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池田信夫の逝かれっぷり
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html
投稿者 中川隆 日時 2011 年 10 月 16 日 01:41:32: 3bF/xW6Ehzs4I
 

TPP賛成派(分かっている範囲内で、賛成派の主な人たち)

主な政治家・・・野田佳彦首相、菅直人前首相、前原誠司政調会長、玄葉光一郎外相、安住淳財務相、仙谷由人元官房長官、みんなの党一派、河野太郎、石破茂その他

主な官僚・・・宗像直子

主な言論人・・・竹中平蔵、星 浩、櫻井よしこ 、辛坊治郎、高橋洋一、阿比留瑠比、松本健一 、財部誠一、屋山太郎、勝間和代、猪瀬直樹、古賀茂明、三宅久之、古森義久、田勢康弘、岸博幸、堀江貴文、田中直毅、田村秀男、伊藤洋一 、池田信夫、谷内正太郎 、花岡信昭、大前研一、伊藤元重、田嶋陽子、高野孟、福田和也、田久保忠衛 、田原総一郎その他


 ざっと主なところではこんなところが、親米保守(ポチ)の人々は基本的に賛成。概ね郵政民営化賛成とかぶっている。


池田信夫みたいな詐欺師は必ずこういう売国プロジェクトの推進側に回るね。

そんなにおこぼれが欲しいのかな。

まあ、これだけ貰えれば僕もTPP賛成になるけどね:

アメリカに利益を得させ、そのリベートを貰うのは、その一例である。

竹中はクレディスイス銀行ジュネーブ支店に100億の預金が在り
検察に取り調べられたが、小泉が10億検察につかませ、難を逃れた。
その代償として議員辞職したのが真相である。

純一郎の選挙対策本部長は稲川会の竹内清である。
純一郎は己の出自に鑑み若くしてCIAの工作員になり、それが暴力団
と、より深く結びついていく。

その系譜を息子進次郎に受け継がせ、コロンビア大学、CSISとCIAのジェラルド・カーチスの斡旋で工作員の王道を歩ませている。 進次郎は選挙中稲川会の竹内清に挨拶に赴き、撮影されている。

小泉純一郎が自分のした事、する事に対し、何の後悔も無い事が窺い知れる。 日本国、日本国民を裏切り、利益を貪るのは、小泉の目指す所である。

我々国民はこの様な売国奴を支持し、賞賛していたのである。
今さらながら、我々日本国民はバカである。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/585.html


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 ヽ ゙i_       〉 __ヽ,_    r‐'" ノ
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    `/l ̄V''ーv l_ し'"V   / ヽ
      | l、__/   ゙、__/   l     あなた方は幸運ですね
      |       rニヽ,       |   < 何故かって?
     |     lニニニl      /      変態 池田信夫を見れたからです
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         `ーァ---──'''"ヽ,        ハッピー
        / / l,  i ヽ ` \

湯浅誠に対する池田信夫のみっともない嫉妬


この年末年始、国内でもっとも注目を集めたのは、「年越し派遣村」をめぐるニュースであり、村長を務めた湯浅誠は、いまや日本でもっとも注目を集めている人物の一人だろう。

当ブログは、朝日新聞がこれを大きく扱わなかったことを非難してきたが、もっと滑稽だったのは権力や御用文化人の反応である。

派遣村に集まってきた人たちに対して、「本当に働こうとしている人か」と述べたのは、坂本哲志総務政務官である。この発言を報じた毎日新聞の記事には、およそ270件の「はてなブックマーク」がついたが、うち33件に「これはひどい」というタグがついている。「はてブ」の3分の1に「これはひどい」のタグがつけられた城内実には(ネットの世界では)及ばないが、大顰蹙を買ったといえる。

ところが、2ちゃんねるやmixiの日記などでは、この坂本発言を支持する声が多いのだという。いや、『Munchener Brucke』が採集して提示したように、坂本発言を擁護しているブログがゴマンとある。テレビで彼らを煽っているのはみのもんたである。いや、

「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」


とか、ハローワークで


「何かありませんかと言うんじゃ仕事は見つからない。目的意識がないと雇う方もその気にならない」

などと発言した麻生太郎首相自身が、コイズミ内閣の頃時代を席巻した自己責任論を再び撒き散らしている。麻生は、いくら積極財政論を唱えようが、本質的に新自由主義者である。

現在、日本の支配層の知的水準は際立って劣化しており、権力が崩壊していく時というのはいつもそうなのかと思わせるほどだ。単に漢字が読めないだけではなく、その無教養ぶりを日々露呈している麻生太郎もそうだが、「経済学者」であるらしい池田信夫という人物もその悪例に挙げられる。

以前、『kojitakenの日記』で、池田が「地球温暖化陰謀論」なるトンデモにはまっていることをご紹介したが、当該エントリからリンクを張った『シートン俗物記』の指摘によると、池田は、従軍慰安婦否定論、沖縄集団自決否定論、捕鯨問題などにも首を突っ込んで、毒電波を撒き散らしているようだ。学界ではまともに相手にされていないのではないか。少なくとも、私は池田を「経済学者」とはみなしていない。

その池田が、ブログで「「派遣村」の偽善」なる、呆れたエントリを上げている。2ちゃんねるでは絶賛されているのかもしれないが、「はてなブックマーク」における評判はかなり悪い。私に言わせれば、この池田のエントリは、どこがどう悪いという以前のレベルのものだ。

ところで興味深かったのは、これだけではおさまらなかった池田が、「反貧困―「すべり台社会」からの脱出」というタイトルのエントリを上げてきたことだ。

内容は、同名の湯浅誠の著書に対する単なる悪口だが、このエントリを読んでいて、池田がこんな駄文を書いた動機がわかった。

池田もエントリ冒頭で書いているように、この本は昨年暮、朝日新聞社が主催する「大佛次郎論壇賞」を受賞した。

http://www.asahi.com/culture/update/1213/TKY200812130197.html


朝日新聞の論調自体は、必ずしも「反貧困」の方向性を持っているとはいえないが、この湯浅の名著に論壇賞を授与する程度の良識は残っているようだ。そして、池田は明らかに湯浅誠に嫉妬している。

彼の経歴も東大法学部の博士課程修了と、普通の「プロ市民」とは違う。

などとわざわざ書いて、対抗心をむき出しにしているし、なんといってもお笑いなのは、本書のような「社会主義2.0」では、朝日新聞や岩波書店などの滅びゆく左翼は喜ぶかもしれないが、若者はついてこないし、政策論議としても建設的なものは出てこない。

というくだりだ。おいおい、と思ってしまった。これをちょっと言い換えると、池田信夫のような「新自由主義2.0」では、自民党や竹中平蔵一派などの滅びゆくネオリベは喜ぶかもしれないが、若者はついてこないし、政策論議としても建設的なものは出てこない。

となる。

とにかく滑稽なのは、池田信夫の湯浅誠に対する強烈な嫉妬心であり、これが池田にくだらないエントリを書かせた動機なのだ。みっともないの一語に尽きるが、こういう人間のありようが露骨な形で示されるのが新自由主義時代の日本の特徴なのかと思ってしまった今日この頃である。

_______

池田信夫さんはたしかに嫉妬心がすごいですね。

売れっ子の佐藤優さんにたいしても、「記事がネットのコピペレベル」などと誹謗中傷ではないかと思うようなことを書いています。

彼の経済学者としてのレベルは低いと思いますね。 日本の人文科学のレベルの低さのせいでもあると思いますが。

2009.01.09 02:10 URL | 怒助兵衛 #buI3a3AE [ 編集 ]

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html


労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏によると


>池田信夫氏の第1法則:池田信夫氏が自信たっぷり断言していることは、何の根拠もない虚構である蓋然性が高い。


>池田信夫氏の第2法則:池田信夫氏がもっともらしく引用する高名な学者の著書は、確かに存在するが、その中には池田氏の議論を根拠づけるような記述は存在しない蓋然性が高い。


>池田信夫氏の第3法則:池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い。

だ、そうです。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-820.html


2008-10-14 池田信夫氏のリフレ嫌いもここから来てるのかな?w


ポール・クルーグマン祭リンク集と池田信夫氏の批判について


 スウェーデン王立科学アカデミーは13日、今年のノーベル経済学賞を米国プリンストン大学のポール・クルーグマン教授(55)に贈ると発表した。自由貿易とグローバル化による影響を説明した新理論が受賞理由。米ニューヨーク・タイムズ紙のコラムも担当し、ブッシュ政権の経済政策に批判的な論調で知られる。


 クルーグマン氏は、伝統的な国際貿易論に「規模の経済」と呼ばれる概念を導入。地場の小規模な製造業が、世界市場向けに大量生産する大手企業に取って代わられる現象を説明した。


 クルーグマン氏はリベラル派の論客で、レーガン政権など米共和党政権が高所得者への減税を拡大する一方、福祉を削減したことで格差を広げたと批判。現在の金融危機が深刻化する前から、米国が経常赤字を膨らませながら世界中のマネーを吸い上げる状況をいびつだとして「(29年に始まった)世界恐慌前夜に似ている」と警告していた。


 「グローバル経済を動かす愚かな人々」など著書も多い。


 授賞式は12月10日にストックホルムで。賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)。


     ◇


 〈ポール・クルーグマン氏〉1953年生まれ。米マサチューセッツ工科大で博士号を取得。同大教授、スタンフォード大教授などを歴任した。


このように素直に受賞を祝うブログが多いのですが、中には批判的なブログもありました。


今年も当ブログの予想ははずれ、受賞者はノーマークのポール・クルーグマン。

ノーベル財団の授賞理由を読んでも、よくわからない。"International Trade and Economic Geography"というのは、アメリカが日米半導体協定を求めてきたとき、彼らの理論武装に使われた「戦略的貿易政策」というやつで、いわゆる収穫逓増があると大きいものが大きくなるので、日本の半導体を規制しろというものだ。今となってはナンセンスなことが明らかな理論で、その昔ロボトミーに授賞されたようなものだろう。


クルーグマンの政治とのかかわりは、1982年にレーガン政権のスタッフになったことから始まる。そのころは、いわゆるレーガノミックスにそって自由貿易を推進していたのだが、クリントン政権では大統領経済諮問委員会の委員長候補とされ、本人もあからさまに「ポストに興味がある」と語ったが、結局ポストにはつけなかった。この戦略的貿易政策は、そのとき猟官運動のために書いたもので、国際経済学の常識である自由貿易を否定する理論だ。


ところがポストが得られないことを知ると、クルーグマンは1994年に「競争力という危険な幻想」という論文を発表して、自由貿易主義者に変身する。その後は、エンロンの顧問をつとめて笑いものになったり、ブッシュ政権を罵倒するコラムを毎週書いて、Economist誌に「片手落ちの経済学者」と皮肉られたりした。


要するに、その時その時で理屈を変えて世の中に媚びてきたわけで、昨年のHurwiczとは逆の、経済学者の卑しい部分を代表する人物だ。経済学がいかに都合よく結論にあわせて「理論」を編み出せるかを示すには、いいサンプルだろう。彼は学問的に新しいことをやったわけではないが、ジャーナリストとしては一流だから、代表作はNYタイムズのコラムだろう。


(中略)


インフレ目標 (池田信夫) 2008-10-14 09:02:28


日本の新聞は、クルーグマンの「インフレ目標」についての論文に関心があるようですが、これは正式の学会誌に出たものではなく、半分冗談です。これも今となっては、ロボトミーのようなものでしょう。

http://cruel.org/krugman/krugback.pdf


最大の間違いは、彼が

「不良債権は大事な問題だが、日本経済の回復には寄与しない」

と考えたことです。

「銀行の処分や差し押さえの脅しが貸し渋りを引き起こして、それが日本の景気停滞をさらに深めたんだとしたら、そもそもなんで銀行改革なんかせにゃならんのでしょう」

と書いているが、これは問題を正反対に見ている。この点では地底人のほうが正しく、問題は貸し渋りではなく「貸し過ぎ」だったのです。それは今も続いている。


均衡実質利子率が負になっていることが問題のコアだ、というクルーグマンの指摘は正しいのですが、彼はそれをどう是正するかという問題をあきらめ、

「インフレを起こして実質金利を負にすればいい」

という奇妙な政策を思いつく。これは日本の半可通に賛同者を得て、インフレ目標をめぐる不毛な論争の原因になりました。これについては何度も書いたので、シュワルツの批判も含めて読んでください。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d926343a65b75e0cfb5f4afc7bd4f986


(中略)


個人的な思い出 (池田信夫) 2008-10-14 11:11:38


私が今回の授賞に不愉快な気分になったのは、かつてこの「戦略的貿易政策」に振り回された記憶があるからです。1993年に日米構造協議がもめたとき、 CEAの委員長はLaura Tysonという(無名の)保護貿易主義者で、彼女が掲げたのが、このクルーグマンの「理論」だった。彼女の"Who's Bashing Whom"という日本たたきの本がベストセラーになったので読んでみたが、とても経済学といえる代物ではなかった。


それでもUSTRが「輸入の数値目標を出せ」と激しく迫るので、竹中平蔵氏をゲストにして「クローズアップ現代」でやったことがあります。親米派の竹中氏も、さすがにタイソンのわけのわからない話は説明に困り、

「彼らの感情を理解する必要がある」

と言っていました。その後、張本人のクルーグマンが"Foreign Affairs"で自由貿易を唱え始めたときは、頭に来ました。われわれはいったい何を「理解」しようとしていたのだろうか。


いま思えば、日本があれだけアメリカに敵視されていた時代がなつかしい。もうあんな時代は、よくも悪くも二度と来ないでしょう。そういえば、タイソンの本を国谷裕子さんに貸したままだ・・・


クルーグマンにスウェーデン銀行賞 - 池田信夫 blog(旧館)

意見は様々ですから、クルーグマン氏の戦略的貿易政策やインフレターゲット論を批判するのは別に良いのですが、この記事はそれを超えて人格批判にまで踏み込んでいるように見えますね。

クルーグマン氏の戦略的貿易政策が日米構造協議に利用されたことに憤りを感じたようですが、当時のアメリカを批判するだけならともかく、それに利用された理論を唱えた学者まで憎んでしまうというのは、ちょっと行き過ぎではないかと思いますけどねえ。

10/15追加

昨日の記事について反響があったためか、池田氏は今日もクルーグマンについて取り上げています。

けさの短い記事が予想外に大きな反応を呼んで、新聞社から取材まであったので、誤解のないようにフォローしておくと、クルーグマン自身はちゃんとした経済学者で、地底人のようなトンデモではない。授賞理由となった戦略的貿易政策は、代表的な国際経済学の教科書にもまったく出てこない陳腐な理論だが、おそらくこれは表向きの理由で、本当の授賞理由は昨今の異常な経済状況だろう。


前の記事のコメント欄のLadbrokesのオッズにもあるように、本来の最有力候補はFamaだったと思うが、彼は不幸なことに効率的市場仮説の元祖として知られている。この状況で「市場はすべての情報を織り込んでいる」という理論に賞を与えたら、1997年に受賞したMerton- Scholesの創立したLTCMが翌年、破綻したときのような批判を浴びるだろう。このランキングの上位にいるBarroやSargentは新しい古典派と呼ばれるウルトラ合理主義者なので、受賞記者会見で「政府は何もするな」などと言いかねない。


したがって選考委員会は

「市場メカニズムだけにまかせていてはだめだ」

と主張する経済学者をさがしたと思われる。スティグリッツがまだもらっていなければ確実にもらっただろうが、彼はすでに受賞した・・・と消去法で考えると、このリストの中ではバグワティとクルーグマンが残る。これは共同受賞にしてもよかったと思うが、なぜクルーグマンの単独受賞になったのかは謎だ。国際資本市場の不安定性をかねてから警告していたのは、バグワティのほうだからである(こういう片手落ちはノーベル賞によくある)。


現代マクロ経済学講義 - 池田信夫 blog(旧館)

この記事に対して、いくつかの経済学系ブログで批判する記事が出ています。

 あるネットの妄言をみててすごくずっこけた。なんでもクルーグマンの戦略貿易政策に関する業績が、オブストフェルドとロゴフの教科書にでてこないから陳腐な理論だそうです 笑。あとその他にも戯言が続いていた気がしたけれどもノイズなので読んでないw


 さてオブストフェルドとロゴフの教科書の題名は『国際マクロ経済学の基礎』といって、ちょうどブランシャール&フィッシャーのテキストの後に定番となり、90年代後半あたりに中心的なテキストとして学んだほうがいいんではないか、といわれたものでした*1。そして確かにここにはクルーグマンの戦略貿易政策は話題になってません、ハイ。


 しかしオブストフェルドはクルーグマンとそもそも長年、国際貿易論のテキストを書いてなかったっけ? はい、いまでも定番の国際貿易論のテキストを書いてます。ちなみにここがその目次です。クリックしてみれば一目瞭然ですが、ちゃんと第2部にクルーグマンの今回の授賞理由となっている戦略貿易政策の入門的な記述が詳述されています。


 ではオブストフェルドはクルーグマンと組むときは「陳腐な理論」を紹介し、ロゴフと組むときは「陳腐な理論」を陳腐ゆえに放棄したのでしょうか? そんな「二枚舌」な人なんでしょうか? いえいえ、全然違います。


 もう賢明な読者の方はおわかりですよね? そうです、オブストフェルドとロゴフの本は「国際マクロ経済学」のテキストであり、もともとミクロ的な話題を含んでいないだけなのです(オブストフェルドとクルーグマンの本の第一部、第二部の話題)。そのネットの妄言はいわば、八百屋にいってアパートでも探している人と同じですね 笑。


 もちろんいまの国際マクロ経済学もミクロ的基礎づけをもっていますのでどこまでミクロ、マクロと区切るのか判然としない場合も多いのですが、戦略貿易政策の話題は慣例?にしたがって国際マクロ経済学には含まれてこないようです(例外もあるでしょうからあれば教えてください)。


陳腐な解説とは?- Economics Lovers Live

クルグマンの受賞を祝う声が多い中、池田信夫先生(笑)はおかしな方向に暴走していまっています。(参考)ポール・クルーグマン祭リンク集(と池田信夫氏の批判について)


あまりに池田先生が不憫なのでコメント欄で暴走をお止めになるように申し上げたいのですが、gooアカウントが必要なので、この日記を池田先生の日記にトラックバックしようと思います。

2008年のノーベル賞のコメント欄およびクルーグマンにスウェーデン銀行賞のコメント欄でEconomist誌のone-handed economistを引用して「片手落ちの経済学者」とクルグマンを評しています。しかし、one-handed economistに書いてあるように、これは「二枚舌でない経済学者」という良い意味で使われています。実際に池田先生がリンクしている記事(Paul Krugman, one-handed economist)を見てみると

“GIVE me a one-handed economist,” demanded a frustrated American president. “All my economists say, ‘on the one hand...on the other'”.

ですから、一般に経済学者は「一方では××とも言えるし、もう一方では○○とも言える」というナンセンスな主張をして、正しい筋道を与えないが、クルグマンは筋道を与えてくれるという意味になりますね。


クルーグマンにスウェーデン銀行賞の本文でお書きになっている戦略的貿易政策から自由貿易主義への転換については、(その時生まれていないので時代背景を存じ上げませんが、)以下のような意見も存在しております。

933 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/10/14(火) 01:47:21 ID:o1Yiu9LW0

>>921

間違っていたと言うか、クルーグマン本人が自分で自分の理論を乱用する連中を戒めてたりする。

戦略的貿易論って言って、アメリカが80年代末〜90年代半ばぐらいに日本に無茶苦茶な

要求突きつけてきたけど、あれの理論武装の一部がクルーグマンの理論。それを批判したわけ自分でね。

その辺の話は上でも紹介した「良い経済学、悪い経済学」に載っている。


400 Bad Request

リンクを張っても詮無いので言葉だけ紹介しますと、

「"International Trade and Economic Geography"というのは、アメリカが日米半導体協定を求めてきたとき、彼らの理論武装に使われた『戦略的貿易政策』というやつで、いわゆる収穫逓増があると大きいものが大きくなるので、日本の半導体を規制しろというものだ。今となってはナンセンスなことが明らかな理論で、その昔ロボトミーに授賞されたようなものだろう」、

「授賞理由となった戦略的貿易政策は、代表的な国際経済学の教科書にもまったく出てこない陳腐な理論だが、おそらくこれは表向きの理由で、本当の授賞理由は昨今の異常な経済状況だろう」


なんてことをおっしゃっている方がいます。


後者の教科書云々については、すでに田中秀臣先生が反駁なさっています。その余の点として、クルーグマンの業績に対して正当な評価を下す能力のある(そしてもちろんwebmasterのごとくリフレ政策云々にはこだわっていないであろう)海外の経済学者はどのように評しているのか、ざっと調べてみました。

Tyler Cowen

"I have to say I did not expect him to win until Bush left office, as I thought the Swedes wanted the resulting discussion to focus on Paul's academic work rather than on issues of politics. So I am surprised by the timing but not by the choice.*"

Gregory Mankiw

"No one knowledgable about developments in the theory of international trade could have doubted that Paul was on the short list. The timing, of course, was impossible to predict, and I am a bit surprised that the Nobel committee did not award the prize jointly with some other economists who worked along similar lines. But the prize itself was an easy call. *"

Menzie Chinn

"Commentators remarking on the fact that Krugman has been a strong critic of the Bush Administration ([1], and particularly [2]) are right, but miss the point. Krugman was awarded the prize for his academic work on trade, geography (and international finance), and not for his political views -- just as George Stigler won for his academic work on industrial organization and regulation.*"(webmaster注:強調は原文によります)

Arnold Kling

"It is a classic contribution. In retrospect, it seems sensible and obvious. But until Krugman developed the argument, the rest of the economics profession was on a completely different wavelength.*"

Bryan Caplan

"Gordon Tullock is always my first choice for the Nobel prize, but Paul Krugman's win is, as the Germans say, nicht ein Unrecht - not an injustice. Yes, he's often screamed himself silly, but the best fifth of Krugman's corpus is excellent. As I guest blogged on MR years ago:*"


公平を期すために申し上げれば、批判的な見解がないではありませんが、"There seems to be a fair amount of anger in some corners about Krugman's Nobel. A few thoughts about the complaints:*"と冒頭に書かれていることにかんがみれば、ノーベル経済学賞受賞者であっても盲信すべからず、といったニュアンスと解するのが相当でしょう。少なくとも、クルーグマンの業績はロボトミーに類するものだといった批判ではまったくありません。


クルーグマンのノーベル経済学賞受賞に関する海外経済学者のコメント - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com

クルーグマンファンなので、過剰反応してみます。


池田信夫氏が

授賞理由となった戦略的貿易政策は、代表的な国際経済学の教科書にもまったく出てこない陳腐な理論だ


http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/71231c0cbfaca90236295c4ff978a2ae

と言っていますが、これは経済学者として恥ずかしい発言だと思います。


クルーグマンの業績を知らないことが経済学者として恥ずかしいのは、ちょっと何かを見落としたり勘違いしたことによるミスとは根本的に違うからです。

貿易論、労働経済学、公共経済学、それに産業組織論といった応用ミクロ経済学に、ゲーム理論的な枠組みを持ち込んで分野を革新するっていうのは、70-80年代に起こった経済学の大きな流れです。今は理論的に一段落付いたので、ゲーム理論的な枠組みの元で実証をやりなおそう、って流れに移行しつつあります。

氏は、この流れの存在すら知らないのでしょう。もし知っていたら戦略的貿易政策について陳腐なんていえるはずがありません。戦略的貿易政策に代表される新貿易理論は、モデルの結論よりむしろゲーム理論の貿易理論への本格的な適用という大きな流れを作ったことで分野を革新したのですから。


筋金入りの共和党支持者であり、したがってクルーグマンのコラムに同意しないことが多いマンキューが

国際貿易理論の発展を知っている人で、クルーグマンが(ノーベル賞)リストの上位にいることを疑うことのできる人はいない。


と言っているのはクルーグマンの疑いようもない経済学への貢献を知っているからです。氏は明らかに「国際貿易理論の発展を知っている人」ではないので、ノーベル賞政治陰謀理論を唱えたりせず、口をつぐむべきです。


だからクルーグマンは偉いんだって - eliyaの日記

(追記2)


 やっと時間が出来た(汗ので書いておくと、上のIT専門家の方はノーベル賞の受賞理由を読まれてなぜ「戦略的貿易政策」の理論が浮かんだんでしょうかね・・?理由が分からん。


 ノーベル賞の受賞理由で記載されているのは、新貿易理論の話でしょう。つまり、規模の経済性と不完全競争を導入したモデルを構築することで比較優位では当てはまらない現象(同一国で同種の財が輸出され、かつ輸入されているのはなぜなのか?)を説明したというものです。近年では個票データの利用が可能になってきたこともあって、クルーグマンモデルやディキシット・スティグリッツモデルで考慮されていなかった企業の異質性や生産性の格差といった要素の重要性がクローズアップされてきており、 Melitzのモデルでは確率分布で生産性の格差を取り込んだり、一国の産業というくくりで見た場合にその中に含まれる企業の異質性に着目した実証分析が進められています。このような流れの基点の一つとなっているのがクルーグマンの業績でしょう。


 同様に受賞理由では空間経済学の話にふれていますが、規模の経済性(輸送コストの低減)が都市化・産業高度化を後押しする要素として作用することを明確化したのもクルーグマンの業績でしょう。


http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2008/info.pdf
http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2008/ecoadv08.pdf


Econviews-hatena ver.∞

昨日と今日の池田氏の記事におけるクルーグマン批判は、これで大体否定されてしまった感がありますね。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20081014/1223955578


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【経済】 池田信夫の批判のための批判

2010/8/30(月)

今月28日に池田信夫氏がコラムを書いています。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51472821.html



「ニセ経済学の見分け方」です。


さて、この中では、批判のための批判が繰り返されていますが、この方は言葉の定義を引き出し、それが間違っているから、論理の全てが間違いである結論付けている。

これは、批判のための批判論者の手口ですね。

全体の流れを見ないで、言葉尻を捉まえて、その言葉の定義がちがうから、お前の言っていることは全て間違いである、という論法である。

彼が、このコラムで間違いであると指摘しているのは、「GDPギャップ」という言葉である。

>主要部分では、GDPギャップを「需要と供給のギャップ」と取り違えてトンチンカンな話をしている。以前の記事でも書いたように、GDPギャップは潜在GDPと現実のGDPの差なので、

「構造改革で生産性を上げると、供給が増えてGDPギャップが拡大する」

という話はナンセンスである。


確かに政府の資料(内閣府)をあたると、以下のように書いてある。
http://www.epa.or.jp/esp/09s/09s10.pdf



内閣府で推計しているGDPギャップの定義を見ると、以下の通りである。


GDPギャップ=(実際のGDP−潜在GDP)/潜在GDP


と書いてあり、確かに池田氏の言うとおりである。

しかし、そのすぐ上に、

「GDPギャップのマイナス幅は大幅に拡大しているが、マイナス圏のGDPギャップは概念上、マクロ経済的にみて需要が供給を下回っている状況に相当する。」


ともあります。

つまり、

GDPギャップ=需要GDP−供給GDP


でもあるのです。

この文章は、

「GDPギャップを「需要と供給のギャップ」と取り違えてトンチンカンな話をしている。」

という文章を否定している。

彼が主張していることは、まったくの当て外れであり、これを見ても批判のための批判であるといえるでしょう。

さらに、小野理論がいつバラマキ派になったかは知りませんが、「景気と経済政策」の中では、そんなことは書かれていなかったように思う。


また最後の文章はもっとすごいです。


>ニセ経済学を見分けるのは簡単である。

「**さえやれば日本経済は一発で回復する」とかいうわかりやすい話は疑ったほうがいい。そんなうまい話があれば、政府も日銀もとっくにやっているはずだ。ニセ経済学は現象を単純に割り切って説明するが、本当の経済学は複雑でわかりにくい説明しかできない。それは現実が複雑だからである。


これを要約すると、以下のようになるのでしょうか。



経済学は複雑怪奇だから、一言ではいえない。

そんな複雑なことに政府も日銀も手を出すべきではない。

難しい理論は、経済学者の白い塔の中に任せておけ。

話してもどうせ分からないから。

分かりやすく話す義務も無いしな・・・。



と言っている思えるのだが。

これも批判のための批判論者のやる手口ですね。

分からないなら手を出すな。

分かりやすい説明をする人間は、全てニセ経済学者である!!!

なら経済評論家は要らないのではないか。

このコラムを読んだだけで、池田氏が批判のための批判論者であることは一目瞭然である。私は、批判のための批判論者は世の中の害虫だと思っている。批判をするならば、きちんと対案なりを提示しなければならない。批判だけして、後は逃げる人間は、社会では一番いらない人間である。

http://blogs.yahoo.co.jp/masa3801122003/26475824.html


池田信夫氏は単なるバカ

2009/11/6(金)


それを考えると、池田信夫 blog:「貧困率」についての誤解 が書くような、

けさの朝日新聞に

「15.7%の衝撃―貧困率が映す日本の危機」

という社説が出ていて、朝日新聞の論説委員のレベルの低さに衝撃を受けた。日本の貧困率がOECD諸国で第4位だということは、当ブログでも紹介したとおり5年前から周知の事実で、政府が「それに目を背けてきた」わけではない。大した意味がないから、特に問題にしなかっただけだ。

鳩山首相もこの数字について

「大変ひどい数字だ。何でこんな日本にしてしまったとの思いの方も多いだろう」

とコメントしたそうだが、彼はその意味がわかっているのだろうか。OECDの発表しているのは相対的貧困率で、これは国内の家計所得の中央値(メディアン)の半分に満たない世帯の比率を示す指標にすぎない。絶対的貧困率でみると、次の図のように、日本の下位20%の人々の所得(紫色の面積)は最大である。

などという言説は、ナンセンスもいいところだとしか思えない。貧富の分布の広がりがメキシコや中国ほどではない日本で、相対的貧困率が増えた場合、所得が同じである、日本に住む人と中国に住む人を比較した場合、食うのに困るのは圧倒的に前者なのである。だって、中国では超安価なファーストフードにありつけるが、日本ではそうはいかないのだから。そりゃ、日本で貧困層に属する人々が、同じだけの所得が得られるという条件付きで中国に移住できれば、食うには困らなくなるかもしれないが、それは非現実的な仮定というものである。

別に中国の格差社会の現状を肯定するつもりなどさらさらないが、


「絶対的貧困率でいうと日本の貧困率は大した意味がない」

などという池田の言説が、いかに馬鹿げたものであるかということは、私にとっては自明である。


池田信夫の妄論にも呆れたが、池田信夫 blog:「貧困率」についての誤解 で、そんな池田ブログに感心して賛同のコメントをつけている連中にも呆れ返ってしまった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091105/1257428113

私も、

「池田ブログに感心して賛同のコメントをつけている連中にも呆れ返ってしまった」

一人です。あれは誤解とか以前に、弁護の余地もないほど最悪の内容であることは、一目瞭然でしょう。

ノブオ氏は単なるバカだと思います。

バカというのは、頭が悪いと言うよりも、やたらに頭のいいふりをしたがる、素人相手に威張り散らして悦に入る、批判に耳を貸さない、結局はハッタリをかます能力だけしかない(その能力は高いのかもしれない)ということです。城繁幸も同じです。

そもそも、経済学にも責任もあるのかもしれませんね。経済学を全然勉強していない人のほうが、

「数字はそうかもしれないけど、現実食えてない人いっぱいるじゃん、それどう説明すんのよ」

という、健全な突っ込みを入れられると思うんですよね。経済学を勉強している人のほうが、下手にノブオ氏を理解できちゃったりするのかもしれませんね。

しかし、私みたいな経済学ど素人からすれば、単なるバカ以上のものじゃないんですよ。どんな難しい数式を駆使したとしても、この程度の社会観を自分で反省できる能力がないようじゃ、学者というか知識人として終わっているでしょうよ、と。

経済学者がみんなそうだというわけじゃ全然ありませんが、やはり経済学系の人に一番多い気がしますよね。飯田泰之氏のようなかなり良心的でまともな人でも、このバカで無神経な社会観が時々顔を出すんですね。だから経済学って潜在的には好きだと思うんですが、今のところあんまり信用していないわけです。

http://blogs.yahoo.co.jp/zhang_r/22592408.html

電波学者の池田信夫先生は天寿を全うして安らかに死んでください。


電波学者(電波行政に関して卓越した深い見識をお持ちになられるという意味)の池田信夫先生の地震に関する迅速かつ正確無比で客観的ツイートにケチをつける人間のクズ(人間のクズとは、池田信夫先生が衆愚の過ちを優しく指摘する際にお使いあそばれる、たおやかな上級言語。語源は桓武天皇が、息子が庭のスズメを虐めることを優しくたしなめるときに「人間のクズ」と言ったことだとされる)が耐えません。


クズの例→経済学者の池田信夫様よりメールを頂戴致しました


そんな人間のクズのはてなーにも理解できるように、池田信夫先生のご慈愛あふれる超ツイートをもろもろ再検討してみましょう!

ご慈愛溢れる池田信夫先生に見捨てられる前に、先生のお考えを正しく理解しましょうね!

池田信夫先生は人間を超越した何かです。

池田信夫先生は僕達の想像を超える存在です。その存在は人間の生命に対する常識を根底から覆します。

なぜなら、地震に関するFAQで

妊婦は大事をとって、実家に帰れる人は帰った方がいい。細胞分裂の終わった老人は(私を含めて)安全。 RT @harmonnnny: 妊婦はどうですか?

http://twitter.com/ikedanob/status/47537414033514496

とお答えあそばれているからです。

浅学非才な私めは、人間であれば生きている限りは、老人でもゆるやかながら細胞分裂はしているものだと考えていましたが、経済学、原発、電波行政にも詳しいインターネット時代のレオナルド・ダ・ヴィンチである池田信夫先生にとってはそんな一般論は意味がありません。

細胞分裂が完全に終わっても生き続けている人間がいるのであれば、ノーベル賞ものの発見ですから、池田信夫先生はリアル「生けるノーベル賞」というころができるでしょう。

文字通り人間を超越している学者、それが池田信夫先生なのです。

そんな池田信夫先生に楯突くはてなーは人間のクズ(マイケル・ジャクソンが死の間際、世界の平和を願いつぶやいた言葉ともされている)です。

池田信夫先生は憶測を決して許しません

その御心の広さにおいては太平洋が小さく見える池田信夫先生でありますが、デマや憶測や推測の情報を広める人間を決して許すことはありません。

例えば、ジャーナリスト広瀬隆さんの著書については、

私は広瀬隆より前から原発を取材してるが、彼が最初に書いた本はあきれた。自分で「この本には1次情報はまったくない。すべてデータベースを利用して2次情報だけで書いた」と誇っていた。こんなのを使うメディアは、自分でB級だと白状しているようなもの。

http://twitter.com/ikedanob/status/48656386866954240

ときっぱりと否定されております。快哉!ですね、『2次情報をもとに』して発言をするなど、B級であるまじき人間のクズ(ジョン・レノンがオノ・ヨーコにプロポーズする時に使った言葉)です。

下記もご本人の発言ですが、

いうまでもないが私は素人なので、今後の見通しをきかれても答えられません。2次情報をもとに推測しているだけなので、参考だと思って聞いてください。最悪の事態になるかどうかは、わかりません。

http://twitter.com/ikedanob/status/47255528056950784

これを見て

「おい、池田信夫矛盾してね?」

と思ったあなたは人間のクズ(リンカーンがキューバ危機を止める際に、相手国首相にいった言葉、この言葉によって歴史は変わった)です。池田信夫先生はあくまで素人ですから、2次情報をもとに憶測するのはあたりまえなのです。

人間のクズのあなたは

「10万人いる池田信夫先生のフォロワーの中にはリテラシーがない人も、誤解する人もいる。さらに、その人がRT、非公式RTしたら、池田信夫が素人であることをしらない人にも情報が拡散されるだろ。池田信夫が訂正をしても、拡散されたRTを見た人には訂正が伝わらない場合もある。素人なら素人らしく口をつぐむべきだ」


というかもしれません。

しかし、池田信夫先生をフォローしているツイッタラー10万人は全員がリテラシーがべらぼうに高いので、RTデマに惑わされることなど金輪際ありえません。金輪際です。ウソをウソと見抜く天才かつ、合コンでもOLをお持ち帰りしまくり、濡れた犬を拾いすぎて家が犬臭い、全員が年収1000万人以上の10万人の集まりなのです。当然、「類は友をよぶ」ので、信夫先生のフォロワーのご友人や関係者全員のリテラシーもべらぼうに高いので、たとえ池田信夫先生がデマを流しても直ちに気が付きます。

だから、池田信夫先生に限っては、「2次情報をもとに憶測」しても構わないのです。

読みたくなければ読むな!

これだけご慈愛溢れる池田信夫先生のツイートを気に入らないという人も、どうやらいるようです。

もし、池田信夫先生のツイートが気にいらないのならば、

「確認してから言え」

とかいうバカが多いが、読みたくなければ読むな。災害のときは、不確かな速報も必要なんだよ。放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ

http://twitter.com/ikedanob/status/46491222621163520

読まなければ良いのです。

ただ、

「フォロワーが多い池田信夫先生のツイートは望むと望まざるにかからず、タイムラインに表示されるので、読みたくなければ読むなも出来ないじゃん。つーか、正しくない情報を垂れ流しておいて、みたくなければみるなってAAの

               ヽ人人人人人人人人人人人人人人人ノ

             <                      >

             <  嫌なら見るな! 嫌なら見るな!  >

             <                      >

             ノ Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Yヽ

            ∧ ∧

            (゜Д゜ )

          (⌒  ⌒)

          )_人_ ノ

          /    /

      ∧_∧ ∩  (

     (   ; )ω   ̄)

   γ⌒   ⌒ヽ  ̄ ̄| 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

じゃねぇか。 」


と言う意見もあるでしょう。その意見は・・それは・・・・多分・・超因果率からなる宇宙法則ダーマの定理からいえば間違っていると言わざるを得ません。

災害時には不確かな情報も必要です

池田信夫先生は一貫として

「確認してから言え」とかいうバカが多いが、読みたくなければ読むな。

災害のときは、不確かな速報も必要なんだよ。放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ

http://twitter.com/ikedanob/status/46491222621163520


という態度を貫かれております。正しい、圧倒的に正しい。

この点に関して、反論として

・「災害時には不確かな情報は不必要。パニックが起きてから、「間違ってました」じゃしょうがないだろ」

・「災害時で錯綜していて冷静な判断が必要な時に、素人が不確かな情報を流してどうするのだろう。たとえば、火事場で煙が立ち込める中、馬鹿が大きなメガフォンで

「焦らずに落ち着いて息を吸い込み、深呼吸をしましょう」

といったらどうなるだろうか。

「放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ」

というが、緊急時に間違ってから

「間違ってました。訂正します」

じゃ遅いだろ。推測しか出来ない素人なら黙ってろ」

というような反論もあるでしょう。しかし、反論は決定的に間違っています。なぜ間違っているか?あとは・・自分で考えてみてください。伝えるって本当に難しいです。


また、池田信夫先生はご自身の発言に関して、責任をとられる気も一切ございません。

なぜなら素人だからです。


本人も

同じようなコメントがまだ来るので、次のdisclaimerを私のすべてのつぶやきの最初に付加して読んでください:「私は原子炉工学の専門家でも放射線医学の専門家でもないので、以下は応急的な参考情報です。これをもとにした行動によっていかなる損害が生じても、私は責任をもちません」

http://twitter.com/ikedanob/status/48162119782367232

「俺の発言によって何があっても、責任を持たない」

と明言されています。

素人が発言に責任をもつと訴訟沙汰にもなりかねないですから、これは華麗なリスクヘッジです。さすが和製ポール・クルーグマンの池田信夫先生ですね。


この発言に関しては、

・「間違った情報はRT、非公式RTされて拡散されて、本人がコントロール出来ないところで、誤解や混乱を招く。後で訂正しても気がつかない場合が多々ある。だから、発言に責任を持てないのなら、10万人のフォロワーがいるあなたは発言すべきではない」

しかし、この反論は決定的に間違っています。なぜ間違っているか?あとは・・自分で考えてみてください。伝えるって本当に難しいです。

このように一貫して責任を持たないことによって、下記のような発言の揚げ足取りを回避されています。

たとえば、人間のクズ(池田信夫様と違う意見をもつ人の総称)どもから指摘される御本人の『不確かな』発言としては以下のようなものがあります。

日本人もいい人ばかりじゃない。ご注意を。 RT @chi_w01: 世田谷区、杉並区で「安否確認」と称して早朝一人暮らしの女性の家に複数の男性が訪ねてくる怪しい動きがあるようです。※高円寺で実際に来られた方がいます

http://twitter.com/ikedanob/status/46847496596635648

情報源がただのツイートであり、本当かどうかを確かめようがない『不確かな』ツイートをRTされておりますが、衆愚に「もしものこと」があったらと考えると、たまらずRTした池田信夫先生のご慈愛のあらわれであります

悪い方のことはメディアがいわないから、私のつぶやきに過剰反応しているのかもしれないが、福島第一の周囲にはプルトニウムが出ているおそれがあるので、一般人は永久に立入禁止になるだろう。チェルノブイリから半径30km以内には、永久に人は住めない。これは残念だが事実。

http://twitter.com/ikedanob/status/48610261271187456


『だろう』『多分』『おそれがある』のような憶測や、どこを指すのかわからない『これは残念だが事実』という曖昧模糊とした部分は、誤読のおそれがある、と指摘されています。しかし、これはフォロワーの情報リテラシーのトレーニングなので、池田信夫先生を責めるのは野暮というものです

「原子炉建屋かタービン建屋かわからない」

という不自然な発表は、原子炉が「爆発」したと思われるとパニックになるのでごまかして時間を稼ぎ、ホウ素などの措置とワンセットで発表するためだろう。こんな大事なときに嘘をつくことが国民の信頼を失うことに気づかない役人の浅知恵。

https://twitter.com/ikedanob/status/46544364264099840

これだけ少ない情報で

「時間を稼ぎ〜発表する為『だろう』」

と考えられるのか浅学非才の私にはよく理解できません。たぶん、私がバカだからですね。また、

「原子炉建かタービン建屋かわからない」

という報告は情報が錯綜している中の報告と考えれば不自然な気はしません。けれど、鋭すぎる洞察眼と大衆を救うというご慈愛溢れた信夫先生は、さらに踏み込んで

「こんな大事なときに嘘をつくことが国民の信頼を失うことに気づかない役人の浅知恵」

と看破されております。なぜこれだけ少ない情報で、陰謀論的に断定できるのか私めには到底理解が出来ませんが、聡明で明晰な池田信夫先生には衆愚には見えない物がみえているのです。

このような池田信夫先生に対して、人間のクズ(池田信夫様と違う意見をもつ人の総称)からの反論としては

「10万人のフォロワー、RTを含めると数百万の潜在フォロワーがいる池田信夫の発言にはどうあったって「責任」が伴うから不確かな発言はやめろ。影響力のある朝日新聞とかが専門外の記事で適当こいたら「メディアは終わった」とか言うくせに。池田信夫が素人だって知らない人に非公式RTが届く可能性は非常に高いのに、責任をもたないってひどいな・・」

という愚にもつかない反論があるでしょう。

この反論は、太陽神ガンビル様のご予言によるサルワンダの定理の第89法則によって完全に否定されるものであります。


まとめ

さて、エントリーで池田信夫先生に関する全ての反論は論破されたことがわかったと思います。

まとめると、主な人間のクズ(池田信夫様のご意見を理解できない人間)からの反論としては

@「RTによって素人の発言が拡散されたらコントロールが効かない。誤った情報が拡散した後、間違っていましたではすまない」

→アモナ神の予言、第89章によって否定される

A「情報が錯綜しているのだから、声が大きい素人(フォロワー数がある人)は推測による曖昧な情報を発信するべきではない。ユーザーが緊急時の行動を間違ったときに「先程のツイートは間違っていました」では遅い。RT、非公式RTを見た大勢の中にはリテラシーがない人もいる。

→絶対に間違っています。なぜなら、間違っているからです。深い理由はあなたの理解力を信頼しているので、言いません。ちょっと考えればわかるはずです。

B「池田信夫氏は情報を発信するにしても、『多分』『だろう』『おそらく』という推測ばかり。推測ばかりの割に、役人の発表を陰謀論的に『嘘』『浅知恵』と決めつけている。たとえフォロワーが12だとしても有害だ」


→多分、おそらく、あなたの意見は間違っているだろう。私にはわかる。残念だが、これは事実。池田信夫先生の意見を否定するのは、おそらく彼の賢さに気がついて拉致しようとしているCIAの一味に洗脳されたはてなーの浅知恵だろう。

このような幾許の反論も許さない正確無比で迅速かつ客観的な地震関連ツイートをすることによって、池田信夫先生の支持者は増加しました。

ご自愛溢れる池田信夫先生のブログのPVは、この地震で33万PVとなり、フォロワーも1万5千人増えました。

そのことによって、さらに池田信夫先生のご自愛はさらに高まっていき、今後はご自愛の権化になっていくと思われます。

ご自愛が高まりすぎたことにより、ご自身の意見を否定をする、愚劣なはてなーにも「人間のクズ」と優しくたしなめられるのでございます。

経済学には疎いので、池田信夫先生の本懐である経済学の叡智を検証することが出来なかったのが心のこりです。

さて、最後に確認テストです。

人間のクズは誰でしょう?

http://anond.hatelabo.jp/20110319113428

私、人間のクズは大嫌い

               _/ ̄二ニ> / ̄ ̄7
             } ̄ ̄\_ニrヘrx∠二_   〈
              〈  >'´        `丶、〉,       / ̄ ̄ ̄\
             〉/             \ゝ     / も   話   !  / ̄ ̄ヽ
               〃   -‐ァ7丁 ヽ       ヽ      !  ら  し  |  |  あ  |
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          fハ! ! l  /  //// 、, -‐ ´ `丶l | ノ~}j l  \__て__/
            Vヘl ハV,rr=ミx /     ,zr=-x_ l !/勹/ j
           V∧ ヽ込zソ`       乂ソ'′リ} 〉'/  j
 近 そ  あ.     乂ハ                jし'′ /
 づ れ   と             、           ハ   /
 か 以                         /    /
 ん 上             \    r‐ ー、   / ̄>/
 と                 〈 > 、 ` ´  , イ >'´_|
 っ                ∧ 《ハ`ー-‐'´  / / \_
 て             〈. \ヘハ_   / /   / ̄\__
                   \  ヽ┐ |  |  |   /    /  /

■池田信夫氏の民主党内需拡大策批判は経済学的にも誤り

池田信夫 blog:「内需拡大」についての誤解


民主党のマニフェストは「成長戦略」についての修正で、

子ども手当、高校無償化、高速道路無料化、暫定税率廃止などの政策により、家計の可処分所得を増やし、消費を拡大します。それによって日本の経済を内需主導型へ転換し、安定した経済成長を実現します。

と書いているが、これは誤りである。このような「内需」の財源はすべて税か国債であり、所得再分配にすぎない。たとえば子供手当をもらう家庭の可処分所得の増加は、配偶者控除や扶養控除を減らされる子供のない家庭の可処分所得の減少で相殺されるので、ネットの消費は増えない。

誤りなのは池田さんの方ね。


特に

たとえば子供手当をもらう家庭の可処分所得の増加は、配偶者控除や扶養控除を減らされる子供のない家庭の可処分所得の減少で相殺されるので、ネットの消費は増えない。

に絞ると完全な誤り。一般的に「子供のない家庭」と「子供のある家庭」では前者の方が貯蓄性向が高く、後者は低いと見られる。つまり、消費性向は逆に前者が低く後者が高い。平たく言えば、子育て費用がかかる分、子供のある家庭は余剰的な消費、つまりレジャーなどなど楽しむための消費が少ないと考えられる。

子ども手当に関し、「親がパチンコに使ったらどうするんだ」なんて批判した人がいたらしいけれど、間の抜けた批判で、パチンコに行けるだけの余裕がないから子ども手当もらうんだろうが。

実際にはともかく仮にこれが完全に

所得再分配にすぎない。

としたら、消費ののりしろの少ない家庭からのりしろの余地(お金があったら、アレも買いたいのに度)がある家庭への再分配だから、全体的には貯蓄性向が低まり、消費性向が高くなって個人消費の増加が期待される。

もっとも、この子ども手当を少子化対策というより大きな視野から見れば誤りだろう。若い世代の年寄り世代の年金の負担能力を増やすための少子化対策というのは近視眼的で、環境負荷を考えれば邪道ではある。

環境政策から見てむしろ、問題なのは高速道路無料化、暫定税率廃止の方だろう。恐らく民主党はその代替案として炭素税でも考えているのだろうが、現下の景気状況を考慮して隠しているのだろう。包み隠さず炭素税を掲げたほうがより説得力がある。

http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20090812/1250058400


中野剛志への批判の批判・・・



今回は「池田信夫の中野剛志批判がいかに的外れであるか」について書いていきたいと思う。

問題の中野剛志さん批判の文章はこちら↓

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TPPの目的は輸出拡大ではない


中野剛志氏(経産省から京大に出向中)の「よくわかるTPP解説―日本はTPPで輸出を拡大できっこない!」というビデオが話題を呼んでいるが、これはTPPに対する批判になっていない。TPPの目的は輸出を拡大することではないからだ。

中野氏の主張については書評でも批判したので繰り返さないが、「自由貿易で輸入品の値段が下がったらデフレになる」という彼の議論に至っては、浜矩子氏と同様、デフレと相対価格の変化を混同するものだ。輸入品の価格が下がることは消費者の利益であり、これは貨幣的なデフレとは無関係である。

彼が経産省の官僚であることは重大だ。かつて通産省は貿易自由化の推進者だったが、それは自由貿易の意味を理解していたからではなく、日本が輸出する側だったからだ。そして日本が輸入する側になると、大畠前経産相のように保護主義を言い始める。今後TPPをめぐって、このような保護主義が本格的に台頭するおそれが強い。

同様の発想は、総務省の推進する「日の丸技術」の輸出にも見られる。このような新しい重商主義は、経済危機に陥った欧米各国が進めようとしているものだが、1930年代に保護主義が世界経済を縮小させて第二次大戦をもたらした歴史を忘れたのだろうか。

アダム・スミスやリカードが述べたように、自由貿易の目的は輸出を増やすことではなく、各国の得意分野に国際分業することによって資源配分の効率を高めることである。中野氏のような保護主義のレトリックは、バグワティなどが論破したものだ。こんな陳腐な話を(昔は経済学者だったはずの)西部邁氏が感心して聞いているのも哀れを誘う。彼らには、まず『国富論』を読むことをおすすめしたい。

(アゴラ http://agora-web.jp/archives/1198580.html
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まず、第一に、池田信夫も最初のタイトル「TPPの目的は輸出拡大ではない」から、TPPで輸出の拡大は不可能だという事は、認めているらしい。

そこで、何を批判しているのかというと

「自由貿易で輸入品の値段が下がったらデフレになる」という彼の議論に至っては、浜矩子氏と同様、デフレと相対価格の変化を混同するものだ。輸入品の価格が下がることは消費者の利益であり、これは貨幣的なデフレとは無関係である。

という、もちろん中野さんは一義的には、輸入で海外から安い製品が国内に入ってくることによる直接的な価格下落を問題にしているワケだが、それと同時に、海外からの安い製品との競合に負けた国内企業で失業者数が増加し、その影響で市場が縮小し、デフレが悪化するということも問題にしている。そんな単純な論点すらも理解せずに

「消費者の利益だm9(`・ω・´)」

とか言われてもなぁ・・・「職を失ってでも、安くモノを買える方が国民にとって幸せなんだ!!」とでも言うつもりなんだろうか?

1930年代に保護主義が世界経済を縮小させて第二次大戦をもたらした歴史を忘れたのだろうか。

などとも言っているが、これも論外。実際には保護主義が世界経済を縮小させたのではなく、世界経済が縮小した時期に、各国が自国民の失業率の悪化を恐れて保護主義的な政策(しかも、実際には関税の引き上げでは無く、通貨安政策をその主な手段として用いたと言われている)に走ったわけで、保護主義が世界経済を縮小させたなどというのは、結果と原因を完全に取り違えている。

そして、最後、これが結構決定的なのだが、

アダム・スミスやリカードが述べたように、自由貿易の目的は輸出を増やすことではなく、各国の得意分野に国際分業することによって資源配分の効率を高めることである。

国際分業は、配分の効率を高めるのではなく、生産性の向上にしか寄与しない。これは普通に考えれば分かる事だが、すでにデータでもはっきりと出ている


三橋貴明 × 中野剛志 in Shibuya(その4)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13755154?via=thumb_watch


↑こちらの動画の最初に出てくるグラフがまさにそれだが、日本の輸出が増えると同時に労働者の平均賃金が低下している。今、手元にデータが無いのが残念だが、実はこれは世界的に見られる傾向で、輸出を増加させている国ほど、労働分配率は低下しているのだ。

アダムスミスや、リカードの名前を出して観念論を振りかざすのは結構だが、少しは現実のデータも見て欲しいものだ。

「アダムスミスやリカードが国際化が配分を効率化させると言った」

しかし、

「現実には国際化されている国家ほど、労働分配率が低下している」

ここで、なお現実を説明してないアダムスミスやリカードを弁護しようとするから、理屈が苦しくなる。ただ単に、

「アダムスミスやリカードが間違っていた」

と言えばそれでおしまいなのである。

ちなみに、リカードを弁護しておくと、リカードは実は無条件に国際化が、その国を豊かにするとは言っていない。例えば自由貿易が、自由貿易を結んだ2国を豊かにする条件として、


「二つの国が完全雇用状態であること」

「為替が実体経済を正確に反映していること」

「輸送コストがゼロであること」

などを挙げているため、現在のよう

「世界的に失業率が悪化し、しかも、不当な為替操作を行っている国家が多数存在する」 状況での自由貿易は、リカードは大反対するだろう。

このような状況で、TPP推進のために自分の理論を出されるリカードも、さぞあの世で迷惑がっているはずだ・・・

結論を言うと、池田信夫の中野剛志さん批判は1から10まで全て間違っているということ。

http://achichiachi.seesaa.net/article/197270713.html


[反TPP陣営に強力な援軍:宇沢弘文東京大学名誉教授]


当初は日本の権力中枢を牛耳る政府・財界・マスコミ・一部政治家の対米従属グループが強力に推進キャンペーンを張り、中野氏や一部論者・ブロガーなどのみが反対の論陣を張っており、多勢に無勢の状況であったが、西部邁氏・内橋克人氏らかつて保守派や左派と目された学者も反対の論陣を張るようになった。TPPに反対する国会議員が超党派議員連盟を形成し、降って沸いたTPP推進の流れに一石を投じた。そして彼らが反TPP国民会議を結成するにあたり、その会長に宇沢弘文・東京大学名誉教授が就いた。宇沢氏はスタンフォード大学助教授、カリフォルニア大学助教授、シカゴ大学教授、東京大学教授等を歴任した世界的にも名の知れた日本を代表する近代経済学者である。大手マスコミがTPP推進キャンペーンを張る中、宇沢氏は、保守色の強いと思われる『農業協同組合新聞』(2月14日及び24日付)や共産党の機関紙『しんぶん赤旗』(2月23日付)にも論説を寄稿し(同記事はこちらで読むことができる)、TPPの危険性を指摘し、警鐘を鳴らしている。


[TPP推進派論説の空疎さ 例(1):時事通信のイメージキャンペーン]


TPPに関する記事を検索していると、推進派の記事やキャンペーンばかりが目に付く。反対論は内容豊富できっちりと論理的・実証的に検証し、説得力があるのに対し、推進派の主張やキャンペーンは内容が空疎であり、反対論への反論も荒唐無稽なものである場合が多い。


まずはマスコミによるTPP推進キャンペーンの一環と思われる時事通信の記事

「【図解・行政】TPP参加で暮らしはどうなる?父と娘の会話」(2011年11月9日付)

を取り上げてみる。家電メーカーに勤める父と看護師志望の娘がTPPについて話すという設定である。

まず記事に掲げられた絵をご覧いただきたい。日本と参加予定国であろう国々との間に大きく双方向の矢印(←→)が付けられており、あたかもTPP参加によって双方で貿易が拡大するかのように描かれているのであるが、そこに書いてある絵を見れば、コメ・麦・牛肉・チーズなど食料品が入ってくるものとして描かれ、日本から出て行くものはテレビのみとなっている。

そしてこの図の下の書かれている会話を読むと、牛丼を引き合いに出し、TPPによって輸入品が安くなるということが強調されていることがわかる。そして

「コメは例外になるかも」

「話し合い次第では10年後」

などという恐らくありえないことが書かれている。人・モノ・サービスに関して例外なき関税撤廃を目指すTPPにおいて、日本1国の都合だけでコメが例外品に指定される可能性は著しく低い。ブルネイの酒類に関しては宗教上の理由であるからこそ例外になるのである。

また

「TPPに入れば父さんの会社のテレビが外国でたくさん売れて、給料が上がるかも」

と、これもまた全く現実にそぐわない幻想が書かれている。中野氏の話では製造業は輸出を伸ばせず、現地生産をすることになる。あるいは移民労働者が流入し、この話に出てくる「お父さん」もその職種によっては、給料が上がるどころか、逆に仕事を失うことになりかねない。百歩譲って仮にテレビの売上げが増加したとしても、給料が上がることはないということは、近年の企業の業績回復時に株主への配当や内部留保が増える一方、人件費が伸びなかったことが既に証明している(拙ブログTPP関連の記事で日銀のワーキングペーパーを基に指摘した)。

「娘」が看護師志望という設定で「お父さん」が注意を促すという設定であるが、これも注意を要する。看護師に関してはフィリピン・インドネシアと日本との二国間協定で受け入れが開始されたものの、言語の壁などでうまく機能していないのが実態である。よって「まだ大丈夫」との安心感が国民にはあると思う。それにかこつけてわざわざ「看護師志望」という設定にしたのではなかろうかと勘ぐりたくなる。TPPにおいては人・サービスもモノと同様例外なく障壁を撤廃することを目指すのであるから、看護師以外の職種においても、安い労働力として流入する移民労働者と同じレベルでの競争が強いられることを意味している。一部企業の間で英語を社内公用語にするという動きがあるのは、TPP参加を睨んでの戦略ではなかろうか。

また安い輸入品が流入することで更なる悪化が予想されるデフレに関しては、ここでは全く言及されていない。

[TPP推進派論説の空疎さ 例(2):池田信夫氏の奇怪な宇沢弘文氏批判]


池田信夫氏による

「宇沢弘文氏の奇怪な農本主義」(2月26日)
http://news.livedoor.com/article/detail/5373085/

という記事を見つけた。

宇沢弘文氏が『農業協同組合新聞』(2月14日及び24日付)に寄稿した論説を批判しているのであるが、その批判は全く的外れなもので驚かされた。

読みようによっては悪質な誘導か中傷、レッテル貼りの類ともとれないこともない。池田氏がどのような人物であるのかよく知らないし、関心もないのであるが、こうした俗論が一定の影響力を有するのだとすれば看過できない問題であるとも思い、とりあえずこの論説の問題点を指摘しておくことにした。まずは両氏の論説をお読みいただければ幸いである。

池田氏は記事の冒頭で、宇沢氏が反TPP国民会議会長に就任したことに驚きを表明し、宇沢氏が「90年代以降は極端な農業保護主義を主張するようになった」としてTPPに反対する宇沢氏を批判している。そして宇沢氏論説の「安政の開国」の下りを引用した上で、以下のように主張している。


<引用開始>—————-

驚いたことに、彼は明治維新による開国を否定するのだ。普通の人はこのへんでついていけないと思うが、彼はさらに戦後の「パックス・アメリカーナ」も全面的に否定し、実態の不明な「新自由主義」や「市場原理主義」を繰り返し攻撃する。他方、「農の営みは人類の歴史とともに古い」として、その保護を主張する。彼は資本主義を全面的に否定し、鎖国と農耕社会に戻れと主張しているのだ。

<引用終わり>————–

「安政の開国」について拙ブログのTPP問題追及記事で私が述べた箇所を少し長くなるが引用する。これは中野剛志氏が指摘しておられる「幕末の開国」の中身についてさらに私が解説を加えたもので、宇沢氏もこの文脈に沿って新聞に寄稿した論説において「開国」について述べていることは明白である。


<引用開始>—————-

中野氏も指摘しておられることであるが、幕末の「開国」とは一体何だったのか。菅氏は歴史や先人の苦労を全く理解していないか、あるいはかなりの皮肉屋のどちらかだと思う。

「開国」とは米国がペリー艦隊を送り込み、江戸幕府を脅迫して実現したものである。

当事は世界の殆どの地域が欧米列強の植民地であるか植民地化が進められていた。アジアの大国であった清もアヘン戦争で敗れた。江戸幕府はその世界情勢を理解しており、欧米列強の脅しに泣く泣く「開国」を受け入れ、治外法権の受け入れと関税自主権の放棄という内容の不平等条約である安政五カ国条約を1859年に締結させられたのである。

治外法権は1894年に日英通商航海条約調印でようやく撤廃されたが、関税自主権回復への道のりは困難を極めた。日清・日露戦争に勝利した後、1911年の日米通商航海条約によってやっと日本は米国との関税自主権を手にいれ、他国との条約改正に至ったのである。不平等条約を締結させられてから実に半世紀もの間、先人は苦労をしてきたのである。菅氏の言う「平成の開国」とは米国による脅迫で関税自主権を放棄した安政の不平等条約締結の現代版のことを意味しているのであれば、的を射た表現であると言える。

<引用終わり>————–

宇沢氏がわざわざ「安政の開国」と表記しているものを、池田氏は「明治維新による開国」と言い換えて、宇沢氏はそれを否定していると主張しているのである。

続けて池田氏は「普通の人はこのへんでついていけないと思うが」と書いている。池田氏の主張する「普通の人」とはどのような人のことを指すのかわからないが、私はここを読んだ瞬間、池田氏に「ついていけない」と感じた。中野氏も宇沢氏も「幕末の開国」を意味しているのであり、「明治維新による文明開化・富国強兵」といったものについて否定しているのではないことは明らかである。


池田氏の書き換えが意図的でない場合は、池田氏の歴史の知識や理解の浅さを露呈していることになる。しかし、もしこの書き換えが意図的である場合は、「明治維新による開国」とわざと表記することで「開国」という言葉に肯定的なイメージを持たせた上で、「それを否定するとは何事だ」というように読者を誘導するためであると考えられる。この場合は悪質であると思う。

そして池田氏の主張にある

「(宇沢氏は)資本主義を全面的に否定し、鎖国と農耕社会に戻れと主張しているのだ」

に至っては、決め付けも甚だしく極めて極端な解釈である。中野氏も指摘している通り、完全なる「開国」と完全なる「鎖国」の間には多様なバリエーションがあるのであり、「開国」に反対であるのなら即「鎖国」論者というのは、非現実的で、単なるレッテル貼りに等しいと思う。

その後池田氏は宇沢氏の論説を「農本主義」であると断定し、宇沢論説の内容とは関係のない執拗な農協批判を展開している。宇沢氏は「農業」の大切さを強調しているが、「農協」の大切さを強調しているわけでないことは氏の論説を読めば明らかである。ところが、なぜか池田氏の論説には唐突に「農協」が出現し、さらには「今回の「国民会議」に集まっているのも、農業利権を食い物にする民主党の農水族議員である」と決め付けている。

TPP反対の思想的背景には反グローバリズム市場原理主義があるということは宇沢論説にも他のTPP反対論者の主張にもはっきりと現れているにもかかわらず、その最も肝要な部分に関して池田氏は論じることなく、TPP反対派を単に「農業利権」に固執する「抵抗勢力」であるかのように意図的に描いて、この問題をそこに矮小化しようとしているように私には感じられた。

そして挙句の果てに論説の最後において、宇沢氏は幼児退行しているなどと決め付けている。全体として池田氏の論説は主観的・感情的な断定に満ちており、宇沢氏への論理的・具体的な反論とはなっておらず、単なるレッテル貼りや中傷のような印象を私は受けた。

TPP推進派は姑息なイメージ・キャンペーンを推進するのではなく、反対論者の指摘した問題点に論理的・実証的に反論すべきである。我が国のあり方を大きく左右するこのような問題に関して、大手新聞・テレビなどはどうして賛成・反対双方から有力論者による討論会を開くといったことをしないのか。TPPによる危機そのものに加え、日本の言説も同時に重大な危機にあると思う。

http://nicoasia.wordpress.com/2011/03/01/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%A4%AB%E6%B0%8F%E3%81%AE%E5%A5%87%E6%80%AA%E3%81%AA%E5%AE%87%E6%B2%A2%E5%BC%98%E6%96%87%E6%B0%8F%E6%89%B9%E5%88%A4%EF%BC%9Atpp%E6%8E%A8%E9%80%B2%E6%B4%BE%E8%AB%96/


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  r"      | |{i t    _     / | 池田信夫は呪われたものとなった
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コメント
 
01. 2011年10月23日 19:24:07: MiKEdq2F3Q


池田信夫は英語や経済モデルを理解しないで経済政策を主張している


『池田氏は数式が出てくる部分を読んでないんじゃないかという気がするが(別件だけど英語も読めないのじゃないかという気もする)』

『英語が理解できない池田信夫』

池田信夫のクルーグマン理解について 2007年01月28日

ケインズ反革命の終わり - 池田信夫 blog(旧館)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/42ec508b2462ea0a566bd8d69f5eee23


復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲
http://cruel.org/krugman/krugback.pdf

を読めばわかるように、クルーグマンの議論のポイントは「短期の金融政策は無効」だけど「長期の金融政策は有効」というものだ。短期的には流動性の罠に落ち込んでいるので、マネタリーベースを増やしてもインフレは起きない。しかし、長期的(流動性の罠から脱却して資本市場が均衡したあと)にもマネタリーベースを増やすことを約束すれば、流動性の罠から逃れられるというのが彼の主張だ。だから、


『なるほどおっしゃる通りだが、クルーグマン自身の過去の議論との整合性はどうなるのだろうか。彼は1998年の日本経済についてのエッセイで、日銀がインフレ目標を設定して通貨をジャブジャブに供給すればデフレを脱却できると主張した。』


という不整合は生じないし、(クルーグマンはあくまで短期の金融政策の有効性を否定しただけ)


『と主張するのだ。う〜ん、マネタリーベースを増やしてもインフレは起きないのに、日銀がインフレ目標を設定すればインフレが起きる? デフレ下では金融政策は無効であり、それを民間人が知っているのに、なぜ彼らは日銀の「約束」を信用するのだろうか。日銀が「金融政策を通じた直接的な手綱」以外のどういう政策手段をもっているのか。Mr.マリックでも雇って超能力を使うのだろうか。』

という議論は誤りである。クルーグマンは長期的に(価格メカニズムやらなにやらが働いて)資本市場が均衡した状態で長期のインフレを起こすことを主張しているからだ。こうみると、


池田氏は数式が出てくる部分を読んでないんじゃないかという気がするが

(別件だけど英語も読めないのじゃないかという気もするが)、


まあ主観的な印象です。ちなみに私自身は、中央銀行が長期的にインフレ政策を取り続けることをどうやって市場に信じさせるか疑問、ということでリフレ政策にはやや懐疑的(結論は池田氏と似ているようだけどロジックが違うことに注目してほしい)。でも、構造改革などできるわけがなくて(せいぜいみんなで「国家の品格」を読みましょう、くらいになって終わると思う)、リフレのほうがまだ実現性があると思う。


追記:まず、池田氏のコメント欄での反論について。


『TBで、お約束どおりの反論がついています:

>クルーグマンは長期的に(価格メカニズムやらなにやらが働いて)資本市場が均衡した状態で長期のインフレを起こすことを主張している

それがオカルトだというんですよ。これは「私はこの山を動かす。私には動かす力はないが、神やらなにやらが山を動かしたら、私は神を応援する」といっているようなもの。その神はどこにいるのかについて、クルーグマンもバーナンキも何も明らかにしない。事実、日銀が通貨供給を2倍以上にし、インフレ目標に近い「時間軸政策」をとっても、インフレは起こらなかったのです。』


私の論点は、池田氏がクルーグマンの議論を誤って紹介しているというものだ。クルーグマンの論点をくりかえしているだけだから、お約束になるのは当たり前。少し読めば分かると思うが


時間をいれたモデルでも流動性の罠が生じること、そして

長期にわたってインフレを起こすことができばこれから脱却できる


というのがクルーグマンの論文の主たる論点だ。これは別に経済学の専門家でなくても日本語ができてアカデミックな文章が読めれば誰でもわかることだと思う。だから、単に流動性の罠があるからクルーグマンのリフレ論はなりたたないという、もともとの池田氏のエントリはおかしいし、クルーグマンが長期のインフレを起こす手段を提示しないというのは別の論点だと思う。

まあ、元のエントリは釣りなんだそうで、コメント欄ではもっと深い議論をされているのでいいけど。


『基本的なことですが、正の長期均衡利子率が存在するとしても、そこに到達する(収束する)という証明がない限り意味がありません。特に短期では収束しないことをクルーグマンが強調しているのだから、長期均衡が存在するだけでなく実現するという具体的なメカニズムを明らかにしない限り、彼の提言の根本前提が満たされない。』


クルーグマンのモデルは2期目以降は均衡に達するという仮定があるのでそこが弱い点は同意する。ただ、市場という神の手によって何とかなってしまうのではないでしょうかねえ、というのが私の感想。投資からの収益は常に正なので、普通は実質利子率が正にならないとおかしい。正にならないのは(おそらく高齢化のために)長期では需要が増大してインフレになるという予想があるから(だから今のうちにたとえ将来目減りしたとしても貯蓄しようとする)、というのがクルーグマンの説明であったはず。だとすれば、放っておいてもいずれは正の実質利子率にもどることになるだろう。

それから、ブクマコメントを見ていると私をリフレ派だと思っているらしい(日本語になっていない意味不明)コメントがあるが、私はリフレ派ではない。中央銀行が長期にわたってインフレにコミットすることを市場にどうやって納得させるか、疑問に思っている。レジーム転換といった議論もあるようだが、説得力をあまり感じない。それから、もちろん生産性をあげることは重要だとも思っているが、そのこととリフレは別に矛盾しないと思う。利子率を下げたとしても、市場が競争的である限り効率的な企業が生き残っていくことになるはずだ。

http://d.hatena.ne.jp/yoriyuki/20070128/p1

クルーグマンの矛盾? 2007年01月28日


池田信夫先生がご自身のブログで取り上げてらっしゃるのを拝見して初めて知りましたが、

クルーグマンによるフリードマン論=“Who Was Milton Friedman?”、
http://www.nybooks.com/articles/archives/2007/feb/15/who-was-milton-friedman/

このエッセイは必読でありましょう。今回は池田先生も論じてらっしゃいますが、クルーグマンの金融政策の有効性に関する一見矛盾する言明についてあれこれとない知恵を絞って考えてみたいと思います。

Now, a word about Japan. During the 1990s Japan experienced a sort of minor-key reprise of the Great Depression. The unemployment rate never reached Depression levels, thanks to massive public works spending that had Japan, with less than half America's population, pouring more concrete each year than the United States. But the very low interest rate conditions of the Great Depression reemerged in full. By 1998 the call money rate, the rate on overnight loans between banks, was literally zero.

And under those conditions, monetary policy proved just as ineffective as Keynes had said it was in the 1930s. The Bank of Japan, Japan's equivalent of the Fed, could and did increase the monetary base. But the extra yen were hoarded, not spent. The only consumer durable goods selling well, some Japanese economists told me at the time, were safes. In fact, the Bank of Japan found itself unable even to increase the money supply as much as it wanted. It pushed vast quantities of cash into circulation, but broader measures of the money supply grew very little. An economic recovery finally began a couple of years ago, driven by a revival of business investment to take advantage of new technological opportunities. But monetary policy never was able to get any traction.

In effect, Japan in the Nineties offered a fresh opportunity to test the views of Friedman and Keynes regarding the effectiveness of monetary policy in depression conditions. And the results clearly supported Keynes's pessimism rather than Friedman's optimism.

いきなり長々と引用しましたが、1990年代以降の日本の不況に関して論じているこの引用箇所においてクルーグマンは明らかに(1930年代の大不況期における)金融政策の無効性を主張するケインズを支持しております。1998年までにオーバーナイト物(無担保翌日物)金利は実質的にゼロ%に達しており、日本銀行は金利政策の面でもはやこれ以上なしうることがなくなった。そこで日銀は日銀当座預金残高を金融政策の操作手段として用いる量的緩和政策に転じ、マネタリーベースの潤沢な注入に臨んだものの、銀行部門が保持する日銀当預が積み増されるだけでマネーサプライの十分な増加を実現することはできなかった

(In fact, the Bank of Japan found itself unable even to increase the money supply as much as it wanted. It pushed vast quantities of cash into circulation, but broader measures of the money supply grew very little.)。

そして引用した最後のパラグラフ、「90年代の日本の経験は不況期における金融政策の有効性に関するフリードマンとケインズの見解をテストする新たな機会となった。そのテストの結果はというと、明らかに(金融政策の有効性についての)フリードマンの楽観よりはケインズの悲観が支持されることとなったのである。」

上記のクルーグマンの主張と(池田先生も引用されている)日本が不況から脱出するための処方箋としてクルーグマンが提示した見解

(ポール・クルーグマン著/山形浩生訳“復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲”、p37)、
http://cruel.org/krugman/krugback.pdf


『流動性トラップにはまった国――つまりマネーサプライを増やしても何の影響もないところ――がインフレを実現するにはどうすればいいだろう。これまで見たように、問題は要するに信用の問題だ。もし中央銀行が、可能な限りの手を使ってインフレを実現すると信用できる形で約束できて、さらにインフレが起きてもそれを歓迎すると信用できる形で約束すれば、それは現在の金融政策を通じた直接的な手綱をまったく使わなくても、インフレ期待を増大させることができる。』

とは一見相矛盾するかのように見えます。片や金融政策は無効であることを認め、片やその無効なはずの金融政策を司る中央銀行が「現在の金融政策を通じた直接的な手綱をまったく使わ」ずにインフレ期待を醸成すべきだと説く。この数年の間にクルーグマンが心変わりしたあらわれである・・・として果たしてよいものでしょうか?

しかし、その疑問も同論文の6ページを読むことで氷解いたします。


『じゃあどうして流動性トラップなんか可能なんだろうか。その答えは、通常のマネーの中立性議論にくっついている、あまり気がつかれない逃げの一句にある。現在およびその後将来すべてにわたりマネーサプライが増大すれば、価格は同じ割合で上昇する。これに対応して、将来的に維持されると期待されていないマネーサプライの上昇は物価を同じ割合で上げる――それどころか多少なりとも上げる――というような議論は一切ない。

一言で、この問題にこういう高い抽象度の議論からアプローチすることですでに、流動性トラップにはなにやら信用の問題がからんでくる。市場が、今後も維持されると期待する(つまり将来のすべての時点で同じ割合で拡大される)金融拡大は、経済がどんな構造問題に直面していようとお構いなしに必ず機能する。もし金融拡大が機能しなくて、そこに流動性トラップが働いているなら、それは国民が、その金融拡大が維持されると思っていないからだ。』


つまりクルーグマンがフリードマンを論じたエッセイで取り上げている金融政策は「伝統的な」金融政策、将来時点におけるマネーサプライについての言及(あるいは確約)がない金融政策のことであり、流動性トラップが存在するのは「国民が、その金融拡大が維持されると思っていないから」ということになります。現時点だけではなく「現在およびその後将来すべてにわたりマネーサプライが増大すれば、価格は同じ割合で上昇する」のであり、経済が流動性の罠に陥っていたとしても将来にわたる金融緩和を保証することができれば依然として金融政策は有効である(=結果としてインフレを起こすことができる)と考えられるわけです。「インフレ目標」の設定は、将来においてもマネーサプライが増加する、あるいは金融緩和が続くことを確約する一つの手段として捉えるべきなのでしょう。というわけで、クルーグマンの議論には何らの矛盾もないと結論付けることができるわけであります。


Unknown (銅鑼衣紋) 2007-02-04 18:55:37

つーかねえ、ゼロ金利下のインタゲ/リフレって合理的期待動学モデルでしか成り立たない命題であり、ドマクロISLMでは導けない話なんだけど、なぜか誤解してドマクロ潰せばリフレも死ぬという人が多くて笑う。

でも、池田にしてもここまで断言したらもう後に引けないから、面白いね。これから加藤の本とかのお陰で動学マクロが広がれば、よほど根性が腐っていないかぎり読んだ奴はリフレ派というかインタゲ派になるわな(爆)

http://blog.goo.ne.jp/regular_2007/e/411978b0952ff5120d77f7438de38292

リフレ政策は本当に下火になったのか?


慶應義塾大学大学院経営管理研究科准教授の小幡績氏が

「リフレ派の終焉」
http://agora-web.jp/archives/1134770.html

で下火と、経済学者を自称する池田信夫氏は

「円高はなぜ止まらないのか」
http://news.livedoor.com/article/detail/5784269/

で壊滅とリフレーション政策と断定しているが、実際の論調に大きな変化は無い。根拠が不明確な主張を簡単に否定すると水掛け論になるので、論調に変化が無いと言える理由を整理してみた。


1. 顕在リフレ政策支持者はまだまだいる


リフレ政策は「穏健」「普通」「急進」の3タイプに分ける事ができる

(岩本康志のブログ)。
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html

ゼロ金利を維持する程度の穏健リフレ政策であれば、反対者は少ないように感じる。もちろん日銀の危険資産購入や為替介入の非不胎化介入を含む量的緩和政策を許す「普通」、国債の日銀引受を含む「急進」では賛成者は減る。しかし著名な経済学者の清滝信宏氏、浜田宏一氏あたりは「普通」のリフレ政策を推進しているようだ。

駒澤大学の矢野浩一氏も相変わらず。
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20110319

ノーベル賞経済学者のクルッグマンも、リフレ政策によって引き起こされると考えられているハイパー・インフレーションは起きないし、緩やかなインフレーションは融資を促進し民間部門の負債負担を軽減すると主張している

(NYTimes.com)。
http://www.nytimes.com/2009/05/29/opinion/29krugman.html

2. 潜在リフレ政策支持者は大量にいる


そして潜在的なリフレーション支持者はさらに存在する。インフレ・ターゲティングはメディアでは多くは紹介されていない用語だが、インフレ率を目標範囲に維持すると言うリフレ政策と表裏一体の政策だ。学術分野ではリフレーションよりも、インフレ・ターゲティングの方が熱いトピックとなっていた。

http://www.nira.or.jp/pdf/review1.pdf


インタゲ支持者はかなりいるはずで、それらの人々は少なくともリフレ政策反対者だとは考えづらい。少なくとも穏健なリフレ支持者と見なして良いであろう。

3. リフレ政策は『政治的』に下火になった

このように顕在リフレ政策支持者も存在するし、潜在リフレ政策支持者も存在するので終焉もしていないし壊滅もしていないように思える。

池田信夫氏が主張を変えたと狂喜しているクルッグマンでさえ、政治的コンセンサスが得られないのでリフレ政策は無理だと、皮肉を込めて主張を変更したフリをしているに過ぎない

(NYTimes.com)。
http://krugman.blogs.nytimes.com/2009/11/13/its-the-stupidity-economy/?src=twt&twt=NytimesKrugman


政策担当者の頭が固いのでリフレ政策が無理と言う主張は、経済学的にリフレ政策の無効を認めたものではない。ただし、政治的に選択肢に上がらないと言う意味では、下火になったとも言えなくも無い。

4. リフレ政策は経済学者間では消失していない


政治的に遂行される可能性がなくなっても、顕在・潜在支持者が多数いるので「リフレ派も、経済学界ではほぼ壊滅した」という池田信夫氏の主張は根拠を欠く。


池田信夫氏には英語や経済モデルを理解しないで経済政策を主張しているという批判もあるし

(池田信夫のクルーグマン理解について)
http://d.hatena.ne.jp/yoriyuki/20070128/p1


、冷静さを欠いているのかも知れない。


小幡績氏の書き方は上手くて「リフレ派の議論はいつの間にか下火」と言われると否定できない雰囲気は確かにあるのだが、小幡氏のブログのエントリー(2010年10月27日)以降に、清滝氏がインタビューに応じてリフレ政策を主張しているので、小幡氏の見立てが正確ではなかったと言えるであろう

(日経ビジネスオンライン2011年4月11日)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110404/219303/?P=3

http://www.anlyznews.com/2011/08/blog-post_7110.html


クルッグマンの英語が理解できない池田信夫 2011年8月22日月曜日


ノーベル賞経済学者のクルッグマンが

New York Timesのコラム
http://krugman.blogs.nytimes.com/2011/08/15/mmt-again/


でModern Monetary Theory(以下、MMT)を批判しているのだが、それを経済学者を自称する池田信夫氏が


「クルーグマン対リフレ派」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51735959.html

で激しく誤解しているので、間違いを指摘しておきたい。

MMT派は現代では政府が貨幣の裏づけになっているので、幾ら財政赤字を出しても貨幣を発行してもインフレーションにはならないとし、拡張的な財政政策や通貨供給量の拡大を主張している。しかしクルッグマンは、流動性の罠にはまっている現在では拡張的財政政策と通貨供給量は支持できるものの、通常の経済ではハイパーインフレーションになるとMMT派の論理を批判している。なお大半のリフレ派は流動性の罠にある事を前提にリフレ政策を主張しており、MMT派とは異なる。


池田信夫氏は「クルーグマンは最近、毎日のようにリフレ派(MMT)を攻撃している」と延べ、MMTとリフレ派が同じものだと誤解している。さらに、


WSJのインフレ懸念を否定している別のクルッグマンのコラムのグラフ
http://krugman.blogs.nytimes.com/2011/08/20/fancy-theorists-of-the-world-unite/

を持ち出しているが、それらはMMT派やリフレ派を批判しているものではない。貨幣数量説の信奉者を批判したものだ。

米国ではどうもリフレーション政策がハイパーインフレーションを招くと批判されているようで、最近のクルッグマンのコラムはその懸念を治めるのを目的としている。何故か池田信夫氏はハイパーインフレーションが発生しないと言う主張をリフレ政策批判だと捕らえているようだが、リフレ政策の主な狙いは将来のインフレ期待を大きくする事だ。

そもそもクルッグマンは、リフレ政策によって引き起こされると考えられているハイパー・インフレーションは起きないし、緩やかなインフレーションは融資を促進し民間部門の負債負担を軽減すると主張している

(NYTimes.com)。
http://www.nytimes.com/2009/05/29/opinion/29krugman.html

政治的コンセンサスが得られないのでリフレ政策は無理だと嘆いた事があるのだが

(NYTimes.com)
http://krugman.blogs.nytimes.com/2009/11/13/its-the-stupidity-economy/?src=twt&twt=NytimesKrugman

、これが読解力が十分でない池田信夫氏に主張を誤解される事となったようだ。


クルッグマンもThe second-best answerのsecond-が理解できない人が経済学者を自称しているとは思わなかったのであろう。

リフレ政策自体には賛否がある。特に歴史的には日本は通貨膨張政策でハイパーインフレーションを引き起こした事があるので、専門家でも慎重になる人々は多い。それでもマクロ経済学者の少なくない人々がリフレ政策、もしくはインフレターゲティングを支持しているわけで、別に廃れているわけでもない。

http://www.anlyznews.com/2011/08/blog-post_22.html

まあ、アホの池田信夫の事を学者だと思ってる情弱な人間が日本に沢山居る事の方が驚きだけどね。


02. 2011年10月24日 21:28:49: MiKEdq2F3Q

経済学者を名乗る池田信夫の契約理論への理解を疑う 2011年6月4日土曜日


ミクロ経済学には契約理論と呼ばれる分類がある。これは、事前に決めた契約が、事後的に守られない状況において、どのような契約が最も効率的になるかを分析するものだ。

最も身近な例が賃金だ。従業員は業務に努力すると約束して入社するが、固定給にすると従業員が努力しない。そこで賞与を動員し、業績をあげた従業員に余分に給与を与える事で、従業員の努力水準を改善する。

平易に言えば、事後的に守らす強制力が無い契約を不完備契約と言う。依頼人(Princeple, 例では雇用主)と代理人(Agent, 例では従業員)の間の問題なので、経済学ではエージェンシー問題と呼ぶ事が多い。古典的な解だと均衡概念が曖昧なので、ゲーム理論が動員されており、そこでは交渉問題と呼ばれている。

さて、経済学者を名乗る池田信夫氏が、日本の政治について述べている
(BLOGOS)。
http://news.livedoor.com/article/detail/5608576/

文意を掴むのが難しいが、池田氏の主張はこうであろう。


•従来の派閥は、トップが組織を作ったので、交渉問題が存在しない

•現在の派閥は、トップが組織を作っていないので、交渉問題が存在する

•首相公選制にし、トップに集中的な権力を持たせる事で、交渉問題を解決するべきだ



経済学的に問題を指摘しよう。なにがなんだかわからないよ。依頼人、代理人、そして契約の内容が明らかにされていない。誰かが誰かに仕事を頼まないと、エージェンシー問題は成立しない。日本の派閥は、誰が依頼人で、誰が代理人なのであろうか?

また、経済学者、特にミクロ金融に関わっている人々は、以下の一文に昏倒するかも知れない。

『こういう場合は所有権(残余コントロール権)を資本家(株主=経営者)に集中する古典的な資本主義がうまく機能する、というのがハートなどの古典的な結論である。』
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51409536.html


ハート(Oliver Hart)について解説すると、金融理論を専門とする経済学者で、不完備契約に関しての業績を多数持つ。

Firms, Contracts, and Financial Structure(Oxford University Press, 1995)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0198288816/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=uncorrelated-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=0198288816

というテキストを書いている。池田氏が参照しているのは、そのテキストの邦訳版だ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4766417178/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&tag=uncorrelated-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4766417178

論文ではなく教科書だ。


また、クライアントとエージェントが同一(池田氏の文では株主と経営者が同一)であればエージェンシー問題が発生しないというのは、

Jensen and Meckling (1976)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0304405X7690026X

という論文で指摘されていることで、上述のテキストにも紹介されているが、クライアントとエージェントを同一にできない大抵のケースは役立たない。

さらにエージェンシー問題の古典的な結論は、不完備契約を適切にデザインすることで、クライアントとエージェント間の利害不一致は、なるべく解消されていると言うのが古典的な結論となっている。冒頭のボーナス制度がその代表例で、顕示選好原理と言う名前で一般化されている。

池田氏は、日本の政治に関して誰がエージェントで、誰がクライアントで、どんな契約があるのかを明らかにしておらず、エージェンシー問題が発生している事を示せていない。さらに、ミクロ金融における古典的なエージェンシー問題を正しく理解しているのか疑念がある。


これでは、池田信夫氏が本当に経済学を分かっているのか、疑いを持たざるを得ない。


専門知識の解説を行う専門家と一般人の関係は、エージェンシーとクライアントの関係と言える。専門家は一般人の代わりに調査・研究を行っているとも言えるからだ。対価は講演料や本の売上になるのだろう。しかし、一般人は専門家が本当に正しい事を言っているのかは分からない。


情報の非対称性を悪用し、専門家がデタラメを言っていても、一般人は分からない。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_04.html

理論経済学者の言葉尻に噛み付く池田信夫 2011年6月13日月曜日


理論経済学者の林貴志テキサス大学助教授が、原発の発電コスト+事故で発覚した外部不経済が、他の発電方式の発電コストを上回るのであれば、原発が無くなって電気料金があがるのも当然だと言う意図でTweetしたところ、自称経済学者の池田信夫氏がブログで問題を誤解していると批判している。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51717207.html


林氏の

Tweet(#1 #2)
http://twitter.com/#!/tkshhysh/status/79554205676871680
http://twitter.com/#!/tkshhysh/status/79685702337568768


が意図を理解しづらい所もあるのだが、池田氏が批判は妥当性を欠くものとなっている。まず、長期・短期の話はしていないので長期の話になるであろうし、原発の存続に対する意見や予測は示されていない。ゆえに誤解も何も無い。

恐らく林氏は原発も、他の発電方法を分けて考える必要が無いと指摘したかったのだろうが、なぜか池田氏が原発廃止を支持する発言だと誤解したようだ。林氏も

「人の言ってること(Aとしよう)を枕にして「仮にAだとして、・・・だ」と言うのは、自動的にAを肯定していると捉える人が多いようなので、やっぱり止したほうがいいようだ。」
http://twitter.com/#!/tkshhysh/status/79819645825196032

と辟易している。

一般的に言って、社会的選択論などをやっている理論経済学者の仕事は厳密なので、理論経済学者の経済学に関連した発言に突っ込むときは10回ぐらいは読み直した方が良いと思う。さらに言うと、これは偏見だが理論経済学者は実態経済に強い関心は無いので、時事的な関心の強い人は自分と問題意識が異なると認識しておいた方が良い。

別の著名な経済学者が

「経済学的にみれば、原発も特別なものでないと言っているにすぎないのでないでしょうか。」
http://twitter.com/#!/makotosaito_v2/status/79786068072873984

と、やんわりと池田氏をたしなめていたが、経済学の素養がある人には池田氏のエントリーは「?」な内容になっていたと思う。

池田氏は林氏の発言を枕にエントリーを書きたかっただけだと思うが、誤解をしていない人を誤解していると批判するのは、傍から見ていても気持ちの良いものではない。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_3566.html


池田信夫の原発コストへの誤解 2011年6月5日日曜日


経済学者を自称する池田信夫氏の原発コストへの言及で、幾つか根拠が怪しい点があるので指摘したい。

事故状況や損害規模が不確定な状況なので、今後の試算でも原発は最も廉価な発電方法であるとも限らないが、池田氏がコスト的に原発が火力に劣るという主張は根拠を欠くように思える。

1.『原子力は経済的だが、核燃料サイクルや安全対策を含めるとコストが高い』と主張しているが、原発が最も廉価になっている電気事業連合会の『モデル資産による各電源の発電コスト比較』では、どちらも含まれている。


2.大島堅一立命館大教授の分析から、原発のコストが火力発電より高いと主張しているが、大島教授の分析では、2000年代の補助金込みの原発コストは8.93円/kWh、火力発電は9.02円/kWhで、原子力+揚水のコストが10.11円/kWhになっている。現状では原発を最大稼動させても夜間電力需要さえ超える事がないし、原発も出力調整運転は可能なようには出来ているので、原子力+揚水のコストは、原発コストとは言えない。ゆえに、池田氏の認識もおかしい事になる。


3.火力発電所の燃料価格について言及がない事も、奇妙に思える。90年代のように化石燃料価格が廉価であれば火力発電所のコストは圧倒的に良い。しかし、原油や石炭は急激に価格が上昇しているし、LNGは乱高下する傾向あるものの、それでも10年単位で見れば上昇傾向にある。


4.以下のエントリーの追記部分で福島第一原発の事故による、原発コストへの影響を考察しているが、経済学的にはおかしい。

追記:大島氏の試算には、事故の補償費用が含まれていない。福島第一のように数兆円の損害賠償が発生するとコストは跳ね上がるが、これも確率で割り引いて保険でカバーすれば大したことはない。原子力損害賠償法を改正すればよい。

政府が払おうが、保険会社が払おうが、コストはコストで計算しないといけない。また、事故の賠償金額や補修費用は、事故発生確率で期待値にする必要性は認識しているようだが、賠償金額や補修費用、事故発生確率を仮定しないと高いも安いも言及できないことを忘れている。

(1)と(2)に関しては、池田氏が参考資料を読み込んでいるのか疑問を感じざるを得ない。

池田氏は原発推進派なので、現在コスト以外の原発のメリットを強調したかったのかも知れないが、以上の4点で主張の根拠がおかしいものとなっている。経済学に限らず、社会科学分野では思考の過程が重要なのであるから、経済学者を名乗る以上は、もっと根拠に留意して議論を進める必要があるであろう。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_05.html

脱原発によって増える年間死亡者数は2.5人 2011年6月16日木曜日


経済学者を自称する池田信夫氏が「脱原発は生命を奪う」と、原発が無い場合の年間の死亡者の増加数について分析している。原発が無ければ、それを代替する技術が生じる費用を冷静に分析しようという文脈は理解できるのだが、列挙された数字の根拠は疑問が大きい。

脱原発を経済的に達成するには、LNG火力、つまり天然ガスへの依存度が高めるしかないのは同意できる。少なくとも短期的には、再生可能エネルギーは高コストだ。

天然ガスは採掘事故は石油・石炭ほどではないし、主成分がメタンガスなので大気汚染も大きくは無い。しかし、池田氏は石炭火力を前提として死亡者増加数を計算しており、また根拠となる資料を十分に提示していない。つまり、池田氏がでたらめな数字を列挙している事が分かる。

1. 採掘による死亡者数増は2.5人/年


天然ガスに関連した死亡者は、池田信夫氏も参照するOECDのレポートのP.35のTable 2に、1969年〜2000年で世界で2,043人(年間平均で66人)の死亡者が出ている事が記載されている。

IEAの統計だと、日本では2008年に原発で258128GWhの電力供給を行っている。約29.5GWeyと換算できるので、OECDのレポートのGWeyあたりの死亡者数0.085をかけると、2.5人/年の死亡者となる。

推測が入るが、2000年以降の技術革新によって、天然ガス関連の安全度も増しているであろうから、2.5人/年未満の死亡者数であろう。


2. 大気汚染による死亡者数増は0人/年

大気汚染と健康被害の話は、LNG火力とはあまり関係ない。天然ガスは、大気汚染の原因になる硫黄分をほとんど含まない。大半がメタンガスなので、燃やしても水と二酸化炭素しか出ない。クリーンだと考えられていし、火力発電所には浄化装置もある。

化石燃料の消費で健康が損なわれているのは、常識的な話だ。そこには、自動車や船舶の動力も含まれるし、石油・石炭火力発電所の大気汚染も含まれている。しかし、LNG火力発電所が大気汚染を引き起こし、健康被害で死亡者を増やしている証拠は無いはずだ。

追記(2011/07/05 03:00):

天然ガスは硫黄酸化物や粒子状物質をほとんど出さないが、窒素酸化物は石炭の3割弱、二酸化炭素は6割弱ほど排出する。ただし、窒素酸化物も浄化装置で排出量は抑制され、また煙突で広範囲に拡散されるので大きな問題にはならない。


3. 石油・石炭の火力発電所もまだあるのでは?


LNG、石油、石炭で発電量の大雑把な比率は、40%、20%、40%で実は旧態依然とした施設もまだある。ただし、LNG火力が最も費用的に安いので、今後はLNG火力しか建設されないと思っていて良いであろう。原子力を火力で代替する場合は、それは全てLNG火力発電所で代替されるはずだ。

菅政権なら石炭火力発電を推進するかも知れない。そんな声に応えて試算だけしておこう。

LNG、石油、石炭を現在の比率のまま原子力を代替すると、約3.63人/年の採掘死亡者数となる。全て石炭火力で補うと約4.62人/年。炭鉱労働者の事故死が問題となっている中国は石炭輸入国なので、日本の火力発電所事情と関係が無い点には留意して欲しい。

大気汚染は、EPIによれば、米国で23,600人が石炭火力発電の排気ガスが原因で病死しているそうだ。IEAによると、米国石炭火力発電量は2,132,596GWh(2008年)だ。米国の大気汚染死亡者数は約0.011人/GWhとなる。以下のOECDのグラフによると、日米の火力発電を比較すると、日本の火力発電のNOx、SOx排出量は一桁少ない一方で、IEAによると米国の石炭火力の比率は日本の倍だ。これらを考慮し、かなり強い仮定だが、0.0022人/GWhを大気汚染死亡者数と見なそう。

原発を石炭火力で代替する事で予想される、大気汚染死亡者数は568人だ。もちろん、この推定は信頼性が低い。データの取得年数に幅が広く、大気汚染と病死数を一次線形関係に見ているからだ。一定レベル以下の汚染では死亡者数の増加に寄与しないであろう。最近の除染施設はもっと高性能であろうから、過大に見積もっている可能性はある。しかし、これでも池田信夫氏の推定よりはずっとマシだ。

原発を廃止し、その代わりを全てLNG火力で賄うと、年間死亡者数は約2.5人増加する。全て石炭火力で賄うと、約572.5人増加する。今後はLNG火力が中心になるので、長期的には年間死亡者数は約2.5人の増加となる。


4. 池田信夫氏は根拠に基づく推定をしていない

池田信夫氏の記事では、

「日本がすべての原発を止めて石炭火力の運転を1割増やすとすると、」

とあるが、石炭火力を仮定しているのが不適切だ。また、日本の石炭火力は発電量の3割弱を占めるだけなので、倍、つまり10割増しにしないと原子力を代替できない。


「採掘事故と大気汚染で1500人以上が死亡すると推定」

ともある。1割増すと1500人なら、10割増しで1万5000人となる。しかし、全てを石炭火力で補っても約4.62人/年しか採掘事故でしか死亡しないし、大気汚染で1万4995人病死者がでるか根拠があげられていないため、これも不適切だ。上述の推定では、568人しかならない。

大気汚染(粒子状物質)の死亡者数は米国で64,000人と言う引用はある。その中の何割が石炭火力に依存するものであるかが分からない。最近も船舶理由の大気汚染で米国だけで6万人の病死があるという報道があった。さらに、日米の石炭火力の大気汚染の程度の差も効力していない。加えて言うと、WHOの文字に張られたリンク先はWHOのレポートではないし、そこには火力発電所と大気汚染に関係は示されていない。

一見、数字を列挙されると、そこには強い根拠があるように思えるが、採掘死亡者数に関しては参考文献にある数字で計算を行った形跡もないし、大気汚染死亡者数に関しては引用先に計算可能な情報が無かった。

池田信夫氏には、推定と妄想の区分けがついていないのであろうか?


原発停止が行われれば、採掘事故の死亡者数が若干増え、大気汚染の悪化による病死者も増えるのであろう。しかし、LNG火力に集約されれば、採掘と大気汚染による年間の死亡者数は約2.5人/年で落ち着くことになる。

5. 脱原発で発生する問題


脱原発で発生する問題は、化石燃料への依存度が上がる事、電力価格が上昇すること、化石燃料の将来の枯渇だ。三番目は実感が沸かないかも知れないが、エネルギー需要が新興国で急激に高まっており、近年の外交上、最も重要な課題の一つになっている。

脱原発で年間死亡者数が増加するという視点は面白いのではあるが、2.5人/年では誤差だと思う人が多いであろうし、原発労働者の健康被害については調査が続いている段階ではあるので、将来にこれを相殺するようなデータが出されるかも知れない。論点としては、重要だとは言えない。

原発の必要性を主張するならば、もっと切実なトピックを選ぶべきだ。土壌汚染が約600平方Kmも存在し、多数の人間が非難生活を強いられている状況で、このような瑣末的な原発のメリットを取り上げるのは理解に苦しむ。

http://www.anlyznews.com/2011/06/25.html

石炭火力が原発の100倍の放射性物質を出す? 2011年6月27日月曜日


経済学者を自称する池田信夫氏のTweetが流れて来た。


「いまだにこういうのが来るが、君は石炭火力が原発の100倍の放射性物質を出すことを知っているか。 RT @cake_tea: 経済優先か人命優先かのスタンスの違いと思える。」


だそうだ。
なぜ

「経済優先か人命優先かのスタンスの違い」

と言われて、池田信夫氏が発電源別の放出放射性物質の量の話を始めたのかが分からないが、石炭火力が原発の100倍の放射性物質を出すと言う氏の主張を検証してみる。

石炭火力発電所は放射性物質を放出している。石炭灰にはウランが0.095〜0.097Bq/g、トリウムが0.072〜0.091Bq/g含まれているそうだ。原子量が分からないが、半減期はとても長いと考えられる。それから発生する放射線量は年間換算で0.12〜0.13ミリシーベルトになるそうだ(電気事業連合会)。

碧南火力発電所(5基・410万kW)では、年間に1000万トンの石炭を消費し、100万トンの石炭灰が発生している(中部電力)。つまり、年間でウランが950〜970億Bq、トリウムが720億〜910億Bq放出されている事になる。

桁が大きいので膨大な量に思えるが放射線量は大きくないし、コンクリートなどで再利用されるときは拡散するので安全性に問題は無いそうだ。福島第一原発で大気中に流出した放射性物質は77万テラベクレルと言われるが、碧南火力発電所から出る放射性物質は0.19テラベクレル弱でしかない。甚大事故発生時の放出放射性物質の量は、圧倒的に原発の方が多い。

平常運転の原子力発電所から外部に放出される放射性物質はほぼゼロだ。110万kW1基がある東通原発で、気体は検出限界未満であり、液体は三重水素が2008年と2009年の平均で0.16テラベクレル外部に放出されているが、β線しか出さない安全な核種だ。ただし固体廃棄物は、近年は200Lドラム缶で年間2000本以上が発生している(東北電力)。これは石炭灰とは異なり管理を要する。健康や人命とは直接は関係ないが、放射性物質が問題になるのは原発なのは間違いない。

特定の発電所の特定の時期の比較に過ぎないが、このように平常運転の石炭火力と原発を比較すると、出力あたりで原発は火力の3倍の放射性物質を外部に放出しているので、石炭火力が原発の100倍には根拠がないように思える。ガンマ線を出す核種に限定すれば、今度は逆に原発の放出量が0になるので、石炭火力の排出放射性物質は100倍どころでは済まない。池田氏は何かの文献を見たのだと思うが、常識的な情報とは言えない。出所を明記すべきであろう。

平常運転では石炭火力も原発も、外部放出される放射性物質は問題ではない。どちらも安全と見なせるモノを比較しても始まらない。トリビア的に面白いが、大抵の反原発の人々は福島第一原発と同等の事故が今後も発生しうる事を心配しているわけで、石炭火力が出す放射性物質は意味が無い情報となっている。

追記(2011/06/27 22:03):池田信夫氏が言及したわけではないが、

「100倍の放射性物質を出す」

のソースはGuardian誌も引用したScientific Americanの記事のようだ。なお、当初は「100倍の放射性廃棄物を出す」と書かれていたが、

「周辺環境に100倍の放射線をもたらす」

と訂正されている。池田氏のTweetでは訂正前のニュアンスになっており、あまり適切な表現では無い。

http://www.anlyznews.com/2011/06/100.html

イタリアは天然ガスへの依存度が高いのにも関わらず、電力料金が高い 2011年6月14日火曜日


イタリアの国民投票で同国での原発再開が否定された。イタリアは火力発電所に依存しており、ユーロ圏内で最も電力価格が高い国で、ドイツよりも電力価格が高いのだが、イタリア国民は脱原発の維持を選択した。

原子力大国フランスの家庭用電力は$0.169/kWh、産業用が$0.060/kWhである。再生可能エネルギーに熱心なドイツが、$0.263/kWh、$0.109/kWh。イタリアは$0.305/kWh、$0.290/kWhである(原発は最も廉価な発電方法)。

このイタリアと言う国は、EU内でも最も電力料金が高い。かと言って再生可能エネルギーの比重が高いわけでもない。火力発電所と輸入が多く、高い電力料金につながっているようだ。IEAの2008年の統計によると、総需要に対し、石炭火力が13.5%、石油火力が8.8%、LNG火力が48.1%、純輸入が11.1%となっている。水力発電が13.1%と多いのだが、環境破壊や立地条件を除けば、廉価な発電方法である。原子力は、もちろん0%だ。

そう、イタリアは天然ガスへの依存度が高いのにも関わらず、電力料金が高い。経済学者を自称する池田信夫氏が、イタリアの国民投票を批判した上で、LNG火力へのシフトを提唱しているが、現在のイタリアはLNG火力への依存度が高いため池田氏の批判は矛盾を起こしている。

矛盾した批判の原因は、LNG価格が乱高下していることを認識していないことだ。LNGは長期契約で価格が安定しているとされるが、原油価格と連動する部分もある。イタリアの電気代が高いとされる根拠となる2008年はLNG価格が高かった。今は随分と安くなり、LNG火力と原子力は発電単価が均衡している。

追記(2011/06/14 17:42):日本のLNG輸入価格は、米国ほどピーク時より値下がりしていない。2011年1月でピーク比71%、2011年5月で86%で、2004年の41%の水準よりは2倍近く高くなっている(JOGMEC, 天然ガス価格の推移)。

問題は、今後のLNG価格だ。シェール・ガスの採掘技術に革新があったため、天然ガスの賦存量が飛躍的に高まった事は広く報道されているが、原油や石炭から天然ガスに需要がシフトしたときに、十分に需要に応えるだけの供給があるかは分からない。非在来型を含む天然ガスの可採年数は190年とも言われるが、それは過去の天然ガス需要を元にした年数に過ぎない。

日本が直面している問題は、新興国の経済成長だ。新興国では、今まで天然ガスの消費は多くは無かった。カロリー・ベースでは天然ガスが廉価であるため、新興国では今後、石炭や石油だけではなく、LNGへの需要が高まると考えられる。中国とインドを足しただけで25億人がいるのだが、彼らのエネルギー需要をシェール・ガスを含む非在来型天然ガスだけで賄えるのであろうか。

結局、化石燃料は枯渇するので、高速増殖炉を含めた原子力開発は進めなければならない。太陽熱発電、洋上浮体風力発電、マグマ発電等が実用化されれば状況は一変するが、LNG火力発電に頼ると言う事は、将来的には高コストなエネルギーに依存する可能性が高いと言う事だ。イタリアは、電力を輸入できるのだから、それでも問題ないであろう。日本は島国なので、電力は自給する必要がある。再生可能エネルギーに技術革新があれば良いのだが、原子力を避けて通る道は今の所はない。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_14.html

周波数オークションでは、免許料は料金に転嫁されない? 2011年6月3日金曜日


導入されそうもない周波数オークションについて検索をしているときに、やや経済学的に問題のある記事を見かけたので、指摘しておきたい。

周波数オークションとは、周波数帯域の利用免許を競売で企業に割り当てる方法で、近年、諸外国で一般化してきている。必要な企業が頑張って落札するだろうから、電波利用の経済効率性が増すと考えられており、また役所の理解を得られずらい新技術の参入が容易になり、周波数割当の公平性が増すと考えられている。

さて問題がありそうなのは、池田信夫氏のブログ記事とウェブページの

「オークションで払う免許料は価格転嫁されない」

という主張だ。


1. オークションで払う免許料は価格転嫁されない?


ミクロ経済学の教科書で、埋没費用(Sunk Cost)は生産物の価格に反映されないと書いてある。だから以下の池田信夫氏の作ったFAQの以下の部分は一見は正しい用に見えるのだが、良く考えると正しくない。

オークションで払う免許料は、落札後1週間以内に現金で全額払い込むサンクコストなので、サービス料金に転嫁することはできない。

二つの理由で、免許料は埋没費用だけになるとは言い切れない。まず、定期的に再免許を取得する場合、期限があるので限界費用になる。また、免許更新が不要でも、企業は株式か借入で資金調達をしてくるので、(長期の意味で)限界費用も発生する。例えば金利5%で借入し、1兆円の落札費用を払えば、毎年500億円の経費増になり限界費用に加わる。つまり、オークションで払う免許料は、何らかの形で価格転嫁される。

オークションで払う免許料が限界費用と全く関係ないのであれば、「100兆円で落札しても、ケータイ料金は同じで済むんや!(`・ω・´)キリッ」と言う事になるが、それは無い。

教科書の前提と、実際の世界の違いが分かっていない典型例。

2. 携帯電話市場は寡占的なので、業者は談合してサンクコストを転嫁するかもしれない?

池田氏はサンクコストが価格に与える影響についても、以下のような不適切な記述をしている。

市場が競争的であれば、サンクコストを転嫁することはできないが、現実には携帯電話市場は寡占的なので、業者は談合して転嫁するかもしれない。

一般的なミクロ経済学の教科書では、独占・寡占企業も限界収入と限界費用が一致する価格設定を行う。つまり、あまり値段を下げずに利益を確保するわけだが、ここでは固定費用は考慮されない。

直感的には、談合して免許料を価格転嫁することができるのであれば、最初から高い価格にしておくのが独占・寡占企業という事になる。

つまり、固定費用なのか、限界費用なのかが、価格に転嫁されるかのポイントになる。限界収入と限界費用が競合会社が問題になり、サンクコストは価格に影響を及ぼさない。


3. サンクコストが大きいと寡占化しやすいよね?

池田氏は言及していないが、サンクコストが大きいと新規参入者が少なくなると言われており、既存企業の利潤が大きくなりがちだ。この意味でも周波数オークションが、理論的に価格を引き上げる可能性はあるが、参入者が増えるか減るかは市場の条件によるであろう。

ただし、もともと通信業界は既存方式のサービスに新規事業者が参入してくるようには思えないので、考慮すべき点なのかは良くわからない。言及する必要性は特に無いように感じられる。


4. 携帯電話会社は損をする?

需要の価格弾力性に依存するが、価格があがれば収入が減るであろうから、周波数オークションで損をする。もちろんスマートフォンが喫煙よりも中毒性があるという指摘は、ここではあえて無視する。


5. 引用している文献の想定通り?

池田氏の論文にはPaul Klemperer(2004)が引用されており、そこでは電波利権がサンクコストになる事が書かれていたのだと思うが、再免許の取得や、資本コストの問題を整理しないと、同文献のモデルには当てはまらないのでは無いであろうか。

なお、池田氏が永続的に免許が与えられると想定しているのであれば、金利費用しか転嫁しなくていいので、1兆円で落札しても1兆円分が価格転嫁されるわけではない。落札金額がそのまま価格転嫁されないと書けば、良かったと思う。ゆえに、間違いではなくて、問題があると評した。


6. 通信料金は結局、上がるの?

実際の世界では、技術革新による通信機器の価格低下の効果が大きく、周波数割当の透明性が増す事による競争促進の効果があるので、影響が出るかはわからない。

2000年の英国の周波数オークションのように数兆円規模の金額になれば、何らかの影響が出るだろう。英国や米国ではパケット料金定額サービスがなくなっていたりするので、費用分析を詳細に行えば影響が観測できる可能性もある。

ただし近年の落札価格の事例は、もっと少ない金額になっているし、利用周波数帯は通信機器と違い減価償却不要な資産なので、同じ投資金額でも企業負担はもっと少ない。むしろ政策的には、大手キャリアが『談合』で、入札価格を制限する可能性も考慮する必要があるかも知れない。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_03.html

スマートフォンと80年代のコンピュータ産業への良くありそうな誤解 2011年6月19日日曜日


経済学者を自称する、メディア・政策が御専門の池田信夫氏がブログのエントリーで、「スマートフォン市場」と「80年代のコンピュータ産業」への良くある誤解を披露しているので、間違いを指摘したい。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う事で、同じような誤解をしている人は、知識の訂正を行うチャンスだ。


1. 池田信夫氏のスマートフォン市場への誤解

まず、シェアの推移に誤解がある。市場シェアに言及しているが、以下の記述は恐らく誤りだ。

かつては「スマートフォン」といえば、Blackberryのことだった。ところがここ1年でアップル(iOS)に抜かれ、さらにグーグル(Android)に抜かれて4位に転落

BlackBerryはiOSの前に、Androidにシェアを抜かれていると考えるのが普通だ。

Canalys社の2010年第2四半期では、既にAndroidのシェアが17%と、iOSの13%よりも多くなっている(Asymcoから転載の下図参照)。

Canalys社の2010年第3四半期の世界シェアのデータは公表されていないようなのだが、iOSのシェアが17%で、RIMが15%になっているようだ(eWeek.com)。

Canalys社の調査では、2010年第2四半期でAndroidはiOSを抜かしているので、少なくとも2010年第3四半期でGoogle AndroidとApple iOSが同時にRIM BlackBerryを抜かしたと考えるのが適切だと思われる。

米国市場の調査になるが、他の調査でもBlackBerryが首位から転落する前に、AndroidがiOSを逆転している(関連記事:米スマートフォン契約者シェア調査における調査会社による数字の違い)。


2. 池田信夫氏のスマートフォン分類への誤解

Symbian OSについて、池田信夫氏は良く理解していないようだ。調査や論者によって、スマートフォンの定義は一致しない。特にSymbian OSは、ガラパゴス携帯電話と同等程度の機能であるため、スマートフォンと考えて議論する事は少ない。池田氏も「「スマートフォン」といえば、Blackberryのことだった」と冒頭でSymbianの事を無視している。

Symbianを捨ててWindows Phoneを採用するという決定も市場からブーイングを受けた。

Symbian OSは、日本のガラパゴス携帯電話のような高機能端末を作れるOSで、ケータイ・アプリが動いてEメールの送受信ができる事から、搭載端末はスマートフォンに分類される。しかし、Apple iOS(iPhone)やAndroidと同じ世代には考えられておらず、分類上の問題に近い。ゆえに「Symbianを捨ててWindows Phoneを採用」と考えている人は少ないはずだ。NECカシオや東芝も、Android端末やWindows Mobile端末を売りつつ、ガラパゴス携帯電話も販売しているが、携帯電話会社が従来型携帯電話を捨てたと批判する人は聞いたことがない。

「市場からブーイング」も根拠不明だ。NokiaがIntelと共同開発をしていたMeeGoを捨てたときは、Intelから強い批判があった。MeeGoはLinuxベースのスマートフォン用のOSで、オープンソースのアプリケーション・フレームワークQtで開発が可能であり、そちらでの失望もあった(関連記事:始まる前に終わったMeeGo、モバイルへの進出が停止したQt)。Qtでスマートフォンアプリの開発をしかったのだが残念だ(関連記事:巡回セールスマン問題で、Qtの使い勝手を体感してみた)。しかし、Symbian OSのアクセンチュア移管で批判があったのかは知らない。Symbian OSのフェードアウトは予想されていた事で、大きな波乱は無いからだ。

ハードウェアでみると、AndroidのトップメーカーはHTCとサムスンで、この2社でシェアの半分を占める。

これは間違いではないが・・・モトローラ社(´;ω;`)ブワッ

3. 池田信夫氏の80年代のコンピュータ産業への誤解


問題のある一節はここの部分。

RIMは、さしずめCP/Mというところだろうか。8ビット時代はほぼ唯一のOSで、16ビットでもデファクト標準だったが、IBM-PCにMS-DOS(実はCP/Mのコピー)が搭載されたため、急速に勢いを失った。


二箇所、間違いがある。


1.MS-DOSはQDOSを元に作られた。CP/Mを模倣したAPIもあるが、ファイル・システムを含めて互換性がない。ゆえにMS-DOSはCP/Mのコピーでは無いし、クローンでも無い。


2.CP/M-86がデファクト・スタンダードであったことはない。IBM製PCには、OEM版のPC-DOSが最初から用意されていた。MS-DOSの発売は1981年になる。CP/M-86の発売は1982年だ。また、CP/MとCP/M-86はバイナリ互換性がない。

プログラマでもないと気にならない点かも知れないが、技術論を考える上では、多少は細部に踏み込む必要性があるだろう。経済学者であれば、文献調査を良く行うか、細部への言及を避けて、間違いを回避する所だ。

4. 誤解を避けるために検索しよう


事実関係を確認しつつ記述すればこういう間違いは犯さないはずなのだが、池田信夫氏は思いつきで書いているのか事実関係に疑義がある記述が多い。


80年代のコンピューター産業、正確にはPC産業の状況は、テレビ番組などで紹介されて来ている。スマートフォン・ブームに関しても、頻繁に報道がされて来ている。しかし、簡略化された情報が断片的に伝わるので、何かを議論するときは思い込みや誤解がないかは確認するべきだ。例えば「シェア」と書いてあると、何か分かった気になる。しかし、販売数量のシェアなのか、利用者数のシェアなのか、トラヒックのシェアなのかで随分と状況は異なる。

知識が曖昧になっている事は誰にでもあると思う。大抵の事は検索すれば出てくるので、そういう時は誤解を避けるために検索しよう。曖昧な点を曖昧にしたまま論述を行うと、必ず最期に綻びが出てくる。断定しないで曖昧な表現を使うのも手段だが、検索すれば出てくる事は、検索をして確認する事をお勧めしたい。

http://www.anlyznews.com/2011/06/80.html

孫正義氏のメガソーラー計画は農業利権者と結託する? 2011年6月27日月曜日

孫正義氏率いる「自然エネルギー協議会」のメガソーラー計画「電田プロジェクト」に、経済学者を自称する池田信夫氏が「農業利権を食い物にするソフトバンク」で難癖をつけている。無理のあるプロジェクトだが、池田氏の難癖の付け方が経済学的では無いので、注釈を入れておきたい。

耕作放棄地(写真, flickrより転載)に対する事実認識に問題があるようだ。

1. 耕作放棄地を無償で使える?

「SBにとっては耕作放棄地を無償で使うことによって用地買収が必要なくなり」

と当然のように書いてあるのだが、経済学的には当然ではない。そもそもタダで貸すとは誰も言っていない。

地権者がソフトバンクに幾らで貸すかが問題になる。転作・休耕ではなく耕作放棄になっているので、現在の土地からの収益はゼロと見なせる。ソフトバンクが独占事業者であれば、タダ同然の金額で借りることができる。

ソフトバンクは独占事業者になれるのか。それが良く分からない。固定買取制度で確実に利益が出るのであれば、同社以外の参入者が予想される。農家も商売なので、可能な限り地代を取ろうとするはずだ。土地が膨大に余っているので借り手市場かも知れないが、その場合は自由市場で土地代がタダに近いのであるから、何も問題がない。


2. メガソーラーを建てる耕作放棄地はそうはない?


「耕作放棄地が山間部などに点在し、太陽光発電に適した広い土地がほとんどない」

と当然のように書いてあるのだが、参加制約は満たしている可能性はある。農地であったので日照条件は最低限は満たしているであろうし、太陽光発電所は小規模な単位から始められるからだ。


「東京湾にメガソーラー発電所ができる〜川崎市臨海部に8月誕生「浮島太陽光発電所」を見た 」から引用しよう。

パネル1つの出力は198Wで、電圧は25V、電流は約8A。サイズは1,318×1,004mm(縦×横)という仕様

1.3m×1mぐらいが最小必要農地サイズのようだ。面積にすれば0.013aにしか過ぎない。農林水産省によると、平成22年の農家一戸あたりの平均農地は159aだそうだ。耕作放棄地の統計には、5a以上保有している土地持ち非農家か、10a以上保有している農家の耕作放棄地が集計されている。

一般家庭からすれば小さく無いが、パネル自体はそう大きな設備でもない。パワコンや変圧器、送電設備の規模が小さくなるし、僻地で保守作業が難しくなるので効率性は悪いであろう。しかし、発電はできるので買取価格によっては利用できるはずだ。

例え効率性が低く事業者がメガ・ソーラーを始められないとしても、それは事業者の問題であって法的・倫理的な問題があるようには思えない。


3. 農家は何もしないで減反補助金をもらえる?


「農家にとっては、何も仕事をしないで減反補助金がもらえる現状が最高」


と当然のように書いてあるのだが、実態とは状況が異なる。

現状の制度では転作が奨励されている。休耕田で補助金をもらうには、費用がかかる農作業をする必要がある(減反の風景)。さらに大半の耕作放棄地は原野化しており、補助金の対象ではない。

耕作放棄地は、農業従事者の不在が主たるその理由だそうで(耕作放棄地の現状)、「利権」とは程遠い存在だ。むしろ調整水田や転作田には大量に補助金が投入されているのだが、こちらはメガソーラーに転用する事はできない。


4. 耕作放棄地は利用されることが望ましい

補助金等無しで損益分岐点を超えていればではあるが、利用されていない資源は利用されるほうが望ましい。もし「再生可能エネルギー促進法」無しでも「電田プロジェクト」が成立するのであれば、資源の有効活用と言う面で素晴らしい。

農業政策が不適当だから耕作放棄地があると言う指摘は恐らく正しいが、電田プロジェクトの社会的意義には関係ない。電田プロジェクトがあろうが無かろうが、農業政策はあるからだ。電田プロジェクトのために、休耕田や耕作放棄地を維持・作成しだしたら問題だが、休耕田や耕作放棄地があるから電田プロジェクトを考えたのは間違いない。


5. 問題は再生可能エネルギー促進法

池田氏は「農業利権を温存する」とあるので、耕作放棄地にメガ・ソーラーを作れば、農地の有効利用になるので現状の農業政策が維持されると主張しているようだ。しかし、耕作放棄地は補助金等とは関係の無い領域にあるように思えるし、有効利用するのは悪い話ではない。

農業政策に問題が無いとは思わないが、やはり問題は再生可能エネルギー促進法にあるように思える。固定買取価格が40円/kWhでなく、例えば8円/kWhであれば、耕作放棄地の利用は望ましいだろう。農地登録のまま耕作放棄地をメガソーラーにしておいて良いのかは議論があるであろうが、相続税の猶予措置以上の利権があるのかは不明だ。

電田プロジェクトの遊休資産を活かそうという方針自体は悪くないように思える。ただし、それが社会的余剰を増加するのはメガ・ソーラーのコストが十分に安いことが条件になるので、今のコストでは有益ではない。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_27.html


経済問題に「正義」を持ち込むのは普通 2011年5月30日月曜日


池田信夫氏の

「エネルギーは経済問題。「正義」を持ち込むのは間違いのもとである。」

というTwitter上の発言に、孫正義氏が

「正義を疎かにする経済ほど愚かなものはない」

と反論し、池田信夫氏が資本主義は不道徳なものだと再反論している。しかし、経済学的に経済問題を議論する場合、明らかに「正義」を考慮しているので、明確に池田信夫氏の発言を否定しておきたい。


1. 経済学者は正義(=厚生基準)を仮定し、経済問題を考える


上述のようなメッセージがインターネットに流れると、池田信夫氏(学位は政策・メディア)が経済学者を名乗っているので、経済学には「正義」が無いように思われそうだ。しかし、何らかの判断基準を置かない限りは、どちらの制度・政策が望ましいか判断できない。厚生比較の判断基準がある以上、経済学には正義がある。

この判断基準は、便宜上、社会的余剰が最大と言って生産や消費が多いほど良いとする事が多い(古典的功利主義)。これは人間の物欲は無限で、消費に応じて幸福度が上昇するという仮定だと考えて良いであろう。しかし、必要に応じて安全性や、持続性、そして道徳観も判断基準に加わる。

もちろん、絶対的な判断基準は無い。複数の人間がいると、利害関係や価値基準に差が出るためだ。数百年も研究されているが、未だに結論は出ていない。厚生経済学というカテゴリーがあって、専門的に研究している人々がいる。この分野でノーベル経済学賞の受賞者は多数出ているので、経済学の古典だ。


2. 「正義」の定義は人によって異なる

問題は「正義」の定義だ。電力の生産コストは低い方がいいし、24時間好きなときに使える利便性がある方がいいし、事故で健康に害があるのも困るし、地球温暖化ガスが排出されるのも困るし、資源が枯渇しても困る。一つ一つは分かりやすい基準だが、全体の整合性をどう取るのかが問題になる。

全部の検討課題が改善される方法があれば、それを採用すればいい。パレート改善と言う。残念ながら、大抵の社会的選択肢は全て一長一短で、明らかに優位性があるものがない。発電方法に関しても同様だ。ゆえに孫正義氏のように安全性や地球環境問題を重視するような発電方式を好む人もいるし、池田信夫氏のように生産コストや利便性を重視する人もいる。

価値観をまとめる適切な方法は無いので、「正義」を根拠に議論しだすと、決着は永久につかない。平たく言うと、池田信夫氏と孫正義氏は永久に分かり合えない。


3.「正義」が共有できなくても、判断材料は共有できる

分かり合えない同士でも、社会的選択肢が何か、その選択肢がどういうものかは共有できるはずだ。

原発が危険だと分かっていると主張する人、再生可能エネルギーは採算が取れないと主張している人は、福島第一原発の災害に関連した賠償金額が幾らになるか、福島第一の災害の毎年の発生確率が幾らになるのか、現在問題になっている低レベル放射線がどの程度危険なのか、現在から未来にかけての火力、原子力、太陽光などの発電方式のコストが幾らになるのか調べてみよう。

正確な数字など、誰にも分からない。条件付の数字になる。しかし、数字が出てこないと、正義に照らし合わせて判断する事もできない。ゆえに、数字を考える事には意義がある。このブログでも、東海地震の発生確率や、原発の費用や原発の補助金、福島第一原発自己による賠償金額、原発停止の年間コスト、太陽光発電の費用や賦存量、家庭用太陽光発電システムのコストなどを取り上げて来ている。


4.「正義」以前に、判断材料がおかしいときも多い

判断材料が誤っていることは多い。単に誤解やミスが理由のときもあるし、賛同者を増やすために判断材料の見栄えを良くする事は頻繁にある。

例えば、孫正義氏の自然エネルギー協議会の主張におかしい点があるし、大島堅一・立命館大教授の分析には恣意的なところがあるし、河野太郎衆院議員は文科省調査に書かれていないことを調査結果のように主張している。経済学を知らない経済評論家が、経済学を語っているケースもある。

判断基準は人それぞれだと思うが、判断材料には客観性が求められるはずだから、ここは厳しく批判しあう事が大切だ。そもそも客観的な判断材料を提示しないで、自己主張だけを繰り返す人も少なくない。


5. まとめ


経済問題を判断するのには、判断基準(=正義)が必要なので、池田信夫氏の主張は誤りだ。正義が不要だとすると、厚生経済学の立場が無い。

「正義」の共有は不可能なので、そこで言い争いになっても建設的ではない。また、「正義」が共有できなくても判断材料は共有できるし、主張者によっては判断材料がおかしいときも多い。ゆえに、応用経済学者は「正義」が何かの議論を回避している。

しかし、幾ら回避をしたところで、最終的には何かの判断基準が無いと選択ができない。ゆえに、

「正義を疎かにする経済ほど愚かなものはない」

という孫氏の指摘は、概ね経済学的には正しいように思える。

http://www.anlyznews.com/2011/05/blog-post_30.html


電気代が人頭税? ─ 池田信夫と藤沢数希が経済学音痴を露呈する 2011年7月4日月曜日


人頭税は全ての国民1人につき一定額を課す税金の事だ。経済学者を自称する池田信夫氏と、人気ブロガーの藤沢数希氏が電気代が人頭税だと言っている。

税金では無いのは、電気が現代生活に不可欠と言う事で同等だと理解を示そう。しかし、電気代は重量課金だし、基本料金も契約に応じて変化し、家族構成とも関係ないので、定義上は人頭税とはとても言えない。そもそも電力消費における家庭の割合は約29%だ。そして実質的にも、電気代は人頭税とは言えない。


1. 金持ちは電気を多く消費する

貧乏人も金持ちも同じ額の電気代を払っているって? ─ そんなわけがない。

経済学の入門テキストには、電気は必需品だから需要の所得弾力性が低いと書いてある。確かに所得が倍になっても、電気を倍使うわけではないであろう。しかし、金持ちは光熱費のかかる広い家に住み、電力消費の多い電化製品を多く使っているはずだ。55V型の大型テレビは、22型の小型テレビの3倍の電力を消費する(SONY BRAVIAのカタログ)。金持ちは節電だって気にしないはず。

上のグラフは東京理科大・井上隆教授の第3回住宅エネルギーシンポジウムの資料「エネルギー消費と住まい方の実態」から転載した図だが、所得に応じて電力消費量が増加する事は分かる(関連:家計調査報告から作成した所得別電力料金)。所得2倍でも電力消費は1.3倍程度なので、電気は高級品ではないが正常財である事が分かる。所得弾性値が0(正確には所得効果と代替効果が0で価格効果が無い)なら、本当の経済学者たちが価格メカニズムによる需給ギャップ解消を提言したりしない。

追記(2011/07/04 22:00):厳密には世帯人数も考慮する必要があるが、平成19年就業構造基本調査によると、年収600万円以上になると世帯人数の大きな増加が見られないため、年収600万円以上は一人当たりの電力消費量が増加している。世帯人数を考慮しても、電力需要に所得弾力性は認められる。なお、世帯人数別電力消費量は1人ぐらしを1とすると、2人で1.5、3人で1.9、4人で2.1、5人で2.4程度になるようだ(上述配布資料内P.4図1.19)。電気に限らずだが、大家族の方が効率が高い。

追記(2011/07/06 02:30):家計調査報告(家計収支編)の2010年四半期データ1年分から、下の所得区分別一人当たり電気代データを作成した。所得が672万円(VIII層)までは世帯人数の増加による効率化で一人当たり電気代が下がり、それ以上のIX層、X層は所得効果により一人当たり電気代が上昇していると思われる。

2. 家庭部門の負担増加は消費の面からは大きくは無い

人頭税で無いにしろ、電気代値上げは貧乏人の方が負担感が強くなると言うのは間違いないが、どれぐらい値上げになるかが問題になる。池田信夫氏と藤沢数希氏が指摘している原発停止に追加燃料代の影響や再生可能エネルギーによる影響は、家計部門の消費においては大きくない。

原発を止めたままにすると、今年いっぱいで全国で3兆円以上の燃料費が余計にかかり、これは電気代に転嫁される。電気代は所得に関係なくかかる「人頭税」だから、貧しい人の負担が最大。反原発で騒いでいるプー…

上は池田氏のTweetだが、追加燃料代を多く見積もり過ぎ、電力業界が16兆円産業なのを認識していない。経済産業省所管の日本エネルギー経済研究所の試算では、標準家庭(所得500〜750万円)の電気代は月1049円(15.3%)の増加だ(読売新聞)。企業の負担増から物価もあがるはずだが、日本のGDPは2009年度で519兆円あるので0.3%程度のインフレ圧力にしかならないであろう。

自然エネルギーというのは、電気代という人頭税を徴収し、

上は藤沢氏のブログの一部だ。再生可能エネルギー推進による電力料金の影響は、より少ないかも知れない。再生可能エネルギー大国であるドイツは17%が再生可能エネルギーではあるが、電気料金への影響は10%増程度だと考えられるからだ(Frondel, Ritter, Schmidt and Vance (2009)とEICネットの数値から推定)。

産業部門への影響から雇用減にでもなれば間接的に家計への影響が出てくるのだと思うが、それについては「人頭税」とは別問題なので今回は議論はしない。


3. 池田信夫氏と藤沢数希氏の学識を疑う


定義上も実質上も電力料金は人頭税ではない。経済学部で人頭税の定義と所得の需要弾力性を学んでおけば、誰が電力料金を払っているのか、所得に応じて電力消費量が変化するのかを確認し、こういう発言をしないはずだ。

経済評論家としては人目につく言葉を使いたいのは分かるが、余りに基本的な部分を疎かにすると経済学を学んだ事があるのかさえ疑われるだろう。

今回に限らずブログ等での数々の学識が疑われる文面を見ていくと、池田信夫氏は経済学音痴と言わざるを得ない。

http://www.anlyznews.com/2011/07/blog-post_04.html


経済学者を自称する池田信夫の破綻文章 2011年6月5日日曜日


菅首相と鳩山前首相の交わした覚書に関連して、暗黙の契約について経済学者を自称する池田信夫氏が「菅直人氏のホールドアップ」という記事を書いている。

政治家同士の約束をゲーム理論によって説明される不完備契約だと考え、「繰り返しゲームも最終回になったら、首相のように前言を翻して裏切ることが合理的」だと説明している。みんなの党代表の渡辺喜美氏も繰り返しゲームのように政治家の人間関係を説明しており、分析手法は不自然ではない。しかし、文章的には破綻している。



1. 短期だと成立しない?する?

辞任時期は菅首相と鳩山氏の間の暗黙の契約になるわけだが、暗黙の契約は長期的な関係が残されているときのみ成立すると言いつつ、短期的な関係でも成立すると述べている。

しかしこうした曖昧な契約が役に立つのは、両者に長期的関係があって善意をもって再交渉に応じる場合に限られる。

ワンショットのゲームでも契約を書く(あるいはエンフォースする)コストが高い場合は意図的に曖昧にすることが合理的になる。

相反した理論的結論を並べられると、論理的に破綻しているようにしか感じない。


2. 暗黙の契約は再交渉のため?

池田氏は暗黙の契約は再交渉のためだと述べている。しかし、池田氏が示した以下の例では契約改定が双方に利益があるため、契約書の内容は重要ではない。両者が相互に納得している場合は、契約の変更が問題になることは無い。

たとえば「納期に遅れた場合は契約は無効とする」と書いてあると「1週間待ってください」という話ができなくなり、契約をキャンセルすると依頼したほうも困る。だから納期を遅らせる代わりに割り引くといった再交渉の余地を残すために、契約を曖昧にするのだ。

3. 暗黙の契約を結ぶ理由

厳密に契約を詰めない理由は色々あり、厳密な契約を結ぶコストが大きいか不可能であること(限定合理性)、観察可能な契約内容に固執し他の点を考慮しなくなるなどがあげられる。業績評価にならない仕事をしない同僚を思い浮かべて欲しい。また、池田氏の引用しているBernheim and Whinston (1998)は、不完備契約しか結べないときに、可能な限り厳密な契約を結ぶよりも、曖昧な部分のある契約を結ぶ方が合理的であるケースを示している。

安田洋祐政策研究大学院大学準教授のブログを見る限り、他にも不完備契約でも問題ないケースが多々あるようだ。不完備契約による非効率性を主張するには、問題の詳細な定式化が重要と理解して良いと思う。


4. 池田氏の問題は定式化の不足

池田氏の文章が破綻しているように思えるのは、先行研究やゲーム理論の定理を引用しつつも、どの理論や定理を駆使して分析を行うか明確化されていないためだ。暗黙の契約は短期では非効率と言いつつ、短期でも効率的な理論を引用しては、論理矛盾と指摘せざるをえない。

菅・鳩山覚書問題のゲーム木でも書いて議論をすれば、もっと説得力のある文章にはなったと思う。しかし、もしそうしたとしても、次の理由で現実的ではない。

5. 菅・鳩山合意は強制履行可能

内閣不信任案は同一国会会期中は一度しか提出できない(一事不再議原則)のは慣例の問題で、法的には再審議不能だが再提出ができる。鳩山氏が国会外で議員の同意を得てしまえば、菅内閣は崩壊する。

結局、今の報道を見ている限りは、復興基本法案の成立と平成23年度第2次補正予算案の編成の目処が立ったところで退任に追い込まれる可能性が高そうだ。鳩山氏が息巻いていることには迫力がないが、与党内の求心力が急激に低下しているのは間違いない。

6月中に退任になるか、7月以降にずれ込むかは分からないが、菅首相は任期の引き延ばしには失敗したようだ。菅首相が内閣不信任案ゲームのルールを、良く理解していなかったと言う事になる。

こうして見ると、菅氏はナッシュ均衡もmin-max定理も関係ない、ゲーム理論を根底から揺るがす恐るべきプレイヤーだと言う事になる。もちろん菅氏の思い描いているゲームのルールはさらに複雑で、今後、予想だにしない事が起きるのかも知れない。しかし、プレイヤーの行動原理が理解不能か、ゲームのルールが把握不能なのは間違いない。ゲーム理論の適用には、両方の把握が必要だ。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post_4118.html

経済学者を名乗る池田信夫の学識を疑う 2011年6月1日水曜日


池田信夫氏も目を引くタイトルで記事を大衆に読ませたいのだと思うが、「携帯電話は原発より危険だ」という記事が、経済学者というか社会科学者として問題の多い記事になっているので、指摘したい。

CNNの、WHOが携帯電話の利用が発がんリスクを引き起こしうるとしたという報道と、放射線の被害で、原発災害の放射線被害への危惧を皮肉った内容だ。社会科学者としての良識を疑うような釣り記事で、悪い冗談としか思えない。

1. 英語の読解能力が疑わしい


「〜かも知れない」という可能性を現す表現を、「〜だ」と断定を現す表現に変えるのは、扇動目的の意図的なミスリーディングのように思えるが、あえて池田氏の英語の読解能力を疑う事にする。

CNNの記事

Radiation from cell phones can possibly cause cancer, according to the World Health Organization.

The team found enough evidence to categorize personal exposure as "possibly carcinogenic to humans."

池田信夫氏の記事

CNNの報道によれば、WHO(世界保健機関)は携帯電話を「発癌物質」に指定した。携帯ユーザーが脳や聴神経の腫瘍にかかるリスクがあることが判明したためだ。

CNNの記事
The European Environmental Agency has pushed for more studies, saying cell phones could be as big a public health risk as smoking, asbestos and leaded gasoline.

池田信夫氏の記事
喫煙やアスベストと同等というのは大きなリスクだ。



canやpossibly、could、は、そう大きな可能性を現すわけではない。

最初の部分は、ガンを起こしうる可能性があると書いてある。possibly carcinogenic to humansは定義された用語(Group 2B)で、

「ガンを引き起こしうる幾つかの証拠があるが、現在は決定的とはとても言え無い」

ことを意味する(Glossary: Standard IARC classification)。WHOは発がん物質に、携帯電話から出る電波を分類していない。


次の部分は、European Environmental Agencyが、携帯電話が喫煙などと同等のリスクを引き起こすかもと言いつつ、研究を推進してきたと書いてある。WHOがそう言っているわけではない。


なお、不幸なことに英語は学術分野の共通語なので、そこそこできないと学者としては許されない。

2. 追加調査の必要性を危険性の立証と誤解する

WHOの専門組織である国際がん研究機関(IARC)は、先週までは携帯電話に危険性は無いと言っていたので、もちろん驚きは大きい。

しかし、電磁波を鉛、ガソリンエンジンの排気、クロロホルムと同じカテゴリーと同じ分類にしたことが、危険性を表すわけでも無さそうだ。米セルラー通信工業会(CTIA)は、過去に漬け物やコーヒーも同じ分類にされていたことを指摘している。また、IARCの科学者らは、携帯電話の電磁波ががんを引き起こすかどうかについて、何らかの断言をするに足る長期的研究が行われていないとしている(cnet)。

IARCの科学者は危険性を「断言できない」と言っており、追加調査の必要性を訴えているだけだ。そして、FCCやFDAが、それに追随しているわけでもない。


3. 社会調査への理解が無い

社会科学者であれば、長期の健康調査の追跡は難しいので、まずは疑うところから入るのが普通だ。

特に携帯電話の電磁波に関しては、この現代社会で携帯電話を使っていない人間は、ちょっと異質なタイプな人間だと言う事が分かるはずだ。携帯電話と発ガンの可能性ではなく、一般人と異質な人の違いが、調査結果に現れている可能性もある。もちろん、サンプルの異質性をコントロールする事はできるが、残念ながら適切にコントロールされていない研究は多数ある。

今回はサーベイ調査で、新たな研究分析を行った上での結論で無い。ゆえに、適切な分析かを検証する事はできないし、疑ってかかる具体的な対象も無いのだが、信憑性も高くないと言う事になる。


4. 携帯電話の電波への調査が不足している

携帯電話は世代ごとに電波出力が低下している。電波で光るグッズを持っていた人は、残念ながら、もう若くは無い。PDA/GSM時代の10年間と、3G時代の10年間のリスクを同じに考えるのは、適切とは言えない。

そして電波は距離があると急激に減退する。基地局の出力は大きいが、鉄塔の先で普通は近づけない。しかし、池田氏はこのように言っている。

この記事には書かれていないが、基地局の発する電波はもっと強いので、かねてから健康被害が懸念されている。

ちなみに東京タワーのアナログ出力は、50,000Wぐらいはあるそうだ。携帯電話の基地局は、約0.5W〜30Wだ。基地局の電波が危ないとするなら、まずはテレビの規制を主張する事をお勧めしたい。

もちろん、放射性物質の除染は必要になる可能性があるが、電波には除染も必要ない。

追記(2011/06/03 15:32):@_Nekojarashi_氏から、周波数を無視して電波の出力を比較は意味が無い、周波数を無視して出力だけ比較できるなら、電子レンジ(500〜1000W)の中は、東京タワーより安全という、ごもっともな指摘があったので紹介。ただし、電子レンジは金属内をマイクロ波を反射させているので、アンテナとはちょっと構造が違う。


5. 携帯電話業界の取り組みへの理解が無い


池田氏は携帯電話業界の取り組みへの理解も無い。

命を守ることが絶対の「正義」だと主張する孫氏は、携帯電話の販売を中止してはどうだろうか。

孫正義氏の率いるソフトバンク・モバイル社は、2002年6月1日から電波の比吸収率(SAR値)の規制指針に従い、正確に言うと従来から規制範囲内である事を確認している。つまり、WHOやICNIRPの示したガイドラインに従っている(ソフトバンクモバイル株式会社)。

もちろん福島第一原発の放射能流出は、災害だからやむを得ないのだが、各種の安全基準を守っているわけではない。Twitter上で孫氏が『絶対の「正義」』を主張したことは無いが、現時点での携帯電話販売事業は、公的基準では人命を損なっているとは言えない。


6. 客観事実が不足していることを認識していない

なぜか原発と携帯電話の危険性を比較しているが、それには原発と携帯電話の利点と危険性をなるべく正確に議論する必要がある。

携帯電話の利便性は周知の通りだし、危険性に科学的なコンセンサスは無い。原発の生み出す電気は現代社会を支えているが、費用を抜かせば代替物があるように思える。そして、危険性も良く分かっていない。

原発災害発生確率は、わからない。統計調査は母集団が大きいときは有益な情報をもたらすが、福島第一原発と同程度以上の事故は、過去にチェルノブイリしかない。この時点で統計的手法で、危険性を測るのは不可能だ。工学的には、まだ今回の災害での事故調査委員会の報告は無い。

原発事故で流出する放射性物質が引き起こすかも知れない、放射性線の健康被害も同様だ。過去のデータから、概ねの危険性については分かっている部分もある。しかし、科学的に絶対のコンセンサンスがあるわけではないようだ。100ミリシーベルト以上でリスクが確認されているのと、100ミリシーベルト未満でリスクが無いのは違う問題だからだ。データが不足しているから安全基準を厳しくする。これは科学的根拠を欠く行動だが、なぜか国際機関も政府も、安全面を重視してそうしている。


7. 低レベル放射線以外の問題を認識していない

孫正義氏の反原発・再生可能エネルギー支持を揶揄しているようだが、それには放射線の問題だけを取り上げるのは適切では無い。携帯電話は電磁波だけが注意喚起されているが、原発は低レベル放射線だけが問題なわけではない。

警戒区域・避難区域が適切かは疑問があるが、15万人の人間が何ヶ月も避難しているは事実だ。携帯電話が起こした災害で、同様の現象を私は知らない。これも休業損害や慰謝料に、金額的には換算できるであろう。しかし経済学的には、お金で換算して補償すれば済むのかは、厚生基準による。そして、発生頻度がわからないので、原発の存在する事による確率的な損失も計算できない。

8. 経済学者を名乗る池田信夫の学識を疑う


経済学者を名乗る池田信夫の学識を、次の理由で疑う。つまり


(1)英語の読解能力が疑わしい、

(2)追加調査の必要性を危険性の立証と誤解する、

(3)社会調査への理解が無い、

(4)携帯電話の電波への調査が不足している、

(5)携帯電話業界の取り組みへの理解が無い、

(6)客観事実が不足していることを認識していない、

(7)低レベル放射線以外の問題を認識していない。



恐らく池田氏は、低レベル放射線の危険性を皮肉っただけで、問題のエントリーは氏の本心ではないと述べるとは思う。しかし、経済学者を名乗る以上、学識を疑われるような文章を書くのは避けるべきであろう。もちろん、これは私の「正義」にもとると言うのが理由だ。しかし、同意してくれる人は多数いると信じている。

http://www.anlyznews.com/2011/06/blog-post.html

経済学と英語だけではなく、算数でも読み書きでも何一つきちんと身に付けられなかった池田信夫には研究は勿論の事、評論でさえ絶対に無理さ。

大学受験だけなら暗記力と勘だけで、いい点取れたんだろうけど、頭を使う仕事にはちょっとね。


03. 2011年10月25日 21:16:05: MiKEdq2F3Q


                                 lこんにちは、カエルの血です!!
                                 ヽ、,,,__  ______ノ
                    _,, ィェ 、,,,,,__             ノノ
               _,, ィ ''"~壬丑圭圭圭~"''ャ 、,,_
           _,, ィ '"壬圭圭午丑圭圭圭圭圭圭圭~"''ャ 、,,_
       _,, ィ '"壬圭圭圭午圭丑圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭''ャ 、,_
    _,, ィ '壬壬壬壬壬午ヱヱヱヱエエエエヱヱヱヱヱヱヱヱヱヽ、
   イ壬方シン亠''''''""~'三(ハ,-、i! _,,-    ,,_ )ヽ≡ヽ≡ヽ≡ヽ≡ヽ~''-ヽ
  /-'''""≡/≡/≡/≡/≡_i`!、!.i! ィ_・ュ  ィ・シ三 \三\≡\三=--'''"
  `'''-==---------ー'フ''"⌒~"ヽi!     ィ、 j  i、   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            / ◆,,,,,,,,_◇入   ー=ァ ノ )
            〉' ◇  !、 ヽ、 ヽ、_____/゙/`┌──,──┐
            | `ー、,,, >テ>-、 /(人)'____,゙ |. .冰( ; . . .....:|
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           ヽ弋    / | トー-----ァ---、ン  `ー’
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            人_ ◆ノ ノ ノ l ラー''::::\ノ .ノ
          ノ 个、 ̄""~ _ノ ノ) :::ノ::::::::::ト'"
       __,, -"ノノ人 `ー____,,,,ン((:::::::/:::::::::::ノ
       `'' ンノノ ヽ;:::::::::::::::::::::::::::::::ノ;;;;;;;;;ノ
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              | `''-ァ---''"ヽ   |
             /   /     ヽ  ~ー-.,,_,、
            (    ヽ、__   〈_  _  _ノ

種を守る「利他的な遺伝子」 2007-04-27


自分のよく知らない分野(たとえば私にとっては経済学)について二者が議論しているとして、どちらの言い分が正しそうなのか判別する簡易的な手段はあるだろうか。

私がよくやるのが、自分がよく知っている分野(たとえば私にとっては医学、遺伝学、進化生物学)についての発言を調べてみるということである。もちろん、医学についてトンデモ発言する人が別の分野では正確な発言をすることもありうるので、あくまでも簡易的な手段に過ぎない。しかし、たとえば「エイズはエイズ菌によって起こる」などと自信たっぷりに断言する人が別の分野について何か発言したとしても、その発言の正確性を疑っておくほうが賢い態度だと言えるだろう。

■愛国心の進化(池田信夫 blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/27ceb08814b16655936d029d23846949


 『近代国家が成功したのは、それが戦争機械として強力だったからである。ローマ帝国や都市国家の軍事力は傭兵だったため、金銭しだいで簡単に寝返り、戦力としては当てにならなかった。それに対して、近代国家では国民を徴兵制度によって大量に動員する。これが成功するには兵士は、金銭的な動機ではなく、国のために命を捨てるという利他的な動機で戦わなければならない。逆にいうと、このような愛国心を作り出すことに成功した国家が戦争に勝ち残るのである。

 こういう利他的な行動を遺伝子レベルで説明するのが、群淘汰(正確にいうと多レベル淘汰)の理論である。通常の進化論では、淘汰圧は個体レベルのみで働くと考えるが、実際には群レベルでも働く。動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る「利他的な遺伝子」によるものと考えられる。ただし、こういう遺伝子は、個体レベルでは利己的な遺伝子に勝てないので、それが機能するのは、対外的な競争が激しく、群内の個体の相互依存関係が強い場合である。内輪もめを続けていると、群全体が滅亡してしまうからだ。利他的行動は戦争と共進化するのである。』

まずは分かりやすいところから。

「動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る『利他的な遺伝子』によるものと考えられる」。

えっと、全然違います。この文章だけで、池田信夫氏が現在の進化生物学を理解していないことがよくわかる。

母親が自分を犠牲にして子を守る行動は、利己的な遺伝子によるものと考えられる。もちろん、命を捨てて子供を守る行動は利他的な行動だ。個体としては自分の生存率を下げる一方で、他の個体(子)の生存率を上げようとしているのだから。そういう利他的な行動は利己的な遺伝子によって説明できるってことを「利己的な遺伝子」でドーキンスは主張した。

そもそも「個体を犠牲にして種を守る」って何?

いまどき種淘汰か。母親は自分と遺伝子を共有する個体を守っているのであって、種や個体群を守ろうとしているのではない。少なくとも通常の進化生物学ではそのように考える。

限定された条件下では群淘汰が起こりうるという話はあるが、かような豪快な誤りを犯す人がそういう微妙な話を理解できるとは思えない。

少なくとも母親が子を守る行動は普通に利己的な遺伝子で説明できる(というか、利己的な遺伝子の説明として典型的な)話だ。種を守る『利他的な遺伝子』なんぞを持ち出す進化生物学者はいない。


愛国心についても、いったいなんでまた遺伝子レベルで説明をつけたがるのか理解できない。こうした傾向は池田氏だけに見られるわけでもないところを見ると何か理由があるのだろうか。

(参考:■愛国心の遺伝子)
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20060620#p1

よしんば愛国心を遺伝子レベルで説明するとして、群淘汰(多レベル淘汰)などよりも、集団が比較的小さくメンバーが血縁関係にあったころに進化した、集団に対する帰属意識のためとでもするほうがありそうだ。群淘汰が働くにはフリーライダーが利益を得られないような、(私の理解では)かなり厳しい条件が必要であるからだ。いずれにせよ、利己的な遺伝子からして理解がおぼつかないのに、群淘汰による愛国心を説明するのは心もとない。進化生物学の分野でこんなふうだと、他の分野は大丈夫なのか心配になる。池田流「進化生物学」で変なこと言っているように、別の分野についても変なことを言っているのかもしれない。


そのほか気になったところ。

■人類史のなかの定住革命のコメント欄
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9a22e07bde1127f6904940b6b7a7dbc8


『利他的な行動が遺伝的なものか文化的なものかについては、古くから論争がありますが、たぶん両方というのが妥当な答でしょう。ただ、どっちの比重が大きいかについては、諸説あります。

ほとんどが遺伝によるものだと考えるのが、E.O.ウィルソンに代表される「社会生物学」の立場です。コンラート・ローレンツなどの動物行動学も、攻撃性を抑制することが種の存続にとって重要であることを示しています。本書の著者も、ピグミー・チンパンジーなど類人猿に「公平な分配」が広く見られることを示しています。』

最初の段落は何ら問題はない。問題は次の


「ほとんどが遺伝によるものだと考えるのが、E.O.ウィルソンに代表される『社会生物学』の立場です」。


って、えー、そーなのー?

社会生物学者が遺伝的な影響を大目に見積もりがちってことはもしかしたらあるかもしれないが、

「利他的な行動はほとんどが遺伝によるものだと考える」

ってのは別に社会生物学の立場ではないだろ。

「多くの病気は環境要因と遺伝要因とが組み合わさって起こりますが、ほとんどが遺伝要因によるものだと考えるのが『遺伝学』の立場です」

ってのと同じくらい阿呆な発言だぞ。


__________


生物屋 2007/04/29 02:53
医師ではない生物研究者です。お医者様が生物学を語ると、「??」なことも多いです。ご専門の医学分野に話題を限られたほうがよろしいかと思います。お医者様は、医学の専門家であって、生物学の専門家ではないと思うのです。

akira 2007/04/29 09:01
池田信夫氏はNHK出身の経済学者。内容も、生物学の内容を国際政治の説明のための比喩に使っているだけなので、語彙の正確な使用にこだわるのは無意味かも。

「近代国家が成功したのは、それが戦争機械として強力だから」というのは、よく聞く話。これも傭兵はその対比として説明に出しているだけだし。こういう説明のための引用を、証明のための引用のように解釈して語彙の正確な使用を求めるのは厳しすぎるような気がする。

池田氏のいう、

http://www.amazon.co.jp/dp/0674930479/

これは面白い本なの? 生物学の主流派ですか?


NATROM 2007/04/29 10:07
>お医者様が生物学を語ると、「??」なことも多いです。ご専門の医学分野に話題を限られたほうがよろしいかと思います。

生物屋さん、ご意見ありがとうございます。「??」なことが多いのであれば、いったいどこがそうなのかをご指摘くだされば幸いです。


>内容も、生物学の内容を国際政治の説明のための比喩に使っているだけなので、語彙の正確な使用にこだわるのは無意味かも

不正確を承知で比喩に使っているとしても、「種を守る『利他的な遺伝子』」はあんまりでしょうに。それこそ「エイズ菌」レベルでしょう。それに、池田氏自身は自分のほうが正確だと思っているらしいですよ。Unto Others: The Evolution and Psychology of Unselfish Behaviorは、主流派かどうかはともかく、読む価値のある本であろうと思います。

問題は、「 」とか書いちゃう人がこの本の内容を理解できるとは思えないってことで。

地下に眠るM 2007/04/29 11:49
池田が「反論」したって?(げらげら

尻尾まいて逃げた、が正確なところだろ?

トラックバックも消してるわけだしにゃ。

多レベル淘汰を、特定条件のもとには成り立ちえるとする立場と、安易に人類に適用しちゃうのと、どっちが生物学をわかってるんだろね? 

専門外のことで間違えるのはしかたのにゃーことだとして、尻尾をまいて逃げ出しながら口だけでは強がるということで、池田の底が知れたにゃ。


& 2007/04/29 12:38
僕の場合は、「動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、、、、。」と云う記述があるだけで、
動物の母親が命を捨ててまで子供を守るという事は無いので、その本は読む気がしなくなります。


NATROM 2007/04/29 14:24
結果的に動物の母親が命を捨てて子を守る行動はありえるので、そこまで言うのもあれですが。

それにしても気になるのが池田先生のブログのコメントでマンセー発言しているのは、あれはマジなんでしょうかねえ?

kmori58 2007/04/29 14:37
池田信夫氏は経済学部卒ですが経済学者ではありません。分類学的には、立花隆氏と同じカテゴリーに属すると思われます。

ゆんゆん探偵 2007/04/29 15:20
「生物屋」さんの理屈だと、池田氏が自分の議論に生物学の話を援用するのも失当となってしまう気がします。なにしろ「池田氏は生物学の専門家ではない」のですから。「生物屋」さんが池田氏とNATROM氏を等しく批判するのであるならば、立場としては整合性は取れていますが、それは「生物屋以外は進化論について語ってくれちゃ困る」という物言いであって、あまりと言えばあんまりです。

地下に眠るM 2007/04/29 16:31

生物屋ってのもウソだろ?
具体的な指摘のできにゃー専門家なんているの?
まあ、世の中広いから、無能なカスも混じってるかもしれにゃーが。
口ではなんとでも名乗れるのがネット。具体的指摘ができにゃー自称専門家しか頼るもののにゃー池田のあわれなこと。

生物屋さんへ
>お医者様が生物学を語ると、「??」なことも多いです。
これには同意しますが、NATROMさんの発言のどこが「??」なことなのか明示しなければ、あなたのほうが「??」な人だと思われてもしかたありません。

meme 2007/04/30 02:39

行動が利己的か利他的かは視点によってまったくかわるので
『利己的な遺伝子』とか『利他的な遺伝子』とか細かい例えにつっこんでもしかたないと思います。
利己的とか利他的というのはけっきょく価値判断の問題で、やりたいことをやってればどんな行動でも利己的であるともいえます。『利他的な遺伝子』という表現を本気で書いたのかパロディとして書いたのかは知りませんし、パロディにしてもうまいとも思えないですが、いちいち本気でつっこむような箇所じゃないんではないですか?

そもそもドーキンズの本の有名な表現は確かにわかりやすいのですが扇情的で誤解も多数まねいてるように感じます。

NATROM 2007/04/30 09:22
memeさんへ。ええと、少なくとも進化生物学の文脈では、

「行動が利己的か利他的かは視点によってまったくかわる」

「利己的とか利他的というのはけっきょく価値判断の問題」

ということはない、と私は理解しています。つっこんだのは些細な言葉遣いそのものではなく、その背景にある池田氏の進化生物学理解です。

「エイズ菌」などという言葉遣いをする人はウイルス学について理解していないことが予測されるように、「種を守る利他的な遺伝子」などという言葉遣いをする人は進化生物学について理解していないことが予測できます。

実際に、池田氏が進化生物学の基本的な部分すら理解していないことが、このやり取りで明らかになったわけで。

可能性としては、池田氏が「確かに『種を守る』という表現は間違いであった。だがしかし本当に言いたかったことは…」と表現のまずさを認める展開になっていれば、有意義な議論になっていたでしょうし、些細な言葉遣いを指摘したNATROMが恥をかいたことになっていたかもしれません。

ドーキンスの表現が誤解を招いているというのは事実だろうと思います。たとえば「やりたいことをやってればどんな行動でも利己的であるともいえます」などのように。

meme 2007/05/03 00:23
誤解されたかも知れませんが私は基本的にNATROMさんの意見を支持したわけですよ。

その上でいいますが、「利己的」「利他的」という表現は遺伝子個々の競争においては意味をなすかも知れませんが、遺伝子の集合である個体とか種とかいうレベルにおいてはもはや比喩としてくらいしか役に立たないと思う訳です。ヒト個人においてどの行動が利己的で利他的であると正確に分類できますか?ドーインスのいう「利己的な遺伝子」と「利己的な個人」では「利己的」の意味がもはや違うわけです。そういった考えがあるもので、前回のコメントのように、やぼなつっこみしても仕方ないんじゃないかといったわけです。

カクレクマノミ 2007/05/03 00:39
動物行動学・進化生物学では、「利他的」「利己的」という語は明確に定義されています。遺伝子にしろ個体にしろ、自身の生存と増殖を促進するような性質が利己的で、自身の生存と増殖を犠牲にして他者の生存と増殖を促進するような性質が利他的です。

ドーキンスが使っている例でいうと、虫歯のライオンがいて、虫歯のせいで餌を少ししか食べず、その結果他の個体がたくさん餌を食べたとします。そうしたら、そのライオンは利他行動をしたことになります。

もちろん、この定義は日常会話における「利己的」「利他的」の意味とは違います。ですが、進化生物学の話をする以上は、進化生物学において定義されている意味で言葉を使うべきです。そうしなければ、批判されてもしかたないでしょう。


NATROM 2007/05/03 10:33
カクレクマノミさんが既に指摘していますが、個体のレベルにおいても、進化生物学的には「利己的」「利他的」という用語の定義は明確です。少なくとも「遺伝子個々の競争においては意味をなす」というぐらいには。

進化生物学の話をしているときに、「やりたいことをやってればどんな行動でも利己的である」というのはあまりにも杜撰じゃないですか?

ドーキンスはわざわざ

「利他主義と利己主義の前述の定義が行動上のものであって、主観的なものではない」

と書きました。自主的に(やりたくてやって)自らの生存を危険にさらして他の個体を助けるのは利他的な行動です。


駒田少佐 2008/12/23 13:32
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4c8f645c8574ff240554987179d1140f
池田大先生が再び群淘汰について述べていらっしゃいます。


匿名希望 2009/09/19 09:31
>「ほとんどが遺伝によるものだと考えるのが、E.O.ウィルソンに代表される『社会生物学』の立場です」。って、えー、そーなのー?
・・・第二法則ですね

”池田信夫氏の第2法則:池田信夫氏がもっともらしく引用する高名な学者の著書は、確かに存在するが、その中には池田氏の議論を根拠づけるような記述は存在しない蓋然性が高い。”

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html


http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070427


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      | l、__/   ゙、__/   l     あなた方は幸運ですね
      |       rニヽ,       |    何故かって?
     |     lニニニl      /     変態池田信夫を見れたからです
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         `ーァ---──'''"ヽ,        ハッピー
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池田信夫氏からの反論 2007-04-29


池田信夫氏からの反論が。同じパターンのナンセンスな話が繰り返されることになりそうな予感。

■利他的な遺伝子(池田信夫 blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5b3a2daecd4aa5db9cca0069d85c4b80


『これだけ読んでも、彼が自称する「生物学の専門家」ではなく、アマチュアにすぎないことは一目瞭然だ。まず彼は、遺伝子を共有する個体を守る行動を説明したのが「ドーキンスの利己的な遺伝子」だと思い込んでいるようだが、これはドーキンスの理論ではなく、ハミルトンの非常に有名な論文(1964)によって確立された血縁淘汰の理論である。ドーキンス(1976)は、その理論を「利己的な遺伝子」という不正確なキャッチフレーズで普及させただけだ。』

ドーキンスが個体レベルの利他行動を遺伝子レベルの利己性によって説明したのは事実だろう。もちろん、血縁淘汰の理論を確立したのはハミルトンである。ドーキンスはハミルトンの理論を援用して「利己的な遺伝子」を書いたに過ぎない。「利己的な遺伝子」にもハミルトンの名前はたくさん出てくる。そんなことはとっくに存じ上げている。後出しで負け惜しみを言っていると疑うのなら、私の日記をハミルトンで検索してみればよろしい。

「利己的」「利他的」という用語が不正確だとして、その「利己的」「利他的」という言葉を持ち出したのは池田信夫氏。

ドーキンスのキャッチフレーズを持ち出して「種を守る『利他的な遺伝子』」などというトンチンカンな説明がなされていたので、ドーキンスはそんなこと言っていないでしょうと指摘したのだ。それが、池田氏の脳内ではなぜか

「NATROMは血縁淘汰がハミルトンの理論であることも知らないらしい」

ということに変換されたようだ。

『「いまどき種淘汰か」って何のことかね。「種淘汰」なんて概念はないのだが。彼のいおうとしているのは、群淘汰(あるいは集団選択)のことだろう。』

「種淘汰」なんて概念はないのですかそうですか。池田氏にとったら、天動説なんて概念もないのであろう。

「概念がない」「概念が否定された」を区別しよう。

まあ、概念がないでもいいし、否定されたでもいいけれども、とにかく、「種淘汰」と「群淘汰(あるいは集団選択)」とが異なるものであるというのはいいよね?

後者については、池田氏が紹介している(たぶん理解はできていない)Sober-Wilsonで扱われている。

で、池田氏はどのように書いたか。


『動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る「利他的な遺伝子」によるものと考えられる。』

Sober-Wilsonの本をちゃんと理解している人は、絶対に種を守るなんて書かないと思うぞ。

種淘汰なんて概念はなくても、「個体を犠牲にして種を守る」なんて概念はあるのかね。まさしく、「エイズ菌」レベルの間違い。「エイズは細菌によるものだ」と書いてあるのを馬鹿にして「エイズ菌かよ」と指摘したら「エイズ菌なんて概念はない」などと反論された気分。

『E.O.ウィルソンによれば、遺伝子を共有する親族の利益をBk、集団全体の利益をBe、血縁度(relatedness)をr、利他的行動のコストをCとすると、

rBk + Be > C

となるとき、利他的行動が起こる。ここでBe=0とおくと、ハミルトンの理論になる。つまり多レベル淘汰理論は、血縁淘汰理論の一般化なのだ。』

それでWilsonとSoberは、動物の母親が命を捨てて子供を守る行動を、個体を犠牲にして種を守る「利他的な遺伝子」によるもの、なんて言ったのかな?

池田信夫に問う。いったいなんでまた、「集団を守る」でもなく「個体群を守る」でもなく、「種を守る」なんて書いたのか?

池田氏こそが、古典的な群淘汰と、現在議論になっている「多レベル淘汰理論」との違いを理解していない証拠に思えるのだが。


追記:2007/4/29


池田信夫先生は、いったいなんでまた、

「集団を守る」でもなく「個体群を守る」でもなく、「種を守る」なんて書いたのか?

という質問に答えられず、遁走のようである。予感は当たりつつある。池田氏によるコメントより引用。

『彼の話がお笑いなのは、「『種淘汰』なんて古い。ドーキンスが正しい」というアマチュアらしい夜郎自大の主張をしていることです。実際は逆で、この知識そのものが古いということを実験の例まであげて説明したのに、これについては何も反論できないで、最初の記事と同じ話を繰り返すだけ。Sober-Wilsonを読んだかのごとく書いている(読んだとは書いてない)が、本当に読んだのなら、ちゃんと反論してみろよ。』

「『種淘汰』と『群淘汰(あるいは集団選択)』とは異なるだろ。
群淘汰はあってもいいかもしれんが、それにしても『種を守る』ってどういうことよ?

いくらなんでも酷くねえか?」


とちゃんと反論していますがな。反論できないのは池田氏のほうである。

Sober-Wilsonの本に書かれているような多レベル淘汰は新しいが、種淘汰なんて古いのは当然のこと。

多レベル淘汰を理解するにはまず、その基礎となるハミルトンの理論を理解しておく必要があるのだが、「種を守る『利他的な遺伝子』」なんて書いちゃう人が理解しているとは思えないというのが元々のエントリーの主旨。

Sober-Wilsonを読んだのなら、ちゃんと『(個体群や集団ではなく)種を守る』ような行動や遺伝子があるのか示してみてはどうか。できないから逃げるしかないのをわかってて言っているけど。


「ドーキンスの言説がすべて正しいとする立脚点そのものの脆弱さ」

などどブクマコメントしていた人もいたけど、ここではドーキンスがすべて正しいなどと主張している人はいないのだ。ハミルトンやドーキンスが否定した群淘汰とは異なる、もっと微妙な形での新しい群淘汰理論があるのは承知の上。でもね、そういう新しい群淘汰は、かつて否定された群淘汰とは異なるものだ。だから、群淘汰ではなく、集団淘汰とか、多レベル淘汰とか名称を変える努力をしている。

そういう努力を、本を一冊か二冊読んでわかった気になったどっかのアマチュアが「種を守る『利他的な遺伝子』」などと書いて台無しにしたのを笑っているの。


医師である私が生物学を語ると、『??』なことも多いかもしれない。ただ、『??』なことも多いなどと言いつつ具体的な指摘がなければ、私が間違っているのか、それとも

「ケチをつけたいけど能力的に無理なので、専門家を自称してNATROMの発言の信頼性を貶めよう」

という意図があるだけなのか区別できないので、適宜指摘してくださるとありがたい。どっかのブログのように、都合の悪いコメントを検閲して載せなかったり、自分の間違いが明らかになってしまうトラックバックを削除したりはしません。


追記:2007/10/18


「池田先生が勘違したか、NATROMの主張をすりかえたのかではないか、説明を求む」という大学生さんのコメント*2に対し、池田先生が長い時間をおいて返事をされた(返事になっていないのであるが)。

『このNATROMなる人物は、群淘汰という言葉を知ったかぶりで使っているだけで、理解していません。
「集団選択と群淘汰」などと書いているのが、その証拠です。これは両方ともgroup selectionの訳です。』*3
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5b3a2daecd4aa5db9cca0069d85c4b80

私は「集団選択と群淘汰」などとは書いていないので、池田氏が私の主張をすりかえたのかと思ったが、おそらくは私の、


「でもね、そういう新しい群淘汰は、かつて否定された群淘汰とは異なるものだ。だから、群淘汰ではなく、集団淘汰とか、多レベル淘汰とか名称を変える努力をしている。そういう努力を、本を一冊か二冊読んでわかった気になったどっかのアマチュアが「種を守る『利他的な遺伝子』」などと書いて台無しにしたのを笑っているの。」

という主張を受けてのことだと思われる(それ以外には思い当たる発言はない)。さて、三中信宏(三中が専門家だということには池田氏も納得してくれるであろう)による書評に、

『辻さん[今年の生態学会・宮地賞の受賞者の一人である辻和希(富山大・理)]が授賞講演の中で注意深く「群淘汰」という言葉を回避したことからも想像されるように(代わりに「集団淘汰」という言葉を耳にした)、群淘汰的説明の妥当性をめぐっては、現在もなお進化生物学の論議の火種を提供しています。』*4
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/UntoOthers.html

とある([ ]内、強調は引用者による)。三中(あるいは辻和希)にも、池田氏は「群淘汰という言葉を知ったかぶりで使っているだけで、理解していません」と言うのであろうか。もちろん私はアマチュアだから、いくら池田氏よりかは進化生物学について詳しいとは言え、専門外のことを書くのは慎重になる。なので、上記引用した三中の書評を読んで「集団淘汰とか、多レベル淘汰とか名称を変える努力をしている」と書いた(ように記憶している)。


_______

ああ 2007/04/29 11:42
トンデモの相手乙


Evreux 2007/04/29 12:21
池田さんはある種の能力や知識という点でかなり優れた方で、情報源として有益です。しかし知的な誠実さ?が欠けていることがこれまでの活動で明らかになっています。長く議論されず適当に切り上げることをお勧めします。


地下に眠るM 2007/04/29 12:39
>知的な誠実さ?が欠けていることがこれまでの活動で明らかになっています
それはオイシイね。

なとろむ のトンデモセンサーにはいつも敬服し、ただのりさせていただいていますにゃ。
でもにゃー、池田センセイのブログ、コメントをつけようとしても本人の承認ナシでは反映されにゃーみたい。いい加減なことを書いては突っ込まれることに慣れていらっしゃるご様子ですにゃ。

koneko04 2007/04/29 12:58
池田さんという方のブログは時々読むのですが、ご専門らしき経済学を離れた分野での見解というか意見などについては、理解していない対象に対して、なぜ断定的な言い方で批判するのでしょうね。

アタシが多少は詳しい分野で、上に書いたようなことがありました。何がおかしいのか説明してTBしようかなと考えたのですが、行動には移すことなく、今日に至ります。
かなりご自分に対して自信があるようなので、ご自分の勘違いや間違いなどを指摘されたら、逆上しそうな感じがするので、あまり関わらない方が良さそうだなと躊躇していることもあるのですが。。。


アンチ池田 2007/04/29 15:15
社会・人文科学のエリート連中の多くは相手を言い負かすことが全てだと思っているから、自然科学流の知的誠実さなんて求めても無駄です。やつらは権威に弱いから生物学の専門家がたくさんあつまってあんた間違ってるよって書けば意外に簡単に屈服すると思います。

ゆんゆん探偵 2007/04/29 15:32

メモ:群淘汰を語るのに「種」という言葉を持ち出してしまうのがとてつもないミステイクだと気づいていない(そこが重要な論点だと把握していない)こと自体が、進化のメカニズムの重要な部分を「きちんと」理解していない証拠。

「一知半解」という言葉がありますが、自分の専門でない分野の知識にこういう基礎的な無知を露呈してしまう人を見ると、私はその人自身の専門分野への理解も怪しく思ってしまうんですよね。

ひとつの分野を深く収め、その深さに感じ入ったことのある人は、他の分野の「深さ」に対して敬謙になるものだと思うんです。その敬謙さが見えないのはそもそも自身の専門をすら深く収められていないのではないか、と思っちゃうんですね。

池田氏の名前は私の中では「普通に信頼する論客」のカテゴリにあったんですが、今回のことでちょっとランク下げるかも……。


やまき 2007/04/29 15:49
私なんかはむしろ、池田信夫氏が言ってることだというだけで疑う習慣がありますけどね。社会的問題についてジャーナリスティックに鼻がきく人ではありますが、科学や技術に関する理解力は絶無です。学生時代に講演を聞いたことがありますが、あまりのでたらめっぷりに呆れて途中で出てきてしまいました。

akihiro-matsui 2007/04/29 16:06
ここまで読めば、大体わかります。誤った点を指摘し終わったのだから、この辺で終わりにすればどうでしょか。


shinpei02 2007/04/29 16:12
>アンチ池田さん

自然科学の人も人を言い負かすと価値だと思ってる人はいますよね。血液製剤の人とか冥王星の人とか。

ただし人文科学に比べて実物の証拠が突きつけられることが多いから淘汰圧がかかって繁殖しにくいのは確かだけど。

池田氏のブログでコメント掲載してもらえました!(■人類史のなかの定住革命)
彼の新古典派&ゲーム理論大嫌い性癖をこっそりと揶揄したのですが、読解してもらえなかったみたいです。


地下に眠るM 2007/04/29 16:22
>akihiro-matsui
そのセリフ、池田ダイセンセイにいったら?
ちなみに、池田ダイセンセイのブログに僕がつけたコメントは掲載されず。
自分に都合のワリイコメントは一切掲載しにゃーという、立派な方針みたいね
池田ダイセンセイのしていることは、言論ではなく「公開オナニー」
都合のワリイ言論はすべて抹殺。最低のカス。


地下に眠るM 2007/04/29 16:25
ついでね
>アンチ池田
論者がカスかどうかは文系理系は関係にゃーだろ?

ただし、池田はカス。都合のワリイ指摘からションベンちびってにげまわる哀れなチンカス。


良かったじゃないか 2007/04/29 19:39
顔を真っ赤にして反論した結果、アンチ池田からの援護射撃のコメント多数。これで安心して眠れるね。

うわー 2007/04/29 20:52
>良かったじゃないか
うわー、池田顔真っ赤!


hamster 2007/04/29 21:33
(池田氏のブログにもコメントしたけど、反映するかどうかわからないので)

●どっちが専門家でアマチュアか●

議論については、どうせ瑣末なことでしょうからどうでもいいとして、ちょっと気になったのは、どっちが専門家でどっちがアマチュアかという表現です。

notrom氏はいちおう内科医ですから、生物学には専門家と言っていいと思います。池田氏はいちおう経済学の教師のようですから、生物学にはアマチュアということになります。

地下に眠るM 2007/04/29 21:51

ご報告
本日の12;47に以下の投稿を池田センセイのブログにしたけど、反映されず
*******************
多レベル淘汰を人類集団に適用してよい、とHamilton なりSober-Wilsonなりがいってるんですかあ?
センセイの頼みの綱の「自称」生物学者は、具体的な反論がまったくできてないんですけど? 
*******************

さあ、みんなも、センセイのブログに投稿して反映されなかったコメントをこちらにあげよう!!

池田センセイは、都合のワリイ意見は全て抹殺のファシストだということ。

惨めな惨めな屑。

もしかして、センセイのブログのコメントって、センセイの自作自演なんでないの? 

都合のワリイコメントを掲載しにゃーとなると、そういわれても有効な反論はにゃーよな。言論人としては自殺。虫けら。カス。(げらげらげら


NATROM 2007/04/29 21:56
内科医だから生物学の専門家であるとはさすがに言えないなあ。むしろ、NATROMのIDで進化論について発言してきたことはネット上に残っているのでそちらを見て欲しいです。要点は、専門家でなくとも、「種を守る『利他的な遺伝子』」というのはいくなんでも酷いのが分かるってことです。

NATROM 2007/04/29 22:02
えー、池田先生はファシストなんかじゃないですよ。私の、「NATROM氏による非建設的な議論の例」というコメントはちゃんと載っています。議論相手の主張はそれぞれ、

「血液型を保育に利用しても差別とは言えない」
「タバコを吸うと肺ガンになるという説は怪しい」
「アニメ美少女の声の質感が神の存在証明になる」

だったんですけどね。これらのリストに、池田先生の

「動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る利他的な遺伝子によるもの」

が加わりました。

yas 2007/04/29 22:26
NATROMさん。確かに「種を守る『利他的な遺伝子』」はご指摘のように池田さんの間違いだよ。

しかし、このやり取りを見ててNATROMさんのコミュニケーション力に疑問を持った事もあるよ。たとえ誰であってもいきなり「とんでも」とレッテルを張られて批判されると、まともな論争なんて出来なくなるのは当然だよ。もちろん勘違いもあるだろうし、負を滑らせただけかもしれない。少なくともあなたがあなたの主張をちゃんと理解してもらおうと思えば、オブラートに包んだ言葉の使い方をしておくべきだっただろう。といえますね。相手にとってみれば「とんでも」と言う言葉に罵倒を感じれば当然「アマチュア」という罵倒もかえってくる事は予測出来る事です。

僕がNATROMさんに厳し目に言うとしたら、あなたは患者相手の商売をしているわけでしょ?ということだ。ブログレベルの論争で相手の心を理解した上で言葉をちゃんと伝えられないで、患者の不安をちゃんととれる様な医者になれるんだろうか?と言う事ですね。

「とんでも」『アマチュア』の罵倒合戦を見て思うのはお前達(NATROMさん/池田さん)良い年して子供っぽい事するなよ。言葉は違えどやってる事は子供っぽいと思ったって事さ。情けない連中だと思ったくらいだ。


やまき 2007/04/29 22:38
>yasさん

池田氏の過去の言動を知っていれば、そういう配慮をすべき相手とはとても思えないはずですがね。今までもトンデモ発言を繰り返しているわけで、そう言われることには慣れている(いまさら動転などしない)はずですし、自分の無知にもとづいて他人をけなす言動をさんざんしてきた人なんですけども。むしろその忠告は池田氏のほうにしてさしあげたらいかがでしょうか。


地下に眠るM 2007/04/29 22:41
>yasくん

池田が言論で飯を食っているということをチミはどう評価するんだ?
ま、池田に対する「厳しめ」のコメントが池田のブログで反映されることはにゃーわけだが(げらげらげらげら
このネタで中立を装うとするのってむなしくない? 恥をしっていればできにゃーと思うけど

>なとろむ
僕の投稿内容は修正するにゃ。池田センセイは、自分のブログにつけられたコメントが誰に利するかをきっちりとは判断できない無能なファシスト、としておく

NATROM 2007/04/29 23:06
>少なくともあなたがあなたの主張をちゃんと理解してもらおうと思えば、オブラートに包んだ言葉の使い方をしておくべきだっただろう

子供っぽいとか情けない連中とか言われて冷静になれません。yasさんのコミュニケーション能力に疑問を持ちました。相手の心を理解した上で、オブラートに包んだ言葉の使い方をしてください。

とか冗談は抜きにしてマジレスすると、池田先生は私の患者じゃないもの。私の外来に受診されたのであれば、エイズ菌などとアホな言おうとプロとして対処します。でも、ここは診察室ではありません。レッテル貼りをしたのはむしろ池田先生のほうでしょう。少なくとも私は、どこがトンデモであるのかを明確にしていますし、批判に対して開かれています。ついでに言うならば、私のエントリーの想定読者は池田先生ではありません。そもそもの想定読者に対しては言葉はきちんと届いているようです。

それから、進化生物学と経済学のESSを介した関係は、専門的にではないですが、もちろん知っています。だからこそ、池田先生のような進化生物学を(もしかして経済学も?)理解していないような人が知ったかぶりで語って欲しくないのです。池田先生自身が、「手を滑らせた」程度の記述だったのではない、自分は正しいのだ、って言っていますが、それについてはどうお考えですか?オブラートに包んだ言葉の使い方をしようが、相手の心を理解した上で言葉をちゃんと伝えようが、池田先生は理解できないと思いますよ。


地下に眠るM 2007/04/29 23:22

ひきつづきご報告
以下の投稿を本日21:50ごろにしたけど、もちろん反映されず。

***********************
>相手にされないと、自分のブログで遠吠えを始める

君は虫けらかね?

このブログは君に都合の悪い意見は掲載されないのだろう?
都合の悪い意見を抹殺しておいて、自分のブログで吠える、などとよくいえるものだ。

言論で飯を食う者として、自らを虫けらと認定されても一言も言い訳できないようなまねをしている。

**********************

あまりに屑っぷりにちょっと楽しくなってきたにゃ。
もちろん、さきほども池田センセイブログには投稿しましたにゃ。
反映されなかったらこちらでご紹介。

やまき 2007/04/30 00:06
池田氏のblogを覗いてきました。「ウェブ・ストーカー」ですってw
それと yas さん、仮にも言論で飯くってるプロ(のはず)のひとに、「トンデモっていわれて逆上しただけですよね。それで間違い認められないんですよね」(意訳)ってのは失礼すぎませんか?

shinpei02 2007/04/30 00:16
[経済学一般]科学的思考
というタイトルでここと池田氏のブログにトラックバックを出しました。
向こうのは削除されちゃうかもしれません。


地下に眠るM 2007/04/30 00:47
例によってご報告
以下の投稿を4/29 23;19にしたけど、もちろん反映されず
********************
>少なくとも「種淘汰」のように世の中に存在しない概念ではありません。

あったんだよ。否定されただけ。チミはド素人で生物学の啓蒙書もまともに読んでないことが明らかだから知らないのはわかるけど、種淘汰って昔はフツーにいわれてたよ。ローレンツを読んだなら知っているはずだけどね。
それにしても、そのあたりは なとろむ のブログでも書かれていることなんだよ。

なとろむのブログを読んでるの? 字が読めないの?


>彼の「母親は個体群を守ろうとしているのではない」という主張こそ、現在の生物学ではトンデモなのです。

多レベル淘汰がどういう条件で成立するかわかったうえでそんなことをいってるの?

ああ、もちろん、この発言は保存済み。チミが自分に都合のワリイ意見を反映しないなら、なとろむ のブログにあげるだけさ。

恥知らずは扱い慣れてるんでね。
***************************

池田は腐ったサンドバッグだにゃ。
こういうカスが呼吸をして酸素を消費していることは赦しがたいね。
無論、さきほどもコメントをした。ここで報告することになるだろうけど。


shinpei02 2007/04/30 08:54
池田氏からトラックバックの掲載を拒否されました。


yas 2007/04/30 15:54
あまり本音は言いたく無かったんですが、こちらではクソッかすに書きましたよ。

それは余り書かない方が良かった事だと言う事はわかってるけど、あえて厳し目に書いた。たしか、池田さんは患者ではないよ。そこに見られる姿勢にちょっと問題があると判断しただけだよ。池田さんには罵倒癖はあるのは知ってるし、たびたび、子供じみた論争をしていますよ。やはり普段からの姿勢は大切にしてもらいたい。

たしかに、言論で食ってる人に書く言葉としては適切ではなかったかもしれませんね。それにしても、日本のブログ界にまともな議論が出来る連中がいない事が悲しいと思ってるよ。出来る論者探してるんだが。

地下に眠るM 2007/04/30 18:09
>yasくん
君はここを最初からちゃんと読んでいるかい?
僕が最初からカスだのなんだのというコメントを池田センセイにつけたかどうか、字を読めればわかるはずにゃんが。

一応いっておくと、池田センセイに承認されなかったコメントはここで紹介したものだけではにゃーんだ。

まさか、恥知らずにも言論統制をしているとは思っていなかったので、コピーをとっておらず、正確な内容を紹介できにゃーからここでは書かなかっただけ。

ちなみに、最初に池田センセイに無視された投稿内容というのは

「多レベル淘汰は限定的に成立すると なとろむ は書いてあるはず。多レベル淘汰を人類集団に適用できるとする根拠はあるのか?」

という内容だったのだにゃ。

で、都合のワリイ指摘を反映しにゃーのはカスだからカスといっただけ。


>日本のブログ界にまともな議論が出来る連中がいない事が悲しいと思ってるよ。出来る論者探してるんだが

チミに字が読めるようにならにゃー限りは探すことはできにゃーだろ?

wood 2007/04/30 23:00
いつもROMしてます。今回の議論がずれてきているのは残念です。
ところで池田氏は「種淘汰」という単語は使用しておらず、その部分、お互いが語句の使い方に拘泥するのは議論としておもしろくありません。
池田氏の反論(というか挑発)に応えていただければ「遺伝子」とやらの理解が深まるのですが。(すいません勝手な言い分ですね、削除願います:NATROM氏には伝えたかったもので)


NATROM 2007/04/30 23:59
池田氏の反論が具体的にどういうものかよくわかりませんが(あれは反論ではなく、単なる負け犬の遠吠えでしょう?)、具体的に引用なりwoodさん自身の言葉なりで質問していただければお答えできると思います。

池田氏は「種淘汰」という言葉は使っていませんが、「種を守る利他的な遺伝子」とは言いました。yasさんは「手を滑らせた」程度のことかもしれないという好意的な見方をしましたが、実際のところ、池田氏は「種淘汰は世の中に存在しない概念」と言っています。でも、種淘汰という概念はあるんですね。”species selection”もしくは”種淘汰”という言葉で検索してみればわかると思います。単に、池田氏が知らなかっただけ。

それを踏まえて、群淘汰という概念について、不正確を承知で大雑把に説明すると、既に否定された古い群淘汰理論と、新しくて現在議論の対象になっている群淘汰とがあるのです。古い群淘汰理論とは、たとえば「○○という行動は種を保存するためにあるのです」といったものです。こうした古い群淘汰理論が間違っていることを示すためにドーキンスは「利己的な遺伝子」というキャッチフレーズで本を書いたのです。

それとは別に、SoberとWilsonが提示したような新しい群淘汰理論があり、多分池田先生はこちらのほうしか知らない。でも、こちらの群淘汰は、「種のための」という概念は含んでいません。古い群淘汰と区別するために、わざわざ「多レベル淘汰理論」と呼んでいるのです。だから、「種を守る利他的な遺伝子」という言い方はありえません。そういう言い方をする人は、古い群淘汰理論と新しい群淘汰理論を区別できていないと疑われて当然だし、実際に池田先生は区別できていませんでした。用語の些細な使い方の問題じゃないんです。理論の成り立ちを理解しているかどうかの根本的な問題なのです。

私の説明が疑わしいとお思いなら、「『種淘汰は世の中に存在しない概念』と池田先生は仰っていますが、ネット上や進化生物学を扱う本や論文中に『種淘汰』という言葉が出てくるのはなぜですか?」と池田先生に尋ねてごらんなさい。無視されるか、罵倒されてまともに質問に答えてもらえないかのどちらかですから。

pt 2007/05/01 00:34
私はこの話題について素人ですので「『種を』守る利他的な遺伝子」というのがどれくらいありえない発言なのか判断しかねるのですが、『種淘汰』と『群淘汰(あるいは集団選択)』とは全く異なるのですか?群の一部に種という群(集合?)もあるので池田さんのblogの「多レベル淘汰理論は、血縁淘汰理論の一般化なのだ」というのに、まぁそういうものかと思っていたのですけど。

yas 2007/05/01 01:06
あ、NATROMさんの質問に答えてなかったね。念を押して考えのおかしな部分を明確にする方にしてた。最初からとんでも認定しちゃうと、学者としてのプライドは高そうな方ですからそれは話し合いにはならなくなりますよ。だから意図的であるという事を確認してからじゃないと、踏み込んだ事は後にしたかったかな。段階を踏んでやらないといけないところがある。結局踏み込まずに、教科書を読めという事くらいしか言ってないけど。

これは、当事者が理解してようがしてまいが率直に言ってどうでも良くて、第三者に状況を正確に理解させる事が目的なので。理解を示さない部分があるのは実は織り込み済みです。

ただし、一つ大きな問題があるのは「肩書き」で騙される人の方が多い為に、どうする事も出来ないところはある。水伝が科学だと思い込む輩が多いご時世ですから。

しかし、池田さんの「NATROMさんをストーカー」といってたりするあたり、ちょいと理的な行動に見えない為に残念ですね。前も彼には下品な行動をやんわり慎んで建設的なやり方をとってほしいとは伝えたんだがね。山形論争でも相手を素人と罵倒しちゃってたわけだが、同じタイプの人が池田さんを見れば同じ様な罵倒をされる今回のないようですね。

hamster 2007/05/01 03:15
やっぱり池田のコメント欄には反映されませんでした。
専門家専門家ってえらそうに言うわりには、たいした研究歴もない底辺学校のネット教師ですから、こんなもんでしょう。


akira 2007/05/01 05:23
情報の非対称性というものを、ブログにおいても考えると面白いかもしれませんね。

あちら側から見れば、

1.自分の専門ではない分野で、
2.自分が主張したい主題と関連が弱く、
3.既に時間が経って興味を喪失した対象に、
4.正体不明の相手から、
5.忙しいのに唐突に時間を求められている

わけですから、あまり良い印象は持たないでしょう。しかもいきなりトンデモと呼ばれ、こういう間違いをする著者はその他の部分でも信頼できないとか、阿呆とか書かれ、謝絶したつもり(もちろん下手すぎ)が、その一派と思える人からのコメントやトラックバックまで送られてくるのでは、冷静に応対できなくても不思議はありません。

こちらから見れば、

1.自分の詳しい話題で、
2.自分が主張したい話題で、
3.今も興味があり、
4.相手は人物がはっきりしており、
5.時間を選べる

のですから、やはり何らかの配慮が必要かと思います。

今回のケースは、1〜5の項目について非対称であり、もともとまともな議論を成立させるのは困難ではないでしょうか?

NATROM 2007/05/01 08:50
:ptさんへ、
>。リ種淘汰』と『群淘汰(あるいは集団選択)』とは全く異なるのですか?

用語の使い方で混乱させてしまったようです。少なくとも「種淘汰」と「多レベル淘汰理論」は異なります。混乱の一因は、どちらも群淘汰とも呼ばれることがあることです。池田先生は、自分では「多レベル淘汰理論」のことを話していたつもりになっていたのでしょうが、「種を守る」などと書いたので全然理解していないことが明らかになったのです。

:yasさんへ
既に想定読者の話をしましたが、私は別に池田先生に理解してもらおうとエントリーを書いたわけではないんですよ。私が想定した読者はある程度進化生物学を理解している人(つまり池田先生は想定外)です。「理解を示さない部分があるのは実は織り込み済みです」。それともプライドを傷つけないように優しく諭してあげたら理解できたのでしょうか。


:akiraさんへ
akiraさんが多分誤解されているのは、私は「忙しいのに唐突に時間を求めた」わけではないということです。私は、別に池田先生に返事などは求めていません。池田先生は私のエントリーなど放っておいてもよかったのです。本当に「相手にする価値もない」ものならね。

専門外の分野もしくは主題と関連が弱いがゆえに間違えてしまったというのならわからないでもありません。しかし、だったら撤回なり保留なりすれば良かったところを、あの反応ですから。しかも、「アマチュアなので根本的な認識がずれている」とか私のことを批判しているんですよ。ご自分はアマチュアではないつもりなのでしょうか?さらに、「専門外だから間違えた」レベルの間違いではないってことも付け加えておきます。HIVに関する最新の論文をわかったつもりになって紹介しているくせに「エイズ菌」とか書いている人がいたら、突っ込みたくもなりますわな。

私も専門外ゆえに間違ったことをたくさん書いていると思います(そういう場合は、自己の無謬を疑わない傲慢な人間でなければ誰でもするように、断定的な表現を避けるようにしていますが)。そういう部分についてコメント欄やトラックバックで指摘をいただけるのには感謝しています。そういう態度をとっていれば、言葉尻をとらえて批判する人の方がかえって滑稽に見えると思います。


Isshin 2007/05/02 21:21
もう既に終わった話かもしれませんが、先方のコメントに

>専門でない分野を論ずるには謙虚さが必要だということがよくわかりました。
>自戒とせねばなりませんね。

これが削除されずに載せられたという事実に思わず笑ってしまいました。
誰のことを言っているか理解できなかったのでしょう。


Med_Law 2007/05/03 00:43

自分の主張を行うのに他人の主張を借りるとして、自分の専門外の領域に手を出すのは煙に巻くなら良いけれど、本筋からは白目で見られるんだよね

池田氏のHPも見ましたが彼の礼賛者だけのコメント群。。。みるとブログ主が選別しているだけ(笑)
どれが批判で、どれが非難で、どれが批評か、もう識別付かないくらいプライドがグチャグチャになっているんでしょうね。大爆笑です

山形浩生先生の尊大さも大好きですが、池田氏の不恰好さも笑えます
大人になってから他人からの修正を受け入れるのって大変なんですねぇ

我々医師は、自分の理論と経験、能力で手に負えない事態であるとか、患者であるとか、軌道修正の嵐に揺れているのが通常だから、他人からの批判も素直に聞けちゃうところもあるのだけれど、自己完結的な理論で批判を許さない城を築いた文筆家ってのは窮屈そうだ


koga 2007/05/03 02:16
どうなんでしょう。これまでの両陣営の文脈からすると、二者択一でどち
らか一方のシンパにならないといけないんでしょうか。あはは、こりゃあ
究極の選択ですねー。

まあ、端から見ているとどっちもどっち(いや、申し訳ないけど、そんな
些細な学問上の定義を検証しているほど暇人じゃないんで区別が付きませ
ん)なのですが、社会生物学という分野について少しだけ再考できたのは
収穫でした。

どうも有り難うございました。


外山哲 2007/05/03 04:58
>どっかのブログのように、都合の悪いコメントを検閲して載せなかったり、自分の間違いが明らかになってしまうトラックバックを削除したりはしません。

少なくとも池田氏は本名でやっているわけですから、匿名に隠れてあちこちでケンカを売っている卑怯な人間よりも責任をとっていると思います。対等な扱いをしてもらいたいならば本名でやるべきです。ゴミみたいなトラックバックや投稿にいちいち誠実に対応する必要もないでしょう。

谷庵 2007/05/03 05:41
本名で言論統制のような恥ずかしいことが出来るのは、組織を背負っていないからです。あるいは組織に迷惑をかけることを何とも思っていないかです。本名であろうと恥ずかしい行為、みっともない行為は批判されるべきです。そもそも学術的な誤りを指摘されたのなら、きちんと反論すればよいのであって、指摘自体を削除するのは卑怯でしょう。批判は発言内容に対して行うべきで、ゴミと判断するなら、どのようにゴミなのか批判すればよいことです。相手の発言を封じた時点で、通常はTKOされたと見なされます。

shinok30 2007/05/03 05:51
>自分の間違いが明らかになってしまうトラックバックを削除

東大院生の堀部君のトラックバックは残っていますね

>群淘汰というのは誤解を招きやすい概念だなとこの記事を見て改めて思う。自然選択を
>人に説明するときは、レミングが種の保存のために集団で海に飛び込むというのは間違
>いだといい、淘汰は個体レベルでかかるというのが王道。ここで、淘汰のかかる単位と
>いうのは様々なレベルが考えられて、それが個体ではなく集団になることもある、とさ
>らなる説明を加えるとやっぱり種の保存のためにレミングは飛び込むんじゃないか、と
>言われてしまったりする。善美ならぬ偽善美であったとしても人はこれを信じたがる
>と植木不等式が書いていたが、そういうこともかかわっていそう。
http://dolphin.c.u-tokyo.ac.jp/~nhoribe4/pukiwiki/index.php?2007%C7%AF04%B7%EE

やっぱり,まじめに進化生物学の基礎的な勉強をしている人には
池田氏がトンデモさはバレていますね


まぐ 2007/05/03 06:42
池田氏のブログには大量にトラバが来るらしいので逐一反論するのは大変なのかもしれないにしても
削除までする必要は全くないはずでは??
ゴミのような批判があるならそんな批判をする人が恥ずかしいだけでしょうし

NATROM 2007/05/03 10:05
>少なくとも池田氏は本名でやっているわけですから、匿名に隠れてあちこちでケンカを売っている卑怯な人間よりも責任をとっていると思います。対等な扱いをしてもらいたいならば本名でやるべきです。ゴミみたいなトラックバックや投稿にいちいち誠実に対応する必要もないでしょう。

なるほど、外山哲さんも、「NATROMのトラックバックに対して池田先生は誠実に対応しなかった」と思われるわけですね。本名を出そうと内容がゴミだったら馬鹿にされ、匿名であろうと内容がよければ誠実に対応すべきということは私にとっては当然ですが、中には内容を判断する能力のない人たちもいらっしゃるようなので、本名/匿名でどのような対応をとるか決める人もいらっしゃるのも仕方のないことです。

ただ、池田先生は本名/匿名で対応を決めているのではないように思います。ちゃんと内容を読んで、「自分の主張に賛成しているかどうか」を基準にしていらっしゃるように見えます。実名で、池田先生の主張を正確に批判する、池田先生に都合の悪いコメントをしても削除されてしまうと私は思うのですが、外山哲さんはどうお考えでしょうか?(正確には、池田批判であっても池田先生が理解できないときは載るでしょうが)。池田先生マンセーなら、ゴミみたいなコメントでも載るようですし。

NATROM 2007/05/03 10:12
「忘却からの帰還」で、「種選択・利他的遺伝子・群選択」の解説がなされています。ここでの下らん議論よりもずっと参考になります。

http://transact.seesaa.net/article/40456660.html


shinok30 2007/05/03 21:43

>ただ、池田先生は本名/匿名で対応を決めているのではないように思います。
>ちゃんと内容を読んで、「自分の主張に賛成しているかどうか」を基準にしていらっしゃるように見えます。

確かに私が『本名(に見える名前)』で投稿したコメントは反映されていませんね

>実名で、池田先生の主張を正確に批判する、池田先生に都合の悪いコメントをしても
>削除されてしまうと私は思うのですが、外山哲さんはどうお考えでしょうか?(正確には、
>池田批判であっても池田先生が理解できないときは載るでしょうが)。池田先生マンセーなら、
>ゴミみたいなコメントでも載るようですし。』


前述のように,東大院生の堀部君のトラックバック(べぇのうぃき)は,
池田氏の主張を否定していますが,池田氏には理解できないので削除されていません
吉野真一さんのコメントも「専門でない分野を論ずるには謙虚さが必要」というのを,
池田氏が自分に向けられたものだと思っていないので残っています

極端な話『池田先生万歳』氏のような
「池田先生マンセー」のコメントは匿名でも無内容でも平気で載っていますからね


yas 2007/05/03 23:37
そうかな。最初読んだときに思ったのは、池田さんに対して、問題を取り上げたということで、論戦を挑んだと思ったよ。それも、最悪の形でね。

最初から否定的な態度で挑むと信頼関係がない状況ではうまくいかなくなるしね。理解するように書く以前に相手の攻撃性を引き出してしまってたように思うのね。だから、子供の喧嘩レベルの行動に見えたかな。池田さんのその後の行動は率直に言って、自分に泥をぬってるだけのみっともなさを感じたけど。中立的な場といっていいはてなブックマークを見て思うのは、あのコメント欄では伝わってないように思えても、なんだかんだいって、NATROMさんの切り込みは成功したと考えても良さそうですね。その反面かなり酷い中傷を池田さんの掲示板でされてたけね。僕も言い過ぎた事は詫びておくよ。

本来頑固すぎて攻撃過ぎる傾向を持つ人に対しては異なる考え方を真っ先に持ってくるより、丁寧に好意的に見つつ切り込んでいく様な手段をとらないと建設的にはならないです。また、相手がどのような行動をとろうと、柔らかい対応をとっている限り相手のみにくさが浮かび上がるというメリットもあったりします。非建設的な方向に招きそうな行動をとると思わぬコストがかかってしまうことはたびたびあるかな。これは、実りのない論争やコメント欄の処理の部分を指しています。ただ全てが実りはないというのではなくて、その周辺で実りがあるものもでてくるということは否定しませんよ。

あのエントリのコメント欄は5/2で打ち切ったつもりなのではないかと思う。おそらく、情勢が不利で自分が間違った事をしている事はどこかで気がついたのではないかと察しています。気がついていないならば、困ったものだね。以前の言動から見てはてなブックマークも見ているだろうから。

ある程度年を取って、それなりに立場を持った人というのは、たてた上で言いたいことを上手に言わないと思わぬことが起き易いってことは、お医者さんの世界の方が一番分かりやすそうにみえるんだがね。そこなんだよ。権力的な事を(アマチュア呼ばわりなど)を振りかざすという事は権力を大切にしている証だったりしますのでね。自分の権威を傷つけられたから相手の権威を傷つけようといったものはあるかもしれないね。

それなりにやんわり書きつつも否定的なコメントを書いてもこれまで池田さんのところはリジェ苦と(リジェクトだって)を食らった事はなかったから、たてた上でやっていけば話し合いになるところはでてくるよ。あの方のネット上の人間関係から察すると言ったん中が悪くなった人との関係修復は難しいタイプのようですから、気をつけてたんだがね。


追伸:相手の事はどうでも良くて第三者という書き方をこちらのコメント欄で書いたけど、丁寧に書くと、相手を見ながら丁寧に対応しつつ、相手より第三者に分かりやすく書くということを戦略としてとる事が多いですね。相手が罵倒してようがおかまいなしにね。これは、同じレベルの人間になりたく無いという事から来ています。

NATROM 2007/05/04 00:23
池田先生は、丁寧に好意的に見て立場を立てて上手く言ってあげないと建設的な議論できない人のかもしれませんね。(一方私は、「コミュニケーション力に疑問を持った」「子供っぽい」とかイキナリ言ったくせに「否定的な態度で挑むと信頼関係がない状況ではうまくいかなくなる」などと「お前が言うな」的アドバイスする人に対しても、議論ができる良い人です。)

たぶん、yasさんは優しすぎるのだと思います。いったいなんでまた、「種を守る『利他的な遺伝子』」などと書く人を丁寧に好意的に見てあげないといけないのでしょうか。知的には困った人でも人格的にいい人ならば優しくしようかとも思いますけど。「論戦を挑んだと思った」というのは単にyasさんの誤読です。繰り返しますが、私のブログの想定読者は、主に、「種を守る『利他的な遺伝子』」と書いただけで分かるような人たちです。池田氏に進化生物学を理解してもらうなどというインポッシブルミッションに挑む気はさらさらありません。「上手に言わないと思わぬことが起き易い」なんてことは言われなくても知っています。困った上司に意見を言うならいくらでも立場を立てて上手くも言いますが、なぜネット上でもそうしないといけないわけ?

もちろん、進化生物学について詳しくない読者の皆様方もいらっしゃいますので、反論と追記を行なったわけですな。内容はくだらない(たとえば「エイズ菌という言葉の使い方はおかしい」ということを理解できない人と有意義なウイルス学の議論ができようか)。けれども批判・異論に対する態度を見れば一目瞭然です。ダーウィンのダも知らない人が見ても、都合の悪いコメントやトラックバックを削除するほうと、異論・批判は望むところであると明言しているほうのどちらが正しそうなのかは理解できるでしょう。こうした意図まで汲み取っていただければ幸いです。


shinok30 2007/05/04 13:20
>あのエントリのコメント欄は5/2で打ち切ったつもりなのではないかと思う。
>おそらく、情勢が不利で自分が間違った事をしている事はどこかで
>気がついたのではないかと察しています。気がついていないならば、困ったものだね。
>以前の言動から見てはてなブックマークも見ているだろうから。

いや,2007-05-04 07:10:13の『メモ』コメントは反映されていますよ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
メモ�(Unknown)                  2007-05-04 07:10:13
>E.O.ウィルソンによれば、遺伝子を共有する親族の利益をBk、集団全体の利益をBe、
>血縁度(relatedness)をr、利他的行動のコストをCとすると、

>rBk + Be > C
>となるとき、利他的行動が起こる。ここでBe=0とおくと、ハミルトンの理論になる。
>つまり多レベル淘汰理論は、血縁淘汰理論の一般化なのだ。.
その通りですね
こちらに詳しく紹介されているように血縁淘汰理論とコロニー淘汰理論は対立するものではなく,相補的な関係にあります

http://transact.seesaa.net/article/40480504.html


また,『利他的遺伝子』も「利己的遺伝子」と対立するものではなく,
「利己的遺伝子」の一種でしょう
つまり,『利他的遺伝子』とは「利他的行動をコードする(利己的)遺伝子」のことだということです

http://transact.seesaa.net/article/40456660.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

上記のコメントの後半をよく読めば,

池田氏の主張(利他的遺伝子=群淘汰のメタファー)を否定していることは分かるはずですし,リンクしている『忘却からの帰還』サイトは,池田氏の


1.「種淘汰」なんて概念はない

2.「利他的な遺伝子」というのは、群淘汰のメタファーです
という主張を明らかに否定しています

>種選択という用語はある
>Species Selection(種淘汰・種選択)という用語は存在する。

>群選択(Group selection)とは全然違う用語である。

>利他的遺伝子という用語はある
>Altruistic Gene(利他的遺伝子)という用語は存在する。

>ただし、遺伝子中心視点(gene centric view)のメタファーである”利己的遺伝子”とペアな用語ではない。
>利他的行動をコーディングしている遺伝子を指している(ゲノム上の位置を特定しているわけではないけど)。

http://transact.seesaa.net/article/40456660.html

思うに,池田氏は内容を理解しでコメントを選択しているのではなく,書き込みのトーンが否定的か肯定的かで感情的に取捨選択しているだけなんじゃないでしょうか?


投稿されるコメントや「はてなブックマーク」の書き込み等から情勢が不利なことは気づいているかもしれませんが,

「自分が間違った事をしている事」や「自分のどこが間違っているのか?」

には気づいていないのかもしれません

>はてなブックマーク池田信夫 blog:利他的な遺伝子

http://b.hatena.ne.jp/entry/4589312


CABIN 2007/05/04 19:30

少なくとも、丁寧な話し言葉しか相手にしないような人は子供っぽいし、ウェブ上で削除権限を有する人が、自ら否定的な意見を削除するのは、言論の自由の侵害であり、大人気ない。

まぁ、権力者の発言は目に付き易くまた信じられ易いという点に於いて、批判は覚悟するべきでは?それがどのような形で、どのような立場に居る者かを問わずに。

何故なら、言論の信頼性に、相手がプロかアマチュアか?を問うような人は、また、自らがプロかアマチュアかを問われるべきであり、そして池田氏はアマチュアである。ならば、池田氏の言を以って、池田氏の発言は信頼出来ない事になるからだ。

池田氏は、ナトロム氏他否定的な人々の発言に真っ向から反論するしか、方法が無いと思うけど?


shinok30 2007/05/05 09:00
やっぱり,池田氏は内容ではなく,書き込みのトーンが肯定的か否定的かで選別しているようですよ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Re: メモ�(Unknown)                  2007-05-04 21:11:53
>重要なのは、淘汰の単位として個体レベルだけではなくコロニーのレベルがあるということです。

>これは「広義の血縁淘汰」論者も認めてますよね。

そうですね

「動物の母親が子供を守る行動」などの利他行動の例は
個体レベルに働く血縁淘汰で説明できますが,
それでは説明できないコロニーのレベルの淘汰も存在するということです

>ちなみに「種淘汰」という言葉もありますが、文脈がまったく違います。
>NATROM氏が「群淘汰」を誤記したことは明らかで、


その通りです
現在,種レベルで淘汰が働くと考えている進化生物学者はいたとしても少数派でしょう

「個体を犠牲にして種を守る」ように働く選択は否定されています
もし,NATROM氏が本当に「群淘汰」を「種淘汰」と誤記したのだとすれば,大問題ですね

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「そうですね」や「その通りです」のような同意を示す文言を頭につけさえすれば,池田氏の当初の主張を全否定されても(というかNATROMさんの当初の主張そのままであっても)載っていますね


池田氏の当初の主張↓

>動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る
>「利他的な遺伝子」によるものと考えられる。ただし、こういう
>遺伝子は、個体レベルでは利己的な遺伝子に勝てないので、それが
>機能するのは、対外的な競争が激しく、群内の個体の相互依存関係が強い場合である。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/27ceb08814b16655936d029d23846949

NATROMさんの当初の主張↓

>そもそも「個体を犠牲にして(B>種(/B>を守る」って何?いまどき種淘汰か。
>母親は(B>自分と遺伝子を共有する個体(/B>を守っているのであって、種や
>個体群を守ろうとしているのではない。少なくとも通常の進化生物学
>ではそのように考える。限定された条件下では群淘汰が起こりうると
>いう話はあるが、かような豪快な誤りを犯す人がそういう微妙な話を
>理解できるとは思えない。少なくとも母親が子を守る行動は普通に
>利己的な遺伝子で説明できる(というか、利己的な遺伝子の説明として
>典型的な)話だ。(B>種を守る『利他的な遺伝子』(/B>なんぞを持ち出す進化
>生物学者はいない。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/


shinok30 2007/05/05 11:46

ptさんへ

>群の一部に種という群(集合?)もあるので池田さんのblogの「多レベル淘汰理論は、
>血縁淘汰理論の一般化なのだ」というのに、まぁそういうものかと思っていたのですけど。

「多レベル淘汰理論は、血縁淘汰理論の一般化」ということ自体はとくに間違っていません

問題は『種』という集団が淘汰の単位となりえるか?という点です

種の定義としては「生物学的種」,「形態的種」,「生態的種」,「系統的種」,「分類学的種」等がありますが,いずれも淘汰の単位とはなりえないだろうというのが,現在の進化生物学の結論です

詳しくは河田雅圭さんの著作などを参照されると良いでしょう


「はじめての進化論」(河田雅圭/講談社)
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/index.html


「進化論の見方」(河田雅圭/紀伊国屋書店)
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/MIKATA/index.html


「『種』レベルの淘汰はない」という点で,NATROMさんの主張は一貫しています
おそらく,池田氏は「『種』とは何か?」という問題について,きちんと考えたことがないので,


「コロニーレベルの淘汰もあるらしい」
⇒「利他的な行動は『種を守る』ように進化した」


のような誤解をしてしまったのでしょう


さらに,「『利他的な遺伝子』というのは、群淘汰のメタファー」という発言からして,

「利他的な行動はすべて群淘汰によって進化した」

という誤解もあるようです

実際には,利他的な行動の多くは個体レベルに働く血縁淘汰によって説明できるんですよ

「動物の母親が子供を守る行動」なんかは典型的な例ですね

結局,ゆんゆん探偵さんの言う通り,

池田氏は分類学をはじめとする生物学の基礎を知らないから,進化生物学の理論もきちんと読めないんですよ


>[ゆんゆん探偵] ゆんゆん探偵 『メモ:群淘汰を語るのに「種」という言葉を持ち
>出してしまうのがとてつもないミステイクだと気づいていない(そこが重要な論点だ
>と把握していない)こと自体が、進化のメカニズムの重要な部分を「きちんと」理解
>していない証拠。


klaus 2007/08/16 20:52

> 「ケチをつけたいけど能力的に無理なので、専門家を自称してNATROMの発言の信頼性を貶めよう」という意図があるだけなのか区別できないので、適宜指摘してくださるとありがたい。

 これはちょっとご都合主義すぎるのではないでしょうか? 

 ご自分も同じことをしていることをお忘れなく。

 (つまり、具体的な根拠を示さずに悪口だけを書くこと。根拠なしに「あいつは馬鹿だ」と批判すること。よくやってますよね。アンテナやコメント欄で。たくさん見つかります。)


NATROM 2007/08/17 08:21
もちろん、私も根拠なく悪口を書くことはあります。悪口の対象者の間違いがほとんどの人にとってわかるほど明確な場合など。klausさんは「ほとんどの人」に含まれなかったのでしょうねえ。たとえば、「クラス進化論」の間違いなんて、進化生物学を知っている人にとっては間違いは自明ですから、いちいち根拠を挙げるのは無駄でしょう?

もし、klausさんが納得いかないような「悪口」があるのなら、具体的に質問してくだされば、いつでも根拠をあげて説明いたしましょう。根拠を求めると逃げ出した「医師ではない生物研究者」さんとは違ってね。

大学生 2007/09/02 20:17
はじめまして この論争を見つけて興味があったので
池田先生にコメント送っときました
俺的には池田先生がNATROMさんの最初の反論記事を誤読してややこしくなったんだと思うので 以下のようにコメントしました

コメント欄には反映されたようだけど見てくれているかどうか

自分の専門とはぜんぜん関係ない論争で、もしかしたら勘違いしてるのは俺かもしれないですが;;

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5b3a2daecd4aa5db9cca0069d85c4b80
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Re:まとめ (大学生)

2007-09-02 16:20:38

今更この記事にコメントするのは恐縮ですが 質問があります

>・NATROMなる人物が「群淘汰は過去の理論だ。利他的行動はドーキンスの理論で説明できる」と勘違いして、私の記事にコメントした

NATROM氏は最初、池田先生のエントリーの中の「母親が命を捨てて子を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る「利他的な遺伝子」によるものと考えられる。」について「これについては利己的遺伝子で説明できる」と反論したのであって
彼は「すべての利他的行動は利己的遺伝子で説明できる」なんてことははじめから言ってないんじゃないでしょうか?

事実「限定された条件下では群淘汰が起こりうるという話はあるが」ということも最初に書いてあり、彼は最初から「ドーキンスがすべて正しい」などということは言ってないように思えます

池田先生が勘違いなされたか、それとも自分の間違いが明らかになるのが嫌で故意にNATROM氏の主張をすり替えたのか(先生の著作の読者でもあるので、できればそう信じたくないですが) よかったら説明いただけたらと思います

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

NATROM 2007/10/18 16:50
池田先生から返事がありましたね。説明になっていませんが。

非若 2008/01/29 21:17
信夫君が、またやらかしましたw


池田信夫氏からのメール
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7608

天羽優子氏の記事についての公開質問状
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/976e4283567f163f7f92c02cc1e6cddc

通りすがり 2009/09/23 18:02
いくら言ってることが間違って無くても「にゃーん」だの「カス」だの不真面目だったりNGワード含んでたらだめでしょ。
ブログ主がそんなコメントに迎合してる時点で、ブログ主も本音はほの暗い感情が渦巻いているのかなぁとか、自作自演で本人が書いてるのかなぁとか、思ってしまう。


NATROM 2009/09/23 19:12

>いくら言ってることが間違って無くても

通りすがりさんへ。池田先生の主張は間違っていますよ。池田先生への不当な中傷はおやめください。

学生 2011/02/21 06:28
>
ウェブ・ストーカー (池田信夫)

2007-04-29 18:09:56

いるんですよ、こういうのが。当ブログも、何度かこういうストーカーにつきまとわれたので、扱いは心得てます。彼らの特徴は

・特定の分野についてディレッタント的にくわしいが、アマチュアなので根本的な認識がずれている

・自分が無知なのに「相手が間違っている」と思い込み、どうでもいい細かい話にこだわる

・無知を指摘されても理解できず、逆上して同じ話を繰り返す

・相手にされないと、自分のブログで遠吠えを始める

最近では、慰安婦問題で意味不明のコメントをして当ブログを追い出され、しつこくブログで吠えているのがいましたが、特徴はまったく同じ。単純なスパムより、こういう連中のほうが、まったくのバカではないだけに厄介です。対策は、無視することしかない。

以上引用。


まさに池田さんのことですね。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070429



04. 2011年10月26日 21:44:07: MiKEdq2F3Q


                    , -──--- 、..____
                 ,、-‐'"::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`` ー---、
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         /::::::::/:::::::/:::/::::::/::::::::::| l           _ ヽ
           /::::::::/:::::::/:::/::::::/::::::::::::|  l         ____r'´
         /:::::/:::::::/::::::::::::/::::::::::::::|          `7′知ったか振りして何も知らない学問を引用するからよ
     /::::::/::::::::::/:::::::::::::/ :::::::::::/           /
    /:::::/::::/::::/::::::::::::::/ :::::::::::/二`ヽ、  `iヽ 、____/
   /:::::::::/:::/::::::::/::::::::::::彡.:::::::::::/三ミヽ、``=ヽ
   |:::::::::|::/::::::::::::/:::::::/:::/彡:::::∧`ヽ、\三ミr'ヽ、


一知半解ではなく無知蒙昧 2007年12月19日 (水)


以前このブログで、池田信夫氏に「一知半解」という形容を進呈しましたが、それは間違いだったようです。読者の皆様にお詫び申し上げます。正しくは、「無知蒙昧」と云うべきでした。

最近、あちこちに誤爆をしでかして、すっかりトンデモの仲間入りをされたらしい池田氏ですが、何を思ったか、また日本労働史への無知を暴露しているようです。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87a589c70b31090d1f7557c9855d9d2b

『世界の労働』原稿
「雇用の格差と人生の格差」    濱口桂一郎


 「今年の労働経済白書は、就業形態の多様化との関係で所得格差の問題を大きく取り上げ、特に若年層における非正規雇用比率の高まりが職業能力開発機会の格差を通じて将来的な格差拡大につながって行きかねないことに警鐘を鳴らしている。OECDの対日審査報告書でも、所得不平等と貧困の問題に一節を割いて論じている。構造改革路線に対する熱狂の季節が過ぎ、格差拡大に対する懸念が政治的課題としてクローズアップされて来つつあることは、安倍内閣の再チャレンジ政策にも窺える。

 本稿では、非正規労働という形で現れる雇用の格差と、所得格差という形で現れる人生の格差の関係をどう考えたらよいのかという視点から、この問題にアプローチしてみたい。
 
 非正規労働自体は古くからある問題である。また、パートタイム労働者の均等待遇/均衡処遇問題は、1993年のパート労働法制定時からの課題でもある。しかし、近年格差問題との関係で非正規労働が取り上げられる際の問題意識は、これまでのものとはかなり違っている。パート労働問題が、どちらかと言えば男女平等問題や仕事と家庭の両立といった問題意識とつながった形で論じられてきたのに対して、近年の非正規労働問題はなによりも若年フリーター問題であり、とりわけ90年代後半の就職氷河期に正規労働者として就職できなかった年長フリーター世代の問題である。

 この両者の社会学的問題点とそれに対する政策的課題は相当に異なっており、きちんと仕分けした議論が必要である。労働法学の立場からは、ややもすれば、非正規労働に対して均等待遇・均衡処遇の一点張りの議論が多くなりがちであるが、それはかえって政策を混迷させる嫌いがある。
 
 日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。彼らは本工の雇用バッファーとして不況になると雇い止めされ、好況になると再び採用される柔軟な縁辺労働力であった。彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。ところが1950年代後半以降の高度経済成長の中で、労働市場の急激な逼迫に押される形で臨時工の本工登用が急速に進み、この言葉は死語となっていった。しかし、柔軟な縁辺労働力への需要がなくなったわけではない。高度成長期にこれに応える形で急速に拡大していったのが、主として家事に従事していながら家計補助的に就労する主婦労働力としてのパートタイマーであり、主として学校に通って勉強しながら小遣い稼ぎ的に就労する学生労働力としてのアルバイトであった。

 興味深いのは、パートやアルバイトの存在はかつての臨時工のような社会問題とならなかったことである。これは、パートの主婦にせよアルバイト学生にせよ、確かに就労の場所では正社員とは明確に区別された低賃金かつ有期契約の縁辺労働力であるに違いないが、そのことが彼らの社会的な位置づけを決めるものではなかったからであろう。パート主婦はパート労働者として社会の縁辺にいるのではなく、正社員である夫の妻として社会の主流に位置していたのであるし、アルバイト学生にとっての雑役就労は正社員として就職する前の一エピソードに過ぎない。

 この「アルバイト」就労が学校卒業後の時期にはみ出していったのが「フリーター」である。しかし、そのいきさつがバブル期の売り手市場の中であえて正社員として就職することなく、アルバイトで生活していくという新たなライフスタイルとして(一部就職情報誌業界の思惑もあり)もてはやされて拡大していったこともあり、若者の意識の問題として取り上げられるばかりで、かつての臨時工問題と同様の深刻な社会問題としての議論はほとんど見られなかった。

 1990年代半ば以来の不況の中で、企業は新卒採用を急激に絞り込み、多くの若者が就職できないままフリーターとして労働市場にさまよい出るという事態が進行した。地域によっては、高卒正社員就職の機会がほとんど失われてしまったところすらある。フリーター化は、彼らにとっては他に選択肢のないやむを得ない進路であった。ところが、彼らを見る社会の目は依然としてバブル期の「夢見るフリーター」像のままで、フリーター対策も精神論が優勢であった。この認識構図が変わったのは、ほんのここ数年に過ぎない。
 
 家計補助的主婦パートとして特段社会問題視されなかったパートタイマーが労働問題の土俵に乗ってきたのは、一つには男女平等の観点から、家事育児責任を主に負っている女性が家庭と両立できる働き方としてパートタイムを選択せざるを得ないにもかかわらず、そのことを理由として差別的な扱いを受けることが社会的公正に反するのではないかという問題意識からであった。したがって、この問題意識から発する政策課題は何よりも正規労働者との均等待遇ないしそこまで行かなくても均衡処遇をいかに実現するかにあり、その待遇の中味も賃金を中心とする報酬や福利厚生であって、能力開発機会といったことはそれほど重視されなかった。

 パート労働者が正社員の夫の収入を補完する家計補助者である限り、パートの賃金格差問題はそれ自体社会的格差の問題ではなかった。しかし、不況の中で正社員の夫が失業したり、あるいは離婚等によりシングルマザーとなったりした場合、パート労働者の低賃金は直ちにその世帯の低所得として跳ね返ってくる。経済社会的な変動が進行し、パート労働者が家計を維持しなければならない状況がじわじわと拡大してくる中で、パートの差別的待遇問題は単にジェンダー視点から不正であると批判されるにとどまらず、社会階層的視点からも疑義が提起されてくることになる。後述の生活保護との関係がここに姿を現すのである。

 いずれにせよ、現在労働政策審議会雇用均等分科会でパート労働法に現行指針の均衡処遇努力義務を規定しようとする動きが進められているが、これはどうしても主婦パート中心に組み立てられてきたこれまでのパート対策の延長線上のものに過ぎず、同じ非正規労働とはいいながら、求められるフリーター対策とは大きなずれがある。なぜなら、フリーターの最大の問題は現在の低賃金自体ではないからである。
 
 今年の労働経済白書が見事に摘出しているように、若年フリーター層の最大の問題は、彼らが中核的労働者に与えられている職業能力開発機会から排除され、いわばどんなに長く働いても技能が向上せず、より高いレベルの仕事に就いていくことがなく、それゆえに将来的に賃金の上昇が見込めないという点にある。欧米と異なり、労働者の教育訓練が主として企業内で行われる日本では、その企業内訓練から排除されるということは職業キャリアのメインストリームから排除されるということに等しい。

 このまま若年フリーター層が年齢を重ねていけば、やがて技能なき中年フリーター層として社会に堆積し、社会保険資格のないまま老後に突入して膨大な福祉受給者の塊となっていくことになる。既に、90年代前半期にフリーター化した層は30代から40代にさしかかりつつある。彼らが将来の日本社会に落とす影は極めて大きいものがある。彼ら年長フリーター層を職業キャリアのメインストリームに引っ張り込んでくることこそが最大の政策課題であり、そのために公共政策として何ができるかが論じられるべきであろう。

 もちろん、一番望ましいのは企業が彼らを正規労働者として採用し、初めは賃金が低くても企業内訓練を繰り返す中で徐々に技能を向上させ、同年輩の者の後を追いかける形で賃金水準が上がっていくことであろう。しかし、企業の本音はまっさらの新卒者を採用したい、フリーター経験は評価できないというところにあり、労働市場が逼迫しても選別された優秀な一部を除き、なかなか正規労働者として吸収されるには至らないと思われる。では、どういう処方箋が考えられるだろうか。
 
 近年注目を集めている就労形態にいわゆる請負労務がある。マスコミのキャンペーンや行政の偽装請負摘発などもあり、請負の要件を充たしていない偽装請負を合法的な労働者派遣に切り替えていくべきというのが大きな流れであるようである。もとより、労働法制の遵守は重要であり、偽装請負をそのままにしてよいわけではないが、それでは適法な派遣形態にすることによって上述のようなフリーター問題が解決していくのかには疑問が残る。派遣労働者として派遣先が一定の使用者責任を負うことはもちろん望ましいことではあるが、逆にそれによって派遣就労が一定期間経過することで断絶し、技能形成されないまま中年になっていくとしたら、結局将来の所得格差の原因となることに変わりはない。

 日本では、戦後下請の系列化が行われ、企業の生産ラインの一部を外部化するような形で協力会社の請負が整理されたという経緯がある。この方向性がこれからも可能であるならば、現在単なる労働力供給元に過ぎない請負企業を協力会社として系列化し、いわば企業グループとしての一定のキャリアパスを提供していくという道があり得るのではなかろうか。親企業の正規労働者として雇い入れることには躊躇するにしても、会社別人事管理の下で親企業の労働者とは一定の賃金格差を維持しつつ、協力会社の労働者として教育訓練を行い、それなりのキャリアを提供していくというやり方で、相当部分を掬い上げることができるように思われる。

 これは何も現在構内請負形態で就労しているフリーターに限られない。現在直用の非正規労働者として就労しているフリーター層を社会的にメインストリームに乗せていくために、あえて別会社の正規労働者として採用して、一定の労務コスト削減を可能にしつつ、将来的な社会的排除のリスクを少なくしていくというのは、現実的な政策として考慮に値するように思われる。
 
 さて、しかし、非正規労働問題はフリーター問題にとどまらない。かつてはもっぱら主婦の家計補助的就労と見なされてきたパートタイマーが、シングルマザーの増大によって家計を支える労働力としての側面を大きくしてくる中で、パートの低賃金は単親家庭の低所得とそれに伴う社会的排除の原因としてクローズアップされてきている。シングルマザーの増大は欧米先進諸国でも共通の問題であるが、福祉給付の寛大な欧米では、シングルマザーの大部分が生活保護に頼って生活するという実態にある。そして、いったん福祉に頼って生活を始めるとそこから抜け出すのが容易ではなく、それがさらに子どもの世代に引き継がれるという悪循環が見られる。そこで、近年の欧米諸国では、ワークフェアとかメイク・ワーク・ペイといった標語を掲げて、福祉受給者の就労促進に力を入れている。 これに対して日本では、シングルマザーの就業率が世界的に見て極めて高いのが特徴である。上記OECDの対日審査報告書でも、無職のひとり親よりも就労しているひとり親の方が貧困率が高いことを驚きの念とともに記している。生活保護の大部分を食い尽くすアメリカのシングルマザーを見た目からすると、働く方が損になるのに懸命に働いている日本のシングルマザーの健気さは感動的であったのであろう。

 生活保護を受給していい暮らしをするより、低賃金で働いて貧しい暮らしをしようとするこの健気さに報いるためには、日本にもメイク・ワーク・ペイ政策を導入する必要があろう。欧米では働いていない福祉受給者を労働市場に連れてくるための政策であったが、日本では働くシングルマザーたちが苦しさに堪えかねて福祉の世界に行ってしまわないようにするための政策として必要なのである。一般的に同一労働同一賃金政策をとるなどということはもとより不可能であるし、最低賃金の引上げといっても限界がある(とはいえ、地域最低賃金額が単身者への生活保護額をも下回るという現状は、何らかの修正が必要であろう。)ことから考えれば、恐らく対象を限定した何らかの賃金補助によるしかないと思われる。この問題は、シングルマザー本人だけではなく、その子どもの将来の人生の格差に直接につながっていくものであるだけに、全体社会的取り組みが必要と思われる。」

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html


私の「日本の労務管理」を読んだらしく、


『20世紀初頭までは技能をもつ職人が腕一本で職場を転々とするのが当たり前だった。請負契約を蔑視するのも間違いで、これは産業資本主義時代のイギリスでも19世紀の日本でも「正規雇用」だった。しかし第1次大戦後、重工業化にともなって工程が大きな工場に垂直統合され、職工を常勤の労働者として雇用する契約が一般的になった。いわば資本主義の中に計画経済的な組織としての企業ができたのである。』

というところはなんとか正しい理解をしているのですが、その第一次大戦後に生み出された「臨時工」について、その下のコメントのところで、こういう莫迦なことを云っているのですね。

『>ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします』:
http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html


『(日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。)
というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。』

をいをい、明治時代と大正後期〜昭和初期をごっちゃにするんじゃないよ。

後者の時代における大きな労働問題が臨時工問題であったことは、ちょっとでも社会政策を囓った人間にとっては常識なんですがね。


(尊敬する小野旭先生が『日本的雇用慣行と労働市場』のどこで、昭和初期に臨時工は何ら社会問題でなかったなどと馬鹿げたことをいっているのか、池田氏は小野先生の名誉を傷つけて平気のようです。)


『労働行政史』第一巻の351頁から356頁で、大正末から昭和初期の臨時工問題とこれに対する対策が略述されているので、まずはそれを読みなさいというところですが、私が『季刊労働法』210号に書いた「有期労働契約と雇止めの金銭補償」において、臨時工問題の経緯をやや詳しく書いているので、それを引用します。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yatoidome.html

>>1 戦前の臨時工問題

 さて、有期労働問題は昨今始まった問題ではありません。この問題の歴史は実はかなり古いのです。かつては「臨時工」問題という名で呼ばれていました。臨時工問題がホットなテーマとなったのは今まで2回あります。1回目は戦前の1930年代、2回目は戦後の1950年代です。

 戦前の臨時工問題については、労働事情調査所(矢次一夫)の『臨時工問題の研究』(1935年)が詳しく説明しています。従前から欠員の一時的補充、試傭、繁忙期対策として用いられてきた臨時工がこの時期に急増して社会問題となったのは、解雇手当を回避するためと、低い労働条件でコスト切り下げを図るためであったといいます。「軍需工業も輸出工業の景気もいつまで続くか分からない。いつまでも続けばよいが、或は近いうちに沈滞するかも知れない。その時には解雇問題が起こる。そして現在雇入れてゐる職工を常傭工にして置けば、その時解雇手当を出さなければならない。また面倒な労働争議も起り勝ちだから、その時に備へて、新規採用の職工を試傭期間を超過しても出来るだけ臨時工若くは人夫名義の職工にして置いて、事業家の負ふべき種々の義務から免れようとしてゐるのが最近の臨時工増加の社会的原因」というわけです。しかも、その賃金水準はおおむね常傭工より2割ほど低く、時間外の割増率も低く、健康保険にも加入できず、昇給もなければ福利施設も劣悪でした。

 これに対し労働者は反発しました。1933年9月、三菱航空機名古屋製作所で日雇職工を一切手当を払わずに解雇したのに対し争議を起こし、内務省社会局に対する抗議運動に発展したのです。これは結局予告手当14日分に加え、解雇手当80日分、帰国手当5円(家族1人につきさらに2円)等を支給することで解決したようです。

 一方、大阪の戸畑鋳物木津川工場では、1年7カ月勤務した臨時工が実質的には常傭工だから解雇手当を支払えとの訴訟を起こしています。1935年7月の大阪区裁判決*1は、就業規則上臨時工を除外する旨明確に規定されていなかったことを理由に30日分の解雇手当支給を命じましたが、1936年9月の大阪地裁(控訴審)判決*2は就業規則の解釈ではなく、採用時には臨時工であっても雇傭期間中に実質上本工に転化したとして解雇手当の支給を命じました。

 当時の労働組合もこの問題に対して積極的に対応しています。右派の日本労働組合会議も、左派の日本労働組合全国評議会も、臨時工制度の廃止、臨時工の常用化を要求していました。もっとも、実際には臨時工を常用化することは、常用工を中心とする組合にとっては必ずしも好ましいものではなく、臨時工制度を認めた上でその労働条件を改善しようという傾向が生じていると同書は分析しています。ここまで見てくると、近年の有期労働問題とあまり変わらないようにも感じられます。

 興味深いのは、この問題に対する政府、すなわち内務省社会局の対応方針です。当時の北岡寿逸監督課長は、『法律時報』(第7巻第6号)に載せた「臨時工問題の帰趨」において、「臨時工の待遇は本来よりすれば臨時なるの故を以て賃金を高くすべき筈」なのに、「常用職工より凡ての点に於て待遇の悪いのを常例とする」のは「合理的の理由のないことと曰はなければならない」とし、「最近に於ける臨時工の著しき増加に対して慄然として肌に粟の生ずるを覚える」とまで述べています。

2 戦前の臨時工対策

 では実際の臨時工対策としてどのような措置がとられたのでしょうか。当時は工場法施行令第27条の2によって14日分の解雇予告手当の支給は義務化されていましたが、それを超える解雇手当は事業主の任意に委ねられていたため、基本的には内務省社会局の所管する工場法の解釈通達という形で、臨時工名義による脱法行為を取り締まるという施策が講じられました。

 まず、1930年6月3日付の「定期臨時工に関する件」(収労第85号)は、「期限付雇傭契約と雖も従来の事例作業の状況等の客観的事情より見て期限に至り契約更新せらるるや期限と共に終了するや不明にして期限終了に際して更新せられざる場合には新に其の旨の申渡しを為すことを要するが如きものに就ては斯かる申渡は工場法施行令第27条の2の雇傭契約の解除と同視すべきものにして2週間の予告を為すか或は賃金14日分以上の手当を支給することを要す」と指示しました。

 また、上記三菱航空機争議が発生した直後の1933年11月1日付の「工場法施行令第27条の2の解釈に関する件」は、「同条の雇傭契約なる語は形式上の契約書等に関することなく事実上の使用関係を謂ひ、雇傭契約の解除とは工場主の一方的意思に依り雇傭関係を終了せしめるを謂ふものにして、日々に雇入れの形式を採るもの又は請負人の供給するものと雖も事実上特定せられ且相当継続して使用せらるる場合には事実上期間の定めなき雇傭関係成立したるものと見るべく其の雇入れの停止は事実上契約解除と見ることを要するの義にこれあり」とし、具体的には「30日を超えて継続使用せられたる職工は日々雇入れ又は労務供給の形式に依る場合と雖も施行令第27条の2の適用あるものと解する」としました。

これがおおまかな見取り図です。ちなみに、臨時工問題について「肌に粟の生ずるを覚える」と述べた北岡寿逸監督課長は、その後東京帝国大学経済学部で社会政策を講じますが、池田氏にかかれば彼も「天下り教授。氏ね」の仲間入りなんでしょうね。まあ、北岡氏の前任の河合栄治郎も農商務省で工場監督官補でしたから、池田氏流には『天下り教授。氏ね」か。

ここでさらりと触れた三菱航空機争議については、今年8月にこのブログで詳しく紹介しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html
(昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議)


私がこのエントリーで云いたかったことは、

>日本の近代史を考える上で大変重要なのは、それまで争議のたびに悲惨な負け方を繰り返していた労働組合側が、この(リベサヨさんのいうところの)ファッショな時代になると、そう簡単に負けなくなって、いやむしろこの事件のように勝つようになるということです。ここのところを抜きにして、百万言費やしてみたところで、昭和史の本質が分かったとは言ってはいけないんですよ。

ということであり、赤木問題から井上寿一さんが云われていたことを具体的に示そうということだったんですが、昭和史の本質以前に、そもそも労働史が全然判っておらず、明治時代の請負職人の話と昭和初期の本工と臨時工の身分差別が歴然と生じていた時代の区別も付かないような似非学者には高級すぎたようです。

こういう無知蒙昧な手合いが、どこのディプロマミルで手に入れたのか知りませんが、自分の博士号を後生大事に自慢して、


『この天下り「なんちゃって学者」の問題は、学部卒で研究者としての教育を受けていないのに、教授になっていい加減なことを好き放題言っていることだと思います。日本の大学は博士を持った人間だけを雇用するようにすべきです。このようなことは、欧米ではほぼありえないし、そうでないと、学生にも失礼です。』


などとほざいてくれるのですから、呆れてものも言えませんね。まあ、こういうおつむの中味よりも「博士号」という包装紙だけで人間を判断すべきであるという発想が、彼の云うところの「ギルド」的発想であるということは、慧眼な読者の方々は良くお判りでしょう。

なお、うえの季刊労働法論文とかなり重なりますが、最近書いた「労働史の中の非正規労働者」は、組請負時代から現代までこの問題を概観していますので、この問題にまともな関心を持つ方はお読みいただければと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/aomori.html


コメント

こんにちは

ここまでくると池田氏ってなんなのかと思います。
いろいろな博士号を持っている人の知り合いがいますがここまで変な人はいません。いるわけないです。

投稿: 地方に住む人 | 2007年12月19日 (水) 12時01分



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 心理学の分野で修士号を持つ者です。池○氏は内側から壊れはじめてるのかなー、なんて感想を持ちます。おそらく愛情飢餓感が強く、自我の脆い人なのでしょう。それゆえに、全ての労働者をフリーターに!なんて熱く語っておきながら、自分は博士号という権威に知らず知らずにすがっていく。

 また、ノンキャリアに修士が必要ないという発想も、彼が日頃から熱く語っている労働者の生産性の向上と矛盾します。民間企業に限らず官庁においても、新たな課題は会議室でなくて現場で発見されるという意識を共有した組織のパフォーマンスが上がっていくというのは、昨今マネジメントの大きな流れです。キャリア・ノンキャリアに関わらず、現場の労働者・公務員が力を付けていくことは今後必須です。

 池○さんは、知的でエネルギッシュな人です。ただ、愛情飢餓感は着地点を誤らせます。hamachan頑張って下さい。  

投稿: 愛情飢餓感 | 2007年12月19日 (水) 14時14分

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池○さんとはひたすら関わらないようにしておりますので、貴殿の英断に敬服いたしますw

池○さんはブログ&ネット界では古くから「やたら大きな声で珍妙なことを書いてる変な人」として知られ、実社会へ及ぼす悪影響はないってことで、みんな笑って放置してたんですが。。。

ですから、あまりまともに関わらないことが得策です。何をいっても通用する相手ではないし、そもそも個人に対する尊敬の眼差しとか人権感覚のない方なので、分が悪くなってくると口汚く罵倒の言葉を繰り返すだけですから。一応、大学などで教鞭をもたれるようなので、せめて社会人としての節度ぐらいは…と思うんですがね(笑)

投稿: 通りすがりのミーちゃん | 2007年12月19日 (水) 23時30分



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むしろQWERTY配列を巡る稲葉先生と安岡先生の小競り合いを思い出しましたが。

「愛情飢餓感」なんて概念は不要で、なんでも経済学的手法のナイフで切ろうとするのはいいが学問の方法論に疎いので足場を踏み外す、というだけでしょう。

ご当人にしてみればマル経のものまねとアラン・ソーカルを託(かこ)っているんでしょうけどねえ。


投稿: 臆病者 | 2007年12月19日 (水) 23時52分


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一知半解、無知蒙昧

語彙が増えました(爆)


池田先生のブログのコメント欄に書き込みしている池田説信奉者がどんな方達なのか興味があります。

池田先生のご主張はほんの少し前までは結構世間受けしていたんですね。その世論の振幅が正直怖いです。

投稿: NSR初心者 | 2007年12月20日 (木) 00時53分


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 いよいよ彼が本性を露呈しはじめました。

「〜貧乏人が努力することなしに彼らが豊かになることはできないという事実だ。」・・・だそうです。


 彼の主張と世論の流れが逆を向いてきたために、孤立への不安が彼を苛立たせ、何を書いたら自分が損をするかという冷静な判断力さえ消えかけているように見えます。


また、「〜そのために必要なのは、結果の平等ではなく機会均等である。」・・・だそうです。


 努力の機会が均等なのに結果が不平等なケースってご存じない?

投稿: 本性 | 2007年12月20日 (木) 09時23分



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役所の仕事からあぶれた二流の人間が、自分は学位を持たないのに学位を施すというのはどう考えても無理があると思うが。実務家ということで正当化しているようだが、学問的業績がない人間が学位を出すとはこれいかに?そんなことで院の教員になれるなら労働基準監督署のおっさんでも教授になれるだろうが。ブログで粘着する暇があったら働けよ公務員。

投稿: さとる | 2007年12月20日 (木) 19時52分


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>労働基準監督署のおっさんでも教授になれる

 そもそも、なってはいけない理由は無いだろうに。

 低学歴云々言うのなら、高卒(短大中退)で実作しかしてない安藤忠雄が東大の教授だったのをまず批判したら?

投稿: enceladus | 2007年12月20日 (木) 20時40分



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学問的業績なんてこと言えば、池田信夫の方が怪しいと思うが、、、、。

投稿: ueppi | 2007年12月20日 (木) 20時52分


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労働基準監督署のおさんが大学院で学位を授与してたらおかしいだろ。専門学校で実務教育やるなら別だけどねえ。

安藤?確かに世界の安藤だからね。そりゃ学位はなくても。しかも建築学は実学そのものだからね。世界の安藤と仕事にあぶれた二流官僚といっしょにするなよ。

これが勤めてる大学院そのものの存在も教授陣のいかがわしさ(それ自体雇用対策w)もお話にならんだろ。博士号に価値がないなら、インチキ博士の量産からそもそも手を引けよww

投稿: さとる | 2007年12月20日 (木) 21時08分


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ようやくイナゴさんたちの登場ですな。

しかし、池田氏にせよ、イナゴさんたちにせよ、自分で勝手に私の「世界」論文に噛み付いておいて、しかも小野旭先生の本に書いてあるなどと嘘っぱちを並べて、その間違いを指摘されると上で指摘した労働史上の問題には一言も触れられず、人の学歴を笑いものにすることしかできないところが情けない。

上のイナゴたちの文章をよく読んでください。ある種の性格が良く出ているでしょう。労働基準監督官を笑いものにして喜んでいるこの連中の底意地の悪さがにじみ出ています。私は労働基準監督官では残念ながらありませんが(一時監督課長はやりましたが)、どこぞの学術博士よりも、優秀な監督官の方がよっぽど労働問題の本質はつかんでいると思います。

学問の本質は博士号にのみ在ると心得ている人々なのでしょう。ディプロマミルが流行る所以ですね。

投稿: hamachan | 2007年12月20日 (木) 23時03分


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労働基準監督官のほうが池田信夫氏より世の中の役に立っている。

博士でこんな変な人見たことがない。

投稿: 地方に住む人 | 2007年12月21日 (金) 06時16分

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これだけ完膚無きまでに論破されても、蛙の面にションベンほどにも感じないのか、この期に及んで3法則氏、なお同じことをだらだらと書いていますな。

もっとも、さすがに小野旭先生の本に全然書いてもいないことを、あたかも書いてあるかのごとく捏造したところは知らんぷりして済ませているようです。まあ、その程度の常識のかけらはあるんでしょうね。

言ってる中身が歴史的事実に反するくらいはまだ見解の相違でごまかせますが、労働経済学の大家が言ってもいないことを言ってるかのごとく虚偽を振りまくという所業は、研究者としての最低限の知的誠実さに欠けるということですから、同じ労働経済学者からみれば、研究者としての資格のない人間としか言いようがないでしょう。。

いかに政策メディア博士とはいえ、慶應義塾が付与した博士号ですからね、清家先生。

投稿: hamachan | 2009年5月 4日 (月) 21時48分


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話は変わって池田氏って誰かに似てるなと思えば、スポーツフィクションライター(笑)と失笑されている金子達仁とそっくりだなと思います。

二人とも「真実への侮蔑」を平然とやらかすし、無節操に多くのジャンルに首を突っ込みあたがるし、とどめに自身が自慢げに主張する事が逆の事態を招くという点が正に瓜二つだと思う訳です。

もし池田氏から明確に何か学べる点があるとすれば、「自らの姿を見失った者は、はなはだしく醜悪と化す」という点に尽きるという点でしょうか。

反目教師という意味では、池田氏からは多くの事を学べる貴重な存在な訳で、その辺大いに評価されるべきと思う次第です。(笑)

投稿: ふみたけ | 2009年5月 6日 (水) 13時34分



_____________________

問題はあくまでも、

>言ってる中身が歴史的事実に反するくらいはまだ見解の相違でごまかせますが、労働経済学の大家が言ってもいないことを言ってるかのごとく虚偽を振りまくという所業は、研究者としての最低限の知的誠実さに欠けるということですから、同じ労働経済学者からみれば、研究者としての資格のない人間としか言いようがないでしょう。。

というところにあるわけで、そのような下劣な人物に、「オレ様は博士だぞ、えらいだろ」と言わせるような原因をつくったことに、慶應義塾関係者としてなにがしかの意識をもっていただければそれでいいのです。


ちなみに、その近辺に同じように第3法則剥き出しの無恥で卑劣で傲慢な人物がいますが、だからといってその出身でとやかく言うつもりはありません。ただ、そんな人物を世間に出荷してしまったことになにがしかの意識を持っていただければというだけです。

投稿: hamachan | 2010年8月20日 (金) 20時40分

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html

 早     /::::l:::l::、:::::、:::::ヽ::、::::::::::::\:::\::::::::ヽヽ::::::ヽ   駄
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 な.     /:l::::!::::ヽ!::ヽ:::::::ヽ:::::::\:::ヽ、::::::::ヽ:::ヽ::::::::!::i:::::::!  だ 
 ん   ハ:::l:::::、::::ヽ::::\:::::\:::::::\:::`ヽ、:::ヽ::ヽ:::::!:::!:::::l
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 な    l:i:l::::i::i:、:l::lテ=-、:ヽ、_、::\_,≧ェュ、_、\:::::::::i::li::!::リ   :
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池田信夫氏と信者たちの麗しき世界 2007年12月20日 (木)

依然としてご自分のブログで役所と労組を口汚く罵り、それにカルト信者たちが唱和するという麗しき世界のようですが、論点自体はスルーということのようですな。まあ、歴然と間違っているんだから、如何ともしがたいでしょう。あとは形容詞の激烈さで勝負、と。

しかし、女工哀史や富岡日記が出てきましたな。今度は山形浩生さんや田中秀臣さんと共闘ですか。またぞろ明治初期と大正期の取り違えで恥をかくだけなんですが。知ってるのがそれだけだからって。やみくもに出すものじゃありません。本当に、日本労働史を勉強し直した方がいいですよ。

この辺は次を参照のこと :


第4章 特定の諸問題 第2節 女性労働者と男女差別
 
 
 今までお話ししてきた日本の労務管理の仕組みは、主として重工業の男性労働者を対象とするものです。しかし、産業化初期から戦争直前に至るまで、日本の雇用労働者の半数以上は女性でしたし、現在もまた労働力の女性化が進みつつあります。女性労働者に対する労務管理を抜きにして日本の労務管理を語ることはできません。しかし、日本型雇用システムが確立するまでの、主として繊維工業を中心とする女性労働と、日本型雇用システムが確立した後の、主として事務作業を中心とする女性労働とでは、その意味合いが全く異なっています。また、近年の女性労働を考える上では、前回お話しした非正規労働者としての就労形態が重要な意味を持ちます。

 いずれにしても、女性労働者は正規労働者であっても、企業へのメンバーシップを中核概念とする日本型雇用システムの中では異分子的な存在であり続けました。逆にいえば、女性労働者の視点から日本型雇用システムを見ることで、その意味合いをよく理解することができます。


 
1 繊維工業の女工
 
 明治期から大正期にかけて、日本の労働者の過半は繊維工業の女工でした。その出発点に位置するのが、1872年に開業した官営富岡製糸工場です。当時の女工たちは誇り高い士族の子女で、十代半ばの若さながら、その賃金は校長並みで、食事や住居など福利厚生も手厚く、まさにエリート女工でした。その一人であった松代区長の娘横田(和田)英の『富岡日記』には、その誇りがよく出ています。

 やがて日本各地に彼女らを教婦として民間の製糸工場が続々と開かれていきますが、なお女工は良家の子女であり、通勤女工が主で、地域のエリートとして誇りを持って働いていたのです。ところが製糸工業が急激に発展し労働力需要が激増するとともに、1870年代末には女工の出身は主として農村や都市の貧しい平民層に移行し、生家の家計を助けるために口減らしとして労働力を売る出稼ぎ女工が主になりました。

 一方、近代的な紡績工場も幕末から創業が始まり、初期には士族の子女が紋付きを着て工場の門を出入りするような状態でしたが、やはり業種の急拡大とともに農村や都市の貧民層が主たる労働供給源となっていき、それとともに遠方から募集した女工を寄宿舎に収容するのが一般的になっていきました。

 当時の企業にとって最大の問題は女工の募集難でした。そのために悪辣な募集人を使い、おいしいものが食べられる、きれいな着物が着られるなどと言葉巧みに十代の少女を誘惑して工場に連れてくるといったやり方が横行し、時には誘拐という手段も用いられました。その実情は、農商務省の『職工事情』に生々しく描かれています。このような弊害に対処するため、この頃から都道府県レベルで募集人の取締りが行われるようになりました。これは後に国レベルの規制に格上げされます。

 一方、工場の中の労働条件も、富岡時代とはうってかわって長時間深夜労働と低賃金に彩られていきます。高価な機械を使うことから昼夜フル操業が要請され、そのために昼夜交替制の12時間労働で、休憩時間は食事時間15分ずつといった有様でした。女工たちは家計補助のための就労ということで、女工一人の生活を維持する程度の低賃金でしたし、工場や寄宿舎は不衛生で、多くの女工が結核等に感染し、死亡するものも多かったようです。こういう状況に対して女工たちがとったのは逃亡という手段でしたが、これに対しても企業側は、逃走を図ったといった理由で、殴打、監禁、裸体引き回しといった懲罰を加えていました。

 この状況についても上記『職工事情』に詳しく描かれていますが、政府は主としてこの女工の労働条件改善対策として、工場法の制定を図ります。繊維産業界の猛烈な反対の中で立案から30年かかりましたが、同法は1911年に制定され、1916年から施行されました。これは女子と年少者について深夜業を禁止するとともに労働時間を12時間に制限したものです。もっとも、企業側の反対で、施行後15年間は、交替制の場合は深夜業が可能と骨抜きにされました。

 一方、企業側もいつまでもこのような原生的労働関係に安住せず、募集よりも保護・育成に力を注いで、女工の定着を図る施策を講ずるところが出てきます。鐘ヶ淵紡績(鐘紡)をはじめとして1890年代から義務貯金制度が始まりますが、これは逃亡すると没収されるので移動防止策として用いられました。鐘紡は、女工に対する福利厚生の手厚いことで有名です。特に寄宿舎に教育係を置き、国語算数に加え裁縫などを教えました。

 労務管理史上重要なのは、繊維工業では重工業や鉱山と異なり、親方職工による間接管理ではなかったという点です。作業管理も生活管理も企業の直轄で、賃金制度は個人ベースの出来高給です。しかし、上で見たように大部分は使い捨ての労働力であって、企業のメンバーシップがあったわけでもありません。とはいえ、彼女ら主に未婚の女工たちがジョブに基づく労働市場を形成していたとは言えないでしょう。出身家族へのメンバーシップに基づき、家計補助のために就労するというのがその社会的位置であったと思われます。

 鐘紡を先駆者として、大企業は次第に福利厚生や教育訓練を充実していきます。年少の女工が対象であるだけに、これはまさに使用者の温情主義として現れることになります。工場法制定に反対する企業側はこの温情主義を根拠としたのです。鐘紡の武藤山治は、これを「大家族主義」と呼び、1919年のILO総会に出席して、いかに職工を優遇しているかを説明しています。

 なお、有名な『女工哀史』は、東京モスリンの職工だった細井和喜蔵が1925年に書いたもので、職工事情に見られるような原生的労働関係が経験に基づいて描写されているとともに、上記温情主義施設に対する社会主義的立場からの批判も見られます。しかし、この頃にはかつてのような悪辣な募集と逃亡のいたちごっこは影を潜め、特定地域からの固定的な採用と結婚退職までの定着化が進んでいました。また教育内容は花嫁修行化していきます。さらに、この温情主義の流れから、例えば倉敷紡績の大原孫三郎のように、労務管理の科学的研究が始められたことも重要です。 

 
2 女事務員
 
 ホワイトカラー職員の世界では、明治期から女性が徐々に進出していましたが、第一次大戦後大きく増加し「職業婦人」と呼ばれて注目されました。彼女らは出身階層も高く、学歴も高等女学校卒業が多く、職工よりも高く位置づけられていました。女工には縁のないデパートでのショッピングも、彼女ら女事務員には親しいものでした。もっとも、職場の仕事は男性職員の補助的なものが多く、結婚までの若年短期型就労であることに変わりはありません。

 そのため、1930年代には「婚期を逸することのないよう」、わざわざ女性の定年を25歳や30歳に引き下げる企業が続出しました。これが女子若年定年制の始まりです。もっとも、これは年功賃金制が確立してきた大企業において、女事務員をいつまでも雇用していると補助的な仕事に釣り合わない高給を払わなければならなくなるために、導入したという面もあるでしょう。

 1936年の退職積立金及退職手当法は退職手当の支給を義務化しましたが、その際、「女子労働者が結婚するとき」は労働者が退職を申し出た場合であっても自己都合退職とはしないこととされました。これは結婚退職制を規範として認めたものですが、興味深いのは経営者側が「退職奨励になる」と反対しているのに対し、全日本労働総同盟婦人部をはじめとする女性側が「家族制度の維持」を理由に賛成していることです。女性の主たるメンバーシップは家庭にあるという意識は女性の間でも強いものがありました。


 
3 戦時体制と女性の職場進出
 
 戦時体制に向かうにつれ、日本の産業は重化学工業にシフトしていき、これに伴い労働者の性別構成もそれまでの女性が多数を占める状態から男性が多数を占めるようになりました。しかし、戦争が進行するにつれ多くの成人男性が兵士として戦場に送り込まれるようになり、これを補うために女性の職場進出が国策として推進されるようになりました。

 1939年から国家総動員法に基づき毎年労務動員計画が策定実施されましたが、そこでは新規労務給源として、女学校、女子青年団その他の婦人団体と協力して女子就労者希望者を開拓し、労力資源の確保に努めることとされています。1941年の国民勤労報国協力令は、14歳〜39歳の男子とともに、14歳〜24歳の未婚の女子についても国民勤労報国隊に参加し、1年30日以内の総動員業務への協力を義務づけました。

 労務動員計画は1942年から国民動員計画と改称され、その中で「わが国の家庭制度や女子の特性を勘案しつつ」女子の勤労動員を進めるべきこととし、特に「書記的または軽易な業務等、女子で代替するのが適当なものについては男子の就業を禁止または制限」することとしています。これを法制化したのが1943年の労務調整令改正で、一定業務における男子の就業が禁止制限されました。対象は事務補助者、現金出納係、店員売子、外交員、集金人、出改札係、車掌など17職種です。これにより、ホワイトカラー職場への女性の進出が加速されました。

 戦局が進行すると、女子勤労動員はさらにブルーカラー職場にまで拡大されました。1943年の「女子勤労動員の促進に関する件」は、14歳以上の未婚の女子を対象に、女子勤労挺身隊を結成させ、航空機工場をはじめとする作業場への自主的な出動を図りました。翌1944年には女子挺身隊への加入が強制化され、女子挺身勤労令が制定されたのです。これまで女性がほとんどいなかった職場に大量の女性が送り込まれてくるわけですから、政府は女子挺身隊受入側措置要綱を策定して受入態勢の整備を図りました。

 こういった戦時女子労務動員は終戦時には300万人に達し、この時期の就労経験が戦後の女性の意識に何らかの影響を及ぼしていると思われます。

 
4 戦後改革と女性労働
 
 今まで繰り返し、戦後労働運動は戦時体制下で作られたシステムを再確立したと述べてきました。しかしながら、女性労働のモデルについては話はやや複雑です。戦時下の長期雇用システムや年齢に応じた生活給の論理は、女性を家庭のメンバーシップ中心に考えるものであったからです。実際、戦後の急進的な労働運動は、1946年の電産型賃金体系に見られるように、本人の年齢と扶養家族数に応じて生活保障給を定めるという方向に進み、同一労働同一賃金原則に対しては極めて否定的な姿勢をとっていきます。

 しかし、戦時中の女性の職場進出の影響は大きく、多くの労働組合には婦人部が作られ、活発に活動しました。当時の女性労働モデルは、戦前と同様に基本的には結婚までの若年短期就労型であったと思われますが、その限りにおいては男性と対等の地位を享受するものと考えられていたようです。しかし、戦争未亡人も数多く、既婚女性の就労も多く見られました。

 労働分野に限らず、女性の地位向上は民主化の一環として占領軍の重要な政策課題であり、このため1947年に新設された労働省には婦人少年局が設置され、その局長には戦前社会主義者として活躍した山川菊栄が就任しました。同局は女性の地位向上に向けてさまざまな周知活動を行いました。法制面では、労働基準法によりホワイトカラー職場の女性労働者にも労働時間等の保護規定が適用されるようになりました。


 
5 OL型女性労働モデルの確立
 
 1950年代以降、経営側のイニシアティブで日本型雇用システムが再度修正されていくことになりますが、その中で女性労働のモデルは結婚までの短期的メンバーシップとして純粋化していきます。つまり、男性正規労働者が採用から定年退職までの長期間のメンバーシップを持つのに対して、女性正規労働者は採用から結婚退職までの短期間のメンバーシップを持つわけです。場合によっては、女性労働者は男性労働者の結婚候補者的存在でもありました。こういった事務職場の補助業務を中心とする女性労働モデルを、高度成長期まではビジネス・ガール(BG)、その後はオフィス・レディ(OL)と呼ぶことが普通です。

 男性労働者が長期勤続を前提にして、手厚い教育訓練を受け、配置転換を繰り返していくのに対して、短期勤続が前提の女性労働者はそういった雇用管理からは排除されています。しかし、短期勤続である限り正規労働者としてのメリットは十分享受できる仕組みになっており、それを男女差別と捉える考え方はほとんど見られませんでした。むしろ、家庭において妻が夫を支えるように、会社でも女性社員が男性社員を支えるのだという認識が一般的だったようです。女性の家庭へのメンバーシップになぞらえる形で企業へのメンバーシップを構築したと言えましょう。

 短期勤続が前提とはいえ、ある程度の期間は勤続して貰わなければ、事務補助業務といえども円滑に回りません。そのため、結婚適齢期まである程度の勤続が見込まれる高卒女性がもっぱらその対象となりました。これはやがて学歴水準の上昇とともに短大卒に移行していきますが、4年制大学卒の女性は長らく排除されていました。これは、短期勤続を前提にすることは困難であるが、とはいえ長期勤続を前提とした男性正規労働者並みの処遇をすることも考えられないという状況を反映しています。


 
6 パートタイマー
 
 前回お話ししたように、高度成長期に入って急激に減少していった臨時工の穴を埋めたのは、パートタイマーと呼ばれる主として家庭の主婦からなる労働者層でした。彼女らは、学校卒業後結婚退職するまで短期間正規労働者として就労した後、出産、育児に専念し、ようやく子育てが一段落した頃に労働市場に復帰してきた女性たちです。

 詳しくは前回お話ししたとおりですが、彼女らは自らをまず何よりも家庭の主婦として位置づけ、その役割の範囲内で家計補助的に就労するという意識が中心でしたから、職場における正規労働者との差別待遇が直接問題化することはありませんでした。

 パートタイマーの問題が政策課題として論じられるようになるのは1980年代になってからであり、それが法律として現実化してくるのは1990年代、通常の労働者との均衡処遇が具体的な労務管理課題とされるようになるのは2000年代になってからです。


 


7 男女平等法制と労務管理へのインパクト
 
 上述のようなOL型女性労働モデルは、高度成長期に僅かながら揺らぎます。それは少数とはいえ長期勤続して働いてきた女性労働者が、結婚退職制や男女別定年制の正当性を裁判に訴えることで始まりました。この思想がようやく裁判例に達したのが1966年12月の住友セメント事件で、結婚退職制を民法90条違反で無効としました。男女別定年制については、1969年7月の東急機関工業事件(男性55歳、女性30歳)以来様々な裁判例が出されましたが、1981年3月の日産自動車事件(男性55歳、女性50歳)最高裁判決で最終的に決着がつけられました。そして、1985年の男女雇用機会均等法(いわゆる努力義務法)において、定年、退職、解雇についての女性差別とともに、結婚、妊娠、出産を退職理由とすることも明示的に禁止されました。

 このいわゆる努力義務法は、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、福利厚生など広範な労務管理分野において、男女均等待遇を努力義務にとどめました。これは、女性労働に対する社会通念や就労の実態を考えれば、いきなり男女均等待遇を法的に義務づけることは不可能だという現実的判断に基づくものと言えますが、努力義務とはいえ法律上に男女平等が明記された以上、それは企業の労務管理実務に大きな影響を及ぼしました。

 大企業を中心として、男女均等法に対応すべく導入されたのがコース別雇用管理といわれるものです。これは通常、「総合職」と呼ばれる基幹的な業務に従事する「職種」と、「一般職」と呼ばれる補助的な業務に従事する「職種」を区分し、それぞれに対応する人事制度を用意するというものです。「職種」と言っても、いかなる意味でもジョブとは関係がなく、要はそれまでの男性正規労働者の働き方と女性正規労働者の働き方をコースとして明確化したものに過ぎません。ただ、女性でも総合職になれるし、男性が一般職になることも(実際にはほとんどありませんが)あり得るという仕組みにすることで、男女平等法制に対応した人事制度という形を整えたわけです。

 実際には、総合職の条件として転勤に応じられることといった条件が付けられることが多く、家庭責任を負った既婚女性にとってはこれに応えることは困難でした。もちろん、頻繁な配置転換が日本型雇用システムの重要な要素であることは確かですから、転勤要件自体が必ずしも不合理というわけではありません。しかし、やや皮肉な言い方をすれば、女性を総合職にしないために、企業がわざわざ転勤要件を要求したという面も見られるようです。

 その後、1997年には男女均等法が改正され、募集・採用、配置・昇進等も努力義務ではなく法的義務となりましたが、女性であることを理由とした差別でなければ禁止の対象とはならず、コース別雇用管理の問題は残りました。2003年改正では間接差別という形でこの問題にアプローチされ、総合職における全国転勤要件や昇進における転勤要件に正当性が求められることになりました。

 これより先、既に企業の方も女性の活用の観点から、地域限定の総合職といった形で、転勤を要求することなく基幹的業務に積極的に就かせる傾向も出てきています。この背景には、女性の大学進学率が急上昇し、その能力活用が社会的にも重要な課題になってきたことがあります。また、これとともに、女性も男性も含め、職業生活と家庭生活の両立を図るべきという考え方が徐々に浸透してきたこともあります。この考え方の展開については次回お話ししましょう。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/joseirodosha.html


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コメント

話が全く噛み合っていません。

投稿: hamanako | 2007年12月21日 (金) 00時32分

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噛み合うも何も・・・。

池田氏は私の論文の中の政策的なところには一言も触れていないのですから、普通の議論の意味において「噛み合う」はずがありません。

切り込み隊長さんも、そこのところがわかっておられないようで、

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/12/post_e50a.html


>何度か、濱口氏と池田氏の議論を読んだけど、何か噛み合ってない気がする… その方面のことは良く分からないからぐちゃぐちゃになってるとしか言いようがないが。

政策的な論点が噛み合うような話ではないのです。彼は私の政策論に文句をつけたのではない。あたかもそうであるかのように天下り云々とごまかしていますが、要は、戦前から戦後にかけての時期に臨時工が差別された存在であった(と同時代的に認識されていた)という事実を、彼が小野先生の著書に書いてあるなどとでっち上げをして否定したということが唯一の論点なのであってね。端的に「事実問題」なのですから、反論したければそこを実証すればいいだけのこと。それができないで悪罵を投げつけていることをとらまえて「噛み合っていない」と云われたのでは、まともな議論をする人はいなくなりますよ。

この事実関係について彼がきちんと謝罪(とりわけ小野先生の云ってもないことを云ったとウソをまき散らした点について)をするのであれば、『世界』論文で私が論じた労働時間やら請負と派遣やら解雇規制やら、いくらでも議論してあげていいんですよ。

投稿: hamachan | 2007年12月21日 (金) 16時49分


http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_4fd0.html


池田信夫氏の「書評」 2009年8月30日 (日)

捏造を批判されて逆上したのか、急いで拙著の「書評」をアップしたようですね。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/hamaguchi.HTML


ただ、「読んではいけない」という理由が、

「俺も同じことを言っていたんだぞ」

ということと、わたくしの属している組織への攻撃だけというのは、いささか悲しいところがあります。

もう少し、「こいつのこういう政策論はこのように間違っている」といった正々堂々たる正面攻撃があるかと思っていたのですが、拍子抜けというところです。

属性攻撃でもって中身の批判に代えるというのは池田氏の毎度おなじみのやり口ですので、まあ、リンク先の文章をじっくり鑑賞してもらうことにして、もう一点の

「俺も同じことを言っていたんだぞ」

について。

これは、労使関係史研究者の金子良事さんの批判がもっとも適切です。拙著の序章で示している認識枠組みは、労働研究者の中ではごく普通に共有されているものの一種であって、たかが10年前に池田氏が博士論文を書いて始めて提示したようなものではありません。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-44.html


『日本的経営論、日本的賃金論にある程度、親しんだ人ならば、欧米=契約、日本=所属という対立構造は受け入れやすいものなのかもしれない。実は、濱口さんの『新しい労働社会』の序章で雇用契約を欧米=職務、日本=メンバーシップと捉えているのもこのアナロジーとみてよい。言ってみれば、これは戦後数十年にわたって議論されてきたことを素直に継承したら、このような議論になるというような典型例なのである。』

金子さんへのリプライでも述べましたが、わたくしの場合、その原型は孫田良平さんや田中博秀さんといった労働省出身の官庁エコノミストから得たものです。この辺については、金子さんへの応答の一環として、そのうちきちんと彼らの著作を引用しながら示したいと思っています。

いずれにしても、金子さんの感想ではありませんが、

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-date-20090809.html


『ここ数週間、濱口さんのブログで、御自身が一生懸命、探して紹介している(本当の意味でインタラクティブ!)『新しい労働社会』の書評を楽しみに読んでいると、彼のメンバーシップの議論に蒙を啓かれたという人が結構、いるらしいことが分かった。』

金子さんから見れば、序章で言っていることはもう昔から労働研究者の間では共有されている今更の話であって、論ずべきは第1章から(とりわけ)第4章で論じられている政策論の是非なわけですが、その今更の論をたった10年前の自分の博士論文を盾に

「今後、著者が「メンバーシップ」について言及するときは、拙著を必ず参照していただきたい」

と言える神経も不思議なものでしょう。

まあ、この「読んではいけない」のどこにも、わたくしの具体的な政策論のどこがどのようにけしからんのか、片言隻句の記述もないということが、すべてを物語っているように思われます。

書評は書評の対象となった書物について語るよりもより多く書評氏自身の人間性を明らかにするものですが、この「書評」ほどそれに当てはまる指標も、ちょっとほかに思い浮かびません。

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コメント


ちょっと補足します。

メンバーシップと職務の比較は労働研究まわりの人だけかもしれませんが、メンバーシップ論の共有については、労働研究者というより、もうちょっと広い範囲の人を想定していました。具体的には1990年代以前の経営学(ジャーナリスティックな話も含めて)をかじった人を考えていました。ちなみに、昔(1950年代から60年代)、産業社会学は人間関係学派を介して経営学ともファミリーでしたので、そこも含めていいのかな。何れにせよ、そのあたりの人たちにとってもこの議論はファミリアだという話です。

それから、私が第4章を取り上げたのは、多分、それが私の役割だろうと勝手に考えたからで、もっとも大事なことかどうかは分かりません。個人的には一番大事なのは「生命を守る」という基本的な価値観をはっきりさせるようという提言だと思ってます。これは動かしがたいですね。現実には法律の運用は大事ですが、問題の性質からいえば労基法以前の話です。もちろん、仕事に命を賭ける(賭けさせられるではなくて)という生き方にどの程度、他人が介入できるのかという難しい問題はありますが、そんな各論を議論する前に、とりあえずは誰もがちゃんと頭に入れておくべき考え方だと思います。

投稿: 金子良事 | 2009年8月30日 (日) 13時17分


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そうですね。経営学方面の方々も含めて「労働研究者の間で共有」と言ったつもりでした。

一つ裏話をしますと、今回の新書、私の最初の企画案では序章はなかったんです。労働時間、非正規労働、セーフティネット、労働組合という4つの政策論だけで構成するつもりだったんですが、岩波書店の担当者の方が、一般の読者向けに序章に当たるところを入れた方がいいと強く勧められたのです。

さまざまな批評を読んでいくと、結果的に、それは「当たった」ことになります。

金子さんにとっては「今更」でも、一般の読者の方々にとってはあながち「今更」ではないんですよ。

投稿: hamachan | 2009年8月30日 (日) 14時39分

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「今更」という風には思ってませんよ(笑)。

内容というか根幹は伝統的でも、語り口は新鮮でした。それは魅力でもありますが、ひょっとしたら、問題でもあるかもしれませんね。

たしか、ヴァレリーの名言に、哲学とは出来れば知りたいと思っていることを知っていることで説明するものだ、という趣旨のものがあったと思うのですが、それとちょっと似てる現象です。私はインテリ層を立派だと思いませんので、あまり意識が高い読者層というのは嫌なんですが、岩波新書の読者層がそういうものであるならば、おそらく、日本的経営論はご存知だろう、と。だから、新しい話?いやいや、知っている話じゃないですか、と語りかけてみたのです。多分、皆さんもある程度の知識を前提にして読んだからこそ、ああそうか、と思われたんだと推測しています。研究者も含めて、本当に新しい内容の議論をすぐに理解できる人はきわめて少数ですしね。

とはいえ、分からないと読む人は付いていけないので、出版戦略はズバリ、お見事だと思います。実際に効用も多いと思います。ただ、その一方で、古い皮袋に新しい酒を入れない、というごとく、こういう枠組みだと、医療・介護関係者の労働問題には拡張していきにくいですね。生命が大事、という線だったら、そこまですんなり拡張できたと思います(非資本主義セクターへの拡張)。経営学では徐々に非営利組織への関心が高まりつつありますが、労働研究も同じ道を辿る必要がありそうです。

投稿: 金子良事 | 2009年8月30日 (日) 15時33分



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社会学では一般的な議論だと思います。ドーア先生も類似の議論をしています。大事なのは、それを体系的に展開したかどうか、また今後、それが多くの研究者に受け入れられるかどうかです。

投稿: 博樹 | 2009年8月31日 (月) 09時35分


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佐藤博樹先生のおっしゃるように、労働問題は経済学者、経営学者、社会学者、人類学者等々々の十字路で、少しずつ違うディシプリンから同じようなアプローチがされていると感じます。

私はそのいずれでもないので、政策論に必要な限りでざっくりとまとめてみることができるのかな、と。

もともとこの序章は、政策研究大学院で外国からの留学生に教えるために作った講義メモがもとなので、ざっくりしすぎているのは判っているのですが。

投稿: hamachan | 2009年8月31日 (月) 10時55分


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池田信夫氏の「書評」

厚生労働省の家父長主義を解説したパンフレット
濱口桂一郎『新しい労働社会』 岩波新書


『岩波書店といえば、この反書評の常連だ。かつては日本の文化を担っていた出版社が、1970年あたりで時計が止まり、社民党御用達の泡沫出版社になってしまったのは、日本の文化のためにも惜しむべきことだ。本書も、規制によって労働者を「保護」する厚生労働省の家父長的な労働行政を厚労省の官僚に解説させたもので、本というより役所のパンフレットに近い。

著者は日本の雇用関係が「メンバーシップ」にもとづいているという大発見を最近したそうだが、そういう議論は経済学では昔からある。日本では少なくとも私が1997年に書いた本の第5章で、Hart-Mooreに代表される所有権(ownership)によるガバナンスに対して、Krepsなどの評判によるガバナンスを会員権(membership)という言葉で紹介し、第6章「メンバーシップの構造」でそのインセンティブ構造を論じている。

著者はこのメンバーシップ(長期的関係)がなぜ成立したかというメカニズムを説明していないが、これはゲーム理論でおなじみのフォーク定理で説明できる。彼が「日本の雇用の特殊性」として論じている問題は、気の毒だが、20年以上前に経済学の「日本型企業システム」についての研究で論じ尽くされたことなのだ。先行研究があるときは、それを引用するのが学問の世界のルールだ。新書はかまわないが、今後、著者が「メンバーシップ」について言及するときは、拙著を必ず参照していただきたい。

また著者は、このメンバーシップが「日本の労使関係の特質」だとして、それを前提に議論を進めているが、いま日本で起こっている問題の本質は、このようなメンバーシップを支えてきた成長によるレントの維持が困難になってきたという変化だ。それがなぜ生じたかは、日本で長期的関係が発達したメカニズムを分析しないと理解できないが、スミスもケインズも読んだことがない著者にそれが理解できないのはやむをえない。

他は欧州の労働市場などの紹介で、特に独創的な見解が書かれているわけでもないが、「ネオリベ」に対する敵意だけはよくわかる。結論は「ステークホルダーの合意が大事だ」ということだそうだが、これは「みんな仲よくしよう」といっているだけで、何も内容がない。企業の所有権をもたない労働組合が強いステークホルダーになって効率的な意思決定を阻害し、欧州企業の競争力を弱めている、というのが最近の経済学の実証研究の結論だ。

著者は厚労省から政策研究大学院大学に派遣されて「なんちゃって教授」をしばらくやっていたが、最近は「労働政策研究・研修機構」という独法に戻ったようだ。そこに勤務していた若林亜紀氏の『公務員の異常な世界』によれば、研究員が足りないと事務員を「昇格」させて埋め、彼女がまじめに研究して本省に都合の悪い結論を出したら、報告書を握りつぶす所だそうだ。無駄な組織には、無駄な人物が棲息しているわけだ。この独法は、行革で何度も廃止の対象にあげられながら労組の反対で生き延びてきたが、「聖域なき無駄の削減」をとなえる民主党政権はどうするのだろうか。』


この中でかろうじて「書評」の名に値するのは、「メンバーシップ」論に対する


「俺も10年前に博士論文に書いていたんだぞ」

というところだけであり、実はその点については、池田氏に限らず、労使関係論の世界では昔から言われていることですね、と上のエントリの本文で述べています。

ほかのどの論点でも過去の先行研究を挙げるなどということはしていない一般向けの新書版ですから、いささか難癖の嫌いはあるといえ、その点については池田氏の指摘を私は認めています。しかし、「書評」の名に値するのはそこまでです。


それ以上に、


「岩波書店といえば、この反書評の常連だ。かつては日本の文化を担っていた出版社が、1970年あたりで時計が止まり、社民党御用達の泡沫出版社になってしまった」

だの

「規制によって労働者を「保護」する厚生労働省の家父長的な労働行政を厚労省の官僚に解説させたもので、本というより役所のパンフレットに近い」

だの

「著者は厚労省から政策研究大学院大学に派遣されて「なんちゃって教授」をしばらくやっていたが、最近は「労働政策研究・研修機構」という独法に戻ったようだ」

だの

「無駄な組織には、無駄な人物が棲息しているわけだ。この独法は、行革で何度も廃止の対象にあげられながら労組の反対で生き延びてきたが、「聖域なき無駄の削減」をとなえる民主党政権はどうするのだろうか」

といった単なる悪罵の連続に対してまともに対応する必要はないというのが私の判断であり、 同次元の「書評」を書く気にはなれないというのが正直なところです。


池田氏の「書評」なるものは、拙著の政策提言の何一つとして一言一句たりともコメントしていません。ホワエグ論でも休息期間規制でも、請負と派遣の話でも偽装有期の規制でも、教育費や住宅費の問題でも、集団的労使関係の話でも、何一つとして論じようとはしていません。それが歴然たる事実です。

投稿: hamachan | 2009年10月24日 (土) 17時12分


http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-5545.html


池田信夫症候群−事実への軽侮 2007年12月21日 (金)


池田氏やイナゴさんたちの書き込みを読んでいると、彼らには共通して「事実への軽侮」という特徴があるように思われます。

労働問題であれ、何であれ、およそ社会に生起する現象について論じようとするときに、最も重要なことはそれが事実に立脚しているという点であるはずです。事実に立脚しない、つまりそれが事実ではないのではないかと指摘されても何ら反論できないような虚構の上に百万言を費やして壮大な理論を構築しても、それはテツガク作品としては意味を持つこともないとは言えませんが、少なくとも社会を対象とする学問としては無価値であるといわざるを得ないでしょう。

今回の池田氏の行動は、自分から、私の論文中の独自の意見にわたるところではなく、労働問題を知っている人間にとっては常識に類する程度の前提的な部分にのみ噛み付いて、罵倒した挙げ句、間違いを指摘されると何ら反論もせずに人格攻撃のみを繰り返している点に、最大の問題があるわけです。

(労働時間から偽装請負から派遣から解雇規制に至るまで、論点はてんこ盛りにしておいたはずなんですが、そういうところには噛み付けないんですね。)

おまけに、小野旭先生(私も何回もいろいろ教えていただいた労働経済学の大家ですが)が云ってもいないことを云ったとでまかせを並べて、小野先生に対して「そんなとんでもない莫迦なことを云う人物なのか」と誤解されかねない事態を招いた点、私を天下りと罵るのは自由ですが、小野先生を池田一派であるかの如くでっち上げたという点では、これはほとんど名誉毀損と云うべきでしょう。

まあ、しかし、池田氏やそのイナゴたちにとっては、そんな「事実」などはどうでもいいのでしょう。


事実への軽侮。

これが彼らを特徴づけるもっとも重要な思考行動様式であるように思われます。

(追記)


私はここ4年間、東大の公共政策大学院で労働法政策を講義していますが、その冒頭で、「職工事情」と「資本論」を読むと日本とイギリスの原生的労働関係の実情がよく判りますよ、といっています。

え?資本論?

そうです。ただし、労働価値説とか何とか難しい理屈を並べたところはスルーしてよし。読んでもよくわからんだろうし実を云えば私もよく判らん(笑)。

しかし、資本論第1巻には、厖大なイギリス政府の工場監督官報告が引用され、分量的には半分近くを占めています。これが大変役に立つ。マルクス先生がこうやってダイジェストを作ってくれていなかったら、大英博物館にこもって調べなければならなかったものが、文庫本で手軽に読めるのですから有り難いことです。

マルクス先生の理論は100年経って古びても、彼がダイジェストしてくれた工場監督官報告はいつまでも役に立ちます。

池田氏の「学術博士」論文は、”IT革命のお陰で日本的経営は古くなった”という10年前にマスコミで流行した「理論」をもっともらしく飾り立てた代物のようですが、そういう議論は10年で古びていますが、古びたあとに残る事実の重みがかけらでもあるのでしょうか。

事実を軽侮する者は、ピンの先で天使が踊る議論が崩壊した後に何ものをも残すことはないのです。

_____________________


コメント

『資本論』の一巻といえば、ミョウバンを混ぜた粗悪なパンの話が一番頭に残っています。

あれをみれば昨今の食品問題など…といつも思うわけですが、誰もが簡単にアクセスできる形で産業革命後のイギリスの状況を詳しく知ることが出来るのですから、大変便利なものです。

マルクスの理論的貢献も、それがあるからこそ生きてくるわけですから、ちゃんと調べずに勢い言い立ててもどうにもならないということは博士だと分かってるはずなのですが、困ったものですね。

投稿: hogehoge | 2007年12月21日 (金) 11時04分



_______________


こんにちは あるサイトに下のように書いてありました。

池田氏はもう、何十年も同じようなことをいろんな場所で同じことを繰り返しているのでしょう。

以下引用です。 ◇「ネット・ストーカー」について(2003.10.1)

http://homepage3.nifty.com/martialart/sikou.htm

(略)


 この人にならって昔話をすれば、私は幾度かこの人を見かけたことがある。

彼は学生時分に西部氏の追っかけのようなことをしていて、かまって欲しいのか、うるさくがなり立てては西部氏に一喝され 、しゅんとして逃げ出すといったことを幾度か繰り返していた。

しばらく見かけなかったが、インターネットという利器を得て、またぞろ学生時分の恨みを晴らそうとしているらしい。 追っかけても受け入れられないので妄想にかられつつ「一派」にまで執拗なストーカー行為を及ぼすわけだ。

まあ、こう した例を見せつけられると、 淋しい人にとって、ネット社会は憂さ晴らしの天国に違いないと 改めて感じる。それでいてこうした人物に限って「信頼できる制度」うんぬんと説教するのだから、たまらない。

投稿: 地方の住人 | 2007年12月24日 (月) 19時23分

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_a9de.html

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池田信夫氏の3法則 2007年12月21日 (金)


いうまでもなく、私の『世界』論文にいきなり噛み付いてきたのは池田信夫氏です。


『世界の労働』原稿
「雇用の格差と人生の格差」    濱口桂一郎
http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html


『ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします』


『(日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。)

というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。』


労働問題を専門にしている以上、その誤りを指摘するのは当然の義務でしょう。それが

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html
(一知半解ではなく無知蒙昧)

であったわけですが、現在までの所、池田氏は上で彼が断言した内容について一切触れていません。その代わりに、


『彼の記事には「戦前や戦後のある時期に至るまでは」と書いてあるんだけど、「〜時期に至るまでは」という言葉には、明治時代は含まれないんですかね。彼は、もしかして日本語もできないのかな。』


という罵倒でごまかしているだけです。これで、まともな人が納得するとでも思っているのでしょうか。彼は、昭和初期を含む「戦前や戦後のある時期まで」に「臨時工がかわいそうな存在であった」ということを否定したのですよ。

ましてや、小野旭先生の立派な本にホントにそんなことが書いてあるのかという問いは無視。そして彼のブログは、もっぱら役人や労働組合に対する罵倒で埋め尽くされる。

ここから、池田信夫氏の議論の仕方について、3つの法則を導き出すことができるように思われます。

池田信夫氏の第1法則:

池田信夫氏が自信たっぷり断言していることは、何の根拠もない虚構である蓋然性が高い。


もし根拠のあることをいっているのであれば、批判されればすぐにその中身そのもので反論できるはずでしょう。できないということは、第1法則が成り立っているということですね。


池田信夫氏の第2法則:

池田信夫氏がもっともらしく引用する高名な学者の著書は、確かに存在するが、その中には池田氏の議論を根拠づけるような記述は存在しない蓋然性が高い。


もしそういう記述があるのであれば、何頁にあるとすぐに答えればいいことですからね。

池田信夫氏の第3法則:

池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い。

ここのところ、池田信夫氏があちこちで起こしてきたトラブルにこの3法則を当てはめれば、いろいろなことがよく理解できるように思われます。

まあ、いずれにしても、現実社会でまっとうに、真摯に生きている多くの人々の生き方を、薄ら笑いを浮かべてあざ笑い、どんな「研究」で得た学術博士か知りませんが、博士号に立てこもって人を攻撃することのみに専念するこのような人物に、学問的誠実性のかけらもないことだけは確かなようです。

私は、現実社会に生きる人々の側に立ちます。労働する人々の側に立ちます。そのために乏しいとはいえ労働問題に関する学問的知見を活用したいと考えています。それが私の学問的誠実性です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html


05. 2011年10月27日 22:17:52: MiKEdq2F3Q


クズ論文でやっと取らせて貰ったインチキ学位を鼻に掛ける人は大嫌い


               _/ ̄二ニ> / ̄ ̄7
             } ̄ ̄\_ニrヘrx∠二_   〈
              〈  >'´        `丶、〉,       / ̄ ̄ ̄\
             〉/             \ゝ     / も   話   !  / ̄ ̄ヽ
               〃   -‐ァ7丁 ヽ       ヽ      !  ら  し  |  |  あ  |
            / / / / / j  j  \       ',、   |  え  か  :!   l  の  |
             / // /  /  ,′ l 入 \     ',、    !  ま  け  :!  ヽ__/
           ハ// //  /  /  //   丶 ヽ   ハハ.  |  す  ん.  |
            | l l //  /  /  //    \ ハ   j', ',  |  か   と  :!
           l l l /  /  /  //      ヽハ   ハ !  ',      っ  j
          fハ! ! l  /  //// 、, -‐ ´ `丶l | ノ~}j l  \__て__/
            Vヘl ハV,rr=ミx /     ,zr=-x_ l !/勹/ j
           V∧ ヽ込zソ`       乂ソ'′リ} 〉'/  j
 近 そ  あ.     乂ハ                jし'′ /
 づ れ   と             、           ハ   /
 か 以                         /    /
 ん 上             \    r‐ ー、   / ̄>/
 と                 〈 > 、 ` ´  , イ >'´_|
 っ                ∧ 《ハ`ー-‐'´  / / \_
 て             〈. \ヘハ_   / /   / ̄\__
                   \  ヽ┐ |  |  |   /    /  /


池田信夫Blogの品質管理 2007-11-19

岡山理科大学 准教授 荒木圭典

1.まず個人への反論の域を越えているのではないかという点

池田信夫Blogにおいて次の2件の投稿がBlog管理者自身の手によって行われている。

http://megalodon.jp/2007-1119-0101-53/blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/fbfaca6dfadef82fccf2c9349c12ae91

技術者の既得権意識 (池田信夫) 2007-11-14 16:18:05


『私の経験では、技術者はコスト意識なしに「いいもの」を追求する傾向が強く、既得権意識が強い。そして今回のように外部から批判されると、「素人が何をいうか」と脊髄反射する。この短い記事にたくさん集まった「はてな」のネットイナゴの反応が、それを典型的に示しています。

中でもお笑いなのは、arakik10というイナゴで、この牧野氏のサイトを引用しながら、「科学計算とWebサーバか何かを同列にイメージしている愚論」と書いている。

このarakik10こと荒木圭典は、岡山理科大学の知能機械工学科の助教授で、どうせスパコンがらみの補助金で食ってるんでしょう。匿名のつもりでも、頭隠して尻隠さずで、グーグルで調べれば身元はすぐわかる。文献を引用する前に中身ぐらい読め。 』

『(*)匿名のつもりでも、きのうの記事について自分のコメントを否定するサイトにリンクを張った荒木圭典のような間抜けもいる。こういうイナゴの実名は、わかり次第、今後も公表する。』

http://megalodon.jp/2007-1119-0101-53/blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/fbfaca6dfadef82fccf2c9349c12ae91


以上の2件は批判的な意見に対する反論、批判の域を越えて中傷に相当しかねない。私自身が残念に思うことは、以前より「ネットイナゴ」に対して批判的な態度をとっておられるはずの氏が、自ら「イナゴ」以下の行為に走ったことである。

これについては事態の改善が見られない限り、名誉毀損による告訴の検討に入らねばならないと考えている。

2.自らの主張を押し通すために事実を枉げる


私は「匿名のつもり」は全く無い。これは氏のブログのコメント欄に2度に渡って書き込み、掲載もされた(つまり氏は私のコメントを無視したわけではない)。しかしながら、「匿名のつもり」の部分に対し、事実誤認があったとの訂正がこのエントリをあげた時点で無い(つまり私の訴えは無視されたわけだ)。

当該エントリにおいて私の名前を掲載した趣旨がいまひとつ分からない。というのも、氏が取り上げた人物が趣旨にそぐわない人であるとしか思えないからだ。(そもそもGoogle検索で「arakik10」と検索を掛ければ「あらきけいすけの雑記帳」がトップに来る。同じような事態が、例えば「finalvent」で起こりえようか?

この節で問題にしたいことは個人名を特定したかどうかではなく、また「個別エントリの内容」の問題でもなく、事実誤認に対する「著者の態度」の問題である。事実誤認の指摘がその当人からあっても、このエントリを上げる時点に至るまで訂正をしていない。

この態度が継続するようであれば、氏は間違いの指摘があっても訂正をしない人であるし、自らの立論の趣旨を固持するためには、たとえ被害者本人の証言であっても無視する人であると見なさざるを得ない。

問題なのは、これが経済政策などの問題のような、ひとつの事実に対する多様な解釈と提言があり得るタイプの問題ではなく、あきらかに名指しされた「被害者」の意思を無視してまで継続されている「事実」の捏造であることである。しかもそれが書籍のような訂正のしにくいメディアではなく、ブログという編集、訂正の容易なメディア上で公然と行われている。

このような例がある以上、氏の「経済」「歴史」等の議論においても、自らの論旨に都合のよいような捏造がなされているおそれを読者はいくばくか想定して読む必要があるのではないか。当然のことながら、氏の著書においても同様のことが行われてきたおそれを想定せざるを得ないだろう。

3.結論

以上の2件を鑑みるに、gooブログの品質を落とすものがあるとすれば、名誉毀損にあたりかねない記載を自ら投稿する池田氏自身であり、これは他のgooブログの利用者、また管理をしているNTTレゾナントに対して失礼(あるいは迷惑)なのではないか。

またこのように自分の都合の良い様に事実を捩じ曲げて訂正することをしないのは、池田信夫Blogを信頼し愛読している読者に対して失礼である以上に、読者に対する裏切り行為なのではないか。


___________

m-bird 2007/11/19 01:14

初めまして。色々大変ですね、心中お察しします。

私の場合、寧ろ「一学部生にムキになって大人げない所を見せて欲しい」という感じで特攻しちゃってる感じです。

ただ、荒木先生のようにきちんと立場がある方が、ただ声がでかいだけの人間に執拗に嫌がらせされてしまい、誤解を受ける事があると思うと、理不尽に思ってしまいます。

影ながら、応援させていただきたいと思います。頑張ってください。

______


GJ 2007/11/19 04:26

>名誉毀損による告訴の検討に入らねばならない
>池田信夫Blogの2エントリのコメント欄を含めた保存、記録をお願いします

既に天羽先生が独自に証拠保全を図っておりました。素早い対応

池田信夫による名誉毀損になるかもしれない実例証拠保全

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=6918

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Baatarism 2007/11/19 21:58

池田氏が攻撃的なのは昔からですが、今回はさすがに批判の域を超えてますね。

荒木さんのような実名ブロガーをこれだけ手ひどく攻撃すると、それを見ている人には攻撃を避けるために「やっぱり匿名にしておこう」と考えるでしょう。これは匿名発言を批判する池田氏の考えにも反する事態だと思います。だから今回の池田氏の行動は、合理的経済人を仮定する新古典派経済学者らしくない行動ですね。



_______

通行人 2007/11/19 22:20

ご愁傷様です。池田氏の今までの騒動を見る限りでは、本人から謝罪や訂正がある可能性は低いでしょう。謝罪どころか、騒動を重ねるたびに個人攻撃などがひどくなるばかりです。むしろ、騒動を起こして名前を売るのが目的になっているかのようです。


________

おだなかです 2007/11/20 00:04

仰る通りかと思います。私は今まで池田信夫ブログの熱心な読者だったのですが、これからは一定のバイアスの下でしか彼の書くものは読めないと思います。これまでも、何度か疑問は感じていたのですが…。

今回のは決定的です。それからm-birdさんの

「汎用CPUをつなげば速度はいくらでも上がる? だったら 、誰も苦労しませ んよ 」

には腹を抱えて笑わせていただきました(私にはまったく専門外ですが、そう言われてみれば確かにそうなので)。生兵法は怪我の元ですね。何でも知ったかぶりするのは、ある種の(特に文系の)インテリにありがちなことですが。それにしても朝日新聞や大江健三郎については、事実誤認(あるいは意図的な事実の捏造)についてあれほど執拗に攻撃にするのに、自分のことは棚に上げるというのであれば、いずれ誰も彼の言うことは信用しなくなるでしょう。

さようなら、池田さん。


________

nobusine 2007/11/20 12:54

これでFAでしょう。天羽先生、GJ!

池田信夫による名誉毀損になるかもしれない実例証拠保全
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=6918

> 批判の範囲を超えて中傷になっている
> 池田さんの脳内「技術者」というわら人形に対して批判しているだけ
> blogのコメント欄であらきさんに対する反論を唐突に書くのは、ただの憂さ晴らし
> 論評の内容で勝負せずに、個人攻撃にすり替えようとする池田さんの意図が見え見えだ


________


mohno 2007/11/21 13:08

心中お察しします。何しろ自分が誰かを批判するときは「普通の論評」といいつつ、自分が批判されると「誹謗・中傷」と騒ぎ立てて議論を封印しようとされるので困りますね。


________

Van 2007/11/21 19:00

はじめまして あまりに酷い話なのでウォッチしていましたが
もうあの頑固な方ははどうしようもないようですね

まぁ「ネットのお子様」相手に「ネットの大人」の話は通じ無いという「良くある話」だと思いますが、実名が絡むとなると話は深刻になりますよね

大まかな意見は「おだなかです」さんが仰られている事に同意です

まぁ氏の名前がある文献や講演などがあっても話にはかなりのバイアスがかかっている事を意識する必要があることは今回の事件(?)で勉強させていただきました。

今回の騒動でそのように考える人は少なからずおられるでしょう。
#ひょっとしたら昔からそういう目で見られていたのかも知れませんが・・・(笑)

________


一ウォッチャー 2007/11/23 11:47

一時は私も池田信夫の熱心な支持者でしたが、傲慢なその態度からこの頃はblogをチェックするのをやめていたのですが、なんだか酷いことになってますね。ご愁傷様です。

長いですが引用です。

http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_81fa.html

「また、実名の書き手が、匿名の書き手に比べてネガティブな評価に脆弱なのは上の図から明らかです(注5)。実際、実名の書き手というのは匿名の書き手を嫌うものだとされていますが、良く見ると嫌っているのはネガティブな評価であって、匿名そのものではないことがすぐに分かります(数年前にも、「褒めるときは匿名でもいいが、批判を匿名でするのは許せない」とおっしゃった某評論家のコメントを紹介しました)。

 そのため、実名の書き手は議論での「負け」が許されません。しかも、書き手の
 アピール対象が素人の場合(文筆業など)、観客は議論の決着を判断できません
 
(例えば、原子力発電の専門的な話題など)。実名の配当を守るためには、

 「絶対に負けを認めず、相手の言葉には耳を貸さず、泥仕合になろうとも相手が
 疲れ果てるまで自分の意見を押し付け続ける」という戦略が望ましくなります
 (これは政治家が自分の名前を連呼し続けるのと、本質的には同じメカニズムで
 す)。読み手に「何だか議論が錯綜してどっちの意見が正しいんだか訳分かんない」

 と思わせれば、敗戦処理は成功です。昨今、実名ブログを巻き込んだ議論がぐだぐだの泥仕合に終わるのを見かけますが、これにはそれなりに理由があるように思います。これは、「実名の書き手が参加すると議論の質が落ちる」
 可能性があることを示唆しています。」


池田信夫はこの説を地で行っちゃってますね。
池田信夫の態度が段々軟化しているのにも笑えますが。

今回の件で池田信夫は大いに評判を落としたことでしょう。


_____________


応援 2007/11/23 13:53

対抗言論戦略で謝罪をしてこない場合には告訴ですかね…

> 自分をちょっとでも批判する者はみんなイナゴ扱いするイナゴの親分さんが、最近いよいよ人の道を踏み外して自爆テロを敢行した

> 労働問題の無知を暴露されるや逆ギレして、政策研究大学院の役人出身者の数を数え上げて喚いている

> あそこまで行くと犯罪もの

> さわらぬ疫病神にたたりなし

投稿 hamachan | 2007年11月23日 (金) 00時55分

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_03f7.html#comment-21575768

__________

一ウォッチャー 2007/11/24 19:23

多分最後のカキコになると思いますが、再び引用です。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~teorema/professor.html


「ラッセルは、その自伝の中で、学生時代のケンブリッジでのある経験について感動を込めて述べています。それは、授業中に学生から間違いを指摘された教官が

 「自分は永年こう教えてきた。しかし君の方が正しい。」

答えたことで、彼はこれを深い感慨をこめて「知的誠実」と呼んでいます。しかしA、B両教官の振る舞い、すなわち自分の知らない分野に平気で口を出すこと、論文をよく読みもせずに罵詈雑言を投げ付けたりすることはそのような誠実な態度の逆であり、 正しく「知的不誠実」の名で呼ばれるべきことだと思います。」

私は学歴何ぞで人の価値が測れるなんて全く思ってないですが、上武大学なんていうところで教鞭を取っていると知的不誠実な態度を取らざるを得ない学生にたくさん出くわすんでしょうか?


__________


一ウォッチャー 2007/11/26 20:13

自ら戦線放棄したようですが。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/fd6f41ee4f521ae5adf73b7980c8a26d

> なお、あらき氏の件は終わり。彼が削除しないかぎり、いくら議論しても無駄です。

このような人物が駆逐されてこそ日本の未来があるものと信じます。


_______

Van 2007/11/26 22:24

> なお、あらき氏の件は終わり。彼が削除しないかぎり、いくら議論しても無駄です。


そもそも議論始まってないし・・・
論争相手のコメントを排除している時点で議論から逃げてるし・・・

もう宗教系かMLM関連の掲示板を連想してしまいますね(大笑)
ああ、論争に負けた輩が「立つ鳥 跡を濁しまくり」ながら遁走する時にも似てるか・・・


________

一ウォッチャー 2007/11/28 21:40

池田信夫個人のブログなのでコメントをどれほど編集しようが池田信夫自身の勝手ですが。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7a0b5fd9f33ff6d2be7f8e8255b7007f

では

「Unknown (Unknown) 2007-11-23 05:50:11

 岡山に住み着いているイナゴはまだ鳴かないのでしょうか。
 地球シミュレータというのは、岡山の野山のを保全してイナゴがすみやすい環境を残しておくための計算をするのでしょうか。」


こんなコメント承認してますね。自分に都合のよいコメントばかり承認しているとしかいえませんね。このコメントが不愉快だとあらきさんが抗議したら池田信夫は削除するんでしょうか。

また

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5293d396b69a6498f9edb72581480fc4

ではbuyobuyoなる人物を「今回は問題を根絶するまで徹底的にやる」と息巻いてますがw

buyobuyoなる人物を追い詰めるよりももあらきさんの2007.11.26追記に万人に納得できるように反論して貰いたいものです。ま、彼のblogですからどう対処しようが彼の勝手でしょうけど。

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こんなの 2007/12/28 01:22

>ここ1週間ばかり私は“戦争状態”にあります。私はブログを書いているんですが、池田信夫さんという方が、福井さんと似たようなことを言っていて、要は、役所も企業も組合も左翼も全部フリーターの敵であると。

>組合を全部なくして、解雇を自由にしてしまえば皆さん幸せになるんだというようなことを言っているので、一知半解で勝手なことを云うんじゃないと反論したのですが、そうするとものすごく反発がきました。

>本人が反発するのは予想していましたが、他にもいろいろな人が私のブログにドッとやって来て、「この天下り官僚が」「死ね」とかいっぱい書いている。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_5cf1.html


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arakik10 2007/12/28 11:58

これですね(^^
http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbangkouen.html

Physical Ararchy 2007/12/30 10:02

池田信夫の「市場価値」

 今回のあらき氏への名誉毀損も含め、上記のサイトの人物に対する池田氏の非難中傷については、池田氏のブログ上での言動から判断する限り、彼の個人的なルサンチマン、あるいは不遇感というモチベーションによって動かされていると解釈することが可能である。もっともこうした解釈は全て想像の域を出ないし、何らかの事実に基づいたものでないことをお断りしておく。

 私の素朴な疑問とは以下のようなものだ。もし池田氏が恐らくは本人が自認し、また彼のブログの「ネットイナゴ」が称賛するような見識と学識の持ち主であるとするならば、なぜ彼は○○大学大学院という、世間的にはあまり知られていない大学の教授でしかないのであろうか。それに対して予想される第一の答えは、日本の大学の人事の閉鎖性にあるというものだろう。日本の大学事情を少しで知っている者には説明するまでもなく、日本の大学ほどギルド的な既得権の保持に汲々としているところはないからだ。結果としてそれで割を食うのは若くて優秀な人材である(いわゆるポスドク問題)。この問題については、池田氏のブログのコメントにも同様の書き込みがあったと記憶する。

 しかしこの究極の閉鎖社会はもちろん完全に新参者に対して閉ざされている訳ではない。江戸時代における幕府や諸藩の人材登用や、「階層社会」であると思われているイギリスの上流階級において見られるように、一部の「きわめて」優秀な存在はこの「閉鎖社会」に入り込む余地がある。そうでなければ「閉鎖社会」は本当に閉塞して倒れてしまうからだ。

 特に池田氏の母校であるT大学などは、近年他大学からの優秀な研究者を吸い上げることに熱心であるという印象を受ける。ではなぜ池田氏にはそうしたチャンスが回ってこないのであろうか。もちろんこれは現時点での池田氏がそうであって、今後そうならないという保証はないので、あくまで現時点での疑問であるが。

 想像される理由の一つは、池田氏が専門の経済学という分野で他の専門家からあまり評価されていないのではないか、ということだ。そもそも氏が自らのサイトで誇らしげに紹介している「博士論文」(の概要)についても、もしそれが学術的に重要な価値を持つのであれば、氏が罵倒する岩波書店からとは言わないまでも、日本の通信行政・通信市場を経済学的に分析した好著として、他のしかるべき出版社から刊行されていても良いはずである(もっともこれも現時点での感想なので、今後そうなるのかもしれない。しかしそれにしても論文が完成してから刊行するまでの時間はすでに十分にあったと思われる。あるいはすでに出ているのかもしれないが)。ところが池田氏の著作として氏のサイトで紹介されているのは、それこそ30分で読み終わるような新書の類が大半である(一部専門的なものもあるようだが、学術的にどのような価値があるのかは門外漢なので私にはわからない)。

 そもそも池田氏にそんな学識と才能があるのなら、英語もよくお出来になるようだし、日本のT大学などとケチなことは言わず、スタンフォード大学やシカゴ大学やLSE (London School of Economics)といったところからお呼びがかかるように、刺激的な論文をバンバン量産すれば良いではないか。今年は誰がノーベル経済学賞を取るかといった下馬評にいそしむのではなく、結果として無理ではあっても、自分がその候補になるように努力するのが研究者の根性と言うものだろう。それとも氏はそのような精力的な学術活動を行いながら、ブログで「先生」「教授」と礼賛されて悦に入っている(と私には思える)超人的な方なのであろうか。

 さて、ここからは完全に私の「妄想」の域に入るのでそのつもりでお読みいただきたいのだが、池田氏が上のブログ主に対して罵詈雑言を浴びせ、「役所も企業も組合も左翼も全部フリーターの敵である」いう言辞を弄するのは、要するに自分の不遇感という怨念に動かされているのではないかということだ。最近はあまり見かけないが、彼の初期のサイトにあった「書評」と称するものの多くが、実質的には著者に対する個人攻撃でしかなかったのと同様に。
 彼が攻撃する日本の労働市場の硬直性という概念の中には、恐らく日本の大学の閉鎖性が含まれているのだろう。と言うか、むしろそちらが中心なのではないか。確かに日本の(有力)大学から団塊の世代を中心とする無能教授達が一斉に解雇され、池田氏を含めた新規参入組に門戸が開放されるという「革命」が起きれば、池田氏ならずとも快哉の声を上げたくなる人々は大勢いるだろう。また私は、既得権を守ることに血道を上げている(もちろんそういう人たちだけがいる訳ではない)日本の大学の専任教員や文科省の立場に与するつもりはない。

 ただ、日本の大学の多くは放っておいてもそのうち実質的に崩壊するだろうし、本当に実力があって、目端の利く者はそうなる以前に海外に逃げ出しているだろう。日本のプロ野球に見切りをつけたイチローのように。
 私が言いたいのは、それが全てではないとしても、池田氏が自らのルサンチマンを発散するための場としてブログを利用し、周囲の「イナゴ」を煽り、結果として不用意にあらき氏や上のブログ主を非難中傷するような行為をしているのだとしたら(改めて断っておくがそうだと言っているのではない。あくまでこれは私の「妄想」である)、中・長期的に見れば、それは決して池田氏のためにはならないということだ。ブログで無知蒙昧な民を啓発するような言論活動を行うのも結構だが、それよりも本職の経済学の分野で後世に残るような著作を一つでも残した方が良いのではないか。少なくとも氏が研究者であると自認するのであれば。もっともこれも現時点での想像であって、本人はすでにそうした構想に取りかかっておられるのかもしれない。その日を楽しみに待つことにしよう。もっともその日が来ればの話だが。

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Physical Ararchy 2007/12/30 10:21

本職の経済学の分野で後世に残るような著作は、もちろん英語で書かれなければならないだろう。

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arakik10 2008/01/03 06:32

Physical Ararchy さま、長文のコメントありがとうございます。
私自身は、池田信夫氏に対する批判の戦略としては、氏自身を包括的に批判する方向性はあまり有効ではなく、むしろ個別の議論をきちんと論として批判するべきではないかと思っています。

例えば、対山形浩生戦、対NATROM戦、対hamachan戦のように、個別の議論で議論の基礎になる部分をきちんと整理して追及するべきでしょう。

池田信夫氏のウェブ上での「利用方法」としては、氏の議論に対して(論の是非を吟味するという意味で)批判的なサイトを訪れると、参考になる意見や資料参照やレビューがあるように思われます。最近ではhamachan氏のサイトで戦前の日本の労働問題の歴史のレビューを見つけて、とても勉強になりました。


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Physical Ararchy 2008/01/24 17:07

あらきさん

 池田信夫対策に関するご提案には、YesでもありNoでもあります。なぜなら彼がブログでやっている個人攻撃は、典型的な掟破りの「ケンカ」だからです。こういう人物を相手にして、一見したところ「ケンカ」のようでありながら、実際には一定のルールに基づいて行われる学術的な「議論」、あるいは百歩譲って知的なレベルでの最低限の「対話」を求めても無駄であるように思われます。

あらきさんも書いておられましたが、たとえば学会では相当辛辣なやり取りが交わされるのはごく普通のことです。しかしその一方の当事者がよほど「デムパ」な人(学会の鼻つまみ者=誰からも相手にされない人)でもない限り、そこで行われる攻撃を個人に対する中傷であると受け取る人はいません(まあイエローカードすれすれのはよくありますが、池田信夫のような露骨な中傷はレッドカードです)。

 ところが池田信夫がやっていることは、たとえば川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』(講談社選書メチエ,1996)の中の記述を喩えとして用いるならば、相手の馬を射るような、当時の合戦では「掟破り」とされた行為です。もちろん戦争は仁義なき戦いであり、勝てば(あるいは勝ったように見せかければ)それで良いのです。その意味で、あらきさんが(あらきさんだけではないと思いますが)池田信夫のこれまでの個人攻撃を「〜戦」と表現されていることは意味深です。

hamachanさんは池田信夫の論争のやり方を三つのパターンに分類しており(池田信夫氏の三法則 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html)なるほどと思いましたが、これを源平合戦流にパラフレーズすると、次のようになります。


(1) 自分の気に入らない相手に向かって、突然、一方的に「一の矢」を放つ。

(2) 矢を射られた方が呆然とし、かつ事態に気づいて反撃すると、相手ではなく、乗っている馬を狙って(すなわち論点をずらせて)「二の矢」を放つ

(3) そこで自分(池田信夫)は一方的に戦線から離脱し、「勝利」の鬨の声を上げる。

(4) 後は彼に付き従う雑兵共(ネットイナゴ)がわらわらと押し寄せ、滅茶苦茶に刀を振り回して相手を防戦一方に追い込む。

(5) それでも相手が抵抗の姿勢を崩さない場合は、無視して、さっさと別の戦場へと移動する。決してがっぷり四つに組んだ本格的な戦い、あるいは長期戦には引きずりこまれないようにする。

まあ、ケンカのやり方としては常道に則った見事なものなのでしょう。こういう人物に対抗するためには、あらきさんの仰るように、個々の事例を検証し、池田信夫の個人攻撃による個々の「被害者」、さらには私のようなサポーターが長期戦を継続して、少しずつ彼にボディブローを加えていくしかないでしょう。

 ただし前回の私の書き込みのように、単なる推測に基づいた週刊誌的なお下劣な発想も、池田信夫のような人間に対しては良いのではないですか。

 池田信夫のあらきさんへの名誉毀損については、以前コメントを書かれた方の提案にもありましたように、あらきさんがgooの事務局に削除要求を出されることを希望します。いずれにせよまだ「戦い」を放棄しないように願っています。


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GJ 2008/01/30 11:33

池田信夫氏からのメール :: 事象の地平線::---Event Horizon---
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7608

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Physical Ararchy 2008/02/04 14:19

今回の一連の騒動の少なくとも専門的な側面からの議論については、「いち学生」さんがこのサイトでも紹介してくださった牧野氏自身のコメント
http://jun.artcompsci.org/articles/future_sc/note058.html

によって、池田氏風の言い方をすれば「この問題はこれにて決着」した感があります。ただし改めて指摘するまでもないことですが、「決着」しないのはこれからも半永久的に、とまでは言わないにせよ、少なくとも池田氏が生きているくらいの間はネット上に残り続けるであろう、氏にとっては不名誉きわまりないその軽率な発言と、それに対して寄せられたさまざまな批判、要するに「池田信夫にとっての不都合な事実」の集積です。

 この点で池田信夫氏は根本的に戦略を誤っている感があります。たとえばこれがテレビ番組や新聞や週刊誌の記事であったなら、いわゆる「やらせ」や虚報の類は、人の噂も75日という喩えの通り、時間の経過と共に忘れ去られていきます。もちろん新聞や週刊誌の場合は、図書館にでも行って過去の記事を検索すれば「不都合な報道」をいつでも見ることはできますが、そんな面倒なことするのは、少なくとも一般の人にはあまり居ないでしょう。ところがネットではそうは行かない。

 池田氏は「火事と喧嘩はブログの華」だと放言し、他者を無責任に中傷することで自らのブログの閲覧数が急増していると述べています。それが虚勢なのか本音なのか、私には判断しかねますが、いずれにせよ馬鹿なことをするものだというのが私の感想です。なぜならそうした扇動的な書き込みによって一時的にはPVが上がるにせよ、中・長期的に見れば、それに対して行われる批判、反論の蓄積によって、氏はじわじわと自らの首を絞めていくことになると予想されるからです。しかも池田信夫という実名のままで。それがどれほど手痛い打撃になるか、氏にはわかっているのでしょうか。

 たとえば

「池田信夫? ああ、あのスパコン(と池田氏が称するもの)の問題について素人同然の無知をさらけ出した上に、その誤解の上にあらきけいすけ氏を中傷した人ね」

(もっとも当初の出来事の順序は逆ですが、事後的に事態を整理すればこのようになり得ます)とか、


「あらき氏の立場を守るために魚拓を取っておいたapjさんに対して、人格を疑われるような誹謗中傷を繰り返しただけでなく、非難する相手が所属する大学の学長宛に書簡を出そうとして物笑いの種になった人ね」

というように…。 


 そもそも、少なくとも今回の一件でわかった池田氏のブログでの「問題提起(実質的には話題作り)」の方法は、これはすでに他の方がどこかで指摘されていたと思いますが、


(1) 問題をAかBか、というように極端に単純化する。

(2) その過程で、自らに反する立場を代表する「悪者」を(意図的に)作り出し、その人物を非難し、その愚かさをあげつらう。

(3) 自らの立場を補強する(専門分野に関する無知を覆い隠す)ために、その分野での何らかの「権威」に頼る。

というものです。


 今回のあらきさんをめぐる「中傷」の一件では、池田氏による上記(1)から(3)までの全ての仕掛けが露呈してしまった訳です。しかもこれは、基本的には池田氏自身がブログで批判している(と思いましたが)旧態依然たる日本の新聞やテレビの「イエロージャーナリズム」の手法と同じです。比喩的に言えば、かつての池田信夫ブログが「クローズアップ現代」位のクォリティを保っていたとすれば、今の氏のブログは朝のワイドショーと同程度でしかない。従って今後「視聴率」(PV)を稼ごうとすれば、マンネリ化したパターンで、せいぜい知的な装いを凝らしただけのセンセーショナリズムを煽り続けるという方法しかない。


 そしてその過程で、氏から謂れのない誹謗中傷を受ける「被害者」の数が増えていくのかも知れません。しかし上にも述べたように、こうした「被害者」が相互にネットワークを作り、一時の感情に走らず、事実と推測を明確にした上で冷静な反論を続ければ、(たぶん)損をするのは池田信夫氏の方です。

 こうした状況は、ネット上で他のプレーヤーに対して有益な情報を提供することによって、結果として自らも有益な情報を手にすることになるという利他主義的な立場を取るのか、それとも一時的な利得の追及のためにネット上で他者を犠牲にしても構わないという利己主義的な立場を取るのか、そのいずれが有利かという「ゲーム理論」の問題なのではないのでしょうか。もっとも私は「ゲーム理論」の専門家でも何でもないので、単にそのような印象を持つだけですが。そして爬虫類の世界ならいざ知らず、少なくとも人間社会において最終的にどちらが「得」をするかは、別にゲーム理論など知らなくても、単なる常識で判断できることのように思いますが…。そもそもこうした問題は、経済学がご専門(必ずしもそうではないらしいですが)の池田氏が考えるべきことでしょう。池田氏が「経済学者」だと言うのであれば、自らがブログで行っている行為の「損得」をよく計算されてはいかがでしょうか。


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apj 2008/02/07 11:02

Physical Ararchyさん、

 あてはめてみますと、あらきさんの場合はしばらく保ったようですが、名誉毀損云々については最初から失敗しているのではないかと。

>(1) 問題をAかBか、というように極端に単純化する。
→「間抜け」と書いたのが名誉毀損かどうか、と単純化


>(2) その過程で、自らに反する立場を代表する「悪者」を(意図的に)作り出し、その人物を非難し、その愚かさをあげつらう。
→名誉毀損になるかもしれない、という、「反対の立場の人(=天羽)」を非難。


>(3) 自らの立場を補強する(専門分野に関する無知を覆い隠す)ために、その分野での何らかの「権威」に頼る。
→「権威」がどこにも居なかったわけですが。


 山形大学のコンプライアンス部門やら学長やらに頼ろうとしても、名誉毀損の判定のような法律上の問題では役立たないし、そもそも私がプロである弁護士を雇って名誉毀損訴訟2つの攻撃防御の真っ最中で、それなりに専門書や判例もあさっている上、いつでも気軽にプロの見解を訊いてこれる状態なのは私の方だし。


http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20071119/p1


06. 2011年11月03日 22:32:04: MiKEdq2F3Q

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時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫


内田樹氏の知らない比較優位 (池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51752213.html

自由貿易で交易が活発になることによって、経済が成長すると思っている人が多い。この理論的根拠の一つがリカードの「比較優位の原理」である。

このリカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。

しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

中でも最大の交易の障壁が関税という認識である。したがって関税撤廃を目指すTPPは、自由貿易の信奉者に熱烈に歓迎されている。しかしリカードの「比較優位の原理」が唱えられたのは、18、19世紀の牧歌的経済システムの時代を前提にしている。また後ほど述べるが、今日では関税以外の大きな貿易の障壁があることが常識になっている。

http://adpweb.com/eco/eco651.html


 池田氏は、『内田樹氏の知らない比較優位』のなかで、「「アメリカが強硬に日本のTPP参加を要求」しているというのは、何を根拠に言っているのだろうか。たとえばNYタイムズで"TPP"を検索すると、2件しか出てこない。その一つでBergstenは「大統領も共和党もTPPに関心をもっていない」と嘆いている。アメリカにとってTPPは、小国を相手にしたローカルな通商協定にすぎない。そこに主要な輸出先でもない日本が入って来ても来なくても、どうでもいいのだ」と書いている。

 米国政権が日本政府にTPP参加を要求しているわけではないという根拠の最初に、NYTの記事検索を持ち出すのには驚いた。 それは、TPP(や対日通商交渉)が米国国民やメディアにとってそれほど大きな関心事ではないことを意味しているとしても、米国政権が日本政府にTPP参加を要求していないという傍証にすらならない。 TPPのキーワードでNYTの記事を検索せずとも、米国政権が日本政府にTPP参加を強く望んでいることは、日本で報道されている米国政権の言動から十分にわかることである。

 日米の貿易関係は、「水平分業」で棲み分けがうまくいっている構造になっていると考えている。

 韓国企業との関係とは違い、それほど激しいつばぜり合いを演じることはなく、品目や対象地域(市場)で棲み分けている。(韓国企業とは、市場と品目(完成品)の両方で深刻な角逐状況にある)

 池田氏は、米国にとって日本が主要な輸出先ではないという説明を否定せずそのまま使っているが、ちょっと調べればわかるように、カナダ・メキシコ・中国に次ぐ第4位の位置にあり、英国やドイツよりも上位なのである。(対日輸出512億ドル:輸出全体の4.8%)

 池田氏は、さらに、「TPP反対派は、高校の政治経済レベルの経済学も理解していないことが多い」と指弾し、その根拠として、『比較優位の原理』を持ち出している。

 池田氏は、クルーグマン氏の教科書から説明を引用し、

「各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。これがリカード以来知られている(そして内田氏の知らない)比較優位の原理である」

と教示している。 クルーグマン氏の教科書からの引用部分:

『アメリカでは1000万本のバラを栽培しているが、これに使う資源で10万台のコンピュータを生産できるとしよう。他方、南米では同じ資源で3万台のコンピュータしか生産できないとする。アメリカでバラの生産をやめて全量を南米から輸入したら、南米のバラの生産は1000万本増えてコンピュータの生産は3万台減るが、アメリカではバラの生産がゼロになってコンピュータの生産が10万台増える。つまり世界全体では、バラの生産量は変わらないが、コンピュータの生産量は7万台増える』

 この論理で、南米にコンピュータ製造をやめさせバラ栽培に傾注させられると考えているのならお手並み拝見である。

 まず、近代経済学は物理的量ではなく金額的量が基本の考察ベースである。

 バラ1000万本の付加価値とコンピュータ3万台の付加価値を比較しなければならない。それが同じなら、とりあえずは比較優位の論を受け入れよう。 しかし、バラの付加価値が100万Gでコンピュータの付加価値が130万Gなら、南米はご冗談でしょとバラ栽培への特化を拒否するだろう。  付加価値は同じだとしても、商品の性質も関わってくる。

● バラの盛りは短く、売り時に売れなければ、腐らせてしまい収入が大きく減少する。輸送にも気をつかわなければならない。

  コンピュータは、コストダウンペースや技術革新が速く生鮮食品とも揶揄されるが、バラほどではない。見切りをつけ安売りすればバラほどの大損は食わない。経済的腐敗はあるが、物理的腐敗はほぼない。


● バラの栽培も奥行きは深いと思っているが、近代資本制産業を発展させる動因はあまりない。コンピュータの方は、半導体・映像表示装置・ソフトウェア・製造装置など近代資本制産業を発展させる要素が詰まっている。

  近代国家として今後も成長を遂げたいと思っている国であれば、現段階の生産性は低くとも、コンピュータの製造を放棄したりはしないだろう。

 池田氏は、「比較優位の原理」を使って、「日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ」という結論を導いているが、製造業従事者がこの3年間だけで100万人も減少し(総数900万人)、若年労働者層の8%以上(200万人)が失業しているこの日本で、「製造業を犠牲にして」というロジックは通用しない。

 世界最高レベルの競争力を持つがゆえに、日本の製造業は、日本国内で労働力を使いこなせなくなったのである。日本の製造業にとって日本の労働力人口は過剰なのであり、農業を保護しようがしまいが、それは変わりないのである。

「比較優位の原理」は、そのような状況ではまったく通用しないのである。

 池田氏が批判している内田氏のブログは申し訳ないが未読なので、池田氏が引用している


『貿易において一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。ふつうはそうである。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。』

という部分のみについて感想を述べたい。  貿易収支の不均衡からWin-Win はないということらしいが、貿易黒字の多寡がWINの指標だというのなら別だが、経済成長や国民生活の向上を指標にするのなら、Win-Win はありえる。


 池田氏の誤りは、内田氏の主張を「比較優位の原理」で裁断していることだ。比較優位は、静態的一時的な話としては通用しても、持続的なWin-Win が論証できているわけではない。  持続的なWin-Winの条件は、

○ 一つは、米国のように、膨大な貿易赤字にお構いなしで、旺盛な財貨の輸入ができる国があること。

 戦後世界の経済発展は、国際基軸通貨ドルの発行国で軍事的にも破格の力を持つ米国が、鯨飲馬食とも言える輸入超過構造を継続してきたことに支えられている。

○ もう一つは、米国の輸入超過構造を頼りに、近代的製造業の移転を通じて途上国の国民所得をアップさせるような貿易関係。

比較優位ではなく、コストの比較どころか製造条件さえない国に先進国が製造拠点を築き、そこに生産財や部品を輸出し、そこから米国や自国などに完成品を輸出するという構造だ。それにより、雇用された人々の所得が増加し、その所得が消費を通じてその国の経済社会全体に回る。進出先の国の所得水準が上がることで、製造拠点の生産量が増えたり、自国からの製品輸出が増える。

 というようなもので、「比較優位の原理」は、Win-Winの条件でもなければ、その論証にもなっていない。

以下のリンク先の比較は参考になります。

野田オバマ初会談―各紙は何を書き何を書かなかったか

http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110923/1316769113


オバマ大統領


『大統領は初顔合わせにもかかわらず、具体的な結果を明確に求めてきた』(朝日新聞)、『オバマ大統領が示したビジネスライクな要求』(毎日新聞)、

『一変した大統領の実務的な口ぶりに、同席の米高官らも驚いたという』(産経新聞)、『初顔合わせで、米大統領が懸案を巡り、ここまで単刀直入に善処を迫るのは異例といえる』(日本経済新聞)。


オバマ大統領の口調が、これまで行われた日米首脳会談とは違っていた事を各紙が伝えています。しかし、どうしてオバマ大統領が、そういう口調で話さなければならないのかという事まで触れた新聞社は一社もありませんでした。私は、各社の論説委員が国内の事だけしか考えていないからだと思わざるを得ません。オバマ大統領が日本との外交で結果を求めたのは、それだけアメリカ国内で追い詰められているからです。実際に世論調査では再選が危ういと言われていますから。

結局、オバマ大統領は、野田総理に得点になるような物を寄越せと言っているわけです。

http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/582.html


【経済学理論の虚妄】 「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 

− 「自由貿易主義」は「保護貿易主義」である 

「国家破産15」ボードにも「比較優位」学説が散見されたので、それを俎上に乗せたい。

まず、「自由貿易主義」は、それが有利だと考える国家が主張する「保護貿易主義」だと考えている。

自由貿易がお互いの国民経済にとってメリットがあるという理論的根拠としては、「比較優位」という考え方が示されている。

「比較優位」は経済学で幅広く受け入れられている(流布されている)理論であるが、現実と歴史をとてつもなく捨象したモデルにおいでのみかろうじて成立するものでしかない。

ここで取り上げる「比較優位」の理論は、リカードの「比較生産費説」と「ヘクシャー=オリーンの定理」とし、その対抗理論(政策)としてリストの「幼稚産業保護論」を取り上げる。

経済学から少し離れ、経済が国民経済であり、国民経済が近代国家の基盤であることを考えれば、「比較優位」がどれほど“現実離れ”したものであるかわかる。
「比較優位」を根拠として、鉄鋼産業や機械産業を確立せず、それらを外国に依存した近代国家が、国際政治の荒波を乗り越えることができるのか?

「比較優位」を根拠として、食糧を外国に依存した国家が、農業の自然規定性と自然変動や国際政治の変動を考えたとき、それで長期的な国民生活の安定を維持できるのか?

諸外国と対等に交渉できる自立した国家をめざす統治者が「比較優位」を受け入れることはないだろうし、国民の安定的な生存を第一義とする統治者も、「比較優位」を受け入れることはないだろう。

また、グローバル化が進んだ戦後世界でも、日本を除く先進諸国は「比較優位」を度外視して食糧自給率100%をめざし、自由主義の権化と見られている米国でさえ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次々に対日貿易規制を強要してきたことなどを思い浮かべれば、「比較優位」が、建前や理論は別として、現実としては受け入れていないことがわかる。

「比較優位」が理論としては受け入れられていても、現実の近代世界史で「比較優位」に基づいて交易が行われたことはないというのが実態である。

(近代産業勃興期の英国も、相手国(インドなど)に強制するかたちで輸出増加を達成したのだから、相互が納得する「比較優位」で交易が行われていたわけではない)

しかし、このような政治論的立場から「比較優位」を批判することが目的ではないので、経済論理に限定してその誤りを考察したいが、先にリストの「幼稚産業保護論」を見ることにする。

■ リストの「幼稚産業保護論」


リカードの「比較生産費説」を批判したドイツのリストは、自由貿易があらゆる国に利益をもたらす政策だとしても、産業構造が不変で、短期静態的な条件でのみ適用できるとした。

例えば、ドイツが近代的な紡績工場を綿糸業の比較生産費を切り下げていけば、小麦の輸出国から綿糸という工業製品を輸出する工業国に変身し、生産が大きく拡大し、経済厚生水準も大きく向上すると説明し、国家の政策で、英国製品の輸入を抑え、綿糸の国内価格を引き上げることで綿糸工業の拡大を実現すべきだと主張した。そして、リストの考えはその死後1879年にビスマルクによって採用され、それが、ドイツの工業化を促進し、重化学工業で英国を凌駕するまでになった。

これは、19世紀末のドイツまで遡らなくとも、戦後の日本を考えれば理解できることである。

米国の産業に較べて劣っていた日本の産業がついには米国を凌駕するまでになった過程を考えれば、「幼稚産業保護論」どころか「幼稚国家保護論」に基づく政策によってそれが実現されたことがわかる。

戦後日本の高度成長期は、保護関税のみならず“舶来品は贅沢”という価値観まで国民に浸透させることで輸入を抑制し、外資の直接投資を原則禁止とし、輸出の増進を国策として取り組んだ成果である。

1960年前半までに「自由貿易」や「外資受け入れ」を政策として実行していれば、今では名だたる輸出優良企業のほとんどがなく、国民生活の水準も現実の歴史過程よりずっと下回るものになったはずである。

(安価な財の輸入により国民生活が一時的に上昇することは否定しない)


■ 戦後の発展途上国


「自由貿易」主義者が戦後世界を取り上げるときは、「幼稚産業保護論」で成功した日本ではなく、戦後独立を果たした発展途上国を対象とするだろう。
発展途上国はその多くが近代化をめざし、「幼稚産業保護論」に相当する「輸入代替工業化政策」を採った。

その具体的な政策は、保護関税・輸入数量割り当て・高い為替レートをベースに、育成対象の産業が生産する財の国内価格を引き上げ、その産業が必要とする資本財の輸入に必要な外貨を優先的に割り当てるという政策を採った。

しかし、このような政策が成果を上げることは稀であった。

戦後日本やかつてのドイツが成功を収める一方で、戦後類似的な政策を採った発展途上国がうまくいかなかった要因が何かを考える。

技術力・経営・活動力という歴史的蓄積の差異を総括的要因として上げることができるが、

● 資本における有機的構成の高度化すなわち固定資本比率と規模の拡大

戦後とっても「産業革命」から既に100年以上が経過し、二つの世界大戦を経ていることから、産業の機械化が生産装置と言えるまで高度化しており、国際競争力を確保するためには、競争優位の規模を実現するためには厖大な資本投入を必要とする。

特定産業を優遇的に育成するためには、他の産業に犠牲を強いることである。
資金(外貨)が不足しているのが途上国だから、国際借り入れを行い、生産した財を輸出することで返済していなければならない。

途上国はGDPの絶対的規模が小さいのだから、対外債務の返済負担が過大なものとなる。

対外債務の過大な負担はイコール国民生活の耐乏を意味するから、国際競争力を確保できるほどの規模で産業を確立するのは無謀な試みとなる。

せいぜいが「輸入代替」という規模に制約され、国内市場向けに販売されることになる。

しかし、産業育成の資金は国際借り入れだから、その債務履行分だけは、国民経済の需要が減少する。

巨額の生産財を国際借り入れで輸入しながら、それによって生産される財が国内市場だけで販売されていれば、その産業の維持さえ困難な国民経済状況になる。

● 自国通貨を高めに設定した為替レート

為替レートが“実力”以上に高ければ、国際借り入れも相対的に軽減でき、財の輸入も有利になる。

ところが、そのために財の輸出競争条件は厳しいものになる。

「輸入代替工業化政策」という国内市場に限定した考えであったが故に、途上国の産業は育成はうまくいかなかったと言える。

国際借り入れの返済のために国内需要は減少するのだから、最低でも、債務履行に必要な外貨を輸出で稼ぎ出さなければならないのである。


■ 東アジアの経済成長


東アジア地域は、ラテンアメリカ・南アジア・中東・アフリカと違って経済成長を達成した。

東アジアが経済成長を遂げたのは、「比較優位」に従った結果でもなく、「輸入代替工業化政策」を採った成果でもない。

成功の要因は、日本を中心とした外資を積極的に誘致し、輸出拡大と国内需要拡大を成し遂げたことにある。

自前の産業育成であれば国際借り入れが必要になるが、外資であれば、生産設備の投資は外資自身が行い、そこで働く人々の教育だけ面倒を見ればいい。

極端な例をあげると、外資の工場で生産される財が全量輸出されるのであれば、財が国内に供給されることなく、そこの勤労者が得る賃金がまるまる国内企業にとっての需要として増加することになる。

財の輸出でデフレ圧力がかかることなく、需要の純増加により産業活動が活発化するインフレ傾向を生み出すことになる。

そのような経済状況であれば、需要“純”増加を梃子に国内企業の力を徐々に高めていくことができる。 そして、産業育成に国際借り入れを行ったり高価な生産財を輸入する必要がないのだから、為替レートは安い状態でいいというか、外資誘致のためにも安いほうが有利である。


国内企業の力が付いて輸出ができるようになれば、安い為替レートが国際競争力の支えとして貢献することになる。

このような発展途上国の経済成長論理は、ここ10年の中国経済を顧みれば理解できるはずである。



■ リカードの「比較生産費説」


「比較優位」の先駆理論であるリカードの「比較生産費説」からまず見ていくことにする。 簡単に「比較生産費説」を説明すると、


「世界に英国とポルトガルの2ヵ国しか存在せず、生産している財も毛織物とワインの2種類しかないと仮定する。英国は毛織物1単位を生産するのに100人、ワイン1単位を生産するのに120人を必要している。

ポルトガルは毛織物1単位を生産するのに90人、ぶどう酒1単位を生産するのに80人必要だとする。そして、英国の全労動量を220人、ポルトガルの全労動量を170人とすれば、貿易が行なわれないときの2ヵ国の毛織物の総生産量は、英国1単位、ポルトガル1単位の合計2単位である。同様に、ワインの2ヵ国の総生産量も2単位となる。


         英国     ポルトガル   2ヵ国の総生産量  
 毛織物    100人     90人     2単位
 ワイン    120人     80人     2単位
 総労働力量  220人    170人

生産性という視点で見れば、毛織物とワインともポルトガルのほうが優位にある。
直感的に考えれば、ポルトガルが両方の財を英国に輸出すればいいということになるのだが、リカードは、“より生産性が優れている財に特化して生産した方がお互いにより利益を得ることができる”と唱える。

ワインを基準にすると、  

(100/120)0.83 < (90/80)1.13

だから、英国は毛織物の生産が相対的に得意ということになる。


毛織物を基準にすると、  

(120/100)1.25 > (80/90)0.89

だから、ポルトガルはワインの生産が相対的に得意ということになる。
だから、英国は比較優位の毛織物に特化し、ポルトガルは比較優位のワインに特化したほうがいいとする。


そうすれば、

        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)  


 2ヵ国の総生産量を見ればわかるように、貿易しない場合に比べて、総労働量に変化がないにもかかわらず、それぞれの財の生産量が増加する。」


このような“詐欺”的説明でリカードは、自由貿易がお互いの国民経済にとって有利なものだと主張した。

財の特性にふれることもなく二つの財だけを比較するだけで、国民経済の利害を論じるとはなんとも雑ぱく話である。

例として上げられたポルトガルは、当時英国の属国同然だったから反論をしなかったかもしれないが、まっとうな統治者がいればきちんと反論していたであろう。
仮想のポルトガル統治者による反論を試みる。

● ポルトガルの仮想反論


「私どもの生産性のほうが毛織物でもワインでも高いということがよくわかりました。しかし、私どもの国では毛織物とワインの生産量と需要はぴったり合っていて、ご提案の内容によって賃金総額が増えることはありませんから、生産量が増えてもそれらの需要は増加しません。余った財はどうなさるのですか?全部お金に代えるとしたら、安く売るしかないんじゃないですか?」

「リカードさん、ではこうしましょう。英国の毛織物とワインの需要量はどれほどですか?私どもでその分を生産して貴国に輸出して差し上げます。もちろん、現状の労働力量では生産量を増加させることはできませんから、おたくの国から労働者に来てもらって結構ですよ。ほら較べて見てください。

        英国   ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物     0人    220人   2.44  単位
 ワイン     0人    170人   2.125単位
 総労働力  ( 0人) (170人)

        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)

ワインの生産量は変わりませんが、毛織物は2.2単位が2.44単位に増加します。うちで全部生産したほうが毛織物も生産量が増えますよ」


「それがおいやでしたら、英国はワインを、ポルトガルは毛織物をという分担は如何でしょう。毛織物は機械産業も必要ですし、毛織物や機械産業を別の織物業の発展にも貢献します。ワインの生産量が減ることについては、飲酒抑制を呼び掛けて何とかしますから大丈夫です」


現代のリカードは、ポルトガルの反論にどう答えるのだろう。

国民経済の発展が、農業就業人口の減少とそれに代わる工業就業人口と商業・サービス業就業人口の増加という現象を伴ったこと、金額であるGDPでも同じ現象を示し、現在の日本の農林水産業がGDPに占める割合は1.4%しかないことを考えれば、ポルトガルがワインに特化すれば、その後どういう“発展”を遂げなければならないかを推測するのはそれほど難しいことではない。


■ ヘクシャー=オリーンの定理


 比較優位を説明する理論としては、リカードの「比較生産費説」の他に、ヘクシャー=オリーンの定理がある。

ヘクシャー=オリーンの定理は、貿易する2国間で生産関数と消費関数が同一であったとしても、2国間に要素賦存比率の違いがあれば両国で異なる財に比較優位が発生して貿易が有効になると証明したとされるものである。

ヘクシャー=オリーンの定理が成立する条件は、

(1)2国2財2要素モデル
(2)生産関数と消費関数は2国で同一
(3)市場は完全競争
(4)二つの国は一方が資本豊富国でもう一方が労働豊富国
(5)二つの財は一方が資本集約財でもう一方が労働集約財
(6)二つの要素は資本と労働であること。
(7)生産要素は国内では自由に移動できるが、国境を越えて移動できない

である。そして、要素賦存の違いが国内の財の相対価格に反映されるとする。
資本豊富国では、同一の生産関数の下では労働豊富国よりも資本集約財の相対価格が低く、労働集約財の価格が高くなる。

だから、各国は、自国に相対的に豊富にある生産要素を集約的に用いる財に比較優位をもつことになると結論する。

まず、この定理では、類似的な要素賦存比率である先進諸国間や途上諸国間の自由貿易の正当性を説明することができない。

先進国と発展途上国のあいだの自由貿易を正当化する説明として“限定的に”有効性を持っていることは認められるが、自由貿易ではなく、前述した外資導入による東アジア諸国の経済成長論理に較べれば劣った“経済利益”である。

また、発展途上国の位置づけを固定化するものであり、通貨的尺度で測られる資本増殖ではなく、財生産量の最大化や財価格の最小化が経済利益に直結すると考えたときのみ通用するものである。

日本経済や世界経済を見ればわかるように、「近代経済システム」では、財価格の極小化は経済利益をもたらすどころか、「デフレ不況」という経済的大災厄をもたらすことがわかっている。

「自由貿易主義」は、世界レベルで需要規模が大きく付加価値も大きい財の生産分野で国際競争力を誇っている国民経済の国家が主張する「保護貿易主義」なのである。

そして、それを高らかに唱え続けるためには、国内で完全雇用に近い経済状況が維持されていなければならない。

http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/570.html


貿易とグローバリズム 05/3/7


リカードの「比較優位の原理」


ライブドアのニッポン放送買収劇は、色々な教訓を与えてくれた。日頃グローバリズムを唱えている日本のマスコミが一夜にして国家主義者に変身した。例えばテレビ朝日の広瀬社長は、政府が外資系企業による放送局への出資規制強化へ電波法や放送法の改正を検討していることについて「歓迎したい」と賛成する意向を示している。

今日、日本のマスコミは構造改革派やニュークラシカル経済学派に席巻されており、本来なら、市場至上主義を唱え、あらゆる規制に反対する立場のはずである。ところが自分達に降り掛かった災難に対してだけは、規制をして守れとはたいした了見である。まるで先週号で取上げた昔の社会党の政治家のように、日本のマスコミはダブルスタンダードである。


ところで筆者は、外資規制に賛成である。ただし放送業界だけに外資規制を適用するという考えには反対である(外国でもメディアに対して外資規制があることを根拠にしているらしいが)。全ての企業についても外資の規制を検討すべきと考える。そもそも筆者は、経済のグローバリズムそのものに疑問を持っている。筆者は、それぞれの国がメリットのある範囲で国際的な規制緩和を行えば良いという考えである。何でも規制を緩和すれば、国民が幸せになるという話は幻想と考える。

外国と交易することは、国とって良いことだという意見が強い。この考えの延長で、貿易をどんどん自由化したり、外国から大量の労働者の受入れることが良いことと考える人々がいる。日本にはFTAを積極的に進めることが必要と唱える政治家がいたり、経団連は単純労働者を日本も受入れるべきと考えている。

一般の人々の間には、素朴に日本人は国内に産出しない石油が使え、日本の製品が各国に輸出ができ雇用機会を確保できるという意見がある。しかし貿易というものは双方にメリットがあるから行われるのである。産油国は、その辺を掘ったら石油が出てきたのであり、そんなものを買ってくれる者がいることに感謝しているとも考えられる。交易が一方的に日本だけにメリットがあると考えるのはおかしい。


筆者は、経済のグローバリズムには光と影があり、今日、光の部分だけがやけに強調されていると考える。そこで本誌はしばらく経済のグローバリズムを取上げる。しかし経済のグローバリズムと言うと、テーマとして大きい。そこで経済のグローバリズムを「物の交易、つまり貿易」「資本の移動、つまり外資の進出」「人の移動、つまり外国人労働者」の三つの側面から論じたい。

まず「貿易」を取上げる。貿易が活発になることが、どの国にとっても良いという意見は誰もが主張したがるが、驚くことにこの根拠はとても薄弱である。このような考えの根本を辿って行くと、どうしてもリカードの「比較優位の原理」に到る。これについては中国との交易の関係で、本誌02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」で取上げた。

「比較優位の原理」が適切に働くには、為替レートが適切な水準にある必要がある。しかし日本のように購買力平価より高い為替水準で推移している国がある一方、中国やインドのように購買力平価より著しく低い為替水準の国がある。さらに中国は、不適切な為替レートを米ドルにぺッグすることによってずっとこの不適切な為替レートを維持している。このようなことが許されるなら「比較優位の原理」が働くのではなく、全ての生産物は中国で生産することが有利になる。

だいたいリカードは18世紀後半の経済学者であり、当時は金本位制の時代である。つまり不適切な為替レートなんて考える必要がなかったのである。さらにリカードの唱える古典派の経済学では「生産した物は全て売れるというセイの法則」が成立っている。つまり「比較劣位」となって競争に破れても、生産者は他の物を生産する道があるという現実離れをした考えが根本にある。

やはり日本は内需拡大を


「比較優位の原理」は為替変動が適切でなければ適切に働かないだけでなく、古典派経済学の前提になっている完全競争下でなければ公正に働かない。ところが現実の経済では産業によって参入障壁の高さがまちまちである。参入障壁が高い産業は、政府の保護政策がなくとも自由貿易で損をすることがない。一方、参入障壁の低い産業は、貿易の自由化の悪影響をもろに受ける。

経済のグローバリズムと参入障壁の関係は、本誌でも

00/5/15(第162号)「経済のグローバル化とNGO」
http://www.adpweb.com/eco/eco162.html

で述べた。参入障壁の高さがまちまちの状態のままで、単純に貿易の自由化を進めれば、貿易の自由化で恩恵を受ける人々と、損害を被る人々に別れる。たしかに日本において所得格差の広がっているが、これも貿易の自由化の進展と関係している。また参入障壁が低い産業(農業などが典型)は主に地方に配置されており、貿易の自由化の進展は今日の地方経済の疲弊と密接な関係がある。

また部品工業を取り上げれば、参入障壁が低い汎用品を生産しているところは貿易の自由化で損害を受け、特殊な部品を造っているところは影響が少ない。たしかに汎用部品なんか作っている時代ではないという意見もある。しかし全ての部品メーカが特殊部品の製造メーカに簡単に移行できるわけではない。ましてや中国のような不当な為替政策を行っている国の台頭を容認することは問題である。

農業についても、北海道のような工作面積広く米に頼ることのない農業をやっている所と、本州のように農家が依然米作にこだわりを持つ地域とでは利害が対立する。北海道は貿易の自由化を容認するかもしれないが、本州の農家は簡単には農産物の自由化を容認できない立場である。このように貿易の自由化と言っても、国民の利害は一様ではないのである。


中国やインドの為替政策は不正であるとか、日本国内の産業構造を見ても競争が公正に行われるはずがないと言っても、貿易の自由化は確実に進んでおり、所得格差は大きくなっている。しかし中国やインドが簡単に政策を変えるはずがない。今日の日本の風潮を前提にするなら、残念ながら競争にさらされやすい産業の人々は、これに対抗する必要がある。物事を深く考える政治家もマスコミ人も少ない今日、これらの産業に携わる人々は自分で防衛手段を考える他はないという立場に追い込まれている。

日本の教科書には、日本は貿易立国であり、貿易で恩恵を受けていると記述されている。しかし単純にこのようなことが言えない時代になっている。貿易黒字が溜まれば、円高になる。円高を阻止するため資本の海外流出を続けると、今度は海外に持つ資産が増え、これからの利息や配当収入が増え、これがまた次の円高要因になる。円高になれば企業は合理化に迫られ、リストラを行い競争力を回復することになる。

政府が内需拡大をしない今日では、企業は輸出に頼ることになる。しかしこれが将来、自分達の首を絞めるのである。つまり貿易が、誰にとってメリットがあるのか分からなくなっている。企業のメリットと言っても、企業の経営者なのか従業員なのか、はたまた株主なのか、メリットを受ける者が分からない。


今期、最高益を記録したある企業では賃金の引下げを計画している。会社の利益は伸びているが、これは国内の販売の不振を海外事業がカバーしたからである。つまり国内従業員の給料を上げる理由がないのである。国内従業員は会社の海外進出に協力し、技術の海外移転に協力した。しかし海外事業発展の成果は、国内の従業員には還元されないのである。特にこの会社は外資の持ち株比率が高く、安易な国内従業員の賃上げはできず、むしろ賃下げに動いているのである。

このように日本は貿易に頼る貿易立国で、貿易によって国民は幸せになるという単純な概念は今日では通用しない。輸出が伸びれば、円高が進み、さらに輸出先の国での設備投資が要請される。会社は成長し生き残るが、国内の従業員や下請け業者はそのうち犠牲になるのである。

受験秀才のマスコミ人や政治家は、教科書の記述通り、貿易が盛んになれば国民は豊かになると信じている。政府も、FTAを推進すれば日本の経済成長率を押し上げると言っているが、これも一時的なものである(それもほんのわずかな数字)。むしろ将来、この反動の方が大きい。

今日では企業の利益が、国民や国家の利益とはならない時代になっている。筆者は、貿易黒字は、日本のODAの額に見合うだけで十分であると考える。もっと言えば所得収支が黒字であるから、さらに貿易黒字く小さくて良い。むしろ日本は、内需拡大を行って、海外に依存する度合いを低くしても成立つような経済に転換すべきである。  

来週は「資本の移動、つまり外資の進出」を取上げる。冷徹な資本の論理が正しく、これに逆らうのは資本市場の働きを歪めると言われている。たとえば「ライブドアの行動は、現行の法律の上で許されているのであり、これを否定することは市場を否定することになる」という意見はこれに沿っている。またこれがグローバルスタンダードとかアメリカンスタンダードと言われている。

しかし今回のようなだまし討ちのようなライブドア陣営の行動は、アメリカでも卑怯な行動と否定される可能性が強い。リーマンブラザースだって、米国なら今回のような商売を行っていたか疑問である。ハゲタカファンドだって、米国ではとてもやれないことを日本でやっている可能性が強い。それを日本のばかで思考力のない政治家やマスコミが、これがグローバルスタンダードと誤解しているのである。

http://adpweb.com/eco/eco380.html

中国の不当な為替政策 02/7/22

比較優位の原理


最初に、交易の有益性の理論的な背景を述べることにする。そのために分りやすい例えを用いる。まず北海道と鹿児島の交易である。

例えば北海道では、「じゃがいも」が極めて安く作れるが、「サツマ芋」の生産コストが物凄く高いとする。反対に鹿児島では「サツマ芋」を安く作れるが、「じゃがいも」の生産費がばか高いとする。このような場合、北海道は余計に「じゃがいも」を作り、これを鹿児島に売ることにし、反対に鹿児島は「サツマ芋」を増産し、増産分を北海道に売ることにする。そして北海道は「サツマ芋」、鹿児島は「じゃがいも」の栽培をそれぞれ取り止める。

このような交易を行うことによって、北海道と鹿児島の双方にメリットが生まれる。北海道は高コストの「サツマ芋」の栽培を止めることによって、生産資源を他の作物に振向けることができ、鹿児島も「じゃがいも」の生産資源を他の有益な作物に振向けられる。つまり北海道と鹿児島は、互いに低コストの生産物を交換することに、生産余力が生まる。さらにこのことによって所得の増加が可能になる。このように交易は、双方の所得増加と言うメリットを与えることになる。そしてここでポイントとなることは、交易が「双方」にメリットを与えると言う点である。

そしてこの交易によるメリットは、国内に止まらず、海外との交易にも広げることができる。このように互に生産コストが安い物を交換する、つまり外国と交易することによって双方の国に所得の増加がもたらされることを始めて理論的に説明したのがリカードである。そしてこれは「比較優位の原理」と呼ばれ、国際分業を推進する理論的根拠となっている。上の例の場合、北海道は「じゃがいも」が、そして鹿児島は「サツマ芋」が夫々「比較優位」と言うことになる。

人々がよく口にする

「自由貿易を推進し、交易を広めることは、双方にメリットがあり、これを阻害する障壁を除去することが大切」

と言うセリフの背景にも、このリカードの理論がある。WTOは、この精神に乗っとって、関税や補助金と言った貿易の障壁をなるべく低くすることによって、貿易の自由化を推進することを目的にした機関である。


たしかに先進国の間では、それぞれの国に得意な生産物があり、これを交易と言う形で交換すれば、互にメリットがあるるような気がする。しかし国際間の交易には、国内の交易とは決定的に違いことが存在する。貿易には為替が介在するのである。もちろん為替レートが適正な範囲に収まっているのなら問題はない。ところが日本のように購買力平価より著しく高く実際の為替レートが推移している場合には問題が生じる。

もっとも現実の円レートについては、購買力平価より高く推移している原因の大部分は日本に責任がある。まず国内需要が慢性的に不足しており、産業が輸出指向型になっていることがあげられる。さらに資本流出(為替介入による外貨準備金の増大も含まれる)による膨大な海外資産の累積があり、これらから発生する利息や配当が円高圧力となっている。本来なら、内需拡大を行ってこなければいけなかったのであるが、これが十分行われてこなかったツケが今日の円高となって跳ね返ってきているのである。


このように円レートはいびつな水準で推移している。しかし一方には、逆に購買力平価より著しく安い水準で推移している為替がある。中国の「元」やインドの「ルピア」などである。特に貿易量が増大している中国の「元」が大問題である。

01/5/28(第209号)「中国との通商問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco209.html


で取上げたように、世銀の調査によれば、元の購買力は実際の為替レートのなんと4.55倍もある。ちなみに日本の円は逆に0.78倍の購買力である。これらの数値を元に、円と元の購買力を比較すると、中国の元は日本の円の、実に6倍の購買力があることになる。

今日、公定レートでは1元が15円である。したがって元の本当の購買力は、6倍の90円と言うことになる。また中国の元は米ドルにリンク(ベッグ)しており、特に今日のような円高が続けば、1元は100円、110円になる可能性がある。たしかに世銀の試算はちょっと古いが、中国の「元」が極めていびつな管理が行われているはたしかである。

中国の工業の発展がめざましいことは認めるが、中国の輸出の急増は、品質の向上ではなく、このようなとんでもない為替レートの維持政策によるものである。中国の工場労働者の賃金は、日本の20分の1とか、30分の1と言われているが、これはあくまでも公定レートの換算によるものである。元の購買力平価で換算すれば、3分の1から5分の1と言うのが実態である。

これは本誌で以前から述べていることであるが、こと中国の物価は、6倍で計算すると実態に合う。例えば、中国のGDPは1兆ドルを越えている。これを購買力平価で換算すると6兆ドル超と言うことになり、日本のGDPをはるかに越えることになる。もっともこれでも一人当りのGDPは、日本の8分の1から7分の1程度である。軍事費も公表されている額が200億ドルであるが、米国の国防省は、この3倍以上の650億ドルと見ている。もし国防省の見解が正しいなら、購買力平価で換算した中国の軍事費は45兆円となり、これは50兆円の米国に匹敵する額である。たしかに中国は年間50基ものミサイル基地を増設しいる。とても額面の200億ドルの軍事費ではとても賄えないような軍備の増強を行っているのである。


最初の交易の話に戻す。

「比較優位の原理」が働くには、交易を行う両国の為替が適正な範囲に収まっている必要がある。

日本の場合、対先進国でも厳しい円高を強いられている。しかしこれは日本が内需に依存する経済を実現することを怠ってきた結果でもあり、甘受すべき面もある。しかし対中国は事情が大きく異なる。あまりにも中国は異常な為替水準(常識を逸した元安)を維持している。これでは日本と中国の間ではとても「比較優位の原理」が働かないことになる。今後はほとんど全ての生産活動を中国で行うことが合理的となる。

ところで本来一時的に為替水準が異常な水準でも、しばらくすれば、パラメータである為替が適正な値に動くはずである。中国は、対日本だけではなく、米国を始め各国との貿易収支は大きな黒字である。つまりこのような状態が続けば、元が強くなり、円を始め各国の通貨が安くなるよう動くはずである。しかし中国は米ドルにしっかりリンクさせることによって、安い元を維持しているのである。特に中国の元は国外に持出しが禁止されており、各国が売買することによって元の為替水準に影響を与えることができない仕組になっている。

為替操作の結果


ドイツのフォークスワーゲンは、昨年チェコに自動車工場を造ることを検討したが、最終的にこれを取り止め、ドイツ国内に工場を造ることにした。チェコの人件費は、ドイツの5分の1であり、これはフォークスワーゲンにとっては魅力的である。しかしチェコのインフラの状況などを勘案すると、やはりドイツ国内の生産設備を増強した方が良いと言う結論になったのである。

ところが中国の人件費は、日本の20分1、30分の1である。これではいくら中国のインフラが劣っていても、日本の製造業は全て中国に移転した方が良いと言う結論になる。

このように全く「比較優位の原理」が働かない状態である。まさに中国の為替政策は、日本を始めとして、各国に対する産業の破壊活動である。

実際、日本だけでなく世界的に中国の為替政策の犠牲者がどんどん出てきている。香港は超不況で失業率は7.7%となっており、東南アジアや台湾の生産拠点もどんどん中国に移転している。メキシコの保税工場も、中国製品の対米輸出の急増で、瀕死の状態である。

中国が不適正な為替を是正すれば、人件費はチェコ並(ロシアも同じくらい)になるはずである。こうなれば、フォークスワーゲンの例ように、中国に移転した方が良い工場もあれば、やはり日本に置いておく方が良いと言った住み分けも起るはずである。ちなみにフォークスワーゲンは、中国に生産拠点があり、「サンタナ」などを製造しており、中国で4割以上のトップシェアーを占めている。


筆者が、危惧するのは、中国のこのむちゃくちゃな為替政策があまりも問題視されていないことである。本誌が異常な中国の為替政策を取上げたのは1年以上も前である。それ以降、中国の経済や中国との通商問題は、色々なメディアで取上げられている。しかしほとんど全てが、この不適正な為替操作には全くと言って良いほど触れない。中国の経済を考える場合には、為替を問題にしなければ、全く意味がない。したがって中国の実状を伝えるテレビ番組も全てピントが大きくづれている。


一般の人々も中国の為替政策を放任したまま、「比較優位の原理」が働かない状態が続けば、大変なことになると言うことに気がついていない。

ただ人々は何故か日本の製造業がどんどん移転していく様子を不安げに見つめているだけである。そのうちこの流れも変わると楽観的に考えようと努めている。しかし中国の為替政策が変わらない限り、この流れは止まらない。5年後、10年後には大変な事態になっているはずである。


国際的に中国の為替政策に無頓着なのは、国際機関の主流派となっている人々がほとんど欧米人と言うことと関係があると筆者は考える。まず欧州各国は、国外との経済交流は大きいが、大半がユーロ圏内であり、単一通貨ユーロ導入で、経済は為替変動にあまり影響されない。一方、米国は、元々GDPに占める貿易額の比率が小さい。さらに米ドルは世界の基軸通貨であり、これにリンクしている通貨も多い。つまり米国も為替の変動をあまり気にしなくても経済活動が行えるのである。

米国が多少気にするとしたなら次のようなケースだけである。米ドルが高くなった時の国内産業、特に自動車メーカーからの不満が出る場合である。また反対に米ドルが安くなった場合の産油国からのクレームが起るケースなどである。しかし総じて米政府は、選挙の時でもない限り、あまり為替を気にしていない。このように欧米の経済は、日本ほどには為替水準の動向に影響を受けないのである。

実際、WTOは各国の為替の水準や為替政策をほとんど気にしていない。ここは重要なポイントである。WTOは、交易を活発化させるために障害となるのは、関税と補助金、そして各国の商慣行や国内産業の保護を目的とした法律などの非参入障壁だけと考えている。ところが中国が行っているいる為替政策は、関税と補助金などと比べられないくらい大きな参入障壁である。しかしどう言う訳か、どうしてもWTOはこの事実を公には認めたがらないのである。かろうじて中国のWTOの加盟と同時に、中国に対する特別のセーフガード

(01/9/17(第222号)「対中国、WTOの特例保護措置」
http://www.adpweb.com/eco/eco222.html


を参照)を認めたことに止まっている。どうも米国やWTOの認識はまだまだ甘いようである。

また政治家だけでなく、経済学者やエコノミストも為替に関する関心が低い(米ドルの大幅下落によって米国の製造業は持直したと筆者は考えているが)。ニュークラシカル派の代表的な存在(教祖の一人)であるロバート・ルーカスなどは

「米国に居ながらフランスのワインと日本のスシが味わえる」

「中国へ生産拠点が移るのも、中国人の人件費が安い上に製品の質が向上しているからであり、これは自然の流れである」

と極めて単純に経済のグローバル化を礼讃している。しかしこの程度の発言なら小学生の意見とほとんど変わらない。中国が政策として、とんでもない為替水準を維持し、世界中の経済を撹乱していることには、全く考えも及ばないのである。

教祖が教祖なら、彼の日本の信者も信者である。日本が農産物に対してセーフガードを発動すると途端に反応し、

「自由貿易に反する」とか

「日本は競争力をつけるべき(中国の為替操作によって人件費が20分の1や30分の1になっていては、競争力もへったくりもないであろう)」

とばかな発言をしている。中には「WTOの交渉の進展のためには、日本はもっと農業分野の開放をおこなうべき」と言っている人々もいる。日本の食料の自給率はたったの40%であり、この数値はほぼ世界最低である。これをさらに下げろとまじめに言っているのであるから、本当にあきれる。

日本が行うことは、まずWTOに為替水準が著しく異常な水準にある国に対して是正を求めるよう要請することである。もしこれが認められない場合には、日本独自で、為替不適正国に対する特別関税を設ける他はない。もちろん日本と同じ被害を被っている国と同一歩調をとることも考えられる。そこで中国がこのような動きにクレームをつけるようなら、中国との貿易を大幅に制限するか、最悪の場合は取り止めることも考えるべきである。中国との交易を止めても、今なら日本にはほとんど被害がないはずである。むしろ今日の状況が続けば、それこそ抜き差し成らぬ状況に追込まれるだけである。


最後に、中国の為替政策の変遷について述べる。今日の1元15円と言う為替レートが、何か合理的な経緯で決まっていると誤解している人々が多いはずである。しかしこれには合理性は全くない。実際、1,980年には1元は実に151円であり、1,990年には30円であった。つまり中国は実に簡単(適当)に「元」の信じられないほど大幅な切下げを行っている。ただ当時の中国経済が今日のように大きくなかったから誰も注目しなかっただけの話である。そして以前の為替水準なら、中国の人件費は1,980年で2分の1から3分の1であり、1,990年で10分の1から15分の1と言うことになる。

このように昔から中国は極めていい加減(適当)に為替を操作している。ところが何も知らない経済学者やエコノミストは、昔から中国の人件費は20分の1、30分の1だったと誤解しているのである。中国はおそらく東南アジア諸国との競争で勝てる水準を探りながら、為替をここまで操作してきたと思われる(たしかにここまで元が安くなれば、日本の企業も東南アジアから中国に生産拠点を移すようになった)。

「水が高いところから低いところに流れるようにコストの低い中国に生産拠点が移転するのは当然」

と判ったようなことを言っている識者と言われる人々が実に多い。しかしこの低コストは、中国政府が適当に決めていると言うことに気づくべきである。したがって万が一でも日本がものすごい努力をして、中国とのコスト競争に勝つようなっても、中国にとっては為替の切り下げをもう一度行えば済む話なのである。


このようなめちゃくちゃの中国の為替政策によって、企業倒産や工場の移転によって失業したり、不幸な目にあっている人々が相当いる。しかしマスコミやメディアには、不思議と中国の為替政策の不当性を指摘する声がない。外務省のチャイナースクールが話題となったが、どうも日本のマスコミもチャイナースクール化しているようである。来週はこのチャイナースクール化を取上げる。

小泉首相は、今日の深刻な日本のデフレ経済にもかかわらず、公共投資の削減や数々の公的支出の削減を進める方針である。およそ経済原則に反する政策のオンパレードである。しかしどうもマスコミはこれを悪い政策とは見なしていないようである(たしかに悪影響が現れるまでには時間がかかり、政策と結果の因果関係が分かりにくくなる)。

まず公共投資や他の支出を削減した場合、どう言う経済効果が期待されるのかを明示すべきである。もし財政赤字が減り、金利が低下するとか、投資や消費が増えると言う目算があるなら、そのような説明をすべきである。もう昨年のようないきなり補正予算を策定すると言ったみっともないことは止めてもらいたい。周りも小泉政権に景気対策を求めることを止めるべきである。本人の希望通りにさせる。そのかわり、結果についてはきっちり責任をとってもらうことが大切である。

これまでの小泉首相の行動を見ていて、筆者の知人は

「日本の首相は俺でもやれそうだ」

と言っていた。結果を見ようとしないのなら(失業が増えてもミスマッチで、株価が下落しても米国のせいにする)、どのような政策でも良いし、誰でも首相は勤まる。彼が進める政策の結果、日本の経済と社会がガタガタになっても、おそらく彼は「辞めれば良いのか」の一言であろう。彼を日本の首相に選んだ人々は、真剣に責任を感じるべきである。

竹村健一氏が、久しぶりにまとものことを言っていた。

「日本は、個人だけでなく企業も貯蓄を始めた。つまり巨額のその貯蓄は政府が使わざるを得ない。金利もこれだけ安くなったのであるから、政府は公共投資を減らすのではなく、今こそ増やすべきである。」

と言っていた。まさに正論である。


ただ今日、安易に大量の国債を増発することは難しい。たしかに国債利回りが3%(これでも国際的には一番低い金利)になるまで国債を発行すれば、数十兆円から100兆円程度の資金は調達できると思われる。しかし大手銀行だけでも70兆円から80兆円の国債を既に保有しており、利回りが3%(今日1.26%)と言うことになれば、相当大きな評価損を抱えることになる。地方銀行も大量の国債で資金運用している。預貸率が55%と言う銀行もある。残りの45%近くは国債と地方債の運用である。ここまで野方図に金利低下を放置していた政府の責任は大きい。

したがって今日、公共投資などの積極的な財政政策で、経済を活性化させ、銀行の不良債権問題を解決し、さらに財政再建を実現するには、我々が主張しているセイニアリッジ政策、つまり政府の紙幣発行特権(日銀の国債引受けも含む)を使う他はないのである。ところで竹村氏のこの「公共投資を増やす」と言う意見に対してマネックス証券の若い社長が、思わず反論しようとしていた。今日、公共投資の賛同者はテレビには出してもらえないのであろう。今日、「中国の為替政策」と「公共投資」はタブーである。このようなメディアの言論統制に勝てるのは、よほどの有力者に限られるのである。

http://adpweb.com/eco/eco261.html

関税以外の貿易障壁 11/2/21

WTOの弱体化


現実の経済を理論的に論じることは難しい。ましてや話が世界に及ぶと、整合性を持って経済を語ることが一段と困難になる。そのような事もあってか、中には議論の混乱を見越し、自分達にとって有利な政策を実現したいがために、とんでもない虚言・妄言を発する人々が出てくる。

TPPの議論に関しても、根拠が薄弱な意見がまかり通っている。例えば自由貿易こそが、日本にとって(日本だけでなく世界のどの国にとっても)極めて好ましいと主張する人々がいる。彼等はTPP参加こそ唯一正しい選択とまで喧伝する。

また日本のマスコミ人には「日本は貿易立国だ」という強い思い込みがある。彼等は経済が成長するには輸出を伸ばすことしかないとさえ思っている。しかし日本が高度経済成長していた時代は、主に内需が増えていた。むしろ低成長になってから、日本経済は外需に依存する度合が大きくなったのである。これについては来週取上げる予定である。


このように自由貿易で交易が活発になることによって、経済が成長すると思っている人が多い。この理論的根拠の一つがリカードの「比較優位の原理」であり、本誌は02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」でこれを取上げた。

しかしこのリカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。

しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

中でも最大の交易の障壁が関税という認識である。したがって関税撤廃を目指すTPPは、自由貿易の信奉者に熱烈に歓迎されている。しかしリカードの「比較優位の原理」が唱えられたのは、18、19世紀の牧歌的経済システムの時代を前提にしている。また後ほど述べるが、今日では関税以外の大きな貿易の障壁があることが常識になっている。


しかし第二次大戦後、自由貿易を推進する人々が常に問題にしたのが、この関税であった。GATT(関税と貿易に関する一般協定:WTOの前身)やWTOのメインテーマも関税であった。関税は単純であり目に見えやすいためか、これまでの交渉である程度まで引下げが実施されてきた。しかし補助金や規制などのその他の保護政策に話が及ぶと各国の利害がもろにぶつかり、話が進展しなくなった。


このため各国は、妥協が見込める国とのFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の締結に走り出している。しかしこれは一種の抜け駆けであり、世界中の国の一斉の貿易自由化を目指すWTOの精神に反している。FTAやEPAが結ばれる毎に、今日、WTOは弱体化している。

筆者は、今後の世界の貿易体制は、TPPに見られるようなグループ化による保護貿易と見ている。ところが自由貿易信奉者は、WTOの弱体化については何もコメントしなくなった。おそらくこれも、彼等の頭の中が混乱しているからであろう。


現行、日本の工業品の輸入関税率はほとんどゼロに近い。つまりTPPに加入した場合、相手国の関税が基本的にゼロになるのだから、輸出企業にとって極めて有利になる。したがって輸出企業に携わっている人々がTPPに賛成なのは理解できる。

ところでこれまで規制緩和や郵政改革などの改革運動では、幼稚な観念論者と強欲に自分の利益を求める者が結び付いていた。筆者は今回のTPP推進派にも同じ匂いを感じる(リカードの「比較優位の原理」などを信じるような観念論者と輸出で利益を得ようする者)。しかし今回は彼等がとんでもない矛盾を抱えそうである。

シー・シェパードのような説得不能な国

貿易の障壁が関税だけでないことは周知の事実である。WTOでも知的所有権といったものが問題になっている。しかし知的所有権は法律だけで縛れるものではない。その国の国民性というものが関係してくる。

先週号で取上げた環境問題も、今日、大きな障壁になっている。中国のように環境を無視する国は、環境を気にせず低コストで製品を製造し輸出することができる。しかし自由貿易の信奉者はこのような問題から逃げている。

しかし何度も繰返すが、筆者は、今日、世界貿易で最大の問題は為替操作と考えている。中国は大きな貿易黒字を続けながら、いまだに購買力平価の4分の1、5分の1の為替レートを維持している。実際、貿易の障壁の話なら、為替操作に比べれば関税なんて霞んでしまう。しかし為替操作はWTOで問題にならないし、自由貿易主義者も触れようとしない。


本誌は、昔、1人民元が1ドルだったことを指摘した。つまり1人民元が360円だった時代もあったである。今日の人民元レートは、対円で30分の1に減価しているのである。世界最大の貿易黒字国の通貨が、購買力平価の4分の1、5分の1でしか評価されていない異常な事態が起っている。

訳の分らない評論家は

「東京の中国人のアルバイトはよく働く」、

一方「日本の若者はニートとなって引きこもっている」


と発言している。彼等の考えでは、これが日本経済の低迷の原因らしい。しかし中国人のアルバイトとっては、中国の所得水準が低いことに加え、人民元が購買力平価の何分の1に維持されていることが大きい。

反対に日本の円が購買力平価より高く推移していることを考慮すれば、東京でのアルバイトの時給は、中国人にとって6,000〜7,000円程度に感じられるのである。時給が6,000〜7,000円ということになれば、日本の若者も目の色を変えて働くはずである。ニートも半減するであろう。

韓国も、近年、為替操作が目立つ国の一つである。KーPOPタレントの本国での低賃金が話題になっているが、これも彼等が日本に進出したことによって気付いたことと思われる。筆者は、これも少なからず韓国の為替操作が影響していると考える。


今日、一番のTPPの推進者は大手の輸出企業である。輸出企業がCMスポンサーとなっているため、メディアも概ねTPPに賛同している。しかしTPPはとんだ問題を孕んでいる。

これは先週号でも述べたように、TPPが中国排除を意識したものと見られるからである。既に中国に生産設備を移した企業にとって、このことが将来痛手になる可能性がある。せっかく中国を世界の輸出基地にしようと思っていた企業にとって、これまでの中国での設備投資が無駄になるのである。


TPP推進の母体である財界にも、中国との親密な関係を望む者が多い。しかし、今後、彼等はTPPを取るか、中国を取るかの選択に迫られる可能性がある。TPPの内容を見れば、両方を同時に取る(具体的には中国のTPP加入)ということはほぼ不可能である。

筆者は、日本のTPP参加の是非について、判断に正直迷っている。もし農業などへの悪影響が最小限に抑えられるのなら、TPP加入もしょうがないと思う今日この頃である。貿易を含め、国同士の付合いは、最終的には、国民同士の価値観の相違ということになると筆者は考える。

国民の価値観の違いが一定の範囲にある国だけがTPPに参加するのなら、筆者は日本もこれに加入しても良いと考えるようになっている。それにしても日本の周りは、領土問題に見られるようにデリカシーのない国ばかりである。日本はまるでシー・シェパードのような説得不能な国に取り囲まれているのだ。TPPに活路を見い出すのも悪くないかもしれない。もちろんTPP加入の目的は、自由貿易信奉者のそれと大きく異なる。

http://adpweb.com/eco/eco651.html


07. 2011年11月10日 22:03:05: MiKEdq2F3Q


自由貿易理論の問題点〜リカードのウソ

貧困と環境破壊を招く自由貿易の問題点を検証する


このページでは、フェアトレード(公正貿易)の対極にあると考えられている、 自由貿易の問題点について説明したいと思います。

今、自由貿易は世界中で失業や貧困、環境破壊を引き起こしています。にも関わらず自由貿易を世界がやめないのは、 「比較優位」という経済学の考え方を信じているためです。18世紀のイギリスの経済学者リカードによって提唱された理論です。

比較優位とは、ものすごく簡単に言うと、 それぞれの国でそれぞれ得意なものを作ればいい。食料を作らなくてもその土地で採れたもので稼いで、輸入すればいい」と言う考え方です。この考え方を「信じている」というより、自由貿易にした方が儲かる人たちがいて、 そういう人たちによって、世界に経済が動かされているから、 みんなで信じているふりをしていると言った方が適切かも知れません。

今の世界で、途上国に貧困などの問題を引き起こしている大きな原因の一つに、 欧米先進諸国による穀物の過剰生産が挙げられます。先進国では、大型機械を使う大規模な農業が行われ、生産性を上げています。機械化、効率化が進むとともに、生産量が増大し、自国の需要以上に穀物が生産されるようになりました。

過剰生産を放っておくと、農産物価格が低下し、 農民が失業して都市に流入するなどして社会不安を引き起こしかねません。そこで、お金のある先進国では、補助金をつけて輸出をするようになります。補助金にはいろいろありますが、自国の農民に所得を保証したうえで、穀物を輸出相手国の国内価格か、 それ以下の価格にダンピングして売るのが目的になています。これにより、先進国の農民は救われます。

が、輸出先にも農民はいるわけです。先進国の補助金付きの安い穀物が入って来るようになって、 アジアやアフリカの途上国での主要産業であった農業が立ち行かなくなりました。これらの貧しい国ぐにでは、自国の農民に補助金を出すことはできません。結果、農民たちは輸入農産物に対抗するため、生産性を上げようとします。

先進国のように機械化するのではありません。より高い生産性を得られる土地を探すことになります。すなわち森林を焼いて畑を作れば、先進国の穀物に対抗できる価格での生産が可能になります。が、長くは続きません。そうした方式の農業は、土地から収奪する農業です。3〜5年で地力が落ちて養分がなくなり、作物が作れなくなります。そして耕作が放棄され、また別の場所を探すことになります。捨てられた土地は、すでに周りの森林もなくなっていて他から養分を供給されることもなく、荒れ果てます。

日本でもそうですが、耕作放棄された田畑は荒れ果ててしまい、回復させるのは困難です。熱帯では気温が高いために土地の有機物の分解が速く、 土地を覆っていた森林がなくなると雨や風によって薄い表土が流れてしまいます。場所によっては、砂漠化が進むことになります。こんなことの繰り返しで、途上国では新たに畑にできる場所はどんどん少なくなります。

行き場をなくした農民は、都市に出てスラムに集まります。あるいは、大地主のもとで小作人になるしかありません。でも、地主もそのうち農業を機械化するようになり、人がいらなくなります。結局農民は失業して、都市のスラムに流れこむことになります。

スラムでは、先進国の食糧援助があるために、貧しくてもとりあえず飢えることはありません。が、その援助のための食料は、先進国の余剰農産物のはけ口になっているという側面もあります。

先進国の補助金付きの農産物の輸出は、自国農民の保護のためでした。が、それはアジアやアフリカの生産性の低い零細農民を失業させ、貧困に陥らせる原因となりました。 生産性が低いというのは、それだけたくさんの人に職が与えられるということでもあったのに。

先進国で広く行われている化学肥料や農薬を大量に使い、地下水をくみ上げ大型機械で耕作する農業は、 自然から収奪する農業です。こんなことで生産性を上げても長続きはしません。異常気象にでもなればたちまち収穫が激減して、食料の不足を招くことになるでしょう。先進国こ援助に回せるだけの食料がなくなれば、世界的な食料不足、飢餓が引き起こされます。

かつて途上国で行われてきた農業は、 小規模ではあっても定期的に土地を休ませて行う持続可能な農業でした。とりあえずは飢えたりすることはなく、自給自足的な生活を送っていました。そこに入ってきたのが今の先進国による植民地支配です。やっとそこから独立したと思ったら、 今度は先進国から入ってくる安い農産物のために貧困と失業、環境破壊がもたらされることになりました。

途上国の農民が失業したり、貧困に陥ったりする原因には、かつての植民地支配の影響もあります。植民地支配や今の補助金付き作物の輸出といった、 途上国の人たちにとっては何も良いことのない経済の有り方は、自由貿易の考えに基づくものです。フェアトレードを行う団体は、ずっと「自由貿易より公正貿易(フェアトレード)を」と訴え、 活動をしています。


では自由貿易の何が問題なのか?そのあたりのことを次にお話します。


自由貿易の問題点〜比較優位のウソ


自由貿易の考え方を作ったのは、200年ほど前のイギリスの経済学者で商人のリカードです。リカードは、「比較優位」という言葉を使って、 国際分業をすることがすべての国にとって利益になると説きました。


槌田敦著「エコロジー神話の功罪 サルとして感じ、人として歩め」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E5%8A%9F%E7%BD%AA%E2%80%95%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%84%9F%E3%81%98%E3%80%81%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%A9%E3%82%81-%E6%A7%8C%E7%94%B0-%E6%95%A6/dp/4795238529

という本に、リカード理論の問題点が わかりやすく解説されているので、この本で示されている考え方を使って、 自由貿易の問題点を探っていきたいと思います。


リカードは「貿易論」という本の中で、イギリスとポルトガルの毛織物と、 ワインの生産性の比較をしました。その中でイギリスは、毛織物が国内で生産されるワインよりも生産性が高く、 ポルトガルは、ワインの生産性が国内で生産される毛織物よりも生産性が高いと説明しました。つまり、イギリスでは農業に比べて工業の生産性が高く、 ポルトガルは工業に比べて農業が生産性が高いということです。そこで、それぞれの国で生産性の高い商品を交換すれば、 両方の国にとって得になると主張したのです。イギリスは工業国になり、ポルトガルは農業国になれば、両国ともに利益を得ることになる。これが比較優位という自由貿易、国際分業の理論的根拠となっている考え方です。

でも、本当にそうでしょうか?

もし、リカードが正しければ、今の世界はもっと違った形になっていたはずです。それぞれの国が比較優位なもの、得意な物の生産に特化し、輸出をしてお金を儲けて、 そのお金で必要な物を輸入すればいい。そうすればすべての国が利益を得て豊かになれるのなら、 なぜ世界には貧困に苦しむ国ぐにや人びとがこんなにも多く存在するのでしょうか?

カカオの生産が比較優位な国は、カカオの生産に力を集中して、輸出して儲けて、 必要な物はすべて儲けたお金で輸入すればいい。そうしていれば豊かになれるのなら、コーヒーの生産が比較優位な国はコーヒーの生産に特化して、 それを輸出して必要なものを外国から買えばいいということであれば、 なぜそうした商品作物の生産農家の多くが、貧困に苦しんでいるのでしょう?
コーヒー農家の生活については、

「あのスターバックスにも、フェアトレードコーヒーが!」
http://www.fair-t.info/ft-coffee/index.html


をお読みください。

貧困に苦しむカカオの生産地の中でもとりわけ状況が厳しいのは、 コートジボアールなど西アフリカの国ぐにです。この地では、のカカオ農園主たちは貧困に苦しんでいるのでしょうか?

なぜ子供たちを奴隷にしなければならないのでしょうか?

21世紀の今でも奴隷を使った生産が行われています。奴隷を使っているのなら、給料を払う必要がないから、 農園主は儲けているはずと思うかも知れませんが、農園主もまた貧しいのです。

なぜ、理論どおりうまくいかないのでしょうか?


リカード理論には、ごまかしがあるからです。


先ほどのイギリスとポルトガルの例で言えば、両国内での毛織物やワインの価格は関係ないというのが、 この理論の特徴です。イギリスの毛織物が、ポルトガルの毛織物より高くてもかまわないのです。

イギリス商人は、ポルトガルに行って自国の毛織物をポルトガル価格にダンピングして売ります。

イギリス商人が損するように見えますが、彼らは毛織物を売ることで、 ポルトガルのお金を手に入れることができます。

そのお金で安いポルトガルのワインを買ってイギリスで売れば高く売れるわけで、 商人は利益を得ることができます。

同じようにポルトガルの商人も、自国のワインをイギリスで売れば高く売れて、 それだけ多くのイギリスのお金を得ることができます。そしてポルトガルで買うより多くの毛織物をイギリスで買うことができます。

比較優位の考え方を使えば、お互いの商人が儲かるというのが、リカードの理論です。

もっとも、商人などという言葉は使わず、もっと学問的な言葉を使って説明し、 当時の経済学者たちを説得しましたが。

比較優位の理論は、経済学者たちが本や学問の世界だけで勝手に議論していてくれているだけなら害はないのですが、世界中がこの理論を信じてしまい、実行してしまったために、様ざまな問題が起こることになりました。

現実の世界にはイギリスとポルトガルだけでなく、もっとたくさんの国ぐにが存在します。毛織物とワインだけでなく、もっとたくさんの生産物が存在し、貿易が行われています。それに、リカードの理論ではお互いの国が儲かることになっているのですが、 実際に貿易を行うのは国ではなく、貿易商です。

それでもイギリスやポルトガルの商人が活躍して、利益を上げれば、 税金と言う形で国家は利益を得ることができます。が、ここに第三国の商人が介入したらどうでしょうか?


比較優位のウソ〜商人だけが儲かるしくみ


ここで、金と銀の貿易を例として、国際貿易について考えてみたいと思います。

A国とB国があって、A国では金1キロが銀5キロと同じ値段だとします。

そしてB国では、金1キロと銀100キロが同じ値段だとします。


A国:金1キロ = 銀5キロ
B国:金1キロ = 銀10キロ


私がA国の商人だったら、金1キロを持ってB国へ行きます。

そしてその金を売って銀を10キロ買います。

そしてA国に戻って金2キロを買います。A国とB国をただ往復するだけで、 手持ちの金を2倍にすることができます。

B国の商人も、国内で銀10キロを買ってA国に行き、金2キロを買うことで、 手持ちの金を2倍にすることができます。

いづれにしても両国ともに利益を得て儲かるように見えます。が、ここに第三国、 C国が加わると話が違ってきます。

C国の商人10キロを手に入れます。

その銀をA国に持って行けば、金が2キロ手に入ります。

手持ちの金を2倍にすることができるのです。しかし、A国とB国はどうでしょうか?

まずB国は、C国商人が持ってきた金1キロと、銀10キロを交換しただけなので、損得はゼロです。

A国も銀10キロと金1キロを交換しただけなので、同様に損得ゼロです。

両国ともに何の利益もありません。

C国商人だけが一方的に儲かるのです。


これが自由貿易によって商人が利益を手に入れる仕組みです。実際には関係国であるAB両国は、何の利益も得ていないのに、巧妙なトリックによって、 リカードは両国が儲かると主張し、世界はだまされたのです。

リカードは、お金儲けがうまい貿易商人でした。だから自分に都合の良い理論を作り出したのです。自分の理論の矛盾は承知の上で、一人大儲けをしてほくそえんでいたことでしょう。


C国商人を、多国籍企業とします。A、B国はアメリカと日本。


C国商人は、日本で比較優位の自動車を買い付けてアメリカに持っていきます。
そして自動車を売った金でアメリカの比較優位の安い米を大量に買い付けて日本で売ったら...。

こう考えると失業や貧困に苦しむ人が出ることなど、比較優位の理論で様ざまな矛盾、 問題が発生することが良くわかると思います。

次にぜひ、あなたに知っていただきたいのは、代表的な商品作物である、カカオについてです。 おいしいチョコレートの原料になるカカオですが、その生産に、 「奴隷」が使われていることを知っていましたか?

奴隷といっても10代前半くらいの少年の奴隷です。世界最大のカカオ産地、 西アフリカのコートジボアールの奴隷を使ったカカオ豆生産について、 それから自由貿易がもたらした単一栽培も問題点についてをご覧ください。

カカオ農園の少年奴隷問題 
http://www.fair-t.info/ft-cocoa/index.html

http://www.fair-t.info/economy-society/freetrade-ricardo.html

TPPや自由貿易は未だにリカードの比較優位論を根拠にしており、そして比較優位論は以下の三つが成り立たないと巧くいかないためです。


◆セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
◆完全雇用
◆資本移動の自由がない

 最後の資本移動の部分ですが、工場などの資本移動が自由自在になってしまうと、リカードの比較優位論も何もあったものではないという話です。実際、アメリカは日独などの製造業の猛攻を受けた時期('70〜'80)に、本来であれば「技術開発投資」にお金をつぎ込むべきだったのですが、資本を外国に移すという道を選び、製造業の一部が「産業ごと」消えてしまいました。

 残った製造業(自動車ーメーカーなど)も、やはり技術開発投資を軽視し、自国や各国の制度システムを変えることで生き残りを図ります。すなわち、市場にあわせた製品開発をするのではなく、市場を自分に合わせようとしたのです。

 制度システムを変更するのは政府にしかできませんので、アメリカの自動車メーカーなどはロビイストや献金を通じて政府に影響力を発揮し始めます。しかも、アメリカの自動車メーカーは自国のシステムならともかく、外国(日本など)の制度システムも目の敵にし、「非関税障壁だ!」と叫び、政治力を使い、「市場を自分に合わせようと」したわけです。結果、現在のTPPに繋がる日米構造協議が始まりました。

 世界経済はいま、上記リカードの比較優位論の前提条件を三つとも満たしていません。こんな状況でTPPを推進したら、日本は物価がますます下落し、失業率が上昇することになります。恐ろしいことに、アメリカの方もそうなる可能性があります。

 木下栄蔵先生は、デフレに突っ込んでいる国同士の自由貿易協定は「ロス−ロス」になると警告していらっしゃいます。日本とアメリカがTPPで「ロス−ロス」になった日には、冗談抜きで世界は大恐慌目掛けてまっしぐらということになりかねず、そんな未来は心から願い下げだと思うわけです。

22 ■型に嵌めたがる習性の多面的考察

>比較優位論は以下の三つが成り立たないと巧くいかない

 リカードモデルに限らず、あらゆる自由貿易賛美論には、

「自分の求める品質の財・サービスを相手国が作れる」

という前提条件が組み込まれています。日本人なら「おい、おい、ちょっと待ってよ」と、この前提条件がいかに現実離れしているかすぐに気づくでしょ。

はっきり言って、「モデル」って名付けるのも馬鹿らしい「リカちゃんハウス」なんです、あんなもの。


 そもそも経済学は、「品質」なんて取り扱えません。

例えば、PS3とXboxの「品質」をポイント計算できる「客観的」基準なんて存在しない。近代以降の経済学は、そういった非客観的要素を排除し、市場売買価格を基礎に据えることによって数学を自在に取り込み、科学の装い(あくまで装いですよ)を身に纏うことができたんです。

 ここに気づいてない学者連中がほんとうに多いんです。経済学にそもそも出来ることと出来ないこと、を根元から考えたことがない。経済産業省の「信者」さんも恐らく同じなんでしょう。、自分のやってる学問を外から冷静に眺めたことがない。ただただひたすら「覚えた」だけ。いい意味で「遊んだ」経験がなく、例えば「自動車の排気音の文化的価値」なんてものを感じたことがない。そりゃ、「品質」なんか気になりませんよ。学歴はあっても、文明人・文化人じゃないんです。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11049519345.html


08. 2011年11月12日 21:39:51: MiKEdq2F3Q


グローバリズムというのは“帝国主義”の単なる言い換え


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     | イ●丶  ィ●ア|   |
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.  |  | |  丶       |    | アホにはグローバリズムという言葉が効くわね
.  Π  | 丶  ー→   ノ   リ
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   | |_   )ノリ )   ∠彡//
  /スノ   /  |_/ |\
  L_ノ   / >  | /  (   ヽ
   \ \ノ /ヽ │/ /  ィ  |
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グローバリストを信じるな


Againの定例経営会議で箱根湯本に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日本の行く末について話し合った。

EUの先行き、日本のデフォルトの可能性から、TPPが「空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗」という話になる。

いったいアメリカは自由貿易によって日本に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか?

この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。


「TPPに参加しないと、『世界の孤児』になる」とか「バスに乗り遅れるな」

というような、「自己利益(というよりは「自己利益の喪失)」にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、

「なぜアメリカがこれほど強硬に日本のTPP参加を要求するのか?」

という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。

まさか、アメリカが自国の国益はさておき日本の国益を守るために完全な市場開放を日本に求めているのだと思っている国民はいないと思うが、メディアの社説を徴する限り、論説委員たちはその数少ない例外らしい。

TPP参加は日本の国益のためだ、と推進派の人々は言う。だが、それではアメリカが日本に市場開放を求め理由を説明したことにはならない。アメリカが他国に市場開放を求めるのは、自国の国益がそれによって増大するという見通しが立つからである。そして、貿易において、一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。ふつうはそうである。

貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。

アメリカは自国の貿易収支が黒字になることをめざして他国に市場開放を求めている。それは「売りたいもの」があるからで、「買いたいもの」があるからではない。アメリカが自国の貿易黒字を達成すれば、相手国は貿易赤字を抱え込むことになる。

だから、「アメリカの求めに応じて、日本が市場開放することは、日本の国益を増大することになる」という命題を有意味なものにするためには、

「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」

という命題をそこに媒介命題としてはめ込むしかない。だが、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題は汎通的に真であるわけではない。

そう思っている人は少なからずいるが、それはあくまで個人的な「信念」であって、一般的真理ではない。もちろん私はそのような「風が吹けば桶屋が儲かる」式の推論にまるで根拠がないと言っているわけではない。経験的に「そういうこと」が繰り返しあったからこそ、彼ら(松下政経塾系政治家とか財界人とか官僚とかメディア知識人のかたがた)はそのような推論になじんでいるのである。

私とて経験則の有効性を否定するものではない。でも、その場合には、「この政治的選択は原理的には合理性がないが、経験的にはわりと合理性がこれまではあったので、これからも妥当するかも・・・」というくらいの、節度ある語り口を採用すべきだと思う。「バスに云々」のような、人を情緒的に不安にしておいて、その虚を衝いてガセネタをつかませるあくどいセールスマンのような安手の語り口は採るべきではないと私は思う。

誤解して欲しくないのだが、私は市場開放や自由貿易に「原理的に」反対しているのではない。その点については、ぜひご理解を頂きたい。ただ、市場開放や自由貿易は「主義」として採用すべきものではなく、国民経済に資する範囲で「按配」すべきものだという下村治の立場に与するのである。貿易政策の得失については、「これでいいのだ」と包括的に断定したりしないで、個別的に吟味した方がいいと申し上げているだけである。

とりあえず私たちが知っているのは「アメリカは必死だ」ということである。ここでTPPに日本を巻き込むことができるかどうかが「アメリカ経済の生命線」であるかのような悲壮な覚悟でアメリカは日本に迫っている。別に、日本の国運を案じて悲愴になっているわけではない。アメリカの行く末を案じて悲愴になっているのである。

アメリカの貿易について考える場合に、私たちがまず前提として理解すべきことは、「アメリカには、日本に売る工業製品がない」ということである。アメリカの製造業は壊滅してしまったからである。「ものつくり」という点について言えば、もうアメリカには世界のどんな国に対しても国際競争力のある「もの」を輸出する力がない。自動車も家電も衣料品も、なにもない。
一応作ってはいるけれど、クオリティについての信頼性が低く、割高なので、買い手がつかないのである。「もの」でまだ国際競争力があるのは、農産物だけである。

残りは「ノウハウ」、つまり「頭のなかみ」である。GoogleとAppleのような情報産業と司法、医療、教育といった制度資本を「金にするノウハウ」だけはまだ「売り物」になる。でも、正直に言うと、GoogleもAppleも、「なくても困らない」ものである。あると便利なので私も愛用しているが、ほんとうに必要なのか、と改めて考えるとわからなくなる。

「そうやって温泉宿にまでiPhoneやiPadを持ち込むことで、キミたちの人生は豊かになっていると言えるのかね。そんなものがあるせいで、キミたちはますます忙しくなり、ますます不幸になっているようにしか、オレには見えないのだが」

と兄ちゃんに言われて、私も平川くんも返す言葉を失ったのである。たしかに、そのとおりで、このような高度にリファインされた情報環境があった方がいいのか、なくてもいいのか、考えるとよくわからない。朝起きてパソコンを起動して、メールを読んで返事を書いているうちに、ふと気づくとが日が暮れ始めていたことに気づいて愕然とするとき、

「いったいオレは何をしているのか」

と考え込んでしまう。私が機械を使っているのか、それとも機械が私を使っているのか。『モダンタイムス』的不条理感に捉えられる。

兄ちゃんの話では、最近のサラリーマンたちはオフィスで朝から晩までプレゼン用の資料をパワーポイントとエクセルで作っているそうである。

「仕事の時間の半分をプレゼンの資料作りに使っているのを『働いている』と言ってよいのだろうか?」

と兄ちゃんは問う。情報環境の「改善」によって、私たちの労働は軽減されるよりはむしろ強化された。それは実感として事実である。家にいながら仕事ができるようになったせいで、私たちは外で働いているときも家にいるときも働くようになり、そうやって増大する作業をこなすためにますます高度化・高速化した端末を求めるようになり、その高度化した端末のせいで私たちのしなければいけない仕事はますます増大し・・・

エンドレスである。アメリカはこのエンドレスの消費サイクルに私たち「ガジェット大好き人間」を巻き込むことによって、巨大な市場を創設することに成功した。もうアメリカが「売ることのできるもの」は、それくらいしかない。

だから、アメリカの大学と研究開発機関は世界中から「テクニカルなイノベーションができそうな才能」を必死で金でかき集めようとしている。アメリカの先端研究の大学院に占める中国人、インド人、韓国人の比率は増え続けているが、それは彼らにアメリカで発明をさせて、それを絶対に故国に持ち帰らせず、アメリカのドメスティックなビジネスにするためである。いつまで続くかわからないが、しばらくはこれで息継ぎできるはずである。

「アメリカの大学は外国人に開放的で素晴らしい」

とほめたたえる人がよくいるが、それはあまりにナイーブな反応と言わねばならぬ。先方だって生き残りをかけて必死なのである。外国人だって、国富を増大させてくれる可能性があるなら、愛想の一つくらい振りまくのは当たり前である。これが「教育を商売にする方法」である。

アメリカの学校教育には「子供たちの市民的成熟を促す」という発想はもうほとんどない。

学校はビジネスチャンスを生み出す可能性のある才能をセレクトする機会であり、市民的成熟のためのものではない。

アメリカでは、高付加価値産業だけが生き残り、生産性が低い代わりに大きな雇用を創出していた産業セクターは海外に移転するか、消滅した。だから、「才能のある若者」以外には雇用のチャンスが減っている(失業率は2010年が9・6%だが、二十代の若者に限ればその倍くらいになるだろう)。ウォール街でデモをしている若者たちは「まず雇用」を求めている。これまでアメリカ政府は彼らに「我慢しろ」と言ってきた。

まず、国際競争力のある分野に資金と人材を集中的に投入する。それが成功すれば、アメリカ経済は活性化する。消費も増える。雇用も増える。貧乏人にも「余沢に浴する」チャンスが訪れる。だから、資源を「勝てそうなやつら」に集中しろ、と。

「選択と集中」である。

でも、それを30年ほどやってわかったことは、


「選択されて、資源を集中されて、勝った諸君」は、そうやって手に入れた金を貧乏な同胞に還元して、彼らの生活レベルを向上させるためには結局使わなかった、ということである。

それよりは自家用ジェット機買ったり、ケイマン諸島の銀行に預金したり、カリブ海の島を買ったり、フェラーリに乗ったり、ドンペリ抜いたり、アルマーニ着たり(たとえが古くてすみません・・・)して使ってしまったのである。

選択-集中-成功-富の独占というスパイラルの中で、

「選択から漏れ、集中から排除された、その他大勢の皆さん」

が絶対的な貧窮化にさらされ、今ウォール街を占拠している。彼らの運動に

「政策的な主張がないから、政治的には無力だろう」

と冷たく言い捨てる人々が日米に多いが、それは間違いだと思う。彼らが政府に何を要求していいかわからないのは、


「完全雇用は経済成長に優先する」


という(日本の高度成長を理論づけた)下村治のような「常識を語る人」がアメリカでは政府部内にも、議会にも、メディアにもいないからである。ウォール街を占拠している若者たち自身

「成長なんか、しなくてもいい。それより国民全員が飯を食えるようにすることが国民経済の優先課題である」

という主張をなしうるだけの理論武装を果たしていないのである。

「生産性の低い産業分野は淘汰されて当然だ(生産性の低い人間は淘汰されて当然だ)」

というグローバリストのロジックは貧困層の中にさえ深く根付いている。だから、彼らはこの格差の発生を「金持ちたちの強欲(greed)」という属人的な理由で説明することに満足している。「属人的な理由で説明することに満足している」というのは、それを社会構造の問題としては論じないということである。「強欲である」というのは「能力に比して不当に多くの富を得ている」という意味である。

問題は個人の倫理性のレベルにあり、国家制度のレベルにはない。「アメリカはこれでいい」のである。ただ、一部に「ワルモノ」がいて、国民に還元されるべき富を独占しているので、それは「倫理的に正しくない」と言っているのである。

このような一部の富者だけを利する経済システムは「アメリカの建国理念からの倫理的な逸脱」であって、構造的な問題ではない。だから、建国の父たちが思い描いた「あるべきアメリカの姿」に立ち戻れば問題は解決する。

彼らの多くはまだそう思っている。

アメリカのこの頽落はもしかすると「建国の理念のコロラリー」ではないのか・・・

という足元が崩れるような不安はまだアメリカ人のうちに広まっていない。それが最大の危機であるように私には思われる。


話を続ける。情報と教育の他、あと、アメリカが商売にしようとしているのは司法と医療である。これについては、専門家が的確に危険性を指摘しているから、私の方からは特に付け加えることはない。医療については、前にご紹介したYoo先生の『「改革」のための医療経済学』をご一読いただければよろしいかと思う。

そして、アメリカの最大の売り物は農産物である。

驚くべきことに、アメリカが「かたちのあるもの」として売れるのはもはや農産物だけなのである(あと兵器があるが、この話は大ネタなので、また今度)。

農産物はそれは「その供給が止まると、食えなくなる」ものである。Googleのサービスが停止したり、Appleのガジェットの輸入が止まると悲しむ人は多いだろうが(私も悲しい)、「それで死ぬ」という人はいない(と思う)。日本列島からアメリカの弁護士がいなくなっても、アメリカ的医療システムが使えなくなっても、誰も困らない。でも、TPPで日本の農業が壊滅したあとに、アメリカ産の米や小麦や遺伝子組み換え作物の輸入が止まったら、日本人はいきなり飢える。国際価格が上がったら、どれほど法外な値でも、それを買うしかない。そして、もし日本が債務不履行に陥ったりした場合には、もう「買う金」もなくなる。

NAFTA(North America Free Trade Agreement)締結後、メキシコにアメリカ産の「安いトウモロコシ」が流入して、メキシコのトウモロコシ農家は壊滅した。そのあと、バイオマス燃料の原材料となってトウモロコシの国際価格が高騰したため、メキシコ人は主食を買えなくなってしまった。基幹的な食料を「外国から買って済ませる」というのはリスクの高い選択である。

アメリカの農産物が自由貿易で入ってくれば、日本の農業は壊滅する。

「生産性を上げる努力をしてこなかったんだから、当然の報いだ」

とうそぶくエコノミストは、もし気象変動でカリフォルニア米が凶作になって、金を出しても食料が輸入できないという状況になったときにはどうするつもりなのであろう。同じロジックで

「そういうリスクをヘッジする努力をしてこなかったのだから、当然の報いだ」

と言うつもりであろうか。きっと、そう言うだろう。そう言わなければ、話の筋目が通らない。


でも、こういうことを言う人間はだいたい日本が食料危機になったときには、さっさとカナダとかオーストラリアとかに逃げ出して、ピザやパスタなんかたっぷり食ってるのである。

TPPについて私が申し上げたいことはわりと簡単である。


「生産性の低い産業セクターは淘汰されて当然」とか

「選択と集中」とか

「国際競争力のある分野が牽引し」とか

「結果的に雇用が創出され」とか

「内向きだからダメなんだ」


とか言っている人間は信用しない方がいい、ということである。そういうことを言うやつらが、日本経済が崩壊するときにはまっさきに逃げ出すからである。彼らは自分のことを「国際競争に勝ち抜ける」「生産性の高い人間」だと思っているので、

「いいから、オレに金と権力と情報を集めろ。オレが勝ち残って、お前らの雇用を何とかしてやるから」

と言っているわけである。だが用心した方がいい。こういう手合いは成功しても、手にした財貨を誰にも分配しないし、失敗したら、後始末を全部「日本列島から出られない人々」に押しつけて、さっさと外国に逃げ出すに決まっているからである

「だから『内向きはダメだ』って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがってよ」。

そういうことをいずれ言いそうなやつ(見ればわかると思うけどね)は信用しない方が良いです。私からの心を込めたご提言である。

http://blog.tatsuru.com/2011/10/25_1624.php

池田信夫VS内田樹


TPP 対 反TPP、池田信夫センセイは詭弁を弄す2011.11.04 Friday


全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。こういう池田信夫の様な批判のやり方が、私は一番嫌いである。 卑怯だからだ。

内田樹氏が、TPPに反対する『グローバリストを信じるな』という記事をブログに書いた。その批判を池田氏がブログに書いた。しかし、この池田信夫と言う人物は、論理的整合性ということを知らないのだろうか?

ある人物が書いた、ある文章と、それとは違う別のところに書いた文章との論理的整合性が無いということはよくあります。それは、語る対象の人物が違う以上、ある程度仕方が無いのですが、この池田信夫という人物は、短い一つの文章の中でも、論理が破綻しています。

論理というか、言ってることが真逆だったりして驚きます。例えばこれ。

『グローバル化の最大の受益者は見えない』
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51751717.html

という文章の最初の方では、


>中国で700円でジーンズをつくれるとき、日本で7000円でつくる意味はない。

>中国に比較優位があるものは輸入すれば、あなたの実質所得は10倍になるのだ。


と書き、後の方では、


>理論的には、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む。

>労働移動がなくても、低賃金労働の製品を輸入することによって労働を輸入するのと同じ効果があるからだ。

グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。(発展途上国並になる、ではなく、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。どっちにしろ、グローバル化で、記事の前半では賃金が増えると言い、後半で賃金が減ると言っています。)

(池田信夫の) 頭は大丈夫か?

ということで、池田信夫氏の『内田樹氏が知らない比較優位』という文章ですが、まず、文章の一番の要点を無視して批判している。文中の経済学的観点での間違いを指摘している(けど的外れ)だけで、肝心要の内田氏の結論、一番のキモを無視している。

内田氏は、アメリカが執拗に日本にTPP参加を迫っているというが、アメリカの世論、マスコミはTPPに関心が無いと池田氏は指摘する。

アメリカが、日本にTPP参加を迫っていないというなら、誰が迫っているのか?チリかブルネイかシンガポールか?

(池田信夫は)アホか。

内田氏がここでアメリカと言っているのは、アメリカの世論やマスコミじゃないことぐらい分かるはずです。

アメリカの金融、産業資本、財界、多国籍企業、その手先であるアメリカの政治家、官僚等、TPP利権に与れる者でしょう。日本にTPP締結を迫るのに、アメリカの世論やマスコミを煽る必要がどこにある?
逆にアメリカのマスコミや世論が日本にTPP参加を激しく迫れば、逆効果でしょう。怪しさも百万倍です。


>各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。


というのが比較優位の原理であり、内田氏はこの比較優位の原理を知らないと池田氏は批判する。

しかし、『グローバリストを信じるな』を読んでみると、そのことについては、内田氏良く理解しているように読める。

>だが、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題は汎通的に真であるわけではない。

(中略)

>経験的に「そういうこと」が繰り返しあったからこそ、彼ら(松下政経塾系政治家とか財界人とか官僚とかメディア知識人のかたがた)はそのような推論になじんでいるのである。

>私とて経験則の有効性を否定するものではない。

というように、内田氏は、日米の関係において、Win-Winの関係は成立したこともあったであろうと述べていて、比較優位の原理を知らないという批判は的外れである。というか、卑怯であり腹立たしい。

全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。こういう批判のやり方が、私は一番嫌いである。卑怯だからだ。


さて、この池田氏が言う比較優位の原理ですが、大変に問題です。

>各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。

まず、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになるか?

なりません。生産量が増えても、それを分配するシステムが無い限り、格差と貧困が広がるだけの可能性が高い。現にそうなってるじゃないですか。『双方の国が利益を得る』というが、双方の国の誰か?という問題です。

グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。システムを所有しないもの、システムの支配を受けるもの、一般の消費者、労働者は酷い目に合わされる可能性が高い。コーヒー、ココア、天然ゴム、パーム椰子等、商品作物を作っている途上国の農民は、グローバル化で豊かな暮らしを享受していますか?

なぜ、自分たちの食べる食べ物も作れないで、貧困に喘ぎながら、先進国の企業に賃金を買い叩かれて、先進国の企業の売る高い食べ物を買わされているのか?

グローバル化で利益を得るのは誰か?

仮にグローバル化で生産量は増えても、普通の人が普通に暮らしやすい世の中になるとは到底思えません。


_________



コメント

池田センセイの物言いには甚だ不快感を催すのですが、まぁそれはいつもの事として・・・。

>実質所得は10倍になるのだ。

これは”実質”じゃなく、”実質的”なのでしょうね。グローバル化(←この語句がそもそもマヤカシっぽいです)=均一化なら、高所得国側の”実質”所得は減りますよね。”実質物価”が下がっても、”実質”所得がその割合より下がれば、”実質的所得”も下がり結局”豊か”にはなりません。

センセイの理屈では、得意な物を得意な者が効率よく生産・従事する事でモノやサービスのコストを下げ、すなわちその”価値”を下げる事が”豊さ”への道っと言う事なのでしょうか?。

既存の個性・文化伝統・風習・地域性・国民性を無視し、効率のみを優先して資本主義の都合で全てに均一化を計ることが、皆の幸せである言う見識には納得できません。

鍛冶屋 2011/11/04 6:24 PM

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>生産量が増えても、それを分配するシステムが無い限り、格差と貧困が広がるだけの可能性が高い。
>。リ双方の国が利益を得る』というが、双方の国の誰か?という問題です。
>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。

生産効率が上がり、生産量が増えても、その生産システム、分配システムを所有する者が肥え太るだけで、労働者、つまり、労働以外に交換手段(お金)を得ることが出来ないものは、徹底的に買い叩かれるということです。先進国だろうと、発展途上国だろうと同じことです。まったく、池田信夫氏の言説は腹立たしい限りです。

湧泉堂 2011/11/04 6:38 PM

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おはようございます。初めてお邪魔いたします。先般EXAスレッドで意見交換させていただいたローズです。湧泉堂さんとはEXA交流の親しさからコメ入れしたくなりましたので、よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。


さてTPPですが、ISD条項ぬき/知財ビジネスぬき、で、関税のみ撤廃/モノ主体というフレームでなら、参加すべきと考えています。"鎖国"と"開国"の価値の相違は、明治維新でも証明されていますので。しかし、米国の経済陰謀に対しては、日本として今の100倍ぐらい警戒しつつ、実証主体の理論武装の増強を実施すべきと思います。

という意味で、前述の、条件付き参加、論者です私は。

マルクスの資本論が経済学の表舞台から消えて早30年経過します。しかるに、彼の拡大再生産循環論は、企業家にとっては、規模の利益の追求、などでバックボーンにはなっているようです。反ケインズのピグーなどが端緒となり、昨今のノーベル経済学受賞学者たちは、資本主義経済学ではなく自由主義経済学にカジをきって久しいです。

湧泉堂さんも仰せのように、課題は、再分配システム/すべての厚生利益は消費者に回帰するシステムの実現、です。為政者も企業家も、マクロの優位さにばかり注力しているので、なかなか実現しそうにない昨今です。

人間(ミクロ社会)を真に幸福にする経済学や経済活動は、まだまだ未熟な地球世界のようです。

いけだ氏の持論サイトは、数年前に覗いた記憶があります。そのときは、偏狭的で、裏づけ理論も乏しい、ある意味、フツーの人だな、と感じ、わたし、ROMしなくなりました。湧泉堂さんブログのおかげで、久しぶりに彼の論に触れることができました。偏狭的なのは相変わらずですね。

裏づけ理論の提示のほうは、以前にだいぶ叩かれていたことから、今般は改善されているように、私は感じました。
ただし、(私が敬愛する浜矩子氏を、歪曲しながら否定しているので)、心証はワルイですが(笑)。

あと、僭越かつ失礼をお許しいただきたいのですが、

いけだ氏に関する湧泉堂さん

>グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。


これは少し違いますね。彼の原文は、

・実質所得は10倍、ですから、賃金が10倍になる、とは言ってない、から。

・理論的には世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む、ですから、発展途上国並になる、とは言ってない、から。

ちなみに私は、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む、これ同感なんです。

世界で最低人件費の最後の国(≒アフリカ)の殖産興業に行き着いたら、最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の、人件費水準の加重平均値あたりに落ち着くのでは、と推測しています。
なぜなら、最高諸国のそれは逓減し、最低諸国のそれは逓増していき、収れんするはずだから。


>というか、卑怯であり腹立たしい。
>全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。
>こういう批判のやり方が、私は一番嫌いである。卑怯だからだ。


同感です。いけだ氏がメジャー認知の一歩手前で停滞している原因です。


>さて、この池田氏が言う比較優位の原理ですが、大変に問題です。
>>。ハ各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。)
>まず、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになるか?


いけだ氏の原文には、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになる、とは書いていないので、これについては湧泉堂さんの勇み足じゃないでしょうか?

なお、いけだ氏の言うWin-Winの環境が整うのは、今後おおむね50年はかかると思います。

わたし前述の、世界で最低人件費の最後の国(≒アフリカ)の殖産興業に行き着いたら、それ以降は、Win-Win成立の可能性が飛躍的に高まると思いますが、それまでは、弱肉強食/人件費による価格破壊の時代が続くので、真のWin-Winは成立するわけが無いからです。

>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。


同感です。私すぐ上に記述の、その時期、が到来するまでは。

ローズ 2011/11/06 9:58 AM


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ローズさん、コメントありがとうございます。

賃金は発展途上国並になる、というよりは、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。はい。

ローズさんは、世界レベルで、同一労働同一賃金になるとお考えのようですが、ずいぶんと楽観的なお考えのように思えます。私の考えでは、

『あらゆる労働はすべて、ほとんど同一賃金になる』

です。つまり、奴隷制度ですね。どんな職業に就こうと、労働者は、生きていけるだけの最低の賃金しか得られなくなるということ。なぜ、公認会計士や弁護士が就職難で、歯科医がワーキングプアなになってしまったのか?

それは、所詮は労働で賃金を得る職業だからです。支配階級、つまり、生産流通分配の『システムの所有者』、権利収入を得るものだけが圧倒的な富と権力を手に入れる。これが、グローバル化の行き着く未来です。説明します


新自由主義、強欲資本主義、自由競争自己責任主義、ネオリベラリズム、弱肉強食の殺戮の荒野資本主義を徹底的に推し進めると何が起こるか?

もっとも強い、もっとも資本力のある企業(グループ)が全ての産業を独占するようになる。(もはや企業間の競争も無い社会=共産主義社会実現)

当たり前です。資本力を利用して、官僚の天下りを受け入れ、政治献金で政治家を抱きこみ、マスコミに宣伝費を垂れ流して手なずける。そして、法律を捻じ曲げ、あるいは、自分たちに有利な法律に改定、新法を制定して何でもかんでもやりたい放題になるからです。

パチンコは賭博なのに、なぜ、取締りの対象にならないのか?警察官僚を天下りで受け入れ、政治献金をして、テレビで宣伝費をばら撒くからです。法律なんてあったもんじゃない。これが、世界レベルで起こるわけです。

資本主義を無制限に解放するということは、より資本力のあるものが無制限に勝つことになるから

たった一つの最強の資本グループが全ての産業を牛耳る世界(世界の共産主義化)では、どんな職業であろうと労働者の賃金は徹底的に買い叩かれます。

新自由主義とグローバル化を推し進めると、世界の共産主義化が実現し、どんな職業であろうとも、賃金労働者はすべてワーキングプア、奴隷になるということです。

★補足

>世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。

という池田氏の意見に対して、私は、疑義を呈しているわけです。『国が利益を得ること=人類を幸福にする』のか?国が利益を得ても、国民にその利益を分配するシステムが無ければ、格差と貧困が広がるだけであると。

湧泉堂 2011/11/06 10:51 AM


____

>賃金は発展途上国並になる、というよりは、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。はい。

いえ、違います。

私が書いたのは、最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の人件費水準の加重平均値あたりに落ち着くのではと推測する、でした。ほぼ中央ゾーンに収れんする、という意味でした。それと、平均化されて発展途上国と変わらなくなる、は文章として間違っていませんか?


>ローズさんは、世界レベルで、同一労働同一賃金になるとお考えのようですが、ずいぶんと楽観的なお考えのように思えます。

いえ、その逆です。そういう覚悟をしている、という意味です。

なぜなら、泣いても笑っても、今後50年ぐらいのあいだに、地球全体が、避けようの無い物理メカニズムによって、すなわち、必然的に、そうなってしまうと考えるからです。狭いエリアで短期的に見ても、すでに、日本と中国は、そういうことになっています。(日本の人件費は逓減し、中国の人件費は逓増していっている)。


>私の考えでは、『あらゆる労働はすべて、ほとんど同一賃金になる』です。つまり、奴隷制度ですね。
>どんな職業に就こうと、労働者は、生きていけるだけの最低の賃金しか得られなくなるということ。

これら二つも、違います。
上記の、賃金水準の今後予測の結論が根本的に(≒間違っている)ので、それを前提にしてお書きの事柄は、別方向に行ってしまっていると考えます。


>なぜ、公認会計士や弁護士が就職難で、歯科医がワーキングプアなになってしまったのか?

需要の総量を無視した、供給の過剰、これによる、当然の結果です。その証拠に、需要と供給がバランスしていた時代の彼らの平均年収は、他に比して突出して高かったです。


>それは、所詮は労働で賃金を得る職業だからです。

はて?イミフです。
用益(サービス)も立派に価値がある職業だと思いますが。ゆえに、仰せのような就職難やワーキングプアの発生根拠には、なりえないと考えます。


>支配階級、つまり、生産流通分配の『システムの所有者』、権利収入を得るものだけが圧倒的な富と権力を手に入れる。
>これが、グローバル化の行き着く未来です。説明します
>新自由主義、強欲資本主義、自由競争自己責任主義、ネオリベラリズム、弱肉強食の殺戮の荒野資本主義を徹底的に推し進めると何が起こるか?
>もっとも強い、もっとも資本力のある企業(グループ)が全ての産業を独占するようになる。(もはや企業間の競争も無い社会=共産主義社会実現)
>当たり前です。資本力を利用して、官僚の天下りを受け入れ、政治献金で政治家を抱きこみ、マスコミに宣伝費を垂れ流して手なずける。
>そして、法律を捻じ曲げ、あるいは、自分たちに有利な法律に改定、新法を制定して何でもかんでもやりたい放題になるからです。
>パチンコは賭博なのに、なぜ、取締りの対象にならないのか?警察官僚を天下りで受け入れ、政治献金をして、テレビで宣伝費をばら撒くからです。


別方向にブッ飛んでいますが、お書きのことそのものは、仰せのとおりです。でも、上の事柄の説明としては、弱いです。というか別方向。


>法律なんてあったもんじゃない。これが、世界レベルで起こるわけです。

人間世界は卑しいですから、理想への過渡期なんだと思います。天下りもパチンコ献金も今後さらに規制され、早晩、なくなるだろうと考えます。

>資本主義を無制限に解放するということは、より資本力のあるものが無制限に勝つことになるから


たしかに1980年代までは、その面が強かったですが、それ以降は、当てはまらなくなってきています。開発力の乏しい巨大企業は、収益的にも資産的にも脆弱化してきています。価値が高いものを開発&提供している企業は、どんどん伸びてきています。


>たった一つの最強の資本グループが全ての産業を牛耳る世界(世界の共産主義化)では、どんな職業であろうと労働者の賃金は徹底的に買い叩かれます。
>新自由主義とグローバル化を推し進めると、世界の共産主義化が実現し、どんな職業であろうとも、賃金労働者はすべてワーキングプア、奴隷になるということです。

>たった一つの最強の資本グループが全ての産業を牛耳る世界(世界の共産主義化)では、どんな職業であろうと労働者の賃金は徹底的に買い叩かれます。
>新自由主義とグローバル化を推し進めると、世界の共産主義化が実現し、どんな職業であろうとも、賃金労働者はすべてワーキングプア、奴隷になるということです。


違います。共産主義化の真逆です。賃金の買い叩きも発生していません。地球世界をひとつの労働市場にした中での、理にかなった収れん、これに近づいていっているのです。鎖国は、200年前も現在も、誰のためにもならないのです。

>★補足
>>>世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。
>という池田氏の意見に対して、私は、疑義を呈しているわけです。
>『国が利益を得ること=人類を幸福にする』のか?国が利益を得ても、国民にその利益を分配するシステムが無ければ、格差と貧困が広がるだけであると。


これについては、先に既述のように

・分配システム不備なままでは、仰せのとおりです。
・人間(ミクロ社会)を真に幸福にする経済学や経済活動、これが喫緊の課題であり、私の願望でもあります。

ローズ 2011/11/06 12:06 PM

_______

ローズさん、コメントありがとうございます。

>それと、平均化されて発展途上国と変わらなくなる、は文章として間違っていませんか?

えーっと、これは、日本語の問題で、議論してもしょうがないような気もするのですが…。

グローバル化で平均化されて、賃金の高い先進国も、賃金の低い発展途上国も同一労働同一賃金になるということで、言ってることは同じではないですか?

先進国も発展途上国も、同じ賃金になるという意味で。こんなことで議論してもしょうがないと思いますが。

>はて?イミフです。
>用益(サービス)も立派に価値がある職業だと思いますが。
>ゆえに、仰せのような就職難やワーキングプアの発生根拠には、なりえないと考えます。

いや、あのですね、私が言っているのは、

『労働で収入を得る者 VS 権利収入を得る者』

ということです。サービスを提供しようが、教員だろうが、消防士だろうが、警察官だろうが、弁護士や医師だろうが、所詮労働をしないと収入が得られない者にしか過ぎません。ここで言う権利収入の権利というのは、『システムを所有する権利』で、システムとは、生産流通分配のシステムのことです。

もちろん、個別の企業で言えば、大企業のGMやソニーが衰退したりはしています。アップルや、グーグル、DeNAの台頭ということもあるでしょう。しかし、そういう個別の企業の話ではないのですよ。もっと大きな資本の流れを見れば、巨大な資本を握るものが富を膨らませ続けています。見えませんかね?

見えないよ!と言われればそれまでですが(笑)。

新自由主義、規制無き強欲資本主義とグローバル化の行き着く最終形態の話です。自動車メーカーも、経営統合や資本提携などで、各国小メーカー乱立から、大きなグループに統合されていく。強い企業が弱い企業を飲み込んでいく。


>別方向にブッ飛んでいますが、お書きのことそのものは、仰せのとおりです。
>でも、上の事柄の説明としては、弱いです。というか別方向。

別方向ではなくてですね。お金(資本力)さえあれば、何でもありだということです。法律も、世論も、道徳も、すべて乗り越えてゆける。

仮にパチンコ産業が衰退しても、資本は肥え太りながら、収奪を繰り返し、軽々と別の産業に乗り換えていく(国境も法律も乗り越えて)。都市銀行も3大メガバンクに統合されていきました。より巨大な企業(資本)に飲み込まれ、あるいは弱いもの同士が合併してより強くなり、統合を繰り返していく。

この世にたった一つの金融機関しかない世界(競争の無い社会。あるいは表向きは数社あっても、裏で利害を共にする関係)。一つの産業につき、一つの企業(グループ)しかない社会。さらに、最強の企業(資本)グループが、全ての産業を支配する社会。無制限の弱肉強食資本主義で、弱い企業は強い企業に飲み込まれ、統合されていく(長い目で見れば)。

ホワイトカラーエグゼンプションというのもありましたが、そうなれば、ホワイトカラー労働者の賃金も買い叩かれます。企業間の競争が無く賃金はコストだから。


>違います。共産主義化の真逆です。賃金の買い叩きも発生していません。
>地球世界をひとつの労働市場にした中での、理にかなった収れん、これに近づいていっている、のです。

新自由主義とグローバル化をこれからさらに推し進めれば、全ての労働に対する賃金、報酬は徹底的に買い叩かれます。これから、起こることです。


>需要の総量を無視した、供給の過剰、これによる、当然の結果です。

なぜ供給過剰になったのか?
なぜ、規制緩和、制度改革されたのか?
なぜ抵抗できなかったのか?
(資格の規制緩和が一般国民にとってどうかは別問題)

弁護士や公認会計士が巨大資本の所有者ではなかったからです(たいした権力が無かった)。システムの所有者でもないのに、高収入なのは目障りだった。個人が個人のまま力をもっていたのが邪魔だったのでしょう。弁護士や公認会計士は、所詮は資本の使いっ走りでしかなかった。新自由主義とグローバル化をこれからさらに推し進めれば、全ての労働に対する賃金、報酬は徹底的に買い叩かれます。今後、規制無き弱肉強食を推し進めれば、そうなります。部分を見れば逆流したり、渦を巻いていたりする所もありますが、大きな流れはそういうことです。

規制を撤廃した弱肉強食資本主義においては、国家や法律を超越して資本(企業)の論理がまかり通ります。巨大多国籍企業の経済活動が、全てに優先する。ISD条項や、米韓FTAやNAFTAが良い例です。

やがて最強の資本(企業)グループが生まれ、独裁体制が成立し(企業活動は法律に優先するから)、世界の共産主義化、労働者の奴隷化が実現します。これは、


>最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の人件費水準の加重平均値あたりに落ち着く

のようなことが起きた、そのさらに後に起こることです。


>鎖国は、200年前も現在も、誰のためにもならないのです。

アメリカ大陸に住んでいたネイティブアメリカンは、ヨーロッパ人の侵入で何か良いことがあったのでしょうか?

ピサロがやってきた南米は?

オーストラリア大陸のアボリジニは?

アイヌ民族は?

沢山の人々を奴隷として拉致され植民地化されたアフリカは?

コーヒー、ココア、天然ゴム、パーム椰子等、商品作物を作っている途上国の農民は、グローバル化で豊かな暮らしを享受していますか?

もともとは、自分たちの食べる食べ物を自分たちで調達して自給自足していた人たちですよ?

なぜ、自分たちの食べる食べ物も作れないで、貧困に喘ぎながら、先進国の企業に賃金を買い叩かれて、先進国の企業の売る高い食べ物を買わされているのですか?

生産流通分配、そして労働の機会も企業が独占しているからですよ。これがグローバル化の行き着く未来図です。

世界が共産主義化などする前に、ヨーロッパ経済危機や米国債デフォルトや中国バブル崩壊等によって、世界の経済システムは、システムクラッシュを起こすんじゃないでしょうか)
その後のことは私にはわかりません。)

湧泉堂 2011/11/06 3:08 PM


_____


湧泉堂さん一つ前のブログ記事の冒頭


>それよりは、グローバル化を拒否して緩慢に衰退して死に至るほうが、痛みが少ないかもしれません。
>どのみち、人は死ぬし、人類は絶滅するし、地球は消滅する(45億年も経てば)んだから、日本固有の文化などどうでもよいのかも知れませんが…。
>あるいは、鎖国して、アーミッシュのような生活をするのも一つの選択肢かも知れません。

湧泉堂さんの思想ポリシーが集約されています。

お気づきのように私は、システム等々の不備な点は人類の英知で打開して人類幸福の最適解を諦めずに追求する、という思想ポリシーですので、この辺は、永遠にマッチングしないと思っていましたし、100人いたら100人ともそういうものですので、それでいいと思っています。


>(先のご返信)ずいぶんと楽観的なお考えのように思えます。
>えーっと、これは、日本語の問題で、議論してもしょうがないような気もするのですが…。
>先進国も発展途上国も、同じ賃金になるという意味で。こんなことで議論してもしょうがないと思いますが。
>見えませんかね?見えないよ!と言われればそれまでですが(笑)。

書くほうだけが墓穴を掘っていることになるので、こちらはシラけます(笑)し、互いの議論のノリも損なわれますので、あまり価値は無いと思います。

>(先のご返信)賃金は発展途上国並になる、というよりは、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。はい。

これについては、すでに、文章的な間違い指摘を済ませ、私の思う正解も提示し、そして、さきほど、後付け詭弁のような返信を頂戴していますが、

加重平均値あたりにほぼ収れんした時点で、もともとの発展途上国の水準からは高いほうに移動しているわけですから、発展途上国と変わらなくなる、という結論づけは間違っている、と思います。


>ここで言う権利収入の権利というのは、『システムを所有する権利』で、システムとは、生産流通分配のシステムのことです。

湧泉堂さんブログで頻繁に出てくるフレーズですが、具体的な意味の記述は無いまま、のように思いますので、
いい機会?ですので、お手すきのとき、具体的な、システム形態名/または多国籍集団名/あるいは官民合同のグループ名/とかをお教えください。


>もちろん、個別の企業で言えば、大企業のGMやソニーが衰退したりはしています。
>アップルや、グーグル、DeNAの台頭ということもあるでしょう。
>しかし、そういう個別の企業の話ではないのですよ。

私が先レスで書いたことも勿論個々の企業の断片的な事例ではありません。普遍的なウネリ(価値主義での優勝劣敗)です。


>もっと大きな資本の流れを見れば、巨大な資本を握るものが富を膨らませ続けています。見えませんかね?
>見えないよ!と言われればそれまでですが(笑)。

これも、いい機会ですので、お手すきのとき、具体的な、資本形態名/または多国籍企業名/とかをお教えください。


>この世にたった一つの金融機関しかない世界(競争の無い社会。あるいは表向きは数社あっても、裏で利害を共にする関係)。
>一つの産業につき、一つの企業(グループ)しかない社会。さらに、最強の企業(資本)グループが、全ての産業を支配する社会。
>無制限の弱肉強食資本主義で、弱い企業は強い企業に飲み込まれ、統合されていく(長い目で見れば)。

失礼ですが、過去の数々の打開実例をご存じないのでしょうか?
人類は愚かな面は多々ありますし失敗や誤認も多かったですが、ほぼどれも乗り切ってきたと考えます。

なお、反面教師の教訓として生かしてきたか?というと、苦笑する歴史ではありますが。

>弁護士や公認会計士が巨大資本の所有者ではなかったからです(たいした権力が無かった)。
>システムの所有者でもないのに、高収入なのは目障りだった。
>個人が個人のまま力をもっていたのが邪魔だったのでしょう。

ここまでくると、もう、教祖的レベルですので、なにをかいわんや、です。


>世界が共産主義化などする前に、ヨーロッパ経済危機や米国債デフォルトや中国バブル崩壊等によって、
>世界の経済システムは、システムクラッシュを起こすんじゃないでしょうか

世界は共産主義化の反対方向を力強く歩んでいますので前提としてはナンセンスですが、たしかに経済システムのクラッシュは早晩勃発すると思います。湧泉堂さんに同意です。

でもただし、私は、湧泉堂さんのように、悲観的ではないし、厭世的でももちろん無いので、湧泉堂さんご持論の終末イメージとは真逆の予測をしています。世界のビジネス人間は卑劣な面は持っていますが、しばらくしたら悪は善に叩かれ、価値あるモノや良いモノだけが生き残るという、自動制御が機能します。そこまでのリードタイムは長いですが、最後の最後は、悪行は衰退し、正義のシステムが勝ち残るのです。過去の勝利事例をもとに、人間の英知を信じませんか?
人間って、それほどの馬鹿ではないと思うんです。

ローズ 2011/11/06 5:05 PM

_______

ローズさん、コメントありがとうございます。


>>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。

>同感です。私すぐ上に記述の、その時期、が到来するまでは。


はあ。同感いただいているとのことで『システムを所有する者』の説明は不要だと思いますが?

ジェイ・ロックフェラーだ!とか、ジェイコブ・ロスチャイルドだ!とか、国際金融資本だ!とか言ったところで仕方が無いでしょう。誰か特定の個人や団体ではなく概念ですから。そういう概念(道具)を使って、現象を説明しようとしているだけです。


議論が、言葉の細かい定義や、言葉遣い、言い回し、人格についての攻撃になってくると、私はあまり楽しくありません。不毛だからです。あまり建設的な議論にはならないでしょう。

池田氏が、文章の前半ではグローバル化で賃金が増えると言っておきながら、後半では賃金が下がると言っているという矛盾を指摘したまでです。

なぜそんな言い回しの細かい違いにこだわるのか理解できません。『平均化されて』ということの定義の問題にしか過ぎないのじゃありませんか?

一億人の人が年収1千万円で、十億人の人が年収百万円。平均化すると、550万円てことはないでしょう?

(一億人×一千万円+十億人×百万円)÷十一億人です。算数が苦手なので計算しませんが。一千万円の年収の人の収入は激減しますね。

>ここまでくると、もう、教祖的レベルですので、なにをかいわんや、です。

人間が世界や現象について理解しようとするときには、あるモデルを使って理解するより他ありません。事実はありのままに人間存在に届けられるのではなく、事実は概念によって区切られ、意味付けられて人間の意識に届けられます。例えば、世界を

『労働で収入を得るしかない者VSシステムを所有し、権利収入を得る者との対立』

というモデルで見ると何が言えるのか?ということを考えた次第です。

証拠を見せろ!と言われても困ります。こういうモデルで考えるとこういうことが言えますよという話です。


私は、議論に勝ちたいとか、相手を論破したいとかいう欲望は余り無いのです。私の欲望は、私の言うことを正しく理解して欲しいということです。議論のための議論には興味ありません。

湧泉堂 2011/11/06 7:13 PM

______


横レス失礼します。 

最初はよい議論の方向へ話が向かうかと期待していたのですが、途中からはやはり何時ものような流れになってしまい残念です。

>>ローズさんへ
議論の対象は、池田氏の記事に対する意見を述べ合う事ではありませんか?。

湧泉堂さんの解釈や発言、思考が理解できないまたは納得できない、ご自身のお考え方と違うからといって、その結論に至る証拠や実例を具体的に提示せよと言うのはいささか乱暴すぎるのではないでしょうか。池田氏の発言に対しローズさんなりの解釈・見解を示し、もしそれを証明したいのであれば、それを述べられるだけでよろしいのではありません?

鍛冶屋 2011/11/06 8:32 PM

_______


湧泉堂さんへ

いけだ氏の原文

@中国で700円でジーンズをつくれるとき、日本で7000円でつくる意味はない。中国に比較優位があるものは輸入すれば、あなたの実質所得は10倍になるのだ。

A理論的には世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む。労働移動がなくても低賃金労働の製品を輸入することによって労働を輸入するのと同じ効果があるからだ。


湧泉堂さんの誤謬≒スリカエ

@池田氏が、文章の前半ではグローバル化で賃金が増えると言っておきながら、

A後半では賃金が下がると言っているという矛盾を指摘したまでです。


湧泉堂さんの誤謬については既に指摘&説明済みなので割愛しますが、上記の、原文と湧泉堂さん代弁は、明らかに食い違っています。そういうのは、フェアじゃない、と言いたかっただけです。

>弁護士や公認会計士が巨大資本の所有者ではなかったからです(たいした権力が無かった)。
>システムの所有者でもないのに、高収入なのは目障りだった。
>個人が個人のまま力をもっていたのが邪魔だったのでしょう。

後付けで、概念による論述だと抗弁なさっていましたが、それにしてはリアルな事象を例示して、事実としては誰も信用しない説明でしたね。私は穏便にオブラートに包んで、教祖的うんぬんと書きましたが、はっきり言うと、間違っているんですよね。

はい、いずれの供給過剰も、怪しげなグローバル企業や巨大資本家コンツェルンが関係しているのではなく、

・仰せの司法試験合格者の激増そして就職難は、法科大学院の乱立からの派生。供給過剰。

・仰せの公認会計士試験の合格者の激増そして就職難は、会計士受験専門学校の乱立からの派生。供給過剰。

・仰せの歯科医師試験の合格者の激増そしてワーキングプア化は、私立歯科大学の乱立からの派生。供給過剰。


いずれも、個別事情と収益源としての、学校の乱立ですから、仰せのようなグローバル巨大システム集団とかの仕業では無いのです。

ちなみに私も、いけだ氏に対しては、好感はもっていませんので、弁護するつもりは皆無です。しかし、どんな評論家でも、その人なりにアップしている論述なので、批判するなら、もっとフェアに批判しませんか?だったのです。

たぶん湧泉堂さんもお嫌いな、歪曲した前提の上に、批判自論を積み重ねる、そういうアン・フェアなことを、湧泉堂さんご自身がおやりだったので、老婆心ながら指摘と正解提示をした次第です。

御用学者ならぬ御用コメントだけを、もしも想定または期待されておられるなら勿論それも自由ですが、それについて何か価値はありますか?

ローズ 2011/11/07 2:36 AM

______

ローズさん、コメントありがとうございます。

私は、こういうモデルで社会現象を見てみるとこういうことが言えますよというアイデアを提示しているだけで、それに賛同しろとか共鳴しろとか言っているわけではありません。そういうモデルを使わなければ、そうは見えないということは当たり前です。それについて、正しいとか間違ってるとか言い合いをしても不毛です。そういうモデルは採用しないということであれば、はいそうですかと言うより他ありません。


>はい、いずれの供給過剰も、怪しげなグローバル企業や巨大資本家コンツェルンが関係しているのではなく、
(中略)
>いずれも、個別事情と収益源としての、学校の乱立ですから、仰せのようなグローバル巨大システム集団とかの仕業では無いのです。

ある具体的な社会現象に、どういう力学が働いているかということについて、ある概念、モデルを用いて説明したと言ってるじゃないですか。特定の権力者や、企業の仕業だなどと言っているのではありません。

ジグムント・フロイトが、エス(イド)・自我・超自我のモデルで具体的な人間の行動を説明したように、モデルを使って現象を解釈したら、ということです。フロイトに向かって、エスや自我や超自我など実在していない!と言ったところで何になるんです?

概念やモデルは道具なので、使うか使わないかは自由ですよ。ところで、他人に対して、自分がわからないことを質問するときに、なぜそのように高圧的で居丈高な物言いをされるのでしょう。

離れ小島に島民が千人、仲良く暮らしておりました。

そこへ、船がやってきて、船員が島民を皆殺しにして島に住み着きました。

やがて、船でやってきた新しい島民は農耕と漁労の技術に長けていたので、生産性が上がり、人口は二千人に増えました。

おお!島民が、千人から二千人に増えた!漁業も農業も発展した!この島は、発展したので良かった!

旧島民の立場から見るか、新島民の立場から見るかで、物事の在り様は、まったく異なります。

湧泉堂 2011/11/07 7:37 PM


_______

またまた詭弁が続いていますね。

>ある具体的な社会現象に、どういう力学が働いているかということについて、ある概念、モデルを用いて説明したと言ってるじゃないですか。
>概念やモデルは道具なので、使うか使わないかは自由ですよ。


あなたは学者ではないみたいなので仕方がないのかも知れませんが、一般人でも賢人なら、抽象的モデルを使って論及する場合は、抽象的な事象に対して論ずるのが、正常な定石です。もしも、抽象的モデルを使って、具体的な事象を論ずるのなら、現実と真逆な結論づけは、説得力ゼロです。ですから、本当の知識人は、はなから、そういう愚は、おかさないのです。

例の、弁護士・会計士・歯科医師の事例なんぞは、具体的に原因背景が証明されているのですから、無理やり、モデルとかなんとかで言及すると、今やご自身も本当はお気づきのように、あのように、とんでもない頓珍漢な論及になります。

>旧島民の立場から見るか、新島民の立場から見るかで、物事の在り様は、まったく異なります。

これも、お得意の誘導詭弁ですね。私は、ここまでのコメ入れで、貴方のような、片方からだけ見た、そういう論及はしていません。全体双方の最適解を、あなたに対して、説いてきました。

あなたの【論法】を借りるなら、そんな片方からだけのモノの見方しても【仕方ないでしょう】、です。

ちなみに、あなたは、例の、セーフティネット必需論も含めて、とにかく弱者保護のスタンスのようですが、それについては、個人の自由思想ですので、少なくとも尊重は致します。もちろん、賛同するかどうかは、関係なく。

昨日だか、ブログ記事の部分訂正をしておられましたね。これは評価できます。
しかるに、残念ながら、あなたの頑迷さ(または当該知識そのものの錯誤)により、ほとんど変わり映えしていないですね。残念です。

>>>中国で700円でジーンズをつくれるとき、日本で7000円でつくる意味はない。
>>>中国に比較優位があるものは輸入すれば、あなたの実質所得は10倍になるのだ。

>と書き、後の方では、

>>>理論的には、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む。
>>>労働移動がなくても、低賃金労働の製品を輸入することによって労働を輸入するのと同じ効果があるからだ。

>グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。
>(コメント欄で注意を頂きましたので、訂正をいれさせていただきます。発展途上国並になる、ではなく、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。
>どっちにしろ、グローバル化で、記事の前半では賃金が増えると言い、後半で賃金が減ると言っています。)


ハハハ(失礼!)、
どっちにしろグローバル化で記事の前半では賃金が増えると言い後半で賃金が減ると言っています、
ですか。また苦笑しました。

今回わたし初コメ以来、すでに2度も、あなたの知識錯誤やアン・フェアな他者批判の愚かさを指摘してきましたが、ブログ訂正ここに至っても、実質的には、なんら改善されていないのは何故か?

その(悲しい)答を、絞り込むことが出来ました。

失礼ですが、あなた、所得または可処分所得の余裕余剰の増加、と、賃金の増加、を、同一視しておられるようですね。言ってわるいですが、悪い意味で、あなた、とても珍しい御仁です。

ここの読者に、一定以上のレベルの知識人がいらっしゃるなら、苦笑しておられると思います。


_____

ローズ 2011/11/08 12:56 AM

実は、つくづく、あなたのことを不思議な論述者と感じたので、礼儀上、過去ログを以前よりも、さらにソコソコさかのぼって、ざっと拝読してみました。おかげで、ほぼ、解明できました(笑)。

以下に、特別おもしろかったふたつ、例示します。


湧泉堂さんブログ2011.02.02
http://miruton.jugem.jp/?eid=480#comments

>資本主義というのは、拡大再生産→拡大再消費

他の記事も、その殆どが、拡大再生産/システム所有者うんぬん、ほぼ、これ一辺倒ですね。
30年も前に廃れたマルクス経済学での資本主義論ですか?
現代は、とっくの昔から、自由主義経済学の時代ですよ。

拡大再生産論/システム所有者うんぬん、だけでは、湧泉堂さんも実は、しんどいのでは?
もっともっと現代学やリアル実態を、勉強しませんか?

それと、システム所有者うんぬん、ホント頻繁に出てきますが、不思議に、どの記事にも、その定義は皆無ですね。
また、お得意の論法である、モデルだからイイだろ、ですね?(笑)。
明確な知識、裏づけデータ、お持ちなんですよね?
まさか?
(笑)

>売上が上昇しないとき、企業は経費削減の方向に向かいます。
>所謂リストラというヤツです。人員削減、賃金カット、正社員から派遣社員への移行。
>そして企業は内部留保を増やし、株主配当と役員報酬を拡大する。

ハハハ(失礼)、まるで不勉強な高校生の政経の答案みたいなので、つい。

マーケティング活動や、VE/TOCによるコスト・リダクション活動、ニーズとシーズのマッチング、新規開発力の増強、CS向上活動などが、収益主要対策ですよ。
内部留保は、設備投資の原資化が、第一プライオリティ、ですよ。

まるで、大昔の共産党か社会党みたいですね。

>もちろん、いまさら世界が共産主義化するとは思っていませんが、
>これ以上経済システムが暴走し、人間を踏み潰すようなら、民衆は黙っていないでしょう。

あれあれ、上記2011.02.02湧泉堂さんブログでは、いまさら世界が共産主義化するとは思っていません、なのに、

ナント(笑)、今般2011/11/06湧泉堂さんコメントでは、世界が共産主義化などする前に、と、書いておられる、
* 湧泉堂 2011/11/06 3:08 PM=世界が共産主義化などする前にヨーロッパ経済危機や米国債デフォルトや中国バブル崩壊等によって世界の経済システムはシステムクラッシュを起こすんじゃないでしょうか。

失礼ですが、拡大再生産/システム所有者うんぬん、一辺倒だけでなく、誰もが失笑する共産主義化うんぬんも、場面によっては正反対になるんですね。
大丈夫ですか?

おしまいに、

やはり、私ローズ既述の直感はビンゴ!でした。
はい、あなたは、やはり、教祖さま、です。(笑)

なぜなら、あなたのブログ記事に対して、ほんのたまにあるコメントを見てたら、その証拠があります。

コメント文面から伺える、

・素朴な一般人からは、ブログ記事への賛同が多くて、

・幅広い知識をお持ちのかたからは、やんわり嘲笑されておられるから。


ではでは。(笑)。

ローズ 2011/11/08 6:19 AM コメントする

http://miruton.jugem.jp/?eid=539

              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | アホは経済学で何でも説明できる
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | と思ってるのね
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

ローズさんのは唯の言い掛かりにしか見えないですね。 これは経済ではなく生物学的な適応と淘汰の問題ですから。直観力がゼロのローズさんが経済の知識と論理だけでいくら考えても本質には到達できないのですね。

人類は天敵がいないので互いに殺し合って人口を減らすしかないのですね。だから、環境に適応した民族が適応できなかった民族を滅ぼすしか進化の道は無いのですね。

“世界のビジネス人間は卑劣な面は持っていますが、しばらくしたら悪は善に叩かれ、価値あるモノや良いモノだけが生き残るという、自動制御が機能します。そこまでのリードタイムは長いですが、最後の最後は、悪行は衰退し、正義のシステムが勝ち残るのです。過去の勝利事例をもとに、人間の英知を信じませんか?
人間って、それほどの馬鹿ではないと思うんです。“


“失礼ですが、過去の数々の打開実例をご存じないのでしょうか?
人類は愚かな面は多々ありますし失敗や誤認も多かったですが、ほぼどれも乗り切ってきたと考えます。“


ローズさんのこの言葉には笑ってしまいますね。


縄文人を滅ぼさなければ弥生人は日本列島を奪えなかったのですね。

アメリカインディアンを滅ぼさなければアングロサクソンはアメリカを奪えなかったのですね。

ネアンデルタールを滅ぼさなければホモ・サピエンスは生き残れなかったのですね。

全く同じ様に今、西欧人は有色人種を滅ぼそうとしているのですね。地球に68億人は多過ぎますから。

ロスチャイルドは地球の世界人口68億人のうち、40億人を削減する計画みたいですね。聖書の「黙示録」では人類の2/3が滅ぶことになっているので。

まあ、民族の優秀さでは西欧人が世界一ですが、生存できるかどうかは優秀さではなく環境への適応力で決まりますから、西欧人が最終勝者になる事は絶対に有りないんですけどね。

ローズさんは目先の10年・20年単位でしか物を考えられない人なんでしょう。研究者には一番向かない性格ですね。


湧泉堂さんの考え方の本質はこういう事でしょう:

グローバリズムは、帝国主義。 August 25, 2007


すこし、涼しくなってきた。アメリカの経済にも秋風が吹いている。このままだと、近い将来ドルの暴落という事態も考えられる。

政治的なアメリカの威信は、イラク戦争の失敗ですでに翳りを見せていた。必然的にアメリカはユニラテラリズムを採用せざるを得なかったということだろう。難破船からねずみが逃げ出すように、ブッシュ政権からは何人もの関係者が退散している。そして、政治的な威信失墜の兆しが、今度は経済的な信用崩壊へと接続されそうな気配である。クレジットクランチである。

日本の経済学者は、楽観論が多いようであるがこの度の住宅ローンの破綻に始まる米国経済の混乱と、連動する世界同時不況は予断を許さない状況になっている。アメリカの事態に関しては悲観的な観測を述べているエコノミストの一人、水野和夫の『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AE%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E3%82%92%E8%A6%8B%E8%AA%A4%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%B0%B4%E9%87%8E-%E5%92%8C%E5%A4%AB/dp/4532352452

を読んだ。

 水野は、1995年を境にして、戦後が終焉し、日本も世界もこれまでの経済的な常識はもはや使い物にならないということを、実証的に裏付けてゆく。

彼はシンクタンクの保有しているあらゆるデータを分析することで、95年が時代の転路点であることを発見する。ここまでなら、多くの経済学者、エコノミストも予見することはできる。水野の創見は、それが経済の世界における近代の終焉であり、同時に資本による反革命の始まりであるという、経済システムの変換を読み込んだことである。

 大変に面白く、スリリングな理論である。

俺もかつて、94年という年が時代の転換点であると書いたことがあった。

「ぼくはビジネスの世界で、1994年を境に劇的な変化、価値変動がおこったと考えています。そしてその変化は日本中を隈なく覆い尽くして文化や人々の言葉づかいまで変えていくほどの繁殖力をもっていました。正確に言えばアメリカン・スタンダードというものがカバーする地域、人種、職業すべての価値観に大きな修正をもたらすものとなった」(『東京ファイティングキッズ』)

俺は、ビジネスの現場における人々の言葉づかいが大きく変わったことから、このアイデアを思いついたのであるが、水野は専門家らしく経済的な指標を読み解くことの中から、この転換が根源的なシステムの転換であることを「発見」する。そして、ポスト近代とは、インターネットや金融技術が牽引する超近代などではなく、帝国の再来,資本が、自らへの分配を確保するための反革命であると言うのである。 これは、実に目から鱗の指摘であった。

なるほど、グローバリズムとは、自由主義の拡大ではなく経済帝国主義であったのか。

そう考えればいろいろなことが腑に落ちる。そう考えなければ、グローバル企業の飽くなき膨張や、経済成長しながらも拡大する格差や周縁の疲弊といった問題がうまく理解できない。膨張しているのは、資本だけであり、国民経済ではないのである。


帝国主義とは何か。

レーニンはその帝国主義論でこう述べている。

「帝国主義とは、独占体と金融資本の支配が成立していて、資本輸出が著しく重要性を増し、国際的なトラストによる世界の分割が始まり、最強の資本主義諸国による世界の全領土の分割が完了したという発達段階に達した資本主義のことである。」

簡単に言えば、帝国主義とは、国益拡大のための際限のない周縁国の植民化であった。

帝国主義はどのようにして終結したのか。

それは、有限な世界の中で、覇権同士がぶつかり合い、経済的なブロック化が進行し、ついには戦争による以外、つまりは覇権の蕩尽という方法でしか決着をつけることができなかったからだ。

 いま起こっているグローバリズムとは、この帝国主義の時代における軍に代わって、企業が、世界経済を再分割してゆく動きであるといえるかもしれない。低賃金の労働力、飢えたマーケットを固定化、植民化するという形で、企業が国境を超えていく。
 
 「グローバリゼーションは誰の手にも負えないコントロール不可能な経済現象で、関わる者すべてはこれに影響を受け、そして、たまたま適切な準備ができていた者だけがその恩恵を受けることができるのだと考える人もいる」

(『ウォルマートに呑みこまれる世界』)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AB%E5%91%91%E3%81%BF%E3%81%93%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4478000905


ちょうどいま書評を書いている本の中で、その著者チャールズ・フィッシュマンが言っている。市場主義といい、グローバリズムといい、その渦中にいるものにとっては、それが時代の中の過程的なシステムであると考えるよりは、究極の姿であると考えやすい。ビジネスも政治も、限定的な時間の中での損得勘定しかできないからである。


「改革なくして成長なし」も

「成長がすべての怪我をなおす」

という法則も、限定的な時間の中でしか意味を持ち得ない。こういったスローガンは、何かの真理を言いあらわすというよりは、現在のシステムが、それを弁護ないしは強化するために言わせているのだと思ったほうがよいのである

http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200708250000/


帝国主義・民主主義・グローバリズム


 帝国主義は悪で、民主主義は善、そして少し前までグローバリズムは正しかったと言うのが、良識派の人の認識である。そして、帝国主義 vs 民主主義の戦いが、第二次世界大戦で、正義が勝ったのだと言うのが常識となっている。しかし、この図式の中には忘れられていると言うか、隠蔽されている重要な事実が隠されている。

 帝国主義も民主主義もグローバリズムもプレイヤーが違うために一見違う目的を持つものだと考えられがちだが、役者(と出し物)が違うだけで、目的は15世紀から代わっていないという事なのだ。役者や出し物は代わっても同じ興行主が掛けている芝居(ヨーロッパの興行主がロスチャイルドで、アメリカはロックフェラー)に過ぎないと分かれば国際金融資本というものがどういうものかは自ずと明らかになってくるのだ。便宜的にユダヤと言う言葉を使う事もあるが人種としてのユダヤでも、イスラエルに住んでいる人達を指すものでも無い。そもそも、純粋なユダヤ人など本当は存在しないと考えるべきなのだ。

自虐史観に囚われた人達から見れば帝国主義と言えば枢軸国(日独伊)の事になるのだろうが、第二次大戦中の最大の帝国は間違いなく大英帝国だったし、日本が占領した地域の多くは大日本帝国では無くヨーロッパの列強の植民地だった。植民地を持っていると言う事は、フランスやオランダも当然帝国主義国家で、帝国主義を批判していたアメリカだってフィリピンを統治(満州を批判したアメリカだって傀儡政権を使ってフィルピンを植民地化していたのだ)していた立派な帝国主義国だったのだ。

 要するに戦勝国が善だとすれば帝国主義は悪では無く枢軸国だけは限定的に悪い帝国主義だったと考えなければならない。では、何故帝国主義は悪となったのだろうか。第二次世界大戦で悪の帝国主義国家が胡散霧消しただけでは無く、多くの植民地が独立し、ヨーロッパ列強が帝国主義を続けられなくなり帝国主義では金儲けが出来なくなったから悪になってしまっただけの話なのだ。第二次大戦は民主主義と帝国主義の戦いと言われているが、古い帝国主義と新興の帝国主義の戦いに過ぎなかったのである。その両方の帝国を育てたスポンサーは東インド会社のオーナーだった連中(ロスチャイルド)だったのだ。

 民主主義(資本主義)の方はどうだろう。帝国主義が無くなったあとに敵対したのは共産主義だった。ドイツや日本と言うビッグプレイヤー(勝つ事はないが取りあえず長い間戦争の相手を出来ると言う意味)がいなくなった時には、共産主義と言う種が大きく育っていた。

 敵対する相手がいない事には世の中は平和でなければいけないが、平和では金儲けは出来ない。日露戦争で日本に加担(シフを通じてロスチャイルドが支援)し、同時に共産主義者たち(実は労働者では無くロスチャイルドに資金を提供された貴族階級だ)はソビエトと言う国を興し、民主主義国家と渡り合えるようになった。冷戦と言う長い戦い(核兵器を競い合ったが、核兵器の原料は誰が支配していたかを忘れてはいけない)が続けられたが、アフガニスタンと言う火種を残しソビエトは崩壊したが、それは火種が出来たからであって、民主主義が正しかったからではなかったのだ。

 アフガニスタン侵攻と軍拡競争で疲弊したソビエトは消えてなくなり、世界は平和になる筈だったが、イラクによるクェート侵攻と言う出来過ぎのシナリオで中近東が火薬庫の役目を果たしてくれた。悪いアラブと良いアラブ、アラブとイスラエル、パレスチナとイスラエルと争いの種はいくらでもあるが、ロックフェラーは、911を口実にイラクとアフガニスタン(どちらもロックフェラーのテリトリー)に戦いを仕掛けて金儲けの種にし、オイルマネーを絞り取るためにドバイなどの窓口に資金を集めるために金融バブルを仕掛けてきたのが、ついこの前までの話だった。結局、世界の金融を実際に牛耳っているロスチャイルドには敵わなかったのが今なのである。グローバリズムも、要は金儲けのための一時的な道具だったのだ。

結論:世の中に数多ある主義主張やイデオロギーに正しいも何も無い。金を儲ける手段として機能している内は善で、そうでなくなれば悪になるだけの話なのだ。神聖ローマ帝国の御用銀行家がルーツのロスチャイルドは、英国だけでは無くユーラシアからアフリカ全体を支配する金融資本の総元締め。北米が主体のロックフェラーが出先に過ぎない(表面的に戦後60年以上最強に見えたが)のは仕方がない。イデオロギーなどという色眼鏡を外し、金の流れを見れば世の中の仕組みは非常に単純なのである。

http://maimaikaburi.blogspot.com/2009/01/blog-post_1042.html

マルクスは資本主義については正しかった 2011/11/05 (Sat) 22:40:26


 カール・マルクスは共産主義については間違っていたが、資本主義の大部分については正しかった、とジョン・グレイは書いている。

 金融危機の副作用として、ますます多くの人々がカール・マルクスは正しかったと考え始めている。19世紀の偉大なドイツ人哲学者、経済学者であり革命家は、資本主義は根本的に不安定であると信じた。 資本主義には、より大きなブームと破滅を作り出す傾向がビルトインされており、長期的には自分自身を破壊するにちがいないというのだ。

 マルクスは、資本主義の自滅を歓迎した。彼は、大衆的な革命が起こり、より生産的ではるかに人間的な共産主義システムを実現すると確信していた。

 マルクスは、共産主義については間違っていた。彼が予言的に正しかったのは、資本主義の革命のとらえ方においてだった。彼は、資本主義固有の不安定性を理解しただけではない――もちろん、この点で彼は、当時の、また現在の大多数の経済学者よりも鋭かったのだが。

 もっと深くマルクスが理解したのは、どのようにして資本主義が自分自身の社会的基盤――中産階級 the middle-class の生活様式――を破壊するか、ということだった。ブルジョアジーとプロレタリアというマルクス主義者の用語は古い響きをもっている。

 しかし、資本主義は中産階級を当時の厳しく抑圧された労働者の不安定な存在に似た状態におとしいれるとマルクスが主張するとき、彼は、われわれの生活の変化を予測していた。それは、いまわれわれが立ち向かっているものだ。

 彼は、資本主義を、歴史上もっとも革命的な経済システムとして描き出した。資本主義がそれ以前の経済システムと根本的に違っていることは疑い得ない。

 狩猟・採取民は、何千年もその生活を守り続け、奴隷は長期にわたって耕し、封建社会は何世紀も続いた。反対に、資本主義は、それが触れるものすべてを変化させる。

 資本主義は、絶えず変化するだけではない。企業と産業は、革新の絶えざる流れのなかで創造され破壊され、その一方で、人間関係は解体され新しい形態で再現する。

 資本主義は、創造的破壊のプロセスとして描かれてきた。資本主義が驚くほど生産的であったことは誰も否定できない。実際、現在のイギリスに暮らす誰もが、資本主義が存在しなかった場合に受け取っていたであろう収入よりも多くの収入を得ている。

否定的な帰結

 問題は、プロセスの中で破壊されてきたさまざまなもののなかで、資本主義が過去において依拠した生活様式を破壊してきたことだ。

 資本主義の擁護者たちは、次のように主張する。資本主義はあらゆる人に利益を提供するが、それは、マルクスの時代にはブルジョアジー――資本を所有し、生活において適切な水準の安全と自由を享受した安定した中産階級――だけが享受したものだ、と。

 19世紀資本主義においては、大多数の人々は何も持たなかった。彼らは、自分の労働を売って生活した。市場が低迷すると、彼らは厳しい生活に直面した。しかし、資本主義が発展するにつれて、ますます多くの人々がそこから利益を手にすることができるようになるだろう――資本主義擁護者たちはそう言う。

 誇るべきキャリアは、もはや、少数の特権ではなくなるだろう。もはや人々は、毎月毎月、不安定な賃金で苦労して生活することはないだろう。貯蓄、自身が所有する家屋および相当な年金によって保護され、彼らは、懸念なしに生活設計することができるだろう。民主主義および富の拡張とともに、誰かがブルジョア的生活から締め出される必要はなくなる。誰もが中産階級になれるのだ。

 実際には、イギリスやアメリカ、その他の先進国では、過去2、30年間にわたって、反対のことが起こっている。仕事の安定は存在しない。過去の職業や専門は、ほとんど消えうせて、生涯にわたるキャリアというものはほとんど記憶でしかない。

 もし人々がなんらかの富をもっているとすれば、それは家の中にあるが、住宅価格はつねに上昇するわけではない。いまのように信用がタイトなときには、彼らは数年間にわたって停滞するだろう。快適に暮らすことのできる年金をあてにできる人はますます少数派になっており、多くは十分な貯蓄を持ってはいない。

 ますます多くの人々が、将来のことをほとんど考えることもなく、その日暮しをしている。中産階級の人々は、彼らの生活が秩序正しく展開すると考えたものだった。しかし、人生を、最後から一つずつ昇っていくステージの連続とみなすことは、もはや不可能だ。

 創造的破壊のプロセスのなかで、梯子は外されてしまい、ますます多くの人たちにとって、中産階級であることは、もはや人生の目標にさえならなくなっている。

リスクを負わされる人


 資本主義が発展するのにつれて、それは大多数の人々を、マルクスの言うプロレタリア階級の不安定な存在の新バージョンへと追い返した。現在の収入ははるかに高いし、ある程度は、戦後の福祉国家の名残によって衝撃から守られてもいる。

 しかし、われわれは自分の人生コースをほとんど効果的にコントロールしてはいない。われわれは不安定さのなかで生活しなければならず、その不安定さは、金融危機に対処するためにとられた政策によって悪化させられている。物価上昇のもとでのゼロ金利は、あなたのカネにマイナスの報酬をもたらし、やがてあなたの資産を腐らせるということだ。

 多くの若者の状況はもっと悪い。必要なスキルを身につけるためには、あなたは、借金を背負わなければならない。いくつかの点から、あなたは貯蓄に努めるように再訓練されなければならないだろう。しかし、もし出発点から借金を背負っていたら、貯蓄は、あなたにできる最後のことだ。何歳であれ、今日、大多数の人々が直面している可能性は、不安定な生活である。

 資本主義は、人々からブルジョア的生活の安全を奪い取るのと同時に、ブルジョア的生活を送ってきたようなタイプの人々を絶滅させてきた。1980年代には、ビクトリア朝的価値観のことがしきりに言われた。そして、自由市場の促進者たちは、それがわれわれを過去の健全な美徳に連れ戻すだろうと主張したものだった。

 多くの人々にとって、たとえば女性や貧困者にとって、これらビクトリア朝的価値観は、彼らの効果においてほとんど無意味なものになっただろう。しかし、より大きな事実は、自由市場がブルジョア的生活を支えた美徳を掘り崩す働きをすることだ。

 貯蓄が融けてなくなってゆくとき、質素倹約は、破滅への道になるかもしれない。たくさん借金をして、破産宣告することを恐れない人こそが生き残り、成功へむかうのだ。

 市場の力によって持続的に変化させられる社会では、伝統的価値観は上手く機能せず、それによって生活しようとする人は誰もがガラクタの山にたどり着く恐れがある。


莫大な富

 市場が人生のすべての曲がり角に浸透した未来を展望して、マルクスは、「共産党宣言」で、「すべての固定したものは消え去る」と書いた。ビクトリア朝初期――「宣言」は1848年に出版された――のイングランドに生活する者にとっては、これは、驚くほど遠くまで見通した観察だった。

 当時、マルクスが生活した社会の周縁部以上に固定的に見えたものはなかった。一世紀半ののち、われわれは、われわれ自身が、彼が予告した世界にいることを発見する。そこは、あらゆる人の生活が暫定的で一時的であり、いつでも突然の破滅が起こりうる世界だ。

 ごくわずかな人々だけが莫大な富を蓄積してきたが、それははかない、たいていは幽霊のような性質をもっている。ビクトリア朝時代には、とてつもない富者は、自分たちのおカネをどう投資するかという点で保守的でありたければ、くつろいでそうすることもできた。ディケンズの小説の主人公たちは、最終的には、遺産を手に入れ、その後は永久に何もしない。

 今日、安息地はどこにも存在しない。市場の急激な変動は、わずか数年後であれ、何が価値を持っているか知ることができないほどだ。

 このような永久に休息することのない状態は、資本主義の永続革命であり、資本主義は、現実的に考えられる限りのどんな未来にわれわれを連れてゆこうとしているのかと考える。

 通貨と政府は、われわれがずっと安全だと思ってきた金融システムのさまざまな部分と一緒に、ほとんど破滅しかかっている。たった3年前に世界経済を凍りつかせる恐れのあったリスクは、手つかずのままだ。リスクは国家にしわ寄せされただけだ。

 政治家たちが、赤字を抑制する必要について何を言っても、負債は返済できないほどのスケールで膨れ上がっている。 それらが膨れ上がるプロセスは、多くの人々にとって痛みをともない、多くの人々が貧しくなるプロセスと結びついている。

 結果は、非常に大きなスケールで激動が起こるという以上のものでしかありえない。しかし、 それは世界の終わりではないだろう。あるいは資本主義の終わりでさえないだろう。何が起ころうと、われわれは、依然として、市場がときはなってきた マーキュリー(商業の神様)のエネルギーとともに 生きてゆくしかないだろう。

 資本主義は、革命に導いてきたが、それはマルクスが期待したような革命ではない。燃えるようなドイツ人思想家はブルジョア的生活を嫌い、共産主義がそれを破壊することを期待した。そして、彼が予測したとおり、ブルジョア的世界は破壊された。 しかし、共産主義に席を譲ったのではない。資本主義がブルジョアジーを殺してしまったのだ。

http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/726.html



09. 2011年11月19日 09:02:51: MiKEdq2F3Q

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◇「ネット・ストーカー( 池田信夫) 」について(2003.10.1)

 池田信夫という人がいる。経済産業研究所で、IT関係の仕事をしているらしい。彼が私的なサイトで私について触れているとゼミ生が言うので、拙著「長期不況論」への「反書評」なる文章を見てみた。


書評を「業績」として誇る経済学評論家 松原隆一郎『長期不況論』NHKブックス
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/matsubara.html


 書評としては、お粗末の一言。なにしろ拙著に書いてあることの要約にしてからが、学生のレポートの水準にも達していない 。批判ならありがたく拝聴するが、拙著には関係ないことばかり書いてあてこするのだから、話にならない。この人は 世間の人が誰も読まない研究所の内輪の雑誌に難しげなテーマで文章を書いているようだが、誰にも分かる書評のような文章を書くととたんに馬脚をあらわして、 読んだり考えたりさらにその結果を文章化するという作業を平静に遂行できないことを、自分で暴露してしまっている。プロとして書評の仕事を頼む活字媒体は稀有らしいが、それも当然であろう。

 それでも一応、敢えて本欄を覗いて下さっている方のために、どこがおかしいのか指摘しておく。


・「著者(松原)は、構造改革によって「制度が崩壊」していることが不安の原因だから、改革をやめて政府が「信頼を回復」すべきだという」

→私が主張しているのは、生産要素にかんする制度を「ビッグバン的に」改革するという構造改革が不安を引き起こしているのだから、「漸進的に」改革すべきだということ 。改革の内容についても土地・資本・労働に分けて論じている。私は「改革をやめて」などとは一言も言っていない。構造改革に反対する論者が述べることはすべて同じに読めてしまうらしいが、この人の読解力の構造改革こそが必要だ。


・「「お上」の力で国民を情緒的に「統合」しようとする主観主義は、佐伯啓思氏などとも共通する西部一派の特徴だが、問題は逆である。いま不安が広がっているのは、政府が信頼に値しないから ・・」

→私が述べているのは、BSE対策などで政府が信頼を失い、しかもその政府が失敗を棚に上げて構造改革などと言ってみたり、金融制度改革や牛肉買い上げなどを行っていることの滑稽さである。 つまり「お上」じたいが信頼をなくしているのに、その「お上」がさらに制度を解体しようとしていることを批判しているのである。「お上」の力で国民を統合しようというのに近い印象のことを佐伯氏や西部氏は述べているのかもしれないが、私は佐伯氏の著作への書評などではしばしばこの点を批判してきた。

・「必要なのは、信頼を回復することではなく、信頼できる制度を作り直すことである。」

→これなどは、逆に私が主張していることである。何を言っているのやら。だがしかし、現在進行している「構造改革」では、この人が主張するようには「信頼できる制度を作り直す」ことなど 決して行われていない。「規制緩和」「経済慣行の撤廃」に象徴されるごとく構造を破壊することに主眼があり、その結果現れた現在の金融庁などは、逆に役人が強権を持つよう「制度を作り直」したものだ からだ。「お上の焼け太り」 現象である。この人などは、さしずめ焼けて太った公務員の好例であろう。官僚を焼け太りさせる構造改革ではなく、まっとうな改革を行うべきなのだ。

 さらに、この人は「まともな経済学のトレーニングを受けた」とか「ノーベル賞をもらった」とか言えば、何か信頼が得られると思っているらしい。そんなことを信じているのはPh.Dを取ったとかいう既得権益を持つ人たちだけで、市場(関係者)ではない。そういえば、「インフレにする」と日銀が宣言すれば市場が信じるから本当にインフレになる、とインフレ・ターゲット論者 も言っていたが、そんなことを信じているオメデタイ人は経済学者だけ である。この連中の魂胆は、国という「お上」が信用できなくなった隙に、竹中大臣を始めとする学者を「お上」に祭り上げ、自分たちで利権を得ようということだ。だが、国という「お上」も、経済学界という「お上」も、 世人は信じていないのである。

 そもそもこの人の言う「まともな・・・トレーニング」は、受ければ書く文章の水準が学生以下まで下がるたぐいのものではないのか。

 といった具合だから、私がうんざりするのもお分かりいただけるであろう。とはいえこの手のいじましい人はネットには掃いて捨てるほど生息しているのだから取り立てて触れる必要はないのに、と読者は思われるかもしれない。私もそう思って いたのだが、それでも敢えてここで取り上げようと思い直すことにした。それは、書評への反論を上述のごとく書くためはない (それはあまりにも簡単だと、我がゼミ生も言っていた)。こういった手合いがどのような背景からものを言っているのかについて注釈を付けておきたいのである。

 この人は、サイトを御覧いただけばお分かりのように、佐伯氏や西部氏、そして私も含めて「西部一派」と彼が想定する人々を、異様な敵意と粘着性をもって攻撃している。それも本を読んでのまとも な批判ではなく、「学生時代から知っているがあのころはこうだった」という手の、証拠もない与太話や当てこすりばかりである。まったく、「卑しい」としかいいようのない文章の羅列 である。

 この人にならって昔話をすれば、私は幾度かこの人を見かけたことがある。彼は学生時分に西部氏の追っかけのようなことをしていて、かまって欲しいのか、うるさくがなり立てては西部氏に一喝され 、しゅんとして逃げ出すといったことを幾度か繰り返していた。しばらく見かけなかったが、インターネットという利器を得て、またぞろ学生時分の恨みを晴らそうとしているらしい。 追っかけても受け入れられないので妄想にかられつつ「一派」にまで執拗なストーカー行為を及ぼすわけだ。まあ、こう した例を見せつけられると、 淋しい人にとって、ネット社会は憂さ晴らしの天国に違いないと 改めて感じる。それでいてこうした人物に限って「信頼できる制度」うんぬんと説教するのだから、たまらない。

 ちなみにアマゾンの拙著紹介のページには、非固定のハンドルネームを名乗る人物がこの人にそっくりな文章で拙著をけなすレビューを投稿している。そこでも「西部一派」という言い方 がなされているが、こういう呼び方をする人を私はこの人の ほかには知らないし、とくに前著の景観論以降、西部氏主幹の『発言者』と異なる路線をたどっている私を「西部一派」に加える人も珍しい。

 こういった人が官庁に巣くい、社会から信頼を奪う構造改革を主導しているのである。このことを、銘記しておきたい。


(後記)この人がここで私が書いたことを読んだらしい、とふたたび学生が知らせてくれた。サイトを覗くと、私が書いたことが本当かどうか、西部氏を交えて検証しよう、などと 付け加えている。変なこと言うねえ。ならば、佐伯啓思氏やその他、この人が勝手に思い出などを書き散らした人も呼んで検証しなけりゃならんでしょうに。自分の都合のいいことしか考えないんだな。

 それと、私が「プロとして書評の仕事を頼む活字媒体は稀有」と書いたら、『ダイヤモンド』誌でやってるのを知らないらしい、と反論している。だからぁ、そんなこと、知ってて書いてるんだって。文意を読めない人ですねえ。

http://homepage3.nifty.com/martialart/sikou.htm


10. 2011年11月24日 21:41:44: MiKEdq2F3Q


TPPを推奨しようとする人達の背景にあるのは、比較優位説などの自由化が善であるとする間違った経済理論を踏襲していることである。

このような自由化理論は、欧米が植民地政策の推進や、アジアへの進出に当たってのプロパガンダであったことが分かっていないのである。このプロパガンダにより明治初頭の日本やアジア、そしてアフリカ諸国がどれほどの被害を受けたことか。これによりヨーロッパがどれだけ利益を受けたであろうか。


このことを理解せずうかつに比較優位説などを唱えてはならない。みんなの党などの賛成派は、その真意を理解せず、現実を理解せず、自分たちも昔と同じようにその恩恵を受けられると思っているのだ。


この理論は、単なる平均値の問題であり、それぞれの国が今より豊かになるという保証はしていない。総額が伸び平均値は上がるという理論に過ぎないのである。

比較優位説は、物物交換の場合で、同じような経済状態にある国同士で成り立つ特殊理論であり、貨幣経済が発達し、グローバル化した市場では、すべてが成り立つものではない。

特にバブル国やデフレ国との交易では成り立たない。

バブル国とデフレ国の交易は、一方的にインフレ国が、利益を得、デフレ国は損を被ることになるからである。お互いの利益にならないのである。

ここではデフレ国とインフレ国との交易を主に説明しよう。それを説明すれば比較優位説もどんなものか分かるからである。


生産量と資金量の間に大きな差額が生じているデフレ国とインフレ国の所得線の角度を、インフレ国が60度、デフレ国が30度としよう。インフレ国は、生産量に比べ資金量が著しく多くなっている。デフレ国は逆に生産量に比べ資金量が著しく少なくなっている。それゆえ所得線の角度が違っている。

(デフレの原理と消費税参照
http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi/teraxBLG/blg-hiduke.html

もちろん正常な国は45度である。


デフレの国は、生み出した付加価値に対する貨幣的評価が本来あるべきものより低く評価されるため、常に儲けの悪い状態にある。8時間の労働で6時間ぐらいの儲けしか得られない。(8時間労働で生み出した付加価値が、資金量が少ないため貨幣的評価が少なくなされる。)

逆にインフレの国は付加価値に対する貨幣的評価が高く評価されるため常に儲けが良い状態です。8時間の労働で10時間ぐらいの儲けが得られる状態です。

正常な国は当然の8時間の労働で8時間の儲けになります。

このような時デフレ国とインフレ国が通商を行ったとしよう。全体で平等に交渉が行われ、適材適所で生産が行われすべてが融合した時、資金量と生産量の差がなくなり所得線の角度が45度になった。めでたしめでたし。数値的には正しいでしょう。

しかしその内容を吟味すると、デフレ国はよりデフレが激しくなり、所得線の角度がさらに下がり20度になっており、インフレ国は所得線が70度になって、よりバブルが激しくなるのです。二つを足して90度これを2で割れば45度になる。

デフレの国は所得線が30度より下がっている。インフレの国は60度より上がっている。デフレの国は資金量がさらに少なくなり、インフレの国は資金量がさらに多くなる。

同じ労働時間でも、稼ぐ資金量が違うため、デフレ国は常にインフレ国にたくさん買われ、デフレ国はいつも少なく買うことになり、資金がどんどん流出していく。

デフレ国は物でもサービスでも資産でも、株式でもどのような物でも値下がりしているため、相手国側に有利に買われるのである。

インフレ国は反対に物でもサービスでも資産でも常に割高になっている。相手国側が買い難いのである。

しかもデフレ国は、ハートランド(産業経済基盤)から湧出する資金がほとんど無く逆に枯渇している状態である。それゆえ国内資産の換金売りが多く、海外資産の購入などほとんどできない。

逆にインフレ国は旺盛なハートランドの活動により、資金がどんどん湧出し、国内資産や海外資産の購入が活発になる。

このようなことが世界的に起こると、デフレの国は世界全体でいくらパイが増えようとも、その恩恵を被ることができずさらに食い物されるだけなのだ。

比較優位説でも結論は同じです。この理論は、正常な経済同士の間だけで成り立つものであるが、それでも適材適所の生産が行われ、全体のパイが大きくなっても、その恩恵は平均値以上の国がもっていくのであり、平均値以下の国は損失を被るものです。

そのため自由貿易による損失を防ぐため、あるいは自国の生活レベルを維持するため、競争力のない国はさまざまな障壁を儲けることになる。それは民主主義国家として当然のことなのです。

自由貿易を善とする考え方は、弱肉強食の考え方であり、強い国はより強く、弱い国はより弱くなる。自由貿易は万能ではない。適度に管理しながら全体の国富を上げて行くのが良いのです。それにはどの国もデフレでないことが前提になります。

現在デフレにあえぐ日本は、自由化をすればさらに不利被るのは必定です。この20年間日本はぼろ負けであり、一方的に負け続けているのです。

それは時間が経つにつれその差がどんどん大きくなっていきます。
例えばバブルの時、東京の人達の資産価格が寝ている間に上がり、その他の地域の人達は寝ている間に資産を買い取られたの同じようなものなのです。

資金不足による内需の停滞は多くの企業や個人に借金をもたらし、その返済のための換金売りが増えたため、商品価格や資産価格、株式が割安になっている。それが外資の餌食になっている。

最近になりようやく欧米がデフレに陥り始めたため、以前のようなぼろ負け状態ではないが、ここにカナダやメキシコなどの正常な経済国が参入すれば、確実に彼らに日本は食われるであろう。また中国や、東南アジアの国が入っても同じくすさまじい様相を照らすだろう。

TPPの怖さはアメリカだけにあるのではない。バブルの新興国の方が怖いのである。特にバブルの中国や発展する東南アジアが日本の富を食い荒らすのである。
アジアの発展を取り込むより以上に彼らに食われてしまうのだ。
デフレの国はそうではない国に食われてしまうのです。TPPの広がりは、デフレの日本にとって非常に悪いことです。このような非常識なことが日本で行われようとしているのです。

日本の山林や土地の多くが外国人に買われ、株式市場は外国人バイヤーがいなければ閑散としてしまうのが現状だ。上場企業の多くが外国資本に変わっている。

外資の導入などという甘い言葉にだまされ、日本の多くの企業が買われ、名前を変え、日本が食われているのです。

外資がいくら増えても、デフレの解消にはなりません。それは皆さんよくご存じでしょう。デフレは消費不足で起こっています。外資は消費をしません。企業を買収するだけなのです。

(デフレの成長戦略とは何か参照)


このことを経済専門家は如何に考えているのだろうか。政治家はどこを見ているのだろうか。相も変わらず間違った教科書紐解いて、デフレを促進し続けているのである。

第2次世界戦争後の世界経済の拡大期、欧米や日本がその拡大の恩恵の大半を享受し、南北間格差はさらに広まったのです。それは発展途上国の多くが、デフレ経済であり、内需が停滞し、伝統的産業が廃れ、輸出品が安く買い叩かれ、大量に外国に流れ、輸入品に国内産業が圧倒され、資金がどんどん流出したのです。そして多くの資産が外国資本に買われたのです。

今の日本と寸分変わりません。

そのようなことが現実に日本でこの20年間起こったのです。日本は自由貿易の敗者なのです。その根本的認識がないため、TPPを推進しようとするのです。

日本で反対しているのは、農業もそうですが、多くの地方経済が疲弊している地域です。彼らは身をもってその現状が分かっています。日本は敗者であること。これ以上の自由化は地場産業がなくなること、地域経済が崩壊することをよく知っているのです。

しかし今なお日本の中枢、官僚組織、公務員層、政治家達、新聞の解説者達は勝者だと思っているのです。

日本の敗退の主な原因はデフレだからです。それが内需を減退させ、輸出を促進しているのです。内需の減退は低価格競争を余儀無くさせ、輸入品の拡大をもたらしています。

日本人は怠けているのではなく、冒険をしないのでもない。ただ政策が悪いだけなのです。

船中八策
http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/参照、

日本のウイニングショット
http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi/winningshot.html


今の日本は少しでもよいから資金を増やし消費を増やしたいのです。TPPはそれを真っ向から潰すものです。弱体化した経済を、解放して得することはなにもないのです。

TPP参加の中で、デフレから解消するのは至難の業だ。2千5年頃の日本にとって有利な輸出状況でも、一向に借金を返すことができなかったのだから。

日本は、デフレから逃れ、拡大再生産がなされる時までTPPなどの無制限な自由化に応じてはならないのです。

http://www.asyura2.com/11/hasan74/msg/275.html


11. 2011年11月27日 13:18:47: MiKEdq2F3Q

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リカードの比較優位説 2011年11月18日


『列強の植民地化政策と、比較優位』


悪魔の碾き臼 新自由主義の推進者池田信夫などが賞賛するTPP賛成論の中では、リカードの『比較優位説』なる聞き慣れない言葉が突然言い出されている。

デヴィッド・リカード(David Ricardo、1772年〜1823年)は、各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出する事で経済厚生は高まる、とする『比較生産費説』を主張したイギリスの経済学者。

『比較優位』とは比較生産費説ともいい18世紀の膨張するイギリスの帝国主義を経済学の立場で合理化・説明している。

比較優位論は、『国際分業の利益』を説く理論であるが、ダーウィンの進化論の悪しき庶子である社会ダーウィニズムや優生学との共通点を考えることが出来そうです。

この『比較優位論』とは18〜19世紀当時全盛だった過酷な帝国主義(植民地主義)的な、自由貿易を推進する考え方でリカードモデルの基本である。

穿って考えれば、この『比較優位論』の意味とは、1813年よりイギリスの対インド貿易が自由化(関税自主権の剥奪)され、産業革命のイギリスから機械製綿織物がインドへ流入、インドの伝統的な綿織物産業が完全に破壊され植民地化された例や、『自由貿易の確立』を口実にしたアヘン戦争(1839年〜1842年)でイギリスが清を半植民地化した、当時の西欧列強諸国の無慈悲で過酷な植民地化政策を経済理論的に正当化する為の武器でもあった。

屁理屈と膏薬は何処にでもつくとは言うが、幾ら『悪魔の碾き臼』の新自由主義とは言え、200年も前のこんな血まみれの禍々しい過去の亡霊『比較優位』が今頃蘇るとは地下のデヴィッド・リカードも苦笑いしているだろう。


『水説:比較優位とTPP』潮田道夫 毎日新聞 2011年11月16日

ある女性弁護士がその町で1番のタイピストでもある場合、彼女が利益を最大にするには、タイピストを雇わず自分で書類をタイプするのがよいだろうか。

答えは給料を払ってでもタイピストを雇い、自分は弁護士業務に専念すべきだ、というものだ。

仮に10万円給料を払っても、その時間を弁護にあてれば15万円の報酬を得られる。ふたりともトクする。

タイピストはタイプの能力で弁護士に劣るのに、2人の関係においてはタイピングで『比較優位』を有する。

この『劣っていても優位』というのがミソである。

経済学者リカードが自由貿易の正しさを説くのに初めて使った経済学上の大原理だ。何でもかんでも自国で生産するより、各国が比較優位を有するものを分業し、貿易する方が利益になる。

女性弁護士のたとえ話はあのサミュエルソンが、教科書史上空前のベストセラー「経済学」のなかで、比較優位の応用問題として述べていることである。分かりやすい。

今度の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について、経済学者はほとんどが賛成に回った。比較優位の観点からは自由貿易を推進することがどの国にとっても利益になるのは明白で、経済学の教えに忠実であれば賛成するのが当然だからだ。
で、TPP推進論を述べるに当たって、多くの経済学者は『比較優位』を説き、

『であるからTPP参加は当然である』

と胸をはったのであるが、多くの場合、人々を納得させられなかった。ある先生は

『タイピストという例えが古すぎたかな。そういう職種はもう存在しないと注意された』

と反省していた。ま、それは軽口として、経済学者がTPP問題で人々をうまく説得できなかったのは事実で、まじめな方々はちょっとショックを受けているようだ。

JPモルガン証券の北野一氏によれば、1950年代、『法皇』と称された一万田尚登日銀総裁や民社党委員長になる西尾末広衆院議員らは、日本は乗用車生産を中止し輸入したほうがよい、と主張したそうだ。


『比較優位からすると両者は正しいことを言っていたのかもしれない。当時、日米自由貿易協定(FTA)で合意していれば、いまの日本にトヨタもホンダもなかっただろう』

と言う。なるほど。

ともあれ、自由貿易論も自由貿易神話論も、TPPを機にボンヤリ聞いていれば分かるという段階を過ぎ、聞き手に学習を強いている。やれやれ、えらいことになってきたなあ。
(専門編集委員)


『科学と偽科学』

毎日新聞など大手マスメディアは全員がTPP推進の方針で一致しているので、この上記のコラム『水説:比較優位とTPP』潮田道夫専門編集委員も、勿論推進の為の記事を書いている。・・・はず、なのである。


確かに、コラムの前半の4分の3はリカードの比較優位を使ってTPPの効用(正さ)を説いている。ところが続く6行は、この『比較優位』論が誰にも支持されなかった事実が述べられている。

最後の8行に至っては、正反対に前半部分(リカードの比較優位説)が真っ赤な嘘(偽科学)である明確な事例を書いている。潮田氏はコラムで何が言いたい(目的)のだろうか。


半世紀前には日本の自動車産業など、アメリカの足元にも及ばないほど貧弱な、リカードの比較優位説では絶対に無理な(産業として無駄な)代物だったのです。当時のトヨタクラウンはアメリカの高速走行には耐えられずエンジンが焼け付いたし日産エコーは98キロ以上だとプロペラシャフトが脱落して仕舞い大事故を起こしている。

過去のイギリスとインドや清の歴史が証明している様に、国内産業保護の関税がなければ(自由貿易なら)今の日本の自動車産業の隆盛はあり得ない。日本政府の手厚い保護政策(関税と消費税の戻し税以外にも免税や各種の優遇策)の結果、日本の自動車産業は、今では絶対的な比較優位を獲得した。

自動車に限れば『比較優位』は、今では日米の立場が逆転しているのです。トップメーカーGMまでが倒産の危機に瀕し、連邦政府の全面支援で息を吹き返したアメリカの自動車産業は、日本のマスコミでは報道されていないが実はTPPに反対している。


科学の仮説とは、誰が何を説いても良いが必ず第三者の検証作業に耐えて初めて定説となる性質を持っている。『事実』とは違いすぎる、間違っていた仮説は捨て去られる。

究極の新自由主義であるTPPの賛成論が、崩壊した18〜19世紀の帝国主義の経済論理(間違いが証明されている偽科学)を出すまでに落ちぶれ果てたとは驚くばりで、実は潮田道夫氏は、毎日新聞専門編集委員の立場なので嫌々TPP推進を言っているが、本心でTPP推進が売国行為である事実を、誰よりも良く知っているのです。

だから潮田氏は、迂闊に一見するだけならTPP推進に見えるが最後まで読めば正反対になる支離滅裂で意味不明のコラム『水説:比較優位とTPP』を書いたのでしょう。


『ブードゥー教経済学池田信夫の比較優位論』


『無制限の規制緩和』が格差拡大やワーキングプアの大量発生など間違いであることが証明されている新自由主義のミルトン・フリードマンを、未だに『最強の経済学者』として信奉する目の前の事実が見えない自称マクロ経済学者の池田信夫が、今回は比較優位論を絶対視して『リカードの比較優位も知らないのか』と、TPPに反対する人々を口汚く罵っている。

比較優位とは、巨大な対象を扱うマクロ経済学ではなくて、その正反対の微細な経済単位が対象の経営学の御粗末な誤用である事実に気が付かないふりを装う。

リカードの比較優位が成立する為には、完全雇用とか為替の完全な固定相場制とか人口増加率がゼロであるなど形而上学的な絶対にありえない経済モデルを採用した時だけ限定的に成り立つが、普通はその逆で成立しない。

貿易で一国が大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字なる。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は必然として絶対に赤字になる。

相撲の白星の数と黒星の数が必ず『同じ』であるように国家間の貿易でも原理は同じで、それ以上でもそれ以下でもない。例外は一つも生まれない。

この事実は中学生でも気が付くが、池田氏は

『リカードの比較優位の原理を知らないバカ』

と罵るばかりで、この子供でも判る論理には絶対に答えない。答えたくとも答えられないのですよ。池田信夫は、


『日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ。
このとき貿易黒字になるか赤字になるかはどうでもよい。』


と、無茶苦茶である。

経済学では、経常収支の『赤字』は大問題である。日本を除く世界各国の普通の政府も同じで、池田信夫的には『どうでも良い貿易などの経常収支の大赤字』を問題とするのですよ。

そして今世界経済の大問題のアメリカのデフォルト危機や欧州のPIIGS諸国のソブリンリスクも同じで、各国の抱える大赤字が全ての原因である。

勿論オバマアメリカ大統領のTPP推進の目論みも全く『同じ』である。日米の倍近い貿易不均衡の是正(アメリカの大赤字の解消)であることは論を待たない。


『貿易黒字を目的にするのは17世紀の重商主義で大間違いである』

と主張する池田信夫の非科学性には呆れるばかりで、科学的に正しいものは時間には無関係で例え17世紀であれ紀元前であれ正しい。

まともな国家(政府)なら貿易赤字を忌避し黒字を目指すのは、力士が白星を目的に土俵に上がるのと同じで、(八百長を除けば)時代に関係ない絶対的な真理である。

21世紀の今でもアルキメデスの原理は矢張り正しくて、否応なく誰も逆らえないのですが、今とは大違いのアメリカが絶対的な比較優位を保持していた時代のポール・サムエルソンの『経済学』など、今では誰も信用していない。

サミュエルソン『経済学』の明確な間違いが、半世紀の時間の検証によって証明されているのです。

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ec52d4bbc8ecd0e74524b831157f3363

経済成長の定式(モデル)08/9/15(541号)


構造改革の定式化


自民党の総裁選で経済論争が行われている。その中で積極財政派と財政再建派の主張は、正しいかどうかを別にして分りやすい。しかし上げ潮派(構造改革派)の言い分が曖昧である。そこで今週から筆者なりに上げ潮派の主張の背景にある経済理論を解明してみる。

まず最初に理論経済における経済成長の定式(モデル)を示すと次のようになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)


v(資本係数)とはY(生産・所得)1単位を増やすのに必要なK(資本・・生産設備など)である。つまり


v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)


となる。そこでv(資本係数)が一定ならば(技術進歩がなく生産設備の効率が不変ならば)、s(貯蓄率)が大きい国ほどg(経済成長率)が大きくなる。

つまり生産されたもの(所得)が、なるべく消費されず貯蓄され、これが投資に回される国ほど経済成長率は大きくなる。極端なケースで生産されたものが全て消費されるような国は、経済成長率はゼロになる(外資の導入はないものとする)。またs(貯蓄率)が同じ大きさであっても、資本係数(生産(所得)1単位を増やすのに必要な資本量)が小さい、したがって生産効率の高い資本備えている国の方が経済成長率は大きくなる。

次にこの定式にn(労働人口増加率)の要素を加味すると次のようになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)


この式は

s(貯蓄率)/v(資本係数)が一定ならば、n(労働人口増加率)が大きい国ほど経済成長率が大きくなる。


よく上げ潮派の政治家やエコノミストが

「人口がこれから減るのだから、日本は経済成長のため積極的に移民を受入れる必要がある」

と主張するのもこのような定式が頭の中にあるのであろう。


さらにここにt(技術進歩あるいは生産性の向上)の要素を加味すると次の通りになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)


ただしこのt(技術進歩あるいは生産性の向上)は、資本(生産設備など)と労働の双方の効率化の成果を外に出して一つにまとめたものである。

具体的には、生産工程の改良や新しい技術を体現した設備の導入であり、労働者の教育・訓練による生産性の向上である。


またt(技術進歩あるいは生産性の向上)を外に出さない表現も考えられる。

この場合「技術進歩あるいは生産性の向上」は、v(資本係数)を小さくするとか、n(労働人口増加率)を大きくするものとして理解される。


上げ潮派(構造改革派)は

「構造改革なくして経済成長なし」

と主張する。しかしこの「構造改革」という言葉がはっきりしない(もっとも構造改革派の人々もこれを本当に理解しているか疑わしいが)。そこで筆者の示した経済成長の定式(モデル)でこれを考えてみる。

構造改革とは端的に言えばt(技術進歩あるいは生産性の向上)を大きくすることである。その方法はの

v(資本係数)を小さくし、n(労働人口増加率)を大きくすることである。

たしかにこれによってg(経済成長率)は大きくなる。


これをさらに具体的に説明する。


v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)


である。v(資本係数)を小さくするには、K(資本)が一定ならそれから産まれるY(生産・所得)を大きくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。

またY(生産・所得)が一定ならば、一単位のY(生産・所得)を産出するためのK(資本)を小さくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。

さらに教育・訓練による労働の生産性を向上させることがn(労働人口増加率)を大きくする。


これらを一つの企業で考えた場合、当り前の話である。しかしこれを一国の経済で考えた場合は多少複雑になる。

一国の資本(K)と言った場合、民間の生産設備や販売設備などだけではなく、道路や港湾と言った公共資本や社会資本も含まれる。

また一国のY(生産・所得)はGDPということになる。

したがってY(生産・所得=GDP)の増加に結び付かないような公共投資を構造改革派は「無駄な公共投資」と批判する。


また上げ潮派(構造改革派)は「官」が「民」より非効率と考え、政府部門の縮小を訴える。

「「民」にできることは「民」」

ということになる。そして社会全体の「技術進歩あるいは生産性の向上」のために行う施策が、規制緩和などの競争促進政策である。このように構造改革に必要な具体的な施策は、規制緩和や公企業の廃止や民営化ということになる。


スッポリ抜けているもの


ところが上げ潮派(構造改革派)が念頭に置いていると思われる経済成長の定式(モデル)には、大事なものがスッポリ抜けている。

抜けているのは「需要」である。

彼等が訴える施策は全て「供給サイド」に関するものに限られる。

しかしどれだけ企業や国を効率化しより多くの生産物を生産しても、需要がなければ生産物は余る。生産物が売残れば、その次には資本や労働が余剰となり、資本や労働の遊休が生じる。

しかし上げ潮派(構造改革派)の考えには、

作った物は全て売れ消費される

というびっくりするような前提条件が、暗黙のうちに設定されている。ところが上げ潮派(構造改革派)の人々は、このことに気付いていないか、もしくは気付いていても誤魔化す。多くの場合、単に需要不足が原因で遊休設備や失業状態になっていることを、上げ潮派(構造改革派)は認めない。


彼等は遊休設備や失業という現実を突き付けられても、遊休状態の設備は既に陳腐化して使い物にならないと決めつける。また失業者は、生産性の向上に追いつけない人々であり、新たな教育・訓練が必要であると主張する。したがって一時的に余った資本や労働といった生産資源は、もっと生産性の高い成長分野にシフトさせるような構造改革が必要があると説く。このように上げ潮派(構造改革派)は供給サイドのことしか言わない。

しかし筆者は遊休設備の全てが陳腐化しているとは考えない。また職に就いている人と失業している人の間に、技術や知識に大きな差は認められない。そういう事ではなく、多くの場合需要の不足によって遊休設備や失業が発生していると考えるべきである。特に日本は慢性的に需要不足(内需不足)に陥る体質にあり(このことを本誌は何回も取上げてきた)、むしろ構造改革を目指す政策がさらなる需要不足を促進している。


上げ潮派(構造改革派)の考えの背景には、

「作ったものは全て売れる」という古典派経済学の「セイの法則」がある。


しかし現実の経済を知っている者は「そんなばかなことはない」とすぐ分る。ところが頭がおかしい構造改革派は、この単純な経済理論の信奉者なのである。

「セイの法則」が成立つのは極めて特殊な時だけと指摘したのはケインズである。

たしかに「作ったものは全て売れる」のは、例えば戦争で大半の生産設備が破壊され極端な物不足に陥った国や、新興国における経済の高度成長期くらいのものである。古典派の特殊理論に対して、彼は一般的な一国の経済状態での理論展開を行った。ケインズは著書「一般理論」で、ごく普通に需要不足が起き、遊休設備や失業が発生するメカニズムを解明した。またケインズの弟子のハロッドは、経済成長理論を展開したが、供給と需要の増大の過程での両者の関係の不安定さを指摘した。

ケインズは需要不足による不況が起ることを理論的に解明した。彼はその場合には金利を下げるだけでなく、政府が財政支出を増やすことによって需要を創出することが有効とした。今日このような政策は世界中の国で採られている。これもあってか第二次世界大戦後、先進資本主義国家は深刻な不況に陥っていない。


また上げ潮派(構造改革派)が盲目的に信奉する「供給サイド重視」の考えは、貿易収支が慢性的に赤字の米国で生まれた。たしかに米国のように供給サイドに問題のある国で、このような考えが一定の支持を得るのは解る。しかし慢性的に貯蓄が過剰で内需が不足し、過剰生産のはけ口を外需に頼っている日本に「供給サイド重視」の考えを適用しようとするからおかしくなるのである。

だいたい供給サイドに問題のある米国でさえ、今日サブプライム問題で不況になったため、減税などによる需要創出政策、つまりケインズ政策を行っているのである。需要創出政策を「オールドケインズ政策」と否定的な決めつけをするエコノミストや、自民党の総裁候補の中で今だに「私は構造改革派」と言っている人々は、頭の中の構造の改革が必要だ。

http://www.adpweb.com/eco/eco541.html


技術進歩の恩恵 11/11/28(688号)

意味のない経済成長の定式(モデル)

人々の所得が増え、一人一人の国民が豊になるのが国家の理想と筆者は思う。

そのためには経済が成長する必要がある。本誌はこの経済成長の定式(モデル)を08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」で取上げた。これを示せば

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

となる。つまり机上の経済理論では、

s(貯蓄率)とv(資本係数)が一定ならば、労働人口が増え技術進歩がなされれば経済は成長することになる。

実に簡単な話である。しかしこの理論の最大の弱点は、これが供給サイドのみに着目していることである。したがってこの定式(モデル)が有効なのは生産力が乏しかった時代や、よほど産業の発展が遅れている国だけである。

今日、少なくとも先進国でこの経済理論があてはまる国はない。どの国も余剰の生産設備と労働力を抱えている。ところがいまだに構造改革派は「改革」が必要と寝ぼけたことを言っている。


今日、国の経済成長を決めるのは供給ではなく間違い無く「需要」である。毎年、10%前後の経済成長を続けている中国は、供給サイドに様々な大きな問題を抱えている。例えば慢性的な電力不足といった致命的な問題をずっと抱えて来ており、当分、これは解消される見通しがない。しかし旺盛な民間と政府の投資、さらに輸出の伸長といった需要増がこれまで続いて来たので(今後の見通しは不透明)、高い経済成長が実現できたのである。

つまり現実の経済においては、中国のように供給サイドに問題があっても需要さえあれば経済はどれだけでも成長する。つまり伝統的な古典派の経済理論なんて、現実の経済において何の役にも立たない。しかし経済学者は、これしか知らずまた現実の経済に興味がないので、今でも意味のない経済理論を学生に教えて生活をしている。


彼等は、日頃の言動と現実の経済の動きとの辻褄を合わせるため、供給サイドと潜在需要にミスマッチがあるといった奇妙な事を言う。彼等のいう潜在需要とは例のごとく医療や介護といったものである。

「この分野の規制緩和がなされないから、潜在需要が顕在化しないのだ」

と主張する。しかし仮にかれらの言っている事が正しくそれが解決したとしても大してGDPは伸びない。また医療や介護の需要を伸ばす有効な方法は、筆者は規制緩和ではなく予算の増額による医療や介護に勤務する人々の待遇改善と考える。決して規制緩和やフィリピンやインドネシアから看護士を連れてくることではない。


彼等は何十年も前から

「規制緩和が不十分で潜在需要が顕在化しない」

という間抜けな主張を続けている。つまり何でも需給のミスマッチと言って誤魔化そうとしている。しかし民間は、四六時中、どこに潜在需要があるのか必死になって探し回っている。供給力が需要をはるかにオーバーしている日本においては当り前の話である。実際、


09/4/13(第565号)「筆者の経済対策案」
http://www.adpweb.com/eco/eco565.html


で述べたように、少なくともリーマンショックの前までは日本の製品在庫率指数はずっと100前後で推移していた。つまり日本では、消費者が必要とする商品はピタリと供給されてきた。またサービスについても供給サイドにネックが生じているとは思われない。つまり日本経済はコンビニみたいなものであり供給サイドにさしたる問題はない。

ちなみにリーマンショック後の世界的な経済の混乱以降、この数値が乱れ始めた。ただし2010年から東北大震災の直前まではこの数値も落着きを取戻していた(100〜110程度で推移)。ところが震災後は再び120程度まで上昇している。おそらく復興事業の遅れによる、関連製品の在庫増が影響していると筆者は見ている。

豊かさを与えない技術進歩

昔の経済学のメインテーマは、供給力をいかにして上げるかであった。消費を抑えながら生産力を増やすための資本の蓄積(つまり投資)が重要であった。また生産資源の適正な配置が経済成長に有効と考えられた。そのためには価格メカニズムを働かせることが大切と考え、規制緩和による競争政策が必要とされた。

この経済理論の背景には、需要は無限にある(セイの法則)という錯覚がある。しかし前段で述べたように、たいていの先進国はどこも生産設備と労働力の余剰を抱えている。必要なのは供給力の整備ではなく「需要」である。


たしかにギリシャのような例外的な国がある。このギリシャのように慢性的に経常収支が赤字の国は、供給サイドの強化が有効である。そのためには一刻も早くユーロから離脱し、自国通貨を大幅に切下げることが必要と考えられる。

一方、少なくとも日本は需要不足の経済が常態化している。必要なのは需要創出政策であり、ギリシャのような国にとって必要な「改革」ではない。ただし通貨の切下げ(円安)は日本にとっても有効と考える。ただし経常収支の黒字が常態化している日本の通貨の切下げは、なかなか国際的に認められるものではない。


筆者は、先進国における需要不足の一つの原因を、長らく平和が続いたことによって生産設備の破壊がなかったことと考える(大きな戦争がなくせいぜい大災害があったくらい)。そしてもう一つ重要なことは、第二次世界大戦後、生産技術が飛躍的に向上したことである。つまり世界的な供給力の余剰が生じている。さらに世界的なバブル生成の過程で凍り付いたマネーサプライが積み上がった(GDPより金融資産の方が伸び率が大きく、これによって大きな有効需要の不足が生じている)。


筆者は、生産技術の向上、つまり技術進歩に注目している。技術進歩によって小さな生産資源(生産設備投資と労働力)の投入によって、より大きな産出が生まれるようになった。たしかに


需要は無限にある(セイの法則)


といった改革派の戯言(たわごと)が本当なら、問題(設備の遊休や失業)は生じない。ところがこれが大嘘だから今日問題が起っているのである。


毎年10%前後の高度経済成長を続けている中国で失業がなくならないといった奇妙な現象が起っている。同じような高度経済成長を経験した日本では、当時、人手不足が深刻で人件費がどんどん上がったが、中国の現状は対照的である。これについて本誌は10年前

01/11/12(第230号)「中国通商問題の分析(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco230.html


で、この原因を中国が先進国の進んだ技術を取り入れながら経済発展したからと指摘した。

今日、中国でもバブルが起って物価上昇が起っているが、日本の高度経済成長期と比べれば大したことはない。むしろ中国の雇用問題は深刻で、人気のある公務員の募集に1,000倍の応募があったという話さえある。これだけの経済成長を達成しても失業問題が解消しない背景には、労働力をさほど必要としない進んだ生産システムを中国が取入れたからと筆者は考える。


技術進歩は人類にとって大事であり、人々に豊かさを与えるものと思われてきた。筆者も技術進歩は絶対に必要なものと考えている。技術進歩は、過酷で長時間の労働から人々を解放してくれるものと考えたい。実際、技術進歩によって日本では労働者の単純作業が軽減され、労働時間も短縮されてきた。例えば週休二日制も技術進歩なくして実現しなかったと考える。つまり日本もある時期までは良い方向に進んでいたのである。

ところが今日、日本ではむしろ労働強化の方向に向かっていて、雇用条件がどんどん悪くなっている。日本でも中国と同じように技術進歩の恩恵が人々に行き渡らず、むしろ人々を不幸にしているかのようだ。いつ頃からこのような事態が目立つようになったのか筆者も考える。大雑把な感想で申し訳ないが、筆者は日本で財政再建運動と構造改革運動が盛んになってからと思っている。

http://www.adpweb.com/eco/


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植民地インドの後釜にされた日本

 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている:


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである.

http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html

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      :. |  :ヾ_! ゝ "゙゙    '  `゙ ハ.:', :.   ここ、どこですか?
      |  :.:_イ .:.ヽ.   (二フ , イ :.:.:!:.ヽ     なんであたし
   :.  / rィイ | :.:.ヽ: >r/`(ノ .:.::.}ヽ、\:.   ここに居るんですか?
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 :.  / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^`  |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
   / /  ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{   ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
  ./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、  : : : l:.:.: .ハ ',
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  V | .:.:/:.:|_,ィ' ̄  ヽ三{ `ー-ノ : イ : : :/:.:i.:{  リ
    ヽ:.:{、.:.V     : : ヘ     : : {: : :/:.::∧|
     ヽ! )人    : : :人      : : : / \! :.
      "  ヽ : : : : :/イ{     :.ノ: : : :.\ :.
       :.  \__///: :\______/: : : : : : : ヽ
           / //: : :|;|: : : : : : i: : : __: : : : ',
       :.     / 、 {;{   |;|   . : i/. : : : : : :|
          / `Y;{. . . .|;|. : : : /i: : : : : : : : :l

インド,日本そしてその次は?  


アメリカ政府も大資本も日本のマネーを吸い取っているのです。アメリカの日本経済研究者の間には次のような見方が強いそうです。

―『2015年くらいまで、日本の金を使ってアメリカの繁栄を支える。2015年になれば日本の金は尽きてしまう。その時は中国とインドをアメリカ財政の補給源にする』

「2020年の世界」という2004年秋に作られたアメリカ政府部内のリポートには、「2020年にはアメリカのパートナーは中国とインドだ」と書かれています。 つい先日、アメリカの著名な大学教授がNHK・BSで「中国とインドがアメリカのパートナーだ」と明言したということです。アメリカの有力な経済人も同趣旨の発言をしています。

アメリカは日本の富を緻密に計算して「2015年限界説」を述べているのでしょう。日本はアメリカによって使い捨てにされようとしているのです。

http://wanderer.exblog.jp/4632381/


12. 2012年2月01日 22:02:48 : MiKEdq2F3Q

池田信夫の狂言集:「燃やせば放射性物質は分解されて無害になる」
http://www.youtube.com/watch?v=AkJ9L4DFgFo

武田邦彦vs池田信夫 原発問題
http://www.youtube.com/watch?v=Asmch7ue92g


この番組では池田某の無知蒙昧ぶりが描写されていないが、この人­物は「放射性物質は焼けば無害になる」などというとんでもない言­説を流布している典型的なスピンドクターである。ろくに文献批判­もできない文系の人間にこれ以上メディアで核物理について語らせ­るのはよしたほうがよい。

magna551 1 か月前


>1­00mSv/年は安全許容量内だと科学的に示してる。

示してないよ

mizouyuu 1 か月前

ICRPは100msv以下安全なんて言ってない。

統計上、他の原因の癌に埋もれて、放射線の影響と証明できない事­を言ってる。

緊急時、許容するのは、事故対応や住人の最低限の活動に留意した­もの。上限ギリギリまで解釈し、除染しない等、本末転倒。但しT­PP反対。

yous9092 1 か月前

@takezo1934 そこなんだよね。みんな勘違いしてるのは。 まず福島の高汚染地域の除染は無理。生き残りたければただちに避­難すべき。 それと、医療現場や航空機での線源から被曝するのと、ホットパー­ティクルによる内部被曝はメカニズムが全く違う。いくらガイガー­カウンタで低線量だとしても空間に漂う放射線源を呼吸や飲食など­で体内に直接取り込む。取り込んだ線源は、WBCではほとんど検­出されないから、正確な線源の取り込み量なんて分からない。問題­はγ線とか中性子線じゃなく、至近距離から細胞レベルで打たれる­放射線。 α、βの出す放射線は飛程距離こそないもののγ線よりはるかに濃­密で、隣接した細胞のDNAをズタズタに破壊する。

で、何度も言うけど、ICRPは内部被曝のリスクについては、意­図的に考慮に入れていない。技術的にも予算的にも無理だろうけど­、たとえ飯舘村とかを1mSv/hにしたところで、飲む水や食料­が汚染されていたら意味ない。もちろん環境を低線量にしてるわけ­だから、呼吸によるリスクが低減されたのみ。現在の飯舘は、呼吸­と食品に加え、外部被曝も高線量だから、人が住み続けるなんてあ­りえない。

pin77mov 1 か月前


ベラルーシやスリーマイルで、本当に起きている事実に愕然とする­。

ほとんど報道されていない事実に。

ICRPの定めた値は参考にすべきでない。外部被曝に関しては、­リスクを軽く見すぎている。これはECRRが指摘しているし、内­部被曝に至っては、考慮に入っていないのだ。

内部被曝を考慮するということは、細胞レベルでのα、β線被曝を­考慮することになり

リスクにしきい値を作れない。

ということは、原発自体が稼働、維持できないということ。

推進のための機関が、それを認めるはずがない。



pin77mov 1 か月前

池田信夫は医師免許を持たないのになぜ20〜100ミリシーベル­トで安全だと言いきれるのか!!

また、ICRPを基準とするがそもそもICRPは広島・長崎の原­爆投下による放射線被曝を

外部被ばくだけに偽装するために発足した機関です。

そもそも被曝を意図的に軽くするために存在する機関の基準に何の­信頼性も有りません。

それだけ安全だと言うなら、福島県飯館村に事務所を構えて、活動­拠点にすべし

inaVSR700M 1 か月前

100mSv以下で健康被害が無いとは言い切れない。

広島・長崎、チェルノブイリで低線量被曝実態を調べて公に発表し­ているのは原子力推進団体であり、公平性に欠ける。

しかも、ICRPとWHOは協定を結んでおり、両者の合意が無い­と公式に認定は出来ない為、独自に調査をしても、公式には認めら­れない。酷い例では、ベラルーシでセシウムが心臓に溜まった量に­比例して心不全で亡くなる人が多いという研究をした医師が別件逮­捕をされて、釈放後も国外追放になっている。

非公式なデータは沢山有るが無視されていることも言わずに、公式­じゃないからデータが無いと言う池田氏は政府・東電・ICRP側­の御用と言われても仕方が無い。ジャーナリストとして失格だ。

kakuko46 4 週間前


武田さんの論がまっすぐで正しい。

池田って人はなにをしたいのか、何を訴えたいのか、論議の心底に­あるものがさっぱりわからない。

この人、もとNHKの職員だったのがいつのまにやら「経済学者」­を名乗り(笑)、

で、いつのまにか原発のエキスパートになっている。

いやはや、すごい変わり身の速さに笑ってしまいそうだ。

doji61able 1 か月前

まぁ、池­田信夫がなにを言いたいのか理解しょうと勤めたが 何なんだろう あたりかまわず言いがかりつけてるだけで中身のない話にしか聞こ­えない。かってに吠えてろと思える討論としか思えない。経済論?­と原発が繋がるとトンでもない論点がまかり通るのかな。

petnonamaewaribi 3 週間前

池田信夫が言ってることは、最初から最期まで詭弁ばかりだね。簡­単に言うと、詐欺師が使う方法。論点を都度、ごく小さい範囲に限­定することで逃げをうっている。

Qanqi11 21 時間前

どこで、仕入れてきた話なのか知らないが、ようするに、こいつも­、御用学者と一緒で、東電のまわしもんだな

ttoo1133 23 時間前


もうすでに低線量被曝が確率的に悪くなることが判明している。 池田は嘘ついてますよ。 NHKでもICRP自身が政治的に決めてと認めている。 ICRPは推進機関だからな。 しかもICRPは原子量産業から献金を受けていることも認めてい­るのだ。

ozarin0823 1 日前


酷いキャラだな。池田信夫って奴。

自分で素人だと言っていながら、偉そうに専門家に的外れな批判を­する。

こいつは全てがそうだ。経済の分野でも自分が頑迷固陋なくせにリ­フレ派を「ガラパゴス」などと一方的に攻撃してる。とんでも知識­人の代表だよな。

こんなクソゴミの本がベストセラーになるとはね。日本も終わりだ­な。

SHOUINN 3 週間前


まぁ、池­田信夫がなにを言いたいのか理解しょうと勤めたが 何なんだろう あたりかまわず言いがかりつけてるだけで中身のない話にしか聞こ­えない。かってに吠えてろと思える討論としか思えない。経済論?­と原発が繋がるとトンでもない論点がまかり通るのかな。

petnonamaewaribi 3 週間前 3

ネットでは、池田氏がでたらめなのがわかってるけど、TVだけの­人はまた騙されるんだろうな。

TV局の姿勢として、今の深刻な状況において、池田氏のようなで­たらめな話をする人を呼び、長く話させて、視聴者に事実を誤認さ­せようとするというのは、かなり問題ある。

命に関わる問題なのに。

nyankolers 3 週間前

池田氏が出てたのね。

専門家相手にずいぶん偉い口調ですね。

誤用学者らしくなりました。

いやはや、今時、誤用学者をやるなんてね。

nyankolers 3 週間前


悪人(池田)は自分がよければ他人が死のうが病気になろうがどう­でもよいこと、

一方、善人(武田)は自分同様他人の不幸をも望まないということ­がよくわかった議論ですね。

ytb536 4 週間前


13. 2012年2月03日 20:32:14 : MiKEdq2F3Q


”御用学者”池田信夫大先生が高らかに宣言 

◆福島で健康被害は出ない
 2012年01月20日 09:58 池田信夫


きのうのニコ生アゴラのテーマは「放射能」。
高田純氏の現地調査による報告が中心だった。
彼の結論は「福島で健康被害は出ない」。

これは中川恵一氏の結論とも一致し、事故後に開かれた二つの放射線に関する学会でも同じ結論が出ている。福島県の健康管理調査の結果も同じだ。

いまだに「内部被曝が恐い」という都市伝説があるが、高田氏が実測した結果でも、内部被曝は生涯線量で最大数mSv。これも福島県の調査と同じだ。

食物によって摂取する放射性物質も無視できる程度であり、松田氏は「4月から規制が500Bq/kgから100Bq/kgに強化されるのは福島県の農業被害を拡大する」と批判していた。

「命は金に代えられない」という類の話も、今回は命に別状はないのだから問題にならない。

コメントは3万以上つき、「原発推進派の話は信用できない」という意見もあったが、松田裕之氏は「私は原発に反対だが、今回の事故では健康被害の心配はない。それより過剰避難や農産物の出荷停止による二次災害が問題だ」と明言した。
原発に賛成か反対かという価値判断と、事故でどういう健康被害が出るかという事実判断をわけて考えないと混乱する。

いま緊急に重要なのは、原発の是非論や発送電分離などの問題ではなく、すでに起こった事故の被害を最小化することだ。

チェルノブイリ事故で確認された死者は60人前後だが、30万人が強制退去を強いられ、20万人が家を失い、1250人が自殺した。

福島でも、高田氏の調べた限りでも3人の自殺者が出ている。
被災地の農家は全財産を失い、家畜も死亡した。
政府の「収束宣言」は批判を浴びたが、そういう手続きを踏まないと被災者をいつまでも帰宅させることができない、と澤昭裕氏は政府の対応を求めた。

「放射能は恐い」と恐怖をあおったマスコミも、事実がわかってトーンダウンしてきた。「危険厨」のヒーローだった武田邦彦氏もホルミシス仮説を認め、「年5mSvまでは放射線を浴びたほうが健康になる」と言い出した。

残るのは「科学的な根拠はないが、よくわからないから恐い」という安富歩氏のような被害妄想だけだが、これも半減期は1年ぐらいだから、そのうち消滅するだろう。

おととい田原総一朗氏とも話したことだが、今回の事故で原発の新規立地は向こう10年ぐらい不可能になったと思われるので、原発推進か否かという論争には意味がない。それとは切り離して事故の影響を客観的に評価し、健康に影響はないという事実を政府が説明するリスク・コミュニケーションが重要だ。
ただ政府が信用されていないことがその障害になっているので、科学者がもっと発言する必要がある。

GEPRでは、科学者からの投稿を募集している。


●『Global Energy Policy Research』(略称:GEPR)
 公式HP:http://www.gepr.org/ja/


「あまりに酷いものを見てしまってすぐに言葉が出ない」


今や”反原発派”に真っ向から異論を唱える”御用学者”の急先鋒とも言える池田信夫による上記ブログ記事を読んでの率直な感想である。

どこもかしこもツッコミどころ満載の内容で、一体どこから話してよいのかわからないが、まず目を引くのがその”キャスティング”(登場人物)である。

先日のエントリーでも取り上げた、「福島県民甲状腺がんゼロ論文」にてアパ論文大賞を見事(?)に受賞した高田純にはじまり、福島原発事故直後に”大活躍”した「東大中川チーム」の中川恵一や、「福島県」=”原発マフィア”佐藤雄平福島県知事ら”原発利権村”の住人が次々に登場し、最後に極めつけで田原総一郎の登場である。

 


これだけ見事なまでの嘘つき連中を並べ立てて、一体何を信じろと言いたいのであろうか?

あまりの”馬鹿さ加減”に失笑するよりほかないであろう。

池田信夫の手に掛かれば、「内部被曝が恐い」という主張は”都市伝説”であり、「放射能は恐い」と恐怖を煽ったマスコミは、事実がわかってトーンダウンしてきたんだそうだ。

政府・官僚・東電らの”悪行”をロクに追求もせず、真正面から原発事故に向き合わず、芸能・スポーツネタを垂れ流し、お涙頂戴の「絆(キズナ)物語」に興じるマスゴミ・マスメディアのどこをどうみれば、「トーンダウン」していると言えるのであろうか?

また、誰もその危険性を完璧に立証できていない「内部被曝」について、ただの一経済学者がその危険性を100%否定すること自体、”傲慢”な態度と断じるよりほかない話であろう。

そして池田信夫が主張する「放射能安全神話」の拠り所であるが、「大丈夫」「安全」という都合のいい意見を寄せ集めて「みんなが大丈夫と言っているから大丈夫」という、実に稚拙な内容である。

池田信夫の姿勢・主張は、都合のよい統計データだけを持ち出して己の主張を正当化する経済学者や経済評論家のお得意とする”後付けの屁理屈”以外の何ものでもないというのが個人的見解である。

上記記事の最後から2行目にて用いられているように、「客観的」と称して己の主観を展開する論法は、池田信夫のいつもの”騙しのテクニック”である。

そして最後に登場する「GEPR」とは何なのだろうかと調べてみたら、池田信夫が最近立ち上げた「日本と世界のエネルギー政策を深く公平に研究し、社会に提言するウェブ上の”仮想シンクタンク”」のようである。

公式HPを眺めてみると、またまた中川恵一といった”御用学者””御用評論家”の類が多数登場するトンでもない代物である。

どうせロクな内容ではないゆえ、各記事の中身は読んでいないが、以下に列挙したように、そのタイトルと書き出しの一節をみただけでも如何に偏向した内容であるかは一目瞭然であろう。


「原爆の被害者調査からみた低線量被曝の影響 — 可能性の少ない健康被害」(石井 孝明)

 〜原爆の生存者の間では低線量の被曝による健康被害がほぼ観察されていない〜


「原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査(第W期調査 平成17年度〜平成21年度)」(放射線影響協会)

 〜2005年から2009年に20万3904人に調査をし、1人当たりの平均累積線量は 13.3mSvでした。この対象者に健康被害は観察されていません〜


「高自然放射線地域住民の健康調査」(公益財団法人体質研究会)
 〜世界には自然高線量放射線の放射線地域があります。(中略)これらの地域で放射線による健康被害は観察されていません〜


「放射線被ばく基準の意味」(中川 恵一)
 〜震災から10ヶ月も経った今も、“放射線パニック“は収まるどころか、深刻さを増している(中略)私なども、東電とも政府とも関係がないのに、すっかり“御用学者”のレッテルを貼られる始末〜


「原子力発電のリスクと経済性の再検討」(池田 信夫)
 〜非常に大きな事故という印象を与えているが、放射能による死者は1人も出ていない。原発の地下室で津波によって作業員2人が死亡したが、致死量の放射線を浴びた人はいない〜


馬鹿馬鹿しいのでこの辺で終わりとするが、ここまで露骨に”原発擁護”発言を繰り返し、”反原発”的論調を徹底糾弾する池田信夫という男は、「”原発利権村”の連中から一体いくら貰っているのであろうか?」と勘繰らずにはいられない人物である。

この「GEPR」なる”仮想シンクタンク”(WEBサイト)を運営し、池田信夫が代表を勤めている「アゴラ研究所」なる法人の収支構造を読み解けば、自ずとその化けの皮が剥がれよう。(必ずや”原発ムラ”にたどり着くことであろう)

http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/e918640b13e6c6efbde3fecedd0b4550


14. 2012年2月08日 12:23:12 : MiKEdq2F3Q


 早     /::::l:::l::、:::::、:::::ヽ::、::::::::::::\:::\::::::::ヽヽ::::::ヽ   駄
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 な.     /:l::::!::::ヽ!::ヽ:::::::ヽ:::::::\:::ヽ、::::::::ヽ:::ヽ::::::::!::i:::::::!  だ 
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 な    l:i:l::::i::i:、:l::lテ=-、:ヽ、_、::\_,≧ェュ、_、\:::::::::i::li::!::リ   :
 い   !ハト:{:!:i:トN{、ヒ_ラヘ、{ >、{ 'イ ヒ_ラ 》\::l::!:ト!!:l::l!     :
 と     ヽ i、ヽ:ト{、ヾ ̄"´ l!\   `" ̄"´  |::!:l::! j:ll:!
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これから何が起きるのか?


私は311フクイチ事故直後から、

「みんなが想像してる千倍以上恐ろしいことが起きる」

と言い続けてきた。 ほんの1グラム環境に漏れても大変なことになる放射能が数トンの単位で地上に拡散したのだ。それは広島原爆を数百個も同時に爆発させたほどの凄まじい放射能汚染が起きることを意味するのだから、政府マスコミ電力が吹聴してるような大本営発表ですむはずがなく、まさに日本民族存亡、日本国家崩壊の危機が訪れたと考えねばならない。

 私は30年以上前から反原発運動にかかわり、長い時間をかけて世界各地の核実験の影響や放射能事故を調べ、たくさんの被曝事例を知っていた。放射能被曝障害をデタラメに甘く考えるアホ学者も多いが、過去の被曝事件を少しでも調べれば「放射能が体にいい」などの妄言が、どれほど陳腐、無知蒙昧で唾棄すべき愚劣な発言か誰でも理解できるはずだ。

 フクイチ・メルトダウン爆発事故で放出された放射能総量は約8トンで、ほぼチェルノブイリ事故に匹敵するものであった。ならばチェルノブイリで起きたことが、そのまま日本で再現されるのは当然のことだ。


 チェルノブイリで、いったい何が起きたのか?

 この事故で、ソ連政府も後継のロシア政府も、未だに事故による死者総数は33名と言い張っている。だが、ウソで固めたことしか言わないソ連、ロシアの公式声明を真に受ける者は人類に皆無だろう。たぶん当のロシア政府関係者や国民の誰一人信じていない。身近に放射能による莫大な死者を見せつけられてきたはずだから。

 国連機関を装ってはいるが実質、原子力産業の代理機関であるIAEAですら死者4000名と評価していて、これも原子力産業に乗っ取られたICRP国際放射線防護委員会は数万名程度の死亡と評価、信頼性の高い欧州核医学研究機関ECRRは140万人の死者が出たと主張し、これを裏付けるようにウクライナ政府の下部機関も自国だけで、すでに150万人の死者が出たと公表した。 だが、これらの数字すら膨大な死者数の氷山の一角にすぎないのである。

 ウクライナ・ベラルーシ現地で被曝者の救援に当たってきた分子生物学者の河田昌東は、被曝が原因と認定される疾病は全体の一割にも満たないと断言している。

 これまでICRPが被曝病と認めたのは癌・白血病だけだが、実際に人が死ぬのは心臓病・脳梗塞・糖尿病・多臓器不全など多岐にわたっていて、通常の病気と区別はつきにくく被曝との因果判定は不可能であって、大半の疾病や死亡は原因不明のまま放置されると指摘している。

 ICRPの被曝評価は、内部被曝が完全に無視され、外部被曝によるガン白血病に限定された原子力産業擁護の目的に沿った政治的なものであって、実際には内部被曝の影響はICRP評価の600倍に上るというのが矢ヶ崎琉大教授ら内部被曝研究者の常識なのである。

 我々は、フクイチ事故後、チェルノブイリ救援にあたってきたドイツの女医の言葉を噛みしめる必要がある

http://vogelgarten.blogspot.com/2011/10/das-leise-sterben.html

 【インタビュアー: 汚染地域で生きること言うことを、どのように想像したらいいのでしょうか?


生きるですって? 何よりも人々は死んで行くのです。静かに死んでいきます。
主に癌が原因ですが、あらゆる病気で人々は死んでいきます。

ストロンチウムも大きく起因しています。例えばエネルギー交換が不可能となって心筋がやられます。

ベラルーシーで行った診察は、子供達が2歳、3歳、4歳にして急性心不全で死んで行くことを証明しています。癌だけではないのです。腎臓不全、肝不全や多くは血液製造障害が原因で人々は死んでいきます。これらは「チェルノブイリ・エイズ」という名称で知られ、生き延びられるチャンスはほとんどありません。】

 いったい、本当の死者は、どれほどなのだろう?

 その答は、原子力産業が莫大なカネをばらまいた政府、産業界や学問界には存在しない。ただ操作されない自然な人口統計のなかにあるはずだ。放射能の影響のあった地域に起きた人口の変化だけが真実を語ってくれるはずなのである。

 ところが、ソ連政府は1986年の事故後、3年間の人口動態統計を隠してしまった。これには驚いたが、WHOの人口動態統計にソ連の3年間は空白になっている。つまり、ソ連では、統計すら廃棄せざるをえないほど恐ろしい事が起きたのである。 しかし、何もかも焚書することもできず、漏れ伝えられた情報もいくらか残っている。そのうち人口動態を推理可能な重要なものが以下のグラフである。

 このグラフの示すものは何か? 事故が起きた1986年から8年後の1994年に極端な平均寿命の低下が起きている。しかし、それ以前は、なだらかな右肩上がりのグラフによって順調に平均寿命が延びていることが分かる。

 この激しい凋落の理由について、ロシア関係者や御用学者たちは、91年に起きたソ連政府の崩壊を都合良く解釈し、これによって男たちが絶望しウオッカを飲み過ぎて寿命を縮めたなどとアホ臭いデタラメ解釈を公然と押しつけてきた。 これを京大・今中哲治のような左派御用学者でさえ主張したのには本当に驚かされた。

 彼らの主張の根拠は、汚染被害の激しかったベラルーシではこうした凋落が小さいこと。1600キロと遠く離れたカザフスタンでも同じように凋落傾向があった。あんな遠くにまで放射能が飛散したはずがないというものだった。

 しかし、ベラルーシはチェルノブイリ事故で崩壊したソ連から分離独立したとはいえ、実は事故のあまりの惨禍に恐れをなしたソ連政府関係者が、独立させることで事故被害の後始末と補償をロシアから切り離す目的でウクライナとベラルーシを傀儡政権によって独立させたことが常識なのであって、とりわけベラルーシは利権官僚が傀儡独裁政権を結成してチェルノブイリ被害を含む統計データを捏造してきたことが広く知られている。

 またカザフスタンが1600キロ離れて被曝がなかったというのも、とんでもない詭弁であって、同じくらい遠いトルコも激しい汚染に見舞われ、たくさんの被曝死者を出しているし、ヨウ素・セシウム汚染は遠く地中海沿岸諸国や日本や北米でさえ驚くほどの濃度が検出されてきたののである。 ましてカザフスタンはソ連の核実験場として有名で、中国のゴビ核実験場にも近く、被曝の影響を多重に受けて相乗作用が働いている可能性を容易に想像しうるはずだ。

 また、フクイチ事故の放射能が1万キロも離れた北米大陸を汚染し、アメリカの著名医学雑誌が1万4千名の死者が出たと正式論文を掲載しているのである。

http://www.prnewswire.com/news-releases/medical-journal-article--14000-us-deaths-tied-to-fukushima-reactor-disaster-fallout-135859288.html


 1万キロ離れたアメリカで、わずか数ヶ月のうちに14000名の被曝死者が出たことが事実なら、日本では、いったいどれほどの人々がすでに死亡し、これから死亡するというのだろう?

 これを、上のロシア平均寿命グラフから大ざっぱに推測してみよう。

 本来ならOECD諸国平均の順調な右肩上がりグラフがロシアにおいても期待されるはずであった。ところが94年、女性で74歳だった期待水準に比べて71歳、3歳も低下し、男性も65歳より57歳になって8年も低下していて、平均8%低下を意味していると考えられよう。

 ロシアの人口が1.5億人だったので、1.5億×8%=1200万人 が実質的に寿命を失ったことになる。しかも、これは94年だけの話だ。事故以来の毎年の期待寿命からの乖離を積み重ねれば実に恐ろしい数字が出てくる。これはチェルノブイリ事故の、期待される寿命に対する失われた余命、延べ総死者数がロシアだけで数千万人に迫る可能性を意味するのではないか?

この厳密な計算は難しいが、読者には直感的に判断願う。これが酒を飲み過ぎたせいだと? 

バカも休み休み言え!

私は、これと同じことが、これから日本で起きると主張してきたのだ!

 これから、恐ろしい数の人々が死んでゆく。仮に日本人の寿命が1割低下したとすれば、期待される余命を人口に換算するなら、やはり数千万の単位になる。放射能が飛散した全世界で失われた命の総数は、おそらく億に達するであろう。

 事故後25年を経たベラルーシの現状は凄まじいものだ。生まれてくる子供のうち、健全な者は20%しかいない。それも見かけだけの話で、多くは知的低下を来している。 日本も必ず同じようになるはずだ。まともに生まれてくる子供たちは、ごく一部にすぎない。そして大半の子供が知能低下を来すはずだ。

 広島長崎の被曝データを検証した米軍ABCCの後継機関である放射線影響研究所は、さらに恐怖のデータを示している。

http://www.rerf.or.jp/radefx/uteroexp/physment.html


 それは、胎児で5ミリグレイ(≒シーベルト)被曝した場合、4.4%が重度知的障害児として誕生するというものだ。たぶん、半数以上が軽度の知能低下を来すだろう。 1962年核実験の影響を調査した米海兵隊の統計では、62年生まれのIQが無被曝年度兵に比較して10以上低かったと「被曝国アメリカ」という本に記載されている。

 福島周辺、おそらく東京都内ですら、3月の妊婦の被曝量はミリシーベルトの単位に達していたはずだ。稼働原発事故の初期は莫大な短寿命核種で汚染されるからだ。日本政府が放射線測定を始めたのは、そうした短寿命核種が消えた4月以降のことであった。 これも政府関係者があまりの凄まじい線量と被曝を隠蔽する目的で意図的に計測しなかったことは明白だ。

 したがって、これから真の地獄が認識されるようになる。知的障害は出生直後には分からない。数年してはじめて分かるものだからだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-46.html


チェルノブイリ事故では、はじめ何も起きなかった・・・・


 ソ連政府も高度汚染危険地域の住民を移住させた後、「健康には問題ない」と公表し、事故発生以来、大きな健康障害もなかった。

 近くの住民も「あの騒ぎはなんだったんだ?大丈夫じゃないか。」と笑い飛ばし、たかをくくって原発事故を忘れてしまい、普通の生活を送っていた。政府も安全と吹聴しただけで、避難以外に特段の対策もなかった。人々は普通にミルクを飲み、森に行ってキノコを採集して食べた

 5年経過。子供たちの様子がおかしい。甲状腺癌が増え始めた。

 10年経過して農作業中に突然鼻血が出始めた。白血病だ。

 15年経過して固形癌が増加。(なぜか、患者数の追跡調査はここで打ち切り。)

 20年経過してリクビダートル(原発事故処理作業員)の半分が死亡した。

 ほとんどの人たちが被曝の意味すら知らなかった。「放射能は危ない」という漠然とした知識だけはあったが、その具体的な症状、結果は誰も想像すらできなかった。放射線を扱う医師の多くも、レントゲン操作の経験からも、たいしたことは起きないと断定した。ICRPが原発事故による影響は外部被曝だけを問題にするよう指示したから、ソ連政府も内部被曝についてまるで無関心だった。


 事故直後から瀕死の病人や老人たちが次々に死亡したが、人々は、事故のパニック、混乱によると考え、当然と受け止めた。

 鼻血が出る人が多く、風邪がなかなか治らなくなった。皮膚病に罹る人が増えた。糖尿病に罹る人が激増した。首のリンパ節が腫れた。

 やがて人々を下痢と倦怠感が襲った。男たちが心臓病で突然死しはじめた。朝、自宅を出て数歩歩くとばったり倒れて死亡する若者が続出した。

 子供たちは集中力を欠き、成績がふるわなくなった。ぼーっとしてるだけで動かず、積極性のない子供が増え、それは大人にも増えていった。

 遠く離れた日本や韓国でも夏頃から同じ現象が起きた。それは「突然死」と呼ばれ、若者が一晩中扇風機をつけたまま寝て、朝起きたら死んでいたというものだ。

 それはチェルノブイリ事故の起きた1986年の夏以降に出現し、翌年からは報告されていない。死因の大半は「心不全」であった。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%87%E9%A2%A8%E6%A9%9F%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BC%9D%E8%AA%AC


 「チェルノブイリで起きたことは福島でも起きる」


 ウクライナ医学アカデミーのコンスタンチン・ロガノフスキー氏はこう話す。

「私がテーマにしているのは、チェルノブイリ事故によって放出された放射線が及ぼす中枢神経への影響と、被曝者のストレス、PTSD(心的外傷後ストレス渉障害)などです。対象としているのは原発作業員、避難民、汚染地域の住民などで、とくに力を入れているのは、事故当時に胎児だったケース。いま23歳から25歳となっていますが、彼らが5〜6歳の頃から私はずっと追跡調査をしています」

 ロガノフスキーはチェルノブイリ原発事故のとき、まだ医学部の4年生だったが、卒業後、このセンターに就職して、以来25年間、研究を続けている。氏の妻もここで小児科医を務めていて子供の被曝について調べているという。

 チェルノブイリで起きたことと福島であったことはよく似ている。事故後、最初にヨウ素が放出され、その後セシウムやストロンチウムが検出されるという流れもまったく同じですから。違いは福島には海があって、ここには河しかなかったことぐらいでしょう。したがってチェルノブイリ事故の後、住民や作業員に起きたことを見ていけば、これから福島でどういうことがあるか、わかるはずなのです。

 「チェルノブイリは、広島に落とされた原爆のケースに比べれば被曝線量は低い。しかし深刻な内部被曝の被害者は多数います。甲状腺がんや神経系の病気の増加や、言語能力、分析能力の低下も見られました」

 「言語能力には脳の2つの部位が関係しています。ブローカ野とウェルニッケ野です。いずれも左脳にあります。脳の中でも最も重要な部位の一つといえるでしょう。私はここが損傷しているのではないかと考えています」

 ロガノフスキー氏らの研究チームが11歳から13歳までの被曝した子供たち100人を被曝していない子供たち50人と比較したところ、とくに左脳に変化が生じていることがわかった。氏は「母親の胎内における被曝体験が精神疾患を引き起こしたり、認知能力の低下をもたらしたりする」と述べ、脳波の変化と知能の低下も見られたと指摘する。

「被曝していないグループの知能指数の平均が116に対して、被曝したグループは107。つまり10程度ぐらいの差がありました。私の妻もrural-urban(地方・都会)効果を加味した調査、つまり地方と都会の教育格差を考慮した形の調査を実施しましたが、結果は同じで被曝者のほうが同程度低かったのです」

 (註、米海兵隊も最大級核実験年の1962年に誕生した海兵隊員の知能調査を行ったところ、無被曝年誕生兵に比べてIQが10低いことを報告した・・・被曝国アメリカ)

 「ノルウェーは旧ソ連の国々を除くとチェルノブイリ事故の被害を最も受けた国です。この研究結果でも胎内で被曝した成人グループの言語能力は被曝していないグループに比べ低いと指摘していました」

 「長崎大学医学部の中根充文名誉教授によると、原爆生存者の中に統合失調症の患者が増えており、胎児のときに被曝した人の中でもやはり患者が増えているという。ただ中根さんはこの病と被曝が関係あるという証拠がまだないと話していました。1994年のことです。統合失調症は左脳と関連があるといわれており、私たちも長崎大のものと同じような内容のデータを持っています」

ウクライナだけで20万人いろというチェルノブイリ事故の処理に当たった作業員たちの中にも、精神を病む人が出ていると、ロガノフスキー氏は言う。

「精神障害者は少なくありません。そのなかにはうつ病、PTSDが含まれています」
「私たちはエストニアの作業員を追跡調査しましたが、亡くなった作業員のうち20%が自殺でした。ただエストニアはとくに自殺は悪いことだとされている国なので、自殺した人間も心臓麻痺として処理されることがあり、実数はもっと多いのかもしれません」

精神的な病に陥るのは何も作業員に限ったことではない。京都大学原子炉実験所の今中哲二助教が編纂した『チェルノブイリ事故による放射能災害』によると、ベラルーシの専門化が調べた、同国の避難住民の精神障害罹患率は全住民のそれの2.06倍だった。また、放射能汚染地域の子供の精神障害罹患率は汚染されていない地域の子供の2倍だったという。

 ロガノフスキー氏は被曝によって白血病やがんの患者が増えるだけでなく、脳など中枢神経もダメージを受けると考えているのだ。それは15年にわたる様々な調査・研究の成果でもある。その他にどんな影響が人体にあるのだろうか。氏は様々な病名を挙げ続けた。


「作業員に関して言えば圧倒的に多いのはアテローム性動脈硬化症です。がんも多いのですが、心臓病や、脳卒中に代表される脳血管の病気も増えています。白内障も多い。目の血管は放射線のターゲットになりやすいからです」


「チェルノブイリ事故の後、その影響でドイツやフィンランドでダウン症の子供が増えたという報告がありました。しかし、IAEA(国際原子力機関)やWHO(世界保健期間)はその研究に信憑性があると認めていません。ただ、私たち専門家の間ではなんらかの遺伝的な影響があると考えられています。小児科医である私の妻はチェルノブイリ事故で被曝した人々の子供や孫を調べましたが、事故の影響を受けていない子供と比較すると、はるかに健康状態が悪いことがわかりました。つまり被曝の影響は2代目、3代目、つまり子供やその子供にも出る可能性があるということです」

放射線の影響についてもっとはっきりしていることがある。それは「性差」で、氏によれば、「女性のほうが放射線の影響を受けやすいのだ」という。


「それは間違いありません。うつ病、内分泌機能の不全は女性のほうがずっと多い。チェルノブイリには女性の作業員がいたが、私はそういう点からいっても女性はそういう場で作業をやるべきではないと思っています」


 では、これから福島や日本でどんなことが起こると予想できるのか。ロガノフスキー氏は慎重に言葉を選びながら、こう話した。


「女性に関しては今後、乳がんが増えるでしょう。肺がんなどの他のがんの患者も多くなると思います。作業員では白血病になる人が増加することになるでしょう。ただ病気によって、人によって発症の時期はまちまちです。たとえば白血病なら20年後というケースもありますが、甲状腺がんは5年後くらいでなることが多い」


「チェルノブイリの経験から言うと、まず津波、地震、身内の死などによるPTSDを発症する人が多数いるでしょう。放射能の影響を受けるのではないかという恐怖心から精神的に不安定になる人も出ます。アルコール依存症になったり、暴力的になったりする人もいるかもしれません」


「私たちにはチェルノブイリでの経験があるし、たくさんのデータも持っているので、いろいろな面で協力できると思ったのです。そこで知り合いの医師たちを集めて、キエフの日本大使館に出向きましたが、門前払いされました。

チェルノブイリ事故が起きたとき、ソ連政府のアレンジによって、モスクワから心理学者や精神科医などからなる優秀なチームが避難所にやって来ました。彼らは地元ウクライナのスタッフと協力して被災者のケアに当たってくれたのです。福島ではそういうことがなされているのでしょうか。

ウクライナは裕福な国ではありませんが、チェルノブイリでの豊富な経験があります。私たちは今回、日本政府からお金をもらおうとして行動していたわけではありません。無償で協力しようとしただけなのです。拒否されるとは思わなかったので、とてもショックでした。

ロガノフスキー氏は、日本政府の姿勢に対して不信感を持っている。それは援助を断られたからだけではない。


「当初、発表された福島原発から漏れた放射性物質の量は実際とは違っていました。国と国の交流に大事なことは正確な情報を公開することです」

では、日本政府が定めた「年間20ミリシーベルト、毎時3.8マイクロシーベルト」という被曝限度量については、どう考えているのか。


「一般人は年間1ミリシーベルト、原発関連で働いている作業員は20ミリシーベルトが適性だと思います。これが国際基準です」


つまり、日本政府の基準を鵜呑みにしては危ないと考えているのだ。さらにロガノフスキー氏は低線量の被曝でも健康被害はあると指摘する。


「値が低ければ急性放射線症にはなりませんが、がんに罹りやすくなるなど長期的な影響はあります。そういう意味では低線量被曝も危険です」


これが、ロガノフスキー氏が長年、行ってきた低線量被曝が健康を害するかどうかの研究の結論である。氏は「ノルウェーでも同じ結論を出した学者がいる」と話す。

http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/loganovski.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-45.html

 1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故によって何が変わったのか? 

 もっとも巨大な変化といえば、それは戦後世界に君臨した鉄の帝国、ソビエト連邦が1991年に崩壊したことであった。 これによって半世紀続いた「冷戦」が終わりを告げることになり、国家の命脈となる対立軸、競争相手を失ったアメリカが、欲に釣られデリバティブによる金融暴走によって自滅の道を歩むことになった。 このとき、人口1.5億、影響下の社会主義圏人口は3億人、数千回も世界を滅ぼす軍事力持った巨大帝国が、自らの腐敗によって倒壊したのである。


 ソビエト連邦は、名前の通り中央政府の一元管理でなく、各共和国の連合体との位置づけだが、実際には各共和国は100%、秘密警察に監視され、共産党中央、政府の軍事支配下に置かれていた。

 しかし、硬直した官僚制度が利権の縄張り争いに明け暮れ、お粗末な政策にうんざりさせられ続けた国民の勤労意欲は大きく低下し、農産物が豊作でありながら大半を腐らせて食料危機に陥るなど、まともな国家運営すらできず、デフォルト状態の経済危機による共産党体制の低迷のなか、閉鎖的な利権体質に危機意識を抱いていたゴルバチョフ政権スタートの一年後にチェルノブイリ原発事故が起こった。

 最高幹部に君臨したはずのゴルバチョフに対し、事故発生による巨大な放射能漏洩危機の情報は、政府機関からではなくスエーデン政府と欧州マスコミからもたらされた。その後も、関連部門から上がってくる情報は「事故は適切に処理された、被害は軽微」という責任回避報告しかなく、彼はソ連体制の閉鎖体質がどれほど深刻なものか思い知らされることになった。

 首相ですら知り得なかった真実の情報が事故現場の民衆にもたらされるはずはなく、「パニック抑止」の名目で、危険情報はすべて隠蔽され、人々は何一つ真実の危険を知らされず、避難命令に右往左往し、取り返しのつかない被曝を重ねることになった。 数年後、人々は、チェルノブイリ原発事故が何をもたらしたのか、次々に死亡する人たち、子供たちの地獄のような有様や自分の体の絶望的不調で思い知るところとなった。

 「お上意識」の傲慢、冷酷な官僚による口先だけの「安全デマ」や人命軽視、利権優先の姿勢をソ連民衆は自らの運命によって思い知らされることになった。やがて民心は離反し、政府はあらゆる信頼を失なって政権や共産党支配の秩序が根底から崩壊していったのである。

 ゴルバチョフはグラスノスチ(情報公開)ペレストロイカ(民主改革)によって体質改革を試みたが、長年、特権の座布団にぬくぬくと居座り続けた利権集団である官僚グループの激しい抵抗に遭い、あらゆる改革も失敗を重ねることになった。むしろ改革は逆進し、官僚独裁体制の強化が図られ、ゴルバチョフ自身が追放されそうにすらなった。
 
 こうした状況下で、かつて帝政ロシア国家が、クリミア戦争、日露戦争敗北による国家不信によって消滅した時と同じように、国民の政治不信、行政への不満が渦巻き、官僚が政策を発令しても、誰も見向きもしないという極度の組織崩壊に陥り、もはや政権の威信は地に堕ち、国家としての統制が困難になったのである。

 とりわけ、情報を与えられないことで何の対策も取れず、結果として膨大な人的経済的被害を被った地方政府の中央に対する不信が激化し、納税拒否や指令遂行拒否などが続くことで、中央政府は、もはや地方政府を制御できる状態でなくなってしまった。

 ベラルーシ、ウクライナなど被災地方国では、中央政府を見限って独立の機運が高まり、時を同じくして東ドイツ崩壊を突破口に東欧社会主義圏全体がソ連体制を見限ることになり、雪崩のような国家崩壊が進行していった。 この当時の東欧ソ連情勢は、まさに朝から晩までテレビに釘付けになるほど緊迫したもので、我々は、未来永劫続くかに見えた巨大軍事帝国の崩壊が、これほどあっけないものであったことに驚かされたとともに、わが日本、そして米国政権すら、ある日突如として崩壊する可能性を肌身で知ったのである。

 事故の凄まじい被害に恐れをなしたソ連政府は、莫大な補償を回避し、被害を隠蔽して責任を逃れる手段として、ソ連帝国の規模を縮小し、もはや統制のきかないウクライナとベラルーシをソ連邦から分離独立させることを考えた。 これは、中央政府の息のかかった傀儡政権を樹立して、パイプラインなどの利権を保全したままウクライナ政府に事故処理義務を押しつけ、補償や被害を握りつぶす作戦であった。

 その後、ロシア体制になって、燃料や食料などのライフラインをロシアに制御されている弱点を突かれ、両国とも再びロシアによる傀儡官僚に支配されることになり、事実上、かつての官僚利権体制が復活しつつあるが、「チェルノブイリのくびき」を抱える両国が再びロシアに併合されることはないだろう。

 人類を数千回も滅ぼせる核兵器を保有する鉄の巨大帝国、ソ連という巨大組織がいとも容易に崩壊していった最大の理由は、チェルノブイリという人類史上希有の破局、国家存亡の危機に際して、官僚による利権の争奪戦場のようになっていた国家機構が、臨機応変に対応できる能力を失っていたということに尽きるだろう。

 クリミア・日露戦争の敗北によるロシア帝国の崩壊は、軍部を掌握していた特権階級が特権意識と利権要求を剥き出しにし、大衆の命を奴隷のように使い捨てにするだけで能力を失っていたことが民心の決定的な不信と離反を招き、政府を信頼する者がいなくなってしまったことが最大の原因だが、まったく同じことがソ連でも起きたのである。原発事故は数千万の命と巨大な資産を崩壊させる、まさに巨大戦争なのであって、民衆はソ連国家が自分たちを守らないで官僚利権だけを守る体質を思い知らされた。

 国民から信頼を失った政府は、存続することが不可能なのである。
 チェルノブイリ事故が巨大なソ連体制を崩壊させたことを書いている意図は、もちろん、この歴史的教訓を理解せぬまま、当時のソ連と同じ絶望的失態を繰り広げている日本政府の運命を説明するためのものである。

 フクイチ事故は、まさに巨大な戦争の勃発であった。これに対し、日本政府はソ連と同様の隠蔽、責任回避のみをもって対処してきた。国民の不安、不信に誠実に対応する姿勢は皆無であった。
 東日本震災とともに、放射能が降下した地域の住民は、明日が見えない状況のなかで、子供たちの未来に見え隠れする恐怖が消えないのに、政権は安全デマだけで事態を沈静化させようとしている。
 もはや、それをまともに信じる者もいない。今はインターネットによって自由に正しい情報を得ることのできる時代なのである。政府が、マスコミを利用し、権威者を総動員してウソにまみれた安全デマを垂れ流し続けても、人々は自分の運命にかかわる真実を知ってしまっている。

 フクイチ事故の経過を、我々は毎日、憤激と慟哭の思いで見つめ続けているわけだが、チェルノブイリ事故当時の報道を知っている者にとって、フクイチ事故の経過が、まるでコピーのように再現されていることで、日本政府の運命がソ連政府に重なって見える人が少なくないであろう。

 少なくとも、3月以降、現在に至るまで、日本国民の大半が民主党政権が決して国民を守らず、産業界と官僚機構だけを守っている現実を、これでもかと思い知らされてきた。 少しでも現実に責任を負うことを知り、子供たちの快適な未来を用意してあげようと願う人たちにとって、もはや日本政府に期待するものは皆無といっていい。 我々は、その崩壊と新しい革命的再編を願うしかない状況である。新しい救世主はどこにいるのかと・・・・

 日本政府は、子供たちの未来にとって決定的に有害無益であって、もはや国民にとって排除追放の対象でしかない。大勢の母親たちは、我が子を守るために政府を見限るしかない現実なのである。 おそらく日本国民の8割以上が、今、そうした思いを噛みしめているであろう。したがって次の総選挙で民主党政権が歴史的瓦解を起こすのは確実だが、その代わりに国民にとって真の利益、子供たちの安全な未来を導く新しい政権の受け皿が存在しないことが歯がゆい状況だ。

 もう一度言う、原発事故は巨大な戦争勃発と同じ意味を持つ。フクイチ事故は太平洋戦争よりも桁違いに多い死者をもたらすだけでなく、資産破壊も比較にならないほど巨大だ。 政府は、事故賠償と収束費用をわずか数兆円程度と見積もっているようだが、お笑いの超過小評価であって、そもそも日本に原発を導入した時点で、正力松太郎や中曽根康弘は、原発事故による損害額は国家予算を超えるとの認識があり、このため渋る電力会社を説得するため、事故時の賠償を国家が担保するという法律(原子力損害賠償法)を制定したのである。

 太平洋戦争では8000万人中約500万人が死亡したが、フクイチでは、今後30年間で、おそらく数千万人以上の死者が出るだろう。太平洋戦争では北方領土などの土地を含む日本固有資産の数割が破壊され消滅したが、フクイチ事故では、おそらく福島県だけでなく、東北・関東の大半を含む資産が消滅してしまうであろう。

 我々が見ている現実は、毎日、静かに進む戦争に負け続け、大本営発表のウソしか公表しない政府とマスコミの姿であり、権威を嵩に着てウソしか言わない学者たちの姿である。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-44.html


15. 中川隆 2012年4月29日 08:38:08 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q


最新の被曝と健康の論文をご紹介します。 武田邦彦(平成24年4月26日)
http://www.youtube.com/watch?v=mBciYLkJfcg

この研究は広島長崎で被曝した人8万6千人あまりの方を対象として行われていて、被曝量は高い線量から1ミリシーベルト以下の微量な被曝をした人も対象になっています。

そしてこの論文の中心的な結論は、


1)広島長崎の被曝でガンがかなり多いこと、

2)低い線量の被曝でも発がんが見られること(低線量被曝は危険)、

3)被曝量とガンの発生はほぼ比例すること(私はあまり用語が適当ではないと考えて使いませんが、いわゆる「直線仮説」が成り立っているということです)、

4)いわゆる閾値(これ以下は大丈夫という被曝量)という限度はなく、強いて言えば0ミリシーベルトであること、


などです。「被曝したら被曝量に比例してガンが増える」という論文はこれだけではありませんが、「1年100ミリシーベルト以下の被曝で、ガンが増えるなどという知見はない」と言い続けた専門家が間違いであったことも同時にこの論文で確認し、ハッキリすると思います。

もっともこの論文以外にも、低線量で健康障害を起こしたという論文は昔から多く、「被曝は大丈夫」というのは、「知見がない」のではなく、「論文は多くあるが、私の考えは違う」ということなのです。つまり簡単に言えばウソだったのです。

・・・・・・・・・

ところで、日本は科学技術立国といいながら、実際には科学的に奇妙なことが次々と社会で「常識化=空気的事実」となる原因は、


1)理科系文科系が分かれていること、

2)論文の多くが英語で書かれ、日本人の目に触れないこと、

3)利害関係者が英語の文章を故意に誤訳すること、


などです。この場合は2)に当たります。

科学が国によらず人類の宝であることから、英語で書かれるのは仕方がないことですが、同時に日本語でも流布されないといけないと思います。でも日本は後進性があるので、「英語で書かれた論文でないと採用の時の参考にしない」というような大学がまだ多いのです。

英語で海外の論文に投稿し、それを日本語と日本的に直して国内学会誌にだすと「2重投稿」ということで厳しくおしかりを受けます。でも、日本の科学の成果を日本人が十分に役立てることはとても大切です。それを実質的にできないようにしている今の学会、大学などの考え方にたいして私は納得できないでいます。

2011年の大震災と原発事故以来、御用学者という言葉が定着しましたが、この新なる原因はすでに20世紀の初めにマックス・ウェーバーが指摘しているように「職業としての学問」(生活やお金のために学問を道具として使うこと)が定着してきたからでもあります。その典型が「東大教授」です。

日本の学会で利権が固定し、


1)研究費を国が握る、

2)勲章を国が決める、

3)研究費の配分を東大教授が決める(京大、東北大などの御用学者も参加する)、

4)役所は大学の予算配分を東大に厚くして、その見返りに御用学者になってもらう、


ということが行われています。

http://takedanet.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/04/27/bandicam_20120219_214627034_2.jpg


このグラフは日本(上)、アメリカ(下)の大学ごとの予算ですが、日本は東大がダントツで、数ヶの大学に予算が集中的に行っていることがわかります。それに対してアメリカは広く「ばらまき状態」です。

日本では「ばらまき」は悪く、「集中」は良いと言われますが、そんなことはありません。「集中」はどうしても腐敗を招きます。腐敗した学問と、少しの無駄はあるけれど腐敗しない学問では、腐敗しないことが大切です。

http://takedanet.com/2012/04/post_26aa.html


放射線障害の詳細は


調査報告/原子力発電所における秘密
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html


16. 2013年1月20日 11:02:22 : W18zBTaIM6

池田信夫は資料捏造・改竄の常習者


1)いくら失敗しても懲りない『日本発の標準』づくりの愚 2003年11月10日
http://www.rieti.go.jp/jp/special/policy_discussion/09.html


池田信夫氏の論評に関して

(このページに関して、取り下げるよう圧力などを掛けて来られた場合、当方の判断でメールを公開するなどの対抗措置を取るかもしれませんのであらかじめご承知おきください)

文責: 岸本 誠

『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』という本も出版され、ますます一般への影響力を広めておられる池田信夫氏だが、その論評の手法に関し一例を示しておく。

RIETI (経済産業研究所) で現在も公開されている

「いくら失敗しても懲りない『日本発の標準』づくりの愚」
http://www.rieti.go.jp/jp/special/policy_discussion/09.html

という池田氏による論評がある


その中に "1970年代以降の主な「日の丸プロジェクト」" というキャプションが付けられた表がある。以下にキャプチャを引用する。

この表について、何らかの論文にあった表であるとか、白書のような 1 次資料がソースであるとか、そういった情報が見当たらないことに注意してほしい。少なくとも私には見つけられなかった。

さてここに「Divided Sun」という本がある。池田信夫氏の『ネットワーク社会の神話と現実』で参考書籍に挙げられているし、池田氏のウェブサイトの『読んではいけない』という「反書評」のページで、『歴史を偽造する「口先標準」の教祖』と品のないタイトルで坂村氏を dis るネタにもしていた本である。


写真 1: Divided Sun カバー 筆者(岸本)蔵書

以下は同書 8 頁の、表 1「Research Focus: Major Japanese Computer Consortia, 1975 to Present」という表である。しかと見ていただきたい。


写真 2: Divided Sun Table 1

まず、両者の一致点を見てみる。以下の画像で色を付けたのが、両者の一致部分である。


比較 1: 一致部分

続いて、池田氏の表にしかない行は以下の通り「アナログハイビジョン」「キャプテン」「シグマ計画」である。シグマを除いて予算の列が謎の「(NHK)」「(NTT)」といった文字列で埋められているのが、Callon 氏の本の表にはなくて、池田氏の表にはある項目の特色である。


比較 2: 池田氏の表にしかない行

最後に、Callon 氏の表のある項目について指摘しておく。


比較 3: Callon 氏の表のある項目

Callon 氏の論説では、TRON への出資は「100% companies」となっていたはずなのである(一応正確には、コンソーシアムへの出資)。それが、前述の「反書評」では、TRON を、国のカネを無駄遣いさせたプロジェクトとして非難していたのであるが、いったいどういうわけであろうか。

筆者(岸本)の感想としては、「歴史を偽造する口先の教祖」などと他人を攻撃してよく言えたものだ、と思う。
http://metanest.jp/ikeda/


_________


2)浜田宏一氏のゾンビ経済学 2013年01月19日
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51838371.html

不可解な池田信夫氏ブログ 2013-01-19


今日はあちこちのブログを見て回っていたのだが、池田氏のブログで不可解なことがあった。彼のブログは、さすがNHK出身だけあって、放送関係など秀逸な記事が多くとても参考になることもある。今あるすぐれたブログの一つであろう。が、今日の「浜田宏一氏のゾンビ経済学」というエントリーの内容はひじょうに不可解だ。

アメリカがQEでマネタリーベースを増やしたことについて、


「FRBのQEも、(中略)マネタリーベースを3倍以上にふくらませたにもかかわらず、物価にもGDPにもほとんど影響がなかった。それはマネーストック(currency)が増えなかったからだ。」


「QEでマネーストックは増えなかったので、ドルが下がったのはFRBのおかげではなく、金融危機によるリスクオフへの転換のせいだ。」


として、

QEでマネーストックは増加しなかったとするチャート
http://livedoor.blogimg.jp/ikeda_nobuo/imgs/5/d/5dd9c879-s.png

を掲載している。

一般には、マネー増加でドル安になったというのが通説だと思うが、それは説の違いとして置くとする。問題は、「QEでマネーストックは増えなかった」という部分だ。

実際、ブログで示されているチャートではcurrencyという項目があって、ほとんど増えていないし、ブログ記事の中では「マネーストック(currency)」とあるので、これが池田氏の見るマネーストックということなのだろう。

しかし、FRBの公式に示している値(セントルイス連銀のサイト)
http://research.stlouisfed.org/fred2/series/M1?cid=25


ではそれとは大幅に異なっている。今日上に掲示したチャートのようにQEによってマネーストック(M1)は確かに急激に増加している。前にブログでも書いたようにマネタリーベースの増加率に比べて、マネーストックの増加率はやや少ないが「マネーストックは増えなかった」ということは絶対にない。なお、マネーストックはM1以外にM2,M3,その他があるがいずれもM1よりも値は大きいはずだ(米国ではその値は公開されていない。)

池田氏の示すチャートのcurrencyというのはどういうところから来た値なのか。おわかりの方はご教示をお願いしたい。

なお、私自身も、池田氏ブログのコメントに、FRBのチャートの所在を示して「マネタリーベースは増えているようだが?」と疑問を呈したが、さっそくコメントは氏によって?消去されてしまっていた。もし、私の理解するように、氏の示す値が間違っているとするならば、間違った値を論拠に、浜田氏の論を「ゾンビ経済学」と言っていることになるのではないか?不可解と言う他はない。以上、私の勘違いや誤りであったら、識者の方に、重ねてご教示をお願いしたい。

コメント


Unknown (黒) 2013-01-19 18:31:56

端末で一般的な通貨供給量の指標であるM1、M2、M3のどれを見ても右肩上がりですし、Fedのstatを見ても全くその通りだと思います。
http://www.federalreserve.gov/releases/h6/

池田氏は絶対量では無くy/yを見て勘違いしているのでは?






Unknown (ちろ) 2013-01-19 18:38:24

笑いました
FXをちょっと齧った程度でこんなことは誰でも知ってますよね
very serious peopleは今日もお盛んなようで






Unknown (やまは) 2013-01-19 19:34:40

黒さん

そうですよね。ありがとうございます。M2等も公開されているんですね。私も勘違いだと思って、コメントしたら消されてしまったので、その点も不可解です。^^

ちろさん

そうなんです。私のような経済学シロウトでもわかるというか、米国経済をちょっと見ていればわかることなので、意図的なものかと疑ってしまうのです。

浜田氏も、やはり年のせいか、やや軽率な発言がありますし、おかしな部分もありますが、誤った数値をもとに、自分の先生や、自分が習った学説を、ゾンビ呼ばわりするのはどうかと思われます。本居宣長は、自分の説が誤っていたら必ずそれを正すことを弟子に言い置いていますが(著書の中で)、ものには言いようがあります。学問への真摯な姿勢が必要だと思います。






Unknown (瀬戸の花嫁) 2013-01-19 20:37:36

勘違いというより、確信犯なのではないでしょうか。
NHK出身というのも怪しいですね。

公の場で議論すると直ぐにボロが出るので、ブログで一方的に自説を発信、矛盾点を指摘されるとコメント削除ですか、みっともないですね。

ただ、ご指摘のように浜田氏も年齢からくるものなのか、著書と言い言動と言い隙が目立つのが心配ですね。
http://blog.goo.ne.jp/yamahafx/e/85024645b024b7486396979607928eeb





17. 中川隆 2013年4月29日 18:35:08 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

池田信夫氏に見る「従軍慰安婦」強制性を否定する歴史修正主義 2013年01月06日


「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実 [単行本] 吉見 義明 (著), 川田 文子 (著)

強制連行によって慰安婦を集めたケースはない、慰安所を持っていたのは日本軍だけではないなど、"新しい歴史教科書をつくる会"などの慰安婦問題の事実をゆがめる言説30に対し有効な反論を試みた。





 年末の産経新聞の安倍総理に対する単独インタビューについて、アメリカのニューヨークタイムズが1月2日の社説「日本の歴史を否定する新たな試み」で安倍総理を批判しました。

 河野談話を破棄して「未来志向」の談話を発表するとしている安倍総理総裁の歴史修正への策動については以下の記事にも書きましたし、また改めて書きたいと思います。

中曽根元首相も関与した「慰安婦」強制を安倍総裁と橋下市長が否定すべく河野談話を破棄しようとしている

 この問題について、タカ派評論家の池田氏が、同紙に公開書簡を送ったり(冒頭に「ウェブサイトでも公開するので、掲載しなくても結構です」とわざわざ書いてあるのが味わい深かったです。そんなこと書かなくても絶対に・・・)、ブログで盛んに異議申し立てをしているのですが、その内容が噴飯ものです。

 私もBLOGOSに参加していなかったら知らなかったような方で、かつ相手すると面倒くさい相手なのですが(向こうもこちらを面倒くさいと思っているらしくツイッターでブロックされてます)、放っておける問題でもないので今日は簡単にその歴史捏造ぶりだけ書いておきます。

 さて、「慰安婦問題」の確証バイアスという記事で、池田氏は以下のように書いています。

さすがにNYTは娼婦の証言だけではまずいと考えて歴史家に話を聞くのだが、それがいつも吉見義明氏だけだ。彼の『従軍慰安婦』(岩波新書)は1995年に出た本で、そのデータはすべて朝日新聞の取材を受けて彼が調べ始めたものだ。つまり最初から確証バイアスが入っているのだが、それでも事実はごまかせない。彼は1997年の「朝まで生テレビ」で「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と明言した。

これで歴史学的には結論が出たのだが、この発言に対する非難が殺到したためか、彼は広義の強制連行はあると話をすり替えた。橋下徹氏に対して吉見氏が出した抗議声明が、事実を率直に示している。

日本・朝鮮・台湾から女性たちを、略取・誘拐・人身売買により海外に連れて行くことは、当時においても犯罪でした。誘拐や人身売買も強制連行である、と私は述べています。実際に誘拐や人身売買を行った者が業者であったとしても、軍・官憲がこれら業者を選定して女性たちを集めさせたのであり、また、誘拐や人身売買であることが判明しても、軍は業者を逮捕せず、女性たちを解放しなかったから、軍には重い責任がある、と私は述べています。

つまり吉見氏のいう「強制連行」とは、民間業者の「誘拐や人身売買」のことなのだ。


従軍慰安婦 (岩波新書) [新書]吉見 義明 (著)

「日本や韓国の若者たちに,日本が過去にやったことを知ってほしい」――日本政府の謝罪と補償を求めて提訴した韓国人元従軍慰安婦の一人はこう語った.軍 慰安所はいつ,どこにつくられたのか.設置目的は何か.また,慰安婦たちの状況はどうだったのか.関係文書を丹念に収集・分析し,ヒアリングをあわせて全体像を描き出す。

 ところが、文中に引用のある吉見義明氏の「抗議声明」をクリックすると、池田氏が引用した文章の直前に

私は、1991年末から日本軍「慰安婦」問題の研究をはじめ、これまでに、『従軍慰安婦』(岩波書店・1995年)、『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(共著・大月書店・1997年)、『ここまでわかった! 日本軍「慰安婦」制度』(共著・かもがわ出版・2007年)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店・2010年)などで、日本軍「慰安婦」制度は軍が作り、維持し、拡大していった性奴隷制度であり、被害者の女性たちは強制連行され、強制使役された、と述べています。発言される前にこれらの著作を見ていれば、上記の発言が誤りであることはすぐに分かったはずです。

あなたは、軍・官憲が暴行・脅迫を用いて連行する場合(軍・官憲による略取の場合)以外は強制連行ではないとし、そのような連行はなかったと言っていますが、中国・東南アジアでは、このような連行は数多く確認されている、と私は述べています。たとえば、インドネシアで起きたスマラン事件をあなたは否認するのでしょうか。

とあるのです。吉見教授ははっきりと軍・官憲による「連行は数多く確認されている」と断言した上で、その例としてスマラン事件を上げているのです。

 そのスマラン事件とは、1944年日本軍占領中のインドネシア、ジャワ島で日本軍若手将校により抑留所にいたオランダ人女性に対して行われた強制売春・強姦事件です。日本軍の担当将校と警察・業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から18才から28才の合計36人のオランダ人女性を強制的に集め、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行しました。

 そして、この女性たちは毎日何度も日本軍兵士により強姦されたのです。

 この事件については日本の敗戦後の1948年、バタビアでの臨時軍法会議で、日本軍などの責任者はBC級戦犯として11人が強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦の罪名で有罪となり、決着がついています。

 私は池田氏が原発問題などで偽造や問題のすり替えをしているのを読むたびに、いつもなぜすぐにばれるような嘘をつくのか不思議なのですが、たぶん、彼は読者をなめきっていて、引用してもクリックして元の文章を読むような人はいないと思っているのでしょう。もしくは、自分のブログに書かれた都合の悪いコメントは削除し、ツイッターはブロックし、今回のようなBLOGOS転載記事にはそもそもコメントできないようにしているので、逃げ切れると安心しているのでしょう。

池田信夫氏と珍問答 核武装論者の橋下市長は、核廃絶は無理も何も、そもそも核廃絶などする気がない

橋下市長が本当にお子さんを守りたいなら、ケンカの相手と仕方を間違っている

原発がなくても乗り切れた夏。関電の停電リスクデマを言い募った橋下徹・大前研一・池田信夫各氏の責任は?

橋下市長新ブレインの池田信夫氏に核廃棄物処理策を訊け 経産省が使用済み核燃料直接処分を初予算化要求 


日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784) [単行本(ソフトカバー)] 吉見 義明 (著)

元日本軍「慰安婦」だった金学順さんが日本政府に謝罪と賠償を求めて名乗り出てから20年―「強制」ではなく「自由意志」だったとする声がいまだに多く聞 かれるのはなぜだろうか。「慰安婦」制度が軍によってつくられたことを、様々な史料を用いながら説明するとともに、被害者の名誉と尊厳の回復の必要性を訴える。

 そもそも、吉見教授が橋下市長に抗議した理由は

今年8月24日のいわゆる囲み取材において、あなたは日本軍「慰安婦」問題に言及し、「吉見さんという方ですか、あの方が強制連行の事実というところまでは認められないという発言があったりとか」と述べていますが、これは明白な事実誤認であり、私の人格を否定し、名誉を棄損するものです。この発言を撤回し、謝罪することを要求します。

というものでした。橋下市長による吉見氏の言論活動に対する捏造に対して吉見氏が抗議しているのに、池田氏がその抗議文をまた「修正」してしまうのですから、池田氏はもうジャーナリストとか評論家ではなく、単なるトンデモ歴史修正主義者としかいいようがありません。

 また、池田氏の

 つまり吉見氏のいう「強制連行」とは、民間業者の「誘拐や人身売買」のことなのだ。もちろんそれは人道的にはよくないが、70年たってから日本政府が謝罪すべき問題とは思えない。

というコメントにも心底呆れました。誘拐や人身売買はもちろん違法です。当時でさえ、国際法はもちろん、日本の国内法でも刑事罰を科される重罪です。単なる人道的・道義的問題ではもちろんないのです。

 当時の日本の「赤線」と言われた売春宿にいた公娼も、女性たちには職業選択の自由も居住・移転の自由もなく、性的な自己決定権もない。もし逃げようとすれば圧倒的な暴力で折檻されました。そんな状況でセックスを強要されていたのです。逃げられないし、セックスを拒否できない。彼女らはまさに「性奴隷」だったのです。

 そして、軍の付属施設として存在した慰安所の「慰安婦」は単なる公娼ではありません。彼女らは有形無形の軍・警察の管理を受けており、そもそも戦地にあるのですから女性が逃げ出す可能性はさらにゼロに近いもので、慰安所は歴史修正主義者が言うような「世界各地で見られた公娼」でさえなかったのです。

 軍自ら強制連行してきた場合だけではなく、たとえ民間業者が誘拐・人身売買で連れてきた場合でも、詐欺・脅迫で連れてきた場合でも、軍が組織として慰安所の存在を公認・協力し、専属させて利用しているのですから、この性奴隷制度に日本軍が力いっぱい加担していたわけです。日本軍は「従軍慰安婦」と言えば聞こえがいいこの性奴隷制度の共同正犯なのです。

「従軍慰安婦」は「慰安婦」ではなく、まさに「強制的な性的奴隷(enforced sex slaves)」だ


歴史の事実をどう認定しどう教えるか―検証 731部隊・南京虐殺事件・「従軍慰安婦」 [ペーパーバック]

笠原 十九司 (著), 吉見 義明 (著), 渡辺 春己 (著), 松村 高夫 (著), 高嶋 伸欣 (著)

第一線の研究者・弁護士・現場教師が近現代史論争の争点を徹底討論し、「自由主義史観」の主張を完全論破!裁判における事実認定の手法を用いて、資料と証言をもとに歴史の事実を検証!教育現場で加害の歴史をどう教えるか、また「日本人の誇り」とは何かを考える。

 歴史修正主義者はニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが日本の朝日や毎日に影響を受けているなどと言い訳するのですが、アメリカの両紙のほうが朝日や毎日よりはるかに調査能力もあり水準も高い新聞なのは明らかで、これもなめすぎです。国連の人権委員会も同様です。朝日の「誤報」で世界が動き続けるなんてこと、あり得ません。

 さて、池田氏は今回の文章の冒頭を

300万人以上の日本人が戦死した戦争の中で、戦場に数万人の娼婦がいたかどうかというのは、どう考えても些細な問題である。

と切り出すのですが、何万人もの性的奴隷を作っておきながら、被害者がどれだけいても自国の被害にしか目がいかない歴史修正主義者ならではの身勝手な言いぐさにも呆れます。被害者や植民地にされたり侵略されたものにとっては、加害者・侵略国である日本国の戦死者よりも自分たちの被害の方が大切でしょう。

 日本と言う国家が「従軍慰安婦」強制連行にかかわっていたということを恥ずかしく思う感覚はそれ自体正しいのです。しかし、恥だと感じたならば、真摯に謝罪し、償うのがあるべき加害者の姿です。恥ずべき歴史だからと言って自分たちが呑み込みやすいように修正=偽造・捏造してしまう行為は恥の上塗りであり、それ自体がさらに恥ずべき行為なのです。

 本当の「未来志向」とは、過去・現在を良いことも悪いこともあるがままに受け止め、これからのあり方を考えることです。

 過去を改変して言い訳をするような見苦しい生き方はやめにしたいものです。

参考資料

デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金内の慰安婦関連歴史資料
http://www.awf.or.jp/
http://www.awf.or.jp/6/document.html

[戦争犯罪][戦時性暴力]慰安婦・慰安所に関してオンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070304/p1


http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/8a455eb3baefb5bba0cbec35666d5759


18. 2013年4月29日 19:10:44 : W18zBTaIM6

もうかなりのお年の池田氏も晩節を汚さなければいいのにと思いますが、

そもそも汚したくないような何物をもお持ちでないのかもしれません。。。。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/8a455eb3baefb5bba0cbec35666d5759


「従軍慰安婦」は「慰安婦」ではなく、まさに「強制的な性的奴隷(enforced sex slaves)」だ
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/a26a6d20ca2fe30bf0d97a42e06a0592

中曽根元首相も関与した「慰安婦」強制を安倍総裁と橋下市長が否定すべく河野談話を破棄しようとしている
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/8ef1ba7d5845bf9ad70f084066d4ec51



19. 中川隆 2013年5月31日 09:53:02 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

池田信夫の言説の信頼度。

池田信夫 @ikedanob  http://twitter.com/ikedanob


1) 燃やせば放射性物質は分解されて無害になる
→「化学」反応に過ぎない燃焼という現象で、どうやって物質(元素)が変換されるという「素粒子物理学」的反応が起きるのか?高校の物理・化学レベルの知識があれば間違えようがない。

2) プルトニウムもセシウムも毒物ではない
→では日本政府(のみならず各国政府もだが)もWTOもIAEAも何故「基準を定めて」「それら物質の人体に対する放射線量の影響を」「監視・規制」しようとしてるの?

3) プルトニウムは重いので、空気を伝わって拡散することはありません。→

http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-44.html
・米国でプルトニウム・ウランが検出される:過去20年間で最大値!プルトニウム239やウラン238が大幅上昇

http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011093001000891.html
・福島・飯舘村でプルトニウム検出 原発から45キロ飛散も

阿修羅内にも、

・東京の放射能汚染はチェルノブイリ時の1000倍!本当は東京にもプルトニウム飛散(経産省)-Plutonium falls
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/640.html
投稿者 兜率天 日時 2013 年 1 月 09 日 08:34:52: Ze/k/WqawtiYc


20. 中川隆 2014年7月16日 19:39:45 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc


経済成長の三つのパターン 14/7/7(804号)

•経済成長の定式(モデル)

今週は、改めて経済成長のメカニズムについて述べる。このテーマはこれまで何回も取上げてきた。まず


08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html


で説明したように、経済学の教科書には、

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式がある。


しかしこの定式が規定しているのは供給サイドである。

つまりこの定式は暗黙のうちに生産されるものが全て消費されることを想定している。

まさにこれは古典派経済学(新古典派を含め)の「セイの法則」の世界である。


しかしケインズは「セイの法則」が成立するのは特殊な状況においてのみと説明する。彼は古典派経済学がこのような特殊理論であることを証明するため「一般理論」を著したのである。

筆者も、「セイの法則」が通用するのは、生産力の極めて乏しかった大昔や大きな戦争で生産設備が徹底的に破壊されるといった特殊なケースに限られると認識している。


教科書で学ぶ経済成長理論は、事実上、古典派経済学の世界である。

上記の定式に従えば、経済成長率を大きくするには貯蓄率を大きくし、資本係数を小さくする必要がある。資本係数を小さくするには、技術進歩による生産性の向上や社会の構造改革ということになる。また労働人口を増やすことも有効ということになる。

しかしこれらは全て供給サイドの話であり、またこのg(経済成長率)は潜在的な成長率に過ぎない。したがってケインズの指摘したような需要不足が起れば、これは全く成立たない定式になる。

ところがほとんどの経済学者やエコノミスト(さらには多くの政治家やマスコミ人まで)は、今日でも役立たずのこの定式にしがみついている。

それどころか自分達がこの定式にしがみついているという事さえ理解していないのである。


筆者は、単純に需要があれば経済は成長し、反対に需要が減少すれば経済は停滞し、場合によってはマイナス成長になるとずっと主張してきた。つまり少なくとも今日の日本にとって、供給サイドの経済成長の定式なんかまるで関係がない。また世間に流布している経済成長への処方箋はほとんどが嘘である。

新興国や途上国が高い経済成長を続けているのは大きな需要があるからである。何もない途上国の人々には、物やサービスに対して飢餓感に似た大きな需要がある。たしかにこのような国には経済成長の定式が適用できるかもしれない。

実際、ある程度の条件(具体的には政治の安定や基礎的な国民教育など)が揃えば、今日、元々十分な需要がある新興国や途上国は経済成長を続けることができる。仮に資金が不足していても、投資機会が乏しくなった先進国から潤沢な余剰資金が流れてくる。つまり貯蓄の必要性は小さい。また技術がなくとも先進国から技術を伴った最新設備を導入することができる。

また経済発展に必要なインフラも、例えば携帯電話などの登場によってハードルが低くなっている(以前は電話線網の設置工事から始める必要があった)。要するに旺盛な需要さえあれば、どのような国でも経済成長は可能なのである。いずれにしても規制緩和や構造改革なんて経済成長にほとんど関係がない。


先進国の中で、米国は比較的高い経済成長を続けてきた。これについて筆者は

01/6/18(第212号)「需要があっての経済成長」
http://www.adpweb.com/eco/eco212.html


で米国の貯蓄率が低下していることに着目した分析を行った。しかし今になって思えばこれは不十分な説明だったと感じる。筆者は、米国に流入した膨大な移民(合法・違法を問わず)の影響をもっと考えるべきだったと今日思っている。

米国は先進国の中でもめずらしく人口増加率が大きな国である。これは移民の影響が大きい。特に移民の出生率は大きく、移民の代表であるヒスパニック系住民だけでも既に5,000万人(全人口の17%)を越えている。何千万もの移民の流入は、米国に新興国・途上国の一国が生まれたようなものである。何も持たずに米国へやってきたのだから移民には旺盛な需要がある。これによって

07/11/5(第503号)「米国のサブプライム問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco503.html


他で述べたように、これまで米国の経済成長率がある程度かさ上げされてきたと筆者は考える。

•精神的に分裂状態

先週号でフランス経済学者のトマ・ピケティが、1930年代から1980年まで小さかった米国の経済格差が、1980年(レーガン大統領時代、つまり新保守主義台頭期)以降大きくなったと指摘した話をした。そして経済格差が大きくなると、国全体では貯蓄が増え経済成長にはマイナスに働くとトマ・ピケティは主張している。すなわち米国では特にヒスパニック系の移民が増えることによる需要増が、このマイナスを打ち消していたとも見られる。

ところが米国の比較的高い経済成長率は、レーガン大統領以降の規制緩和や構造改革のお陰と新古典派のエコノミストは間抜けたことを言い続けている。

彼等は、経済成長が需要で決まるということをどうしても認めたくないのである。

そして経済成長の定式から導かれる理論と「経済成長は需要が決める」という経済理論(筆者などが主張する)との間には大きな溝がある。

ここをはっきりさせず曖昧なまま日本で経済論議が進められてきた。これが原因で日本の経済学者やエコノミストが言っていることが分かりにくく混乱している。


経済学者は、学校で供給サイドの新古典派の経済成長理論の定式を教える。

ところが彼等は、実際の経済成長の実績や予想の分析には、内閣府が作成する経済成長の数値(速報値、改定値など)を使う。

この内閣府の数値は、供給サイドではなく需要サイドを積上げたものである。具体的には、個人消費、設備投資、公共投資、住宅投資、政府消費、在庫投資、そして純輸出(輸出−輸入)を合計したものである。


つまり彼等は、経済理論は供給サイドであるが、現実の経済分析は需要サイドで行うといった精神的に分裂状態である。

これを誤魔化すために、彼等は極めて悪質な細工を使う。

例えば需要と供給のギャップであるデフレギャップを異常に小さく算出するのである。

経済成長理論を構築したのは、ハロッドやサミュエルソンといったケインズの弟子達である。しかし彼等が作った経済成長の定式は、供給サイドだけに着目したものであり、事実上、需要サイドを無視している。

唯一需要サイドも考慮したのがハロッドである。ハロッドは、自分達が作った経済成長理論では、需給の不均衡に陥る危険性があることを認識していた(均衡点はナイフの刃の上を歩くように不安定と説いた)。今日の日本などの先進国の経済を見れば、ハロッドの認識が正しかったと言える。もっともサミュエルソンやソローなど当初新古典派と呼ばれた経済学者も後に考えを変えている。これについては来週号で触れる。


筆者は、経済発展段階によって適用できる経済成長のメカニズムは異なると考える。これを筆者は三つのパターンに分けて理解している。

一つは新興国や途上国のような十分な需要のある国のものであり、

もう一つは日本や欧州の先進国のように慢性的な需要不足に陥る国の経済成長メカニズムである。

もう一つ加えるならば、米国のような新興国・途上国の要素を併せ持つ国の成長パターンがある。

つまり供給サイドの経済成長の定式がある程度当てはまる国と全く適用できない国、そして米国のようなそれらの中間の国ということになる(ただし米国は今後日本などのグループに近付くと考える・・つまりサマーズの言っている長期停滞)。

このようなその国が置かれている状況を無視して経済政策を押し進めるから、訳の分からないことになる。例えば国内に十分な需要がない状態で設備投資を刺激しても、民間企業が設備投資を行うはずがない(設備投資が需要のある新興国・途上国に流れるのは当たり前)。またNISA(少額投資非課税制度)を拡充すれば、ますます個人消費が減少することになる。ましてや消費税増税なんてもっての他である。
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html

ポンコツ経済理論の信奉者達 14/7/14(805号)


「セイの法則」が意味を持った時代もあった

先週号で、

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式は古典派(新古典派を含む)の経済理論の本質を示すものと説明した。

これは供給サイドだけを規定したものである。一方、需要サイドでは作ったものは全て消費されるという「セイの法則」が暗黙のうちに想定されている。したがって現実の経済で需要不足が当たり前になれば何の価値もない定式になる。


つまり慢性的に需要が不足している今日の日本など先進国にとっては、ほとんど関係のない定式である。今日のような低成長になれば、需要サイドだけを見ていれば十分であり、供給サイドはほとんど無視して良い。

ところが役立たずの経済学者やエコノミストは、相変わらず既にポンコツとなったこの定式にしがみついて経済成長戦略とか言っているのだから驚く。


この理解を容易にするため、s(貯蓄率)とv(資本係数)についての説明を行う(ただし平均値と限界値への言及はややこしくなるので割愛する)。

v(資本係数)は資本(K)/総生産額(Y)で算出される。

資本(K)は総資本ストックであり、総生産額(Y)はGDP(国内総生産)や総国民所得と読み替えても良い。

v(資本係数)はより小さな資本(K)でより大きなGDPを産み出す国では小さくなる。つまりこの数値が小さいほど生産効率の良い国である。


また古典派経済学では

S(貯蓄)=I(投資)と s(貯蓄率)=i(投資率)

が成立していることになっている。したがってI(投資)やs(貯蓄率)が大きくv(資本係数)が小さい(生産効率の良い)国ほどg(経済成長率)は大きくなる。

つまり貯蓄(つまり投資)が大きく生産効率の高い国ほど経済成長が高いという、分かりやすい話である(正しいかどうかは別)。

また生産物(GDPと見なして良い)を消費財と資本財に分け、この議論を補足する。

生産物の全てが消費財で資本財がゼロの国は、総資本ストックが増えないので生産力が増えない。したがって古典派経済学の世界では経済成長ができなことになる。反対に消費を切り詰め(貯蓄を増やすことと同じ意味)、それを投資に回す国は高い経済成長が実現できるということになる。


第二次世界大戦で生産設備が壊滅的な打撃を被った日本は、戦後、消費を削り設備投資に資金を回した。貯蓄が奨励され、預貯金の利息への課税を免除するマル優制度まで導入した。また企業は多額の銀行借入れを行い、最新鋭の生産設備を導入した(古くて生産効率の悪い設備が戦争で破壊されたことが幸いした)。このため日本の企業の自己資本比率はずっと小さかった。

人々も新技術を学び日本全体の生産性は飛躍的に向上した。これによって日本のv(資本係数)は欧米先進国より小さいまま推移している(傾向としては近年大きくなっているが)。この結果、日本製品は驚異的な競争力を持つことになった。しかし生産力が大きくなり過ぎたため日本国内では生産物が全部消費されず、余った生産物は輸出されるようになった。戦後、日本の貿易収支は慢性的に赤字であったが、1964年の東京オリンピックの年を境に貿易収支が黒字に転換した。この様子は

11/3/7(第653号)「日本が貿易立国という誤解」
http://www.adpweb.com/eco/eco653.html


で紹介した。


少なくとも1973年のオイルショックまで日本は高いレベルの設備投資が続いた(それ以降も日本の設備投資のGDP比率は欧米に比べ大きい)。これが原因で日本は過剰生産力を常に抱えることになった。したがって日本経済は景気後退で国内需要が縮小すると、直に輸出ドライブが掛かるという状態になった。

しかし日本の貿易収支と経常収支の黒字幅が拡大するにつれ、欧米からの批難が大きくなった。この貿易のインバランス解消のため円高が要求され、従順に日本はこれに従ってきた(この点が中国と大きく違う)。しかしどれだけ円高になっても、日本はそのハードルを乗り越え貿易黒字を維持してきた。この結果、とうとう1ドル76円と言った明らかに行き過ぎた超円高に到った。

このように見てくると1973年までの高度経済成長期は、日本経済は古典派(新古典派)経済学の経済成長の定式がほぼ当て嵌まっていたと考えて良い。戦争で着の身着のままになった日本国民の需要(テレビや冷蔵庫を買い、次は車や住宅を買いたいといった時代)は旺盛であった(人口構成も関係するがこの話は後日に)。また一時的に生産過剰になっても余剰生産物は輸出すれば良かった。特に日本製品は圧倒的な国際競争力を持っていた。つまり作ったものは全て消費(輸出を含め)されるといった「セイの法則」がある程度意味を持った時代はたしかにあった。

•高所得国の罠

今日の平均的な日本人は、一応の耐久消費財と住宅を所有している。したがってこれから日本で飛躍的に消費が伸びることは考えられない。消費物資が不足しているとしたなら、これは若い年代層、特に低賃金の非正規労働者であろう。しかしそれも彼等の親が住宅や車を所有しておれば、これらを購入する意欲は弱くなる。

ただし購買意欲が弱いと言っても、昔の日本(高度経済成長期)や今日の新興国・途上国と比べた話である。実際のところ今でも日本の耐久消費財や住宅の購入はそこそこ高いレベルにある。例えば日本では自動車が年間500万台程度売れている。中国は自動車ブームと言われているが、年間の販売台数は2,500万台程度である。中国の人口は日本の10倍であるから、つまり一人当りの平均では日本は中国の倍の車を購入している計算になる。

住宅も日本は年間100万戸建築されていて、人口が2.5倍の米国とほぼ同じ数字である(ただし米国の方が住宅の耐用年数は長い)。また資産家や株価上昇の恩恵を受けた者達は、高額商品を盛んに買っている。しかし国全体の消費の伸びという点では極めて弱く、ここが問題であり、このままではとてもデフレ脱却なんて無理と言いたい。


日本など比較的高い所得水準が続く国においては、国民は既に一揃の耐久消費財や住宅を所有していると考えて良い。したがって需要と言っても買い替え需要が中心になる。つまり爆発的な需要増というものは生まれにくくなっている。

また日本のように高い消費レベルが続いている国では、これ以上の消費はどうしても選択的になる。消費が個人の考えや趣味に左右されるのである。多くの人々が同じような電化製品や車を買い求めた現象は過去のものとなった。つまり昔のような大ヒット商品というものが現れにくい。要するに今日の日本の平均的な消費レベルが低いわけではないので、これを飛躍的に伸ばすことが難しいのである。


これまで経済成長が著しかった新興国の経済が今日怪しくなっている。このような現象を「中所得国の罠」と呼ぶケースがある。「高所得国」になる前に既にもたついているのである。

しかし「中所得国の罠」が存在するなら「高所得国の罠」があって良いと考える。筆者は、前から人々に消費意欲に限界みたいなものがあるのではないかと考えてきた。これに関連し

98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
http://www.adpweb.com/eco/eco62.html

99/8/30(第128号)「日本経済と欲求の限界(その1)」
http://www.adpweb.com/eco/eco128.html

などで、消費者の欲求にも限界があるという仮説を唱えてきた。


しかし一方には消費や需要は無限という経済論を唱える者がいる。

作ったものは全て消費されるという、例の間抜けな「セイの法則」の信奉者達である。

また中には規制緩和で需要が増えるといった奇妙な経済論を平気で説く者までいる。これについて

04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
http://www.adpweb.com/eco/eco338.html


他で筆者は、純粋に需要が増えるのは、麻薬、銃、売春、賭博といった公序良俗に反するものの規制緩和だけと述べた(規制緩和の影響はほぼ中立と説明)。

しかし筆者は、日本の消費や需要を確実の伸ばす方法はあると主張してきた。

それは国民の所得を増やすことである。

増えた所得の一定割合は消費に向かう。国民所得を増やすには財政支出を増大させれば良い。

一時的に国の財政赤字が増えても、将来、税収増となって返って来る(政府紙幣の発行や永久債の日銀買入れという手段もある)。また今日の長期金利が0.5%と、市場は国債の増発を催促しているのである。

この手の肝心な政策を考えず、「特区」とか「岩盤規制の緩和」による成長戦略とか言っているからおかしいのである。

これを言っている人々は、既にポンコツで廃棄処分にすべき経済成長の定式(モデル)の信奉者なのである。
http://www.adpweb.com/eco/


21. 中川隆 2014年7月20日 14:35:39 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

一家に一台が需要の天井 14/7/21(806号)


•需要サイド重視という風潮

先週まで述べたように、教科書の経済成長理論は供給サイドだけを規定したものである(需要は常に十分あるというばかげた暗黙の前提がある)。当然、これは日本など成熟した国の現実の経済には全く当て嵌まらない。ところが教科書のこの間違った記述を本当のことと信じている者が極めて多い。特に学校で、一生懸命、経済学を学んだ秀才タイプ(教科書に書いてあることは真実と思い込み、柔軟に物事を見ることができないタイプ)がこれである。また公務員試験などの各種試験の経済学の出題もこの教科書からなので問題は大きい。

このタイプは経済学者やエコノミストだけでなく、政治家や官僚、そしてマスコミ人などによく見られる。彼等は「自分は教科書でよく勉強し間違っていない。間違っているのは現実の方」と堅く信じている。そのためかこのタイプが好むのが「構造改革」である。「構造改革」によって、現実の経済を自分が信じている経済理論が機能する形に変えようというのである。ところがこの間違った認識を持った人々が、現実の経済政策に影響力を持っているのでさらに問題を大きくしている。実際、今日の経済成長戦略のほとんどは、この教科書の記述に沿ったものである。


教科書の古典派経済学の中心命題は、資本の蓄積と生産性の向上である。これに関連した例え話がある。ある漁師が魚を一匹ずつ釣っているとする。しかしこれでは自分が食べる分の魚しか釣れない(つまり生産物が全て消費される自給自足時代の経済である)。そこで魚を釣る時間を割いて、漁師は網という資本財を作製する。この網という資本財によって以前より多くの魚を獲ることができる。

この結果、漁獲(生産物)に余剰が生まれ、これによって漁師はさらに別の網を手に入れることができる。網という資本財がさらに増えるので、漁獲量ももっと増え、余剰はさらに大きくなる。そこで漁師を資本家と読み替え、経済の概念を一人の漁師から一国全体に広げると新古典派の経済成長理論になる。


新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式が正しければ、資本主義経済は自律的に成長するメカニズムを内在していることになる。したがって経済はこれによってどこまでも持続的な成長が可能という話になる。

この経済成長理論の信奉者は、日本経済がこの定式通りに成長しないのは、政府の経済への余分な介入や労働組合の存在が原因と訴える。彼等は、例えば政府が資本家から税金を取ることによって資本蓄積の邪魔をし、これを無駄な公共事業に使っているとずっと主張してきた。また彼等は各種の規制によって資本蓄積(投資)の機会を奪われ、さらにこの規制が国の経済の生産性を低下させたと言っている。まさに供給サイドだけを見ている者の言い分である。


この古典派経済学に沿った経済成長のメカニズムは単純である。したがってたとえ法律しか学んでこなかった政治家や官僚でも簡単に理解できる。実際、高度経済成長期の日本を思い浮かべたり、これまでの中国などの経済成長を目の当たりにすると、この定式がもっともらしく見える。

大学の教師はこの単純な経済成長論を学生に教えて生活をしている。しかし経済理論そのものは単純であるが、厳密性という名のもとに複雑な数式で化粧しているので学ぶ者にとって難しく感じる。彼等が教える経済理論は、なにか新興宗教の教義や密教の奥義と通じる所がある。したがって学ぶ者は苦労して数式が解けると、自分のステージが上がって経済が解ったような気になる。

ただこの単純であるが幼稚な経済理論を唱えてきた日本の経済学者も最近では少し不安になっている(ほぼノイローゼ状態になっていると言って良い・・これについては翌週取上げる)。これまで彼等は低成長になったのは日本の政府の対応や日本の社会の在り方に問題があったと片付けてきた。つまり日本固有の障害で日本経済は低成長に陥ったと誤魔化しておけば良かったのである。


ところが日本における経済認識が大きく変わる兆しが出てきた。

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html


で取上げたように、欧米の経済成長の論議において、供給サイドではなく需要サイドを重視するという考えが注目されるようになっている(筆者に言わせれば当たり前の話)。筆者は、そのうちこの流れが日本にも及んでくるのではと考える。

まずトマ・ピケティの著作の日本語版翻訳がそのうち出版され、反響が出ると予想される。また米国経済が長期停滞に陥ったと説くサマーズは、この対策として米国の老朽化したインフラの大改修を主張している(まさに批難を浴びながらも昔から日本でやってきたこと)。日本でもこの需要サイド重視という風潮が及んでくれば、これまで「真っ赤な嘘」を風潮してきた経済学関係者の立場がなくなるのである。

•日・米・中の年間新車販売台数

古典派(新古典派を含め)の経済成長理論がおかしいことは、昔から相当の人々が気付いている。たしかに需要が旺盛で作れば全てが売れる時代の企業経営者は、どれだけ生産力を引上げるかが経営の最重要課題であった。日本の高度経済成長期の企業経営を思い浮かべれば良い。銀行からの借入金でどんどん設備投資を実施し、人を雇い入れ、生産工程を改善して生産性を上げることが経営の要諦であった。まさに新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示す経済成長の定式が適用できる世界であった。

ところが段々と売上が伸びない時代になる。経営者は、新製品の開発や販売促進を行うだけでなく、従業員のリストラをおこなって合理化を進めるようになった。そして国全体で売上(需要)が伸びない事態に陥ったのがここ20年くらい(筆者は、既に40年も前からこの徴候は出ていたと言ってきた)の日本経済である。

資本主義経済では需要不足が起るというケインズ理論は、戦後一時的にもてはやされた。しかし米国産業の競争力が弱くなった頃から、ケインズ理論に対する風当たりが強まった。ただケインズ理論を否定した後の埋草に使われたのが、なんとポンコツ同然の古典派経済学であった。


経済成長が続き生産力が増せば、そのうち需要不足が起ることは誰でも分かる。ところが日本の経済学者は、この当たり前のことを絶対に認めようとはしない(生活が掛かっているのであろう)。このばかばかしさを示す一つの方法として、各国の新車販売台数の推移を取上げ、これを分析してみる。

次の表は日本、米国、中国の年間新車販売台数の推移を示している。ただし日本だけは、ベースが年度であり、また98年度から01年度までは乗用車のみの集計である。

日・米・中の年間新車販売台数(万台)


年  日本  米国  中国 

98
(414) 1,544 167

99
(419) 1,677 208

00
(426) 1,724 215

01
(430) 1,702 237

02
587 1,681 325

03
589 1,664 456

04
582 1,686 520

05
586 1,694 587

06
562 1,650 722

07
532 1,608 879

08
470 1,319 963

09
488 1,040 1,365

10
460 1,155 1,806

11
475 1,273 1,851

12
521 1,444 1,930

13
569 1,549 2,198


まず目を引くのが中国の物凄い伸び率である。ここ10年間は毎年10〜30%程度の増加を示している。中国の国民所得の伸びはすごく、自動車に対するニーズが極めて高いことは分かっていた。しかし国内産業振興という中国政府の政策があり自動車に対する輸入関税は極めて高い。また人民元が低く操作されていることもあり、中国への自動車輸出はほぼ不可能であった。

したがって中国で車を売ろうという外国企業は中国政府の方針に従い、現地企業との合弁で中国国内に生産拠点を設ける他はなかった。しかし車に対して旺盛な需要があったから、外資は大挙して中国に進出した。つまり中国には十分な需要があったので、むしろ問題は供給サイドであった。まさに中国の自動車産業こそ新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

の経済成長の定式が適用できる世界であった。

はたして外資は、設備資金の提供に加え、生産性の高い最新の生産設備を中国に導入した。つまり

s(貯蓄率)/v(資本係数)

は外資導入によって大きくすることができたのである。また中国にはタダ同然(人民元が極めて低く抑えられているため)の余剰労働力がありn(労働人口増加率)は確保されていた。このように中国の自動車産業はほぼ古典派経済学の理論通りの経済成長を成し遂げているのである。


一方の日・米は08年のリーマンショック後のスランプを除き、年間に売れる車の台数はほぼ一定である。まさに日米は買い換え需要が全てと言って良い。つまり生産力増強の投資はほぼ必要がない。投資が行われるとしたなら設備の減耗を補う程度か合理化に伴う投資であり、その他では車に新装備を施すもの(例えばハイブリッド)に限られる。実際、少なくとも日本国内ではここ10年くらいは、新工場の建設は全くない(米国は、新工場の建設される場合、どこかの工場が閉鎖されているケースが多い)。

つまり日米はともに需要の天井にぶつかっているので、新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

の経済成長の定式は無関係である。しかし日本も米国も、今の中国と同じような高度成長期が過去にあった。ところがある程度まで来ると、全く伸びなくなったのである。


ここまでの話は自動車産業だけを例に採った。これは自動車産業の規模が大きく、また関連産業が広く(ガソリン販売、保険など)、適当と思われたからである。実際、中国では車以外の産業でも同じような高度成長が続いてきた。これからの関心は、中国の高成長がいつまで続くかということになる。

しかしその中国で成長に陰りが既に出ている。一つは過剰在庫を抱えた住宅産業である。他にも自動車産業に先行して成長してきた電機産業が既に需要の天井にぶつかったと見られる。今年のテレビの販売が減少に転じると予想されている。おそらくエアコン、冷蔵庫、洗濯機といった他の家電製品も近々減少に転じるものと考えられる。これも家電製品は既に一家に一台以上普及していて、旺盛ただった需要が消えているからである。

やはり耐久消費財は、一家に一台というものが一応の需要の天井になるようである。唯一中国で一家に一台普及していないのは自動車だけということになる。つまり中国でさえ、新古典派の経済成長理論が適用できなくなる時代が近付いているのである。それにしても日本でこのポンコツ経済学を教えている人々は、一体何を考えているのであろうか。
http://www.adpweb.com/eco/


22. 中川隆 2014年7月27日 14:29:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

三教授のサマーズ論の解説 14/7/28(807号)

•サマーズとトマ・ピケティへの大きな反響

本誌14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html


で取上げた、米国経済の長期停滞論が日本でも注目され始めた。サマーズ元財務長官は消費や投資の減少などで、米国経済が長期停滞に陥ると警告している。この話は、筆者が本誌にこれまで述べてきたことに合致するところが多い(筆者は長期停滞論に関してこの他にいくつかの原因を仮説として提示している)。

サマーズ氏は、この対策として米国のインフラの大改修や成長産業への投資促進策を提言している。またフランスの経済学者のトマ・ピケティは所得格差の拡大が全体の消費を抑え需要不足を生むと指摘している(この点についてサマーズも同じことを言っている)。両者の主張は欧米で反響を呼んでいる。長期停滞論に人々が何となく共感を覚えるからであろう。リーマンショック後の落込みから日・米・欧の経済は、程度の差はあるが回復基調にある。しかし期待したほどの力強い回復ではないと人々は感じている。


先進国においてこれまでの経済論壇の主流派(つまり古典派、新古典派経済学)の議論は、もっぱら供給サイドを重視するものであった。例えば職業訓練によって労働市場のミスマッチをなくすといったものである。また彼等、主流派は供給サイド重視の観点から、潜在成長率を高めることを主張してきた。このためには規制緩和による構造改革が必要と言い続けている。

一方、サマーズとトマ・ピケティは消費と投資の不振による需要不足を問題にしている。ただ各国政府も全く需要サイドを無視してきたわけではない。実際、リーマンショック後の急激な経済の落込みに対して、財政出動などによる需要創出政策を実施した。しかしギリシャの財政危機が起り、各国は一転して緊縮財政に転じた。英国は付加価値税、そして日本は消費税を増税し、また米国は軍事費などの財政支出を削減している。


ところでIMFは14年の先進国の需給(デフレ)ギャップが110兆円(GDPの2.2%に相当)と推計している(しかし筆者はこれを小さ過ぎると指摘した)。サマーズは米国のGDPは潜在GDPを10%も下回っていると主張している。ところが日本では内閣府がデフレギャプを0.2%、日銀はなんとデフレギャツプが解消し、逆にインフレギャップが0.6%生じていると実にばかげたことを言っている。これも主流派(供給サイド重視派)の影響であろう。

実際、現実を見れば欧州は若者の失業率が10%を越えており、設備投資も盛上がりに欠けている。米国も失業率は低下しているが、非正規雇用が増えているだけである。各国政府は、この状況を見て苦慮している。しかし財政が逼迫していると思い込んでいるので、財政政策は打てず、もっぱら金融緩和に頼っているのが現状である。ところがトマ・ピケティは、今日の状況においての金融緩和はさらに所得格差を拡大すると批判している。

筆者は、経済論壇の主流派が世間から相手にされなくなる時期が近付いていると見ている。サマーズやトマ・ピケティの説が全て正しいかどうかは別にして、需要サイド重視という考えが、世間に何か新鮮なものと受取られている。これも今日の経済論壇の主流派がボロボロになっているからであろう。


サマーズやトマ・ピケティの主張は、当たり前のことと筆者は考える。需要があれば経済は成長し、需要が不足すれば経済は停滞する。したがって先週号で取上げたように需要が旺盛な新興国や途上国は、条件さえ揃えば高い経済成長が可能である。

逆に供給サイドがネックになって経済成長が出来ないなんて、例外的なケースである。過度に一次産品に依存し製造業が貧弱な、ブラジルやアルゼンチンなどの南米諸国やロシア、そして近代産業のほとんどない途上国の一部などに限られる(一方、少し前の中国なんて一週間に電気が3日間しか供給されない状況で高い経済成長を続けてきた)。この限られた国々にしか適用できない主流派経済学のポンコツ理論で、成熟した日・米・欧の経済を分析し経済政策を進めようとしてきたことがそもそもの間違いだったのである。

•日経新聞のサマーズ理論の解説

昨年11月サマーズはIMFの会議で長期停滞論を初めて論じ注目された。IMFは元々経済論壇の主流派色(つまり古典派、新古典派経済学)が強い機関である。このIMFでさえ先進国全体でデフレギャップを前述の通り110兆円と推計している。たしかにこの数字は異常に小さいが(サマーズは米国のデフレギャップをGDPの10%としているので、米国だけで110兆円なんて軽く越える)、IMFでさえデフレギャプの存在を認め問題にしたことに意味がある。ちなみにデフレかどうかは、このデフレギャップで見るべきなのに、ポンコツエコノミスト達はいまだに物価の上がり下がりで見ようとする。

本来、長期停滞論は日本で言い出すべきものである。ところがバブル崩壊後、何を勘違いしたのか日本では供給サイド重視の論調が一斉を風靡し、今日でもこの路線が続いている。逆に日本では、サマーズ氏のような需要サイド重視や積極財政を唱える経済学者やエコノミストがほとんど排斥されて行った。

ところが欧米経済も日本経済を追い掛けるようにデフレが深刻になったのである。ようやく欧米もデフレに真面目に取組もうという雰囲気が出てきたのである。この先駆けとなっているのがサマーズとトマ・ピケティと筆者は捉えている。


情けないのが日本の経済論壇であり、いつも米国の経済学の流行りを追い掛けるしか能がないのである(人材不足が深刻)。おそらく米国の経済論壇で需要サイド重視の流れが定着すれば、日本も追随する可能性がある。そしてその徴候が既に出ていると見られる。

7月26日発行の週刊東洋経済は、トマ・ピケティの特集を組んでいる。また日経新聞は7月14日から3日間に渡り、サマーズの長期停滞説を経済学教室で取上げている。経済論壇の主流派(古典派、新古典派経済学)色が極めて強い、つまり供給サイド重視一辺倒の日経がサマーズの長期停滞論を取上げたのには筆者も驚いた。


3日間の執筆者は、福田慎一東大教授、池尾和人慶応教授、そして岡崎哲二東大教授である。3氏ともサマーズ氏が需要不足を根拠に長期停滞論を展開していることを紹介している。ただ岡崎氏だけは、米国の投資率(GDP比率)はまだ15%程度とまだ比較的高く投資と実質金利の関係では米国の停滞説は早計と見なしている。

ただ三氏とも長期停滞という点では日本の方が事態は深刻という分析をしている。それなら、何故、これまで日本で需要不足に起因する長期停滞を警戒する声が出なかったのかという話になる。やはりこれも米国が動かなければ日本は動かないという情けない図式なのであろう。


しかし三氏ともサマーズ氏の総需要政策には必ずしも賛同していない。今日のような過度の金融緩和状態での需要政策は、バブルを発生させると三氏は主張している。筆者は現状では簡単にバブルが起るとは考えないが、中には先走りしてバブル崩壊の惨状を説いている者までいる(福田教授)。

三教授は、サマーズ氏の長期停滞論を受けた対策をそれぞれ提示している。少子高齢化と財政健全化に正面から向き合って経済の構造を改革することが急務(福田教授)。サマーズ氏は成長戦略に消極的であるが、政治的忍耐力を持って成長戦略を実行(池尾教授)。高齢化社会に適合する経済構造への移行(岡崎教授)。それにしても「これらは一体何だ」といった惨めな政策のオンパレードである(対策を思いつかないのなら「ない」と言えば良い)。三教授の対策を見ると、やはり今日の日本の経済学者にサマーズ論の解説は無理だったようである。

日経新聞がサマーズ氏の長期停滞論を取上げたので筆者も日経も少しは変わったのかと思った。しかし23日の「エコノミクス・トレンド」では、柳川東大教授が「供給能力の天井 克服を」とまさに供給サイド重視一辺倒の文章を書いている。柳川氏はサマーズ氏の長期停滞論を引用しながらこれを書いているのだから驚く。また24日には「大機小機欄」に隅田川氏が同様の論調で間抜けなコラムを書いている。

そもそも日本経済は需要の天井にぶつかっても、供給の天井にぶつかることは百パーセントない(三教授でさえ日本のデフレが一番深刻と言っているではないか)。現実の経済の実態を知らずに経済を論ずる人々は幸せである。どうも日経新聞は、リハビリ程度では治らないほどの重病である。
http://www.adpweb.com/eco/


23. 中川隆 2014年8月13日 07:04:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

貯蓄と貧困 再論(セイの法則をめぐって)
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/908.html

経済学には、売り切れる経済学と、売りきれない経済学がある。

(私の説明がつたなくて何のことを言っているのかわからないという方がいらっしゃるかもしれないので、

小室直樹『資本主義のためのイノベーション(革新)』
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9-%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%82%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB-%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%9D%A9%E6%96%B0-%E5%B0%8F%E5%AE%A4-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4822229025


から、

第4章 イノベーション(革新)理解のための経済原論 の冒頭部 
−「有効需要の原理」と「セイの法則」だけ分かれば、あなたも立派な経済学者− 
を数ページこちらに引用→ (『情況へ…shn』19.1小室直樹)しておきます。

「経済学は、アダム・スミスから始まり今日にいたる古典派とケインズ派とからなる。古典派は自由放任を唱え市場万能論者である。ケインズは古典派を批判した。本章は中学1年程度の数学で理解できる。」だそうです。)


売り切れる経済学とは古典派で、セイの法則が成立するとします。

セイの法則を小室直樹は少し長く説明していますが、私が昔読んだときにはもっと単純な説明であったと思います。
"supply creates its own demand"、供給は自分自身に対する需要を生み出す。

一番単純な例を考えると、床屋さんの商品は散髪することで、散髪料金が2500円なら、一人散髪をすると2500円の収入が発生する。市場に或る商品を提供すると、同額の収入がもたらされる。少し複雑な場合を考えると、120万円のトヨタカローラが一台売れると120万円の収入がもたらされる。120万円は土地(自然)、労働、資本という生産の三要素にそれぞれ地代、賃金、利潤として支払われ、それらは地主、労働者、資本家の収入になる。商品の総額と収入の総額は等しい。

ここまでは当たり前で、ケインズ派もマルクス派もだれも反対しない。
ここから先が違う。

古典派は、人は商品を売って収入を得てそれで何かを買い(消費)、残りは必ず投資するだろう、と考える。自分で投資しないときは人に貸し、借りた人はただ利子を払うのではなく必ず投資する。500兆円の商品が市場にもたらされるときは500兆円の収入が発生し、それは必ず500兆円の需要になる。収入は必ず支出される。ため込まれてしまうことはない。だからたとえ市場の一部で売れ残りが発生してもそれと同額の購買力が他方に残っているのだから、市場に任せておけば必ず売り切れるように市場自身が調整する。…

マルクスは、資本主義においては「売り」は強制されるが「買い」は強制されない、だから必ず「買い」が不足する、と批判しました。売り上げを握りしめて模様眺めをすることだってできるわけです。

ケインズは流動性選好という言葉で説明しています。
たとえば「投機」目的のためには自分の収入をなるべく現金に近い形で(流動性の高い形で)持っている必要がある。すると、収入が現金で持たれている分だけ商品が売れ残り、失業が発生する。

収入が貯蓄され、貯蓄が投資されずに溜め込まれると失業、貧困が発生する。

ここまで説明すると必ずと言っていいほど
いや、「三面等価の法則」があって、必ず売り切れることになっているのだ、というコメントが寄せられるのですが、「三面等価の法則」というものはない、あるのは「三面等価の原則」なのだそうです。
野口悠紀雄もたしかビデオニュースドットコムで「貯蓄が失業の原因だという考えがあるが」と意見を求められて「三面等価の法則があって、売り切れるのです」と答えていました。

三面等価の原則に関してはこちらがわかりやすくまとめられています。
→   http://free-learning.org/?page_id=390#05
検索する場合は、フリーラーニング→速習マクロ経済学→part2国民経済計算−日本経済をどう測る?→第5回 三面等価の原則 です。

テキストでは
「三面等価の原則は統計上の操作を行うことによって常に成立する統計上の原則にすぎません。しかし、この原則より、現実経済の需要と供給も等しいと勘ちがいする人が多いので気を付けましょう。」
と中扉で注意を呼びかけられています。(石川秀樹 「速習!マクロ経済学」65ページ)

その「三面等価の原則」というのは
 (生産面からみると)国内総生産・500兆円
=(分配面からみると)国内総収入・500兆円
=(支出面からみると)国内総支出・500兆円
ですが
「国内総生産より、国内総支出が小さい場合、生産した分より支出が少ないので、ものが売れ残り、倉庫に売れ残り品が増えます。ところが統計上は、この売れ残った分は、その作った企業が支出したと考え、在庫品増加という項目にして国内総支出に加えるのです。(中略)
 このように考えれば、統計上は、支出面の国民所得(国内総支出)と生産面の国民所得(国内総生産)とは常に等しくなります。」
「しかし、これは、統計上は、売れ残った分は作った企業が支出して買ったことにしてしまうので、等しくなるというだけで、現実の生産量と需要量(支出額)が等しく売れ残りがないということではありません。」(同67ページ)

個々ばらばらの生産額の数字を集計すると、個々ばらばらの収入額の合計とは誤差や漏れがあって必ずしも一致するとは限らないから、統計上はその数字をそろえる、というのはわかる。しかし総支出額も操作して揃えてしまうというのは一種のトリック、インチキで、「勘ちがいする・させる」の元になるのではないか。

貯蓄の一部が投資されないでため込まれると商品が売れ残り失業が発生するからその分を(政府が)新たに投資しなければいけない、と話を進めると
「売れ残り在庫は在庫投資という投資だから、投資しているのだ」
という反論が寄せられたことがあったのですが、それが「勘ちがい」なのでしょう。
で、野口悠紀雄もその勘ちがいをしている一人なのでしょうか。

例えば薄型テレビ業界に参入するために1000億円をかけて工場を建てた、労働者も雇った、部品も仕入れた、これが1000億円の投資だ。一方、売れるはずの見込みが外れて10万円のテレビ100万台が売れ残ってしまった、これが1000億円の在庫だ。この二つが同じだ、投資だ、という人にまともな経済運営は可能なのでしょうか。

結局小室直樹の結論も一緒で、貯蓄が投資されずに溜め込まれると失業が発生する。
だから貯蓄を吸収しきるだけの国債を発行して公共事業をするなり、「何とか手当」という口実を作ってお金を使いたいという人にばらまけば売れ残りが一掃されて市場の機能が回復する。市場を否定するのではなくて、市場の機能を回復させるために、貯蓄分をプラスマイナスでゼロにするだけのバラマキをしなければいけない。
または、初めから、お金を使う必要のない人にはお金が回らない所得体系にしなければいけない。
 また、いったん売れ残り・失業が発生すると、立場の弱い商品から投げ売りが始まる。
底辺の「労働力」は一番立場の弱い商品だから、すぐ値崩れが起こる。つまり貯蓄によって不当廉売を強いられることになる。すると、不当に安値を付けられた労働の買い手はその分不当な利益を得ることになる。
だから、アメリカ大統領選で語られたという「真面目」に働いて自分の生活を成り立たせてきた人間(53%の納税者)、対、「税金で食わしてもらっている人間」(47%非納税者)という対比そのものが不当なものだといえる。

労働力の供給に関する古典派・新古典派の理論では労働者は労働するかしないか自分で選べることになっている。ある時間働いて得られる収入と、そのために失われる余暇とをはかりにかけていいほうを選ぶのだという。そんな労働者を見たことがあるか。それはまるで食べるには事欠かない親がかりの学生アルバイトだ。
 ならば国民一人当たり100万円のベーシックインカムを保証して働くか働かないか自由に選べるという条件を作り出せば古典派・新古典派の市場の理論が実現するといえる。

(「セーの法則」を眺めていたらこんなことも言えるのではないか。
日本は労働賃金が高いから国際競争力が失われる。…
 ある業界で賃上げが行われ、計10兆円賃金が上がり、それがすべて価格に転嫁されて、国内の全商品の値段が計10兆円上がったとする。けれどその時、その商品を買う国民の総収入も10兆円増えているのだから、国民全体が損をするわけではない。損をするのは輸出業界だろう。輸出のために労働者の賃金を貧しい国並みに引き下げるというのは、本末転倒ではないか。
 特に農業問題でも同じだ。
 日本の農業が全体で10兆円の農産物を生産していたとする。しかし外国では同じものを8兆円で作っている。ならばといって日本の農家も値下げして8兆円で作ることにしたら、国民の総収入も2兆円減ってしまう。国民の利益が全体として増えるわけではない。
 その8兆円の農産物を輸入してしまったら、国民の総収入が8兆円失われ、8兆円の商品が売れ残り、8兆円分の失業が発生する。…)


24. 中川隆 2015年4月14日 10:14:17 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

わたくし共は以前から「グローバリズム」(厳密には「日本国民を貧しくするグローバリズム」)を批判してきたのですが、アメリカでも似たような議論が起きています:


コラム:TPPで米国が払う自由貿易への代償 2015年 04月 13日


[10日 ロイター] - 自由貿易は米国政府の合言葉だ。オバマ政権が環太平洋連携協定(TPP)妥結に向け、政府に貿易交渉権限を委ねる「ファストトラック」と呼ばれる貿易促進権限(TPA)の取得に意欲を示すのは、政府の伝統の一部でもある。しかし、一連の証拠が示すところによると、発展途上の低所得国に通商上の完全な最恵国待遇を認めれば、往々にして米国のコスト負担になる。

エコノミストたちは自由貿易がもたらす大きな利益に関して、古典派経済学の基本原則である比較優位説を引き合いに出す。もし貿易相手国・地域が互いに最も得意な分野に集中すれば、最終的に双方が豊かになると主張するのだ。

米国は19世紀、その理論が誤りであることを証明した。欧州向けに鉄や綿花を輸出する一方で、「未発達な」自国の産業を保護するために高い関税を設けた。1890年代までに米国はほとんどの先進産業分野において英国を凌駕した。米国にとってそれが容易に達成できる目標であったのは、当時の英国が純粋な自由貿易の実現を頑なに目指していたためだ。

最新の研究は、相互に恩恵を及ぼす貿易およびオフショアリング(外国への業務移管・業務委託)の相手国と、そうではない相手国を分けて考える一助になる。貿易もしくはオフショアリングの相手国が先進国だった場合、米国の賃金は上昇する傾向にある。しかし、途上国が相手だった場合、とりわけ熟練度が低い労働者や中程度の労働者の賃金は低下する。

このような賃金の下落効果は製造業に限ったことではなく、他の業界の同じような職にも及ぶ。一般に製造業の賃金はサービス業より高い。しかし、輸入や生産の海外移転が増えると、製造業の雇用削減圧力は一段と強まり、職を失った労働者が従来より賃金の低いサービス業に移行するドミノ効果が生じる。こうして賃金の縮小は全体に及ぶのである。

賃金の低下圧力は、生産の海外移転よりも途上国からの輸入によりもたらされる場合の方がはるかに影響が大きい。それは中国が貿易相手国である場合に最も顕著に表れる。中国から輸入が10%増加した際に、米国の関連する職種の賃金は全体で6.6%低下した。さらに、ほぼ全てのケースにおいて賃金の低下は、とりわけ高卒未満の学歴しかない低所得労働者に最も厳しい打撃を与える。

米国の製造業の雇用者数は1970年後半にピークを迎え、その後全般的に減少傾向にある。しかし、中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した2000年が明らかに分岐点となった。そこから中国からの集中的かつ壊滅的な米国市場への製品流入が始まったのだ。

2000─2009年の間に米国は約600万人分の雇用を失った。これは2000年の雇用者の約3分の1に相当する。最近は緩やかな雇用回復がみられ、製造業で2010年以降に85万人の職が創出されたが、減少分を埋め合わせるには少なすぎる。

中でも破壊的なブランドとしての中国の競争力は軋轢を生んでいる。世界で最も効率性の高い製鉄会社の1つである米ニューコアの例を考えれば分かる。ダン・ディミッコ元最高経営責任者(CEO)によると、ニューコアが1トンの粗鋼生産に要する労働時間はわずか0.4時間、賃金にして約8─10ドルにすぎない。原料の大半はスクラップだ。一方、中国では割高な鉄鉱石を使用しているうえ、米国への出荷コストは1トン当たり約40ドルだ。

ディミッコ氏は近著「アメリカン・メード」の中で、仮に中国の労働コストがゼロだった場合でも、中国の製鉄業者が自国市場でニューコアより安値で販売することはできないと主張する。しかし、過去1年間のうち大半で、中国の低価格の鉄鋼製品は米国市場になだれを打って流入しており、ディミッコ氏は違法な「不当廉売(ダンピング)」の明らかな証拠だと指摘する。これに対して中国政府は当然のように、すべては公正な貿易ルールにのっとった行為だと主張している。

しかし、中国はわれわれと異なるルールに基づいて動いている。有力な製造業企業は大半が国有企業であり、資金調達から用地のリース、税制や燃料費まで共産党が決定するコストで提供されており、あらゆる形で政府の補助を受けているからだ。

さらに悪いことに中国政府は近年、欧州や米国企業に対し、大型契約の受注の条件として特許技術を移転するよう圧力を掛けている。

顕著な例は国有企業の中国商用飛機(CACC)と米航空・宇宙関連企業7社の間の提携だ。米国側では航空機大手ボーイングとゼネラル・エレクトリック(GE)が主導した。参加した米企業はすべて中国に対してかなりの特許技術を提供している。GEの重要資産である航空電子工学技術は契約の主要部分を占める。先進の航空工学技術は中国側が軍事面で強い関心を示した分野だ。GEは技術が軍事部門に漏えいすることはないと主張し、それに反する証拠が見つかった場合はプロジェクトすべてを終結すると約束している。当然のことだ。

中国のこれまでの実績を見ると楽観的にはなれない。中国は現在、世界最大の高速鉄道産業を有し、記録的なスピードで鉄道整備を推進する。独シーメンス、川崎重工業など先進国企業から車両を購入し、それらの技術を自社製品に応用するリバース・エンジニアリングを進めている。これらが標準的な手段となりつつあるのだ。中国に対するコンピューター供給契約の大半は、ベンダー側がソフトウエアの設計図に当たるソースコードのコピーを中国政府に提供することを義務付けている。どんなハイテク企業でも成功のカギを握るのはソースコードだ。

中国は偉大な国家であり、非凡な才能と勤勉な人民を抱える。しかし、政府の官僚機構には深刻な腐敗が露呈しており、官僚たちはルール対して口先だけの約束をすることもしばしばだ。数十年前に米国の鉄鋼会社が外国企業のダンピングに不服申し立てを行った時、これらの米企業はさらに進歩した競争相手からの保護措置を求めていると受け止めた人もいるかもしれない。だが、特にニューコアのような企業には、そうした見方はあてはまらない。

今こそ中国のような収奪的な競合相手に対して、法に基づく処方薬を投与すべき時だ。中国はTPP交渉に参加していないが、その急速な経済発展は途上国すべての目指す目標となりつつある。米国政府は、自国企業に対する公平な処遇を確保する備えができて初めて、新興国との自由貿易協定の検討を始めるべきだ。
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPKBN0N40JS20150413?sp=true


 グローバリズムに基づく自由貿易−ここでは「モノ・サービス」に限らず、「カネ(資本)」そして「ヒト(労働者)」の移動の自由化も含みますが−により先進国の国民は貧困化していきます。特に、グローバルスタンダードが確立した世界では、製品もサービスも、

「どこの国で作っても、同じような品質」

 になってしまうのです。


 よく、農業「改革」を叫ぶ人が「付加価値を高めて〜、世界で戦う〜」などと主張していますが、現実には困難です。グローバリズムにおいて、最も重要なのは「価格」なのです。

 というか、付加価値、付加価値言うなら、まずはあんたがやってみなさい。付加価値を高めて、価格差10倍をひっくり返してから言ってくれ、てなもんです。


 グローバリズムが進展した結果、先進国から雇用が失われるか、もしくは国内の雇用が「安い人件費」からの外国移民に奪われていきます。日本、西欧、北米の国民の実質賃金が下がり、貧困化し、世界は「フラット化する」ことになるわけです。


そもそも、先進国の企業の経営者が工場を外国に移転するのは、そちらの方が「儲かる」ためです。先進国側の労働者の雇用が失われ、彼らが稼いでいた所得が企業経営者、投資家、工場が移転された先の労働者、そして消費者に移転されます。すなわち、投資家からしてみれば「資本利益率」が最大化されるのです。


 本来、資本利益率の最大化は、「技術開発投資」「人材投資」そして「設備投資」という、国内における投資活動で実現されるべきものです。とはいえ、投資拡大は費用増でございますので、

「そんな無駄なことにカネを使うならば、外国に工場を移転して資本利益率を最大化せよ」

 これが、グローバル株主資本主義の決定的かつ最大の「危険」なのでございます。


 無論、資本を外国に移転すれば、短期的には利益が増えます。とはいえ、国内の投資が先細りになるため、中長期的には技術力が失われ、さらに国民が貧困化していきます。


 先進国は、次第に発展途上国化していきます。逆に、工場や技術が移転されてくる発展途上国は、次第に先進国の方向に近づきます。
 最終的には、世界がフラット化され、めでたし、めでたしという話です。


 勘弁してください・・・。


 申し訳ないですが、わたくしは世界の他の全ての国々が貧しいままだったとしても、日本国が繁栄し、国民が豊かになることを望みます。なぜなら、わたくしは日本国民であり、外国の国民ではないためです。しかも政治家でもありませんので、綺麗ごとを言う必要もないわけです。

 また、現在の先進国がグローバリズムの「進展度合いを引き下げ」(グローバリズムを批判すると、すぐ「鎖国するというのか!」とか言ってくる単純おバカさんがいるので、こう書いておきます)、自国の国民が豊かになる「黄金の四半世紀」と同じ路線に戻れば、先進国の国民のみならず、途上国の国民も潤うことになるでしょう。理由は、巨大で膨張する先進国の需要に対し、途上国側が「自国で発展させた技術、ノウハウに基づき生産した製品、サービス」を輸出していくことができるためです。


 外国資本が途上国にやってきて、工場を建設し、安い労働者をこき使いながら先進国に輸出するモデルでは、途上国側に真の意味で「供給能力」はつきません。つまりは正しい意味の「経済成長」は不可能なのです。


 中国は、それを理解しています。だからこそ、外国資本を招くときは、「えびす顔」を見せ、大歓迎し、自国に技術を移転させたら、「悪鬼の顔」となり、容赦なく追い出そうとするわけです。(逆に、取れるもの取れないうちは、追い出しませんが)


 短期の利益を追求した先進国(特に酷かったのが日本)の企業経営者たちは、中国の「やり方」にすっかり騙され、今や自国の安全保障を危機に陥れてしまったわけでございます。


 いずれにせよ、自由貿易一つとっても、話はシンプルではないのです。本エントリーに書かれている「情報」を頭にインプットするだけで、

「TPPは自由貿易です。自由だからやるんです(竹中平蔵氏が実際にわたくしに言ったセリフそのままです)」

 あるいは、

「比較優位論があるから、自由貿易は常に善」

 などと子供じみたことを主張し、グローバリズムやTPPを推進している連中が、いかに「危険か」が分かるでしょう?
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/


25. 中川隆 2015年6月04日 11:32:17 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

セイの仮説の呪縛 2015-06-04

 実体経済が失速する中、株価のみが上昇する。中央銀行の金融緩和にも関わらず、実体経済における投資が増えず、行き場を失ったおカネが証券市場に流れ込む。日本などの主要国と同じ現象が、中国でも起きています。


 もっとも、中国の株価上昇ペースは「極端に早い」ため、近々、2008年同様に上海株式市場が暴落する可能性は決して低くないと思います。上海総合指数の時価総額は、6月1日時点で対前年比2.37倍に膨張しました。


 上記の「実体経済が振るわない中、株価のみが上昇する現象」、すなわち所得と資産価値の乖離について、第一生命経済研究所の熊野英生氏が恐ろしく適切なコラムを書いていらっしゃったので、ご紹介。

『コラム:カネ余り第二幕、株価上昇の背景=熊野英生氏
http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPKBN0OI15Z20150602


熊野英生 第一生命経済研究所 首席エコノミスト

[東京 2日] - 2万円を突破した日経平均株価が、目先どんどん株価が上昇していきそうだというストーリーを合理的に説明することは、エコノミストにはつらいところだ。

 何しろ、最近の日本の経済指標は悪いものが目立つ。足元のファンダメンタルズだけでは説明しづらい。4月の消費支出が大きく減少し、生産統計も4―6月にかけて低調だ。5月上旬に発表された決算は良かったが、それは過去の業績拡大である。日本の景気は、「長い目でみて良くなっていく」と婉曲話法を用いて説明せざるを得ない。

そこで発想を逆転させて、「景気が足踏みするから余剰マネーが株価を押し上げている」と説明してみよう。すると、すっきりと説明できる。これは日本のみならず、米国や中国にも共通することだ。

 金融緩和の効果が効いているから、先行きの強気予想に基づき、資産価格の上昇が後押しされるという説明である。株価上昇は、マネタリーな要因なのだ。(後略)』


 ことは「経済学」の大元に関わります。


 実体経済において、経済学の前提である、

「供給が需要を創出する、セイの法則」

 ならぬ、

「セイの仮説」

 が成立しているならば、金融緩和により実体経済で投資が拡大するはずです。すなわち、企業が銀行融資を受け、投資を拡大するわけです。


 ところが、現在の世界(日本、ではありません)では需要が不足し、セイの仮説が全く成立していません。結果的に、金融緩和で銀行に「おカネを貸しやすくする」を実施しても、おカネは実体経済には向かいません。株式市場(あるいは土地)に向かい、資産価格を押し上げます。


 反対側で、実体経済の投資は活性化せず、つまりは「需要」が増えないため、GDPがマイナス成長になり(1−3月期のアメリカ)、乗用車生産が激減し(中国)、実質賃金が低迷を続ける(日本)というわけでございます。


 上記の「セイの仮説の誤り」に政策担当者が気が付き、需要創出策という適切な政策を打ってもよさそうなものですが、株価の上昇が「実体経済の不振を覆い隠してしまっている」というのが現状なのでございます。


 リーマンショック前も、ほぼ同じ現象が発生し、株価をはじめとする資産価格が大暴落し、実体経済を一気に痛めつけました。同じことが起きるのでしょうか。


 あるいは、このまま資産価格と所得の乖離が拡大していくのか。まさに、ピケティのいう「r>g」が継続するわけですが、そうなると「持続不可能な格差」が拡大し、社会は不安定化していかざるを得ないでしょう。


 いずれにせよ、主流派経済学の基盤となっている「セイの仮説」は、まさに呪いとして機能してしまっています。各国は、早急にこの「セイの仮説の呪縛」を打ち払う必要があるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12034756797.html


26. 中川隆 2015年11月21日 08:01:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

【青木泰樹】「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」


「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」と経済学者ジョーン・ロビンソンは警句を発したと言われています。

経済論理は、特殊な前提条件の下で成り立つ理屈にすぎません。

いわば「狭い土俵の中」での話であることを忘れてはならないのです(学説ごとに土俵の広さは異なりますが)。

しかし、世間には経済学の原理原則を現実経済の分析に直接適用しようとする経済学者やエコノミストが後を絶ちません。

彼等は、経済学という土俵の中の理屈で、現実経済という土俵の外の話を論じるという過ちを犯しています。

言うまでもなく、現実経済は経済学の要求する前提条件を満たしておりません。
それゆえ現実経済を論じる(土俵の中に入れる)ためには、前提条件を緩める(土俵を拡げる)ことが必要です。

さしずめ私の指向する経済社会学はこれにあたります。

しかし、現在の主流派経済学(新古典派経済学の後継の諸学説)は、土俵を狭くすることに専心していきました。

その結果、経済学と現実経済の距離はますます開いていったのです。

経済学者の経済認識と現実経済のズレが拡大している以上、もはや経済学者の言をそのまま信じては現実経済の動向を見誤ることになります。

彼等の提言通りに経済政策が実施されたら、国民経済はたいへんな災厄(人災)を被ることになってしまうのです。

本日は、経済学の原理原則を絶対視すること、もしくはそれに基づき現実経済を認識することの危険性について具体的にお話ししたいと思います(分量の関係で二回に分けます)。

経済学の原理原則の具体的な題材として、著名なニュー・ケインジアンの学者であるグレゴリー・マンキューの提示する「経済学の10大原理」のうちマクロ経済に直接関わる二つの原理を取り上げます。

ちなみに10大原理は、マンキューの世界的なベストセラーである著書『経済学原理』に示されているもので、その邦訳書『マンキュー経済学』は経済学の教科書として有名ですので、ご存知の方も多いと思います。

今回取り上げるのは、「政府がお金を発行しすぎると物価は上がる」という貨幣に関する原理で、次回は「社会はインフレと失業の間の短期トレードオフ関係に直面している」という物価版フィリップス曲線に関する原理です。

いずれもリフレ派の経済学者の依拠する理論的基盤ですね。

これらの原理(いわば経済学者の経済観)で現実経済を認識するのは不適切であることを説明します。

以前、このコラムで三橋さんが貨幣の定義についての話をされていました。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/09/28/

その記事の中で興味深かったのは、貨幣(この場合は通貨)の定義をめぐる岩田規久男氏(現日銀副総裁)と三橋さんのやり取りです。

岩田氏は「貨幣はマネタリーベース(現金)」と考え、三橋さんは「貨幣はマネーストック(現金プラス預金)」と考えておりました。

実は、このやり取りの中に「経済学における貨幣の定義」と「現実経済における貨幣の定義」の相違が潜んでいるのです。

もちろん、岩田氏は前者の立場、三橋さんは後者の立場です。

この貨幣の定義の違いを理解するためには、国民経済の基本構造を知る必要がありますので、簡単なイメージを示しておきます。

国民経済は「政府ムラ」と「民間(経済)ムラ」から成り立っており、それぞれのムラには2軒の家が建っていると考えてください。

政府ムラの2軒は、「親(政府)」の家と、「子(日銀)」の家です。

民間ムラの2軒は、「銀行」の家と個人と企業が暮らす「実体経済(民間非金融部門)」の家です。

経済学の支配的な貨幣観は、「貨幣は民間経済の外で造られる」と考える外生的貨幣供給論です。

この点に関してはケインズ経済学もマネタリズム(新貨幣数量説)も同じです。
すなわち、貨幣は政府ムラの造る現金(マネタリーベースもしくはベースマネー)と定義されます。

民間ムラで現金を保有しているのは、銀行と実体経済に住む個人と企業ですから、その合計額を貨幣量と考えているのです。
ちなみに銀行は保有する現金を「準備」として日銀に預けております(日銀当座預金)。

他方、マネーストックは「実体経済内で保有されている現金と預金の合計額」として定義されます。

そこには現金に加えて、民間内部で銀行によって造られる「預金通貨」も含まれています。

言うまでもなく、マネーストックの動向、特に国内の財サービスの購入に使われるカネの量(アクティブマネー)の動向が景気動向(実体経済の規模の変動)に直接関係しています。

逆に、銀行の現金保有量の変動は景気に直接関係するものではありません。

超過準備が発生しようと、融資が増えるか否かは景気に依存するからです。

それゆえ、実体経済の動向を見る指標としてベースマネーよりマネーストックを重視するのは自然なことです。

それではなぜ支配的な経済学の貨幣の定義には、預金通貨が含まれていないのでしょう。

先に示した国民経済の簡略イメージを思い出してください。

個人や企業(実体経済)の保有する預金とは、「預け入れ」という名称がついておりますが、実際は銀行への「貸し付け」のことです。

すなわち実体経済の預金(資産)は、銀行にとっての同額の負債であり、民間経済内で合計すると純額としてゼロになってしまうのです。

その場合、民間ムラで資産(購買力)として残るのは現金だけとなります。

このように経済学の基本的な考え方は、単純に「政府」と「民間」を対峙させるだけで、各部門の内部(2軒の家の存在)にまで洞察を加えないために、どうしても現実経済を考える場合に齟齬が出てしまうのです。

しかし、経済学の貨幣の定義と現実のそれが異なっていようと、両者を関連づける概念があります。

それがマネーストック(M)とベースマネー(H)の比率として定義される「貨幣乗数(M/H)」です。

この貨幣乗数の値が一定の値として安定しているならば、「貨幣とは現金のことだ」とする経済学の定義を現実に適用しても問題はなくなります。

その場合、ベースマネーとマネーストックの間に一定の比例関係が常に維持されます(貨幣乗数の定義式を因果式と解釈すれば)。

例えば、貨幣乗数が7で安定していれば、ベースマネーを1兆円増やした時、マネーストックは7兆円増えることになり、政府はベースマネーの量を操作することでマネーストックを制御することが可能になるからです。

実際、岩田氏は、かねてからベースマネーによるマネーストックの制御は可能とする学問的立場を取っておりました(経済学の教科書の立場)。

ベースマネーによる制御が可能か否かに関して、以前、彼は当時日銀に所属していた翁邦雄氏と「岩田・翁論争」を起こしたくらいです。

それゆえ、岩田氏が、三橋さんに問われた時、「貨幣の定義はマネタリーベース」と答えたのは、当然でしょう。

しかし、岩田氏の強弁は、現実経済を前提とすれば成り立ちません。

貨幣乗数は、(金融政策の結果として)「事後的に算出されるHとMの比率」に過ぎないのです。

事前に決まっている数値(パラメーター)ではありません。

そのことは、政府から民間へ現金を注入する経路を考えれば容易にわかります。

日銀の量的緩和策を考えてみましょう。

日銀は民間ムラの銀行の保有する国債を買い取り、現金を渡します。

しかし、実体経済に現金を渡しているわけではありませんから、マネーストックは増えません。

なぜなら、「ベースマネーとして定義される現金(民間保有の現金)」と「マネーストックを構成する現金(実体経済保有の現金)」は、同一ではないからです。

先述したように、マネーストックの定義の中の現金に銀行保有分は含まれないのです。

このことさえ認識されれば、需給ギャップを解消し2%インフレを目指すとする量的緩和策の限界はおのずから明らかでしょう。

確かにベースマネーを増やすことは出来ます(量的緩和策とは、銀行保有の現金を増やす政策ですから)。

しかし、マネーストックを増やすには銀行による実体経済への融資が必要なのです。もちろん、融資の前提は実体経済の資金需要です。

それも不動産投資向けやM&A資金向けではなく、(景気浮揚のためには)国内の実物投資への融資の増加が必要なのです。

今後も量的緩和は継続されますから、貨幣乗数は下がり続けることになります。
それはベースマネーによるマネーストックの制御が不可能なことの端的な証(あかし)なのです。

政府から民間へ現金が流れる現実的経路を考慮しないどころか、融資自体を無視するのがマネタリズムです。

実は、銀行融資を考慮すると、

「貨幣的要因は実物的要因に影響しない」、

簡単に言えば、

「価格が変化しても取引量は変化しない」

とするマネタリズムの理屈(「貨幣の中立性」)が破綻するのです。

融資を受けた投資家は、自分の必要なものしか買いません。

それによって追加需要の生じた特定の財の価格は上昇しますから、相対価格体系(諸財の交換比率)は変化してしまうのです。

その結果、取引量も変化します(貨幣が非中立的となる)。

マネタリズムは、融資の代わりに、実体経済へ直接現金を渡す荒唐無稽な経路を考えました。

それが「ヘリコプター・マネー」です。

ヘリコプターで現金を実体経済へばらまくのです。

これは例え話と言われていますが、民間への貨幣の注入経路を持たないマネタリズムにとっては極めて重要な前提なのです。

さらに現金を拾う側にも厳しい条件が課されます。

例えば、10%の物価上昇を目指す政府が当該額の現金を民間にばらまくとします。

このとき拾う側は、現在保有している現金の10%だけ拾わなければなりません(それ以上でも以下でもいけません)。

そして拾った人達が、拾う前と同じ嗜好(消費パターン)を維持していたとすると、その時初めて、物価が10%上がり、かつ取引量は不変という状況が現れるのです。

如何ですか。

経済学の理屈は、厳しい前提条件を受け容れれば成立する真理であることに疑いはありません。

しかし、その条件が現実にどの程度妥当するかを考えずに、結論をそのまま受け容れてはなりません。

政府がお金を発行しすぎても、それを使わなければ物価は上がりません。

銀行へお金をたくさん渡しても、実体経済の人々がそれを借りて使わなければ物価は上がりません。

民間が使わない状況であるなら、政府が使う(公共投資)しか物価は上がりようがないのです。

ロビンソン女史は、「経済学を学ぶことは、同時に経済学の限界(適用範囲)を知ることでもある。それを理解した上で、経済学の原理原則に盲従するのではなく、現実経済の分析に適した方法を選択せねばならない」と言いたかったのかもしれません。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/07/aoki-20/


27. 中川隆 2015年11月23日 11:35:39 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

生産したら必ず売れる世界
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/23/mitsuhashi-320/


財・サービスは生産すれば、必ず売れる。

預金は必ず借り入れられ、投資に回る。

法人税を引き下げれば、必ず企業の設備投資が増える。

雇用環境は常に完全雇用が成立している。

金利を引き下げれば、必ず企業の投資が増える。

為替レートが下がれば、必ず輸出が増える。

国債を発行すると、金利が上がり、企業の設備投資が減り、成長率が下がる。

デフレ脱却のために必要なのは、マネタリーベースの拡大である。

個別価格が低下しても、余ったおカネが必ず他の財・サービスの購入に回るため、一般物価は上がらない。

潜在成長率を高めれば、成長する。

生産性向上は常に正しい。

消費税を増税しても、十分な金融緩和(定義不明)を実施すれば、デフレにはならない。


などなど・・・・。

上記、現在の日本で全く成立していない「常識」は、全て「ある仮設」を前提にしています。すなわち、セイの法則ならぬ「セイの仮説」です。

セイの仮説。「供給が需要を生み出す」という経済学の基本となる考え方に基づくと、経済成長のためには潜在GDP(供給能力)を高めればいいという話になります。

そのためには、規制緩和、自由貿易を推進し、競争を激化すればいい。政府の財政出動は、不要な需要を創出するだけなので、NG。

という話なのですが、上記は「デフレーション」という現象を想定していません。さらに、国民の安全保障も無視します。

そして、決定的な話なのですが、なぜかデフレ対策は「国民」を豊かにする政策であり、逆に緊縮財政・構造改革(規制緩和・自由貿易)というインフレ対策は、国民ではなく一部のグローバル投資家を潤す政策になってしまうのです。

ここで言うグローバル投資家には、もちろん一部の日本人も含まれています。

現在の世界は、デフレ期にも関わらず「インフレ対策」に各国が血眼になり、状況を悪化させてしまっています。その根っこには、そもそも、

「緊縮財政や構造改革というインフレ対策が、グローバル投資家を利する政策である」

という現実があるわけです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/23/mitsuhashi-320/


28. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月13日 12:56:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[251]


秘書の仕事からリカードの比較優位論を考えてみた


週刊アサヒ芸能の連載で、自由貿易論者がことあるごとに持ち出す「リカードの比較優位論」について、

『例えば、筆者の会社に「執筆」と「筆者のスケジューリング」という、二種類の仕事があったとする(実際にある)。筆者が執筆、スケジューリングという二つの仕事において、共に秘書よりも生産性が高い、分かりやすく書くと「得意」だったとしよう。

その場合、筆者は秘書を雇わず、執筆とスケジューリングの二つの仕事を自分でこなすべきだろうか。そうはならない。雇われた秘書は、スケジューリング業務はこなせるが、執筆業務は全くできない。この場合、執筆という仕事を基準にすると、秘書はスケジューリング業務において、筆者よりも「比較優位にある」という話になるのだ。

というわけで、筆者は執筆業務に専念し、スケジューリングは秘書に任せた方が、全体としての「仕事の消化量」が増える。つまりは、筆者及び秘書の労働生産性が高まることになる。』

と、解説しました。リカードの比較優位論を「国家間の貿易」に当てはめ、かつ「経世済民」を志向した場合、実際には様々な条件・制約があるのですが、それらについては週刊アサヒ芸能の連載をご一読頂くとして、上記の「筆者と秘書の例」について、もう少し深く考えてみましょう。

実際、弊社では三橋が執筆や講演等に専念し、スケジューリングは秘書が担当しています。現在、三橋のスケジュールは複雑怪奇になってきており、各イベントについて理解し、日本の交通インフラを把握し、宿泊施設をどうするのか、地方講演が連続した際にはどうす移動するべきか、交通費の負担はどうするのか、現地での交通手段はどうするのかなどなど、様々なパラメータを理解しなければ、「生産性の高いスケジューリング業務」はできません。

さて、現在の三橋の秘書が入社した時点では、確かにスケジューリング業務についても、三橋の方が生産性が高かったのです。三橋が弊社の業務について熟知している以上、当たり前なのですが。

その後、秘書は様々な仕事の経験を積み、現在はスケジューリング業務について、三橋よりも「絶対優位(比較優位)」な状況に至っています。何しろ、毎日、毎日、次々に舞い込む依頼を調整し、スケジュールを組む業務を続け、様々な経験やノウハウを「蓄積」したわけですから、ある意味で当然です。

その間、三橋はスケジューリング業務を全くしていないわけで、「三橋のスケジューリング業務に関する生産性」は、間違いなく落ちています。

何を言いたいのかといえば、生産性は「仕事の経験の蓄積」という人材投資により向上しますが、逆に仕事をしないと低下していく一方という話です。

三橋のスケジューリングに話を絞れば、あまり大した話ではありません。とはいえ「国家」という視点で見た場合、話はまるで変わってきます。

例えば、日本国が「兵器生産(自衛隊は「装備品」と呼びますが)」「自然災害時の土木・建設サービス」「医療サービス」等、国民の安全保障に関連する生産について「比較優位にある他国」に任せた場合、我が国の安全保障は100%の確率で弱体化する、という話に間違いなくなります。

モノやサービスの生産の力(=供給能力)は、仕事の蓄積により向上する。同時に、仕事の蓄積が全く行われない場合、国家から「消滅」する。

という、当たり前の事実を認識すれば、「自由貿易は自由だからやる(竹中平蔵氏)」といった「考え方」が、いかにナイーブであるかが分かるはずです。ここで言うナイーブとは「純粋」ではなく、「幼稚」という意味を持ちます。

この種の幼稚な主張が、あたかも真実であるかのごとく受け入れられている我が国の言論空間に、三橋は危機感を覚えるわけです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/


29. 中川隆[2259] koaQ7Jey 2016年4月22日 08:09:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2436]

2016年 04月 20日:トランプ氏は正しい、自由貿易は米国民を殺す

Robert L. Borosage


[14日 ロイター] - 2016年の米大統領選に向けた政治論争のなかで、通商政策が焦点となっている。共和党指名争いでトップを走る不動産王ドナルド・トランプ氏は中国からの輸入品に45%の関税を主張している。

また、民主党指名を目指すバーニー・サンダース上院議員からのプレッシャーを受け、ヒラリー・クリントン前国務長官まで、オバマ米大統領が進める環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に反対している。同氏は以前、貿易協定の「模範」とまで称賛していたにもかかわらずだ。

いま明らかになりつつあるのは、米国のグローバル通商政策・関税政策がいかに破壊的なものだったかという点だ。確かに、輸入品の価格低下とその多様化は、米国民に恩恵を与えた。だが、その一方で米国は過去に類を見ないほどの貿易赤字を抱えており、その額は現在、年間約5000億ドル(約54.5兆円)、すなわちGDP(国内総生産)の約3%に相当する。

中国との貿易に限っても、米国は1990年から2010年までに、推定240万人の雇用を失っている。対中貿易収支も、記録を開始して以来となる過去最大の赤字である。企業は人件費が安く環境保護・消費者保護の規制がほとんどない中国のような国々へ良質な雇用を移転させてしまい、米国には地域社会が丸ごと荒廃してしまった例がいくつもある。

エコノミストの試算によれば、人件費の安い国々との貿易に伴い、米国のブルーカラー労働者の賃金は年間約1800ドル低下してしまったという。解雇された労働者は所得も家も失い、結婚もできず、希望を失っている。次の職を見つけるために驚くほど長期にわたって苦労したあげくに、多くは以前よりも低い収入の職に就かざるを得ない。

貿易協定による恩恵の大部分は、企業のバランスシートを改善し、投資家、経営上層部を潤わせる。一方で労働者は、所得も、雇用の安定も、力も失っている。

では、米国の新たな通商政策とはどのようなものだろうか。

第1に、批准待ちの状態になっているTPPを放棄し、現在進行中の環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)の交渉を中断することにより、最近の貿易協定のテンプレート(ひな形)とは縁を切ることだ。

新たな通商政策は、今までとは異なる原理に基づくものになる。ハーバード大学ケネディスクールで国際政治経済学を研究するダニ・ロドリック教授が主張するように、貿易は、それ自体が目的ではなく、手段として見なされるべきだ。連邦政府は、米国が、そして他国が、自身の価値観を追求できるような貿易システムを模索すべきなのである。

良識あるシステムの下では、各国は労働者の権利保護や環境関連法制など、自国の社会的な取り決めを守っていけるだろう。議会は、貿易協定について明確な目標を定め、何を交渉の対象とするかを決定する権限を取り戻し、進行中の交渉内容を知ることができるようになる。大統領に秘密交渉を認め、議会は合意内容を修正できずに賛否だけを表明せざるを得なくなるファストトラック権限は撤回されるだろう。

また、貿易協議の実質も大きく変わるだろう。たとえば、製薬会社の特許権の執行に関する詳細な交渉の代わりに、労働者に影響を与える差し迫った問題が新たに注目を集めることになる。「パナマ文書」が暴露した租税回避スキャンダルが裏付けているように、グローバル企業に対する課税の強化と調和、タックスヘイブン(租税回避地)の閉鎖と協調的な税務執行が交渉の中心になるだろう。気候変動対策としてグローバルな炭素排出価格の設定推進も優先課題になる。各国が通貨操作に対して報復する権限を与えることも重要だ。

経済政策研究センターのディーン・ベイカー共同所長が提案する取り組みとして、医師、歯科医師、弁護士の過剰な所得を守っている障壁の排除がある。海外で訓練を受けた医師や歯科医師が米国で開業できるようになれば、年間900億ドル、1人あたり約300ドルの医療費が節約できるとベイカー氏は試算している。

また国際的な交渉によって、医療研究に対する公的な直接融資を行うグローバル基金が誕生する可能性もある。研究の成果はパブリックドメインのままとなる。ベイカー氏の試算では、米国において、医薬品のコストが下がれば、年間3600億ドル、対GDP比で2%、1人あたり約1100ドルの節約になるという。これはTPP推進派が同協定から得られるとする恩恵よりもはるかに大きい。

下院最大の議員連盟として70名以上が参加する「進歩的議員連盟」は、思慮に富む代替的な包括通商政策を提示している。この計画では貿易の拡大、ただしバランスの良い貿易を目標として掲げている。米大統領の立場から、米国が5年間で貿易収支をほぼ均衡状態にまで持っていくことを計画していると発表することもできる。そうすれば貿易黒字を抱える諸国は、国内需要を増やし、輸出主導の成長への依存を低下させなければならないと気づくだろう。またグローバル企業も、もし米国市場にアクセスしたければ、米国内でもっと投資した方がいいことに気がつくはずだ。

より均衡のとれた貿易を求める声は、2009年の金融危機発生後に開催された主要20カ国・地域(G20)会合でも支持されていた。だがドイツと中国が危機を脱するために輸出に力を入れたことで、この合意は長続きしなかった。

貿易収支均衡は、かつて著名投資家ウォーレン・バフェット氏が提唱したように、トレードバウチャー制度によって実現することも可能だ。一定の額の財を輸入する権利を企業に与え、毎年その額を予想輸出額に近づけていく仕組みだ。または、米国の主要貿易相手国について、米国が遵守すべき貿易赤字の上限をそれぞれ定めてもいい。そうすれば貿易相手国には、輸入増加と輸出削減を迫るプレッシャーがかかり、さもなければ事実上の関税として作用する課徴金を支払うことになる。

第2に、議連が提案する計画には、労働者の権利、人権、消費者保護、環境保護を実現する手段を詳述している。これらの課題について各国がその希望に応じてより厳しい法制を定める権利も保護される。貿易協定によって必須医薬品に対する妥当な価格でのアクセスが確保されることも必要とされる。こうなれば、特許による保護を拡大しようとする製薬会社の企ても抑制されるだろう。

第3に、議連の計画では、貿易協定が「国家としての権利」を尊重することを求めている。これを実現するために、投資家対国家間の紛争解決制度(ISD制度)は撤廃され、グローバル投資家は各国の法制度に依拠せざるをえなくなる。グローバル企業が腐敗した国内制度に懸念を持つのであれば、自家保険をかけるか、別の国に投資すればいい。

また計画は、政府調達に関する「米国製品優先購入(バイ・アメリカン)」政策を拡大し、擁護することになる。自分が納めた税金が、世界中の雇用を支えるためではなく、自国の雇用を支えるために使われることを要求できるようにすべきなのだ。

第4に、実はこの計画は、自由貿易主義者が理屈のうえで支持していることをうまく達成することになる。つまり、グローバル貿易の勝者が敗者に補償を与えるということだ。

失業した米国の労働者は、拡大貿易調整支援法に基づく支援を得られる。以前より賃金の低い仕事に就かざるを得なければ、拡大された失業給付・賃金保険を受けられる。新たなイニシアチブでは、工場閉鎖によって打撃を被った地域社会に対する的確な支援が提供されるだろう。米国よりも労働者の賃金が高いデンマークとドイツでは、労働者が貿易システムの犠牲にならないよう、米国よりはるかに多くのリソースを高度な研修・就職斡旋プログラムに投じている。

明快な産業戦略も、より均衡のとれた貿易のためにプラスになる。すなわち、すでに世界を席巻しつつある「グリーン産業革命」に欠かせない製品の発明、製造、販売における優位を生かすことに特化した戦略である。

米政府の現在のシステムの支持者は、自由貿易か保護主義かという選択を装っている。だが、現在のような貿易協定は自由貿易を生み出すものではない。特定の利権のための選択的な保護を行っているだけだ。米国の破滅的な貿易赤字は、グローバリゼーションの避けがたい帰結ではなく、通商・関税政策の意図した結果なのである。


サンダース、トランプ両候補は、米国の現在の針路の愚かしさを暴くのに貢献した。

我が国の通商政策は、少数の利益に有利なルールの典型的な例である。労働者が不利になり、CEOたちがますます高額の所得を得るなかで、エコノミストたちも、米国の異常なまでの格差拡大に彼らが直接貢献していることを認めるようになっている。進歩的議員連盟の提案は、理にかなった代替案が可能であることを示している。米国の現在の窮状は、政治と権力の問題であり、運命ではないのだ。


*筆者は進歩主義的な米シンクタンク「Institute for America’s Future」の設立者。姉妹団体「Campaign for America’s Future」の共同ディレクターも務める。
http://jp.reuters.com/article/borosage-trade-idJPKCN0XH05T?sp=true

 


30. 中川隆[3160] koaQ7Jey 2016年7月05日 18:47:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3507]

2016年07月04日
訪日外国人2000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない

外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/a/5/a5a20193.png


外国人観光客は2016年も増え続けていて、この調子なら2000万人達成も可能だと言っています。

だが外国人がいくら増えても日本の景気は良くならず、むしろマイナス成長になっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が1000万人を超えたとして、次は2000万人、あるいは3000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、増え続けた訪日客は特に安部政権が始まった2013年から、目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは外国人が2倍に成っても日本のGDPがマイナス成長な事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると200万円のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済
f0189122_15113970
引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg

日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

観光客がドサドサやってきてお金を使うのも同じ事で、彼らの買い物のせいで円高になり、余計輸出企業が苦しむだけです。


固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。

2016年に入って中国ショックやイギリスショックで円高になり、一時99円に達してまた戻っています。

評論家はイギリスのEU離脱の影響と言っていますが、何も無くたって輸出と観光客のせいで円高になるのです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出が増えたら必ず円高になります。

輸出とはドルを円に交換するで、観光客もドルや人民元を円に交換し、際限なく円高になります。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。


輸出や観光客でお金を集めようとして必死に働いているのだが、こんな事をいくら頑張ってもゼロ成長のままです。

観光と輸出にはもう一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。

輸出や観光で経済成長はしない

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

大抵は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。


あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。

外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロ成長でしょう。

ではどうすれば経済が成長するかと言うと、今まで書いた逆、つまり輸入を増やして貿易や観光を赤字にすれば、その分円安で輸出し易くなります。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカ企業の方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://thutmose.blog.jp/archives/62830797.html


31. 中川隆[4581] koaQ7Jey 2016年10月23日 22:16:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4992]

経済コラムマガジン 16/10/24(913号)

落日の構造改革派


•スッポリ抜けているもの

日本経済は低成長が続いている。筆者達はこの原因を需要不足と分析している。この主な要因は、日本で30才台、40才台の「消費年齢世代」の人口が減少していることである(需要不足なのだから「生産年齢世代」の人口の減少は主な問題ではない)。また所得(可処分所得)が伸びないこともこの一つの要因になっている。さらに他にも需要不足の要因は色々と考えられるが、ここではこれ以上の言及は省略する。

これに対して、低成長の原因は需要サイドではなく、日本の供給サイドに問題があるからと主張する者が実に多い。この考えから導き出される対策は日本の構造改革ということになる。先週号で述べたように、この構造改革派によとって、筆者達が主張する財政支出による需要創出政策は、むしろ日本の構造改革にとって邪魔であり障害になるらしい。


構造改革派の発想は古典派経済学理論(新古典派経済学を含む)に根ざしている。いわゆる「セイの法則」、つまり作ったものは全て売れるという法則が成立つ世界である。したがってもし売れ残りや失業が生じるなら供給サイドに問題があるということになる。具体的には生産設備が陳腐化していて製品が時代に合わないとか、労働者の質に問題があるということになる。

構造改革派の対策は、まず規制緩和などによる競争政策の強化ということになる。これによって劣化した生産設備やゾンビ企業の退出を促すことになる。また技術的に劣る労働者には教育・訓練を施すということになる。これらの話は、構造改革派に染まっている日経新聞などのメディアでもよく見かける。


構造改革派の経済成長理論の支柱となっている定式がある。それについて

08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html

14/7/7(第804号)「経済成長の三つのパターン」
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html


などで説明した。

これは経済学の教科書に載っている

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+ n(労働人口増加率)

である

(これに技術進歩を加味すると

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

になる)。

したがってs(貯蓄率)が一定なら、経済成長率を大きくするには合理化などによって資本係数を小さくし、労働者に教育・訓練を施し労働投入量を増やせば経済は成長することになる。

上記の経済成長理論の定式は、一見正しく当たり前のように感じる。ところがこれには「スッポリ抜けているもの」がある。それは「需要」である。もし需要不足が常態化しているなら、上記の定式は何の意味もない。つまり構造改革派は、需要サイドを全く見ていないのである。まさに「作ったものは全て売れる」という「セイの法則」の世界にいる。このように構造改革派の経済理論は著しく現実離れしている。


ところが安倍政権の登場で状況は一変した。安倍政権は第一の政策をデフレ経済からの脱却とした。つまりデフレギャップの存在を公式に認め、この解消を第一の政策目標に置いたのである。政府機関も渋々とデフレギャップの存在を認めるようになった。

ところが政府機関の公表するデフレギャップはいつも1〜2%と異常に小さい。これは

16/8/1(第902号)「大きな車はゆっくり回る」
http://www.adpweb.com/eco/eco902.html


で述べたように、デフレギャップの算出に「可変NAIRUアプローチ」という浮き世離れした手法を採っているからである。またデフレギャップ異常が小さいため、潜在成長率も異常に小さく算出されている。

筆者達は、ヘリコプター・マネーによる需要創出政策を唱えている。しかし構造改革派に染まった日本の経済の論客は、デフレギャップが小さいのだからたちまち日本経済にインフレが起り物価が高騰すると脅かすのである。これもヘリコプター・マネー政策への一つの雑音である。

•有り得ないデフレギャップの1〜2%

日本経済の成長率を高めるには、生産性の向上しかないという話をよく聞く。この根拠は潜在成長率がこれだけ小さくなっているのだから、生産性を上げる他はないというのである。具体的には規制緩和によって競争を活発にすることや生産工程への新機軸の導入、そして労働者の教育・訓練などである。ちなみに本誌では過去

01/9/10(第221号)「「生産性」と「セイサンセイ」の話」
http://www.adpweb.com/eco/eco221.html


で、この話を取上げたことがある。

しかしこれらの全てが前段で紹介した構造改革派のセリフと一致する。つまり生産性を上げるということは構造改革を実施することと同じ意味である。言い方を変えると構造改革を行うことによって生産性が上がるという話である。

たしかに国全体ではなく一つの企業で考えると、注文が殺到し生産が間に合わない場合は生産工程の改善(新機軸の導入などを含め)や従業員の教育・訓練が必要になってくる。つまりこの生産性の向上によって注文増に対応するということは有りうる。しかし反対に注文が少なくなるケースが有りうる。この時にはリストラによる生産性の向上という方法が考えられる。また場合によっては不採算部門の整理といういうことが必要になる。


しかし一国の経済を考える場合と一企業を対象にする場合では事情が異なることがある。たしかに国全体の需要が伸びている時代なら、国も企業もやるべきことは似ている。言っているように生産性の向上ということになる。企業はこれによって限られた生産資源(生産設備と労働者)をより効率的に使って最大限の生産を行うのである。国はこの動きを税制などで支援することになる。

ところが今日のようなデフレ経済で需要不足が常態化している現状では、国と企業では利害が異なるといった事態が起る。例えば企業は売上が落ちれば、当然、前述のような生産性の向上のためリストラを考える。しかし国にとって企業のリストラによる失業者の増加は由々しき問題となる。


このように構造改革派の論客は、経済の高度成長期のように需要がどんどん増える時に適合したかもしれない稚拙な経済理論(供給サイドの重視)を、慢性的な需要不足が続く今日の日本にも適用しようとしているのである。筆者はこのことを間違っているとずっと言って来た。

精一杯優しく言えば、構造改革派の面々は現実の経済に疎い「おバカ」の集りということになる。少しでも現実の経済を知っているなら、1〜2%のデフレギャップとかほとんどゼロの潜在成長率といった現実離れしたことは決して言わない。本当にデフレギャップが1〜2%なら、景気は超過熱状態であることを意味する。そのような状況ならほとんどの生産設備の稼働率は100%であり、商店やデパートの店先には買い物客が殺到し長い行列を作っているはずである(終戦直後の日本や旧ソ連時代の店頭と同じように)。

また本当にデフレギャップが1〜2%なら、どの企業や商店ではこれ以上売ることのできる製品や商品の在庫がなくなっていて、営業担当者のほとんどの仕事は注文を断ることになっているはずである。したがって販売促進のための広告・宣伝なんてとんでもないことである。このように「可変NAIRUアプローチ」によって導き出されるデフレギャップの数字はばかばかしく有り得ないものである。


さすがに構造改革派の中にも、段々と問題は供給サイドだけでなく、需要サイドにもあるのではないかと考える者が現れるようになった(日本の供給サイドは特に大きな問題がないと筆者は見ている)。明らかに構造改革派は落日を迎えている。しかしいきなり財政支出による需要創出というわけには行かない。筆者の記憶では、最初に需要サイドに着目した構造改革派は「霞ヶ関埋蔵金」を問題にした人々である(埋蔵金を使っての需要創出をしろと主張)。

その次は外国人観光客の誘致を唱える人々である。これは外国人観光客の買い物による需要増を狙っている。そして最近ではTPP締結が注目されている。ところでアベノミクスの第三の矢である「成長戦略」の柱は規制緩和などによる構造改革だったはずである。ところが奇妙なことに最近になって「成長戦略」の第一はTPPという話が出るようになっている。これは TPP による輸出増が狙いである。

このように外国人観光客の誘致やTPPの目的は需要増といっても外需の増加ということになる。たしかに構造改革よる供給サイドの強化といった現実離れした考えからは、これらはいくらか進歩していると言える。しかしこれに対して筆者達は、これ以上外需依存を高めるのではなく(外需依存はいずれ円高で苦しむことになる)、財政政策(ヘリコプター・マネーなどによる)による内需拡大政策を主張しているのである
http://www.adpweb.com/eco/


32. 中川隆[4599] koaQ7Jey 2016年10月24日 11:32:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5010]

御用学者たちの真実 2016/10/24


財務省は、財政制度について議論する「財政制度等審議会」や、 国債管理政策について「有識者」から意見を聞く「国の債務管理の在り方に関する懇談会」といった会議を開き、 緊縮財政を推進しようとします。

各会議のメンバーは、基本的には財務省の官僚が選定します。

この種の会議の名簿に「委員」として掲載されることは、 特に「学者」にとってはステータスになります。

当然ながら、緊縮財政を推進する学者以外が財務省に選ばれることはありません。

いわゆる「御用学者」たちですが、 審議会や懇談会の委員に選出されれば、日経新聞などの「御用新聞」に寄稿する機会なども増えます。

御用学者たちが、財務省の飼い犬として御用新聞に緊縮財政推進論を掲載し、世論を動かそうとするわけです。

財務省は、審議会などのメンバー以外にも、「資料提供」「情報提供」など、 様々な手段で学者たちを手中に収め、 御用学者として成長させようとします。

財務省肝いりの御用学者たちは大学の中で教授としてのパワーを高め、その下に就いた准教授、講師、学生たちも、トップ(教授)と同じ路線を進みます。

何しろ、御用学者の下で、反緊縮財政論の論文を書いたとしても、採用されません。

というわけで、御用学者の弟子たちも、緊縮財政派として長じ、財務省に飼い犬として認められ、審議会や懇談会のメンバーになる。

彼らの弟子たちもまた、緊縮財派として教授への階段を上る。

と、御用学者再生産の構造がガッチリと組み上げられてしまっているのが、我が国なのでございます。

かつて、社会保障削減や緊縮財政を「正しい論旨」に基づき批判していた吉川洋氏も、今は立派な御用学者として「財政制度等審議会 財政制度分科会」の会長としてご活躍されています。

以前は、この手の「事実」が一般の国民に知られることはありませんでした。

とはいえ、最近はインターネット等、 新たな情報メディアの出現により、 御用学者たちの真実が世間に広まりつつあります。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/10/24/mitsuhashi-484/


33. 中川隆[4662] koaQ7Jey 2016年10月26日 10:16:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5074]

2016年10月25日
自由貿易時代の終わり 世界の貿易額が縮小

自由貿易が人々を豊かにしたと主張するIMF幹部は、中国から賄賂をもらって統計をごまかして不正蓄財してきた。
引用:http://e.noticias.americadigital.pe/ima/0/0/2/1/4/214319.jpg


世界の貿易額が減少

今世界の貿易額が縮小していて、2015年の世界の貿易額は、前比12.7%減の16兆4,467億ドルに沈み、2016年もマイナスで推移している。

さらに今までは世界経済の伸び率を、世界貿易の伸びが上回っていたが、現在では貿易の伸びが下回っています。

「スロー・トレード」現象と言い、2016年の世界経済成長率は3.1%予想だが、貿易伸び率は2.8%予想です。


     


2016年4月から6月の世界貿易量はマイナス0.8%、1月から3月もマイナスだったので通年でもマイナスの可能性が高い。

2014年の世界貿易も、前年比0.8%増の18兆7,461億ドルに留まっていて、短期的な景気循環ではなく長期的な大きな流れになる可能性が高い。

IMFや世界銀行、欧米の経済責任者は「反グローバリズム」と呼び経済の敵だと主張しているが、果たしてそうなのだろうか。


IMFのラガルド専務理事は自由貿易が世界を成長させ、人々の福祉を向上させてきたと話しているが、日本ではそんな現象は起きていない。

むしろ自由貿易をするほど仕事を中国人に取られて貧しくなり、収入が減って消費もできなくなり、外国人観光客相手に物乞い商売に励んでいる。

実は欧米においても同じであり、アメリカでこの20年間にお金が増えたのは「富裕層」だけで、他の全員が貿易によって貧しくなりました。


アメリカ人の50%は資産を10万円以下しか持っていないそうですが、一方でアメリカ人の平均収入は日本人よりずっと多い。

年収数百億円や数千億円の人が「平均所得」を上げている一方で、アメリカ人の9割は昔より貧乏になっている。

欧州でも同様でギリシャは自由貿易で経済破綻し、イタリアや東欧諸国も右へ倣え、儲かっているのはドイツだけになっている。

自由貿易はくそだった

そのドイツでも豊かになったのは富裕層と「国営企業」のフォルクスワーゲン労働者などで、国営企業と公務員以外の労働者は難民のために家を追い出されている。

自由貿易なんか駄目だという否定論者が出てくるが、偉い人たちは彼らを保護主義者と呼びヒトラーと同列に批判している。

彼らの理論では第二次世界大戦は保護貿易によって自由貿易を止めたのが原因で、保護主義はヒトラー礼賛と同じ罪だそうです。


実際には自由貿易なんか世界の人々を豊かにせず、ただ金持ちを豊かにして、貧困者を作り出すシステムなのが分かってきた。

EUはイギリス離脱で崩壊しようとしているが、要するにEUの自由貿易なんかイギリス人を貧乏にしただけだというのが離脱の理由でした。

北米自由貿易圏NAFTAにしても、それがアメリカやメキシコの人々を豊かにしたという統計はない。


せいぜいで金持ちは豪華ヨットを増やし、貧乏人はシートで路上にテントを建てただけのことでした。

グローバリズムを主張する人たちは例えば日本政府が国内の産業や農業を促進することも「保護貿易で世界経済の敵だ」として批判している。

日本の農業が壊滅すれば貿易額が増えて世界経済は拡大するというのだが、日本人には何のメリットも無い。


公共事業や新たな産業への政府の投資も全て「保護貿易」で貿易を阻害して世界経済に打撃を与えるそうだ。

世界経済なんかくそ食らえと考える人が世界中に増えているのも無理からぬ事で、自国の雇用を捨てて自国民を貧乏にするようにIMFや世界銀行は仕向けている。

1991年にソ連が崩壊し世界貿易は拡大し続けたが、日本のGDPは縮小し続け、日本人は貧しくなり続けた。


国内の産業や農業を犠牲にして自由貿易を推し進めたからこうなったのであり、貿易は国民に何の役にも立たないのを実証しただけだった。
http://thutmose.blog.jp/archives/66835420.html


34. 中川隆[5369] koaQ7Jey 2016年12月09日 14:20:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5805]

『富国と強兵 地政経済学序説』– 2016/12/9 中野 剛志 (著)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444386/asyuracom-22?p=TK

トランプ勝利もBrexitも「衆愚政治」ではない
エスタブリッシュメントの誤りが証明された 中野 剛志 2016年12月09日
http://toyokeizai.net/articles/-/145294

「グローバリゼーションは良いことだ」というエスタブリッシュメントの「常識」は、本当に正しかったのでしょうか(写真:SK Photo / PIXTA)

衰退著しい覇権国アメリカ、混乱する中東、クリミアを強引に奪取するロシア、東シナ海・南シナ海で挑発行為をやめない中国……。

パワー・バランスが大変動する今、「地政学」という、古めかしく、禍々しいニュアンスすら伴った言葉が現代によみがえってきている。一方、これまでの地政学的思考だけで、世界を分析し、生き抜くことは非常に困難ではないだろうか?

『TPP亡国論』において、日米関係のゆがみを鋭い洞察力でえぐり出した中野剛志氏による『富国と強兵 地政経済学序説』が、このほど上梓された。

本稿では、「富国」と「強兵」をキーワードに、トランプ現象や英国のEU離脱の背景にある「イデオロギー」をえぐり出す。


反省しようとしないエスタブリッシュメント


2016年6月の英国のEU(欧州連合)からの離脱の是非を問う国民投票、そして11月の米大統領選をめぐる世界の反応は、驚くほど酷似していた。

まず、いずれも事前の予測を覆す結果となった。そして、いずれの結果に対しても、世界の政治指導者や経済界、有識者あるいはマスメディアの主流派、いわゆる「エスタブリッシュメント」は驚愕し、恐怖し、あるいは侮蔑の視線を投げかけた。曰く、「内向き」「保護主義」「排外主義」「ポピュリズム」等々。

だが、問題は、英国のEU離脱やドナルド・トランプの勝利という結果それ自体にあるのではない。そのような結果を招いた原因の根本は、エスタブリッシュメントが抱くイデオロギーの誤りにある。それにエスタブリッシュメントが気づいていないこと、そして反省しようとしていないこと、そのことが最大の問題なのである。

エスタブリッシュメントが共有するイデオロギーとは、要すれば、おおむね次のようなものである。


世界は、グローバリゼーションという不可避・不可逆の潮流の中にあり、国家主権はますます制限される。モノ、カネそしてヒトはやすやすと国境を越えて移動するようになる。国家はもはやそれらを管理できないし、すべきでもない。なぜなら、グローバリゼーションは、各国に経済的な繁栄をもたらす最善の道であるのみならず、より平和な世界をもたらすからだ。つまり、経済的な相互依存が高まることにより、国家間の戦争はもはや割に合わないものとなるのである。「富国」を徹底すれば「強兵」は不要となるのだ。

このようなイデオロギーは、特に冷戦終結以降、広く流布したものである。

たとえば、1996年、著名な政治経済学者のリチャード・ローズクランスは、資本、労働、技術、情報が国境を越えて自由に移動するようになった世界においては、国家による領土への執着は過去のものとなり、国際社会はより平和になるだろうと論じていた。

それから20年が過ぎたが、このような世界観は、エスタブリッシュメントの間ではなお根強くある。「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」というわけである。

だが、2016年の英国の国民投票と米国の大統領選は、エスタブリッシュメントの期待を裏切り、国境や国籍にこだわる者たちの勝利に終わったのであった。

EUの東方拡大が英国離脱の引き金に

なぜ、英国のEU離脱やトランプの勝利は、エスタブリッシュメントのイデオロギーが招いた結果だと言えるのか。それは、それぞれの経緯を振り返れば分かる。

まず、英国の国民投票から見てみよう。

英国では、2008年から5年間で実質賃金が8%も低下していた。また、主に東欧の低賃金労働者が移民として流入し続け、その純増数は2015年に33万人を超えるに至った。離脱派は、この移民の急増こそが実質賃金の引き下げの要因だと主張したのだが、その主張は確かに正しい。

低賃金労働力である移民の大量流入という問題が顕著になったのは、2004年以降のEUの東方拡大からである。2004年、旧ソ連圏の8カ国とマルタ、キプロスがEUに加盟した。2007年にはルーマニアとブルガリアが、2013年にはクロアチアが加盟した。

EUの東方拡大は、経済統合によって国境の壁を著しく低くすることが、繁栄と平和への道であるという欧州のエスタブリッシュメントの理念を体現するものだった。だが、その東方拡大が英国のEU離脱の引き金を引いたのである。


そもそもEUの前身であるEEC(ヨーロッパ経済共同体)を創設した6カ国の間には、1人当たりのGDPの大きな格差は存在せず、1973年に加盟した英国の1人当たりGDPと原加盟国との間にも、さほどの開きはなかった。

しかし、2004年の東方拡大により、最も貧しい新規加盟国の1人当たりGDPは最も豊かな国のおよそ3分の1しかなくなり、2007年のルーマニアとブルガリアの加盟によりその数値はさらに下がった。そのような中で、EU域内の労働移動を自由にすれば、東欧の低賃金労働者が豊かな西欧諸国に殺到し、後者の実質賃金を押し下げることになる。英国政府が国境を管理できなければ、実質賃金の下落を止めることは不可能なのだ。英国の労働者層がEU離脱に票を投じたのも無理からぬ成り行きであった。

グローバリゼーション推進が生んだトランプ現象

米国でも同様の現象が起きていた。

1990年代以降、米国の戦略目標は、グローバリゼーションの推進であった。1994年に米国、カナダ、メキシコの間で発効したNAFTA(北米自由貿易協定)も、その一環である。

メキシコでは、NAFTAに加盟した結果、米国から安価なトウモロコシが流入し、農業が壊滅するにいたった。そして、困窮した地方のメキシコ人たちは不法移民として大量に米国に流入し、米国の労働者層はメキシコの不法移民によって職を奪われたと強い不満を抱いた。だから、NAFTAを見直し、メキシコとの国境に壁を築くというトランプの主張は、労働者層の強い支持を得たのである。

1990年代の米国は、中国に対しても、グローバル経済への統合を支援するという戦略を進めていた。中国を経済的な相互依存関係の中に絡めとり、グローバルなルールの下に服させれば、米国主導のアジア太平洋の秩序を認めさせることができると考えたのである。この戦略に基づき、米国は、中国の世界貿易機関(WTO)への加盟を後押しした。

だが、その結果、中国からの安価な製品の輸入や中国への企業の進出が拡大し、米国人の雇用が失われることとなった。1999年から2011年の間の中国からの輸入によって、米国の雇用は200万人から240万人ほど失われたと推計する研究もある。

問題は、NAFTAやWTOに限らない。この20年間、グローバリゼーションが進められたことで、英米をはじめとする先進諸国の実質賃金は伸びなくなり、労働分配率は低下し、格差は著しく拡大した。米国民の多くがTPP(環太平洋経済連携協定)を支持しなくなったというのも、何ら驚くに値しないのだ。

さらに金融のグローバリゼーションが進んだことにより、金融市場はバブルとその崩壊を繰り返すようになり、しまいには2008年のリーマン・ショックを引き起こした。それ以降、世界経済は「長期停滞」と呼ばれる不況に陥っている。

2008年以降、世界の国内総生産(GDP)に占める世界貿易の比率は横ばいで推移している。これは、戦後最長の停滞である。GDP比でみた海外直接投資のフローも、2007年以降、著しく低下し続けている。世界経済の景気動向を示すバルチック海運指数は、2016年に、1985年の算出開始以来の最低値を更新した。


いずれの指標も、グローバリゼーションが終焉したことを示しているのである。

にもかかわらず、エスタブリッシュメントは、なおグローバリゼーションを疑わず、あまつさえ、それをさらに推進しようとしている。それでは、深い閉塞感に陥った米国民がトランプのような人物に救いを求めるしかなくなっても当然ではないか。

なお、TPPの挫折をもって自由貿易体制の崩壊だと騒ぎ立てるのは早計である。TPPが発効しなくとも、環太平洋はすでに十分に自由貿易体制だ。米国の民意が拒否したのは、自由貿易体制そのものではなく、エスタブリッシュメントが過剰に進めたグローバリゼーション(TPPはその象徴)なのだ。

「強兵」なき「富国」を夢見ることができた時代は終わった

グローバリゼーションは経済的繁栄を約束しないというだけではない。それがより平和な世界をもたらすというのも間違いである。

大統領選の最中のトランプは、米国はもはや「世界の警察官」たり得ないと訴え、日米同盟の見直しにも言及して、わが国を震撼させた。だが、これもグローバリゼーションが招いた結果なのである。

すでに述べたように、グローバリゼーションは米国の経済力を弱体化させるものである。他方、軍事力を支えるのは経済力だ。経済力が衰えるならば、米国の軍事力も弱まり、「世界の警察官」たり得なくなる。

しかも、グローバリゼーションは米国民の豊かな生活を約束しないのである。ならば、米国民が多大なコストを負担してでもグローバルな秩序を守ろうという動機を失って当然であろう。

グローバリゼーションが「富国」をもたらし、「強兵」を不要とするはずだというエスタブリッシュメントのコンセンサスは、こうして破綻を露呈したのである。

さらに悪いことに、2000年代の中国は、米国の支援によってグローバル経済に統合されたのを利用して、まんまと輸出主導の高度経済成長を達成するとともに、年率2ケタ台のペースで軍事費を拡大した。中国は「富国強兵」を実践したのである。

その結果、アジアにおける米中間のパワー・バランスが崩れ始めた。それがまさに、中国による東シナ海や南シナ海への攻撃的な進出として現れているのである。そのアジアにおける危険な地政学的変動の只中に、わが国は置かれているのだ。

「強兵」なき「富国」を夢見ることができた時代は過去のものとなった。われわれは、再び「富国強兵」に否が応でも取り組まなければならないのである。
http://toyokeizai.net/articles/-/145294

2016.12.07
内田樹の研究室 『赤旗』インタビューロングヴァージョン

『赤旗』の12月4日号にインタビューが載った。
記事には書き切れなかったこともあったので、以下にロング・ヴァージョンを掲げておく。

―トランプが勝つと予想していましたか。

まさか。けっこういいところまでゆくだろうと思っていましたけれど、僅差でヒラリーが勝つと思っていました。実際、200万もヒラリーの得票の方が多かったわけですから「アメリカ人はヒラリーを選ぶ」という予測は間違ってはいなかったわけです。選挙制度のせいで、得票数の少ない方が大統領になってしまった。僕はヒラリーが別に好きじゃないけど、トランプは何をしでかすかわからないから怖いです。現段階ではアメリカの国際的な威信が地に落ちるだろうということしかわからない。


―トランプ勝利の背景に何があったのか。日本共産党は、第j回大会決議案で、アメリカ社会はグローバル資本主義のもとで格差と貧困が広がり、深刻な行き詰まりと矛盾に直面しており、トランプ勝利はそのひとつの反映にほかならないと指摘しました。

中西部の製造業で働く人たちが雪崩を打ってトランプに投票した。中産階級の没落と格差の拡大が、今回の投票行動に関与した最大の要因だったと思います。一握りの巨大多国籍企業や最富裕層に富が集中し、階層分化が極限化していくグローバル資本主義がついに限界に達した。トランプ登場はその断末魔の痙攣みたいなものじゃないですかね。

もちろん、グローバル資本主義の欠陥を補正できる手立てをトランプが持っているわけじゃない。たぶんトランプ政権下で、格差はさらに拡大し、トランプを支持したブルーカラーの生活はさらに苦しくなると思います。

でも、トランプはその「諸悪の根源」を資本主義システムではなく、ヒスパニックやイスラム教徒に転嫁することで本質的な問題を隠蔽した。排外主義的なイデオロギーを煽り立て、国内外に「アメリカをダメにした」元凶を見つけるように仕向ければ、失政が続いても、支持層の不満をしばらくの間はそらすことができるでしょう。


―日本でいえば、橋下・維新の手法や期待に似ていますね。

そっくりです。やることは洋の東西を問いません。体制の「不当な受益者なるもの」を特定して、これが「諸悪の根源」なので、これを排除すればすべての問題は解決するというデマゴギーです。攻撃する対象がユダヤ人なら反ユダヤ主義になり、対象が移民なら排外主義になる。大阪の場合は、公務員・教員・生活保護受給者などを「受益者」に仕立てて、それを攻撃して市民たちの不満をそらした。


―ヨーロッパでも同じような動きが生まれています。


ヨーロッパ諸国でも、次々と極右政治家が登場してきています。その前提になっている歴史的条件は「グローバル資本主義の終わり」ということです。

グローバル資本主義によって、世界はフラット化し、資本・商品・情報・人間が国境を越えて高速移動するようになった。グローバル化に適応できない人たち、高速移動できるような社会的機動性を持っていない人たちは下層に脱落した。

製造業の工場労働者が典型的ですけれど、特定の業種に特化した技術や知識で生計を立て、生まれ故郷の地域社会で暮してきた人は、グローバル化した世界では、それだけの理由で下層に振り分けられる。両親や祖父母の代までだったら「まっとうな生き方」をしてきたのに、まさに「まっとうな生き方』をしてきたという当の理由で下層に格付けされることになった。不条理な話です。ですから、彼らが「アンチ・グローバル化」に振れるのは当然なんです。

でも、彼らが選択した「アンチ・グローバル化」はさまざまな人種や宗教や価値観が相互に敬意をもって距離を置き、穏やかに共生するという方向には向かわなかった。そうではなくて、「自分たちさえよければ外の世界なんかどうなっても構わない」という偏狭な自国第一主義に向かっている。


―アメリカではサンダース現象が起き、世界中で格差と貧困をなくす運動が広がり、日本では市民革命的な動きが起きています。

あまり語られることがありませんが、19世紀までのアメリカは社会主義運動の先進国の一つでした。東欧ロシアからの社会主義者が19世紀末からアメリカに群れをなして移民していったんですから当然です。カール・マルクスでさえ青年期にはテキサスへの移住を夢見ていた。それくらいに当時のアメリカはヨーロッパに比べると自由で開放的な社会に見えた。けれども、ジョン・エドガー・フーヴァーのFBIの偏執的な反共活動と、1950年から54年まで猛威をふるったマッカーシズムによって、アメリカ国内の左翼運動はほぼ根絶されてしまった。

その「左翼アレルギー」もソ連崩壊、中国の「資本主義化」による「国際共産主義運動の終焉」によって「敵」を失った。サンダースの登場はアメリカ社会が70年に及ぶ「反共」のファンタジーから覚醒して、現実を見るようになった兆候だろうと思います。

いずれにせよ、トランプの登場によって、私たちがどのような歴史的転換点にいるのかはっきり可視化されました。グローバル資本主義の終りが始まったということです。

脱グローバル化は政治過程でも、経済活動の過程でもこれから必然的な流れとなるでしょう。この流れは市場の飽和と人口減という一国の政策レベルではどうにもならない人類史的条件の所産ですから、抵抗することができない。私たちにできるのは、「グローバル資本主義の終わり」をソフトランディングさせるための具体的な手立てを考えるだけです。世界中の人々が衆知を集めて知恵を絞るしかない。

そのような歴史的局面にあって、日本の反=歴史的な暴走だけが異常に際立っています。世界は脱グローバル化局面にどう対処するか考え始めたときに、今ごろになってグローバル化に最適化すべくすべての社会制度を変えようとしている。自分たちがどういう世界史的文脈の中にいるのか、日本の指導層はまったくわかっていない。何が起きているのか理解しないままに「アクセルをふかして」突っ込んでゆく。

安保法制、改憲、原発再稼働、TPP、南スーダン派兵、カジノ合法化、どれをとっても「なぜ今そんなことを慌ててやらなければいけないのか」理由がわからないことばかりです。

安倍首相自身は主観的には「最高速でグローバル化に最適化している」つもりなのでしょう。たぶん「慌てる」ということが「グローバル化」だと思っている。TPPがよい例ですけれど、先行きの見通せない国際情勢の中で「慌ててみせた」ことでいかなる国益を確保できたのか。

これから先の政治的な対立軸はそこに置かれるべきだと思います。

暴走する政治を止めて、とにかくいったん立ち止まる。今世界では何が起きているか、世界はどこに向かっているかを見つめる。先行きが見通せない時に、アクセルをふかして暴走すれば事故を起こすに決まっています。こんな政治をいつまでも続ければ取り返しのつかないことになる。「暴走」か「スローダウン」か。政治の対抗軸はそこだと私は思います。

国際情勢の変化と「脱グローバル化」に振れている市民感情を適切にとらえられれば、野党共闘が次の選挙で安倍政権を追い落とす可能性は十分にあると思います。
http://blog.tatsuru.com/


35. 中川隆[6295] koaQ7Jey 2017年1月25日 02:38:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6747]

どうやら日本には、「保護主義」を忌み嫌うパブロフの犬がたくさん居るようです。
2017/01/24 FROM 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)

トランプ大統領の就任演説における最大のエポックは「保護主義」の姿勢を大統領として鮮明にした点にあります。

実際、アメリカの大手ニュースメディアCNBCは、次の様なヘッドラインでトランプ就任演説を報じています。

「Trump inauguration speech:
   ’Protection will lead to great prosperity and strength’」
トランプ就任演説:
‘保護主義こそが偉大な繁栄と強さにつながる’ 」

http://www.cnbc.com/2017/01/20/donald-trump-were-transferring-power-from-washington-back-to-the-people.html

この「保護主義」(※ NHKの全文訳より)を主張したたった一つのセリフがヘッドラインを飾ったその背景には、現代のアメリカはそもそも、(少なくともタテマエの上では)自由貿易主義を掲げ保護貿易を蛇蝎のごとく忌み嫌い続けた、という歴史的事実があります。

そのアメリカ大統領が、就任演説にて保護主義を前面肯定したわけですから、もうそれだけで大きなニュースになる、という次第です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847631000.html

ところが、日本では、このセリフは全く取り上げられませんでした。

新聞各社はこぞって、「アメリカ第一」(America First)を見出しに掲げた一方で、「保護主義」という言葉をほとんど用いなかったのです。

それどころか、あの天下のNHKが最初に公表した「演説全文訳」では、「Protection will lead to great prosperity and strength」というセリフがすっぽりそのまま抜け落ちるほど、軽視されていたほどでした。

ちなみにこれは、「軽視」というよりも「隠蔽」と言うに相応しいほどの対応。詳しくは、下記をご参照ください。
https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/959135840854026?pnref=story

なぜ、日本のメディアは「保護主義」という言葉を、忌避し続けたのでしょうか?

その背景には、「ポリコレ」の影がちらつきます。

つまり、「保護主義」という言葉は「悪」を意味するもので、これを使うのは、政治的に(つまりポリコレの視点から)望ましくない――という空気が、言論空間を支配していたが故に、そういう空気に敏感なメディア界の「インテリ」達は、意識的か無意識的かはさておき「保護主義」という言葉を使うことを回避してしまっていた、という次第です。

一方で「アメリカ第一」は、ポリコレ棒にはひっかからない言葉。そもそも「アメリカ第一」なんてアメリカ大統領であれば当たり前の主張で、そんなものは何も驚くに値しません。そもそも、日本だって蓮舫の二重国籍があれだけ大問題となったのも、政治家たる者「日本第一」の姿勢が絶対的に求められているからに他なりません。

かくして、日本のメディアでは、差し障りのない「アメリカ第一」が見出しを飾る一方、差し障りある「保護主義」という言葉は、全文翻訳からすら削除される程に忌避され、隠蔽されたという次第です。

――ただし、よくよく考えれば、この「保護主義」は、決して滅茶苦茶なエキセントリックな過激なものでもなんでもありません。

そもそも貿易政策の方針を

  保護貿易 < − − − − − −> 自由貿易

の二元論で考えるとするなら、完全な「保護貿易」の国も、完全な「自由貿易」の国も、この世には存在する筈はありません。

保護にも自由にもそれぞれメリットデメリットがあるのですから、「超極端国家」は、捨て去った一方の考え方のメリットを受けることができず、結局は、大きく衰退せざるを得なくなるからです。

自由貿易のメリットは、自由な交換を通して、各国の長所短所を補いながら、万国が世界中の財やサービスを共有でき、より強い国のより強い産業がさらに発展していくところ、にあります。そのデメリットは、それが過剰になれば、弱肉強食が横行し、より弱い国のより弱い産業が育成できなくなると同時に、雇用が失われ、挙げ句に需要が縮小してデフレ化していくところ――にあります。

一方で、保護のメリットとデメリットは、ちょうどその「逆」になります。

だとすれば、それぞれの国の繁栄、さらに言うなら、世界の繁栄のためには、状況に応じた保護と自由の「バランス」が必要だ、ということになります。

(※ 折りしも、世界的な需要不足が指摘され続けている今日、デフレ圧力を高める「自由」に修正を加え、幾分「保護」を重視する方向に舵を切るのは、極めて理性的な当たり前の対応だと言うことすらできます)

いずれにせよ、保護が悪で自由が善であるわけでもなく、保護が善で自由貿易が悪、というわけではないのです。

もしも「善」があるとするなら、「保護と自由のバランス」こそが「善」なのであり、「保護と自由のアンバランス」「保護の過剰」「自由の過剰」こそが「悪」だ、ということになります。

この様に考えれば、今回のトランプの「保護主義」の宣言は、「保護と自由のバランス」において、「過剰」な自由貿易に「修正」を加えて「保護貿易」を幾分重視する側にリバランスを図ろうとする宣言だ、というものであるという実態が浮かび上がります。

そもそも、トランプとて完全な鎖国をするとは一言も言ってはいません。NAFTAをはじめとした様々な貿易協定を、一つずつ「見直す」と言っているに過ぎないのですから。

・・・・にも拘わらず、ここ数日テレビを見ていると、我が国の多くのコメンテーターが、

  「トランプの保護主義は危険だ」

という論調を口にし続けています。

そんな通り一遍のコメンテーター達の態度に「辟易」してしまうのは、筆者だけではないと思います。どうやら、彼らにしてみれば、

(1)トランプのマスコミや論敵に対して、ツイッター等を用いて悪態をつく行儀の悪い態度、

を批判するのとまったく同じ調子で、

(2)トランプの保護主義という行儀の悪い下品な主張

を批判する、というのが、「インテリとして望ましいふるまいと思われるのだ」と思っている節があります。

当方はもちろん、(1)については大いに批判すべきだと考えています。

(1)のツイッター政治は、それを「肯定」する論調が(かつてそれを振り回していた方から)一部主張されてはいるようですが、
https://twitter.com/t_ishin/status/822380771247669250
こういうツイッター政治を「放置」しておけば、政治権力者の横暴につながるのは必至です。

しかも、こうしたツイッター政治がまかり通るようになれば、「邪心」を持った人々がツイッター政治家にすり寄り、議会や法律をすっ飛ばしてその政治家を使って、世の中をその「邪心」に基づいて動かすようになるのもまた、必定です。だから、度を越した(1)の態度には、常に批判を差し向け、その暴走を食い止めることが必要なのですが――まぁ、これは常識の範囲。

したがって、この(1)を否定する風潮それ自身には、(その動機はさておき)同調はできるのですが、だからといって(2)の保護貿易の論調もついでに非難するのは、あまりにも短絡的。

繰り返しますが、「保護貿易が悪」なのではなく、「保護と自由のアンバランス」や「過剰な保護」「過剰な自由が悪」なのです。だから、トランプの「保護貿易」の主張を批判するなら、「現状に過剰な保護貿易が存在し、それによって、公益を大いに棄損している」ことを説明する義務があるのです。

ですが、彼らは絶対にそういう批判をすることはありません。彼らはただ単に、条件反射的に、つまり、

  「パブロフの犬」

の様に「保護貿易=悪」の図式で反応しているに過ぎません。

このままでは、日本と日米、世界を豊かにする「貿易政策」を議論することが不可能となってしまいます。

自由貿易に正義があるように、保護貿易にも正義があるのです。
同時に、保護貿易に不正義があるように、自由貿易にも不正義があるのです。

トランプ勝利という現象を、多面的に解釈しない限り、日本の繁栄や、日米の繁栄、そして世界の繁栄を育む貿易政策を議論していくことそれ自身が不可能となるでしょう。

私たちは如何なる政治的課題についても、「パブロフの犬」になることだけは避けねばならならないのです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2017/01/24/fujii-233/


36. 中川隆[6352] koaQ7Jey 2017年1月26日 18:05:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6804]

「日本第一主義」時代の幕開け。なぜグローバリズムは死んだのか?=児島康孝 2017年1月26日
http://www.mag2.com/p/money/31930


米国におけるトランプの勝利は、私に言わせれば「国民の生活実感がもたらした当然の結果」です。グローバル化はなぜ失敗したか?巷の評論家が見落としている点を解説します。

奥手な日本は今こそ「ジャパンファースト」に舵を切るべきである

自国民の保護に乗り出した英国と米国

英国と米国ともに、グローバル化よりも「自国民の保護が第一」という判断です。先進国の状況はというと、日本は貧困化し、EUという域内グローバル化を進めた欧州は当初の理想から大きく離れて大混乱。トランプ大統領による「雇用重視」への政策転換は、こうした中で起きました。

理論上は、正しいようにみえる「グローバル化」。コンサルタントや評論家はバラ色の「グローバル化」を主張しますが、これは間違いであったのです。問題はどこにあったのでしょうか。

巷の評論家は「雇用」を考慮していなかった

グローバル化の推進論者は、各国が得意分野に集中することで生産性が上がり、世界は良くなると主張します。一番良いものが、一番安い価格で買える社会です。まさに「そのとおり!」と短絡的に思いそうですね。

しかし、これには大きな誤りがあります。グローバル化は、各国の国民の収入がそのまま(あるいはそれ以上)で、雇用もそのままということが前提になっているのです。

なぜ、これまで多くの人がこの誤りに気が付かなかったのでしょうか? それは、こういう理由です。

ある「物」の値段が、ある国から輸入されることで、100円だったものが80円になったとしましょう。

100%→80%(20%のディスカウント)

食料品でも雑貨でも、こうしたことは日常的に起きていますね。安く買えると、大助かりですね。

一方、雇用は、デフレで給料が8割になったとか、そういうことではありません。雇用を失えば「収入ゼロ」です。

100%→0%

これにともなって、例えばすべての買い物の価格も同様にゼロになれば問題ないのですが、そういうことはあり得ません。つまり、物の価格が2割安とかになる一方で、収入はゼロ(10割安)とか、再就職や派遣労働で収入が3割(7割安)ということが、日常的に起きたわけです。

これをみますと、グローバル化で物の値段が安くなったメリットよりも、雇用の損失のほうがはるかに大きいことがわかります。

物の価格は「下方硬直性」があって、2割安とか3割安にはなるものの、ゼロにはならない。スーパーで、商品をゼロ円で販売していることはありません。一方、雇用はゼロになり、再就職で7割安とか8割安になるということです。雇用に関しては、下方硬直性がないのです。

これが、コンサルタントや評論家たちが、グローバル化(=デフレ傾向)で見落としている点です。なので、米国民がトランプ大統領に投票したことも、一般国民の生活実感からすれば当然ということになります。

賃金には下方硬直性がない

ちなみに、物の価格の下落分と、雇用喪失分(人件費削減分)の差は、どこに消えたのでしょうか? これは、グローバル企業の内部留保と、途上国の賃金アップに流れたわけです。

先進国では、雇用がなくなれば、景気悪化と政府の社会保障費増加が起こります。さらに、グローバル企業と途上国の賃金アップが進みます。

途上国の生活コストは安く、また先進国並みの物価になるには時間がかかります。一方、先進国では、雇用を失っても、途上国のような物価にまではなりません。

物価の下方硬直性。これがグローバル化をめぐる議論のカラクリです。難しい理論よりも、実際の生活実感の方が正しいわけです。昔の経済アナリストなどでも、賃金の下方硬直性を信じている人がいます。しかし現実は、物価の方に下方硬直性があり、賃金には下方硬直性はないということです。


なぜ、トランプ政権は「アメリカ第一主義」を実行できるのか

トランプ政権が本格始動し、雇用増加の施策・行政手続きの簡素化などを進めています。実は、日本も、経済分野での「日本第一主義」を進めることが可能なポジションにいます。「日本第一主義」というと軍事面を想像しそうですが、ここでは「経済分野」の話です。

ところで、トランプ政権の「アメリカ第一主義」は、なぜ可能なのでしょうか。その理由は、大きな消費市場をアメリカ自身が持っているためです。いわば、巨大な買い手であるわけです。

最近のアメリカは、グローバル化とか自由貿易という名目があり、大きな買い手の力をうまく活かすことができていませんでした。たくさん買っているのに、自身の雇用は失われ、中間層消失と貧困化が起こっていたのです。「これはおかしい」ということで、政策転換をしたわけです。

実は「日本」は有利なポジションにいる

では、日本の立場はどうなのでしょう。これまでは貿易摩擦とか、守りの一辺倒ですね。

GDPを見てみましょう。日本のGDPは、1990年代には、アメリカに追いつく勢いでした。しかし、その後は世界の経済成長の趨勢(すうせい)に取り残され、あっという間にポジションが低下しました。

1995年→2000年→2005年→2010年→2014年
(名目GDP、米ドル、単位100億ドル、総務省HPより)

日本:534→473→457→551→460

アメリカ:766→1028→1309→1496→1734

中国:73→120→229→600→1043

アメリカの4分の1、中国の半分というのが、最近の日本の姿です。

しかし、世界の経済成長に落ちこぼれたとはいえ、絶対額では欧州のドイツやフランスなどより上ですし、英国よりも上です。

1995年→2000年→2005年→2010年→2014年
(名目GDP、米ドル、単位100億ドル、総務省HPより)

日本:534→473→457→551→460

イギリス:123→155→241→240→298

ドイツ:259→194→286→341→386

フランス:160→136→220→264→282

イタリア:117→114→185→212→214

こうした立場は、経済の「日本第一主義」に非常に向いているのです。この「日本第一主義」は、雇用創出です。つまり、これまで日本が苦手だったり考えもしなかったこと、日本の巨大な消費市場を活用するということです。

手続きの簡素化など、外国企業の活動に便宜をはかる一方で、トランプ政権のように、こう言えばよいのです。
◾「これだけ日本市場で儲けてますね」
◾「生産拠点の一部でも、日本に移してもらえませんか」
◾「包装やパッケージだけでも、結構です」
◾「どれだけ、日本人を雇用していますか?」
◾「日本の業者に発注していますか?」

巨大な日本の消費市場で儲けている外国企業に、このように声をかけていけば良いということです。

買い手の力は強いです。発想だけ転換すれば、このようにして大量の雇用を生み出すことは可能です。日本人的には、「そんないやらしいことはできない」という感覚でしょう。しかし、外国はこうしたことを平気でやります。かつて日本が貿易摩擦で苦労したのとは、全く逆の話です。


日本は「日本の巨大な消費市場」の力を活用せよ

これは、日本が、外国人観光客の集客が苦手だったのと似ています。今でこそ積極的に外国人観光客を集客していますが、かつての日本は、海外旅行には行っても、外国人が日本に来ることは考えもつきませんでした。

これと同様に、日本の巨大な消費市場の力を活用することはほとんど考えつきません。巨大な消費市場を活用して、日本での雇用を生み出す。これは買い手のパワーがありますので、極めて有利です。これは、落ちぶれたとはいえ、いまだに世界有数のGDP・消費市場を持つ「日本」だからこそできる、向いている方法です。

「今さらアメリカに工場を戻しても」論の誤り

大手メディアでは、今さら製造業の拠点をアメリカに戻しても仕方がない、コストが高くつくだけという論調が多いですね。かえって消費者が高い商品を買うことになるだけ、とも。でも、商品価格の何割かの下落よりも、雇用の価値の方が大きいという話は先に述べた通りです。

「今さら製造業をアメリカに戻しても」論は、コンドラチェフサイクルで「技術革新の時代」に入りつつあることも関連してきます。

IT・AI分野で世界を独走するアメリカに、製造業の拠点を移すと何が起きるのか。想像もつかない、IT・AIと製造業の融合、新商品などが出てくる可能性があるのです。

例えば自動車業界では、電気自動車がこれまでの自動車産業を大きく変える可能性が出てきています。電気で動く仕組みに変わりますと、これまで重要だった部品がいらなくなったり、簡単なつくりでよくなったり、大きく変わります。自動車の「家電化」もあり得るわけです。そこに、ITやAIが結びつくと…。これまで途上国で低コストで従来通りに製造していた方法が、一挙に変わるかもしれないのです。

「今さら論」は、現状の延長線上が前提

「今さら論」は、これまでと同じ自動車を同じ方法でつくるということが前提になっています。このまま何も変わらないので、安くつくる方が良いに決まっているという発想です。

しかし、未来が現状の延長線上にあるとは限らず、想像以上の技術革新が起きる時代へと移ってきています。こうして考えると、アメリカに製造業の拠点を置くことは、マイナスではないということになります。それなりのメリットが出てくるはずです。

金融に例えますと、NYはオフィス賃料が高いですが、世界の金融系企業はNYに集まっています。コストだけ考えれば、田舎に会社をつくったほうが安いですよね。しかし、そうはなっていません。都会の方がメリットがあるので、NYに集まるのです。

ですから製造業も、ITやAIの技術革新が目覚ましいアメリカに拠点を置くことで、想像外のメリットが出てくる可能性が高いのです。


37. 中川隆[7325] koaQ7Jey 2017年3月25日 11:52:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7800]

世の中は関わっても仕方がないほど信頼できない人間がいる

国会で籠池泰典氏が証人喚問されて根拠に乏しいことをあれこれ言っているが、この男は名前を何度も変え、その妻も名前を変え、いろんな宗教を渡り歩き、妄想でモノを話し、言うことがすべて信用できない男だった。

言っていることは信用できないし、契約も信頼できないし、 約束も信頼できない。

籠池泰典氏を見ても分かる通り、信用できない人間と約束しても、その約束はいずれ反故にされる。世の中とはそういうものだ。もともと裏切り癖がある人間は、その場その場で何かを約束しても、それを守ることは絶対にできない。

信頼できない人間は、原理原則など守らない。自分の感情で動くので、自分が不利になると思えばいつでも約束を破る。

何度も約束を破ってきた人間と約束するというのは、いくら文書でしたためても、いくら第三者を約束の場に立ち会わせても、まったく意味がない。

状況が変われば平気で約束を破るからである。

信頼できない人間は、相手を利用することしか考えていない。だから、こうした人間と関わると一方的に利用される。良いように利用されて、後になって「約束? そんなものは知らない。状況が変わった」と言われるだけだ。

だから、信頼できない人間とは関わってはいけないのである。関われば関わるほど、相手に振り回され、泥沼にはまり、被害を受ける。


信頼できない人間は、いつでも恩を仇で返す

私たちのまわりには籠池泰典氏だけでなく、いろんなところに信頼できない人間がいる。信頼できない人間と関わると話がこじれるだけこじれて面倒になるだけなのは籠池泰典氏を見れば分かる。

信頼できない人間が心を入れ替えると思ってはいけない。心を入れ替えるのではない。自分の都合によって、すり寄って来たり、逆恨みしたり、友好を高らかに謳ったり、恫喝してきたりするのである。

信頼できない人間というのは数多くの特徴がある。その特徴のひとつは「臆面もなく立場を変える」というものだ。

自分が弱いときは「我々は離れられない仲」「兄弟」「家族」と言ってタカりにくるが、自分は絶対に恩を返そうとしない。それどころか、自分が少しでも優位だと思えば手の平を返して傲慢になりこちらを見下してくる。

要するに、恩を仇で返すのである。

自分の都合が悪くなれば、泣き叫び、わめき、いかに自分が弱いかを主張し、被害者であることを装って謝罪と賠償を要求する。

信頼できない人間は、何かあれば「すぐに被害者になりたがる」のである。相手にタカるには「被害者になる」のが一番有効な手段だからだ。

だから、被害者になるために事実をねじ曲げることも、過去を捏造することも何でもする。嘘を100回でも1000回でもしつこく言っていればそれが本当になると考えて、他人に「自分は被害者だ」とわめき散らす。

このような人間にうんざりして言いなりになると、「もっと謝罪しろ、もっと賠償しろ」と次から次へと要求してくる。そして、決着したことを何度も何度も蒸し返す。

だから、こうした人間と関わり、話を聞き、妥協点を探るという動きは、それがどんな小さなものであれ、すべて失策であり、重大な誤りであり、取り返しのつかないミスである。

信頼できない人間と関わり、相手の言うことを聞くというのは、それ自体が「100%誤り」なのだ。

相手にしてはいけない。断絶しなければならない。折れてはいけない。言いなりになってはいけない。相手のペースにはまってはいけない。

ほんの小さな点であれ相手の要求を飲むことが、被害を拡大させるのである。

信頼できない人間は、息をはくように嘘をはき、約束した次の瞬間には裏切り、相手をワナにかけることも、嫌がらせすることも、自分の気分次第で何でもする。信頼できない人間は、いつでも恩を仇で返すのだ。


何もかも自分の都合の良いように捏造する

信頼できない人間は真実や客観的事実など、まったく関心がない。そんなものは平気で踏みにじる。それが自分に都合が悪ければ無視するか、自分の都合の良いように捏造する。

過去も、歴史も、名前も、経歴も、経緯も、何もかも捏造して自分の都合の良いようにねじ曲げる。相手を不利にして、徹底的に自分を有利にする。

信頼できない人間は、平気でそのようなことができるのである。もはや生まれながらにして犯罪者であるかのように、そうした行動を取る。

自分のためなら相手を踏みにじることに良心の呵責もない。他人の成果をかすめ取ることも平気だ。他人が生み出したものを、自分がやったと言い出し、「オリジナルは自分にある」「起源は自分にある」とも平気で言う。

すべての成果を自分のものにし、すべての起源を自分のものにして恥じない。

それが真実ではないことを指摘すれば、逆切れして激しい口調で相手を罵る。真実は恫喝で黙らせる。信頼できない人間というのは、そういう性格なのである。

だから、関われば関わるほど、すべて奪われる。「相手から奪えるものは何もかも奪う」というのが信頼できない人間の考えることであり、だから関わると必ず被害に遭う。

信頼できない人間は、すべてを横取りするつもりだ。コツコツと何かを成し遂げようとは絶対にしない。誰かの成果をパクって楽して成果を上げようとする。パクれなければ、努力している相手の足を引っぱる。

そのため、信頼できない人間に関わっていれば、知らずしていろんなものが盗まれ、パクられ続ける。さもなければ、足を引っぱられ続けられる。

自分が旨い汁を吸えなければ激しい嫉妬に駆られ、その嫉妬が火のように燃え上がり、きちんと生きて成果を出している人間に逆恨みの感情を持つようになるのだ。

信頼できない人間と一緒にいれば、助けても助けなくても恨まれる。信頼できない人間は、うまくやっている他人を恨むことしかできないのである。


隣の人間が、一番タチが悪いというのが世の中の常

こうした人間には、遠慮もなければ、配慮もない。思いやりもなければ、恥を感じることもない。感情のまま生きており、すぐに他人を恨む。

タカることが人生の目的なので、向上心などない。向上心はないがブランドや肩書きには弱いので、こうしたものを不正で手に入れようと画策する。あるいは都合の良い存在に「なりすまし」する。

すべてがいい加減であり、何をさせても手抜きする。それでいて信じられないほどのナルシストであり、自分に酔って自分の姿が分からない。自分の姿でさえも捏造するので、本当の自分がない。

信頼できない人間というのは、そのような人間なのである。だから、こんな人間と取引をするというのは、その時点で負けたも同然だ。

信頼できない人間は行き当たりばったりであり、その場かぎりであり、自分の主張ばかりであり、他人の事情を考えない。物事を誇張し、何でもかんでも自分を優先させる。

そのため、妥協してきた相手、自分に親切にしてきた相手は「弱い人間」と見なし、弱い者は徹底的にいじめ抜く。弱い人間は格下として扱い、常に上から目線で傲慢になる。

そんな人間と関わり、取引して、良い成果が得られるとでも思うだろうか。信頼できない人間と行った取引は、信頼できない結果しか返ってこない。

信頼できない人間がいるのであれば、まず「関わらない」ことを徹底しなければならない。基本方針は「関わらない」が最初であり「関わらない」が最後である。

どうしても関わらなければならないときは、必要最小限の関わりに終始し、相手がすり寄って来たらそれは絶対に拒絶し、絶対に謝らず、絶対に弱みを見せず、絶対に妥協してはいけないのである。

そうしなければ自分が被害に遭う。

信頼できない人間は必ず現れる。それはあなたの隣にいるかもしれない。自分の隣にいる人間だから信頼できると思ったら大間違いだ。隣だから価値感が共有できていると思うのも大間違いだ。

隣の人間が、一番タチが悪いというのが世の中の常である。

信頼できない人間がいるのであれば、まず「関わらない」ことを徹底しなければならない。関係は断ち切るのが正解だ。信頼できない人間と行った取引は、信頼できない結果しか返ってこない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/12/20151226T1448330900.html


38. 中川隆[-7973] koaQ7Jey 2017年4月30日 12:54:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

39. 中川隆[-7905] koaQ7Jey 2017年5月01日 08:35:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


40. 中川隆[-7692] koaQ7Jey 2017年5月10日 08:10:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年05月09日
日銀の黒田総裁がアジア開発銀行(ADB)の年次総会で、金融政策について「(経済の)教科書を文字通り適用できない」と、こぼす場面がありました。

しかし残念ながら、黒田氏が読んでいる教科書は算数ですが、今の経済は数学で動いているのであり、対応がつかなくて当然です。

マネタリーベースを拡大すればインフレ、算数ではそう書いてありますが、数学では金融政策の方向性、資金の流出入量、人口動態からの消費動向など、様々なものが加味されます。

日本ではいくらマネタリーベースを増やしても、消費が弱いので物価が上がらない。買わないからモノの価値が上がらないのです。

3月の毎月勤労統計は、実質賃金が前年同月比で0.8%減。これで消費が盛り上がるわけもありません。しかも深刻なのは、パート労働者の時間当たり賃金は2.1%増なのに、実質賃金は2.2%減。つまり単価は上がったけれど労働時間が減ったために、手取りが減った。

企業が労働力を確保しよう、とするために薄く広く集めた結果、一人一人には恩恵が行きわたりにくい。そして恐らく、増えた部分は年金を減らされる高齢者の補填に回っているのであり、これでは経済がうまく回るはずもありません。


日銀のある幹部が、金融緩和を止めてインフレ目標が未達となったとき、支払うコストが膨大、として金融政策をつづける、と述べました。簡単に言えば、ここで止めると景気も回復していないから、日銀が抱えた資産のネガティブな部分にかかるコストが日銀の経営を圧迫するから、つづけるしかない。というダメ経営者の典型のようなことを言い出したのです。

残念ながら、日銀が東芝と重なってみえます。失敗した政策を見直しもできず、泥沼に嵌まっていく。平気で数字のうそをつく安倍政権といい、数字すら正しく読み解けない日銀といい、この国では数字がすでにおかしくなり始めているのでしょう。

「経済学者の9割が安倍ノミクスは危険」という中での、爆騰する市場が示す数字、何を信じるか、さえこの国ではおかしくなり始めてしまっているのでしょうね。
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/


41. 中川隆[-7691] koaQ7Jey 2017年5月10日 08:18:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

まあ、黒田総裁は経済学が理解できてないけど、日銀の金融政策自体は成功してるんですね:


今日の株式 2017.05.03 ムードが良くなりましたね。


 2日のNY株。
 ダウは36.43ドル高の2万0949.89ドル、ナスダックは3.77ポイント高の6095.37ポイントと小反発。ナスダックは2日連続で史上最高値を更新。NYSE出来高は9億0889万株。


 日本株。

 最近、筆者が予想したレンジ上限を超えて着地する日が増えています。ご存じのように筆者は一貫して強気を唱えていますが、当日のレンジはコンセンサスを踏まえて予想しています。従って筆者が「強いな」と思う時は、多くの投資家もそう思う時です。

 今日の日経新聞のマーケット記事もやたら強気が目立ちました。
「連休明け一気に2万円も」の文言もありました。

ただ、日銀の資産膨張への警告記事は、FRBのバランスシート縮小と同じ考えです。

もうすぐGDPと同じになる日銀総資産は、金融政策の出口では、膨大な国債評価損が発生すると言う警告です。

この答えは現在進行形の米国が出してくれます。

おそらく実体経済の上昇機運を壊さない範囲で償還国債の再投資停止で少しづつ縮小させて行くと思います。イメージは原子力発電です。失敗したら大変な事になりますが。

 日銀にはFRBに無い強力な制御棒があります。保有株式です。

景気が過熱して制御できなくなると株は急騰しますが、金利も急騰(国債急落)します。景気過熱は金利では抑えきれませんから、量的引き締め(まずは国債の売り)で対処しますので、更に国債価格は崩落し日銀に多大な損害が出ると言うリスクです。

ここで強力に力を発揮するのがETF買いで貯めこんだ株式です。

この株式を市場に出す事によって、国債売りよりはるかに強い売りオペレーションになります。

今の市場環境でイメージしないで下さいね。日銀保有株を売りに出したら今の相場は終わりですが、狂乱相場では日銀の売り出し株は十分消化できます。

この制御棒を調節する間に償還分を再投資しないでゆっくり保有量を減らせば国債の損失は発生せず、株式の膨大な利益で国家財政も潤う事になります。

 そんなにうまくいくかと言われるかも知れませんが、そうなるまで政策は続くわけですから、日銀の勝ちは目に見えています。

リスクはただ1つ、小心なエコノミストに総裁が変わる事です。筆者は黒田総裁の続投を予想しています。
http://kasset.blog.fc2.com/blog-category-1.html


42. 中川隆[-6392] koaQ7Jey 2017年9月16日 20:27:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本よ、いい加減、現実を見よう 自由貿易が社会を傷だらけにする
世界も国内も、グローバル化で分断された

柴山 桂太 京都大学准教授
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52829

「アメリカ・ファースト」を強調するトランプ大統領。EUからの離脱を決めた英国。先進各国では「アンチ・グローバリズム」の動きが、今も続いている。一方、日本政府は「自由貿易こそ経済発展のかなめ要だ」という構えを崩さない。しかし、それは「時代を読み違えた態度」なのではないか? そう語るのは、経済思想が専門の京都大学准教授・柴山桂太氏だ。近著

『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(集英社新書)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%82%88-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E5%89%9B%E5%BF%97/dp/4087208869/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&qid=1504751914&sr=8-1&keywords=%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0+%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%82%88&linkCode=sl1&tag=gendai_asyuracom-22&linkId=c11fbd599679a223cd8355b07e5502b3


で、自由貿易が社会に深刻な「分断」をもたらすと指摘した柴山氏に、グローバリズムがもたらした矛盾をどう見るべきかを聞いた。

自由貿易の擁護にまわったBRICs

自由貿易についての国際世論に、変化の兆しが見られる。

これまで自由貿易の推進役だった先進国で反自由貿易の機運が高まり、どちらかと言えば保護貿易に傾きがちだった新興国から、「自由貿易を守れ」との声が上がり始めている。

先日開かれたBRICs首脳会議では、「あらゆる国と人々がグローバル化の利益を分かち合える、開放的な世界経済の重要性を強調する」とする共同宣言が採択されたという。これが、保護貿易に傾きつつあるアメリカ・トランプ政権への牽制であることは明らかだ。


BRICsBRICsサミットに集まったブラジル、ロシア、中国、南アフリカ、インドの新興5ヵ国首脳(Photo by Getty Images)

少し前まで、世界中の国々に市場開放を押しつけていたのはアメリカだった。ところが今では、新興国が自由貿易の意義を強調し、当のアメリカでは反自由貿易派の大統領が選ばれる。時代の変化をこれ以上、雄弁に物語るものはない。


自由貿易への幻滅が拡がっているのはアメリカだけではない。

世界18ヵ国を対象に行われた英エコノミスト誌の調査によると、「グローバル化で世界は良い方向に向かっている」と考える人の割合は、アメリカ、イギリス、フランスなどの先進国で軒並み5割を切っている。ベトナム、フィリピン、インドで、8割以上がグローバル化に好意的なのとは対照的だ。

この調査では、総じて新興国の方がグローバル化に好意的で、先進国は批判的という傾向が見られる(残念ながら、日本は調査対象に入っていない)。

「グローバル化が人々に利益をもたらす」は本当か?

なぜ、先進国で反自由貿易の機運が高まっているのだろうか。マスメディア等でおなじみの解釈は、「自由貿易の利益が正しく理解されていない」というものだ。

自由貿易は先進国、新興国を問わず全ての国に恩恵をもたらす。それぞれの国が、自国のもっとも優位な分野に特化した生産を行えば、世界全体の労働生産性は上昇し、消費者は安くて質のいい財やサービスを享受できる。保護貿易で海外製品をブロックすると、一部の生産者は助かるかもしれないが、消費者は割高な国産品しか買えなくなるので、社会全体で見ると損失の方が大きくなる――。

こうした説明を、誰もが一度は聞いたことがあるはずである。

実際には、経済学者は市場が教科書通りに働かないケースが多々あることを認めており、貿易についてももっと複雑な見方をしている。しかし世間一般には、自由貿易についての通り一遍の説明で済ませることが多い。

世界中のメディアも、この立場を支持している。日本も例外ではない。自由貿易に反対する者は、経済学の基本(特に「比較優位の原理」)をわきまえていないか、関税や補助金をあてにする圧力団体(JAなど)に与しているかのどちらかだ、というわけである。

この伝でいくと、アメリカなどの先進国で保護貿易派の政治家が出てくるのは、「有権者が貿易について正しい知識を持っていないからだ」ということになる。反対に、グローバル化を歓迎している新興国の人々は、「立派に教育されている」ということになるはずだが、本当にそうなのだろうか。


低賃金サービス業に追いやられる先進国の中間層

先進国の人々がグローバル化に幻滅しているのは、端的に所得がほとんど増えていないからである。経済学者のB・ミラノヴィッチの推計では、1988年から2008年までの20年間で、実質所得を大幅に増やしたのはグローバルな上位1%と、グローバルな上位40〜50%にあたる中国・インドなどの都市労働者で、先進国の大多数の労働者(グローバルな上位10〜20%層にあたる)はその恩恵にあずかっていない。

先進国の中間層は没落し、グローバルな富裕層とグローバルな中間層が隆盛したのである。


なぜ、そうなったのか。いくつもの説明が考えられるが、大きな要因は国際貿易の質的変化だ。

経済学者のR・ボールドウィンは、20世紀後半から始まった生産システムの世界的な変化を(それ以前との質的違いを強調する意味で)「新グローバル化」と呼んでいる。20世紀中盤までの国際分業は、先進国が工業化し、途上国が脱工業化(農産物や原材料の生産に特化)するというかたちで進んでいた。

ところが1980年代以後は、それまで先進国に集中していた工業の大部分が、賃金の安い新興国へと流れていった。生産拠点の海外移転、いわゆるアウトソーシングである。

その結果、新興国が工業化し、先進国は脱工業化(ハイテクや一部サービスに特化)していくという、全く新しいタイプの国際分業が見られるようになったのである。

工業化の進む新興国では、比較的幅広い層の都市労働者が恩恵を受ける。一方で、先進国では先端的なハイテク産業に関わる知識労働者が恩恵を受けるが、その割合は限られている。大多数は都市部の低賃金サービス労働に従事することになり、当然ながら所得の格差は広がることになる。


オキュパイ・ウォールストリート格差是正を訴える「オキュパイ・ウォールストリート」運動は毎年のように続いている(Photo by Getty Images)

以上は、ごく単純化した説明に過ぎないが、なぜ先進国の平均的な労働者がグローバル化の「負け組」になったのかを分かりやすく示している。

中間層の発言力を奪い、税負担を増やすグローバル化

もう一つ、資本と労働の力関係が変化したという点も無視できない。

投資に関わる国境の壁が大幅に削減されたことで、企業や投資家は資本を自由に動かせるようになった。しかし労働者はそうではない。国境を跨いで活躍の場を求めることのできる層は、全体のごく一握りだ。多くは、自分の住み慣れた国を簡単に離れることはできないし、離れたいとも考えていない。

経済学者のD・ロドリックは、企業や資本の国際移動がもたらす国内政治への負の影響を問題視している。アウトソーシングが進むと、先進国の労働者の立場はどうしても弱くなる。労働者の権利が弱い国に仕事を移す(あるいは「移す」と脅す)ことで、経営者や投資家は譲歩を引き出すことができるからだ。


あるいは法人税引き下げ競争を例に出しても良い。1980年代初頭から、世界中の法人税率は明らかに低下している。企業が税金の安い国に逃げるのを防ぐために、一つの国が税率を下げたら別の国も追従せざるを得ない。

反対に労働者は、税を逃れる方法がない。法人税は下がり、消費税や付加価値税は上がる。国際的に移動出来る資本から、移動出来ない労働者に税の負担が移ってしまう。グローバル化が進むと、資本にアクセス出来る者の発言力が大きくなり、労働者の発言力は小さくなる傾向にあるのだ。


なるほど、自由貿易で消費者は安くて高品質な財やサービスを手にできるようになったかもしれない。しかし、消費者は労働者でもある。「新グローバル化」の下で進む国際分業は、先進国の平均的な労働者を不利な立場に追いやってもいる。単に所得が増えないだけでなく、政治的な発言力も低下する一方だ。

他方で、新興国の労働者は着実に所得を増やし、国内の富裕層は着実に富を増やしていく。自由貿易が利益をもたらすという一般的な見方が正しいのだとしても、利益の分配は、国際的にも国内的にも、先進国の中間層にとって厳しいものになっている。反自由貿易の機運の高まっている背景には、そのような事情がある。

日本もグローバリズムへの幻想を捨てよ

この点、昨年のアメリカ大統領選挙は示唆的だったと言える。旋風を巻き起こしたのはトランプとサンダースだが、トランプは中間層の富が新興国の労働者に横取りされたと力説し、サンダースは中間層の富がトップ1%に吸い取られたと強調していた。二人とも、過去20〜30年のグローバル化の所得分配が不公平だと訴えて、人気を獲得したのだ。


サンダースとプラカード民主党の大統領候補サンダースの背後にも「アメリカの労働者」「職を守ろう」のプラカードが(Photo by Getty Images)

もちろん、私個人は「国境に壁を」といった、彼らの個々の主張に賛同しているわけではない。しかし、確認するべきは、自由貿易が国際社会と国内社会の至る所に歪みと亀裂を作り出してしまった、という歴然たる事実だ。

政治の不安定化は、アメリカだけで終わることはないだろう。先進国は遅かれ早かれ、似たような困難に直面していくことになるはずだ。そして保護貿易の機運は、それが成功するか失敗するかに関わらず、これから高まっていくはずである。

日本では、今のところアメリカや一部の欧州諸国に見られるような、極端な反グローバル化の機運は見られない。だが、この先はどうか。中間層の没落は、先進国全体で起きている現象であり、日本もその例外とはなり得ない。

もちろん、中間層が没落した原因は、グローバル化の他にもある。技術進歩、産業構造や社会規範の変化など、多くの研究者がさまざまな要因を指摘している。しかしグローバル化がもっとも重要な理由の一つであることは、今や否定し得ない事実である。

「あらゆる国と人々がグローバル化の利益を分かち合える」世界経済が理想であるというBRICs首脳会議の宣言は、字面だけを見れば正しいことを言っている。しかし、その実現は決して容易なことではない。

自由貿易やグローバル化がもたらしてきた、負の側面に目を向ける。日本が次の針路を定めるには、まずそこから始めるしかないだろう。


43. 中川隆[-6390] koaQ7Jey 2017年9月16日 20:59:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念 中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RqWpokdk_iA
https://www.youtube.com/watch?v=1DErfYEACvY
https://www.youtube.com/watch?v=5TBPefNLsY4

44. 中川隆[-6381] koaQ7Jey 2017年9月18日 10:23:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【三橋貴明】グローバリズムの罠


なぜ日本の実質賃金は上昇しないのか?
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12309380630.html

エレファント・カーブ
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12311207006.html

エレファント・カーブとは、
グローバリゼーションが進んだ結果、
所得の増加が先進国の富裕層と、
新興経済諸国などの労働者層に集中。

先進国の中間層や貧困層は
恩恵を受けなかったことを示す
有名なグラフです。

それはまあ、資本(カネ)の移動が
自由化されてしまい、
かつ技術も国境を越えて動くとなると、
特に大手製造業が、

「人件費の高い国内から、
人件費が安い外国に工場を移し、生産しよう」

となるのは当然です。

特に、グローバル株主資本主義により、
「国家」「国民経済」を意識しない
グローバル株主の意向が経営に
働きやすくなると、必然的にそうなります。

グローバル株主が求めているのは、
あくまで「自分の利益最大化」です。

株主構成に占めるグローバル投資家の
割合が増えると、株主から配当金増額や
自社株買いを求める圧力が強まり、
企業は費用(人件費など)の引き下げに走ります。

正規雇用を非正規雇用やパートタイマー、
アルバイトに切り替えるのはもちろん、
最終的には「安い人件費」を求めて、
資本(工場など)が国境を越えるのです。

結果的に、国内から良質な雇用が失われていき、
エレファントカーブが描かれる。

グローバリズムにより、国内の所得格差は拡大。

社会は不安定化していき、
国民にルサンチマンが蔓延。

となると、ナショナリズムが前提となる
「経世済民」的な政策は打てなくなります。

さらに、企業が「安い人件費」を求め、
外国人労働者の雇用に走る。

すると、ますますナショナリズムが壊れ、
経世済民が遠のく。

これが現在の日本、
さらにはほぼ全ての先進国が陥っている
グローバリズムの罠です。

加えて、グローバリズムは
資本主義を衰退させます。

資本主義とは、産業革命の時代から
「生産性向上のための投資」により、
生産者一人当たりの生産量を拡大することで
発展するものなのです。

「生産者を増やす」のではなく、
「生産者一人当たりの生産量を増やす」
のがポイントです。

GDP三面等価の原則により、
生産量=所得になります。

無論、労働分配率の問題はありますが、
とにもかくにも生産性を向上させなければ、
実質賃金の元になる所得は
「一人当たり」では増えないのです。

生産性向上は、いわゆる国際競争力
(厳密にはグローバル市場における価格競争力)
をも高めます。

例えば、日本の人件費が中国よりも高いならば、
生産性向上により「単位労働コスト」を
引き下げる努力をする必要があります。

まさに、それこそが資本主義の神髄です。

とはいえ、グローバル投資家の影響力が高まると、
企業は生産性向上のための投資に
踏み出しにくくなります。

なぜならば、あらゆる投資には利益を減らす
「リスク」があるためです。

また、実質賃金が伸び悩むのみならず、
グローバリズムは企業を「国家」から
解き放つことで、企業の政府への影響力を高めます。

「日本の法人税は高すぎる。
このままでは、外国に工場を移転しなければならない」

と、大企業がこぞって主張すると、
政府は雇用を守るために法人税を
引き下げざるを得ません。

実際、各国はまるで競争するかのように法人税を減税。

不足する税収を「消費税」もしくは
「社会保障費のカット」で補おうとするため、
ますます中間層や貧困層が打撃を
受けることになってしまうのです。

日本国は、グローバリズムの罠にはまり、
国民が貧困化し、安全保障が揺らぎ、
技術小国化し、資本主義国ですら
なくなっていっているのです。

日本国民を豊かにし、安全保障を強化し、
技術強国を目指し、資本主義を維持したいならば、
「グローバリズム」というアイコンを疑い、
是正するべきは是正しなければなりません。

グローバリズムは歴史の必然でもなければ、
常なる善でもない。

単なる、考え方の一つに過ぎないという
「良識」」を、我々は取り戻す必要があるのです。
https://38news.jp/economy/11088


45. 中川隆[-6081] koaQ7Jey 2017年10月20日 09:27:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017年10月20日
輸出神話の間違い 輸出は日本を貧しくしている

「貿易黒字が回復」「貿易赤字が悪化」のように言うのは間違い
引用:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024001223_comm.jpg


「輸出は良いこと」と言う間違い

日本には「輸出は良いこと」で「輸入は悪いことだ」という考え方が、徳川300年の因習のように染み付いています。

しかもこう信じている総本山が自民党幹部だったり、経産省や財務官僚、東大教授、経団連トップだったりします。

無学な人間ががどう喚いても総本山は自分が正しいと思っていて、改める気配すらありません。

安倍首相のアベノミクスも良く言われるように大企業偏重で、もっと言えば輸出企業偏重でした。

それを象徴するように大新聞やテレビは日本の貿易黒字が増えると「稼ぐ力が戻った」と大喜びしました。

財務省や経産省や自民党も「貿易黒字が”回復した”」とガンが直ったように喜んでいました。


アベノミクスでは貿易黒字を増やすために観光客誘致に力を入れ、2016年に2000万人を達成し、2017年は2500万人以上が確実になっています。

外国人が金を使うのは自動車を輸出するのと同じで、日本が儲かる=良い事だと皆思っています。

政府は輸出や観光客を増やすために円安に誘導し、現在は1ドル112円程度で推移しています。


ところが為替レートは日米の物価上昇率によって、同じ数字でも実効為替レートはどんどん変動しています。

たとえば日本の物価上昇率が20年間ゼロ、同じ期間アメリカは2%だったとすると、同じ為替レートでも実質的に、毎年2%円安になっています。

現在の1ドル112円は1995年時点の、130円か140円に相当する「超円安」になっています。


仮に今後1ドル80円になっても、1995年時点の1ドル100円以上でしかない筈で、円安の恩恵を受けて貿易黒字になったのが良く分かります。


輸出と観光偏重が日本を貧しくする

では貿易黒字で儲かったからこのまま続ければ良いのではないか、とも思えるがそうは行きません。

日本の貿易黒字で喜ぶのは日本人だけで、貿易相手はみんな不愉快になり怒り出します。

中国の貿易黒字が増えたとき、日米では中国人への反感が高まりましたが、80年代には欧米で「ジャパンバッシング」がありました。


日本がこのまま輸出を増やして貿易黒字を増やすと、間違いなくジャパンバッシングは復活するでしょう。

さらに貿易黒字だけが拡大し続けると、儲かった外貨の一部は日本円に交換されるので、円高圧力がどんどん高まります。

80年代に貿易黒字を溜め込んだ日本は、1995年の超円高で全て吐き出す破目になりました。


超円高や阪神大震災の傷も癒えて、小泉政権で再び貿易黒字を溜め込んだが、2011年の超円高でまた吐き出しました。

言っては悪いが「大食い選手権」で食えるだけ食って、トイレで吐いている大食い芸人と同じです。

これらで分かるのは輸出で儲けてから吐き出すには10年以上の時間差が有った事で、恐らく安部首相も引退する2030年までに次の超円高が起きます。


もっと前にも「高度成長期」に溜め込んだ貿易黒字を1985年プラザ合意の超円高で吐き出しています。

1971年にはニクソンショックによって1ドル360円の固定レートが廃止され、変動相場制に移行しています。

これら全ては、日本が貿易黒字で儲けすぎたのに欧米諸国が反発し、為替レートを上げる事で調整した結果でした。


10年か20年ごとに同じ事を繰り返しているわけで、偉い人達もいい加減に学習して欲しいです。


輸出するには同額の輸入が必要

ではどうすれば良いのかというと、実は非常に簡単な話で、輸出と同じ金額の輸入をすれば良いだけです。

自動車を100万台輸出しようが1000万台輸出しようが、同額の輸入をすれば為替相場は円高に動きません。

”偉い人達”は輸出を喜んで輸入を毛嫌いしていますが、その原因になっているのは恐らく、財務省の勘違いです。


財務省はGDPの計算方法で「輸出はプラス」「輸入はマイナス」にしていて、間違いではないが非常に誤解を与えています。

「輸出はプラス」に異論はないが「輸入はマイナス」の部分は、まるで輸入するほど日本のGDPが下がっているような印象を与えています。

毎回同じ例を挙げるが、例えばアメリカから100グラム50円で牛肉を輸入したとします。


スーパーで売るときには100gあたり150円とか300円になり、3倍から5倍もの値段で販売されています。

さらに牛肉は牛丼になったり、しゃぶしゃぶ、ステーキなどになり国内で付加価値がついて販売されています。

日本が輸入する大半は原料なので、輸入した価格の何倍もの価値が国内でつけられ「輸入によってGDPが増えている」のです。


アイフォンのような完成品でさえ、輸入したものを販売しサービスし課金されることで、やはり何倍もの付加価値が国内で生まれます。

輸出がGDPに貢献しているのと同様に、輸入もGDPに貢献していて、国内で付加価値が生まれているので分かり難いのです。

日本政府が輸出を増やしたいのなら、同額の輸入を増やすべきだが「輸出だけ増やせ」と言うから必ず失敗するのです。


今回の「安倍景気」も輸出だけに偏重するのなら、小泉景気と同じく、10年後に無残な失敗に終わるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/73197193.html


46. 中川隆[-5759] koaQ7Jey 2017年12月09日 19:43:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月9日 濫用される経済論理
From青木泰樹@京都大学レジリエンス実践ユニット・特任教授
https://38news.jp/economy/11393

「金融政策だけでなく、財政出動との両輪で景気を刺激すべきだ。日銀が保有する国債のうち、約50兆円を無利子の永久国債に転換する。償還の必要をなくすわけだ。政府はこれを受け、防災対策などに10年間で100兆円のインフラ投資をする」。

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20171126&ng=DGKKZO23912410V21C17A1EA5000

この真っ当な提言は、三橋さんも取り上げていましたが、元日銀審議委員で景気循環学会の中原伸之会長が、日経新聞紙上で黒田日銀の評価を求められた際に発したものです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12331985979.html

以前、「日本の財政破綻は考えられない」と堂々と主張するコラムニストが日経新聞に登場したことを紹介しましたが、遂に経済学界の重鎮の中にも正論を述べる人が出てきたことに驚きました。

リーマン・ショック前であれば信じられないことです。

「ケインズは死んだ」と考える経済学者が大勢を占める中、おそらく、そんなことを言ったら袋叩きにあったでしょう。

やはり時代は変わりつつあります。

いまだ少数にすぎませんが、経済通念の色眼鏡を外して現実を直視する人たちが各方面から現れてきたことは喜ばしい限りです。

衆院選後、2019年10月の消費税率2%引き上げを既定路線とする財務省による緊縮財政の攻勢に対し、それに立ち向かう政治勢力が存在しないという閉そく状況が続きますが、そんな中で一筋の光を見た気分です。

三橋新聞をはじめとする多くの経世済民思想の普及に努めるブログの論者たちの活動が、徐々にではありますが、世間に影響を及ぼしつつあることに疑いはありません。

僅かでも可能性が残されているのなら、決して日本の将来を諦めてはならないでしょう。

私自身も言論活動の一環として、国民・国家を無視した主流派経済学に依拠する学者の政策提言に対し批判を続けてまいりました。

2004年に発刊した『動態経済分析への道』においては独自の貨幣理論に基づき、国債問題の誤解、PB赤字を問題視する無意味さ、インフレ・ターゲット論の欠陥、構造改革論の誤謬等について論じました。

その中で財政問題に関しては、「期首における巨額と言われる国債残高およびプライマリー赤字の問題は、現行の日本経済の規模からして許容範囲内であって危機に瀕している状態ではない。危機に瀕しているものがあるとすれば、政府の債務を個人の債務と同一視させ、景気動向を顧慮することなくいたずらに危機感を煽りたてる思想それ自体であろう(前掲書p.145)」と結論づけました。

http://amzn.asia/95CFNmC

それ以降の著作において、細部の論理を彫琢し、かつ新たな論点を導入してまいりましたが、大筋のヴィジョンは以前と全く変わりません。

こと経済学に関して言えば、「経済理論を現実に直接適用することはできない。もしそうした論理の濫用が行われれば国民経済は大打撃を被る」という見方です。

当たり前のことですね。現実は理論の前提を満たしていないのですから。

そこで何とか現実に適用できるように「理論の側」で工夫を施さねばなりません。

理論と現実を橋渡しする論理の構築、いわばワンクッション必要なのです。

そのため私は既存の主流派理論とは別の枠組みが必要だと考え経済社会学研究を続けて参りましたが、大半の主流派学者はその必要はないと考えているようです。

私は「理論で説明できない現実が間違っているのではなく、現実を説明できない理論が間違っている」と考えますが、彼らの考え方は正反対です。

理論が常に正しいと考えてしまうのです。その結果、彼らは必ず現実を見誤るのです。

今回は、そのような例を三つ紹介しましょう。

「日本が財政破綻しないのは人々が無知だからだ。もしも人々が経済学の教え通りに合理的に行動するならば、日本は財政破綻するはずだ。人々がそれに気付く前に増税と歳出削減で財政再建を目指せ」と唱える著名な財政学者など、その典型例でしょう(下記参照)。

http://amzn.asia/52I7reO

現実が間違っているから、人々が非合理に行動するから、今のところ財政破綻しないと言っているのです。

合理的経済人なら、政府の債務を「自分の将来の債務」と考えて行動するものだと。

「政府の財布」と「自分の財布」を同一視するのだと。

そう合理的に考えれば、巨額な政府債務を抱えている状況で、これ以上の債務増加を容認できるのか。できるわけがない。

合理的経済人なら新規国債の発行に反対するのが当然だろう、と続くわけです。

もちろん本当のところは、政府の債務は「民間の資産」であり、将来世代の負担にもならないことは以前のコラムで指摘した通りです。


誰にもわかるように、政府の懐具合を自分の懐具合と同一視する人など現実社会には存在しません。

おそらく当の財政学者でさえ、政府の債務は自分の債務と同じであると考えて消費活動をしているわけではないでしょう。

にもかかわらず経済論理に偏重し、現実の経済人と合理的経済人の区別がつかなくなっているのです。

次の例は、「消費の伸び悩みの原因は将来不安にある。年金・保険、福祉といった社会保障制度が財政難で今後維持できるかどうか懸念されている。そのため人々は将来に備えて貯蓄を増やし消費を抑えている。将来不安を取り除くためには財政再建が急がれる。増税と歳出削減をためらってはならない。財政再建に注力すれば消費は上向く」という論説です。新聞でよく目にするでしょう。

実は、これは「非ケインズ効果」に基づいた話です。

財政出動や減税をすると所得が増えて消費も増加するというのがケインズ効果ですが、逆に歳出削減や増税によって財政再建を目指すと、民間人は「将来の負担が減る」と考え「現在の消費を増やす」という理屈が非ケインズ効果です。

前の財政学者の例と比べると、現実の経済人の想定が逆ですね。

今度は人々が将来を予測して現在の消費行動を決めている、すなわち合理的に行動しているから消費が伸びないと言っているのです。

いわゆる「フォワード・ルッキングな期待形成」をする人間を想定しています。

非ケインズ効果は財務省が増税を正当化する論理として一時期よく言及していましたが、日本での実証結果が思わしくなかったために下火になりました。

最近は社会保障不安に結び付けた形で御用学者に発言させているようです。

もちろん、日本で非ケインズ効果が存在しないことは現実的観点から明らかです。

二点指摘しておきましょう。

2016年9月の日銀による金融政策の総括的検証(日銀総括)において、日本人の大半は過去の経験と現在の状況から将来を予想する傾向があることが実証されたと以前お話ししました。


ほとんどの日本人は、いわゆる「適合的な期待形成」をしているのです。

将来予測から現在の行動を決定しているのではありません。

不確実性の存在する世界では、それが現実的かつ妥当な行動なのです。

なぜなら、完全情報を有する合理的経済人のように将来を正確に見通すことはできないからです。

現在の懐具合を見て消費額を決めるのですから、増税によって可処分所得が減れば消費も減るのが現実なのです。まさにケインズ効果が作用していると言えます。

もしも非ケインズ効果が作用しているのなら、2014年の消費税増税以降、消費が増加しGDPも増加しなければならないはずですが、消費の低迷がいまだに続いているのが現実です。

非ケインズ効果は経験的事実と明らかに矛盾しているのです。

より長い視野で捉えても同様です。

非ケインズ効果が作用しているなら、ここ20年間の財政再建を目指す緊縮財政路線によって将来不安は一掃され、日本経済は力強く成長したはずです。少なくとも消費が増えていなければならない。

ところが現実はどうであったでしょう。

言うまでもなく、現実は先進諸国の中で唯一、長期停滞に陥った国となったのです。

三つ目の例は、リカードの比較優位説(比較生産費説)に関する誤解です。

これは自由貿易の利益を明らかにした論理であり、ほとんどの学者が同意する基本的な考え方であると思われています。

しかし、比較優位説は、「限定された状況下での分業の利益を示す論理」にすぎません。

問題は、限定された状況下でしか成立しないにもかかわらず、一般的に成立すると誤解している人があまりに多いことです。特にマスコミ人や政治家に。

「国際分業の利益は比較優位説より明白であるから、TPPをはじめとする自由貿易の推進は国益にかなう」といった日経新聞の論説やコラムを見る度に辟易します。全くわかっていない。

確かに、比較優位説はミクロレベルで分業の利益を考える場合、かなり説得力を持つ理屈です。

よく使われる例として、教授と秘書が「論文を書く仕事(A)」と「タイプを打つ仕事(B)」の役割分担を考えているとしましょう。

教授はAもBも秘書より優れているのですが、一度に二つの仕事をこなせません。二兎は追えない。

このとき重視されるのが機会費用の概念です。それは「獲得利益と逸失利益を比較して利益の大きい方を選択しましょう」という考え方です。

この例ではAの仕事をするとBからの利益が失われますから、それが機会費用になります(逆は逆です)。

教授にとって「Aの利益>Bの利益」であれば、Aを選択しBを他者に任せるのが有利です。

この場合、秘書にとって「Aの利益<Bの利益」であるという制約条件が満たされれば、教授と秘書の双方に分業の利益が生じるという話です。

ただし一般に知られていないは、教授の下で秘書が研究を重ねて成長し、秘書にとっても「Aの利益>Bの利益」となったら分業は成り立たないことです。

秘書が成長せずに、何時までたっても「Aの利益<Bの利益」でなければ、比較優位説は成り立たないのです。

翻って、マクロレベルではどうでしょう。

比較優位説に基づく国際分業の利益は、2国2財モデルにおいて、各国が次の条件を満たす場合にのみ発生します。

労働だけが唯一の生産要素であること、完全競争により労働コスト(賃金)が同一であること。さらに各国は経済発展しない、技術進歩もしないことが必要となります。

現実経済がこれらの諸条件を満たさないことは明らかでしょう。

比較優位説を「経済学の大原則」と位置づけ、自由貿易の利益を吹聴する人たちがいますが、それは学問的に滑稽(こっけい)なことなのです。

三つの例から明らかなように、経済論理の教えは金科玉条のように奉るものではなく、現実分析への一里塚にすぎないのです。

「理論が成立するためには、その前提条件が満たされる必要がある」という当たり前のことが周知される時代に早くなってほしいものです。


47. 中川隆[-5746] koaQ7Jey 2017年12月19日 10:13:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017年12月19日
日本人の本当の所得、245万円が中央値だった 格差は縮小


これは世帯収入なので、一人当たりではさらに低くなる。
引用:https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b6/0f9363d09c20c41dcad7f1754ed6812a.jpg


日本固有の格差社会事情

アベノミクスで格差が拡大している、あるいは日本は格差社会になっているというのは、常識として語られています。

10年単位の大きな流れとしてそうなっているが、最近数年は改善してきている。

格差が拡大したのは景気悪化や自由競争、市場原理の導入で、競争敗者が切り捨てられたからでした。


 


悪い事に日本では江戸時代からの伝統によって、一度でも競争で巻けたら、その後2度と競争機会は与えられない場合がある。

例えば受験戦争で負けると一生学歴格差があり、一度リストラされ「正社員」でなくなると、その後2度と正社員にはなれない傾向がある。

こういう制度を始めたのは徳川家康で、彼は寝返る人間を忌み嫌い、例え無能でも「三河以来の忠臣」だけを重用した。


江戸時代の260年を通じて将軍の考えは日本中に行き渡り、一度でも寝返ったり、道を踏み外したら2度と元に戻れない社会風土が完成した。

明治以降も完成された風土はなかなか変わらず、今も日本の隅々に行き渡っている。

こういう国で競争原理を導入した結果、一度落伍したものは2度と競争に参加させないようなルールが出来た。


平成不況によって一度でもリストラされたり、最初の就職で失敗すると、その後の一生を通じて競争に参加できなくなった。


日本の所得中央値は245万円で、この半分未満が貧困層
引用:https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/s6aa5bf8934431ba5/image/i113eb5dbb9984c66/version/1469077137/image.jpg


日本人の平均年収は420万円、世帯平均所得は約546万円、一人当たりGDP(年収に近い)443万円だが、こうした数字では本当の実態は見えない。

日本人の所得中央値は245万円で、平均収入や平均所得とは大きく食い違っている。

これは年収1兆円のような高所得者が「平均値」を吊り上げてしまうからで、人数としての中央値は245万円です。


もしあなたの所得が245万円だったら、日本人の所得中央値と同じという事になります。

いわゆる貧困層は年収がこの245万の半分に満たない人の割合で、この5年間で徐々に減少し、現在は15.5%以下と推測されます。

年収122万円以下の人が15%居る社会は褒められないが、景気回復によって減少している。


おそらくこの年収122万円以下は高齢で働いておらず、年金や生活保護で暮らしていると推測できます。

景気が良くなってもこの人達の収入は増えないので、改善するには社会保障を充実させる必要があるでしょう。

一度正社員でなくなった事によって、保険も年金も切れてしまった人が、今後増加するからです。
http://www.thutmosev.com/archives/74117254.html


48. 中川隆[-5714] koaQ7Jey 2017年12月25日 11:23:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2017/12/11(966号)
日本の経済の専門家はおかしい


日本の経済論壇の「闇」は深い

筆者は、

16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
http://www.adpweb.com/eco/eco885.html


などで日本の経済学者やエコノミスト、そして日経新聞の論説委員等を批判してきた。これらの日本の経済の専門家が言っていることが「おかしい」と思うからである。また筆者は何となくこの原因を分っているつもりである。

日本経済の低成長の原因は慢性的な需要不足と先週号で説明した。しかし日経新聞の論説委員を始め日本の経済の専門家は、どうしても原因を需要不足とは認めないのである。そこで彼等は、低成長の原因を人手不足や低い生産性など供給サイドの話で誤魔化している。


だから人手不足を示すデータをやたら強調したがる。また間抜けなエコノミストの中には「日本は完全雇用状態」と言って譲らない者までいる。しかし先週号で述べたように、本当に日本が人手不足ならもっと賃金が上昇しているはずである。

それどころか全てのメガバンクが大きなリストラ計画を発表している。大手銀行の事実上の定年は52〜53才という話は昔聞いたことがる。ところがそれが最近では、どうやら50才程度までに早まっているという記事を日経新聞が掲載している。日経新聞にはこのような矛盾した話が満載である。そこで今週はこのような矛盾した話を二つ取上げる。


日本の経済成長率は、内閣府から国内総生産(GDP)の情報として定期的に公表されている。日経新聞などのメディアは、この数字の推移に基づき経済成長の様子を解説している。内閣府が公表するのは「消費、投資(設備・住宅)、政府消費、公共投資、輸出・輸入」と需要の項目毎の数字とそれらの合計である。日本経済成長率はこれらの需要項目の数字を積上げて算出されている。

日経新聞などメディアのこれに対する分析と解説は、例えば「天候不順で消費が落込んだ」「半導体の需要が好調なので設備投資が増えた」「予算消化が進まず公共投資が減った」「円安と中国の景気持直しで輸出が増えた」といった具合である。注目されるのは全てこれらは需要サイドの話ということである。まさに先週号で述べたように「需要で日本の経済成長は決まる」のである。日本の生産性が上下したことが原因で経済成長率が変動したといった話は一切出ない。これは当たり前の話であり、需要が増えれば当然のこととして工場や商業施設の稼働率が上がり生産性が上がるのである。


ところが日本の経済の専門家は、日経新聞などで日本経済の成長に関しては「生産性の向上が必須」「生産力の増大が必要」と供給サイドのことしか言わない。したがって彼等は「設備投資を喚起する政策が必要」「家庭の主婦も職場に狩出すような政策が必要」といった主張を繰返す。つまり日本の経済成長を決めるのは全て供給サイドという話になっている。

ところが同じ日経新聞の紙上では、前述の通り日本の経済成長を全て需要サイドだけで分析・解説して見せるのである。明らかに日経新聞や日本の経済の専門家の経済成長に関する論調は矛盾している。筆者は、もっと辛辣に「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」と言う他はないと思っている。

不思議なことに、日本の経済論壇では誰もこのような矛盾を指摘しないし問題にもしない。しかし「おかしい」と指摘する経済学者やエコノミストがいることを筆者は知っている。ところがこのような声をほとんどの日本のメディアは取上げない。まことに日本の経済論壇の「闇」は深いと言える(日本のメディアもおかしい)。


算出方法がおかしいデフレギャップ

もう一つの「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」ことを示す事例は、日本のデフレギャップの認識である。これに関しては日本の潜在成長率も関係する。筆者は

06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で、これらの算出方法がおかしいと指摘して来た。しかし今日でもこのインチキな算出方法が続いているのである。

日本のデフレギャップを政府はわずか1〜2%と公表して来た。それどころか直近ではデフレギャップがなくなり、逆にインフレギャップが生じたと驚くようなことを言っている。ところが誰もこれを「おかしい」とは指摘しない。


デフレギャップを文字通りに解釈すれば、供給力が需要を上回る場合の両者の差額ということになる。たしかに理論上では、これがゼロになることは有りうることである。しかしこれがマイナスになり、逆にインフレギャップが発生したのだからただごとではない。

これも文字通りに解釈すれば、日本全体で需要が生産力を上回ったことになる(一部の特定の企業に限るなら有り得る現象である)。これはちょっと有り得ないことであり、少なくとも日本の景気が超過熱状態ということを意味し、当然、物価は高騰しているはずである。ところが日本経済は低迷し、物価は一向に上がっていない。日銀なんて、物価上昇率の達成目標年度を毎年延期しているほどである。


結論を言えば、筆者が何回も指摘してきたようにデフレギャップや潜在成長率の算出方法がおかしいのである(実際のデフレギャップはずっと大きい)。しかし関係者がこれは「おかしい」と気付いているのか不明である。また「おかしい」と気付いていたとしても修正する気があるのか、これも不明なのである。

それにしてもこの怪しいデフレギャップを基づき経済政策が実施されることが問題である。構造改革派と見られるある経済閣僚は、日本のデフレギャップや潜在成長率が著しく小さく算出されていることを知らないと思われる。この大臣は「日本の経済成長率を上げるには潜在成長率を大きくする他はない」と言っているようだ。

日本のデフレギャップや潜在成長率を著しく小さく算出している裏には、日本経済の問題点を需要サイドから供給サイドにスリ変える意図が見える。これには財政再建派も悪乗りしている。もし需要サイドの問題、つまり需要不足が認められると財政支出による需要創出という話が避けられなくなると財政再建派は思っている。


デフレギャップや潜在成長率の算出方法や認識の違いには、理論経済学上の対立の影響も垣間見られる。先週号で、古典派(新古典派)経済学に基づく構造改革派と財政再建派、そして財政による需要創出の有効性を唱えるケインズ主義の積極財政派という分類を行った。デフレギャップや潜在成長率を異常に小さく算出している経済学者やエコノミストは、古典派(新古典派)経済学の信奉者と見て良い。

そもそも古典派(新古典派)経済学ではデフレギャップという概念は存在しない。古典派(新古典派)経済学の理論的な根幹をなす「セイの法則」では、作った物は全て売れることになっている。したがってパラメーターが動き価格メカニズムが機能すれば、失業者や生産設備の遊休は発生しないことになっている。

古典派(新古典派)経済学の世界では、自然失業率以上の失業は労働者の技能が劣るからであり、需要拡大策ではなく職を得るための教育訓練が必要と説く。また遊休状態の生産設備は、既に陳腐化していて使い物にならないから廃棄すべきと考える。たしかに「セイの法則」からは、このような結論が導き出される。
http://www.adpweb.com/eco/  

経済コラムマガジン 2017/12/18(967号)

経済論議混迷の根源はNAIRU


卑怯な言い訳を行う経済学者とエコノミスト

デフレギャップの推計には、

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で取上げた「可変NAIRUアプローチ」という方法がある。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemplayment)とはインフレ非加速的失業率のことである。これを自然失業率、つまり長期的にインフレ率に関係なく一定水準で存在する失業者の割合と同じという見方がある。

例えば失業率が5%であっても、自然失業率が3%であれば、実際の失業率は両者の差である2%と見る。もしこの2%の失業が解消すれば、実質的に失業者はいなくなり完全雇用ということになる。またこの状態(自然失業率の3%)でさらに追加の求人があれば、賃金率は上昇しインフレになるという認識である。


日本のデフレギャップの推計はこのインフレ非加速的失業率(自然失業率と言って良い)を念頭に行われている。また潜在成長率の推計はこのデフレギャップを元に算出される。失業率がインフレ非加速的失業率まで下がればデフレギャップはゼロになると解釈される。

デフレギャップがゼロになった状態で追加的に需要が増えても、賃金が上昇するので名目GDPが増えても実質GDPは増えないという考え方がある。つまり財政政策による需要創出は物価が上昇するだけなので無駄と見なす。したがってデフレギャップがゼロに近付けば、これ以上の経済成長のためには生産性を上げるしかないと主張する。

またデフレギャップや潜在成長率は内閣府や日銀など政府の機関で算出されているので、これらは公式の経済数字として扱われる。つまりこれらの数字は日本の経済政策に深く関わっていると言える。また多くの経済学者やエコノミストも同様の手法でデフレギャップを捉えている。日経新聞などには、これらの数字を絶対的なものと見なす論説ばかりが目立つ。


特に考えが固い経済学者は、デフレギャップがゼロの状態で少しでも需要が増えると、物価が止めどなく上昇するという。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で紹介したA教授はその典型であろう。A教授は「1兆円も財政支出を増やすと日本でハイパーインフレが起る」「私のシミュレーションプログラムでは、物価がどんどん上昇し計算不能に陥る」と言って引下がらない。どうもデフレギャップがゼロの状態が「閾(しきい)値」になっているようだ(まさにルーカス方程式)。またA教授が内閣府でも働く官庁エコノミトでもあることから、内閣府の現状認識が垣間見られる。

しかし驚くことに公表されるデフレギャップがゼロに近付き、それどころかマイナスとなった(逆にインフレギャップが発生)。ところが賃金が上がらず物価も一向に上昇しないのである。これが日本経済の現実の姿である。おそらくこれらの間抜けな面々にとっては信じられないことである。

そこでこれらの経済学者やエコノミストは、極めて卑怯な言い訳を行う。例えば「同じ可変NAIRUアプローチを使っても、研究者によってデフレギャップや潜在成長率の推定値に多少幅がある」「デフレギャップがゼロになると物価が上がりやすくなるだけ(必ず上がるとは言っていない)」と言った具合である。彼等は自分達の考え(経済理論)が根本的に間違っていることは絶対に認めない。そのうち本誌でも取り上げるが、認めると「まずい」のであろう。


NAIRUが潜在成長率を決めている

まずデフレギャップを失業率、つまり労働サイドだけに偏重して算定することがおかしい。供給力を規定する生産関数は、労働・資本・生産性の三要素ということになっている。しかしこれらの経済学者やエコノミストは労働と生産性をことさら重視するが、資本、つまり生産設備についてはほとんど触れない。

これについては

02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」
http://www.adpweb.com/eco/eco276.html

で取上げた。生産関数に関し、経済企画庁時代の80年代及び90年代の労働への分配率は0.54から0.58であり、資本への分配率は、0.42から0.46であった(同じ年の両者を合計すると1.00になる)。ところが2001年度の「経済財政白書」では、資本のウエートがいきなり0.33に引下げられ、労働への分配率が0.67と大幅に引上げられている。これは伸びの低い労働(就業者数は、1970年から2000年では1.2倍にしか増えていない)への分配率を大きくしデフレギャップを小さく算定するためのトリックと故丹羽春喜大阪学院大学名誉教授は推察していた。おそらく資本軽視(労働重視)の流れは、最近もっと酷くなっていると筆者は認識している。実際のところ

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で述べたように、日本の設備稼働率は低く経済産業省の調査統計部経済解析室のIIPの稼働率指数担当者に直接聞いた話では72〜74%で推移していた。


また

02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html


で取上げたように、この話を裏付ける大手製造業に対するアンケート結果が日経新聞の02年7月8日の一面トップに掲載された。需要が増えた場合の増産方法を問うものであった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は76%の「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。おそらくこの余剰生産力は今日でも保持されていると筆者は思っている(原発が止まっても遊休状態の火力発電所を動かしたように、ある程度の余剰生産力を持っている)。

つまり日本の生産力は5〜10%程度の需要増に即座に対応できると思われる。しかも需要増による物価の上昇はほとんど考えられないのである。つまり今日のデフレギャップや潜在成長率の認識と議論は全く現実離れしている。


06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html


で述べたように政府系エコノミストはGDPの過去の実際値の平均値や、景気動向指数を使って「潜在成長率」を算出している。つまりこれでは、大きく経済が落込こみ、かつその状態が長く続いた場合、落込んだ状態が普通、あるいは正常と見なすことになる。当然、デフレギャップはものすごく小さく算出される。特に日本経済はバブル崩壊、橋本政権の逆噴射財政政策、リーマンショックなどによる急激な落込みを経験している。

しかもその正常時とやらの失業率をNAIRU(インフレ非加速的失業率)と見なしている可能性がある。特に最近の労働偏重のデフレギャップの算出方法を考えると、極端な話、このNAIRU(インフレ非加速的失業率)だけでほとんど潜在成長率も決まることになる。


これらの一連の話に表立って「異」を唱えていたのは、筆者が知る限り故丹羽教授だけであった。唯一の例外は数年前に日経新聞の大機小機欄に掲載された「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。

17/11/13(第962号)「これからの重大な政治課題」
http://www.adpweb.com/eco/eco962.html


で述べたように、虚言・妄言が溢れる日経新聞にあって、「カトー」氏は「唯一まともで良識のある執筆者」と筆者は評価している。

まず「カトー」氏は、内閣府、日銀の両方とも、潜在成長率のNAIRUを使った推計値は信頼性が低いと指摘している。次に不況によって潜在成長率が下がっていることが考えられると言う。潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きいと述べ、拡張的なマクロ政策が必要と説く。さらに「履歴効果」にも言及している(これについては来週号)。最後に「カトー」氏は消費増税などはもってのほかと締めている。
http://www.adpweb.com/eco/

経済コラムマガジン 2017/12/25(968号)

狙いは需要創出政策の阻止


勝手に意味をスリ変え

ここ数週に渡りデフレギャップや潜在成長率などを取上げてきたが、これに関する議論が混乱していることを説明した。混乱の原因は、同じ経済用語でも使う者によってその意味が異なるからと筆者は考える。特に主流派と言われる経済学者やエコノミストが問題である。この違いをはっきりさせないまま彼等は勝手に議論を展開する。

そもそも彼等は経済論議を深めようといった意思を全く持っていない。もし議論を深めるつもりなら、最初に使う経済用語の意味や定義をはっきりさせる必要がある。しかし始めから議論なんかするつもりがないので、主流派の経済学者やエコノミストはこの重要なプロセスを省略し、一方的に片寄った持論を押付ける。日経新聞などはこの手のプロパガンダまがいの論説で溢れている。これら対し「おかしい」という意見を日本のメディアはまず取上げない。唯一の例外は、日経新聞では「カトー」氏のコラムぐらいである。


彼等と筆者達ではデフレギャップや潜在成長率の認識が異なる。筆者達は実際の供給力の天井と現実の名目GDPの差がデフレギャップと捉え、そのデフレギャップを元に算出した最大可能な成長率が潜在成長率と認識している。日本の供給力の天井は、主流派の経済学者やエコノミストが想定しているよりずっと高いというのが筆者達の主張である。

デフレギャップが1〜2%とか、ましてやデフレギャップがマイナスになる事態(つまりインフレギャップの発生)なんて絶対に考えられない。おそらく彼等は、日本ではなくインフレが常態化している中南米やアフリカなどの経済を想定した経済モデルでも使っているのであろう(あるいは「セイの法則」がある程度通用した19世紀の経済を想定)。


ところが今日、デフレギャップが極小(彼等のばかげたデフレギャップの算出方法で)となったにもかかわらず、一向に物価が上昇しない現実に直面している。先週号で述べたように、困惑した主流派の経済学者やエコノミストはデフレギャップのゼロの意味を「必ず物価が上がる」ではなく「上がりやすい状況になる」と卑怯にも勝手にスリ変えている。その程度の話なら、何故、彼等がこれまでデフレギャップや潜在成長率をことさら取上げて来たのか意味がない。

筆者は、政府機関は人心を惑わせるこれらの数字の算定を即刻止めるべきと言いたい(少なくともこれらのデタラメな経済数字の公表はするな)。もっとも主流派の経済学者やエコノミストの意図は見え透いている。人々(政治家を含め)が需要不足に関心が向かないないよう、供給サイドがパンク状態ということを強調したいのであろう。要するに財政出動による需要創出政策を阻止することが真の狙いと見られる。


先週号で説明したように、日本のデフレギャップや潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識して算出されている。この詐欺的な算出方法に同調する日経新聞は、日本中の人手不足の現場を必死になって捜し回って記事にしている。人手不足だからこれ以上の需要創出政策は不要と言いたいのであろう。

しかし人手不足の職場は、不正規雇用が中心で低賃金のところばかりである。例えば時給1,000円のアルバイトが足らないといった類の話になる。このような職場には、外国人の労働者が目立つのですぐ分る。しかし日経新聞を始め、日本のメディアは「時給1,000円」の意味を考えない。年間2,000時間も働いても(日本の正規雇用労働者の年間労働時間の平均はもっと少ない)、たった2百万円の収入にしかならない仕事である。一時的、あるいは片手間で働くのなら別だが、外国人を除けばそのような職場に人が集るわけがない。

もう一つの人手不足の現場は、昔から人々が敬遠する3Kの職場である。特に団塊の世代が引退しているので人手不足が顕在化している。ところがまだ有効求人倍率を見て、日本は完全雇用と言っている間抜けなエコノミストがいる。しかし求人の中にどれだけ多くの「ブラック職場」が含まれているか彼等は関知しないようだ。


履歴効果に負けないために

観念論者が唱えるNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップや潜在成長率の算定方法が、「おかしい」という声はとうとう米国でも起っている。失業率が完全雇用に近いと言われるレベルまで下がっているのに、米国でも一向に物価は上昇しないし賃金の上昇も鈍い。特にこれを気にしているのが米FRBである。

16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
http://www.adpweb.com/eco/eco904.html


で述べたように、求人が増えているといっても「雇用の質」が問題とイエレンFRB議長は適確な指摘をしている。米FRBが金融政策の転換に慎重なのも、このような米国の雇用情勢が影響している。移民が多く新興国並の需要がまだ期待できる米国でも、自然失業率というものに対する疑問が呈されているのである。米国より経済が成熟し高齢化が進む日本で、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識した議論がまかり通っていることの方が異常である。


そして日本経済が長く不調を続けることによって、本当の経済力を失うことを心配する声がある。先週号で紹介した「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。ここで言う潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)に基づいて算出されるインチキ潜在成長率ではなく、本当の意味での日本の潜在的な成長力と筆者は理解している。ケインズが言っていた資本主義経済における経営者のアニマルスピリットみたいなものと考えて良い。

たしかにここ30年間を見ても、経済が上向くと「次は財政再建だ」という声が必ず上がり、緊縮財政に転換し日本経済の成長を阻止する動きが起った。例えば異次元の金融緩和と大型補正予算で13年度は日本経済が上向いたが、14年度の消費増税と補正予算の大幅削減で日本経済は沈んだ。このようなことを続けていては、経営者のアニマルスピリットが萎えるのは当たり前である。

また「カトー」氏は同コラムでサマーズ元財務長官の「履歴効果」を引合いに出している。「履歴効果」とは「不況が長引くと物的資本や人的資源への投資が減少し、不況の影響が履歴のように潜在成長率に残っていく」というものである。そして「カトー」氏は「履歴効果のことを考えると、潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きい」と指摘している。したがってこの対策には拡張的なマクロ政策が必要と「カトー」氏は結論付けている。


サマーズ元財務長官は

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html

14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
http://www.adpweb.com/eco/eco807.html

で紹介したように、「米国経済の長期停滞論」を展開している。サマーズ氏は、米国のデフレギャップが10%以上あると主張している。つまりNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップの算出方法を完全否定しているのだ。したがってこれでは賃金が上がるはずがないとサマーズ氏は指摘している。

米国のデフレギャップが10%なら、生産設備の稼働率が米国より常に10%程度低く推移していた日本のデフレギャップは15〜20%程度と見て良いと筆者は思っている。またサマーズ氏は、「履歴効果」に負けないためには需要創出のマクロ政策が必要と説いている。ただし需要創出は財政政策を中心にすべきと主張し、金融緩和政策に偏重することをサマーズ氏は警戒している。

これは金融緩和政策への偏重によるバブル生成とバブル崩壊を危惧するからである。またサマーズ元財務長官は、米国だけでなく日本の経済政策にも同様のことが言えると指摘している(金融政策偏重に警鐘)。この意見に筆者は賛成である。しかし日本の来年度の予算編成を見ても、とても十分な財政政策が組込まれているとは思われない。筆者は新規国債発行による大胆な財政政策を主張してきた。しかし残念ながら、日本ではこれからも金融政策に偏重した政策が続くのである。
http://www.adpweb.com/eco/






49. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2017年12月25日 11:27:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済学というイデオロギー 2017-12-24
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12338740907.html


 さて、毎度おなじみの国の借金でございます。


『国・地方の借金1108兆円に…なお先進国最悪
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20171222-OYT1T50044.html

 財務省は22日、2018年度末の国と地方を合わせた長期債務(借金)の残高が、17年度末の見込み(1087兆円)より約21兆円増え、1108兆円になるとの見通しを発表した。

 09年度から約288兆円増え、過去最大を更新する。
 内訳は国が約915兆円、地方が約192兆円となる。国民1人当たりの金額に換算すると、17年度より18万円多い、約874万円の借金を抱える計算だ。(後略)』



 さて、国の借金(正しくは「政府の負債」)云々の説明はとりあえず置いておいて、本日は「国の借金プロパガンダ」の根本について書いてみたいと思います。


 昨日のシンポジウムで、中野剛志先生や藤聡先生が強調していらっしゃいましたが、事の本質は、
「正しいか、間違っているか?」
 ではないのです。


 経済学という、現実を無視した特定の「イデオロギー」に日本の政界、官界、学会、財界、そしてマスコミが染まってしまっており、「現実にどう対処するか?」という普通の道を選べなくなっているのが、現実の日本です。


 人類の歴史において、イデオロギー先行で政治が行われたとき、大抵、国民は酷い目にあいます。


 現在の日本国民は、「経済学というイデオロギー」先行で政治が行われている結果、ひたすら貧困化しているという「根本」を理解して欲しいのです。

「自由貿易はとにかく正しい。反対する奴は、頭がおかしい」

「グローバリズムは歴史の必然だ」

「民間活力の導入(民営化)は、とにかくいいことだ」

「既得権益をぶち壊す規制緩和は、経済成長に貢献する」

「プライマリーバランス黒字化を達成しなければ、国の借金で破綻する!」


 上記は、全て経済学(厳密には新古典派経済学)に基づくイデオロギーです。
つまりは、コミュニズムやファシズムと同じであると理解しなければなりません。


 無論、自由貿易やグローバリズム、民営化、規制緩和、PB黒字化が「正しい環境」というのもあるのでしょう。とはいえ、それを言ったら「コミュニズム」や「ファシズム」であったとしても、有効な時期があるかも知れません。


 自由貿易、グローバリズム、民営化、規制緩和、PB黒字化、コミュニズム、ファシズムなどなど、これらは全て「道具」であって、目的ではないのです。


 目的はあくまで経世済民。国民を豊かに安全に暮らせるようにすること。これ以外に、政府の存在目的はありません。


 経世済民を達成するために、現実を踏まえて、いかなる政策を講じるか。これが、本来の政治の仕事なのです。


 ところが、現在の日本はイデオロギー先行になってしまっています。しかも、「経済学」という、過去400年近く、人類を苦しめたイデオロギーに染まってしまい、政策が立案されています。
 結果、例により国民が不幸になっている。


 イデオロギーではなく、現実を踏まえた政策を。この方向転換だけkで、日本国民は「豊かで安全な国家」を手に入れることができるのですが、現実はままなりません。


 もっとも、昨日のシンポジウム懇親会のラストでも話しましたが、我々日本国民がグローバリズムあるいは経済学というイデオロギーに苦しめられるのは、今に始まった話ではありません。始まりは、恐らく1543年にポルトガル人が種子島に漂着した時点なのです。


 過去、500年近く、我々の先人たち(日本人)はグローバリズムに苦しめられ、足掻き、何とか生き延び、妥協し、繁栄の道を探ることを続けてきたのです。


 今の我々も、過去の日本人たちと同じなのです。


 我々の足掻きは、1587年に豊臣秀吉がイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を送り、「奴隷交易(まさに「ヒトの移動」の自由!)」を禁止した、その延長線上にあるという話です。


 日本国が繁栄するためには、経済学あるいはグローバリズムというイデオロギーを、打破しなければなりません。


50. 中川隆[-5563] koaQ7Jey 2018年2月28日 17:54:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「公平な貿易」は誰を幸せにするか?日本が知らないフェアトレードの今と未来=田中優
2018年1月30日 ニュース
http://www.mag2.com/p/money/368677



「フェアトレード」を知っているだろうか? 途上国の生産物を「適正な価格」で買おうという運動だが、南北格差の根本解決にはほど遠い状態になっている

子供の奴隷労働が支える豊かな生活。世界に「観客席」などないのに

「フェアトレード」とは何か

先日友人に話したら、「フェアトレードって何?」と聞かれてしまった。「公正な貿易」と答えたとしても、理解はされないだろう。現象としては「貧しい国とされる南の国の生産者に公正なレベルの報酬を支払い、適正な価格で商品取引を継続すること」となるだろうか。とりわけ近年は理解されにくくなった。おそらく人々の意識が内向きになり、海外に対する意識が乏しくなっているせいもあるだろうが、もっと大きい点は貧しくて生きるのがやっとという人々が世界の中で見えにくくなったことが影響しているだろう。

それは海外ばかりでなく、同じ国に住んでいても見えにくい。子どもの5人に1人が貧困状態にあるなどと言われても、具体的には見えないのだ。だからまず、貧しさによる生活困窮の状態を知ってもらった方がいい。2001年にはこんな事件があった。

2001年に発覚した悲惨な事件


・さまよえる奴隷船と児童労働

2001年4月17日未明のこと、西アフリカのベニンの港町「コトヌー」に一隻の船が帰港した。船はナイジェリア船籍の「MVエティレノ号」だ。全長60mほどの小さな船舶だが、その船の中には23人の子どもがおり、みな病気で食糧や水も不十分な状態だった。

この船が3月30日に同港を出港したとき、多数の子どもたちが積み込まれたというのだ。その数は130人とも180人とも伝えられた。「ユニセフ(国際児童基金)」など諸団体は警告を発した。「その子どもたちは近隣諸国の農場や家庭に人身売買される『奴隷』である」と。

このため船は近隣諸国で入港を拒否されてさまよっていたという。帰港を待ち構えていたベニン政府、警察、ユニセフなどの関係者はくまなく船内を捜索したが、船内で確認できた子どもは23人だけであった

その後調査がおこなわれ、実際に人身売買が確認されたのは13人とされた。親には子ども1人につき14ドル相当のお金(当時のレートで1400円)が支払われていたという。しかし100人以上の子どもの消息は不明のままだ。

子どもたちはどこに消えたのか。

出典:カカオとチョコのほろ苦ものがたり(4) – mamataroの未来のつくりかた(2009年5月17日配信)

しかしこの事件は氷山の一角だ。ユニセフによれば、この地域で人身売買される子どもの数は少なく見積もっても年間20万人。ブルキナファソやマリなどより貧しい国々の子どもたちが30ドルほどで売買されてくるという。受け入れ先は「ガボンや赤道ギニア、コートジボワール、ガーナ」で、待っているのは「家内労働」、「農場や漁場の労働」、「児童買春」などの強制労働だった。

船に乗せられた子どもたちは10才から14才で、強制労働や債務労働、少年兵士、児童買春などは「最悪の形態の児童労働」に就かされるという。調べると、それは奴隷労働に等しい酷使の実態であった。

なかでも注目されたのが「コートジボワールのカカオ農園」だった。「コートジボワール」は世界最大のカカオ産出国で、世界中で食べられているチョコレートやココアの40%がここで作られている。そのカカオ生産が過酷な児童労働に支えられていたのだ。

新しい21世紀だと世界が祝賀を挙げていた頃、世界の一方の片隅では、こんな事件が発生していたのだ。

たわわに実ったバナナ畑の脇で、飢えて死ぬ子どもたち

ぼく自身も海外で実際の状態を見ている。フィリピンの片隅では、山頂に近い荒れたはげ山の土地に先住民が追いやられ、そこからバナナのプランテーションに働きに出ていた。バナナの房は1つ20キロ程度あるが、それは人間が肩に担いでいかなければならない。日本に輸出されるバナナは、傷があると売れないので機械で運び出すことができないのだと聞いた。

そのバナナは、現地の人々の口には入らない。輸出専用だからだ。それを洗浄して防腐して箱詰めしてトラックで運び、船の船倉に運び込むまでが彼らの仕事だった。それでも1日の賃金は100円ほどにしかならない。そのため飢餓の状態で亡くなる子どももいるのだと。

想像してみてほしい。たわわに実ったバナナ畑の脇で飢えて死ぬのだ。書かれてはいないが、そのバナナは「日本人食用専用」だ。自らは飢餓の状態でいながら、輸出しなければならない。文字通りの「飢餓輸出」が起こっていた。

奴隷労働で学校に通えない子どもたち

マレーシアでは油やしのプランテーションを見に行った。子どももプランテーションの中で働いている。親の傍で働くので楽しそうにしているのだが、その子は学校に行っていない。学校に行こうにもそれだけのおカネが稼げない。ましてや油やしのプランテーションは、切り落としてから1日以内に精製しなければ良い油が取れないので、工場の周囲に市町村1つ分のプランテーションがなければ操業できない。市町村1つ分の面積の外に学校があっても、通うことができないのだ。

そして数字も文字も習わないまま結婚に至る。その相手もまたプランテーションの中に住む労働者の子だ。なんと一生に渡って遠くない距離にある街に出たことがない人々が住んでいた。これは奴隷ではないのか。

このようにして私たちの「豊かな」暮らしが成り立っている。そんな血塗られたチョコレートやバナナ、揚げ油にやし油を使ったスナック菓子など食べたくないと思うのは当然ではないだろうか。

「適正な価格で買ったものを食べたい」という運動

そこで人々を奴隷労働させたのではない、適正な価格で買ったものを食べたいと思ったところから「フェアトレード」は始まった。

西欧のクリスチャンに始まったフェアトレードの運動は、多分に慈善運動の要素を含んでいた。だからよく教会で販売するものは、バザーのように買うことが慈善につながると思って買われていた。だから当初は生産現場の公害問題や使っている薬品、デザインや環境的なダメージまでは考えられていなかった。

そのせいで徐々にフェアトレードの品は売れなくなっていった。いくら慈善のためと言っても、その文化圏では着られないような服を購入することはできなかったからだ。

現在もバングラデシュのジュートを使った「ジュートワークス」の籠や服などを販売している「グローバルビレッジ」が、日本にありながらそれに対応できる答えを出した。「グローバルビレッジ」の代表のサフィア・ミニーは、普通のおしゃれなお店で売られているような衣服を販売したかった。そのためにはデザインが良く、素材や染料まで天然のものに代えて、十分センスに対応できるものにしたのだ。これがいち早く日本で広がり、その手法は海外にも広がっていった。

ここからフェアトレードは「2.0」の段階に入る。海外生産者の内部にまで踏み込んで、女性や子どもの労働環境改善といった外部不経済の解決、持続可能社会の実現に向けた環境的配慮にまで活動の裾野が広がってきたのだ。慈善活動からここまで広がることによって、フェアトレードは、「買い物を通してできる身近な国際協力の形」となってきたのだ。


埋まらない南北格差

ここで「一次産品のフェアトレード」の話に戻そう。

世界での南北問題が1960年代に焦点となり、地球の北半球に位置する豊かな先進国と、南半球に分布する貧しい工業発展途上国との対立が先鋭化した。

1961年の国連「開発の10年」を契機として、南北格差を解決すべくUNCTUD(国連貿易開発会議)が国連に常設機関として決議された。ところが、発展途上国間の関税削減と非関税貿易障壁の排除・削除をはかる特恵関税は1988年になってから、一次産品の輸出に大きく依存する発展途上国に援助を提供する政府間金融機関の一次産品共通基金(CFC)は1989年と、実現までに「開発の10年」から25年以上も経っていた。1990年代からは債務削減に関するさまざまな合意へと進んだが、実に緩慢な動きだった。

その間に1973年からは第一次・第二次のオイルショックに見舞われ、南の国々は激甚な被害を受けることとなった。下図はオイルショック当時の原油、食料品、その他の一次産品の価格を指数で示したものだ。

http://www.mag2.com/p/money/368677/3

これを見ると、原油価格が急激に見上がりしたにもかかわらず、石油を使って生産している食料品も一次産品も価格が追いついていない。生産しても原油価格の値上がりに追いついていないのだから、より利益が少なくなるか赤字輸出に陥っていったのだ。これがそもそも「国連貿易開発会議」が必要になるほど困窮していた開発途上国に襲い掛かったのだ。

このオイルショックによって世界全体が不況に陥る中、世界銀行は不況によってだぼついた資金を、開発途上国に振り向けた。先進国は生産のためのプラントなどを途上国に輸出することで不況から脱していった。

特にこれら生産プラントを輸入して工業化をめざした国を「ハイ・アブゾーブドカントリー」と呼ぶが、そうした政策を取り入れた国であればあるほど赤字化した。それらの輸入したプラントは、旧式の品だったのだ。ここから世界中を貧富の格差で分割するような債務問題が発生したのだ。

先進国の付け値で販売を続けるしかない途上国

そして債務問題が深刻化すると、債務を返済させるための仕組みが始まった。国際通貨基金(IMF)が「構造調整プログラム」を債務国に課し、それに従わないと追加融資しないだけでなく、実質的に国際貿易から締め出した。

従わないという選択肢はない。そこで押しつけられる政策は、「社会構造を調整して債務を返済できるようにする」ものであり、具体的には途上国の通貨価値を引き下げること、「福祉・教育・医療」に使うようなおカネがあるなら返済させること、国内で消費するような産物は生産せず、海外への輸出に振り向けて返済に充てることを求めた。同時に途上国にある採算性の良い企業を、先進国企業に身売りさせた。

これは上の「国連貿易開発会議(UNCTUD)」の方針と真逆であることに気づいてほしい。しかも国連よりはるかに強力な国際金融機関によって推進されたのだ。この構造調整プログラムに世界銀行もまたすぐに参加した。しかし世界銀行こそ古いプラントを売り込んで借金地獄に陥れた張本人なのに。

その結果は悲惨なものだった。次の図をみてほしい。

http://www.mag2.com/p/money/368677/3

上で述べたように「一次産品の輸出に大きく依存する発展途上国」なのだ。しかし否応なしの債務返済の圧力によって、「価格が上がって戻るまで待つ」のではなく、「より多量に輸出する」ことを選んだことによって、一次産品の価格は下がり続けたのだ。

実質的に「国連貿易開発会議」の方針と「構造調整プログラム」の方針は真っ向から逆になっている。しかし国連は「一国一票」だからある程度民主主義が進められるが、IMFも世界銀行も出資国の出資額に応じて票になる。なんと先進国G7だけで投票数の過半数を超えるのだ。実質先進国が過半数を得て進めている。

このような仕組みと社会で一次産品共通基金(CFC)を作ったところで、どうなるかは火を見るより明らかだった。

途上国で生産されるコーヒー、紅茶、バナナなどの食料・飲料類、非食用原料、油脂、鉱物性燃料、金属、鉱産物などの一次産品に対しては、途上国経済が大きく依存する品である。そのため価格安定・輸出所得の改善を目的として「国際商品協定」が締結されたのだが、すでに一方には「構造調整プログラム」が進んでいた。やがて「国際商品協定」は実質的に意味を失い、人々の認識の中ですら忘れ去られていった。

実質的に失敗したまま、現在に至っている。途上国の側には価格形成権などなく、ただ先進国側の付け値で販売するしかなくなったのだから。

さらに進む先進国有利

このように実質的に途上国には全く闘う術がないという状況の中、世界はさらに先進国に有利な「経済のグローバリゼーション」の時代に入っていったのだ。その後の世界の価格市況を見てみよう。

http://www.mag2.com/p/money/368677/4

いまだに一次産品の価格指数は下がり続けている。その間にブリックス諸国の台頭、とりわけ中国の資源輸入の急増があったというのに、下がり続けている。

こうして世界の中には貴族のようにマネーゲームで暮らすような先進国と、奴隷のように働きながら食べることも困難な途上国とに分離したのだ。

フェアトレードに期待するのは難しいが…

この経過をきちんと知るなら、フェアトレードに過大な期待などできないことがわかるだろう。国連自ら機関を作って進めたのに敗北したのだ。それを強大な力で叩き潰したのが、多国籍企業とその手先と化している国際通貨基金(IMF)と世界銀行なのだ。

ところが今では「フェアトレードは偽善だ」とか、「効果がほとんどない」とか「相手の団体の組織運営が民主的でない」とか、非難するのが流行っている。もともとそんなに大きな効果はないのだ。国連すら敗北する強大な力に対して何ができるというのか。

しかしだからといって、貧しい国の人々の努力を踏みにじるような行為に加担したくないというのが「フェアトレード」なのだ。そしてさらに言えば、それをさらに進化させたい。「グローバルビレッジ」のサフィアさんは以前に言っていた。国内の農産物も販売したいと。そこに格差があるなら、なくなるようにしたいのだ。

大きな企業の「フェアトレード」への参入もある。否定したい気持ちもわかるが、それでも「悪人」にはしたくない。それほどの効果がなかったとしても、企業の企画に取り入れるのは大変なことだからだ。

フェアトレードを活かす方法とは

その中でぼく自身はさらに夢を見る。インターネットの発達と決済方法の多様化、国際的な物流の発達は、やがて世界中を覆うだろう。その時、個人から発信する商品が販売されていく時代が来るのではないか。

ぼくの友人は「現代農業」という出版社から、『小さな農家で稼ぐコツ(西田栄喜著)』という本を出版し、2年経つというのに未だに売れている。本に書かれている農場では、たった30アールの農地(普通の農地の10分の1しかない)で、年間1200万円の売り上げを出しているのだ。

しかし、インターネットを活用するにしても、画一的な価格だけが競争力になるものの販売には向いていない。私は「一品物」を販売するのに適したツールではないかと思っている。「貿易」がインターネットの発達などによって次世代の販売方法に移っていくなら、新たな「フェアトレード」が可能になるかもしれない。

ただ「フェアトレード」をそしるより、参加する人の気持ちを実現できる仕組みを編み出した方がいい。この世界の中には「観客席」はないのだ。


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51. 中川隆[-5593] koaQ7Jey 2018年3月03日 18:46:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月03日
経済センスゼロの麻生大臣と安倍首相

この2人よりましな人が居ないとしたら、日本の将来は暗い

これからも日本経済は良くならない

裁量労働制の議論で分かったのは、日本のリーダーの誰も経済の簡単な原則を知らないという事でした。

麻生財務大臣・安倍首相・官僚たち・自民党の次期首相候補の誰も「給料を減らせばGDPが減る」のを知りませんでした。

話は「経済優先の安倍首相」と「生活優先の野党」になってしまっているが、そうではありません。



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「国民の給料の合計=GDP」なのだから残業代をカットすれば当然GDPが減り、税収が減って財政悪化するのです。

たとえば某安売りブラック衣料品店の基本給12万円、残業代8万円で20万円払っていたとします。

これからは基本給12万円だけで労働時間は同じになり、労働者の収入は減ります。


収入が減ったので消費しなくなり、納税もしなくなり、国保や年金も払えなくなり国の財政は悪化します。

こういう話なので、経済にとっては最悪で国の税収は悪化、デフレ経済に逆戻りするでしょう。

問題はどうも麻生財務大臣や安倍首相らが、「自分たちは経済に良い事をしようとしている」と考えているらしい事です。


確信犯の悪党ならまだ政策転換する可能性があるが、無知ゆえに「良い事をしている」と思っているから直らない。

給料を減らす発想は輸出幻想から来ている

政治家の無知をもたらしているのは経済界、経団連で名前を聞くと経済に良い事をしているように見えます。

ところが経団連を牛耳っているのは輸出企業で、輸出企業は日本が滅んでも輸出を拡大するのが利益に繋がります。

例えばトヨタの労働者の時給を「100円」にしたら、日本は滅びるがトヨタは輸出で大儲けします。


こんな連中が政府の顧問として政策提言や助言をしているので、「給料下げれれば経済が良くなる」と思い込むのです。

輸出は日本経済の5%程度に過ぎないが、60%以上を占める消費と内需は輸出のために犠牲にされている。

その輸出なのだが、輸出が経済に貢献しているというデータはなく、世界で高成長している国のほとんどが貿易赤字です。


GDPが大きな国で貿易黒字なのは中国・ドイツ・日本の3ヶ国くらいなのにたいして、他の大半は貿易赤字です。

では貿易黒字国は赤字国より成長率が高いかというと、そんな事はありません。

中国の成長率は高いがドイツと日本は高成長ではなく、赤字のアメリカ・カナダ・フランス・オーストラリアとそれほど変わりません。

国のリーダーが無知では経済は回復しない

現代では生産技術の向上によって、一カ国で全世界全ての工業製品を生産して輸出するのも可能になりました。

すると輸出国なんてのは一つあれば十分なので、過当競争で「輸出するほど国が衰退する」現象が起きます。

反対に貿易赤字国は自国内の経済活動で成長しているので、他国との競争に勝つ必要がなく、安定した経済成長をしています。


人口が多い国だけではなく、日本より人口が少なく面積が狭い貿易赤字国で、日本より良い暮らしをしている国もあります。

貿易赤字にする事で為替が安くなり、輸出競争力が高まるという矛盾した現象も起きます。

アメリカは貿易赤字なのでドルが安く、安価な製品を日本に輸出して儲けています。


日本は輸出を増やせば増やすほど貧しくなりGDPが減少し、GDPを増やすには国内消費を増やすしかありません。

国内消費を増やすためには国民全員の収入を増やす必要があり、その認識があれば「残業代カット」という発想が出てくる筈がありません。

消費税というのも最悪で、消費すると罰せられるのだから、100%消費を縮小させGDPを悪化させます。


ところが国のリーダーがこの事を理解せず、経済を悪化させて「おれは良い事をした」と思っています。
http://www.thutmosev.com/archives/75153438.html

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52. 中川隆[-7850] koaQ7Jey 2018年4月09日 11:32:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10042]

経済コラムマガジン 2018/4/9(981号)


比較優位という間抜けな経済理論があるが(為替が操作されることを全く想定していない)、今の人民元安の元では全ての製品の製造を中国で行うことが優位となる。


トランプ大統領の中国に対する今回の制裁を「保護主義だ」「自由貿易に反し、米国の経済成長率を下げる」と観念論者は批難する。たしかに最初に波風を立てたのはトランプ大統領であった。しかしとても中国は自由貿易の優等生とは言えない。

トランプ大統領が指摘しているように、中国に進出する外国企業に技術移転を強要したり、また進出企業には中国企業との合弁しか認めないという取決めは、明らかに資本の自由の原則に反している。また資金の本国への送金や進出企業の中国からの撤退が自由にならない。これらについて中国は「まだ中国が開発途上国だから」とこれまで言い訳をしてきた。今日の中国経済を見れば、このような話が世界に通じるはずがない。これらに対して「おかしい、理不尽だ」と言える唯一の国が米国ということになる。

少なくともトランプ大統領までの歴代の米大統領はこれらを見過ごしてきた。本誌が指摘してきた「異常な人民元安」と「この中国への進出する企業に対する自分勝手な取決め」はもっと早くから是正されてしかるべきであった。しかし中国は巧みロビー活動によって、これらの批難をかわしてきた。


貿易戦争には勝利者はいないという陳腐な話がある。また自由貿易こそが互いの利益となるという。しかしこれらは間抜けな観念論者のセリフである。自由貿易と言いながら、中国はとんでもなく安い水準で人民元レートを維持してきた。

比較優位と間抜けな経済理論があるが(為替が操作されることを全く想定していない)、この人民元安の元では全ての製品の製造を中国で行うことが優位となる。

この常軌を逸した安い人民元レートを維持する方法として、中国は途方もない額の為替介入を行ってきた。このため膨大な米ドルが溜り、中国はこれで米国債を大量に買ってきた。これは米国のためではなく、全て人民元を安く保つという中国の都合である。このメカニズムを理解せず、何を勘違いしたのか当時のポールソン財務長官は中国が米国債を買ってくれていると感謝していた(米国債は中国が買わずともFRBが買えば済む話)。


米国人は米ドルでどの国とも取引が出来るので、元々、為替レートやその変動に無頓着である。これが中国の犯罪的な為替操作を長年見過ごしてきた原因の一つと筆者は見ている。中国に進出している企業(主に多国籍企業)も、対米輸出を容易にする安い人民元を暗黙のうちに容認してきた。むしろ多国籍企業は、安く人民元レートが維持されるよう、米政界にロビー活動を行っていた可能性がある。
http://www.adpweb.com/eco/


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

53. 中川隆[-9626] koaQ7Jey 2018年4月14日 09:51:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10270]
米国の関税戦略に「日本封じ込め」の意図あり
トランプに対抗し、再び「富国強兵」を目指せ
中野 剛志 : 評論家 2018年04月13日
https://toyokeizai.net/articles/-/216132

日本を関税の適用対象にすることで、米国との二国間貿易交渉に追い込もうとしているのは明白だが…(写真:REUTERS/Carlos Barria)

米国は、3月23日からの鉄鋼とアルミ製品への関税適用について、カナダ、メキシコ、欧州連合(EU)、豪州、アルゼンチン、ブラジルそして韓国を4月末までの期限付きで対象から外したが、日本は対象とされた。安全保障を理由とする関税であるにもかかわらずだ。

なぜ日本はこうした事態に陥ったのか。

『富国と強兵 地政経済学序説』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444386/toyokeizaia-22

でポスト・グローバル化へ向かう政治、経済、軍事を縦横無尽に読み解いた中野剛志氏は、トランプ大統領が日本を関税措置から外さなかったのはむしろ当然の結果だが、米国の要求を受け入れつつ、日本にとっても大きな利益となる方法があるという。どういうことか、解説してもらった。

トランプ大統領の明確な戦略性

米国の鉄鋼とアルミ製品への関税の適用に対して中国は、4月2日、報復として米国からの輸入品に関税を上乗せした。すると米国は、3日、知的財産権侵害を理由に通商法301条に基づき、半導体などハイテク分野を中心に約500億ドル相当の関税を課すと発表した。

4日には、今度は中国が航空機、大豆、自動車を含む106の米国製品への500億ドル相当の報復関税計画を発表すると同時に、米国を世界貿易機関(WTO)に提訴した。

すると米国は中国の報復関税に対する報復として、5日、1000億ドル相当の中国製品に対する追加関税措置を検討すると発表した。

こうした中、習近平国家主席は10日、自動車への輸入関税を今年引き下げ、自動車合弁の外資出資規制を緩和する方針を表明したが、これに対する米国の反応は、本稿執筆時点においては明らかではなく、米中関係は、まさに典型的な貿易戦争の様相を呈している。

しかし、この米国による関税措置を、トランプという非常識な言動の多い大統領による理不尽な政策として片づけてしまうと、その本質を見失うことになろう。

まず、関税の適用対象となった国々を見てみると、米国の明確な戦略性が浮き彫りとなる。

たとえば、米国の鉄鋼の主な輸入先の約半分を占めるカナダ、ブラジル、韓国、メキシコの4カ国が、暫定的に適用対象から外されている。関税引き上げは、輸入品の価格高騰によって国内経済に打撃を与え、国民からの反発を招くおそれがある。それを計算に入れて、この4カ国の適用を除外した可能性がある。

また、暫定的に適用除外とされた韓国、カナダおよびメキシコ、EUは、米国と貿易協定の協議中である。この関税措置を利用して交渉相手国に譲歩を迫る意図があることは明白だ。そして、日本に対しては、関税の適用対象にすることで、米国との二国間貿易交渉に追い込もうとしていることは言うまでもない。

各国が米国に対して対抗措置をとり、米国が孤立するというリスクについても、トランプ政権は考慮に入れている。たとえば、事前に断固たる報復措置を示唆していたEUやカナダは、適用対象外となった。また、一律・無差別な関税措置ではないので、各国が一致団結して反発し、米国が孤立するという構図にもなりにくい。適用除外国にとっては、他国に関税が課せられていることは、むしろ望ましいからだ。

中国との「貿易戦争」は狙いどおり

これに対して、中国との貿易戦争については、米国は織り込み済みであったと思われる。むしろ、それが狙いであったとすら言える。

第一に、中国との貿易によって米国が不利益を被っているというトランプ大統領の主張は、必ずしも間違いではない。

経済学者は伝統的に、自由貿易は各国の経済厚生を向上させると信じてきた。そして、自由貿易に反対する者を、経済学の初歩をも知らぬ愚か者と見下してきた。

ところが、ここ数年、デイヴィッド・オーター、デイヴィッド・ドーン、ゴードン・ハンソンといった優れた経済学者たちの一連の研究によって、中国がWTOに加盟して自由貿易体制に参入して以降、米国の製造業の雇用が打撃を受け、労働者が不利益を被っていることが明らかにされている。

自由貿易論者は、この労働者の不利益を過小評価している。なぜなら、自由貿易の理論は、自由貿易によって失業した労働者が出たとしても、その労働者はすぐに別の産業で雇用されると仮定しているからだ。

しかし、一般常識で考えても、ある産業で失業した労働者がすぐにほかの産業で雇用されるなどということは現実にはありえない。

オーターらの実証研究
http://nber.org/papers/w21906

は、この常識を確認するものであり、1999年から2011年の間に、米国は中国からの輸入の増加によって240万人の雇用を失ったと推計している。

中国との自由貿易によって米国の雇用が奪われたというトランプの主張には根拠があるのだ。また、今般の関税措置の理由の1つとなった中国の知的財産権の侵害についても、周知の事実である。

ちなみに、自由貿易論者は、1930年代の米国による関税引き上げ(スムート・ホーリー関税法)とその報復の連鎖が保護主義の台頭を招き、世界恐慌を悪化させたという説を歴史の教訓として持ち出すが、この説は誤りである。実際には保護主義の連鎖による悪影響はわずかであったことが複数の研究者によって明らかにされている。景気の悪化が保護主義の台頭を招くのであって、保護主義の台頭が景気を悪化させるのではないのだ。

しかも、今回の関税措置は、すでに述べたように適用対象国を限定している。したがって、今回の関税とその報復の連鎖については、もちろん、被害を受ける個別の産業はあり、また株価の下落による一時的な不利益もあろうが、マクロで見た世界経済や米国経済への悪影響については、さほど怖れる必要はないであろう。

第二に、中国との自由貿易によって米国が被った不利益には、安全保障上の問題も含まれる。

冷戦終結後の米国は、中国に自由貿易体制の恩恵を享受させれば、中国が米国主導の国際秩序に挑戦することはなくなるだろうという戦略に立っていた。その背景には、自由貿易は平和をもたらすというリベラリズムの信念があった。米国が中国のWTO加盟を後押ししたのも、このリベラルな戦略ゆえであった。

ところが、中国の戦略は「富国強兵」であった。中国は自由貿易体制に組み込まれた2000年代初頭以降、目覚ましい経済成長を遂げるのと並行して、軍事力を驚異的なスピードで拡大し、東アジアにおけるパワー・バランスを動揺させるに至ったのである。自由貿易によるリベラルな国際秩序の建設という米国の戦略は、中国の富国強兵の前に敗北を喫したのだ。

米国も、さすがに2000年代後半には、「自由貿易による平和」が幻想にすぎなかったと気づいた。前オバマ政権がアジア重視戦略を打ち出したのも、そのためだった。しかし、このアジア重視戦略は、中国の富国強兵を阻止するうえでは、ほとんど何の効果もなかった。

今回の関税措置は、この冷戦終結後の米国の対中戦略の失敗とその反省という脈絡の中に位置づけて、理解すべきなのである。

ただし、米国は、1つ、大きな戦略的ミスを犯している。

米国は、今回の関税措置において、中国に対して特に強硬な姿勢で臨むと同時に、ロシアも適用対象国とした。その結果、米国市場へのアクセスを制限された中国は、ユーラシア大陸の内陸部への進出をより強めるであろう。ロシアもまた、中国への接近を図るであろう。

こうして、トランプの関税措置は、ユーラシア大陸を勢力圏におさめようという中国の「一帯一路」戦略を加速し、強化してしまうのだ。ユーラシア大陸内陸部を勢力圏におさめたら、中国は、今度は南シナ海、そして東シナ海への進出を本格化させるであろう。要するに、日本の安全が危うくなるような地政学的変化が引き起こされるのだ。

日本は報復措置を怖れる必要のない相手

ところで、なぜ米国は、安全保障を理由とする関税措置の適用対象から、同盟国の日本を除外しなかったのか。実は、これは、さほど不思議なことではない。

まず、押さえておかなければならないことは、そもそも日米同盟は、かつてのソ連や現在の中国・北朝鮮に対する封じ込めであると同時に、日本に対する封じ込めとしての性格を併せ持つ「二重の封じ込め」であったということだ。つまり、親米派がどう信じようと、米国にとって日本は、安全保障上の潜在的な脅威の1つに数えられるのだ。

この日米同盟の「日本封じ込め」の側面に着目するならば、米国が安全保障を理由に日本を関税措置の対象としたことは、驚くには当たらない。

次に、「二重の封じ込め」の「中国・北朝鮮封じ込め」の側面に着目するならば、日本は、確かに日米同盟のおかげで、中国・北朝鮮という地政学的脅威に対抗している。しかし、このように自国の防衛を米国に依存している状態にありながら、米国の要求をはねのけるなどという選択肢は、日本にはないに等しい。つまり、米国にとって日本は、EUやカナダとは異なり、報復措置を怖れる必要のない相手なのだ。

米国が、この日米同盟の「二重の封じ込め」の構造を利用して、日本にさまざまな経済上の要求をのませる。これは、何も今になって始まったことではなく、これまでもそうであった。「それは、トランプ政権の下でさらに決定的なものとなろう。これは構造的な問題であって、日米首脳が信頼関係を構築すれば回避できるといった類のものではない」と、筆者はトランプ政権発足直後に警告を発しておいた

(日米首脳の蜜月こそが日本経済の「足かせ」だ)。
https://toyokeizai.net/articles/-/157972


米国の要求を受け入れつつ、日本にも利益となる方法

さらに深刻な事態も予想される。

もし米中貿易戦争がエスカレートし、巨大な中国市場へのアクセスを制限された場合、米国は東アジアへの関心を大きく低下させるであろう。そのとき、米国の東アジアからの撤退がいよいよ現実味を帯びてくる。それを怖れる日本は、今後、ますます米国の要求を拒否できなくなるであろう。反対に、中国が米国の要求に応じた場合には、米国はその標的を日本市場に絞ることとなる。


『富国と強兵 地政経済学序説』

さて、以上のような全体構造を直視するならば、今回のトランプの関税措置に対し、わが国が打てる手はほとんどないかにみえる。

しかし、1つだけ、米国の要求を受け入れつつ、日本にとっても大きな利益となる方法がある。

それは、米国の貿易黒字削減要求に対して、内需拡大によって応じることだ。内需拡大による経済成長は、米国からの輸入を増やすというだけでなく、日本国民を豊かにする上でそもそも必要なことだ。

内需拡大の実現には、積極的な財政出動が不可欠であるが、日本が財政赤字を懸念する必要がないことは、すでに証明しておいた

(「財政赤字の拡大」は政府が今やるべきことか)。
https://toyokeizai.net/articles/-/164105


さらに、拡大した財政支出の一部を防衛力の強化に向けるならば、なお賢明である。

明治維新からちょうど150年の今年、再び「富国強兵」を掲げるべき、いや掲げざるをえない時代が来た。今回の米国による関税措置は、そのシグナルとして認識しなければならない。自由貿易、日米同盟、財政再建を巡るこれまでのドグマにとらわれていては、この富国強兵の時代を乗り切ることはできないのだ。


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54. 中川隆[-9640] koaQ7Jey 2018年4月14日 11:23:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10288]
2018.04.14
TPPへの復帰はファシズム体制の樹立を目指す米支配層のプランに沿う政策


 TPP(環太平洋経済連携協定)へ復帰するために再交渉するべきかどうかを検討するようにドナルド・トランプ米大統領は通商代表や国家経済会議議長に指示したという。この協定のほか、TTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)はアメリカを拠点とする巨大資本が世界を直接統治するための仕組みで、その核心はISDS(投資家対国家紛争解決)条項にある。


 この条項によって巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になり、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を国が守ることは難しくなるのだが、それだけでなく、日本の法体系が破壊させられると警鐘を鳴らす法律家もいる。


 TPPにアメリカが復帰すれば、その主導権を握るのはアメリカ。環太平洋ではアメリカのほかオーストラリア、カナダ、ニュージーランドはアングロ・サクソン系で、判例法を基本とする英米法の国。これらの国々の母国語は英語だ。この4カ国とイギリスは深く結びついている。


 それに対し、日本は国会で制定された法律が基本の大陸法を採用しているので、TPP内で統一した法体系を作りあげることは不可能。トラブルの仲裁を担当する法律家は英米法の人間だと考えなければならず、日本の法律は意味をなさなくなる。


 アメリカの支配層は自分たちにとって都合の悪いルールを採用している国が存在すると、その国の「エリート」を買収したり、恫喝したり、場合によってはクーデターや軍事侵略で体制を転覆させてきた。そうしたことを行わなければならないのは、主権国家が存在するからだ。その主権国家を消滅させ、巨大企業という私的権力によって支配される国際秩序を築くのがTPP、TTIP、TiSAの目的だ。


 フランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて次のように語っているが、これは3協定の定義でもある。


「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる。本質的に、個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」


 現在、アメリカ政府が中国やロシアに対して仕掛けている経済戦争の目的もここにある。この2カ国が持つ主権を破壊し、全世界の人々を巨大資本の臣民にしようとしているのだ。


 中国は1980年代から新自由主義を導入しているが、国家主権は維持しようとしてきた。中国が世界銀行と共同で2013年に作成した「中国2030」は中国に根本的な、つまり西側巨大資本が望む条件で市場改革を実行することを迫るもの。ちなみに、2007年7月から12年7月まで世界銀行総裁を務めたのはロバート・ゼーリック元米通商代表だ。


 しかし、2014年に状況は一変する。この年の2月にネオコンはウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、合法的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したことが主な原因だ。ウクライナをロシア制圧のカギを握る国だとアメリカの支配層は以前から考えていたが、ヤヌコビッチは西側の傀儡ではなかった。それが排除された理由のひとつだが、ロシアとEUを分断するという意図も無視できない。両者を結びつける大きな要因はロシアの天然ガスで、輸送のためのパイプラインがウクライナを通過している。ウクライナに傀儡体制を樹立させてつながりを断ち切ろうとしたのだ。


 ところが、事態はネオコンが想定していなかった方向へ向かう。ロシアが中国に目を向け、ロシアと中国が急接近したのだ。アメリカのやる口を目の当たりにした中国もアメリカを警戒するようになり、ロシアと中国は戦略的パートナーになる。その後、両国の関係は深まり、今ではドルを基軸通貨とする金融システムを揺るがす存在になった。


 そして中国は一帯一路構想を打ち出し、「中国製造2025年」というプロジェクトを公表する。習近平体制になったこともあるが、2014年のウクライナにおけるクーデターも中国の戦略変更に影響しただろう。トランプ政権はその変更を元に戻させようとしていると指摘する人もいる。アメリカの巨大資本の前に跪かせようとしているとも言えるが、そうしたことを実現するのは難しいだろうとも言われている。同じことはロシアについても言える。


 アメリカによる軍事的な恫喝も経済戦争もTPPへの復帰も目的は同じで、ファシズム体制への移行。日本の政治家や官僚は忠実にアメリカ支配層の命令に従い、庶民は教育を受ける権利や労働者としての権利を奪われているのだが、そうした動きの前には中国とロシアが立ちはだかっている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201804140000/


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55. 中川隆[-10850] koaQ7Jey 2018年4月21日 11:23:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11674]
グローバリズムとは「モノ」「サービス」「ヒト」「カネ」の国境を越えた移動の自由化を「善」とする「イズム(教義)」でございます。

 本来的には、グローバリズムは「政府の関与を小さくする」という意味であり、国境を越えたモノ、カネ、ヒトの移動に対する「国家の制御」を無くすことを志向します。


 とはいえ、落ち着いて考えてみてください。


「自由貿易です! グローバリズムです!」
 と叫びつつ、自国の国内は完全に「ビッグブラザー」のコントロール下に置き、他国に対しては国境を引き下げ、モノ、サービス、ヒト、カネの流入を妨げる規制の撤廃を要求する国があったとしたら?


 第零次グローバリズムの時代、イギリスは当初はインドからの綿製品(キャラコ)の流入を規制したにも関わらず、産業革命で自国の綿製品の生産性が上がったと思ったら、途端にインドに対し、
「自由貿易をやろう!」
 と、綿製品の完全引き下げや輸入規制の禁止を強要しました。


 「自由貿易」の結果、世界最大だったインドの綿産業は壊滅。


 それまで綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」

 と嘆くに至ります。


 1882年、インドは綿布の関税を「撤廃」させられ、完全な自由貿易の国になりました。


 さらに、イギリスはインドに「鉄道」を建設していきます。理由は、インド住民の生産性向上では「もちろん、なく」、インドの綿花を速やかに港に運び、逆にイギリス産綿製品を速やかにインド市場に売りつけるためでした。


 インドのみならず、当時のビルマ、マレーシアもまた、イギリスの「自国の利益」を目的とした帝国主義により、悲惨な状況に陥ります。マレーシアでは、森林が焼き払われ、ブラジル原産のゴムの木が植えられました。マレーシアの森林を基盤としたコミュニティは崩壊状態に陥ります。


 ゴムの木を植え、インド人労働者にゴムを採取させ、アメリカのデトロイトに送る。マレーシアの森林は「ゴム」に化け、デトロイトで自動車のタイヤになり、イギリスのシティの投資家の懐に配当金をもたらしたのでございます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12370009469.html


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56. 中川隆[-12943] koaQ7Jey 2018年6月11日 11:00:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15151]

経済コラムマガジン 2018/6/11(989号)


デフレギャップの分析


デフレギャップを誤魔化す人々

2週前から「永久債を日銀が買って100兆円の基金を作る」という一見無茶な政策を提言している。しかし日本経済の現状を考えると、これこそが一番合理的な政策と筆者は確信している。今のままでは永遠に日本経済はジリ貧路線を歩むことになる。

この政策は「シニョリッジ(ヘリコプター・マネー)」と呼ばれるものである。伝統的な経済学ではこれを異端とか劇薬と見なす。しかし日本経済の現状では、このような劇薬的な政策が必要と筆者は考える。

これも日本の経済が先進各国の中で一番成熟しているからである。米国は多くの移民を抱えるなど新興国的な要素を持つ。また欧州はEUの拡大によって、新たな投資機会と需要を得た。このように欧米には、日本に比べ多少の救いがある。しかしいずれこれらの効果も限界が来て、そのうち米国や欧州も日本を追掛けるように低成長の世界に入るものと筆者は見ている。


先週号でデフレギャップの話をしたが、「シニョリッジ」政策においてはこれが一番重要なポイントとなる。筆者は、2002年から一年ほど丹羽経済塾(丹羽春喜大阪学院大学名誉教授を中心にした勉強会)に参加し、シニョリッジについて学んだ。しかし丹羽教授の講議の半分はこのデフレギャップに関するものであった。

デフレギャップは供給と需要の差である。ところが日本政府(内閣府)が公表しているデフレギャップや潜在成長率の数字は、デタラメであり異常に小さい。丹羽教授はこれに毎回怒っていた。これについては

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html

15/11/30(第870号)「堂々と新規の国債発行を」
http://www.adpweb.com/eco/eco870.html

などで説明した。


デフレギャップを小さく算出するのは「だから経済成長のためには構造改革しかない」といった間違った結論に人々を誘導するのが狙いと思われる。これは需要サイド重視のケインズ経済学を目の仇にする新古典派経済学者(ニュークラシカル派)の仕業と丹羽教授は指摘していた。丹羽教授は多くの日本の経済学者が信奉しているシカゴ学派のルーカス教授をいつもヤリ玉に上げていた。これについては

02/12/9(第277号)「ルーカスの子供達」
http://www.adpweb.com/eco/eco277.html

で取上げた。

ルーカス教授の供給曲線(ルーカス方程式と呼ぶべきもの)と言うものがが曲者で、どの生産段階でも設備の稼働率は100%と言うことになっている(つまりデフレギャップはゼロ)。これは明らかに「作った物は必ず売れる」といった古典派経済学の基本理念である「セイ法則」に通じる。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で取上げたA教授もこのルーカス方程式に基づく経済理論を唱えていた。問題は、このA教授のような学者が内閣府に出向しいい加減なデフレギャップを算出していることである。


一方の丹羽教授は日本の供給力を「オークンの法則」に基づき算出していた(オークンの法則については説明を省略)。丹羽教授の計算では、日本のデフレギャップは数百兆円にもなる。ただ参加者の筆者達はこの数字に正直ピンとこなかった。しかし筆者達は日本のデフレギャップが巨額だということは認識していた。

このようにデフレギャップを正確に計測することは難しく、仮にそれが正しく算出できても多くの人々がその数字に納得するとは限らない。むしろシニョリッジ政策に伴って物価が上昇した場合の「制御」を考えた方が「生産的」と筆者は考える。インフレターゲットを政策に組込むのもその一つである。例えば物価上昇が3%に達したら、シニョリッジ政策を中断するとか金融を引締めを行うといった決まりを設けるといった方法が考えられる。


日本の需要不足(貯蓄過多)の要因

前段で述べたように、筆者は供給サイドからデフレギャップを議論することは「空中戦」に陥ると考える。むしろ需要サイドから、また資金の流れから分析した方が分りやすいと考える。日本のデフレは慢性的な需要不足、つまり貯蓄の過多が主な原因と筆者は見る。

またこの日本のデフレは

03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco303.html

で説明したように、経済循環において「漏出(ろうしゅつ)」が「注入(ちゅうにゅう)」を上回っていることが常態化していることを示す。古典派・新古典派の経済理論では、このような場合には金利がパラメートとして動き(この場合には低下)貯蓄過多は解消されることになっている。ところが今日の日本においては、金利がゼロ(実質金利はマイナス)になっても貯蓄過多は解消されない。それほど日本のデフレは深刻と見るべきである。結論を申すと、したがって日本にはシニョリッジ政策しかない。


本誌はこれまでこの日本の需要不足(貯蓄過多)の要因を幾度となく取上げてきた。これらを列記すると「バブル崩壊に伴う需要不足」「消費人口の減少による需要不足」「将来不安に備えた消費のセーブ」「所得格差拡大による消費性向の低下」ということになる。これらを一つずつ検討する。ただ最後の「所得格差拡大による消費性向の低下」はサマーズ元米財務長官等が唱える説であり、日本より米国の方が関係が深いと思われるのでここではこれ以上の言及を省略する(消費性向の小さい高額所得者の所得割合が増えることによって、全体の消費性向が低下)。


まず「バブル崩壊に伴う需要不足」を取上げる。バブル経済においては資産価格が高騰し、このバブルが崩壊すると資産価格は反動で大きく下落する。人々が注目するのは、資産を高値で買い損害を被った側である。このバブル崩壊で傷付いた人々は、当然、消費や投資を控えるため全体では需要不足が起る。

筆者が注目するのは、一方の資産を高値で売り抜けた人々の消費・投資行動である。もしバブルで大きな利益を得た人々が、この利益を全て使ってしまえば需要不足は解消する。ところが資産を売って得られた代金の大部分は銀行で眠ったままになる。したがってバブル崩壊は経済循環において「漏出」が「注入」を上回る現象を引き起す。つまりバブル経済の生成と崩壊が起ることによって、世の中の余剰資金は大きくなると筆者は分析する。

特に地価の高い日本では、バブルの崩壊がなくとも土地の売買が起る度に貯蓄過多が起ると筆者は考える。この様子は

04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco362.html

で取上げた。ちなみに家計部門は70年から93年までの24年間で140兆円もの土地を売越している。この代金の一部は今日でも貯蓄として眠っている可能性がある。


「消費人口の減少による需要不足」は、小子高齢化が進む日本にとって深刻な問題である。

13/4/8(第751号)「久しぶりの「朝まで生テレビ」」
http://www.adpweb.com/eco/eco751.html

で述べたように、総務省統計局のホームページによれば、消費金額は30才台、40才台でピークを打ち、50才台、60才台で極端に落ちる。したがって30〜50才の消費人口が減り続ける日本では、消費が伸びるはずがない。

「将来不安に備えた消費のセーブ」の深刻さも、今後、注目されるであろう。将来の公的年金支給の不安が囁かれ、30〜50才の消費世代の人々さえ消費を抑える傾向が見られる。また公的年金を補うため、個人年金に入る人々もいる。これは将来のために今日の消費を減らす行為である。明らかににこれも経済循環における「漏出」が「注入」を上回る現象を引き起す。

国も将来不安に備え、公的年金の保険料の引上げを行い、また消費税増税分の大部分(8割)を財政再建に回している。これらも経済循環における「漏出」の増加である。つまり日本政府自らがデフレを助長しているのである。これでは多少所得が多少増えても、日本経済が低迷から脱却することは無理である。

とにかく安倍総理の周りには本当の経済が分っている者が少ないのである(そのうち取上げるが経済スタッフは入れ替えるべき)。いまだに「成長戦略で経済成長」と間抜けなことを言っている。1〜3月がマイナス成長になるのも納得である。金融緩和だけに頼る今日の政策の転換が必要であり、今のうちに大量に国債を発行し財政政策を大胆に行うべきである。金利は上昇しないし、物価もさほど上がらない。
http://www.adpweb.com/eco/

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57. 中川隆[-13413] koaQ7Jey 2018年7月08日 09:49:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16357]

経済コラムマガジン 18/7/9(993号)

トランプ大統領の一連の通商制裁は「無茶苦茶」「常軌を逸している」と評価されている。特に反トランプのメディアの評論は厳しい。まるでトランプ大統領の判断と行動が完全に間違っていると言わんばかりである。

よく聞くのが「誰も得をしないトランプ大統領の通商制裁」という薄っぺらな意見である。筆者は、これを「自由貿易こそが人々に利益をもたらす」という観念論者の常套句の裏返しとして聞いている。日経新聞にもこのセリフが溢れている。


このセリフの根底には古典派経済学の「比較優位の原理」がある。交易が活発になれば、交易を行う両国に利益が生まれるという単純で幼稚な経済理論である。しかしこれには両国間の為替レートが適正な範囲に収まっているという前提条件が必要である。

ところが中国は

02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」
http://www.adpweb.com/eco/eco261.html

で説明したように、著しく不当な為替レートをずっと維持してきた。これは本誌が16年も前から指摘して来た話である。

不当な為替レートのままでは「比較優位の原理」が働かず、全ての生産活動を中国で行うことが一番合理的ということになる。

さすがに米議会で中国の為替操作が度々問題になったが、中国や中国に進出した米大企業はロビー活動によってこの動きを潰してきた。この結果が今日の米国の膨大な対中貿易赤字である。トランプ大統領までの歴代の米国大統領は、この異常さに全く対応できなかった。


それどころか驚くことに自由貿易を推進するはずのWTOは為替に全く関心がない。また間抜けな自由貿易主義者達は、中国の為替の操作を問題にして来なかった。このようして中国の不当な為替操作は、長い間、世界から見逃されて来たのである。

中国の輸出品に関する補助金も問題である。しかし中国政府が補助金を出していることを証明することは簡単ではない。特に中国のような中央集権で秘密主義の国の場合には困難が伴う。WTOは補助金を一応問題にするが、巧妙な形で出される補助金まで把握しているとは思われない。

米国政府は、中国の大手通信機メーカーの華為技術や中興通訊(ZTE)に対し米国からの締出しや制裁を行っている。一つは安全保障上の問題が理由になっているが、この他にこれらの通信機メーカーに中国政府から多額の補助金が出ているという情報を掴んでいるからと言われている。何しろ両社の製品価格は他メーカーの半額という。中国からの輸入品については、これまでも他に補助金が噂になったものが多い(太陽光パネルなど)。

このように貿易に関し、中国は問題だらけである。ところが中国は、何を勘違いしたのか自分達こそが自由貿易主義と大笑いしそうなことを言い始めている。
http://www.adpweb.com/eco/

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58. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月21日 14:07:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20962] 報告

資本主義の中で「自由」という言葉が美しいと思っていたら騙されるだけ
https://blackasia.net/?p=10179

ドナルド・トランプ大統領は野放図な自由主義を制し、保護貿易を訴えて選挙に勝ち上がった人物だが、これに対して多国籍企業からマスコミまでが一斉に「ヒト・モノ・カネが自由に行き来する世界を壊すな」とトランプ大統領を攻撃した。

「自由を守れ」「世界の自由を阻害するな」

「自由」という言葉は、とても美しい言葉だ。「不自由であるのがいいのか、自由であるのがいいのか?」と問われて「不自由の方がいい」と答える人は、ほとんどいない。誰もが自由を愛する。

しかし、何でもかんでも自由にするのは正しいのだろうか。

多くの国では、実は自国の産業を守るためにいくつかの保護政策を取っている。守りたい産業を保護するために外国製品には高い関税をかける。

あるいは守りたい産業を国営化して、その重要な産業がつぶれないようにしている。インフラや農業は、多くの国で保護対象になる。なぜか。ここが潰れれば、一気に国民生活に影響が出るからだ。

根幹部分を持っていかれると、場合によっては国が回らなくなってしまうのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

目次 閉じる 1. 国民の多くは「安ければ何でも良い」
2. 裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない
3. 大事な部分を乗っ取られて国がめちゃくちゃになる

国民の多くは「安ければ何でも良い」

実は、この政府が保護する分野というのは、そこが乗っ取られたら国民生活が急激に困窮していく部分なのである。

たとえば、電気・ガス・水道を考えてほしい。この部分を外国企業に乗っ取られて、外国企業が儲かるためにどんどん値段を釣り上げたらどうなるのか。電気・ガス・水道が二倍、三倍になっていったら生活できなくなる層もいるはずだ。

だから政府はこの部分を保護して、国民が困窮しないようにしている。

そうであれば、外国企業がある国を乗っ取るには、この部分を掌握すればいいということになる。まず政治家を買収して、保護貿易を止めさせる法律を策定させて、重要なインフラをすべて民営化して、それを乗っ取ればいいのだ。

政治力と資金力のある外国企業は、場合によっては圧倒的な競争力でその分野を乗っ取ることが可能になる。

この乗っ取り方法で、乗っ取りたい側が常に訴えるのが「自由」という甘美な言葉なのである。たとえば、このような言い方をする。

「自由競争は重要です。競争によって企業同士が切磋琢磨して新しいサービス、安い商品が手に入るようになります」

自由競争によって、安い商品が怒濤のように入ってくるのは間違いではない。国民は常に安い商品を求めている。国民が欲しいのは自国製品ではなく、安い製品なのである。

新自由主義、構造改革、民営化によって、安い製品やサービスが入ってきたとき、それを提供しているのは外国企業の製品であるということを多くの国民は気付いている。

しかし、国民の少なからずは「安ければ何でも良い」ので、安い製品を買うことに躊躇はない。

その結果、安い外国企業の製品が市場を独占し、自国の産業は潰れていく。

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裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない

この自由競争の物語は続きがある。国をすべて乗っ取るには、ここからが本番だ。

外国企業はある国に自由競争を取り入れさせると、そこで自分たちが市場を独占したと悟られないように、弱体化した地場産業を買収して、その地場産業のブランドを残しつつ市場独占を進めていく。

国民は自国製品を買っているつもりでいるのだが、実はもう外国企業の手に落ちているので、自国のものではなくなってしまっている。

ブランドが残されると、それが外国企業であることに多くの国民が気付かないのである。それで、自由競争が行われていると勘違いするのだが、その裏では産業の乗っ取りと独占が粛々と行われているということになる。

市場を乗っ取り、市場を独占することが可能になると、その市場からは永遠に利益を吸い上げることが可能になる。

企業にとっては「利益」こそが生きる養分であり、利益を第一に動く。最も安定的かつ永続的な利益は、独占から生まれる。国を丸ごと乗っ取れば、その国から永続的に利益が吸い上げられる。

だから「自由」という言葉を表に出して、「乗っ取り=独占」という裏の意図を見えなくするのである。

(1)自由競争によって、世の中は発展していく。
(2)自由競争によって、どんどん良い物が生まれる。

このような神話は、資本主義社会に生きる私たちの誰もが脳に刻み込まれ、それが正しいものであると信じ込まされている。しかし、物事には表があれば裏もある。この裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない。

都合が悪いからだ。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

大事な部分を乗っ取られて国がめちゃくちゃになる

忘れてはならないことがある。競争は美しいというのは、「条件が同じ」であった場合の場合である。資本や組織力に圧倒的な差があった場合の競争は、強者が弱者を踏みつぶす残酷ショーと化する。

時価総額が1兆円の企業と10億円の企業とでは、その差は1000倍にもなる。社員10万人の企業と社員100人の企業とでも、その差は1000倍になる。

普通、これほどの差があった場合、同じ土俵では競争は成立しない。スポーツの世界で言うと、大人と赤ん坊が格闘技で戦うようなものである。それをするのが「自由」競争である。

競争の対象が洗剤やヒゲ剃り用のカミソリであれば、別に独占されたところで何と言うこともないと言えるかもしれない。

しかし、銀行や農業や医療や水道や電気と言ったインフラを外国企業に独占されると、「それが資本主義だ」と鷹揚に構えていられなくなっていく。

外国企業が国民の生命に関わるインフラ部分を掌握し、値段を吊り上げることによって国民の生活を危機に陥れることが可能になるからだ。

外国企業が水道事業を掌握し、ある日「水道料金を2倍にする」と言われても、国民は水道を拒絶することはできない。水が出ない家で人は暮らせない。

電気を外国企業に掌握され、ある日、電気料金を2倍にすると言われても、国民は「では、明日から電気は要らない」と言うことはできない。もちろん、ガスも同様だ。

アメリカは医療制度すらも民営化したことによって、「より良い治療を行って欲しければ、もっと金を出せ」という弱肉強食の世界になっていった。その結果、自分が病気になったり家族が病気になったりして「破産」する国民が増えた。

自分の痛みは我慢できても、自分の家族の痛みは何としてでも治して上げたい。金よりも家族の健康の方が重要なのだから、家族には選択の余地などない。

こういった国民の福祉や行政に関する部分には自由な競争を取り入れたらいけないというのが普通の考え方である。

しかし、「自由」という言葉に騙されると、大事な部分を乗っ取られて国がめちゃくちゃになってしまうこともあるのだ。美しい言葉には棘(とげ)がある。美しい物事には裏がある。私たちはそれを忘れてはならないはずだ。(written by 鈴木傾城)

もし、電気・ガス・水道のすべてが二倍に三倍に上がっていったら、国民生活はめちゃくちゃになるはずだ。「自由競争は重要です。競争によって企業同士が切磋琢磨して新しいサービス、安い商品が手に入るようになります」と言われて、インフラを乗っ取られると、そうなっても不思議ではない。


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59. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月22日 08:39:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20974] 報告

米中貿易戦争、米中の巨大IT企業はさらに繁栄する…日本は企業没落で経済不況
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25620.html
2018.11.21 文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役 Business Journal

中国とアメリカは保護主義で経済発展


 21世紀の初期、保護主義によって急速に経済成長を遂げたのが中国である。当時の中国政府は極端な保護主義政策をとっていて、工業製品への関税は平均で30%を超えていた。当然のことながら非関税障壁も大きく、中国国内で工業製品を生産する海外企業に対しても資本規制や知的財産の侵害など、さまざまな障壁が築かれていた。

 そして重要なことは、それらの保護主義政策があったからこそ中国は経済大国に発展することができたことだ。

 実はアメリカも同じである。アメリカが大国へと発展した19世紀末から20世紀初期にかけて、当時のアメリカは現代の中国よりもはるかに保護主義政策をとり続けた新興国家だった。旧宗主国のイギリスをはじめ、ヨーロッパの列強各国に対して、強力な保護主義政策を取り続けることで国内産業を保護していたのだが、その結果、第一次世界大戦を経てアメリカは世界最大の経済大国へと成長することができた。

 自由貿易は先進国にとっては有利な制度なのだが、発展途上国と新興国にとってはこれほど不利な経済ルールはないのだ。


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60. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月23日 07:24:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21022] 報告

経済関係の記事を次のスレに纏めました:


『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html


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61. 中川隆[-13735] koaQ7Jey 2018年12月05日 22:38:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21739] 報告

池田信夫はアホ・リベラル


馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ人=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA
=マクロン、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、安倍晋三


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱いので、官僚や周りのグローバリストに引き摺られているだけで、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫『グローバリストが恐れる日本の底力』
◉講演「新嘗のこころ」第2部(グローバリズムとは共産主義である) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YoH3GG3WiAc&index=2&list=PL7MaEu9i584cGqauRwWXCapXVTxom8dDT


▲△▽▼


「古事記に学ぶ日本のこころ」 馬渕睦夫 〜天と地を結ぶ日本人の力〜 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=xcQ1sp6fV2g


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

62. 中川隆[-13740] koaQ7Jey 2018年12月05日 22:41:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21745] 報告

池田信夫には理解できなかった貨幣の意味

「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と経済成長ー 
平成30年3月7日 講師: 中野剛志 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=PIVG7XDGrH4

第2回「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と租税ー 
平成29年4月27日 講師:中野剛志 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Zc9-Y5jiIO4


第3回「日本の未来を考える勉強会」ー財政出動を阻む経済通念についてー 
平成29年5月9日 講師:京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授 青木泰樹氏 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DIQZFKOumDo


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

63. 中川隆[-10094] koaQ7Jey 2019年5月27日 12:48:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2256] 報告

またこの知恵遅れが嘘八百のデマを流してるね(呆れ)


池田信夫 「男系男子」の天皇に合理的根拠はない 2019年05月05日
http://agora-web.jp/archives/2038831.html

新天皇の即位で、皇室典範に定める「男系男子」の皇位継承者は3人になり、「皇室の危機」が論じられている。普通に考えれば皇室典範を改正して愛子様が継承できるようにすればいいのだが、それに反対する(安倍首相を含む)人々がいる。その顔ぶれは、かつて「生前退位」に反対した人々と重なっている。


この話は論理が破綻している。男系男子は「権威と権力を分ける日本独特のシステム」ではなく、権威と権力が一体化した中国から輸入したものだ。それは皇帝の血統を受け継がない男子を後継者から排除し、王家の分裂抗争を防いで権威と権力の一体性を守る制度として、それなりの合理性があった。

しかし皇室には中世以降は実権がなくなったので、血統の純粋性を守る意味はなく、皇室にも本気で男系を守る気はなかった。それは日本に宦官がいなかったことでも明らかだ。現実にはDNAが天皇家の「男系」ではない天皇がかなりいたと思われるが、皇統譜では例外なく男系で継承してきたことになっている。それは神武天皇と同じく、神話にすぎないのだ。

平清盛にも徳川家康にも「天皇になる野望」はなかった。なろうと思えば(中国のように)天皇家を廃して自分が天皇になればよかったが、日本では天皇家の権威と将軍の権力が分離していたので、なる必要がなかったのだ。

古代の家系は女系だった。それは天照大神が女神だったことでも明らかだ。山折哲雄氏によれば、雄略・欽明・皇極・天智・天武・持統天皇には性別の記述もない。天皇はそういう身体性を超える「記号」だったからだ。

日本で大事なのは「血」ではなく「家」の継承だから、婿入りも多かった。平安時代の天皇は「藤原家の婿」として藤原家に住んでいた。藤原家は外戚として実質的な権力を行使できたので、天皇になる必要はなかった。


歴代天皇(時計回りに今上天皇、上皇、明治、大正、昭和)=宮内庁サイト、Wikipedia:編集部

江戸時代には天皇には権威も権力もなくなったが、天皇家を世界に比類なき王家とする水戸学の自民族中心主義が長州藩士の「尊王攘夷」に受け継がれた。それが明治時代にプロイセンから輸入された絶対君主と融合したのが、明治憲法の「万世一系」の天皇だった。

天皇を男系男子と定める皇室典範は明治憲法と一体で制定され、天皇を権威と権力の一体化した主権者とするもので、古来のミカドのようにゆるやかな「みこし」とはまったく違う近代の制度だった。それは日本人の精神構造に根づかなかったため意思決定は混乱し、日本を破滅に導いた。

安倍首相を初めとする保守派には、明治以降の制度を古来の伝統と取り違えるバイアスが強いが、男系男子は日本独自の伝統ではなく、合理性もない。それは明治天皇までは側室がいたので維持可能だったが、一夫一婦制では選択肢が狭まってゆくばかりだ。

訂正:八幡さんから抗議があったが、「男系男子は権威と権力を分ける日本独特のシステム」というのは八幡さんの意見ではなく、take4という人物のコメントをネット民が混同したものらしい。いずれにせよこの話は破綻しており、男系男子が「日本2000年の伝統」だというのは迷信である。
http://agora-web.jp/archives/2038831.html


あのブタ女の愛子を天皇にする? しかもあのブタ女のガキまでも天皇にしたいだと。

それならあんたが飼っている
血統書付きの猫か犬
そこらへんの雑種と交尾させろよ
価値が減少しても
問題ないんだろ


愛子を天皇にして、結婚までさせると女系天皇になるんだ

愛子が黒人と結婚したらその婿はニグロ王朝の始祖になる
愛子がホッテントットと結婚したらその婿はホッテントット王朝の始祖になる
愛子が中国人と結婚したらその婿はチャンコロ王朝の始祖になる
愛子が在日と結婚したらその婿はチョン王朝の始祖になる

という話だ。 その婿は実質的には新王朝の始祖だ
ブタ女の愛子の婿が準天皇になるんなら、もう天皇制なんか意味ないんだよ


オバマ大統領は白人と黒人のハーフだけど、みんなニグロだと思ってるだろ。

同じ様に、愛子が在日と結婚してハーフの皇太子ができたら、みんな その皇太子をチョンだとしか思わない

チョンを天皇として崇める日本人も、チョンの天皇の為に天皇陛下万歳と言って特攻する日本人もいない

天皇制はチョンの皇太子が生まれた時点で終わりになる


日本は

縄文人系日本人
アイヌ人
琉球人
長江人系日本人(弥生人)
長江人系朝鮮人
漢民族系朝鮮人
在日朝鮮人

の多民族国家だ。

天皇は漢民族系朝鮮人か長江人系朝鮮人だから、天皇になれるのもこのどちらかの民族だけだ

インドでもカースト制を守って、アーリア人が土人と混血しない様にしてるだろ
アホ日本人が知らないだけで、日本も3世紀以降ずっとカースト制だ

天皇は一重瞼だろ、由緒ある古代漢民族にしか見られない特徴だ
縄文人と弥生人は全員二重瞼だからな

天皇が日本人と混血して一重瞼でなくなったら天皇に見えなくなるんだよ

金髪や青い目は突然変異でできた優良品種を残して人工的に生まれたものだ
天皇や武士も浮世絵みたいな容姿の人間だけを何代にもわたって選択・優遇してやっとできたんだ

天皇が日本人のジャガイモみたいな顔になったら困るだろ


明治以前は天皇と日本人の妾との間にできた皇子は天皇にできなかったんだ。

天皇家に日本人の血が入ったらもう万世一系ではなくなるんだよ
天皇の価値は遺伝子だけだから、遺伝子が雑種になったら天皇制を続ける理由が無くなるんだ

これから日本に移民が増えたら、移民は天皇は居ない方がいいと思ってるから
国民投票をすれば天皇制廃止になる


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

64. 中川隆[-10093] koaQ7Jey 2019年5月27日 12:57:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2257] 報告

またこの知恵遅れが嘘八百のデマを流してるね(呆れ)_ 2

池田信夫 「男系男子」の天皇に合理的根拠はない 2019年05月05日
http://agora-web.jp/archives/2038831.html

>古代の家系は女系だった。それは天照大神が女神だったことでも明らかだ。


そもそも天照大神みたいな巫女は神の嫁で人間とは結婚できないから子供もいない。
天照大神の男の兄弟が次の権力者になるんだ。 女系になんかならない。

天皇家では白村江の戦いに負けて唐の属国になって、儒教の父子相続制度を採り入れるまでは兄弟相続だったんだ:

創価学会、宮内庁とそのバックにいる CIAが 必死にデマを拡散していますが、天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統です。

昔は年上の兄弟はどんどん他の土地へ出て行って、末弟が最後まで実家に残るので
末弟に家を継がせるのが普通だったのですね:


皇位継承


7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,

16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,

仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。

応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。
しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。

また,記紀にみえる天皇の名称をみると,

7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,

10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,

12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),

15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,

27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシ


という称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると

7〜9代の名称は持統以下の名称を手本に,
12〜14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られた

と推定される。

これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。

10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10〜12代の天皇は大和を根拠としていたが,15〜25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。

同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。

これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。

しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。
→王朝交替論
[直木 孝次郎]

皇嗣の冊定

大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。

そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。

しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。

ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。

皇位継承の資格

皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。

推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。

継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。

平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。

皇位継承の原因

上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。

天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。

また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。

なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。

81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。

また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。

35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=128  


▲△▽▼

ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書) – 2010/11/20
吉村 武彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/ヤマト王権〈シリーズ-日本古代史-2〉-岩波新書-吉村/dp/4004312728/ref=cm_cr_srp_d_product_top?ie=UTF8

内容紹介
日本列島にはじめて成立した統一国家、ヤマト王権。その始まりはいつだったのか。最初の「天皇」は誰なのか。王宮や王墓の変遷は何を物語るのか──。『魏志倭人伝』等の中国の正史や金石文ほか、貴重な同時代資料に残された足跡を徹底的にたどりつつ、ひろく東アジア全域の動きを視野に、多くの謎を残す時代の実像に肉迫する。(全6巻)


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉村/武彦
1945年朝鮮大邱生まれ、京都・大阪育ち。1968年東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大大学院国史学専攻博士課程中退。現在、明治大学文学部教授。専攻は日本古代史

カスタマーレビュー

hira 5つ星のうち2.0
古墳期の一元的・集権的な世界観から脱却せよ! 2019年2月16日


 本書のシリーズAは、@が弥生期、Bが飛鳥期なので、古墳期を範囲としており、日本列島で、7世紀後半から、律令制を本格的に導入した、中央政府の起源を、ヤマト王権とし、それが分権社会から集権社会へと、移行していった過程を、主に文献学から解説しています。

 したがって、本書では、考古学による、畿内以外の地域の状況は、ほとんど取り上げられていませんが、だからといって、日中の古代歴史書も、正当に史料批判されているとはいえず、ヤマト王権の初期から、大和中心の一元的な世界に偏重しており、現在でも、それが通説化しています。

 しかし、実際の古墳期は、もっと多元的な世界だったので、ここでは、異説を取り上げることで、本書にも問題点が、多々あることを、指摘しておきます。


○倭奴国(p.5-7)

 「後漢書倭伝」で、57年に、後漢の光武帝(初代)へ朝貢し、金印を授与されたのは、倭の奴国ではなく、倭奴国で、それは、「旧唐書倭国伝」に、倭国は、古(いにしえ)の倭奴国なり、「新唐書日本伝」に、日本は、古の倭奴なり、とあるからです。

 また、金印も、漢の委(わ)の奴(な)の国王ではなく、漢の委奴の国王、「隋書俀国伝」で、後漢の安帝(6代)の時代(106〜125年)に、使者を派遣・朝貢したのは、俀奴国、「後漢書倭伝」で、107年に、倭国王の帥升等が、安帝に奴隷160人を献上しているので、倭国=倭奴国=委奴国=俀奴国です。

 そうなると、金印の委奴国は、伊都(いと)国よりも、倭奴国の人偏を省略とみるのが適当で、「魏志倭人伝」には、倭の30ヶ国の他にも、倭種(倭人)の国があり、それらと区別するためか、中国は、匈奴と対照的に、「倭奴」の呼称にしたとも推測でき、57年・107年の後漢朝貢ともに、倭国です。


○邪馬壱国・壱与(p.12、23)と邪馬壱国九州説(p.13-17)

 3世紀後半成立の「魏志倭人伝」では、邪馬壱(旧字は壹)国と壱与でしたが、5世紀前半成立の「後漢書倭伝」では、邪馬台(旧字は臺)国に改変され、7世紀前半成立の「梁書倭国伝」では、なぜか祁馬台国となっています。

 7世紀半ば成立の「隋書俀国伝」では、邪靡堆(やまたい)=邪馬台、7世紀半ば成立の「北史倭国伝」では、邪摩堆=邪馬台と、踏襲されており、本書では、10世紀後半成立の「魏志」の抜粋が収録された「太平御覧」も、邪馬台国のようなので、「後漢書倭伝」で、改変されています。

 一方、壱与は、「後漢書倭伝」「隋書俀国伝」には、記事がなく、「梁書倭国伝」「北史倭国伝」で、台与に改変され、邪馬台国に改変された時期とズレており、どちらか本当かは、不明なので、勝手に改変すべきでなく、正確には、邪馬壱国・壱与です(「隋書俀国伝」を「隋書倭国伝」とすべきでないのと同様)。

 邪馬壱国=近畿(大和)説は、方位の東を南に書き誤ったとしていますが、魏は、倭に派兵しており、方位は、進軍・補給に大切なうえ、万一記載ミスなら、「魏志倭人伝」より後世に成立した「後漢書倭伝」で、狗奴国の方位を訂正・距離を追加した際に、そこも訂正してもよいはずではないでしょうか。

 邪馬壱国=九州説は、帯方郡〜邪馬壱国間を1万2000余里、帯方郡〜伊都国間を1万500余里、伊都国〜邪馬壱国間を1500里以内(対馬国〜壱岐国間の約1.5倍)としており、それを論破しないまま、はるか後世の15世紀初めの地図を持ち出し、邪馬壱国=近畿(大和)説を採用するのは、不充分といえます。


○銅鏡の価値(p.21)

 中国の銅鏡は元々、官営工房で製造されていましたが、やがて政権の庇護がなくなったため、工房が、自立するようになり、後漢末期の2世紀終りには、すでに民間工房の量産品が、中国市場に流通していたので、前漢鏡→後漢鏡→魏晋鏡以降と、銅鏡の価値が、しだいに低下していました。

 3世紀初めを境に、中国鏡の分布の中心が、九州から畿内に移動したのは、畿内が、政治の中心になったからではなく、価値の低下を認知していた九州北部が、輸入品を畿内へ、率先して販売した可能性があります。

 「魏志倭人伝」では、238年に、魏皇帝が、倭の卑弥呼へ、紺色地に曲線模様の錦3匹・まだらの花の細密模様の毛織物5張・白絹50匹・金8両・五尺刀2口・銅鏡100枚・真珠+鉛丹各々50斤を授与しており、銅鏡100枚は、五尺刀2口よりも後ろの記載なので、価値があまり高くないともいえます。

 銅鏡100枚は、魏の政権が、複数の民間工房に発注したとみられ、古墳期の銅鏡は、有力者から配布(下賜)されるよりも、贈与と返礼(互酬)や物々交換(交易)で、大量入手したと推測できます。


○初代・10代と欠史八代の実在性(p.35-41)
 一書も含めた、記紀神話での、1〜10代の天皇の妻の出身は、次の通りです。

・神武(初代):日向(阿多、紀・記)、神の子孫(紀・記)*
・綏靖(2代):磯城(県主・ハエの妹=紀1・記)、春日(紀2)、神の子孫(紀本)*
・安寧(3代):磯城(県主・ハエの娘=紀1・記)、春日(大間、紀2)、神の子孫(紀本)*
・懿徳(4代):磯城2(県主・ハエの弟イテの娘=紀1、紀2)、皇族(紀本)*
・孝昭(5代):磯城(県主・ハエの娘=紀1)、大和(紀2)、葛城(尾張、紀本・記)*
・孝安(6代):磯城(県主・ハエの娘=紀1)、十市(紀2)、皇族(紀本)*
・孝霊(7代):磯城(紀本)*、十市(紀2・記)、春日(紀1・記)、皇族2(紀本×2・記×2)
・孝元(8代):河内(紀・記)、穂積(物部)氏2(紀×2・記×2)*
・開化(9代):葛城(記)、丹波(紀・記)、穂積(物部)氏(紀・記)*、和珥(丸邇)氏(紀・記)
・崇神(10代):紀伊(紀・記)、葛城(尾張、紀・記)、皇族(記)*

※紀本:日本書紀本文、紀1:日本書紀一書第一、紀2:日本書紀一書第二、記:古事記、*:皇后

 ここで注目すべきは、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(尾張は、高尾張邑=葛城邑なので)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。

 これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。

 第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、この間は、親子世代での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、この間は、兄弟世代での皇位継承とみられます。

 つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の親子間の皇位継承や、100歳以上の超長寿・神武天皇(初代)即位以降の年代も、捏造でしょう。

 初代から13代までの親子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、親子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に捏造し、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。

 第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。

 しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。

 第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇(10代)も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。

 よって、2〜9代が、もし、非実在なら、妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明でき、超長寿や特異な名前・事績がないだけで、全否定は、できません。

 崇神天皇は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還しているので、実際には、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、開拓で、流通ネットワークを全国展開した一方、4世紀前半の統治範囲は、大和の周辺地域までとみられます。

 神武天皇は、その始祖なので、編纂の際に、「天下」と装飾され、初代・10代ともに、「はじめてこの国を統治した天皇」と潤色されただけではないでしょうか。
 履中天皇(17代)以後は、旧天皇即位から新天皇即位までの平均が12年で、仁徳天皇(16代)以前は、超長寿なので、仮に、それらの天皇が全員実在し、在位期間を12年/人、履中天皇即位を400年とすれば、神武天皇即位は、196年(2世紀終り)、崇神天皇即位は、304年(4世紀初め)となります。

 崇神天皇の4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期で、筆者が主張する、初期ヤマト王権の4世紀前半とも、ほぼ符合し、神武天皇の2世紀終りは、大和に銅鏡が集中するようになる(漢鏡8期の2・3段階)直前で、大型古墳が大和に出現する直前の時期で、始祖にふさわしいともいえます。

 孝元・開化の2天皇(8・9代)は、それぞれ280年・292年即位と算定でき、河内・丹波出身の妻がいて、3世紀後半に、畿内が、鉄器の出土数で、はじめて九州を逆転したので、それぞれ瀬戸内海側・日本海側の、輸入用の交易ルートを開拓したとも、結び付けられます。

 各天皇の実在性は、疑問視されますが、この程度の人数がいた可能性があり、実際には、親子間でなく、兄弟間での皇位継承が、主流だったと導き出せます。


○日中で古代歴史書での食い違い

 これは、あまり取り上げられていませんが、「日本書紀」神功皇后(14-15代の間)の時代の記事で、「魏志倭人伝」から、人名等を引用したにもかかわらず、次のように、ことごとく食い違っています。

「魏志倭人伝」→「日本書紀」
・238年:倭の使者の難升米・帯方郡長官の劉夏→239年:難斗米・ケ夏
・240年:帯方郡長官の使者の建中校尉の梯儁→建忠校尉の梯携
・243年:倭の使者の伊声耆・掖邪拘→伊声者・掖耶約

 また、「旧唐書日本伝」に、日本国は倭国の別種なり、とあり、日本国の人で、唐の朝廷を訪問した者は、自己のおごりたかぶりがひどく、事実を答えないので、中国は、日本国の人の言葉を疑っている、となっており、日本による、中国への虚偽報告は、有名だったようです。

 さらに、「新唐書日本伝」では、日本国王の姓は、アメ氏で、初代がアメノミナカヌシ、32代まで筑紫城、神武天皇から大和州へ移住したとあります。

 「宋史日本国伝」では、献上された年代記には、初代がアメノミナカヌシ、23代(訂正)までは、筑紫日向宮が、神武天皇からは、大和州橿原宮が、都で、「隋書俀国伝」でも、倭王の姓は、アメ氏、「旧唐書倭国伝」でも、倭国王の姓は、アメ氏となっています。

 それらから、倭国は、九州北部の筑紫政権が中心で、畿内の大和政権は当初、倭国の圏外だったのが、朝鮮半島への派兵で、各地の政権が協力するようになり、白村江の合戦(663年)での大敗後の戦後処理をきっかけに、倭国から日本国へと改号し、大和政権が中心になった、とする説があります。

 これによれば、「魏志倭人伝」と「宋書倭国伝」の倭の五王は、すべて筑紫政権の記事で(邪馬壱国=九州北部説、倭の五王=九州王朝説)、大和政権は、「日本書紀」で、故意に人名等を、一部改変することで、筑紫政権の史実を乗っ取ったとみることもできます。

 記紀神話で、神武天皇は、日向から進出しているので、大和政権の始祖(初代)は、筑紫政権と無関係といえますが、中国には、神武天皇が、筑紫から大和へ進出したように、改変しており、権威・権力が、倭から日本へと、スムーズに受け継いだように見せ掛け、正統性を担保したとも読み取れます。
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儒教の長子相続制度


東アジア伝統社会における女性の相続と財産分与に関する研究
東京外国語大学外国語学部 教授 吉田 ゆり子 2008年8月

 本研究は、16−19世紀における日本・中国・韓国の伝統社会における家の継承と財産分与の同質性と差異性を比較検討することを通して、東アジア伝統社会の比較研究の基盤を構築し、三国相互の歴史認識の深化に寄与することを目的として、次の韓国・中国・日本の6人の研究者によって行われた。文叔子(韓国国史編纂委員会研究員)・鄭肯植(ソウル大学副教授)・李長利(中国社会科学院近代史研究所教授)・大口勇次郎(お茶の水女子大学名誉教授)・臼井佐知子(東京外国語大学教授)・吉田ゆり子(同 教授)。

 これまで、日本史研究においては、女性の社会的地位の変化を考察する視点から、家督相続の際に女子が排除されてゆく過程が明らかにされ、その歴史的要因を解明するために、多様な仮説が提示されてきた。具体的にいうと、南北朝時代まで女性も分割相続の対象となったが、戦国時代には女性の一生の間だけとの限定を受けた一期分(いちごぶん)となり、ついに江戸時代には全く排除されることになる。このような過程をたどるのは、武家社会において軍役を負担できない女性が「家」の当主となることができないためではないかとの仮説が示されている。しかし、武家以外の百姓・町人の家においても江戸時代には女性が家の相続から排除されることから、これを説明するために、儒教的な観念の浸透によって、女性の社会的な地位が低下したためではないかとみる見解も示されている。

 そこで、日本社会の家意識や女性に対する通念を解明するためにも、伝統的には儒教圏としてくくられる中国・韓国・日本の歴史的な事実を比較し、その共通点・差異性を明らかにする必要があると考えていた。他方、韓国において、歴史学の分野で朝鮮時代の家族史を精力的に追求してきた文叔子氏も、韓国史の立場から同様の問題意識を共有していることを知り、本研究グループを立ち上げるに至った。なお、従来日本でおこなわれてきた比較研究は、韓国と日本の相続の類似性の指摘や、中国から影響が及ぼされた女性に対する教訓書(「女大学」や「女実語教」など)の研究にとどまり、三国の相続と財産分与を正面から比較する研究は行われていなかった。

 研究の進め方は以下のとおりである。まず、それぞれの国で発表されてきた本研究課題に関わる著書や研究論文のリストを作成した。このリストをみると、三国それぞれには研究がみられるものの、言語の壁があるため、相互にその研究成果を享受できていない状況がより明確になった。

 次に、2007年12月22日に、共同研究者6人が東京で直接同じテーブルについて、それぞれの国で行われてきた本研究課題に関する研究状況を紹介し、さらに具体的な素材をもとに研究報告を行う機会をもった。この研究会においては、韓国・中国人留学生による逐次通訳をつけ、相互に直接意見交換を行った。その結果、次のような論点が提示され、新たな知見を得ることができた。


 (1)相続のありかたとその歴史的変遷:韓国の両班と日本の武士・百姓の家では、17世紀頃に、分割相続から単独相続に移行するが、中国においては分割相続を維持している。その歴史的要因として考えられるのは、韓国・日本とも土地の分割による経済的基盤の零細化を防ぐためと考えられる。但し、中国でも耕作の対象となる耕地は狭いため、分割が進むと土地は細分化するが、実際には「小作料」を分割するため、分割が可能である。あるいは、生産力の乏しい地域では、被相続人に未開墾地を与える場合もある。

 (2)被相続人の性別:韓国と中国では、歴史的に女性が相続したことはない。それは、韓国と中国では、周代に「礼記」の規定で、女性が祭祀をおこなうことはできないと規定されていたためである。なぜ、周代にそのような規程がつくられたのか、明らかではない。日本では武家の時代となってから当初(12世紀末-13世紀ころ)女性も分割相続を受けていたが、15世紀ころから女性一代限り(一期分)となり、近世には相続から排除された。これに関しては、家業・家産・家督の三者のあり方を考慮に入れなければならない。

 (3)「養子」制度について:日本の養子制度は東アジアの中でも特殊といわれ、異姓養子もとることが知られている。韓国と中国では、同姓の中でも「派」と呼ばれるさらに限られた一族の中で、同世代の者から養子をとる。

 (4)三国相互の影響のしかた:中国の「礼記」の考え方が韓国に影響して、女性が戸主(戸長)となれない現実が生まれた。その時期は、17世紀ころであり、それ以降、韓国では儒教的なイデオロギーが強化され、現実の問題から発生した均分相続から単独相続へとの流れの中で、女性が相続から排除されてゆくことになる。韓国では植民地時代に、日本の明治民法の影響を受けて、「戸主」が法制化された。

 (5)今後の課題:相続形態の変化は、婚姻形態(妻問婚から嫁入婚へ)の変更も伴うため、婚姻形態の変化を視野に入れるべきである。韓国の場合、「家業」という観念を想定しがたい。中国の場合、とくにエリート層を想定しておらず、庶民を含めて考えた。但し、地域差は考慮すべきである。今回の研究会では、それぞれの国の伝統社会における相続と財産分与の歴史的事実を相互に確認することができた。しかし、なぜそれぞれの歴史的事実が発生したのか、その説明において不十分な点がいまだ存在した。また、それぞれの社会制度の違い、身分・階層のあり方の違いも考慮に入れるべきである。但し、東アジア社会を考える時、「儒教的伝統」として同質性を唱えることが往々にしてなされるが、本研究テーマに即してみると、必ずしも「儒教的」な要素では説明できず、その前提として存続のための「現実的・実利的」な要素が根底に存在し、その上でイデオロギー的な意義付けが「儒教」によってなされていたと考えた方がいいというは通しを持った。

 以上、6人の共同研究者による小規模な研究会は、大きなシンポジウムでは得られないたいへん有意義な成果を得ることができた。ただ、今回の研究会では、これまでの研究状況の紹介という面が強く、それぞれの具体的な素材をもとにした検討結果を議論するには至っていない。そこで、言語の壁を乗り越えて、相互に具体的な歴史事象に基づいた考察を行うためにも、これまで発表されてきた主要論文を相互に読み合い理解した上で、再度研究会を開くことが必要であると考え、その第一歩として、韓国語で発表されている共同研究者の論考を日本語に翻訳する作業を開始し、文叔子「朝鮮前期無子女亡妻財産の相続をめぐる訴訟事例」、鄭肯植「弱き者よ、汝の名は……―女性法史の一断面―」を訳出した。今後は、さらに対象地域を広げ、東南アジア・南アジア地域を研究者を含めた形で、今後も研究を継続してゆく。
https://www.suntory.co.jp/sfnd/research/detail/200740.html


▲△▽▼


朝鮮の男系養子制度

朝鮮も中国の男系養子制度を丸パクリしただけあって、ガッチガチの男系血統主義の国です。

朝鮮人は男系血統を守ることに厳格なため、いとこ同士の結婚を認めている日本人の結婚を「ケモノに近い野蛮人の結婚」と言って忌み嫌っていたそうです。

そして朝鮮では

・直系女性の分家を認めず、
・同じ男系血統の中からは妾すら選ばず、
・女性は男性の家に入るのが原則なので「婿養子」という観念すらなかった

そうです。

朝鮮の男系養子制度の中でもっとも恐ろしいのは、

・孫も養子として同じ男系血統の中から迎える
・「死後養子」といって夫の死後妻が夫の血統の中から養子を迎える

慣習があることです。こうなると日本人が入りこむ余地はまったくありません。

・男系の男子なきときは、同血族から男系の養子を迎え、たとえ直系の女子あるも、これを嫁に出し、他家より嫁を迎える

・族譜がちがう、姓が異なる赤の他人は養子にしないという鉄則により、血族関係なきものは養子としなかった

・養子だけでなく孫も血族中からむかえる場合もあった

・朝鮮では女は分家できない

・朝鮮では死後養子が認められている。死後養子とは子のない夫婦の夫が死亡したあとで妻が男系男子の血族を養子にする朝鮮の風習

・朝鮮の姓は男系の血族を表示するものであり、それは家ではなく人に付いたものである

・創氏改名で氏の設定と同時に内地式に改名したものも多い。例:金山.香川等(戸籍簿には朝鮮の姓を明記してある)

・朝鮮では男系男子を絶やさぬため蓄妾の風習があり、本妻と妾が本宅に同居する場合もある

・朝鮮では子は親に絶対服従する

・朝鮮では忠(天皇への忠誠)よりも孝(両親への孝行)が重視される

・朝鮮では一家の家計は夫が管理する

・朝鮮では妾にする女ですら男系血統からは選ばない

・本貫(ほんがん)とは祖先が住んでいた土地と姓を記したもの

・朝鮮では本貫で男系血統が同じであることを確認する

・朝鮮人は日本人の近親結婚を軽蔑している

・朝鮮の婚姻は女が男の家に入るを原則とするため、朝鮮には婿養子、入夫等の習慣がない

・朝鮮では女系は他人であって一家ではない
https://tainichihate.blog.fc2.com/blog-entry-555.html




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