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天才ピアニスト ヴァン・クライバーンとは何だったのか? _ アメリカ人には音楽は理解できない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/430.html
投稿者 富山誠 日時 2013 年 3 月 23 日 12:26:55: .ZiyFiDl12hyQ
 


ヴァン・クライバーン 動画
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3
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http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3&oq=%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3&gs_l=youtube-reduced.3..0l2.2092.2092.0.2825.1.1.0.0.0.0.287.287.2-1.1.0...0.0...1ac.8-JJirE_CYk

Tchaikovsky competition 1958
http://www.youtube.com/watch?v=UeE4szjJQMk

Kabalevsky Rondo 1958 Competition Finale Van Cliburn Rec 1958.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=VF1mZZPtl54

The Van Cliburn Collection
An interview with Van Cliburn as he discusses highlights from his personal collection to be offered 17 May 2012 in New York.
http://www.youtube.com/watch?v=a5WqZqMcNrc


VAN CLIBURN - (COMPLETE) KENNEDY CENTER HONORS, 2001
http://www.youtube.com/watch?v=4pd0OC_8jqY


チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番変ロ短調OP.23
ヴァン・クライバーン(Pf) キリル・コンドラシン指揮シンフォニー・オーケストラ1958.5.30、ニューヨーク、カーネギーホール
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14114510
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20214185

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
キリル・コンドラシン 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1962年 モスクワ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15623235
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15623471

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 Op.18
ヴァン・クライバーン(Pf) フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
録音:1962年3月31日、4月2日、シカゴ、オーケストラホール
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17994733

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲2番 ハ短調 作品18
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1750709
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1750930
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1751185

Van CLIBURN plays RACHMANINOV 3d Concerto VIDEO Moscow 1958
http://www.youtube.com/watch?v=apNTq-Tgf4w
http://www.youtube.com/watch?v=V6bOffYLYlM
http://www.youtube.com/watch?v=xGDMXQGpHzo
http://www.youtube.com/watch?v=hBuSHK2tAEQ
http://www.youtube.com/watch?v=lV9bmcE7d5Y

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26
ワルター・ヘンドル(指揮) シカゴ交響楽団
1960年10月22,24日 シカゴ・シンフォニー・ホール
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20215627

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 『皇帝』
キリル・コンドラシン 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1962年 モスクワ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16256259
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16256585

シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 Op.54   
フリッツ・ライナー(指揮)シカゴ交響楽団
1960年4月16日/シカゴ・オーケストラ・ホール
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20215384

Piano Concerto No 1 Op 11 in Em - Chopin (Van Cliburn)
http://www.youtube.com/watch?v=G5lClCK06xg

グリーク ピアノ協奏曲 イ短調 第1楽章
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 
1968年
http://www.youtube.com/watch?v=m7fojdczpo8

ショパン(Chopin)「12の練習曲 Op.10 第12番 ハ短調『革命』」
映像は1972年のモスクワ・リサイタルからです。 
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14109183

Van Cliburn plays Chopin Ballade
http://www.youtube.com/watch?v=k9D2aHiFpdk
http://www.youtube.com/watch?v=GaojdMtvVc4

Chopin Nocturne No.17 (Van Cliburn, piano)
http://www.youtube.com/watch?v=3mMjs-wa1O8

Van Cliburn: "Polonaise"
http://www.youtube.com/watch?v=iJkTgeMaGlM

スクリャービン(Scriabin)
12の練習曲 Op.8 第12番 嬰ニ短調 『悲愴』
映像は1972年のモスクワ・リサイタルからです。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14109056

ドビュッシー(Debussy)『ベルガマスク組曲 第3番 月の光 変ニ長調』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10566272

Liszt Sonata in B Minor - Van Cliburn 1960
http://www.youtube.com/watch?v=kRNdPgZ0Y-4

Van Cliburn Plays Hungarian Rhapsody No.12
http://www.youtube.com/watch?v=mwMYHgQpKSE

HOMMAGE to Van Cliburn (live 23.04.1958, Leningrad) Unpublished recital
Wolfgang Amadeus Mozart's Piano Sonata No. 10 in C major, K 330
0:19:44 : Allegro moderato
5:23 : Andante cantabile
9:53 : Allegretto
14:15 : Chopin. Scherzo for Piano no.3 in C sharp minor, Op.39
22:08 : Chopin. Ballade for Piano no.3 in A flat major, Op.47
http://www.youtube.com/watch?v=J70mGkkGJI8


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【訃報】ヴァン・クライバーン(アメリカ合州国のピアニスト)

ピアニストのクライバーン氏死去 冷戦下にソ連で優勝、米の英雄に

 【ニューヨーク共同】冷戦下の1958年にソ連で開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した米国のピアニスト、バン・クライバーン氏が27日、南部テキサス州の自宅で死去した。78歳だった。米メディアが伝えた。最近は骨がんの治療を受けていたという。

 1934年、南部ルイジアナ州生まれ。ニューヨークのジュリアード音楽院で学んだ。チャイコフスキー国際コンクールの優勝で一躍、国民的英雄に。ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)によると、ニューヨーク・マンハッタンで帰国後に行われたパレードには約10万人が詰め掛けた。
2013/02/28 06:08 【共同通信】
http://www.guardian.co.uk/world/2013/feb/27/van-cliburn-pianist-moscow-dies

中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E2%80%95%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%8C%E8%81%B4%E3%81%8F%E7%8F%BE%E4%BB%A3-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E7%B4%98%E5%AD%90/dp/4122018587


に、一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。

ピアニストの中村紘子は近年の来日公演に関して

「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした。」

と論じつつ、

「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです。」
と述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3


リヒテルの「人生表も裏もある。簡単に信じるな」と言わんばかりの屈曲した名演に比べ、将来を楽観し切った疑いを知らぬ若きヤンキーの演奏。

その後、短期金儲け主義の興行主の言うままに毎晩のようにチャイコを弾き、腕の筋肉を潰し、ピアニストとして終わった(中村紘子「チャイコフスキーコンクール」)クライバーンの運命を予言していたかのよう。
http://www.hmv.co.jp/artist_Tchaikovsky-Rachmaninov_000000000025861/item_%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%EF%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%86%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95%EF%BC%9A%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%EF%BC%88%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%EF%BC%B3%EF%BC%A1%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_1830252/ref/history_3

ヴァン・クライバーンさん死去 2013年2月28日 (木)

さる2月27日、アメリカの名ピアニスト、ヴァン・クライバーンさんが、進行性の骨ガンのためテキサス州の自宅で亡くなられました。78歳でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

【プロフィール】
ホロヴィッツが「この若者は、他の人間の2倍の音を持っている」と称え、リヒテルがチャイコフスキー国際コンクールで満点を与えたピアニスト、ヴァン・クライバーン(本名ハーヴィー・レイヴァン・クライバーン・ジュニア)は、1934年7月12日、ルイジアナ州シュリーヴポートの生まれ。

 クライバーンは3歳からリストの直系の弟子でもあった母からピアノを習い始め、翌年には公衆の前で演奏、6歳でテキサス州に移ってからはさらに腕を上げ、12歳のとき、州のコンクールに優勝してヒューストン交響楽団と共演しています。

 この共演で注目を集めることとなったクライバーンは、ジュリアー度音楽院に進んでロジーナ・レヴィーンに師事、在学中にもいくつもの賞を受賞しています。

 そして1958年、23歳のときに第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝して、全米の注目を集めることとなり、コンクール直後に録音されたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番はわずか2週間で100万枚の売上を記録、ビルボード誌アルバム・チャートで7週連続1位という凄まじい人気となりました。
 この成功により、世界各地で演奏活動をおこなうようになったクライバーンは、1966年には日本も訪れ、以後、たびたび公演をおこなっています。

 また、冷戦時代の一大トピックともなったクライバーンの優勝を記念し、1962年からはその名を冠した「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」が開催されています。

 クライバーンの現役時代の芸風は、優れたテクニックと美しい音に恵まれたもので、端正な解釈をスケール大きく表現する手腕は実に見事なものでした。しかし、コンクール優勝後の異常なまでの多忙さは繊細なクライバーンにはこたえたようで、幾度もの休養を余儀なくされ、やがて1978年には44歳の若さで引退を表明、以後は何度かの例外的公演を除き、事実上の隠遁状態にあったとされています。
(HMV)
http://www.hmv.co.jp/news/article/1302280024/


ヴァン・クライバーン Van Cliburn はアメリカ合州国のピアニスト。1934年、アメリカ合衆国ルイジアナ州生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア Harvey Lavan Cliburn Jr.。

ロジーナ・レヴィーン Rosina Lhévinne に師事した後、1958年、23歳で第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍国民的英雄となる。


彼の演奏を生で聴いたことはないし、録音も数回聴いた程度。したがって、彼の演奏をどうこうと振り返る資格も意欲もない。
彼がその名を轟かせることになったのは、上掲記事にもあるように、チャイコフスキー国際コンクールでの優勝によってである。

1958年といえば(私は生まれていないが)、米ソ両超大国による冷戦の真っ最中。すでに5年前にスターリンは死去しており、後を継いだフルシチョフは「雪解け」外交を展開しつつあったが、そんなことで直ちに緊張が緩和されるはずもない。前年にはスプートニク1号の打ち上げ成功もあり、ソ連脅威論が大いに喧伝されていた時である。

実際なにがどうなっていたのか、真実が明らかになることはないし、今となっては不要でもある。結果として、よりによって南部の「テキサス」人が、芸術の本場であるヨーロッパ(ロシアではあるが)のコンクールで、敵国首相を前にコンクールで優勝した、という凄まじい熱狂が残った。凱旋将軍よろしく、ニューヨークをパレード(音楽家としては史上初)したりもしている。

その後、特に大きな話題になることもなく、アメリカ国内でリサイタルを開催する程度だった。
チャコフスキー国際コンクール以前にも出場したコンクールの殆どで優勝し、また20歳にならないうちにニューヨーク・フィルハーモニックとも共演を果たしている。下手ではなかったのは間違いないだろうが、本人の思いとは別に、世界が彼を引き摺り回した面もあっただろう。

報道によれば、愛する家族に囲まれての死だったという。余人がとやかく言うのとは別に、本人としては納得できる人生だったのではなかろうか。
http://blog.livedoor.jp/minhir3151/archives/51253129.html

ヴァン・クライバーンを悼む 2013年02月28日

「米国のピアニスト、ヴァン・クライバーン氏、27日骨ガンのため死去、享年78歳」とのニュース。

私と同世代ながら、30年以上前に引退、隠遁生活に入ってしまったが、私にとっては忘れ得ぬ伝説的と言っていいピアニストである。

クライバーンは、1958年、モスクワで行われたチャイコフスキー・ピアノ国際コンクールで、審査委員に入ったリヒテルがクライバーンには満点をつけ、他の候補には全て零点を付けたという逸話を残して優勝した。当時は、米ソ冷戦時代、米国は熱狂して彼の凱旋を讃えた。一躍、時の寵児となったクライバーンは多忙を極め、練習もままならぬ状態で、いつしか演奏の質も落ちて行った。そして成熟期を迎えぬまま44歳で引退してしまった。

辻井伸行さんが日本人初の優勝を果たしたヴァン・クライバーン・ピアノ国際コンクールは、クライバーンが優勝した4年後にそれを記念してできたのだが、斯様なほどに周りの熱が高くそれに翻弄されてしまったことが、早い引退に繋がったと言えるのではないか。

引退後、公衆の前に殆ど姿を見せなかったというクライバーン、晩年の想いは何処に向けられていたのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/nakano_s88/e/f24e71fb1704e04e583321f4d0c6a250

__________

クライバーン 英雄の末路 2011/7/12(火)

 ヴァン・クラーバーン、僕が初めてこの人の名前を知ったのは比較的早い時期だった。たぶん中学生になって間もない頃ではなかったろうか。チャイコフスキーコンクールに優勝した時ではなく、その後の活躍ぶりを示すレコードやラジオ・テレビの音源からである。

彼は、ジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィーンに師事している。はて・・・と思ったらやっぱりそうだった。中村紘子の先生だった人だ。最初にこの人の話をしておくことにしよう。
 
 ロジーナ・レヴィーンは、ウクライナのキエフにうまれたピアニストでモスクワ音楽院を卒業した。夫のヨゼフ・レヴィーンと一緒に1919年にアメリカに亡命した。夫の死後、ジュリアード音楽院の教授に請われて、1976年に亡くなるまで32年間もピアノ科で数々の優秀な音楽家を育てた。あのジョン・ウイリムズも弟子だった。

 もっと面白いことがある。このロジーナ・レヴィーンは優秀な演奏家でありながら自分自身の演奏活動を公にすることはなかったのだが、75歳の時にソリストとして再デビューしている。その後、1963年レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク。フィルハーモニー・オーケストラとショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した。82歳だった。そのとき使った楽譜は65年前にモスクワ音楽院を金メダルで卒業した時のものだった。

  さて、肝心のクライバーンだが、ウィキペディアによれば以下のようになる。

  ヴァン・クライバーン(Van Cliburn, 1934年7月12日 - )は、アメリカ・ルイジアナ州生まれのピアニスト。本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)。

  ロジーナ・レヴィーンに師事した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍国民的英雄となる。
(なお、このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた)

凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている(ちなみに、コンドラシンの海外デビューである)。この優勝を祝してヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールが1962年より開催されている。1966年には初来日も果たしていて、日本での人気も高い。

  こんなバカげた話がある。ヴァン・クラーバーンが決勝のラフマニノフの協奏曲第2番を弾き終わると、スタンディン・オベーションがおき、拍手は8分もの間鳴り止まなかったという。そのときの審査委員長は、会場にいる共産党第一書記ニキタ・フルチョフにいかがでしょうとお伺いを立てると、

「やつが、一番なのか」フルチョフは聞き返す。

「そうです」と答えると、一言

「それならば賞をやれ!」

って言ったらしい。それで決まり。
(本当かどうかは分からないがあり得る話です)


  チャイコフスキー・コンクールで優勝したクライバーンは一躍アメリカの英雄になった。紙吹雪の舞う中ニューヨークに凱旋した。

当時のアメリカとソビエトはとんでもない緊張状態にあった。核兵器の数を、宇宙への一歩を、科学の粋を集めて競っていた。「一番じゃなきゃだめなんですか」なんて悠長なことを言っていられる時代ではない。スパイ合戦、目に見えない場所での小衝突は数限り無いが、すべては闇から闇に葬り去られる。折しも、核弾頭搭載ミサイルの基地がキューバに建設されるや一触即発のきな臭い時代だった。

そんな時にルイジアナ生まれの23歳の若者がロシアで主催されたコンクールで優勝したのだ、大騒ぎにならないわけがない。笑ってしまうのは、タイム誌の表紙にクライバーンが載ったことだ。そのタイトルがまたふざけている。

          黄色の帯「テキサス人ロシアを征服」19,May1958,


 初来日の時には日本でもレコードが売れまくっていたようで、僕の記憶にも薄ぼんやりと残っている。コンドラシンは結局その後亡命してアムステルダム・コンセルトヘボウの永久指揮者として迎えられているが、そのコンドラシンとのレコードはポップスアート部門で7週連続第1位だったというからどんなにクライバーンが持てはやされていたかが分かろうというものだ。その後のラフマニノフの2番と3番のコンチェルトもアルバムチャートで10位など破格の記録を打ち立てた。こういうことはクラシック界では、あることではなかった。


  様々な音楽コンクールに優勝すると数々のご褒美がついてくる。いや、きたと書くべきだろう。レーベルとの契約、数回の記念演奏会、マスコミの取材、等々である。これらは今いろいろ見直されている。演奏家を保護する意味合いからだ。

たとえば、このクライバーンという一人の片田舎の若者が、ある日いきなりアメリカを代表する人間になり、日々演奏会やレコーディング、数々のマスコミの取材やらで自分の時間も持てないほどのスケジュールをこなしていく。やがて、目に見えない疲労が蓄積されていく。そして、それは極限状態に向かっていく。

  ・・・そのとある日、何かかが起きると緊張の糸がぷっつりと切れ、燃え尽き症候群を引き起こす。彼の場合父親の死がそれを引き起こした。そして、表舞台からぷっつりと姿を消した。

しばらくして、来日した時の公演に関して中村紘子はこんなことを言っている。
「その演奏は、もはや正面切ってどうのこうの、と言えるような対象ではありませんでした」
と言うのだ。さらに、
「彼が芸術家として成熟すること無く終わってしまったのは、結局アメリカの豊かさと、楽しい生活に問題があったのではないかと考えたものです」
と言っている。(2003NHK)

 中村紘子氏が言うように、コンクールで賞を取るということは容易なことではないが、そうしたことに押しつぶされず、自分の行くべき道をいつでも地道に成熟していく道を探すことは難しい。これは、音楽関係者はもちろん、聴衆やマスコミの問題でもある。

 自分という名もなき人間ですら、名もなく清く美しく生きたいと熱望しながらも惰性や諦めや屈辱の中で、時折挫折しそうになるではないか。況(いわん)や、天才をや!

 ※1958年とはどんな年だったか

前年10月に打ち上げられたスプートニクが大気圏に突入、
アメリカ初の人工衛星、エクスプローラー1号打ち上げ、
ナンシー梅木が日本人初のアカデミー助演女優賞を受賞
巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー。
日本コカ・コーラ、炭酸飲料「ファンタ」を日本で発売。2008年には発売50周年を迎えた。
富士重工業が「スバル・360」を発売。
シチズン時計が目覚まし付き腕時計「アラーム」を発売。
本田技研工業が「スーパーカブ」を発売。
日清食品が「チキンラーメン」を発売。
早稲田実業の王貞治投手の巨人軍入団決定。
朝日麦酒が日本初の缶入りビールを発売。
鎌田商会が「洋服タンス用 パラゾール」を発売。
三菱鉛筆が「ユニ」を発売。
東京タワー竣工。
巨人・川上哲治選手、引退。
宮内庁、皇太子・明仁親王と正田美智子の婚約を発表、ミッチー・ブームはじまる。
新1万円札発行。- 東京タワー完工式。
http://blogs.yahoo.co.jp/taroimofavor/5008222.html


ヴァン・クライバーン、進行性の癌で自宅療養中。 2012年9月 4日
ヴァン・クライバーンが進行性の骨のガンで、どうやら危ないようだ。78歳。

1958年、記念すべき第1回チャイコフスキー国際コンクールの覇者。クライバーンと言えば、私たちピアノを学んだ人間にとっては、必ず避けては通ることの出来ない、特別な存在だ。

ショスタコーヴィチにメダルを授与される写真や、ニューヨークでの歴史的な凱旋パレードの写真は、もちろん私はその出来事のはるか後年になって見たわけだが、脳裏に深く焼き付いており、今でも容易に、紙吹雪の舞うその写真を思い浮かべる事が出来る。

だがその実演に触れた人は多くないと思う。私も何枚かのCDと、DVDとでしか知らない。大きな存在だったが、巨匠と言われたわけではない。時代の寵児となり、振り回され、疲弊し、コンサートピアニストとしての華々しい活動とも縁遠くなって長い。

パートナーと共にテキサスのフォートワースに長らく住み、同地で開催される、自身の名前を冠したコンクール、それが遠く日本に住む我々との接点のほぼ全てだった。(最近では盲目のピアニスト辻井伸行が、このコンクールでハオチェン・チャンと優勝を分け合った。それによりこのコンクールの存在は一般にも知られるようになった。)

1996年に来日し協奏曲を弾いた時、演奏に対する評価はその頃も高くはなかったが、演奏を聴きに行った桐朋の私の友人が
「感動のあまり涙を堪えきれなかった」
と言ったのを印象深く覚えている。蛇足ながらこの友人は後日、ヴァン・クライバーン・コンクールに参加。クライバーン本人と話をする機会を得たそうだ。

地元の新聞、フォートワース・スター・テレグラム紙には、彼のパブリシストのコメントが掲載されている。

「彼は自宅におり、極めて平静にしている。精神状態もよい。どうか彼をそっとしておいて欲しい」。

また同紙には、近影を含む写真16枚が掲載されているが、衰えたその姿を見て、私はなんとももの哀しい気分になった。


クラシック音楽史上初めて、アルバムのミリオン・セラーを達成した人。トルーマンからオバマまで歴代の大統領全員の前で演奏を行った人。その人の生が、終わりに近づいている(もちろん、"奇跡的に回復"という可能性もあるのかもしれないが)。

一つの時代が終わりを告げようとしている。そしてクライバーンの名前は、ゆるやかに忘れ去られていく事になるのだ。

■ フォートワース・スター・テレグラム紙 2012年8月29日付の記事:
Van Cliburn diagnosed with advanced bone cancer
http://www.star-telegram.com/2012/08/27/4209871/van-cliburn-diagnosed-with-advanced.html

http://www.musashino-culture.or.jp/weblog/2012/09/post-132.html


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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、他 
クライバーン、コンドラシン&モスクワ・フィル


・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調 作品30
・カバレフスキー:ロンド イ短調 作品59

 ヴァン・クライバーン(ピアノ)
 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
 キリル・コンドラシン(指揮)

 録音:1958年4月11日、モスクワでの第1回チャイコフスキー国際コンクール本選のライヴ(モノラル)


HMV レビュー

テスタメント・レーベル日本語解説付き日本プレス盤
第1回チャイコフスキー国際コンクール本選ライヴ

冷戦時代のアメリカとロシアを音楽の力だけで結びつけてしまったピアニスト。
底知れぬ芸術の力を思い知らされる究極のライヴ!

第1回チャイコフスキー国際コンクールのファイナルの模様を収録した初登場音源。このコンクールの凱旋リリースとなった、同じくコンドラシンとのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番のリリースは、ビルボードのポップアルバムチャートで7週連続1位を獲得するという驚異的な記録を打ち立てたことで知られていますが、今回のこの録音は、「凱旋公演」ではなく、まさにコンクールの最終選考演奏を記録した歴史的なものなのです。

 冷戦まっただ中、ソ連が国の威信を誇示するために企画した第1回チャイコフスキー・コンクール。そこに現れたのは、最大のライヴァル国アメリカからやってきたひとりの青年でした。24歳のクライバーンです。

驚くことに、リヒテルやショスタコーヴィチを筆頭にロシア側も完全に納得するかたちで、記念すべきこの第1回の優勝はクライバーンが勝ち取ることとなるのです。この一大事件は、ソ連とアメリカの国交にまで影響を与えたといわれ、武器ではなく音楽が、世界平和に貢献するという事実を全世界に知らしめることとなりました。

この歴史的快挙により、前述したように彼のアルバムはビルボード・ポップチャートをも席捲し、音楽家としての成功を超え、クライバーンは時代のヒーローとまでなったのです。


 そうした熱狂が、逆にクライバーンの演奏史には負の影響を与え、その後のキャリアは悲運ともいえるものとなりますが、だからといって彼の芸術性と超絶技巧を否定することはできません。この歴史的大快挙といえるコンクール本戦の録音には、敵対国民すら魅了した、音楽芸術の持つ絶大な力を聴いてとれます。(ユニバーサルIMS)
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%881840-1893%EF%BC%89_000000000018904/item_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%9A%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%91%E7%95%AA%E3%80%81%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95%EF%BC%9A%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%93%E7%95%AA%E3%80%81%E4%BB%96%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%80%81%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%EF%BC%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E4%BB%98%EF%BC%89_2787435

ヴァン・クライバーンのチャイコフスキーコンクール・ファイナル 2009年1月10日

1958年4月11日、20世紀のクラシック音楽演奏史上有数の事件がモスクワで起こりました。この年に始まった、冷戦時代真っ只中のソ連の首都で、国の威信を懸けてロシアの若き演奏家の素晴らしさを知らしめようと開催したこの大会で、テキサスから乗り込んできてファイナルに残った23歳のピアニストが、いわば超完全アウェイの状況で、リヒテルをはじめとするいかにもクセの強そうな審査員にひねくれた絶賛を投げさせ、そして何よりホールを埋めた聴衆をわずか数十分のうちに熱狂のただ中に巻き込んだのでした。そして彼のこの演奏は一つの社会現象と言える状況を生みだし、政治的な意味でも時代の寵児というべき存在へと彼自身も祭り上げられてしまうことになったわけです。

ヴァン・クライバーン、アメリカ人のクラシックファンで彼の名を知らない人はいないと言ってもいいほどですが、それ以外の人にとっては、ピアノコンクールの名前になっている人、ということで終わってしまっているかも知れません。彼のスターとしての時代ははなはだ短く、それでも地元を中心に音楽活動を続けてはいるのですが、かつてミリオンセラーを生んだほどの熱狂というのはもはや戻ってくることはないのであります。

このディスクは、その4月11日のファイナルの演奏を収録したものであるようで、チャイコフスキー、ラフマニノフ、それにコンクールの課題曲であったカバレフスキーのロンドをアンコールとして演奏しています。

オケはコンドラシンが指揮するモスクワフィルなのですが、チャイコフスキーの有名な冒頭の、何とも「お仕事」って感じの、実に無粋でおざなりな音で始まりながら、その後クライバーンのゆったりとしかし弛みのない素晴らしいテクニック、そして絶妙にコントロールされた深みのあるロマンティシズムに、オケの音が次第に変わっていくのがわかります。恐らくホール自体の空気もどんどんと熱が上がっていたのでしょう。

チャイコフスキーの2楽章のPrestissimoあたりではオケのノリが随分と変わってきて、曲の終わりは、生で聞くか、あるいは現在の音響で聞けばさぞかし壮麗な音になっていただろうと思わせる音楽になっています(モスクワ音楽院のホールの音はあまり豊かと言えるものではない。また録音が1958年のソ連録音的水準であるからある程度はイメージで補わざるを得ないのは事実だ)。

これがラフマニノフに入るとまさにオケが興奮しながら演奏している、という感じになり、最後のコーダになるともう「このまま曲終わらんといてくれ〜」とでも言うように熱く歌います。そこに流れるクライバーンのピアノが、がっちりとした美しさを湛えつつそれでもどこかクールな部分も残しています。

若々しくカリスマ性を備えたこの演奏、ラフマニノフのあとの凄まじいほどの喚声に、一人のスターが誕生したことを確認できるのです。この後、米国に帰った彼は圧倒的な歓呼の声に迎えられ、RCAの同曲録音、と続いていきます。

音質云々よりも、50年前の歴史的記録として、是非聴いておきたい録音です。
http://bbrsun.blog.eonet.jp/bbr/2009/01/post-74b3.html


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クライバーン/チャイコフスキー&ラフマニノフ:ピアノ協奏曲(ハイブリッドSACD)


HMV レビュー

・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
 ヴァン・クライバーン(p)  キリル・コンドラシン(指揮) RCA交響楽団
 1958年 カーネギー・ホールでの録音【3トラック録音】

・ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第2番
 ヴァン・クライバーン(p) フリッツ・ライナー(指揮) シカゴ交響楽団
 1962年 シカゴ・オーケストラ・ホールでの録音【3トラック録音】

ゆりぞう | 兵庫県 | 不明 | 2011年02月16日

本音源に愛着があり、良い音質のCDを入手したい人や、アナログから乗り換えを考えている人は、本盤ではなく、XRCD−SHM仕様をすすめます(どうしてもマルチに拘る人や併録のラフマニノフもほしい人は別にして)。XRCDに比べると本盤はまるでサロンミュージックのように軽く聴こえますので。


やっちゃん | 坂出市 | 2008年01月14日
”昔聴き潰した青春の思い出がこもる盤。
チャイコも力演だが、ラフマニノフの明るく甘い音を思い出した。リヒテルの「人生表も裏もある。簡単に信じるな」と言わんばかりの屈曲した名演に比べ、将来を楽観し切った疑いを知らぬ若きヤンキーの演奏。

その後、短期金儲け主義の興行主の言うままに毎晩のようにチャイコを弾き、腕の筋肉を潰し、ピアニストとして終わった(中村紘子「チャイコフスキーコンクール」)クライバーンの運命を予言していたかのよう。”
http://www.hmv.co.jp/artist_Tchaikovsky-Rachmaninov_000000000025861/item_%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%EF%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%86%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95%EF%BC%9A%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%EF%BC%88%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%EF%BC%B3%EF%BC%A1%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_1830252

クライバーン / チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(XRCD)

RCA秘蔵のオリジナルマスターで鮮烈に復活!

・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 op.23
 1 Allegro non troppo e molto maestoso [20:48]
 2 Andantino Simplice [07:04]
 3 Allegro con fuoco [06:54]
 ヴァン・クライバーン(ピアノ)
 キリル・コンドラシン(指揮)交響楽団
 録音:1958年 ニューヨーク、カーネギー・ホール(ステレオ)

ゆりぞう | 兵庫県 | 2011年02月16日

スバラシイの一言。これを聴くと、同じ音源のSACDがいかにも作り物っぽく感じられるてしまう。SACDではクライバーンのピアノが浮ついたサロン・ピアニストのようである。

本盤は音が深い。オケともども実在感がある。本音源の好きな人は本盤が廃盤になる前にぜひとも購入されることを強くおすすめする(SACDはラフマニノフも付いていてお得などといったことはまったくポイントにならない。私はそれで先にSACDを購入したが、何となく気になって、少々勿体ない気もしたがこちらも購入した。けちくさいことを考えずに本当によかった)。・・・過去の音源のXRCD化はもう終りなのでしょうか?
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%881840-1893%EF%BC%89_000000000018904/item_%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%EF%BC%88p%EF%BC%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%B3%EF%BC%86%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3-XRCD_1969840/ref/58204_1

ヴァン・クライバーンのチャイコフスキーとラフマニノフの協奏曲 2005.5.4

◎チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 <1958.5.30>
 ラフマニノフ   ピアノ協奏曲第2番 <1962.3.31&4.2>

   ヴァン・クライバーン(ピアノ),
   コンドラシン指揮,RCA交響楽団(チャイコフスキー),
   ライナー指揮,シカゴ響(ラフマニノフ)

   米RCA 828766 61392 2 (SACD Hybrid)

 クライバーンといえば,1958年の第1回チャイコフスキーコンクールにおいて,地元ソ連勢やその他の強豪を抑えて見事に優勝を果たし,アメリカへの凱旋帰国の際はアイゼンハワー大統領が空港まで出迎え,ホワイトハウスで祝賀パーティ,コンクールファイナルで指揮をしたコンドラシンを迎えてのカーネギーホールでのコンサート,さらには紙吹雪が舞う中での5番街のパレードと,まさに一夜にしてヒーローとなったのでした。

 このCDに収録されているチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は,帰国直後にカーネギーホールでコンドラシンの指揮により収録されたもので,発売後2週間でミリオンセラーとなったものです。以後,クライバーンはRCAに盛んにレコーディングを行うようになり,ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はシカゴのオーケストラホールで録音されたものです。

 これらの録音はいずれもLP時代からの周知の名演とはいえ,SACD化によってどんな音で聴けるか大変楽しみだったのですが,実際に聴いてみると,いっそう緻密でスケール感があって自然な音であり,何よりもピアノの響きに実在感があって,演奏の姿をより明瞭に聴き取ることができるようになったと思います。

 そして何よりもこのハイブリッド盤を聴いて印象深いことは,CDとSACDとではその演奏の印象がかなり異なることで,CDで聴くクライバーンの演奏は,音に輝きがあって,華麗でドラマチックな演奏を繰り広げた文句なしの名演と感じられるのに対し,SACDで聴くとクライバーンの演奏の姿がより露わになっているように思えます。

 この印象の違いは,チャイコフスキーの協奏曲においていっそう顕著で,クライバーンは優れたテクニックでピアノを十二分に鳴り響かせ,十全なスケール感と率直でストレートな表現の一方で,細やかな表現にも欠けることもなく,さすがに名演として名高いだけのものを聴かせています。

 しかしながら,この録音を聴いていて気になって仕方がないのは,テクニックには全く問題がないにもかかわらず,1つ1つのタッチに力が入りすぎていて柔軟性に乏しく,余裕のない,切羽詰まったような演奏になっていることで,これはコンクール優勝後の目の回るような忙しさの中で,心身のリフレッシュを行う余裕もなく,それでも自らの最善を尽くしての無我夢中の演奏であったのでしょうか。

 また,この演奏でのコンドラシン指揮のRCA響は,実に快活で積極果敢な演奏を行っており,その表現はあっけらかんとしすぎている感すらあるのですが,一方でクライバーンのソロを力強く支え,鼓舞している面もあるように思えます。

 その意味では,これはコンクール優勝後の華々しい凱旋録音というよりも,この録音当時のクライバーンの,とまどいとプレッシャーの中で必死に演奏する姿が記録されたドキュメンタリーというべきなのかもしれないなと,聴きながら思ってしまいました。

 一方のラフマニノフの方は,クライバーンの演奏の持ち味,特色が無理なく表れているように思え,音には磨き上げられたクリヤーさはないにしても,リリカルで余韻が美しく,雑念を持たずに自ら作品と対話し感じたままに演奏しており,そのナイーブで率直な歌い口は聴いていて胸打たれる思いがします。

 この演奏を聴いていると,クライバーンは堂々たるテクニックで印形付けるというのではなく,自らの感性を大切にした率直な演奏を心がけているように思えますし,ここではライナー指揮のシカゴ響が,いつものシャープな演奏から一変して,大変デリケートにソロを支えているのがことさら印象的です。

 こうして収録された2つの録音を聴いてみましたが,なんといってもチャイコフスキーでの異様ともいえる演奏の姿が露わになっていることに驚嘆してしまいました。この録音はクライバーンの代表的名演の1つとされているというのに,SACDになってその演奏の姿が初めて明らかになったということなのでしょうか。あるいは私が単なる勘違いをしているに過ぎないのでしょうか。

 一方のラフマニノフは,クライバーンの優れたテクニックとナイーブな感性とによってこの作品の大変に優れた名演を聴かせてくれており,SACDではそれが惚れ惚れとするような美しさで聴くことができました。

 この録音はいずれも定盤中の定盤ですし,私もSACDになってよりよい音質で楽しもうと思ったに過ぎないのですが,いざ聴いてみると,全く予想外の感想を抱くことになってしまいました。その意味では定評ある名演を堪能するというのとは異なってしまいましたが,いずれにせよ実に印象深い演奏が聴けることは疑いなく,良好な音質ともども,一聴の価値があると思います。
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/2005-1/2005050401.htm

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ヴァン・クライバーン・リサイタル1959(2CD)(日本語解説付)

【収録情報】
・英国国歌
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
・ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39
・ショパン:バラード第3番変イ長調作品47
・ショパン:幻想曲ヘ短調作品49
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57『熱情』
・プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第6番イ長調作品82
・リスト:ハンガリー狂詩曲第12番嬰ハ短調♪世界初発売
 ヴァン・クライバーン(ピアノ)


HMV レビュー
ずばぬけた技巧と豊かな音楽性が共存!
クライバーン・リサイタル1959

自らの名を冠したコンクールの若き受賞者によって今ふたたび脚光を浴びる事となったクライバーン。類まれなるピアニズムが結晶となった彼の絶頂期の素晴らしいコンサートライヴがここに登場しました。究極のテクニックをもちながら、技術に翻弄されること無く常にその根底には豊かな音楽性が根づいていたクライバーンの真価が刻まれた録音です。世界初発売。日本語解説付き。
(ユニバーサルIMS)


【解説書より抜粋】
夏の暑い午後、筆者はハリウッドスターの一団が混じる満員の聴衆の中でたぐいまれな個性と能力から紡ぎ出される、話術に長けた演奏を目の当たりにした。思い出をたどり、サウスバンク史上最も卓越したリサイタルの1つに数えられる演奏を今一度聴くとき、ある言葉が鮮明に心に浮かび上がる。その言葉は「雄弁(eloquence)」。

かつてないほどにその技巧に見合う音楽的な意思や響きを持たないピアニストであふれている、それが音楽界の現実だ。クライバーンのテクニックは、その圧倒的な幅、色彩、響きにおいて単なる技巧をはるかに超越しており、ずばぬけた技巧を持ちながらその演奏は常に豊かな精神に満たされ、素晴らしい音楽を称え、分かち合うことだけに捧げられた。リサイタルを通して、クライバーンは自身だけが持つ響きと意思を持って「語り」続けた。・・・・中略・・・・

このリサイタルがクライバーンの若き栄光の頂点であった。世界中の過大なまでの注目と賞賛を浴び、特にロシアと母国アメリカの熱狂はすさまじかった。しかし間もなくクライバーンは容赦なく注がれるスポットライトに疲れてしまう。華やかさは次第に薄れ、絶え間なく忙しすぎる仕事に追われ、クライバーンは自信を失い、隠遁と心の平安を強く求めるようになる。・・中略・・・

こうした試練と生来の傷つきやすいナイーブさが災いし、何度も休養期間を取り、過去の栄光の名残にすぎない演奏を残し、そして最終的には全くの沈黙に至ったのだろうか?

クライバーンはその後二度とロンドンでリサイタルを行わなかった。ここで抗し得ず言えば、もしクライバーンのキャリアがこれほど無責任に悪意を持って翻弄されなければ、彼はそのレパートリーを広げ、若き日の頂点にとどまったまま演奏活動を続け得たであろう。しかし、それはそれとして1959年のリサイタルに立ち返れば、その演奏は長く記憶され愛でられるべき伝説的な域に達していることがわかる。短い活動期間ではあったが、クライバーンは同世代の中で最も天賦の才に恵まれた不世出のピアニストといえるだろう。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88_000000000230513/item_%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AB%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%99%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89%EF%BC%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E4%BB%98%EF%BC%89_3646436

ヴァン・クライバーンのロンドン・ライヴ 2010.1.31

◎英国国歌
 モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番 K330
 ショパン   スケルツォ第3番
        バラード第3番
        幻想曲
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番「熱情」
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第6番
リスト     ハンガリー狂詩曲第12番

   ヴァン・クライバーン(ピアノ) <1959.6.7>

   英TESTAMENT JSBT2 8445 (2CD)


 英TESTAMENTの新譜で,ヴァン・クライバーンが第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝した翌年にロイヤル・フェスティバルホールで行った,最初で最後のロンドン公演のライヴ録音が発売になりました。

 これは,チャイコフスキー・コンクールの優勝後,無我夢中で演奏活動を行っていた時期のライヴ録音ですが,それがどのような演奏であったのか,興味が持たれるところです。

 さっそく聴いてみると,拍手の後に,おもむろに英国国歌が弾き始められ,事に気付いた聴衆が急いで起立するゴソゴソといった音が聴かれます。当時の演奏会での慣習はよく知らないのですが,解説書には

「これは英国民に対する極めてテキサス的な過剰なまでの(現代の外交用語で言えば「その特別な関係」に対する)讃辞だった。」

と書かれています。

 最初のプログラムのモーツァルトのソナタは,端正で粒立ちの良い演奏であり,その繊細で瑞々しい表現には,聴いていて心洗われる思いがする一方で,当時24歳のピアニストの演奏にしては未成熟な演奏ではないかと思われ,このあたりをどう感じるかによって演奏に対する評価が変わってくるのではないかと思われます。

 続いてショパンの作品が3曲演奏されているのですが,いずれもテクニックの面では余裕があり,明快かつ細やかで,ソノリティも美しいですし,フレッシュな魅力に溢れた演奏を聴くことができるのですが,明快さの反面で,クライバーン自身が演奏に込めた主張,あるいは詩情や情感といった面が希薄であることが気にならないでもありませんでした。

 次のベートーヴェンの熱情ソナタは,切れの良いタッチと,高い集中度によって,シリアスで正攻法な表現をつくり出しており,その若々しく果敢な演奏の姿には,聴くものを惹き付ける真摯さを感じますし,この作品の克明かつ誠実な演奏ではないかと思うのですが,この作品の演奏としてはやや線が細く,力感やエモーションはいまひとつではないかと感じてしまいました。

 プロコフィエフのソナタでは,克明でダイナミックな演奏となっており,高域の華やかさの加わったブリリアントな響きを聴かせ,メカニカルな印象のあるこの作品からフレッシュな表現を引き出しているところは大変に見事ですし,聴いて満足度の高い演奏ではないかと思いました。あえて難をいうとするなら,ガツンとしたエネルギー感や,求心的なシリアスさがあれば更に良かったということでしょうか。

 最後にアンコールのリストのハンガリー狂詩曲第12番が収録されていますが,これが実に目覚ましい演奏で,鮮やかなテクニックに加え,自信と活力が漲っており,まさに聴くものを圧倒する演奏で締め括っていました。

 こうして聴いてみると,当時のクライバーンの演奏の姿を如実に感じ取ることができ,鮮やかなテクニックと,フレッシュではち切れんばかりの若々しい魅力のほとばしる演奏によって,聴衆を熱狂させていたいたことが窺い知れます。

 しかしながら,私自身,この演奏を聴いて楽しめたか,あるいは感動できたかというと実はそうではなく,優れたテクニックと真摯な演奏姿勢は認めるものの,表現内容に乏しい未熟な演奏ではないかと思えてなりませんでしたし,さらには,クライバーン自身の必死の葛藤が感じられたのでした。

 しかも,その未熟さというのが「鈍感な未熟さ」であればまだよかったのですが,実際には「傷つきやすいナイーヴな未熟さ」であり,時間をかけて自己の演奏表現を深めていく余裕もなく,ある意味,見せ物的なテクニックを頼りに演奏活動に明け暮れていては,早晩行き詰まることとなるのは必定で,そのことに対する周囲の配慮も足りなかったのか,その懸念は現実のものとなってしまいました。

 もちろんこれは,半世紀後の私の耳で聴いてそう感じられたということであり,後知恵的な見方に過ぎないのですが,いずれにせよ,結果としてクライバーンはその演奏を過大評価され,賞賛され続けることによって,前途が閉ざされてしまうこととなったように思えてなりません。

 このCDは,秀逸な音質と相まって,当日の演奏会の姿を生々しく体験することができたのですが,当時のクライバーンの演奏に関して,すでに内面の危機が露わになっているなどという批評には,寡聞にして目にしたことがありません。私はかつてクライバーンの代表的な録音であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のSACDを聴いたときにも同様の感想を抱いていたのですが,実は単なる思い込み,勘違いかもしれません。

 いずれにしても,これはクライバーンが最も充実した演奏活動を行っていた時期の,魅力的で鮮やかな演奏を堪能できるものであり,後は各々がこれを聴いてどのような印象を抱くかだろうと思いますし,その意味でもぜひとも一聴をお薦めしたい1枚ではないかと思います。
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/2010-1/2010013101.htm

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終ってみれば唯の三流ピアニストだったヴァン・クライバーンの一時の成功の背景は?

ロシア人になることを夢見たピアニストのヴァン・クライバーン氏死去

米国の有名なピアニストで社会活動家だったヴァン・クライバーン氏(78)が2月27日、苦しい闘病の末、死去した。

生前のクライバーン氏と個人的に付き合いのあった音楽評論家でプロデューサーのヨセフ・ホロヴィツ氏は氏の死去の知らせをうけてVORからのインタビューに次のように語った。

「彼はロシア人になることを夢見ていたひとりだった。1958年にもこの夢をかなえ、冷戦最中にモスクワに来ると、チャイコフスキー記念コンクールで優勝を果たした。
ニューヨークでロシア人教師のロージナ・レーヴィナ女史に師事していたクライバーンはチャイコフスキー、ラフマニノフを独自の解釈で演奏し、万人の度肝を抜いた。あの時代の一流の演奏家はスヴャトスラフ・リヒテルをも含め、クライバーン氏の演奏には何か超自然的なものがあると認めていた。」

ロシア人にとってはクライバーン氏の死去は伝説との別れを示す。ヴァン・クライバーン、あるいはファンがつけた「ヴァーニャ」というロシア的な愛称はこの先も永遠に残ることだろう。この「ヴァーニャ」という愛称は58年、第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝をさらった際に彼に与えられた。クライバーン氏の勝利は単なる優勝をはるかに超える意味があった。米国人をソ連のコンクールで最優秀者として認めるということは、誇張なしに政治的意味をもち、冷戦の最中にあって米ソの氷が溶け出したことに等しかった。

クライバーン氏の最後となった訪露は2011年。この際、クライバーン氏には、長年に当たってチャイコフスキー・コンクールの組織委員会に「ヴァーニャ」の演奏に感銘を受けたファンから届いた膨大な量の手紙が手渡された。クライバーン氏は感激し、心底「生涯最後の日まで私はロシアを愛し続けるでしょう」と語ったという。
http://japanese.ruvr.ru/2013_02_28/106459161/

ヴァン・クライバーンは、ジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィーンに師事している。
 
 ロジーナ・レヴィーンは、ウクライナのキエフにうまれたピアニストでモスクワ音楽院を卒業した。夫のヨゼフ・レヴィーンと一緒に1919年にアメリカに亡命した。夫の死後、ジュリアード音楽院の教授に請われて、1976年に亡くなるまで32年間もピアノ科で数々の優秀な音楽家を育てた。

このロジーナ・レヴィーンは優秀な演奏家でありながら自分自身の演奏活動を公にすることはなかったのだが、75歳の時にソリストとして再デビューしている。その後、1963年レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク。フィルハーモニー・オーケストラとショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した。82歳だった。そのとき使った楽譜は65年前にモスクワ音楽院を金メダルで卒業した時のものだった。

  ヴァン・クライバーン(Van Cliburn, 1934年7月12日 - )はロジーナ・レヴィーンに師事した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍国民的英雄となる。
http://blogs.yahoo.co.jp/taroimofavor/5008222.html


要するに、チャイコフスキー国際コンクールでの演奏はすべてロジーナ・レヴィーンの指示にそっくりそのまま従っただけのものだったのですね。

ヴァン・クライバーンは唯の才能の有る良い子で、ロジーナ・レヴィーン先生の言う事を何も疑わずに100%そっくりそのまま守る優等生だったのでしょう。

しかし、国民的英雄となった『天才ピアニスト』ヴァン・クライバーンに楽譜の読み方や音楽の意味を手取り足取り教えてくれる人はもう誰もいなくなってしまったのです。

自分の頭では何も考えられない若きヤンキーは今度は興行主の言うままに毎晩のようにチャイコを弾き、腕の筋肉を潰し、ピアニストとして終わってしまったのです。

まあ、20才の天才作曲家は沢山居ますが、20才の天才ピアニストは一人も存在しないんですね。 20才の『天才ピアニスト』の背後にはパペットを操る … が隠れていると思った方がいいです。


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コメント
 
01. 2013年3月23日 15:38:27 : W18zBTaIM6

2010/6/7 22:19:02
クライバーンって、永遠の青年なのよね。(とうの昔に60歳すぎてますが。笑)

デビューから10年弱、本当に魅力的だったと思います。モスクワで熱狂的に受け入れられたのは、たぶんラフマニノフの再来みたいなピアニストだったからでしょう。大きな手、繊細な表現、バランスのとれた構成感など、現代のピアニストが必要とされる要素を過不足なく持っていました。

・・・が、アメリカン・ドリームの実現者としてコキ使われる日々が続き、才能をすり減らしてしまいます。60年代後半には早くも録音からは輝きが消えうせ、機械的に音を並べているような印象が出てきます。

ちなみに、クライバーン・コンクールの優勝者は、クライバーンと同じ運命が待っている、というジンクスがあります。怖いです。

現在の演奏活動ですが、実は日本でときどきリサイタルを行っています!

ジュリアードのレヴィン門下でいっしょだった中村紘子さんがプライベートでも親しい関係だそうで、彼女の著書やインタビューでいろいろ出てきます。


「あんなに素晴らしいピアニストはいなかった」

「でも繊細すぎる彼には耐えられない仕事」

「今でも気遣いや立ち居振る舞いは超一流。でもアメリカ国民が望むであろうクライバーンを演じているようにしか見えず、痛々しい。」・・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1441918389


2012年11月30日
中村紘子『チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代』新潮文庫、2012年。

 この本について語るときに聴いていたいのは、ヴァン・クライバーンの演奏によるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番変ロ短調だ。変ロ短調だのなんだのと書くとまるで得体の知れない呪文のように見えるかもしれないが、じつはだれでも聴いたことのある、とりわけその第一楽章の序奏が有名な曲である。

 ヴァン・クライバーンというアメリカ人ピアニストは、この曲を超有名曲にした立役者とでもいうべき人物で、彼は1958年にモスクワで初めて開催された国際音楽コンクール、第一回チャイコフスキー・コンクールの優勝者なのだ。

わたしがいま聴いているのは、彼がアメリカに凱旋帰国した際の優勝記念演奏会、カーネギー・ホールでのライヴ盤である。当時のソ連が国家の威信をかけて開催したコンクールで優勝をかっさらったこのアメリカ人青年は、冷戦下という時代背景もあって一挙に国民的スーパースターと化し、このライヴ盤のCDは発売後わずか二週間足らずで100万枚も売れたそうだ。

 クライバーン以来、国際コンクールというものはスーパースターを生みだす装置として一般的関心を集めるようになったという。だが、そんなふうにして生まれたスーパースターたちの運命は、今も昔もほとんど変わらない。クライバーンの辿った道筋はスーパースターの典型とでもいうべきもので、じつに象徴的だ。


「彼の栄光が輝かしいものになっていけばいくほど、クライバーンの演奏そのものは不調に陥っていった。

アメリカという社会は、スターに決して休息の間を与えない。一日休めばその間にライヴァルが現れてチャンスを奪いとることを、みな知っているからである。それゆえスターは、まるでくるくる廻るコマのように、休むことなく人々の前に登場し続けることになる。

クラシック音楽のスーパースター、クライバーンとてもこの例外ではなかった。いつ何処に行っても大衆は、クライバーンにチャイコフスキーのピアノ協奏曲を要求した。彼には新しいレパートリーを勉強する時間もなかったし、また、そんなものに関心をもってくれる人は、ごく少数であった。

批評家たちは彼を「どれもこれも速く弾きすぎる」とこきおろし、同業者のピアニストたちは「ヴァンはこの頃どれもこれもゆっくり弾きすぎる」とあざ笑うようになった。彼は青ざめ、不安に満ちた眼差しで、おどおどと人を見つめるようになった」(27ページ)


 そんなことを踏まえてみると、この1958年のライヴ盤もずいぶんちがった響きを帯びてくるものである。

 中村紘子による本書は、彼女が審査員を務めた第八回(1986年)の大会の模様を中心に、コンクールというものが本質的に抱える問題点や現代ピアニズムの方向性などを記したノンフィクションだ。新潮文庫に入ったのは今年のことだが、1991年にはすでに中公文庫に入っており、そもそもの親本は大会のわずか二年後、1988年に刊行されたものである。

「今から十五年前、ニューヨーク・タイムズ紙上で四半世紀にわたって卓抜な音楽評論の筆を揮ってきたハロルド・ショーンバーグが初めて来日し、私を案内人にして、東京の演奏会のハシゴをしたことがあった。さまざまな演奏を聴きながら、彼は膝の上に拡げたプログラムに盛んにメモしていたが、時々ニヤッとして私にそのメモを示すことがあった。ミッキー・マウスがうまく描けたときであった。

 コンクールの一ヵ月間、私も審査用紙によく愛猫タンクの絵を描いた。隣の審査員がのぞきこんで尻尾にリボンをつけ足し、うしろからのびた鉛筆が眼鏡を描き込んだりした。

 しかし、審査用紙に書いたのはもちろん猫だけではなかった。以下、私が記すのは、いわばその審査用紙に書き込んだメモ、そしてそれに連なるもの想いである」(4ページ)

 世界に音楽コンクールは数あれど、ことピアノに関して言えば、なかでも圧倒的権威を持つといわれるのはショパン・コンクール、エリザベス・コンクール、そしてこのチャイコフスキー・コンクールの三つである。

ワンランク下のコンクールとなるとその数は膨れあがり、さらにまた下位となると収拾がつかないほどの数となる。しかし、コンクールという場で実施されていることはどこの場合でもきわめて似通っていて、その特徴は1890年に行われた史上初の国際的大コンクール、第一回アントン・ルビンシュタイン・コンクールにてすでに表れていたそうだ。


「最初の国際的大コンクールである第一回アントン・ルビンシュタイン・コンクールの優勝者は、かのイタリアのフェルッチョ・ブゾーニであった。

そして第二回は五年後の1895年に行われ、モスクワ音楽院の学生で二十歳のジョセフ・レヴィンが一位の栄冠を得た。

先に登場したヴァン・クライバーンの育ての親であり、私のジュリアード音楽院における恩師でもあったロジーナ・レヴィン夫人の未来の結婚相手である。

 このときのプログラムは記録を見ると、すでに「国際コンクール」というものの趣旨と目的とスタイルとが、この時点ではっきりと出来上っていることに気づく。

 即ち、五年に一度の開催、古典から現代曲に至るまで、小品から大作、独奏曲から協奏曲に至るまでのピアノの主要作品を網羅した課題曲、名誉だけでなく多額の賞金とそして多くの演奏契約を含む賞の内容。百年後の今日私たちが行っているものと、何ひとつ変るところがない」(52ページ)

 課題曲の範囲の広さから、コンテスタントたちはどんな作曲家の作品でも、ひととおり平均点以上の演奏ができることを求められている。なかでも大きな比重がかかっているのはロマン派、とりわけショパンの作品だ。

「ピアノにおけるコンセルヴァトワールの具体的意味が十九世紀ロマンティシズムの継承であるということは、

「ショパン(あるいはロマン派の作品)を聴くまで、その才能に決定的評価を下すのは待て」

 という言葉によく象徴されている。

 この言葉は、かつて私が教えを受けたロジーナ・レヴィンやニキータ・マガロフのような、ヴェテラン教育者であると同時に優れた演奏家でもあった人々が実によく口にする言葉であった。即ち、ショパンが弾ける者にはバッハもベートーヴェンもあるいはいっそジョン・ケージまで弾ける可能性があるが、その反対はまず起らない、と」(66〜67ページ)

「好むと好まざるとにかかわらず、ピアニスト修業の仕上げの過程においてロマン派を多く勉強せざるを得ないのは、ピアノという楽器自体の発展と一体化して成熟していったロマン派の奏法を身につけることによってこそ、ピアノの表現能力の多彩さ、そしてその制御方法を知ることになるからである。そしてそのなかに、あたかもロマン派ピアノ音楽の核を成しているかのように存在するのが、フレデリック・ショパンである。

 「ショパンはピアニストの試金石」といわれる意味は、まさにここにある。

 ショパン・コンクールが、そのプログラムの内容をショパンという作曲家の作品に限定しているにもかかわらず、何故チャイコフスキー・コンクールやエリザベス・コンクールなどといった大コンクールと同様に重要視されているのかは、もうここでその理由を改めて述べるまでもないことであろう。

 また、チャイコフスキー・コンクールにしても、その課題曲は古典から現代曲までと幅広いが、しかしその中心となっているのは十九世紀ロマン派の作品と、そしてチャイコフスキーからラフマニノフにつながるロシア・ロマン派の作品であることも当然といえよう」(70〜71ページ)

 ここに書かれているとおり、ロマン派というのはなにも19世紀の作曲家たち、すなわちショパンやリスト、シューマンやメンデルスゾーンのみを指した言葉ではないのだ。その流れはとりわけロシアにおいて長く継承され、チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフ、さらにはリヒャルト・シュトラウスやラフマニノフらを輩出した。コンクールと関連してじつにおもしろいのは、このロシア・ロマン派の最後の継承者と言われたピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツに対する審査員たちの評価である。

「コンクールにおける審査には「コンセルヴァトワール」に象徴される或るオーソドックスな価値判断の基準があり、その基準とはよい音楽を生むためのさまざまな具体的な要素の集積として採点される現実性を或る程度までもっている(そうでなければ、コンクールは成立しない)。

ところが、一見唐突のようではあるが、そういった価値基準を総合し、つきつめていったところには、コンクールの現実とはかけ離れた理想のピアノ音楽、理想のピアニストとでも呼ぶべきものがあるわけで、そういった理想のいわば典型が、現在ではホロヴィッツとリヒテルに代表されるのである。

 たとえばどこのコンクールにおいても、審査をしながら審査員たちが、思わず冗談半分にぼやく言葉がある。

 「こんなに厳しい審査では、仮にホロヴィッツが受けたとしても、とうてい受かりっこないだろうね」

 これは大体、一つのミスもせず難曲を速いテンポで弾きのけ、にもかかわらず結局落選という結果に終ったコンテスタントたちの点数を眺めたりしているときに出る冗談である。ところがそうぼやく彼らが、ではピアニストの中でいったい誰を一番尊敬しているかといえば、異口同音に、「ホロヴィッツ」という答が返ってくるのだ」(59〜60ページ)


 クラシック音楽が好きなひとにはわざわざ言うまでもないことだが、ホロヴィッツというのは逸話の多い人物で、いまでもじつにたくさんの人びとに愛されている。そのことがよくわかるのは彼についてなにかが語られるときで、そういうときの語り口はたいてい、ちょうど親しい友人の話をしているときのような、語っているひとの微笑みが目に浮かんでくるような愛情のこもったものなのだ。本書でもハロルド・ショーンバーグはこんなことを言っている。

「ホロヴィッツに、ネコの脳ミソほどの知性も期待してるやつはいないよ。しかし、彼の演奏は素晴しい」(234ページ)。

同時代のピアニスト、こちらもまた圧倒的技巧で知られる、スヴャトスラフ・リヒテルとの対比もじつに興味深い。

「端的に言ってホロヴィッツは、ピアニズムからいうとラフマニノフで頂点を極めた十九世紀ロマン派的ロシアン・スクールの、現代における唯一の継承者といえよう。彼が現代最高のテクニシャンである(あった?)ことは知られているが、しかしその魅力の最大の特徴は、実はディテイルの扱い方にひそんでいる。

たとえば、ショパンのマズルカなどにおけるさり気ないメロディの歌い方、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の二曲目などの内声部のゆらめきなど、何気ないものが彼によって突如ズームレンズのように拡大されたり、遠くにふっと突き放されたりする。メロディやベースを美しく魅惑的に弾くピアニストは沢山いるが、ホロヴィッツのように内声にひそむさまざまなメロディを、あたかも第三本目の手が備わっているかのように自由奔放に弾きのけるピアニストは他にいない。

 興味深いことに、そういった彼の最も魅惑的なディテイル、例えば或る一音を強調する為にハーモニーを崩して弾いたり、構成上当然大きく盛り上ってしかるべき個所を、むしろ逆に弱音におとして心理的な効果を一層高めるというようなことは、大抵の場合、アカデミックな演奏解釈の約束事においては「やってはならない」とされていることが多い。

即ちホロヴィッツの演奏には、世のまじめな先生方が「真似をしてはいけませんよ」と生徒に諭すものの典型が「きらきらと」溢れているのである」(61〜62ページ)

「リヒテルの演奏は、すべてのピアニストから尊敬され、勉強の手本とされる。しかし、「リヒテルのようなピアニストを目指して頑張ろう」と本気で思うピアニストは少ない。というところがまた、極めて興味深い点であろう。

 一方ホロヴィッツの演奏は、すべてのピアニストから憧れられるが、実際に勉強の手本にしたら一巻の終りだと広く信じられている。まるでセレーネかローレライといった感じであるが、しかし、「ホロヴィッツのようになりたい」と心密かに思ったことのないピアニストはいない」(62〜63ページ)

 コンクールという場においては、ホロヴィッツのような異常な天才は求められていないのだ。求められていない、というのは言いすぎかもしれないが、たとえば特定の作曲家の作品だけを抜群にうまく弾ける、といった類の個性的なピアニストは、コンクールの膨大な課題曲を前にしては勝ち抜くことができない。必然的に、オールラウンダータイプのピアニストばかりが駒を進めることになるのだ。

「コンクールの参加年齢の制限は、簡単に言うと、コンクールというものが、クラシック音楽の普及とその大衆化という社会基盤の発展の上に成立したことに関係する。

 クラシック音楽の普及と大衆化とは、即ち音楽教育の普及と制度化ということでもあるが、それは言いかえると、優れたピアニストが広く組織的に育てられることを可能にする一方で、思いもかけぬ神童が突如として未知の領域に生れる、そしてしかも三十歳過ぎまで埋れたまま終る、などということはほぼあり得ない、という状況を「常識」としてもたらしたと思われるのである。言ってみれば、コンクールとは極端に早熟、或いは極端に晩成の異常な天才のためにあるものでなく、あくまでも正常な才能のための定期的発掘装置とでもいうべきものなのだ。

 言うまでもなくこれは、なんだか少し淋しいような常識である。とりわけ早熟の天才を期待しないという意味を持つ下限制限の方は、夢に欠けるであろう。そこで興味深いことには、むしろそのアンチテーゼのように、欧米には神童モーツァルトの六歳でのデビュー以来、まことに根強い「神童出現願望」のようなものがあって、それはそれで伝統化されている感じさえある」(44〜45ページ)

「このような形でふるいにかけられると、結果は当然のこととして、「万能型」のピアニスト、しかもロマン派音楽の演奏において「ヴィルチュオジティ」をふるうタイプのピアニストが、一般に有利になる傾向になる。

82年、86年と二度にわたって、私が審査員として見聞したチャイコフスキー・コンクールに限っていっても、たとえば或るピアニストがモーツァルトやバッハ、あるいはドビュッシー、ラヴェルといったロシア物以外の或る特定の作曲家の作品において、仮に圧倒的な出来映えを披露しようとも、そういったいわば異能奇才型よりも、満遍なく一応すべてのピアノのレパートリーを水準以上に演奏し、バランスよく能力を披瀝する優秀な“凡才”の方が、はるかに勝ち残る可能性をもつということがいえるのである」(160ページ)

 中村紘子は審査員として、万能型ではないという理由でコンクールを去っていった、優秀なピアニストたちのことを想う。

「第一次予選の百十一人のなかには、本当に素晴しい才能に恵まれた若者が、少なからずいた。ある者はバッハを、ある者はベートーヴェンを、実に深い味わいと共に演奏した。しかし、ラフマニノフやリストやショパンで失敗し、ステージから消えていった。その姿を思うと、私の心は痛む。

チャイコフスキーのあの華やかなピアノ協奏曲が弾けなくとも、あのように美しく知的なバッハが弾けるなら、それもまた素晴しい人生ではないだろうか、と、私の心は恐らくはもう二度と聴くチャンスは廻ってこないであろうランダルのバッハを懐かしむ」(175〜176ページ)

「あの、ランダルをはじめとするいわば万能型ではない、しかし素晴しい才能に恵まれた若者たちの中から、未来のミケランジェリやベルマンが育つだろうか。そしてその特異な才能を発揮させられる場に十分恵まれるだろうか。

そんなことをふと想像するとき、私は、人が人を選ぶコンクールというものの虚しさ哀しさ、とでもいったような感情が、一瞬私の心の中深くを通り過ぎていくのを感じるのだった」(176〜177ページ)


 もちろん、コンクールだけがピアニストとしてデビューするための道というわけではない。上に名前が挙がっているミケランジェリやベルマンというのは、エリザベス・コンクールで失敗をしながら、その後世界的な名声を築きあげたという稀有な例である。

とはいえ、そういった人びとがやはり幸運な例外であるということも忘れてはならない。そうでなければ、こんなにも厳しいコンクールをわざわざ受ける人間などいないだろう。幸運を求めるピアニストたちのエピソードとして、以下のルービンシュタインに関する逸話には衝撃を受けた。中村紘子が演奏会前の楽屋に、挨拶に行ったときの話である。

「そのとき、私たちの横を黙ってすり抜けて楽屋を出ていく三人の若者がいた。あとで知ったのだが、なんと彼らは高齢のルービンシュタインの万が一を狙って自主的に現れ待機していた無名のピアニストたちだったのである。

彼らは、老ルービンシュタインにとっては気の毒なことだが彼らにとっては千載一遇の幸運になるかもしれないこと、の勃発を期待していたわけだ。もっとも、そんな若者が目の前をウロチョロしていたにもかかわらず、この当時すでに八十六歳の老巨匠は若者顔負けのエネルギーと艶やかさをもって、ショパンとベートーヴェンの協奏曲を二曲演奏し、更に余裕たっぷりにアンコールを三曲弾きのけて、悠々とステージを退場したのであった」(56ページ)

 おとなしくコンクールを受けて研鑽を積むことにしたピアニストたちの道も、一筋縄ではいかない。コンクールの乱立と課題曲の構成の類似は、「プロフェッショナル・ファイナリスト」と呼ばれる人びとを生みだしてしまったのだ。

「近年、国際コンクールの席上でしばしばささやかれていることとして、大物の新人が見当らなくなったこと、一位が登場しても芸術家として大成しなくなったこと、などがあるということは既に述べた。今改めて思うことだが、若いピアニストが、乱立するコンクールという場で例の「プロフェッショナル・ファイナリスト」としてあちらで三位、こちらで二位と経験を積み重ねていく過程において、何か芸術家にとって大変に大切なものをすり減らしていっているということが確かにあるのではないだろうか。

 今回のチャイコフスキー・コンクールにおいても、その甚だしい例として、世界の主だったコンクールを十数ヵ所受けて、みなそれぞれに二位や三位や六位や七位を獲得したというキャリアをもつ猛者がいた。しかしそれは彼の演奏の平均点の高さを示して人々を感心させる効果よりも、彼のピアニストとしての資質のなかで、何か決定的な魅力が欠如しているのではないかという疑惑、いや確証につながってしまうことになった。コンクールのヴェテランたちの演奏を聴く時、ふと私は、若い才能を聴く喜びよりも未来を憂う重い気持にさせられてしまうことがある」(303ページ)

「彼らは必ずしも優勝を狙ってくるわけではないのですよ。彼らのなかには、ただよい聴き手の前で演奏するチャンスが欲しくてくる、いわば永遠のアマチュア・ピアニストがいるんです。彼らには弾くチャンスがない。たとえあったとしても、よい聴き手、彼らが信頼するに足るような聴き手に聴いてもらうチャンスなど、全くない。コンクールにくれば、少なくとも審査員たちは真面目に聴いてくれますからね」(308〜309ページ)

 これは、とても淋しいことだ。

「プロの演奏家と学生の演奏との相違はなにか。それは、他者の耳と心に曝された体験の多さと深さで決まる。他者の耳と心に曝されることによって、プロはしたたかにたくましく、より複雑に成長をとげていく」(123ページ)

 クラシック音楽界における需要と供給のアンバランスはじつに深刻な問題で、「コンサートよりもコンサートに出たいピアニストの数の方が上廻る」のである(301〜302ページ)。そのくせ乱立するコンクールはたくさんのコンクール優勝者を輩出し、それらに片っ端から挑戦する「プロフェッショナル・ファイナリスト」のような人びとを生みだしてしまう。問題はあまりにも根深い。

「クライバーンのようにずば抜けた才能が参加していないときには、コンクールというのはまことに判定が難しくなる。そんな場合、特に審査員が多い大コンクールとなると評価は極端にまちまちとなり、そうした中で突如幸運に見離される者が出るかと思えば、風向きがくるりと変って幸運を手にする者も出てくる。

一位もそうだが、特に二位以下の判定は曖昧にならざるを得ない。すなわちコンクールであるからには、それがどの程度のものであれ一位にはそれなりの意味がある。しかし、一位以外であるならば二位も十位も、あるいは三位も六位も、その才能や技術には数字で表されるほどの違いはないといっていい」(172ページ)

「どこのコンクールでも、古典から現代曲に至るまでのピアノ独奏曲の主要作品を中心に課題曲が構成されており、違いといえば、モスクワではチャイコフスキーを、スペインのコンクールではアルベニスを弾かされるといったこと、また場合によってはセミ・ファイナルで他の器楽と室内楽を演奏させられる、といった程度でしかない。そして、しかもその課題プログラムは、現代では質量共にますます重くなって、時には「いったいこのコンクールは、何を目的としてこんなに多大な量のプログラムを参加者たちに要求するのだろうか」と、半ば呆れさせられてしまうことさえある。

これでは、まるでピアノ演奏のトライアスロンではあるまいか。実際のところ、参加者たちは、音楽的才能や芸術的感性がいかに優れているかなどということよりも先に、一にも二にも人並みはずれて強靱な肉体、体力と、そして何事にもたじろがない図太い神経を持ち合せていなければ、こうしたタフな長丁場を勝ち抜いてはいけなくなる。「悩める青白きインテリタイプの病的芸術家」ふうなどでは、とてもピアニストとして生きていくことはできないといった有様になっているのである」(281〜282ページ)

 ところで、コンクールの本選ではオーケストラとの協奏曲が課題となることが多いが、協奏曲においては経験がものを言うのだそうだ。プロとしてデビューする前のコンテスタントたちに、オーケストラと協演する機会などそうそうあるものではないだろうから、これはじつに苛酷な課題といえるだろう。なぜ経験が重要なのか、中村紘子は自身のピアニストとしての体験から、とても貴重なことを書いてくれている。

「一般的にいっても、普通の演奏会の場合、オーケストラとソリストが合せるチャンスは、滅多に上演されることのないような難曲大曲あるいは現代物の初演などということでもない限り、大抵は前日と当日の会場練習との二回限り、というのが国際的にも習慣となっているようである。

 もちろん、その作品をオーケストラと合せた経験がない場合は、私たちソリストはオーケストラ・スコア片手にレコードを聴いたりするのはもちろんのこと、友人などに頼んでオーケストラの部分をピアノで弾いて貰って二台のピアノで一緒に合せたりして、事前にオーケストラ・サウンドに馴染んでおこうと努力する。

 具体的に言うと、ここでティンパニーを三拍聴いて、四拍目に一緒に出る、次は主題がチェロに移って、ピアノは半拍ずつズレながらそれに合せる、そして、という具合に、協演のポイントをチェックし、ピアノ譜に注意マークを書き込んだり、あれこれと詳しく分析をしたりする訳だが、ところが、ああ、なんということだろう、いざ、オーケストラと一緒に弾き始めてみると、どういう訳かレコードでは手にとるように聴こえていたチェロが、実際にはさっぱり響いてこない、などといった事態が必ず、それも一つや二つならず発生するのだ。

そのため、あのチェロを合図にこちらが弾き始めればいい、などと頼りにしていると、とんでもないことになったりして、それでカーッとあがってしまって、あとはもう……といったような苦い味わいを、ソリストならば誰しもが一度は体験しているであろう」(252〜253ページ)


「オーケストラにぐるりと囲まれて座ってみて初めて知るのだが、あの中には響きの時差とでもいうようなものも存在するし、自分の近くに座って演奏している楽器の響きに消されてしまって、遠くにある楽器の音が聴きとり難くなるなどということは、むしろ当然のことである。例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番に「皇帝」というニックネームで知られた名曲があるが、その最終楽章のそれこそ一番最後の部分に、十四小節にわたってピアノとティンパニーだけが二人で演奏する個所がある。だんだん音を弱めテンポもゆるやかになっていって、そのあと華やかに一気に駆けのぼるフィニッシュを「嵐の前の静けさ」ふうに強調する部分なので、とても緊張感に満ちているのだが、この部分はコンサートホールの響きによっては、オーケストラの最端部に陣取っているティンパニーと最前列中央のピアノとの間に時差が生じて合せにくくなるのだ。お互いに見合ったりして合せようとすると、音はかえってズレたりする。

こんなときは、ほとんどカンに頼る他はない。何故、指揮者という存在が原則として皆より一段高い所に上って、しかも立ちっ放しでいることになっているのかが、突如として納得させられたりもする。私のやや強引な一人合点によれば、あれでは恐らく背のひどく高い指揮者とひどく低い指揮者では、それが良いか悪いかはべつとして、聴こえてくる音響の世界は相当に違ったものとなっているに相違ない」(253〜254ページ)

 これからコンクールを受けようと思っている日本人ピアニストは、中村紘子の著作の存在を喜ぶことだろう。がんばれ。日本人ピアニストといえば、こんな記述もあった。

「国際的なコンクールなどの場では何故か今でも依然として、日本人のピアニストといえば

「一つのミスもなく平然と演奏するが、機械のように無表情である」

「きちんと弾くが、個性に乏しい」

といった評判を耳にする。今回のチャイコフスキー・コンクールにおいても、善戦した岡田氏や小川さんに対して、むしろ予想以上に厳しく醒めた反応があったのも、このような先入観によるところがあるのではないかと思われる。こうした印象は、ワーカホリックでエコノミック・アニマルとされる例の日本人の既成流通イメージと重なって、一般論としては何やらもっともらしい説得力さえ帯びてくる感じがある。そしてコンクールの場で私が一番つらくもの思いに沈むのは、実にこの点に他ならない」(222ページ)

 がんばれ。

 それから、クラシック音楽の演奏家、とりわけピアニストを育む土壌についても、印象的な文章があった。これはなにもクラシック音楽にかぎったことではなく、おもしろいものに溢れている現代ではすべての芸術に共通の困難なのではないかと思う。

「極端に乱暴で大雑把な言い方になるが、クラシックの演奏家、特にピアニストは、要するに他に面白いことがいっぱいある社会では成熟しにくいのではあるまいか、と私はかねがね考えてきた。

経済的にも豊かで、多元的な価値観のもと、文化的にも技術的にも次々と新しい知的冒険と刺激が生まれ、多様なライフ・スタイルが試みられる社会では、長時間に亘る持続的で精妙な鍛錬を必要とするピアニストの育つ土壌は極めて限られるのではないか。

逆に言えば、或る程度貧しく、固定された価値観のもとにあって、保守的で時の歩みの遅い種類の国の方がピアニストにはよろしい……」(360ページ)



 でも、そのぶん続けることにも価値が生まれるのだ。

 中村紘子の文章はユーモラスで、ひとつの大きなテーマがあると、じつに楽しく言葉を紡いでいってくれる。テーマが、などと余計なことを書いたのは、じつはこの本よりも先に、同じ著者の『ピアニストという蛮族がいる』を読んでいたからだ。これについては、いずれこの本を紹介するときに書こうと思っている。

 ぐんぐん進んでいける読みやすさや現実特有のおかしみなど、ノンフィクション作品の持つ楽しさに溢れた一冊で、すばらしい読書時間を過ごせた。これはおすすめ。
http://blog.livedoor.jp/nina313/archives/2012-11.html

2009/06/15

中村紘子『コンクールでお会いしましょう』(中央公論社)とヴァン・クライバーン・コンクール


アメリカのヴァン・クライバーン・コンクールで、辻井伸行さん(20)が1位となった先週のニュースは、彼が生まれながらの全盲というハンディキャップを背負っていることもあり、大々的に報じられ、帰国後の公演やコンクール前に録音されたCDも大変なセールを記録しているという。

ヴァン・クライバーンといえば、冷戦時代のソ連で開催された第1回チャイコフスキーコンクールを何と仮想敵国人でありながら(またはそれゆえに)圧倒的な好評で優勝し、その凱旋はアメリカン・ヒーローそのもので、彼の録音したチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲は(現在も現役盤として立派に通用する水準だが)、当時のアメリカで大々的なベストセラーとなった。

我が家にはそのヴァン・クライバーンが、いわゆるショーマンではないピアニストとして脱皮しようと試みた頃の、ベートーヴェンのいわゆる三大ピアノソナタのLPがあり、私にとっては、これがこれらの曲への入門音盤となったということでも恩を感じているピアニストである。

このLPのジャケット写真を以前このブログで紹介したことがあるが、
http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2006/05/8lp__c2b4.html

そのまさにプロフィール(横顔)を見ても、彼がそのような華やかな栄誉や過大な期待を背負うようなギラギラとしてタフな野心家ではない雰囲気が窺がわれる。

一夜明ければ有名人そのままに、その後彼は厳しい批評にさらされ、彼は心身の調子を崩し、ピアニストとしては大成しないまま引退し、その後、ヴァン・クライバーンの名を冠したコンクールの名誉主催者としての地位にあるといい、先日の辻井氏の1位のときにも、暖かいコメントを寄せている。

ヴァン・クライバーンとチャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールそのものについて、さすがの筆致で書かれているのが、表題の中村紘子女史による

『コンクールでお会いしましょう ---名演奏に飽きた時代の原点』
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%8A%E4%BC%9A%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E2%80%95%E5%90%8D%E6%BC%94%E3%81%AB%E9%A3%BD%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E7%B4%98%E5%AD%90/dp/4122047749


だが、ここで、ヴァン・クライバーン・コンクールについて、その優勝者達が、その後のリーズ国際で優勝したあのラド・ルプー以外に世界的ピアニストとして大成した人がいないという不可思議な事実を記している(単行本 P.85)。

この優勝者に与えられる法外なリサイタル契約が、せっかくのその才能を早い段階ですりつぶしてしまうのではないかというような趣旨のことが書かれていた。特に、あのカーネギー・ホールでのリサイタルが鬼門だという。

だから、辻井氏の優勝(1位)には快挙だとは思いながらも、素直に喜べない部分がある。既に、日本のマスコミやプロダクションは、中村紘子女史という大御所が書いたこのような基本的な情報を棚上げにして、辻井氏の才能を消費しようとしているかのように感じて、少しうそ寒い感じがする。

コンクール出身者としては、ポリーニにしろ、ツィメルマンにしろ、ショパンコンクールでの優勝は、演奏家人生の入り口に立っただけだということを自覚してか、それからさらに研鑽を積んだ上で、改めて世に出たという実例もある。

是非、賢明な諸氏は、音楽コンクールの優勝は、オリンピックや世界選手権の金メダルが象徴する世界のその時点でのトップということとは違い、たまたまそのコンクールに参加したプロ演奏家志望の演奏者の中で1位になったに過ぎないということをもっと知るべきだ(ほとんど中村女史の受け売りだが)。


盲目の鍵盤楽器奏者としては、高名なチェンバリストであり、オルガニストだったヘルムート・ヴァルヒャの存在を忘れることはできない。また、日本のピアノ界でもヴァン・クライバーン・コンクールよりもさらに権威のあるコンクール、ロン・ティボーで2位を獲得した梯剛之(かけはし たけし)氏や、ヴァイオリニストでは、和波孝禧(わなみ たかよし)氏など、障害をものともせずに活躍している演奏家もいる。

祝福の輪が広がることは結構なことだが、まだ20歳の学生でもあり、じっくりとレパートリーを広げるだけの研鑽の時間がもてるように周囲が配慮してあげて、稀有とされる才能が消費されるのは避けてもらいたいものだと思う。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/37182/37411/58525926


ヴァン・クライバーン・コンクール

******* Mr.ビーハイブ楽師のコメント  *******


  最近盲目の辻井伸行君という若いピアニストが優勝したと言う事で、騒がしいことである。

 メディアもヴァン・クライバーン・コンクールの事はあまりわかっていなくて、どのTVも新聞も、そして雑誌もショパンコンクール、チャイコフスキーコンクールに並ぶ、権威あるコンクールで優勝した・・・これは素晴らしい事だと騒ぎ立てている。

これは誤解である。

ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールと同等なものではないが、わかっていない人はそう思ってしまうようである。NETではあまり評判が良くない。

 私はファイナルを聴いたが、これで、優勝は無いよ!と言う話や、はじめからわかっているのになぜレヴェルの低いヴァン・クライバーン・コンクールを受けに行ったの?

 さらにヴァン・クライバーン・コンテストで優勝した人の中で、名をなした人は一人もいない、いわばレヴェルの低いコンクールなのに・・・と言った始末である。

そしてその理由として、優勝すれば3年間で100回の演奏会の権利をもらえるとは言うもの、実際には言いなりに動かなくてはならないので、つぶれてしまうと言うものである。


 ヴァン・クライバーンという人は、第一回のチャイコフスキーコンクールに優勝した。本来ならばロシアのピアニストが優勝すべきだったのに、鉄のカーテンの向こうのアメリカから来た、ヴァン・クライバーンによって優勝をさらわれてしまう。アメリカは大喜びで、彼を国民的英雄として迎える。

 その時私は、映画館のニュースで、(当時はテレビが無かった)その状況を見たが、紙吹雪の中オープンカーでパレードをやるし、ホワイトハウスで演奏するなど大騒ぎになったらしい。このクライバーンはその後あちらこちらと引っ張り回されているうちに、崩れてしまう。

 確かにチャイコフスキーコンクールで優勝した頃はすごく良かったそうである、審査員の一人であったリヒテルはヴァン・クライバーンに5点入れたが他のピアニストにはすべて0点を入れたと言うし、中村紘子さんの著作である、チャイコフスキーコンクールの中では、彼は本当に素晴らしかったと言っている。しかし酷使されてすぐに押しつぶされてしまった・・・と記述している。

 今回の優勝でも3年間で100回の演奏会が保証されているという(100回は少し自信は無いが、すごく多い回数は確か)3年間で100回というと月に3回の演奏会をこなこなさなければならない。

同じ曲目なら物理的に可能かも知れない。しかしそうは行かない。勉強する暇は無いのである。こんな状況で基礎的な音楽を勉強する暇もないまま進んでしまうと。押しつぶされてしまうのでは無いか・・・

クライバーンはこの様にしてつぶされてしまった。今ではあまり派手な活動が出来ないばかりか、若い人の中には彼の名前を知らない人もいる。

 辻井伸行君のスケジュールをテレビで一寸写ったが、日本での凱旋演奏会はおびただしい数である。

加えて今後3年間果たして勉強するいとまがあるのだろうかと心配する。ましては盲目というハンデを抱えている。彼がヴァンクライバーンの二の舞にならないことを祈るのみである。

 ショパンコンクールで優勝したポリーニは審査員であったルビンシュタインが我々審査員の中で彼より上手く弾ける人がいるだろうか・・と言ったと言うが、彼は優勝後すぐに演奏活動に入らずに勉強に勉強を重ねて十分に成熟してから演奏活動に入った、今や世界で屈指のピアニストである。

日本の諏訪内晶子さん(Vn)もチャイコフスキーコンクールに優勝した後ジュリアードでVnを勉強し直して、デビューをしている。


本来このようにあるべきでは無いかと、私は考えている。コンクールとは音楽家の登竜門であるはずである。

 ただ心配なのはクライヴァーンだけで無く、エイヴェックスがマネジメントをしている様に思われるので、よほど自分をしっかりと捉えないと、もみくちゃにされてしまう可能性もある。 

長文になったついでに現在のヨーロッパにおけるコンクールの位置付けを見てみると、必ずしも優勝した人が、将来伸びているわけでは無く、2位3位のいわゆる個性のある人たちが伸びることが多いために、コンクールはあまり重視されていないと、聞いている。

一方コンクールこそいい手がかりであり、それから飛躍をしていこうと考えている人もいる。
http://chauchaw.web.fc2.com/hafuna-04-16.html


02. 中川隆 2013年3月23日 16:16:26 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

「あんなに素晴らしいピアニストはいなかった」

「でも繊細すぎる彼には耐えられない仕事」

「今でも気遣いや立ち居振る舞いは超一流。でもアメリカ国民が望むであろうクライバーンを演じているようにしか見えず、痛々しい。」・・・


まあ、本物の芸術家や天才で先生の言い付けを守ったり、期待される人間像を演じようとする人は存在しないですからね。

良い子は芸術家には向かないという事でしょう。


03. 2013年3月23日 16:24:06 : W18zBTaIM6

本物の天才とはこういうもの

『ピアニストという蛮族がいる』(中村紘子)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%9B%AE%E6%97%8F%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%8B-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E7%B4%98%E5%AD%90/dp/4122052424


 「この私自身をも含めてこのピアニストという種族について、気取っていえば神話的感慨、社会的公正を期していうならば、洗練された現代の人間とはまこと異質な、言ってみれば古代の蛮族の営みでも見るみたいな不思議な感慨、を、或る感動と哄笑と共に催すことがある」(Kindle版 No.18)


 古今東西の大ピアニストを取り上げ、その数奇な人生や奇妙なエピソードを語ってくれる素晴らしく面白いエッセイです。登場するピアニストは奇人変人というべき変わった方が多いのですが、それも無理はないのだと最初にこう断りを入れています。

 「大体みんな、三、四歳の時から一日平均六、七時間はピアノを弾いているのだ。たった一曲を弾くのに、例えばラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」では、私自ら半日かかって数えたところでは、二万八千七百三十六個のオタマジャクシを、頭と体で覚えて弾くのである。それもその一音一音に心さえ必死に籠めて・・・。すべてが大袈裟で、極端で、間が抜けていて、どこかおかしくて、しかもやたらと真面目なのは、当たり前のことではないだろうか」(Kindle版 No.21)

 この一文を書くためにだけに28,736個の音符を数え上げた著者がいうのだから説得力があります。そういうわけで、著名なピアニスト達のエピソード満載なのですが、これがまた。

 「滅多にコンチェルトを弾かなかったホロヴィッツは、理由を訊かれて「オーケストラは邪魔だから」と答えた」(Kindle版 No.2952)

 「ホロヴィッツはただ一度、パリでルービンシュタイン夫妻を夕食に招待したことがあり、あまりにも珍しい出来事であったのでルービンシュタインはわざわざオランダから夜行列車でパリに戻ったのだが、なんとホロヴィッツは、その約束をすっぽかして競馬に行ってしまった」(Kindle版 No.209)

 「「世界のピアニストには三種類しかない。ユダヤ人とホモと下手糞だ」と放言してニヤリと笑ったのはかのホロヴィッツだった」(Kindle版 No.339)

 と、最初のホロヴィッツだけでもお腹いっぱい。蛇足ながら、もちろんホロヴィッツはユダヤ人で同性愛者でした。

 24歳にもなってからチェルニーの教則本で本格的に練習し始めたという異常に遅いスタートから、ほぼ一日おきのコンサートをこなしながらなんと毎日17時間の猛練習をやり抜き、米国だけでも1500回以上の演奏会を行い、500万人の聴衆を魅了した挙げ句、うっかり独立ポーランドの初代首相となり、ヴェルサイユ和平会議の席上で「あの有名なピアニストが今やポーランド首相とは。お気の毒に、なんたる転落か」と嘆かれたという、イグナッツ・ヤン・パデレフスキー。

 四歳で最初のコンサートを開き、七、八歳の頃にはペルシャの宮廷ピアニストになり、十一歳で千回記念リサイタルを開いたというラウル・フォン・コサルスキー。「ひとくちに千回というけれども、これは四歳のデビュウから十一歳までほとんど休みなく2.555日に一度ぐらいの割合で演奏会をしていた勘定になる」(Kindle版 No.2325)

 住む家もない鉱山労働者のテントの中で生まれ、草原で拾ったカンガルーの子供を唯一の友とし、素足で野山を駆けめぐり、ボロ同然の服を一年中着ていたというのに、ピアノに出会うや奇跡的な才能を示し、一躍ロンドン音楽界の寵児となって、やがて映画スターになったアイリーン・ジョイス。

 「ショパンを弾きながら途中を忘れて盛大に間違え、自分で即興的に「作曲」して弾き終わったあと、聴衆に向かって、この方がいいのだ、と演説した」(Kindle版 No.2732)ウラディミール・ド・パッハマン。

 「不充分な演奏をしたら、聴衆に申し訳ない」(Kindle版 No.2916)と大真面目に主張して演奏会をドタキャンしまくったり、「拍手が少ないのに憤然とした余り、ステージの上から静かな客席に向かって一言「ブタに真珠よ」と捨てゼリフを吐いた」(Kindle版 No.3065)り、八十九歳のときにずっと年下のイタリア娘と結婚し九十六歳にして二時間の演奏会を平然とこなしてしまったり、ピアニストにまつわる面白い話には種切れというものがありません。

 中でも白眉は、日本最初のピアニストでもある幸田延、その弟子である久野久の二人の伝記でしょう。日本における西洋音楽の黎明期に活躍した二人の女性ピアニストの苦難の物語は涙なくして読めません。特に久野久に関する記述には力がこめられています。

 「久にはピアニストになるための音楽的条件と音楽的必然性が何ひとつ備わっていなかった。にもかかわらず、運命は彼女にピアノ以外の何物をも与えることを拒否するのである」(Kindle版 No.1609)

 「彼女と音楽との出逢い、関わり合いには何一つ豊かなもの幸せなものはなく、あるのは不安とつらさばかりであった。そして音楽に身を打ち込めば打ち込むほどにその不安は広がって、彼女から音楽はますます遠くへだたっていくのを彼女は知っていた」(Kindle版 No.1876)

 「名古屋での演奏会では、演奏の途中で指が裂け、血が吹き出してキイがまっ赤に染まってもなお弾き続け、聴衆を圧倒したという。きゃしゃで色白の足の不自由な娘が物の怪に憑かれたように全身全霊をこめてピアノに立ち向かう。満身の力をこめてピアノを叩くと、結い上げた髪はパラバラと肩に落ち、さしていたかんざしはどこかにすっ飛び、帯までもがゆるゆるとほどけていく・・・」(Kindle版 No.1296)

 大いなる悲劇へと向かう彼女の凄絶な人生を劇的に語りながらも、「同じピアニストとして私は、一体どうやったら「指先が破れて血がほとばしり出る」ような奏法になるのか、理解に苦しむ」(Kindle版 No.1792)と冷静に演奏技術の未熟さを指摘するところなど、さすがピアニスト。

 けっこう辛辣な文章が多いのも特徴的で、例えばこんな描写が。

 「ちょっと目の表情のきょとんとした、やや蓮っ葉な感じの極めて愛想の良い人だが、失礼ながら知性や教養といったものには程遠いタイプの人という印象であった」(Kindle版 No.1223)

 「日和見主義者で権力志向で酒飲みで、ときに音楽家としてもイイカゲンな、一言にいってヤな奴らだったようである」(Kindle版 No.2228)

 「女性ピアニストというのは、どうしても性格的には勝ち気で負けん気で強情でしぶとくて、神経質で極めて自己中心的で気位が高く恐ろしく攻撃的かつディフェンシヴで、そして肉体的には肩幅のしっかりとした筋肉質でたくましい、というタイプになってしまう」(Kindle版 No.3038)

 というわけで、出てくる伝記とエピソードが強烈な印象を残し、また文章から感じられる「勝ち気で負けん気で(中略)たくましい」パワーに魅了される、そんな傑作エッセイです。あまりの面白さに一気読みしてしまいました。
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2013-02-06


04. 2013年3月23日 16:32:57 : W18zBTaIM6

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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/481.html

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05. 2013年3月23日 17:13:34 : W18zBTaIM6

本物の天才と紛い物の天才がどれ位違うかは以下を聞き比べて下さい:

ホロヴィッツのチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番 1943年
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6847048
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6847082
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6847152

トスカニーニ&ホロヴィッツ 《チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番1941》
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17329798

チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番変ロ短調OP.23
ヴァン・クライバーン(Pf) キリル・コンドラシン指揮シンフォニー・オーケストラ1958.5.30、ニューヨーク、カーネギーホール
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14114510
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20214185


06. 2013年3月23日 21:47:53 : W18zBTaIM6

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
ピアノ:ホロヴィッツ トスカニーニ指揮NBC交響楽団
録音:1941年5月6日、14日、カーネギーホール


これは70年前の録音です。70年前! 当然モノラルで、オーディオ的にはその後に登場した数々の録音には遠く及びません。であるにもかかわらず、この演奏を知っているがために、私はどのような名人の演奏を聴いても満足できなくなってしましました。ほかのピアニストの演奏でもある程度のカタルシスが得られますが、70年も前の録音から得られるカタルシスは比類がありません。ある意味では不幸な出会いなのですが、この演奏を知らないより知っていた方が良かったと思います。

 そもそもこれほどのピアノの巨人がこの世に実在したこと自体が驚異です。ここではその絶頂期の演奏にノックアウトされます。冒頭から圧倒的なパワーによる雷鳴のような音、華麗で目も眩むほど鮮やかなタッチ。文字通り度肝を抜かれます。

演奏は協奏曲というよりひとり舞台に近いものがあります。ホロヴィッツのピアノはそれこそ自由奔放、唯我独尊、傍若無人です。ちょっと自由奔放・・・・というのでもなく、激しく自由奔放、激しく唯我独尊、激しく傍若無人です。こんな演奏はほかにありません。第3楽章の最後の最後までホロヴィッツ節のオンパレードで、私は興奮を抑えきれません。スピーカーに向き合って聴いていてなお、立ち上がって拍手したくなります。何という臨場感でしょうか。

 伴奏をつけている指揮者とオーケストラも凄い。本気でぶつからなければたったひとりのピアニストに押しつぶされてしまいます。そのため、オーケストラからも切迫感のある猛烈な音が聴けます。それでもなお、ホロヴィッツはオーケストラを威圧し、完全にリードしています。トスカニーニ指揮のNBC交響楽団だからついて行けたのでしょうが、普通のオーケストラでは途中で崩壊していたでしょう。

 ホロヴィッツは晩年には晩年の良さがありますが、ここに聴くホロヴィッツは圧倒的な輝きを放っている大スターです。こうした演奏だと、演奏を耳にできるだけでありがたいと思います。録音の古さなど全く気になりません。名盤の条件に、音質の良さ、例えば良好なステレオ録音でなければならない、などということは不要です。

 また、ライブ録音でなければ熱い演奏が聴けないということもありません。ムラヴィンスキーのチャイコフスキーもそうでしたが、ホロヴィッツの録音もいわゆるスタジオ録音に分類されます。「ライブならでは」というのは使い勝手が良い都合のいい言葉ですが、経費を節減するためのライブより、しっかりとしたスタジオ録音の方がよほど充実した演奏が聴けると思います。もっとも、1941年当時、演奏家たちは録音という行為に対して現代とは比較にならないほど真剣であったと考えられます。それが演奏にも色濃く反映されていると考えて差し支えないでしょう。

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲に関しては、この1枚があれば足りると言いたいところですが、そうはいきません。ホロヴィッツには同じ組み合わせによるライブ録音があるからです。



チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
ピアノ:ホロヴィッツ トスカニーニ指揮NBC交響楽団
録音:1943年4月25日、カーネギーホールにおけるライブ

 これは1941年盤同様自由奔放、唯我独尊、傍若無人なピアノです。聴衆は第1楽章から熱狂していて(当然です)、第1楽章が終わるやいなや激しい拍手が待っています。

 RCAは放送した録音を元にマスターテープを作って商品化したようですが、その過程でかなり苦労をしたらしく、ライブであるにもかかわらず1941年の録音と音質的に大きく遜色がない点もすばらしいです(好き嫌いの差はあるでしょうが)。国内盤が入手しやすいであろう1941年盤とこの43年盤があればホロヴィッツのチャイコフスキーは堪能できるでしょう。

 参考に、もう1枚挙げておきます。MUSIC & ARTSの1948年盤です。

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
ピアノ:ホロヴィッツ ワルター指揮ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団
録音:1948年4月11日、ライブ


 これは最も新しい録音である割に、音は最も貧弱です。しかし、これまた聴き始めると音質など気にならなくなります。超絶的に優れた演奏を前にすると、音質のことなどどうでも良くなるのですね。第1楽章の後、盛大な拍手が入るのは1943年盤と同様です。この演奏で拍手がない方がどうかしていると私は思いますが。第3楽章の終わり方は凄すぎて何回聴いても笑いがこみ上げてきます。

 この圧倒的な才能、それこそ太陽のような輝きを持つピアニストがいなくなった後、我々にはどのような演奏が選択肢として残されているのでしょうか。
http://www.kapelle.jp/classic/greatCDs/horowitz.html


07. 2013年3月23日 22:29:40 : W18zBTaIM6

上に ホロヴィッツ +トスカニーニ の二種類の演奏のリンクを貼りましたが、この二つでは 1943年4月25日のライブ録音の方が断然優れています。 録音は極端に悪いのですけどね。

録音が良い1941年版の方がいいと思った方は音楽が全然わからないと思って下さい。

こういう音楽がわからない人が多いのでヴァン・クライバーンの録音が良いだけのどうしようもない演奏が空前のベストセラーになったのですね:


私の音楽ライブラリですが、二人の競演のCDを次の3種類持っています。
いずれも、

  独奏:ウラディミール・ホロヴィッツ
  指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ
  演奏:NBC管弦楽団

の演奏で、モノラルの録音です。

 【1】1941年5月6,14日、ニューヨークのカーネギー・ホールでのスタジオ録音
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000V2RWCG/nrsnn999-22/ref=nosim/

私が最初に買って良く聴いていたLPはこの演奏でした。
聴きやすいスタジオ録音です。 演奏もスタジオ録音の割には熱気を帯びています。


 【2】1943年4月25日のカーネギー・ホールでのライブ録音
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EGZ2/nrsnn999-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/dp/B000003EYF/ref=as_li_tf_til?tag=19741216-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=B000003EYF&adid=09WEDTXR736D7K5EFFDV&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fclassicalmusic.livedoor.biz%2Farchives%2F52238846.html

二人の凄まじい熱気に、第1楽章が終わったところで聴衆が拍手をしています。
感動的な演奏ですが、残念なことに録音がよくありません。
本当に聴きにくいのが残念です。

 【3】1941年4月19日のカーネギー・ホールでのライブ録音

案外、このCDが一番よい演奏かも知れません。
ダイソーからホロヴィッツさんの演奏した協奏曲のCDが2種類でたので、即購入(1枚100円)しました。

実は、いつのどういった演奏か分からずに購入したのですが、 その後、1941年のライブ録音と分かって、お買い得な1枚だったと改めて感激したものです。
http://pub.ne.jp/akichi/?entry_id=3559009


トスカニーニとホロヴィッツによる共演でのチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番は3種類の録音があります。すべてNBC交響楽団との演奏


・1941年4月19日(カーネギーホール、ライヴ録音)Naxos 、Music & Artsから出ています。

・1941年5月6、14日(カーネギーホール、スタジオ録音)RCA正規盤

・1943年4月25日(カーネギーホール、ライヴ録音)RCA正規盤(1959年初発売ホロヴィッツが発売の許可与えた。)


♪チャイコフスキーピアノ協奏曲 第1番は、1943年4月25日、カーネギーホール、第1回「戦争債券募集特別演奏会」ライヴ録音。

このときのプログラムはオール・チャイコフスキーで「くるみ割り人形」組曲、交響曲第6番「悲愴」、そしてピアノ協奏曲第1番でした。

そのピアノ協奏曲第1番は2年前にスタジオ録音がありますがホロヴィッツもトスカニーニも演奏録音に満足してなかったようです。しかしながら41年の録音はかなりストレートな演奏でトスカニーニ主導の中で進められて入るものの、その中でホロヴィッツ縦横に鍵盤を駆け巡る指の鮮烈な技巧をみせていますね。まさに「炎の名演」で勢いがあります。スタジオ録音であるためかしっかり音が取れている録音です。

43年の演奏は、ライヴ録音で41年で見せたストレートな演奏からやや第1楽章の最初のほうのテンポを抑えめにして丁寧に聴かせています。(アメリカらしく?第1楽章が終わると拍手あります。)

♪なぜチャイコフスキーピアノ協奏曲 第1番二回録音(コンサートをしたか)したのかのエピソード♪

1941年におこなわれたものは、これはニューヨークのカーネギーホールが1891年に柿落としをした際に、ここに訪れたチャイコフスキーの来訪50周年記念演奏会(1941年4月19日のコンサートのこどですかね?)の直後にレコード録音されたもので、レコードもすぐ発売されてうる。しかし指揮者とソリストとがうまく一致してない、ミスタッチがある、さらには音質的にも問題があるとして当時あまり評価になにず、逆に1933年(1932年と思われます。)に録音されたホロヴィッツのライヴァルともいうべきルービンシュタインの「1932年バルビローリ指揮ロンドン響(EMI)との共演盤」レコードの評価を高めることになってしまった。

これを気を悪くしたトスカニーニは、早速ホロヴィッツを自宅に呼び付け、蓄音機のヴォリュームを一杯にあげて、その演奏のまずい個所について徹底的に分析したということでした。そしてその2年後の1943年にふたたびチャイコフスキーピアノ協奏曲 第1番を共演し、この日ラジオでも実況中継されたチャイコフスキーピアノ協奏曲は大成功で、トスカニーニにとってもホロヴィッツとっても大変満足いく成果を納めた。
http://blogs.yahoo.co.jp/rboarder30/44074029.html


2011年06月22日
ホロヴィッツ&トスカニーニのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(1943年ライヴ)/ホロヴィッツのムソルグスキー:展覧会の絵(1951年ライヴ)
http://www.amazon.co.jp/Tchaikovsky/dp/B000003EYF%3FSubscriptionId%3D175BC0N2BCT0X4DAZG82%26tag%3Damebablog-a411407-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000003EYF


 クラシック演奏史における伝説の指揮者とピアニストによる競演が実現した、ドリーミーなアルバムだ。この演奏は1943年に録音されたが、もう一枚1941年のものが存在するらしい。僕は両者について詳しいことは知らないけれど、トスカニーニの娘がホロヴィッツと結婚した事実を鑑みると、良い関係だったのだろう。

 さて、このアルバムは最高にエキセントリックでおもしろい。やりたい放題演奏するホロヴィッツに、トスカニーニが正面から張り合っている。一般的に協奏曲ではオケとソリストが助け合うことが理想的な関係なのだろうが、この演奏からはそのような思いやりはあまり感じ取れない。むしろついてこれるかと挑発し、互いを振り落とそうとしているかのようだ。

 第一楽章の冒頭からして、狂っている。鍵盤を激しく打ち鳴らすホロヴィッツに、応酬するトスカニーニ。ニ頭の竜が激しく争いながら天を駆け上っていくような力強さがある。何もそんなお互い意固地にならんでも、と可笑しくなるくらいだ。

第二楽章はさすがに休戦状態、お互い和やかな雰囲気で進んでいく。しかしそれはあくまでも次の戦いへの準備にすぎないのだ。

第三楽章は、予想どおり再びぶつかり合いが始まる。ホロヴィッツはテンポをがんがんあげ、トスカニーニも堂々とそれを受け止める。崩壊しそうでしない独特の緊張関係の上にこの演奏は成り立っている。もうわけのわからない圧倒的な迫力が生まれている。
 
 別に喧嘩し合っているわけではない。互いの限界を演奏の中で引き出し合うような、実に高度な掛け合いが繰り広げられているのだ。最後のクライマックスにおけるスケールの大きさは、間違いなく伝説上の二人だからこそ作り上げることができたのだろう。

 協奏曲のあるべき姿はこのアルバムにあらわれていると思う。協奏曲とは馴れ合いではない。互いの限界のギリギリを追求していく実に挑戦的な形態であるのだ。

 この演奏は先日発売したボックスに収録されている他、単品でも手に入る。際物好きにはたまらない逸品かと思います。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/52238846.html


ホロヴィッツ&トスカニーニのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(1943年ライヴ)/ホロヴィッツのムソルグスキー:展覧会の絵(1951年ライヴ)


ホロヴィッツが岳父トスカニーニと共演したチャイコフスキーはこの曲を語るときに決して忘れることの出来ない名盤である。

筆者の考えではこの名作の現在までの最高の演奏であると同時に、ホロヴィッツが残した膨大な量の録音の中でも、その頂点にランクされる名演である。

ホロヴィッツは、驚嘆すべき技巧、鋭いタッチで圧倒するばかりでなく、ホロヴィッツ特有のアクセントの付け方が、ここではすべて曲の内的論理に適っており、聴き手の心に一音一音が突き刺さってくる。

かなり速めなテンポが設定されたこの演奏では、ホロヴィッツがそれを少しも苦にせずに唖然とするような快演を展開しているが、トスカニーニとの極限まで緊迫した対話から生まれる白熱的な緊張感は、この演奏そのものが作品を高濃度のエネルギー体に昇華させているかのような印象さえも抱かせる。

フィナーレなどは、とくに時間が一瞬に凝縮されたと思えるほどの燃焼度を示しており、信じられないような熱気を放っている。

ホロヴィッツの《展覧会の絵》には1947年のスタジオ録音もあり、演奏の完成度ではそちらをとるべきかもしれないが、より彼らしい白熱した演奏はこちらの1951年のカーネギー・ライヴであろう。

ヴィルトゥオーゾ・スタイルを貫きながら、変幻自在のタッチによってそれぞれの絵をまるで手に取るように表現していく。

そこには空疎感は微塵もなく、聴き手は彼の自由に飛翔するファンタジーにただ心を奪われるばかりだ。

最後の〈キエフの大門〉では自ら編曲を加え、より演奏効果が上がるように工夫されている。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/52238846.html


08. 2013年3月23日 23:10:18 : W18zBTaIM6

Vladimir Horowitz 1947 / Mussorgsky Pictures at an Exhibition
http://www.youtube.com/watch?v=jXfJAup8W9w
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8991917

Vladimir Horowitz 1951 Live Mussorgsky: Pictures At An Exhibition
http://www.youtube.com/watch?v=nQ-Ybq--02c


09. 2013年3月23日 23:29:53 : W18zBTaIM6

本物の天才と紛い物の天才と何が違うかというと:


ウラディミール・ホロヴィッツ(VLADIMIR HOROWITZ、1904〜1989、ロシア)

呼称:鍵盤の魔術師

孤高の天才ピアニスト・ウラディミール・ホロヴィッツは、悪魔に魂を売りそれと引き換えに超絶技巧を譲り受けたという伝説さえ産んだヴァイオリニスト・パガニーニのピアニスト版とも言えるでしょう。作曲家でピアニストでもあったセルゲイ・ラフマニノフとも深い親交があり、彼のヴィルトゥオーゾ・スタイルの流れを受け継いだ巨匠としても尊敬を集め、とても有徳の人とは思えない悪魔的な鍵盤の魔術師として、20世紀最高の巨匠として君臨した大ヴィルトゥオーゾでした。

ホロヴィッツを聴くということはまず第一に彼の並外れたパワーによる超絶技巧を聴くということでしょう。消え入るような最弱音から雷のようなフォルテッシモまで音量を自在に操り、88鍵を完全支配するテクニックはまさに驚異的です。その意味で彼と度々比較され並び称された巨匠ルービンシュタインとは全く性格の異なるピアニストです。

ホロヴィッツのレパートリーは決して広くはなく、レコードではまとまった録音をあまり残していないようですが、オムニバス形式でのライブ盤など、彼の持ち味がいかんなく発揮された超絶的な名演奏が多いです。とくに彼はその超絶技巧を誇示するために既存の作品に独自のアレンジを施して、ピアニスティックな装飾を随所にちりばめ、演奏会で好んで取り上げていたようです。とくに傑作なのはスーザ作曲ホロヴィッツ編曲の「星条旗よ永遠なれ」で、これはどう聴いても腕2本で弾ける曲ではないように思えます(腕3本で弾いているように聞こえる)。

ホロヴィッツ自身は非常に神経質な人だったそうで、ピアニストの奇人変人伝説には必ずと言ってよいほど登場します。演奏スタイルも彼独自の信念に基づいたもので、一時の気の緩みも許されないほどの緊迫感に満ちています。演奏中、常識ではおよそ考えられないようなアゴーギクやデュナーミクを酷使するため、次の瞬間起こるであろう出来事の予測が難しく、常に強い緊張を強いられます。演奏中随所にただならぬ気配を感じさせる音の運びをし、どーっと雷を落とす彼の演奏スタイルは彼独自のもので、この人の演奏がツボにはまると、他の誰の演奏からも体験することのできない、恐怖に満ちたスリリングな感動を味わうことができます。
http://www10.plala.or.jp/frederic3/pianist/horowitz.html


   改めて「ホロヴィッツが好きなピアニストです」と言うのはなんとも気恥ずかしいのだが、やはり取り上げない訳にはいかないピアニストであろう。ホロヴィッツの伝記的内容や演奏論等は山のようにあり、ホロヴィッツ一本でHPを運営されている方もいらっしゃるのでここでは極めて個人的な体験としてのホロヴィッツを書くことにする。

 ホロヴィッツは若い頃から怜悧な超絶技巧を身につけていたのは古いEMI録音を聴けばわかることだが、実際その超絶技巧が我々の思っている程のものであったのかは微妙なような気がする。勿論指捌きが悪いなどという事はないが、むしろホロヴィッツの美質はその研ぎ澄まされた鋭い音色にあり特に小さな音による速いパッセージでの彼独特の鍵盤をはじく様なノンレガートによる奏法−これは人間の聴覚にはあたかもレガートのように聴こえる−にあると私は思っている。ホロヴィッツの爆音は伝説であるが、爆音は小さな音が磨き抜かれてこそ爆発するのである。

 極端な言い方をすればホロヴィッツにとって音楽の真髄などどうでもいいことで、いかに人間の聴覚を騙し(言葉が悪ければ錯覚させ)その作品の音符を音響的に磨きあげるか、という事がホロヴィッツトーンの謎をとく最大の秘密ではなかろうかと思う。そして彼の神経過敏症−それは演奏活動を中断するほどの病的なものであったが−気質と密接に関係があるといえる。

ホロヴィッツのライヴ盤、ヒストリックリターンでもいいのだが、を聴くとまず他のピアニストの演奏から聴くことの出来ない神経症的な緊張感、それはほとんどその場から逃げ出したくなるようなギリギリの精神状態が聴き手に伝わってくるのである。

ホロヴィッツはルービンシュタインを軽視しルービンシュタインは非常に気を悪くしたということだが、ホロヴィッツにとってルービンシュタインの余裕のある安定した安心して聴ける音作りこそが批判の的だったのではないかと私は思う。ホロヴィッツはあくまで音楽は聴覚的なものであることに拘ったピアニストであったと言うのが私の見解である。
 
    勿論、現実のホロヴィッツが上記のようなことを言っていた訳ではないのであくまで私の感想なのだが、このことは多くの人が少なからず感じているのではないだろうか。

 しかし、残されたホロヴィッツの録音は一部不調時の時のものを除いて本当に素晴らしい(不調時の時でさえその素晴らしさは伝わってくる)。中でも私はRCAでの録音が最もホロヴィッツの翳りのある鋭い音質感覚を想像する事ができるように思う。それに比べCBSでの録音は録音優秀ではあるが調整が入っているのかあまりホロヴィッツの音をとらえ切れていないように思う。

 最後に一つ。SonyからCBS録音の紙ジャケット仕様オリジナル盤のCDが復刻されたがRCAも見習ってもらいたい。せめてLP時代に出たRCAの「ホロヴィッツコレクション」レベルのジャケットデザインにならないものだろうか。「生きながらにして伝説と化したピアニスト」ホロヴィッツをこれほど端的に表現したジャケットは無いのではなかろうか(左写真)?
http://www.ne.jp/asahi/yagi/piano/music/pianist/pianist8/pianist8.htm

要するに、鬼気迫るオーラが有るかどうかが天才と秀才の違いなのですね。

そしてそのホロヴィッツも天才であったのは 1938年頃からコンサート活動を引退した 1953年までの僅か15年間で、それ以降は完全におまけの人生でした。


10. 2013年3月24日 00:06:12 : W18zBTaIM6

因みに、ピアニストとしての評価はホロヴィッツよりバックハウスやコルトーの方が遥かに上でした。

まあ、ホロヴィッツは感覚だけだし、ホロヴィッツの超絶的名演も『展覧会の絵』やチャイコフスキーのピアノ協奏曲の様な中身が無い作品ばかりですからね。


バックハウスが天才かどうかは微妙ですけど、ホロヴィッツと違って最高の名曲しか弾かなかったので、どうしても聴いた後の感動がホロヴィッツよりずっと上になってしまうのですね:

Backhaus the last recital


Wilhelm Backhaus plays Schubert Impromptu in A flat Op. 142 No. 2
recorded Ossiach, 28 June 1969 (the last recital - last encore)
http://www.youtube.com/watch?v=rejfDi8RzlM

Wilhelm Backhaus play Schumann "Des Abends" - "Warum?"
http://www.youtube.com/watch?v=G6TticNoDOA

バックハウス最後の演奏会


バックハウス(pf) デッカ 1969年ライヴ 
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1890660


Wilhelm Backhaus play Schumann Des Abends - Warum?
http://www.youtube.com/watch?v=G6TticNoDOA&feature=fvwrel

Wilhelm Backhaus plays Schubert Impromptu in A flat Op. 142 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=rejfDi8RzlM


ヴィルヘルム・バックハウスの残した一連の録音は、かつて私も夢中になって聴いた時期があったのですが、ここ数年ほどは御無沙汰でした。

それが、先週リリースされたザルツブルグでの協奏曲ライヴを耳にして、何だか彼のCDを無性に聴いてみたくなりました。それでまずブラームスの第2協奏曲のスタジオ盤を聴き、昨日それについて書いたところですが、今日も引き続きベートーヴェンのソナタや協奏曲を中心に色々と聴いてみました。

そして、これら一連の録音のなかでも、ひときわ趣きの深い演奏として、聴いていて気持ちが強く揺さぶられたのが、この「バックハウス最後の演奏会」と題されたライヴ盤です。

このCDは1997年にリリースされたもので、1969年6月26日と28日の2日間に渡り、オーストリアのオシアッハにある修道院で開催されたバックハウスのピアノコンサートの演奏がライヴ収録されています。収録曲は以下の通りです。


@ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」
Aシューベルト 楽興の時
Bモーツァルト ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」
Cシューベルト 即興曲作品142の2

以上、6月26日のコンサートより


Dベートーヴェン ピアノ・ソナタ第18番(第3楽章まで)
Eシューマン 幻想小曲集「夕べに」と「なぜに?」
Fシューベルト 即興曲作品142の2

以上、6月28日のコンサートより


その28日のコンサートにおいてベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番を弾いている途中、バックハウスは心臓発作を起こしてしまい、演奏も第3楽章で中断を余儀なくされるのですが、控え室で休憩の後にステージに立ち帰り、終楽章の代わりにシューマンの幻想小曲集「夕べに」と「なぜに?」、そしてシューベルトの即興曲作品142の2を演奏してコンサートを終えたのでした。そして、その時の心臓発作がもとで、28日のコンサートから7日後の7月5日にバックハウスは永眠してしまいます。

おそらく誰が聴いても思うように、バックハウスのピアニズムには他のピアニストの誰とも似ていない、まさに独特のタッチの感触が有りますね。その理由として、彼はピアノを美しく鳴らそうという発想を優先しないから、ということがよく言われていて、私も多分そうだろうと思うのですが、いずれにしても彼のピアニズムというのは、特にベートーヴェンの「熱情」ソナタを頂点として、時に法外なまでの表出力をもって、恐ろしいまでの凄味を発する演奏を披歴します。しかし、敢えて彼のピアニズムに欠けている点を指摘するならば、それはおそらく、ある種の感覚的な美しさであって、これは美しく鳴らそうという発想を優先しない以上、必然的にそうなります。

だから聴き手も、そういう陶酔的な音色の美しさなどは、彼のピアニズムには過分に求めないで、その代わりもっと掛け替えのないものを求めるのですが、ともかく以上のようなスタンスでバックハウスのピアノに耳を傾ける聴き手は、おそらく本CDの上記EとFの演奏を聴いて、言い知れない感銘を覚えずにはいられないのではないでしょうか。というのも、上記EとFの演奏は恐ろしいまでに美しいからです。

それも、人工的に設計したところで表出するのが不可能ではないかというくらい、限りなくピュアで、透徹して、澄み切った美しさを湛えたピアノの響き、、、抜けるようなピアノの音色の透明感、、

これは作品にストイックに没入するというよりも、むしろピアニストとしての何か超然とした境地に一人佇むような、突き抜けた趣きがあり、およそ人間がこのようなピアノを奏でられるということに、聴いていて畏敬の念すら湧いてくる、そんな演奏です。

このCDに聴かれるバックハウスの「白鳥の歌」は、おそらく彼の命の最後の光芒が生み出した、聴き手に途轍もない感銘を呼び起す感動的名演であって、バックハウスのディスコグラフィにおいても特筆されるべき録音だと思うのですが、もう久しく廃盤の状態なのですね。本当にもったいないと思います。
http://clamemo.blog44.fc2.com/blog-entry-405.html



11. 中川隆 2013年6月22日 22:16:18 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない _ フランス人だけがヤマハから美しい音色が出せる理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html

12. 中川隆 2013年7月09日 09:02:36 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

本物と紛い物の違いは


基礎練習はやっぱりしないと・・・

昨日、ぴあのピアで、チェルニーを特集しました。
彼は、ベートーヴェンの一番弟子だったそうです。

私は、このチェルニーの練習がとても嫌いです。
弾いていて、面白くないし、疲れるし、飽きてしまうんです。

でも、それは、非常にいけないことなんだな、と、昨日思いました。

芸大の先生が出てきたのですが、彼女も、チェルニーの30番が終わったときは、ああ、やっと終わったと、思ったそうです。でも、チェルニーをきちっと練習すれば、ベートーヴェンが弾けて、ショパンが弾けるようになるのです、と、言っていました。

チェルニーは、音階の練習に、大変効果的であるそうです。
そして、かのバックハウスが、

「私のテクニックの根源は、音階にある」

という言葉を残しているとのことです。でも、そのバックハウスの言葉を聞いて、音階というのは、そんなにも大切なものなのかと、残念ながら思わないではいられませんでした。

ハノンとか、チェルニーとか、基礎練習の大嫌いな、怠け者の私ですが、ここは一皮むけて、自分の好きな曲を弾くために、頑張って、練習していこうと思います。
今までの自分に、大いに反省しきりです。
http://blog.livedoor.jp/ellencoo/archives/54069091.html


音階とか 2006年9月15日

いずみシンフォニエッタのコンサートがあるので、忙しくてヒマがないはずなのに、 何を思ったか二日間にわたって往年の名ピアニスト バックハウスの録音を聴いた。 彼の最晩年、死の一週間前の録音だが、

「まあ、何と深い、すごい世界だろうか」

と恐れ入ってしまい、まいりましたぁ・・・・。

「人生には、飲んだり食ったり騒いだりするよりもずっと大事なことがあるなあ」

と、しみじみ思った。

演奏芸術ってこんなにすごい芸術なんだなあ。

もちろん、バックハウスという人は、それこそ100年に一人というくらいのすげえピアニストだからこういう事ができるわけであって、誰にでもできることではないと判ってはいるが、同じ分野の芸術に携わるものとして、励みになるというか、いずまいを正される思いだ。

で、彼のことばの中にこんなのがある。

「私は、コンサートの準備に際して、楽譜の研究とともに、何よりも音階練習に集中する。それに加えて、アルペジオの練習、さらにバッハの平均律。

これが私のテクニックの基礎である。私のテクニックに興味をいだく人たちに、

『私が頼りにするのは音階練習だ。音階プラス努力だ』

と言うと、たいていの人は驚くようだ。・・・・・しかし、私は、まじめに努力する音楽学生に手の届かないような、そんな不思議な秘訣など、何も持ってはいない。・・・・・

もう一度言うが、私のテクニックの基礎は、ただただ音階につきるということを特に強調しておきたい。日ごとの絶えざる音階練習こそ大切なのだ。」

「モーツァルトをちゃんと弾くことは、非常に難しい。ピアニストにとって、10分も練習すれば仕上がる華麗なパッセージが、多くの心ない聴衆を熱狂させ、反対に、何ヶ月も準備し努力の末に仕上げたモーツァルトやハイドンのソナタなどの苦心が、ほとんど顧みられずに終わるということは、まじめなピアニストにとって、このうえもなく不幸なことである。」

われわれにとっても、非常に意味深いことばだ。

マリンバを演奏する者にとって、日々の音階練習(アルペジオ等基礎的な他の練習も含め)は、ものすごく大切だ。また、バッハ、モーツァルト等のバロック期、古典派時代の音楽を勉強することは、絶対必要なことだ。

太鼓たたきにとって、日々の基礎練習はものすごく大切だ。
また、モーツァルト、ハイドン、ベートーベンのシンフォニーを研究する事はどうしても必要なことだ。

ぼくのお師匠さんゲオルグ・ブライヤー氏は、「ティンパニストにとって最も大切な、そして難しい課題はベートーベンだ。ツヨシ、ベートーベンを勉強しろよ。」と絶えず絶えず強調していた。

実はどんな楽器にとってもこのことは真実だ。

基礎練習と古典派以前の音楽の勉強。これはどうしても必要だし、それをどれだけ念入りにやるかで、演奏家としての将来がかなりのところ決まってきてしまう。

基礎練習、音階、アルペジオ、
そしてバッハ、モーツァルト、ベートーベン、

大切ですぞ・・・・・!

アンサンブルフィリアのコンサート、練習期間は六ヶ月だった。
ぼくたちはこれが長いとは思ってない。むしろ、足りないくらいだった。

バッハをちゃんと弾くってのは想像を超えてムツカシイ。

しかし、同時にその長期にわたる練習が、すべて実になる。すべてが自分にとってはかりしれない貴重な財産になるんだ。

バッハ、やらなきゃ損だよ。
音階、やらなきゃ損だよ。
基礎練習、やらなきゃ損だよ。

みんな一緒にガンバロウゼ!

10年続けたら、きっと「続けてよかったぁ・・・・!」とマジで実感すると思うよ。


コメント

ピアノでも、 (ceci)2006-09-16 20:56:
18音階やアルペジオの練習の大切さは、しゅっちゅう聞かされてきましたが、人様に教えるようになって、「ほんまに大切やったんや・・」と実感しました。

指がよく回る若いうちは、そういう基本的なことがテキトーになっていても、なんとかごまかせるけれど、歳をとると、やっぱりそういうことにどれだけ時間をかけたかで、演奏が違ってくるのだろうなあ・・と思います。

「スケールが基本やで!○○調のスケールを弾いてみいや!」

と、人様にはエラそうに言ってたりして。
将来のあるお若い皆様は、肝に銘じてがんばってくださいませ。
http://blog.goo.ne.jp/yam2425/e/a22512571dc2a9c9ce65f0364af083a4


ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884年3月26日 - 1969年7月5日)

バックハウスは実はベートーヴェン直系の弟子である。というのも、バックハウスの師匠はオイゲン・ダルベールなのだが、ダルベールフランツ・リストの門下生であり、リストの師匠はツェルニーである。そしてツェルニーの師匠はベートーヴェン本人に当たる。

ただ、野村あらえびす氏によればダルベールとバックハウスのスタイルは少し違うようである。
バックハウスは7歳からピアノを始める。最初は母親からピアノの手ほどきを受けたようだが、その後、アロイス・レッケンドルフの指導を受けるようになった彼は7歳でライプツィヒ音楽院に入学し、レッケンドルフに師事した。
1897年の秋、当時、大ピアニストとして知られていたオイゲン・ダルベールがバックハウスの演奏を聴き、彼の才能を高く評価したことから、バックハウスはフランクフルトに移ってダルベールに師事することになる。ダルベールは当時全く弟子をとっていなかったのだが、バックハウスだけ特例として弟子と認め、定評のあったベートーヴェンの演奏等をバックハウスに伝授したと言われている。ダルベールのレッスンは隔週で行われていたようである。

1900年、当時16歳という若さでバックハウスは国内を演奏旅行し、同年にロンドンでデビューを果たす。1901年にはアルトゥール・ニキシュ指揮(ニキシュかい! 時代を感じますねええ・笑)、ゲヴァントハウス管弦楽団との共演でドイツでもデビュー。異例の成功を収めたところから彼の活躍が始まる。

1905年、パリで開かれたルビンシュテイン国際コンクールに出場した彼はピアノ部門で第1位のルイビンシュテイン賞を受賞する。この時の第2位は後に作曲家として大成することになるベーラ・バルトークであった。

1905年〜1912年、バックハウスはマンチェスター王立音楽院で教鞭を執る。その後、ゾンダースハウゼン音楽院、カーティス音楽院で教鞭を一時執ってからは、以後二度と教職に就かず、ひたすら生涯を演奏家として生きることになる。
http://ameblo.jp/noburin28/day-20100821.html


バックハウスがルビンシュタイン音楽コンクールのピアノ部門に優勝したときの第2位はのちに作曲家として大成するバルトーク・ベーラで、当時自分の人生をピアニストとして思い描いていたバルトークは深く落胆することになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9

バルトークのピアノ演奏は本当に素晴らしい! 
自作自演の見事さだけでなく、ベートーヴェンやスカルラッティやリストも見事なモノである!
 バルトークは「ピアノ科教授」であって「作曲科教授」の瞬間は生涯1度も無かったのである。これ、本当!

1905年ルビンシュタインコンクールで第2位だった
このことを バルトーク は心に引き摺っていたと伝えられている。
念のため申し添えるが

•「第2位になってうれしかった」のではなく
•「優勝できなくて放心状態」

である。
 う〜ん、遺された録音を聴くと、バルトーク自身の想いは、正当に思える。
・・・で「誰が優勝?」かと言うと

優勝したのは3才若いバックハウス!

•世界中で シュナーベル に続いて、世界で2番目に「ベートーヴェンピアノソナタ全集を録音」した

•『鍵盤の獅子王』と呼ばれ、尊敬され畏れられていた


 う〜ん、唸る。 「歴史に『もし』は存在しない」のだが

1.バックハウス が「もし」コンクールに出場しなかったら

2.バルトーク は当然優勝し(← 第2位だったのだから)

3.ピアニスト になってしまい

4.作曲家バルトーク の傑作群は存在しなかったかもしれない!


と思う。 「第2位」になってくれたおかげで、バルトーク作曲の傑作は作られる素地が固まった、ように思える。つまり、バックハウスがコンクールに参加してくれたおかげで(まわりまわって)バルトークの名作を私たちは聴ける! と感じる。

 コンクール第2位の翌年 = 1906年 から「民族音楽採譜」をバルトークは開始したのである。
http://blog.goo.ne.jp/piano_music/e/c1e332f2f1acedb68b42f9b0966183a5


ここでのコチシュのピアノは、「バルトーク的」ではありません。原典に則って、通常使用されるスタインウェイではなく、ベーゼンドルファーのピアノを使用しているからです。協奏曲第二番ではオクターブの関係上スタインウェイでは弾けない音符が出てきますが、この演奏ではオクターブ移調しないでそのまま弾いています。
 バルトークによる彼自身の演奏はフンガロトンからいくつか出ていますが、どれも「バルトーク的」ではありません。

ルービンシュタイン・コンクールでウィルヘルム・バックハウスと首位を競った彼のピアニズムはバックハウス同様ベーゼンドルファーの音色を生かした、非常に繊細なものです。その原典のイメージにもっとも近いのがこのコチシュの演奏と言えましょう。

 「アレグロ・バルバロ」のバーバリズムでバルトークをとらえていらっしゃる方には一聴の価値ある録音です。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E5%85%A8%E9%9B%86-%E3%82%B3%E3%83%81%E3%82%B7%E3%83%A5-%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3/dp/B00005FG74/ref=cm_cr_pr_product_top

バックハウスの若き日のエピソード

まず10歳頃の話ですが、バックハウスはバッハの平均律をあらゆる調に移調して演奏することができたそうです。これは後のルビンシュタインコンクール(1905年)で、2位だったバルトークが「若造の平均律にやられた」との証言を裏付けているように思えます。絶版になった本ですが、バックハウスはピアノの練習方法として平均律を毎日弾くと語っていました。

この移調のエピソードは更にあり、グリーグのピアノ協奏曲のリハーサルの時、使用したピアノの音程が半音低かったためバックハウスは、半音上げて(移調して)すなわち変ロ短調でリハーサルを弾き、本番では正規に調律されたピアノで本来のイ短調で弾いたそうです。

この移調の練習は単音ならばそう難しくはありませんがピアノでは普通の人はほとんど不可能です。頭の中にそっくり移調された楽譜がイメージできていませんといけません。イ短調ならば♯も♭の調性記号(臨時記号は別)はありませんが、変ロ短調ならば♭記号が5つ付きます。どの音に付くかなんて考えているようでは全く駄目ですが、楽譜をイメージするだけでなく、当然運指も変わります。どちらかというとアクロバットに近い作業になります。

音楽院などでは必ず訓練されるそうですが、苦手な人も多いのではないでしょうか。ちなみに歌の伴奏をしているピアニストは必要に迫られていますので、移調はお手のものです。

以前書いたことがありますが、私は18歳の時に、この移調の練習を先生にやらされました。曲は「蝶々」今でも夢見ることがあるくらい四苦八苦しました。もちろん両手ですよ。
http://piano-music-life.blog.eonet.jp/default/2008/01/post-8ec2.html


13. 中川隆 2013年7月09日 09:08:21 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その一 私のブラームス回想録(1905年) フローレンス・メイ」


フローレンス・メイは、ロンドンでクララ・シューマンのレッスンを受けた後、ドイツのバーデンバーデン近郊にあるリヒテンタールの別荘で、クララのレッスンを受けるようになった。クララが演奏活動でスイスへ行っている間、メイはブラームスのレッスンを受けることになる。

 ブラームスのひととなり

当時、ブラームスは38歳。身長はやや低めで体格はがっしり。後年の肥満の傾向は全くなし。

理知的な額を有する堂々たる頭部と頭脳の明晰さを表わす青い瞳。挙動には気取りがなく、社交性と慎み深さが同居する、親しみのもてる人という印象だった。

ブラームスは自分について話すのを極端に嫌っており、自分の作品について話すことはめったになく、集まりではどんなに頼んでも、絶対に演奏しなかった。

ブラームスは極端な気分屋で、演奏しろといわれるのが嫌いなうえに、演奏する彼自身のムードと演奏される側、つまり作品の雰囲気がぴったり合わないと、全くだめだった。

ご機嫌なのは先生(クララ・シューマン)たちと一緒の時で、彼女にはいつも下僕のように使え、態度には尊敬の念が表れていた。それは息子が母に持つ愛情と、芸術家同士の共感とがないまぜになったような感覚−弟子のメイにはそう思えた。

ブラームスは大の散歩好きで、自然への愛着もひとしお。夏の間は4時か5時には起き、自分でコーヒーをいれ、それから朝のおいしい空気と鳥の歌を満喫しに、森へ出かけるのが日課だったという。

ブラームスのピアノ指導法

クララは「ブラームスは最高のピアノ教師」だと言っていた。実際、メイがブラームスのレッスンを受けると、「何一つ欠点のない、全ての資質を備えた理想的なピアノ教師」だった。

ブラームスの頭の中には、技術的な修練方法が、細かなことまで全て入っており、しかもそれをきわめて短時間で教えることができた。

メイがテクニックの弱点を説明して、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》を弾き始めると、その指をほぐして均等にする作業に取り掛かった。
レッスン初日から、目的に達するにはどうするのが一番なのかの解説付きで、音階、分散和音、トリル、重音奏法、オクターヴといった技術訓練を次々と与えていった。

レッスン中ブラームスは椅子に腰かけ、弟子の指を見ながら、誤った動きを指摘し、自分の手の動きで正しい形を見せながら、夢中で指導していたという。

ブラームスは、通常行われる五本指のエクセサイズがメイに有効だとは思わず、もっぱら一般の作品や練習曲を使い、自ら習得した、困難なパッセージを克服するための練習法をメイにも教えた。

メイの手首も、聞いたこともないブラームス独自の方法で、ほとんど苦労しないまま二週間ですっかりほぐれ、指の付け根の固い出っぱりが、大方消え失せた。

ブラームスは、指づかいには特にうるさかった。特定の指に頼らず、全ての指をできるかぎり均等に働かせるよう注意した。

バッハの楽譜はメイがイギリスから持ち込んだもの。指使いが書かれていなかったので、ブラームスはツェルニー版の運指を使うように(それ以外の書き込みには従わないように)指導した。

当初、レッスンの大半はバッハの《平均律》か《イギリス組曲》。メイの技術が向上すると、レパートリーも音楽の本質を学ぶ時間も少しづつ増えていった。

ブラームスは、曲の細部に至るまで厳しく気を配れと注意する一方、「フレージング」はできるだけゆったりととるように言った。繊細な詩集の外側を縫い進み、飾り付けていくように、フレーズのアウトラインを大きく一筆書きするのである。音楽の陰影を使って、フレーズをつなげたりもした。

音色、フレーズ、感覚など、ブラームスのイメージが音になるまで、バッハの一部分を十回でも二十回でも演奏させた。

ブラームスは些細なことまで信じられないほど誠実で、生徒に向かって物知りぶったり、イライラしたり貶したりしなかった。趣味はほめることで、どんな曲でもまず好みどおりに演奏すると「いいねえ、言うことなし」で、「そこはこう変えて」とはならなかった。


 ブラームスのピアノ演奏法

レッスンの終わりに、メイに頼まれてブラームスが自らピアノを弾くようになったが、一番多く取り上げたのはバッハ。

《48の前奏曲とフーガ》(平均律)を解説付きで、1曲か2曲、暗譜で弾き、その後は気分によって楽譜集から曲を選んで弾き続けた。

ブラームスは、著名なバッハ信奉者達のように、「バッハはただ流れるように演奏すべし」などとは思っておらず、彼のバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論に捉われていない。

ブラームスが弾く《前奏曲》は躍動感溢れる力強い演奏で、濃淡と明確なコントラストがついて、まるで詩のようだったという。

バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作ってゆく。たとえば深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれぬ優美さ。しかし、情緒は欠けておらず、決して無味乾燥ではない。情緒(センチメント)と感傷(センチメンタリズム)は別物なのだ。組曲では、音色とタッチを様々に変え、テンポも伸縮自在だった。

彼はバッハの掛留音をこよなく愛していた。「絶対にきこえなければならんのはここだ」と言いながら、タイのかかった音符を指し、「その後ろの音符で最高の不協和音効果が得られるように[前の音符を]打鍵すべし、でも、準備音が強くならないように」と強調した。

激しさも要求する一方、「もっとやさしく、もっと柔らかく」が、レッスン中のブラームスの口癖だった。

ブラームスは、バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなどの「小奇麗な演奏」を認めなかった。巧みで均一で、正確かつ完全な指づかいは求めたが、多様で繊細な表現が絶対条件、いうならば呼吸のようなものだった。

作曲家が何世紀の人間であろうが、聴く人に作品を伝えるために、ブラームスはモダン・ピアノの力をためらうことなく利用した。

ブラームスは「安手の表情」をつけるのを好まず、特に嫌がったのは、作曲家の指示がないのに和音を分散させること。

メイがそんなことをすると必ず「アルペッジョじゃない。」と注意した。

ブラームスは音の強弱に関係なく、スラーのかかった二つの音符の醸しだす効果に重きを置き、それを強調したため、メイは、「こういった記譜部分は、彼自身の作品でこそ特別な意味を持つことが飲み込めた」と書いている。[※これは、ブラームスが多用していたヘミオラのこと?]

メイが聴いたブラームスの演奏は、「刺激的かつ独特で、到底忘れることはできない。名人芸を自由に操るといっても、それはいわゆるヴィルトゥオーゾ的演奏ではなかった。どんな作品でも、うわべの効果は決して狙わず、細部を明らかにし、深い部分を表現しながら、音楽の内部に入り込んでいるようだった。」

メイが、ブラームスの作品を練習させてほしいと頼むと、「僕の曲は、強い筋力と手の強い掴みが必要なので、今の君には向かないだろう」。自分が書いたピアノ曲は、女性には向いていないと思っていたらしい。

「どうしてピアノ用に、とんでもなく難しい曲ばかり作曲なさるのですか」とメイが詰め寄ると、ブラームスが言うには「(そういう音楽が)勝手にこちらにやってくるんだ。さもなきゃ、作曲なんかできないよ(I kann nicht anders)。」

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 そのニ 私のブラームス回想録(1905年) アデリーナ・デ・ララ」

クララ・シューマンのレッスンで、ブラームスの《スケルツォOp.4》の一部分を弾き終えたとき、ブラームスが突然部屋に入ってきて、「今弾いた所をもう一度」。

最初のフレーズを弾き終わると、「違う違う、はやすぎる。ここはがっちり提示するんだ。ゆっくりと、このように」。

ブラームスが自ら演奏。鍵盤の上でゆったりとくつろいでいるようにしか見えないのに、それが豊かで深みのある音を、そして雲の上にいるようなデリケートなppを紡ぎだす。あのスケルツォのオクターブを一つも外さず、ものすごいリズム感で演奏するのだ。

ブラームスは生徒が自分の作品の低音(ベース・ライン)を弱く弾こうものなら、烈火のごとく怒った。その作品はきわめて深い音で、そして左手は決然と弾かなくてはならない。ブラームスは先生[クララ・シューマン]と同じで感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティック(精神的)でなくてはならない。」

日常生活では全く飾らず、ユーモアの感覚にあふれ、冗談を飛ばす。こんな人が真に偉大な巨匠だなんて、思い出すのも難しいほど。最初に会ったとき、ブラームスは40歳だったと思う。

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その三 ブラームスはこう弾いた ファニー・デイヴィス」

ブラームスの演奏を文字で書き表すことは、非常に難しい。それは孤高の天才が、作品を作ってゆく過程を論じるようなものだからだ。

巨匠の演奏に向かう姿勢は自由かつしなやかで、余裕があり、しかもつねにバランスがとれていた。たとえば耳に聞こえてくるリズムの下には、いつでも基本となるリズムがあった。特筆すべきは、彼が叙情的なパッセージで見せるフレージングだ。そこでブラームスがメトロノームどおりに演奏することはありえず、反対に堅牢なリズムで表現すべきパッセージで、焦ったり走ったりすることも考えられなかった。下書きのようなザッとした演奏をするときも、その背後には楽派的奏法がはっきり見てとれた。推進力、力強く幻想的な浮遊感、堂々たる静けさ、感傷を拝した深みのある優しさ、デリカシー、気まぐれなユーモア、誠実さ、気高い情熱、ブラームスが演奏すれば、作曲家が何を伝えたいのか、聴き手は正確に知ることになったのだ。

タッチは温かく深く豊かだった。フォルテは雄大で、フォルティシモでも棘々しくならない。ピアノにもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった。

"良いフレーズに始まり良いフレーズに終る"−ドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そして、もちろん、低音部をがっちり強調していることがよくわかった。

ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う <> は、音だけでなくリズムにも応用された。ブラームスは音楽の美しさから去りがたいかのごとく、楽想全体にたたずむ。しかし一個の音符でのんびりすることはなかった。また、彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるために、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。

若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html


14. 2013年7月09日 09:37:51 : W18zBTaIM6

巨匠に学ぶ

UAEを含む血管内治療だけでなくあらゆる手技・手術は楽器の演奏に似ています。私は5歳よりヴァイオリンを習い、いまでも時々楽器に触れます。

共通していることは基本がもっとも大切ということです。

ヴァイオリンの巨匠ヤッシャ・ハイフェッツは、3オクターブのスケールを弾かせれば技量がわかるといっています。音階が基本であり音階をきちんと弾けるかどうかということです。

興味深い実話があります。ユーディ・メニューインという天才ヴァイオリニストがいました。10代前半でベートーベン、ブラームス、バッハの協奏曲をオーケストラと共演するほどでした。

その10歳そこそこのメニューインは母親に連れられて当時の巨匠、ウジェーヌ・イザイの元にやってきました。ウジェーヌ・イザイはヴァイオリンの皇帝といわれたほどの巨匠でした。当然多くの若き天才ヴァイオリニストが皇帝の下にレッスンを受けにやってきました。

イザイは幼少のメニューインがブラームスやチャイコフスキーの協奏曲を非常な完成度で演奏できることには関心を示さず、まず、3オクターブの分散和音を弾いてほしいといいました。

メニューインはこれができなかったのです。これでレッスンは終了で親子は逃げるようにイザイの元を去っていったと伝えられています。ヴァイオリンの愛好家であれば後年のメニューインの演奏がどうであったか知っていると思います。

外科手術はアッぺにはじまりアッペに終わるといいます。

UAEをはじめとする血管内治療でもきちんと穿刺ができ、シース、カテーテルを挿入することができ、確実に止血ができるという基本中の基本が大切です。
http://uae-ivr.blogspot.jp/2011/12/blog-post.html

戦前から戦争直後の1950年頃まで(即ち、SPレコード全盛の時代)、大家・中堅・新進を問わず、およそレコード評論家と名のつく人のほとんどが、ユーディ・メニューインの未来像をフリッツ・クライスラーに次ぐ20世紀のヴァイオリン界の帝王として描いた。

ヴァイオリニストとしてのみならず、音楽家としても20世紀屈指の存在であったジョルジュ・エネスコすらも、「メニューインの師=育ての親」としてのみ知られていた時代が長く続いたのである。

ハイフェッツに優るとも劣らない演奏技術と、バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)》の録音を20歳そこそこの青年時代に完成してしまったというレコード界空前の偉業を目の前にすれば、未来の帝王の姿をこのアメリカ生まれ、凛々しくも童顔の少年に想い描かない方がどうかしていたと言っていいだろう。

「メニューイン神話」はそういう次元の、しかも超弩級の実例であった。

生まれながらの資質だけでパガニーニ、サラサーテの難曲を煙の如く弾き去ってしまう天才少年の後ろ姿に、世間の評判とは裏腹の

「ヴァイオリニストとしての将来性はない。もう手遅れだ」

と痛烈な烙印を押したのは巨匠イザイである。 師として彼にヨーロッパ音楽の伝統を伝授したエネスコもブッシュも、メニューイン坊やの天与の資質に目をくらまされて、彼がヴァイオリンという楽器を生涯の友とするために不可欠な職人的基礎訓練(例えば音階とアルペジオ奏法の完璧な習得)を欠いているということに気付かなかった。

同じユダヤ系でも、ハイフェッツやミルシテインなどのロシア学派(レオポルド・アウアー門下)は、生涯にわたり「世紀のヴァイオリニスト」として栄光を保ち続けた。

余りにも才能に恵まれ過ぎたが故に基礎訓練を怠り、負債(ツケ)を壮年期以降払い続けなければならなくなったこの偉大な人物の心中は如何ばかりであったか…、だが、そのことを彼自身は終生口にしなかった。

彼が恐るべき天才少年であった頃の録音を聴けば、いまどきの才能とは質を異にしていたぐらいのことは誰にも判る。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53255821.html


15. 中川隆 2013年7月09日 13:54:30 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人

ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916年4月22日ニューヨーク - 1999年3月12日ベルリン)

メニューインが正真正銘の大天才だった10代の頃のレコードも沢山残ってるんですね。
それ以降は『昔の名前で出ています』になっちゃうんだけど:

Yehudi Menuhin plays Fiocco Allegro
Oakland, California, 15/03/1928
http://www.youtube.com/watch?v=QosO7n7VQU4

Yehudi Menuhin - Handel "Prayer" (Gebet)
recording 1929. Menuhin was 13 years old
http://www.youtube.com/watch?v=bV5rW5SK_mE
http://www.youtube.com/watch?v=jCILYu5GN4s

Yehudi Menuhin(13 years old) plays Beethoven Violin Sonata No 1
Rec. 12 November 1929
http://www.youtube.com/watch?v=ufz5Uia2hlM&list=PL58EE5156B99A1F07
http://www.youtube.com/watch?v=SeKNSUBzSwc&list=PL3C23F2919B72137D
http://www.youtube.com/watch?v=nV_31nVJsXc

Yehudi Menuhin Ravel Tzigane Rapsodie de concert
George Enescu taught him this piece. Possibly recorded when he was 12 or 15http://www.youtube.com/watch?v=PhbySudKMLk

Yehudi Menuhin plays Bruch's Violin Concerto 1rst Mvt
Rec. 25 November 1931
http://www.youtube.com/watch?v=rTZHd-nUrHc

Yehudi Menuhin - Paganini / Kreisler - Caprice No. 24 - 1932
http://www.youtube.com/watch?v=dnkfc6eoFBY

Yehudi Menuhin (1916-1999) plays Wieniawski Scherzo-Tarantelle Rec.1932 A.Balsam (piano)
http://www.youtube.com/watch?v=wtiQ3X6-Q2w

Menuhin/Enescu play Bach Double Concerto in D minor
Recorded: June 4, 1932
http://www.youtube.com/watch?v=GVEXGAZVZPk&list=PLcf3ffiFjW29R03WRDxO8UE_cejdaOR6P
http://www.youtube.com/watch?v=b5h1zMtxSC4&list=PLcf3ffiFjW29R03WRDxO8UE_cejdaOR6P

Mehunin 1916-1999 & Elgar 1857 - 1934 Sir Edward Elgar.wmv
1. Concerto for Violin in B minor, Op. 61 Recording Date 7/1932
2. Variations on an Original Theme, Op. 36 "Enigma" Recording Date 1926
http://www.youtube.com/watch?v=n4eHlsdEqFo

Yehudi Menuhin _Chausson ; "Poeme" op.25 (1933)
http://www.youtube.com/watch?v=i_h3aOZrUZs
http://www.youtube.com/watch?v=tONG73g2LJU

Young violonist (17 years old) Yehudi Menuhin (1916-199) plays Ernest Chausson (1855-1899) poeme Opus 25 with Paris Symphony Orchestra conducted Menuhin's Georges EnescuRecorded at Studio Albert, Paris, 21 June 1933

Yehudi Menuhin, early recording - "Abodah" (God's Worship) by Ernest Bloch
http://www.youtube.com/watch?v=Keac2o-GAZQ


Jehudi Menuhin Mozart Violin concerti no 3 & 7 early recordings
http://www.youtube.com/watch?v=xyRURXZIhtA

Yehudi Menuhin, Mozart Violin Concerto n°3 in G Major KV 216, Mv II 19/12/1935
http://www.youtube.com/watch?v=YSVlzTDP7_E
http://www.youtube.com/watch?v=ivrLSTJNgqw

The Young Yehudi Menuhin Encore
http://www.youtube.com/watch?v=4kySfTlSaNg&list=PL5E5CEB8B036B18AA
http://www.youtube.com/watch?v=QVLZkE9YOiY
http://www.youtube.com/watch?v=JAbM8cl82SE
http://www.youtube.com/watch?v=eYW0Bf25fdU
http://www.youtube.com/watch?v=AqD4DmRmA70


 メニューインは7歳で神童ヴァイオリニストとしてデビュー。

強靱な技巧と輝かしい音色、高度な芸術性を兼ねそろえ、戦前は10代にして大ヴァイオリニストと認められる。戦前録音のほとんどは名演である。

 戦後は戦中の500回を超える慰問公演、離婚、ナチの収容所の惨状を見たことによるショック等によりスランプに陥り、演奏の出来不出来が激しくなる。さらに1950年代後半以降は脊椎の手術の影響のためかボウイングが衰え始める。

音色の線が細くなり、音程やリズムに難がある録音も少なくない。

 このため戦後やステレオ以降のメニューインはあまり人気があるとは言えず、全否定する向きもある。彼の膨大な録音では不調時の凡演の方が多いというのが実状である。1960年代後半から1970年代半ばまでの録音のほとんどは音色の魅力を欠く凡演と言ってもいい。

晩年はヴァイオリンは引退し、指揮活動に専念していたが1999年3月ドイツで死去。
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym2.html
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym0.html

イェフディ・メニューインは1916年4月、ニューヨークに生まれた。

両親はユダヤ系ロシア人である。

シグモント・アンカーとルイス・パーシンガー、後にはジョルジュ・エネスコとアドルフ・ブッシュに師事したが、ヴァイオリンの技巧は独学で体系的には学ばなかったという。

本人はハイフェッツのアコースティック期のレコードを聴いて同じように弾こうと猛練習したら実現した、そしてあまりにも簡単に身に付いたので、失われるのも速かったと語っている。

実際、戦前の神童期の録音を聴くとハイフェッツ張りの強靱な技巧に圧倒される。

戦後スランプを経験し、カール・フレッシュの教本をさらうなど改めて体系的な技巧を身に付けようとしたそうだが、1950年代後半以降の録音に若い頃の超絶技巧が見られないのも事実である。


 メニューインは神童ヴァイオリニストとして、7歳でデビューした。

1927年(11歳)にはカーネギー・ホールでフリッツ・ブッシュ指揮のニューヨーク・フィルとコンサートを行い、

1929年(12歳)にはブルーノ・ワルター指揮のベルリン・フィルと共演して、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの協奏曲を演奏した。このコンサートは圧倒的な成功をおさめ、なかば伝説と化している。

このコンサートを聴いた物理学者アインシュタイン(自身趣味でヴァイオリンを弾いていた)は

「神が存在することを確信した。」

と語ったという。またクラウディオ・アラウは

「あれは、これまで聴いた演奏のなかで、最大の経験の一つです。」

と語っている(J.ホロヴィッツ 野水瑞穂訳『アラウとの対話』)。

 メニューインの最初の録音は1928年3月(11歳)に行われた米ビクターへの4曲の小品である。米ビクターには1929年2月にも8曲の小品を録音している。(伴奏はパーシンガー)。これは後述のブルッフの協奏曲第1番との組み合わせでBiddulphから復刻されている。("The Early Victot Recordings" LAB031)。

大恐慌の影響で米ビクターはクラシックの録音を休止したため、英HMVに移籍し、11月には最初の大曲バッハ:無伴奏ソナタ第3番を録音した。1931年には専属契約を結び、ブルッフの協奏曲第1番を録音し、1932年には作曲者指揮でエルガーの協奏曲を録音した。

 エネスコに師事したために、1930年からメニューインはフランスに住むことになる。メニューインはエネスコから最も強い影響を受けたと語っている。エネスコやピエール・モントゥー、ジャック・ティボー、アルフレッド・コルトーらと私的に室内楽を演奏し、エネスコの指揮で数多くの演奏会や録音を行っている。
エネスコは無償でレッスンを行い、『エネスコ回想録』(松本小四郎・富田弘共訳)に

「十歳の彼が弾くショーソンの『詩曲』には、三十歳のヴァイオリニストのような深みがあった。しかも、その驚嘆すべき技巧もさることながら、彼のヴァイオリンには、詩情と恍惚の境まで高揚するような情熱が溢れていたのである。
かつての神童は、今や卓抜したヴァイオリニストになっている。その精神は今も昔も同じままである。情愛の深さ、その寛大さも昔のまま。恩師に対する熱意のこもった崇拝の念も、その忠誠心も昔のままである。
私はこれまで一度たりと、彼に失望したことがなかった。それどころか、時が経つにつれ、彼に感動することが幾度もあった。」

と書いている。

 メニューインはポール・パレーやウィレム・メンゲルベルク、アルトゥーロ・トスカニーニらの名指揮者やアルトゥール・シュナーベルとも共演している。特にトスカニーニとの交友には多くの逸話がある。メニューインはトスカニーニの招きに何度も応じ、私的に演奏した。ミラノではモーツァルトの協奏曲第7番の緩徐楽章を演奏中に電話が鳴り、憤ったトスカニーニは壁から電話線をむしり取って「これでもう邪魔なしに音楽を楽しむことが出来る。」と言ったという。また、伴奏ピアニストの譜めくりを買って出たこともある。

 1935年には世界ツアーを行い、12月から1936年11月にかけて膨大な数の録音を行っている。1936年から約1年間演奏活動を中断したが、1937年12月、カーネギー・ホールでのシューマンのヴァイオリン協奏曲のアメリカ初演で復帰した。(10月にサン・フランシスコで世界初演をする予定だったが、ナチの声明によって中止に追い込まれた。)復帰後もハンサムな青年ヴァイオリニストとして人気はますます高まり、ハリウッドから映画出演の依頼もあったという。

 この時期の演奏は強靱な技巧、輝かしい音色と火のでるような情熱に加えて高度な芸術性を感じさせる。協奏曲やソナタの両端楽章では白熱した演奏を行い、緩徐楽章やバッハの無伴奏曲では遅いテンポでじっくりと歌う。

あらえびすは『名曲決定盤』で

「メニューインを一度聴いた人たちは、その重厚な気品と、高邁な気魄に敬服せざるはない。」

と述べている。また野村光一は、1947年頃撮影され日本では1951年に上映された映画「巨星メニューヒン」(ブルーノ・モンサンジョンによるドキュメンタリー"Yehudi Menuhin -The Violin of the Century" EMI にその一部が収録されている。)について

「彼が弓を大きく使い、悠々迫らざる態度で古典曲を熱演している時は、まるで野球選手がホームランをかつとばす時のように爽快味を痛感させる。(中略)あんな迫力のある端的な演奏は今の世の如何なるヴァイオリニストも成し得ぬところであろう。あれはベーブ・ルースのホームランに匹敵する。」

と書いている。(『芸術新潮』1951年10月号「メニューヒンのテクニック」)。
これは戦前録音のほとんどと1940年代の好調時の録音の特徴を見事に言い表している。ただ、1935年頃からの録音には、量産したためか若干緻密さに欠けた演奏も含まれている。

 第2次世界大戦にアメリカが参戦すると、メニューインは連合軍と赤十字の慰問公演を行うことになる。1日に3回演奏することもあり、全部で500回を超えたそうである。1943年には爆撃機に乗ってイギリスを訪れ、イギリス全土で演奏会を開いた。その際自由フランス政府のためにも演奏を行い、ド・ゴール将軍からロレーヌ十字賞を贈られている。1944年には解放直後のブリュッセル、アントワープ、パリで演奏会を開き、1945年にフランスのレジヨン・ドヌール勲章を受賞した。

慰問公演の過労のせいか、最初の結婚の失敗のためか、このころから演奏の出来不出来の差が激しくなる。

出来の悪い時は遅いテンポで大味な演奏になるか、せかせかしたテンポで暴走してしまう。また、技巧的には問題ないがどこか生気のない演奏も多い。

ただ、曲や演奏会の前半は不出来だが、後半になって興が乗ってくると別人のように素晴らしい演奏をすることがある。最後の数小節だけを完璧に感動的に弾いたとか、アンコールだけ良かったという逸話もある。

大味な演奏の例としてラロのスペイン交響曲(2)(1945年)とブラームスの協奏曲(1) (1943年放送録音)等が挙げられる(後者は戦前の録音がないだけに全盛期のスタイルを伝える貴重な記録、と最近評価を改めた)。

暴走する演奏では同曲(3)(1947年)の第3楽章や1951年日本録音の小品集が挙げられる。

生気のない演奏ではフルトヴェングラー/ルツェルン祝祭o.とのベートーヴェンの協奏曲やブラームスのソナタ第3番(2)(1947年)などがある。


最後にメニューインの音色について述べることにする。

この時期(1950年代半ばまで)のメニューインの音色はカンポーリやパールマン、オイストラフに近い、硬質で線の太い非常に輝かしい音である。

ところが、不調時には楽器が鳴らない痩せた音になることがある。

その例として前述のブラームスの協奏曲や1944年録音の「亜麻色の髪の乙女」(p:バラー、RCA)、フリッチャイ指揮RIAS so.とのチャイコフスキーの協奏曲の1949年ライヴ(DG)などが挙げられる。メニューインの音色についてはメニューインについて(2) 1950年代以降でも触れる予定である。
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym1.html

1999年3月12日、ベルリンで急性心不全のため82歳の生涯を閉じたユーディ・メニューインは、4歳の誕生日を迎えてからシグムント・アンカーにヴァイオリンを学び、7歳のときにはベリオの「パレエの情景」をはじめて聴衆の前で演奏するほど、めざましい才能を発揮している。

メニューインは1927年2月(メニューイン10歳の時)にはパリでポール・バレー指揮のラムルー管弦楽団と『スペイン交響曲』とチャイコフスキーの協奏曲を演奏して圧倒的な成功をおさめた後、彼がサンフランシスコ時代から憧れていたジョルジュ・エネスコに師事する。エネスコはメニューインの非凡な才能を愛し、「私が彼に教えるのと同じだけ私に教えてくれる」といってレッスン代を取らなかったし、メニューインもエネスコから芸術面だけでなく人間的にも多大な影響を受けたのである。

神童メニューインの名前は(エネスコを師とした修行と活躍により)世界的になったが、それを決定的にしたのは1929年4月12日(メニューイン、この時、12歳)のベルリン・フィルへのデビューだった。メニューインはブルーノ・ワルターの指揮で三大B(バッハの第2番、ベートーヴェン、ブラームス)を演奏し、稀にみる成功をおさめたのである。

終了後、感動と興奮で騒ぐ聴衆を静めるために警察を呼ぶほどであり、聴衆の一人だったアインシュタインは興奮して

『今、私は神の存在を信じる』

と語り、ワルターは回想記に

『驚いたのは、メニューインが技巧的に見事だったということではなく、彼が(齢12歳にして既に)精神的にも成熟した演奏を示したということである。その点にこそ奇跡はあったのだ』

と書いている。 (その後も世界的神童として活躍し)1934年には神童嫌いで有名なトスカニーニと競演して例外的に気に入られたという。(気難しがり屋のトスカニーニに気に入られるのはとてつもなく難しいことです)。おそらく当時のメニューインほどセンセーショナルな成功をおさめた神童はいないだろう。実際、当時の録音はとても10代の少年とは思えぬほど音楽的にも成熟した優れた演奏が多い。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/815400.html


メニューイン戦前・神童時代のCD紹介 (1928年〜1939年)

メニューインの神童時代はいつまでなのかは色々議論がある。

15、6歳位まで、または1936年にいったん演奏活動を休止するまでという意見もあるが、とりあえずこのページでは1939年までの録音を扱う。

理由は1938年の復帰後の録音もそれ以前と遜色なく見事なものであるということである。そして1940年以降の録音は復刻CDで聴く限り別人のように生気がなく、鈍く大味な演奏になっているのである。


 バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ
・全曲 1934〜1936年 EMI 7243 5 67197 2 9(artリマスタリング) 旧盤 EMI CHS 7 63035 2
・5曲 1934〜1936年(無伴奏ソナタ第2番以外) Naxos Historical 8.110918、8.110964

・無伴奏ソナタ第1番 1933年録音 未CD化
・無伴奏ソナタ第3番 1929年録音 Naxos Historical 8.111127、Biddulph LAB 032
・無伴奏ソナタ第2番〜アンダンテ 1932年録音 Naxos Historical 8.110965
・無伴奏パルティータ第1番〜サラバンデ 1933年録音 未CD化
・無伴奏パルティータ第3番〜プレリュード 1938年録音 未CD化

全曲盤はEMIからCD化されている。もともと全集として録音されたものではなく、個別の曲がSPとしてリリースされた。ソナタ第2番はSPが発売されなかったためNaxos HistoricalのCDには収録されていない。

音質は現行輸入盤EMIのartリマスタリング盤がEMI旧盤やNaxos盤よりも優れている。
演奏はシェリングや最近のヴァイオリニストに比べると緻密さには欠けるが、もの凄い気迫と輝かしい音色で弾かれている。全曲としては最古の録音だが全く古さを感じない。シャコンヌが特に感動的である。

この全曲CDはソナタ第3番とパルティータ第2番が1934年、ソナタ第1番とパルティータ第1番が1935年、ソナタ第2番とパルティータ第3番が1936年録音である。

メニューインはそれ以前、1929年にソナタ第3番を、1933年にソナタ第1番を録音している。前者はLP転写盤の全曲盤に1934年の再録音の代わりに収録されていた。
ビダルフのCDはLPに比べて音に迫力がなかったが、ナクソス盤はそれよりはましな音である。
演奏は師匠アドルフ・ブッシュの影響が強く重厚なボウイングで古めかしく弾かれている。再録音とは別人のような演奏で技巧的に優れている。わずか13歳の時の録音である。

ソナタ第1番の旧盤は未復刻(第1楽章冒頭のみメニューイン50歳記念LPに収録されていた)で、SPを聴いた感想だが、再録音と同一スタイルながら、音がうわずったりすることなくより優れた演奏であった。

他に断片を3種戦前に録音しているが、いずれも全曲とは別の録音である。ソナタ第2番〜アンダンテはナクソスのバッハ:ヴァイオリン協奏曲のCDに収録されている。 無伴奏パルティータ第1番〜サラバンデとパルティータ第3番〜プレリュードは未CD化で前者はヴァイオリン協奏曲第2番のSP(HMV DB2003/5)の最終面に収録されていた。
後者はエネスコ指揮メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の米ビクター盤のSP(16169〜72、オートチェンジャー)の最終面に収録されている。


 バッハ:ヴァイオリン協奏曲
・ヴァイオリン協奏曲第1番 1936年、第2番 1933年(エネスコ指揮)、二つのヴァイオリンのための協奏曲 1932年(エネスコ、モントゥー指揮)パリ交響楽団
Naxos Historical 8.110965
EMI 7243 5 67201 2 1(artリマスタリング)、旧盤 EMI CDH 7 610182

断然ナクソス盤のCDの音質が優れている。マーストン復刻でライナーノートによるとイギリス盤、フランス盤、ドイツ盤、オーストラリア盤のSPも聴いたが断然米Victor盤の音質が優れていて、復刻も米VictorのSPが使われているとのことである。前述の無伴奏ソナタ第2番〜アンダンテとの組み合わせである。
EMIでは旧盤の方がいい音だった。どちらもシャコンヌとの組み合わせだが、これは全曲盤と同一の演奏である。artリマスタリング新盤のシャコンヌは同じEMI新盤の全曲盤よりも音質が落ちる。

演奏は20歳の時の第1番はスケールが大きくなっていて輝かしい。10代の時の2曲は優しさを感じさせる。いずれも緩徐楽章の深みはなかなかのものだが、全体に戦前のメニューインの録音の中では大したものではない。


 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 1935年、第7番 1932年(エネスコ指揮)、アデライデ協奏曲 1934年(モントゥー指揮) パリ交響楽団
Biddulph LAB 004
EMI CDH 7 63718 2

上に挙げた2種のCDは現在は入手困難かもしれない。他の復刻が現在手に入るようだが、筆者は聴いていない。
ビダルフ盤が絶美の音質である。EMIも悪くない復刻だ。

演奏では第7番が戦前のメニューインのベストパフォーマンスである。疑作なのであるがまるでモーツァルト自身が弾いているかのようである。
アデライデ協奏曲も名演である。この曲は20世紀に入ってからの完全な偽作である。
第3番はかなりロマンティックな演奏で抵抗を感じる。

なお断片として下の演奏も存在する。
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番からアダージョ 1929年(パーシンガー、ピアノ) Biddulph LAB 031、MALIBRAN CDRG 135

ビダルフ盤はパーシンガー伴奏の最初期の小品集とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番との組み合わせである。MALIBRANは1928年から1938年までの小品集。どちらも良質な復刻。
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/MenuhinCD1.html

バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番、
2つのヴァイオリンの為の協奏曲、
無伴奏パルティータ第2番よりシャコンヌ
ジョルジェ・エネスク(vn&cond.)/ピエール・モントゥー(cond.)/イェフディ・メニューイン(vn) [EMI CDH 7 610182 2]

メニューインはエネスクとブッシュといふ大家を師に持つ20世紀を代表するバッハ弾きである。様式からバッハを捉へるのではなく、感情の投影をバッハに見出し、音に精神を吹き込む。
当盤はメニューイン神童時代の輝ける記録であり、ヴァイオリン協奏曲の第1番と第2番は師エネスクの指揮のもと、2つのヴァイオリンの為の協奏曲では、エネスクのヴァイオリンを交へての師弟共演となつてゐる。
メニューインの特徴は強いアクセントと粘つた感情表現であり、熱のこもつたバッハ像を打ち立ててゐる。これに対し、渋く詫びた音楽を奏でるエネスクは老巧で、第2楽章の内面追求は流石である。(2005.8.16)


フランク:ヴァイオリン・ソナタ、ルクー:ヴァイオリン・ソナタ、ショーソン:詩曲/パリ交響楽団/ジョルジェ・エネスク(cond.)/ヘプツィバー・メニューイン(p)/イェフディ・メニューイン(vn) [Biddulph LAB 058]

少年メニューインはエネスクを師と仰ぎ拝して教へを乞ふた。
そして、ヴィブラートの奥義を譲り受けた。
師が得意とした近代フランスの楽曲からは、時にエネスクかと錯覚するくらゐ似た音が聴こえてくる。特にショーソンは瓜二つである。だが、所詮は真似事で、楽器を超越したエネスクの侘び寂びを知つた感情表現を求めることは出来ない。

エネスクの録音が残らないフランクとルクーは価値がある。しかし、フランクのソナタはティボーやデュボアらの御家藝と並べると音楽が脂ぎつてゐて困る。増してや、妹ヘプツィバーをコルトーやマースと比べるのは酷であらう。聴くべきは名曲ルクーのソナタだ。グリュミォーと並ぶ名盤として知られた録音で、情熱的なメニューインの直向きな演奏が犇と迫る。(2009.4.17)

シューベルト:華麗なるロンド、
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番、
ピツェッティ:ヴァイオリン・ソナタ
ヘプツィバー・メニューイン(p)/イェフディ・メニューイン(vn) [Biddulph LAB 067]
少年期のメニューインを代表する録音集で、最も輝かしい名演はシューベルトである。冒頭から感情が溢れんばかりに投入されてをり圧倒される。師エネスクと見紛ふばかりの振幅の大きいヴィブラートは偉大なエスプレッシーヴォの音楽を奏でる。主部に入つてからの熱気は尋常ではなく、強いアタックと躍動するリズムが終止途切れることなく炎上する様は鬼気迫る。この激情がシューベルトの音楽に相応しいかを云々することは最早下らぬことにすら思へる。

シューマンも同様の名演だが、この曲には彼岸に到達したエネスクの神にも等しい名演がある為、比較すると力尽くの情熱で押し切つた青二才の演奏に聴こえて仕舞ふ。

ピツェッティのソナタはエネスクの第2ソナタを想起させる玄妙で内省的な作品だ。妹ヘプツィバーの神秘的なピアノが魅力的で、異教的な官能美を振りまくヴァイオリン共々深い感銘を残す逸品だ。(2006.9.7)
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html


16. 2013年7月09日 17:02:22 : W18zBTaIM6

Menuhin - YouTube
http://www.youtube.com/results?search_query=+Menuhin+&oq=+Menuhin+&gs_l=youtube.12...0.0.1.11.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0...0.0...1ac..11.youtube.iZJWJn-xhKE

メニューイン ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3


17. 2013年7月10日 07:04:52 : W18zBTaIM6

Yehudi Menuhin plays Bach Chaconne
Very excellent recording from around 1935.
http://www.youtube.com/watch?v=lm1q3gadv50
http://www.youtube.com/watch?v=rMTCuaJaBwY

18. 2013年7月10日 07:14:52 : W18zBTaIM6

やはり生徒のメニューインより先生のエネスクとブッシュの演奏の方が遥かにいいですね:

The famous Chaconne of Bach played by Adolf Busch.Rec. 1929
http://www.youtube.com/watch?v=t8Im6z30nQo

Enescu plays Bach - Partita No. 2 in D minor, Recorded: 1948-1949
http://www.youtube.com/watch?v=2-kmvrDYyFE


19. 中川隆 2013年7月13日 04:47:56 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

Yehudi Menuhin clip - Bach ciaccona (Chaconne) d minor
http://www.youtube.com/watch?v=cN6LGPRGnLI
http://www.youtube.com/watch?v=julBoaxI10g

ユーディ・メニューイン(1956−57年録音/EMI盤) 

子供のころから「神童」ともてはやされたメニューインは、ある専門家によれば、デビュー前にマスターしておかなければならないヴァイオリニストとしての基礎技術が欠けていたそうです。

それでは大人になってからは、豊饒な音も持たず、確かな技術も無いとなると、何が特徴かということになりますが、月並みな表現ですが、この人には「精神」が有ったと思います。

この演奏も、聴き始めは音程の不安定さと汚い音に耳を覆いました。第1番のフーガなどは、「のこぎりを引いているのではないか」と思ったぐらいです。

ところが聴き進むうちに、それでもバッハの偉大な音楽に真正面から必死で立ち向かう姿が浮き上がってくるのです。それは、燃えさかる炎の中に人を助けに飛び込んでゆくような、人間の意思を超えた何か壮絶なものを感じずにいられません。

決してリファレンスの演奏にはなり得ませんが、「凄いものを体験した」という聴後感は、シゲティ以上かもしれません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/bwv10016-c297.html


20. 中川隆 2013年7月13日 05:08:14 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

イェフディ・メニューインのページ http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym0.html


21. 2014年1月04日 12:59:31 : 2D6PkBxKqI

YouTube 動画をダウンロードする方法http://www.dvdvideosoft.com/jp/products/dvd/Free-YouTube-Download.htm#.UraNBJ2Cimx


22. 2014年1月12日 11:44:35 : 2D6PkBxKqI

アメリカ人には音楽の陰影が理解できない


・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。


アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。

音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。

これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。


・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。

人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。

こういう音でないと表現できない音楽もたしかにあるhttp://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12f18fe300c6b753750512890609680d?fm=entry_awp



23. 2014年1月12日 11:59:49 : 2D6PkBxKqI

ヴィスコンティ 熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa
http://www.youtube.com/watch?v=z2ptIlFRS4s
http://www.youtube.com/watch?v=Sj1c1vO9oE0
http://www.youtube.com/watch?v=L1Iv8tJ7xfA
http://www.youtube.com/watch?v=Zehz6BL2Q5g


制作 65年 イタリア

キャスト クライディア・カルディナーレ,ジャン・ソレル,マリー・ベル 等々

使われた音楽 セザール・フランク作曲「前奏曲・コラールとフーガ」

使われた意図 ヨーロッパの精神世界の迷宮

かなり昔・・・もう10年以上前になるかな?それとも5年くらい前かな?
あのギリシャで大きな地震がありました。それを伝えた民放のニュース番組でこのように言っていました。

「あの有名な観光地のパルテノン神殿も被害を受けました!!」

私もその番組の正確な言葉は忘れてしまいましたが・・・
実際のところはパルテノン神殿の被害はそれほどなかったはずだし・・・
ダテに大昔から建っているわけではありませんよね?

しかし、地震そのものよりも私の心を揺さぶったのは、「観光地のパルテノン神殿」という言葉です。

これは驚きでしょ?

本来ならギリシャ政府からクレームが来てもおかしくないくらいですよ!
あの「パルテノン神殿」を「東京ディズニーランド」と同じ観光地扱いとは?!

ただ遊ぶだけだったら、「ディズニーランド」の方が楽しいでしょう。パルテノン神殿は遊ぶというより、過去と対話する場所ですよね?より的確な言葉だと、文化遺産という言葉になるでしょう。

しかし、パルテノン神殿だって、残された遺物から、その当時の人間の営みを連想できないような人には、単なるオブジェであり、まさに観光地なんですね。

過去を持たない人間や過去を考えることのない人間はつまらない。しかし、過去を振り返らない姿勢は、別の言い方をすると、未来志向とも言えるのかも?そのように肯定的に捉えることもできるでしょう。

しかし、すべての人間がそんなに簡単に過去を捨て去ってしまっていいの?

ウィーンの作家のフーゴ・フォン・ホフマンスタールは手紙の中で書いています。

「人間は生きるためには、過去を忘れ、過去を捨てないといけない。しかし、人間の尊厳は、過去を忘れないこと、過去を捨てないことにかかっている。」

前向きに生きるというと、印象はいいのですが、人間の尊厳から外れることにもなりかねないわけ。

だから、過去にこだわる人間は、過去を簡単に捨ててしまうような人間を軽蔑し、敵意を持ったりする。

この「過去にこだわるもの」と「過去を捨て去ってしまうもの」・・・その間に横たわる無理解と対立が、描かれている作品、それがヴィスコンティ監督の「熊座の淡き星影」という作品です。

映画のあらすじは以下のようなもの。

イタリア人女性とアメリカ人男性の夫婦がアメリカに住んでいる。ちなみに、イタリア人女性には弟がいて、ロンドンに住んでいる。その姉弟の父親はユダヤ人。第2次大戦中に非業の死を遂げた父親の記念のための記念碑の除幕式のために、夫婦は妻のイタリアの故郷に戻ってくる。

実家に戻った妻は弟に再会し、かつての日々の思い出に囚われ、そこから逃れられなくなってくる。

そんな妻の姿をアメリカ人の夫は理解できない。
やがて・・・

さてさて、ここで「映画の中のクラシック音楽」を考えてみましょう。

使われている音楽はセザール・フランク作曲の「前奏曲・コラールとフーガ」というもったいぶったタイトルのピアノ曲です。その曲が最初に演奏されるのはジュネーヴでのサロンでのこと。女性ピアニストが演奏いたします。

しかし、これはヘンな選曲だ!

お酒が伴うようなサロンでピアニストが弾く曲が何故にセザール・フランクなの?
これをヘンと思わない人は、あの作品を理解したことにはならないでしょう。

だって、サロンでピアニストが弾く曲だったら、常識的にはショパンでしょ?

次に考えられるのはリストとか・・

この映画は第2次大戦が終わってかなり経った時代を舞台としています。いわば、当時の現代ものといえるでしょう。つまり舞台は1960年頃のこと。だから当時のサロンで弾かれる曲としては、ドビュッシーでもラヴェルでもいい。またモーツァルトでもいいわけです。エスプリがある人だったらフォーレの初期作品とか、すごく「粋」な人だったらクープランをもってくるとか・・・

あるいは、ヴィスコンティの最後の作品「イノセント」では、ショパンとモーツァルトとリストという選曲でした。まあ、これがサロンにおける「普通」の選曲。

いずれにせよ、フランクの曲をサロンで演奏するのは場違いなんですね。だからサロンに集まっている人は、ピアノの演奏を聞いていないわけ。

大体、フランクの曲は華やかな響きもないし、甘いメロディーもない・・・いわば晦渋な音楽です。それにその曲のタイトルや、音楽のオルガン的な響きでわかるように宗教的な音楽。

私は、「山猫」という作品でのヴィスコンティの音楽の使い方・・・つまり、あえてミスマッチな「椿姫」の音楽を使用することによって、演奏者の知性の欠落を表現した例・・・について書いていますが、ここでも、敢えて映像の流れとは「合わない」音楽を演奏させていることになるんです。

そう!

ヴィスコンティはショパンの音楽が鳴らされるのにふさわしい場所で、晦渋で迷宮に満ちたセザール・フランクの音楽を演奏させることによって、これから展開されるストーリーの「前奏曲」としているわけですね。

「さあ!これから、晦渋で、精神的なお話が始まりますよ!!」というわけです。
映像から簡単に推測されるショパンと、実際に演奏されているフランクの対比・・・これはこの作品を理解するのに重要になるわけです。

大体、フランクのピアノ・ソロの曲なんて、生演奏で聴いたことがある人は何人いるでしょうか?
いや!プロのピアニストだって一生フランクのソロ・ピアノ曲なんて演奏せずにキャリアを終わる人の方が多いんじゃないですか?

フランクの曲は、例の「交響曲」と「ヴァイオリン・ソナタ」くらいしか、一般的には演奏されませんし・・・
演奏する側にとってもあまり面白くない・・・演奏家としての技量が発揮させにくい音楽といえるわけです。そのくせ音楽性の欠落は聞き手にわかってしまう。損な音楽なんですね。

聞き手にとっても、そう。
聞いていて面白くはない。目立つフレーズが出てくるわけではない。
聞きながら色々と考えなくてはならない音楽と言えるわけです。気軽に聞くことができない。

ショパンを演奏しておけば、ピアニストの音楽性が多少欠落していても、目立つフレーズでごまかすこともできるし、聞き手も楽しい。
フランクを演奏することは、芸術的に難しいことであると同時に、興行的にみてもリスクを伴うものと言えるわけです。

ですからサロンでショパンが演奏されていたら、「ごく一般的」のサロンであると言えますし、その場所がヨーロッパなくても成立いたしますが、フランクが演奏されるサロンはヨーロッパ以外にありえない。ヨーロッパ世界の晦渋さと迷宮が、このフランクの曲で象徴されているわけです。

ちなみに、このフランクの曲は、ジュネーヴのサロンで演奏されるだけではありません。一種の映画音楽としてピアノの演奏シーンのないところでも流されています。
例えば、妻の実家に向けてヨーロッパをドライブしているシーンで、このフランクの曲が流されるわけ。

オイオイ?!
これはムチャクチャですよ!

太陽の光を浴びながらオープンカーでドライブしているシーンに、どうしてフランクの重苦しい晦渋な曲が流れるの?
もっと「軽い」音楽の方がいいに決まっていますよね?別にクラシック音楽でなくてもいいわけだし。だって、たかがドライブの時の伴奏音楽でしょ?
フランクの曲なんて、一番「場違い」の曲ですよ!
まだ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の方が景気いいというもの。

しかし、このような「場違い」によって、これから起こり行く「重苦しく」「晦渋」なドラマを予感させているわけ。
ヨーロッパの精神世界の迷宮に向かって、「堕ちていく」メタファーといえるわけです。

ここで、ちょっとクラシック音楽から離れてみましょう。

この作品を理解するためのチェックポイントのひとつとして、アメリカ人の男性はいつも「8mmカメラ」を持っているというのがあります。まあ、この作品は、65年の古い作品(モノクロ)なので、今のように「8mmヴィデオ」というわけにはいかない。またこの夫婦はたいそうブルジョワなので、写真を撮るだけの「ただのカメラ」でもないわけ。「65年当時の8mmカメラ」なんですね。

ご主人はイタリアの珍しい「観光地」を、その「8mmカメラ」で一生懸命撮っている。
おお!まさに一時代前の典型的アメリカ人観光客ですね。今日の映画制作において、このカメラを手放さない観光客の役回りが、アメリカ人から別の国の人に変更されているのは、皆さんもご存知のとおり。

しかし、さすがに、妻のイタリア人はそんなことはしない。もともと自分の故郷なんだし・・・名家の育ちだし、今更ね。

エトルリア時代の遺跡を見ても、それを「観光地」と捉えて、「フィルムに収めて満足する」アメリカ人と、「過去の世界」に思いをはせるイタリア人。
アメリカ人の必須アイテムの「8mmカメラ」によって、この対比が明確に表現されているわけです。

また別のチェックポイントとして、そのイタリア人の妻が部屋のドアを開けるシーンがあります。そのシチュエーションが実に多いわけ。そんなことを書くと、
「今更、人間が『部屋のドアを開けるシーン』が映画的に見て意味があるのか?」
と疑問を持たれる方も多いでしょう?

ヴィスコンティ監督の「熊座の淡き星影」では、「部屋のドアを開ける」という行為は、過去を解き明かす・・・あるいは、「心の迷宮に分け入る」・・ということのメタファーになっているわけです。

だから、「部屋のドア」を開けるのは、常にイタリア人の妻の方で、アメリカ人の夫ではないわけ。アメリカ人は「積み重なる過去の問題」や「心の迷宮」などに分け入る気持ちはさらさらないというわけです。

イタリア人は・・・いやヨーロッパ人は、「過去の迷宮」に入らざるを得ない。まさに妄執に執りつかれたように、部屋へ部屋へと入り込んでいきます。さながら「青ひげ公」におけるユーディットのように・・・

ドアを開け、部屋に入っていくとそこから立ち上る毒に「魅了され」次々と、他の部屋に入っていくことになる。いわば「毒が毒を呼ぶ」状態。
こうして、イタリア人の妻は多くの部屋のドアを次々開けていき、その迷宮から逃れられなくなっていくわけです。

このようにヨーロッパ人は過去にとらわれている。しかし、ヨーロッパ人すべてが過去にとらわれているわけではありません。
やっぱり過去などにこだわらない人も多くいる。
この作品で、ジラルディーノというオヤジが登場しています。この姉弟は、そのオヤジさんをやたら嫌っている。映画の中では、自分たちの父親の非業の死に関係があると思っていることになっています。
しかし、本当かな?
このジラルディーノはそんなに悪い人なの?

そうでもないんですね。このジラルディーノのキャラクターについては、実に上手に描かれています。
アメリカ人の夫が主催した晩餐の席でのこと。
ジラルディーノは料理に手をつけ、その後で料理に粉チーズをかけ、ソースのような調味料もかけている。

今の日本では、このような食べ方を的確に表現する言葉があります。
「汁だく」という言葉。
そんな食べ方は、お世辞にも上品な食べ方とはいえないでしょ?
しかし、「汁だく」愛好家が権謀術数をめぐらす悪人である例はないでしょう。

このあたりのキャラクター描写は、それこそ「山猫」において、わざわざ「場違い」な、「椿姫」の音楽を演奏した農民出身のオルガン奏者と、描写の雰囲気が共通しています。
そんな人たちは、つまらない人かもしれませんが、決して「悪い人」ではないでしょ?

そんなこと、その姉弟くらいの知性があれば、スグにわかることです。
つまりこの姉弟が抱いているジラルディーノへの反感は、「過去を軽んじる」ものへの反感なんですね。

ジラルディーノは良くも悪くも「前向きに生きる人」。だからアメリカ人の夫とも話があう。
しかし、「過去にこだわる」キャラクターを持つ人間、たとえば、この映画における姉弟にしてみれば、軽蔑すべき存在に写る。
いわば、ソフォクレスの「エレクトラ」におけるクリテムネストラの役回りは、このジラルディーノが担っているといえるでしょう。「本来は自分たちの過去にこだわり、その遺産を受け継ぐべきイタリア人のクセに、どうしてそんなに過去を捨ててしまっているのか?」そのような近親憎悪的な反感があるわけ。

ご存知のように、ソフォクレスの「エレクトラ」を、ホフマンスタールが翻案した戯曲もあります。ホフマンスタール版の方は、エレクトラが過去にこだわる女性で、クリテムネストラが過去を忘れる女性というキャラクターの対比の作品でした。「本来は、あの人も、自分と同じように過去に拘るべきなのに・・・」そう思うからこそ、エレクトラがクリテムネストラへ寄せる憎悪は深まるわけです。

姉弟は過去にこだわるがゆえに、結びつく。過去を忘れないという尊厳ゆえに結びつくわけ。その姉弟をイタリア人女優と、フランス人俳優が演じているのは、全くの偶然とはいえないでしょう。
フランスという国もイタリアという国も、同じ祖先を持つものですからね。

ヴィスコンティのような「迷宮に満ちたヨーロッパ」という考えは、今現存している映画作家ですと、ラース・フォン・トリアーが一番です。ラース・「フォン」・トリアーとルキノ・「ヴィスコンティ」。まさに迷宮に満ちた宮廷政治の後継者というわけですね。

彼らは、アメリカのすがすがしい清潔さの価値を認めながら、毒に満ち満ちたヨーロッパを愛しているわけです。フォン・トリアーもヴィスコンティもアメリカ人の単純さを軽蔑している・・・ヴィスコンティが見つめる「過去を持たぬもの」と「芳醇な過去」を持つものの対比の構図は、63年の「山猫」や、この「熊座の淡き星影」以降に顕著に現れてきます。

ちなみに、この「熊座の淡き星影」はヴィスコンティ唯一のミステリーなんだそうな・・・
この作品で、この「姉弟の過去に何があったか?」とか「姉弟の父親の殺害したものは誰か?」ということについて真実は最後まで明らかにされません。だってそんなことはどうでもいいことなんですからね。

過去に何か事件があって、謎が謎を呼ぶ、それで十分なんです。事件の内容が重要なのではない・・・解決されていない謎が存在する・・・そのことが重要なんですね。

つまり最大のミステリーはヨーロッパの精神世界そのものと言えるわけです。
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-09/03-9-23.htm


24. 2014年1月12日 12:32:27 : 2D6PkBxKqI

ダンサー・イン・ザ・ダーク
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1145854
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1145942
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146010
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1151705
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146139

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146197
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146237
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146419
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146549
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1150997


制作 00年 デンマーク

監督 ラース・フォン・トリアー

使用された音楽 ワーグナー「ニーベルングの指環」  (無光での冒頭という形で)

使用された意図 ヨーロッパの聖と毒

このメールマガジン「映画の中のクラシック音楽」では、以前にアニメの「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版における音楽の使用の意図を考えました。そして、そこでの引用方法は「無音」という形での引用でした。

5分間の実質的な無音部分を作り、これを強調することで、マーラーの交響曲第2番を引用していたわけ。


今回のラース・フォン・トリアー監督の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では「無音」ではなく、「無光」というスタイルでの引用です。

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、劇場版においては、スクリーンに何も写っていない状態から、静かに音楽が立ち上ってくるわけです。

言うまでもなく、このような冒頭はワーグナーの舞台祭典劇の「ニーベルングの指環」の第1作目、つまり序夜の「ラインの黄金」の冒頭部分と同じです。

ちなみに、このような手法は劇場でしか使えませんね。

家庭内での鑑賞を前提としたヴィデオとかDVDで、このような真っ暗な中から音楽が立ち上ってくる・・・ということは不可能ですからね。

家庭内の照明は、映画の監督が指示できるものではありません。ヘタをすれば、「これは不良品だ!」などと、せっかちな人からクレームがついたり、ヴィデオの早送りでさっさと処理されるのがオチでしょう。

ということで、劇場版では無光だったのが、ヴィデオ版では単純な映像がついています。

しかし、冒頭の音楽そのものは、弦楽器の低い音にホルンが絡んでくる・・・という音響で、音響そのものも「ラインの黄金」と同じですね。

逆に言うと、監督が劇場のライトを指定できる劇場版においては、ヴィデオ版とは違った表現をしているわけ。その部分にこだわりがないのなら、劇場版でも、ヴィデオ版と同じように、単純な映像をつけるでしょう。

フォン・トリアーは、あえて、光のない劇場から、音響が立ち上ってくるという状況を作り出しているわけです。

ということで、ラース・フォン・トリアー監督は、意識的にワーグナーを引用しているわけです。

ラース・フォン・トリアー監督は重症のワグネリアンですよね。
「タンホイザー」の音楽は、確か別の作品でも使っています。

では、彼にとってワーグナーの音楽とは何でしょうか?

それは「聖」と「毒」の絡み合った世界ということなんだろうと思います。

実際に、ワーグナーの音楽には「毒」がありますよね?
モーツァルトとかベートーヴェンの音楽には「毒」なんてなく、「聖」なるものしかありませんよ。モーツァルトもベートーヴェンも、いっそのことドビュッシーもウェーベルンも、その音楽を毒々しいとはいえないでしょ?

そして、ワーグナーの音楽には「聖」なるものもたっぷりありますよね?
劇音楽らしい、作られた「聖」と言えるのかもしれませんが、「毒」と一緒に存在することによって、「聖」の部分も、より一層際立つといえるんだと思います。

このように、「聖」と「毒」が一緒にあるために、「ワグネリアン」なるワーグナー信者が生まれ、社会に多大な影響を与えることになる。
「聖」なるものだけでは、人を惑わすことはできませんし、「毒」だけでも無視されちゃいますよ。

この「聖」と「毒」が一緒に存在する世界・・・

このようなワーグナーの世界は、ある意味において、ヨーロッパの精神世界そのものと言えるでしょう。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じラース・フォン・トリアー監督の「キングダム」という作品の冒頭のモノローグは「この魑魅魍魎の渦巻く沼地の上に建てられた、近代科学の粋を集めた病院」という言葉でしたが、この言葉はヨーロッパの精神の比喩そのものでしょ?

「神」による「聖」なるもの、それに対する「毒」、あるいは「近代科学」・・・すべてあってこそヨーロッパと言えるのだとフォン・トリアー監督は考えているようですね。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の冒頭の、全く光のない劇場に弦楽器とホルンによって立ち上ってくる音響は、ワーグナーの引用であり、この映画が「聖なるもの」と「毒々しいもの」を含んだ「ヨーロッパの精神」をテーマにした作品であることを聴き手?に印象つけるわけです。

しかし、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に舞台はアメリカですよね?
主人公のセルマはチェコからの移民ですが・・・

つまり、この作品の設定は、「アメリカの中のヨーロッパ人」そして「アメリカ文化?の中のヨーロッパ精神」になっているわけです。

「ニーベルングの指環」を使って観客にワーグナー・・・ひいてはヨーロッパ精神を印象つけたフォン・トリアー監督ですが、別の音楽も引用しています。

クラシック音楽ではありませんが、皆さん御存知の音楽であるミュージカルの「サウンド・オヴ・ミュージック」です。主人公のセルマが映画作品中で上演の練習をいたします。一種の劇中劇となっているわけ。

この「サウンド・オヴ・ミュージック」という作品は、皆さん御存知のとおり、ナチスに反対しヨーロッパを逃れ、アメリカに渡ったフォン・トラップファミリーの話。

ヨーロッパとアメリカの対立?というテーマがここでも喚起されているわけです。

先ほど書きましたが、ヨーロッパには「聖」と「毒」がある。少なくともフォン・トリアー監督はそう考えているようです。


では、アメリカ精神には何があるの?

それは「正義」と「悪」ですね。
アメリカにはこの世を越えた「聖」はなくても、この世の規範である「正義」はあるでしょ?

自らを蝕む「毒」はない代わりに、他者を裁く「悪」がある。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、そのようなヨーロッパの「聖」と「毒」が明確に描かれています。

「聖」なるものの代表例は言うまでもなく、教会です。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では不思議なくらいに教会が出てこない。
共産圏から移住してきたセルマが教会に行かないのは、分からないでもありませんが、その他の人が教会に行くシーンもありません。

これが単に映画の尺の関係ではないことは、刑務所での死刑の場面を思い起こせばスグわかります。

通常このような死刑のシーンにつきものの、聖職者(牧師とか神父)がいないでしょ?

映画における普通の死刑のシーンでは、刑の執行される前に聖職者と会話するシーンがつきものです。一番感動するシーンですからね。では、どうしてないの?

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、このような「聖」を思い起こすような人物は注意深く避けられているわけです。

キリスト教関係でいうと、セルマが刑務所のダクトから聞こえる賛美歌と、囚人の部屋にある1枚のキリストの肖像くらいです。

ダクトから聞こえる賛美歌・・・この賛美歌は一体どこから聞こえるのでしょうか?


他の人には聞こえない賛美歌・・・

セルマの心にしか聞こえない音楽・・・

これはヨーロッパから聞こえる・・・

と言えるでしょう。勿論、物理的には無理ですが、心では聴こえているわけ。

つまり賛美歌を喜んで聴くセルマにもかかわらず、死刑において神父の立会いもない・・・

これくらいアメリカには「聖」から距離がある・・・とフォン・トリアー監督は言っているわけです。

では、ヨーロッパの「毒」とは?

それはまさにこの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、遺伝性の病気として示されているわけです。

「遺伝することがわかっているのに、何故に子供を作ったのか?」という疑問は、「毒に満ちて閉塞感の漂うヨーロッパ文化を伝承することに、価値や意味があるのか?」という、監督のフォン・トリアーの自問でもあるわけです。

毒に満ちた文化を伝承することによって、その「毒」も伝承される。

その価値と覚悟・・・

それがラース・フォン・トリアー監督が、この作品で言いたかったことでしょう。

ヨーロッパの持っている出口のない状況と、未来一杯のアメリカ。
シリアスなヨーロッパの表現と、能天気なミュージカル仕立てのアメリカ風表現。

精神主義のヨーロッパと、商業主義から抜け出せないアメリカ家族。
約束を守るヨーロッパ人と、約束を無視するアメリカ家族。

勿論のこと、映画の中での区分けですので随分ステレオタイプな分け方ですが、この作品においての、ヨーロッパとアメリカとの切り分けはこのようなところです。

例の事件のあった家族の庭に星条旗がはためいているのは偶然ではないわけ。
あの家族がアメリカ人の典型だ!とフォン・トリアー監督は言っているわけです。

あるいは、あの家における知性の欠落は、本棚を見ればスグわかるようになっています。
何かの全集ものがキレイに並んでいるんですね。
本棚の本がズラーと並んでいて、外見上もキレイなのは、本を読んでいない証拠。
これは映画上ではよくある表現です。

勿論、アメリカ人にも善意はありますよ。問題はそれ以外の部分ですね。

そうそう、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という作品は「息子を守る母の強い愛!!!」とかのキャッチコピーで宣伝されましたが、今まで書いてきたように、フォン・トリアー監督の意図は別のところなんでしょう。

ただ主役を演じたビョークにしてみれば、やっぱり「母の愛」の方が興味があったでしょうね。フォン・トリアー監督とビョークは、撮影中に随分ぶつかったそうですが・・・

まあ、映画作品は監督の思惑どおりに行き過ぎると面白くない面もあったりします。

特にフォン・トリアー監督はちょっと「頭」で映画を作るようなところもありますしね、他の作品などに見え隠れします。

また、この作品ではカトリーヌ・ドヌーヴ演じるキャシーがいい効果を生んでいます。

作品中ではこのキャシーがどこの国から来たのか?

生粋のアメリカ人なのか?

示されてはいません。いわば、すべての国の人と言うことなんでしょう。

彼女は観客の代弁者なんですね。
映画を見ている観客が思っていることを、その都度、観客の代わりに映画の中で言っているわけです。

ヘンな話、ドヌーヴ演じるキャシーなんていなくても、ドラマの上では問題はないわけです。
そもそもキャシーなんて名前は、ドヌーヴの名前カトリーヌを英語読みしただけでしょ?

ただ、観客の代弁者が常にスクリーンでがんばっているので、観客はドラマに入りやすい。
俗に言う「オイシイ」役と言えますよね。

というわけで、フォン・トリアー監督の割には、観客に配慮している作品と言えます。まあ、だからヒットしたんでしょう。

ただ、フォン・トリアー監督がワーグナーのオペラや「サウンド・オヴ・ミュージック」を引用したり、あるいは「聖なるものの象徴としての教会」を排除してドラマを作っている意味も考えると、「母の愛」以外の面も見えてくるわけです。

まあ、フォン・トリアー監督がアメリカの単純さに距離を置く人であることは明白ですね。

まあ、「あんなに単純で生きられたらラクだろうなぁ・・・」と思っているのかな?
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-12/03-12-16.htm


25. 2014年1月12日 12:37:25 : 2D6PkBxKqI

NO と言えないアメリカ人_・http://amezor-iv.net/shisou/131216002631.html

26. 中川隆 2015年1月16日 23:41:10 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

アメリカ生まれの天才演奏家は

ギラ・ブスタボ(Guila Bustabo, 1916年 2月25日 - 2002年 4月27日)

一人だけでしょうか:


BUSTABO - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=BUSTABO


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
Vn:Giulia Bustabo
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16733389
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16837181
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16837202

アメリカはウィスコンシン州の生まれ。生年には1918年とする説もあるらしい。

父親はイタリア人で母親はチェコ人であった。

神童であった彼女は3歳頃からヴァイオリンを手にし、5歳の時にシカゴ音楽大学に入学し、レオン・ザメティーニ(イザイ門下)にヴァイオリンを教わった。

1929年ニューヨークでヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏したが、これが縁となって、ルイス・パーシンガー門下となる。

1931年に、パーシンガーの伴奏でリサイタルを開いたが、聴衆の中にはクライスラーやトスカニーニなどが混じっていた。

1934年に、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏し、大成功を収め、翌年、彼女はクライスラーから、彼自身が選び出した1736年製のグァルネリ・デル・ジェスを贈られる。

この頃から国際的に活躍するようになり、パリでフバイやエネスコのマスター・クラスに参加したり、オーストラリアや、スカンジナヴィアの方まで演奏旅行をしたりした。

第二次世界大戦中は、北イタリアとドイツで活発な演奏活動を繰り広げ、ドイツ占領下のアムステルダムでメンゲルベルグと共演したり、1944年にヴォルフ=フェラーリのヴァイオリン協奏曲を、オズワルド・カバスタ率いるミュンヘン・フィルと共に初演したりしている。

戦後はヨーロッパ大陸に活動を制限された。1964年、オーストリアのインスブルック音楽院で教鞭をとるようになり、1972年教授に昇進。1978年退官後は、アメリカのアラバマ州で隠遁。
http://www.fstrings.com/player/detail.asp?id=98


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲、パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番より第1楽章、サラサーテ、ファリャ、スーク、メンデルスゾーン、ショパン、ドヴォジャーク/グィラ・ブスターボ(vn)、他 [A Classical Record ACR 371/2]

天才美少女ヴァイオリニストとして第2次世界大戦前に爆発的な人気を誇つたブスターボの主要な録音を集成した稀少盤。

1935年から1941年までのコロムビア全録音が復刻されてをり、2枚組の1枚目はツァウン指揮のベルリン州立管弦楽団とのシベリウスとパガニーニの協奏曲と小品7曲が収録されてゐる。

シベリウスが凄まじい。濃密なボウイングとヴィブラートを用ゐ、燃え尽きて仕舞ひさうなエスプレッシーヴォで一気呵成に弾き切る。

激しいアタック、自在なリズム、妖艶な音色は神童メニューインと好一対を成す。

シベリウスの抒情とは無縁だが、魔術的なヌヴー盤と並ぶ不世出の名演だ。


パガニーニはウィルヘルミ編曲版による演奏で感興が落ちる。
ブスターボも冴えない。

小品は全て感情が閃光のやうに煌めく情熱的な演奏ばかりだ。

スークではヌヴー盤を凌ぐ強烈な乱舞を聴かせて呉れる。

サラサーテにおける曲藝の面白みやメンデルスゾーンやドヴォジャークで聴かせるむず痒い官能の疼きは、悉くヴァイオリンの悪魔的な魅力を引き出してゐる。

迷ひがなく自信に充ちた演奏からは妖気が漂ひ、聴く者をセイレーンの如く幻惑する。(2008.5.3)

ヴォルフ=フェラーリ:ヴァイオリン協奏曲、ヌッシオ:ヴァイオリン協奏曲、ルビンシテイン、ドビュッシー、クライスラー、ノヴァーチェク、パガニーニ/グィラ・ブスターボ(vn)、他 [A Classical Record ACR 371/2]

再びブスターボを聴く。2枚組の2枚目。
ブスターボのSP録音全復刻とライヴ録音による協奏曲2曲を収録した当盤は、1200枚の限定生産でそれぞれにスタンパーが押してある稀少品だ。

戦前のブスターボが放つ魅力は汲めども尽きない。

濃密なルビンシテイン、蠱惑的なクライスラー、燃え尽きて仕舞ひさうなノヴァーチェク、情熱的な焔を燃やし、挑発的な媚態を振り撒く演奏には魂を抜かれさうになる。

ブスターボに献呈、初演されたヴォルフ=フェラーリの協奏曲は名刺代はりと云へる十八番で決定的な名演である。

抒情的な第1楽章と第2楽章で聴かせる身を焦すやうなエスプレッシーヴォ、渾身の舞踏を聴かせる第3楽章の生命力と閃き、ブスターボの録音があれば他は一切不要だ。

楽曲が宝石のやうに輝いて聴こえるのだから。名匠ケンペの指揮も万全だ。

作曲者の指揮によるヌッシオの協奏曲はプロコフィエフを想起させる手堅い曲だ。これも激しい集中力で聴く者を圧倒する名演だ。(2008.6.6)
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html


27. 中川隆 2015年1月17日 00:14:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

グィラ・ブスタボ ブルッフ ヴァイオリン協奏曲1番

メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
https://www.youtube.com/watch?v=SCisxcO49Rg
https://www.youtube.com/watch?v=Cx13B-sVxO4

久しぶりに聴くブスタボのブルッフに学生時代に味わった感動が甦り、名演の多いこの作品の頂点に立つ演奏であることを、数十年ぶりに再確認した。

それにしても、メンゲルベルクのきびきびとした指揮ぶりも実に素晴らしい。

第2楽章はオーケストラ、独奏提琴ともにポルタメントも効果的に使い、決して時代がかった演奏には聴こえない。

ブスタボ独特の色気と激しい情念がこれほどまでに高貴な表現となったのはメンゲルベルクのサジェスチョンが大きかったのだらう。

その2楽章が終わったところで大きな拍手が起こるのも頷ける。

全楽章終了時には会場からブラヴォーの声が聞かれる。

現在ではブラヴォーは普通に発せられてゐるが、フルトヴェングラーやメンゲルベルクのライブ録音ではあまり聞かない。明らかに独奏者、ブスタボに向け発せられたものであらう。
http://blog.goo.ne.jp/tenten_family6/e/90280a8efeeac64af4743d5b8090c554

アメリカ往年の名ヴァイオリニストだったギラ・ブスタボの第二次世界大戦中の録音。

このCDがリリースされた頃、まだブスタボは健在だったが、このCDの他にはA Classical Recordsが過去の録音を集成して販売した程度しかなかった。

彼女の演奏活動の低迷は、主にこの時期の演奏活動の政治的問題が関係する。

ルイス・パーシンガー門下としてイェフディ・メニューイン、ルッジェーロ・リッチらと共に天才の触れ込みで売り出されたブスタボは、教育ママの強引なマネージメントで政情不安定なヨーロッパで演奏活動を展開し、そのまま第二次世界大戦中もヨーロッパに留まることとなった。

戦後すぐにパリで進駐軍によって捕縛されたブスタボは、戦中にナチス統治下の国々で行った演奏活動が問題視され、非ナチ化裁判にかけられてしまった。このため、アメリカでのキャリア形成が難しくなり、1960年代にインスブルック音楽院で教鞭を取るものの、躁鬱病を発症するなど苦難の多い人生行路を歩まなければならなかったという。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E3%83%8B%E9%95%B7%E8%AA%BF-%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%9C-%E3%82%B0%E3%82%A3%E3%83%A9/dp/B000UVAM0W

戦時中に第3帝国統治下のベルリンで活躍してカリスマ的な人気を誇り、戦後は実質的にキャリアを「抹殺」された天才美少女ヴァイオリニスト、ギラ・ブスタボの初出放送音源もある。

しかもブラームスのコンチェルトが含まれている!

ブスタボのシベリウス、ブルッフの超絶的名演に魅了されたことのある愛好家で、ああ彼女のブラームスが残っていればと無念の涙を呑んだことのないひとはいまい。

それが出てきた。いま手元にディスクがたしかにあるのだが、まだ信じられず、なかなかきく決心がつかない。きくのがある意味恐ろしい。夢は夢である方がいい場合もあるからだ。
http://blog.livedoor.jp/thetatoshi/archives/7078723.html


28. 中川隆 2015年1月17日 00:38:39 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

参考

Sibelius Violin Concerto

performed by Ginette Neveu (Vn) and the Philharmonia Orchestra conducted by Walter Süsskind
Recorded at Studio No 1, Abbey Road, London 21 November 1946

https://www.youtube.com/watch?v=lH4-hhcggfs
https://www.youtube.com/watch?v=kzBJOmm7EIQ

https://www.youtube.com/watch?v=7Oy24SIvesg
https://www.youtube.com/watch?v=qxDORUqwr7Q
https://www.youtube.com/watch?v=YO_STEhcgow


29. 2015年1月17日 01:12:08 : b5JdkWvGxs

参考2

シベリウス: ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 ムター / プレヴィン

アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン) 1995年5月
アンドレ・プレヴィン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

https://www.youtube.com/watch?v=p8V6wscQyLY
https://www.youtube.com/watch?v=-u7NHx5CP74


30. 中川隆 2015年1月17日 01:22:17 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

参考3

シベリウス: ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 チョン・キョンファ / プレヴィン
チョン・キョンファ(ヴァイオリン) 1970年 6月
アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

https://www.youtube.com/watch?v=jSl0qf8lpKI

Kyung Wha Chung Live Direct 16/05/1973
Sibelius Macal Zdenek Orchestre National de L'ORTF

https://www.youtube.com/watch?v=1TuDVhJi9Ec
https://www.youtube.com/watch?v=tG9qyNRUl2U
https://www.youtube.com/watch?v=F2vex6l_pnQ
https://www.youtube.com/watch?v=IMpUul_Htrg



31. 中川隆 2015年1月17日 01:31:16 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

参考4

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 Op.47
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn) ワルター・ヘンドル/シカゴ交響楽団 1959
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20392026
https://www.youtube.com/watch?v=QpPYat2aRB4

Jascha Heifetz, violin
New York Philharmonic
Dimitri Mitropoulos, conductor
New York, 13.III.1951
https://www.youtube.com/watch?v=ixEberxZfUY
https://www.youtube.com/watch?v=jB-JyGRpo9I
https://www.youtube.com/watch?v=PYW_Xde9uLw

Jascha Heifetz, violinist
Sir Thomas Beecham, London Philharmonic
Recorded November 26, 1935
https://www.youtube.com/watch?v=-yvy9lS5DC4


32. 2015年1月17日 14:46:00 : b5JdkWvGxs
参考5

シベリウス ヴァイオリン協奏曲
Hiliry Hahn, violin
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Lorin Maazel, conductor
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20492615
https://www.youtube.com/watch?v=GX-240cNDIk

Hilary Hahn playing Sibelius with the Vienna Philharmonic
25th of may 2013
https://www.youtube.com/watch?v=jDVU-MG-dDU


33. 2015年1月17日 15:02:08 : b5JdkWvGxs

参考6

Camilla Wicks Sibelius Violin Concerto

- Orchestra: Stockholm Radio Symphony Orchestra
- Conductor: Sixten Ehrling
- Soloist: Camilla Wicks
- Year of recording: 1952
https://www.youtube.com/watch?v=_Jgd0JUg4eU

https://www.youtube.com/watch?v=oEEStY8gBco&list=PL2Ed_NT-N4QOQgcdXGzi7oaQgE02j2WxN


34. 2015年1月17日 15:15:23 : b5JdkWvGxs

参考7

Anja IGNATIUS

Violin koncert D-moll op.47 composer Jean SIBELIUS
Orchestra symph.Berlin conduc. Prof. Armus Jaerneff
https://www.youtube.com/watch?v=MRq7cD2Ybpg

Sibelius Violin Concerto - Ignatius/Järnefelt
Recorded in 1943. Armas Järnefelt (Sibelius' brother-in-law) conducts
Städtisches Orkester Berlin.
https://www.youtube.com/watch?v=gMuMKG2b6IE

シベリウスの協奏曲は女流奏者に名演が多い。

フィンランド生まれのイグナティウスによる名盤は血統からしても最上位を競ふ感動的な名演だ。

ブリザードのやうなヌヴーの演奏と比べると、線の細い冷ややかな音色と繊細で高貴な音楽運びが北欧の抒情を醸し出してをり、作曲家の精神により近い演奏だ。

イェルネフェルトの伴奏も巧くはないが、シベリウスへの敬愛が感じられ好感が持てる。圧倒的な説得力を持つ演奏ではないが、総じて作品との齟齬が少なく、代表的な名盤としてお薦めしたい。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html



35. 2015年1月17日 15:24:37 : b5JdkWvGxs

シベリウスの協奏曲の名盤はブスターボ、イグナティウス、ヌヴー、そしてウィックスと女流奏者ばかりで、男で挙げるならハイフェッツくらゐであらう。

これらの中ではウィックス盤が録音状態が最も良く、何よりもエールリンクが指揮による管弦楽伴奏が立派だ。

その他の演奏は指揮者が良くないことが致命的で、管弦楽伴奏が非常に拙かつた。


ウィックスは北欧やロシアの作曲家を得意としてをり、作曲家自身から絶讃されたシベリウスは十八番である。曲想との齟齬がなく、総合的に推薦出来るのはウィックス盤だ。

ウィックスのヴァイオリンは技巧に頼らず、情緒的で激しい感情と濃厚な歌心が特徴である。


ウィックスは戦後に活躍した奏者でありながら、録音が極端に少なく、シベリウスの協奏曲の伝説的な名盤で知られてゐたに過ぎない。

米国生まれながらノルウェー人の血を受け継ぐウィックスは北欧の音楽に共鳴し、英國やロシアの曲に親和した。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html


36. 2015年1月17日 15:39:30 : b5JdkWvGxs

参考8

諏訪内晶子 Sibelius : Violin Concerto in D minor op.47
https://www.youtube.com/watch?v=3w7Mzcnk9Zg


Akiko Suwanai , Violin
Sakari Oramo , Conductor
City of Birmingham Symphony Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=gUavE6ct0eU


37. 2015年1月17日 16:02:36 : b5JdkWvGxs

参考9

Christian Ferras J. Sibelius Violin Concerto op.47 in D minör


Christian Ferras, violin
Zubin Mehta as conductor and Orchestre National de ORTF as the orchestra.
This was filmed at the ORTF in Paris on 26 May 1965.
https://www.youtube.com/watch?v=vJingJOePqo


Sibelius - Violin concerto - Ferras / Cleveland / Szell live
Christian Ferras
Cleveland Orchestra
George Szell
Live recording, Cleveland 9-11.XII.1965
https://www.youtube.com/watch?v=1NMnaakv0k0

Violin Concerto in D minor, Op. 47
Composer: Jean Sibelius
Soloist: Christian Ferras
Conductor: Herbert Von Karajan
Orchestra: Berliner Philharmoniker
https://www.youtube.com/watch?v=yxv8ERDs828&list=PL2VWNzWWKmUu0LWzpdN77eC-TePcHTHAm&index=1
https://www.youtube.com/watch?v=gI8nrj6K0mk&index=2&list=PL2VWNzWWKmUu0LWzpdN77eC-TePcHTHAm
https://www.youtube.com/watch?v=H0m9UJgXDh4&list=PL2VWNzWWKmUu0LWzpdN77eC-TePcHTHAm&index=3


38. 2015年1月17日 16:23:25 : b5JdkWvGxs

参考10


Kulenkampff and Furtwangler: Sibelius Violin Concerto (1943 Live)
https://www.youtube.com/watch?v=J1aYRXcZBWs

https://www.youtube.com/watch?v=g9Mut40qaIo
https://www.youtube.com/watch?v=SWhfeadIXFw
https://www.youtube.com/watch?v=B1-n3wI1kQ4


39. 2015年1月17日 17:00:48 : b5JdkWvGxs

参考11

David Oistrakh - Sibelius - Violin Concerto in D minor - Rozhdestvensky
Moscow Radio Symphony Orchestra
Gennady Rozhdestvensky, conductor
https://www.youtube.com/watch?v=69Z41EOeGs4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19789602


40. 2015年1月17日 17:03:18 : b5JdkWvGxs

参考12

Henryk Szeryng and Gennardi Roshdestvensky Dirigent Sibelius, Violin Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=gzSrfLRVZZ0


41. 2015年1月17日 17:46:39 : b5JdkWvGxs

YouTube をダウンロードする方法
http://www.dvdvideosoft.com/jp/products/dvd/Free-YouTube-Download.htm#.UraNBJ2Cimx

42. 2015年1月17日 21:57:39 : b5JdkWvGxs

David Oistrakh 追加


David Oistrakh - Sibelius - Violin Concerto - Ehrling
Stockholm Festival Orchestra
Sixten Ehrling
Stockholm, June 1954
https://www.youtube.com/watch?v=Ls5lrkAW018


David Oistrakh Sibelius - Violin concerto
The Philadelphia Orchestra
Eugene Ormandy
Studio recording, Philadelphia 26.XII.1959
https://www.youtube.com/watch?v=M-P183jzdfw


Sibelius / D Oistrakh, 1967: Violin Concerto in D Minor, Op. 47
G Rozhdestvensky
https://www.youtube.com/watch?v=lMAPtP6es4c



43. 2015年1月17日 22:05:00 : b5JdkWvGxs

参考13

Isaac Stern

Sibelius-Violin Concerto in d minor op. 47
Isaac Stern: violin-Philadelphia Orchestra_Eugene Ormandy: conductor-1969
https://www.youtube.com/watch?v=7RlWpa8Ggx4


Sibelius / Isaac Stern, 1951: Violin Concerto in D Minor, Op. 47 - Complete - Original Columbia LP
From the LP you see above, issued on the Columbia label in 1952, catalogue number ML 4550. Recorded 7-8 November 1951, Studio No. 1, Abbey Road, London. Isaac Stern, soloist.
https://www.youtube.com/watch?v=yh64Vex997I


Classic Archive - Isaac Stern - Sibelius
https://www.youtube.com/watch?v=t1y5Xv2CZTM
https://www.youtube.com/watch?v=gkGKfELOYzA&feature=youtu.be


44. 2015年1月17日 22:08:44 : b5JdkWvGxs

参考14

Zino Francescatti

Francescatti plays Sibelius violin concerto
https://www.youtube.com/watch?v=wOYuqiXe-64&list=PL00E2D0BF7EF5307E&index=1
https://www.youtube.com/watch?v=FGlxoQnNMeY&list=PL00E2D0BF7EF5307E&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=t6bKGWQ2_uc&index=3&list=PL00E2D0BF7EF5307E
https://www.youtube.com/watch?v=E1KRn70eZkc&index=4&list=PL00E2D0BF7EF5307E


45. 2015年1月17日 22:31:32 : b5JdkWvGxs

参考15

Gidon Kremer


シベリウス ヴァイオリン協奏曲
ギドン・クレーメル 
ルドルフ・ケンペ / ストックホルム・フィルハーモニー
1975年8月21日 フィンランディアホール
https://www.youtube.com/watch?v=7zJSFwu2hUA


ギドン・クレーメル(ヴァイオリン) 1982年 6月25, 26日
リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
Gidon Kremer / Riccardo Muti / Philharmonia Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=h1lDz19_nHY
https://www.youtube.com/watch?v=DASuq_tNbJ8

シベリウス/ヴァイオリン協奏曲/クレーメル
小澤征爾/ベルリン・フィル(1983 6 10)
https://www.youtube.com/watch?v=8wB9KcmkG0I


Sibelius Kremer Karajan
https://www.youtube.com/watch?v=EWpLhqzm2jk


46. 2015年1月17日 22:37:31 : b5JdkWvGxs

参考16

Maxim Vengerov


Sibelius Violin Concerto - Maxim Vengerov, Daniel Barenboim, Chicago S.O. (CSO)
Violon : Maxim Vengerov
Chef d'orchestre : Daniel Barenboim
Orchestre Symphonique de Chicago
https://www.youtube.com/watch?v=YsbrRAgv1b4
https://www.youtube.com/watch?v=sfU55NhBTaE



47. 2015年1月17日 23:03:25 : b5JdkWvGxs

参考17

Bruno Zwicker


Philharmonia Slavonica
Carlo Pantelli, conductor
Bruno Zwicker, violin
https://www.youtube.com/watch?v=K5WO-ovHrLM
https://www.youtube.com/watch?v=aIAIun-lEnE
https://www.youtube.com/watch?v=25Q0UNi8Cqw

演奏者名は一応書いてあるが、実在する名前かどうかは全く不明。

だけどシベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏はとんでもない名演で、神秘的なオーケストラをバックにして、実に情熱的なヴァイオリンが奏でられ、美しく感動的な演奏が繰り広げられます。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、チョン・キョンファを始めとしたいかなるヴァイオリニストも敵わない演奏をしてくれていると思います。
http://trefoglinefan.jugem.jp/?eid=173


シベリウスが名演で、ツヴィッカーの迸るような情熱で冒頭から圧倒されます。このような演奏を耳にすると、他の名のあるヴァイオリニストの演奏がいかにも冷めていて、楽器の音ばかりしてちっとも心に訴えるものがない。ツヴィッカーのヴァイオリンだけが、心に染み入ってく


 以前に拙ブログでツヴィッカーのシベリウスを取り上げたことがあるのですが、あるお方にご協力を頂き、ようやく見つけ出すことができました。とにかく凄い演奏ですので、シベリウスのヴァイオリン協奏曲は1にも2にも、まずこれを聴いて頂きたいと思います。

 ところで、ブルーノ・ツヴィッカーに関しては以下にいろいろな記述があるようです。興味のある方は是非ご覧ください。私だけでなくツヴィッカーのシベリウスを聴いた人は、いかにこの演奏に感銘を受けておられるのかが、よく分かると思います。
http://trefoglinefan.jugem.jp/?eid=940


謎のヴァイオリン奏者、ブルーノ・ツヴィッカー!!

何かの事情で覆面演奏家。指揮者・オケも同様。

PILZ盤(2枚組CD)。この盤は写真のように表紙にはシベリウスの表記無し。
この時点で謎めいています。

ツヴィッカーは一体、誰なのでしょうか?
この演奏は本当に激しく、また低音が強く聞こえてきて、シベリウスが述べたと言われる

「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」

が、見事にあてはまる演奏です。その鷲の目がキラリと光って、獲物を求めているような雰囲気というか怖ささえ感じます。

私はこの曲が好きで、相当数のCDを集めましたが、この演奏と一致したCDはありません。まだ買い求めていないCDに、覆面を脱いだ正体の演奏があるのでしょうか?。


「ツヴィッカー シベリウス」等で検索すると、私同様に、「ツヴィッカーは誰なんだ??」と捜している方が多いですね(^^;)。

本当に感動的な演奏です。
http://blog.goo.ne.jp/0326kaz/e/c46f729be3ae95e20a6af8e6968dde4b


48. 中川隆 2015年1月18日 00:53:02 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

ブルーノ・ツヴィッカーのを聴いてみましたが、何がいいのかさっぱりわかりませんでした。

音楽がわからない人というのは、こういう凡演の何処に感動するのかさっぱり見当が付かないですね。

結局、シベリウスのヴァイオリン協奏曲ではジネット・ヌヴー一つだけが飛び抜けた名演でした。

唯、古い録音なので、どの CD を聴くかで印象が大きく変わってきます。

お薦めは Opus蔵のものでしょうか。 ブスタボのも Opus蔵 に復刻して欲しいですね:


Opus蔵*cl* OPK2064
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%881865-1957%EF%BC%89_000000000021511/item_%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%9A%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E3%80%81%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%EF%BC%9A%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E3%80%81%E4%BB%96%E3%80%80%E3%83%8C%E3%83%B4%E3%83%BC_1231299


ヌヴーのシベリウスはやはり凄い(フランス盤SPより復刻)

【制作者より】
ノイズを徹底的に取る復刻が特にヨーロッパで流行でありますがどうも実在感の希薄な音になっているようです。

ノイズを取ったあと恐らくはイコライザーで弱くなった音を補って聞かせる復刻は演奏家の息使いを取り去ってしまいます。

ヌヴーもノイズの大きなイギリス盤でやらねばならないかと思っていましたら、レコード収集の名人がフランス盤を入手してくれました。恐らく他の復刻より実在感があると思います。

ブラームスの方が録音は新しいのですが、シベリウスの方が緻密な音が捉えられています。これは他の盤でも同様なので、元の録音に差があるものと考えられます。

 それにしても、シベリウスは名演です。SPでもこの弱音を再現できるのだということが実感できるものです。まだ活動を始めたばかりのフィルハーモニア管弦楽団ともども若さの勢いが感じられます。

 おまけに小品を2曲つけました。アンコールとしてお聴きください。(オーパス蔵代表 相原了)

良い復刻盤だ。ソロをズームアップしたような録音なので微かなニュアンスも聴き取れる生々しさが強みだ。

SP盤面の微妙なピッチのずれも巧みに修正されている。Duttonよりもノイズが目立つ分、音は生々しい。


49. 2015年1月18日 01:31:44 : b5JdkWvGxs

オーパス蔵 ホームページ
http://www.opuskura.com/index_j.htm


オーパス蔵の CD を聴けばわかりますが、SP復刻版の方がデジタル最新録音より楽器の音色が上手く再現できるのですね。


50. 中川隆 2015年1月18日 14:48:35 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

>SP復刻版の方がデジタル最新録音より楽器の音色が上手く再現できるのですね。


誤解されそうなのでもう少し解説しておきます。

デジタル最新録音はせいぜい原音を正確に再生するだけなのですね。

SP録音の場合には音のエッセンスだけを取り出して、原音より遥かにいい音として再生するのです。


スピーカーも同じで、

プロに一番高く評価されている B&W は単に原音を正確に再生するだけ

プロからゲテモノ扱いされている QUAD ESL57 や Sonus Faber は音のエッセンスだけを取り出して、原音より遥かにいい音として再生するのです:

B&W は音楽を聴く為のスピーカーではない _ Sonus Faber の傑作は ELECTA AMATOR 唯一つだけ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/206.html

ESL57 が似合う店 喫茶店 荻窪邪宗門 _ ESL57 と QUADU の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/214.html

現在・過去を通して、原音を遥かに上回る霊妙な音を奏でたスピーカーは QUAD ESL63 だけだが…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/216.html


51. 中川隆[6738] koaQ7Jey 2017年2月15日 21:40:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7199]

NHK交響楽団の首席指揮者に着任したパーヴォ・ヤルヴィがつい最近、ヒラリー・ハーンとの対談(@フランクフルト)でとても興味深いことを語っている

→動画(3分40秒あたりから)。
Interview mit Hilary Hahn und Paavo Järvi zum hr-Sinfoniekonzert am 21.3.14 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2GkpMeAsq54


「現在世界で未だにブルックナーの音楽が演奏され、愛されているのはドイツと日本だけ。

そして面白いことに日本でブルックナーを演奏すると、会場には男性客しかいないんだ!
ラヴェルとかチャイコフスキーなどロマンティックで美しい曲を演奏したら女性客や子どもたちが来てくれるんだけどね」

それに対してヒラリーは

「じゃあブルックナーは日本の成人男性のために作曲したのね!」だってさ。

特にアメリカでブルックナーは全く人気がなく、演奏される機会も滅多にない。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-470a.html


52. 中川隆[7668] koaQ7Jey 2017年4月11日 18:36:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8156]

トランプ大統領がシリアにミサイル攻撃した理由2017年4月11日


トランプ政権は完全に機能不全に陥っていた。法案は議会を通らず、政権内部は混乱している。トランプ大統領は何らかの打開策を見つけなければならない。この状況の原因となっている政策は何か? バノン氏やフリン氏の親ロシア政策である。ではその政策は政権にどのようなメリットをもたらしているのか?

大統領選挙の時からトランプ氏の演説を追っている読者があれば映像を覚えているかもしれないが、「他国の政権転覆をやめる」という主張は、トランプ氏の演説のなかで支持者からの反応が最も薄かった主張の一つである。

アメリカ国民とは、アメリカが「世界で最も偉大な正義の国」であると本当に信じている人々である。その彼らに「アメリカは他国の政権転覆をやめるべき」などと言えば、アメリカの歴史そのものが悪だと言うようなものである。


•ドナルド・トランプ氏は本当はアメリカが嫌いなのではないか?
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4076


だから、トランプ氏が演説でこの主張をしたときの支持者の反応は、賛同から程遠い当惑だった。

アメリカの政治介入は悪だったのか? 

イラク戦争は正義ではなかったのか? 

部外者から見れば何の正当性もないものが、アメリカ人には正当に映る。
彼らはそう教育されているのである。


何度も言うが、アメリカ人とは広島長崎への原爆投下が正義の行いだったと本気で信じている国民である。

個人の銃所有が治安向上のためになると全米ライフル協会が主張すればそれを信じ、

ブッシュ大統領のイラク侵略の口実となったイラクによる大量破壊兵器の所有が全くの嘘でたらめだったと明らかになっても気にさえ留めない、

政治的に非常に操作しやすい、頭の無い人々である。


だからこそトランプ氏は、政権転覆という表現よりも中東での軍事支出を減らすという主張に重点を置いた。「アメリカ人にとって正しいこと」は「世界にとって正しいこと」よりも先にあるものだと明確に述べた。上記で引用した通りである。


トランプ大統領の決断

親ロシア政策による利益とコストは明白だった。
政治的コストはあまりに大きく、利益はアメリカ国民にも議会にも理解されない。

そこでトランプ大統領が何を決断したのか、もう読者にもお分かりだろう。

彼の言う「世界にとって正しいこと」を選挙と議会における票のために犠牲にしたのである。

フリン氏は辞任させられ、そしてロイターによれば、トランプ政権内ではバノン氏の更迭が検討されているという。

トランプ政権内の反グローバリズムは風前の灯火である。


そしてシリア爆撃をアメリカ国民がどう捉えたかと言えば、トランプ大統領の支持者は言うまでもなく、彼に反対していたはずのリベラルのアメリカ国民でさえ、このミサイル攻撃を支持している。

CBSの世論調査(原文英語)によれば、共和党支持者のシリア爆撃支持率は84%、そしてトランプ大統領を毛嫌いする民主党支持者でさえ、40%が爆撃を支持しているという。

以前伝えたように、この爆撃の口実となったシリア政府による化学兵器の使用はシリア政府自身は否定しており、ロシアは「アメリカによるこのような大規模なミサイル攻撃は口実となった事件よりもかなり以前から準備を進める必要があったはずだ」と主張している。また、シリアの国営放送はアメリカによる攻撃で民間人が死亡したと主張している。


•米国トランプ政権がシリアをミサイル攻撃、各国の反応まとめ
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5987


個人的には状況の認識についてシリア側の見解にも西側諸国の見解にも与するつもりはない。しかし仮に西側諸国の言う通り、シリア側の化学兵器使用が事実であったとしても、全く関係のないアメリカがシリアにミサイルを打ち込む理由になると信じられるのは、西側諸国の教育を受けた人間だけである。

アメリカ人は諸手をあげて攻撃を支持している。
日本人は、どれだけの数がそれに同意出来るだろうか。


結論

第二次世界大戦における原爆投下を「戦争の早期終結に繋がり、結果的に多くの人命を救った」行為として正当化することを含め、アメリカ人は教えられれば何でも信じる人種である。

西洋はそうして戦争を行なってきた。

キリスト教の布教を理由に全く関係のない国々を植民地化し、戦後は「自由でオープンな価値観」の布教を理由に人殺しを行なってきたのである。

特にアメリカ人は政治家にとって御しやすい。

日本人やヨーロッパ人よりも単純であり、思想のコントロールが容易だからである。

トランプ氏はそこから外れた価値観を政治に持ち込もうとしたが、結局は有権者の理解がなければどうにもならない。要するに、誰が大統領になろうとも、アメリカ人は所詮アメリカ人だったということである。

ただ、トランプ大統領にとっても、これまでの主張をすべて覆すようなシリア爆撃を結論するのは容易ではなかったはずである。だからトランプ大統領の決断にはもう一つ重要な要因が必要となった。この点についてはまた別の記事で書きたいと思っている。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5999


53. 中川隆[7669] koaQ7Jey 2017年4月11日 19:09:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8157]

世界一豊かなアメリカはこんな国  

▽3100万人の国民が飢えている。

▽4500万人が医療保険に入っていない(国民健康保険制度がない)

▽国民の8人に1人が貧困レベル以下(2人家族で年収140万円以下)の暮らし振り。

▽貧困児童数は先進国でもっとも多い1300万人。

▽乳児死亡数は1日あたり77人。

▽国内に350万人のホームレスがいる(そのうち50万人が退役軍人)。

▽国内には約2億3000万丁の銃がある。

▽銃によって死ぬ子どもは1日平均13人。

▽選挙では不正が横行(黒人投票者を露骨に排除など)。

▽大学に行けなかった者は一生のあいだ時給5ドル(あるいはそれ以下)の仕事にしか就けない。

▽成人の4人に1人が自分の名前程度しか読み書きできない。

▽処女懐胎を、アメリカの成人の8割が信じている。

▽ブッシュ政権が1期目で実施した大型減税は、総額の半分以上が超富裕層のトップの1パーセントの懐に入った。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4875252307/ref=sr_11_1/503-0687016-2159947?ie=UTF8


1.スーパーのレジが異様に遅い。(日本の5倍くらいはかかってるw)

2.ファーストフードのセットメニューを頼むと、時々一品抜けてる。(3品しかないのにねw)

3.まともな運行時刻表すらないアメリカのバス・電車。(アメリカでは新幹線なんてとてもムリw)

4.殆どのアメリカ人って、外国に行った事も無い、外国語も話せない。要は、無知な田舎者w

5.レディーファーストなんてカッコつける割には、旦那の暴力が社会問題&驚異的な離婚率w

6.アメリカ人の運転マナーの悪さ・自分勝手度合い・・・ 日本人には『想定外』の連続ですw

7.何かを発注したとき、まず守られない納期。稀に納期を守る会社があるとビックリするw

8.議論は長いが何の結論も出ないアホな会議が、実は日本より多いw

9.必ず下らないギャクを入れるプレゼン。アメリカ人はプレゼン上手だと勘違いしてる模様w

10.テメーの稼ぐ金よりも、多くの金を浪費してる国・国民。愚かな・・・(以下省略w

11.コミュニケーションという言葉が好きみたいだが、要はペチャクチャ話して仕事せずw

12.自由を守る!テロとの戦いだ!などと他国に騒いでるが、要は、親米か反米か、それだけw

13.ミーティングでは“No Problem. We can do that” し か し・・・行動が伴わないw

14.ゴミの分別などお構いなし。誰も居ない週末のオフィスでも冷房ガンガン。環境を語る資格ナシw

15.駐車場で白線内にクルマを停めない馬鹿が多過ぎw、世間の程度が知れるw

16.セクハラ訴訟で何百億円、タバコ訴訟で何千億円・・・素晴らしい常識の国だよw

17.国民総肥満w、何食ってどれだけ怠惰に生活すれば、あんな肥満になるのか誰か教えてくれw

18.いまだにアメリカだけポンド・ガロン・インチ・・・の世の中w ま、彼らに国際単位系への変更なんて理解不能かw

19.終わってる製造業w 武器以外に輸出できるようなモノって一体何があるの?誰か教えてくれw

20.たかだか二百数十年の『アメリカ史』w なんせ白人は人々が暮らしているのにアメリカ大陸“発見”だからw

皮肉な事に、日本の負け組みに限って渡米希望w

◆米国民の知的劣化 

これは、米国民が、知的に劣化したせいだと考えられるのです。

 とにかく、米国の成人の5人に1人は天動説を信じていますし、26%しか進化論を信じていません。そもそも、高卒以下の人々の約45%は聖書に書かれていることはすべて真実だと信じています。

それどころか、白人の原理主義的(evangelical)キリスト教徒の60%は、議会ではなく、聖書に拠って米国の法律が制定されるべきだと考えているのです。

 また、成人のたった57%しか年間に1冊以上ノンフィクションの本を読んでおらず、若い成人の3分の2はイラクがどこにあるか地図上で示すことができず、成人の3分の2は米国の3権を列挙することができず、同じく3分の2は1人の最高裁判事の名前も挙げることができません。

15歳の数学の力はOECD加盟29カ国中24位ですし、2007年の研究では読む力が男女とも、しかも教育レベルの相違にかかわらず、低下気味であることが明らかになっています。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu181.htm


54. 中川隆[7670] koaQ7Jey 2017年4月11日 19:14:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8158]

狂ったアメリカ人の精神構造  


キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。

ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。

つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。

つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。

米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。

だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。

戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。

殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。

「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。

そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。

貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。

旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


55. 中川隆[7671] koaQ7Jey 2017年4月11日 19:16:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8159]

回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達


アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動 的な一派である。


◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html


56. 中川隆[7673] koaQ7Jey 2017年4月11日 20:25:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8161]

【衝撃】 アメリカのデブが異次元すぎるwwwwww どうやったらここまで太れるんだよ・・・哲学ニュースnwk
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4537088.html
https://matome.naver.jp/odai/2137949022098247301


57. 中川隆[7674] koaQ7Jey 2017年4月11日 20:45:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8162]

 フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間戻らなかった。

もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映された「ヒロシマ」という題の映画で、被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/428.html


58. 中川隆[-7947] koaQ7Jey 2017年4月30日 13:37:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

59. 中川隆[-7860] koaQ7Jey 2017年5月01日 11:38:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


60. 中川隆[-6342] koaQ7Jey 2017年10月08日 11:37:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

食べ物の味がわからないアメリカ人だから音楽の味もわからない


Question : solong11111さん 2006/11/30 02:06:21

アメリカの食文化はなぜあれほどまでに酷いのですか?
地方で途中にあるのはファーストフード店ばかり。
日本のSAPAの方が全然いいですね。食文化は栄養面でもアジアの方が断然上ですね。

Answer : y_yama_co_ltdさん 2006/11/30 13:11:00

確かにアメリカに行くと日本の食文化の高さを思います。

ロスにホ−ムステイさせて頂いた家庭では

朝・コ−ンフレーク
昼・ピ−ナツサンド
夜・鶏肉(焼くか揚げるか)

が3週間毎日でした。
他の家庭でも似たり寄ったりだったそうです。

家庭がそうなのですから外食でも特に気にしないのだと思います。

野菜・白いフカフカのご飯・魚・美味しい和牛が食べたくて毎日夢をみていました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410126129


Question : jattype2a4039さん 2011/1/20 21:25:47

アメリカ人やイギリス人は味覚音痴なのでしょうか?

アメリカ人は日本の和牛のように旨味があってやわらかい肉を好まず、 靴底みたいな噛みきれないパサパサのゴムのような肉を好むみたいですね。

「アメリカ料理」「イギリス料理」なんて聞いたことありませんし。

アングロサクソン系の人間って舌が発達してないのでしょうかね〜?


Answer : chuchuchu1232さん 2011/1/22 18:38:29

いろいろな国を訪れましたが、アメリカ人だけがパサパサのゴムのような肉を好むわけではないです。堅い肉を出されることは結構ありましたよ。それだけで味覚音痴と判断してしまうのはちょっと乱暴かもしれません。

確かにアメリカ人やイギリス人は食に関して興味がない人が多いと思います。

日本在住のアメリカ人が「アメリカ人はグルメではないです」と言い切ってました。

まずアメリカ人ですが、おいしいものを食べる、いろいろな種類の物を食べる、という感じではありません。栄養はサプリメントに任せて食事はおなかが膨れればそれでOKという感じです。

朝食はシリアルとオレンジジュースと果物、という変わりばえのしない食事を毎日続けられる人種です。

また、夕食もポテトチップスとジュースだけで済ますことも日常的です。

夕食はソーセージを焼きましょう、って本当にソーセージだけしか焼きませんでした。何本も食べさせられました。


アメリカ人ファミリーを日本のファミレスに連れて行ったら、フライドポテトとカルピスのみ注文して、それでは足りなかったみたいで再びフライドポテトを注文してました。また、ベビーフードのような缶詰の食べ物をそのまま温めてそれだけを食べる、ということもあります。

日本人が食事作りに時間をかけてるということが理解できないようです。


次にイギリスですが、これまた、貧弱で変化に乏しい食生活です。

たとえば、ポテトが好きか聞かれて好きというと、毎朝、茹でたポテトに塩をかけたものが出てきました。

いくらポテトが好きでも同じものばかりしかも調理法まで同じとなれば飽きてきますよね。せめて、ポテトサラダ、フライドポテト、ベークドポテト、スープの具などいろいろ調理法を変えてくれればいいのですが・・・

生野菜サラダでもドレッシングが数種類あれば楽しめますが、まずい大味のドレッシング一種類しか置いてなくて、それが毎日出てきました。

日本人と味覚が違うからという理由だけでは味覚音痴とは言えませんが、いろいろな国の人達の食生活と比べると、やはり食事はまずい、食に関心がない、という結論になると思います。


アメリカ料理で思い浮かぶのもはハンバーガー、ホットドッグ、ピザ、ジャンバラヤなどです。 日本人でも好んで食べる人が多いものばかりですよね。

イギリス料理はローストビーフ、フィッシュアンドチップス、ミートパイあたりがうかびますね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054105975

Question : kanedakofukuさん 2012/2/13 15:20:44

何故アメリカ人は味覚音痴?


アメリカ旅行から帰った友人が口を揃ってアメリカ人は味覚音痴だと言います。
食文化の違いなんですか?

またアメリカで美味しい物なんなんですか?

お薦めがあったら教えて下さい、よろしくお願いします。

Answer : akkiena_rest_girlさん 2012/2/13 15:59:43
.

昨年、米国のニュース専門放送局CNNが「世界で最も美味しい食べ物TOP50」を発表しました。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52028293.html

1位は、マッサマン・カレー(タイ)だったんですが、
3位:メキシコ チョコレートがランクイン。
9位:アメリカ アイスクリーム。
しかも39位:アメリカ ケチャップが堂々のランクイン。

3位と9位にお菓子、しかもケチャップは調味料。

この感覚をあなたは、どう思うかですね。

今は、どこの国もある程度お金を出せば美味しいものは食べられます。しかし、安くて美味しいものを食べられると「ああ美味しいもの食べてる国だな」と思います。

そういう意味では、アメリカの安いものは、ジャンクフード、お菓子、ファストフードになってしまうと思います。お金を出して食べたいとは思いません。

タイの屋台の焼きそばみたいなやつとかイタリアのバールのパスタとかペルーの民家のふかしたイモとか、まさに安くて美味しかったです。


Answer 2 : sakusakusaku5963さん 2012/2/13 15:54:22

日本の食生活ってアミノ酸を使った料理が多いでしょ?
代表的なのが昆布だし。
昆布に含まれているアミノ酸であるグルタミン酸とアスパラギン酸がいわゆるうま味ってやつですね。
コレを小さい頃(3歳ごろ)までに食べるといわゆる味覚が広がるって言われています。

米国の幼児食はいわゆるベビーフード。ココで味覚が養われなくなるって聞いたことあるわ〜。

確かに米国の食事は美味しくないね。
ココのオススメはやっぱりバーベキューでしょうか(笑)コレだけは美味しかったわ。
あとは皆さんご存じハンバーガー。でもコレって米国の料理じゃないよね〜。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1181406696


『日本人の味覚と欧米人』 
 

 私は1週間以上の海外旅行に出掛けると、後半になると無性に和食の食事が恋しくなることを何度も経験している。歳をとるにしたがってその傾向が強くなってくるように感じている。また、海外のレストランなどで欧米人の食事の様子を眺めていると、彼らは腹いっぱいの食事を終えた直後に大きな甘いケーキを平らげているのには驚かされる。若い頃に欧米人を日本に呼んで、彼らの好みである上等な肉料理に招待しても、食べ終わった後もひたすら甘いケーキが出てくるのを待っているかのようなそぶりに何度も出会ったことがある。

彼らとの食事を重ねるうちに我々日本人と欧米人の味覚には根本的な差異があると感ずるようになってきた。

栄養学者たちの議論の中で「味の要素」とはなにか、ということについて日本人学者と欧米の学者との間でお互いに譲れない議論が続いていたと聞く。味の基本として、甘味、塩味、苦味、渋味、酸味までは双方合意できるとしても、日本人学者の主張する「旨味」について彼らは認めようとしなかった。

日本人にとって「かつおだし」「昆布だし」は味覚を支える基本的な要素であり、これなしでは料理を美味しくすることができないと皆が認めている。しかし、欧米人にとっては「かつおだし」は魚臭く感じるだけで美味しさを全く感じないようである。

ところがこのことについてネズミを使った実験で確かめた学者がいる。京都大学の伏木亨教授である。伏木先生はまずネズミも「かつおだし」の味を強く好むかどうかを調べることから始まった。そしてネズミも人と同じように「かつおだし」の味に強い執着を持っていることが分かった。

ところが「かつおだし」だけを与えてやるとネズミはその餌に関心を示さないが、澱粉や蛋白質のようなエネルギーの元となる食材にまぶして与えると再び強い食欲を取り戻した。どうやらネズミにとって「かつおだし」は澱粉などのエネルギー源と一緒に与えられて初めて強い食欲に結びついていくようなのである。

今度は「かつおだし」を分析して、この中に含まれているアミノ酸、核酸類をその比率になるように調合した「合成かつおだし」をネズミに与えたが、強い食欲とはならなかった。ところがこの溶液に「天然のかつおだし」を少し振りかけてやると再び食欲が強まった。次にネズミの嗅覚をマヒさせて「天然のかつおだし」を与えても見向きもしなくなってしまった。

つまりネズミの好む「かつおだし」とは味の素材となるアミノ酸や核酸類のほかにかつおの匂いという要素が必要なのである。これらを人間で行った実験はないが、同じ哺乳類のネズミの行動から人の嗜好を想像するしかない。余談だが伏木先生はネズミにビールを飲ますという面白い実験もしている。

しかし、ネズミを使った実験から見ると、日本人学者が主張する「旨味」とは味+匂いということになってしまい、厳密な味の要素といえるのかどうかあやふやになってくるように思われる。しかし、日本人学者の執拗な主張が認められて、今では「旨味」も味の要素として世界的に認められている。

これら一連のネズミ実験から、どうやら私たちは「だし」の旨味は澱粉食との組み合わせで感じているもののようである。そしてこれらの組み合わせは私たちの身の回りでふんだんに見つけることが出来ます。それは「うどん」であり、「そば」であり、ほとんどの和食がこの味覚の組み合わせとなっている。あるいは別の見方からすると、温帯地方に生まれた我々の身の回りには暖かい気温と充分な太陽の光によって光合成された豊富な澱粉食があり、これらを美味しく食べるために工夫されたのが「だし」だったのではないだろうか。

また、長年仏教の影響によって動物食を禁止されてきたわが国にとって、澱粉食に動物の香りをつける「だし」は、動物肉を食べたいという気持ちをやわらげてくれる癒しの部分も含んでいたのではないかとも考えられる。しかし、このような食事のおかげで今ではわが国を世界の中でも最も優れた健康で長寿の国にしてくれているのかもしれない。

一方欧米人の食事を見ると、彼らは肉と乳製品を基本としており、それにパンや野菜、果物を添えたものである。これは、栄養的に見ると蛋白質と脂肪は充分にとってはいるものの炭水化物は不足しがちな食事である。

人の体は欠乏した栄養素を嗜好として要求する仕組みになっていることは以前にお話したとおりです。そこで彼らにとっては食後に炭水化物と油脂の塊である甘い砂糖がいっぱい入ったケーキが必要となるわけである。

我々日本人もケーキには目はないが、それは甘さが控えられたケーキであって欧米人と同じケーキを注文すれば、ほとんどの人は途中で食べられなくなってしまう。つまり彼らにとってのケーキは栄養素のバランスを保つ必要食であり、我々日本人の食事には炭水化物が豊富に含まれているので甘いケーキを体は要求していないのである。しょせん日本人にとってケーキは食後のアクセサリーかおしゃべりの雰囲気作りの道具に過ぎないのではないだろうか。

 世界の人たちの味覚を大きく色分けすると、我々のように「だし」で味付けをして食べる地域と肉と脂で満足している地域に分けることが出来る。

野菜や魚、穀物を原料に調味料を作り、これで野菜や汁を味付けしている地域は、日本、韓国、中国から東南アジアに広がる温帯、亜熱帯地方である。この地方では味噌、醤油の類の調味料や魚の旨味を引き出した調味料が沢山知られています。海外で味の素が売れているのもこれらの地域がほとんどのようです。

一方、肉と乳製品に旨味を感じている地域は北アメリカ、ロシア、ヨーロッパと比較的気温の低い地域に広がっている。彼らの地域は光合成による澱粉食が少なく、どうしても畜肉・乳製品に食糧の多くを依存せざるをえない環境にあります。

これから見ても、それぞれの地域の味覚は、その地方の環境によって作り出されているとも見られます。我々が冷涼地方の食事を真似することでもないのですが、気がかりなこともあります。


再び、伏木先生のネズミの実験に戻りますが、ネズミの赤ちゃんが「かつおだし」の旨味をいつ覚えるかを調べた実験があります。

3つのグループに分けて

、1つめのグループには離乳食から大きくなるまで一度も「かつおだし」を与えなかった。

2つめのグループには離乳食だけ「かつおだし」を与えてそれ以降は与えなかった。

3つめのグループは離乳食が終わってからの少しの間だけ「かつおだし」を与え、その後はだしを与えなかった。

この3つのグループの中で大きく成長してから「かつおだし」の旨味に強く引かれたのは離乳食だけ「かつおだし」を与えられたグループだったのです。

このことは何を意味しているのでしょう。

母親が、子供が小さかったときに家庭でだしのきいた味噌汁や手料理を与えていなかったら、その子は大きくなってからダシの旨味に戻らないということかもしれません。

子供の頃に油料理、肉料理で味を覚えた子供はダシの旨味から離れてしまい、その結果として将来の肥満など生活習慣病へと近づいてしまう恐れが出てくるのかも知れません。

もちろんネズミでの実験すべてが人に当てはまるとは考えにくいのですが、ネズミを使ったこの一連の実験から母親の手作りの食事が、その子の人生に強い影響を与える可能性があることを示しています。そして、日本人がだしの味や和食の旨みに惹かれているのも子供の頃に母親の手料理で、かつおぶしやこんぶ、いりこなどから採っただしで育ててくれていたお陰だったのです。

例え日本に生れてきてもこのような子供時代を過ごさなければ味の面で国籍不明の大人になってしまう恐れがあることを心しておきたいものです。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~rakusyotei/sawakai35.html


【マジかよ】旨味が分かる日本人の味覚は外国人よりも繊細というのは本当!? 
アメリカ人と対決してみた ロケット編集部 2015年4月10日
https://rocketnews24.com/2015/04/10/565414/


グルメな日本人にとって、ちょっと誇らしいニュースが入ってきた。

慶大発 VB の AISSY 株式会社による調査によると、日本人は外国人より“旨味” を感じる力に優れているのだそうだ。

つまり、日本人の味覚は外国人よりも繊細 ということのようだ。

その「味覚力調査」の詳細はというと、対象者に飲料サンプルを飲んでもらい、それが甘味・塩味・酸味・苦味・旨味・無味の 6 種類のうちどれかを言い当ててもらうということを6回繰り返してもらうというもの。

その結果、「旨味」については、外国人 100 名の正答率が 34%であるのに対し、日本人100 名の正答率が 71%と 2 倍以上の差があるということが明らかになったのだという。

昆布やカツオ節の旨味成分を軸とした出汁の文化がある日本食を誇りに思う日本人としては自慢したい結果だが、その結果に「ちょっと待っってくださいよーーー!!!」と異議を唱えるのが、日本在住歴7年のアイクさん。

彼いわく「僕はヒジョーにグルメなので普通の日本人より味が分かるんですよ! 日本人と対決させてください! アメリカ代表として勝負したいです!」と、アメリカ人でも味の分かる人は多いことを伝えたいらしい。

この結果でアメリカ人全員が味オンチになるというワケではないが、アイクさん自身は日本人より味が分かるということを証明したいらしい。そこでこの実験を行ったAISSY 株式会社代表で慶應義塾大学研究員の鈴木先生に調査をお願いすると、こころよくOKしてくれた。


今回アイクさんと対決するのは、ロケットニュース24編集部のなかでもそんなにグルメではない和才記者。彼は毎日のように餃子の王将でばかり食事をしているが、果たして日本代表として勝てるのだろうか? ちょっと不安になってきた……。


さっそく実験に使うに飲料サンプルを1つずつ飲んでもらい、それぞれ味を当ててもらう。和才記者は悩みながらも回答していくのに対し、アイクさんは……!!!


「コレ全部同じ味とかじゃないですよね?(笑) ぜんぜんわからないですよ!!! 」

――と鈴木先生に謎のクレームを言いながら、コップの中身を毎回すべて飲み干してしまっている。どうやらマジで味が分からないらしい。


そして最終的な結果は、和才記者は6点中6点満点。アイクさんは2点と、明らかな差があった。

というか、海外の平均点が3.9点なのに、アイクさんはそれよりも低い結果になってしまった(苦笑)。

この結果を鈴木先生に見てもらうと


「日本人を含むアジア系以外の外国人の方は、“旨味”がどういったものか分からないという人が多いため、アイクさんぐらいの点数のアメリカ人の方は多かったです。より旨味について分かるようになるには、緑茶などの繊細な旨味のある飲み物を飲むと良いでしょう。」

というコメントをもらうことができた。アイクさんいわく「ハンバーガーの美味しさ対決ならわかりますよ!全部飲んだやつを次はバーガーに変えて実験してください!」らしい。いや、そういうことではない。

アイクさんと和才記者の対決は、ほぼ調査内容と同じに。日本の料理の「旨味の強さ」は他国の料理と比べても強い傾向にあるため、日本人は自然と旨味を判断する力に優れているのだといえよう。非常に興味深い結果となった。

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味がわからないアングロサクソンは大好物のハンバーガーばかり食い続けてで超絶肥満になる


【衝撃】 アメリカのデブが異次元すぎるwwwwww どうやったらここまで太れるんだよ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4537088.html
https://matome.naver.jp/odai/2137949022098247301


米国人は80年代後半から急激に太りだしたのだが、それは米国で家畜に対する薬物の使用が一般的になった頃と一致している。

米国人が大食いなのは昔からで、食事量や献立自体にはこの40年間で大差はない。近所へのちょっとした買い物でも、どこへ行くにも車を使うというのも、1960年代からである。

米国の中年で、太っていない人は、内臓疾患/薬物中毒者だと思っていれば、まず9割は当たっている。それ程米国人は一般的に肥満化している。見れば分かるが、日本で中年太りだと騒ぐのとは、桁違いの肥満度である。

 よって、近年になって食品に含まれるようになった物質が“米国全国民肥満化”の原因ではないかと疑われている。例えば、日本のメディアが何故か大騒ぎした“遺伝子組み換え大豆”を与えた実験動物に、何らかの変化・影響が出たという研究結果は、この2013年まで唯の一つもないが、牛に使われる薬物では沢山の疑わしい結果が出ている。

 “太る”以外に疑われている害としては、男性機能後退と女性の胸が大きくなる(いいと思うかもしれないが、癌や婦人病発生率が高くなる)、精神に異常を来たす(イライラ攻撃的になる)というもの。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA054130/%EF%BC%A5%EF%BC%B5%E3%81%AE%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E7%89%9B%E8%82%89%E8%BC%B8%E5%85%A5%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.txt


ビル・ゲイツはハンバーガーがお好き


ビル・ゲイツといえばマイクロソフト創業者で世界一のお金持ちとしても有名です。世界長者番付でずっと1位をキープしてきましたが2010年版ではメキシコの通信王であるカルロス・スリム・ヘルに抜かれ2位になってしまいました。3位は投資家で有名なウォーレン・バフェット。2011年版も順位は変わっていません。日本のIT系では、ソフトバンクの孫社長が113位、楽天の三木谷社長が182位に入っています。

ビル・ゲイツの推定資産は530億ドル(4兆2400億円)。お金持ちといっても資産として持っているマイクロソフト社の株であり、簡単に売るわけにはいきません。2006年度のビル・ゲイツの年間報酬は61万6667ドル。賞与は35万ドルで、あわせて96万6667ドル、100万ドル以下です。1ドル80円で計算すると年収8000万円。

ビル・ゲイツの8000万円はアメリカの経営者としては意外と少ないのですが、他に株の配当や銀行預金の金利がありますので毎年入ってくるキャッシュは膨大です。若い時からビル・ゲイツはお金に困らない生活をしていますが、食生活はいたって質素でハンバーガーが好物です。


昼食はドライブスルーのハンバーガー

マイクロソフトの秘書がハンバーガーを買いに来ていた

IBMと提携し、MS-DOSをひっさげ若くしてパソコン業界に君臨するビル・ゲイツ。1980年代、既にマイクロソフトの従業員が300人ほどに拡大している頃、本社の隣に「バーガーマスター」というハンバーガー屋さんがありました。今で言うドライブスルー形式ですが、一風変わったシステムでした。

駐車場に車を止めて、柱にあるメニューをチェック。注文が決まり車のライトをつけるとお店のお姉さんが注文を聞きに来るシステムです。持ち帰ってもよし車で食べてもよし、テイクアウト専門です。お昼になると毎日、このバーガーマスターへマイクロソフトの秘書がハンバーガーを買いに来ていました。これがビル・ゲイツの昼食でした。

来日しても分刻みのスケジュールをこなすビル・ゲイツ。移動中も食事はハンバーガーが定番。ただ同じはさむ食べ物ですが冷たいサンドイッチは苦手。

1992年、PCウィンドウズ・ワールド・エキスポ東京が幕張であった時、ビル・ゲイツのために事務局はふだん出すお弁当の何倍もする特上のお弁当を用意しておいたのですが、会場に来る途中でマクドナルドを見つけていたビル・ゲイツはお弁当には見向きもせずハンバーガーが食べたいと要求。あわててマイクロソフト社のスタッフが買いに行きました。

1993年、日本での発売が始まったWindows3.1。新高輪プリンスで発表会が行われましたが、ホテルがお昼に用意したのがビル・ゲイツの苦手な冷たいサンドイッチ。あわててスタッフがマクドナルドまでチーズバーガーを買いに行き、ことなきをえました。

その後、幕張で行われたイベントでは基調講演のリハーサルを終えたビル・ゲイツが控え室にいません。ビル・ゲイツがいないとスタッフが大騒ぎしていると、駅近くのマクドナルドへ自分でハンバーガーを買いに行ったビル・ゲイツがひょっこり帰ってきました。前回、幕張に来た時に店をチェックしていたのですね。それにしてもマクドナルドのレジの列にビル・ゲイツが並んでいたら皆、驚いたでしょうね。アメリカの空港待合室でもよくハンバーガーを買っているようです。


ハンバーガーをひっくり返すことがチャンスだ

アメリカの高校でビル・ゲイツが行ったスピーチ「学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール」がインターネットで話題になりました。実際はビル・ゲイツが考えた言葉ではなく本からの引用なのですが、なかなか含蓄に富んでいます。

「先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。」
「人生は公平ではない。それに慣れよ。」

ビル・ゲイツらしく「オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。」というのもあります。

このスピーチの中にまでハンバーガーが登場します。

「ハンバーガーを引っくり返すということは沽券にかかわることではない。君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。それはチャンスと呼ばれた。」

数々のチャンスをモノにしてきたビル・ゲイツならではの言葉です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/397569/

ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットの意外な共通点――世界長者番付の上位者がよく食べるものとは? 2016/12/17


マクドナルドが好きです。

ハンバーガーとマックフライポテトが食べたくて、2日に1度くらいのペースで店に行きます。じつは、そんな自分が恥ずかしくてたまらないのです。


だって、マクドナルドってジャンクフードの代表格じゃないですか。実際、マックの商品を食べ終わったあとには、えもいわれぬ「ジャンクな香り」が全身から立ちのぼります。たとえるなら、情事のあとにシャワーも浴びずにベッドから抜け出してきたみたいで、周りの人たちに見透かされるようで、なんだか恥ずかしいのです。

マクドナルドが好きすぎる自分にすこし悩んだ時期もありました。しかし、ある事実を知ることによって、わたしは救われたのです。


ビル・ゲイツの好物はチーズバーガー

アメリカの経済誌「Forbes」は、毎年の恒例行事として世界長者番付を発表しています。

2016年版の第1位はビル・ゲイツ氏でした。資産額は約750億ドル(発表当時の為替レートで約8.5兆円)。ご存じのとおり、ゲイツ氏は、Windows、Word、Excel、PowerPointなどのソフトウェアを開発・販売しているマイクロソフト社の共同創業者です。

大富豪のゲイツ氏ですが、若いころから「ファストフード店のハンバーガー」が好きだったようです。好みは現在も変わっていないらしく、ソーシャルニュースサイト「Reddit」で開催されたゲイツ対ネットユーザーの一問一答イベント(2013年)や、海外紙「Telegraph」の取材記事(2016年)でも、あらためて「チーズバーガーが好き」であることが紹介されています。

つまり、わたしとゲイツ氏は「ジャンクフード仲間」ということになります。

うれしいです。

あの「スーパー経営者」が帰還直後に欲しがったもの

ファストフード店のハンバーガーを好んで食べたがる大富豪は、ほかにも存在します。『アイアンマン』ことトニー・スターク氏です。

スターク氏は、アメリカにおける最大手の軍需企業「スタークインダストリーズ」社のCEOです。架空の人物なので、現実のForbes誌にはランクインしていませんが、おそらく数千億円から数兆円レベルの大富豪でしょう。

映画『アイアンマン(Part.1)』の序盤において、スターク氏が死地から生還するシーンがあります。米軍の輸送機から降り立ったスターク氏が、まずはじめに欲しがったものが「チーズバーガー」でした。そのあとスターク氏は、バーガーキング製のチーズバーガー2個をペロリと平らげています。

バフェットがジャンクフードを食べ続けるワケ

ビル・ゲイツ氏にくらべて一般的な知名度が低いのですが、ウォーレン・バフェット氏は、Forbes誌における世界長者番付ランキング3位の大富豪です。伝説的な投資家であり、資産額は約600億ドル(発表当時の為替レートで約7兆円)。

有名なエピソードを紹介しましょう。

あるとき来日したバフェット氏は、日本企業が用意した高級和食にはいっさい箸をつけようとせず、そのかわりに「肉とパンだけのハンバーガー」と「チェリーコーク」を希望したというものです。

これはバフェット氏が質素な生活を好む「倹約家」であることを印象づけるものです。しかし、出典元を調べてみると、ほかにも違った見方ができるようです。

ひとつは『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(桑原晃弥・著/朝日新聞出版・刊)の一節。


バフェットの食生活とリスク回避のスタイルは、とてもよく似ている。自分が好きなもの、理解できるもの以外には決して手を出さないのだ。

(中略)

バフェットが食べるのは、慣れ親しんでリスクのないチョコレートチップ・アイスクリームやコーラ、ハム・サンドイッチだったからだ。

(中略)

また、一流料理店の料理より、マクドナルドやウェンディーズのほうを好んだ。

(『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』から引用)

ほかにも、バフェット氏に近い人物(次男の嫁)が著したビジネス書には、次のように書いてあります。


暴食に関して言うと、ウォーレンはコーラとハンバーガーと分厚いステーキと大量のフレンチフライを主食としている。本人によれば、この取り合わせの妙は、幼少時代の誕生会で発見したそうで、これを与えてさえおけばいつもご機嫌である。

(『史上最強の投資家バフェットの教訓』から引用)

要するにバフェット氏は、「おいしい」という単純な理由からポテトやハンバーガーが大好きなのでしょう。つまり、わたしとバフェット氏も「ジャンクフード仲間」ということになります。
http://getnavi.jp/cuisine/94221/


▲△▽▼

絶対に真似しちゃダメ!天才ジョブズ氏の奇妙な食習慣 2011.11.04


米アップル社創業者の評伝『スティーブ・ジョブズ』が、日本でも発売10日目で100万部を突破するという勢いです。

ジョブズといえば、様々な逸話が残っていますが、食生活についてもかなりのこだわりがあったよう。

ニュースサイト『msnbc.com』では、その奇妙な食生活について以下のような分析を行っています。

■1. リンゴ・にんじんダイエット

ジョブズ評伝によれば、彼は1週間に1種類か2種類の食べ物しか食べないことが時折ありました。たとえば、にんじんとリンゴだけといった具合です。

こうした食習慣について、管理栄養士のエリザ・ザイド氏は以下のように述べています。

「リンゴとにんじんは健康的で炭水化物も供給してくれます。しかし、たんぱく質がほとんどありません。脂肪や炭水化物と違って、たんぱく質は体内に貯蔵されないので、毎日の食事で十分なたんぱく質を摂取する必要があります」

タンパク質はエネルギーの供給源になるとともに、体の組織を作ります。また引き締まった筋肉を維持し、メタボになるのを防いだり、筋肉の働きをサポートしたりもします。

十分なタンパク質を摂らなければ、必須アミノ酸が得られません。

「必須アミノ酸は、身体組織の成長や維持に役立つものです」

とザイド氏。また脂肪不足については以下のように説明しています。

「十分な食物脂肪がなければ、体内の脂肪貯蔵が枯渇します。そうすると肌が衰えますし、寒さも感じやすくなります。また身体の器官や組織が痛みに弱くなって、慢性的な病気にかかりやすくなるということもあります」

■2. 果実食主義もどき

ジョブズは果実食主義になることもありました。果実食主義とは菜食主義の一種。果物やナッツ、種、野菜や穀物しか食べず、動物性食品は絶対に摂りません。

こうした食生活には、健康的な食物が含まれているものの、食事プランを慎重にしなければ、必要な栄養が得られないとザイド氏は警告を発しています。

「こうした食生活は制限が厳しくなりがちです。ナッツと種を大量に食べなければ十分な食物脂肪を摂ることができません」

とザイド氏。

「飲み食いするものが限られていると、栄養が偏ってしまいます」

■3. 菜食主義で入浴拒否

ジョブズは菜食主義に傾倒すれば、分泌物が洗い流されて体臭もないと信じており、毎日シャワーを浴びる必要がありませんでした。

しかし、評伝によれば元同僚は彼が間違っていたと述べています。

菜食主義スタイルの食生活で、タンパク質が不足すると身体の解毒作用が弱まるので、体臭がひどくなることもあるのです。

ただ分泌物に関しては、ジョブズにも一理あったのかもしれません。食生活の改善で、分泌物は減ります。病気で過剰に分泌物が生じる場合には特にそうです。

■4. 断食の苦痛とエクスタシー

ジョブズは多幸感やエクスタシーを得るために断食を行うこともありました。とりわけ彼が最も好んだのはケトーシス状態とよばれる体験。

ケトーシス状態とは、断食のあとに訪れるマイルドな多幸感です。

普通の食生活を送っていると、ブドウ糖が身体の主なエネルギー源です。

しかし断食をすると、ブドウ糖のかわりになるケトンという化学物質が身体で作られ、細胞のエネルギーとして使われます。

「必要以上にケトンが作られると、ケトーシス状態という危険な状態が起こります。身体から水分とナトリウムが不足し、吐き気や虚脱感、疲労を引き起こすのです」

いかがでしたか? 天才と呼ばれる人物の食生活はやはり常人の理解を越えています。

このような個性的な食生活は一種の願掛けのようなものとして、彼のひらめきに一役かっていたとも考えられます。ただし、栄養学的には上で紹介したように決してオススメできるものではありません。

良い子は絶対にマネしないでくださいね!
https://www.news-postseven.com/archives/20111104_68959.html

果実食だったスティーブジョブス氏は脾臓ガンになった August 13, 2014 02:51:02

「ジョブズ氏の病気療養の発表は、世界中に衝撃を与えましたが、実はユニークな発想で知られるジョブズ氏の食事についても、改めてスポットが当たることになりました。菜食主義のことです」

 こう語るのは、IT業界に詳しい米国人ジャーナリストである。

「iPhone」や「iPad」などの大ヒットで、増収増益を続ける米・アップル。

 その創業者であり、現在も最高経営責任者(CEO)として最前線で指揮をとっているスティーブ・ジョブズ氏(55)の"病気療養宣言"は全世界を揺るがした。

 ジョブズ氏が、病気療養に入ることを全社員にメールで通達した---。

 『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)などが、このニュースを1面トップで報じたのは1月18日のこと。すると、米・株式市場は即座に反応。当日発表された '11年度第1四半期の業績が、前期比78%の増益だったにもかかわらず、アップルの株価は一時最大で6.5%も下落。終値は、前日比で下げ幅2.3%となる340.65ドルで引けた。


'00年、ジョブズ氏が44歳の頃。この頃が一番ふくよかだったと思われる。4年後、膵臓がんの手術を受ける

 時価総額でマイクロソフトを抜き、世界最大のハイテク企業となったアップルだが、図らずも、カリスマ経営者の存在感がブランドイメージに影響力を持つ企業の脆さを露呈することになった。

 前出の米国人ジャーナリストが話す。

「今回、社内メールで公表されたのは、『ホルモンバランスが崩れ、健康体の維持に必要なたんぱく質が失われる病気を患っている』とのことでした。療養期間が不明なままなので、様々な憶測が飛び交っていますが、ジョブズ氏の病気療養は、今回が初めてではありません」

 ジョブズ氏は '04年、膵臓がんの摘出手術のため1ヵ月間療養。

 '09年には、肝臓の移植手術を受け、半年間の入院を経験している。この時は、「約6ヵ月」と、明確な療養期間を事前に発表していた。


「今回の病状については米マスコミでもあまり報じられていません。そうした中、ジョブズ氏の食生活に体調不良の原因があるのではないか、との説まで囁かれ始めているのです。

ジョブズ夫妻が、究極の菜食主義者と言われるヴィーガンであることは有名で、ジョブズ氏は、特に果物にこだわる果実食主義者。リンゴが大好物で、肉も魚も、卵も乳製品すら摂らない。ミルクも蜂蜜もダメ。それが激やせの原因ではないかというのです」(前出の米国人ジャーナリスト)


インド放浪とリンゴ

 ヴィーガンとは、衣食を含むあらゆる目的のために動物を殺すことがないようにしている人々のこと。厳格なベジタリアン(菜食主義者)として知られる。

 ジョブズ氏の果実食主義への傾倒は相当なもの。例えば、 '04年の休養時には、手術を受けずに食事療養で治療しようとしていたというほどだ。最終的には手術を受けたが、その時の模様を、米国の経済誌『フォーチュン』( '08年3月5日号)は巻頭特集で、次のように伝えている。

〈仏教徒で菜食主義であるアップルCEOは、現在主流の、西洋医学に懐疑的だった。膵臓がんの治療でも別の治療法を採用することを決め、特殊な食事療法によって手術を回避する道を希望した〉


アップルの創業仲間、スティーブ・ウォズニアック氏と。左がジョブズ氏

 ジョブズ氏の果実食は復帰後も続いたようで、「サンフランシスコ市内の菜食主義レストラン『Greens』で食事するジョブズ氏の姿が何度も目撃されている」(前出・米国人ジャーナリスト)。

 もちろん、今回の体調不良と果実食主義との関係は明確ではない。

 しかし、ジョブズ氏の経歴を振り返れば、カリスマ経営者と果実食の"ユニークな関係"が垣間見えてくる。

'77 年、1298ドルで発売され大ヒットしたApple Uとジョブズ氏

 ジョブズ氏は '72年、オレゴン州のリード大学に入学するが、半年で大学への興味を失い中退。 '74年にはビデオ・ゲーム会社「アタリ」の社長、ノーラン・ブッシュネル氏に気に入られ、エンジニアとして入社する。


 社内では異彩を放ち、風呂に入らず長髪にサンダル姿でうろつくという奇行が目立った。

 友人のダン・コトケ氏と仕事でドイツに行った帰りにインドに寄り、数ヵ月間放浪したりもした。インドでは、修行僧のグルに気に入られ山で一緒に修行、丸坊主になって出社したこともあったという。

 アタリを退社したジョブズ氏は、 '77年1月3日、高校時代からの悪友、スティーブ・ウォズニアック氏、それにブッシュネル氏に紹介されたマイク・マークラ氏とともにアップルを創業する。


ジョブズ氏と面識があり、アップルジャパンの立ち上げにもかかわった、PR会社「井之上パブリックリレーションズ」の井之上喬社長は、こう語る。

「ジョブズ氏が付けたと言われている社名の由来についてはいろいろ説がありますが、大学を中退した後に、彼がリンゴ農園で働き、よくリンゴの木の下で瞑想していたためにアップル≠ニ命名したと聞いています。インドを放浪したり仏教の修行に没頭したり、ハイテク企業の経営者ながら、自然主義的でオリエンタルなものに人並み外れた畏敬の念を持つのも、彼のユニークさの一つでしょう」

 ちなみに、ジョブズ氏は日本の禅にも傾倒し、日本食、特に蕎麦が好物で、アップル本社の食堂には「刺身蕎麦」というメニューがあるのは有名な話である。

 今後の経営はどうなるのか。ジョブズ氏は社員に宛てたメールで、「今後もCEO職にとどまり、主要な戦略的意思決定に関与する」と明言していることから、日常業務は最高執行責任者(COO)のティム・クック氏が代行するとみられている。クック氏はIBM、コンパックなどを経てアップルに入社。これまで2回ジョブズ氏が休養した際にも代行などを務め、収益を安定させてきた。

 しかし、米・投資銀行「グリーチャー」のアナリスト、ブライアン・マーシャル氏は、WSJ紙の取材に対し、「病気は、スティーブ(ジョブズ)個人にとって大変なことだと思うが、彼が療養生活に入ったことで生まれる市場の反応は生やさしいものではない」

 と答え、ジョブズ氏の療養はアップルに暗い影を落とすと指摘している。

 とはいえ、これまで2度の病気療養を経験したジョブズ氏は、iPhone、iPadなどの大ヒット商品を引っさげて復帰を果たしている。カリスマは3度目の復活で、どんな新商品を掲げて見せてくれるのか。

[取材・文:松崎隆司(経済ジャーナリスト)]


これは2011年2月のまだ亡くなる前の記事ですが結果的には亡くなってしまった理由が何とフルータリアンによる膵臓がんだったそうです!(今トリファラスキーさんの記事で知りました)手術拒否で食事療法や針療法で膵臓がんを治そうとしたそうですが悪化してしまったようです。手術を結局はする事になり免疫抑制剤などを大量投与、肝臓移植などもしてしまったためにガンが増殖して激ヤセして亡くなったようです。

果実食は究極の食事かと思ってましたがどうやら人によっては致命傷になるようです。脾臓に負担がかかるとは知りませんでした。。。

ジョブス氏を演じたアシュトン・カッチャーまで同じ症状になったのですからこれは事実なのでしょうね。実行出来なくて幸いでした。。。マクロビも私にはいいと思えず、年齢が増すにつれ玄米を美味しいとは思えなくなりました。やはり身体が食べたいものを食べるのがいいんじゃないかな。

今年齢的にも外見とか殆ど気にしていないので私にとっては寝る方が大事ですね。


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アシュトン・カッチャーは、スティーブ・ジョブズの果実食を真似た結果入院していた


メソッド俳優は、自分が演じるキャラクターを理解するのに夥しい時間をかけることで知られている。ナタリー・ポートマンはブラック・スワンでバレリーナを演じるために20ポンドも体重を落とした。

アシュトン・クッチャーは、評伝jOBSでスティーブ・ジョブズを演じるための準備が極限に達し、病院に搬送される結果となった。USA Todayによると、彼はスティーブ・ジョブズの果実ダイエットを実践しようと試みた結果、2日間の入院生活を強いられた。果物とナッツ、種子類だけを食べていた。

「撮影が始まる2日前くらいに入院しました。痛みで身をよじらんばかりでした。私の膵臓は完全に機能不全に陥っていました。本当に恐ろしくて・・・あらゆることを考えました」

「あらゆることを考えた」というのは、2011年にジョブズを死に致らしめた膵臓ガンのことかもしれない。ジョブズは果実食を続けてきたことで知られており、クッチャーはそれを役作りに取り入れたほか、ジョブズの猫背の歩き方や身ぶりを真似するために何時間も彼の映像を見て研究した。

しかしクッチャーは、テクノロジーへの愛以外にも、故Apple共同ファウンダーとの共通点が多いと感じている。

「彼は失敗の後立ち直った男です。私は、何かを目指して進んでは失敗する人生のどこかで、誰もが共感できることだと思います。立ち直ってもう一度進むためには勇気が必要です。私はそれも共有していると思っています」、クッチャーは語った。

もう一人のApple共同ファウンダー、スティーブ・ウォズニアックは、同映画の初めて公開されたクリップを見て、期待していたほど現実に即していないと言った。彼は、ジョシュ・ギャッドによるウォズの描写の方が、クッチャーのジョブズよりもリアルだったとも指摘した。しかし、アシュトンの不断の努力は、映画の他の未公開部分で役立っているだろう。
https://ameblo.jp/eva-omega/entry-11909102746.html

要するに、スティーブ・ジョブズも食べ物の味が全然わからなかったという事ですね。


味覚を感じるのは、舌や上あごにある味蕾(みらい)という器官。

生活習慣もあるでしょうが、この味蕾を多く持っている民族ほど味覚が発達している。

各民族を調査したら、世界中でアイヌ民族が味蕾を断然多く持っていて、日本人、朝鮮人も上位だったようです。

とすれば縄文人というのは案外グルメだったのかも知れません。

北欧系民族はこの味蕾が少なく、やはり味覚音痴と言っても過言では無さそうです。
https://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/200405250000/

2006-10-27 10月27日朝刊 (毎日新聞)

 ◆味蕾を鍛え味覚育てる

 胆振管内白老町立萩野小学校(中沢宏則校長)で、食育をテーマにした授業があった。講師の札幌グランドホテル総料理長の小針一夫さん(55)は6年生44人を前に、酸味の強いハスカップなどを子供たちになめさせながら、

「料理は足し算。塩味、甘み、酸味、辛み、苦みの五つをうまく合わせることがこつ。舌にある味蕾(みらい)を子供のうちから鍛えてください」

と強調した。

 続いて、地元の食材を使った料理教室。白老牛や秋サケ、シイタケ、卵など、地元でとれた食材を使い、子供たちが考え出したメニューの調理に移る。サケのチャンチャンクレープ包み焼き、キノコとコーンのスープ、里山をイメージしたプリンなど、小針さんの手ほどきを受けながら、児童はフランス料理のフルコースを完成させた。

 
味蕾は舌の表面にできる味を感じる器官で、いわば味のセンサー。
小学生までに形成される。舌の乳頭部にあり、大人の舌で約1万個ある。

しょっぱさ、甘さ、酸っぱさ、苦みなど、食べ物の味覚を感じる。
味覚は脳にも刺激を与え、情操教育にもつながるとされる。


 
◇味覚・味蕾教育
 
本場はフランスで、シェフが料理を出しながら、子供たちに味蕾を育て、味覚を鍛えることの大切さを教えている。日本では、フランスで学んだシェフを中心に、99年に日本フランス料理技術組合を作り、ボランティアで味覚・味蕾教育に取り組んでいる。
http://blog.goo.ne.jp/ainunews/m/200610

地産地消・食育フォーラム 三國清三氏 2006.10.26

基調講演では、味覚を感じさせる味蕾は、通常の大人は8千〜1万個あるが、幼児期(10〜12歳ごろ)には4万個ほどある。

味覚には、あまい(甘味)・しょっぱい(塩味)・すっぱい(酸味)・にがい(苦味)の4味を基本に( うまい(旨味)が加わり5味とも)味蕾を介して脳に伝えられる。

味蕾の最も活発化している、幼児期にしっかりと味覚を覚えさせなければ、そのまま退化してしまう。

酸味や苦味は、意識して摂らなければ、覚えることができない。

人は、本来、天然のもの、自然のものしか吸収できない仕組みになっているのだが、吸収するものがなければ、死を招くので、生理的に、他のものを吸収するようになる。
今や、魚介類も養殖されたものを口にするようになり、天然のもの、自然のものを食することが薄れ、「養殖人間」と化しているとのことです。

次第に濃い味付けに慣らされ、食に対する感性が失われ、そのことが、物や人などに対する思いやりが薄れ、親が子を虐待したり、子が親をないがしろにする傾向を生んでいるという趣旨のお話でした。
http://motonr.net/furusato/?news=%E5%9C%B0%E7%94%A3%E5%9C%B0%E6%B6%88%E3%83%BB%E9%A3%9F%E8%82%B2%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%A0


61. 中川隆[-6336] koaQ7Jey 2017年10月08日 13:14:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Question : nulbexviakmectjjngrafmxukcaxnhfさん 2013/7/23 15:21:39
アメリカの一般家庭では料理を作る習慣が無いと聞いたのですが本当ですか?
友人が言ってました。

休日くらいしか料理はせず、料理をするとしても簡単な料理で、普段はもっぱらジャンクフードばかりらしいですが。


Answer:

その家庭に依るでしょうが、日本の一般家庭程には手の込んだ’手料理作り’は期待できないかも。

何軒かの一般家庭にて。

作る、

ほとんどが肉の塊をオーブンかスロークッカー(汁と一緒に入れておくとじわじわ勝手に煮てくれる)に ぶち込むような類多し。

付け合せに野菜ざくさく切って蒸すか炒めて塩かけるだけ。

じゃが芋、皮付きのまんま半分に切ってチーズのっけてこれまたオーブンで焼くだけ。

テーブルにはおびただしい数の各種ソース、タレの類の瓶が並ぶ。

バーベキュー用のグリルがあったらステーキ焼く、アメリカなのにステーキって
家庭料理としては頻度非常に少ない。
↑ これでもかなり手作りの部類に入ります。

ジャンクフードというか、スーパーに行くと家族4人十分な量のチンするだけの夕食用冷凍食品類や出来合いチキンや具材選んでその場で作ってもらう巨大サンドイッチ、1キロ入りの各種サラダ等々

食材買って一から作るより安上がりだったりも。

温めたらそのまま食べられるシチューやポークビーンズ等の缶詰め・瓶詰めおびただしい量がストッカーに入ってる家庭ほとんど。

今日は暑いから台所で火を使うのヤダわ、で、宅配ピザやテイクアウト中華しょっちゅうだったり。

お料理上手な主婦、肉類中心にまとめて味なし煮込み作り、小分け瓶詰めし保存で1年は持つと。

食べる時は鍋にぶっこみ、テキトーに味付けするだけ。

まずキッチンツールが手の込んだ料理には不十分。

包丁はトントンと千切りやみじん切りできるような三徳包丁でない。
ほとんどの家庭、電熱のコンロだから炒め物には向いてない。

私、何度か料理作りました。 ソース添えた肉料理に付け合せ野菜、サラダにスープ。

「まるでレストランかヨーロッパ人みたいだ」とのコメントでした。

以上はれっきとした夕食の実話。

「もう、毎日食事作りに追われて大変よー」日本の主婦友のセリフここでは存在しない。
和洋中、栄養価考えて日々手作りで何品も食卓に並べる日本の食卓と比べることはできないです。
食文化が根本から全く違う。

こんなのが立派な’手作り夕食’だったりします。


その家庭に依るでしょうが、日本の一般家庭程には 手の込んだ’手料理作り’は期待できないかも。...


____


まず、アメリカ人は料理の仕方を知らない人が多いんです。

なので、仮に時間とお金を与えても、美味しい料理は作れない、つまり、頭の中に無いことは人は出来ないんですね。

掃除、洗濯、すべてまともに出来る人は少ないですよ。

これが世界一豊かなアメリカの実態です。

新自由主義が広まると、アメリカンスタイルなライフスタイルを強制されるハメになりますよ。

TPPの重要なテーマが、食料のアメリカによる支配なんです。

日本側でTPP推進の旗振りをしている代表が悪評高いモンサント社の代理人である住友化学ですからね。。。

農業関連大手モンサント社の恐怖の収穫
http://www.youtube.com/watch?v=V-ESDpUrKck

文化的な生活よりも金儲けなんですよ、アメリカという国は。

他者の幸福を奪う、他者の痛みを考えない、強欲な弱肉強食の論理がすべて。
これがアメリカです。

”生きる”ことの基本中の基本である食べ物に人間性のすべてが表れるんですよ。

アメリカの恐ろしい真実
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b3c2.html

アメリカの未承認遺伝子組み換え米実験が世界の米供給を汚染
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-24c0.html

環太平洋連携協定(TPP)、アメリカが率いる過酷な自由貿易協定、1%用の大企業権力ツール
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/tpp1-505b.html


___


低所得層ほど手作りでなくジャンクフードや出来合いのものを買う回数は多いです

また、フルタイムで働く女性が多いことから、あまり手をかけずにハンバーガーヘルパーやキャンベルのクリームオブマッシュルームスープなど、料理に補助的に使って時間を短縮するための商品が多く売られています

しかし全体的には、まったく各家庭によることなので、一般家庭で料理を作る習慣がないというのは、正確ではありません

ミドルクラス−アッパーミドルクラスには食生活に気を使い手の込んだものを作る家庭もたくさんあります

つまり食習慣の問題というよりは、経済的な問題です。


_____


私が以前ホームステイさせていただいていた家庭はキッチンを汚さないものばかりでした。

テイクアウトのピザとか中華とか、ひどい時は紙皿に缶詰のビーンズ。

とにかく簡単に食べられる物がたくさんストックされていてそれを適当に食べるみたいな状態でした。

その家族は皆さんメタボでした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11110708886


Question : yuto1992_1019さん 2010/9/30 12:40:19

アメリカの家庭料理について。

僕は今ホームステイをしているのですが食事にまったく味がありません。たとえばマッシュポテトでもポテトを潰しただけで何も入れないので何も味がしません。

野菜もお湯にくぐらせたものを何も味つけせずそのままです。 野菜炒めが良く出るのですが塩やコショウなどの調味料の味はせず唐辛子のようなぴりぴりとした辛さだけです。

ご飯は日本米のようなスティッキーなものですが、外にずっと放置したかのように外がパリパリです。

とにかく味がないのです。 調味料は冷蔵庫にいっぱいあるのに。

事情があってホストを何件か変えましたがどこも食事は同じように質素なものでした。

それにもかかわらずみんな100キロ以上ある巨体です(失礼ですが)。

どこであんなにカロリーを取っているのでしょうか?

もうすぐアパートに住むので我慢できますが、とても気になりました。

一般的にアメリカの家庭料理は味付けが薄いですか?

また質素な食事でなぜあんなに肥えるのでしょうか?
ヘルシー志向のホストなんでマクドナルドには行かないし、コーラなんかも飲みません。


Answers :


ご質問を読む限りで判断しますと、その家庭の料理は何か減塩を実践しているか、または基本的に料理が上手でないという印象を受けました。

お米もちゃんと料理法を知らないようですし(普通に炊いて放置すればパリパリになる事も知らないのかもしれません)。

その家族が皆太っているとありますが、もしその人たちがヘルシー志向だとするとデザートのアイスクリームなどを食べてる事はなさそうですね。

メタボが遅くて太っているのかもしれませんし、運動をしないのも原因かもしれません。しかしヘルシー志向と言いつつ平均以上に体重のある人を沢山見ていますので、質問者様のホストファミリーが特別だとは思えませんが。

私も似たような経験はあります。サンクスギビングやクリスマスの家庭料理で薄味のものが提供された事がありますし、味付け自体も何だか素っ気ないものを幾度も食べた事はあります。野菜は茹で関係は多いですね。一方で、イタリア系など食文化が豊かな系列ですと味付けもしっかりしており美味しいものが食べれるというのが私見です。

私なりの結論を申し上げますと、アメリカには多くの系統(イギリス系とかイタリア系という意味)がおりますので、一概に家庭料理が薄味であるとは言い切れないと思います。たまたま質問者様がそのような家庭に当たったという事だと思います。ただし太る事を恐れてダイエット飲料をせっせとのみ、ローソディウムの調味料などを使っているので、そういう料理を食すると味がどこか抜けている感じは否めないというのが私の意見です。

アメリカ北東部からです。


____


一般にアメリカ人の食事の味付けは濃いですよ。スープなんて塩辛すぎて飲めないこともあります。

ヘルシー志向のホストならば、理解できます。塩分を控えているんですよ。
知り合いに、似たような人がいます。とうもろこしやポップコーンなんて塩なしで食べています。わたしは、「塩なしは好きじゃない」といって、自分の分だけはぱらぱらと塩をかけます。

その家のテーブルには塩と胡椒がおいてありませんか?
置いてあれば、それをかけます。

置いてなければ、”May I use salt?"と言って、返事もまたずに台所においてある塩を使っても構わないはずです。

アメリカ人はそれぞれ好みは違うもので、味が物足りなければ自分で味付けすればいいと思っているフシがあるので、あなたが塩をかけても気にしないはずです。
でも、塩をあまり使わなくても、ハーブなんかを上手く活用すると、結構美味しく出来るんですけどね。

ホストは、隠れて外でたくさん食べているんじゃないですか?


_____

アメリカからです。

私も昔ホームステイをして食事には困りました。

朝食は砂糖をかけたオートミール。日本で食べたことなっかたのでとても食べられなかったです。嫌いだからトーストに変えて欲しいと言いました。

昼はいいとして、夕食は大ざっぱなものばかり、多分料理が下手なんだっと今思います。。

多分あなたも料理が下手な家庭に当たったみたいですね。 しかしアメリカ人みんな、味がないのではないですよ 私の男友達は結構料理が好きで彼らが作るものみんな美味しいです。。

私の周りを見ても80%ぐらいのオーバーウエイトです。

食事の後の甘いデザート、食べ放題のレストラン、間食のチップスで太ったと思います。

みんなダイエットをしてますがなかなか痩せないです。
少し痩せると又もとに戻る人が多いです。諦めてまた無茶食いするケースが私の周りには多いです。

もう少しのしんぼうですね頑張ってください。

____


ホストファミリーは事情で都合5件体験しましたが
(州も違ったためか?)味付けは結構幅があった気がします。

でも確かに言われて見れば、薄味で各自で塩コショウを加減して
食べることが多かったかも?朝食べる卵もどうやって調理するのか
色々訊かれた覚えがあるので、口に合うように変えてもらう、というより
自分の好みを如何にに正確に伝えるか、が重要だと思います。

味付けが薄い・・・というより素材の味を活かすためでは?
マッシュポテトは我が家ではハーフ&ハーフを入れてふわっとさせますが
味付けは各自でグレービーかけたりサワークリーム乗せたり、バルサミコ酢だったり
バターに塩コショウだったり・・・とさまざまです。
(逆に最初から味がついているようなのはイヤです・・・)

味が薄いと感じるならば、(そして調味料は冷蔵庫にいっぱいならば)
〜にはマヨネーズをつけて食べるのが好きなんだけど、とか
〜にケチャップつけると美味しいんだよね、冷蔵庫から持って来ていいかな?

と訊くのは、不満を述べるわけでも失礼に当たるわけでもないので
どんどん言ってかまわないと思いますよ? あなたの食べ方をご家族の方が
試してみて、美味しい食べ方だと感謝されるかもしれませんし・笑

質素な食事で肥える・・・は家以外の場所での間食が多いのかも?


____


アメリカとオーストラリアにホームステイしたことあります。

わたしは、オーストラリア在住の方が書いておられるように、オーストラリアの料理は見かけおいしそーなのに味がしなかったです。

そして、学校英語で『 お塩とって下さい』ってフレーズあれを何で習うのかわかりました。日本ではそんなこといわないわよね。ポン酢とかケッチャップならわかるけど、なぜに塩???でもオーストラリアでは確かに必要な言葉でした。

もともと英語といっしょに食文化も渡ってきたと考えられるので、アメリカでも同じことはあるとおもいます。

アメリカではですね、 ホストも子どもたちまでとっても大きかったんですが、私は一ヶ月で6キロもやせてしまいました。

手作り料理はほぼ出なかったですね。
テイクアウトばっかりで、そちらはきちんと味がついてました。
ロス郊外だったのでメキシコ料理は味がしっかりしてるからその影響もあるかもしれませんね。

朝ごはんのオートミールを子どもと作ったのはいまでも覚えています。

それから、ラスベガスのバイキングみたいなランチでマッシュポテト食べましたが、味がなかったです。

家ではあとは、タコスは手作りして何度かたべました、私が好きだと言ったからだと思います。優しかったんですよ。一族ゴスペルシンガーで。でもご飯は2日くらい何も出ない日もありました。

今思うと、『お腹がすきました。食べるものください。』と言わなかったからだと思います。

家族はたぶんずーーと何かしらつまんでいるんだとおもいますよ。毎日3食食べないで、お肉などたべるときはものすごくたべるってことも大きくなる原因ではあるとおもいます。。

私もホストマザーに私たちはダイエットしてるからあんまりっチップスは食べないけど、食べたかったらいいなさい。と言われたけれど、まさかいえなかったし、チップスより、ごはんは〜〜〜ともいえなかった。

そして、何にも食べたないのに何であんなにって思いましたね〜。
遺伝はあると思いますけど、その体格を維持するためには絶対それなりにたべてるはずです。

なぜなら
私は主婦になり、ホームステイでアメリカ人のこれまた大きな人を受け入れましたが、とにかく間食、買い食いの要求がすごくて、お金はなくなるし、気分も悪くなってほんとにまいったんです。

でも、自分でお金をだすお昼は毎日カレーパン一個か焼きそばパン一個だって、本人がいいました。

アメリカ人の彼女は何事にも要求が通るまで何度でも、毎日言ってきます。
しかし、これもわたしが、『うちは三度の食事をきちんととることが大切だとおもっていて、お金も毎日のご飯にたくさん使っているから、買い食いするお金はだせません』とちゃんといえばよかったんです。

もしうちの子供たちがアメリカに留学することがあればよい経験になったとおもいます。


私はアメリカに行ったときはまだ16歳で、英語も出来ず、
そして何より遠慮の美徳を信じて疑いませんでした。今のあなたと同じですね。

変えてもらうように言うこと、望みを言うことがアメリカの文化じゃないかなとおもうのですがどうでしょう?

それからアメリカ人主婦の料理の感想やホームステイの感想はホームステイのカテゴリーで聞かれたほうが良いかもしれませんね。


____


ホームステイではありませんが、アメリカに駐在しています。
時々、アメリカ人のお宅におよばれするので、その感想です。

ヘルシー志向のお宅に行った時は、味なかったです。でも、そこは、塩、ケチャップなど、必要なら付けてと勧められました。

ポトラックでおよばれした時は、味の異常に濃いのや、まったく味のしないものなどさまざま。

アメリカ人も好みはさまざまです。料理は、質素というより、ピザ、ハンバーガーなどアメリカ的なものばかり。

肉も安いし、特にこちらは内陸なんで魚は冷凍もので、種類も少ないです。

ほんと肥えてますよね。ちなみに家の息子は、アメリカに来て、アメリカで肥満といわれるまでになりました。

これは、ピザ、コーラ、ハンバーガー、ポてちなどに原因があると思います。

学校は、ランチになっているし、お菓子なども売っているので、食べまくってしまうみたいです。

あと、アメリカ人は、遺伝でしょうね。アメリカ人は、ハイスクールくらいは、みんな細くって綺麗だけどそれをすぎるとぶくぶくするみたいです。一番綺麗な時期らしいですよ。

で、大抵、家族みんなデブですよね。親がデブなら子供もデブっていう感じ。

まー太っていても、洋服は、売ってるし、困らないんじゃないかな。

ホストさんは、肉食べてませんか?やっぱりアメリカは肉ですよ。


こちらはアメリカではなく、オーストラリアですが。

その昔ウチの夫(当時は婚約者)の家族のところにステイしたとき、私もマッタク同じように感じました〜!で、その後、結婚して夫となった人は私が料理して食卓に出すものすべてに、塩・コショウを振りかけてから食べようとするのです。「ちょっと待って!先に味見してからにしてよ!」とよく言ったものです・・・・

というわけで、個人の好みもあるからかも知れませんがこちらでもみなさん、各家庭の食卓で各自塩・コショウを振りかけてから食べるといった光景はよく目にしますね。

でも、夫の母親が料理するときに全く調味料を使わないかと言えばそうでもなかったです。ナツメグとかハーブ系のものはキッチンに常備してありましたし。ビーフストックなどもありました。

あ、先日、夫の同僚のお宅のディナーに招かれましたが。元看護師さんだという奥さまの手作りのラザニアは、味がありませんでした・・・・そこのご家庭は肥満することをかなり警戒しておられて、コークもシュガーレスのもの、などと徹底しており、奥さまもジム通いで大変スレンダーなのですが。

まあ個人のご家庭に招かれると、かなりの確率でそういうこと(味のない食事)ってありますね、確かに。

オーストラリア、特に田舎に行くとアメリカに負けないくらいの肥満大国だと思いますけれど、どうしてみなさんあそこまで肥えられるのでしょうねぇ・・・・私も大いに疑問です。

ただひとつ、言えることは「量が多いこと」というのは挙げられるかも知れないです。

どこへ行っても、何を注文しても、一人前が平均的アジア人体系の私には多すぎる、と感じますので。その上運動不足(家を一歩出たらどこへ行くのも車で、とか)傾向なのではないでしょうか?

かく言う私も気をつけないと。日本だったら公共交通機関を使って足も使う、という生活でしたが、こちらでは車、ですからねぇ・・・・見えないところにたくさん脂肪が付いている気がします(涙)。

アメリカで色々な州に越しましたが、アメリカは地域によって味付けが全然ちがいます。(もちろん当たり前ですが日本の家庭のように個々の家でも違いますが。)東海岸と西海岸、北部、南部では食べている食品もわりと違うんです。(確かにハンバーガーはどこにでもありますが。。) 他の方が回答されたように、体重や塩分を気にして控えているのかもしれません。それに食にあまり興味がないのかも。

体形はやはり遺伝が多い気がしますね。

でも、しょっぱくて食べれないものを出されるよりはいいと思いますよ。(経験上これはかなりきついです。) ちょうどいい機会なのでその地域の名物料理(郷土料理)のようなものがあれば調べてみてはいかがですか?

私の知り合いで南部からワシントン州(ワシントンの人ごめんね)に越したアメリカ人の友達が”どのレストランに行っても味がない!Plainだ!”と怒っていました。だから、そう思っているのは日本人であるあなただけではないと思いますよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=1447884099


Questions : a_lovemiley1123さん 2010/11/30 0:55:45

アメリカ人の1日の食生活はどんな感じなんですか?
朝・昼・晩の食事(メニュー)など教えてください!


Answers :

アメリカ人といっても人によってかなり差があります。

ヴィーガンでオーガニック食品しか口にしない健康フリークから、ジャンクしか食べない肥満体の人まで、様々です。

私はアメリカ人の夫とニューヨークに在住していますが、ニューヨークの一般の会社員の食生活はおおざっぱにこんな感じです。個人差もありますが、ご参考までに。


8:00 > 至ってシンプルな朝食。シリアルにミルク、果物少々。それかパン。朝食を食べない人も。食べる時間がなく、会社に朝ごはんを持ち込む人もいます。

8:45 > 会社に行く途中でスタバに寄り、コーヒーもしくはラテを買い、会社で飲む。毎朝スタバは長蛇の列です。コーヒーと一緒にベーグルやデニッシュを買う人も。

9:00 > 始業。持ち込んだ朝ごはん、コーヒー等を飲みながら仕事を始める。事務所にキッチンのあるラッキーな人は、業務中コーヒー・お茶飲み放題。

12:30 - 13:30 > 昼ごはん。不況のあおりか、お弁当を持ち込む人が多いこの頃。お弁当は主にサンドイッチ、サラダ、パスタ等に果物。お弁当を作る時間がなかった人は外でサンドイッチ、サラダ、スープ等を買ってくる。こちらのサラダバーは充実しています。忙しく仕事をしながらデスクで昼ごはんを食べる人もいれば、外で同僚と食べる人も。時間がある人はレストランでランチをすることも。

16:00 > コーヒーブレイク。同僚を巻き込んでコーヒー屋さんに行き、テイクアウトのコーヒーを買って自分のデスクで飲む。一緒にクッキー等のお菓子を買う人も。また、得意先(もしくは上司、同僚)からの差し入れがあった日は、それをコーヒー・お茶とともにいただく。

19:00 > 残業がなく終業した平日は、家に直行(途中スーパーに寄る時も)。料理嫌いな独身男子は家に帰る前にどこかのレストランで夕飯のテイクアウト(ピザ、ハンバーガー、中華料理、日本食、等とバラエティー多数)。家で料理する人は簡単な肉・魚のグリル、パスタ、サラダ等を夕飯に食べる。

20:00 > 残業がある日は、だいたい会社近くのレストランからテイクアウト(←会社もち)の夕ごはん。うちの会社は何故かタイ料理が多いです。

21:00 > 太ると分かっていても、家でテレビを見ながらアイスクリームを食べる。

_______


職場のアメリカ人は、昼ご飯に

「食パン一斤(ブルーベリージャムを瓶ごと持参)、人参一本(ナイフ持参でスライスして、ピーナッツバターを塗ってました)、ヨーグルト1リットルを1パック、オレンジ一個」

を持参し、食べていました。

どうしても理解できませんでした。


_____


イメージですが、

朝:シリアル、サラダ、パンケーキにイチゴジャム

10時:スニッカーズ、アイスクリーム、チェリオ(グレープ)

昼:ハンバーガー、フライドポテトとケチャップ、コーラ

15時:アメリカンチェリーとクリームチーズのパイ、コーヒー

夕:ステーキ、マッシュドポテト、サラダ、パン、コーンスープ、ワイン

21時:ポテトチップス、コーラ


その昔、我が家でアメリカの女の子がホームステイしてたのですが、10時、15時、21時のおやつは毎日食べてましたね〜

夜のおやつはポテトチップス(大)とコーラ(1.5L)の組み合わせが多かったです。

かなりポッチャリした子でしたが。
10時15時はボクが仕事中なのでほとんど観察出来ず。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1049735765


62. 中川隆[-6332] koaQ7Jey 2017年10月08日 14:54:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

以前、日本マクドナルドの社長(日本人です)がテレビか雑誌で次のような事を言っていた事があります。

「私はマクドナルドのハンバーガーが美味しいと思ったことはありません。あれを美味しいと言いながら何度も繰り返し食べてくれる今の日本人の味覚を疑います。・・・」

彼が言っていたことは以下の様なことです。細かい点は間違っているかも知れません。
マクドナルドはハンバーガーを売る企業ですが、基本は場所を提供するということです。

喫茶店をもっと利用しやすくした形がマクドナルドです。
300円400円でコーヒーを飲むのとハンバーガーとコーラを飲むのは同じ事なのです。
マクドナルドは場所を提供するビジネスなのです。

そしてマクドナルドの顧客としてのメインターゲットは15才くらいまでの子供達です。
人間の味覚は10才から12才くらい迄にほぼ決まると言われています。だから子供のうちからハンバーガーを食べて育った大人は死ぬまでハンバーガーを食べ続けてくれます。
そしてハンバーガーで育った大人は抵抗なくその子供にもハンバーガーを
食べさすことでしょう。

つまり、子供達にハンバーガーを食べさせることは、将来の固定客を掴むことになり、多くの大人に食べてもらうよりずっと大きな市場になるのです。
だから、多くのマクドナルドの店には子供の欲しがるオモチャを置いていたり、子供連れの大人が利用しやすいように遊具施設を置いたりして、子供という顧客を掴もうとしているのです。

10年後20年後を睨んだマクドナルドの戦略はそこにあるのです。
そこには「食文化」を広めるという事は二の次で、ビジネス(つまりお金儲け・マクドナルドの利益)をより大きくしようという企業論理が中心です。
http://www.ka-mato-ru.com/mac.html


子供の時にマクドナルドを食べてジャズやロックを聴いていると、大人になってから幾ら努力しても食べ物の味や音楽が わからなくなってしまうのですね。


63. 中川隆[-6336] koaQ7Jey 2017年10月10日 09:13:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アメリカ人が飲む「コーヒー」は麦茶を薄めたような出がらしこーひー。

NY在住の日本人社長が断言「日本は世界有数のコーヒー先進国だ」2017.10.04
『NEW YORK 摩天楼便り−マンハッタンの最前線から−by 高橋克明』
http://www.mag2.com/p/news/279417

毎日何気なく飲んでいるコーヒー。コーヒーショップチェーンや喫茶店、コンビニの100円コーヒーと、どれもそれなりに美味しいですよね。

今回のメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り−マンハッタンの最前線から−by 高橋克明』は、著者で米国の邦字紙「WEEKLY Biz」CEOの高橋克明さんが、先日の日本出張でコンビニコーヒーの美味しさに衝撃を受け、日本のコーヒーのクオリティを絶賛しています。

高橋さんは、アメリカこそ後進国と語り、日本のコーヒー店がNYに進出すれば間違いなくチャンスはあると断言しています。


僕が思う世界に通用する日本製

ここ最近、日本からNYへの進出企業が非常に顕著になってきました。 特に飲食業会に関しては、ここで例を上げるにはキリがないほどのお店がこの街で出店続きです。

一風堂、ゴーゴーカレー、大戸屋の成功に続けとばかり「ホルモンふたご」「いきなりステーキ」「EAKラーメン」「麺屋二郎」「とらふぐ亭」「屯ちん」等、(ラーメン屋率高過ぎるだろ)

前回の日本出張時に感じたのは、「コーヒー屋さんが出て(進出して)来ないかな」ということ。 具体的な店名(ブランド)までは考えていません。 というか、日本のコーヒー専門店なら、どこでもいい。 きっと通用すると思います。

もちろんマンハッタンで商売するには、「当たる(客が入る)」「当たらない(客が入らない)」は二の次。 レント(家賃)を含め、どれだけコストを抑えられるか、リースを長く契約できるか、流通販路を確保できるか、など、他の要素が日本以上に非常に重要になってくることは、以前このメルマガでも書きました。

商品(コーヒー)の素材(豆など)をどこから仕入れるか等、簡単にはいかないことを前提としての話です。 ただ単純にプロダクトのクオリティーが圧倒的なところから、客足は絶えないだろうなぁという、素人レベルの単純な話ですが、日本のコーヒー(全般)がニューヨーカーを夢中にさせるとうことは想像に難くありません。

日本の人に、この街のことでいちばん誤解されるのは「コーヒー先進国」だというところ。

「セックス&ザ・シティで、主人公たちが毎朝コーヒー片手に出勤してるから」などの理由から、「NYはコーヒーが美味しい街」というイメージがあるそうです。

完全なる間違いです。 この街は、というかアメリカ合衆国自体、完全なる「コーヒー後進国」です。

いまでこそ「Blue Bottle Coffee」など味で勝負する店も出て来て、ここ数年、かなりマシになりましたが、僕が渡米した頃には「スタバ」くらいしかなく、購買反対運動をしょっちゅう目にするくらい、緑の人魚マークが市場を独占していました。 スターバックスが創業したのは約45年前。

でも北米全土に拡大しきったのは約25年ほど前。 つまり、この四半世紀です。 それまで、アメリカ人はたぶん「ラテ」だの「マキアート」だの聞いたこともなかったはずです。

アメリカ人にとっての「コーヒー」とは「ダイナー」と呼ばれる大衆食堂で、エプロンしたおばちゃんウエイトレスが注いでくれる、麦茶を薄めたような出がらしこーひー。

そんなアメリカのコーヒー文化を変えた「スターバックス」ですら、あまりに従業員の接客態度の悪さに、今、ニューヨークではかなり問題になっています。

従業員の態度はもう諦めていますが、肝心のコーヒー、プロダクト自体も、日によって出来のクオリティーがバラバラ。

もともとのコーヒーの美味しさをわかっていないスタッフが作るので、一定の美味しさをキープするなんて最初から無理。 日によって当たり外れがヒドいことは、もう僕たちの間では普通になっています。

「シャちょー、今日はまだ美味しいですよ」と先に購入したスタッフの意見を聞いてから買いに行く。 だからといってその店の豆を新しく入れ替えたタイミングだったり、数時間前に作ったスタッフが休憩に入っていたりすると、ハズレになることも珍しくあません。 日本だと考えられないことだと思います。 日によって、どころか、時間帯によってクオリティーがバラバラの飲食店なんて。


今回の日本出張でいちばん驚いたことは、「コンビニのコーヒー」のクオリティーです。 ローソンだと MACHI CAFÉって言うんだよね。 初めて飲みました。

最初にローソンのを試して、あまりの美味しさと安さに驚き、連日通い。

ホテルを移動するといちばん近いファミリーマートのコーヒーを飲んでは、あの美味過ぎるローソンより美味しい!と驚き、続いてホテルを移動した先の最寄りのセブンイレブンのコーヒーを試しては、あの驚くほど美味しいローソンより美味しいファミマより、さらに美味しい!!!と感動すらしました。 それが160円とか(?だっけ?安すぎて忘れた)。

もうコーヒー屋さん、いらないじゃん。

コンビニでこのクオリティを確報できるんだから。

ハッキリ言って、このクオリティのコーヒーは、全米のどこに行っても飲めません。 ハッキリ言って、この安さでコーヒーは、全米のどこに行っても飲めません。

日本国内でもコスパを考えれば、ドトールやスタバより上だと思います。 ということは(コーヒーに限らずすべての製品がそうだと思いますが)製品のクオリティー、プラスアルファで勝負するしかない。 大切なお客さんとの商談や、彼女とデートで、いくら安くて美味しくてもコンビニで済ますわけにはいかない。 製品のクオリティーだけなら、もうスタバもドトールもいらないってなりかねないからです。

前述したように、豆の流通経路とか、一杯あたりのベネフィット、原料コストなど、詳しくはない僕が簡単には言えませんが、クオリティーさえ維持できれば、ニューヨーカーには絶対当たると思います。 特にスタバ独占状態が落ち着きを見せ、ニューヨーカーでやっとコーヒー本来の美味しさを理解し始めた今だからこそ。 今が絶好のタイミングだと思います。

どうぞ日本のコーヒー屋さん(カフェに限らず、昔ながらの喫茶店など)ニューヨークに進出してきてください! 出来ることであればなんでも協力するから。
http://www.mag2.com/p/news/279417


64. 中川隆[-6074] koaQ7Jey 2017年10月24日 18:23:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「2018年度版!」「YouTube」の動画を安全にダウンロードする方法について
https://www.japan-secure.com/entry/blog-entry-459.html

YouTube動画変換 - MP3、MP4、AVIダウンロード
https://www.onlinevideoconverter.com/ja/video-converter


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