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2021年10月06日時分 〜
コメント [政治・選挙・NHK283] ワクチン大臣・堀内詔子は “天皇陛下のお妃候補” …最後に食べたいのは「ペヤング」のスーパーお嬢(FLASH) 赤かぶ
22. 2021年10月06日 00:14:18 : 4zDte97wQA : WnY5MXJWb3FqNDI=[14]
雅子皇后は問題の多い人物ではあったらしいが、コイツに比べればまだマシに見えるよ
日本の上級国民にはロクなのがいないな・・・
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/470.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK283] 岸田新総理の誕生のウラで…怪物・二階俊博が仕込む「次なる一手」 山梨県vs.富士急行、訴訟のゆくえ(週刊現代) 赤かぶ
38. 地下爺[17521] km6Jupbq 2021年10月06日 00:15:54 : k3zXh6OQQU : R1Jic2NNN3pnYkE=[1597]

  あなたの 主張を聞いていると 明治以降の 長州田布施思考にかぶれた

  日本人て ことに なりますが 長州田布施の人て 今のアナタのように

  向こうの 人が 多い地域て ことになりますよね。


  私の 友人で 向こうの人を 意識させられたのは 若い頃のスナック通い

  してたころに 知り合った 家具屋のお兄ちゃんでした。 お母さんが日本人

  で 父親が韓国人 だったかな 川崎の暴走族のリーダーだったみたいで

  更生して 真面目に働いていました。 腰を悪くして 仕事をやめてしまい

  広域暴力団 に 入ってしましました。 たぶん あなたのような 思想が

  彼を そうさせて しまったのだと思います。

  人間 誰でも日本人なら どこの国の人でも 受け入れられるはずです。

  江戸時代に なりますが 和歌山にスペインの船が流れ着いた

  ことが ありました。 その時に 目の色も 顔を 髪の毛の色も 違う

  外人さんを 受け入れ 娘を嫁にやり。いっしょに 別け隔てなく 暮らしたのが

  日本人ですよ。 私は その子孫のエンジニアの方に名刺を渡され、目が点に

  なったことが あります。まるで千葉の暴走族のような 当て字で

  西洋風な 名字が書かれていました。


  人を 差別・区別するより だれでも 受け入れられる方が素敵だと思いませんか?!


  



http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/465.html#c38

コメント [政治・選挙・NHK283] 毎日新聞の世論調査でご祝儀は絶望。野党の政権奪取は現実味を帯び出来た。勝てる!!(かっちの言い分) 一平民
21. 乳良〜くTIMES[50] k_uXxyYjMTIzMTY7gq1USU1FUw 2021年10月06日 00:19:27 : GbZd0jDEyI : V1J2cmZIcDBTNGc=[1]
若者に棄民党支持者が多いと良く聞きますが?

こういうのを、肉屋を支持する豚🐷というそうです。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/467.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK283] 毎日新聞の世論調査でご祝儀は絶望。野党の政権奪取は現実味を帯び出来た。勝てる!!(かっちの言い分) 一平民
22. 2021年10月06日 00:27:00 : NHU7ZHU0OI : dTNWa09lV0FlZWM=[97]
ここで読売の世論調査書くのは場違いかとも思いましたが、ついついこれは声をあげなければとコメントすることにしました。
90%以上の国民が反対している眞子様と圭の結婚、読売の世論調査では良かったと思うが53%思わないが33%だった、と報道しています。さすが読売新聞と感心しました。記事ではどんな調査をしたのか、何人にしたのか全く書いてないので根拠は不明です。でもただただ数字は明確に踊っています。いわゆるフェイクニュースなのか、新聞社が噓つきになったのか、総理大臣が嘘つきの国ですから新聞社も嘘を書くのは許可済みなのでしょう。迷惑するのは国民です、何しろ一千万部発行している大新聞社で一千万以上の読者のみなさんがなるほどとお読みになっているのです。
読売やってくれたねとこの記事前川さんの中傷記事に次ぐ第2弾の大スクープ記事、いわゆる官製記事なのだと驚きました。瓦版だよ、というか、ゴロツキというか、ポドム、スパイというか、わざわざお金を払って毒を買って食べてるかわいそうな国民だと思うと悲しくなります。
それだからこそ国民はどんな目に会っても自民党を信じて自民党を疑うことはなく自民党を信頼しているのでしょう。選挙は近い、洗脳された国民はまたロボットのごとく自民党と投票用紙に記入します。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/467.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
14. 2021年10月06日 00:30:52 : Tw6Snqb6ro : WkZodDFoYnFvb28=[2]
アソウは「衆院議員任期切れの違憲状態をなるべく短くしたのだろう」と理解を示したが、何を言ってるのかと思う。だったら総裁選投票日を前倒しして、新首相指名の臨時国会を9月下旬に開いていればもっと時間の余裕を持って解散→総選挙投票日を設定できて、自治体も混乱せずに済んだ。あの馬鹿騒ぎの総裁選興行を延々とやり続けたから時間の余裕がなくなったのだ。自民党の党利党略ではないか。自分達の都合で全国の自治体が振り回されて迷惑だ。いい加減にしてくれ。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK283] 野党統一候補の脅威に自民議員は戦々恐々。新任大臣でも落ちる可能性大(かっちの言い分)。 一平民
16. 2021年10月06日 00:36:54 : Tw6Snqb6ro : WkZodDFoYnFvb28=[3]
現職大臣の落選という事で言えば広島の斉藤さんも危ないね。ライアンさんに頑張って欲しい。今年の参院補選でも野党が勝ったから充分行ける。

あとは切り札の山本太郎氏がどこに出るのか。東京は浮動票が多いから萩生田氏の所に出れば落とせるのでは? もしガースーが首相のままだったら神奈川のガースーの所に出れば前代未聞の現職首相の落選が見れる所だったが。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/454.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK283] 岸田新総理の誕生のウラで…怪物・二階俊博が仕込む「次なる一手」 山梨県vs.富士急行、訴訟のゆくえ(週刊現代) 赤かぶ
39. 地下爺[17522] km6Jupbq 2021年10月06日 00:39:46 : k3zXh6OQQU : R1Jic2NNN3pnYkE=[1598]

>それて もろ あちら側の 思想てことでは ??


 理解できない人がいるといけないので 田布施部落には

 安倍晋三ぼっちゃまのように 朝鮮半島から 叩き出されて方もいらしゃいますし

 いろんな 事情で 海を渡って こられた方も いらしゃいます。

 あちら側 としているのは 晋三ぼっちゃま のような家系で 日本を支配しよう

 としている いちぐん のことを さします。



http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/465.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK283] 『ニュース女子』沖縄基地反対運動へのデマでDHCテレビに敗訴判決!訴えた辛淑玉が改めて語る「犬笛によるヘイト」と判決(リテ… 赤かぶ
41. 2021年10月06日 00:46:55 : EkLZD15jVs : TW11R2FxYmtrdUE=[480]
知ってた速報

9条教や沖縄独立派は中国の手先とフランスが曝露

2021/10/05(火) 21:28:28.34ID:seExlfzp

仏軍事研究所が「中国の影響力」報告書 沖縄を標的と指摘

【パリ=三井美奈】

フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)はこのほど、世界で影響力拡大を狙う中国の戦略について報告書を発表した。
中国が潜在的な敵の弱体化を狙い、沖縄と仏領ニューカレドニアで独立派運動をあおっていると指摘した。

IRSEMは仏国防省傘下の研究機関。報告書は「中国の影響力作戦」と題して、9月に発表された。
約650ページあり、在外華人を使った共産党の宣伝工作、国際機関への浸透、インターネットの情報操作などの事例を分析している。

沖縄への関与は、中国にとって「日本や在日米軍を妨害する」意味を持つと指摘。
沖縄住民には日本政府への複雑な気持ちが残り、米軍基地への反発も強いため、中国にとって利用しやすい環境にあるとした。
中国が独立派を招いて学術交流を促したり、中国人が米軍基地近辺で不動産投資を進めたりなどの動きがあると列記した。

中国は独立派と同様に、憲法9条改正への反対運動、米軍基地への抗議運動を支援しており、その背景には日本の防衛力拡大を阻止しようという狙いがあるとも指摘した。

同報告書は一方、日本がアジアのほかの民主主義国に比べて中国の影響を抑えていると評価した。
島国で外部の関与を受けにくいことに加え、

▽尖閣諸島をめぐる緊張で、国民に中国に否定的な見方が広がっている
▽政治が安定している
▽メディア業界は寡占が定着し、介入が難しい−

ことなどを理由に挙げた。

h ttps://www.sankei.com/article/20211005-NUUIDJNRFBNITCGK6V4WJGAFHY/

h ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1633436908/
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/159.html#c41

コメント [カルト34] ゴミ売り・自民48立憲13。電通ムサシCFRは今回も不正選挙をする気満々のようである。 ポスト米英時代
1. 2021年10月06日 00:48:33 : NCHL4FEwKE : QUZpRHJVaTZxSEk=[44]
ゴミ売りの盛り芸には毎度ムカつきますが、しかし枝豆や安曇が毎日毎日どんどん票を減らしているのを感じている人も多いのではないでしょうか。
本当はこいつら枝豆安曇をとっかえないといけないのは、みんなわかっているはずです。
しかしこいつらCFR木馬を引きずり下ろすエネルギーがなかなか出てきません。
そうして選挙の結果、野党共闘のおかげもあり、いくばくか自公の票を減らせたとしましょう。
それがまたCFR木馬の手柄となってしまうのであります。
だめだこりゃのサイクルです。
悲劇、そして喜劇であります。
http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/170.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK283] 傀儡政権じゃなかったの? 安倍前首相が「岸田新体制」にブンむくれのワケ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
60. 前河[6793] kU@JzQ 2021年10月06日 00:56:02 : 5GTGkSH6nM : TnFKMk5ON0xWRlU=[1]

アラジンさん、

書きたいコメが沢山あって遅れました。すみません。

>心からお詫びします。すみませんでした。

はい、わかりました。誤解をされてるのはわかっていましたが、なぜ誤解されたのか?という事で確認してみました。

>別スレでの
>これが意図的なら酷い話だ。しかし、穿った見方をすれば、経世会の方が単純に
>金に汚い議員が多いということではないんでしょうかね?素人なもんで。
>(小沢さんや田中角栄は意図的なのは素人でもわかりますが)

>というレスに非常にムカつきまして。「こいつ、味方のふりをした工作員だ」と思い込み、今回のレスも、そういう先入観で読んでしまいました。

逆方向に解釈したんですね。

あまり私のコメを読んだ事がないのでしょうかね?私はかなりえぐい事を書くので(笑)、「味方のふり」と思う反政権の方々は基本いないと思います。

もう一度同じのを載せますね。よく見て下さい。自民清和会を批判したいがための言及なんですよ。

コピペに書き加えてアレンジした。↓

>(清和会)岸信介 安泰(A級戦犯なのになぜか死刑を逃れた不思議、元祖CIAエージェント)

>(清和会)安倍ちゃん 安泰 (桜の会前夜祭の公職選挙法違反。河井夫妻に1億5000万円の税金の不正使用なのになぜかスルーの不思議。国会で嘘を付きまくったのに倫理違反で議員辞職しない不思議)

>というように、「◯◯なのに、逮捕されない不思議」と以下の人達も表現して欲しい所。

と書いてます。

あのコピペは大変興味深いのですが、私は猜疑心が強い人間なので、味方側であろうが敵であろうが、データや噂を鵜呑みにはしません。事の信憑性をいつも確かめます。

あのコピペには清和会側の安泰である理不尽さが書かれていません。

つまり「清和会を批判するためには、逮捕されない理不尽さを書かないと説得力がない」という点に不満を抱いた訳です。

だからこそ
>◯◯なのに、逮捕されない不思議」と以下の人達も表現して欲しい所。

と書いたんですよ。

例を挙げて↓

>桜の会前夜祭の公職選挙法違反。河井夫妻に1億5000万円の税金の不正使用なのになぜかスルーの不思議。

みたいに名前が挙がった全員に書いて欲しいと。

そうしたら、清和会批判としては強力でしょ?

あなたのいう米支配が本当なら、あなたが、米味方側と言われる清和会側の不正はできる限り書いた方が良いのではないか?という意味でした。

だから、反論ではなく、もっと行け行けー! ってコメだったんですよ。

>面白いなこれ。いや面白がっている場合ではないか。これが意図的なら酷い話だ。

↑これも支持してる表現でしょ。

>しかし、穿った見方をすれば、経世会の方が単純に金に汚い議員が多いということではないんでしょうかね?

これもコピペに落ち度がないか?のシビアな確認ですね。もし経世会側だけが金に汚い議員がたまたま多いとしたら、このコピペの価値はなくなる訳です。

しかし、経世会側も同じような事をしているのに逮捕がなければ、このコピペは大きな武器となる訳です。

私もこれをあちこちに貼りたいのですが、信憑性がなければ貼れません。そういう事ですね。

>私にとってはどんな手の込んだ人事をしようと自民党は売国政党で有って、その裏側すら読む必要が無い政党です。だから 前河さんお二方のレスは「岸田内閣はちょっとはマシ」という風に読んでしまいました。先入観とは怖いものです。

私は自民は全面的にダメ党とは思いつつも、やはり、政治家を個人としてみます。人柄や人間性など。性格の悪い奴はやはり良い政策はできない。という見方をします。山本さんは優しい人柄でしょ?

それは、自民議員でも離党して野党に入ったり(中村さんみたいに)、新党作ったりするじゃないですか。

その時に、信用できるか?トロイの木馬か?などを判断する材料になるからです。

で、結局、私が言いたいのは、あなたは強烈な自民政権批判をされる方なので、できれば政治版でガンガン自民公明を批判して欲しいのです。

自民公明はあなたが言われるように日本を不幸にしている。だから、与党はガンガン批判すべきなんです。

阿修羅にはかつて、知る大切ささんと日高見さんという自民批判の二枚看板の方がおられましたが、今は書かれていません。この二人は根っからの反自民で、私的には説得力のある強力な論客のように感じていました。

日高見さんは政局話題に強く、知る大切ささんは、民主主義の基盤や人権の話に強い。(二人の履歴をお勧めします。かなり強力です)二人は同一人物か?と疑った事もありましたが(このパターンが多い)、違うでしょう。

アラジンさんが現れた時は、日高見さん級に自民批判が強力だと思っていたら、なんとカルト版とかに書いてるじゃないですか?

個人の自由なのに、勝手に期待して勝手に言って大変申し訳ないですが、政治版に書いて欲しいという希望だけお伝えしときます。



http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/421.html#c60

コメント [医療崩壊7] 和歌山・小6女子 ワクチン接種4日後に死亡 学校は「不慮の事故」と隠ぺい マスコミは全く報道せず  魑魅魍魎男
48. 2021年10月06日 01:06:44 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[379]
早速、ツイッターがnaotamさんのアカウントを削除した。
スクショが出回っているので無駄だね。

https://twitter.com/ttnaokott/status/1443200011357986816
(naotam)

いくら検閲して情報統制しようと、真実は隠せない。
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/475.html#c48

コメント [医療崩壊7] 中国の超管理社会  まもなく社会信用システムが導入され、全国民は常時監視される奴隷となる  魑魅魍魎男
5. 2021年10月06日 01:15:29 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[380]
>>3
>たぶんスマホで可能。

スマホなら使わないこともできるし、他人のものを借りることも可能。
マイクロチップ埋め込みでは、そういう選択が一切できないことが問題なのだ。
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/476.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK283] 傀儡政権じゃなかったの? 安倍前首相が「岸田新体制」にブンむくれのワケ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
61. 前河[6794] kU@JzQ 2021年10月06日 01:22:02 : 5GTGkSH6nM : TnFKMk5ON0xWRlU=[2]
すみません。間違えました。

経世会側も同じような事をしているのに逮捕がなければ、このコピペは大きな武器となる訳です。❌

清和会側も同じような事をしているのに逮捕がなければ、このコピペは大きな武器となる訳です。⭕️



http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/421.html#c61

コメント [カルト34] ゲン・ファーストには玉木、上田、鳩山も合流。いっそ石破やデマ太郎も加わるべきである。 ポスト米英時代
3. 2021年10月06日 01:24:24 : 1iBEzMqYYk : Qm5rRWZ6VUVCelE=[49]
つうか、ファーストの会とかイミフw
いったい小池ウリ子にとって何がファーストなんだろうか
まあ、「ニセユダヤファーストなんていえません」ってことでしょうかね、でんでんわかりますよw

まああれだ、トソキソの無党派層の票が、野党連合と小池BBAのファシストの会で食い合って、結局は自民が勝ちますた と
こういう、いつも通りの臭いシナリオなんだろ?
それを喧伝する役割がダマスゴミちゃんだろ?
たく、キモいねえ上級連中は

おしまい

http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/162.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
86. 前河[6795] kU@JzQ 2021年10月06日 01:42:48 : 5GTGkSH6nM : TnFKMk5ON0xWRlU=[3]
↑うるせいなお前。恨んでんの?根に持つタイプか?

>まるで、アラシのようなコメントを投げつけるコメンターだった。

何か日高見さんを変わった方 みたいな言い方をしているが、キミはよく多くの方々にアラシと言われていた。

[-13613] 大体、マイナス一万ってなんだ?

これは、問題ありコメと管理人さんか、スレ主の倫理観に触った証拠。

言葉使いのみならず、誠実さや倫理観がコメの価値を決める。

内容が立派ならベランメイ調でもいいんだよ。逆に丁寧語でも、安倍的人でなし倫理観はアウトだ。

キミはどこに向かってる?


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c86

コメント [経世済民135] 国土強靱化による国民の貧困 一言主
11. 2021年10月06日 01:43:52 : ZtQYVtdZCo : WDVXVVFXSE5BZy4=[1]
>>9-10
女より女々しいロクに働きもせず税金も納めない糞の役にも多々ない
お前のような穀潰し老害ヴォケウヨはこの手で長野の姨捨山に
葬ってやろうか?幼い少女にちょっかいをだして警察に
御用になるやつもいるしな。(呆)
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/506.html#c11
コメント [医療崩壊7] 和歌山・小6女子 ワクチン接種4日後に死亡 学校は「不慮の事故」と隠ぺい マスコミは全く報道せず  魑魅魍魎男
49. 2021年10月06日 01:45:08 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[381]
ますます怪しい水道管崩落。
なんで耐震化工事をしたのに、地震が起きたわけでもないのに、
崩落するのか?

川にかかる「水管橋」崩落、6万世帯が断水…市長「震度7でも耐えられるようにしていた」
(読売新聞 2021/10/4)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20211004-OYT1T50082/

尾花正啓市長は4日午前10時から記者会見を開き、橋は2015年度に耐震化工事を実施していたことを明らかにし、「震度7の地震でも耐えられるようにしていた。老朽化が原因とは考えにくい」と説明。近くの別の橋に応急用の水道管を設置する工事を行うことを検討しており、「4日中に復旧のめどを立てたい」との方針も示した。

http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/475.html#c49

コメント [医療崩壊7] 和歌山・小6女子 ワクチン接種4日後に死亡 学校は「不慮の事故」と隠ぺい マスコミは全く報道せず  魑魅魍魎男
50. 2021年10月06日 01:47:18 : 1iBEzMqYYk : Qm5rRWZ6VUVCelE=[50]
国は補償など絶対にしない
ファイザーとはそういう契約しているのだからね
それ以前に「(接種と死亡の)因果関係は認められない」という決まり文句、言い換えれば絶対に超えられない壁があるのだ
そんなことも知らず、想像もできない、その子の親がバカなのだ
「みんなが打ってるから」「何かあれば国が補償してくれるから」
なんて甘い気持ちから、可愛い我が子にロシアンルーレットをさせ、結果こうなるのだ

以上
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/475.html#c50

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
87. 2021年10月06日 01:54:53 : ZtQYVtdZCo : WDVXVVFXSE5BZy4=[2]
>>48
その言葉はお前の頭目安倍晋三にこそ相応しいな!!(皮肉を込めてだ)
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c87
コメント [政治・選挙・NHK283] 毎日新聞の世論調査でご祝儀は絶望。野党の政権奪取は現実味を帯び出来た。勝てる!!(かっちの言い分) 一平民
23. 2021年10月06日 01:56:57 : 1iBEzMqYYk : Qm5rRWZ6VUVCelE=[51]
安心するのはまだ早い
小池BBAの新党が民民と組み、野党連合に流れるはずの無党派層の票を割りに来るぞ
そういうシナリオがあるっぽいがどうよ?ダマスゴミちゃんwww


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/467.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
88. 2021年10月06日 01:57:43 : ZtQYVtdZCo : WDVXVVFXSE5BZy4=[3]
晋協賛主義クラゲ=糞長州田布施土人エッター
老害ヴォケウヨ=木卯正一=卯正日。

http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c88
コメント [政治・選挙・NHK283] 解散は69条 内閣不信任案の可決のみ。7条解散は違憲!民主主義の根幹を侵害する政党にNO! 天笑
3. 生一本[51] kLaI6pZ7 2021年10月06日 02:00:49 : xIEoFiKzmk : SDZ3YTMvbkVoTmc=[1]
 総理が自分の都合のいいタイミングで解散できるとは、そもそも民主主義に反する。横綱が張り手でもなんでもかまして勝てばいいというのと同じ。民主主義なら総理に解散権があるのは不信任決議を受けたときだけのはず。

 こんな卑怯な解釈がまかりとおったのは、憲法学者の意気地なさ、忖度に大いに責任がある。

 自分では何も考えずに「解散は総理の専権事項」としたり顔で言う政治家等には反吐が出る。
 
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/460.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK283] 毎日新聞の世論調査でご祝儀は絶望。野党の政権奪取は現実味を帯び出来た。勝てる!!(かっちの言い分) 一平民
24. 2021年10月06日 02:05:16 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[3757]
>>23
埼玉県前知事の上田清司が新党計画を立てていて、あちこちに声を掛けているという。その中に小池百合子もいるようだ。

名古屋の河村たかしとは減税で一致する民主党時代からの盟友であり、河村も市長を辞任次第上田新党に合流する可能性があるという。

上田氏は、現在の大野知事の県知事選のときは支援に尽力してくれて評価できる政治家だとは思うが、民主党時代はタカ派新自由主義者でありおかしな国政政党を立ち上げるようなことはしないでほしい。

http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/467.html#c24

コメント [政治・選挙・NHK283] ワクチン大臣・堀内詔子は “天皇陛下のお妃候補” …最後に食べたいのは「ペヤング」のスーパーお嬢(FLASH) 赤かぶ
23. 2021年10月06日 02:06:58 : QbIZZUlm2k : aE81WHFNakRmUnM=[1]
こらあかんわ
筋が悪い 統一教会 過労死踊りとか
統一候補で 落しましょう
県から訴訟起こされて
本業に火がつく
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/470.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK283] 「岸田政権は安倍の傀儡」ごまかすため田崎史郎ら御用が流す「安倍さんは人事に不満」説は嘘! 実は甘利幹事長も松野官房長官も… 赤かぶ
61. 2021年10月06日 02:08:20 : ZtQYVtdZCo : WDVXVVFXSE5BZy4=[4]
>>60
そんなにアメリカ好きなら
自分から率先して安倍晋三と二人で
グリーンベレーに入ればぁ〜?(クレヨンしんちゃん風に、笑)
横須賀や横田が嘉手納がアンタを待っているぞ!!(皮肉を込めて)
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/444.html#c61
コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
15. 2021年10月06日 02:10:17 : Xl51SCg00A : aDY4ei93azFpWEk=[106]
ボロが出る前に、→もうボロは出ております。賄賂甘利幹事長に疑惑の総本山、安倍晋三のコントロール。これだけでクソ内閣です。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c15
コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
7. 2021年10月06日 02:15:00 : Xl51SCg00A : aDY4ei93azFpWEk=[107]
>>4

キミも事実を素直に認めた方がいいよ。ヘイトは低脳の証明。
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK283] <低っ!発足直後では麻生内閣45%に次ぐ低さ>岸田内閣の支持率49% 甘利氏起用「評価せず」54% 本紙世論調査(毎日新聞) 赤かぶ
27. 2021年10月06日 02:20:36 : Xl51SCg00A : aDY4ei93azFpWEk=[108]
これだけ大騒ぎしてこの数字か。読売、産経、日テレ、フジテレビ、橋下徹、腐れワイドショーに吉本芸人が必死で持ち上げてこの程度か。

事実がバレれば一気に瓦解しそうだな。ワイドショーを信じる層はオレオレ詐欺に騙される層と頭の程度は似たようなものだし。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/468.html#c27

コメント [医療崩壊7] 和歌山・小6女子 ワクチン接種4日後に死亡 学校は「不慮の事故」と隠ぺい マスコミは全く報道せず  魑魅魍魎男
51. 2021年10月06日 02:26:00 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[382]
https://twitter.com/iroiro93468507/status/1444667079945162752
(iroiro)
高岡蒼甫さんのInstagramより

六十谷の水道管の
橋が落ちる
大規模な断水です。

これにより
紀の川市立西貴志小学校
の生徒がワクチン接種後に
亡くなられたという
ニュースが消える。

このタイミングで。
騒ぎ立てられたく無い事には
他のでかいニュースが必要
注意を逸らすやり方は
昔から変わらず。

それにしても
市民を巻き込むことに
なんの抵抗もなく
事故と見せかける事はお手の物

人間の血が流れているとは
到底思えません。

どんな事をしても
事実は消える事はありません。

7:14 AM Oct 3, 2021
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/475.html#c51

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
16. しんのすけ99[1515] grWC8YLMgreCr4JYglg 2021年10月06日 02:30:09 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[2412]
良かった良かった これ 完全に逆効果だぞ 現代の真珠湾攻撃みたいなもんだ


騙し打ちのような電光石火の早期解散なんて 逆に反発を招く事が判らんのでは自民党は馬鹿ばっかり
絶対に負けるぞ自民は こりゃ確定だ 万々歳だ。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
1. 赤かぶ[151404] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:31:53 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50163]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK283] 母子家庭の超格差<本澤二郎の「日本の風景」(4225)<地獄へと転がり込んでいる日本の母子家庭=養育義務放棄の卑怯者> 赤かぶ
11. 2021年10月06日 02:33:00 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[3758]
母子家庭は、今度総裁選に出た高市のような家族制度論者にはひどく叩かれます。

「女が夫に対して我慢せずすぐ離婚するから家庭が崩壊するのだ」

昭和世代の保守的な老人を中心にこんな冷淡な議論が投げつけられます。まずそこから変えていくべきです。
家族観を変えるべきです。いろんな家族があっていい。母子家庭への手厚い福祉はもちろん、夫婦別姓や同性婚が当たり前になるような社会をつくらなければなりません。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/463.html#c11

コメント [医療崩壊7] 中国の超管理社会  まもなく社会信用システムが導入され、全国民は常時監視される奴隷となる  魑魅魍魎男
6. 2021年10月06日 02:35:07 : ZtQYVtdZCo : WDVXVVFXSE5BZy4=[5]
鬼畜似非ユダヤダメリカの極右どもがCIA
や日本の自民党清和会のような右翼暴力団と
結託しアメリカや自民党に都合の悪いことを
言わせないように日本国民を監視していることには
見てみぬ振りをしているまさに存在そのものが
奇怪な?スレ主魑魅魍魎男(笑)
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/476.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
2. 赤かぶ[151405] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:35:58 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50164]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
3. 赤かぶ[151406] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:36:49 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50165]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
4. 赤かぶ[151407] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:37:57 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50166]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
5. 赤かぶ[151408] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:40:04 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50167]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
6. 赤かぶ[151409] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:40:56 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50168]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c6
コメント [原発・フッ素53] 北海道に避難された方からのメール 「福島に残った人がどんどん亡くなっている」  魑魅魍魎男
23. 2021年10月06日 02:42:24 : zUK0LSZ5kb : V2VjTEZKc0VVUVk=[54]
>>18

…たま?
コロナ板に居ないから発病したのかと思って心配してたんだよ
今回は放射性物質+コロナ+ワクチン+新薬で本当に大変だけとお互い生き延びましょう♬
(人違いだったら m(_ _)m)
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/681.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
7. 赤かぶ[151410] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:44:03 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50169]

朝日新聞世論調査―質問と回答〈10月4、5日実施〉
https://digital.asahi.com/articles/ASPB57D2BPB4UZPS001.html
2021年10月5日 22時30分 朝日新聞

(数字は%。小数点以下は四捨五入。◆は全員への質問。◇は枝分かれ質問で該当する回答者の中での比率。〈 〉内の数字は全体に対する比率。丸カッコ内の数字は、9月11、12日の調査結果)

◆今度できた岸田文雄内閣についてうかがいます。あなたは、岸田内閣を支持しますか。支持しませんか。

 支持する 45

 支持しない 20

 その他・答えない 35

◇(「支持する」と答えた人に)それはどうしてですか。(択一)

 首相が岸田さん 13〈6〉

 自民党中心の内閣 21〈10〉

 政策の面 18〈8〉

 他よりよさそう 45〈20〉

 その他・答えない 3〈1〉

◇(「支持しない」と答えた人に)それはどうしてですか。(択一)

 首相が岸田さん 10〈2〉

 自民党中心の内閣 52〈10〉

 政策の面 14〈3〉

 他のほうがよさそう 16〈3〉

 その他・答えない 8〈2〉

◆あなたは今、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。

 自民党 37(37)

 立憲民主党 5(5)

 公明党 3(3)

 共産党 3(3)

 日本維新の会 2(1)

 国民民主党 0(0)

 社民党 0(0)

 NHK党 0(0)

 希望の党 0(0)

 れいわ新選組 0(0)

 その他の政党 0(0)

 支持する政党はない 40(43)

 答えない・分からない 10(8)

◆仮に今、衆議院選挙の投票をするとしたら、あなたは、比例区ではどの政党に投票したいと思いますか。(択一)

 自民党 41(43)

 立憲民主党 13(11)

 公明党 5(6)

 共産党 4(6)

 日本維新の会 6(6)

 国民民主党 2(2)

 社民党 1(1)

 NHK党 1(0)

 希望の党 0(0)

 れいわ新選組 1(1)

 その他の政党 2(2)

 答えない・分からない 24(22)

◆あなたは、岸田首相は、安倍政権や菅政権の路線を引き継ぐ方がよいと思いますか。引き継がない方がよいと思いますか。

 引き継ぐ方がよい 23

 引き継がない方がよい 55

 その他・答えない 22

◆あなたは、新型コロナウイルスを巡る岸田首相の取り組みに期待できますか。期待できませんか。

 期待できる 47

 期待できない 27

 その他・答えない 26

◆あなたは、岸田首相の経済政策に期待できますか。期待できませんか。

 期待できる 42

 期待できない 28

 その他・答えない 30

◆岸田首相は「生まれ変わった自民党を国民に示さなければならない」と発言しました。あなたは、新しい内閣や自民党役員の顔ぶれを見て、「生まれ変わった自民党」を実現できると思いますか。実現できないと思いますか。

 実現できる 24

 実現できない 54

 その他・答えない 22

◆あなたは今度の衆院選で、自民党と公明党の与党が、議席を増やした方がよいと思いますか。野党が議席を増やした方がよいと思いますか。それとも、与党と野党の議席は、今とあまり変わらないままがよいと思いますか。 

 与党が増やした方がよい 17(19)

 野党が増やした方がよい 33(36)

 今とあまり変わらないままがよい 32(36)

 その他・答えない 18(9)

◆あなたは、新型コロナウイルスの感染が再び拡大することをどの程度心配していますか。(択一)

 大いに心配している 37

 ある程度心配している 47

 あまり心配していない 12

 まったく心配していない 3

 その他・答えない 1

     ◇

 〈調査方法〉コンピューターで無作為に電話番号を作成し、固定電話と携帯電話に調査員が電話をかけるRDD方式で、4日夕から5日夜にかけて全国の有権者を対象に調査した。固定は有権者がいると判明した684世帯から375人(回答率55%)、携帯は有権者につながった1330件のうち597人(同45%)、計972人の有効回答を得た。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
8. 赤かぶ[151411] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:46:01 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50170]

岸田内閣の支持率56%、菅内閣末期の31%からは回復…読売調査
https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20211005-OYT1T50240/
2021/10/05 22:00 読売オンライン


記者会見に臨む岸田首相

 読売新聞社が4〜5日、岸田内閣の発足を受けて実施した緊急全国世論調査で、岸田内閣の支持率は56%となった。菅内閣末期の前回(9月4〜5日調査)の31%を大きく上回ったが、菅内閣発足時の74%には及ばなかった。不支持率は27%だった。

 岸田首相は、内閣や自民党役員人事で、ベテラン、中堅、若手の「老壮青」のバランスを重視した。これを「評価する」との回答は64%に上り「評価しない」は24%だった。

 一方で、党幹事長に甘利明氏が起用されたことについては「評価する」が30%にとどまり、「評価しない」は48%。自民支持層でも「評価する」は41%と半数を下回った。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
9. 赤かぶ[151412] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:52:24 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50171]

衆院選の比例投票先、自民上昇48%・立民横ばい13%…読売調査
https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20211005-OYT1T50241/
2021/10/05 22:00 読売新聞オンライン


岸田文雄・自民党総裁(中央)と記念撮影に納まる新役員

 目前に迫った次期衆院選の比例投票先は、自民党が堅調に推移している。読売新聞社が4〜5日に実施した緊急全国世論調査で、次期衆院選の比例投票先を聞くと、自民党が48%で前回(9月4〜5日調査)から6ポイント上昇した。一方、その他の政党は立憲民主党が13%(前回11%)など大きな変化がなかった。以下、

 公明党5%

 共産党3%

 日本維新の会5%

 国民民主党1%

 社民党0%

 NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で0%

 れいわ新選組1%

 その他の政党1%

で、「決めていない」は18%だった。

 政党支持率も自民党が43%で前回の36%から7ポイント上がった。以下、立憲民主党7%(前回7%)、公明党3%(同3%)、共産党3%(同3%)などで、無党派層は36%(同43%)だった。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK283] 岸田政権の寿命は「最短9カ月」来夏参院選前に“降ろし”起きる恐れ…かつての森喜朗政権を彷彿(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. 2021年10月06日 02:53:06 : xqhqBPaj7k : ZFp2YWEyallNWUE=[1]
最短は解散までだよねえ
2週間で終わりじゃ
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/469.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
10. 赤かぶ[151413] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:54:06 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50172]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
11. 赤かぶ[151414] kNSCqYLU 2021年10月06日 02:54:59 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50173]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK283] 毎日新聞の世論調査でご祝儀は絶望。野党の政権奪取は現実味を帯び出来た。勝てる!!(かっちの言い分) 一平民
25. 2021年10月06日 02:57:40 : QbIZZUlm2k : aE81WHFNakRmUnM=[2]
10日で野党に 落せばよい
3次安部内閣に変質した
最初は吼えてたら 玉抜かれてしまった
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/467.html#c25
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
12. 赤かぶ[151415] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:00:42 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50174]

岸田内閣支持率、55% 「安倍・菅路線転換を」69%
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135072
2021年10月5日 20時50分 (共同通信) 東京新聞


初閣議後、記念撮影に臨む岸田文雄首相(前列中央)と閣僚ら

 共同通信社が岸田内閣の発足を受けて4、5両日実施した全国緊急電話世論調査で、内閣支持率は55・7%となった。不支持率は23・7%だった。岸田文雄首相が安倍晋三元首相、菅義偉前首相の政権の路線を「転換するべきだ」との回答が69・7%を占めた。「継承するべきだ」は24・1%だった。岸田内閣が最優先で取り組むべき課題は、新型コロナウイルス対策と経済政策がともに27・9%で最多となった。

 調査手法が異なるが、昨年9月の菅内閣が66・4%。第2次安倍内閣が62・0%。菅内閣の9月上旬の最後の調査結果は30・1%だった。

 回答は固定電話535人、携帯電話552人。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
13. 赤かぶ[151416] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:03:20 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50175]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c13
コメント [原発・フッ素53] 帰還困難区域の復興拠点外内の自宅 線量測定で見えた課題(福島県) (テレビュー福島)  魑魅魍魎男
4. 2021年10月06日 03:04:37 : zUK0LSZ5kb : V2VjTEZKc0VVUVk=[55]
>政府は復興拠点外の帰還困難区域について、2029年までに避難指示を解除する方針を示しました。

【原発事故】
チェルノ⇨石棺 帰還困難区域を銃携帯で監視中
福島  ⇨板棺 帰還困難区域を開放

【コロナ】
中国 ⇨一人の感染者で町封鎖 全住民を検査し行動制限
日本 ⇨複数の感染者でもGOTOキャンペーン 好き勝手してね♪

日本の民主主義って本当に笑える\(^o^)/
(笑一笑) 
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/678.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
14. 赤かぶ[151417] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:05:21 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50176]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
15. 赤かぶ[151418] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:06:16 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50177]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
16. 赤かぶ[151419] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:07:30 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50178]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
17. 赤かぶ[151420] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:08:46 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50179]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c17
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
18. 赤かぶ[151421] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:09:26 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50180]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
19. 赤かぶ[151422] kNSCqYLU 2021年10月06日 03:11:01 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50181]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c19
コメント [経世済民135] みずほ銀行、解体論も浮上…4千億円で刷新したシステム、障害続出で制御不能(Business Journal) 赤かぶ
9. 2021年10月06日 03:21:22 : zUK0LSZ5kb : V2VjTEZKc0VVUVk=[56]
>4千億円で刷新したシステム、障害続出で制御不能

この国には本当の「プロ」が居ないのか
三星レストランのシェフの様なプロが?
恥ずかしいだろ… 給料だけもらう自称プロ様 (´・ω・`)

http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/542.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
89. 2021年10月06日 03:22:58 : Jc5WJMn07E : NVFGeGlJQVJhLnc=[42]
   ゲームでは無いがボスキャラが内閣府の奥に潜み、政権を確保しても内閣府が残っている限り米大統領官邸もどきの側近が新しい首脳陣を待ち受けている筈だ。彼らは元公僕ゆえに勤続は長く、一年先輩にも敬語で接するヒエラルキー社会である日本の場合は、東大出を主とする側近が訳知り顔で「ご説明」に伺う事態を漫然と受け止めてしまうから閣議でも逐一異論反論が出来る準備が必要だ。可能であれば内閣府の中身を洗い出しその功罪を国民に知らしめる必要がある。安倍菅時代の内閣府は森友加計事案が象徴するように民間事業者と自治体とを引き合わせ、自治体の公金や公有地を以て事業をさせる斡旋本拠地であった。彼ら自身内閣府ワーキンググループと称して国民が時の首相の宿舎として貸与している筈の官邸を営業事務所とし、首相の権威と権力を看板にして森友事案に顕著なように、公文書を偽造してまで荒業を繰り出していたのである。
   このボスキャラが潜む伏魔殿たる内閣府を次期政権が使うならば将棋では無いが先の先の一手まで考えておかねばならず、それには先ず自国の最高法規がボスキャラ攻撃の刃となろう。これを就任時に首脳が宣誓することにより側近も含めて内閣府ワーキンググループは資本家の為に非ず主権者国民納税者の福祉の向上のための尽力を義務付けられる。この刃を使うには他国同様、首相就任時の護憲の宣誓は不可欠だ。護憲の宣誓をすることにより内閣府に属する側近らも倣うことになり、ひいては内閣府が手足に使っている霞が関の真面目な行政官も倣うことになる。問題は司法だが、判事が概ね憲法判断を避けるのは司法研修所での法務省の意向が働いている。司法研修所では憲法も労働法も課題に乘せずに修習を終えるとのことだから、憲法と労働法を研修課題に乗せて学ばせる改革は必須だ。憲法を学ばない判事が自国の最高法規を無視するようでは政権交代しても現状のような無法主義が司法府によって継続することになる。
   いずれにしても内閣府は今や大統領官邸を模したが如くの伏魔殿化しており国民投票にも拠らない総理と総理が勝手に選んだ閣僚が閣議決定する独断で膨大な公金を流している。
   政治とは主権者国民が納めた税金や緩和マネーも含めた公金の使途の優先順位を国民目線で諮る立法作業であるところ、国民議会が真摯に国会決議を為し憲法との整合性を諮り内閣によって行政実務に反映すべく行政実務の結果の管理監督義務を果たすことで国民福祉の向上を実現させるのが議院内閣制だ。
   影の内閣というシステムが英国に有ったようだが、事前から内閣として何処をどう改革すべきか将棋の詰めの如くに頭を働かせる必要がある。政権を確保してからでは間に合わない程、日本は永年の自民財官護送船団による結果無責任な汚職造が根を張っているのである。
   
   
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c89
コメント [近代史5] 肉じゃがの作り方 中川隆
1. 中川隆[-16130] koaQ7Jey 2021年10月06日 03:29:04 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[1]
簡単!便利!じゃがいもの皮むき
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1251.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1152.html#c1
記事 [近代史5] 簡単!便利!じゃがいもの皮むき
簡単!便利!じゃがいもの皮むき
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1251.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1154.html
コメント [近代史4] 最高の塩むすびの握り方 中川隆
4. 中川隆[-16127] koaQ7Jey 2021年10月06日 04:06:11 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[4]
おにぎり型の使い方は、とっても簡単!
商品によって微妙に異なりますが、多くのおにぎり型は次のような手順で使います。

1. 全体をさっと水にくぐらせ、水気をきる。(※ご飯が型にくっつくのを防ぐため)

2. 型本体に適量のご飯を入れ、ふたをして全体をギュッと押す。(※ふたがないタイプは、しゃもじで上からギュッと押さえる)

3. ラップの上に取り出し、そのまま包む。
中に具を入れたいときは、2で半量ほどご飯を入れ、真ん中を軽くくぼませて具をのせ、その上から半量のご飯をのせて作りましょう。塩で味つけしたいときは、できあがったおにぎりに塩を振るか、あらかじめご飯に塩を適量混ぜておきましょう。
https://mamagirl.jp/0000195529
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1271.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK283] ワクチン大臣・堀内詔子は “天皇陛下のお妃候補” …最後に食べたいのは「ペヤング」のスーパーお嬢(FLASH) 赤かぶ
24. 2021年10月06日 04:06:32 : lipBcoX62w : ejEyeUllNlY0Z1k=[67]

過労死推進法案の時の逝っちゃってる目、
ただの「ヤバイ人」にしか見えません。

家柄なんてどうでもいい。

人材は、人柄で選びたい。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/470.html#c24

コメント [近代史5] 最高の塩むすびの握り方 中川隆
2. 中川隆[-16126] koaQ7Jey 2021年10月06日 04:07:12 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[5]
おにぎり型の使い方は、とっても簡単!
商品によって微妙に異なりますが、多くのおにぎり型は次のような手順で使います。

1. 全体をさっと水にくぐらせ、水気をきる。(※ご飯が型にくっつくのを防ぐため)

2. 型本体に適量のご飯を入れ、ふたをして全体をギュッと押す。(※ふたがないタイプは、しゃもじで上からギュッと押さえる)

3. ラップの上に取り出し、そのまま包む。

中に具を入れたいときは、2で半量ほどご飯を入れ、真ん中を軽くくぼませて具をのせ、その上から半量のご飯をのせて作りましょう。塩で味つけしたいときは、できあがったおにぎりに塩を振るか、あらかじめご飯に塩を適量混ぜておきましょう。
https://mamagirl.jp/0000195529
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1147.html#c2

コメント [近代史5] 最高の塩むすびの握り方 中川隆
3. 2021年10月06日 04:14:18 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[6]
朴 おにぎり抜型 ヤマコー業務用
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/8%EF%BC%8D0520%EF%BC%8D/?sid=272459
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1147.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
17. 2021年10月06日 04:23:04 : 9a4XYJrnDY : Q0QweC45UlAzb1E=[204]
新自由主義という強毒に感染した自民党は血栓だらけの体質。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c17
コメント [政治・選挙・NHK283] 米国ジャパンハンドラーの子飼い・河野氏を落選させた安倍氏は虎の尾を踏んだか:河井事件で逮捕される可能性が急浮上!(新ベ… 赤かぶ
75. 豊岳正彦[-6189] lkyKeJCzlUY 2021年10月06日 04:33:34 : NxpPYp6pjw : RVh0Qndjb3hMSzY=[29]
阿修羅にて令和三年神無月五日
blog.goo.ne.jp/hougakumasahiko6th/e/643c782cd456ca1acdaed578a9dcbcfa
阿修羅に書き込みました。
asyura2.com/21/senkyo283/msg/429.html#c70
米国ジャパンハンドラーの子飼い・河野氏を落選させた安倍氏は虎の尾を踏んだか:河井事件で逮捕される可能性が急浮上!(新ベ… 赤かぶ (asyura2.com)
#厚生労働省 #人口動態速報 #人口動態総覧
厚生労働省人口動態統計の情報はデマ・捏造なのでしょうか?日本の未来は大丈夫なのでしょうか?
17,623 回視聴2021/10/03
youtube.com/watch?v=7EPXSZOjUnI
サムケンちゃんねる3.0
チャンネル登録者数 1.16万人
元気な人が突然死亡したら変死だよ。
2021年厚労省の死因統計で増えたのは変死だろ。
変死はすべて刑事司法の捜査が行われなくてはならない。
だから警察の2021年変死統計を見て厚労省の死亡統計と比較して数が合うかどうか突き合わせてみればよいのである。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


【​地震大丈夫ですか? アメリカ一人旅 トランプラリーの旅】
新倉将之ライブ
youtube.com/watch?v=oTd1zhDjgLE

アメリカにはいちじく浣腸ないの?

​新倉さんさすがです、総理はすぐ動かないといけないよね

その通り目一杯やりすぎくらいでも実際には足りない

豊岳正彦
​医療は全然だめですよ嘘ばっかりだから


村山はひどかった

海岸の学校の自分の子供が心配で津波に向かって突っ込んでゆく親を見てNHKが海から離れてくださいとか抜かした東北大震災では頭にきた。くそNHK

​ヒラリーが何でも援助するといった割にはあとで莫大な請求してきたのにも頭にきた

福島原発の勝手なベントでNHKがSPEEDIE情報を隠してみんなに放射能被曝させたのも絶対許さん

​阪神の時俺は水戸にいたので行けなかったが募金50万送ったら市長が全部利殖して被災者には一円も届かなかったのにも頭にきた

だから東北の時は銀行から500万借りて所有の中古のアコードとオデッセイを車検して周南ホンダに頼んで東北のホンダから現地の被災者で車が流されて困っている個人にただであげてもらった。病院へ送りますかと聞かれたが病院はダメ個人に挙げてと主張して、陸前高田氏の2人様にあげてもらった。あとホンダのトラックで地元でかき集めた玄米150キロ一緒に被災地に送ってもらった。募金は役人が詐欺するとわかったからね。

救急以外の日本の医者は何の役にも立たん金食い虫だよ。救急ができない奴は医者じゃない。コロナが怖いなら医者など止めてしまえ。伝染病なら真っ先に医者が突っ込んでいって真っ先に四ね。医者の高収入はそのためにもらってるんであって、てめえのガキを裏口入学させるためじゃない。野口英世を見習え。

豊岳正彦
30 分前
お米を食べると食物繊維で大腸を刺激して便通がよくなりますよ。

豊岳正彦
0 秒前
お米のご飯とみそ汁が最強ですよw快食快便間違いなしw


【話題作】「イタリア人医師が発見したガンの新しい治療法」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】
youtube.com/watch?v=yM-BqoozhUI&lc=z22muvebsnqoujtxz04t1aokgnpk5jwun5tj22d40bhdbk0h00410.1633432089077983
豊岳正彦
7 時間前(編集済み)
@鍋奉行所 さま
私は豊葦原瑞穂の国に生まれた子孫としてお米が最も尊い食材だと思います。お釈迦様も一粒の米に百姓の百苦が詰まっている。一粒の米を粗末にするものは私の弟子ではない。とおっしゃいました。お米は戦後栄養学の炭水化物ではないのです。端的に申しますと一粒のお米には食物繊維がぎっしりと詰まっています。この食物繊維こそがお米を最も尊い食材にしていると思います。多細胞動物はすべて酸素を鼻から吸い込んで呼吸し食べ物を口から取り込んで肛門から排便して生きています。呼吸と食事が生命維持の要点です。食事に絞って考えると、食べ物には養分と毒分が含まれています。食物を食べると大まかに胃酸で分解して十二指腸液で中和して長い小腸で養分だけを吸収して毒分は残しますから、小腸が終わって大腸に入った時は食物残差が純粋な毒の溶液になって便と呼ばれるのです。これを漢方で結毒と呼びます。大腸の機能は水分吸収と蠕動運動ですから、純粋な毒液を水分吸収して形のある軟便に変化させて、固体化した便を大腸の蠕動でどんどん肛門へ向けて送り出すのです。この時にお米のありがたさが発揮されます。食物繊維は大腸の蠕動運動を刺激して最大に活性化するのです。お米に対して小麦はどうでしょうか。もちろん麦も穀物だから穀物のまま食べれば排便刺激作用はお米と同等でしょう。しかし粉にしたらどうでしょう。粉にすると食物繊維が失われ便秘の原因となるのです。便秘は最も体にとって毒作用が強い。なぜなら先に述べたとおり大腸に入った時点で便は最も強い純粋毒となっているからです。鳥の糞が車のボンネットに落ちると被膜が破れます。競走馬が便秘すると一日で死にます。これほど強い猛毒が便なのです。あらゆる体の不調は便秘によって起こります。漢方治療の第一の要点は「瀉」でありこれは結毒を体外に排出するの意です。皆様も少しでも体調が悪いときにドラッグストアで買い置きしておいたいちじく浣腸で結毒を強制的に体外排出してみてください。即気持ちが軽くなります。子供に浣腸したら一番効果が目に見えて実感できますよ。
いったんおくります。
文章は時間がかかるので鍋奉行所様いつでもおよろしいので私の携帯までお電話ください。書くよりも話したほうがお互いに分かりやすいですから。コロナに絶対反対する理由の一つですw
090-1189-8411 ほうがくwまでw


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/429.html#c75

記事 [近代史5] 毛沢東の大躍進政策
毛沢東の大躍進政策


【Front Japan 桜】中国のエネルギー改革は、第二の大躍進じゃないか?[桜R3/10/5]



キャスター:渡邉哲也・福島香織

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1155.html

コメント [近代史5] 毛沢東の大躍進政策 中川隆
1. 中川隆[-16124] koaQ7Jey 2021年10月06日 04:58:19 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[8]
中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html

毛沢東はセッ○ス狂
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html

独裁者列伝 _ 毛沢東
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/805.html

中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/567.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

中華人民共和国で唯一の共産主義者だった周恩来
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1597.html

独裁者列伝 _ 習近平
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/806.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1155.html#c1

コメント [国際31] 日本でも人間を管理するための道具、「ワクチン・パスポート」を導入する動き(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
16. 2021年10月06日 05:27:00 : gc0hUEuHH6 : d0ltbjlWTnM3TG8=[1]
>接種したら「感染しない」

>他者への「感染を防ぐ」

>「重症化を防ぐ」等々、

全部ウソだったわけです。

 
http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/122.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK283] 岸田新総理の誕生のウラで…怪物・二階俊博が仕込む「次なる一手」 山梨県vs.富士急行、訴訟のゆくえ(週刊現代) 赤かぶ
40. 2021年10月06日 05:30:34 : FoP2Dr9OdQ : aTNodDdDUFdFdEk=[-4457]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

寝てました。


前と同じシナリオの投稿ですね。

田布施など知りませんし、関係ありません。

私が半島の人間なら、集団ストーカーの日本人弾圧の犯罪行為の被害者になる筈が

ありませんが。

だって特権で守られているのですから。

どうしても集団ストーカーで日本人を弾圧している事を隠したい・無かった事に

したいのでしょう? バレたら創価の朝鮮人達は帰国しなければいけなくなるので

だから 大阪で橋下・吉村・松井が出て来たのです。

其れで 橋下が 此れは火の粉がかかるかも知れないと、さっさと他の人間に

渡して知らん顔を決め込んだという顛末(安倍・麻生も仲間)

だから 皇室制度廃止・創価など解体 と書いているのです。

日本人の象徴でない皇室・朝鮮人とその仲間の為の象徴など不要。



http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/465.html#c40

コメント [医療崩壊7] またまた、新型コロナワクチンから円盤の集合物のような人工構造物が見つかる (Stew Peters Show)  魑魅魍魎男
8. 愛の不動産屋[140] iKSCzJVzk66OWYmu 2021年10月06日 05:38:05 : HBhqkFhYt6 : dERlSnJMandjL2M=[109]

 それで〜〜

 この円盤を接種したら 人間でも「空を飛べる」ようになるのかな〜〜〜

 そうだったら うれしいな〜〜  愛も 打ちたい
 
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/485.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK283] 岸田新総理の誕生のウラで…怪物・二階俊博が仕込む「次なる一手」 山梨県vs.富士急行、訴訟のゆくえ(週刊現代) 赤かぶ
41. 2021年10月06日 05:44:43 : FoP2Dr9OdQ : aTNodDdDUFdFdEk=[-4456]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

私の事も知らないで、レッテル貼りで思想云々。

創価朝鮮信者の十八番。

後 長州田布施の思想? 如何したらそういう馬鹿みたいな話になるのですか?

昔の日本人の普通の教えと考えを言っているだけです。

昔の日本人は、あんた達を相手にしませんでしたよ。

物の考え方など まともに考えられないので。

想像力の欠如・言って良い事・悪い事 やっていい事悪い事の区別がつかない

人達が多いから。

(本当かどうか確かめる事もしないで)

引っ越しした時に 一番上が父の連れ子で下二人は父と母の子と嘘を勝手に

言いふらした近所の創価朝鮮信者(帰化?在? と日本人も)

あ 其れから 通名を半島の人間が遣っているのは 気に入らない日本人の

名前を使ったりして嫌がらせをする事もあるそうです。

そういうレッテル貼りの為にね。

何十年か前に兄弟に聞いた事があります。

工作活動でこうやって日本人を黙らせて来たんでしょう?

残念ですね。 46年以上の創価信者のストーカー。(朝鮮人と日本人も)

如何に家の家族共々仲間に入って欲しいか

執念深い人達で嫌われる理由は十分あります。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/465.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
20. 2021年10月06日 05:47:59 : 50hfZhMf2s : S0pKdTFkWVRNSG8=[1]
傀儡政権がバレたようだ。

ご祝儀がないのは当然だろ。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
90. 空虚[4464] i_OLlQ 2021年10月06日 05:50:01 : VhD8ub8Dhg : RzZNWmVyQjNxSFU=[1]
>>82殿 貴重なご忠告 痛み入る。 

【 独立主権は通貨発行権を持つ政府の国にのみ存在する 】

「かーちゃんに財布を握られた旦那に人権はない」 そういうこっちゃなw傀儡政府の奴隷触民化が完成するってこった。 貴殿の忠告の意味を理解できる人間が、この日本国にどれほどいるかで未来がかわるね。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c90

コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
8. 愛の不動産屋[141] iKSCzJVzk66OWYmu 2021年10月06日 05:50:04 : HBhqkFhYt6 : dERlSnJMandjL2M=[110]

 日本は 移民(ある意味奴隷)を受け入れてこなかった

 ドイツは たくさんの移民を受け入れている

 ===

 韓国は 奴婢(奴隷)国家で 奴婢に頑張らせたのでしょうね〜〜

 日本人よりも 韓国人の方が 優秀なのだろう
 
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c8

コメント [医療崩壊7] 和歌山・小6女子 ワクチン接種4日後に死亡 学校は「不慮の事故」と隠ぺい マスコミは全く報道せず  魑魅魍魎男
52. 2021年10月06日 05:52:12 : gc0hUEuHH6 : d0ltbjlWTnM3TG8=[2]
>国は補償など絶対にしない
>ファイザーとはそういう契約しているのだからね

その是非を決めるのは裁判。
日本の判検がCSIS清和会に巣くわれていなければ、
『公序良俗に反する契約は無効』と判断される。

ファイザーのワクチンモドキは、ドンドン廃棄していきましょう。

 
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/475.html#c52

コメント [政治・選挙・NHK283] 「岸田政権は安倍の傀儡」ごまかすため田崎史郎ら御用が流す「安倍さんは人事に不満」説は嘘! 実は甘利幹事長も松野官房長官も… 赤かぶ
62. 2021年10月06日 05:52:45 : bENShyKSNo : cUdYNkdnQmlydXc=[22]
>54 ボケ老人=楽老さんへ。

 多摩散人です。

>米国が勝手に出て行って、勝手に戻ってきて、基地建設経費も米軍負担、基地完成後はフィリピンに譲渡、運用についてはフィリピンに賃料を払う。日本とはエライ違いだ。

 米比の相互防衛条約の規定がそうなっているのでしょうね。日本も日米安保を廃棄して、日米が対等な相互防衛条約を結ぶとき、そういう規定にすれば、そうなるでしょう。しかし、その為には、まず自主防衛の確立だろうね。日本は専守防衛、攻撃はアメリカに頼るという今の日米安保の運用では、アメリカは基地建設費用を払うとは言わないのではないか。専守防衛では、敵地攻撃も出来ないんだから。

 もちろん、敵地攻撃も専守防衛の範疇に入れる解釈もあり得るよ。なにしろ、ボケ老人=楽老さんによれば、「戦争放棄」も「戦争不放棄」に解釈改憲出来るんだから、「敵地攻撃」も「戦争放棄」に解釈改憲出来るわけだ。「敵地攻撃」も、戦争と呼ばなければ戦争ではないんだよね。自衛隊も、軍隊と呼ばなければ9条違反じゃないんだ。

 そうそう、ウソ発見器の話を忘れていた。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/444.html#c62

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 2021年10月06日 05:55:29 : FoP2Dr9OdQ : aTNodDdDUFdFdEk=[-4455]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

No.8の投稿者の方 創価公明の朝鮮信者が岸新総理誕生のウラ側で、というトビで

(コメント欄)で必死に集団ストーカー被害者の私にストーカー投稿をしているのを

ご覧下さい。

これが彼等のやり方。

噓八百・デマ・でっち上げで人にレッテルを貼る手法。

こうやって信者を増やして来たのです。

宗教団体などではなく、偽善・集金・犯罪集団の創価学会という政治結社の

本質が表れています。

特亜の為に動く 創価自公・維新など
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
91. 空虚[4465] i_OLlQ 2021年10月06日 05:55:53 : VhD8ub8Dhg : RzZNWmVyQjNxSFU=[2]
>「新旧通貨の切り替え」 均衡財政を理由にデノミなんてカビの生えたようなことを言い出すかもしれんな。 資産家の資産をリセットして、どこぞの鯨に大儲けさせ新たなコンツエルンかツアーの傀儡支配へシフトするやもしれん。

【 グレートリセットってか?ふざけたことにならなければええのぉ 】
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c91

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
92. 空虚[4466] i_OLlQ 2021年10月06日 05:58:12 : VhD8ub8Dhg : RzZNWmVyQjNxSFU=[3]
ほ またじゃい 触民化× 植民化◎ おわび訂正
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c92
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
21. 愛の不動産屋[142] iKSCzJVzk66OWYmu 2021年10月06日 05:58:49 : HBhqkFhYt6 : dERlSnJMandjL2M=[111]

 50%あれば十分だ by  愛
 
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK283] 「岸田政権は安倍の傀儡」ごまかすため田崎史郎ら御用が流す「安倍さんは人事に不満」説は嘘! 実は甘利幹事長も松野官房長官も… 赤かぶ
63. 2021年10月06日 06:04:53 : bENShyKSNo : cUdYNkdnQmlydXc=[23]
>54 ボケ老人=楽老さんへ。

 多摩散人です。

>一個人に正当防衛の権利があるように 国家にも外からの侵略には防衛する権利がある。これは生存権⇒自然権であって人間の作った憲法条文を超越するものである。(27 ボケ老人=楽老)

 憲法を超越する生存権⇒自然権を否定する「戦争放棄」を規定した9条は、欠陥憲法ではないのか。金文字で印刷すれば有難いってか。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/444.html#c63

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 2021年10月06日 06:06:52 : YSOaHAQNIQ : TXczRXRkc0dMSVE=[200]
これでは国民は何もわからない、と言ったって自民党が大嘘つきで
国民をだます政党ということはわかっている。

ヤフーニュースの調査、昨日より悪化している。

実施中   岸田新内閣、あなたの期待度は?

101,522人 が投票中!

とても期待する    10.7%    10,861票

まあまあ期待する   14.3%    14,547票

あまり期待しない   15.7%    15,917票

まったく期待しない  58.0%    58,841票

わからない       1.3%    1,356票

昨日、見た時 

あまり期待しない   15.5%

まったく期待しない  54.7%

http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c19

コメント [経世済民135] みずほ銀行、解体論も浮上…4千億円で刷新したシステム、障害続出で制御不能(Business Journal) 赤かぶ
10. 2021年10月06日 06:09:56 : upvINxqrHw : elEyWnBscHplMVU=[5]
「統一政党にせずに、共闘の状態だから。」これが、みずほシステムトラブルの原因である。

必ずトラぶって、機能不全に陥ることが分かりきっているものが、政治の世界でもあるよなあ。
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/542.html#c10

コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
9. 2021年10月06日 06:16:53 : FoP2Dr9OdQ : aTNodDdDUFdFdEk=[-4463]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

何故 他国と比べようとするのですか?

朝鮮カルト政治で特亜中心にお金が流れているからでしょう?

技術もお金も他国と他国民の為に使う創価自公・維新・小池(女)

それと 派遣という奴隷制度の為の働き方をさせて来たからです。

竹中・橋下・安倍・麻生などの奴隷商人を使って。

偽ユダ系と偽天皇・皇室の悪行の結果という事。

皇室制度廃止・創価など解体 派遣制度廃止 

日本人を増やせない様にしている日本の象徴など不要という事。

移民など必要ない話。

日本人の国です。 もう敗戦処理はとっくに終わっているのです。



http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c9

コメント [国際30] 新潟大学名誉教授が訴える「新型コロナワクチンの危険性」の内容。これらのワクチンの身体への不安な影響は、場合により「永続… てんさい(い)
80. 2021年10月06日 06:18:35 : gc0hUEuHH6 : d0ltbjlWTnM3TG8=[3]
   

米国のワクチン有害事象報告システムvaersによると、9月24日時点で、
米国の医療機関からvaersへの、接種後48時間以内の死亡報告数が15937人。

https://www.medalerts.org/vaersdb/findfield.php?TABLE=ON&GROUP1=CAT&EVENTS=ON&VAX=COVID19

このvaersへの報告数は、実際の有害事象数の1%未満とされ、

https://digital.ahrq.gov/sites/default/files/docs/publication/r18hs017045-lazarus-final-report-2011.pdf

この1%未満が(薬の有害事象報告率と同様に)0.3%なら、主にファイザーワクチンによる
実死亡者は 15937×100/0.3=5312333人で、約531万人ほどいることになる。

初めの予想を超え、ファイザー接種後の早い段階(48時間以内)での死亡が、
その時点(9月24日)での全接種者(約2億人)の3%近くもあった、ということ。

米国全人口(約3億3千万人)の中の531万人は、約62人に1人の割合。

全米国人の62人に1人が、ワクチン接種開始後、約11ヶ月の間に、(心筋症や脳出血などの
死亡診断をされて)ワクチン接種後48時間以内に、ワクチン起因で死亡しているもよう。

ハンク・アーロン氏のように、早い段階(ワクチン接種後48時間以内)を超え、
数週間後〜数ヶ月後までには、この何倍も死亡するといわれている。

http://www.asyura2.com/21/cult32/msg/55.html#c9

    

http://www.asyura2.com/21/kokusai30/msg/357.html#c80

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 2021年10月06日 06:21:15 : FoP2Dr9OdQ : aTNodDdDUFdFdEk=[-4462]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

お金をばら撒いたら何とかなると思っているのでしょう?

創価公明が与党に入ってからの20年はとんでもない政治と社会になりましたね。

元々おかしな政治だったのが、よりおかしい政治・社会・教育となったのですから。

創価など解体 創価偽天皇・皇室制度廃止。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c20

記事 [近代史6] バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945)
バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945)


管弦楽曲

交響詩『コシュート』 (1903年) Sz.21
3.5点
まだバルトークらしい前衛的な音楽ではなく、Rシュトラウスや、さらにいえばチャイコフスキーみたいに感じる部分もある。でもなかなかの力作でいい曲。22歳でこんなに本格的な曲を書けたバルトークはやはり天才作曲家だった。

管弦楽のための組曲第1番 (1905年、1920年改訂) Op.3 Sz.31
2.8点
まだ初期の作品で音楽的にはほぼ完全に19世紀末のロマン派の内容であり、たまに変な音の使い方が出てくるがほんの一瞬であり、前衛的な世界は殆ど無い。洗練されていない土泥臭さや牧歌的なユルさを感じる所が魅力。たまに出てくる運動会みたいなノリも楽しい。長い曲であり、個々の場面は悪くないのだが、やや散漫で冗長なので全体として長さに見合った効果を挙げているとは思えない。晩年の管弦楽のための協奏曲と類似する所がある。

小管弦楽のための組曲第2番 (1905年-1907年、1943年改訂) Op.4 Sz.34

『舞踏組曲』(1923年)Sz.77
3.5点
舞踏的ということで、民族的なフレーズやワイルドさも聴きやすくまとめられており、なかなか良い。

弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 (1936年) Sz.106
3.8点
バルトークの作曲技術の高さや、不思議な東洋的神秘などの民族的要素や前衛など多くの要素を取り込んだ、作品としてがっちりと構築され、交響曲のような規模の作品として結実している。メロディーや和声は分かりやすいので十分に聞きやすく、しかし平明過ぎず刺激的であり、曲の長さも適切で楽しみやすい。

弦楽のためのディヴェルティメント (1939年) Sz.113
3.0点
1楽章と3楽章は調性が明確で楽しく分かりやすい音楽。2楽章は晦渋でバルトークらしさを記憶に残す。バルトーク入門には良いかもしれないが、明快過ぎて特段の素晴らしさがなく、あまり面白くない。

管弦楽のための協奏曲 (1943年) Sz.116
3.0点
一般的な曲のような平明な聴きやすいフレーズと不思議な雰囲気をバラエティー多く用意し、各楽器に活躍をさせる曲ということで、バルトークの中では人気のある曲になっているのだろうか。正直なところ、単純化のせいでバルトークの特長が消えており、普通の曲として聴くと別にそれ程魅力的な音楽というわけでもない。音楽の密度も低いし、高い評価は出来ない。恐らくバレエ音楽のような聞き方をするのが正解。

協奏曲

ピアノと管弦楽のためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.27
3.0点
まだ前衛的になる前の作品。ピアノのためのラプソディーSz.26の編曲。音楽的には平明ではあるがメロディーが全然印象に残らず心に響かないため、平凡な作品だと思う。しかしながらピアノ書法が素晴らしい。非常に華やかに活躍しており重すぎず軽すぎず使われる技巧も的確で見事である。ピアニストとしても一流だったので、ピアノの機能と特徴を知り尽くしていたのだろうなと思う。個人的にはピアノ独奏版の方が印象的。

ピアノと管弦楽のためのスケルツォ(ブルレスク)(1904年) Op.2 Sz.28
2.3点
初期の作品であり後期ロマン派の語法の範疇で書かれている。しかし、内容に冒険が少なくて個性の発揮も少なく、ありきたりと感じる場面が多い。ピアノも地味であまり活躍しない。大作にしてはあまり面白くない。駄作一歩手前と思う。

ヴァイオリン協奏曲第1番 (1907年-1908年) Sz.36
2.8点
2楽章しかない。死後に発見された曲。1楽章は悲嘆の感情をゆったりと歌っており、しんみりとさせられる。2楽章も叙情的でテンポが遅い場面が多く、1楽章と割と近い雰囲気。終わりの方はちゃんと盛り上げて終わるが。聴きやすい曲ではあるが総合性が足りない。

ピアノ協奏曲第1番 (1926年) Sz.83
3.3点
1楽章は明快でピアノが全面に出ている。2楽章は民族音楽的な要素が非常に強く、ほとんど完全にアジア音楽の世界である。3楽章はバルトークらしい前衛性を持っているが、基本的に快速で明快で軽やかな気持ちいい音楽。

ピアノ協奏曲第2番 (1930年-1931年) Sz.95
3.8点
1楽章は弦楽が使われていないせいか、多面的で多層的な印象であり、ピアノの技術的に特殊な箇所が何カ所も出てきて驚かされる。ピアノが全面に出て活躍する。2楽章は亜空間のような不思議な神秘的な雰囲気。高速な中間部分のピアノがかっこいい。3楽章はワイルドで力強く、ピアノもオケもとても格好いいしセンスが良い。

ヴァイオリン協奏曲第2番 (1937年-1938年) Sz.112
3.0点
調がはっきりしている分かりやすい音楽になったり、無調になったり、雑多な音楽がどっさりと混ざっていて、どのような曲なのか把握しにくいと感じる。ヴァイオリンを様々なやり方で歌わせる事に長けたバルトークの良さは独奏において出せているとともに、大作に見合った内容の豊富さはあるかもしれないとは思う。しかし録音で聴くせいだからか各場面の印象が弱く、そこそこの魅力の音楽が繋げられているだけのように聞こえる。正直に言うとあまり面白いと感じない。

ピアノ協奏曲第3番 (1945年) Sz.119
3.3点
1楽章は強い捻りが随所に大量に入ってあるとはいえ、アメリカ的気分を感じるロマン派協奏曲で驚く。2楽章も都会的な所が20世紀のアメリカ的なロマン派協奏曲。3楽章はほとんどガーシュインの世界である。全体的にロマン派の音楽に近すぎるが、アメリカ的なので陳腐すぎず楽しめるといったところか。

ヴィオラ協奏曲 (1945年) Sz.120
3.3点
ヴィオラの落ち着いた艶めかしい音を楽しむ曲。この曲において引き出されている中音域を主体とし幅広い音域で魅せられるヴィオラの魅力はなかりのものであり、じっくりと堪能できる。ただし、メロディーは耳につかないので、なんとなくいいなあと思いながら聴く曲ではある。管弦楽は本人作でなく控え目なのでなおさらヴィオラが大活躍である。

舞台作品

バレエ音楽『かかし王子』1914年-1917年、Op.13 Sz.60 BB.74
3.8点
色彩感の豊さに驚かされる。リヒャルト・シュトラウスを彷彿とさせる豪華なオーケストレーションであり、その中で鋭角的なメロディーセンスを披露しているところがバルトークらしい。おとぎ話のような可愛らしい曲調であり、その雰囲気だけでも楽しいが、場面の移り変わりや、踊れるバレエ音楽らしさもあるところがさらに良い。エンターテインメント音楽として、かなりの出来だと思う。

パントマイム『中国の不思議な役人』(1918年-1924年、1931年改訂) Op.19 Sz.73
4点
バルトークらしいワイルドさと、管弦楽の色彩の豊かさ、リズムの多彩さ、テンポと楽想の表情の豊かさが合わさっている。明らかに影響を受けているストラヴィンスキーの有名バレエ音楽に匹敵する素晴らしい出来映えである。抽象的で思弁的なバルトーク作品の中で、例外的に華やかで情景を音を描くような作品なので、聴いていてとても楽しい。


室内楽曲

弦楽四重奏曲第1番 (1908年-1909年) Op.7 Sz.40
4.0点
まだ1908年の作品とは思えないほど前衛的で異様に緊張感の高い響き。1作目から既に完成度が高く、まさに新たな表現の地平を切り開いて20世紀の弦楽四重奏の礎となった感が強い。鋭い不協和音や、対等な四つの楽器がうねってぶつかり合う、テンションの上げ下げ、音の間の活用、独奏と合奏やユニゾンの対比など、弦楽四重奏ならではの柔軟な表現力や手法を効果的に使っている。

弦楽四重奏曲第2番 (1915年-1917年) Op.17 Sz.67
4.0点
2楽章の終わり近くの高速部分はかっこいい!1楽章は悪く言えば民族的音楽と無調の折衷的音楽にも聞こえてしまう曲で、中間の展開部の力強さ以外はまあまあという感じである。2楽章で段々ボルテージを上げて極限に達し、そのあとに3楽章の汚れた浄化と呼びたいような、荒廃した静寂世界へのつなげ方が非常に秀逸で見事である。

ヴァイオリン・ソナタ第1番 (Vn.&Pf) (1921年) Sz.75
4.0点
無調的な凄い作品。1楽章は研ぎ澄まされた鋭利な刃物で構えているような、異常な緊張感で貫かれている。2楽章のアダージョも同様の緊張感で、さらに本当に人を襲おうとしているかのような狂気と恐怖感を感じる。3楽章は速度を上げる。相変わらずの緊張感でテンションが上がり凄いが、ヴァイオリンソナタの限界かバルトークがやりすぎを抑えたのか、異常を維持出来ない箇所が所々あると感じる。

ヴァイオリン・ソナタ第2番 (Vn.&Pf) (1922年) Sz.76
3.3点
ヴァイオリンソナタ1番と同じ系統の無調的で音の鋭利さを主な特徴とする音楽である。しかし1番で見せた圧倒的な緊張感や異常性は薄れ、切れ味がやや鈍り、所々でまとまりが悪く中途半端な印象を持ってしまう。勝手な印象だが1番のソナタとの内容の重複を避けた結果のように感じた。

弦楽四重奏曲第3番 (1927年) Sz.85
4.0点
バルトークの弦楽四重奏曲で一番短い。単一楽章だが部分の区切りは割と明確である。無調的だが、聞きにくく無い。簡素だが緊密で無駄が無く、特殊奏法の使い方、音の重ね方、音響やフレーズなど、前衛的だが非常に高いセンスと閃きの良さに感心する。

ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.86
2.8点
尖った民族性ともいうような、少しきつめの雰囲気。あと一押しの雰囲気だけでない何かがほしい。

チェロとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.88

ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.89
3.0点
1番と雰囲気も感想も同じだが、後半パートの野蛮性が好きな感じなので少し評価は上。

弦楽四重奏曲第4番 (1928年) Sz.91
3.5点
特殊奏法が多く登場する。簡素な3番とは1年しか違わないが、かなり異なる曲。音自体の面白さを楽しめる点では素晴らしいが、音世界を尖鋭化し過ぎてやり過ぎになり、精神的には少し殺伐とし過ぎていると感じた。アーチ型ではあるが、曲のストーリーが追いにくいと思う。

44のヴァイオリン二重奏曲 (1931-32年)Sz.98 Op.104
3.3点
民族音楽を素材にしている。渋みとコクのある断片的な小品の曲集。教材として書かれた名曲があるわけではないし、本格的な曲もない。ヴァイオリンは音数が少なく簡素の書法である。しかし、気楽に聴けるのと、低音のない地に足の着かない響きのせいか、不思議な民謡の魔力を秘めたかのような魅力が心を捉える。

弦楽四重奏曲第5番 (1934年) Sz.102
4.0点
最初の方はあまり緊張感が高く無いのだが、後半になるに従い緊密度を増して先鋭的になり、おぞましい恐怖の世界を構築していく。最終楽章は魑魅魍魎の飛び交う世界のようである。耳に刺さるような音の痛さは少ないが、まさに天才が狂気をさらけ出した音楽。

2台のピアノと打楽器のためのソナタ (1937年) Sz.110
4.3点
全3楽章。特殊編成であるが、バルトークの良さを引き出すのに実に適切と感じる。神秘的で東洋的な雰囲気を出す打楽器、2台のピアノは分厚く、豊富な音数を使って自由な表現を実現している。先鋭的な音使い、充実したリズム、夜の歌など様々なバルトークらしい要素がよくまとめられており、音楽的に充実しているとともに詩的な情緒の面でも充実している。聴きやすさもあり、代表作の一つとして楽しめる作品。

弦楽四重奏曲第6番 1939年 Sz.114
3.5点
内省的な印象が強くなり、尖鋭性や強烈さは抑えられている。悲しみの主題が曲を覆い、時代背景を象徴しているのだが、分かりやすいエレジーの類ではない。古典的な印象があり、割と正気を保っており毒の少ない内容は、やや物足りない感じがする。

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 1944年 Sz.117
3.3点
バルトークらしい強烈な緊張感をベースにヴァイオリンの音に強い意味と存在感を持たせる音楽は、無伴奏ヴァイオリンに向いているのだろう。しかし、無伴奏なので音の繋がりを簡単に把握出来ないため、難解な音楽であり、4楽章以外は簡単には聴けない。すごい何かを聞いた気分にはなれるが、それが何なのか分かりそうにないもどかしさがある。

ピアノ曲

ピアノのためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.26
3.3点
24分の大作でものすごい力作である。ハンガリー風の動機をふんだんに活用しながら自由に音楽が展開していく。曲としては、力作ぶりに圧倒されるものの、分かりやすくないし感動する感じではない。しかしながらピアノ書法が見事である。技術を駆使して華やかで幅広いピアノの能力を引き出しており、その点でピアノ音楽が好きな人なら、上位にランキングされるだろう。

アレグロ・バルバロ (1911年) Sz.49
3.5点
まさに野蛮なアレグロである。ゴツゴツした無機質で異質な音の岩の塊を並べたような曲。ごくみじかい曲だが、密度が濃すぎてもっと長く感じる。

ソナチネ (1915年) Sz.55
3.5点
3楽章合計4分の短い曲。ソナタ形式が使われておらず、どちらかというと3曲の小品集に近い。ただ、民謡が使ったこの曲はインパクトがあり出来も良いため、アピールの観点ではソナチネという命名は正しい気もする。

ピアノのための組曲 (1916年) Op.14b Sz.62
3.5点
小さな小品4曲。演奏会用の曲なので華々しい技巧が使われている。バルトークが民族音楽の研究の結果を自分の中で消化して生まれた本格的で意欲的な作品であり、かなり聴き映えがする。前衛性はほどほどであり、適度に耳を突き刺す音の痛さが心地よい。

戸外にて (1926年) Sz. 81
3.5点
全5曲。この時期に書かれたにしては調が明確で曲想もわかりやすく聴きやすい。激しいのは最後の曲だけであり静寂を主体としている。ドビュッシーの後継者と呼びたい程の詩情がある。

ピアノ・ソナタ (1926年) Sz.80
3.3点
ピアノを打楽器的に扱う語法が目立ち、ゴツゴツして野蛮な印象で迫力がある。バルトークらしい異質で鋭角的で前衛的な音楽を本格的に聴かせるピアノ曲として貴重な存在。しかし、ソナチネと呼んでもよいような小さな規模であり、総合性の観点では少し物足りない。

ミクロコスモス (1926年から1939年)
N/A
教育用の小曲の集まり。抜粋して少し聴いた印象だと、教育用の大部分は鑑賞するにはつまらないが、後半の難易度が高い曲になると鑑賞に耐える曲になる。

6つのハンガリア舞曲
3.0点
ミクロコスモスの最後の6曲。短くてかなり軽い。ごく短いピアノ曲。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF


バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor János [ˈbɒrtoːkˌbe̝ːlɒˈviktorˌjɑ̈ːnoʃ], 1881年3月25日 - 1945年9月26日)は、ハンガリー王国のバーンシャーグ地方のナジセントミクローシュに生まれ、ニューヨークで没したクラシック音楽の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家。

作曲以外にも、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行った。またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(英語版)(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から教えを受けた、ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師として活動した。ドメニコ・スカルラッティ、J・S・バッハらの作品の校訂なども行っている。


生涯

幼少期
1881年、ナジセントミクローシュ(現在のルーマニア、ティミシュ県のスンニコラウ・マレ(英語版))に農学校校長で同名の父バルトーク・ベーラ(1855年-1888年)とピアノ教師でドイツ系の母パウラ・ヴォイト(1857年 - 1939年。スロヴァキアのマルチン出身)の間に生まれる。父は町に音楽協会を設立するほどの熱心な音楽愛好家でもあり、自身でもピアノやチェロをたしなむ人物であった。母のパウラによれば、バルトークは病弱だったが、きちんと言葉をしゃべる前から母のピアノ演奏のダンスのリズムを区別し、3歳くらいから母のピアノ演奏に合わせて太鼓を叩き、4歳では自己流で40曲のピアノ曲を弾くなど音楽的素養を見せていた。そこで彼女は娘を出産した後の5歳頃から息子に正式なピアノ教育を始める。

7歳の時に父が病気(アジソン病だったと言われている)のため32歳で急死、ピアノ教師として一家を支えることとなった母の仕事の都合でナージセレーシュ(現在のウクライナ、ヴィノフラージウ(英語版))に転居、その後各地を転々とする。9歳前後から習作的なピアノ曲も書き始め、10歳の時にはピアニストとしての初舞台を踏むが、彼女は息子を天才少年ピアニストとして売り出す気はなく、まずは普通に教育を受けることになる。1893年に音楽活動の活発だったポジョニ(現在のスロヴァキアの首都、ブラチスラヴァ)に母と赴いた際、作曲家エルケル・ラスローに指導してもらう機会を得る。翌年、母がポジョニに仕事を得たため同地へ引っ越し、当地のギムナジウムに入学。エルンスト・フォン・ドホナーニと知り合い友人となる。

音楽家への道と民謡との出会い
学内でもピアニストやオルガニストとして活動し、ヨハネス・ブラームスの影響を受けた作曲活動にも取り組んでいたバルトークは、1898年にはウィーン音楽院に入学を許可される。しかし国際色豊かなウィーンよりもハンガリーの作曲家としての自分を意識すべきだというドホナーニの薦めに従い、翌年ブダペシュト王立音楽院(後のリスト音楽院)に入学。作曲をハンス・ケスラー、ピアノをトマーン・イシュトヴァーンに指導を受ける。ここではワグネリアンの学長からリヒャルト・ワーグナーの洗礼を受けるが、既にブラームスの影響を脱して先に進もうとしていた彼に、ワーグナーは答えをくれなかったと回想している。

1902年、21歳の時にリヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはこう語った》に強烈な衝撃を受け、交響詩《コシュート》を作曲。1848年のハンガリー独立運動の英雄コシュート・ラヨシュへの賛歌であった為、当時ハプスブルク帝政の支配下にあったブダペシュトの世論を騒がせた。1904年にはゲルリーツェプスタ(現在スロヴァキア領)で初めてトランシルヴァニア出身者の歌うマジャル民謡に触れる。

1905年、パリのルビンシュタイン音楽コンクールにピアノ部門と作曲部門で出場。作曲部門では入賞せず奨励賞の第2席、ピアノ部門では2位であった(優勝者はヴィルヘルム・バックハウス)。自分の人生をピアニストとして描いていたため、優勝を果たせずかなり落胆したようであるが、それ以上に作曲部門での結果の方がショックだったようである。しかし、ハンガリーでは知られていなかったクロード・ドビュッシーの音楽を知るという収穫を得た。また民謡について科学的アプローチを始めていたコダーイ・ゾルターンと出会い、多大な影響を受ける。

1906年からコダーイやその他の研究者達と共にハンガリー各地の農民音楽の採集を始める。1913年にアルジェリアへ赴いた他は、専ら当時のハンガリー国内で民族音楽を採集していた。

1907年、26歳でブダペシュト音楽院ピアノ科教授となる[2]。ピアニストとして各地を旅するのではなく、ハンガリーに留まったことで、更なる民謡の採集が進み、民謡の編曲なども行う。この時点でも、彼の大規模な管弦楽作品はまだブラームスやリヒャルト・シュトラウス、さらにはドビュッシーの影響を感じさせるものであるが、ピアノ小品や親しかった女性ヴァイオリン奏者シュテフィ・ゲイエルに贈ったヴァイオリン協奏曲第1番(ゲイエルの死後発表)の2楽章などでははっきりと民謡採集の影響が表れている。1908年の弦楽四重奏曲第1番にも民謡風要素が含まれている。またトマーンの紹介で知己を得ていたレオポルド・ゴドフスキー、バルトークの作品を評価したフェルッチョ・ブゾーニの推挙も得て、ピアニストとしてだけではなく作曲家としての名も次第に浸透し始める。

スタイル確立と第一次世界大戦
1909年、ツィーグレル・マールタ(Ziegler Márta)と結婚。翌1910年には長男ベーラ(バルトーク・ジュニア)が生まれる。この年、フレデリック・ディーリアスと知り合い、彼の作品の影響も受ける。

1911年、ただ1つのオペラとなった《青ひげ公の城》を書き、ハンガリー芸術委員会賞のために提出したが、演奏不可能という事で拒絶された。結局この曲は1918年まで演奏されなかった。当時バルトークは、政治的見解から台本の作家バラージュ・ベーラの名を伏せるように政府より圧力をかけられていたが、これを拒否し、同時に自身の作品がなかなか顧みられない現状に疲れてしまい、ピアノ科教授以外の公的な立場から身を引いた。その後の人生でバルトークは民謡への愛着は別として、ハンガリー政府や組織とは深く関わらないようにしている。芸術委員会賞に失望した後2、3年の間、作曲をせず、民謡の収集と整理に集中していた。

1914年、第一次世界大戦の勃発により、民謡の収集活動が難しくなったため作曲活動に戻り、1914年から16年にかけてバレエ音楽《かかし王子》、1915年から17年には《弦楽四重奏曲第2番》を書いている(採集活動自体は1918年まで行っている)。1918年には《かかし王子》の初演が成功し、ある程度国際的な名声を得た。引き続き《青ひげ公の城》が初演される。同年、レンジェル・メニヘールトの台本によるパントマイム《中国の不思議な役人》の作曲を開始する。1919年に成立したハンガリー評議会共和国では、教育人民委員から任命を受けた4人から構成される音楽生活指導部に参加した[3]。しかし第1次世界大戦で敗戦国となったハンガリーはトリアノン条約による国土の大幅な縮小、更にハンガリー評議会共和国に関わったことでその後の政治の混乱に巻き込まれ、ピアニストや民俗音楽の研究家としての名声が高まるのとは裏腹に、本人としては不本意な時期が続く。

1921年から22年にかけてヴァイオリンのためのソナタを2つ書き、イェリー・ダラーニのヴァイオリンと自らのピアノで初演。更に彼女に同行してイギリスやフランスで演奏旅行を行う(この際、モーリス・ラヴェルやストラヴィンスキーと会っている)。これはそれまでに作曲した中で和声上、構成上最も複雑な作品である。また民謡的要素を自分の作品の中で生かすということに自信を深めたのか、それまで編曲作品と自作を区別するために付けていた作品番号を、ソナタ第1番の出版譜からは付けなくなった。

様々な活躍と、第二次世界大戦
1923年、ツィーグレル・マールタと離婚し、ピアノの生徒であったパーストリ・ディッタ(Pásztory Ditta)と結婚。翌1924年には次男ペーテル(バルトーク・ペーテル、Bartók Péter)が誕生している(ペーテルは後年アメリカで録音技師として活躍し、父親の作品を中心に優秀な録音を世に出した。また楽譜の校訂にも大きな功績がある。)。

同じ1923年には、政府からの委嘱により、ブダペシュト市政50年祭のために《舞踏組曲》を提出。この後、1926年にピアノ・ソナタやピアノ協奏曲第1番などを発表するまで3年ほど作品を発表せず、民俗音楽の研究や演奏会活動にやや力を入れるが、1927年から翌年にかけて、彼の弦楽四重奏曲としてもっとも高い評価を受けている第3番と第4番を作曲した。またピアノ協奏曲第1番をヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮と自らのピアノで初演する。その後も演奏家として1929年から30年にはアメリカやソヴィエトへの演奏旅行を行い、ヨゼフ・シゲティやパブロ・カザルスらと共演している。

1934年には音楽院ピアノ科教授の任から離れ、科学アカデミーの民俗音楽研究員となった。彼は長年作曲とピアニストとしての活動以外の時間を、自分や後進の研究者達が収集したコレクションの整理に取り組める環境を求めていたが[注釈 1]、遂にそれを得て研究活動に没頭するようになった。作曲家としても1936年には、バーゼル室内管弦楽団を率いていたパウル・ザッハーの委嘱で彼の代表作として知られる《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》を作曲。翌年ザッハーの手で初演が行われた。

1939年には《弦楽四重奏曲第6番》を作曲したが、第二次世界大戦が勃発し、民俗音楽の研究を出来る環境を求めており、またその文化政策などからナチス嫌いでもあったバルトークは、同年の母の死を機にヨーロッパを去ることを考え始めていたことをうかがわせる作品となった。この頃、反ユダヤ主義者との対話の中で、自らの祖父ヤーノシュがユダヤ人だったことを示唆しているが、ヤーノシュはマジャル人の父とクロアチア人の母の間に生まれ、ユダヤ人ではなかった(ただし、ディッタ夫人はユダヤ系の血をひいている)。

アメリカ移住と死
母親の死以前から、バルトークは政治的に硬化していくハンガリーを去り、自身のライフワークである民俗音楽の研究に打ち込める環境を求めて他国へ移住することも検討し始めていた。はじめはトルコのアンカラへの移住を検討するが環境が整わないことから断念した。最終的には1940年春にアメリカ合衆国への演奏旅行の際、友人達にアメリカへ移住の可能性を打診、彼らの協力でコロンビア大学の客員研究員として南スラブの民俗音楽の研究に取り組む手はずを整えると一旦帰国。10月8日にブダペストのリスト音楽院の大ホールで告別コンサートを開き、ハンガリー国鉄の技術者になっていた長男、そしてコダーイに後を託し、ザッハーやかつての恋人・ゲイエルなど友人達の助力を受け、妻と膨大な研究資料や自作資料と共にアメリカ合衆国へ移住した。なお、次男ペーテルは全寮制の学校に在学中のためハンガリーに残ったが1年後単身アメリカに渡り、その後アメリカ海軍の招集に応じた。

少々自己中心的でなかなか他人と打ち解けないタイプであったバルトークにとって、アメリカは決して居心地は良くなかったし、研究や講演以外はピアニストとして生計を立てるつもりだったとはいえ、作曲する気にもならなかったようで、演奏会活動を行う以外は、先のコロンビア大学での研究の他、ヨーロッパから持ち込んだ民俗音楽の研究に没頭していた。しかし1940年ごろから右肩周辺に痛みを感じるなどの不調があった健康状態は次第に悪化、1942年になると断続的に発熱を繰り返すようになった。1943年初頭にはついに入院してそれまでの活動を全て中断する。

フリッツ・ライナーなどアメリカ在住のバルトークの友人たちは、戦争で印税収入が滞るなど収入源の無くなってしまった彼を支援するため「作曲者・著作者・出版者の為のアメリカ協会 (the American Society for Composers, Authors, and Publishers) 」に医療費を負担させるよう働きかけ、更に当時ボストン交響楽団を率いていた指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーに、彼の財団と夫人の思い出のための作品をバルトークに依頼させる。すると驚異的なスピードで《管弦楽のための協奏曲》を完成。この依頼があって作曲への意欲が引き起こされたようで、ヴァイオリン・ソナタを演奏会で取り上げる際にアドヴァイスを求めに来て親しくなったユーディ・メニューインの依頼で《無伴奏ヴァイオリンソナタ》にも着手し、1944年には両曲の初演にそれぞれ立ち会う。出版社との新しい契約で収入面の不安もやや改善され、健康状態も小康を取り戻して民俗音楽の研究も再開した。しかし、その病は白血病だった。

1945年、《子供のために》や《管弦楽のための協奏曲》の改訂をする傍ら、妻の誕生日プレゼントにしようと軽やかで新古典派的な《ピアノ協奏曲第3番》、ウィリアム・プリムローズから依頼された《ヴィオラ協奏曲》に着手するが、ともに完成させることができずに、9月26日、ニューヨークのブルックリン病院で死去(満64歳没)。前者はほとんどできあがっており(オーケストレーションが17小節残された)、草稿段階にとどまった後者とともに、友人でハンガリー系の作曲家シェルイ・ティボール(Sérly Tibór)によって補筆完成された。

遺体は「ナチスドイツや共産主義ソ連の名前が残っている内は祖国に埋葬しない」との遺言に基づき、ニューヨーク州ハーツデイル(英語版)のファーンクリフ墓地に埋葬されたが[1]、ハンガリー社会主義労働者党が一党独裁放棄を決めるなど民主化が進んだことから、ハンガリー在住の長男ベーラとアメリカ合衆国在住の次男のぺーテル、そして指揮者ゲオルク・ショルティらの尽力で亡骸が1988年7月7日ハンガリーに移送され、国葬によりブダペシュトのファルカシュレーティ墓地(英語版)に埋葬された[2]。現在ファーンクリフには記念碑が残されている。


作風
本人が「若い頃の私にとって、美の理想はベートーヴェンだった」と回想しているようにドイツ・オーストリア音楽の強い影響から出発したが、ハンガリー民族やハンガリー王国内の少数民族の民謡をはじめとした民俗音楽の収集とそれらについての科学的分析から、その語法を自分のものにしていった(同様の活動を行った先人にチェコのヤナーチェクがいる)側面と、同時期の音楽の影響を受けた側面のバランスの中で作品を生み出す、という独自の道を歩んだ。ただし、彼の楽曲は民俗音楽の旋律やリズムだけではなく構造面も分析したうえで、なおかつソナタ形式など西洋の音楽技法の発展系を同時に取り入れて成立していることや、過去の音楽に目を向けて新しい音楽を生み出そうとした点など、音楽史的には新古典主義の流れの1人と位置付けても間違いではないだろう。

作品の変遷は大まかに以下のように区分できる。

〜1905年
ヨハネス・ブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響が強い、後期ロマン主義的な作風。ハンガリー民族としての意識を曲で表現しようとする作品もあったが、まだ先人達同様にジプシー音楽的な要素を取り入れる形であった。
1906年〜1923年頃
盟友のコダーイ・ゾルターンと共に、当時のハンガリー王国の各地から民謡収集を行い、一方では民謡を編曲したピアノ曲などを作り、他方では民謡の語法を科学的に分析した形で自身の作品に活かし出した時期。また自身の作品には、民謡以外にもクロード・ドビュッシーやイーゴリ・ストラヴィンスキー、新ウィーン楽派など当時の最先端の音楽の影響も強く反映されている。
この末期には民謡の語法を消化し、独自のスタイルをほぼ確立する。
1926年〜1930年頃
特に室内楽作品において尖鋭的な和声と荒々しいまでの強烈な推進力を持ちながら、緻密な構造を持つ数々の作品を生み出した。「無調的」ともいわれるが、本人は無調音楽は存在しないとの立場をとっており、この時期の作品でも調的中心は存在している。またバロック音楽や古典派の影響を如実に感じさせるなど、新古典主義の流れに乗っている面も見られる。
1930年〜1940年
その前の時代と同様に緻密な楽曲構造を持ちながら、もう少し和声的にも明快で、より新古典的なスタイルを打ち出した時期。数々の傑作を発表している。
1943年〜1945年
アメリカ時代。傾向としてはその前の時代の末期の延長線上にあり、細かい動機よりも旋律的な要素を重視する傾向がある。より明快、明朗に大衆に受ける方向へ変化したとも言われるが、曲によってはそれ以前の厳しい顔をのぞかせる。
なお彼はアメリカ移住前に手紙で吐露しているように「作曲は教えるものではないし、私には不可能です」という考えの持ち主で、その生涯で作曲を教える立場に立ったことがない(先述のシェルイを「弟子」とする記述も多いが、それは正しくない)。作曲の理論的な面についても自身ではほとんど明らかにしておらず、手紙で自身の音楽語法がハンガリー、ルーマニア、スロヴァキアの民俗音楽に強く影響をされていると書いている程度である。

そのため、彼の理論については様々な音楽学者たちが研究を行っており、ハンガリーの音楽学者レンドヴァイ・エルネーは、バルトークは機能和声の代理和音を拡張することで12半音階を等質に扱う「中心軸システム」(ジャズの「コルトレーン・チェンジズ」と背景の理論はほとんど同じである)や、作品の構成(楽式)から和音の構成に至るまで黄金分割を基礎に置き、そのためにフィボナッチ数列を活用したとの論文を発表している。ただし、前者はともかく後者については当てはまらない作品がかなりあり、この説の妥当性を支持するスケッチの書き込みや計算メモ等が見当たらない[注釈 2]ため、現在ではハンガリー国内・国外いずれにおいても、専門の研究者でこの説を支持する人はあまり多くない。

ピアニストとして
身長165センチ程度と体格的には決して大柄ではなかったが、手はかなり大きかった。そしてヴィルトゥオーゾとして自身の未来を思い描くほどの実力を持つリスト直系の弟子であり、晩年までピアニストとしての活動も行った。手紙などでは伴奏家としての腕前も自負していたようで、多くのソリストとの共演歴もある。自作自演やシゲティとの共演などの録音も残しているため、彼の演奏はCDなどで聴くことが出来る。

ドイツ・オーストリア音楽をレパートリーとしていたが、スカルラッティの編纂を行って自ら演奏したり、自らに多大な影響を与えたドビュッシーの作品も多く取り上げていた。自作のピアノ曲も自身が演奏会に取り上げるために書かれたものが少なくない。

また作曲は教えなかったが、ピアノ教育には熱心だった。自作でも教育のための作品は重要な位置を占めており、リスト音楽院ではピアノの教授として多くの弟子を育てた。シャーンドル・ジェルジやリリー・クラウス、ゲザ・アンダなどのピアニストを直接指導したほか、指揮者のアンタル・ドラティや、作曲家でバルトークの民俗音楽研究の助手も務めたヴェレッシュ・シャーンドルなどがピアノの弟子である。また、指揮者ゲオルク・ショルティは直接の弟子ではなかったが、指導教授の代役として一時バルトークのピアノのレッスンを受けたことがあったことを回想している。


年譜
1881年 3月25日、ナジセントミクローシュに生まれる。母によれば、子供のころから音楽への才能を見せていたという。
1885年(4歳) 7月11日に妹、エルザ(- 1955年9月11日)が生まれる。
1888年(7歳) 8月4日に父が死亡。
1894年(13歳) ポジョニへ引っ越し、当地でギムナジウムに通う。
1899年(18歳) ブダペスト王立音楽院に入学。
1902年(21歳) 交響詩《コシュート》を作曲。世論を騒がせる。
1903年(22歳) 4月13日に故郷ナジセントミクローシュで初の公開リサイタルを行う。プログラムはシューマンのピアノソナタ第3番や自作など。12月にベルリンでデビューリサイタルを行い、ブゾーニやゴドフスキーから称賛される。
1904年(23歳) 初めてマジャール民謡に触れる。11月に妹が結婚。
1905年(24歳) 妹夫婦の住んでいたヴェーステーで民謡採集を行う。ルビンシュタイン音楽コンクールにピアノ部門と作曲部門で出場、ピアノ部門2位。秋にコダーイ・ゾルターンと知り合う。
1906年(25歳) コダーイと連名で組織的民謡研究の必要性を説くアピールを発表。夏から彼や他の研究者と共にハンガリー各地の農民音楽を採集し始める。
1907年(26歳) トマーンの後任としてブダペスト音楽院ピアノ科教授に就任。教育者として働く傍ら、長期休暇時に民謡の採集を進める。
1908年(27歳) ピアノ曲『14のバガテル』や弦楽四重奏曲第1番を作曲。前者は自筆譜を見せに行ったブゾーニから高い評価を受ける。
1909年(28歳) ツィーグレル・マールタ(Ziegler Mártá 1893年 - 1967年5月14日)と結婚。
1910年(29歳) 8月22日、長男ベーラJr(- 1994年6月17日)誕生。
1911年(30歳) ハンガリー芸術委員会賞のために《青ひげ公の城》を作曲するも演奏を拒否される。公的な立場から身を引き、民謡の収集と整理に集中。
1913年(32歳)ハンガリー以外に、6月にはアルジェリアにて民謡採集。
1914年(33歳) 第1次世界大戦勃発。作曲活動に戻り、《かかし王子》の作曲にとりかかる。
1917年(36歳)ユニテリアン教会の信徒となる。5月12日にバレエ《かかし王子》がブダペスト歌劇場で初演され大成功。
1918年(37歳)オーストリアのウニヴェルザール出版社と楽譜出版契約を結ぶ。《青ひげ公の城》初演。《中国の不思議な役人》作曲開始。
1919年(38歳)クン・ベーラらによるハンガリー革命に際し音楽監理委員会に参加。その後のホルティ・ミクローシュによる反革命によりハンガリーは混乱する。
1920年(39歳)ハンガリーの混乱から移住を検討、2月から5月まで音楽院から休暇をもらい比較音楽学の盛んだったベルリンに赴くが断念する。アメリカからハンガリー民謡についての論文の依頼を受け執筆し、これを書籍にまとめることを企図する。
1921年-1922年 (40歳-41歳)古い知り合いだったイェリー・ダラーニと再会。彼女と共演するために《ヴァイオリンソナタ第1番》を書きあげ、イギリスやフランスで演奏旅行を行う。
1923年(42歳) 6月にマールタと離婚。遅くとも8月には生徒のパーストリ・ディッタ(Pásztory Ditta 1903年10月31日-1982年11月21日)と結婚。《ヴァイオリンソナタ第2番》《舞踏組曲》。
1924年(43歳) 2月に国際現代音楽協会のチューリヒの音楽祭に審査員として参加。7月31日に次男ペーテル誕生。「ハンガリー民謡」がハンガリーで出版。翌年にドイツ語版出版。10月24日にブカレストでヴァイオリニスト・作曲家のジョルジェ・エネスクと自作の『ヴァイオリンソナタ第2番』で共演。
1925年(44歳) 作曲家としては作品を発表せず、ピアニストとしてイタリアやオランダで演奏会を行う。
1926年(45歳) 夏から作曲活動を再開。ピアノソナタ、ピアノ協奏曲第1番などを手がける。中国の不思議な役人のケルンでの世界初演に立ち会うが、大スキャンダルになる。
1927年(46歳) ピアノ協奏曲第1番をフルトヴェングラーの指揮で初演。弦楽四重奏曲第3番を作曲。
1928年(47歳)前年末から2月末まで演奏旅行で初めてアメリカを訪れる。弦楽四重奏曲第4番、2曲の《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ》作曲。
1929年-1930年(48歳-49歳) ソヴィエトへ演奏旅行。ヨゼフ・シゲティやパブロ・カザルスらと共演。帰国後ピアノ協奏曲第2番を作曲。
1931年(50歳) 1月にスペイン旅行。夏は国際連盟の国際知的協力委員会の委員に選ばれてジュネーブの会議に参加し、モントゼーで行われた夏期講習会でピアノ講師を行うかたわら旧作ピアノ曲のオーケストラ編曲を行う。ヴァイオリン教育家エーリヒ・ドフレインの求めに応じて44のヴァイオリン二重奏曲を作曲。「ハンガリー民謡」英語版出版。
1932年(51歳)パウル・ヒンデミットらと共にカイロで行われたアラビア音楽会議に参加。後に<<ミクロコスモス>>となるピアノ練習曲集の構想を初めて公に語る。
1933年(52歳)1月23日にピアノ協奏曲第2番の初演をフランクフルトで行う。これがドイツでの最後の公開演奏だった。
1934年(53歳) 4月にストックホルムに演奏旅行。夏に《弦楽四重奏曲第5番》作曲。9月から音楽院を去り、科学アカデミーの民俗音楽研究員就任。
1936年(55歳) 5月2日にヴァイオリニストのザトゥレツキー・エデと共に故郷に近いティミショアラで演奏会を行うが、生前最後の帰郷となった。《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》作曲。11月にはトルコへの演奏旅行と講演、民俗音楽採集を行う。
1937年(56歳) 1月に『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』の初演に立ち会うためスイス旅行。
1938年(57歳) オーストリア併合に際し、ウニヴェルザール出版社との契約をあきらめ、同社のロンドン代理店業務を担当していたイギリスのブージー・アンド・ホークスと契約を結ぶ。
1939年(58歳) アフメト・アドナン・サイグンを通してトルコのアンカラへ移住する可能性を探るが、思うような返事は得られず。《弦楽のためのディヴェルティメント》《弦楽四重奏曲第6番》作曲。母没。
1940年(59歳) 5月から6月にかけてアメリカ合衆国で演奏会。10月には夫妻でリスボン経由で同国へ移住。コロンビア大学から民俗音楽研究についての名誉博士号を授与され、客員教授として民俗音楽の研究を開始。
1943年(62歳) ハーバード大学での連続講演期間中に白血病により入院。《管弦楽のための協奏曲》を完成。《無伴奏ヴァイオリンソナタ》にも着手。
1944年(63歳) 《無伴奏ヴァイオリンソナタ》・《管弦楽のための協奏曲》初演。
1945年(64歳) 9月26日、ニューヨークにて没。完成寸前のピアノ協奏曲第3番、スケッチのみのヴィオラ協奏曲を遺す(いずれもシェルイ・ティボールにより補筆完成)
1967年 アメリカまで持ち込んで死の直前に完成させた『ルーマニア民俗音楽』の刊行開始(1975年に完結。全5巻)。
1988年7月7日 ハンガリー国葬。ゲオルク・ショルティにより遺骨が母国へ持ち帰られる。


作品
バルトークは「作品番号」を習作の時点からつけており、「Op.1」と付記されている作品は3つある。その3つめである1904年の『ピアノのためのラプソディ』以降はオリジナルの作品には作品番号を付け、民謡からの編曲作品には付けないというルール付けを行った。しかし前述のようにヴァイオリン・ソナタ第1番の出版の際からこれを止める。このような事情から後年学者達が習作なども含めて分類した番号が付けられることも多く、少なくとも3種類の体系がある。ここではハンガリーの作曲家セールレーシ・アンドラーシュ が作成した「バルトークの音楽作品と音楽学論文の目録」での付番「Sz.」を付記する。


交響曲

交響曲変ホ長調 1902年-1903年 Sz.16 ※未完で楽譜自体紛失。スケルツォ楽章のみ現存(Sz.17)

管弦楽曲
交響詩『コシュート』 (1903年) Sz.21
管弦楽のための組曲第1番 (1905年、1920年改訂) Op.3 Sz.31
小管弦楽のための組曲第2番 (1905年-1907年、1943年改訂) Op.4 Sz.34
管弦楽のための2つの肖像 (1907年-1911年) Op.5 Sz.37
第1曲はヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章を流用。第2曲はピアノ曲『14のバガテル』最終曲の編曲
管弦楽のための2つの映像 (1910年) Op.10 Sz.46
ルーマニア舞曲 (1910年) Sz.47a
『2つのルーマニア舞曲』の第1曲を編曲
4つの小品 (作曲1912年、管弦楽化1921年) Op.12 Sz.51
ルーマニア民俗舞曲 (1917年) Sz.68
ピアノ版(Sz.56)の編曲
舞踏組曲 (1923年) Sz.77
トランシルヴァニア舞曲 (1931年) Sz.96
ピアノ曲『ソナチネ』の編曲
ハンガリーの風景 (1931年) Sz.97
ピアノ曲集の『10のやさしい小品』『3つのブルレスク』『4つの挽歌』『子供のために』より5曲を抜粋して編曲
9つのハンガリーの農民歌 (1933年) Sz.100
ピアノ曲『15のハンガリー農民歌』の後半9曲を編曲
弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 (1936年) Sz.106
弦楽のためのディヴェルティメント (1939年) Sz.113
管弦楽のための協奏曲 (1943年) Sz.116


協奏曲
協奏曲に類するものも含む。

ピアノと管弦楽のためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.27
『ピアノのためのラプソディー』の編曲
ピアノと管弦楽のためのスケルツォ(ブルレスク)(1904年) Op.2 Sz.28
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1907年-1908年) Sz.36
ピアノ協奏曲第1番 (1926年) Sz.83
ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.87
『ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番』の編曲
ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.90
『ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番』の編曲
ピアノ協奏曲第2番 (1930年-1931年) Sz.95
ヴァイオリン協奏曲第2番 (1937年-1938年) Sz.112
2台のピアノと打楽器のための協奏曲1940年 Sz.115
『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』の編曲
ピアノ協奏曲第3番 (1945年) Sz.119
残り17小節の管弦楽についてのみティボール・シェルイが補筆
ヴィオラ協奏曲 (1945年) Sz.120
未完。ティボール・シェルイによって完成。他にも複数のバージョンがある。


舞台作品
オペラ『青ひげ公の城』 (1911年) Op.11 Sz.48
バレエ『かかし王子』 (1914年-1916年、1931年改訂) Op.13 Sz.60
改訂時に一部を抜粋した演奏会版を作成している
パントマイム『中国の不思議な役人』(1918年-1924年、1931年改訂) Op.19 Sz.73
一部をカットした演奏会版がある。


室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番 (1908年-1909年) Op.7 Sz.40
弦楽四重奏曲第2番 (1915年-1917年) Op.17 Sz.67
ヴァイオリン・ソナタ第1番 (Vn.&Pf) (1921年) Sz.75
初演時のプログラムにはOp.21とあったが、出版時に削除。
ヴァイオリン・ソナタ第2番 (Vn.&Pf) (1922年) Sz.76
弦楽四重奏曲第3番 (1927年) Sz.85
ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.86
ヨゼフ・シゲティに献呈
チェロとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.88
演奏会で共演したパブロ・カザルスのためにヴァイオリンからチェロ用に編曲
ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.89
ゾルターン・セーケイに献呈
弦楽四重奏曲第4番 (1928年) Sz.91
44のヴァイオリン二重奏曲 1931年 Sz.98
弦楽四重奏曲第5番 (1934年) Sz.102
2台のピアノと打楽器のためのソナタ (1937年) Sz.110
ヴァイオリンとクラリネットとピアノの為のコントラスツ 1938年 Sz.111
シゲティとベニー・グッドマンに献呈
弦楽四重奏曲第6番 1939年 Sz.114
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 1944年 Sz.117
ユーディ・メニューインに献呈


ピアノ曲
ピアニストで教育者でもあったバルトークは、ここに挙げた以外にも多数の作品(教則本含む)がある

ピアノのためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.26
14のバガテル (1908年) Op.6 Sz.38
10のやさしい小品 (1908年) Sz.39
2つのエレジー (1908年) Sz.41
子供のために (1908年-1909年) Sz.42
民謡の影響が濃厚な子供の教育用教本。死の1945年まで何度も改訂している。
2つのルーマニア舞曲 (1910年) Op.8a Sz.43
4つの挽歌 (1910年) Op.9a Sz.45
3つのブルレスク (1911年) Op.8c Sz.47
アレグロ・バルバロ (1911年) Sz.49
題名はフランスの新聞にバルトークとコダーイの作品の演奏会時に「ハンガリーの若き2人の野蛮人」と書かれたことに対する皮肉。
ピアノの初歩 (1913年) Sz.53
ソナチネ (1915年) Sz.55
ルーマニア民俗舞曲 (1914年) Sz.56
ルーマニアのクリスマス・キャロル (1915年) Sz.57
ピアノのための組曲 (1916年) Op.14 Sz.62
15のハンガリーの農民の歌 (1918年) Sz.71
ハンガリー民謡による8つの即興曲 (1920年) Op.20 Sz.74
ピアノ・ソナタ (1926年) Sz.80
組曲『戸外にて』 (1926年) Sz.81
9つのピアノ小品 (1926年) Sz.82
8曲目に「タンバリン」という曲があるが、バルトークがスペインを訪れた際の印象を元にしたものとも言われている。
ミクロコスモス (1926年-1939年) Sz.107


声楽曲
ここに挙げた以外にも多数。

民謡様式による3つの歌 (1904年) Sz.24
ハンガリー民謡 (1906年-1907年) Sz.33
5つの歌曲 (1915年) Sz.61
エンドレ・アディの詞による5つの歌曲 (1915年) Sz.62
8つのハンガリー民謡 (1908年-1916年) Sz.64
村の情景 (1924年) Sz.78
室内管弦楽と女声合唱のための『3つの村の情景』 (1926年) Sz.79
『村の情景』より3曲を抜粋し、伴奏を管弦楽化したもの
4つのハンガリー民謡 (1930年) Sz.93
カンタータ・プロファーナ 1930年 Sz.94
声とオーケストラのための5つのハンガリー民謡 (1933年) Sz.101


著作・手紙ほか
『バルトーク音楽論集』 (岩城肇 訳 / 御茶の水書房 / 1992年8月 / ISBN 4275014774 / 旧版・同[あごら叢書]、1988年)
元版 『バルトークの世界 自伝・民俗音楽・現代音楽論』(岩城肇 訳/ 講談社 / 1976年)
『ある芸術家の人間像 バルトークの手紙と記録』 (羽仁協子 編訳 / 冨山房 / 1970年)
『資料と写真で見る バルトークの生涯』 (フェレンツ・ボーニシュ編・著 / 国際文化出版社 / ISBN 4875460007、1981年)
『バルトーク・ベーラ ハンガリー民謡』 (間宮芳生・伊東信宏 歌詞対訳 / 全音楽譜出版社 / 1995年 / ISBN 4116050822)
『バルトーク音楽論選』(伊東信宏・太田峰夫 訳 / ちくま学芸文庫 / 2018年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A9
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/804.html

コメント [カルト34] ゴミ売り・自民48立憲13。電通ムサシCFRは今回も不正選挙をする気満々のようである。 ポスト米英時代
2. 2021年10月06日 06:26:40 : 1tZRpxjYnM : bUYuaUYyL2VueWc=[9]
嘘っぱちだと分かっていてもそのネタで騒ぐってのは
もう刷り込み作業が始まってるってことだろう。
騒いでる本人は気付かないのか或いは「煽り屋」や「煽られ屋」の
バイト仕事でもあるんだろうが。

「皆様、上方をご覧ください。自民党支持率でございま〜す」
「皆様、下方をご覧ください。野党支持率でございま〜す」
「皆様、岸田内閣をご覧ください。強かそうでございま〜す」
「皆様、自民党をご覧ください。何がなくても自民党でございま〜す」
「皆様、野党野合をご覧ください。不安でございま〜す」

以上、マスコミ日本ツアーガイドでした。
因みに「名物に旨いものなし、マスコミに真実なし」

岸田内閣の支持率が高かろうが低かろうが元々がインチキなんだから
それに乗せられる人こそ「軽い神輿」に乗せられる何とかの人
その者だろう。



http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/170.html#c2

コメント [医療崩壊7] 昨年殺害された熊本大の女性研究員は、酸化グラフェンによるウイルス除去研究を発表した研究室で新型コロナの研究をしていた  魑魅魍魎男
10. 2021年10月06日 06:30:05 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[383]
こんな下らないことで殺人を犯すとは思えない。
やはり大きな組織が後ろにあるのではないか?

「自分は社長」うそ発覚し殺害、起訴内容被告認める 熊大研究員殺害
(朝日新聞 2021/10/5)
https://www.asahi.com/articles/ASPB56K85PB5TIPE00Z.html
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/315.html#c10

コメント [近代史6] バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945) 中川隆
1. 中川隆[-16123] koaQ7Jey 2021年10月06日 06:31:02 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[9]
バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html  

最美の音楽は何か? _ バルトーク『青ひげ公の城 作品11 Sz.48』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/402.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『中国の不思議な役人 作品19 Sz.73』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/401.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 BB 114』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/400.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『管弦楽のための協奏曲 BB.123 Sz.116』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/399.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ協奏曲第2番 Sz.95 BB101』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/395.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ協奏曲第3番』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/211.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ヴァイオリン協奏曲 第2番 Sz.112』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/396.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『2台のピアノと打楽器のための協奏曲 Sz.115 BB 121』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/397.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz.110 BB 115』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/398.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第3番 BB 93 Sz.85』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/406.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第4番 BB 95 Sz.91』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/405.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第5番 BB 110 Sz.102』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/404.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第6番 Sz. 114, BB 119』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/403.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ヴァイオリンソナタ第1番 Sz.75 BB 84』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/409.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ヴァイオリンソナタ第2番 Sz. 76 BB. 85』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/408.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『コントラスツ Sz.111 BB 116』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/407.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ・ソナタ Sz80 BB88』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/411.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『アレグロ・バルバロ BB 63 Sz. 49』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/410.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/804.html#c1

コメント [近代史4] バルトーク 中川隆
2. 中川隆[-16122] koaQ7Jey 2021年10月06日 06:31:31 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[10]
バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html  

最美の音楽は何か? _ バルトーク『青ひげ公の城 作品11 Sz.48』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/402.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『中国の不思議な役人 作品19 Sz.73』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/401.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 BB 114』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/400.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『管弦楽のための協奏曲 BB.123 Sz.116』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/399.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ協奏曲第2番 Sz.95 BB101』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/395.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ協奏曲第3番』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/211.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ヴァイオリン協奏曲 第2番 Sz.112』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/396.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『2台のピアノと打楽器のための協奏曲 Sz.115 BB 121』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/397.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz.110 BB 115』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/398.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第3番 BB 93 Sz.85』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/406.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第4番 BB 95 Sz.91』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/405.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第5番 BB 110 Sz.102』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/404.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『弦楽四重奏曲第6番 Sz. 114, BB 119』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/403.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ヴァイオリンソナタ第1番 Sz.75 BB 84』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/409.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ヴァイオリンソナタ第2番 Sz. 76 BB. 85』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/408.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『コントラスツ Sz.111 BB 116』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/407.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ・ソナタ Sz80 BB88』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/411.html

最美の音楽は何か? _ バルトーク『アレグロ・バルバロ BB 63 Sz. 49』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/410.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/154.html#c2

コメント [原発・フッ素53] 北海道に避難された方からのメール 「福島に残った人がどんどん亡くなっている」  魑魅魍魎男
24. 2021年10月06日 06:32:02 : agrtvddLmo : OUVMcTd3N2V0cEk=[8]
けがで意識不明の重体だった県議が26日死亡

9月19日、越前市内で頭にけがをした状態でみつかり、意識不明の重体になっていた県議会の議員が26日夜、入院先の病院で亡くなりました。

議員は9月19日、越前市内で頭にけがをした状態で意識がもうろうとしているのが見つかり、病院に搬送されて手当てを受けましたが意識不明の重体となっていました。

県議は反原子力だったそうで、福井県は原発銀座があり原子力王国ですから、暗殺された可能性が非常に高いですね。

警察もグルですから、ろくに捜査もしないで終わりでしょう。
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/675.html



http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/681.html#c24

コメント [近代史6] バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945) 中川隆
2. 中川隆[-16121] koaQ7Jey 2021年10月06日 06:33:34 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[11]
バルトーク自作自演

バルトーク・ベーラ(Bartók Béla, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)


Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro






Béla Bartók plays Bartók "For Children"




For Children, BB 53 (excerpts)

Vol. 1: No. 3. Quasi adagio – No. 4. Pillow Dance – No. 6. Study for the Left Hand – No. 10. Children’s Dance – No. 12. Allegro - No. 13. Ballade – No. 15. Allegro moderato – No. 18. Soldier’s Song – No. 19. Allegretto – No. 21. Allegro robusto
Vol. 2: No. 26. Moderato – No. 34. Allegretto – No. 35. Con moto – No. 31. Andante tranquillo – No. 30. Jeering Song

rec. 1945

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/804.html#c2
コメント [近代史4] バルトーク 中川隆
3. 2021年10月06日 06:34:19 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[12]
バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/804.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/154.html#c3
コメント [原発・フッ素53] けがで意識不明の重体だった辻一憲県議が26日死亡 (NHK福井)  魑魅魍魎男
20. 2021年10月06日 06:35:49 : agrtvddLmo : OUVMcTd3N2V0cEk=[9]
全国原子力所在市町村協議会会長 高木孝一 敦賀市長 の発言

「56年4月の日本原電放射能漏れ事故はマスコミが騒いだだけ。原子力は金になる」
http://blog.livedoor.jp/ippaku1/archives/52396767.html



http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/675.html#c20

コメント [医療崩壊7] またまた、新型コロナワクチンから円盤の集合物のような人工構造物が見つかる (Stew Peters Show)  魑魅魍魎男
9. 2021年10月06日 06:36:30 : liyV9g3YOo : UXRuaFZlbnVPS0U=[11]
>>7 

日付順に並べてみると・・・

>米軍、コロナワクチンの接種義務化になったら辞める兵士が続出か? 約75%が接種拒否、日本の自衛隊は… 2021.07.09 https://tocana.jp/2021/07/post_214811_entry.html

>海兵隊員に予防接種を義務付けないで頂きたい。海兵隊トップ デビッド・H・バーガー将軍
 2021-08-14 https://ameblo.jp/tony-9/entry-12692124702.html
翻訳:スゴイ!この将軍に5つ星を!
__海兵隊のデビッド・H・バーガー将軍が月曜日に反論を。
国防長官に向け「海兵隊員に予防接種を義務付けないで頂きたい」と語ったものです。バーガー将軍はオースティン長官に対し、「いかなる状況下にあろうと、海兵隊員は、FDAの完全な承認を受けていない、潜在的に危険なワクチンを強制接種されるいわれはない」とし、「あなたは臆病者であり、裏切り者であり、我が国に安全を提供する男女に邪悪な政策を押し付ける人々に操られている。あなたも、あなたの操り人形である大統領にも、このような政策を実施する権限はない」と述べました。

>「獲得免疫の破壊」・・2021-08-22 https://ameblo.jp/tarooza/entry-12693471417.html
コロナ感染症から生き延びた結果、自然に抗体を獲得した兵士が、ワクチン義務化に反対、ペンタゴンを訴える。ワクチン義務化(命令)は、折角できた獲得免疫を破壊する愚策である。

>米陸軍、新型コロナワクチン接種拒否する兵士は除隊も2021-09-16 05:55:03
https://ameblo.jp/tony-9/entry-12698169693.html?frm_src=thumb_module
___米陸軍、新型コロナワクチン接種拒否する兵士は除隊も
[15日 ロイター] - 米陸軍は14日、新型コロナウイルスワクチンの接種を拒んだ兵士は停職や除隊処分になる可能性があることを明らかにした。 米食品医薬品局(FDA)は8月、米ファイザーと独ビオンテックが共同開発した新型コロナワクチンを正式承認。 オースティン米国防長官は、現役の軍人は全員接種を受けるよう命令した。

>ビガノ大司教 「これは神を怒らせる重罪だ」 ワクチン接種とそれを推進する教皇を厳しく批判 
Posted on 8:44 PM Sep 30th, 2021  http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/473.html
ビガノ大司教がコロナワクチンについて「実験段階で接種を強制することは、人道に対する犯罪だ。
全人類に対する計画的な虐殺である」と述べた



http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/485.html#c9

コメント [経世済民135] 「借金王」企業ランキング、3位本田技研、2位ソフトバンクG、有利子負債額25兆円の1位は?(オトナライフ) 赤かぶ
14. 2021年10月06日 06:37:48 : Sn698n5Lng : eGtUbEpPT3EuZTY=[282]
こんな状態で「この国はダイジョブ」
なんて仄めかす奴はアホか悪人かその両方w

文章がながければ、それだけ説得力が増す
とか思ってるアホも同様
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/541.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
22. 赤かぶ[151423] kNSCqYLU 2021年10月06日 06:37:49 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50182]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
23. 2021年10月06日 06:38:08 : rYUOvuhSGg : LnNqMkJWNjZYU0E=[261]
子なかせ爺の橋本五郎
先週のウィークエンダーで
自民党の支持率が上がったうそぶいていた
麻生政権発足時解散しなかったのが
自民党政権の交代となったと
自民党から残飯を恵んでもらって
生き延びていた乞食メディアにとって
国民の不幸より
自分らの残飯確保を第一だ
世論を操り国民を騙すこと
これが罵奸凌から命じられた使命だ
わからん不正開票より
この偏向報道こそ
叩くべき相手だし
自民党議員特権を「許さないことが
罵奸凌と乞食メディアの
暴走を許さないことにつながるのだ
民主主義を破壊する乞食メディアに
お前らには操られないという
意思表示をしなければ
日本はミャンマーや香港になるゾ
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c23
コメント [医療崩壊7] 箝口令が敷かれていたオーストラリアの看護師たちが内部告発グループを結成 COVID-19ワクチンによる傷害事件の病院で起きてい… 魑魅魍魎男
10. 2021年10月06日 06:43:00 : agrtvddLmo : OUVMcTd3N2V0cEk=[10]
けがで意識不明の重体だった辻一憲県議が26日死亡

9月19日、越前市内で頭にけがをした状態でみつかり、意識不明の重体になっていた県議会の辻一憲議員が26日夜、入院先の病院で亡くなりました。

辻議員は9月19日、越前市内で頭にけがをした状態で意識がもうろうとしているのが見つかり、病院に搬送されて手当てを受けましたが意識不明の重体となっていました。

県議会の議会局によりますと、辻議員は26日午後9時前、入院先の越前市内の病院で亡くなったということです。
56歳でした。
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/675.html



http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/482.html#c10

コメント [国際31] イスラエルはワクチン・パスポートの有効期限を半年に変更、半年ごとに接種か?(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
4. 2021年10月06日 06:49:07 : gc0hUEuHH6 : d0ltbjlWTnM3TG8=[4]
ワクチン打ちゃぁいいんだろ、ってことで
こぞってスプートニクVに流れそう。

 
http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/125.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK283] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) :経済板リンク  赤かぶ
1. 2021年10月06日 06:50:36 : rYUOvuhSGg : LnNqMkJWNjZYU0E=[262]
ネットウヨクの
逃げ恥支持者よ
働いてないから
逃げ恥のゲスさ加減はわからないな
そして口だけだから
英霊特攻を称える
あいつらのゲスさがわからないな
4列目の男をバカにしながら
しっかり4列目にいる
知らんうちセーフティネットもはがされて
すっかかんになって捨てられるぞ「
逃げ恥自民党や維新に
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/472.html#c1
コメント [カルト34] 泣生・和歌山の小学生がワク死亡したら近くの水管橋が崩落。ダマスゴミは後者だけ報道、スピンの為に崩落させた悪寒である。 ポスト米英時代
2. 2021年10月06日 06:52:13 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[3853]
どっかの途上国や斜陽の元先進国ならともかく日本で水道設備が崩落とか実に奇異、奇妙、起きるなら最後に起きる国ではと  結果=ゴ主張にもツイ納得

http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/169.html#c2
記事 [医療崩壊7] トルコBeyazTV ワクチンを接種した母親から奇形のある新生児が生まれていることを報道 
https://gettr.com/post/pd6t5lc31b
土耳其Beyaz TV新聞報導: 有多個案例發現婦女接種了
BioNTech或者Moderna出生的嬰兒有多手/脚/尾巴。

「Erbakan: Tek gozlu kuyruklu cocuklar do?du!」 (Beyaz Haber 201/9/16)
https://www.youtube.com/watch?v=ywPmw2Y3QkE
Posted on 3:54 PM Oct 4th, 2021

トルコBeyazTVニュースレポート:
女性がワクチン接種を受けていることが判明した複数のケースがあります
BioNTechまたはModernaで生まれた赤ちゃんには、複数の手/足/尾があります。

----(引用と自動翻訳ここまで)-----------------------------

トルコのTVニュースです。
YouTubeの動画はすぐに削除されてしまうので、すぐに見て下さい。
(どなたか英語か日本語に訳していただけると助かります)

やはり、新型コロナワクチンによる先天性の奇形が出てきたようです。

妊活中、妊娠中の方、授乳中の方は絶対に新型コロナワクチンを打ってはいけません。
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/486.html

コメント [カルト34] 泣生・和歌山の小学生がワク死亡したら近くの水管橋が崩落。ダマスゴミは後者だけ報道、スピンの為に崩落させた悪寒である。 ポスト米英時代
3. 2021年10月06日 06:58:29 : uKCGJMvQw2 : dDZkS0NXOU04aVk=[18]

 なるほどですね。そうじゃなきゃ、あんなはずないもんね。

http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/169.html#c3
コメント [カルト34] 中露に占領された方がましと考える若者の二割は、与野党を見る目は冷ややかで、占領国が電通ムサシCFRに不正選挙をさせるの… ポスト米英時代
9. 2021年10月06日 07:00:21 : uwDEBvBVrU : TkUxV2xsV29VanM=[25]
太平洋戦争で、日本は解放されたんだろ?

あれを日本人の敗戦とか、頭がおかしいのではないか?

負けたのは「専制と隷従、圧迫と偏狭」を強制する政府です。

どう見ても国民レベルでは、犯罪人を追放してくれた米軍に感謝。
http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/163.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
1. 赤かぶ[151424] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:00:50 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50183]

「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」 岸田総理がバイデン大統領と電話会談
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5abbb3aac0453da08976c08519033b8a2af6025
10/5(火) 9:23 ABEMA TIMES

 岸田総理は5日午前、アメリカのバイデン大統領と20分程度の電話会談を行い、やりとりについて「バイデン大統領のほうから私の就任に対する祝意が示され、私のほうからは御礼を申し上げ、こうしたやりとりからスタートした。バイデン大統領との間においては、日米同盟の強化、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けともに取り組んでいく、こうしたことを確認した」と明かした。

【映像】岸田総理 バイデン氏と電話会談「重要な一歩」

 また、中国や北朝鮮などの近隣地域の課題に緊密に対応していくこと、拉致問題解決に向けた連携を確認したと説明。さらに、「お互いをジョー、フミオと呼び合うことを確認した」と述べ、早期に対面で会談を行う意向だとした。(ABEMA NEWS)


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c1
記事 [近代史6] ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)

20世紀生まれの唯一のメジャーな大作曲家。
戦中戦後のロシアの悲劇を連想させる現代的な社会性を音楽芸術として昇華させつつ、古典的な形式であり、和声も歪んではいるがとっつき易いのが人気の所以か。
スケールが大きく深刻でシリアスな本格的なところが魅力である。一方で軽妙でシニカルさが魅力の曲も多い。
ただ個人的には、頭の中だけで書いたような機械的な書法に感じたり、わざとらしい作り物の盛り上げ方が気になる時がある。


交響曲

交響曲第1番 ヘ短調 作品10 (1925年)
3.5点
19歳の作品で、音に純朴さはあるがセンス抜群で非常によい。後年のひねくれたセンスや国家的なものとの戦いの要素がまだなく、精神的深さは無いものの彼の音感が原石として現れており、それが素晴らしい。

交響曲第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」 (1927年)
3.5点
前衛的な一楽章もの。短くて聴きやすい。ウルトラ対位法の部分はもの凄く面白い。だが最後の暑苦しい合唱はいやになる。1番ほどの感動は無いが、音楽としての充実と楽しさは上である。

交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」 (1929年)
3.5点
後年のショスタコらしさがかなり現れている。後年に見られる同じ音型を一定時間繰り返すことをせず、きびきびと次に展開していくのが非常に好印象でかなり良い。内容が濃い。

交響曲第4番 ハ短調 作品43 (1936年)
3.5点
1楽章はマーラー的なスケールの巨大な音楽。展開部の超高速のフーガは狂気にも程がある。マーラーのようなオーケストラの酷使と、ゴツゴツした荒さと、素材の乱暴な扱いによる取っつきにくさが魅力。2楽章もスケルツォも3楽章も同様の印象である。5番以降のように器用に整理されておらず、生々しい、未整理の"音のるつぼ"であるのが大きな魅力であると同時に、聞きにくく分かりにくい欠点にもなっている。

交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年)
5.5点
純音楽的に優れているという点ではショスタコーヴィチの最高傑作だと思う。特に1楽章と3楽章は非常に出来がよい。他の交響曲の深い精神世界を知ってしまったファンは、この曲を浅く感じるので最高傑作と呼ばないかもしれないが、初心者にはやはり真っ先にお勧めしたい。

交響曲第6番 ロ短調 作品54 (1939年)
4.0点
1楽章はマーラーのようなゆったりした時間の流れで、大河的な巨大なスケールで叙情的に沈鬱な表情で世界の悲劇を嘆くような、非常に秀逸な楽章。2楽章は1楽章を受けた軽くて気分転換できる良い曲。3楽章は表面的な音楽でいまいちなように感じられるが、裏に皮肉や偽善を隠しているのに着目すると天才的と感じる曲。

交響曲第7番 ハ長調 作品60 (1941年)
4.5点
派手にドンチャン騒ぎする曲。確かに浅いから「壮大な愚作」という評価はしっくりくるものであるが、とはいえ大河的、国家的な壮大さを表現できており、やはりよい曲といえると思う。特に1楽章の中間の部分や3楽章は優れていると思う。

交響曲第8番 ハ短調 作品65 (1943年)
4.0点
純音楽的にはすこし冗長さが感じられたり響きの多様性や発想力が5番より劣る気がするが、精神的な深さとドラマ性では上回る。

交響曲第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)
3.0点
この曲は第九なのにスケールが小さく肩すかしを食わせた曲として有名だ。自分は率直に言ってどう聴いたら良いのかよく判らない。いつもの精神的重さが無いが、それを代替する何かがあるかというと、センスが特別に良いとは思わないし、思い当たらない。交響曲と呼ぶのに必要なものが足りない気がする。交響的な組曲を聴く位の気分で気軽に接するのが正解だろうか。一応後半は何故かいつもの交響曲らしさを少しみせたりするが。

交響曲第10番 ホ短調 作品93 (1953年)
4.0点
古典的な均整の取れた4楽章制であり、内容も正統派の力作。古典性を備えた交響曲としては最後の作品集。8年経ち久しぶりの交響曲として気分一新で書いた事が伺える。スターリン時代の人々の苦悩や暴力が国家的なスケール感をもって見事に描かれているし、表面的な表情の裏では別のことを考えていそうな多義性もある。ただ、ショスタコーヴィチが狙っているその通りに音楽が進みすぎるような、作り物っぽさをどこかに感じる。

交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」 (1957年)
3.5点
キリキリと音楽のテンションを高めたり沈鬱な音を鳴らして精神的なものを表現する感じが薄い、描写的な音楽。映画に使えそう。描写的なので音楽として楽しく聴ける。異常なテンションの高さが現れないので長い曲だが聴いていて疲れずまったり楽しめてよい。

交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」 (1961年)
2.5点
13番と共通するエグい音が散見される。あまり精神的な深い世界を描いていない描写的な交響曲だが、同じように扱われる11番ほど音の密度が濃くなく説得力がない。音だけではよく分からず曲の世界にのめり込めない。

交響曲第13番 変ロ短調 作品113 (1962年)
3.8点
全5楽章。バスの独唱と合唱のみであり、特に読経しているかのような単一声部の男声が暑苦しくも凄い迫力で印象的。大河的で圧倒的に巨大で骨太な音楽であり、歴史の闇を生々しく描き真正面から告発するような内容である。オーケストラは低音を使いドーンとかグワーンと鳴らされるのが、読経のような合唱とあいまって東洋的に感じる。異様な迫力と生々しさと巨大さは4番と並ぶ。最大限に深刻な1時間の音楽を緩みなく作りきった精神力は感服するが、純粋に音楽として評価すると、曲の雰囲気があまり変わらず、楽想のバラエティーの豊さはショスタコービチの交響曲の中で一番少ないと思うため、力作だが名曲というには少し足りない。

交響曲第14番 ト短調 作品135 (1969年)
3.5点
全11楽章の歌曲の交響曲。晩年の不思議な美しさが顔を見せている。13番同様に力作である。マーラーの大地の歌同様に体裁は交響曲ではないが内容の充実と有機的なテーマの関連性とつながりがあるので交響曲と呼ばれることに違和感は無い。久しぶりに歴史や国家から離れて個人の世界がテーマになった曲。バラエティーと変化に富むので聴きやすい。

交響曲第15番 イ長調 作品141 (1971年)
3.0点
様々な楽曲の引用で彩られたショスタコ流の人生回顧曲。ここでも歴史や国家のテーマは感じられない。曲の不思議な明るさと無邪気さには童心回帰を感じる。後半は音が薄く虚無感がある。謎めいた夢の中に帰るような終わり方は素晴らしい。しかし全体としては名曲とかの類ではないと思う。

弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49 (1938年)
3.0点
明朗で爽やかな印象が強く分かりやすい。とはいえ諧謔などショスタコらしい要素は詰まっている。ちゃんとした音楽を充実した内容で書くという自信を感じる。

弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68 (1944年)
2.5点
2次大戦中の曲で、大作。一楽章は少し変わった雰囲気でショスタコじゃないみたい。二楽章以降はなかなか本格的で重い。精神的にもなかなか深いものを表現している。ただ音楽の素材は彼の中の一級品は使ってないと思う。

弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73 (1946年)
3.5点
交響曲8番と共通する悲劇的で深い世界を表現している。中期の交響曲群に匹敵する重さと響きの質の高さを持った作品。

弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83 (1949年)
2.5点
悪くはなく所々いい場面があるのだが強い印象は無く地味。曲の素材が一級品でなく二軍を使ってる。

弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92 (1952年)
3.0点
アダージヨが美しい名作で心惹かれた。その流れで三楽章も楽しめた。最後の場面はショスタコ得意のパターンとはいえ美しい。

弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101 (1956年)
2.5点
ショスタコの四重奏にしては全体が快活な雰囲気でまとめられており聴きやすい。

弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108 (1960年)
2.5点
短い作品で、ショスタコ節を鳴らして終わる普通の曲。

弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110 (1960年)
3.5点
激情にかられて一気に書いたという逸話に納得の内容。彼の熱い思いがみなぎるテンションに圧倒される。

弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117 (1964年)
3.0点
ショシタコらしい音がして、バラエティー豊かで内容は豊富でバランスが取れているという点で聴きやすい。

弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118 (1964年)
3.0点
交響曲のような発想が所々あり、力強い楽章などそれなりに聞き応えがある。

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122 (1966年)
3.0点
ダークで殺伐とした静かな後期の世界が展開される。複雑怪奇なフレーズは少ない。夜の闇の静けさの中で事象が発生しはるか遠くに消えていくかのようである。

弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133 (1968年)
3.5点
歯止めの利かないクレイジーさはベートーベン後期のようだ。二楽章はしつこく繰り返される動機が妙に印象に残り、その間を自由で即興的で異様な内容の音楽がつないでいく。やけに即物的な音楽であるが、それがいい。後期四重奏の魅力を強く感じられる。

弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138 (1970年)
3点
リズムがなく、もはや観客の視点も無い。暗闇の中で何かが唸っているような、自然の中の何かの現象が発生しているような曲。構成感も希薄で現代音楽のよう。雅楽のような虚無の使い方。ショスタコにしてはやり過ぎではないかとも思うが、割り切って聴けば悪くない気もする。
弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142 (1973年)
3点
1楽章はヘンテコで正直どう感じればいいのか分からない。二楽章はやたら分かりやすい、そして分かり易いと自然と感情移入できるというのを実感する。三楽章も自由だが割と音楽になっており理解は可能。

弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144 (1974年)
3点
全編アダージョの長い曲だが、音楽的に充実していて飽きることなく最後まで聴ける。後期の四重奏の中で一番聴きやすい。ヴィオラソナタのように最晩年らしい特別な感情や世界が展開されてる感じではなく、ただただ叙情の世界である。

弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)


管弦楽曲・吹奏楽曲

タヒチ・トロット (1928年)
3.5点
ヒットソングの編曲で、45分でオーケストレーションしたらしい。なかなか洒落ていて色彩的で愉しい編曲で面白い。何しろ原曲が秀逸である。

ジャズ・オーケストラのための第1組曲 (1934年)
3.5点
いわゆるジャズに分類される音楽ではないが、今でも耳にする事があるようか古いバンド向けお洒落音楽ではある。線を繋げて構成するショスタコーヴィチの柔軟さが生かされている。洗練度は微妙だが、クラシック専門作曲家にしてはセンスがよい。奔放な発想力が凄い。

ジャズ・オーケストラのための第2組曲 (1938年)
2.5点
ブラスバンド用もしくはディズニーランドで流れているような音楽のよう。ごくありきたりの音楽であり、悪い曲ではないがショスタコーヴィチ作曲である附加価値は何も無い。なお、いわゆるジャズ的な音楽ではない。この曲の本来の題名は舞台管弦楽のための組曲であり、誤って「第2番」として知られてしまっているのだそうだ。

荘厳な行進曲 (1941年)

バレエ組曲第1番 (1949)
3.5点
非常に軽妙な舞台音楽の再編集による組曲。よくある音楽にショスタコーヴィチらしい味付けがされており、作曲者の個性がちゃんと発揮されている。センスがかなり良いし表情豊かで1曲ごとにちゃんと個性があるので、心底楽しい気分で聴ける。いつもの深刻なショスタコーヴィチとは全然違う一面がみれる。この曲集は1曲が非常に短いので聴きやすい。

バレエ組曲第2番 (1951)
3.8点
2曲目に独奏チェロを使用した7分程度のアダージョがあるのが特徴。アダージョといっても軽くて楽しい気分で聴けるものである。そのような楽しい曲を書けたショスタコーヴィチのセンスに驚く。その他の曲は1番と基本的に似ていて、同様に楽しめる。4曲目のトランペットの独奏によるロマンスは昭和の歌謡曲のようで面白い。そして非常にいい曲。

バレエ組曲第3番 (1952)
3.0点
この曲集もやはり個性豊かで聴いていて楽しい曲の集合である。しかしながら、曲にありきたりな感が増している印象をうけた。はっとするような感動や感心してしまうような場面が少なくて、よくある音楽にわずかな一捻りを入れただけの曲ばかりと思ってしまった。

バレエ組曲第4番 (1953)
2.8点
3曲しかなくて1曲が3から5分程度と長いのが特徴。どれも普通の曲であり、あまり特徴が無いので面白いと感じなかった。他のバレエ組曲同様に軽快ではあるが、軽やかさが少ない。

祝典序曲 (1954年)
2.5点
ファンファーレ吹きまくりのノリノリの曲である。生で聴いたら楽しそうだが、CDで鑑賞する場合にはそれほどいい曲ではない。

交響詩「十月革命」 (1967年)
2.0点
耳に残るものがなくつまらない。交響曲の中の一つの楽章だと評価が変わるかもしれないが、単品の曲としては評価できない。

交響的哀悼前奏曲 (1967年)

「緑の工場」のための序曲

ソヴィエト民警の行進曲(1970年)
2.0
吹奏楽曲。普通のマーチ。少しだけショスタコ風ひねりがある程度。

ロマンス『春よ、春よ』Op128
2.0
断片的な歌曲。歌詞も分からないのにわざわざ聞くほどのものでない。

協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35 (1933年)
3.5点
弦楽合奏のピアノ協奏曲だけでなく、所々にトランペットの効果的な彩りが入っているのが楽しい。重音が少なく軽快に駆け巡るピアノ書法と伴奏が良くマッチしている。軽くて楽しい曲だが適度にシニカルさが混入して表情豊かになり、聴き映えのある仕上がりになっている。

ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102 (1957年)
3.0点
1番以上に軽快な曲であまり深い内容はありそうにない。聴く側も気楽に娯楽音楽を聴く気分で接すると良さそう。駆け巡るようなピアノ書法や2楽章の叙情性は楽しい。

ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99) (1948年)
3点
交響曲以上に暗くて分厚くずっしりと重たい感じのする曲。本格派だが、暗すぎて気分が乗らないと聞いていて滅入ってしまう。しかも一楽章と三楽章が両方そう。カデンツァ長すぎ。アップテンポの楽章も耳に心地よくない。

ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129 (1967年)
2.0点
どの楽章も魅力や光るものが無いと思う。美しさや感動もなく、耳に痛いギシギシとしたヴァイオリンが続く。

チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 (1959年)
3.0点
1楽章は同じ音型を繰り返すだけの行進曲で前奏曲のようなイメージ。二楽章は長くて叙情的でなかなか美しい音楽。三楽章は二楽章の続きでまるまる楽章全部がカデンツァ。四楽章はコンパクトな締めの楽章で悪くない。早い楽章は小品で、緩徐楽章がメインの曲。

チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 (1966年)
3.0点
アダージョで始まる。長大で内省的にせつなく歌い続けるのはチェロの魅力を生かしてる。二楽章は短く活動的で、三楽章は長大で中庸なスピードや内容だが、重くないサウンドで飽きずに楽しめる。最後が交響曲15番と似たような終わり方なのが面白い。


室内楽曲

弦楽八重奏のための2つの小品 作品11 (1927年)
3.5点
二曲とも豊富な声部を面白く活用して興味深い音楽を作っている。聞き応えあり。

チェロ・ソナタ ニ短調 作品40 (1934年)
2.5点
静かで叙情的な1楽章と3楽章が長大で曲の中心になっている。分かりやすい歌うような部分は多いが、すぐに皮肉な捻りが入り落ち着かない。暗いような明るいようなはっきりしない場面が続く。2楽章と4楽章は割とはっきりしており聞きやすい。全体に心への響きが弱い。

ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57 (1940年)
4.5点
交響曲5番と同様に、観念的な精神性にも娯楽性にも偏らず、正統的で純粋な音楽的内容の豊富さとレベルの高さと密度の濃さが特徴。交響曲以上の内容の豊富さであり、大変に聴き応えがある。しかも真実味に溢れ、交響曲のように余計なエンターテイメント性に気を使う必要も無く内容に注力出来ている。ショスタコーヴィチの最高傑作候補の一つ。

ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8 (1923年)

ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67 (1944年)
3.0点
1楽章と3楽章の追悼音楽の雰囲気が印象的。全体にとっつきにくく、心地よさを拒絶しているような内容で、メロディーがはっきりせず耳に残らない。4楽章は夜の墓場のようなおどろおどろしい雰囲気は悪くないが、曲が長すぎる。

ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 (1968年)
3.0点
1楽章は4度を主体にした虚無的な音楽がひたすら続きよく分からない。2楽章はかなり激しいピアノとヴァイオリンの絡み合いで、分かりやすさはある。3楽章は無調に近い響きでバルトーク的な狂気の世界の変奏曲。この曲はいろいろとやり過ぎで、力作ではあるが聴くのがしんどい。

ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 (1975年)
4点
最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある

弦楽四重奏のための2つの小品 (1931年)
3.0点
1曲目はなかなかいいけど2曲目はいまいち。

ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)
4.5点
最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある。催眠にかけられて深遠の暗闇に引き込まれるような不思議な感覚を覚える。そんな両端楽章にあって、2楽章のスケルツォも骸骨の踊りのようであり、刺激の点で効果的に機能している。3楽章の月光ソナタのオマージュ部分はあまりにも儚く美しく、最後はベートーヴェンを使ったという事実に想いを馳せると胸を打たれる。

3つのヴァイオリン二重奏曲
2.5点
自分で演奏したら楽しそうなオーソドックスで分かりやすい小品。

合唱曲

オラトリオ「森の歌」 (1949年)
3.0点
ショスタコーヴィチにしては単純で分かりやすすぎると共に、演出が豪華で派手な合唱曲である。骨太で大地のような巨大なスケールであり聴き映えはする。本人の意図に反した保身目的の曲という歴史的興味を引く曲であるが、内容が表面的でありいつものエグさがないので物足りない。

カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』
3.5点
少年合唱は使い方をはじめ、いかにもという感じのコテコテのプロパガンダ曲で、そういう音楽としては楽しめる。

バラード「ステパン・ラージンの処刑」(1964年)
3.5点
迫力満点。目の前で歴史的な事件が起きているかのような臨場感である。ショスタコがこのような政治や国家の関係する劇的な叙事曲を書かせたら圧倒的に凄いと再認識。交響曲に匹敵する重量感。

バレエ音楽

黄金時代 (1930年)
3.5点
黄金時代の組曲で聴いた。ショスタコ節がすでに確立しかかっている。

ボルト (1931年)

明るい小川 (1935年)

お嬢さんとならず者 (1962年)

ピアノ曲

5つの前奏曲(1921年)

3つの幻想的な舞曲(1925年)
3.0点
1分程度の小曲が3曲。すぐにサティーを思い出すような、フワフワしてアンニュイで幻想的な曲。

2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)
3.0点
初期の曲であり、まだロシア的なロマン派の香りが漂い和声に歪みが少ないが、新しい20世紀らしい音楽へと踏み出してもいる。輝かしい神秘的な響きが多いのが目新しく感じる。スケール感があり音が分厚く発想は豊かであり、2台のピアノ用組曲としては聴き応えのあるものである。

箴言
3.0点
古代からの不思議な伝承物を連想させるような謎めいた音楽。何かの暗号のようだ。即物的に聞こえる瞬間も多い。嫌いではないが、どちらかというと実験音楽のたぐいだろう。

ピアノ・ソナタ第1番(1926年)
3点
前衛的であり2番とは大きく異なる世界の曲である。

ピアノ・ソナタ第2番(1943年)
3点
多楽章のピアノ・ソナタとしては唯一の作品である。ソナタ形式の得意なショスタコーヴィチにしては残念である。この曲はショスタコーヴィチならばこれ位書けそうという予想の範囲を超えるものが無く、曲としてはまとまっていて規模も大きいのだが、形式にはまりすぎであり驚きの無い作品である。

24の前奏曲(1933年)
2.0点
1曲の長さは短い。24の前奏曲とフーガと同様の24曲の曲集ではあるが、こちらはかなり地味で各々の曲の特徴も薄く、聴いているとどんな曲か把握出来ないままに次の曲に移ってしまう感じである。よく聴くとショスタコーヴィチらしい風味がある音楽ではあるのが分かるものの、地味すぎて楽しめないというのが率直な感想である。

24の前奏曲とフーガ(1952年)
4.5点
1曲目が大変素晴らしくて、一般化された精神の深みをバッハのように音楽で体現し、心をノックアウトする音楽。
2曲目はパラパラとしたバッハの影響が強い雰囲気
3曲目はフーガがかなりバッハっぽく、前奏曲はショスタコーヴィチによくある雰囲気。
4曲目は悲しくエモーショナルで心を動かされる。
5曲目は前奏曲はエモーショナルでフーガは個性的な主題と、どちらも面白くて良い曲。
6曲目は暗い情熱が素敵。フーガはやや長すぎる。
7曲目は分散和音をテーマにしているのが面白い。
8曲目は虚空をさ迷うような前奏曲はいいが、長すぎるテーマのフーガはアイデア倒れ。
9曲目はユニゾンの曲でショスタコーヴィチ節全開すぎるし、フーガの押せ押せは面白いが刹那的すぎる。
10曲目は前奏曲も悪くないし、ロマンチック的情緒のフーガが割と良い。
11曲目は間奏的な軽いスケルツォの前奏曲と、軽くてあまり印象に残らないフーガ。
12曲目は、オクターブの重厚な低音が悲劇的な前奏曲も、耳を突き刺すようなフーガもともに力作。
13曲目は前の曲の流れをうけて静寂と平和を静かに望むような雰囲気が良い。
14曲目は前奏曲はムソルグスキーを彷彿とさせるグロテスクさ。フーガは普通。
15曲目はシニカルな前奏曲も良いが、前衛的で複雑な押しのフーガが圧倒的。
16曲目は黙示録のようなフーガがすごい。捕らえ所のないテーマが延々と薄い音とボソボソとした独白で続けられる。
17曲目は様々な色の絵の具を混ぜたような、複雑で何にも帰属できない雰囲気が面白い。
18曲目は普通だが、フーガのテーマに泣きが少し入ってる。
19曲目は謎めいたフーガが印象に残る。前奏曲も捉えにくさがある。
20曲目は静謐な曲で特にフーガの途中からは印象が弱い。
21曲目は軽快で気分転換できるが、だんだんひねくれてしまう。
22曲目は曙光のような薄暗さの中にいるような曲で雰囲気は好き。
23曲目は曲集の終わりに近付いた清々しさを表現した曲で心地よい。
24曲目は壮大に曲集を締めていて、十分な出来になっている。

全体にショスタコーヴィチにマッチした形式であり、ピアノ作品の代表作である。彼の音楽の類い希な普遍性が非常に良い形で現れている良作。24曲の表情は様々であり、多様な表現を見せている。

2台のピアノのための小協奏曲(1954年)
3.3点
多くの部分が伴奏とソロに別れており、協奏曲として楽しめる。ピアノ協奏曲としては他の曲と同様に軽い駆け巡るピアノが楽しめる曲になっている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81


ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(ロシア語: Ru-Dmitri Dmitrievich Shostakovich.ogg Дмитрий Дмитриевич Шостакович[ヘルプ/ファイル] ドミートリイ・ドミートリイェヴィチ・シャスタコーヴィチ; ラテン文字転写の例: Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906年9月25日(ロシア暦9月12日) - 1975年8月9日)は、ソビエト連邦時代の作曲家。交響曲や弦楽四重奏曲が有名である。

シベリウス、プロコフィエフと共に、マーラー以降の最大の交響曲作曲家としての評価がほぼ確立され、世界的にも特に交響曲の大家と認知されている。また、弦楽四重奏曲においても秀逸な曲を残し、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。ショスタコーヴィチの音楽には暗く重い雰囲気のものが多いが、その一方でポピュラー音楽も愛し、ジャズ風の軽妙な作品も少なからず残している。

当初、体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家というイメージで語られていたが、『ショスタコーヴィチの証言』[1]が出版されて以後、ショスタコーヴィチには皮肉や反体制、「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」というイメージも加わった。


生涯

略歴

伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年12月)

1974年当時(一番右の人物)
1906年 9月25日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに生まれる。
1915年 春、両親に連れられて初めて劇場を訪れ、オペラ(リムスキー=コルサコフの《サルタン王の物語》)を観る。夏には母親から初めてのピアノのレッスンを受ける。秋、シドルフスカヤ商業学校に入学。作曲も始める。
1916年 グリャッセール音楽学校に入学。
1917年 2月、街路上で同年配の少年が警官に殺害されるのを眼前で見る。同月、グリャッセールのところへ通う興味を失ってしまう。
1918年 秋、ローザノヴァにピアノを師事。(1917年とも)
1919年 第108労働学校が閉鎖。ユストニナ校に転校。秋、ペテルブルク音楽院に入学。グラズノフに師事する。
1921年 ユストニナ校を中退。
1922年 父が死去。
1923年 音楽院のピアノ科を修了。夏休みを利用した結核療養のために訪れたクリミアで、初のピアノ・リサイタルを開く。
1924年 11月、映画館「スヴェトラーヤ・フィリム」でピアノ伴奏のアルバイトを始める
1925年 作曲科の修了にともない、音楽院を卒業。修了制作として交響曲第1番を作曲。
1926年 5月16日、交響曲第1番初演。秋、音楽院の大学院課程に進学。
1927年 1月、第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場。
1928年 メイエルホリド劇場の音楽部長として1月から3月まで務める。
1930年 バレエ音楽「黄金時代」完成し、レニングラードで初演。失敗する。
1931年 バレエ音楽「ボルト」完成し、レニングラードで初演。同じく失敗する。
1932年 科学者ニーナ・ヴァルザルと結婚。婚約記念として書き始められた歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を彼女に献呈。8月、作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出。
1933年 軽音楽に関するレニングラード市の委員会の委員になる。ピアノ協奏曲第1番初演。
1934年 レニングラード市アクチャーブリ区の区議会議員に選出される。
1936年 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1月)とバレエ「明るい小川」(2月)に対するプラウダ批判。5月30日、長女ガリーナ生誕。
1937年 春(一説には1月)、レニングラード音楽院に講師として勤務(後に教授)。交響曲第5番初演(11月21日)。この成功により名誉を回復。
1938年 5月10日、長男マクシム生誕。
1939年 ムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会の委員長となる。音楽院で教授に就任。
1940年 5月、労働赤旗勲章受章。ピアノ五重奏曲がスターリン賞を受賞。
1941年 交響曲第7番を作曲。翌年の初演は成功を収め、同年アメリカでも演奏された。レニングラード音楽院教授を辞任。
1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与。
1943年 3月、モスクワ音楽院教授に就任。国歌コンクールに参加。
1946年 ピアノ三重奏曲第2番がスターリン賞第2席を受賞。12月、レーニン勲章受章。
1947年 2月、レニングラード音楽院教授に復職。同月、作曲家同盟レニングラード支部の支部長に選出。10月、ロシア共和国人民芸術家の称号を授与。ロシア共和国最高議会代議員に選出。
1948年 ジダーノフ批判。9月、レニングラード音楽院、モスクワ音楽院ともに教授の職を解任。
1948年 3月、世界平和文化科学会議出席のため渡米(ニューヨーク)。
1949年 オラトリオ「森の歌」作曲・初演。
1950年 「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。10月、ソヴィエト平和擁護委員会の委員となる。11月、世界平和会議出席のためワルシャワ入り。
1952年 「革命詩人の詩による10の詩曲」がスターリン賞第2席を受賞。12月、世界平和会議出席のためウィーンへ。
1953年 交響曲第10番作曲、初演(12月17日)。6月、文化代表団の一員としてオーストリアに派遣される。
1954年 交響曲第10番に関する討議会(いわゆる第10論争)が作曲家同盟で開かれる。8月、ソ連人民芸術家の称号を授与。9月、国際平和賞受賞。12月、妻ニーナ死去。同月、スウェーデン王立音楽アカデミーの名誉会員に選出される。
1955年 東ドイツ芸術アカデミーの準会員に選出される。11月、母ソーフィヤ死去。
1956年 1月、サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出される。9月、レーニン勲章受章。
1957年 春に開かれた第2回作曲家同盟大会において作曲家同盟初委員長となる。交響曲第11番がレーニン賞受賞。
1958年 オックスフォード大学より名誉博士の学位を授与、イギリス王立音楽アカデミー会員に選出。国際シベリウス記念賞受賞。9月、右手の麻痺(後に脊椎性小児麻痺であることが判明)で入院。
1959年 9月、米国務省主催による文化交流プログラムでワシントンで開催されたソヴィエト祭に、ソヴィエト代表団の一員として派遣される。メキシコ音楽院名誉教授の称号を受ける。
1960年 2月、再び右手の治療のため入院。10月、息子マクシムの結婚式で転倒、右足を骨折、入院。作曲家同盟第1書記に任命。
1961年 9月、ソビエト共産党員となる。12月、入党と引き替えにレニングラード音楽院大学院での教育活動に復帰する。交響曲第4番初演(12月30日)。
1962年 交響曲第13番作曲、初演。ソヴィエト連邦最高会議代議員に選出される。第2回チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長に任命される。6月、右手の治療のため三度入院。 月、イリーナ・スピーンスカヤと再婚。11月、ゴーリキー市で行われたコンサートで「祝典序曲」を指揮。
1963年 ユネスコ国際音楽評議会名誉会員に選出。
1964年 バシキール自治共和国人民芸術家の称号を受ける。
1965年 心臓病の悪化で入院。ソヴィエト芸術学名誉博士の学位を授与。
1966年 5月、生誕60周年記念演奏会出演後、心筋梗塞を起こし入院。第3回チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長に任命される。8月、イギリス・ロイヤル・フィルハーモニック協会金賞受賞。10月、レーニン勲章受章。社会主義労働英雄の称号を授与。
1967年 3月、オーストリア共和国名誉銀記章授与。9月、右足骨折で入院。
1968年 5月、シャルル・クロ記念フランス・レコード協会1等賞受賞。ロシア共和国作曲家同盟理事に選出。《ステパン・ラージンの処刑》がグリンカ賞受賞。世界平和擁護委員会の委員に選出。
1969年 交響曲第14番作曲、初演。ウィーン・モーツァルト協会がモーツァルト記念メダルを授与。
1970年 クルガンのサナトリウムで8月まで療養生活を送る。ベートーヴェン生誕200年祭のソヴィエト連邦実行委員会委員長に就任。8月、治療のため再入院。11月、《ソヴィエト民警の行進》がソヴィエト文学・芸術コンクール1等賞受賞。フィンランド作曲家協会名誉会員に任命。
1971年 3月、第24回共産党大会代議員を務める。9月、2回目の心筋梗塞で入院。10月革命勲章受章。
1972年 5月、東ドイツ友好の星金賞受賞。7月、聖トリニティー大学より名誉音楽博士の学位を授与される。スクリャービン生誕100周年祭実行委員会委員長に選出。
1973年 デンマーク・ゾンニング基金名誉賞受賞。6月、ノース・ウェスタン大学より芸術名誉博士の学位を授与。8月、サハロフ非難書簡に署名。姉マリア死去。ラフマニノフ生誕100周年祭実行委員会委員長に選出。
1974年 男声合唱曲《忠誠》、弦楽四重奏曲第14番がグリンカ賞受賞。ソ連邦最高会議民族ソヴィエト〈国民教育・科学・文化委員会〉委員長を務める。
1975年 4月、フランス芸術アカデミーの名誉会員となる。最後の作品「ヴィオラソナタ作品147」完成。7月、体の不調を訴え入院。8月4日に再入院の後、8月9日、ソ連の首都モスクワの病院にて肺がんで逝去。8月14日、ノヴォジェヴィチ墓地に埋葬される。
詳細
1919年ペテルブルク音楽院(後にペトログラード音楽院、レニングラード音楽院)に入学。専攻は作曲とピアノ。1925年に、同音楽院作曲科の卒業作品として作曲した交響曲第1番において国際的に注目された。1920年代後半から1930年代前半にかけては、アルバン・ベルクやダリウス・ミヨーなど西欧の革新的な音楽技法を吸収し、舞台音楽を中心に多くの楽曲を作曲。特にピアノ協奏曲第1番ではジャズに、歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』ではベルクの歌劇『ヴォツェック』などに触発された内容となっている。しかし、1936年に歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』とバレエ『明るい小川』が、ソヴィエト共産党機関紙『プラウダ』で批判(プラウダ批判)を受け、自己批判を余儀なくされる。そのような状況下、批判前に作曲し、オーケストラでリハーサルまでしていた交響曲第4番の初演を撤回。批判後、新たに作曲された交響曲第5番以降は、それまでの作風から一転し、政府が自国の音楽に求めた「社会主義リアリズム」-「形式において民族的、内容において社会主義的」 - の路線に沿う作風の作品を発表し続けることとなる。

1930年代後半から1940年代前半にかけては、交響曲や室内楽曲を多く作曲。中でも、スターリン賞を受賞したピアノ五重奏曲や、友人の突然の死を悼んだピアノ三重奏曲第2番、独ソ開戦直後から書き始められた交響曲第7番「レニングラード」が有名である。

1948年、ソビエトの作曲家のほとんどが「形式主義者」として共産党により批判(「ジダーノフ批判」と呼ばれる。)されると、オラトリオ『森の歌』や映画音楽『ベルリン陥落』、カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』など、あからさまに当局に迎合した共産党賛美の作品を多数作り、名誉の回復を勝ち得た。一方、ヴァイオリン協奏曲第1番(1948年)や『ユダヤの民族詩から』(1948年)、弦楽四重奏曲第4番(1949年)など、この頃書かれた作品のうち、何曲かは公表が控えられ、多くはスターリンの死後に発表された。

1953年にスターリンが死ぬと、第9番以降、ジダーノフ批判以後は書かれていなかった交響曲(第10番)を約8年ぶりに発表。曲の内容の暗さと「社会主義リアリズム」との関係において、大論争(いわゆる第10論争)を巻き起こし、国外でも大きく報道された。

1950年代後半から晩年にかけては、交響曲、協奏曲、室内楽曲、さらには声楽曲で傑作を多数残した。特に、当局の締め付けが和らいだスターリン死後から1960年代前半までのいわゆる「雪解け」の時期には、演奏が禁止されていた作品の名誉回復(『ムツェンスク郡のマクベス夫人』でさえ、中規模程度の改訂の後、1963年に復活上演された)、交響曲第4番やヴァイオリン協奏曲第1番といった公表が控えられていた作品の発表、「社会主義リアリズム」の概念にとらわれない近代的で斬新な作風の作品(弦楽四重奏曲第7番や『サーシャ・チョールヌィの5つの詩』、映画音楽『ハムレット』など)の発表が相次いだ。特にこの時期を代表する作品が弦楽四重奏曲第8番と交響曲第13番の2曲である。弦楽四重奏曲第8番(1960年)では、曲の大半で自作の引用を大々的に行うほか、ドイツ音名の自分のイニシャル「DSCH」の音列を中心主題の素材として用い、自身へのレクイエムとした。また、交響曲第13番(1963年)は、ナチによるユダヤ人の大虐殺を、ウクライナの谷底バビ・ヤールで起こった実際の事件を取り上げて告発。共産党によりテクストとして用いた詩の書き換えを要求されるなどの事件もあったが、1930年代、1940年代のような厳しい批判にはほとんど晒されることもなく、音楽には一切手が加えられず現在でもショスタコーヴィチの代表作として聴かれている。また、60代を過ぎた1960年代半ば以降は、透明で熟達した技法の深化がみられる『ミケランジェロ組曲』やヴァイオリンソナタ、ヴィオラソナタなどのほか、十二音技法やトーン・クラスターを導入した『A・ブロークの詩による7つの歌曲』や交響曲第14番などで前衛的な作風へのアプローチを再び試みるなど、死の直前まで意欲的に作曲を続けた。ショスタコーヴィチの最晩年を代表する作品には、ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲や、ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の運命の動機など他作曲家の作品の引用を大胆に行い(自作の交響曲第4番の引用もある)、自身の音楽的回想とした交響曲第15番(1972年)、すべての楽章をアダージョとし、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番『月光』からの引用もみられる弦楽四重奏曲第15番(1974年)、死の1か月前に完成し、ショスタコーヴィチの「白鳥の歌」とも呼ばれる、作曲者自身聴くことの出来なかった遺作ヴィオラソナタ(1975年)などがある。

ショスタコーヴィチはピアニストとしても活躍した。卓越したテクニックを有し、音楽院を卒業してからは作曲家になるかピアニストになるか真剣に悩んでいたほどである。第1回ショパン国際ピアノコンクールにソヴィエト代表の一人として選出され出場・入選したほか、2曲のピアノ協奏曲や『24の前奏曲とフーガ』など、自作の初演・録音も多数行なった。しかし、後年は脊椎性小児麻痺の影響で右手が不自由となり、ピアノを弾くことが出来なくなった。また大のサッカー好きで、地元のサッカークラブのスコアをメモ帳に書き記すなどの熱狂的サッカーファンだった。サッカーの審判の資格も持っていた。

作風
ショスタコーヴィチの作品には、J.S.バッハのフーガ、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、マーラーの交響曲、ベルクの和声語法や引用法などの影響が見られ、オーケストレーションはあまり楽器の音色を混ぜない原色配置である。原則としてショスタコーヴィチの音楽は調性音楽の範囲内にあるが、無調的な主題を用いることも多く、最晩年には十二音技法を自分なりに消化した独自の音列技法やトーンクラスター等の前衛技法を用いたりしている。戦争や生死などをテーマとした重い作品が多い一方、交響曲第9番やジャズ組曲のような軽妙な作品も多く作曲している。


一般に作風の変化の境界点は、以下の項目に分けられる。

初期・前衛的な作品群
作品1 - 作品46(1919年 - 1936年) 少年期から音楽院入学以前の極初期は除き、ショスタコーヴィチの作風は、前衛的な音楽から出発したといってよい。例えば、交響曲第1番の冒頭では、グラズノフに和声の変更を指摘されていた。「前衛的」と最もはっきりとわかる初期の作品としては、『弦楽八重奏のための2つの小品』(作品11)、ピアノソナタ第1番(作品12)、格言集(作品13)、そして交響曲第2番(作品14)がある。しかし、『タヒチ・トロット』(作品16)や映画音楽『新バビロン』(作品18)以降は、ジャズやボードビル、キャバレー・ソングなど、軽音楽の影響も受けることとなる。この分野の傑作としてはバレエ『黄金時代』(作品22)、劇音楽『条件付の死者』(作品31)、ピアノ協奏曲第1番(作品35)などがあるが、枚挙に暇がない。交響曲第4番(作品43)の第3楽章の中間部は、明らかに軽音楽の影響が濃厚である。ショスタコーヴィチの、新ウィーン楽派に影響を受けたという意味での「前衛音楽」としての最後の作品は、管弦楽のための『5つの断章』(作品42)である。この作品は、交響曲第4番同様発表が控えられ、初演が行われたのは1965年になってからである。ゴーゴリの短編に取材したオペラ『鼻』(作品15)は、彼自身交流のあったメイエルホリドの斬新な舞台演出の影響を受け、古典形式を基本としながらも、ベルク、クルシェネクら同時期の作品を参考にしたきわめて前衛的な作風で発表当時から賛否両論を巻き起こす問題作となり、次作のオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(作品29)とともに彼の初期作品のピークとなる。初期はロシア音楽の伝統を受け継ぎながら最新の音楽を取り上げるなど機智と独創性に富んだ作風であったが、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』がスターリンの怒りを買い、折からの粛清が絶頂期にあることも鑑み、前衛色は失われていった。

社会主義リアリズム
作品47 - 作品92(1936年 - 1953年) 第4番のような前衛性を控えた交響曲第5番(作品47)は初演後に「社会主義リアリズムのもっとも高尚な理想を示す好例」と評価された[3]。この時期のショスタコーヴィチが音楽を担当した映画は「社会主義リアリズム」に基づいたテーマのものばかりで、ロシア革命を主題としたものが多い。例えば、ノンポリの学生が革命の理念に目覚め、社会主義的に成長する姿を描いた『マクシム三部作』(『マクシムの青春時代』作品41、『マクシムの帰還』作品45、『ヴィヴォルグ地区』作品50)、ロシア革命の英雄チャパーエフの活躍を描いた『ヴォロチャーエフ砦の日々』、暗殺されたキーロフを髣髴とさせる人物が主人公の『偉大な市民』2部作(作品52、55)、ロシア革命におけるレーニンとスターリンの活躍を描いた『銃を取る人』(作品55)、ロシア革命後の赤軍と白軍との内戦を描いた『忘れがたき1919年』(1952年、作品89)である。第二次世界大戦の勃発後はピアノ五重奏曲(作品57)や交響曲第8番(作品65)、ピアノ三重奏曲第2番(作品67)などこの路線から離れた作品もいくつか残している。しかし、1948年に「ジダーノフ批判」が出てからは、オラトリオ『森の歌』(作品81)や映画音楽『ベルリン陥落』(作品82)、『革命詩人の詩による10の詩曲』そしてカンタータ『我が祖国に太陽は輝く』など、再び意識したように「社会主義リアリズム」色濃い作風の作品を残している。この時期の作品としては交響曲第8番などの他に、歌劇『賭博師』や、ヴァイオリン協奏曲第1番なども、社会主義リアリズムの路線からは離れた作風であると評価されることが多い。

ユダヤ音楽への傾倒
ショスタコーヴィチの作曲家としての「ユダヤの音楽」への関心が明らかな最初の作品は ピアノ三重奏曲第2番 (1944年)といわれていた[4][5]。もちろんショスタコーヴィチはユダヤ人ではなかったが、マーラーへの興味をはじめとし、1936年には、プラウダ批判によって、自分の悲運をユダヤ人のそれに沿って象徴するものと考えるようになった[6]。1937年の交響曲第5番第3楽章にはユダヤ音楽の要素が表れ、それは交響曲第3番(1929年)からのユダヤ教会での典礼の詠唱の旋律の引用でもある[7]。また交響曲第7番(1941年)第1楽章のクライマックスなどにはクレズマー旋律が使われている[8]。音楽院の愛弟子でレニングラード攻防戦で戦死したユダヤ人、ヴェニアミーン・フレーイシュマンの未完のオペラ『ロスチャイルドのヴァイオリン』の補作(1944)を行ったこともある。作品にユダヤ音楽の主題が使われているのは歌曲集『ユダヤの民族詩から』(1948年)、 ヴァイオリン協奏曲第1番(1948年)、弦楽四重奏曲第4番(1949年)、24の前奏曲とフーガ(1951年)、プーシキンの詩による4つのモノローグ(1952年)である[9]。 ピアノ協奏曲第2番(1957年)第2楽章や交響曲第9番(1945年)フィナーレの後半には、ユダヤ人には「それ」としてハッキリ分かる形でユダヤ音楽が引用されているという。弦楽四重奏曲第8番(1960年)には、ピアノ三重奏曲第2番最終楽章のユダヤ旋律が明瞭に引用されている。その他の作品では交響曲第13番 (1962年)、また 交響曲第15番 (1971年)最終楽章での交響曲第7番の引用にユダヤ音楽のテーマを見出せる[10]。 ショスタコーヴィチの周りには、例えば親しい友人に作曲家のミェチスワフ・ヴァインベルク、俳優ソロモン・ミホエルスなどユダヤ人は多かったし、このほかオーケストラの団員にもユダヤ系は多かった。

スターリン死後
作品93 - (1953年 - ) 1953年3月5日、スターリンが死んだ。独裁者の死は、ソビエトの社会に一時の混乱をもたらした。1956年、フルシチョフによって行われた「スターリン批判」により、スターリンの独裁体制は名実ともに崩れ去った。スターリンの死に合わせたように、ショスタコーヴィチは、第9番を最後に中断していた交響曲を書き始め、すぐに発表する。前衛的な作風ではないものの、終始音楽に悲劇的な重さが付きまとう音楽で、自身のイニシャルをドイツ音名にした「DSCH」の音列も頻出する、自伝的な作品である。この作品以降、ショスタコーヴィチの曲には「DSCH」の音列が頻繁に使われるようになる。1950年代も終わり近くになると、ソヴィエトの社会主義体制も次第に軟化しはじめ、アメリカとも協調姿勢をとるようになってゆく。「雪どけ」といわれるこの時期、ショスタコーヴィチが発表を控えていた交響曲第4番などの作品が数十年ぶりに「初演」された。戦前、ショスタコーヴィチが個人批判される元凶となった歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』はそのままの形での上演は絶望的だったものの、ある程度改訂された『カテリーナ・イズマイロヴァ』(作品114)は再上演が許される状態にまでなった。しかし、交響曲第13番の歌詞問題が表面化した頃、キューバへのミサイル配備計画がアメリカに非難されたのをきっかけに「雪どけ」体制は解体され、冷戦の時代に突入する。

「雪どけ」後
ブレジネフ時代になり、国内では締め付けが強まるが、ショスタコーヴィチ自身の生活は安定し数々の栄誉に包まれるなど、音楽活動を続ける環境はスターリン時代と比べ格段と恵まれていた。相変わらず体制に迎合した作品もあるが、作風は芸術性が高まり、七楽章の弦楽四重奏曲第11番(1966年)・マーラーの『大地の歌』の影響を受けた声楽つきの交響曲第14番(1969年)。豊かな響きと緊張感漂う映画音楽『リア王』(1970年)などの意欲作を相次いで発表した。とくに『ブロークの詩による七つの歌曲』(1967年)と弦楽四重奏曲第12番(1968年)においては十二音技法に挑戦するなど、その研究心は衰えなかった。

最晩年になると、作風も哲学風で研ぎ澄まされた独特の透明感が支配的となる。交響曲第15番(1971年)、弦楽四重奏曲第14番(1973年)・弦楽四重奏曲第15番(1974年)では過去の作品からの引用が顕著になるが、そこにはすでに健康の衰えを感じ、死を意識した作曲者の思いが見え隠れする。それは政治に翻弄された波瀾万丈の人生を振り返り、達観したかのような感を受ける。また「ミケランジェロの詩による組曲」(1974年)では、自身の芸術の総括をルネサンスの芸術家に譬えたものとして評価されている。

作品
ショスタコーヴィチの創作の中心は、交響曲と弦楽四重奏曲にあった。これらのなかでも特に有名なのが、交響曲第5番、第7番、第10番と弦楽四重奏曲第8番である。また歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』 は古今のオペラの傑作の一つとされる。

交響曲

交響曲第1番 ヘ短調 作品10(1925年)
交響曲第2番 ロ長調 作品14「十月革命に捧ぐ」(1927年)
交響曲第3番 変ホ長調 作品20「メーデー」(1929年)
交響曲第4番 ハ短調 作品43(1936年)
交響曲第5番 ニ短調 作品47(1937年)
交響曲第6番 ロ短調 作品54(1939年)
交響曲第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」(1941年)
交響曲第8番 ハ短調 作品65(1943年)
交響曲第9番 変ホ長調 作品70(1945年)
交響曲第10番 ホ短調 作品93(1953年)
交響曲第11番 ト短調 作品103「1905年」(1957年)
交響曲第12番 ニ短調 作品112「1917年」(1961年)
交響曲第13番 変ロ短調 作品113(1962年)
交響曲第14番 ト短調 作品135(1969年)
交響曲第15番 イ長調 作品141(1971年)


弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49(1938年)
弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68(1944年)
弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73(1946年)
弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83(1949年)
弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92(1952年)
弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101(1956年)
弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108(1960年)
弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110(1960年)
弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117(1964年)
弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118(1964年)
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122(1966年)
弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133(1968年)
弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138(1970年)
弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142(1973年)
弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144(1974年)
弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)


管弦楽曲・吹奏楽曲

スケルツォ第1番 嬰ヘ短調 作品1(1919年)
主題と変奏 変ロ長調(1922年)
スケルツォ第2番 変ホ長調(1924年)
タヒチ・トロット(1928年)
E・ドレッセルの歌劇『コロンブス』のための2つの小品(1929年)
ジャズ・オーケストラのための第1組曲(1934年)
5つの断章(1935年)
ジャズ・オーケストラのための第2組曲(1938年)
荘厳な行進曲(1941年)
バレエ組曲第1 - 4番(1950年 - 53年)
祝典序曲(1954年)
ノヴォロシースクの鐘(1960年)
ロシアとキルギスの主題による序曲(1963年)
交響詩「十月革命」(1967年)
交響的哀悼前奏曲(1967年)
ソヴィエト民警の行進曲(1970年)
インターヴィジョン(1971年)
「緑の工場」のための序曲
2つの前奏曲(アルフレート・シュニトケ編曲)


協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35(1933年)
ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102(1957年)
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99)(1948年)
ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129(1967年)
チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107(1959年)
チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126(1966年)


室内楽曲

弦楽八重奏のための2つの小品 作品11(1927年)
チェロ・ソナタ ニ短調 作品40(1934年)
ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57(1940年)
ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8(1923年)
ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67(1944年)
ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134(1968年)
ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147(1975年)
弦楽四重奏のための2つの小品(1931年)
ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)
チェロとピアノのためのモデラート
3つのヴァイオリン二重奏曲
ハープ二重奏のためのポルカ 嬰ヘ長調
3つの小品


オペラ

鼻(1928年)
大きな稲妻
オランゴ(1932年)
ムツェンスク郡のマクベス夫人(1934年)Op.29
賭博師(1941年)
カテリーナ・イズマイロヴァ(1963年) - 「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の改訂版。Op.114


オペレッタ
モスクワ・チェリョームシキ(1958年)Op.105


合唱曲
オラトリオ「森の歌」(1949年)
カンタータ「わが祖国に太陽は輝く」(1952年)
混声合唱のための無伴奏合唱曲十の詩曲(1951年)
バラード「ステパン・ラージンの処刑」(1964年)
反形式主義的ラヨーク


声楽曲
日本の詩人の詞による6つの歌 作品21(1928年) オーケストラ伴奏版あり
プーシキンの詩による4つのロマンス 作品46 オーケストラ伴奏版あり
歌曲集「ユダヤの民族詩より」 作品79 オーケストラ伴奏版あり
レールモントフの詩による2つのロマンス 作品84
エフゲニー・ドルマトーフスキーの詩による4つの歌曲 作品86
プーシキンの詩による4つのモノローグ 作品91
エフゲニー・ドルマトーフスキーの詩による5つのロマンス 作品98
スペインの歌 作品100(1956年)
風刺 作品109(1960年)
自作全集への序文とその序文についての短い考察 作品123
アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲 作品127
マリーナ・ツヴェタエワの詩による6つの歌曲 作品143 オーケストラ伴奏版あり
ミケランジェロの詩による組曲 作品145 オーケストラ伴奏版あり


バレエ音楽
黄金時代(1930年)
ボルト(1931年)
明るい小川(1935年)
お嬢さんとならず者(1962年)


映画音楽

新バビロン 作品18(1929年)
女一人 作品26(1931年)
黄金の丘 作品30(1931年)
呼応計画 作品33(1932年)
司祭とその下男バルダの物語 作品36(1935年)
愛と憎しみ 作品38(1934年)
マクシムの青年時代 作品41(1935年)
女友達(1935年)
マクシムの帰還(1937年)
ヴォロチャーエフの日々(1937年)
ヴィボルグ地区(1938年)
友人たち(1938年)
偉大なる市民第1部(1937年)
銃を取る人 作品50(1938年)
偉大なる市民第2部 作品55(1939年)
おろかな子ねずみ 作品56(1939年)
コルジンキナの冒険 作品59(1940年)
ゾーヤ 作品64(1944年)
素朴な人々(1945年)
若き親衛隊 作品75(1948年)
ピロゴーフ(1947年)
ミチューリン 作品78(1948年)
エルベ河の邂逅 作品80(1948年)
ベルリン陥落 作品82(1949年)
ベリンスキー(1950年)
忘れがたき1919年(1951年)
偉大な川の歌・ユニティ 作品95(1954年)
馬あぶ 作品97(1955年)
第1軍用列車(1956年)
5昼夜 作品111(1960年)
ハムレット 作品116(1964年)
生涯のような1年(1965年)
ソフィア・ペロフスカヤ 作品132(1967年)
リア王 作品137(1970年)
永遠の使者
戦艦ポチョムキン(この映画のために曲が作られたわけではなく、1976年の復刻時に既存の交響曲が使用された)
チェリョームシキ


劇付随音楽
全10作品

南京虫 作品19(1929年)
射撃 作品24(1929年)
ルーレ・ブリタニア 作品28(1931年)
ハムレット 作品32(1932年)
スペインにサリュー 作品44(1936年)
人間喜劇 作品37(1933年 - 1934年)
リア王 作品58a(1941年)
母国 作品63(1942年)
ロシアの川 作品66(1944年)
勝利の春 作品72(1946年)


ピアノ曲

5つの前奏曲(1921年)
3つの幻想的な舞曲(1925年)
2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)
ピアノ・ソナタ第1番(1926年)
10の格言集(1927年)
ピアノ・ソナタ第2番(1943年)
24の前奏曲(1933年)
子供のノート(1944年)
陽気な行進曲(1949年)
24の前奏曲とフーガ(1952年)
2台のピアノのための小協奏曲(1954年)
グリンカの主題による変奏曲(1957年)


編曲作品
編曲でありながら自身の作品として作品番号を与えているものもある。

ドメニコ・スカルラッティの2つの小品 作品17
ムソルグスキー 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の管弦楽編曲 作品58
ムソルグスキー 歌劇「ホヴァーンシチナ」の管弦楽編曲 作品106
ムソルグスキー 歌曲集「死の歌と踊り」の管弦楽編曲
A.ダヴィデンゴの2つの合唱曲の管弦楽編曲 作品124
ロベルト・シューマン チェロ協奏曲 イ短調の編曲 作品125
ストラヴィンスキー 詩篇交響曲の4手ピアノ用編曲
リムスキー・コルサコフ 私はほら穴で君を待っていたの管弦楽編曲
チシチェンコ チェロ協奏曲第1番の再オーケストレーション
ヨハン・シュトラウス2世 「ウィーン気質」の編曲
ヨハン・シュトラウス2世 「観光列車」の編曲
オネゲル 交響曲第3番 典礼風の4手ピアノ用編曲
ベートーヴェン 蚤の歌の管弦楽伴奏用編曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第8番 悲愴の第2楽章の管弦楽編曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第32番の第1楽章の管弦楽編曲
マーラー 交響曲第10番の4手ピアノ用編曲
シューベルト 軍隊行進曲の管弦楽編曲
ロシア民謡「ヴォルガの舟歌」のオーケストレーション


自作の編曲

歌劇「鼻」のピアノ編曲
交響曲第3番のピアノと声楽用編曲
バレエ「明るい小川」よりモデラート
主題と変奏 作品3のピアノ用編曲
交響曲第4番の2台ピアノ用編曲
交響曲第10番の2台ピアノ用編曲


その他の作品

兵士(1917年頃)
森の中にて
自由の讃歌
ソヴィエト讃歌
国歌(ソヴィエト連邦)
赤軍の歌(アラム・ハチャトゥリアンとの共作)
ポルカ
4つのワルツ
平和の鳥
儀式用行進曲
2つのマズルカ
我が祖国の栄光を歌う
創作ジャンルは宗教音楽以外のほぼ全てにわたる。労働歌で1917年から1944年の間ソヴィエト連邦国歌でもあった『インターナショナル』の管弦楽編曲もある。

著作
本人の著書と称されているものが、日本では2冊出版されている。ソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳 中央公論社、1980年)と、レフ・グリゴーリエフとヤーコフ・プラデークの手による『ショスタコーヴィチ自伝――時代と自身を語る』(ラドガ出版社訳 ラドガ出版社〔発売:ナウカ〕、1983年)である。前者は、はじめは1979年にアメリカ、ドイツで出版されたもので、ショスタコーヴィチの評価をめぐって論議を巻き起こした。発表された当初からソビエト作曲家同盟などのほかローレル・フェイのような西側の音楽学者からも偽書である疑いが投げかけられ真贋については議論があった[1]。詳細は「ショスタコーヴィチの証言」を参照。

後者は1980年にソ連で刊行された。「自伝」とあるが、正確には、ショスタコーヴィチが生前にさまざまな媒体に発表した文章などを年代順にまとめたものである。ヴォルコフやマクシム・ショスタコーヴィチは、「実際には、別人が書いていたのだ」と主張している。すべての記事はソビエト体制下では公式見解として発表されたものである。

ショスタコーヴィチはさまざまな人物と頻繁に手紙をやりとりしており、数冊が出版されている。邦訳書は2006年現在、存在しない。とりわけ有名なのは、音楽学者イサーク・グリークマンと行われた書簡集である。1993年にロシアで出版されたもので、英訳されている (Story of a Friendship, trans. by Anthony Phillips, London: Faver/Ithaca, N.Y. : Cornell University Press, 2001.)。

2006年9月25日、ショスタコーヴィチ生誕100周年を記念し、ショスタコーヴィチと公私共に親友だったイワン・ソレルチンスキーとの往復書簡が出版されている。これは、イワンの息子であり音楽学者のドミトリーが編纂した書籍。ショスタコーヴィチとソレルチンスキーが知り合った1927年から、ソレルチンスキーが急逝した1942年までにやりとりされた、現存するほぼすべての書簡が掲載されている。

なお子息2人(ガリーナとマクシム)による、多くの写真を交えた回想証言『わが父ショスタコーヴィチ』(田中泰子訳、音楽之友社、2003年)が出版されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/805.html

コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
10. 2021年10月06日 07:01:42 : jXbiWWJBCA : Rm5WWGpiTzAwU2c=[769]

韓国は財閥中心経済で、大企業の生産性は当然高い。

さらに日本の新自由主義wのアベノミクスのように生産性が低く低賃金のゾンビ中小零細を救済することなどなく、最低賃金も引き上げて、倒産を促すから、失業率は高い

だから欧米のように賃金も高くなる。


また社会保障は劣悪で、高齢者など弱者は低所得の請負労働になるが、それは賃金には反映されないことも韓国の賃金を底上げする効果が大きい

今後、右も左も、世界の潮流に乗って、さらにポピュリズム化し、インフレも強まっていくから、
分配を強化する日本の実質賃金の低迷が続く可能性は高いだろう



http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c10

コメント [カルト34] 中露に占領された方がましと考える若者の二割は、与野党を見る目は冷ややかで、占領国が電通ムサシCFRに不正選挙をさせるの… ポスト米英時代
10. 2021年10月06日 07:02:33 : uwDEBvBVrU : TkUxV2xsV29VanM=[26]
はっきり言って、今もう一回、米軍には日本を解放のため、一働きお願いしたいくらい。
http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/163.html#c10
記事 [近代史6] ドミートリイ・ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110』

最美の音楽は何か? _ ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/422.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/806.html

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
2. 赤かぶ[151425] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:04:22 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50184]

「ジョー・フミオと呼び合うことに」岸田新首相がバイデン大統領と電話会談 新内閣が本格始動

2021/10/05  FNNプライムオンライン

新政権が本格始動。

岸田内閣で新たに就任した大臣が、5日午前、担当の官庁に初めて登庁した。

一方、岸田首相は、アメリカのバイデン大統領と電話会談を行い、首脳外交のスタートを切った。

岸田首相「お互い『ジョー』『フミオ』と呼び合うことを確認した。『早期に対面で会談しましょう』、こうしたことも確認しました」

電話会談は、午前8時15分からおよそ20分間行われ、これまでの政権を引き継ぎ、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に取り組むことなどで一致した。

また、バイデン大統領からは、沖縄県の尖閣諸島がアメリカの防衛義務を定めた日米安保条約5条の適用対象との発言があった。

小林鷹之経済安保相(46)「身の引き締まる思い、その一言につきます。日本を取り巻く環境は、内外ともに非常に厳しいですから、経済面から国民生活を、どういうことになっても守っていく」

一方、小林鷹之経済安全保障担当相ら新任の閣僚は、相次いで担当官庁に初登庁し、職員らの出迎えを受けた。

野田聖子こども政策相(61)「しっかり落ち着いて、今まで積み重ねてきた仕事を形にしていきたい」

多くの大臣は、5日の閣議後の会見が就任後、初めての会見で、午後には新旧大臣の引き継ぎなどが行われる。


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c2
コメント [近代史6] ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975) 中川隆
1. 中川隆[-16120] koaQ7Jey 2021年10月06日 07:05:02 : ysUaxmWtj8 : SXFLbnFMU3E1ZGc=[13]
誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html

最美の音楽は何か? _ ショスタコーヴィチ『交響曲第8番 ハ短調 作品65』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/500.html

最美の音楽は何か? _ ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/422.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/805.html#c1

コメント [医療崩壊6] コロナワクチンを打った人の近くにいて体調に異変が起きた「未接種暴露例」A(twiiter) こーるてん
1. 2021年10月06日 07:05:22 : smtAbpEroU : SDJjaVpadHdVdEk=[2]
発病しても、重症化しないうちにイベルメクチンを服用すれば、まず2〜3日で完治します。私の近くにいたものが、感染発病(肺炎も起こす)しましたが、条件が合わず入院も出来ないでいました。私が予防の為に一ヶ月以上前から服用しているイベルメクチンを、自己責任の約束をしたうえで分けてあげました。果たして、1錠服用しただけで、熱も下がり、胸苦しさも消え、二日後2錠目を飲んで完治しました。ワクチンも2回接種していたのにです。

ワクチンは効きません。何度でも感染します。又、ワクチンを接種されていなければ、イベルメクチンは、必携です。万が一感染したら、イベルメクチンでCOVID-19を殺せばよいのです。私は、一ヶ月以上前から服用してきていますが、心許ない位に、何の副作用的なものは全く無しです。一錠(安いもので数十円です、どれもキチンとしたものです)服用すれば、1〜2週間位の効用があります。云われているように、用法、用量を守れば、本当に安心、安全な薬です。お陰で、近々にこの様な感染者がいるに関わらず、感染発病は全く無しです。

イベルメクチンのコロナ・ウイルス治験(北里大学、興和薬品)は、10月一杯位で終了するようです、効くことは分かっていますから、すぐに承認申請の後、何か別の力によって邪魔されない限り普通に使用出来るようになるでしょう。コーワ製薬が作ってくれるでしょうし、今年の冬には、我が国でもパンデミックが終息するでしょう。現在は、NETを通して購入出来ます。多くの方達が申し込んでいるようで、手に入るのに少々時間が、かかるようになってしまっています。

http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/809.html#c1

記事 [近代史6] ドミートリイ・ショスタコーヴィチ 『交響曲第8番 ハ短調 作品65』
最美の音楽は何か? _ ショスタコーヴィチ『交響曲第8番 ハ短調 作品65』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/500.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/807.html
コメント [経世済民135] みずほ銀行、解体論も浮上…4千億円で刷新したシステム、障害続出で制御不能(Business Journal) 赤かぶ
11. 2021年10月06日 07:05:50 : Sn698n5Lng : eGtUbEpPT3EuZTY=[283]
これでもう答え合わせでしょ。

数多くのシステムトラブルは、
外部からの攻撃だったんだよ。
内部のスパイの攻撃もありえるけど。

で、その攻撃の目的がこれ、
みずほの解体よ。

あほらしい
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/542.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
3. 赤かぶ[151426] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:08:55 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50185]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c3
コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
11. 2021年10月06日 07:09:31 : jXbiWWJBCA : Rm5WWGpiTzAwU2c=[770]

さらにこの投稿者は労働運動低迷の例としてトヨタを取り上げているが、完全に的外れ

トヨタなど日本の優良企業の賃金は韓国と同等もしくはそれ以上の場合が多いし

労働運動が低迷している米英の大企業の賃金は、盛んな南欧や東欧などより遥かに高い


当たり前の話だが、重要なのは企業そして労働者本人の生産性ということだ

本人の労働生産性が、世界に通用するほど高ければ、ただの運動自慢でも、数十億円の収入を得ることができるのだから、当然の話だ

http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
4. 赤かぶ[151427] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:09:44 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50186]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
5. 赤かぶ[151428] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:10:30 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50187]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
24. 2021年10月06日 07:10:43 : Askq0YLCxI : Qmp1Y3Rla1c0Vlk=[998]

あまり関係ないが、「携帯電話」に調査依頼が入って良く応対できるね。

RDDにしてもソフトだから全て記録が残るね。普通の市民なら電話に出ないで着信

番号から相手先を調べて登録する。そして二度と出ない。携帯を複数所有していれば

別だが、携帯=個人そのものだな。

まあ基本的に党員以外は応対しないと思うね。高齢者も娘から「知らない電話には出

ちゃダメ!」と言われているよ。



http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c24

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
6. 赤かぶ[151429] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:11:43 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50188]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
7. 赤かぶ[151430] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:12:21 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50189]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c7
コメント [医療崩壊7] 和歌山・小6女子 ワクチン接種4日後に死亡 学校は「不慮の事故」と隠ぺい マスコミは全く報道せず  魑魅魍魎男
53. 2021年10月06日 07:14:25 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[384]
この人、教育委員会が本当のことを言うと思っているのだろうか?

福島原発事故で、政府や自治体が決して真実を言わないこと、
ウソばかりつくことを、身をもって学んだのではなかったか。

学習能力ゼロだね。

https://twitter.com/KinositaKouta/status/1444837523205746690
(木下黄太)
和歌山でワクチン接種後に 小学生死亡情報で 紀の川市教育委員会に 確認をしましたが、
今回亡くなられた小学生は 一般的な意味の 事故と自殺の範疇にある 死因です。
「不慮の事故」の 公的な通常の使用例とも 合致するかと。
病死ではないから、 ワクチン接種による死亡可能性は ほぼありません。
6:31 PM Oct 3, 2021

https://twitter.com/KinositaKouta/status/1444904084071346179
詳しい担当者と話しましたが、 隠蔽している可能性はゼロと ジャーナリストとして断定します。
また転落的な原因での 死亡ではありません。
このためワクチン接種による 死亡とは全く考えられません。
10:55 PM Oct 3, 2021

https://twitter.com/KinositaKouta/status/1444916884193771524
和歌山県紀の川市の小学生が  ワクチン接種後に 死亡した話が
ツイートで 流布されていますが、 転落的な可能性のない 「事故か自殺」です。
御本人の接種有無も公的機関は 知りませんし、
親御さんからは  関連の申し出もありません。
ワクチン関連では 完全な虚偽情報です。 こんな事を信じるな。
11:46 PM Oct 3, 2021

https://twitter.com/KinositaKouta/status/1444967948192415748
ワクチン接種後に 不慮の事故という話は 教育委員会は 事故と自殺の範疇と
私の問いにそうだと述べています。 突然死と言ってませんよ?
また転落的な可能性も否定。 ご遺族から接種の有無に関して聞いてないし、
そうした影響関連の申し出もないと。 「死者への冒涜」とまで言われてますよ。 https://twitter.com/ttnaokott/status/1444959442231980033
Quote Tweet
3:09 AM Oct 4, 2021

https://twitter.com/KinositaKouta/status/1444921273021190147
転落的な要因もないので ワクチン接種関連死可能性は ないです。
そもそも教育委員会が  ワクチン接種の有無は
接種未接種の差別につながる可能性から、確認していない。
そうすると家族や接種医以外の第三者が、
どうやって死亡した小学生の接種を確認したのか疑問です。
12:04 AM Oct 4, 2021

http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/475.html#c53

コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
12. 2021年10月06日 07:14:43 : jXbiWWJBCA : Rm5WWGpiTzAwU2c=[771]

日本の新自由主義wのように生産性の低い企業や人間ばかり優遇すれば、どんどん貧しくなるのは必然なのだが


愚民が多くポピュリズムの民主主義が蔓延する国では、大体、そうなる

その典型がベネズエラなど左寄りが多い南米などだが

日本は、その中では、まだマシな方ではある
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK283] 野党統一候補の脅威に自民議員は戦々恐々。新任大臣でも落ちる可能性大(かっちの言い分)。 一平民
17. 2021年10月06日 07:17:51 : 8yLDFi698o : aEVTdWR5T0hJMUU=[33]
>>14

日本を含め、世界中で与党がワクチン推進、イベルメクチン禁止をしているだろ。日本の国会で、野党議員がイベルメクチンを提案したが、政府がスルーした国会中継動画を見なかったのか?
 

http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/454.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
8. 赤かぶ[151431] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:17:55 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50190]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
9. 赤かぶ[151432] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:18:29 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50191]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c9
コメント [カルト34] 泣生・和歌山の小学生がワク死亡したら近くの水管橋が崩落。ダマスゴミは後者だけ報道、スピンの為に崩落させた悪寒である。 ポスト米英時代
4. 2021年10月06日 07:20:32 : uKCGJMvQw2 : dDZkS0NXOU04aVk=[19]

 あの崩落の瞬間を画面の真ん中で、良く撮ってましたね。
 正常な橋があそこで壊れるなんて・・撮影者は予知能力がある人でしょうか。

…提供動画和歌山市の「水管橋」一部崩落の瞬間…提供動画
http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/169.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK283] これが初外交?「ジョー、フミオと呼び合うことを確認した」(@_@)(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
10. 赤かぶ[151433] kNSCqYLU 2021年10月06日 07:20:49 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50192]


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/475.html#c10
コメント [経世済民135] 国土強靱化による国民の貧困 一言主
12. 2021年10月06日 07:21:48 : uwDEBvBVrU : TkUxV2xsV29VanM=[27]
日本の場合、公共投資と名乗るだけで、全然公共投資になってないからな。

「土建屋親分に分配金」という形で、公共システム構築費を使い果たしたのが日本で、もう国際金融資本の投資無しに何もできない。


http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/506.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. 2021年10月06日 07:24:21 : 8yLDFi698o : aEVTdWR5T0hJMUU=[34]
コロナ禍関係なしの五輪が終わり、国会を開催せず、自民総裁選のお祭りさわぎ、続いて解散総総選挙祭り、とことんコロナ禍をスルー。自民犯罪究明もスルー。で、国民の45%が自民支持だとさ。
 

http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c21
コメント [医療崩壊7] (ワクチン接種拒否の600人解雇 ユナイテッド航空、安全最優先 (共同)  魑魅魍魎男
18. 2021年10月06日 07:27:49 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[385]
https://twitter.com/purplep76858690/status/1445152374822113280
(purplepearl)
ニュージーランド航空、来年2月1日から、成人の海外旅行客に完全な接種義務化を発表。
18歳以下や医療上の理由で受けられない場合は免除。
会社の顧客対応スタッフにも接種義務、これは全社員の75%に相当。

Air New Zealand announce vaccination mandate for overseas travellers
https://www.news.com.au/travel/travel-updates/health-safety/air-new-zealand-announce-vaccination-mandate-for-overseas-travellers/news-story/78f25dd91f52d527a2167f6fd2720d92
3:22 PM Oct 4, 2021
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/472.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK283] 毎日新聞の世論調査でご祝儀は絶望。野党の政権奪取は現実味を帯び出来た。勝てる!!(かっちの言い分) 一平民
26. 2021年10月06日 07:29:47 : uwDEBvBVrU : TkUxV2xsV29VanM=[28]
>6 その言い草で「イマジン」は無かろう。

イマジンの歌詞って、「空から地球を見てるとイメージしてごらん、地表に国境なんか書かれて無いから、国などという僕たちを戦わせる目的で分別するものは、偽りで作り上げられているのだ」という、完全なる国家否定の歌がイマジン。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/467.html#c26

コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
13. 2021年10月06日 07:36:56 : uwDEBvBVrU : TkUxV2xsV29VanM=[29]
日本の新自由主義とは、世界標準では新自由主義とは評価されないからね。

日本の場合、政治のイメージするところが中世の軍国膨張主義だから。

他国と戦争して勝たないと、子分への分配資産を生み出せないのが中世人。

日本は正に中世そのまま。
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c13

コメント [経世済民135] なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?  大村大次郎(まぐまぐニュース) 赤かぶ
14. 2021年10月06日 07:40:23 : uwDEBvBVrU : TkUxV2xsV29VanM=[30]
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO4170568025022019000000/

まず、新自由主義の定義を確認しましょう。辞典では「政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方」(デジタル大辞泉)、「20世紀の小さな政府論」(知恵蔵)などと説明されています。これらの定義は明確です。言い換えれば、経済に対する政府の介入を否定する考えです。

 ところが実際には、この定義に当てはまらない政策や考えを新自由主義と呼び、批判するケースをしばしば目にします。

「小さな政府」をめざしているのに増税や金融機関救済

 たとえば、冒頭で触れたマクロン仏政権です。マクロン大統領は、企業活動の活性化のため雇用・解雇をしやすくしたり、財政赤字の削減のため公務員を減らしたりする策を打ち出しています。なるほど、これらの政策は「小さな政府」をめざすという新自由主義の説明に素直に当てはまります。

 しかし、マクロン政権に抗議する「黄色いベスト」運動が広がったきっかけは、これらの新自由主義的な政策ではありません。政府が環境政策の一環として今年1月から実施する予定(抗議を受け今年は見送り)だった、ガソリンと軽油の増税です。増税は、政府が経済への介入を控え、小さな政府をめざす新自由主義の定義には当てはまりません。予算規模の拡大につながりますから、むしろ正反対の「大きな政府」の政策です。

 最近では燃料増税だけでなく、雇用・解雇の規制緩和や公務員削減といった新自由主義的な政策に対しても抗議が広がっているのは事実です。けれども、そもそも増税という大きな政府路線への反対からデモが始まったのに、それが小さな政府をめざす新自由主義に対する抗議だと報じられてしまうと、読者や視聴者は混乱しますし、事実の本質をゆがめかねません。

 似た例は、米国でもあります。2008年にリーマン・ショックと呼ばれる金融危機が起こったときのことです。当時はブッシュ(子)政権で、英国のブレア政権や日本の小泉政権と並び、新自由主義の権化のように言われていました。

 しかしリーマン・ショックで米国経済への不安が広がると、ブッシュ大統領は総額7000億ドル(約70兆円)の総額不良資産救済プログラム(TARP)法案に署名し、金融機関の救済に乗り出します。もちろん、政府が経済への介入を控える新自由主義の定義とは正反対です。

 税金を投入したこの救済策に対しては、米国内で強い批判が巻き起こりました。けれどもなぜか、今でもブッシュ政権は新自由主義だと言われます。オンライン百科事典のウィキペディアでは、ブッシュ大統領の政策について、新自由主義、小さな政府の方針と重なるところが多いと記しています。

 同じ政権の政策に、新自由主義的なものとそうでないものが混在することはあるでしょう。けれどもリーマン・ショックのような重大な出来事に対し、明らかに新自由主義の定義に反する対応をしたにもかかわらず、その政権の性格を新自由主義という言葉で表現するのは、適切とは言えません。青空を「赤い」と言うようなものです。

 ブッシュ政権は自由貿易を信奉すると言いながら、国内の鉄鋼業を保護するため、鉄鋼輸入に対し関税や数量制限をかけたりしました。この点からも新自由主義というレッテルは疑問です。
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/544.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 2021年10月06日 07:41:07 : qyjLKDKN06 : WEdzUFpscmRpckU=[1091]
政権交代も有り得るであろう今回の総選挙。

その選挙に備え国民の信頼を失った菅政権の次期政権の道を断ち、総裁選を一か月かけて決め、そのための臨時国会を開催次期総理を指名、組閣。

そして選挙日程を自己都合で決めて14日に解散、総選挙に突入すると言う。主権者国民を野党を無視した自己都合の政治を強行しようしてる
聞示唆政権。民主政治を無視した暴挙と断言し強く抗議する。

3か月に及ぶ野党の国会開催を無視しながら、総選挙を前に国会でお互いの公約、政策に対する審議、討論を開催国民に何を争点とし、何を主張するのかを理解を求め国民の審判を受けると言う民主政治の手順を無視した今回の自民党の選挙日程では十分に果たすことは出来ない。岸田内閣に日程の変更を強く要求する。

民主政治の常道にそった与野党の公平、平等に基づいた国民主権の政治を行い真の国民の民意の実現を。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK283] <発足時支持率、小泉内閣以降で最低>岸田内閣、低調な船出 支持率45%・不支持率20% 朝日世論調査  赤かぶ
25. 2021年10月06日 07:43:11 : QxarWshCzU : ZEZ6Ynh4aUtmb1E=[66]
逆だろ。
マスゴミに取って都合のいい政権じゃないからご祝儀数字にしなかっただけ。
上手くやらないと電通からお金貰えないもんな。

そんな事より細かい政策が見たい。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/474.html#c25

記事 [近代史6] セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev、1891 - 1953)
セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev、1891 - 1953)

機知に富んだ切れ味のよい作風。未開拓の新奇な可能性と美しさを多く発見した20世紀の最重要作曲家の一人。


交響曲
個人的にプロコの交響曲は苦手である。機知に富んだ作風の良さが生きないジャンルだと思う。

交響曲 ホ短調(1908年)

古典交響曲 ニ長調(交響曲第1番) op.25(1917年)
3.5点
ピリッと辛いスパイス入りの古典的な交響曲。ハイドン風の洗練と簡潔がありながらも、現代的感性で書かれており、新鮮で興味深い。

交響曲第2番 ニ短調 op.40(1925年、op.136として改訂の予定であった)
3.0点
鉄と鋼のような押せ押せの音楽は個人的にかなり好きな世界である。プーランクが拍手していたという逸話があるが、彼の感性と近い音楽の気がして納得出来る。ただそれを長い交響曲の全部でやられているので、さすがに食傷してしまう。

交響曲第3番 ハ短調 op.44(1928年)
2点
本人は自信作らしいが、変な曲としか…

交響曲第4番 ハ長調 op.47(第1版:1930年)、op.112(第2版:1947年)
2.5点
改作版の方で聞いた。全体として交響曲の体裁になってはいるし、悪い音楽ではないのだが、内容にまとまりがないと感じた。全体を通して何がしたかったのか、見えてこない。

交響曲第5番 変ロ長調 op.100(1944年)
3点
プロコフィエフの交響曲で1番有名な曲である。交響曲らしい力作なのはわかるのだが、自分は中途半端に感じてしまい感動はしない。

交響曲第6番 変ホ短調 op.111(1947年)
3.0点
ある程度難解で複雑であり、多少の思想性や統一感があり20世紀の交響曲らしい作品になっている。交響曲らしい音楽語法が使われている。

交響曲第7番 嬰ハ短調(「青春」) op.131(1952年)
3.5点
一楽章はかなり好き。シンプルで簡素な晩年の世界であり刺激的では無いが、割といい曲だと素直に思う。

劇場音楽からの組曲

スキタイ組曲(「アラとロリー」) op.20(1914年)
3.3点
キレが良く、活き活きとした描写力で、最初のバレエ音楽にしてプロコフィエフのバレエ音楽への適性がよく発揮されている曲。

バレエ組曲「道化師」 op.21bis(1922年)
3.3点
活き活きとした場面描写が優秀なバレエ音楽であり、耳を楽しませるものではある。清新なセンスが発揮はされているが、前衛的な響きは少なく聞きやすい。しかし、バレエ音楽なので音だけで楽しむには長いので、気楽にくつろいで聴く曲と思う。後の代表作と比較するとまだありきたりの音楽の感がある。

「三つのオレンジへの恋」組曲 op.33bis(1924年)
3.5点
曲にパンチが効いていて、自在に扱われるオーケストラが印象深さを生み出している。前2作と似た系統だが進歩が見られる。

「鋼鉄の歩み」組曲 op.41bis(1926年)
3.0点
現代工業化をテーマにした音楽であり、標題音楽に近い。もっとプロコフィエフらしく無機的にガンガン押せ押せの音楽かと思ったら、ある程度はそうなのだが案外おとなしい。期待以下であり、それ以外は標題的な描写性の強すぎる音楽であって深みが足りず物足りなかった。曲が短いのも浅く感じる原因。

「放蕩息子」組曲 op.46bis(1929年)
3.3点
モノラル音源でよく分からなかったところはあるが、非常に勢いをもった充実感のある楽想が次々と矢継ぎ早に繰り出される気力の充実した曲のようだ。短期間に書かれたとのことで頭の中から溢れるように音楽が湧いてきたのではと想像できるものだ。なかなかの音楽に思えるのにマイナーなのは、やはり大衆性の不足だろうか。

歌劇「賭博者」からの四つのポートレートおよび終結部 op.49(1931年)
3.5点
前衛的な音の不協和音や気持ち悪さが、オペラの舞台性でストーリーと背景を持つことで意義のあるものになっている。かなりダイナミックに音が動く音楽であり、そのスリリングさには圧倒されそうになる。絶対音楽とは違うが、楽曲として抽出された結果、そこまで物語の具象的な音楽でもなくなっており、その塩梅がとてもよい感じである。不協和音や気持ち悪い旋律の重ね合わせがとても心地よく感じてしまう。

「ドニェプルのほとりで」組曲 op.51bis(1933年)
3.0点
まったりした普通の管弦楽曲である。シューベルトから受け継いだ意外な転調などの捻り、雰囲気が良いだけでかなり効果の低い曲になるところだったと思う。4曲目は編曲の面白さも音楽のエキゾチックな楽しさもあり、なかなかの名作である。まあ他も大地を感じさせたり郷愁を感じさせたり雰囲気はいいと思う。

交響組曲「キジェー中尉」 op.60(1934年)
3.0点
コミカルな雰囲気。プロコフィエフの本気はあまり感じられない。

組曲「エジプトの夜」 op.61(1934年)
3.3点
とてもエキゾチックで幻想的で面白い。この題名にしてこの音楽というのは見事である。すぐにはプロコフィエフと気付けないくらいに面白い。しかし、音の密度が薄いまったりした曲であり、本気の曲でないのも明らかである。そもそもプロコフィエフ作曲でなければ聴く機会のない曲で評価することもないだろうという気はする。それを高く評価してよいか迷うが、キワモノ的な耳を楽しませる面白さは個人的には否定しがたい。

「ロメオとジュリエット」第1組曲 op.64bis(1936年)
3.3点
作曲者の気力が漲っている。しかし耳につくメロディーはなくて、親しみやすさもほどほどであるため、評価の仕方に困るところがる。7曲の組曲はバレエ音楽の大家らしい充実ぶりではある。無機的な前衛派が大衆に分かりやすいながらも内容を膨らまして書いた努力の結実がバレエ音楽の作曲家として知名度を獲得するのに結びついたのが伝わってくる。6曲目はかなり感動的。

「ロメオとジュリエット」第2組曲 op.64ter(1936年)
3.0点
第一組曲とはだいぶ雰囲気が違う。小ぶりで親しみやすく心が温まるような感じで、まるでグリーグの音楽のようだと思った。第一組曲は壮大さに力点を置いた力作というのがよく分かる。どちらが好きかは好みによるだろうか。個人的には第二組曲は刺激不足であり後半は飽きてくる。しかし、1曲目が有名な曲であり、まさに掴みはOKである。これが大きいのだが、そのあとはリカバリーしないまま期待はずれで最後まで続くが、最後の曲でようやく面白くなる。

「セミョーン・コトコ」組曲 op.81bis(1941年-1943年)
3.8点
これはなかなか好きだ。オペラから作った組曲だが、オペラの場面話の筋書きが目に浮かぶようだ。音に主張と物語があり、ドラマに想いを馳せるように聴ける。かなり劇的な物語なのだろうな。登場人物たちの熱い想いと、悲劇のドラマ性が伝わってきて、ぜひ実際の舞台を見てみたいと思った。しかも長い組曲の全般がそんな感じでアツい。

「ロメオとジュリエット」第3組曲 op.101(1944年)
3.5点
最後のジュリエットの死は感動する。爛熟した美の沼にはまるようだ。他の曲も演奏がよいせいか、強く情感に訴えたり、響きや音使いが適度に新奇な面白さがあるなど、見所が多くある曲に聞こえた。3曲目のジュリエットの曲もかなり好きだ。作曲年代から残り物を集めた組曲かと予想していたが、思ったよりよい。

「シンデレラ」第1組曲 op.107(1946年)
3.0点
刺激が少なく古典的な柔らかさと踊りやすそうな舞曲性があるとともに、おとぎ話のような夢幻的な雰囲気も少しある。良い作品ではありバレエで観れば楽しめるのかもしれないが、音楽単体で聴く組曲としては刺激がなくて物足りない。売りになるような主張がないと思った。

「シンデレラ」第2組曲 op.108(1946年)
3.0点
シンデレラが王宮に入る一つのクライマックスの場面の音楽は素敵だ。しかし、それ以外はあまり凄い部分がない。第一組曲と似た世界であり、一つの世界観と音世界を構築している。シンプルや古典性や舞踏性とプロコフィエフらしさの融合は癖になりそうだが、似たような音の使い方が多くて飽きそうにもなる。

「シンデレラ」第3組曲 op.109(1946年)
3.3点
この組曲は静と動の対比がかなり強く出されている。組曲単品で聴くにはやはりその方が楽しいと思う。単調さが気にならなくなることで、夢幻的な音楽は世界の創造性もより価値が明快に分かるようになっている。このため良作だとは思うが、とはいっても圧倒されるようなものはない。

管弦楽のための組曲「ワルツ集」 op.110(1946年)
3.0点
そこそこの長さのあるワルツが6曲も集まっている。旋律に力は入っていないが、さまざまなワルツがありボリュームは楽しめるかもしれない。音楽を進める手際が良くて皮相的な音使いも楽しめるプロコフィエフの良さはよく出ている。中間の2曲がありきたりでなくて良いと思う。

プーシキン・ワルツ op.120(1949年)
3.3点
2曲ある。1曲目はまったりした19世紀のような古典的な雰囲気のあるワルツ。2曲目は少しテンポが早くなり、旋律にプロコフィエフらしい現代性が少しずつ現れるものの、多くの場面でかなり古典的な懐古趣味を出している。この現代と19世紀の組み合わせ方は愉しめるものであり、2曲目は展開がなかなか大掛かりでワクワク感がある。

交響組曲「夏の夜」 op.123(1950年、歌劇「修道院での婚約」による)
3.0点
オペラの素材をまとめたもの。簡明で簡潔な書法は、晩年の特徴がよく出ている。舞台で聴くならば雰囲気を十分に楽しめる事が容易に想像出来る。3曲目は明るくハッピー。4曲目の夢の中の世界は楽しい。

結婚組曲 op.126 (1951年、バレエ音楽「石の花」による)
3.3点
晩年のプロコフィエフらしい平明な音数を減らした世界が展開されている。その世界とバレエ音楽の融合した大作からの抜粋というように聴く分には興味深い。過去を振り返ってしまう感傷的な心の弱さや涙もろさみたいなものを基底に持っているのが魅力であり心になにか響くものがある。それとともに少年に回帰したような純粋な心を取り戻したかのような透明感もある。晩年のプロコフィエフが好きなら気にいるだろう。凄い曲という感じではないけれども。

ジプシー幻想曲 op.127 (1951年、バレエ音楽「石の花」による)
3.0点
前半は運動会の音楽のようなのが面白い。幻想曲の題名らしい雰囲気が急にコロコロ変わる曲である。面白いといえば面白いが、各部分はそこまで感動しない。プロコフィエフにしては特殊な曲として楽しめるくらいである。

ウラル狂詩曲 op.128 (1951年、バレエ音楽「石の花」による)

その他の管弦楽曲

シンフォニエッタ イ長調 op.5(第1版:1909年、第2版:1914年)、op.48(第3版:1929年)
3.0点
全5楽章。明るく軽やかで平明である事、シンフォニエッタの名称に相応しい小ぶりで可愛らしい楽章の集合体である事が特徴。夢見るようなメルヘンチックさを感じる。分かりやすい曲としてはそれなりに楽しめるが、捻りは控え目だし、驚きや類似する古典交響曲に感じる天才的な発想力が見られない。悪くない曲のままでなんとなく5楽章が過ぎてしまい、後に残るものがない。

交響的絵画「夢」 op.6(1910年)
2.5点
19歳の管弦楽曲。ワーグナーやドビュッシーやロシアの諸先輩の影響が見え隠れする。もやもやした夢と現実の狭間のような雰囲気だけの曲であり内容が薄い。個性も前半はほとんど感じないが、後半は少しプロコフィエフらしくなる。

交響的スケッチ「秋」 op.8(1910年)
2.5点
ラフマニノフのような壮大なロシアの大地とドロドロとした情念を感じさせる曲。はっきりしないもやもやの中で場面が少しずつ移り変わっていく。題名にあまり意味が無いらしいが、実際日本人のイメージする秋とは程遠い雰囲気である。雰囲気だけであり切れ味が良くない。

ヘブライの主題による序曲 ハ長調 op.34bis(1934年)
3.3点
室内楽版と比較して素朴でエキゾチックな『こくのある』感じが落ちている。色彩的で空間的な広がりが出ているのは必ずしも良い方に結果になっていない。好みの問題かもしれないが。

アメリカ序曲(または室内管弦楽のための序曲) 変ロ長調 op.42(1926年)
3.0点
プロコフィエフには珍しいアメリカ的な楽天性と開放感があり目新しさを感じて聴ける。華やかさもあり、場面転換もいい感じ。雰囲気はかなり映画音楽っぽい。

ディヴェルティメント op.43(1929年)
2.5点
くつろいだ雰囲気はディベルティメントの名に相応しい。プロコフィエフらしいユーモアも活用されている。しかし、もう少し光る何かが欲しいところ。

交響的な歌 op.57(1933年)
2.0点
ヘンテコな曲。変化に乏しく、やっつけ仕事感がひどい。

小管弦楽のための子供の組曲「夏の一日」 op.65bis(1941年)
3.5点
子供のためということで、素朴な構成になっており込み入った複雑さが排除さらている。短い7曲の構成。夏休みの思い出を再構成したかのような郷愁と子供時代の思い出を想起させる音楽である。懐かしいなあとしみじみとした想いに浸りながら聴いた。無邪気に新しい発見に満ちた日々を送ったあの頃に一度また戻ってみたいとも思った。

交響的物語「ピーターと狼」 op.67(1936年)
4.5点
親しみやすいテーマのオンパレードで子供向けとはいえ大人もかなり楽しめる作品。ストーリーもあるので、コミカルで面白い。このような一般向けの曲で素晴らしい作品を書けたプロコフィエフの才能に驚く。

ロシア序曲 op.72(第1版:1936年、第2版:1937年)
2.8点
13分の長さがり場面展開が激しい曲である。多くの発想が詰め込まれているからそれなりに力を入れて書かれたと思われるのだが、どの場面をとっても旋律に魅力がない。やはり展開だけでは音楽は楽しめないと思ってしまう。

交響組曲「1941年」 op.90(1941年)
3.3点
叙情的かつ叙事的な曲。しなやかでスケールが大きい、ロシアの広大さを思わせる曲。特に2曲目と3曲目。

行進曲 変ロ長調 op.99(1944年) [吹奏楽]
3.0点
アンコールに使えそうなブラスバンド用の急速な行進曲。面白い。

戦争終結に寄せる頌歌 op.105 (1945年)
2.8点
管弦楽なのか室内楽なのか分からないハープ8台、ピアノ4台、管楽器、打楽器、チェンバロという超特殊編成の曲。13分。第二次大戦の終結を祝うための曲らしいが、祝典的な印象は最後の3分であり、それまではどちらかというと今までの耐え忍んだ苦労を回想し分かち合うための曲という気がする。ピアノとハープの分厚さとブラスバンドの組み合わせは聴いたことの無い音響で面白い。曲としては、まあ手抜きでは無いが仕事で書いた曲だという印象。

祝典詩曲「30年」 op.113(1947年)
3.0点
祝典音楽の2作品のうちの一つ。舞台音楽のような軽快さをもつ場面が多い。単なる祝典性だけでなく、場面転換が多く音楽に活力と表情の豊さがあり、そこそこ聴き応えがある。

組曲「冬のかがり火」(朗読、児童合唱およびオーケストラのための) op.122(1949年-1950年)
3.3点
子供の情景を描写した平明な曲。朗読入り。おとぎ話のような包むような暖かさと純朴な美しさと詩情は聴いていてほっこりした気分になれる。平明すぎるものの、案外感動するため聴いて損のないと個人的には思う。毎回朗読が入るのも聴くのには少し支障があるが、待ちがあるため音楽の場面では逆に集中しやすいかも。少年合唱は天使のように美しくて秀逸であるが出番が少ない。

祝典詩曲「ヴォルガとドンの邂逅」 op.130(1951年)
2.0点
祝典的な金管楽器の活躍する序曲。元気ではあるが、メロディーその他、特に魅力を感じない。

ピアノ協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 op.10(1912年)
4.3点
短くコンパクトな中にプロコフィエフのピアノ協奏曲の魅力のほとんどが詰まっている。前面で大活躍するテクニカルなピアノは、この楽器の新しい魅力を引き出している。前衛的な新奇さはあるが、それだけに留まらない音楽性の高さを楽しめる。メロディーが良いため、素直に名曲としてお勧め出来る。

ピアノ協奏曲第2番 ト短調 op.16(1913年)(ロシア革命時に紛失、1923年に改作)
4.0点
1番をパワーアップしたような初期プロコのキレの良さが最高に楽しい。3番が、聴きやすいが媚びとまとまりのよさのための妥協を感じるのと対照的に、2番は妥協なしの壮大で濃厚な野心作である。音の尖っている場面の強烈さは凄いが、とがり方が突き抜けているため爽快な心地よさをも感じる。叙情的な場面も多い。その濃厚さ巨大さからプロコフィエフのピアノ協奏曲の最高傑作に推したい一方で、1番3番ほどの強烈な印象が残る場面が少ないのも事実。

ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26(1921年)
4.5点
豪快でノリノリのスポーツ的爽快さが何とも楽しい。特に3楽章の後半の猪突猛進がこの曲の最大の魅力だろう。特殊奏法の箇所は非常に華麗でかっこよくて好きであり、早くその箇所に来てほしいと待ち焦がれてしまう。1楽章の自由さや快活さと、切り替えが多い複雑なバランスも良い。2楽章もプロコフィエフによくある神秘的な曲で良いのだが、押しが弱いため印象が薄い。3楽章の中間部が同じメロディーをひたする繰り返しばかりで飽きるのが玉に瑕である。

ピアノ協奏曲第4番 変ロ長調(左手のための) op.53(1931年)
2.3点
左手だけの作品というだけで面白いのだが、聴いたあとは物足りなさが残る。使われている素材が良くない。良い素材は出さずに、ありあわせのもので間に合わせた印象である。力を入れて書いた作品と思えない。左手だけの薄い音で演奏されるプロコフィエフ節の魅力はあるが、正直言ってそれしか良さがない曲である。

ピアノ協奏曲第5番 ト長調 op.55(1932年)
2.5点
詰め込み過ぎでまとまりが無い。初演時に作曲者自身が暗譜に苦労したという逸話が証明している。しっちゃかめっちゃかで、まとまりが全然ない。全編それが徹底しているので、曲のコンセプトなのだろう。無理やり誉めるならば、バラエティーに富んでいてイメージ豊か、バレエ音楽の達人らしさを活かしているという事になる。しかし聴く側には理解困難な変わった曲という以上のものは、あまり得られない。ただ、4楽章はなかなか美しくて聞き入る曲である。

ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 op.19(1917年)
3.8点
夢幻的な独特の美しさに満ちている1楽章、新奇なおもしろさの2楽章、再び夢幻的な3楽章とどの楽章も素晴らしい。プロコフィエフにしか書けない白昼夢のような不思議さとはこの世の現実と隔絶したかのような美しさである。美的感覚の鋭さと音感の良さによる芸術的センスの良さにより、ヴァラエティに富む20世紀のヴァイオリン協奏曲の中で代表的な作品になっていると思う。

ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 op.63(1935年)
2.5点
一楽章はモヤモヤ、ウダウダのまま終わる。二楽章はファンタジックな伴奏の音楽で才気を発揮。三楽章はカスタネットも登場する南欧的情熱を感じる音楽。

チェロ協奏曲

チェロ協奏曲第1番ホ短調 op.58(1938年)
2.8点
後年に改作された作品だが、こちらの方が壮年期の力強い響きがするし、曲も8分ほど短いため好きかもしれない。とはいえ、どうも焦点が定まっていないようで捉えにくく、なんとなく雰囲気は良いがあまり印象に残らない曲である。ヴァイオリン協奏曲よりは落ちるという印象である。

チェロと管弦楽のための交響的協奏曲ホ短調(チェロ協奏曲第2番)op.125(1951年)
2.8点
第1番の改作。ショスタコーヴィチのようにどこか素直でないながらも軽妙でコミカルだったり、映画音楽のように柔らかく描写的だったり。晩年らしいシンプルさと、映画音楽のように響きは軽いが表情豊かな管弦楽の充実と、軽妙でコミカルなチェロのソロが魅力。いろいろな楽想が詰まったている。とはいえ、構成に芯がなくてまとまりないし、音が軽すぎる割には大作過ぎるし、いまいちである。

弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ロ短調 op.50(1930年)
3.5点
意外性のあるモダンを志向した音楽であるがマイルドであり、割と明るくて情緒的で聴きやすい。あまり弦楽四重奏的ではなく弦楽合奏的な曲という気もするが、音楽的内容が充実している。どの楽章も豊富な材料を使って念入りに書かれていて心に訴えるものがあり、作曲者の実力をいかんなく発揮している。

弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調(カバルダの主題による) op.92(1941年)
3.5点
1楽章は東南アジアの音楽のように、四重奏曲と思えないほど音を次々と分厚く積み重ねて素晴らしい音響効果を作り上げたりする。エキゾチックな主題を使うモダンな曲。2楽章は民族的なメロディーが心地よく、民族楽器を模した伴奏も楽しい。風光明媚な旅先を楽しむような雰囲気もある。不思議でセンスが高い曲。3楽章はやはり民族的で、展開の大胆さが楽しい。全体に1番より四重奏の扱いが巧み。

ヴァイオリンソナタ

ヴァイオリンソナタ第1番 ヘ短調 op.80(1946年)
3.5点
1楽章の憂鬱な深刻さ、2楽章の尖ったスケルツォと情熱的なメロディー、3楽章の夢幻的な世界、4楽章のポジティブさや激しさ。プロコフィエフの作品の中でも暗い情熱と本格的な精神性を志向している曲の一つ。

ヴァイオリンソナタ第2番 ニ長調 op.94bis(1944年)
3.8点
フルートソナタ op.94 の改作。なまめかしく情熱的で表現力に幅があるヴァイオリンの良さが生きており、奥行きのある曲に仕上がっている。改作は成功しており、元のフルートソナタより良くなったと思う。

2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 op.56(1932年)
3.0点
1楽章はバルトークのように前衛的で鋭角的で緊張感の高い音楽で期待感が高まるが、楽章が進んで耳が慣れていくにつれて奇妙な音楽と判明していき、わけがわからなくなってくる。16分で4楽章とコンパクトなので聴きやすいが、聴き終わると頭上に?マークが残る。

無伴奏ヴァイオリンソナタ ニ長調 op.115(1947年)
1.5点
全体にシンプルで、ユニゾンの合奏の方が良さそうに聞こえる。不思議な力強さがあるとは思うが、意味が全然理解出来ない音楽である。和声感がないし、音の動きも何がしたいか分からない。

その他の室内楽曲

ヘブライの主題による序曲 ハ短調 op.34(1919年) [クラリネット、弦楽四重奏、ピアノ]
3.5点
ピアノ五重奏にクラリネット付きでかなり重厚な響きである。民族的な憂いとおどけた感じを両立した主題が魅力的。クラリネットの陰影のある億色がメロディーとマッチして非常に効果的である。この時代にしては前衛的な響きでは全然なく、後期ロマン派の範疇に入っている音楽である。構成もしっかりしていて聴きやすく、胸に迫るものがある良作である。良い素材を活かして長くて自由に展開されて、最後に主題に戻る過程も秀逸で楽しめる。

ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディー op.35bis(1925年)
3.8点
5つの歌詞のない歌op.35の編曲。暗く情熱的な小品集。おおっと驚く独特の美しさが全ての曲に登場して痺れるような感動を体験できる。特に3曲目は素晴らしい。これは掘り出し物。

五重奏曲 ト長調 op.39(1924年) [オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス]
3.0点
バレエ音楽から編まれた曲というのは内容面からすぐ納得出来る。即物的な雰囲気が強いモダンな内容で、精神的な内容はあまりない。また、音に棘がなく、柔らかい雰囲気。アンサンブルと音を楽しむ分にはなかなかよい。

フルートソナタ ニ長調 op.94(1943年)
3.5点
どの楽章も軽快なフットワークと明るさが支配的であり、聞いていてかなり楽しい気分になれる。

チェロソナタ ハ長調 op.119(1949年)
3.0点
音感とセンスの良さは発揮されているものの、全体的な焦点がいまいちはっきりせずメロディーも耳に残らず、捉えにくい曲だと思う。チェロは運動的であり、ヴァイオリンとは全く違う楽器という把握のされかたでない印象がある。

無伴奏チェロソナタ 嬰ハ短調 op.134(1952年、未完)
3.3点
チェロ独奏独特の悲しげなモノローグが続く。響きが軽い印象があるプロコフィエフのチェロ曲の中で、この曲は重みがある。未完成なのが残念。

ピアノ・ソナタ

プロコフィエフのピアノ・ソナタは内容が充実した、たくさんの素材を惜しげも無く投入しような大変な力作揃いであると思う。

ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 op.1(1909年)
3.5点
独特の疾走感が満載で、それ程長くない単一楽章の曲だが豊富な内容でもっと大作に感じる。スクリャービンのようなロマンの香りの部分がおおくあり素敵。

ピアノ・ソナタ第2番 ニ短調 op.14(1912年)
3.5点
1楽章こそ冴えないが、アップテンポの2,4楽章の切れがよく発想もよいといういい曲で、二楽章も悪くないので楽しく聴ける。まとまりが良い。

ピアノ・ソナタ第3番 イ短調 op.28「古い手帳から」(1917年)
3.5点
単一楽章でコンパクトにまとまっており初期プロコのめまぐるしいピアニズムと切れ味の鋭いスッキリ爽快な部分を楽しめる。しかし、爽快なだけでなく、なかなか多くの場面展開がある充実作品である。

ピアノ・ソナタ第4番 ハ短調 op.29「古い手帳から」(1917年)
3.8点
1楽章は前奏曲のような内容。2楽章は非常に強く心を捉えて頭からメロディーが離れなくなるような名作である。即物的な前衛主義とロマン派的センチメンタリズムの見事な融合であり、20世紀的な感情表現は出色の出来であり、なかなか他では聞けない名作であると思う。3楽章はアレグロでぐるぐるとジェットコースターのように突き進むようなダイナミックな作品であり、プロコフィエフの得意技を満喫できる。

ピアノ・ソナタ第5番 ハ長調 op.38(第1版:1923年)、op.135(第2版:1953年)
3.8点
柔らかくてシュールなぬくもりを感じる佳作。1楽章はアンニュイなようであるが、展開部のオスティナートのテンションの高まりはかなり聴き映えがする。2楽章は、浮遊感とシュールさとセンチメンタリズムを融合させた霊感に満ちた曲である。3楽章は最終楽章にしてはやや大人しいのが物足りない点ではあるが、この曲の全体的な浮遊感による統一感のためにはこれが適切という気もする。後半には激しいテンションも見せてくれる。

ピアノ・ソナタ第6番 イ長調 op.82(1940年)
4.0点
1楽章は重戦車がゴリゴリと地面のものを踏み潰して進むような曲。私は長年、1楽章の冒頭の重々しさと不協和音の不快さのせいで聴くのがしんどくて、わざと不快感を強調した作品と感じて身体が受け付けなかった。しかし、久しぶりに聴いたところ、平気で聴けるようになった。個性的で古典的な均衡と密度の濃さと4楽章作品ならではガッチリとした構築性と総合性とスケール感を持った傑作だとわかった。7番と8番は偏った作品であるため、6番こそがプロコフィエフの代表作と思うようになった。

ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83(1942年)
3.5点
無調であり、シュールで鋭角的で無駄をそぎ落とした1楽章。その緊密性の高さは評価できるが、強く心に響くものがあるとも言えないと思う。2楽章は間奏的なものあり、悪くないが特段の思い入れはない。7拍子で重音を重ねながら高速に一気呵成に進む短い3楽章は、一度聴いたら忘れられない名作である。

ピアノ・ソナタ第8番 変ロ長調 op.84(1944年)
3.8点
鋭角的な6番と7番と比較すると、8番は角が取れている。一番長い大作のソナタであり、曲の長さを活かした瞑想的な深さと構成感が好き。1楽章の瞑想的でありリズムの推進力が希薄。戦争末期のニヒルな絶望感を感じる。2楽章は少しインテンポなリズム感が出てくるのがよい。3楽章は高速で緊張感がありかっこいいが、それまでの楽章のニヒルな深さもスポイルしていない。そして中間や最後の爆走は気持ちいい。

ピアノ・ソナタ第9番 ハ長調 op.103(1947年)
3.3点
後期らしい簡潔さが現れている。聴きがいはあるが、これまでのソナタと比較すると簡素さのために圧倒的な充実感には到達していないところはある。とはいえ、プロコフィエフらしい発想の豊かさは十分に現れている。

その他のピアノ曲

4つの練習曲 op.2(1909年)
3.0点
初期プロコフィエフらしい新奇で切れ味鋭い音楽やピアノ書法と練習曲らしいパッセージの融合という点で、聴く前の期待は十分に満たしてくれた。名作というほどではないが、楽しむことは出来る。

4つの小品 op.3(全4曲)(1907年-1911年)
2.3点
1曲目こそ2分あるが2曲目以降は1分以内のごく短い曲。短すぎてよく分からない。ほとんど印象に残らないまま4曲が終わってしまう。

4つの小品 op.4(全4曲)(1908年)
3.3点
ピアノソナタのように、ずっしりとした音の重さと本格性があり、4曲のつながりが考えられて構成されている。暗黒の深遠を覗くような世界は、戦争ソナタを予感させるものである。作品2や作品3のピアノ小品群より重要と思う。

トッカータ op.11(1912年)
3.5点
演奏効果が高い。初期プロコフィエフらしい野蛮で叙情性を排した鋼鉄のような凄い曲。演奏効果が高くて一度聴くだけで忘れられないほど印象に強く残る。

10つの小品 op.12(全4曲)(1906年-1913年)
3.0点
軽快な小品集。大バレエ音楽作曲家らしいリズム感の良さと、華々しさと、音の軽やかさ、繊細な愛らしさ、変幻自在さなどが特徴。バラエティーが豊かだし基本的に明るい曲ばかりなので割と楽しんで聴ける。有名な曲はないが、気軽に楽しむ感じの曲集として、なかなか良いと思う。

サルカズム(風刺) op.17(全5曲)(1914年)
3.0点
短い曲の集まりであり、独特の無機質な音の塊だが、詩的な表現力も裏に見えて面白い。

束の間の幻影 op.22(全20曲)(1917年)
3.8点
ごく短い曲を集めている。この手の1分前後の曲を集めた曲集の中ではかなり優れていると思う。ピアニスティックな大人の音楽であり、どの曲もかなり聴き応えがある。新鮮な発見に満ちており、驚くようなセンスと霊感を発揮した曲が並んでいる。

年とった祖母の物語 op.31(全4曲)(1918年)
3.5点
題名が秀逸。まさにこの題名の通りの昔懐かしい物語の記憶を呼び起こすような曲。

4つの小品 op.32(1918年)
2.5点
まったりした曲調にプロコフィエフらしい新奇さを表現したという印象の4曲。プロコフィエフとしてはありきたりの曲ばかり。

物自体 op.45(全2曲)(1928年)
3点
題名に納得。シュールな現代美術的な世界だが、現代音楽と違い音楽として楽しめる。

2つのソナチネ op.54(1931年-1932年)
2.5点
第1番 ホ短調は変なフレーズや和声の構成でつなげられた無機質で前衛的な曲である。ソナタの総合性のある世界とはだいぶ違うソナチネらしい極小的な実験的世界を楽しめる。第2番 ト長調も1番と同様に無機質で前衛的な世界であり、曲の印象は似ている。和音が少なく響きが軽いのが独自世界を作るのに一役買っている。

3つの小品 op.59(1933年-1934年)
2.8点
散歩、風景、田園風ソナチネ
1曲目は前衛的な印象という程度。2曲目はパラパラパラとピアノの軽快に動くのが印象的。3曲目は確かに田園的な響きがして親密さも感じるのだが、和声の捻りが入っており、全然落ち着かないので、普通の田園的な曲とは大きく異なる。

思考 op.62(1933年-1934年)
アダージョ・ペンシエローソとモデラート、レント、アンダンテ

子供の音楽 op.65(全12曲)(1935年)
3.3点
プロコフィエフらしいきびきびとした音の動きと新鮮な響きは、子供向けの少ない音数のごく短い曲でも十分に発揮されている。

バレエ「ロメオとジュリエット」からの10の小品 op.75(1937年)
3点
ピアノ編曲版として、オケ版とは別にピアノ編曲が好きな人なら楽しめる。

合唱曲

カンタータ『彼らは7人』(1917-18年)
3.3点
耳を突き刺し心を突き刺すような先鋭的な激しさが強烈な曲。プロコフィエフが本気でリアリズムによる批判的な音楽を書いた曲。これはショスタコーヴィチ以上にエグい。

カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」 op.78(1939年)
2.5点
暑苦しいばかりであまり楽しめなかった。戦闘ものの映画音楽の改作。同等以上の映画音楽はたくさんあると思われるため、いくらプロコフィエフ作曲だからと言ってこれを特別視する必要はないと思った。壮大なカンタータ風音楽ではあるが、あまりにわざとらしくて成功には聴こえない。

オラトリオ「平和の守り」 op.124(1950年)
3.0点
本格的なカンタータ。大げさすぎず不協和音が全然ない平明さながらも懐の深さをもって音楽が進んでいく。平和をテーマにしながらも力が入りすぎず辛気臭くもならず、いい塩梅である。しかし心を強く捉えるたり、強く感心するものもない。10曲もあるのにスケール感があまりない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%95

セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ(ロシア語: Сергей Сергеевич Прокофьев シェルギェーイ・シェルギェーイェヴィチュ・プラコーフィイェフ;ラテン文字転写の例:Sergei Sergeevich Prokofiev、1891年4月27日[注 1] - 1953年3月5日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者。数多くの形式の音楽に傑作を残したことで知られており、20世紀の大作曲家のひとりであると認知されている。

作品には『三つのオレンジへの恋』の行進曲、組曲『キージェ中尉』、バレエ音楽『ロメオとジュリエット』、『ピーターと狼』といったような広く聴かれる楽曲がある。

確立された型や様式の中で取り組み生み出された作品には、習作を除くと7つのオペラ、7つの交響曲、8つのバレエ音楽、5つのピアノ協奏曲、2つのヴァイオリン協奏曲、1つのチェロ協奏曲とチェロと管弦楽のための交響的協奏曲、そして9つのピアノソナタがある。

帝政期のロシアに生を受け、13歳でサンクトペテルブルク音楽院で作曲・ピアノを学ぶ[2]。音楽院を卒業したプロコフィエフは、当初因習を打ち破る作曲家兼ピアニストとして名を上げた。最初の2曲のピアノ協奏曲のように、不協和音と超絶技巧に獰猛さを見せる作品群を自分の楽器であるピアノのために書いて悪名を高めたのである。1915年、管弦楽のための『スキタイ組曲』により一般的な作曲家兼ピアニストの枠組みから明確に抜け出す。これは元々バレエ・リュスのセルゲイ・ディアギレフの委嘱により作曲されたバレエ音楽から編みなおされた作品だった。ディアギレフはさらに3作のバレエ音楽、『道化師』、『鋼鉄の歩み』、『放蕩息子』をプロコフィエフに委嘱しており、その全てが初演時に評論家と同業者にセンセーションを巻き起こした。しかしプロコフィエフが最も関心を注いだのはオペラであり、『賭博者』や『炎の天使』など数作品を作曲した。『三つのオレンジへの恋』はシカゴ・オペラ協会のために書かれた後に10年以上にわたりヨーロッパとロシアで上演され、彼の生前のオペラでの成功作のひとつとなった。

1917年のロシア革命以後は、ソビエトの大臣であったアナトリー・ルナチャルスキーの公認を得てロシアを後にし、アメリカ合衆国、ドイツ、パリと居住地を移しながら作曲家、ピアニスト、指揮者として生計を立てた。この頃にスペイン出身の歌手であったカロリナ・コディナと結婚、2人の息子を儲けた。1930年代のはじめには世界恐慌によりアメリカや西ヨーロッパでプロコフィエフのバレエやオペラの上演機会が減少する。自らを第一に作曲家であると看做していた彼はピアニストとして演奏旅行をしなければならないこの時に憤慨し、新作の委嘱のためにソビエト連邦へ向かうことが多くなっていく。そして1936年にはついに家族を連れて祖国へ戻ることになった。祖国では、特に『キージェ中尉』、『ピーターと狼』、『ロメオとジュリエット』、そしてとりわけ『アレクサンドル・ネフスキー』がいくらかの成功を収めた。

ナチスによるソ連侵攻に鼓舞されたプロコフィエフは、最大の野心作としてレフ・トルストイの『戦争と平和』のオペラ化を行う。1948年に「非民主的形式主義」との批判を受けた。にもかかわらず、ロシアの新しい世代の演奏家であるスヴャトスラフ・リヒテル、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチらから個人的に、また芸術家としての支援を受け、リヒテルにはピアノソナタ第9番、ロストロポーヴィチには交響的協奏曲を書いている。

生涯

幼少期と最初の作曲

プロコフィエフに最初に作曲の指導を施した作曲家のレインゴリト・グリエール
1891年にロシア帝国、エカテリノスラフ県バフムート郡のソンツォフカ(Сонцовка;ラテン文字転写の例:Sontsovka、現在のウクライナ、ドネツィク州、ソンツィフカ)に生を受けた[3]。父のセルゲイ・アレクセイヴィチ・プロコフィエフ(1846年 - 1910年)は農業技術者で貴族の農場の管理人をしていた。母のマリヤ・グリゴリエヴナ・プロコフィエヴァ(旧姓ジトコヴァ、1855年 - 1924年)はかつてシェレメテフ家(英語版)に支配されていた農奴の家系の出で、その領主の庇護により農奴の子らは若くから舞台と芸術について教えを受けていた[4][5][6][7]。プロコフィエフに最初に作曲を教えたレインゴリト・グリエールが記すところでは、彼女は「美しく聡明な目をした長身の女性(中略)自身がいかにすれば温かく純真な雰囲気を作り出せるかを心得ていた[8]。」1877年に結婚した後、一家はスモレンスク県にある小さな地所に移り住んだ。やがてセルゲイ・アレクセイヴィチは土壌技術者の職を得て、学生時代に一緒だったドミトリ・ソンツォフに雇われることになる。一家が引っ越したのはウクライナのステップの中にある彼の地所だったのである[9]。

既に2人の娘を失っていたマリヤは、プロコフィエフが生まれるまで音楽に人生を捧げていた。まだ息子が幼い頃にはピアノのレッスンを受けるためにモスクワもしくはサンクトペテルブルクで2か月を過ごしていた[10]。主としてショパンやベートーヴェンの作品を夕方に練習していた母のピアノの音色に触発されたセルゲイは、5歳で初めてのピアノ曲を作曲している。『インドのギャロップ』というこの作品は母が譜面に起こしたもので、幼いプロコフィエフが「黒鍵に取り組む気が起きなかった」という理由でヘ長リディア旋法で書かれている[11]。7歳までにはチェスの指し方も覚えた[12]。チェスへの情熱は燃え続け、チェスの世界王者であるホセ・ラウル・カパブランカと知り合いになり、1914年に行われた多面指しの模擬戦では勝利を収めている。ミハイル・ボトヴィニクとも面識があり、1930年代に幾度か対戦が行われた[13][注 2]。9歳になると最初のオペラ『巨人』や[注 3]、序曲、他の様々な小品を作曲していた。

正式な教育と議論を呼んだ初期作品
1902年、母がモスクワ音楽院の学長を務めていたセルゲイ・タネーエフに出会い、当初アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルの下でプロコフィエフへのピアノと作曲の指導を開始すべきであると助言を受けた[15]。これは実現せず[16]、タネーエフは代わりに1902年の夏に作曲家でピアニストのレインゴリト・グリエールをソンツォフカに向かわせてプロコフィエフを指導する手はずを整えた[16]。最初の講義が最終段階に至り、11歳の本人の強い希望により新米作曲家プロコフィエフは初めて交響曲の作曲に取り組んだ[17]。翌年の夏にもグリエールはソンツォフカを訪ねて更なる指導を行っている[18]。数十年が経過してグリエールとのレッスンについて記した際、プロコフィエフは師の思いやりのある教授法に当然の称賛を送りつつも、授けられたものが後になって頭から消し去らねばならなかった「四角四面の」フレーズ構造と因習的な転調だったことには不平を漏らしていた[19]。それでもなお、必要であった理論という道具を備えたプロコフィエフは、不協和な和声や一般的でない拍子の実験を開始している。それを行うにあたっては彼が「小歌曲」と呼んだ短いピアノ曲を用い[注 4]、これが彼独自の音楽形式の基礎を形成していった[20]。


息子の才能が開花していく一方で、プロコフィエフの両親はこれほど幼いうちから子どもを音楽の道に進ませてよいものか躊躇っており、モスクワの優良な高校へ通わせる可能性について考えていた[21]。1904年までに母はモスクワではなくサンクトペテルブルクにすることを心に決めており、プロコフィエフと2人でこの当時の首都を訪ねて教育のために移り住めるのかを探った[22]。2人はサンクトペテルブルク音楽院の教授だったアレクサンドル・グラズノフに紹介され、プロコフィエフに会ってその音楽を見てみたいと請われる。プロコフィエフはこの時さらに2つのオペラ『無人島で』と『ペスト流行期の酒宴』を完成させており、4作目の『水の精』に取り組んでいた[23]。グラズノフはいたく感銘を受け、プロコフィエフの母へ息子に音楽院の入学試験を受けさせるよう強く勧めた[24]。プロコフィエフは試験に合格、この年に入学を果たす[25]。

クラスメイトの大半に比べて数年も年少のプロコフィエフは風変りで傲慢な人物と見られており、多数の同級生の間違いを記録につけて彼らを苛立たせた[26]。この時期にはピアノをアレクサンドル・ウィンクラーに[27]、和声と対位法をアナトーリ・リャードフに、指揮法をニコライ・チェレプニンに、管弦楽法をニコライ・リムスキー=コルサコフに学ぶなどした[注 5][28]。授業では作曲家のボリス・アサフィエフやニコライ・ミャスコフスキーと一緒になっており、後者とは比較的親密となり生涯にわたる親交を育んだ[29]。

サンクトペテルブルクの楽壇の一員として、自らピアノを演奏して披露した自作曲により称賛を受ける傍ら、音楽の反逆者として名声を高めた[30][31]。1909年には特筆すべきことのない成績で作曲のクラスを卒業している。音楽院には籍を置いたままとし、アンナ・エシポワにピアノの指導を受け、チェレプニンの指揮のレッスンで研鑽を続けた[32]。

1910年に父が他界して財政的支援が滞った[33]。幸運にも音楽院の外部で作曲家、ピアニストとして名を馳せ始めており、サンクトペテルブルクの『現代音楽の夕べ』にも顔を出していた。その場においては冒険的な自作のピアノ作品を複数披露しており、そうした中に非常に半音階的で不協和な練習曲集 作品2(1909年)があった。この作品の演奏が『夕べ』の主催者らに強い感銘を与え、プロコフィエフは彼らの誘いでアルノルト・シェーンベルクの3つのピアノ小品 作品11のロシア初演を手掛けることになった[34]。和声の実験はピアノのための『サルカズム(風刺)』 作品17(1912年)でも続いており、ここでは多調の使用が推し進められている[35]。最初の2作のピアノ協奏曲が書かれたのはこの頃で、そのうちピアノ協奏曲第2番は1913年8月23日、パヴロフスクでの初演の際にスキャンダルを巻き起こした。ある人物は次のように絶叫して会場を後にしたと記述している。「こんな未来派の音楽なんかくそくらえだ!屋根の上の猫ですらましな音楽を奏でるぞ!」一方でモダニストらは魅入られていた[36]。

1911年にロシアの高名な音楽学者で音楽評論家のアレクサンドル・オッソフスキーから支援がもたらされる。彼が音楽出版社のユルゲンソンにプロコフィエフに協力的な手紙を送り、これによって彼のもとに連絡が届いたのである[37]。プロコフィエフは1913年に初の国外旅行に出てパリとロンドンを巡り、その中ではじめてセルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスに出会うことになる[38]。

初期バレエ
1914年、プロコフィエフは音楽院の課程を「ピアノ勝負」への参加で締めくくる。これはピアノの成績上位5名がシュレーダーのグランドピアノをかけて競う大会であった。プロコフィエフは自作のピアノ協奏曲第1番を演奏して優勝を手にした[39]。

その後まもなく、ロンドンへ赴いたプロコフィエフは興行主のセルゲイ・ディアギレフに連絡を取った。ディアギレフはプロコフィエフにとって初めてとなるバレエ『アラとロリー』を委嘱する。しかし、1915年にプロコフィエフがイタリアにいたディアギレフに作品を持っていくと、「ロシア的でない」として拒絶されてしまう[40]。「国家的な性格の音楽」を書くように強く促した彼は[41]、次いでバレエ『道化師』を委嘱した[注 6]。ディアギレフの指導に従い、プロコフィエフは民俗誌学者のアレクサンドル・アファナーシェフの民話集から題材を選定し[42]、ストーリーはある道化師と度重なる信用詐欺にまつわるものとなった。これは以前にディアギレフがイーゴリ・ストラヴィンスキーにバレエになり得る題材として提案していたもので、プロコフィエフがこれをバレエのシナリオへと落とし込むにあたってはディアギレフと彼の振付師レオニード・マシーンが力を貸した[43]。バレエの経験の少ないプロコフィエフは、ディアギレフの仔細にわたる批評に基づいて1920年代に作品に大幅な改訂を加えることになり[注 7]、そうしてやっと初演にこぎつけたのであった[45]。

1921年5月17日のバレエの初演は大きな成功を収め、観客からの賛辞に迎えられた。その中にはジャン・コクトー、ストラヴィンスキー、モーリス・ラヴェルらの姿もあった。ストラヴィンスキーは本作を「楽しく聴くことができるただひとつの現代音楽作品」と評し、ラヴェルは「天才の作品」と述べた[46]。

第一次世界大戦と革命
第一次世界大戦の最中、プロコフィエフは音楽院に復学してオルガンを学ぶことで徴兵を逃れた。フョードル・ドストエフスキーの小説『賭博者』を題材にオペラ『賭博者』を作曲したが、リハーサルは問題に悩まされ続け、1917年に予定されていた初演は2月革命の勃発により中止を余儀なくされてしまった。同年の夏には交響曲第1番『古典』が書き上げられた。副題はプロコフィエフ自身によって付けられており、作曲者曰くハイドンがもし同じ時代に生きていたとしたら用いたであろう様式の音楽となっている[47]。この作品は様式的には多かれ少なかれ古典的であるが、当時の音楽の要素が多分に盛り込まれている。

交響曲第1番と時を同じくして生まれたのがヴァイオリン協奏曲第1番であった。1917年11月の初演が計画されていたが、どちらの作品も延期となり、それぞれ1918年4月21日、1923年10月18日まで待たねばならなくなった。プロコフィエフはコーカサス地方のキスロヴォツクにて、一時母と過ごしていた。

管弦楽と合唱のための「カルデアの祈祷」とされたカンタータ『彼らは7人』の総譜完成後[48]、プロコフィエフは「何もすることがなく、宙に浮いた時間が重く自分の両手の上にある」状態に陥った。ロシアが「いま音楽を必要としていない」と考え、祖国の騒乱が過ぎ去るまでの間をアメリカ合衆国に運命をかけることを決断した[49]。1918年3月にモスクワとペテルブルクへと向かい、財政面を整えてパスポートの手配を行った。5月には米国へと旅立つことになるが、教育人民委員であったアナトリー・ルナチャルスキーから公式に許可を得てのことだった。ルナチャルスキーはこう述べていた。「君は音楽の革命家、我々は人生の革命家だ。私たちは一緒になって働かねばならない。だが、君がアメリカに行くことを望むのなら、私は君の道に立ち塞がるような真似はすまい[50]。」

日本滞在
1918年、『古典』交響曲の初演を果たした直後、プロコフィエフはアメリカへの亡命を決意した。5月7日、シベリア鉄道にてモスクワを発つ。31日、敦賀港に上陸し、6月1日に東京に到着した。冬シーズン中の南米行きの船便を探すが出航した直後で、次便ではシーズン終了後になることから、8月になるまで日本に滞在してから北米へ向かうことにする。11日までは東京、横浜周辺、12から18日には京都に滞在し、琵琶湖疏水や祇園などを散策した。13日に大阪を訪れた後、19から28日にかけて奈良に留まって奈良ホテルに宿泊、奈良公園周辺を散策している。この奈良滞在中に、ピアノ協奏曲第3番等の原型となった『白鍵四重奏曲』の構想が練られた。29日に東京に戻り、以後離日まで東京、横浜周辺に滞在するが、7月19-21日には軽井沢を、28日には箱根を訪れている。更に7月6日、7日に東京、9日には横浜で自作を含むピアノ・リサイタルを開催した。8月2日にアメリカへ向けて出国した。このプロコフィエフの日本滞在は西洋の大作曲家の最初の日本訪問と言うことができ、評論家大田黒元雄や徳川頼貞などとの交流により、日本の音楽界に少なからず影響を与えたといわれる。

国外生活
エンジェル島(英語版)の入国管理官の審査から解放されて、1918年8月11日にサンフランシスコに到着すると[51]、プロコフィエフは間もなくセルゲイ・ラフマニノフら、著名なロシアからの亡命者と比較されるようになる。デビューを飾ったニューヨークでのソロ・コンサートはいくつかの契約に結び付いた。またシカゴオペラ協会(英語版)の音楽監督であったクレオフォンテ・カンパニーニ(英語版)との間に、新作オペラ『3つのオレンジへの恋』の上演を行うという契約を結んだ[52]。しかしカンパニーニが病に倒れて他界し、初演は延期となる[53]。この延期もオペラにまつわるプロコフィエフの不運のひとつであった。このオペラには多くの時間と労力が注がれていたため、この失敗は彼のソリストとしてのキャリアも犠牲にした。気づけばたちまち経済的困窮に陥っており、1920年4月には失敗してロシアに戻りたくないと、パリへ向かって旅立っていた[54]。

パリではディアギレフのバレエ・リュスとの間で契約を再確認した[55]。また、ピアノ協奏曲第3番などの未完成のままになっていた旧作を完成させた[56]。『3つのオレンジへの恋』は最終的に1921年12月30日にシカゴで作曲者自身の指揮により初演されることになった[57]。ディアギレフはこのオペラに興味を示し、1922年6月にプロコフィエフにピアノ伴奏版を演奏するように依頼する。この時には2人とも『道化師』再演のためにパリにいたため、プロコフィエフは上演の可能性について考えられるようになった[58]。しかし、オーディションの場にいたストラヴィンスキーは1幕より後を聴くのを拒否してしまった[58]。「オペラを作曲して時間を浪費している」という彼の非難に対し、プロコフィエフはストラヴィンスキーは「自身が誤りに対する耐性がないのだから、芸術の常道を主張できる立場にない」とやり返した[59]。プロコフィエフによればストラヴィンスキーは「怒り心頭に発し[注 8]」て「殴り合いに発展しそうだった我々は辛くも離れることができた」という[59]。その結果、「我々の関係は張りつめたものとなり、数年間にわたってストラヴィンスキーは私に批判的な態度を取った[58]。」

1922年3月には母とともにバイエルンのアルプス山あいにある小村エッタル(英語版)に移り住み[60][61]、1年以上の期間を費やしワレリー・ブリューソフの同名の小説(英語版)に基づくオペラ『炎の天使』に集中した。この頃になるとプロコフィエフの音楽はロシア国内にファンを獲得しており、帰国の誘いも受けるようになっていたが、彼はヨーロッパ残留を決意する。1923年にはスペイン人の歌手であるカロリナ・コディナ(1897年-1989年、Lina Lluberaとして活動)と結婚[62]、その後パリへと戻った[63]。

パリでは交響曲第2番などの複数の作品が演奏されたが反応は熱のこもらないもので、プロコフィエフは自分が「どうやらもはや大きな評判にはならない」と感じ取るようになる[64]。それでもこの交響曲を耳にしたことでディアギレフはバレエ『鋼鉄の歩み』を委嘱することになったとみられる。ソ連の工業化を描写することを意図したモダニストのバレエ作品であった本作は、パリの聴衆と評論家から熱狂的に迎えられることとなった[65]。

1924年頃、プロコフィエフはクリスチャン・サイエンスに招かれた[66]。彼は健康と気性の荒さに役に立つと信じてその教えを実践するようになった[67]。伝記作家のサイモン・モリソンによれば、その後生涯を通じて教えに忠実であり続けたという[68]。

プロコフィエフとストラヴィンスキーは友好関係を回復する。しかし、プロコフィエフは当時の新作であった八重奏曲やピアノと管楽器のための協奏曲にみられるようにストラヴィンスキーが「バッハを様式化すること」を特に毛嫌いしていた[69][注 9]。ストラヴィンスキーの側では、プロコフィエフを現代最高のロシアの作曲家であり、自分に続く者であると評していた[71]。

初めてのソビエト訪問
1927年には初となるソ連への演奏旅行を実施した[72]。2か月を超える期間をモスクワとレニングラード(改称されたサンクトペテルブルク)で過ごし、キーロフ劇場(現在のマリインスキー劇場)では『3つのオレンジへの恋』の上演で大きな成功を収めた[73]。1928年には上演されないままとなっていたオペラ『炎の天使』から広く題材を採る形で交響曲第3番を完成させた。指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキーは第3番を「チャイコフスキーの6番以来の最も偉大な交響曲」と評した[74]。

しかし、その間にクリスチャン・サイエンスの影響下にあったプロコフィエフは印象主義的様式、並びに『炎の天使』の素材に背を向けるようになっていた[注 10]。彼は今や自身が「新しい単純性」と呼ぶものを好んでおり、1920年代の現代音楽の多くを占めた「工夫と複雑性」よりも強く心からこれを信じていた[76][注 11]。1928年から1929年にかけて、ディアギレフのためとしては最後となるバレエ『放蕩息子』を作曲する。1929年5月21日にパリで行われた初演は、ジョージ・バランシンの振り付けでセルジュ・リファールがタイトル・ロールを踊った。聴衆と評論家は、最後に放蕩息子が父に迎え入れられるために膝をついて舞台中を引きずり歩く場面に衝撃を受けた[78]。このシーンに付された音楽について、ディアギレフはプロコフィエフが「かつてないほど清澄、簡素、旋律的、そして柔和」であったことを認めている[79]。このわずか数か月後にディアギレフはこの世を去った[80]。

その夏にプロコフィエフは1925年に着手していたディヴェルティメント 作品43を完成させ、音楽院時代の作品であるシンフォニエッタ 作品5/48の改訂を終えた[81][注 12]。同年10月に、休暇からパリに戻るために家族を乗せて運転する途中で事故に見舞われる。車は横転し、プロコフィエフは左手の筋肉の一部を痛めてしまった[82]。これにより事故のすぐ後に行われた演奏旅行で訪れたモスクワでの公演は中止せざるを得なくなったものの[83]、客席から自作曲の演奏を楽しむことができた[84]。また、このことがかえって新しいソビエト音楽を数多く聴き、数年ぶりにロシアの音楽家たちとの交流をするきっかけとなって母国への帰郷に導く役割を果たした[85]。ボリショイ劇場ではバレエ『鋼鉄の歩み』のオーディションに加わり、ロシア・プロレタリア音楽家同盟(RAPM)のメンバーから作品について尋問を受けた。彼が受けた質問は次のようなものである。描かれている工場は「労働者が奴隷である資本主義者の工場なのか、労働者が主人であるソビエトの工場なのか。もしこれがソビエトの工場であるなら、プロコフィエフはいつ、どこでこれを取材したのか。1918年から現在に至るまで海外暮らしを続けており、最初にこちらに赴いたのは1927年の2週間であろう?」プロコフィエフはこう回答した。「それは音楽ではなく政治にかかわることですので、お答えいたしません。」RAPMはこのバレエを「平板で低俗な反ソビエト的逸話、ファシズムに近接した革命に反する楽曲」と断罪した。ボリショイ劇場はこのバレエを拒絶するしかなかった[86]。

左手が回復したプロコフィエフは、その頃のヨーロッパでの成功にも支えられて1930年代の初頭に米国ツアーを成功裏に終えた[87]。この年に、パリ国立オペラで主席バレエダンサーとなっていたセルジュ・リファールの委嘱に応えて、初めてディアギレフとのかかわりがないバレエ『ドニエプルの岸辺で』 作品51の作曲に取り掛かった[88]。1931年と1932年にはピアノ協奏曲第4番とピアノ協奏曲第5番を完成させている。次の年には交響的な歌 作品57が完成される。友人のミャスコフスキーは、ソ連の中でこの作品を聴くことになる人々のことを念頭に、プロコフィエフに次のように語っている。「(この楽曲は)我々にとってはいまひとつです(中略)ここにはモニュメンタリズムにより我々が意図するものが欠けています - それは貴方が自家薬籠中のものとするよく知られた単純性と広い輪郭ですが、一時的に注意深く避けているのです[89]。」

1930年代初期までにはヨーロッパとアメリカは世界恐慌に苦しめられており、新作のオペラやバレエの上演は難しくなっていた。しかし、ピアニストとしてのプロコフィエフを聴きに来る聴衆の数は、少なくともヨーロッパでは減少を見せなかった[90]。それでも、自らをなによりもまず作曲家であると考えていたプロコフィエフは、ピアニストとしての出番のために失われる作曲の時間の量に怒りを募らせていった[91]。一時ホームシックに罹ったこともあり、ソ連との間に太い関係性を築き始めたのであった。

RAPMが1932年に解散すると、プロコフィエフは祖国とヨーロッパの間で音楽大使として活動するようになっていき[92]、作品の初演と委嘱に関してはソ連からの賛助を得ることが多くなっていった。例えば、『キージェ中尉』はソ連の同名の映画(英語版)のための音楽として委嘱された作品である[93]。

他にも、レニングラードのキーロフ劇場からはバレエ『ロメオとジュリエット』の委嘱が入った。この作品はアドリアン・ピオトロフスキー(英語版)とセルゲイ・ラドロフによって「ドラムバレエ」(drambalet、ドラマ化されたバレエ)という発想で創作されたシナリオに曲を付けたものだった[注 13][94]。ラドロフが1934年にキーロフ劇場に辞表を叩きつけるという事件が起こり、モスクワのボリショイ劇場と新しい契約への署名が行われたが、これはピオトロフスキーが関係を維持するとの申し合わせの上でのことだった[95]。しかし、シェイクスピアの原作とは異なってバレエに用意されたハッピー・エンドを巡ってソビエトの文化に関わる役人の間に論争が巻き起こり[96]、芸術委員会の議長を務めていたプラトン・ケルジェンツェフ(英語版)の命によりボリショイ劇場のスタッフの見直しが行われる間、上演は無期限延期となってしまった[97]。親友のミャスコフスキーは何通もの書簡の中でどれだけプロコフィエフにロシアにいて欲しいと思っているかを綴っている[98]。

ロシアへの帰国
4年にわたってモスクワとパリの間を行きつ戻りつした後の1936年、プロコフィエフはモスクワに居を構えることにした[99][100]。同年には彼の全作品中でも指折りの知名度を誇る『ピーターと狼』が、ナターリャ・サーツ(英語版)の中央児童劇場(英語版)のために作曲された[101]。サーツはさらにプロコフィエフに2曲の子ども用歌曲「Sweet Song」と「Chatterbox」を書くよう説得し[102]、これらに「The Little Pigs」を加えて最終的に『3つの子供の歌』 作品68として出版された[103]。プロコフィエフはさらに巨大な『十月革命20周年記念のためのカンタータ』を作曲し、記念の年中の初演を目指した。しかし、これは芸術委員会を前にしたオーディションを要求したケルジェンツェフによって巧みに阻止されてしまう。「何をしているつもりかね、セルゲイ・セルゲーエヴィチ、人民ものもであるテクストを取り上げて、そこへこのような理解不能な音楽とつけるとは[104]。」このカンタータが部分的な初演を迎えるのは1966年4月5日、作曲者の死からさらに13年の時間を待たねばならなかった[105]。

新たな環境に内心不安を感じつつも順応を強いられたプロコフィエフは、公式に承認されたソビエトの詩を歌詞として用いてミサ曲(作品66、79、89)を作曲した。1938年、セルゲイ・エイゼンシュテインと歴史叙事詩による映画『アレクサンドル・ネフスキー』を共同制作し、プロコフィエフ作品でも有数の独創的かつ劇的な音楽を書き上げた。映画の方は非常に粗末な録音状態となったが、彼はこの劇判をメゾソプラノ、合唱と管弦楽のためのカンタータ『アレクサンドル・ネフスキー』へと改作、多くの演奏と録音に恵まれた。『アレクサンドル・ネフスキー』の成功に続き、初となるソビエトを題材にしたオペラ『セミョーン・カトコ』を書き上げる。これはフセヴォロド・メイエルホリドの演出による上演を目指したものだったが、メイエルホリドが1939年6月20日にスターリン秘密警察組織であった内務人民委員部に逮捕され、1940年2月2日に銃殺されたために初演は延期となった[106]。メイエルホリドの死からわずか数か月後に、プロコフィエフは「招待」を受けてスターリンの60歳の誕生日を祝うカンタータ『スターリンへの祝詞』 作品85を作曲している[107]。

1939年の暮れ、今日では「戦争ソナタ」として広く知られるピアノソナタ第6番、第7番、第8番が作曲された。初演はそれぞれ、第6番がプロコフィエフ自身によって1940年4月8日に[108]、第7番がスヴャトスラフ・リヒテルによって1943年1月18日にモスクワで、第8番がエミール・ギレリスによって1944年12月30日にモスクワで行われた[109]。その後はとりわけリヒテルがこれらの作品を擁護した。伝記作家のダニエル・ヤッフェ(Daniel Jaffé)はプロコフィエフが「無理をして至福のスターリンを喜ばしく喚起させる楽曲を作ったが、自分がその役割を演じていたのだということ」そして、後の3つのソナタでは「自らの真の心情を表現したのだと人々に信じてもらいかった」のであろうと論じている[110]。その証拠として、ヤッフェはピアノソナタ第7番の中間楽章でロベルト・シューマンの『リーダークライス』から「悲しみ」(Wehmut)の主題が引用されていることを挙げている。その歌詞は次のような内容である。「私は時に嬉しいかのように歌い、人知れず涙を流すことで心を解き放っている。ナイチンゲールは(中略)牢の深みから脱することを切に願って歌をさえずる(中略)人々は喜び、その痛み、歌に込められた深い悲しみを知ることはない[111]。」皮肉にも(彼の引喩に気づく者はなかったとみられ)、第7番のソナタはスターリン賞の第2席、第8番は第1席を獲得した[109]。

その間、ようやく1940年1月11日になって『ロメオとジュリエット』がレオニード・ラヴロフスキー(英語版)の振付けによってキーロフ・バレエで上演を迎えた[112]。居合わせた者が皆驚いたことに、踊り手たちは楽曲のシンコペーションのリズムへの対処に苦労して公演をボイコットしかかっていたにもかかわらず、バレエはたちまち成功を収め[113]、ソビエトの劇的バレエの頂点に君臨する偉業と看做されるようになったのであった[114]。

戦時中
プロコフィエフはレフ・トルストイの叙事的小説『戦争と平和』を題材としたオペラの構想を温めており、1941年6月22日にバルバロッサ作戦におけるドイツ国のソ連への進行開始の報せでこの主題が一層時宜を得たものに思われるようになった。彼は2年をかけて自分自身の手による『戦争と平和』を書き上げた。戦禍を逃れるため他の多くの芸術家らとともにまずコーカサスへと疎開し、そこで弦楽四重奏曲第2番を作曲している。1939年に出会っていた[115]リブレット作者のミーラ・メンデリソンとの関係が元で、この頃までにプロコフィエフと妻のリーナはついに別離に至っていた。喧嘩別れとなっていたにもかかわらず、プロコフィエフはリーナと息子たちにモスクワを出る避難民として一緒にいこうと説得したが、リーナは留まることを選択した[116]。

戦時中は作曲家らに課せられた「社会主義リアリズム」の様式で書かねばならないという制約は弱まっており、プロコフィエフは概して自らのやり方で作曲を行うことができていた。ヴァイオリンソナタ第1番 作品80、交響組曲『1941年』 作品90、カンタータ『名もない少年のバラード』 作品93は全てこの時期に生まれている。1943年にはカザフスタン最大の都市であるアマル・アタでエイゼンシュテインと合流し、映画音楽『イワン雷帝』、そして彼の作品中でも指折りの旋律美で称賛を集めるバレエ『シンデレラ』の制作を行った。この年のはじめには『戦争と平和』からの抜粋をボリショイ劇場共同体の面々に演奏したが[117]、ソビエト政府の意見によりこのオペラは何度も改訂されることとなった[注 14]。1944年にはモスクワ郊外にある作曲家たちの居留地にて交響曲第5番 作品100が書き上げられた。1945年1月13日の初演では彼自身が指揮棒を握った。これは1944年12月30日のピアノソナタ第8番と、同じ日の『イワン雷帝』第1部の初演が大きな成功を収めてわずか2週間後のことだった。

『ピーターと狼』及び『古典』交響曲(ニコライ・アノーソフ指揮)と一緒にプログラムに並んだ第5交響曲の初演により、プロコフィエフはソビエト連邦の主導的作曲家として名声の頂点に達したかのように思われた[119]。その後まもなく慢性高血圧により転倒し、以降脳震盪に苦しむようになる[120]。この症状の完全な快復がおとずれることはなく、医師の助言により作曲活動に制約を課されることになってしまったのであった[121]。

戦後
戦後の作品となる交響曲第6番やピアノソナタ第9番を作曲する時間を持つことができたプロコフィエフは、「ジダーノフ批判」に晒されることになる。1948年のはじめ、アンドレイ・ジダーノフの招集により開かれたソビエトの作曲家の会合に続き、政治局は作曲家らを非難する決議を行った。「形式主義」の罪の対象となったのはプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ポポーフ、ミャスコフスキー、ハチャトゥリアンであり、「音楽を不快な音響へと変質しさせる」ような「混濁し、神経に触る」響きを選んだことによる「古典音楽の基本原理の放棄」であるとされた[122]。プロコフィエフの作品では『1941年』、『戦争終結に寄せる頌歌』、祝典詩曲『30年』、『花咲け、偉大な国土よ』、『名もない少年のバラード』、ピアノ小品集『思想』、そしてピアノソナタ第6、第8番が演奏禁止となった[123]。作品を禁止されるということの裏に認められる脅威により、検閲を逃れた楽曲すらももはや演奏されなくなっていた[124]。1948年8月までにプロコフィエフは過酷な財政的困窮に陥り、個人で抱えた借金は18万ルーブルにのぼった[123]。

1947年11月22日、プロコフィエフは疎遠となっていた妻に対する離婚手続きの開始を裁判所に申請する。5日後に出された裁判所の裁定は、婚姻はヴァイマル共和国で行われたものであるから法的根拠がなく、ソビエトの役所へとの届け出もなされていない、従って法的効力がなく無効であるというものだった。2人目の裁判官が評決を支持し、彼は1948年1月13日にパートナーのミラと結婚した[125][126]。最初の妻であるリーナは、スペインにいる母に送金しようとしたとして逮捕されてスパイ容疑で告発された。9か月にわたる取り調べが行われ[127]、ソ連最高裁(英語版)により20年の重労働の判決が下った[128]。8年後の1956年6月30日に釈放された彼女は[129]、1974年にソビエトを後にしている[130]。


文化に関わる要人を必死に懐柔しようと試みた『真の男の物語』を含む、プロコフィエフ後期のオペラの計画群は瞬く間にキーロフ劇場にキャンセルされてしまう[131]。すげない拒絶と衰え行く健康が相まって、プロコフィエフは次第に表舞台から身を引いていった。様々な活動からの引退は愛してやまなかったチェスにまで及び、徐々に自分自身のための仕事に専念していった[132][133]。1949年に生じた深刻な再発を受け、主治医らは彼に作曲する時間を1日1時間に制限するよう要請した[134]。

1949年の春、22歳のムスティスラフ・ロストロポーヴィチのためにチェロソナタ ハ長調 作品119を作曲、1950年にロストロポーヴィチとリヒテルによって初演された[135]。ロストロポーヴィチに向けてはチェロ協奏曲第1番に大幅に手を加えてチェロと管弦楽のための交響的協奏曲へと改作しており、今日ではチェロと管弦楽のための記念碑的作品となっている[136]。プロコフィエフが最後に公開演奏に姿を現したのは1952年10月11日に行われた交響曲第7番の初演だった。これが完成させることが出来た最後の大作となる[137]。この交響曲は青少年のラジオ局のために書かれたものだった[138]。

最期
プロコフィエフは1953年3月5日に61歳でこの世を去った。スターリン逝去と同年同月同日、その3時間前であった[139][140]。プロコフィエフが住んでいたのは赤の広場近くであり、スターリンの死を悼む群衆が3日間にわたって詰めかけたためにソビエト連邦作曲家同盟本部でプロコフィエフの葬儀を行うことはできなかった。彼の自宅周辺では霊柩車の使用が認められなかったため、棺は人の手により裏道を抜けてスターリンの亡骸へ訪れる人々の群れとは反対の方向へ運んでいかねばならなかった。約30人が葬儀に出席し、ショスタコーヴィチも参列した。ショスタコーヴィチは顔を合わせた時には馬が合わなかったようであったが、その後の年月で関係性は友好的なものへと変わっており、プロコフィエフに次のように手紙を送っている。「私は貴方に少なくともあと百年は生きて創作してもらいたいと願っています。貴方の第7交響曲のような作品を聴くことで、生きることはもっと容易で、喜ばしいものとなるのです[141]。」遺体はモスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬された[142]。

ソビエトの主要な音楽定期報ではプロコフィエフの死を116ページに小見出しとして掲載しており[143]、そこまでの115ページはスターリンの死亡記事に割かれている[143]。プロコフィエフの死因は脳内出血であるとされるのが一般的である。彼は最後の8年間を慢性疾患に悩まされていたのである[144]。

妻のミーラ・メンデリソンは、2人で暮らした同じモスクワの自宅で晩年を過ごした[145]。夫の書類を整理し、彼の音楽の普及に努め、自身の回顧録を記した。回顧録執筆はプロコフィエフによって強く勧められてのことだった。回顧録の仕事は彼女にとって困難なものとなり、未完成のまま生涯を終えることになった[146]。メンデリソンは1968年にモスクワで心臓発作を起こして他界、夫に先立たれてから15年が経過していた[147]。彼女の財布には1950年2月の日付と、プロコフィエフ、メンデリソン両名の署名が入ったメッセージが遺されていた。そこには「私たちは隣り合わせに葬られることを望む」という簡潔な指示が書かれていた。2人はノヴォデヴィチ墓地で一緒に眠りについている[148]。

リーナ・プロコフィエフはプロコフィエフの死後も長く生き続け、1989年にロンドンで息を引き取った。元夫の音楽からもたらされる印税は多少の収入となっいた。彼女は『ピーターと狼』の語り手を引き受けたこともあり、ネーメ・ヤルヴィ指揮、ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団演奏の録音がシャンドスから頒布されている[149]。2人の間に生まれた息子のスヴャトスラフ(1924年-2010年)は建築家、オレグ(1928年-1998年)は画家、彫刻家、詩人となり、2人とも生涯の多くを父の人生と作品の普及のために費やした[150][151]。

死後の名声
アルテュール・オネゲルはプロコフィエフが「我々にとって現代音楽最大の人物であり続けるだろう」と明言しており[152]、アメリカの学者であるリチャード・タラスキンはプロコフィエフの「他にない全音階による旋律を書く才能は、20世紀の作曲家の中では事実上並ぶ者のない」ものであると認識している[153]。一方、西側諸国におけるプロコフィエフの名声は一時期冷戦に伴う反発感情に苦しめられ[154]、彼の音楽は、続く世代の音楽家により大きな影響を与えたとされるイーゴリ・ストラヴィンスキーやアルノルト・シェーンベルクが受けているような尊敬を、西側の学者や評論家から勝ち得るに至っていない[155]。

今日では、プロコフィエフは20世紀の音楽の中でも最も人気のある作曲家であると言っても差し支えない[157]。彼のオペラ、バレエ、室内楽曲、ピアノ曲は世界中の主要なコンサートホールで日頃より取り上げられており、管弦楽曲ひとつをとってもアメリカではリヒャルト・シュトラウスを除く過去100年のどの作曲家の作品より頻繁に演奏されているのである[158]。


作風
プロコフィエフは自身の作品を構成する要素として「古典的な要素」「近代的な要素」「トッカータ、もしくは "モーター" の要素」「叙情的な部分」「グロテスク」の5つを上げている[160]。初期には急進的な作風を取る一方、長期の海外生活中の作品は次第に新古典主義的で晦渋なものとなったが、ソヴィエト連邦への帰国後は社会主義リアリズムの路線に沿った作風へ転換し、現代的感覚と豊かな叙情性を併せ持つ独自の境地へ到り、多くの傑作を生んだ。

快活なリズム感、斬新な管弦楽法は、ティシチェンコやシチェドリンなど後代のロシアの作曲家に影響を与えた。

録音
プロコフィエフは1932年6月に、自作のピアノ協奏曲第3番の世界初録音をピエロ・コッポラの指揮でロンドン交響楽団とHis Master's Voiceに遺している。また一部ピアノ独奏曲の録音も1935年2月にパリのHMVで行っており、PearlとナクソスからCDが刊行されている[161]。1938年にはモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してバレエ音楽『ロメオとジュリエット』第2組曲を録音し、LPとCDで販売された[162]。この他のモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との録音としてはダヴィッド・オイストラフをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲第1番がエヴェレスト・レコードからLPで販売された。記載の情報とは異なり、指揮者はアレクサンドル・ガウクであった。プロコフィエフがオペラ『戦争と平和』から数曲を演奏し、その音楽について解説する短い映像フィルムが発見されている[163]。

小説家として
プロコフィエフは海外にいた1918年ごろにいくつかの短編小説を書いている。2003年にロシアで刊行され彼の新たな才能が知られるようになった。作品の多くが当時のモダニズム文学の流れを汲むもので、「エッフェル塔が歩き出す」といった奇想天外な内容である。しかし彼の「作家活動」は3年程度で終わり音楽活動に専念することになる。

日本語訳版は2009年に群像社より刊行された[164]。

主な作品
プロコフィエフはたびたび過去の自作を大幅に改訂し、それらに新しい作品番号を与えることがあった。またバレエ作品などを組曲とすることもあり、それらにも新しい作品番号を与えている。


交響曲
交響曲 ホ短調(1908年)
交響曲第1番 ニ長調 作品25『古典』(1917年)
交響曲第2番 ニ短調 作品40(第1版:1925年)、作品136(第2版:1953年に起案したが未完)
交響曲第3番 ハ短調 作品44(1928年)
交響曲第4番 ハ長調 作品47(第1版:1930年)、作品112(第2版:1947年)
交響曲第5番 変ロ長調 作品100(1944年)
交響曲第6番 変ホ短調 作品111(1947年)
交響曲第7番 嬰ハ短調 作品131(『青春』)(1952年 後に終結部に加筆)


オペラ
『マッダレーナ』 作品13(1911年)
『賭博師』 作品24(1916年)
『三つのオレンジへの恋』 作品33(1919年)
『炎の天使』 作品37(1927年)
『セミョーン・カトコ』 作品81(1939年)
『修道院での婚約』 作品86(1940年)
『戦争と平和』 作品91(第1版:1943年、第2版:1946年、第3版:1947年、第4版:1950年、第5版:1952年)
『真の男の物語』 作品117(1948年)
『遠い海』(1948年、未完)


バレエ音楽
『道化師』 作品21(1920年)
『鋼鉄の歩み』 作品41(1925年)
『放蕩息子』 作品46(1928年)
『ボリステーヌの岸辺で』 作品51(1930年)
『ロメオとジュリエット』 作品64(1936年)
『シンデレラ』 作品87(1944年)
『石の花』 作品118(1949年)


劇付随音楽
『エジプトの夜』(1933年)
『ボリス・ゴドゥノフ』 作品70bis(1936年)
『エフゲニー・オネーギン』 作品71(1936年)
『ハムレット』 作品77(1938年)


映画音楽
『キージェ中尉』(1933年)
『スペードの女王』作品70(1936年)
『アレクサンドル・ネフスキー』(1938年)
『レールモントフ』(1941年)
『コトフスキー』(1942年)
『ウクライナ草原のパルチザンたち』(1942年)
『トーニャ』(1942年)
『イワン雷帝』(第1部、第2部) 作品116(1945年)


その他の管弦楽曲
シンフォニエッタ イ長調 作品5(第1版:1909年、第2版:1914年)、作品48(第3版:1929年)
交響的物語『ピーターと狼』 作品67(1936年)
組曲『冬のかがり火』(朗読、児童合唱およびオーケストラのための) 作品122(1949年-1950年)


協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 作品10(1912年)
ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16(1913年)
ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26(1921年)
ピアノ協奏曲第4番 変ロ長調(左手のための) 作品53(1931年)
ピアノ協奏曲第5番 ト長調 作品55(1932年)
ピアノ協奏曲第6番(2台のピアノと弦楽合奏のための) 作品133(1952年、未完)
ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 作品19(1917年)
ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 作品63(1935年)
チェロ協奏曲第1番 ホ短調 作品58(1938年)
チェロと管弦楽のための交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)ホ短調 作品125(1951年)


室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番 ロ短調 作品50(1930年)
弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調(カバルダの主題による) 作品92(1941年)
ヴァイオリンソナタ第1番 ヘ短調 作品80(1946年)
ヴァイオリンソナタ第2番 ニ長調 作品94bis(1944年)
2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 作品56(1932年)
無伴奏ヴァイオリンソナタ ニ長調 作品115(1947年)
ヘブライの主題による序曲 ハ短調 作品34(1919年) [クラリネット、弦楽四重奏、ピアノ]
五重奏曲 ト長調 作品39(1924年) [オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス]
フルートソナタ ニ長調 作品94(1943年)
チェロソナタ ハ長調 作品119(1949年)


ピアノ曲
ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品1(1909年)
ピアノソナタ第2番 ニ短調 作品14(1912年)
ピアノソナタ第3番 イ短調 作品28『古い手帳から』(1917年)
ピアノソナタ第4番 ハ短調 作品29『古い手帳から』(1917年)
ピアノソナタ第5番 ハ長調 作品38(第1版:1923年)、作品135(第2版:1953年)
ピアノソナタ第6番 イ長調 作品82(1940年)
ピアノソナタ第7番 変ロ長調 作品83(1942年)
ピアノソナタ第8番 変ロ長調 作品84(1944年)
ピアノソナタ第9番 ハ長調 作品103(1947年)
ピアノソナタ第10番 ホ短調 作品137(1953年、未完)
トッカータ ニ短調 作品11(1912年)
サルカズム(風刺) 作品17(全5曲)(1914年)
束の間の幻影 作品22(全20曲)(1917年)


合唱曲
カンタータ『アレクサンドル・ネフスキー』 作品78(1939年)
オラトリオ『平和の守り』 作品124(1950年)


歌曲
『みにくいあひるの子』 作品18(1914年)

著書
『プロコフィエフ自伝・評論』(園部四郎、西牟田久雄共訳/音楽之友社/1964年)
『プロコフィエフ: 自伝/随想集』(田代薫訳/音楽之友社/2010年)
『プロコフィエフ短編集』(サブリナ・エレオノーラ、豊田菜穂子訳/群像社ライブラリー/2010年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%95
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/808.html

コメント [カルト34] ゴミ売り・自民48立憲13。電通ムサシCFRは今回も不正選挙をする気満々のようである。 ポスト米英時代
3. 2021年10月06日 07:43:48 : R4D0vEsTBc : bElWTFVlbHcvODI=[120]
痔民党のこのていたらくでは
野田🐷、マエハラ、きんたま、えだまめがいくら
さざんかの宿プロレスやってもだめかもしれんねwwww
それよりノーパンノーヘル賞の人選がまるまるオレオレ詐欺奨励賞でワロタww
http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/170.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK283] 岸田新総理の誕生のウラで…怪物・二階俊博が仕込む「次なる一手」 山梨県vs.富士急行、訴訟のゆくえ(週刊現代) 赤かぶ
42. 2021年10月06日 07:45:29 : EG6HTfxbh6 : YnV1cUxBOTVmSTY=[1]

>>41さん 同意

地下爺(創価ロボット親衛隊)とぼけたコメント、貼り付けこの人カルト創価信者

わたしはこの人はスルーしています、相手にしない事が一番です、時間の浪費!

赤かぶ氏も創価系でしょ・・・


http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/465.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK283] <「自民党を打倒する」>小沢一郎、次期衆院選で政権奪取宣言「思い切った経済政策で必ず勝てる」〈週刊朝日〉 赤かぶ
93. 2021年10月06日 07:45:34 : SabtoXKhtA : M3dxdlhpUmEuZTY=[9]
小沢は政治「家」ではなく、政治「屋」の見本みたいな人物だからね
さらに自分があくまでも参謀・軍師タイプであり、トップに向いてない事も熟知している
だから、自分の事を2〜3番手当たりのポジションに据えてくれる政党を渡り歩き続けている

自民党から三顧の礼でお願いされたら、即座に自分の派閥を率いて民主党を離脱、自民党に復党するでしょうね

まったく、信用できません

http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/441.html#c93

コメント [医療崩壊7] 中日・木下雄介投手死去 27歳 7月6日練習中に倒れ意識不明に 育成からはい上がった5年目右腕 (スポニチ)  魑魅魍魎男
23. 2021年10月06日 07:45:42 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[386]
「中日 平田良介が異型狭心症を公表 7月に緊急搬送『動悸が激しくて』」
(デイリー 2021/10/5)
https://www.daily.co.jp/baseball/2021/10/05/0014735411.shtml

 中日・平田良介外野手が5日、自身のインスタグラムを更新し、7月に異型狭心症と診断されたことを公表した。

 平田はファンに向けてプレー機会が少なかったことについて「応援してくださったみなさん、本当にごめんなさい」と謝罪したうえで理由を説明。「7月4日の深夜、胸が締め付けられる感覚と動悸が激しくて救急車で緊急搬送され、後日診断、診断結果は異型狭心症とでました」と公表した。

 続けて「その日から四六時中胸の圧迫感と締め付けが強く、3分間のジョギングができない状態が続きました。後日カテーテル検査をして診断結果は異型狭心症のまま。8月3日の運転中にジェットコースターの落ちる感覚があり顔と頭、左手首から先が痺れてそこから救急外来へ。後日、呼吸の心拍と一緒のリズムで空気の抜けるような音が鳴っていたので呼吸器科でも問診をしてもらうようになりました」という。その後は喘息の薬で症状が良くなり、喘息の診断もされたという。

 心境について「そのほかにもいろいろな症状がでていたので思うように試合に出る事も出来ず、身体は元気なのになんで野球が出来ひんのや!と悲しく思っていまし」と記述。ウエスタン・リーグでは9月29日のソフトバンク戦に3番左翼でスタメン出場も途中交代。30日の同戦も代打で出場していたが、「2軍の試合の最後の方には試合にスタートで出れるまで回復しましたが日にちにたつごとに悪くなり、福岡での試合中に立っているのが苦しくなり途中交代。辛かったです」と明かした。

 今季は1軍で21試合の出場にとどまっており、打率・155と不振だった。平田は「いつになれば気にせずに野球ができるのか、自分自身も野球がしたい。そしてみなさんの前で平田良介の野球を見てほしいです」とし、応援に感謝した。

 異型狭心症は心臓の血管が極度に縮み、胸痛発作が起こる心臓病。誘発因子として心身の疲労、ストレスなどが挙げられている。

http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/172.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
23. 2021年10月06日 07:46:47 : qyjLKDKN06 : WEdzUFpscmRpckU=[1092]
NO22

 開示唆政権は岸田政権の間違い。
 失礼しました。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK283] <前代未聞の目くらまし これでは国民は何もわからない>電光石火 いきなり解散・総選挙の吉凶(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
24. 2021年10月06日 07:48:11 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[3759]
自公政権を支持しているのは一般有権者ではありませんよ。大企業です。そして竹中平蔵率いるグローバル規制緩和ビジネスなのです。

もし野党が政権を取ったら、特に立憲共産が政策協定を結んだ政権ができたら、共産党の矛先が財界に向くのは必須です。
小泉政権から続く非正規労働の拡大による貧困化こそが日本最大の問題なのです。そして共産党は20年間この問題に向き合ってきました。
このコロナ禍でも、企業の内部留保は484兆円です。昨年の450兆円からまだ30兆円以上も上がっているのです。また竹中率いるパソナの収益は前年比11倍だそうです。この「企業とカネ」の闇に潜むものはなんでしょう? ほぼ脱法といえるろくでもないものであることは確かです。ここに野党が斬りこんでくるのを財界首脳どもは恐れているのです。
財界は新自由主義でめちゃくちゃやってきたツケを払わされたくないので、安倍1強が8年も続いた自公政権に全幅の信頼を置いているのです。1強の自公が立憲共産など吹き飛ばしてくれるわとタカをくくっているのです。これを許してはいけません。

さらに続けると安倍のモリカケ桜カワイ、甘利の現金授受なども権力で押し切って闇に葬られようとしています。もう何度も取り上げられているので詳しく書きませんが、国政が安倍家の私物化されているのを許してはいけません。知らぬ存ぜぬで入院ごっこまでして5年間逃げ続けてきた甘利を許してはいけません。
http://www.asyura2.com/21/senkyo283/msg/473.html#c24

コメント [医療崩壊7] “進行がん”発見増加 コロナ禍で受診控えが影響か (テレ朝news)  魑魅魍魎男
13. 2021年10月06日 07:50:47 : chnAS2jUtw : SXdPQktRSS9pNjI=[387]
「『Sex and the City』の俳優:
ファイザーのmRNA誘発性癌の可能性で5か月に死亡」
(覚え書き 2021/10/4)
https://ameblo.jp/horehore-oo7/entry-12701905370.html
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/467.html#c13
記事 [不安と不健康18] 屋根の先っぽ塗り、曲げハケ棒で。黄沙で困ってます。屋根トタン釘 電蝕。
針金14番を数本ねじり曲げ、ハケ棒を作ると便利です
出窓のヒサシ屋根もこれで塗れます(見えぬ所も慣れで)

黄沙など落しにも軽い電動ドライバーを棒にひも縛りで付け、
100均の円形真鍮ワイヤーブラシで錆びも磨き落とせます。

>トタンが錆び腐る電蝕の心配、問題なし?
検索→ ガルバリウム鋼板にステンレス釘を使っても大丈夫ですか
https://realestate.yahoo.co.jp/knowledge/chiebukuro/detail/11183058756/

  検索→ ガルバニウム板にステンレス釘は電蝕
  検索→ ガルバニウム板 釘 電蝕

  検索→ 屋根トタン釘抜ける
  検索→ 屋根トタン釘 電蝕
  検索→ 屋根トタン釘 特徴
  検索→ 屋根トタン釘 種類
  検索→ 屋根トタン釘 欠点

屋根の先っぽ下のヒサシ部のクギにシリコン塗ってる人に聞いた話、
そこにペンキは一応塗れるから良いんだとか、もしペンキが剥げても
シリコンがペンキの代わりに。そのシリコンがコケたら、そこにペンキ
を塗れるとの事、もしペンキが塗れぬなら、まだシリコン残ってるから
でペンキの代わりになっている、との話。 先が長くて未確認です。

今時のクギはステン釘らしく、昔の様に錆びて腐り折れるなど
ないようですが、手が届く箇所を点検し、引き抜き、お試し。
出来たら大屋根TOP天板を外し見て下さい、腐って?・・・
-------
http://www.asyura2.com/16/health18/msg/848.html

   

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