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2020年3月23日09時15分 〜
記事 [カルト25] ネトゲ・コメ・検査人数・和歌山1600東京1700、NY・48000、ミラノ・36000、ロンパリ各30000、ベル25000。東京の人口は和歌山の十五倍である。
アベカイダとソロス百合子の検査サボタージュが如何に犯罪的であるかが分かる数字だが、ようやく五輪延期又は中止を本気で検討し始めたようで、おふざけは終りである。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/610.html
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
34. 佐助[7886] jbKPlQ 2020年3月23日 09:16:34 : IQjAfxQurE : SjYwWS5oY2RqcHM=[416]
茶番を繰り返す詐欺政権と専門家,こうして世界恐慌を迎えるのだろう,対策示せ。

そしてこのどさくさに安倍晋三【東京五輪】米テレビ放映権を1400億円で購入


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
35. 2020年3月23日 09:16:38 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[420]

 本日 小池知事が 対策発表しました


 「東京ー横浜」の交通を遮断いたします
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK270] 森大臣が壊れてしまう程、安倍のウイルスが蔓延している。(かっちの言い分) 一平民
8. 2020年3月23日 09:16:58 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[1052]
もしかして小渕恵三元首相の絶句→緊急入院→死去のように脳に重大な病気が起こっているのかもしれない。同情する気もないのだが冗談抜きで森大臣には受診をお勧めする。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/767.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
36. 2020年3月23日 09:17:58 : z3AY0w8LW6 : elBCRi9WVzR2Zi4=[1]
>>32
結論ありきは日本国民の伝統だから仕方がない
日本のほとんどの会議は結論の言い訳を考えてるだけ
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c36
コメント [政治・選挙・NHK270] 辛坊治郎氏 キャスター降板に怒り爆発「某根性悪い放送局のおかげで…」/「報道界、テレビ界から消えてくれ!」の声も gataro
32. 2020年3月23日 09:19:46 : MXC1HQQj8c : UHBFRUNyUmhtckk=[1]
アビガン隠蔽工作の一人。

白木教授へのバカにした対応からデーブステイトのアビガン隠蔽の指示を受けていると確信したよ。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/757.html#c32

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
11. 2020年3月23日 09:20:18 : bUgw3NMey2 : czNkdHNVa3huTE0=[34]
事実上の延期宣言だな。

1年か、2年か。

経済への影響が大きいと思う。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
12. 赤かぶ[65565] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:22:29 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2646]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
13. 赤かぶ[65566] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:23:13 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2647]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK270] WHO事務局長「検査、検査、検査」の正論、日本では検査をすると未だ医療崩壊が起きると言う声(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
71. 前河[4033] kU@JzQ 2020年3月23日 09:23:48 : RMBp46ZcUQ : a1JBL29zZkVDdi4=[86]

タマ、
その返しも「負けそうになるとまともに答えずに話題を変える卑怯者」と楽老さんが言われたやつだな。笑

私は、ネトサポは返信回数がポイントになるから話題は何でもいいと見てるがな。相手が書きそうな話題をふる。という。

まあいいよ。私も基本的にはキミを相手にしないんだが、レスが他の方々に見て貰いたい内容がある時はレスをする。

>イタリアはなぜあんな惨状になったんですか。

お前テレビを見てないのか?散々やってる。

この阿修羅にもイタリアは検査を増やしたから医療崩壊につながったというアホがいた。

検査を増やす事と医療崩壊が起きる事は本来は関係がない。検査を増やしても、患者の住み訳をしっかり行えば医療崩壊は起きない。

イタリアが医療崩壊したのは、イタリアの対策の仕方に問題があった。

イタリアは患者を入院させる手順も考えずに無症状の検査の必要のない普通の人々まで一気に検査して一気に病院に入院させたのが失敗のひとつ。

いくら検査を増やすべきと言っても国民全員をやる必要もないし、ベッドの数との兼ね合い・バランスを考えて入院させるべき。

イタリアは緊縮財政で病院を減らし、医者までも減らしたのが医療崩壊につながった。

しかも軽症者を入院させてしまったがために、重症者の治療がままならずに死亡者が増えた。

つまり、イタリアの医療崩壊の原因は、医療体制の不備や治療をすべき人々の優先順位を間違えたからであって、検査数が多いから死亡者が増えたというのはあまりに短絡的。

日本は検査が必要な肺炎の人も検査が出来ない理不尽さ。

ゼロか百かの話ではない。日本はあまりに検査をしなさ過ぎだ。

理由もなくやみくもに検査をしても意味はないが、医者の判断で検査するかしないかの判断をすれば良い。

今は検査基準のハードルが下がったはずだが、まだ不足している。

和歌山の様に沢山の検査を行い適切に対処したら感染者への対応も上手く行きコロナ対策を成功させている。

何日か高熱状態が治まらないのを待ってから検査をするという厚労省の最初の基準は滅茶苦茶だ。

軽い症状の陽性患者は退院させ自宅で安静してもらい、症状の重い人のみ入院させる。

大阪のように患者の入院や治療の優先順位を病院ごとに役割を3〜4段階くらいに分けて決め、重傷者が治療出来ない状態を避ける工夫は大変良いと思う。

検査数を増やし、陽性患者を把握した後に感染者の症状に応じた治療体制を整えるのが大事だ。

感染者の有無もわからないようでは対策も立てられない。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/680.html#c71

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
14. 赤かぶ[65567] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:24:05 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2648]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
37. 赤かぶ[65568] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:24:59 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2649]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c37
コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
15. 赤かぶ[65569] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:26:10 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2650]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
38. 2020年3月23日 09:26:39 : sRr6kRZiV2 : dHlEZ1hjVHdkcVE=[77]
>28 ボケ老人=楽老さんへ

 多摩散人です。

>次から次へと新しく造語して国民を煙に巻く

 専門家会議の用語にケチを付けるのも悪くないが、27さんの挙げている数値に反論しないと、ただの揚げ足取りだよ。

 ボケ老人=楽老さんだって、インフォデミックなんて用語を偉そうに使ってるじゃないか。日本語の解説がないと分からない。

>隠す改竄する破棄する当局だ

 とうとう陰謀論しか逃げ場がなくなったね。あなたが「不正選挙」論には与(くみ)しないのは、評価していたんだがね。

>そのためにも、国際的に信用される数字を出さないとね。

 この騒動が終わって、世界が日本をどう評価するか、注目しましょう。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c38

記事 [カルト25] 藤原・東大教授・低線量でも小児甲状腺癌。アベカイダのアンコンは嘘で、五輪どころではないのである。
放射能とコロナで五輪どころではなく、本当はもっと放射能対策とコロナ対策を真剣にやらねばいけないのが日本である。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/611.html
コメント [政治・選挙・NHK270] 山本太郎と合流か 山尾志桜里が絶対許さないアノ男(週刊文春) 赤かぶ
40. 2020年3月23日 09:32:37 : 1MJygYWFpM : N2lHVE5zMlV4SkE=[50]
ラウンドアップが農協の専売品でもあるまいし枢軸みたいな物言いだな。
薬剤企業の日産化学工業が日本で販売してるので、
取引のある農協が取り扱う事自体、何ら問題はないよ。

既に特許が切れたラウンドアップ(グリホサートイソプロピルアミン塩等)は
全国のホームセンターで庭先の雑草処理名目で売ってる。

名前を変えたグリホサート入りの除草剤類は
「葉から入って根まで枯らす」特徴から選別は容易なので
草退治シャワーだの草当番といった安価なラウンドアップを使わない事が重要。

大規模集約化が叫ばれたおかげで大豆農家は作付面積を大幅に増やしたので
草取り作業が追い付かずにラウンドアップ亜種の
「サンダーボルト007」を散布して大豆生産に勤しんでる。

小規模、中規模で細々と安心安全をモットーに栽培していた農家に
エコノミックアニマルの精神を刷り込んだらこうなるに決まってる。
無関心、無知で弱小農家を叩いた因果応報と言える。

あなたが食べてるお豆腐や納豆の大豆はグリホサート入りじゃないといいね。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/749.html#c40

コメント [政治・選挙・NHK270] <大反響>「全て佐川氏の指示」赤木さん手記掲載の文春が即完売!→安倍官邸があらゆる手段(メディア恫喝・スピン・ネット工… 赤かぶ
96. 斜め中道 (-_-メ)[114] js6C35KGk7kgKC1fLdIp 2020年3月23日 09:33:11 : 460ZVzz1ys : SDZ2LjR6cm1sVk0=[3184]
>>67
腐った海月は、嫌なににおいを放つんだよ。
接続経路を匿名化しようがなんだろうが、その匂いは隠せない。
(これは、人格が文章に表現できてるという意味でりっぱんもんだにゃ♪)

もし、そんな臭いを持つウィルス感染者的人格が一山いたら、国にとっても結構な問題なんじゃないか?
まぁ・・・・政府にきいても「腐った海月感染の拡大は見られません」と言うだろうにゃ♪
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/729.html#c96

コメント [政治・選挙・NHK270] <新型コロナ>日本の感染者数の推移が「あまりに不自然」な件!PCR検査の「意図的な抑制」が数値に反映!「積極検査」を行なう… 赤かぶ
62. 2020年3月23日 09:34:42 : JsAwrKyAao : TTVPa29pOE5QRFk=[16]
肺炎で死亡した人のコロナ検査はどの程度しているのだろうか。しているなら、正し

い報告と発表がなされているのか? 
 

 そもそも、検査を実施し、なるべく実態に近い様子を把握するのが当たり前。それ


で医療崩壊しないように、取り仕切り采配するのが本来のまっとうな政治のやるべきこと。

 安倍ヨイショのヒラメばかりの文化人たちのコメントが信用できるものか!!
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/746.html#c62

コメント [政治・選挙・NHK270] 下手すりゃ次の犠牲者が出る 鉄面皮首相に問われる一分の良心 安倍政権で相次ぐ自殺や不審死(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
41. 2020年3月23日 09:35:41 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[1053]
安倍のみならず清和会総理の周りには怪死が多発している。

「サメの脳味噌」森喜朗の息子。彼は押尾学によるホステスのオーバードーズ殺人の真犯人とされるが、飲酒運転で事故を起こし逮捕。その後病気で死亡。

ご存知「首絞め親父」小泉。NHK論説主幹や民主党の石井紘基、ライブドア野口まで多岐にわたる。書ききれないのでリンクを付ける。
http://johnbenson.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6d19.html

そして岸信介のライバルだった石橋湛山は総理就任後に肺炎や脳梗塞を起こし退陣を余儀なくされた。石橋の後任総理には岸がついた。病状はいったん軽快したが再び発病し、死亡。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/766.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
16. 2020年3月23日 09:36:51 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[4682]
中止を渋って中途半端に延期を決めたとしてもウイルス騒ぎが短期間で収まらないとまたゴタゴタするだけだろう。五輪なんてただのアマチュアスポーツの大会でしかないのになぜここまで開催の可否を巡って大騒ぎしないといけないのかがよく分からない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK269] <都合の悪いことは屁理屈で逃げまくる!>首相「調査やコメントする立場にない」 夫婦別姓ヤジで  赤かぶ
37. 地下爺[10404] km6Jupbq 2020年3月23日 09:36:51 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[162]
ありや また消えた




http://www.asyura2.com/20/senkyo269/msg/268.html#c37

コメント [政治・選挙・NHK270] (悪魔か)赤木管理官の告発手記に、安倍総理「大変痛ましい出来事で、本当に胸が痛む」「改ざん二度とあってはならない」!→… 赤かぶ
122. 2020年3月23日 09:37:52 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1823]
>>119です
切り出したBシェルスクリプトのソースです。
少しずつチェックしながらくっつけたので、ごちゃごちゃしてますが、やってることは結構単純です。
-----
#! /bin/sh
echo -n "" > ID_list.txt
echo -n "" > ID_sort.txt
echo -n "" > count_list.txt
for F in "$@" ; do
nkf -w -Lu "$F" | \
sed -re 's//\n/g;' | \
egrep '\[' | \
sed -re 's/ : ]*>//g;' | \
sed -re 's/]*)" target="_blank">/\1 /g;' | \
sed -re 's/\[[-0-9][0-9]*\].*//g;' | \
sed -re 's/^([^ ]*) (.*)$/\2 \1/g;' | \
egrep '= ' >> ID_list.txt # 現在のID形式に絞る
done
cat ID_list.txt | \
sort | \
uniq > ID_sort.txt # リンク付きのリスト(abc順)
cat ID_list.txt | \
sed -re 's/ .*$//g;' | \
sort | \
uniq -c | \
sort -nr | \
tr -s " \t" " " | \
sed -re 's/^ //g;' > count_list.txt # 119のリスト

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/723.html#c122
コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
17. 赤かぶ[65570] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:37:54 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2651]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c17
コメント [カルト25] CNN・ロールスロイスも人口呼吸器生産。トヨタも日産もホンダもマツダも生産する事である。 ポスト米英時代
3. 2020年3月23日 09:38:20 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[244]

>1さんへ
今朝のラジオで アビガンが 中国で正式にコロナの特効薬になった・・と報道された ヤッホー (^O^)/

http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/607.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
18. 赤かぶ[65571] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:38:46 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2652]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c18
記事 [Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の71)・日月神示の研究・「パンデミックは、神が、変化(意識進化)を求めているのだ」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組」が始まり、2025年頃から「転換の仕組」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「パンデミックは、神が、変化(意識進化)を求めているのだ」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、今回の投稿は、いささか食傷気味の「新型コロナ」の話を止めようと思っていたところ、『楽しみに投稿を読んでいたのに、止めるんか』との「夢のお告げ」が有りまして、、、。

     まあ、これからの世の中は、
 「直感」が非常に大事に成ると思いますが、「直感」は、『内なる自分』(つまり、霊魂・スピリット・守護霊など)からの「メッセージ」ですから、「彼ら」を信じるほうが、良い結果を生むかも、知れません。


A 今回の記事の、「パンデミック」とは、「中世のペスト(黒死病)」・「第一次世界大戦のスペインかぜ」、そして今回の「新型コロナ」のことです。


B 結論を先に書くと。

 「パンデミック」は、(人心を変え、社会を変えてしまうから)、意識・精神面で、非常に大きな威力を持っていると言う事です。

 「中世のペスト」は、ヨーロッパの社会を根底から覆(くつがえ)したし、「第一次世界大戦のスペインかぜ」も戦争を早期に終わらせたし、その後の社会構造も大きく変えたと言うことです。

 そして、今回の「新型コロナ」も、今後、世界中の社会構造を大きく変えるだろうと想像します。

 そして、これらの「パンデミック」は、『神の采配によるものだ』と言う事です。


C 一応、「日月神示」。

◆(月光・11)、『病むことは神から白紙の手紙を頂いた・・心して読め・・ありがたき神からの手紙・・おろそかならん』。


◆(月光・30)、『心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐこと・・

 その病は自分では判らん・・わけの判らん虫わく・・わけの判らん病 はやるぞと申してある・・肉体の病ばかりでない・・心の病 はげしくなってゐるから気付けてくれ・・

 人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれ・・この病を治すのは、今日までの教では治らん・・病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならん・・病を浄化しなければならん・・悪を殺すと云う教や、やり方ではならん・・悪を抱き参らせて下され』
  

D−1 中世の「ペスト」の、意義。

ア) 「ペスト」の直接的な意義は、「罰ゲーム」だと言う事です。

 (ネットによれば)、「中世のペスト」は、ヨーロッパで1350年頃〜1420年頃までの70年間くらい流行した伝染病らしいが、当時の社会情勢は、東洋も西洋も、政情不安で大動乱の時代であり、

     ヨーロッパでは、
 繰り返される「十字軍」が、当初の理念・理想を逸脱して無茶苦茶な遠征を行っていたし、「百年戦争」の幕開けの時期でも有り、「魔女狩り」とも重なっていたかも知れません。

     日本も、動乱の無茶苦茶な時代だったが、
 1300年代前半の日本は、鎌倉幕府末期の動乱の時代に当たるが、1274年・1281年の「元寇」で人心が疲弊し、「徳政令」が横行し、1316年に北条高時が執権に成り、後醍醐天皇が政治に口をはさみ、ついに、1333年に鎌倉幕府が滅亡して、「南北朝」に分裂する混迷の時代に入ったが、
    その後の日本は、
 南北朝の動乱時代や、前期の守護大名の戦国時代や、後期の下克上の戦国時代を経て、徳川家康の天下統一までの三百年間が、無茶苦茶な時代だったと思います。

★ したがって、人々が、「神への方向性」を失い、「獣」(けもの)のように明け暮れたから、『そんな社会を創れとは命じていない』として、「イザナギ大神の罰ゲーム」が下されたのかも知れません。


イ) 間接的には、意識変化が起こって、その後の社会体制が「進化」した。

 日本を含めた世界中が、大動乱に明け暮れた時代でしたが、「ペスト」以降には、人々の意識に変化が起こって、少しずつですが、社会が変化して行きました。

      ヨーロッパでは、
 やがて、「ルネサンス」を迎えて「人間を謳歌する美学」が開化しましたし、旧来の「古典的な封建制度」から、国家意識という概念を含んだ「近代的な封建制度」に移行することに成ったし、
 商業面では、広範な海外貿易を活発化し、やがては、アジア・南米・北米にも進出する事に成りましたし、金融面では、「ベニスの商人」を生み出し、新しい金融資本経済を生み出したし、「ハンザ同盟」に代表されるような「多国籍企業集団」の原型のようなものも形成されたと思います。

      日本においては、
 鎌倉幕府の崩壊から、権門支配層が流動化し、戦国後期には下克上により、出自不問の「実力体制」に変化し、文化面では、「仏教美術」を離れて、荘厳華麗な「安土桃山文化」を生み出し、
 貿易面では、1368年の「元」の滅亡によって、足利義満が「日明貿易」で巨富を築く事に成ったし、日本人がフィリピン・タイなどに進出する切っ掛けを作ることに成りました。

★ これらのことから、1300年代は、世界にとっては、旧態依然とした体制から抜け出す「歴史の転換点」に成った年代とも言える訳であり、「ペスト」が、意識進化を促したのかも知れません。


D−2 第一次世界大戦末期の「スペインかぜ」の、意義。

 1914年(大正3年)から始まった「第一次世界大戦」末期の1918年(大正7年)から、「スペインかぜ」が大流行して、世界中で多くの人が死亡しました。

★ 戦争の結果、ロシア帝国・ドイツ帝国・ハプスブルグ家のオーストリアなどが滅亡して、国民主権の国家が築かれたし、(ヨーロッパ共同体としては不完全ながらも)「国際連盟」が設立されました。


E (神の采配による)「パンデミック」の、意義。

 戦争・動乱によって人々の意識が劇的に変化するのは、歴史から読み取れますが、「パンデミック」の演出によって、戦争を止めさせ、新しい機運を生む効果が有るのかも知れません。
      また、
 中世のペストは、ヨーロッパを混乱に陥れましたが、新しい風を生み、結果、王族個人の王国ではなく、国民全体の王国を生み出す原動力に成ったし、「中世ルネサンス」も生み出したと思います。
      また、
 第一次世界大戦の「スペインかぜ」でも、戦争が終わると、旧体制の「王家による帝国支配」が崩壊し、「国民主権による帝国主義」に刷新されたと思いますし、
 その後の「第二次世界大戦」では、「帝国主義」「植民地支配」が完全に崩壊して、現在の「国民主権の国家体制」が作り出されました。

 このように見ると、戦争・動乱・パンデミックは、「マイナスの側面」を持つと同時に、新しい機運を生むという「プラスの側面」も持っているのでは無いかと感じます。(新たな創造のための破壊)。


F 今回の「新型コロナ」の、意義。

 今回の「新型コロナ」で、世界は大きく変わると思いますが、現在の資本主義体制・個人主義の時代が終焉を迎えて、新しい生き方・新しい世界観が生まれるだろうと思います。

 『病むことは神から白紙の手紙を頂いた』と悟るか、『わざわいだ、災いだ』と嘆くか、人それぞれ。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/694.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 「安倍首相、麻生大臣。あなた方は調査される側で『再調査しない』と言える立場にありません」自死職員の妻  相澤冬樹(大阪… 赤かぶ
45. 2020年3月23日 09:40:14 : JsAwrKyAao : TTVPa29pOE5QRFk=[17]
 正義のないところに、繁栄はない。 正義を支持できない国民に明日はない。修羅

の道が待ち受けるのみ。

 全面的に告発者を支持する!
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/763.html#c45

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
19. 赤かぶ[65572] kNSCqYLU 2020年3月23日 09:40:28 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2653]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c19
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
39. 2020年3月23日 09:46:01 : eQHpkW1P7s : Li5jYUI0RzNET2c=[472]
>>27
>>38

 それを言うなら、「1日当たり検査数も」国別に示してもらえると、更に信憑性が高まると思うよ。
 ぜひお願いします。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK270] 森友学園疑獄の追及が恐くて、コロナ対策の記者会見をドタキャンしたチキン野郎!!  赤かぶ
53. 地下爺[10405] km6Jupbq 2020年3月23日 09:46:34 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[163]
にわとりさんの名誉のため転載します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【科学ニュース】考えるニワトリについて考える
https://www.kagaku-kentei.jp/news_detail/data/353

  ニワトリは、人が思っているほど無知な“鳥頭”ではない
 (英語にも“bird-brained=愚かな、頭が足りない”という言葉がある)。
 実際のニワトリは、それぞれに個性があり、相手の裏をかくこともでき、
 グループ内の“つつき順位”を認識し、理にかなった推論ができ、その能力は
 7歳児にも相当する。つまり、ニワトリの知能は他の鳥類と比べても不当に
 過小評価されている。

  こう述べるのは、家畜動物の保護施設「ファーム・サンクチュアリ」と
 動物擁護研究機関「キンメラ・センター」のジョイントベンチャー
 「サムワン・プロジェクト」で上席科学者を務めるローリ・マリーノ
 (Lori Marino)氏。同氏は、世界で最も多く飼育されている家畜動物である
 ニワトリの心理、行動、感情に関する最新の査読付き研究十数件のレビューを行い、
 Animal Cognition誌に発表した。

  キンメラ・センターのWEBサイトでも、2017年が十二支の酉年であることを
 引き、“It’s the Year of the Rooster in More Ways than One!”
 (いろいろな意味で雄鶏の年)としてマリーノ氏のレビューを採りあげている。

 「ニワトリは、知能の高い他の動物が持つとされる心理特性のほとんどを欠いていると
 見なされ、一般的に他の動物に比べて知能レベルは低いと考えられている。ニワトリの心理という概念自体が、ほとんどの人には奇妙に感じられる」とマリーノ氏は言う。

  ある研究では、ニワトリにある程度の数の認識ができることを示している。
 孵ったばかりのヒナの実験で、個数の違いを見わけられることがわかった。
 順序についての概念も持ち合わせており、数量の順に並べる能力が示された。

  例えば、ヒナにボールを2個の組と3個の組に分けて見せる。2つの組をそれぞれ衝立で隠し、
 一方の衝立の後ろからもう一方の衝立の後ろへ、ヒナから見えるようにボールを
 ひとつずつ移動する。移動のあとでどちらの衝立の後ろにボールがより多くあるか
 を知っているためには、頭の中で一方については加算、もう一方については減算を行う必要がある。
そしてヒナは、必ずボールが多い方の衝立を選び、このような単純な計算を正しく行っていることを示した。

  ボールの移動の様子を見ていた場合には、ボールの移動経路(どこからどこへ)を
 最大で180秒間記憶でき、ボールを隠すのを見ていなかった場合も、ボールがそこにあったことを1分間は
 記憶していた。この能力は、同様な条件下で多くの霊長類が示すものに近い。

  ニワトリは、待つことでより良い食物の報酬が期待できる場合には、自制することができる。
 また、“つつき順序”と呼ばれる序列内の自身の位置を知ることができる。この2つの特性は、
 自己認識のレベルを示している。

  ニワトリ間のコミュニケーションもなかなか複雑で、広く多彩な視覚ディスプレイの
 レパートリーと少なくとも24種類の発声で構成されている。ニワトリには、
 情報を伝達する呼びかけ、表示(ディスプレイ)、および警告からなる複雑な
 指示コミュニケーション能力があり、これを使って例えば危険があるときには
 周囲の仲間に注意を促す。この能力は、一定レベルの自己認識と他の動物を
 知覚できていることを前提としており、霊長類などの高い知能と社会性を
 持つ動物に備わっている能力である。
 
  ニワトリは、時間の経過を認識し、将来の現象を予測することができる。
 他の多くの動物と同じように、問題の解決が求められる社会的状況に置かれると、
 複雑性の認知能力を示す。

   ニワトリは、恐れや期待、不安などの複雑な負および正の感情を経験している。
 自らにとって最良であるかどうかに基づいて意思を決定する。
 “感化(emotional contagion)”と呼ばれる共感または感情移入の能力を、
 単純なレベルながら有している。個々に異なる個性があるだけでなく、
 母鳥は一定範囲の母性的特性も示し、それがヒナの行動にも影響しているようだ。
 相手を出し抜くことができ、相手を見て学ぶこともできる。

 「ニワトリの心理と行動について人が知りたいと思う内容が変わってくれば、
 より多くの正確なデータが集まり、ニワトリの真の姿をより正しく理解できるようになるだろう」。
 マリーノ氏はレビューをそう結んでいる。




http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/743.html#c53

コメント [政治・選挙・NHK270] 辛坊治郎氏 キャスター降板に怒り爆発「某根性悪い放送局のおかげで…」/「報道界、テレビ界から消えてくれ!」の声も gataro
33. 2020年3月23日 09:48:18 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[245]

>32さんへ
今朝のラジオで中国が アビガンを 正式にコロナの特効薬に認定したそうです (^O^)/ 
日本も 中国に続け (*^_^*)
★さあ、皆で連呼! アビガン アビガン 10万円 アビガン  アビガン 10万円 ★10万円の生活補償も (^O^)/

 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/757.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK270] 家賃が払えず、食費も尽きる 25日がヤマ(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
44. 2020年3月23日 09:49:22 : HyHxwTE03o : SzhqL0JESU1DWGc=[1800]
>>12

自治体がソンナニほいほい貸すか。

聞いたことがないな。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/770.html#c44

コメント [政治・選挙・NHK270] 山本太郎と合流か 山尾志桜里が絶対許さないアノ男(週刊文春) 赤かぶ
41. 2020年3月23日 09:49:51 : sLjyBhp9UM : THNiUUJIM1NZUU0=[26]
>>40
視野が狭いな。
ラウンドアップなんて世界中で発がん物質として認識されている。
米国では訴訟続出でモンサントの親会社のバイエルの株価が
大幅に下がった。賠償金支払いのためだよ。
ラウンドアップが日本に入ってきたのは住友化学の経団連会長の
米倉の時で、彼は日本人じゃなかった。
少なくとも欧州やロシアでは全面禁止だ。
いくら高齢化して除草が困難といっても世界の潮流に
逆らうことは身を亡ぼす。
日本でラウンドアップが使われていることを知ったら、
すくなくとも欧州の人は日本に旅行には来ない。
それに次世代の人に責任がある。
本当に小人の若者が多くなってるし、放射能と相乗効果で
癌になる人が多い。しかも多額の医療費ふんだくられて
安月給からどうやって生活しろと言いたいのか。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/749.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
48. 2020年3月23日 09:50:22 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1824]
>>45
無症状で感染拡大させる事例が全く無いならそれでもいいんだけど、実際は違うよね。
ドライブスルー検査なら待合室使わないからいいんじゃないの?
ちなみに、今の町医者、田舎では割と空いてる。
(そして先生はビクビクしながら待合室をちょくちょく覗いてる。患者も減ってるんだね)
>>46
別に抗体を検査してる訳じゃないし。
ウィルスそのものの存在をチェックしてるんだよ。
>>47
熱が出たら、ちょいとヤバいかもって思ったときに、かかりつけ医に電話で相談。
厚労省の指針はガン無視で結構。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c48
記事 [カルト25] NHK・メルケル・担当医感染で在宅勤務。アベカイダも色んな意味で入院すべきである。
鬼畜米英ラエルの傀儡で、ベン・ヒトラーロスチャイルドの娘、らしいメルケルも自宅隔離で、コロナ騒動はアングロサクソンミッションは連中のイメージと違う展開になっているようである。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/612.html
記事 [近代史4] インド人は汚い

インド人は汚い 黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html


 不潔と言えば、インド人を忘れてはならない。インド人というのは独特の感性を持っているのか、鼻と口が曲がってしまうほど臭いガンジス川でも水浴びができてしまう民族だ。彼らは動物の死骸やゴミが浮いていても平気である。インド人の子供や老人は免疫力が桁外れなのか、嬉しそうに顔や体を洗って元気溌溂。除菌クリーナーで便座を拭いている日本人には到底真似できない。でも、こんな国が真夏を迎えたらどうなるのか。未だにインドは階級社会で格差社会。自宅に便所が無い庶民も多く、近くの穴や共同便所で排便だ。インドの田舎だと約50%の家庭が屋内の便所を持っていないので、排便の時は外に出て、草むらや林の中で用を足すらしい。さすがに都会では“路上排便”は少なくなったけど、ムンバイに住むある映画プロデューサーの夫人が外出したら、野糞をしている人を見かけて驚いたという。


(写真 / インドにおける野外便所 )

  下水設備や衛生施設が普及していないインドだと、都市部でも7.5%の人々が適切なトイレを利用できず、一般世帯の39%くらいしか便所附自宅に住んでいなそうだ。こんな状況だから、ボリウッド(インドの映画界)は民衆が共感できる『トイレ : ある愛の物語(Toilet : Ek Prem Katha)』というラヴ・コメディーを作った。日本人だと信じられないが、インドではそれなりにヒットした。この作品では、主人公のジャヤが新婚の女性という設定になっている。だが、彼女は夫のもとを離れてしまう。なぜなら、二人の新婚家庭には屋内便所が無いからだ。近代的生活に憧れるインド人女性には、トイレ無しの住宅なんて我慢できない。野外便所が普通の田舎では、排便に出掛けた女性が強姦されるという事件がよくあるから、野原で下半身を露出するのは危険である。

(左 : 街角に貼られた円河の宣伝ポスター / 右 : インド人の一般女性)

  日本人女性がインドを旅行すれば、ちゃんと綺麗な便所が設置されているホテルに泊まり、外人観光客が訪れる施設を巡ると思うが、地方の観光地だと衛生的なトイレは期待できない。たぶん、真夏の便器から漂う臭気は強烈だから、排便を断念する人もいるだろう。一般の観光客だと悲鳴を上げて卒倒するんじゃないか。普通の日本人は口にしないけど、インドには色々な雑菌やウイルスが存在する。だから、インドを旅行するなんて、黴菌を浴びに行くようなものだ。仮に、たけし軍団が「お笑いウルトラ・クイズin インド」を企画しても、インダス川に飛び込む“罰ゲーム”は恐ろしくて出来ないぞ。もし、若手藝人が何らかの病原菌に感染したら、番組のプロデューサーやディレクターは左遷か降格だ。バブル時代には無謀な企画が数々あったけど、平成から令和の不況時代だと無理。

牛の小便は特効薬?

  日本では武漢ウイルスが流行し、老人から幼児まで、アルコール消毒液で両手を殺菌だ。一部の人々は、無駄と分かってもマスクをしたり、と涙ぐましい努力で感染拡大防止に努めている。しかし、インドでは別の方法が“実行”されていた。何と、牛の尿を呑んでコロナウイルスを退治しようとする集団がいたのだ。スワミ・チャクラパニという人物に率いられた「牛尿党(gaumuta party)」のメンバーは、コップに牛の小便を注ぎ、その液体を一気に飲み干していたのである。("Coronavirus : Group hosts Cow urine party, says COVID19 due to meat-eaters", The Hindu, March 14, 2020.)

(左 / 牛の尿を飲み干すインド人)


  このチャクラパニという党首は、「アキル・バラト・ヒンドゥー・マハサバ(Akhil Bharat Hindu Mahasabha)」という団体の議長であるという。彼によれば、今回の新型コロナウイルスは、非菜食主義者を罰するためにやって来た神様の化身であるそうだ。つまり、肉を食べる奴らを懲らしめるために、神様がウイルスに化けて現れたという教義らしい。なるほど、牛を神聖な動物と考えるインド人にしたら、ハンバーガーを食べるヨーロッパ人や日本人は「けしからん連中」だから、病気になっても“当然”という理屈だ。件(くだん)の党首様は歐米の記者に向かって、「君らが動物を殺す時は、破壊をもたらすある種のエネルギーを創りだしているんだぞ !」と言い放ち、「世界の指導者達は、インドから牛の小便を輸入すべきだ。なぜなら、全知全能の神様はインドの牛にしか存在せず、外国で育った牛には居ないんだからな !」と説教した。もちろん、インド政府や衛生当局のクリティ・ブシャン局長は、牛の尿にウイルスを殺す効果は無く、科学的根拠のない話である !」と否定したそうだ。

(左 / 牛の小便をタンクから出すインド人 )


  確かに、動物の尿を飲んだからといって、ウイルスの感染を防止できる訳じゃない。たぶん、大多数のインド国民は「馬鹿らしい迷信だ !」と思っているはずだ。しかし、「牛尿党」の一般党員は信じている。サヴィタという主婦は自慢げに、「私は毎日これを飲んでいるわ! これ異常に健康的なものは無いのよ ! 私の家族も牛の尿を毎日飲んでいるの !」と笑顔で話し、グラスに注いだ牛の尿を啜っていたそうだ。「世田谷自然食品」とか「青汁」なら分かるけど、牛が排出した黄色い液体なんか御免である。でも、まぁ、「病は気から」という格言もある。牛の小便を飲んで元気ならいいじゃないか。ただし、目の前で牛乳ならぬ「牛尿」を飲まれては、ちょっと距離を置きたくなる。インドのネレンドラ・モディ首相は、「清潔なインド(Swachh Bharat)」運動を提唱し、各家庭に屋内便所を普及させる、と意気込んでいたが、それなら同時に「啓蒙活動」も展開した方がいいんじゃないか。

  筆者は「アジア人が全て不潔」と断定している訳じゃない。単に「異なった風習や信仰、伝統文化を持つ外国人を日本に招くのは危険だ」と言いたいだけである。特に、アジアやアフリカの異民族を受け容れると、日本人の拒絶反応を増加させるばかりか、日本社会の破壊にも繋がってしまうのだ。多文化主義というのは、ホスト国の住民に「我慢」と「譲歩」を要求する一方で、異質な移民の主張を正当化するイデオロギーとなっている。これは有害思想以外の何物でもない。もし、普通の日本人が支那人や朝鮮人、あるいはインド人やアラブ人の慣習を嫌うと、いくら「自然な拒絶反応」であっても、日本人による「民族差別」とか「異国人への偏見」と見なされてしまうのだ。とりわけ、大学時代に文化人類学とか国際関係論、社会学などの講義を受けた日本人ほど、アジア移民に譲歩し、卑屈な態度を取ってしまう。一般的に、高学歴の日本国民は“無自覚”のリベラル派、つまり確固たる信念無き“なんちゃって左翼”になりやすい。

  多文化主義の弊害は具体例を考えてみれば解るはずだ。例えば、インド人の青年が日本に移住し、日本語を習得して寿司職人の修行を始めたとする。貧しいアジア国から来た移民が日本人以上にコツコツと働き、熱心に努力すれば、巷の日本人は「大したもんだなぁ〜」と感心するだろう。しかし、この見習い職人が休憩時間に便所に入り、左手の指で肛門を洗えば、「えぇぇぇ〜、嫌だぁぁ !!」と身震いし、彼が握る寿司をつまむことはないはずだ。

いくら、この見習い職人が「ちゃんと洗面所で石けんを使って手を洗いました」と述べても、日本人の顧客は彼の寿司店を敬遠し、常連客でも寄りつかなくなる。もちろん、インド人の観光客がこの寿司店を嫌い、同胞の寿司を食わないのは理解できる。インド人によれば、左手は不浄なので、見ず知らずの他人が両手を使って握る寿司なんか、とても食えたもんじゃない。なにせ、下層民が触れた食器でさえ厭がるんだから。したがって、もし、この見習い職人が下層階級の出身者なら、上流階級のインド人は決して彼の料理を食べないだろう。実に酷い話だが、これはインド人の伝統的風習だから非難されることはない。

ところが、日本人に「左手は不浄」と見なす文化は無いから、インド人が握った寿司を拒めば、不合理な「民族差別」となる。机上の空論をもてあそぶ大学教授は、気軽に「異文化との共存」を説くが、実際の社会では文化の衝突や軋轢の方が多い。インド人からすれば、紙で肛門を拭く日本人の方が汚く、水を掛けて、肛門を入念に洗浄するインド人の方が清潔だ。一般の日本人は、こう説明されると反論しにくく、感情的に反撥するしかない。だが、もし、日本人がインド人の風習を否定すると、異文化の否定に繋がってしまい、「違った文化を尊重すべし」という多文化主義のドグマ(教義)に反してしまう。だが、多文化主義の“洗脳”を受けていない普通の日本人だと、「そんなの嫌だ ! ふざけんじゃねぇ!」と激怒してしまうから、こうした人々は「ネオナチ」とか「排外義者」と呼ばれてしまうのだ。テレビに出てくる御用学者はよく「寛容の精神」を説くが、そんなのは「屈服の根性」に過ぎない。日本は「日本人のホームランド(自宅のような国家)」であるから、「嫌なものは嫌」と言える自由があるし、不愉快な外人を排除するのは我々勝手である。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/631.html

記事 [カルト25] ネトゲ・トラ・家にこもって生き延びろ。一方アベカイダは、満員電車に乗って感染しろで、千代田区の半封鎖をしなければ駄目である。
和歌山より少ない検査数で東京は安全だなどとほざいても日本人の半分は騙せても世界は騙せない訳で、いい加減にまともな対策をしなければ駄目である。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/613.html
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
1. 赤かぶ[65573] kNSCqYLU 2020年3月23日 10:01:07 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2654]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c1
コメント [近代史4] ユダヤ人とは関わらない方がいい理由 中川隆
2. 中川隆[-13537] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:01:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1367]

日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。


(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/562.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
2. 赤かぶ[65574] kNSCqYLU 2020年3月23日 10:03:23 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2655]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c2
コメント [カルト25] 日経・外務省・米からの入国制限、箱コネ・米が日本への渡航中止勧告。相思相愛で日米同盟解消まで行く事である。 ポスト米英時代
3. 2020年3月23日 10:05:11 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[246]

>1さんへ
★男性の方が 2倍感染が多い理由は・・・コロちゃん報道の初期の頃に ラジオで専門医が話していた!!

理由・・汚い手( 普通、お手洗いの前には手を洗わないので )で男性自身をさわるから・・
男性自身の先っぽは粘膜なの 汚い手のままでで触って 尿道から コロちゃんが侵入する・・(−−〆)

故に男性はおしっこの前に手を洗い、便座やドアノブをさわって便所を出た後にも手洗いをする。
これが男性の 正しい放尿のやり方 (^O^)/


http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/608.html#c3

コメント [近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
8. 中川隆[-13536] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:05:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1368]

ヒトラーがユダヤ人を嫌った理由


日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
3. 赤かぶ[65575] kNSCqYLU 2020年3月23日 10:05:34 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2656]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c3
コメント [近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
9. 中川隆[-13535] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:06:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1369]

ヒトラーがユダヤ人を嫌った理由


日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
40. 2020年3月23日 10:07:52 : HyHxwTE03o : SzhqL0JESU1DWGc=[1801]
北海道から段々、西へ、
そして都市部へ。やはり都市部が一番のがんかな。

米国製コロナはもっと、被害が大きいはずなのに、

拍子抜けか。計画通りには米国も行かなかったということなのか。

安倍と、小池百合子を追い詰めてゆく、コロナは、段々

迷惑な存在でもなくなっている。日ごろ無関心な

国民の行動や心理が、政治家に厳しい目を向けている。
それだけでもすごいこと。

韓国の体制は、どれをとっても、日本の上をいっている。

あれだけ,嫌韓を煽っていたメディアが、手のひら返したように。

  


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c40

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
6. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:10:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1370]

ワイダ カティンの森 Katyń (2007年)

監督 アンジェイ・ワイダ
脚本 アンジェイ・ワイダ ヴワディスワフ・パシコフスキ プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
原作 アンジェイ・ムラルチク
音楽 クシシュトフ・ペンデレツキ
撮影 パヴェウ・エデルマン
公開 2007年9月17日
製作国 ポーランド
言語 ポーランド語 ドイツ語 ロシア語


動画
https://www.nicovideo.jp/search/KATY%C5%83%20%20%2F7%20?f_range=0&l_range=0&opt_md=&start=&end=


キャスト

マヤ・オスタシェフスカ (Maja Ostaszewska):アンナ
アルトゥル・ジミイェフスキ (Artur Żmijewski):アンジェイ大尉 - アンナの夫、カティンで殺害される
ヴィクトリア・ゴンシェフスカ (Wiktoria Gąsiewska) : ヴェロニカ(通称ニカ) - アンジェイとアンナの娘
マヤ・コモロフスカ (Maja Komorowska):アンジェイの母
ヴワディスワフ・コヴァルスキ (Władysław Kowalski):アンジェイの父・ヤン教授 - ヤギェウォ大学教授、講演会を名目に大学に招集され、同僚とともに収容所に送られ、病死
アンジェイ・ヒラ (Andrzej Chyra):イェジ中尉 - アンジェイの戦友 - カティンで殺害されず帰還、のちに「カティンの森事件」について、ソ連側の証人となったことを恥じて自殺
ダヌタ・ステンカ (Danuta Stenka):大将夫人ルジャ
ヤン・エングレルト (Jan Englert):大将 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・グリンスカ (Agnieszka Glińska):イレナ - ピョトル中尉の妹
マグダレナ・チェレツカ (Magdalena Cielecka):アグニェシュカ - ピョトル中尉、イレナの妹
パヴェウ・マワシンスキ (Paweł Małaszyński):ピョトル中尉 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・カヴョルスカ (Agnieszka Kawiorska):エヴァ - 大将とルジャの娘
アントニ・パヴリツキ (Antoni Pawlicki):タデウシュ(トゥル) - アンナの甥、父カジミエシュはカティンで殺害される
アンナ・ラドヴァン (Anna Radwan) : エルジュビェタ - タデウシュの母
クルィスティナ・ザフファトヴィチ (Krystyna Zachwatowicz):グレタ - ドイツ総督府の法医学研究所関係者。イェジ中尉の依頼により、アンナにアンジェイ大佐の手帳をわたす
セルゲイ・ガルマッシュ (Sergei Garmash) : ポポフ大尉 - 同情的でアンナを秘密警察から匿った赤軍将校
スタニスワヴァ・チェリンスカ (Stanisława Celińska) : スタシア - 大将の使用人
クシシュトフ・グロビシュ (Krzysztof Globisz) : 医師 ドイツ総督府の法医学研究所で、カティンの森の事件の調査をしている。ポーランドがソ連により解放されることになり、自分の身の危険を感じている。


▲△▽▼


『カティンの森』(ポーランド語: Katyń)は、2007年(平成19年)製作・公開のポーランドの映画(en:Cinema of Poland)である。第二次大戦下に実際に起きた「カティンの森事件」を題材とした映画である。


自らの父親もまた同事件の犠牲者である映画監督アンジェイ・ワイダが、80歳のときに取り組んだ作品である[1]。原作は、脚本家でありルポルタージュ小説家でもあるアンジェイ・ムラルチクが執筆した『死後 カティン』(Post mortem. Katyń, 工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』)である。構想に50年、製作に17年かかっている。

撮影は『戦場のピアニスト』等でも知られるポーランド出身の撮影監督パヴェウ・エデルマン、音楽はポーランド楽派の作曲家クシシュトフ・ペンデレツキが手がけた。ポーランドでは、2007年9月17日に首都ワルシャワでプレミア上映され、同年同月21日に劇場公開された[2]。

翌2008年(平成20年)、第58回ベルリン国際映画祭でコンペティション外上映された[2]。

ワイダは、2010年(平成22年)4月7日、ロシアのウラジーミル・プーチン首相、ポーランドのドナルド・トゥスク首相が出席した「カティンの森事件」犠牲者追悼式典に参列した[3]。同月10日に開催予定であったがポーランド空軍Tu-154墜落事故のため中止となった「カティンの森事件」追悼式典のための大統領機には、搭乗してはいなかった[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE


1939年9月、クラクフのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)は娘を連れ、夫のアンジェイ大尉(アルトゥル・ジミイェフスキ)を探しに行く。一方、東から来た大将夫人(ダヌタ・ステンカ)はクラクフに向かう。アンジェイや仲間のイェジ(アンジェイ・ヒラ)たちは、ソ連軍の捕虜となっていた。アンジェイは、見たことすべてを手帳に書き留める決意をする。アンナはクラクフに戻ろうとするが、国境を越えられない。11月、アンジェイの父はドイツ軍の収容所に送られる。翌年初め、アンナと娘、アンナの義姉と娘は、ロシア人少佐の家に匿われていた。義姉親子は強制移住のため連れ去られるが、アンナたちは逃げ延びる。春、アンナと娘は義母のいるクラクフへ戻り、義父の死を知る。アンジェイはイェジから借りたセーターを着て、大将、ピョトル中尉らと別の収容所に移送される。1943年4月、ドイツは一時的に占領したソ連領カティンで、多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表する。犠牲者リストには大将、イェジの名前が記され、アンジェイの名前はなかった。大将夫人はドイツ総督府で夫の遺品を受け取り、ドイツによるカティンの記録映画を見る。1945年1月、クラクフはドイツから解放される。イェジはソ連が編成したポーランド軍の将校となり、アンナにリストの間違いを伝える。イェジは法医学研究所に行き、アンジェイの遺品をアンナに届けるよう頼む。イェジは大将夫人から“カティンの嘘”を聞き、自殺する。国内軍のパルチザンだったアンナの義姉の息子タデウシュは、父親がカティンで死んだことを隠すよう校長から説得されるが、拒否する。その帰り道、国内軍を侮辱するポスターを剥がした彼は警察に追われ、大将の娘エヴァと出会う。校長の妹はカティンで遺体の葬式を司った司祭を訪ね、兄ピョトルの遺品を受け取る。そして兄の墓碑にソ連の犯罪を示す言葉を刻み、秘密警察に狙われる。法医学研究所の助手グレタはアンナに、アンジェイの手帳を届ける。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=40518


▲△▽▼


カティンの森事件(ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦(ロシア共和国)のグニェズドヴォ(Gnyozdovo)近郊の森で約22,000人[1]のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソビエト内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。

NKVD長官ベリヤが射殺を提案し、ソビエト共産党書記長スターリンと政治局の決定で実行された[2]。

「カティン(カチンとも。Katyń)」は現場近くの地名で、事件とは直接関係ないものの、覚えやすい名前であったためナチス・ドイツが名称に利用した。


経緯

1939年4月にドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を廃棄し、同年8月にドイツとソ連の間で独ソ不可侵条約が締結された。同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻することで第二次大戦が始まり、9月17日にソ連も同様にソ連・ポーランド不可侵条約を廃棄してポーランドの東部に侵攻した。独ソ不可侵条約には秘密議定書があり、両国はそれに従ってポーランドへの侵攻と分割占領を行ったのである。


ポーランド人捕虜問題

1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両国によってポーランドは攻撃され、全土は占領下に置かれた。武装解除されたポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、ソ連軍に降伏した将兵は強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。

ポーランド政府はパリへ脱出し、亡命政府を結成、翌1940年にアンジェへ移転したがフランスの降伏でヴィシー政権が作られると、更にロンドンへ移された。

1940年9月17日のソ連軍機関紙『赤い星』に掲載されたポーランド軍捕虜の数は将官10人、大佐52人、中佐72人、その他の上級将校5,131人、下級士官4,096人、兵士181,223人となった。その後、ソ連軍は将官12人、将校8,000人を含む230,672人と訂正した[3]。ポーランド亡命政府は将校1万人を含む25万人の軍人と民間人が消息不明であるとして、何度もソ連側に問い合わせたが満足な回答は得られなかった。

1941年の独ソ戦勃発後、対ドイツで利害が一致したポーランドとソ連はシコルスキー=マイスキー協定(英語版)を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜はすべて釈放され、ポーランド人部隊が編成されることになった。しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかった。そこで亡命政府は捕虜釈放を正式に要求したが、ソ連側は全てが釈放されたが事務や輸送の問題で滞っていると回答した。12月3日には亡命政府首相ヴワディスワフ・シコルスキがヨシフ・スターリンと会談したが、スターリンは「確かに釈放された」と回答している。


捕虜の取扱い

ポーランド人捕虜はコジェルスク、スタロビエルスク(英語版)、オスタシュコフの3つの収容所へ分けて入れられた。その中の1つの収容所において1940年の春から夏にかけて、NKVDの関係者がポーランド人捕虜に対し「諸君らは帰国が許されるのでこれより西へ向かう」という説明を行った。この知らせを聞いた捕虜たちは皆喜んだが、「西へ向かう」という言葉が死を表す不吉なスラングでもあることを知っていた少数の捕虜は不安を感じ、素直に喜べなかった。彼らは列車に乗せられると、言葉通り西へ向かい、そのまま消息不明となる。


事件の発覚

スモレンスクの近郊にある村・グニェズドヴォ(Gnyozdovo)では1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂が絶えなかった。独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際にこの情報を耳にした。

1943年2月27日、ドイツ軍中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。報告を受けた中央軍集団参謀ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ将軍は「世界的な大事件になる」と思い、グニェズドヴォよりも「国際的に通用しやすい名前」である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として報告書を作成、これは中央軍集団からベルリンのドイツ国民啓蒙・宣伝省に送られた。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。


発見当初の動静

1943年4月9日、ゲッベルスはワルシャワ、ルブリン、クラクフの有力者とポーランド赤十字社に調査を勧告した。ポーランド赤十字社は反ソプロパガンダであるとして協力を拒否したが、各市の代表は中央軍集団司令部に向かい、調査に立ち会った。ドイツ側は赤十字社の立ち会いの後に事件を公表する予定であったが、1943年4月13日には世界各紙で「虐殺」情報が報道された。このため、ドイツのベルリン放送でカティンの森虐殺情報が正式に発表された。

1943年4月15日、ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し、1941年にソビエトに侵攻してきたドイツ軍によってスモレンスク近郊で作業に従事していたポーランド人たちが捕らえられて殺害されたと主張した。しかし、捕虜がスモレンスクにいたという説明はポーランド側に行われたことがなく、亡命政府はソ連に対する不信感を強めた。ポーランド赤十字社にも問い合わせが殺到し、調査に代表を派遣することになった。すでに回収された250体の遺体を調査した赤十字社は遺体がポーランド人捕虜であることを確認し、1940年3月から4月にかけて殺害されたことを推定した。1943年4月17日、ポーランド赤十字社とドイツ赤十字社はジュネーヴの赤十字国際委員会に中立的な調査団による調査を依頼した。

これを受けてソ連はポーランド亡命政府を猛烈に批判し、断交をほのめかした。ソ連の反発を見た赤十字国際委員会は全関係国の同意がとれないとして調査団の派遣を断念した。1943年4月24日、ソ連はポーランド亡命政府に対し「『カティン虐殺事件』はドイツの謀略であった」と声明するように要求した。ポーランド亡命政府が拒否すると、26日にソ連は亡命政府との断交を通知した。

ポーランド赤十字社はカティンに調査団を送り込み、また、ドイツもポーランド人を含む連合軍の捕虜、さらにスウェーデン、スイス、スペイン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ハンガリー、チェコスロバキア(ベーメン・メーレン保護領及びスロバキア)など各国のジャーナリストの取材を許可した。さらに枢軸国とスイスを中心とする国から医師や法医学者を中心とする国際調査委員会が派遣された。1943年5月1日、国際委員会とポーランド赤十字社による本格的調査が開始された。


第一次調査

調査はソ連軍がスモレンスクに迫る緊迫した状況下で行われた。国際委員会は遺体の発掘と身元確認と改葬を行い、現地での聞き取り調査も行った。ドイツ側は「12,000人」の捕虜の遺体が埋められていると発表していたが、実数はそこまでには至らなかった。

発掘途中の調査では、遺体はコジェルスクの捕虜収容所に収容されていた捕虜と推定された。遺体はいずれも冬用の軍服を装着しており、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っていた。遺体の脳からは死後3年以上経過しないと発生しない物質が検出されたことや、墓穴の上に植えられた木の樹齢が3年だったこと、遺体が死後3年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連の犯行を窺わせた。

また、調査に同行したアメリカ軍捕虜のジョン・ヴァン・ブリード大佐とスチュワート大尉は、捕虜の軍服や靴がほころびていないことからソ連軍による殺害であることを直感したと後に議会公聴会で証言している。

1943年5月になると現場付近の気温が上昇し、死臭が強まったために現地の労働者が作業を拒否するようになった。6月からは調査委員会と赤十字代表団が自ら遺体の発掘に当たった。明らかに拷問に遭った遺体や今までに見つからなかった8番目の穴が発見されるなど調査は進展したが、この頃になるとソ連軍がスモレンスクに迫り、委員会と代表団は引き上げを余儀なくされた。ポーランド赤十字社代表団は6月4日、委員会は6月7日に現地を離れた。

撤収までに委員会が確認した遺体の総数は4,243体であった。


西側連合国の対応

イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチス・ドイツが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。また当時ロンドンに移っていたポーランド亡命政府に対するイギリス大使であるオーウェン・オマレーが「事件がソ連によるものである」と結論した覚書を提出したが、ウィンストン・チャーチル首相はこれを公表しなかった[4]。

1944年、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はカティンの森事件の情報を収集するために、かつてブルガリア大使を務めていたジョージ・ハワード・アール(英語版)海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったが、ルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務から外され、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった[4]。また、事件の生存者であるユゼフ・チャプスキ(英語版)は、1950年から「ボイス・オブ・アメリカ」のポーランド向け放送を担当することになったが、その際には事件に対して言及することを禁じられている[4]。


ソ連による「真相究明」

1943年10月15日からNKVDは独自に再調査を開始した。さらにモスクワに調査委員会を設置し、事件の調査を開始した。しかし、この調査委員会は委員長のニコライ・ブルデンコをはじめとして全員がソ連人であり、最初から「ナチス・ドイツの犯行」であることを立証するためのものであった[5]。ブルデンコ委員会は独自の聞き取り調査によって「殺害は1941年8月から9月、つまり、ドイツ軍の占領中に行われた」とし、殺害に用いられた弾丸がドイツ製であったことを根拠として、ナチス・ドイツの犯行であったと結論付けた[5]。

さらにソ連はニュルンベルク裁判においてドイツ人を裁くため、さらに調査報告書を作成した。告発を行ったソ連の検察官は「もっとも重要な戦争犯罪の内の1つがドイツのファシストによるポーランド人捕虜の大量殺害である」と述べている。これに基づいて1946年7月1日に裁判でカティンの森事件について討議が行われた。しかしこの告発は証拠不十分であるとして、裁判から除外された[5]。


冷戦期のカティンの森事件問題

冷戦が激化し始めた1949年、アメリカでは民間の調査委員会が設立され、事件の再調査を求めるキャンペーンを行った[6]。1951年、アメリカ議会はカティンの森事件に対する調査委員会を設置した[5]。1952年にはアメリカ国務省がソ連に対して証拠書類の提供を依頼したが、ソ連はこれを誹謗であるとして抗議している。調査委員会はソ連の犯行であることが間違いないと結論し、アメリカ議会は1952年12月に「カティンの森事件はソ連内務人民委員部が1939年に計画し、実行した」という決議を行っている[5]。しかし東側諸国はもとより西側諸国の多くもこれに同調しなかった[6]。

1959年、ソ連国家保安委員会(KGB)のアレクサンドル・シェレーピン議長は、ニキータ・フルシチョフ第一書記に対して、ポーランド人捕虜処刑に関する文書の破棄を提案している[7]。戦後ポーランドを支配していたPZPR(ポーランド統一労働者党)の幹部たちはソ連の説明を公式見解として認定した[8]。亡命ポーランド人たちは事件の研究を続け、時には地下出版の形でポーランド国内に伝えた[9]。

また、1970年代後半のイギリスでは事件に関する関心が高まり、ロンドンに犠牲者のための記念碑を作る計画があったが、イギリス政府はこの事件が起こった日付が「1940年」となっている点に難色を示し、除幕式に代表を派遣しなかった[4]。


冷戦後の調査

ソ連では1985年に就任したゴルバチョフ書記長の下でペレストロイカが進み、グラスノスチ(情報公開)の風潮が高まると、ソ連においても事件を公表する動きがあらわれた。1987年にはソ連・ポーランド合同の歴史調査委員会が設置され、事件の再調査が開始された。1990年にはNKVDの犯行であることを示す機密文書が発見され、ゴルバチョフ書記長らはもはや従来の主張を継続することはできないという結論を下した。

1990年4月13日、ソ連国営のタス通信はカティンの森事件に対するNKVDの関与を公表し、「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明した[7]。同日、ポーランドのヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領がゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフはカティンの森事件に言及するとともに、発見された機密文書のコピーをポーランド側に渡し、調査の継続を伝えた[7]。これにはカティンと同じような埋葬のあとが見つかったメドノエ(Mednoe)とピャチハキ(Pyatikhatki)、ビコブニアの事件も含まれている。


1992年、ソ連崩壊後の新生ロシア政府は最高機密文書の第1号を公開した。その中には、西ウクライナ、ベラルーシの囚人や各野営地にいるポーランド人25,700人を射殺するというスターリン及びベリヤ等、ソ連中枢部の署名入りの計画書、ソ連共産党政治局が出した1940年3月5日付けの射殺命令や、21,857人のポーランド人の殺害が実行されたこと、彼らの個人資料を廃棄する計画があることなどが書かれたシェレーピンのフルシチョフ宛て文書も含まれている。しかし、公表された文書で消息が明らかとなった犠牲者はカティンで4421人、ミエドノイエで6311人、ハルキエで3820人、ビコブニアで3435人であり、残りの3870人は依然として消息不明のままである[10]。

2004年、ロシア検察当局の捜査は「被疑者死亡」、「ロシアの機密に関係する」などの理由で終結した[11]。さらにロシア連邦最高軍事検察庁は事件の資料公開を打ち切り、2005年5月11日に「カティンの森事件はジェノサイドにはあたらない」という声明を行った[12]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6


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January 1, 2010
こんな映画を観た〜アンジェイ・ワイダ「カティンの森」

シアター・キノ代表の中島洋が正月映画に選んだ作品に間違いはないだろう。

こう考えて観た「カティンの森」(原題はカティン)、ソ連秘密警察によるポーランド将校の処刑シーンが延々と続いて終わるワイダ監督渾身の力作は、元日に観るべき映画として最良の選択だった。

カティンの森<事件>についてはウィキペディアが詳しい。カティンの森事件

しかしこの映画は「カティンの森事件」を伝えるためだけのものではない。実父をカティンで殺された経歴を持つワイダ監督の眼差しは、たとえば「存在の耐えられない軽さ」のような映画と同じ、犠牲者の側に立つのか、それとも生き延びるために加害者の欺瞞に迎合するのか、という非常に困難な問いに向けられている。そして、映画全体としてはソ連の犯罪の告発というより、夫の生還を信じて何十年も待ち続けたポーランドの女性たちへの痛切なグランプリになっている。

映画にはいくつかの役割がある。その中でも最も重要なものの一つは、歴史と人間の欺瞞を暴くことであり、もしかしたらすべてが欺瞞かもしれない歴史の中での人間の生き方を問うことである。

将校の妻たちは潔癖とも言える「拒否」の精神を発揮し、はた目には無意味に見える抵抗を続けていく。同じ状況におかれたとき、自分ならどうしただろうかと考えずにはいられないが、たぶん、現実に彼女たちはこういう生き方を貫いたのだ。処世術として迎合したふりをして時を待ち、組織化して反撃に転じるという発想はない。政治的にあまりにナイーブなのだ。すべては個人的な出来事に還元されてしまうようで、それを歯がゆくも感じる。

将校アンジェイの妻は、彼女とその娘の安全を心配する良心的な秘密警察幹部からの形式的な結婚話を断るが、思わず、なんて愚かなと思ってしまったほどだ。

しかし、これこそが女性特有の偉大さなのだ。極私的な「愛」しか信じるに値するものはない。一見、非歴史的で小市民的にみえるこの愚かといえば愚かな信念こそが、実はジェノサイドを不可避的に結果するあらゆる「政治」を解体する唯一の契機なのかもしれない。

大量の死体がブルドーザーで埋められていくシーンは圧巻で、自分が死体の一つとなって埋められていくかのような圧迫感がある。しかしそれは単に残酷なシーンというだけでなく、人間が本質的に持つ残酷さを感じさせて映像そのもの以上に恐ろしい。

バビ・ヤールでナチス・ドイツが行った大量処刑は機関銃によるものだったが、「カティンの森」ではソ連赤軍は一人ずつ確実にピストルで処刑したようだ。ほとんど証言が残されていないが、生涯最後となるかもかもしれない作品で、ワイダ監督はどんな細部にも細心の注意を払い、できるだけ事実に忠実に再現するように心がけたことだろうから、これがほぼ事実なのだろう。こうした「手工業的」な処刑方法には、いかにもスターリン型共産主義者らしい陰険さと小心さがうかがえる。

この大量虐殺の首謀者はスターリンとその片腕ベリヤであることが歴史的に明らかになっている。しかしこの「事件」は彼らの個人的な資質によって起きたものではなく、権力の集中によっていつでも起こりうることであり、現に起きていて、これからも起きていくことだろう。

最も軽蔑すべき人間たちによって最も優れた人間たちが粛清されてきたのが人類の歴史にほかならない。

その歴史を反転させる革命こそが待たれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/rzanpaku/diary/201001010000/


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「カティンの森」アンジェイ・ワイダ監督 虐殺を今に問う 2009年12月19日
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

 祖国の悲劇と抵抗の歴史を描き続けるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」が東京・神保町の岩波ホールで公開中だ。冒頭、「両親に捧(ささ)げる」という字幕が出る。父の命を奪い、母を苦しめた第2次大戦中の虐殺を、改めて「今」に問う。

 ポーランドに、ナチス・ドイツとソ連が侵攻した1939年。アンナは、ポーランド軍大尉の夫がソ連軍捕虜として連行される姿を目撃する。3年半後、ドイツは「虐殺された多数のポーランド人将校の遺体を発見」と発表。アンナは夫の死を伝えられるが、事実を受け入れられない……。

 この虐殺は「カティンの森事件」と呼ばれる。ポーランド東部を占領したソ連が40年、捕虜にした1万5千人ともいわれるポーランド人将校を殺害した。監督が映画化を構想し始めたのは、それから半世紀後だった。戦後、ポーランドはソ連の強い影響下にあった。「冷戦期、この事件はドイツの犯罪とされていた」と監督。89年に共産主義政権が次々倒れた東欧革命が起きるまで、真相はほぼ闇に葬られていたという。

 以後、すぐ製作に取りかかろうと試みるが、事件自体が長くタブー視され、全容を示す資料も、事件を扱った小説も見つからなかった。「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」の「抵抗3部作」をはじめ、抑圧された人間像を切り出す原作を重厚に映してきた社会派の巨匠は、撮影までに長期をかけた。「見つかった将校の日記を参考にしたり、当時を知っている人にインタビューしたりした。映画は登場人物を含め、ほとんど実話だ」

 監督がつむぐ物語は、残された人たちを軸につづられていく。「特に、多くの女性の話を書くことが大事だった」と話す。監督自身、夫の生還を信じ続けた母親を見て育ったからだ。待つ側を物語ることで、残されて生きる者をも苦しませ続ける戦いの現実を強調したかった。犠牲になった兄のためにソ連の犯罪を意味する墓碑を建てようとする女性も登場する。

 手を縛り、後頭部を撃ち抜き、埋める――。終盤の虐殺場面は、まるで流れ作業のように残酷に映される。「この事件は戦争というより、スターリンの指示による官僚的、組織的な虐殺だろう」。独ソ双方が、相手側の犯罪としてプロパガンダ映画に利用するさまも象徴的に映される。

 劇中、アンナの夫の父にあたる大学教授はドイツの収容所で亡くなる。「言いたいことは一つ。独ソ両国ともポーランドを事実上、『消滅』させることで、同国を思うままに動かしたかった」と述べた。
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
41. 地下爺[10406] km6Jupbq 2020年3月23日 10:12:02 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[164]
 タマ
(ΦωΦ) !!


   放射能に汚染された多摩川に戻りなさい !!



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c41

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
7. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:12:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1371]

天皇一族が夜も眠れない程恐れたベリヤとは


ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤ(1899年3月29日 - 1953年12月23日)は、ソビエト連邦の政治家。

ヨシフ・スターリンの大粛清の主要な執行者(実際にベリヤが統轄したのは粛清の終結局面のみだったにせよ)とみなされている。

彼の影響力が最高潮に達したのは、第二次世界大戦後からスターリンの死後にかけてであった。「エジョフシチナ」として知られるニコライ・エジョフによる大粛清の恐怖と猛威のもとでエジョフを失脚させて権力を握り、自らも粛清に加担した。

スターリンの死後は第一副首相(en:First Deputy Premier of the Soviet Union of en:Council of Ministers (Soviet Union))として、自由化推進のキャンペーンを実施したが、このキャンペーンは、ニキータ・フルシチョフらとの政争の敗北によるベリヤの失脚、そして死刑執行とともに終焉した。


1953年6月のベリヤの逮捕後の裁判で、ベリヤによる著しい件数の強姦と性的暴行が明らかになった[19]。

ベリヤは大変な漁色家であり、誘惑を断ったが最後、その女性とその家族に身の破滅が待っていると恐れられた。暇さえあれば彼とその部下はモスクワ市内を車で廻り、気に入った女性をNKVD本部に拉致しては暴行する悪行を繰り返した[20]。流石に苦情が出たものの、スターリンも黙認していたため被害者は泣き寝入りせざるを得なかった。ある夜、ベリヤは通行人である未成年の女性をいつものように車に乗せ、本部に連行した後解放した。女性は帰宅しても何があったか両親に話そうとせず、結局その事件を苦に自殺してしまった。遺体を解剖した医師によれば、彼女の体にははっきりと暴行された形跡が見られたという。彼女の父親はベリヤの護衛を務めた警備隊長で、のちにベリヤが政争に敗れて処刑される際には処刑の執行人となりたいと嘆願したが、政府から「私刑は認められない」という理由で要望は聞き入れられなかった。また、米国の外交官と交際していた女性にベリヤが迫ったところ、ひどく嫌がられ関係を拒否されたため、彼は「収容所の埃となれ!」と言い放ち「米国のスパイ」という罪状で彼女を強制収容所送りにしてしまった。

ベリヤに対するこれら非難は近年まではソヴィエト連邦内外の政敵によるプロパガンダとして片付けられていたが、ベリヤが女性を暴行し、政治的な犠牲者を私的に拷問し、殺害していたという疑惑は歴史的な証拠を得つつある。ベリヤの性的暴行、性的サディズムの最初の嫌疑は、1953年7月10日のベリヤ逮捕の2週間後に党中央委員会本会議において共産党中央委員書記のニコライ・シャターリンによって告発された。シャターリンはベリヤが多くの女性と性的交渉を持ち、娼婦との関係の結果梅毒にかかったと述べ、ベリヤと交渉をもった25人の女性のリストについて言及した。やがてこの非難はより劇的な展開を迎える。フルシチョフは彼の死後に出版された回想録において「我々は100人以上の女性の名前を記したリストを見せられた。彼女たちはベリヤの部下によって、ベリヤの元へ連れて行かれたのだ。彼はいつも同じ手口を使った。女性が彼の家に到着すると、ベリヤは彼女をディナーに招待する。そしてスターリンの健康を祈って乾杯しようと持ち掛ける。その乾杯のワインには睡眠薬が混入されていたのだ」と述べている。

1980年代には、ベリヤが10代の女性たちを強姦したという噂まで出始めた。ベリヤの伝記を著したアントン・アントノフ=オフセーエンコ(Anton Antonov-Ovseenko)はあるインタビューにおいて、ベリヤが複数の若い女性たちの中から1人をレイプするために選び出す際、彼女たちに強いたといわれる明らかに倒錯した行為について語っている。このときに行ったとされる行為は、「ベリヤのフラワーゲーム」と名づけられている。それは、部下に5人ないし7人ほどの少女を連れてこさせ、靴だけ履かせたまま彼女たちに服を脱がせた上で、頭を中心に向けた四つんばいの姿勢で円陣を作らせるというものだった。ベリヤは歩き回りながら彼女たちを品定めして、そのうち1人の脚をつかんで引っ張り出して連れ去り、レイプしたという[21]。ここ数年の間にベリヤが私的に犠牲者を殴り、拷問し、殺害したという数多くの物語が流布している。

1970年代以降モスクワの子供たちは、ベリヤの以前の住居(現在はトルコ大使館)の裏庭、地下室、あるいは壁の中から骨が発見されたと言う話を繰り返し噂し合っている。2003年12月、ロンドンの日刊紙 デイリー・テレグラフは「(トルコ大使館で)キッチンのタイルが改装された際、大きな大腿骨と小さな足の骨が発見されたのは、ほんの2年前のことだった。この大使館で17年働いているインド人のアニルは、地下室で彼が発見した人間の骨が入ったプラスチックのバッグを見せてくれた」と報じた[21]。政治的に動機付けされた非難として、性的虐待とベリヤに対する強姦告訴については、妻のニーナ、息子のセルゴといった近親者と、元ソビエト情報部長官パヴェル・スドプラトフによる議論がある。

歴史学者のサイモン・セバーグ・モンテフィオーリによると、ベリヤは個人的知り合いであるアブハジアの指導者ネストル・ラコバが1936年末に粛清された後、その家族を拷問にかけた。彼の未亡人サリヤは独房で毎日拷問にかけられ、衰弱死。息子ラウフは死ぬほど叩かれ、その後強制収容所送りになったという[22]。後に生還している。モンテフィオーリは、ベリヤについて「強迫観念的な堕落行為をほしいままにする自身の力を利用した性犯罪者」と暴露している[23]。

ベリヤは小さな子供を拷問・強姦するために、自分の事務室に隣接した特別室を独占したという[24]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%A4


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天皇一族が夜も眠れない程恐れたベリヤとは _ 3


ベリヤが支配した国はこうなる:

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c7

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
8. 中川隆[-13532] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:13:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1372]

【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。


筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ウクライナの人為的飢餓テロー犠牲者500万人

http://3rdkz.net/?p=405


1929年〜1933年にかけて餓死したウクライナ農民の死亡率。赤は25%以上。ほぼ全滅した村も多くあった。

1930年代初頭、第一次五か年計画、集団農場化を焦るスターリンは、反抗的なウクライナ農民を屈服させるために飢餓を利用した。

年間770万トンにも及ぶ血も涙もない食糧徴発作戦により、少なくとも500万人のウクライナ農民が人為的な飢餓に追い込まれて死亡した。

食料徴発隊は共産党員、コムソモール、地元の教員・学生、村ソヴィエトの理事や議員、OGPU(合同国家政治保安部)で構成された《ブリガーダ》と呼ばれる作業班で、ほとんど盗賊と変わらなかった。作業班は家から家へと渡り歩き、家の中を隅から隅まで探し、屋根裏や床を破壊し、庭を踏み潰し、棒を突っ込んで穀物を探した。

村でも街でも国の組織にハッパをかけられ、残虐行為が広がっていた。
http://3rdkz.net/?p=405


ある妊娠中の女性が小麦を引き抜いたとして板切れで打ちすえられ死亡した。
三人の子供を抱えた母親は集団農場のじゃがいもを掘り出したとして警備員に射殺された。子供たちは全員餓死した。
ある村では穀物をむしり取ったとして7人の農民と14歳と15歳の子供達3人が銃殺された。

《ブリガーダ》は狂ったように食物を探しまわり、飢餓によって手足の浮腫が生じていない農民の家を怪しんで捜索した。しまいにはサヤエンドウ、ジャガイモ、サトウダイコンまでも取り上げた。餓死したものたちも瀕死の者たちも一緒になって共同墓地に放り出された。

人々の餓死は1933年初春に最高潮に達した。


雪が解け始めたとき、本物の飢餓がやってきた。人々は顔や足や胃袋をふくらませていた。彼らは排尿を自制できなかった・・。今やなんでも食べた。ハツカネズミ、ドブネズム、スズメ、アリ、ミミズ・・骨や革、靴底まで粉々にした。革や毛皮を切り刻み、一種のヌードル状にし、糊を料理した。草が生えてくるとその根を掘り出し葉や芽を食べた。あればなんでも食べた。タンポポ、ゴボウ、ブルーベル、ヤナギの根、ベンケイソウ、イラクサ・・

33年の冬までに、ウクライナの農民人口2000〜2500万人のうち、4分の1から5分の1が死んだ。
彼らは孤独のまま、極めて緩慢に、なぜこんな犠牲になったのかという説明も聞かされずに、自分の家に閉じ込められ、飢えたまま置き去りにされ、ぞっとするような死に方をしていったのだ。



ある農家はまるで戦争であった。みんな他を監視していた。人々はパンのかけらを奪い合った。妻は夫と、夫は妻といがみ合った。母は子供を憎んだ。しかし一方では最後の瞬間まで、神聖犯すべからざる愛が保たれていた。四人の子供を持った母親・・彼女は空腹を忘れさせようとして子供におとぎ話や昔話を聞かせてやった。彼女自身の舌は、もうほとんど動かないのに、そして自分の素手の腕さえ持ち上げられないのに、子供らを腕の中で抱いていた。愛が、彼女の中に生きていた。人々は憎しみがあればもっと簡単に死ねることを悟った。だが、愛は、飢餓に関しては、何もできなかった。村は全滅であった。みんな、一人も残っていなかった。



大粛清ー犠牲者70万人以上

ウクライナ大飢饉が一息ついた1934年1月、ナチスドイツとポーランドが不可侵条約を結んだ。当時のソ連はドイツ、ポーランド、日本という3つの宿敵に囲まれている形であった。ドイツとポーランドが手を結んだ今、ソビエト領内のポーランド人や少しでもポーランド人と関わりを持つ者は全てスパイとなった。

同年12月、レニングラード党第一書記キーロフが暗殺された。彼はスターリンにつぐナンバー2の権力者だった。スターリンはこれを最大限利用し、国内に反逆勢力がいるということを強調した。あたかも陰謀が常に存在するかのように。だがキーロフ暗殺の黒幕はスターリンその人であることが疑われている。

また、スターリンは集団農場化の大失敗によって引き起こされたウクライナの大飢饉を、外国のスパイ勢力の陰謀のせいだと主張した。


1936年、スターリンの妄想に付き従うものは重臣たちにさえ多くなかった。そんな中、ポーランド人のニコライ・エジョフという男がスターリンによってNKVD長官に任命されると、この男は反体制派とされる人々を嬉々として自ら拷問にかけ、手当たり次第にスパイであると自白させて銃殺にした。

1937年にはスターリンに歯向かうものは国内にいなかったが、依然政敵のトロツキーは外国で健在であり、ドイツとポーランドと日本という、いずれもかつてはロシア帝国やソビエト赤軍を打ち負かした反ソ国家に囲まれていた。スターリンは疑心暗鬼に囚われた。ドイツとポーランドと日本が手を携えて攻めてくるかもしれない……トロツキーが(かつてレーニンがそうしたように)ドイツ諜報機関に支援されて劇的にロシアの大地に帰還し、支持者を集めるのではないか……今こそ一見無害に見える者たちの仮面をはぎ取り、容赦なく抹殺するのだ!1937年の革命20周年の記念日に、スターリンは高らかにそう宣言した。

ポーランド人やドイツ人、日本人、またはそのスパイと疑われた人々や、元クラーク(富農)や反ソ運動の嫌疑により、約70万人の国民がスターリンとエジョフのNKVDによって銃殺された。また数え切れないほどの人々が拷問や流刑の過程で命を落とした。

粛清の範囲は軍や共産党やNKVDにまで及び、国中がテロに晒された。

殺された一般国民は全員、荒唐無稽な陰謀論を裏付けるために拷問によって自白を強要された無実の人々であった。

大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


ソ連の場合、チェーカーやゲーペーウーを前身に持つエリートテロ組織であったNKVDや、革命初期の内戦期からテロの執行機関であった赤軍がヒトラーよりもっとうまくやった。

ソ連軍は9月中旬、50万の大軍勢を持って、既に壊滅したポーランド軍と戦うために、護る者が誰もいなくなった国境を超えた。そこで武装解除したポーランド将兵を「故郷に帰してやる」と騙して汽車に乗せ、東の果てへ輸送した。

ポーランド将校のほとんどは予備役将校で、高度な専門教育を受けた学者や医師などの知識階級だった。彼らを斬首することにより、ポーランドの解体を早めることが目的だった。

同じころNKVDの職員が大挙してポーランドに押し寄せた。彼らは10個以上の階級リストを作成し、即座に10万人以上のポーランド民間人を逮捕。そのほとんどをグラーグ(強制収容所)へ送り、8000人以上を銃殺した。またすでに逮捕されたポーランドの高級将校たちを片っ端から銃殺にし、ドイツの犯行に見せかけた。そして家族をグラーグへ追放した。銃殺された者は20000人以上、将校の関係者としてグラーグへ送られた者は30万人以上とされる。そのほとんどは移送中の汽車の中や、シベリアやカザフスタンの収容所で命を落とした。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


抵抗の果てに

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。


戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。

1943年、ソ連軍がカフカスを奪還すると、NKVDがたった1日で7万人のカフカス人をカザフスタンとキルギスタンに追放した。更にNKVDはその年の12月には、2日間で9万人のカルムイク人をシベリアへ追放した。

1944年にはNKVD長官ベリヤが直接指揮を執って、47万人のチェチェン人とイングーシ人をわずか一週間で狩り集めて追放した。一人残らず連行することになっていたので、抵抗する者、病気で動けない者は銃殺され、納屋に閉じ込めて火を放つこともあった。いたるところで村が焼き払われた。


同年3月、今度はバルカル人3万人がカザフスタンへ追放され、5月にはクリミア・タタール人18万人がウズベキスタンへ強制移住させられた。11月にはメスヘティア・トルコ人9万人がグルジアから追放された。

このような状況であったから、ソヴィエトと共に戦ったウクライナやバルト諸国やポーランド、ベラルーシでもNKVDの仕事は同じだった。赤軍や新生ポーランド軍は、かつては味方だったパルチザンに対して牙をむいた。少数民族や民族的活動家はのきなみ捕えられ、同じように東の果てに追放されたのだった。その数は1200万人に及んだ!

おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。


激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c8

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
9. 中川隆[-13531] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:14:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1373]

ネオコンと呼ばれる集団の中には「元トロツキスト」が多いとも指摘されている。レオン・トロツキーの信奉者だったということだが、このトロツキーは謎の多い人物である。

 1917年3月にロマノフ朝が倒されているが、その「二月革命」(帝政ロシアで使われていたユリウス暦では2月)に参加した政党は立憲民主党(通称カデット)、社会革命党(エス・エル)、メンシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)だが、主導したのは資本家。革命の目的は資本主義体制の確立にあった。一気に社会主義を目指そうとしたボルシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)は幹部が亡命していたり、刑務所に入っていたことから事実上、参加していない。ウラジミール・レーニンはスイス、二月革命当時はまだメンシェビキのメンバーだったトロツキーはニューヨークにいた。

 この臨時革命政府は第1次世界大戦に賛成で、ドイツとの戦争を継続する意思を示していたのだが、ボルシェビキは即時停戦を訴えていた。そこで西と東、ふたつの方向から攻められていたドイツはレーニンたちボルシェビキの幹部をモスクワへ運んでいる。紆余曲折を経てボルシェビキは11月に実権を握った。これが「十月革命」だ。臨時革命政府の首相だったアレクサンドル・ケレンスキーは1918年にフランスへ亡命、40年にはアメリカへ渡っている。

 革命の象徴的な存在であるレーニンを1918年、エス・エルの活動家だったファニー・カプランが狙撃、重傷を負わせている。この暗殺未遂事件の真相は明らかにされていない。レーニンは1921年頃から健康が悪化して24年に死亡しているが、その死にも謎がある。

 トロツキーはヨシフ・スターリンとの抗争に敗れて1929年にソ連を離れ、40年にメキシコで暗殺された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803240000/


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c9

コメント [カルト25] 日経・外務省・米からの入国制限、箱コネ・米が日本への渡航中止勧告。相思相愛で日米同盟解消まで行く事である。 ポスト米英時代
4. 2020年3月23日 10:14:58 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[247]

>3の訂正部分です・・・・男性の ”死亡率” が2倍と書いておられましたが、
私がラジオで聞いた時は 『 男性が女性と比べて  ”感染率 ”が2倍多い!』 でしたので その理由を >3に書きました。
故に 死亡率が多い理由は わかりません。 しかし、今朝のラジオで医療ジャーナリストがおしゃっていたのは 喫煙者や過去喫煙していた方は コロちゃんの肺炎で死亡する率が高い・・というデーターが出ているそうです・・

http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/608.html#c4
コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
10. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:15:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1374]

スターリンは独立の悪党だった


信仰より現世を選ぶ神学生

  国家総力戦が起こった第20世紀には、それに相応しい梟雄(きょうゆう)が謀略を張り巡らしていた。その中でも、一、二を争う悪党と言えば毛沢東とスターリンである。一般的に、ユダヤ人や西歐人はヒトラーを巨悪の代名詞にするが、本当に兇悪なのはロシアの独裁者と支那の赤い皇帝だ。ユダヤ人の虐殺数から言えば、スターリンの方が遙かにヒトラーを上回るし、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた暴君の奸智は“超一流”としか言い様がない。戦争というのは政治「目的」を達成する為の「手段」であり、武力を使った「外政」の「延長」だから、最終的に戦争目的を達成した者が“勝者”である。大英帝国を没落させたチャーチル首相は、戦闘で勝ったとはいえ、外政上の「敗者」であるし、ソ連の東歐征服を助けたトルーマン大統領も「敗者」の側に片足を突っ込んでいるから、「勝者」とは言いづらい。翻って、毛沢東は日本軍対して劣勢だったけど、政治力学の秀才だったから、漁夫の利を得て「勝者」となった。この極悪人は単細胞の日本人を利用して蔣介石を追放し、宏大な支那大陸をまんまと手中に収めたんだから大したもんだ。一方、満座の席で笑われるのが我が国で、運搬方法も考えぬまま石油獲得のために東南アジアへと進出し、「大東亜解放」という妄想を叫んで米国と闘ってはみたものの、見事に惨敗。アジア諸国が独立できても、我が国は軍隊を失い、米国の属州になって未だに立ち直れない。深田祐介の解放論は「日本」を忘れているのだろう。 日本人は「自国の独立」を最優先にすべきだ。

Harry Truman 3Stalin 3winston churchill 3
(左: ハリー・トルーマン / 中央: ヨシフ・スターリン / 右: ウィンストン・チャーチル )

  第二次世界大戦で“最大の果実”をもぎ取ったスターリンは、毛並みの良い貴族でもなければ、名門大学出の御曹司でもなかった。後に「スターリン」と呼ばれるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリは、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町が故郷で、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。1879年と言えば、明治12年だから、スターリンは小説家の正宗白鳥や作曲家の瀧廉太郎、物理学者のアルバート・アインシュタインと同世代の人物となる。なるほど、同級生となるマルキストの河上肇はラッキーだろうが、大正天皇がお生まれになった年でもあるから、我々としては不愉快で気分が悪い。他人の命を平気で奪ったスターリンは結構しぶとく、1953年(昭和28年)に74歳で亡くなっているから、天の摂理は何とも不条理だ。大正天皇は1926年に崩御されたのに、この極悪人は吉田茂のバカヤロー解散くらいまで長生きしたんだから。


Stalin 6(左 / 青年時代のスターリン )
  スターリンと言えば泣く子も黙る大虐殺の達人であったが、少年時代はそれと全く異なり、周囲も認める優秀の神学生であった。世の中に尽くした偉人と同じく、悪党の経歴というのも意外性に満ちている。幼い頃、「ソソ」と呼ばれたスターリンは、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになったらしい。彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせたところ、ソソは優秀な成績で合格したという。しかも、月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得たというから、トップ・クラスに属する生徒であった事は間違いない。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年) 学級で一番の優等生になったソソは、記憶力が抜群に良かったというから、小さい頃からギャングの親玉になる素質があったのだろう。

  世界を揺るがす独裁者が、幼い頃とはいえ、教会で賛美歌を独唱していたなんて冗談みたいな話だが、冷酷な革命家で神学校出身の人物は珍しくない。例えば、フランス革命で指導的役割を果たしたマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien F. M. I. de Robespierre)は、オラトリオ修道会の神学校を経て、パリのルイ・ル・グラン学院に入ったし、権謀術数を駆使して警察長官にまで上り詰めたジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)も、オラトリオ修道会の神学校に通い、結構な知識を身につけた姦雄の一人であった。(このフーシェという革命家は煮ても焼いても食えない奴で、シュテファン・ツヴァイクの伝記に詳しいが、本当に狡賢い“クセ者”である。) 地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の俗世であった。ソソは旋毛(つむじ)に悪魔の刻印が出来る前に、民族意識が目覚めたようで、祖国解放の気概に満たこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えたそうだ。そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いていた。

Robespierre 2Joseph Fouche 2Karl Marx 1
(左: ロベスピエール / 中央: ジョセフ・フーシェ / 右: カール・マルクス )

  こうした野望に燃えた少年が退屈な聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示すのはロシア政府から禁じられていた書物であった。彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだそうで、バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通していたそうだ。こうして、禁書と革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いてくる。彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『ブルゾーラ(闘争)』という名前をつけると、その指導者になってしまった。メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだそうだ。

Kamenev 3(左 / カーメネフ)
  スターリンは神学生であったが、聖人が伝えた有り難い福音より、破壊分子の荒々しい雄叫びに興奮した。関根勤のギャグじゃないけど、「納得!」と言いたい。スターリンにとって、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えは、ナンセンスどころか愚の骨頂だ。それよりも、「憎い圧制者を容赦無く打倒せよ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」というスローガンの方が似合っている。社会主義と暴力革命に馳せ参じるスターリンは胸がときめき、「これが我が人生 !」と生き甲斐を感じていたんじゃないか。今では、東大の赤い学生でも「将来の職業は?」と訊かれて、「職業革命家です!」と答える馬鹿はいないけど、ロマノフ王朝時代のロシアでは、そこら辺に赤ヘルの卵がゴロゴロいた。敵をぶっ倒すことで生きて行けるなら、スターリンにとって格好の天国だ。「陰謀」と「暴力」は彼の十八番。破壊活動やストライキに参加して、官憲に追われる姿も結構「絵」になっている。ちなみに逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っていた。そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い。)

犯罪者に向いている革命家

  人には「向き不向き」というものがあるようで、チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位にまで昇ることができた。彼の才能は犯罪で開花する。例えば、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると悟っていた。しかし、あいにく党の金庫は空っぽで、印刷用の設備すら“無い”ときている。せっかく、グルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語のパンフレットを作成できるのに、それを刷ることができないなんて残念。だが、そんなことでヘコたれるコバではない。この策略家は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。ある日、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されるという事件が起きたそうだ。すると、「あら不思議 !」、コバのところに秘密印刷所が出来ました。(上掲書 p.28) さすが、スターリンは機転が利く。

Joseph Stalin 1(左 / 若い頃のスターリン )
  盗みが得意だったコバは、脱走の名人でもあった。官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアにある「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出することができた。人間の心理を察知するのが上手いコバは、クリスマス・イヴに脱走を図ったという。なぜなら、その神聖な夜であれば、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。確かに、ロシア人ならウォッカをがぶ飲みしてドンチャン騒ぎというのが目に浮かぶ。お祭りの日に真面目に働くロシア人なんて想像できない。今だって、サッカーやアイス・ホッケーの世界大会があれば、仕事をズル休みして会場に駆けつけるんじゃないか。それにしても、スターリンは強靱な体を持っていた。安全地帯のマカーロフ村まで20マイルもあるのに、極寒の中、気が遠くなるほどの道のりを歩いたんだから。しかも、途中には空腹を抱えた狼や熊までいたというから、いくら猟銃を所持していたとはいえ、随分と危険を冒したものである。スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったというから、悪人というのは本当に運が強い。

Leonid Krasin 2(左 / レオニード・クラーシン)
  ボリシェビキときたら威勢だけは良かったが、肝心の活動資金に困っていた。そこで、レーニンの腹心だったレオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案したそうだ。この「解決策」を実行するに当たり、白羽の矢が立ったのはコバ。というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いて故国へ派遣されることになった。大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に着目し、彼はこの点を突くことにしたという。待望の掠奪行為はある早朝に実行された。武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪したという。

  ところが、奪った金は危険過ぎて直ぐには使えなかった。なぜなら、掠奪したお札が全部、高額紙幣の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号の紙幣であったからだ。当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣なんて使ったら大変だ。コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかったという。

  コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。しかし、誰かの密告により捕まってしまう。この不運な男はロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られてしまうが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走できた。まったく、要領がいいというか、狡賢いというか、窮地に立たされても何とか抜け出してしまうんだから、スターリンは根っからの犯罪者である。巣鴨プリズンに収容されたA級戦犯は、みんな“しょげていた”というから、ちっとはスターリンを見倣うべきだ。ただし、服役者の中で岸信介だけが元気だった、というから長州出身の「元革新官僚」で、「昭和の妖怪」と呼ばれた豪傑は桁が違っていたのだろう。

  バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。大部分の指導者が警察に逮捕されていたし、党を運営する資金も底をついていた。でも、スターリンには心強い仲間がいた。といっても、強盗犯や前科者ばかりだったけど。お金が欲しいスターリンは、商店主や銀行家、実業者などりリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだそうだ。しかし、この「お願い」拒み、警察に訴える者がいると、「お礼参り」があったという。つまり、こんな「階級の敵」には容赦せぬとばかりに、ゴロツキどもが商店や邸宅を破壊したそうだ。それにもし、被害者がこの「仕返し」を警察に訴えようとすれば、「お前ばかりか、テメエの家族まで命をもらうことになるぞ」と脅したそうだから、何とも念が入っている。ロシア人やグルジア人の恐喝って、ヤクザの因縁よりも怖い。なんかエメリアエンコ・ヒョードルみたいな用心棒が出て来そうだもん。そう言えば、K-1チャンピオンのセーム・シュルトを破ったセルゲイ・ハリトーノフは驚愕を越えた恐ろしさを味わっていた。試合中、彼がシュルトの首に馬乗りとなり、その顔面に鉄槌を下したことがある。ハリトーノフの顔には、必殺仕掛人でさえ怯えるほどの狂気があった。案の定、シュルトの顔は鮮血まみれ。外人の格闘家さえ、そのドス黒く紫色に変わった顔面に驚き、ゾっとするような戦慄を覚えたくらいだ。ロシア人と比べたら、日本人の格闘家なんて温和な好青年である。

娼婦を搾取する共産主義者

  銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。今度は売春宿の経営だ。彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得したそうだ。やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡したそうだ。(上掲書 p.45) ところが、こうして売上げの一部を得ていたコバは、“ちゃっかり”と店の常連客になっていたというから、何とも図々しい野郎である。まぁ、後にローズヴェルトやチャーチルを騙すことになるんだから驚かないけど、“抜かりの無い”コバは、こっそりと上納金の一部をピンハネしていたそうだ。学校の先生は教えないけど、陰で“ほくそ笑む”スターリンって、とても「絵」になっている。

  仕事と趣味を両立してコバは満足だったが、この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。そりゃ、そうだ。建前でも、一応、革命家たちは「人間による人間の搾取」に反対していたのだ。それなのに、当の革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。(コバ自身はそんな矛盾をちっとも「悪い」とは思っておらず、娼婦の搾取など当然と考えていた。さすが、極道のスターリンは生きている次元が違う。) また、売春宿の運営実態は不透明で、帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。したがって、誠実なボルシェビキ党員がコバの遣り口を非難したのも当然だ。レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難したそうだ。綺麗事を好むインテリのレーニンは、自分でお金を稼がないくせに、スターリンが売春で仕送りしている事に文句を長けていたんだから、何となくスターリンの方が偉く思える。

  レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢したそうだ。なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。こうした改善を施してやったのだから、「いいじゃないか」というのがコバの主張である。こう聞くと、コバの言い分にも一理あると納得してしまうから不思議だ。まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。といっても、山口組の田岡組長とは違うぞ。ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとしたらしい。すると、「自分の関係無いことに首を突っ込むな !」と怒鳴られ、「お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅されたそうだ。それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかったという。

Lenin 2Trotsky 2Wilhelm II
(左: 若い頃のレーニン / 中央: トロツキー / 右: 皇帝ウィルヘルム2世)

  ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束したそうだ。コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたという。その代わり、彼は別の資金源を開拓した。街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたらしい。この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納したそうだ。でも、これって間接搾取じゃないのか? つまり、サラリーマンの源泉徴収みたいなものだ。企業の会計係が社員の給料から税金をピンハネし、この「抜き取った金」を税務署に上納する。税務署の役人は自らの手を汚さず、“きっちりと”年貢を集められるから楽なもんだ。

  スターリンはとんでもない悪党だけど、ある意味、レーニンやトロツキーなんかより凄い。なぜなら、お金に困れば“自力”で工面したからだ。口ばかりが達者な党の幹部連中は、活動資金を資本制国家の金融業者に求めた。レーニンたちが革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼ったことは有名だ。ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛け、ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい。) 本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。ヤコブ・シフから軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはない。たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしてはおおよそ満足だろう。ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品である。かくも現実は冷酷で厳しい。

Max Warburg 1Paul Warburg 1Jacob Schiff 1
(左: マックス・ウォーバーグ / 中央: ポール・ウォーバーグ / 右: ヤコブ・シフ )

  一般的に、インテリというのは口舌の徒で、演説は上手いが銭儲けに関しては素人だ。しかも、勇ましいことを述べても、いざ腕力で勝負となるや尻込みする。その点、スターリンは武闘派の革命家で、資金が無ければ強盗になるし、売春婦を使ってでも小銭を稼ごうとする。暗黒街で暮らしたスターリンにとっては殺人だって朝飯前だ。このような犯罪者は、実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができる。鮮血で濡れた手を見ても驚かず、帰って喜びを感じるのがスターリンみたいな男だ。この独裁者と比べたら、卑怯者の菅直人や、機動隊にボコボコにされた全共闘の学生、ソ連の赤軍を待ち望んだ野坂参三や宮本顕治なんか、母親の背後に隠れる稚児に等しい。日本の左翼には自分で自分の運命を切り開く気概が無いのだ。スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺するし、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥しようとする。自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にしてしまうんだから、ロシアの君主になる奴は只者じゃない。観念的な共産主義に憧れた近衛文麿は、本当に世間知らずの「お公家さん」だった。近衛家のお坊ちゃんには、人殺しや強盗など出来ないし、任せることさえ出来ない。『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネ役には、マーロン・ブランドーじゃなくて、ヨシフ・スターリンが適役だったのかもね。でも、アカデミー賞を授与するユダヤ人は複雑な気持ちだろうなぁ。  
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c10

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
11. 中川隆[-13529] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:16:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1375]


〜20世紀最大の殺戮者と言われた独裁者スターリンの狂気と悪夢〜


 20世紀は、戦争と革命の世紀だと言われている。国家の利害関係とイデオロギーが激しく火花を散らせてぶつかり合った世紀であった。事実、世界の各地で数えきれない革命や戦争が起き、多くの人間が犠牲となった。世界の半分以上を巻き込んだ二つの世界大戦は、何千万という人間の屍の山をいくつも築き上げ、計り知れない悲劇を生んだ。

 同時に、20世紀は、悪名高き独裁者が数多くあらわれた時代でもあった。しかし、ここに、異常なまでの人間不信と権力への飽くなき欲望を持ち、殺戮に明け暮れた独裁者がいた。彼の狡猾で冷酷非情な性格は、その後の世界史の行方を大きく左右し、その影響は今日も続いている。彼、スターリンこそは、ヒトラー以上の狂気を持ち、ヒトラーの悪業と比べても何ら見劣りしないばかりか、その殺戮した人間の数ではヒトラーをはるかに上回るのである。彼こそは、20世紀最大の狂気の殺戮者と言っていいだろう。

 ヨシフ・スターリン・・・彼の本名はヨシフ・ジュガシビリと言い、スターリンという名は、党の機関誌「プラウダ」の編集長をしていた時に考えたペンネームである。スターリンとは、鋼鉄の人という意味があり、考案者はレーニンだと言われる。ジュガシビリは、1879年12月21日、グルジア地方の貧しい靴直し職人の子供として生まれた。グルジアは、コーカサス南麓と黒海に挟まれた地域で、気候が温暖ながらも変化に富んだ地形は、現在でも風光明媚な名所として知られている。

 彼が生まれた家は、大変、狭く台所と小さな部屋が一つしかなかった。しかし、みすぼらしい窓から見える景色は絶景だった。

 コーカサスの雄大な景色が一望出来たのである。その上、春になれば、ラベンダーが山肌一面に咲き乱れ、印象派の絵画を見るようだった。そうした、美しい自然環境のもとで、彼は、三番目の男の子として出生した。

 上の二人の兄は、誕生して半年ほどで死んでしまっていた。それだけに、ジュガシビリが誕生した時は、母親は、特別な思いを持って育てられた。

グルジア地方の夏の景色(古い絵はがき)

 しかし、母親の期待に反して、彼は病気ばかりする虚弱児であった。しかも、彼は不具であった。少年時代に発病した天然痘により、左足の二つの指はくっついたままで、左腕もほとんど動かすことさえ出来ず、まるで義手をつけているようだった。顔にも無数の瘢痕があり、風采の上がらない小男であったという。

 母親は、将来、我が子を神学校に入れて神父にさせたかったが、十代後半から社会主義運動に異常な興味を持ったジュガシビリは、母親の期待に反して、革命家の道を歩み出してしまった。そして、様々な活動に参加しては、逮捕、流刑を何度も繰り返すことになる。

 やがて、神学校から見切りをつけられたジュガシビリは、退学処分とされてしまった。しかし、彼に取っては、その方が、むしろ、せいせいしたようで、もうその頃には、若干22才でありながら、彼は党の指導者的存在にまでなっていた。


20才頃のスターリン

 この頃、スターリンは初めてレーニンと会った。この時レーニンは30代半ば、彼は、一目見て若く精力的なスターリンを気に入り、革命運動の戦略家としての素質を見抜いていたという。その後、彼はレーニンらと強い結束のもと、ますます、革命推進の中心的メンバーとなっていくのである。

 1905年のロシア情勢は、余談の許さぬ状態だった。前年には、日露戦争が勃発し、一年半に渡る戦いの末、ロシアは疲弊してしまい、国内には不満が爆発、血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの反乱を引き起した。ロマノフ王朝の権威は地に堕ち、ついに第一次大戦の最中、ロシア革命を誘発するのである。


 その結果、ロマノフ王朝ニコライ2世は退位し、代わって、ボルシェビキ(ソ連共産党の前身)による新政府が樹立した。

 1924年、レーニンが脳梗塞で再起不能の状態になると、スターリンは、レーニンの後継者として名乗りを上げ、ついに、党の実権を把握し事実上の最高指導者の地位に躍り出ることになる。

血の日曜日事件、平和とパンを求めて、首都ペテログラード(後のレニングラード)の宮殿に押し掛けた民衆は、軍隊の発砲で多数の死者を出す流血事件に発展した。

 しかし、時が経つにつれて、彼は、急速に凶悪な独裁者の本性をさらけ出し始めた。対立者を巧妙で悪徳の限りを尽くした手段で倒していくのである。

 まず、最大のライバル、革命の功労者だったトロツキーを国外追放し、カーメネフ、ジノビエフなど自分と意見主張を異にする政敵たちを、除名処分にして党から追い出したのである。それが済むと、スターリンは、ゲ・ペ・ウと呼ばれる秘密警察を設立した。ボルシェビキ的規律と秩序を確立するのがその目的だったが、その実態は、権力を思いのままに操るために、彼の意にそぐわない人物を手足となって粛正してゆく組織だった。まもなく、独裁体制樹立と同時に、恐怖の鎌首をもたげ、計り知れない恐怖の原動力となって活動を開始するのだ。

 1929年、スターリンは、第一次五カ年計画の発動を命じた。農業国ロシアを工業国に変えるのがその目的であった。その要となる政策は、農民の強制集団化であった。すべての農民をコルホーズと呼ばれる集団農場に一括してまとめ、そこで収穫される穀物を国家がすべて徴発しようというのである。そこでは、農機具は共同で用いられ、一切の私有は禁じられるのである。こうした彼の強引なやり方は、これまで、着々と富と財を蓄えていたクラークと呼ばれた富農層から猛烈な反発を食った。彼らにしてみれば、これまでの財産をすべて失い、以後も財を貯めることも許されないからだ。

 しかし、スターリンは、農業集団化に従わない農民には、情け容赦のない弾圧を加えた。29年だけでも、1千万近い農民が、処刑されたり、シベリアなどに送られている。ある農民などは、見せしめのため、広場で自らの墓穴を掘らされた上、銃殺されたのである。しかし、これは、まだ序曲であった。血の粛清は、ますます本格化し、やがて凄惨なクライマックスに向かってゆくのである。まもなく、農民だけでなく、民族主義者、知識人など彼の体制に批判的な人間も、すべて、その対象になっていった。彼らは、「人民の敵」と名指しされ裁判にかけられた。否、それは、裁判とは名ばかりの大量処刑であった。容疑がかけられると、陰惨な拷問や薬によって強制的に自白させられ、即刻、銃殺刑かシベリアの強制収容所に送られるのである。時間のムダを省くために、トロイカ(三頭だての馬車を意味する)と呼ばれる機関が暗躍することになった。それは、被告も原告もいなくても、その場で判決が下せると言う簡易型の移動式裁判であった。多くの者は、一方的に死刑判決を言い渡されると、その場で、それこそ、10分以内に処刑されてしまった。全く、信じられないほどの素早さであったという。

「我々は、国家の福祉増進という高潔な目的のために、日夜努力せねばならない。国内の工業化を実現するためには、ある種の犠牲も覚悟せねばならず、国民は耐久生活に耐えねばならない」無論、これは体裁のよいスターリンの言葉である。しかし、その表向きと違って現実は、想像を絶っするほどひどく惨いものだった。

 日々の配給は、わずかパン数十グラム程度。これでは、大人一人生きていくことは、到底不可能だった。人々は餓死から逃れるためには、ありとあらゆる努力をしなければならなかった。路上には、パンを求める孤児の群れが溢れ返った。あるウクライナから帰って来た学生は、身の毛もよだつ話をした。彼らによると、飢饉のために、食べるものがなくなった地方では、人肉を食べていると言うのである。餓死したと思われた死体は、細かく切って解体され、商品のように売りさばける準備がなされていたということであった。当然、この二人は秘密警察に逮捕され、拷問の上、銃殺に処せられたのは言うまでもない。スターリンは、自らの考えをイメージダウンさせるものは、事実であろうが、すべて隠蔽し、片っ端から闇に葬っていたのだ。

 スターリンの女性関係は、かなり派手であったことが知られている。3度、結婚したが、その他にも、愛人、情婦など数えきれないほどいて、浮気は絶えることがなかったという。一度目の妻は、逃亡生活の隠れ家で知り合ったケケという女性だった。しかし、逃亡生活の無理がたたったのか、彼女は結核にかかり死んでしまった。

 二度目の結婚は、彼が40才の時で、相手は彼より22才も若いナジェージダという女性だった。しかし、結婚して14年後、彼女は、革命15周年記念の晩餐会の夜、謎の死を遂げてしまう。

 晩餐会が終わって二人の言い争う声を聞いたという証言もあるが、真相はわからない。死因にしても、夫スターリンに対する抗議の自殺だの、逆に、怒りを買ったスターリンに毒殺されただの言われるが、今となっては永遠に謎のままであろう。


結婚したての頃、ナジェージダと(1920年頃)


 三度目の妻はローザという女性で、スターリンよりも10センチほど背も高く、大変、利口で陽気な女性だった。彼女は、二番目の妻ナジェージダとの間に出来た二人の子供にも愛情を注ぎ、いつも優しく誠実だった。しかし、スターリンは、何が気に食わないのかローザとも離婚してしまった。その後、ドイツとの戦争中にもかかわらず、女優、バレーの踊り子、オペラ歌手、クレムリンのタイピストたちを次々と別荘に招いては、深夜の響宴に明け暮れる始末だった。

 私生活でも、彼は、大変な独裁者で、冷酷非情な面を、度々、見せている。彼は、美食家で、国民が飢餓に苦しんでいようとも、毎日、たらふく食べねば気がすまなかった。料理が気に入らないと言って、皿ごと床にぶちまけたこともあった。また、妻の寝室に情婦を連れ込んで来ることもあったし、酔うと粗暴な振る舞いが多かったという。愛人の浮気の現場を押さえた時など、ものすごい癇癪を起こして、何度も殴りつけた上、二人の髪の毛をわし掴みにして、裸のまま部屋から引きずり出し、監獄にぶちこんでやるとののしった。二人は、即刻、連行され、裏切り者として銃殺されてしまったという。また、スターリンは、女性の嫉妬という感情には耐えられない面があった。例え、献身的に尽くそうが、嫉妬ゆえに彼に疎ましく思われ、闇に葬られて消息を絶った女性はあまりにも多い。

 スターリンは、恐ろしいほどの強靭な記憶力の持ち主だった。彼の頭の中では、日々の細々した私的な事柄から、党や軍内部のあらゆることまでが最大漏らさず記憶し尽くされていたのだ。例えば、どこそこの将軍が、どこの生まれでどういう性格と遍歴を持ち、どういった成果をおさめたか? あるいは、ヘマをしでかしたかということなどがビッシリと整理されていたのである。また、霊感力もするどく、軍事や外交面では、機が熟したと見るや、すばやく行動を起こした。それはいつも抜け目なく、まるで、鳶が油揚げをかっさらうようなすばやさであった。

 第二次大戦戦争が始まり、ドイツ軍がポーランドを屈服させた時も、スターリンは、東からポーランドに侵入し、労せずしてこの国の半分を占領した。スターリンとヒトラーとの間には、秘密裏に血も凍るような悪魔の取引がなされていたのである。

 この時、連合国は我が身可愛さから、ポーランドが東西の独裁者によって、なぶり殺されていくのを手をこまねいていただけだった。どの国も自国の利益のみを考えていた。


 フランスは、マジノ要塞に閉じこもり、イギリスなどは何もしなかった。そして、ポーランドがヒトラーとスターリンに食い尽くされてゆくのをただ見守っていたのであった。しかも、狡猾なるスターリンは、世界中がヒトラーのこの派手なパフォーマンスに気を取られている隙に、どさくさに紛れてバルト3国を武力で併合してしまったのである。第二次大戦の終戦直前には、日ソ中立条約を破って、怒濤のように満州に南下、息も絶え絶えとなった日本から、強引に北方領土を奪い取ることもした。

 このように、領土拡張の野望を夢見るスターリンにとって、国際法を踏みにじることなど朝飯前のことだった。彼は、室内に大きな世界地図を飾っていて、領土が新しく増えていく度に、色を塗っていくのが何よりの楽しみであったという。そして、地図を見ながら、今度はここをやる、ここが欲しい、これは気に食わぬなどと言って党の幹部たちの前でよくつぶやいていたらしい。

 スターリンは、地上最高の権力者になることに、この上ないあこがれを抱いていた。そして、何か、ピラミッドのような巨大なモニュメントを後世に残すことが夢だった。彼は、中世ロシアの暴君イワン雷帝をこよなく愛し、自らをそのイメージにダブらせるのが好きだったようだ。確かに、彼の政権下で、何十万という人間が、殴られたり蹴られたりして強制労働に従事する様は、陰惨な中世ロシアの時代を彷彿とさせるものがあった。

 スターリンは矯正労働収容所と称して、シベリアなど、ロシア北西部に数えきれない収容所をつくっていた。その数、百カ所以上・・・彼は、囚人を矯正し魂を鍛え直す労働だと言い張っていたが、その実態は、恐怖の強制労働に他ならなかった。スターリンは、国家の工業化のために、大量のただ働きの奴隷労働者が欲しかっただけなのである。

 スターリンにとって、囚人はいくらでも代替のきく安価な消耗品でしかなかった。賃金など払う必要もなく、かろうじて生きられるだけの食料を与えておけばよかったのだ。過酷な重労働で囚人が、どれだけ凍死しようが餓死しようが、お構いなしなのであった。こうした国家建設のプロジェクトの担い手である労働力を大量に確保するために、彼は、抜け目なく、第58条という新しい条例をつくっていた。1926年に交付されたその条例によれば、政府の転覆、崩壊、もしくは革命的成果を崩壊、弱体化させる行為は、反革命的と見なされ祖国の裏切り者と見なされるというのである。

 しかし、人々の日常的行為で、この条例に引っかからないものなどあり得なかった。要するに、どうにでもデッチ上げることが可能だったのである。全く意味もない行為が、ねじ曲げられて解釈され、その挙句に祖国の裏切り者というレッテルを張られて自由をはく奪されることが往々にしてあった。かくして、数百万の無実の人間が、囚人呼ばわりされ、全財産を国家に没収された上、処刑されるか、過酷な重労働を強制されることになった。この条例の目的は、罪のない人々を囚人にでっち上げ、スターリン体制を維持するための奴隷を合法的につくり出すことなのであった。裏切り者のレッテルを張られた者には、銃殺刑か荒涼としたシベリアへの流刑が待っていた。

 シベリアに送られた囚人たちを待っていたのは、金鉱の採掘、運河や鉄橋の建設などの過酷な強制労働であった。その労働は、想像を絶するほどひどいもので、一日に16時間以上の重労働が課せられるのである。真冬ともなると、あらゆる物が凍りつき、気温は零下60度にも下がる。当然、多くの囚人が凍傷にかかった。医者が、まるで植木職人のような手さばきで、凍傷にかかった囚人の手足をパチンパチンとハサミで切り落としていった。激しい飢餓に耐えきれずに、死体置き場から死人の肉を切り取って食べた者も少なくない。

 何をするにも『ダバイ!(動け!)』の罵声が飛び、反抗的な態度を取ると、それこそ目の玉が飛び出るほど殴られた。囚人たちは、体力を消耗して、みるみるうちに痩せおとり死んでいった。死んでコチコチに変わり果てて凍った死体は、次々に運搬用のそりに投げ込まれて片付けられていくが、その時、まるで木と木がぶつかり合うような音がしたという。ものすごい寒さと重労働による疲労、飢えのために、ほぼ全員が一冬で死に絶え消滅した。夏になると、再び、新しい囚人の群れが送られてくるが、彼らも冬になると同じ運命をたどるのである。毎年、補充のために、数十万単位の囚人が薄暗い船倉や列車に閉じ込められてピストン輸送されるが、決して囚人数が増えることはなかったという。こうして、死に絶えては補充されるという死のサイクルは休むことなく繰り返されるのである。

 スターリンは、金に異常な執念を見せた独裁者でもあった。全く、それは凄まじいばかりのものであった。彼は、ことあるごとに、金の備蓄量を増やさねばならないと口にし続けていた。そうして金を国家戦略の最重要資源に位置づけし、支配国の共産党へ金の提供を義務づけたのである。そうして、金を採掘するために、数百万の囚人が集められ、牛馬のごとくこき使われたのである。

 かくして、50年代の初めには、国家が保有する貴金属は、金2千トン、銀3千2百トン、プラチナ30トンという莫大な量にまで跳ね上がったのであった。しかし、それらを採掘するために強制労働に従事した数百万の人々は、とうにシベリアの凍土と化していた。白海・バルト海運河が開通した時など、スターリンは、蒸気船「カール・マルクス」号で完成したばかりの白海からオネガ湖までの227キロを快適な船旅としゃれこむ計画を立てた。その際、多くの役人や作家連中も招待された。彼は、第一次五カ年計画の中心事業であった白海・バルト海運河をわずか2年で開通させた偉業を世界に誇示したかったのである。招待された百名以上の作家たちは、超一流ホテルでチョウザメや高級食材、各種ハム類、ウォッカ、シャンパンなどふんだんに振る舞われた後、スターリンと優雅な運河の船旅を体験したのである。皮肉にも、その時、ウクライナでは有無を言わさぬ食料調達によって数えきれない農民が飢餓に苦しみ、その挙句に埋められた死体を掘り起こし、人食いまで行われていたにもかかわらずである。

 彼らは、その後、「スターリン記念」と称する本を書き、その中で、彼の数々の偉業を美辞麗句を並び立てて絶賛し、囚人たちがいかに再教育されて鍛え直され、国家に貢献し得たかを賛美したのであった。しかし、実際は、工事期限を死守するために、運河はかなり浅く掘られ、役には立たない代物だったという。また、運河開通の担い手、30万の労働者の内、10万人がボロクズのようになって死に絶え、運河の土となったことなど一行も書かれることはなかった。

 スターリンは、後にこう述べている「反抗心のない無力な労働者を育成するには、密告を奨励し、給食を飢餓すれすれにして、ちょっぴり食い物を増やしてやると彼らにたきつけることだ。そうすれば、労働力を最大限に引き出せる。彼らの苦情など一切無視すればよい。そうすれば、人間の個性や主張など簡単に打ち砕くことが出来るのだ」これほど、人間の尊厳を侮辱し冒涜した言葉もないだろう。しかし、この方法は、後になって、ヒトラーやムソリー二など西側の悪名高き独裁者たちも、見習って借用したということである。

 第一次五カ年計画が終わる頃、農民の強制集団化で富農層をほぼ撲滅した彼は、さらなる粛清をもくろんでいた。スターリン独裁の陰では、トロツキー、カーメネフ、ジノビエフと言った反対勢力がまだ幅をきかせていたし、党の幹部の中には、粗暴なスターリンを嫌って排除しようという動きもあった。ここでスターリンは再び狡猾な手段に出る。かつて、党から、追放したはずのカーメネフ、ジノビエフらを再び党員に迎え、要職につけたのである。これは、どういうことなのか? こうしたスターリンの心境の変化を西側のメディアは、「ロシアの赤がピンクになった」などという表現を使って「雪解け現象来る?」と大見出しで報道した。

 しかし、これは、さらなる大嵐が来る前の凪(なぎ)のようなものだった。スターリンは、何かとてつもないことをしでかす前には、必ずと言っていいほど、相手を油断させるためのフェイントを演出したからである。事実、スターリンの胸の内は、これから行われる大粛清のための構図が出来上がっていた。これまでに彼に楯ついた者、恥を掻かせた者、気に入らぬ者などが、彼の強靭な記憶力の中にインプットされ続けていた。そして、それらは、膨大なリストに細かく区分けされて、逮捕、拷問、処刑の瞬間を待ちわびていたのである。後は、スターリン自身が、合図を送るだけであった。

 キーロフの暗殺が大粛清のきっかけとなった。キーロフは、共産党の中央委員でもあり、人気があった。実際、スターリンの後継者と見なす党員がほとんどだった。

 スターリンは、表向きは、キーロフを同志として信頼しているように振る舞っていたが、本心は、彼の存在が我慢ならなかった。

 結局、キーロフの暗殺は、カーメネフ、ジノビエフらの犯行ということになり、彼らは、即刻、銃殺刑にされた。しかし、これは、とんでもないでっち上げで、キーロフの暗殺を仕組んだのは、スターリンの仕業に他ならない。


セルゲイ・キーロフ

(1886〜1934)スターリンを上回る人気があり、嫉妬したスターリンによって暗殺されたと言われる。


 こうして、彼は、次期に自分のポストを奪いかねないキーロフを暗殺し、その罪をかつての政敵、カーメネフとジノビエフらに擦りつけ、一挙に両方とも片付けることに成功したのである。後は、さらなる大粛清を行い、自らの独裁を揺るぎないものにしてゆくことであった。

 粛清の死の嵐は、たちまちソ連全土に波及していき、37年には空前絶後の規模で行われた。「古い細胞を除去し、党は一新されねばならない」・・・スターリンは、大虐殺をこのように弁明し粛清の論理を正当化した。そのために、彼は密告を奨励した。自分の陰口をたたく者、不満を持つ者、体制に批判的な者を密告によって嗅ぎ分け、ことごとく粛清するのである。

 身に覚えのない密告が盛んに行われ、数えきれない人間が深夜に連行され銃殺された。いたいげな子供が親を密告したケースも少なくない。まだ善悪の判断すらつかぬ子供が、多くの人々の前で表彰を受け無邪気に喜ぶ場面もあった。一方、実の子に密告された親は、強制収容所に送られ悲惨な死を遂げたのである。

 夜がふけると、人々は、身を寄せ合って、夜が明けるのを息を殺して待つよりなかった。こうしている間にも、自分に恨みを持った人間が、復讐のため、あることないことを告げ口し、処刑隊が向かっているかもしれないのである。もう、誰も信用出来なかった。人々は疑心暗鬼に脅え、毎夜、恐怖に震えおののいた。それは、まるで、中世の魔女狩りそっくりであった。いつ何時、死神がドアをノックするかわからず、おちおち眠ることも出来なかった。死刑執行人、すなわち、秘密警察が現れるのは、決まって深夜か早朝だったからである。

 この年だけで何百万人も連行され、約半数が処刑されたと言われている。大戦前の5年間だけでも、2千万人近い人間が逮捕され、銃殺もしくは強制収容所送りにされているのである。大粛清は党や軍などあらゆる分野に及んだ。軍に至っては、将校の8割が処刑されたと言われている。そして、ついには粛清を執行した本人たちにも矛先が向けられていった。スターリン政権下30年間で換算すると、ロシアだけで実に4千万を下らない人間が連行され有罪判決を受けたことになる。ソ連全土ともなると、その数はもっと膨らみ、もはや推定する以外にはない。当局によって有罪判決を受けた者たちは、その半数以上が虫けらのように処刑されるか流刑先で悲惨な死を迎えたのである。しかし、悲劇はこれが、すべてではない・・・4年間に渡る独ソ戦の死傷者2千5百万人がその上に加わるからである。

 さらに、大戦中も、ソ連占領下の各地で、粛清の嵐は容赦なく吹き荒れた。ソ連領内の北カフカスでは、ある山岳民族が強制移住の名目で大虐殺の憂き目にあっている。この山岳民族は、戦前から、自分たちの伝統文化を頑に守り、スターリンの農業集団化に協力しようとしなかったのだ。2月の大雪が降り続く深夜、突如、10万の軍隊で村々を包囲した当局は、着の身着のままで、住民を叩き起こし、駅で待っていた家畜輸送用の貨車に詰め込んだのである。その際、老人、妊婦、子供は足手まといになるため、射殺されるか、崖から突き落としたのであった。貨車に乗り遅れたある老夫婦と幼い孫はその場で射殺された。人々は貨車から5メートルも離れると、問答無用で射殺されたという。

 また、期限内に計画達成困難と見た当局が、スターリンの怒りを買うのを恐れ、残った村の数百人の住民を納屋に閉じ込め、火を放ったこともあった。苦しみ抜いて煙にいぶし出され、はい出して来たところを一人一人狙い撃ちして皆殺しにしてしまったという。グルジアに住んでいたある少数民族などは、こうして地上から永遠に抹殺されてしまった。

 スターリンの狂気は、敵対する民族のみならず、捕虜や自軍にも向けられ、止まることを知らなかった。戦時中、スモレンスク郊外のカチンの森の中で、数千人のポーランド将校が虐殺されて埋められているのが発見された。


 遺体はどれも、おがくずを口に詰め込まれて、銃剣で刺し殺されるか、後頭部を銃で撃たれるというひどいものであった。このような惨い虐殺現場は、その後、次々と発見されていくのである。

 また、スターリンは、捕虜は祖国の裏切り者とみなして、その家族はことごとく逮捕させていた。戦場を少しでも離れる者があれば、即刻、銃殺されるか戦車で引き潰したという。将兵を、生きたまま地雷を踏ませるために行進させることもあった。

カチンの森の虐殺現場

 かくして、スターリングラードの攻防戦だけでも、1万4千名のソ連兵が自軍に殺されたのである。つまり、一つの師団丸ごとが味方の手によって抹殺された計算となるのだ。こうした死者数まで漏れなく加算していくと、あまりに現実離れした数字となり計量することは、もはや不可能となる。

 彼の犯した罪が、いかに巨大なものか、自ずからわかると言うものだ。恐怖の戦慄の果てに、全身総毛立つ思いがして来るのも当然であろう。

この遺体は後ろ手で縛られた上、絞め殺されていた

 このような犠牲者の累積は、1953年、スターリンが死ぬ瞬間まで、急上昇を描くようにカウントされつづけたのである。この年、スターリンの突然の死によって、ようやく長引いていた朝鮮戦争も終結に向かっていった。彼は、晩年、殺されるのではないかという強迫観念に取り付かれていた。何をするにも異常に疑い深くなり、食べ物はすべて毒味をさせ、自分が招いた客でさえも、深夜、こっそり入って来て、寝ているのを確認する始末だった。元々、若い頃から何事にも疑り深かったスターリンは、今では病的で、誰も信じられる者もなく、医者でさえ自分のそばに決して近寄らせなかった。そして、長寿の薬だと称して訳のわからぬ薬を飲んだり、ヨードを垂らした怪しげな水を飲んでいたという。

 独裁者の最期は、あっけないものだった。脳内出血を起こした彼は、パジャマ姿で食堂で転倒し、ほとんど、意志朦朧としたままで息を引き取ったのであった。ラジオは荘重な音楽を鳴らし、国民に4日間、喪に服することを伝えた。享年74才だったと言われる。

 スターリンが死んでもう半世紀にもなる。嘘やでっち上げで固められた政治体制、共産主義の腐敗と害毒、粛清の恐怖など・・・国民は、過去を払拭し忘れたいと思った。しかし、スターリンの残した負の遺産は、あまりにも強烈で、人々の心の奥深くに刻まれて今も存続し続けている。新生ロシアになっても、その悪影響は国家の負の遺伝子として溶け込み、断ち切ることは出来ないようだ。これほどまでに多くの人間を殺しまくり、死しても、その影響力は、依然、弱まりを見せてはいない。
 歴史上、これまでには、残虐な独裁者は数多く登場した。皇帝ネロ、カリグラ、チンギスカン、ポルポト、フセイン・・・しかし、彼、スターリンに比べると、いかなる殺戮者もちっぽけで色あせて見えるようだ。あのユダヤ人大虐殺で有名なヒトラーでさえも・・・

   旧ソ連から独立したラトビア共和国内のある歴史博物館には共産主義の墓と称するものがある。その墓碑銘には、「共産主義死す。1945ー1991年」という文字が彫られているという。
 
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_f.html


スターリンの、異常な人格については、さまざまに伝えられている。まず彼には、複雑な生い立ちから培われた「憎悪の心」が強かった。彼は田舎の、極貧の靴屋の息子として生まれたが、家庭には安らぎも楽しさも、まったくなかった。 

 父親は、短気で粗暴な男であった。スターリンは、父のひどい暴力に、いつも怯えていなければならなかった。幼い日の彼は、常に体のどこかが打ち身のあとで腫れていた。父の暴力がもとで、身体に障害も残ってしまった。彼は幼年にして、「憎む」ということを覚えた。環境を憎み、父親を憎み、すべての人間を憎むようになった。また、学校に入ると、友人たちが皆、自分より経済的に恵まれている、と悩んだ。自らの“生まれ”に対する劣等感は、他人への妬みとなって表れた。人が苦しむのを見て喜び、少しでも気に入らないと徹底的に暴力を振るった。彼にとって、人の不幸は“善”であり、人の幸福は“悪”であった。あわれにも、そのような見方が、染みついてしまったといわれる。自らの“育ち”に異常なまでの嫌悪を抱いていたせいであろうか。彼は、のちに権力を握ると、自分の幼少のころを知る人々を、次々に処刑している。人は自分の環境を克服して立派な人間になることもできる。しかし、彼は、環境に負けてしまったのである。
  
 また彼は、「自分さえよければいい」という卑怯な人間であった。彼の行動の基準は、“自分のため”という一点にしがなかった。自分がより大きな権力を得るためには、あらゆる人を利用し、多くの人々を平気で犠牲にした。若いころから革命運動に身を投じたが、常に「前進せよ、恐れるな」と、かけ声をかけるだけで、自分は決して危険な所へは現れなかった。事態が危うくなると、同志を見殺しにして、すかさず身を隠すのであった。三百人のデモ行進を指揮していたとき、リーダーの彼以外は全員、逮捕され、本人だけ逃走したということもあった。また、「進め!」という彼の号令で突撃した同志の多くが銃殺されたときも、彼はかすり傷ひとつ負わなかった。この卑劣な生き方は、生涯、変わることがなかった。 
  
 さてスターリンは、自分よりも優れ、恵まれている人に対しては、悪魔的ともいえる「嫉妬心」を抱いた。他人が勲章をもらうのを見れば、自分もそれを手にしなければ気がすまなかった。とにかく自分が一番にならなければ、おさまらないという性格であった。同時代のロシアの政治家であるブハーリン(のちにスターリンによって処刑された)は、こう語っている。

[スターリンは誰か他の人がもっているものは、自分も持たないと生きて行けないのだ」

(ロバート・コンクエスト著、片山さとし訳、三一書房刊、「スターリンの恐怖政治』上)と ― 。

  
 またスターリンは、極端な[幼児性」の持ち主であった。大変に“気まぐれ”で、ひとたび感情を害すると、すねて、数日間も会議に臨席しないことがよくあった。自分の思い通りにならないことに対しては、すぐさま“怒り”と“恨み”を抱いた。それゆえ彼は、他人と「対話」することができなかった。「納得」させるのではなく、自分の考えに反対する者には、すべて残忍な「暴力」を行使したのである。
  
 スターリンが競争相手を失脚させる常套手段は、「ウソ」を言いふらすことであった。巧みにウソをつき、「あいつは反レーニン主義者だ」などとレッテルを張り付け、攻撃したのである。また、自分を守り、飾り立てるためにも、多くのウソを作り出した。師ともいうべき立場のレーニンが死んだ時のことである。彼は、「スターリンは後継者として、ふさわしくない」としたレーニンの遺言をにぎりつぶした。その一方、レーニンと自分が仲良く並んで座っている写典を、新開やポスターなど、いたるところに掲げさせた。自分がレーニンの「正統の後継ぎ」であるかのような印象を、与えようとしたのである。しかも、その写真は、合成や修正を加えて作った偽物であったという。

自分の欲望のために、“師匠”をも利用したのである。多くの人が「おかしい」と思ったが、全部、封殺されてしまった。皆は知らないだろう、とウソをつく。事実をねじまげ、さも本当らしく、言いつくろう。だが、その場は、うまくごまかしたつもりでいても、真実は隠せない。隠せたところで、ウソはウソである。なかんずく仏法の世界においては、ウソは必ず、いつか自分への刃となって返ってくる。 

 スターリンは、民衆に対して、レーニンの死を深く悲しんでいるかのように見せかけた。しかし、実際は狂喜していた。彼の執務室に勤めていた職員は、「レーニンの死後の数日ほど、彼が幸せそうに見えたことはなかった」と語っている。彼は、権力の「座」にのぼりつめても、ウソをつき続けた。「スターリンは、レーニンの仕事の立派な後継者である」「スターリンは今日のレーニンである」と自ら宣伝した。自分に都合のいいように、歴史さえも「改ざん」していった。

  
 権力を手にしたスターリンは、自分の言うことは、すべて真実であるとした。あたかも神のごとく振る舞い、国民に「絶対的服従」を強いた。自分の思い通りになる人間しか認めず、人々の自由をうば奪い取ることで、絶対者として君臨したのである。思想統制にも力を入れた。出版物も厳しく制限。情報や表現の仕方まで、徹底して取り締まった。権力欲を満たすために、作家も利用した。自分の思いのままになる人間を作るために自分を礼賛する作品を書かせた。反対に、「絶対服従」しない者には、作品の出版を禁じ、すでに出版されていた作品も葬り去った。 
  
 スターリンは、人々の心から「安心」を取り除き、「恐怖」を植え付けることによって国民を支配した。秋谷会長が、現宗門を「恐怖政治」と呼んでいたが、まったく共通している。安心は信頼と自信を生み、人々を結び付ける。しかし恐怖は、疑いを生み、人々の間に「壁」を作る。圧政者に抵抗して結束することができなくなってしまう。彼は、そうした恐怖を与えるために、「密告制」を用いた。政府が一般市民の中から密告者を選ぶのである。町のいたるところに密告者がいた。家族や親友でさえ、密告者かもしれなかった。五人集まれば、そのうち一人は密告者だと言われるほどであった。そのうえ密告者は、告発された被害者の財産を分けてもらえた。だから、ますます密告に拍車がかかった。隣人の部屋や、同僚の仕事が欲しいと思えば、それが事実であろうとなかろうと、その人を、ただ告発しさえずればよかった。「だれも信じられない」世界は人々の欲望、嫉妬、憎悪をかきたてることで支配する。人間の最も醜い面を引き出す、やり方である。まさに、「魔性」であった。市民は、自分の身の安全と利益を守るために、心を閉ざすようになった。また、互いに敵意を抱き合い、公然と非難しあうようになっていった。
  
 当時の、さまざまなエピソードが残されている。裏側のページにスターリンの写真が載っていることに気づかず、新聞を空気銃で撃ち抜いた男性は、密告により懲役十年の刑に。また、ある集会で、スターリンの名が出ると、人々は一斉に拍手を始めた。三分、五分……拍手は、いっこうに鳴りやまない。やがて十分が過ぎた。一人が拍手をやめて席についた。その人は、翌日、逮捕された ― 。まさに「恐怖の世界」であった。 
  
 絶対者として振る舞う陰で、実はスターリンは驚くほど「臆病者」であった。常に暗殺の恐怖にとりつかれ、いかなる人間 ― 家族さえも信用することができなかった。例えば、何千人という護衛兵がいただけでなく、その一人一人に対しても、幾度も取り調べを行っていた。食事は、必ず検査室で調べさせ、そのうえで毒味をさせた。どんな時も、防弾チョッキを離さず、移動は、いつも装甲車で。屋敷の警備は、最も警戒が厳しい刑務所よりも厳重で、多くの錠や門、警備員、番犬などで守られていた。庭には地雷まで埋められていたという。しかも家の中は、暗殺者をまどわすために、同じ家具を備えつけた寝室をいくつも作り、毎晩、違う部屋で寝ていた ― 。
  
 スターリンは「自分を取り巻く、すべての人間が敵である」という妄想に、とりつかれていた。それは精神病の域にまで達していたといわれる。たった「一人」の狂気が、歴史に類を見ない大量の粛消をもたらしたのである。「狂った独裁者」を放置していてはならない。現代の“魂の大量虐殺者”も、断じて追放せねばならない。
  
 スターリンは、多ぐの無実の人々を捕らえては、拷問で“自白”させ、次々と処刑していった。彼は、こう語っていたといわれる。人の死は悲しいことであるが、それが百万人の死となると、単なる統計にすぎない」(アルバート・マリン著、駐文館訳刊、『スターリン』)  

 「自分の犠牲者を選び、自分の計画を詳しく練り、執念深く復讐をやって、それからベッドに入る……世の中にこれほど楽しいことはない」(前出、『スターリンの恐怖政治』上)と。 

 彼は、やがて、長年、自分に忠誠を尽くしてきた腹心の部下をも殺していった。だが、どんなことをしょうと、本当の安らぎを得ることは、決してなかった。最期は恐ろしい形相で、もだえ死んだという。
  
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/suta-rin.htm

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
20. 地下爺[10407] km6Jupbq 2020年3月23日 10:19:39 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[165]

    なんにもせず、自然治癒だけで 1年以内に果たして

    解決するでしょうカネ?!


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c20

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
12. 中川隆[-13528] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1376]
レーニンの実像  

ロシアではグラスノスチによって、神聖不可侵だったレーニンの実像を知る手がかりが次第に明らかにされつつある。共産党中央委員会が管理していたマルクス・レーニン主義研究所所属の古文書館に「秘密」のスタンプが押された3724点におよぶレーニン関連の未公開資料が保存されていたことも判明し、民主派の歴史学者の手によってその公開が進みつつある。

 これらの資料のうちの一部は、ソ連崩壊以前からグラスノスチ政策によって公開されていた。そのうちのひとつが、私が月刊『現代』91年10月号誌上で全文を公表した、1922年3月19日付のレーニンの秘密指令書である。改めてここでその内容を紹介しておこう(翻訳全文は拙著『あらかじめ裏切られた革命』に所収)。


 22年当時、ロシアは革命とそれに続く内戦のために、国中が荒廃し、未曾有の大飢饉に見舞われていた。そんな時期に、イワノヴォ州のシューヤという町で、ボリシェヴィキが協会財産を没収しようとしたところ、聖職者が信徒の農民たちが抵抗するという「事件」が起きた。報告を受けたレーニンは、共産党の独裁を確立する最大の障害の一つだった協会を弾圧する「口実ができた」と喜び、協会財産を力ずくで奪い、見せしめのための処刑を行い、徹底的な弾圧を加えよと厳命を下したのである。以下、その命令書の一部を抜粋する。


<我々にとって願ってもない好都合の、しかも唯一のチャンスで、九分九厘、敵を粉砕し、先ゆき数十年にわたって地盤を確保することができます。まさに今、飢えた地方では人をくい、道路には数千でなければ数百もの死体がころがっているこの時こそ、協会財産をいかなる抵抗にもひるむことなく、力ずくで、容赦なく没収できる(それ故、しなければならないのです>


<これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない>


おぞましい表現に満ちたこの秘密書簡は、『ソ連共産党中央委員会会報』誌90年4月号に掲載され、一般に公開された。党中央委ですら、90年の時点で、レーニンが直接命じた残忍なテロルの事実の一端を、公式に認める判断を下したわけである。

 アナトリー・ラトゥイシェフという歴史家がいる。未公開のレーニン資料の発掘に携わっている数少ない人物で、同じくレーニン研究に携わっていた軍事史家のヴォルコゴーノフが、95年12月に他界してからは、この分野の第一人者と目されており、研究成果をまとめた『秘密解除されたレーニン』(未邦訳)という著書を96年に上梓したばかりだ。モスクワ在住の友人を通じて、彼にあてて二度にわたって質問を送ったところ、氏から詳細な回答を得るとともに、氏の好意で著書と過去に発表した論文や新聞インタビュー等の資料をいただいた。以下、それらのデータにもとづいて、レーニンの実像の一端に迫ってみる(「 」内は氏の手紙および著書・論文からの引用であり、< >内はレーニン自身の書いた文章から直接の引用である。翻訳は内山紀子、鈴木明、中神美砂、吉野武昭各氏による)。

まずは、ラトゥイシェフからの手紙の一節を紹介しよう。


「残酷さは、レーニンの最も本質をなすものでした。レーニンはことあるごとに感傷とか哀れみといった感情を憎み、攻撃し続けてきましたが、私自身は、彼には哀れみや同情といった感情を感受する器官がそもそも欠けていたのではないか、とすら思っています。残酷さという点ではレーニンは、ヒトラーやスターリンよりもひどい」


「レーニンはヒトラーよりも残酷だった」という主張の根拠として、ラトゥイシェフはまず、彼自身が古文書館で「発掘」し、はじめて公表した、1919年10月22日付のトロツキーあての命令書をあげる。

<もし総攻撃が始まったら、さらに2万人のペテルブルグの労働者に加えて、1万人のブルジョワたちを動員することはできないだろうか。そして彼らの後ろに機関銃を置いて、数百人を射殺して、ユデニッチに本格的な大打撃を与えることは実現できないだろうか>

 ユデニッチとは、白軍の将軍の一人である。白軍との内戦において、「ブルジョワ」市民を「人間の盾」として用いよと、レーニンは赤軍の指導者だったトロツキーに命じているのである。

「ヒトラーは、対ソ戦の際にソ連軍の捕虜を自軍の前に立たせて『生きた人間の盾』として用いました」と、ラトゥイシェフ氏は私宛ての手紙に書いている。

「しかし、ヒトラーですら『背後から機関銃で撃ちながら突進せよ』などとは命令しなかったし、もちろん、自国民を『盾』に使うことはなかった。レーニンは自国民を『人間の盾』に使い、背後から撃つように命じている。ヒトラーもやらなかったことをレーニンがやったというのはこういうことです。しかも、『人間の盾』に用いられ、背後から撃たれる運命となった人たちは犯罪者ではない。あて彼らの『罪』を探すとすれば、それはただひとつ、プロレタリア階級の出身ではなかったということだけです。しかし、そういう人々の生命を虫ケラほどにも思わず、殺すことを命じたレーニン自身は、世襲貴族の息子だったのです」


レーニンが「敵」とみなしていたのは、「ブルジョワ階級」だけではない。聖職者も信徒も、彼にとっては憎むべき「敵」だった。従来の党公認のレーニン伝には、革命から2年後の冬、燃料となる薪を貨車へ積み込む作業が滞っていることにレーニンが腹を立て、部下を叱咤するために書いた手紙が掲載されてきた。


<「ニコライ」に妥協するのは馬鹿げたことだ。――ただちに緊急措置を要する。

 一、出荷量を増やすこと。

 二、復活祭と新年の祝いのために仕事を休むことを防ぐこと。>


「ニコライ」とは、12月19日の「聖ニコライの祭日」のことである。この日、敬虔(けいけん)なロシア正教徒は――ということは当時のロシア国民の大半は――長年の習慣に従って、仕事を休み、祈りを捧げるために教会へ足を運んだに違いない。レーニンはこの日、労働者が仕事を休んだのはけしからんと述べているわけだが、そのために要請した緊急措置は、この文書を読むかぎりとりたてて過激なものではないように思える。しかし実は、この手紙は公開に際して改竄(かいざん)が施されていた。古文書館に保存されていた、19年12月25日付書簡の原文には、先のテクストの「――」部分に以下の一文が入っていたのである。


<チェーカー(反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会=KGBの前身の機関)をすべて動員し、「ニコライ」で仕事に出なかったものは銃殺すべきだ>

 レーニンの要請した「緊急措置」とは、秘密警察を動員しての、問答無用の銃殺だったのだ――。


 この短い書簡の封印を解き、最初に公表したのは、今は亡きヴォルコゴーノフで、彼の最後の著書『七人の指導者』(未邦訳)に収められている。ラトゥイシェフは、私宛ての手紙で『七人の指導者』のどのページにこの書簡が出ているか示すとともに、こういうコメントを寄せてきている。


「この薪の積み込み作業に動員されたのは、帝政時代の元将校や芸術家、インテリ、実業家などの『ブルジョワ』層でした。財産を奪われた彼らは、着のみ着のままで、この苦役に強制的に従事させられていたのです。彼らにとって『聖ニコライの日』は、つかの間の安息日だったことでしょう。レーニンは無慈悲にも、わずかな安息を求め、伝統の習慣に従っただけの不幸な人々を『聖ニコライの日』から一週間もたってから、その日に休んだのは犯罪であるなどと事後的に言い出し、銃殺に処すように命じたのです」


内部に胚胎していた冷血


 ひょっとすると、このような事実を前にしてもなお、以下のような反論を試みようとする人々が現れるかもしれない。


――レーニンはたしかに「敵」に対しては、容赦なく、残酷な手段を用いて戦ったかもしれない。しかしそれは革命直後の、白軍との内戦時の話だ。戦争という非常時においては、誰でも多かれ少なかれ、残酷になりうる。歴史の進歩のための戦いに勝ち抜くにはこうした手段もやむをえなかったのだ――。

 いかにも最もらしく思える言い分だが、これも事実と異なる。レーニンの残酷さや冷血ぶりは、内戦時のみ発揮されたわけではない。そうした思想(あるいは生理)は、ウラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフが「レーニン」と名乗るはるか以前から、彼の内部に胚胎していたのだ。

 話は血なまぐさい内戦の時代から約30年ほど昔に遡る。1891年、レーニンが21歳を迎えたその年、沿ヴォルガ地方は大規模な飢饉に見舞われた。このとき、地元のインテリ層の間で、飢餓に苦しむ人々に対して社会的援助を行おうとする動きがわきあがったが、その中でただ一人、反対する若者がいた。ウラジーミル・ウリヤーノフである。以下、『秘密解除されたレーニン』から引用する。


「『レーニンの青年時代』と題する、A・ペリャコフの著書を見てみよう(中略)それによれば、彼(レーニン)はこう発言していたのだ。


『あえて公言しよう。飢餓によって産業プロレタリアートが、このブルジョワ体制の墓掘人が、生まれるのであって、これは進歩的な現象である。なぜならそれは工業の発展を促進し、資本主義を通じて我々を最終目的、社会主義に導くからである――飢えは農民経済を破壊し、同時にツァーのみならず神への信仰をも打ち砕くであろう。そして時を経るにしたがってもちろん、農民達を革命への道へと押しやるのだ――』」


 ここの農民の苦しみなど一顧だにせず、革命という目的のためにそれを利用しようとするレーニンの姿勢は、すでに21歳のときには確固たるものとなっていたのだ。

 また、レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中で自ら「ジャコバン派」と開き直り、党内の反対派を「日和見主義的なジロンド派」とののしっているが、実際に血のギロチンのジャコバン主義的暴力を、17年の革命に先んじて、1905年の蜂起の時点で実行に移している。再び『秘密解除されたレーニン』から一節を引こう。


「このボリシェヴィキの指導者が、(亡命先の)ジュネーブから、1905年のモスクワでの『12月蜂起』前夜に、何という凶暴な言葉で、ならず者とまったく変わらぬ行動を呼びかけていたことか!(中略)


『全員が手に入れられる何かを持つこと(鉄砲、ピストル、爆弾、ナイフ、メリケンサック、鉄棒、放火用のガソリンを染み込ませたボロ布、縄もしくは縄梯子、バリケードを築くためのシャベル、爆弾、有刺鉄線、対騎兵隊用の釘、等々)』(中略)


『仕事は山とある。しかもその仕事は誰にでもできる。路上の戦闘にまったく不向きな者、女、子供、老人などのごく弱い人間にも可能な、大いに役立つ仕事である』(中略)


『ある者達はスパイの殺害、警察署の爆破にとりかかり、またある者は銀行を襲撃し、蜂起のための資金を没収する』(中略)建物の上部から『軍隊に石を投げつけ、熱湯をかけ』、『警官に酸を浴びせる』のもよかろう」


「目を閉じて、そのありさまを想像してみよう。有刺鉄線や釘を使って何頭かの馬をやっつけたあと、子供達はもっと熟練のいる仕事にとりかかる。用意した容器を使って、硫酸やら塩酸を警官に浴びせかけ、火傷を負わせたり盲人にしたりしはじめるのだ。

(中略)そのときレーニンはこの子供達を真のデモクラットと呼び、見せかけだけのデモクラット、『口先だけのリベラル派』と区別するのだ」


彼の価値観はきわめて「ユニーク」で、「警官に硫酸をかけなさい」という教えだったのだ。

よく知られている話だが、1898年から3年間、シベリアへ流刑に処されたとき、レーニンは狩猟に熱中していた。この狩猟の趣味に関して、レーニンの妻、クループスカヤは『レーニンの思い出』の中で、エニセイ川の中洲に取り残されて、逃げ場を失った哀れなウサギの群れを見つけると、レーニンは片っ端から撃ち殺し、ボートがいっぱいになるまで積み上げたというエピソードを記している。


 何のために、逃げられないウサギを皆殺しにしなくてはならないのか?これはもはや、ゲームとしての狩猟とはいえない。もちろん、生活のために仕方なく行なっている必要最小限度の殺生でもない。ごく小規模ではあるが、まぎれもなくジェノサイドである。レーニンの「動物好き」とは、気まぐれに犬を撫でることもあれば、気まぐれにウサギを皆殺しにすることもある、その程度のものにすぎない。


「レーニンは疑いなく脳を病んでいた人でした。特に十月革命の直後からは、その傾向が顕著にあらわれるようになります。1918年1月19日に、憲法を制定するという公約を反古にして、憲法制定会議を解散させたあと、レーニンはヒステリー状態に陥り、数時間も笑い続けました。また、18年の7月、エス・エルの蜂起を鎮圧したあとでも、ヒステリーを起こして何時間も笑い続けたそうです。こうした話は、ボリシェヴィキの元幹部で、作家であり、医師でもあったボグダーノフが、レーニンの症状を診察し、記録に残しています」


 レーニンの灰色の脳は病んでいた。彼は「狂気」にとりつかれていたのだ。ここでいう「狂気」とはもちろん、陳腐な「文字的」レトリックとしての「狂気」でも、中沢氏のいう「聖なる狂気」のことでもない。いかなる神秘ともロマンティシズムとも無縁の、文字通りの病いである。

 頭痛や神経衰弱を訴え続けていたレーニンは、1922年になると、脳溢血の発作を起こし、静養を余儀なくされるようになった。ソ連国内だけでなく、ドイツをはじめとする外国から、神経科医、精神分析医、脳外科医などが招かれ、高額な報酬を受け取ってレーニンの診察を行った。そうした診察費用の支払い明細や領収書、カルテなどが、古文書館で発見されている。


 懸命な治療にもかかわらず、レーニンの病状は悪化の一途をたどり、知的能力は甚だしく衰えた。晩年はリハビリのため、小学校低学年レベルの二ケタの掛け算の問題に取り組んだが、一問解くのに数時間を要した。にもかかわらず、その間も決して休むことなく、彼は誕生したばかりの人類史上最初の社会主義国家の建設と発展のために、毎日、誰を国外追放にせよ、誰を銃殺しろといった「重要課題」を決定し続けた。二ケタの掛け算のできない病人のサイン一つで、途方もない数の人間の運命が決定されていったのである。

そしてこの時期、もう一つの重大事が決定されようとしていた。レーニンの後継者問題である。1922年12月13日に、脳血栓症の二度目の発作で倒れたあと、レーニンは数回に分けて「遺書」を口述した。とりわけ、22年1月4日に「スターリンは粗暴すぎる。そしてこの欠点は、われわれ共産主義者の間や彼らの相互の交際では充分我慢できるが、書記長の職務にあっては我慢できないものとなる」として、スターリンを党書記長のポストから解任するよう求めた追記の一節が、のちに政治的にきわめて重要な意味をもつこととなった。

 ラトゥイシェフはレーニンとスターリンの関係についてこう述べる。


「よく知られている通り、レーニンは『遺書』の中でスターリンを批判しました。そのため、レーニンは、スターリンの粗暴で残酷な資質を見抜いており、もともと後継者として認めていなかったのだという解釈が生まれ、それがスターリン主義体制は、レーニン主義からの逸脱であるとみなす論拠に用いられるようになりました。しかしこれは『神話』なのです。レーニンの『神話』の中で最も根強いものの一つです。

 レーニンがスターリンを死の間際に手紙で批判したのは、スターリンがクループスカヤに対して粗暴な態度をとったという個人的な怒りからです。スターリンがそのような態度をとったのは、衰弱の一途をたどるレーニンを見て、回復の見込みはないと判断して見切りをつけたからでした。しかしそれまではグルジア問題などで対立することはあっても、スターリンこそレーニンの最も信頼する”友人”であり、忠実で従順な”弟子”でした。レーニンが静養していたゴーリキーに最も足繁く通っていたのはスターリンであり、彼はレーニンのメッセージを他の幹部に伝えることで、彼自身の権力基盤を固めていったのです」

たしかに「遺書」では、レーニンはスターリンを「粗暴」と評しているが、別の場面では、まったく正反対に「スターリンは軟弱だ」と腹を立てていたという証言もある。元政治局員のモロトフは、詩人のフェリックス・チュエフの「レーニンとスターリンのどちらが厳格だったか?」という質問に対して、「もちろん、レーニンです」と答えている。このモロトフの言葉を『秘密解除されたレーニン』から引用しよう。


「『彼(レーニン)は、必要とあらば、極端な手段に走ることがまれではなかった。タンボフ県の暴動の際には、すべてを焼き払って鎮圧することを命じました。(中略)

彼がスターリンを弱腰だ、寛大すぎる、と言って責めていたのを覚えています。『あなたの独裁とはなんです? あなたのは軟弱な政権であって、独裁ではない!』と」


 あのスターリンを「軟弱だ」と叱責したレーニンの考えていた「独裁」とは、ではどういうものであったか? この定義は、何も秘密ではない。レーニン全集にはっきりとこう書かれている。


「独裁の科学的概念とは、いかなる法にも、いかなる絶対的支配にも拘束されることのない、そして直接に武力によって自らを保持している、無制限的政府のことにほかならない。これこそまさしく、『独裁』という概念の意味である」

 こんな明快な定義が他にあるだろうか。
 法の制約を受けない暴力によって維持される無制限の権力。これがレーニンが定式化し、実践した「独裁」である。スターリンは、レーニン主義のすべてを学び、我がものとしたにすぎないのだ。


 ラトゥイシェフはこう述べている。

「独裁もテロルも、レーニンが始めたことです。強制収容所も秘密警察もレーニンの命令によって作られました。スターリンはその遺産を引き継いだにすぎません。もっとも、テロルの用い方には、二人の間に相違もみられます。スターリンは、粗野で、知的には平凡な人物でしたが、精神的には安定しており、ある意味では『人間的』でした。彼は政敵を粛清する際には、遺族に復讐されないように、一族すべて殺したり、収容所送りにするという手段を多用しました。もちろん残酷きわまりないのですが、少なくとも彼には人間を殺しているという自覚がありました。しかし、レーニンは違う。彼は知的には優れた人物ですが、精神的にはきわめて不安定であり、テロルの対象となる相手を人間とはみなしていなかったと思われます。

彼の命令書には


『誰でもいいから、100人殺せ』とか

『千人殺せ』とか

『一万人を「人間の盾」にしろ』


といった表現が頻出します。彼は誰が殺されるか、殺される人物に罪があるかどうかということにまるで関心を払わず、しかも『100人』『千人』という区切りのいい『数』で指示しました。彼にとって殺すべき相手は匿名の数量でしかなかったのです。

人間としての感情が、ここには決定的に欠落しています。私が知る限り、こうした非人間的な残酷さという点では、レーニンと肩を並べるのはポル・ポトぐらいしか存在しません」

 ラトゥイシェフの言葉を細くすれば、レーニンとポル・ポトだけでなく、ここにもうひとり麻原彰晃をつけ加えることができる。麻原が指示したテロルには、個人を狙った「人点的」なものもあったが、最終的には彼は日本人の大半を殺害する「予定」でいたわけであり、これは「人間的」なテロルの次元をはるかに超えている。

暴力革命を志向するセクトやカルト教団の党員や信徒達は厳しい禁欲を強いられるものの、そうした組織に君臨する独裁者や幹部達が、狂信的なエクステリミストであると同時に、世俗の欲望まみれの俗物であることは少しも意外なことではない。サリンによる狂気のジェノサイドを命じた麻原は、周知の通り、教団内ではメロンをたらふく食う俗物そのものの日々を送っていたのであるが、この点もレーニンはまったく変わりはなかった。

 レーニンが麻原同様の俗物? そんな馬鹿な、と驚く人は少なくあるまい。レーニンにはストイックなイメージがあり、彼に対しては、まったく正反対の思想の持ち主でさえも、畏敬の念を抱いてしまうところがある。彼は己の信じる大義のために生命をかけて戦い抜いたのであり、私利私欲を満たそうとしたのではない、生涯を通じて彼は潔癖で清貧を貫いた、誰もがそう信じて今の今まで疑わなかった。そしてその点こそが、レーニンとそれ以外の私腹を肥やすことに血道をあげた腐った党指導者・幹部を分かつ分断線だった

 ところが、発掘された資料は、それが虚構にすぎなかったことを証明しているのである。1922年5月にスターリンにあてたレーニンのメッセージを公開しよう。


<同志スターリン。ところでそろそろモスクワから600ヴェルスト(約640キロメートル)以内に、一、二ヶ所、模範的な保養所を作ってもよいのではないか? 

そのためには金を使うこと。また、やむをえないドイツ行きにも、今後ずっとそれを使うこと。

しかし模範的と認めるのは、おきまりのソビエトの粗忽者やぐうたらではなく、几帳面で厳格な医者と管理者を擁することが可能と証明されたところだけにすべきです。

 5月19日     レーニン>


この書簡には、さらに続きがある。


<追伸 マル秘。貴殿やカーメネフ、ジェルジンスキーの別荘を設けたズバローヴォに、私の別荘が秋頃にできあがるが、汽車が完璧に定期運行できるようにしなければならない。それによって、お互いの間の安上がりのつきあいが年中可能となる。私の話を書きとめ、検討して下さい。また、隣接してソフホーズ(集団農場)を育成すること>

 


自分達、一握りの幹部のために別荘を建て、交通の便をはかるために鉄道を敷き、専用の食糧を供給する特別なソフホーズまでつくる。

こうした特権の習慣は、後進たちに受け継がれた。その結果、汚職と腐敗のために、国家の背骨が歪み、ついには亡国に至ったのである。その原因は、誰よりもレーニンにあった。禁欲的で清貧な指導者という、レーニン神話の中で最後まで残った最大の神話はついえた。レーニンは、メロンをむさぼり食らう麻原と何も変わりはなかったのである。

http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/nakazawa.htm




▲△▽▼

レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsatujin.htm

4年7カ月間で最高権力者がしたこと
1918年5月13日食糧独裁令〜1922年12月16日第2回発作


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
4. 2020年3月23日 10:19:57 : NNHQF4oi2I : WXhzeVFYNXV5aGc=[189]
義務教育も ごまかしと嘘で卒業した人間が 総理大臣になる事がそもそも間違い

 小沢の小選挙区制度は早く廃止すべき

 政治家には 立候補試験は最低必要

 官僚には 危機管理の考え方があるかないかを 見極める試験が必要

 裁判官は 見識の確認と 福島原発瓦礫処理の義務化3年

 供託金制度は廃止 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK270] 森大臣が壊れてしまう程、安倍のウイルスが蔓延している。(かっちの言い分) 一平民
9. 2020年3月23日 10:20:01 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1825]
予防のためにアベガンでも処方されたんだろ。
副反応が痛すぎるけど(嗤)。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/767.html#c9
コメント [カルト25] NHK・メルケル・担当医感染で在宅勤務。アベカイダも色んな意味で入院すべきである。 ポスト米英時代
1. 2020年3月23日 10:20:33 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[248]

かみさまが コロちゃんをつかって あくにんをたいじしておられる
改心するなら いま・・・閻魔さまにあやまってみれば・・


http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/612.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
49. 前河[4034] kU@JzQ 2020年3月23日 10:21:12 : JXpnDsJ78s : ajVaOFNHTmFtdlE=[79]

>>45さん

ご自分の中で言われている事が矛盾していますよ。

>症状があったら感染前提で行動しなければいけない。検査で陰性でもコロナじゃないと言い切れない。

これは正しいと思います。で、

>ならばどうして検査するのだ、コロナじゃないから出歩きたいのか。

これが矛盾。陰性の間違いの可能性はあるが、それが絶対と意味ではなく、複数回検査をすると信頼性が高まる。

コロナの可能性が低くなれば陽性が出た時とは当然行動は変わるでしょ。

検査をして陽性が出れば、外出して濃厚接触のリスクを避けられる。しなければ、それさえも無くなる訳です。(全員外出禁止時には当てはまらないですが)

つまり、検査をしなければ始まらないのです。人にうつす可能性が高くなります。

>検査が必要かどうかは治療する医者が決めればよい、

これは43で私も同じ事を言ってる。正しいかと。

>現状感染にシステムが追い付かないのだ、

これがわかりませんね。システムが追い付かないのではなく、保健所が許可していないだけだし、やろうと思えば検査は増やせますよ。

民間のキットも沢山ある。民間のキットを使わないのは医療利権と言われている。

現状把握の前提が間違っているかと。

何を根拠に追い付かないと言われてるんですか?


>検査体制の拡充が不要とは言っていない。

それならそこは同意ですが。

>検査は最重要ではないと言っている。治療上必要ならばするくらいでよい。

また矛盾していますよ。検査不足で検査すべき肺炎の方などが検査をしてなかったり、感染の治療に関わった医者が検査したいと言っているのに、マスクをしていたからという意味不明な理由で保健所が断った現状がある。

こんな現状では検査は最重要課題のひとつでしょ。検査を軽く見すぎているのでは?

>数だけ知ってどうするんだというのは、これだけウイルスが世界中に蔓延したなら
最終的に殆どの人が感染するなり、免疫をもつことになるのは避けられないという意味だ。

そういう意味にはとても思えない書き方でしたが、そうだというならそれはそれでひとつの視点かと。

総論としてはおかしくない意見だと思いますが、かなり先の話でしょ。

今は広がりと対策が大事なのだから数は大事ですよ。普通はそう見ると思うがそこはもうわかりました。

>抗体を検査すると殆どの人が陽性になる場合、検査の意味は薄くないかね。

一体、何年先の話をされてるのか?仮定や前提がブレてるようだ。

一般の方なら厳しい理詰めは恐縮です。でも、今生きて明日亡くなるかもしれない方もいらっしゃるから。これ以上は言いませんが。

検査は今現在は少なすぎるので、今現在は必要に応じて検査を増やすべきという今における解釈でよろしいでしょうか?



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c49

コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
13. 中川隆[-13527] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:21:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1377]

2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退
レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c13

コメント [カルト25] NHK・メルケル・担当医感染で在宅勤務。アベカイダも色んな意味で入院すべきである。 ポスト米英時代
2. 2020年3月23日 10:22:52 : ABPExKQ6Vk : REhURHl6ZS52bm8=[623]
色んな意味でね

キチガイ病院でもいいよ
また病院がいやなら幼稚園でもいいよ
枝野と一緒なら淋しくはないかもね 砂場の小山でおれは大将だと叫んでいれば!!!

国民は大歓迎
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/612.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
5. 2020年3月23日 10:23:09 : T2A8QS8LQA : eEpyODk2aDkxWFU=[48]
悪事は即断するが、重要なことは支離滅裂。
この難問題、彼の頭では無理だ。側近の頭でも無理だ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c5
コメント [近代史4] 共産主義の時代 中川隆
14. 中川隆[-13526] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:23:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1378]

パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05

石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。

『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。

それを含む、パリ・コミューン論を採録する。


『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。

パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。
 
「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。

「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)

「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。

 僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。

 パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。

 もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。

 変な話だと思いませんか?

 かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか? 

 少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。

 1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。

 今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。

 これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?

 以下はそれについての僕の暴走的思弁です。

「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。

 このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?

 (...)

 なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?

 それに対する僕の仮説的回答はこうです。

 パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。

 パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。

 パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。

 パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。

 それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。

 ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。

 マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。

 でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。

 「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)

 レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。

「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67−8頁、強調はレーニン)

 少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。

 レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。

「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74−75頁、強調はレーニン)
 
 法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。

 この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたるのだと主張します。

「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)
 
 ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。

「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、76―77頁、強調はレーニン)

 レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。

 これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。

 マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。

「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)

 マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。

「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、45―46頁、強調は内田)

「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。

 でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。

 勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。

 ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。

 レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。

 アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。

「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)

 僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html


▲△▽▼


革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK270] 山本太郎と合流か 山尾志桜里が絶対許さないアノ男(週刊文春) 赤かぶ
42. 2020年3月23日 10:24:38 : VfwxLlJKFQ : YjlaVzh5WFlyTDI=[152]
>山本太郎と合流か 山尾志桜里が絶対許さないアノ男(週刊文春)

山尾氏が絶対許さないアノ男とやらが誰であっても、問題は無かろう。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/749.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
42. 2020年3月23日 10:25:50 : BWNxzTEC8U : S09BeHJkUGYuRG8=[1]
武漢ウイルスなんて言葉使ってる時点で大体思考回路は分かるw
まあ世界が日本をどう見てるかなんて、火を見るよりも明らか。
日本を見習えってな感じで、どっかの国が「日本スゴい」論でも展開してるのかな?w

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c42
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
43. 2020年3月23日 10:26:01 : sRr6kRZiV2 : dHlEZ1hjVHdkcVE=[78]
>39

 多摩散人です。

 賛成です。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c43

コメント [政治・選挙・NHK270] 小沢、安倍のしどろもどろの答弁に呆れる+東京、日本はコロナ感染の情報が少ない&呑気な麻生(日本がアブナイ!) 笑坊
11. 2020年3月23日 10:26:55 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[249]

アベカイダを少しだけ 擁護・・
今回のコロナでアベカイダは 消費税をゼロにしようとしたけど 罪務省つぶされた模様
★罪務省・・・”世界軍産複合体の実行部隊 ” なのでここを何とかしなければ 日本経済は 救えにゃい (^O^)/

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/754.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
21. 赤かぶ[65576] kNSCqYLU 2020年3月23日 10:27:38 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2657]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
50. 前河[4035] kU@JzQ 2020年3月23日 10:32:40 : JXpnDsJ78s : ajVaOFNHTmFtdlE=[80]
⬆ちなみに、こういうのは「粘着」ではなく理論の構築=理詰めといます。

工作員ではなく一般の方のように感じたので控えめにレスしたつもりですが、手厳しいと感じられたとしたらすみません。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c50

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
6. 地下爺[10408] km6Jupbq 2020年3月23日 10:33:52 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[166]


   とことん なにもしない 


   国民の命を なにも 考えていないのはあきらか

   みなさん 悲しいかな 税金は 盗られていますが
                  ↑


   す べ て は  自・己・責・任 で す よ!!



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c6

コメント [カルト25] ネトゲ・トラ・家にこもって生き延びろ。一方アベカイダは、満員電車に乗って感染しろで、千代田区の半封鎖をしなければ駄目で… ポスト米英時代
1. 2020年3月23日 10:35:19 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[250]

★ポスト先生へ・・・
以下の記事の内容もアップしてほしいです・・
お金が大変・・母子家庭や 非正規の都会に住む若者は貯金がなく このままだったらネットカフェ難民になってしまいます!

★家賃が払えない 食費がない 3月25日が山 (25日給料日に 給料が払えない企業が・)
 ・ http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/770.html ・
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/613.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
44. 2020年3月23日 10:37:04 : sRr6kRZiV2 : dHlEZ1hjVHdkcVE=[79]
>38 追加。ボケ老人=楽老さんへ

 多摩散人です

 もう一つ、ボケ老人=楽老さんを評価している点があります。

「安倍さんがオリンピックを強行したいためにいろいろな数値を隠蔽しているんだ」という阿修羅馬鹿どもの超陰謀論に与(くみ)しない点も評価してますよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c44

コメント [政治・選挙・NHK270] 新型コロナ解説で「安倍批判は控えてほしい」と某局ディレクターに言われた<上昌弘氏>(ハーバー・ビジネス・オンライン) 赤かぶ
50. 2020年3月23日 10:39:46 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[4683]
新型コロナ対策で人体実験が行われている 医療ガバナンス研究所理事長 上昌広
.
日刊ゲンダイ
2020/03/22 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=8EUMDgeSnxA
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/731.html#c50
記事 [カルト25] 金玉・都市部封鎖が近い、先ず兵庫と大阪か、晴恵・重症と死亡が跳ね上がる気がする。東京は千代田区や山手線内側の半封鎖を検討すべきである。
もう主要国の都市部が封鎖されている状態で、日本だけアベカイダメソッドとかふざけた事をしている場合ではなく、中国の武漢方式をやらねば駄目で、兵庫と大阪で実験してみる事である。
そして、東京も千代田区や山手線の内側の半封鎖で経済との両立を試みるべきで、東京は聖域という誤った考え方は捨てる事である。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/614.html
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
45. 楽老[1079] inmYVg 2020年3月23日 10:43:09 : jfZE5owcak : Ti9ZVDhtT2Flbm8=[215]
用語の意味の分からん構ってチャンにも困ったものだ。

インフォデミック、エピデミックは立派な公衆衛生保健用語だ。
解説してもらわないの分からないのは不勉強の所為

クラスターもオーバーシュートもこの分野で使われた試し無し。
これが「次から次へと新しく造語して国民を煙に巻く」と言う事だ。

己の不勉強を棚に上げて馬鹿が騒ぐ(笑)

    
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c45

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
46. 2020年3月23日 10:45:32 : 8nAY0M23gk : aXJxMGFZY2tOZ2s=[1]
何故世界各国のように迅速な対応がとれない?

『、、、いろいろなことを判断して〜、、、』
『、、、これから検討しなければならない、、、』

馬鹿であるのか蔓延らせようとする悪魔か。
専門か懐疑の医師会理事。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c46

コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
51. 前河[4036] kU@JzQ 2020年3月23日 10:48:02 : JXpnDsJ78s : ajVaOFNHTmFtdlE=[81]

>>47さん、レスありがとうございます。

>熱が出て、4日も待たされるのは酷すぎますね。

お年寄りは二日間らしいですが、いずれにしても現実的ではない酷い基準ですよね。その間に症状が悪化したらどうするのか!怒りを覚える。

キツければ病院へ行けと言っても、あんな基準を発表したら、我慢しちゃう人も出るでしょう。本当に酷い話だ。

>自分もかつて3日前後38度以上の熱が続いたことが何度かある(肺炎の経験もある)が、若くて重い持病がなくてもそれだけ続くととても消耗する。意識もぼーっとして言葉の呂律も回らないし、相手の言葉を理解して反応するのもタイムラグがある。トイレに行くにも足元がふらつくので四つ這いか、壁や手すりを伝っていつもの倍以上の時間がかかるので、

私はそういった肺炎に関する経験はないですが、風邪で高熱が続くだけでもかなり苦しいですから、それを上回るであろうあなた様の経験はお察ししつつも想像しきれないくらいです。

貴重な体験話をありがとうございます。

そのような現実を考えて厚労省や会議チームは考えてるのか!というのはその通りで、いかに厚労省が無神経で無能なのがわかります。

まず、人の心を持って考えろ。という。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c51

コメント [政治・選挙・NHK270] 案里議員は失職必至…河井克行前法相「3.26逮捕」への攻防(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
15. 赤かぶ[65577] kNSCqYLU 2020年3月23日 10:49:01 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2658]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/771.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK270] 案里議員は失職必至…河井克行前法相「3.26逮捕」への攻防(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
16. 赤かぶ[65578] kNSCqYLU 2020年3月23日 10:49:45 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2659]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/771.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
47. 2020年3月23日 10:51:26 : sRr6kRZiV2 : dHlEZ1hjVHdkcVE=[80]
>45 ボケ老人=楽老さんへ

 多摩散人です。

>インフォデミック、エピデミックは立派な公衆衛生保健用語だ。

 なるほど、私の知識不足か。勉強になります。何せ、素人なもんで。

>クラスターもオーバーシュートもこの分野で使われた試し無し。

 誰がいつ使い始めたんですか。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c47

記事 [カルト25] 箱コネ・カナダ・延期なければ不参加。これが世界の総意で、アベカイダは諦めて封じ込めに専念する事である。
未だに延期や中止を口にしないアベカイダを世界はクレイジーだと思っており、世界と同じ事をしなければ駄目である。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/615.html
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
48. 2020年3月23日 10:51:55 : 8nAY0M23gk : aXJxMGFZY2tOZ2s=[2]
本丸はオリンピックの可否などではない。
オリンピックが無理なのは、IOC内でも政府内でも既定のこと。

狙いは、社会保障費のかかる高齢者の大規模粛清である。
そのための『後手後手』であった。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c48

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
22. 2020年3月23日 10:53:08 : HjXFXfErbQ : dmJRMWsyYUdOdUE=[2]
 オリンピック運動をけん引する組織としてIOCは主体的に結論を出す必要がある。各国政府や各国の国内オリンピック委員会(NOC)、選手たちの意見にひきづられる格好で延期論や中止論に振り回されているようでは、IOCの存在する意味はない。

 WHOの意見を聴くのはいい。NOCや競技団体や選手の意見を聴くのもいい。でも、こうした意見を参考に主体性を持って決めるのはIOCだ。IOCは各国の代表が集まってできている組織ではない。ローマ教皇のように、各国の利害を超越したオリンピックに関するスーパー組織なのだから、オリンピズムの理念に基づく主体性が大事だ。

 オリンピック憲章で政治の干渉を嫌っている以上、トランプがど〜したこ〜した、英国首相やフランス大統領があ〜だこ〜だ言ったところで、こうした意見に屈服する格好で最終結論を出したならば、IOCは終わる。
 つまり、あるべきオリンピック、そしてオリンピック運動は終焉する。

 バッハにはIOC会長としての理念が希薄なのではないか? 指導力も最近の言動を見る限りあるとは思えない。
 今後のオリンピック運動を考えた場合、東京オリンピックの延期論、中止論以上にIOCの存続する意味、意義が問われる判断に迫られている。

 バッハがヘタを打てば、これまで培ってきたIOCの権威は失せ、今後、「オリンピック」と銘打ったイベントは単なる“世界運動会”に変わる。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK270] 新型コロナ蔓延の今、安倍首相が「国連通貨」発行を提案すべき訳(まぐまぐニュース) 赤かぶ
21. 2020年3月23日 10:54:48 : H0J9OENngI : YWd3RWpodWVMMmc=[6]

 迅速に 日銀を国有化して、税金を安くすべきだ

 国連などに通貨統合させたら 税金をむしり取られるだけなのに、正気なのか?

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/760.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
52. 前河[4037] kU@JzQ 2020年3月23日 10:55:14 : JXpnDsJ78s : ajVaOFNHTmFtdlE=[82]

>>48

>ドライブスルー検査なら待合室使わないからいいんじゃないの?

そう思う。臨機応変に利用する。

>ちなみに、今の町医者、田舎では割と空いてる。

そうみたいだね。ネトウヨは病院に殺到したらどうするんだ?と非現実的な事をいうが、実際は逆で検査もしないし、一般の方も怖がり過ぎている。

病院、検査所、患者、各立場と役割のバランスを取る意識が必要。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c52

記事 [カルト25] 箱コネ・ロイ・アベカイダ・五輪は延期。そして東京の積極検査と早期発見とホテルへの隔離の段取りをつける事である。
ようやくアベカイダが五輪延期を口にしたが、東京の実態を調べれば中止となる訳で、もう観念してやるべき事をやる事である。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/616.html
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
49. 2020年3月23日 10:56:37 : HyHxwTE03o : SzhqL0JESU1DWGc=[1802]
羽鳥に出演のコロナ委員、

釜やち敏氏、宮仕えのような、仕事ぶり。

しっかりとの言葉は、二ヶ月前から聴いている。

岡田晴恵氏がもっと、「スピード感を持って」と言っているのに、

まだまだ、面子のほうが大事。

 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c49

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
7. 2020年3月23日 11:00:03 : Zeti8fdP5c : a2JGeURhY3J6cS4=[45]
4に同感。
 しかし、利益のためには嘘を黙認する日本人と日本社会の体質が生んだことだ。昔から、嘘も方便ということで嘘的体質を温存してきた。
 本来、それは国会や議論の場で明らかな嘘を容認する言葉ではなかったが、日本人は利益のためには議論や道徳の基礎を揺るがすことも避けてきた。だれが、総理大臣が選挙のこと以外で、誰もが嘘としることを堂々と述べることを信じられたであろうか。
 明らかに社会基盤を壊してきた安倍首相が、やっている感だけしか提示できないのは当然である。だれが見てもアベノミクスが何の意味も成果も持っていなかったことを今では理解するだろう。外交も経済もなんの実力もなかったことが明白だ。
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c7
コメント [カルト25] 藤原・東大教授・低線量でも小児甲状腺癌。アベカイダのアンコンは嘘で、五輪どころではないのである。 ポスト米英時代
1. ツーファク[46] g2OBW4N0g0CDTg 2020年3月23日 11:00:51 : yj9LKVt5Ls : Ni54Qmt5Q0xoNFE=[43]
放射能がコロナを滅菌するような奇跡は起こらないものか?!www
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/611.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
53. 2020年3月23日 11:06:08 : IxaMJ8bzZQ : WjBEV2VLQTMwZy4=[24]
ニューヨーク市の保健当局はCOVID-19の患者の検査に制限を設けた。
懸命な対策である。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c53
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
50. 2020年3月23日 11:06:18 : HyHxwTE03o : SzhqL0JESU1DWGc=[1803]

スイス大統領、シモネッタ・ソマルーガ氏が国民に呼びかけ。演説文公表。

ドイツ、メルケル首相も同様に演説し、

政府からの愛ある暖かい励ましのメッセージと

我々は一致団結しなくてはならない事態であることを

広く国民に公表、

日本政府では、金と面子が邪魔をして、国民を混乱させ、

恨みを買い始めている。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c50

コメント [カルト25] 藤原・東大教授・低線量でも小児甲状腺癌。アベカイダのアンコンは嘘で、五輪どころではないのである。 ポスト米英時代
2. 2020年3月23日 11:10:43 : 9zLYqNWLoE : NXduOUJDa1Ztdkk=[11]
>>1
コラボしそうだが
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/611.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
1. 赤かぶ[65579] kNSCqYLU 2020年3月23日 11:12:19 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2660]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
2. 赤かぶ[65580] kNSCqYLU 2020年3月23日 11:12:56 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2661]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c2
記事 [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代


世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代



19世紀末のドイツの雰囲気を一番良く伝えているのはエドヴァルド・ムンクがベルリンに住んでいた頃の絵でしょうか。


ムンクの有名な絵は何故か この頃のものばかりですね:



エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年12月12日 - 1944年1月23日)


エドヴァルド・ムンク ─生命のダンス─


ムンク・アートギャラリー=ノルウェー・オスロで足跡をたどる


「表現主義画家」エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)の絵画集


エドヴァルド・ムンクの作品集
http://matome.naver.jp/odai/2126775240665130201
http://www.moma.org/search/collection?query=Edvard+Munch

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html

コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
54. 2020年3月23日 11:15:28 : tr5lNF3S3c : Tk04Skl1bENaMi4=[220]

>>14

張本は前言を翻したのは安倍の黒幕ナベツネのお座敷かかってお灸据えられたんだろう

もう番組出られなくなるよ・・・とか言われて・・・

■ バカまる出しのこいつは 大カツ!!!!!



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c54

コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
3. 赤かぶ[65581] kNSCqYLU 2020年3月23日 11:15:46 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2662]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c3
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
1. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:16:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1379]

ムンクはドイツ表現主義の種を植えた画家ともされ、ユングによれば、彼はアーキタイプのイメージと実存的な経験のシンボルを結晶化し、それを「叫び」に極限化したのだという。


1889年にはノルウェー政府の奨学金を得て正式にフランス留学し、レオン・ボナのアトリエに学んだ。パリではゴーギャン、ファン・ゴッホなどのポスト印象派の画家たちに大きな影響を受けた。パリに着いた翌月に父が死去。この頃から「フリーズ・オブ・ライフ」(生のフリーズ)の構想を抱き始める。

1892年、ベルリンに移り、この地で『叫び』などの一連の絵を描く。ファン・ゴッホとともに、この後、ドイツを中心に起こるドイツ表現主義の運動に直接的な影響を与えた1人と考えられている。

1892年、ベルリン芸術家協会で開いた展覧会はオープンから数日間で保守的な協会側から中止を要求され、スキャンダルとなった。
1890年代は、ベルリン、コペンハーゲン、パリなどヨーロッパ各地を転々とし、毎年夏は故国ノルウェーのオースゴールストランの海岸で過ごすのを常としていた。

このオースゴールストランの海岸風景は、多くの絵の背景に現れる。

有名な作品が19世紀末の1890年代に集中しており、「世紀末の画家」のイメージがあるが、晩年まで作品があり、没したのは第二次世界大戦中の1944年である。


「生命のフリーズ」
おもに1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品を、ムンクは「フリーズ・オブ・ライフ」(生命のフリーズ)と称し、連作と位置付けている。

「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」「死」そして愛と死がもたらす「不安」である。

1902年3月、第5回ベルリン分離派展に出品した際、「生命のフリーズ」の一連の作品(22点)を横一列に並べて展示した。その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は写真が現存している。それによると、展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている。

ムンクの意図は、これらを個別の作品ではなく、全体として一つの作品として見てほしいということであった。前述のベルリンの展覧会では、作品は「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられ、


「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』、

「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命のダンス』、

「生の不安」には『不安』『叫び』、

「死」には『病室での死』『メタボリズム』


などの作品が展示された。1918年、クリスチャニア(オスロ)のブロンクヴィスト画廊での個展で「生命のフリーズ」の諸作品が展示された際、新聞に「生命のフリーズ」という文章を寄せ、その中でこれらの作品を「一連の装飾的な絵画」であると明言している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF

2013年06月16日
今週の日曜美術館はムンクの特集でした。傑作10選で彼の本質について語られました。

最初の作品はもっともよく知られている油彩画"叫び"です。身悶えるように体をゆがめ耳をふさいでいます。その一方背後の道では無関心に何も起きていないかのように2つの人影が通り過ぎています。

ムンクの故郷はノルウェーのオスロです。彼の生誕150年ということで大規模な展覧会が開催されているそうです。この作品は街を見下ろすオスロの丘で実際に体験した想いを描いたのだとか。この人物は自分なのだそうです。"嵐"という作品の中で耳をふさぐ様子の人物を最初に描いています。目に見えない内面的な恐怖を描きたかったのだそうです。

次の作品は彼の中にある恐ろしいほどの不安を表す原点とも言える作品"病める子"です。死を迎えた姉と悲しみにくれる叔母の様子を描いています。この光景を生涯忘れることはなかったのでした。

1863年彼は医者の家の長男として生まれました。5人兄弟の賑やかな家庭でしたが5歳の時に母親が結核で亡くなります。幼い彼の心の支えとなったのが1歳違いの姉ソフィーでした。ところがソフィーも14歳の時に結核で亡くなります。"病める子"はこの時の記憶を絵に描いたのでした。1年もの時間をかけたのだそうです。

次の作品"思春期"は30歳を過ぎた頃の傑作です。生きることへの不安を描いたのだそうです。シーツにはうっすらと血が滲んでいます。

壁には黒く大きな影。姉の死後自らも結核になることを疑わず死の恐怖と戦い続けたのだとか。描くことでその不安をせきららに告白しようと考えたのでしょう。

女性は聖女でもありながら娼婦でもあり、彼を苦しめながらも創作の源にもなったのでした。20代の始めオスロの別荘地で女性に会いました。その時の絵が"声"です。海に写る月明かりを背に立ち尽くす女性。

手を後ろにまわしキスを求めるような様子です。しかし良く見ると目は暗く吸い込まれそうなほど不気味です。

描いたのはオスロの社交界で有名だったミリー・タウロウです。
引っ込み思案だった彼を誘惑したそうです。海辺で逢瀬を交わしのめり込みましたが彼女にとって彼は何人もいる愛人の一人だったそうです。


30歳を過ぎて新たな女性ダグニー・ユールと恋に落ちました。
彼女を描いた作品が"マドンナ"です。
かすかに膨らんだお腹は新しい命の象徴です。
一方で右腕は黒い闇に消え死を象徴しています。

彼は彼女を愛しますが彼女も彼のもとを去っていきました。


次の作品は石版画の傑作"ブローチの女"です。
モデルはイギリス生まれのバイオリニストです。演奏旅行の時にノルウェーで彼と出会ったのだとか。今までの女性と違って目をはっきり優しく描いています。恋に落ちるのが恐ろしいほど美しいと語ったそうです。

"キス"は実験的な要素が入っている傑作です。まるで1つになったかのようにキスをしています。当時の木版画は表面をきれいに削った板を使ったのですがあえてこの作品では木目を残しています。

次は"宇宙での出会い"です。漆黒の闇に浮かぶ男と女、その周りを精子が浮かんでいます。男女の出会いはまるで宇宙の中で出会うほど難しいと考えたのでしょうか。

次の作品は40歳の時の作品"地獄の自画像"です。10代の頃から自分自身を描きました。真っ赤に燃え盛る地獄の炎が彼の心の中を表しています。母と姉の死、病の恐怖、女性達との葛藤など消え去ることのない不安を抱えながら自画像を描き続けました。

最後の1枚は"時計とベッドの間の自画像"です。亡くなる数年前に描かれました。別途はやがて訪れる永遠の眠り、柱時計は残りの人生を表しています。死に直面する老人、しかしこの絵は昔とは異なり明るい色彩があふれています。
http://www.artistyle.net/i-03-nichiyou/post-2847.html

マドンナ(大原美術館特集)

マドンナと呼ぶには、あまりにも退廃的でどこか愁いの漂う作品。
大原美術館特集第5回は、エドヴァルド・ムンクの「マドンナ」です。

マドンナMadonna(1895-1902)Edvard Munch
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/s/u/e/suesue201/madonna_convert_20101204014602.jpg


左下に胎児、周りには精子。
中央には苦悶とも恍惚とも取れる表情の、影のある若い女性。

「マドンナ」のモデルとなったのは、ムンクが当時思いを寄せていたダグニー・ユールといわれています。

ダグニーはファム・ファタールと呼ぶにふさわしい、恋多き女。

そしてムンクにとっては手の届かない存在だったようです。
http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-180.html

何年か前の新日曜美術館(NHK教育の番組)でムンクを特集した回があり、それを録画していてムンク展観賞にあわせて見る。

番組はムンクの代表作「叫び」の前年に描かれた「二人の姉妹」という作品にスポットを当て、ムンクの創作の源泉となった女性ダグニー・ユールに注目する。

この「二人の姉妹」という作品はそれまで写実主義的であったムンクの作風が表現主義的、象徴主義的なものへと転換してゆく過渡期のものと位置づけられ、永らく日の目を見る事がなかった幻の作品であるとしています。

描かれた二人の女性は、正面を向いて唄っているのがラグンヒル・ユール、そして背を向けてピアノを弾いているのがダグニー・ユール。

このダグニー・ユールこそがムンクにとってファム・ファタール(宿命の女)として存在した女性。ムンク芸術に大いなる霊感を与えたと言われています。

ムンクがその芸術的才能を開花させたベルリン滞在時期、ストリンドベリ、プシビシュフスキー、そしてダグニー・ユールらと交友関係を結んだ。

ムンクは密かにダグニー・ユールに想いを寄せていたが、彼女はプシビシュフスキーと結婚してしまう。しかし、ダグニー・ユールは自由奔放な女性でありその行動は夫のプシビシュフスキーを大いに悩ませた。

ムンクの作品「嫉妬」の正面を向いた苦悩する男性はプシビシュフスキー、後景で褒賞する男女はダグニー・ユールとストリンドベリであるとも言われているそうだ。

ムンクは度々ファム・ファタールとしてのダグニー・ユールをモデルに絵を描いている。


半裸の女性に無数の手が伸びている「手」、

女性の聖女的、娼婦的、悲劇的側面を描いた「女性三相」、

女性の性と生そして死が同居しているかのような「マドンナ」


といった作品群である。

ムンクが死の床につくまでベットの横にあったというダグニー・ユールの肖像画、そんな彼女は恋人であったロシアの男性に銃殺されるという悲劇的な運命をたどったという。
http://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/fb21380850f2d00f19b4967e00b46542

ダグニー・ユール

まず、この一枚の絵をみていただこう ムンク作「嫉妬」

ムンク「嫉妬」

そして、この写真
ダグニー・ユールと夫ブシェビシュフスキー


左は、ムンクの友人ブシビシェフスキー、そして右がダグニー・ユール

明らかに、嫉妬の焔に身を焦がしているのは、彼
そして、背後に男性といるのは、ダグニー

「二人の姉妹」で、画家に後ろを向けてピアノを弾いていた女性である。

☆  ☆  ☆

1863年ノルウェイに生まれたムンクは父の血統から精神的な不安定さを、母の血統からは身体の虚弱を受け継いだ

画家を志し、修行に出たベルリンで「黒豚亭」という居酒屋に集まるグループに入り作家および神秘家のストリンドベリやブシビシェフスキーらと親交を結ぶようになる

このグループのミューズ的存在であったのが、ダグニー・ユールだった

裕福な医師の娘で、ノルウェイの首相の一族でもある彼女はその美貌と奔放な言動でグループ構成員の憧れの的だった。ムンクも、言わずもがな、である。

「二人の少女」に見られるように、ムンクと彼女の関係はある親密さをたたえたものだったと思われる。

家庭に入り込み、その妹を含めたくつろぎの時間を画架に留めていく
それはいつしか、自分とダグニーの「家庭」の光景に変わるかもしれない。
そうムンクはひそかに思い定めていたのではないだろうか。

ところが、彼女はブシビシェフスキーと結婚してしまう。
しかも、結婚の条件として、「性的な自由」を与えるという夫の言質をとって。

同じくノルウェイ出身のイプセンの「新しき女」がそれまでのヴィクトリア朝の四角四面の道徳に縛られた世界に大きな衝撃を与えたように彼女(ダグニー)も、「新しき女」として存在したかったのだろうか。

結婚した後も、ダグニーは幾人ものボーイフレンドをもち奔放な生活を謳歌したという

そして、悲劇が訪れる

ダグニーは、交際のもつれから、ボーイフレンドに射殺されてしまう。


ムンク「叫び」

ムンクにとって、世界は耐え難いものに変貌を遂げる。
彼の絵に繰り返し表れる女性の背信、死のイメージ、ねじまがった空間
それは、このファム・ファタル(運命の女)、ダグニーが齎したものではなかっただろうか。

そういえばその最初から、彼女は画家に背を向けて、その画像に姿を現していたのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/eyasuko/diary/200807040000/#comment

ベルリン分離派展(1902)で初めて展示された(生命のフリーズ〉の22点はムンクの代表作。

血のように赤い女の髪が蹲る蒼い顔の男を覆う(吸血鬼〉(1893ー94)。

左手で頭を押さえる蒼白の男と、両手を頭の上で組み、胸をはだけて赤い下着を露出させた女を左右に対比した(灰〉(1925ー29)。

精神を病んだ妹ラウラが椅子に坐る、丸テーブルの赤い模様が脳の断面図を想わせる(メランコリー、ラウラ〉(1899)。

赤い空と青灰色のフィヨルド、左上から右下へ斜断する橋の上の人物‥‥
(叫び〉(1893)と同じ構図と色彩で描かれた(絶望〉(1893ー94)と(不安〉(1894)。

両手を後ろで組んだ赤いドレスの女と、その左後ろで海を眺める白いドレスの金髪女を対比する(赤と白〉(1894)。

左にクリーム色のドレスの女(オーセ)、中央に脚を開いて両手を頭の後ろで組んだヌードの女、右に青白い顔の黒服女‥‥少女〜壮年〜老年期を象徴する3人の女たちが右端の男を誘惑する(女性、スフィンクス〉(1893ー94)。

全裸の男女(ムンクとトゥッラ)が「生命の木」の右と左に立つ(メタボリズム〉(1899ー1903)は凝った造りの木の額(上部に風景、下部に骸骨と木の根が描かれている)に填められている。

左に白いドレスの女(トゥッラ)、中央で黒服と赤いドレスの男女が踊り、右端の黒いドレスの女が(嫉妬の眼差しで)見つめる(その間の奥では欲情した男が女を抱きしめてキスを強要している)(生命のダンス〉(1925ー29)は、男女の自由恋愛の遍歴と苦悩を左から右へ描く。

両手を後ろに回して胸を突き出した女性が目を閉じてキスを誘う(声 / 夏の夜〉(1893)のモデルは、ムンクの初恋の人ミリー・タウロウ(遠縁の従兄の妻)‥‥

(生命のダンス〉にも描かれていた水面に映る黄色い月の光の柱、セックスを暗示する「魔術的なシンボル」(ウルリヒ・ビショフ)が輝く。
                    *
彼は彼女の腰に腕をまわして坐っていた──彼女の頭は彼のすぐそばだった──
彼女の眼や口や胸がこんなにぴったり寄せられているのは何とも奇妙な感じだった──
彼は1本1本のまつ毛を眺めた──眼球の緑がかった色あいを眺めた──
それは海のようにすきとおっていた──ひとみは大きくて、半ば暗くかげっていた──
彼は指先で彼女の口に触れた──やわらかな唇の肉は彼が触れるがままにへこんだ──そしてその唇はほほえみへと変わっていった 

その青灰色の大きな眼がじっと自分を見つめるのを感じているうちに──彼は赤い光を映している彼女のブローチをしげしげと眺めた──ふるえる指先で触ってみた
それから顔を彼女の胸に押し当てた──血管の中で血が激しく流れるのが感じられた──

彼女の鼓動に耳をすました──彼女の膝に顔を埋めた 

燃えるような2つの唇が首筋に触れるのが感じられた──凍えるような冷たさが身内をつらぬいた──

凍えるような欲情が──それから彼女を力いっぱい引き寄せた 自分の方へ
エドヴァルド・ムンク 「間奏曲」


(吸血鬼〉(1916ー18)は一番最初に展示されていた同名作品の野外拡大ヴァージョン。

ムンクは同じテーマやモティーフ、構図の絵画を繰り返し何回も描いているし、タイトルにも制作年にも頓着しない。

(吸血鬼〉は(愛と苦痛〉という題名をプシビシェウスキが「象徴派風のより煽情的なタイトルに変更したもの」である。

別れた女の金髪が長く靡いて失意の男に絡み着く(別離〉(1896?)。

紅い果樹の下で密会する男女(ムンクとダグニー)に嫉妬する夫スタチュ(スタニスラウ・プシビシェウスキ)を前景に描いた(嫉妬〉(1895)の続編とも言うべき(赤い蔦〉(1898ー1990)

──赤い不吉なアメーバに覆われたヒョステルー邸が気味悪い──は「ダグニー殺害を象徴的に記念する」。

左下に紫色のフードを被った男が描かれた(嫉妬、庭園にて〉(1916ー20)も、妻の浮気に嫉妬する夫というモティーフのヴァリエーションの1つでしょう。

青い色調が美しい(星月夜 1〉(1922ー24)。

「魂の絵画」の第1作目で「後に表現主義の最初の傑作として知られることになる」(病める子供〉(1925)の初期ヴァージョンがオスロ秋季展(1886)に展示された時は「物笑いの種」にされた。

《ムンクの気違いじみた絵の前に行って大笑いするのは市民のお気に入りの気晴らしとなった》(スー・プリドー)という。

籐椅子に坐っている瀕死の少女ソフィエの傍らで頭を下げて泣く母ラウラという構図だが、現実では娘の死の前に母親は既に病死している。母親役のモデルを務めたのはカーレン叔母で、ソフィエ役は赤毛の少女ベッツイ・ニールセン(12歳)である。

19世紀末のノルウェー市民や美術批評家の多くは、ムンクの20世紀的な「魂の絵画」を全く理解出来なかった。同じ主題の絵でも鑑賞者1人1人によって感じ方が違う。《ムンクは主観性の放棄を否定した》のである。

「人魚:アクセル・ハイベルグ邸の装飾」は1896年の夏、ムンクがハイベルグ邸に短期滞在して描いた人魚のパネルで、《月光が縞をなす海辺から人魚がオースゴールストランの浜辺に姿を現わす》というもの。

(リンデ・フリーズ〉はドイツ人の眼科医マックス・リンデ博士の4人の息子の子供部屋のために制作された横長の連作(11点)だったが、子供らしいテーマの風景画という依頼主の期待に応えられなかった。

なぜなら、性愛や孤独や死という実存テーマが隠れていたから‥‥。
実体験に基づく実存的な絵画しか描けないムンクに、子供たちに夢を与える絵を注文すること自体に無理があったのではないか。

(果物を収穫する少女たち〉(1904)も額面通りに受け取れない深淵が覗く。

(ラインハイト・フリーズ〉は劇団を主宰するマックス・ラインハルトの依頼で制作したテンペラ画12点で、小劇場2階のロビーに飾られた。

「オーラ:オスロ大学講堂の壁画」は創立100周年を記念して建設された講堂の壁画で、大小11点のフリーズが制作された。

海から昇る白い大陽が放射状の黄色い光線を放つ(太陽(習作)〉(1912)。

海辺で老人が幼い少年に「歴史」を語る(歴史〉(1914)。

「恵の母」「母校」という意味の(アルマ・マテール〉(1914)は《赤子を胸に抱く頑強そうな体格の若い母親が未来を象徴する》。

(フレイア・フリーズ〉はノルウェーのチョコレート製造会社フレイアの社員食堂のための装飾画。

《ムンクは「チョコレート好きの少女」たちが昼食をとりながら眺めて喜びそうなものをすべて採り入れて、心の浮き立つ陽気な浜辺の情景をフリーズに描いた》。

(労働者フリーズ〉はオスロ新市庁舎のための壁画プロジェクト。

(雪の中の労働者たち〉(1909ー10)、(疾駆する馬〉(1910ー12)、(労働者と馬〉(1920?)‥‥というタイトル通り、「労働者」と「馬」と「雪」が主役になっている。
                    *

宵に宵を継いで意識は流れ、夢は夢を生み、新しい詩、本、戯曲、あるいはカンヴァス、錬金術の実験、科学の発見をうながす霊感を呼び起こす。

そこで語られた話題は

夢、催眠術、連想、カラー写真、「モーターを駆動する空気中の電気」、
魔術、呪術、遠隔操作で敵を殺す方法、悪魔を呼び出す方法、
石炭からヨウ素を採取する方法、卑金属から金や銀を製造する錬金術、
植物には神経があるか(ストリンドベリは果実にモルヒネを注入して近在の果樹園主を仰天させた)、
光のスペクトル分析、物理学、蚕抜きに水性の絹を製造する方法、
象徴が作用する仕組み、脳に対するまじないと薬品の効き目、性愛の力学

などがある。かれらの試みはむこうみずなくらい大胆で、それなりの自己犠牲も伴った。度を越したことは、肉体、精神、心理にどのような負担を強いようともエネルギーを産む源と考えられていた。
    スー・プリドー 『ムンク伝』


ムンクに大きな影響を与えた2人の人物にも触れておこう。

ハンス・イェーガーは無政府主義のニヒリストで「クリスティアニア(現オスロ)のボヘミアン」の首領。同世代の若者を「堕落させるか自殺に追い込むのが目標」で、信奉者の1人ヨハン・セックマン・フレイシャーが書いた戯曲を貶して、彼をピストル自殺に追い遣った。

ボヘミアン・グループの9戒は

「1. 汝、自らの人生を記せ」‥‥「9. 汝、自らの生命を奪え」

である。

アウグスト・ストリンドベリはベルリンのワイン・バー「黒豚亭」の常連。

ムンクと意気投合して、お互いに絵画を「共同制作」するなど親密な交際を続ける。

黒豚亭では悪魔主義の占星術師スタニスラウ・プシビシェスキを中心に、夜を徹して白熱した議論が交された。ニーチェ、イプセン、マラルメ、ドストエフスキー‥‥もムンクの創作活動に影響を与えた。

若い頃の写真を見れば分かるように美青年のムンクは女性にモテた。

人妻のミリー・タウロウ、司法長官の娘オーダ・クローグ、医者の娘でノルウェー首相の姪のダグニー・ユール、絵描き仲間のオーセ・ヌッレガール、ヴァイオリン奏者のエヴァ・ムドッチ、ワイン商の娘トゥッラ・ラーセン‥‥

トゥッラはムンクを追い回して辟易させた(女ストーカー?)。

彼女たちは絵のモデルになって名を残したが、終の住処であるエーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後も、家政婦兼モデル志願の若い女性たちがムンクの許を訪れた。

カーレン・ボルゲン、インゲボルグ・カウリン(モスピッケン)、セリーヌ・クーヴィリエ、ヘルガ・ログスター、フロイディス・ミョルスタ、アンニ・フィエルブ、カティア・ヴァリエル、ビルギット・プレストー‥‥

《娘たちは玄関の呼び鈴を鳴らし続ける》。

ムンクは自分の絵を「子供たち」と呼び、売らずに手許に残して置きたがったが、「娘たち」にも恵まれていたわけである。
http://sknys.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01

Edvard Munch. By the Fireplace. 1890-94. Pencil and Indian ink. 35.1 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch79.html

By the Deathbed (Fever). 1893. Pastel on board. 60 x 80 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch89.html

Edvard Munch. Dagny Juel Przybyszewska. 1893. Oil on canvas. 148.5 x 99.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch90.html#note

Edvard Munch. The Scream. 1893. Oil, tempera and pastel on cardboard. 91 x 73.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch32.html

Edvard Munch. The Voice. 1893. Oil on canvas. 87.5 x 108 cm. The Museum of Fine Arts, Boston, MA, USA
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch19.html

Edvard Munch. Moonlight. 1893. Oil on canvas. 140.5 x 135 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch22.html

Edvard Munch. The Hands. c. 1893. Oil on board. 91 x 77 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch134.html

Edvard Munch. Stormy Night. 1893. Oil on canvas. 91.5 x 131 cm. The Museum of Modern Arts, New York, NY, USA.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch24.html

Edvard Munch. Anxiety. 1894. Oil on canvas. 94 x 73 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch93.html

Edvard Munch. Madonna. 1894-95. Oil on canvas. 91 x 70.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch18.html
https://www.google.co.jp/search?q=Edvard+Munch+-+Madonna&lr=lang_ja&sa=N&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=cdAVUsQPy_-UBfWkgJgI&ved=0CCgQsAQ4Cg&biw=1002&bih=919#fp=114a45c7fbf5bb70&hl=ja&lr=lang_ja&q=Edvard+Munch++Madonna&tbm=isch&tbs=lr:lang_1ja&imgdii=_

Edvard Munch. Puberty. 1894. Oil on canvas. 151.5 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch21.html

Edvard Munch. Eye in Eye. 1894. Oil on canvas. 136 x 110 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch74.html

Edvard Munch. The Day After. 1894-95. Oil on canvas. 115 x 152 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch27.html

Edvard Munch. Ashes. 1894. Oil on canvas. 120.5 x 141 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch28.html

Edvard Munch. The Three Stages of Woman (Sphinx). c. 1894. Oil on canvas. 164 x 250 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch29.html

Edvard Munch. Red and White. 1894. Oil on canvas. 93.5 x 129.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch173.html

Edvard Munch. Melancholy. 1894-95. Oil on canvas. 81 x 100.5. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch30.html

Edvard Munch. Salome Paraphrase. 1894-98. Watercolor, ink and pencil. 46 x 32.6 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch136.html

Edvard Munch. House in Moonlight. 1895. Oil on canvas. 70 x 95.8 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch23.html

Edvard Munch. Stanislaw Przybyszewski. 1895. Tempera on canvas. 75 x 60 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch103.html#note

Edvard Munch. Self-Portrait with Burning Cigarette. 1895. Oil on canvas. 110.5 x 85.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch2.html

Edvard Munch. Moonlight. 1895. Oil on canvas. 93 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch20.html

Edvard Munch. The Death Bed. 1895. Oil on canvas. 90 x 120.5 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch33.html

Edvard Munch. Death in the Sick Chamber. 1895. Oil on canvas. 150 x 167.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch34.html

Edvard Munch. The Kiss. 1895. Etching, aquatint and drypoint. 32.9 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch96.html

Edvard Munch. The Scream. 1895. Lithograph. 35.5 x 24.4 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch100.html

Edvard Munch. Self-Portrait with Skeleton Arm. 1895. 45.5 x 31.7 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch99.html

Edvard Munch. Jealousy. 1895. Oil on canvas. 67 x 100 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch101.html

Edvard Munch. Madonna. 1895. Lithograph. 443 x 434 mm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://hotelmagazine.dk/blog/articles/twin-peaks/
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch170.html

Edvard Munch. Vampire. 1895-1902. Combined woodcut and lithograph. 38.5 x 55.3 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch104.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
4. 赤かぶ[65582] kNSCqYLU 2020年3月23日 11:16:30 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2663]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
5. 赤かぶ[65583] kNSCqYLU 2020年3月23日 11:17:46 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2664]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c5
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
2. 中川隆[-13524] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:18:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1380]

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか 2019年4月19日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka


 ムンクの陰気な絵は、実は、ドストエフスキーの陰気な作品のために用意された挿絵なのではないかいう気はしないだろうか?我々はそんな気がする、それで、それはやはり何か理由があるという裏付けを探し出した。


 4月にトレチャコフ美術館で、世界的に有名なノルウェー人、エドヴァルド・ムンクのロシア初の大きな展覧会が開かれている。ロシアでは、ムンクの作品はそれほど多くは知られていないにもかかわらず、彼の創作は、我々が推定しうるよりももっとロシアと大きな結びつきがある。ムンクが崇拝し、彼にインスピレーションを与えたのはドストエフスキーだった。ムンクのもっとも有名な作品『叫び』は、ドストエフスキーの悪霊の一人を絵画の中に住まわせたかのようにも見える。


エドヴァルド・ムンク、「叫び」、1893


 オスロのムンク美術館と数年間にわたって交渉を行ってきたトレチャコフ美術館の館長は、芸術においてムンクが成し遂げたことは、文学においてドストエフスキーが成し遂げたことと同じだという。「人間の心を裏返し、その奥にあるものをすべて、人間を苛む熱情の深みを描写し、人間の本性の複雑さを見せてくれたんだ」

ムンクはドストエフスキーの文学の才能に酔いしれていた

 若きムンクもその一員だった1880年代のオスロのボヘミアンは、クリエイティヴなアナーキストたちの集まりで、ちょうどその頃ノルウェー語に訳されたドストエフスキーを貪るように読んでいた。


エドヴァルド・ムンク。彼のワークショップにて。ノルウェー、1938年。


 「いつ、誰があの時代を描写できるだろうか?ドストエフスキーが例えばロシアのシベリアの町でうまくやったように、かなりの説得力をもってクリスチャニア(オスロの古い名)のつまらない生活を描き出すには、ドストエフスキー本人か、せめて、クローグ(画家、ムンクの教師)とイェーゲル(スキャンダルを巻き起こしたアナーキスト作家)と私自身を混ぜ合わせたものが必要だろう、当時だけでなく、今現在も」とムンクは書いている。

お気に入りの作品は『おとなしい女』

 ドストエフスキーのあまり有名でない(ともかく、他の長編小説の栄光の陰に隠れている)中編の『おとなしい女』は、おそらく、ムンクにもっとも大きな影響を与えている。これは、貧しさゆえに、軽蔑している質屋と結婚した不幸な女性の自殺をめぐる短編だ。

 もっとも有名なムンクの自画像のひとつで、裸の女性の姿が描かれている『柱時計とベッドの間の自画像』を、実は鑑定人たちは『おとなしい女』の挿絵だと考えている。


エドヴァルド・ムンク。『柱時計とベッドの間の自画像』1940-1943。


 病人や貧窮した若い女性たちへの芸術的な弱さを描くことが、ムンクとドストエフスキーに共通の特徴だ。ムンクのもっとも有名な絵のひとつ――『病気の子ども』、または『病気の少女』は、“未完成”だとして批評家たちの不評の嵐を呼んだが、大好きだった姉の結核による死をめぐる画家の悲しみが反映されている。

エドヴァルド・ムンク。「病気の少女」、1885-1886。

 「もっとも、なぜ自分が当時、彼女にかかずらっていたのかわからないんだ。彼女がいつも病気だったからという気がする…。彼女が足をひきずっていたり、背中がひどく曲がっていたりしていたら、自分は、もっと彼女を愛せたような気がするんだ…」とラスコーリニコフは言った。

ムンクの絵は、ドストエフスキーの主人公のように苦しんでいた

 ムンクの伝記作家ステネルセンは奇妙な手法について記述している。それは、自分の絵を自身の子どもたちだとみなした画家が、それゆえに絵たちを「育てよう」としたが、うまくいかなかったというのだ。彼は、自分の絵を雨や風の中、雪の下に置き、いくばくかの時間が経ってから回収していた。まさにこうして彼は『別離』という作品を創作したため、この絵はひどく損傷していることはよく知られている。偶然に現れたシミ、例えば、鳥のフンの痕などが絵の一部になっている。

エドヴァルド・ムンク。「別離」、1896


 この手法を、ムンクは「ヘステクールhestekur」と呼んでいた、「馬の治療」という意味だ。鑑定人たちは、これはラスコーリニコフの夢を示唆していると考えている。その夢の中で幼い主人公は、男が弱りきった痩せ馬を、「自分のもの」だからというだけで殴っているのを見る。かたや野次馬は「くたばるまでぶったたけ」と言っている。

ムンクは自分を作家と同一視していた


エドヴァルド・ムンク、自画像


 ムンクはおそらく、現代ではファンアートと呼ばれる、小説のファンが好きな作品をもとに作る芸術を創作したのかもしれない。無数にある自分の自画像の中のひとつに、ムンクは骸骨の手をした自分の姿を描いている。この作品のインスピレーションをムンクに与えたのは、スイスの画家フェリックス・ヴァロットンが似た手法で描いたドストエフスキーの肖像だったという意見もある。

フェリックス・ヴァロットン。ドストエフスキーの肖像。

ムンクはドストエフスキーの本と共に亡くなってるところを発見された

 この展覧会には画家が所有していた小さな本が一冊展示されており、それはショーケースの中のディアギレフがムンクに宛てた手紙の横に置かれている。この本は『Djasvlene』――ノルウェー語で小説『悪霊』の題名だ。1944年、オスロ近くにある郊外の自身の領地で、まさにベッド横の小机の上にあったこの本と共にムンクは亡くなっているところを発見された。

*ロシア・ビヨンドは、この資料の準備を助けてくれた、文化学者でジャーナリストで公開公演局「プリャマヤ・レーチ」の講師、そしてポッドキャスト「少年のための芸術」の作家で司会でもあるアナスタシア・チェトヴェリコワに感謝を申し上げる。


https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
6. 赤かぶ[65584] kNSCqYLU 2020年3月23日 11:18:33 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[2665]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
55. 2020年3月23日 11:21:54 : tr5lNF3S3c : Tk04Skl1bENaMi4=[221]

病気は早期発見早期治療 ← これは小学生でも解る常識 よって検査に屁理屈をつけるでない!


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c55

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
51. 2020年3月23日 11:21:57 : Svr9214o0I : YmNTYzRhTi4vbVU=[1]
高齢者粛清ウイルスを利用する狙いが確定だよ、ナチス並みの政府

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c51
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
52. 2020年3月23日 11:23:18 : sRr6kRZiV2 : dHlEZ1hjVHdkcVE=[81]
>44 追加その2 ボケ老人=楽老さんへ

 多摩散人です

 更にもう一つ、ボケ老人=楽老さんを評価している点があります。

>本丸はオリンピックの可否などではない。狙いは、社会保障費のかかる高齢者の大規模粛清である。そのための『後手後手』であった。(48)

こういう阿修羅超馬鹿どもの超陰謀論に与(くみ)しない点も評価してます。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c52

コメント [政治・選挙・NHK270] 山本太郎と合流か 山尾志桜里が絶対許さないアノ男(週刊文春) 赤かぶ
43. 2020年3月23日 11:25:25 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[4684]
立憲民主党の中谷一馬氏が、消費税減税を含む経済政策のためのアンケートを募集。
.
風花未来チャンネル
2020/03/22 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=8pYNOEYAGLY
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/749.html#c43
コメント [政治・選挙・NHK270] 森友学園疑獄の追及が恐くて、コロナ対策の記者会見をドタキャンしたチキン野郎!!  赤かぶ
54. 楽老[1080] inmYVg 2020年3月23日 11:27:27 : jfZE5owcak : Ti9ZVDhtT2Flbm8=[216]
地下爺さん

ニワトリさんの話面白く読みました。
あまり自信はないのですが、韓ドラ時代劇で鳥頭(トリアタマ)が多用されていたような気が
日本では鳥頭(とりがしら)の太刀と言って、決して馬鹿にした言葉ではないような


モリカケ騒動で
破棄してデータ復元できないと盛んに吹聴されましたが
とある県庁でデータ管理しているSEに聞きました。
ドリル小渕は無理だが、ソフトで破棄したものならほとんどのものが復元可能だと
しかも公務員の担当者でサーバーにアクセスして破棄できる能力のある人はいない
すべてメーカー派遣のSEの仕事であり
削除要請があれば単に【デリート】するだけで、復元はいとも簡単。
詳細にデリートを繰り返して復元困難な場合もマインニング(data mining ?)によって復元可能と言う事でした。
どうしても復元せよという命令が出れば
非常に面倒だが、アクセス不能となっていてもディスクだけを取り出し、別のシステムで内容を取り出して、復元するそうです。

     
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/743.html#c54

コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
3. 中川隆[-13523] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1381]

世紀末の音楽 アルノルト・シェーンベルク 『浄められた夜』


Schonberg “Verklärte Nacht” Karajan & BPO, 1974



Arnold Schönberg Pelleas und Melisande, Op. 5 (Karajan, Berliner Philharmoniker)



Schonberg “Variations for Orchestra, op 31” Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker, 1974



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Second Viennese School Orchestral Works [ H.V.Karajan Berlin-PO ] (1972~74)





1. Schoenberg "Pelleas und Melisande" (00:00)
2. Schoenberg "Variation for Orchestra" (43:25)
3. Schoenberg "Verklarte Nacht" (1:05:51)
4. Webern "Passacaglia for Orchestra" (1:35:39)
5. Webern "Six Pieces for Orchestra" (1:47:51)
6. Webern "Symphony" (2:00:51)
7. Berg "Three Pieces for Orchestra" (2:11:08)
8. Berg "Three Pieces from the 'Lyric Suite" (2:42:14)


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Schoenberg Gurre 1988 08 08 Berlin Abbado - YouTube




8-8-1988 Philharmonie Berlin
Arnold Schönberg Gurrelieder
European Community Youth Orchestra; Gustav Mahler Jugendorchester; Enrst Senff Chor Berlin; Philharmonischer Chor Berlin; Wiener Jeunesse Chor
Claudio AbbadoClaudio Abbado

Jessye Norman (Sopran)
Brigitte Fassbaender (Mezzosopran)
George Gray (Tenor)
Helmut Wildhaber (Tenor)
Hartmut Welker (Bariton)
Barbara Sukowa (Sprecherin)

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若い頃のシェーンベルクはブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。

『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。

これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。

1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


マーラー(1860年7月7日 - 1911年5月18日)と シェーンベルク(1874年9月13日 - 1951年7月13日)の関係

マーラーは14歳年下であるアルノルト・シェーンベルクの才能を高く評価し、また深い友好関係を築いた。

彼の『弦楽四重奏曲第1番』と『室内交響曲第1番ホ長調』の初演にマーラーは共に出向いている。

前者の演奏会では最前列で野次を飛ばすひとりの男に向かい「野次っている奴のツラを拝ませてもらうぞ!」と言った。この際は相手から殴りつけられそうになったものの、マーラーに同行していたカール・モル(英語版)が男を押さえ込んだ。男は「マーラーの時にも野次ってやるからな!」と捨て台詞を吐いた。

後者の演奏会では、演奏中これ見よがしに音を立てながら席を立つ聴衆を「静かにしろ!」と一喝し、演奏が終わってのブーイングの中、ほかの聴衆がいなくなるまで決然と拍手をし続けた。この演奏会から帰宅したマーラーは、アルマに対しこう語った。

「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」

シェーンベルクの側でも、当初はマーラーの音楽を嫌っていたものの、のちに意見を変え「マーラーの徒」と自らを称している。1910年8月には、かつて反発していたことを謝罪し、マーラーのウィーン楽壇復帰を熱望する内容の書簡を連続して送っている。

ある夜、マーラーがシェーンベルクとツェムリンスキーを自宅に招いたとき、音楽論を戦わせているうち口論となった。反発するシェーンベルクに怒ったマーラーは「こんな生意気な小僧は二度と呼ぶな!」とアルマに言い、シェーンベルクとツェムリンスキーはマーラー宅を「もうこんな家に来るものか!」と出て行った。だが、数週間後にマーラーは「あのアイゼレとバイゼレ(二人のあだ名)は、なぜ顔を見せないのだろう?」とアルマに尋ねるのだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC#%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


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アルノルト・シェーンベルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874年9月13日 - 1951年7月13日)は、オーストリアの作曲家・指揮者・教育者。 調性音楽を脱し無調に入り、十二音技法を創始したことで知られる[1]。アメリカに帰化してから1934年以降は、「アメリカの習慣を尊重して」[2]"ö"(o-ウムラウト)を"oe"と表記したSchoenbergという綴り[3]を自ら用いた。アメリカでは「アーノルド・ショーンバーグ[4]」と呼ばれた。

父シャームエル・シェーンベルク(Sámuel Schönberg 1838年 - 1889年 [1])は代々ハンガリーのノーグラード県セーチェーニに住むユダヤ人で、靴屋を営んでいた。母パウリーネ・ナーホト(Pauline Náchod 1848年 - 1921年)もボヘミア(現・チェコ)プラハ出身のユダヤ人であった。

ウィーンにて生誕。初めはウィーン人らしくカトリックのキリスト教徒として育てられる。8歳よりヴァイオリンを習い始める。その後チェロを独学で学ぶ。15歳の時、父が亡くなり、経済的に立ち行かなくなった彼は、地元の私立銀行に勤め始め、夜間に音楽の勉強を続けていた。その後作品を発表し始めたころに彼の余りにも前衛的な態度のため、激怒した聴衆によってウィーンを追い出され、ベルリン芸術大学の教授に任命される時、プロテスタントに改宗、その後ナチスのユダヤ政策に反対して1933年、ユダヤ教に再改宗している。


無調への試み

若い頃の彼はブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。

1908年、弦楽四重奏曲第2番(1907年〜1908年)のソプラノ独唱付きの終楽章と、歌曲集『架空庭園の書』(1908年〜1909年)で初めて無調に到達した、とされることも多い。 1909年に書かれた『3つのピアノ曲』op. 11や『5つの管弦楽のための小品』op. 16、モノドラマ『期待』op. 17では、多少調性の香りを残していたが、無調の様々な可能性が試みれられた。『6つの小さなピアノ曲』op. 19(1911年)で、調性をほぼ完全に放棄するに至った、とする見解もある。これらの実験から傑作歌曲集『月に憑かれたピエロ』(ピエロ・リュネール)が生まれる。

『月に憑かれたピエロ』は『期待』の成果を更に推し進めて生み出されたと言ってよいかも知れないが、着想などは更にユニークである。ラヴェルやストラヴィンスキーに影響を与え、前者が『マラルメによる3つの歌』を、そして後者が紀貫之の短歌等による『日本の3つの抒情詩』を作るきっかけとなった。そして後のブーレーズらにも影響を与えた傑作である。物語の朗唱を室内楽で伴奏をするという方法が、かつてなかったとは言えないまでも、これほどにまで高められた作品は皆無で、またかつて無い効果をあげた伴奏の書法も全くユニークな傑作であった。

ただ、時代は無調の音楽に対する準備が出来ていたとは言えなかった。ストラヴィンスキーの『春の祭典』で大騒ぎとなるような時代で、無調の音楽は一部のサークルの中だけのことであった。ウィーンの私的演奏会で聴衆が怒り出してパニックになったり帰る人が続出したのは当然であった。しかし、指揮者のシェルヘンなどが積極的にこれらの音楽を後押しし、演奏してまわったことで、シェーンベルクなどの音楽が受け入れられるようになっていく。

同じ頃、弟子のアルバン・ベルクは『クラリネットとピアノのための5つの小品』op. 5や『管弦楽のための3つの小品』op. 6などで、無調(あるいは拡大された半音階主義)の作品を発表し、アントン・ヴェーベルンも師シェーンベルクにならって『6つの小品』op. 6を書いているが、シェーンベルクはバランス感覚に優れ、ベルクはより劇的で標題性を持ち、ヴェーベルンは官能的なまでの音色の豊穣さに特徴があり、明確な個性の違いがあるのは興味深い。

12音音楽の確立

1910年代後半、シェーンベルクは大作『ヤコブの梯子』に挑むが、第一次世界大戦で召集されたためにその他の多くの作品と共に未完のままに終わった。同じ頃、弟子のベルクは歌劇『ヴォツェック』Op.7を完成する。シェーンベルクらと始めた無調主義による傑作オペラの登場である。無調主義が次第に市民権を持ちはじめると共に、無調という方法に、調性に代わる方法論の確立の必要性を考えるようになっていった。それが12音音楽であった。

12の音を1つずつ使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディーや伴奏を作るのが12音音楽である。一つの音楽に使われる基本となる音列は一つであり、別の音列が混ざることは原則としてない。したがって、この12音音楽は基本となる音列が、調性に代わるものであり、またテーマとなる。そして音列で作っている限り、音楽としての統一性を自然と得られる仕組みとなっている。

この手法でシェーンベルクが最初に書いたのが、全曲12音技法で書かれた『ピアノ組曲』op.25(1921年〜1923年)の「プレリュード」(1921年7月完成)である。作品番号では『5つのピアノ曲』op.23(1920年〜1923年)が先立っているが、12音技法による第5曲「ワルツ」は1923年2月の完成とされている。ヴェーベルンも1924年、『子どものための小品』の中で12音音列を使った作品を書き、ベルクもすぐにその技法を部分的にとり入れた。

ただし、12音の音列による作曲法はシェーンベルクの独創とは言えない。ウィーンの同僚であったヨーゼフ・マティアス・ハウアーが、シェーンベルクより2年ほど前にトローペと言われる12音の音列による作曲法を考案している。1919年にハウアーが作曲した『ノモス』は、最初の12音音楽と見なされている。この年、シェーンベルクはこの作品を自身の演奏会で紹介しているが、ハウアーが12音音楽の創始者であることに固執したこともあり、シェーンベルクと、その理解者でベルクの弟子でもある哲学者・音楽学者のテオドール・アドルノの2人から酷評される。また、1930年代のナチスの台頭により退廃音楽家として排斥され、戦後に再評価されるまで全く忘却されてしまったこともあり、ハウアーが1920年代に果たした役割が過小評価されていることは否めない。

弟子のヴェーベルンが音楽をパラメータごとに分解してトータル・セリエリズムへの道を開き、形式上の繰り返しを否定し変容を強調したのに対し、シェーンベルクは無調ながらもソナタや舞曲など従来の形式を踏襲している。また初期の無調音楽は部分的には機能和声で説明できるものが多く、マーラーやツェムリンスキーなど高度に複雑化した和声により調性があいまいになっていた後期ロマン派音楽の伝統と歴史の延長線上に位置する。

厳格でアカデミックな(ただしかなり偏った解釈でもあった)教育方針は古典作品の徹底的なアナリーゼを基礎としていた。12音技法の開拓後はリズム、形式面で古典回帰が顕著で、彼自身も新古典主義との係わりを避けることは出来なかった。

美術をはじめとする芸術一般にも興味を持ち相互に影響した。シェーンベルクの描いた表現主義的な『自画像』は(メンデルスゾーンなどと同じく)画家としての才能も示している。ロシアの画家カンディンスキーはシェーンベルクのピアノ曲演奏風景をそのまま『印象・コンサート(1911年)』という作品にしている。

亡命と晩年

ナチス・ドイツから逃れて1934年にアメリカに移住する。移住後も南カリフォルニア大学(USC)とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にて教育活動を精力的に行い、弟子にはジョン・ケージ、ルー・ハリソンなど、アメリカ現代音楽を代表する作曲家も含まれる。(アメリカでの教育活動は、アメリカの音楽教育に大きな革新をもたらしたが、反対にある種「後遺症」ともいうべき偏ったアカデミズムが長く根付くこととなった。) USCには彼の名をちなんだリサイタルホールを擁する「アーノルド・シェーンバーグ研究所」(Arnold Schoenberg Institute)があり、UCLAには彼の生前の功績をたたえ、記念講堂が建造されているが、実際のアメリカのシェーンベルクの家財道具などにアメリカでは管理費などの寄付が全く集まらず、母国のオーストリアがすべて輸入して引き取り、現在ウィーン市にシェーンベルク・センターとして情報の公開に多大の寄与をしている。

移住後は、『室内交響曲第2番』『主題と変奏』などの調性を用いた先祖帰りの作品も作曲しているが、大半が旧作の完成か、アメリカの大学の委嘱などで学生でも演奏ができるように書いた作品である。

また、他界する直前まで合唱曲『現代詩篇』を作曲していたが、未完に終った。戦後始まった第1回ダルムシュタット夏季現代音楽講習会からも講師として招待されたが、重い病気のためキャンセルした。

1951年7月13日、喘息発作のために、ロサンゼルスにて死去した。76歳。故郷ウィーン中央墓地の区に葬られており、墓石は直方体を斜めに傾けた形状である。


主な作品

詳細は「シェーンベルクの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


歌劇

期待 op.17(1909)
幸福な手 op.18(1908-1913)
今日から明日まで op.32(1928-1929)
モーゼとアロン (1930-1932、未完)



管弦楽曲

交響詩「ペレアスとメリザンド」 op.5(1903/1913、1918改訂)
室内交響曲第1番 op.9(1906/1923改訂/1914、1935管弦楽版)
室内交響曲第2番 op.38(1906-1916、1939-1040)
5つの管弦楽曲 op.16(1909/1922改訂/1949小管弦楽版)
浄められた夜 op.4 (1917、1943弦楽合奏版)
管弦楽のための変奏曲 op.31(1926-1928)
映画の一場面への伴奏音楽 op.34(1929-1930)
組曲ト長調(弦楽合奏)(1934)
主題と変奏 op.43a(吹奏楽版:1943)/op.43b(管弦楽版:1944)




協奏曲

ヴァイオリン協奏曲 op.36(1934-1936)
ピアノ協奏曲 op.42(1942)



室内楽曲

浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版:1899)
弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 op.7(1905)
弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 op.10(1907-1908/1929弦楽合奏版) ※ソプラノ独唱付き、調性から無調への過渡期の作品
弦楽四重奏曲第3番 op.30(1927)
弦楽四重奏曲第4番 op.37(1936)
弦楽四重奏曲第5番(断片)
弦楽四重奏、五重奏、七重奏、三重奏の数々の断片
弦楽三重奏曲 op.45(1946)
鉄の旅団(1916)
セレナード op.24(1920-1923)
クリスマスの音楽(1921)
管楽五重奏曲 op.26(1923-24)
7楽器の組曲 op.29(1924-1926)
ヴァイオリンのためのピアノ独奏付き幻想曲 op.47(1949)



ピアノ曲

3つのピアノ曲 op.11(1909)
6つのピアノ小品 op.19(1911)
5つのピアノ曲 op.23(1920-1923)※無調から12音への過渡期の作品
ピアノ組曲 op.25(1921-1923)
ピアノ曲 op.33a(1928)
ピアノ曲 op.33b(1931)



独唱曲

月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール) op.21(1912)
2つの歌 op.14(1907-1908)
架空庭園の書 op.15(1908-1909)
心のしげみ op.20(1911)
4つのオーケストラ歌曲 op.22(1913-1916)
ナポレオンへの頌歌 op.41(1942)



合唱曲

地上の平和 op.13(1907)
グレの歌 (1900-1911)
ヤコブの梯子(1917-1922、未完)
4つの混声合唱曲 op.27(1925)
3つの風刺 op.28(1925)
6つの無伴奏男声合唱曲 op.35(1929-1930)
コル・ニドレ op.39(1938)
ワルシャワの生き残り op.46(1947)
千年を三たび op.50a(1949)
深き淵より op.50b(1950)



編曲
チェロ協奏曲ト短調(モンの協奏曲による)(1912)
チェロ協奏曲(モンのチェンバロ協奏曲による)(1932-1933)
弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲(ヘンデルの合奏協奏曲op.6-7による)(1933)
バッハ:コラール前奏曲BWV631の管弦楽編曲(1922)
バッハ:コラール前奏曲BWV654の管弦楽編曲(1922)
ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲の室内楽編曲(1925)
バッハ:前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552「聖アン」の管弦楽編曲(1928)
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番の管弦楽編曲(1937)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲の室内楽編曲(10人編成)



著作

ここでは日本で出版されたものを紹介する。
『和声学 第1巻』(山根銀二訳、「読者の為の翻訳」社、1929) 第2巻が出版されたかは不明。
『作曲法入門』(中村太郎訳、カワイ楽譜、1966)
『和声法』(上田昭訳、音楽之友社、1968、新版1982)
『作曲の基礎技法』(G.ストラング、L.スタイン編、山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1971)
『音楽の様式と思想』(上田昭訳、三一書房、1973) 1950年にアメリカで出版されたStyle and Ideaからの抄訳。
『対位法入門』(山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1978)
カンディンスキーと共著『出会い――書簡・写真・絵画・記録』(J.ハール=コッホ編、土肥美夫訳、みすず書房、1985)
『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』(上田昭訳、ちくま学芸文庫、2019)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c3
コメント [カルト25] NHK・メルケル・担当医感染で在宅勤務。アベカイダも色んな意味で入院すべきである。 ポスト米英時代
3. 2020年3月23日 11:29:43 : LSxfBFR2u2 : UnRQTlRZLkZNc0U=[147]
>>2
そうそれなんだよ
枝野と一緒にね
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/612.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] 家賃が払えず、食費も尽きる 25日がヤマ(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
45. 2020年3月23日 11:33:56 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[1]
生活苦だから、疾病持ち年寄り1000万人をコロナ肺炎死させても構わない?
死因は医師会の協力を得てナントでもする?

コロナ肺炎ウイルス封じ込めと経済活動とのバランスを考えて、、、などと
言っている国が日本(安倍官邸&厚労省)以外にあるの?

まさに、貧すれば鈍す。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/770.html#c45

コメント [政治・選挙・NHK270] 下手すりゃ次の犠牲者が出る 鉄面皮首相に問われる一分の良心 安倍政権で相次ぐ自殺や不審死(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
42. 2020年3月23日 11:34:05 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1826]
>安倍内閣になって急に悪くなったという気はしない。
>実体経済から大きくかけ離れたから崩壊したのにあれが当たり前だとまた再現できると言って悪い方に自ら進んでいった国民。
>そこをしっかり反省しない限りはいい方向へは進めないと思う。
>>13のコメントで気になったのはこの部分。
悪くなったって気が、私は、してるんだけどな。
(そりゃ統計不正と株価つり上げで景気捏造してれば、その恩恵に与る人は景気が悪くなったとは気づかないだろうさ。)
そして、その理由を「国民全体」に向ける。
(選挙で不正している疑いがあるのに、選ぶ国民が悪いとか言うのと同じ。以前ほど直接的ではなく柔らかい表現になったね(嗤))
これが印象操作でなくて何だと言うのか?
民主党政権の政策の延長だった2015年〜2016年頃までは、そこまで悪くなってなかったさ。
しかし、この3、4年は違うね。
torが理由で工作員と書いたと思った? 残念!

>>26
私はネトウヨ(って書こうとして捏造って書きかけたよ(嗤))サイトなど見ない。
見なくても雑誌の見出し(WILLとかHanadaとか)見れば何を言いそうか分かるだろ?

>>32
御免な、私はおそらくそれ、履歴を見てない。
つまり君がどうこう言う理由も無い。

>>36
君は>>13なのかい?
IDが違うから別人として扱うよ。
つまり、tor等を使って書き込んでる限り、私はそれを信用しないってことだ。
tor使ってるなら、ずっと私はこの掲示板初心者扱いしてしまう。
(それが嫌ならペンネーム(固定ハンドル)を使うといい)
最初に判断するのは内容。
その内容によってコメント数も判断材料。
最後に履歴だね。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/766.html#c42

コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
4. 中川隆[-13522] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:34:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1382]

詳細は

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c4

コメント [雑談・Story41] ダイヤモンド・プリンセスの正体と、アカデミー歌唱・松たか子の闇 / OTAKING talks Japan News Flash ダイヤモンドプリンセス… アニメとマンガと音ゲ
5. 2020年3月23日 11:34:25 : nCalfi6YqE : aTlaQUw5Ymc3MUk=[5]
赤毛のアンのほうが好きだったな。
あとは若草物語も良かった。

セーラは暗くてダメだわ。

あの暗いはっきりしない女見てると子供ながらにムカムカしたよ。

そんなやつの思念が宿るように作られたのかえ?
あの船は?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/798.html#c5

コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
5. 中川隆[-13521] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:36:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1383]

シェーンベルクに一番強い影響を与えたのはブラームスですが、ブラームスは若い時から世紀末的な暗鬱で救いの無い音楽ばかり書いていたのですね:


ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html

ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html

ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/840.html

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html  



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
53. 2020年3月23日 11:36:36 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[2]
放射能が怖くなって、脱兎のごとく西へ逃げ出したのが、多摩の三吉。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c53
コメント [政治・選挙・NHK270] 小沢、安倍のしどろもどろの答弁に呆れる+東京、日本はコロナ感染の情報が少ない&呑気な麻生(日本がアブナイ!) 笑坊
12. 2020年3月23日 11:37:40 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1827]
>>10
また謎の支持率ですねえ。
自民党支持者が安倍内閣支持者の大半だと思いますけど、自民党の支持者が減ったのに安倍内閣の支持者が減らないって、どういう数字の操作をしたんでしょう?
ほんと、不思議。
(捏造だね)

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/754.html#c12
コメント [カルト25] ハーメネイ、中華陰謀論を鵜呑みに米国をウイルステロ犯と批判 チベットよわー
5. 2020年3月23日 11:39:03 : 3F12zeLFhU : bHN0YWxIZmgyZnM=[17]
2<<さん頭イイ〜〜! 拍手!
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/609.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
54. 2020年3月23日 11:40:16 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[3]
経済活動の自粛を緩めることで、高齢者の1〜2割が死ぬことになっても、
それはリスクとして受け入れるべき。

と述べたのは橋下徹。

多摩の三吉も同じか?
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c54

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
55. 2020年3月23日 11:43:12 : Nl0plmuFI2 : ZUxsdUp0RVlTSy4=[5]
政府や有識者会議主導の未必の故意の大量殺人犯罪に断乎抗議が必要である。

医療崩壊を理由に検査制限して、感染者を多く見逃して、街中を彷徨かせたままに放置して国民の約六割に罹患者を広めようとしている気狂い行為である。

政府の狂った方針で罹患した感染者のうちの1%が亡くなるとしたら、100万人近くも殺害するジェノサイドで有ると言える。

直ちにやめさせないと死人の山が出来るぞ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c55

コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
6. 中川隆[-13520] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1384]

ヨハネス・ブラームス 『余韻 Nachklang』


Brahms: Nachklang, op.59, No.4
Mischa Maisky - Song of the Cello





8 Lieder und Gesänge, Op. 59: No. 4, Nachklang





▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
Kathleen Ferrier Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2





Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.



▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms






Kathleen Ferrier, contralto
John Newmark, piano
Rec.12-14 July, 1950

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
56. 2020年3月23日 11:44:29 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[4]
休業補償も、損失補償も、解決できる打出の小槌はナニか?
それは、高齢者の粛清。

と連中は考えている模様。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c56

コメント [政治・選挙・NHK270] このポスターは辛辣だけど、正しいと思う。ジャパンデミック:テストしなければ、ウィルスはいない(JAPANDEMIC: No Test, No V… gataro
56. 2020年3月23日 11:44:30 : tr5lNF3S3c : Tk04Skl1bENaMi4=[222]

    洗脳テレビ(フジ)の捏造支持率報道 安倍ヨイショが笑える!



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/759.html#c56

コメント [政治・選挙・NHK270] 「安倍首相、麻生大臣。あなた方は調査される側で『再調査しない』と言える立場にありません」自死職員の妻  相澤冬樹(大阪… 赤かぶ
46. 地に平和[43] km6CyZW9mGE 2020年3月23日 11:44:36 : 4vzG2WP2jM : clV6Y01qUVV4UG8=[92]
検察が動かない理由 〜 指揮命令系統から

@ 検察官はそれぞれが検察権を行使する独任官庁である

A 検察官は検事総長を頂点とした指揮命令系統に服する(検察官同一体の原則)

B 検察庁は行政機関であり、・・・法務大臣は、・・・検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる(法務大臣の指揮権)
  (法務大臣の指揮権発動の例として、強制捜査中止などがある。)

C 内閣総理大臣は、・・・行政各部を指揮監督する。(憲法第72条)

     (@〜Bは、https://ja.wikipedia.org/wiki/指揮権_(法務大臣) より抜粋してまとめ)

つまり、法律上、
安倍晋三 → 森まさこ法相 → 稲田伸夫検事総長 → 各検察官 という指揮命令系統になっている。

平たく言えば、安倍晋三が捜査が止めているということ。
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/763.html#c46

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
57. 2020年3月23日 11:45:57 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[5]
予定通り?

日本の人口は6000万人でいい、と言っていた小泉進次郎(自民党厚労部会長)
https://twitter.com/hiroshimilano/status/1162954325280342017
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c57

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
58. 2020年3月23日 11:45:58 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1828]
>>44
玉砕人か。
>「安倍さんがオリンピックを強行したいためにいろいろな数値を隠蔽しているんだ」という阿修羅馬鹿どもの超陰謀論に与(くみ)しない点も評価してますよ。
あのさ、そういう超陰謀論(?)を言う人は、安倍に「さん」付けしないよ。
君の姿勢がよく分かるわ。

そう、超陰謀論だけじゃなくて、老人の人減らしとか、桜のスピンとか他の理由もあるから、「それだけ」にこだわる必要はないものね。

で、デマばかりと書いてた玉砕人は何で未だに書き込んでるの?

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c58

コメント [政治・選挙・NHK270] 辛坊治郎氏 キャスター降板に怒り爆発「某根性悪い放送局のおかげで…」/「報道界、テレビ界から消えてくれ!」の声も gataro
34. 2020年3月23日 11:48:11 : ERGQ7ZxACm : Vm9TY1ppckdHRjI=[48]

>>消えてほしい人だったので、良い事だ。何処かで遭難したりして迷惑をかけないようにお願いします。

「26」さん 同感です!!。

前回、海で遭難した時は「海上保安庁」飛び越し、田母神コネクションで「自衛隊対潜哨戒機」の御出ましで助かった。

今度は「山岳レスキュー隊」を飛び越して「自衛隊特殊部隊」の登場と相成りますやら、愉しみですネ。

さて?今は誰とコネクションしてるの?

しかしながら「前回」の捜索救助費用払うと言っていながら一銭も払って無いのに、未だに「自己責任論」を振りかざすTV芸者屋さん。

流石「浪花商人」は、ちがいまんな〜。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/757.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK270] 案里議員は失職必至…河井克行前法相「3.26逮捕」への攻防(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
17. 2020年3月23日 11:48:36 : zpD5t51UAE : cXBzSDZqbXk2WFE=[184]

国のトップが犯罪を助長したり容認したり。これで安倍引きずり下ろしに向けた権力

争いが湧き起こって来ないとすると、

日本の政治は仕組み・歯止めの面で完全に間違ったな。

どこで何を間違ったか?



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/771.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
59. 2020年3月23日 11:48:59 : Eje8kle4x2 : U3FTT2s0YU5qams=[150]
あのビル・ゲイツは、5年前に今回の様な世界的疫病の大流行を危惧していた。

「私たちの世代が最も恐れ準備を進めるべきは「戦争による核爆弾」ではなく、「空気感染するウィルス」であると述べていた。

「貧者の核兵器」とも呼ばれる生物兵器や化学兵器。
巨額の金を使ってのイージス・アショアなんか陳腐な時代遅れの遺物となりそう。


イタリアでは医療崩壊が始まり、「これは戦争だ」というトップによるSOSコメントが世界に発信され、相当深刻な状況に直面している事がわかる。

それを知ってか知らずか、我が日本はというと春の陽気に誘われ、待ってましたとばかりにいい歳をした者から若者までが花見や街にライブにと大挙して繰り出している。
そんな信じられない光景をテレビで観せつけられると余りの非常識さに言葉を失い唖然とするしかない。大阪のライブに集まった者達に、ウィルスをまき散らす危険性についての自覚があるとは思えない。
そんな無責任行動に映像を観て怒りの感情しか沸かない。

世界のコロナ対策と比較し、忖度汚染国家である日本政府のコロナ対策に対する緩さ感覚は、すっかり国民までに浸透した様でこの先が怖い。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c59

コメント [カルト25] 箱コネ・ロイ・アベカイダ・五輪は延期。そして東京の積極検査と早期発見とホテルへの隔離の段取りをつける事である。 ポスト米英時代
1. 2020年3月23日 11:53:17 : LSxfBFR2u2 : UnRQTlRZLkZNc0U=[148]
アベじゃダメだ
日本語の常用漢字さえ満足に読めず、頭の足りない仲間と税金をくすねるような下らないことばかりしているようなカスにこの一大事は乗り切れない
馬鹿が後先考えずに旗を振れば、死ななくてもよい大勢の優秀な国民の命が危険に晒される
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/616.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] 森友学園疑獄の追及が恐くて、コロナ対策の記者会見をドタキャンしたチキン野郎!!  赤かぶ
55. 地下爺[10409] km6Jupbq 2020年3月23日 11:53:36 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[167]
楽 さん


  私は 知り合いから PCの修理 や 更新で 相談を受けます。


  起動しなくなった PCから HDD を取り出し 初期化することは


  普通の作業として やることなので データが 取り出せませんなんて

  
  話は 大嘘だ 正直に思います。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/743.html#c55

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
60. 2020年3月23日 11:53:38 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[6]
すでにこの頃から、拡める気満々?

https://megalodon.jp/2020-0218-2118-42/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/politics/list/202002/CK2020021502000266.html
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c60

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
61. 2020年3月23日 11:56:06 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[7]
消すことのできない人工的痕跡

https://megalodon.jp/2020-0214-0220-35/https://news.livedoor.com:443/article/detail/17811387/
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c61

コメント [政治・選挙・NHK270] 森大臣が壊れてしまう程、安倍のウイルスが蔓延している。(かっちの言い分) 一平民
10. 2020年3月23日 11:57:14 : eXCGbqjtMc : MHZsVUNGSjNMMEE=[1]

犬と散歩をしている権力の犬=黒川が散歩の途中で暴漢に襲われても不思議ではない。

そんなことがあってはいけないと思うが、しかし救国のサムライとして歴史に名を残すだろう。

その時には、減刑嘆願に向けて全力を尽くす所存である。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/767.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK270] 近財局・故・赤木氏に対する安倍氏の態度は許せない!:2006年に出版された「美しい国へ」は真に安倍氏が書いたのか?(新ベン… 赤かぶ
11. 2020年3月23日 11:59:01 : niyy4hTwUA : OHU1UGRCUHhtN0k=[1829]
>>10
その検察審査会、小沢事務所の件からもわかるように、存在自体が疑問視されています。
また、その言葉「不起訴不当」は何故か「起訴相当」とは異なるのです。
(素人目には不起訴が不当なら起訴が相当だと思うのですけど、皆さんはどう思いますか?)
今の検察制度自体が怪しいと言わざるを得ないでしょう。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/768.html#c11
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
7. 中川隆[-13519] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:01:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1385]

世紀末の音楽 ブラームス


brahms Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952)
ブラームス クラリネット三重奏曲 ウラッハ&クヴァルダ




brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ




brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper




brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第1番 ウラッハ&デムス




brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第2番 ウラッハ&デムス





ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111 アルバン・ベルク四重奏団 1998


https://www.youtube.com/watch?v=Qc7f1_2_oU4


brahms Trio in E flat major for Piano, Violin and Horn, Op. 40 - Busch - Brain - Serkin



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c7
コメント [カルト25] 箱コネ・ロイ・アベカイダ・五輪は延期。そして東京の積極検査と早期発見とホテルへの隔離の段取りをつける事である。 ポスト米英時代
2. 2020年3月23日 12:05:24 : ABPExKQ6Vk : REhURHl6ZS52bm8=[624]
>日本語の常用漢字さえ満足に読めず

ハングルだったら読めるんじゃね(ちょうせんの人に失礼だと思うがその人の持つDNAだと思うんよ)

日本人だったらどんな人でもひらがなくらいは読めると思うがねー

http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/616.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK270] 森友学園疑獄の追及が恐くて、コロナ対策の記者会見をドタキャンしたチキン野郎!!  赤かぶ
56. 地下爺[10410] km6Jupbq 2020年3月23日 12:05:30 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[168]
訂正


 起動しなくなった PCから HDD を取り出し 初期化することは

             ↓

 起動しなくなった PCから HDD を取り出し データを取り出し初期化することは
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/743.html#c56

コメント [政治・選挙・NHK270] コロナ「オーバーシュート」懸念も…専門家会議の無策無力(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
62. 2020年3月23日 12:08:21 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[4685]
コロナ対策の失敗 ドクターカノウが語る 2020-03-23
.
JRPtelevision
2020/03/22 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=xnpOI1YhvyI
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c62
記事 [カルト25] 四年後パリ八年後ロスの後が未定のようだから、十二年後に東京開催とするのが一番スマートである。
それか、玉突きでそれぞれ四年ずらし、東京は四年後というのもアリである。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/617.html
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
8. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:15:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1386]

世紀末の画家 グスタフ・クリムト



愛と官能の画家 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」 絵画集





デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描 T 人物




デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描U 裸婦




テキスタイルの美「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」





グスタフ・クリムト(1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、オーストリアの世紀末ウィーンを代表する象徴主義、アール・ヌーヴォーの画家。ウィーン分離派の創始者の一人。

女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描く、センセーショナルな画家として知られるクリムトだが、多くの風景画も残しています。
この動画は人物画、風景画、写真など145点をまとめて紹介する動画になります。

グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテンで銅版彫刻家の家に生まれた。

クリムトは1894年にウィーン大学大講堂の壁画「医学」、「哲学」、「法学」を制作しました。その作品では闇と死、心の奥底に潜む不安を描き出し、クリムトの独自の世界観を表現しました。
1897年にクリムトを中心に新しい造形表現を追求したウィーン分離派が結成され、その初代会長を務めてました。

1900年以降、ラヴェンナの黄金モザイク壁画と日本の琳派に影響を受けました。
1902年に「ベートーヴェン・フリーズ」を始めとして、金箔などを用いる装飾的な独自の「黄金様式」を形成しました。その「黄金の時代」の体表作品「接吻」はよく知られます。

1905年に写実派との対立ため、ウィーン分離派を脱退しました。

晩年の作品には黄金色から華麗な色彩へ移しました。花のモティーフを基調とした肖像画、生命とエロスを主題としたものを主に制作しました。
1918年に55歳で脳梗塞と肺炎により亡くなります。

クリムトの絵画は、エゴン・シーレら弟子たちや20世紀の美術に大きな影響を与えました。




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c8
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
9. 中川隆[-13517] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:16:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1387]



世紀末の画家 エゴン・シーレ


天才画家 「エゴン・シーレ Egon Schiele」1906年−1911年の絵画まとめ






エゴン・シーレ「Egon Schiele」(1912−1918) 絵画集 U





デッサンの魅力「エゴン・シーレ Egon Schiele」素描 裸婦







エゴン・シーレ(1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアのウィーン分離派の象徴主義、表現主義の画家。

シーレは28歳という若さで世を去ったがその短い生涯で大量のドローイングや水彩画、油彩画を残っている。

1906年はウィーン美術アカデミーに入学した。

1907年にクリムトとの出会って、シーレに初期の作品は影響を与えられた。

1909年、アカデミーを正式に退校して、本格的に独自の活動を開始した。
その後ゴッホやドイツ表現主義の画家達(ヤン・トーロップ、エドヴァルド・ムンク)の絵画を目の当たりにし、自らの芸術観に多大な影響を与えられた。

1910年から1911年に、女性だけでなく子供や自分ヌードの自画像も急増した。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c9
コメント [国際28] 《米誌ニューズウィーク、「米軍が政権転覆につながりかねない極秘計画に着手」》から考察できる米国二大利害勢力の相剋の可能性 お天道様はお見通し
4. 2020年3月23日 12:17:38 : ABPExKQ6Vk : REhURHl6ZS52bm8=[625]
ばっかじゃね 小沢氏よ

二大勢力による政権交代の行く末はこんなもんだよ
アメリカのざま 日本の今のざま

小さい塊でも良い自由に国民が意見を出し合って 選挙の後に大きな塊へと収斂した方が民主主義に向かうんじゃね

古いんだよ 何時迄こだわっている (怒)

今やることは 自民党を割ることだよ
小沢氏にはできるだろー
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/495.html#c4

コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
10. 中川隆[-13516] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:18:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1388]

世紀末の画家 オーブリー・ビアズリー


「白黒ペン画の鬼才」オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)の挿絵集





オーブリー・ビアズリー(1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、耽美主義、アール・ヌーヴォーの代表的画家、イギリスの挿絵画家(イラストレーター)、詩人、小説家。

結核のゆえに25歳の若さで夭折した白黒のペン画天才。

ビアズリーの作品は、ラファエル前派の複雑な構成と装飾的な様式、
なめらかな線と、対照的な白黒、および日本の浮世絵のエロティックなデザインが特徴です。

この動画は挿絵白黒ペン画の先駆者、オーブリー・ビアズリーの挿絵、『イエロー・ブック』、『サロメ』、『女の平和』『ピエロの図書館』、『サヴォイ』誌創刊等を紹介する動画になります。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
7. 2020年3月23日 12:18:58 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[8]
家族、特に高齢者に症状が出たら、必ずそのタンをとり保存しておこう。
季節性インフルとか誤嚥性肺炎とか、、、による死亡と
捏造されないように証拠を残そう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c7
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
11. 中川隆[-13515] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:21:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1389]

戦争より恐れられた病 Posted October. 25, 2018 09:24,


昨今、インフルエンザは、1本のワクチン接種でそれほど心配しなくて済む病気だが、100年前までは、人類の歴史を揺るがした恐怖の病気だった。特に1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦とかみ合って流行し、5000万人以上の命を奪った大災害だった。オーストリアの将来を嘱望されていた若い画家エゴン・シーレも、その災いを避けることができなかった。

シーレは、クリムトを凌ぐ才能が認められた天才画家であり、赤裸々なエロヌード画で20世紀の初め、ウィーン美術界を揺るがした問題作家でもあった。死への不安と恐怖、性的欲望をよどみなく表わした彼のヌード画は、しばしば芸術とわいせつの間で激しい論争をまき起こした。

1915年、シーレは4年間一緒に暮らした貧しい恋人の代わりに、中間層出身のエディトと結婚した。結婚から4日後、第1次世界大戦に徴兵されたが、軍でも才能を認められ、いくつかの展示会に参加して名前を知らせた。1918年は彼の名声がピークに達した年だった。ウィーン美術界の巨匠クリムトの死亡後、3月に開催された「分離派」の展示会で、シーレは作家として大成功を収めた。絵の価格が高騰し、肖像画の注文が殺到した。ようやく経済的にも精神的にも安定した時期を迎えたのだ。さらに嬉しいことに、妻が結婚から3年ぶりに妊娠したことだった。

この絵は、まもなく生まれてくる子供を待つ喜びで、シーレが描いた家族画である。母にすがりつく赤子と、その赤子と同じ場所から見つめる母、そして家長として家族を守るというジェスチャーを取っている画家自身の姿が描かれている。何もかけていない純粋で無邪気な家族の肖像である。

しかし、幸せもつかの間。同年10月28日、ウィーンにまで広がったスペイン風邪で、エディトが妊娠6カ月のお腹の子供と一緒にこの世を去った。3日後、シーレもインフルエンザに感染して、この世を去った。彼がわずか28歳の時だった。当時スペイン風邪の犠牲者数は、第1次世界大戦の死者の3倍を超えた。戦争より恐ろしい災害は、まさにインフルエンザだったのだ。
http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85

▲△▽▼

スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人

ギヨーム・アポリネール(文学者)
マックス・ヴェーバー(政治学者)
グスタフ・クリムト(画家)
エゴン・シーレ(画家)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家)
エドモン・ロスタン(劇作家)
チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家)

竹田宮恒久王(皇族)
末松謙澄(政治家、元内務大臣)
徳大寺実則(公爵、元内大臣)
島村抱月(劇作家)
村山槐多(画家)
野村朱鱗洞(俳人)
辰野金吾(建築家)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
8. 2020年3月23日 12:21:49 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[9]
新聞のお悔やみ欄の、昨年と今年の数の違いにも留意。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c8
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
12. 中川隆[-13514] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:22:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1390]

額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月9日(木)19時15分〜19時30分
【司会】ふせえり

ここ数日、肌寒い日が続いていますが、もう直にジメジメと湿気の多い梅雨の季節になるのかと思うと、うっとおしい限りです。雨の日は美術館の来場者が減ってゆっくり絵画を鑑賞することができることが多いので、個人的に雨の日の美術館巡りを好んでいます。未だ病気が完全に本復した訳ではないので、家で美術館関係の映像を見て過しています。


https://f.hatena.ne.jp/bravi/20120613192142
エゴン・シーレ作「死と乙女」(1915年)

先日、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」等の作品について記事を書きましたが、今日はクリムトの愛弟子で世紀末ウィーンで活躍した表現主義の画家エゴン・シーレの「死と乙女」について書きたいと思います。最愛の恋人との別離を描いた「死と乙女」はエゴン・シーレの最高傑作と言われ、ゴツゴツした岩の上で抱き合う二人はシーレと彼のモデルで恋人でもあったヴァリー・ノイツィルを描いたものですが、1911年にシーレはクリムトから彼のモデルであったヴァリーを譲り受け、その後4年間に亘ってシーレのモデルを務めますが、この間にバリーの代表作の殆どが創作されています。

上述のとおり、この絵は最愛の恋人との別離を描いたもので、死と別離がテーマになっています。この絵の男性はシーレで「死」を象徴し、女性はヴァリーで「女神」(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)を象徴しています。シーレは跪いている男性モデルを正面から描写していますが、寝そべっている女性モデルは脚立の上から描写しています。この2つの異なる視点から描いた男性モデルと女性モデルを1つの絵として合体することによって、この絵を見る者に不安定な印象を与えています。

これは2人の別れを暗示するために意図的にこのような描き方がされたものです。なお、この絵はシーレがヴァリーに別れを告げて、ヴァリーがシーレに泣きついているところを描いたものですが、男性の右手は女性を突き放そうとし、また、男性の背中に回している女性の両指はきつく結ばれず別れを拒絶していないように見えます。シーレは、他の資産家の娘(エディット)と結婚するためにヴァリーに別れを告げていますが、その際、毎年夏に一緒に休暇を過そう(即ち、愛人として関係を続けよう)とヴァリーに持ち掛けたところ、ヴァリーはこの提案をきっぱりと断って涙を見せずに立ち去ったそうです。これにシーレはショックを受けますが、この絵の男性モデルの見開かれた目はその時の驚きを表現したものです。このようにシーレは被写体の内面までもキャンバスに描き込んだ作家であり、この絵が見る者に強い印象(メッセージ性)を与える理由はそこにあるのかもしれません。

https://f.hatena.ne.jp/bravi/20090712074119
エゴン・シーレ作「縞模様の服を着たエディット・シーレ」(1915年)

※上掲の「死と乙女」と比べると、同じ作家が描いたとは思えないほど被写体によって画力に違いがあります。

なお、「死と乙女」という標題は、若い娘が清らかなままあの世に召されることを意味し、当時、絵画や文学の主題として数多く用いられてきましたが、その標題のとおり1917年にヴァリーは23歳の若さで従軍看護婦として戦地で病死します。(因みに、同年にクリムトも他界しています。)更に、その翌年、シーレの妻エディットがスペイン風邪で病死し、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去っており、この絵はシーレとヴァリーの運命も占っていた怖い絵とも言えそうです。「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、この絵はシーレとヴァリーの人生をも語る含蓄深い一枚と言えると思います。
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK270] 山本太郎と合流か 山尾志桜里が絶対許さないアノ男(週刊文春) 赤かぶ
44. 2020年3月23日 12:25:57 : AhxYYLVOLd : TURWLjBvUmZ3WjI=[16]
>>30さん
山尾に関しては、騙されたとはいえ横浜市長選で林を応援したことは全く持っていただけない。
決して好きな議員ではない。
ただ今回の件では全く山尾の主張行動が正しい。

枝野は昨年年初に小沢一郎・山本太郎の「枝野よ立て」と言う説得にも全く応じなかった。
枝野の考えは見え透いている。
政権にあったときに官房長官であったときに原発事故が起こりその対応をを散々非難された。
気の小さい枝野にはそれは耐えがたいことだった。政権につくのはもう懲り懲りなのだ。
口ではいろいろ言うが政権を取る気は全くない。
議員の身分を確保するだけでいいのだ。
枝野とはそう言う男だ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/749.html#c44

コメント [政治・選挙・NHK270] 恐怖の安倍・自公政府のコロナ対策判明<本澤二郎の「日本の風景」(3632)<自公政府の専門委員会、8回目の会議で悲鳴> 赤かぶ
30. 2020年3月23日 12:27:29 : ERGQ7ZxACm : Vm9TY1ppckdHRjI=[49]

>>・「元感染研の大学教授が、感染研の場所も人材も、731部隊の生き残りが関与してきたと暴露していたが、脇田をとても信じられない。安倍もそうだが、軍国主義の戦前がこびりついている。怖い研究所だ」

そもそも「731部隊」は満州帝国守備隊関東軍防疫部隊として「石井中将(発足当時は少将)」の下で結成された。

しかし、前身は「陸軍中野学校(後方攪乱)」からと云われており、満州帝国の実務運営責任者である『岸 信介』が兼任していた。

『岸 信介』は安倍ぴょ〜んキチガイ総理の尊敬するおじいちゃん。

そして、「731部隊」で戦場携帯食料や「後方攪乱の為の疫病源菌添加食料」を研究していたのが『森永・江崎(グリコ)・ロッテ』。

『森永』と云えば、アッキ〜ドこと安倍昭恵ババアのおじいちゃん。

ほ〜ら、繋がったでしょ〜。

此のキチガイ総理夫婦は何時も「疑惑の渦中」に存在する。

因みに『森永・江崎・ロッテ』は戦前まで朝鮮半島人で、『電通』の前身「里見機関」とも深く係わっていた。

昭恵ババアが専門学校卒業後、就職したのが『電通』。

ほ〜ら、また面白く繋がったでしょ〜。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/755.html#c30

コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
13. 中川隆[-13513] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:27:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1391]

世紀末の音楽 グスタフ・マーラー

グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK270] 辛坊治郎氏 キャスター降板に怒り爆発「某根性悪い放送局のおかげで…」/「報道界、テレビ界から消えてくれ!」の声も gataro
35. けろりん[4595] gq@C64LogvE 2020年3月23日 12:27:54 : 8iDQRlRKiM : TzBuOGFWSDBvck0=[403]

浪花商人__サスガ・・・などと評価される
毒と薬__問題。


毒ヘドロ撒き散らせる、橋下や松井や辛抱なども大量に居るんだが・・・ね、
反面・・・強烈なクスリにもなっちゃう、太郎や立花のようなのも
出てきちゃうのよね・・・。

強烈なのは、辛抱してチョウダイね。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/757.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK270] 新コロナ@検査マジックA死因スリカエは世界犯罪です  赤かぶ
9. 2020年3月23日 12:28:06 : u4yGyLUM7s : VWZSc0dWRVRnbS4=[1]
肺炎での死亡数は増えているのだろうか?
ご存じの方教えてください。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/777.html#c9
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
14. 中川隆[-13512] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:30:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1392]


MAHLER - ADAGIETTO SYMPHONY 5 - BRUNO WALTER 1938.flv






Mengelberg Mahler : Symphony No. 5 W - Adagietto



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK270] 「なぜこのネタを出さないんですか!」森友問題“遺書”スクープ記者がNHKを見限った瞬間 相澤 冬樹(文春オンライン) 赤かぶ
25. 2020年3月23日 12:33:37 : MXC1HQQj8c : UHBFRUNyUmhtckk=[2]
つまりHK は犯罪集団である。

不正支持率もkアラートの指示だよね🎵
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/761.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣あいまい優柔不断支離滅裂コロナ対応(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
8. 2020年3月23日 12:33:49 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[10]
これまでの対応、すべては、カネのかかる年寄りを減らすため。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/776.html#c8
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
15. 中川隆[-13511] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:34:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1393]

Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936)





【高音質復刻】Bruno Walter & VPO - Mahler: Das Lied von der Erde (1952.5.14-16)




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c15
コメント [雑談・Story41] ダイヤモンド・プリンセスの正体と、アカデミー歌唱・松たか子の闇 / OTAKING talks Japan News Flash ダイヤモンドプリンセス… アニメとマンガと音ゲ
6. アニメとマンガと音ゲ[117] g0GDaoOBgsaDfYOTg0uCxom5g1E 2020年3月23日 12:34:42 : tr1A3dn46Z : SXdTcVdJcEpVYkE=[22]
赤毛のアンは毎日が楽しみだったなぁ。大学時代に早朝の再放送をマージャン帰りに見たり録画して見たりしてた。

スタッフ
本作品はシリーズ中、高畑勲が演出(監督)、宮崎駿が作画スタッフとしてそれぞれクレジットに名を連ねた最後の作品となった。それまで1年おきに名作劇場に携わっていた高畑勲は本来、前作の『ペリーヌ物語』を制作する予定だったが[9]、タイトルが決定した後になって高畑が原作に否定的見解を示し制作を拒否した[9]ため本作にスライド。宮崎駿らも同様にスライドして本作スタッフに参加した。宮崎駿は「アンは嫌いだ。後はよろしく[10]」と述べて『ルパン三世 カリオストロの城』へと去っていった[11]。しかし、アンのイマジネーション豊かで自然の中で一人で行動することを好むキャラクターは、後の宮崎作品にも頻繁に表れる[12]。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/798.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK270] IOC、東京五輪延期も検討 来月までに結論―中止は議題にせず(時事通信) 赤かぶ
23. 2020年3月23日 12:35:34 : u4yGyLUM7s : VWZSc0dWRVRnbS4=[2]
ここまでコロナが広がったのだから、中止でよいと思う。
延期になると益々いろいろが大変すぎる。
日本の国内にも、オリンピックどころではない事情・状況がある。
誰が、思い切った決断ができるか、拝見します。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/775.html#c23
コメント [近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
16. 中川隆[-13510] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:36:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1394]

ブルーノ・ワルター指揮 マーラー 交響曲第9番

【高音質復刻】Walter & VPO - Mahler: Sym No 9 (1938.1.16)




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c16
コメント [カルト25] さて・露報道官が米軍の仕業と発言した時は西側は陰謀論としたが、中国の正式な苦情を米国は誤魔化せない。前科も動機も状況も… ポスト米英時代
6. 2020年3月23日 12:37:35 : HyHxwTE03o : SzhqL0JESU1DWGc=[1804]

過去のプーチン氏の演説を

「イルミナティのお抱え政治家、腐敗した主要メディア、プロパガンダ、や

イルミナティの国際的な恐ろしい活動ネットワークを終わらせるために

彼らを法の下で告発し、世界平和を達成するために協力して働いている
主導者の一人」と紹介しているのが、

マシューのメッセージ。

一番気になるのは、トランプさんはどこまで、知ってやっているのか、

取り込まれたのか、(バラク・オバマ氏は知っていて従わざるえなかった)

ネタニヤフはイルミナティだとトランプは認識してるのか。

さっぱり判らんです。

  

http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/605.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK270] オリンピックは中止か延期・・安倍政権に背負わせて・・  赤かぶ
38. 2020年3月23日 12:38:35 : 47rB6OamMs : TFFtV2lUQWxDcUU=[11]
オリンピックのことに耳目を集め、疾病持ち高齢者一掃のため
粛々と『後手後手』対応。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/713.html#c38

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