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[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
151. 中川隆[-12564] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:31:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートの為に「ディープな大阪」が消滅してしまう理由

中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威


梅毒の患者数、5千人を初突破 最多は東京、都は対策本腰へ 2018年1月5日

 性行為などで感染する梅毒が若い女性らに広がり、国立感染症研究所の集計によると2017年の患者数は、現行の集計方式となった1999年以降で初めて全国で5千人を超えたことが分かった。うち3割を占め、患者数が最多の東京都は感染拡大に歯止めをかけるため、18年度から検査態勢拡充などの対策に本腰を入れる方針だ。

 同研究所によると、17年12月17日までに報告された患者数は5534人。都道府県別で見ると東京都が1705人と最多で、大阪府(788人)愛知県(325人)神奈川県(312人)など都市部で目立つ。

 20年東京五輪・パラリンピックを控え、都は拡大を懸念する。

(共同)

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ZAKZAK【感染大陸中国】
中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威 2014.10.07

中国国慶節(建国記念日)の大型連休(1〜7日)真っ直中。円安・人民元高も加わり、日本を訪れる中国人観光客はいつになく多い。ここ数年、消費の起爆剤として期待されるようになった彼らだが、負の側面も顕在化。風俗業界では沈静化したはずの性病が再流行し、その原因として隣国からの“お得意さん”の影響がささやかれている。日本の風俗業界が直面する感染症の現実と中国人客、そして中国国内でのずさんな衛生実態をジャーナリストの奥窪優木氏が5回にわたってリポートする。

 70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱は、17都道府県あわせて154人(4日現在)が発症する事態となった。西アフリカではエボラ出血熱の感染拡大が世界的な危惧となり、日本でも検疫所による水際対策が強化されるなど「対岸の火事」ではなくなってきた。

 新旧感染症への不安が高まるなか、日本国内の“ある場所”で猛威を振るっている別の感染症がある。

 都内デリバリーヘルスの男性店長、A氏(29)によると、店で働く女の子たちの間で、性感染症にかかるリスクが高まっているのだ。

 同店では、風俗嬢として働く女性に、月に1回の性病検査を義務付けているが、2年ほど前から陽性の結果が出る頻度が高まっているという。在籍する20人ほどの女の子のうち、最近はほぼ誰かが感染している状態で、クラミジアや淋菌のほか、梅毒が喉から検出されることが多いという。

 以前は、半年に1人に陽性が出るか出ないかの程度だったというから、アウトブレーク(感染爆発)状態にあると言えるかもしれない。

同店では、コンドームなしでのフェラチオや素股といった粘膜接触を通常サービスとして提供しており、さらに別の客へと感染が広がる可能性も高い。「あの店で性病をうつされた」という噂がネットで広がれば店にとって死活問題であるため、各店の店長らは対応に苦慮している。

 こうした異常事態の原因について、A氏が心当たりとして挙げるのが、外国人客の増加だ。

 日本の性風俗店のほとんどは、もともと外国人客お断りが原則だった。ところが長引く不況で客足が低迷するなか、方針転換を図った店も多い。

 A氏の店もその1つで、2年ほど前から外国人への門戸も開いた。ここ数カ月では売り上げの約1割がアジア系の外国人で、「おそらくほとんどが中国人」とA氏は話す。

 「日本語が分かる通訳か、ガイドが電話してきて、彼らが宿泊しているホテルに出張することが多く、中国系の団体旅行者の場合、4〜5人の客からまとめて注文が入ることもある」(A氏)。店にとっては上客なのである。

 外国人客を受け付けるかどうかは女の子に委ねられているが、「性病検査で陽性が出る割合は、外国人客OKの女の子が圧倒的に多い」というから感染経路は推して知るべしだ。

 昨年、日本を訪れた外国人旅行者は1000万人の大台を初めて突破。あらゆる業界が彼らの財布をターゲットにしているが、風俗業界も例外ではない。しかしそこには、負の側面も潜んでいるのだ。 =つづく

 ■奥窪優木(おくくぼ・ゆうき) 1980年、愛媛県生まれ。上智大経済学部卒。2004年に渡米、出版社・新聞社勤務を経てフリーに。07年から中国・広州で取材活動を開始。08年に帰国し、中国の社会問題を週刊誌などで執筆中。著書に『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社)、『中華バカ事件簿』(同)など。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20141007/frn1410071545004-n1.htm


 裏で囁かれていること。風俗の主力客は日本人でなくなる?

高級、中級、格安問わず、すべての風俗で外国人の男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている。

外国人と言えばアメリカ人やイギリス人を思い浮かべるのは遅れている。

欧米の人々もくるが、日本で最も多い外国人は、日本政府観光局の出している2017年のデータによると、中国人・韓国人・台湾人・香港人・タイ人の順番となっている。

しかも、中国・韓国人の訪日客数は他を圧倒的に引き離しており、アメリカ人と比べるとその差は5.2倍近くもある。

だから、分かりやすく言おう。「男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている」と言えば、中国人と韓国人が日本の風俗嬢を買い漁っているということだ。

実際、大手の風俗サイトは中国人と韓国人の需要を見込んでいて、サイトをこれらの国の言葉でも作って客を募っている。

この動きは、風俗に関心がない表社会の人々にはまったく知られていない事実なのだが、ここ数年前から起きている大きな潮流である。

先日、超激安の地雷専門デリヘル店の女性にも話を聞いたのだが、私は気になって「この店にも外国人の客は来るのか?」と尋ねてみた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180218T0446160900.html


HIV感染は防げるが風俗嬢が見殺しにされる理由とは?

日本の風俗は性病に無防備すぎる。ソープランドではコンドームなしの性行為が日常的に行われていたり、デリヘル等では精液を口で受けたりする。

こんな危険な性サービスが常態化していたのは、日本人は「病気にかかったら病気を治す」というのが常識として定着しているため、性病を持ったまま風俗を渡り歩く人が男女共に少ないからだと言える。

世界は違う。淋病にかかろうが、梅毒にかかろうが、尖圭コンジローマにかかろうが、HIVに感染しようが、それでも医者にかからない人が大勢いる。

貧困で医者にかかれない人もいるのだが、もともと身体の異常に無頓着な人も多い。性病の発症があっても、それを性病と認識しないこともある。

だから、性病を放置したままになりやすい。淋病も梅毒もエイズもいったんそこで流行すると、アウトブレイクするのはそのせいだ。

近年の日本は大量の外国人を受け入れており、欧米人からアジア人までが日本の風俗嬢を買い漁る状況になっている。無防備極まりない日本の性サービスと、性病に無頓着な外国人が出会うことによって何が起きるのかは火を見るより明らかだ。

日本の風俗嬢は、今後は性病地獄に陥るのである。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180117T0200420900.html

風俗嬢が危険にさらされているのに、日本人は冷淡過ぎる

日本の性の現場は、私に言わせると異常であるとしか言いようがない。なぜ日本人はこんな異常を黙って受け入れているのか分からない。

まず、日本の性風俗は「本番行為が禁止」という建前があるので、デリヘルのようなところでは女性が口でサービスして射精させるような行為が一般化している。

コンドームは使わない。生の精液をそのまま口で受ける。

ソープランドはどうか。ソープランドだけは本番行為が黙認されているのだが、ここではコンドームなしの性行為が蔓延していて、それが「売り」になっている店もある。

店は女性に膣内射精を受け入れるように教育しており、女性はそれをやっている。

デリヘルでは口内射精が一般化し、ソープランドでは膣内射精が一般化しているのだから、風俗嬢がいかに危険な状況にあるのか誰もが分かるはずだ。

ところが、日本はこんなものが一般化しているし、誰も何も言わないのである。風俗嬢が危険な状況にあると危機感を持つ人間もどこにもいない。

日本人は、風俗嬢に冷淡すぎるのではないか。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180207T0250450900.html


風邪をこじらせて朦朧としながら、夜の世界の賃金を考える

数日前から風邪をひいた。こじらせないように注意していたのだが、意に反して症状は悪化してしまい、悪寒と頭痛と激しい咳が止まらない状態が今も続いている。

10ヶ月ほど前にインフルエンザにかかっているので、インフルエンザと普通の風邪を比較できる立場にある。インフルエンザの症状は急激かつ強烈なのに比べて、重い風邪の方は身体の奥底から疲労感が湧き上がる感じだ。

どちらにしても普通の能力が発揮できないのは間違いないのだが、風邪は誰でもいつでもかかるものなので、めったにかからないインフルエンザよりも、むしろ風邪の方が深刻度が高いのではないかと考えた。

こんな時にも、ふと夜に生きている女たちのことを思う。

昼職と夜職の大きな違いは、昼職は「月給」が基本であり夜職は「日給」が基本であることだ。また昼職は有休なども整備されていて一定時間働けば賃金が保障される「固定給」なのだが、夜職の多くは「歩合給」である。

業種によって、固定給と歩合給を組み合わせたものや、本人が月給か日給かを選択できる形態のものがあるのだが、基本的に夜職は「日給、歩合制」が普通である。


その仕事を長く続けないことを前提とした支払い?

ところで、一般の勤め人にはあまり馴染みのないものに「年俸制」という賃金の支払い方もある。外資系の会社の役員や経営者やエリート社員、あるいはスポーツ選手などは「年俸制」のことが多い。

年俸制、月給、日給……。

一般的に言えば、社会的な立場が強い側であればあるほど年俸制に近づき、社会的な立場が弱い側であればあるほど日給に近づく。

会社から見ると、個人の能力や才能を最大限に発揮して長く会社に留まって欲しい人を年俸制として雇う。

逆に、いくらでも代替がきく仕事に就いている場合や、長く働いてもらえない環境にある場合や、期間が限定されている季節労働などの場合は日給で雇う。

日給というのは、会社も本人も「その仕事を長く続けない」ことを前提として組み立てられた給与体系なのである。

さらに、夜の世界は雇用も企業の存続も浮き草のように不安定である。会社は「いつ飛ばれるか分からない」という疑いを個人に持ち、個人も「いつ会社が潰れるか分からない」という不安を持っている。

だから、「働いた分だけしか払わない」という会社と「働いた分だけもらう」という個人の利害が一致し、それが「完全歩合制」という給与形態になる。

いつ働いている人が飛ぶか分からない仕事、いつ給料が払えなくなるのか分からない会社であればあるほど完全歩合制の日給で払いたがる。

逆に、自分がいつ辞めるか分からない仕事、いつ潰れるか分からない会社で働く場合は、完全歩合制の日給が最も合理的な働き方だ。

社会の底辺になればなるほど、そして浮沈の激しすぎる真夜中の世界であればあるほど完全歩合制の日給になっていくのは、そのような理由がある。


人は頑強な機械のように常に一定の能力で働けない

ところで、完全歩合制の日給は真夜中の世界で働く人間に最適化されたシステムであるのは間違いないのだが、この完全歩合制の日給には、働く側にとって大きなデメリットがある。

それは「働かないと1円も稼げない」ということだ。

年俸制や固定給の月給で働いている人たちは、たとえ風邪や事故で一週間くらい働けなくても、固定賃金の部分で収入の激減をカバーすることができる。

年俸制の場合は、年間の給料が保証されているのでブランクがあっても何の問題もない。月給の場合も3日や4日の休みくらいは、ほぼ賃金に影響がないようになっている。

しかし完全歩合制の日給は、そうではない。

その日働けなければ入ってくる金はゼロだ。3日休めば3日分ゼロだ。一週間も休めば収入は激減する上に、会社からも「もう来なくていい」と見捨てられる可能性もある。

夜の人間たちの収入が月によって増減し、日によって増減するのは、まさに「働いていない分はゼロ」というシビアな現実がそこにあるからである。

では、人は頑強な機械のように常に一定の能力で働くことは可能なのだろうか。常識的に考えると、それは不可能だ。

人の体調は日によって変化するし、時には病気もするし怪我もする。精神的に不調になったりすることも珍しくない。

その振幅は人によってまったく違うが、どんな頑強で強い精神力を持った人であっても、病気もすれば怪我もすれば精神的に落ち込む日が必ずある。

さらに、自分がいかに体調管理に気を付けていたとしても、仕事自体が景気や天候に左右されることも多い。

「大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい」というが、雨が降ったら大工仕事は中止になり、完全歩合制の日給で働いている大工は1円も稼げない。

風俗なども意外に天候に左右される職種で、雨が降ったら客が来なくて風俗嬢はまったく客が付かないことも多い。客が付かなければ、収入はゼロである。

雨が降って喜ぶのは日給で雇われているタクシーの運転手だが、それでも都合良く雨が降るわけではなく、タクシーの運転手もまた仕事を転々とする。


休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮する

人は誰でも重い風邪にかかる。どんなに体調管理をしていてもそれは避けられないことであり、それが軽く済むか重症化するかも運によるところが大きい。

風邪を抑える薬はあるが、風邪を治す薬はない。だから、風邪をひいたら症状が去るまで大人しく寝ているしかない。そこで無理すると症状はより悪化して自滅する。

しかし、仮にもし貯金が充分でなければどうなるのか。休むのが一番だと分かっていても、生活のために休むことができない状況に追い込まれる。

休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮してしまう。

真夜中の世界では、そのギリギリのところで働いている人たちも多く、だから夜の女たちは生き急いで自滅するドッグ・イヤーのパターンになる。

最近、日本の風俗業界では梅毒が爆発的に流行しており、日本各地の風俗街のすべてで梅毒感染の風俗嬢が報告されている。

風俗が外国人を受け入れるようになっているので、危険度は凄まじく増している。しかし、風俗業界はまったく変わろうとしないので、梅毒の感染は絶対に止まらない。

そのため、これまでの感染数拡大は始まりに過ぎず、これから風俗嬢の感染は倍々ゲームで増えていくのは確実だ。

梅毒はきちんと治療したら治る病気だ。だから、表社会ではエイズと違ってあまり深刻に受け止められていないように見える。しかし、現場の風俗嬢の恐怖は相当なものがある。

もし梅毒にかかったら、風俗嬢は完治するまで仕事を休まなければならないのだが、治療は1ヶ月から2ヶ月かかることも多い。

治療が遅れた女性の場合だと、半年も働けなかったりする。それは、半年も収入がゼロになることを意味している。

固定給で働いている昼職の人間でも、半年も仕事を休んだら甚大な影響がある。

そう考えると、日給で完全歩合制なのにしばしば仕事ができない状況に追いやられる夜の女性たちの深刻さは、相当なものがあると分かるはずだ。

今は順調でも、一瞬で生活が崩壊してしまう可能性があるのが夜の世界なのである。風邪をこじらせて朦朧としながら、私はずっと夜の女たちのことを考えている。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171111T0048410900.html


「梅毒」が一般女性にも感染拡大。スマホの影響か 2016.09.18
https://nikkan-spa.jp/1181432

「梅毒」の流行に歯止めがかからない。特にここ数年は全国的にはもちろん、若い女性に感染者が急増している。その原因、そして危険性とは?


風俗嬢、さらに一般女性にも感染拡大


https://nikkan-spa.jp/1181432/bk3_160816_01
梅毒の湿疹はかゆみや痛みを伴わないうえ、数週間で消えるため、放っておいてしまうケースが極めて多い


 箸やコップに付着した唾液から病原体が入り込むほど、感染力の強い梅毒。症状も出づらいため、自覚のないままさらなる感染を引き起こすこともしばしばだ。また、保菌者が気づかずに菌を撒き散らす理由がほかにもある。梅毒の感染経験がある20代のデリヘル嬢、小田えり子さん(仮名)は「中国人のお客さんにうつされたかも」と語る。

「ウチの店は本番NGなんですけど、ここ数年で中国人の客がすごく増えて、強引にプラス3万円くらい出してヤラせちゃうことも。検査で陽性が出た後、『治療中はセックスしちゃダメ』って店長に言われたから仕事も休んで、お客さんからの連絡も『体調が悪い』『生理だから』って逃げていました」

 都内で風俗店の検査を請け負っている医師も「近年は中国人観光客の影響は大きい」と語る。

「中国では梅毒感染者が’13年の時点で40万人と極めて多く、中国人団体客を受け入れていた店で感染者が増えたという話もあります」


また、感染に関しては一般女性が怖いという指摘もある。

「これまで風俗で働く女性に陽性反応が出るケースはありましたが、ここ数年は一般女性に感染者が拡大している。また、風俗従事者たちは危険を自覚しているので定期検診を受け、治療も早期にします。一方、一般の女性はまさか自分が梅毒感染者だとは思わないので、パートナー男性の感染が発覚するまで気づかないことが多いんです」(「池袋クリニック」の院長を務める村上雄太氏)

 また、「若年層の感染拡大はスマホによる影響が大きいのではないか」という意見もある。

「私の医師仲間から聞いた話では、感染経路と疑われる相手が会社内の地味な若い女のコで『まさかあんなコが……』と絶句した患者さんもいたとか。スマートフォンの普及や見た目がかわいい出会い系アプリが増えたことで、若い女性が見知らぬ男性と気軽に出会えるようになったことが感染の拡大した要因かもしれません」(内科・泌尿器科医の大和宣介氏)

 現役女医として多くの患者を診てきた清水なほみ氏も「若い女性は梅毒をよく知らない」という。

「梅毒という名前自体、今の若い女性にはピンとこないのか症状が一旦、治まったことで安心して受診しない事例が多いんです。しかも妊娠期に感染していると母子感染の恐れがある。子供が先天性梅毒になったり、最悪、流産してしまう場合もあります。予防のため、妊娠前は一通りの性感染症検査を受けることを勧めます」

 大和医師も「もっとも危険なのは症状が治まったからといって治療を放置すること」と言う。

「手足や性器に痛みのない湿疹が出た場合や、微熱や咳が続く場合は早期の検診をオススメします。また、梅毒に感染している人はHIVを合併感染している事例が多いです。命の危険にもかかわることなので、基本中の基本ですが、不特定多数とのセックスはなるべく避けるべき。万が一、そういったシチュエーションになってもコンドームの着用を心がけてください」
https://nikkan-spa.jp/1181432


オーラルセックスが癌の原因に!?厚労省も警鐘鳴らす危険性
ダイヤモンド・オンライン 2016/11/25

 11月25日から12月1日までの1週間は、「性の健康週間」。実は、先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけと言われる。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。特に、アダルトビデオなどでお馴染みのオーラルセックス(口腔性交)は「妊娠の心配がない」と無防備な人も少なくない。性感染症を無症状のまま、広げてしまうリスクもある。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

● オーラルセックスで咽頭がん!?  米国有名俳優の話に脅威

  (おいおい、勘弁してくれよ)

 都内在住の会社員Sさん(40代)は、スマホを見ながらつぶやいた。2013年のことだ。

 配信されていたのはアメリカの俳優マイケル・ダグラスのニュース。

 マイケルは、映画『氷の微笑』『危険な情事』など過激なエロティックサスペンスで人気を博したと同時に、「セックス依存症」を告白したことでも知られる、"とんでもエロおじさん"だ。

 2010年にステージWの咽頭がんを患いながらも、無事生還を果たしたマイケルだったが、なんと自分ががんを発症した原因は「クンニ(クンニリングス)のし過ぎだった」と語っていた。

 自他共に認める大の酒好き、かつヘビースモーカーのマイケルに対して、英ガーディアン紙の記者が「がんを患ってみて、悪しき習慣を後悔していますか」と尋ねたところ、「後悔なんかしてないよ。咽頭がんになったのは、飲酒や喫煙のせいじゃないからね。このがんの主な発症原因はクンニによるHPV(ヒトパピローマウイルスという子宮頸部がんなどの原因になるウイルス)感染なんだから」とご機嫌で答えている。

 これにSさんは動揺した。
 というのも当時、SさんはステージWの咽頭がんと告知され、闘病中だったからだ。

 「喉頭がんの原因が、ヒトパピローマウイルスへの感染かもしれないという話は知っていました。でも、まだはっきりしたわけじゃない。喫煙や飲酒、声の出しすぎだって、関係していますよね。何より僕は、酒は飲むけど、毎日じゃない。タバコだって飲み屋に行った時にたまに吸う程度で、会社の健康診断では一度もひっかかったことがありません。それなのに、いきなりステージW.その上、あのセックス依存症おやじと同じように、『クンニのし過ぎ』でがんになったなんて周囲から思われたら、恥ですよ。悲惨過ぎる」

 ごもっとも。

 Sさんのために補足しておくと、HPVには150以上のタイプが存在し、性交渉の経験がある男女なら誰でも持っている可能性がある。マイケルのようなセックス依存症でなくても、感染してしまうリスクは常にあるのだ。

 そしてHPVのなかには、がんの原因となるハイリスクなタイプもあり、その一部は、性器の内部にある細胞を好み、なかに侵入する性質があるため、主にセックスを介して感染し、がんを発症させてしまうこともある。ただし、HPVが原因で男性ががんを発症する頻度は、子宮頸がんの10分の1程度だ。

 その後、Sさんは幸いにも放射線治療が功を奏して、がんは完治。定期的に検査を受けながらも、元気に暮らしている。

 しかしながら、咽頭がんの治療後の5年生存率は、ステージWの場合約40%。命が危うくなったことへの恐怖から、飲酒、喫煙に加え、妻へのクンニといったオーラルセックス(口腔性交)も一切できなくなってしまった。

● 無症状のままうつしまくる オーラルセックスの危険性

 クンニやフェラ(フェラチオ)など、オーラルセックスでうつる病気には、がん以外にも次のような性感染症があり、厚生労働省はホームページで、「オーラルセックスにより性感染症に感染するということには2つの意味があります」と警鐘を鳴らしている。

 ◎オーラルセックスによる性感染症
 ・淋菌
 ・クラミジア
 ・ヘルペス
 ・梅毒トレポネーマ
 ・AIDSを起こすHIV

 特にオーラルセックスで、性器から口腔に感染した場合は無症状のことが多いので、自分が感染していることに気付かないままに、更に別の性交渉相手にオーラルセックスを介して性器に感染させてしまうことがあります。
 (オーラルセックス(口腔性交)による性感染症に関するQ&A 厚生労働省より)

 無症状で気づかないまま、どんどん他の人たちにも感染を広めてしまうのは、相当恐ろしいことなのではないだろうか。

 まさに、オーラルセックス恐るべし、なのだが、この件に対する日本人の危機意識は呆れるほど低い。

 インターネットを使って8700人から回答を得たアンケート調査(北村邦夫:「日本人の性意識・性行動調査」、2011)によると、全体の49.5%(男性54.4%、女性42.7%)がオーラルセックスを行っており、その際、性感染症を予防するためにコンドームを使用していたのは、わずか17.2%。全体の82.8%(男性79.4%、女性87.9%)は、「まったく使わない」と答えている。

 また、別の調査によると、コンドームを使わない理由は、「口でなら妊娠しない」、「口でなら性病はうつらない」という思い込み、あるいは「ゴムをつけたままは気持ち悪い」という嗜好が大きいという。

 オーラルセックスは妊娠しないし、ゴムは確かに不味くて気持ち悪いが、性感染症は、たとえばフェラしただけでも、してもらっただけでもうつるということを覚えておこう。クンニも同じだ。

 感染症の専門医は、「先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけ。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。日本性教育協会の調査によると、女子高校生の13%(男子高校生は6.7%)は、クラミジアに感染しているというデータがあるほか、性交渉の相手が多い人ほど、コンドームの使用率が少ないというデータもあります。10代女子の罹患率は世界トップクラス」と語る。

 女子高校生に限らず、日本人は老若男女総じて、「快楽のためなら、性感染症なんて怖くない。場合によっては死んでもいい」と思っているのだろうか。

 まさか、そんなはずはないと信じたい。

● キスでうつるがんも!?  ウイルスが関与する場合は要注意

 さて、日本人の性感染症に対する危機感が薄いのはわかったが、咽頭がんや子宮頸がんに対してはどうだろう。

 これらのがんは性感染症ではないが、セックスを介してうつるという点では一緒だし、オーラルセックスとの関連性も深い。ヒトパピローマウイルスが直接ガンになるわけではないが、細胞の構成を変えることでがんを誘発する。

 だが、この、「うつるがんがある」という事実は、あまりはっきりと語られることはない。

 実際、行政のホームページを見ても、「がんがうつる」という表現は、がん患者への差別や偏見を広めることになるため、正確をとことん期す、というか注意深く避けられているように思う。

 例えば、千葉県のホームページでは、「がんはうつるのですか」という質問に対して、
「基本的にはがんは他人にはうつりません。(中略)しかしウイルスによって生じるがんがありこれらは例外となります。この発がん性のあるウイルスとしては、肝炎ウイルス(B型およびC型)、EB(エプスタイン・バー)ウイルス、ヒトパピローマウイルス、ヒトT細胞白血病ウイルスがあり、それぞれ肝がん、B細胞リンパ腫、皮膚がん、子宮頚がん、T細胞白血病を引き起こす可能性があります。(中略)がんがうつるというよりもがんの原因となるウイルスに感染することがあるとお考えください」と、かなりまどろっこしい表現になっている。

 ちなみに、EBウイルスによる代表的な感染症には「伝染性単核球症」という風邪に似た病気があり、「唾液」によって感染することから、別名「キス症」とも呼ばれ、日本人の90%以上が感染経験を持ち、たいていが成人時にはすでに抗体を備えているとされている。そして、同ウイルスは咽頭がん、胃がんの発生に関係していることがわかっている。

 つまり、とっても極端な話、絶対がんになりたくなかったら、「セックスは必ずコンドームを使用し、オーラルセックスは厳禁、キスもやめておいたほうがいい」ということになってしまうのだ。

 性感染症も然り。

 人類が本能の赴くまま、自由に愛し合えた時代は、もう過去のものなのである。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161125-00109205-diamond-soci

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c151

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
152. 中川隆[-12563] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:32:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を「飛田新地」に呼び寄せると「飛田新地」は消滅する事になる

関西の暗部「飛田新地」も、いつまでも存在できるわけではない理由とは


大阪には、飛田新地、松島新地、今里新地、信太山新地、滝井新地……といくつもの「ちょんの間」が生き残っている。さらに尼崎にも、かんなみ新地が生き残っている。


関東は町田の通称「田んぼ」や横浜の「黄金町」があったのだが、すでに2005年には壊滅した。いくつもの「ちょんの間」が生き残っている関西の特異性には驚くばかりだ。

なぜ関東の「ちょんの間」が絶滅して関西の「ちょんの間」が生き残ったのかは、日本のハイエナたちの間で議論があるのだが、私は「関東のちょんの間の主力は外国人女性で、関西のちょんの間の主力は日本人女性だったから」と理解している。

町田も黄金町も「外国人女性がいた」ということが致命傷になって摘発・閉鎖を余儀なくされている。

なぜ、警察はそろそろ動いてもおかしくないと私は感じているのか。

それは、飛田新地も外国人の客が押し寄せるようになっており、そこが日本の暗部(アンダーグラウンド)として紹介されるようになっているからだ。

(ブラックアジア:写真禁止と言っても、どんどん流出していく飛田新地の夜)
https://blackasia.net/?p=841


政府当局はこうした存在が国内でひっそりと知られているだけであれば黙認するのだが、世界に広く知られるようになると急いで潰す。

なぜなら、日本は常に外国から「売春問題」で非難されてきた歴史があるからだ。

「日本は女性の人権をないがしろにしている」「日本は人身売買国家だ」「日本は淫売国家だ」と国外から攻撃されて、日本は非難轟々の中で遊郭の閉鎖を決めていた。

2000年代初頭の関東のちょんの間摘発もまたアメリカから「日本は人身売買国家だ」と名指しで糾弾されて、驚いて摘発に向かったものである。


ヤクザ経営のフィリピン・パブではしばしば女性たちがパスポートを取り上げられ、監禁され、売春が強制させられていたのだった。

彼女たちは被害を英語で訴え、アメリカのジャーナリストも好んで「YAKUZA」のあこぎなビジネスを糾弾し、それはアメリカ政府の耳にも届いていた。

それを指して「日本は人身売買国家だ」とアメリカに批判されたのだ。

指摘を受けて日本政府はフィリピン女性の興行ビザを出さなくなり、フィリピン・パブは壊滅状態になった。

「ちょんの間」はとばっちりであったのだが、それでも日本政府は外国人女性がいるちょんの間を強権で潰して消した。どのみち、この形態の売春ビジネスも世界に知られれば糾弾されるのは間違いないからだ。

こうした経緯もあって、日本政府は今も「売春を野放しにしている」と外国から指摘されることに神経質になっている。

だから、飛田新地が外国人の男たちに存在が知られるようになり、そこに群がるようになっているのであれば、摘発して潰すことになっても不思議ではないのだ。
https://blackasia.net/?p=7337
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c152

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
153. 中川隆[-12562] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:45:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

日本の秘宝 飛田新地を守ろう

飛田新地 求人

大阪・飛田新地高収入アルバイト情報


店舗情報

はじめまして、飛田新地のマスターです。みなさん一度は「飛田新地」という言葉を聞いたことがあると思いますが、どういう所かあまり知らない人が多いと思います。他の風俗店との違いを3つお伝えします。


1.特別なサービスは必要ありません(誰でも出来る簡単なサービスで十分です。笑顔だけで大丈夫です)

2.お客様との接客時間が短いです(お客様と長時間会話する必要がなく、効率よく稼げます)


3.少人数制です(1店舗に1〜3人しか女の子がいませんので、お客様がたくさんつきます)


簡単に3つお伝えしましたが、まだまだあります。色々な事情があって働かれると思いますが、少しでも力になれればと思っております。お気軽にお問い合わせください。


入店祝い金あり
雑費引き、罰金なし
寮あります
送迎あります
提携託児所あり

給与・条件

1日7時間勤務で日給5万円以上確実です(在籍の女の子は全員達成しています)

年齢20才〜30才まで
AM10時〜PM12時まで
昼、夜好きな時間でどうぞ!
週一からのアルバイト大歓迎!

雑費引きは一切ありません

15分  5,500円以上
30分 10,500円以上
45分 15,500円以上
60分 20,500円以上

当店はスカウト等を使わず「直接お店からの求人募集」です!
http://piko9.com/



大阪・飛田新地「遊女の真実」(前)

タレント級の美女がワンサカ Posted on 2012年8月28日

 飛田の中のことは、外の者がさわったらあかん─。

これまでかたくなに口が閉ざされていた大阪・飛田新地の世界。そんな飛田の内情を赤裸々に語った一冊「飛田で生きる」が8月31日に徳間書店から発売される。著者の杉坂圭介氏は、10年間飛田料亭経営に携わったあと、現在スカウトマンとして活躍しており、同書では欲望と哀愁がむき出しに交差する、誰も知らなかった“遊女”たちの世界が驚愕のエピソードとともに語られている。

 杉坂氏が飛田で料亭を始めたのは2001年。失業中だった杉坂氏は、不動産業に関わっていた高校時代の先輩に呼び出され、飛田の中心街、メイン通りにある料亭の「親方」、つまり経営者になるよう勧められた。

「月に400万〜600万円くらい儲かると言われました。でも、そんな甘い世界ではないと思ったから最初は断った。
『飛田の親方なんて、素人にできへんでしょう?』。
そしたら
『細かいことはオバちゃんに任せておけばええんや』
と説得された。結果、職もないし、父親が亡くなって得た生命保険金もあったので、これを資金に店を開けることにしたのです」

 杉坂氏は、まず飛田を管理している飛田新地料理組合へ挨拶に行き、店を開けることを報告。了承を得てから、不動産会社へ行き保証金も含めた800万円を支払い、警察に対し“料亭”の営業を開始したいと正式申請。3カ月後に営業の許可が下りた。

「警察からは『料亭やるのはいいけど、法律にのっとったお店経営をしなさいよ』と通達されました。開業する前、同業者の誰もが『この商売、女の子が全てだ』と口をそろえてましたが、実際、女の子集め、スカウトこそ、飛田ビジネスの要でした。女の子のクオリティによって、月の売り上げが、100万、200万円単位で変わってしまいます。なので店をやっていた10年は、ちょっとでもいい子をそろえようと、危ない橋もずいぶん渡りました」

 女の子集めの基本は、フリーペーパー、高収入マガジン、ネットの求人広告。だが、それらはいつ連絡が来るかわからない。クオリティも不確定。だから確実にカワイイ子、美人を確保するためには、自分で探して歩き、実際に見て確かめて、口説くことが不可欠なのだ。

 つまり、危険覚悟で客を装い、飛田で稼げそうな子を他の風俗から引き抜く。風俗店を仕切っている暴力団から拉致され、監禁されても、「そんなもん気にしとったら、アカン」と、連日引き抜きに行く親方も少なくない。だからこそ、飛田の中心、メイン通りや青春通りには、佐々木希や蒼井優のような
「何でこんなカワイイ子がこの仕事するんやろう?」
と思わせるキレイな子がそろっている。


「2つの通りにいる子の多くは、全ての風俗の中でも最高級レベル。
そんな子たちが飛田にいる理由は、ただ一つ、稼げるから。飛田のいいところは、本当にカワイイ美人だったら他の風俗の倍は稼げる。しかも、楽に。キャバクラのトップでも、月に100万超えている子はめったにいないが、飛田なら普通に100万、150万稼げる。トップでなくてもキャバクラの上位レベルだったら間違いなく稼げます」

飛田の基本料金は
15分1万1000円、
20分1万6000円、
30分2万1000円

など。一番短い15分コースの場合、1万1000円の取り分の基本は、店が5000円、女の子5000円、呼び込みのオバちゃんが1000円だ。

 15分といっても、いろいろ準備があるので、接する時間は7分くらい。実働7分で5000円。30分コースなら実働15分で1万円。人気の子なら、1日に20人近くお客がつくから、軽く10万円は超える。中には3カ月で600万円近く稼ぐ子もいる。つまりそういう子は店にも600万円落としてくれるわけだから、スカウトも気合いが入る。

「女の子は自分が何をするのか、知っていて来ます。『そんなのありなんですか?』などと言う子はいない。全て稼ぐためと割り切って来ている。

メインと青春通りなら基本は、全てゴム付き、キスなし、バストタッチなしだから、割り切りやすい。
なので求人広告を見た子の中には、ただキレイなだけでなく、ビックリするような経歴、学歴の女の子もいる。大阪の有名大学の学生、公務員、上場企業在職のOLなんかは、もう普通です」

 2年前には関東の超有名国立大学に通う現役学生で実家が開業医をしているというお嬢さんが、夏休みの間だけ働きに来た。風俗は初めてだが、飛田なら研修も必要なく、大阪だから親バレ、友達バレもない。

「マンスリーマンションを借りて、2カ月間、生理の時もほぼ毎日働いていて、300万近いお金をためて帰った。これまで飛田のことを書かれた本などを読むと、『不幸な訳ありの女の子ばかりが集まっている』という書き方をされています。でも今は、自分で派手な生活をするために来ている子のほうがずっと多い。

訳ありの子、親、家族、彼氏の借金のためという子は、10人のうち1人か2人くらい。そういう子にとって、生きるための最後のとりでが飛田だったりするわけです」

 杉坂氏の店にも時折、訳ありの子が面接に来た。脳梗塞で倒れた父親が抱えていた借金と住宅ローンを払うため、1年に1000万円ずつ返済し、3年で完済した。借金がなくなり、親の介護をするだけになったら、最後にお礼を言って、二度と現れることはなかった。他にも、国家資格を取るためなど、夢や目標の実現のために来る子も少なくない。

「特に多かったのが看護師を目指している子。家の事情で、勉強しながら生活費も稼がねばならない子たちです。でも、ハンバーガーショップで週6日バイトしていたら勉強できない。当時、時給が700円くらいですから、8時間働いても1日5600円。飛田なら15分で稼げる。だから資格を取りたい子は、みんな言います。『1日1本で十分ですから、あとは勉強の時間に充てさせてください』。それで実際に看護師の資格を取って、今も病院で働いている子がいます」


飛田にやって来る女の子の目的は当然、お金。ところが、それだけではない子もいる。ほとんどの女の子たちは客と接していても、「仕事だから一切、気持ちよくない」と言う。

 しかし中には「誰でもいいからしたい」という子もマレにいるのだと。

「『客やったら気持ちよくないやろうと言うけど、アタシは気持ちいい。とにかく気持ちいい。24時間、何か入れててほしい』。そう話していた塾の先生がいました。有名な塾の先生ですごく真面目な人。『塾より稼げるから、教師になるまで働かせてほしい』と言って、本当に教師になるまで働いていた。週イチで来ていた医学部だか薬学部だかの学生の中には『出会ってはいけない快感と出会って、仕事が楽しくてしかたがない』と言う子もいました」

 旦那さんが相手してくれないから面接に来たという28歳の奥さんからは、「欲求不満を解消するために来たんですけど、やっぱり100%満たされないんで、親方、お願いします」と誘われた。

「そんなエロ映画みたいな世界が実際にあるんです。その奥さん、店ではゴムを付けていますが、誰もいなくなると、私のそばに来て耳もとでささやくんだ。『マスターだったら、今夜、ナマでいいです』って。その奥さんだけでなく、他の女の子たちからも結構、誘われました。さんざんお客さんにサービスしたり、されたりしても、仕事とは違うものを求めて来る。女の子の中には、仕事が終わって家に帰ったあと、毎日オナニーをしてしまう子がいるのもそのせいです」

 杉坂氏は、飛田に来てから、男だけでなく、女の業の深さにも驚かされた。その業の深さで、杉坂氏自身も窮地に陥ることになった─。
http://www.asagei.com/7536
http://www.asagei.com/7542
http://www.asagei.com/7546


大阪・飛田新地「遊女の真実」(後)

160軒近い店が並び、1日に1500人近い男たちが訪れる大阪・飛田新地。

その内幕を告白した「飛田で生きる」の著者・杉坂圭介氏は、01年から10年間、飛田料亭の経営に携わった。高校時代の先輩に「月に400万〜600万円儲かる」と誘われて始めたものの、そんな甘い世界ではなかった─。

 08年9月のリーマン・ショック以前は、それなりに稼げた時期もあり、女の子に恵まれると、実際に500万円近い利益を出せた月もあった。だが、それは一時的なもので、リーマン以降は客単価が下がりっ放し。最低目標とした300万円どころか、100万円にもならない月もあった。

「月1000万円売り上げても、女の子とオバちゃんの取り分を払ったら、手元に残るのは400万円。そこから家賃50 万円、求人広告費30万円、光熱費、ガソリン代とかを払ったら、利益は300万円。さらに他の風俗から女の子を引き抜くための資金もかかるのだから、仕事のリスクを考えたら、割りが合わない」

 仕事自体がリスキーだが、それ以外にも連絡もせず店を休む女の子や要領の悪いオバちゃんに胃を痛めたり、スカウトに行ってトラブルに巻き込まれる。接客態度を注意したら、逆恨みした女の子が他の子全員連れて店からいなくなったこともある。また、クスリをやっている子や未成年の子が年をごまかして面接に来たり、ネットに事実無根の悪口を書かれたりと、神経の休まる暇がない。加えて飛田特有の甘い罠も多い。

「飛田では、親方(マスター)でなく、女の子のほうから近づいてくることがよくある。仕事を終え、車で送って行くと『コーヒーが飲みたい』とか言って、ホテルに誘ってくる。ここがふんばりどころなんです。だけど、ふんばれない。その子が、ただ“したい”だけならいい。でも、絶対それだけで終わらない。親方に手をつけられた女の子は必ず他の女の子にこう言います。『ここだけの話、マスターとしちゃった』と」

 飛田の女の子の中には、他の子に差をつけたがって親方に近づいてくる子がいる。だから3日もすると、“私はマスターの女よ”という顔をし、店を仕切りだす。そうなると、他の女の子たちは「バカらしい!」となって、次々に辞めていき、店が成り立たなくなる。自業自得なのだが、飛田ではよくある話なのだ。

「『アタシがいるからええやん』と言うけど、その子が残っていると、ようやく入った新人もすぐに辞めてしまう。かといって、その子を無理やり辞めさすと変な噂を流されたりするから、邪険にできない。どうにもならなくて、あっという間に貯金もなくなる。悲しいのは、そんな痛い目にあっているのに、また同じことを繰り返す。『彼女なら大丈夫やろう』と思って、何回も裏切られるんです」

 杉坂氏だけでなく、飛田の親方たちの中には「今、目先の欲望で、こいつに手を出したら、店がガタガタになるな」とわかっていても、手をつけてしまう人が少なくないのだ。


 行為に対する抵抗が薄れているのか、今はろくに男性経験のない学生まで面接に来る。そういう子たちに、呼び込みのオバちゃんが、お客さんを呼べる笑顔の作り方、愛想の振り方を教えてあげて、商品に仕立てる。だが、プライドが高く、自分に自信を持っている子などは、年を取ったオバちゃんが何を言っても聞かない。そういう時がオバちゃんの腕の見せどころでもある。

「よその風俗なら、適当に修整した写真を載せておけば寝ていても仕事が来る。でも飛田では、実物が玄関に座って、極上の愛想を振りまかなければ、お客さんはつかない。どんな美人だって、ただ座って『はい、どうぞ』とやっていただけでは素通りされる。それをわからすために、プライドの高い子は、とりあえず思いどおりに座らせておく。そうすると自慢のお澄まし顔も、外からは怒っているようにしか見えないから、お客はつかないんです」

 だがその間、彼女と交代で玄関に座らせている子たち、美人度ではかなり落ちている子たちには、それなりに客がついている。というより、オバちゃんが気合いを入れて、客をつけているのだ。すると、その子も焦り始める。金銭に関して何らかの困った事情があって飛田に来たのだから、当然のことだろう。

「そこで、初めて聞く耳を持つ気になる。そのタイミングを見計らって、オバちゃんがアドバイスしてやるんです。

『これまでどんだけ男にモテたか知らんが、飛田に遊びに来るお客さんが求めるんは、自然に出るええ笑顔や』

と。言うことを聞いたら、強引にお客さんをつけて自信を持たす。そうやって女の子を育てる。そのへんは巧みなものです。仮にその子に客が20人つけば、それだけでオバちゃんは2万円の稼ぎになるわけですから」

 さらに、リーマン・ショック以降は、ごく普通の奥さん、風俗とは無縁に生きてきた奥さんが面接に来るケースが増えている。夫がリストラにあって、夫も公認で働きだすケースだと。

「旦那さんが店の近くまで車で送って来て、『頑張ってね』と。彼氏公認はいましたが、旦那さん公認は最近の傾向です。でもそういう旦那さんは奥さんが稼ぎだすと、働く意欲がなくなっていく。『自分が子供の世話をするから、お前が外で稼いで来い』って。それで家に帰って来た奥さんを癒やしてくれたらまだましだけど、『もっと稼げ』とかダメ出しする旦那さんがいる。それで奥さんから『もっと稼がせてください』と泣きつかれるんです。そこまでやらされて、何で離婚しないのか不思議ですね」

ここ何年間で、飛田の親方も急速に世代代わりをしている。昔からいた親方がいなくなり、30代の新経営者が増えてきた。その一方でママさんと呼ばれる女性経営者も増えていて、みずからも女の子を経験している彼女たちは、男にはできないアメとムチの使い分けで、店を回しているという。

「ママさんは、ふだんは
『何で、生理やからて休むんや、うちはそんなで休まんかった』
と厳しく接しながら、仕事を終えると、ホストクラブに連れて行き遊ばせてやる。でもただ遊ばせるのではなく、女の子にホストのおもしろさを教えて金遣いを荒くさせる。貯金できないようにすると、辞めないで、いつまでも働いてくれるから。賢いママさんだと裏でホストに
『この子はあんまりハメすぎると心が折れてしまうから、それ以上お金を落とさすな』
とか指示までしてます」


 そこまで割り切れるのは女性だからこそ。杉坂は贅沢を覚えさせるようなことはしなかった。逆に、飛田に引っ張り込んだ者の責任として、「ムダづかいはするな。稼げる時は短いんやから、しっかりためて大事に使えよ」と叱責し続けた。

「実際、うちにいた子は、1000万、2000万円と計画的に貯金している子も多かった。ただ問題は辞めたあと。しばらくすると貯金が底をついて戻って来る。その原因は全て男。ホストとかに全部吸われちゃう。去年も『3000万貯金したんで辞めます』と言ってたが、復帰してきた時には一銭も残ってなかった。飛田で稼いだお金は、どうしても羽振りがよくなる。何かあったら戻ればいい。戻ったら、またすぐに入ってくると思い、それで男に貢いじゃうんです」

 そうした中、現在、普通の生活を送っている子も少なくない。直接連絡をもらうことはないが、たまに世話になったオバちゃんに、手紙を出す子もいる。

「『結婚して、子供を産んで、夫と順調に生活してます』とか書かれていた。みんな結婚する時は黙って結婚する。互いのためにそのほうがいい。でも相手によっては、正直に話す子もいます。3年前、九州から来た40代ぐらいの男女から声をかけられました。女の人が『このへんに〇〇という店はありませんか? 私、そこで2年働いていたんです』と。親が働けない体だったので、自分と妹の学費、親の生活費を飛田で稼いでいたそうです。学校を卒業し、OLになり、ずっと独身だったけど、彼にプロポーズされた。それで飛田のことを正直に話したら事情を理解してくれて、『今度一緒に行ってみよう』と言われたそうです」

 最後に杉坂氏は、飛田が残ってきたのは、それなりに理由があると断言する。

「ここでしか働けないオバちゃんや、家族のために必要としている人がいる。浪費癖、ホスト遊びで借金まみれになり、最後のよりどころにする子たちもあとを絶たない。でもそれ以上の理由として、飛田がなくなれば、間違いなく性犯罪が増える。親方をやっていて目の当たりにした男たちの姿は、みんながみんな理性的ではありません。健全な街づくりにはガス抜きが必要で、不可欠な存在です」

 他にも風俗店はあるが、飛田でなくてはダメだという人が実に多い。杉坂氏はそうした人たちのために、現在はスカウトマンとして女の子探しに奔走している。
http://www.asagei.com/7781
http://www.asagei.com/7786
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飛田新地レポ


この日は大阪出張。関西の某都市で現地集合現地解散という前代未聞の状況なので、仕事が終わってから行く場所はひとつしかありません。

そう、飛田新地!

仕事は予定通り夕方に終わりました。同じ方向の電車に乗ったクライアントに

「アメ村に寄ってから帰りたいんですよ」

と欺き、JR天王寺駅で下車。次の電車に再び乗車し、新今宮駅で下車です。

ただ、当日は台風を思わせる大雨。

想像していた新今宮駅とは大きく違います。秋は日が落ちるのが早いから真っ暗だし、線路沿いを歩いていってもホームレスらしき人はいないし、893も見当たらない。

視界が悪いのでスーツを着ていても目立たない(と思う)ので、飛田新地初心者には大雨の日がオススメかもしれません。

ただ、街の雰囲気は極めてイカガワシイです……。

そこらじゅうに1泊1000円程度の安宿があり、オヤジ率が異常に高い。過疎化が進んでいる日本でも、平均年齢の高さで競ったら西成周辺はいい勝負をしそうです。

さらに日本随一と思えるのが物価。

カレーライスは300円、かけうどんは100円程度というのがこの辺りでの適正価格のようです。


そんな中、
予めiPhoneに登録していた飛田新地のアイコンを目指して散策。もちろん、事前にリサーチ済みですよ。

西成で写メを撮ったら殺される一般常識も、新今宮駅から飛田新地に向かう道すがらは治外法権ってコトもね。


そうこうしているうちに、見えてきました妖艶でソソラレル灯が!

ここまで歩いてきた街並とは別世界です。

スラム街を通り抜けて、遊郭に足を踏み入れた気分です。

事実、新今宮駅から飛田新地にかけては立派な(?)スラム街なんですけどね。


いよいよ飛田新地に潜入。

まずは状況と作法を把握するために周辺を散策です。相変わらず、すごい雨です。折り畳みの小さい傘を差すしかなかったんで、スーツも革靴もぐしょぐしょです。
といった天気だからか、YouTubeで見たような賑わいはありません。

需要と供給のバランスは明らかに需要側に分があるのでしょう。

扉が開け放たれた六畳一間から、ライトアップされた姫と呼び込みのおばちゃんがここぞとばかりに愛想を振りまいてきます。

それにしても、よくできてるシステムです。
どちらからメンズが歩いてきても分かるように、通りに肩を向けて座るおばちゃんの向かいには姿鏡が立てかけてあります。
そのおばちゃんがメンズに声をかけ、姫がニコっと笑うわけです。

その姫を照らすライトは美容研究家の故・鈴木そのこ氏を想像していただければ分かりやすいと思います。

もちろん、このライト効果で騙されるメンズも多いんだとか。


また、もうひとつ事前に調査して得た情報によると、ずらりと並ぶ六畳一間はそれぞれが料亭で、姫は仲居さんという位置づけなんだとか。

そして客は料亭で飲食するうちに仲居さんと恋に落ち、コトに至ってしまうという筋書き。そのため、コトに至ってしまうのは自由恋愛によるもので、決して売春じゃあない、という理屈がまかり通っているそうです。

そんな姫たちのプライバシーを守るべく、怖い本職のお兄さんたちがこの界隈を監視しておりました。だから当然、iPhoneをポケットから出すわけにもいきません。頭の中に叩き込んでおいた飛田新地案内図を広げ、状況把握に努めます。

その時に非常に役に立ったのが、

SHINGO☆西成とかいうラッパーの「ようこそここが飛田新地♪」で始まる歌。

「華、小松、笑福、椿〜♪」といった具合に、メイン通りから順に料亭名を羅列して道案内してくれます。

そして、「おすすめ田代♪」のある通りが、若くてかわいいコが多いと噂の青春通り。

この時点で、拙者の面食い度はかなり上がっています。

“普通にかわいい”がぞろぞろいて、関西流でいうところの“めっちゃかわいい”がチラホラいるんですもん。

さらに、

巨乳、ロリ、メガネ、優等生風、ギャル、AKB方面などなど、

実に多彩な女の子を用意してくれています。ホント、いつまで経っても決まらないっす。そんな嬉しい悩みを抱えながら「ようこそここが飛田新地♪」の歌から外れていくと、

なんだか姫の年齢層が高くなってきました。
姫の体重も徐々に増量しているようです。

そう、ここが妖怪通りで、奥に進むと妖怪通りその2があります。

好みは千差万別とはいえ、妖怪通りの料亭に入っていく客がいることにびっくりしてしまいました。

そして、鯛よし百番と嘆きの壁を見物した後、再び青春通りへ。

もう決めました。

さっき見かけた田中美保似のショートも気になるし、10年以上前の上村愛子を思わせる健康的美少女も捨てがたいけど、ニコッと笑う小柄で小顔のこのコに決めました。

というわけで、意を決して料亭の中へ。

「はじめてなんで、よく分からないんすよね」と拙者。

「あとは上で女の子と相談して」とおばちゃん。

熟練者から「もっと聞くことがあるやろ」と突っ込まれそうですが、これ以上悩んでも仕方がないので、いざ突撃です。

料亭に足を踏み入れた拙者は小顔で小柄な姫の案内で、階段を昇っていきます。
雨でずぶ濡れの拙者を見て、

「うわぁ、びしょびしょ」

と姫……。

ごめんなさい。浮き足立っていたので、料亭の名前も姫の名前もチェックしていません…。仕方がないので、とりあえず姫の名前はナミとしておきましょう。

だって、案内された部屋がワンピース一色なんですもん。

そこかしこにチョッパーのぬいぐるみやら、タオルが置かれています。
部屋の作りは四畳半が二間といった感じでしょうか。

拙者がまず通された部屋には折りたたみ式のちゃぶ台と座布団。
ちゃぶ台の上には、中華料理店にあるようなアクリルのメニュー表が立てられています。

15分11,000円、
20分16,000円……。

その下もありましたが、眼中にありませんでした。
すると、

「何分にします?」

とナミ。延長もできるみたいなので、

「15分でいい?」と拙者。

「全然いいですよ。じゃあ、準備してきますね」

あっという間に恋に落ちて、自由恋愛成立です。

ナミが出て行ってから、5分ぐらいは経ったでしょうか。まだ来ないので、部屋の中を凝視します。さすがにここでもiPhoneを出す勇気はありません。貼ってある飛田新地の地図を立って見ていると、襖をノックする音が。

ナミが麦茶とアメを持って現れました。

「じゃあ、脱いでください」

そう促すナミはもう脱ぎ始めています。ナミに遅れること15秒。拙者も素っ裸になりました。では、隣の部屋に敷いてある布団の上へ。

「ヒルルクの最期は泣いちゃったよ」

拙者にも少しワンピースの知識があるんです。

「あれは泣いちゃうよ」

拙者に跨がったナミが軽くチュッとしてくれます。

うぅん、カワイイ。間近で見てもカワイイ。
「ナァミすぅわぁん♡」と叫ぶサンジ君の気分です。

残念ながらオッパイはワンピースのナミのようにはいかずBカップ程度と小振りですが、乳頭はすっごくキレイです。肌のハリ、キレイな乳輪。

20歳前後と推定しました。
学生の頃に合コンした短大生グループの一番カワイイおしゃれなコといった雰囲気。合コンに来てるくせに彼氏がいることを公言する小悪魔的なあのコです。

その後、舌は拙者の乳首に到達し、柔らかい愛撫を頂戴しました。
そしてゴムフェラ。短時間ではあるけれど、なかなかの舌使いです。
もちろん、拙者の一物はパンパン。臨戦態勢は整いました!

ナミの舌使いでビンビンになった拙者の一物。
向かう先は決まっています。

ジュボジュポジュポと、チョッパーをモチーフにしたポンプからローションを出すナミ。ぬるりと拙者の一物に絡ませ、巧みに跨がります。薄い茂みの狭い入口に拙者の一物がじりじりと侵入していきます。

そういえば、きつい穴に一物を押し込んでいくこの感覚、どこかで味わったことがあるような……。

思い出しました!NK流です!
関東のちょんの間地帯として名を馳せた西川口の本サロに似ています。

だって、ローションでぬるぬるにしてから入れるなんて、普通はやらないですもんね。でも、このきつい感じがなんとも気持ちがイイんです。

ナミも喘ぎ声を出していますが、演技なのか真偽のほどはわかりません。

ただ、アソコの温かさが広がっていくような気が……。

調子に乗った拙者はナミの小振りなオッパイを鷲掴みにします。

バストを揉まれ、天井を仰ぎながら喘ぐ美女。
エロイです。たまらんです。

すると、ナミの腰の動きがゆっくりに。

「下になるね」

頷いた拙者はギンギンの一物をすぐに入れ、がんがんがんがん突き上げます。

やっぱり気持ちイイ。

肩を押さえつけ、さらに突きまくります。
ナミも拙者の首に手を回してくれています。
喘ぐ姿も実にカワイイです。

そんなことを思いながら、ゴムの中にたっぷり放出させていただきました!

フィニッシュとほぼ同時にタイマーが鳴り、ワンピース部屋から退散です。

その前に、ぺろぺろキャンディの袋をはがして、差し出してくれたナミ。ご厚意に甘え、パクリとくわえます。

「それを持ってると、終わって帰るところって合図なんです」

なるほど。お互いのために、そんな暗黙のルールがあるんですね。

急な階段を下りると、ひな壇には誰もいませんでした。ナミは再びそのままひな壇に座る模様。靴を履いた拙者に笑顔で手を振ってくれています。

ホントにいいコです。ちょっと名残惜しいけど、退散です。


料亭を出て行く時は、入る時よりも気恥ずかしいです。すっきりした表情をうまく隠せているでしょうか。平然を装います。何事もなかったかのような顔をして、ぺろぺろキャンディを頬張る拙者は周りからはどのように見えるのでしょうか。気になるというよりも、興味があります。

それにしても、ぺろぺろキャンディの威力は凄まじいです。手に持っているだけでも声をかけられないし、死角で持つとすぐさま「おにいさん!」です。

その後は西成の激安商店街を通り抜け、地下鉄御堂筋線に乗って心斎橋へ。
お好み焼きを食して帰省しました。
というわけで飛田新地の総評。


5分あたり約4,000円の計算になるので、分単位で換算すると吉原と同等。
ソープのオイシイところだけを味わえるので、せっかちな人にはいいかも。

ただ、拙者はキス好きだし、もっと触りたかったので、ちょっと物足りなかったですね。
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/375169.html
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/388457.html
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/399445.html
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/411054.html
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/417874.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c153

[原発・フッ素49] 悪化が速い高齢者の認知症が増加か 「トシだから仕方がない」ですませず、できるだけ被ばく回避を  魑魅魍魎男
5. 中川隆[-12561] koaQ7Jey 2018年5月23日 12:39:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)
精神科救急24時 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E6%95%91%E6%80%A524%E6%99%82part

真実を知りたければ:


発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


ネットの発達により放射線被害妄想は統一化され、同じような被害を訴える統合失調症患者が多くなった。このような患者たちは同じ願いを持っている。
すなわち早く原発や放射能被害から楽になりたいという切実な願いだ。

ここで彼らが病識を持っていたら精神科に行き、それで解決する。だが、残念ながら妄想の統一化と交流により強固な妄想を抱いた彼らが病識を有することは稀で結果として悪質な再生エネルギービジネスに騙されることになる。

認知機能障害などで判断力が鈍っていることもこれらに騙されることを後押ししてしまう。また、あなたがもし実は統合失調症だとして、他人に「あなたは統合失調症だ。治療が必要だ」と言われてもすぐに納得できる方はいないだろう。

狂気は本人では気づかない。よって患者たちは自らの苦痛を削減する手段を精神治療以外の何らかに求めることになる。ここに再生エネルギービジネスは浸けこんでくるわけである。


ネットを通した統合失調症患者同士の交流は、残念ながら放射能被害妄想の強化にしかなっていないのが現状だ。

類は友を呼ぶ、ではないが同じ放射能被害妄想の者同士で集まり、外部からの声を排除してしまっては妄想が強固にならざるをえないのだ。また、妄想の特徴として外部から妄想を否定すればするほど妄想は強固に、複雑になるという厄介な性質がある。

掲示板などで善意で統合失調症患者に「それは妄想だ」と訴える方がいるが、実はそれは逆効果なのである。一番良い方法は とにかく精神科に連れて行く以外にないのだ。

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/767.html#c5

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
154. 中川隆[-12566] koaQ7Jey 2018年5月23日 12:49:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

飛田新地 - YouTube 動画
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飛田新地でガッツリ稼げる料亭求人情報|これで全部わかる!飛田のこと
http://huuzoku55.com/tobita-job-offer/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c154

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
155. 中川隆[-12565] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:00:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

2013.6.10
飛田新地で働く人たちが街を去る理由とは?

現役スカウトが描く「漂白」される飛田の10年後
【スカウトマン・杉坂圭介×社会学者・開沼博】
http://diamond.jp/articles/-/37023


売春島や歌舞伎町のように「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、大阪・飛田新地の元遊郭経営者であり、現在もスカウトマンとして活躍する杉坂圭介。

『漂白される社会』(ダイヤモンド社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%BC%82%E7%99%BD%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E9%96%8B%E6%B2%BC-%E5%8D%9A/dp/4478021740

の刊行を記念して、「漂白」されつつある飛田の現在・未来をひも解く異色対談。

最終回は、飛田で働く「おばちゃん」「女の子」「親方(経営者)」が街を去っていく理由に迫りながら、現役スカウトによって「漂白」が進む飛田新地の10年後が語られる。

引退した女の子が「おばちゃん」に転身

開沼 本を読むと、飛田にとって「おばちゃん」の存在がとても重要だと感じます。おばちゃんの現状、また、おばちゃんを辞めた方はどうされていますか?

杉坂 もうね、辞めたおばちゃんは、年金を貰う、生活保護を受ける、子どもを産んで世話になる方がほとんどだと思います。昔は、1日3万、4万持って帰っている人もいたんですけど、いまは正直、持って帰れても1万か2万じゃないですか。

 最近になって聞くと、おばちゃんの保証が昔は1日働いて1万くらいはあったんですけど、いまは保証を出さない店も多いらしくて、朝から働いて3000円のおばちゃんもいるらしいですからね。貯金できているおばちゃんはいないんじゃないですかね。

開沼 「おばちゃん」という響きからも若い方はあまりいないように感じますが、新しいおばちゃんはどのように確保するんですか?


杉坂 おばちゃんのほうこそ、基本的には横のつながりなんです。メイン通りの女の子がお年を召してばばあ通りに行きますよね。で、ばばあ通りのほうでも「そろそろ自分やばいんじゃないかな」となったら、そこからおばちゃんに変わるんですよ。

 仲良かったおばちゃんに相談して、「おばちゃん、そろそろ私おばちゃん商売かなぁ」「じゃあ、どこどこの店紹介してやるよ」とこんな感じです。突然、外部から来るのはめずらしいですね。ほとんどが卒業生です。

開沼 経験者だからこそ勝手がわかる部分もあると。

杉坂 親の心子知らずではないですけど、おばちゃんになってはじめておばちゃんの苦労がわかるってみんな言いますよ。それまでは、おばちゃんに「あーせえ、こーせえ」言ってた女の子が、今度は言われる側ですから(笑)。若いおばちゃんだと40歳くらい、30代の人もいるんじゃないですかね。ただ、全体的には60代でしょうね。

開沼 飛田で働く女の子がいる限り、おばちゃんはいなくならないと。

杉坂 どうなんでしょうね。いまは20代をメイン通りで過ごして、30代をばばあ通りでと、長く飛田で過ごす女の子も減ってきてますからね。結婚するから20代で辞めるというのが多いですから。

 ただ、30歳、40歳まで主婦をやって、そこで離婚して母子家庭になったらばばあ通りに戻ってきたり、もうちょっとしてから人生やり直すためにおばちゃんになったりとか。そんときに、当時のおばちゃんや経営者さんに電話したりもあるんじゃないですかね。


女の子は結婚して引退か、それとも“飛ぶ”か

開沼 「飛田が人を活かしている」と書かれています。この状況はいまでも変わりませんか?

杉坂 そうですね、精神的に不安定だったりする女の子も受け入れてます。あと、本当はあってはダメなんですけど、「16時に来なさい」と言って17時や18時に来ても、その場は務まるんですよね。スーパーマーケットでそれやったら「君、明日から来なくていいよ」ってなるんでしょうけど。無断欠勤があっても、次の日に「すいませんでした」で済むのが飛田なんで。そういう意味ではいろんな子が働ける場所ですよね。

開沼 飛田を辞めた女の子たち、働けなくなってしまった人たちはいま何をされているんですかね?

杉坂 結婚している人が多いですね。普通に「マスター、長いことありがとうございました」って挨拶してくる子は結婚です。それ以外は“飛び”ます。たいがい飛びます。

開沼 それはどこに飛ぶんですか?

杉坂 詳しくはわからないんですけど、九州の子に聞いたら、最初はとりあえず東京に行くんですって。東京でやばくなったら名古屋に来て、名古屋でやばくなって大阪に来て。「お前もいずれ飛ぶんかい?」って聞いたら「飛ぶかもしれませんね」って。それでほんまに飛びますからね(笑)。

開沼 飛ぶ子の特徴ってありますか?飛ぶ理由など。

杉坂 金がらみが多いです。あとは、親バレ、友達バレですね。僕の店にはいませんでしたけど、友達にメールをしてお客さんを引く子もいるらしいです。以前働いていた風俗・ヘルスの客を引く子もいますけど、それは少ないです。

 なんでかというと、ヘルスの子は「いつもは本番をさせてないけど、あなただけ特別に本番をさせてた」というトークを使っていた子が多いらしいんですよ。それが「飛田では全員と本番してるやろ」って客が冷めるらしいんで、「逆に言えない」って言ってましたね。

開沼 新規参入もあり、料亭の軒数は増えているとおっしゃっていました。一方で、働きたいとやって来る人の数はどうですか?

杉坂 減ってます。多くの店が求人誌に頼ってますね。関西で有力な風俗求人誌があるんですけど、飛田、松島、信太山の3つで35軒ほどの料亭が載っています。飛田が160軒、松島が100軒、信太山で40〜50軒、だいたい300軒として、10%くらいが求人に頼っています。

 見番屋さんって特殊なんですよね。ここに行ってもあそこに行っても、提携してたら同じ子が来るっていうスタイルなんで。でも、残りはスカウト絡みですよ。スカウトが飛田は稼げると思ってますから。でも、いまはいい子がいたら、飛田じゃなくて福原のソープに回しているみたいです。飛田出身の人間は飛田をひいき目に見ますけど、客観的に見るヤツはソープに流してますね。


なぜ飛田には沖縄の女の子が多いのか?

開沼 スカウトや求人ではなく、自分から玄関を叩いて来る場合もありますか?

杉坂 いますよ、それは。入り口に看板がありますから、自分でパッと見て雰囲気が良さそうな店を選ぶとか。ちょっと知識がある子は、おばちゃんを見て、怖そうなおばちゃんがいる店にはいかないって(笑)。

開沼 店を探して普通に歩いているんですか?

杉坂 誰かの車に乗せてもらったり、歩いている子もいますよ。その代わり、おばちゃんから「姉ちゃん働くの?」やらぶわ〜と言われますから。店を探している子と出勤のために歩いている子はなんか違うんですよ。店を探してる子はキョロキョロしますけど、出勤する子はうつむいてまっしぐらに早歩きしますから。昔は店の前までタクシーで来ていましたけど、いまは電車通勤が多いですね、交通費がもったいないから。稼げない子ほどタクシーで来ます(笑)。

開沼 なるほど。地域を転々としている場合もあれば、関西出身、あるいは東京から働くためにわざわざ来る場合もありますよね。出身地域の特徴はありますか?

杉坂 街全体で考えると、一番多いのは沖縄ちゃいますか。沖縄はね、夏場はカップルが来るからダメなんですって。「夏場は集客多いやろ?」って言ったら、「夏場はカップルで来るからうちらに来ない。だからプロ野球のキャンプが終わったらこっちに来る」ですって(笑)。

 沖縄も真栄原社交街がなくなっちゃいましたよね。そこらへんで働いていた子がこっちに来たりとか。でも、僕らから見ると、暑い国の女の子って働かないですよ(笑)。もうちょっと真面目に働いてと思います。

 松島や信太山なんか行っても、だいたい沖縄から来ている子は友達を頼って来るんですよ。友達が先に働いているからと。次がネットの求人ですかね。昔は地元のスカウトが全部手配しましたけど、いまはネットで選んで来てます。

開沼 やはり、雇用不足が要因になっているようで興味深いですね。沖縄以外では地域の偏りはありますか?

杉坂 僕の周りでは、東京・名古屋・福岡以外は来てますよね。田舎のほうだとキャバクラの時給が2000円くらいだと聞きますから。大阪で3000円〜3500円くらい。東京だともっと稼げると思いますけど、やっぱり賃金格差ですね。

 あとは長崎か大分だったと思いますけど、風俗がまともにないと言ってました。出会いメールやハッピーメールでやると聞きますし、「ムラがすごくあるので、飛田に働きに来ました」と言ってましたけど。


遊郭経営者は死ぬまで辞められない

開沼 おばちゃん、女の子と同じくらい、「元・経営者の方のいま」が気になります。経営者を引退された方はどうするんですか?

杉坂 死ぬ、ですね、現役引退の場合のほとんどが。自分の店だったら、所有権を持っていれば誰かに貸せますからいいですけど、賃貸でやってる人は一生続けるしかないでしょう。若い子なんかは見切りをつけて辞める子もいます。でも、年いったら次の仕事ないでしょうから。若い子だと辞めてからスカウトに転身している子が多いですよ。

 女の子もいなくて、探す気力もないという方は廃業して、まあたぶん元やってはった業界に戻りはるんでしょうね。それしか道がないと思いますね。辞めたときに「女の子いたら紹介しますね」と言って別れますが、そこから連絡を取ることはないですね。

開沼 親方は結婚されている方がほとんどですか?

杉坂 そうですね、ほとんど結婚していますね。40歳以上くらいの人は。亡くなるときは、奥さんがいて、病院に入ってと普通のパターンです。

開沼 ご自身が店をやっていたときに働いていた女性から連絡はありますか?

杉坂 メールはありますよ。辞めてからも「結婚しました」とか、メールで交流がある子はいますけどね。「俺の名前なんか載せてたら具合悪いやろ?」って言ったら、「大丈夫、女の子の名前にしているから」なんてね(笑)。「マスターからのメール来たらすぐ消すし」「そのほうがええ」って。

開沼 相談相手のような役割を果たされていると。

杉坂 ほかの店よりも距離だけは縮めとこうというスタンスはありました。それを生温いと批判する方もいると思いますが。30代の経営者さんは、なんだかんだ遊び感覚の付き合いというか、そんな感じでやってるんじゃないですかね。「店終わったらクラブ行こうや」とか聞きますし。

 距離を詰める人は結構詰めるんですよ。それが原因で、「なんで前の店辞めたの?」と聞くと「セクハラです」とかもあります。でも、いまは怖いですよ、ネットに書かれますからね。「どこどこの店のマスターは講習とか言って…」と。昔は、自分の店に自分の女を置いたりする店もあったと聞きますけど、いまそんなんしたら1発で店がグシャグシャになりますからね。

潰されるとしても飛田は最後に
スカウトマンが描く10年後

開沼 5年後、10年後、飛田の街はどうなっていると思いますか?東京でも繁華街浄化作戦のような動きがいろいろありましたし、大阪でもダンス規制のように行政が突然牙をむくこともあったわけですが。

杉坂 たぶん、たぶんですけど、これも二極化じゃないですけど、潰すにしても飛田は最後になると思います。松島とか信太山、今里、滝井ってたくさんあるんでね。潰すと名前が大きく出るけど、大勢に影響がないのは今里と滝井なんですよ。今里は4〜5軒、滝井がたしか8軒だったかな。じゃあ、その8人はどうすんねんて話でもありますが。

 警察はたぶん知ってると思うんですけど、滝井新地はみんな松島新地の支店なんですよ。だから、「あそこを潰しても松島で生き残れるやろ」という感じもあるかもしれません。ただ、街全体を潰すならまず今里。今里は在日の方なので、日本人じゃないことが不利なんですよ。

開沼 なるほど。

杉坂 西成区は飛田があって、あいりん地区があってというダークなイメージは変わらないので、まずは違法な部分を取り締まるとかはあるかもしれませんね。でも、こういうことをすると最後まで不法なところが残るんです。出会い喫茶だって、摘発されても同じ場所で同じ許可出してますから、あれはどうかと思います。

 ヘルスとかソープとか、デリヘルも許可制から届出制に変わったこともあって、営業する側のレベルも落ちたと思います。まずは、そういうところを先にやってほしいなというのが願望です。僕ら飛田の人間からすると、ほかに潰す順番があるだろと思いますけど。

開沼 なるほど。そして、現在2作目を執筆中だと聞いています。これからも実態を伝えていきますか?

杉坂 実態を伝えていきたいですね。次も飛田の話を書きます。もう少し見識が増えたら、飛田とはまったくシステムが違う松島、信太山の実態なんかも書けたらなと思います。
http://diamond.jp/articles/-/37023

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c155

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
35. 中川隆[-12564] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:01:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

2013.6.10
飛田新地で働く人たちが街を去る理由とは?

現役スカウトが描く「漂白」される飛田の10年後
【スカウトマン・杉坂圭介×社会学者・開沼博】
http://diamond.jp/articles/-/37023


売春島や歌舞伎町のように「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、大阪・飛田新地の元遊郭経営者であり、現在もスカウトマンとして活躍する杉坂圭介。

『漂白される社会』(ダイヤモンド社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%BC%82%E7%99%BD%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E9%96%8B%E6%B2%BC-%E5%8D%9A/dp/4478021740

の刊行を記念して、「漂白」されつつある飛田の現在・未来をひも解く異色対談。

最終回は、飛田で働く「おばちゃん」「女の子」「親方(経営者)」が街を去っていく理由に迫りながら、現役スカウトによって「漂白」が進む飛田新地の10年後が語られる。

引退した女の子が「おばちゃん」に転身

開沼 本を読むと、飛田にとって「おばちゃん」の存在がとても重要だと感じます。おばちゃんの現状、また、おばちゃんを辞めた方はどうされていますか?

杉坂 もうね、辞めたおばちゃんは、年金を貰う、生活保護を受ける、子どもを産んで世話になる方がほとんどだと思います。昔は、1日3万、4万持って帰っている人もいたんですけど、いまは正直、持って帰れても1万か2万じゃないですか。

 最近になって聞くと、おばちゃんの保証が昔は1日働いて1万くらいはあったんですけど、いまは保証を出さない店も多いらしくて、朝から働いて3000円のおばちゃんもいるらしいですからね。貯金できているおばちゃんはいないんじゃないですかね。

開沼 「おばちゃん」という響きからも若い方はあまりいないように感じますが、新しいおばちゃんはどのように確保するんですか?


杉坂 おばちゃんのほうこそ、基本的には横のつながりなんです。メイン通りの女の子がお年を召してばばあ通りに行きますよね。で、ばばあ通りのほうでも「そろそろ自分やばいんじゃないかな」となったら、そこからおばちゃんに変わるんですよ。

 仲良かったおばちゃんに相談して、「おばちゃん、そろそろ私おばちゃん商売かなぁ」「じゃあ、どこどこの店紹介してやるよ」とこんな感じです。突然、外部から来るのはめずらしいですね。ほとんどが卒業生です。

開沼 経験者だからこそ勝手がわかる部分もあると。

杉坂 親の心子知らずではないですけど、おばちゃんになってはじめておばちゃんの苦労がわかるってみんな言いますよ。それまでは、おばちゃんに「あーせえ、こーせえ」言ってた女の子が、今度は言われる側ですから(笑)。若いおばちゃんだと40歳くらい、30代の人もいるんじゃないですかね。ただ、全体的には60代でしょうね。

開沼 飛田で働く女の子がいる限り、おばちゃんはいなくならないと。

杉坂 どうなんでしょうね。いまは20代をメイン通りで過ごして、30代をばばあ通りでと、長く飛田で過ごす女の子も減ってきてますからね。結婚するから20代で辞めるというのが多いですから。

 ただ、30歳、40歳まで主婦をやって、そこで離婚して母子家庭になったらばばあ通りに戻ってきたり、もうちょっとしてから人生やり直すためにおばちゃんになったりとか。そんときに、当時のおばちゃんや経営者さんに電話したりもあるんじゃないですかね。


女の子は結婚して引退か、それとも“飛ぶ”か

開沼 「飛田が人を活かしている」と書かれています。この状況はいまでも変わりませんか?

杉坂 そうですね、精神的に不安定だったりする女の子も受け入れてます。あと、本当はあってはダメなんですけど、「16時に来なさい」と言って17時や18時に来ても、その場は務まるんですよね。スーパーマーケットでそれやったら「君、明日から来なくていいよ」ってなるんでしょうけど。無断欠勤があっても、次の日に「すいませんでした」で済むのが飛田なんで。そういう意味ではいろんな子が働ける場所ですよね。


開沼 飛田を辞めた女の子たち、働けなくなってしまった人たちはいま何をされているんですかね?

杉坂 結婚している人が多いですね。普通に「マスター、長いことありがとうございました」って挨拶してくる子は結婚です。それ以外は“飛び”ます。たいがい飛びます。

開沼 それはどこに飛ぶんですか?

杉坂 詳しくはわからないんですけど、九州の子に聞いたら、最初はとりあえず東京に行くんですって。東京でやばくなったら名古屋に来て、名古屋でやばくなって大阪に来て。「お前もいずれ飛ぶんかい?」って聞いたら「飛ぶかもしれませんね」って。それでほんまに飛びますからね(笑)。

開沼 飛ぶ子の特徴ってありますか?飛ぶ理由など。

杉坂 金がらみが多いです。あとは、親バレ、友達バレですね。僕の店にはいませんでしたけど、友達にメールをしてお客さんを引く子もいるらしいです。以前働いていた風俗・ヘルスの客を引く子もいますけど、それは少ないです。

 なんでかというと、ヘルスの子は「いつもは本番をさせてないけど、あなただけ特別に本番をさせてた」というトークを使っていた子が多いらしいんですよ。それが「飛田では全員と本番してるやろ」って客が冷めるらしいんで、「逆に言えない」って言ってましたね。

開沼 新規参入もあり、料亭の軒数は増えているとおっしゃっていました。一方で、働きたいとやって来る人の数はどうですか?

杉坂 減ってます。多くの店が求人誌に頼ってますね。関西で有力な風俗求人誌があるんですけど、飛田、松島、信太山の3つで35軒ほどの料亭が載っています。飛田が160軒、松島が100軒、信太山で40〜50軒、だいたい300軒として、10%くらいが求人に頼っています。

 見番屋さんって特殊なんですよね。ここに行ってもあそこに行っても、提携してたら同じ子が来るっていうスタイルなんで。でも、残りはスカウト絡みですよ。スカウトが飛田は稼げると思ってますから。でも、いまはいい子がいたら、飛田じゃなくて福原のソープに回しているみたいです。飛田出身の人間は飛田をひいき目に見ますけど、客観的に見るヤツはソープに流してますね。


なぜ飛田には沖縄の女の子が多いのか?

開沼 スカウトや求人ではなく、自分から玄関を叩いて来る場合もありますか?

杉坂 いますよ、それは。入り口に看板がありますから、自分でパッと見て雰囲気が良さそうな店を選ぶとか。ちょっと知識がある子は、おばちゃんを見て、怖そうなおばちゃんがいる店にはいかないって(笑)。

開沼 店を探して普通に歩いているんですか?

杉坂 誰かの車に乗せてもらったり、歩いている子もいますよ。その代わり、おばちゃんから「姉ちゃん働くの?」やらぶわ〜と言われますから。店を探している子と出勤のために歩いている子はなんか違うんですよ。店を探してる子はキョロキョロしますけど、出勤する子はうつむいてまっしぐらに早歩きしますから。昔は店の前までタクシーで来ていましたけど、いまは電車通勤が多いですね、交通費がもったいないから。稼げない子ほどタクシーで来ます(笑)。

開沼 なるほど。地域を転々としている場合もあれば、関西出身、あるいは東京から働くためにわざわざ来る場合もありますよね。出身地域の特徴はありますか?

杉坂 街全体で考えると、一番多いのは沖縄ちゃいますか。沖縄はね、夏場はカップルが来るからダメなんですって。「夏場は集客多いやろ?」って言ったら、「夏場はカップルで来るからうちらに来ない。だからプロ野球のキャンプが終わったらこっちに来る」ですって(笑)。

 沖縄も真栄原社交街がなくなっちゃいましたよね。そこらへんで働いていた子がこっちに来たりとか。でも、僕らから見ると、暑い国の女の子って働かないですよ(笑)。もうちょっと真面目に働いてと思います。

 松島や信太山なんか行っても、だいたい沖縄から来ている子は友達を頼って来るんですよ。友達が先に働いているからと。次がネットの求人ですかね。昔は地元のスカウトが全部手配しましたけど、いまはネットで選んで来てます。

開沼 やはり、雇用不足が要因になっているようで興味深いですね。沖縄以外では地域の偏りはありますか?

杉坂 僕の周りでは、東京・名古屋・福岡以外は来てますよね。田舎のほうだとキャバクラの時給が2000円くらいだと聞きますから。大阪で3000円〜3500円くらい。東京だともっと稼げると思いますけど、やっぱり賃金格差ですね。

 あとは長崎か大分だったと思いますけど、風俗がまともにないと言ってました。出会いメールやハッピーメールでやると聞きますし、「ムラがすごくあるので、飛田に働きに来ました」と言ってましたけど。


遊郭経営者は死ぬまで辞められない

開沼 おばちゃん、女の子と同じくらい、「元・経営者の方のいま」が気になります。経営者を引退された方はどうするんですか?

杉坂 死ぬ、ですね、現役引退の場合のほとんどが。自分の店だったら、所有権を持っていれば誰かに貸せますからいいですけど、賃貸でやってる人は一生続けるしかないでしょう。若い子なんかは見切りをつけて辞める子もいます。でも、年いったら次の仕事ないでしょうから。若い子だと辞めてからスカウトに転身している子が多いですよ。

 女の子もいなくて、探す気力もないという方は廃業して、まあたぶん元やってはった業界に戻りはるんでしょうね。それしか道がないと思いますね。辞めたときに「女の子いたら紹介しますね」と言って別れますが、そこから連絡を取ることはないですね。

開沼 親方は結婚されている方がほとんどですか?

杉坂 そうですね、ほとんど結婚していますね。40歳以上くらいの人は。亡くなるときは、奥さんがいて、病院に入ってと普通のパターンです。

開沼 ご自身が店をやっていたときに働いていた女性から連絡はありますか?

杉坂 メールはありますよ。辞めてからも「結婚しました」とか、メールで交流がある子はいますけどね。「俺の名前なんか載せてたら具合悪いやろ?」って言ったら、「大丈夫、女の子の名前にしているから」なんてね(笑)。「マスターからのメール来たらすぐ消すし」「そのほうがええ」って。

開沼 相談相手のような役割を果たされていると。

杉坂 ほかの店よりも距離だけは縮めとこうというスタンスはありました。それを生温いと批判する方もいると思いますが。30代の経営者さんは、なんだかんだ遊び感覚の付き合いというか、そんな感じでやってるんじゃないですかね。「店終わったらクラブ行こうや」とか聞きますし。

 距離を詰める人は結構詰めるんですよ。それが原因で、「なんで前の店辞めたの?」と聞くと「セクハラです」とかもあります。でも、いまは怖いですよ、ネットに書かれますからね。「どこどこの店のマスターは講習とか言って…」と。昔は、自分の店に自分の女を置いたりする店もあったと聞きますけど、いまそんなんしたら1発で店がグシャグシャになりますからね。

潰されるとしても飛田は最後に
スカウトマンが描く10年後

開沼 5年後、10年後、飛田の街はどうなっていると思いますか?東京でも繁華街浄化作戦のような動きがいろいろありましたし、大阪でもダンス規制のように行政が突然牙をむくこともあったわけですが。

杉坂 たぶん、たぶんですけど、これも二極化じゃないですけど、潰すにしても飛田は最後になると思います。松島とか信太山、今里、滝井ってたくさんあるんでね。潰すと名前が大きく出るけど、大勢に影響がないのは今里と滝井なんですよ。今里は4〜5軒、滝井がたしか8軒だったかな。じゃあ、その8人はどうすんねんて話でもありますが。

 警察はたぶん知ってると思うんですけど、滝井新地はみんな松島新地の支店なんですよ。だから、「あそこを潰しても松島で生き残れるやろ」という感じもあるかもしれません。ただ、街全体を潰すならまず今里。今里は在日の方なので、日本人じゃないことが不利なんですよ。

開沼 なるほど。

杉坂 西成区は飛田があって、あいりん地区があってというダークなイメージは変わらないので、まずは違法な部分を取り締まるとかはあるかもしれませんね。でも、こういうことをすると最後まで不法なところが残るんです。出会い喫茶だって、摘発されても同じ場所で同じ許可出してますから、あれはどうかと思います。

 ヘルスとかソープとか、デリヘルも許可制から届出制に変わったこともあって、営業する側のレベルも落ちたと思います。まずは、そういうところを先にやってほしいなというのが願望です。僕ら飛田の人間からすると、ほかに潰す順番があるだろと思いますけど。

開沼 なるほど。そして、現在2作目を執筆中だと聞いています。これからも実態を伝えていきますか?

杉坂 実態を伝えていきたいですね。次も飛田の話を書きます。もう少し見識が増えたら、飛田とはまったくシステムが違う松島、信太山の実態なんかも書けたらなと思います。
http://diamond.jp/articles/-/37023

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c35

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
36. 中川隆[-12563] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:05:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]
星野リゾートの為に「ディープな大阪」が消滅してしまう理由

中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威


梅毒の患者数、5千人を初突破 最多は東京、都は対策本腰へ 2018年1月5日

 性行為などで感染する梅毒が若い女性らに広がり、国立感染症研究所の集計によると2017年の患者数は、現行の集計方式となった1999年以降で初めて全国で5千人を超えたことが分かった。うち3割を占め、患者数が最多の東京都は感染拡大に歯止めをかけるため、18年度から検査態勢拡充などの対策に本腰を入れる方針だ。

 同研究所によると、17年12月17日までに報告された患者数は5534人。都道府県別で見ると東京都が1705人と最多で、大阪府(788人)愛知県(325人)神奈川県(312人)など都市部で目立つ。

 20年東京五輪・パラリンピックを控え、都は拡大を懸念する。

(共同)

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ZAKZAK【感染大陸中国】
中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威 2014.10.07


中国国慶節(建国記念日)の大型連休(1〜7日)真っ直中。円安・人民元高も加わり、日本を訪れる中国人観光客はいつになく多い。ここ数年、消費の起爆剤として期待されるようになった彼らだが、負の側面も顕在化。風俗業界では沈静化したはずの性病が再流行し、その原因として隣国からの“お得意さん”の影響がささやかれている。日本の風俗業界が直面する感染症の現実と中国人客、そして中国国内でのずさんな衛生実態をジャーナリストの奥窪優木氏が5回にわたってリポートする。

 70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱は、17都道府県あわせて154人(4日現在)が発症する事態となった。西アフリカではエボラ出血熱の感染拡大が世界的な危惧となり、日本でも検疫所による水際対策が強化されるなど「対岸の火事」ではなくなってきた。

 新旧感染症への不安が高まるなか、日本国内の“ある場所”で猛威を振るっている別の感染症がある。

 都内デリバリーヘルスの男性店長、A氏(29)によると、店で働く女の子たちの間で、性感染症にかかるリスクが高まっているのだ。

 同店では、風俗嬢として働く女性に、月に1回の性病検査を義務付けているが、2年ほど前から陽性の結果が出る頻度が高まっているという。在籍する20人ほどの女の子のうち、最近はほぼ誰かが感染している状態で、クラミジアや淋菌のほか、梅毒が喉から検出されることが多いという。

 以前は、半年に1人に陽性が出るか出ないかの程度だったというから、アウトブレーク(感染爆発)状態にあると言えるかもしれない。

同店では、コンドームなしでのフェラチオや素股といった粘膜接触を通常サービスとして提供しており、さらに別の客へと感染が広がる可能性も高い。「あの店で性病をうつされた」という噂がネットで広がれば店にとって死活問題であるため、各店の店長らは対応に苦慮している。

 こうした異常事態の原因について、A氏が心当たりとして挙げるのが、外国人客の増加だ。

 日本の性風俗店のほとんどは、もともと外国人客お断りが原則だった。ところが長引く不況で客足が低迷するなか、方針転換を図った店も多い。

 A氏の店もその1つで、2年ほど前から外国人への門戸も開いた。ここ数カ月では売り上げの約1割がアジア系の外国人で、「おそらくほとんどが中国人」とA氏は話す。

 「日本語が分かる通訳か、ガイドが電話してきて、彼らが宿泊しているホテルに出張することが多く、中国系の団体旅行者の場合、4〜5人の客からまとめて注文が入ることもある」(A氏)。店にとっては上客なのである。

 外国人客を受け付けるかどうかは女の子に委ねられているが、「性病検査で陽性が出る割合は、外国人客OKの女の子が圧倒的に多い」というから感染経路は推して知るべしだ。

 昨年、日本を訪れた外国人旅行者は1000万人の大台を初めて突破。あらゆる業界が彼らの財布をターゲットにしているが、風俗業界も例外ではない。しかしそこには、負の側面も潜んでいるのだ。 =つづく

 ■奥窪優木(おくくぼ・ゆうき) 1980年、愛媛県生まれ。上智大経済学部卒。2004年に渡米、出版社・新聞社勤務を経てフリーに。07年から中国・広州で取材活動を開始。08年に帰国し、中国の社会問題を週刊誌などで執筆中。著書に『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社)、『中華バカ事件簿』(同)など。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20141007/frn1410071545004-n1.htm

 裏で囁かれていること。風俗の主力客は日本人でなくなる?

高級、中級、格安問わず、すべての風俗で外国人の男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている。

外国人と言えばアメリカ人やイギリス人を思い浮かべるのは遅れている。

欧米の人々もくるが、日本で最も多い外国人は、日本政府観光局の出している2017年のデータによると、中国人・韓国人・台湾人・香港人・タイ人の順番となっている。

しかも、中国・韓国人の訪日客数は他を圧倒的に引き離しており、アメリカ人と比べるとその差は5.2倍近くもある。

だから、分かりやすく言おう。「男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている」と言えば、中国人と韓国人が日本の風俗嬢を買い漁っているということだ。

実際、大手の風俗サイトは中国人と韓国人の需要を見込んでいて、サイトをこれらの国の言葉でも作って客を募っている。

この動きは、風俗に関心がない表社会の人々にはまったく知られていない事実なのだが、ここ数年前から起きている大きな潮流である。

先日、超激安の地雷専門デリヘル店の女性にも話を聞いたのだが、私は気になって「この店にも外国人の客は来るのか?」と尋ねてみた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180218T0446160900.html


HIV感染は防げるが風俗嬢が見殺しにされる理由とは?

日本の風俗は性病に無防備すぎる。ソープランドではコンドームなしの性行為が日常的に行われていたり、デリヘル等では精液を口で受けたりする。

こんな危険な性サービスが常態化していたのは、日本人は「病気にかかったら病気を治す」というのが常識として定着しているため、性病を持ったまま風俗を渡り歩く人が男女共に少ないからだと言える。

世界は違う。淋病にかかろうが、梅毒にかかろうが、尖圭コンジローマにかかろうが、HIVに感染しようが、それでも医者にかからない人が大勢いる。

貧困で医者にかかれない人もいるのだが、もともと身体の異常に無頓着な人も多い。性病の発症があっても、それを性病と認識しないこともある。

だから、性病を放置したままになりやすい。淋病も梅毒もエイズもいったんそこで流行すると、アウトブレイクするのはそのせいだ。

近年の日本は大量の外国人を受け入れており、欧米人からアジア人までが日本の風俗嬢を買い漁る状況になっている。無防備極まりない日本の性サービスと、性病に無頓着な外国人が出会うことによって何が起きるのかは火を見るより明らかだ。

日本の風俗嬢は、今後は性病地獄に陥るのである。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180117T0200420900.html

風俗嬢が危険にさらされているのに、日本人は冷淡過ぎる

日本の性の現場は、私に言わせると異常であるとしか言いようがない。なぜ日本人はこんな異常を黙って受け入れているのか分からない。

まず、日本の性風俗は「本番行為が禁止」という建前があるので、デリヘルのようなところでは女性が口でサービスして射精させるような行為が一般化している。

コンドームは使わない。生の精液をそのまま口で受ける。

ソープランドはどうか。ソープランドだけは本番行為が黙認されているのだが、ここではコンドームなしの性行為が蔓延していて、それが「売り」になっている店もある。

店は女性に膣内射精を受け入れるように教育しており、女性はそれをやっている。

デリヘルでは口内射精が一般化し、ソープランドでは膣内射精が一般化しているのだから、風俗嬢がいかに危険な状況にあるのか誰もが分かるはずだ。

ところが、日本はこんなものが一般化しているし、誰も何も言わないのである。風俗嬢が危険な状況にあると危機感を持つ人間もどこにもいない。

日本人は、風俗嬢に冷淡すぎるのではないか。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180207T0250450900.html


風邪をこじらせて朦朧としながら、夜の世界の賃金を考える

数日前から風邪をひいた。こじらせないように注意していたのだが、意に反して症状は悪化してしまい、悪寒と頭痛と激しい咳が止まらない状態が今も続いている。

10ヶ月ほど前にインフルエンザにかかっているので、インフルエンザと普通の風邪を比較できる立場にある。インフルエンザの症状は急激かつ強烈なのに比べて、重い風邪の方は身体の奥底から疲労感が湧き上がる感じだ。

どちらにしても普通の能力が発揮できないのは間違いないのだが、風邪は誰でもいつでもかかるものなので、めったにかからないインフルエンザよりも、むしろ風邪の方が深刻度が高いのではないかと考えた。

こんな時にも、ふと夜に生きている女たちのことを思う。

昼職と夜職の大きな違いは、昼職は「月給」が基本であり夜職は「日給」が基本であることだ。また昼職は有休なども整備されていて一定時間働けば賃金が保障される「固定給」なのだが、夜職の多くは「歩合給」である。

業種によって、固定給と歩合給を組み合わせたものや、本人が月給か日給かを選択できる形態のものがあるのだが、基本的に夜職は「日給、歩合制」が普通である。


その仕事を長く続けないことを前提とした支払い?

ところで、一般の勤め人にはあまり馴染みのないものに「年俸制」という賃金の支払い方もある。外資系の会社の役員や経営者やエリート社員、あるいはスポーツ選手などは「年俸制」のことが多い。

年俸制、月給、日給……。

一般的に言えば、社会的な立場が強い側であればあるほど年俸制に近づき、社会的な立場が弱い側であればあるほど日給に近づく。

会社から見ると、個人の能力や才能を最大限に発揮して長く会社に留まって欲しい人を年俸制として雇う。

逆に、いくらでも代替がきく仕事に就いている場合や、長く働いてもらえない環境にある場合や、期間が限定されている季節労働などの場合は日給で雇う。

日給というのは、会社も本人も「その仕事を長く続けない」ことを前提として組み立てられた給与体系なのである。

さらに、夜の世界は雇用も企業の存続も浮き草のように不安定である。会社は「いつ飛ばれるか分からない」という疑いを個人に持ち、個人も「いつ会社が潰れるか分からない」という不安を持っている。

だから、「働いた分だけしか払わない」という会社と「働いた分だけもらう」という個人の利害が一致し、それが「完全歩合制」という給与形態になる。

いつ働いている人が飛ぶか分からない仕事、いつ給料が払えなくなるのか分からない会社であればあるほど完全歩合制の日給で払いたがる。

逆に、自分がいつ辞めるか分からない仕事、いつ潰れるか分からない会社で働く場合は、完全歩合制の日給が最も合理的な働き方だ。

社会の底辺になればなるほど、そして浮沈の激しすぎる真夜中の世界であればあるほど完全歩合制の日給になっていくのは、そのような理由がある。


人は頑強な機械のように常に一定の能力で働けない

ところで、完全歩合制の日給は真夜中の世界で働く人間に最適化されたシステムであるのは間違いないのだが、この完全歩合制の日給には、働く側にとって大きなデメリットがある。

それは「働かないと1円も稼げない」ということだ。

年俸制や固定給の月給で働いている人たちは、たとえ風邪や事故で一週間くらい働けなくても、固定賃金の部分で収入の激減をカバーすることができる。

年俸制の場合は、年間の給料が保証されているのでブランクがあっても何の問題もない。月給の場合も3日や4日の休みくらいは、ほぼ賃金に影響がないようになっている。

しかし完全歩合制の日給は、そうではない。

その日働けなければ入ってくる金はゼロだ。3日休めば3日分ゼロだ。一週間も休めば収入は激減する上に、会社からも「もう来なくていい」と見捨てられる可能性もある。

夜の人間たちの収入が月によって増減し、日によって増減するのは、まさに「働いていない分はゼロ」というシビアな現実がそこにあるからである。

では、人は頑強な機械のように常に一定の能力で働くことは可能なのだろうか。常識的に考えると、それは不可能だ。

人の体調は日によって変化するし、時には病気もするし怪我もする。精神的に不調になったりすることも珍しくない。

その振幅は人によってまったく違うが、どんな頑強で強い精神力を持った人であっても、病気もすれば怪我もすれば精神的に落ち込む日が必ずある。

さらに、自分がいかに体調管理に気を付けていたとしても、仕事自体が景気や天候に左右されることも多い。

「大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい」というが、雨が降ったら大工仕事は中止になり、完全歩合制の日給で働いている大工は1円も稼げない。

風俗なども意外に天候に左右される職種で、雨が降ったら客が来なくて風俗嬢はまったく客が付かないことも多い。客が付かなければ、収入はゼロである。

雨が降って喜ぶのは日給で雇われているタクシーの運転手だが、それでも都合良く雨が降るわけではなく、タクシーの運転手もまた仕事を転々とする。


休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮する

人は誰でも重い風邪にかかる。どんなに体調管理をしていてもそれは避けられないことであり、それが軽く済むか重症化するかも運によるところが大きい。

風邪を抑える薬はあるが、風邪を治す薬はない。だから、風邪をひいたら症状が去るまで大人しく寝ているしかない。そこで無理すると症状はより悪化して自滅する。

しかし、仮にもし貯金が充分でなければどうなるのか。休むのが一番だと分かっていても、生活のために休むことができない状況に追い込まれる。

休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮してしまう。

真夜中の世界では、そのギリギリのところで働いている人たちも多く、だから夜の女たちは生き急いで自滅するドッグ・イヤーのパターンになる。

最近、日本の風俗業界では梅毒が爆発的に流行しており、日本各地の風俗街のすべてで梅毒感染の風俗嬢が報告されている。

風俗が外国人を受け入れるようになっているので、危険度は凄まじく増している。しかし、風俗業界はまったく変わろうとしないので、梅毒の感染は絶対に止まらない。

そのため、これまでの感染数拡大は始まりに過ぎず、これから風俗嬢の感染は倍々ゲームで増えていくのは確実だ。

梅毒はきちんと治療したら治る病気だ。だから、表社会ではエイズと違ってあまり深刻に受け止められていないように見える。しかし、現場の風俗嬢の恐怖は相当なものがある。

もし梅毒にかかったら、風俗嬢は完治するまで仕事を休まなければならないのだが、治療は1ヶ月から2ヶ月かかることも多い。

治療が遅れた女性の場合だと、半年も働けなかったりする。それは、半年も収入がゼロになることを意味している。

固定給で働いている昼職の人間でも、半年も仕事を休んだら甚大な影響がある。

そう考えると、日給で完全歩合制なのにしばしば仕事ができない状況に追いやられる夜の女性たちの深刻さは、相当なものがあると分かるはずだ。

今は順調でも、一瞬で生活が崩壊してしまう可能性があるのが夜の世界なのである。風邪をこじらせて朦朧としながら、私はずっと夜の女たちのことを考えている。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171111T0048410900.html


「梅毒」が一般女性にも感染拡大。スマホの影響か 2016.09.18
https://nikkan-spa.jp/1181432

「梅毒」の流行に歯止めがかからない。特にここ数年は全国的にはもちろん、若い女性に感染者が急増している。その原因、そして危険性とは?


風俗嬢、さらに一般女性にも感染拡大


https://nikkan-spa.jp/1181432/bk3_160816_01
梅毒の湿疹はかゆみや痛みを伴わないうえ、数週間で消えるため、放っておいてしまうケースが極めて多い


 箸やコップに付着した唾液から病原体が入り込むほど、感染力の強い梅毒。症状も出づらいため、自覚のないままさらなる感染を引き起こすこともしばしばだ。また、保菌者が気づかずに菌を撒き散らす理由がほかにもある。梅毒の感染経験がある20代のデリヘル嬢、小田えり子さん(仮名)は「中国人のお客さんにうつされたかも」と語る。

「ウチの店は本番NGなんですけど、ここ数年で中国人の客がすごく増えて、強引にプラス3万円くらい出してヤラせちゃうことも。検査で陽性が出た後、『治療中はセックスしちゃダメ』って店長に言われたから仕事も休んで、お客さんからの連絡も『体調が悪い』『生理だから』って逃げていました」

 都内で風俗店の検査を請け負っている医師も「近年は中国人観光客の影響は大きい」と語る。

「中国では梅毒感染者が’13年の時点で40万人と極めて多く、中国人団体客を受け入れていた店で感染者が増えたという話もあります」


また、感染に関しては一般女性が怖いという指摘もある。

「これまで風俗で働く女性に陽性反応が出るケースはありましたが、ここ数年は一般女性に感染者が拡大している。また、風俗従事者たちは危険を自覚しているので定期検診を受け、治療も早期にします。一方、一般の女性はまさか自分が梅毒感染者だとは思わないので、パートナー男性の感染が発覚するまで気づかないことが多いんです」(「池袋クリニック」の院長を務める村上雄太氏)

 また、「若年層の感染拡大はスマホによる影響が大きいのではないか」という意見もある。

「私の医師仲間から聞いた話では、感染経路と疑われる相手が会社内の地味な若い女のコで『まさかあんなコが……』と絶句した患者さんもいたとか。スマートフォンの普及や見た目がかわいい出会い系アプリが増えたことで、若い女性が見知らぬ男性と気軽に出会えるようになったことが感染の拡大した要因かもしれません」(内科・泌尿器科医の大和宣介氏)

 現役女医として多くの患者を診てきた清水なほみ氏も「若い女性は梅毒をよく知らない」という。

「梅毒という名前自体、今の若い女性にはピンとこないのか症状が一旦、治まったことで安心して受診しない事例が多いんです。しかも妊娠期に感染していると母子感染の恐れがある。子供が先天性梅毒になったり、最悪、流産してしまう場合もあります。予防のため、妊娠前は一通りの性感染症検査を受けることを勧めます」

 大和医師も「もっとも危険なのは症状が治まったからといって治療を放置すること」と言う。

「手足や性器に痛みのない湿疹が出た場合や、微熱や咳が続く場合は早期の検診をオススメします。また、梅毒に感染している人はHIVを合併感染している事例が多いです。命の危険にもかかわることなので、基本中の基本ですが、不特定多数とのセックスはなるべく避けるべき。万が一、そういったシチュエーションになってもコンドームの着用を心がけてください」
https://nikkan-spa.jp/1181432


オーラルセックスが癌の原因に!?厚労省も警鐘鳴らす危険性
ダイヤモンド・オンライン 2016/11/25

 11月25日から12月1日までの1週間は、「性の健康週間」。実は、先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけと言われる。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。特に、アダルトビデオなどでお馴染みのオーラルセックス(口腔性交)は「妊娠の心配がない」と無防備な人も少なくない。性感染症を無症状のまま、広げてしまうリスクもある。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

● オーラルセックスで咽頭がん!?  米国有名俳優の話に脅威

  (おいおい、勘弁してくれよ)

 都内在住の会社員Sさん(40代)は、スマホを見ながらつぶやいた。2013年のことだ。

 配信されていたのはアメリカの俳優マイケル・ダグラスのニュース。

 マイケルは、映画『氷の微笑』『危険な情事』など過激なエロティックサスペンスで人気を博したと同時に、「セックス依存症」を告白したことでも知られる、"とんでもエロおじさん"だ。

 2010年にステージWの咽頭がんを患いながらも、無事生還を果たしたマイケルだったが、なんと自分ががんを発症した原因は「クンニ(クンニリングス)のし過ぎだった」と語っていた。

 自他共に認める大の酒好き、かつヘビースモーカーのマイケルに対して、英ガーディアン紙の記者が「がんを患ってみて、悪しき習慣を後悔していますか」と尋ねたところ、「後悔なんかしてないよ。咽頭がんになったのは、飲酒や喫煙のせいじゃないからね。このがんの主な発症原因はクンニによるHPV(ヒトパピローマウイルスという子宮頸部がんなどの原因になるウイルス)感染なんだから」とご機嫌で答えている。

 これにSさんは動揺した。
 というのも当時、SさんはステージWの咽頭がんと告知され、闘病中だったからだ。

 「喉頭がんの原因が、ヒトパピローマウイルスへの感染かもしれないという話は知っていました。でも、まだはっきりしたわけじゃない。喫煙や飲酒、声の出しすぎだって、関係していますよね。何より僕は、酒は飲むけど、毎日じゃない。タバコだって飲み屋に行った時にたまに吸う程度で、会社の健康診断では一度もひっかかったことがありません。それなのに、いきなりステージW.その上、あのセックス依存症おやじと同じように、『クンニのし過ぎ』でがんになったなんて周囲から思われたら、恥ですよ。悲惨過ぎる」

 ごもっとも。

 Sさんのために補足しておくと、HPVには150以上のタイプが存在し、性交渉の経験がある男女なら誰でも持っている可能性がある。マイケルのようなセックス依存症でなくても、感染してしまうリスクは常にあるのだ。

 そしてHPVのなかには、がんの原因となるハイリスクなタイプもあり、その一部は、性器の内部にある細胞を好み、なかに侵入する性質があるため、主にセックスを介して感染し、がんを発症させてしまうこともある。ただし、HPVが原因で男性ががんを発症する頻度は、子宮頸がんの10分の1程度だ。

 その後、Sさんは幸いにも放射線治療が功を奏して、がんは完治。定期的に検査を受けながらも、元気に暮らしている。

 しかしながら、咽頭がんの治療後の5年生存率は、ステージWの場合約40%。命が危うくなったことへの恐怖から、飲酒、喫煙に加え、妻へのクンニといったオーラルセックス(口腔性交)も一切できなくなってしまった。

● 無症状のままうつしまくる オーラルセックスの危険性

 クンニやフェラ(フェラチオ)など、オーラルセックスでうつる病気には、がん以外にも次のような性感染症があり、厚生労働省はホームページで、「オーラルセックスにより性感染症に感染するということには2つの意味があります」と警鐘を鳴らしている。

 ◎オーラルセックスによる性感染症
 ・淋菌
 ・クラミジア
 ・ヘルペス
 ・梅毒トレポネーマ
 ・AIDSを起こすHIV

 特にオーラルセックスで、性器から口腔に感染した場合は無症状のことが多いので、自分が感染していることに気付かないままに、更に別の性交渉相手にオーラルセックスを介して性器に感染させてしまうことがあります。
 (オーラルセックス(口腔性交)による性感染症に関するQ&A 厚生労働省より)

 無症状で気づかないまま、どんどん他の人たちにも感染を広めてしまうのは、相当恐ろしいことなのではないだろうか。

 まさに、オーラルセックス恐るべし、なのだが、この件に対する日本人の危機意識は呆れるほど低い。

 インターネットを使って8700人から回答を得たアンケート調査(北村邦夫:「日本人の性意識・性行動調査」、2011)によると、全体の49.5%(男性54.4%、女性42.7%)がオーラルセックスを行っており、その際、性感染症を予防するためにコンドームを使用していたのは、わずか17.2%。全体の82.8%(男性79.4%、女性87.9%)は、「まったく使わない」と答えている。

 また、別の調査によると、コンドームを使わない理由は、「口でなら妊娠しない」、「口でなら性病はうつらない」という思い込み、あるいは「ゴムをつけたままは気持ち悪い」という嗜好が大きいという。

 オーラルセックスは妊娠しないし、ゴムは確かに不味くて気持ち悪いが、性感染症は、たとえばフェラしただけでも、してもらっただけでもうつるということを覚えておこう。クンニも同じだ。

 感染症の専門医は、「先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけ。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。日本性教育協会の調査によると、女子高校生の13%(男子高校生は6.7%)は、クラミジアに感染しているというデータがあるほか、性交渉の相手が多い人ほど、コンドームの使用率が少ないというデータもあります。10代女子の罹患率は世界トップクラス」と語る。

 女子高校生に限らず、日本人は老若男女総じて、「快楽のためなら、性感染症なんて怖くない。場合によっては死んでもいい」と思っているのだろうか。

 まさか、そんなはずはないと信じたい。

● キスでうつるがんも!?  ウイルスが関与する場合は要注意

 さて、日本人の性感染症に対する危機感が薄いのはわかったが、咽頭がんや子宮頸がんに対してはどうだろう。

 これらのがんは性感染症ではないが、セックスを介してうつるという点では一緒だし、オーラルセックスとの関連性も深い。ヒトパピローマウイルスが直接ガンになるわけではないが、細胞の構成を変えることでがんを誘発する。

 だが、この、「うつるがんがある」という事実は、あまりはっきりと語られることはない。

 実際、行政のホームページを見ても、「がんがうつる」という表現は、がん患者への差別や偏見を広めることになるため、正確をとことん期す、というか注意深く避けられているように思う。

 例えば、千葉県のホームページでは、「がんはうつるのですか」という質問に対して、
「基本的にはがんは他人にはうつりません。(中略)しかしウイルスによって生じるがんがありこれらは例外となります。この発がん性のあるウイルスとしては、肝炎ウイルス(B型およびC型)、EB(エプスタイン・バー)ウイルス、ヒトパピローマウイルス、ヒトT細胞白血病ウイルスがあり、それぞれ肝がん、B細胞リンパ腫、皮膚がん、子宮頚がん、T細胞白血病を引き起こす可能性があります。(中略)がんがうつるというよりもがんの原因となるウイルスに感染することがあるとお考えください」と、かなりまどろっこしい表現になっている。

 ちなみに、EBウイルスによる代表的な感染症には「伝染性単核球症」という風邪に似た病気があり、「唾液」によって感染することから、別名「キス症」とも呼ばれ、日本人の90%以上が感染経験を持ち、たいていが成人時にはすでに抗体を備えているとされている。そして、同ウイルスは咽頭がん、胃がんの発生に関係していることがわかっている。

 つまり、とっても極端な話、絶対がんになりたくなかったら、「セックスは必ずコンドームを使用し、オーラルセックスは厳禁、キスもやめておいたほうがいい」ということになってしまうのだ。

 性感染症も然り。

 人類が本能の赴くまま、自由に愛し合えた時代は、もう過去のものなのである。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161125-00109205-diamond-soci

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c36

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
37. 中川隆[-12562] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:05:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]
星野リゾートが外人観光客を「飛田新地」に呼び寄せると「飛田新地」は消滅する事になる

関西の暗部「飛田新地」も、いつまでも存在できるわけではない理由とは


大阪には、飛田新地、松島新地、今里新地、信太山新地、滝井新地……といくつもの「ちょんの間」が生き残っている。さらに尼崎にも、かんなみ新地が生き残っている。


関東は町田の通称「田んぼ」や横浜の「黄金町」があったのだが、すでに2005年には壊滅した。いくつもの「ちょんの間」が生き残っている関西の特異性には驚くばかりだ。

なぜ関東の「ちょんの間」が絶滅して関西の「ちょんの間」が生き残ったのかは、日本のハイエナたちの間で議論があるのだが、私は「関東のちょんの間の主力は外国人女性で、関西のちょんの間の主力は日本人女性だったから」と理解している。

町田も黄金町も「外国人女性がいた」ということが致命傷になって摘発・閉鎖を余儀なくされている。

なぜ、警察はそろそろ動いてもおかしくないと私は感じているのか。

それは、飛田新地も外国人の客が押し寄せるようになっており、そこが日本の暗部(アンダーグラウンド)として紹介されるようになっているからだ。

(ブラックアジア:写真禁止と言っても、どんどん流出していく飛田新地の夜)
https://blackasia.net/?p=841


政府当局はこうした存在が国内でひっそりと知られているだけであれば黙認するのだが、世界に広く知られるようになると急いで潰す。

なぜなら、日本は常に外国から「売春問題」で非難されてきた歴史があるからだ。

「日本は女性の人権をないがしろにしている」「日本は人身売買国家だ」「日本は淫売国家だ」と国外から攻撃されて、日本は非難轟々の中で遊郭の閉鎖を決めていた。

2000年代初頭の関東のちょんの間摘発もまたアメリカから「日本は人身売買国家だ」と名指しで糾弾されて、驚いて摘発に向かったものである。


ヤクザ経営のフィリピン・パブではしばしば女性たちがパスポートを取り上げられ、監禁され、売春が強制させられていたのだった。

彼女たちは被害を英語で訴え、アメリカのジャーナリストも好んで「YAKUZA」のあこぎなビジネスを糾弾し、それはアメリカ政府の耳にも届いていた。

それを指して「日本は人身売買国家だ」とアメリカに批判されたのだ。

指摘を受けて日本政府はフィリピン女性の興行ビザを出さなくなり、フィリピン・パブは壊滅状態になった。

「ちょんの間」はとばっちりであったのだが、それでも日本政府は外国人女性がいるちょんの間を強権で潰して消した。どのみち、この形態の売春ビジネスも世界に知られれば糾弾されるのは間違いないからだ。

こうした経緯もあって、日本政府は今も「売春を野放しにしている」と外国から指摘されることに神経質になっている。

だから、飛田新地が外国人の男たちに存在が知られるようになり、そこに群がるようになっているのであれば、摘発して潰すことになっても不思議ではないのだ。
https://blackasia.net/?p=7337

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c37

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
38. 中川隆[-12561] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:08:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

飛田新地 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0


飛田新地掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/movie/6660/

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飛田新地求人(@girls_info_tobi)さん Twitter
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飛田新地・松島新地の求人【メイン通りナビ】
https://mainstreet-navi.com/

飛田新地の【アルバイト・求人・情報】サイト
https://tobitakyujin.net/

飛田新地でガッツリ稼げる料亭求人情報|これで全部わかる!飛田のこと
http://huuzoku55.com/tobita-job-offer/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c38

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
156. 中川隆[-12560] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:17:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

中国人客を受け入れると日本の楽園 飛田新地は閉鎖されてしまう
星野リゾートから楽園 飛田新地を守ろう


2017年3月9日
星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 地元民「何を血迷っておられるのか」

大阪市がJR新今宮駅前にある市有地約1万4000平方メートルを、高級ホテル事業で知られる「星野リゾート」に約18億円で売却したことを3月8日に発表。9日には星野リゾートが同地に都市観光ホテルの開業する計画を発表したのだが、ネットからは驚きの声があがっている。
https://www.excite.co.jp/News/bit/E1489046811883.html

飛田新地掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/movie/6660/

飛田新地 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c156

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
39. 中川隆[-12559] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:20:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

中国人客を受け入れると日本の楽園 飛田新地は閉鎖されてしまう
星野リゾートから楽園 飛田新地を守ろう


2017年3月9日
星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 地元民「何を血迷っておられるのか」

大阪市がJR新今宮駅前にある市有地約1万4000平方メートルを、高級ホテル事業で知られる「星野リゾート」に約18億円で売却したことを3月8日に発表。9日には星野リゾートが同地に都市観光ホテルの開業する計画を発表したのだが、ネットからは驚きの声があがっている。
https://www.excite.co.jp/News/bit/E1489046811883.html

新今宮のホテルは「OMO」 星野リゾート、都市型導入
2017年10月12日14時22分


星野リゾートが新今宮駅前に計画しているホテルのイメージ図(星野リゾート提供)

新今宮駅前のホテルについて説明する星野リゾートの星野佳路代表=大阪市北区


 星野リゾートは、JR大阪環状線新今宮駅前で2022年に開業を計画しているホテルを、ビジネスホテルと対抗できる価格帯にする方針だ。温泉施設などを置かない「OMO(おも)」という新ブランドを使うという。

 11日、星野佳路代表が大阪市内で会見し、「観光客は、温泉旅館からビジネスホテルに移っている」と説明した。OMOは、「星のや」などほかのブランドより宿泊料金を抑えた都市型ホテル。18年に開業予定の北海道・旭川では、1泊1万円台を予定している。

 ホテル内のレストランも最小限にとどめ、周辺のレストランを紹介するサービスにも取り組むという。
https://www.asahi.com/articles/ASKBC4H81KBCPLFA001.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c39

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
157. 中川隆[-12558] koaQ7Jey 2018年5月23日 14:25:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]


2017年12月04日
関西“色街”の風俗嬢が涙の訴え、中国人観光客が「ありえない」理由
「梅毒」の流行も中国人観光客から 森原ドンタコス
https://nikkan-spa.jp/1433610


「もうホンマに無理やって! 言葉が通じひんっていうより、わからんフリしてるだけ! ウチらに何やってもいい思うとんのが腹立つ!」

 こう一気に捲し立てるのは、関西エリアの有名な“色街”で働く美也子さん(21歳・仮名)。普段はこの道のプロとして、客のグチを漏らすことはほとんどないという美也子さんの怒りは、店にやってくる「中国人観光客の男性」に向けられていた。

「チップや金払いはエエけど、こっそり隠し撮りしたり、部屋の中を物色したり……。これだけならまだエエほうで、足の指を血が出るまで噛まれたり、性器に足を突っ込まれそうになった子もおる。ありえないマナー違反に『ヤメてください』言うても、ニヤニヤするばかり。でも外人のお客さんやからと思うてやっとったけどもうガマンの限界!」

 旅の恥はかき捨て……とはよく言ったものだ。バブル時代の日本人男性観光客も海外での“買春ツアー”など、大いに現地の性風俗を楽しんだが、現在は中国や韓国、台湾の男たちが日本人の女性を抱こうと、意気揚々と来日している。

中国人民元

色街に足を運ぶ外国人観光客の弊害…風俗嬢の怒りの声

 多少のトラブルはあるだろう……なんて思うのだが、別の関係者に聞いても、現場では中国人だけが、なぜか異常に印象が悪いという。

「隠し撮りが中国のアダルトサイトに載っていたり、カメラを回しながら集団で色街を物色する男性グループがいるんです。注意してもヘラヘラするだけで、何度もやってくる。彼らは『女性を買いに来ただけ』といいますが、ここはそういう文化ではない。日本人ならわかってくれますが、外国人、特に中国人はわかってくれないんです」

 色街の関係者はこう肩を落とし、関西エリアだけではなく、九州の風俗業界でも、中国人観光客によるこうしたトラブルが頻発しているという。さらに、関西地方から爆発的に広がったといわれる「梅毒」の流行も「中国人観光客によってもたらされたものではないか?」と推測する。

「日本の風俗店は、基本的に“外国人お断り”のところが多かったんです。ただ、中国人や韓国人を中心にあまりにも問い合わせが多いということで、大阪の格安店が外国人でも応対可能な風俗店を始めました。そして売り上げを大きく伸ばしたことで、ほかにも外国人に対応できる店が増えていきました。しかしながら……得体の知れない外国人客が増加すれば、リスクも相応に高まる。はじめは淋病、そして梅毒が出たというのも、そこの店とのウワサなんです」

 いま日本国内では梅毒の感染者が爆発的に増えている。10月31日に出された国立感染症研究所の発表によると、東京や大阪などの大都市はもちろん、地方都市にも猛スピードで感染が広がっているそうだ。昨年に比べて、熊本、岡山は3倍以上。青森、広島、香川、山口で2倍以上となった。

女性 その原因のひとつとして風俗の“爆買い”があるのではないか――。前出の美也子さんも色街ではそれほど多くなかった淋病や梅毒などの性病に罹患した女性が増えていると訴える。

「病気はホンマありえへん……。病気になったら生活できへんちゅーねん」

 とはいえ、嫌な外国人観光客ばかりではない。

「でも……それでもなかにはいいお客さんもやっぱりおって、台湾のお客さんなんかはいっつもお土産にパイナップルケーキを買うてきてくれたり……。日本人でもせえへんような気配りができるお客さんもいます。もちろん中国人にだってね」

 郷に入れば郷に従え……。

 日本式の感覚が外国人に通じないのは当たり前かもしれないが、日本がこっそり守ってきた色街文化に土足で上がり込まれ、さらに小馬鹿にされている現状。おおっぴらに言える立場ではない人たちは、それでも踏ん張って、色街で生きてゆくのだ。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c157

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
40. 中川隆[-12557] koaQ7Jey 2018年5月23日 14:26:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

2017年12月04日
関西“色街”の風俗嬢が涙の訴え、中国人観光客が「ありえない」理由
「梅毒」の流行も中国人観光客から 森原ドンタコス
https://nikkan-spa.jp/1433610


「もうホンマに無理やって! 言葉が通じひんっていうより、わからんフリしてるだけ! ウチらに何やってもいい思うとんのが腹立つ!」

 こう一気に捲し立てるのは、関西エリアの有名な“色街”で働く美也子さん(21歳・仮名)。普段はこの道のプロとして、客のグチを漏らすことはほとんどないという美也子さんの怒りは、店にやってくる「中国人観光客の男性」に向けられていた。

「チップや金払いはエエけど、こっそり隠し撮りしたり、部屋の中を物色したり……。これだけならまだエエほうで、足の指を血が出るまで噛まれたり、性器に足を突っ込まれそうになった子もおる。ありえないマナー違反に『ヤメてください』言うても、ニヤニヤするばかり。でも外人のお客さんやからと思うてやっとったけどもうガマンの限界!」

 旅の恥はかき捨て……とはよく言ったものだ。バブル時代の日本人男性観光客も海外での“買春ツアー”など、大いに現地の性風俗を楽しんだが、現在は中国や韓国、台湾の男たちが日本人の女性を抱こうと、意気揚々と来日している。

中国人民元

色街に足を運ぶ外国人観光客の弊害…風俗嬢の怒りの声

 多少のトラブルはあるだろう……なんて思うのだが、別の関係者に聞いても、現場では中国人だけが、なぜか異常に印象が悪いという。

「隠し撮りが中国のアダルトサイトに載っていたり、カメラを回しながら集団で色街を物色する男性グループがいるんです。注意してもヘラヘラするだけで、何度もやってくる。彼らは『女性を買いに来ただけ』といいますが、ここはそういう文化ではない。日本人ならわかってくれますが、外国人、特に中国人はわかってくれないんです」

 色街の関係者はこう肩を落とし、関西エリアだけではなく、九州の風俗業界でも、中国人観光客によるこうしたトラブルが頻発しているという。さらに、関西地方から爆発的に広がったといわれる「梅毒」の流行も「中国人観光客によってもたらされたものではないか?」と推測する。

「日本の風俗店は、基本的に“外国人お断り”のところが多かったんです。ただ、中国人や韓国人を中心にあまりにも問い合わせが多いということで、大阪の格安店が外国人でも応対可能な風俗店を始めました。そして売り上げを大きく伸ばしたことで、ほかにも外国人に対応できる店が増えていきました。しかしながら……得体の知れない外国人客が増加すれば、リスクも相応に高まる。はじめは淋病、そして梅毒が出たというのも、そこの店とのウワサなんです」

 いま日本国内では梅毒の感染者が爆発的に増えている。10月31日に出された国立感染症研究所の発表によると、東京や大阪などの大都市はもちろん、地方都市にも猛スピードで感染が広がっているそうだ。昨年に比べて、熊本、岡山は3倍以上。青森、広島、香川、山口で2倍以上となった。

女性 その原因のひとつとして風俗の“爆買い”があるのではないか――。前出の美也子さんも色街ではそれほど多くなかった淋病や梅毒などの性病に罹患した女性が増えていると訴える。

「病気はホンマありえへん……。病気になったら生活できへんちゅーねん」

 とはいえ、嫌な外国人観光客ばかりではない。

「でも……それでもなかにはいいお客さんもやっぱりおって、台湾のお客さんなんかはいっつもお土産にパイナップルケーキを買うてきてくれたり……。日本人でもせえへんような気配りができるお客さんもいます。もちろん中国人にだってね」

 郷に入れば郷に従え……。

 日本式の感覚が外国人に通じないのは当たり前かもしれないが、日本がこっそり守ってきた色街文化に土足で上がり込まれ、さらに小馬鹿にされている現状。おおっぴらに言える立場ではない人たちは、それでも踏ん張って、色街で生きてゆくのだ。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c40

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
9. 中川隆[-12556] koaQ7Jey 2018年5月23日 15:21:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

2018年05月23日
新電力が1年でシェア2倍 契約業者が突然撤退した例も

新電力はわずか1年でシェアを2倍に拡大した
画像引用:ITmedia http://image.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1802/14/rk_180214_gasu01.jpg

新電力が1年でシェア2倍

日本経済新聞などの調査によると、自由化から2年が経った新電力のうち、6割が経営黒字になった。

また新電力の電力全体に占める市場シェアは、1年目の5%から10%に拡大しました。

販売量を2倍に拡大した一方で、撤退する企業が相次いで淘汰も進んでいる。


福島電力、大東エナジーといった中堅新電力が突然撤退して、混乱を起こしたこともあった。

大東エナジーは大手不動産会社の大東建託の関連会社で、知名度から信頼して契約した人が多かった。

低圧新電力の上位10社に入る大手だが2018年1月に、突然撤退を発表し、顧客の引継ぎもほとんど行われなかった。


通常こうした事業撤退では、他社に事業譲渡するなどして、契約を引き継ぐ例が多いが、そうはならなかった。

大東建託は26万人の顧客に突然文書で「1ヶ月以内に他電力に切り替えなければ契約は無効」という通知をした。

例えばある日突然東電や関電から手紙が来て「送電を辞めるので1ヶ月以内に他社に切り替えないと電気が止まります」と書かれていたらどうだろうか。


儲かると考えて新電力に参入したが、儲からないとわかると夜逃げ同然に撤退する業者もいる。

大東エナジーに続いて福島県などで5万人にサービスする福島電力が、同じように突然撤退を決め、顧客に通告した。

発電しない電力会社など不要

約470社が経済産業省に小売電気事業者として登録しているが、勝ち組と負け組みの差がはっきりしてきている。

新電力は大きく分けて自前で発電する発電事業者と、発電施設を持たない事業者に分けられる。

発電施設を持っていないのにどうして参入し、国が認可したのかが良く分からない。


どこかから安い電気を買って顧客に販売するが、「安い電気」などそこら辺にあるものでもない。

太陽光などの自然エネルギーはどれも既存エネルギーよりコスト高だし、どこかで電気が余っているわけでもない。

安易な考えで参入した、自前の発電設備を持たない新電力は、遠からずほとんどが退場することになる。


新電力の勝ち組は東京ガス、エネット(NTTなど )、F-Power、テプコ(東京電力)、JXTGエネルギー(エネオス)などが上位になっている。

やはり自社で発電施設を持っている事業者が強く、大手電力会社の子会社も見受けられる。

自前の発電所を持っていれば、大手電力よりやすく出来るかと言えば、実は発電コストは大手電力より高い。


新電力シェア1位はNTT系のエネット
エネット1

画像引用:https://i1.wp.com/xn--9ckaldc9ld2ee7537fxdbq31wzt8afw2d.net/wp-content/uploads/2016/03/%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%881.png?fit=619%2C299

新電力はリスクを負担しない

同じ100万キロワットを、多数の小さな発電所で発電するより、一つの大きな発電所で発電したほうが低コストになる。

ではどうして新電力が安いかというと、ひとつは送電網などの設備を大手電力が提供しているからです。

新電力はわざわざ電柱を立てたり電線を張ったり、変電所を建設しなくても、国の政策で大手電力が貸してくれます。


もう一つは大手電力はバックアップ電源が義務つけれているが、新電力は発電した分を売れば良い。

原発が停止しても停電しなかったのは、大手電力に需要の2倍以上の発電能力があったからで、不測の事態に備えて過大な設備を持っています。

大手電力のコストが高いのは、発電所の半分が突然故障しても、後の半分で余裕を持って発電できるようにしているためです。


では新電力のシェアがもっと増えて3割や5割になったら、バックアップ電源はどうなるのかという問題が生じます。

新電力はギリギリの設備で最大限の発電をしているため、予備の発電所を持っていません。

大手電力でももし、ぎりぎりの発電施設しか持たなくて良く、誰かが送電網を負担してくれるなら、電力価格を半分に下げられる。


新電力は効率が良く、大手電力は非効率という人もいるが、そういう話とは違う。
http://www.thutmosev.com/archives/76252009.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c9

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
158. 中川隆[-12555] koaQ7Jey 2018年5月23日 15:44:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

中国と組んだ星野リゾートは日本を滅ぼす

中国の掲示板から愉快なスレッドを選び、それを日本語に翻訳して紹介しておるぞ。


エイズを日本に広めようね♪


元スレはここだ。
http://club.book.sohu.com/read_art_sub.new.php?b=Focus&a=223239&sr=0&allchildnum=11


今年20歳で、もう少しで21になるんだ、人生でも楽しい時期のはずなんだけど、でもそんな風には全然感じられないんだ。 うつ病になったみたいなんだ、先月から、どんどん悪化してるようで、先月は一週間以上の間、全てが薄暗くなって、楽しくなりたくても、全く楽しくなれなくて、誰とも話をしたくなくなって、両親とか、BFともね............

今月また始まって、もう二日になるんだけど、本当に辛くて、自分で盛り上がろうとしても、できないんだよね、こういう感覚は正常な人にはわからないと思うんだ、私にとっては、死にたいくらいの感じなんだ.............

でもまだ死にたくないんだよね、だって自分にやり残したことがあるように思えるし、子供のころの夢もまだ実現してないから。


子供のころの夢、誰でもあるよね、大きくなったら宇宙飛行士になるとか、お金持ちになるとか、色々ね.......


でも私は違ったの。子供のころ学校で抗日戦争の映画を見て、日本人を憎んで、畜生にも劣ると思ったんだ、同じ人なのに、どうしてあんなにひどいことができるのか、私たち中国の土地がほしいから?ってね。

教科書に書かれた歴史を読んで、どんどん日本人を憎むようになって、こんな夢をもつようになったんだ:大きくなって、もし第三次世界大戦が起きたり、日本人がまた私たち中国に侵略してきたら、私は軍人になって、自分の命を引き換えにしても、一人殺せばおあいこだし、二人殺せば一人もうけたことになって、殺した数が多いほど、儲けが増えるんだ.......


 日はどんどん過ぎていくけど、第三次世界大戦は起こらないし、日本人も侵略してこない、、毎日見るニュースに出てくる日本の報道は二種類:一部分の日本人は自分が過去に行ったことについて後悔していて、一部分の日本人は自分の先祖が偉大だと思っている(右翼ってことだよね)。

日本人にもいい人もいれば悪い人もいるって考えたこともあるよ、でも抗日戦争で被害を受けた中国人が日本に賠償を求めて敗訴したり、日本の教育局が教科書の歴史を勝手に変えたりするのをみて、怒りの炎がまた燃え上がってきたんだ、間違いを犯したのにそれを認めないなんてひどすぎる、クソ日本、お前らは最低だよ!!!

 20歳、20歳はまだ大学にいる年齢だよね、でも私はそうじゃないんだ、あなたたちは大学に入って国家のために役に立とうとしてるよね、だから私も何かしなくちゃ、私が住んでるこの田舎では、うつ病とかいっても誰も知らないんだ、なんでうつが病気なの?どうして薬を飲むの?とか全然わかってないんだよ!私は計画を立てたよ、自分の夢を実現するためにね。


 明日広東の辺りに行くつもりだよ、なにをするかって?

みんなが恥に思ってる職業につくためだよ、売春婦にね......

売春をするのもお金のためじゃないよ、じゃ何のため?

売春婦はお金と関係がなきゃだめなの?

いまエイズが流行ってるよね?売春婦になるのは自分がエイズに感染するため.......

それから日本に密入国して、自分がエイズに感染したら計画は半分成功したようなもの、日本についたら99%成功.....

それから日本で売春婦を続けて、この邪悪なウイルスを広めて、たくさんのクソ日本人にこの病気を感染させて、家に帰って妻や恋人に感染させて、妻が不倫相手に感染させて、妻の不倫相手が自分の妻や恋人に感染させて....................

こうやって広まっていくんだ........

日本はあっという間にエイズという恐怖の病に包まれて、それはまるで富士山の上に黒い雲が折り重なっているようにね、そんな富士山は美しい.........

黒い雲はすぐに流されていくけど、エイズはそうはいかないよ、どんどん広がっていくんだ、


全ての日本人がエイズにかかったとき私たち中国人民は喜んで、韓国も喜んで、そのときにはあなたたちは花火を上げて、爆竹を鳴らして、ほんのちょっとだけ私のことを思い出してね、生まれ変わった時にはもう少しましな人生をおくれることを祈って...........
http://chinabbs.seesaa.net/article/6831449.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c158

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
41. 中川隆[-12554] koaQ7Jey 2018年5月23日 15:45:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

中国と組んだ星野リゾートは日本を滅ぼす

中国の掲示板から愉快なスレッドを選び、それを日本語に翻訳して紹介しておるぞ。


エイズを日本に広めようね♪


元スレはここだ。
http://club.book.sohu.com/read_art_sub.new.php?b=Focus&a=223239&sr=0&allchildnum=11


今年20歳で、もう少しで21になるんだ、人生でも楽しい時期のはずなんだけど、でもそんな風には全然感じられないんだ。 うつ病になったみたいなんだ、先月から、どんどん悪化してるようで、先月は一週間以上の間、全てが薄暗くなって、楽しくなりたくても、全く楽しくなれなくて、誰とも話をしたくなくなって、両親とか、BFともね............

今月また始まって、もう二日になるんだけど、本当に辛くて、自分で盛り上がろうとしても、できないんだよね、こういう感覚は正常な人にはわからないと思うんだ、私にとっては、死にたいくらいの感じなんだ.............

でもまだ死にたくないんだよね、だって自分にやり残したことがあるように思えるし、子供のころの夢もまだ実現してないから。


子供のころの夢、誰でもあるよね、大きくなったら宇宙飛行士になるとか、お金持ちになるとか、色々ね.......


でも私は違ったの。子供のころ学校で抗日戦争の映画を見て、日本人を憎んで、畜生にも劣ると思ったんだ、同じ人なのに、どうしてあんなにひどいことができるのか、私たち中国の土地がほしいから?ってね。

教科書に書かれた歴史を読んで、どんどん日本人を憎むようになって、こんな夢をもつようになったんだ:大きくなって、もし第三次世界大戦が起きたり、日本人がまた私たち中国に侵略してきたら、私は軍人になって、自分の命を引き換えにしても、一人殺せばおあいこだし、二人殺せば一人もうけたことになって、殺した数が多いほど、儲けが増えるんだ.......


 日はどんどん過ぎていくけど、第三次世界大戦は起こらないし、日本人も侵略してこない、、毎日見るニュースに出てくる日本の報道は二種類:一部分の日本人は自分が過去に行ったことについて後悔していて、一部分の日本人は自分の先祖が偉大だと思っている(右翼ってことだよね)。

日本人にもいい人もいれば悪い人もいるって考えたこともあるよ、でも抗日戦争で被害を受けた中国人が日本に賠償を求めて敗訴したり、日本の教育局が教科書の歴史を勝手に変えたりするのをみて、怒りの炎がまた燃え上がってきたんだ、間違いを犯したのにそれを認めないなんてひどすぎる、クソ日本、お前らは最低だよ!!!

 20歳、20歳はまだ大学にいる年齢だよね、でも私はそうじゃないんだ、あなたたちは大学に入って国家のために役に立とうとしてるよね、だから私も何かしなくちゃ、私が住んでるこの田舎では、うつ病とかいっても誰も知らないんだ、なんでうつが病気なの?どうして薬を飲むの?とか全然わかってないんだよ!私は計画を立てたよ、自分の夢を実現するためにね。


 明日広東の辺りに行くつもりだよ、なにをするかって?

みんなが恥に思ってる職業につくためだよ、売春婦にね......

売春をするのもお金のためじゃないよ、じゃ何のため?

売春婦はお金と関係がなきゃだめなの?

いまエイズが流行ってるよね?売春婦になるのは自分がエイズに感染するため.......

それから日本に密入国して、自分がエイズに感染したら計画は半分成功したようなもの、日本についたら99%成功.....

それから日本で売春婦を続けて、この邪悪なウイルスを広めて、たくさんのクソ日本人にこの病気を感染させて、家に帰って妻や恋人に感染させて、妻が不倫相手に感染させて、妻の不倫相手が自分の妻や恋人に感染させて....................

こうやって広まっていくんだ........

日本はあっという間にエイズという恐怖の病に包まれて、それはまるで富士山の上に黒い雲が折り重なっているようにね、そんな富士山は美しい.........

黒い雲はすぐに流されていくけど、エイズはそうはいかないよ、どんどん広がっていくんだ、


全ての日本人がエイズにかかったとき私たち中国人民は喜んで、韓国も喜んで、そのときにはあなたたちは花火を上げて、爆竹を鳴らして、ほんのちょっとだけ私のことを思い出してね、生まれ変わった時にはもう少しましな人生をおくれることを祈って...........
http://chinabbs.seesaa.net/article/6831449.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c41

[政治・選挙・NHK245] 外国人労働移民は日本社会を破壊する。(日々雑感(My impress daily)) 笑坊
3. 中川隆[-12553] koaQ7Jey 2018年5月23日 23:23:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]
日本は近い将来、中国小日本省になる


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976

中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html


「外国人参政権」 を認めると沖縄が中国に編入される


なぜ「外国人参政権」を認めると、沖縄が中国に編入されるのか 2017.10.07 
by 北野幸伯『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/p/news/287616


かねてから外交政策の観点から安倍政権支持を明言している無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係研究者・北野幸伯さんですが、希望の党の政策についても一部評価しているようです。

今回は、小池氏が「外国人参政権に反対でなければ希望の党には入党できない」と表明したことについて絶賛するとともに、その理由をわかりやすく解説しています。


小池さん、「外国人参政権反対」を踏み絵に

選挙戦盛り上がっています。私は、「外交が素晴らしい」ということで、安倍続投を願っています。しかし、安倍さんの政策をすべて支持しているわけではありません。

たとえば「消費税引き上げ」に反対しています。小池さんは、「消費税引き上げ凍結」を宣言している。この方面では、是非がんばっていただきたい。もう一つ、小池さん、こんなことを宣言しています。

毎日新聞10月3日から。


◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ


希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。

希望の党に入りたければ、「外国人参政権に反対でなければならない」そうです。毎日新聞は、この決定を批判しているわけですが、私は、「素晴らしいじゃないか!」と思います。皆さんはどうですか?


ある国に住む他民族は、独立を目指す

•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ

このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)

「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」

です。例を一つ一つ見てみましょう。

・コソボ

コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。

・南オセチア

南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。

・アブハジア

アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。

・クリミア

クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。

・クルド(イラク)

イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。

・カタルーニャ

スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。


外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される

というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?

たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。

すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。

このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。

「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」

これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。

私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。私はモスクワに27年間住んでいますが、もちろん参政権はありません。私は「外国人」なので、参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。

そういった意味で、「外国人参政権反対」を踏み絵にする小池さんの決定は素晴らしいと思います。
http://www.mag2.com/p/news/287616  

日本人は謀略工作や心理戦に弱い。

我々社会が堅気の人間で構成されているせいか、各人の良心を信じる性善説が強いからだろう。

しかし、日本から一歩外へ踏み出せば、腹黒い奴らばかりで、朝鮮半島は根性がひん曲がった下郎でいっぱいだし、支那大陸は普通の人間でも匪賊、盗賊、殺人鬼、詐欺師、ゴロツキ、といった「人でなし」に直ぐ変身できる。

ましてや、生まれつきの悪人だと子供の頃から一端(いっぱし)のギャングだ。

落合信彦など「支那人の子供は目の輝きが違う」などと雑誌『サピオ』に書いて失笑を買ったが、国際ジャーナリストを自称する法螺吹きだから仕方ない。

しかし、有名大学の長老教授や新聞論説員に騙されて支那人を厚遇し、「人さま」扱いしていた日本人は哀れだ。

隣人を信頼できて、他人も気配りをしてくれる国など、地球上で日本以外にはあり得ない。ユーラシア大陸は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する闇黒地帯で、お人好しの日本人が生活できる世界ではなく、下手をすれば身ぐるみ剝がされて虐殺されてもおかしくはないのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68677889.html


中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる


国会で話題になっていた「外国人参政権の問題点」は、対象者のほぼすべてが「在日韓国・朝鮮人」であることです。

この法案を積極的に推し進めている政党(賛成派)を知っておいたほうが良いでしょう。


「外国人参政権法案」の国会提出回数


公明党   27回(賛成)
民進党   15回(賛成)
共産党   11回(賛成)
自民党   0回(反対)
国民新党 0回(反対)
みんな   0回(反対)


※外国人参政権にもっとも積極的に賛成なのが公明党(創価学会)

※民主党(現在:民進党)は韓国民潭からの要請を受けて提出
※社民党・共産党も賛成 →共産党は被選挙権(立候補する権利)まで要求
※「自民党、国民新党、みんなの党、維新の会」は”反対”


(最後に/移民・難民問題)


日本国内で失踪する外国人(中国人)が増加
失踪目的で、技能研修を受けるものもいる

在日の犯罪の件数は多いのか、多い地域、どこにある?川崎市


その一方で日本には、イスラム圏からも多くの外国人が難民申請をしています(現在は多くが却下されている)
今後どのようになるかは分かりません。
http://www.geocities.jp/tokua33/

http://www.asyura2.com/18/senkyo245/msg/160.html#c3

[] 96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します? あっしら
2. 中川隆[-12558] koaQ7Jey 2018年5月23日 23:39:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14266]

商業登山の闇、エベレスト登頂という「賞杯」に賭けるリスク
5/23 AFP=時事


商業登山の幕開け以来、エベレストでは料金を払って登山をする人々をめぐる懸念に悩まされている。


 多くの人が転換点だったと語る1996年には、エベレスト山頂から下山中に8人が死亡した。その中には極度の高所での経験があまりない者もいた。その年に登山ガイドを務めたロブ・ホール(Rob Hall)氏は「十分な決意があれば、どんな愚か者でもこの山は登れる。だが登山の成功とは、生きて下山することなのだ」と語ったと伝えられている。
.

 だが、この96年のシーズン中に共に死亡したホール氏とガイドとして彼のライバルだったスコット・フィッシャー(Scott Fischer)氏が、エベレスト登頂を目指す顧客の投資を重視しすぎたとの批判の声もある。
.

 エベレストで長年営業している多くの登山業者は、登山者と業者の経験不足は死亡事故の増加につながると警告する。
.

 1994年からエベレスト登山を手掛けているツアー会社、ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himalayan Experience)のオーナーのラッセル・ブライス(Russell Brice)氏は「業者が熟練するまで、エベレストでの死亡事故は増えると予想している」と語り、一部の登山者の姿勢も非難した。「登頂熱は本当の病だ。皆ただ先へ進む。感覚がまひし『たかがつま先だ』となってしまう」と述べて同氏は凍傷で手指を失う危険性にも言及した。


エベレスト(Mount Everest)登頂は登山家にとって究極の「賞杯」だ。だが増加する経験の浅い登山家による世界最高峰への挑戦は、巨大なリスクを冒すものとなっている。


 今季の登山シーズンは、インドの航空機パイロット、米オハイオ出身の建築業者、インターネットメディア会社の元営業幹部などがエベレストのベースキャンプに待機し、8848メートルの世界最高峰を制覇する機会を狙っている。
.

 彼らが山頂までつかんで上るロープは同じであり、凍傷や雪崩、極度の疲労に直面する危険度も同じだ。だが、その特権のために支払う金額には大きな違いがある。
.

 エベレスト登山ツアー料金の最高価格は7万ドル(約770万円)前後で、こうしたツアーでは小チームを組み、顧客に登山能力の証明を義務付けている。
.

 一方、エベレスト登頂切符の料金を2万ドル(約220万円)にまで切り下げた安売りの登山会社は、経験のない登山者らさえ受け入れており、これに対し批判と警戒の声が上がっている。
.

 より安いツアー料金の登場によって、世界最高峰を制覇するという生涯の夢を試みる機会がこれまでよりも多くの人に開かれることになった。だが、無事に帰れない人の数も増えるだろうという厳しい予想もある。
.

■混雑する山腹

 1980年代には、ネパール政府はエベレストの登山ルート1本につき1チームだけに登山許可を与えていた。そのため各国の代表チームや、大手スポンサー付きの経験豊かな一握りの登山家しか足場を築けなかった。だがこの規制が1990年代に廃止されて以来、もうかるこの産業の分け前を求めて、登山会社が山腹に群がるようになった。
.

 今年、ネパール南側からは、料金を払った346人の登山者が挑戦する。2017年に許可が下りた史上最多の373人よりわずかに少ない。チベット側からの登山は180人が予定しており、当たり年となりそうだ。一方、昨年は登山者のうち、6人が死亡している。


今シーズン、初の最高峰登頂を目指すインド人パイロットのサンディープ・マンスカニ(Sandeep Mansukhani)氏が選んだ登山会社は、ネパールを拠点とするアジアン・トレッキング(Asian Trekking)で料金は約3万ドル(約330万円)だ。
.

 マンスカニ氏は「始めたばかりの人、初めて試みようとする人にとっては、よし、やってみようか、だ。誰かがやらなきゃならないし、誰にでもチャンスは与えられるべきだ」と語る。


 だが、昨年、払った料金2万ドル(約220万円)を諦めて途中で引き返すことを拒否した登山者とガイドを救助したエベレスト・ガイド、アン・ツェリン・ラマ(Ang Tshering Lama)氏は、登山者のエゴを非難する。「人は『私は登った』と言う。だが『私は登山家だ』とは言えない」とラマ氏。「この山を登るには、登山家でなければならないのだ」

http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/410.html#c2

[] 結論:福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は是認できる。←カスだということです Mグループ
1. 中川隆[-12557] koaQ7Jey 2018年5月23日 23:41:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14266]
商業登山の闇、エベレスト登頂という「賞杯」に賭けるリスク
5/23 AFP=時事

商業登山の幕開け以来、エベレストでは料金を払って登山をする人々をめぐる懸念に悩まされている。


 多くの人が転換点だったと語る1996年には、エベレスト山頂から下山中に8人が死亡した。その中には極度の高所での経験があまりない者もいた。その年に登山ガイドを務めたロブ・ホール(Rob Hall)氏は「十分な決意があれば、どんな愚か者でもこの山は登れる。だが登山の成功とは、生きて下山することなのだ」と語ったと伝えられている。
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 だが、この96年のシーズン中に共に死亡したホール氏とガイドとして彼のライバルだったスコット・フィッシャー(Scott Fischer)氏が、エベレスト登頂を目指す顧客の投資を重視しすぎたとの批判の声もある。
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 エベレストで長年営業している多くの登山業者は、登山者と業者の経験不足は死亡事故の増加につながると警告する。
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 1994年からエベレスト登山を手掛けているツアー会社、ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himalayan Experience)のオーナーのラッセル・ブライス(Russell Brice)氏は「業者が熟練するまで、エベレストでの死亡事故は増えると予想している」と語り、一部の登山者の姿勢も非難した。「登頂熱は本当の病だ。皆ただ先へ進む。感覚がまひし『たかがつま先だ』となってしまう」と述べて同氏は凍傷で手指を失う危険性にも言及した。

エベレスト(Mount Everest)登頂は登山家にとって究極の「賞杯」だ。だが増加する経験の浅い登山家による世界最高峰への挑戦は、巨大なリスクを冒すものとなっている。


 今季の登山シーズンは、インドの航空機パイロット、米オハイオ出身の建築業者、インターネットメディア会社の元営業幹部などがエベレストのベースキャンプに待機し、8848メートルの世界最高峰を制覇する機会を狙っている。
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 彼らが山頂までつかんで上るロープは同じであり、凍傷や雪崩、極度の疲労に直面する危険度も同じだ。だが、その特権のために支払う金額には大きな違いがある。
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 エベレスト登山ツアー料金の最高価格は7万ドル(約770万円)前後で、こうしたツアーでは小チームを組み、顧客に登山能力の証明を義務付けている。
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 一方、エベレスト登頂切符の料金を2万ドル(約220万円)にまで切り下げた安売りの登山会社は、経験のない登山者らさえ受け入れており、これに対し批判と警戒の声が上がっている。
.

 より安いツアー料金の登場によって、世界最高峰を制覇するという生涯の夢を試みる機会がこれまでよりも多くの人に開かれることになった。だが、無事に帰れない人の数も増えるだろうという厳しい予想もある。
.

■混雑する山腹

 1980年代には、ネパール政府はエベレストの登山ルート1本につき1チームだけに登山許可を与えていた。そのため各国の代表チームや、大手スポンサー付きの経験豊かな一握りの登山家しか足場を築けなかった。だがこの規制が1990年代に廃止されて以来、もうかるこの産業の分け前を求めて、登山会社が山腹に群がるようになった。
.

 今年、ネパール南側からは、料金を払った346人の登山者が挑戦する。2017年に許可が下りた史上最多の373人よりわずかに少ない。チベット側からの登山は180人が予定しており、当たり年となりそうだ。一方、昨年は登山者のうち、6人が死亡している。


今シーズン、初の最高峰登頂を目指すインド人パイロットのサンディープ・マンスカニ(Sandeep Mansukhani)氏が選んだ登山会社は、ネパールを拠点とするアジアン・トレッキング(Asian Trekking)で料金は約3万ドル(約330万円)だ。
.

 マンスカニ氏は「始めたばかりの人、初めて試みようとする人にとっては、よし、やってみようか、だ。誰かがやらなきゃならないし、誰にでもチャンスは与えられるべきだ」と語る。


 だが、昨年、払った料金2万ドル(約220万円)を諦めて途中で引き返すことを拒否した登山者とガイドを救助したエベレスト・ガイド、アン・ツェリン・ラマ(Ang Tshering Lama)氏は、登山者のエゴを非難する。「人は『私は登った』と言う。だが『私は登山家だ』とは言えない」とラマ氏。「この山を登るには、登山家でなければならないのだ」

http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/593.html#c1

[リバイバル3] 癌はニンニクで治そう: 中川隆
13. 中川隆[-12568] koaQ7Jey 2018年5月23日 23:48:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

ニンニクでアレルギー!? その症状と原因
https://mamamoru.com/allergy/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC/

 ニンニクといえば、免疫力を高める、殺菌作用があるなど、体に良いイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。ですが、牛乳や卵ほど頻繁に見られるわけではありませんが、ニンニクでアレルギー症状を発症してしまう人もいます。

 パスタやステーキなどの主に西洋の料理には欠かせないニンニク。ニンニクアレルギーとはどのような症状なのか、また、原因は何なのか、ニンニクアレルギーと判断されたときの対策などをまとめてみました。

注意したい!ニンニクアレルギー

 ニンニクに含まれる成分「アリニン」は、酵素と反応すると「アリシン」という成分に変化します。このアリシンは、コレステロールを抑制する作用や抗がん作用、肝臓の細胞活性化、免疫力を高める作用、抗菌・殺菌作用などの優れた効果をたくさん持つ成分ですが、効果が強い分、刺激も強く、体質や体調によっては好ましくない影響を与えてしまうこともあります。

 例えば、ニンニクを摂取すると胃に痛みを感じたり、下痢や腹痛が起こったりすることもあります。少量では特に不快な症状を感じなくても、普段摂取する以上のニンニクを摂取すると、お腹が痛くなったり、頻繁にトイレに通うようになったりすることがあるかもしれません。また、体調が良くないときにニンニクを食べると、急に体がだるくなったり、お腹を刺すような痛みを覚えたりすることもあるでしょう。

ニンニクアレルギーの症状

 ニンニクアレルギーはどのような症状となって表れることがあるのでしょうか。代表的な症状として次のものを挙げることができます。

◾皮膚や粘膜の腫れ、かゆみ、じんましん
◾咳、くしゃみ、鼻水、喘息
◾腹痛、下痢、吐き気、嘔吐
◾頭痛
◾貧血、めまい

ニンニクアレルギーの原因は?

 では、なぜニンニクを摂取すると、かゆみや吐き気、腹痛、頭痛などのアレルギー反応が生じることがあるのでしょうか。

ニンニクから生成される成分「アリシン」

 ニンニクを代表する成分とも言えるアリニンから生成されるアリシンは、強い抗菌・殺菌作用を持ちます。特に、生のままのニンニクを食べると、体質やそのときの体調によっては、胃腸への刺激が強すぎて胃痛や腹痛、下痢などを引き起こすことがあります。また、痛みなどの反応が強すぎて、頭も痛いように感じることもあるでしょう。

 また、アリシンには血液をサラサラにする作用があります。そのため、動脈硬化の予防や血行促進の目的でニンニクを食べる人もいます。もちろん、動脈硬化予防や血行促進などの効果も期待できますが、血流を良くし過ぎることで血液中の赤血球に含まれるヘモグロビンの作用を減少させ、貧血を起こしてしまうという可能性もあります。ニンニクをたくさん食べた後に、「めまいがする」「なんとなく気分が優れない」と感じたら、ニンニクの持つ血液サラサラ効果が好ましくない方向に働いたと考えることができるでしょう。

 さらに、アリシンは硫黄と結びつき「ジアリルジスルフィド」という硫黄化合物を発生します。このジアリルジスルフィドは、アレルギーを引き起こす物質であるアレルゲンになることもあり、皮膚のかゆみや湿疹などを発症するアレルギー性皮膚炎を引き起こします。

ニンニクに含まれるたんぱく質

 また、アリシン以外にも、ニンニクに含まれるたんぱく質がアレルギーの原因になることも考えられます。ニンニクが人間の体内に取り込まれると、ニンニクのたんぱく質を排除しようと免疫細胞が活発に活動し、そのためかゆみや発疹などのアレルギー反応を発症してしまうのです。

 この反応がアレルギー性の気管支炎として発現すると、咳やくしゃみ、喘息などの症状が見られるようになります。症状が重篤化すると、呼吸困難や意識障害などのアナフィラキシーショックとして表れることもありますので注意が必要です。

ニンニクアレルギーの対処法

 ニンニクアレルギーが出やすい人、もしくは体調が弱っていて身体が過敏に反応する可能性がある人は、どのようにニンニクアレルギーに対処することができるでしょうか。

胃腸の弱い人はニンニクを控えめに!

 お腹がごろごろしやすい人や食べ物によって下痢などの反応がでる人等の普段から胃腸の弱い人は、ニンニクの摂取を意識的に控えるようにする方がいいでしょう。腹痛や吐き気などのはっきりとしたアレルギー症状が出ないとしても、胃腸への刺激によって消化器系の調子を崩すことになるかもしれません。

食べ方にも工夫が必要

 加熱調理された料理にニンニクが使われている場合に一度もアレルギー症状を出したことがない人でも、生のニンニクを食べると腹痛や嘔吐、下痢などのアレルギー性と思われる症状が出てしまうことがあります。不安な場合はなるべく加熱されたニンニクを取るように、生ニンニクは避けるようにすることが勧められます。

 また、加熱調理してある場合でも注意が必要です。すりおろしたニンニクやみじん切りしたニンニクなら特にアレルギーと思われる反応が出なくても、分厚くスライスしたニンニクや切っていないニンニクを食べると、かゆみやくしゃみといった反応が出ることがあります。普段ニンニクを積極的に食べていない人は、なるべく大きな塊のニンニクは避けるようにする方が良いかもしれません。

ニンニクの風味を活かす

 ニンニクが料理に使用されると香りによって食欲が刺激されますし、独特の辛味は料理を一段複雑なものへと昇華させます。ですが、ニンニクに対してアレルギー反応が出る恐れのある人や胃腸の弱い人、幼い子どもや高齢者などの刺激に弱い人は、調理油にニンニクの香りをつけることで、直接ニンニクを食べずにニンニクの風味や辛味を味わうことができます。
 
 ニンニク風味の油を作ることは簡単です。油をなべやフライパンに適量注ぎ、スライスしたニンニクを細かい泡が出てくるまで煮込みます。後は、香りが立ったらニンニクを取り除いて完成です。ニンニクに香りをつける方法として、生ニンニクを一定期間加熱していない油に入れるという方法もあります。ですが、この方法で香りをつけると、生のニンニクが使用されますので、ニンニクに対してアレルギーを感じやすい人には刺激が強すぎる可能性があります。

アレルギー症状かなと思ったら検査を!

 腹痛や下痢などの症状が表れたとき、少し安静にしていることで症状が緩和されることもあります。もちろん、そのときはそれ以上のニンニク摂取は止めておきましょう。ニンニクの摂取を止めることである程度症状が改善されたのなら、腹痛や下痢を引き起こした原因はニンニクにあると考えられます。体調が回復したら、内科やアレルギー科などの医療機関でアレルギー検査を受け、アレルギーの有無を確認しておきましょう。

 腹痛や下痢などの消化器官における症状ではなく、気管支炎などの呼吸器官における症状が出た人は注意が必要です。症状が悪化しアナフィラキシーショックが出ると、生死にかかわることもありますので、必ず医療機関を受診してアレルギーの有無を確認しましょう。アレルギー検査は内科やアレルギー科だけでなく、病院によっては皮膚科や呼吸器科、耳鼻科でも検査できます。毎日の食事などの日常生活にも関わることですから、医師に相談することをおすすめします。

お菓子や加工品にも注意!

 ニンニクアレルギーとわかったら、もちろんニンニクを摂ることは控えます。自分で調理をするときは避けられますが、お菓子や加工品の中にもニンニクが使われていることが少なくないので注意してください。ポテトチップなどのスナック菓子の香り付けに使用されている場合もあります。容器に表示されている成分表を確認するようにしましょう。

 ニンニクを食べ過ぎた場合、抗菌・殺菌作用の強い刺激により、腹痛や下痢、吐き気、あるいは頭痛などの症状が表れることがあります。そのような症状が表れるようでしたら、ニンニクの摂取を控えるようにしましょう。

 ニンニクの含有するたんぱく質や、ニンニクから生成される成分のアリシンがアレルゲンとなる場合は、腹痛や下痢などの症状ばかりでなく、アレルギー性気管支炎やアレルギー性皮膚炎を発症し、アナフィラキシー症状なども引き起こしてしまう可能性があります。きちんと医療機関でアレルギー検査を受け、医師に相談することをおすすめします。

まとめ

 アレルギーと言う言葉は頻繁に使われる言葉ですので、ともすると甘く見てしまうことがあります。ですが、呼吸器官に異常が出ると呼吸困難などの生命に関わる重篤な症状へと発展してしまうこともありますので、注意の上にさらに注意を重ねることが求められます。何らかの異常が見られた人はすぐに医療機関を受診し、食生活からなるべくニンニクを排除していくような工夫をしていきましょう。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/731.html#c13

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
159. 中川隆[-12567] koaQ7Jey 2018年5月24日 00:26:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

中国と組んだ星野リゾートは日本を滅ぼす


星野リゾートがトマムを中国系に売った理由
「週刊東洋経済」2015年12月5日号〈11月30日発売〉「この人に聞く」に加筆


独占!星野佳路代表に直撃インタビュー(上) 2015年12月06日
https://toyokeizai.net/articles/-/95118

中国、中国と騒ぐのは偏見だ

「実家の軽井沢だって売却した。トマムの売却はなんら特別なことではない」と語る星野佳路氏(撮影:梅谷秀司)

国内各地で高級旅館やホテルを展開し、老舗旅館の再生実績も多い星野リゾート。11月11日、同社は2005年から全面的に再生を手掛ける、「星野リゾート トマム」(北海道占冠〈しむかっぷ〉村)の所有者が変わると発表した。

トマムの運営は従来通り星野リゾートが継続するが、12月1日から中国のコングロマリットのフォースングループ(復星集団)傘下の企業が所有者となる。

北海道のニセコなど、全国各地で中国系企業がホテルや旅館を買い漁るイメージが先行していることもあり、トマムの件は話題を集めた。なぜ相手が中国企業なのか。狙いは何か。星野佳路代表が真意を語った。

トマム再生には10〜15年の時間がかかる

──トマムを売却する理由は?

1991年に、僕が星野リゾートの社長になったときから、星野リゾートは「運営会社になるんだ」ということを掲げてやってきた。基本的には(不動産や建物の)「所有」と、ホテルや旅館の「運営」を分離する方針だ。

もともと「星野リゾート トマム」は米国系ファンドのグローブが80%を所有しており、星野リゾートは20%しか持っていなかった。われわれはこの10年間、トマムの運営をやってきたし、これからも運営を続けていく。


「星野リゾート トマム」は全28のスキーコース、東京ドーム123個分の広大な敷地を持つ

トマムは巨大なリゾート施設で再生には10〜15年かかる。

僕が提案している改善策は右から左までたくさんあるが、再生の初期段階では短期的に収益をあげる施策を優先してきた。

2006年にグローブと組んでから、再生の第1ステージとして、スキーリフトを掛け替えたり、雲海がよく見える「雲海テラス」を設けるなど、短期的に収益を出すための投資をしてきた。おかげで安定収益をだすところまできている。
ファンドには、必ず出資している投資家がいて、どこかで出口戦略を決めなければならない。9年間という期間は比較的長いが、ファンド側としても、結論を出す時期に来ていたという事情がある。

ここから再生の第2ステージとして、もうひとリスクとれ、われわれの成長戦略に合意してくれる投資会社が必要だった。そのために、今回、フォースンという投資会社と組むことにした。

――トマムの投資会社交代が話題を集めた理由は、新しい所有者であるフォースンが中国企業だったという点にある。


2014年11月15日号で復星についてリポート。2014年6月には「ついに日本上陸、中国企業『復星』の全貌」を配信している

それは偏見だ。会社を見ていなくて、たまたま上場していた場所で見ている。フォースンという会社は中国だけでなく、中長期的な視点で、世界中に投資している会社だ。

確か、2014年の「週刊東洋経済」で、フォースンが日本に投資を始める準備をしているという記事があったはずだ。

中国で上場しているが、もともと学生2人がスタートした民間企業。フランスのクラブメッド(旧地中海クラブ)などにも投資しており、国際的な視点を持ったいい会社だ。

ファンドと組んで始まる再生の第2ステージ

――フォースンと組んだ第2ステージの再生戦略をどう描くのか。


2006年に開設し、夏場の集客の成功事例となった「雲海テラス」

トマムは1983年に開業しているが、日本のスキーリゾートはどれもバブルの頃に開発されたもので、新しいものはほとんどない。この20年余りで、世界のスキーリゾートは進化した。

トマムの雪質や山は世界トップクラスのスキーリゾートになる可能性がある。

そのためには、世界の新しい潮流に合あわせた、積極的な投資が必要だ。昔はゲレンデがあって、そのふもとに、ベースとなるレストランやホテルがあった。スキーを担いで、子供の手を引っ張って、歩かなければならなかった。


今はゲレンデの中に、さまざまなアクティビティができる場所が備わっており、スキーで滑り込み、そのまま出て行く、スキーイン・スキーアウトが一般的だ。つまりストレスなく、楽しめるリゾートに世界は変わってきた。

「リゾナーレ トマム」は、レストランなどのパブリックな機能はベースにあるが、すでにリフトを掛け替えて、コースも付け替えた。スキーで滑り込んできて、滑り出していける、スキーイン・スキーアウトができるホテルになっている。

それから、閑散期である夏場の集客にも、中長期的な投資をしていく必要がある。今までも雲海テラスなど、夏の滞在を魅力的にするアクティビティをたくさん導入したが、お客様の声を聞いていると、夏の北海道らしい風景を求めている。

先日もレストラン街「フォーレスタ モール」の一部を壊した。これからは、20数年前に建てたものを、壊し、新しく建てていく。こうすることで、トマムというリゾートが北海道らしい風景として、魅力的に見えるように再編していく必要がある。

ホテルの「所有」と「運営」は別のノウハウ

──トマムを含めて、ファンドがホテルや不動産を所有し、星野リゾートが運営を受託する、「所有」と「運営」を分離する方式を取っている施設が多い。これはなぜなのか。

ホテル業界では、1970年〜1980年代に、所有と運営の分離が始まった。この業界において「所有する」ということは「投資する」ということ。「運営する」ということは、接客して、食事を作って、掃除するという、「サービスを提供する」こと。この2つは根本的に違うノウハウだ。

不動産投資からすると、ホテルは毎日値上げできるのでインフレに強いが、オフィスはなかなか値上げできないのでインフレに弱いと言われている。投資会社のグローブにしたって、フォースンにしたって、不動産投資のポートフォリオの中で、オフィスやホテルなどに投資している。

世界には、ホテルに投資したいし、所有もしたいけど、運営はしたくない人の方が多い。食事も、掃除も、サービスもやりたくない人は、いっぱいいる。そこは専門である運営会社に任せましょうとなっている。

――運営に特化することは、星野リゾートにとって、どんなメリットがあるのか。


2005年に全面改装して誕生した「星のや 軽井沢」。この星野氏の実家も売却済みだ(撮影:今井康一)

僕は1991年に実家の星野温泉の社長に就任してから、「星野リゾートは運営会社になるんだ」と言い続けてきた。

運営会社から見ると、所有しないことは、借金しなくてもよいということ。バランスシート上の資産や負債を増やさなくて済む。

それで得られるのが、展開の速さだ。星野リゾートは2001年に「リゾナーレ小淵沢」の運営を受託し、軽井沢から一歩を踏み出した。それから15年間で、軽井沢に1軒だった施設は、35軒になっている。これだけ案件を増やせたのは、所有をしないからだ。

1軒が35軒になって、借金も同じように35倍になったら、金融機関だって、どこか1軒でも大変になったらと思うだろう。運営に特化して、フィービジネスに切り替えたことが、星野リゾートが成長してきているポイントだ。

トマム売却で騒いでいる人がいるが、僕の実家である「星のや軽井沢」も2012年に売却済みだ。所有と運営を分離することは、僕たちにしてみれば、何ら特別なことではない。

──実家を売却してまで、スピードを追い求めた理由は何か。

僕らは待っていてもダメ。北海道ニセコにはヒルトン、箱根にはハイアットリージェンシー、沖縄にはリッツカールトン、京都にはフォーシーズンズができた。軽井沢に旅館を1軒だけ所有する会社よりも、リッツカールトンに運営させたほうがいいという時代がきている。

われわれは投資という点では、ゴールドマンサックスやグローブに勝てないし、その体力もない。だから運営に特化するという選択をした。
https://toyokeizai.net/articles/-/95118


星野流、規模100倍の外資ホテルとの戦い方
中国、中国と騒ぐのは偏見だ

独占!星野佳路代表に直撃インタビュー(下) 2015年12月07日
https://toyokeizai.net/articles/-/95181



「外資系ホテルは誰でもできる運営をしている」と語る星野氏(撮影:梅谷秀司)

前編はこちら:星野リゾートがトマムを中国系に売った理由

リゾートの再生にはファンドの資金が必要

――実家の「星のや軽井沢」は、星野リゾート・リート投資法人に売却している。トマムでは投資ファンドを選んだ理由は何か。

リート投資法人は性格上、完成した建物を買って、安定収入を得ることはできる。ただ、新しい建物を買ったり、リフトを掛け替えたり、リフトの近くにレストランを作るといった、開発を手掛けることはできない。

破綻したリゾートの再生現場においては、投資ファンドのようにリスクを取れる資金が必要だ。彼らは、再生が終わり、価値があがったときに、売却して利益を得ることを目的としており、それなりにリスクをとることができる。

そして再生が完了し、収益が安定期にあがるようになると、価値は急にあがらない。一般的な再生期間において、最初にリスクがとれる会社はどこにするのか。再生が完了した時点で、安定して所有する会社はどこにするのか。決めることはとても大切だ。

――運営会社なのに、そこまで投資会社を意識して経営する理由は?


スキーリゾート、トマムの再生には、リスクのとれる投資ファンドの資金が必要だった

顧客満足度をあげるには、投資をするしかない。

日本の観光産業は、スタッフというソフトの質という点では、世界レベルにある。

そのスタッフが活躍する舞台であるホテルや旅館は、バブル経済のころ、20年以上前に建てたものを大事に使っている。

(施設という)ハードと(人材という)ソフトはクルマの両輪だ。20〜30年前に建てられた施設では、どんなにスタッフが優秀でも、力をすべて発揮することはできない。

経営者の役割はお金を調達すること、スタッフが働きやすい舞台を作ることにある。だから、経営者の僕が発言すると、投資となってしまう。

――クルマの両輪ということだが、2014年の東洋経済のインタビューでは「ホテル業界のトヨタを狙う」としている。星野リゾートのブランドポジションからすると、フェラーリやポルシェなど、もっと尖ったブランドという印象がある。


トヨタ自動車九州の高級車「レクサス」生産ライン

そんなことはない。やっぱり目指すのはトヨタだ。かつて、自動車メーカーとしては、米ゼネラル・モーターズ(GM)が世界最大だった。

後発のトヨタ、日産、ホンダが世界に進出し、成長できたのは、生産性の高さがあったからだ。

規模の経済によるメリットだけで考えれば、当時のトヨタは、GMには絶対かなわなかった。そこを、トヨタは各工場の生産性を高めることで、巨大な差を埋めていった。

日本のサービス産業は、圧倒的に生産性が低い。星野リゾートは、生産性を改善する手法について、ヒルトンやマリオットよりも、製造業から多くのことを学んできた。ホテルの中で、一番労働集約な作業は、部屋の清掃と調理だ。

旅館メソッドで外資系ホテルに挑む

大量に時間を投下している、この2つの作業の生産性を高めるため、トヨタでいう多能工化、われわれの言葉でいう「サービスチーム」や「マルチタスク」で、生産性を高めてきた。


12月2日には日本政策投資銀行と組んだ旅館再生専門のファンドを立ち上げると発表した(右は政投銀の関根久修・常務執行役員)

世界のホテルの運営会社はみんな同じ。マリオットもヒルトンもハイアットも、同じ方法で運営されている。

彼らと同じ運営方法をしていては、規模の大きな外資系の運営会社に勝てない。大事なのは個々のホテルの生産性だ。星野リゾートは旅館出身で、外資系のホテル運営会社とは違う。

だからこそ、生産性や収益力、サービスの質が高くて、投資家も高いリターンを得られるということが大事。僕はこれを「旅館メソッド」と呼んでいる。

──星野リゾートの自社直営や運営受託を含めた、グループの取扱高は、約400億円。マリオットによるスターウッド買収が成功すれば、単純合算で売上高は427億ドル(約5.1兆円)となる。2ケタも規模が違う相手に、どう戦いを挑むのか。


星野佳路(ほしの よしはる)/1960年生まれ。米コーネル大学大学院を経て、日本航空開発(旧JALホテルズ、現オークラ ニッコー ホテルマネジメント)に入社。1991年に星野温泉に戻り社長に就任。現在はグループの代表を務める(撮影:梅谷秀司)

海外の運営会社には、どのホテルも運営が同じという問題点がある。マリオットの総支配人が翌日、ヒルトンの総支配人に、ハイアットのシェフが、翌日にはヒルトンのシェフになっていたりする。

世界の投資家に話を聞くと、彼らに対しては、「誰でもできる運営をしている」という不満を持っている。

今、世界の大都市には、高級ホテルのブランドが60ぐらい存在している。マーケットセグメントがそれほどあるわけではない。

東京には「パークハイアット」があるので同じブランドは使えない。今度は「アンダース」を作ろうという、オーナー側の事情によるものだ。

本来、ブランドというのは、顧客との信頼関係を築くことのはず。オーナー側の事情で、顧客の信頼を得ていないブランドが増えすぎてしまった。

消費者も60もブランドがあると、自分にあったブランドがわからないから、結局はエクスペディアのようなオンライン予約サイト(OTA)やトリップアドバイザーのような口コミサイトを見ないと、選べない状況が生じている。

増え過ぎた外資系は再編の必要があった

オーナーの事情で、そういう状態になってしまったことに対する反発は、当然ある。ブランド評価で有名な、インターブランド社が発表している「世界のトップ100ブランド」に、ハーレーダビッドソンやソニーは入っているのに、ハイアットやマリオットなどホテルはひとつも入っていない。


星野リゾートは旅館メソッドを武器に、規模が2ケタ以上も違う、世界のホテル運営会社に戦いを挑む

運営会社の再編などを通じて、ホテルのブランドは消費者から見て正しい数まで収束することが、どこかで起きると思っていた。

投資会社にとっても、運営会社は誰でもできる運営をしているし、ブランドが増えすぎて、OTAに高い手数料を支払う、耐え難い状況になっている。

そこに星野リゾートは、旅館メソッドで答えていきたいと思っている。僕たちは生産性の高い運営方法ができる。ほかの運営会社と違う方法ができることが、いかに小さくても投資家に選んでもらえるポイントになる。

「星のや東京」をステップに世界へ

――長期的に星野リゾートの成長戦略をどう描くのか。


12月10日に改装オープンする「界 加賀」。現在は全国で13施設を展開している

長期的な考えはあまりない。ただし、いくつか言っていることはある。

ひとつは温泉旅館ブランドの「界」(かい)を、早く30軒体制にすること。2005年から言い出して、もう10年経ったが、まだ13軒しかない。

全国の有名温泉地に星野リゾートブランドを出すことは、顧客の期待でもあるし、界のブランドにとっては大事なビジョンだ。これは30軒になるまで淡々とやっていく。

それよりも、外資のホテル運営会社と戦える競争力を、持たなければならない。まずは2016年夏、「星のや東京」を出して、きちんと成功させることだ。


2016年7月、東京の中心部に開業予定の「星のや 東京」は、世界展開をにらむ旗艦の旅館となる(完成予想図)

東京の中心地に進出することは、星野リゾートが世界に出て行くための、ステップ、それも重要なステップだ。

東京は世界の名だたる運営会社が乱立している市場。パークハイアット、マンダリンオリエンタル、コンラッドといった会社と戦い、星野リゾートのほうが、稼働率も、運営や単価、利益もいいとなれば、ニューヨークでも「星のや」を出さないか、という話になる。

世界の大都市では、日本車が走り、日本食も食べられる。なぜ日本の旅館はないのか。その選択肢を与えるためにも、われわれにとって、とても重要なプロジェクトだし、投資家からも非常に注目されている。
https://toyokeizai.net/articles/-/95181



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占冠(しむかっぷ)村にある総合リゾート施設「星野リゾートトマム」は、1000haを超える敷地に巨大タワーホテルやスキー場などを併設する。

「星野リゾート」という名称から日本企業の経営と思われがちだが、経営主体は2015年秋に同施設を買収した中国系企業で、「星野リゾート」は管理を行うのみだ。

最近、同リゾートを訪れた知人によると、当地には中国人の利用客が大挙して押しかけ、場内アナウンスにも中国語が。知人は、「正直、ここはどこの国かと驚いた」と語った。

中国系資本による土地買収にはパターンがある。最初に「リゾート地をつくる」「医療ツーリズムの拠点にする」などの壮大な計画をぶち上げる。財政難の自治体が賛成した途端に買収交渉を進める。だが、最初の構想は一向に実現しない。

 では何のために膨大な日本の領土を手に入れているのか。

 中国が買った土地には共通点がある。ほとんどが周囲を自然に囲まれて中の様子がわからない土地だ。出入りする場所が限られるため、出入口さえ封鎖すれば、外部からの干渉が難しくなる。

 しかもゴルフ場やキャンプ場はすでに土地が整備されていて水源が豊富にあり、開墾せずとも宅地や農地に転用できる。つまり、いつでも“自己完結型の自治区”となりうるのだ。

最近は世界で移民問題が大きなテーマになっているが、隔離された土地に大勢の中国人が住み着き、農産物や水、エネルギーを占有すれば日本の領土に中国の自治区ができてしまう。それこそが彼らの狙いではないのか。

 事実、中国の一部メディアは、「北海道は十年後に中国の三十二番目の省になる」と予測しているという。ある在日の中国人論客は、「中国は北海道を二十年前から狙っている」として「これは武器を持たない、目に見えない戦争だ」と警鐘を鳴らす。
https://www.news-postseven.com/archives/20171116_626631.html

中国人が多すぎて、星野リゾートが…
星野リゾート トマム ザ・タワーの口コミ:2017年2月13日

生後3か月の子供と一緒に宿泊しました。
パンパースのおむつが使い放題で大変助かりました。
子供のフロアに宿泊していたのですが
部屋にロディがいたりゴロゴロできるラグなど
かなり楽しい時間でした。

ですが中国人の多さに…辟易しました…

宿泊時期:2016年3月、家族旅行
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1120868-d1187154-r459109080-Hoshino_Resorts_Tomamu_The_Tower-Shimukappu_mura_Yufutsu_gun_Hokkaido.html


558: 匿名さん [2018-01-02 05:49:56]

星野リゾートトマムの敷地内にクラブメッドがオープンしたが、大丈夫か?
コンセプトが違い過ぎる


559: r  [2018-01-03 18:26:00]
>>558
メッドもトマムも中国人投資家の物になったから、問題なし

中華街みたくなってますよ

それと、星野はこうゆうスレッドも監視しているので、
これから就職を考えている人は書き込まないほうがいいですよ
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/460-559/



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c159

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
160. 中川隆[-12566] koaQ7Jey 2018年5月24日 00:51:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

支那人に征服される呑気な日本
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支那人に狙われた北海道


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(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
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  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)
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  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

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(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)
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  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。


チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)
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  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)
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  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)
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  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)
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  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)
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  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)
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  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)
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支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

Hugh Grant & Ekizabeth Hurley 2Hugh Grant & Ekizabeth Hurley 4Tinglan Hong 2
(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)
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  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

Hugh Grant & Anna-Eberstein 2Hugh Grant parents
(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)
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  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)
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  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)
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  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

Elizabeth Hurley 5Lucy Liu 2(左: エリザベス・ハーレー / 右: ルシー・リュー)
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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)
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  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)
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  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)
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  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)
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  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
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2018年05月07日
支那人が居て当り前の時代 / 闇黒大陸の一部となる日本
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「隣は支那人」になった現在

  日本は海で朝鮮半島と支那大陸から切り離されている、というのは昔の話だ。交通機関が発達し、チラシ広告のようにビザが発給されている今日では、あっちに支那人、こっちに朝鮮人、お向かいにフィリピン人、後ろに黒人というのが珍しくない。筆者も驚いてしまったが、ある日、東京四谷のコンビニ店に入って会計をしようと思ったら、レジ係がペルシア人(イラン人)男性なので面喰らってしまった。以前、鉄火丼を食べようと本郷の定食屋に入ったら、注文を取りに来た女給が支那人だった、という思い出がある。また別の日、近所を散歩していたら、背後からウルドゥー語が聞こえたので、「何事か?!」と思って振り返ってみたら、三人のパキスタン人が自転車に乗って走っていたのだ。確か、日本の道路を歩いていたはずなのに、「あれっ ! 英国のブラッドフォード(Bradford)にいるのかなぁ ?」と錯覚しそうになった。日本も一等国になったようで、都市部がロンドンのイースト・エンドみたいになっている。でも、墓場の伊藤博文や夏目漱石は喜ばないよねぇ。

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(左: 英国に住むパキスタン人 / 右: 西歐人を非難するイスラム教徒)

  だいたい日本人は脳天気すぎる。異民族を知らなかった日本人は、日韓併合で下劣な朝鮮人が大量に押し寄せたからビックリ。敗戦で朝鮮を放棄した後も、穢多(エタ)と変わりない賤民が残留し、「第三国人」と称してやりたい放題。不逞鮮人に苦しめられた日本人は結構多いのに、子や孫にその「苦労話」を伝えないから、現在の若者は支那人や朝鮮人に無知なまま暢気に暮らしている。一方、北京政府の改革開放路線で“小金持ち”となった支那人は、歐米諸国はもちろんのこと、近場の日本にも群れを成してやって来た。ディスコだって客を選んで入店させるのに、日本政府は千客万来で支那人の渡航を許してしまうんだから、愚かとしか言いようがない。支那人ってのは欲望全開、道徳最低の銭ゲバ民族である。いくら懐が温かくなろうとも、心は氷点下の冷血動物だ。江戸や京都を歩いても、タバコのポイ捨て、カラ弁の投げ捨て、痰の吐き捨て、ウンコの垂れ流しなんて当り前。犬だって列に並ぶのに、支那人にはそれすら出来ない。昔、アジアの租界で「支那人と犬はお断り」という立て札があったそうだが、盲導犬や麻薬犬に失礼だ。柴犬の「豆助」が近づいてくれば「よしよし」と撫でてやるけど、支那人がホイホイやって来れば、スリッパでその頭を引っぱたきたくなる。「チャンバラトリオ」の南方英二ならハリセンでぶっ叩くし、漫才コンビ「ゆーとぴあ」のホープ師匠なら「ゴムパッチン」だぞ。(だいぶ古いけど、詳しくはネットで調べてね。)

  経済発展で支那人が態度を改めるなんて嘘だ、妄想だ、まやかしだ。日本人はポテンシャル(潜在能力)が異常に高く、自分が変化と進化を遂げて良くなるから、多民族もそうなると信じてしまう。ただし、例外はある。長嶋茂雄は現役引退の時、「巨人軍は永遠に不滅です!」と述べたが、今では斜陽の巨人軍は目を蔽いたくなる程の体たらく。プロレス界だって馬場や猪木の頃とは格段に違っている。それでも、日本は全体的に素晴らしい。ところが、支那人ときたら数千年前と変わらぬままだ。秦や漢、唐、宋、元、明、清になっても同じ。日本の知識人は支那が民撰国家(デモクラシー)になれば変わると思っているが、あと四千年経っても支那人は支那人だ。支那の歴史は軍閥・匪賊で分裂し、中原の覇者が現れて統一というのが定石。しかし、暴君や腐敗と戦乱で再び群雄割拠となるから、残忍で冷酷な独裁者が降臨し、再統一というパターンが繰り返される。絵巻物みたいな美しい日本史とは違い、支那の歴史は血塗れで、恐怖と醜悪に満ちたホラー劇。地獄の方がまだマシだ。なぜなら、閻魔大王は一人だけ。支那ときたら、百鬼夜行で魑魅魍魎。ドラキュラ伯爵でも蠅か蛇に過ぎない。悪魔がたじろぐ悪党がウヨウヨいるんだから。

  支那人について話し始めるとキリが無いので省略するが、支那人というのは実にうるさい。アヒルみたいにガーガー喋る。比べちゃ悪いけど、オックスブリッジを出た中流階級のイギリス婦人とか、エレガントなフランス人女性は躾が良いのか、話を聞いていて気持ちがいい。例えば、日本でも有名なBBCニューズで、アンカーを務めるフィオナ・ブルース(Fiona Bruce)の話し方は気品があって、そのブリティッシュ・アクセントは耳に心地よい。ちょっと庶民的な司会者のキャット・ディーリー(Cat Deeley)でも、話を聴いていて愉快になる。映画ファンならジミー・キンメルのトーク番組とかで、女優のジリアン・アンダーソン(Gillian Anderson)や男優のヒュー・グラント(Hugh Grant)が話すのを聞いたことがあるだろう。米国の中西部だとアンダーソンのような英語を喋る西歐系女性は多いから、在米日本人のビジネスマンでも気付く。一方、グラントはオックスフォード大卒の珍しい俳優で、会話を聞いていても英国風のユーモアを交えて喋るから、いかにもイギリス人らしい。

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(左: フィオナ・ブルース / キャット・ディーリー / ジリアン・アンダーソン / 右: ヒュー・グラント)

  今回、支那人の話し方に触れたのは、先月の4月29日、吉祥寺駅で支那人による傷害事件が起きたからだ。被害者になった会社員の土屋英司さん(65歳)は、電車の中で話す二人の支那人がとてもうるさかったので、吉祥寺で降りたとき、彼らに注意したそうだ。すると、酒に酔っていた支那人の代強(だい・きょう)は、叱責されたことで腹を立て、土屋さんに掴み掛かかった。口論が昂じて二人がもみ合いになると、運悪く電車が動きだし、土屋さんは車輌に押しつけられて重傷となる。脳挫傷で病院に搬送された土屋氏は、意識不明のまま、五月に入って息を引き取った。土屋氏の死亡を以て、代の容疑は傷害致死に変わったそうだ。

  亡くなった土屋氏は正義感が強く、勇気をもって注意したのだろう。一般的に、支那人は自己中心的でマナーが悪く、周囲の迷惑を顧みない。大声で喋っても、大声だと気がつかないくらい鈍感だ。恥も無いければ、反省も無い。日本語が上手い支那人でも、日本語を話す口調は支那的で、“がさつ”な上に、ぶっきらぼう。しかも、押しの強い喋り方で、機関銃のように言葉を発するから、まともな日本人だと眉を顰めるし、温厚な人でも心の底で「何こいつ !」と呟いてしまう。支那人の態度にはデリカシーのカケラも無いし、繊細な感覚とか、相手を思いやる「気遣い」というものが一切無い。これは支那人家庭の特徴で、子供の躾が我々と根本的に違うからだ。いくら日本の大学に留学し、日本での滞在期間が長くても、「生まれと育ち」から由来するの行動様式は中々変えられないものである。だから、日本人と結婚すると、色々な事で驚く。支那人の男にとって日本人女性は別世界の人間で、可愛らしさと慎ましさが魅力的。柔和な性格を持っていても、その中に芯の強さがある。天真爛漫なのに意外と賢く、亭主と苦楽を共にしてくれる伴侶となるから最高だ。

  片や、支那人の女を娶った日本人は、不幸を背負い込んだようなものである。カマキリのような女は、国籍目当てで日本の男に近づくし、隙あらば財産を収奪しようとする。さらに、いつのまにか亭主に多額の生命保険を掛け、チャンスを狙って一攫千金。憐れな旦那は、ハッと気がつくと棺桶の中。年金受給前にあの世へ直行なんて、あゝ無情。支那製の列車に乗ったようなもの。だいたい、支那人を女房にする方が愚かだ。いくら女日照りだからといって、支那人の女房じゃセックス以外に喜びが無い。同僚や友人に自慢できないし、紹介された相手も何となく「馴れ初め」を訊けないし、どんな事を話していいのか分からないから、遠慮がちになる。支那人なら気にしない、ちょっとした“しぐさ”も、日本人にとったら気になる。でも、注意すれば侮辱になるから、素知らぬ振りを決めこんで居眠りするのが一番。やはり、後進国ならぬ最低国から来た劣等民族は、高度な日本社会に同化するなんて無理。(支那人については、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』で詳しく論じたから、そっちを読んでね。笑ってしまうけど、現在でも頷ける支那人の性質が解る。)

  再び話が脱線したので元に戻す。支那人に殺された土屋氏の一件は、実に気の毒な暴力事件だけど、問題の核心は、日本のマスコミと支那人の居住を許す政府にある。事件を受けて、各テレビ局は一応「傷害事件」として報道したが、形式的にサラリと流すだけで、事件の本質を追求しようとしなかった。本来なら、「どうして、こんな事態になったのか?!」と特番を組んでもいいのに、酔っ払いの“いざこざ”としか考えていないのだ。下らない福田財務次官のセクハラ事件だと、何日も延々と報道したくせに、兇暴な支那人の犯罪だとチョロッと触れるだけ。ジジイの残尿じゃないんだぞ。淡白すぎるじゃないか。下手人の代強は、埼玉県春日部市に住む“自称”「調理師」であるというが、これって「専門職」の外国人に分類されるんじゃないか?

  日本政府は「高度技術の保有者」を優遇しているから、北京料理とか上海料理を得意とする支那人も「専門職」の人材となるのだろう。餃子の皮を素早く作ったり、麵を巧みに引き延ばす支那人なら“大歓迎”となる。でも、そんな基準なら、何億人も該当するので、津波のように支那人が押し寄せるぞ。何せ、支那人は一般人でも料理の達人だ。鶏から豚、熊、蛇、蛙に至るまで、何でも包丁で屠殺できる。道端で野菜クズを拾ってきたら、見事な八宝菜を作ってしまうし、腐った肉でも油で揚げてチンジャオロースとか酢豚にして誤魔化すのが上手だ。世界中に散らばる支那人が先ず始める商売といったら、必ず郷土料理を持ち込む食堂である。したがって、支那人に限って言えば、料理人を「専門職」にしてはならない。コンピューター技師だって怪しいものだし、却って危険な場合もある。機密情報を盗むハッカーにもなるし、偽造クレジット・カードを作る「専門家」にさえなってしまうのだ。ピッキングの空き巣だって「専門職」じゃないか。盗難防止の装置が附いている高級車を盗む手口なんか、実に鮮やかで、その素早さ、正確さ、連携プレーは大したものだ。もし、犯罪オリンピックがあれば、支那人は個人・団体戦を含めて金メダルの独占は間違いない。

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(左: 犬の丸焼きを包丁で捌く支那人 / 右: 支那人の子供たち)

  支那人や朝鮮人の犯罪が世間の脚光を浴びると、テレビ局は必ず評論家とか藝能人をスタジオに招いて、「全部の支那人や朝鮮人が犯罪者という訳ではない」と語らせる。しかし、こうしたテレビ藝者は腹話術の人形に過ぎず、裏で糸を操っているのは、制作者のディレクターやプロデューサーである。したり顔の九官鳥は「教えられた台本」を喋ってるだけで、熟慮を重ねた上での結論ではない。提灯を掲げた雑誌記者も、お座敷に呼んでくれた「旦那衆」に媚びるのが十八番(おはこ)である。そもそも、俳優とか漫才師が自分で丹念に調査して、根拠のある資料を以て独自の見解を述べるなんてあり得ない。フジテレビは坂上忍を起用して「ご意見番」にしてるけど、彼はベテランの役者だから、制作者の意図を汲んで“期待通り”のキャラクターを演じているだけだ。

  最近耳にして驚いたが、藝人の東山紀之がテレ朝の『サンデーLIVE』という番組で、メイン・キャスターを務めているという。もう呆れてしまうが、人気者を採用すれば、彼の固定ファンや若い女性が観てくれる、とでも思ったのだろう。確かに、くたびれた中年のアナウンサーよりも、キリっとした二枚目役者を使う方が、一般の視聴者を洗脳しやすい。(ただし、『必殺仕事人』で中村主水の代役を務めた東山は無惨だった。お客の視線が厳しい演劇は、おちゃらけたワイドショー番組と違って実力がモノを言う。大根役者は三流役者のままで、看板役者にはなれない。たぶん、歌手で零落(おちぶ)れたから、キャスターに転向したんだろう。)

  歐米人もそうだが、日本人は率直にモノを言わないから、困った事態に陥ってしまうのだ。嫌なものは「イヤ !」と言うべきである。支那人を排除できないのは、問題の急所を突かないからだろう。つまり、たとえ移民の中に良い支那人がいようとも、国境の前で「支那人はお断り」と撥ね付けるべきなのだ。戦国時代、織田信長は一向宗に手を焼き、それを根絶しようと比叡山延暦寺の焼き討ちを断行し、宗徒や兵僧を皆殺しにしたという。実際、そんな大虐殺があったかどうかは怪しいけど、立派な坊主に生臭坊主がくっついていたことは事実らしい。ここで重要なのは強欲坊主ではなく、そうした僧侶が繁殖する宗教組織の方である。権力と金銭を求める集団は、徹底的に弾圧するしかない。支那人も同じで、本当に勉強したい奴がいても門前払いにすべきなのだ。善良そうな留学生だって、時が経てば“本来”の支那人に戻ってしまうし、北京政府の勧誘を受ければ工作員とか協力者になってしまうのだ。というのも、支那大陸に両親や兄弟、祖父母を残しているから、北京政府がこの血族を人質に取れば、ノンポリの支那人でも忠実なスパイになる。そうじゃなくても、お金に弱い支那人だ。ウキウキして誘いに乗るんじゃないか。

  別の例だけど、アクネス・チャンやジュディー・オングを見てみろ。最初は可憐なアイドル歌手を演じていたアグネスも、中年を過ぎると則天武后か宋美齢みたいに、狡猾な支那人に戻っていた。「アフリカの貧しい子供に救いの手を !」と訴えるアグネスは、ベルサイユ宮殿のような豪邸に住んでいる。しかも、北京政府に弾圧され、酷い拷問を受けた末に処刑されるチベット人やウィグル人には冷淡だ。派手な衣装でヒット曲を歌うジュディー・オングも支那人の家系で、彼女の一族は抗日戦線を行っていた華僑らしい。しかし、国共内戦が勃発し、オング一家は大陸から台湾に渡ってきた。1976年だったと思うが、『必殺からくり人』に出演していた頃、ジュディー・オングは初々しく、とても狡猾な支那人には見えなかった。しかし、年を重ねて徐々に変わってきた。まったく、支那人ってのは腹の中にエイリアンを宿しているのか?

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(左: アグネス・チャン / チャンの豪邸 / 右: 若い頃のジュディー・オング)
 
  そう言えば、千葉県の知事となった森田健作は「仕掛の天平」を演じ、花火玉を相手にの口に入れて殺すという仕掛人の役だった。まさか、「俺は男だ !」と叫んでいた役者が、後に「俺様は県知事だ !」と豪語するなんて。まぁ、意地悪婆さんの青島が都知事となり、横山ノックが府知事で、大橋巨泉が参院議員なったんだから仕方がない。ミュージカルの「アニー」に出演した山尾志桜理は遙かに酷く、子役で舞台デビューを飾っていたが、国会にデビューしたら姦通議員になってしまった。えっ、昼のメロドラマかと思いきや、現実の不倫劇なんだから唖然とする。一方、ジュディー・オングは山田五十鈴が演じる元締めの養女役で、「花乃屋とんぼ」という役名になっていた。ちなみに、ドラマ自体は平凡な作品だったけど、緒形拳が演じる「夢屋時次郎」は印象に残っている。彼が鳥居耀蔵の狙撃に失敗し、顔に火薬を塗って自爆するシーンは壮絶だった。昔の脚本家は斬新で、今では許されない強烈なシーンを描いていた。現在のテレビ時代劇だと、残酷なシーンは企画段階でカットだから、ハードな作品は望めないのかもね。


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(左: 支那の電車内で起こった客同士の喧嘩と流血事件 / 右: 電車内で幼児に排便させる母親)

  とにかく、支那人の移民が増えると犯罪も比例して増える。支那人がやって来るということは、日本に支那社会が形成されることを意味する。つまり、我々の国家が支那風に染まって行き、日本に居るのに支那と同じ状況に置かれてしまう、ということだ。なるほど、日本人同士でも酔っ払って喧嘩になることはある。しかし、いくら激昂したからといって、走り出した電車に押しつけるなんて普通は無い。せいぜい、プラットホームで殴り合いか、怒鳴り合うだけだろう。ところが、支那人には後先を考えぬ馬鹿が多く、精神異常者も珍しくない。支那全土で白痴が何パーセントいるのか。評論家の黄文雄によれば、相当な数の狂人がいるらしい。支那大陸には日本人の想像を超えた犯罪者や気違い、破廉恥漢がひしめいている。その一部が既に来日しているにもかかわらず、大半の国民は他人事で聞き流すから実感が伴わない。例えば、日本人の加藤善一郎が犠牲者となった、支那人「インリナ」による替え玉殺人事件とか、山形県母娘殺傷事件のような小さな地方事件から、蛇頭や日支混成組織による数々の犯罪、出稼ぎ人が犯罪をビジネスにする風習、阿漕な日本企業乗っ取りに至るまで、あらゆる罪悪が日本各地に蔓延っている。もう目が眩むような犯罪のオンパレード。それなのに、地上波テレビは相変わらず、藝人のスキャンダルを連日追っ掛け、どうでもいい官僚の不祥事に熱を上げている。

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(左: 支那人のギャング / 右: 逮捕された支那人犯罪者)

  結局、深刻な事件は取り上げないということだ。一般国民に被害が及んだとしても、高給を貪るテレビ局職員には関係無し。駅構内で起こった殺人事件など、単なる三面記事に過ぎない。しかし、我々にとったら恐ろしい事態である。ある日突然、父親ないし母親が殺害され、霊安室で号泣する破目になるのだ。また、幼い子供を持つ親は、もっと心配だろう。朝「行ってきます !」と言って元気に登校した子供が、夕方、遺体となって帰宅することも考えられる。死亡でなくても重傷を負えば、その家族は一生不幸だ。もし、半身不随とか、昏睡状態、身体障碍でずっと介護が必要となれば、面倒を見るのは犠牲者の親で、付添人の方が心労で倒れてしまう。また、兄弟も自分の生活を犠牲にして面倒を見ることになりかねない。老齢化した親と身体障碍者の子供を介護施設に送り込めば楽だろうが、その費用は個人と国家が出すことになるので、一般国民の税負担が重くなる。

  しかし、傷害事件を犯した支那人は、刑務所の中で悠々自適の生活を送ることができる。日本の「更生施設」は支那の牢獄と違って衛生的だし、食事や風呂も完備している。正月には特別メニューが用意されるし、娯楽として歌謡コンサートが開かれ、健康維持の為に野球を楽しむことができるのだ。しかし、刑務所の維持費は国民負担。一般の日本人は外国人犯罪者のために働き、税金をむしり取られたうえ、恐怖に怯えながら暮らす破目になる。支那人は運悪く逮捕されても、通訳をつけてもらって取り調べ。法廷でも通訳をつけてもらえるし、判事や検事は買収されていないから、公平な裁判を期待できる。人を殺したって死刑にならないし、刑期も驚くほど短い。文明国の刑務所では虐待や拷問が無いので気が楽だ。日本人が支那の刑務所に入ったら、どんな運命が待ち受けているやら。想像しただけでも戦慄が走る。日本人の容疑者なら、たとえ濡れ衣で捕まっても、支那人の裁判官は簡単に死刑を言い渡す。お金で正義を買うことができる支那では、法律はゴム紐のように伸縮自在だ。地獄の沙汰も金次第。賄賂で籠絡できぬ支那人はいない。そう言えば、ドラえもんは世界を破壊できる爆弾を持っていたけど、そのポケットの中に支那人だけを抹殺できる爆弾はないのか? もし、どこかにあるのなら一個譲ってもらいたい。100億円でも安いよね。
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2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる
中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。

慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。

トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。

彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。

これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。

逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。

策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。


盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人

日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。

正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。

しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。

策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。

騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。

まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。

日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。

食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。

彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。

最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。


日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている

日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。

民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。

朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。

テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。

もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。

こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。

さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。

言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。

辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。

日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。

そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。

だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。

しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。


「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく

ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。

親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。

たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。

だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。

しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。

自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。

彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。

それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。

その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。

関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。

これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。


中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html

日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。

日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c160

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
161. 中川隆[-12565] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:00:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

【宮脇淳子】中国は何故かくもずうずうしいのか?[桜H24/5/21]
http://www.youtube.com/watch?v=MZoWnKT6jTA

【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0

2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。


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中国は歴史捏造の常習犯


宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8

これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義
宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes

講師 : 宮脇淳子(学術博士・東京外国語大学講師)
演題 :『真実の中国史を知って、日本の未来を開こう!』
日時 :平成24年3月18日(日)14時
場所 :護国会館(栃木県護国神社内)


【宮脇淳子】『真実の中国史を知って日本の未来を開こう!』 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+


あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。

多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c161

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
162. 中川隆[-12564] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:05:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

絶滅寸前の日本人と日本文化

無責任な社会の中でも無責任になれないのが日本人の気質だ


(韓国は日韓合意の後も約束をまったく守らず、サンフランシスコにもフィリピンにも、あちこちに慰安婦像を建てて日本を貶めている。約束はまったく守らない。日本人は騙されたのだ。約束は守るという素晴らしい日本の常識は通用しなかった)

日本にいれば、日本人の素晴らしさというのが気がつかないのだが、海外をふらふらして日本に戻ってくれば、日本人の素晴らしさがよく見えてくる。

海外に長くいればいるほど海外の常識に馴染んで、やがては自分自身からも日本人的な特質が薄れて行き、「日本人らしくない」人間になっていくのだが、そんな人間になっても日本に戻ると、ふと日本人と接して感銘を受けたりする。

誠意ある行動を見せる、嘘をつかない、相手を重んじる、約束を守る、正直である……。

信じられないかもしれないが、日本で当たり前だと思っていることは、その多くが当たり前ではなかったりする。

世界では、「相手は誰であれ騙すのが基本で、騙された方が悪い」と心から信じていたり、「約束は場合によっては守らなくてもいい」と考えている民族も多い。

そういった世界では、その世界に見合った生き方がある。

たとえば、そのような弱肉強食の世界では、自分自身も他人に対して責任を持つ必要がない。無責任でも責められない自由があるのだ。

信用第一の日本人は、ルーズな世界に馴染めない

日本人の多くは無責任になれないので、「無責任になる自由」と言ってもピンと来ないかも知れない。しかし、実は多くの国ではこの「無責任の自由」を行使している。

そういった国では、私たちも「この仕事は明日できる」と言ってできなくても構わないのだ。「約束する」と言っても、守らなくてもいい。約束は破ってもいいと言うことだ。

なぜなら、できない事情ができたので、できないものはできないという理屈が通るからだ。

途上国で適応して生きるのであれば、私たちは口で何を言ってもそれを果たす必要も義務はなく、単に「できなかった」と言うだけでいい。

「どうしてもやれ」と言われたら、私たちは賄賂を要求することすらもできる。なぜなら、特別に「優先してやる」のだから、それなりの対価を払うのは当然だからだ。

賄賂と言えば中国を思い出す人もいるかもしれないが、中国だけでなく、多くの国ではそうやって社会が回っている。

そのような世界なのだから、私たちがそうしたからと言って糾弾されるわけでもない。信用を失うわけでもない。そうすることができるのだ。

こんなことを日本人に言うと仰天して、「まさかそんないい加減な姿勢で社会が回るとは思えない。どうかしている」と多くの人が呆れたり、怒り出したりするはずだ。

しかし、途上国に1ヶ月でも沈没していれば分かる。世界のほとんどの国は、そんなルーズで無責任な姿勢で社会が成り立っている。

だから、約束重視、信用第一の日本人は、そんな世界に馴染めなくて、ノイローゼになってしまう。無責任で約束など守らなくてもいいと言われても、それができないのが日本人だ。

先進国では契約重視なので、一応は約束は守られるが、G7やG8を見ても分かる通り、先進国というのは全世界で10指に満たない国で構成されているだけなのである。


日本人の当たり前は、当たり前ではない

つまり、世の中は、約束が守られたり、契約が重視される国が少なく、約束も信用も何ら意味を持たない社会のほうが圧倒的多数である。

もっと分かりやすく言うと、日本人の持つ、約束厳守、信頼第一、責任重視を当たり前だと思う社会や民族は、世界でも希有な文化であると言えるのだ。

日本人の当たり前は、当たり前ではないのである。

日本を飛び出した人の多くはそれを実感する。ビジネスで関わった人は、みんな約束や契約の不履行で、悩みに悩み抜いて生きている。

そして、そんな途上国から日本に戻ってくると、約束を当たり前に守り、責任感も強い日本人に、同じ日本人でも感嘆を隠せなくなる。

そのとき初めて「日本社会は世界でも異質だったのだ」と気が付く人も多い。

日本人が空気のように当たり前だと思って気が付いていない、日本人気質の美しさに気が付くのだ。

その異質さは、日本人の持つ一般的な性格や気質が作り出しているのは明白で、取り上げるとキリがないほどだ。

日本人の気質として、私が最も美しいと思うのは、日本人の多くは「約束を守って信頼できる人が多い」という部分に尽きる。責任感が強いという言い方もできる。

日本人が明日できると言えば、本当に明日できるのだ。日本人がそれをすると言えば、本当にそれをする。日本人が対処すると言えば、本当に対処してくれる。

こんなことは、多くの途上国ではそれこそ奇跡に近い。途上国ではできないことをできると言い、守れないものを守れると言い、対処しないのに対処すると言う人がうなるほどいる。


日本が世界に誤解され、叩き潰されようとしていく

他人を重んじるのも日本人的な特質かも知れない。日本人は他人に気を遣うし、他人の気持ちにもよく気が付く。相手のために、あえて折れることもある。

他人に対して最初から敵意剥き出しにするようなこともない。最初に好意と協調を見せ、自分の主張ばかりせず、他人の事情にもきちんと配慮する。

何でも計画性があって、それを遵守しようとするのも日本人的な特性だ。ちょっとしたことであっても、計画的に物事を進めて行き、それを成し遂げる。

我慢強いのもまた日本人的な特性だ。成果がすぐに出なくても継続し、コツコツと続けて行く。時間がかかっても、今日中に何とかならなくても手を抜くことがない。

何かあっても他人を恨んだり非難したり責任を押し付けたりしないのも日本人的な特質だ。まず起きたことを謝罪し、状況を分析し、起きてしまったことを受け入れ、二度と同じ過ちを起こさないためにはどうしたらいいのかと考える。

あまり見栄を張らず、虚栄心も持たず、派手な言動を嫌って控えめにするのも日本人らしい。カネを持っていることを見せびらかして傲慢な態度で他人に接するのを嫌うのである。

何をさせても、緻密で正確な点も日本人の特質だ。よく電車やバスが時間通りに来るというので日本社会は賞賛される。しかし、時間だけでないのだ。

社会の隅々に、緻密さや正確さが行き渡っている。物事を徹底してやるという姿勢や、それを賞賛する姿勢が日本にはある。

日本人や日本人気質の中には、こんなに素晴らしいものが山ほどある。ところが、信じられないのだが当の日本人がそれを「当たり前」だと思って気が付いていない。

それもまた日本人らしい。

そんな日本が世界に誤解され、叩き潰されようとしていくのは、見るに忍びない。本当に、心から、何とかしたいと思う。


日本人の多くは無責任になれないので、「無責任になる自由」と言ってもピンと来ないかも知れない。しかし、実は多くの国ではこの「無責任の自由」を行使している。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/07/20130718T1823000900.html


2013年5月3日「恥の文化」の力
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


このところ特に強く感じるんですが、最近の日本人って、ホントに自信を失ってますよね。といっても、周りの大学生などと話していると、若い世代はそれほどでもないように思うのですが、50代後半〜60代ぐらいの人たちは、なんか日本は経済も文化も根本的にダメダメみたいな感情をもっているように思います。

だから、「バスに乗り遅れるな」とか「世界の孤児になってもいいのか」「これからは英語、英語、留学、留学、トーフル、トーフル」「アジアに打って出るしかない」みたいな強迫的ともいえるグローバル化衝動が生じるのかなあなどと日々感じております。

こういう日本人の自信のなさの背景には、一つは、日本の道徳に対する不信感があるようです。

たとえば、「日本人は同調主義的だ」「自律性や主体性がない」「権威に弱い」「周りの他者や世間の目ばかり気にする」ということがよく言われます。

なんでこんなイメージが広まったかといえば、一つの理由として、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが書いて終戦後、日本でベストセラーになった『菊と刀』の議論があると思います。

この本の中で、ベネディクトは、日本は「恥の文化」だといって、日本の一般的な道徳観をかなり悪く言っています。

ベネディクトの説明によると、「恥の文化」とは、「ものの良し悪しを判断する際に、他者の目や世間の評判のみを基準とする外面的な道徳が支配的な文化だ」というんですね。

要するに、周りに他者や権威者の目がなければ、日本人は悪いことしますよ〜というわけです。

逆に、ベネディクトは自分とこのアメリカの道徳は「罪の文化」であり、自律的だといっています。たとえば、「罪の文化」は、「道徳の絶対標準を説き、良心の啓発を頼みとする」と書いています。

つまり、アメリカ人は、「良心を重視するので、誰もみていなくても悪いことしませんよ、自律的ですよ」というんですね。

こういう「恥の文化=他律的、外面的」、「罪の文化=自律的、内面的」という図式を『菊と刀』で展開して、日本の道徳を否定的にみるわけです。

『菊と刀』は、終戦直後の日本でよく読まれました。戦争でみんな自信を失っていたんでしょうね。日本人は真面目だから、戦争で負けたのは、自分たちに何か欠陥があったからに違いない。アメリカ人の言うことをよく聞いて反省しなければならない、と考えたのだと思います。

それで、「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で同調主義的だ」というイメージを受け入れてしまったんだと推測します。

でも、このイメージ、正しくないですよね。
たとえば、日本は、米国に比べれば、はるかに治安が良く、犯罪も少ないと思います。
電車に財布を置き忘れても無事に届けられる確率は、日本は世界で最も高い部類に入るでしょう。
人に見られてなければ悪事を犯すなんてことは、大部分の日本人には思いもよらぬことです。
権威に弱いというのも、間違いだと思います。日本ほど、政治家の悪口をいう国民はそうそういないように思います。私も例にもれませんが(^_^)

つまり、ベネディクトは、日本の道徳をひどく矮小化し、間違って理解していたと思います。現代の日本人も、残念ながらベネディクトの理解に影響されてしまっているところ多々があるようです。

ベネディクトの「恥の文化」の理解のおかしさについて、いくつも指摘したいことがあるのですが、今回は、上の新聞記事でも書いた一点だけ触れたいと思います。

「恥の文化」で敏感に感じとるべき他者の視点として、同時代の他者や世間だけではなく、死者の視点、つまり過去の世代の人々の視点もあるということをベネディクトは見逃していたということです。

現代の日本人も忘れがちかもしれませんが、日本の伝統では、死者の視点を常に身近に感じ、死者に思いを馳せることに、とても価値が置かれていました。
(なんか五月の連休ではなく、お彼岸に書いたほうがいいような内容ですね…。スミマセン…)
f(^^;) フタタビポリポリ

私はすごく好きな文章でよくとりあげるのですが、民俗学の祖・柳田国男は、この点についてとても美しく書いています。

「私がこの本のなかで力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである」(『先祖の話』)

「日本を囲繞したさまざまな民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形をもって、おおよそは行きわたっている。

ひとりこういうなかにおいてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念しているものと考えだしたことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りもなくなつかしいことである。

それが誤りたる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人が決めてよい。我々の証明したいのは過去の事実、許多の歳月にわたって我々の祖先がしかく信じ、さらにまた次々に来る者に同じ信仰をもたせようとしていたということである」(「魂の行くえ」)。

つまり、柳田国男によると、日本の多くの人々は、人が死んだら故郷の山のあたりに魂は昇って行って、そこから子孫の生活をずっと見守っているというのですね。そしてお盆になると降りてきて、子孫や近所の人たちと一緒に過ごして、お盆が終わるとまた戻っていく。そういうふうに考えられてきたというわけです。

私は、この考え、すごく好きです。私も死んだら、近くの山の頂上あたりにふわふわと漂って、後の世代の人々の生活をぼーっと見ていたいなあ、なんて思います。
柳田国男が「…限りもなくなつかしいことである」といった気持ちがわかるような気がします。
(^-^ )

少し話がズレました…。
(-_-;)

柳田国男がここで述べているのは、日本人の道徳は、死者、つまり過去の世代の人々に思いを寄せ、彼らの意を汲むことを重んじてきたことだと解釈できます。

つまり「恥の文化」は、同時代の他者や世間のみではなく、今は声をあげることのない過去のさまざまな人々の思いを感受し汲みとってはじめて完成するということです。

同時代の他者の観点やその総体としての世間の観点だけでなく、過去に生きたさまざまな人々の視点やその集合体としての祖霊に思いを馳せる。
それを通じて、いわば横軸(同時代)だけでなく、縦軸(伝統)の視点を身につけ、時間のつながりのなかで自分の位置を反省し、遠い将来まで見据えたうえで自分がいま何をなすべきかを立体的かつ複眼的に考えられるようになる。

本来の「恥の文化」とは、とても奥深く、そこまで求めたものだと思います。

そこをベネディクトは見抜けなかったし、現代のわれわれ日本人も、忘れがちのような気がします。

現代では、死者とのつながりが忘れられ、縦軸が疎かになっているので、(私もえらそうなことはまったく言えませんが)ふらふらと周囲の目ばかり気になり、自分を見失い、何をなすべきか定まらない人が増えているように思います。

靖国の問題だけではないですが、現代の日本人にとって困ったことの一つは、戦前と戦後で意識の分断が生じやすくされてしまったことですよね。

それが、日本人が本来の力を発揮するのを難しくしているのではないかと思います。

逆に言えば、日本にもう少しおとなしくしていてもらいたい国々は、何かにつけてそこに付け込もうとするんですよね。

戦前と戦後の意識の分断をどう修復すれば一番いいのか私にはわからないところも多いのですが、一つ言えると思うのは、戦前の人々も、現代の我々も、根本ではあまり変わっていないと認識することなんじゃないでしょうか。国民性って、そう簡単に変わるものではありませんので。そしてもっと身近に過去の世代の人たちに思いを馳せることではないかと思います。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/03/se-12/

続・「恥の文化」の力


前回のメルマガのあと、周囲の学生から、

「日本の道徳は、「世間様」だけじゃなくて、「お天道様」も重視しますよね。この二つって、どういう関係なんですか?」

と尋ねられました。


また、メルマガのHPやフェイスブックのコメントにも、「お天道様」関係に触れたものをいくつかいただきました。

私も、日本の道徳は、「世間様」だけでは終わらず、「お天道様」の目を意識するようになるのが本来の姿だと思います。単なる世間様倫理だけではないですよね。

ですが、前回書きましたように、ベネディクトの議論などの影響を受けて、

「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で主体性がなく同調主義的だ!」

というイメージがいまでも結構、根強いみたいです。
(´_`;)トホホ

少々前の本ですが、一昔前のいわゆる「進歩的文化人」っぽい政治学者の本を読んでいたら、こういう趣旨のことが書いてありました。

「日本人が水戸黄門のドラマが好きなのは、日本人が、オカミに弱いからだ。権威に従属したり、権威にすべてを委ねてしまったりするのが好きなのだ」。

この進歩的文化人氏以外にも、『水戸黄門』についてこういうふうに語っている人、いまでもときどきいるように思います。大手新聞の社説とかにも、この手の観点から日本人をくさして、「だから日本人は新しい規範意識を身につけ、主体性をもった市民に生まれ変わるべきだ」みたいなの、結構ありそうです。

でも、日本の道徳に対するこういう見方って、一面的過ぎですよね。

確かに、日本人は、ふだんは他者との調和を好む人が多いと思いますが、時と場合によっては、その時代の大多数の人々の見方である「世間様」の見解に逆らっても、自分の信じる道を貫こうとする人もたくさんいますよね。

「世間が分かってくれなくても、己を貫き、歯を食いしばってがんばっていこう」。

そういう強さをしっかり持っている日本人も、決して少なくないと思います。

「世間様」だけではなく、「お天道様」を意識するようになるとはどういうことなのか、少し考えてみたいと思います。

確かに、日本人が、「人目を気にする」ことは多いようです。
発達心理学の本などをみると、子供のしつけの際に「他者が自分のことをどう見ているかを意識させることが多い」というのは、日本の子育ての一つの特徴のようです。

これは別にへんなことでもなんでもなく、他者の目から自分をみることを覚えさせようとしているのだと思います。他者の目を意識して、他者の観点から自分を振り返る。そして悪いところがあれば改めることを学ばせる。そういうことなのでしょう。

子供は、だいたい最初は、母の目を意識することを覚えます。次に父親、兄弟姉妹、友達、先生、先輩後輩、近所の人…という具合に、だんだんと意識する対象が広がっていきます。そして、いろいろな人のもの見方を、当人なりに整理して作り上げたのが、「他者の一般的な見方」である「世間の見方」といえるでしょう。

子供は、成長のある段階で「世間の見方」を身につけます。そして世間一般の観点から自分を見つめることができるようになります。たぶん思春期ぐらいでしょうか。

でも、そこで成長が止まり、世間のものの見方を絶対視してしまって、それに従属するというわけではないですよね。ほとんどの子は、世間のものの見方を身につけたからといって、世間の見方が絶対に正しいなどと考えたりはしないでしょう。

当然のことですが、世間が間違うこともあるってことが、だんだんわかってくるからです。世間が、自分のことを全部知っていてくれているということはまずないわけですから。

「自分は○○だけど、周囲はそうはみてくれない」とか、「世間は自分の学校のことを△△のようにいうけど、実はそんなんじゃない」ということを皆、経験するでしょう。それによって、「世間は間違うこともある」ということがわかってきます。
それで、世間の見方や期待に沿って生きていくだけでは満足できなくなるんですね。


たとえば、石川啄木のこの短歌、そのあたりの気持ちを詠んでいると思います。


へつらいを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

たぶん、啄木がある程度、売れてからだと思うのですが、おべっかを使う人が周りに集まってくる。でも、自分は、自分のことをよく知っているから、お世辞を聞いても素直に喜べない。そればかりか、自分自身の至らなさに逆に腹が立ってくる。そんな気持ちを詠んだ歌だと思います。(勝手な解釈です。違うかもしれません。スミマセン…)

世間の見方に満足できなくなると、人は、次のように感じると思います。


「世間は自分や自分を取り巻く事情をよく知らないようだが、よく知っているとすれば、どう判断するのだろうか」。

そして、多くの人は、現実の世間そのものではなく、こちらの問いかけ、つまり「世間が自分や自分を取り巻く事情をよく理解しているとすれば、どう判断するのだろうか」ということを基準にして生活するようになると思います。


この「事情をよく理解している世間」というのがいわゆる「お天道様」だといえるでしょう。(または、「ご先祖様」とか、前回触れた「祖霊」とか、あるいは「神様」でもいいと思います)。

こういう感じで、結構多くの日本人が、「世間は必ずしもわかってくれないかもしれないけれど、お天道様には恥ずかしくない生き方をしよう」というふうになっていくのだと思います。

ベネディクトは、「恥の文化」を「世間様」レベルで止まるかのように誤解してしまったようですが、そうではないんですね。日本の道徳は、そこで止まるものではなくて、「お天道様」レベルまで進んでいくと捉えるほうが自然だと思います。

そして大多数の日本人は、「世間様」レベルの道徳では満足せずに、自分の子供には「お天道様」レベルの道徳意識を身につけてほしいと願ってきたはずです。日本の道徳は、世間様倫理ではなく、「お天道様」の目を意識するように求めるものだといっていいと思います。

そう考えると、さきほどの某進歩的文化人氏の「日本人が水戸黄門好きなのは、オカミや権威に弱い日本人の性格をよく表している」というのは、いかにもアサハカ、あるいはイジワルな見方だなあと思います。

むしろ『水戸黄門』は、不当な権威や権力にこびない、己の倫理観に従った自律的な生き方を賛美し推奨する物語であると理解するほうが、自然ではないかと思います。

たとえば、『水戸黄門』のドラマでは、次のような設定がよくありますよね。

ある町では、悪代官が、強欲な商人と結託している。そして、その町で、頑固だが真っ当に生きている職人に辛い仕打ちを行っている。職人は、どうにか持ちこたえ、慎ましくも己の信念に従って生活している。

だが、職人があまりにひどい悪代官と強欲商人の仕打ちに負けそうになったとき、水戸黄門の一行がやってくる。黄門様一行は、職人の窮状をよく知るようになり大いに同情し、悪代官と強欲商人の不正をただすために立ち上がり、彼らに正当な裁きを加える。

以上のようなものです。

このようなおなじみの設定では、悪代官や強欲商人は、偏狭な世間やそこでの権威の象徴だと解することが適切でしょう。水戸黄門の一行は、実はすべてをお見通しの「お天道様」の象徴だと理解できると思います。

したがって『水戸黄門』の物語が与えるメッセージは、権威への従属とか、世間への同調とかではぜんぜんなくて、むしろ次のようなものだと思います。

「お天道様はきっとすべてを観ていてくださり、最終的には正直者こそ救われるはずだ。だから、たとえ現在、よこしまな権力者にいじめられていたとしても、あるいは世間に認められていないとしても、くじけずに己の倫理観を貫いて強く生きよ!」
m9(`・ω・´) キリッ

こういうメッセージに、多くの日本人は世代を超えて共感してきたんでしょう。それで『水戸黄門』は人気番組だったのだと思います。

『水戸黄門』を、日本人の権威に弱く主体性に欠けた同調主義的性格を表す物語だ!などと受け取る「進歩的文化人」系の人って、いまでもときどき目にしますが、日本へのまなざしが少し冷たすぎますよね。もっと共感的理解ができないものかと思ってしまいます。まあそれが商売なのかもしれませんが…。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/17/se-13/


「忖度」への冷笑と道徳の矮小化
 今年の流行語大賞の一つは「忖度(そんたく)」だそうだ。私は、最近の「忖度」という言葉の使い方には違和感を覚える。森友学園の問題以降、「忖度」は「権力者におもねり、その意を汲む」という意味で使われるようになってしまった。

 元来、「忖度」に悪い意味はない。辞書には「他者の心を推し量ること」とある。他者の気持ちを敏感に感じとり、おもんぱかるということであり、「思いやり」「やさしさ」など日本人が大切にしてきた道徳に大いに関係のある語なのである。

 実際、忖度の相手をオカミや上司など権力者に限定する必要はない。「友人の行動の意図を忖度してみた」「息子の気持ちを忖度する」という具合に、同等もしくは目下の者の気持ちを推し量る場合にも、この言葉を使うことができる。

 ではなぜ「忖度」が「権力者におもねり、その意をくむ」という意味で専ら使われるようになってしまったのか。政権批判を盛り上げたい一部マスコミがこの意味で多用した影響は大きい。だが残念ながらそれだけではなく、現代日本人の多くが、日本の道徳が本来備えている奥行きを見失いつつあることも一因ではないか。

 日本の道徳では、子供を、他者の気持ちによく気が付き、配慮できる敏感さを備えるように育てる。また、感受した他者の観点から自分自身を見つめ、それまでの行動や考え方を改めていく素直さも重視する。

 ここで注意すべきは、気持ちを感受すべき「他者」には非常に幅広いものが含まれるということである。前述の通り、権力者や目上の者だけでではなく同等あるいは目下の者も含まれる。

 また、同時代の者だけではなく、すでに亡くなった人々も含まれる。柳田国男によれば、日本の伝統的死生観の特徴とは、人は亡くなってもそう遠方には行かず、「故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念している」と考えてきたことにある。「草葉の陰から見ている」という表現にあるように、死者はわれわれを常に見守っていると考えたのである。墓参りやお盆の行事を大切にしてきたのは、過去の世代の人々に思いを馳(は)せる感受性を養うためでもある。過去の人々の観点から自分自身の存在を見つめる、いわば歴史の縦軸を意識することの大切さを教えようとしてきたと理解することもできる。

 また、動植物など人間以外の生き物への配慮も日本人は重視してきた。例えば、食前に「いただきます」と唱え、食材への感謝を示すのもこの表れである。さらに言えば「もったいない」という言葉に表されているように、モノへの配慮や感謝も大切だと考えてきた。針供養や包丁供養の慣習からもこの点はみてとれる。

 このように日本の道徳では、本来、万物・万人といってもいいほどさまざまな対象に気を配り、その「気持ち」に配慮すべきだとされてきた。多様な者やモノの観点から自分を見つめ、それらとの関係のなかで、反省を繰り返し、時には厳しく自分を律することが必要だと考えられてきたのである。

 しかし、現代では、お盆や墓参りの習慣は衰え、「ご先祖様が草葉の陰から見ている」と教える親も少なくなった。「もったいない」の精神も忘れられがちである。日本の道徳の可能性が矮小(わいしょう)化されつつあるのではないか。そのため「忖度」も「おもねり」としてしか理解できなくなってしまったのではないか。「忖度」が、冷笑気味に使われるのを見ると、日本人自身が、日本の道徳の豊かさを理解できなくなりつつあるように思われてならない。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c162

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
163. 中川隆[-12563] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:05:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

2018年05月04日
黒い選手が日本代表に? / 肉体が変化する日本人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68715028.html


所属はどちらでもいい?!

  最近、チャンネル桜の対談番組を目にしたら、西尾幹二がゲストに招かれており、乗り気じゃなかったけど、一応話を聞いてみようと思って観てみた。今ではすっかり老け込んで耄碌ジジイとなっていたが、ヒステリー気味の不満は健在で、安倍政権に対する憎悪に満ちていた。安倍首相や昭恵夫人に対する非難はさておき、西尾が取り上げた日本社会の外人問題は傾聴に値する。筆者はスポーツに詳しくないので明確な事は言えないんだけど、西尾はテニス選手の「大坂なおみ」を取り上げていた。彼女は世界ランキングの上位に入るプレイヤーで、その成績ゆえに世間の脚光を浴びている。

Naomi Osaka 1(左 / 大坂なおみ )

  しかし、大坂氏は本当の意味で「日本人選手」なのか? もちろん、黒人との混血児だから興味を持たれるのは仕方がない。水島総社長との対談において、西尾も彼女の素性や国籍、私生活について知りたがっていた。報道によれば、彼女の父親はハイチ人だが、母親は日本人であるという。だが、その出生地はともかく、育った土地はアメリカで、幼少期を過ごしたのは日本ではないらしい。日本語の読み書きがどの程度できるのかも定かではないが、母親との会話を除いて、日常会話は主に英語のはずだ。確かに、母方の血統により半分は「日本人」なんだろうが、見た目は黒人に近く、思考様式も外人的と評される。したがって、普通の日本人には、どうしても異邦人に見えてしまう。

  ただし、インターネットの情報では、彼女は日本国籍を選択しているようなので、法律上は「日本の選手」なのかも知れない。この動機は素人でも理解できるだろう。なぜなら、もし彼女がアメリカ国籍を選択すれば、選手層が厚く、優秀な選手団に混じった新星プレイヤーとなってしまい、それほど目立たない。ところが、優秀な選手が少ない日本に来れば、大坂氏は断然目立つ。トップ選手を取材したいマスコミが押しかけるし、日清食品やアディダス、WOWOW、YONEXといった大手企業がスポンサーに附くから収入も増える。反対に、「アメリカ人選手」になっていたら、今のような地位を獲得できたかは疑問だ。やはり、女子テニス界のトップ選手が不在の日本に住んでいるから注目されるんじゃないか。そもそも、スポーツ選手にとって「国籍」はポイント・カードみたいなもので、特典があったり便利なモノならどれでもいい。歐米諸国や日本の国籍は、ステータスの高い「プラチナ・カード」で、ハイチの国籍なんてか花札以下。ホケット・ティッシュ程の価値しか無い。できれば破り捨てたい貧乏籤(くじ)だ。

  テレビや新聞が持て囃す大坂選手だが、一般の日本国民は彼女を「日本人選手」として応援しているのか? メジャー・リーグで活躍するイチロー選手とか、海外のゴルフ・トーナメントに出場する石川遼なら、心から声援を送っている人も多いだろう。 引退した伊達公子も、多くのファンから支持されていた。だが、大坂選手は違う。まるで、山梨学院の陸上部に属するエチオピア人選手みたいだ。たとえ、日本語を流暢に喋っても、大坂選手には同胞意識を覚えないし、日本人選手が世界の檜舞台で活躍している、といった感動が湧き起こらない。筆者の素朴な質問だけど、巷のオバちゃんやオッサンは、メジャー・リーグで奮闘する大谷翔平選手を憧れと期待で称讃するが、同じ感情を大坂選手に対して持っているのか? おそらく、説明に苦しむ違和感を抱いているはずだ。

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(左: マリア・シャラポワ / 右: ビキニ姿のシャラポワ )

  ここでは直接関係無いけど、外国人は異人種が同胞になったら、どのような反応をしめすのか? 例えば、ニャガン(Njagan)出身のロシア人選手マリア・シャラポワ(Maria Sharapova)は、日本や米国でも人気があって、英国のウィンブルドン(Winbledon)をはじめとして、全米、全豪、全仏でも優勝した実力者である。さらに、その美貌を以てファッション・モデルもこなし、「東レ」が日本でのテニス大会に招いたことは記憶に新しい。他方、米国出身のヴィーナス・ウィリアムズ(Venus Ebony Starr Williams)と、その妹であるセレーナのウィリアムズ(Serena Jameka Williams)も世界的に有名だ。しかし、日本での認知度は低く、ファッション・モデルとしての需要も低い。シャラポワなら雑誌の表紙とかグラビアで引っ張りだこなのに、ウィリアムズ姉妹のビキニ姿を撮した欲情的なグラビア写真など無い。もし掲載した日本の雑誌があれば貴重品だ。

Venus Williams 2Serena Williams 1

(左: ヴィーナス・ウィリアムズ / 右: セレーナ・ウィリアムズ )

  興味深いのは、もしウィリアムズ姉妹がロシア国籍を取得したら、ロシア人のテニス・ファンは彼女達を歓迎するのか? スラヴ系ロシア人がアフリカ系選手を「同胞」と見なすなんて想像できない。アメリカの白人と違ってロシア人は露骨だから、即座に「嫌だ(ニエット)」と拒絶するんじゃないか。人種平等の洗脳を受けていない一般のロシア人は、ウィリアムズ姉妹の成績よりも、その容姿で判断してしまうのだ。そう言えば、シャラポアを「ロシアの妖精」と呼んだ日本人はどうなのか? 筆者は妖精とか河童を見たことがないから、それらがどのような格好をしているのか分からない。(筆者が知っているのは漫画『ベルセルク』に出てくる妖精と「かっぱ寿司」のマスコットくらいである。) たぶん、ロシアに棲息する妖精はシャラポアみたいな姿をしているのだろう。じゃあ、ウィリアムズ姉妹は「アフリカの妖精」と呼べるのか? 日本には沢山の漫画雑誌があるけど、「黒い妖精」なんて見たことないぞ。もしかしたら、どこかの漫画本に描かれているだろうけど、人気キャラクターにはならないと思う。イタリアのアニメ『カリメロ(Calimero)』は黒いヒヨコだし、「ジャングル黒べぇ」はアフリカ人のピリミー族だから除外。ちなみに、「黒べぇ」は飛行機でやって来たアフリカ人の密入国者だ。

Venus & Serena Williams 1Naomi Osaka 2

(左: ウィリアムズ姉妹 / 右: 大坂選手 )

多民族社会に突入する日本

  安倍晋三総理は一応「保守派」の政治家と見なされているが、その政策を眺めると、元民主党の議員で構成された左翼政権か、と思えてくる。自民党は技能実習生や高度人材の“輸入”に熱心で、アジア人の大量流入を望む竹中平蔵がウキウキしている。支那人や朝鮮人はもとより、畑で見かけるタイ人やビルマ人、水商売のフィリピン人、工場で働くベトナム人に加え、民族料理店を営むトルコ人やインド人、ペルシア人なども珍しくない。自民党の尻を叩く人材派遣業者や製造業者は、安い賃金で外人を扱(こ)き使えるから嬉しいだろうが、彼らを支えるために、多額の負担を強いられる一般国民は堪ったものではない。日本語を解さない外人の為に役所や病院、警察で通訳が必要となるし、風習の違いから来る近隣トラブルも増えている。元々が下層階級の労働者だから、生活が荒んでいるのは当り前で、目先の利益を得るためなら犯罪も厭わない。伝統的な日本人なら生活保護を貰うなんて恥ずかしくて出来ないが、支那人や朝鮮人は「当然のご褒美」として歓迎するし、東南アジアからの出稼ぎ人からすれば、会社から支給されない特殊なボーナスに見えてしまう。「貰えるモノは何でも貰う」がアジア人のモットーだ。

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(左: タイ人 / 支那人 / トルコ人 / 右: インド人)

  案の定、アジアからの外人に生活保護が支給されている。。厚生労働省の平成28年度統計によれば、外国人の生活保護受給世帯数は、月平均で前年度に比べ0・4%増えている。景気が上向いているここ数年は、増加率が鈍化しているが、18年度(3万174世帯)からの10年間で見てみると、56・0・%も伸びているという。また、人数ベースで調べてみても、外国人の家庭が受け取る福祉は大幅に増えている。28年度は月平均7万2014人と、18年度の4万8418人から48・7%も多くなった。(「生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も」、産経新聞、2018年5月3日)

  外国人を雇う企業は面倒な負担を一般人に押しつけている。例えば、仮に日本人を雇うと自給1,000円を払わねばならぬが、アジア系外国人を雇えば750円で済むとしよう。だが、日本語の授業とか健康保険、宗教面での配慮、子供が通う学校など、様々な費用を考えれば、自給3,000円ないし5,000円以上を払う破目になる。だから、企業は余計な負担を我々に押しつけるのだ。それに、もし外人労働者が飲酒運転で一般人を轢き殺しても、雇用主に責任は無い。以前、茨城県龍ケ崎に住む夏作揚という支那人が、クルマで小学生の少女をはねて、その後、わざわざクルマを降りて殴り倒し、一目散に逃走するという事件があった。しかも、この支那人は逃亡途中に別の子供をはねたという。しかし、マスコミによる追跡取材が無かったので、未だに動機が明らかにされていないのだ。

  また、不景気になったからといって企業は気軽に外人を解雇するが、失業した外人は何処に再就職するのか ? 単純作業をしていた外人には、「これ」といった技術は無いし、ロクな就職先も無い。日本人労働者だって、単純な仕事ばかりじゃ手に職が附かないから、再就職の時に苦労することは確かだ。外国人ならもっと困るだろう。日本語だって不自由なのに、家族を抱えてどのような生計を立てて行くつもりなのか ? ところが、外人を連れてきた業者は、「そんなの知らねぇよ !」と顔を背ける。用が無くなりゃポイ捨てが当り前。アフター・ケアなんてあり得ない。結局、尻ぬぐいするのは一般国民だ。たとえ役人が面倒を見たって、原資は税金なんだから同じ事である。

  外人輸入に疎い庶民は、確定申告時に目玉が飛び出るほどの税金を巻き上げられてびっくり仰天。「どうして、こんなに高いんだ?!」と憤るに違いない。歐米諸国では既に社会問題となっているが、生活保護を受けている外人の子供たちは、親と同じ道を辿りやすいし、たとえ自立できたとしても、低所得階層から抜け出せないことが多い。日本人は低所得外人の「階層化」や「固定化」に無頓着だ。米国では1970年代に「福祉依存の母親(welfare mother)」というのが問題になり、政府の役人や学者たちが、この悪循環をどうやって断ち切るか、を真剣に考えていた。だが、次から次へと移民・難民が押し寄せるので、貧民対策は解決の対象ではなく、永遠に続く年中行事になっている。すなわち、「お手上げ状態」ということ。

NHKの巧みな表現

  一方、左翼偏向のマスコミは、地元民が移民や難民に対する嫌悪感を抱かぬよう、自国民の方を懲らしめる予防策を打っていた。教養人を対象にした報道番組は、貧しい家庭に育った移民の子供を取り上げ、熱心に勉強する中学生とか、有名校に合格した高校生、立派な職業に就けた有色人種に焦点を当てる。取材記者は公平を装うため、落第生となり麻薬に溺れるような負け犬も紹介するが、メインは人生における輝かしい成功を納めた優等生だ。貧しい環境にもめげず、昼も夜も一生懸命勉強し、名門校を卒業した医者とか弁護士、経営者をラスト・シーンに持ってくる。無警戒に画面を眺めている視聴者は、まんまと感動し、「やはり移民や難民だからといって、異人種の彼らを差別してはいけないんだ」と考え、「慣習や容姿の違いで排斥しようとする奴らは右翼だけど、私は善人だから彼らを受け容れなくちゃ」と思ってしまう。こうした「ドキュメンタリー特集」は単純な「お涙頂戴物語」だけど、結構引っ掛かる人が多い。一般人はテレビ局に「編集のプロ」とか「熟練の脚本家」、「映像の魔術師」がいることに気付いていないのだ。詐欺師というのは暴力団ばかりではなく、テレビ局や大学にも存在するのである。

  偶然だが、4月28日にBSのNHKで放送された「セカンドの美学『シャア・アズナブル』」を観た。これは人気アニメ「機動戦士ガンダム」に出てくるキャラクター、「赤い彗星のシャー」を扱った娯楽番組であるが、そこに“いかがわしい”取材があった。NHKは外国でも好評な日本のアニメだということで、日本に住む外国人がどう反応しているのかを調べたそうだ。すると、北海道に住むフィリピン人で、熱狂的なガンダム・ファンであるヘクター・アトム・ポサダス(Hector Atom Posadas)を見つけた。さっそく、彼にインタビューするため、北海道の十勝を訪れたNHK記者は、「シャー・アズナブル」の赤い軍服を着たヘクターに出逢い、彼がどうしてシャーを好きになったのか、その話を聞くことにした。(それにしても、派手なコスプレ姿のフィリピン人が、よりにもよって北海道に住んでいるとは。新人だけでも嫌なのに・・・。子供の頃に北海道を旅行した筆者にとっては、何とも陰鬱な状況である。日本は悲しい時代になってしまった。)

  インタビューを受けたヘクターは幼い頃、母親が買ってくれたガンダム・プラモデルが切っ掛けだった、と打ち明けてくれたのだが、NHKのナレーションが“問題”なのだ。NHKの女性アナがナレーションを担当していて、彼が子供の頃、「海外出張の多かった母親が、ガン・プラを買ってきた」と述べていたのである。筆者は思わず耳を疑った。「海外出張 ?!」って聞けば、骨董商とか貿易商みたいな職業か、と思えるじゃないか。でも、何となく怪しい。数々の「前科」を持つNHKのことだ。“不都合な事実”があると、巧妙に隠す癖がある。以前にも紹介したけど、NHKは肝心な点を視聴者に伝えないことが多い。今回だって正直とは限らないじゃないか。これは筆者の憶測だけど、ヘクターの母親は水商売のフィリピン人かも知れない。日本のキャバレーとかフィリピン・バブに勤める出稼ぎ人の母親が、たまにある帰国の際に、当時人気を誇っていた日本のガン・プラを、我が子への「お土産」として購入し、それを実家で暮らす息子に与えていたとも考えられるのだ。NHKは「出稼ぎ酌婦」と紹介したくなかったから、耳障りの善い「海外出張」に言い換えたんじゃないか。断っておくが、事実は不明である。

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(左: フィリピン人の踊り子 / 右: フィリピン人の子供 )


  NHKが行ったインタビューの中で印象的だったのは、ヘクターが感銘を受けたというシャー・アズナブルの言葉だ。ヘクターはシャーについて書かれた本を取り出し、シャーがなぜマスク(仮面)をつけているのかを話した。そして、彼はシャーが体現する「過去を捨てる生き方」に感動したという。これも筆者の推測だけど、ヘクターは自分の「過去」を捨てたいんじゃないか。つまり、フィリピン人という民族性は日本という異国では自慢にならない。出来る事なら何処かに葬って、新たな人種、民族、人間に生まれ変わりたいと考えても不思議じゃないだろう。アメリカに暮らすユダヤ人だって、おぞましい過去を持つ「異人種」より、アングロ・サクソン人が創った国家に属する「アメリカ人」という名称の方を好む。例えば、デーブ・スペクターは日本人の前で「アメリカ人」というブランドを自慢するけど、西歐系アメリカ人が聞けば、「なぁ〜んだ、ロシアから流れ着いたユダヤ人の小倅か !」と“せせら笑う”だろう。こうした西歐人モドキの異邦人は、無知な日本人が相手だと、「どうだ、オレ様は戦勝国で超大国のアメリカからやって来たんだぞ !」と大威張り。馬鹿らしいけど、デーブ・スペクターは黒髪を金色に染めればゲルマン人になれると思っている。こんな変装は日本人から見ても滑稽だ。

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(左: ビルマ人の少年  /   右: アフリカ系アジア人 )

  日本人は本当にお人好しで脳天気である。アジアから移民を受け容れれば、街並みが変わるだけではなく、自分達の肉体までもが変わってしまうことに気づいていない。我が子が通う幼稚園や小学校にアジア移民の子供や混血児が増えるだけでも嫌なのに、息子や娘の結婚相手がアジア系とかアフリカ系になったらどうするのか? 。大学教授や文化人は言及しないけど、肉体が変わってしまうと精神まで変わってしまうのだ。人間は集団生活をするので、外見や仕草で「仲間」と「よそ者」を区別する。普通の日本人はいくら日本語が達者でも、アフリカ人のような顔附きの人間を、従来の意味で「日本人」とは思わない。しかし、現代の教育はこうした違和感を「悪」と断罪し、人種偏見を持たぬよう“調教”しようとする。だから、大人の抑制を持たぬ小学生や中学生は、こうした洗脳に生理的な反撥を示し、教師の居ないところでアジア系生徒の悪口を述べたりするのだ。アジア人生徒やアフリカ系混血児に対する「仲間はずれ」が絶えないのは、子供たちが持つ本能的拒絶反応なのかも知れない。

同種同族の国民が欲しい


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(左: 雑種犬 / 中央: サモエド犬 / 右: コーギー犬 )

  人間と動物を一色単にして述べるのは危険だが、犬や猫を例に取ると解りやすいこともある。現在では優生学とか人種衛生学は悪魔の学問であるが、全否定すると大切な部分まで捨ててしまうことになりかねない。各民族が独自の特徴、遺伝子、風習を保存しようとするのは間違いなのか? 「ホロコースト」を叫ぶユダヤ人は、アブラハムから継承する血統を誇っているし、黒人の遺伝子を殊さら嫌っている。しかも、西歐諸国で「人種のるつぼ」を謳っていたのに、イスラエルに住むと排他的で、アラブ人やイスラム教徒を迫害。これって二枚舌じゃないのか。日本人やヨーロッパ人にも二重思考がある。一般人は人間の血統に無頓着を装っているが、犬や猫、馬といった動物になると平気で血統証明書を見せびらかす。試しにペット・ショップを覗けば、人気の種類が高値をつけ、雑種は安値が当り前で、店によっては取り揃えていないのだ。人気のある種類は、純血の秋田犬とか、英国のウェリッシュ・コーギー、白くて大きなサモエド犬、猫だとノルウェージャン・フォレストやスコッティッシュ・フォールド、ブリティッシュ・ショートヘアなどで、1、2万円で買えると思ったら大間違い。貴重なペットを購入するお客は、動物の命ではなく、その可愛さとか外見に対してお金を払っているのである。もし、どんな種類でも平等なら、保健所で殺処分を待つ犬猫でいいじゃないか。

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( 左: ノルウェージャン・フォレスト / 中央: スコティッシュ・フォールド / 右: ブリティッシュ・ショートヘアー)

  普通の日本人や西歐人も時折「人種差別」の側面を見せる。例えば、養子を取る時、白人夫婦はなるべく自分達に近い白人の赤ん坊を選び、高い仲介料を斡旋業者に払う。孤児院には黒人やヒスパニックの子供が多いのに、彼らには需要が少なく、「値段」も安い。黒人の赤ん坊だと二束三文で、大抵は売れ残り。しかし、こうした「在庫品」でも成長するので、幼い養子を求めるカップルから敬遠されてしまい、益々引き取り手がいなくなる。さらに可哀想なのは黒人の男の子で、仕方なく黒人を養子に迎える白人カップルは、なるべく女の子を選択するそうだ。というのも、男の子を選んでしまうと、大きくなってグレた場合、非常に厄介な事になるからだ。確かに、腕力のある不良黒人が一旦暴れ出すと、養父だって負けてしまうから大変だ。また、いくら慈悲深い白人夫婦に育てられても、黒人少年は自然と同種類の黒人を友達にする。ところが、その中には下品で非行に走る者もいるから、寂しがり屋の黒人は「悪事」と分かっていても、つい共犯者になってしまう。全部とは言わないが、異人種の養子を迎えた家庭は、不幸になる確率が高い。

black baby 2black baby & mom 2Filipino baby 5


(左: 黒人の赤ん坊 / 中央: 黒人の親子 / 右: フィリピン人の赤ん坊)

  日本人夫婦もなるべく自分の遺伝子を持った子供を欲しがる。不妊治療を受ける女性だと、自分の卵子を用いた体外受精を考えるし、それが駄目なら兄弟の子を譲ってもらうとか、何らかの養子策を取るのが一般的だ。いくら子供が欲しいからといって、朝鮮人とかフィリピン人の孤児は選ばない。だいいち、愛情が湧かないし、亭主だって他人の精子で生まれた子供じゃ厭になる。もし、亭主の精子を諦めた日本人女性が人工授精を考え、精子バンクを訪れた場合、彼女は日本人男性の精子を選ぶはずだ。人によってはゲルマン系白人男性の精子を選ぶかも知れないが、アフリカ人の精子を選ぶ者はほぼ皆無だろう。わざわざ黒人との混血児を選ぶ女性がいるとは思えない。また、精子提供者をモンゴル人でもインド人でも、マレー人、トルコ人、ケニア人、グルジア人でも構わない、と答える日本人はいないだろう。ロシアン・ルーレットじゃないんだから、「出産した時のお楽しみ」なんていうケースは無いぞ。


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(左: 北歐系の幼児と猫 / 中央: ゲルマン系の親子 / 右: 西歐人の少女 )

  西歐人もそうだが、我々日本人も人種や民族性について、無意識的な「禁忌(タブー)」を刷り込まれている。そもそも、なぜ自分の国に住んでいるのに、先祖代々の容姿を受け継ぐことがいけないのか? ドイツのゲルマン人がチュートン的特徴を保存したいと望むのは当然で、ジャーマン・シェパードを飼いたいと望む日本人が、純血のシェパードを求めるのと同じ気持ちである。もし、モンゴル人がモンゴロイドの子孫を残したり、ギニア人の夫婦が黒人の養子を迎えたら、日本人は彼らを「レイシスト」と呼ぶのか? だいたい、日本人は西歐白人ばかりに目くじらを立てるから異常だ。アメリカの白人も同じ症状に悩んでおり、イギリス系入植者が建てた国に住んでいながら、「白人であることを誇っては駄目」と叱られ、「人種的色盲(colour blind)教育」を強いられている。自宅や郷里を「ホーム」と呼んできたのに、合衆国を「スウィート・ホーム(愛しき祖国)」と呼べないだから、アメリカの白人は憐れだ。今じゃ野球場だけが例外となり、「ホーム・グラウンド」と呼ばれている。

  日本も確実に「多民族社会」に突入おり、あらゆる場面で異人種共存となってしまった。「グローバル企業」を目指すユニクロの柳井会長は、さすが“国際派”である。たまたま同社が制作した「Kidsショート・パンツ」のCMを観たんだけど、そこに登場するモデルは日系日本人の子供じゃなく、縮れ毛の黒人とかアメリカ人気取りのアジア人少年なのだ。まるで米国の衣料メーカー「ギャップ(GAP)」のテレビ広告みたいだけど、ユニクロの名物会長さんは、異人種混淆社会を理想としているんだろう。こうした大企業をスポンサーにしている日本のテレビ局が、多文化・多民族主義を称讃していてもおかしくはない。色々なバラエティー番組で、ヨーロッパ系混血モデルと一緒に、アジア系・アフリカ系の藝人を採用しているじゃないか。まるで「抱き合わせ商品」を売りつけるテレビ・ショッピングみたいだ。

  話は戻るけど、何が何でもオリンピックで金メダル数を増やしたい日本人は、アフリカからドンドン優秀な運動選手を輸入すればいい。身体能力の優れた黒人の子供1千万人を連れてきて、奨学金と国籍を与えれば、「日本人選手」になるし、それと同時に、一般国民も黒人との混血児をもうけて、エリート教育に励めば、メダリストの息子や娘を持つことができるだろう。しかし、こうした黒い孫や異質な近所の子供を眺めた高齢者は、「うわぁぁ、素晴らしい」と叫んで喜ぶのか? 「昔は良かった」なんて呟くようになったら不幸だ。でも、現実は嫌な方向に進んでいる。相撲を観ればモンゴル人だらけ。サッカーの試合を観戦すれば南米人が目立つ。陸上競技には黒い混血児がいっぱい。ラグビーの早慶戦でもトンガ人やサモア人が主力選手。箱根駅伝ではアフリカからの留学生が走っている。こんなスポーツ界を目にする日系人は、それでも「ニッポン頑張れ !」と応援するのか? フランスのサッカー「代表選手団」を観た、あるケルト系フランス人が愚痴をこぼしていた。「なんだ、アラブ人ばかりじゃねぇか !」てね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68715028.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c163

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
164. 中川隆[-12562] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:14:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]
>>160 リンク訂正

2017年12月15日 支那人に征服される呑気な日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c164

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
165. 中川隆[-12561] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:44:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。


かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。

ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。

このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。


『アナと雪の女王』/2014年3月14日(金)公開
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movies/anayuki

ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 配給 (C)Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA


松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM


それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。

どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。

ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。

ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。

構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。

つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。

2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。

擬声語は、たとえば

わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。

おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。

キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。

そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。

ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。


それだけではありません。

日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。

オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。
では、

 風が「そよそよ」と吹く
 太陽が「かんかん」に照る
 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
 星が「きらきら」光る

などはどうでしょうか。

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。

実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。
中には2〜3万年前のものもあります。

 シベリアの2万年前のもの
 ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。
そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千〜三万年前に新石器時代を迎えていた。」

と述べています。

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。
そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。
ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。
地味だけれど、ずっと咲き続けます。
まるで日本人そのもののようです。

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。

だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。

コメント


新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?

東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2q程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前〜4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。

江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。

僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。

当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。

やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。

彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。

様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。

日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。
2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]


外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。

擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。

また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。

日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は
理解できないようです。

外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、
この言語を意識せず使いこなしている
我々は本当、凄いのかもしれませんね。
2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM.


新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘

新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo

これですね。
2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI

加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん

KIさんへ

動画等のご紹介ありがとうございます。

加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。

『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029

という本です。

この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。

映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。

映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。
写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。

個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。

縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。
2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○


 雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。

 日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。

 私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。

 この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。


○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である 【現実世界での日本の優位性】○

 認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。

 常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。

 さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。

●●● 曖昧な表現が活きる日本語の背景 ●●●

 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。

 言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。

■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。
 外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。

 繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。

■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■

 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。

 派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。

●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である 【精神(霊的)世界での日本の優位性】●

 音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

 この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:Dsy-yxb-UusJ:blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/30487456.html+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E+%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm

  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。

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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).” When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn. (i) The word order in the ancestral language was SOV. (ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion. (iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order. (iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.

Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV. Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS. There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50). Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won. However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm 



  日本語の祖先はこれまで書いたようにY-DNA「D2」の話していた縄文語です。現在世界でY-DNA「D」語を祖先にしているのは、わかっている範囲ではチベット語と「D*」100%のアンダマン諸島のJarawa族とOnge族だけです。Y-DNA「D」72%の雲南のPumi族は未調査です。つまりY-DNA「D」語は孤立言語です。

遺伝子調査で初めて理解できたことです。しかもY-DNA「D」は人類が出アフリカを果たした際の形質を最も残していると欧米の研究者は述べています。ということは縄文語が最も古いホモサピエンスの言葉を残している可能性もあるのです。Jarawa族やOnge族、Pumi族の語彙を徹底的に追いかければ解明できそうですが、日本の御用学者ではない欧米の気鋭の言語学者が研究してくれるとありがたいですね!

  現代アイヌも日本列島人と同じY-DNA「D2」85%の「D」民族ですが、残念なことにオホーツク文化時代に侵略者だった古代ニヴフ族に征服され、熊祭りなどすっかり古代ニヴフ文化(古住シベリア民文化)に変貌してしまっています。言語も恐らく古代ニヴフ語に変わっているでしょう。

丹念に追えば語彙には「D」語の痕跡が残っているかもしれません。日本列島のように「D2」が圧倒的な人口多数派だったなら「D」語が残ったかもしれませんが、人口そのものが少なかった北海道では文化も言語も語彙も古代ニヴフ語に変わってしまっている可能性が大です。
http://galapagojp.exblog.jp/i31/





日本の成功の秘密は日本語にあるのですが,欧米人や中国人にはそれがわからない.中国語も日本語も漢字を使っているから,日本語は中国語と同じ様なものだと思い込んでいるんですね:

一口に日本語と言っても、書き言葉と読み言葉がある。ここで取上げるのは主に前者、つまり書き言葉である。主に日本語は、漢字という表意文字と、ひら仮名・カタ仮名という表音文字で構成されている。さらに日本語の表記には、これらの他に句読点やローマ字、簡単な英語、西洋数字、ギリシャ数字そして特殊な記号まで雑多な文字を使う。最近、メールには絵文字まで登場している。

表記方法も、横書きだけでなく縦書きもある。通常、横書きは左から右に書くが、昔の看板なんかは右から左に書いたものがある。縦書きは世界的に見ても珍しく、外国人は日本人が縦書きで文章を書くのを見て驚いている。これらの雑多の表記方法を使っている日本語は、マスターをするのが難しい言語かもしれない。しかし一旦マスターすれば、これほど便利な言語はないと考える。これは筆者の偏見かもしれないが、日本語は世界の中で一番進化した言語であり、優れた言語と思っている。


漢字は象形文字が基になった表意文字であり、文字そのものが意味を持つ。しかし今日、表意文字として使われているのは漢字くらいである。漢字圏は、日本を除けば中国、台湾、シンガポールと朝鮮半島、そしてべトナムである。しかし朝鮮半島やベトナムは漢字離れをしているようだ。

表意文字である漢字は、文字自体に意味を持つので、言葉を速く理解することができるという利点がある。特に漢字はパターンで認識するので、文字とイメージが結びきやすい。「犬」という文字を見ると、犬のイメージが頭に直ぐ浮かぶ。「京都」という言葉に当ると、京都という文字から京都に関するイメージが自然と頭に浮かぶ。


高速道路の標識も、漢字だから速く、しかも正確に認識できる。これがアルファベットなら一瞬のうちに認識することは難しい。例えば長い地名がアルファベットで記されていたなら、車を停車させなければ、書いてある行き先を読むことはできないであろう。これは言語の特徴を考える場合、重要な点である。

日本語の文書は、斜読みによって、ある程度の意味を把握することができる。これも日本語に漢字が使われているからである。速読の達人と呼ばれる人がいるが、もし文章が全て「かな」で書いてあったなら、とても一瞬のうちに読むことはできないであろう。またアルファベットだけの英語も速読に向かない言語と思われる。


しかし漢字にも欠点がある。基本的に一文字がそれぞれ意味を持ち、世の中の現象を表現するためには、漢字がどんどん増えることである。新しい物が発見されたり、新しい概念の表記が必要になると、それに対応する漢字が必要になる。しかしそこを日本語は、熟語と「かな文字」の発明で、極力使う漢字が増えることを回避してきた。

熟語の登場は、文字と文字の組合せだから、漢字の数を増やすことなく新しい概念を表現することを可能にした。また「ひら仮名」と句読点を用いることによって、どれが熟語であるのか明示できる。さらに外来語をとりあえず「カタ仮名」で表記することで、漢字を増やすことを回避している。

中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。

筆者は、まず難しい日本語をマスターし、日本語に翻訳された本や文献で勉強するのが一番効率的な学習方法という気がする。英語の本を一冊読む間に、日本語なら二冊の本が読めるのではないかと思う程である。もしこのような方面を研究している方がいれば、是非その辺の事情を教えていただきたいものである。


日本語と中国語
知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。

どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。


「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。

一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。

戦後、GHQが日本人を色々調査した。当時、米国人から見れば「日本人は人間より猿に近い動物」という認識であった(失礼な話である)。そのような日本人が、どうして短期間のうちに列強と対等の国力を持つことができたのか、不思議だったのである。しかし調査によって、日本では、どのような地方に行っても、またどれだけ年配の人でも、文字を知り、文章が読めることを発見した。これはGHQにとって驚きであり、これで日本を見直したのである。これも日本の教育制度が優れていたのと、日本語が誰にもマスターできる優れた言語であったからである。


言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。

「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。


しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。

ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。


しかしこれほど優れた言語である日本語が、最近の教育現場では軽視されている。群馬の太田市では、全て英語で授業を行う小学校が開校した。例のくだらない特区である。

最近読んだ雑誌に、算数の学力を向上させるには、まず国語の教育を徹底的に行うことが重要という記事があった。特に小学生の低学年の授業は、全て国語で良いというのである。算数や理科・社会の教育は、国語の力をつけてからの方が好ましいという意見であった。これには筆者も賛成である。とにかく太田市の小学校の教育成果が注目される。


今日、国語教育が軽視されているのに、英語、特に英会話の教育が重視されている。筆者は、英会話は必要に迫られればなんとかマスターできるものであり、学校教育で行う必要はないと考える。また必要のない英会話の技能は簡単に失われる。

日本人がどうしても英語で会話する必要に迫られるのは、年間平均で3分間という話を聞いたことがある。筆者の経験でもその程度と感じる。年に一、二度、外国人に道を訪ねられるくらいのものである。しかし年間平均でたった3分間のために、日本人は多額の費用を使い、膨大な時間を割いている。必要なら通訳を雇った方がずっと安上がりである。むろんこのような労力は国語教育に注ぐべきと考える。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html





http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c165

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
166. 中川隆[-12560] koaQ7Jey 2018年5月24日 02:12:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

中身のない英語を話しても意味がない

日本育ちの子をインターナショナルスクールに入れるのは愚の骨頂だ
バイリンガルに育てるつもりが…
西宮 凛 同時通訳者・ESL英語講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131


日本で日本人の家庭に生まれながら、インターナショナルスクールに入れる。それは経済的にも余裕があり、「子どもにインターナショナルな感覚を持たせたい」という思いを抱く家庭ならではのことでしょう。

しかし自らが海外で育った帰国子女でもあり、同時通訳者として働きながらアメリカの大学院で英語教授法の資格を取得し、多くの「早期英語教育を求める保護者」と「大人になってからきちんとした英語を学ぼうとしてきちんと身につけた大人」を見てきた私は、声を大にしていいたいのです。

「日本に生まれ育ちながらバイリンガルに育てたいのなら、絶対にインターナショナルスクールには入れないほうがいい」と。

母国語で考えることが最重要

日本人が算数が良くできる理由の一つを紹介しましょう。

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10を3秒以内に、数字をきちんと耳で誰もが認識できる速さでだーーーーっといえることです。

では、英語で同じように、1~10まで言ってみてください。

One, two, three, four, ……日本語に比べてなんと時間がかかることでしょう。

これは、英語の教育では one, two, three, … をスぺリングから数字に入ってしまうからなのです。

この速さが、算数の四則計算に始まり、基礎力から応用力への発展への理解力スピードにも関係していきます。日本語での教育に素晴らしいところが十分あると理解していただけたらと思います。

では、言語習得能力についてのことを説明していきましょう。

一番大切なのは「絵本の読み聞かせ」

日本では、7歳から基本的に読み書きの習得、識字教育が始まります。この7歳までに子どもにたくさんの本を読ませるということがとても大切だと私は思っています(理想的には10000冊という説もありますが、繰り返し読むことも含めてできる限りでいいと思います)。

0歳からスタートして、お母さんやお父さん、周りの人たちが毎日子どもに読み聞かせをすることで、耳から、目から、自然に子どもが言葉に触れるので、言葉に対する感性が身につきます。


0歳児にお勧めのオノマトペ絵本の代表格『じゃあじゃあびりびり』から、ユーモアものから、大人も思わず涙する感動物語まで、「絵本」とひとことでいっても幅広い。大人も子どもと一緒に楽しもう。

そうして生まれたころから「文字」に目と耳で触れてきた子どもは、おそらく、文字を書く道具が周りにあれば3歳くらいから、ひらがなをしっかり目で追い、自分でも書きたがるようになります。それまで耳と目だけで入ってきた言葉が、文字で立体的に繋がっていきます。

就学年齢になる7歳から学校に入り、ひらがなの正しい書き方を学び、国語を体系的に学ぶことで、一気に子どもの知的好奇心は深まります。それまで受け身だった読み聞かせから、文字と言葉に対する理解が深まることで、その先にある楽しさに能動的に取り組むようになります。

本を読むこと、文字を書くこと、そして起承転結を捉えること、日本語の文章に「はじめ・中・終わり」というまとまりがあることを理解し、自分の思いを正確かつ適切に伝える行動を段階的にできるようになっていきます。文章のまとまりを読み取ることができると、国語のみならず算数、社会、理科などの他の科目も、また具体物に対する理解もどんどん深まります。


このようなやり方を7歳から10歳までに深めておくと、10歳くらいで手に触れることのできない抽象物への理解ができるようになるのです。ちなみに、目に見えないもの、人の感情や目の前で起きていない事象を深く理解でき始めるのは10歳以降と言われています。

言語獲得で特に大切なのはこの幼少期から思春期までの限られた時期であり、「言語習得の臨界期」に言語に触れることが一番の近道とする仮説は、1967年に研究者レネバーグが打ち出しました。その後も様々な研究が続けられています。

無理なインターは「セミリンガル」になる

近年「英語獲得は早い方がいい」という学校現場での取り組みも熱を帯び、また「だから小学校からインターナショナルスクールに入れれば、英語のネイティブになるでしょう」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

でも日本に住み、日本の家族と暮らしている場合、最初に母国語(L1言語と言います)ができなければ、第二カ国語(L2言語)をマスターし、両方の言語を自由に操作出来る「バイリンガル」にはなりません。英語をある程度話せるようにはなりますが、日本人として使えるべき日本語が不自由になってしまいます。

また、近年外国人が日本にも増えてきたとはいえ、日本で学ぶ英語はどうしても「外国語」であり、「第二ヵ国語」ではないことにも注意をしたいものです。

1 本を通して就学年齢に到達する7歳までにできるだけ多くの母国語に親しませる

2 就学年齢である7歳から10歳までに正しい母国語を学び、具体物の理解を進める

3 10歳から抽象物の理解を深めていくことができるように、日本語の文章構造の理解を深める

この3つを受けて初めて、母国語を駆使して物事を理解し、他の言語システムを理解し、他文化、多様性の理解をでき、グローバルに活躍できる人材になる一歩を踏み出せるのです。

「これからの時代は英語が出来たほうがいい」とか「大人になった時に困らないように」という理由だけで、日本で生まれ育ったお子さんをインターナショナルスクールに入れている場合ではありません。

私の尊敬する同時通訳者の諸先輩方も、インターナショナルスクールにいきなり通わせる前に大切なのは、母国語である日本語の習得、と口を揃えておっしゃっていました。それくらい本末転倒なことなのです。


インターナショナルスクールはカリキュラムも含めて良さがたくさんあるが、日本ドメスティックな家庭対象に作られたものではない。photo by iStock

例えば、両親共に海外育ちであるとか、赴任帯同によりお子さんが海外の英語環境で育った等のバックグラウンドがある等の場合には、英語がそのお子さんの核となる言語になっているのでその方がお子さんにとっても幸せだと思います。ただそのような場合にもご家庭で日本語力の維持、特に漢字を読ませることにはみなさん努力していらっしゃるはずです。

バックグラウンドなしでインターナショナルスクールに入れるのであれば、セミリンガル/ダブル・リミテッドまっしぐらです。家族との会話や意思疎通もままならなくなるお子さんもたくさん見てきました。ちなみにセミリンガル/ダブル・リミテッドは「両方の言語において年齢に応じた言語習得度に満たない中途半端な二ヵ国語使用者」という意味です。


もちろん中には、2つの言語を同時期に習得し、二か国語を母語とする話者や「バイリンガル脳」を持つ方もいて、その研究も行われています。しかし一般的に日本で日本人の家庭に生まれたお子さんについては、母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになる下地が出来ると考えます。

母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになれるのです。

発音やアクセント習得は早期教育が効果的だが

ただし、「早期教育は効果がないのか」というと、そういうことではありません。

「英語セッティングの環境に入る年齢が早ければ早いほど、英語習得力は高まる」というのは「発音、アクセントにおいてはその通り」です。

これは脳の発達との関係も大いにあると主張する研究もあります。生理学でいう「側性」、つまり大脳の各種機能が左右両半球に分化する状態は、生まれてから思春期にかけて発達し、それがどちら寄りになるのかが決まるタイミングと、英語習得における臨界期に大いに関係があると、スコヴィルをはじめ心理言語学者が発表しています。

思春期の具体的な時期は、人によって違いがあることを前提に、大脳の各種機能の発達が大体落ち着く頃には、新しい言語の発音、アクセントを忠実に再現できる「柔軟性」が少しずつ失われることを主張したのです。脳神経の発達と発音は非常に密接に関わっています。発音、アクセントは口の筋肉の動きがあってこそうまくできるわけで、神経と筋肉の動きと発達が、発音とアクセントの良し悪しを左右することは間違いありません。

自分の目の前にいる第三者が話す英語の発音がきれいだったり、ネイティブの話す英語を聞き取れたりしている、という場面を見ると、「第二ヵ国語である英語習得に成功しているんだ」、と感じることでしょう。実際、大人になって英語を学ぶ日本人の多くは、読むことはできても、聞いたり話したりすることができないという直面に多く立たされ、「小さい時にやっておけば良かった」という声をよく聞きます。

「RとLの発音がきちんとできる!」「アクセントがネイティブ並み!」であると、それだけで「素人目にもわかりやすい」から、その点で「じゃあ早く子どもに英語の学習をスタートさせたほうがいい」という説が出やすいのではないでしょうか。

また、言語学習開始年齢が早ければ早いほど良い、とされる仮説に対し、ただ耳から、口から、の発音、アクセントの習得度合いをもって最終的な言語習熟レベルを図るのは適切ではないとする説もあります。


1995年にスラヴォフとジョンソンという研究者が、7歳から12歳の間に渡米し英語を第二ヵ国語とする中国人、日本人、韓国人、ヴェトナム人の107人の子供達を、7〜9歳の間に英語学習を始めたグループと、10〜12歳に英語学習を始めたグループに分けて実験を行いました。

英語学習の開始時期は早いほど良い、と言語獲得の臨界期仮説を謳う研究者にとっては驚きの結果が出ました。

構文の理解、文章の構造や比較的難しいとされる文法の理解においては、英語学習の開始時期が遅いグループが秀でていたのです。


中身のない英語を話しても意味がない

言語学習の獲得においては、まずその言語の正しい文法を理解できる年齢に到達してから、情緒的、社会的、動機的な要因が言語獲得に与える影響を踏まえて学習することが大切であり、年齢、早期学習が必ずしも最終的な習熟度に直接的な関係があるわけではない、と発表しています。

英語習得のどのレベルを「完成形」とするのか、教養も品格もある過去のアメリカ大統領(「過去」です、残念ながら)が話すような英語レベルを求めるのか、それとも、発音はネイティブ並みでも、とても実際のネイティブが落ち着いて聞いていられないようなスラングだらけの英語を話すレベルで良しとするのか、目標を見据えた学習も非常に重要です。

様々な研究者の発表や実験、また日本人や日本人以外のノンネイティブ学習者に対して本当に必要な英語を日本とアメリカの両方で指導してきた経験を踏まえると、私は以下のことが大切だと考えています。

・正しい文法の習得:

・修辞法の習得:

・論理的根拠を持つこと(ロジックの大切さ)

以上の3つに重きを置いた英語教育が出来るのは、「母国語があって母国語で論理的に考える言語能力あってこそ」、なのです。

子どもであればあるほど、言葉がもたらす社会的影響や価値には気づいていません。発した言葉が持つ影響をわからないまま、ただその言葉を流暢に話せる人間になることは非常に危険だと私は感じており、これが私の英語教育において大切にしている、「その言葉を使って世の中に何を発信する人間になるのか」、という「ロジック」の部分です。

日本人が「英語」を必要とする現場において、英語は出来るのだけれど、軸のない空っぽな会話では困るわけです。ですから幼少のうちから読み聞かせをすることで、豊かな語彙力、表現力、物事を深く考える力を養っておきたいと思うのです。

また、年齢と習熟度の関係だけではなく、年齢を重ねたからこそ「語学は難しい」という心理が働き、及び腰になるので、その分習熟が遅くなるという研究もあります。
しかしその時期を越えてからの語学学習においては、子どもが母国語をマスターする過程の学びプロセスを念頭に入れながら、コツを抑えた学習法をしていけば良いことなのです。その学習法については、別の機会にご紹介できればと思います。


今の小学生が大人になる頃には、現時点で存在しない仕事に就く子どもたちが40%になるとも言われています。

ネットも更に進化するでしょう。数多ある情報の中から、情報を素早く正確に理解し、吸収し、本当に自分にとって必要な情報なのか、また信頼できる情報なのかを判断し、それを仕事や生活に活かしていく力が更に求められると思います。

つまり、文章を読み、論理的根拠、分析力、物事を深く考える力を用いてさらに発展させる力が問われると思います。

国と国の間=inter-national(インターナショナル)ではなく、自分が何者であるのか、そのルーツとスピリットを踏まえた上で日本人として世界に出て、世界基準のものの考え方を出来てこそglobal(グローバル)になれる。

そのために、早期学習で得られる発音とアクセントありきの英語教育はしなくて大丈夫です。幼少期からの読み聞かせの持つ力、大人だからこそ深みのある英語学習ができるのはアドバンテージなのです。

母国語で深く思考できないことが一番、「バイリンガル」への道を遠ざけてしまうのです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131


グローバル企業が支援する愚民化政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

「お遊び」としての英語教科

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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。


  @ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。

特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

Filipino maids 1Vietnamese workers 1
(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。

English teacher in AsiaEnglish teacher in Korea
(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

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(左: 英語を話す黒人女性  / 右: カナダの白人女性 )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

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(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

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(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」2018年4月20日 プレジデントオンライン


英語能力のテストとして、学校教育でもビジネスでも重要視されるTOEIC。しかし長年、企業の語学研修に携わってきた猪浦道夫氏は「TOEICは英語能力検定試験として欠陥がある。TOEIC対策講座に成り下がった英語教育を進めることで、母国語をふくめたそもそもの言語教育に悪影響が出ており、日本人の知的レベル低下を招いている」と警鐘を鳴らす――。

■TOEICハイスコアは成功への登竜門?

筆者は長年、語学教育にたずさわってきましたが、30年ほど前から学校の英語教育が「文法偏重から会話力重視へ」と急カーブを切り始めました。そのころからビジネス界でもグローバル化の標語のもとに、ビジネスピープルたるもの「誰もが英会話力は必須」のような雰囲気になってきて、どこか不気味な感じがしていました。

その象徴的な存在がTOEICの急成長です。昨今では、あたかもこれからの教育界、ビジネス界ではTOEICのハイスコアが成功への登竜門であるかのごとくみなされるようになってきています。

1990年ごろまで、英語力を認めてもらうには「実用英語技能検定(英検)」が一般的でしたので、この試験は英検に比べてさぞかし画期的な試験なのかと思いました。そこで、この試験の問題を分析してみましたが、そのときの正直な感想は、「これがビジネスに役立つ実践的な英語力とどういう関係があるのか。全体的に英検のほうがまだ数段優れているな」というものでした。

にもかかわらず、TOEICの浸透はやがて文科行政、企業教育にまで及んできて、いまや猫も杓子もTOEICという状況になりました。知人、生徒たちにTOEICの感想を尋ねてみると、その反応の多くは、TOEICなんてあまり意味がないけど上から受けろと言われたので、就職の書類にスコアを書く欄があるので、また若い世代の場合、大学受験で一定のスコアが求められているから仕方がない、という消極的またはやや否定的な意見でした。

いまや、小中学校から大学、大学院、そしてビジネスピープルに至るまで、なんでもかんでもTOEICで学習者の英語力を図ろうとしています。

しかし、TOEICで測れる英語の能力は、あたりさわりない英語トーク(しかも米語の発音)の聴き取りと、専門性の低い英文の理解力だけです。しかも、後者の場合、日本語をまたいでの翻訳力はまったく評価できません。この点では、いろいろな問題はあるにせよ、英検のほうが圧倒的に優れています。

しかるに、言語能力というものは多様でそんな単純なものではありません。「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つの能力の区別はよく知られていますが、もう少しキメ細かく見ると、「聞く」「話す」の部分は「通訳能力」があるかどうか、「読む」「書く」の分野は「翻訳能力」があるかどうかの視点も考慮しなければなりません。

さらに、それらの能力はスピーチレベルというものを考慮しなければなりません。おおざっぱに分類しても、現地の人と日常のくだけた会話をするレベル、改まった場面で正式な話し方をするレベル、そして、専門分野の情報交換に必要なコミュニケーション能力です。文章にも、この区別が厳然としてあります。

■本当に英語力が必要な人、不必要な人

英語を学ぶ場合、学習者がどのような目的で学ぶのかによって、どこのゾーンの能力をどの程度まで伸ばすかを考慮しなければ時間の無駄になります。

例えば、日本の大学生がその専門分野の研究において必要としている英語能力とは何でしょう。それは英会話の能力ではなく、原書を読み理解する能力です。大学院レベルの研究(特に理系)においては、それに加えて英語で論文を書く能力が求められましょう。

一方、企業活動における英語力とはどうあるべきでしょう。実は90%のビジネスピープルは高度な英語力を必要としていません。国際化、グローバル化の掛け声のなかで「少しぐらい英語ができないとみっともない」といった曖昧なイメージだけが先行しているだけで、実際に現場にいるビジネスピープルの多くは英語を使う機会はありません。

英語を必要とするのは、海外とのやりとりがある部署の人間だけです。英語を必要としない社員にまで画一的にTOEICの勉強を強要しようとするのは、経理部で働く可能性のない社員に簿記の試験を受けろと言っているようなものです。企業活動のそもそもの目的を考えれば、ビジネスの現場でほとんど役に立たない英語力を少しぐらいアップさせる時間があったら、ビジネスの力を磨いたほうが会社にとってメリットが大きいはずです。

もしビジネスを目的として英語を学習するにしても、個々人の業務内容を考慮してターゲットを絞るべきです。例えば、英文メールが書ければよい、英語文献などを読んで情報分析できなければならない、頻繁に外国人ビジネスピープルと交渉事がある、といったものです。そのレベルによって求められる英語力は大きく異なります。漫然とオールラウンドに高度な英語力を身に着けたいと思っているならば、それは差し迫った必要性に迫られていない証拠です。

■国語ができなきゃ英語なんてできるわけがない

私は、最近、英語のみならず母国語である日本語も含めて、日本人のコミュニケーション能力、論理的思考力が変調をきたしているのではないかと思うようになりました。この傾向は、一般の人々や若者ばかりでなく、ビジネスピープルや知識人と呼ばれる人々のあいだでも顕著で、はたで他の人のトークを聞いていても話がかみ合っていないと感じることが多いのです。

私はこの度『TOEIC亡国論』という、あえて刺激的なタイトルの本を出版しました。それはなぜか。本稿でもこれまで、英語能力試験としてのTOEICの欠陥を示してきましたが、そんな試験が社会に当たり前のように受け入れられてしまったことで、英語にとどまらない言語教育そのものに悪影響を及ぼしはじめているという、強い危機感があるからです。

認知科学者で慶應義塾大学名誉教授の大津由紀雄氏は、文科省「教育の在り方に関する有識者会議(第3回)」において、大学での英語教育の現状を「TOEICの対策講座化に堕している」と評し、「TOEICでの高スコアは必ずしも英語の熟達度を示すものではな」いと喝破しています。

そしてその原因として、「そもそも日本語がきちんと使える人が非常に少ない」ことを挙げ、母国語教育と英語教育のあり方に同根の問題があることを指摘しています。

本来あるべき言語教育とは、英語という特定の言語に偏ることなく、言葉そのものに対する興味をさまざまな角度から養い、母国語と外国語をよく比較観察しながら「ことばの仕組みとか動き」を理解するものであるべきだと、大津氏は言います。

しかも、そもそも「比較観察」する前提となるのは国語力。国語力は思考と深く関連性があり、言語というものは思考した結果を表現するツールに過ぎません。だから、英語を学ぶ以前に、国語力に立脚した思考能力がなければ話にならないのです。

外国語の能力は母国語の能力を上回ることはないが、外国語を知ることは母国語を見直す契機となり、母国語の習熟度を高めます。英語学者の渡部昇一氏はこれを「知的格闘」と呼んでいましたが、外国語を知ることは、母国語と外国語両方に望ましい教育効果が期待できるのです。

■TOEICを目的とした教育で「母国語力」が低下している

ところが、TOEIC対策講座と化した外国語教育では、前述した通り、翻訳能力や通訳能力、そして実践的なスピーチ能力が、正しく身につくとはいえません。大津氏のいう「比較観察」も、渡部氏のいう「知的格闘」も磨かれず、外国語教育で求められる「母国語と外国語両方の習熟」という効果が期待しづらいと言えるでしょう。にもかかわらず、TOEICの点数さえよければいい、という教育を続けていれば、日本語力は磨かれず、当然ながら、日本語力を基盤とする思考力も育たない。

同時に、英語教育における学習者のレベルダウンは、言語学的見地から言えば、紛れもなく背景に国語力の欠如と、読み書き、文法学習の軽視に原因があることはまず間違いありません。つまり、日本語教育がうまく言っていないから、英語力も育たない。

他方で、TOEICの対策講座になった英語教育のせいで、日本語力が育たない。このような負のスパイラルは、基本的には学校教育での誤った教育方針が原因です。重ねて言いますが、そのあしき傾向を助長しているのがTOEICの存在で、その弊害はもはや看過できないレベルにまで達しています。

■日本語教育と外国語教育をセットで考え直すべし

その危機感は最近ますます強まっています。私はときどき国会の審議で答弁している官僚の話し方とか、テレビ番組に出ているコメンテーターと言われる人たちの会話や討論を聞くことにしています。そこで感じたことですが、意識的に論点をずらすとかある種の交渉術的な戦略があることを考慮しても、それ以前に日本語もおかしいというか、きちんとした日本語を話していない人も多い。

一方には、インテリを気取ってところどころ誰にもわからないような英語を交えて話す人もいて、そういう討論を聞いていると、そもそもこの人たちはコミュニケーションする気があるのだろうかという気さえしてきます。

今の世の中は殺伐といていて、子供殺しの親とか、モンスターペアレンツ、会社内での過労死など、痛ましい事件が後を絶ちませんが、これらの事件は、背景に日本語力の貧困によるコミュニケーションの欠如に遠因があるのではないかとすら思えてきます。唐突に思われる方もあるかもしれませんが、自分の考えを理解してもらえないと、人間というものはすごいフラストレーションを感じ、それが極限に達すると「切れる」ものなのです。

文科省の行政指導には、大きな問題があります。経済政策とか外交政策とか、およそ政策というものは、基本的には優れた専門家による検討を踏まえて決められていくものでしょう。ところが、文科省の(特に)英語教育に関しては、優れた専門家の諮問に耳を傾けているとはとても思えません。志ある立派な専門家がどれだけ主張しても、一向にそれが好ましい形で英語教育に反映されません。

浮ついた英語学習を改めて、そろそろ日本人の言語教育がどうあるべきか、国際社会での真のコミュニケーション能力には何が必要かを、国民ひとりひとりが原点に立ち返って考え直してほしいと思う今日この頃です。
http://news.livedoor.com/article/detail/14604971/

2018.4.3
英語を仕事で使う人の数は減少傾向という現実、むしろ必要な力とは
榎本博明:心理学博士、MP人間科学研究所代表+ 
http://diamond.jp/articles/-/165663

2020年東京オリンピックでの「おもてなし」に向けて、“英語ファースト”の時代が訪れている。「いまの時代、英会話ぐらいできないと」、「英語は早いうちから学んだ方がいい」と言われるが、

『その「英語」が子どもをダメにする』(青春出版社)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4413045203/diamondonline-22/


の著者・榎本博明氏は、そんな思い込みが蔓延する英語“偏重”な教育現場に警鐘を鳴らす。

実際、仕事で英語は本当に必要?

 現在、日本人は仕事上どれくらいの頻度で英語を使っているのだろうか。仕事で英語を話す機会といえば、海外支店に転勤になった場合か取引相手が海外の企業だった場合ぐらいである。

 とはいうものの、これからグローバル化が進む時代で、実際は英語の必要度がどんどん増しているのではないかと考える人も多いだろう。

 これについては、実証的なデータがある。言語社会学者の寺沢拓敬が行った調査で、「日本で実際にどれぐらいの英語が使われているか」を検証した。2002年の調査結果では、仕事で英語を「よく使う」人と「ときどき使う」人を合わせた比率は12.7%だったのに対し、2008年は13.3%と6年間でほとんど変化はみられなかった。

 さらに、「過去一年間に仕事で少しでも英語を使った」という人の比率は、2006年21.0%に対し、2010年は16.3%と、むしろ減少傾向にあるのだ。

このようなデータを見るかぎり、これから先も日本で仕事する上で本当に英語が必要になってくるのか疑問になってくるだろう。

 また、企業が社員にもとめる能力を調査したところ、英語力よりもむしろ専門性や柔軟性、そして仕事ができること、だれとでもコミュニケーションがとれることだったという。(『週刊金曜日』2013年11月8日号)

 最近では、英語は入社後でも十分身につくという考えが広がり、企業では仕事を進める力や人間力が重視されているというのが実態である。

 やはり、子どもの将来を考えた場合、英語教育に先走るよりも、まずは日本語力や思考力の基礎をしっかり固めることが優先されるべきだといえるだろう。

就活で「コミュニケーション力」が重視されるワケとは?

 新卒採用で多くの企業が最も重視するのが、「コミュニケーション力」だ。これはもちろん日本語でのコミュニケーションのことを指す。例年、「主体性」や「意欲」などを抑えて「コミュニケーション力」が圧倒的に重要視されるのはなぜだろうか。

 これは、近年の大学生の日本語能力の低下が関係していると考えられる。たとえば「内向的」「情緒不安定」「引っ込み思案」などの言葉が通じなくなってきていると榎本氏はいう。

 多くの大学教員が、学生に対して心理検査やアンケート調査ができなくなってきたというが、それは質問項目の意味がわからないという学生が増えてきたからといわれている。

 最近の学生は、SNSでのやり取りで記事を投稿したり友達と会話するなど、言葉に触れる経験は豊富なのだが、本をあまり読まないため、読書体験で得られるはずの豊かな表現や抽象的な概念に触れる機会がないのだ。

このように、英語どころか日本語のコミュニケーションさえうまくできない若者が増えているため、企業としては何としても「コミュニケーション力」がある若者を雇いたいと思うわけである。

 さらに、2007年から日本語検定が行われるようになり、企業の採用試験や研修で使われているという。そのようなものが必要になったということは、それだけ日本語に不自由な若者が増えてきたことの証拠といえるだろう。

英会話ができても、外国人と対等にはなれない

 そもそも日本人の多くが、英会話を話せれば外国人と対等にコミュニケーションがとれていると勘違いしている。その勘違いゆえに、わが子に英会話を習わせたいという親が多いのだ。

 もちろん英会話を話せないより話せた方が、コミュニケーションは円滑に進むだろう。しかし、“話せる”ことだけに注力してしまうのは危険である。

 子どもの言語発達について、発達心理学者の岡本夏木氏は、日常生活の言葉である「一次的言葉」と授業の言葉である「二次的言葉」を区別している。

「一次的言葉」は、具体的なことがらについて、いわば、日常生活において身近な人たちとの間で会話するための言葉である。それに対し「二次的言葉」は、抽象的な議論にも使える言葉であり、そこには話し言葉だけでなく書き言葉も加わったものである。

要するに、日常生活の具体的な場面の会話で用いる言葉か、教室で授業を受ける時などのように抽象的思考や議論をする時に用いる言葉か、ということだ。

 日本語を不自由なくしゃべっていても勉強ができない日本人、知的活動が苦手な日本人がいくらでもいるように、大事なのは学習言語能力、つまり後者の「二次的言葉」を磨くことである。それができないと、授業についていけず、ものごとを深く考えることができない子になってしまうのだ。

 幼いうちから英会話に注力しすぎた結果、英語どころか日本語能力も低く、日本語の文章が読めなかったり抽象的な議論ができないとなれば、取り返しがつかないだろう。

 先述しているように、英語はある程度大きくなってからでも学ぶことは十分可能なのだから、小さいうちから焦る必要は何もないのである。

 英会話は勉学ではなくあくまで「コミュニケーションのツール」。子どもが大きくなって勉強や仕事で本当に必要な能力は何なのか。親には、目先の能力にとらわれず、子どもの将来を見越した教育を受けさせることを忘れずに、わが子と向き合ってほしい。
http://diamond.jp/articles/-/165663

内田樹の研究室 2017.11.03 大学教育は生き延びられるのか?
独立行政法人化から後、日本の大学の学術発信力は一気に低下しましたけれど、それも当然なんです。法人化があって、学部改組があって、カリキュラム改革があって、そこに自己評価や相互評価が入ってきて、次はCOEだとかRU11だとかグローバル人材教育とか、ついには英語で授業やれとか言われて、この15年くらいずっとそういうことに追い回されてきたわけです。

グローバル人材育成と称して、今はどこでも英語で授業をやれというプレッシャーがかかっている。どう考えても、日本人の学生相手に日本人の教員が英語で授業やることに意味があるとは思えない。

実際にそういう大学で働いている人に聞きましたけれど、オール・イングリッシュで授業をするとクラスがたちまち階層化されるんだそうです。

一番上がネイティヴ、二番目が帰国子女、一番下が日本の中学高校で英語を習った学生。

発音のよい順に知的階層が出来て、いくら教員が必死に英語で話しても、ネイティヴが流暢な英語でそれに反対意見を述べると、教室の風向きが一斉にネイティヴに肩入れするのがわかるんだそうです。コンテンツの当否よりも英語の発音の方が知的な位階差の形成に関与している。

これも英語で授業をしている学部の先生からうかがった話ですけれど、ゼミの選択のときに、学生たちはいろいろな先生の研究室を訪ねて、しばらくおしゃべりをする。その先生のところに来たある学生はしばらく話したあとさらっと「先生、英語の発音悪いから、僕このゼミはとりません」と言ったそうです。その方、日本を代表する批評家なんですけれど、学生はその名前も知らなかった。
そういうことが今実際に起きているわけです。ではなぜこんなに英語の能力を好むというと、英語のオーラルが教員の持っている能力の中で最も格付けしやすいからです。一瞬で分かる。それ以外の、その人の学殖の深さや見識の高さは短い時間ではわからない。でも、英語の発音がネイティヴのものか、後天的に学習したものかは1秒でわかる。

『マイ・フェア・レディ』では、言語学者のヒギンズ教授が出会う人たち一人一人の出自をぴたぴたと当てるところから話が始まります。『マイ・フェア・レディ』の原作はバーナード・ショーの『ピグマリオン』という戯曲です。ショーはヒギンズ教授の口を通して、イギリスでは、誰でも一言口を開いた瞬間に出身地も、職業も、所属階層も分かってしまうということを「言語による差別化」(verbal distinction)としてきびしく告発させます。ヒギンズ教授は誰でも口を開いて発語したとたんに、その出身地も学歴も所属階級もわかってしまうというイギリスの言語状況を批判するためにそういう曲芸的なことをしてみせたのです。すべてのイギリス人は同じ「美しい英語」を話すべきであって、口を開いた瞬間に差別化が達成されるような言語状況は乗り越えられねばならない、と。だから、すさまじいコックニー訛りで話す花売り娘のイライザに「美しい英語」を教えて、出身階層の軛から脱出させるという難事業に取り組むことになるのです。

でも、今日本でやろうとしているのは、まさにヒギンズ教授がしようとしたことの逆方向を目指している。口を開いた瞬間に「グローバル度」の差が可視化されるように英語のオーラル能力を知的優越性の指標に使おうとしているんですから。それは別に、英語がネイティヴのように流暢に話せると知的に生産的だからということではなく、オーラル能力で階層化するのが一番正確で、一番コストがかからないからです。

日本中の大学が「グローバル化」と称して英語教育、それも会話に教育資源の相当部分を費やすのは、そうすれば知的生産性が向上するという見込みがあるからではないんです。知的な生産性という点から言ったら、大学ではできるだけ多くの外国語が履修される方がいい。国際理解ということを考えたら、あるいはもっと現実的に国際社会で起きていることを理解しようと望むなら、英会話習得に教育資源を集中させるよりは、外国語履修者が中国語やドイツ語やトルコ語やアラビア語などに散らばった方がいいに決まっている。でも、そういう必要な外国語の履修については何のインセンティブも用意されていない。それは、英語の履修目的が異文化理解や異文化とのコミュニケーションのためである以上に格付けのためのものだからです。

TOEICはおそらく大学で教えられているすべての教科の中で最も格付けが客観的で精密なテストです。だからみんなそのスコアを競うわけです。競争相手が多ければ多いほど優劣の精度は高まる。前に申し上げた通りです。だから、精密な格付けを求めれば求めるほど、若い人たちは同じ領域にひしめくようになる。「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。
http://blog.tatsuru.com/


内田樹の研究室 2018.01.31
『街場の文体論』韓国語版序文


これが韓国語訳されることになったわけですけれど、果たして僕がこの授業で取り上げたさまざまなトピックが隣国の読者たちにとっても同じような切実さを持つものかどうか、確信がありません。でも、一つ言えるのは、韓国でも日本でも、言語が遭遇している危機についてはおそらくそれほどの違いはないということです。それは母語が痩せ細っているということです。序文として、それについて少しだけ思うことを書いてみたいと思います。

母語が痩せ細っているというのは、現実的には英語が支配的な言語になりつつあるということです。すでに各種の学会ではそうなりつつあります。

自然科学系の学会ではしばしば日本人だけの集まりでも発表や質疑は英語で行われます。研究者たちは英語で論文を読んで、英語で論文を書いて、英語で議論する。

韓国でも事情は同じだと聞いています。どちらも英語での大学の授業数が増えています。

「留学生数」や「海外提携校数」や「英語で開講されている授業数」や「外国人教員数」が多い学校に助成金がたくさん分配される。

だから、どの大学も必死になって英語に教育資源を集中的に分配するようになっています。

日本では中学高校で英語の授業は英語で行うことが定められました。

こういう流れを「国際化」とか「グローバル化」といって肯定的に語る人がたくさんいます。でも、それはそんなに喜ばしいことなんでしょうか。

とりあえず日本において統計的に一つだけわかっていることは、母語の教育を疎かにして、限られた教育資源を英語に集中するようになってから英語力が低下したということです。

この現実に慌てた政府は日本人が英語ができないのは学習開始年齢が遅いからだという根拠のない解釈に飛びついて、英語教育の開始年齢をさらに引き下げて、小学校3年生からの英語教育開始を決めました。結果はまだ出ていませんが、英語力を含めてすべての学力が低下することになるだろうと僕は予測しています。

なぜそんなことが起きるのか。それは言語政策を起案している日本の政治家や官僚や学者たちが「言葉を使う」という営みの複雑さを知らないからです。

彼らは言語というものを自転車や計算機のような「道具」だと思っている。こちらに道具を操作する主体がいて、あちらに道具がある。性能のよい道具を手に入れ、操作技術に習熟すれば仕事が捗る。そう思っている。

でも、それは違います。言葉は道具じゃない。僕たちが言葉を使うというより、僕たち自身が言葉で作られているのです。僕たちが言葉を支配しているのではなく、むしろ僕たちが言葉によって支配されているのです。

言葉は僕たちの血であり、肉であり、骨であり、皮膚である。それがどのような質のものか、どのようなかたちのものか、どのような特性を持ったものかによって、僕たち自身のものの考え方も、感じ方も、生き方もすべてが影響を受ける。

英語を巧妙に操れるようになるということは、「英語を母語とする種族のものの考え方、感じ方」をわが身に刻み込み、刷り込んでゆくということです。そのことの重大さに人々はあまりに無自覚だと思います。

アメリカの植民地であったフィリピンでは英語が使えないとビジネスマンとしても公務員としても教師としてもジャーナリストとしてもよい職には就けません。だから、地位のある人たちはみんなみごとな英語を話します。

フィリピンの生活言語はタガログ語です。でも、タガログ語ではビジネスをすることも政治や経済について語ることもできません。そのための語彙が母語にはないからです。

フィリピン人のある大学の先生がこう語っていました。「英語で話せることは実利的(practical)であるが、母語では話せないことは悲劇的(tragical)だ。」

なぜ悲劇的であるのか。それはこのような言語環境に置かれている限り、フィリピン起源の政治理論や芸術運動が出現する可能性が絶望的に低いからです。

知的なイノベーションは(ほとんどの場合)母語による思考から生まれてくるからです。
母語が痩せ細っていれば、知的なイノベーションは始まらない。

例えば僕たちは母語でしか新語(neologism)を創ることができません。新語というのは、勝手に作れるわけではありません。条件があります。それは生まれて初めて耳にした語であるにもかかわらず、聞いた瞬間に母語話者たちにはその語義もニュアンスもわかるということです。だから、あっという間に広がる。これは外国語ではできません。自分で新語を作ってみても(例えば、不規則変化は覚えるのが面倒だからこれからは“I went”ではなく”I goed”にしようと僕が提案してみても)「そんな言葉はない」と冷笑されるだけです。

新しい言葉を創れないということは、新しい概念や新しいロジックを創ることができないということです。創造的なアイディアが思い浮かんだ時のことを思い出せばわかります。それは「喉元まで出かかっているのだけれど、まだ言葉にならない」というもどかしさを伴う経験です。アイディアは身体の奥の方から泡のように湧き出てくるのだけれど、まだはっきりしたかたちをとることができないでいる。最終的にそれなりの言葉になるのですけれど、それは手持ちの言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、これまでそんな語義で使った前例のない使い方をしたことでようやく達成されます。創造的な概念がかたちをとる時には母語もまた変容する。知的創造と母語の富裕化は同期する。

言葉を使うというのは、そういう力動的なプロセスなのです。道具を使うのとは違います。

鋏を手に持っている時にその新しい使い方を思いついたら、鋏がその思いに合わせて形状を変え、材質を変え、機能を変えるということはあり得ません。その「あり得ない」ことが母語においては起きる。それを考えれば、母語の運用がいかに生成的なものであるかが想像できると思います。そして、この知的創造は(例外的な語学の天才を除けば)母語によってしかできません。既存の言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、たわめたり、それまでにない新しい語義を盛り込んだりすることは母語についてしかできないからです。

ですから、母語が痩せ細るというのは、その言語集団の知的創造にとっては致命的なことなのです。

植民地帝国はどこでも自分たちの言語を習得することを植民地現地人たちに強要しました。

宗主国の言語は強国の言語であり、当然「グローバル」な言語であるわけですから、植民地化された人たちはそれを習得したことで、政治的にも経済的にも学術的にも実力をつけて、国際社会の中で以前よりは高い地位に達してよいはずです(日本の英語政策はまさにそのような発想に基づいて実施されています)。

でも、歴史はそのような実例を一つも教えてくれません。

なぜ宗主国は植民地に「グローバルな言語」の使用を強要するのか。

それは宗主国の言語を習得した植民地人たちには母語を富裕化する動機が失われるからです。そして、母語が痩せ細ると知的創造の機会が失われる。

植民地人たちは、自分たちの歴史的現実について語ろうとする場合でさえ宗主国のロジック、宗主国の歴史観、宗主国の世界戦略に即してしか語れないようになる。父祖伝来の「家産」的な生きる知恵と技術を伝え、それに即して生きることができなくなる。母語が痩せ細るというのはそういうことです。

僕が「クリエイティブ・ライティング」という授業を始めたのは、「グローバル化」潮流の中で日本語が痩せ細り始めているということに強い危機感を抱いたからです。

でも、母語を豊かなものにすることは集団の知的創造性において必須であるということが言語政策を考えている人たちには理解されていません。その結果、日本の知的生産力は21世紀に入ってから急激に劣化しました。

一昨年の秋にはForeign Affairs Magazine が昨年春にはNature がそれぞれ日本の研究力の劣化について長文の分析記事を掲載しました。それほど危機的な状況であるのにもかかわらず、日本の教育行政はすでに失敗が明らかになった「グローバル化に最適化する教育」をさらに加速させる政策をいまも次々と採択しています。これは日本の知的生産力に回復不能の傷をもたらす結果になるでしょう。

誤解して欲しくないのですが、僕は外国語教育の重要性を否定しているわけではありません。僕自身は最初に中学生で漢文と英語を習い、大学ではフランス語を集中的に学びました。その後は(どれもものにはなりませんでしたけれど)ドイツ語、ラテン語、ヘブライ語を独学しました。去年からは韓国語の勉強も始めました。新しい外国語を学ぶとは、異国の人々の自分たちとはまったく異なる宇宙観や倫理規範や美意識に触れることです。それによって自分の母語的偏見が揺り動かされることに僕はいつも深い驚きと喜びを経験しています。そして、これらの外国語との触れ合いは間違いなく僕の母語運用能力を高め、もし僕が母語においてなにごとか知的創造を果たしたとすれば、それに深く関与したと思います。

でも、いま「グローバル化」の名の下で行われているのは「母語的偏見を揺り動かされる」ような生成的で鮮烈な経験ではありません。「英語ができないと出世ができない、金が稼げない、人にバカにされる」というような怯えに動機づけられた外国語との出会いが生産的なものになると僕にはどうしても思えないのです。

この本は「母語が痩せ細っている」という危機感の中で行われた授業の記録です。きっと韓国にも自国語の豊かさと創造性について、僕に似た危機感を抱いている人がいるのではないかと思います。そういう人たちにぜひ読んで欲しいと思います。
http://blog.tatsuru.com/


チェスタトンの外国語論 早期英語教育は有害


グローバリストの奴隷育成

  文部科学省の中央教育審議会で子供に英語教育を施す環境作りを議論しているそうだ。(『日本の議論』「英語」は本当に必要なのか / 産経新聞 2014年12月20日) 平成28年度にも改定される新学習指導要領では、小学生高学年から英語が科目として導入されるんだって。高校生には英語で討論や交渉力を高めるような教育方針にするという。まったく役人ってのは、どうして余計なことだけでなく、邪魔な改定をするのだろう? 小学生に英語教育など不必要だし、他の教科の時間を削るから有害である。どうせ現場の教師はてんてこまいになって、やる気のない子供は無理強いされてふくれっ面するだけだ。多少興味を示す子供だって、たかが数時間の授業だから挨拶程度でおしまい。すぐペラペラ喋れると期待した子供は授業に失望するだろう。かくして英語の授業はお遊戯の時間となって、子供の学力はみるみる低下するだけ。したり顔のお役人様にいい英語を教えましょう。
Bloody fool, arsehole ! (アホんだら)

  文部官僚や学校教師は立場上の損得勘定をしているから脇に寄せといて、肝心の子供はどのような意見をもっているのか。ベネッセが6200人にアンケートした調査によれば、中高校生の90パーセントが仕事で英語を使うようになる、と予測していることが分かった。テレビや雑誌、学校などで英語の必要性が宣伝されているから当然だろう。しかし、「自分自身が英語を使うイメージがあるか」との問いに対しては、中学生44パーセント、高校生46パーセントが「ほとんどない」と答えたそうだ。具体的な仕事に就いていない生徒に、切迫した現実的必要性はないだろう。

  ところが、英語教育を推進したいのは財界だ。経団連からやって来た三宅龍哉委員は、海外に社員を派遣するときに企業が英語教育をせねばならぬ、と不満の意見を述べた。要は企業が英語教育費を負担することになるから、学校の方(税立施設)で費用と時間を持ってくれ、と要求しているのだ。虫のいい提案だろう。

  もっとけしからんのは、元入試センター教授の小野博・福岡大学客員教授だ。小野氏は「社会情勢の変化により日本企業のアジア進出が更に拡大したり、逆に移民を受け入れるなど、今後日本社会は変化を余儀なくされる可能性が高い。英語は必ず必要になる」と断言したそうだ。こういう馬鹿が教授になっているのだから、いかに大学が堕落しているか分かるだろう。イギリス人が日本に移住してくるわけがなく、おもに英語圏のアジア人を想定しているのだろう。たとえば、フィリピン人のためにどうして我が国の子供が英語を勉強せねばならぬのか。フィリピン人が移民せぬよう防ぐことの方がよっぽど重要である。「社会情勢の変化」という“まやかし”の言葉を用いるところなど、小野氏には如何にも詐欺師的匂いがする。まるで彼は国境を破壊してアジア人を引き入れようとするグローバリストの手先みたいだ。

  小野氏のような腰巾着を登用する財界と役人は、日本人労働者の生活水準をアジア人並(つまり奴隷状態)に下げて、低賃金でこき使いたいだけだろう。そのために小学生から低賃金労働者にすべく、税金を使って調教しようとする肚は見え透いている。国際企業にとりアジアはリスクが高い。社会インフラが貧弱だったり、政情不安で暴動を気にせねばならない。せっかくの投資がパーになったら大変だ。安全で便利な日本で製品を作りたい。日本にインドやシナ、フィリピンから安い労働者を輸入して、利益を最大限まで上げたい。その時、日本人労働者がアジア人と共同して作業できるために、共通語たる簡単な英語が必要なだけだろう。その英語だって簡単な単語を並べて、お互いに推理しながらの意思疎通だ。

  じゃあ聞くが、英語を社員に強要する社長や重役たちは本当に英語で会話しているのか? そんなに英語力が重要なら、英米の有能人物を雇えばよいだろう。そんなこと言ったらお偉方は沈黙。つまり、自分たちは“日本人社員”に向かって、“日本語”で言いたい放題の指図をしたいが、社員どもは雑談でさえ英語を使えと命令するのだ。ユニクロや楽天の社員はどう思っているのだろうか? 日本語では傲慢な態度の重役らは、英米の白人社員の前だと、そのお粗末な英語を披露せねばならぬから、態度が急変して作り笑顔になることがよくある。彼らは同期の重役仲間とは、日本語で会話しながら“のびのびと”ゴルフを楽しむ。ゴルフ場が会議室。英語で雑談などしない。二極分化している日本では、上流階級の子弟は、進学校で英才教育を受けながら日本語で会話をし、低能教育しか受けていない低賃金労働者は、社会の底辺から抜け出せぬ人生を送り、職場ではブロークン英語を強要される仕組みが出来上がる。

怨みのこもった英語教育熱

  日本人が「英語だ、英会話だ」と騒ぐ原因は、多くの国民に学校での英語教育に対する怨みがあるからだろう。十年間くらい勉強したのに、イギリス人やアメリカ人の前でちっとも流暢に喋れないどころか、外人の話を聴き取ることすらできない。そうした若者が親になったら、自分の子供だけは違った教育で英語を流暢に話せるようにさせたい、などと決意して欧米系のインターナショナル学校に入れたりするのだ。勉強が出来なかった親に限って、お金で環境さえ整えれば我が子は自分と違った秀才になると思っていやがる。ばぁーか。蛙の子はカエルだ。日本では英語が喋れるくらいで、自慢になり仕事がもらえる。日テレで英語を披露していた関根麻里という藝人(何の藝かな?)は、米国なら単なる小娘だからテレビに出られない。オヤジの関根勤のほうがよっぽど外国で通用する。だってカマキリ姿でギャグをする藝人の方がアメリカ人にとって面白い。(若きラビット関根の十八番。ただし娘の番組は一度しか観ていないので詳しく語れない。ゴメンなさい。) つまり、子供にはまづ中身のある教育を施し、立派な日本人に育てることが優先事項である。

  元NHKワシントン特派員だった日高義樹の英語なんて酷かった。テレビ東京のレギュラー番組で、ヘンリー・キッシンジャーにインタヴューしたとき、日高氏は、たんに自分の英語を自慢したいがために、通訳を附けずに対談していた。もともと教養がない日高氏が、不慣れな英語を使って鋭い質問など出来るはずがない。台本通りの質問を得意げに吐いていたから、視聴者はつまらないし、どうでもよくなってシラケてしまう。日高のアホは英語より先に政治や歴史を勉強しろ。むかしソニーが輝いていた頃、盛田昭夫会長の話は傾聴に値するものだった。彼の英語は拙(つたな)くても、思わず聞きたくなるようなモノだった。盛田氏の個人的魅力があったからかも知れないが、彼は米国で信念と情熱を込めて中身のある議論を交わしていたのだ。対話しているアメリカ人は、極東アジアから来た英語を喋る九官鳥ではなく、背骨の通った日本の国士を相手にしていたのである。

  つい最近、エアー・バッグ製造のタカタが、缺陷(けっかん)製品のリコール問題で社長が米国の公聴会に召喚され弁明していた。しかし、彼の英語はどちらかと言えば下手で、筆者は大企業の社長でもこの程度かと思った。(詳しく言えば、話す英語にリズムや強弱がないのだ) 大切なのは弁明の中身であり、誠意を示す表現なり態度である。見え透いた嘘を流暢な英語で語っても、アメリカ人は感心しないのだ。個人的魅力がない日本人がいくら英語を喋っても、そのへんのパンク野郎か乞食と同じだろう。日本人は人格形成を蔑ろにして、簡単な英語で空虚な会話を習得しようとしている。せっかく英語を習得したのに、アメリカ人から「へぇー、英語上手ね。あんた香港からの支那人?」て尋ねられたら、日本人は「何を無礼者」と怒るだろう。語学より大切なことがあるのだ。

英語学習より英国史が先

  数学教育についても言いたいことがあるが、今回は語学教育に限って述べたい。日本人が英語を勉強するときには、何らかの目的があってのことだろう。子供はいったい英語で何がしたいのかがはっきりしないまま、学校で英語を詰め込まれるのだから、英語嫌いになって当然だ。日本の公教育は子供に勉強が嫌いになるようプログラムされている。「そんなこととないぞ。こっちとら、一生懸命頑張ってるんだ」と教師は反論するだろう。でも、スクールがギリシア語の「スコラ(σχλη)」から由来することは周知の通り。つまりギリシア人は日常の雑用や仕事を奴隷にやらせて暇だから、みんなで集まって宇宙や地球の構造や摂理を探求するといった趣味に興じていたのだ。だから、幾何学や哲学、論理学といった学問をあれこれ討論しても、定期テストや入試なんか持ち出さなかった。もちろん最低限の基礎知識は必要だ。まったくの素人では議論にならない。ただ、船大工なら親方が新入り職人をテストすることはあっても、プラトンやソクラテスが哲学の議論で仲間に学期末試験なんて課さない。謂わば「オタク族」の集まりにそんなの要らないのだ。しかし、現在の学校では、子供を将来の労働者にすべく、効率的に職業訓練を施したいから、実力試験を課して達成度を測りたいのである。食肉にされるブロイラーが餌と抗生物質で効率的に飼育されるのと同じ要領。家庭で日本語を話している小学生や中学生が、いきなり外国語を強要され、試験でランクづけされたあげく、もっと勉強しろと命令されたら楽しいはずがない。一週間にたった数時間の授業で文法(syntax/grammar)や発音が全く違う言語を習得するなど無理。苦痛のみが増幅するだけだ。一方、ヨーロッパ人にとって英語は姉妹語だから簡単(gravy)である。

chesterton 1  ここで、英国の有名な偉人ギルバート・K.・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton)を紹介したい。筆者も大好きなイギリス人批評家で、日本でも人気の高い碩学の知識人である。チェスタトンは『デイリー・ニューズ』紙に『歴史VS.歴史家』という文章を掲載した。若いときに彼は、「学校に通っている児童には歴史のみを教えるべし」と喝破した。(G.K.Chesterton, History Versus the Historians, Daily News, 25 July, 1908, in Lunacy and Letters, ed. by Dorothy Collins, Sheed & Ward, London, 1958, pp.128-129) チェスタトンが暴論に思えるような意見を述べたのは、当時の古典科目ではラテン語の習得は必修であったからだ。そしてラテン語の教授方法に苦言を呈したのである。「少年は単にラテン語を学ぶだけではラテン語の重要性は分からぬ。しかし、ラテン人の歴史を学ぶことで、それが分かるであろう。」とチェスタトンは提案したのだ。(ラテン人とはローマ人を指す。)

  さすがチェスタトンの炯眼(けいがん)は鋭い。彼が言うには、アウステルリッツ(Austerlit)という地名を地理の授業だけで覚えることはナンセンスだ。単なる計算を学ぶ算数の授業だって同じこと。しかし、フランス皇帝ナポレオン1世が、アウステルリッツでオーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ皇帝フランツ2世)とロシア皇帝アレクサンドル1世を相手に干戈(かんか)を交えた一大決戦(Bataille d'Austerlitz)となれば話が違う。子供だって大物武将三人が睨み合った三帝会戦(Dreikaiserschlacht)なら、教師の話を手に汗握って聞き入るだろう。日本の子供も桶狭間の戦いや川中島の合戦の話は面白い。弱小藩の織田信長が“海道一の弓取り”今川義元の首をとった逆転劇はスリル満載。智将の上杉謙信と猛将の武田信玄がぶつかった戦の講談は大人だって楽しい。砲兵出身の名将ナポレオンが計算をしたり、地図を見ながら策を練る姿を聞けば、子供たちも地理と算数に興味が沸くだろう。

  チェスタトンは一件無味乾燥な科目でも、その背景を教えてもらえば、子供が“知的好奇心(intellectual curiosity)”が芽生えることを指摘しているのだ。幾何学が嫌いな生徒でも、十字軍のロマンティクな物語やサラセン人の世界を知れば、そのへんてこな数字の羅列に興味を示すかも知れない。(ギリシアの「幾何学Algebra」は中東アジアを経由して西洋に導入されたから。) 英語では「何が何だか分からぬ(It's Greek to me.)」と表現して、ギリシア語などイギリス人には「ちんぷんかんぷん」だろうが、ギリシア人の文化藝術を知れば、その難解な言語を学びたくなる。チェスタトンは、「歴史はすべての学問を、たとえ人類学でも人間臭くする」と言う。「人類学」を人間に親しみのある学問にするとは、いかにもチェスタトンらしいヒューモアだ。

  日本人が外国語習得について考えてみれば、おかしな事に気づくだろう。朝鮮を統治していたのに朝鮮語を喋れる半島在住の日本人(内地人)がほとんどいなかった。朝鮮総督府の役人でさえ、朝鮮語を学ぼうとする者が滅多にいなかったのだ。理由は簡単。馬鹿らしいから。朝鮮人なんて不潔で下劣な民族の言葉をどうして一流国の日本人が学ぶ必要があるのか。初めて見る糞尿だらけの極貧国に、日本人が憧れるような文化はない。朝鮮に渡った日本の知識人だって、儒教を朝鮮人から学ぼうとは思わなかった。小便さえ自分でしなかった両班の姿を見れば笑ってしまうだろう。日本人にはアカンタレと乞食が何を話そうが興味ない。ロシア語なら陸軍将兵も必要を感じたから学ぶ者がいたし、ドイツ語は尊敬するドイツ陸軍とドイツ文化の言葉だから、強制されなくても日本人は進んで学んだのである。現在、支那語に人気がないのは、支那人を見れは納得できる。だって、支那人と話して嬉しいのか?

  我々日本人が英語を学ぶときは、まづ英国史を勉強すべきだ。特殊な職業を目指す子共は別だが、語学能力を本業とせぬ一般の日本人は、イギリス人が如何なる歴史を送ったのか、どんな功績を残したのか、彼らはなぜ大帝国を築くことが出来たのか、などを知るべきだ。そして興味をそそられた者が、イギリス人を自分で理解するために英語を専攻すべきだ。大学入試のためだけの英語とは違い、そこにはイギリス人が感じた事を彼らの言葉で自分も感じることができる喜びがある。こうした語学勉強なら一生続けられるだろう。「ハロー、レッツ・スピーク・イングリッシュ」なんて謳う幼児英会話教室は要らない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68281664.html

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html


詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。

アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

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(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

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(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

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(写真 / フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )

  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c166

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
167. 中川隆[-12559] koaQ7Jey 2018年5月24日 02:23:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

自ら発展途上国化しようとしている日本

英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) – 2015/7/17
施 光恒 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E5%8C%96%E3%81%AF%E6%84%9A%E6%B0%91%E5%8C%96-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%8A%9B%E3%81%8C%E5%9C%B0%E3%81%AB%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%BD-%E5%85%89%E6%81%92/dp/4087207951

我が国を長期的に亡国に導く可能性がある衝撃的なニュースが報じられていた。


『ホンダ、英語を公用語…日本人だけなら日本語も
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150705-OYT1T50040.html


 ホンダは2020年を目標に、英語を社内の公用語にすることを決めた。
原則として、外国人の社員が参加する会議や、本社と海外拠点で共有する文書では、英語を使う。自動車業界はグローバル化が進んでおり、英語の公用語化によって、社員同士の意思疎通を円滑に進めることを目指す。

 基本的には、外国人社員が一人でも会議に出席していたり、本社から海外拠点に指示したりする場合には英語を用いる。ただし、外国人社員が出席しない会議や、現地の従業員だけが共有する文書は、これまで通り日本語や現地の言葉を使うなど柔軟に対応する。

 現在、本社と海外の現地法人の電話会議は、主に日本語で会話しており、日本人の駐在員しか出席しない場合が多い。駐在員が会議の内容を英語に翻訳して外国人従業員に伝えるため、手間がかかり、本社の意図を正確に伝えられないこともあったという。』

 これで、ホンダは「日本企業」であることをやめたも同然です。そして、日本語環境で高度な思考を巡らせ、製品開発や販売戦略を練ってきた日本人社員が英語を強制されることで、意思疎通は更に悪化し、需要に応える自動車を作るという意味における、真の意味の「ホンダの競争力」は凋落していくことになるでしょう。


 ホンダを含む「英語の公用語化」などと愚かな実験を始めた全ての日本企業の経営者、社員に読んで欲しい一冊があります。7月17日に発売になる、施光恒先生の「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 」です。


自由、平等、そして民主主義の「基盤」となっているのは、何でしょうか。

国民の言語です。


 国民の言語が統一されていることで、人間は、
「多数の選択肢に実際にアクセスし、その中から選ぶことができる」
 という意味における自由を手に入れます。日本が、

「英語が公用語。日本語は現地語」

 といった状況だと、我々日本国民の人生の選択肢は相当に狭まってしまうでしょう。すでにして、「英語が分からなければ、ホンダで働けない」と、自由の制限が始まっているのです。


 また、言語が統一されていれば、
「グローバル言語(かつてはラテン語。今は英語)を話す人と、現地語(あるいは土着語)で話す人」
 といった格差が生じ、平等が破壊されることが防げます。そして、日常生活で使う言葉や語彙で「政治」を話し合うことができて初めて、民主主義が成立するのです。 


 施先生が本書で例に出されていますが、ベルギーは1830年の建国以来、異なる言語を使う人々の間で連帯意識をいかに醸成するか、苦労に苦労を重ねてきました。結局、言語が異なる国民同士の連帯意識を高めることは不可能に近く、現在は南部と北部の対立が先鋭化し、選挙のたびに国政が停滞する(政権が発足できない)状況が続いています。(最近では、言語問題に輪をかける形で、移民問題を抱えているわけです)


 母国語を捨てることは、自由や平等、そして健全な民主主義が存在する社会を諦めることなのです。
 
 そもそも、「グローバルな言語(現在は英語)」が公用語的になっており、人々が日常的に話す言葉が「土着語」「現地語」と呼ばれ、高等教育を母国語で実施できない国のことを「発展途上国」と呼ぶのです。


 ビジネス界のみならず、我が国では小学校の英語教育の早期化や、大学教育の英語化が始まっています。すなわち、自ら発展途上国化しようとしているわけで、これほど愚かな国は世界に類例を見ないのではないでしょうか。
 
 人類の進歩というものがあるとしたら、それは施先生も書かれていますが、「翻訳と土着化」で進んできました。欧州を近代化させたのは、間違いなくグローバル言語(ラテン語)で書かれた聖書の各国語への翻訳と土着化です。聖書が英語やフランス語、ドイツ語に翻訳され、概念に基づき語彙が増えていき、各地の「国民」は母国語で世界を、社会を、神を、人生を、哲学を、政治を、科学を、技術を考えられるようになったのです。結果、欧州は近代化しました。


 日本の近代化は、それこそ「明治産業革命」時代の翻訳と土着化により達成されました。外国語をそのまま使うのではなく、概念を理解し、日本語に翻訳する。適切な言葉がないならば、作る(日本語は漢字で表現されるので、非常に便利です)。


 科学、哲学、個人、経済、競争、時間といった言葉は、日本語に適切な訳語がないため、造語されました。自由、観念、福祉、革命などは、従来の漢語に新たな意味が付加されました。


 日本が先進国なのは、先人が「英語を公用語化する」(そういう話は何度もありました)という愚かな選択をせず、「総てを母国語で」を貫いたおかげです。結果的に、恐ろしく柔軟性(これも幕末以降の造語ですが)に富み、抽象表現が幅広く使える日本語により、世界に冠たる文明(これも造語)を築き上げることに成功したわけです。


 確かに、日本人は英語が下手ですが、当たり前です。そもそも日常生活で英語を使う必要が全くなく、母国語で素晴らしい文化(これも造語)を花開かせているのです。英語が巧くなるわけがありません。とはいえ、何度か書いていますが、「日本語」以外でワンピースやコードギアスやシュタインズ・ゲートが生まれると思いますか? 絶対に、無理です。


 逆に、「現地住民」が英語を学ばなければならない国は、母国語のみでは生活できない発展途上国なのでございます。この種の国の国民が、母国語のみで生きていけるようになったとき、初めて「先進国」になるのです。


 というわけで、施先生がメルマガなどでも書いて下さったように、我が国は各国が、
「英語が下手でも普通に生きていける国」

 になるよう、支援するべきなのでございます。それにも関わらず、我が国は自ら「英語を学ばなければ、生きていけない国」を目指しているわけで、このあまりにも愚かな動きに対し、断固反対していかなければなりません。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12047937948.html

【施 光恒】英語化と「国のかたち」 2015/07/10


7月17日に、『英語化は愚民化──日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)という新しい本を出します。
http://www.amazon.co.jp/dp/4087207951/ref=zg_bs_492118_4


中身は、日本社会で進む英語偏重の流れや、その背後にあるグローバル化を筋道立てて批判したものです。

しかし、英語偏重の流れは、止まりませんね。三橋さんも先日触れていらっしゃいましたが、楽天、ユニクロだけでなく、ホンダも、企業内の公用語を英語にするらしいですね。

昨日もそれに関連する下記のような記事がでていました。

「ホンダ「も」導入した英語公用語化──「オフィスは英語」が日常の風景になるのか」(『日経ビジネス ONLINE』2015年7月9日付)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/070800028/?P=1

小学校での英語正式教科化も、2020年から始まる予定です。7月6日の『朝日新聞デジタル』では、小学校での英語教育推進の是非についてのさまざまな意見が特集されていました。

「早期の英語教育、改めて考える 反響をもとに取材」(『朝日新聞デジタル』2015年7月6日)
http://www.asahi.com/articles/ASH6T6486H6TUTIL03Y.html

日本語も覚束ないような幼い時から「英語、英語」ということには、上記の記事にあるように反対意見も多々出されているのですが、文科省など行政は、着々と、英語化を進めています。

小中学校で外国人教師を採用したり、小学校教員の採用試験を英語重視に改めたりするようです。

「教員採用試験でも広がる「グローバル化」──英語教育の充実で」(『Benesse教育情報サイト』2015年7月2日)
http://benesse.jp/blog/20150702/p1.html

私が「おっかないな」と思うのは、こうした英語偏重の「改革」が続けば、あるどこかの時点で「閾値」を超え、ダーッと日本社会の英語化が進んでしまうのではないか、ということです。

その「閾値」というのは、多くの日本人が、「英語ができなければ、子供たちが将来、よい教育を受けられないし、よい職業にもつけず、みじめな思いをしてしまうだろう」と実感してしまう時点だと思います。

この時点を迎えてしまえば、たとえ個々人が「ここは日本なのだから、英語よりもまず日本語が大切だ」と考えていたとしても、あまり関係ありません。自分の子供が将来、つらい思いをするかもしれないと心配になってくれば、大部分の人は、自分の考えはどうあれ、子供にともかく英語を身に付けさせるようになるでしょう。

この「閾値」となる時点は、すでにすぐそこまで来ているのではないかと思います。

今回のホンダの企業内英語公用語化のニュースも、この時点の到来を早めるものの一つでしょう。

それに政府は、小学校の英語正式教科化や、大学の授業の英語化など、英語偏重の教育改革に躍起になっています。

全国の小学校で英語が正式教科となってしまえば、当然、私立や国立の中学入試でも、英語が必須科目となります。

「コミュニケーション重視」「実用的英語力重視」のご時世ですので、中学受験で英語の面接などが導入されるところが増えるのではないでしょうか。

そうなれば、教育熱心な家庭では、小学生のときから、アメリカやイギリス、あるいはフィリピンなどの英語圏に留学させることが流行すると思います。少なくとも、夏休みに、小学生が語学留学するのは、ごく一般的になるはずです。

また、下村博文文科大臣は、平成25年の第四回産業競争力会議で、「世界と競う大学」を作るために、「今後10年間で、大学の授業の5割以上を英語で実施するようにすべきだ」という成果目標を提案しています。
(-_-;)

「人材力強化のための教育戦略」(「第4回 産業競争力会議配布資料 下村文部科学大臣提出資料」平成25年3月15日)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai4/siryou7.pdf
(PDFファイルが開きます。上記の成果目標は、6ページに記載されています)。

「小学生の間にある程度、英語を身に付けていないと、よい中学に入れない」「英語ができないと、よい大学で学べない」「将来、良い仕事にも就けなくなってしまう」と思う日本人が、遅くても10年足らずの間に急速に増えることが予想されます。

財界の一部や、その意を受けた政府が、(日本人の税金を用いて)政策として日本社会の英語化を進め、「国のかたち」を変革しようとしているわけです。

この変革は、ある程度まで行ってしまい、「英語ができなければ、子供たちが惨めな境遇に追いやられる」と多くの人が実感するようになれば、それから先は、半ば自動的に日本社会の英語化は加速度的に進んでいくようになります。

その先に待っているのは、英語能力の格差が経済的なものに反映される著しい格差の拡大であり、「英語族」と「日本語族」との間の国民の分断であり、日本語があやしく日本人的な感覚も持ち合わせていない新世代の「エリート」による、よそよそしい政治であると思います。
(´・ω・`)

なぜ、日本社会の英語化というバカな流れが止められないのでしょうか。

一つの理由は、現代人の多くが、「グローバル化は時代の必然的流れであり、抗うことはできない」「英語化も時代の不可避の流れだから、しょうがない」というような奇妙な歴史観にとらわれてしまっていることにあるように思います。

拙著『英語化は愚民化』では、まず、この奇妙な歴史観の検討と批判から、話を始めています。

「グローバル化・英語化は時代の流れだから、しょうがない」という無力感にとらわれず、「たとえ英語ができなくても、子供たちは、高いレベルの教育をきちんと受けられ、よい仕事にも就ける。様々な機会を享受できる。惨めな思いなどしなくてもよい」という日本を守っていかなくてはならん。そういう思いから、拙著を書きました。

書店に並ぶようになりましたら、ぜひ手に取ってご覧くだされば幸いです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/category/seteruhisa/

本日は先日来ご紹介して、異様に反響があった施 光恒先生の「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 」発売日でございます。わたくしはゲラ段階で拝読させて頂き、献本いただいて再度読んだわけですが、つくづく「良書」でございます。

 というわけで、あまりネタバレしたくはないのですが、一つだけ、
「なぜ、現在の日本国において、曲がりなりにも民主主義が成立しているのか」
 について、施先生の考察を書きたいと思います。


 民主主義が成り立つためには、国民が政治的な概念、言葉、定義を共有し、議論をする必要があります。政治の語彙(ボキャブラリー)がない人は、政治について語ることはできません。


 例えば、現在の永田町では「防衛という安全保障」を巡る議論(一応、議論としておきます)が活発化していますが、これは「防衛」「安全保障」といった概念を、日本国民が日本語で語ることが出来なければ成り立たないのです。日本語に「防衛」「安全保障」という語彙がない場合、日本国民は防衛や安全保障について議論することはできません。


 その状況で、民主主義が成り立つでしょうか。もちろん、無理です。


 というわけで、民主主義をこよなく愛する(はずの)朝日新聞は、今こそ「反・英語化」の路線を採るべきなのです。日本の政治が「英語」なしでは議論できない状況になった日には、間違いなく我が国の民主主義は終わります。政治は、英語を解する一部の特権階級のものとなり、「土着語」である日本語を話すマジョリティの国民は、政治について語ることが不可能になってしまうのです。


 母国語で、つまりは日常的に使う言語で「政治」について、一般の国民が話し合うことが不可能な国では、民主主義は成り立たないのです(実際、成り立っていません)。我が国が「国民が主権を持ち続ける国」であるためにも、現在の「英語化」の動きには断固として反対しなければならないのでございます。


 日本国民は、江戸末期から明治初期にかけて、欧米から新たに入ってきた「概念」について、「翻訳と土着化」をして下さった先人に感謝するべきです。当時の日本人が、文化、文明、民主、自由、共和、経済、競争といった「概念」について、日本語を「造語」してまで翻訳して下さったおかげで、我が国は先進国になれたのです。すなわち、普通の日本人が文化やら文明やら、共和、民主、経済、競争といった「概念」を用いてコミュニケーション可能な国にしてくれたからこそ、日本は先進国となりました。


 無論、当時の日本人は概念の翻訳と土着化のみならず、より物理的な「技術」についても欧米から学び、「日本で生産可能」とするための投資を積み重ねました。まさに、その「遺産」こそが明治産業革命遺産なのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12051193178.html

施光恒・九大大学院准教授「英語押しつけで日本人は愚民化」
2015年8月3日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/878.html


■安倍政権は米国に追随したいだけはないか


 安倍政権は安保法制で何を守ろうとしているのか。根本的な問いかけをしている話題の書が、施光恒・九大大学院准教授が著した「英語化は愚民化」(集英社新書)である。米国の繁栄を前提に、とことん米国に追随しようとする安倍政権は安保政策やTPPで尻尾を振るだけでなく、ついには英語の事実上の公用語化に動き始めている。英語教育の充実は当たり前のように思われがちだが、それによって、強制的に国の形、文化、働き方が変えられてしまう恐れがある。その先に何があるのかを著者に聞いた。


――タイトルは非常に刺激的というか、英会話ブームの今の日本の風潮を真っ向から否定するものですね。この本を書かれた動機は?


 楽天やユニクロが社内の公用語を英語化したでしょう? 同じ頃、安倍政権が日本社会全体を英語化する政策を推進し始めた。たとえば、産業競争力会議の下にあるクールジャパンムーブメント推進会議は「公共の場での会話は英語のみ」という英語公用語特区をつくる提言をしました。日本国内であるのに日本語を「使ってはいけない」区域をつくるという信じ難い提案です。教育行政でも、英語による授業の割合を増やす大学には巨額の補助金を与えるようになり、文科省は一流の大学は10年後に5割以上の授業を英語化せよ、とまで一昨年言っている。その背景には、グローバル化の時代なのだから仕方がないという発想があるのですが、本当にグローバル化の流れは必然なのか、良いことなのか。その波に乗ることで、日本の強さの基盤が破壊されることはないのか。そうした根源的な疑問を持ったんですね。


――小学校でも間もなく英語が正式教科になりますね。


 そうなれば、中学入試の科目に英語が入ります。教育熱心な家庭は小学生を英語圏に短期留学させるでしょうね。父親は日本で稼ぎ、母子は外国で暮らす。そうやって英語が上達した子が、日本のエリートと目されるようになる。しかし、こうした英語偏重教育は当然、日本語の力に跳ね返ってくる。母国語である日本語が怪しいエリートたちに、果たして深い思考ができるのだろうか。英語はできるが思考力のない植民地エリートのような人々が仕切る政治や行政は、一般の国民が求めるものとはかなりずれたものになる。これが怖いのです。


――こうした英語化推進は「国家百年の計の過ちである」と書かれていますね。


 ビジネスや大学教育など日本の社会の第一線が英語化されてしまうと、どうなるか。英語がしゃべれるか否かという教育格差が、収入など経済的格差に直結し、究極の分断社会が誕生します。どんなに他の能力が高くても英語力を磨く余裕がないというだけで、中間層の人々は成長したり、能力を磨いたりする機会を奪われる。日本の誇る中間層が愚民化を強いられ、没落するのです。また、日本語が高度な議論の場で使われなくなれば、日本語そのものも最先端の用語を持たない遅れた言語となり、国民の愚民化に拍車が掛かる。一方で、英語がしゃべれるだけのエリートもまた、深い思考力や洞察力を持てないから日本全体が愚民化していきます。


――でも、英語がしゃべれるようになるのは悪いことじゃないでしょう?英語化に熱心な楽天の三木谷さんは「第2公用語を英語にしたら、日本の経済はシンガポールのように超強くなる」と言っていますよ。


 英語化によって日本の知的中間層が衰弱したら、日本経済の再生など不可能です。ちなみにシンガポールは超格差社会で、民主主義国家ですらないのです。グローバル化の流れに乗れば、国民が幸福になるというのは幻想です。


――今の日本を覆っているのが、米国流のグローバルスタンダードに従うべきだという風潮です。


 安保法制にしても、TPPや英語公用語化の動きにしても、何が日本の利益になるのかはっきり見えない。結局、米国に追従したいだけではないか。こうした問題への対応を見ていると、今の政府が、まるで自分たちをアメリカ人であるかのように錯覚しているのが分かる。すでに植民地エリートになっているのかもしれません。


■英語しかしゃべれない植民地エリートが国を壊す

「安倍政権に強い危機感」と訴える施氏(C)日刊ゲンダイ


――英語を公用語化すれば、グローバル企業が参入し、日本人もそこで働けるというのが狙いなのでしょうが、この発想も植民地的ですね。


「経済的利益のためなら日本語をないがしろにしてもかまわん。言語はしょせんツールだから」と英語化推進派は思っているようです。しかし、経済的利益などあまりないし、それよりも何も、言語は私たちの知性や感性、世界観をつくっているのです。例えば、日本語は私、俺、小生などさまざまな一人称がある。時には子供の前で自分を指して『お父さんはね』などとも言う。相手を呼ぶ場合もあなた、君、おまえから、先生、課長などいろいろです。日本人は常に相手との関係を考えて話をする。それが互いに思いやる文化をつくってきた。一方、英語の一人称は常にIだし、二人称もYouだけです。英語を母国語とする人は、最初から自分が中心にいるのです。


――日本人の気配り、欧米人の自己主張。そういう民族性の違いは言語に起因すると?


 我々は言葉から自由になれないし、その言語がつくり出す文化に縛られているのです。たとえ英語がペラペラになっても、彼らの文化やルールの上で、米国人や英国人と対等に勝負できるかというとそうではない。結局、日本人がグローバル資本の奴隷になるだけです。つまり、英語はそこそこ話せるけれども高度な思考はできないといった、安価で都合のいい現地雇いの労働者の量産が狙いでしょう。


 非英語圏の星である日本までが英語化すると、世界全体も不幸になります。英語圏諸国を頂点に置くピラミッドのような「英語による支配の序列構造」がさらに強固になるからです。つまり、英語のネーティブの特権階級が上にいて、その下に英語を第2公用語とする「中流階級」ができる。その下に英語を外国語として使う「労働者階級」が存在する。そういうピラミッドが不動のものになる恐れがあります。


――このピラミッドの下の方から、日本人が抜け出すことは難しそうですね。


 この言語による不公正な格差構造のある世界を、日本人はグローバル社会と呼び、称賛する。グローバル化って、マジックワードなんですよ。本当は違うのに、進歩した世界に聞こえてしまう。役所でも、グローバル化対応予算などというと、すんなり通りやすくなる。


――村より国家、国家より地域統合体、理想は世界国家みたいな考え方ですね。しかし、EUは地域統合で行き詰まっていますね。


「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」で話題のフランスの歴史学者のエマニュエル・トッドは、グローバル化の進展に伴って、EU各国内での民主主義が機能しなくなっていると警鐘を鳴らしています。


――EUの閉塞状況こそを参考にしなければいけないのに、日本は周回遅れのランナーのように、グローバル化と叫んでいる。


 安倍首相は当初、「瑞穂の国の資本主義」というスローガンを掲げていたのに、真逆の方向に進んでいます。安倍さんのナショナリズムというのは日本の文化や言語を大事にするのではなく、米国がつくった評価システムの中で日本のランキングを上げるという発想です。私はそれをランキング・ナショナリズムと呼んでいます。米国の覇権を前提にして、日本がなるべく米国に近い位置を占めようとする発想です。


 グローバル化の荒波からいかに国民生活や文化を守るかが問われているのに、国民経済の安定を目指すべき経産省がグローバル化をあおり、日本文化を守るための教育を担う文科省が日本を破壊する英語公用語化の旗を振っている。米国への従属から脱する気のない政府に強い危機感を覚えます。
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/878.html


英語化は植民地政策だ 施光恒
9月 28th, 2015 by 月刊日本編集部.


英語化は植民地化政策だ

―― 施さんは『英語化は愚民化』(集英社新書)を上梓し、英語化に警鐘を鳴らしています。


施 結論からいうと、英語化は植民地政策の一環です。安倍政権は様々な面で対米従属を深めています。経済面ではTPP、軍事面では日米ガイドラインと安保法案、そして文化面でも英語化という形で対米従属が進行しているのです。

 しかし言語の問題は政治や経済とは訳が違います。国語は国家、民族、歴史、伝統、文化の根源だからです。

 フランスの作家アルフォンス・ドーデの小説『最後の授業』では、普仏戦争後にフランスからドイツに割譲されることになったアルザス・ロレーヌ地方の小学校でのフランス語の最後の授業が描かれます。そこで教師は児童にこう語りかけます。「フランス語は世界中でいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばんしっかりした言葉である。だから君たちはこれを守りつづけ、決して忘れてはならない。なぜなら民族が奴隷になったとき、国語さえしっかり守っていれば、自分たちの牢獄の鍵を握っているようなものなのだから」と。

 現在の英語化は「英語公用語化」といっても過言ではないほどです。このまま英語が日本語を駆逐していけば、私たちは「牢獄の鍵」をうしない、対米自立の道が断たれます。日本的なるものは滅びるか、滅びないまでも再起不能になり、そのあと日本列島に残るのはアメリカの植民地ということになってしまうのです。


―― それでは英語化の現状から伺えますか。


施 現在、日本社会全体で英語化が進んでいます。企業では今年7月、ホンダが楽天やユニクロに続いて社内で英語を公用語とすることを決定しました。

 教育分野でも同様です。政府は早ければ2018年以降小学校5年生から英語を正式科目とする方針です。さいたま市や岐阜市のように小学校一年生から英語の正式教科化を進めている地方自治体もあります。英語のみで英語の授業を行う「オールイングリッシュ方式」はすでに高校では導入されていますが、今後は中学でも採用されます。

大学教育については下村文科相が一昨年、一流とされる大学は、今後、10年のうちに5割以上の授業を英語で行うようにすべきだと述べています。また、文科省も「スーパーグローバル大学」構想なるものを打ち出すなどして、授業の英語化を進めるよう各大学の尻を叩いています。

その結果、京大は一般教養科目の2分の1の英語化を目指していますし、東大理学部化学科に至っては昨年秋からすでに全授業を英語に切りかえています。各学会でも、最近は「研究発表は日本語ではなく英語でやるべきだ」という風潮が強まっています。

 行政も例外ではなく、近い将来、国家公務員から地方公務員まで英語化が進む恐れがあります。今年度からはキャリア官僚になるための国家公務員総合職試験ではTOEFLの活用が始まりました。またTPPには「政府調達(公共事業の入札)」という項目があり、TPPに加盟すれば国家レベルの公共事業だけではなく、地方自治体レベルの小規模な公共事業も国際入札で行われるようになり、行政文書も英語化されていくでしょう。

 さらにクールジャパンムーブメント推進会議という政府の有識者会議は、公用語を英語とする「英語特区」を企画し、「公共の場での会話は英語のみに限定する」「販売される書籍・新聞は英語媒体とする」と提案しています。いわば「日本語禁止特区」です。自ら「アメリカの租界」を作っているようなものです。


英語化で日本の国力は地に落ちる

―― しかしグローバル化の時代を生き抜くには、英語力を高める必要があるという声が大きい。


施 いや、逆に英語化は日本の国力を落とすでしょうね。まず日本人の学力が格段に落ちる。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、中国や韓国の研究者から「どうしてアジアで日本だけが次々と受賞者を輩出できるのか」と尋ねられ、「日本人は母国語で専門書を読むことができるからだ」と思い当ったと話しています。

 本来、人間の可能性は母語の中でこそ最大化します。どんなに上手でも日本人にとって英語は外国語です。外国語である以上、英語で日本語より深い思考をすることはできない。スーパーグローバル大学は「世界レベルの教育研究」を行うために「英語で授業を行う」と謳っていますが、英語化は日本の知的レベルを下げる一方でしょう。

また政府は「グローバル人材」を育てて経済力を上げたいようですが、GDPの上位五カ国はアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスです。一方、英語を公用語として使っているアジア・アフリカ諸国のGDPは低い。

 そもそも英語力と学術や経済の力とを結びつける発想が間違っています。……
http://gekkan-nippon.com/?p=7080

【施 光恒】グローバル化は中世化 2016/03/18


拙著『英語化は愚民化』(集英社新書)で述べたことの一つに、

グローバル化やその文化面での表れとしての英語化は、

なぜか一般的には「進歩」とか「歴史の必然的流れ」とか思われていますが、

その実、全く逆で、中世的世界への逆戻りと考えたほうがいいのではないか

ということがありました。


中世ヨーロッパでは、ラテン語を話す聖職者や貴族などの各地の特権階級が一種の「グローバル・エリート」層を形成していました。そして、各地の未発達の土着語(英語やフランス語、ドイツ語などの元になった語)しか話せない庶民を、社会の中心から排除していたのです。

近代社会とは、この状態が変わることを通じて成立しました。
宗教改革における聖書の翻訳は大きなきっかけでした。

ラテン語で書かれていた聖書を、ルターやティンダルらの宗教改革者が、ラテン語(あるいはギリシア語やヘブライ語など)から庶民の日常語である土着の言葉に聖書を翻訳していきました。

ラテン語などからの知的な用語が、各地の土着語に移植され、それによって、庶民の日常語が知的なものとなっていきました。

これに伴い、ラテン語ではなく日常の言語に根差した社会空間が各地に成立します。

ここでは、多くの普通の人々は、社会の中心から排除されることなく、自分たちの知的能力を磨き、発揮し、社会参加できるようになります。

こういう状態が生じてはじめて、多くの人々の力が結集され、活力ある近代社会が登場してきたわけです。


しかし、現在の世界で進む英語化は、英語をかつてのラテン語のような「グローバル・エリート」の言葉とし、英語が不得手な者を、社会の中心から排除していきます。

日本のような英語国ではない国では、「英語階級」と「非英語階級」(日本では「日本語階級」)といった形に国民が分断されます。

そして、おそらく大多数を占める「非英語階級」は、政治や経済の中心から排除されるわけです。ちょうど、中世のヨーロッパのような社会になってしまいます。

拙著『英語化は愚民化』では、こんな感じで、グローバル化や英語化は、実は、社会が良くなる「進歩」などではまったくなく、逆に、中世のような社会への逆戻り現象だととらえたほうがいいのではないかと書きました。

今回のメルマガで何が言いたいかといいますと、最近、やはり

「グローバル化は、進歩どころではなく、中世化に過ぎないのではないか」

とよく考えます。そう考えられる現象が多々あるのではないかということです。


この点で一つ興味深かったのは、

郭洋春氏の『国家戦略特区の正体――外資に売られる日本』(集英社新書、2016年)
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%89%B9%E5%8C%BA%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%96%E8%B3%87%E3%81%AB%E5%A3%B2%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%83%AD-%E6%B4%8B%E6%98%A5/dp/4087208206


という本のなかの農業改革についての記述です。

国家戦略特区のなかには、新潟市や兵庫県の養父(やぶ)市や秋田県の仙北市のように、農業改革を主眼として指定されたものがあります。これらの農業改革の試みで規制緩和のテーマとして挙げられているものの一つは、「農地の集積・集約、企業参入の拡大などによる経営基盤の強化」です。

つまり、米国のような大規模農業を日本にも導入して効率化を図り、日本の農業の国際競争力の強化を狙うものです。

こうした「農業の大規模化」について、著者の郭氏は、「世界史的に見ても、農地解放運動の歴史に逆行する行為」(107頁)だと指摘しています。

確かに、日本を含む多くの国では、農地解放、つまり大規模な土地を所有する地主の下で働かざるをえなかった小作農に土地を分け与え、自作農にすることこそ、農業の近代化であり、民主主義の社会にふさわしいものだと考えられてきました。

国家戦略特区構想などで進む農業改革は、株式会社の農業への参入が一つのテーマです。大企業が参入することによって、農業は大規模化し、効率化されます。

そこではもちろん、土地所有者ではない人々が、低賃金で働くことになるのでしょう。昔の「地主」と「小作人」の復活とも見て取れます。

郭氏は、

「効率化が目的とはいえ、日本の農業を再び大規模化するというのは、農地解放運動さらには民主主義の歴史に対する挑戦といってもいいだろう」(同頁)

と記しています。


このように、TPPなどグローバル化の中で進む日本の農業改革も、一種の中世化かもしれません。中世ヨーロッパで見られたような、大地主と農奴の再現といったら少々言い過ぎでしょうか。

こういう「中世化」というか、歴史の逆行のようなものは、他のところでもいろいろと見られます。

国家戦略特区でいえば、例えば「解雇規制の緩和」や「労働時間規制の緩和」(残業代ゼロ)などの労働規制の緩和の流れもそうでしょう。

高校生のころ、「現代社会」や「世界史」の時間に、労働者の権利や社会保障受給権などを総称して「社会権的基本権」ということを習いました。また、社会権的基本権は、20世紀になって定められたということで、「20世紀的人権」ともいうと学びました。

私の高校時代は、1980年代後半でまだ20世紀でしたので、「なるほど、社会権的基本権とは、新しい、現代的人権なのだな」と思っていました。

しかしこれ、21世紀になった今あらためて考えてみると、

「20世紀に徐々に認められてきたが、21世紀になるとだんだんと削減され、なくなっていく」

という意味で、労働者の権利などの社会権的基本権は「20世紀的人権」と呼ばれているのだと理解したほうがいいかもしれません。

経済のグローバル化が進み、資本の国際的移動が自由になると、各国政府は、資本の海外流出を避けるために、あるいは外資を呼び込んでくるために、グローバル企業が「ビジネスしやすい」環境を作ろうとします。つまり、グローバル企業に都合のいい環境を作っていきます。

そこで、各国は、労働者の権利や社会保障を徐々に削っていくのですね。
人件費も削減されますので、労働条件は、悪くなっていきます。

これも、「中世化」への流れの一つとみることができるでしょう。

こう考えてくると、最近、自民党が、「移民受け入れの議論を始めるべきだ」と言い始めているのも、この流れのもう一つの現れといえそうです。

近代社会とは、一般庶民が、社会の中心メンバーとなり、自分たちの言語や文化のうえに国を作り、民主主義の下、国を運営していく社会です。つまり、各国では、人々が「我々は同じ国民だ」という連帯意識を持ち、「自分たちこそ社会の主人公だ」と考え、政治を動かしていくわけです。

しかし、経済のグローバル化の名のもと、移民を大規模に導入すれば、こうはいきません。一般的に、国民の連帯意識は薄れ、団結が難しくなります。人々はバラバラになり、政府に意志を伝えにくくなります。

移民受け入れを推進する側の狙いの一つは、このように、移民を受け入れることによって、国民を分断し、連帯しにくくすることだともいえるでしょう。

国民の連帯を分断すれば、政治に文句がつけられることが減りますので、労働者の権利や福祉の削減、人件費の引き下げ、移民のいっそうの受け入れなど、国民に不人気な政策が、その後、やりやすくなります。

また、各種の社会保障などの福祉は、おおもとでは、国民の相互扶助意識に根差しています。つまり、人々のもつ「同じ国民だから、助け合おう」という意識こそが、福祉の基本にあるものです。

移民を大規模に導入することによって、国民の連帯意識を壊してしまえば、社会保障を減らしていくことは、ますます容易になっていきます。

実際、近代社会の成立の一つの前提は、国民意識の確立でした。
国民の連帯があってはじめて、民主主義や福祉(平等)も成り立つのです。

以上のようにみてくると、やはり、「グローバル化は中世化」と言えるでしょう。


一方には、英語を操り、土地に縛られず、愛国心も持たず、世界を飛び回って大金を稼ぐごく少数の「グローバル・エリート」がおり、

他方には、社会の中心から排除され、(英語で構築された)知的な世界から切り離されて自信を失い、低賃金でこき使われ、打ちひしがれ、バラバラの大多数の一般庶民がいる

という世界です。


「グローバル化」って言葉、本当に最近、ますますいやになってきました…

どうにかしないといかんですね
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/03/18/se-73/

2014年11月14日「リカちゃん人形」と「いただきます」
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


2週間ほど前のNHKのテレビ番組で面白いことを話していました。
http://www4.nhk.or.jp/masakame/x/2014-11-01/21/30135/

タカラトミーが出しているおなじみの「リカちゃん人形」ですが、今年で発売47年になるそうです。

このリカちゃん人形ですが、47年間、変わらない特徴があるとのことです。

リカちゃんの眼です。リカちゃんの眼は、まっすぐに前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。

なぜかと言えば、子どもがリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと、圧迫感を感じてしまうので、それを避けるためだそうです。

タカラトミーは、いかにも日本の企業ですね。

アメリカのバービー人形は、まっすぐ前を見つめています。画像検索して、バービー人形の画像をみてみましたが、なるほど目が合いそうです。私なんかは、バービー人形で遊ぶ子どもは、確かに人形の目から圧迫感を感じてしまいそうだと思いますが、アメリカ人の子どもは別に気にしないのでしょう。

日米の文化の違いですね。

文化の相違といえば、先日、大学院のゼミの時間に学生と「いただきます」についての話をしました。私のゼミは、一応、政治理論・哲学のゼミなのですが、その日はカナダのあるベジタリアン(菜食主義者)の政治哲学者のことが話題に上りました。

その関係で、食事の際に何に感謝するかという話になりました。

日本では、「いただきます!」というときは、料理をしてくれた人とともに、これから食す食べ物(肉や野菜など)にも感謝をします。つまり生命を提供してくれた魚やトリ、ブタ、ウシ、野菜、穀物、果物などに感謝の意を込めて「いただきます」と言うわけです。

欧米では、「いただきます」とは言いませんが、食事の前に祈る場合があります。この際、個々の食材ではなく、キリスト教の神に感謝の念を捧げるのが普通のようです。

私は、キリスト教の中学校に通っていたので、中学時代、たびたびキリスト教のお祈りを唱えさせられました。いまでも覚えているのですが、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という一節がありました。食物を与えてくれるのは神だと理解するわけです。

生命を捧げてくれた個々の食材に感謝する日本と、万物の創造主としての神を想定し、その神に感謝する欧米。この相違の根底にあるものは、食前の儀礼以外でもさまざまな面で見出すことができ、非常に興味深く感じます。

論者によって詳細は異なりますが、日本と欧米の文化の違いについて、よく次のような指摘がされます。

日本では、状況における他者の気持ちや期待、人々の関係性や社会的役割に注意を払う「関係重視の道徳」が優勢である。他方、欧米文化では抽象的な原理や非人格的なルールを尊重する「原理重視の道徳」が優勢である。

「リカちゃん人形」の件も、「いただきます」の件も、このような文化差から説明できるのかもしれません。

日本社会では、他の人々に敬意を払い、他者の気持ちを大切にしなさいと教えられます。あるいは、「もったいない」の精神に表現されるように、「万物に感謝の心を持ちなさい」などともよく言われます。

こう教えられるため、日本人は他者の気持ちに配慮するようになりますし、他者の視線に敏感にもなります。モノを大切にする文化も形成されますし、「いただきます」と食前にいう習慣も生じます。

当然ながら、日本と欧米の文化のどちらが優れているかという優劣の問題ではなく、文化の違いの問題です。

ただ、日本人は弱気なことが多いですよね。自分たちの文化の論理をうまく説明できず、主張されるがままに欧米の理屈を受入れてしまうことが少なくないようです。

このメルマガでよく取り上げる言語学者の鈴木孝夫氏が、ある本で次のように書いていました(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書、1999年)。

アメリカ人の英語教師が、日本の学生たちによく要求することの一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがあります。会話の最中に目をそらすことは何か心にやましいことがある、何か良くないことを企んでいる、と解釈するのがアメリカの文化だからだそうです。

しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることは、失礼なことです。「ガンをつける」という言い方があるように、日本では相手の目を注視すれば見つめられる方は不快な気持ちになってしまう場合が多いでしょう。

ですが、日本人は、アメリカ人の先生に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだと思います。

鈴木孝夫氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的な相互理解は果たされないとします。国際的な相互理解という観点からすれば、この場合、日本人学生は、アメリカ人教員に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだと鈴木氏は論じます。つまり、「相手の目を正面から見据えて話すことは、アメリカと異なり日本では相手を威圧することにつながりかねず礼儀正しいことではない」とはっきりと述べる必要があるというのです。

私もそう思います。日本では、他者の言い分を受入れ、自分を変えていくことが美徳だと考えられることが多いからか、どうも自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させることをあまりしてきませんでした。日本人自身が日本的なものの見方は特殊だと思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきました。

近年は特にそうですね。いわゆる構造改革も、最近のTPP参加を見据えた国内の制度改革(例えば軽自動車の税制上の優遇措置の廃止など)も、そうでしょう。「グローバル化=英語」と言わんばかりのビジネスや教育での英語化の流れも顕著です。この調子でいけば、近い将来、日本人にとって生きづらい日本社会ができてしまい、我々の子孫は大変苦労することになりかねません。

何年かぶりに米国からメジャー・リーガーがやって来て、現在、日米野球が開催されています。近頃いつもそうですが、相変わらず、使用するボールの規格で日本人選手は苦労していると報じられています。

日本のプロ野球で使われているボールと、アメリカの大リーグで使用されているボールは、手触りや縫い目の高さなど細かいところで違うからです。

これなんかも私は、日本で開催するときは、基本的に日本のプロ野球が普段使っているボールを日米野球でも使用するべきではないかと素朴に考えます。あるいは、全試合中、半分は日本球、もう半分はメジャー球というふうに公平にすべきだと思います。

もちろん、メジャー・リーグ主催のWBCではメジャー使用球が使われるので、それに慣れるためという事情もあるのでしょう。

しかし、だったらWBCでも、あるいはメジャー・リーグ自体でも、品質がよりよいとされる日本式のボールを公式球として一部でも採用してもらうように日本野球機構などの上部組織は粘り強く交渉してもらいたいものです。

上に立つ者、あるいは組織が、相手方のルールや土俵を呑まされてしまい、現場の人間が苦労する。なんか最近の日本ってそういうことがやけに多い気がします。
https://38news.jp/archives/04679

2018.2.1 【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】

リカちゃん人形の視線と日本文化

 先日、大学で学生たちと雑談していて知ったのだが、2月22日から福岡市博物館で「誕生50周年記念リカちゃん展」が始まるそうだ。タイトル通り、「リカちゃん人形」の発売50周年を記念する展覧会である。

 面白そうだ。リカちゃん人形は、その時々の流行をうまく取り入れてきた。世相の変化を映し出す展覧会となるだろう。現在のプロフィルによれば、リカちゃんの趣味の一つは「SNS更新」だそうだ。現代っ子のリカちゃんは、友達とラインしたり、「インスタ映え」する場所を探して、あちこちで出かけたりするのかもしれない。

 流行に敏感なリカちゃん人形だが、発売以来、変わらない特徴があるのを、ご存じだろうか。目である。リカちゃんの目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られている。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるので、それを避けるためだという。

 対照的に、米国のバービー人形は、真正面を見つめている。私などは、バービー人形で遊ぶ子供は人形の目に圧迫されないのかと心配になるが、米国の子供はあまり気にならないのだろう。日米の文化差である。

 言語学者の鈴木孝夫氏は以前、次のように書いていた(『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書)。米国人の英語教師が日本人学生によく要求する点の一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがある。会話の最中に目を逸(そ)らすのは何か心にやましさがあるからではないかと解釈するのが米国流だそうだ。

 しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることはあまり好ましくない。「ガンをつける」と言うように、日本では相手の目を注視し続ければ、見つめられる方は不快な気持ちになるか、当惑してしまう場合が多い。

 それでも日本人は、米国人教師に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだろう。

 鈴木氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的相互理解は果たされないと指摘する。この場合、日本人学生は、米国人教師に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだ。つまり、相手の目を正面から見据え続けて話すことは、日本では相手を威圧することにつながりかねず、礼儀正しいことではないとはっきりという必要があるというのだ。

 私も同感だ。日本には「ことあげ(言挙げ)」を嫌い、謙譲の美徳を尊ぶ気風がある。そのため日本人は自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させる努力を怠ってきた。こうした日本的なものの見方について、日本人自身が「特殊で劣っている」と思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきた。実際、ここ20年ほど「構造改革」の名の下に、日本社会を米国型に改造する動きが顕著であった。この調子でいけば、近い将来、日本人が違和感を覚え、生きづらく感じる日本社会ができてしまい、われわれの子孫が苦労することになりかねない。

 今後、日本でリーダー的立場に就く人々は、日本人の感覚や習慣をきちんと認識し、言語化し、外国人に向かってその意義を説明する能力と気概を身に付ける必要がある!

 …と、このように「リカちゃん人形展」の話題から、いつものように学生相手に長々と演説をしてしまった。「また始ったね〜」という具合に、学生たちが温かくも少々呆(あき)れた目でこちらを見ているのに気づき、気恥ずかしく思った次第である。
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

2018年2月2日【施光恒】リカちゃん人形の不易と流行
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


昨日付の『産経新聞』(九州・山口版)のコラムに、次のような記事を書きました。

「リカちゃん人形の視線と日本文化」(2018年2月1日付)
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

リカちゃん人形は1967年生まれですので、昨年で50周年を迎えたそうです。それで、昨年3月の東京を皮切りに「誕生50周年記念リカちゃん展」が全国のいくつかの都市を巡回しています。

以前、このメルマガにも少し別の角度から書いたことがあるのですが、リカちゃん人形の目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるかもしれないため、それを避ける配慮だそうです。

リカちゃんの目のこの特徴は、発売以来半世紀、変わっていないとのことです。

その一方、リカちゃん人形は、そのときどきの流行を敏感に取り入れてもいます。産経のコラムにも書きましたが、例えば、現在のリカちゃんの趣味は、「SNS更新」だそうです。

設定では、リカちゃんは小学校5年生ということですので、「SNS更新」が趣味とは、昭和生まれの私からすると「ちょっとませてるなぁ」とか思ってしまうのですが、まあ今の子はそんなものなのかもしれませんね。

リカちゃん人形が半世紀にもわたってながく親しまれてきたのは、「不易流行」の理念をよく踏まえているというのが一因でしょう。「不易」、つまり「いつの時代にも変えてはならないもの」と、「流行」、つまり「そのときどきの状況に合わせて変化を重ねていくべきもの」のバランスがとてもよいのだと思います。

日本の子どもが、米国などの子どもに比べて、他者の視線に敏感で、あまりじっと見つめられると圧迫感を覚えやすいという特徴は、時代を経てもなかなか変わらない部分です。

日本の家庭や学校での子育てでは、「やさしい子」「素直な子」「人の気持ちによく気がつく子」を育てようとします。これはかなり昔から変わらない特徴だと言えます。

この子育ての特徴から、人の気持ちによく気がつく敏感な子が育ち、それが「おもてなし」「思いやり」の文化を生んでいます。また世界に誇るべき日本の治安の良さや整然とした秩序、清潔さの源でもあるでしょう。(むろん、悪い面を強調すれば、他者の顔色を窺いがちで、自己主張が苦手な日本人を生み出す要因ともいえるわけですが)。

人の気持ちや視線に敏感だという日本人のこうした特徴が変わりにくいことは、「やさしさ」という言葉の語源からもうかがえます。

「やさしい」の語源についてはいくつかの説がありますが、「現在もっとも説得的でほぼ定説化している説」は、「痩せる」という言葉と同根だという説です。

つまり、「やさしい」という言葉は、「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いがする」「やせるほどつらい」「身もやせるように感じる、はずかしい」というのが原義だそうです(参照、竹内誠一『日本人は「やさしい」のか──日本精神史入門』ちくま新書、1997年、76-77頁)。

面白いですね。「やさしい」ことと「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いだ」ということは、元来、表裏の関係にあるようです。「やさしさ」を持つこととは、同時に、他者の目を気にして、ときとして胃が痛くなるような思いもしがちだということなのでしょう。

上記の原義に今の「おもいやり」「細やかな配慮」という肯定的な意味合いが千年ほど前から徐々に付け加わってきたようですので、日本人の性格は、かなり昔からあまり変わらないんだなと思います。

他者の視線に敏感であるというのは、日本文化の根幹の一つで、そうそう変えられるものではありません。

これは、実際、子育ての習慣や言語習慣(人の呼び方や敬語表現など)に深く根差しているものであって、変えようとすれば、「文化大革命」的な日本文化の根本的かつ大規模な変革が必要となります。これは不可能でしょうし、望ましくもないでしょう。

リカちゃん人形は、日本人の子どもは他者の視線に敏感だという変化しにくい事柄に配慮しつつ、そのときどきの流行を積極的に取り入れることによって長い人気を保っています。

このリカちゃんの知恵は、日本の政治や社会、経済の「改革」を考えるうえでも大いに役立つはずです。「リカちゃんに学べ」です。

「やさしさ」に代表される日本人の心のかたちは、良くも悪くも、そう簡単に変わるものではありません。無理に変えようとすれば、どこか歪みが生じます。

例えば、日本人が最も動機づけられるのは、つまり仕事などへの「やる気」を感じるのは、今も昔も、周囲の他者の期待を受け、それに応えようとするときだと言われています。

「きみはわが社の大黒柱だ」「〇〇さんのおかげで皆、助かっているよ〜」といった言葉が、日本人を一番動機づけるのです。

近年、日本人ビジネスマンの仕事への熱意の低下がときおり話題になりますが、この一因は、やみくもな「構造改革」の結果、アングロサクソン型の組織のあり方や雇用制度を取り入れようとし、結果的に、日本の会社組織が日本人のやる気をうまく引き出せなくなってしまったことにあるのではないかと思います。
(この点については、以下の拙コラムをご覧ください。「『仕合わせ』な改革を」(【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】2017年6月1日付))
http://www.sankei.com/region/news/170601/rgn1706010026-n1.html

日本社会をよりよくするためには、何よりも、日本人や日本文化の特徴をよく知り、それを前提としたうえで、よりよき形に伸ばしていくことを目標にすべきではないでしょうか。

人々や文化の性格を根本から大変革してやるというのは、傲慢かつ不可能であり、様々な副作用を招くものだと思います。

リカちゃん人形のように、不易と流行のよきバランスを探していきたいですね。
https://38news.jp/column/11584

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c167

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
168. 中川隆[-12558] koaQ7Jey 2018年5月24日 02:51:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

西洋の植民地にされるとこうなる - YouTube 動画
http://www.youtube.com/watch?v=cT-3DE6nSZs

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英語を覚えるために外国人の男と結婚したい28歳の風俗嬢
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171123T0523540900.html

数ヶ月前、アメリカに行くために風俗で働いているという28歳の女性と話をした時、「アメリカに何しに行くの?」と尋ねたら「将来はアメリカ人と結婚したい。英語もしゃべれるようになって面白そうだから」と答えた。

外国人と結婚したり外国で生活するのは「面白そう」という感覚が彼女にあって、そのために風俗で金を稼いでいるのだと彼女は私に説明した。

彼女は本気だった。そのために英語も勉強していて、英語学校なるものにも通っていて外国人の先生に習っているという。

この英語学校に通う彼女の女友達は、ただ英語を話せるようになりたいだけで外国人の男と付き合っており、彼女はそれを「偉いよね」と評価していた。

「じゃ、英語を覚えるためだけに結婚するのもありなの?」
「全然ありじゃない」

それから28歳の彼女は「その気になったら、相手なんかすぐに見つかるから」と豪語した。それを聞きながら、私は東南アジアの女たちと彼女の感覚がまったく同じなことに気付いて苦笑するしかなかった。

彼女も風俗で働く身だ。夜の女にとって結婚というのはとても「軽い」出来事のように見えているのかもしれない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171123T0523540900.html

そこで娘は貞操を失うが、何とか生き延びられる環境になる
https://blackasia.net/?p=703

表社会ではあまり知られていないが、植民地を世界各国に持っていた欧米の男たちは自国で稼いで旧植民地で安く過ごし、現地の女性を片っ端から抱くというスタイルで生きる闇の男たちが存在する。

今に始まったことではない。「経済格差を利用したフレッシュ・トレード(flesh trade=肉体取引)」をしている男たちは200年以上も前から存在していたのだ。

合理的に、効率的に、そして貪欲に、女たちの肉体を食い尽くす。まるでハイエナのように食い漁る。


自分の娘を売春地帯に売り飛ばすという状況に、私たちは「何と言う親だ」と憤りを覚えるかもしれない。

しかし、金も食べ物もなく、下手したら一家全滅の危機にある最中では、娘を売るというのは自分たちにとっても娘にとっても「救い」となる。

売春地帯で娘は貞操を失うが、その仕事で食べていける。生き延びることができる。うまくいけば娘が稼ぐ金で自分たちも助かる。そうでなくても一人分の食い扶持が減るので助かる。

カンボジアには人身売買業者が跋扈して若い娘たちをあちこちの村から集めていたが、それが可能だったのは極度の貧困の中で売春ビジネスだけが生き残るための「できること」だったからである。

カンボジア国内では、ベトナムのメコンデルタからやってきたベトナム人たちもまた凄まじい極貧の中で暮らしていたのだが、彼らもまた娘を人身売買業者に売り飛ばした。
https://blackasia.net/?p=703

日本も早くタイやマレーシアの様な欧米人の理想のアジア国家になろう

2006年8月 1日 (火)
"The Sleeping Dictionary"(セックスする辞書) マレーシアの映画

なんとも情けない話である。

イギリスの植民地になった国々は、旧宗主国に対する尊崇の念が自己のアイデンティティの一部になっていることは確かなようだ。(準植民地だったネパールでもそうだし、ミャンマーでもアメリカは嫌われているのにイギリスはそれほどでもない。)

イギリスの場合は「植民地経営」と呼ばれたりするが、日本の場合は必ず「植民地支配」と呼ばれるのは納得がいかないが、長く支配した者の勝ちという教訓だろう。

植民地支配は、十分な実力を背景に容赦なくやること、被支配者を人間と思わないこと(言葉らしいものをしゃべる猿と人間との中間的な存在ぐらいにみなすこと)、被支配者同士を戦わせ争わせること、支配者の言語を複数の被支配者の共通語にすること、そして、とにかく長く支配を維持することが重要であるようだ。
他者をモノとみなすこと、あるいは本当に見下すことは、日本で思われているほど簡単なことではない。これは訓練を要する心の技術であり、少年時代からの教育と修練が必要である。

"The Sleeping Dictionary"という映画がマレーシアのテレビで放送されるらしい。

ここで"Sleeping Dictionary"というのは、「引かないで眠ったままになっている辞書」のことかと思いきや、そうではなかった。

sleepを英和辞典で引くと・・・「((略式))(異性と)寝る((together/with ...)). ▼「性交する」の婉曲(えんきょく)表現」とある。

サラワク(現在マレーシア領のボルネオ島の一部)の"Sleeping Dictionary"とは、イギリス人の植民地役人にあてがわれた、「寝床の辞書代わり」つまり「現地語教材かつ召使を兼ねた性処理用の土人女」のこと。

つまり「イギリス人殖民役人に寝物語で現地語を教える女奴隷」という意味である。

そしてこの物語は、高邁な精神を持つイギリス人役人が、あてがわれた土人売春婦とヤってるうちに愛が生まれたという世にもまれなる御伽噺のようである。
また、イギリス人に女をあてがったのは地元の土人側が勝手にしたことで、土人の未開な悪習からそうしただけであって、イギリス側が求めたわけではないという立派な結構にもなっている。

forbidden loveとあるのは、「土人側にはよくても文明国のイギリスからは禁じられた関係だった」という、まことによくできたお話である。

なお、この女の出身母体である土人は、サラワクの非ムスリムのIban族ということになっている。

あるツーリストは「ボルネオはタイの次に白人崇拝がひどかった」といっていたが、マレーシアの「土人売春国家」的な面が、非ムスリム少数民族との関係で噴出するということだろうか。

マレーシアも、ムスリムの少ないボルネオでは白人向け土人売春ツーリズム・レンタルワイフツーリズムを、タイ並みに振興したいのかもしれない。

なお、サラワクは、Brookeという白人のゴロツキが私的に占領して「白人王」(White Raja)を名乗っていたという歴史のある土地でもある。
誰か志のある人が、大川周明の「英国東亜侵略史」でも英訳して七つの海の国々に配布してくれると良いと思う。

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(記事全文 NEW STRAITS TIMES, AUGUST 1, 2006 より)

A tale of forbidden love By Hizreen Kamal
Set in the 1930s in Malaysia's rainforests, The Sleeping Dictionary tells the story of the tempestuous and forbidden love affair between a young, idealistic Englishman and a beautiful Iban tribeswomanWhen John Truscott (Played by Hugh Dance) takes up a job in the British colonial outpost of Sarawak to "civilise" the Malaysian natives, he is taken aback when he is presented with a native servant Selima (played by Jessica Alba) as his "sleeping dictionary", a local term used for women given to settlers to teach them the local language as well as sleep with them.

Although this unorthodox practice is a readily accepted custome in the local comunity, the pair is monitored closely by Governor Bullard - John's crusty superior - and Bullard's wife Aggie (played by Brenda Blethyn) to ensure that no romantic attachments result from the liaison.

(土人側には喜んで受け入れられた習慣だったが、イギリス植民当局は渋い顔をしただと。ただの肉便器辞書女の関係なら良いが、「恋愛」に発展するのはまずいと。)

John and Selima soon fall passionately and openly in love.
(普通は同国人の素人娘でも簡単にやれてしまうと急速にさめてしまうのが男の性だと思うが・・・・・

確かに、通常の恋愛とはまったく異質の「南国コロニーでの女奴隷遊び」という「特別な分野」に夢中になる白人は今も少なくないようである)


The colonial authorities and the native population soon turn against the lovers, setting off a chain of events that test their resolve to the limit.

(ローカルに受け入れられたのは「肉便器関係」だけであって「恋愛」ではなかったと。)

Filmed in Malaysia, the bettersweet love story directed by Guy Jenkin boasts spectacular cinematography, featuring the lush rainforests of Sarawak and rich colours of the exotic 1930s (including architecture and traditional custumes)The Sleeping Dictionary premieres on Asian television on Aug 27 at 10pm (Cinemax, Astro Channel 41)----------------------------------------------

サラワク原住民Iban族の野蛮性を良く表現した映画であるといえる。ぜひとも「野蛮」の存在を確認し、野蛮の中に神秘的な美を見出すとともに、それによって自己を確認したい白人にとっては垂涎の物語であるということになるのだろう。

はっきりいって、こういう白人に媚びた土人オリエンタリズムは迷惑である。

これを見た毛唐は

「ああ、アジアはやっぱりそういうところか。そうかそうか」

と納得して喜ぶだろう。サラワクへの土人買春白人ツーリストが増えることは間違いない。

「非ムスリムのアジア・土人のアジアは、白人にとって都合のいい便利な所だ」

という白人ツーリズム振興目的の宣伝は、ムスリムのマレー人のプライドは一向に傷つけない。ネイティブ(土人)でない移民系にも関係ない。だからマレーシアでこういう映画が抵抗なくまかり通ることになるのだろう。

なにより"The Sleeping Dictionary"というタイトルが下品というほかない。

いっそのこと日本も「肉便器」というタイトルの映画を作って、

「アジア女にカネ使うなんて、よっぽどもてない不細工な白人なんだろうね」

というキャンペーンをはってみたらどうだろう。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6237979/index.html

"Sleeping Dictionary" 再考

聞くところによれば、

日本語を習得したいと思っている白人男性がまずなすべきことは「日本人のガールフレンドを作ること」

というのが、日本語学習を志す白人たちの「教科書的な答え」になっていて、そのとおりに活字にもなっているそうである。


彼らの日本語テキストには「日本語を覚えるために日本人のガールフレンドを作りました」とか「作りましょう」という話題が平然と出てくるのだとか。

白人にとってはいまでも、日本人を含めた「アジア女」は、望めばいつでも自由に手に入るもの、コンビニで買えるものという感覚なのだろう。

その意味で彼らにとってタイの売春婦も日本の英会話学生も変わるところはない。
(違いがあるとすれば、タイでは多少なりともカネがかかるのに対して、日本ではカネが入る、ただし、タイではハゲデブ60過のオヤジでも白人ならOK、日本ではそれはちょっと難しいかもしれない、というぐらい)。

この関係は、当事者の主観的な認識には左右されない「客観的な枠組み」として確立しているものであり、彼らが仮に主観的にまじめであったとしても、この枠組みから外に出ることはできない。

彼らがそれを意識しなかったとしても、世界的には、当然のようにその枠組みの中で人々に扱われる。それは、タイの上品な高級ホテルで白人男性とアジア人妻のカップルが歓迎されないのと同じく自然なことであり、タイの有名高級ホテルで白人客がつねに優先されるのと同じように揺るぎがたい、確立した枠組みである。

もし彼らが果敢に、その枠から「外に出よう」と努力するなら、その「努力」という行為自体によって、あらためて彼らの関係の「特殊性」が再規定されることになるだろう。したがって、世界に広がるこの枠組全体を壊してしまう以外に、個別にこの枠から自由になる方法はないということになる。

昔「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画があったが、そこでも簡単に手に入ってしまうチベットのローカル女性と白人との「模範的な関係」が表現されていた。

そこでは、チベット女性をモノにすることは(よっぽど歪んだ性格の白人でない限り)ちょっと色目を使えばすぐに落ちてくるような容易なことなのだが、珍しい素材としての彼女を磨いて付加価値を付けるのは白人の嗜みである。

彼女の文化にすり寄ってみるのも白人の風流な遊びであり、趣味の類である。彼女の携える文化は一見異質そうに見えても、実は白人に容易に「理解可能な」ものばかりである。

白人にとって「異文化との出会い」は「深刻な葛藤」ではありえず、選択肢がひとつ増えたという素朴な喜びにすぎない。そこで彼らが出会うのは決して白人に理解不可能な、アクセス不可能な「他者」ではない。もしそのようなものだったとすれば、それは断固として根こそぎにすべき野蛮だということになる。

「異文化との出会い」とか「異文化コミュニケーション」という気持ち悪い言葉が日本に流布するようになって久しいが、その「出会い」が少しでも「まじめ」なものであるならば、当事者の内面に「深刻な葛藤」を生ずるのが自然だと思う。「異文化」は「厄介なもの」なのである。この認識は、英語だとか英会話だとか言って喜んでいる多くの日本人にも欠けているように思う。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/sleeping_dictio_51bf.html

Restoran Hameed'sで。この二人は周期的にここに来る。

典型的なごろつき白人の「レンタルワイフ」。

白人ツーリストたちが「スーツケースのプラグのようなもの」と表現する通りの女である。

彼らは普段はタイにいて南部のビーチあたりでふんぞり返っているのだろうが、男のビザ(あるいはノービザ滞在の更新)の都合でこうやってマレーシアに出てくるのだろう。マレーシアで見る白人の中でもとりわけ汚らしい、下水のような連中である。

この女がこの男のレンタルワイフ(長期契約売春婦)でないということはないだろうが、万一そうでなかったとしても、そう見られる責任は彼らにある。

タイのレンタルワイフと法律上の「結婚」をする白人男も少なくない。しかし、彼らには日本人のような戸籍の観念はない。1年2年でいくらでも離婚できる。仮に子供が出来ても、タイ女の親族が育てるので平気である。女はまた売春バーで働けばいい。女もカネのことは心配するがそれ以外のことは平気で、白人の子を周囲に自慢するくらいのことである(この点は日本人肉便器と共通しているかもしれない)。男は慰謝料さえほとんど払わないことがある。

タイのレッドネックバー、売春バーを回ってみれば白人と「結婚」したことのある売春婦を見つけることは難しくないはずである。

つまり、白人にとってこのような「結婚」は、買春のひとつの形式なのであり、東南アジアバカンスのパッケージに組み込まれた要素に過ぎない。

白人は、白人の歴史を背負い、この世界でそしてアジアで、現に特権を享受している。そうである以上、彼らの歴史に規定された不利益の方も甘んじて受けなければならない。(白人世界の豊かさは、今日の日本の豊かさのようにほとんどゼロから60年で自力で作り上げたものではないのである)。

東南アジアでこのような薄汚いアジア女を連れ歩く以上、その白人男はレンタルワイフを連れているとみなされてもやむをえない。

東南アジアで現地女を連れ歩く白人の80パーセントがそれに該当するとすれば、残りの20パーセントは世間のそのような評価を甘んじて受け入れるか、それが嫌なら東南アジアに立ち入らないか女を連れて自分の国に帰るべきであろう。

どんな金持ちでもゴム草履と短パンランニングシャツで外を歩くのは自由だが、その格好で高級ホテルに入っていけば守衛につまみ出されても文句はいえない。貴金属店に入っていくなら、警察を呼ばれてパトカーで連行されしばらくあれこれ調べられてもやむをえない。それと同じことである。

つまり、白人が東南アジアでこのような女を連れ歩く以上、これが「契約買春でない」という主張立証責任は白人の側にあるということである。

それ以前に、この男の場合、売春婦であろうとせめてもう少しまともな格好をさせて連れ歩くべきである。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/?mode=m&no=87

"Discrimination"、BBCの日本批判【忘れないために】

自称日系ペルー人、カルロス・ピサロ(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)による、広島市の木下あいりちゃん強姦殺害事件に関し、BBCニュースは、その背景に日本社会の「差別」があることを強く示唆した。

この事実を忘れてはいけないと思う。

これが白人ジャーナリズムの日本批判、日本報道の基準を示すものであるからだ。

またBBCニュースは、「ある一人のセネガル人」から聞き取ったという日本での「差別体験」を紹介し、日本人の「外国人差別」を強調する。それは何の具体性もないただの被害妄想と言ってもいいもので、次のようなものである。

For many foreigners living in Japan, however, discrimination is a real problem. Treatment appears to be determined by a range of factors - from socio-economic status to ethnic background.

Gemba, a Senegalese who works in a topless bar in the red-light district of Kabukicho, said: "Every day, I feel discriminated against. Japanese people don't like foreigners.

"If you are inside a train, the Japanese will not sit close to the foreigners."
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/3708098.stm


これはもうお笑いというしかないが、彼がもし差別を感じたとしたら、それは彼が歌舞伎町の「トップレスバー」で働く不法就労外国人だからというのが、普通のマトモな頭の人間の考え方だろう。しかし、BBCはそうは考えないのである。

大男が大股開きで中途半端な位置に座り、足をぐらぐらゆらし、周囲の日本人を睥睨し、コカコーラをラッパのみしたりチューインガムをくちゃくちゃ噛んでいたりすれば(この種の振る舞いは、ほとんどの白人が東南アジアでごく普通にやっていることでもあるが)、そいつが外人であろうと日本人であろうと、白かろうと黒かろうと、普通の人間なら近寄りたくないのは当然である。

合法的に日本に滞在しているまっとうなセネガル人は、この「トップレスバーのセネガル人」についてどう思うだろうか。

また、欧米豪の白人諸国において、白人たちは、電車で不法滞在者らしきアフリカ出身男性の隣の席に座る義務を感じ、その義務を誠実に履行しているというのであろうか?

ともあれ、ジャーナリストがこのような一人の(事実上匿名の)外国人の主観的経験の聞き取りで記事を書いていいのなら、私にも言うことがある。

私が3年ほど前にタイで話をしたあるタイ女性は、かつてデンマーク人と結婚していて、一年ほどデンマークに住んでいた。その間、初めて雪の実物を見るという楽しい体験もあったが、見知らぬデンマーク人から「アジアへ帰れ」と罵倒されることはしょっちゅうであったという。

言葉だけではなかった。あるとき彼女が自転車に乗っていて、交差点で信号待ちをしていたとき、2人の巨体のデンマーク女が突然彼女の自転車を二人がかりで押さえつけ、前へ押し出してきた。彼女はただ恐ろしいだけで、何事が起きているのか一瞬理解できなかったが、それがひたすらなる「悪意」による「嫌がらせ」であることを了解した。

女二人で示し合わせたこの犯行は個人の思いつきや出来心とはいえないない。ネオナチでもないだろう。白人社会の本来の土壌に根ざしたきわめて悪質な人種差別犯罪といえる。

有色系外国人は白人諸国で、白人の人種差別に基づくこのような現実の生命の危険に日々晒されているのである。

このような犯罪は、白人国家では毎日起きているはずだが、白人ジャーナリズムがそれを報じることは決してない。

また、BBCニュースはタイでいかに白人が優遇され、有色外国人、とくに色の黒い人種がひどい扱いを受けているかについても一言も語ったことがないはずである。

優遇のあるところには差別もある。不当に優遇されるものがいれば必ず不当に差別されるものがある。しかし、白人メディアはタイにおけるきわめて明瞭かつ明示的な「白人ゆえの白人優遇」については一切語らない。

というのも、このようなタイのシステムが、白人にとってもっとも都合の良い「アジアのあり方」を示すものであるからである。すなわち、白人の理想とするアジアは、全アジアが「タイのような自由な国」になることだからである(その対極にあるのがイスラム社会であろう)。

したがって、白人の作り上げる評価基準は、タイを「自由な国」とし、デンマークのようなレイシスト国家を「高度に人権の保障された国」と認定し、ロシアでさえ自由で民主的な国と評価する。

ロシアをはじめヨーロッパ各国で、東洋系人種が投石、暴行、殺害等、直接の暴力の危険にさらされていることはほとんど論じられない。

これらの問題が白人ジャーナリズムによって「ネオナチ問題」という「特定地域の特殊問題」として語られることはあるが、彼ら自身の世界の人種差別問題として問われることは一切ない。

すなわち、ヨーロッパ全般で見られるアジア系人種に対する嫌がらせ、罵詈雑言、暴行、投石等の事案は、「ネオナチ」の枠内で処理され、そのことによって「知的でリベラルな」彼ら自身とは無関係な特殊な人々の問題と見做され、安心して脇に置かれる。

これらの切迫した現実の危険を伴う問題が、「ネオナチ」問題の定式を介さず、「白人による有色人種差別」すなわち「白人世界の人種差別主義的な土壌に根ざした人種差別犯罪」として、白人ジャーナリズムによって率直に問題にされたことが一度でもあるだろうか。

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白人の「日本の人種差別」批判は白人自身の人種差別・アジア蔑視に由来する

日本が、白人から「人種差別」という批判を受けることになる一つのありそうなモデルはこうである。

アジアにくる白人ツーリストはまず最初にタイにやって来ることが多い。タイは物価が安くその割に安全であるといわれる。イスラム国でもなく、欧米人を狙ったテロもおきていない。文化的制約やタブーも少なく何よりも白人が優遇されるから欧米ガイドブック等でも絶賛されている。若い白人の貧乏旅行には最適の国ということになる。

実際、タイに行ってみると、日本では想像のできないほど大量の薄汚い白人ツーリストがアジアに来ているのだということがわかる。そのほとんどは日本には恐らく一生来ないだろう。

タイとその周辺国だけを見て、

「私はアジアがわかった」とか「アジアはすばらしい」

とか、寝言を言っている白人ツーリストも少なくない。

彼らは一生日本を見ないまま「アジア」を語って過ごすのだが、彼らがアジアを気に入ったとすればそれは、アジアの「後進性」と白人ゆえに与えられていた「特権」からに他ならない。

彼らの中にはやがて少しカネができたころに日本にやって来るものも出て来る。アジアの非イスラム国・仏教圏だと思って、タイの延長くらいの軽い気持ちで日本にやって来る。

しかし、ちょっと物価の高いタイに行くような気持ちで日本に来てみたところ、タイとはちょっと勝手が違うことに気づく(六本木と肉便器とNova講師だけでやりくりできた者にとってはタイと同じだが、みながそううまく行くとは限らない)。


・タイでは安かった物が日本ではこんなに高い。アジアなのに・・・

・ネット屋がその辺にない。アジアなのに・・・

・米ドルが使えない。街に両替所がない。アジアなのに・・・

・タイでは許されていたヤンチャやワガママが日本ではやりにくいような感じがする。バックパックを担いで喫茶店内を歩き回りながら(白人の普通の声で)しゃべっていたら日本人たちに白い目で見られた。→日本には「自由」がない!「人権」が抑圧されている!

・日本では白人だからといってタイほどにはチヤホヤ持ち上げてもらえない。アジアの非イスラム圏なのに・・・→これはきっと「外国人差別」だ!

・タイでは、禿げて腹の出た60代の白人オヤジも若い娘を自由に連れまわしていたのに、日本では30代の俺が若い娘に持てない。ちょっと禿げて少し体重が増えているだけなのに・・・→これはあきらかに「差別」だ!日本社会の「差別体質」がここに現れている!

・日本にはバービアもゴーゴーバーもない。タイのように若いレンタルワイフを簡単に手に入れられるところがない。その上、風俗店は外国人を入れてくれない。・・・→これは明々白々な「人種差別」である!


註:外国人は日本の風俗店には入れないと聞いていたが、実際はそうでもないようである。

先日バンダ・アチェで会った男は、日本で5年間不法就労したことがあると言っていた。色黒で一見して外国人とわかる容姿だったが、流暢な日本語で日本滞在時代の楽しい思い出について熱く語ってくれた。

インドネシア人の友人に連れられて行った西川口の本ストでは入場料3000円のほかに別室料金3000円で完全満足制であった。外国人だからといって別室で差別されることはなかった。

ただ、「ジャンケン」に参加することができるのは日本人だけであったという。ジャンケンに勝てば別室に行く必要はない。彼はジャンケンに参加できなかったことを何度も残念そうに語っていたが、外国人が本ストのまな板ショーのジャンケンに参加できないことが「外国人差別」として問題にされるべきかどうかは、さらに議論の余地があろう。

アチェはもともと風紀の厳しい土地柄であり、彼は割礼のある敬虔なムスリムである。彼が性感染症を日本に持ち込んだ可能性はきわめて低いと思われる。

これに対して、HIV感染率が高く、ろくに風呂に入らず、傲慢で、自らの傲慢さには気づかず日本人をarrogantと批判し、空気も読めず、遊び方も知らず、「イエース、イエース、ハッハッハッハッ」と女に襲いかかることしか知らない白人が日本の風俗店に入れてもらえないのはきわめて当然の扱いである。
バンダ・アチェの日記はのちに上げる予定である。


・昔カオサンで買ったDieselの半ズボンをはいて脛毛をさらして日本橋三越を歩いていたらなんとなく浮いてるような気がした。タイではどこでも半ズボン姿で歓迎されたのに・・・→これは「人種差別」に違いない!


白人はだいたいこの程度の連中である。

白人の日本批判が基本的に、上記のBBCの「歌舞伎町の風俗店で働くセネガル人」からの伝聞記事のような根拠薄弱な思い付きで成り立っている反日宣伝にすぎない以上、われわれもまた、あらゆる伝聞や噂を動員して、これに対抗し白人世界の反人権・反人道の現実を摘出し続ける必要がある。

そういう努力をしなければ、「日本人は罪を認めた」とみなされ「やっぱり一番悪いのは日本人だ」と強調されて、白人たちの不法非道は不問に付されたままになるだろう。残念ながらこれが現在の世界のルールである。

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白人ツーリズムは現代の植民地主義である

白人の基準によれば、デンマークは「高度に人権と表現の自由の保障された国」であり、タイはマレーシアよりも立派な「自由の国」であって、ミャンマーは民主主義はもちろん人権に関しても最底辺に位置づけられる国であろう。

白人はまず、「ミャンマーに旅行すべきかどうか」すなわち「ミャンマーに旅行することは正しいことかどうか」を議論するところからはじめる。

これは彼らの頭が完全に狂っている証拠としか私には思えないのだが、彼らは、

「(白人)ツーリストがミャンマーの人権状況を監視することができるから行ったほうがいい」

というキチガイじみた結論に達するのである(ロンリー・プラネット)。

しかし彼ら白人ツーリストは、「白人にとって居心地のいい・都合のいい場所」にしか最初から行くつもりはない。常に「白人の生活様式一式」を巨大なバックパックに詰めて辺地を移動する擬似「異文化」体験を求めるツーリストにすぎない。

したがって、彼らのいう「人権を監視する」とは、白人がどれだけ「ふさわしく」「文明的に」扱われるかを監視するということ、すなわち、有色人種たちがご主人様たる白人をもてなすマナーをちゃんと守っているかどうかを監視することに過ぎないのである。

白人ツーリズムはまさに、現代の植民地主義にほかならない。現代の植民地主義たる白人ツーリズムをイデオロギー的に指導し、弁護するのが、「ロンリープラネット」である。

彼らは白人がミャンマーに旅行することの是非については大いに語るが、タイでレンタルワイフを雇ってアジア中を連れ回している大量の白人男たちの「旅」の是非については決して語らない。

脛毛を出してのし歩き、地域住民感情など一切意に介さず、どんな片田舎にもアジア人売春婦を連れまわし、西洋式の買春の仕方とビールとコカコーラのラッパ飲みの仕方を実演して見せ農山村にまで害毒を撒き散らしている大量の白人男たちの行動の是非については、決して語らないのである。

なぜミャンマーが非難されるのか

ミャンマーは人種差別も少なく、日本人旅行者にもやさしい国である。

人権と民主主義に関していえば、ネパールの専制の方が深刻である。ブータンも自由で民主的な国とは言えない。もちろん私はブータンを批判するつもりは全くない。

なぜミャンマーは白人に批判され、ネパールやブータンは批判されないのか。ネパールやブータンはアメリカに楯突いていないし、ネパールはイスラエル人を含む白人ツーリストを大々的に受け入れてちやほやしているからかもしれないが、なにより、ミャンマーには天然資源があり、地政学的にも重要な位置にあるからだろう。

ミャンマーには、将来インドとともに発展し、世界的な食糧難の時代に食料資源の供給に寄与しうる潜在的な力がある。

植民地時代にイギリスは、マンチェスターで織った綿布をビルマにロンジー用に「輸出」し、ビルマの米を「輸入」するという形式で、ビルマの富を搾取していたほどである。

ミャンマーが人権批判をかわすには、根本的にはアメリカに膝を屈し、内外にアメリカの価値の優位性を宣言しなければならないのだろう。

しかし、近道がないこともない。ヤンゴンの目抜き通りに売春バーやプールバーを開き、英国旗やカナダ旗、オーストラリア旗掲げて白人ツーリストを誘致歓迎し、現地女性を自由に抱かせる。これは事実上の白人の「勝利宣言」「優越宣言」であり、ビルマ人の「雌伏」の宣言になる。(ボス猿が交尾の真似をすることによって上下関係を公認させることと同じ原理だが、ここでは従属させようとする集団の雌たちと実際に交尾するのである。)

白人が欲しいのは(広い意味で)イデオロギー的な「ヘゲモニー」であり、白人の文明的「優位性」を、国際的にもミャンマー国民にも、認めさせることだから、現地女が競って白人男に憧れ抱かれたがる姿を世界中に晒させることでもかなりの部分目的は達成できるのである。

しかしそれをやってしまったらミャンマーは終わりであることは言うまでもない。千年単位の国家の自殺である。

タイのようにゆっくりと腐って行き、周囲に腐臭を撒き散らしながらやがて自壊する国になるほかはない。

アウン・サン・スー・チーの意味とアウン・サン将軍の動機

ミャンマーが特別な批判を受ける理由(口実)の第一は、もちろん、アウン・サン・スー・チーをめぐる問題である。

彼女は「人権弾圧」の「象徴」にすぎないが、何よりも「ヘゲモニー」を求める白人にとっては「象徴」が極めて重要な意味を持つ。

ミャンマー政府がアウン・サン・スー・チーを弾圧するということは、アウン・サン・スー・チーが代表するところの「白人世界」(「白人の理念」「白人の正義」および「白人の支配する世界のルール」)に対して、ミャンマー政府が正面きって反抗しているという象徴的な意味を持つ。白人にとっては何よりもこの「意味」が重要である。

アウン・サン・スー・チーは、内面は完全なイギリス人で、ビルマ語も満足に話せないといわれる。イギリスの雌犬にすぎない。それでは、自らの娘を旧宗主国の女奴隷のように育てた「建国の英雄」アウン・サン将軍とはどんな人だったのだろうか。

彼は日本軍の支援のもとでビルマ国民軍を創設し国防大臣の地位についたが、戦後(連合国に対し)「日本人はわれわれを犬のように扱った」と公言している。

The Japanese were able to maintain Burmese political support for only a short time before their harsh and arrogant conduct managed to alienate the Burmese.(日本人はほんの少しの間はビルマ人の政治的支持を得ることができたが、過酷で傲慢な振る舞いでビルマ人を遠ざけようとして支持を失った。・・・・・

訳註:これを書いているのはきっと『ロンリープラネット「タイランド」』を書いているあのレイシスト白人男だろうと思う。ロンリープラネット「ミャンマー」の執筆にはあの男も一部加わっている。

彼はビルマ人とタイ人との区別もつかないようだ。白人が優勢になったらすぐに白人側に日和り、日本人に背を向けただけでなく、日本軍の駐屯地を襲ったりしたのはタイ人である。日本が優勢に見えたときには日本人に媚び、日本軍について来てビルマに侵攻し、シャン州を侵略したが、その罪は、後の白人への必死の媚びへつらいと死に体の日本兵への容赦ない残虐行為という踏み絵により、戦後も不問に付されたのである。

ここに書いてあるのは、タイ人がとった醜悪な行動を白人の側から都合よく解釈したものに過ぎない。それがビルマ人にも当てはまると勝手に妄想しているだけだろう)
Aung San expressed his bitterness during his stay at Japan's 15th Army headquarters in Maymyo(now Pyin U Lwin):

I went to Japan to save my people who were struggling like bullocks under the British.But now we are treated like dogs.We are far from our hope of reaching the human stage,and even to get back to the bullock stage we need to struggle moreLonely Planet, Myanmar(Burma), Facts about Myanmar-Historyより


要するにアウン・サンは、日本人のもとで自分たちは人間並みに扱われなかった、イギリスに支配されていた方が良かったというのである。

イギリスに支配されて去勢された牛、すなわち白人にぺこぺこしながらも結構良い思いのできる植民地エリートでいた方が良かったと彼は思ったのであろう。

結局のところアウン・サンも、アジア途上国エリートにありがちな男で、エリート意識とコンプレックスとのあいだで揺れたすえ、白人にはどうしてもかなわないと観念し、反日にコンプレックスのはけ口を見出した反日家、白人崇拝主義者でしかなかったということだろう。

しかし、すべてのビルマ人が彼と同じように感じていたとは私は思わない。日本兵とともに最後まで戦い散華したビルマ人を含め、大部分のビルマ人は彼とは別の考えを持っていたはずである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/09/discriminationb_bbd7.html

東南アジアにいる白人「教師」たちはほとんど性犯罪者の集まり。

日本でもそうかもしれないが。

若者への「性的いたずら」でタイから追放されるアメリカ人英語教師【NST】

オーストラリア人英語教師が児童買春・児童ポルノ作成で逮捕される ジャカルタ インドネシア

2,3年前には、チェンマイの大学の白人先生が、ホテル「スリ・トーキョー」で売春婦相手にバイアグラセックスをして腹上死した事件があった。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/post_1629.html

白人メディアも認めざるを得ない
「アジアでの英語教師職は性犯罪者の隠れ蓑」−AP通信(ジョンべネ事件)

[記事の概要]アジアの英語教師の世界は、旅行中に簡単に現金を稼ぎたいバックパッカーや海外での経験を作りたがっている新卒者、そして、何か隠し事があって絶えず動いている連中の、浮動的なネットワークである。

機会と成功と同視されるこの言語を学びたい人が多い地域では、多くの国で、ネイティブの英語教師の需要が供給をはるかに上回る。

多くの英語学校では教師の転職率は高く、審査は最小限のものである。インチキの認定書を持ってくる者や、−このJohn Mark Karrのように−本国で教師を辞めさせられた者にも、アジア中で広く門戸を開き、彼らを教室に招き入れている。

10年前の事件のときに「ジョンベネと一緒にいた」ことを自供している容疑者Karrは、2001年以来ドイツ、オランダ、コスタリカで教師をしており、同年4月カリフォルニアで児童ポルノ所持で逮捕され6ヶ月の服役の後、姿を消した。

その後、Karrは、2002年に韓国で数ヶ月、2005年にホンジュラスで、そして今年6月、「厳しすぎる」という理由で解雇されるまで2週間、バンコクの一流の学校で教えていた。

Convicted sex offenders from various countries have popped up in Asia as English teachers性犯罪の前科者たちが英語教師としてアジアにひょっこりやってくる。

"It's a very traditional paedophile strategy,""If you want to sexually abuse children what better job would there be."

これはたいへん伝統的な小児性愛者の戦略である。もしあなたが子供を性的虐待したいなら、これよりいい仕事があるだろうか。

犯歴のある外人教師が、ばれないようにするのは簡単である。前歴や素性に関する情報が国際的に共有されることは容易ではないからである。もっとも格式の高い英語学校でさえ審査は困難である。

とくにタイのような観光国家では、英語能力に対する需要が大きく、これが教師の欠員をすぐに埋めなければならないプレッシャーになっている。

アジアではニセの教師証明書も安く手に入る。仕事はいくらでもある。たとえば、昨年度日本では4500の外国語学校があり14000人近い教師がいた。韓国では12000のネイティブスピーカーが私立学校で教えている。

(ニセでもOK仕事はいくらでもあるときて、いきなり日本の数字が挙げられている。いずれ、日本の女が英語教師名目の白人性奴隷を買いあさり虐待している、とか批判されそう。その通りなら仕方がないが・・・・)

世界中の国の学校がネットで求人広告を出しており、教師たちが、仕事を見つける前に短期で働き、すぐに次の仕事に移ることが容易になっている。これが逃亡中の性犯罪者のための完璧な隠れ蓑をセックスツーリズムで悪名高い地域に提供している。・・・・・・・・・・・

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こんなことはいまさらくどくどというまでもないこと。

中卒のオーストラリア人でも白人でさえあれば英語教師の口はすぐに見つかると思う。オランダ人、ドイツ人や北欧人でも英語が話せればOKではないだろうか。しかし、アジア系や黒人だったらアメリカの一流大学を出ていてもタイの民間語学学校で英語教師の仕事はまず無理だろう。

現在大量の一般白人ツーリストたちが、タイを中心とする白人セックスツーリズムセンターにおしよせいるにもかかわらず、彼らがそこで何も見ていないということはありえない。

みんな十分知っているはずなのに、白人メディアは、Karrの事件のような言ってみればくだらない「失踪白人女性症候群」的な騒ぎがおきて初めて教科書的な能書きを披瀝している。

この記事に出てくる白人NGOなども、東南アジアなど行ったことのない人間向けのお上品な言い訳の仕事をしているに過ぎない。

白人はただセックスバカンスにいそしんでいるだけでなく、チャイルドセックスツーリズムを憂いているんです、というところだが、日本人などが何かしたときの彼らの反応に見られるような高飛車な非難の態度はまったくなく、ひたすら「憂う」のみ。

今回は「英語教師」がターゲットなので、白人は逃げられない。アジアの「英語」産業が、名だたる人種主義産業、白人至上主義産業であることは言うまでもない。白人もアジア人もみんな知っていることである。

必要もないのに「英語」を勉強したがることは、かっこ悪いだけでなく、実害を生んでいるという認識を、日本人はもっと持つ必要がある。

私は以前、日本など東アジアでの英語教師を目指す(イギリス)人向けの指南書みたいな本をチラッと見たことがる。前書きで、金額まで挙げて

「日本でビジネスマンとちょっとおしゃべりするだけでこんなに儲かるのだ。これをやらない理由があろうか。これは不道徳だろうか。いや、そうではない・・・・日本人はとてもhumbleな人たちである・・・・」

みたいなことが、くどくど書いてあった。そこしか読まなかったのだが、しんそこ日本人をなめきった内容だった。humbleというのは卑屈とか卑しいという意味だと思った。こういうのを読んだ人間が英語教師として日本などに来るのである。

「教師はみんな外国人」なんて広告を出している学校には特に注意すべきだと思う。正常な感覚の人間が聞けばただでもいかがわしく感じるセリフだが、性犯罪者をかくまいかねない社会的にも有害な施設であるといえるだろう。

こういう学校は、間接的にであれ白人セックスツーリズムを激励し、白人による児童買春ツーリズムにも寄与しているのだということが、今回の事件でますます公になってきたといえる。

小学校で英語を教えるそうだが、これにも反対である。福沢諭吉は25歳から覚えたそうである。戦前の知識人は、ほとんど読本だけで英語を学んだが、英語もほかの外国語もよく使いこなした。読めない外国語がまともに話せるわけがなく、読めるようになれば英会話など習わなくても話せるようになる。

よく言われるとおり、内容のない話をぺらぺらしても軽蔑されるだけである。英語をぺらぺらしゃべって尊敬されるのは、後進国の情けない連中にだけである。尊敬というより羨望で、あなたの英語が彼らから見て上手すぎればだだちに嫉妬に変わり、白人を巻き込んだ返り討ちにあうだろう。

そういうかわいそうな国では、白人ツーリズムが産業の重要部分であり、「英語を話せること」がすなわち「学問」であり「教養」なのである。

彼らはそれ以外の「教養」の定義についてほとんど思いをめぐらせたことがない。国が発展するということの意味も考えたことがなく、自国が事実上の乞食国家であるという自覚もない。

つまり、小学校で英会話を教えましょうというのは、それらしい英語をしゃべるタイの白人バーの売春婦みたいな子供をたくさん養成しましょう、ということにほかならない。

とくに白人の英会話インストラクターを大量に採用するようなことは、現実問題として、日本に大量の白人ぺドフィリアを引き入れるというのとほど同義である。白人NGO団体も性犯罪者をスクリーンのしようがないと認めているのである。

白人男が、キャリアにもならず大してカネにもならない日本での英会話教師などを志願するのは、女以外の目的はまずないだろう。しかも白人男にとってアジアの幼女というのは格別に魅力的なものらしい。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-15.html


児童買春(子供買春)2008年10月 2日 (木)

クアラルンプルでまた幼女(10歳くらいに見える)を連れた白人男を見る
あまりに堂々としているので写真も撮らなかった。「正当な理由」があるのかもしれない。「正当な理由」を準備して堂々と振舞うことで白人は世界を制覇してきた。

今日、クアラルンプルの中華街で、10歳くらいに見える幼女を連れた30歳くらいのバックパッカー風白人男を見た。10歳くらいに見えるというのは、もし日本人の女の子だったらそのくらいの年頃に見える、ということ。東南アジアの子だから12歳か13歳くらいかもしれない。

どう見ても白人の子には見えないが、父親に似ないこともあるのでこの汚い白人男の子でないとは断定できない。かわいいアジアの女の子、どっちかといえば中国系の子に見えた。

「正当な理由」はいろいろある。

「養女(義理の母親もあり。カネで現地女を雇う)」

「孤児と遊ぶボランティア」

「少数民族の子供にただで英会話や勉強を教えてあげるありがたい白人青年ボランティア」

「現地妻の連れ子(現地妻を雇うがそのオバサンが目的ではもちろんない)など。

こちらにも書いておいた。
http://kuantan.aboutme.jp/user_statuses/show/82392


白人の強みは情報、ネットワーク、「野蛮の地」における惜しみない相互扶助、重要なことにはカネを惜しまないこと、長いバカンスが取れる「生活の質」などである。これらの諸要素は、「正当な理由」付の児童買春・児童性的虐待遊びや「ガールフレンド」遊びにも有効である。

「イスラム国家」マレーシアの首都クアラルンプルで幼女連れ白人を見たのはこれで2回目である。いずれも中華街。一回目はこれ。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-116.html
http://journal-ibrahim.blogspot.com/2007/03/kl.html

  
なお、タイの幼女連れ白人の実例はこれ。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/04/crime.html


【タイ】5歳の養女に性的暴行を加えた72歳の米国人男を逮捕 パタヤ

「バービア」というのはビア・バーすなわち、タイの売春バーのことです。タイでは絶対売春(対価を支払って女の子をお持ち帰り)がないバーというのはまずないので、すべてのバーは潜在的に売春バーといえます。

タイではすべての恋愛や結婚も、かなり長期契約売春といえるわけですが。(別にマルクス主義者〔結婚は法制度化された売春だと主張する〕とかでなくても納得するような「あからさまな」意味で)。
 
母によると、ビーチ付近で娘と散歩中に声をかけてきた男にいきなり娘を養子にしたいとの話を持ちかけられ

白人男による、こういう形での幼女少女調達、偽装夫婦による児童性的虐待は、タイではありふれたものです。白人のお家芸といえます。

アジア系男はこういう段取りが苦手なようで、売春宿から児童がいなくなってからはトンと児童買春に縁がなくなったようですが。

  
「タイの地元新聞を読む」より。 
   
5歳の養女に性的暴行を加えた72歳の米国人男を逮捕

 チョンブリー県パッタヤー地区の警察当局は18日夜半、5歳の養女に対する性的暴行容疑で72歳のアメリカ人の男を逮捕した。

 この逮捕は、養女の実母であるバービヤで働く21歳のタイ人女性が警察に被害届を提出した事により実現したもので、実母によると、ビーチ付近で娘と散歩中に声をかけてきた男にいきなり娘を養子にしたいとの話を持ちかけられ、当初は疑っていたものの、男の誠実な対応に心を打たれた両親や親戚の勧めを受け、娘の教育費や自分の住居費の面倒を見るという条件で今年5月に養子契約を締結したという。

 しかし、その後男が、定期的に娘を男の家に行かせるという当初の約束に満足できず、終いには娘を男の家に留め母親に会わせることを拒むようになった為、不審に思い17日に何とか娘に会うことが出来た際に娘に生活状況を聞いたところ、娘から毎晩の様に男に性器を触られたり、無理矢理男の性器を咥えさせられているとの証言が得られたことから、男に娘の返還を要求したが拒絶された為警察に告発したという。

 逮捕された男は警察の取り調べに対して一貫して容疑を否認しているが、警察側は、養女と実母の証言に一致する点が多いことから、実母の告発は事実に基づいたものであると見て、医療機関で養女の診察を行った上で、あらためて詳細な事情聴取を行う方針を明らかにしている。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/times/2008/07/572_c8c3.html

 59歳のアメリカ人男がチャイルドセックスで逮捕 
11歳と12歳の少女とプノンペンのホテルで カンボジア

59歳のアメリカ人男が11歳と12歳のカンボジア人少女とプノンペンのホテルにいるところを警察に逮捕された。月曜日、元旦のこと。

これは児童買春というより、幼女奴隷といったほうがいいのだろう。

白人の場合、同時に二人の幼女と性行為をすると逮捕される確率が高いようである。このケースは男が2人の幼女と一緒にホテルにいるところを逮捕されている。身を隠そうとする形跡すらない。

このケースの被害者はベトナム人少女でなく、カンボジア人少女のようである。(なおさら悪質性が高いように感じられる。ことさら幼女を求めて貧しい家庭と交渉したことが考えられる。というのは、ベトナム幼女の人身売買には「市場」があるが、カンボジア人幼女の人身売買には市場がないからである)。

最近のカンボジアでも、白人が逮捕され報道されるケースはこのようなエゲツナイものばかり。

幼女を連れて歩いているくらいでは逮捕もされないのだろう。

孤児援助のボランティアだ、NGOだ、ミッショナリーだなど、白人にはどんな言い訳でもして開き直る用意がある。実際、その手のボランティア、NGO、ミッショナリー等が、白人のチャイルドセックス、児童性奴隷、人身売買の温床にもなりカバーにもなっているのである。


An American held over child sex

アメリカ人男が幼女性的虐待と人身売買の罪で逮捕される プノンペン カンボジア

裁判所は昨日、アメリカ人の男をヒューマントラフィキングと二人のベトナム人幼女を性的に虐待した罪で告発した。(カンボジアは糾問主義)。Myron Maboris(46歳)が、水曜日、当地のゲストハウスの彼の部屋を手入れされたあと逮捕されたと、市の人身売買対策警察の副長官、Keo Theaが語った。警察は、Maborisが13歳と14歳の2人の少女と部屋にいるのを見つけた。彼は彼女らとセックスをしたとされる。(マレーシア紙New Straits Timesより)

白人が起こすこのような犯罪は、3日に一回ぐらいの割合で報道されている。このアメリカ人男も白人でないとは考えられない。タイ近辺では、黒人は道を歩いているだけで犯罪者扱いされ警察の尋問を受けることが多い(マレーシアを除く。マレーシアはタイとは逆で人種差別がタブーというのが国是の国で、黒人はのびのびしている〔ただし白人崇拝がまったくないわけではない〕)。

日本人男性がこのような事件を一件でも起こしたならば、(産経新聞も含めて)日本の新聞は大きく紙面を割いてスキャンダラスに報道するだろう。そしてその報道がまた世界中にフィードバックされて復唱されるのである。
しかし、こちらで3日に一度のように報道されている白人の性犯罪は白人世界のメディアではまず報道されることがないだろう。彼らにとってはこのような事象は「ない」ということになる。白人セックスツーリズムの醜態についても具体的には報道されることはないのではないか。

カンボジアでクズなドイツ人が逮捕されてもドイツの新聞が報道するということはないだろうし、アメリカ人でも同じ。

当地の新聞で報道されるものも、起訴に至ったものばかりであるし、それもすべてかどうかわからない。実態と比べれば、氷山のほんの小さな一角である。

東南アジアの国々の警察は(マレーシアも含めて)白人に対してはきわめて及び腰である。タイはいうまでもないが、カンボジアのような弱小国ならなおさらであろう。もしも白人を誤認逮捕でもしたら欧米メディアにどれだけたたかれることか。賠償を請求され、重要な資源である観光のイメージを悪くすることか・・・・。

よほどの目にあまる確証(たとえば近所の人間は誰もが知っているとか、白人NPOからの通告とか、白人からの密告とか)がない限り、なかなか強制捜査に着手できないのではないだろうか。この事件の犯人も、2人のローティーンの少女を同時に、ゲストハウスの自分の部屋に連れ込むという、おぞましくも不用意な男である。
underageというのが何歳からになっているのかわからないが、新聞で報道されるのは女の子が15歳未満の場合ばかりである。

日本のように17歳と援助交際で逮捕されて名前を晒されるということはない。17歳の少女を堂々とレンタルワイフにしている白人男は東南アジアにはいくらでもいるだろう。

つまり、underageでない年長女子との同棲や事実上の人身売買は大手を振ってまかり通っており、そのような白人は自国メディアでの倫理批判を受けることもなく開き直っているということである。

児童買春カテゴリーを見てほしい。白人の児童買春犯罪がいかにすさまじく性懲りもないことか。

私は常に新聞をチェックしているわけではないし日本にいるときもあるから、これらは報道されたものの中でも氷山の一角、つまり氷山の一角のさらに一角なのである


ドイツ人男が児童性的虐待で10年の刑 シアヌークビル カンボジア

裁判所は、7歳もの若さの4人のホームレスの少年に性的虐待をした36歳のドイツ人の男に10年の刑を言い渡した。男の名前は、Watrin Alexander Moritz。火曜日、シアヌークビルの地方裁判所により、debauchery(遊蕩):これは当地の当局が使う性的虐待を意味する言葉、の罪で有罪の宣告を受けた。(マレーシア紙New Straits Times記事)

「プノンペンの置屋にたむろする日本人」を批判する産経新聞の記事を前にあげたが、白人流のやり方の一端がこの事件に現れている。ホームレスの少年と直接交渉したようである。白人はフィールドを好むようだ。

アンコールワットの近くにあるレストランなどにも多くの白人ツーリストがたむろしている。

そして、実にかわいらしい(カンボジアの子供はたいていかわいらしいが)幼い少女たちが、彼らのところに笛を売りに来る。白人男たちはまず買わないが、物売りの幼女たちと会話を楽しんでいるようだった。

4年前に私が見たのはそこまでであるからそれ以上のことは言えない。

しかし、3,4年前のタイで。「チェンマイの花売り少女」は8歳ぐらいから20歳近いのまでいた。多くは山岳少数民族の女の子たちで、ロイクローの売春バーにたむろする白人酔客たちのところに行って薔薇を売っている。(チェンマイのバーは売春バーでもオープンバーで花売りが自由に客のところまで行ける)。客は花を買ってバーの女(多くが売春婦で少数民族の少女が多い)にやるのである。

花売り娘たちは夜更けまでチェンマイの街中をうろついていた。中にはかわいらしい12歳の少女で、なぜか英語が上手すぎる子もいた。

NGOのようなところに出入りしていた14歳のアカ族の少女は、バーの白人客から500バーツでホテルに行こうと持ちかけられたことがあると言っていた。彼女は学校には行っていなかったが英語が話せた。キリスト教ミッショナリーに侵食された村の出身らしく、自分もクリスチャンだといっていた。英語は村の教会(高床式の村の中でひときわ目立つけばけばしくペンキを塗りたてた小屋など)で教わったようだった。

タイの山岳少数民族はお金に困ることが多い。彼女らのほとんどが「永久IDカード」は持っていなかった。タイ族なら無条件にIDカード(=タイ市民権)が交付されるが、山岳少数民族には難しい。町に出てきている山岳民族の多くが期限付きのIDしか持たず、その更新をするには警察に大金(私が聞いたときは4000バーツ)を払わなければならない。(IDカードなしでも自分の村には住めるが、移動の自由はなく町に出ることができない。

彼らは本来山岳地域を移動しながら焼き畑農業などをしてきたので、移動を禁じられることは自給自足の生活さえ脅かされることを意味する。また貨幣経済の浸透により、現金収入も必要になっているからどうしても町に出ざるを得ない。一方ミャンマーではすべての山岳民族が永久IDを与えられる。山岳少数民族の市民権に関する扱いではタイよりもミャンマーのほうがより「人権」に配慮している)。

彼女たちにとって4000バーツは気の遠くなる大金である。このような状況に陥った少女たちに対してファラン(白人)の「援助」の手が差し伸べられることは、大いにありそうなことであろう。

東南アジア全域で、花売りや物売りや乞食の少年少女(幼女)に「援助」を持ちかける白人男は数え切れないと思われる。
 
アジアの現地警察は(日本を含めて)、白人の性犯罪に関してはよほど目に余ることをやっていない限り手を出せないということにも注意すべきである。

カンボジア警察はよくやっているほうだが、これは国連が作り出した「スワイパー村」での幼女買春(お客は国連関係者)が問題になった経緯があり、国連機関・国際警察機構が取締りの後押しをしているからである。

タイ当局は「取り締まらないことによって問題がないことにする」政策を貫き、映画「闇の子供たち」をも弾圧している。


「闇の子供たち」、タイで上映中止に=バンコク国際映画祭

(私はこの映画を見ていないし原作も呼んでいないので、その内容についてはここで評価することはしないが)。

実際、タイの田舎を回ってみれば、不自然な3人家族を見かけることは珍しくないはずである。白人の「父親」とタイ人「妻」と12歳前後の「娘」が、会話も交わさず人目を忍ぶように、あまり人の来ないようなホテルに滞在し、転々としている。
タイ北部の田舎でゲストハウスを経営していたあるアメリカ人は、そういうドイツ人の「父親」から宿泊の依頼を受けたが断ったと言っていた。しかし、このアメリカ人は「良心的」といえるか?

「野蛮」の地では白人同士はやばいことでも遠慮なく頼むし、頼まれたほうもできるだけ力になろうとする。野蛮人の警察に通告したり恐喝したりはしないのである。

アジアの白人ツーリズムは異常である。中東から西では、これに類するような嫌なものは見なかった。ごくまれに土人売春婦連れの白人を見たくらい。
    


2008年9月17日 (水)
いまだに繰り返される「日本人もやっている」で黙らせようとする論法
先日、アクセス解析のリンク元解析を見ていたら、ある匿名掲示板にこの記事のリンクが貼ってあり(よくは読まなかったが)、あいかわらず「そういうことは日本人もやっている」という反論がなされていた。

はっきりいえば、少なくとも今、日本人はこんなことはやっていない。80年代の幼女が万国の路上で売りに出されていたころならどうかわからない。しかし、今こういうことを堂々とやっているのは白人だけである。

なぜなら、相手が白人の場合と日本人の場合とでは現地警察の対応がまったく異なってくるからである。

白人も幼女買春で逮捕されることは多いが、東南アジアで逮捕される事例は、被害者が非常に幼い場合がほとんどで、同時に複数の13歳未満の幼女を自宅やゲストハウスの部屋に引き入れて同時に淫行していたとか、常習であったり、派手なものがほとんどである。目にあまるので近所の住人のうわさになり通報があったような場合である。警察が気がついただけでは容疑者が白人なら見て見ぬふりをするのが普通だろう。カンボジアはいまは多少厳しいかもしれないが、タイではまずそうである。

一方、日本人がこの写真にあるような行為をしていたなら、直ちに現地警察が駆けつけて逮捕するだろう。タイなら現地マスコミも大喜びするはずである。

東南アジアのNGOや国際機関も白人主導であり、できるだけ「アジアで児童を虐待しているのはやっぱりアジア人だ」という結論を導きたがっている。彼らも白人の悪行はなるべく表に出したくないのである。

昔も今も、この種の犯罪行為の「数」から言えば白人が圧倒的である。白人は日本人が東南アジアなどに買春旅行にいくようになる何百年も前から、アジア、アメリカ、アフリカの植民地でこの種の犯罪を普通に、犯罪ともされずにずっと行ってきているのである。

「量の違い」、ということを無視することは欺瞞である。白人が今も続けている圧倒的な歴史的犯罪を、日本人の一件の犯罪で中和することはできない。同じような犯罪行為を行う日本人が数名いたとしても、この種の犯罪の主体が白人であることには変わりはない。

圧倒的な量の違いは「質の違い」なのである。

さらに、「日本人もやっている」という反論で白人批判を中和しようとする言論は、その論者がこの種の行為を「本当は悪いと思っていない」ということを示している。

彼らは日本人がやっている限りはその行為を手厳しく批判し、日本人を非難するだろう。rところが、白人だけがやっているときにはすっかり批判の手を緩めてしまう。それが「悪い」ことであるならば、誰がやっていようと、白人がやろうと日本人がやろうと悪いのだが、彼らにとってはそうではないということだ。

「人権」や「正義」は重要な理念である。ところが、世界史上最も人権や正義を踏みにじってきた白人が人権や正義をもっとも声高に叫んでいる。彼らが偽善者なのは確かだが、だからといって人権や正義が無意味になるわけではない。

つまり、仮に「日本人もやっている」としても、われわれは白人のこの種の犯罪行為を見つけたならばそれを糾弾することができるし、また、しなければならない。人権や正義の普遍性ということはそういうことである。白人は白人の評価を下げるような事実をできる限り隠蔽しようとするのが現実なのだから、なおさら非白人が声を上げなければならない。
 
白人によって「アジア人もやっている」という反論がなされる以上に、日本人自身が「日本人もやっている」で黙らせ、議論自体を潰そうとすることが多い。この種の「日本人もやっているで黙らせる論法」は、非常に「ムラ的」で団体主義的で配分主義的な言論だといえると思う。「日本人ならそのようなことをよそに向かって言うべきではない」といって、日本人言論社会の思想統制をしようとしているに等しいからである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/journal/cat6339172/index.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c168

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
169. 中川隆[-12557] koaQ7Jey 2018年5月24日 03:08:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

土人はなぜ土人か _ 白人崇拝がタイ人を土人にした


タイ人女性は白人の奴隷女であることが嬉しい


仏教や王室に対する侮辱にヒステリックに反応して見せるタイ人だが、自国の娘たちが白人の女奴隷として扱われることには何の抵抗も感じない。

現にまったく抗議しないのだ。 嫌だという意思表示も一切しない。

タイ人は白人には一切文句を言わない。

彼らは白人からはどんな扱いを受けても平気なのである。

タイ人自身、どうせ自分たちは「土人」だと思っているからである。

それが土人の土人たるゆえんでもある。

そして、白人の前で他の有色人種がタイ人より勝って評価されないようにその足を引っ張ることにのみ専念する。


「日本人もヨーロッパに行くときには往復航空券が要るよね」

「日本人の女の子もファランが好きだよね」

タイ人が日本人に対する決め手として出してくるのはだいたいこんなとこである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/08/post_eecb.html


「土人」とは、白人が有色人種を見る歴史的な見方を、まずもって見られる側として次にはあくまでそれに従属する形で見る側として、内面化してしまった者のことである。

(したがって、日本の「過去の歴史」と「土人」性とは関係がない)。

白人との関係で、

有色人種の世界で他の有色人種に比べて上位の者とされたい、

白人に愛されたい、

白人が有色人種支配のために課したシステムの優等生になりたい、

という動機が内面に刷り込まれて本能のようになっている者のこと。


「金髪碧眼」に言われることにはおとなしく従う気分になるということだろうか。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6237979/index.html

タイでは都会はもとよりよほどの田舎町でも、ごろつき白人が奴隷女を囲って貴族滞在している風景を普通に見ます。

そういう「白人のいる風景」を毎日見ていて平気でいられる、それが普通なのだと思っている、というのがタイ人です。

これほど白人を受け入れている国民はアジアでも他にはあまりないと思います。

自国民の女をクズ白人爺が奴隷女のように囲って自分の町や村に滞在している、そんな「白人のいる風景」をタイでは普通に自分の生活空間の中で、屋台でも喫茶店でもモールでも、毎日のように目にしなければならない。

つまり、ごろつき白人はタイ人の生活の一部になっているわけです。

これがもしネパールだったら、と考えてみると、カトマンドゥのタメル地区(ツーリスト地区)では土人女連れ毛唐をたまに見ますが、女奴隷連れで旅行している白人で、女はネパールで調達したのではなくタイなど外国から連れてきたのが多いように見える。
ネパールでは契約売春婦の調達は簡単ではないようです。

ネパールの田舎町だったら、仮にその毛唐が囲っているのが自分とは無縁のカーストの女であったとしてもネパール人は黙ってはいないと思います。
 
ヨーロッパ人はタイのバービア嬢やゴーゴー嬢と安易に結婚して(短期間=結局破綻するので)本国に連れ帰る例が多いようですね。

白人ツーリズム=買春拠点であるチェンマイではそんな話をよく聞きました。

ヨーロッパで暮らしたことがあるというのを自慢にしている売春婦(自称「ガールフレンド」、「支払われるガールフレンド」を稼業にしている女)のも少なくないような。

そんなタイ女がヨーロッパにいっぱい住んでいるのだから、タイ人の場合、先進国で差別されて当然というほかないような気がします。

ごろつき白人がタイでだらだら暮らすために売春婦と結婚して本国にも連れて行くという例も非常に多いのですが(係累のない孤児のような女を必死で探すのだとか=それは納得ですが)、堅いイギリス人などで育ちの良いのがちょっとタイに来て売春婦につかまってしまう例も少なくないと聞きました。

タイに来ただけで「アジア」がわかってしまったと思い込むタイプの白人が多いようです。

まじめなヨーロッパ人男が初めてのアジア旅行でタイに来て、自分が教えられてきたヨーロッパの価値観や美意識とはまったく違うものがまかり通っていて、しかもそれで結構楽しい思いができたことにショックを受け、

「これだ!これでいいんだ!これがアジアなんだ!」

とか思い込み、売春婦と本気で結婚してしまうこともあるのではないかと思います。

実際、人身売買、児童売買、海外移送の手先として国際的に活躍しているタイ女が非常に多いので、タイ女が国際社会で胡散臭い目で見られるのはむしろ当然でしょう。それはタイが国策として長年やってきたことの当然の結果です。

タイの「ガールフレンド産業」のせいでタイ人以外のアジア女性全体が「ガールフレンド」や「レディー」のような目で見られている面が相当あるのだから、タイ人が差別されるのは自業自得というほかありません。

私は日本の入管もタイ女だけは極力入れないようにすべきだと思います。フィリピン女よりたちが悪い。彼女らが売春するだけならまだしも、そのかげではるかに弱い立場にいる少数民族などの少女が売買され搾取されている可能性が非常に高い。

白人の児童性的虐待のカバーとして、児童の母親役のタイ女と偽装カップルになるというのはタイではごくありふれたことです。

(児童とも母親役の女とも・・・ということがあるかどうかまではわかりません。これでは偽装親子○ですね)。

これだと目立ちにくいので、それによってタイが「児童買春支援国家」として国際的非難を浴びることもないから、タイ国内では白人がやってる分にはほぼ野放しのようですね。

しかし(どうでもいいことですが)こういう悪い遊びをするにはある程度ネットワークが必要です。

児童の調達はもとより、母親役の女の調達など、現地人の支援と白人同士の助け合いが必要になります。

日本人買春オヤジはこういう組織性が必要な遊びは苦手なように見えます。

たしかに、白人同士はアジアでよく助け合っているように見える。

「野蛮人の地では助け合う」というのは、数百年にわたる経験で白人が得た知恵かもしれません。

在外日本人たちのようにいつも互いに足を引っ張り合っているよりは麗しいことかもしれません。
 http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-174.html


52 : [sage]:03/06/10 01:24 ID:KpHVIBQs

白人コンプレックスのタイ人女性をFBIが分析した


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    |:::::| ∴∴  -二二二二- ∴∴ |:::::::|  < 白人男は私の物
    |:::::|                  |:::::::|    \___________


顔・目は細く、小さい。目頭が無く、寄り目。眉毛が無い。鼻は低く穴は丸く、鼻筋が無い。

出っ歯。のっぺり顔。口は開きっぱなし。夢見る表情。

身体的特徴・チビ、弛んだ身体。首が短く、短足O脚。大顔。貧乳。 貧尻で垂尻。ぶ厚い前髪。

趣味・欧米の映画や音楽、白人スターの追っかけ、白人男性を見る。

好きな映画・ハリポタ、ロードオブザリングなど。ファンタジーや、中世映画で白人美男が出てくる作品。

目的・美形白人の恋人を作る。

性格・内弁慶。白人的外見の黄色人女性に嫉妬。親に八つ当たり。自虐的。
僻みっぽく、被害妄想。執着型。強迫神経症的。 誇大妄想。ナルシスト。

白人男性のこととなると急に自棄になり、白人男性と一緒にいるタイ人女性を見ると酷く嫉妬し、悪口を言いストーキング。

特徴・白人男性にしか興味が無く、有色男性を無視。色白で金髪青目の王子様ルックスや貴族を好む。

有色混血白人男性には興味無し。

完璧な白人男性を手に入れられず苦しむ。

自身を白人と同等に考えているため、白人とは別物だという事を理解しない。

自身を黄色人だと思わない。

白人男性からのナンパを期待しウロウロ。

白人男性とは下手糞な英語で皆に聞こえるよう大声で話す。

心の中で黄色人差別。英語が上手いふり。

欧米留学は白人男性が目的だから語学は上達せず大金を払った親が苦労。

欧米旅行も運命的な出会いを期待して。欧米人の集まる場所も同。 

291 :名無しさん:2006/10/19(木) 16:49:52 ID:G0tVeQpI
タイ人の心の中

「日本? あー戦争に負けたアメリカの植民地ね。
独立してる我が国とは格が違うわ。
あっスティーブンから電話だわ、着替えなくちゃ」


304 :権:2007/04/04(水) 20:26:51 ID:4BjjlJOw
それにしてもパタヤの女は完全ファラン漬けだ。

ファランの後ろを歩いていると実感するね。

「セクシーメーン!ウェカ〜ム!」 

そのあとを歩く俺には顔を伏せて一斉無言を決め込む。 
 全く自身喪失になるよ。
日本でこんな屈辱知らないからね。

62 :名無し:03/09/10 18:09 ID:MH6fliqX
本国に帰ったら、永久に窓拭きやっているようなヤツにペコペコ頭さげてるタイ人を見ると哀れだよね。


413 :mm:2007/04/11(水) 00:09:41 ID:yti/C4HH

タイ人女は白人男とセックスの相性がいいからだよ。

白人がセックスするときの声とか聞いたことあるか?
ポルノ顔負け、というかポルノは演技じゃない。

実に卑猥な動物的な声でヒヒヒヒヒイエースイエースハーハーハーオーオーオー
って感じ。

それに対してタイ女が反応する。

オホーイオーイオホーイってね。これもまた実に動物的。

動物同士のセックスがうまくいくからなんだよ。

タイの女で日本女みたいに高周波な?ひーひーってあえぎ声出せる
やついるの?


182 :G[sage]:2006/08/29(火) 09:25:50 ID:gls40XbM
タイの若い女は全員売春婦になっちゃったからな
女子大生の憧れがGOGOで踊る事らしいorz


118 : :2005/04/06(水) 10:20:28 ID:VYJCzbfq
タイだけじゃねーよ。ぴーなもジャパニーズも台湾人もチョンも女は同じ。
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

先進国にはたいてい「ミスコン批判」という運動があり、いろいろな理由で美人コンテストを激しく非難する人たちがいるものです。

そのせいかどうかは分かりませんが、日本では美人コンテストを敢行する人々はあらかじめいろいろな言いわけを用意しなければなりません。

曰く、容姿だけでなく知性や教養も審査するだの、人間性を総合的に審査するだの・・・言えば言うほど滑稽になる理屈を用意し、何かしゃべらせたり、受け答えを見たりしたりするようです。

しかし世界にはそのような心配から一切自由な国もあります。そんな国の代表格の一つがタイです。タイでは、美貌こそ善であり正義である、という大原則が社会を貫いています。ミスコン批判など出る幕はないようです。

先日タイで行われた美人コンテストでは、母国語すらロクに話せない、オーストラリア白人との混血の女性がトップに立ち、ミスタイランドに選ばれました。

結局、タイ語ができないからミスタイランドとしての仕事が果たせないという分かりやすい理由で、賢明にも本人がトップの座を辞退しました。しかし、その人を選んだ人たちが何を考えていたのかは謎です。あとさきも考えず混血美人に飛びついたのでしょうか。

タイ人の「美」の基準はわれわれのものとはすこし異なると思われます。
まず、肌の色が白ければ白いほど美しい。何はさておき肌が白くなければダメ。肌さえ十分白ければ何とかなる。色黒は問題外です。

日本人から見れば色黒な人が多い国なので、これほどまでに色白に憧れる姿はいささか憐れを催します。しかし、上流階級のタイ人には華人系の肌の白い人も多いので、色白はわれわれが想像する以上に切実で具体的な憧れなのかもしれません。

褐色の肌を美の基準にすればもっと多くの人が幸せになれると思うのですが、彼らにその気はまったくないようです。タイ人が最も嫌うものが「平等」です。

ともあれ、ちょっと余裕のある人は異様な情熱で美白に励んでいるようですが、美白といっても、日本ではやっているようなシミそばかすやクスミを防ぐ美白ではなく透明感うんぬんでもなさそうです。そんなことより、なんでもいいからとにかくすこしでも肌を白く見せたい。できれば白人のように、それが無理なら中国人のように白く見せたいというダイレクトな白い肌への憧憬のようです。つまり、われわれから見れば「タイ人らしくなく」見せるためです。

タイ人にとって美はたんなる僥倖ではなく、むしろ倫理規範であり正義です。

つまり「美」を求めるのはタイ国民の義務であり、そのことに躊躇や恥じらいはまったくないようです。

そんなことから、大部分のタイ人とは似ても似つかない白人との混血女性を、タイを代表する「ミスタイランド」にしたてあげるのも平気だったのかもしれません。

美が正義である以上、美が要求されるのは男性も同じことで、その基準も同じ。

色白=ハンサム=金持ち=正義の人、ということになります。

色黒の人は、外で働かなければならない人=貧乏人とみなされます。

タイでは貧しさは悪です。

貧乏人や「弱者」は人間とはみなされません。

すこしカネのある人は下女に働かせて自分は日焼けしないように昼間から日陰でごろごろというのがよくあるタイ人の姿です。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-category-7.html


タイの男が最も気にするのが女性の肌の色


白ければ白いほど美しいと同義語になる。

タイ人は元々浅黒い肌(蜜色)なので、色白であることは美人の絶対条件の一つ。
浅黒い肌は最も蔑まれる。

華人との混血の人、北部出身の人、東北のイサーン人でもほとんどラオスとの国境にいる人々などは色白が多い。

外で力仕事をしている下層階級の人々は日照時間が長いから色白になりえない、家の中にいて優雅な暮らしをしている人々は色白だと固く信じられているのか、肌の色は社会階層まで表す。

それだけに色白の娘というのはタイ男が最も憧れる女の条件の一つになっている。

“ピユ・ダーム”と言えば「肌が黒い」という意味になるが、タイ語の「黒い」という言葉は何かしら蔑みの気持ちも含まれている。
http://hage.momo-club.com/news/mp-ura3.html

タイでテレビに出るような「美人」(とされる人)たちの大部分は、白人との混血。ただし日本のテレビに出る白人混血とはかなり違う顔立ちである。

タイの環境からして必然的に、ほとんどが契約売春婦の子か売春契約的婚姻関係で生まれた人たちと言うことになる。

背が低すぎたり顔が醜すぎたりして本国では女に相手にされない白人男性たちが、タイの女紹介エージェントに殺到している。

以前白人のサイトを見ていたら、「タイ人はもう大部分が白人との混血だから安心しろ」なんて書き込みもあった。

アジア全体が中南米のようになってしまうのが白人にとって一番都合が良い。
それが白人にとって最高のアジア戦略だということもこれまで書いてきたとおり。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/04/post_6ce7.html


数年前に私が飛行機内で隣り合わせた一人旅の日本人の女の子は、タイの入管役人に「お前はタイ人の癖になんで日本のパスポートを持っているんだ」と詰め寄られたと語っていた。

その理由はどうやら、彼女が小柄で「土人顔」だったからのようである。

それだけでなかなか通してもらえなかったそうである。

この一件で彼女はひどく傷ついたらしく、「タイの差別はひどい」「タイ人は人種差別主義者」としきりに訴えていた。

当時の私はまだタイに行ったこともなかったし、タイのことは何も知らなかった。

ご多分に漏れず、「仏教国で親日的な『微笑みの国』なのではないか」という、よくある幻想を抱いていたので、彼女の言っていることの意味がピンとこなかった(あとあとになってタップリと知らされることになる)。

この事例からも窺えるように、タイはまず「容姿」による差別を合理化し、制度化さえしている。

タイ人にとって「容姿」はIDカードに準ずるか、時にはそれにまさるものであり、法的資格でさえある。

その土台にあるタイの階級社会における生殖によって、「土人」顔は再生産されるとともに、「土人」搾取のシステムもまた再生産される。

白人がレンタルワイフにどんどん生ませている混血児が(時にマスメディアのセレブリティを獲得したりもして)事態を多少複雑にさせているかもしれないが、これが却って「土人」搾取の現実を対外的に曖昧化し、「タイ式社会」への「国際的」(=白人世界の)認知あるいは黙認を導き入れているのである。

タイ人は、「タイには(卑しい)土人がいる」ことを抵抗なく受け容れる。

タイ族は、彼ら(色黒の人、モン系、クメール系、山岳少数民族、マレー系等)を、外国人の前でも公然と侮蔑する発言をしてみせる。

ところが現実は、このようにタイ人自身が「タイに土人がいる」ということを受け容れていることによって、タイ人全体が「土人性」を帯びることになるのである。

このことこそ、タイがどこまでいっても土人国家、土人売春国家(土人性奴隷国家)であり続けるゆえんである。

なぜなら、タイ人自身による「土人蔑視」は、客観的にはタイ人(タイ国民)としての自己卑下でしかなく、タイの「土人国家」性にかんする自己規定にほかならないからである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/07/post_3d74.html

強きものを強きがゆえに尊敬し、嬉々としてこれにへつらい、弱きものを弱きがゆえにおとしめ、ないがしろにし、踏みつけにする。

これがタイ精神であり、タイの思想であり文化であり美意識なのである。

白人の植民地になると白人崇拝になる、というのであれば、400年も白人に支配されていたインドネシアはよっぽど白人崇拝の国になっていなければならないはずだが、実際はそうではない。

誰が見たってインドネシアよりタイのほうがはるかに白人崇拝主義者のスクツである。

ただ、フィリピンや中南米のように混血が進んでしまうとなかなか誇りの回復は難しくなるようである。しかも、発端が「女奴隷」や「レイプ」のようなものであることは明らかなので、白人との混血系は白人と対等の立場を持つことは無理である。

タイもベトナム戦争以後今日に至るまでどんどん白人との混血が進んでいる。

ほとんどが売春婦やレンタルワイフや、白人が遊びで「結婚」した事実上のレンタルワイフの子である。
 http://ibrahim.blog49.fc2.com/?mode=m&no=126


179 :名無しさん:2008/08/14(木) 10:59:59 ID:7RddDhgX

タイは白人マンセーの国なので黒人はもてません。
黒人差別はアメリカよりひどいかもしれない。


180 :名無しさん:2008/08/14(木) 11:01:30 ID:A4vKdFxZ
一時期服の仕入れのメッカになって黒人が押し寄せてたけど、 宿はあからさまに嫌がってたなあ


184 :名無しさん:2008/08/14(木) 22:06:06 ID:3aWIcBuT
タイのCM観りゃ白人や色白ハーフばかりだろ
タイ人は色白ハンサムなファランが大好きなんだよ
逆に自分よりも色黒の黒人なんかは見下してるのが現実


188 :名無しさん:2008/08/15(金) 22:31:33 ID:rEbk8CMW
大体よ、白い肌が上位なら
黒い肌のタイ人は醜いってことになるじゃん。


189 :名無しさん:2008/08/15(金) 22:37:37 ID:xnOEZCFS
>>188
そうだよ
タイ人の中でもそうなってる
南方系の黒い人たちより北方系のが美人とされてる
白人や日本人(白いとされてる)と結婚したがるのは白い血をいれたいため


190 :名無しさん:2008/08/16(土) 03:54:52 ID:IksD8qsA
>>188
そうなんだよね。
タイ社会の中でも色の白いのが優位に扱われているし、色黒の人達は
コンプレックスを持っている。
>>184>>189の言うとおりなのが現実だよ。

実際、色白華僑系のムエタイ選手なんてほとんどいないだろ?
あんなのは低階級のやることだって言うのがタイ人の認識。
いろんな意味でタイは人種差別があるのが本当。


209 :名無しさん:2008/09/01(月) 19:45:32 ID:DWVoKR3B
白人を優遇してるのは白人との混血を増やして人種を白人に近づけようとしてるのかもしれん。
肌が白いほど良いとしてるのも国策なんじゃないか。


210 :名無しさん:2008/09/02(火) 10:36:32 ID:DtuBEVFN
混血増やそうたって、白人女性はタイ人を全く相手にしてないんだけど。
俺、白人と結婚したタイ人男性を一人も見たこと無い。
負け犬白人にはらまされたパン助は多いが。


337 :名無しさん:2009/10/27(火) 06:07:17 ID:MSkrVtb4
金持ちタイ人って他のアジア人(日本人含む)を見下す人が多い気がする。
タイの中で金持ちっていっても日本人からしてみれば普通レベル。
まぁまれに桁違いの金持ちがいるけど。
日本人が住むごく普通のコンドミニアムにそういうのが多いな。

アジア人には無愛想、白人には親切、ってね。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/world/1193226362/l50

59 : :03/08/06 00:12 ID:qux8372O
タイ人の場合、白人コンプレックスというより「肌白」 に対する崇拝のほうが激しい気がする


514 :soi57:2008/04/05(土) 20:18:52 ID:hgaEKE71
タイのTVとかも酷いよね
「色白でないと女じゃない!」みたいなCFとか平気で流してるし
タイの会社案内とか見ても、必ず登場するのは白人ビジネスマン
アメリカでこんな事したら、間違いなく黒人連中からクレームだよw


66 :☆:03/09/12 22:14 ID:SWf4IJqN
タイでは色黒は嫌われる。
よってタイ在住のインド人は好かれない。
勿論、黒人はアメリカ人でもモテない。
しかし母親がタイ人のタイガー・ウッズは例外。
白人は基本的にモテるが、タイの観光業者はイスラエル人やユダヤ系の人は大嫌い。
(とにかくドケチなくせに、 気難しく口うるさいから)


90 :☆:04/09/23 18:39:28 ID:iBNubaf+
タイ人は色白になりたがる
小麦色に焼きたがる日本人が理解できないらしい

113 :タイ焼き:2005/04/05(火) 03:12:08 ID:xbhNBPtZ
タイのポップス歌手はやたら混血が多い、白人顔が好まれる、
アジアで唯一植民地にならなかったのに、多のアジアの国より白人に憧れ度が高い。
ベトナムみたいに白人国家と戦争して勝った経験がないし 白人支配の経験が無いのが、白人に媚る原因か?

タイガーウッズもゴルフしてなかったら有色カテゴリだろな。
多の元植民地国家の対白人意識とタイの意識は違いを感じる。


114 : [sage]:2005/04/05(火) 04:10:26 ID:5U7GCaNQ
単純に白人のほうが見栄えがするからだと思うが?


88 : [sage]:04/09/07 23:25 ID:FVFrndTt
白人女性はアジア女性よりはるかに美しいと思う。 
ヤローについては何人でも何とも思わない。


102 :     :04/12/09 13:54:44 ID:XR/sZIYq
白人女性、綺麗だよね。若いうちは。


103 :XXXX     :04/12/10 00:01:56 ID:+0moPS9B
バッグパッカーでも何でも良いがタイで見かける白人女性の中には Miss World Class が随分といるよね。


78 :名無しさん@お腹いっぱい[sage]:04/07/07 15:14 ID:lsSuGp52
なんか、このスレの白人コンプレックスな奴キモイ。
白人の容姿が優れているとか思うのは、六本木とかテレビとかでみてる白人がそうだからだろ。
六本木にいる奴とかテレビに出てる奴は、モデルやモデル崩れなんだよ。
一般人の白人はそうでもないよ。とくにアメリカ人は野暮で下品だ。


194 :うむ :2006/09/02(土) 09:43:07 ID:DJuY2RVD
タイ国人は誇り高き民族 
経済発展で収入が底上げされれば地位が上がったように勘違いする。
特にバンコクのサラリーマン層は勘違いは甚だしい。
外国に言って自分の地位を再確認するべし(どうせ出国できないが)

周辺の国境を接している国やタイ族のいる外国では自分達が一番という態度をとる。
理由は建国から現在までの持続している歴史がありかつ現在の経済状況がいいから。

ミャンマーや西双版納、カンボジアでの彼らの振る舞いは「横柄、威張り」そのもの
もし日本人が中国、朝鮮等でそんなことをしたら絶対ボコられる。

国内でのマイノリティーに対する差別もあからさま。階層の順はこう考えているらしい

1位タイ人(中華系含む)、
2位イサーン人、
3位ベトナム人、
4位カンボジア人
5位イスラム教徒、
6位ミャンマー、インド、
最下位山岳民族(アカ族等)

※イスラム教徒は以前底辺扱いだったが南部爆弾テロの成果で少しは
地位が向上した様子。アカ族も一揆を起こせば少しは状況が変わるかも
しれない。

タイ人の人をモロに馬鹿にする場面もよく見たな

とあるホテルのロビーでなかなか来ない予約したタクシーを待っていると
レセプションの女どもがインド系の人達が流暢な英語で話しかけるとタイ語で何ですかとかよく理解できませんと言ってもろ嫌な顔をして文句ブツブツ言いながら不機嫌モロだしだった。

その後に白人が英語で話すとちゃんと英語で対応している場面あり。

ここで怒っちゃいけない。そういう文化というか風習の人達決して悪気はない (と思う)

多民族国家によくある差別は当たり前。

この差別にタイで抗議しているのは南部のマレー系の人達のみ。
北部少数民族や東北地方のラオ系は蜂起しないので彼らの扱いは醜い。

こうして考えればカースト制度というかアパルトヘイトみたいなのが自然に存在する

外国人旅行者もランク付けされているので ある意味白人以外はチップも必要ないし、外国人価格の適用を受けなくてもいいと思われる。

しかしこのあたりはタイらしく、金に関しては地位に関係なく持っている人は還元せよ的な自分本位な考えがある。

タイ人との結婚を考えている方 基本的に日本人とこのあたりの感覚が違うのは念頭においておいた方がいい。

530 :通りすがり:2008/11/12(水) 22:15:59 ID:vJiUbpJf
タイ人の人種差別は凄いぞ

山岳民族、ラオス、イサーン人は公然と差別して構わない雰囲気がある
それに比べ欧米人にはバカみたいに媚びる
奴隷ほど醜い人種差別を行うってことか
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

499 :オー様と名無し:2010/07/15(木) 03:52:54 ID:xpca9PFw0
タイの現在の法制度ではタイ人と山岳民族(タイヤイも含む?)は日本の戸籍制度にあたる住民登録が違っているのですが、

純粋のタイ人は黒のタビアンバーンで、
山岳民族等はタイに住んでいても外国人を意味する黄色のタビアンバーンを与えられています。


524 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 01:46:30 ID:8pGGVD4U0
チェンマイでもどこでも良いけれど役所の窓口で1時間くらい観察してみてください。
黒(濃紺ですか)と黄色の扱いの違いがはっきりわかるから。

黄色ホルダーの相手には役人はほとんど命令口調。
書類不備なのかどうか罵声を浴びせられてる場面もありました。

しかもまわりのタイ人はそれを見て笑ってました。
田舎へ行くほどその傾向は強いようです。
そういう社会なんですわ。

まあ外国人の黄色タビアンにはそういう扱いは無いようですけど。

528 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 09:11:52 ID:11VZTIw60
タイ人の人種差別意識には、ほんとにウンザリさせられる。

まず初めに気づいたのは、イサーン人への差別、俺がモーラムやルークトーン
が好きだと言ったら、赤貧農家の小作人にさえ馬鹿にされた。

次に気がついたのはインド人や黒人等、白人以外への差別。

また、隣国(ラオス、ミヤンマー、カンボジア人)への差別意識も物凄い。

最も酷いのが、山岳、少数民族への差別感、彼らは人間でなく家畜並みの存在だと思っている。

この鼻持ちならない差別意識に、今ではすっかりタイ人の性格がよく分かり
微笑みの裏にある、厭らしくて姑息で偏見だらけの国民であることが、最近よく分かった。

もうすぐ日本に帰るけど、もう沢山だよ、こんな国。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/3341/1275952742/

154 : [&]:2005/12/30(金) 02:11:29 ID:oFbK3j9h
タイ人ってのは、無学な国民が大多数なので見た目でしか人を判断できません。

見た目が金持ちなら、親切な態度をとってくれますが貧乏そうだと、自分よりも下のレッテルをはって見下した態度をとります。

ためしに、ヨレヨレのTシャツに短パン、不精ひげといういでたちで55やソイ7の円光バーに行ってみましたが、その時は見事に無視されました。

翌日アルマーニのYシャツ&ズボン、グッチの革靴で、こぎれいにしていくと、全然態度が違い、女が寄ってきてウザイほどでした。

男の店員もミスター扱いで、やれやれといったところです。
ホント、タイ人って馬鹿で、面白い国民です。


156 :THAI邦人:2006/01/13(金) 19:04:42 ID:OzVB37eF
タイ人は、貧乏人を最下級層と判断するDNAを持っている。(山岳民族等と同等)
よって、ミエ張りばかりで御座います。
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c169

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
170. 中川隆[-12556] koaQ7Jey 2018年5月24日 03:37:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

オペラに描かれたダメダメ家庭 配信日 05年2月11日  (10年4月8日に大幅に改訂)
タイトル 蝶々夫人(原題:Madama Butterfly)
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm

作曲 ジャコモ・プッチーニ
初演 1904年 ミラノ スカラ座


先日のインド洋の津波で、救援のため、アメリカ海軍の空母「リンカーン号」が出動しました。

アメリカ軍の船のリンカーン号は、オペラにも出てきます。勿論のこと、かなり前の代のものでしょうが。

リンカーン号が出て来るオペラは、あの有名な作品、プッチーニ作曲の「蝶々夫人」です。

長崎を舞台に、アメリカ軍人のピンカートンに捨てられたチョーチョーさんが自決する話です。

ピンカートンはリンカーン号に乗って長崎にやってくるんですね。
どうやらアメリカ軍においては、リンカーン号は、太平洋周辺で活動するのが慣わしとなっているんでしょうね。

今まで、このカテゴリー「作品の中で描かれたダメダメ家庭」では、多くの映画を取り上げて来ました。今回は趣を変えてオペラにしてみます。
オペラ「蝶々夫人」って、名前くらいは聞いたことあるでしょ?

「ピンカートンとチョーチョーさんの家庭がダメダメ家庭なの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、そう言うことではありません。むしろチョーチョーさんの発想のスタイルが、ダメダメ家庭出身者の発想スタイルの典型と言えるわけ。

最近はオペラのCDは図書館で借りることもできます。図書館によってはヴィデオやDVDを借りることができるところもあります。
ご興味が出てきましたら、対訳を読みながらCDを聞いたり、字幕つきのDVDやヴィデオで見たりしてみては?

では、チョーチョーさんのどんなところがダメダメ家庭的なのでしょうか?具体的に検証してみましょう。

1. 家柄自慢・・・ダメダメ家庭出身者は意外にも、自分の出身家庭の家柄を自慢したりするわけ。そもそもダメダメ家庭では地縁,血縁に拘ることが多いことは、このメールマガジンで何回も書いています。このチョーチョーさんも「私の家はお侍で、本当はこんな芸者稼業をする人ではないのよ!」と言っています。自分の出身家庭に誇りをもつことは結構。しかし、そんな感情が「自分の本当の姿はこんなモンじゃないんだ!」という現在の自分への否定的な感情なり、被害者意識につながって行きやすいわけ。

2. 母とは疎遠・・・非業の死を遂げた父のことは語れても、まだ存命中の母親のことについては語れない。どうも折り合いが悪そう。ピンカートンから捨てられた後で、母親と相談してもいいのに、どうしてそうしないの?あるいは、結婚式において、チョーチョーさんが叔父さんにいじめられている時に、間に割って入って、娘をかばうのが本来の母親の役目でしょ?それにアメリカ軍人との「結婚」がどういう意味を持つのか?大人である母親がもっと娘に説明する必要があるでしょ?どうもチョーチョーさんの母親は、母親の役割を果たしていないわけ。

だからこそチョーチョーさんは、家柄自慢はしても、家族自慢はしない。亡き父親を語っても、母親は語れないわけ。

3. 親戚の問題・・・チョーチョーさんの親族は、それこそ自決した父親、影の薄い母親、アルコール中毒の叔父、宗教に入れ込んでいる叔父・・・と、こんなメンツ。いかにもダメダメ家庭の親戚ですよね?

4. 近隣から孤立・・・チョーチョーさんの結婚式の際に出て来るご近所さんの対応をみるにつけ、このチョーチョーさんはご近所から「浮いて」いたことがよくわかります。まあ、ダメダメ家庭の人間は会話ができないので、どうしても地域から「浮いて」しまいがち。その上、最初の家柄自慢が加わるので、ますます疎遠になってしまう。それに、ちょっとのことでスグに逆上したりする傾向があるので、ご近所さんも警戒したりする。だからどうしても孤立しやすい。

5. 発想が極端・・・ピンカートンと結婚する段になって、チョーチョーさんは従来の宗教を捨てて、キリスト教に改宗する。それはそれでいいのですが、ピンカートンはそんなことは求めていません。チョーチョーさんの宗教が何だろうと関係ないと思っているわけ。まあ、サスガにお歯黒はイヤがりますが、宗教なんてどうでもいいわけです。

実際にピンカートンは仏像を「大切にしようね!」って、言っているくらいです。ピンカートンにしてみれば、チョーチョーさんは、どうせ現地妻なんですからね。宗教よりも容姿ですよ。ただダメダメ家庭の人間は往々にして発想が極端。そして相手に入れ込んでしまうことになる。退路を断つというよりも、もともと大切なものを持っていないわけ。

だからこそ、宗教だって、簡単に乗り換えることができてしまう。それに、仏像を捨てられるということは、従来のお寺とのやり取りも、うまく行っていなかったということでしょ?

6. 玉の輿狙い・・・「いつも上手く行かない!」と思っている女性は、いい男をゲットして一発大逆転の玉の輿を狙おうとする。おまけにダメダメ家庭の人間は「恋に恋する」妄想癖がある。現実離れした男を「すばらしい!」と思ったりするわけ。

あるいは自分の家柄自慢に引っ張られて、「家柄がよければOK!」という無謀な玉の輿を狙ったりするんですね。チョーチョーさんもそのタイプ。そして結婚後は、周囲に対して「これからは私をピンカートン夫人とお呼び!」と言い放ったりするわけ。

しかし、会話のできないダメダメ家庭出身の女性と結婚するような男性は、何か問題があるもの。マトモな男性なら、会話の楽しい女性と結婚するものでしょ?
結局は、とんでもない事態になってしまうんですね。

7. 会話が無い・・・日本女性とアメリカ男性の国際結婚なのだから、いたしかたがない面もありますが、この夫婦には会話がない。まあ、イタリアオペラなんだからイタリア語で会話がちょっとありますが。会話がないから、捨てられたチョーチョーさんがピンカートンの思い出を語ることも出来ないわけ。せめて「あの時の会話は楽しかったわ!」くらいなら、まだいいのですが・・・会話が無いから思い出もないわけ。「あの時には、一緒にこんなことをした。」そんな思い出話もない。そもそも、この「蝶々夫人」というオペラは、結婚前の情景と、夫が立ち去った後の情景の2幕でできています。逆に言うと、結婚生活は描かれていないわけ。つまり、愛情あふれる結婚生活を描いているわけではなく、それが「失われた」と言っても、それが本当に存在していたとはいえないわけ。

有名なオペラであるヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」では、ヴィオレッタとアルフレードの楽しい新婚生活が描かれています。だから、それが失われるがゆえに、喪失感なり悲痛な心情を持つわけ。。

その「椿姫」も、結婚生活を描いた第2幕がないと、印象が変わるでしょ?
オペラ「蝶々夫人」は、意識的に、その結婚生活の描写がないわけです。

8. 現実を見ない・・・ダメダメ家庭は現実を受け入れることをしない。結局は妄想の中で生きているわけ。チョーチョーさんはピンカートンに捨てられたのを受け入れない。ただ「帰ってくるわ!」「帰ってくるわ!」の一点張り。そしてドンドンと妄想の深みにはまって行く。しかし、現実を受け入れないことで、次善策をとらなくてもいい。「帰ってこないのなら、じゃあ、どうしよう?」そんな発想から逃避している。結局は、精神的にラクしているだけなんですね。逆に言うと、そのような現実逃避的な傾向を持っているがゆえに、外国人との結婚という現実離れした夢に親和性を持つわけ。

9. チャリティーおたく・・・ピンカートンに捨てられたチョーチョーさんはお金がなくなって来たのに、有り金を恵まれない人に寄付してしまう。そんなことやっている場合ではないのに・・・子供の食費はどうなるの?しかし、現実を見たくない人間は、そんな善行をすることで、現実から目をそらすわけです。そして、「ああ、恵まれない人に恵んでやっているワタシって、なんていい人なの?」と自画自賛。そして「こんないい人のワタシなのに、うまく行かないのは、全部○○のせいだ!」と誰かに責任を押し付けることになる。

10. 味方を作ろうとしない・・・このオペラで出てくる男性で、実にマトモなのはアメリカの長崎領事のシャープレスさん。結婚前のピンカートンに「女性を悲しませてはダメだ!」「彼女は入れ込むタイプだぞ!」と忠告したり、捨てられたチョーチョーさんに、「別の生き方を見つけては?」とアドヴァイスしている。本当にいい人。

ヘンな話、チョーチョーさんも、このシャープレスさんの長崎の現地妻にでもなればいいじゃないの?確かに年齢はいっているでしょうが、常識は持っているわけだし、何より品性がある。シャープレスさんなら、チョーチョーさん本人にも、チョーチョーさんの子供にも十分な配慮をしてくれることは確実です。あるいは「人を見る目」があるシャープレスさんを後見人にして、新たな男性の2号さん?になればいいじゃないの?

しかし、そんなシャープレスの現実的な解決案を受け入れないチョーチョーさんは、折角の現実的なアドヴァイスも「アンタなんか、ワタシのことは何もわかっていないわ!」と逆上したりするわけ。これでは味方もいなくなってしまいますよね?ちなみに「逆切れ」はダメダメ家庭出身者のオハコであることは言うまでもないことでしょ?

11. 子供だけが頼り・・・ダメダメ家庭では味方を作ろうとしない。それにもともと会話の能力も低い。だから話し相手は自分の子供だけ。だから子供を取り上げられると何も残っていない。だから死なないといけないわけ。

12.約束の地・・・チョーチョーさんは「夫が帰ってくれば、今の困難な状況もすべて解決!」そんな極端な解決策しか持っていない。逆に言うと、そのように自分に言い聞かせることで、現状認識から逃避し、将来展望も封印してしまう。だから地道に対処する発想もない。常に一発大逆転を狙うばかり。


確かにお涙頂戴のオペラなんですが、色々とチェックしてみるとダメダメ家庭出身者の要素がテンコ盛状態。

ちなみに、このオペラは全2幕のオペラです。第1幕にも第2幕にも「花を撒き散らす」シーンがあります。第1幕ではチョーチョーさんの結婚を祝う、純粋に「喜ばしい」シーン。第2幕はピンカートンが長崎に帰ってくることがわかっての喜びのシーン。ただこの後でチョーチョーさんがピンカートンに捨てられたことがはっきりわかって自決することになってしまう。つまり第2幕でのシーンは「喜びの中に悲劇を内包」しているシーンと言えるわけ。

ということで、ちょっとニュアンスが違っています。

作曲者のプッチーニはバックのオーケストラによって、撒き散らされた「花の匂い」を表現し分けています。第1幕の花の匂いと、第2幕の花の匂いの違いを音で描き分けているわけ。

単なるお涙頂戴ではなく、緻密に計算されているオペラなんですね。だから何回も泣けるわけ。単なるお涙頂戴の劇なら、1回しか泣けないでしょ?

このように「花の匂い」をオーケストラによって表現するのは、20世紀の音楽ならではのオーケストラの扱いと言えます。音楽表現の進歩が必要とされているわけです。

音楽表現は時代によって進歩していますが、人間そのものは、いつの時代にも変わらないでしょ?

このような現実逃避で自己逃避の女性というのは、このチョーチョーさんばかりではないもの。

それこそ・ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画「ベティ・ブルー」のベティさんもその典型ですし、あるいはトルストイの「アンナ・カレーニナ」のアンナさんも、まさにその典型。

彼女たちは、都合が悪くなると「そんなものは、ワタシに見せないでよ!」とスグに逆切れして、常に問題を先送り。そして、「うまく行けばいいなぁ・・・」「誰かワタシを助けてくれないかなぁ・・・」と周囲の人に期待しても、自分では何も努力しない。

結局は、はじめの頃にはあった出口も自分でふさいでしまって、すべての出口がなくなり、ドッカーンとなってしまう。そんなパターンは、ダメダメ家庭出身者には、実にポピュラーなパターン。

チョーチョーさんのような人は、いつの時代にも、どこの場所でもいらっしゃいますからね。

それに長崎はこの当時から、ダメダメ家庭のメッカだったこともわかります。進歩がないわけ。

オペラというと、「舞台の上で、太った女性と男性が大きな声でオーバーな演技。」と思っていらっしゃる方も多いでしょうが、後々まで「残る」ような作品は、それなりのリアリティがあるわけです。
そのリアリティに観客が共感するわけですね。

ちなみに、このオペラ「蝶々夫人」のタイトルは「Madama Butterfly」。ちょっと考えれば、ヘンなタイトルですよね?

「Madama」はイタリア語で「夫人」と言う意味。「Butterfly」は英語で「蝶々」。だから合わせて「蝶々夫人」となる。しかし、オペラ「蝶々夫人」はイタリアオペラなんだから「蝶々夫人」をそのままイタリア語にすると「Madama Farfalla」(ファルファーレって、パスタにあるでしょ?蝶々の形をしたヤツ)となる。あるいはアメリカ軍人ピンカートンに合わせて「蝶々夫人」を英語にすると「Mrs.Butterfly」になる。

結局は、チョーチョーさんは、アメリカ軍人ピンカートンの「ミセス」にはなれなかった。「Madama」という、あいまいな・・・リアリティのない立場だった・・・ということなんですね。

ちなみに、この文章をお読みになられた方で「オマエはチョーチョーさんを、かわいそうとは思わないのか?この人でなしめ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は別にチョーチョーさんを冷笑的に見ているわけではありませんよ。やっぱりかわいそうですよね?

ただ、私はシャープレスさんの方に共感してしまいます。そのシャープな(なんと名前はSHARP・LESS ・・・シャレなんでしょうが)洞察力で、当事者たちに十分に警告していても、結局は当事者たちはカタストロフに突進してしまう。それをわかっていて散々忠告しながらも、結果的にカタストロフを見守る役目は辛いもの。
酔っ払いよりも、酔っ払いを介抱する方がシンドイものです。

このようにオペラ「蝶々夫人」という作品を、現実逃避的で「恋に恋する」妄想癖のあるダメダメ家庭出身者の女性が、自分自身で出口を塞いで行き、ついに唯一の出口に到達する・・・そのような心理劇と見る発想は、世界広しと言えども私だけかな?と思っていましたが、同じことを言っている人がいました。

イタリアの指揮者のジュゼッペ・シノポリという人。彼が指揮した「蝶々夫人」のCDに彼のインタビューが載っていますが、私と同じことを言っています。たまたま調べていたら私と同じことを言っているのに、私もビックリしました。

彼は「『蝶々夫人』は日本のオペラとは言えない。彼女のような女性はヨーロッパに多くいる。」と、おっしゃっています。ダメダメ家庭はヨーロッパにも多くあるわけですから、「蝶々夫人」の問題は日本固有の問題ではなく、世界的な問題なんですね。

このシノポリさんは、精神分析で博士号を取った方、作曲もなさって、売れっ子指揮者としての激務の傍ら、考古学の博士号も取られた方です。
そんな生き急いでいたので、50歳代で心臓麻痺で死んでしまうことになるのでしょうが。

オペラ「蝶々夫人」を心理劇と見ることは、彼の精神分析者としての立場から来る面もあるのでしょうが、私はむしろオペラを作曲した経験から来る面もあるのでは?と考えています。

オペラとか芝居とか映画などの舞台劇には、鉄則があります。
「ドラマの進行には役に立たない人間は登場させない。」ということ。

小説のような本を読む場合には、ページを読み返して、ちょっとわからなくなった登場人物をチェックすることができる。しかし、舞台劇ではそうは行かない。あまり多くの登場人物が出てくると観客は困ってしまうわけ。

舞台劇の場合には、登場人物の数そのものを絞る必要があるわけ。原作において役割の薄い人物は2,3人を1人にまとめたりして、観客にわかりやすくするようなことが必要なんですね。

少ない登場人物で、濃密なやり取り・・・それが舞台劇のスタイル。

しかし、オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は役割が薄い。ちょっと出てきて挨拶をするだけ。オペラ作品の登場人物なのに、歌を歌うわけでもない。

娘の結婚を祝う歌くらいは、シチュエーション的に設定できるでしょ?

もし、私が一般的なオペラ作家なら、チョーチョーさんの母親は、夫が自決したあとで後追い自決をしたことにして、娘の結婚の際には死んでいたことにしますよ。
それだったら、チョーチョーさんの孤独な境遇を強調できるし、最後のカタストロフを暗喩することもできる。いずれにせよ、本来ならチョーチョーさんの母親は、あえてオペラに登場させる意味はないわけ。

オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は、ドラマの進行において実に中途半端で、役割を果たしていません。

しかし、「母親の役割を果たしていない母親」という「役割」を果たしている・・・そう言えるのでしょう。そこがまさにダメダメ家庭のドラマなんですね。

(終了)
***************************************************

発信後記

またまた怒涛の長さになってしまって・・・
しかし、こうやって考えてみると「蝶々夫人」というオペラは実に現代的でしょ?

本文中で言及した指揮者のジュゼッペ・シノポリさんは、医学部で精神医学を学ぶ傍ら、音楽院で勉強した人。精神分析で博士号を取って、指揮者としても引っ張りだこで、その傍ら考古学で博士号をとって・・・まあ、そりゃ死んじゃうよね。

精神分析やったり、指揮者をやったり、考古学をやったり・・・とマルチな才能とも言えるのでしょうが、多分、本人はそうとは思ってはいなかったはず。

楽譜を見て、「この音楽をどのように演奏しようか・・・」と考える演奏家が大多数でしょうが、「この音楽を作曲した作曲家は、どのようなことを考えて作曲したのだろうか?」と考えるタイプの演奏家もいるわけ。

そのようなタイプは当然のこととして、「この患者はどうして、このようなことを言ったりするのだろうか?」という精神分析にも興味を持つ。
それに「この古文書や遺跡を作った昔の人は、どのようなことを考えて遺跡を作ったのだろうか?」とも考えることになる。
結局、皆同じ発想なんですね。

学問をジャンル分けした人は、それほど頭のいい人ではないので、既存のジャンル分けを前提にモノを考えるとかえってわかりにくくなる。

知性というものはシンプルなもの。

ただ、シノポリさんのように、狂気のように、自分の生命を削るように、思考に突進して行ったのは、それなりのわけがあるのでしょう。彼も色々とモノが見えた人なんでしょうね。

他人の思考を読まずにはいられない、そのシノポリさんの精神を、私が読もうとしていたりする。

似たもの同士はタチが悪い。
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c170

[中国12] ”観客2万人から容疑者拘束” 中国の顔認識システムが話題/nhk 仁王像
1. 中川隆[-12555] koaQ7Jey 2018年5月24日 04:06:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

中国「悪夢の監視社会」

2017年07月27日 中国のネット世界 強まる規制と失われる自由

中国に不都合なサイトは遮断され、このブログも中国からは見れない
引用:http://growth-ideas.com/wp/wp-content/uploads/2015/10/18f03320-s.jpg


中国で許されている自由

中国にはもともと自由は無かったが、ケ小平の南巡講話で改革解放が始まってから、自由化が進められた。

以前は生まれた村から出る事が出来ず、一生農民だったが、現在では起業してお金で「都市戸籍」を買えるようになった。

また一人っ子政策で出産には出産許可証が必要だったが、現在は2人まで許可されるようになった。

         
インターネットも普及し、金持ちは外国への旅行をし、株式や土地投資などもし、一見すると他の国と同じように見える。

だが細かく見るとインターネットは実名登録制で、匿名でSNSに書き込んでも、ヒモ付きIDなどで政府に把握されている。

インターネットに書き込めるのは中国政府が許可した事だけで、多くの話題が禁止事項になっている。


例えば中国のネットには戦時中の日本軍の蛮行(全て虚偽)はいくらでも書き込めるが、戦時中に共産軍や国民党軍がやった事は書き込めない。

また天安門事件について書くことも読むことも出来ないし、毛沢東の本当の姿を知ることもできない。

うっかり本当の事などを書いてしまうと、公安がやってきて連行され、生涯行方不明にされてしまう。


2015年に中国全土で数百人の人権派弁護士が拘束されたが、今も解放されず行方不明の弁護士が何人もいる。

弁護士は弁護士仲間が被害を訴えたりするが、報道関係者とか、まして一般人が拘束されるのは日常茶飯事です。

公安や警察は拘束しても発表せず、裁判も行わないので、家族すら公安にさらわれたのを知らない場合が多い。


ネット上の自由

最近共産党が目を光らせているのが習近平など政府要人への批判で、クマのプーさんを禁止したのが話題になった。

プーさんが習近平に似ているところから、批判的な事を書き込む代わりにプーさんを持ち出すのだった。

習近平は不正蓄財をしているという代わりに、プーさんは儲けているようだという具合に書き込む。


中国政府は13億人全員をネット上で識別する技術とか、運転免許や社会保障に連動される登録制度などを編み出した。

例えばネット上で政府批判をすると違反点数が加算され、自動車ローンや住宅ローンができなくなり、進学も大手企業への就職も断られる。

2017年になって新たなネット規制技術を編み出し、不正な画像や動画が掲載される前に削除してしまう。


天安門事件やプーさん画像をネット投稿しようとすると、掲載が反映される前に画像は消されてしまうのです。

掲載した本人も、続いてこの世から消されるのかも知れません。

チャットやメールなど個人間の通信も政府が監視していて、不適切な内容は遮断されるようになってきています。


欧米の調査によると中国政府は数十万人規模のサイバー部隊やネット調査員を抱えてネット対策をしている。

笑えるのは彼らの業務の大半がネットに書き込んで情報を誘導する事だそうで、不適切な書き込みを打ち消すのです。

誰かが日本を褒めたら反対の書き込み、政府批判に傾いてきたらその反対の内容を大量に書き込みます。


これが公安警察や人民解放軍の仕事だというから、世の中には変わった職業があるものです。


ブログに国家の許可証が必要

2017年に中国政府は突如、ネット上のあらゆるコンテンツには、政府の許可を得たという証明書が必要になると交付した。

といっても政府系の業界団体がそう言っただけなのだが、中国ではこの場合、習近平が言ったのと同じになります。

インターネット上のすべての視聴覚コンテンツは「社会主義の本質的価値」を守っているか2人以上の監査人の監査を受ける必要があるという内容でした。


これの意味する所は文章の情報は検閲が自動化されてきたので、把握し難い映像などの検閲を強化するという事のようです。

監査人を任命するのはもちろん共産党と癒着した業界団体で、政府に不都合なサイトは閉鎖される。

サイトだけでなく全ての個人ブログも対象になり、あらゆるネットサイトに共産党の許可が必要になります。


この規制が完全に実行されるのか、それともかなり緩い抜け道が用意されるのかは、今の所わからない。

そして新疆ウイグル自治区では最近、ウイグル族のネット機器にスパイウェアをインストールするよう強制している。

ウイグル自治区はウイグル人の独立国家だったのを、中国が植民地支配して、ウイグル人の根絶やし政策を実行中です。


中国では年間4000件のテロや暴動が発生していて、新疆ウイグル自治区がもっとも頻発しているとされている。

スマホやパソコンに政府が作った監視ソフトをインストールさせ、路上で警察官が検査している。

もし監視ソフトが入っていないスマホを所持していたら、おそらくテロリストとして連行され、そのままあの世行きになります。


中国人(という民族は存在しないが)の場合は刑務所に入れてもらえるが、ウイグル人はそれすら許されません。

監視ソフトによってネット上のあらゆる活動のほか、どんなサイトを見たか、GPSの位置情報も警察・公安が把握している。
http://www.thutmosev.com/archives/71941911.html

2017-12-24 中国のウイグル支配は最先端の人民監視システムで行われる
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html


中国は漢民族ではない辺境国のウイグル人の地区を「新疆」だと言って強制支配している。

ウイグル人はイスラム教徒で独自の文化を擁しているのだが、長らく中国共産党と対立して莫大な死者を出してきた。

何度も何度も独立運動が起こされて、そのたびに中国は凄まじい強権を発動してこれを取り締まった。この歴史の中で、漢民族はウイグル人に憎悪されるようになっている。

こうした民族対立と歴史対立を続けながら中国がこの地区を完全に掌握したいと考えているのは、この地区こそが中国の一帯一路の要所となるからである。さらにこの地区には地下に膨大な資源が眠っている。

中国はこの地区を絶対に手放さない。しかし、中国が支配を強めれば強めるほどウイグル人の抵抗と中国憎悪は激しいものになって対立の根は深まっている。

そのため、中国はどうしたのか。ウイグル人の収入を増やして懐柔するのと同時に、ウイグル人を徹底的に監視するために超高度な監視システムを構築するようになった。

まさにジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」に見られる国民徹底監視の「ビッグブラザー」がウイグルに現れた。

ウイグル人はいかに中国に監視されているのか?

中国のウイグル人監視は常軌を逸するレベルにあると、ヒューマン・ ライツ・ウォッチは報告している。中国はありとあらゆる監視をウイグル人に課している。

ウイグル人は常にIDカードを携帯する義務がある。ウイグル人は長いヒゲを生やすことができない。ウイグル人はベールを着用することができない。

ウイグル人はウイグル文化を研究してはならない。ウイグル人は生体データを提出しなければならない。ウイグル人は指定の場所で教育を受けなければならない。

ウイグル人は指定の場所で医療を受けなければならない。ウイグル人は指定の場所に住まなければならない。ウイグル人はガソリンを買うには身分証明が必要だ。ウイグル人は電車に乗る時は検問を受けなければならない。

ウイグル人は日常のありとあらゆる行動に関して監視されるようになっている。

上記はほんの一例だ。ウイグル人は、ホテルでも、ショッピングモールでも、銀行でも検問が必要で、すべての行動は中国当局に監視され、掌握される。

ウイグル人もスマートフォンを使えるが、公安当局が求めたらこのスマートフォンの中身も公安が調べることを阻止してはならないことになっている。

新疆ウイグル自治区では、監視カメラが無数に設置され、さらに町の至る所に交番が建てられて公安がウイグル人を監視している。

少しでも中国政府に反発する態度をしたり、抗議したり、暗号ソフトを使っていたり、反中国のコンテンツを所持したりしていると、問答無用に拘束される。

いったん拘束されると、いつ出所できるのかまったく分からない。場合によっては「国家分裂罪」で死刑になる可能性もある。ウイグル人の研究者がウイグル文化を研究していたというだけで「国家分裂罪」で起訴されるのである。

インターネットはウイグルだけでなく中国全土が完全監視下にあって、見られるコンテンツも決まっており、匿名で何かを書き込むというのは事実上、不可能になっている。


人民は徹底的に弾圧され、監視される社会と化す

「中国が素晴らしい、中国は発展している、中国は平和的、次の時代は中国の時代だ、日本は中国を見習え」と、未だに中国を絶賛している人がいる。

しかし、中国が他国を侵略するのであれば、その国はどうなってしまうのか。

その答えがウイグルである。

人民は徹底的に弾圧され、監視され、いったん監視システムが構築されたら、もう二度と反政府的な言動をすることができなくなるのだ。

欧米や日本にとって技術革新や最先端技術というのは、自分たちの日常を豊かにするためのものだ。最先端技術は楽しみであり、喜びでもある。

ところが、中国にとって技術革新や最先端技術というのは、人民を効率的に監視し、弾圧し、異分子を炙り出すものなのである。人民にとって悪夢であり、恐怖である。

それを、中国はウイグルでやっているのだ。

こんな中で新疆ウイグル自治区に住みたいという人はいないはずだ。自分が監視され、下手な言動をしたら公安に拘束されるかもしれないような不自由極まりない場所に行きたいと思う人間はどうかしている。

中国政府がやっているのは、ウイグル人に対する明白な人権侵害であるのは間違いない。

ところが、この凄まじい人権侵害に対して抗議する国外の良識ある人は、「内政干渉だ」と中国政府から徹底的に抗議される。そして以後は「中国の敵」と認定されて、事あるごとに執拗な攻撃を受けることになる。

だから、欧米の「自称」人権主義のエスタブリッシュメントたちは中国に何も言わない。チベットでも激しい弾圧が繰り返されているが、人権主義だったバラック・オバマ前大統領でさえも中国市場のために何も言わなかった。

エスタブリッシュメントは口ではきれい事を言っているが、人権よりも金だったのである。


https://www.youtube.com/watch?v=EZkvtyKnxvM
2009年に起きたウイグルの暴動。以後、中国は徹底的にウイグル人を弾圧・監視してきた。


中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例

中国が民主化することは、中国共産党がこの国を支配している限りは絶対にない。

新疆ウイグル自治区やチベット自治区を見ても分かる通り、中国が民主化したら途端にこれらの国々は漢民族の支配から抜け出そうと独立運動を起こすからだ。

中国が民主化するというのは、中国がバラバラになるということと同じ意味なのである。

中国が激しい勢いで、それも国外からの批判をモノともせずに辺境国を徹底弾圧・徹底監視するのは、そうしないと国家が分裂してバラバラになってしまうからだ。

また、漢民族であってもすべての人民が中国共産党を支持しているわけではない。中国ではしばしば暴動が起きて、反政府運動も生まれるのだが、そのたびに中国政府は容赦なく弾圧してきた。

天安門事件では、1989年6月3日から4日の2日間で、中国政府は反政府運動をする人民を一気に3000人も殺したと最近になって香港紙は書いている。AFP通信では「少なくとも1万人」とある。

中国政府は自分たちに反対する人間は、容赦なく殺しまくる体質を内包しているのである。この体質が、チベット自治区や新疆ウイグル自治区で発揮されている。

中国は独裁国家であり、独裁である限り民主化はなく、民主化がないのだから自由もない。自由に政権批判などしていたら、次の日には拘束されるか死体になって発見される国だ。

こんな国が他国の技術を盗みまくって経済発展したからと言って、「中国は素晴らしい」とか「中国は次の超大国」だとか言って賛美している人の気が知れない。

中国のやり方、中国の体質、中国の徹底弾圧・徹底監視に危機感を抱けないのであれば、それはあまりにも想像力が足りないとしか言いようがない。

「騙した方よりも騙された方が悪い」という国を賛美したり褒めたりすることの危険性を、もっと真剣に考えるべきだ。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が他国を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。


チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html

2018年5月22日
コラム:中国ウイグル族を苦しめる現代版「悪夢の監視社会」


[14日 ロイター] - 中国北西部の新疆自治区に暮らすムスリム主体の少数民族ウイグル族にとって、逃げ隠れできる場所はどこにもない。監視対象の個人が自宅や職場から300メートル以上離れると、顔認識ソフトが自動的に当局に通報すると言われている。

住民が個人の追跡を可能にするスマートフォン用アプリをダウンロードしないままだと逮捕される可能性があると、ソーシャルメディアの利用者は指摘する。海外旅行をしたいと願うだけでも、逮捕の原因になる可能性があり、中国政府は出国者の家族を拘束し、強制送還を求めて政治的な圧力をかけたりもする。

いわゆる「再教育キャンプ」に収容されたウイグル族は、過去2年間で少なくとも12万人に達すると、米政府系のラジオ・フリー・アジアは推計する。最大100万人に上るとの報告もあり、米議員グループは先月、少数民族を対象とする最大規模の拘束だと表現している。

外国との接触はすべて疑惑の目で見られ、収容所送りになった人々のなかには、有名なサッカー選手や、国境を越えた商業活動を行っているパキスタン人を夫に持つウイグル族もいると言われている。

大規模拘束に関する報告について、中国政府はコメントを拒否。また、一部がここ数年小規模の分離独立運動を続けているウイグル族に対する抑圧についても中国政府は否定している。

新疆自治区におけるイスラム主義者の反政府活動に直面していると主張する中国政府は、ナイフや爆発物を使った国内攻撃の多くはウイグル族武装勢力によるものだと非難する一方、ウイグル族の指導者グループをテロリスト指定している。


外部専門家も、中国が脅威にさらされていることを認識している。イラク及びシリアのイスラム系過激派組織「イスラム国(IS)」戦闘員には数百人のウイグル族が含まれていると伝えられており、その一部は、帰国して中国人の血を「川のように」流すと宣言している。

それでも、新疆自治区の状況は、テロの危険性に対する合理的な対応範囲を超えているようだ。

実際には同自治区はむしろ、こうした抑圧手法の意図的な実験場にされているように見受けられる、人権問題の専門家から懸念の声が上がっているように、いずれ、他の国内地域や、それ以上の範囲におけるモデルになりかねない。

習近平国家主席が権力を握って以来、世界で最も人口の多い中国における抑圧的な政策が顕著に強まっている。

腐敗撲滅キャンペーン下で外国人や高級官僚も含め習主席の政敵が数百人も逮捕される一方で、政府は顔認識ソフトなど最先端の監視テクノロジーへの投資を拡大している。警察は今月、5万人の群衆から容疑者1人を発見することも可能になった。


また、国内外の反対派を威圧し、批判を抑え込むために、高まる一方の国際的な政治影響力をますます露骨に利用するようになっている。

このことを誰よりも痛切に感じているのが、人口1100─1500万人と推定される中国のウイグル族だ。彼らは、政府支配下にある近隣のチベット自治区とほぼ同様の圧力を受けている。だが、有名人からの支持を受け、亡命中の指導者として著名なダライ・ラマを擁するチベット族の状況とは異なり、ウイグル族が直面する困難は、外部世界から気づかれないままであることが多い。

ウイグル族に対する抑圧は、2つの面で特に陰湿だ。それは、先進的なテクノロジーが駆使されていること、そしてその規模が世界的にが広がっていることだ。国内のウイグル族は長年迫害に直面していたが、中国政府による圧力はこのところ急激にエスカレートしている。

2015年初頭にはすでに、海外のウイグル族コミュニティに対する恫喝や潜入工作のため、中国政府はさまざまな手法を駆使していた。

中国に対して敵対的とみられるウイグル族に関する情報収集に協力しなければ、中国に残された家族が苦しむことになると国外のウイグル族たちを脅していた。昨年、中国は複数の国々に対して、ウイグル族留学生の国外退去を呼びかける世界的なキャンペーンを開始。エジプトだけでも数十人が一斉検挙されて本国送還となった。

中国政府は新疆自治区において、世界のどの国よりも包括的な「ハイテク国家監視システム」を構築しているようだと専門家は指摘。同自治区におけるインフラ整備は、他の国内地域にもまして、こうしたプログラムの強化と明白にリンクしている。

今年後半には地下鉄が開業する予定だが、すべての乗客は、利用のたびに身分証明書の提示を求められる。また同自治区の住民は昨年、すべてのスマートフォン及び電子機器を提出するよう命じられた。「テロリストの動画」などの違法コンテンツが保存されていないか当局のチェックを受けるためだ。


人工知能と監視テクノロジー全般で世界をリードすることを目指している中国では、こうした技術がますます高度化するだろう。

それによって中国政府が何を得たいのかを推測することはさほど難しくない。監視を広く深くするだけでも、少数の武装勢力を追跡し、発見して、目論みを阻止することが容易になる。

だが、新疆自治区における中国政府の行動の幅広さは、ウイグル族であるか否かにかかわらず、すべての中国市民に対して、国家権力がいかに強力であり、規律に背くことがどれほど大きな犠牲を伴うかという明確なメッセージを送っている。

米国による定期的な報告や、ウイグル族支援グループや報道機関の活動を除けば、同自治区で起きている出来事に対して世界はほとんど関心を示していない。

米国政府にしても、貿易や北朝鮮情勢といった問題に比べ、ウイグル族の問題は比較にならないほど中国政府に対して取り上げることはまれだ。欧州諸国は中国との貿易に血眼になっており、習政権を批判することにはなおさら及び腰だ。

中国のウイグル族が、海外支援を得る望みは今のところほとんどない。一時は湾岸諸国とトルコが支援する可能性が見込まれたが、その後、関心は冷めてしまったようだ。

残念なことだ。少数民族や反体制派に対する、このようなハイテクを駆使した抑圧が今後広がっていくならば、もっと関心を持たなかったことをわれわれはいずれ後悔するのではないだろうか。

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2018年05月12日
中国が国民14億人をITでランク付け管理


ネット情報と顔認証の連携で「SNSで政府批判すると、バスに乗れなくなる」ようなことが可能になる
画像引用:https://robot-fun.com/system/wp-content/uploads/2017/10/img_.2051png.png


気づいたら公共サービス利用不可に

中国政府は数年前から、すべての国民の情報を信用格付けするシステムを構築しようとしている。

2018年になっていよいよシステムは完成に近づき、実際に行動を制限される例が多発している。

信用ランクが低いと航空機など乗り物に乗れない、子供の入学を断られる、車を購入できないなどが報告されている。

多くの中国人は自分に関係あるとは思っていなかったが、知らない間に信用システムに組み込まれている。

中国政府は2020年までに、14億人の国民全員に、信用情報システムを適用すると表明している。

それではごく普通の市民だと思っていた人々に、何が起きているかを並べてみる。


ある男性はインターネットで公務員の腐敗を糾弾し、当局の知るところとなり罰金を命じられた。

問題はそれからで、公共交通機関の利用を拒否され、不動産や車の購入もできず、子供の入学も拒否された。

匿名でそれらを利用できるかもしれないが、当局に知れればもっと重い罰を受けるだろう。


ネットと現実を連動

ネットの書き込みで現実の行動を制限するのは2016年ごろから徐々に行われていて、厳格になっていった。

SNSで政治批判など「不適切な書き込み」をすると運転免許や仕事上の資格を停止されるなどです。

中国ではインターネットで実名登録が義務化されていて、ネットには公開されなくても当局は把握している。


主要都市に顔認証技術に対応した街灯カメラが増えていて、スマホ端末には「情報送信ソフト」義務化が進められている。

「情報送信ソフト」は個人のスマホの中を勝手に検索して当局に送信したり、当局がスマホの内容を検索したりできる。

たとえネットに書き込まなくても、「スマホに不適切な情報」を保存していただけで、明日から列車やバスに乗れなくなるかも知れない。


ある日駅で切符を買おうとするとなぜか拒否されたり、ネットカフェの入店を断られたり、ネット登録を断られたりすることが現実になろうとしている。

信用ランクが下げられる「不適切な行為」がなんなのかは公開されず、市民はおびえながら警戒する。

たとえば赤信号で道路を渡ってカメラが顔認証で個人を識別し、その人の信用ランクが下げられたりするとも言われている。


当局はIT企業に個人情報を提供するよう要求していて、一部の西側企業は拒否したため、中国で企業活動できない。

今後の中国は今まで以上にやっかいな国になりつつある。
http://www.thutmosev.com/archives/76102656.html


「PC、携帯は傍受されている」「機密情報は抜いて」 オランダ政府が訪中企業に指示


 【パリ=三井美奈】オランダ紙フォルクスクラントは9日、同国外務省がルッテ首相の訪中に同行した企業・研究機関代表に対し、情報漏洩(ろうえい)の恐れがあるとして、持参するコンピューターから機密情報を抜くよう書簡で指示したと報じた。

 首相は8〜13日の予定で訪中している。同紙によると、書簡は同行の165企業・機関に渡航前に送られ、「中国政府はあなたや企業のすべてを知りたがっている。中国ではコンピューターと電話はすべて傍受されていると想定するように」と警告。

情報漏洩を防ぐため、

(1)コンピューターに保存する情報は必要最小限とし、残りは削除

(2)中国側から贈られたUSBメモリーは使用禁止

(3)オランダで使っていた携帯電話は電源を切り、現地で買ったプリペイドカード式携帯を使用−


など13項目の対策を指示した。

 首相に同行する政府職員には、不要なアプリを削除した携帯電話が支給され、必要な重要文書は印刷して運ばれたという。

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/747.html#c1

[昼休み54] 中国人は悪い 中川隆
63. 中川隆[-12560] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:37:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

在中国の米政府職員、「異常な」音聞き脳損傷 大使館が注意呼びかけ
5/23(水) 22:08配信 AFP=時事

中国首都北京にある米国大使館(2010年2月6日撮影、資料写真)。AFPBB News


【AFP=時事】在中国の米国大使館は23日、中国に駐在する米政府職員1人が「異常な」音を聞いて脳に軽度の損傷を受けたとして、健康状態について注意するよう呼び掛けた。この件に似た不可解な事態は、キューバに駐在していた外交官らの間でも発生している。

【写真】似たような事件が起きた、キューバの首都ハバナにある米国大使館

 大使館の報道官によれば、中国南部の都市である広州(Guangzhou)に配属されていた職員が軽度外傷性脳損傷(MTBI)と診断されたことを受け、米中両国の当局がこの件に関する調査を進めているという。

 中国に滞在する米市民に送付された警戒を呼び掛けるメールで米大使館は、症状の原因や同国内で同じような事態が起きているかについて分かっていないとしている。

 先の報道官は、2017年後半から2018年4月までの間、この職員に「身体にさまざまな症状」が現れ、米国へ戻らせたところ、今月18日にMTBIと診断されたと明かし、「(米国務)省は本件を非常に深刻に受け止めており、その原因と影響の特定に取り組んでいる」「中国政府は米大使館に対し、同政府も調査を行い、適切な措置を取っていると保証している」と述べた。

 米政府は昨年、キューバで米外交官24人とその家族が原因不明の不可解な攻撃を受けて、脳損傷に似たけがをする被害に見舞われたと発表。カナダの外交官とその家族にもまた、こうした症状がみられた。

 北京に駐在する米大使館の職員は匿名でAFPの取材に応じ、「現時点では、本件と(キューバの)ハバナで起きたことを結びつけることはできないが、あらゆる可能性を調査している」と話した。【翻訳編集】 AFPBB News

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/105.html#c63

[昼休み54] 中国 _ 悪夢の監視社会

中国 _ 悪夢の監視社会


2017年07月27日 中国のネット世界 強まる規制と失われる自由

中国に不都合なサイトは遮断され、このブログも中国からは見れない
引用:http://growth-ideas.com/wp/wp-content/uploads/2015/10/18f03320-s.jpg


中国で許されている自由

中国にはもともと自由は無かったが、ケ小平の南巡講話で改革解放が始まってから、自由化が進められた。

以前は生まれた村から出る事が出来ず、一生農民だったが、現在では起業してお金で「都市戸籍」を買えるようになった。

また一人っ子政策で出産には出産許可証が必要だったが、現在は2人まで許可されるようになった。

         
インターネットも普及し、金持ちは外国への旅行をし、株式や土地投資などもし、一見すると他の国と同じように見える。

だが細かく見るとインターネットは実名登録制で、匿名でSNSに書き込んでも、ヒモ付きIDなどで政府に把握されている。

インターネットに書き込めるのは中国政府が許可した事だけで、多くの話題が禁止事項になっている。


例えば中国のネットには戦時中の日本軍の蛮行(全て虚偽)はいくらでも書き込めるが、戦時中に共産軍や国民党軍がやった事は書き込めない。

また天安門事件について書くことも読むことも出来ないし、毛沢東の本当の姿を知ることもできない。

うっかり本当の事などを書いてしまうと、公安がやってきて連行され、生涯行方不明にされてしまう。


2015年に中国全土で数百人の人権派弁護士が拘束されたが、今も解放されず行方不明の弁護士が何人もいる。

弁護士は弁護士仲間が被害を訴えたりするが、報道関係者とか、まして一般人が拘束されるのは日常茶飯事です。

公安や警察は拘束しても発表せず、裁判も行わないので、家族すら公安にさらわれたのを知らない場合が多い。


ネット上の自由

最近共産党が目を光らせているのが習近平など政府要人への批判で、クマのプーさんを禁止したのが話題になった。

プーさんが習近平に似ているところから、批判的な事を書き込む代わりにプーさんを持ち出すのだった。

習近平は不正蓄財をしているという代わりに、プーさんは儲けているようだという具合に書き込む。


中国政府は13億人全員をネット上で識別する技術とか、運転免許や社会保障に連動される登録制度などを編み出した。

例えばネット上で政府批判をすると違反点数が加算され、自動車ローンや住宅ローンができなくなり、進学も大手企業への就職も断られる。

2017年になって新たなネット規制技術を編み出し、不正な画像や動画が掲載される前に削除してしまう。


天安門事件やプーさん画像をネット投稿しようとすると、掲載が反映される前に画像は消されてしまうのです。

掲載した本人も、続いてこの世から消されるのかも知れません。

チャットやメールなど個人間の通信も政府が監視していて、不適切な内容は遮断されるようになってきています。


欧米の調査によると中国政府は数十万人規模のサイバー部隊やネット調査員を抱えてネット対策をしている。

笑えるのは彼らの業務の大半がネットに書き込んで情報を誘導する事だそうで、不適切な書き込みを打ち消すのです。

誰かが日本を褒めたら反対の書き込み、政府批判に傾いてきたらその反対の内容を大量に書き込みます。


これが公安警察や人民解放軍の仕事だというから、世の中には変わった職業があるものです。


ブログに国家の許可証が必要

2017年に中国政府は突如、ネット上のあらゆるコンテンツには、政府の許可を得たという証明書が必要になると交付した。

といっても政府系の業界団体がそう言っただけなのだが、中国ではこの場合、習近平が言ったのと同じになります。

インターネット上のすべての視聴覚コンテンツは「社会主義の本質的価値」を守っているか2人以上の監査人の監査を受ける必要があるという内容でした。


これの意味する所は文章の情報は検閲が自動化されてきたので、把握し難い映像などの検閲を強化するという事のようです。

監査人を任命するのはもちろん共産党と癒着した業界団体で、政府に不都合なサイトは閉鎖される。

サイトだけでなく全ての個人ブログも対象になり、あらゆるネットサイトに共産党の許可が必要になります。


この規制が完全に実行されるのか、それともかなり緩い抜け道が用意されるのかは、今の所わからない。

そして新疆ウイグル自治区では最近、ウイグル族のネット機器にスパイウェアをインストールするよう強制している。

ウイグル自治区はウイグル人の独立国家だったのを、中国が植民地支配して、ウイグル人の根絶やし政策を実行中です。


中国では年間4000件のテロや暴動が発生していて、新疆ウイグル自治区がもっとも頻発しているとされている。

スマホやパソコンに政府が作った監視ソフトをインストールさせ、路上で警察官が検査している。

もし監視ソフトが入っていないスマホを所持していたら、おそらくテロリストとして連行され、そのままあの世行きになります。


中国人(という民族は存在しないが)の場合は刑務所に入れてもらえるが、ウイグル人はそれすら許されません。

監視ソフトによってネット上のあらゆる活動のほか、どんなサイトを見たか、GPSの位置情報も警察・公安が把握している。
http://www.thutmosev.com/archives/71941911.html


▲△▽▼

2017-12-24 中国のウイグル支配は最先端の人民監視システムで行われる
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html

中国は漢民族ではない辺境国のウイグル人の地区を「新疆」だと言って強制支配している。

ウイグル人はイスラム教徒で独自の文化を擁しているのだが、長らく中国共産党と対立して莫大な死者を出してきた。

何度も何度も独立運動が起こされて、そのたびに中国は凄まじい強権を発動してこれを取り締まった。この歴史の中で、漢民族はウイグル人に憎悪されるようになっている。

こうした民族対立と歴史対立を続けながら中国がこの地区を完全に掌握したいと考えているのは、この地区こそが中国の一帯一路の要所となるからである。さらにこの地区には地下に膨大な資源が眠っている。

中国はこの地区を絶対に手放さない。しかし、中国が支配を強めれば強めるほどウイグル人の抵抗と中国憎悪は激しいものになって対立の根は深まっている。

そのため、中国はどうしたのか。ウイグル人の収入を増やして懐柔するのと同時に、ウイグル人を徹底的に監視するために超高度な監視システムを構築するようになった。

まさにジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」に見られる国民徹底監視の「ビッグブラザー」がウイグルに現れた。


ウイグル人はいかに中国に監視されているのか?

中国のウイグル人監視は常軌を逸するレベルにあると、ヒューマン・ ライツ・ウォッチは報告している。中国はありとあらゆる監視をウイグル人に課している。

ウイグル人は常にIDカードを携帯する義務がある。ウイグル人は長いヒゲを生やすことができない。ウイグル人はベールを着用することができない。

ウイグル人はウイグル文化を研究してはならない。ウイグル人は生体データを提出しなければならない。ウイグル人は指定の場所で教育を受けなければならない。

ウイグル人は指定の場所で医療を受けなければならない。ウイグル人は指定の場所に住まなければならない。ウイグル人はガソリンを買うには身分証明が必要だ。ウイグル人は電車に乗る時は検問を受けなければならない。

ウイグル人は日常のありとあらゆる行動に関して監視されるようになっている。

上記はほんの一例だ。ウイグル人は、ホテルでも、ショッピングモールでも、銀行でも検問が必要で、すべての行動は中国当局に監視され、掌握される。

ウイグル人もスマートフォンを使えるが、公安当局が求めたらこのスマートフォンの中身も公安が調べることを阻止してはならないことになっている。

新疆ウイグル自治区では、監視カメラが無数に設置され、さらに町の至る所に交番が建てられて公安がウイグル人を監視している。

少しでも中国政府に反発する態度をしたり、抗議したり、暗号ソフトを使っていたり、反中国のコンテンツを所持したりしていると、問答無用に拘束される。

いったん拘束されると、いつ出所できるのかまったく分からない。場合によっては「国家分裂罪」で死刑になる可能性もある。ウイグル人の研究者がウイグル文化を研究していたというだけで「国家分裂罪」で起訴されるのである。

インターネットはウイグルだけでなく中国全土が完全監視下にあって、見られるコンテンツも決まっており、匿名で何かを書き込むというのは事実上、不可能になっている。


人民は徹底的に弾圧され、監視される社会と化す

「中国が素晴らしい、中国は発展している、中国は平和的、次の時代は中国の時代だ、日本は中国を見習え」と、未だに中国を絶賛している人がいる。

しかし、中国が他国を侵略するのであれば、その国はどうなってしまうのか。

その答えがウイグルである。

人民は徹底的に弾圧され、監視され、いったん監視システムが構築されたら、もう二度と反政府的な言動をすることができなくなるのだ。

欧米や日本にとって技術革新や最先端技術というのは、自分たちの日常を豊かにするためのものだ。最先端技術は楽しみであり、喜びでもある。

ところが、中国にとって技術革新や最先端技術というのは、人民を効率的に監視し、弾圧し、異分子を炙り出すものなのである。人民にとって悪夢であり、恐怖である。

それを、中国はウイグルでやっているのだ。

こんな中で新疆ウイグル自治区に住みたいという人はいないはずだ。自分が監視され、下手な言動をしたら公安に拘束されるかもしれないような不自由極まりない場所に行きたいと思う人間はどうかしている。

中国政府がやっているのは、ウイグル人に対する明白な人権侵害であるのは間違いない。

ところが、この凄まじい人権侵害に対して抗議する国外の良識ある人は、「内政干渉だ」と中国政府から徹底的に抗議される。そして以後は「中国の敵」と認定されて、事あるごとに執拗な攻撃を受けることになる。

だから、欧米の「自称」人権主義のエスタブリッシュメントたちは中国に何も言わない。チベットでも激しい弾圧が繰り返されているが、人権主義だったバラック・オバマ前大統領でさえも中国市場のために何も言わなかった。

エスタブリッシュメントは口ではきれい事を言っているが、人権よりも金だったのである。

https://www.youtube.com/watch?v=EZkvtyKnxvM
2009年に起きたウイグルの暴動。以後、中国は徹底的にウイグル人を弾圧・監視してきた。


中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例

中国が民主化することは、中国共産党がこの国を支配している限りは絶対にない。

新疆ウイグル自治区やチベット自治区を見ても分かる通り、中国が民主化したら途端にこれらの国々は漢民族の支配から抜け出そうと独立運動を起こすからだ。

中国が民主化するというのは、中国がバラバラになるということと同じ意味なのである。

中国が激しい勢いで、それも国外からの批判をモノともせずに辺境国を徹底弾圧・徹底監視するのは、そうしないと国家が分裂してバラバラになってしまうからだ。

また、漢民族であってもすべての人民が中国共産党を支持しているわけではない。中国ではしばしば暴動が起きて、反政府運動も生まれるのだが、そのたびに中国政府は容赦なく弾圧してきた。

天安門事件では、1989年6月3日から4日の2日間で、中国政府は反政府運動をする人民を一気に3000人も殺したと最近になって香港紙は書いている。AFP通信では「少なくとも1万人」とある。

中国政府は自分たちに反対する人間は、容赦なく殺しまくる体質を内包しているのである。この体質が、チベット自治区や新疆ウイグル自治区で発揮されている。

中国は独裁国家であり、独裁である限り民主化はなく、民主化がないのだから自由もない。自由に政権批判などしていたら、次の日には拘束されるか死体になって発見される国だ。

こんな国が他国の技術を盗みまくって経済発展したからと言って、「中国は素晴らしい」とか「中国は次の超大国」だとか言って賛美している人の気が知れない。

中国のやり方、中国の体質、中国の徹底弾圧・徹底監視に危機感を抱けないのであれば、それはあまりにも想像力が足りないとしか言いようがない。

「騙した方よりも騙された方が悪い」という国を賛美したり褒めたりすることの危険性を、もっと真剣に考えるべきだ。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が他国を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html

▲△▽▼

2018年5月22日
コラム:中国ウイグル族を苦しめる現代版「悪夢の監視社会」 ロイター


[14日 ロイター] - 中国北西部の新疆自治区に暮らすムスリム主体の少数民族ウイグル族にとって、逃げ隠れできる場所はどこにもない。監視対象の個人が自宅や職場から300メートル以上離れると、顔認識ソフトが自動的に当局に通報すると言われている。

住民が個人の追跡を可能にするスマートフォン用アプリをダウンロードしないままだと逮捕される可能性があると、ソーシャルメディアの利用者は指摘する。海外旅行をしたいと願うだけでも、逮捕の原因になる可能性があり、中国政府は出国者の家族を拘束し、強制送還を求めて政治的な圧力をかけたりもする。

いわゆる「再教育キャンプ」に収容されたウイグル族は、過去2年間で少なくとも12万人に達すると、米政府系のラジオ・フリー・アジアは推計する。最大100万人に上るとの報告もあり、米議員グループは先月、少数民族を対象とする最大規模の拘束だと表現している。

外国との接触はすべて疑惑の目で見られ、収容所送りになった人々のなかには、有名なサッカー選手や、国境を越えた商業活動を行っているパキスタン人を夫に持つウイグル族もいると言われている。

大規模拘束に関する報告について、中国政府はコメントを拒否。また、一部がここ数年小規模の分離独立運動を続けているウイグル族に対する抑圧についても中国政府は否定している。

新疆自治区におけるイスラム主義者の反政府活動に直面していると主張する中国政府は、ナイフや爆発物を使った国内攻撃の多くはウイグル族武装勢力によるものだと非難する一方、ウイグル族の指導者グループをテロリスト指定している。

外部専門家も、中国が脅威にさらされていることを認識している。イラク及びシリアのイスラム系過激派組織「イスラム国(IS)」戦闘員には数百人のウイグル族が含まれていると伝えられており、その一部は、帰国して中国人の血を「川のように」流すと宣言している。

それでも、新疆自治区の状況は、テロの危険性に対する合理的な対応範囲を超えているようだ。

実際には同自治区はむしろ、こうした抑圧手法の意図的な実験場にされているように見受けられる、人権問題の専門家から懸念の声が上がっているように、いずれ、他の国内地域や、それ以上の範囲におけるモデルになりかねない。

習近平国家主席が権力を握って以来、世界で最も人口の多い中国における抑圧的な政策が顕著に強まっている。

腐敗撲滅キャンペーン下で外国人や高級官僚も含め習主席の政敵が数百人も逮捕される一方で、政府は顔認識ソフトなど最先端の監視テクノロジーへの投資を拡大している。警察は今月、5万人の群衆から容疑者1人を発見することも可能になった。

また、国内外の反対派を威圧し、批判を抑え込むために、高まる一方の国際的な政治影響力をますます露骨に利用するようになっている。

このことを誰よりも痛切に感じているのが、人口1100─1500万人と推定される中国のウイグル族だ。彼らは、政府支配下にある近隣のチベット自治区とほぼ同様の圧力を受けている。だが、有名人からの支持を受け、亡命中の指導者として著名なダライ・ラマを擁するチベット族の状況とは異なり、ウイグル族が直面する困難は、外部世界から気づかれないままであることが多い。

ウイグル族に対する抑圧は、2つの面で特に陰湿だ。それは、先進的なテクノロジーが駆使されていること、そしてその規模が世界的にが広がっていることだ。国内のウイグル族は長年迫害に直面していたが、中国政府による圧力はこのところ急激にエスカレートしている。

2015年初頭にはすでに、海外のウイグル族コミュニティに対する恫喝や潜入工作のため、中国政府はさまざまな手法を駆使していた。

中国に対して敵対的とみられるウイグル族に関する情報収集に協力しなければ、中国に残された家族が苦しむことになると国外のウイグル族たちを脅していた。昨年、中国は複数の国々に対して、ウイグル族留学生の国外退去を呼びかける世界的なキャンペーンを開始。エジプトだけでも数十人が一斉検挙されて本国送還となった。

中国政府は新疆自治区において、世界のどの国よりも包括的な「ハイテク国家監視システム」を構築しているようだと専門家は指摘。同自治区におけるインフラ整備は、他の国内地域にもまして、こうしたプログラムの強化と明白にリンクしている。

今年後半には地下鉄が開業する予定だが、すべての乗客は、利用のたびに身分証明書の提示を求められる。また同自治区の住民は昨年、すべてのスマートフォン及び電子機器を提出するよう命じられた。「テロリストの動画」などの違法コンテンツが保存されていないか当局のチェックを受けるためだ。

人工知能と監視テクノロジー全般で世界をリードすることを目指している中国では、こうした技術がますます高度化するだろう。

それによって中国政府が何を得たいのかを推測することはさほど難しくない。監視を広く深くするだけでも、少数の武装勢力を追跡し、発見して、目論みを阻止することが容易になる。

だが、新疆自治区における中国政府の行動の幅広さは、ウイグル族であるか否かにかかわらず、すべての中国市民に対して、国家権力がいかに強力であり、規律に背くことがどれほど大きな犠牲を伴うかという明確なメッセージを送っている。

米国による定期的な報告や、ウイグル族支援グループや報道機関の活動を除けば、同自治区で起きている出来事に対して世界はほとんど関心を示していない。

米国政府にしても、貿易や北朝鮮情勢といった問題に比べ、ウイグル族の問題は比較にならないほど中国政府に対して取り上げることはまれだ。欧州諸国は中国との貿易に血眼になっており、習政権を批判することにはなおさら及び腰だ。

中国のウイグル族が、海外支援を得る望みは今のところほとんどない。一時は湾岸諸国とトルコが支援する可能性が見込まれたが、その後、関心は冷めてしまったようだ。

残念なことだ。少数民族や反体制派に対する、このようなハイテクを駆使した抑圧が今後広がっていくならば、もっと関心を持たなかったことをわれわれはいずれ後悔するのではないだろうか。


▲△▽▼


2018年05月12日
中国が国民14億人をITでランク付け管理
http://www.thutmosev.com/archives/76102656.html


ネット情報と顔認証の連携で「SNSで政府批判すると、バスに乗れなくなる」ようなことが可能になる
画像引用:https://robot-fun.com/system/wp-content/uploads/2017/10/img_.2051png.png


気づいたら公共サービス利用不可に

中国政府は数年前から、すべての国民の情報を信用格付けするシステムを構築しようとしている。

2018年になっていよいよシステムは完成に近づき、実際に行動を制限される例が多発している。

信用ランクが低いと航空機など乗り物に乗れない、子供の入学を断られる、車を購入できないなどが報告されている。


多くの中国人は自分に関係あるとは思っていなかったが、知らない間に信用システムに組み込まれている。

中国政府は2020年までに、14億人の国民全員に、信用情報システムを適用すると表明している。

それではごく普通の市民だと思っていた人々に、何が起きているかを並べてみる。


ある男性はインターネットで公務員の腐敗を糾弾し、当局の知るところとなり罰金を命じられた。

問題はそれからで、公共交通機関の利用を拒否され、不動産や車の購入もできず、子供の入学も拒否された。

匿名でそれらを利用できるかもしれないが、当局に知れればもっと重い罰を受けるだろう。


ネットと現実を連動

ネットの書き込みで現実の行動を制限するのは2016年ごろから徐々に行われていて、厳格になっていった。

SNSで政治批判など「不適切な書き込み」をすると運転免許や仕事上の資格を停止されるなどです。

中国ではインターネットで実名登録が義務化されていて、ネットには公開されなくても当局は把握している。


主要都市に顔認証技術に対応した街灯カメラが増えていて、スマホ端末には「情報送信ソフト」義務化が進められている。

「情報送信ソフト」は個人のスマホの中を勝手に検索して当局に送信したり、当局がスマホの内容を検索したりできる。

たとえネットに書き込まなくても、「スマホに不適切な情報」を保存していただけで、明日から列車やバスに乗れなくなるかも知れない。


ある日駅で切符を買おうとするとなぜか拒否されたり、ネットカフェの入店を断られたり、ネット登録を断られたりすることが現実になろうとしている。

信用ランクが下げられる「不適切な行為」がなんなのかは公開されず、市民はおびえながら警戒する。

たとえば赤信号で道路を渡ってカメラが顔認証で個人を識別し、その人の信用ランクが下げられたりするとも言われている。


当局はIT企業に個人情報を提供するよう要求していて、一部の西側企業は拒否したため、中国で企業活動できない。

今後の中国は今まで以上にやっかいな国になりつつある。
http://www.thutmosev.com/archives/76102656.html

「PC、携帯は傍受されている」「機密情報は抜いて」 オランダ政府が訪中企業に指示


 【パリ=三井美奈】オランダ紙フォルクスクラントは9日、同国外務省がルッテ首相の訪中に同行した企業・研究機関代表に対し、情報漏洩(ろうえい)の恐れがあるとして、持参するコンピューターから機密情報を抜くよう書簡で指示したと報じた。

 首相は8〜13日の予定で訪中している。同紙によると、書簡は同行の165企業・機関に渡航前に送られ、「中国政府はあなたや企業のすべてを知りたがっている。中国ではコンピューターと電話はすべて傍受されていると想定するように」と警告。

情報漏洩を防ぐため、

(1)コンピューターに保存する情報は必要最小限とし、残りは削除

(2)中国側から贈られたUSBメモリーは使用禁止

(3)オランダで使っていた携帯電話は電源を切り、現地で買ったプリペイドカード式携帯を使用−


など13項目の対策を指示した。

 首相に同行する政府職員には、不要なアプリを削除した携帯電話が支給され、必要な重要文書は印刷して運ばれたという
http://www.thutmosev.com/archives/76102656.html



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html

[昼休み54] 中国 _ 悪夢の監視社会 中川隆
1. 中川隆[-12559] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:47:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

”観客2万人から容疑者拘束” 中国の顔認識システムが話題/nhk
5月22日 6時34分IT・ネット
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180522/k10011447471000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_039

中国で、コンサート会場に設置された監視カメラがおよそ2万人の観客の中から顔を識別して犯罪の容疑者の拘束に結びつけ、中国の画像認識システムの技術の高さを示すものだなどとして話題となっています。

警察の発表によりますと、20日夜、浙江省嘉興で開かれた香港の有名歌手のコンサート会場で、詐欺の容疑で指名手配されていた男が警察に拘束されました。

この男は、コンサート会場を訪れたところを監視カメラに捉えられ画像認識システムで手配中の容疑者の顔と特定されたあと、警察に通報されたということです。

当時、コンサート会場には、およそ2万人の観客がいたということで、今回の容疑者拘束は、中国の画像認識システムの技術力の高さを示すものだなどとしてインターネット上で、話題となっています。

中国では、国をあげてAI=人工知能による画像認識技術の開発を進めていて、警察などが捜査に積極的に活用しています。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
45. 中川隆[-12558] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:48:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

中国 _ 悪夢の監視社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c45
[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
171. 中川隆[-12557] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:55:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲
Giacomo Puccini Madama Butterfly Freni, Pavarotti, Kerns, Ludwig; Karajan I - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YAT22yt8fxY
https://www.youtube.com/watch?v=abIgSHdxEjQ
https://www.youtube.com/watch?v=oiuBNRyiRNQ


Giacomo Puccini "Madama Butterfly"
プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲

 ミレッラ・フレーニ(蝶々さん/ソプラノ)
 ルチアーノ・パヴァロッティ(ピンカートン/テノール)
 クリスタ・ルートヴィヒ(スズキ/メゾ・ソプラノ)
 ロバート・カーンズ(シャープレス/バリトン)
 ミシェル・セネシャル(ゴロー/テノール)
 マリウス・リンツラー(ボンゾ/バス)、他
 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ノルベルト・バラッチュ(合唱指揮)

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音時期:1974年1月
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


____


YouTube動画変換 - MP3、AACダウンロード
https://www.onlinevideoconverter.com/ja/video-converter


「YouTube」の動画を安全にダウンロードする方法について
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c5


youtube のクラシック音楽リンクは


番外地7
http://www.asyura2.com/17/ban7/index.html

中川隆 _ 音楽関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html


に纏めました。


YouTube には CD では発売されていないライブ録音等の希少音源が無数に有り、
AAC形式でダウンロードすればそこそこの音質で聴けますが、やはり CD を EAR や dCS等の ハイエンド・CDプレーヤーで聴いた方が遥かにいい音になります。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c171

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
172. 中川隆[-12556] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:58:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

リンク訂正


プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲
Giacomo Puccini Madama Butterfly Freni, Pavarotti, Kerns, Ludwig; Karajan I - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Puccini+-+Madama+Butterfly+++Karajan
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c172

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
173. 中川隆[-12555] koaQ7Jey 2018年5月24日 10:10:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

Puccini Madama Butterfly -- Sinopoli -- Freni -- Carreras -- Berganza -- Pons 1988 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Sinopoli+Madama+Butterfly+
https://www.youtube.com/results?search_query=Sinopoli+Madama+Butterfly+


・プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲

ミレッラ・フレーニ
 ホセ・カレーラス
 テレサ・ベルガンサ
 ホアン・ポンス、他

 フィルハーモニア管弦楽団
 アンブロジアン・オペラ・コーラス
 ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)

 録音:1987年[デジタル]



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c173

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
174. 中川隆[-12554] koaQ7Jey 2018年5月24日 10:53:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

修善寺温泉「あさば」 能楽の世界


能は本来、修善寺あさば旅館の池に浮かぶ能舞台「月桂殿」の様に川や池を隔てて、遠くから見るものだったのですね。 能の幽玄については誤解している人が多いので解説しておきます:

能「井筒」- YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%83%BD+%E4%BA%95%E7%AD%92

『筒井筒』/伊勢物語(第二十三段)
http://plaza.rakuten.co.jp/miri3310s/13005

『井筒』のあらすじは、旅僧が在原寺を訪ね、在原業平とその妻になった紀有常の娘の跡を弔っていると一人の女性が現れ、古塚に花と水を手向けます。僧の不審にこたえて女は伊勢物語の歌などを引いて、二人の恋物語を語り、遂に女は実はその女だと名乗り、井戸の陰に姿を隠します。(中入)

夜も更けて僧の仮寝の夢に、業平の形見を身につけた先刻の女が現れ、業平を偲ぶ舞を見せ、やがて寺の鐘の声に夜も明け、僧の夢も覚める、というものです。
http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0041.html


業平を想い舞を舞うシテ


「能楽図絵二百五十番」月岡耕漁

「昔あの人と暮らした在原寺で、こうして昔を今に返すように舞っていると、井筒に映る月影のさやかな事…」

そうつぶやいた彼女の思いは次第に過去へと遡っていった。

「月はあなたのいらした頃の月と同じでしょうか、春はあなたのいらした頃の春と同じでしょうか…、

そう詠みながらあなたを待ち続けたのはいつの事だったでしょうか…」


「筒井筒…」彼女は思い出の歌をくちずさむ。


「…井筒にかけしまろがたけ、生(お)いにけらしな…」

そう詠んだ彼女は、自分がいつの間にか老いてしまった事に気づかされる。

思い出の井筒に姿をうつす


彼女の足は、自然に思い出の井筒へと向かう。そして業平の直衣を身に着けたその姿で、子供の頃業平としたように、自分の姿を水面にうつす。そこに映るのは、女の姿とは思えない、男そのもの、業平の面影だった。

舞台は一瞬静寂につつまれる。


「なんて懐かしい…」


そう呟いて、彼女は泣きくずれる。 そして萎む花が匂いだけを残すかのように彼女は消え、夜明けの鐘とともに僧は目覚めるのだった。
http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0041.html

能の幽玄については誤解している人が多いので解説しておきます:


男は男に成るまでの間に、この世のものとも思われぬ玄妙幽艶な一時期がある。
これを美しいと見るのは極めて自然なことであり、珍しいものではない。
http://blog.livedoor.jp/kani16/archives/7800041.html


【日本奇習紀行シリーズ・番外】平安貴族たちの隠された悦楽

奇習! 封印された平安貴族たちの蛮行 ― “恍惚”の赤ん坊レイプ


 かつて、小説家・芥川龍之介は、『今昔物語集』に残る逸話を基に、その著作である小説『羅生門』で、死体から髪を盗んで生業とする老女の姿を描いていた。だが、かつて、京の都が荒みに荒んでいた頃、死人の髪と同様に、常時では考えられぬ需要が生まれていた。それは、生後間もない嬰児の亡骸である。

 以前、世界各地の権力者たちが、幼児の性器から切除した包皮を好んで食していたという内容をご紹介した。

(※【世界の奇習】割礼した幼い女児の性器の包皮を食す―永遠の美と不老長寿を求めて)
http://tocana.jp/2015/10/post_7648_entry.html


その時にも触れたが、嬰児が持つ生命力に魅了される形で、不可思議な行為を密かに行っていた者は、洋の東西を問わず意外と多く存在していたようだ。しかし、彼らの中には、そうした目的とはまた別の意味合いで、乳幼児の肉体を求めていた者も存在していたのだ。それは、その柔らかき肉体が、性的な快楽を得る上で、この上なく適したものであると感じていた人々である。

「現存する史料に乏しいため、正確な部分については不明な点も少なくないのですが、私は確実に“あった”と考えています」

 かつて平安貴族たちを中心に未曾有の大流行となったとされる“ある秘せる儀式”についてそう語るのは、歴史研究家・山種昭三氏(仮名・78)。彼は以前、定説を無視してまで半ば強引に持論を展開し、学会における地位を失った過去を持つ。氏が研究したところによると、今を遡ること900年以上前の1050年頃、京の貴族たちの間では、嬰児の亡骸を密かに買い入れては、それを性的な欲求を満たすために利用する者が続出した時期があったのだという。


「さる筋の傍流にあたる高貴な方が遺した書物によると、

生後3カ月くらいまでの女児の性器は、まるで淡雪のごとく、柔らかき感触である

とのことなのです。またこれは別の史料から少しずつわかってきたことなのですが、ある時、京の北西部にある某寺の僧が、さる雅な血筋の赤子の遺体を弔う際に、なんの好奇からかは知る由もありませんが、その女性器に、自分の指を一本入れてみたそうです。

 すると、今まで感じたことのない感触に驚いたというんです。

それで、その僧は仏罰が当たることを百も承知で、その嬰児の屍を抱き寄せて行為に及んでしまった。

けれども、その行為の最中に見張りの者に見つかってしまい、彼はその場で斬られてしまうんですね。でも、切断されたその首は、とても恍惚に満ちたような表情を浮かべていたとか…。

本当か嘘かはわかりませんが、もしかする当時、こうした逸話に尾ひれがついて、あのおぞましき習慣が広まったのではないでしょうか」


スルジャン・スパソイェヴィッチ監督の映画『セルビアン・フィルム』では、男が赤ん坊をレイプするという、なんとも信じ難い一幕が描かれていた。

山種氏によると、平安の世においては、件の僧にまつわる逸話をどこからか聞きつけた一部の堕落した貴族たちにより、嬰児の遺体を買い集める行為が急速に広まっていったという。

しかし、夜毎の快楽のためにそうした行為を繰り返していたのでは、死体がいくらあっても足りなくなってしまう。それがさらなる悲劇を生んだ。


「遺体が簡単に手に入らなくなると、今度は褒美を出す形で、貧しい庶民の家から生まれたばかりの生きた赤ん坊を買い集めるようになっていったと聞きます。しかしそれだけでは金も赤子も数が足りない。

 そこで結局は押し込み強盗のような真似をしてまで方々から赤子を誘拐しては、自らの屋敷へと運び込んでいく、と。その際に生死の別は問わなかったそうです。

ですが、仮に死後間もない赤ん坊を 1とすると、しばらく経ったものでその半分、逆に生きたままの赤ん坊であれば実に 3倍のもの価値の褒美を惜しげもなく与えていたと言いますから、今風に表現すれば、とんだ赤ん坊バブルですね」


 夜毎、貴族たちの屋敷の裏手には、あちらこちらから赤ん坊を集めてきた者たちが、列を成してその「換金」を待つという、なんとも奇妙な光景が展開されていたという。

折しも、平安時代と言えば、通常の男女であっても、親の承諾が得られない場合などは、誘拐という形で強引に婚姻関係を結んでいた時代。今の時代と比較すれば、いかにこの手の罪に対する意識が緩かったかがわかる。


「まあ、当時は“辻とり”といって、路上で女を浚ってそのまま結婚なんていう時代でしたし、乳幼児の死亡率も極めて高かった時代ですから、今ほど罪の意識はなかったんでしょうね。

ましてや、婚姻対象となる年齢そのものも今に比べて格段に低かった。

現代で言うところの小学生の女の子をいい歳の男が嫁にするなんていうのも当たり前でしたから、性の対象というもの自体が、あまりに自由すぎる時代だったと言えるのかもしれません」

 性に関するタブーという意味では、あまりに無秩序で、開放的過ぎた平安時代。当時の感覚を持たぬ現代の我々から見て、それが理解に苦しむものであることは、ある意味、致し方のないことなのかもしれない。
(文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2015/11/post_7743_entry.html


▲△▽▼

 将軍足利義満が12歳頃の世阿弥(稚児時代)を寵愛した、「男色」については、野上豊一郎の「世阿弥元雅」(創元社・1938年))や杉本苑子の「華の碑」(講談社・1964年)には出てきますが、昭和48年(1973年)の岩田準一「本朝男色考(私家版)」で広く伝えられました。

 近年は、白州正子の世阿弥のホモ・セクシュアリティー評価が有名で、発展して、

能で男が女を舞うのは、

「(歌舞伎と違って)どこまでも児姿の延長であり、しいていうなら、男女が重なった姿、もしくは男女が分かれる以前の、理想像を目指している」


と。女になってしまうのではなく、あくまでも「中性的な」美を礼賛しています。ドナルド・キーンは、

「ときどき、しろうとの能でほんとうの女の人が舞うでしょう。
ほんとうに気味が悪い」(「日本の魅力」(中央公論社))


と述べています。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-87.html

「両性具有の美」 白洲正子著 

さきほどの100分の名著 こころ 漱石著についての島田雅彦氏コメントにホモ・ソーシャルという言葉が出てきた。日本の古典の愛はたしかにホモ・ソーシャル概念,あるいは両性具有の美で説明できるかもしれない。源氏絵巻物見ても男と女の中性的なもののような気がする。

ホモソーシャルという言葉は洋風なので、日本の専売特許ではない。そこを両性具有とすると俄かに日本ぽくなるから不思議。(゜д゜)近松の心中やら吉原やらの色恋は昔から日本にあった。でも近代的恋愛はやはり輸入物で明治以降の話。ひょっとすると戦後の男女平等概念以降のことかもしれない。

スタンダールの「赤と黒」はじめ恋愛論、意外と知られていない。

バルザックの「谷間の百合」ほとんど知られていない。

かく言うわたしも、知らん・・・・別に知らなくても不自由はしません。さらにブラームスやシューマンのように完成された女性への憧れなんて望むべくもなく、切り口変えて「恋愛は美しき誤解」と言う必要もなかった。

 昔流行ったのは、職場結婚、学生時代の腐れ縁、とかせいぜいお見合いとか・・・漱石著の「こころ」の先生同様相手の親のメガネに叶えば、近代恋愛の手続きは不要だったんです。高校は男子校、童貞失ったのも社会人以降と、真面目を絵に書いたようナ、人生。

自慢することはないけど、むしろホモソーシャルな男子同士の友情あるいは女性への憧れへの訣別みたいな女性蔑視ではないけれど、無意識のうちの男性優位の伝統から脱してはいなかった。恋をしようと思うより、真剣な話し合いのほうが価値があると思っていたね。


○ホモではないし、マッチョでもなく、レズでもなく同性愛蔑視もあり、両性具有の世界に生きていた。

やっと本論に着いたけど、むかしむかしの両性具有の世界は、白洲正子の論にくわしくかかれております。


○結論;「男女や、主従を超えたところにある、美しい愛の形」

奇しくも漱石「こころ」(先生と「わたし」)に無意識的に現れた、弟子と師匠の関係。

これ「愛」でしょ。欲望、師匠の欲するところを欲望するのが弟子の欲望の正しいありかた。

これは正子著の西行論「西行」、高野往来に弟子との愛の言葉を含んだ、歌に読み取れると言う。(興味のある人読んでみてね)

正子の出身の薩摩藩自体がそのような文化を具現したとの指摘もあり、女への憧れはなくても、やさ男への憧れはそこここにあったとの・・・・武道剣道がその見本。

ちなみにホモソーシャルをネットで索くと下記の通り。

【homosocial】

セジウィックによる概念。
ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする男性同士の擬似同性愛的な強い親愛・連帯関係。

それ自体、同性愛と見まがうような強い接触・親愛関係でありながら、同性愛者と女性を嫌悪・蔑視して排除し、異性愛男性同士で閉鎖的な関係を構築する。

※日本以外でもあった、あるんですね。

P.S.
だから性差を超えての愛という思い込みで結婚した結果、結婚してから、妙に卑猥な女っぽい人間に出くわすと浮気をすることがあるようですね。浮気は恋じゃないという安心感でつい騙される。      

ヨーロッパでは昔から結婚してからの方が本当の恋愛ができるとする、文がちらほらあるからカトリック教というのは、離婚否定の文化伝統から、浮気=不倫の是認になっている可能性は大きいと思う。ちがってたらm(_ _)m。


P.S.その2
「西行」。弟子の名は西住という。高野往来の章に出てくる。
二人の贈答が、男女の恋歌のように聞こえることが多い。
終生の心の友だったにちがいない、と正子は言う。


P.S.
アンリ・サルバドールを慕っていたバイオリニスト??誰だっけ出てこない名前。
http://sumeba-miyako375.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-4370.html

世阿弥は、南北朝時代の1363年、大和四座の人気スターであった観阿弥の長男として生まれました。幼名を鬼夜叉、本名、元清といいます。

11歳の時、今熊野での演能で、父・観阿弥と供に獅子を舞ったことがきっかけとなり、世阿弥は一躍人気役者となります。この時、若き将軍義満に出会い、以後、世阿弥は、彼の寵童として、そば近くに召し使われることになりました。当時最高の文化人であった二条良基も世阿弥を贔屓にした一人で、「古今集」などの古典や連歌の知識を授けたといいます。

当時、新興芸術のためには、将軍や公家などのパトロンがとても重要な存在であり、将軍家の眼に留まることは、観阿弥・世阿弥親子にとっては、またとないチャンスでした。

「寵童」という身分について、自らも能を舞った白州正子は、その著書『世阿弥』の中で次のように述べています。


「男色は、当時珍しいことではなく、現代のような不健康なものでもなかったようだ。

性的倒錯というよりは、主従・師弟間の愛情の煮詰まったかたちで、初々しい少年に女性的な美しさを求めるというよりは、若さと美の象徴として、男性の理想を求めたようである。

僧侶の間では、仏道に入る機縁として、美しい稚児に観音の化身を見たという物語もある。」


「世阿弥は、将軍の寵愛におぼれるような人物ではなく、好奇心に富んだ利発な少年だった。書物の中でも、将軍への恩義は示しても、格別それを誇る様子はなく、無論甘えた根性などは見受けられない。」


世阿弥が20歳を少し過ぎた頃、父・観阿弥が旅興行先の駿河で亡くなります。以後、世阿弥は、名実ともに観世座のリーダーとなり、演出・主演を兼ねるシテ役者として一座を束ねていきます。演目でも、父のレパートリーなどの旧作を補綴、編曲するほか、数々の新作も手がけました。

順風満帆な人生を送る世阿弥を悩ませ続けていたのが、後継者問題でした。世阿弥にはなかなか子どもができなかったので、後継者として弟・観世四郎の子、後の音阿弥を養子に迎えました。彼は、この頃から自分の芸の伝承を考え、『風姿花伝』の執筆を開始したといわれています。これは、現在考えられているような純粋芸術論ではなく、自分の後継者たちが第一人者の地位を保ち続けるためにどうすればよいかを教える、いわばマニュアル本のような存在でした。
http://www.the-noh.com/jp/zeami/

世阿弥 元清 1363-1443


父観阿弥の英才教育で猿楽能(物真似が中心の芝居)を学び、1372年、父が京都で名声を得るきっかけとなった醍醐寺7日間公演に9歳で参加している。1375年、「観世座はスゴイ」という噂を聞いた当時17歳の3代将軍足利義満は、京都・今熊野で初めて猿楽能を鑑賞し、これにハマった。

観阿弥の演技が素晴らしいだけでなく、共演した12歳の美少年世阿弥の愛らしさにメロメロになった。以降、義満は観世座の熱心な後援者となる。


義満の世阿弥に対する寵愛ぶりは相当なのもので、3年後の祇園祭の折には、山鉾を見物する義満のすぐ背後に世阿弥が控えていたという。側近たちはこれを嫉妬し、内大臣は当日の日記に

「乞食のやる猿楽師の子どもを可愛がる将軍の気が知れない」

と書きつけている。


1384年(21歳)、父が巡業先の静岡で急逝。世阿弥は悲しみの中で観世流の2代目を継ぐ。その後もひたすら稽古を重ねて芸を磨いていく中で、彼を刺激したのは父と同世代で近江猿楽のリーダー格・犬王(道阿弥)の存在だった。観世座の能が大衆向けで演劇色の濃い、物真似中心の「面白き能」であったのに対し、犬王の能は優雅で美しい歌舞中心の「幽玄能」だった。

義満は情緒があり格調のある犬王を世阿弥以上に寵遇する。犬王は天女の舞を創始するなど舞の名人でもあり、世阿弥も素直に犬王を絶賛、もろに影響を受けて自身の能も内面を表現する幽玄能に変化していった。


1400年(37歳)、

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」

など父の遺訓をまとめた能楽論書『風姿花伝(花伝書)』を著す。風姿花伝は芸術の技術論ではなく精神を論じた書であり、このような書物は世界にも殆ど例がない---

能役者が観客に与える感動の根源は「花」である。「花」は能の命であり、これをどう咲かすべきか、「花」を知ることは能の奥義を極めることである。

桜や梅が一年中咲いていれば、誰が心を動かされるだろうか。花は一年中咲いておらず、咲くべき時を知って咲いている。能役者も時と場を心得て、観客が最も「花」を求めている時に咲かせねばならない。花は散り、花は咲き、常に変化している。十八番の役ばかり演じることなく、変化していく姿を「花」として感じさせねばならない。「花」が咲くには種が必要だ。花は心、種は態(わざ、技)。

観客がどんな「花」を好むのか、人の好みは様々だ。だからこそ、能役者は稽古を積み技を磨いて、何種類もの種を持っていなければならない。牡丹、朝顔、桔梗、椿、全ての四季の「花」の種を心に持ち、時分にあった種を取り出し咲かせるのだ。
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-baree.htm#zeami

日本における男色の歴史

Homosexual"や" gay" という言葉は近世になって作られ、西洋において“悪”と結び付けられた概念である。  現在において、同性同士の恋愛を表現する言葉としてもちいられるのが、「同性愛」である。

しかし「愛」という言葉自体、日本語元来のことばではない。Homosexual1という言葉ができる前、日本では井原西鶴の『男色大観』のように、「男色」という言葉が用いられた。

 男色とは、男性同性愛を指し、英語でのhomosexualityにあたる。しかし、そこには日本人の男性同性愛への考え方が現れている。すなわち、「色」としての男色である。 


「色」は日本に古くからある概念だが、愛や恋愛という言葉は明治時代の輸入品である。 「愛」はloveの訳語として北村透谷によって定着され、さらに精神的関係をより強調した形の概念として日本に受け取られた。そして現在用いられる「恋愛」という概念は、異性間にしか成立しない言葉でもある。

 他方、「色」という表現は、恋において肉体関係と精神的関係を明確に二分することなく前者をも包含し、かつ、それを抑圧し、低俗と見なさない点に特色がある。そしてまた男と女の恋にかぎらず男と男の恋をも含めたものであった。これをさして「色道ふたつ」という表現が生まれたのもそのゆえんである。


 色道とは無秩序な性の欲望を噴出させる道ではなく、書道、華道、茶道など様々な道を動員し、人生のひとときを美的な、非日常的な時空間にするための手段だったのである。そしてこのことがゆえに性は俗ではなく、聖の領域にあったことを読みとることが求められるのである。

恋としての男色は、僧侶と稚児という形で、中世寺院に多く見られはじめる。稚児とは、寺院において僧の身の回りの世話などをし、仏道に関して学び、また歌舞音曲の伝授を受ける少年を指す。出家を目指す見習い段階であるが、実際には教育のために寺に入れるという意味合いが強い。院政期の院の近臣たちは稚児上がりのものも多く、院と深い関係を持っていた。藤原頼長『台記』にはその奔放な男色関係の多くが描かれる。

ここで注意しておきたいのは稚児=少年を神仏の顕現と見なし(比叡山に初めて登った最澄は十禅師神の化現した少年と出会った。また『稚児観音絵巻』をはじめとしたいくつかの絵巻に見られる)、稚児との肉体的交わり自体を神聖視する宗教的側面もあったことである。このことは宗教が、男色において大きな機能を果たしていることをさらに裏付けよう。

つまり、仏教は性欲の処理としての男色を聖性との関わりの中で許容し、さらに男色の中の美意識にまで介入して行くことで、それを仏教自体の一環となそうとまでする。


 中世の稚児物語においては、主人公(主に僧侶だが)はほとんどの場合、桜の木の下で美少年と出会う。美少年の恋と死が、現世のはかなさのメタファーとして現れているのである。仏教が無常というものを美しい者の滅びやすさという面から説くのに利用されているのである。

 これはそのまま少年愛の美意識、また少年美の追求の大きな要素として後代に受け継がれて行く。すなわち、少年の聖性(両性具有に起因するものともいえようか)と、一過性である。

世阿弥の『風姿花伝』のなかでの「少年は時分の花」という言葉がなによりもその心を表す(世阿弥自身、藤若として足利義満に侍っていたことはすでにあきらかとされる)。桜がその象徴とされている。


 世阿弥が能を大成すると、それをうけて男色とその美意識は、芸能に乗って大衆間に広まる。多数の謡曲が生まれるのもこのころである。

 戦国期に入ると武士たちの間に、男色が目立って流行しはじめる。そこには、女性の排除による男性集団の結束の緊密性の確保、より高度な礼と義の関係を築く、という新しい目的意識=尚武の気風があった。

 江戸時代には、衆道という言葉が用いられるようになってくる。衆道は男色にさらに武士道を加えたものと理解されよう。男色の美意識と思想と武士道の思想は実に近いものがあった。義として浮気を堅く戒め、命を捨てる覚悟(葉隠)。衆道が、義兄弟の形を伴うのもそのためである。

 これは二君に見えずという思想=主君への恋心に通ずる。それゆえに衆道の美意識は、「刀」に尽きるのである。

 桜の下、白い着物をつけた美少年、切腹による赤い血とはまさにその文脈に受け継がれたイメージである。江戸初期、死を賭した恋として、仇討ち、殉死が頻発したのではなかろうか。
http://www.ht.sfc.keio.ac.jp/~kenta/web2.html

中世において、男色は、女を排除していた武士や寺院では一般的なものであったことが知られる。また、公家文化においては「悪左府」と呼ばれた藤原頼長の日記『台記』には彼が複数の男性と同衾していたことが書かれている。

鎌倉幕府の将軍や執権、有力な大名たちも制度的な少年愛を実行していたと推定されるが、歴史的に有名かつ顕著なのは、次の室町幕府3代将軍である足利義満と、その寵愛を受けた能楽師世阿弥の関係である。

世阿弥は後に夢幻能を完成させ、『風姿花伝』を著すが、その書のなかで、「少年の美」についての魅力を述べている。


男色は女色と対になる言葉で、「色の道」は単に肉体的な関係だけではなく、精神的な関係も含み、稚児との男色においては、むしろ「精神性」に重点が置かれていたことからすれば、古典ギリシアのアレテーの教育としての「少年愛」の理念と共通するものを持つ。武士と少年、僧侶と稚児のあいだの男色関係では、愛する年長者は「念者」と呼ばれたが、念は「一念」の念でもあり、倫理性や精神的信頼性が前提にあった。

男色の道は、世阿弥の能芸の流布と、『風姿花伝』における少年の儚さの賛美と相俟って、武士や僧侶階級だけではなく、広く一般庶民にとっても「憧れ」と「美意識」を持って期待される文化風俗となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%84%9B


風景の中の世阿弥


観阿弥は奈良から京へ行くことになる。その頃世阿弥は幼名を藤若といい史実によれば美しい少年であったという。この姿の美しさに将軍足利義満は魅かれ世阿弥は義満の寵愛を一身にうけることになる。

私はかつて肉体には性の両義性(アンドロギュヌス)を飼っていると思っていたことがある。それは記号論的には両性具有的なまなざしを肉体はどこかで意図的に展開し、それらへの体験を通してより中性化する肉体=人間という記号に導かれるように構成されるだろうという意味である。

世阿弥が男色を経験したことは肉体的にも精神的にも、自らの中にあるアンドロギュヌス性を否応なく発見し、発見したことによって、自らすすんでその経験を能芸の中に生かし切っていたのではないか、という想像が働く。考えてみれば演能における男から女への変化、人間から霊的な存在に憑依する形式を世阿弥が演ずる時、男色的な経験はむしろ役に立つことはあっても邪魔なものではない。

経験は想像力にとって最も魅力的な素材であること。見事に変化したことに観客が感じ興奮するのは、そうしたリアリティの官能を敏感に感じとる時でもある。心理的にいうと、精神の深い淵で演者と観客が共に性的興奮を味わっている姿を想像できる。

習慣や風習以上に芸人にとって男色のもたらす経験が大きいのは、舞台の上の物語に華をもたらすためである。そして、その華=花は妖しければ妖しいほど観客を魅了する。こうした常に観客を意識するまなざしの感覚が、世阿弥の花であり上手であるといってもよいかもしれないと思うことがある。それはつまり自らの中にあっては無意識的に両義性に結びついていった経験の意識化である。
http://www.hikuiyama.com/goji-hamada/J-html/gh-j017.html

両性具有の美 (新潮文庫) 白洲正子 (著)

わが国では男色は罪とされておらず衆道として武士のたしなみの一つだとは知ってはいたものの、これほど広がっていたものとは思わなかった。 菊花の契り、や稚児信仰、天狗信仰といった独特の文化などの日本文化の深さを知った作品であった。

白州さんというと能の解説や評論に関する本を愛読させていただいていた。 今回の本を読むまで能の両性具有性がこのようにエロティシズムを含んだものだとは思っていなかったし、題材の根底に流れる同性愛などは想像もしていなかった。


確かに、女性が男装して舞ったり、子方とシテのただならぬ関係を類推させる作品は多い。 少年が男性になるまでの一時期中性的せつな的美しさは、武将や聖職者といえども購い難きものであったのであろう。しかも倫理的、宗教的にタブーとされていなかったのだからなおさらである。

日本の衆道のことをキリスト教圏の友人に話したら非常に驚かれた。キリスト教においては大罪である。 ここ数年は同性愛もかなり容認されるようになってきたものの、やはりかなり偏見もある。

女装した少年ではなく、男性のままで女性の色気を感じさせる両性具有の完璧な美しさを備えた少年が目の前にあらわれたら私もひれふしてしまうかもしれない、そんな完璧な美しさをもった少年の姿を本を読みながら思い浮かべていた。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%A1%E6%80%A7%E5%85%B7%E6%9C%89%E3%81%AE%E7%BE%8E-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%99%BD%E6%B4%B2-%E6%AD%A3%E5%AD%90/dp/4101379084

白州正子 「両性具有の美」

白州正子(1910−1998)は大分、以前からブームになっていますが、どういう人物であるか、一口で説明するのが難しい人です。

一応、肩書きは随筆家ということになっていますが、元華族の令嬢で、能や骨董などに造詣が深く、小林秀雄や青山二郎のような一流の文化人と付き合いがあり、夫は超イケメンで、超カッコイイ白州次郎ということで、「一流」とか「本物」という言葉がこれほど似合う女性はいないでしょう。

本人もすべてにおいて一流好みで、本物指向でした。

彼女は明治43年に東京で華族の令嬢として生まれますが、華族といっても昔から続く公家華族ではなく、薩摩藩の武士であった祖父の樺山資紀が明治維新の勲功により伯爵を授爵されたいわゆる新華族です。

そのせいか、華族の令嬢といっても、淑やかなところはまったくなく、大変、活発な男の子のような子供だったと自伝に書いています。

祖父の樺山資紀は、明治政府で海軍大将や初代台湾総督を歴任した人物ですが、橋口覚之進と名乗っていた幕末の頃、指宿藤次郎という朋友の薩摩藩の武士が京都祇園の石段下で、薩長と対立していた幕府の見廻り組(新撰組と同じような組織)に殺されるという事件が起ります。

このとき、指宿には前田某という若侍が同行していたのですが、彼は指宿を見捨てて遁走してしまいます。

それで指宿の葬儀のとき、橋口は棺の蓋を開けたままにしておいて前田を呼びつけ、「お前が最初に焼香しろ」と命令し、前田が指宿の死体の上にうなだれたときに一刀のもとに前田の首を斬り、首が棺の中に転がり落ちるのを見て、「これでよか」といって棺の蓋をしたといわれています。


当時、薩摩藩には 郷中と呼ばれる青少年の教育機関が存在し、藩士の子弟は八歳のときに稚児(ちご)として郷中に加わり、二十歳で兵児二才(へこにせ)の時期が終わるまで厳しく文武の道を体得させられたそうです。

稚児と兵児二才は男色関係で結ばれていて、薩摩武士の集団では、男色の道を知らない者は一人前扱いされず、武士として鍛えられ、教育されることは、男同士の契りを結ぶことでもあったといわれています。

幕府の見廻り組に殺された指宿藤次郎と前田某はおそらく男色関係で結ばれていて、本来ならば念友である指宿と共に闘うべきであったところを卑怯にも彼を見捨てて逃げたということで、郷中の長として橋口覚之進が制裁を加えたのではないかと正子は推測しています。

こういう野蛮ともいえる武勇伝をもつ下級武士が明治維新に勲功があったとして伯爵を授爵され、華族の仲間入りをしてしまったわけですから、明治維新というのはやはり一種の革命だったのでしょう。

このような過去をもつ海軍軍人が父方の祖父で、母方の祖父もやはり薩摩出身の海軍軍人で、活発な正子を見て「この子が男の子だったら、海軍兵学校に入れたのに」と、ふた言目には家族たちが残念がっているのを耳にして、自分でも男の子に生まれなかったことを残念に思うようになったと、正子は語っています。

自分が女に生まれたことが口惜しくてしょうがなくて、周囲にあたり散らしていたそうです。

その後、本来は男のものといわれる能を学び、女性として初めて能舞台に立つのですが、これも「男に生まれたかった」コンプレックスのなせる業かもしれません。

学校は華族の令嬢の通う学習院の女子部に入学するのですが、やはりお上品な華族のお嬢さんの多い学習院の生徒の中では浮いた存在だったそうです。

そのせいか、14歳のときにアメリカに留学します。

アメリカには4年間いて18歳のときに日本に帰国し、翌年19歳で神戸の富豪の息子、白州次郎と結婚します。

白州次郎もまた最近、ブームになっているので、ご存知の方も多いでしょうが、17歳のときから9年間、イギリスに留学し、ケンブリッジ大学を卒業したという経歴の持ち主で、戦後、アメリカ占領下の日本で、英国時代から親交のあった吉田茂首相の懐刀として、GHQ(連合軍総司令本部)相手の交渉にあたったことで知られています。

結婚当時、白州次郎は、貿易の仕事をしていて、正子は毎年のように夫の仕事に同行してヨーロッパに渡り、現地で社交を楽しんだそうです。

白州次郎という人は、長年、イギリスに住んでいただけに、国際情勢に敏感で、かつ先見の明があり、このまま行けば日米開戦は不可避で、当然、日本は負けるに決まっているから、深刻な食糧不足が起るだろうと予測し、太平洋戦争の始まる前の昭和15年に東京郊外の農村に移住して百姓生活を始めます。

戦争中は、東京の空襲で家を焼かれた友人の文芸評論家、河上徹太郎を農家を改造した自宅に引き取ります。

正子はその関係で河上徹太郎夫婦と知り合いになるのですが、戦後、同じ骨董趣味を持つ河上徹太郎を通じて、河上の骨董仲間である小林秀雄や青山二郎に知己を得ます。

正子は、小林秀雄や青山二郎、河上徹太郎といった男たちが「特別な友情」で結ばれていることを知ると、猛烈な嫉妬を覚え、どうしてもあの中に割って入りたい、切り込んででも入ってみせる、と決心したと自伝に書いています。

子供の頃からの「男に生まれたかった」コンプレックスが再燃したのです。
http://jack4afric.exblog.jp/3620880


小林秀雄や青山二郎、河上徹太郎といった男たちが「特別な友情」で結ばれていたといっても、彼らは武士と違って男色の習慣を持たない文士ですから、男色関係で結ばれていたわけではありません。

「男の友情もここまで深くなれば男色関係などあってもなくても同じことだ」と正子は語っていますが、彼らは、男同士ではセックスできないので、同じ一人の女性を共有して、その女性と性関係を持つことで、緊密に結びついていたといいます。

男が男に惚れるのは「精神」なのであり、精神だけでは成り立たないから、相手の女(肉体)が欲しくなるのだ、と正子は説明しています。

正子はそういう男たちに共有されている女性と知り合い、親しくなりますが、自身は男たちの友情の絆としての女(肉体)になる気は毛頭ありませんでした。

男たちと男女の関係になるのではなく、男たちと対等な一人の人間として彼らの仲間入りすることを望んだのです。

男たちの目には、随分と生意気な、身の程知らずな野心を持った女に見えたに違いありません。

戦後、正子は自分で骨董店を経営するほどまでに骨董に打ち込み、また雑誌に評論を書き始めるのですが、文学や骨董を学ぶために青山二郎に弟子入りし、青山や友人の小林秀雄に徹底的にしごかれます。

この頃の青山の日記には「今日も白州正子泣く」という一文が頻出するそうですが、正子は男たちにからかわれ、罵倒されながらも、必死に耐え、彼らとの付き合いを続けるのです。


昭和28年に元祖ウーマンリブともいうべきフランスの作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第二の性」が日本で出版され、ベストセラーになります。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という冒頭の言葉が有名になりましたが、正子はこの冒頭の言葉を読んで、コチンときたといいます。

「女になる」なら、なぜ女でも男でもない「人間」になってはいけないのか、と思ったというのです。

それで、ボーヴォワールの「第二の性」に対抗して「第三の性」を書くのですが、それがこの「両性具有の美」という作品として結実するわけです

この作品は、女装して、九州の蛮族の長、クマソを誘惑して、征伐したというヤマトタケルノミコトの話から始まって、最初から最後まで男色のエピソードが続き、さながら日本男色史ともいうべき内容になっています。

正子は、日本の古典に造詣が深く、この「両性具有の美」で、源氏物語に描かれる光源氏や伊勢物語の在原業平のような女性的男性や、男になる前の男でもない女でもない、人間ばなれした美しさを持つ少年を愛で慈しむ日本人の感性について語っています。

ボーヴォワールにたいして、あなたがた西洋人は、人間を男と女という二元論のレベルでしか捉えることしかできないけれど、東洋には男であると同時に女でもある、性の境界を超越した第三の性という概念があり、私たち東洋人は、そういう両性具有的な存在に美と価値を見出すのだ、と主張しているのです。

正子は、少女時代にアメリカに留学し、結婚してからは毎年のように夫に同行してヨーロッパを旅行して欧米の上流階級と付き合ってきた女性ですから、中途半端な日本のインテリと違って西洋コンプレックスがないんですね。

同時に西洋のことをよく知っているから、西洋というものを相対化して客観的に見ることができ、「あんた達、西洋人はそうかもしれないけれど、我々日本人はそうじゃない」と、ちゃんと主張できるわけです。

「両性具有の美」の終わりに正子は、「私がこの作品で言いたかったのは、女には能を舞えないということだ。50年間、能をやってきて、結局、女には能はできないということを私は悟ったのだ」と書いています。

これはどういうことかというと、50年間、男になるために必死に努力をしてきたけれど、やっぱり男にはなれなかった、ということです。

この言葉にはボーヴォワールのような女を教祖として崇めるウーマンリブやフェミニストなど日本の女権拡張論者にたいする正子の批判が込められているような気がします。

あんた達は、ふた言目には男女平等や男女同権をいうけれど、男と対等になるためにいったい、どれだけの努力をしたというのよ。女であることに甘え、女の特権を保持しながら、男の権利も欲しい、なんて虫が良すぎるわよ。

そんな正子の言葉が聞こえてきそうです。

そこには「この女離れしたところのある私でさえ、いくら頑張っても、男にはなれなかったのよ!」という自負心と悔しさがないまぜになった複雑な心情がこもっているような気がします。

白州正子は、男になろうとして一生懸命、努力して、結局、男にはなれなかったけれど、頑張ったお陰で男っぽい女、つまり両性具有的な人間になることができました。

正子は、青山二郎に「おまえは、俺と小林のおかまの子なんだから、しっかりしろ」といわれたそうですが、これって最高の褒め言葉だと思いますね。

青山二郎と小林秀雄が男同士、愛し合って出来た子供が正子だといってるんですから。
http://jack4afric.exblog.jp/3643212

イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。
そして彼は弟子たちに言われた。

”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似ている”。

彼らは彼に言った。


”それではわたしたちは幼な子として神の国に入るのでしょうか”。

イエスは彼らに言われた。


”あなたがたがふたつのものを ひとつにするとき、

そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、

そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、


あなたがたは神の国に入るであろう”。
http://ime.st/emikikuchi.exblog.jp/i40


シモン・ペテロ彼らに言う。

マリアを我らより離れしめよ。女は生命の価値なかりければ。

ペテロは言った。

「マリアを私たちの間から出てゆかせよう。女性は〈生〉に値しないのだから」
                       
イエス言いたもう。

見よ。我マリアを導きて、マリアを男となさん。
マリアまた、汝ら男たちのごとく命ある霊となりぬべし。
おのれを男とせし女らみな、天国に入ることを得たればなり。 


イエス、言う。

「見ていなさい。私が彼女を導く。彼女を男性にし、彼女もまたあなたがた男性と同じように生ける精霊となることができるように。

なぜなら、自らを男性となす女性はすべて天国〈王国〉に入るからである」
http://mahachohan81.blog133.fc2.com/blog-entry-131.html

シモン・ペテロ彼らに言う。

マリアを我らより離れしめよ。
女は生命の価値なかりければ。  

                     
★原始キリスト教を創設したペテロは、マリアを自分たちのところ(イエスの弟子たちによる集団)から出ていかせようとしました。

「女性は悪の根本原因」だとして、拒絶したのです。
生命の価値がないという理由で…。


「女たちは命に値しない」というのは、ユダヤ教、ユダヤ人キリスト教、初期のカトリシズムに見られる女性蔑視が極端な形で表現されたものです。現在のカトリック教会においても、女性は聖職位階制から排除されているようで、女性の法王は存在したことがありませんね。「男性優越主義」が21世紀になっても、相変わらず存在しつづけているというのが、宗教界の実情なのです。


★マリハムとは、マリアのことです。そして、このマリアはイエスの生母ではなく、彼の妻のマリア(マグダラのマリア)のことです。マグダラのマリアは、イエスが初めて心のうちを打ち明けて癒された女性であり、彼が初めて愛した女性でした。


イエスが結婚していたことは、最近(2006年)「ダ・ヴィンチ・コード」が映画化され、ようやく世界中に知らされることとなりましたが、これが事実だと都合が悪いと考える人たちによって、ひた隠しにされてきました。

わたしは、小説「ダ・ヴィンチ・コード」で話題になる20年ほど前から、マグダラのマリアがイエスの伴侶であったことは知っていました。何の疑問もなく、受容していたのです。でも、世界中のクリスチャンはどうだったのでしょうか?

ペテロが発した「マリアを我らより離れしめよ。女は生命の価値なかりければ」ということばは、女性蔑視の骨頂とも言うべき暴言ですが、彼がいかにマリアに嫉妬し、嫌厭していたかがうかがえる箇所です。


宗教を創ったのがみな男性だということは大変興味深いところですが、ペテロは別として、世の男性たちが女性を恐れる理由は面白いと思います。

それは何かというと、女性がそばにいると、神や仏の探求よりも、女性の探求のほうが魅力的になるということです。それでは修行の妨げになるばかりか、面倒なことが発生しかねません。それゆえに彼らは女性を拒み続けなければならなかったということです。


釈迦(ゴータマ・ブッダ)にしても同様です。

ゴータマ・ブッダは悟りを開いた後に釈迦教団を創りましたが、男性の修行者のなかに女性の修行者を入れることはなかったようです。

彼は最初、女性の修行者自体も受け入れていなかったのですが、志願者が増えたため、しかたなく比丘尼となることを認めたのです。でも、男性修行者とは隔離しなければなりませんでした。なぜか、もうおわかりでしょう。
http://mahachohan81.blog133.fc2.com/blog-entry-130.html

河合隼雄先生著の「とりかへばや、男と女」を読んでいると、面白いことが書いてありました。

(以下引用)
いかなる元型もそれ自身はわかるはずはなく、元型的イメージを通して類推されるだけである。今元型Xがあるとしても、元型的イメージというのは自我によって把握されるものであるから、イメージの方に相当の自律性があるにしろ、自我の在り様によって、そのイメージは変わってくるはずである。

そこでたましいの元型というものの存在を仮定すると、それを把握する自我が男性的である場合は、女性のイメージとしてその元型的イメージが生じ、自我が女性である場合は、男性のイメージとして生じると考えればどうであろう。

つまり、アニマの元型、アニムスの元型が存在するのではなく、あるのはたましいの元型というひとつの元型で、それがイメージとして顕現してくるときに姿を変えると考えてみるのである。しかし、それらは、もっと深いところにおいては、両性具有的なイメージとなり、その中間に男女の対のイメージがあるのではないだろうか?


_____


図式的に考えた場合、男性的自我を持つ人にとっては、その対をなす存在として、無意識の領域に女性のイメージ=「アニマ」を仮定できます。

しかし、実際問題として、男性の中に女性イメージの元型があるかというと、実はそうではなくて、男性的自我から、無意識内にある女性的イメージ「アニマ」の方向を向いたところに(あるいは、男性的自我と女性的イメージの間に)、河合先生の言う「たましいの元型」とも呼べる存在があるのではないでしょうか?

あるいは、言い方をかえますと、男性の中に女性のイメージである「アニマ」があり、女性の中に男性のイメージである「アニムス」があるというよりは、「アニマ」「アニムス」と呼ばれるものは、実は同じであり、それは「人間そのもの」とか「人間の本質」と呼ぶに近い(人間)元型なのではないでしょうか。


したがって、

・男性的自我から、その人間の本質である元型を見た場合、それは男性的自我と対立する要素である「無意識の領域の女性的イメージ」の方向にあり、したがって、男性的自我から見れば、それは女性のイメージとして具現化される。

・また、女性的自我から、その人間の本質である元型を見た場合、それは女性的自我と対立する要素である「無意識の領域の男性的イメージ」の方向にあり、したがって、女性的自我から見れば、それは男性のイメージとして具現化される。

――そのようにいえるのではないでしょうか。


つまり、「アニマ」「アニムス」共に、実は同じ「人間そのもの」、「人間本質」の元型であり、その人が立つ位置によって、「自分とは相反する要素=自分に欠けた要素」の方向にあるため、相反する性のイメージであるアニマ・アニムスの姿として現れるということです。


そして、人間は、「自分の持つ要素」と、それとは相反する「対立する要素」とを統合したり、結合させることで、自分に欠けた要素を補い、「本来の人間」とか「人間そのもの」と呼ばれるものに、近づけるのだと思います。

またまた、言い方をかえると、完全なる人間の元型は「自分が今持っているもの」と「自分には欠けたもの」の両方を持っているので、つまり、自分の今いる位置とは相反する位置(対立する位置)の方向にあるわけで、したがって、完全なる人間に導くもの=「魂」は、今いる位置とは相反する位置(対立する位置)に、人間を導こうとするのではないでしょうか?


ここに、「対立する二つの要素と補償作用」、「分離と統合」、「数字の1と2と3と4」などの奥義があるように思います。


ここで、男性・女性の存在と全体性の回復を考えた場合、

・男性的自我だけでは(完全なる人間としては)足りず、その全体性を補ったり、人間の本質へと向かうためには、その対立する要素である無意識内の女性的イメージ「アニマ」との対話・対決を通して、両方の性を包含した人間本質の元型に向かい、それによって「全体性の回復」という仕事は成されるのではないでしょうか。


・女性の場合も、女性的自我だけでは(完全なる人間としては)足りず、その全体性を補ったり、人間の本質へと向かう場合には、その対立する要素である無意識内の男性的イメージ「アニムス」との対話・対決を通して、両方の性を含有する人間本質の元型に向かい、その仕事は成される。


――そう言えるのではないでしょうか。


但し、ここで注意することは、人間の本質(あるいは、その元型)とは、あくまで「男性的自我と女性的イメージ」や「女性的自我と男性的イメージ」の両方を包含するものなのであって、男性が女性化するのでも、女性が男性化するのでもない、ということです。

前の図を見た場合、男性的自我が、無意識内の女性的イメージと対話・対決しながら歩み寄るのが、その間にある「人間そのもの」や「完全なる人間」の元型に近づくことになるのに対し、男性が女性化するのは、単なる「反転」であって、それは人間の本質を大回りに回避し、単に立つ位置が入れ替わったに過ぎない、と言えるでしょう。(女性的自我と、男性的イメージの場合も同じです)


つまり、意識レベルでの反転が行なわれただけで、欠けたものが補われたとか、人間の本質に近づいたとは、言い難いわけです。そして、このような考え方は、実は男性・女性、アニマ・アニムスの考えのみならず、いろんなことに対して、言えそうな気がします。
http://starpalatina.sakura.ne.jp/kouza/11.html

能楽名演集
能「頼政」 喜多流 喜多六平太、森茂好
能「弱法師」 喜多流 友枝喜久夫、松本謙三 [DVD]
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能楽名演集
能 『楊貴妃』
能 『居囃子 草紙洗小町』
喜多流 友枝喜久夫 [DVD]
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能「弱法師」1980年放送 カラー

シテ:友枝喜久夫 ワキ:松本謙二 アイ:善竹十郎
笛:田中一次 小鼓:鵜澤速雄 大鼓:柿原崇志 地頭:喜多長世


弱法師は好きな演目ですので、気合いを入れて見てしまいました。友枝喜久夫さんはやはり、すごいですね。ちょっと泣けました。

弱法師は盲目の法師ですから、弱法師という専用面をつけるわけですが、友枝喜久夫の弱法師は本当に目が見えないのでは、と感じさせるものがあります。
(このころは既にお目が不自由でしたかもしれません)


「梅の香が聞こえ候」では、本当に何かの香りが漂うよう。

「日想観なれば・・・」心の目で風景を見ようとする辺りでは、心がふるえるような高揚感を。

「盲目の悲しさは貴賤の人に行きあいの・・・」このあたりも云うことなしの素晴らしさ。

「今よりは更に狂わじ」の諦念と深い内省。


さすがに云うなし。喜多流って、やはり写実的でしょうか。
http://ansam.at.webry.info/200608/article_4.html

友枝喜久夫を聴く


仕事の合間の気分転換に、友枝喜久夫の謡を少し聴く。

一調一声「三井寺」(小鼓:大倉長十郎)と一調「勧進帳」(大鼓:安福建雄)。


「三井寺」は「雪ならば幾度袖を払はまし」から「三井寺に早く着きにけり」までの道行の謡。

「乱れ心や狂ふらん」の後に入る鼓が絶品。友枝さんのテンションも自然と上がって行く。声が大きいわけではないのだが、「志賀唐崎の一つ松…」以下、道行ならではの叙景の言葉が続くが、「風すさまじき秋の水の」で頂点に達する。

テクストは、直接に子を思う母の情を表現したものでなくても、母の情が理屈抜きに聴き手に伝わって来るだけの熱い思いが謡に込められている。

友枝喜久夫は、小柄な人で、必ずしも「安宅」のような曲がニンに合う能役者ではなかったように思うのだが、「勧進帳」は「それ、つらつら惟(おも)ん見れば」から、特に重々しく謡おうという作為がなく、その境地に達するまでに積み重ねられた修練の積み重ねが感じられる。

安福建雄の大鼓も、最近の彼の舞台には見られない気迫で打ち込んで、「天も響けと読み上げたり」と謡い切った時に、有無を言わさぬ説得力が生まれる。つくづく、友枝喜久夫という能役者は、「謡う」ことが好きだったのだなあという感慨が残る。


 国立能楽堂で粟谷菊生が「班女」を舞った時だったが、最晩年の友枝喜久夫は、最初から登場せず、地謡は前列4人だけで始まり、初同(地謡が最初に謡う箇所)の直前に後列の4人が切戸口から出るというやり方をしたことがあった。

異例のことだが、しかし、私がこれまでに見た喜多流の能で、地謡があれほど繊細だったことは他にない。地謡の面々の、友枝喜久夫と謡う機会を大切にしようという思いが結晶したものだったのだろう。
http://eirakukan.seesaa.net/article/36183559.html

「景清」 友枝喜久夫(喜多流) 1991.11.4 友枝会 友枝喜久夫・能舞納め


平家の敗北で自らを盲目にし、日向(宮崎)に流されて侘びしく暮らす平家の武将・悪七兵衛景清の行方を探して娘が訪ねてくる。

初めは応じなかったが会えば親子の情が湧く。かって屋島で兜のしころを引きあった合戦の様子を見せ、我が亡き後の回向を娘に頼み今生の別れを告げる。つかの間に長い時間を押込めた悲劇の能。

この友枝喜久夫の「能舞納め」では能面をつけず「直面(ひためん)」で演じた。


「景清」 友枝喜久夫(喜多流) 1991.11.4 友枝会 友枝喜久夫・能舞納め


シテが幕に消えてゆく。拍手が続く。幕入りまで追ったファインダーが滲み霞んできた。

目を病みよく見えない舞台も大きく舞い、わずかな動きで大きく空気が動く芸。私が理想とする名人の最後の能であった。終曲、舞納めになぜ「景清」を選んだのかが分ったような気がした。
http://www.noh-photo.com/exhibition/08exhibition/08sakuhin.html

昔、友枝喜久夫という能楽師がいた。

いまブームの文筆家、故 白州正子が晩年愛して止まなかった人物。歌舞伎評論家の渡辺保も絶賛を送っていた。様式の完璧を目指す能楽界の中でも、とりわけ強さと形にこだわった故 喜多実率いる喜多流の名家、友枝家の人間。

若い頃は剛直な芸が信条だったけれど、老いて眼病を患い、ほとんど盲目に近い状態になった。ところが、それから彼の芸が大輪の花のように花開いた。

私は彼がほとんど見えない、という前提でしか舞台を観ていないので、若い頃の彼の芸はよくわからない。実際に観たのは、幻想的で夢のような舞台の数々だった。

たまに向きを間違えたりしても、それがなにも傷にならない。
若い頃から鍛え精神と体の奧に備わった「型」。
そして目が見えないからこそ、そこから飛翔できた表現。

なによりも、私は彼の透徹した謡の”声”にしびれて止まなかった。

能の謡は、徹底的に鍛え上げ、一度ノドをつぶしてそこから復活してくる声がいい、という傾向がある。でも、彼の謡は違った。

透明な、あくまでも透き通った音。クリスタルや水晶が口から出てくるようなイメージ。それが単にノドを使っているだけの声ではなく、きちんと鍛えられ胆から出てくるのだから、強靱さが違う。強靱でありながら、ひたすら透明で美しい謡。

この世のものと思えなかった。


白州正子は、彼のために『老木の花』という本を残している。 老木に花が残るがごとく、そこにある美。晩年大輪を咲かせた彼の芸は、次の世阿弥の言葉があてはまる。


「…さりながら、誠に得たらん能者ならば、物数みなみなうせて、善悪見所は少なくとも、花は残るべし。」


確かに、彼の舞台には、まことの花がありつづけた。舞納めの景清まで、ずっと。
http://nohgaku.cocolog-nifty.com/noh/2005/06/post_54b6.html

老木の花―友枝喜久夫の能 [大型本]
白州 正子 (著), 吉越 立雄, 大倉 舜二


大正から昭和の中頃へかけて多くの能の名人芸にふれた著者は、その名人たちの死とともにそれ以降の能に幻滅を感じ遠ざかってしまった。それが友枝喜久夫(81歳)喜多流能の名人が演じた「江口」を観て幽玄という言葉では表現しきれぬ至芸に感動。友枝さんの美しい芸に報いたいという想いで筆を起こした後世に残る一冊。撮影写真は吉越立雄氏と大倉舜二氏による一葉一葉が芸術品と呼べる写真。


さて能「江口」は天王寺詣りの旅の僧が江口の里にやってくる。人の賑わう遊女の里。僧は里人に江口の君の宿跡を尋ねる。その昔、江口の君と呼ばれる遊女がおり、西行法師が雨宿りを請うと、泊めるのを断った。そのとき、西行が詠んだ歌

“世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな”

僧はこの歌を思い出し、口ずさむと里の女(江口の亡霊)が現れて、江口の君の返歌を引いて泊めなかった理由を語る。

“世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ”

江口の君が宿を断ったのは、西行の僧侶という身を思って断っただけなのに、宿を惜しんだなどと言われては残念と言う。僧は驚いて名を尋ねると里の女は私こそ江口の君の亡霊ですと言い、消えていく。(中入り)

僧は驚き、夜もすがら読経すると川もに舟が現れ江口と遊女が舟遊び。

(ここで絢爛な序の舞)

人間浮き世への執心を捨てれば、菩薩の道はひらくと語るや、江口は普賢菩薩となって白像にまたがり消えていく。


さて、この演能で、白州さんは友枝喜久夫の謡いが水晶の玉のように透明で澄み切った音声。人間の肉声でなく、他界からひびいてくる精霊のささやきのようだと表現する。さらに仕舞い、装束のまといかた、足はこびに幽玄という言葉であらわしきれない新鮮な感動を伝えている。


「この歳になって(来年80になる)、こんな美しいものに出会えるとは夢にも思わなかった。また気が付くと前の席の若いお嬢さんが涙をこぼしている。ジーパン姿の青年、ネクタイ姿の会社員風まで涙を拭いている。」


また白州さんは次のように激しく言う。


「能を難解なものにしたのはインテリが悪いので、世にもありがたい「芸術」に祭あげ、専門家がそれに乗っかって、一種の権威主義を造り上げたのだ」


友枝喜久夫がかくも能に縁遠い若者や外国人に共感を与えるのは、

「ひたすら己を虚しうして稽古に打ち込んでいるいるからで、もはや芸というよりも魂の問題である」


「本当にものを見るとは、こちらから積極的にこうしたものに会うことである。テレビの前に寝そべっていては駄目、こちらから出かけて行ってつかみとらねばならない」

とも言う。世阿弥の言葉「たけたる心位」は茶道の始祖村田珠光の「たけくらむ」、芭蕉の「軽き趣のすじ」とも一脈通じていると解釈する。

最後に題名の「老木の花」が世阿弥が父観阿弥を評した言葉であり、老人になって、人生の最後に咲いた花こそ「まことの花」であると言う。西洋の芸術が「若さと力の表徴」であるなら、日本文化はまさに世阿弥の「老木の花」にあると言えよう。


盲目になってしまった名人友枝喜久夫の心の眼には「人生の経験を積んだ後に到達する事の出来た幸福な境地、若い時には知らずに過ごした様々なものが見えているに違いない」と白州さんは締めくくっている。


名人友枝喜久夫さんも、白州正子さんも鬼籍に入られた。もう二度とみることが出来ない名人友枝喜久夫の能舞台姿を本書で見ることが出来るのは至福の極みである。 また当代きっての名文家にして能を知り尽くした白州正子の能鑑賞の手引きとしても後世に残る秀作である。
http://blog.goo.ne.jp/rurou_2005/e/e10d804373b8160e0a6739eb56a82d70

《友枝喜久夫の芸は、現代でいえば、まさしく「たけたる位」に相当しているといえよう。といっても、本人が意識して行っているわけではなく、目が見えぬ悲しさといらだちが、「我を忘れる」結果となり、「我を忘れた」時に、思いもかけぬ美しさが火花となって散るのである。

友枝さんの芸が能には珍しくドラマティックであるのは、訓練を重ねた技術の向う側に赤裸々な人間性が現れるからで、そのために、姿勢が崩れる恐れはいささかもない。

今、ドラマティックと私がいったのは、芝居がかっているという意味ではなく、矯めに矯めた感情が、能の型や約束を打ち破って現れる時、強烈な感動を与えるのだ。それは誰にでも理解できる美しさで、美しさというより、魂をゆさぶる衝撃といえようか。今時そんなものに出会うことは稀にしかない。》

(白洲正子『老木の花』より)


《バレエとお能とでは天と地ほどの相違があるが、私にこの世のものならぬ美の神髄を見せてくれたのは、あとにも先にもバレエのアンナ・パヴロヴァと、能楽の友枝喜久夫しかいない。》

(『白洲正子自伝』より)
http://www.buaiso.com/koyu/kokoro/13.html


渡辺保著「能のドラマツルギー 友枝喜久夫仕舞百番日記」(角川書店)、
白州正子さん主催による友枝喜久夫師の仕舞の会観劇記のあとがきです。


ある時「蝉丸」があまりによかったので、

「あの『走り井』のところで、井戸をのぞくのはどういう気持ちでおやりになるんですか」

とつい聞いてしまった。愚問だと思うが、天気の話ばかりしていても仕方がないと思ったからである。笑いながら、友枝さんは少し恥ずかしそうに、

「やはり、そういう気持ちになってやりますね。」

とりつく島がない。そうしたらば、すかさず白州さんが

「ああいうところは型通りやれば、それで生きてくるのよ。現に友枝さんは、井戸の底よりずっと深いところを見ていらっしゃるでしょう」


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友枝喜久夫さんの「三井寺」

昨日放送のNHK「日本の伝統芸能」の「能」一回目をビデオで観る。はからずも、1日付けの道行で触れた友枝喜久夫さんの「三井寺」の映像を素材とした解説。嬉しい偶然。

清水寺で、息子に会えるようにと願う母の姿。面の表情にその心理が凝縮されていて、シテの心のうちへと引っ張り込まれるような感じ。

友枝喜久夫さんは生の舞台を見たことがなく、それが残念でならない。


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立ち姿のこと-写真集「姿」井上八千代・友枝喜久夫-


立って静止しているだけの、その姿に惹かれてしまう、ということが時々ある。たたずまい、という言葉。

京舞、四世井上八千代さんと、喜多流能楽師、友枝喜久夫さんの写真集。白州正子さんの文章に吉越立雄さんの写真(求龍堂)。


能の友枝喜久夫さんは、型がほんとうに美しい。それなのに(それだから??)能には珍しいほどの情がほとばしる。

仕舞の写真は紋付袴なのですが、そのすうっとした立ち姿。なかでも「藤戸」が印象的。また、直面での「景清」が昔語りをする場面はすさまじささえ感じるほど。

そして娘を見送る後ろ姿の余情。
(こういう写真を見るとやっぱり「景清」は、文楽版よりも、娘を帰らせて自分は後に残る、というストーリーがいいなあと思います。)
http://www16.ocn.ne.jp/~kuriy/2002jun.htm


能舞台のある旅館めぐり


日本全国に、能舞台を持った格式高い旅館が数多あることをご存知だろうか?

この3月末、降りしきる雪の中を3泊4日の北陸旅行に出かけた。宿に着くと、白足袋に履き替えて舞台に立たせてもらい、足拍子を踏んだり小謡を謡ったりした。泊まった旅館は

和倉温泉加賀屋、
金沢深谷温泉石屋、
山中温泉よしのや依緑園

の3軒。石川は加賀宝生の土地柄、3軒も揃う県は他にない。この酔狂な旅は03年8月に始め、足掛け3年で全8軒に泊ったことになる。他の5軒を泊まった順に記すと、


03年8月

岐阜下呂温泉水明館、
長野昼神温泉石苔亭いしだ、
静岡修善寺温泉あさば、
渋谷のセルリアンタワーホテル、


05年7月
愛媛道後温泉大和屋本店。


旅館の能舞台は、一般の能楽堂と同じように2タイプ。舞台は庭・見所は座敷というのと、舞台も見所も屋内である。

屋外舞台は修善寺あさば、金沢石屋、道後大和屋の3軒だけ。真冬と真夏は厳しいが、私はこちらの方が好きだ。

宿代を気にしなければ、延宝3年(1675年)創業のあさば旅館が良い。100年前に深川富岡八幡宮から移築された、座敷やテラスから池越しに見る能舞台「あさば月桂殿」は群を抜いている。

年4・5回の定期能や狂言会のために手入れが行き届いているし、後方の竹林や鬱蒼とした樹木、夕方ともされる吊り灯篭も風情があって、世俗を忘れさせてくれる。七代目浅羽保右衛門氏は宝生流だったそうだが、八代目は観世友資師、十代目を継ぐ一秀専務は学生時代から観世暁夫(現銕之丞)師にと、その長い入れ込みぶりは目を瞠る。


寛政元年(1789年)創業の石屋は、七代目社長が大正6年(1917年)に設えたそうだから90年になる。宝生の派手さを嫌った素朴な造りである。用材のくさまき(能登檜)は水に強く、雪深い山奥の舞台に相応しい。普段は雨戸も閉めないため、すぐ側の山に棲む狸が舞台を走り回って腹鼓を打つらしい。泊まった日も、足跡がいくつかついていた。ここは、先に出来た室内の稽古舞台があり、力の入れようが半端でないことが分かる。現在、石屋九代目誠一氏は宝生流佐野由於師に師事。金沢市内から約10kmの、野中の一軒家のような宿には珍しい褐色の温泉が湧き出て、前田の殿様同様ゆったりした気分が味わえる。

明治元年(1868年)創業の大和屋本店は、10年前の96年、改築に合わせて4階の屋上に能舞台「千寿殿」を設えている。松山は高浜虚子の兄、能楽研究家池内信嘉氏の出身地だけに、能楽を地域の伝統文化にと思う気風が強い。喜多流金子匡一師に師事する奥村武久社長は、それを意識して造られたようだ。毎日、宿泊客に能楽体験サービスを熱心に行っている。

残りの五軒は、屋内の能舞台である。最新は、01年5月セルリアンタワーホテル地下2階にできた能楽堂。隣り合わせの料亭金田中の座敷から観ることもできる、200席ばかりのこじんまりした良い舞台であり、唯一のシティホテル能舞台である。着物を着た人々が行き交う大人の街にしたいと考えた、東急のまちづくり構想の目玉になっている。ここの浦潔館長は、金剛流の豊嶋三千春師に習っておられる。

昭和7年(1932年)創業の下呂温泉水明館は、60周年の91年に新館を増築した際、1階「石橋の間」に舞台を設えている。三代目滝多賀男社長のご母堂が観世流関根祥六師に師事していて、下呂の謡曲の会を主宰しておられた関係のようだ。00年頃までは年2回「水明館能」が催されていたが、今は各流派のお素人の会に使われたり、落語名人会や結婚式にも活用しているとのこと。庭に面した幅広のガラスを電動で動かせるのが自慢で、気候の良い時は薪能風にすることもできる。

昼神温泉石苔亭いしだは、2年前のテレビドラマ「温泉にいこう」のタイトルバックに出ていたから、ご記憶の方も多いだろう。中央道園原IC近くにあるこの宿は、昭和59年(1984年)創業と新しいが、4年後の88年、湯治旅館から今の純和風旅館に建替える際に能舞台「紫宸殿」を設けている。石田小夜子女将が観世流浅見重好師に習っていて、能「木賊」に出てくるご当地、園原に相応しいものということだった。大手門のような門をくぐり、玄関に入ると目の前に能舞台があって吃驚する。橋掛と3間四方の奥行が少し短いのが惜しい。柿落しは先代観世左近宗家が務められ、その後も春秋2回「いしだ能」があったが、ここも01年に中止になった。逸見貴子若女将のご亭主が京都の大蔵流茂山千三郎師に稽古に通われたせいか、最近は狂言会が定例になっているようだ。

明治39年(1906年)創業の和倉温泉加賀屋は、今年が100周年。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で連続25年1位を誇る、天皇・皇后が何度も泊まられた宿である。規模の大きさやからくり仕掛け、料理や調度、仲居さん達の接遇の素晴らしさには驚くが、こと能舞台に限っては物足りない。舞台構造を知らない設計者に任せたものと思われる。橋掛は1間、鏡の間や楽屋もないため、演能には向かない。空調設備の影響らしいが実に惜しいことである。目付柱や脇柱は取り外しができ、声の反響も良いので謡や仕舞は可能である。

最後は、山中温泉よしのや依緑園。この旅館は、何と建久元年(1190年)創業であり、800年以上が経つ。昭和42年(1967年)、宝生流を習っていた二十五代目社長が、8階建ての長生殿を建てる時、反対を押し切って最上階に能舞台「長生殿」と正面に見所を兼ねた大宴会場を設えている。当時、旅館の屋内能舞台は日本初であり、00年頃まで年3・4回、泊り客向けにプロの演能が行われていたそうである。二十六代目社長は宝生流山田太佐久師のお弟子であるが、今は、大阪音楽大学出身の元ミスユニバース、中曽根有希若女将がクラリネットリサイタル等に使用しているとのこと。淋しい話しである。

以上、加賀屋を除いて、誰かが習っていて造ったか、舞台があるから習っているという旅館ばかり。これからも大切に維持して欲しいと思うが、現在教えておられる先生やお弟子には、このような旅館に泊まって舞台を活用していただきたいと思う。いずれも部屋や料理、露天風呂、仲居さん達は素晴らしいの一語。謡い終わった後も、楽しめること請け合いである。

http://www.hinoki-shoten.co.jp/lesson/ryuyujiteki/nohbutai-meguri/


能が成立した頃は、神社や寺院の拝殿や屋外の仮設舞台などで演じられていた。

その頃の能舞台は基本的に屋外にあり、舞台を取り囲む、または向かい合う位置に作られた別棟の建物から庭を隔てて観る形が一般的だった。

http://www5.plala.or.jp/NATIVE/kyougenraisan/k-keifu/k-noubutai.html


 能と狂言は、能舞台という専有の演技空間を持っています。横浜能楽堂に一歩足を踏み入れるとすぐにお気づきのように、


客席に突き出た三間(約6メートル)四方の本舞台(ほんぶたい)と、向かって左に延びる橋ガカリからなること、

室内でありながら舞台上にも屋根があること、

橋ガカリ奥に5色の揚幕(あげまく)という幕があるのみで、観客と舞台を隔てるものがないこと、

枝振りのよい松が描かれた鏡板(かがみいた)が背景となること


など、横に広く長い日本の大多数の劇場とは随分違っているのです。能舞台は非常に特異な空間ですが、これは能と狂言の演技の本質に深くかかわっています。


 まず本舞台。この正方形の空間は、左右より前後の動きが演技の中心となっていることを意味します。足を一歩出す、一歩引くというほんのわずかな動作が、説得力に満ちた表現になるのです。客席に張り出す舞台では、役者の身体の前から背中まで、すべてが見えてしまいます。「動く彫刻」といわれるように、一分の隙も許されず、全身全霊の力を外に放つ気迫が役者に要求されます。


また能には神、仙人などの超人間的な存在や、あの世の者が多く登場します。人間の生身の肉体である素顔を使わず能面を用いるのはそのためですが、異次元の世界からこちら側へ渡って来るには、果てしなく遠い道のりを辿らねばならないのでしょう。その距離とエネルギーとを象徴するのが橋ガカリなのです。
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/98spr/001-2.html


橋掛かりとは、揚幕から本舞台へとつながる長い廊下部分のこと。

ここには、微妙な傾斜がつけられており、観客から見て遠近感が強く感じられるように設計されているそうです。

この橋掛かりを通って、シテは、揚幕から本舞台へと現れ、消えていきます。
それは、亡霊が現れては消えていく、能の物語そのものです。
まるで、橋掛かりが、あの世とこの世を結ぶ道のようです。
http://www.sense-nohgaku.com/noh/articles/whats_no/youhashigakari.php


橋掛りは、異次元とこの世を繋ぐ架け橋です。
http://www.ryosuikai.com/distript.htm

かつて能は、神社の拝殿や芝生の上や屋外の仮設舞台などで演じられていました。

現在のような整った舞台での演能は、室町時代末期から一般的なものになったと考えられていますが、それでも正式な能舞台はすべて屋外に設置されていました。

現存する最古の能舞台は、京都の西本願寺の北舞台です。西本願寺の北舞台の構造は、基本的には現在の能舞台とほとんど変わっていないところをみると、この形式になったのは、かなり早い時期であったと推定されます。

 近代になって生まれた「能楽堂」という劇場においては、能舞台は、かつては舞台とは別棟であった見所(観客席)や舞台と見所との隔てとなっていた白州ともども、すっぽりと建物の中にとり込んだような形、いわば屋外の能舞台を建物で覆った形に変わりました。これは、相撲の土俵を建物の中に取り込んだ国技館とも相通ずるところがあります。今日の能楽堂のように、舞台と客席とが一つの建物の中に収まった劇場形式になったのは、明治14年以降のことで、400年余の能舞台の歴史の中では、まだ新しいものといえます。                    
http://www.janis.or.jp/users/shujim/noubutai.htm

能舞台――叙述の空間 松岡和子


 能楽堂の中へ足を運ぶ。場合によっては入口で穿きものを脱ぎ、あるいは穿いたままで歩を進め、時には階段を昇り時には一階のレベルに続くロビーを抜け、客席に入る。

 能舞台がある。

 どこの能楽堂であれ、私は未だに能舞台を目の前にするこの瞬間に慣れることができずにいる。慣れない、なじまないというのだからこれは一種の違和感にはちがいないのだけれど、その時そこにある能舞台に対して感じるのは、言うまでもなく決して不快な違和感ではなくて、小さな子供ならば恐らく「あっ、おうちの中にまたおうちがある!」という言葉で表現するだろう驚きなのだ。

 いつまでたっても私は、能楽堂の客席に一歩踏みこむ度に小さく息を呑み、すがすがしい驚異の念に打たれる。実際の風雨にも十分に耐えられる堅固な瓦葺きの屋根と柱をそなえた眼前の建ものの中の建ものが、舞台装置ではなく舞台そのものだということに……。

 そして、この建ものはやがて、一夜の能曲の現れにつれて、舞台であり舞台装置であるという融合した場となり、演者たちが静かに姿を消したあとは、再びまた明るい虚空をたたえた舞台として残るのである。


 かつて能舞台の屋根は、本当に雨を受け雪をいただき、外気に触れていた。四季に見合った能曲が演じられる時、梅の季節には梅の香をのせた風が、紅葉の季節には紅葉の色を帯びた風が、能舞台にもそれと相対する別棟の観客席にも、その間に広がる白洲の上にも吹き渡っていただろう。しかし、


「おもだった能役者は自宅の屋内に稽古舞台を持っていたので、明治以後はそこで公開の催しを行うようになった。現在の能楽堂はこの稽古舞台が劇場化したもの」(平凡社刊『能狂言事典』)


だという。だが、能舞台が屋外からまるごと屋内にとりこまれた時、能そのものも徴妙に、そして根本のところで劇としての姿を変えたのではないだろうか。


 日本人でありながら、むしろ西洋演劇を遠い源とする劇やシェイクスピア、そして今日の小劇場演劇の方にずっと馴染んでいる私のような観客にとって、能はハナシそのものの荒唐無稽さは別にしても、そのフィクション性を強く意識させられる演劇形態だ。面をつけたシテと素面のワキが相対することといい、観客席の明るさといい、囃子方が劇中人物と同じ場に坐し後見が出入りすることといい、そこにはいわば「劇」への没入に水をさす一種の異化効果がある。「劇」はあくまでも演じられたものであり、イリュージョンであるということを演じる側も観る側も強く意識しているという意味で、能はメタシアターと言えよう(だが能の場合「劇中人物」にもその意識があるわけではないから、これはあくまでライオネル・エイベルの言うメタシアターの拡大解釈なのだけれど)。
http://www.hashinokai.com/journal/24/24-2-1.htm


 『葵の上』や『砧』といった「室内劇」もあるけれど、能曲は、山中とか野辺、あるいは古塚や川のほとりといった戸外を場とする作品が圧倒的に多いのではあるまいか。これには、専門的な視点から様々な説明が可能なのだろうけれど、本来の能舞台が屋外に建てられていて、「劇」が外の空気と季節にじかに触れ、融け合っていたことと無関係ではないと思う。

 かっては能舞台の屋根の上にも、観客席の屋根の上にも空があった。

 いま、能舞台はそれよりひとまわり大きな建ものの中におさめられている。だが、それが屋根をつけたまま丸ごとそこにおさまった時から、私たち観客の頭上に・広がる天井はただの天井ではなくなった。それは仮想の空になったのだ。つまり、観客席もまたただの観客席ではなく、仮想の外気が流れるフィクションの空間になったのである。
http://www.hashinokai.com/journal/24/24-2-2.htm


自然と共存した能舞台


 演劇の舞台形式として、三方吹き抜けの能舞台は、かなり珍しい形式といえます。江戸時代までは、略式の座敷舞台(室内設置)を除いて、江戸城のそれを正式の規格とする能舞台は屋外に置かれていました。観客は白州と称する空閑地を隔てて、向かいの座敷から見物したのです。

 昔の能は多くは日中の演能でしたから、格別の照明は必要ありませんでした。平安時代の貴族邸宅様式である寝殿造の庭(建物に接近した部分)に白砂を敷き詰めて余計な木々を植えなかったのと同様、一面に白石を撒いた白州は、反射光を舞台に取り込む必須空間なのです。

勧進能(家元役者主催の一般公開能)や町入能(町人を招待する江戸城の祝儀演能)などの祝祭的例外を除けば、白州は見物人を一切入れないことで機能するのです。もっとも、当時の能舞台は北向きを正式としましたから、取り込める光量としては知れたものでした。


薄暗い舞台の上で舞われる能を、10メートル以上も隔てた場所から眺めるのが将軍・大名の観能でした。


江戸時代の劇場照明

 このように自然の光と共存していた能舞台と異なり、劇場組織の発達していた歌舞伎芝居では、照明の発達はそれなりに進んでいました。特に、大坂の顔見世(旧暦11月に行われる、年間契約を結んだ役者の披露祝賀興行)は、江戸と異なり夜間興行を常としました。これは木蝋の原料となるハゼの木が東南アジアから渡来して普及、栽培が盛んになり蝋燭が多く流通する、江戸時代中期以降のことでした。が、和紙を芯とする和蝋燭は、現代の蝋燭に比べてまるで別物、驚くほどの煤(すす)を多く発し、折々は芯を摘まねば炎が衰えます。つまり、夜の芝居小屋は実に煙たかったのです。

夜の能舞台では蝋燭のほかに篝火などを使用、もっとも屋外ですから煙は出るものの多少この弊は免れますが、大敵は灯火を目当てに群がる虫。夏から秋にかけての夜能は、当然歓迎すべきものではなかったため、あまり行われませんでした。(薪能と称する夜間イベントが盛んになったのは古い昔ではなく、ごくごく近年のことです。)


明治維新と能舞台

 明治維新以降、能舞台は室内に置かれるようになりました。靖国神社境内に現存する能舞台は明治11年、芝・増上寺山内(現在の東京タワーの立つ場所)に設置された大社交場・紅葉館の舞台で、偉大な名人が技を競った記念碑的な存在ですが、これが室内能楽堂(そもそも「能楽堂」という呼称もこの舞台が初めでした)のハシリです(現況は屋外)。

ただし、室内に舞台が組み入れられても、演能の頼りは障子やガラス越しの外光でした。正式な番組は戦前まで能五番の長大なものでしたから、早い場合は朝の7時から始まり、日没には終演しました。むろん、外光に頼るためです。

したがって、春たけて日脚が伸びると、能・狂言の番数も少しはにぎわったものでした。大正時代以降、電気照明が当たり前のように能舞台に取り入れられてからも、その明るさを単純に喜びこそすれ、あくまで補助的なものだとの認識は消えなかったためか、あかりの効果は積極的には求められませんでした。


欧米の劇場と照明


  ヨーロッパのオペラでは19世紀中盤、グランド・オペラと呼ばれる、豪華なバレエや派手な舞台装置を組み入れた出し物が流行し、ここに当時普及し始めた電気照明が積極的に取り入れられます。とはいえ、開演中に客席の照明を落とす習慣は、実はそんなに古いものではありません。20世紀初頭、作曲家として有名なヴィーン帝室歌劇場監督のグスタフ・マーラーが断行したと言われていますが、起源はもう少しさかのぼるともいわれます。当時、劇場は社交の場であり、開演中も談笑の声が絶えず、次の間を控えた桟敷では食事や賭博が行われていたのですから、客席内を暗くしたのは、劇場を純然たる藝術鑑賞の場とするのがその意図だったのです。


能舞台でのあるべきあかり


 実態はどうであれ、建前上は端座して「拝見」するものとされた能は、照明の効果による粉飾を嫌い、「ありのまま」の真実を見せるものです。

最近は見所(客席)を暗くする能楽堂もありますが、わたくしは反対です。地肌の美しさを見るべき能に、溶暗による余計な雰囲気づくりは無用だからです。

それはかえって、生一本の気迫で臨む能役者の藝を衰えさせる遠因となるかもしれません。闇や影による日本の美意識をことさらに論じた谷崎潤一郎の名随筆『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』は、一面の文学的真実に過ぎません。能・狂言をそうした雰囲気だけで水増しするとしたら、その及ぼす弊害もまた大きいと言えなくもないのです。

 しかし一方で、能舞台に射し入る自然光の美しさ。これは取り戻さなければならないものだといえます。現在、東京圏の大きな能楽堂で外光が取り込めるのは、東中野の梅若能楽学院舞台のみです。今年の正月、祝典曲として重んぜられる〈翁〉を見ました。ふだんは閉じられている黒幕を除いて、陽光が豊かにあふれる舞台。伝説の能面作者・日光の作と伝えられる、国の重要文化財に指定されている白式尉(はくしきじょう)・黒式尉(こくしきじょう)の面が、外光に照らされてどれほどすばらしい表情を見せたことでしょう。

 能のような強靭な藝術では、人工が自然に及ぶことなどいくらもあろうはずはありません。人工照明でその価値を粉飾するのではなく、自然光の力を積極的に取り入れた室内舞台。これからの能楽堂に求められるのは、こうした「ありのまま」を見せるあかりと舞台のありようだと思います。
http://www.hino.meisei-u.ac.jp/nihonbun/column/vol-08.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c174

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
175. 中川隆[-12553] koaQ7Jey 2018年5月24日 10:58:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

修善寺温泉「あさば」_ 茶道の本当の目的


柔道、剣道、弓道、華道、茶道 何でも同じですが、日本人は仏教の悟りの過程を真似して中身の無い物を如何にも奥深い深遠な物に見せかけるのが得意なのですね。

本来、剣道、弓道は殺しのノウハウ、柔道は喧嘩のノウハウ、華道、茶道はもてなしのノウハウであって、それ以上の物ではないのです。道と付くものをやる人間はみんな知性も教養もゼロのアホばかりでしょう。アホだからこそ道だとか精神だとか言ってカッコ付けるしかないのですね。

それに悟りと言っても、大乗仏教や禅宗や密教では釈迦の悟りの意味を完全に誤解していたのですが:


禅宗は知識ではなく、悟りを重んじる。禅宗における悟りとは、生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付くことを言う。このため、唐代の祖師たちは苦闘を重ねながら悟ってきたのである。

しかし宋代以降、悟りを得るための多くの技法が考案されてきた。坐禅(瞑想とは異なる)、公案(知的な理解を超えた話を理解すること)、読経(お教を読むこと)、作務(普段の作業)などの修行を既に悟りを得た禅師の元ですることで、悟りが得られるようにメソッド化されてきた。

悟りは、ロウソクの火が、消えているロウソクに伝わるように(伝灯)、師から弟子へと伝わるとされる。それは言葉(ロゴス)による伝達ではない。それゆえに正しい禅師を選ぶことが肝心とされる。それは悟りを得ている事だけではなく、自分の個性に適合している禅師を選ぶという意味もある。しかしながら、悟りを得た禅師が指導して悟らせるのではない。師を持たずに悟りを得たゴータマ・シッダッタ(仏陀、釈尊)を持ち出すまでもなく、唐代の祖師たちは、師匠から教わって悟ったのではないのである。

悟りを言葉により定義することは出来ないが、言葉を始めとしていろいろな方法で悟りの境地を表現することはできる。そのため特に日本に伝わった後、詩や絵画を始めとした芸術的な表現の上に悟りが表現されており、その香りを味わうことができる。芸術以外にも、茶の湯や生け花を始めとした振舞いなどにも表現されており、振舞いをたどることによって、悟りの世界を味わうという手段も生まれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97

悟りへの道ー夢窓疎石の教えー

峯尾: 夢窓国師と言いますと、非常に優れた造園家で、沢山の庭園を造っており、目の前のこの天龍寺の庭もそうなんですが、禅宗にとって庭の意味するところというのは、どういうものなんでしょうか。

 
平田:  禅宗に必ず庭がなくてはいけないということはないのですが、一つの禅の芸術表現として庭があるということです。だから、禅の表現は庭園芸術だけではなく、能もそうであるし、茶道も明らかに禅から出ているわけです。そういう芸能の一つに庭園芸術はあると思います。ことに夢窓國師はそのような山水を愛し、愛でるということが好きだったようですね。


峯尾:  天龍寺以外で夢窓国師が造った庭ですが、まず、岐阜県多治見市の永保寺(えいほじ)。これは比較的若い時に造られたものですね。
 
平田:  虚渓山に入ったのは・・・
 
峯尾:  三十八歳ですね。
 
平田:  まだ若い。聖胎長養の真っ最中ですね。山中にあって池を造り、観音信仰をもっていたのでしょうか、観音閣というようなものを造るわけです。ずいぶん高いところにあるおぜん型の坐禅石もあります。その上で坐禅をしたのでしょう。
 
峯尾:  そして、天龍寺の比較的近くにある西芳寺(さいほうじ)、私どもは、「苔寺(こけでら)」と言っていますが。
 
平田:  夢窓國師は南陽慧忠(なんようえちゅう)(中国・唐の禅僧)という中国の國師に憧れ、彼をモデルにしているようなとこがあります。その南陽慧忠の有名な詩をとって、一つ一つ庭園に名をつけたわけです。「湘(しょう)の南(みんなみ)、潭(たん)の北(きた)」という詩句があって、「湘南亭」「潭北亭」という茶室がある。「中に黄金あって一国に充つ」というので、「黄金池」と言っているわけですね。
 
峯尾:  そして枯山水ですね。
 
平田:  向上関(こうじょうかん)。
 
峯尾:  滝を表している。

平田:  ええ。得ては捨て、悟っては捨て、ますます向上していくという意味で向上関というところがある。もともと西芳寺は浄土宗の寺で、改宗して禅の寺にしたのです。ここは先ほど言った聖胎長養の人だけを入れる場で『西芳遺訓』と称して、厳しい規則を作って、ここへ住んでいる人はその規則に従う、いわば厳しい悟後の修行の道場であったわけです。苔寺を造る時に、このような句を作っています。
 
     仁人自是愛山静   仁人(じんじん)は自(みず)から是(これ)山の静なるを愛す
     智者天然楽水清   智者は天然に水の清きを楽しむ
     莫怪愚惷翫山水   怪(あやし)むこと莫(な)れ愚惷(ぐとう)の山水を翫(もてあそ)ぶを
     只図藉此砺精明   只だ此(こ)れを藉(かり)て精明(せいめい)を砺(と)がんことを図(はか)るのみ
 
「砺(れい)」、これは研ぎ澄ますという意味なんですね。そこから「励精閣(れいせいかく)」というのを造っている。この偈頌がいわんとしていることは、「私が山や川のような山水を愛して庭を造るというようなことを、なぜそんなことをするのだという人がいるかもわからないが、それは言うことなかれ、怪しむことなかれ、そういうものを通して我が心を研ぎ澄ますためなのだ」ということです。怨憎(おんぞう)、愛欲、見たり、聞いたり、欲しがったり、貪ったりという心はどこから出てくるのか、そういう心の根源へと目覚めるためにやっているんだと。それが庭を造るひとつの方針になっているわけです。

 
上田:  心を磨く場として、夢窓国師は庭造りにいそしまれたと思うのですが、私が好きな言葉に、
 
     山水に得失なし
     得失は人の心にあり
       (『夢中問答』)
 
というのがあります。自然そのものの中に人間のありようを見出すということでしょう。

人間は常に損得を考えて行動する。自然と人間が一体化する、今の言葉で言えば共生ですね。ともに生きる。そういう思想が禅宗の庭園にあるのではないかと私は思います。禅宗の庭というのは観賞の庭より、まさに心を磨く庭だと思いますね。枯山水などもそうですし、曹源池(そうげんち)のように見事な池を廻遊する。廻遊式庭園というのですが、このような庭を造られる心ですね。

日本の文化というものは、室町時代の庭園に集約されているような気がします。庭園の文化は、勿論、中国、朝鮮の方から入ってきたものですが、最近飛鳥寺の南で飛鳥時代の大きな庭園の遺構が見つかり、もう飛鳥時代には日本独自の庭園の文化になっているんですね。京都には名園が多いですが、大体が室町時代のものです。いわゆる苔寺、すなわち西芳寺にしても、鹿苑寺金閣にしても室町時代でしょう。大徳寺の大仙院の庭もですね。これはまさに日本の文化を集約している。そういう日本の庭園文化の基礎を夢窓国師が作られたと言えると思います。

 
峯尾:  上田さんは庭を造らせた夢窓国師だけでなく、実際の庭師の方たちのこともおっしゃっていますね。
 
上田:  ええ。夢窓国師は勿論設計されたでしょうが、忘れ易いのは、「山水(さんずい)の河原者(かわらもの)」と呼ばれた人びとのことです。彼らは身分も低くて、差別された人びとですが、そういう人たちが庭造りに加わっているんですね。時代は下りますが、銀閣寺のあの名園も、そのオーナーには足利義政がいるのですが、実際には善阿弥(ぜんあみ)という庭師が造るわけです。ですから、夢窓国師の庭の背後に、そういう「山水河原者(さんずいかわらもの)」と呼ばれた人びとが加わっているということも忘れてはならないと思います。
 
 
上田:  高僧なりのあり方についてですね。深山幽谷にこもって悟る、もちろんそれは大事なことですが、その教えを世俗に広める、民衆を救わずして何の宗教だという考えが私にはあります。そういう意味では夢窓国師の行われたことは、今の世にも学ぶべきものが多いと思います。特に、乱世でしょう。乱世の中で、敵味方を乗り越えて、教えののあるべき姿を説かれたというところに魅力を感じますね。
 

 
平田: 最近の宗教学者は、「純粋禅」なんていう言葉を使うが、そんな言葉を誰が作ったのかは知らないが、純粋に拘ったら、そんなものは禅じゃない。やはりいろいろなものを包み込んで、それを自家薬籠中のものにしながら、禅をあたためていくところが本当の一流の禅。

人を見たら一喝をはいたり、一棒を叩いたりして、禅ぶるというのは本当ではないんです。この点は頂相(ちんそう)をご覧になっても、夢窓国師は私なんかと違って、痩せ型で、口元を見ても慈悲に満ちた口元をしておられる。あの人こそ純粋な日本人で、純粋に一流人であると私は思う。和歌も巧みでしたしね。だから、「宋直入の禅ではない」とも批判される。非常に日本化した禅というものを広めた方だと思っております。
http://www1.kcn.ne.jp/~hk2565/kokoro-262.htm

茶道は修行であり、稽古にひたすら励むことで悟りを得ることが出来ると師匠からも教えてもらって、確かに色んなことが分かるようになってきた。点前の所作を通して生まれる『何故?』を考えたり、師匠に言われたことを咀嚼しきれずに抱えたままの状態で月日を重ね、ある時急にその言葉の意味が分かるようになったり。

けど、悟ったり、理解が深まったりというのは、あくまで自分目線で世の中の仕組みを『世の中こうなってるんだよ』と思慮深い顔で語っても だから、この世界の真ん中でどうやって生きていけば良いのかという答えは導き出せない。
それを茶道を通して人に伝えて行こうというのだから尚更難しい。
http://torianchado.sblo.jp/article/53284658.html

茶道・禅・スノビズム

 茶の湯は禅宗より出たるに依りて・僧の行を專にする也。珠光・紹鴎、皆禅宗也。(『山上宗二記』)

 茶の湯と禅の結び付きは、利休の高弟、山上宗二の言葉を引用するまでもなく、よく知られていることである。抹茶の風味・茶人の立ち振る舞い、侘びた茶室の佇まい等々、禅宗のストイックな雰囲気は茶の道のいたる所に看取できる。禅的であると同時にそれは、日本的という言葉もふさわしいと言えるだろう。

 しかし、現象的な面だけではなく、思想的な面でも茶と禅を強く結び付けることは可能だろうか? 茶を一杯飲むだけのために必要とされる、覚え切れぬほどの煩項な点前。「数寄」の名のもとにくり広げられる、かくあるべき価値体系。これらは茶道を特徴づけるものではあるものの、果たして、禅の精神に沿うものなのだろうか? 

たしかに、禅宗の寺には「規矩」と呼ばれる細かい規則があり、食事の仕方から草履の上げ下ろしに至るまで正しい作法が決められている。その意味では、「点前」と「規矩」の類似性から茶道の細かい決まり事も、禅と無関係ではないと言うことはできるだろう。だが、それにしても、現象的な共通点以上のものではなく、思想的な裏付けがあるわけではない。

 逆に、禅宗を含めた仏教が目指すのは、いっさいのとらわれやこだわりをなくすことではなかっただろうか? 

法外な値段で売買されてきた茶器はまさに欲望(煩悩?)の対象であるといえるだろう。そして、茶道の美意識とこだわりの体系は、すべてを超越した悟りの意識の前ではどれほどの価値をもつのか? こうしてみると、茶道と禅の関係は極めてあやういものに思えてくる。


 ロラン・バルトは禅と言語についてこう語っている。

 禅において《悟り》と名付けられているもの、これはおそらく、言語の空おそろしい宙吊り、わたしたちの内なる「記号列」の支配を追い払う空白、わたしたちの人となりを構成する内的詠誦の割れ目にほかならないのではなかろうか。この無言語の状態が一種の解放であるのは、二次的思考(思考についての思考)の増殖・あるいは余分な表徴化作用の行う終わりのない補足−−つまり言語そのものがその行い手であるとともに規範である悪循環−−これが仏教的体験を閉塞するものだからである。逆に、二次的思考の廃絶こそが、言語の悪しき無限をうちくだく。これらの仏教体験の一切において、たいせつなのは、言語をいわく言いがたいものの神秘的な沈黙のもとに押しつぶすことではなくて、言語に「見切りをつける」ことなのであり、たえず象徴が執念ぶかく事物にとってかわろうとする働きを独特の旋回運動のなかにまきこんで、表現へと導いてしまう言葉の独楽を停止させることなのである。要するに、そこにおいて攻撃の目標となるのは、意味論的作業としての象徴なのである。
(ロラン・バルト『表徴の帝国』)

 フランスの記号学者バルトが言っているように、禅の目標とすべき地点は「言葉を停止させる」ことであるといえるだろう。この場合の「言葉」とは我々が口に出し・読み・書く記号だけを表しているのではあるまい。ソシュールが提唱した記号学が音声記号だけでなく・広く文化一般を対象としたように、禅が停止させるべき意味はすべての価値体系、すべての文化体系に広がるはずである。

 そのことは、禅の「以心伝心、不立文字」という教えの中にも見ることができる。《悟り》の経験というものは経典などの言葉で伝えることはできない。逆に悟りを言葉でとらえようとすればするほど、いわゆる「悪循環」に陥ってしまう。それを手に入れるには(それはもちろん、容易なことではないのだが)、記号の持つ意味作用を宙吊りにすることが不可欠だということである。

 一方、茶道を記号論的な観点から解釈するとどうなるだろうか。いくつかの茶書から、茶書の特徴と言える部分を引用してみる。


名物の釜

一 平蜘蛛  松永の代に失す。宗達平釜、藤波平釜、弐つ。但し此の三つ釜は、当世在りても用いず。
一 紹鴎小霰釜 水弐升の上入る。信長公より宗二拝領して、後に関白様へ進上す。
一 乙ごぜの釜、関白様に在り。
  此の釜、信長公より山上宗二拝領し、関白様へ進上す。
(以下、項目続く)(山上宗二 『山上宗二記』)


客人類

一 客になりて座敷へ入る事、上座入は、上座の分の障子をあけ、次に下座のほうをあけ、下座入は、先ず下座の方をあけ、後に上座の方をあくべし。さて、縁より床ならびに勝手へ目をくばり、気を閑めて座中へ入るべし(以下項目続く)   (真松斎春渓『分類草八木』)


一 数寄と云う事、何れの道にも好み嗜みを云うべし。近代、茶の湯の道を数寄と云うは、数を寄するなれば、茶の湯には物数を集むる也。侘びたる人も風炉釜・小板・水指・水翻・蓋置・茶入・茶碗・茶筅・茶杓・茶巾・囲炉・自在・炭斗・火箸・花入・画・墨跡・葉茶壺・茶臼等を集むる也。諸芸の中に、茶の湯ほど道具を多く集むる者これ無し。(同上)


 これら茶書のありかたは、現代のカタログやマニュアルとほとんど同じものと考えてさしつかえあるまい。南坊宗啓が書き残したといわれている『南方録』にも曲尺割(かねわり)と呼ばれる、道具の置き方の非常に細かい法則がイラスト入りで描かれている。これらのありさまは、あたかも昆虫の図鑑か、語学の文法書にも似て、茶の道の文化体系の網の目の様子を示している。

 徹底した様式化とその反復、そして、反復による様式のさらなる洗練。茶の湯の文化は、武道や芸能と同じように、コジェーヴの言う日本的スノビズムの様相を呈している。この饒舌な姿はそのままでは《悟り=言葉の停止》と縁があるとは言えないだろう。

これらのスノビズムと禅の間に関連があるとすれば《悟り》そのものにおいてではなく、そこに至るまでの過程においてではないだろうか。先にも述べたとおり、禅寺での修行僧の生活が事細かに規則によって規定されていること。そして、日本曹洞宗の開祖、道元が「只管打坐」と伝えるように、ただひたすら座禅を反復し、打ち込むこと。これらはいずれもそれ自体は《悟り》そのものではなく、あくまでも《悟り》に至るための過程である。

このように、茶道をはじめとする日本のスノビズムの文化は禅の精神そのものというよりも、禅の形式の引用といったほうがよいのではないだろうか。

 茶道をはじめとする日本のスノッブな文化は、禅の《悟り》そのものではない。だがそれは、茶道では禅の修行にはならない、ということではない。「仏法を以て修行得道する事也」(『南方録』覚書)といわれるように、茶道が《悟り》に至る過程を引用しているものならば、それをたどって大悟する可能性もある。また、それは茶道に限ったことではなく、唐の普化禅師を開祖とする普化宗では、吹禅と称して尺八を吹くことを修行とした。さらに、道元が宋に渡った時に年老いた典座(食事係)との問答で理解したことは、禅者にとって本来雑用はひとつもなく、すべてが仏道の実践であるということであった。

つまり、食事を作ることでも、掃除をすることでも、それが何であろうと《悟り》に至る可能性はあるということだ。
http://homepage2.nifty.com/k-katsunori/sadou.htm

まあ、禅で悟りを得た名僧は一人も居ないですし、まして茶道で悟りを得られる筈も無いのですが、元々、千利休は茶道の精神はどろどろとして浅ましい世俗的欲望を隠す為の建前だというのを前提にして、形式だけを整えて茶の湯の儀式体系を完成させたのです:


『千利休』

一般に彼の名は茶道の大成者として世に知られている。別にその事自体が間違いではないが、同時に『当代随一の茶人』の称号が皮肉な事に彼の本質を消し去ってしまっている気がする。

彼は江時代の文化人の様に芸の道一筋に打ち込んでいた訳ではなく、むしろどろどろとした政治や商売の世界に棲息していた『政商』とも言うべき立場の人間である。

彼が堺の豪商の息子としてこの世に生を享け、物心ついた西暦1530〜1540年頃は古い価値観が地響きを立てて崩れ落ちつつも未だに一定の権威を所有していた『不確実の時代』であり、そんな時代にあって上流階級の人々が嗜んだのが茶道であった。茶の湯を楽しむ趣味自体は奈良・平安時代から存在していたが、それは静寂な茶道のイメージとは異なる多分に猥雑なものだった。そんな流儀は人間の浅ましい欲と付き合う連中の支持は得られず、彼等が志向したのは閑静な環境で定刻に遅れた者は追い返す厳しい礼儀の下で行われる『茶数寄』であった。


この様に現世からの煩わしさから逃れる趣のあった茶数寄だが、嗜む連中自身が金と暇と権力を持て余していた為(全てを所有している人物はごく限られていたが)権力者との接触は避け難く、次第と本来の目的から逸脱していく。

例えば徹底した唯物論者であった織田信長は茶の湯本来の『わび』『さび』への価値は認めなかったが、付帯価値とも言える『社交場兼密談』としての茶道を認めていた。

その様な状況の中で幾何・音楽等の南蛮文化に詳しく刀・書画の鑑定眼をも併せ持つ持つ田中与四郎は『千宗易』として信長に接近、彼の要望に合わせて伝統的な概念と斬新な新発想を巧みに纏め上げる事で信長の周囲にいる胡散臭い連中に一堂に会せるだけの共通の価値観を与える事に成功、この功績をきっかけに『利休』の称号へと近付いていく。

一般に我々が『利休』と呼んでいるのは単なる号ではなく1586年に朝廷から下賜された居士(こじ)号である。
理由は『禁中茶会』を開く為とされたが無論それだけではない。
これは秀吉から宗易への目に見えぬ彼の功績への褒美であった。

周知の通り本能寺の変を契機とした政治的混乱を巧みな手腕で鎮圧した羽柴秀吉は『偉大な主君』織田信長の遺産を殆ど全て相続したのだが、その統治体制には大きな問題点があった。元々農民からの成り上がりである秀吉には譜代の家臣など存在する訳も無く、戦にせよ(人たらしの彼は調略の方を好んだ様だが)領地の統治にせよ、実弟の秀長が補佐役としてかなりの部分をフォローしていた。

数カ国を預かるサラリーマン大名としてならそれでも問題ないが天下を預かる中央政権としてはきちんとした政権機構は必要であった。言葉を変えれば単なる行政手腕だけではなく、万人を納得させるだけの政治理念を持つ人材が秀吉自身も含めて羽柴家には存在しなかった。

単に力があるからとか勢力があるから天下が治まる程世の中は甘くはなく、秀吉は強大な外敵と戦う間にも内部の難題にも取り組まねばならなかった。石田三成に代表される子飼いの官僚達にその様な器量はない。

彼が急激過ぎる程の膨張への対応策として選択したのは堺の大商人を『社外重役兼相談役』として招聘する手段だった。こうして信長政権下では『有力茶頭』の一人に過ぎなかった千宗易は天下第一の実力を持つ『千利休』としてその名を天下に轟かせる。

だが秀吉と利休の蜜月は決して長い年月ではなかった。大阪城築城とそれに伴う城下町の発展は堺の衰退を招来し、指折りの大商人であった利休も派手な外聞とは異なり内実は必死で金銭の工面を執り行う。そして彼の力を借りて天下を統一した豊臣政権は有り余る武力と経済力を吐き出す為に国内志向の強い堺よりも海外志向の強い博多への結び付きを強めていく。

表向きは『不敬の振る舞いが多かった』だの『関白との芸術観の違い』故とされる利休の末路はどろどろとした豊臣政権内部の
抗争の一端に過ぎなかったのである。
http://www6.tok2.com/home/temjin/rikyuu.html

千利休は武器商人   JUST-IDEA 12/03/03

日本における武器商人の起源について学んでいます。茶人千利休は、堺銃、及び火薬の営業マンだったようです。戦国の世において、茶室は、商取引の場、或いは、接待の場として利用されていた可能性もあります。そう捉えると3人の天下人に仕え、非業の死を遂げた利休の生涯にも裏の史実がありそうです。


■歴史を変えた堺銃
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_kokusai/asia_sea13.html

堺商人は、薩摩から種子島などを経由して琉球へと往復していたので、鉄砲の伝来をすぐに知ることができ、その製造技術を堺に持ち帰りました。それを見てすぐに模造品をつくる高い技術を、堺の職人たちは持っていました。

戦国大名の多くは、この新兵器に注目し、堺へ続々と注文を出しました。これらを引き受けることができたのは、現代の総合商社のような役割を果たしていた堺商人が、職人たちを組織し、「部品互換方式」(部品の大きさをあらかじめ決めておいて、別々に作っても製品として組み立てることができるため大量生産が可能になるものづくりの手法)を開発するなどして、鉄砲の大量生産に成功したためです。

有名な茶人である今井宗久や千利休らも、鉄砲の製造取引や硝石の貿易で活躍した商人でした。


■千利休
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic21.html

活力に湧く自由都市・堺に信長が目をつける。信長は圧倒的な武力を背景に堺を直轄地にし、軍資金を差し出させ鉄砲の供給地とした。

信長は堺とのパイプをより堅固にするべく、政財界の中心にいて茶人でもあった3人、今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)、利休を茶頭(さどう、茶の湯の師匠)として重用した。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=261886

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茶の湯と倒錯文化(1)


侘び茶とは、中世の堺で武野紹鴎や千利休によってはじめられた茶の湯文化です。

形成された初期の頃には、いまだ「侘び数寄」などと呼ばれていたらしく、侘び茶と呼ばれるようになるのは江戸時代になってからです。つまり、後の世に武野紹鴎や千利休が実践していた茶の湯の様式のことを、侘び茶と呼ぶようになったというように順序に逆転がみられます。以下では、武野紹鴎や千利休の実践した茶の湯のことを、便宜的ですが通俗的な呼び名として「侘び茶」に統一することにします。

侘び茶は、数寄物といわれた堺衆の武野紹鴎や千利休によってはじめられたとされています。

武野紹鴎や千利休は、唐物の天目茶碗にみられるような品質の高い工芸品などよりも、むしろ実用品とされた高麗茶碗や呂宋壺を重用することになります。また、公家文化の茶の湯では使用されることがなかった竹細工を茶席の中に用いるなど、茶の湯そのものを革新的な試みによって実践していくということになります。

このような、茶の湯は、おそらくは当時においては風変わりな(数寄物)ものとして写ったのではないでしょうか。このように風変わりな(数寄物)茶の湯が、時の堺の権力者である三好長慶や松永久秀、織田信長の目にとまることになり、庇護をされることになります。

風変わりな茶の湯である侘び茶は、やがて権力者の周辺で権威ある社交手段として認識されるようになります。このことで、侘び茶の持つ社会的価値は増していくことになるのですが、それとともにその指南役であった武野紹鴎や千利休ら堺衆の権威も増していくということになります。

では、なぜ時の堺の権力者が、このような倒錯した文化ともいえる侘び茶に対して高い評価をすることとなり、指南まで受けるということになったのでしょうか。

そもそも茶の湯は、貴族や大名の間だけで行われていた、公家社会の社交文化のひとつであったとされています。茶の湯が一般大衆にまで広まることになるのは、江戸時代も中期以降のこととされています。従って、千利休らの堺衆が風変わりな茶の湯である侘び茶を広めることになる対象とは、一般大衆ではなく、戦国大名などの時の権力者たちであったということになります。


茶の湯と倒錯文化(2)


戦国時代は、律令制の持つ秩序や旧来からの価値が崩壊してしまった時代であり、秩序と価値の大転換期にあたるといえます。朝廷や幕府の権威も地に落ちてしまい、諸国の兵(つわもの)がのし上がっては、つぶされていく弱肉強食の下剋上の時代でした。絶対的に信用できるような秩序や価値は、もはやどこにも存在せず、先が見えないということでは、現代社会にも通じるものがあるのかもしれません。

このような下剋上の時代にあっては、既存の秩序を破壊し、新しい秩序を構築するということが、すなわち天下をめざすということにもなってきます。既存の秩序の破壊という時代精神を持担った戦国大名が、侘び茶の持つ既存文化への反逆性に対して共感を抱き、高く評価することになるのは自然なことであったのかもしれません。つまり、倒錯文化としての侘び茶が、価値の逆転を目指す戦国大名により、親和的な文化として受け入れられたということになります。

それでは、そもそも武野鴎紹や千利休がはじめた侘び茶が、公家社会の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として、強い反逆性を帯びることになるのはどうしてなのでしょうか。

千利休は「ととや」とよばれた納屋衆(倉庫業)であり、屋号からは鮮魚を扱う商人であったとされています。そして、千利休の侘び茶の師匠であった武野紹鴎は、武器商人とも皮革を扱う問屋ともいわれており、時の堺の支配者であった三好長慶などとも武器商人として交流があったとされているようです。また、千利休についても、三好長慶や松永久秀との茶会での交流の記録が残されていることから推測すれば、おそらく武野紹鴎と同様に茶人としてだけではなく、商人としても時の権力者たちと接触していた可能性が高いと考えることができるのではないでしょうか。

そして、時の権力者である戦国大名からの信任を得るために、なにより必要とされた才覚は、より多くの武器を商うということであり、権力者の布武による覇権にいかに貢献できるかということであったと考えられます。武野紹鴎と千利休が、このような商いを通じて、時の堺の権力者から大きな信任を得ていた可能性については、あながち否定できないことではないでしょうか。

茶の湯と倒錯文化(3)

武野紹鴎や千利休が武器を扱う商売をしていたとすれば、両人が武具の生産にとって必需品とされる皮革を扱う職人とも交流があったことは、推測できるところです。皮革の生産を生業とする職人や屋号の「ととや」から推測できる漁労を生業とする職人が、当時の日本の支配的な宗教観であった死に対するケガレや仏教における殺生戒などから、特別視されていたことや賤視されていたことは考えられることです。

職業が、いまだ身分制度としては固定化されておらず、流動的な時代であったといえますが、その生業が先のような宗教観から畏怖や賤視の対象になっていたということについては、網野善彦氏など多くの研究者によって言及がされているところです。

武野紹鴎が武器を商っていたとされるように、千利休も同様な商いをしていた可能性については先にも触れました。両人が、時の堺の権力者から信任を得ていたということは事実であり、権力者を相手に商売で利益をあげていた可能性は十分に考えられることです。そして、現在においても、武器商人は平和のかく乱者として疎んじられています。

もし、武野紹鴎や千利休が、武器商人として利益をあげていたら、おそらく当時の堺の町衆は、両人のふるまいをにがにがしく思って眺めていたのではないでしょうか。宗教的な禁忌品を商いするだけではなく、これを武器に転用し、時の堺の権力者と取引をしていたとすれば、堺の町衆である世間の目は、両人を、おそらく、ねたんだり、賤視したり、そして特別視するということになったのではないでしょうか。

武野紹鴎や千利休が、このような世間からの特別視や賤視というものを経験していたとすれば、おそらくその心理状態は抑圧的なものであったと推測することができます。侘び茶が形成される背景には、このような創始者の抑圧心理というものが、大きく影響していた可能性があることについて指摘できるのかもしれません。

武野紹鴎や千利休が、世間からの特別視や賤視からの抑圧心理を共有していたとすれば、侘び茶は抑圧心理がもたらすことになる、反逆性を原因とした倒錯文化ということになります。つまり、既存の宗教観や文化的秩序からもたらされるコンプレックスは、自我の防衛機制として、いったん抑圧されてしまうことになります。

しかしながら、抑圧されたコンプレックスは、自我のバランスを維持するために、旧来の既存システムに対する強い反逆性として出現してくることになります。そして、出現した反逆性は、価値の逆転という倒錯性を伴うことにもなります。このような反逆性は、戦国大名が下剋上の時代にあって既存の価値を否定しながら、新たな秩序と価値を構築しようとした反逆性と、その方向性がとても似ているといえそうです。

茶の湯と倒錯文化(4)

武野紹鴎とその弟子の千利休は堺の南宗寺で侘び茶を始めたとされることから、侘び茶と禅宗との関係については従来から指摘がされているところです。この関係については否定できるものではないと思われます。しかしながら、この論考では、ひとつの仮説として、武野紹鴎と千利休を取り巻く社会的背景が抑圧的なものであったことを想定し、両人が伝統的な茶の湯の権威を認めながらも、一方で旧来の文化観や宗教観を破壊することになる侘び茶に傾倒した深層心理の視点から考察することとしております。

抑圧心理は、反逆性(倒錯性)という心理状態を出現させることになります。

侘び茶が、抑圧されたコンプレックス(複合的心理)によって生み出された倒錯文化ということであれば、このような倒錯文化を共有できるような心理的背景を持つ人は限られていたといえそうです。つまり、誰もが同じように抑圧心理を背負いながら暮らしていたわけではないということです。従って、侘び茶は、草創期においては理解されるということは少なく、比較的小さい規模の人たちによって始められた趣向のひとつであったのかもしれません。このことからすると、侘び茶は、既存の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として位置付けられることになります。

侘び茶が、カウンターカルチャー(対抗文化)ということであれば、その本質は旧来からの世間の持つ宗教観や文化観への反逆性ということになるのが自然といえそうです。つまり、侘び茶は、既存の公家文化である茶の湯を憧憬しながらも、一方では既存の茶の湯も持つ権威に対する反逆性から生み出されることになった倒錯文化ということになります。

戦国時代は、社会の秩序や価値が崩壊してしまった時代でした。時の権力者は、旧来からの権威や価値を利用しながらも、その必要性がなくなれば迷うことなく破壊する行動様式(エトス)が主流の時代であったといえます。侘び茶は、このような時代にあってはじめて成立することができた文化といえるのかもしれません。つまり、下剋上の時代精神が背景となり、侘び茶の持つ倒錯文化が熟成されていくことになったといえそうです。


茶の湯と倒錯文化(5)

第2章 侘び茶とコンプレックス

戦国大名の中でも松永久秀や織田信長は、朝廷や幕府、そして宗教などの旧来からの権威を認めなかったことについては、よく知られているところです。また、松永久秀や織田信長は、旧来からの権威の破壊者として、戦国大名の中でもひときわ異才を放つ存在といえそうです。下剋上という戦国時代を勝ち抜くためには、旧来の権威を利用するだけではなく、むしろその権威を超越していくことが、新たな支配者に求められた能力であったといえるのかもしれません。従って、戦国の世の支配者となるためには、旧来の権威を破壊するということが求められていたということがいえます。

しかしながら、未だ呪術的な世界観が支配的であった中世の世においては、朝廷や宗教という既存の権威を破壊するという行為は、畏怖の感覚からすれば、大罪として認識されるということが一般的な感覚であったと思われます。従って、旧来からの権威を何らかの形で利用しようとした支配者は多かったものの、実際には秩序と権威を破壊することまでできた支配者は、戦国の世でも一握りの人たちであったといえるかもしれません。

このような戦国大名にとって侘び茶の持つ倒錯文化の反逆性は、既存の政治的権威である朝廷や幕府を否定することにもつながることから、戦国大名が戦略的に侘び茶に内在する政治性を利用したことは考えられることです。侘び茶に見られるような、価値がないとされたものを高く評価することや価値があるとみなされていたものを躊躇なく破壊するなどの反逆性は、戦国大名が下剋上の時代を生き抜くために日常的に試みていた戦略といえるのではないでしょうか。

松永久秀や織田信長は政治的秩序の破壊者であり、同時に新たな政治的秩序の構築者であったということができます。そして、松永久秀や織田信長が、倒錯文化としての侘び茶を政治的な戦略手法として利用したことについては、千利休ら堺衆が重用されたことからも説明できることといえます。一方、侘び茶の持つ既存の秩序への反逆性とは、公家文化への羨望の裏返しでもあったことについては同時に押さえておかなければならないことと思われます。

茶の湯と倒錯文化(6)

このような両義性は、侘び茶のみならず下剋上の戦国大名にも内在していた心性ということができます。侘び茶と戦国大名が結びつくのは、おそらく侘び茶に内在していたコンプレックス(葛藤)が戦国大名のコンプレックス(葛藤)に共鳴したと考えられます。これはユング心理学のコンプレックス仮説である「コンプレックス(葛藤)はコンプレックス(葛藤)に共鳴する」にあてはまります。

むろん、侘び茶に内在するコンプレックスが形成されるのは、その創始者である武野紹鴎や千利休が自分自身のコンプレックス(葛藤)を抑圧したためということです。そして、松永久秀や織田信長の抱いたコンプレックスは、下剋上という時代精神によって形成されたものですが、結果として武野紹鴎や千利休の持つコンプレックスに対し共鳴していくという形になったのです。


今一度整理しておきます。

侘び茶においては、唐物のような豪華で質の良い茶器は重要とはされずに、むしろ実用品として大量に生産されることになった形のいびつな茶器が、高い価値があるものとされることになりました。

また、漁師が使用する魚籠などの竹細工が、伝統的な高品質の磁器などよりも価値のあるものとして茶席に飾られることになりました。

このような倒錯した文化は、確かに既成の価値観にとらわれない革新的なものの見方への飛躍ということがいえるのかもしれません。しかしながら、旧来の価値が創造されるまでのプロセスを十分に評価したものとはいえそうにはありません。要するに、誰もが共有できる価値(普遍性)にはなっていないということです。従って、侘び茶の持つ倒錯的価値とは、選定する者の恣意的な評価基準に依拠することになってしまうため、どうしても曖昧な価値基準が残ってしまうことになります。つまり、侘び茶がなぜ素晴らしいのか、なぜ美しいのかという美意識が、恣意性を帯びたものになってしまうということです。

これは、侘び茶の美意識が、当時の日本人の自然な感覚からすると、かなりずれたものになっていることを推測させます。おそらく当時の日本人の標準的な価値基準(文化)ではなかったといえそうです。このことからすると、草創期の侘び茶は、倒錯した美意識を共有できるような限定された範囲において成立していた特殊な文化(価値観)ということになるのではないでしょうか。


茶の湯と倒錯文化(7)

論考の最初の問いにもどることになりますが、侘びや寂は果たして日本人の美意識となっているといえるのでしょうか。

いままで見てきましたように、侘びや寂が倒錯した文化であるという特徴からすると、人間の持つ感性に対してストレートな価値観というよりも、むしろ屈折した価値観といえるかもしれません。つまり、侘びや寂は日本人なら誰でも共通感覚として持つことができる普遍文化というよりは、むしろ特定の集団の特殊性を伴った文化ということになるのではないでしょうか。

従って、侘び茶の侘びや寂の本質を理解しようとするのであれば、その価値が形成される過程まで遡るという必要があるのかもしれません。そして、価値の倒錯を引き起こすことになった、戦国という特殊な時代背景や社会背景というものを理解する必要があるのかもしれません。このように侘びや寂が特殊な時代や社会を背景として形成された文化なら、日本人であれば誰でも同じようにその価値が共有できるという普遍的な側面は否定されることになり、むしろ倒錯文化としての特殊性が強調されてくるということになります。

千利休は、侘び茶の創始者であったがゆえに、侘び茶の持つ特殊性、つまり価値の恣意性を独占することができたのかもしれません。そして、価値が恣意的であったがゆえに、千利休の権威は政治的に利用されることにもなったのかもしれません。このため、さらに上位にある権威から、千利休の権威(政治性)が否定されてしまうと、侘び茶の持つ価値も衰退するということになってしまいます。侘び茶が、千利休という特殊性(政治性)に依拠していたがゆえの結末といえるのかもしれません。これらのことからすると、侘び茶は、それ自体が自律した(思想性のある)文化というよりも、特殊性ゆえの愉悦性、あるいは恣意性ゆえの脆弱性というような、どちらかというと寄生的な倒錯文化ということになるのかもしれません。

また、侘び茶では、装飾的な茶器よりも、むしろ実用的な茶器を重視したという特徴から、侘び茶が、「使用的価値」に重点をおいていたように思われることもあるようです。しかしながら、実際にはその実用的な茶器に破格な価値や値段がつけられたことからも分かるように、千利休が選定した「利休ごのみ」というものが、ひとつの「象徴的価値(ブランド)」になっていたということになります。
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茶の湯と倒錯文化(8)

象徴的価値とは、ブランドのロゴなどにみられるような価値のことであって、その価値が共有できている人にとっては権威や権力を象徴することになります。つまり、茶器などの「名物」を所持しているということが、権力者の象徴にもなるということです。このように、侘び茶の持つ社会学的な意味は、侘び茶に実用性を重視するような使用的価値が重んじられていたものではありません。むしろ、旧来の公家文化の茶の湯と同様に権威や権力の象徴的価値を重んじる記号的意味が重視されていたということになりそうです。

この点からすると、旧来からの茶の湯と侘び茶には大きな相違はないということになります。しかしながら、侘び茶は、権威への羨望や憧憬というコンプレックス(葛藤)を抑圧したことによって、旧来の価値基準が倒錯した形で出現することになったものでした。つまり、侘び茶とは、創始者の武野紹鴎や千利休のコンプレックス(葛藤)が引き起こした倒錯的価値ということであったわけです。そして、そのような倒錯的価値は、当時の日本人の感覚からすれば、おそらく普遍的な感覚とはいえず、千利休の権威によって支えられていた特殊な象徴的価値であったということになります。

千利休が削ったとされる茶杓(ちゃしゃく)がいくつか残っています。しかしながら、これらを別の茶人のものと比較して、美的に、技術的に明確な区別をすることはおそらく無理ではないでしょうか。そこに差異を認めるとすれば、それはかつて千利休が選定したという歴史的意味だけになると思われます。つまり、侘び茶がもともと内在させていた倒錯文化の持つ反逆性や政治性という本質は、モノや作法という様式からは消失してしまうということになるということです。

現在まで続く茶道は、千利休がいったん廃絶された後に、再興されたものであって、侘び茶の流れを汲むものといえます。しかしながら茶道は、千利休以来の伝統に基づいた作法という様式は守りながらも、侘び茶にもともと内在していた倒錯文化の本質についてまでは、おそらく伝えていないように思われます。このことからすれば、もともと侘び茶は時代背景を越えて成立することができるような普遍的な価値を持った文化ではなく、戦国という動乱の時代を背景として成立した特殊な価値を持った倒錯文化ということになるのではないでしょうか。

茶の湯と倒錯文化(9)


第3章 倒錯文化と堺

侘び茶は、人間の持つ感覚にストレートに伝わるようなものの見方ではなく、むしろ屈折した倒錯文化ということでした。美しいものを美しいとはしない、価値の高いものを高いとは評価しないということは、価値のないとされるものを高いと評価することになり、否定されているものを積極的に肯定するという尺度が転倒した倒錯文化ということになります。従って、このことからは、弱いものが強いということにもつながることになり、貧しいものが貴いことということにもなってしまう、複雑で屈折した倒錯文化ということになります。ニーチェのいうルサンチマンにも通じるような、抑圧的で屈折したものの見方といえるのかもしれません。

養老孟司氏によると、普遍性とは、人間が持つ一般的な感性や感覚のうちで、両端に偏在することになる極端を取り除いた残りとして定義されています。侘びや寂が、このような普遍性として位置付けられるのであれば、侘び茶の持つカウンターカルチャーとしての反逆性は、人間や社会に幅や厚みを与えるものと位置づけられることになるのかもしれません。しかしながら、倒錯したものの見方を無批判に鵜呑みにしているだけでは、人間や社会に幅や厚みを与えるどころか、人間の持つ自然な感覚や社会の秩序を混乱させてしまうことにもなり、私たちのアイデンティティに危機をもたらすことになります。

従って、まず私たちに求められるものは人間の持つ普遍的な一般感覚であり、倒錯した特殊な感覚ではないということです。そして、橋本治氏によると、個性とは一般感覚という基盤からこぼれ落ちてしまった感覚や能力のことであり、つまり個性とは一般からの破綻ということになります。このような破綻は、私たちに痛み(みんなと同じではないという痛み)をもたらすことになるのですが、やがて破綻した個性は、一般感覚という全体の中に再び統合されていくという考え方があります。

ユング心理学でいう個性化の過程ですが、これは自我が個性をコンプレックス(葛藤)として抑圧してしまうのではなく、むしろ自我に統合していく過程にあたるとされています。


茶の湯と倒錯文化(10)

現在の茶道においては、侘び(劣っていること)や寂(時間が経過して古びたこと)は、伝統の様式や作法として残っていますが、倒錯文化の持つ本質までは伝えていないといえるのではないでしょうか。

侘びや寂は、完全なものにはない、むしろ手垢のついた少しいびつなものにこそ価値があるとする美意識といえます。

このような美意識と似たものとしては、ドレスダウンのような、わざとドレスコードを破って着崩すという文化があります。最近のバンクーバーオリンピックで、物議をかもしたドレスダウンの問題は、同様な美意識といえるのかもしれません。

しかしながら、現在の茶道においては、侘びや寂が既定のものになってしまっていることから、なぜこのような迂回的な表現がなされるようになったかという理路までは理解されていないようです。従って、現在の茶道には、観念や様式としての侘びや寂は残っていても、その意味や起源についての考察は、十分になされているとはいえないのではないでしょうか。

現在の茶道が、従来からの伝統の様式と作法を受け継いで来たことは間違いないことですが、その本質までは受け継いでいるといえないように思われます。

現在にまで至る茶道の流れは、千利休のあとに再興された京千家の千少庵や千宋旦の流れを受け継ぐものといえます。 表千家、裏千家、武者小路千家の三千家などは、千利休以来の伝統の様式と作法を「型」によって受け継ぎながら、その差異は小さいものにとどまっているようです。そして、茶道の美意識が、もともと倒錯的価値に起源を持つ可能性があることまでは考察されておらず、従って反逆性や政治性も茶道の本質ではなくなってしまっているように思われます。

しかしながら、侘び茶の発祥の地である堺や京都には、いまだ侘びや寂を生み出すことになる倒錯文化を受け継ぐような土壌が伝統として残っているところがあるように思われます。もちろん、劣っていることが素晴らしいとか、弱いものが強いとされるような倒錯文化に見られる現象は、堺や京都だけに限って見られることではなく、他の日本の都市でも同様な現象はあるのかもしれません。堺や京都では中世以前から都市文化が成立していたことから考えれば、都市化と倒錯文化との間には相関関係があるのかもしれません。現代のように都市化が進んだ社会状況では、誰もがコンプレックス(複合的心理)を抑圧しなければならない構造の中に投げ込まれているということになり、いずれの都市にあっても倒錯文化が生まれる土壌にあるということであるのかもしれません。

茶の湯と倒錯文化(11)

現代社会に見られる価値の倒錯性は、反逆と憧憬のようなアンビバレンツ(両面等価)な葛藤(コンプレックス)を抑圧してしまうことによって出現する、病理的な現象といえるのかもしれません。そして、このような倒錯的なものの見方は、日本だけに見られる独自のものではなく、欧米社会においても報告がなされています。

フロイトの精神分析では、葛藤(コンプレックス)がもたらす価値の倒錯性について、抑圧心理や転嫁行動(敵ではない弱い第三者を攻撃する)、反動形成(嫌いな相手に逆に優しくする)などが報告されています。

また、ニーチェのいうルサンチマン(弱者の奴隷精神がもたらす価値観の反転)も、同様に価値の倒錯が見られる現象といえるのではないでしょうか。

このように、価値の倒錯性は、洋の東西を問わず、私たちの日常生活の中で当たり前の現象として出現しているといえそうです。

人間は、自我を脅かすような葛藤(コンプレックス)が生じると、無意識にこれらを抑圧することによって自我を守ろうとします。その結果、意識下にとどめ置かれることになった葛藤(コンプレックス)は、自我の自己制御を誤作動させてしまうことになり、やがて価値の倒錯が引き起されることになるようです。

しかしながら、現在のストレスフルな社会環境では、日常的に多元的な価値を抱え込まなければならない状況は決して珍しいことではありません。このため、自分自身が既に価値の倒錯を引き起こしてしまっていたとしても、また逆に回りから倒錯した価値観を押し付けられたとしても、そのまま気付かないでいるというケースは多々あるのではないでしょうか。

茶の湯の発祥の地である堺や京都は、歴史的に多元的な価値観が並立して存在する伝統的な都市文化の土壌になるということができそうです。そして、幾重にも重なった歴史の古層に覆われた堺や京都では、多元的な価値観の棲み分けがなされないままに、対立と協調という長い歴史が繰り返されてきたのではないでしょうか。このような価値の多元性は、現代の都市文化が抱えるひとつの特徴でありますが、長い歴史を経過することによって錯綜した問題が、さらに複雑化してしまっているのではないでしょうか。


堺や京都では、このような都市文化の特徴を伝統的に受け継いできたということになるのではないでしょうか。そして、コンプレックス(葛藤)を抑圧した結果として出現する倒錯的価値が、伝統的なものの見方になってしまっていると、それが自然となってしまい、自分が倒錯した構造にあることにさえ気付かなくなってしまうことにもなります。つまり、伝統的に倒錯したものの見方が強く残っているような社会では、普遍性ではなく特殊性が社会の基盤になってしまうということです。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c175

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
176. 中川隆[-12552] koaQ7Jey 2018年5月24日 11:19:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

悟りの世界 _ 平安貴族が仏教に帰依した本当の理由


芥子の花


ふ〜しょう♪ふ〜めつ♪ふ〜くう〜♪ふ〜じょう♪〜

読経は続いている。焼香の煙が静かに漂い流れてくる。

私の実家は阿波の国、土佐との国境で、海底で堆積し褶曲された山々がある所では隆起しある所では黒潮が流れる青い海へと没した海辺に開けたのどかな土地にある。

宗派は真言、それで弘法大師いわれの話しがここかしこに言い伝えられている。


大師さんが休み、杖をついたところ、そこから清水が湧いてきたとか、ちょうど大石が落ちてきた時、弁当に使っていた箸を地面に突き刺すと忽ち箸は大木の杉の木になって大石の落下をくい止めたとか、小さな頃から法事がある度に先代のおじゅっさんから先祖の逸話を聞くと伴に大師さんにまつわる話しを数多く聞いてきた。

・・・ないし♪むろし♪やくむろしじん♪・・・


遠い声を聞く様に清んだ先代のおじゅっさんの話し声が重なって聞こえてくる。


裏山に住む狸の話をしてくれた事や椎の大木の陰に潜む天狗が夜な夜な空を飛ぶ話しとか、そんな幾つかの話しの中にあって、ことさら不思議と胸の内にわだかまった話し


「大きな声では言えないがね寺の裏山には終戦頃まで芥子の花が咲みだれていてね・・・」


何か咲きみだれる見知らない花々が秘密めいて思い出されてくる。

これは我が母校の校章となっているからだろうか?

焼香の匂いが一層強く漂い私はさらに静かにゆっくりと夢想の翼が開いていく様に感じられてきた。 月の青い光が降り注ぐ裏山に白い花びらの芥子の花が青白く濡れている。 これは梶井基次郎が書いた『櫻の木の下に死体が埋まっている』より尚妖艶ではないだろうか?

芥子の花の下には骨が埋まっているのに違い無いのでは。


空海さんはさすが博学やったんやな〜と思ってしまう。 真言密教の片田舎の末寺に芥子の花が咲き乱れていたと言う事は日本各地の数多くの寺々では芥子が植えられ使われていたのではないだろうか?

さても、古く真言密教の儀式において護摩火に芥子も焼香のひとつとして投げ入れる秘儀が常時おこなわられていたのでは?・・・

かの時代なら十分うなずけれることなのでは。


薄暗い堂内に掲げられた曼荼羅に昇る火と立ち込める煙、それと伴に強い香を焚けば祈りを捧げる人々、 みんな酩酊しないわけが無いのではないだろうか。

人々の眼前に現れるのは極楽浄土だったのではないだろうか。


夢想する私の耳には空海さんが唐国から船で帰るさい墨染めの衣の袖の下には身毒(インド)渡りの芥子坊主を忍ばせた・・・・

サラサラと芥子坊主の中の乾いた実の音が聞こえてくる。

そしてその音はサラサラ サラサラと木霊し流れ来て私の脳内の神経節の一部にエンドルフィン、エンケファリンとして反応し点滅している様に感じられてくる。

それはランニングハイのような高揚なのだろうか?

いやいやそれは今まさに私の脳内で芥子坊主から滲み出した黒く変色した果汁が翼を開ける様に広がっている高揚なのではないだろうか?


・・・ぎゃあ〜てい♪ぎゃあ〜てい♪はらさそ〜うぎゃあ〜てい♪・・・・


読経は尚も続いている。

ああ・・・またもや何処か人知れない廃寺の裏山でひっそりと月の光に濡れながら青白く咲く芥子の花と唄う様に揺れる芥子坊主の姿が私の頭の中で映像として結びだしてきた。
http://plaza.rakuten.co.jp/maeno7547/diary/200901310000/


真言密教立川流と後醍醐天皇の子沢山

文観弘真(もんかんこうしん)僧正の真言密教立川流に心酔した後醍醐天皇は、教義に添って多くの子を為すのだが、この「後醍醐天皇の子沢山」は、後の出来事を思うと「歴史の必然だった」のかも知しれない。

後醍醐天皇のお相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで十六人に及ぶ親王(しんのう/皇子)、内親王(ないしんのう/皇女)を設けられている。

正直、一頃の親王(しんのう/皇子)・内親王(ないしんのう/皇女)の誕生時期が重なるほど後醍醐帝の子創りがお盛んだった為、どなたが何番目のお子なのか不明なくらいだった。

南北朝期の初期、中央の畿内では北朝方・足利尊氏が南朝の本拠地・吉野山周辺を残してほぼ制圧を果たし、戦が義良親王(のりながしんのう /後村上天皇・ごむらかみてんのう )を頂いた東北地方と懐良(かねなが)親王を頂いた九州にその主戦場が移って居て居た。

その他に中国・四国を中心に活躍した第十一皇子・満良親王(みつながしんのう)、越後・越中・信濃で活躍した宗良親王(むねながしんのう)、新田義顕(にったよしあき)と共に戦い越前国金ヶ崎に散った尊良親王(たかながしんのう)など、帝の意を受けて戦った多くの皇子がいた。

千三百八十二年(元中九年/明徳三年)の「南北朝合一(明徳の和談)」まで南北朝の抗争が六十年間続いたのは、多くの親王が各地で抵抗したからである。

つまり真言密教立川流に心酔した後醍醐帝の「子沢山」が「歴史の必然だった」と思えるほど、南朝方は「皇統を繋ぐには親王(しんのう)が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。
http://jiyodan.exblog.jp/18745248/

インドにおける密教は変容し、性欲崇拝の濃厚なものになり、やがてチベットに伝わり、ラマ教になるのだが、ラマ教は密教という点では空海が遺した真言密教との違いはないといっていいであろう。

しかしながら両者は神秘性の表現においてははなはだ異なっている。

ラマ教は、インドで衰弱段階に入った後の左道密教といわれるものに相似し、性交をもって宇宙的な原理を表現することに於いて強烈で得あるが、空海がもたらした密教はそういう思想を内蔵しつつも教義全体の論理的筋肉がまだ若々しく、活動がなお旺盛で、性欲崇拝へ傾斜するような傾向は外部からは窺いにくい。

しかし空海の没後、数百年を出ずして彼の密教も左道化した。

「真言立川流」 と呼ばれる密教解釈が、平安末期から室町期にかけて密教界に瀰漫し、とくに南北朝時代にはその宗の指導者である文観(もんかん) が後醍醐天皇の崇敬を受け、立川流が密教の正統であるかのような座を占めたことなどを見ても、空海の体系には、性欲崇拝を顕在化させる危険が十分内在したというべきであろう。
http://singetu.ddo.jp/kuukai_huukei/56.htm

ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。


これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。

 この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。

その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。

その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。


 ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。


天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。

 この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。


星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。


 上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。


 というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。

 そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。 
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html

父母や先祖の髑髏に漆を塗って祭壇に祀る。

そしてへールカと呼ばれる中央の男性とダーキニーと呼ばれた女性行者が9名とその前で契りを交わし、その和合水を髑髏に塗り付ける。


髑髏の「建立」

髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

続いて,地面に血を用いて曼荼羅を描き中心に指導者がそのパートナーと座し,その周囲に円形に8人の容姿端麗な美女を配置する. 天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と和合を行なう。

中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立する様にする。 中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合し,それを5日間続ける.

そしてその和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねる。 それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香を焚けば死者の姿が煙のなかに現れる。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻る。

このような修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。 さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。


このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。

舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。 顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女のように化粧する。

こうして髑髏が完成したら、それを壇上に祭り、山海の珍味を供え、反魂香を焚き、子、丑、寅の三刻に祭祀を行う。 そして卯の刻になったら、七重の錦の袋に入れる。

こうして、行者はその袋に入った髑髏本尊を、夜は行者が肌で抱いてあたため、昼は壇に据えて山海の珍味を備えて供養する。


これを7年間続けるのである。


 そして、8年目になると、髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現す。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語る。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/tachikawa/dokurohonzon.htm

髑髏の「建立」。

用意した髑髏を加工して組み立てる。 これには大頭、小頭、月輪形の三種類の制作法がある。

大頭とは、髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

つづいてすでに訳知りの容姿端麗な美女と性交し、その和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねるのである。

髑髏を守っているという七魄(人間の魂は三魂七魄からなるとされる)に和合水(三魂の象徴)を三魂七魄の本尊としての準備が整うわけである。

それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香とは、漢の孝武帝が李夫人の死後も恋しくてならず、方士に香を造らせ、それを焚いて夫人の面影を見たという故事にちなむもので、それを焚けば死者の姿が煙のなかに現れるとされる香である。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻るというのである。

このようなず修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。
このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。


曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。

顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女か、童子(美少年)のように化粧する。
その際、表情は貧相にせず、笑みをたたえ、決して怒ったような顔つきにしないことが大切である。
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/shingontatekawa.html

「真言立川流」を始めたのは見蓮と言う人物で、陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師だった。

北斗・北辰妙見信仰に始まる「交合に寄る歓喜行」は、日本の信仰史上に連綿と続いた呪詛巫女の神行であるから、真言宗の僧侶兼陰陽師だった見蓮が創始した八百万の神・陰陽修験と陀羅尼真言密教の習合教義である真言密教立川流に、その奥義が取り入れられていても「自然な流れ」と言える。

この真言立川流、今の時代ではとても理解されないが、当時、素朴な民衆を矛盾無く導く為に、性に対していたずらに禁欲をさせるより、「肯定した上で民意をリードしよう」と言う考え方があった。

真言密教立川流の始祖と言われ、立川流開祖見連に奥義を授けた仁寛僧正は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮に、真言密教の秘伝「歓喜法」を授けた者である。

仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。

仁寛は、鳥羽天皇の暗殺を謀ったとして、捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。言わば、政治犯の流人である。 そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、醍醐三宝院流秘伝の奥義を伝授されたのだ。

現代人の宗教観とは合致しないであろうが、本来、いずれの宗教も「現世利益」が基本である。 つまり他人の事はどうでも良く、祈る者だけに「利を与える」のが元々の教義だった。 本来、信者の本音で言えば「現世利益」が無い信仰など魅力がある訳が無い。

近・現代に於いて「教えが改善された」と言えばその通りだが、元々の信仰はそんなに立派なものではなく、自分の「利」の為に祈るもので、呪詛的には「相手を呪い殺す願い」をも受け入れる事が「信仰(宗教)の実態」と言って良かったのである。 この辺りを理解すると、個人の「現世利益」の考え方から、極楽浄土に「性的な境地」が結び付く教義「真言密教立川流」に、現実感が出て来ても不思議ではないのである。


常識的に見て密教経典の意味解釈は、解釈する側の意志で加工が可能である。弘法大師(空海)が日本にもたらせた密教は、やがて日本で加工されて行ったが、その原点に近いものがインド・ジャンム・カシミール州最大の地方「ラダック(Ladakh)」に残っている。

このラダック地方の土着宗教がタントラ教の影響を受けた密教で、いわゆるチベット仏教である。 ラダックには多数の仏教寺院、ゴンパがあり、全人口が敬けんな仏教徒である。

釈迦生誕の地に近く、「真言・天台両宗の源流」とも言える「敬けんな仏教徒の地ラダック地方」には、つい近代の英領インド時代に禁止されるまで「一妻多夫」の習慣があり、一人の妻を兄弟で共有していたが、それはチベット仏教においては「けっして教えには背いては居ない」のである。

つまり密教において、性はかなり「おおらかな扱い」であり、現在の日本人が意識する厳しい戒律は「無かった」のである。

元来性行為と言うものは、単に「男女が交われば良い」と言う即物的なものではない。 そこには精神的感情が介在する。 それも複雑で、一口に「愛」とばかりにかたずけられない。

性交の本質は、想像力をたくましくして、被虐心、加虐心、羞恥心に触覚、聴覚、視覚を駆使して、初めて上等な性感を得る。 つまり【右脳域】の本能的無意識の境地に入る為の「行」として捉えるのである。

人間の感性は複雑で、あらゆる情報を脳で処理する事で、結論を導きだす。従って、性的快感も単純ではなく、それに拠る精神的癒し効果も認められる。

つまり、性と精神はリンクしていて、人格の形成にも関与する重大事項と言えるのだが、これを「無理やり離して考えよう」と言う間違った傾向がある。 喜怒哀楽は人間の基本的な感性で、【右脳域】の思考である。 その内の「喜」を以って「楽」を為すのが、密教における性交呪詛所謂「歓喜法」に拠る「極楽浄土」の境地である。


人間は、性行為や食事、音楽や映像鑑賞の際に「ベータ・エンドロフィン」と呼ばれる快感ホルモン物質を分泌させ快感を得る。 言うなれば、宗教行為と性行為、音楽の演奏などは、ある意味同質の目的、快感ホルモン物質の分泌を促す為にある。

宗教に陶酔したり、音楽に聞き惚れたり、視覚、嗅覚、五感の刺激がこの快感ホルモン物質の分泌を促すのなら、人は神の教えで救われても不思議はない。 それを経験的に学習しているから、いかなる宗教にも音楽や雰囲気創りの演出は付き物で、そのトリップ状態は、けして否定すべき物でもない。

言うなれば、宗教行為と性行為が合体した真言密教立川流は、「究極の奥義」だったのではないだろうか?

この快感ホルモン物質がモルヒネと同じ作用を持つ「脳内麻薬」で、精神的ストレスの解消と肉体的老化防止の特効薬であり、必要なホルモン物質なので、健康な性行為の抑制は必ずしも人間の為にはならない。 当然の事ながら、気の持ち様で「自然治癒力が増す」などの奇蹟は現に症例が多いから、宗教の奇蹟も存在する。 真言密教では、この生物反応的効能を肯定して、「修験道に活用しよう」と考えた。


快感ホルモン物質が大量に分泌されると、人間はトリップ状態になる。

従ってかがり火の燃え盛る呪詛の場で、陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)が流れる荘厳な雰囲気の中、激しい性行為を繰り返す事によって、常人には無い激しい反応を見せる。 それが呪詛の効果で、真言密教で言う所の「極楽浄土」である。

その状態が「呪術の効果をもたらす為に必要だ」としていたから、立川流は成立した。 それにしても、呪詛の為に身体を提供して「歓喜法」を体現する呪詛巫女の存在は、現在の感覚では理解が難しい。

しかし、密教の教えの詰まる所は「空」である。 空に私心は無い。

有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空に成れば、如何なる行を求められても、それを不条理と思う事は無い。 実は、「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。 言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思えるパワー現象が生じる。 しかし、そこに到達するには、「空」が要求されるのである。 その「空」に、成りおおせないのがまた、人間である。


行を施され、呪詛巫女が空に及ぶには、その行の厳しさに相応の覚悟が要る。女性の身体は不思議なもので、縛り上げて三日ほど変わる変わる攻め立てれば「脳で考える気持ち」とは別に、身体が性交の快感を覚えてしまう。

つまりそちらの感性は【右脳域】の本能的無意識が覚醒するからである。 そうなればしめたもので、女性から呪詛(性交)に応じる様になり、滞りなく行える呪詛巫女が完成する。 当初の呪詛巫女の仕込み方は大方そんな処である。

呪詛巫女の確保については多くの方法がある。 その一つが、前述した律令制における被差別階級として賤民の利用である。

奴婢として地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢と呼ばれる身分の者の中から「婢」の身分の女性奴隷を選び出し、執拗に性交を施して極楽浄土を体現させ、呪詛巫女に仕立て上げた。

八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。

仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。 金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。

大陸での修行を終えた空海(弘法大師)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。 当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。

空海(弘法大師)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に

「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、
口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、
心に本尊(大日如来)を念ずる

事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。 その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶と呼んでいる。

密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。 手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。

この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者が生まれている。修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。

当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。 呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。

修験道には、役小角を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。 弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。 本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。

この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。 お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。 そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。


真言密教立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行を採用した。 立川流の教義は、真言宗の


「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、

「当相即道(とうそうそくどう)」


の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。


「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は

「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、

淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」

に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。


この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。

「一切の法(手段)は清浄なり」を「男女の性交も清浄なり」と解すれば、良いのである。


如来は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、
欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。

男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。 つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。

それはそうだろう。 禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。


「全ての主である様な心地となる事」、
「欲心をもって異性を見る事」

も、また、

男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳る事、全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、
満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、ものの味もまた清浄なる菩薩の境地である。


と、立川流では、全てのものをその本質において積極的に肯定している。つまり色欲の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの、菩薩のものとして肯定されており、性欲肯定の句として知られている処である。

何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。

それは、菩薩が人々の【右脳域】に存在し、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。

故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。


真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。 現代人の感覚では理解し難いかも知れないが、弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていた事も事実で、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の生命への畏怖を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前である。

つまり真言密教・立川流に拠ると、弘法大師・空海が持ち帰った真言密教の教義解釈は「性交に拠って穢れが浄化される」 と言う解釈なのである。


儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。

ところが、後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。

愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。

開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は、信念とは別の御都合主義の為せる業で教義を変節したのであり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?


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3) 立川流の呪詛様式


立川流の経典は理趣経を習している。 そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行「歓喜行」を採用した。 邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。

確かに、髑髏の存在は「死と言う現実」を見せ付けられるものであり、並みの人間で有ればそれだけでも不快に感じるのは事実である。また、髑髏には生前のその持ち主の魂が宿っていそうで、精神的には犯すべからぬ畏怖の対象であるから、その辺りの抵抗感が存在して、違和感が生じても不思議はない。

にも関わらず、真言立川流が髑髏を本尊としたには、こうした精神的な意識に元付く既成概念そのものを、共通して一気に変革させる狙いを試みていたのではないのだろうか?

真言密教立川流の髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は、王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂と一千人の髑髏の上部を集めたもの、「法界髏(ほうかいろ)」と言う儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。

その様に選ばれた髑髏の表面に、女人の協力を得て、性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、更に髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。

しかもその七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。 こうして約七年間もの歳月を「歓喜行」に費やして作られた立川流の髑髏本尊はその位階に応じて「三種類の験力を現す」と言う。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して「三千世界の全ての真理を語る」と言う強烈な現世利益の本尊である。


真言密教立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、「大日如来と一体になる事」である。 立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵(さんこしょ)、もう片方が二鈷杵(にこしょ)になっている。 この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)と言う。

本堂のお勤め場所の周りに星型の結界が、蝋燭としめ縄で張られる。 しめ縄はいわば神の「結界占地」を標示するもで、神域に張られる事になっている。

蝋燭の炎は、「歓喜行」の間絶やす事は無い。

反言真言を唱え、星形の結界(五芒星)は陰陽師家、安倍晴明の判紋である。

格子状のしめ縄の結界は、九字紋と同じ形状であり、九字紋は横五本縦四本の線からなる格子形(九字護身法によってできる図形)をしている。 九字結界は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を星型に配置し、その間を結んで五芒星(晴明判紋)となす。 安倍晴明判紋は晴明桔梗とも呼ばれ、五芒星と同じ形をしている。五芒星(九字護身法に拠って出来る図形)の意味は、一筆書きで元の位置に戻る事から、「生きて帰ってくる」と言う意味でもある。


「歓喜行」はこのしめ縄の結界の中で全ての障害を排して執り行うのである。呪法に使う髑髏にも、それなりの確りした仕度がいる。

亡なって間もない人頭を、丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆を塗る。朱色を出すには「辰砂(水銀)」を使う。水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。

この「辰砂(水銀)」、弘法大師(空海)が多用していた事で知られている。

真言密教立川流に取って、朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。 仕上がったら、よく乾燥させ、上等な桐箱に収めて置く。

そして七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」を行い、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。

この本格的な「歓喜行」は、真言密教立川流の僧正が呪詛を用いる為に強力な呪力を有する淫液に塗れた髑髏本尊を会得させる為の物だった。これが、「髑髏本尊・歓喜法」と言う秘術である。

立会いの僧正や男女の信者達は、願主が「歓喜行」を行うを、眼前にて見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。 一度達しても、茶吉尼(だきに)天の妖力の色香は強烈で、男はすぐにまた活気を取り戻す。

願主は真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏に和合水の塗布を続けて、七日目の深夜「結願」を迎える。


いよいよ「結願」を迎えた八日目に入った深夜十二時を過ぎからは、「開眼供養」を夜明けまで行う。 和合水と反魂香にまみれた髑髏の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。 その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。 願主が歓喜行をする時は傍らに捧げ、仮本尊となす。

八年目に、ようやく「髑髏本尊」が完成する。 この本尊に妖力が宿り、「呪詛祈願の達成効果を保持する」としていた。 陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、性交を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。

しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。

理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。 この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。 そうなれば髑髏本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。


何故こうした信仰が成立するのか、種明かしをして置く。

人間は「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。こうした興奮の心理的な影響は極論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。 その興奮に影響される判断が、興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に所謂「洗脳状態」に陥る状態が、信仰などに利用される心理的な手段である。


真言密教立川流、その教義は、遠く印度の仏教に遡る。 印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼天と言う魔女が、大日如来の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。

これが日本では、後に稲荷神社に成る。 財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗の商家の奥庭に、祭られたりしていた。

当時の商人の考え方は、「商は長くやるもの」であり、家業、商売を代々繁栄させるのが使命であるため、老舗跡の跡継ぎの確保は重要だった。 その為には跡継ぎに困らない様に妾を持つほどの艶福家で無ければならず、性的パワーのある稲荷の社を祭ったのである。

つまり、幸せにしてくれる神様で、その茶吉尼天が、真言立川流の御本尊である。 茶吉尼天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。 茶吉尼天の法力を高める為には、男女和合の性エネルギーのパワーが必要で有る。

つまり初期の仏教は、信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、道徳教育的な目的から「悪行を積むと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。

一方で修験道師が村々に分け入って布教し、植え付けて行った矛盾とも取れる「おおらかな性意識」は、庶民の中で生き続けていた。

真言密教立川流の本尊・荼枳尼天(だきに天)は、元々はインドのヒンドゥー教の女神で、「荼枳尼天」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したもので、ヒンドゥー教ではカーリー(インド神話の女神/仏教・大黒天女)の眷属とされる。

このヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられ、荼枳尼天は仏教の神となる。元々は農業神であったが、インドの後期密教においては、タントラやシャクティ信仰の影響で、 荼枳尼天は裸体像で髑髏などを抱えもつ女神の姿で描かれるようになって、後に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。


荼枳尼天は、自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べると言われたが、その荼枳尼天が、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、仏教神となって「死者の心臓であれば食べる事を許された」とされる。

日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、荼枳尼天は、性愛を司る神と解釈された為、その男女の和合で「法力を得る」とする真言密教立川流と言う密教の一派が形成され、荼枳尼天を祀り、髑髏を本尊とし性交の儀式を以って即身成仏を体現したとされる流派が興隆を極めた。


真言密教と陰陽道を究めた人物に仁海(じんかい)僧正がいる。醍醐寺隨心院は、九百九十一年(平安時代中期・正暦二年)に雨僧正と呼ばれていた仁海僧正によって建立され、千二百二十九に門跡寺院となった真言宗善通寺派の大本山である。「雨僧正」と呼ばれ、占術の祈祷で「祈雨祈願に成功した」とされる仁海僧正は和泉国の小豪族の家に生まれ、七歳で高野山に上る。 そこで、占星術を身につけ、学僧としても、知られるようになる。

仁海はしばしば五行の考えに基づく易を使う。安倍晴明より少し後の時代に活躍した仁海は、しばしば五行の考えに基づく易を使う。 このことは当時の僧侶が仏教の経典だけではなく、中国の「易経」のような中国特有の古典にも通じていたことを示している。 仁海僧正の私生活を「生臭坊主であった」とする評があるが、それは当時の僧を後世の常識感覚で評するからである。

そもそも、日本の神官や僧侶は、長い事氏族が武士や官僚と兼務していたもので、勢力争いもするし女性も抱く。 高僧と言えども例外ではないから、正妻を置いたかどうかを問わなければ、江戸期以前の僧侶は全て「生臭坊主」である。 と言うよりも、「女性との交わりを呪詛パワーの源」と言う解釈が、密教に於いては為されていたのである。


陰陽師の見蓮に、仁寛が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとする頃、北条(平)政子が心血を注いで礎を作った流石の鎌倉幕府執権・北条得宗家も、代を重ねて落日を迎えようとしていた。 鎌倉幕府が弱体化していた頃、敵対していた勘解由小路(賀茂)家と土御門(安倍)家の両家は天皇の皇統護持の為に和解している。


◆真言密教立川流・南北朝との関わり

北条(平)政子が心血を注いで築きあげた「鎌倉幕府執権・北条得宗家」も、体制百三十年余りを数えて独裁への反感も膨れ上がり、流石に屋台骨が揺らぎ、「時節到来」と倒幕の機運も、静かに盛り上がりつつあった。

そんな時に、皇位に目覚めた後醍醐天皇(第九十六代)が、突如現れた。 それは取りも直さず、地に潜っていた「勘解由小路党」を、そして幕府御家人衆に甘んじていた「源氏の血筋」を目覚めさせる事となった。

この後醍醐天皇(第九十六代)、まさしく密教の申し子だったのである。

京都醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺であり、後醍醐天皇の支えだった。その醍醐寺は、真言密教の教義を支持していた。 従って後醍醐天皇は、真言密教を信奉していたのである。


本来、男女の交合は尊い物である。男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が、男女交合の歓喜パワーであり、密教理念としていた。 この教義を後醍醐天皇が信奉した事は、彼がしごく「人間的であった」と言う事である。

真言密教の理念は、けして浮ついた邪教ではない。 至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在した。

それはそうだろう、武器を携えて破壊と殺戮に行くよりよほど良い。 精神的な愛に於いて、性交はあってもなくても良い。そして独占欲はそれも愛情で有るが、それが愛情の全てではない。 その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。

全てに拘束を欲する愛情もあれば、全てを赦す愛情もある。 難しい所で有るが、愛し方はそれぞれで、自分と違うからと言って、愛が無いとも言いきれない。

空海(弘法大師)が唐から伝えた経典では、何よりも性に対する位置づけが「生命力パワー」と言う前向きな思想からなっている。 真言密教でも、その「生命力パワー」は認められていた。


京都醍醐寺に文観弘真と言う僧侶がいた。彼は先人で有る仁寛僧正を信奉し、その弟子が興した見蓮の真言密教立川流を継承していた。

勿論同じ醍醐寺に、文観弘真に対立する勢力もある。後醍醐天皇(第九十六代)と文観弘真僧正が結び付けば、当然反対派もまた結び付くのが世の習いである。


話は、鎌倉時代末期の事である。

後宇多上皇(第九一代)の皇子・尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵や文観から宋学の講義を受け、宋学の提唱する大義名分論に心酔し、鎌倉幕府の倒幕を目指し、宋の様な専制国家の樹立を志した。

千三百十七年の文保の御和談に於いて花園天皇から譲位され践祚(せんそ)した尊治親王(後醍醐天皇)は野心満々で、平安時代の聖代(延喜帝・醍醐天皇や天暦帝・村上天皇の政治)のような復古的天皇親政を行うべく、当時の醍醐天皇(第六十代)に肖って自ら後醍醐天皇(第九十六代)と名乗り、手初めに父である後宇多上皇が行っていた院政を停止させ、天皇としての実権を確立した。


鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだ文観は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。 これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。 文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教立川流を直伝する。

茶吉尼天のイメージが演出され、衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、天皇は絶倫になる。 退屈な宮中生活にあって、これが「楽しくない」筈はない。

若き天皇は好色でこの教えを痛く気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中に広がった。 後醍醐天皇の相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで、十六人に及ぶ親王、内親王を設けている。

つまり、「皇統を繋ぐには親王が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。 「勘解由小路党の女人(白拍子)」も天皇相手に、歓喜の行で大活躍したのかも知しれないが、詳しい記述はない。 唯、夜な夜な「おごそかな歓喜儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像にするに難くない。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」は、九字呪法である。 そして男女による「歓喜法」で「極楽浄土」を体現する。 その強烈なパワーを持って、四方に幸せをもたらす。

この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言密教立川流を保護し、文観を政務の補佐役にする。 文観の権力は強くなり、一時、日本中に真言立川流は広がって行った。


この辺から、雲行きが怪しくなる。

真言立川流が、余りの隆盛を見せた事で、真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。 右派が、後醍醐天皇の対立相手、大覚寺(持明院統方)と組んだのである。 これは、宗教上の権力争いで、醍醐寺統(後醍醐天皇)と左派(真言立川流)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。 「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。

だが、醍醐党が破れ真言立川流は衰退して行った。 つまり、負けた方が「弾圧された」のである。 そこに至る経過が、南北朝並立の争いとリンクしていた。


文観は、当時としては珍しく、八十歳と言う長寿を全うしたそうである。 文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、真言密教立川流を守っていたのだ。

真言密教立川流(真言宗左派)は、対立する宗教勢力(真言宗右派)と結び付いた政治勢力(北朝方)が、南朝方に勝利すると、倫理観を前面に出して「淫邪教」の烙印を押されてしまった。

所が、本来の立川流の教義の形成経緯は、密教の命の持つ力(パワー)に対する純粋な信仰心と土着の呪術・占術を一体化した修験密教の教義を、誓約(うけい)の概念をも含めて理論武装し、再構築したもので、ただ単に淫蕩な目的の宗教では無いのである。

真言宗右派(反立川流禁欲派)と北朝(持明院統・光明天皇)、足利尊氏派が、真言宗左派(密教立川流・文観弘真僧正)と南朝(大覚寺統・後醍醐帝)、新田義貞・北畠顕家派に勝利し、文観僧正に拠って頂点を極めた真言密教立川流は、急速に衰えて行く。

元々、仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定した。 その開祖・弘法大師否定した儒教思想を、主流と成った真言宗右派は、チャッカリ教義に取り入れて真言密教立川流を邪教とし禁欲の教義を広めた為、安土地桃山期には立川流はほとんど無くなり、江戸初期には完全に消滅してしまった。

後醍醐天皇が吉野へ逃れ、足利氏と持明院統(北朝)が勢力を拡大すると、醍醐寺大覚寺統の「真言密教立川流」は徹底的に弾圧されて先細りと成り、やがて衰退して消滅している。

弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。真言密教に大きく影響を及ぼした理趣経の経典は、その基礎に大陸での「妙見信仰」がある。

実はこの妙見信仰は弘法大師・空海が経典として持ち帰る前に、既に大陸からの移住者(渡来人)達に拠って先行して伝来し普及していた。 そして列島独自の原始宗教と習合し、陰陽修験道として集成していたのである。 そうした経緯から、弘法大師・空海の真言密教は陰陽修験道とは一体化の道を辿り、総本山金剛峰寺は修験道の修行の地と成るのである。

さて妙見信仰の伝来当初は、渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であった様だが、次第に畿内などに広まって行った。 しかし朝廷の統制下にない信仰であった為、統治者としての統制が取れない。 神の威光で統治する朝廷にとって、庶民の間で勝手に広がった「妙見信仰」は危険な存在だった。

七百九十六年(延暦十五年・平安遷都直後)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

これは何を意味するのか?

庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。 本来、信心深いはずの庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?

命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。 元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。

気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。 日本における所謂庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交闇祭り文化」である。

つまり、建前(本音はただの性欲のはけ口かも知れないが?)子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。

例えば、京都・宇治の「暗闇祭り」、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で、相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。 京都府宇治の県神社の「くらやみ祭り」は、明治維新まで無礼講の祭りだったのである。

こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事である。


◆【私の愛した日本の性文化】


当時の庶民感覚は、元々「性」に対しておおらかだった。 信仰が庶民に浸透して行くには、それなりの現世利益が必要で、「北辰祭(妙見祭)」は、当時の庶民が日頃の憂さをおおっぴらに晴らす有り難い行事として、「大いに支持された」と言う事だろう。 そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。


朝廷の「北辰祭(妙見祭)」禁止から十年、八百六年(大同元年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。 空海(弘法大師)が信徒獲得の為に目を付けたのが、北辰祭(妙見祭)禁止に対する「庶民の不満」である。


空海の教えは、

身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、
口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事

により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事が出来る。」として「性」を積極的に肯定している。

この妙見信仰や、修験道と結び付いた弘法大師(空海)の真言密教は庶民にも浸透して行った。

そもそも密教には、人間は「汚れたものではない」と言う「自性清浄(本覚思想)」と言う考えがある。 真言立川流が弘法大師(空海)の「東密(真言密教)の流れを汲む」とされるのに対し、
伝教大師(最澄)の台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とし、摩多羅神を本尊とする「玄旨帰命壇」と言う一派があった事からも、性交を通じて即身成仏に至ろうとする解釈が密教中に存在したのは確かである。
http://jiyodan.exblog.jp/7936468/

厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


皇族の性処理事情…天皇のセックスのやり方とは? 2018年2月14日
http://saras-media.com/12215

最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史も含めて解説していきます。

天皇のセックスに関する噂

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあります。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法などがあると言われています。

結婚をして、初夜を迎える者に対し代々申し伝えられているという仕組みです。

巫女の存在

また、皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、それぞれ重要な役割を果たしています。皇族のさまざまなお世話の場で活躍し、その場は性に関するものを含め多岐に渡るのが巫女。

当然ながら、皇室のセックスの性処理の場においても重要な役割を果たします。

皇族のみそぎ

皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女がその男子のお相手を務めることです。

これは皇族の中ではみそぎと言われ、私たちで言うところの筆おろしの行為となります。天皇は普段の生活だけでなく、性生活に関してもさまざまな干渉を受けているのです。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けをするのですが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

その他の初夜に関するしきたりについてもみていきましょう。

入浴潔斎の儀

入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀とは、結婚の儀を終えた二人が初夜を迎えるための準備のこと。男性で言うところの筆おろしのことです。

巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

初夜装束を身につける

初夜装束とは、入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与える儀式とします。

露見

介添人が、初夜の床入りの際、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

この際、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

皇族の性処理・セックス事情まとめ

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。

皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般の我々には考えられないようなことが多くあるようです。

もちろんこれらの情報は、皇室で言い伝えられてきたものであり、現在の天皇陛下がセックスにおいて、どの程度続けられているかは謎多き部分ではあります。

このようなセックス事情があったからこそ、天皇家が数千年続いているとも言えますね。
http://saras-media.com/12215


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c176

[昼休み54] 中国人は悪い 中川隆
64. 中川隆[-12551] koaQ7Jey 2018年5月24日 11:52:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

2018年05月24日
中国の「墓」バブル 墓地価格がマンションの4倍

墓を管理するのは株式会社で、信仰心などは無い
20140415094257547

宗教を廃止した結果

中国では墓を買うための費用が高騰していて、自分が入る墓に入るのが難しくなっている。

といっても墓石ではなく墓地にする土地に支払う費用で、2017年の平均価格は約10万元(170万円)だった。

数字は株式上場している葬儀サービス会社のもので、中国でもかなり高級な部類だと思う。


それにしても中国人一人当たりの平均所得は日本人の5分の1なので、日本に置き換えると平均850万円になる。

日本の墓地の平均価格は23区外なら60万円で、墓石代は約100万円から300万円となっている。

中国でも当然墓石などは別に費用がかかり、土地代だけで170万円です。


日本の一般的な墓地は寺の所有地をレンタルし、永代使用料を最初に支払います。

永代と言っても使用料が別に発生し、毎年1万円前後の管理費も支払います。

中国の葬儀サービス会社は利益率が80%以上に達していて、本当の値段の5倍も吹っかけています。

墓地価格がマンションの4倍

こうなった原因はインフレやバブルもあるが、最大の問題は毛沢東の共産主義によって仏教が壊滅したことにある。

墓の所有者は寺ではなく霊園経営業者で、宗教とは一切関係なくビジネスとして行っている。

日本の仏教も拝金主義と批判されることがあるが、それでも大儀としては仏教であり、批判されれば恥ずかしく思うだろう。


中国の葬儀サービス会社は株式会社なので、高い利益率を誇り、むしろ自慢している。

共産主義なので土地の所有権は地方政府にあり、墓地といっても20年のレンタル権に過ぎない。

つまり20年間の土地レンタル権が170万円で、20年後に子孫がまた170万円を支払わないと、墓は撤去され別な人に貸し出される。


誰もレンタル料を支払わなかった場合、墓は別の場所に移動するとしているが、実際にはぶち壊すだろう。

因みに日本でも数年間管理費が支払われければ、寺は役所に届け出たあとで、撤去して良いことになっている。

北京周辺の墓地価格は同じ面積だとマンションの4倍にもなっていて、マンションは建設しなくてはならないが、墓の土地はブルドーザーでならすだけだ。


中国の不動産経営には共産党幹部や地方政府幹部が参加して儲けているが、墓ビジネスでもご他聞に漏れない。

墓を買えない人はどうするかというと、「海洋散骨」「樹木葬」「ネット葬」でその辺に粉にして撒いたり埋める。
http://www.thutmosev.com/archives/76253864.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/105.html#c64

[昼休み54] 中国企業の強さの秘密

中国企業の強さの秘密


2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html

技術のない国家の覇権挑戦

革命意識で始めた技術窃取


好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。


だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。


ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。


ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。


@ 科学的発展は、第一の生産力である。

A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。

B 社会主義の中国は誰も動かせない。

C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。


以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。


5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。


このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。


技術のない国家の覇権挑戦

『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。


この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。


その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。


『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。


@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。

1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。

2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。

3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」


上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。


(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」


中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。


(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。

@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。

A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。

B 中国が対象技術製品を輸入する。

C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。

D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。

E インターネットやその他の手段で盗み取る」


中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。

中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。


現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。


(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」


ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。


中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。


革命意識で始めた技術窃取

(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」


中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。


中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。


(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」


中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。


(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」


中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。


(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」


冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。


世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html


2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる
中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。

慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。

トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。

彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。

これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。

逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。

策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。


盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人

日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。

正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。

しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。

策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。

騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。

まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。

日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。

食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。

彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。

最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。


日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている

日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。

民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。

朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。

テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。

もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。

こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。

さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。

言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。

辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。

日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。

そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。

だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。

しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。


「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく

ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。

親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。

たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。

だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。

しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。

自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。

彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。

それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。

その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。

関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。

これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。


中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html


日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。


日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/182.html

[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
46. 中川隆[-12550] koaQ7Jey 2018年5月24日 12:00:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

中国企業の強さの秘密
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/182.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c46
[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
177. 中川隆[-12549] koaQ7Jey 2018年5月24日 12:35:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

天皇家や古代豪族が信仰していたミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道とは何処の国から来た宗教なのか?


日本列島に渡来した民族のハブロタイプ

40.000年前 C1a1(ポリネシアン)
35.000年前 D1b(日本列島固有)
34.500年前 C2a(日本列島固有)

3.000年前 O1b2(江南)
1.300年前 O2(百済、新羅、高句麗)

______


縄文時代後期の約4000年前に日本列島の人口は26万人超だったが、縄文末期の3000年前には約8万人まで減少した。

しかも東日本では減少率が少なかったが、西日本は最初から10分の1の人口密度のうえに、壊滅的な減少に見舞われた。


弥生時代の大量移民

人口減少の原因は気候変動で、縄文時代をもたらした温暖化は日本海の水位を120mも上昇させるほど暖かかった。

4000年前から寒冷化が進み、木の実や魚介類や動物が少なくなり、自然減少しました。

自然採集では食えないので大陸では先に農業が始まり、後から農業を始める集団は「農業未開の地」を求めて半島や列島に移住したと考えられます。


この頃から九州に移住して田んぼを作り始めたのが半島南部から来た「渡来人」で、渡来は1千年以上続いたとされている。

推測では年平均1000人ほどの渡来が1000年間つづき、合計では100万人もの人が移住してきた。

縄文末期に西日本の人口はせいぜい2万人で、九州では1万人未満、渡来地の九州北部は数百人しか居住していなかったと考えられる。


人口数百人の地域に毎年1000人もの渡来人が渡ってきて、九州の縄文人と交わり「弥生人」に変化した。

縄文末期の1000年間で26万人から8万人に減った人口は、その後の1000年間で60万人まで増加しました。

これが弥生時代をもたらし、邪馬台国やヤマト政権に発展したと考えられている。
http://www.thutmosev.com/archives/75746010.html

2013年12月17日 被差別部落民の形質人類学のデータ

エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

被差別部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった被差別部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある被差別部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、被差別部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが被差別部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099203.html

2017/9/3 10:35:32
部落差別は東日本では少なく西日本では多いという感じがしますが、これは西日本に住んでいる人の方が陰湿で差別的だからでしょうか?

それとも何か別の原因や理由があるのでしょうか…

僕が調べた限りだと、部落差別をする人は京都や大阪に多そうな感じがします。

僕は東京に住んでいますが、部落差別的なことを言う人には今までに一度も会ったことがないし、部落問題については授業で少し習った程度で全然詳しくないので教えてください。

御回答よろしくお願い致します

tym********さん 2017/9/9 21:58:46

大まかに説明します。

関西には渡来系弥生人の子孫が多く、関東には先住民である縄文人の子孫が多く暮らしています。

渡来人達は、九州近辺から上陸してきたからです。

渡来人が先住民を駆逐し、国土を乗っ取る。

世界中どこでもそうですが、後ろめたい歴史を持つ国家には、都合の良い伝説と被差別部落が残ります。

静岡より西の地域は、当時鉄器と農耕技術を持っていた渡来系弥生人(朝鮮人)によって蹂躙され、原住民は都の外に追いやられました。
これが部落です。

この渡来系の一族はやがて天皇となり、日本神話を創り、現代に至るまで経済から宗教までを管理してきました。

細面で切れ長の目を持ち、色白で体毛が薄いのは渡来人の特徴です。

背が低く、骨格たくましく浅黒い二重まぶたの人たちが、古来、この国に住んでいた狩猟系の原住民です。

僕自身は完全に渡来系の顔立ちですが、日本古来の原住民が未だに部落に追いやられて生きている現実には、怒りと屈辱しか感じません。

____


aka********さん 2017/9/3 23:17:24

縄文人が森で採集や焼畑農耕をしていた所へ、渡来人が来て低湿地を占拠して、水田稲作を本格化しました。日本列島には低湿地は少ないので渡来人同士が戦い、ムラからクニへ成りました。その過程で、最後まで徹底抗戦した敗者が奴婢とされ、被差別部落の起源になりました。

以上のいきさつは西から東へ進んだので、西日本の方が部落差別は根深いです。

奈良時代には五色の賎に編成され、その内の陵戸が古墳の管理をさせられたので、奈良盆地では古墳のそばに被差別部落が多いそうです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11178943481

「別所」という地名が全国に何百箇所もある。信州に別所温泉というのがある。

それは征服した蝦夷を連れてきて住まわせた難民キャンプの如きもので、
移住させられた蝦夷のことを俘囚と呼ぶ。だから東北地方には別所という地名は無い。

山間の小盆地とか河川の屈曲部などの周囲と隔絶した場所にある。

被差別部落である場合が多い。

地区には石の棒を祀る由来不明の神社があったり、歌詞の意味が全く意味不明の民謡などが伝わっていたりする。おそらく古代蝦夷民族起源の習俗であろうと推測させられる。

アフリカからアメリカに連れてこられた黒人奴隷がブードゥー教やアフリカ的な音楽を伝承し続けたのと似ている。

ちなみに京都市内の被差別部落の中には俘囚起源のものがある。

団地を作るときに穴を掘ったら擦紋土器(古代蝦夷の土器)やオホーツク文化圏の
骨角器などが出てきた。家族単位村単位で生活道具を携えてはるばる都まで連れてこられたのだろう。

言葉も通じない蛮族が京都でさせられる仕事といえば最底辺の賤業であったのはいうまでもない。
http://roadsmart.blog.jp/archives/15577845.html


▲△▽▼

天皇家や古代豪族が信仰していたミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道や皇室で使われていた言葉は高句麗・百済系の古代朝鮮語だった


ikz********さん 2012/10/19 16:29:16

日ユ同祖論 信憑性はどの程度なのでしょうか。

言語が似ている、歌をヘブライ語にすると意味が通る(君が代、かごめかごめ、 ソーラン節など)という具体的な共通点から、遺伝子が中国韓国人にはないものをもつという根拠不明なものなどが上げられます。

某掲示板では、宗教観が違いすぎる、戦前の白人コンプレックスの日本の学者が作り上げたものだとしているのをみて妙に納得してしまいました。確かにユダヤ教と神道、仏教は違いすぎます。まず一神と多神、偶像崇拝禁止と仏像とで明確です。

ただはっきりどちらに分があるとは判断しにくい部分が多いため詳しい方いたらよろしくお願いします。

aki********さん 2012/10/21 01:10:58

歌の類似性と言えば、和歌がインドの民謡と共通性が高いほうが注目に値すると思います。今でも日本人は海外の文化を輸入して、独自に発展させる才能を発揮していますが、昔もそうだったと考えるべきだと思います。ただし、ヘブライ語と日本語の類似性は他の言語と同程度で、かなり低いと思います。多くは音が似ているだけのコジツケになっていると感じます。

本当に日本語と近いのは、大陸の高句麗語です。言語が近縁かどうかを観察するとき、真っ先に見るのが数詞と言われています。日本語と高句麗語の数詞の比較を行うと、朝鮮語などよりもはるかに近縁の言語という結果が出るようです。

高句麗は滅亡して、その人々は女真族と名を変え、今は満州族と呼ばれています。

彼等は清帝国を築いたわけですが、清の時代に遭難した日本の商人が北京に行って驚いたのが、一二三四ではなく、ヒ・フ・ミ・ヨの日本語の数え方がそのまま通じたことだそうです。高句麗の流れを汲む女真族の言葉を話す人々と、北京で普通に接触できたようです。

百済は扶余・高句麗から枝分かれした王室で、朝鮮半島は異民族支配されていました。

そのため、百済の王室と民は異なる言語を話しているという指摘が、中国側に残っています。

神道の世界には古い朝鮮語が数多く残っていると指摘されることがありますが、実際にはそれが失われた高句麗語という説も出てきています。


高句麗語は日本語と同じ膠着語です。

系統が違う漢民族の言葉と文字がいきなり日本に輸入されたわけではなく、まず漢民族の言葉と直接接していた高句麗語が漢字表記されるようになり、それが、高句麗と近い山東半島や遼東半島付近の海人の手を経て日本にもたらされて、古い神道の祝詞の言葉などが作られていったと考えられます。

纏向型祭祀と高句麗国の東盟祭の類似性も、かなり指摘されているようです。

倭人文化圏が北九州から済州島を経て山東半島や遼東半島付近に分布していたと認識している中国側の史料が幾つか散見されるようです。

卑弥呼寒冷期と呼ばれる地球規模の寒冷化に伴って、飢饉に直面した高句麗地域の人々が日本に渡来した結果、弥生時代が古墳時代に変わっていったという説があるようです。

九州に山東半島原産の三眠蚕が入り、纏向(奈良)にも山東半島付近の製鉄と蚩尤(兵主・天日槍)の信仰が入っています。その結果、天照大神のモデルになった古い日女神を祭った比売許曽(ヒメコソ)神社が建てられるといった現象が起こったようです。

比売許曽は姫を祀る神社という意味の高句麗語(朝鮮古語)です。だから、比売許曽神社の末尾の「神社」は必要のない筈ですが、時代が下って元の意味が見失われた結果、付けられるようになったと考えられます。祝詞にも高句麗語由来の言葉が大量に入っている、というより、本来祝詞は高句麗語(吏読)だったそうです。謎が多いとされる「ひふみ祝詞」は、高句麗語として意味がほぼ通じる形で伝わっているそうです。飛鳥という都の名前も元は高句麗語のようです。

トルコからシルクロードを介して日本まで、膠着語圏が広範囲に広がっています。
文法的に近いため、日本語に輸入しやすかったことが考えられます。


たとえば、天皇を古い時代はスメラ・ミコトと呼んでいました。

シュメール文明と日本語の関係がかなり指摘されていますが、シュメール・ミグトと言えば、天降りた支配者のことで、日本語と音が似ているだけでなく、意味も一致しています。したがって、シルクロードを介して日本に入ってきたのは、なにも古代イスラエルの文化に限られるわけではないと思われます。

秦の始皇帝の兵馬俑はペルシャ式の軍団編成になっていて、ペルシャ人の人骨が近くから出ているようです。

ササン朝ペルシャの滅亡に伴って、シルクロードに逃れた王子が中国に亡命し、妻子を安全な日本まで連れて来ているケースもあるようです。わずか数年で日本とペルシャは繋がる距離にあります。西の文化が日本に断片的に入っていても、不思議ではありません。仏教も入れば、ギリシャ彫刻もガンダーラの地域で形を変えながら伝わっています。

しかし、文化的影響が認められるからと言って同祖論を持ち出すのは、不自然すぎると感じます。それを言うなら、人類はアフリカ原産の動物で、皆同祖という話になります。

遺伝子に関しては本来akatamayorihimeさんが御専門の筈ですが、完全スルーしているようです。相手にする必要もない勘違い、ということだと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195894356


chielien_4f89277efa984404924a2bf6bさん 2016/8/30 21:55:06
同和地区、被差別部落関連のご相談です。気分を害される方もいらっしゃるかと思いましたがネットで調べても詳しく分からないのでこちらでご相談させていただくことにいたしました。

付き合って5ヶ月ほどの彼氏がいる30代の女性です。

年齢のこともあり、付き合い始めからお互い結婚を意識した中で、お付き合いをしております。付き合って3ヶ月頃には互いの両親にも会うことができ、双方の両親ともに私たち自身は気に入ってくださっています。ただ、、彼のご両親が同和地区や被差別部落出身のことを気にされる方のようで、私の苗字と、両親祖父母の出身地が九州ということを知ると、祖父が部落出身ではないかということを気にされてるということを聞きました。

第三者機関で調べてくださって結構ですとお伝えしたのですが、付き合いもまだ浅く、結婚の話にも具体的になっていないので調べないと言われました。彼もご両親と言い合いになったりして辛い思いをしています。なんとかこれから結婚という先を見て楽しくお付き合いを続けたいと思っているので、彼も私も自分達なりに調べたところ、そちらの出身ではないと思っているのですが、それでは信じてもらえる証拠にならず困っています。興信所に調べてもらいたいと思っています。そこでお聞きしたいのですが、

@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。

A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。

B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。

探偵も興信所も、部落問題は取り扱わないと記載されていることが多いので困っています。もちろん私も彼も差別はしてはいけないという考えですが、彼のご両親にも色々と事情があり、彼のことを思って気にしているので、彼とご両親を仲違いさせていることに心苦しいのです。ただ私も彼もお互いこの人と結婚したい‼︎と心から願っています。とはいえ彼の大切なご両親に祝福されないまま強行突破はしたくありません。わがままかもしれませんが、、

とにかく調べる方法がなにかあれば助言をいただけると大変嬉しいです。
また、同じような経験をされた方がいらっしゃったらどのようにされたのかお聞きしたいです。

大変深い悩みで辛い思いをしております。差別だというご叱責は遠慮していただきたいです。

___

Answer katuragi_893さん 2016/9/11 8:49:32

部落とは元来、村の集落を表す単語で昔はズバリ、穢多村・穢多・非人村・非人と言っていましたが、余りに露骨すぎるので今は穢多村・穢多・非人村・非人の隠語で部落を使ってます。同和は「同胞融和」の意味でこれまた穢多村・穢多・非人村・非人の隠語です。(江戸時代中期以前は穢多と非人は違うモノでしたが江戸時代後期?頃から、セックス、混血、共同行動で今では非人も穢多に同化し同じモノです。有名な非人の末裔に「フーテンの寅」こと車 寅次郎がいます)
https://www.youtube.com/watch?v=HR01VW7qpKY
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穢多とは奴隷の末裔で日本人じゃ無い。諸説あるが

穢多(えた)とは
日本人とは異なる異人種・異民族。

古代、日本人との戦争に負けた民族が日本人に捕えられ奴隷となっていた民族、穢多族。

非人(ひにん)とは
罪を犯した者に与えられる刑罰の一つ。
罪を犯した者は罰として、非人の身分に落とされた。

穢多は奴隷の末裔。具体的には国栖・土蜘蛛の末裔(マレーポリネシア系人種)+蝦夷の俘囚+中世、近世の流民、罪人・賎民との混血。日本人では無い。

室町時代から「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。穢多の子はいつまでも穢多である」との絶対的概念があるから、穢多族の子は確定的に穢多族に成る。それ故、穢多族男女は既成事実作り中出し妊娠H狙って来る傾向があり大変危険です。

超強力な穢多部落優遇が存在してる段階で差別は無いし、現実は非穢多部落民が穢多部落民からヤリタイ放題されてます。穢多部落民忌避は邪馬台国と出雲帝国時代、2300年前からある日本の伝統文化です。西日本では婚姻忌避は存在していますが、あれは差別ではありませんし誰だって穢多の子は穢多で忌避される血筋を入れたくありません。もし、穢多部落民が逆の立場なら絶対穢多部落民の血筋は入れないでしょう。

或る左翼部落問題活動家が自分の息子の嫁に穢多部落民女を忌避し破談にしたのはこの部落の真実知ってるからです。左翼部落問題活動家で息子の嫁に穢多部落民女を忌避した奴は狡い奴です。他人には穢多部落民と婚姻しても何ともないよ言いながら、自分の息子の嫁には人種的、歴史的に穢多と言う階級の真の意味を知ってるかから忌避したんです。ホントに狡い奴です。

穢多部落民との結婚は彼も穢多部落民に成り、産まれて来る子も穢多部落民に成ると言う事です。わかっていましたか?。彼との子供も排除・忌避される側に成るという事です。本音と建て前、違いますから今でも就職忌避・婚姻忌避が現実に存在していますから貴方の子供が成人した時に穢多の血筋で就職忌避・婚姻忌避に遭遇するでしょう。。
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全部説明したと思いますが私の書き込みを絶えずチェックし絶えず削除

依頼を出す真実を知られたく無い歴史隠蔽、穢多部落民血筋(DNA)拡散
を狙う穢多部落民に付き纏われてるのでコピペで失礼します。

実際、部落の問題にはこれがあり、奴等が「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と言えた義理ではありません。

山口組ヤクザ約70%の者が部落出身者であり約10%の者が韓国人等の外国人。 カプランとデュブロ

潜入ルポ ヤクザの修羅場(鈴木智彦著 文春ウェブ文庫)

「不良はある程度の年齢になると、ヤクザになるか、右翼になるか、同和にいくか進路を決めるんですわ」彼のいう右翼も同和も”似非”を意味しており、純粋なそれに所属している人間たちにとっては迷惑な話だろう。しかし、彼の何気ない一言は、関西の暴力社会の基本構造をストレートに現している。鈴木智彦は曰く「暴力団と政治団体と人権団体の三位一体は、裏社会最強のコンビネーションだ」、「大阪ではかつて、同和利権を制するものがヤクザ社会を制すると言われていた」。

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実。


被差別部落と暴力団(鈴木智彦)

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実で、仮に一般人と穢多非人部落民が婚姻し、その婚姻が破綻し穢多部落民と離婚しょうとしても、離婚する時は、解同(人権団体)が出て来て「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と喚き散らし一般人の親・親戚の所に押しかけます。

警察は相手が解同(人権団体)なのと民事不介入で介入してくれません。
ヤクザ(暴力団)、右翼団体(政治団体)の場合は警察が介入してくれますが解同(人権団体)の場合は警察が介入しないのを知ってて奴等はやって来ます。
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穢多部落民は過去戦争を煽動・推進したことから天皇から絶対的に嫌悪・忌避・排除されています。

穢多部落民忌避の根源は天皇が絶対的に穢多を嫌悪・忌避・排除してるからです。千年経っても変わりません。

天皇・皇后、障害者支援施設視察

:質問:

@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。
A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。
B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。


:回答:完璧に調べる方法はある。

ただ、貴方が穢多だった場合、自殺、、、。。。魔の宗門人別改帳、江戸時代穢多管理は仏教(宗門)で行っていたので菩提寺が穢多寺なら絶対穢多で一般百姓は原則穢多寺を菩提寺に出来ません。曽祖父の嫁、曽祖母の菩提寺もついでに調べたら完璧に判ります。どの寺が穢多寺だったかは今でも完璧に判ります。逃げられません。徳川幕府の完璧な穢多部落民、嫌悪・忌避・排除に感謝すべきですね。

私は前、この菩提寺による穢多判別の回答をしましたが、穢い穢多部落民共によって削除されました。でも、これが核心です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12163671097



▲△▽▼

昔、三宅久行さんから聞いた話 2012/11/16 03:24


あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、テレビで活躍中だった。

空港まで車で三宅さんを迎えに行った。高速道路を走りながら車中で、昭和天皇の話になった。

三宅さんが、日本史の江上さんから聞いた話だと。

あの騎馬民族説の江上さんですね。

そう。

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、昭和天皇に質問したそうだ。
天皇は、オフレコならばと前置きして答えられた。


Q:天皇家の先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。

三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。

現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。
http://akirakakun.iza.ne.jp/blog/entry/2928306/

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、

天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 知らない方が良いこともあるのだ と答えたという研究者の話が伝わっています。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html



karasawa7772000さん 2010/10/19

律令期・7〜8世紀頃における渡来人

当該期、半島情勢の動乱によって多数の人々が日本に亡命しています。

※ちなみにこれ以前の渡来(弥生時代前半を除く)については、当該期の記録に比べると格段に少なく、遺伝学的な影響を及ぼすほど多数とは言い難い、というのが現在までの研究成果とされる。

事例を挙げますと…。


・天智天皇5年:百済男女2000人
・天智天皇8年:百済人700人余
・天武天皇13年:百済の僧尼と俗人23人
・持統天皇元年:高句麗人56人
・持統天皇元年:新羅人26人
・持統天皇2年:百済人
・持統天皇3年:新羅人
・持統天皇4年:新羅人12人
・和銅8年:新羅人74人
・霊亀2年:高句麗人1799人
・天平5年:新羅人56人
・天平宝字2年:新羅人74人
・天平神護3年:新羅人193人
・宝亀11年:新羅人


ちなみに奈良時代の総人口は、『延喜式』規定の出挙稲額と常陸国の出挙稲額を比例計算したした結果、600万人前後と推定されているそうです。

すなわち、上記の数値は今日(1億2千万人として)に換算すると20倍近いものとなります。

一つの都市に相当する人数が渡来したことになり、当該期いかに多い人間が来たかわかります。

この中には宮廷で高位に就く者もいたばかりか、白村江の戦いの結果、亡命してきた百済王(の系譜)なども含まれております。


朝鮮半島経由で稲作が伝播した理由には、遺構自体の類似性もありますが、何より出土する遺物に幾つもの同一性があることが両者の行き来を示すとされています。

事例を列記します。


・遼寧式銅剣
分布が遼寧省(中国東北部)を中心とすることからこの名が付いた。
紀元前9世紀に出現したとされ、遼東半島〜朝鮮半島(比来洞遺跡・松菊里遺跡)〜今川遺跡(福岡県)などで出土。

・磨製石剣
・諸手鍬、エブリ、石包丁、石鎌など農具
・蛤刃石斧、抉入柱状石斧、扁平片刃石斧など木工具


…これらは従前の北部九州・縄文晩期には見られない製品で、総て大陸を遡源としているだけでなく、石製である点にも注意せねばなりません。

当該期、中国大陸ではこれら道具の多くが金属製品に代わっていて、朝鮮半島・日本では石製を使用していたのです。

同時に型式的類似性もある、というかソックリなものの方がむしろ多数を占めます。

縄文時代にも「オサンニ釣針」や「キバノロ牙の加工品」など、九州と朝鮮半島が古くから交流していた物的証拠が幾つもあります。

※特にキバノロは日本に生息していない点に注意。

ただし、縄文時代後晩期〜弥生時代前半において文物が伝播したのは朝鮮半島経由のみではなく、北方からもあったとされます。

・三足土器(亀ヶ岡式土器に数例)
・内反り石刀(同)
・玉斧(山形県中川代遺跡)
・中国製青銅刀子(山形県三崎山遺跡)

…こうしたものは、分布などから考えて中国北方〜沿海州などから伝わったものとされています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1448933639?fr=rcmd_chie_detail


何かの本に

和泉式部日記の時代の大和朝廷族は読み書きを含め漢語を話していた、完全な漢文化民族だったと、確か女性の研究者だと思いましたが、ハッキリと書いていました。その通りだと思います。宮中独特の言葉と言うのはその時代の漢語の名残に他ならないのでしょう。

いづれにせよ天皇と公家たちは明らかに漢民族「O3」と思われます。

楽浪郡、帯方郡など中華王朝の出先機関が牛耳っていた韓半島での生存競争を勝ち抜くことができず、流れ者武装集団として日本列島に逃げ込んできた戦闘集団の中で最後に勝ち残ったのが大和朝廷族となったようです。

縄文―弥生混成集団は本来戦闘集団ではなかったため、容易く征服されていったようです。

この「O3」は韓半島の支配階級でもあったため、韓半島も日本列島も漢族の支配した土地であったことがよくわかります。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/

「朝鮮と日本の神話を考える」 上田正昭 京都大学名誉教授

 敬愛してやまない末本徹夫さんがお亡くなりなって早くも2周年になります。仏教で申しますと3回忌になりますが、徹夫さんは京都大学の先輩でもありました。学生でありながら京都市会議員に当選され、人権問題、とりわけ日朝友好促進に力を入れられました。末本徹夫さんを偲んでの2周年の集いに「神話の問題」の話をしてほしいと雛子さんから言われまして喜んで参上した次第です。末本徹夫さんの写真がここに置かれていますが、その志を受け継いでいきたいと念じております。

 今日は「朝鮮と日本の神話を考える」というテーマです。新しい歴史教科書の問題がありますが、歴史学も科学です。小説家の歴史ではなく、歴史的事実を正確に認識することが大前提になります。伝仁徳天皇陵も仁徳天皇が葬ってあるかどうか大変あやしいのですが、伝仁徳天皇陵は私が学長をしていました大阪女子大学の近くにある日本最大の前方後円墳です。巨大な前方後円墳の仁徳天皇陵と伝えられている古墳ですが、堺では大仙という地名がありますので、我々は大仙古墳と言っています。大仙古墳を天皇を尊敬する方々がご覧になったら全長六百メートルの古墳になる。天皇制に反対の方がご覧になったら二百メートルだ、ということでは学問として成り立たない。

歴史は解釈の問題も大事ですが、誰がどういう立場で言おうと、史実は変わらない。正確な史実をまず認識するということが学問としての歴史研究の第一歩です。神話についても皇国史観の人が解釈する神話と、左翼の人が解釈する神話で全く違う評価が生まれるということでは学問になりません。

神話の定義

そこで神話をどう定義するか。定義が正確でないと内容が間違って解釈されることになりかねないと思います。「神話」という漢字の熟語は中国の古典にもありません。漢字文化圏である朝鮮半島の古典にも神話という漢字の熟語はありません。中国の『三国志』にも神話という文字はない。翻訳漢字です。日本の学者が1890年代に英語のmyth,mythusを「神話」と漢字に訳したものです。神話という翻訳漢字は失敗であったと思います。神話は神様の話という単純なものではありません。

日本の古典の中に神話に類似する用語があるか。「神語」というのはあるんです。『日本書紀』、皇極天皇2年、同3年の条、西暦643・644年の条に「神語」と文字があります。「カムガタリ」という方が皆さんがお考えになっている神話の意味がより正確に言えると思います。神の語りです。神話の定義は神話学者の数ほどあると言われるようにいろんな定義があります。

ギリシャ神話とか文字に記録された神話は神話の本来の姿ではないんですね。記録された神話は第二次、第三次の神話です。書かれた神話は本来の神話とは違うということです。文字を知らない人や、民族でも神話を持っています。なぜなら神の語りだからです。耳から口へ、口から耳へと語り伝えていくものが本来の神話です。文字に属するのではなく言葉の世界に属します。ホーリー・ラングウェッジ、聖なる言葉が神話の大事な点です。

沖縄の研究も復帰前から進めてまいりました。沖縄での国際会議にもたびたび招かれています。沖縄が本土に復帰する以前、米軍が占領していた時代、沖縄に行くにはパスポートがいった時代です。その時代から沖縄の調査をしていますが、本島から先島つまり宮古、八重山諸島など台湾に近いところです。

たとえば宮古島では神話が伝わっていますが、記録にはない。巫女さん、「ツカサ」のおばあさんたちが神話を言葉として語り伝えている。祭りの場で伝えられる。記録としてはないわけです。祭りに参加しなければ神話は聞けない。日常は語られません。男子禁制なので入れない。ツカサの神話の語りを録音させてほしいと申し入れて、

「祭りの場でもないのに語れません」

と拒否されました。お供えをして帰ろうとしたらおばあさんが

「待ってなさい。あなたは神の子だという御告げがあったから語ってあげます」

と録音させていただいたこともありました。

記録された神話

 『記・紀神話』といわれているものは、語られた神話ではなくて書かれた神話です。『古事記』は3巻あっては上巻に神話が書いてある。『日本書紀』は30巻ありまして、巻第一と巻第二が神代の話です。『古事記』は和銅5年、西暦712年正月28日に完成しましたが、時の天皇家の立場から作為的に記録されたものです。天武天皇の勅語に

「偽を削り、実を定める」

と書いてある。天皇家の立場からこれはふさわしくないというのは削ってある。天皇家の立場から書いている。神話のすべてを書いてあるわけではありません。


例えば今日の話について皆さんは、私の言葉を速記するなら別ですが、上田の話はここは大事だなと思う箇所を書いておられる。全部書いているわけではない。皆さんの日記でも全部正確に書いているとはいえない。都合の悪いことは自分の都合のいいように書く。日記だから本当のことが書いてあると思ったら間違いです。将来、孫が読むかもしれない。「おじいちゃんはこんなに立派だった」と第三者を予想して書いている場合もある。

記録する時には作為がある。歴史学をやるものは、書かれたものが全て本当だと思うようでは歴史研究をする資格がない。どこが本当で、どこがウソか文献批判が必要です。ラブレターはそれの最たるものです。「私はあなたを愛しています」と書くわけです。その瞬間はそう書くんです。口説くために。騙されて結婚して今日に至っている人もたくさんいると思います。ラブレターの文献批判をしていない。

自由民主党の新聞に書いている内容と共産党の新聞に書いている内容では違うことがありうる。一つの事実がさまざまに記録されるわけです。新聞が書いているからその通りだと思ってはいけない。毎日新聞の立場がある。朝日新聞には朝日の立場がある。6紙くらい読んでどれが真実かと考える。

 これは文字による記録の限界なんですね。書かれた神話には誇張の潤色が入る場合がある。『古事記』や『日本書紀』が日本の神話のすべてだと言っていたら、神話を教科書に載せる資格は全くない。こんな教科書で勉強するのは気の毒です。戦争中はそういう教育を受けた。神話を疑ってはいない。神武天皇橿原宮で即位された。「紀元は二千六百年、ああ一億の」という時は中学2年生でした。昭和15年。私は級長でしたから並んで国旗掲揚をしました。

紀元二千六百年の元年は西暦ではB.C.660年です。縄文時代の晩期の頃です。弥生時代の前です。そういう時代に日本国ができたというのは、少し勉強したらちょっと待ってくれと言わざるをえない。日本国家が縄文時代にできたなんてことはありえない。邪馬台国よりはるかに昔の話ですよ。邪馬台国の卑弥呼の時代は紀元後3世紀前半の話です。そのときから900年くらい昔の話です。日本国が誕生したという考えには幼稚園の子どもでも待ってくれと言わざるをえないのではないでしょうか。だけどそれは『日本書紀』に書いてあるわけです。『日本書紀』に書いてあるからその通りですと言うていたら、ウソということになるわけです。

神話とはなにということを理解していただかないと、これからお話する日本と朝鮮の神話の問題も間違ってくると思います。神話はまさに聖なる言葉でした。

神話とよく似た言葉には「伝説」「昔話」があります。語り伝える口頭伝承です。言葉の世界に属していますが、しかし内容はみな違うんです。

神話は神様が出てくる。この世のはじめ、天地開闢と関係がある。

「この世のはじめにおける神と人との重要な出来事を語り伝えた聖なる言葉」

が神話です。ハレは非日常、ケは日常。神様をお祭りするハレの時に着る着物が本来の晴れ着です。日本人の晴れ着は祭りの日に着る着物です。ケ着は日常の着物です。ハレの非日常の聖なる時と場の語りが神話です。神の行いを信じるという信仰が神話にはある。語られている内容がどんなに非合理であっても。

国産み神話。イザナギとイザナミの命が鉾を天空から海中に下ろして、それが塩で固まって島ができた。次々に国を生んでいく。塩が固まって島ができる、国土ができる。全く不合理な話ですが、語っている人、聞いている人が信じていた。信仰です。祭りの場に参加していないと聞けない。信じてかつてそのような出来事があったことを深く信じている。

 ところが伝説というのは全く違うんです。ある特定の物に則して語られる。伝説には神様が登場しなくてもいい。即物性がある。弘法大師が池をつくられた。弁慶が運んだ石がある。義経が腰をかけた石がある。何か物に則して伝説は語られる。語られている内容は自分たちの祖先がやってきたこととして語る。伝説には何年何月何日、「頃は元禄15年12月14日」は忠臣蔵の日ですが、日時まで物に則して語られる場合がある。

昔話は語られる内容が全く違う。どの昔話でも「昔、昔、あるところに」と時がわからない。伝説は特定している。昔話は特定しない。「で、あったとさ」と語りの最後は結ばれる。もちろん土地の言葉で語られる。伝説や昔話はケの語りです。いろり端で語る。「昼の話はネズミが笑う」という諺がありますが、夜、語られる。

神話はケの語りではない。神を祀るというハレの時と場で語られる。文字を知らないどこの民族でも神話はある。朝鮮民族には朝鮮民族の神話があり、日本民族には日本民族の神話があるわけです。それが後に記録化される。日本の場合は記録化された神話としては『古事記』『日本書紀』が有名です。

『古事記』『日本書紀』以外も我々の祖先のことが書かれているものがあります。『風土記』があります。『古語拾遺』は西暦807 年にまとめられたものです。『風土記』は各国々で編纂されましたから国々にあります。語り部の神話の記録もあります。『万葉集』の中にも『延喜式』にもあります。『先代旧事本紀』の神話もある。『古事記』や『日本書紀』だけが日本神話のすべてではないということを押さえておかないといけないと思います。

朝鮮の神話では

 朝鮮の神話はどうか。もちろん朝鮮民族の神話も最初から文字で書かれたわけではない。好太王碑文は有名ですが、その冒頭は建国神話で、高句麗の祖先はこういう人たちであったと語っているわけです。25、26年前、高句麗文化展がありました。京都市立美術館で朝鮮民主主義人民共和国から貴重なものを送っていただきました。京都を皮切りに巡回されました。私は西日本の高句麗文化展の責任者だったんです。東日本の責任者は騎馬民族説で著名な江上波夫先生でした。

碑は高さが6メーター38センチあります。これをレプリカにして送ってきましたが、美術館に入らない。京都の場合は屋外に展示しました。そのはじめに高句麗の神話が書いてある。広開土王という高句麗の王様の石碑が彼の子どもの長寿王の2年の時に建った。西暦414年、5世紀のはじめです。[史料5]この碑文が有名なのは、碑文に

「由来朝貢而倭以辛卯年来渡」。

西暦391年に倭人が海を渡ってきた。「百殘」は百済です。「新羅以為臣民」と書いてあります。

倭イコール大和朝廷と解釈しているのは歴史的事実に反します。

倭をどう解釈するか問題があるのですが、北九州を中心にする倭の勢力が海を渡ってきて、朝鮮半島の百済、新羅、伽耶を破って臣民にしたと書いてある。

これを明治以来の日本の政府はかつて朝鮮半島は日本の属国であったということをこの碑文を証拠に言ったわけです。その中心になったのは東京帝国大学の先生方ではなく、陸軍参謀本部なのです。そのことを明らかにしたのが、在日の歴史家の李進熈さんです。和光大学の名誉教授の考古学者です。

陸軍参謀本部が改ざんしたのだというのが李さんの説です。李説が発表された時、中国の学者も韓国の学者も台湾の学者も日本の学者もショックを受けた。好太王碑文の陸軍参謀本部の改ざん説が契機になりまして、好太王碑の研究が前進しました。その功績は高く評価していますが、改竄説には賛成してはいないのですが、李さんの問題提起がなければ好太王碑の研究はあれほど盛んになるとは思われません。

共和国の学者も好太王碑についての論文も書きました。中国の学者も書きました。好太王碑をめぐって大変な論争を展開することになります。その火付け役をしたのが李進熈さんです。このことはちゃんと認めないといけないと思います。

 好太王碑が立っているところは中国の吉林省にある集安、鴨緑江を挟んで対岸は朝鮮で共和国の皆さんが歩いておられる姿が見えます、川を挟んで。

その碑文の調査に私は3回行きました。碑文の文字は残っているのですが、剥落して判読できないところも若干あります。

 この碑文が大事なひとつは高句麗の神話が記述されている事です。

朝鮮にも古典はたくさんあります。たとえば『三国史記』がありますが、『古事記』や『日本書紀』より出来たのははるかに遅いんです。1145年に編纂の命をうけて書かれました。12世紀のなかば、日本でいえば平安時代の終わりです。平清盛の頃に書かれた神話を高句麗の本来の神話として議論してはいけない。

高句麗の神話は5世紀にあったということは好太王碑文を見たらわかるわけです。この碑文ができたのは414年です。414年の好太王碑文の最初に神話が書いてある。

「惟昔始祖 牟王之創基也」。

朱蒙が高句麗の基を築いた祖先である。

「出自北夫餘天帝之子」、

天の神様の子どもであって、お母さんは「河伯女郎」なり。河の神の娘である。お父さんは天の神様。お母さんは河の神の娘である。卵を裂けて世に降りる。生まれながらにして聖。

高句麗には5世紀のはじめのころに建国神話があったということは、好太王碑文によってわかるわけです。もちろん書かれた神話ですが、そういう神話が5世紀のはじめに高句麗にあったことを物語っているわけです。

 昨年12月23日の天皇誕生日の前の12月17日、宮中で記者会見があった。記者クラブが7つ質問している。その中の一つが

「来年はワールドカップで日韓共催でやる。天皇はどう思われるか」

という質問に

「自分の先祖である桓武天皇の生母高野新笠は百済武寧王の子孫であった。
韓国とのゆかりを感じます」

と語られたわけです。私にもすぐ朝日新聞社からコメント依頼がきました。私が感動したのは、人物の交流が皇室を含めてあったのだけれども

「不幸な関係があったということも忘れてはなりません」

とちゃんと言っておられる点ですね。そこがあまり報道されてないんです。

 私は朝日のコメント依頼に「そこが大事だ。それを書いてくれなければコメントしない」と申し上げたのです。1月16日、京都新聞には載りませんでしたが、共同通信が後追いの記事を出しました。なるほどと思ったのは「誕生日の記者会見くらいは自分の言葉で言わせてほしい」と言われたそうです。宮内庁のチェックはなかったようですね。宮内庁は大慌てになったということを1月16日の共同通信配信で知りました。私はその日、松江に行っていまして、山陰中央新報で知りました。実はこれは、神話の問題とも関係があります。


桓武天皇のお母さんの高野新笠は、勅撰の歴史書である『続日本紀』が明記するとおり武寧王の子孫ですが、延暦8年12月に亡くなります。お葬式は正月にあった。葬ったのは大枝の沓掛にある旧山陰道の右手の山の中腹。そこに高野新笠のお墓があります。階段を登らないと行けません。延暦9年1月にお葬式をしている。

『続日本紀』に新笠の伝記が書いてある。どういう人だったかということを書いて百済の神話を書いている。そこに書いてあるものを読むと

高句麗の建国神話と百済の建国神話が同じであったことがわかります。今、残念ながら朝鮮人民民主主義共和国と大韓民国は分断されていますが、百済の建国の神話と高句麗の建国神話は同じです。在日の皆さんが自分の祖国の神話も知らずにいるというのでは残念です。

朝鮮と日本の神話の類似性

百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。

百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。

百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。

新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。


 共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。

同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。

伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。

 「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。

そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。

伽耶の国の建国神話があります。[史料4]

「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。

禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。

「所居北亀旨(クシ)」。

今も首露を祀っている廟があります。

「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。

変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。

「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」

と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。

 天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。

朝鮮と日本の神話の相違性

 日本の神話と朝鮮の神話は極めて類似性がある。
玄界灘を隔てて隣り合っている国ですから共通性がある。
日本の神話と朝鮮の神話には共通性がある。

比較というのは似ている点だけをすることではない。どこがどう違うかということを正しく理解することが極めて重要です。朝鮮の文化と日本の文化のどこが共通しているか。

日本の中に朝鮮の文化がこんなにたくさんある。
遺跡めぐりをしても朝鮮の文化が各地にある。
それにあわせてどこがどう違うかという、共通性だけでなく独自性も見ていないと、本当の友好、連帯はできない。全く同じだったら改めて勉強する必要はないんです。キムチと漬物の文化とは違うじゃないですか。

なぜ違ってきたのかを正しく理解しなければ、本当の連帯はできない。同じだと言ってばかりいると「日鮮同祖論」になる。祖先は同じなんだから日本に朝鮮が併合されてももとは一緒ではないかという論理と類似のものになってくる。どこがどう違うかということだけを言っていても具合悪いんですね。共通性と独自性の両方を理解することが必要だと思います。


 書かれた日本の神話と、書かれた朝鮮の神話の決定的に違うところが三つあります。それも知っておく必要がある。

クシの峰、天降った山の名は類似している。

けれども、日本の神話では「荒ぶる神」がいた。降ってきて平定するんです。

高天原から降って「言向和平」する。

朝鮮の神話では違う。民衆が

「どうか神様降ってください」

とお祈りすると降ってくる。 [史料4]「又曰 

皇天所以命我者 御是處 惟新家邦 為君后為茲故降矣 称須掘峯頂撮土 歌之云 亀何亀何」。

もしもし亀よ亀さんよと歌うわけです。

「首其現也 若不現也 燔灼而喫也」。

亀さんの姿を現せ、そうでなければ焼いて食べるぞと。民謡だと思います。

「以之踏舞 則是迎大王・歓喜踴躍之也」。

神が降ってきたといって民衆が喜び、踊り回る。

「歓喜踴躍」する。すばらしいシーンです。


 朝鮮の高句麗や百済、伽耶の神話の場合は卵が天から降ってきて、それが割れて中から誕生する。卵から生まれるという卵生型は日本の神話にはありません。

 そして朝鮮の神話ではお供を連れて天降ってこない。単独降臨です。

日本ではお供の神様がついてくる。

アメノコヤネの命は中臣氏の祖先です。瓊瓊杵尊と一緒に天降ってくる。

後の天皇家の周辺の有力貴族の祖先も一緒に天降ってくる。
朝鮮には檀君神話を除いて随伴神伝承はないんです。
後の時代はお供が増えますが。そのように内容が違う。


 もとは共通であったはずの朝鮮と日本の神話がなぜこのように違ってきたのか。

語られた神話、『古事記』『日本書紀』に書かれる段階で、すでに我が国には天皇制があった。

天皇制を背景にできあがった『古事記』『日本書紀』の神話に対して、朝鮮の場合は貴族の合議制。王者はいるのですが、貴族が合議しながら政治をやる(和白制)。

よりデモクラティックな民主的な要素の強い朝鮮社会と、我が国のように天皇制を中心にする社会体制ができあがっている。記録化の背景が違ってくる。社会の仕組みが違うので神話の内容も専制的なものになっていく。極めてデモクラティックな朝鮮との違いができたのではないかというのが私の説です。文庫本(日本の神話を考える)をお持ちの方もおありのようですが、そこにも詳しく書いておりますので参考にして下さい。

 韓国、朝鮮は日本と最も近い国です。善隣友好、隣と仲良くできなくて、どうしてアメリカ、ヨーロッパと仲良くできるか。近くで対立しているようでは、国際化日本にはなれないと思います。そのためには日本の文化と韓国、朝鮮の文化のどこが共通しているかを確かめると同時に、なぜこんなに違ってきたのかということを相互に詳しく理解しなければ本当の信頼関係は生まれないと思います。国際化ということは、相手を知ることがまず第一です。

我々が朝鮮の文化、朝鮮の歴史、朝鮮の生活を知る。そして己を知る。自分を知る。日本人が日本を知らなくて国際化なんてできません。在日の皆さんもそうです。朝鮮の皆さんが朝鮮のことを知らなくてどうして国際化ができますか。朝鮮民族が日本のことだけを知っているのではなく、己を知ることも大事です。いかに友好の関係史があったか。そのことにあわせて極めて不幸な侵略の歴史、大変なご迷惑をかけた、拭うことのできない歴史も忘れてはなりません。

共通の認識と共にどこがどう違うか。異質性、独自性の認識が正しい理解を生むのだと思います。共通性もありますが、違う点もあることをよくご理解いただきたいと思います。以上で終わらせていただきます。

ご静聴ありがとうございました

質問 三つだけ教えてください。

@神話は科学的に実証することができるかどうか。
A真床追衾(まとこおふすま)について。
B邪馬台国について。

上田 神話を正しく理解するには書かれた神話、記録化した時にどこにどう手を加えたということを知ることが大事です。原像を復元することはむずかしいと思います。しかしその作業をなおざりにはできません。

 2番目の真床追衾。マは形容語で、寝床の床です。高御座の台です。
被りものを被って降臨する。オブスマは被りもの。スマは中が空洞になっているものです。

 3つ目に邪馬台国、卑弥呼の時代は3世紀前半です。
邪馬台国は私の考えでは前期邪馬台国と後期邪馬台国に二つに分けて考えられる。

後期邪馬台国は畿内の大和だと思います。前期は九州だと考えています。

講談社学術文庫『大和朝廷』に私の説が書いてありますのでお読みください。大王家の祖先は邪馬台国の卑弥呼になるのですが、神武天皇が北九州から入ってくる。北九州から大和に入ってくる伝承を全くの架空とは断言できない。西から東に王権が移ったということがあったに違いない。考古学は1、2世紀の文化は畿内大和より北九州の方が進んでいる。3世紀では畿内大和が進んでいる。

弥生時代の前期は九州の方が進んでいる。弥生時代後期は断然大和が進んでいる。2世紀後半に遡る可能性がある。最近は畿内説の方が調子がいい。畿内説から九州説に寝返った人もいるが、私は一貫して畿内説ですが、生え抜きの畿内ではない。邪馬台国後期の畿内論です。

(2002年1月26日 講演記録より)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html


「朝鮮隠し」 と 「日本神話」

「白村江の戦」で新羅に破れ国を追われた百済人は、故郷を追われた怨念もあったであろうか、追われた身としてではなく「天から降臨した神の子」として新天地づくりに熱情を傾けた。自分たちの国として、自分たちの位置づけを明確化し、故郷に対する優越意識を高めるために、「朝鮮隠し」なるものを発揚させたのである。

「日本」という国号を作り、「我々は日本人である」という意識高揚が、現日本人の祖先の位置づけを曖昧化させた。朝鮮系の地名・人名を変え

加羅→唐 高麗→呉 金→今、

その風潮は1300年経った現在も消えず、朝鮮の痕跡を顕在化させまいとする歴史が今でも点灯している。

「日本神話」の真実

ソウル市内の国立中央博物館で韓国の「檀君神話」 と「日本の建国神話」 を比較考察する学術会議が開催されたとき、アジア史学会会長 上田正昭氏の論文が事前公開された。その際、上田氏の

「天孫が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」

という記述に注目が集まったという。日韓の神話を比較研究してきた上田氏は、

日韓の天孫は山頂に降臨しており、共通点が多い

と主張。百済の神の存在が、日本で継続的に命脈を受け継いできたと指摘しているという。


日本の建国神話は、韓国の「檀君神話」の影響を大きく受けており、この事実は韓国だけでなく日本史学界でも認められているという。「日本神話」は、主に八世紀初めに書かれた「記紀」の記述がもとになっている。

この説は、「駕洛国記」による韓国の降臨地「亀旨kuji」と「記紀」による降臨地「久志」の音がそっくりであることからも否定できないという。

日本にも朝鮮にも、「仏教」以前から「神道」が存在している。

「神道」は、朝鮮半島の古代文化を形成した北方民族 (騎馬民族) のシャーマニズムに由来すると言われている。北方民族のシャーマニズムは「天孫降臨神話」をもっており、「天孫降臨神話」が日本にも朝鮮にもあるということは、騎馬民族によって形成された朝鮮文化の流れに日本も乗っていることになる。

弥生時代から急増した朝鮮渡来人が、倭国へ「神道」をもちこんだのはごく自然な流れだろう。

梅原猛は「芸術新潮(2009年)」の大特集「古代出雲王朝」で、

「日本書紀の記録や出雲で発見された古墳・遺跡・大社の社などから判断すれば、

スサノオは朝鮮半島から出雲へ来た

という説が正しい。スサノオがヤマタノオロチを切った刀は韓鋤の剣であることからしても、スサノオが韓国から来た神であると考えるのが最も自然であろう。

スサノオに始まる出雲王朝には朝鮮の影が強く差している。」

と述べている。さらに、梅原猛は、著書『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』で、

「出雲王朝の創立者は韓国系と考える。

その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。
銅鐸の起源は韓国の貴族が双馬馬車につけていた鈴だ。
スサノオが韓国からきたとする説はますます有力になっている。
新しい日韓関係を見せてくれる。韓国に注目しなければならない。
古代日本にとって、韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた。」


と述べている。

出雲市の斐伊川の上流に「鳥髪」という所がある。

市町村合併によりその地名なくなったが、奥出雲の「鳥上小学校」「鳥上公民館」の「上 かみ」は「髪」の音から転用した語である。

AD四世紀ごろ スサノオは韓国の「소머리 somoli 牛頭」から奥出雲の「鳥髪(とりかみ)」へ渡来し、「たたら流し」のリーダーとして名を成した人であるという。

スサノオは砂鉄によって「草薙の剣」を作った偉人という伝説があり、「草薙の剣」はヤマタノオロチの尾にあった剣のことである。「記紀」の神話を書く際に、フィクションのモデルにされたのはスサノオであろうという説がある。奇妙に思うかもしれないけれども、

「記紀」を書いたのは渡来人(主として百済のエリート)であり、「記紀」が書かれるより300年前の伝説の人 スサノオも渡来人である。

「日本神話」の成立についてのこのような話は、現在の日本人にとって想像を超えた物語に聞こえるだろう。


「소머리 somoli 牛頭」と「鳥髪(とりかみ)」は同じ言葉で、「소 so 牛」が「새 se 鳥」に転訛し、「머리 moli 頭 髪」は「鳥髪」の「髪」と同じ言葉であるという。

スサノオが天から降りて来たという神話は、朝鮮の「天孫降臨神話」を模したものでフィクションに過ぎない。このような真実を、馬鹿馬鹿しい想像によるものであると影に移し、「記紀」が書かれて1300年たった現在ですら「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」は日本神話の真髄である。朝鮮の影が映っている歴史は影に過ぎないと追跡せず、朝鮮由来の歴史は朦朧と曖昧化されている。従って、日本の古代史の書籍には「謎である」という解釈が目立ち、日本語のルーツは明治以来150年にたってもわからないのだから、今後も「謎だらけ」であろうと豪語する学者らしき人の書籍が店頭を飾っている。
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1eca.html

[庚戌国辱100年紙上座談会・上]韓日元老6人が100年を論ずる
◇古代からの韓日交流史 2010年04月14日 中央日報/中央日報日本語版

−−韓国と日本は古代からさまざまな交流をしてきた。 お互いどんな影響を及ぼし合いながら現在の社会文化を形成してきたと考えるか。

梅原猛=中国の先進文化は韓国を経由して日本に入った。
私は今月、『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』という本を出すが、

出雲王朝の創立者は韓国から来たと考えている。

『日本書紀』に多くの文書があるが、そのうち3つの文書は‘韓国系’と把握している。 これは新しい考えだ。

弥生(BC200−AD300)時代には日本海(東海の日本式表現)側が日本の中心部だった。 したがって越の国、今の新潟県から移ってきた国が出雲を支配していたが、韓国から来たスサノオ(日本神話の人物)が出雲を越の国の支配から独立させた。

出雲王朝の創立者は韓国系と考える。

その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。 大和王朝の鏡に代わるものだ。 銅鐸の起源は韓国の貴族が双頭馬車に付けて入った鈴だ。

(神話に出てくる)スサノオが韓国から渡ってきたとする説はますます有力になっている。

新しい日韓関係を見せてくれる。 韓国にまた注目しなければならない。 古代日本にとって韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた恩人だった。

朴泰俊(パク・テジュン)=古代韓国は日本に文明を伝授した。
ポスコがある迎日湾の村には、『三国遺事(サムグクユサ)』に記録されている新羅時代の「延烏郎細烏女」という夫婦の話が伝えられている。

この夫婦が日本に‘太陽と月’(光)を伝え、王と王妃に推戴されたという話だ。

‘光’は文明を意味する。

1973年に迎日湾には日本の協力で新しい‘光’が誕生した。 溶鉱炉の光、すなわち浦項製鉄だった。 迎日湾を背景に両国間でやり取りした‘光’の話は、両国関係の未来を照らす灯火と考えてもよい。 韓日間には日本の侵略と植民地という痛ましい歴史もあったが、お互い助け合いながら発展した時期も多かった。
http://japanese.joins.com/article/246/128246.html?sectcode=&servcode=A00


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c177

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
178. 中川隆[-12548] koaQ7Jey 2018年5月24日 13:12:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

ミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道以前の古神道


1) ミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道


幸霊 奇霊 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ
幸はへ給へ 照らし給へ 導き給へ

掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神  ◇       ミ ◇     祓へ給ひ清め給へと
筑紫の日向の橘の          ◇◇   / ̄| ◇◇.   まをすことを聞こし召せと
小戸の阿波岐原に        ◇◇ \  |__| ◇ ◇    恐み恐みもまをす。
禊ぎ祓へ給ひし時に           彡 O(,,゚Д゚) /.       
なりませる祓へ戸の大神たち       (  P `O      
諸々の禍事・罪・穢れあらむをば    /彡#_|ミ\    

____

2)弥生人の神道

 
古代の日本人の霊魂観によると、人は肉体と霊魂からなり、また霊魂を「タマ(魂・玉)」と呼びました。生命の維持はタマの働きによって保たれ、死はタマの離脱することだと考えられていたのです。病気や怪我などはタマの一時的離脱であり、死はタマの永遠の離脱(脱出)を意味していました。つまり、「タマ(魂・玉)」は生命活力の根源とされてきたのです。

 「タマフリ(魂振り)」は、「タマ(魂・玉)」を振り動かして、その霊威を高める働きです(魂振・魂殖・魂触・魂降などは少しずつニュアンスが違いますが、生命エネルギーの活性化という意味では同じです)。神や人のタマを人の中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め結び付けること(「タマシズメ(魂鎮め)」)は、霊威が活き震うことの前提であり、「タマフリ(魂振り)」により人の生命力と活動力が強化されると考えられたのです。

 「タマフリ(魂振り)」いわゆる鎮魂(ミタマシズメ・ミタマフリ)は、禊祓(みそぎはらい)と並ぶ神道の重要な行法で、枯渇する人の魂を振り起こし、衰微する魂の生命力を再生する救霊の呪法です。そして鎮魂祭は、人の肉体から遊離しようとする「タマ(魂・玉)」をしっかりと中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め固定し(「タマシズメ(魂鎮め)」)、「タマフリ(魂振り)」をすることによって人の生命力と活動力を強化すると考えた古代信仰から生まれた神事(祭祀)なのです
http://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50045056.html

人里に近い山を「葉山」といい、亡者の霊がしばし山中に留まり、この世への執着を絶った後に祖霊となり、やがて里を訪れて子孫に福をもたらしてくれる、という葉山信仰が東北に多く、恐山もその一つだ、といいます。
http://www.kurikomanosato.jp/to-r07simokita.htm

「人が死ねば肉体は滅びても、その霊は祖霊として永遠不滅な一種の生命体となって蘇生復活し、高い山に上って住み、山上から麓の子孫を守ってくれる」と信じられていました。この我が国固有の信仰は、すでに「古事記」にも見られ、永年にわたって脈々と受け継がれてきたのです。

 古来、子孫の生活の中で最も重要なことは「稲作」であり、祖霊なる「ハヤマの神」は、春4月8日ごろ「田の神」とになって田に降りて、子孫の農耕を助け、秋の収穫が終わると、家族と新穀を共食し、10月8日ごろ再び山に帰って休むと信じられていました。

したがって、「ハヤマ」のある場所は、田の見える端の山でなければなりません。もっとも、祖霊の住まう山は「ハヤマ」の冠を持つとは限らず、山形県や秋田県の「モリノヤマ」などは、「ハヤマ」に相当する山です。
http://www.geocities.jp/hayama1462m/hayama-history.htm


_____

3)縄文人の神道  

上の稲作云々の部分は弥生時代以降に変わった部分で本来の神道は:

アイヌの人々が考える宇宙は、この世とあの世とからなる。人間は死ぬとあの世へ旅立つが、そこではあの世での新しい生活がある。そこで一生を終えるのと、またこの世に戻ってくる。この世とあの世とは、同じ生活が営まれているが、季節や昼夜は反対である。

 霊魂 この行き来するものが霊魂であるが、この世にあるすべてのものに霊魂が宿っているとされている。

 アイヌにとってのカミ観念 そうした霊魂のうち、火や雷、地震、津波などの自然現象、クマやオオカミ、トリカブトなどの強い力を持った動植物など人間の意のままにならないもの、力を持ったもの、不思議もの、役に立つもの、あるいは恐ろしいものが、神として崇められ、畏れられた。神は崇められるだけではない。神として崇められた霊魂は、人間世界へなんらかの恩恵をもたらすことで、返礼する。


_____

巫女とはどういう存在かというと、「神と交わる人」だ。

ここで、「交わる」の意味が問題となる。 遠まわしな表現でいえば「神と一つになる」だが、それでもわからなければ「神と寝床を共にする人」だ。 だから、「神」が男神であれば巫女は女性であり、女神であれば逆になる。 そして人は「神の子孫」となる。

もちろんこのような話は、王室の正当性を主張するために作られる神話だ。

吉野裕子さんによると、古代の日本は蛇信仰のメッカだったという。 そして、吉野論の極めつけは、「日本人は蛇の落とし子である」というものだ。日本人は古来より、蛇に対して畏敬の念をもつと同時に強烈な嫌悪の対象として見るという、アンビバレントな感情を抱いていた。

だから蛇に対する信仰は、多くの場合は隠された形で、隠喩として示されてきた。
だから、その謎を解明するのは困難を極める。蛇信仰が縄文時代からあったことは、縄文土器に多く見られる蛇の形からもわかる。

だが、吉野説では、その「縄文」自体が蛇とかかわりがあるという。


さて問題の蛇巫の話だ。

吉野裕子著の『蛇−日本の蛇信仰』では、「蛇巫の存在」として1章を当てている。

そこで吉野は、『常陸風土記』のヌカヒメ伝承と大和の「箸墓伝説」、つまり大物主神とヤマトトトヒモモソヒメ命の神話を比較して、この二つに見られる共通点を以下のように挙げている。


 蛇巫が夜ごと、神蛇と交わること。

 幼蛇を生むこと。

 幼蛇を小さい容器の中で飼うこと。


先に、巫女とは神と交わる者だと書いたが、それに習えば、蛇巫とは「蛇と交わる者」ということになる。吉野は他にもいくつかの例証をあげ、以下のように結論づける。

日本古代蛇信仰では、神蛇とはまず人間の巫女と交わることをその第一義としたから、「祭り」とは要するに巫女による蛇との交合であったとさえ思われる。

また、、太古の諏訪大社の主祭神であったと思われるミシャグチ神についても、諏訪大社の代々の最高神官であった大祝(おおはふり)はミシャグジ神の蛇巫だったとしている。

諏訪大社ではたしかに蛇あるいは龍神とのかかわりが密のようであり、そのことは現在の諏訪大社の主祭神である諏訪大明神つまり建御名方神においても受け継がれているようだ。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20041009/1202903595


▲△▽▼


縄文時代の宗教はアイヌのシャーマニズムとして伝わっています:


これが本来の神概念

アイヌとカムイ

アイヌ民族の伝統的な世界観では、カムイは動植物や自然現象、あるいは人工物など、あらゆるものにカムイが宿っているとされる。一般にカムイと呼ばれる条件としては、「ある固有の能力を有しているもの」、特に人間のできない事を行い様々な恩恵や災厄をもたらすものである事が挙げられる。そして、そういった能力の保持者或いは付与者としてそのものに内在する霊的知性体がカムイであると考えられている。

カムイは、本来神々の世界であるカムイ・モシリ (kamuy mosir) に所属しており、その本来の姿は人間と同じだという。例えば下記のアペ・フチ・カムイ (ape huci kamuy, 火の老婆のカムイ) なら赤い小袖を着たおばあさんなど、そのものを連想させる姿と考えられている。そしてある一定の使命を帯びて人間の世界であるアイヌ・モシリ (aynu mosir) にやってくる際、その使命に応じた衣服を身にまとうという。例えばキムン・カムイ (kim un kamuy, 山にいるカムイ)が人間の世界にやってくる時にはヒグマの衣服(肉体)をまとってくる。言い換えれば我々が目にするヒグマはすべて、人間の世界におけるカムイの仮の姿ということになる。

名称ではキムン・カムイ、コタン・コロ・カムイ (kotan kor kamuy, 集落を護るカムイ、シマフクロウ) 、レプン・カムイ (rep un kamuy, 沖にいるカムイ、シャチ) のように、「ーカムイ」などのように用いられる。

また、カムイの有する「固有の能力」は人間に都合の良い物ばかりとは限らない。例えば熱病をもたらす疫病神なども、人智の及ばぬ力を振るう存在としてカムイと呼ばれる。このように、人間に災厄をもたらすカムイはウェン・カムイ (wen kamuy, 悪しきカムイ) と呼ばれ、人間に恩恵をもたらすピリカ・カムイ (pirka kamuy, 善きカムイ) と同様に畏怖される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4

アイヌのシャーマンの治療分野として大きく以下のジャンルがある。

1.ウェインカラ(透視・千里眼)
霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。「空」の境地に入るといわれる。

2.トゥス
治療師のトレンカムイ(憑き神)や患者の先祖などを降ろし、トゥスクル(トゥスする人)の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はないらしい。

3.ウェポタラ
祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。

4.フッサラ
悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの。 ウェンカムイ(悪霊)払い。

6.薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法)
多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合するらしい。 筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。

9.テクマウ(手当て療法)
カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応するらしい。

これらの秘儀の継承は家系的に受け継がれるのもと、臨死体験し、魂が持っている要素を引き出し秘儀を授かることが多い。


REF034 二風谷アイヌのウェポタラ 1     Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 1         N.G.Munro D-2
13'00" 1933 白黒サイレント
94011001 (ORG・RETAKE)(Hi8), 92090202 93052603 (AGFA版・字幕無・チセノミと混)(Hi8), 96030801 (非復元版・日本語字幕・チセノミ混)(β-CAM)     

帰化スコットランド人医師N.G.マンローは、第二次大戦前、二風谷アイヌへの医療と健康改善につくしながらアイヌ研究を続けた。その中で撮影され、生前未完成に終った悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その1(原版16mm)。エカシの祈祷(アッツシ、イナウ)、儀礼(庭先、家の脇:樹の枝)、治療(庭先・川岸、数種類のイナウ)、樹に祈祷(刀、着物を治療に使用)、火のついた草束を患者がくぐる、エカシの踊り(イナウ、刀の使用)、女性の踊り


REF048 二風谷アイヌのウェポタラ 2      Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 2     N.G.Munro D-2
15'00" 1934 白黒 サイレント
92090202 93052603 (チセノミと混じっている)(Hi8)     

N.G.マンローの悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その2(原版35mm)   

川辺での治療、家の脇での呪い・治療、織物(糸紡ぎ、アットゥシを織る)、揺り篭の子供をあやす、赤ん坊を背負う、頭にのせたものを運ぶ、炉端の周りに集まり食事をする、女性の踊り、輪舞(男女)

http://tokyocinema.net/far-eastlist.htm


不思議なアイヌの超能力


アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56)を取り上げたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E9%9C%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-56-%E8%97%A4%E6%9D%91-%E4%B9%85%E5%92%8C/dp/4098200562


著者の藤村さんは、アイヌ研究の第一人者で、
現在は北海学園大学の名誉教授ですが、
以前、開拓記念館の研究員をなさっていたときに
主に道東各地のアイヌ文化に関してフィールドワークを実施し、
さまざまな長老の方々と語り合う中で徐々に受け入れられ、
その本質に触れていくことができるようになったということでした。

この本の中で「憑き神」について述べられているところを要約しますと、


・誰にでも憑き神は憑いている。

・憑き神は人が生まれるとともにこの世にやってきて、
 その人が死ぬとその霊共々あの世に返っていく。

・先天的に憑いて来る霊には2種類あり、1人から最大3人で-ある。

・後天的に憑く霊は4種類ある。
 非常事態(たとえば病気)などのときに助けに来たりする霊もいれば、わるさする霊もいる。

・個人以外に人間の集団に憑く神もある。家系や村などの集団組織ごとにいる。

・同じ憑き神が複数の人を渡り歩くことはない。

・その人の動きやしぐさを観察すると、その人の憑き神がわかったりする。

・憑き神を知るためには「トゥス(シャーマン)」のところへ言ってみてもらうと判明する。

・その個人が成長するとともに憑き神も成長し、老化する。


…などなど、という感じですね。

現代スピリチュアリズムで言うところ「守護霊」とは同じ雰囲気のところもあれば、
そうでないところもありますが、大きな差異が見られるわけではない、とも思います。
「わるさする神もいる」、ということですから、それは「憑依霊」として分類されますね。

「守護霊」というと、なんでもかんでも守ってくれるもの、と勘違いしそうですが、
「その人(集団)の成長を助けてくれる見えない存在・神さま」と考えるほうがあっているようですね。


そして、それらの憑き神などの存在を、
普段は意識できないように、この世界もできているわけですが、
どうもこれはちゃんといるんだなーと感じる体験ができるのが、
上記にもあったシャーマン的な特異能力を発揮するような人に出会ったときですね。

http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/023/


本の中に「不思議なアイヌの超能力」という章があり、
そこには巫術行為(トゥス)の系統について述べられています。


 ・トゥスは世代世襲制である。家系をはずれてトゥスができるようになる人はいない。

 ・母親がトゥスをする人であって、子供が誰もできない場合、
  母方の兄弟の子供にできる人が現れたりする。

 ・例えば、姉がトゥスをよくする人で、その姉が急死した場合、
  ぜんぜんできなかった弟が代行する場合などもある。


ということで、霊能力には家系が非常に大切と言うことも分かります。

そういえば有名な霊能者さんのお話を聞くと、ご先祖様が霊能者をやっていた方もいらっしゃいますし、
そのままでなくても、お医者さんだったり神主さんお坊さんだったり、という方が多いような気も致します。

そうするとその方の拝む対象や、浄化の仕方なども自然とその系統を受け継いでいくようです。


また「ノイポロイクシ」と呼ばれる能力もあるそうで、
著者の藤村さんがご存知でそれができるという方はお二人いて、まずある古老の方は、


 ・あるときに「頭痛」がして、そうすると五分以内に来客が来ることがわかる。

 ・その来客も遠方から来る見知らぬ人に限って起こる。

 ・必ず頭痛する部位が、頭の右か左に偏り、
  左の場合は位の高いような大切なお客であるし、右の場合は並の人である。

 ・「はげしい頭痛」がある場合は、とてつもなく偉い人の来客である。


ということであり、もう一人のおばあさんの場合は、


 ・来客する1時間か30分くらい前に頭痛が走る。

 ・荒々しい頭痛の場合は女性の来客で、緩やかなときは男性の来客である。

 ・訪問理由の概略と来客の年齢まで分かる。


という感じで、来客に関して分かるという共通点はあるものの、
細部の情報の伝わり方はそれぞれ違うようなのですね。


それで、「どうして分かり方がちがうのか?」というのは、
私の考えでは、おそらく頭痛が走るようなやり方で、その方々の「憑き神」、
つまり「守護霊」さんたちが教えているのからなのではー?と思うわけですね。
つまり、憑き神さんたちとその受け取る人の能力差によって、
サインの受け渡し方法が違うのだろうと思うのです。

ですから、いろいろ便利そうだからと
若い人などが興味本位で超能力を伸ばそうとしてもそうならないのは、
きちんとそれぞれの憑き神さんが受け取る人の能力や人格を配慮して、
受け取る準備ができている人のみに、お知らせを送っているためと思われます。


ちなみに後のおばあさんの場合は、嫁いだ先のお姑さんがそういう能力があった方で、
離婚した後、自分の故郷に帰ってからご自分にも能力が出てきた、ということですから、
霊能力には実際の血のつながりだけでなく、さまざまなご縁も非常に大切なのかもしれませんね。


そのほか、この本にはカラスの鳴き方でもって来客や死別、
向かいの家でご馳走がある、それが自分の家に回ってくるか、こないか(笑)、
天気のよしあし、豊漁の有無などもわかる、ということですから、
カラスさんもいろいろ考えておしゃべりしているものなのだなーとも思いますが、
今ではすっかり忘れられている以心伝心的なコミュニケーションがあったおかげで、
昔の人々も厳しい自然の中で生き延びて来られたのかもしれないと思いましたね。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/024/


アイヌ文化の中のスピリチュアル的な行為の代表としては、
ツス(降霊現象)とウエインカラクル(観自在・千里眼能力)が挙げられるかと思います。

要するに、恐山のイタコさんのような力のある方が村の中にいて、
何か問題が起こるとお伺いを立ててことなきをえた、ということですね、
いわゆる「シャーマン」がいたわけです。

具体的にはどのような感じだったかということで、
今でも活躍中の方がいらっしゃればよいのですが、
なかなか「アイヌ式」などと謳っておやりになっていらっしゃる方は居ないようなので、参考文献として


『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』
 青木愛子 述 長井博 記録
   樹心社 1983年 新版2001年 ¥2000+税

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795224803/reborn0a-22/250-1298541-7861852

の記述をお借りしますね。

『ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。
対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前にいる相手でなければならないということはなく、
電話に出ている1千キロ離れた相手であってもかまわないし、
今どこに居るかわからない人のことであってもかまわない。
想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。
治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。

開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。
貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。
こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヶ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。
生まれる時の様子が見えるので、雄か雌かわかる。

商売の運勢を見てもらいに人が来る。
その商売で動くおかねの様子が見える。
ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。』


…ということで、この本に出て来る青木さんも、
なかなかお見通しな方だったようですねー。
見たくなくても見えてきてしまう、とのことですから、
とても霊感がおありの方だったようです。

それで、そのような能力というのも、
青木さんの場合は、若い頃に死の淵を彷徨ったことから始まったようですね。

臨死体験をして、あちらの世界へ行きかけたのだが、
「お前はまだやりのこしたことがある!」とかなんとか
守護天使さんのような方に言われて舞い戻ってきたら、
いつのまにかそのような能力が付いていた、という体験談も良く聞きますよね。

また強制的に臨死体験をするようなことをして霊感を高める修行は、
各地の伝統宗教などにも良く見られますね。

ネイティブアメリカンの方などでは
呪術師見習いがひとりで少しだけの食糧を持って荒野をさまよい、
精霊の声の導きを待つ、といういわゆる「ヴィジョンクエスト」などもあり、
ほんとに命がけで行なったようです。

ただ共通しているのは、「見える」ようになるということは、
自分ひとりの力で行なっているわけではないと言うことですね。
ただ、聴きに来る方は「その人自体がエライ先生」と言う風に祭り上げやすくなってしまうので、
霊能者自身も勘違いしやすい、道を誤りやすい、という弱点もあるようです。

そのような能力があっても青木さんのようにずっと謙虚な姿勢を保つというのは
霊能者自身にとっても難しいでしょうから、様々な人にできるだけ救いの手を差し伸べると言う事と共に、人間的にバランスを保つというのは、この世に学びにきている大きなテーマかもしれません。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/020/


アイヌ最後のシャーマン_青木愛子フチは「ウエインカラ」ができたそうです。

それは何かというと「千里眼」ですね。

「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;)

まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。


たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。

この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。

あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。

それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。

それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。

だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。

そして書いてあります。


『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。

明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。

何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。


ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。

現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』


ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。
http://blogs.yahoo.co.jp/fy3on3/6770078.html


ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う

1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 

その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。

 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。

 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。

はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。

どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。

これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。

アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。

 表紙の言葉をそのまま紹介すると

「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」

と書かれていた。

 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。

「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。

初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。

参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、

「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。

私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。

「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。

連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。


 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。

質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。

 祈り終わるとババはすぐに

「ババのこと信じるか。」

とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、

「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」

と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も

「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」

と言った。

その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。

この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。

 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。

生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。


■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。

 研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。

また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。


しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。

 ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。

「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。

「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。

「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。

「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。


ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。

 また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。

「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。

ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 

皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、

「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」

と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。


こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。

 愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。

 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。

助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。

つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。


■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。

 私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。

 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。

唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。

そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。


■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。

「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。

アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。

こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。

 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。

自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。
http://www2.comco.ne.jp/~micabox/grugru/aiko1.html


青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。

…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。

例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。

ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。


というわけで、愛子さんも小さいころから能力があってということではなく、途中からよくわかるようになって来た方のようですね、さらに、女系の方は代々そのような能力をお持ちの方のようです。

では実際にはどのような感じでわかったかというと、

距離と時間を越えて見える

ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。
商売の運勢を見てもらいに人が来る。その商売で動くお金の様子が見える。ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。

…例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。

死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。

四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。


またオーラはこのように見えていたようで、大変興味深いですねー。


一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。

明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。


と、なるほど、私も光の量が違うということは良くわかるようで、くすみが内ない人ほど良い人ですよね、しかし、もともと心が温かい人でも、さまざまなストレスがたまっているとその周りにくすみがたまっていってしまって、そのストレスを発散できていない状態が長い間続くと、もともと明るい朗らかな方もふさぎ込むようになってしまったり、ガンコになってお酒に走ったりというわけで、オーラの明るさというのはまず非常に重要かつわかり易いその方の性格、状況の指標になったりしますよねー(^-^)。

ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。

「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな〜い!レインボーブリッジも封鎖できませ〜ん!」

とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。
http://www.uranaiblog.net/user/fy3on3/fy3on3/62550.html


歴代継承者について 本書より引用


この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのままにした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭がよりはっきりしてくるかと思う。


初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。

この初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である

ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている

天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。


天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明のままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。

薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後にアシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。


初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)のシャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回した。


初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して他界した。

この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな
かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には血縁関係のないことを、念を押しておきたい。


この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。

初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであった。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目するカムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。

三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝えられている。シャモであったようだ。

四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリクン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。


五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。

アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。

真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを
行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。


二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。

しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Books/Upashikuma.html


青木愛子さんについては

アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
本多 勝一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022613572

でも詳細に紹介されています。  


_____


アイヌの信仰 T〔アイヌ人〕


ルナ「アイヌの意味は?」。山崎「アイヌ語で人間を意味するそうだ」。


ルナ「そもそもアイヌ人とは?」。山崎「東アジアの古種族で、歴史的には、北海道を中心に、樺太南部、千島列島、本州の東北部を生活圏にしていた人たちだ」。


山崎『現在では、日本とロシアという2つの国に分断されて生活する少数民族で、日本では北海道を中心に、東京他の都市部でも生活しているというよ。その数3万人を超えるとも、北海道内には2万3千人がいるともいうが実際のところ正確な数はよく分かっていないようだ。


これはアイヌと名乗ることができない人がいるからだというよね。またこれらの人たちのほとんどが、日本人との混血によって人種的な特質は薄れているらしい。


なお、アイヌは、他のモンゴロイドに比べて、彫りが深かったり、体毛が濃かったりといった身体的特徴から、コーカソイドに近いという説が広かった時期があったそうだ。のちに、アイヌ=縄文人近似説が主流となっている』。


ルナ「縄文人近似説?」


山崎『この説によると、≪縄文時代、日本列島を含む東アジア一帯には、南方系の人々が住んでいた。およそ5千年前、シベリアの北方系の人々が東アジアに拡大をはじめた。2300年前には、九州北部から日本列島に侵入してきた。彼らが弥生人である。本土の大部分は弥生人によって占められ、わずかに北海道に残った縄文人がアイヌの人々になった。現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7〜8割、南方縄文系2〜3割の比率で混血している≫ということらしい。


〔縄文時代… 今から約1万6500年前(前145世紀)〜約3千年前(前10世紀)。弥生時代… 前10世紀中頃(異論もある)〜3世紀中頃〕


室町中期から江戸後期にかけては、和人(アイヌの立場から日本人を指す語)の抑圧に対して、しばしばアイヌの武装蜂起が起きている。秀吉、家康から松前氏が蝦夷の支配権を認められた後にも、大規模な蜂起が起き、これを収拾することで、松前氏は実質的な支配権を確立したそうだ。


アイヌ人は、食糧や生活に必要な素材のほとんどを狩猟〔エゾシカ・ヒグマ・アザラシ・トド・オットセイなど〕、漁労〔サケ、マス、ニシン、シシャモなど〕、植物採集により得ていたんだ』。


【 シシャモという言葉はアイヌ語のスサム(柳の葉の意)に由来する。神の国の柳の葉が人間の世界に落ちて魚になったとされる。サケは、カムイ・チップ(神の魚)と呼ばれ、サケの回帰性を神が与えてくれたものとみなした。】


ルナ「木の皮の繊維で織った和服に似たアイヌの民族衣装をアツシ(アットゥシ)というわよね」。山崎「アツシには、オヒョウあるいはシナノキの内皮を使うそうだ」。


山崎『しかし明治政府が成立し、多くの和人が移住してくると、森林は伐採され、原野は耕作地となり、狩猟や漁労の権利も奪われてしまったという。これにより彼らは、採集民としての生活が維持できなくなったという。


明治政府は、アイヌの農民化とともに、皇国臣民化を図ったというよ。以来、政策によって日本文化への同化を強いられ、固有の文化を失っていったそうだ。とくにアイヌ語は、日常の会話で全く使われなくなったそうだ。


近年までアイヌに対する根強い差別や偏見があったが、現在では、物質的、精神的ともに、日本人と全く同じ生活を営んでいて、民族としてのアイヌはすでになく、せいぜいアイヌ系日本人となっているともいう人もいるよね』。


ルナ「北海道や東北を、蝦夷地(えぞち)と言うでしょ」。山崎「蝦夷とは、大和朝廷によって異族視されていた北方に住む土着民に対する呼称で、蝦夷地は、時代によりその地域は変化しているよね」。


山崎『アイヌも、近世には、蝦夷(えぞ)と呼ばれたそうだ。アイヌという言葉が一般化したのは明治以降だという。蝦夷は、古代には「えみし」と読み「毛人」とも書かれたらしい。また「えみし」の転訛から「えびす」とも読まれたそうだ。えぞと読むようになったのは平安中期以降だというよ。


えみし、えぞの語源については様々な説があるが、一説によると、アイヌ語の雅語(日常語に対して文章語をいう)の「エンチュ」(人間の意)に由来するという。他には、本来の意味は「田舎(辺境)の勇者」であったという説などがあるようだ』。


N、アイヌの信仰 U〔カムイ〕


ルナ「アイヌの信仰ってどのようなものなの?」。


山崎『まず、ユーカラという神話的叙事詩がある。ユーカラは吟唱するもので、「カムイ・ユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄叙事詩)の2つに大別される。また、鳥獣、植物、火、風などの神々が自らの身の上を語るカムイ・ユーカラ(神謡)、人間の祖先神が自らの功績を語るオイナ(聖伝)、人間の英雄(主にポンヤウンペという少年)の戦闘や愛などの体験記であるユーカラ(英雄詞曲)、主人公が女性のマト・ユーカラ(婦女詞曲)の4つに分けられたりする。


カムイ・ユーカラやオイナによれば、アイヌ神話の国造りの神は、コタン・コル・カムイ〔コタンは村や里や集落。カムイは神や神霊の意〕で、この神は巨人神で鯨を串刺しにしてあぶったりする。妹神とともに、大海に陸地をつくり、山や川、人間、動物、植物などを創造し、天上界に帰ったとあるそうだ。


天上界は神々の生活の場〔カムイ・モシリ〕で、ここの支配者は、カント・コル・カムイ〔雷神カンナカムイと同一とする説もある〕で、この神の指示によって、地上世界の創造されたという。


アイヌの世界観には、神々の世界(カムイ・モシリ)、人間の世界(アイヌ・モシリ)、死後に行く(ポクナ・モシリ)があり、死後に行く世界は、地上と同じ様相をしていると考えられていて、主神的な存在は見られないそうだ。


天上界から人間界〔アイヌ・モシリ〕に、生活の知恵や文化を授けた神は、アイヌラックル(人間的な神の意)という始祖神(アイヌ人の祖)で、オキクルミ、アエオイナカムイ、オイナカムイ、オキキリムイの別名を持つ。


この神は、脛(すね)の中に、稗(ひえ)の種を隠して、地上に降り、人間に穀物を授け、狩猟、漁労、耕作、薬草につていの知識、家や舟の作り方、彫り物、機織り、刺繍、神の祀り方や祈りの詞(ことば)などの信仰の儀礼、争いごとの解決法など生活の全てを教えたという。また地上の悪神を退治している』。


ルナ「日本語の神とカムイ〔神威や神居と当て字する〕は関係あるの?」。山崎「共通の祖先語から生まれたという説もあるようだよ」。


山崎「そのカムイ(神霊)が、動植物や自然現象、さらには人工物など、あらゆるものに宿っているというのがアイヌの世界観だね」。ルナ「アニミズムね」。


ルナ「他はどのような神がいるの?」。


山崎『太陽(チュプカムイ)、雨乞い(ホイヌサバカムイ)、雷(カンナカムイ)、狩猟(ハシナウックカムイ)、幣柵(ヌサコルカムイ)、月、風、雪、山、川、湖、草木、鳥獣、魚、虫、火、舟、疱瘡などの神々が祀られるという。


カムイ・ユーカラでは、これらの神々が、自分の来歴や体験などを語り、人間に対する位置づけや祀られるゆえんなどを明らかにしているそうだ。


水の神(ワッカ・ワシ・カムイ)や、魚(チェプコルカムイ)を与えてくれる川の神(ペトルンカムイ)はとくに重要で、また多くの祭儀では、火の神(アぺ・カムイ)がとくに尊ばれるというよ。火の神は人間の言葉を神の言葉に変えて、諸神に伝えてくれるため、どんなカムイに祈りを捧げる場合でも、原則としてアペ・カムイへの礼拝がともなうそうだ。


舟や家をつくる材料となるシランパ・カムイ〔樹木の神霊。樹木の集合である山をも意味した〕には、材料となる良い樹木には良いカムイが、ならない樹木には悪いカムイがいるとみなしたそうだ。


家にも、家の守護霊(チセコロカムイ・家の東北角に存在)、囲炉裏の霊〔アペ・フチ・カムイ。アペは火、フチは老婆の意味で、老婆の姿をした神〕、夫婦の霊(エチリリクマッ・家に入って入口すぐ右の柱に存在)などがいるとされたという。


また、陸、海、空のそれぞれに、最も重要な動物神がいる。陸ではキムン・カムイ(山にいる神)であるヒグマ、海ではレプン・カムイ(沖にいる神)であるシャチ、空ではコタン・コル・カムイ(集落を護る神)であるシマフクロウだ。他には、鹿の霊(ユッコルカムイ)、狐の霊(キムンシラッキ)なども信仰されたようだ。


さらに、人間に幸をもたらすピリカ・カムイ(善きカムイ)と、人間に災をもたらすウェン・カムイ(悪しきカムイ)がいる。流行病や天災は、悪しきカムイとされる。疱瘡(天然痘)や流行病を司る神は、パヨカカムイまたはパイカイカムイといい、この神の射た矢の音を聞いた者が疱瘡になるそうだ』。


O、アイヌの信仰 V〔イオマンテ〕


ルナ「イオマンテ(熊神送りの祭儀)ってよく聞くけど…」。


山崎『イは「それ(神霊)を」、オマンテは「行かしめる」の意味で、飼育した子熊(ヒグマ)を殺し、その霊魂であるカムイを神々の世界(カムイ・モシリ)に送り届ける祭儀だというよ。なお、親熊を狩りで殺した場合、その場で解体し、霊を送るけど、これはカムイ・ポプニレ(カムイを発動させる意)というそうだ。


カムイ・ポプニレは、祭壇を設えてヒグマの頭部を祀る。これは、殺された直後の獣(熊以外の動物も)のカムイ(霊魂)は、両耳の間に留まっているので、これを神々の世界に送り返すからだというよ。


但し、人間を傷つけたり殺したりした熊は、細かく刻んで大地にまいたり、ゴミと一緒に燃やしてしまい、ポプニレを行わないため、こうした熊の霊魂は神の世界に帰れないそうだ。


春先、まだ冬眠から目覚めない熊を狩ると、冬ごもりの間に生まれた子熊がいる場合がある。この子熊を集落に連れ帰って飼育する。はじめは、人間の子供と同じように家の中で育てるそうだ。1、2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な祭儀(イオマンテ)を行う。


花矢(木を装飾的に削ってつくった矢)を射かけ、最後に本物の矢を心臓に打ち込み、さらに丸太の間に首を挟んで屠殺するそうだ。遺骸は一定の様式に従い、頭だけを残して解体される。頭部はポプニレ同様、イナウ(木幣)や酒を供え、祈りを捧げて、霊魂を神々の世界に送り返す。肉は人々にふるまわれるそうだ。


アイヌの人たちは、イオマンテを行うことにより、再び熊神が、自然の恵み(毛皮や肉)をもって、人間の世界に訪れてくれると考えたらしい。


なお、熊神の他、主要な動物神〔シマフクロウ・キツネ・タヌキ・カラスなど〕を送る場合もイオマンテと呼ばれ、クジラやシャチを対象とするイオマンテもあるそうだ。一部の地域では、シマフクロウ〔北海道には130羽しかいない。日本では1971年に国の天然記念物。93年に希少野生動植物種に指定〕のイオマンテが重視されるという』。


翔「イオマンテは、生贄(いけにえ)を神に捧げて守護を願うというものや、人間の罪を動物に着せてあながわせるといった贖罪信仰とも違うみたいだね」。


山崎『アイヌの信仰は、アニミズム的な側面が強い。自然物、人工物、人間に関わるものであれば全てに神霊(カムイ)が存在すると信じられていた。神と霊との関係は、樹を切るときには、その霊を森の神に送り返すといったもので、同様に、使わなくなった食器は、捨てずに特定の場所にもっていき、器や皿の霊を神の世界へ送り返す。葬式では、死者の霊とともに副葬品の霊が他界へ行くように、副葬品を壊したり破ったりするそうだ。イオマンテもこうしたところからきていることが分るよね。


カムイは、カムイ・モシリという神々の世界からやってくる。このカムイ・モシリは、天上界にあると考える場合と、山の獣であれは山の奥に、鳥であれば天界にあるといったように生活の場から想定される場合とがあるようだ。


カムイ・シモリでは、カムイは、人間と同じ姿で、人間と同じように、料理をしたり、彫り物をしたり暮らしているが、人間には見ることができないという。カムイが人間界になにかの理由(シマフクロウなら村を護るため)でやってくる場合、人間に見える衣装を身に付ける。火のカムイなら赤い衣装を、クマなら黒い衣装を身に付ける。これが人間には炎に見えたり、毛皮に見えたりするそうだ。


クマは毛皮と肉という土産をもって、気に入った人間の家を訪れる。狩猟はこれを迎える行為だというよ。本人が心が美しいと熊が好意をもって訪問してくる。猟運とはこれをいうそうだ。


なお、熊やキツネを先祖とする家も多いそうだけど、これをトーテムの残存とするかどうかについては考えが分かれているらしい』。


P、アイヌの信仰 W


翔「偶像は作られたの?」。


山崎『アイヌの信仰は、神殿やら神の像やらは作らない。祭儀では、イナウを用いる。例えばイオマンテでは、熊神の祭壇を中心に、森の神、水の神、狩猟の神、氏神、農業神、祖霊などの祭壇が設けられるそうだけど、祭壇とは、イナウを立てる並べる柵だというよ。

また祭壇は、家の脇にも設けられていて、祭儀ごとに酒を供え、祈りを捧げるそうだ。


【 イナウ… 木幣(もくへい)。通常は、ヤナギを使用。ミズキや、キハダ(ミカン科)で作られたものは上等とされ、肌が白いミズキのイナウは天界で銀に、黄色いキハダのイナウは金に変るとされる。捧げる神によって種々の形がある。

一例をあげると、直径が3センチほどのヤナギやミズキの枝を採集し、70センチほどの長さに切り、皮を剥ぎ、乾燥させる。乾燥したら、表面を削り、先端部あたりにふさふさと飾りたらす。イナウ作りはアイヌの男性の大切な仕事とされ、イオマンテなど重要な祭儀には、泊りがけで集い、イナウを作成したという。】


また、アイヌには神官のような人は存在せず、成人男性であれば誰でもカムイへの儀礼ができなければならないという。一方、女性はふつう火の神以外には祈りを捧げられないそうだ。参加できない祭儀も多いようだ』。


Q、アイヌの信仰 X〔コロボックルと日本人の起源〕


翔『「コロボックル」ってアイヌの説話に登場する小人だよね』。


山崎『地面を50センチくらい掘って屋根をかけた竪穴住居に住むというよね。また、コロボックルとはフキの葉の下に住む人の意味で、フキの葉の下に2〜3人(10人とも)入れる大きさだそうだ。


漁が得意で、笹の葉を合わせて作った舟で漁に出て、多くの舟が力を合わせてニシンなどを捕り、クジラも捕るそうだ。北海道の原住民で、アイヌの家にやってきて物品を交換したりするという。


人類学者の 坪井正五郎〔1863〜1913・東大理学部教授。日本人類学会の創設者〕が、1887年(明治20)に「コロボックルは日本列島の先住民で、アイヌに追われた」と主張し、「日本人の先住民はアイヌである」(当時の主流の説)と主張した 小金井良精〔よしきよ。1858〜1944・東大解剖学部教授。日本解剖学会の創設者〕と激しい論争を展開したそうだ。


これを「コロボックル論争」「アイヌ・コロボックル論争」という。この論争によって、日本人の起源の研究が飛躍的に進歩したというよ。


小金井は、人骨の実証的研究から坪井の間違えを証明し、彼の「アイヌ先住民説」は、修正をなされながらも現在に至っている。つまり、アイヌは縄文人の血を最も直接的に引き継いでいるとみられている。沖縄の人たちも、縄文人の血を濃く受け継ぐ民族だといわれている。


しかし小金井は、縄文時代の先住民のアイヌは、弥生人(日本人)が海外から渡来したことによって、北へと追いやられたと考えたが、これはその後の研究によって、弥生人も基本的には縄文人に由来することが分り、間違えのようだ。


縄文人は、本州では、大陸から農耕文化が入ることによる生活の変化や、西からの遺伝的影響によって体質を大きく変えて弥生人となったが、北日本では、北からの遺伝的影響を受けながらも、漁猟採集を中心とした生活が続き、本州ほど体質を変化することなくアイヌとなったというのが現在の見方のようだね。


なお、縄文人は、2〜3万年前(後期旧石器時代)に、アジア大陸から陸橋を渡ってやってきたモンゴロイド系の集団が、海面が上昇したことで、日本列島に長期に亘って閉じ込められ、その結果、特殊化したものだというよ』。
http://shinri809.com/sono13.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c178

[お知らせ・管理21] 2018年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
24. 中川隆[-12547] koaQ7Jey 2018年5月24日 13:42:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]
>>22
真実を明らかにされると困るから
電通工作員君も必死だね
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/522.html#c24
[番外地7] ビットコインの暴騰・暴落 _ 自国通貨が信用できない人間がバブルを作り、日本人が本気になって買ったらバブル崩壊 中川隆
26. 中川隆[-12546] koaQ7Jey 2018年5月24日 13:46:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

リスクに対するリターンのバランス2  05月24日 


以前は未公開株の詐欺が多く、株式市場でも大分問題になっていたのですが、最近は仮想通貨の方にその詐欺がシフトしていっているようですね。

所謂未公開株というのは、上場の予定が全くないものを魅力的に宣伝して資金を集め、結局上場しないであるとか、最初から存在すらしない株式に金を払わせるなどの詐欺です。

普通は見抜けるレベルの詐欺でありましたが、仮想通貨は一般人の多くはその価値を正確に見極められないので、詐欺集団にとっては最高の素材であると言えますね。

知り合いに仮想通貨に詳しい人物がいるのですが、そんな彼でも完璧な判断できないそうです。

まあ、「ほぼ詐欺」とか「詐欺的」というのは分かるそうですけどね。

いくら皆が知っているような芸能人が広告塔になって宣伝していても、それが上手く行くとは限りませんし、未公開の状態で買うということは、非常にリスクが高い行為なのです。

株だって上場したら100%儲かるかといえば、そうではないのですし、そもそも上場しない可能性だってあるのが今流行りの未公開仮想通貨なのです。

確かに思惑通りに上場すれば、何倍にも何十倍にも、もしかしたら何百倍にもなる可能性がある話だとしても、これほどリスクの高い話はないのです。

ですから、リスクとリターンを考慮して、10万円なら付き合おうとか、手持ち資産の1%位を投入するぐらいなら、詐欺でも宝くじ感覚で諦めればいいと思うところですが、なぜか己の欲に負けて、諦めきれない額を入れてしまう人がいるのですよね・・・。

おそらく、そうした被害が徐々に広がってきておりますので、そろそろニュースで大々的に仮想通貨詐欺の訴訟がどうだとかというのが出てくるのではないかと思っているところです。

こういうのは昔から騙す奴が一番悪いのは確かなのですが、騙される奴もそれなりに悪いのです。

なぜ株式市場というちょっとは危険はあっても、詐欺の可能性が少ない、リスクに対するリターンのバランスが非常によい市場があるのに、よく分からない仮想通貨に巨額の資金をつぎ込むなのかと・・・。


仮想通貨を全てを否定するつもりはありませんが、せめて投資先は分散し、諦められる額に限定する。

取るリスクを徹底すれば、もしかしたら未公開仮想通貨でも大儲けすることができるかもしれません。

まあ、選ぶのは難しいですし、おそらくそこらで出回っている話の多くはだめなのではないかと思います。

本当に良いものはプロ連中が買い漁ってしまっていますからね・・・。

要するに、安易にやるなということです。

やるならリスクとリターンのバランスが良い、株の方がずっといいと思います。

100倍は無理でも、10倍ぐらいなら、十分可能性があるのですからね。
http://ssoubakan.com/blog-entry-2795.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/314.html#c26

[原発・フッ素49] 日立、英原発2年先送りを提案 資金集め難航 (朝日新聞)  魑魅魍魎男
2. 中川隆[-12545] koaQ7Jey 2018年5月24日 14:08:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html

精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)

精神科救急24時 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E6%95%91%E6%80%A524%E6%99%82part
真実を知りたければ:


発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


ネットの発達により放射線被害妄想は統一化され、同じような被害を訴える統合失調症患者が多くなった。このような患者たちは同じ願いを持っている。
すなわち早く原発や放射能被害から楽になりたいという切実な願いだ。

ここで彼らが病識を持っていたら精神科に行き、それで解決する。だが、残念ながら妄想の統一化と交流により強固な妄想を抱いた彼らが病識を有することは稀で結果として悪質な再生エネルギービジネスに騙されることになる。

認知機能障害などで判断力が鈍っていることもこれらに騙されることを後押ししてしまう。また、あなたがもし実は統合失調症だとして、他人に「あなたは統合失調症だ。治療が必要だ」と言われてもすぐに納得できる方はいないだろう。

狂気は本人では気づかない。よって患者たちは自らの苦痛を削減する手段を精神治療以外の何らかに求めることになる。ここに再生エネルギービジネスは浸けこんでくるわけである。


ネットを通した統合失調症患者同士の交流は、残念ながら放射能被害妄想の強化にしかなっていないのが現状だ。

類は友を呼ぶ、ではないが同じ放射能被害妄想の者同士で集まり、外部からの声を排除してしまっては妄想が強固にならざるをえないのだ。また、妄想の特徴として外部から妄想を否定すればするほど妄想は強固に、複雑になるという厄介な性質がある。

掲示板などで善意で統合失調症患者に「それは妄想だ」と訴える方がいるが、実はそれは逆効果なのである。一番良い方法は とにかく精神科に連れて行く以外にないのだ。



http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/770.html#c2

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
179. 中川隆[-12547] koaQ7Jey 2018年5月24日 14:58:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

江戸時代の武家・町人文化


西欧の画家に衝撃を与えた浮世絵


 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。
http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html

ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」
http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html


33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。
http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。
http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html


春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html

日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著

『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)
https://www.amazon.co.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%A5%B3%E3%81%AE%E8%89%B2%E3%81%A8%E6%81%8B%E2%80%95%E8%8B%A5%E8%A1%86%E5%A5%BD%E3%81%BF-%E5%AD%A6%E7%A0%94%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%84%AA%E5%AD%90/dp/4054018440


などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


乱交制だった戦前の日本では何をすると不義密通とされたのか?


◆◇◆◇◆おかみさん文化◆◇◆◇◆◇

江戸期、日本の町屋社会(商家社会)には「おかみさん文化」と言うものが在った。

江戸期に入る前は、商工氏族は武士兼業だった。

日本列島に渡来した氏族は、夫々の得意分野で農業、工業(鋳造業)、商業、神主(宮司)、僧侶などを兼業していた。

代表的な例は平安末期の武門貴族・平清盛(たいらのきよもり)の宗貿易で、つまり清盛は大貿易商人でもあり、ついでに彼は僧侶にも成った。

その流れで渡来氏族の一部が武士に成ると、江戸期に商人が純粋に業種として独り立ちする前は、商人の大半は武士と兼業か武士が副業で商いをやっていた。

天皇の京都御所を守る「北面の武士」を出自とする松波峯丸(斉藤道三/さいとうどうさん)が山崎屋庄五郎として油屋を営んで居たのは有名な話である。

そして、もう少し時代が下がる室町時代〜戦国時代には武士兼業の豪商が力を持ち、財力を使って大名と協力関係を結んだり、一部の豪商は茶人として名声をはくす者も出た。


「おかみさん文化」は、武士兼業の商工氏族が多かった上方(関西地区)で始まったものだが、「商家特有の文化」として江戸期には日本全国に広まった。

昔の商家には一生を独身で済ませ、お店(たな)大事を貫く番頭の存在が落語や講談、読み本などで紹介されているがあれには裏がある。

実はその番頭は、おかみさんの肉体で満足していた。 けして不義密通ではない。
それが商家に嫁いだおかみさんの現実的な役目だった。


大店(おおだな)を内側から守るのがおかみさんの役目で、それには信用できる使用人の育成は欠かせない。

肉体的繋がりほど強いものは無いので、丁稚(でっち)はともかく、目端が利きそうな手代(てだい)辺りから、おかみさんが性欲の面倒を見て手懐ける習慣が、町屋社会(商家社会)では公然の秘密だった。

この関係、小使いは少なくても我慢させて忠誠を尽くすだけでなく、悪い遊びを覚えてお店(たな)の金に手を付けたり悪い病気を拾って来るのを防ぐ役割もあって、当然お店(たな)の旦那公認の「面倒見の行為」だった。

旦那公認で、使用人の性欲の面倒見の行為が、平然と行われていた。


すると不義密通話は何なのか?

あれは、情が通って駆け落ちなどをする場合いで、唯の性欲の面倒を見て使用人を手懐けるのとは訳が違うのである。
正に肉体的繋がりの信頼関係を、昔の町屋社会(商家社会)のおかみさんが勤めていた事になる。

「情が通わない肉体のみの性行為と言う点では昔の方が現実的な考え方で、今の上辺だけの考え方を「さも真実だ」とする主張の方が空虚なのである。

勿論、使用人に所帯を持たせて「のれんわけ}をする事も有るが、考えて見れば商売敵の同業者を増やす事になるのだから、理想はお店(たな)に縛り付けるに越した事は無いのである。

それにしても、大店(おおだな)の「おかみさん」も、「それを覚悟の嫁入り」と言う事になる。
当たり前ながら当時はそれが常識で、今の物差しで見るから読み間違う。何しろ、大店(おおだな)の旦那には妾の二〜三人は居て、その妾にもおかみさんの方が「旦那が世話になる」と盆暮れに付け届けの挨拶をする文化だった。

自分も手代(てだい)や番頭の性欲の面倒を見てから、それで互いのバランスを取って居た訳である。
つまり、繁盛している商家程使用人の数が多く、おかみさんの身体は、信用が置ける使用人の育成に忙しかった事になる。

そんなので旦那とおかみさんは、「上手く行っていたのか?」と言うのは当時の事情を知らず、現代の倫理観に当て嵌めようとするからである。

その辺はお店(たな)の旦那は商いの為と割り切っていたし、おかみさんもそう言うものだと割り切っていた。

商家の奥座敷は奥が深かったらしいが、それにしてもそう言う事であれば、内々において公然の秘密でなければ、おかみさんもとてもそんな事は秘密に出来ないであろうから皆それと承知していた事になる。

情が通わない性的な奉仕は、「単なる手段」と割り切った所が、現在の世の中の常識より余程現実的な事は私にも理解できる。

つまりは、わが国成立初期の昔から存在した「お家大事主義」の、肉体を使うお役目、閨閥構成社会(誓約・うけい)の正当性を、完全に認めるような話である。

この「おかみさん文化」の習慣は実に良く出来ている。

元々上方(当時の皇居所在地である京都近在の関西地区)で発生した商家の形態は、武家の感性を踏襲して「お店(たな)大事」が何よりも優先していた。
氏姓制度の名残を残す豪商の発想が、手本だったのである。

商売は商(あきない)と言うくらい永く続くのが信条で、後継ぎは絶やせない。
都合の良い事に、「使用人の性欲の面倒を見る」と言う、このおかみさん文化の習慣は、旦那が「種無し(子種が無く)」でも使用人が密かにカバーする。

嫁が「生まず女」なら妾がカバーする。

言わば商家存続の安全弁の役割も担っていて、「実は若旦那の実父は独身の大番頭だった。」などと言う人情話に、当時を伝えているのである。

まぁこの「若旦那の実父は独身の大番頭」を現代風の解釈で個人的な「おかみさんと番頭や手代の色恋沙汰」と解釈するか、その時代の「町屋商家の習俗」と捉えるかで随分当時のおかみさん文化の理解が違うものになる。

この物語ではもう毎度の事に成ってしまったが、この「おかみさん文化」を現代の倫理観や価値観の意識そのままに当て嵌(は)めては、到底信じられない事かも知れない。

現代風に考えれば、それこそ性に対する倫理観も女性個人の尊厳もあった物ではない。
良識派を自認する学者達には「無かった事にしたい過去」だろう。

しかしこの時代は、武家も豪商も、通常「お家の繁栄」が全てに優先する価値観であり、一般的に男も女もその「お家の為」にする犠牲行為は、不謹慎なものではなく「美徳」だった。

人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)がある。
つまり、現代の物差しとは違う価値観が昔存在した理由は、当時の女性は「お家大事を基本にした考え方が正しい」と考えていた意識の違いである。

従って、現在の意識を基にした「一貫性行動理論」の物差しを現代に当て嵌めて、「そんな事は有り得ない」と過去を判断するのは危険な判断方法である。


江戸期に於ける「おかみさん」のついでに、「商家の娘さん」についても少し書く。

「商家の娘さん」についても、修験道師絡みの、江戸期独特の風俗習慣が存在する。江戸時代から明治中期まで町屋(商家)を中心に流行した「狐つき祓い」が、まさしくこれである。

この時代、まだまだお店(たな)の娘としては自由恋愛とは行かず、親の都合の縁談が当たり前で、お店(たな)の示(しめ)しとしても、親に逆らってもらっては困るのだ。

この辺りの厳しさが商家の習慣にあるから、心中事件などと言う手段もあった訳である。

実はこの「狐つき」、商家の娘が、都合の悪い恋愛や恋わずらいをした時に、便宜上付ける厄病で、修験者を呼んで「狐(恋愛感情)」を落としてもらう為の方便だった。

修験者の「お祓い」と称するものの実体が集中的輪姦で、娘を犯し倒す性感の波状攻撃により、娘の人生観さえも変えてしまう。

簡単に言えば、既成事実を作って諦めさせるのが目的だが、修験者の「お祓い」ならば神事で、世間も納得する。

つまり、娘から「狐着き」が落ちて、親の薦める縁談がまとまり、経験を積んで性的に成熟しているから、嫁に行っても、婿を貰っても相手を飽きさせない。

これは、「性交による矯正」と言う事であり、昔からそう言う手段はあった訳である。

御祈祷の奇跡についてはこんな事例がある。

若い夫婦に中々子宝が授からなかった。

現代のように夫に子種が無いなどと言う科学的な思考の無い時代は、子宝が授からないのは何かの「呪い・因縁の類では無いか」と恐れを抱く。

それで評判高い陰陽修験の修行を修めた行者様に若妻を預け、加持祈祷をして頂く。

神前祭祀(しんぜんさいし)に於ける邪気払いの大麻(おおぬさ)は、修験道の「祈願・焚(た)き行」でも使われていた。

大麻草(マリファナ)は、真言密教の遠祖・チベット仏教(ラマ教)の地であるヒマラヤ高地一帯で自然に自生していた薬草である。

当然ながら密教・修験道師(山伏)は、大麻草(マリファナ)を焼(く)べればその煙を吸引した人が陶酔作用を引き起こす事をしばしば信者獲得に利用した。

大麻草(マリファナ)で陶酔すれば幻覚も見、それを素直で真面目な人物ほど「信仰の奇跡」と捉えるのは自明の理である。

つまり密室での「焚(た)き行」の陶酔の中で、願主と修験道師(山伏)が如何なる加持祈祷儀式を為して居たかは当事者しか知らない。

加持祈祷を済ませた若妻は家に帰り、そのご利益が薄くなる前に早速夫と同衾する。
陰陽修験の行者の祈祷は霊験あらたかで、「アァら不思議」と若妻に子宝が授かってメデタしメデタしとなる。

ただしこの御祈祷は秘伝中の秘伝であり、御祈祷中の行者様の気を乱してはいけないので、どんな御祈祷が為されるのかは行者様と若妻以外誰も知らない。

後はこれを読む方の御想像に任せるが、とにかく奇跡は起こるのである。

そんな馬鹿な事はない。

「真面目に祈祷をしている行者も居る筈だ。」

とお叱りを受けるかも知れないが、あなたは祈祷のご利益が本当に信じられるのか?

この現代科学で考えれば、突然子宝が授かるには合理的な理由がある筈である。

こう言う裏話をすると、直ぐに理想論者の反論が湧き起こるが、現実に密教的修験の「お祓い」の常套手段が立ち入り禁止の非公開(呪術が効かなくなると言う理由)であり、酷い話になると、「覗けば目が潰れる」などの予防線が張られていたりする。

現実に、十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の側室・お美代の方(専行院)の父親、日啓が引き起こした大奥女中の醜聞、智泉院事件においては、「お祓い・祈祷」が名目だった。

そう言う部分は、現代の建前感覚より当時の現実感覚の方が、返って正直なのかも知れない。


これは余談に近いが、江戸期に入って盛んになった雛(ひな)祭り、子供は夢を託して無邪気な喜びの日である。

しかし、良く考えて見ると段飾り雛は、世界でも珍しい「身分制度を表したもの」で、上に上るほど高位の雛の居場所である。

これを平等の現代社会では「おかしい存在」とは誰も思わない所を見ると、およそ氏姓制度が「日本人の中に染み付いている」と言う事だろう。

一応「祭り」と言うからには信仰行事で、子供の健やかな成長を祈りながら、ついでに身分制度も学習させる寸法だったのではないか?

まぁ、目くじらを立てる程のものではないが、逆説的に言うと、存在するものは深く考えないで容認するのが日本人気質かも知れない。


誓約(うけい)の国・日本では、明治維新の文明開化まで日本人は性行為を「猥褻(わいせつ)」とする考え方は薄かった。

日本人は、人間としての性規範に対してはナチュラル(自然体)な考え方を持っていた。

性行為を「猥褻(わいせつ)」と強く感じる様に成ったのは、明治維新政府の急速な欧米化政策に伴う学校教育方針で、欧米キリスト教性規範を植え付けられたからである。

いずれにしても我輩は、「美しい国・日本」の答えが「地球を救う共生主義と言うイデオロギーに変換する事に在る」と考えている。


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◆◇◆◇◆お召し上げ・お下げ渡し◆◇◆◇◆◇

こうして書くと庶民だけが性に開放的だったように受け取られかねないが、勿論の事、この事ばかりは氏族も庶民もさして違いはない。

この辺りが、見事に「武士道の精神」の建前の形骸化が証明されるのだが、氏族(武士)社会にはそれなりの別のいささか残酷で都合の良い制度が確立していた。

血筋がものを言う氏族(武士)社会では、血筋を残す事が最優先の了解事項だから言い分として妾は正当な存在で、正婦人は言うに及ばず妾に到るまで勢力維持・拡大の具として「閨閥(けいばつ)」の対象に成る。

領主同士の婚姻関係は軍事同盟を意味し、出世を望む部下は我娘を領主の妾に送り込み、領主は見込みのある部下に妹や娘を下し置いて頼りとする。

氏族(武士)社会の主従関係には特殊な家臣(部下)を試す制度が存在し、家臣(部下)に娘が居るなら「召し上げ」て妾にし、忠誠心を試す。

意味合いとしては「稚児小姓文化」と同じで、誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は大事な者の身を任す事である。

独身男性の場合は「お下げ渡し」と称してお上(殿)の手の付いたその女性を娶る事を求められ、その家臣(部下)の忠誠心が試される。

試すべき家臣(部下)が結婚していて妻がいるなら、「お召し上げ」と称してその妻を差し出させ、暫らく寝屋を伴にしてから「宿下がり」と称して夫に返し、夫が自分のお手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。

敵対危惧関係や敵対関係と目される相手との場合はまた別で、「人質」と言う事になる。

これらは全て古代に在った誓約(うけい)の進化系で、 家臣(部下)の忠誠度や敵対及び危惧関係相手との信頼関係を試す手っ取り早く具体的な手段だった。

「お召し上げ」の例は枚挙に暇が無いだろうが、代表的な「お下げ渡し」の例は、斉藤道三の妻・小見の方(織田信長の妻・帰蝶(濃姫)の母)である。

斉藤道三がまだ西村勘九朗を名乗っていた頃、主君・土岐頼芸から美濃一番の美女と謳われた側室・小見の方を弓の手慰めの賭けで勝拝領している。

もうひとつお下げ渡しの代表格にあげられるのは、あくまでも俗説だが、第五代将軍・徳川綱吉と大老格側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と吉保側室・染子の関係である。

側室の染子は、かつて綱吉の愛妾であり綱吉から吉保にお下げ渡しされた「拝領妻である」とも、懐妊した側室・染子を護る為に、柳沢吉保が「母子の身柄を預かった」とも言われている。

事の真相は定かではないが、柳沢家が異例の松平の姓を綱吉から許され、柳沢家を「連枝(将軍家血筋)の待遇」とした為に、柳沢家の家督を譲った長男の柳沢吉里(やなぎさわよしさと)は「綱吉の隠し子である」とも言われ、染子が吉保の側室になってからも息子・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)の顔を見に柳沢私邸を訪れる将軍・綱吉は、側室・染子を「綱吉の寝所に召される事が多かった」とされている。

綱吉の柳沢保明(やなぎさわやすあき)の寵愛振りから、綱吉と吉保(よしやす)が男色(衆道)関係であれば、一人の女性(にょしょう)を共有しても然したる抵抗は無いかも知れない。

そして戦乱期、こう言う女性の閨閥(けいばつ)的価値観の扱われ方や近習(稚児小姓)は、何の疑いもなく信じられた氏族(武士)の男女として、家名のお役に立つ為の当然の役目だったのである。


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◆◇◆◇◆閨房術(けいぼうじゅつ性行為の技)◆◇◆◇◆◇

日本民族には、欧米のキリスト教文化と違い昔から「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」と言う姫方・女房方が積極的に殿方を喜ばせる性技があった。

殿方を喜ばせる性技「閨房術(けいぼうじゅつ)」は、姫方・女房方にとって大事な積極的に習得すべき心得だったほど、性に対しておおらかで積極的な考え方を日本民族は持っていた。

と言うのも、実は殿方が姫方・女房方の性技に喜ばされて操られる事は珍しくない為、「閨房術(けいぼうじゅつ)」に平和な武器としての価値が認められていた。

当然ながら勢力を競う氏族(貴族や武士)の子女は、誓約(うけい)の概念の元に所謂(いわゆる)「閨閥(けいばつ/婚姻による家同士の連携)」創りの役割を果たす為に世に生まれて来た様なものだった。

日本古来の「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」の発祥は不明だが、考えられる推測としては他の武術同様にその発祥を諜報活動を担っていた陰陽修験に見られる可能性が強い。

以後、修験組織が関わって成立した「白拍子(しらびょうし)遊技制度」の「床技」などで発展、戦国時代の武家の間で戦略的に子女を持って利用されて「術」として確立された。

この「閨房術(けいぼうじゅつ)」、「術」と言う範疇(はんちゅう)に入るからには、修練を積んでその「術」を自在に操れる様になる事が要求される。
つまり大げさに言えば、「閨房術(けいぼうじゅつ)」と言う性技が、氏族の女性に課せられたひとつの習得すべき積極的な技(わざ)だった。

殿方が武勇を競って領地を広げるなら、女性(にょしよう)の戦場(いくさば)は寝所(寝屋)だった。

寝所(寝屋)での事に、正妻と妾妻の分け隔ては無く「如何に殿方を喜ばせるか」の性技勝負の場に成る。

大胆かつ濃厚な性技で殿方を極楽浄土に導き、子種を授かるのが女性(によしょう)の勤めで「手柄」である。

時代により女性の性に対する価値観も違って当り前で、血統を唯一の特権の証明として受け継いできた氏族の女性にとって、この理屈に疑いなどある訳がない。

まず、当時の社会では性技は花嫁の必須条件で、十五歳と言えば嫁入りの時に性技の心得は充分に教わる。

何人もの妾妻を持つ事が普通の世界だったから、「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせ、殿方に気に入られる事から寝所(寝屋)での戦は始まる。

どちらかと言うと正妻は政略結婚で、妾妻は殿方に気に入られての事であるから、実は正妻ほど「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせないと、この勝負は気に入られている妾妻に負けてしまうから切実なのである。

そして当時の氏族社会は極端な「血統主義社会」であるから、殿方の種を受け入れ世継ぎを懐妊・出産する事が女性(にょしよう)の勝利だった。

現在の解釈など通用しないのが、歴史である。

氏族の娘にとって「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」は勝つか負けるかで、殿方の武芸武術に相当する手段だった。

当時の氏族社会は「妾妻」を持つのが当たり前で、実質一夫多妻だったから閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)は現在のように「愛を確かめるもの」と言う拠りも殿方を愉しませ「愛を獲得する為のもの」だった。

原点がその通りだから女性はむしろ性交には積極的で、凡そ人間に考えられる閨房行為に女性には禁じ手など無く、口淫性交や陰間(肛門)を使う事など技の内である。

例えば氏族(武士や貴族)の間では男色習(衆道(しゅうどう/男色)が当たり前で、ほとんどが両刀使いだったから、女性相手でも陰間(肛門)も使っての行為は現在よりも一般的で、武家の娘はその位の事は心得ていた。

恋愛は精神的もので、当時の肉体的接触は、かならずしも恋愛とは一致しない手段である事が常識で、その事を現代の女性に「昔の女性の扱いは悪かった」と同情される謂われも無い。

現代では、女性の肉体を目的達成の手段にするなど、理解され難い事だろう。
しかし親子兄弟でも領主の座を争い、たとえ叔父甥の間柄でも、隙あらば領土拡張の的にする氏族の価値観である。

「殺し合いをしても領土を手に入れる」と言う究極の価値観に生きる者達には、女性の肉体は「領土拡張の道具」と考えられても不思議な事ではない。
つまり、殺し合いも女性の色香も目的達成の手段で、当時は異常な考え方ではなかったのである。

そこの価値観の違いを分けて懸からない事には当時の女性の心情は理解出来ないし、奇妙な現代風の恋愛時代劇が成立してしまう。

しかし良い加減なもので、恋愛時代劇が成立してその物語を楽しみ、女性の敵かのごとくに拘(こだわ)る筈の妾妻と主人公の殿方との恋愛を美しく描いて楽しむ矛盾もロマンチックに受け入れてしまう。

「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」も含めて男女の仲は添ってから育むもので、精神愛まで達した仲が本当のゴールである。

本来一致させるのが難しい精神愛と性愛を、現代女性の願望を満足させる為に金儲けでロマンチックに歴史が歪められるのはいかがなものか?
http://www.geocities.jp/jiyoudan3_55/yobai.html


今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html

現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html

春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html

江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html

江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html

江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html


門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html


江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html


キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html


上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html

Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html


江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html


春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。
http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


浮世絵 春画 枕絵 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5+%E6%98%A5%E7%94%BB+%E6%9E%95%E7%B5%B5


Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro
http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c179

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
180. 中川隆[-12546] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:05:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

縄文時代から昭和まで残っていた日本の僻地の文化


秘祭

540 :本当にあった怖い名無し :2012/06/18(月) 18:24:33.55 ID:bdzkjPNW0

私が育った集落は、小さな田舎町だけどそれなりの歴史があって、古くから続いている数年に一度のお祭りがある。仏教や神道とは違う感じだから、おそらく民間信仰の一種なのかな。

別に、特別オカルトな事がある訳でもなく、神聖な場所と言われる所に、お婆さんがお供え物と依代の木を持って行って、毎年選ばれる”神様の子”の役目の子供達が数人で歌を歌うだけなんだ。


ただ、その儀式の行われる日は、その場所に集落以外の人間は入っちゃいけないと言われてて、それは、祀られている神様が依代に移る時に落ち着かないからだと教わってきた。

実際、夏休みや年末の帰省時期とは全然ずれてるから、なんの観光もない田舎に部外者が来る事はないんだけど、どこからか、こういう民間の秘祭(?)に興味を持ってやってくる人がいるんだよね。

それで、わざわざその祭りの日に、東京から来たっていうオッサンがビデオカメラを持って入ろうとしてきて、大人達が止めに行ったんだけど、大声でわめき散らして大騒ぎになった。


「なんで見せられないんだー!ヤバイ事でもやってるんだろー!!」


とか大声で叫んでケンカみたいになってて、最終的には駐在さんに連れて行かれた。パトカーに乗せられる時に、その男が血管が浮き上がるくらい真っ赤な顔して


「ここで巫女を村中の男がレイプしてるって本当だったんだな!
だから見せられないんだろ!!」


って叫んでた光景がものすごく異様で怖かった。

祭りがゴタゴタになった事とは関係ないと思うけど、その年に集落に繋がる場所の道路工事で崖崩れが起きて亡くなった方が出たり、高校生が1人、心筋梗塞で亡くなったりしたので、もっぱら「あの騒ぎのせい」っていう噂も多くて、ますます私の中で東京=怖いイメージが固まってしまった^^;

実際、上京してみたら親切でまともな人が多くて、なーんだ普通だと思ったけど、上京するまでは怖くて仕方がなかったな・・・f^^;

http://gnosis.blog64.fc2blog.net/blog-entry-7617.htmlhttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1338006880/l50


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新城島(パナリ)
http://www.youtube.com/watch?v=-0p9BHXUbmA
http://www.youtube.com/watch?v=lVAmBAq_Wz4
http://www.youtube.com/watch?v=1Ehez1XIhIg
http://www.youtube.com/watch?v=aL5Fj-Iv63o
http://www.youtube.com/watch?v=Nt_0KxEgZBM


新城島 豊年祭
http://www.youtube.com/watch?v=B9eVG7kOPP4


秘祭 (新潮文庫) 石原慎太郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E7%A5%AD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%8E%9F-%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101119082


人口わずか十七人の南西諸島の孤島をリゾート化しようと、観光会社の青年、敏夫が島に赴任する。前任者が事故死した為だ。

島の和やかな雰囲気や、島唯一のいい女、タカ子に魅了され島に惚れ込む。タカ子も敏夫が気にいったようで、二人は即、獣のように愛を交わすようになる。社命で赴任したとはいえ、仕事らしい仕事はせず、タカ子とセックスばかりしている敏夫だが、島で生活していく内に、段々と島のタブーが見えてきた。

まずおかしいのは、檻に入れられている男、ミノルの存在。
言葉は発っせず、原始人のような風貌で獣のようにウーウー吠えているだけ。島の人は

「ミノルは頭が弱くて乱暴することがあるのでね」

とあっさり言うが、明らかに異常な光景だ。

さらにある晩、漁に出た敏夫が見たのはタカ子が他の男と交わっている姿。
タカ子に問い質すと、「嫌なら私を島から出して」と懇願する。
どうやらタカ子は島の男全員と寝ているらしい。このことから、段々とこの島の異常性が露わになっていく。

乱婚、近親相姦、暴力、拷問、殺人…。

近親による性交の歴史により、この島は狂人パラダイスと化していたのだった!
前述した、檻の中の男は島の秘密を漏らさないよう、舌を切られていたのだ。

敏夫の前任者もこの秘密を知って殺されたらしい。そして、知りすぎてしまった敏夫は、タカ子を連れて島を出るため島の老人たちに、「訴えることもできるんだぜ」と脅す。老人たちは

「わしらが島を出ます。だからあんたもこのことは黙っておいてくれんかね」

と、屈伏したように見せかけるが、結局、敏夫は別れの酒と称した杯に毒を盛られて眠らされ、ボコボコに拷問された揚句殺されてしまう。

時は流れ、何も知らない敏夫の後任の青年がまた島に赴任して来た。木の下に不自然に土が盛り上がった土饅頭が二つある。「あれは何ですか」と、島の人に聞いてみると、

「ああ、あれは昔から人魚の墓と言われておってな…」

…それが敏夫とその前の前任者の墓であり、

いずれ自分もそこに葬られることになるとは思いもしないであろう…。
http://hojomatsugoro.blog41.fc2.com/blog-entry-982.html


123 : 天之御名無主 : 05/01/18 16:20:48

石原慎太郎の「秘祭」は、アラグスクの豊年祭ですよね。
アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/


2013-02-14
ある学術雑誌の紹介本に「乱交」の研究書があって、その中に石原慎太郎著「秘祭」の名前があったので興味を持ち、そちらを読み始めた。

研究所にあるように石垣島の先、八重山諸島のある島には、祭りの時に何代にもわたり、近親相姦もある乱交の習慣があり、それはある意味必要不可欠のものだと言う学説であった。

「秘祭」は昭和59年新潮社刊行

石原の内容は、その島には17人しか住んで無く、その島を買収し観光地として売り出すために、東京から派遣された社員が事故死したため、次の社員が派遣されると言う処から始まる。

どのように親しくしても、その島の人間になると言う事は全く受け入れず、全てを知った事で殺害されてしまうのだった。それを口外した事で舌を切られ、動物のように鎖に繋がれてしまった島の人間も居る。

石原は八重山に想を得たが、島と人物には係りないとしている。

研究書では、その秘祭は事実に書かれている。

安易に言ってはならないが、八重山に限らず、日本の祭り(盆踊り等含め)の原点はそのようなものかと思われる。
http://higashinum.exblog.jp/19994498/


▲△▽▼


奇祭アカマタ・クロマタ 美女が洞の中で男衆と妖しい儀式

 アカマタ・クロマタは、八重山列島の新城島、西表島の古見集落、小浜島、石垣島の宮良集落で行われている。場所ごとに開催日はずれているが、それぞれの期間は3日間。開催日時は島民と関係者以外には知らされない。

 アカマタ・クロマタに関する文献や写真は極端に少ない。中でも新城島に関しては、さらに厳しいかん口令が敷かれて、外部にはまず漏れない。

 漏れ伝わる話によると、新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われるという。
「ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという」

 あくまで噂の域を出ないが、島の人たちが観光客などの行動を異常に警戒しているのは秘議にまつわるタブーを暴かれることを恐れているのかもしれない。
   2011.8.5 東京スポーツより
http://sky.ap.teacup.com/f45362/1674.html


その祭りは通称「種子取り祭」と呼ばれ、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭らしい。運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事があるとか。

表向きは豊年祭と呼ばれる神を讃える祭りだが、裏では「種子取り祭り」と呼ばれてるらしい。毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女がこの祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うんだとか。

もし島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しの目に遭い五体満足の体では本島には帰って来れないんだそうな。


・高校生くらいの男女が選ばれてセクロスするんだ。それも初めてで

・お前達に警告しておく これ以上この島に関わるな
http://sexynews24.blog50.fc2.com/blog-entry-6597.html


日本の祭りでは乱交するのが普通だったので、新城島だけそこまで秘密にする理由は無いのですね。 それにこれでは人魚神社に葬っている遺体との繋がりも無いですね。

昔、実際に行われていた儀式に近いのはこれでしょうか:


612 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 02:16:21 ID:hyL3kHcH0

今テレビのニュースでやってる島根の殺人事件ってさ、山口と島根の県境にあるN倉集落の秘祭に似すぎてないか?

あの祭って、今は稲藁で作った娘神を解体してるみたいだけど、100年前までは、「ヨツタ」って呼ばれてた10〜20代の女でやってたって話だよな?

ヨツタは風紀紊乱を起こした女が選ばれ、左乳房に「キ」の刺青を彫られた後、祭で体をバラバラにされる。

それはヨツタの汚れた魂と汚れた肉体を部分に分解し、山の神のもとに返し、再生を待つ魂にして村を守ってもらうっていうそういう伝説のもとにやられたはず。


667 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/12(水) 21:09:08 ID:7fUxuA0K
>>612
あそこの集落の人らって基本的に獣肉食べなかったんだよねー

あれだけ山深い所で、食料になる動物も多いのに解体を嫌うらしい

なのにキ(忌)の入れ墨の女に対してだとちょっと異常なくらいにそういう抵抗感なくなる不思議


6 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 01:39:26 ID:V9n20/EE0 [1/1回(PC)]

あれはネットで作り上げられた都市伝説
http://darknarice.jugem.jp/?eid=1264


#59 2013/05/01 10:32
此の島では少女は13歳になると、貝殻で出来たブラと腰ミノを着け、大人の仲間入りをします。


#62 2013/05/01 13:52
少女は13歳になると体中に蜜を塗られ、野外に放り出されます。
虫が体中に集りますが、それに耐えることがまず大人への第一歩となります。


#63 2013/05/01 14:05
>>62
蜜は自生しているハイビスカスから作るのですねw


#64 2013/05/01 14:43
>>62
虫が集まる前に男共が舐めまくるので、心配無用です。


#65 2013/05/01 18:46
虫に耐えた少女たちは、自分の身長ほどの穴を掘ってその中に入り、首から上だけを外に出して土に埋まります。
食事は与えられますが、彼女たちは5日間穴に埋まって過ごします。


#68 2013/05/08 18:45
>>65
そして別の穴に飢えた腐れナイチャーが表れ墓穴を掘ってしまい、食事は与えられますが、鉄格子と言う名の穴に閉じ込められて過ごしてしまうのです。


#81 2013/05/14 00:08
>>65
穴の中で5日間過ごした少女たちは、ザーシンカと呼ばれる霊的な力を帯びた男性の左臀部に口付けをすることでこの修行が終了となり、一人前の女性とみなされます。
http://bakusai.com/thr_res/acode=11/ctgid=104/bid=6/tid=2262413/


奇形児を食べていた日本の集落… おぞましい奇習とは?=山陰地方


 先日、大手メディアがアフリカ・タンザニアで古くから行われているという、アルビノ狩りについて報じていた。だが、実はこうしたある種の遺伝子異常や、奇形にまつわる儀式・奇習というのは海の向こうの出来事ではなく、我が国にも存在していた時期がある。


「そりゃあもうね、当時は大層珍重したものですよ。なにせ、見た目がああいう感じでしょう? それこそどんな奇形でも、有難がったものですよ」


 我々の取材に対してそう語りはじめたのは、かつて山陰地方のある海沿いの集落で暮らしていたという山鹿義美さん(仮名・78)。

山鹿さんの話によると、今を遡ること約70年前までは、当地に奇形を珍重する何とも不可思議な習慣が存在していたという。


「奇形がね、村に生まれると、まず、殺すんです。そう、赤ん坊のうちにね。

要はそれをね、みんなで食べるんですよ。薬になるもんだから。

知恵遅れも、手足の奇形も、真っ白なのも全部そう。
そういう子がね、生まれると、村は大騒ぎでしたよ」


 たしかに、古今東西、その見た目が奇異な印象を与える遺伝子異常や奇形の類というのは、珍重されてきた歴史がある。とりわけ、動植物については、その物珍しさから、不老長寿の秘薬とされたり、どんな病にも効く特効薬として認識されるなどしてきた。

効能は不確かであるものの、それを自らの体内に取り入れることで、何らかの効果を期待するという向きがあったのは事実だ。しかし、それがこと人間を対象としたものであるとなると、途端にオカルト的な臭いを放ち始める。


「生まれて奇形だってわかると、すぐにムシロをかけましてね、その上から石臼を乗せてね、大人が体重をかけて殺すんです。

それで死んでしまったら、そのままむしろごと藁縄で縛りましてね、井戸の中に吊るす。

でも、水には漬けちゃいけない。宙ぶらりんで吊るすんです。

それで7日間ばかし吊るしたあとで、今度は天日に干すんです。

 そこから2週間くらいですかね、生渇きになったら、鉈や何かでバラして、家格ごとに切り分けていくっていう。

この作業はね、村はずれの川っぺりに住んでて、四つ足の屠殺なんかをやっていた人らがね、金をもらって村人の代わりにやっていましたよ」


 山鹿さんの話によると、アルビノはもとより、手足の本数が異なる奇形、さらには今で言うところのダウン症まで、この地域で生まれた者は、すべて秘密裏に殺害され、“秘薬”として村人たちに振舞われていたという。


「とにかくね、なんにでも効く薬だっていう話でしたよ。

嫁さんが産気づくと精がつくからって煎じて飲ませたりね。年寄りが具合悪くなったら重湯に混ぜて飲ますとか。

本当に効果があるのかはね、わからないけれども、当時はみんなそうしたものです」


 無論、当時に比べ、格段に医学や生物学に関する知識が豊富となった今では、こうした奇形嗜食はなんら科学的な根拠を持たぬ迷信の類に過ぎない、なんともおぞましい行為として考えられることだろう。しかし、ミイラ薬や胎盤食など、非科学的な類似行為が全世界に存在しているのもまた事実だ。その奇異な外見が抱かせる神秘的な特徴に魅せられる人々は、洋の東西を問わず、いつの時代も存在しているのである。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/04/post_9153_entry.html


138 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:07:45

沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭が、先週の木〜金にかけて行われたそうです。

この祭りは島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、
カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、
秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。

ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、
女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。


僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。


実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、 見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。

31 :本当にあった怖い名無し 2008/04/20(日) 18:33:30 ID:mWNN8fQx0

田舎の性に関する話は怖いときがあるね。

国内の某島に旅行に行ったとき、赤ちゃんを抱いた10代前半くらいの女の子をやたら見かけた。

歳の離れたきょうだいが多いんですね、とガイドの人に言ったら
風習で女の子は初潮が来たら即嫁入りさせてて、今でもそれが続いているんだとか。

若い事実婚夫婦が自立するまで集落で面倒みるんだって。
今は法的に問題あるから大きな声じゃ言えないんだけどね、と含み笑いされてちょっとゾッとした。

どこだろうこの島

39 :本当にあった怖い名無し 2008/04/24(木) 06:01:33 ID:wqfKSEIoO

スレ読んでて『ウィッカーマン』ていう名の映画を思い出しました。去年リメイク版でニコラス・ケイジが出たのをやっていたけど。
まさにこのスレの内容の様なお話で、島のタブーにゾッとする。

41 :本当にあった怖い名無し 2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO
>>31
聞いたことがありませんがとても興味深いですね…

昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。

そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。

島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://yakimashi.doorblog.jp/archives/6350112.html

沖縄県の池間島という島では、50歳以上の老人が死ぬとその肉を親族で食べたそうです。
しかもつい最近(一説によると50年前まで)肉を親族が食べ、骨だけにすることで、魂を肉体から解放する。

沖縄 食人の習慣? 2007-01-10


与那国の歴史 池間 栄三 より

池間 栄三 与那国の歴史 (1972年)
P38 
与那国の葬儀に獣肉料理を喰べる風習は、上代に死人の肉を食べていた風習の名残だといわれている


南島古代の葬儀(民族第二巻第五号) より

昔は死人があると親類縁者が集まってその肉を食った。

後世になってこの風習を改めて人肉の替わりに豚肉を食うようになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マシシウヤクワ)というのはこの風習から来ている。

何と石垣島では近年まで、親類に死人の出たことを老人に告げると


「アンスカ・ムム・ファリンサカメ」

↑それではまた皆で食べられるね


といわれたのだという。宮古島には今もなお


「葬儀に行こう」


という代わりに


「骨を齧りに行こう」


という言葉が残っているという。


*1959年の話である。大昔のことではない
http://ameblo.jp/horror/entry-10023187967.html

私の知っている限りでは、沖縄が 他の国の歴史に登場したのは西暦610年、隋の役人が探検に来て帰国後に報告したのが最初です。

「流求人は勇敢であり、戦いに負けると和を乞い、戦死した仲間は収容して生き残ったものでその肉を食べる。」

と言うような内容でした。

その事を、遣隋使が聞いて大和朝廷に報告したのが日本に伝わった最初の沖縄に関する情報です。

そんなわけで最初に朝廷に届いた内容は、「流求は食人国」であると言うようなものでした。

ここで言われている流求という国名が現在の沖縄を指すものか、それ以外の地域を指すものかにも諸説があり、確定的ではありません。どちらにしても誤解しないでほしいのは、

死んだ者を食べると、その人は食べた人の中で永遠に行きつづけると言う信仰は世界各地で見られ、古代中国、台湾でも有った習慣です。

ですから、単純に食人が野蛮な行為だったと言う事ではないので、念のために誤解の無き様。
http://www.okinawainfo.net/rekisi/yuusiizenn.htm


アイヌ民族と縄文文化、そして鬼退治 2010年04月18日


縄文からアイヌへ―感覚的叡知の系譜縄文からアイヌへ―感覚的叡知の系譜
著者:町田 宗鳳 せりか書房

まあこれですね。
縄文文化とそれを受け継いだと考えられるアイヌ文化の話が中々面白かったです。

贈り物を贈ることがアイヌ文化の根底にあるという話や、アイヌ民族は狩猟採集民族ではありますが、交易を広く行っており、それも生活を支える大切な要因の一つであったことなどのことについて知ることができました。

一番気になったのは、イオマンテから始まる食人文化への話。

イオマンテというものは、アイヌ民族のお祭りです。まあせいぜい

「熊を殺して神の世界(カムイモシリ)へ送り返す」

ということしか知らなかったんですが、この本によると、丸太で熊の首を挟んで殺した後、熊の体を解体し、その部位を食べるそうです。

しかし血を飲んだり、脳みそまで食べるとは知りませんでした。しかも生食。きっとまだ生暖かいんだよな……スプラッターですね。

おそらく食べることによって熊の力と一体になるという意味もあるのでしょうが、なかなか壮絶なお祭りです。

しかしながら、この本の筆者も書いている通り、そういう文化を野蛮だとか判断し下に見ることは間違っています。(ちなみにイオマンテは最近まで野蛮な行為だとして禁止されていた)

日本人のイルカ漁だって海外から見るときっとこういうふうに見えているのかもしれません。

現代人からみれば、凄惨なように感じても、その根底にはカムイから得た恵みを再びカムイの世界に返すというしっかりとした理由が存在するのです。

このイオマンテですが、この本ではこの祭りを縄文文化の名残なのではないかという観点から考えています。


その縄文文化を考える上で、例示として出てくるのが沖縄県の池間島という島につたわる食人文化の話です。

この島では、50歳以上の老人が死ぬとその肉を親族で食べたそうです。

しかもつい最近(一説によると50年前までという話もある。本当か?)肉を親族が食べ、骨だけにすることで、魂を肉体から解放する。

アマゾンのとある部族は死んだ仲間を食べるのですが、その理由が

「冷たい土に眠るよりは、暖かい仲間の中にいた方が良いだろう」

という理由だそうな。

同様の風習は沖縄県に多く点在しているそうで、よく考えると洗骨葬なども肉体から魂を解放するという考え方では共通しています。

かつて、貝塚から見つかった人骨にいくつかの人為的な傷がついていたために、モースは日本にはアイヌとは別の食人文化をもつ民族が住んでいたと考えたそうですが(プレ・アイヌ説というらしいです)、どうやら縄文人はこの風習のように食人を行っていたらしい。

普通生物は同族を食べたりはしません。まあ腹が減ったなら話は別ですが、種の反映のためには仲間を大切にする。

しかしチンパンジーが敵対するグループの子をさらって食べてしまうのは有名な話です。このように敵対するものを倒して食べるということは人間が猿の時代から行われていたようです。

食人文化を持つ部族の中にはこのように「憎しみによる食人」を行っているグループもありますが、沖縄の食人文化はそれとは違い言うなれば「愛情による食人」まあある意味人間らしいっていえば人間らしい。

この本では、アイヌ民族の伝承に

「かつてアイヌの先祖はお互いに食いあいをするなどしていたが、カムイが道具を与え食人を禁止した」

という伝説に注目し、南方からやってきた食人文化を持つ縄文人達の生き残りがアイヌではないのかと考えています。

そして、イオマンテと沖縄の食人文化は根底は同じではないのかとも推測しているのです。

おそらくイオマンテの祭りに近いものは縄文時代には多く行われていたのではないかと考えられます。しかし渡来人がやってきて弥生文化を作り、やがてヤマト政権によって大陸の文化が入ってくる。

すると今までの文化を続けていた人々は「野蛮」と言われ迫害の対象になります。しかし、ヤマト朝廷の勢力が届きにくかった辺境でその風習はほそぼそと残った。それが食人文化であり、イオマンテであると言うのです。

なるほど、と納得してしまいました。

ちなみにこの本を読んだ後、ネットで縄文文化について調べていたら、

「鬼=縄文人説」

というものを発見しました。鬼の顔は隆起が激しく、眉毛は太い。髪の毛は縮れていて体は毛深い。たしかにこうしてみると、縄文人の特徴を抑えていることに気がつきます。

ひょっとしたら鬼というものは朝廷に従わなかった縄文系の人々ではなかったのだろうか。

大陸系の支配者に追いやられ次第に北へ、山奥へと追いやられる。蝦夷と呼ばれた人々はおそらく縄文系だったと考えられます。

もし彼らがイオマンテに近い文化を持っていたらとしたら、おそらく獲物を殺し、皮をはぎ、血を回し飲みし、脳を生食する猛々しい祭りを持つ彼らは、鬼にしか見えなかったことでしょう。

そして鬼は人を食います。ひょっとしたら食人文化に近いものを持っていたのかもしれません。

少なくとも漂着した外人よりはありそうな話です。だいたい鬼って平安時代にはすでにあんな感じだったし。

古い風習をまもり続ける彼らは朝廷にとっては憎い敵でした。そのため自分たちとは違う「野蛮」な「怪物」としての鬼伝説が生まれたのではないかとも考えられます。昔話では鬼退治が語られますが、アレは実は民族紛争ではなかったのか。

頭の角も気になります。鬼が虎のパンツに牛の角なのは、鬼門の考え方から来ているそうですが、ひょっとしたら蝦夷の中にはシャーマンのような角をつける人々がいたのではないでしょうか。

北海道のフゴッペ洞窟の壁画には角をもつ異形の人々が描かれています。おそらくシャーマンではないかと考えられているそうですが、フゴッペ洞窟を描いた人々の風習が当時の日本に残っていたのかもしれません。(もっとも角をつける祭りを僕は知らないのでこの考えも随分怪しいものですけれども)

とまあこのように想像は膨らむのですが、こう言った説ってやっぱり食人というショッキングな内容からかあまり聞きません。

モースの食人説も、当時は反発を受けたそうですし(我々の祖先が食人なんてやっていたワケがない!ということもあるんでしょうけど)やはり現在ではタブーとされていることは受け入れがたいものがあるでしょう。

しかし、この本の冒頭で断られているように、「文化を野蛮とみなし拒絶する」ことは愚かなことであるといえるのです。(まあかといって僕はカニバリズムしようとは思わないけれどね!)

作者は冒頭でこうも断っています。

「アイヌの文化を考えるにあたって、近年見られるような自然と調和して生きるというようなステレオタイプな見方は捨てるべきだ」と。

あるところでは猛々しく、血生臭い風習があったとしてもそこを無視して話を進めることはできないのです。それも含めて文化なのですから。

彼らがもしかつて鬼と呼ばれた人々の末裔だとしても(こんなこと書くと怒られそうだけど、決して鬼が悪いわけじゃない)、その部分を拒絶するようじゃ、イルカ漁を責める外人と一緒になってしまいますよ。と考えてみたり。
http://blog.livedoor.jp/takaike_sora/archives/1457911.html


 
琉球の「食人」風聞の歴史的構造  弘末 雅士:天理大学国際文化学部


 東南アジア島嶼部の歴史を専門とする筆者は,北スマトラやニコバル・アンダマン諸島,ニアス島,ケダー,カリマンタン,モルッカ諸島など,交易上貴重な産品を産出したりあるいは東西交易路の要衝であった地に,しばしば古くから「食人」の風聞が存在したことに注目している。

「食人」風聞は,自文化と異文化とを分化する際の重要なメルクマールとなるばかりでなく,誰がその風聞を流布させたのかを考察することで,そこでの交易活動のあり方に,貴重なデータを提供してくれる。この意味で,琉球の「食人」風聞も興味深い事例を提示してくれているように思われる。


 琉球の「食人」風聞は,7世紀の『隋書流求伝』に登場して以降,13 世紀までしばしば中国側,日本側の文献に登場した。この「流求」が今日の沖縄かあるいは台湾であるかをめぐり論議されたことがあるが,日本側には9〜14 世紀始めにおいて南島に「人喰い」が居住するという一般的イメージが存在していた。

筆者は,「食人」が実際に慣行として存在したのかどうかには,直接的関心を払わない。
多くが風聞で実証が困難であるし,「人喰い」風聞が存在したという事実の方が,より重要であると考えるからである。そして14 世紀後半になり,琉球の王国が明朝に朝貢し始め,自らが海洋王国を自認し東南アジアや東アジアとを介在する役割を果たし始めると,「食人」風聞は消滅する。

 7〜13 世紀の間の沖縄は,日本や中国からは異域とみなされていたが,日本や中国との交渉がほとんどなかったことを意味するわけではない。むしろ日本と中国,あるいは東南アジアと東アジアとを介在する地としての役割が生じ始めた時期である。『日本書紀』『続日本紀』によれば,7・8世紀頃に琉球の一部を含む九州以南の島々の住民がヤマト国家に挨拶にやって来ている。また遣唐使もしばしば九州以南の島々に漂着した。12 世紀以降南宋の時代になると,東シナ海の海洋交易活動は一層活発となるとともに,中国人商人が南シナ海やインド洋にも赴くようになり,琉球に立ち寄った商人数は増加したことが容易に推測される。沖縄は11〜13 世紀には,グスク時代とよばれる水田耕作が普及し始め,交易も活発となり,権力者が出現する時代を迎えている。


 12〜13 世紀に東アジア海域世界において中継地として重要な役割を果たし始めていた琉球に対し,むしろ日本人は「人喰い」島のイメージをいだき続けていたといえる。沖縄は食糧を供給でき,また造船用建材となる木材を産し,金,銀,銅そして硫黄を豊富に産する日本と近接し,かつ東アジアと東南アジアとを介在しうる位置にあった。日宋間,日元間のあるいは東アジアと東南アジアとの間の貿易を支配的に司っていた中国人を主とする私貿易商人にとり,重要な中継地となりつつあった琉球は,日本人や他の外国人商人を介在させたくない地であった。「食人」風聞はこのコンテクストにおいて,重要な役割を果たす。

1243 年に五島から船出して宋をめざした船が,琉球国に漂着して,食人されるかもしれぬ恐怖を記した『漂到流球国記』や,商人が訪れないとされた黄金の島チパング諸島で食人が一般的に行われていることを記したマルコ・ポーロの『東方見聞録』を読むとき,こうしたイメージ作りがきわめて効果的になされていたことがわかる。

 「食人」風聞は,決して交易活動が無秩序で行えない状態を示したものではない。むしろ,現地人と一部の人々との独占的関係が形成されていることを示す場合が多い。琉球の「食人」風聞もこの点で,きわめて興味深い事例を提示してくれているように思われるのである。
http://www.okinawa.oiu.ac.jp/okinawa-cgi/cgi-bin/pdf/5122.pdf


▲△▽▼


古からの秘祭・土着信仰が残る島

1 :本当にあった怖い名無し:2008/04/08(火) 04:24:03 ID:keQmaNWf0

沖縄の八重山諸島の1つに新城島と言う島があります。その島には古くから人魚伝説があり、人魚神社や御獄(ウタキ)大御獄(オオウタキ)と言う場所には

「この道は『神の道』につき一般の人の通行を禁止する。」

と書かれた看板が数多くあります。

そして、謎の秘祭(豊年祭)には『アカマタ・クロマタ』と呼ばれる二体の奇妙な神が豊年を祈り踊ります。しかしこの祭りは撮影禁止で、以前、隠し撮りした人への暴行事件も起きました。

他にも、鹿児島の甑島には『クロ』と呼ばれる土俗信仰集団があり、人喰いや強力な呪術を使うなどの噂があります。


御獄
http://www.youtube.com/watch?v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=zkS_jmB0-NY
http://www.ajkj.jp/ajkj/okinawa/chinen/kanko/sefautaki/sefautaki.html
http://gurukun.jugem.jp/?eid=1339


10 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 12:37:02 ID:GBiBAvZIO

ガチで沖縄出身のボクですよ。大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。

ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですが、いつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です。

儀式には幻覚作用のある薬物を(ガンジャやある植物の根を絞り発酵させた酒など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うのが儀式のやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますが、それも現在日本の法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末のタブーなどが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

しかし、1番の原因は話題に上がっている島の多くは売春が島の収入源となっている様な事も多く、最近では、本土から借金を抱えて出稼ぎに来ている女性も少なくありません。そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。


後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが、「神の〜」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし、他にも・・・血が濃すぎるためのタブー

タブーを神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。


興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない振りして知らない振りしておくのが一番です。そうすれば島の住民は友達で居てくれます。純朴で優しい人達ですよ。


12 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 22:36:33 ID:dghEXJ+6O

>>10
さらに詳しい話を聞きたいけどやっぱり島の人にしかわからないことがあるでしょうしね

13 :10:2008/04/10(木) 01:50:14 ID:R9PnKYsJ0
>>12
そうですね、やはり話の核心に迫るのは難しかったです。僕は運良く地元の人間と言う事もあり、かなり深い所まで行けたと思いますが・・・。

インターネットがこれだけ普及した世の中になっても表沙汰にならない所を考えると
地元の人間にとってどれだけ重要な神事なのかは想像できます。今、改めて当時のレポートを読み返していますが、以前からどうも解せない所があって又沸々と探究心が湧いてしまっています。

>>1に記載されているクロに関しては結局何も分からず仕舞いですし・・・

確かにクロと呼ばれる集落は存在していたのですが、近隣の住人もクロの話になると固く口を閉ざし怪訝な顔をします。しかし伝承通りにクロの集落中に高い壁が立てられ異様な雰囲気を醸し出していたのは事実です。

アカマタクロマタの秘祭についても石原慎太郎の小説のイメージが強烈で歪んだイメージが強すぎるのだと思います。実際は荘厳で美しい祭りでした。島が抱える悲しい事情による悪いイメージも強いのだと思います。

41 :本当にあった怖い名無し:2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO

昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。

島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://unkar.org/r/occult/1207596243

不思議ナックルズにアカマタ、クロマタの秘密が載っていたよ!

その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でSEXさせられてアカマタ、クロマタが生まれるらしい

アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで
それで生まれた子供を人魚の肉として食ってるだって。

麻薬をやりながら、女を監禁して輪姦って・・・

メスのおサルさんみたいに発情してあそこがまっかっかな若い女がアカマタを、
男性と交わりすぎてあそこが真っ黒な10代から40代くらいの淫乱な女がクロマタを
演じる、というのが慣わしです!


何でここまで秘密にするかというと

女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食ってるのでばれるとまずいからです
http://unkar.org/r/tropical/1163308866


728:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。

多分そんな神秘の祭りなんだろう。

737:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、処女が選ばれる。だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。


アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。 そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきでよそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。 驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。
その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。

65:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく
これ以上この島に関わるな
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


627:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0

祭の内容見ると、やっぱ

献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな↓

海で監視をしている西泊さんと目が合う。そろそろ上がらないといけない時間だった。すると

「佐野さん?あなたのシンカはどこ?」

と尋ねられた。これは嬉しい島言葉だった。冒頭に書いた、この島で島民と旧島民だけで行われる秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。

そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。

「シンカ」、そうかここではきっと家族っていう意味なんだろう。瞬時にそう判断して「あそこにいます。呼んできますね」と返事をしていた。 海から上がり、シャワーを浴びて着替えたあとは、約束どおり人魚神社(アーリィウガン)を案内してくれるという。その時には他のツアーのお客さんも加わり、我々はまだ見たこのない人魚神社だけ見て、そこで別れ船を待つことになった。

人魚とはザンと呼ばれたジュゴンのことである。ジュゴンの肉は不老不死の霊薬とされ、琉球王府の王様に献上されるのだが、パナリは毎年、そのことが義務付けられ、必死に捕獲していたらしい。そして捕獲したジュゴンの頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社にはジュゴンの頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。

鬱蒼とした緑の奥にたたずむ鳥居は神秘的で、とても勝手に入れるような雰囲気はなかったが、西泊さんが、我々も含めたツアー客に

「この神社は、昔、王様に献上したジュゴンを祭った場所です。ジュゴンの肉というのは美味しいものだったそうです」

と語ったとたん、2人の女子高生風の化粧バッチリの女の子2人が間髪いれず「入っていーの?」と質問した。西泊さんが

「ここはダメです。私たち島の人間も勝手に入れません」

というと「どーして?」。このやり取りが続いて噴出しそうだった。なんだか屈託がなくて微笑ましい。

鬱蒼とした緑に覆われた立入禁止のアーリィウガン

我々はそこで案内から外れ、珊瑚の塀で覆われた美しい村の集落を抜け、港で船を待つ。目の前には大きな西表島、遠くには高い山をいだいた石垣島、その中間になだらかな小山を持つ小浜島が見える。翡翠の海に幾重にも重なる島影。この美しさは八重山ならではだ。


パナリ集落

一週間前にはここでその豊年祭が行われていた。400人以上の人が訪れ、3日かけて儀式が執り行われるという。

一昨年、案内してもらったナハウガンと呼ばれる神社の奥にあった赤い太陽と月のマークを描かれた真っ白なアーチ上のワーと呼ばれる門から、稲を島にもたらした神であるアカマタとクロマタの2神が現れる。

アカマタは男の神で、旗には太陽が描かれその先に剣がついている。
クロマタは女の神で、旗には月が描かれ先には二股の槍。その体は野ぶどうの葉で覆われ手や足は見えず、それぞれ赤と黒に塗られた怪異な仮面をつけ、頭には大きな葉をいただき、大きさは2m半を超えるという。

目は夜光貝なので暗闇でも光り、その圧倒的な存在感はまさに神、村人は声を限りに神に出会えた喜びの唄を歌い、神は家を一軒一軒訪ね歩いて踊る。明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟

(シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)
へ帰っていくのだが、アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。

この祭りは、以前、村人の招待があれば見られた時期から、撮影、録音からメモを取ることまで禁止され、禁を破った者はシンカから何をされるか分からない厳しい掟がある。このパナリのアカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。

このアカマタ・クロマタはパナリだけでなく、最初に始まったという西表の古見、西表島の向かいにあるここパナリと小浜島、そして小浜島の住民が移り住んだ石垣島の宮良の4ヶ所の部落のみで行われているが、どこでもいつ行われるかも公表していない秘祭であることは変わりがない。勝手に見ようとするとシンカに阻止され排除される。

昔出版されたある雑誌に、西表島の豊年祭の写真が掲載されていたが、ここではアカマタ、クロマタ、シロマタの3体の神が現れるのだが、パナリのそれとはまったく違う姿をしていた。小浜と宮良は似た姿だそうだが、パナリのものはこれも違う姿かたちだという。

そしてパナリだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。

子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われているため、みな必死で逃げるのだそうだ。

このようにそれぞれの島で違う形で伝え続けられてきた。  私はこの祭りを見ることが、ギアナ高地に降り立つことと並ぶ一生の夢であり、見られないだけにここ何年、国会図書館まで行って僅かに記述された文献を調べている。知識はあっても一度も見ていないのだから、ただの頭でっかちである。いつかその「許し」は出るのだろうか...。
http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html


沖縄県のA島では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭」と呼ばれ、若い男女の営みを参加者に公開する、セックス祭りである。

沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。

ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭が行われている。それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。

運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。

一体なぜなのか? それには驚愕の真実が隠れているからである。この祭り、実は裏では「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然セックス鑑賞会なのだ。

毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。

首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。

ちなみにもし、島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


354:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0

こういうのはよその種を入れて血が濃くならないようにするのが主目的なんじゃないのか?
夜伽とかと同じで。

361:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う
祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為
多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない
天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい

40:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:13:20 ID:DiGDdkMF0

国内で人口の少ない島はそれこそ1世帯〜数世帯レベル
成り立つかどうかが疑問

それに凄まじい近親婚になるので、障害児出生リスクも高い
他の地域の人と縁を持ち、島を維持してきたと考えるのが妥当

753:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 08:12:56 ID:7YIgrshr0

地元にも無人島があるんだけど、
昔住人が50人ぐらいいたけど、みんな血が濃くなりすぎて、そのせいでほとんど女子しか生まれず、その女子が本土へ嫁ぐに行ってしまい無人島になった。


434:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:14:32 ID:HuT7wwke0

昔はどこも人の出入りが少なくて部落単位だから小さな集落はみんな親戚になってだんだん血が濃くなってくる

ときどき少し遠く血を入れないとまずいので暗黙の了解として祭りの時に利用したってよく言われている

おそらくこれも同じで 全くの部外者の血を入れるのはいやだけど今では遠くにいる同じ島の出身者くらいの血は入れたいってことだと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001

136:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:58:13 ID:dwr85dTX0

子孫繁栄のためならば、血が濃くなって奇形児が生まれることを防ぐために
部外者の参加大歓迎になるはず。 モンゴルあたりの遊牧民は、お客を自分の奥さんとか娘でもてなすらしいぞ。

64:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910

大正時代まで全国的にあったらしいぞ。
秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。

107:名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0

江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。

111:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:43:31 ID:B57FBblw0
>>64
万葉集の時代から、祭りの夜はフリーセックスだったしな
人妻とやりあったというのが残ってるw

かつて柳田を師と仰いだ宮本常一氏もまた、村の古老たちの夜這い談義を忠実に
再現した名作「名倉談義」(『忘れられた日本人』の内)を遺しています。

いきなり「夜這い」を持ち出さずとも、日本の村祭は密接に「性」と結びついています。 古来、祭の夜はフリーセックスが公認されており、それが若き村の男女の秘めやかにして最大の娯しみでありました。


160:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0

祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。

191:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:27:38 ID:Kyus9N6V0

天皇家の跡継ぎ問題じゃないけど、
一夫一婦制の妊娠ってのは結構難しいんだよ。

昔は貞操うんぬんよりも子供を産まない事こそ絶対悪。
だから妊娠チャンスとしての夜這いや乱交が当然の事としてあったんだよ。

貞操を叫んで、少子化で滅ぶ方が馬鹿な社会だと俺は思うがね。


450:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:38:03 ID:WYcf1F3L0

乳幼児死亡率が今と違ってものすごく高かったんよ。
生まれた子供の半分以上は、5才の誕生日を迎えず死んでいくような状態。
その前に死産もあったから、受精卵から成人まで育つのは、3割程度かね。

だから、とにかく産むのよ。
成人まで成長するのが数少ないから、産んで産んで産みまくって…
とやっていかないと、途切れちゃう可能性があるんよ。


441:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:24:04 ID:tDXPC+zJ0

昔は過疎化という言葉は無かったかも知れないが、貧困と乳幼児の高死亡率で
どんどん子供を産まなきゃならんかった。ガンガン産まなきゃ貧困と過疎高齢化に
対応できない。

それは本土の農民も同じ。沖縄なんて国そのもののレベルが東北以下だったんだから
なりふり構わずやりまくって産まなきゃならない。昔、子供は地域の宝っていう概念があったけど、それは地域で育てて地域を守るって表の意味と、乱交状態で誰の子供か分からないって裏の事情もあったわけ。だから村の子供は村で育てるわけ。

貞操とか秩序とか道徳っていういわゆる日本人的な美徳があったのは貴族や武家だけ。


220:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:42:46 ID:XryklFOc0

夜這い・乱交は百姓の話。 百姓は多いほうが良いから黙認していた。
百姓には氏素性は不要だからな。

支配者階級では許されるはずも無く、養子縁組で家を保った。


663:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 00:28:03 ID:he1UONG30

祭りの日の夜、家柄のいい地主だか商人だかは、自分の娘を蔵に閉じ込めて鍵をかけた。 男衆が女を目を血走らせてあさりに来るからだ。

女は蔵の中でガクガクプルプル震えて祭りが終わるのを待つ。

女を閉じ込めた親父は、時には若い男衆にボコボコにされても娘を守らなければならない。


245:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:54:15 ID:ek3jx5xm0

ムラの盆踊りに一人で行かせてもらえなかったって80歳のうちのばっちゃがいってた。 みんなセックスしてるからと。昔はどこのムラ祭りでもそうだった。

結婚はとなりムラの農閑期の慰安会の手伝いにいかされて、婿候補のじっちゃにこっそり見せられて後に結婚。今の俺があります41歳独身。昔はいいですな

178:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:20:19 ID:yAysof1uP

岡本太郎が墓暴きをやったせいで久高島では風葬が廃止され
貴重な秘祭であるイザイホーの伝統も絶たれてしまった

>>1が事実であろうとなかろうと、その土地の人が大切に守ってきた文化を
よそ者が踏みにじる行為は絶対に許せないと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001

77 : 天之御名無主 : 04/07/15 05:25

風葬は1970年代までは確認されている。

1979年の久高島でのイザイホーのとき、芸術が爆発するバカが風葬場所を撮影するという冒涜を行って大問題になった。

つまり、当時はまだそこに人骨がおかれていたのだそうだ。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/


194:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:28:05 ID:8JgCPlKC0

先島の方の神事って、本島の進行役のユタと少し違って「系譜」があるそうで
その人を検挙されると祭事ができないので秘密の神事にしたところもあるそうですね。

戦後に、男性・女性のシンボルを模った面や神事に用いたものを米軍が押収していった
そうです。 アンガマのウシュマイ・ウミーも現在のモノとは随分と違うって本土復帰前の琉大の調査に証言してた高齢者もいたそうです。


174:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:18:00 ID:hqxwwBTu0

沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭は島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。

ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。
まあ、都市伝説みたいなものなんでしょうけど、そこまで隠すからそういう噂が出るんでしょうね。

僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。

実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。

215:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0

大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です

儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。


293:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:38:04 ID:DYrKD13LP

新城島のアカマタクロマタは部外者に対して禁忌というより琉球の古代から続く秘祭は多くが文字通りの秘祭だった

だが、今でも部外者秘を守ってるのはこの新城島のアカマタクロマタ

宮古島のパーントゥプナハくらいのもんだろ。

ちゅらさんで有名になった小浜島でもアカマタクロマタは部外者秘というが、今でもそうなのかどうか


アカマタクロマタは八重山一帯で広く信仰されてる、王国の支配が及ぶ以前からの
土着の信仰だ。ただし琉球王国のニライカナイ信仰同様、異界から現世に来る来訪神だから、ニライカナイ信仰に含められてるけどな


724:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:08:19 ID:kAp5lM6HP

アカマタ・クロマタ(地域によってはシロマタというものもある)は八重山一帯に琉球王国の支配が及ぶ以前あるとされる古代祭祀、信仰なんだが、秘祭として執り行っている地域が現在もまだあるというところが重要

アカマタという神が性交に関わる神だというのは広く知られている上に特に新城島のものは島外人秘で極めて排他的で実態が全くわからない
定期船もろくに無い離れ小島で古代の性的儀式を行っている疑惑があるからここまで話題になる
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


154 : 天之御名無主 : 2007/03/22(木) 09:34:22

宮良出身です。

・アカマタクロマタは夫婦。
アカマタは農作業で日焼けして赤い。クロマタは炊事の時の煤で黒いらしい

・アカマタクロマタは、もともと宮良にあるものではなく、明和の大津波の後、新城(?)から強制移住させられた人達が持ち込んだ風習らしい。 その大元の発祥については詳しく知らないけど、海賊避けのハッタリって話しも聞いた事ある

・あのお面は、ある家系が代々保管してる。
体の部分は神聖な意味を持つ、特定の種類の蔦を編んで作成。


214 : 天之御名無主 : 2010/04/23(金) 00:07:10

17年前に2回ほど石垣島宮良に見に行ったことがありますが、規制などは思ったよりは、緩いのですが、アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます
私は知り合いの家が在り、見れたのですが、一般の人が見るのは難しと思います。

祭り自体は、怖くはないのですが、アカマタ、クロマタは、草か葉っぱで覆われていて、意味のわからない言葉でその家々に言葉を残していきます、

アカマタクロマタに入っているのは、地元の青年団で、意味のわからない言葉も古くから伝わる言葉らしく、絶対教える事はできないらしく、地元の人もこの事自体あまり話したがりません、特に地元青年団など、深く関わった人は一切話すことはタブーらしです、

祭りに対してのもともとの由来など、地元の人でもあまり解っていないと思いますが、厳しい掟などは守られているのは罰が当たったりとか、そうゆうことを恐れてではないかと思います。

県民性から言うと、お盆とか、しぃーみぃー(清明祭)などを大事にしているのと一緒だと思います。 私も6年石垣に居ましたが、沖縄の人から(個人的には)見ると、石垣の人は変わっています。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/


ナビン洞の中ではどんな儀式が行われていたのか?


アカマタ・クロマタの儀式に関する噂を纏めておきます。

昔は本当にこういう事をやっていたというのではなく、以下の内容を象徴化・抽象化した、同じ心理的効果を持つ儀式を考案したというだけでしょう。 くれぐれも事実だとは思わないで下さい:


・新城島ではなんとも奇怪な祭りが行われている。 毎年、島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。 島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。


・ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという


・豊年祭も2回あって、小さい豊年祭と呼ばれていてアカマタ・クロマタの子供が現れます。


・新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われる。


・アカマタ、クロマタは、明け寅の刻にヘビが皮を、蟹がからを脱ぐように生まれる。 ザーシンカは仮面に「すで水」を注ぐことによって、秘儀的に来訪神を再生させる。つまり、八重山の来訪神儀礼は、死と再生によって特徴付けられている。


・その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でアカマタ、クロマタを生む


・秘密の祭りは近親相姦で柱にくくりつけて…


・アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…


・新城島では近親婚の為に、生まれる子供は女子ばかりだった


・近親相姦で生まれた畸形の子供や集落でトラブルを起こした女性が神への捧げ物とされた。


・儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。


・ナビンドウと呼ばれる洞窟でアカマタ・クロマタが生まれるが、シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われ、その間、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もる


・アカマタ、クロマタは地下あるいは土中から出現すると考えられている。 そして儀礼的には、ナビンドゥ(鏡のような凹状の洞穴の意味)から出現する、という形式を取っている。


・アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます


・新城島の豊年祭でだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われている。


・外部の人間はアカマタが出てきてから踊る所だけしか見られない。 洞窟で何が行われてるか調べようとした研究者は石で眼球を潰された。 石垣警察署に問い合わせると、あまり深入りしないようにと意味深な注意を受ける


・何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民が平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。


・人魚神社の秘密は島最大のタブー


・アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで それで生まれた子供を人魚の肉として食べている。


・何でここまで秘密にするかというと、女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食べているのでばれるとまずいからだ


・昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。


・人魚は、漁師達にあなたたちの島に連れていって下さいと頼みました。人魚に夢中になっている島の人達は津波が押し寄せて来るのに、気づきませんでした。ようやく気がつくと人々は慌てて島の一番高い所に先を争って逃げました。人魚だけはうれしそうな顔で、おいでおいでと津波を手招きして、沖の方に向かって泳いでいき、やがてその姿は津波に飲まれて姿が消えました。津波が襲ったのは、人魚が歩き回った所ばかりだったそうです。


・人魚とはザンと呼ばれた〇〇のことである。〇〇の頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社には〇〇の頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。


・「神の〜」等が書かれた看板が立入禁止になっている場所は埋葬場


・祭の内容見ると、献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな


___________


4) 神食いの儀式 _ 麻薬を吸い 人肉を食べ 乱交する狂宴


アステカの聖体拝領

神人合一のイメージを、信者をして強化せしめる方法として聖体拝領があるが、キリスト教のミサによるそれと、16世紀のアステカで行なわれていたそれが類似した儀式であったことを見ると、アステカの宗教は、観想を主力とするどちらかというとクンダリーニ・ヨーガ型の宗教であったように思う。ミサの聖体拝領は観想を補完するセレモニーと考えられる。


キリスト教のミサは、次のように執り行われる。


1.パン(ホスチア)の奉納
2.カリス(ワイン・聖杯)の準備
3.カリスを挙げる

4.奉納物の聖別(十字切り)と祭壇の献香
5.エピクレーシス(聖霊の降下を求める祈り)
6.聖別(パンとワインが主の肉体と血に転換する)

7.大奉挙(聖別されたパンとワインを会衆に向け高く掲げる。)
8.聖別後の祈り(聖別されたパンとワインを奉献する祈り)
9.奉献文の結び

10.挿入祈祷とフラクチオ(ホスチアがカリスの上で二つに割られる)
11.コンシグナチオ(ワインに対して、ホスチアのかけらで十字を切る)
12.混和(ホスチアとワインのカクテル)


最後は霊肉の一致のシンボル化ですね。

これに対してスペイン人修道士サアグンが1529年メキシコで目撃したアステカの儀式は、モクテズマ王や大祭司の前で行なわれた。


1.芥子粒の練粉でもって、ウイツィロポチトリ神の像を造る。

2.ケツァルコトアル役の祭司が、ウイツィロポチトリ神の像の心臓を火打石の槍で突き刺す。

3.死んだウイツィロポチトリ神の練り粉の肉体を細切れにする。心臓はモクテズマ王のものとなり、他の骨のようになっているバラバラの円筒状のパーツは列席する者に分配された。


この儀式は毎年行なわれ、神を食べることは「神食い」と呼ばれ、神を食べた者は「神の番人」と呼ばれる。
(参考:心理学と宗教/C.G.ユング/人文書院)


この儀式が隆盛なままキリスト教の布教を続けても、キリスト教のミサの方がアステカの儀式のパクリだと言われかねないので、サアグンは焦ったに相違ない。

どちらの儀式も、もともと個人と神が別である意識があることを大前提にスタートしているので、儀式の本質も神人一如を強調する形となっている。むしろアステカ民衆の意識が、西洋人に近い意識であったこと、つまり東洋的な意識(もともと神と人に隔たりはないという先入観)ではなかったことがひとつの驚きだと思う。

似た意識の大衆に対して、適切な宗教を移植すれば、非常によく似た儀式が出来上がる訳である。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/1a0c53a42e22a8266206417a54646457


ユングの観点から宗教改革の意味を考える場合、重要な焦点になるのがこのサクラメント、ミサ(聖餐)の問題です。

ミサの中心観念は、パンとぶどう酒の「聖変化」にあります。

これは、イエスが最後の晩餐の席で弟子たちにパンを裂いて与え、また杯を与えて、これを自分の身体と血であると語った伝承に由来します。パウロが語る次の言葉は、聖餐におけるこの「聖変化」を極めてリアルに伝えています。

「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである」
(?コリント11:27)。

 ミサにおいては、祭司がイエスの聖別の言葉を唱えることによって、パンとぶどう酒はキリストの身体と血に変化するものとみなされるのです。これを聖変化とか化体(実体変化)transsubstantiatioといいます。パンとぶどう酒の実体substantiaつまり「本質」が、霊的なキリストの身体と血に変化するという意味です。

 中世キリスト教には、この解釈をめぐって、二つの考え方がありました。一つは9世紀のラドベルトウス以来の考え方で、化体説の源泉となった考え方です。

彼は、聖別されたパンとぶどう酒は、天上にあるキリストの霊的な身体および血と〈同一〉であると言ったのです。

これに対して11世紀のベレンガリウスに代表される考え方は、パンとぶどう酒はキリストの血肉の〈象徴〉figuraであるとしたのです。
http://akitanarayama.blog10.fc2.com/?mode=m&no=309

 キリスト教会に魔女たちが告発されたのはこの人肉嗜食の罪に問われたのが、いちばん多かった。しかし、キリスト教信仰のまさにその中核こそ聖餐なのである。救いも、罪のあがないも、永遠の生も、何もかもこの聖餐にすべてがかかっているのである。

聖餐というものは、「象徴的な」人肉嗜食ではなく、神学上の原理説明によると、まったく現実に嗜食することなのである。

 神を食するということは、文明が始まって以来、全世界的に見られる風習であった。しかし、文明の初期は、人肉を実際に嗜食する祝祭がつねに行われていたのである。

「生贄になる者は」神の化身として「殺されるばかりでなく、自分を祀る者たちにその肉を食べられ、血を飲まれる。そうすることによって彼の生命は、彼らの生命に乗り移り、両者は結ばれて共生するのである」。

 神の化身である生贄を食べる目的は、そうすることによって神の肉体の肉になって、神の聖なる肉体が再生するときに自分も同じく再生できるようにするためであった。初期キリスト教時代の秘教というものは、すべて、カニバリズムまがいの聖餐を行えば、祀る者は祀られる者(神)と一体となれるという信念をその中心に持っていたのである。

「宗教の初期の段階には、聖餐という形で神を食べることによって、自分も神の一部になれるという固い信念があった。これは疑いないことである。

例えばトラーキアのディオニューソスの秘儀においては、そうした食事にあずかった人々は神の聖なる生命を自分たちも分かち持つことができるとされ、そのためにその神の名で自分たちも呼ばれることになるのである」

 キリスト教の聖餐は、他の秘儀のと同じく、こうした考えを下敷きとしている。エルサレムのシリルは、

「キリストの肉と血を食するのは、そうすることによってキリストと一体となり、血のつながりを得られるようになるからである。キリストの肉と血がわれわれの手足に入って、われわれは『キリスト担体』になる」

と語った。聖メトディオスは、

「信者はすべて、キリストの血肉にあずかることによって、キリストのような人間に生まれ変わる……キリストが人間として姿を現したのは、われわれ人間が神になるようにするためであったのだ」

と教えた。しかし、同じ聖餐でも、他の宗教のものとなると、それは悪魔の儀式とされた。

「悪霊は供物を食べて力をつける、だからあなたがたが供物を捧げると、あなたがた自身の手で悪霊を体内に引きいれることになる。悪霊は長い間ひそんでいて、そしてあなたがたの霊魂と一体となる」。

 真のカニバリズムは、7世紀まではなお、明らかにチベットの供犠と関連があった。しかし、その後は、それに代わって聖なる秘儀が演じられるようになり、そのためにカニバリズムはシンボリックなものになった。

練り粉で生贄を作って、それを引きちぎり、「内臓」を皆に配って食べた。
ときには、死刑囚の死体の肉をその練り粉で作った像の中に入れた。

贖罪の祭典のときには、「宗教の聖なる王」と呼ばれる雄ウシの仮面をかぶった聖職者が、その生贄の像を突き刺して、手足をばらばらに切り離し、胸を切り開いて人工の肺や心臓や腸を引き出した。残った遺体は動物の仮面をかぶった踊り手たちによってばらまかれた。

それは、古代、ウシル〔オシーリス〕やその他の救世主-神たちの遺体が地上にばらまかれたのと同じであった。

 そうした踊り手たちというと、『エゼキエル』の第24章に出てくるサバの住民たちのことが思い出される。彼らは「血を流す女たち」と呼ばれ、死者の喪に服するために黄金の冠と腕輪をつけ、「人肉のパンを食べた」という。

同じような送葬の踊り手として、エジプトには、女神メウト〔ムート〕、あるいはネヘベト〔ネフベト〕(死者を食べる女神)を擬人化するために、ハゲワシvultureの羽根を身につけたムーmuu(=母親たち)という人々がいた。

 最近まで、フランスの一部で、最後に刈り入れた小麦の束から取った小麦粉で人形を作って、それで人間の生贄を表す習慣があった。その人形は村長marie(昔は一族の母親の添え名)によって引きちぎられ、人々に与えられて、食べられた。

メキシコでも同様に、人間の生贄が廃止されてから、練り粉の人形の胸に火打ち石の先がついた槍が射こまれた。

こうした行事は、「神の肉体を食べるために神を殺す」行事だと言われた。「神を食べる」torqualoという儀式では、神の像が粉々にされて、人々に配られたという。

 これは、明らかに、アステカ人の宗教思想の遺物であった。生贄になる人は神の擬人であって、崇拝され、病気を癒し、人々に祝福を与え、つねに、そのそばには彼の世話をする弟子たちがいた。それから彼は殺され、彼に与えられていた特別な家(calpulliと呼ばれていた)でばらばらに解体された。育児中の母親たちは、その血を子どもに含ませるために、乳首にその血を塗りつけた。

 ギリシア人の言う「生食」wjmofagivaというのは、本来、人肉を食べる狂宴orgiaであって、そのときは料理も何もしないで食べた。生贄となる者は、その狂宴に参加した人々の歯や手で引き裂かれ、生のまま食べられた。ギリシアの古典作家たちは、つとめて「生食」を忘れようとした。

彼らは、野蛮人は乱交をし、家族の者を食べると言って軽蔑した。

「バーベキュー」というのは、本来、人肉を食べる饗宴であった。barbecueの語源はbarbricotで、カリブ・インディアンが人肉を焼くために用いた葉のついた枝で作った焼き網のことである。古い本を見ると、古代の人々には人肉を食べる習慣があったことがわかる。

古北欧の神々、あるいは巨人たちのことをヨツンjotunnと言ったが、「食べる人」という意味のインド・ヨーロッパ語を語源とする。血を飲んで、その骨でパンを作ったという英国のジャックの巨人と同じように、彼らも人間を食べたと信じられていた。

 聖王や救世主を食べることと、家族の者を食べることとの間には、どういう関係があったのだろうか。この答えは、人食い人種自身がしてくれた。つまり、

人が死ぬと、女性がその肉を食べ、そして、新しい子どもとしてその死者を再生させるのである。

原始時代の人々は、再生するためには女性の肉体の中に入らなければならないと考えた。そうするためには、女性に食べてもらうことがいちばん手っ取り早い方法であった。これが再生輪廻という、文字どおり肉体を再び身にまとうという、世界中に見られる教義の根源であったのである。

 どうやって懐妊するのかがまだよくわからなかったころ、死に瀕している人は、同じ種族の母親たちの誰かから自分がまた生まれてくるものと思っていた。自分の肉や血をその母親が新しい赤ん坊に移し替えてくれると思っていたからである。マッサゲタイ人は部族の母親たちに食べられることが唯一名誉ある死だと考えた。母親の肉体の肉となって、再生できると信じていた。大地と同じように、何度も何度も子どもを生む女性こそ、神秘の呪術によって自分を再生させてくれるものと思っていた。

 オーストラリア原住民の女性は、乳児が死ぬとそれを食べ、骨は赤く塗って自分の身体にぶら下げたという。こうしたまぎれもない呪術というものは、死んだ子を子宮にもどして、そして子を生む母親の血をその子の骨にまたまぶしてやることを目的としたものであった。

ビビンガ族の女性は、自分たちは死者を食べて、それで彼らを再生させてやるんだと、淡々と語った。ニューギニアでは、子どもが生まれるとその子に、殺されて母親にその肉を食べられた人の霊魂-名前を与えたという。

 1852年、ハブシュ博士はニアム・ニアム族というアフリカの部族のことで、次のように報告した。

「部族の誰かが死ぬとすぐに、縁者たちは、その死者を埋めないで、死体を切り刻んで賞味するのである。そのため、この地には墓地というものはない」

バガンダ原住民の話によると、女性たちはときに非常に空腹を覚え、乳児の耳を食いちぎることがあったという。おそらくこれは、子どもを食い殺してもまたその子を産めると信じて、全部食べてしまったということを、婉曲に表現したものであろう。

 妊娠するのは人肉を食べたためであるという考えは、未開人の間に広くある考えである。食べ尽くすことを表す語と、みごもることを表す語とは、同じであることが多い。古代バビロニアの諺に、

「誰しもみごもって初めて腹がふくらむ。誰しも食べて初めて腹一杯になる」

というのがある。フロイトは性的ドラマこそ本当の原風景であると仮定したが、ホラティウスによると、

「残忍な魔女がその腹から胎児を引きずり出して再生させる」

場面こそ、原風景であった。聖書では生誕を表すのに「身(bowels=腸)から出る」としている(『創世記』第15章4)。それというのも、子どもたちと同じように、古代の人々は、生殖と消化の区別がまったくつかなかったからであった。

サンヒドリン〔71人からなるユダヤの最高議会。紀元前5世紀から西暦70年まであった〕は、死体を洗った水を飲んだり浴びたりすると、女性はみごもるとした。これは、明らかに、死者の霊魂が新たに母親の胎内に入るという原始時代の考えの遺物である。

 殷の時代の中国は、生誕と再生は同じであると考えた。「霊魂」と「再生」を意味する鬼の絵文字は胎児であった。

 ヤノマモ族の言うところによると、彼らは、昔、母神マモコリヨマが死んだ親や子どもを食べてもよいと言ったからと言って、人肉嗜食をしたという。しかし、その後、彼らはその母神を崇拝しなくなり、人肉嗜食は罪だとして、死者を火葬にすることにした。それでも、今なお、彼らは死者の灰を食べ物に混ぜて食べている。祖先の灰を皆でいっしょに食べることは、縁者のきずなを強めると思われる聖なる儀式なのである。

 アフリカの南東部では、もし女性が別の縁者のグループのところに嫁いでいくときには、死んだ祖先の頭蓋骨に穀粒を盛ってそれを食べなければならない。

彼女が子どもを産むと、長老たちは死者とその子の間によく似た点があるかどうか見る。穀粒はウシル〔オシーリス〕のミイラの上でも、またベツレヘムBthlehem(=パンの家)で生まれたアドーニスの身体の上でも、同じように、栽培された。そしてその穀粒はウシル〔オシーリス〕やアドーニスを崇拝する人々が、厳粛な霊的交感のうちに、食べた。

そうすることによって自分が神と同じような者になり、神同様、自分も再生できると思ったからであった。

ハワイの原住民もウシル〔オシーリス〕によく似た神を持っていた。その神は身体を切り刻まれて、方々の大地-子宮に埋められた。彼の身体のいろいろの部位から食べ物が実った。

 ほとんどすべての宗教にはカニバリズムが見え隠れしている。神を食べる聖餐はキリスト教にも異教にもあったが、それとは別に、初期キリスト教教会は、本当に人肉嗜食をしたと言われた。

ローマ人の言うところによると、キリスト教徒は子どもを殺して食べ、その血の中に供犠を司る人を漬けたという。正当派キリスト教会側の人々(パウロ使徒団)はこうした非難に対して否定はしなかった。しかしそうした非難に値することをしたのは、ただ、グノーシス派の人々だけであると主張した。

殉教者聖ユスティヌスは、マルキオン派の信徒たちは実際に近親相姦や人肉嗜食をしたと言った。カイサリアのエウセビオス(263?-340。神学者、歴史家)は、カルポクラテス派の人々もやったと言った。エピファニウスは、モンタノス主義者や拝蛇教徒たちもやったと言った。アレクサンドリアのクレメンス、イレナエウス、5世紀の初期キリスト教会の長老サルビアンといった人々はすべて、異端者が食人種の行うような儀式をやって教会の名誉を汚したと言って非難した。

 厳しいタブーであったにもかかわらず、ヨーロッパでは中世になっても人肉嗜食が行われていた。飢えに瀕し、疫病が流行すると、ヨーロッパの町々では、多くの者が行き倒れになったが、ときにはある人の姿が突然消えてしまうことがあった。1435年、ガロウェイのソウニィ・ビーン家の人々は、何代にもわたって人肉を嗜食してきたといって告訴された。彼らはエディンバラの法廷で拷問にかけられて死んだ。しかしその死に方を考えれば、彼らが自白したとしても、その内容は疑わしいものである。

1661年、スコットランドで4人の魔女が拷問にかけられて、フォーファーの教会墓地から、洗礼を受けなかった子どもの死体を掘り起こして、それを食べたと自白した。しかし、そんなことはありえないのである。洗礼を受けない子どもが教会墓地に埋められることなどなかったからであった。

魔女に次いで、人肉を嗜食したといって頻繁に告訴されたのはユダヤ人であった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/cannibalism.html#1


▲△▽▼


215 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0

大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。

あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。

ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です

儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。

僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが

>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。

鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし

他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。

でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。

僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。


812 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:49:12 ID:4TJCDtnS0

秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。

そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。

かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。

アカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で
見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。

威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。


627 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0

祭の内容見ると、やっぱ献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた
赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな

http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html

明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟(シンカ以外の島民はその
場所も知らない。

丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)へ帰っていくのだが、

アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、

見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。


734 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:38:46 ID:15i/Z9a20

昭和時代の大衆雑誌には、半ばお約束のように
こういう話がいっぱい載っているよ。


805 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:02:11 ID:he1UONG30

日本の少子化対策に種付けの儀式を新設してはどうか?

祭りの時に、まず20代の未婚女性を子孫繁栄の為に、たとえ彼氏が居ても強制徴用。

神社の賽銭箱とか置いてある高台に全裸で観衆にあそこを向けて縛り上げて、両足を縛って上に伸ばして並べて吊るす。

そもそもこういう風習は一部のイケメンとかに女の人気が集中して男があふれるからある訳だから、童貞の未婚男性(年齢制限無し)を集めて、さらに人数が多すぎたら、女と付き合ったことがないやつ、より醜男、より臭い奴が選ばれる。

石段の下の広場で選りすぐりの童貞醜男が集まり、お清め前の一斉放尿による奉納をした後に、荒縄で両手を後ろでに縛られた全裸の女たちは V字バランス状態にされてわかめ酒を振る舞い男たちが列をなす。

そしてクライマックスでは石段の下の広場をしめ縄になんかお祓いの棒についてるような白い紙の束ついたもので囲んで観衆が囲み、その中で選りすぐりの童貞醜男が全裸で待ち構える。

女たちは両腕は縄で拘束されたままそこへ突き落とされて逃げ惑うがブ男たちがもみくちゃになって襲いかかる。

例え縄の外に逃げても観衆から突き戻される。

この儀式の見物は女人禁制。女が観衆に混じっていたら例えそれが金髪外人であろうとも全裸にされて広場へ放り出される。

こういうの良くない?


806 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:16:26 ID:uAsAObrM0

何この中1の妄想w


810 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:37:00 ID:kAp5lM6H
>>806
妄想でもない

ポリネシア系の習俗が八重山には渡ってきている
それは南方系土器の伝播などで傍証できる
それに性交を祭祀とする古代信仰は別段珍しいものでもない
アカマタ、クロマタは琉球王府の統治以前の信仰だ

238 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:52:55 ID:oVr1su960

そういや以前、この島へシーカヤックで遊びに行った30代の母親と10代の娘が行方不明になったな・・・
一緒に行ったガイドも行方不明 そのまま捜査も打ち切られた・・・


256 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:05:04 ID:leNq0J4g0
>>238
なんで行方不明になったのだろうな? もしかして現地警察もグルなんだろうか。


263 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:12:35 ID:oVr1su960
>>256
http://www.y-mainichi.co.jp/news/689/

手がかりが無かったから1週間くらいで打ち切ったんだって
1人乗りカヤックだけ見つかったと

消えたカヤックは2隻、消えたのはガイド1人と母娘2人
2人乗りカヤックは見つからなかった


253 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:01:14 ID:leNq0J4g0

これマジでやばい島なんじゃないか?

http://2chnull.info/r/tropical/1163308866/1-1001
パナリ島(新城島)ってどうYO


:名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/23(木) 12:08:25 ID:Mtq5BB6G

私の親友は五年前の祭の際、興味本位で島に向かい島民に拉致され翌日の朝まで監禁されました。
その時、誓約書へのサインまで強要されました。以上、紛れも無い事実です。島の実行者は拉致、監禁、強要、脅迫の罪に
問われると思います。一発懲役確定ですな。


530:名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/11(土) 13:13:26 ID:pEqYa0Wq

1970年以降、複数の部外者が豊年祭を見学後にパナリ内で行方不明となっているみたいですが、その点はどう説明されるのですか?


596:名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/20(日) 15:33:06 ID:aXvII+ce

2004年だか2005年だかの夏に行方不明になっている客はどうなったんですか? 確かカヌーかなんかに乗って行方不明ってことになってましたよね


258 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:08:20 ID:oVr1su960

生きてたら、娘は今15歳くらい
種付け時ではあるな・・・


257 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:07:22 ID:1xCrZcVM0

>平成17年:上地島5人 下地島2人
>平成18年:上地島6人 下地島2人
>平成19年:上地島9人 下地島2人
>平成20年:上地島8人 下地島2人
>平成21年:上地島10人 下地島3人

平均年齢考えたら40歳まで若い男女なんだろ。


277 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:19:41 ID:oVr1su960
>>257
平成17年、2005年というとさっき言った母娘が行方不明になった年だな・・・


605 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 22:21:06 ID:apzodXA30

母娘行方不明以降、何故か島の人口が殖えているね


280 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:58 ID:leNq0J4g0>>277

あっホントだ あんたすごいな 
つか、それって監禁されて・・・・ということになるのか?
警察が踏み込めよ・・・・。


261 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:09:59 ID:0otTP23y0

今時ある訳ねえじゃんwww


634 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:35:30 ID:azUfGyGt0

民俗学の研究じゃよく聞くよ
島外から駐在所に家族連れで赴任した警官の記録とか
すべて立件することも可能だけどそれだと島民全員が云々って。


728 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、

島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、 高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。


多分そんな神秘の祭りなんだろう。


737 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、
処女が選ばれる。

だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。

アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。

そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきで よそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。

と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、

隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。

驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。

その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。


764 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 09:25:57 ID:wbNvqeLZ0

村ぐるみで小学6年生の姉妹を数年間常習的に集団性暴行
http://www.chosunonline.com/article/20040919000028
未成年精神障害者の10代姉妹 村の老人グループに数年間強姦され続ける

これ思い出したな


64 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910

大正時代まで全国的にあったらしいぞ。


秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。


107 :名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0

江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。


324 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:13:58 ID:B57FBblw0

日本の田舎には江戸時代まで普通にあった慣習だよ

327 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:16:15 ID:pV1XbKvz0

離島レベルの隔離具合だとこういうのも残ってるのか。面白いね。


160 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0

祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。


279 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:43 ID:IxTP7PTe0

キリスト教が入ってくる以前の欧州でもそういう祭りがあったんだよね。
後にサバトととして悪魔的行為として位置づけられた。


354 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0

こういうのはよその種を入れて血が濃くならないように
するのが主目的なんじゃないのか?夜伽とかと同じで。


361 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う

祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為

多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない

天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい


383 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:45:09 ID:r37G5ytM0

明治時代始まったのが150年前くらい、江戸幕府が400年前だぞ
昔は外国だった上に僻地の離島なんだから妙な風習の名残くらい残ってるんしょ
今も続いてたとしても爺さん婆さんが当時の真似事やってるくらいだと思うよ


65 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく

これ以上この島に関わるな
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1284771591/

▲△▽▼


111:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 22:15:22.40 ID:1AwEnXOY0

そういや沖縄の土葬ってこっちの土葬と違って
産めてから3年後にもう一度掘り出すんだってね


112:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 23:07:15.88 ID:lOYeC1G90
>>111
石垣島だろ。
この島では、埋葬後3年目に遺体を掘り出して洗骨する風習があった。

洗骨しないと次の死者が埋葬できないしきたりだったので、次の死者が出ると、埋めて数か月の生々しい遺体でも掘り起こし、包丁や鎌で腐乱した肉をそぎ落として、薄めた酒で骨を洗ったそうだ。

これらは、すべて島の女たちの役目。

女には、呪術的で神聖な力が宿っていると信じられていたんだね。

昭和の初め、この光景を目撃したことのある島の老翁が学者の聞きとり調査に応え、

「その残忍さと死臭は目をおおわんばかりに凄惨を極めた」

と語っている。


が、遺体を分断する風習は琉球に限らず、古くは日本各地にあったようだ。

目的は、主に悪霊祓い。

地方名を出すのは控えるが、

妊婦が分娩中に死亡すると、村の老婆が死亡した妊婦の腹を鎌で裂いて胎児を取り出し、妊婦と胎児をバラバラに裁断して葬る(地域によっては野山に撒く)ところもあった。

古代の日本では、物を斬り裂くことも、人間を葬ることも、同じく「ハフリ」と呼ばれた。

悪霊封じのために遺体を分断して埋めることは、 一種の宗教的儀式、あるいは呪術として広く行われていたらしい。


115:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 13:01:07.48 ID:h87uH8+M0
>>111
本島北部ですが、戦後数年はあったとのこと。

私が聞いた話では、三回忌や七回忌の年が重なる故人を、まとめて数名洗骨したそうです。あと、墓の骨壷密度からも、頻繁にはしなかったようです。三十三回忌が済んだお骨を、一つの壺にまとめるか何かして、洗骨、墓に納骨の流れだったような。

洗骨(風葬)を止める時には、三回忌じゃなくても洗って納骨したんですかね?


113:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 00:17:47.02 ID:V4OBIq7S0
かまいたちの風ハフリ波ハフリ(漢字失念)神社思い出した。


114:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 01:50:22.49 ID:8JWI3E9O0
>>113
神社の漢字は知らないが、「祟神記」に出てくる漢字は「波布理」。
その他、古文書には「屠り」「葬り」「散り」「祓り」などの文字が見られる。
これは、斬ること=葬ること(場合によっては撒き散らす)=悪霊を祓うこと、
という概念の表れなのかもしれない。


125:本当にあった怖い名無し:2012/08/28(火) 00:16:04.08 ID:XNF6Y/d70
>>114
「風はふり」は「風祝」じゃないかな。諏訪大社に存在した神職名。


116:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 17:41:11.68 ID:JV2PMZFe0

洗骨は今もやってる島があるよ。
島民の子に聞いたら、火葬の方が可哀そうなんだって。

与論島 洗骨 NHK でググれ。


118:本当にあった怖い名無し:2012/08/23(木) 19:39:55.01 ID:RmDA6Q7U0
>>116
そんじゃうちの会社の人って与論島の人だったのかな

実家で骨掘り起こさないといけないからっつって有給とって実家(沖縄)に1週間ばっかり戻ってたから

掘り起こすってどんな土葬だよとビビッたw

ちなみにうちの地方も普通の土葬やってる地域だわ

自分は新興住宅地の引っ越し組だから
最初地元の人にその話を聞いたときはにわかには信じられんかった

つか法律違反じゃね?と思った

ちなみに死体を埋葬する場所は内緒だから各地区の人しかしらんので
夜とか迂闊に知らない道を通ると急に卒塔婆ばっかりの場所に行き当たって怖い目に遭うw

卒塔婆行列も各地域でいろいろあるけど 一番びっくりした風習は

「その親族で一番若い(幼い)女の子が行列の先頭を裸足で歩く」って奴かな
http://inazumanews2.com/archives/19959433.html

沖縄の八重山諸島のA島は、K島とS島の二つの島からなる離島で、住民は両島を合わせてわずかに十数人に過ぎない過疎の島である。

この島は、古来より人魚を祀る島という伝説が残っており、人魚を守る神社や、神が通るとされる道が今でも信仰として生きている。

八重山諸島に伝わる御嶽信仰は神に仕える女性を中心に行われるもので、かってに神を拝むことも戒められている。


住民でも女性以外は、信仰のすべてを知ることができないという、極めて特殊な土俗信仰が生きるこの島でもっとも謎めいているのが、旧暦の6月に行われる「アカタマクロタマ」と呼ばれる奇祭である。

この祭りの期間、普段は過疎の島は村の出身者などが帰島してきて、滞在者は数百名あまりに膨れあがる。

同時に、島に血縁のある者以外はすべて上陸を禁止されるのだ。


この神を下ろす儀式の実態はまったく不明だが、おそらくは御嶽で神下ろしの儀式が行われ、かぶり物をした巫女が、神の依り代として村の中をめぐるようだ。
http://gekiyabaaa.blog.fc2.com/blog-entry-38.html


という事で、新城島の「秘祭」では

遺体を掘り出して解体・洗骨・再埋葬するのではなく

儀式で殺したばかりの女性や奇形の赤ちゃんを解体・再埋葬する

という事でしょうか。

人魚神社に祭られているのは儀式で殺した女性や奇形の赤ちゃんなのでしょう:

263 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/09(火) 17:50:18.81 ID:uZN5nJC2.net

新城島(パナリ)の豊年祭「アカマタ・クロマタを生む儀式」


美しい女がナビン洞(洞窟)連れられて来る。

そこでザーシンカと呼ばれる男たちとアカマタ・クロマタを生むための儀式をする。

女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。

そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。

さらに儀式では人魚の肉と称して、子供の肉を食べる。

島では近親相姦や近親婚で血が濃いため女児が多く産まれ、畸形の子やトラブルを起こした女が神への捧げ物にされた。

食べられた子供の頭蓋骨は人魚神社に奉納され、幾つもの頭蓋骨があるが立ち入り禁止になっている。

儀式の後、輪姦された女は全裸で縛られ神殿の鳥居に吊るされ、その下で島民が平然と飲み食いする。

洞窟で何が行われてるか調べた研究者は、島民に石で眼球を潰された。

これは新聞報道され、八重山警察署も事実と答えた。

豊年祭の儀式は、強制集団レイプ・近親相姦・人肉食・薬物乱用・暴行等、隠された秘祭である。


265 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/15(月) 17:45:22.23 ID:krstyRX5.net

だいたい合ってる
そんなもんだよ


270 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/10/01(木) 12:07:25.93 ID:Df8LvUm0.net
>>263
それでだいたい当たってる。
御嶽の先に行けないのは、多くの人骨が捨ててあるからだよ。
警察に通報すれば一発でアウトなんだけれど誰もやらないというwww
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/tropical/1292412995/

>女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。
>そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。


>儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャ(マリファナ)や植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
>祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。


大麻を吸うとこうなる! [大麻講座その1・入門編]
https://www.youtube.com/watch?v=7AEzwat-LgM

女性には危険なトランス状態


白痴の同義語{大乗仏狂の坊主ども}と、門外漢の西洋心理学者=精神科医どもはサマタ(禅定)やヴィパッサナー(観法)で到達するのは、トランス状態=忘我状態とかヌカしとる。

トランス状態=忘我状態
http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-nttr_docomo-jp&guid=on&output=xhtml1_0&wsc=tc&wsi=d33c27b90ebf19df&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25A4%2589%25E6%2580%25A7%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E7%258A%25B6%25E6%2585%258B&ei=JcjUTNn3J47q7APav6zYCA&ct=pg1&whp=30


チャラリ〜 鼻から牛乳〜

精神科医どもは知りもせんことに首を突っ込む前に、一人でも精神疾患の患者さんを救ってみせろ。

日本の精神科医どもが、患者の治療に成功したことなんか、無いやんけ。
(;-_-)=3

西洋心理学者=精神科医どもの無能ぶりを暴く“サイクバスター”さん
http://blog.m.livedoor.jp/psyichbuster/?guid=ON&sso=e24514c42780de681f3b69635b018463c2b86b46

サマタで到達するんは、《サマーディ》の境地。
ヴィパッサナーで大事なんは《サティ》やけど、ヴィパッサナーは本来、色界を脱し〈無色界〉(悟りまでイーシャンテ)にまで上がった者しか修道したらアカン行法。

両方共、トランス状態とは全く別の境地に到達する行法や。

某府綾部市の阿呆や、未熟なスリランカ坊主どものように、サマタを廃してヴィパッサナーだけ修道するとかワケの解らんことするから、誰一人として上の境地に到達出来ひんのや。


トランス状態=忘我状態とは、変性意識状態のことで、{ウリは全知全能ニダ!}とか{ウリは全宇宙と一体になった聖者ニダ!}とかカンチガイし、理性も判断力も無くなった状態。ケモノ・モード。

別名、おバカ・モード。

薄暗い場所や暗い場所で音楽を演奏したり、シンキング・ボウル(印金)を演奏しながら瞑想(邪定)に耽ったり、リズミカルにマントラ(梵呪)やお題目(ご宝号)を唱えると、素人でも簡単にトランス状態に入れる。

或いはケミカルドラッグ(痲薬)をキメれば、トランス状態に入るんは簡単。(別名、ラリパッパ状態)

ライブ・ハウスやクラブに行くか、嗜好大麻解放団体のアジトに行けば、トランス状態に入った人間だらけや。

トランス状態そのものが悪いわけやないが、前述のようにトランス状態になると、理性も判断力も無くなる。
男は性獣化(チ○ポ猿化)するし、女性はこの状態で強姦されたり、輪姦されたりする。

ライブ・ハウスやクラブの便所で輪姦なんざ、日常茶飯事過ぎてニュースにもならんくらいや。


ホンで、華厳宗、(南山)律宗、臨済宗、曹洞宗の四宗派を除く大乗仏狂の宗派は、トランス状態に入る邪行を重視して実践する。

大乗仏狂の坊主どもの隠語で輪姦のことを{念仏講}て言うように、屍那畜でも腸賤半唐でも、また日本でも大乗仏狂の坊主どもは日常的に輪姦を繰り返しとった。

このように、女性にとってトランス状態とはとても危険なモノ。

当然、テーラ・ワーダ佛教(真正佛教)でも、トランス状態に入るミッチャー・サマタ(邪定)は厳禁や。


禁止されてへんのは、在家(一般人)がトランス音楽を演奏ないし聞くことだけや。
http://blog.livedoor.jp/vijaya-ghanja/tag/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8A%B6%E6%85%8B


大麻は麻の花首や葉を乾燥させて作る。麻という植物は、人類と深いかかわりがあった。麻の衣類は絹や獣の毛よりも古くから衣類に使用されてきた。また、強靭な繊維を持っているため、綱やロープなどにも使われてきた。横綱の真っ白な綱も麻である。


今、産業用に使われる麻は品種改良によって、陶酔成分が出ないような品種になっている。形状も大きく違う。

しかし、昔の麻の茎は、葉や花ほどではないが、陶酔成分が含まれていた。山伏は神社やお寺の前で護摩を炊いたが、この中にしめ縄を投げ入れた。縄は麻でできている。山伏はこの煙を吸ってトランス状態になったようだ。また巫女なども麻の煙を吸って陶酔状態になり、託宣を下したりしたようだ。


そういう意味では大麻は、人々の生活に深く結びついていたといえよう。
http://59s-hibikor.doorblog.jp/archives/20995762.html


マリファナ:最終セックスドラッグ

性的なマリファナ使用の起源は、初期の農業に伴う豊穣儀式に密接に結びついていた。

その肥沃を促すために、農民は空-神と地球女神の受精を儀式として再現した。それはセックスを通して行われた。後に儀式化され、王と配偶者の間で、または聖職者と尼僧の間で洗練されていった。大規模なお祭り騒ぎ(乱交パーティ?)。

大麻は通常、最も早く栽培されたうちの1つであると考えられ、強力な催淫効果(性欲促進)があり、これらの飲めや歌えのお祭り騒ぎの慣習が大麻を育て、使用した人の中で始まったことは本当らしい。したがって、古代人の最初の宗教行為の1つはpot fieldsでfuckingしていた。

古代の「大麻カルト」の起源は近東に由来し、小アジアの母権制社会でハシシの大規模使用が行われてきた。Semetic女神アシェラーの崇拝者たちは神聖な香として大麻を燃やし、大麻の聖油(モーゼと古代ユダヤ人の予言者と王によって使われた)を使用した。

聖書のSex&Loveでは、アシェラー(エホバの昔の妻)はセクシュアリティと豊かさを象徴する自然神であると言及されている。旧約聖書の一節にも、木の柱(カルト的な献身のオブジェクト)としてのアシェラーへの言及があり、これは明らかに、シヴァ神の寺院のヒンズー・リンガに似た男根のシンボル。

世界構築の描写としての古代の神と女神の一組のように、信者たちは一種の模倣の魔術として性的に結合し、彼らの種をフィールドにこぼした。酔わせるもの(麻酔剤)と「不-判別式」性行動の乱交パーティ?はこれらのカルトで重要な役割を果たした。

カルトのエキゾチックな特徴は、はるか古代の神秘的なルーツと非常に官能的な楽しみと共に魅力的なタイプの宗教的な経験をするために組み合わされた。近代社会のどんな寺院も、多くの信者を引きつける際の困難さに遭遇しないだろう。

ソロモン王が作ったといわれる古典的な聖書のエロチカ(雅歌4:8-14))にも大麻が出てくる。もっと露骨な性描写(雅歌5:4-6)では、アシェラーの娘と対応するアシュタルテの崇拝者も儀式セックスと大麻使用にしばしば関係した。そしてシュメールの女神の一組「イナンナ/イシュタル」への豊かさ賛歌も同様のもの。そのうえユダヤ人のq'aneh bosm(大麻)にも更に関係がある。

ソロモンの雅歌とイシュタルへの賛歌は、インドでまだ行われている性的な大麻儀式との類似を現している。プレヴェーダの「二輪戦車のフェスティバル」はプーリのJaganathカルトによってまだ実行されている。

英語の"juggernaut"「巨人」「絶対的な力」「圧倒的破壊力」は「Jaganath」から来ていて、その意味は式典で使われる二輪戦車の巨大なサイズに由来する。Jagannath(ジャガナート?)フェスティバルは部外者は立入禁止だけれども、ベールで覆われた一つが巨大なリンガ(ペニス)であると考えられている。大きな二輪戦車と取り巻きは、ソロモンのベッドとイシュタルの車両の行列に類似している。

Jagganathへのフェスティバル中に、寺院売春婦は「神-王の妻」の役割を果たし、季節の雨をもたらすために王(あるいは聖職者)とセックスをした。同様の役割は雅歌中の「シュラムの女」、およびシュメールの儀式ドラマの中で「イシュタル」を実行する尼僧によって引き受けられた。他の類似性はあらゆる点ですべての3本の儀式ドラマの服装倒錯の役割や、大麻使用のように起こる。


http://cocorofeel.exblog.jp/iv/detail/?s=9916936&i=200811%2F22%2F62%2Fb0086362_2271364.jpg


マリファナ使用は、シヴァ神とカーリーのヒンズータントラ崇拝の一部を作る。インドの儀式と大麻のエロチックな用法は、明らかにカナンで、そして地中海中で実行された。シヴァ神と大麻の強い関係は、神聖な作物をまき収穫する場合、信者がまだ払う厳密な遵守の中でプラントに関する彼の古代の神話の中でも明白に実証される。

カーリーとシヴァ神のタントラ崇拝者は、クンダリニーとして知られる中枢神経系エネルギーを刺激するために、彼らは千年紀の間そうやって、マリファナを吸う。そしてそれは性衝動に強い関連がある。

タントリックの実行は先史時代までさかのぼることができ、現代のタントリックに用いられるシンボルのいくつかは、西ヨーロッパから中国までの旧石器時代の洞穴(20.000年前)で見つかったものと類似している。カルトの必須要素が世界の主な宗教のどれよりも多分古いと思われるタントラ教の原始の特色である。

初期の豊穣信仰の信者はソロモンの時代により洗練されて、グノーシス派とタントラ信者の間で更に育った。人間がより哲学的になり、豊穣神崇拝儀式の神聖な結婚は二元的思考が廃止され、対象と物の結婚になり、信者は生命自体の初期の創造的な源と接触した。

グノーシス主義とタントラ教のケースでの大麻を使ったセックスとドラッグ儀式は、脳から背骨のつけ根に及ぶ中枢神経系の蛇行するエネルギーを上げることに集中した。この強力な性的なエネルギーは脊柱の上へ脳に上げることができ、逆さにされることができるということだった。松果体はこのエネルギーの主要なターゲットだった。

松果体は本能の席と考えられ、このパワーを呼び出すためにとてもよく作用する大麻の使用と同様、グノーシス主義とタントラ教の範囲内で、飲めや歌えの崇拝の多くを説明する性衝動の本能的な力の強い関係である。

As the turn of the century mystic Gnostic pot-head Aleister Crowley noted, "When you proved that God is merely a name for the sex instinct, it appears to me not far to the perception that the sex instinct is God."


http://cocorofeel.exblog.jp/iv/detail/?s=9916936&i=200811%2F22%2F62%2Fb0086362_2274086.jpg


Cannabis (drug)
http://www.reference.com/browse/wiki/Cannabis_%28drug%29


マリファナの歴史

大麻吸引の証拠は、現在ルーマニアの古代埋葬地での儀式の火桶で発見された炭になった大麻種に示されるように、新石器時代まで遡って紀元前10.000年ごろに始まったと考えられる。大麻の最も有名なユーザーは、インドとネパールの古代のヒンズー教徒で、ハーブはサンスクリット語のganjikaと呼ばれた。(現代のインド言語の大麻)ヴェーダで神聖な酔わせる幻覚剤として知られる古代の薬剤ソーマは時々、大麻と関係した。

大麻は古代アッシリア人にも知られて、アッシリア人はアーリア人を通してその精神状態を変える特性を発見した。若干の宗教的な式典でそれを使った。彼らは「qunubu」(「煙」を生じる方法を意味する)と呼んだ。現代の語『大麻』のつながりそうな起源。

大麻はアーリア人によって、スキタイ人とトラキア人/ダキア人にもたらされもした、シャーマン(煙/雲を歩く人)は、催眠(恍惚)状態を誘導するために大麻の花を焼いた。

ディオニュソス(トラキア(ブルガリア、ギリシャとトルコ)から始まったと思われる)のカルトのメンバーは、大麻の煙を吸入したとも考えられる。2003年に中国の北西部新疆維吾爾自治区で、大麻の葉の断片と種子でいっぱいの革製バスケットが、次に2500〜2.800才のミイラのシャーマンが発見された。

大麻は儀式使用の古代史を持ち、世界中の薬学カルトで見つかる。パジリク古墳群で発見された麻の種は、5〜2世紀BCEに起きたスキタイ人によって食べられた早い儀式習慣を示唆する。

何人かの歴史家と語原学者が、ヘブライ語qannabbos(大麻)とヘブライの句qenéの間の類似点により、大麻が宗教の聖礼として古代ユダヤ人および初期のキリスト教徒により使われたと主張する。それはまたたとえば、カランダルによるマムルーク朝人期間の早い時期に様々なスーフィー教の指示でイスラム教徒により使われた。


KANEH BOSM
http://www.cannabisculture.com/backissues/mayjune96/kanehbosm.html

モーゼとマリファナ、雲の中の神、神はハーブが欲しい、天使を食べること、変装したシャーマン、聖書の禁止令、ヘビを壊すこと、大麻とキリスト?・・・面白そうなタイトルがいっぱいあって余裕があるときに訳してみます。
http://cocorofeel.exblog.jp/9916936


大麻でトランス状態になり神託をしていた


伊勢神宮の「大麻(たいま・おおぬさ)」と呼ぶお神札(ふだ)や暦(こよみ)を奉製する年初めの祭典「大麻暦奉製始祭(たいまれきほうせいはじめさい)」が1月8日、神宮司庁頒布部(伊勢市中村町)内の斎場で行われた。


毎年伊勢神宮の「御用始め」となるこの日に行われる同祭は、大麻第1号に最初の奉製作業となる印を押す祭典で、1年間の奉製作業の安全と頒布が滞りなく行われるように祈願するもの。この日は、鷹司尚武大宮司を始め神職や職員と奉製員ら計約120人が参列し祭典を 見守った。

http://uramiharasu11.blog.fc2.com/img/1420775105_b.jpg/


「大麻(神宮大麻)」とは神棚などに祭る伊勢神宮の神札のこと。大麻には大きく分けて、神宮で直接授与する「授与大麻」と全国の神社に頒布される「頒布大麻」の2種類があり、頒布大麻の神号名には「天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)」と書かれ、「皇大神宮御璽(ぎょじ)」の印が押されている。

「神宮暦」とは、「神宮大暦(たいれき)」と「神宮暦(小暦)」の2種類があり、科学的データに基づき天体・気象の詳細な情報、全国各地の神社の例祭日などを記載した暦・カレンダーのこと。

もともと大麻や暦は御師(おんし・おし)が全国に頒布していたものを、御師制度が廃止された1872年から神宮が同部での奉製・頒布を行い、 神社本庁を通じて全国各地の氏神を祭る神社に頒布され、そこから各家庭に届けられている。


http://uramiharasu11.blog.fc2.com/img/1420774966_b.jpg/

近年、さまざまな要因(住宅事情、格家族化など)が重なり、神棚を祭らない家庭が増えているため、頒布大麻の頒布数は微減を続けている。 一方、遷宮効果などの要因もあり伊勢神宮への参拝者数の増加とともに授与大麻も増加。さらに昨年は、神棚を受ける人が急増し追加奉製 したという(同部担当者)。

同部では1年間に、大麻954万体(大麻=900万体、中大麻=50万体、大大麻=4万体)、神宮暦7万7000部(小暦=7万部、大暦=7000部)を奉製し、9月17日に行われる「大麻暦頒布始祭」の後、全国に頒布する。奉製員らは作業開始のたびごとに潔斎(身を清める)し作業に臨む。

http://iseshima.keizai.biz/headline/2223/


福井県の鳥浜遺跡という1万年前の縄文時代の遺跡からは、大麻の種が発見されている。

食料や燃料に利用されたようだ。

まだ縄文土器の模様も麻縄でつけられたものらしく先史時代から日本人と麻は赤い関係にあった。

奈良時代は税金を大麻の布で支払うこともできた。
麻の布はそれほど貴重品と見られていたわけだ。

奈良県の当麻寺(たいまでら)は7世紀後半に創建された豪族・ 当麻(たいま)氏の氏寺であるが、 この当麻氏は大麻栽培に関わる豪族だったという。

昔から日本では神主が振る大幣には大麻の繊維が使用され、 秋の収穫祭で担ぐ神輿の上にも大麻の繊維が垂らされていたりと、 大麻には「悪を祓う力」があるとされてきた。

では「悪を祓う力」とは何か?

大麻を吸引する事による鎮痛、滋養強壮、疲労緩和作用だろう。

田舎の神社では御札には大麻が巻き込んであって、 疲れたときや腹痛に襲われたときには、火をつけてその「煙を吸って」いた。

現在でも浅草の浅草寺や川崎大師などでは本堂の前にもうもうと香を炊いており、その煙を頭や体にこすりつけては、 病気が治るというまじないを行っている信者たちの姿が見られる。

あれは昔は実際に境内で大麻を燃やし、その煙で信者を酔わせていた名残だという。

というのも、昔から日本では宗教と大麻は深い関係にあるからだ。

宗教と幻覚剤が結びつくのは世界的に見れば何ら珍しい事ではなく、 太古からシャーマンや僧侶、踊り子たちが 幻覚作用のある植物や茸を使ってトリップしていた。

そうして見た幻覚を「神のお告げ」として託宣していた。

アメリカ先住民のシャーマンはアヤワスカという飲料やサボテンのペヨーテから取った幻覚剤を使い、メキシコではマジックマッシュルームを宗教儀式や治療に用い、アマゾンのシャーマンはアヤワスカから作った幻覚剤を用い、アフリカでは幻覚成分を含むイボガを宗教儀式に用いた。


古代インドではシロシビンを含むキノコから作ったソーマという飲み物を飲んで霊感を得ていたという。

古代ギリシャでは毎年秋に、リゼルグ酸を含む麦角菌からくる幻覚作用によるエレウシスの秘儀が行われ、この狂騒状態の祭は1000年以上も続いていた。

インドの様々な煩悩を齎す根源である「マーラー」という悪霊の概念を輸入した際、 翻訳の上で中国で「鬼」(悪霊の事)という文字に「麻」をつくっつけた「魔」という文字を新たに作ったのも、 大麻を吸引する事で快楽が得られる事が知られていたためだろう。

日本でも『今昔物語集』の中でキノコを食べた途端多倖感に包まれ、 笑いが止まらなくなって踊りだすというエピソードがあり、
以後この茸はマイタケと呼ばれるようになったとあるが、 これは今日のマイタケではなく幻覚作用のあるワライタケと思われる。


山伏の修行にとっても大麻は欠かせない。

なぜなら彼らが祈りながら焚く「護摩」はもともとは大麻で、その煙を吸って意識変容をもたらし、宇宙の神秘を悟っていのだという。

これは密教僧たちにとっても同様であったろう。

いわば人類の歴史は幻覚剤とともに歩んできたもので、 それが後世作られたタブーで隠されているだけであるのだ。
http://uramiharasu11.blog.fc2.com/blog-entry-57.html

NO.2909153 2013/10/27 07:00
新城島の儀式ってなに?
詳細を知っている人は教えて下さい


#26 2013/11/07 16:10

キチ害によるキチGUYの為のキチガイ染みた宗教的な儀式w

キチガイ島民が多いからこんなキチガイ伝統行事が今だに残ってるんだなw
こんな島が近場にあるエーマンチュは恥ずかしいよw


#22 2013/10/31 02:48

乱交パーティーだろ。


#1 2013/10/28 07:20

誰にも言うな

生け贄だよ…


#2 2013/10/28 09:19

雄山羊の頭を被るやつ?


#3 2013/10/28 09:44

全裸の女を縛り付けて、鶏の血をぶっかけるの?


#4 2013/10/28 10:34

誰にも言わない事を約束して下さい。
絶対に誰にもです 誰にも・・・・・・

先ず、ヤモリの黒焼きと山羊の睾丸、水牛の角、 豚の脳ミソと米、塩、酒を神に捧げます。
そして、初潮を迎えた娘を全裸にして柱に縛り付け、神に仕える者が神降ろしをします。
処女の娘が米を噛んで吐き出したのを発酵させて作った米噛み酒を回し飲みし、トランス状態になりながら祭りは三日三晩続けられます。
種の保存の名の下、乱交が繰り広げられ、産まれた子は島の宝として大切に育てられ、将来は島の長として島を治めます。


といった事実は有りません。チャンチャン!(笑)


#13 2013/10/29 00:12

丑三つ時の月夜の晩にヤモリとバラを蝋燭で焼いて潰して粉にしてスプーン一杯舐めるのさぁ

そして呪文を唱えれば
世にも不思議な……になるよ〜


#16 2013/10/29 09:21
>>13
ホロレチュチュパレロチュチュ何でも願いが叶っちゃうホロレチュチュパレロチュチュ大人の知らない不思議な言葉


ウフッ
http://bakusai.com/thr_res/acode=11/ctgid=104/bid=6/tid=2909153/

276名無しさん@天国に一番近い島2016/08/13(土) 05:15:11.36ID:Ic6FmCqs

英語文献で見ると結構詳しく書いてあるのね。

https://books.google.co.jp/books?id=-Rhy_9p9BZQC&pg=PA389&lpg=PA389&dq=akamata-kuromata&source=bl&ots=7XKDkKnwAC&sig=yjZrpegyCXL-C52NJfRlGbFWo4Y&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=akamata-kuromata&f=false

まあ、要は男どもを年齢別に分けて、薬やって乱交するって事だろう。
流石に薬や乱交の事は文献には書いてないがwww

でも、秘密結社とやらの年齢別構成も書いてあるし、
英語ならばれないから研究者もガンガン英語で書いてんだなwww
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/tropical/1292412995/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c180

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