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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100290
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100290.html
[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
15. 中川隆[-10378] koaQ7Jey 2019年5月03日 10:29:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1712]

という訳で、イスラム教は宗教ではなく、オウム真理教と同類の単なるアホ・カルト


イスラム教を批判してもムスリムは一切聞く耳を持たないので、文章や言葉での論理的批判は無意味

ここまで来たらもうイスラム教とムスリムを完全に滅ぼす以外には手立ては無い


一刻も早く世界中の国が一致団結して人類の敵ムスリムを絶滅させることを望む

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c15

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
18. 中川隆[-10377] koaQ7Jey 2019年5月03日 10:57:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1713]

45年前のアンプが居座りそうだ - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年05月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b5701f9767266ab0d37e8c53f8d26757

45年前のアンプの弱点は「直出し電源ケーブル」のグレードが低い点だ。
今ではお笑い物の「ヒョロ線」で作られていた。

この部分を「インレット化」して、現在最高級クラスの電源ケーブルを使う様にしたら、とんでもない性能を出すようになって来た。

お遊びで購入した45年前のアンプが自宅システムに居座りそうだ。エクスクルーシブC3+M4は昨年の2月に当然中古で購入した。初めはサブシステム用としてケンソニックC200+P300とペアで使っていた。


昨年1年間はケーブルのグレードを徐々に上げて行き、サブシステムではもったいない様な再生音を出すようになった。そこで自宅システムで「力量」を試したくなり、今年の4月にアンプの入れ替えを実施した。


45年前のアンプの弱点は「直出し電源ケーブル」のグレードが低い点だ。今ではお笑い物の「ヒョロ線」で作られていた。この部分を「インレット化」して、現在最高級クラスの電源ケーブルを使う様にしたら、とんでもない性能を出すようになって来た。


元々当時のフラッグシップモデルで当時は高すぎて、安サラリーマンには手の出ないアンプであった。あれから45年も経つとアンプの価格もこなれて、楽々と入手できる価格になった。後は「程度」である。経歴がどんなものかも分からないが、幸いにも良い程度のプリとパワーアンプが手に入ったと思っている。元々作りはメーカーが威信をかけて作っているので良いパーツが使われている。その分「丈夫」でも有る。マッキンのアンプも使ってきたが、それよりも良いパーツが使われていると思う。


最近は動作も安定して安心して使える。システムからは非常に良いサウンドがし始めた。このまま行ってくれれば年末ごろには「見通しの良い」サウンドになってくれるだろう。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c18

[近代史3] 天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統 中川隆
3. 中川隆[-10376] koaQ7Jey 2019年5月03日 11:39:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1714]

匿名 より: 2019年5月3日 9:43 AM

愛子さまが旧宮家の男系男子の方とご縁をもたれたれればいいですねー。

女性天皇は賛成です。が、女系・女性宮家は大反対です。
特に女性宮家はいらない。
税金の無駄。
皇室の減少により、公務が大変なら公務をへらせばいいだけのこと。
また、旧宮家に悠仁さまと同年代の方が数人おられるというではないですか。
いざとなったら、こちらの方々に協力していただく手もあるのでは。

匿名 より: 2019年5月3日 10:34 AM

旧宮家って伏見宮系でしょ

あそこは途中から鍛冶屋の一族に背乗りされて、家系が変わっちゃってるよ
父方辿っても天皇に行かず、それこそ皇位を継いだら鍛冶屋の家系が皇統になっちゃう

鍛冶屋ってのは鉄器扱う家系だから、もともとは渡来系移民だった可能性もある
蘇我氏とか秦氏とか、そこら辺の今は知られざる末裔

婿取るなら、東山天皇系の鷹司家と分家の末裔あたりが確実だよ
あの辺ならまだ、男系男子の子孫がいるはず
https://rondan.net/21591
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/316.html#c3

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
527. 中川隆[-10375] koaQ7Jey 2019年5月03日 12:00:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1715]

社会の底辺で増えていく家賃滞納。分相応のところで暮らして住所を守れ2019.05.03
https://blackasia.net/?p=12806


衣食住の中で、最も調整が利かないのは「住」である。つまり、経済的にピンチになった時、着るものや食べるものは我慢することで調整できるのだが、家賃だけは自分の意志では調整できない。

そのため、分相応に過大な家賃のところに住んでいたり、過大な住宅ローンを組んでいたりすると、生活が破綻すると同時に「住」も失ってしまう。

カネを失った上に、住むところも失う。それは、まさに人生のどん底だというのは誰しもが思うはずだ。そうであれば、そうなるケースはほとんどないのかと言えば、まったくそうではない。

2017年の日本賃貸住宅管理協会『賃貸住宅市場景況感調査』によると、全国平均で約8.2%程度の家賃滞納が起きていることが統計から浮かび上がってきている。これは、約12戸に1戸の割合で家賃滞納が起きているということになる。

12世帯が入っているマンションであると、そのうちの1世帯は家賃の支払いに問題が発生している。住所を失うというのは危機的なことなのに意外に多い。(鈴木傾城)

些細なことで経済的に追い込まれる

今後、家賃滞納は増える可能性がある。なぜなら、日本では爆発的に貧困層(アンダークラス)が増えており、こうしたアンダークラスは些細なことで経済的に追い込まれる可能性があるからだ。

些細なこと、というのは比喩ではない。

それこそ風邪をひいて三日でも寝込めば、それだけで家賃滞納から路頭に迷うところまで一気に追い込まれてしまう。

「インフルエンザにかかった」「ちょっとした怪我をした」というものから、「長い10連休が続いて日給が手に入らなくなって首が絞まった」というものまで、アンダークラスを追い込む「些細なこと」はいくらでもある。(フルインベスト:「10連休が天国になるのか地獄になるのか」の裏側にもある問題が潜んでいた)

アンダークラスが増えていったのは、バブル崩壊以後に超就職氷河期で若年層が追い込まれたまま中高年に入っていったということもある。(ダークネス:1971年〜1974年生まれは、自分たちは過酷な時代に生きる世代だと認識せよ)

それと同時に少子高齢化も年々深刻化していき、この高齢者がどんどん貧困化しているからである。高齢層が追い込まれているというのは、生活保護受給者の半分以上は高齢層であるのを見ても一目瞭然だ。

今後、消費税が引き上げられることになると、こうした高齢層は収入を引き上げる方法がないので、より追い込まれていく。

さらに、3組に1組が離婚するのが当たり前になった社会の中で、子供を抱えて困窮するシングルマザーも存在する。シングルマザーの2組に1組は貧困である。シングルマザーでなくても、単身女性の貧困は日本では珍しくも何ともない。

ここ数年、私はずっと日本のアンダーグラウンドで風俗や売春に堕ちた女性たちを追っているが、本当に女性の貧困は日本の底辺で放置されているように思える。

シングルマザーの風俗嬢、妊娠して臨月になっても性サービスをしている風俗嬢、住宅ローンを返すために働いている主婦風俗嬢、ネットカフェ住まいの風俗嬢……と、貧困が起因でセックス産業に入った女性たちに数多く会ってきた。

今も継続してこうした女性と会い続けている。(ブラックアジア:野良犬の女たち(ストリート売春、そして流れ者の女))

家賃滞納は法的には3ヶ月までが限度

家賃というのは、だいたいいくらが妥当なのだろうか。かつて、「家賃は月収の3分の1程度まで」と言われていた時代があった。月収が30万円程度の人の家賃は10万円程度、月収が20万円の人の家賃は6万7000円程度までに抑えるのが良いという意味だ。

ところが、今は家賃を月収の4分の1程度にしておかなければ危険な時代に入っていると著書『家賃滞納という貧困』を書いた太田垣章子氏は指摘している。

コンビニや自販機の利用で便利さを買うのは明らかに費用がかさみ、さらにスマホ代金などを含め「私たちの生活は以前より確実におカネがかかるスタイルに変化している」というのが太田垣章子氏の指摘である。

家賃は月収の3分の1程度と言っていると、蓄えがなければあっと言う間に『家賃滞納という貧困』に陥ってしまうのである。では、その蓄えはどうなのかというと、非常に心もとないのが現状だ。

2019年3月6日。SMBCコンシューマーファイナンスは、30代から40代の世代で「現在の貯金額がゼロ」と答えた人が23.1%となったことを報告している。

この23.1%の「無貯金」の人は、たったの1ヶ月でも月収に問題が発生した場合、すぐにでも家賃滞納に直結してしまうということになる。つまり住所を失ってしまう危機に陥るのだ。

家賃を1ヶ月落としても、すぐに「出て行け」という話にはならないのだが、翌月は2ヶ月分を支払わなければならないので、より不確実性は高まる。この2ヶ月を落とすと次の家賃は3ヶ月分ということだ。

しかし、1ヶ月分をも支払えない状況に陥っている人が3ヶ月分の家賃を返せるアテが見つかるのかと言えばなかなか難しいのではないか。

家賃滞納は法的には3ヶ月までが限度である。(ブラックアジア:あなたは家賃を払えなくなって催告書を突きつけられたことがあるか?)

当たり前さえ維持できない社会

住むところに見栄を張るべきではない。また、住む場所に見栄を張るべきでもない。別に港区や世田谷区に住まなくても人間は暮らしていける。自由が丘や吉祥寺みたいなところでないと生きていけないわけでもない。

足立区や江戸川区はブランドではないかもしれないが、それでも多くの人が普通に暮らして普通に生きていて、インフラも整っているし活気もあるし物価も安いしむしろ「人気のある街」よりも過ごしやすいとも言える。

自分が分相応なところに住んでいるかどうかは、家賃や住宅ローンが月収の3分の1を超えているかどうかで判断するのが最も分かりやすい。堅実な人は4分の1以内に抑えられているかどうかで決めるのもいい。

月収が30万円の人は家賃が10万円程度でないといけない。家賃15万円のところに暮らしているのであれば、それは間違いなく「見栄」が含まれているということだ。他人に見栄を張ったところで、それで自滅するのであれば意味がない。

月収で入れる適切な家賃でないのであれば早い段階でダウングレードしておくか、もしくは仕事を失うと即座にダウングレードできる体制を整えておくのが最終的に「住所を守る」ための確実な方法となる。

住所を持つことによって、行政サービスが受けられ、きちんとした仕事を得ることができ、プライバシーと安心と安眠が得ることができるようになる。住所がなくなると、そのすべてが吹き飛んでいく。

住所がないと仕事も日雇い労働くらいしか得られなくなり、その必要最小限の賃金ではそこから這い上がれなくなってしまう。

決まった住所を持つというのは、社会生活を送る人間として当たり前以前のことであると普通は考える。しかし、その当たり前さえ維持できそうにないような不安定な状況に追い込まれるのが今の社会である。(written by 鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=12806


◆あなたは家賃を払えなくなって催告書を突きつけられたことがあるか?2018.12.12

2018年11月29日。大阪市西成区で43歳の男が逮捕されている。この男は「路上で強盗に襲われてカネを奪われた」と警察に通報して、大家には「そのせいで家賃が払えない」と説明していたのだが、これが嘘の強盗被害だった。

「強盗に遭ったと言えば大家が同情して家賃の支払いを待ってくれる」と考えて、嘘の強盗被害をでっち上げて警察に被害届を出していたのだった。供述が曖昧だったので、警察が追及したところ、嘘であることを認めた。

住所を失いたくなかったが、男は結局住所を失った。

認知症の母親の介護から生活が破綻して、最後に母親殺害に至った事件があった。「私の手は母を殺めるための手だったのか」と母を殺した男は慟哭したことで知られている痛ましい事件だ。(ブラックアジア:認知症の悲劇「私の手は母を殺めるための手だったのか」)

彼が母親を殺すことになるのは、家賃が払えなくなって家を追い出されることになる日だった。

経済的に困窮すると、いろんなものを失っていくが、最後まで人が死守したいと考えるのは「住居」である。それを失ったら、事実上すべてを失ったも同然だ。

しかし、金がないとあっさりと失ってしまうのも住居である。住居を維持するというのは経済的に困窮した人間には大変な負担だからである。(鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=10409
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c527

[リバイバル3] 家賃2カ月滞納で地獄。サラ金より怖い保証会社の悪質な取り立て 中川隆
3. 中川隆[-10374] koaQ7Jey 2019年5月03日 12:03:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1716]

社会の底辺で増えていく家賃滞納。分相応のところで暮らして住所を守れ2019.05.03
https://blackasia.net/?p=12806


衣食住の中で、最も調整が利かないのは「住」である。つまり、経済的にピンチになった時、着るものや食べるものは我慢することで調整できるのだが、家賃だけは自分の意志では調整できない。

そのため、分相応に過大な家賃のところに住んでいたり、過大な住宅ローンを組んでいたりすると、生活が破綻すると同時に「住」も失ってしまう。

カネを失った上に、住むところも失う。それは、まさに人生のどん底だというのは誰しもが思うはずだ。そうであれば、そうなるケースはほとんどないのかと言えば、まったくそうではない。

2017年の日本賃貸住宅管理協会『賃貸住宅市場景況感調査』によると、全国平均で約8.2%程度の家賃滞納が起きていることが統計から浮かび上がってきている。これは、約12戸に1戸の割合で家賃滞納が起きているということになる。

12世帯が入っているマンションであると、そのうちの1世帯は家賃の支払いに問題が発生している。住所を失うというのは危機的なことなのに意外に多い。(鈴木傾城)

些細なことで経済的に追い込まれる

今後、家賃滞納は増える可能性がある。なぜなら、日本では爆発的に貧困層(アンダークラス)が増えており、こうしたアンダークラスは些細なことで経済的に追い込まれる可能性があるからだ。

些細なこと、というのは比喩ではない。

それこそ風邪をひいて三日でも寝込めば、それだけで家賃滞納から路頭に迷うところまで一気に追い込まれてしまう。

「インフルエンザにかかった」「ちょっとした怪我をした」というものから、「長い10連休が続いて日給が手に入らなくなって首が絞まった」というものまで、アンダークラスを追い込む「些細なこと」はいくらでもある。(フルインベスト:「10連休が天国になるのか地獄になるのか」の裏側にもある問題が潜んでいた)

アンダークラスが増えていったのは、バブル崩壊以後に超就職氷河期で若年層が追い込まれたまま中高年に入っていったということもある。(ダークネス:1971年〜1974年生まれは、自分たちは過酷な時代に生きる世代だと認識せよ)

それと同時に少子高齢化も年々深刻化していき、この高齢者がどんどん貧困化しているからである。高齢層が追い込まれているというのは、生活保護受給者の半分以上は高齢層であるのを見ても一目瞭然だ。

今後、消費税が引き上げられることになると、こうした高齢層は収入を引き上げる方法がないので、より追い込まれていく。

さらに、3組に1組が離婚するのが当たり前になった社会の中で、子供を抱えて困窮するシングルマザーも存在する。シングルマザーの2組に1組は貧困である。シングルマザーでなくても、単身女性の貧困は日本では珍しくも何ともない。

ここ数年、私はずっと日本のアンダーグラウンドで風俗や売春に堕ちた女性たちを追っているが、本当に女性の貧困は日本の底辺で放置されているように思える。

シングルマザーの風俗嬢、妊娠して臨月になっても性サービスをしている風俗嬢、住宅ローンを返すために働いている主婦風俗嬢、ネットカフェ住まいの風俗嬢……と、貧困が起因でセックス産業に入った女性たちに数多く会ってきた。

今も継続してこうした女性と会い続けている。(ブラックアジア:野良犬の女たち(ストリート売春、そして流れ者の女))

家賃滞納は法的には3ヶ月までが限度

家賃というのは、だいたいいくらが妥当なのだろうか。かつて、「家賃は月収の3分の1程度まで」と言われていた時代があった。月収が30万円程度の人の家賃は10万円程度、月収が20万円の人の家賃は6万7000円程度までに抑えるのが良いという意味だ。

ところが、今は家賃を月収の4分の1程度にしておかなければ危険な時代に入っていると著書『家賃滞納という貧困』を書いた太田垣章子氏は指摘している。

コンビニや自販機の利用で便利さを買うのは明らかに費用がかさみ、さらにスマホ代金などを含め「私たちの生活は以前より確実におカネがかかるスタイルに変化している」というのが太田垣章子氏の指摘である。

家賃は月収の3分の1程度と言っていると、蓄えがなければあっと言う間に『家賃滞納という貧困』に陥ってしまうのである。では、その蓄えはどうなのかというと、非常に心もとないのが現状だ。

2019年3月6日。SMBCコンシューマーファイナンスは、30代から40代の世代で「現在の貯金額がゼロ」と答えた人が23.1%となったことを報告している。

この23.1%の「無貯金」の人は、たったの1ヶ月でも月収に問題が発生した場合、すぐにでも家賃滞納に直結してしまうということになる。つまり住所を失ってしまう危機に陥るのだ。

家賃を1ヶ月落としても、すぐに「出て行け」という話にはならないのだが、翌月は2ヶ月分を支払わなければならないので、より不確実性は高まる。この2ヶ月を落とすと次の家賃は3ヶ月分ということだ。

しかし、1ヶ月分をも支払えない状況に陥っている人が3ヶ月分の家賃を返せるアテが見つかるのかと言えばなかなか難しいのではないか。

家賃滞納は法的には3ヶ月までが限度である。(ブラックアジア:あなたは家賃を払えなくなって催告書を突きつけられたことがあるか?)

当たり前さえ維持できない社会

住むところに見栄を張るべきではない。また、住む場所に見栄を張るべきでもない。別に港区や世田谷区に住まなくても人間は暮らしていける。自由が丘や吉祥寺みたいなところでないと生きていけないわけでもない。

足立区や江戸川区はブランドではないかもしれないが、それでも多くの人が普通に暮らして普通に生きていて、インフラも整っているし活気もあるし物価も安いしむしろ「人気のある街」よりも過ごしやすいとも言える。

自分が分相応なところに住んでいるかどうかは、家賃や住宅ローンが月収の3分の1を超えているかどうかで判断するのが最も分かりやすい。堅実な人は4分の1以内に抑えられているかどうかで決めるのもいい。

月収が30万円の人は家賃が10万円程度でないといけない。家賃15万円のところに暮らしているのであれば、それは間違いなく「見栄」が含まれているということだ。他人に見栄を張ったところで、それで自滅するのであれば意味がない。

月収で入れる適切な家賃でないのであれば早い段階でダウングレードしておくか、もしくは仕事を失うと即座にダウングレードできる体制を整えておくのが最終的に「住所を守る」ための確実な方法となる。

住所を持つことによって、行政サービスが受けられ、きちんとした仕事を得ることができ、プライバシーと安心と安眠が得ることができるようになる。住所がなくなると、そのすべてが吹き飛んでいく。

住所がないと仕事も日雇い労働くらいしか得られなくなり、その必要最小限の賃金ではそこから這い上がれなくなってしまう。

決まった住所を持つというのは、社会生活を送る人間として当たり前以前のことであると普通は考える。しかし、その当たり前さえ維持できそうにないような不安定な状況に追い込まれるのが今の社会である。(written by 鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=12806


◆あなたは家賃を払えなくなって催告書を突きつけられたことがあるか?2018.12.12

2018年11月29日。大阪市西成区で43歳の男が逮捕されている。この男は「路上で強盗に襲われてカネを奪われた」と警察に通報して、大家には「そのせいで家賃が払えない」と説明していたのだが、これが嘘の強盗被害だった。

「強盗に遭ったと言えば大家が同情して家賃の支払いを待ってくれる」と考えて、嘘の強盗被害をでっち上げて警察に被害届を出していたのだった。供述が曖昧だったので、警察が追及したところ、嘘であることを認めた。

住所を失いたくなかったが、男は結局住所を失った。

認知症の母親の介護から生活が破綻して、最後に母親殺害に至った事件があった。「私の手は母を殺めるための手だったのか」と母を殺した男は慟哭したことで知られている痛ましい事件だ。(ブラックアジア:認知症の悲劇「私の手は母を殺めるための手だったのか」)

彼が母親を殺すことになるのは、家賃が払えなくなって家を追い出されることになる日だった。

経済的に困窮すると、いろんなものを失っていくが、最後まで人が死守したいと考えるのは「住居」である。それを失ったら、事実上すべてを失ったも同然だ。

しかし、金がないとあっさりと失ってしまうのも住居である。住居を維持するというのは経済的に困窮した人間には大変な負担だからである。(鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=10409
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/828.html#c3

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
130. 中川隆[-10373] koaQ7Jey 2019年5月03日 12:42:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1717]

日本人はロシア民謡やロシア文学は大好きなんだけど、ソ連はロシア人ではなくユダヤ人が支配していた国だからね:

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html


▲△▽▼


カチューシャを歌いながら突撃してくるロシアの戦車軍団に日本兵は絶対に勝てなかったよ


ガールズ&パンツァー 第8話 ロシア民謡 カチューシャ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B38%E8%A9%B1+++%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3+++

Катюша - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9A%D0%B0%D1%82%D1%8E%D1%88%D0%B0


Katyusha dance War Army solo Военный танец Катюша сольный - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YoB4Vkvceo0


ロシア民謡 カチューシャ Песни победы 2010 _Катюша_ (НУ _ОЮА_) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y8qTcXdFpPc

▲△▽▼


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

.
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙


おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ


彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に  
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c130

[経世済民72] ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中 中川隆
4. 中川隆[-10372] koaQ7Jey 2019年5月03日 13:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1718]
日本人はロシア民謡やロシア文学は大好きなんだけど、ソ連はロシア人ではなくユダヤ人が支配していた国だからね:


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html


▲△▽▼


カチューシャを歌いながら突撃してくるロシアの戦車軍団に日本兵は絶対に勝てなかったよ


ガールズ&パンツァー 第8話 ロシア民謡 カチューシャ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B38%E8%A9%B1+++%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3+++

Катюша - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9A%D0%B0%D1%82%D1%8E%D1%88%D0%B0


Katyusha dance War Army solo Военный танец Катюша сольный - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YoB4Vkvceo0


ロシア民謡 カチューシャ Песни победы 2010 _Катюша_ (НУ _ОЮА_) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y8qTcXdFpPc


▲△▽▼


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

.
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙


おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ


彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に  
 

http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html#c4

[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
49. 中川隆[-10371] koaQ7Jey 2019年5月03日 13:10:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1719]

日本人はロシア民謡やロシア文学は大好きなんだけど、ソ連はロシア人ではなくユダヤ人が支配していた国だからね:


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html


▲△▽▼


カチューシャを歌いながら突撃してくるロシアの戦車軍団に日本兵は絶対に勝てなかったよ


ガールズ&パンツァー 第8話 ロシア民謡 カチューシャ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B38%E8%A9%B1+++%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3+++

Катюша - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9A%D0%B0%D1%82%D1%8E%D1%88%D0%B0


Katyusha dance War Army solo Военный танец Катюша сольный - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YoB4Vkvceo0


ロシア民謡 カチューシャ Песни победы 2010 _Катюша_ (НУ _ОЮА_) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y8qTcXdFpPc


▲△▽▼


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

.
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙


おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ


彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に  
 

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c49

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
38. 中川隆[-10370] koaQ7Jey 2019年5月03日 13:36:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1720]
2019.05.03
ベネズエラでも有力メディアの流すフェイク・ニュースが物笑いの種になっている


 アメリカ政府が仕掛けたベネズエラのクーデターは失敗に終わった。ドナルド・トランプ大統領は乗り気でないようで、推進しているのはマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官たち。大統領がシリアからの撤兵を命じたときに抵抗、命令を阻止したトリオだ。

 シリアを含む中東から北アフリカにかけての地域で展開されてきた政権転覆プロジェクトやウクライナでのネオ・ナチを手先に使ったクーデターを支援していたアメリカの有力メディアはベネズエラでも侵略の応援団。

 例によって「民主化」を求める人びとが「独裁者」を追い詰めるという西側の「リベラル派」が喜びそうなストーリーを有力メディアは流しているのだが、事実との乖離が大きい。ワシントン・ポスト紙は大規模な政府支持デモの参加者を約500人と主張したが、​映像​を見れば明らかに嘘。自らの信頼度を下げることになっている。

 アメリカ政府がベネズエラの「暫定大統領」に任命したフアン・グアイドは4月30日に軍事蜂起を呼びかけたが、「笛吹けど踊らず」。グアイドと同様、反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペスはスペイン大使館へ逃げ込み、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んでいる。

 ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は航空機でキューバへ逃げようとしていたポンペオ国務長官はメディアに説明、失笑を買った。ポンペオもワシントン・ポスト紙もクーデターは成功すると信じていた、あるいはベネズエラ政府から偽情報をつかまされていたのかもしれない。

 おそらくアメリカ側は政府の要人や軍の幹部を買収することに失敗したのだろうが、次はアメリカ軍の侵攻というを政府の好戦トリオや有力メディアなどは考えているかもしれないが、戦争になれば泥沼化は必至で、数十年は戦闘が続くと考えられている。統合参謀本部は軍事侵攻に乗り気ではないだろう。

 イラク、シリア、イランへ軍事侵攻するというプランをポール・ウォルフォウィッツがフォート・アーウィンの司令官だったウェズリー・クラーク准将(当時)に語ったのは1991年。ソ連の消滅を見通し、アメリカは好き勝手に軍事力を行使できると主張していたという。当時、ウォルフォウィッツは国防次官を務めていた。

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、クラークは統合参謀本部を訪れる。欧州連合軍最高司令官を経て2000年に退役していた。退役時は大将だ。

 そこでクラークは国防長官の計画を知らされる。イラク、シリア、イランに加え、レバノン、リビア、ソマリア、そしてスーダンを攻撃するというのだ。この計画を教えた軍人は苦悩の表情を見せていたという。アメリカ軍の幹部の中にはネオコンの軍事作戦を愚かだと考える人が少なくなかった。(自衛隊の幹部は違うが。)

 ベネズエラへの軍事侵攻が無謀だという意見がある中、トランプ政権で教育長官を務めるベッツィ・デボスの弟で、傭兵会社のブラックウォーター(2009年にXE、11年にアカデミへ名称変更)を創設した​エリック・プリンスは傭兵5000名を投入できればベネズエラの政権転覆に貢献できると発言​したという。

 プリンスは海軍の特殊部隊SEALの元メンバー。特殊部隊は歴史的にCIAと近い関係にある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905030000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c38

[昼休み53] 新興宗教「神の子どもたち」 中川隆
8. 中川隆[-10369] koaQ7Jey 2019年5月03日 14:01:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1721]
教祖が7人の女性信者を次々に妻にし、寺の中でAVを制作し、女性信者を野外で全裸で踊らせ、霊感商法を行うカルト宗教団体
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/213.html
投稿者 たそがれ竹べえ 日時 2012 年 3 月 06 日 11:47:36: EzRc1UvJydDio


以下、「情報・コメントの掲示板(カルト被害を考える会)(http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form.htm)」より。

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NO.8338
2012年3月2日金曜日 14:49 りゅう

初めてメールいたします。新興宗教の教祖に騙されている、私の家族のことで大変困っております。

私の家族(妻と子供たち)がかかわってしまった新興宗教団体の教祖は宗教者・僧侶を装いながら、人生相談や占い祈祷を行い、言葉巧みに自分は神だといって、若者を信用させ、中学生を含む七人もの若い女性信者を次々に妻にして同居させ、11人もの子どもを産ませ、一夫多妻の共同生活を送っています。また、私の娘も教祖の妻の一人になっています。

挙げ句に寺の中でアダルトビデオの制作販売を行い、神の仕事のためだといっては、その自分の妻たちや子どもたちを出演させています。

また、この団体の集まりでは、神が喜ぶといっては、女性信者が全裸で踊ったり、昼間に女性信者が全裸で禊と称して湖に入ったり、昼間に女性信者が全裸で神社に参拝しています。

また、教祖は自称元暴力団員という人物を使い、パワーストーンショップを経営し、霊的な人生相談、因縁解法を行うとして、高額な水晶代、解法代を要求して暴利を得ています。因縁解法をしなければ、病気やうつ病になったり、悪いことが起こると恐怖心を煽り、一因縁あたり5万円もの解法代を取り、一人当たり最低600万円支払うと解脱して死後に天界へ行けるといい、退職金や家の売却金までも要求します。

私は今は病気を契機にマインドコントロールから逃れることができましたが、私の家族(妻と4人の子供たち)はまだ、この教祖の熱心な信者のままでいます。また、教祖の教えに従い間違った治療をしたために、持病の腎炎が悪化し、今は人工透析を受ける体になってしまいました。したがって、現在、私は退院後に自分の家に帰れず、身内の家に居候しています。

このことを警察に相談しましたが、対応した刑事さんが「特に違法性はありませんから警察は動けません。」「離婚も方法ですよ。」と言っていました。私は何とか家族と以前のように仲良く暮らしたいのです。離婚なんて考えられません。マインドコントロールで今の状態になっているのであれば、何とかしてマインドコントロールを解いて、家族を取り戻したいのです。

インターネットや本などで勉強しています。私一人ではどうしてよいか暗中模索の状態です。問題の団体は30人ほどの小規模で、有名な団体ではありません。

何かアドバイスを頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。
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http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/181.html#c8

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
16. 中川隆[-10368] koaQ7Jey 2019年5月03日 14:30:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1722]

多文化共生とはイスラム移民がレイプしまくるのを放任する事


2015年09月23日 食肉にされた白人少女? / 楽しいレイプはやめられない
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html

難民を刺戟してはいけない社会

  就職氷河期に当たってしまった大学生は、2千万円以上の年私有を手にできるNHK職員がうらやましい。大した仕事をしなくても昇進できるんだから魅力的。そのうえ、制作費はたんまり貰えるし、ちょっとくらい横領したって分からない。韓国で豪遊した磯野克巳は、月に1,500万円くらい使っていたそうだ。これなら毎晩、朝鮮人ホステスと飲んでいたのもうなづけよう。NHKではカラ出張、裏金作り、横領、ユスリたかりが当り前。他人のゼニで贅沢なドラマを作っておきながら、それをDVDにしてボロ儲けする会社をつくった。まったく、阿漕(あこぎ)な真似をしやがる。しかも、退職社員が天下り。プロ左翼にとったら理想の職場じゃないか。そのうえ、滅多にクビにならないんだから、天下のNHKは極楽だ。ただし、痴漢や麻薬なら懲戒免職かも知れない。でも心配ご無用。彼らは国家転覆や皇室侮蔑が趣味なんだから。それに、反日行為くらいじゃ左遷にもならないし、むしろ出世したりして。

こんなNHKが推進するのは、移民や難民が津波のように押し寄せる多民族社会。お上品なNHKの女子職員は、イラク難民のオッさんが坐った便器で大便できないが、一般庶民には風呂や便所を共有しましょうと呼びかける。NHKの採用試験では、舌を二枚持ってるかどうかの検査があるのだろう。

  難民支援者は自国民より外国人を大切にする。彼らは高級で貴重な「国民が持つ古来の権利」よりも、地球の何処にでも落ちている「人権」を、“至高の権利”と称賛するのだ。数百あるいは数千年前の祖先から受け継ぐ権利より、アフリカの草原に住む土人でも口にする「人権」の方が重要とは。

左翼が厄介なのは、気違いという自覚が無い馬鹿だからである。つまり、カルト宗教の信者と同じ精神構造を持っているからだ。彼らは第三世界からやって来る難民は、みな可哀想な移住民で、無差別に保護せねばならぬと思っている。

善意に溢れた正義の味方が、そう思いたいなら結構。ただし、自分のお金でやってくれ。自分の預貯金や株・債券、あるいは退職金や年金をまず最初に使って、どこまで難民の面倒をみられるのか教えて欲しい。難民を望まぬ国民から税金をふんだくって、外国人にバラ蒔くなんておかしいだろう。

難民支援のNPO法人などは、怪しい人物が要職に就いており、隠れ左翼や筋金入りの極左が、生活する隠れ蓑になっている場合が多い。ちょうど、反戦活動家が宗教法人をつくって、平和を訴える坊主になるのと似ている。外人支援団体は、難民をダシにして多額の税金を引き出すことを目的にしているから、よくよく注意せねばならない。


(写真/シリアや中東からの難民)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html


  我々は難民で溢れるドイツやEU諸国を目にしている。前世紀の冷戦時代に、社会主義で国家を転覆できなかった左翼は、得体の知れない異邦人を国内に引き入れることで、民族浄化(ethnic cleansing)を合法的に行っているのだ。難民の流入はたとえ不愉快でも、砲弾が撃ち込まれる有事ではないから、一般国民は指をくわえて侵掠行為を眺めるしかない。無力な庶民が講じる対策は些細なものだ。

ここで、日本のマスコミが報道しなかった例を挙げたい。

バヴァリア地方にあるドイツの高校で、馬鹿馬鹿しいある難民対策が行われたという。シリア難民が押し寄せた頃、学校側が生徒の父兄に注意事項が記された書類を配った。月曜日に郵送された通知の中で、マーチン・タルハマー校長は、学校の体育館に200名のシリア難民が収容されているので、生徒は学校にいる間、校庭や建物内に近づかぬよう注意されたという。

さらに、その通知には父兄に対して要望が書かれていた。それは何かというと、子供達が肌の透けて見えるようなトップスやブラウス、ミニ・スカートなどを着て登校せぬように指導してくれ、という内容であった。(Polina Garaev, Fearing Syrian erfugees, German school bans miniskirks, i24News, June 28, 2015) つまり、シリア難民の男どもを刺戟する「セクシーな服装」は慎んでほしいというお願いである。率直な警告ができない校長先生は暗に、シリア難民の中に強姦魔が居るかも知れないと仄めかしていたのだ。


(写真/禁止されてしまう服装の具体例)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html

  何とかして難民を大量に導きたいマスコミは、自国民に被害が出ても平気である。難民を規制しようとする保守派の政治家や、異邦人を嫌う一般国民は彼らの敵だから、難民が事件を起こしても騒がない。今月、ドイツのケムニッツ(Chemnitz)にある公園で、7歳の少女が北アフリカ系の男に強姦されるという事件が起きた。

彼女は母親に連れられて公園で遊んでいたところ、突然アフリカ系の男に攫われ、草むらの中に引きずり込まれたという。公園にいた母親は娘が強姦されていることに気づかず、娘が泣きながら脚にしがみついてきた時に初めて分かったらしい。30歳くらいのアフリカ系容疑者は、強姦のあと駅の方向に逃げていったそうだ。子供の証言だから確実ではないだろうが、ヨーロッパ系の白人ではなく、アフリカ系の黒人に犯されたことだけは確かだろう。

移民や難民を受け容れると、親は至る所で子供の安全を図らねばならない。今まで気楽に公園で遊ばせていた親は、性犯罪者を警戒するようにから、子供を連れて行くことを躊躇(ためら)うようになる。左翼議員や難民支援組織のせいで、平穏な日々を送っていた一般家庭は、予測もできない悲劇を心配する毎日になってしまうのだ。どうして異邦人を望まぬ一般国民が、税金を取られたうえ窮屈で不安な生活を強いられるのか、移民・難民支援者は答える義務がある。


自国を破壊したスウェーデン


(写真/強姦魔に狙われそうな北欧女性)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html


Olof Palme 4(左/オロフ・パルメ)

  北欧のスウェーデは、かつて国民の同質性が高い白人国家であった。ところが、社会主義者のオロフ・パルメ(Olof Palme)が首相の座についてから、北方種族主体のスウェーデンが多民族国家に変わってしまった。有色人種が移住してくることを許したスウェーデンでは、白人女性の強姦事件が頻発するようになり、その件数はうなぎ登り。金髪を黒く染めてレイプされぬよう対策を講じる女性まで出てきたという。被害件数の統計を見れば明らかだが、1975年に強姦事件は421件だったのに、2014年には6,620件になってしまった。

この異常な増加は、スウェーデンの男が急にスケベになったからか? スェーデンの犯罪防止国家評議会(Brottsförebyggabde rådet/ Brå)によれば、2011年に強姦されたスウェーデン人女性は29,000名もいたそうだ。各国と比べてもスウェーデンの強姦率は異常に高い。2012年の統計では、10万人あたり66.5人の被害者が出ていて、次に高いのはジャマイカの34.1人、ボリビアの33人、コスタ・リカの29.8人となっている。北欧の小国が中南米の後進国より強姦率が高いとは驚きだ。(Ingrid Carlqvist and Lars Hedegaard, Sweden : Rape Capital of the West, Gatestone Institute, February 14, 2015)

  こういった統計が出てくると、移民や難民といった有色人種を擁護する左翼がしゃしゃり出て、統計のカラクリや調査方法などに文句をつけてくる。例えば、スウェーデン人は比較的、強姦被害を警察に報告する傾向が高い。他国だと、特に第三世界では、レイプされても届け出ない女性が多いから、被害件数が統計に反映されないのだ、と言いたいわけだ。

また、スウェーデンではちょっとしたセクハラでも、「レイプ」だと分類されるし、男女の平等が進んでるから、それに我慢できない男性が女性につい暴力をふるってしまうのだ、という理屈を挙げている。こんな説明は、有色移民による強姦事件を隠蔽しようとする、目眩ましの言い訳だろう。もし、外国人による強姦事件がそれほどでもないなら、なぜ犯人の出生や人種、写真、名前を隠す「匿名報道」が流行るのか? 左巻きのマスコミは事件の真相が分かっているから、犯人の肉体的特徴や出身国をわざと“ぼかす”のであろう。

Lala Logan 5Lara Logan in Egypt 2(左: 米国でのララ・ローガン/左: エジプトでのローガン)

  ジャーナリストは強姦事件を他人事として扱うが、自分がレイプに遭うとは予想していない。以前、このブログで紹介したが、米国のCBS特派員を務めたララ・ローガンが、エジプトで「アラブの春」を取材中に、野蛮な群衆に暴行されたことがある。ブロンド美人のローガンは、エジプトの民衆が抗議デモを起こしている現場に駆けつけ、いかにも「取材のプロ」を気取って意気揚々と現場レポートをしていた。しかし、群衆の一人が、「あの女はユダヤ人だぞ」とデマを流したところ、昂奮した荒くれ男どもが彼女に襲いかかってきた。何名とも分からぬ穢らわしいエジプト人が、白い肌の金髪美女を鷲づかみにし、彼女の服や下着を引き千切ったという。

無力なローガンはジタバタと抵抗するが、腕力で勝る獣(けだもの)には勝てない。悲鳴を上げながら犯されていた彼女は、現地スタッフによりようやく救出され、安全地帯へ逃げ帰ったというが、彼女はショックの余り放心状態。恐怖と屈辱で涙が止まらない。高学歴のリベラル娘にはいい薬になった。

エジプトみたいな野蛮国で、何ら警戒感を持たずに群衆の中に入るなんて、「間抜け」を通り越して「白痴」だ。学校の教科書には、イスラム教徒は白人女を性奴隷にしていた、と書かれていないから知らなかったのだろう。快適な教室で「国際関係論」みたいな気楽な科目を勉強して、世界が分かったような気分になる秀才には、冷酷な現実が判らない。ローガン氏は強姦されて初めてイスラム圏の現実を知ったのだ。


(左: 従軍するローガン/右: 「アラブの春」を取材中のローガン)

  話が逸れたが、スウェーデンのジャーナリストも、現実知らずのアホが多い。今年、スウェーデンとフィンランドを行き来するフェリーで強姦事件が起きた。ジャーナリストであるスウェーデン人女性が、「アモレラ(Amorella)」というフェリーに乗船していて、運悪く8人の強姦魔に輪姦されてしまった。

スウェーデンのマスコミは、45歳の被害者女性と事件の内容について取材したというが、その際、8名の容疑者を「スウェーデン人」と報道したのだ。しかし、肝心な事実が抜け落ちている。その強姦魔のうち、7名はソマリア人で、残りの1名がイラク人であったのだ。移民の味方である大手マスコミは隠蔽したが、憤りを感じたあるスウェーデン人ブロガーによって、犯人の実名は公表されてしまった。

アブドゥライ・バレ・バレ(Abdullahi Barre Barre)、アフメド・アブデュラマン・アフメド(Ahmed Nur Abdurahman Ahmed)、アブドゥライ・アフメド・ジャマ(Abdullahi Ahmed Jama)、モハメド・アフメド・アブディ (Mohamed Ahmed Abdi)が、ソマリア出身者である。バジァ・ムハメッド・シャキール(Bjar Mhamad Shakir)がイラク人だ。犯人の中には、ソマリアとスウェーデンの二重国籍者がいたというから、マスコミはそれを楯にとって「スウェーデン人」による犯行と報じたのであろう。

SVTといったスウェーデンの国営放送だって、犯人の素性を具体的に報道することはなかった。こうした報道姿勢は、いかにスウェーデンで有色移民による犯罪が多いかを、逆に証明することになった。移民による犯罪を調査した、カールスタッズ大学のアン・クリスティン・ヒェルム(Ann-Christine Hjelm)によれば、2002年に起きたレイプ事件で、有罪となった者のうち、85パーセントが外国生まれか移民の2世であったという。

スウェーデン政府の調査だと、アルジェリアやリビア、モロッコ、チュニジアといった北アフリカ出身の移民は、スウェーデン人と比べて約23倍多く強姦事件を起こしていた。イラク、ブルガリア、ルーマニア出身者だと、約20倍だという。これでは、わざわざ外国から犯罪者を招いて、自国女性の不幸を増やしているのと同じだ。


(写真/逮捕されたムスリム・レイプ犯の者たち)

  移民・難民が増えている国家では、「政治的正しさ(political correctness)」という検閲が普及し、犯人の顔写真や家系、本名が曖昧にされている。先ほどの強姦事件では、名前でアフリカ人とかイスラム教徒であることが分かったが、「同化政策」が進めば古来の原住民と新たな移民の区別がつきにくくなってしまう。もし、ソマリア人やイラク人がキリスト教徒に改宗したり、氏名を北欧風に変えたら、黒人か白人かさえ分からなくなる。左翼新聞の記事に写真が無かったりすると、それを読む一般国民は、有色人容疑者を「スウェーデン人」と勘違いしてしまうだろう。

また、スウェーデン白人とアフリカ黒人との混血児が起こした強姦事件は、「白人」による犯罪と報道されるに違いない。色白のシリア人なら、「コケイジアン(白色人種)」と分類されるから、人種別の統計では、有色人種による犯罪と見なされない懼れがある。特に注意すべきは、未成年による強姦事件だ。容疑者が少年だと、顔写真や名前が公表されないし、仮に名前が公表されても、「アンダーセン」とか「クリスチャンセン」といった北欧風の苗字だと、一般人は白人かと思ってしまうだろう。養子のアラブ人やアフリカ人がいるから、その可能性は否定できないのだ。

  日本でも同様の懸念がある。移民の帰化が大量に進む日本では、アジア系帰化人やその混血児が犯罪を起こしても、容疑者は「日本人」と報道されてしまう。朝日新聞やNHKは、在日朝鮮人が犯罪者だと、「通名(偽名)」を用いて素性を隠してあげる、といった特別報道をしてきた。それに、もし彼らが帰化してしまえば、「日本人」犯罪者である。

父親が支那人で母親が朝鮮人という混血児だって、帰化人の子供なら疑いなく「日本人」となってしまう。しかし、こうした生まれ育ちが日本の“アジア”系国民が、アメリカに渡って学校や百貨店で銃を乱射すれば、「日本人」の大量殺人鬼と報道されてしまうのだ。「李」とか「金」、「朴」といった氏族名をもつ親が、帰化の際、日本風に「鈴木」とか「田中」に改名すれば、子供は生まれた時から日本人の氏名を与えられ、周囲の者でも日本人と思い込む。日本人でさえ素性が分からないのだから、外人記者は旅券に記された国籍と氏名を報道するだけだ。いずれ、歐洲でも日本人の評判はガタ落ちとなるだろう。

今まで日本人旅行者は、日本のパスポートを持っていれば、入国審査が楽だったが、これからはそれも難しくなるだろう。イラク人やフィリピン人、マレー人も日本国籍を取得して、「日本人」として外国に渡るから、現地で犯罪を起こす「日本人」が増えるだろう。これからはどんどん、日本国旅券が犯罪の小道具に使われるというわけだ。

有色人種の波に飲み込まれた西欧社会

  ブリテンとフランスは、もはや白人国家とは言い難い。片田舎ではまだ白人が多数派かも知れないが、大都市圏では、アフリカやアジアからの移民が至る所に溢れている。彼らはまるで、故郷にいるかのようにくつろいで暮らしているのだ。基本的に移民や難民というのは、財産や教養を持たない下層民であるから、当然すさんだ家庭が多い。しかも、ブリテン人やフランス人と肉体的に違うから、何時まで経ってもよそ者扱い。移民の悪ガキどもは、学問に励んで国家に尽くすとか、マナーを身につけて紳士になる、なんて意識は千年経っても芽生えない。こんな連中が徒党を組んで街を闊歩すれば、自ずとやることは決まっている。

道路の清掃活動じゃないぞ。道端を歩く女に声を掛けたり、絡んだりしてまとわりつくのだ。フランスのパリから少し離れた處に「フォントネー・スー・ボア(Fontenay-sous-Bois)という街がある。そこへ「ニーナ」という7歳の少女が、両親の離婚がもとで引っ越してきた。それから月日が流れ彼女は16歳。母と弟の母子家庭で育ったニーナは、思いもよらぬ悲劇に見舞われることとなった。

  ある日の夕方である。ニーナは映画を見に行き、映画館から自宅に帰る途中、数名の不良少年に出くわした。ニーナが遭遇した下郎は彼女より少し年上で、酒を飲みマリファナを吸う街のゴロツキだ。こういった連中は、いい女がいれば直ぐ声を掛ける。

彼らは道を歩くニーナに目をつけ、リーダー格の男がニーナに近づき、彼女の首に手を回してきた。こうなりゃ、誰だって嫌な予感がする。絡まれたニーナの周りには、ロクでなしどもが群がってきて、彼女が逃げられないように取り囲んでいた。馴れ馴れしいリーダー格の男は、ニーナに「沈む夕日が見てえなぁ」と言い寄り、彼女を近くの建物に連れて行こうとしたらしい。しかし、彼女はそれを断った。すると、リーダーの男は彼女の顔面を殴りつけた。

こうなれば、次にする事は明らかだ。ニーナはゴロツキどもの餌食となり、鬼畜のオモチャにされてしまう。彼女は膣や肛門にペニスをねじ込まれ、そのうえ彼らのペニスをしゃぶるよう命じられた。こいつらは本当に哺乳類なのか? もし、人間のクズにランクがあれば、こいつらは最低の階級になるだろう。

  悪夢のような輪姦の翌日、ニーナは再び不良どもに強姦されることとなった。彼女は他の不良どもが待ち受けるアパートメントに連れ込まれ、そこで殴られた挙げ句、彼らに凌辱されたのだ。その次の日も、ニーナは同じ生き地獄を味わう羽目に。不良どもの一人は、泣き叫ぶ彼女を捕まえ、その胸元にタバコの火を押しつけたという。

恐怖の強姦を耐えたニーナが帰宅すると、不審に思った母親は、「どうしたの ?」と尋ねたらしい。しかし、ニーナは真相を話すわけにも行かず、何事も無かったかのように沈黙を守った。それというのも、強姦魔は彼女に釘を刺していたのだ。もし、誰かに話せばアパートメントに放火し、弟や母親の命もないぞ、と脅していたのである。

驚くことに、ニーナは毎日のように強姦され、それが半年も続いたのだ。しかも、餌食となった少女はニーナだけではない。ステファニーという16歳の少女も輪姦されていたのだ。彼女は毎日のように複数の男どもに弄(もてあそ)ばれていたという。つまり、獣慾の塊と化したゴロツキは、強姦のローテイションを組んでいたのだ。(Ondine Millot, Ils etaient au moins vingt-cinq. Certains me tenaient,d'autres rigolaient, Liberation, 16 Sept. 2012)

  では、ニーナとステファニーを輪姦した不良とは、いかなる者たちか? フランスのマスコミは、犯人の素性を具体的に報道しないので、一般国民には見当がつかない。しかし、強姦集団の主犯格だけは分かっている。マハマドゥ・ドゥクーレ(Mahamadou Doucouré)というアフリカ人だ。しかし、逮捕された18名の容疑者が、フランス国籍を持つ者なのか否かは定かでない。ただ、アフリカや中東アジアからやって来た移民、ないし移民家庭の子供という可能性は高い。

彼らは裁判にかけられても、一向に反省の色を見せず、彼女を「淫売だ。誰だった知っているさ。あれは、お遊びだったんだ」と詫びる様子もなかったという。いずれにせよ、有色人のグスどもに10代の少女が毎日、汚いペニスで凌辱されたという事実は変わらない。有色移民を引き込んだ外人支援者は、幾人もの男に肌を汚された少女に何と言うのか?

彼女たちには「人権」以上の価値があるはずだ。しかし、「人権派」左翼が犯罪者の権利を擁護することはあっても、泣き崩れる被害者に謝罪することはない。これが「人権派」の正体である。彼らに対して何を言っても無駄だろう。それでも、これだけは述べたい。ニーナは処女だった。赤い血が通っている者には、これで充分だろう。

  フランスと同じく、多民族・多文化主義に冒されたブリテンでは、イギリス人の日常生活までもが脅かされている。それというのも、移民の家庭で生産された悪ガキどもが、街中に輩出されて悪事を働いているからである。 11歳になるイギリス人少女Aは、治安の悪い東部ロンドンに住んでいた。ある日、彼女はバスに乗ったところ、車内で10代のストリート・ギャングに出遭ってしまった。

そのギャングどもは彼女をセントラル・パークに連れ出し、セックスを強要した。そこで、ギャングの一人が彼女を掴み、彼女のズボンを下ろしたので、少女Aは必死で逃走を図ったという。しかし、すぐギャングどもに捕まってしまい、追い詰められた少女は、次に何が起こるのかが分かって観念した。

一人の少年ギャングが手始めのレイプを終えると、次のギャングが彼女を犯したという。たった11歳の少女を捕まえて輪姦するとは、このガキどもは一体どういう家庭で育ったのか? 親の顔が見てみたい。卑劣な輪姦が終わると、この不良どもは怯える少女に、誰にも話すなと脅しをかけた。

  一週間後、被害者の少女はギャングのリーダーから呼び出しを受け、ロンドン東部にある彼の自宅へと向かった。ところが、その家では6人ないし8人のギャングが待機していたのだ。家に到着した少女は再び恐怖に襲われることになった。まだ幼い子供だから抵抗できなかったのだろう。彼女はリーダー格のギャングに、「もし、これをしたら、家に帰してくれるの ?」と尋ねたらしい。ベッドには少年達が待ち構えており、獲物を楽しみにしていた。彼女が「嫌だ」とごねると、リーダーは「お前は、そうすることになってんだよ」と冷たく言い放ったという。

のちに、ギャングどもは彼女を公園に連れ出し、絶対に強姦の件を話さぬよう警告として彼女を殴りつけた。こうした暴行は、数週間経っても頻繁に行われたという。ところが、卑劣な輪姦は少女の周囲に漏れ始め、他の少女達は被害者のAを「淫売」呼ばわりするようになったのだ。(Leon Watson, Judge reveals name of 13-year-old ringleader of street gang who raped girl, 11, in McDonald's toilet, Daily Mail, 4May 2012)

  数ヶ月が過ぎた頃、またもや悲劇が起きてしまった。彼女はロンドンにあるマクドナルドで、15歳の少年に目をつけられ、トイレに向かうところを尾行されたのである。彼女が便所に入ろうとすると、3人の少年が彼女を襲いレイプを楽しんだ。その後しばらくの間、犯された少女は口を閉ざしていたが、次第に沈黙を破るようになり、従兄弟に付き添われて警察署に被害届を提出したという。

ついに、強姦少年らはお縄になった。そこで、警察は彼らの一人が持っていたラップトップ・ハソコンを調べた。すると、ハード・ディスクにポルノ写真が見つかり、それが母親の所有していたものであることが判明した。ギャングを育てた母親は、1人の少女を8人の男が輪姦するという映像を購入していたのだ。何てことはない、こうした卑猥な画像を見つけたバカ息子が、現実の世界で少女を捕まえ、強姦ポルノを実践していたのだ。2010年、残りの少年ギャングは全員捕まったという。

マクドナルドで強姦したギャングのリーダーで、13歳の少年は、イブラヒム・グィワ(Ibraheem Giwa)という名前であった。出身が北アフリカなのか、それとも中東アジアなのかは不明だが、アングロ・サクソン系の子供じゃないだろう。しかし、血筋は非ヨーロッパ系でも、イングランド生まれで、ロンドン育ちとなっていれば、悔しいけど「ブリテン国民」と見なされる。被害者と同じ国籍を持つ者として扱われるんだから腹が立つ。こんな非イギリス系ギャングでも、顔写真と名前が世間に公表されないのだから、ブリテン社会は病んでいる。

  ブリテン島がローマ人に征服された時、高度文明の恩恵にあずかったというから、異邦人の支配は一概に悪かったとは言えないだろう。ギルバート・K・チェスタトンによれば、イングランドの歴史はローマ人に征服されことで始まった、と言えるそうだ。ユリウス・カエサルによるブリタニア遠征は、原住民に僥倖(ぎょうこう)だったのかも知れない。しかし、アフリカやアジアからのムスリム征服者は、イングランド王国とその住民にとって疫病神だった。

北方種族のイギリス人は、アジア人やアフリカ人が居住地域に群がり始めると、示し合わせたかのように次々と逃げてしまう。特に、高額所得者は有色移民と暮らすことが嫌いだ。左翼に占領れたブリテン政府が、移民の流入を許してきたから仕方ないが、イングランドにはゲットーのような場所が多い。ブラッドオードやオーダムのように、醜悪な形相のアジア人が、ある特定地域に密集していることがよくある。イングランド北西部に位置するランカシャイアーに、ブラックプール(blackpool)という都市があるが、数年前そこである事件が起きた。


(左: シャーリー・ダウンズ / 右: ケバブ料理)

  2003年、14歳になるシャーリンー・ダウンズ(Charlene Downes)という少女が行方不明になった。警察は彼女が殺された可能性があると見て、捜査i浮かんできた二人の中東アジア人を容疑者として逮捕。容疑を掛けられたのは、イヤド・アルバティキ(Iyad Albattikhi)というヨルダン人移民とモハメッド・レベッシュ(Mohammed Reveshi)というイラン人の大家で、彼らはゲバフ料理店の共同経営者であった。(「ケバブ」というのは中東アジアで人気の料理らしい。ちようど牛肉の串焼といった感じ。)

英国では中東アジア人によって誘惑を受け、性的暴行の被害者になる少女が問題となっている。この容疑者らもイギリス人少女に甘い言葉を掛けたり、酒や煙草、大麻などを提供して手なずけていたらしい。彼らは頃合いを見計らって、こうした罠に引っかかった少女を強姦したり、他の男に斡旋して料金を取ったりするという。つまり、少女売春を裏稼業とするアジア人というわけだ。

階級社会の英国には、躾の悪い家庭の少女が実に多い。まだ10代なのに、矢鱈とませている“ふしだらな”少女たちは、見知らぬ男には気をつけろ、という誡めを受けていない。どんな危険があるやも知れぬのに、いかがわしい繁華街をぶらつき、優しい声をかけてくれるアジア人にすぐ附いて行ってしまう。本当に呆れてしまうが、貞操観念が消失した社会では、起こるべくして起こった現象である。これは、文化破壊型のマルクス主義が元兇なのかも知れない。元外務大臣のジャック・ストロー(Jack Straw)によれば、彼女たちはアジア人の間で、“ちょろい肉(easy meat)”と呼ばれているそうだ。特に処女の白い肉は、有色移民の間で“上等”のランクとなっている。


(左: イヤド・アルバティキ / 右: モハメッド・レベシ)

  殺人事件では遺体発見が重要な手掛かりとなる。もし、シャーリーンが殺されたのなら、その死体が事件解決の鍵となるのだが、肝心の遺体が見つからないのだ。シャーリンが失踪してからも、ブラックプールでは60人以上の少女が、アジア人の魔の手に落ちたという。裁判で無罪になったアルバティキとレベッシュは、ゲバフ料理のテイクアウト店を続けたが、店の名前を「ファニー・ボーイズ(Funny Boyz)」から「ミスター・ビーンズ(Mr Beanz)」へと変えたそうだ。

シャーリーンの行方は依然として不明だが、その「ミスター・ビーンズ」で働く従業員が興味深い話をしていた。彼は冗談半分に、「シャーリーンの遺体は店内にあるミンチ・マシーンにかけられたんじゃないか。たぶん挽肉にされた肉は、ケバブの材料になったのさ」と述べていた。(James Tozer, Police hid abuse of 60girls by Asiantakeway workers linked to murder of 14-year-old , Daily Mail, 7 April 2011) アルバティキとレベッシュが証拠湮滅のために、彼女の遺体を挽肉にして客に喰わせたということなのか? 確固たる証拠は無いが、その可能性は充分にある。

牛の肉でも人間の肉でも、焼き肉店なら解体はお手の物。人体を切断する道具は容易に手に入る。鉈(なた)のような刃物で、遺体を切断してもいいし、捨て肉と一緒に処分したって誰にも分からない。ただ、諦めながらも、娘の生存を願っているシャーリーンの母親が不憫である。

マフィアの天下になっている中南米

  アメリカ合衆国は子供にとって危険な国である。怪しいアフリカ人やアラブ人が群がったり、犯罪者と区別がつかぬ南米人がうろつく社会は、子供を持つ親にとってもはや安全な場所ではないのだ。特に、ヒスパニック系移民が大量に流入してくるカルフォルニアとかニュー・メキシコ、アリゾナ、テキサス州などでは、白人中流家庭の生活が危機に瀕している。何しろ素性も家系も分からぬメキシコ人が、合法・非合法問わずに雪崩れ込み、我が物顔で市民権(国籍)を要求しているのだ。これじゃあ、南米人によるレコンキスタ(国土回復運動)じゃないか。

そもそも、アメリカ人ならメキシコという国がどんな土地柄なのか判っているはずだ。身分や所得による格差が激しく、支配者は庶民の生活なんか気にしていない。司法や行政が中心から腐っており、警察官や軍人だって瀆職にまみれ。そんな国からやって来る移民が、まともな人間と考える方がどうかしている。アメリカ人の基準からすれば、隣国は正義や公正が無い所と思えてしまうが、悲しいかな、これが現実のメキシコなのだ。

  貧乏人がひしめく中南米では麻薬カルテルが大繁盛。麻薬が最大の輸出品となっている後進国では、警察をも恐れぬ無法者たちが騎虎(きこ)の勢い。2011年、メキシコ北部にあるアセンションという町で、警察署員20名が全員辞職するという珍事が起きた。すなわち、1万3千人が住む町には、警察官がいないという事態になった。それというのも、この騒動は警察官の殺害に原因があった。

警官をモノともせぬギャングは、着任早々のマヌエル・マルチネス署長と2名の警官を拉致して殺してしまったのだ。この惨劇が起きた時の署員は、新任の者が多かったという。何故かと言えば、以前の警察署員は麻薬カルテルと癒着していたから、これを知った住民は激怒した。その後、民衆の怒りを買った瀆職警官はすべて更迭されてしまった。そこで、新しい警官が空になった警察署に派遣されてきたというわけだ。

Mexican Gangs 1(左/歩道橋から逆さ吊りにされた遺体)

  新任のマルチネス署長は、町に蔓延(はびこ)る犯罪を一掃しようとして、繁華街に防犯カメラを設置し、警察官が署に居ながら町の様子を監視できるようにした。それでも町から犯罪は無くならず、皮肉なことに、署長の方が一足先に、この世から消えることになった。メキシコではギャング同士の抗争が絶えず、兇暴さで悪名高いゼタ(Zeta)というカルテルは、以前、同盟関係にあったガルフ(Gulf)カルテルと反目状態。一旦、殺し合いが始まれば、殺戮の嵐は誰にも止められない。

モンテレイという町では、目を覆いたくなるようなギャングの抗争が起きた。歩道橋から二つの死体がぶら下がっていたのだ。遺体の足首にロープが結びつけられ、歩道橋から放り投げられたという。目撃者によると、逆さ吊りにされた二人は、その時まだ生きていて、吊されたところを始末人のギャングに撃たれたそうだ。つまり、見せしめのリンチ劇である。

  ギャングどもの抗争はエスカレートするばかり。ガルフ・カルテルはライバルのゼタ・カルテルのギャング5名を捕らえ、公開処刑を行ってしまった。覆面をしたガルフ・カルテルの処刑人は、捕獲した5名を跪(ひざまづ)かせ、手に持っていたマシェト(長いナタ)で彼らの首を刎(は)ねたのだ。しかも、これをガルフ・カルテルはインターネットに流して、ライバル・ギャングどもに思い知らせたのである。

女性なら「ぎゃ〜 !!」と悲鳴を上げそうなシーンだが、メキシコのギャングにとったら愉快なホーム・ビデオ程度。 (ライブドア社の検閲により、処刑の写真は掲載できません。) 処刑人は捕虜に「お前らを送ったのは誰だ? 」と尋ね、彼らは「Z-40だ」と答えた。すなわち、ゼタの首領を補佐する腹心ミゲル・エンゲル・モラレスだ、と白状したのである。とにかく、命乞いをするギャングどもの首を、次々と切断するシーンは「残酷」の一言に尽きる。(Rachel Quigley, Horrific video shows Mexican drug cartel decapitating five members of rival gang, Daily Mail, 29 June 2012)

  血で血を洗うような、このリンチには原因があった。6月に公開された処刑から遡ること、1月にゼタ・カルテルはガルフ・カルテルのメンバーを絞殺し、その様子を撮影した動画をインターネットに流していたのだ。加えて、5月にはガルフのメンバー49名の首を刎ね、その遺体を袋に詰めてハイウエイに投棄したのである。荒(すさ)んだ南米では、大手の麻薬カルテルから個人の麻薬密売人に至るまで、対立者や邪魔者への制裁が頻発し、殺害した死体を切り刻んで遺棄することが普通になっている。

メキシコだと麻薬ビジネスが国内最大のビジネスなんじゃないか、と思えるくらいコカインやヘロインが横行しているという。しかし、マフィアの根絶はほぼ不可能である。なんてったって、豊富な資金と軍隊から流れてくる武器を手にしたマフィアだから、田舎の警察官ではとうてい太刀打ちできない。場合によっては、軍隊の出動だってあり得るんだから、犯罪取締のスケールが違う。装甲車でも破壊できる機関銃や、ロケット砲まで装備したギャングがいるんだから、映画の世界かと勘違いしてしまう。

こんな兇暴なカルテルと比べれば、日本のヤクザなんか可愛いものだ。38口径のリボルバー拳銃など、オモチャの鉄砲と変わらない。それに、狙撃訓練を受けていない素人が、適当に撃ち合っているんだから子供の喧嘩だ。しかし、問題なのは、そうした国からの不法移民が増えていることだ。血なまぐさい抗争で鍛えられた犯罪者や、悪人の巣窟で育った“ならず者(thug)”が入国してくるんだから、平穏に暮らしたいアメリカ白人はたまったもにじゃない。

密入国の常連が子供を轢き殺す

Juan Hernandez & Richard Morales(左: ホアン・ヘルナンデス / 右: リヒャルト・モラレス)

  いったいアメリカ合衆国には、どれくらい犯罪者が居るのか誰にも分からない。あたかも、寒天で培養した大腸菌を数えるような苦労になるだろう。兇悪犯罪を挙げればキリが無いが、女子供に対する犯罪は特にひどい。例えば、フロリダ州オランドで起こった少女への強姦事件だ。ホアン・ヘルナンデス・モンツァルボとリヒャルト・モラレス・マリンという南米人は、バス停にいた11歳の少女に狙いをつけた。彼らは少女にナイフを突きつけ、用意したクルマに押し込むと、数ブロック先の空き家に連れ込んだという。

卑劣なヒスパニックの野獣どもは、その空き家の中で、怯える少女を凌辱し、心ゆくまで強姦を楽しんだ。(2 Men Charged in Rape of 11-year-old girl,WJXT Jacksonville, February 13, 2009) 後に、この強姦魔は警察に逮捕されたが、ホアンにはユウストリア・オルテガという妻と子供がいたそうだ。少女を強姦したあと、家族団欒でくつろいだのか? まともな奴ではない事は確かだ。

  米国に潜り込むヒスパニック犯罪者は人間のグスだが、そうしたグスどもを輩出する国家も最低である。中でも、犯罪者を支援するメキシコは言語道断。例えば、アリゾナ州フェニックスに住むタニー・ナタヴィダット(Tanee Natavidad)という女子高生が、マックス・ラマドリッド(Max LaMadrid)なるメキシコ人に殺されてしまった。不法入国者のラマドリッドは、彼女を殺害した後、祖国メキシコへ戻ってしまったそうだ。

メキシコ政府はアメリカの司法で死刑になりそうな殺人犯を引き渡そうとしなかった。この腐りきった国は、アメリカ人を強姦したり殺害したりしても、自国民は復讐に燃える外国に送還しないと決めているのだ。したがって、メキシコは犯罪者の駆け込み寺(safe harbour)となっている。実際、アリゾナ州で殺人鬼や幼児の拉致犯などが、犯行後にメキシコへ逃亡するケースが幾つもあったそうだ。

Dana Pevia(左/ダーナ・ペヴィア)

  また、メキシコ政府は国内の犯罪捜査もいい加減であった。1999年にノース・カロライナで少女の拉致事件が起きた。当時11歳のダーナ・ペヴィア(Dana Pevia)がバス停で待っていたところ、ヘクター・フロウスト(Hector Frausto)というメキシコ人の土方(どかた)が彼女を攫ってしまった。ダーナはメキシコにあるヘクターの自宅に監禁され、約4年間も拘束されたという。監禁場所の近くに住む隣人はダーナに同情したのか、彼女が逃亡するを助けてくれた。

ヘクターの家から辛うじて脱出できたダーナは、メキシコにあるアメリカ領事館に駆け込んで無事保護されたそうだ。メキシコ政府はアメリカ側から、拉致犯の捜索要請を受けても真剣に調べなかったのだろう。腐敗しきった国では、自国民さえ蔑ろにされているのだ。ましてや外国人など、どうなってもいい存在である。米国では、メキシコの犯罪者が「人権」とやらで法廷や刑務所で鄭重な扱いを受けるのに、メキシコだと善良なアメリカ国民は野良犬以下の扱いになるのだ。

  これは日本人にも分かるだろう。不法移民の支那人は犯罪者になっても、日本だと立派な警察官に逮捕され、公正な判事に裁かれる。有罪になれば、親切な刑務官に保護されながら、楽園のような刑務所でくつろぐ。お風呂に入れて、テレビだって観ることができる。娯楽の乏しい支那とは大違い。カロリー控えめの健康食に、お医者さんまで附いているなんて信じられない。支那では普段の生活でエイズに罹るし、薬は偽物、野菜は農薬まみれで、空気は汚染されて呼吸も困難。日本の刑務所ではきれいな水が飲める。

支那では七色に光った水が普通。お正月には特別メニューときているから、日本人の「おもてなし」は素晴らしい。しかも、慰問の歌手がやって来てコンサート。もかもタダ。あろうことか、職業訓練も無料(ダダ)で受け.られる。支那では文盲が大勢いるから、日本の刑務所は高等教育機関である。これじゃあ、支那に帰りたくないわけだ。一方、支那で濡れ衣を着せられ逮捕される日本人は、ヤクザのような警官に拘束され、金で動く裁判所にかけられる。懲役刑となれば、悪臭漂うケダモノが群がる刑務所へ投げ込まれ、死刑判決となったら、超特急であの世行き。日本人の命は蠅の羽よりも軽いのだ。

  金銭至上主義の財界人は、合法でも不法でも移民が大好き。低賃金でこき使える外人は、自国民のように文句を言わないし、気軽に使い捨てができる、という利点があるからだ。しかし、後進国や劣等国からの外人は、米国に来たからといってマナーを守るとは限らない。いや、マナー無視も甚だしい、極悪非道な行為を平気でやってのける。一般人は不法移民の報道を聞いたって、他人事としか思わないだろう。

しかし、脳天気な一般国民は、身近に“とんでもない”外人が“うようよ”いることに気づかないのだ。例えば、不法移民が酔っ払い運転や無謀運転をしたらどうなるのか、想像してみればいいい。走る兇器を運転する連中は、事故を起こして他人を傷つけてしまうかも、という心配はしないのだ。対人傷害保険をかけてクルマを運転する不法移民がいると思う奴は、メキシコ湾で手首を切って泳いでみろ。合法移民だって自動車保険に加入している者なんかごく僅かなのに、ドブ鼠のように入ってきた密入国者が保険料を払うわけがない。

Tricia TaylorJose Carcamo(左: 車椅子のトリシア・テイラー / 右: ホセ・カルカモ)
  一般人はある日突然、移民によって家族が交通事故に遭ったり、自分が事故に巻き込まれて身体障碍者になることを危惧していない。デトロイトに住む18歳のトリシア・テイラー(Tricia Taylor)は、不法移民のホセ・カルカモ(Jose Carcamo)のせいで、両脚を失い車椅子の生活をする羽目になった。ホセは街中で自動車レースを楽しんでいたが、カーブを曲がりきれずそのまま壁に激突してしまったそうだ。

しかし、運が悪かったのはトリシアと彼女の友人ノア・メナードだ。事故に巻き込まれたノアは、頭蓋骨と鎖骨をひどく損傷し、メチャメチャにされた肘にはピンが埋め込まれていた。事故当時、飲酒もしていたというホセが、受けた刑期は3から5年であったから、被害者の怒りは納まらない。エル・サルヴァドルからの不法入国者によって、突然両脚を奪われたトリシアは、一生みじめな生活を送ることになったのだ。ホセは獄中でトリシアとノアに宛てた謝罪の手紙を書いたそうだが、送られてきた手紙には、綴を間違えた被害者の名前が記されていた。こんな低能外人に人生を台無しにされたとは、何とも言えない悔しさが残る。

  子供の死は親にとって最大の苦痛である。自らの心臓を抉られる思いだ。自動車の無謀運転を何ら気にしない文化で育った南米移民は、事故を起こすことの恐怖や、その巻き添えになるかも知れない無辜(むこ)の民について考えない。「考えない」というより、考える「機会」も無ければ、その「必要性」すら頭に思い浮かばないのである。つまり、人命が虫けらのように軽い国から来た移民には、文明国での人間に関する価値、つまり国家を構成する貴重な公民の権利というものを全く理解できないのだ。

ヒスパニック移民は、酒を飲みたいから飲むし、酔っ払っていても運転したいから、クルマを転がすのである。ただそけだけ。事故を予測するというのは、彼らにとって高度な思考になる。教育水準の低い国で育った者には、文明国の常識は通用しない。そうした愚劣な外人に子供を奪われた親は、どうやって悲劇を受け容れたらいいのか、分からないだろう。移民や難民を入れた責任者は、問題が大きくなっている頃には、死んでいるか引退している場合が多いから、実質的に移民政策の責任者は存在しないのだ。

Amber Merkle's Mom(左/娘アンバーの写真を掲げる母親のルビー)

  子供の事故を語るのは気が重いけど、いくつか紹介したい。アラバマ州に住んでいたアンバー・メルケル(Amber Merkle)は、まだ8歳の少女で当時は小学校3年生。ある土曜の午後、彼女は叔母と従兄弟と一緒にアイスクリーム屋に行ったそうだ。その帰りに事件は起きた。アンバーが乗っていたSUV車に、酔っ払いのアルトゥロ・ルピアン(Arturo Lupian)が運転する車が突っ込んだ。ルピアンの車は急停止をかけた痕跡が無い。瀕死の重傷を負ったアンバーは、病院に搬送されたが数時間後に息を引き取ってしまった。メキシコからの不法移民であるルピアンには、最高でも20年の刑期しか課せられず、数年つとめた後仮釈放になる可能性が高い。

悲嘆に暮れるアンバーの母親ルビーは、意外なことにルピアンをメキシコに戻すことに反対していた。なぜなら、この殺人犯がメキシコに帰れば、名前を変えて再びアメリカに入ってくる事が予想できたからである。メキシコでは偽造書類を簡単に入手できるので、米国で拘束され強制送還になった不法移民が、再度アメリカに潜り込む、といったケースが絶えないのだ。

  子供の犠牲者は本当に多いので、辛いけどもう一件紹介したい。当時6歳だったアニー・カンプストン(Annie Cumpston)は、家族でサーカスを見に行った帰りに、バルティモアの繁華街でひき逃げに遭った。不法移民のグィエルモ・ディアス(Guillermo Diaz)が運転していたトラックが、交差点に滑り込みアニーをはねて、そのまま逃走したのである。事件を目撃したライアン・ジョーンは、ディアスの逃亡を防ぐため、トラックのドアにしがみつき、しばらく引きずられたという。その後、ディアスは警察に捕まり、彼のトラックは登録が為されてないことが分かった。しかも、ディアスは犯行当時、酒を飲んで運転していたという。不法入国者だから仕方ないが、ディアスは運転免許証もない状態だった。

一方、ひき逃げに遭ったアニーは、直ちに病院へ搬送されたが、数時間後に息絶えたという。裁判にかけられたディアスは、懲役10年の判決を受けたが、2年で仮釈放になるかも知れないということであった。

アニーの両親にしたら、こんな下郎のために娘が死んだと思えば、自らの手で殺したくなる。アニーの死を悼む両親は、美しい庭園に娘の彫像を作った。その側に坐る妹マデリンの姿は、見る者の涙を誘う。まだ幼いマデリンには、姉のアニーが轢き殺された事実が理解できない。綺麗な彫像を見て微笑むマデリンの顔は、無邪気で純粋なだけに、他人が見ても胸が締めつけられる。

Annie Cumpston 1Annie & Madeline Cumpston 3 (左: アニー・カンプストン / 右: 妹のマデリンと一緒のアニー)

命が危ない警察官

  南米移民や不法入国者は、法秩序の番人さえも容赦はしない。カルフォルニア州ロサンジェルスでジェリフを務めるデイヴィッド・マーチ(David March)は、通常の任務として不審なクルマを路肩に止めたという。彼は職務質問をしようとして、運転席に坐っていたアーマンド・ガルシア(Armando Garcia)に近づいたところ、いきなり拳銃で頭を撃たれてしまった。

警察官の頭部を目がけて2発撃ったガルシアは、そのまま走り去り、メキシコに逃亡したという。このガルシアはかなりのワルで、兇暴な麻薬密売人であった。驚くのは、それだけではない。ガルシアは過去に、2回も強制送還されていたのだ。こんな悪党が再入国できるアメリカの国境警備は穴だらけ。もっとも、人権派団体の妨害により、不法入国者への罰則が甘くなっているから、不法移民は追放されても再度入国しようと考えてしまうのだ。合衆国政府はガルシアの引き渡しをメキシコ政府に要求したそうだが、その後どうなったのか報道がなされていないので分からない。

Robert Sitek 1Kenneth Collings(左: ロバート・シテック / 右: ケネス・コリングス)

  メキシコに近いアリゾナ州には、不法移民がごまんといる。したがって、兇悪な移民による殺人事件も多い。フェニック署の警察官ロバート・シテック(Robert Sitek)は、同僚のデイヴィッド・スウィングと一緒にパトロールをしていて、交通違反のトラックを見つけたから停車させたという。すると、運転手のフランシスコ・ギャラード(Francisco Gallardo)は、近づいてきたシテックを拳銃で撃った。そこですかさず、相棒のスウィングがギャラードを射殺。

後に、ギャラードはメキシコ人で、暴行事件を起こして7年の懲役刑を受けたことが判明した。この前科者に撃たれたシティクは、傷口から血が流れて止まらない。瀕死の重傷を負ったシティックだが、幸いにも病院で緊急処置を受けたことで一命を取り留めたという。だが、撃たれた警官がいつも助かるとは限らない。熱血警官のケネス・コリングス(Kenneth Collings)は、銀行強盗を犯したイシュマエル・コンデ(Ismeale Conde)とルディー・ロメロ(Rudy Romero)を逮捕する時に撃たれてしまった。コンデは即座に逮捕されたが、ロメロの方はメキシコに逃亡したという。しかし、間もなくロメロはメキシコ南部で拘束され、米国に送還されたそうだ。この不法移民は98年の懲役刑を受けたが、コリングスは還らぬ人となってしまった。


(左: ウィル・セイウス / 右: 法廷のカルロス・マレス)

  カルフォルニア州のオークランドで勤務していたウィル・セイウス(Will Seius)巡査は、バイクで帰宅途中にハイウェイでトラックに撥(は)ねられ死亡した。ひき逃げをしたのは、不法移民のカルロス・マレス(Carlos Mares)というヒスパニックの不法移民。仕事熱心だったセイウス巡査は、多くの友人に惜しまれ、妻のミッシェル夫人と娘二人を残して他界してしまった。

逮捕されたマレスは、過去に交通違反を何度も繰り返していたらしい。しかし、不思議なことに、不法移民であるはずのマレスは、自分の運送会社を持っていたのだ。「えっ !」と驚く人はアメリカを分かっていない。不法移民は偽造書類を購入して、堂々と「アメリカ国民」になることができる。信じられないことだが、不法移民を許容するアメリカでは、怪しい人物でも簡単に就職できるし、会社すら興すことができるのだ。さらに、有権者登録だってしてしまう図太い神経の持ち主もいるから、まったくもって開いた口が塞がらない。

オバマはこうした不法移民の票も獲得して当選したのである。(アメリカ人でも頭の良い奴は分かっているが、米国の民衆政治はアフリカ並。投票じたいに不正があるのだ。ついでに言えば、立候補者の名前を「記入」して投票する日本人有権者の水準はすごい。米国だと立候補者の名前の所に「穴」を開ける方式をとっている州を見ればわかる。つまり、名前の綴りを書くことができない者も投票しているからだ。)

Tony Zappetella 3Jamie Zeppetella & Jakob(左: トニー・ザペッテラ/右: ジェイミー夫人と息子のジェイコブ)

  不法移民は見境無く犯行を重ねるから厄介だ。新人警官のトニー・ザペッテラ(Tony Zappetella)は、アドリアン・ジョージ・カマチョ(Adrian George Camacho)という不法移民によって射殺されてしまった。海軍を除隊後、警察官となったトニーには、妻のジェイミーと6ヶ月の赤ん坊ジェイコブがいたのだ。一方、トニーの体に3発もの銃弾をぶち込んだカマチョには、麻薬密輸や銃器密売、暴力事件の“華々しい”前科がある。しかも、この殺人鬼は数回も強制送還にあっていたのだ。

こんな兇悪犯が、アメリカの国境を何度も行き来きしていたとは、呆れて物が言えない。移民規制を強化していたらザペッテラ巡査の命は助かっただろうし、彼の家族が哀しむこともなかったであろう。父を知らずに成長した息子のジェイコブを見ると、移民追放に反対するリベラルどもが憎くなる。南米移民が入りづらいアメリカ社会なら、トニーばかりではなく、多くのアメリカ人が死なずにすんだはず。不法移民の「人権」とやらを守るために、いったい何万、いや何千万のアメリカ人が死んだことか。

  移民・難民や有色住民について述べたら、具体例が多すぎて際限が無くなるので、この辺で止めておく。最近でも、一般人は難民の悲惨な姿を見れば、「可哀想だから入れてあげればいいじゃん」と簡単に考えてしまう。しかし、氏素性も分からぬ難民を歓迎できるのか? どんな育ち方をして、如何なる遺伝子を持っているのか、皆目見当がつかないのに入国を許していいのか?

一般人はこれがどれほど危険を孕んでいるのか理解していない。難民には経済的動機から押し寄せる者が多く、恥も外聞も無い貧民は、避難場所をじっくり選んで、外人に対し甘い国を目指す。シリアからドイツにまでやって来る難民なんて、ちょっと考えればおかしいと分かるだろう。また、南米から米国に渡ってくる移民など、ロクな奴がいないし、捨てても惜しくない祖国で育った連中が、アメリカ社会にどんな貢献をするというのか? マスコミはたった一人か二人の成功した難民や移民を取り上げて、彼らのサクセス・ストーリーを絶賛するが、その背後にいる何万人もの犯罪者には言及しない。

苦労して大学を卒業したシリア難民や、ビジネスを興して金持ちになったメキシコ移民がいたとしても、数千名の外人犯罪者によって殺された被害者は、あの世で喜んでいるのか? 左巻きのテレビ局は、努力して医者や弁護士になった難民や移民を取り上げるが、無惨に殺された被害者を一人一人特集して、プライム・タイムに放送することは絶対しないだろう。 もし、本気で特番を作ったら、1日の番組で100名以上となり、365日の連続放送になってしまうだろう。

  移民や難民を排斥する者を「右翼」とか「ネオ・ナチ」とマスコミは批判するが、異邦人を支援するテレビ局や新聞社は、自らのお金で彼らを養ったことがあるのか? 難民受け入れを執拗なまでに主張するNHKやTBSは、社員の厚生年金や退職金を大幅に削って、移民や難民への支援に充ててみたらいいだろう。高給取りの社員なら、1千万ないし2千万くらい出せるんじゃないか。日本の庶民は難民に対して断固たる態度を取るべきだ。難民条約などすぐさま破棄して、外国からの侵略者を撃退できるよう法律を作る必要がある。

左翼の憲法学者や人権派弁護士は、「世界人権宣言」という猛毒を「栄養剤」か「ロイヤル・ゼリー」と称して国民に呑ませている。彼らは日本を内部から破壊する事が目的なので、日本人の遺伝子や伝統的精神を持たない外人を大量に輸入したいのだ。移民や難民の支援者は、国家破壊を「人道主義」や「国際化」の標語で達成しようとしている。まるで、砒素を(ひそ)を詰めたカプセルを、「カゼ薬」と称して飲ませるようなものだ。ヤクザだってヘロイン注射を栄養剤だと言って騙すじゃないか。日本国民は祖国を守りたいなら、難民船が日本の領海に入った時、即座に攻撃できるように法律を制定すべきである。難民にとって、先進国は夢の国。だからみんなが群がる。

それなら、彼らに我が国は屠殺場である、と認識させねばならない。一時的な感傷は有害だ。難民への攻撃を外国が非難するなら、その国に対して「じゃあ、お前の国で引き取れよ」と言ってやればいい。難民を望まぬ国民に移民を押しつける支援者は、いったいどんな権能で我々に強制しているのか? 彼らがまず自分の貯金を全額使って、難民の面倒を見るべきだ。そうすれば、難民支援者の中から、「もうたくさんだ。これ以上は嫌だ。難民は帰れ !」という悲鳴が上がるかもよ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html  


「白人少女1400人性的虐待」 異様な犯罪を常態化させた英移民社会の闇 2014.12.26
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/141226/wor14122620000001-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link
【世界衝撃事件】

 【ロンドン=内藤泰朗】英国で組織的な子供の性的虐待が、想像以上に深刻な問題となっていることが明らかになりつつある。英中部のロザラムで、1400人以上もの子供が長期にわたり組織的な性的虐待をパキスタン系の男たちに受けていた衝撃の事件が今年8月に発覚。移民国家、英国の多文化社会が抱える暗部が浮き彫りになった。事件は氷山の一角に過ぎないとの見方が強まっている。

 前代未聞の規模

 前代未聞の事件が起きたロザラムは、英国中部の工業都市シェフィールドから約10キロほど離れた、サウスヨークシャー州にある人口約26万の中規模の街だ。この10年で移民などの流入で人口が倍増した。それ以外は英国のどこにでもある地方の静かな街だった。

 それが今年8月26日、地元自治体の委託を受けた社会福祉専門家のアレクシス・ジェイ氏がまとめた調査報告書を公表すると、状況は一変した。

 報告書は、1997〜2013年までの16年間に、1400人以上の子供たちが性的虐待を受けていたとする内容だ。少女たちを狙った集団強姦や誘拐、人身売買などが行われていたことを明らかにした。

報告書の執筆者、ジェイ氏は「ロザラムで実際にどれほどの規模で子どもに対する性的搾取が行われていたのかは誰にも分からない」としつつ、「少なく見積もっても1400人の子供たちが搾取された」と言明。地元当局は虐待に関する報告があったのに対応を怠ったと非難した。

 恐怖とあきらめ

 報告書やその後の報道によると、パキスタン系の虐待者たちは性的な欲求を満たすため、さまざまな事情で家族と疎遠だったり、施設に入れられたりした主に白人の少女たちに接近。最初は贈り物を与え、安心させた後、酒や麻薬を与えて強姦、暴力を振って脅迫するというやり方で、少女たちを次々と支配下に置いていった。

 少女たちは、銃を突きつけられ、ガソリンをかけて火をつけると脅されたり、複数のアジア系の男たちに11歳の少女が暴力的に強姦されるのを見せられて「言うことを聞かなければ、お前も同じ目に合う」と脅迫されたりした。週に1度レイプされた子供や「逃げれば母親をレイプする」と脅された子供もいた。

 11歳のときから5、6年間にわたり性的な虐待を受けたサラさん(仮名)は、40〜50人の男たちから虐待を受けた。警察が通報を受け、虐待の現場に来たが、「私が裸でいるのに見ないふりをして出ていった。誰も言うことを聞いてはくれなかった」という。

恐怖はいつの間にか、あきらめに変わっていった。中には、拉致されてほかの都市に売り飛ばされ、組織的に少女売春を強要された子供たちもいた。

 「差別」と無責任

 なぜ、これほどの問題が長年にわたり表沙汰とならなかったのか−。

 2002〜06年にも3件の報告があった。だが、ロザラムのパキスタン系地方議員らが、問題を公にすれば人種差別をあおり、反移民など過激な政治勢力が台頭し地域社会の分裂を招くとして、問題の解決を妨げていたという。

 警察当局者は実際、人種差別だと批判されることを恐れていたと証言した。だが、それだけではなさそうだ。英メディアは、「地元当局が人種問題を避け、長年にわたり対応を怠ってきたことが問題を深刻化させた」と指摘する。

 報告書の公表を受け、地元議会の議長は辞任を表明した。だが、当局幹部らは前代未聞の事件が発覚しても処分を受けるどころか辞職の意思すらないことが判明し、世論は激怒。地元政府代表やサウスヨークシャー州警察トップはその後、世論の圧力で辞任を表明せざるを得なくなった。

 英メディアは、地元の当局幹部らの「無責任体質」「責任感の欠如」「不作為」が事件を根深いものにしたと批判している。

 性的虐待に遭った子供たちを対象にした24時間の電話ヘルプラインが設置されたのは、報告書の公表から3カ月半以上もたった12月中旬だった。当局の対応の遅さも、問題が常態化する遠因になった。


 ロザラムでは、白人の少女への虐待が問題となったが、パキスタン系が同じアジア系の少女たちに行う性的暴行は、表沙汰にはならず、泣き寝入りの場合がほとんどで、問題はより大きいとみられている。

 ロザラムから90キロほど離れたスキプトンという街のパキスタン系数百人が住む小さな地域で育ったルズワナ・バシールさんもその一人だった。

 隣人の性的虐待が始まったのは10歳のとき。恥ずかしくて誰にも言えなかったが、18歳でオックスフォード大学に入学し、家族から離れ生活するようになって転機が訪れた。

 優秀な成績で米国に留学、企業家となって10年後に帰省し、ほかの被害者と告発。虐待者の有罪判決を勝ち取ったが、小さな社会では疎んじられる存在となったのだ。

 しかし、バシールさんはこの経験を英紙に寄稿し、「恥の文化」を克服しないことには、犠牲者はなくならないと主張し、移民社会の変革を促した。

 英下院は今年11月、地域と地方行政委員会を開き、組織的な子供の性的虐待の問題について審議。

 「ロザラムの事件は例外的なものではなく、英国全土に広がっている問題だ」と結論づけ、未成年者の保護制度が「実態から乖離(かいり)している」として見直しを求める勧告を出した。

 しかし、少女たちが受けた心の傷を癒すことはできていない。

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70件の殺人の請け負った殺しのプロがヨーロッパへの移民集団の中に発見され逮捕される2017年10月26日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6950


久々にヨーロッパ移民問題に関連したニュースだが、AFPによると、オーストリアに密入国しようとしていた移民のグループ(もはやメディアも難民とは言わない)がハンガリーで拘束され、その中にインターポールから国際指名手配されていた「パキスタンの虐殺者」と呼ばれる35歳のパキスタン人男性が紛れ込んでいたため、ハンガリーの警察によって逮捕された。

オーストリア当局によればこの男性は70件の殺人を請け負った疑いのあるプロの殺し屋だという。目的のオーストリアに入った後、彼は一体何をするつもりだったのだろうか?

移民の中に一定のテロリストやその他有害な人物が紛れ込んでいることは今や周知の事実だが、「プロの殺し屋」という漫画のような響きに思わず笑ってしまった。しかし安易な移民政策を推進したヨーロッパでは、これが笑い事ではなく実際のニュースなのである。安倍首相にはこの辺りをしっかり考えて移民政策を実行してもらいたいものである。

•安倍首相がシリア難民150人受け入れを発表、日本の治安と文化は終焉へ

•大晦日に移民が集団でヨーロッパ人女性に性的暴行、ドイツ、スイス、フィンランドで

そして、この問題ある人物を引き受けたのはまたしても哀れなハンガリーである。ハンガリー人は最初から移民政策に反対していたが、それをドイツ人が押し切った。そもそもドイツ人は他国の声など聞いてはいなかった。

•移民を歓迎するドイツの本音と哀れなハンガリーの受難

ドイツはこの責任をどう取るのか。どうもしないのである。それがドイツ人だからである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6950


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2016年02月10日 こんな英国に誰がした !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68512502.html

責任者がいない移民政策

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左: ゲルマン系女性
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右: メルケル首相)

  かつて、夫婦(めおと)漫才師の人生幸朗(じんせい・こうろ)のギャグに、「責任者出てこい !」という“ぼやき”があった。移民政策を進めた者に責任を取らせたいが、当事者は既に引退しているか、あの世へ旅立ってしまった者がほとんど。綺麗事を口にした者は、手厚い議員年金で快適生活。ところが、失敗のツケは、いつも庶民に降りかかる。シャンパンの泡なら良いけれど、重税の請求書じゃたまらない。現在、ドイツはシリアのみならず、他の中東アジアやアフリカからの難民でごった返している。ケルン経済研究所の試算によると、今年度ドイツが負担する移民へのシェルター供給、福祉予算、社会的統合への費用は、220億ユーロと見込まれ、来年度は276億ユーロになるという。(Migrant crisis to cost Germany €50 billion by 2017, U.K. Telegraph, 2 February 2016) これならメルケル首相の株が急落するわけだ。

  移民が来れば治安が乱れ、犯罪が増えるであろう事は火を見るより明らかだ。第三世界から潜り込んできた有色人にとって、ヨーロッパの白人女性は格好のターゲットになる。彼らの祖国では白人娘の売春婦は高嶺の花で、大金持ちしか買うことが出来ない。アラブの石油成金なら、高級コールガールを手にできるが、貧乏な一般人には絶対無理。ところが、ヨーロッパに来ると、道端に無料の白人女が転がっている。失う物が何も無い移民や難民は、スケベ心をくすぐられ、ついつい現地の女性を強姦したくな.。どうせ、異教徒で異邦人の女だ。強姦魔の良心は痛まない。それに、被害者の家族から、「血の復讐」は無いから安心。かくて、西歐人女性はいつでも性的暴力の犠牲者になり得る。

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(左写真/アジア人性犯罪者)

  現実の世界では時折、あべこべの事態が起こるものだ。事件はデンマークで発生した。17歳になるデイン人の娘が、難民申請者センターの近くで強姦されそうになったらしい。英語を話す男が突然彼女を襲い、地面に押し倒し服を脱がせようとしたそうだ。そこで彼女は強姦魔に抵抗すべく、ペッパー・スプレーを取り出し、男の顔に目がけて吹き付けてやったという。反撃を喰らった男はその場から逃げ出し、未だに逮捕されていないそうだ。事件現場は難民センターがあるソンダーボルクであった。ただし、加害者が難民かどうかは定かではない。それよりも、問題は犯人ではなく、被害者にあったのだ。何と、強姦されそうになった女性が処罰されるという事態になったのである。デンマークでは、ペッパー・スプレーを使用することは違法で、これに違反すると500クローネ(約5,500円)の罰金が科せられるという。(Jennifer Newton, Danish 17-year-old girl who used a pepper spray to fight off a rapist near migrant asylum centre, Daily Mail, 27 January 2016)

  そんな馬鹿な、と言いたくなるが、頭が狂ったリベラル人権派が多数を占める西欧では、筋違いの論理がまかり通っている。左翼にとって大切なのは、被害者の白人より、加害者の有色人種なのだ。アジアやアフリカの有色人は弱者だから、強者のヨーロッパ人から守ってやらねば、と考えているのだろう。彼らの「社会正義」とは第三世界に根ざすものだから、帝国主義の前科を持つ西歐人には適用されぬものであ。日本も同じで、強姦された日本人女性よりも、「弱者」の在日朝鮮人や帰化支那人の方が大切にされているのはご存じの通り。普段は女性の権利を云々するマスコミは、彼らを徹底的に糾弾しないのだ。本名や顔写真を公開せず、ほんの1、2分の報道で済ませてしまう。しかも、たった1回の報道で終わり。三回も四回も繰り返さない。ましてや、特番なんか絶対ないだろう。

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(左: パキスタン人 / アラブ人 / アフリカ人 / 右: レバノン人)

  歐洲の女性は年齢を問わず危険にさらされている。強姦されるのは、何も若い女性とは限らない。「えっ !」と言葉に詰まる日本人は、まだまだ甘いぞ。世の中は広いんだ。蓼(たで)喰う虫も好き好き、と言うじゃないか。幼女が好きな変態もいれば、婆さんが好きな強姦魔がいても不思議じゃないだろう。アメリカでは80歳や90歳近い老婆が、南米からの不法移民に強姦されるという事件も起きている。人生の晩年に屈辱を受ける老人には同情を禁じ得ない。こうしたアメリカの強姦事件は酷いの一言だが、オーストリアで起きたレイプ事件も許せない。アフガニスタンからやって来て、難民申請を行ったワハブ(Wahab)・Mという18歳の少年が、72歳のドイツ人女性を強姦したそうだ。このアフガン人はたった20ヶ月の懲役と、€5,000の罰金を科せられただけである。オーストリアの法律では、最高で五年の懲役刑が下されるそうだから、本件はとても軽い処罰と言えよう。それというのも、加害者が未成年で初犯だったことが、裁判所の判決で考慮されたらしい。

  犯行現場はまたもや難民施設の近くであった。事件は昨年九月に発生し、当日は暑かったそうで、年金暮らしのクリスチーナ・Fというオバはんが、川の近くを歩いていたそうだ。川では二人の男が泳いでおり、そのうちの一人が土手に上がりたいので彼女に手助けを求め、親切なクリスチーナは手を貸したそうだ。すると、背後から一撃を喰らい、彼女は倒れてしまった。殴った男は彼女を引き摺り、片手で彼女の口を蔽うと、彼女の服を剝ぎ取ったという。小柄なクリスチーナは強姦魔をどうすることもできなかった。強姦されてあざを負ったまま、彼女は帰宅したという。彼女のあざを発見した友人のヴェスリーが、クリスチーナを問い詰め強姦の件を聞き出したらしい。

  一方、犯人の少年は強姦の後、こそ泥をはたらいて警察に捕まり、DNAを採取されるや、クリスチーナを強姦した犯人である、と判明したそうだ。普通の国民なら、こんな野郎は重罪で刑務所に送るか、処罰を加えて追放してしまえ、と思うだろう。しかし、このワハブはアフガニスタンに強制送還されないというのだ。またもや「人権」の尊重らしい。危ないアフガニスタンに追い返すのは可哀想なんだって。あ〜ぁ、ヨーロッパ人ってどこまで馬鹿なんだろう ? 日本人なら怒りが爆発するんじゃないか。もし、自分の母親が移民や難民に強姦されたら、犯人を半殺しにしたくなるだろう。撲殺したくなるのが正常な人間の反応である。難民だから許してあげる、なんて馬鹿はいないよね ?いや、いるかな ? もしかしたら、人権教育のせいで、いるかもね。いずれにせよ、難民を入国させなければ発生しなかった事件である。もし、アフガニスタンが危険なら、避難民はパキスタンやインド、ペルシアに移住すればいいじゃないか。何故ヨーロッパなんだ ? 要は、どうせ難民になるなら豊かな国が良い、ということだろう。計算ずくの難民申請なら拒絶すべきだ。今回の強姦事件で皮肉なのは、クリスチーナの娘であるシルヴィアが、難民申請者の為に働いていたことだ。(Austria won't deport Afgan asylum seeker who raped 72 yo woman, RT, 29 January 2016) 善意で難民を助けていたシルヴィアにとって、目が眩むような難民の仕打ちである。左翼教育を受けた馬鹿娘は、家族に起きた現実をしっかりと噛みしめるべし、と言いたい。強姦されて別人になってしまった母親の前で、彼女はどんな言葉を掛けるのか? たぶん涙が溢れて、何も言えないんじゃないか。

移民はプールを禁止

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(写真/狙われやすい西歐人女性)
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  ドイツでは「ネオ・ナチ」の台頭が顕著になっている、とマスコミは騒ぐが、これは兇暴な人間が出現したのではなく、移民・難民の弊害を自覚した一般人が目覚めたということだ。ドイツへの選択肢(Alternative for Deutschland/AfD)という政党が現れ、移民・難民に反対する国民の支持を集めている。2013に結成されたこの政党は、11.5パーセントの得票率があるらしい。日本のマスコミは「ペギーダ(Pegida)」でさえ「極右集団」として扱っているが、ドイツの悲惨な現状に敢えて目をつむっているだけだろう。ドイツの未来を心配する国民なら、ペギーダに賛成するのが普通だ。祖国が異邦人の侵掠に晒されているのだから、子孫のためにも立ち上がるのが当然だろう。歐米や日本のマスコミは、スキンヘッドで黒革のジャケットやアーミー・ブーツを履いた若者ばかり映すが、本来取材すべき対象は、移民を引きずり込む移民・難民支援団体と高級住宅地に住むテレビ局の重役やスポンサー企業の経営者であるはずだ。

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左: 犠牲者になり得る西歐人女性
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右: アジア系性犯罪者)

  アフガニスタンやシリア、チュニジア、エリトリアからの移民・難民による性的辱めや強姦が頻発しているのに、人権団体が移民・難民の排斥に賛成しないのはどう考えてもおかしい。ソマリアからの難民が10歳の白人少女を強姦したり、若い白人女性が街角でアフリカ黒人などから、下品でイヤらしい声を掛けられるのは日常茶飯事である。ドイツではペッパー・スプレーの売れ行きがうなぎ登りらしい。全国で600パーセントの売上げ増であるそうだ。(Sue Reid, The backlash: Neo-Nazis on the rampage, Daily Mail, 15 January 2016) KHセキリュティー社によると、毎日200缶のスプレーが売れるそうで、過去25年間で最高であるという。ドイツでは正月にケルンで組織的な集団強姦が発生し、移民に怯えたドイツ人女性が、急に購入し始めたことが原因らしい。ボディー・ガードを雇える富豪の娘ならともかく、平民の女性なら銃は無理でも、「ペッパー・スプレーくらいは持たなくちゃ」と思うだろう。

  移民・難民による被害は、婦女強姦だけではない。公共施設などでも被害が起こっている。ドイツのボルンハイムでは、水泳プールに通う11歳と13歳のドイツ人少女が、19歳のアフガン人によって触られるという事件が起きた。(Olver J.J. Lane, German Swiming Pool Lifts Migrant Bather Ban After Leftist Pressure, Just 24 Hours After Four Children Molested, Breitbart, 19 January 2016) 彼女たちの父親が知ったらナイフを持って怒鳴り込むだろう。今回は肌に触っただけだが、もし、子供が体育館の片隅で強姦されたらどうするのか? 日本国民は移民による性犯罪が増えることを考えていない。もし、自分の娘が強姦または輪姦されたら、日本人の父親だって、ご先祖様受け継いだ名刀を抜くはずだ。時代劇の破れ傘刀舟(とうしゅう)みたいに、「てめえたちゃ人間じゃねぇ、たたっ斬ってやる !」と激怒するに違いない。

  中東アジア移民による被害はまだある。ドレスデンのプールでは、移民による幼児への性的事件を受けて、移民の入館を禁止したという。ミュンヘンのプールでも同様の性的事件が起きており、14歳と17歳の少女が、移民の男により水着の上から体を揉まれたそうだ。どうも背後には、ギャングの集団がいるらしい。こうした性的事件が頻発しているのに、難民支援団体はプールの運営者へ政治的圧力を掛け、禁止の解除を要求したという。難民への偏見はいけないそうだ。ばぁ〜か。アホ。難民よりドイツ人の子供を守れ。難民の分際で何が水泳プールでエクスサイズだ。そんな奴らはさっさと出身国へ追放しろ。どうして左翼どもは、こうも同胞に対して冷酷なか? たぶん、自分の子供だけ安全ならば、他人の子供がどうなってもいいのだろう。

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左と中央: 西欧系の少女たち
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右: ムスリム移民の男性)

  だいたい左翼どもは自国民と難民を同等に見る癖がある。異国で生まれ育った難民は、受容国の習慣や思考を持っていないのだ。この当り前の事実を彼らは無視する。“哀れな”難民だから「大目に見ろよ」とでも言いたいのだろう。ちょっと気持ちの悪い出来事だが、実際に発生したので率直に述べてみたい。ザクセン地方にある水泳プールで、移民の男女グループが“とんでもない”行為をしでかし、それが監視カメラに録画されていた。彼らはジャクージの中でマスターベーションをしたり、子供用プールの中でウンコをして水を汚し、他の水泳客に性的嫌がらせを行っていたのだ。(Oliver J.J. Lane, Local Fled Pool After Migrants Masterbated Into Zacuzzi, Breitbart, 22 January 2016) 湯船で屁をするくらいなら許せるが、脱糞したら誰だった怒るだろう。プールでの小便さえ許せないのに、ウンコをするなんて常軌を逸している。たぶんドイツ人への嫌がらせを積極的に行う愉快犯なのだろう。


  こんな事をする外人は即刻国外追放にすべきだ。こんな連中を寛大に扱ったら、自国民が公共施設を使えなくなるだろう。つまり、ドイツ国民は移民や難民の有色人と一緒に泳ぐことを嫌がり、安く使えるはずの公共施設を回避し、ドイツ人がいなくなった施設を外人が堂々と使うという事態になる。税金で運営されたり、公的補助で経営されるプールなのにドイツ人が利用できず、福祉目当てにドイツに来た移民や難民が税金の恩恵に与るなんて言語道断である。日本人はドイツ人を横目で見て澄ましているが、支那人や朝鮮人の移民や帰化人が増えている日本でも同じ事が起きるに違いない。特に、支那人が公営プールに殺到したら、水の中で小便はもちろんのこと、痰を吐くし、鼻水鼻糞は垂れ流しである。また、想像するのも嫌だが、肛門にこびりついたウンコを水中で洗うだろうし、水虫だらけの足で入ってくるのを覚悟せねばならない。つまり、彼らは体の垢をプールで洗い流すということだ。まぁ、気にしない人はいいけど、女子高生の日本人少女は嫌がるだろうなぁ。支那人のマナー違反は想像を超えているから、彼らの所行を目撃したら悲鳴を上げてしまうだろう。泳いでいる最中に、プールの水を間違って飲み込んだら、胃袋の辺りが妙な感じになるかも。何か塩っぱいような味が楽しめるかも知れない。

変わり果てたロンドン

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(写真/移民で溢れるロンドン)

  移民・難民で大変なのはドイツばかりではなく、海を隔てたブリテンでも似たようなものである。トニー・ブレアやゴードン・ブラウンが首相だった労働党時代に、大量の移民・難民を受け容れてしまったことで、ブリテン社会は人種的に変貌してしまったのだ。この受容政策は、単なる失敗ではなく、意図的に仕組まれたものだった。労働党の左翼議員は、イングランドを「多民族共存社会」にすべく、積極的に移民の流入を認めたのである。イングランドの伝統と國體(こくたい)を憎む反英主義者どもは、外人を引き入れることで、保守的イギリス人を撲滅しようと謀ったのだ。この背後にはユダヤ人が絡んでいるが、説明すると長くなるので、別の機会に譲りたい。(「またかぁ」と溜息をつく人がいるかも知れないけど、日本のマスコミが報道しないのが悪いだけ。)

  最近、ベン・ジュダ(Ben Judah)という英国のユダヤ人がロンドンの状況を記した本を出版し、新聞でも取り上げられている。(Harriet Sargeant, How Labour turned London into a foreign city, Daily Mail, 23 January 2016) 彼はハイド・パークにキャンプを作って住みつくジプシーの乞食と寝泊まりしたり、金髪のカツラをつけたルーマニア人娼婦などを取材したそうだ。ジュダ氏によると、移民たちは密入国仲介者から、「ロンドンは第二のパラダイスで、誰でも金持ちになれるんだ」という話を聞いているそうだ。健康保険による医療をタダで受けることが出来るとか、無料で住宅が供給され、学校へもタダで通えるという内容らしい。こうした移民たちは、豊かで安全なブリテンで法外な福祉にあずかることが出来て、その上、女まで手にすることが出来ると思っているのだ。ロンドン北西部の肉屋で働くあるアフガン人は、夢のような性的チャンスを期待していたという。祖国アフガニスタンでは、他人の女や妻以外の女と寝たら殺されかねないからだ。

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(左: ロンドンの浮浪者/右: ロンドンの市場)

  密入国を手引きするブローカーは、移民希望者に旨い話ばかりを聞かせるらしい。仲介業者はブリテン社会を如何に利用するかを説明するそうだ。彼らは「ロンドンは権利の国だし、一旦ブリテンに潜り込めさえすれば、送還される虞(おそれ)は無いさ」と移民に前もって語るらしい。こうした話を鵜呑みにした外人は、ブローカーに大金を払うか、後払いを約束して憧れのブリテンに連れて行ってもらうそうだ。しかし、英国に無事到着してからが大変なのだ。後払いの「手引き料金」を稼がねばならない。密入国者は職を見つけても、安月給だから借金の返済はきついのだ。現実はそう甘くない。夢にまで見た極楽の英国生活が、借金漬けの奴隷生活に変わってしまうのだ。ジュダ氏がであったある入国者は、「俺は金が木に実ると思っていたんだ。だが六ヶ月後、泣きながら寝ることになっちまった。今の俺は宿無しなんだ」と語っていた。甘い夢を見た移民には、乞食になるジプシーもいれば、学生ビザで入国して、そのまま英国に住みつくガーナ人貧民もいるそうだ。

  パキスタンやポーラント、トルコからやって来る移民が、すべて堅気の職に就くとは限らない。真面目に働くより、犯罪で大金を稼いだ方がいいと思う奴らが出てきても不思議ではないだろう。実際、英国は犯罪者を輸入しているようなものである。ロンドン南部にはソマリア人ギャングがはびこり、北部ではトルコ人ギャングが縄張りを持っている。クルド人とアルバニア人たちは資金洗浄に手を染めているし、ベトナム人ギャングは大麻の密売において、3分の2くらいのシェアを占めている。ジュダ氏はグレナダ出身の麻薬密売人を取材したことがあるという。彼は12歳の時に母親と共に英国にやって来て、本国よりましな生活を送れたが、住んだ場所が酷かった。ギャングが抗争を繰り広げていたのだ。そこは母国のグレナダより腐敗し、もっと危険な土地で、さらに落胆するような場所だったらしい。彼は「ここに来て半年過ぎた頃、俺は良心の75パーセントを失っちまったんだ」と語っていた。移民が悲惨な生活を送るのは構わないが、祖国の首都が外人ギャングの跋扈する租界になってしまったことを、イギリス人はどう思っているのか。ロンドンから逃げ出したイギリス人は、決してこの首都を外人から奪還できまい。ネルソン提督やウェリントン将軍でも無理だ。

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(左: ジョン・クリーズ/右: 「モンティ・パイソン」に出演したクリーズ)

  かつて英国で大ヒットした人気番組「モンティー・パイソン」に出演していたジョン・クリーズ(John Cleese)が、移民の波で変わり果てた祖国を嘆いていた。()Hugo Gye, London is no longer an English City, Daily Mail, 2 September 2011) 彼が子供の頃に見たロンドンが、今ではすっかり変わってしまい、異国にいるように思えてくるらしい。イングランドの都市なのに、まるでバグダッドかイスタンブールのように、非白人の異邦人で溢れている。ロンドンでは通行人のみならず、街角に立っている売春婦も外人で、彼女たちの96パーセントが移民だという。商店街でもトルコ人やポーランド人の店が目立つし、トッテンハムやハリンジーの裏通りでは、移民どもがネズミの丸焼きを食べている。ナイジェリア生まれの警察官が次のように語っていたそうだ。「イギリス人は消滅しかけている。ロンドンはもはや英国の都市ではない。ロンドンはゲットーのつぎはぎなのさ」、と。これは日本人に対する警告にも聞こえる。東京をはじめとする都市部では、外人が流入したことで、朝鮮人や支那人あるいは東南アジア人の温床になってしまった。朝鮮人に占拠された東京の新大久保や、フィリピン人がひしめく埼玉の蕨(わらび)市などを見れば分かるだろう。

  日本人はヨーロッパ人の秕政(ひせい)を直視すべきだ。外国が社会実験をして見事に失敗したのに、それを謙虚に学ばないどころが、同じ間違いを辿ろうとしている。移民や難民は有害なだけで、利益などまず無いと考えるべきだ。

例えば、「お前に一万円あげるから、お前の娘を強姦させろ」と言われて、「わぁ〜い、一万円儲かっちゃった !」と喜ぶ父親が居たら見てみたい。実際は、子供が外人と接触しないよう配慮するはずだ。

安い労働者を輸入して儲ける企業はいいけど、外人労働者の社会福祉を負担する一般国民はたまったもんじゃない。例えば、自分の子供が通う公立小学校に、下層階級の外人が入ってくるのだ。学校全体の学力低下で、心配になった日本人の親は私立学校への転校を考えたり、私塾を探したりで、教育費の負担が増えるだろう。それに、もし、子供が変態外人に何かされたら、もう気が狂いそうになるくらい取り乱すだろう。

移民や難民を許す国民というのは、精神的に改造されたことに気づいていないから、自己防衛の行動が取れない。無責任な左翼が、「人権」とか「人道主義」を持ち出すと、反論ができなくなり、彼らの云う事をつい容認してしまうのだ。「右翼」という罵声を怖れる余り、立ち向かうことができない。将来の生活を犠牲にしているのに黙っている。しかし、我が子や幼い孫に立派な遺産を残したいと望むなら、図々しい移民や難民のいない日本を守るべきだ。残りの人生が短い祖父母なら、なおさら可愛い孫の為に「移民・難民反対」の声を上げるべきだ。「極右」のレッテルを物ともせず、左翼勢力に反対するのが、責任ある大人の行動であろう。大東亜戦争で散っていった将兵の苦痛に比べれば軽いもんだ。反対デモに参加したって弾丸は飛んでこない。自分の血と肉を受け継ぐ子孫を思えば、これくらい楽なもんじゃないか。   
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68512502.html


▲△▽▼

2017年10月、英国家統計局はイングランドおよびウェールズ地域を対象とした最新の犯罪統計を発表した。それによるとロンドンの治安はどんどん悪化していることが判明した。
犯罪率は13%増。女性への暴行事件は22%増。ナイフを使った犯罪は26%増。銃を使った犯罪は27%増。イギリスは、もはやニューヨーク以上に危険な都市になっていたのである。


イギリスはEU(欧州連合)の移民政策に共鳴して大量の移民を受け入れたのだが、その結果犯罪率はうなぎ上りに上がっており、それが今も止まっていないのが見て取れる。

イギリスはユーロ圏と共に「多文化共生」を追求してきた国であり、首都ロンドンもインド系、アフリカ系の移民、そして世界各国のイスラム系移民でごった返している。


移民によって、イギリスはボロボロになった

多文化共生とは、「ひとつの国の中にたくさんの文化があってもいい。それぞれ共生しあって国を発展させよう」というものだった。

ところが、現実は共生などできなかった。多文化がひとつの国の中で互いにいがみ合い、分離し、社会福祉を食いつぶし、互いに相手を罵る社会が出現していたのである。

たとえば、イスラム教徒はどこでもイスラム式のライフスタイルを守り、現地の文化に合わせるような思考はなかった。

ブルカをかぶって街を歩き、「ブルカを脱ぐ自由がある」と言われると、「自由など糞食らえ」という抗議デモをブルカの女性が行った。

あるイスラム教徒は、イギリスのレストランに「豚肉を出すな」と強制した。それを咎められると、差別だと叫んで逆切れする始末だった。

アフリカ系の移民も、イギリスにいながら、アフリカにいるように振る舞って、イギリスの社会ルールを守らず、自分たちの好きなように行動した。

社会秩序が徐々に壊れていき、白人たちは移民が増えた町を捨てて引っ越していく。

そして、遂にはアフリカ系・アラブ系・アジア系しか住まない町も出現している。たとえば、コベントリー市などはそのような地区として知られている。

こうした地区の多くは貧民地区と化して、建物がスラム化してしまっている。このコベントリー市はイギリスで最も治安が悪い地区として知られている。

橋の下や道路の沿道で勝手にバラック小屋を建てて暮らし始める移民すらも出てきている。勝手に入ってきて、スラムを形成する。警察に撤去させられると、また違う地区で勝手に住む。

移民の一部は生活保護を不正に受給して働こうとしない。福祉を打ち切ると、働く代わりに強盗と化して他人のものを奪う。そのために治安も悪化している。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180409T0232170900.html#Qoed9Ju.google_plusone_ninja_m

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【スウェーデン:衝撃】スウェーデンの女性は、移民危機でハンガリーに脱出2018/3/21
https://www.newshonyaku.com/sweden/pollitics/20180321

Hungarian TV interview with member of Swedish Diaspora - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s7mWSj2re_M

去年の2月に、当サイトで

「ドイツで働く女性医師が世界に警告」
https://www.newshonyaku.com/europe/archive/2017101501

という記事を紹介しました。

当時、日本ではあまり大量移民についての問題を報じたところがなく、当サイトのこの記事は「フェイクニュースだろう」とお問い合わせをいただりしました。

その時、当サイトとしては、その記事についての検証を行い、記事についての信ぴょう性は「全て事実ではないものの、事実に基づいた可能性あり」という結論に達し、そのことを記事にしました。

本記事で紹介する内容もそうですが、最近のヨーロッパでの移民問題を見ると、「ドイツで働く女性医師が世界に警告」という記事は、真実の警告だったことがわかります。

さらに恐ろしいのは、被害者にも関わらずこの問題を提起すると、左翼メディアによる攻撃を受けてしまい、中々口にだせない状況になりつつあるということが、この記事に書かれていることです。

本記事は、NEWSWARSから紹介します。

Post 2018/03/21 19:12


【NEWSWARS By Dan Lyman 2018/03/19】

その女性によると、イスラム化した国から避難しているスウェーデン人が沢山いるという。

40年近く生活していたスウェーデンから、最近ハンガリーに非難してきたひとりのスウェーデン人の女性が、テレビのインテビューでハンガリー人にその経験、移民の流入による安全と治安について、急速な悪化を詳述した。

ナタリー・コンテッサは両国の二重国籍者である、しかし、スウェーデンでの彼女の人生の大部分を過ごした後、彼女は母国に避難しなければならないと感じた。彼女の友人や家族の多くもまた危険がほとんどない西側諸国に移住していると、ハンガリー国営放送局M1に話した。

コンテッサ氏は次のように語った。

「安全性はまったくありません。国に受け入れたすべての移民のせいで、残念ながら状況がさらに悪化しました」

「例えば、女性が移民から性的暴行されても誰も助けないため、日中でも私が住んでいたストックホルムの地下鉄に乗ることができません。警察は出てきません」

「あなたが昼間にコーヒーハウスに座っているとしたら、突然、15歳または16歳の5,6人の移民に、ナイフで脅しされ、携帯電話とバッグを奪われます」

彼女は、彼女が働いていた病院も含め多くの仕事は、経験の浅い移民に引き渡されており、ノルウェーのような他国にスウェーデンの医療従事者の移住があおられていると説明した。

彼女はまた、病院が危険に曝されていると主張し、スウェーデンの女性を食い物にすることで有名なイスラム移民が詰まっているため、性的暴力が増加していると主張している。

コンテッサは、政府、メディア、さらには左翼の犯人たちによって圧倒的に抑圧されていると次のように付け加えた。

「移民に性的暴行をされるので、病院で働く多くのスウェーデンの看護師が仕事を辞めます。職場でも。」

「そのことで意見を述べる人は中傷を受け、追放され、刑事責任を問われます」

コンテッサの医療界からのゾッとするような話は、ヨーロッパの地域では、当たり前のことになってきている。既に根絶した病気に蝕まれた移民が、看護師や医者に大便と尿を投げつけて襲う。一人のソマリアからの移民は、仕事中でさえイタリア人の女性に性的暴行を加えた。

最近、スプートニックは次のように報じた。

「スウェーデンが、世界で最も安全な国の一つと考えられた時代は過去のものとなった。スウェーデンの日常的な状況は、非常に危険であり、スウェーデンの病院の人間でさえも、命を気遣わなければ危険である」

「(移民の)ギャング達は、銃で割り込んできたり、待合室でナイフを持ち出し喧嘩したり、入り口付近に投げ込まれた犠牲者を撃ったりするなど、すべてマルメ病院の救急部の厳しい現実となっている」

コンテッサは、ここ三年で、スウェーデンの雰囲気が急速に暗くなり、ハンガリーへの移住に駆り立てたと主張した。彼女は、仕事の途中で性的暴行を受け、助けを求めたにも関わらず、彼女の叫び声は無視された。おそらく、関わると自らの身の安全を恐れた有能な傍観者によって。

ハンガリーのメディアによると、インタビューが放映された直後、左翼のメディアによる組織的中傷が始まった。コンテッサは、個人情報がインターネット上に明かされ、彼女の住所、生命を脅され、ソーシャルメディアのアカウントがハッキングされた。

彼女は現在、元特殊部隊の兵士による保護の下で生活している。

国家犯罪防止協議会が収集した最新のデータによると、スウェーデンには61のイスラム教の「行進禁止区域」が存在し、これは1年前の55から増加したことが明らかになった。

(海外ニュース翻訳情報局 MK)
https://www.newshonyaku.com/sweden/pollitics/20180321

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ドイツで働く女性医師が世界に警告 2017/10/15
https://www.newshonyaku.com/europe/archive/2017101501

WORLD NEWS A Female Doctor Working In Germany Warns The World - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=PLf1kpCtCk8


2015年に世界中でニュースになったドイツの女性医師の手紙を紹介いたします。
この投稿は、当サイトがブログだった頃、2017年2月21日に掲載されたものです。
Post 2017/2/21 ♣update 2017/10/15 8:48


「昨日、私が勤務しているドイツの病院で、中東からのイスラム教徒の難民のどのくらい受入れが不可能であるかミーティングを行いました。診療所では、深刻な救急患者の多さに対応することができません。彼らは、すべてを病院に送り始めています。」

多くのイスラム教徒は、ここドイツでの女性スタッフの治療を拒否しています。

イスラム教徒の男性は、女性のスタッフに、下品な言葉や要求をします。

なぜなら、彼らにとって非イスラム教徒の女性は、売春婦か未来の奴隷だからです。

これらの容赦ない、残忍でサディスティックな女性蔑視が発覚し、我々(女性)は、それらの動物(特にアフリカからのイスラム教徒の男性)の間を行くことを拒否しています。

病院の女性スタッフとイスラム教徒難民の関係は、ますますひどくなっています。

先週末、病院に運ばれたドイツ人女性への暴行が起き、報告されていない難民によるレイプの対策とし、警察とK-9部隊(警察犬)が一緒についていかなければなりません。

非常に多くの難民には、エイズ、梅毒、結核、多くの外来性疾患をもっています。

ヨーロッパでは、その治療法はあまり知られていません。

彼らが薬局で処方箋を受け取った場合、代金を支払わなければならないことを知ると、彼らは暴力的になります。

彼らは中東でドイツではすべてがただであると聞いているらしい。

全てお膳立てされていると思っています。

彼らが特定のものを支払わなければならないことを知ると、特にそれが子供のための薬についてであるとき、大声で暴力的な暴動をおこします。

これらのイスラム教の多くは社会的利益を得るため子供を誘拐しました。

ドイツに上陸すると社会的利益はより高くなるからです。

彼らが子供たちの薬の代金を払わなければならないとわかると、騙すことをあきらめ、

「ここで治療しろ」と子供を薬局に放置します。

現在、警察は診療所や病院だけでなく、大規模な薬局の警備を行っています。

私たちは公然と事実を言います。

「駅のTVカメラで歓迎のしるしをした人々は皆どこにいるんですか?」

はい、今のところ、国境は閉鎖されました。

しかし、すでに100万人の難民がここにおり、我々は絶対に彼らを追い払うことができません。

これまでのドイツの失業者数は220万人です。

今後少なくとも350万人以上になるでしょう。

彼らのほとんどは完全に失業しています。

微力の最小限でも彼らほとんどが教育受けることができます。

さらに、難民の女性は通常、まったく働きません。

私は10人中1人が多くの子供を妊娠していると推定しています。

数十万人が幼児と6歳未満の子供を連れてきました。

多くの子供は衰弱し、ネグレクトされていました。

もし、このことが続き、ドイツ国境が再開すれば、私はチェコ共和国に帰る予定です。

誰もこの状況で私をここに置いておくことはできません。

私はドイツにきました。アフリカや中東には行きませんでした。

私たちの部門を率いる教授さえ、毎月800ユーロで毎日清掃している掃除婦を見るのがどんなに悲しいか教えてくれました。

彼女は、イスラム教徒の男性が捨てるゴミを拾わなければなりません。

廊下で手を伸ばしてそこに立ち、無料ですべてを要求する若いイスラム教徒の男性に彼女は奉仕しなければなりません。

そして、彼らは思い通りにならないと激怒します。

彼らは、ドイツ国民は非常に文明的だということを知っています。

世界が見ていることに加え、これらの悪質で怠惰なイスラム教徒の若者たちは、どうやって叫び声を上げて暴力を脅かすかを知っていいます。

ドイツ人は屈服するでしょう。

私は、アフリカからのイスラム難民がどんな種類の動物か、どのようにイスラム教徒の男女がキリスト教徒より優れた行動をしているかどうかわかりません。

彼らは、私たちを軽蔑し、言葉でキリスト教の価値を馬鹿にし、彼らの全ての希望がすぐに認めれれるよう要求します。

今のところ、地元の病院のスタッフは、彼らがここに持ち込んだ病気にかかっていませんが、毎日何百人もの患者さんがきます。

これ(彼らの持ち込んだ病気にかかるだろうこと)は時間の問題です。

ライン川近くの病院では、難民が8ヶ月の瀕死の乳児を渡した後、ナイフでスタッフを攻撃しました。その乳児は、診察を受ける前、3ヶ月間ヨーロッパの半分を引き連られていました。

この乳児は、ドイツで最も優れた小児診療所の1つで最高のケアを受けたにもかかわらず、2日間で死亡しました。

おそわれた医師は手術を受けなければならず、2人の看護師がいまもICUにいます。

このことで誰も処罰されません。

地元の記者はそれについて書くことを禁じられています!

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【追記】2017/03/19 2017/10/15追記

この記事については、発信した当時、外務省関係者という方から真偽についてお問い合わせをいただきました。それで、当時、当サイトとしては、検証サイトからの記事をアップいたしました。

その後、当サイトでも色々と調べましたが、2015年には、ExpressUKを始め色々なヨーロッパのメディアが報じていてその後世界中に広がったということははっきりしました。

2015年10月28日の、Express UKの記事によると、この事象についての世界保健機関(WHO)のスポークスマに問い合わせたことが載っていました。その記事の一部は次のとおりです。

"
しかし、ドイツの病院が難民の数に対処するために苦戦していると主張しているという主張を世界保健機構(WHO)のスポークスマンは論破した。
彼は以下のように述べた。
「難民を受けている国はWHOに支援を求めたり、バックアップを求めたりしていない。彼らは彼らのシステムがこれに対応しており、すべてがうまくいっていると我々に伝えている」「WHOは状況を注意深く監視している。必要なときに支援を提供する。」
WHOのスポークスマンはまた、イラクとシリアの難民から西側で発生したコレラについてはいくらかの懸念があると述べた。しかし、通常、西側の都市は、下水道と飲料水管が完全に分離して安全な供給が行われるためこれらは大きな問題ではないと述べた。
"
しかし、難民を多く受け入れたヨーロッパの各地からSNSで、似たような細かい事件が今でも時々投稿されています。(ごみ問題とか、レイプとか)

当時掲載した、検証記事自体も信ぴょう性があるかどうかを問われると厳密に確信は持てないことは事実です。しかしながら、この警告が世界中でとりあげられているということにおいて当サイトでは紹介する意味があると考えています。そして、このことがどういうことなのか考える機会になると言う意味で掲載いたしました。ご自身での判断の材料になれば幸いです。
https://www.newshonyaku.com/europe/archive/2017101501

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2018年06月02日
後悔を準備したドイツ人 / 認識が甘かったスウェーデン人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718853.html

「こんなはずじゃなかった !」と悔やむ馬鹿
Marinna Drenkg 4rape in Sweden 1293


  西歐諸国で頻発する性犯罪については、当ブログで繰り返し述べてきた。しかし、一般の日本人は移民・難民による犯罪に無関心で、マスコミも特番を流さないから、左翼議員と経済界が結託し、やれ技能研修員制度だ、高度人材の獲得だ、とやりたい放題となっている。自民党議員が無責任なのは当り前で、いつもなら与党に批判的な野党議員も、移民問題となればその矛先を納め、「何処吹く風」とだんまりを決め込む。財務官僚のセクハラだと国会をサボってまで抗議するくせに、一般女性が危険に晒される件に関しては「知らぬ顔」をつらぬくなんて赦せない。移民や難民の「人権」なら大切だけど、日系日本国民の「安全」は二の次、三の次、一番最後なんだから、税金を返せと叫びたい。


スウェーデンはもう末期症状で、移民・難民の流入を止めることが出来なくなった。スカンジナビアで発生する輪姦事件の約88%が、移民の背景を持つ者によって引き起こされているそうだ。(Paul Joseph Watson, "Sweden : 88 Per Cent of Gang Rapists Have a Migrant Background", Infowars, May 7, 2018) 愚かなスウェーデンの悲劇は枚挙に遑(いとま)が無い。例えば、移民や難民を支援していたスウェーデン人女性が、夜中にアフガン移民二名を連れて難民庇護センターに戻ろうとしたところ、彼らに輪姦されてしまった。「難民とは可哀想な人々」という先入観を持っている北歐人は実に多い。しかし、アフガニスタンやイラク、ソマリアからの「自称難民」は、こうした間抜け白人に涙を見せて安心させ、同情するバカ女を食い物にする。南極で目にする無警戒なペンギンと同じだ。アフリカやアジアでは滅多に拝めない上玉の白人が、無料(タダ)で手に入るんだから、続々と難民がやって来るのも無理はない。

Muslim rapist in England 1rape in Sweden Somali rapist

(左: 西歐で捕まったムスリムの強姦魔 / 右: スウェーデンの強姦魔)

  惨劇とは一度目にショックだが、二度目以降慣れてしまうものである。性犯罪に遭ったスウェーデン人にはお気の毒とか言いようがないけど、自業自得という面があるので無条件には同情できない。例えば、16歳のスウェーデン人少女がアフガン難民に強姦された事件があった。スウェーデン南部のロムマに住むこの少女は、二人のアフガン難民を自宅に招いたそうだ。しかし、彼らがやって来た時、少女の両親は外出していたので、彼女一人で難民を迎え入れることになった。何か嫌な予感がするけど、その予感すら抱かないのがスウェーデン人。案の定、彼女は二人のアフガン難民に強姦され、憐れにも体中アザだらけ。

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(左: スウェーデンの強姦魔 / 右: スウェーデンの国旗を燃やすムスリム移民)

  事件の経緯を聞けば、本当に「馬鹿 !」と叱りたくなるほどの行為だった。16歳の少女は同世代の「子供難民」と携帯電話でチャットを交わし、二人を家に招待したそうだ。ところが、入ってきたのは「感じのいい少年」ではなく、獰猛な野獣だった。犯されそうになった少女は咄嗟に強姦魔を蹴飛ばし、その隙に急いで短いメッセージを両親に送ったそうだ。しかし、彼女はベッドに押し倒され、服を引き裂かれると、無惨にも二人の慰めモノに・・・。のちに、法廷で明らかとなったが、この強姦魔コンビは彼女に向かって、「俺たちはお前をヤリに来たんだよ!」と吐き捨てたそうだ。ところが、スウェーデンの刑法は非常に甘く、少女を凌辱した16歳と17歳の少年は、更生施設に2ヶ月間ぶち込まれる程度の微罪で済んでしまった。(Laura Cat, "Afghan migrants answer hospitality of Swedish girl with brutal rape", Voice of Europe, 10 May 2018) ついでに言うと、事件の夕方、強姦魔の少年は携帯電話で犠牲者に「ゴメン」というメッセージを送ったそうだ。被害者の少女は、この謝罪を受け取った時、どんな表情だったのか? 彼女の両親に訊いてみたいものである。

Swedish boy 1(左: 青い瞳を持つ北歐系の子供)
  日本の地上波テレビ局は下らない藝能ニュースだと、毎日何時間も放映するが、移民や難民で苦悩するヨーロッパ諸国だと無視する。スウェーデンにはマルメ(Malmö)のようなムスリム都市があちこちに出来上がり、陰では「レイプ・シティー」と揶揄されている。もう何年も前から、アフリカ系や中東アジア系の浅黒い移民や難民が路上に群がり、その光景はとても北歐の風景とは思えない。道を歩く白人女性は、エリトリア人とかアフガン人の移民からからかわれ、卑猥な言葉を投げかけられる。日本人女性なら震え上がって逃げ出してしまうだろう。昼間でも怖くて歩けないのに、夕方過ぎに帰宅するなんて考えただけでも厭だ。もし、地下鉄の構内やバス停で黒人に絡まれたらどうするのか? こうした異民族による圧迫は学校でも起こっており、2013年、ヘルシンボルクに住む12歳のスウェーデン人少年は、15歳のアラブ系少年によって殴られてしまった。そのイチャモンというのがすごい。この中東系人種は、被害者が持つ青い瞳に怒ってしまったのだ。詳しい動機は不明だが、アラブ系の少年がスウェーデン人の少年に瞳の色を尋ね、被害者が「青い」と答えたところ、いきなり暴力に及んだという。たぶん、言語を巡る何らかの誤解だろうが、殴られた方はたまったものではない。もし、これが逆の立場だったらどうなるのか? 白人少年がアラブ人の茶色い瞳を口実に殴る蹴るの暴力事件を起こせば、スウェーデンの全マスコミは大々的に取り上げ、少年の両親まで吊し上げるだろう。しかし、有色人種が北歐人種を殴るだけなら、取るに足らない地方ニュースだ。西歐諸国のリベラル派というのは、どんなに学歴が高くても、こうした惨状を根底から改善しようと思わない連中である。

移民・難民に怯えるドイツ人女性

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  ナチズムの後遺症に苦しむドイツでは、人権思想に染まった「カモ」が実に多い。内戦が続くソマリアとかアフガニスタンの男からすれば、美しい白人がごまんと居るドイツは楽園としか言いようがなく、道端にトリプルAの松坂牛や神戸牛が落ちているようなものである。ドイツ人には高学歴の馬鹿が多くて、現実の危険を知りながら決して対決しようとはしないのだ。それでも少しは気付く者がおり、ジャーナリストのアナベル・シャンク(Anabel Schunke)はその内の一人である。彼女は大学で政治学と歴史を専攻し、ドイツの移民政策を批判したことでちょいと有名になった。しかも、美人モデルで歯切れの良いコメンテイターときているから、世間が注目したのもうなづけよう。やはり、美人は得だ。同じ努力を重ねるにしても、醜女は100日かかり、美女は1日で済む。

Anabel Schunke 1Swedish gir afraid of rape

(左: アナベル・シャンク / 右: 強姦に怯えるスウェーデン人女性)

  アナベルのメッセージは簡潔だが力強い。すなわち、今のドイツはもはや「以前のドイツではない !」ということだ。そして、人々の話題は「移民危機」という一言に尽きる。白色のゲルマン人が主流の国家に、アフリカの黒人や中東アジアからの褐色人種が大量に雪崩れ込み、チュートン種族が大切にしてきた遺伝子プールは台無しになった。ところが、民衆を守るはずの政治家や官僚は、人権思想に汚染され、ドイツ民族の国土と肉体が犯されても知らんプリ。自分とその家族が安全なら、他人がどうなろうとお構いなし。移民や難民を受け容れたツケは一般国民に押しつけ、自分は人道主義者と正義の味方を気取っていれば、たんまりと給料が入ってくる。これなら、「移民反対」という主張は火中の栗を拾うようなもので、何の見返りも無く、ただ非難されるだけなのでアホらしい。

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(左: 新しいタイプのヨーロッパ人女性 / 右: 少数派になる古いタイプのヨーロッパ人女性)

  こうした議員と役人が大半を占めれば、経済的利益を求める偽装難民や不法移民が跋扈(ばっこ)するのも当然だ。リベラル思想に毒されたドイツ人は、如何にして不愉快な外人を防ぎ、速やかに侵入者を排除するかではなく、どんな善意を以て受け容れるのか、という歓迎策を議論している。アナベルの話によれば、ドイツ国民はイスラム教徒が被る頭巾(スカーフ)を考慮したり、料理に使われる豚肉を禁止にしようとか、学校でイスラム教をカリキュラムにいれようとか、移民優先の議論をしているという。そもそも、ドイツという国家はドイツ人のために存在するんだから、ドイツの政治家が優先すべきはドイツ人の生活だ。それなのに、リベラル派を気取る政治家どもは、ドイツ人の方が移民に譲歩し、彼らの文化を受け容れ、ドイツ社会に不慣れな異民族を配慮せよ、と説く。また、ドイツでは人道主義が金科玉条となっているから、連邦政府はドイツ人から税金を巻き上げ、それをふてぶてしい難民に与え、もらった方の外人はそれを当然の如く考える。遙か昔、ドイツはカトリック教会からお金を搾取されたので、「ローマの雌牛」と揶揄されたが、今では「ムスリムの雌牛」になっている。近年、キリスト教会は目に見えて凋落しているが、イスラム教徒のモスクはドンドン増えているから、「ドイツ」という国名はイスラム教徒が唱える「我々の土地」を意味するんじゃないか。

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(左: ヨーロッパにやって来たムスリム移民 / 右: ヨーロッパで暮らすムスリムの女性)

  ドイツ人女性のアナベルは、実感を込めて日頃の危険を訴えている。ドイツ人にとり、移民というのは「後ろ向きのビジネス」であるという。これらの異邦人はドイツ国家を分断し、明るい未来ではなく、陰惨な過去に引き摺り戻そうとする動きにしか見えない。ドイツの議会と政府は、チュートン系ドイツ人の福祉ではなく、移民が如何に幸せになれるのか、という点に関心を向けている。教育方針も然り。先祖代々のドイツ人が生んだ子供ではなく、移民の子供が明るい将来を築けるように教育プログラムを作成し、ドイツ人の子供がそれに合わせ、外人との共存を学ぶことになるのだ。ドイツ民族を称讃するナショナリズムなんて,ネオナチの運動にしか思えない。幼いドイツ人はドイツ人教師から、嫌な事でも我慢するという「寛容の精神」を植え付けられ、異質な肉体を持つクラスメートを進んで受け容れようとする。しかし、生理的に顔を背けてしまうので、調教された精神と拒絶する心理の板挟みになって悩む場合が多い。ドイツ人に病的なリベラル派が多数存在するのは、こうした洗脳教育の後遺症が治っていないからだ。

  ジャーナリストになったアナベルは、率直に自分の気持ちを打ち明けていた。「他のドイツ人も同じだけど、私はもうドイツで安全とは思えない」と。確かに、そうだ。例えば、ドイツの都市部で新年を祝うイベントがあったけど、ケルンでの集団強姦事件が起きてからというもの、アラブ系の男に怯える女性が増えてしまい、イベント会場に女性の姿が少なくなってしまったそうだ。ハンブルクでも新年を祝う女性の数が激減し、イベント会場に来る人が前年より減ってしまった。ベルリンのような大都市では、「女性用安全エリア」が設けられ、危険を察知したり、怖い目に遭った人はテントに避難できるそうだ。でも、そんな事態を予想できる女性は、最初からイベント会場に来ないだろう。元旦のお祭りに来たのに、強姦魔の生け贄じゃ洒落にならない。アラブ人やアフリカ人にしたら、白いお餅より、白い肉、すなわち「白人女の肉体」の方が美味しい。ちなみに、日本じゃ坊主が忙しい12月を師走と呼ぶが、ドイツでは若い娘が逃げ回る月を指すんじゃないか。

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(左: ヨーロッパにやって来た移民 / 中央: 映画での強姦シーン / 右: スウェーデンの一般女性)

  毎回ドイツを見ていると、「後悔先に立たず」という言葉を思い出す。「カッパえびせん」なら「やめられない、とまらない」でいいけど、移民・難民の流入が止まらないとくれば、訪れる事態は深刻だ。しかし、ドイツ人は移民を排除できない。第二次大戦の勝者であるアメリカ人とイギリス人から、たっぷりと仕置きされ、二度とゲルマン人優位の国家を口に出来なくなってしまったからだ。ところが、ドイツ人を激しく折檻(せっかん)した英米も、人種問題でのたうち回り、ナチズムの心情を理解するようになった。でも、彼らの国家には鬼のようなユダヤ人がいるから、アングロ・サクソン同盟なんて端っから無理。異民族で溢れる人種混淆の共和国こそ、ユダヤ人の理想郷だ。ユダヤ人は歐米の政治家を札束で引っぱたいて忠実な下僕をつくり、それを拒む者に対してはマスメディアを使って総攻撃を加える。「言論の自由」を自慢するアメリカ人やイギリス人が、なぜ「ユダヤ人は出て行け!」と叫べないのか? 歐米諸国は自由主義を謳っているのに、「選択の自由」に基づく「排除の権利」や「幸福の追求」から派生する「快適さの享受」が無い。なぜなら、これらの自由の上に「忍耐の義務」が君臨しているからだ。彼らはいくら経済的に豊かでも心情的には哀れである。自分の家には好きな人だけを呼べるのに、自分の祖国だと「嫌いな人でも我慢すべし」、とは・・・。昔、明石家さんまがTV広告で「幸せって、何だっけ、何だっけ」と唄っていた。移民問題では「ポン酢醤油」が正解じゃないよ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718853.html

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2015年01月25日
狙われたスウェーデンの白い肉 / 移民による強姦の増加
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68303778.html

北欧女性は淫売の娼婦


  世界を見回しても、スウェーデンは南アフリカに次いで二番目に強姦犠牲者が多い国となってしまった。10万人当たり53.2人が強姦されていて、米国の被害者と比べれば6倍高いことになる。統計によれば、成人女性の四人に一人がレイプされる危険性があるらしい。強姦魔にはイスラム教徒移民が多いとみられ、強姦件数の77パーセントを占めるという。イスラム教徒移民の増加と強姦件数の増加とが比例しているのだ。特に有色人移民が集まる都市部で多発しており、ストックホルムでは平均1日で5人が強姦されているらしい。この首都では人口の3分1くらいがムスリスム系住民だという。

  異文化や異民族に寛容であることを自慢する精神病に冒された西歐社会では、国家的自殺に歯止めが利かない。特に北欧社会は国民の同質性が高いだけでなく、文化水準や平均所得も高いので、第三世界の移民や難民にとって、ヨダレが出るほど魅力的である。しかも、社会主義思想に汚染されたスカンジナヴィア人は、その倫理的優越性を自慢したがるので、公然とと異人種を排斥することに躊躇(ためら)いをもつ。高福祉社会は各国民が同じ人種的・文化的背景をもつから可能なのであって、異質な肉体をもった貧乏異教徒がやってきたって、同化できるものではない。それに移住してきたって、文化・習慣はおろか、言葉が全く違うのだから、仕事を見つけることすらできない。したがって、アフリカや中東アジアからイスラム教徒が飛来してくれば、隔離された生活を強いられるのは目に見えている。スウェーデンでも評判が悪いマルメ(Malmo)には、多数の有色難民・移民が群がってしまい、人口の3分1くらいが外国人になってしまったという。ランド大学(Lund University)のベニー・カールソン(Benny Carlsson)教授は、就職できないソマリア人が、マルメに出来たブラック・ホールに吸い込まれるようにやって来ることを指摘する。(Malmo Omali suffer integration ‘black hole’, The Local, 31 January 2014)

muslims 3  福祉の充実を誇るスウェーデンなのに、国民の安全は軽視している。とくに白い肌で魅力的な北欧女性は、第三世界から来た有色人にとって、性的な標的にされてしまうのだ。ちょうど、無防備な南極のペンギンが、簡単に獰猛な肉食獣の餌食になってしまうのと似ている。中東アジアでも強姦は珍しくないが、被害者家族からの復讐が怖い。娘を犯された父や兄が、強姦魔に制裁を加える場合があり、殺人にまで発展してしまうこともある。その点、北欧だと安心して強姦が楽しめる。逮捕されたって、たいした罪でもないから、刑期が短いし、快適な刑務所だから、イラクやパレスチナ、アフガニスタンといった戦闘地域とは雲泥の差である。テレビを見たり、ゲームまで許されている。清潔な部屋と健康管理、読書や礼拝までできるのだ。ジムも完備されていたりして、故郷では味わえない文明生活を刑務所で送れる。サマーキャンプ場みたい。刑務所でさえこんな楽園だから、シャバではやりたい放題である。街中では美しい「白い肉(北方種族の女性)」が呑気に歩いている。アフリカなどではとても望めない白人女を、無料でセックスできるのだ。我慢するのは馬鹿らしい。

酷い強姦が多発する

  無責任な政治家の罪は、無邪気な一般人の体で償われる。スウェーデン人少女のマリン(Malin)とアマンダ(Amanda)は大晦日の夜にパーティーへ向かう途中であった。その時、4人のソマリア人移民が現れ、彼女らに襲いかかって強姦したうえ、殴りつけて半殺しの目に遭わせたという。その強姦犯4名は逮捕されたのだが、大手のマスコミは彼らの素性を曖昧にし、スウェーデンの者2名、フィンランド出身者1名、ソマリア出身者1名という報道であった。彼らがどのようにしてスウェーデンに移住してきたのか、という経緯については自己検閲を行ったのである。犯罪防止評議会(Bra)の調査では、強姦事件容疑者の大多数が、アルジェリア、リビア、モロッコ、チュニジア出身者で占められている。これは、北欧諸国全体に当てはまることで、ノルウェーで起きた強姦事件の容疑者は、3人中2名がムスリム系の非西歐出身移民であったという。かつては日本でも、マスコミは在日朝鮮人による強姦事件が起きても、その素性や本名を隠して報道したものである。

  啓蒙主義時代を経験した西歐世界は、神権政治(theocracy)が普通のイスラム教諸国とは根本的に違っている。女性に対する考え方が全く違うのだ。たとえば、イスラム教徒の家庭では夫・父親が支配者で、男女平等という思想はない。娘の結婚さえ親が小さい頃から勝手に決めてしまうのだ。そうした家庭の娘は気軽にボーイ・フレンドをつくって交際できない。男女平等思想が浸透している北欧では、年頃の娘がボーイ・フレンドをつくるのに親の許可など求めない。イスラム教徒からすれば、北欧女性は性倫理をもたない淫売で、しかも人前でビキニ姿を晒す「ふしだらな女」である。だからムスリム少年らは、スカーフを頭にかぶせず街を歩く女性を娼婦(ばいた)とみなす。彼らからすると、スウェーデン女性は「強姦してください」と公言しているようなものである。

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(上写真/ムスリム強姦犯の逮捕例)
  2000年2月、スウェーデンのリッセネで起きた集団強姦事件では、加害者に人種的憎悪があったことが暴露されてしまった。ムスリム系移民の4名、ハミッド、アリ、アブドゥラ、リチャードは、輪姦した動機を語り、スウェーデン輿論は激昂したのである。犯人の一人ハミッドが述べるころによれば、スウェーデン人の女を強姦することは、アラブ人女を犯すことほど悪いことではない。どうせスウェーデン人娘は強姦される前から他の男とセックスをしているのだから、レイプされたってどうってことないだろう。しかし、アラブ人娘だと家族の問題も生じてくる。強姦は彼女にとって恥となってしまう。イスラム教徒一般について言えることだが、その娘は結婚まで処女を守らねばならない。そしてハミッドは、「スウェーデンの淫売女、つまりスウェーデン娘どもなんか“ちょろい”ものさ」と笑いながら語ったのだ。十代の移民青年はたいていスウェーデン人のガール・フレンドをもっているが、結婚となれば、一度も男と交際したことがない同じ文化の娘(つまり、貞操観念のあるイスラム教徒の女性)を選ぶ。ハミッドからすれば、結婚前にスウェーデン人の淫売を犯しただけで、アラブ系少女を強姦したわけでもないから罪悪感をもたない、ということだ。(Fjordman, Muslim Rape Wave in Sweden, Front Page Magazine, Dcember 15, 2005)
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(上写真/餌食となる女性)

  残酷な強姦事件が頻発しているのに、北欧のメディアは有色移民やイスラム教徒による犯罪だと、事件の核心をぼかした報道を行う傾向が強い。犯罪自体を取り上げるのも腰が重いし、容疑者が有色人種だと、その素性や人種・民族的背景を曖昧にして伝えるのだ。しかし、こうした偏向報道に対して憤る北欧人は結構いる。ある強姦事件はスウェーデン人の注目を集めた。28歳のソマリア人イブラヒム・アフメド・ダイール(Ibrahim Ahmed Dahir)は、残虐な強姦事件を起こして、6年の実刑をくらった。2014年9月12日、このソマリア人はスウェーデン女性の自転車を盗んだ。自転車を取り戻そうと追いかける彼女を、その犯人はある中庭におびき寄せ、罠に嵌めたのである。このソマリア人は彼女を蹴ったり、ガラス瓶で頭を殴りつけて、負傷した彼女を強姦したのである。その強姦たるや言葉に出来ぬほど荒々しいもので、性的暴行はもちろんのこと、抵抗する彼女の上着で首を絞め、息ができぬほど締め付けたという。砕けたガラス瓶の上に押さえつけられた彼女は、背後からも性的に暴行されたのである。つまり、この獣(ケダモノ)は彼女の肛門さえ犯したのだ。(こんなに詳しく事件内容を書きたくはないが、事実を明らかにしないと強姦の実態が理解されにくいので、敢えて書くことにする。)あらゆる方法で強姦したダイールは、何も覚えていないとしらを切った。こんな強姦魔はたった6年の懲役刑と164,000クローネの罰金刑で済んだのである。ところが、このソマリア人は前科11犯で、2011年にも強姦未遂で2年半の実刑を受け、2013年の6月に出所したばかりであった。こうした悪質な犯罪者はソマリアへ追放されず、依然としてスウェーデン人のままである。

Ephrem Tadel YohannesElin Krantz 3(左:ヨハネス/右:エリン・クランツ)
  移民による犯罪をもうひとつ紹介したい。これは残酷な強姦殺人である。(Man guilty of ‘ruthless’Gothenburg killing : court, The Local, 13 April 2011) 2010年9月26日、美しいスウェーデン人女性エリン・クランツ(Elin Krantz/27歳)は、ゴッテンブルクのナイト・クラブで遊んだ後、友人と一緒に帰宅の途にあった。午前4時くらいになっており、彼女らは電車で帰ろうとし、エリンの友人は途中の駅で降り、車内は彼女ひとりとなってしまった。かつての安全なスウェーデンなら彼女の目的駅まで何も起こらない。ところが、その車両に黒人のエフレム・タデール・ヨハネス(Ephrem Tadale Yohannes)が乗車してきた。この黒人にとっては絶好のカモが乗っていたのである。明け方近くの列車内で、金髪のスウェーデン女性が一人きりなのだ。列車を降りるエリンをヨハネスは尾行し、タイミングを見計らい彼女を襲うと、近くの雑木林に引きずり込んだ。拉致されたエリンは思いっきり蹴り飛ばされ、ひどく殴られた。暴行による呼吸困難で、彼女の脳には大きなダメージが生じたばかりではなく、頭部、首、腕、脚にひどいアザができた。この卑劣漢の強姦は想像を絶するものであり、彼女の性器の膜は裂傷が激しく、強姦のすさまじさを物語っていたという。

  列車内のCCTV(監視カメラ)により、事件後間もなく警察はヨハネスを逮捕できた。この野蛮人に殺されたエリンの遺体は、無惨にも林の中にある岩場に投げ捨てられていたのだ。遺体遺棄現場で哀れな姿を曝すエリンの写真は世界中に拡散された。(筆者はもっているが、あまりにも酷いのでこの写真は掲載できません。) 警察によるDNA検査により、ヨハネスの犯行は明らかとなり、自白を始めたヨハネスは、他にも強姦をやった男が二人いるとの供述をしたのである。この二人については詳しいことは分かっていない。

異質な外人を連れ込む輩

  このヨハネスとは如何なる人物か。エチオピア生まれれの強姦魔には、子供が二人いるらしい。スウェーデンに移住してくる前は、米国のヴァージニア州に住んでいた。しかし、アフリカ黒人であるために差別されたので、多文化主義を掲げるスウェーデンに移り住んだという。どうもヨハネスは難民だったらしく、難民支援組織の手引きで米国に住むことが出来たのだが、アメリカ社会に馴染めなかった。そこで難民の身分を利用して、難民受け入れに積極的なスウェーデンに転がり込んできたらしい。まことに腹立たしい話だが、北欧諸国はこうした犯罪被害ばかりでなく、社会福祉を移民・難民に食いつぶされている。高い税金を払った国民は、福祉詐欺や殺人・強姦・窃盗というプレゼントを貰うのだ。

  こんな不逞外国人を国内に連れ込んだ奴らは、犯罪被害とは無縁の生活を送っている。そもそも移民や難民の支援をしたり、移住の手引きをしている者は、普通の正常な精神を持つ国民ではない。具体的に詳しく述べると長くなるから、ここでは省略するが、国家の防衛と国民の安寧を優先する者たちではない。たとえば、移民政策に影響力を行使したデイヴッド・シュワルツ(David Scharz)は、ポーランド生まれのユダヤ人で、ホロコーストを生き延びて、戦後スウェーデンに移住してきた。そして、国内大手の新聞(ユダヤ人所有)「Dagens Nyheter」で、移民政策の論陣を張ったのだ。ユダヤ人は自分たちが異国で安心して暮らすために、同質社会を多文化社会に変質させて、ユダヤ人が目立たないようにしてしまう。しかも、現地固有の文化を破壊する一方で、自分たちの民族と文化は絶対に守り抜こうとする。スウェーデン人に黒人やムスリムを受け入れ同化しろと説教するが、ユダヤ人は黒人なんかとは混血しない。言うまでもなく、イスラム教徒はユダヤ人にとって永遠の敵だから、絶対に妥協はしないのだ。その他の著名な移民問題言論人を見てみよう。インガ・ゴットファーブ(Inga Gottfarb)はユダヤ系で、ゲザ・ティンツ(Geza Thinsz)はハンガリーからの移民であるし、ルーカス・ウィニアーキ(Lukas Winiarki)はポーランドからの移民である。こんな外人系評論家がスウェーデンの移民政策に関与しているのだ。昔から代々住むノルディク系スウェーデンはただ傍観するだけで、外国人反対を叫ばない。

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  移民や難民を受け入れようと画策する「リベラル」人権派は、なんとなく善良な人々に思えてしまう。しかし、彼らは一般国民にとって、不倶戴天の敵である。平凡な日常生活を望む一般人にとって、治安維持はとても大切な政治課題である。しかし、同化できない異質な外国人を「善意」を錦の御旗に掲げて、どんどん輸入しようとする人権派は、その根底に国民国家の破壊願望をもつ。同質な社会で幸せに暮らす国民を許せない。現体制をぶっつぶして彼らが妄想する理想郷を実現しようとする。移民・難民は彼らにとって、国境という壁を打ち砕くためのハンマーである。異民族から同胞女性を守ろうとする移民・難民排斥派は、いつも「極右」とか「ネオ・ナチ」のレッテルを貼られてしまう。しかし、女性を犯罪から守ろうと声を上げる者がなぜ批判されるのか。仮に100名の強姦被害者が発生したとする。移民・難民を排除しておくか、移住禁止にしておけば、70名くらいの被害者を未然に防げたかも知れない。性犯罪をゼロには出来ないが、少なくすることは出来るのだ。強姦されなかった70名の女性は、左翼と同じく外人排斥者を「極右」と非難していたかも知れない。しかし、未然に防いだことで多くの女性が苦悩せずにすむと考えれば、「極右」のレッテル貼りも我慢できよう。人権派は強姦被害者の涙を何と思っているのか。妻や娘、妹、姉をもつ男は覚悟を決めるべきだ。どのような批判・非難を受けようが愛する者を守るのが男の義務ではないのか。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68303778.html

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ポリティカリーコレクト狂騒曲(4):「レイシスト」は魔法の呪文 2016/2/24
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjblog/57367244.html

ロザラム—おぞましき「Loverboy」たち

2014年夏のことです。イギリスはロザラムという町で、少なくとも1400人以上もの少女たちが16年以上の間、組織的なギャングによって性的虐待・搾取を受けていたとする報告が浮上しました。ロザラム市議会の委託により作成された報告書は、ロザラム在住の少女たち(最年少では11歳といった幼さ!)が、多数の男たちに強姦され、誘拐され、町から町へ移動させられ(いわゆるトラフィッキング)、また暴行や脅迫を受けていたと暴露。市議会の議長が辞意を表明するまでの騒動になりました。報告をとりまとめた専門家は、「市議会の指導者たちが集団的にあからさまな怠慢を犯し」「管理職が問題を軽視し」「警察が問題を優先することを怠った」と指摘しました。


http://www.bbc.com/news/uk-england-south-yorkshire-28939089


日本では、この件についてはごくわずかな報道しかなされず、掲示板で語られる程度ですが、イギリスでは議会で取り上げられるほどの大問題となりました。


この事件については、いくつもの報告書が公表されていますが、Law and Freedom Foundationという団体がが「Easy Meat—Multiculturalism, Islam and Child Sex Slavery」と題して、現状入手可能な資料を洗いざらい使って事件の全容と背景をまとめています。


(この報告書は以前は無料で入手可能でしたが、現在は改訂のうえアマゾンで有料で販売されています。http://www.lawandfreedomfoundation.org/2014/03/04/comprehensive-report-on-the-grooming-gangs/


「Easy Meat」によれば、英語ではchild grooming もしくはstreet groomingと表現されるこの大規模犯罪の典型的な犯行容態は、以下のようなものでした。


・学校周辺やショッピングモールなどで、十代後半から二十代の若い「アジア系(パキスタン系)」男性が学校帰りの白人少女たちに声をかける。男性の多くは若くハンサムで時として高級車に乗り、プレゼントやお世辞で少女の心を開かせ「ボーイフレンド」になる

・その後ドラッグやアルコールを摂取させるとともに、少女と肉体関係を結ぶ。

・次に自分の「友人」たち連れてきて少女に紹介、肉体関係を持つよう要求するか、あるいは集団強姦する。

・暴力と脅迫で少女を従わせつつ売春を強要し、その代金をPimpingする。

・場合によっては、少女の身柄自体を金で取引。街から街へと連れていかれた例もあった。(いわゆるトラフィッキング)

・被害少女が警察に話したり関係を絶とうとした場合、脅迫して阻止するか暴力で制裁する。

・加害者が被害少女に対し姉妹や親戚を売春網に誘い込むよう唆す事例もあった。そのため、自分の子が被害に遭っているのに、その被害児童の姉妹たちが引きずり込まれないよう、止むを得ず被害児を見捨てて遠隔地に引っ越さざるを得なかった家族もあったという。

・これらの犯行を行うギャングたちはよく組織されており、タクシードライバーや、アーケードの商店主や警備員などが関与していた例もあった。


このような形で、ひとたびギャングに引き込まれた被害少女たちは徹底的に犯され、売春させられ、利用価値がなくなったと看做されるまで搾取されました。その本質としては従軍慰安婦問題と選ぶところがないくらいの人道犯罪です。


ところが、上記の報告にあるように、市議会、警察や市職員は被害の報告に接しても、怠慢に陥るか、問題を軽視するか、酷い場合には被害少女たちや親たちの訴えに取り合わず、長期間なにも手を打たず、その結果多くの犯人たちが起訴されず放置されてきました。


そして、この行政の異常なまでの怠慢の原因となったのが「レイシストと呼ばれることへの恐れ」だったというのです。


25年間の怠慢

「Easy Meat」報告書によれば事の発端はさかのぼること1980年代。イギリス在住のパキスタン・ムスリムギャングとインド出身のシーク教徒の若者の暴力的な衝突から始まります。警察の調べによると、逮捕されたシーク教徒の若者たちは、「ムスリムたちがシーク教徒の少女を誘拐、強姦し売春させている」として激怒し、自警団を組織してムスリムたちを襲撃したのだと供述しました。


その後、同様の被害が散発したことに業を煮やしたシーク教徒たちは「シーク・アウェアネス・ソサヤティ」という団体を設立。イギリス全土のシーク教徒コミュニティに対する啓発活動を展開するに至ります。その中には「ムスリム説教者たちは若いムスリムたちに異教徒の娘をたぶらかし売春行為に引きずり込むことを奨励している」という警告も含まれていました。

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シーク教徒たちが公表した証拠文書のひとつ。「リアル・キラファー」というイスラム宣教団体が作成した手紙。ムスリムの若者たちに「シーク教徒の少女たちをデートに誘い、酒を飲ますなどして惑わし、イスラムに引き込むこと」を奨励している。


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シーク教徒たちの警告は新聞でも取り上げられた。


しかし、警察や行政による組織的な対策はなされないままだったのが、いつしか白人少女がこれらの犯罪の標的として狙われるようになりました。


やっと重い腰を上げた警察が最初に有罪判決を確定させたケースは2010 年11月。5人の男たちが複数のローティーンの少女たちを虐待、搾取したかどで実刑を受けました。筆者の調べた限りでは、組織的な「grooming gang」としての集団がまとめて起訴されるのはこれが初だったようです。しかし、起訴は散発的であり被害に比して検挙率はあまりにも低いものでした。


そもそもこの犯行容態では、被害者たちが告訴に至るまでには相当高いハードルがあったようです。被害者自身の恥意識や、ギャングたちからの厳しい口止めに加えて、勇気を振り絞ってギャングとの関係を絶とうとしたり警察に通報した少女たちには熾烈を極める報復が待っていました。


家を爆破する、あるいは家族を集団強姦するといった脅迫、「熱湯を沸かしたポットを押し付ける」などの激しい拷問・暴行や「故意に妊娠させたうえで藪医者で中絶させる」「テーブルに舌を釘で打ちつける」などの過酷な制裁も報告されています。また、ある事件では、警察への通報を決意し、署まで出向いた少女が、加害者から「妹の身柄を預かっている。どうなるかはお前次第だ」というテキストメッセージを受け取り、告訴をやめた。また警察への通報を断念させるために被害者の家を襲撃し全ての窓ガラスを割り被害者の弟を暴行して両脚を骨折させた、という例も。


そうしてどうにか被害届を出すに至った場合でも、警察の反応は鈍いものだったといいます。どうせ家を飛び出してほっつき歩いている不良少女なのだろう、といった先入観や、少女たちが自ら合意して性関係を持ち、あるいは売春しているのでは、といった当て推量もあったようです。苛立った親たちの中には、自ら犯人の電話番号、写真、車のナンバープレートなど証拠を確保し提出するほどの人もいましたが、その多くは徒労に終わりました。


その後、しびれを切らした保護者たちが、政治家に働きかけたり、England Defence League(EDL)という反イスラム団体に合流して全英で啓蒙活動を展開したりすることで、少しづつですが事件の認知度は高まっていったようです。


やがてタイム誌のジャーナリストであるアンドリュー・ノーフォークが調査に乗り出し、ついには議会で証言するに至ります。まさしく、パキスタン・ムスリムギャングが白人少女を組織的に搾取している実態が政治の世界でも明らかになり、どうにかこの問題は全英の注目を浴びるにいたりました。


もっとも、BBCといった大手メディアの報道は、2014年に至ってもまだ奥歯にものが挟まったような語調で「犯人たちはアジア系」と表現、ときおり「パキスタンコミュニティ」といった表現で犯人たちの出自をにおわせるにとどまっています。しかし上述のアンリュー・ノーフォークは実に単純明快な方法で、犯人たちの大多数が「ムスリムギャング」であることを示しました。


2014年までに告訴された犯人のうち典型的なイギリス人のファーストネームを持っている者は約120人中10人ほどしかおらず、犯人のファーストネームはダントツで「ムハンマド」(20名)、他の犯人も「アブドゥル」といった典型的なムスリム名だったのです。白人とムスリム移民の人口比を考えると、これはあまりにも異常なことです。


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告訴された犯人の名前のリストの抜粋。圧倒的に「ムハンマド」等のムスリム系が多い。


しかし、事件が公共の耳目を集めるまでに実に20年以上もの歳月が流れてしまいました。そこまで露見が遅れたことの主要な理由が「レイシスト」と呼ばれることへの恐怖感だったというのだから、ちょっと日本人には理解できませんが、イギリスという国の病理は相当根深いものがあるようです。


精神を麻痺させる「レイシスト」という呪文

「Easy Meat」報告書によれば、ある主任警部は「この種の犯罪を阻止するには皆がそれについて口にすることが必要だが、民族的な要素を取り上げることは誰もが怖がってしようとはしなかった。それは、ひどいタブーであった」と証言しています。また別の元警官は、1979年に任務に配属されたときから「酒に酔った少女たちを拾おうとBMWに乗って徘徊するアジア男たち」が問題となっており、少女たちを狙ったその犯罪は数十年も続いていたが「レイシストと指弾されることを恐れた高官たちはそれについてコメントすることを避けていた」と証言しています。


複数の娘たちが被害にあったある母親などは、2012年の裁判で証言した際、この問題は2002年の時点から警察に認知されていただけでなく、何度も保護を訴えたが誰も何もしようとしなかった、と暴露しています。


http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/crime/9254982/Rochdale-grooming-trial-police-knew-about-sex-abuse-in-2002-but-failed-to-act.html


「Easy Meat」報告書によれば警察の無気力ぶりを示すエピソードには以下のようなものがあります。


「ある母親が、早朝5時に13歳の娘が32歳の男と家にいるのを見つけた。母親は警察に電話し、児童が男に火傷を負わせられた旨を通報した。到着後、児童本人から、火傷は自分でつけたものだと説明された警察は、それ以上の措置をとらず、また当該児童が10歳のときから性的搾取の危険があると看做されていたにもかかわらず、ソーシャルサービスに事件のことを知らせることもしなかった。」


「一人の少女の母親が、13歳の娘が5日間行方知れずになったあと、娘の携帯電話に入っていた177人のアジア男たちの名前(警官も含まれていた)、電話番号およびテキストメッセージをコピーした。警察は、この情報を使用することは少女と男たちの人権の侵害になりうると言った。」


「二人のおびえた少女たちが、車に引きずり込まれブリストルまで連れて行かれて、薬物取引の一環としてセックスのために利用された後、サポートワーカーに電話で助けを求めた。職員が彼女たちを救出し電車でシェフィールドに送り届けたが、サウスヨークシャー警察は事件について聴取を実施しなかった。」


単に無気力なだけではなく、警察による積極的なもみ消しさえも報告されています。Channel4というテレビ局のスタッフは、「アジアン」グルーミング・ギャングを題材にしたドキュメンタリーを企画した際、ウェストヨークシャー警察のColin Cramphorn本部長によって圧力をかけられて放映を中止させられた。その理由が「選挙が数週間後に迫っており、今これを放映したらムスリムが暴動を起こす心配がある」というから呆れ果てます。


警察だけではなく、行政そのものが麻痺に追いやられていました。


Laura Wilsonという少女がパキスタン・ギャングに引き込まれたうえ2010年に殺害された事件では、ソーシャルワーカーは6年前から少女がグルーミングギャングの被害を疑われていた事実を知っていたことが暴露されました。


http://www.dailymail.co.uk/news/article-2155823/Social-workers-hid-fact-knew-teenage-mother-risk-sex-grooming-gangs-SIX-YEARS-brutally-murdered.html


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パキスタン・ムスリムギャングに引き込まれ17歳で殺害されたLaura Wilsonさん。


市議会内部もグルーミングギャングの実例とその態様に関する報告に接していたにもかかわらず、「民族的背景に着目するべきではない」 という「政治的に正しい」方針のもと、問題を矮小化し対応を怠りました。


例えば2010年には、ロザラム市が「13歳から16歳までの4人の犠牲者が、捜査が開始されるまで絶え間ない性的虐待を数ヶ月、あるいは数年も受けていた」事件を調査し報告書をまとめましたが、その報告書はこう結論していました。「犯人たちはアジア系、犠牲者たちは白人だが、それはこの事案に限られたことであって、それ以上のことは何も導き出せない。より広い文化的現象を示唆したり仄めかすことは避けるようにするのが肝要である。それらの主張は根拠がない。」


なんだか、「ケルンの大晦日集団暴行事件はムスリム移民とは何の関係もない」というケルン市長の発言のクローンコピーを見ているようです。


教育機関も、「レイシスト」と看做されることを恐れるあまり、児童らに注意を呼びかけることができませんでした。例えば、オランダで起きていたモロッコ人・トルコ人による同様のグルーミング・ギャング事件から着想を得て、「My Dangerous Loverboy」と題した啓発ビデオが作成されましたが、女子生徒たちに注意を呼びかけるという当初の目的にかかわらず、結局生徒たちの視聴には供されずお蔵入りとなってしまいました。


この「レイシスト」という言葉が犯罪捜査を中断させ、報道番組を握り潰し、啓発教材を闇に葬り、この言葉によって判断力を麻痺させられた大人たちが、結果として多くの子供たちが人道犯罪と言えるほどの凄まじい被害に遭っているのを看過してきた。 警察も、行政も、報道機関も、教育機関も、この「レイシスト」という言葉に出会うたびにつまずき、機能停止を起こし、被害児を守ることに失敗したのです。


それだけではありません。加害者たちもこの「レイシスト」という偽りの断罪を自在に用いて犯行を容易にしていたというのですからなおさら驚きです。


例えば、被害女児との関係を構築する際に、「君の親はレイシストだ」という考えを吹き込み、親を信用せず反抗するように仕向けて、親子の関係を分断することで犯行の露見を遅らせていた。さらに、被害者が告訴に踏み切った場合は、今度は加害者の友人や家族が結託して被害者に「レイシスト」というレッテルを貼り、嫌がらせに晒していたというのです。


そこから見てとれるのは、イギリス社会(西洋社会)に「ポリティカリーコレクト」という病理が蔓延して社会を機能不全にしているというだけではなく、ある種のギャングたちは、その病理をはっきりと見抜いて、それを自由自在に、積極的に利用しているという現実です。


「反レイシズム」の欺瞞

なぜロザラムの行政も警察も「レイシスト」と指弾された途端に、というより指弾されるかも知れない、と思っただけで思考が麻痺してしまったのか。これは一朝一夕では解明できない問題ですが、ここで「反レイシズム」の実態についてもう少し考えてみましょう。


つい最近のことですが、イギリスである動画が「人種差別的だ」として激しい非難を浴びました。


二人の幼児が無邪気に歌を歌って遊んでいます。しかし、よく聞いてみると、「幸せなら手を叩こう」のメロディにあわせて「みんな、パキが嫌いなら手を叩こう(If you all hate Pakis clap your hands)」といってはやし立てているのです。つまりパキスタン系移民に対する侮辱です。


「胸が悪くなる。これを見たとき信じられなかった」「全く新しいレベルの人種差別主義だ」「こんな小さいうちからこんな歌を歌うよう教えられて、一体どうしてこの子らが寛容で敬意に満ちた大人に成長するよう期待できるだろうか?」「子供はレイシストに生まれてくるのではない。そうなるように教えられるのだ・・・これは一種の児童搾取だ」などといった厳しい批判の声がたちまち巻き起こりました。その衝撃は日本でも報じられたほどです。


http://www.dailymail.co.uk/news/article-2906520/Disturbing-video-shows-children-young-five-singing-racist-song-tune-happy-know-clap-hands.html


イギリス人はまだ人種差別を拭いきれていないのか、と、遠国ながら腹立たしい印象を持った人もおられるでしょう。


しかし、そもそも立ち止まってよく考えてみましょう。ロザラム事件を「レイシズム犯罪」と認識した人たちがどれほどいたでしょうか。


何人かの心ある大人が少女たちを守ろうと行動を起こしたとき、「レイシズム」という言葉を聞いて思考を停止し、その足を引っ張るどころか邪魔立てさえしてしまった行政や警察担当者が、少女たちこそ逆に、主にパキスタン・ムスリムで構成される犯人たちの中で凝り固まった「レイシズム」(白人蔑視)の被害者であることに気づかなかったのはなぜでしょうか。


アフリカン・ムスリムによる「レイシズム犯罪」

別の例をとってみましょう。2013年のこと、ソマリア人移民が3人がかりで16歳の白人少女をマンチェスターのホテルの空室に連れ込み集団強姦したという事件が発生しました。


この事件の裁判では、大勢の群集が裁判所の前に集まり抗議活動をしたと報じられました。被害少女の親族らが犯罪に抗議したかと思いきや、なんと犯人であるソマリ人の親族らが判決に抗議しに大挙して集まったのです。


http://www.dailymail.co.uk/news/article-3434382/A-private-school-girl-mothers-excuse-gang-rape-terrifying-culture-clash-no-one-dares-talk-Somalian-men-living-laws-native-country-causing-devastating-repercussions-Britain.html


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抗議のために集まったソマリ移民の女性たち。


これは純粋なレイシズムです。なにしろ、犯人たちに反省の色が全くないばかりか、ソマリ・コミュニティの女性たちまでもが抗議活動に詰めかけてきているというのですから唖然とするばかりです。(同じ女性としてどうなのか?などと反射的に思ってしまいますが、彼女たちにはそういった意識は一切ないようです。)


しかし、このソマリ移民たちをレイシズムの観点から非難する人は、不思議なことに全く見当たりません。


こんな例もあります。同じくイギリスで、2010年のことですが、4人のソマリア人の女が、「白いナメクジめ」と叫びながら突然路上で白人女性に襲いかかり体中を蹴りつけ負傷させた事件がありました。居合わせた女性のボーイフレンドが必死で押し戻そうとしているにもかかわらず、犯人たちが頭を抱えて地面に倒れ込んだ被害女性に執拗に蹴りを入れている様子が監視カメラの映像に克明に収められています。


http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/crime/8937856/Muslim-women-not-used-to-drinking-walk-free-after-attack-on-woman.html


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ソマリ人の女たちによる路上暴力。白いシャツの男性が防ごうとしているが、一人のソマリ人女(手をついて地面に座っている)が横たわった白人女性に執拗に蹴りを入れている。


これぞまさしく「レイシズム犯罪」です。ところが、やはり「反レイシズム」の観点からこれを非難する人はほとんど見かけません。(いるにはいるのですが、そういう論者はほぼ間違いなく、「極右」というレッテルを貼られて周縁的な扱いを受けているのです。)


このように、欧米の「反レイシズム」には不思議な特徴があります。この運動が目を向けているのは、レイシズムそのものを指弾したり、その被害者を保護することでは全くありません。


そうではなく、欧米の「反レイシズム」の実態は、有色人種が白人の行為を(それが本当のレイシズムかどうかに関係なく)糾弾するという、社会正義の名を借りたあからさまな白人憎悪か、あるいは白人が有色人種とのかかわりにおいて自分の同胞の行為を(それが本当のレイシズムかどうかに関係なく)糾弾する「自己嫌悪」か、どちらかなのです。


日本人である筆者にとっては正直理解に苦しみますが、ともかくも、これが欧米、特にイギリスを席巻している現実のようです。


今回まで、ドイツ、スウェーデン、イギリスと三つの国を見てきましたが、どの国も、「ムスリム移民」という要素が触媒となって、理屈では説明のつかないような病んだ心理が炙り出されてきたように思えます。


果てしない「罪悪感」を抱え贖罪のために際限なくムスリム移民を飲み込もうとしてもがくドイツ、「政治的に正しすぎて」悪意の偽装難民のカモにされ、自滅していくスウェーデン、そして「反レイシズム」の自己嫌悪に阻まれ従軍慰安婦も顔負けの人道犯罪を放置しつづけたイギリス。
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjblog/57367244.html

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パキスタン系による未成年者1400人性奴隷事件で、被害者面するムスリムと彼らを守る英警察!2016年02月29日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12134237639.html


第三世界の人間が多くなり過ぎると、受け入れた先進国の行政機関や警察も第三世界になっていくんですね〜。


第三世界(だいさんせかい、英: Third World、仏: Tiers monde)は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国の総称。(ウィキペディア)


第三世界


2014年夏、イギリスのサウスヨークシャー州のロザラムで、16年間以上もの間、主に英国人少女合計1400人が、パキスタン系の男たちによって性奴隷にされていたおぞましい事件が発覚したことを覚えていると思います。

ポリティカル・コレクトネス(PC)病の末期患者である英国が、「レイシスト」と呼ばれるのを恐れて、性犯罪被害に遭っている白人少女を議会と警察みんなで見てみぬふりをした、それこそ「官憲が関与した少女性奴隷事件」なのです。
それも戦時中の70年前ではなくて平和時の今。ガクガク

その犯罪の実態は、パキスタンでは当たり前なのでしょうが、普通の人には気分が悪くなるものです。


白人を標的にする前には、パキスタン・ムスリムはシーク教徒の少女を性奴隷にしていて、そのことを警察などが放置していたようですね。
パキスタン側ではムスリム説教者たちが若者に性犯罪を奨励し、シーク側が自警団を作って衝突していたようです。

こちらぁ・・・で経緯や詳細、考察など詳しく書かれていますので、是非ご覧になることをお勧めします。
ブログ ポリティカリーコレクト狂騒曲(4):「レイシスト」は魔法の呪文 tfj*lo* 様


それでこのおぞましい事件ですが、その後どうなっているのか、最近裁判があったので見てみたいと思います。


らいん2014年夏の事件発覚後から今までを時系列で書いていきます。らいん

2015年1月の報道で、英国国家犯罪庁(NCA)の上級捜査官が、前年の Alexis Jay教授による厳しい報告書(=ジェイ・リポート)で被害者を1400人としていることを正しいと認めています。

ジェイ・リポートには、1997〜2013年の間、主にパキスタン系の男性がグルーム(最初は優しくのちに調教する方法)、人身売買、レイプを行っていたと報告しています。
NCAは、(PCのため)パキスタンと言えず、ほとんどはアジア系の男性が犯人で、被害者は英国の少女だと答えています。

ジェイ・リポートでは地元警察や議会関係者を厳しく批判しており、多くの関係者が辞職に追い込まれました。

(引用:REPORT: 300 Suspects Identified In ‘Horrendous’ Rotherham Child Sex Abuse Scandal 24 Jun 2015 BREITBART)


2015年10月27日の報道によれば、 ‘British Muslim Youth’ というムスリムの団体が、警察へのボイコットを採択してムスリムコミュニティに追随するよう呼びかけました。

この団体は正式には、Rotherham Muslim Youth(ロザラム・ムスリム青年団)という名で知られた存在で、"イスラムの本当の教えを促進する"ことを目的としているそうです。
当然男だけの組織です。


ボイコットとは、警察との通常の付き合い、情報交換などをしないということのようです。
警察へのボイコットの理由は、ジェイ・リポートの中で、「ムスリム社会は、明るみに出た未成年者を対象とする大規模な性的搾取事件を何度も非難している」という箇所が、レポートによって社会的な注目を浴びるまでムスリム社会が非難していなかったように見えることや、そのせいで嫌がられ、疎外感を持ち、またムスリムの女性が攻撃対象になることを問題視しているからということのようです。

British Muslim Youth会長のMuhbeen Hussain氏は、ロザラムでの"イスラム恐怖症"は前例のない大きなものとなっている、月に2回は攻撃されていると述べています。

そして次のように言っています。
「警察へのボイコットの呼びかけに応じないロザラムのすべてのムスリム組織や機関は、ムスリムコミュニティからボイコットされます。」
「ボイコットをやめてほしければ、サウスヨークシャー警察は、我々の懸念に耳を傾け、我々を共通のゴールを目指す対等なパートナーとして扱い、間違いを認めることを要求する。」

これに対してロザラムの警察トップは、
「ロザラムで緊張が高まっているのは認識していた、ムスリムユースからの正式な申し出は受けていなかった、早急に彼らとコンタクトを取りたい、我々の過去の過ちは認める。
今は、捜査に全力を挙げて犯人を裁きの場にかけるよう努力している。12月に8人を裁判にかけるだろう。」ということを話しています。
(引用:UK Muslims Urge Police Boycott, Prompt Grovelling Statement From Cops 27 Oct 2015 BREITBART)


2016年2月、8人のうち2人は嫌疑が晴れたようですが、6人に判決が出ました。
パキスタン系のフセイン3兄弟にそれぞれ懲役35年、25年、19年、彼らの叔父が10年、場所を提供したなどの罪で女性2人のうち1人が13年、もう一人が執行猶予付きです。

またロザラムの市議会副リーダー兼警察の副会長が、この3兄弟と親戚だったそうです。

現在、警察を監視する団体が、200人もの警官をこの事件の関係で調べています。
警察官自身が少女と関係を持ったり、ムスリムギャングを守ったりしているようで、独立した委員会が警察官92人の嫌疑を受け取り、55件の捜査を始めています。

上3人が兄弟、下が叔父です。怖いんで小さくしちゃいました。ガクブル

犯人たち

(引用:英ロザラム集団性的暴行事件犯人に重い判決・国籍剥奪もありうる  2016年2月29日2016 各国反応 – 気になる海外反応を配信から)
(引用:Rotherham Abuse Trial: Six Guilty of Child Sex Offences 24 Feb 2016 BREITBART)
(引用:Rotherham Police Had Sex With Abused Girls And Covered For Relative Sex Groomers 25 Feb 2016 BREITBART)
(引用:Ringleader of Rotherham child sexual abuse gang jailed for 35 years 26 February 2016 ガーディアン)

2016年2月26日の報道によると、ロザラムの警察は"イスラム恐怖症"からイスラム教徒を守るために、彼らの警護を強化すると発表しています。

白人少女へのヘイトクライムを長年放置して、加担してきた警察が、イスラム教徒へのヘイトクライムには断固戦うそうです。

統計ではヘイトクライムは減っているそうです。
しかし、警察は1年以上も前に81歳のイスラム教徒がモスクへ行く途中で殺された事件をあげ、ヘイトクライムからイスラム教徒を守らないといけないと言っています。
1400人の未成年者に対する大規模な性犯罪で6人に判決が出ましたが、凶悪な3兄弟はパキスタン系であり、これによるイスラム恐怖症も心配しているようです。

届け出のないヘイトクライムもあるということを警察と連携している人権団体から知らされているので、そういうことも勘案してパトロール強化を決めたということです。

ロザラムの警察司令官であるJason Harwin警視正は、
「ヘイトクライムの被害を受けた人、被害を受けている人を知っている人は警察、またはその他の機関に相談してください。警察はそれらを適切に扱いますので、前向きに対処してください。」と言っています。

(大規模な未成年者に対するおぞましい前代未聞のヘイトクライムが進行しているときに聞きたかった言葉ですね。はこ怒る)


あの警察へのボイコットを呼びかけた‘British Muslim Youth’ の会長Muhbeen Hussain氏は、
「町中でヘイトクライムに遭っています。個人が中傷され、ムスリムコミュニティは何か隠しているのではないかと思われています。それは憎しみを掻き立て、コミュニティを分断してしまいます。」こう述べています。

(多文化主義を推し進め、都合の悪いことはなるべく報道しないPC病をまき散らす)BBCのラジオ番組にこの会長は出演したようです。

(引用:Rotherham Police Increase Patrols To Protect Muslims From ‘Islamophobia’, Acknowledge ‘Hate Crime’ Is Falling 26 Feb 2016 BREITBART)


これだけの大規模犯罪を16年間も続けてきて、その前のシーク教徒への犯罪もあるんですよね。
それでもロザラムのイスラム社会が無関係だったんでしょうか?
とても信じられませんね。SAYUコラ!


ムスリムによる警察ボイコットって何ですか?これ許されるんですか?
この態度のデカさは彼らの本質でしょう。
警察も脅迫されて、イスラム教徒から未成年者を守るのではなく、イスラム教徒を守るんですね。
警察こそ"イスラム恐怖症"が蔓延していて、PCも患っているから、こうなるんでしょうか?

結局は、テロリストになられたら困るということでしょうか?
疎外感を抱かせた方が悪いという彼らを庇う多文化主義者が横行していますから。

テロリストではないイスラム教徒は穏健と言われているようですから、今回登場したムスリムはみんな「穏健派イスラム教徒」ですね。

テロリストになってほしくないならいうことを聞け!と警察を脅し、世間には被害者面して、どんどん他国を浸食していく「穏健派イスラム教徒」、なんて恐ろしい人たちなんだろうと思いました。ガクブル
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12134237639.html


▲△▽▼

★スウェーデン:多文化国家になるために死んでいく「スウェーデン」、その様子。2018年08月30日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12400066788.html

スウェーデン関連の16記事を列記します。


1サッカー大会で豚肉を禁止した 

2国内何か所かで同じ頃車約100台が攻撃される 

3ムスリムは暴力的性犯罪に占める割合が突出 

4少女への集団残虐レイプ犯のアフリカ人が刑を減刑される 

5性犯罪常習者のアフリカ人を退去させられない 

6知的障害女性を集団残虐レイプしたアフリカ人が無罪放免 

7政府が移民男性に白人女性との性交渉を奨励 

8凶悪ギャングは移民が主流 

9大都市の小学生44%が移民の背景を持つ 

10コーラン学校ではムスリムが非ムスリムより上だと教える 

11国内のイスラム過激派10年間で900%増加 

12年齢詐称の子供難民がスウェーデンの居住許可をもらった後で中東の両親宅へ里帰り 

13イラク人がイラクに住みながらスウェーデンの社会保障5万ユーロをもらう 

14移民難民のコストは国家予算の4倍

15移民のために社会保障をカットする自治体 16多文化主義先進地域マルメの惨状 


1

ゴシアカップ(毎年7月にスウェーデンのイェーテボリで開催される世界最大規模のユースサッカー大会)で、ムスリムのために豚肉を禁止して食事を提供しました。

主催者サイトに昨年10月その旨が告知されています。

クリップSweden’s largest football tournament bans ‘forbidden pork’ from the menu to please Muslims  By VOICE OF EUROPE 11 June 2018

2

8月13日、スウェーデン西部(イェーテボリ、ファルケンベリ、トロルヘッタンなど)で破壊行為が起き、およそ100台の車が放火などで破壊されました。

イェーテボリから75q北のトロルヘッタンでは40人ほどの若者が道路を封鎖し警官に投石、車に放火しました。

9月の総選挙が近づく中、マスクをした若者ギャングなどが起したこの破壊行為を、左派リベラルのStefan Löfven首相はラジオでまるで軍事作戦のようだったと述べました。

また、首相はラジオで犯行に及んだ者たちに対して、「失望、欲求不満、不公平は他人の車を攻撃する動機にはならない」と述べ、このような者たちには厳しい罰を科すと約束しました。しかし、彼らの中には未成年者も含まれていて、警察は犯人を特定していてもその場で逮捕せず、親たちから話を聞いているとのことです。パンダ残念

ファルケンベリは男女別の難民センターがあり、トロルヘッタンでは警察に対する度重なる攻撃があり、良く知られた何人かのイスラム国戦闘員の本拠地でもあります。

右上矢印こちらはイェーテボリの様子

クリップSwedish Prime Minister calls arson attacks in his country ‘coordinated like a military operation’ By LAURA CAT 14 August 2018

3

2012-2017年の調査結果によると、ムスリム移民は“暴力的な性犯罪者”に占める割合が突出していることがわかりました。

非常に残虐なレイプ犯罪の84%はムスリムが圧倒的な国からの移民によるもので、多い順にアフガニスタン、イラク、ソマリア、スウェーデン人となっています。

この調査によると、レイプ犯となりやすい集団は順に、アルジェリア、アフガニスタン、チュニジア、モロッコ、パレスチナ人となっています。

そして最も衝撃的な結果は、強姦罪の95.6%が移民による犯行だということです。

クリップSweden: Migrants from Muslim-majority countries commit 84 per cent of ‘very violent’ rapes  By VOICE OF EUROPE 24 October 2017

4

13歳の少女に非常に残虐な集団強姦を行ったアフリカ人たちの刑が減刑されました。


右上矢印犯人たちと犯行現場

スウェーデン中部の都市ヴェステロース(Vasteras)で2017年1月14日、2000年生まれとされるソマリア人3人と当時15歳以下で刑事責任を問われない1人に集団強姦されました。

13歳の少女に酒を飲ませての犯行で、血だらけにさせる暴力的なレイプをビデオ撮影してネット上にも流しました。

今年4月に8ヶ月の少年院収用の判決が出ましたが、不服として検察が控訴しました。ところが裁判所はより軽く、2人を5ヶ月、1人を4ヶ月にしてその1人は釈放されてしまいました。

3人のソマリア人はスウェーデンとソマリアの二重国籍保持者のため、ソマリアへ送還されることはありません。
クリップVery low sentences for African migrants after ‘bloody gang rape’ of 13-year-old girl in Sweden  By VOICE OF EUROPE 23 July 2018

5

28歳のケニア人が何度もレイプなどの性犯罪をくり返しながら強制送還されません。彼がスウェーデンのパスポートを持っているからです。

右上矢印28歳のケニア人性犯罪者

この男は1998年にケニアからスウェーデンにやってきて性犯罪を繰り返しています。

2014年2件のレイプで6年の禁固刑となりました。1件はクリスマスイブに92歳の女性を(vaginally and anally)レイプした罪です。もう1件は戸外で別の女性をレイプした罪です。

今年条件付きで釈放された男は、釈放からわずか3日後に障害のある女性への性暴行、13歳の少女に自分の性器を見せる犯罪行為を行いました。

これらの事件ではたった3か月の刑が科されただけでした。

この男をケニアに送還することは出来ません。

クリップINSANE Sweden: Migrant will NOT be deported for raping 92-year-old woman on Christmas Eve  By VOICE OF EUROPE 29 June 2018

6

5〜6歳児程度の認知能力しかない発達障害の18歳の女性を暴力で怪我させながらレイプしたエリトリア人4人(17歳から20歳)が、暴力をふるったことと女性の発達障害を知っていた証拠がないという理由で無罪放免されました。


右上矢印エリトリア人集団強姦犯たち

今年5月5日エリトリア人の1人がストックホルムのT-Centreでこの女性と会い、話し、電車と車に乗り継いでBrommaのアパートに連れていきました。

そのアパートには既に2人が待っており、もう一人の17歳の後からやってきました。

女性は両手両足を持たれて殴られて(anal and vaginal)レイプされたと話しました。体の広範囲に怪我をさせられながらのレイプでした。

暴行から2日後に足に8か所、腕に2か所のあざが認められにもかかわらず裁判所は別の時にできた傷かもしれないと言い、また男たちが女性の発達障害を知っていた証拠はないとして釈放しました。

クリップSweden: Four men rape woman with cognitive ability of a 6-year-old and walk free
By LAURA CAT 22 August 2018

7

スウェーデン政府は「移民のための性コース」に予算を投入し、その中では、浅黒い移民の男性とブロンドの女性の写真をいくつも使います。


右上矢印Fria Tiderより

これらはアラビア語、ソマリ語、ダーリ語(アフガニスタンの言葉)などにも翻訳されています。

このコースは移民に「健康・性・男女平等」を教えることを目的としています。

Sweden invests millions to teach migrants how to have sex ‘with blonde women’
By VOICE OF EUROPE 21 July 2018

8

スウェーデンのギャングリーダーや危険な犯罪者たちは(ネイティブの)スウェーデン人に見えません。


スウェーデン紙 Expressenが犯罪と移民の背景には強い関連性があることを示しました。

Expressenは首都ストックホルムの最も危険な犯罪者400人のレビューを発表しました。

ストックホルムでは62人のギャングリーダーたちが新しい犯罪集団とリンクした19の犯罪ネットワークを支配しています。

メインリストにいる21人のうちスウェーデン人かスカンジナビア系の名前は4人しかいません。

クリップSurprise! A large majority of gang leaders and dangerous criminals in Sweden do not look Swedish  By VOICE OF EUROPE 30 June 2018

9

スウェーデンの大都市の小学生44%が移民の背景を持っています。


新しい調査によると移民の背景を持つ人は急激に増えています。7歳から16歳の大都市に住む子供たちは半数近くがスウェーデン語を母語としていません。

母語がスウェーデン語以外の子供は国全体では27.6%、ストックホルム、イェーテボリ、マルメでは44%となっています。

この3大都市圏の自治体の中には既に50%を超えているところもあり、中には70%に到達しているところもあります。

(スウェーデンの人口の85%が上記3大都市圏に住んでいます)

クリップSweden: 44% of children in primary schools in large cities have a migrant background
By VOICE OF EUROPE 10 July 2018

10

SVT放送局がBorlängeにあるコーラン特別学校の教えが問題となりつつあると報じています。


地元校長によると、コーランスクールではムスリムの子供たちはコーランを読み、他のムスリムを尊敬するように、そして白人の言うことは聞かないようにと教えられているそうです。

普通の学校の後週3〜5回ほど通い、そこに通う子供たちは「あなたの言うことは聞かない、あなたは白人だから」、「あなたはムスリムではないのになんであなたの言うことを聞かなくてはいけないの?」というとのことです。

校長は、コーランスクールが分離の中で更なる排除を作り出していると信じていて、コーランスクールの生徒はスウェーデン人に敵対的な行動をとると話しました。

クリップKoran school in Sweden teaches Muslim kids to feel superior to non-Muslims

By VOICE OF EUROPE 16 June 2018

11

スウェーデン当局は昨年、イスラム過激主義者がこの10年間で200人から2000人に増えたと公表しました。イスラムの原点を目指すサラフィー主義がスウェーデンで台頭していることを265頁のレポートで報告しています。


その調査結果によれば「すべてのサラフィストがジハーディストというわけでないが、すべてのジハーディストはサラフィストである」ということです。

サラフィストのムスリム説教師が子供を含めたムスリムコミュニティに影響を与え、不穏な日常にしている実例が示されています。非ムスリムを憎み友達にならないようにとかアラーを愛するようにということを鼓舞しています。

クリスチャンの水である水道水を飲むことを拒み、非ムスリムと過ごした体をモスクで洗う子供、ベールを被らない店員のいる店で “kafir” (アラビア語で非ムスリム)と蔑んで窃盗を正当化する10代の子供、移民の店主がムスリムかどうか確かめ違えば非道なことをするムスリムの集団などが報告されています。

また、「スウェーデン人は郊外でどれほどイスラムが政治力を持っているのかを知らない。そこではスウェーデンの法律は通用しません。」との証言もあります。

※スウェーデンのIS戦闘員は、数ではイギリス、フランス、ベルギー、ドイツよりずいぶんと少ないのですが、人口比では最も高い国の一つと見られています。

※イスラムに異国情緒しか感じていないあなた! 「サラフィスト」と呼ばれる人たちを知っていますか?(川口 マーン 惠美紙の2012年の記事です。途中まででも理解できます)

クリップRadical Islam wins in Sweden: Number of Islamists increases by 900% with children being raised to hate the West – Study  By ALEX KING 17 July 2018

12

Amir Nabizadeh(写真下)は“子供難民”としてスウェーデンにやってきました。18歳と申請し、スウェーデンの居住許可を取得しました。


しかし、彼は1994年生まれの23の歳のアフガニスタン人である(年齢詐称した)ことを強く示唆するデータが出ました。

彼は年齢を誤魔化してスウェーデンの居住許可をもらった後で中東の両親のもとに旅行して、次のようなツイートをしました。

『3年ぶりテヘランの自宅、パパもママも幸せ。でも自分はスウェーデンに居たい。』

『友達や学校が恋しい。ここテヘランには何でもあるが、スウェーデンで自分が手にしているような安定は無い。』

彼はストックホルムでアフガニスタン人の抗議グループのリーダーとして知られています。彼は年齢詐称で居住許可をもらえなかったすべてのアフガニスタン人の権利回復を要求しています。

クリップSweden: Lying “child refugee” goes on vacation to the Middle East after receiving residence permit By VOICE OF EUROPE 12 January 2018

13

イラク人女性がイラクに戻ってからもスウェーデンの社会保障(約5万ユーロ≒650万円)を受け取っていました。

40歳のイラク人女性は現在逮捕されましたが、虚偽申告で不正に受け取った住宅手当、親の手当、子ども手当、出産手当など総額5万ユーロ程をイラクに帰国後に受け取っていました。

どうやってこのお金を返還するのかは不明です。
クリップIraqi woman receives 50,000 euros in Swedish social benefits while living in Iraq
By VOICE OF EUROPE 6 August 2018

14

移民や難民希望者にかかる費用が、統合の失敗や労働コストで当初予想より高くなることがわかりました。

スウェーデンの移民数は2015年の69万人から2017年には83万人になりました。

現在のところ難民はスウェーデンに来て平均58.3年生きると予想されています。

平均的な難民申請者に掛る費用は1年間で7,184ユーロ(≒94万円)となり、58.3年では418,827ユーロ(≒5,500万円)になります。2017年時点での人数で計算すると総額・・・

418,827 x 830,000 = 347 billion euros or 3,580 billion Swedish crowns.(≒45兆円) です。

(スウェーデンの人口は1012万人、国家予算は約12兆円)

クリップAsylum seekers cost Sweden 347 billion euros during their lifetimes
By VOICE OF EUROPE 6 June 2018

15

移民の増加が自治体の負担となってきています。

移民の学生が難民申請者だった場合、自治体は移民局から約1,400ユーロを2年間受け取ることが出来ます。その後は政府からの援助が打ち切られ統合(移民受入のこと)のために自治体が費用負担をすることになっています。

Östra Göingeという自治体では学生5人に1人以上が移民です。市議の1人はこのままでは統合費用をねん出するために社会保障をカットせざるを得ないと言っています。

他の政治家も政府の助成金が少なすぎるし、移民統合に2年は短すぎると述べています。

自治体は移民を受け入れるほど財政困難になっていきます。

クリップSwedish municipalities have to cut welfare to pay for raising migrant costs
By VOICE OF EUROPE 10 July 2018

16

最後に多文化主義を進めるスウェーデンのドキュメンタリービデオ記事から少し紹介します。

「2016年の時点で、マルメの人口の44%が移民の背景を持っています。そして人口の25%がムスリムです。もし多文化主義がスウェーデンを強くするならマルメがスウェーデンで一番良い学校、低い犯罪率、強い経済なっているはずです。しかし、初等教育卒業において昨年スウェーデン全国290自治体の中でマルメは235位でした。2014年マルメのVarner Ryden小学校では10人に1人しか卒業しませんでした。この学校はマルメで最も多文化の進んだ学校でしたが2015年暴力多発で閉校となりました。」

「マルメでは、毎年約400台の車が放火されます。2016年だけで120件の学校火災がありました。2014年から26件の手榴弾爆発がありました。ユダヤ人は危険を感じてマルメから去っていっています。マルメの人口動態は他のスウェーデンの20年先を行っています。マルメは年間5億7千万ドル分の地方交付税を他の地域からもらうことで存続しています。スウェーデンが今マルメの赤字分を払っていますが、スウェーデン自体が大きなマルメになった時に誰がスウェーデンの赤字分を払うのでしょうか?」
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12400066788.html

▲△▽▼

ムスリムは やりたくなるとすぐに性奴隷を調達してくる

中東・北アフリカ出身7歳、10歳、14歳の強姦魔が5歳の少女を襲撃 2016/6/22
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69451269.html


こんな見出しはよくないのですが、怒り心頭に発しているのであえてこういう表題をつけました。


米国アイダホ州ツインフォールズという町で、中東・北アフリカ移民の少年たち3人が5歳の地元少女を狙い集団的な性的攻撃(一部の報道では強姦)に及んだことが昨日報じられました。


(当初犯人は3人のシリア難民の少年たちといわれていたようですが、最新の情報では2人がスーダンおよび1人がイラク出身となっています。2009年以来、ツインフォールズは300人あまりのイラク人難民、160人あまりのスーダン人難民を受け入れてきたそうで、少年たちは7-14歳という低年齢で、これら難民たちの子弟と見られています。)


http://magicvalley.com/news/local/govt-and-politics/public-criticizes-council-for-handling-of-assault-allegations/article_2f3f9f76-a983-568f-896e-a90d8a74ea80.html


http://www.wnd.com/2016/06/muslim-migrant-boys-accused-of-assaulting-idaho-girl-5/#!


http://www.breitbart.com/big-government/2016/06/21/idaho-police-iraqi-sudanese-immigrants-allegedly-rape/


この犯行の詳細は、訳するのも本当に気持ちが悪くなります。


耐性のない人はこれ以上読まないでください!


報道によれば、 6月2日の午後、3人の少年たちは外で遊んでいた5歳の少女を集合住宅のランドリー室に連れ込み、2人が少女の服を剥ぎ取って性的攻撃を加え、1人がそれを携帯でカメラ撮影していたとのこと。


現場を発見して少年たちを止め、後に警察に通報した89歳の老婦人がWNDに証言しました。


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3週間前の午後3時半ごろのことよ。私は中庭のポーチに座っていて目をあげたら男の子がカメラで写真を撮ってたの。彼はアフリカとか、海外から来た子だろうけど、洗濯室の外側に立って、洗濯室の中にいる子供たちの写真を撮っていたの。....私は、(カメラつき携帯電話を持ってる)男の子が面白そうなしぐさをしていたので何かやってるなと思ったの。彼は写真を撮りながら他の年少の二人の男の子たちに指図していた。ドアは、彼が外から撮っているシーンを見るには十分なくらいに裂け目ができていて、私はそのドアを開けて、何が起こったのかを見て、ほとんど気絶しそうになった....この哀れな女の子がどんなかわいそうな目にあったか....


警察が来て、次の日刑事たちも来て私と話をしたの。知ってることは全部話したわ。一番ひどかったのは彼らが女の子の服と、女の子の身体の上にも、小便を撒き散らしていたこと。こんなことは今まで見てきたなかで一番ひどいことだわ。同じ歳のアメリカ人の子供たちより、あの男の子たちはもっと早熟なんだと思う。私は、こんなことを小さな女の子にするのを今まで一度も見たことがないし、ここにはたくさんの子供たちがいるの。


小さな女の子は丸裸だった。男の子たちも服を脱いでいた。一番小さい男の子は「僕らやってないよ。あいつがやれって言ったんだ。」って年上のほうの男の子を指差してた。あの男の子たちは、母親と海外から引っ越してきたのよ。母親たちは英語すら話せないし、まあ何人かは話せるけど、他はしゃべれない。長いドレスを着て、長い黒い布を頭に被ってるわ。


私が見たのは、2人の男の子たちと、死ぬほど怖がっている小さな女の子よ。私は男の子たちに服を着たら、と言った。彼女は死ぬほどおびえてたわ。「ジョーおばあちゃん、ジョーおばあちゃん、助けて。」って。私は彼女の祖母じゃないけどこのあたりの子供たちは皆そう呼ぶの。


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犯行におよんだ10歳と14歳の少年たちは現在少年鑑別所で身柄を拘束されているとのこと。7歳の少年も犯行に加わっていますが拘束されていません。


イメージ 1

現地の反対活動家が撮影した、2人の少年が収容されている鑑別所建物。壁際にいるのは少年たちの家族と目されている。


少年たちの年齢を考慮して、刑事裁判には至らず、事件は「封印」されたとのことです。


このニュースはもともと、2,3日前から急激にソーシャルメディアで拡散し始めましたが、当初はいくつかのニュースサイトが「まったくのデマ」と断定する報道を掲載していました。


どうやら、いつまでたっても刑事裁判が進まないことに業を煮やした住民たちが市に説明を求めたらしいのですが、かえって「白人至上主義者」と決め付けてくるなど、自治体の姿勢は事件そのものの否定に終始。


それでかえって個人ブログやSNSを通じた情報が爆発的に拡散しただけでなく、少年たちやその家族への相応な司法処分を求める住民によるオンライン署名サイトまで立ち上げられました。


http://www.ipetitions.com/petition/justice-for-our-children


「反移民運動のために利用しようとしている」「レイシスト」といった決め付けも効果はなかったようで、抑えきれず噴出してきたようです・・・


当たり前です。こんなことが起きて平然としていられる神経が異常です。


7-14歳の少年がこんなことを思いつき、3人揃って実行に移すということは、この移民集団が持つ社会規範は、何か我々のものとはとてつもない違いがあるということをはっきり示しています。


なぜここまで極悪な振舞いができるのか?そもそもなぜこんなことをしようと思いつくのか?人を家畜ぐらいにしか思っていないのか?


(これは後々分析していきたいと思います。)


そしてもうひとつ恐ろしいのは、犯人が低年齢の場合刑罰らしい罰が与えられないということです。


日本にも少年法がありますが、大抵の先進国ではある一定の年齢以下の少年が犯した犯罪は警察も司法もほとんど手も足も出せないのです。全く罰されないか、ほとんど申し訳程度の罰しか与えられません。


被害者と家族は生涯残るトラウマを抱えつつ、加害者は何もなかったかのように生活できる可能性が高いのです。


そして罰が与えられなければ、今後同様の犯行を思いとどまらせえるインセンティブは何もありません!


メルケルもそうですが、国際的にいい顔をしたかったがために、地元の人に何も知らせずこんなものを「輸入」してしまったオバマ政権の罪は本当に重いです!


難民の大量「輸入」は我々には想像を絶するような犯罪形態の「輸入」にも繋がる。早く、早く気づかないと大変なことになります!


こういう呼びかけは好きではないんですが、あえて言わせてもらいます。難民問題と犯罪の増加に懸念を持っている方はこれを拡散してください!


→6/23追記: 「ナスタチウムのブログ」様、ありがとうございます。

筆舌に尽くせない被害を受けたうえ「デマ」呼ばわりされた被害者家族のためにも、他にも取り上げてくれる方が出てくることを願っています・・・


蛇足:それから、たった460人ぽっちの「難民」の中からでさえも3人の超悪質な変質者・強姦魔が出てくるとしたら(確率は約1/150!!)、安倍政権が留学生として受け入れると言っている150人のシリア難民は本当に大丈夫なのでしょうか?
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69451269.html


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「穏健派ムスリム 」とは一体何者なのか(イントロダクション) 2016/8/16
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69566883.html

アメリカ・アイダホ州ツインフォールズ。アメリカにおける中東・アフリカ難民の受入地の一つであり、5歳の幼女が、スーダンおよびイラクからの難民と見られる、14歳、10歳、7歳の3人の少年たちに集団強姦された事件が発生した場所です。


被害女児は、少年たちにナイフをつきつけられ、逃げたら殺すと脅迫されたうえ、筆舌に尽くしがたい暴行を受けました。最も年長の少年は、その様子を動画で撮影しながら、他の少年たちに犯行を指示。そして加害者の親は被害女児の親に向かって「警察には言うな」。


さらには、加害者のうち年長の2人のみがほんの短期間拘束され、最年少のひとりは拘束すらもされず、今現在は全員が自由に街を歩きまわっています。(しかも、一人は被害者少女と同じアパートに住んでいる。)


それだけでなく、犯行を見つけ通報した老女や、被害者の家族は移民たちからの間断ない威嚇や嫌がらせにさらされていると報じられています。


(「ナスタチウムのブログ」様が、関係者の証言と事件の経過を余すところ無く翻訳した力作をアップしてくださいました。読んでいるとつらくなりますが、日本に同じ轍を踏ませないための苦い「薬」だと思って、全ての日本人に読んで欲しいと思います。)


アイダホ州ツイン・フォールズの極悪非道な難民犯罪を隠したがるツイン・フォールズの人々。(続報)2016年08月09日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12188124982.html

そのツインフォールズで、ムスリム移民による2件目の性的攻撃事件が発生したと報じられました。


http://www.kmvt.com/content/news/Man-arrested-for-sexually-assaulting-vulnerable-adult-389555332.html

Mohammed Hussein Ibraheim Eldai容疑者(28歳)は、知的に障害のある女性に対し性的攻撃を働いたかどで逮捕。


http://media.breitbart.com/media/2016/08/Mohammed-Hussein-Eldai-Twin-Falls-police-photo-flickr.jpg


    ツインフォールズの田舎町で性的攻撃を働いたEldai容疑者

Eldai容疑者は、この女性が散歩していて暑さと疲れを感じたので道端で休んでいたときに、自分の家で休むように声をかけて油断させ、寝室に閉じ込め痴漢行為を働き、また自分自身を露出したとの疑いが持たれており、本人も犯行を認めています。

ところが、この容疑者は2ヶ月前、地元メディアで穏健派ムスリムの代表的な例として紹介されていました。

http://www.kmvt.com/content/news/Local-Muslims-respond-to-the-recent-shooting-in-Orlando-383065121.html

その記事の中で、Eldaiは、フロリダ州オーランドで発生したナイトクラブ乱射事件について、「こういう悪いやつらがイスラムの名でこんなことをする。イスラムはそういう風には言っていないんだ。」とコメント。

http://media.breitbart.com/media/2016/08/screen-cap.jpg


    地元メディアに「穏健派ムスリムの声」として紹介されたEldai容疑者。


なるほど、自動小銃を乱射して50人を殺すことは悪いことだが、異教徒の女を慰みものにするのは悪いことではない。それが「穏健派」ムスリムの考え方なのでしょうか。


それならば、上記の3人の少年たちとその親たちも、立派に穏健派ムスリムとみなすことができるのかも知れません。一見やっていることはISISとほとんど選ぶところがないように見えますが・・・


ともあれ、ムスリム移民やイスラム・テロを批判すると、「過激派は一部だけだ」「全員をいっしょくたにするのは間違っている」といった反応が必ず返ってきます。


確かに「全員」が問題なのではないでしょう。


しかし、一部の過激派に限らず、「穏健派」を自称するムスリムたちの多くの割合、我々非ムスリムが考えているより遥かに多くの割合のムスリムたちが、受入国にとっての脅威になりうる大きな問題を抱えている、と筆者は断言します。


「『穏健派ムスリム』とは一体何者なのか」。


今後、何回かシリーズで書いていきたいと思います。
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69566883.html


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「穏健派ムスリム 」とは一体何者なのか(2) 2016/8/19
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69574078.html


異様な犯行が浮き彫りにする「憎しみ」


そもそもなぜ、ツインフォールズでは身の毛もよだつ集団強姦事件が起きたのでしょうか。


この事件の異常性は、3人の年端もいかない少年たちが、自分たちよりもっと幼い少女を、集団で乱暴し、そのことを互いの間でも、そして親との関係でも全く恥じておらず、さらにはその当の親自身もそれを恥じていないということです。


          加害者の親族とみられる難民たち


筆者は、以前、2015年大晦日のケルン集団性的暴行事件およびその後のドイツでの移民による性犯罪事件の増加を拙ブログで取り上げ、ムスリム移民による性暴力の一形態「タハルッシュ・ガーミア」には、西洋および西洋の影響を受けた日本社会で行われる性犯罪とは大きく異なっている4つの特徴があると指摘しました。


http://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69212419.html


「犯行は隠れようもない公共の場でなされる」

「数人から数十人という大集団が犯行に参加する」

「ローティーンの少女さえも狙われる」

「犯人たちは犯行を恥とはしていない」


今回のケースについては、犯人たちが異例なほど低年齢であるということです。それが、犯行に比類ない特徴を加えていると思います。


そもそも、性行為をすることさえできない、それどころか性欲というものを持っているかどうかさえおぼつかない幼い少年が、なぜこんなことを思いつき、実行に移すのでしょうか。


それを説明する要素はひとつしかありません。


「憎しみ」と「侮蔑」です。


性というものは簡単なものではなく、肉体と感情の発達が絡み合った人間の複雑な営みです。


小学生から中学生の少年少女が性暴力の犠牲になったという話はたくさんありますが加害者になったという話はあまり聞きません。その年齢では性というものをよく理解できていなかったり、自分の願望どおりに行為を行うという以前に、そもそも自分の身体をどう扱うべきかも分かっていないことのほうが多いからです。


しかし、憎しみというものは、生育環境によってはほんの幼稚園児でさえ爆発させることが可能です。(子育てをしていたり小さい子供に接することの多い方はわかると思います。個人差はありますが、友達に対して威張る、意地悪する、暴力を振るう、物を盗る、そういった行動は小学校に入るころには十分できるようになります。)


それを踏まえ犯行の詳述を(吐き気がするのをこらえながら)読んでみれば、これは単なる性犯罪ではないということがわかります。


少年たちは、肉体的には強姦をすることができるほど発達していないにもかかわらず、強姦におよんだのです。だとすれば犯行の裏にははっきりとした性欲があったわけではない。


むしろこの犯行の形態は、犯人たちが(自分たちに対しては何の害を及ぼすこともできない)5歳の幼女に対して、何らかの理由で極めて激しい憎しみを抱いていたということを示唆しているのです。そして、肉体的には自分自身も未発達であるのにもかかわらず、かかる行為が相手に最大級の屈辱と恐怖を与えるものであるということだけは、なぜかよく知っており、まさにそれを狙って行為に及んだと見受けられます。


この不気味な少年たち、そしてその親たちはいったい何を考えていたのでしょうか?


「汝の右手が所有するもの」

拙稿では、「穏健派ムスリムとは一体何者なのか」と題して、その内実に迫ろうと試みています。


ところで、ISISであろうと、ザキール・ナイク博士のような過激派説教師であろうと、いわゆる「穏健派」ムスリムであろうと、全てのムスリムが同様に敬意を払い、それを神の言葉として頂くひとつの聖典があります。


それは、言うまでもなく「コーラン」です。


イスラム世界ではコーランの暗記が推奨され、小学校高学年くらいになると全章丸暗記する少年もいると言われています。


モスクでは、よくコーランの節が原語のまま朗誦されたり、信徒たちも一緒に朗誦したり、あるいはコーランからの言葉をちりばめた説教が語られたりしています。


コーランは、ムスリムと称する人たちならば、過激派・原理主義者から穏健派までが例外なく尊重する聖典です。


そのコーランの中に、「汝の右手が所有する者」という、われわれには一見不可思議な記述があります。


あなたがたがもし孤児に対し、公正にしてやれそうにもないならば、あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である。(4:3)


またあなたがたに(禁じられている者は)、夫のある女である。ただしあなたがたの右手の所有する者は別である。(4:24)


預言者よ、われがあなたの妻として許した者は、あなたがマハル[婚資]を与えた妻たち、また捕虜としてアッラーがあなたに授けた、あなたの右手の所有する者、あなたの父方のおじ、おばの娘たち、母方のおじ、おばの娘たちで、あなたと共に移住してきた者、また女の信者で心身を預言者に捧げたという者で、もし預言者がこれと結婚を欲するならば(許される)。これはあなただけの(特例)で、外の信者たちには許されない。われは、あなたが窮地に陥いらないようかれら(信者)の妻、とその右手の所有する者に就いて、かれらにわれが決めたことは承知させている。アッラーは寛容にして慈悲深い方である。(33:50)


信者たちは、確かに勝利を勝ちとる。かれらは、礼拝に敬虔であり、虚しい(凡ての)ことを避け、施し〔ザカート〕のために励み、自分の陰部を守る者。ただし配偶と、かれらの右手に所有する者は、別である。かれらに関しては、咎められることはない。(23:1-6)


(以上、強調筆者)


このコーランの記述は一体何を意味するのでしょうか。


ナイク博士だけではない「性奴隷」の支持者たち

ここで、日本でも多くの在日ムスリムや日本人改宗者たちから暖かく迎えられたイスラーム説教師、ザキール・ナイク博士にご登場願いましょう。


ナイク博士は、この「汝の右手が所有するもの」とは戦争捕虜として奴隷となった者を指す、とはっきり語っています。


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ある兄弟が私に聞きました。預言者の時代、女奴隷である女たちがおり、彼女らと結婚せずに性行為をすることは許されていたが、なぜそれが許されていたのか?その特権とは何だったのか?逆もまた同様なのか?多分違います。コーランには誰と性行為をしてよいかを定めた節がたくさんあります。あなたの妻である女たち、そして、その右手が所有する者たちです。その右手が所有する者、とは、奴隷、そして預言者の時代には、戦争があり、戦争があれば捕虜があり、双方で捕虜があれば、男も女も奴隷となりました。


・・・・もし結婚する手段がなければ、女奴隷と結婚し、彼女に自由を与えればよいのです。


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つまり、コーランは奴隷制度を認めるどころか強制結婚、すなわち性奴隷という最もおぞましい習慣も認めているようです。


とすると、ナイク博士の一見とんでもなく野蛮な発言も、コーランに即して考えるなら全く不自然ではないというふうに見えてきます。


もちろんこのことを在日ムスリムに尋ねたら、多くは必死で「そういう意味ではない、あなたの解釈は間違っている」と言うでしょう。


ですが、コーランの深い意味を探りたい信者は、通常、ハディースと呼ばれる、預言者ムハンマドの言行をまとめた聖伝に解釈を求めます。


その一節にこんなものがあります。


Abu Sirmaは、Abu Sa’id al Khadri(アラーが彼を喜びますように)に対してこう言った。Abu Sa’id よ、アラーの使徒(彼に平安がありますように)がal-’azlについて話したのを聞いたか?彼は答えた。然り、彼は言った。そして付け加えた。我々はアラーの使徒(彼に平安がありますように)と共に Bi’l-Mustaliq への遠征に赴き、何人かの良いアラブの女たちを捕虜とした。我々は妻の不在によって苦しんでいたので、彼女たちを欲しがっていたのと同時に、彼女らの身代金をも望んでいた。そこで、我々は‘azl(妊娠を防ぐため精液の射出より前に男性器を引くこと)を実施しながら彼女たちと性行為をすることに決めた。しかし、我々は言った。我々はアラーの使徒が我々のうちにいるのに事をなそうとしている。彼に尋ねようではないか?そこで我々がアラーの使徒(彼に平安がありますように)に尋ねると、彼は言った。それ['azl]をせずとも問題ではない。復活の日まで、全ての生まれるべき魂は生まれるであろうから。(サヒーフ・ムスリム3371)


すくなくともこの節では、預言者ムハンマドもその朋友たちも戦争捕虜である女たちを性奴隷にすることを前提で語っているのです。


また、「リライアンス・オブ・トラベラー」と英訳の題が付されているイスラム法のマニュアルにはこうあります。


もし子供か女が捕囚に囚われたら、彼らはその捕囚の事実をもって奴隷となり、女の以前の結婚関係は即座に無効となる。(O9.13)


ここでも、イスラム法に基づき戦争捕虜になった女性は、その夫が生きていようが死んでいようが即座に性奴隷とすることができることが示されています。


あなたの隣人である在日ムスリムは無論これらをすべて否定するでしょう。


でも、戦争を通じて異教徒を捕らえて性奴隷にしてもよい、という考え方は、イスラム世界では結構ちらほら聞かれるもののようなのです。


たとえば、エジプトのイスラム学者Abu Ishaq Al Heweny は戦争捕虜を奴隷、すなわち商品として自由に扱ってよいと教えていると報じられました。


http://www.memri.org/clip_transcript/en/5214.htm

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戦争には勝者と敗者がいる。もし我々が異教徒との戦争に勝ち彼らの地を侵略したならば、侵略先の国をイスラムの支配に服させるのが自然なのだ。イスラムの規則によればその国の人々は全て戦利品であり戦争捕虜となる。女たち、男たち、子供たち、金、家、畑、これら全てがイスラム国家の所有物となる。・・・シャーリアによれば、戦争捕虜の運命はどうなるのだろう?彼らは戦利品なので、彼らはムジャヒディーン[ジハド戦士たち]の間で分配されるべきだ。ハディース[聖伝]によれば、法は何人たりとも襲撃に参加しなかった者は戦利品の分け前を得ることができないと定めている。これはよく知られている。ジハドに参加しなければ、戦利品の分け前は無いのだ。


例えば、50万人の人口を持つ国に侵攻したとする。我々は彼らをどうしよう?何人のムジャヒディーンがいたかを確認しよう。10万人がいたとする。すると、一人のムジャヒディーンが5人を得ることになる。一人あたり5人を得るが、そこにバラエティがある。男2人、女2人、子供1人、または別のやり方で、彼らを分ける。


その取り決めが成立したらすぐ、奴隷、女奴隷、子供奴隷を売ることのできる奴隷市場を設けるべきだ。一人頭の値段が決められ、私は、例えば、5つの「頭」の権利を持っているとする。しかし私はどの奴隷も必要としていないうえ、使える金を少しは持っているとする。私はただかれらを縛り首にして片付けるべきだろうか?


いや、彼らを市場で売ることができる。しかし売るためには市場が必要だ。そして、そこで値段交渉が始まる。この奴隷にいくら払う?こっちの奴隷には?買い手が300と言えば、いや、314だ、と応じる。最終的に彼は奴隷を買って立ち去る。


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いやいや、これでははっきりしないって?


それでは、ムスリム女性指導者が異教徒を性奴隷にすることに賛同した例を挙げましょう。

エジプトの一流大学アル・アズハール大学の女性教授Saud Salehセンセイです。


http://www.express.co.uk/news/world/635942/Islam-Scholar-Saud-Saleh-Cairo-Slavery-Muslim-Women-Pagan-ISIS-Al-Azhar-University-Egypt


      あのー、それって女性として・・・どうなんですか。


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汝が所有する者たち(奴隷)、というものはイスラム以前からあったのです。それはイスラム以前のアラブだけではなく全ての国々に存在していました。誰でも、自由の身に生まれた男女を取引することができました。これは自由民の販売とよばれていたのです。これは、現在行われているような人体臓器の販売とか自由人を取引する慣行のようなものです。


しかしイスラムが勃興すると、それは奴隷を取ることをムスリムとその敵との間の合法的な戦争時に限ることにより、奴隷制度に秩序をもたらしました。私たちがもし、イスラエル、土地を収奪し人々とその信仰を攻撃しているイスラエルと戦うとしたらです。明らかに、イスラエルと戦争をするのは不可能です、コーランのSurat Al-Isra[夜の旅章]はそれを予見していますが。アラーの御力を超えるものは何もありません。


戦争捕虜となった女は、「汝が所有する者たち」なのです。彼女たちに屈辱を与えるために、彼女らは軍隊将校たち、またはムスリムの所有物となって、彼はちょうど妻たちとするのと同様彼女たちと性行為をすることができるのです。


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また、クウェートのSalwa al Mutairi という女性政治家は、サウジおよびクウェートのイスラム学者との協議の上として、クウェートのムスリム男性が誘惑されて姦淫を犯してしまわないよう、戦争状態にある他の国から捕虜を連れてきて性奴隷とすることを提唱。


http://www.dailymail.co.uk/news/article-2000292/Men-allowed-sex-slaves-female-prisoners-job--WOMAN-politician-Kuwait.html


    Mutairiさん、それって女性として・・・・聞くだけヤボですか。


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2年前、私は、女性への強い欲望を持っていたある男性と働いていました。私はかわいそうに思っていましたが、自分の仕事が忙しく、そこで私はメッカに行き彼のためにムフティ(宗教学者)の助言を得ようと考えました。


女性が大好きなこの金持ちの若い男性のためになるアドバイスを求めたのです。


私はサウジの学者に尋ねたのです。女奴隷についての法の定めはどうなっているのでしょう?と。すると彼は、奴隷を得るプロセスというのはイスラム国家がキリスト教国家を、あるいは、非ムスリム国家を襲撃して、戦争捕虜を奴隷とするものだ、と言いました。私は、それは禁じられてはいないのかと尋ねました。すると彼はイスラムは奴隷制度を許可していると請け合い、性奴隷は自由な女より法的に劣る、と答えました。自由な女は公共の場では顔と手以外を覆う必要があるが、奴隷女は腹から上は裸でいてよい、と。


イスラムでは自由な女を所有するには、男は結婚の契約を結ぶ必要がありますが、奴隷女は、ただ売られるだけです。対価を支払えば彼女は所有物となります。奴隷女は自由な女より劣るのです。


ここクウェートでも、私は宗教学者にこのことを訪ねました。すると彼らは、ムスリム男性にとって、姦淫を避ける唯一の方法は、性奴隷を買うことだと保証しました。


私は個人的にクウェートにおける性奴隷の合法化をとても望んでいます。私はここクウェートで他国からの女性、公式には奴隷ではありませんが、両親から拒絶され、クウェートの女性と一緒に住むことになった女性を見たことがあります。見返りに彼女はクウェート女性のために炊事や掃除をしていました。私は彼女を見てアラーを称えました。なぜなら彼女の状態は奴隷のようであり、ホームレスになって罪の道を歩むよりは、両親に拒絶された後新しい家を見つけたのは彼女にとって一番いいことだからです。


私は本当にこのような事例を合法化し、奴隷制度への扉が開かれてほしいと思います、そして召使のための法律と同様、奴隷の条件を定める法律が必要だと思います。私たちはあの男性に穢れた淫行の罠に堕落してほしくありません。


その代わりチェチェンといった国から性奴隷を買うことができます。


そこには買うことができる戦争捕虜もいるでしょうから。彼らも非合法に取引されるより、ここクウェートの取引業者に合法的に売られたほうがよいのではないでしょうか?全く普通のことでしょう?


性奴隷の所有者の信頼できる例はカリフHarun Al Rashidです。彼が死んだとき、彼は妻は1人しか持っていませんでしたが2千人の性奴隷がいたそうです。これは誇れることです!私たちのシャーリアが許可しているのです!アラーのおかげで、わが国にはたくさんの敬虔な商人たちがおり、彼らはこの取引に興味を示しているのです。


私はいつもクウェートの幸福を願っています!


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一方イラクの(シーア派)Ayatollah(導師)Abdul Karim Al-Haeriも、こう語ります。


http://www.memri.org/clip/en/0/0/0/0/0/0/5464.htm

  センセ、にこやかに語ってらっしゃるけど言っていること超コワイですよ


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アラーが望むならマフディ[イスラムの救世主]はもうすぐやってきます。そして、彼に反対し戦いを挑む人々や国々があれば、捕らえられたとき、彼らは奴隷と女奴隷に関する法の対象となります。もし誰かが5人とか10人の女奴隷を買って家に置き、そして友人が訪ねて来たら、彼は自分が性行為をした女奴隷を自分の客人に与えることはしません。何人かはそうでしょうが、彼は余剰の女たちをとっておくことができるのです。


(インタビュアー)欠陥のある者たちでしょうか?


そうである必要はありません。彼は客人をして女奴隷と性行為をさせることができます。友人が女奴隷と結婚し、彼の家族と問題を起こしてしまう代わりに、彼は問題を解決するのです。彼は友人の家に行き半時間かそれぐらい、夜をすごす。女奴隷と一時間ぐらいを過ごす。終わったら家に帰る。彼女[訳注:妻?]に友人の家に行っていたと言っても何の問題も起きません。なぜなら彼女らは奴隷だからです。そしてその持ち主はそれを第三者に与えることができるからです。彼は結婚契約も必要としません。


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一方こちらは中東やイスラム世界ではなく、イギリスです。


いちおう「ラディカル」とは言われていますが、フツーにイギリスのモスクで説教をしている、パレスチナ生まれ、イギリス育ちのAli Hammudaという説教師が以下のように語ったとして話題を呼んでいます。


http://www.express.co.uk/news/uk/695042/ali-hammuda-al-manar-mosque-young-british-muslims-cardiff-sex-slaves

     音声だけですがばっちり録られちゃってますよセンセ。


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これが何を意味するかについての解釈の一つは、世界の終わりにさしかかるにつれ、我々が今見ているような戦争がたくさん起きるということだ。これらの戦争のゆえに、女たちが捕囚として、そして奴隷として囚われるだろう。そう、女たちは奴隷として囚われる。


そして、彼女の主人は彼女と関係を持つだろう、それはイスラムで許可されているからだ。自分の所有する女奴隷、または妻と関係を持つことは許されているのだ。


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なんのことはない、あのナイク博士だけではなく、同じような考えかたをするムスリム学者や知識人は世界を見渡しても結構いるではないですか!


あなたの隣人の在日ムスリムはこんなものは全部、デタラメだぁ!と言うかもしれません。


ですので念のためもうひとつ例を挙げておきます。


「コーランの意味」

パキスタン出身のイスラム学者Sayyid Abul A’La Maududiは、「The Meaning of the Quran」(コーランの意味)という本を書いたイスラム界でも名の知れた人物です。


https://en.wikipedia.org/wiki/Abul_A%27la_Maududi


1979年に没したこの学者は、ラディカルでもハネッカエリの過激派でもなく、イスラム研究の功績を認められ「キング・ファイサル国際賞」という栄誉ある賞をサウジアラビアから受賞しています。(・・・・っていうか、ナイク博士も同じ賞を受賞していますけどね。)


The Meaning of the Quran(コーランの意味)という著書で、Maududiはこう論じます。


http://www.englishtafsir.com/Quran/23/index.html


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[ムスリム男性がその]陰部を守るべき一般的命令から除外される女性のカテゴリーには2種類ある。(a)妻たち、(b)適法にその所有下に入った女たち、即ち女奴隷である。かくして、この節は、結婚関係でなく所有物となっていることを根拠として、人はその女奴隷と、その妻との間と同様、性的関係を持つことができるという法を明確に定めている。もし結婚関係が条件だとすれば、女奴隷もまた妻たちの中に含まれるのであって、それらを分ける必要はなかったのである。


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いかがでしょうか。「コーランの意味」が、われわれにとっても明確になったではないでしょうか?


ナイク博士が言っていることがなんだか全然フツーに聞こえるようになってきましたか?だとすれば、あなたもイスラムの世界観が分かるようになってきたということです。


それにしても、多くのムスリムは確かにテロを起こすことはありませんが、しかし彼らの信じる「平和」とはいったい何なのか、だんだん混乱してきます。


性奴隷を肯定する学者を生み出すパキスタン。


同様の教えをする説教師が人気を博しているバングラデシュ。


彼らに栄誉ある賞を国ぐるみで与えてしまうサウジアラビア。


また異教徒を性奴隷にすることを推奨する学者や政治家が、社会からの非難を浴びて言論界から退場させられることもなくフツーに暮らしているエジプトやクウェート。


戦乱で国が乱れているとはいえ、このような教えをニコヤカに語る導師がいるイラク。


・・・・こういった国々は、一体何なんだろう、という疑問が雲のように湧いてくるのを禁じえません。


そして、在日ムスリムたちは、彼らと全く違う信念を持っているのでしょうか?それとも内心同じような考えなのでしょうか?


それは、現段階ではわかりません。筆者も即断を避けたいと思います。


次回は、イスラム世界の国々では大多数を占めている(はず)の「穏健派」ムスリムの驚くべき実態に迫ります。
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch/69574078.html


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2014-09-14
イスラム国が残虐なのはムハンマドと同じことしてるからで当然
http://gettoblaster.hatenablog.com/entry/2014/09/14/212303


シリア・イラクで大暴れの武装勢力「イスラム国(ISIS)」ですが、アルカイダにも一緒にするなと言われたその残虐ぶりは群を抜いています。

•捕虜は処刑。殺し方は斬首かつ首をどこかに刺して並べたり首塚を作ったりする。

•敵の捕虜だけでなく、異教徒なら民間人も余裕で処刑。異教徒だけでなくイスラム教でもシーア派なら処刑(男性の場合)下手すると同じスンニ派でも処刑しちゃう殺人鬼ぶり。

•でも、女性は処刑しない。イスラム教スンニ派に改宗すれば、独身のイスラム国兵士の嫁として300〜1000ドルで売られる。改宗を拒めば独身のイスラム国兵士に毎日レイプされる。この2択。


でも、これってイスラム教の預言者ムハンマド(キリスト教のイエス・キリストに相当する人)がやってたことと一緒なんですよね。

イスラム原理主義者としては、異教徒の男を処刑して、女性を奴隷にすることはムハンマドがユダヤ教徒にやったことと同じなので、この虐殺は当然に正しく、多分称賛されるべきことなんだと思う。

ムハンマドは降伏したユダヤ教徒のクライザ族の取り扱いを「男子は全て殺し、女子と子供は奴隷にすべし」って命令したらしいし。


で、この女子を奴隷にした上で、戦闘に参加した兵士たちに報酬として分配し、彼女らを強姦する権利を与えることは、イスラーム法によれば合法とのこと。

婚外性交は禁止のはずですが、奴隷は人間ではないので問題ないってことか。

ブハーリーのハディース集にも、ムハンマド在世中からこのような行動が認められていたことが書かれているそうです。


イスラーム教の預言者であり開祖・指導者であるムハンマドの軍隊とアラビア半島のメディナにいたユダヤ教徒の部族勢力クライザ族との対立、闘争の末、前者が成年男子(とムハンマド側が判断した、服を脱がせて陰毛の生えそろっていた男性全員)を虐殺した。

クライザ族虐殺事件 - Wikipedia


イスラム国は、世界中から兵士をリクルートしてるから、その住処を用意しなきゃいけない。けど、そのために集合住宅作る気もないので、取りあえず住民処刑して家を空けて、住処を兵士に提供しないといけないってことじゃないかな。

嫁が300ドルで買えるっていう充実した福利厚生を提供して世界中から兵隊を集めるためには、奴隷も確保しないとね。


あと、処刑した住民の遺体の臓器をサウジやトルコ経由で売っていると言う話もあるらしいです。資金源となる臓器を得るために殺しているという側面もあるようですが本当かな?


ISIS、イラク市民の臓器を密輸


このイスラム国の人たち、我々から見るとナチや大日本帝国以上に残虐で邪悪に思えますが、ムハンマドがしていたことだからあちらの価値観としては虐殺も奴隷もレイプも多分良いことなんだよね。

「奴隷制を復活させた」ってWebサイトに誇らしげに書いてあったらしいし。


更に恐ろしいのは、ムハンマドは53歳の時9歳の幼女と結婚してたりするので、幼児婚はイスラム的に全然問題ないこと。このため、異教徒の9歳の女の子も奴隷としてイスラム国兵士に売られてしまいそうなことというか多分売られていること。どうするよマジで。


あーイスラム国行けば幼女レイプし放題で占有幼女も調達できるなんていいじゃん!と思うロリコンさんもいるかもしれないけど、言葉も通じないと自爆要員にされそうだからやめておいたほうが良さそう。

ちなみにイスラム国の自爆攻撃は、装甲をつけたトラックの荷台に爆薬を山ほど積んで突入という元祖カミカゼの日本人が見てもドン引きする清々しさで気分が悪くなりますよ。

私は男女差別とか嫌いなんですが、日本人とか非イスラムの男女差別なんて正直もうなんかもうずっと後回しでいいような気がしてきています。


何しろクルアーン(キリスト教での聖書に相当)的には女性は男性の所有物ですから。

女性は家の外に出る時髪の毛見えちゃいけない。教育など一切不要。ちなみにサウジアラビアあたりでも女性は運転免許取れないです。

女性は男性の医師に診察してもらうことがダメというのも割と困った話のようで、これが原因で命を落とすことも度々あるらしいです。女性はあまり教育受けないので女医さんも少ないでしょうから。


ムハンマドは6歳の女の子と結婚し、9歳になった時に結婚を完成させた(やった)らしいので、彼らに取ってはには小学3年生の女児とのエッチは問題ないというか推奨されることのはずです。

サウジアラビアあたりではムハンマドに倣い今でも結婚は9歳から可能。

ちなみに借金のかたに8歳の娘を嫁として売ることを裁判所もOKした判例がある様子。でも9歳になるまでエッチしちゃだめとの判決だったそうです...


サウジで借金清算のため8歳女児が結婚 - 国際ニュース : nikkansports.com

これ、イスラム国じゃないですからね。サウジアラビアですよ。現代ですよ。


なにしろハディースには「聖戦で死ぬと天国では72人の処女と毎晩エッチ出来る(翌日にはまた処女に戻るらしい)byムハンマド」って書いてあり、これが少年兵をリクルートする時の決め台詞らしいですから。


gettoblaster.hatenablog.com

「死んだら靖国に祀られる」よりはまだ魅力的ですが72人もいなくていいから。


フェミニズムとかまず敵はあっちなんじゃないですかね。

キリスト教や仏教国とは男女差別のレベルが違いますよ。

そう考えると、男女差別をなくすことと、宗教差別をなくすことは排他的で両立できないってことにもなりますね。


このように、クルアーンに書いてあるように暮らそうと思うと現代社会とはどうにも折り合えないので、世俗派の国などではこれを魔解釈してなんとか折り合いをつけているようです。

原理主義運動はこれを堕落と捉え聖典に立ち戻る運動でしょうから、ある意味マルチンルターに似たところがありますが、聖書と違い聖典がこんな感じなので立ち戻っちゃうとこうなっちゃうのが困ったところ。


そんなわけで」、西欧的価値観とイスラム的価値観は全く折り合えないような気がするので共存不能。

もう最後は世界大戦なんですかね?


クルアーンの解釈には、世界中をイスラム化するまで聖戦しなければいけないというものもあるようで、ISISはその解釈を採用しているため、彼らの目標は世界制覇ですよ。制覇したら当然虐殺とレイプです。

これから人口が増えるのは、避妊も堕胎も教義上ダメなイスラム圏のようですし、天国で72人の処女とヤレるという士気向上のためのメッセージが聖典に書かれているあちらのほうが将来戦力的に強くなりそうですから、我々もそのうち占領されて男は虐殺、女は奴隷、幼女も売られるということになりかねない。

湾岸戦争でアメリカ地上軍に一瞬で壊滅させられたバアス党の残党がやっている軍隊と考えるとそんなに強くもなさそうですが、その後アメリカ占領時にアメリカから軍事教練を受けていますし、天国で72人の処女効果もあるでしょうし、何トンもの爆薬を積んでくるトラック自爆攻撃は結構効果的なようなので、決して侮れない強さみたいですし。

彼らは異教徒に核兵器使うのを全く躊躇しなそうなところが強そうで恐ろしい。


日本はとりあえず中東から遠いという安心材料もありますが、マレーシアやインドネシアはそう遠くないし、フィリピンのイスラムテロ組織も良くテロ起こしてるし、日本にもムスリムは増えてきている気もしますし、我々が虐殺され、奴隷として売られていくのもそんなに先のことではないかもしれませんね。
http://gettoblaster.hatenablog.com/entry/2014/09/14/212303


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「移民によって壊された国」スウェーデンは明日の日本の姿だ。(日々雑感(My impressions daily))
https://okita2212.blogspot.com/2018/11/blog-post_81.html
11月 22, 2018
<40年近く生活していたスウェーデンから、最近ハンガリーに非難してきたひとりのスウェーデン人の女性が、テレビのインテビューでハンガリー人にその経験、移民の流入による安全と治安について、急速な悪化を詳述した。

ナタリー・コンテッサは両国の二重国籍者である、しかし、スウェーデンでの彼女の人生の大部分を過ごした後、彼女は母国に避難しなければならないと感じた。彼女の友人や家族の多くもまた危険がほとんどない西側諸国に移住していると、ハンガリー国営放送局M1に話した。

コンテッサ氏は次のように語った。

「安全性はまったくありません。国に受け入れたすべての移民のせいで、残念ながら状況がさらに悪化しました」

「例えば、女性が移民から性的暴行されても誰も助けないため、日中でも私が住んでいたストックホルムの地下鉄に乗ることができません。警察は出てきません」

「あなたが昼間にコーヒーハウスに座っているとしたら、突然、15歳または16歳の5,6人の移民に、ナイフで脅しされ、携帯電話とバッグを奪われます」

彼女は、彼女が働いていた病院も含め多くの仕事は、経験の浅い移民に引き渡されており、ノルウェーのような他国にスウェーデンの医療従事者の移住があおられていると説明した。

彼女はまた、病院が危険に曝されていると主張し、スウェーデンの女性を食い物にすることで有名なイスラム移民が詰まっているため、性的暴力が増加していると主張している。
コンテッサは、政府、メディア、さらには左翼の犯人たちによって圧倒的に抑圧されていると次のように付け加えた。

「移民に性的暴行をされるので、病院で働く多くのスウェーデンの看護師が仕事を辞めます。職場でも。」

「そのことで意見を述べる人は中傷を受け、追放され、刑事責任を問われます」

コンテッサの医療界からのゾッとするような話は、ヨーロッパの地域では、当たり前のことになってきている。既に根絶した病気に蝕まれた移民が、看護師や医者に大便と尿を投げつけて襲う。一人のソマリアからの移民は、仕事中でさえイタリア人の女性に性的暴行を加えた。

最近、スプートニックは次のように報じた。

「スウェーデンが、世界で最も安全な国の一つと考えられた時代は過去のものとなった。スウェーデンの日常的な状況は、非常に危険であり、スウェーデンの病院の人間でさえも、命を気遣わなければ危険である」

「(移民の)ギャング達は、銃で割り込んできたり、待合室でナイフを持ち出し喧嘩したり、入り口付近に投げ込まれた犠牲者を撃ったりするなど、すべてマルメ病院の救急部の厳しい現実となっている」

コンテッサは、ここ三年で、スウェーデンの雰囲気が急速に暗くなり、ハンガリーへの移住に駆り立てたと主張した。彼女は、仕事の途中で性的暴行を受け、助けを求めたにも関わらず、彼女の叫び声は無視された。おそらく、関わると自らの身の安全を恐れた有能な傍観者によって。

ハンガリーのメディアによると、インタビューが放映された直後、左翼のメディアによる組織的中傷が始まった。コンテッサは、個人情報がインターネット上に明かされ、彼女の住所、生命を脅され、ソーシャルメディアのアカウントがハッキングされた。

彼女は現在、元特殊部隊の兵士による保護の下で生活している。

国家犯罪防止協議会が収集した最新のデータによると、スウェーデンには61のイスラム教の「行進禁止区域」が存在し、これは1年前の55から増加したことが明らかになった>(以上「ONTiB」より引用)


 長々と「世界ニュース情報翻訳局」の記事を引用させて頂いた。そこにスウェーデンの現状が生々しく掲載されていたからだ。

 スウェーデンはかつて世界最高の「福祉国家」だった。しかし移民を受け入れだしてから状況がガラリと変わった。単位人口当たり殺人事件は世界で第三位の犯罪大国になってしまった。

 スウェーデンは2015年当時で人口は約1,000万人、その内移民・難民は約185.8万人で人口に占めるスウェーデン以外にルーツのある人たちの人口比率は19.6%(2015年の数字だが、調べてみると2018年では24.1%だ)に達している。しかもスウェーデン人の出生率は低く、人口増はすべて移民・難民によるものだ。

 上記記事を読んでも日本国民は「移民」に関して平気でいられるだろうか。安倍自公政権が推進している外国人労働者を大量入国させる政策はまつしく「移民政策」に他ならない。

 国際的な基準でいえば他国に居住する期間が一年を超えるものは「移民」だ。移民は旅行者と異なり、働いたその国に税を支払う者だから、当然参政権も付与されなければならないし、労働力が過剰になったからといって企業や政府の都合で勝手に帰国させることは問題がある。

 国際機関に提訴されれば負ける可能性が高いことを覚悟しておくべきだ。安倍氏は「移民」ではなく「労働者」だといっている。つまり日本国民でもなければ外国人旅行者でもない。派遣労働者の一環で、特殊技能を習得したものには1号や2号の資格を与えて長期在留資格や永住権を与える、などと日本政府のご都合主義丸出しの「政策」を弄している。しかし、そうした日本政府の基準が五年後に適用しようとした際に国際問題化しないという保証は何もない。

 移民・難民によるスウェーデンの社会破壊は悲劇的だ。高度福祉社会保障制度を移民・難民が食い潰す勢いだ。すでに社会秩序は完全に破壊されている。

 明日の日本をスウェーデンのようにしたくないのなら、安倍自公政権とバカな維新の党がタッグを組んで国会を通そうとしている「入国管理法改正法」を廃案にしなければならない。安倍自公政権はまさしく日本を亡ぼす亡国政権でしかない。

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フィンランド:少女への性犯罪で難民大量逮捕。SNSを利用した手口に警察が注意喚起! 2018年12月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html

大人が無能だと子供が被害に遭います。

急激に高度でない外国人を大量に日本に入れる現政権に私たちは備えなくてはいけません。

パキスタン系移民やソマリア移民が白人少女を性奴隷にする事件はアシッド・アタックとともにもう英国の文化として定着しているようですし

(詳細はこちら)
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12360248653.html


、1400人の少女を移民のポン引きが売春させていたオランダなど組織的な犯罪も蔓延っています。また、組織ではなくそれぞれが本能のまま行動する移民難民による欧州の女性への被害が止まりません。

ポリティカル・コレクトネスで実態が隠されているために一般人には学習する機会が無く、被害が減らないようです。はこ怒る

人口が550万人しかいないフィンランドで、2015年から今までに難民申請した人の数が約42万人もいます。人口の7.6%にもなります。

フィンランドも例外ではなく、彼らを入れたことで忌まわしい犯罪が入り込んでしまいました。

すべて難民の9〜10人の男が未成年者に対する性犯罪で逮捕されました。フィンランドではこのような事件がなかったそうで、まさに移民が持ち込んだ犯罪です。

国営放送YLEによると、全員中東から来た難民が10歳の少女までもを性犯罪のターゲットにしたということです。

第三世界からの移民促進と支援をしているエリートたちはショックを受けたという反応を示しました。

舞台となったOulu(オウル)は人口が15万ほどで国内第6位の規模を持つ中核都市です。この町で難民たちは女学生たちに対し、長期(数か月)に渡ってレイプや性的暴行を加えていました。


(フィンランドにやって来た難民申請者たち/この記事とは無関係です)

性犯罪の加害者は18歳から40歳の間、被害少女は全員が15歳未満、最年少は10歳でした。

拘束されたうちの少なくとも4人は既にフィンランドの市民権をもらっていました。

刑事局長 Markus Kiiskinen氏は犯罪を非常に暴力的だと話しました。

オウルの警察副署長Arto Karnaranta氏は、自身の38年間のキャリアの中で経験のない犯罪だと述べています。

オウル警察は公式に少女達とその家庭に対して警告のメッセージを発しました。

警告内容は、オウル周辺で、下手なフィンランド語の外国生まれ又はフィンランド人でない男たちが、ソーシャルメディアを使い少女とコンタクトをとり、レイプや性暴力を加える場所に誘き出しているというものです。

しかし、ここでも決まり文句を入れることを忘れませんでした。

「警告はオンライン上のあるグループに対してだけで、すべての移民の評判を汚す事の無いよう希望します。」

刑事局長 Markus Kiiskinen氏は、「レイシズムが増えないことを望みます。警察は、すべての外国の背景を持つ人たちが不誠実で犯罪者であるということはないことを強調したいと思います。」と言いました。

やじるし http://newobserveronline.com/finland-third-world-invasion-brings-pedophile-refugee-sex-attack-crime-wave-unseen-in-countrys-history/

https://voiceofeurope.com/2018/12/young-girls-in-finland-are-increasingly-groomed-and-abused-by-adult-migrant-men-police-issue-warning/

四角02

当局はいまだに、犯罪を生む土壌を持ってきた移民勢力に気を遣っているようですが、彼らの社会が無関係ならどうしてこういった事件が彼らの移住とともに始まるのでしょうか?

第三世界の住民が先進国に来て人権を保障され、多文化共生で母国の野蛮文化が温存された場合、必ず起きるのが弱者への暴力です。

特にイスラムの場合異教徒蔑視(※1)と女性蔑視(※2)があるので異教徒の女性がレイプや性暴力の被害に遭うのは当然かもしれません。

(コーランの中に、「汝の右手が所有する者」という戦争捕虜となった異教徒の女性を指す言葉があります。こちらについてはナンミンウォッチさまの記事でご確認ください)。

※1

コーラン3-110

あなたがたは、人類に遣された最良の共同体である。あなたがたは正しいことを命じ、邪悪なことを禁じ、アッラーを信奉する。啓典の民も信仰するならば、かれらのためにどんなによかったか。だがかれらのある者は信仰するが、大部分の者はアッラーの掟に背くものたちである。

コーラン98-6

啓典の民の中(真理を)拒否した者も、多神教徒も、地獄の火に(投げ込まれ)て、その中に永遠に住む。これらは、衆生の中最悪の者である。

※2

コーランでは異教徒の女性を性奴隷にすることは合法です。(4:3, 4:24, 23:1-6, 33:50, 70:30)

だからイスラム教徒だとわかるようにベールを被りなさいと言っているのです。そうすれば(性的な)嫌がらせを受けないと言っています。 (33:59)

イスラム教スンナ派が『コーラン』に次いで重視する、ハディースには、こういうことが書いてあります。

夫が妻を誘いそれを妻が拒んだために夫が怒りの中で眠る時、天使は朝まで妻を呪う(Bukhari 4.54.460).

女性はラクダの鞍の上にいても拒んではいけない (Ibn Majah 1854)

クリップドイツ:中東・アフリカ難民対象に、ドイツ人女性をナンパ+彼女たちとの性行為の手引き講習会を開く⁈
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html


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フィンランド:移民によるレイプ多発に付き、移民が学校や保育所を訪問する「統合プロジェクト」を中止 2019年02月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12440163209.html

昨年12月にフィンランドで前代未聞の難民による少女レイプ事件をブログで紹介しました。

クリップフィンランド:少女への性犯罪で難民大量逮捕。SNSを利用した手口に警察が注意喚起!
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html


その後の様子をお伝えします。

新年の挨拶でフィンランドのSauli Niinistö大統領(写真下)が、ヨーロッパの民主主義の将来について深刻な懸念を表明しました。


その挨拶の中で、論争となっている性犯罪の増加と治安悪化について触れています。

そして、ヨーロッパは自分たちの価値観について破壊的な戦いに陥ってしまったとして、特にフランスのイエローベスト運動に注目しました。

ヨーロッパの価値観を広めるどころか、自国でそれを守らなくてはいけなくなっています。

大統領は、フィンランドは世界で最も民主的で平等で自由な国だと述べました。

「私たちの強さは常に信頼されてきました。教育から社会福祉、警察から医療まで、当局への信頼も強みです。」

私たちの国の安全を作り出している人たちが評価される習慣があることが、フィンランドの安全保障となっている、と大統領は続けました。

しかし、最近とりわけ警察に対する否定的な姿勢がこの国で注目されています。

「警察に対する不適切で攻撃的ともいえる行動がますます常態化してきています。公共サービスを提供する人たちが、その対象者を恐れなくてはいけない状況は何かが非常に間違えています。」

大統領は最近国内で起きた女性や少女に対する集団レイプにも触れました。

メディアは、アフガニスタンとイラクの男たちがフィンランドの性犯罪統計上でいかに圧倒しているかを報じており、論争が国民の間で怒りを呼んでいます。

「私たちは助けを必要とする人達を守るための国際条約に署名し、その合意内容に従うことになっています。しかし、私たちはそのシステムは他の目的で入国する人たちが悪用できるものであることを学びました。」

「更に付け加えると、私達からの保護を求めた人達の中で、保護を受けながら自ら非人間的な行いで治安悪化を作り出している人達の有様を見ているのです。」このように大統領は結論付けたのです。

https://voiceofeurope.com/2019/01/finnish-president-some-who-have-sought-protection-in-our-country-have-created-insecurity-through-inhuman-deeds/

四角02

自警団「Soldiers of Odin (SOO)=オーディンの戦士」が、移民たちによるフィンランド人の子供へのレイプ事件への対策として Ouluの町の巡回を始めました。


Soldiers of Odin (SOO)は2015年10月欧州難民危機の時に自国への難民が10倍にもなったことに危機感をもって設立された団体で、スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、イギリス、ベルギー、エストニア、カナダ、オーストラリア、アメリカにも加盟団体があります。

警察と安全保障担当当局は困惑しており、内務大臣が「フィンランドでは社会秩序維持は公務である。これはシンプルなことであり、我々はこれに拘る」と述べています。

https://voiceofeurope.com/2019/01/the-finns-fight-back-after-multiple-cases-of-child-rape-soldiers-of-odin-patrol-the-streets-of-oulu/

四角02

フィンランドの Oulu(オウル)では、今後移民たちは学校や保育園への訪問を禁止されます。

何件もの移民による少女へのレイプ事件で、保護者達が「(人種や宗教の)統合プロジェクト」への不満を表明したからです。

警察によると犯人は最近フィンランドに入国した移民の男たち、被害者は全員15歳未満の少女です。

レイプ‐ウェーブ(レイプの波)としてメディアに取り上げられた有名な場所の1つがオウルでした。

ESIKOTOと呼ばれる統合プロジェクトは、移民が学校や保育所を訪れて授業や研究グループから社会について学ぶもので、多文化主義を促進することにもなっていました。

しかし自治体の責任者は保護者の意見を受け入れてプロジェクトを終了することにしました。

警察によると2017年から2018年の1年間で性犯罪が20%増加していたということです。

https://voiceofeurope.com/2019/02/migrants-banned-from-finnish-schools-and-daycare-centers-after-multiple-child-rape-cases/

四角02

日本政府は全く勉強をすることなく、いや、日本をグローバリストに捧げるつもりなら勉強したからこそ、急ピッチで日本でも多文化共生主義を推し進めているのでしょう。

労働力が足りないなら、その場所にだけその時期だけ外国人労働者を割り当てる方法もあり、そのためなら外国人用の健康保険制度を作ったりすることも可能です。でもしません。

あくまでも私たちのシステムに彼らを潜り込ませて一緒にすることしかやりません。

だから、これは移民政策なのです。

外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策 平成 30 年 12 月 25 日(官邸HP)


政府としては、条約難民や第三国定住難民を含め、在留資格を有する全ての外国人を孤立させることなく、社会を構成する一員として受け入れていくという視点に立ち、外国人が日本人と同様に公共サービスを享受し安心して生活することができる環境を全力で整備していく。

という多文化共生への意気込みが最初のところに書かれています。ゲッソリ


フジテレビ

いつの間にこのようなネパール人不良グループが形成されたのか、さすが世界のゴミ箱だけあって変なのが日本に集結しています。どうして不良グループとわかっていながら在留許可を取り消して国外退去にしていないのか、日本政府の対応が酷いですね。

これが中東ならネパール人はこんなことできなかったのです。はこ怒る

カタールのワールドカップ建設現場で働いてたネパール人は毎年200人ほど死んでいると大使館が述べていたほどです。

こういうところから、間抜けで腑抜けな日本にシフトしてきてしまったのです。

ネパール人を純朴で素直で良い人だと思っていたら大間違いです。

これが彼らの故郷での真の姿です。下矢印(ロイヤル蒲田ボーイズと同じ顔しているでしょ!)

これから何の罪もない動物を大量殺戮するお祭りに行く前です。これが本当の姿です。

殺し方が酷くて本当の大虐殺なんですが、こういうことに慣れた社会の構成員です。

こちらにも記事があります。


「ガディマイ祭」にはインドやネパールから大勢の巡礼者が訪れ、女神ガディマイのために多くの動物のいけにえが捧げられる。2009年の祭りでは推定50万の水牛や山羊、鶏などの動物が犠牲となった。2014年の祭りでは、インド最高裁がネパールへの動物持ち出し禁止令を出したため、殺される動物の数は大幅に減った。(ロイター)


多文化共生主義は必ず日本人を不幸にします
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12440163209.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c16

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
17. 中川隆[-10367] koaQ7Jey 2019年5月03日 14:31:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1723]

という訳で、イスラム教は宗教ではなく、オウム真理教と同類の単なるアホ・カルト

イスラム教を批判してもムスリムは一切聞く耳を持たないので、文章や言葉での論理的批判は無意味

ここまで来たらもうイスラム教とムスリムを完全に滅ぼす以外には手立ては無い


一刻も早く世界中の国が一致団結して人類の敵ムスリムを絶滅させることを望む



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c17

[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
25. 中川隆[-10366] koaQ7Jey 2019年5月03日 15:51:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1724]
被害者続出、いったいどういうことだ!「がん保険」がんになってもカネは出ない
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39551
2014年06月23日(月) 週刊現代 :現代ビジネス


――2人に1人が「がん」になる時代に、保険会社が儲かるカラクリがわかった

なりたくてがんになったわけじゃない。だからこそ、「いざ」というときのために備えてきた。それなのに「保険金は支払えません」なんて、あまりに理不尽じゃないか―そんなトラブルが頻発している。

■「お客様のがんは対象外です」

「先生からは、確かに『がん』だと告知されました。まだ初期だから心配ないと言われましたが、まさか自分ががんに罹るとは思ってもいなかったのでショックでした。不幸中の幸いだったのは、がん保険に入っているから治療費の心配はしなくていいということ。

ところが、保険会社に申請すると、『お客様のがんは、保険の対象外です』と突き返されたんです。がんだと診断されたのにがん保険が下りないなんて、どういうことですか?これまで20年以上、万が一のためにと思って、保険料を払い続けてきたんです。いざというときの備えだったのに、肝心なときにカネが出ないなんて、保険ではなく詐欺じゃないか」

東京都在住の68歳の男性は、こう憤る。昨年、健康診断で大腸に異常が見つかり、内視鏡手術で切除した。医師からは、「早期の大腸がんです」と告げられた。

男性は、45歳からがん保険に入っていた。会社の上司が肺がんを患い、長期入院の末、退職せざるを得なくなったことがきっかけだ。加入したのは、がんと診断されたら一時金として200万円、入院1日につき1万円がもらえる保険。月に8000円弱の出費となったが、「収入が無くなり、治療費で貯金が取り崩されることを考えれば必要経費。安心をカネで買ったようなもの」だった。

それから23年。ついに「その日」が訪れた―と思ったら、自分のがんは「対象外」と冷たく見放されたのである。がんを患ったという事実に加え、保険金が支払われないという二重の衝撃に、当初、絶望するしかなかったという。

「保険会社に抗議の電話をすると、『お客様のがんは、ごく早期のがんで、ご加入のがん保険では対象外となります』と取り付く島もない。約款にはきちんと書いてあるというんです。でも、そんなこと加入当初に説明された覚えはありません。これじゃ保険会社にこれまで支払い続けてきたカネは、ドブに捨てたも同然です」

■早期がんには払いません

がん保険に入っていたのに、がんになってもカネは出ない。そんなこと、あり得ないと思うだろう。だが、この男性が経験したような事態は珍しくない。病気になっていざ保険金を請求したら、保険会社からさまざまな理由を並べたてられて支払いを拒否されるケースが、いま増加しているのだ。とくに顕著なのはがん保険。これまで知られていなかった問題が、徐々に表面化している。

昨年度、国民生活センターに寄せられた医療保険に関するトラブルは1035件にも上っている。

「実際に相談を受けている現場の感覚としては、がん保険に関するトラブルはとくに目立っています。具体的には、保険勧誘時の説明不足から生じるものが多い」(国民生活センター相談情報部担当者)

保険金の支払い条件などは約款に細かに記されているが、契約時にすべての内容を担当者から直接説明されることはほとんどない。説明を受けたとしても、到底一度で把握しきれる情報量ではないため、がんと診断され保険金を請求してはじめて、自分が保障の対象外であることを知るのだ。

がんの保険金が出ないケースは、大きく次の5つに分けられる。

(1)保険金が支払われない種類のがんがある

冒頭で紹介した男性は、発見されたがんが、そもそも保障の対象外だった。

「新しいがん保険では、どんながんもカバーする商品がほとんどですが、『上皮内新生物』には保険金が出ない、もしくは一時給付金が減額される商品があります」(アイリックコーポレーション・山本裕氏)

上皮内新生物とは、「上皮内がん」と呼ばれることもあるが、粘膜のような上皮内に留まっているごく初期のがんのこと。胃や子宮頸部、皮膚など、どの部位にもできる可能性はある。

さらに問題なのは、この判断があいまいだということだ。

「上皮内新生物かどうかは、最終的に病理医が区別しますが、じつは、その判断は医師によってまちまちなんです。診断する病理医によって、保険金が出るか出ないか異なる可能性もある」(医療コーディネーター・石橋大氏)

そもそも我々は、健康で長生きしたいという思いから健康診断や人間ドックを受けている。定期的に検査をしていれば、がんになってもごく初期で見つかるのは当然。そうした早期発見のがんにはカネが払われず、進行がんになってようやく保険金が出る。そんなバカバカしい話はない。

(2)加入後、すぐにがんになったらアウト

もしあなたが、初期のがん(上皮内新生物)でも保険金が下りるタイプのがん保険に加入していたとしても、「責任開始日」の存在があることを忘れてはならない。

多くの場合、加入後90日以内にがんが発覚したときは、保険金が出ない。がんの初期では自覚症状がないため、健康だと思って保険に入った翌月に、会社の健康診断で異常が発覚。すでに保険料の払い込みは始まっているのに、責任開始日前だからカネがもらえない、という事態に陥る。

■再発がんにも払いません

(3)入院しないと保険金が出ない

他には、こんなケースもある。埼玉県に住む会社員の男性(55歳)の話。

「今年、人間ドックを受けて前立腺がんが見つかったんです。主治医の先生に相談したところ、手術か放射線治療を提案された。仕事もあまり休みたくなかったので、通院治療が可能で、比較的体に負担が少ない放射線治療を受けることにしました。手術をすると男性機能障害のリスクもあると聞いたので、放射線のほうがいいだろう、と。

私は、10年前にがん保険に入りました。友人ががんになったとき、がん保険があって助かったと言っていたのを聞いて、入っておこうと思ったんです。ところが、いざ申請してみたら、私の入った保険は、入院しないと診断給付金が出ないものだと言われた。ちゃんと医師の診断書もあるのに、納得できないですよ。かといって、カネをもらうために入院が必要な手術に変える決断もできない。向こうの都合のいいように、これまで騙されていたんです」

このように、「がんの治療を目的とする入院をしたこと」が保険金支払いの条件になっている商品もある。治療法が進歩し、多様化したいま、必ずしも「がん=入院」というわけではなくなっている。保険の商品は、保障内容も条件もさまざまで、あまりにもわかりにくく、一律に比べられない。こうしたところに思わぬ落とし穴が潜んでいるのだ。

(4)病歴告知をミスすると保険金が出ない

がん保険に入る前には、過去の病歴や現在の健康状態を申告しなければならないが、後に申告漏れが発覚すると、「告知義務違反」とされてしまう。

「胃がんになって保険金を請求したら、過去に胃潰瘍でクスリを処方されていたことを指摘され、契約が解除されたんです。手術をしたわけでもなく、胃潰瘍ぐらい大丈夫だと思っていました。加入時にそんな注意も受けなかった」(54歳男性)

加入前の申告はごく簡単な質問項目しかないため、こうしたことはよく起こる。

「保険会社にもよりますが、項目はたとえば、3ヵ月以内に通院したことがあったか、2年以内に健診で何らかの指摘があったか、5ヵ月以内に7日分以上のクスリを処方してもらったことがあったか、など。問われていることだけに答えればいい。でも、加入してから2年以内に保険金を請求した場合は、必ず保険会社の調査が入ります。健康保険の情報から、その人の通院歴などを調べるのです」(医療コンサルタント・吉川佳秀氏)

些細なことであっても、調査で告知義務違反が発覚すれば、その時点で契約は解除される。保険金が出ないだけでなく、これまで払い続けてきたカネも戻ってこない。加入するのは簡単で、保険金を出すときに審査を厳しくすれば、得をするのは加入者ではなく保険会社。保険のシステムそのものが、加入者の都合をまったく無視して作られているのだ。

(5)再発したらアウト

今年3月、国民生活センターに相談が来たケースに、こんなものもあった。

「60代の男性でした。6年前にがんと診断されて、そのときに、がん診断給付金と手術給付金を受け取ったそうです。この方が最近、別の部位にがんが見つかった。そこでまた保険金が受け取れると思ったら、『診断給付金と手術給付金は一度限りという条件なので、支払えません』と保険会社から言われたそうです。

でもこの方は、同じがんの再発でなければ保険金をもらえるものだと思っていた。だからこそ、1度目のがんを患ったあとも、保険を辞めずに掛け金を支払い続けていたのにと困ってらっしゃいました」(前出・国民生活センター担当者)

がんが再発したときにこそ、治療費が重くのしかかってくる。それを頼りに保険を継続していたのに、いざというときに出ないとなれば、もはや入っている意味はない。再発したときの支払い条件も、商品によってさまざまだ。

「診断給付金については、2年に1度を上限とする商品も多いですが、ある外資系大手生保のがん保険では、初回の診断から5年以上経過した場合という条件となっている。すぐに再発転移した場合、再び保険金が出る5年後までに亡くなる方のほうが多いでしょうし、現実的ではない」(前出・吉川氏)

このように、とにかく保険会社は、あの手この手でカネを支払わずに済まそうとする。当然、そうすればするほど儲かるからだが、じつは、保険会社ががん保険で儲かるカラクリにはまだ裏がある。

「2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ」時代だと言われる。さらに言えば、国立がん研究センターの最新データでは、男性の場合、生涯でがんを患う人は5人に3人。そもそも保険とは、保険金を受給する人より、掛け金を支払う人が多いことで成り立っているはず。それなのに、がん保険の場合は、がんになって保険金を受け取る確率が50%以上になるはずだ。いくらカネを出し渋っているとはいえ、なぜ儲けられるのか。

ある保険会社で商品開発を担当する男性が、その裏事情を明かす。

「保険商品を発売するには金融庁の許可が必要です。ただし、金融庁が認可する保険料が、契約者にとって妥当かどうかは別問題。金融庁としては、契約者が損するかどうかよりも、保険会社を破綻させないことのほうが重要なんです。金融庁のお墨付きをもらって、確実に儲かる保険商品を作っているということです」

たとえば、2人に1人ががんになるという中で、保険会社は実際には「4人に3人」ががんになる前提で保険を設計する。加入者たちは最初から、そのぶん相当に割高な保険料を毎月支払っているのだ。保険会社のほうは、どこまで行っても損をすることはない。

■「数字のトリック」に注意

加えて、前述のように「極力、保険が下りない」ように約款を作っているので、ますます保険会社は儲かる。これが、「2人に1人ががん」の時代なのに、がん保険で保険会社がボロ儲けできるカラクリなのだ。

一般社団法人バトン「保険相談室」代表理事・後田亨氏は、こう言う。

「そもそも契約前に、健診の結果などから加入者をふるいにかけているわけですから、がん保険が役に立つ確率は、一般的ながんの罹患率データとは異なるはず。保険会社の健全な運営のために、リスクを高めに見込むのは構わないとしても、情報開示は不可欠でしょう。

代理店の手数料、保険会社の利益もわからなければ、商品ごとの支払い実績もわからない。まさにブラックボックス。それを明らかにせずに、がんの不安を煽る情報ばかり流しているのでは、怪しい壺を売る商法と大差ありません」

それでも「2人に1人ががん」が事実なら、万が一のための保険として、がん保険に入っておきたい。そう思う人も多いだろう。

ただし、この数字自体が、保険を売る側の都合のいい数字、一種の「数字のトリック」だということにも注意する必要がある。

「国立がん研究センターが出しているがん罹患リスクを年代別に見てみると、たとえば50歳の男性が10年後までにがんにかかる確率は5%。60歳の男性でも、10年後までにがんになる確率は15%。つまり、現役世代だと、がん保険は90%ほどの確率で出番がないと思われます」(前出・後田氏)

がんは老化現象だ。加齢とともに発生率は上昇していく。高齢化に伴って患者数も増加してはいるものの、がん罹患率がとくに高まるのは高齢になってからの話。80歳になってからのリスクを恐れて40歳からがん保険に加入していても、がんになるまでの40年間に払い続ける掛け金は、ほぼすべてが保険会社の儲けになっていると言っても過言ではない。

また、「2人に1人ががんになる」という数字が独り歩きすることが、テレビCMを打つことよりも大きな宣伝効果を上げているという側面もある。前出の保険会社の商品開発担当者はこう本音をこぼす。

「がんへの不安が広まると同時に、実際にがん患者は増えているのですから、『がんになったけど、保険に入っていたから助かった』という人は、探せば周囲に一人くらいいるはずです。それは加入を検討している人にとって、広告なんかよりずっと説得力がある。自然に販売促進活動につながっている。保険会社にとってはおいしいですね」

別の保険代理店関係者は、こう言う。

「がん保険への加入を検討する人は、その時点で健康への意識が高い人です。これまで保険を売ってきた感覚から言うと、がん保険に入っている人ががんになる確率は、普通の人の5分の1くらいでしょうか。むしろ、代理店としても『がんになりそうにない、健康な顧客を積極的に集める』というのは暗黙の了解になっています」

健康に意識が高い人ほど、保険でカネを無駄にしてしまうという何とも矛盾した仕組みが作り上げられているのだ。

■60歳すぎたら必要ナシ

ちなみに、加入者にとって本当に役に立つ良い商品は、市場にはほとんど出回らないことを顕著に表すこんな話もある。

「国内の中堅生保が'10年に発売を開始したある商品は、当初、給付金の合計が最高3000万円まで出るという好条件の商品でした。人気が非常に高かったのですが、徐々に給付金の額が下げられて、現在は300万円。それでもがんと診断されたら回数に制限なく給付金が下りる点など魅力的な部分は残っていたのに、これでも厳しくなってきたのか、7月以降、新契約については保険料がかなり上がるようです」(保険代理店関係者)

あまりの人気で売れすぎ、採算が取れなくなると、保険会社は儲けを優先させて商品をどんどん「改悪」していく。結果、加入者がより損する商品しか残らない。

前述したように、がんを発症するリスクは歳を取るほど上がっていく。であれば、高齢になってからがん保険に入れば得をするのかというと、そういうわけではない。

たとえば、ある保険会社のがん保険で計算してみよう。がんと診断されたら100万円、手術をしたら1回につき20万円、入院・通院には1日1万円の保障が受けられる商品だ。男性が、30歳から加入した場合、毎月の払込額は約4000円。80歳でがんを発症すると考えると、50年間で計240万円の負担となる。

一方、この保険に60歳から入ったときは月の払込額は1万5000円。80歳までの20年間で計360万円を負担することになる。リスクが高い年代で入ると、その分、加入者の負担は大きくなる。何度も言うが、どうやっても、保険会社が儲かるようになっているのだから当然の結果だ。

では、いったいどうすればいいのか。ファイナンシャルプランナーの内藤眞弓氏はこうアドバイスする。

「現役世代なら、万が一がんで仕事ができなくなったときのことを考えてがん保険に入る価値もあるのですが、年金生活者の場合、がんになっても年金はもらえますから関係ない。60歳以上の人が新たにがん保険に入る必要はないと思います。

高齢者の場合、体に負担のかかる治療はできなくなる可能性もありますし、70歳以降は医療費負担も下がります。預貯金が少ない場合は、定期付き終身保険を解約して返戻金を受け取り、それを治療費に充ててもいい。つまり、高齢者はがんになる確率は高まるけれど、がん保険の必要性は低くなっているわけです。保険料を支払うくらいなら、そのぶんを貯金したほうがいいのではないでしょうか」

アフラックが2010年に行ったアンケートでは、入院、食事、交通費などを含むがん治療全般にかかった費用が「50万円程度」という回答が37・5%と最も多く、「100万円程度」が31・5%。7割の人が100万円あればなんとかなったという結果だ。

ある程度の貯金があれば、わざわざがん保険に入る必要はない。「いざ」というときに裏切られることもあるのだから、がん保険に入っている人は、一度、自分の契約内容を確認してみたほうがいい。

「週刊現代」2014年6月14日号より

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c25

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
31. 中川隆[-10365] koaQ7Jey 2019年5月03日 16:42:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1725]
高齢化」加速する日本 なぜ「孤独死」が社会の難題に?(人民網日本語版)
http://j.people.com.cn/n3/2019/0429/c94689-9573843.html

人民網日本語版 2019年04月29日11:36


日本では高齢者が増加し、高齢化が加速している。日本の国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると、2040年までに、世帯主が65歳以上の「高齢世帯」や「一人暮らしの高齢者」の割合が大幅に増加するとしている。そして、「孤独死」が日本社会を最も悩ませる難題の一つとなっている。

同研究所は、2040年には日本の全世帯数は2015年の5433万世帯から5075万世帯まで減少し、うち、世帯主が65歳以上の「高齢世帯」が占める割合が2015年の36%から2040年には44.2%に上昇すると推計している。また一人暮らしをする65歳以上の高齢者は22.9%に増加し、割合が最も高い東京を見ると約30%に迫ると予想されている。

世話をする人が誰もいない一人暮らしの高齢者への支援が、今後の日本社会が直面する難題の一つだ。

日本の政策研究大学院大学政策研究院の名誉教授の松谷明彦氏は、「高齢者の社会福祉や社会保障を支える若者が急減しているため、税收や保険料などによって成り立っていた社会保障には限界が来るだろう。家族や親せきがいない高齢者を支援するために、地域、コミュニティごとに、新型の相互サポートメカニズムを構築することが必要だと思う」と指摘する。

高齢化が深刻化するにつれて、日本では高齢者が「孤独死」するケースが増えている。高齢者だけでなく、晩婚化、中年男女の離婚増加などを背景に、40、50歳の一人暮らしの人が「孤独死」するケースまで生じている。日本には、孤独死専門の清掃業者もあり、孤独死が起きた家は部屋内がゴミだらけというケースが多いという。

清掃業者は防護服に防護マスクという完全防備で清掃現場に入る必要がある。

清掃は一般清掃と特殊清掃がある。一般清掃では家庭用ごみや家具などを片付け、特殊清掃では、死体から流れ出た体液の処理や消臭作業を行う。経験のある業者ならその匂いで死者の特徴が分かるという。

また業者によると、性別や年齢、体型などで、分泌される体液が全然違うとしている。例えば、亡くなった人が多分体型がそんなに大きくない人だと推測する手がかりとしては、体型が大きい人は脂肪が多く、脂肪というのは脂分のため、人が死ぬと脂分が出てきて、それがしみ込むことになり、車のオイルを交換する時に、古いオイルが地面にしみ込んだ感じになるので、その大きさで判断できるというのだ。

統計によると、日本は現在世界において高齢化が最も深刻な国だ。少子高齢化による人手不足を解決するために、日本は現在、就労ビザの要件を緩和し、海外から人材を集めようと躍起になっている。

一方で、そのような社会問題は日本だけでなく、世界中に広がっている。英国放送協会(BBC)の報道によると、2018年末の時点で、世界の65歳以上の高齢者の数は7億500万人であるの対して、0‐4歳の子供の数は6億8000万人で、65歳以上の高齢者数が史上初めて5歳以下の子供の数を上回った。

世界銀行の統計によると、ここ60年間、特に2000年以降、世界的に高齢化が加速している。1960年の世界における65歳以上の高齢者が全人口に占める割合は4.97%だったのが、2000年には6.89%と、40年間で1.92%上昇したのに対して、2019年にはその割合が9%に達し、わずか19年間で2.11%も上昇した。

では、なぜ世界的に高齢化が進んでいるのだろう?60年代、世界の合計特殊出生率(女性1人が生涯に出産する子どもの平均数)は5に近かったものの、今は2.4にまで低下している。国連は今後も引き続き出生率が低下すると予想している。また、医療水準の向上により、人々の平均寿命が延びている。1960年の世界の人々の平均寿命は52.6歳に過ぎず、今は72.3歳に伸び、2030年には74.3歳にまで伸びると予想されている。(編集KN)



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c31

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
18. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月03日 16:50:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1726]

イスラムは矯正不可能なので臓器を提供させる以外の使い道は無い


中国:イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬と宣言!/フランス:寛容だから制御不能?連日ジハード!! 2018年09月11日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


当たり前のように欧州でジハードが頻発していますがテロではないでそうで、殺されて抗議するナショナリストのデモや主張がナチスと呼ばれ弾圧されるのに、ムスリム移民による犯罪はよく精神疾患と呼ばれているようです。


ということは、中国政府の言うことは正しいということになりますね。びっくり


四角02

イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬である

China declares Islam an ‘incurable tumour’ and a ‘poisonous medicine’

By VOICE OF EUROPE 5 September 2018


中国はイスラムを大きくなる問題と捉え国内のウイグルムスリムへの行動を強めています。

国連やアメリカの職員によるとこれまでに約100万人が収容キャンプに入れられたと見ています。


収容者によると、キャンプではムスリムはイスラムを拒絶するように強要され毎日共産党の歌を習わされているとのことです。キャンプでは豚肉とアルコールを強要されるとの報告もあります。

キャンプは当初ウイグルムスリムの過激派と戦うために作られましたが、今では長いひげも再教育キャンプ送りとなる場合があります。


共産党の公共ラジオはこう言っています。


再教育のために選ばれた公民はイデオロギー的な病気に感染している。彼らは宗教的過激主義と暴力テロイデオロギーに感染しているので、患者として病院に入院して治療を受けなければいけない。


宗教的過激主義イデオロギーは毒薬の一種で人々の心を混乱させる。宗教的過激主義を根絶しなければ、暴力テロ事件が不治の悪性腫瘍のように成長し広がってしまう。

このようにWeChatを通してウイグルに昨年伝えられました。


国連の委員会で中国代表はそのような再教育センターは無いと言っています。


ジョージタウン大学の中国史教授James Millward氏によると、「宗教的信仰は病状と見られる」とのことです。

中国政府は今思想を治療する再教育キャンプを“病院”と呼んでいます。

過激主義の病原菌を殺す殲滅医療処置をすべてのウイグル人に対して行いたいのです。

ラジオはこう言っています。


いかなる犯罪も行っていないが過激思想を吹き込まれた一定の人たちがいる。彼らは既に病気に感染している。病気の症状がはっきりと表れる危険が常にあり、それは公共に深刻な危害を与えるだろう。

だから、彼らは脳内からウイルスを取り除き正常な精神にするために、再教育病院に入院しなければならない。

波線END


一方、中国とは違う国、例えば寛容なフランスはイスラムテロが当たり前となってきています。


四角02


9/9深夜にパリでテロ(当局によるとテロではないとのこと)がありました。日本語メディアではパキスタン出身と見られる男が通行人7人を襲ったということでしたが、Mailonlineなどではもっと詳しく報じています。容疑者は30代と見られ、アフガニスタン人子供難民のID書類を持っているとして、そもそも偽造身分証でパリにいる難民のようです。

イギリス人が襲撃された付近は、英国への密入国を企てるアフガニスタン人の偽装難民たちが野宿するユーロスターの駅に近いそうです。ペタンク(pétanque)のプレイヤーらが断続的な通り魔事件のある時点で鉄のボールを犯人の頭に4回あてて武器を放棄させようとしましたが出来ませんでした。このナイフ攻撃で危険な状態にいる人もいますが現在のところ死者はいません。


ついでに紹介すると、そのアフガニスタン偽造難民たちが密入国を狙う英国ですが、9/8にはロンドンの北150マイルにあるBarnsleyで女が1人逮捕されました。このヒジャブを被った女は30cmのナイフを振り回して通行人たちを追いかけまわしうち1人に怪我をさせました。彼女は「Kill, kill, kill」と叫んでいたそうです。(クリップ記事はこちら)


またフランスにもどって、

9/10の朝もテロがありました。郵便配達の人が何者かに喉を刺され、その後容疑者は別の人を襲撃しようとして失敗しています。


同じく9/10の朝、リヨンの空港で男がテロで逮捕されました。

男は高速道路を違う方向に走り警察に止められてもすり抜けて空港に行きました。警官の射撃の中を潜り抜け、通行人を車でなぎ倒そうとしましたが成功しませんでした。

男の車はターミナルビルのガラスドアに衝突して止まり空港警備に捕まりました。

警察からの情報では、逮捕時に「アラー・アクバル」と叫び、「神に遣わされた」と言ったそうです。(クリップ記事はこちら)


Terrorist attack Lyon airport France - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WrPyKtoK0YU

このほかにフランスで最近起きた事件は次のようなものです。

8/23、36歳の男が母と妹をナイフで死傷させ警官に射殺されています。2016年からテロリストリストに載っている精神疾患だそうです。

この事件の数日前にはPerigueuxでアフガニスタン難民申請者が4人をナイフで襲撃して逮捕されました。

6/17にはフランス南部の町で「アラー・アクバル」と叫ぶ女がスーパーマーケットでカッターナイフを振り回して2人に怪我をさせました。


フランスでは過激主義者やISによるジハーディストのテロ(当局は精神疾患とするケースが多い)が続いていて、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件から240人以上がイスラム過激主義者の犠牲になっています。


四角02


男尊女卑で7世紀の価値観を21世紀に持ち込み自分達の集団以外を見下し、特別扱いをゴリ押ししながらテロも量産するこの集団、治安維持そして国民を守るために国家としてどう向き合い対処するのか、外野からの中国批判だけでは何も解決しないし無責任だと思います。

※中国政府は当局の監督下にないものはキリスト教でも締め付けを強化していますが、テロと密接な関係がある対イスラムの方が厳しいようです。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c18

[近代史3] アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔 中川隆
45. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月03日 18:51:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1727]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼

【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405

筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

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ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。

しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

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ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。

抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html#c45

[近代史3] ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった!  中川隆
6. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月03日 18:52:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1728]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼

【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405

筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。

しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。

抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html#c6

[近代史3] 『ヒトラー思想』とは何か 中川隆
7. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月03日 18:53:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1729]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405

筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

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ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。

しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

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ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。

抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html#c7

[近代史3] 天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統 中川隆
4. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月03日 19:00:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1730]

匿名 より: 2019年5月3日 6:55 PM

いわゆる旧宮家は660年前に創設された伏見宮が源流ですが、その伏見宮は途中で鍛冶屋の子孫に替わってる可能性があります

つまり、父系を辿っても天皇に繋がらない、鍛冶屋の家系になっちゃってるかもしれません

(伏見宮の皇族方が全て亡くなられた後に、伏見宮の血を引くと自称する鍛冶屋の息子がお宮を相続していますし、少なくともその父とされる当主は、その子供とされるこの男の存在を知らずに亡くなられています)

尚、明治の初頭に創設され、戦後に離脱した旧宮家は、”全て”この途中で替わったかもしれない伏見宮から派生しています

現在では遺伝子検査技術が発達しておりますので、本来ならすぐに確認できることですが、今は皇族ではなく一般人ですので、それを強要することもできない現実があります

旧皇族と世間では言われてますが、もしかすると父系で天皇に繋がっていないのでは?と、少しだけ頭に置いてみてみることもひとつです

ただ、女系では、明治天皇に繋がっていたり、東久邇の家系では昭和天皇に繋がっていたりします

そういった意味で、旧皇族と言われてるけど”女系”で明治天皇につながる人なんだ、くらいでいいと思います

尚、東山天皇系の鷹司家やその分家の家系は、現在の皇統に近く、先の伏見宮系とは全く関係はありません

そういった意味で、確実に、父系を辿ると天皇に繋がる血筋と言えます
なので、もしものときはこの家系からお願いすることになるかもしれないことは、言うまでもありません
https://rondan.net/21639
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/316.html#c4

[近代史3] ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した 中川隆
1. 中川隆[-10359] koaQ7Jey 2019年5月03日 19:13:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1731]

ドイツやソ連に占領されるとこうなる:


ワイダ カティンの森 Katyń (2007年)

監督 アンジェイ・ワイダ
脚本 アンジェイ・ワイダ ヴワディスワフ・パシコフスキ プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
原作 アンジェイ・ムラルチク
音楽 クシシュトフ・ペンデレツキ
撮影 パヴェウ・エデルマン
公開 2007年9月17日
製作国 ポーランド
言語 ポーランド語 ドイツ語 ロシア語


動画
https://www.nicovideo.jp/search/KATY%C5%83%20%20%2F7%20?f_range=0&l_range=0&opt_md=&start=&end=


キャスト

マヤ・オスタシェフスカ (Maja Ostaszewska):アンナ
アルトゥル・ジミイェフスキ (Artur Żmijewski):アンジェイ大尉 - アンナの夫、カティンで殺害される
ヴィクトリア・ゴンシェフスカ (Wiktoria Gąsiewska) : ヴェロニカ(通称ニカ) - アンジェイとアンナの娘
マヤ・コモロフスカ (Maja Komorowska):アンジェイの母
ヴワディスワフ・コヴァルスキ (Władysław Kowalski):アンジェイの父・ヤン教授 - ヤギェウォ大学教授、講演会を名目に大学に招集され、同僚とともに収容所に送られ、病死
アンジェイ・ヒラ (Andrzej Chyra):イェジ中尉 - アンジェイの戦友 - カティンで殺害されず帰還、のちに「カティンの森事件」について、ソ連側の証人となったことを恥じて自殺
ダヌタ・ステンカ (Danuta Stenka):大将夫人ルジャ
ヤン・エングレルト (Jan Englert):大将 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・グリンスカ (Agnieszka Glińska):イレナ - ピョトル中尉の妹
マグダレナ・チェレツカ (Magdalena Cielecka):アグニェシュカ - ピョトル中尉、イレナの妹
パヴェウ・マワシンスキ (Paweł Małaszyński):ピョトル中尉 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・カヴョルスカ (Agnieszka Kawiorska):エヴァ - 大将とルジャの娘
アントニ・パヴリツキ (Antoni Pawlicki):タデウシュ(トゥル) - アンナの甥、父カジミエシュはカティンで殺害される
アンナ・ラドヴァン (Anna Radwan) : エルジュビェタ - タデウシュの母
クルィスティナ・ザフファトヴィチ (Krystyna Zachwatowicz):グレタ - ドイツ総督府の法医学研究所関係者。イェジ中尉の依頼により、アンナにアンジェイ大佐の手帳をわたす
セルゲイ・ガルマッシュ (Sergei Garmash) : ポポフ大尉 - 同情的でアンナを秘密警察から匿った赤軍将校
スタニスワヴァ・チェリンスカ (Stanisława Celińska) : スタシア - 大将の使用人
クシシュトフ・グロビシュ (Krzysztof Globisz) : 医師 ドイツ総督府の法医学研究所で、カティンの森の事件の調査をしている。ポーランドがソ連により解放されることになり、自分の身の危険を感じている。


▲△▽▼


『カティンの森』(ポーランド語: Katyń)は、2007年(平成19年)製作・公開のポーランドの映画(en:Cinema of Poland)である。第二次大戦下に実際に起きた「カティンの森事件」を題材とした映画である。


自らの父親もまた同事件の犠牲者である映画監督アンジェイ・ワイダが、80歳のときに取り組んだ作品である[1]。原作は、脚本家でありルポルタージュ小説家でもあるアンジェイ・ムラルチクが執筆した『死後 カティン』(Post mortem. Katyń, 工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』)である。構想に50年、製作に17年かかっている。

撮影は『戦場のピアニスト』等でも知られるポーランド出身の撮影監督パヴェウ・エデルマン、音楽はポーランド楽派の作曲家クシシュトフ・ペンデレツキが手がけた。ポーランドでは、2007年9月17日に首都ワルシャワでプレミア上映され、同年同月21日に劇場公開された[2]。

翌2008年(平成20年)、第58回ベルリン国際映画祭でコンペティション外上映された[2]。

ワイダは、2010年(平成22年)4月7日、ロシアのウラジーミル・プーチン首相、ポーランドのドナルド・トゥスク首相が出席した「カティンの森事件」犠牲者追悼式典に参列した[3]。同月10日に開催予定であったがポーランド空軍Tu-154墜落事故のため中止となった「カティンの森事件」追悼式典のための大統領機には、搭乗してはいなかった[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE


1939年9月、クラクフのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)は娘を連れ、夫のアンジェイ大尉(アルトゥル・ジミイェフスキ)を探しに行く。一方、東から来た大将夫人(ダヌタ・ステンカ)はクラクフに向かう。アンジェイや仲間のイェジ(アンジェイ・ヒラ)たちは、ソ連軍の捕虜となっていた。アンジェイは、見たことすべてを手帳に書き留める決意をする。アンナはクラクフに戻ろうとするが、国境を越えられない。11月、アンジェイの父はドイツ軍の収容所に送られる。翌年初め、アンナと娘、アンナの義姉と娘は、ロシア人少佐の家に匿われていた。義姉親子は強制移住のため連れ去られるが、アンナたちは逃げ延びる。春、アンナと娘は義母のいるクラクフへ戻り、義父の死を知る。アンジェイはイェジから借りたセーターを着て、大将、ピョトル中尉らと別の収容所に移送される。1943年4月、ドイツは一時的に占領したソ連領カティンで、多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表する。犠牲者リストには大将、イェジの名前が記され、アンジェイの名前はなかった。大将夫人はドイツ総督府で夫の遺品を受け取り、ドイツによるカティンの記録映画を見る。1945年1月、クラクフはドイツから解放される。イェジはソ連が編成したポーランド軍の将校となり、アンナにリストの間違いを伝える。イェジは法医学研究所に行き、アンジェイの遺品をアンナに届けるよう頼む。イェジは大将夫人から“カティンの嘘”を聞き、自殺する。国内軍のパルチザンだったアンナの義姉の息子タデウシュは、父親がカティンで死んだことを隠すよう校長から説得されるが、拒否する。その帰り道、国内軍を侮辱するポスターを剥がした彼は警察に追われ、大将の娘エヴァと出会う。校長の妹はカティンで遺体の葬式を司った司祭を訪ね、兄ピョトルの遺品を受け取る。そして兄の墓碑にソ連の犯罪を示す言葉を刻み、秘密警察に狙われる。法医学研究所の助手グレタはアンナに、アンジェイの手帳を届ける。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=40518


▲△▽▼


カティンの森事件(ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦(ロシア共和国)のグニェズドヴォ(Gnyozdovo)近郊の森で約22,000人[1]のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソビエト内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。

NKVD長官ベリヤが射殺を提案し、ソビエト共産党書記長スターリンと政治局の決定で実行された[2]。

「カティン(カチンとも。Katyń)」は現場近くの地名で、事件とは直接関係ないものの、覚えやすい名前であったためナチス・ドイツが名称に利用した。


経緯

1939年4月にドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を廃棄し、同年8月にドイツとソ連の間で独ソ不可侵条約が締結された。同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻することで第二次大戦が始まり、9月17日にソ連も同様にソ連・ポーランド不可侵条約を廃棄してポーランドの東部に侵攻した。独ソ不可侵条約には秘密議定書があり、両国はそれに従ってポーランドへの侵攻と分割占領を行ったのである。


ポーランド人捕虜問題

1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両国によってポーランドは攻撃され、全土は占領下に置かれた。武装解除されたポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、ソ連軍に降伏した将兵は強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。

ポーランド政府はパリへ脱出し、亡命政府を結成、翌1940年にアンジェへ移転したがフランスの降伏でヴィシー政権が作られると、更にロンドンへ移された。

1940年9月17日のソ連軍機関紙『赤い星』に掲載されたポーランド軍捕虜の数は将官10人、大佐52人、中佐72人、その他の上級将校5,131人、下級士官4,096人、兵士181,223人となった。その後、ソ連軍は将官12人、将校8,000人を含む230,672人と訂正した[3]。ポーランド亡命政府は将校1万人を含む25万人の軍人と民間人が消息不明であるとして、何度もソ連側に問い合わせたが満足な回答は得られなかった。

1941年の独ソ戦勃発後、対ドイツで利害が一致したポーランドとソ連はシコルスキー=マイスキー協定(英語版)を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜はすべて釈放され、ポーランド人部隊が編成されることになった。しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかった。そこで亡命政府は捕虜釈放を正式に要求したが、ソ連側は全てが釈放されたが事務や輸送の問題で滞っていると回答した。12月3日には亡命政府首相ヴワディスワフ・シコルスキがヨシフ・スターリンと会談したが、スターリンは「確かに釈放された」と回答している。


捕虜の取扱い

ポーランド人捕虜はコジェルスク、スタロビエルスク(英語版)、オスタシュコフの3つの収容所へ分けて入れられた。その中の1つの収容所において1940年の春から夏にかけて、NKVDの関係者がポーランド人捕虜に対し「諸君らは帰国が許されるのでこれより西へ向かう」という説明を行った。この知らせを聞いた捕虜たちは皆喜んだが、「西へ向かう」という言葉が死を表す不吉なスラングでもあることを知っていた少数の捕虜は不安を感じ、素直に喜べなかった。彼らは列車に乗せられると、言葉通り西へ向かい、そのまま消息不明となる。


事件の発覚

スモレンスクの近郊にある村・グニェズドヴォ(Gnyozdovo)では1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂が絶えなかった。独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際にこの情報を耳にした。

1943年2月27日、ドイツ軍中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。報告を受けた中央軍集団参謀ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ将軍は「世界的な大事件になる」と思い、グニェズドヴォよりも「国際的に通用しやすい名前」である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として報告書を作成、これは中央軍集団からベルリンのドイツ国民啓蒙・宣伝省に送られた。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。


発見当初の動静

1943年4月9日、ゲッベルスはワルシャワ、ルブリン、クラクフの有力者とポーランド赤十字社に調査を勧告した。ポーランド赤十字社は反ソプロパガンダであるとして協力を拒否したが、各市の代表は中央軍集団司令部に向かい、調査に立ち会った。ドイツ側は赤十字社の立ち会いの後に事件を公表する予定であったが、1943年4月13日には世界各紙で「虐殺」情報が報道された。このため、ドイツのベルリン放送でカティンの森虐殺情報が正式に発表された。

1943年4月15日、ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し、1941年にソビエトに侵攻してきたドイツ軍によってスモレンスク近郊で作業に従事していたポーランド人たちが捕らえられて殺害されたと主張した。しかし、捕虜がスモレンスクにいたという説明はポーランド側に行われたことがなく、亡命政府はソ連に対する不信感を強めた。ポーランド赤十字社にも問い合わせが殺到し、調査に代表を派遣することになった。すでに回収された250体の遺体を調査した赤十字社は遺体がポーランド人捕虜であることを確認し、1940年3月から4月にかけて殺害されたことを推定した。1943年4月17日、ポーランド赤十字社とドイツ赤十字社はジュネーヴの赤十字国際委員会に中立的な調査団による調査を依頼した。

これを受けてソ連はポーランド亡命政府を猛烈に批判し、断交をほのめかした。ソ連の反発を見た赤十字国際委員会は全関係国の同意がとれないとして調査団の派遣を断念した。1943年4月24日、ソ連はポーランド亡命政府に対し「『カティン虐殺事件』はドイツの謀略であった」と声明するように要求した。ポーランド亡命政府が拒否すると、26日にソ連は亡命政府との断交を通知した。

ポーランド赤十字社はカティンに調査団を送り込み、また、ドイツもポーランド人を含む連合軍の捕虜、さらにスウェーデン、スイス、スペイン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ハンガリー、チェコスロバキア(ベーメン・メーレン保護領及びスロバキア)など各国のジャーナリストの取材を許可した。さらに枢軸国とスイスを中心とする国から医師や法医学者を中心とする国際調査委員会が派遣された。1943年5月1日、国際委員会とポーランド赤十字社による本格的調査が開始された。


第一次調査

調査はソ連軍がスモレンスクに迫る緊迫した状況下で行われた。国際委員会は遺体の発掘と身元確認と改葬を行い、現地での聞き取り調査も行った。ドイツ側は「12,000人」の捕虜の遺体が埋められていると発表していたが、実数はそこまでには至らなかった。

発掘途中の調査では、遺体はコジェルスクの捕虜収容所に収容されていた捕虜と推定された。遺体はいずれも冬用の軍服を装着しており、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っていた。遺体の脳からは死後3年以上経過しないと発生しない物質が検出されたことや、墓穴の上に植えられた木の樹齢が3年だったこと、遺体が死後3年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連の犯行を窺わせた。

また、調査に同行したアメリカ軍捕虜のジョン・ヴァン・ブリード大佐とスチュワート大尉は、捕虜の軍服や靴がほころびていないことからソ連軍による殺害であることを直感したと後に議会公聴会で証言している。

1943年5月になると現場付近の気温が上昇し、死臭が強まったために現地の労働者が作業を拒否するようになった。6月からは調査委員会と赤十字代表団が自ら遺体の発掘に当たった。明らかに拷問に遭った遺体や今までに見つからなかった8番目の穴が発見されるなど調査は進展したが、この頃になるとソ連軍がスモレンスクに迫り、委員会と代表団は引き上げを余儀なくされた。ポーランド赤十字社代表団は6月4日、委員会は6月7日に現地を離れた。

撤収までに委員会が確認した遺体の総数は4,243体であった。


西側連合国の対応

イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチス・ドイツが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。また当時ロンドンに移っていたポーランド亡命政府に対するイギリス大使であるオーウェン・オマレーが「事件がソ連によるものである」と結論した覚書を提出したが、ウィンストン・チャーチル首相はこれを公表しなかった[4]。

1944年、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はカティンの森事件の情報を収集するために、かつてブルガリア大使を務めていたジョージ・ハワード・アール(英語版)海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったが、ルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務から外され、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった[4]。また、事件の生存者であるユゼフ・チャプスキ(英語版)は、1950年から「ボイス・オブ・アメリカ」のポーランド向け放送を担当することになったが、その際には事件に対して言及することを禁じられている[4]。


ソ連による「真相究明」

1943年10月15日からNKVDは独自に再調査を開始した。さらにモスクワに調査委員会を設置し、事件の調査を開始した。しかし、この調査委員会は委員長のニコライ・ブルデンコをはじめとして全員がソ連人であり、最初から「ナチス・ドイツの犯行」であることを立証するためのものであった[5]。ブルデンコ委員会は独自の聞き取り調査によって「殺害は1941年8月から9月、つまり、ドイツ軍の占領中に行われた」とし、殺害に用いられた弾丸がドイツ製であったことを根拠として、ナチス・ドイツの犯行であったと結論付けた[5]。

さらにソ連はニュルンベルク裁判においてドイツ人を裁くため、さらに調査報告書を作成した。告発を行ったソ連の検察官は「もっとも重要な戦争犯罪の内の1つがドイツのファシストによるポーランド人捕虜の大量殺害である」と述べている。これに基づいて1946年7月1日に裁判でカティンの森事件について討議が行われた。しかしこの告発は証拠不十分であるとして、裁判から除外された[5]。


冷戦期のカティンの森事件問題

冷戦が激化し始めた1949年、アメリカでは民間の調査委員会が設立され、事件の再調査を求めるキャンペーンを行った[6]。1951年、アメリカ議会はカティンの森事件に対する調査委員会を設置した[5]。1952年にはアメリカ国務省がソ連に対して証拠書類の提供を依頼したが、ソ連はこれを誹謗であるとして抗議している。調査委員会はソ連の犯行であることが間違いないと結論し、アメリカ議会は1952年12月に「カティンの森事件はソ連内務人民委員部が1939年に計画し、実行した」という決議を行っている[5]。しかし東側諸国はもとより西側諸国の多くもこれに同調しなかった[6]。

1959年、ソ連国家保安委員会(KGB)のアレクサンドル・シェレーピン議長は、ニキータ・フルシチョフ第一書記に対して、ポーランド人捕虜処刑に関する文書の破棄を提案している[7]。戦後ポーランドを支配していたPZPR(ポーランド統一労働者党)の幹部たちはソ連の説明を公式見解として認定した[8]。亡命ポーランド人たちは事件の研究を続け、時には地下出版の形でポーランド国内に伝えた[9]。

また、1970年代後半のイギリスでは事件に関する関心が高まり、ロンドンに犠牲者のための記念碑を作る計画があったが、イギリス政府はこの事件が起こった日付が「1940年」となっている点に難色を示し、除幕式に代表を派遣しなかった[4]。


冷戦後の調査

ソ連では1985年に就任したゴルバチョフ書記長の下でペレストロイカが進み、グラスノスチ(情報公開)の風潮が高まると、ソ連においても事件を公表する動きがあらわれた。1987年にはソ連・ポーランド合同の歴史調査委員会が設置され、事件の再調査が開始された。1990年にはNKVDの犯行であることを示す機密文書が発見され、ゴルバチョフ書記長らはもはや従来の主張を継続することはできないという結論を下した。

1990年4月13日、ソ連国営のタス通信はカティンの森事件に対するNKVDの関与を公表し、「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明した[7]。同日、ポーランドのヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領がゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフはカティンの森事件に言及するとともに、発見された機密文書のコピーをポーランド側に渡し、調査の継続を伝えた[7]。これにはカティンと同じような埋葬のあとが見つかったメドノエ(Mednoe)とピャチハキ(Pyatikhatki)、ビコブニアの事件も含まれている。


1992年、ソ連崩壊後の新生ロシア政府は最高機密文書の第1号を公開した。その中には、西ウクライナ、ベラルーシの囚人や各野営地にいるポーランド人25,700人を射殺するというスターリン及びベリヤ等、ソ連中枢部の署名入りの計画書、ソ連共産党政治局が出した1940年3月5日付けの射殺命令や、21,857人のポーランド人の殺害が実行されたこと、彼らの個人資料を廃棄する計画があることなどが書かれたシェレーピンのフルシチョフ宛て文書も含まれている。しかし、公表された文書で消息が明らかとなった犠牲者はカティンで4421人、ミエドノイエで6311人、ハルキエで3820人、ビコブニアで3435人であり、残りの3870人は依然として消息不明のままである[10]。

2004年、ロシア検察当局の捜査は「被疑者死亡」、「ロシアの機密に関係する」などの理由で終結した[11]。さらにロシア連邦最高軍事検察庁は事件の資料公開を打ち切り、2005年5月11日に「カティンの森事件はジェノサイドにはあたらない」という声明を行った[12]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6


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January 1, 2010
こんな映画を観た〜アンジェイ・ワイダ「カティンの森」

シアター・キノ代表の中島洋が正月映画に選んだ作品に間違いはないだろう。

こう考えて観た「カティンの森」(原題はカティン)、ソ連秘密警察によるポーランド将校の処刑シーンが延々と続いて終わるワイダ監督渾身の力作は、元日に観るべき映画として最良の選択だった。

カティンの森<事件>についてはウィキペディアが詳しい。カティンの森事件

しかしこの映画は「カティンの森事件」を伝えるためだけのものではない。実父をカティンで殺された経歴を持つワイダ監督の眼差しは、たとえば「存在の耐えられない軽さ」のような映画と同じ、犠牲者の側に立つのか、それとも生き延びるために加害者の欺瞞に迎合するのか、という非常に困難な問いに向けられている。そして、映画全体としてはソ連の犯罪の告発というより、夫の生還を信じて何十年も待ち続けたポーランドの女性たちへの痛切なグランプリになっている。

映画にはいくつかの役割がある。その中でも最も重要なものの一つは、歴史と人間の欺瞞を暴くことであり、もしかしたらすべてが欺瞞かもしれない歴史の中での人間の生き方を問うことである。

将校の妻たちは潔癖とも言える「拒否」の精神を発揮し、はた目には無意味に見える抵抗を続けていく。同じ状況におかれたとき、自分ならどうしただろうかと考えずにはいられないが、たぶん、現実に彼女たちはこういう生き方を貫いたのだ。処世術として迎合したふりをして時を待ち、組織化して反撃に転じるという発想はない。政治的にあまりにナイーブなのだ。すべては個人的な出来事に還元されてしまうようで、それを歯がゆくも感じる。

将校アンジェイの妻は、彼女とその娘の安全を心配する良心的な秘密警察幹部からの形式的な結婚話を断るが、思わず、なんて愚かなと思ってしまったほどだ。

しかし、これこそが女性特有の偉大さなのだ。極私的な「愛」しか信じるに値するものはない。一見、非歴史的で小市民的にみえるこの愚かといえば愚かな信念こそが、実はジェノサイドを不可避的に結果するあらゆる「政治」を解体する唯一の契機なのかもしれない。

大量の死体がブルドーザーで埋められていくシーンは圧巻で、自分が死体の一つとなって埋められていくかのような圧迫感がある。しかしそれは単に残酷なシーンというだけでなく、人間が本質的に持つ残酷さを感じさせて映像そのもの以上に恐ろしい。

バビ・ヤールでナチス・ドイツが行った大量処刑は機関銃によるものだったが、「カティンの森」ではソ連赤軍は一人ずつ確実にピストルで処刑したようだ。ほとんど証言が残されていないが、生涯最後となるかもかもしれない作品で、ワイダ監督はどんな細部にも細心の注意を払い、できるだけ事実に忠実に再現するように心がけたことだろうから、これがほぼ事実なのだろう。こうした「手工業的」な処刑方法には、いかにもスターリン型共産主義者らしい陰険さと小心さがうかがえる。

この大量虐殺の首謀者はスターリンとその片腕ベリヤであることが歴史的に明らかになっている。しかしこの「事件」は彼らの個人的な資質によって起きたものではなく、権力の集中によっていつでも起こりうることであり、現に起きていて、これからも起きていくことだろう。

最も軽蔑すべき人間たちによって最も優れた人間たちが粛清されてきたのが人類の歴史にほかならない。

その歴史を反転させる革命こそが待たれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/rzanpaku/diary/201001010000/


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「カティンの森」アンジェイ・ワイダ監督 虐殺を今に問う 2009年12月19日
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

 祖国の悲劇と抵抗の歴史を描き続けるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」が東京・神保町の岩波ホールで公開中だ。冒頭、「両親に捧(ささ)げる」という字幕が出る。父の命を奪い、母を苦しめた第2次大戦中の虐殺を、改めて「今」に問う。

 ポーランドに、ナチス・ドイツとソ連が侵攻した1939年。アンナは、ポーランド軍大尉の夫がソ連軍捕虜として連行される姿を目撃する。3年半後、ドイツは「虐殺された多数のポーランド人将校の遺体を発見」と発表。アンナは夫の死を伝えられるが、事実を受け入れられない……。

 この虐殺は「カティンの森事件」と呼ばれる。ポーランド東部を占領したソ連が40年、捕虜にした1万5千人ともいわれるポーランド人将校を殺害した。監督が映画化を構想し始めたのは、それから半世紀後だった。戦後、ポーランドはソ連の強い影響下にあった。「冷戦期、この事件はドイツの犯罪とされていた」と監督。89年に共産主義政権が次々倒れた東欧革命が起きるまで、真相はほぼ闇に葬られていたという。

 以後、すぐ製作に取りかかろうと試みるが、事件自体が長くタブー視され、全容を示す資料も、事件を扱った小説も見つからなかった。「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」の「抵抗3部作」をはじめ、抑圧された人間像を切り出す原作を重厚に映してきた社会派の巨匠は、撮影までに長期をかけた。「見つかった将校の日記を参考にしたり、当時を知っている人にインタビューしたりした。映画は登場人物を含め、ほとんど実話だ」

 監督がつむぐ物語は、残された人たちを軸につづられていく。「特に、多くの女性の話を書くことが大事だった」と話す。監督自身、夫の生還を信じ続けた母親を見て育ったからだ。待つ側を物語ることで、残されて生きる者をも苦しませ続ける戦いの現実を強調したかった。犠牲になった兄のためにソ連の犯罪を意味する墓碑を建てようとする女性も登場する。

 手を縛り、後頭部を撃ち抜き、埋める――。終盤の虐殺場面は、まるで流れ作業のように残酷に映される。「この事件は戦争というより、スターリンの指示による官僚的、組織的な虐殺だろう」。独ソ双方が、相手側の犯罪としてプロパガンダ映画に利用するさまも象徴的に映される。

 劇中、アンナの夫の父にあたる大学教授はドイツの収容所で亡くなる。「言いたいことは一つ。独ソ両国ともポーランドを事実上、『消滅』させることで、同国を思うままに動かしたかった」と述べた。
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html#c1

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
32. 中川隆[-10358] koaQ7Jey 2019年5月03日 19:23:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1732]
孤独死には誰にでも起こりうる。26歳「特殊清掃人」が目撃した共通点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190503-00152581-bizspa-bus_all
bizSPA!フレッシュ 5/3(金) 15:46配信


ブルークリーン株式会社 取締役 兼 現場責任者の鈴木亮太さん(26)


 隣人の顔すら知らないというような現代では、いつ誰の身に降りかかるかもわからない孤独死。その最前線で、人の“死後”にふれるのが特殊清掃という仕事です。

 東京・大田区にあるブルークリーン株式会社は、特殊清掃や遺品整理を手がけています。26歳にして同社の取締役兼現場責任者を務める鈴木亮太さんに、仕事の実態を伺いました。

孤独死やセルフ・ネグレクトに陥る人たちの傾向

――昨今、特殊清掃という言葉も広く聞かれるようになった印象もありますが、どのようにお考えですか?

鈴木亮太(以下、鈴木):僕が仕事へ従事し始めたのは2017年の夏頃だったのですが、当時もまだ専門業者が数えるほどしかいなかったです。最近はメディアでも「セルフ・ネグレクト(自己放任)」や「孤独死」がよく取り上げられるようにもなり、少しずつ認知されてきた実感はあります。

――実際の現場から、孤独死される方の傾向はあるのでしょうか?

鈴木:ほとんどの方は一人暮らしですね。やはり周囲に助けてくれる方がいないことから孤独死されるケースが多いので、一軒家ではなく賃貸物件に住んでいた方が9割ほどを占めています。また、年齢層は高齢者のほうが多いですが、40〜50代も目立ちます。

――室内に共通する傾向はありますか?

鈴木:セルフ・ネグレクトに陥る方は、自分の身の回りに気を配らなくなります。そのために室内はゴミの山になっているケースが多いですね。なかでも顕著なのは風呂場やトイレ、キッチンなどの水回りが機能していないという共通点で、足をふみ入れると物置きになってしまっていて、のちに話を聞くと、お風呂は週に一度銭湯へ行くだけ、トイレは近くのコンビニで済ませるという生活パターンになっていたケースもありました。

 また、寝床の周りに生活に必要なモノが揃っているケースも多いですね。リモコンや携帯電話、ゲームのコントローラーなどが動かずに済む範囲に置かれていて、ペットボトルに尿が溜まっているといった部屋も少なくありません。

孤独死現場のニオイ・残留物の状況

――実際の現場では、どういった作業を行うのでしょうか?

鈴木:僕らがまず優先するべきなのは遺体から流れ出た体液により室内に充満したニオイを取るという仕事で、そのために薬液の入った噴霧器で消毒や消臭をします。それから弊社ではオゾン脱臭機を導入しているのですが、室内にただよっている細菌などをすべて死滅させるほどに強力なので、取り扱う上では慎重に、感染症を防ぐためにも防護服や防毒マスクを身につけて作業を進めます。

――体液とはどういったものなのでしょうか?

鈴木:遺体から流れ出た血液や人間の皮膚にある脂のタンパク質が凝固することで、黒く固まったものですね。たいていの場合、僕らが現場へ入るのは遺体がすでに回収されたあとですが、しばらく放置されたままだと最後に潰(つい)えた場所に残るんです。

 ときには床下にまで浸透しているときもありますが、亡くなった方が最後にどういった状況だったのか分かるほど、くっきりと残ります。たいていは、玄関など出口に向かって頭が向いているケースが多く、憶測の域は出ないものの、やはり最後に誰かへ救いを求めていたと思うことも少なくありません。

――特殊清掃を手がける一方、亡くなられた方の遺品整理はどのように進めていくのでしょうか?

鈴木:ご遺族がいらっしゃる場合にはあらかじめ遺すべきものを伺います。まずは現金や通帳、個人情報の分かるものなどの貴重品を捜索して仕分けしていきます。それから、特別に依頼されたものを探していくという流れですね。

 不要なものは一時的に保管して、心苦しく思う部分もあるのですが、現状では破棄しています。ただ、ご遺族から「遺しておくと前に進めないから処分してください」とお願いされるケースもあります。

遺品整理ではその人の半生が透けて見えてくる

――室内にあるモノには故人の意思も反映されているかと思いますが、それについて何か思うところはありますか?

鈴木:やはり人それぞれの半生が透けて見えてくるんですよね。例えば、他人からすれば何でもないように見えるモノでも、大切に箱の中へしまわれていたり、サイドボードにコレクションされていたりするので、仕事のため気持ちを抑えなければとは思いながらも、感情移入してしまうときもあります。

――今のお仕事に従事されて2年ほど経過しているそうですが、そういった気持ちの面はやっていくうちに慣れたのでしょうか?

鈴木:もともとがゼロから事業を始めるところから任されて、実際に費用をいただいて作業をするようになってから徐々にという感じでした。ご遺族の意向に沿うのはもちろんなのですが、私たちの仕事はご依頼主が物件の大家さんであるケースが多く、現状回復も役割のひとつなので、割り切っている部分もあります。

特殊清掃に必要な“薬品と住宅”の知識

――特殊清掃の仕事へ就く上で、必須の資格はあるのでしょうか?

鈴木:必ず取らなければいけない資格はありません。ただ、深く理解しておかなければいけない知識はあります。1つは、消臭や消毒をするために必要な薬品の知識ですね。もうひとつが、室内の清掃だけではなくリフォームまで手がけるケースもあるので、住宅に関する知識も必要となります。

――ゼロから特殊清掃の業界へ飛び込んだそうですが、どのように勉強されたのですか?

鈴木:もともと、僕をこの仕事に引き込んでくれた現在の代表者が建築関係の出身者だったので、リフォームなどは手ほどきを受けました。薬品については発注時にどういった効能があるのかを調べるなどして、少しずつ知識を蓄えていきましたね。

 また、新しく導入するものについては現場で使う前に研修を受けて、取り扱い方を学んでいます。事務所にあるキッチンの水回りを掃除するときに試したり、自分がケガをしたときに血液を室内で放置してみて、どのように使えばよいのかを自主的に研究したときもあります。

――鈴木さんの経験からして、特殊清掃の業界に向いている人と向いていない人はいますか?

鈴木:向いている人というのは難しいのですが、室内にあるモノであったり、故人の意思が渦巻いている空間での作業を求められるので、感情移入をしやすかったり自分の中で悪い“気”を吸い取るという自覚がある人は、あまり向いていないのかもしれません。

特殊清掃という仕事自体が「なくなる」のが理想

――今のお仕事ならではのやりがいはどういった部分でしょうか?

鈴木:作業中は過酷な環境下にいるので感じづらいのですが、終わったあとに「鈴木さんのところに頼んでよかった」と言われると、ご遺族やご依頼主の負担を減らせたのかなと思えるのでやはり嬉しいですね。

 また僕自身、実は今の仕事へ就くまではいろいろな仕事を転々としていたのですが、2年も続いている仕事というのが生涯で初めてなんですよ。現場によって毎回違うことをする上での発見もあるし、故人の周囲にいる方々の「心のお片付け」を少しでも手助けできるという達成感は何ものにも代えがたいです。

――最後に、今後はどのようにお仕事を発展させていきたいですか?

鈴木:僕の理想としては、特殊清掃という仕事自体が「なくなること」が世の中のためだと感じているんです。ただ、現実的には難しいですよね。そのために孤独死とは何かを問いかけようとYouTubeでも“お片付け請負人・すーさん”の動画をアップするようになりました。まずはもっとたくさんの人にその現状を伝えていきたいですね。

 また、今は大田区を拠点に千葉、東京、神奈川、埼玉を中心に関東一円の現場に出張しているのですが、細かくみれば特殊清掃の業者が近くで見つからない地域もあるはずなので、将来的には拡大させていきたいと思います。

■ ■ ■ ■ ■

 自身のYouTubeチャンネルでは、現場での経験をふまえて孤独死やセルフ・ネグレクトについての啓発にも積極的に取り組んでいる鈴木さん。

 人の“死”に関わる仕事というのは、世間的にみてそう多くはない印象もあります。しかし、ときには過酷な環境下で作業することもあるという仕事を通して鈴木さんは、故人や周囲を取り巻く人びとの意思と真摯に向き合い続けています。

<取材・文・撮影/カネコシュウヘイ>

bizSPA!フレッシュ 編集部


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c32

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
162. 中川隆[-10357] koaQ7Jey 2019年5月03日 19:58:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1733]

憲法の日に寄せて - 内田樹の研究室 2019-05-03
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html


2019年5月3日 1947年5月3日に憲法が施行されてから、72年目になる。

今年は先日読み終えて、たいへんに衝撃を受けた加藤典洋さんの『九条入門』(創元社)の所論の一部を紹介して、私見をいささか付け加えたい。(以下敬称略にします。すみません、加藤さん)

先日の神戸新聞のインタビューでも、「憲法一条と九条はワンセット」という加藤の知見に基づいて天皇制について話したのだけれど、その部分はカットされてしまったので、それも含めて。

天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。

法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会(のちの極東委員会)に属した。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。

メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

ということは、極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合には天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判が開かれた場合には天皇が被告席に立たされる可能性があったということである。

ドイツやイタリアでは、憲法がゆっくり時間をかけて検討され、起草されたが、日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに(憲法制定権限をもつ極東委員会が発足する寸前に)1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ、日本政府に開示されたのは2月13日)が発表された。

極東委員会のメンバーが日本視察を終えて2月1日に横浜を離れると同時に草案の検討が始まり、彼らが太平洋を横断して、サンフランシスコに到着した2月13日に憲法は書き上げられていた。そして、「もう誰にも手出しできない状況」(72頁)が生まれていた。

GHQには憲法制定権はないから、建前上これは「日本国民の自由に表明せる意思に従い」起草されたものである。

それにしても、なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?極東委員会や国務省の裏をかくような真似をしたのか?

加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。
天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。

天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。

マッカーサーの知恵袋だったフェラーズ准将は知日派の情報将校だったが、つよく天皇の免罪を求めた覚書をマッカーサーに提出している。

「無血侵攻を果たすに際して、われわれは天皇の尽力を要求した。その命令によって700万の兵士の武装解除が可能になった。したがって、その彼を戦争犯罪のかどで裁けば、日本国民の目には、背信に等しいものと映るであろう。統治機構は崩壊し、たとえ武装解除されているにせよ、全国的反乱は避けられない。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍が必要となり、占領期間は延長されざるを得ないであろう」(83頁)

マッカーサーはそのような事態を全く望んでいなかった。

彼には短期間のうちに日本軍国主義の一掃と、社会の民主化をなしとげ、米軍兵士たちを無傷で帰郷させ、日本占領に奇跡的成功を収めた「卓越した行政官」という声望を求める個人的理由があった。

彼は1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補に指名されることを狙っていたからである。

そのためにはどうしても「昭和天皇の免罪と助命をかちえて、天皇の信頼を獲得して、その力を利用して占領統治を成功させる」(73頁)必要があった。
マッカーサーにはタイムリミットがあった。

48年には彼は68歳になる。現役大統領のトルーマンは4歳年下、48年にトルーマンが後継指名し、52年に共和党の大統領候補指名を得たドワイト・アイゼンハウアーはかつてマッカーサーの副官だった軍人で、10歳年下である。
現役軍人は大統領になれない。

48年の大統領選の準備のためには本国に帰国しなければならない(マッカーサーは太平洋戦争の前からほとんど帰国したことがなかった)。華々しい凱旋帰国のためには早期の占領成功が必須だった。

そのために、1947年からマッカーサーはアメリカ国内向けに繰り返し「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」という声明を出し、本国へ対して「日本の占領をすみやかに終わらせることを望む」メッセージを送り続けた。

しかし、「大勝」という大方の予想を裏切って、48年3月のウィスコンシン州での予備選挙でマッカーサーは惨敗を喫し、いきなり指名レースから脱落してしまう。

それはまだ先の話で、1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。

そのためには、極東委員会が憲法制定権を行使して、ゆっくり時間をかけて憲法草案(これは天皇制を廃絶するものである可能性があった)を検討する作業を始める前に、すべてを片付けねばならない。

そのときにマッカーサーに「天啓」のように訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。

天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。
天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。

「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)

天皇制の存続につよい懐疑のまなざしを向ける極東委員会の国々(ソ連は天皇制そのものの廃絶を求め、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは天皇制による軍国主義の復活を恐れ、中華民国は天皇が裁判で訴追されないことに不服を申し立ていた)に「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。

ここまでの加藤の行論には反論の余地がないと思う。

憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定されたという加藤の論には説得力がある。

とくに私が興味を持ったのは、この「極端な戦争放棄」に当時の政治家や憲法学者たちが熱狂したという点である(その多くは後になって「九条二項には個別的自衛権を放棄したものではない」と掌を返したように解釈を覆したが)。

加藤はこれを日本人が病んだ「道義心の空白」(193頁)によって説明する。

敗戦によって日本がそれまで道義的価値の源泉として見上げてきた(少なくとも制度的にはそう強制されてきた)天皇がその地位を失った。
天皇制は戦争責任を免れるかたちで存命することになった。

それを喜んだ日本人もたくさんいただろう。けれども、天皇がもはや国家の道義的な中心ではなくなったという事実に日本人は深い空虚感を感じたはずである。
いったいこれから先、日本人は何を道義とし、モラルとして生きていったらよいのか?

その「藁をもつかむ」状態にあった日本人に提示されたのが、戦力を持たず、交戦権を否定し、全面的な戦争放棄を実行して世界に類のない平和国家をめざすのだという憲法九条の「物語」である。

「世界に類のない」というところが肝心なのである。

世界に冠絶する大日本帝国が瓦解した後に、それでも日本人はなんらかのかたちで「世界に類をみない国」でありたいと切望した。

加藤はこのときに日本人を巻き込んだ熱狂についてこう書いている。

「自分たちの空っぽの道義の『空白』には、いま、そのようなものこそが、必要なのだ、自分たちはそれをこそ求めていたのだ、と考え、その条項を全面的な賛同の気持ちで受けいれることにした。このとき起こったことが、そうした側面をもっていたとしたら、それは、戦争放棄の『光輝』によって行う、天皇の民主化の『空白』の"埋め合わせ"(代償行為)だったのだろうと私は思うのです。」(195頁)

ここまでの論を見ただけで、なぜ先帝が「鎮魂と慰藉」という「象徴的行為」を「象徴天皇」の本務であるとして、あれほど強調されてきたのか、その理路が逆方向からわかってくる。

天皇陛下の象徴的行為による国民の道義性の「底上げ」の努力は、改憲の運動が進み、憲法九条の「道義性」が減殺されてゆくプロセスとほぼ並行している。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。

いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。

日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。

という話を神戸新聞にしたのだけれど、変な話過ぎたので、記事にはならなかったので、ここに採録するのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c162

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
24. 中川隆[-10356] koaQ7Jey 2019年5月03日 19:59:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1734]

憲法の日に寄せて - 内田樹の研究室 2019-05-03
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html


2019年5月3日 1947年5月3日に憲法が施行されてから、72年目になる。

今年は先日読み終えて、たいへんに衝撃を受けた加藤典洋さんの『九条入門』(創元社)の所論の一部を紹介して、私見をいささか付け加えたい。(以下敬称略にします。すみません、加藤さん)

先日の神戸新聞のインタビューでも、「憲法一条と九条はワンセット」という加藤の知見に基づいて天皇制について話したのだけれど、その部分はカットされてしまったので、それも含めて。

天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。

法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会(のちの極東委員会)に属した。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。

メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

ということは、極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合には天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判が開かれた場合には天皇が被告席に立たされる可能性があったということである。

ドイツやイタリアでは、憲法がゆっくり時間をかけて検討され、起草されたが、日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに(憲法制定権限をもつ極東委員会が発足する寸前に)1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ、日本政府に開示されたのは2月13日)が発表された。

極東委員会のメンバーが日本視察を終えて2月1日に横浜を離れると同時に草案の検討が始まり、彼らが太平洋を横断して、サンフランシスコに到着した2月13日に憲法は書き上げられていた。そして、「もう誰にも手出しできない状況」(72頁)が生まれていた。

GHQには憲法制定権はないから、建前上これは「日本国民の自由に表明せる意思に従い」起草されたものである。

それにしても、なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?極東委員会や国務省の裏をかくような真似をしたのか?

加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。
天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。

天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。

マッカーサーの知恵袋だったフェラーズ准将は知日派の情報将校だったが、つよく天皇の免罪を求めた覚書をマッカーサーに提出している。

「無血侵攻を果たすに際して、われわれは天皇の尽力を要求した。その命令によって700万の兵士の武装解除が可能になった。したがって、その彼を戦争犯罪のかどで裁けば、日本国民の目には、背信に等しいものと映るであろう。統治機構は崩壊し、たとえ武装解除されているにせよ、全国的反乱は避けられない。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍が必要となり、占領期間は延長されざるを得ないであろう」(83頁)

マッカーサーはそのような事態を全く望んでいなかった。

彼には短期間のうちに日本軍国主義の一掃と、社会の民主化をなしとげ、米軍兵士たちを無傷で帰郷させ、日本占領に奇跡的成功を収めた「卓越した行政官」という声望を求める個人的理由があった。

彼は1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補に指名されることを狙っていたからである。

そのためにはどうしても「昭和天皇の免罪と助命をかちえて、天皇の信頼を獲得して、その力を利用して占領統治を成功させる」(73頁)必要があった。
マッカーサーにはタイムリミットがあった。

48年には彼は68歳になる。現役大統領のトルーマンは4歳年下、48年にトルーマンが後継指名し、52年に共和党の大統領候補指名を得たドワイト・アイゼンハウアーはかつてマッカーサーの副官だった軍人で、10歳年下である。
現役軍人は大統領になれない。

48年の大統領選の準備のためには本国に帰国しなければならない(マッカーサーは太平洋戦争の前からほとんど帰国したことがなかった)。華々しい凱旋帰国のためには早期の占領成功が必須だった。

そのために、1947年からマッカーサーはアメリカ国内向けに繰り返し「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」という声明を出し、本国へ対して「日本の占領をすみやかに終わらせることを望む」メッセージを送り続けた。

しかし、「大勝」という大方の予想を裏切って、48年3月のウィスコンシン州での予備選挙でマッカーサーは惨敗を喫し、いきなり指名レースから脱落してしまう。

それはまだ先の話で、1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。

そのためには、極東委員会が憲法制定権を行使して、ゆっくり時間をかけて憲法草案(これは天皇制を廃絶するものである可能性があった)を検討する作業を始める前に、すべてを片付けねばならない。

そのときにマッカーサーに「天啓」のように訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。

天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。
天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。

「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)

天皇制の存続につよい懐疑のまなざしを向ける極東委員会の国々(ソ連は天皇制そのものの廃絶を求め、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは天皇制による軍国主義の復活を恐れ、中華民国は天皇が裁判で訴追されないことに不服を申し立ていた)に「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。

ここまでの加藤の行論には反論の余地がないと思う。

憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定されたという加藤の論には説得力がある。

とくに私が興味を持ったのは、この「極端な戦争放棄」に当時の政治家や憲法学者たちが熱狂したという点である(その多くは後になって「九条二項には個別的自衛権を放棄したものではない」と掌を返したように解釈を覆したが)。

加藤はこれを日本人が病んだ「道義心の空白」(193頁)によって説明する。

敗戦によって日本がそれまで道義的価値の源泉として見上げてきた(少なくとも制度的にはそう強制されてきた)天皇がその地位を失った。
天皇制は戦争責任を免れるかたちで存命することになった。

それを喜んだ日本人もたくさんいただろう。けれども、天皇がもはや国家の道義的な中心ではなくなったという事実に日本人は深い空虚感を感じたはずである。
いったいこれから先、日本人は何を道義とし、モラルとして生きていったらよいのか?

その「藁をもつかむ」状態にあった日本人に提示されたのが、戦力を持たず、交戦権を否定し、全面的な戦争放棄を実行して世界に類のない平和国家をめざすのだという憲法九条の「物語」である。

「世界に類のない」というところが肝心なのである。

世界に冠絶する大日本帝国が瓦解した後に、それでも日本人はなんらかのかたちで「世界に類をみない国」でありたいと切望した。

加藤はこのときに日本人を巻き込んだ熱狂についてこう書いている。

「自分たちの空っぽの道義の『空白』には、いま、そのようなものこそが、必要なのだ、自分たちはそれをこそ求めていたのだ、と考え、その条項を全面的な賛同の気持ちで受けいれることにした。このとき起こったことが、そうした側面をもっていたとしたら、それは、戦争放棄の『光輝』によって行う、天皇の民主化の『空白』の"埋め合わせ"(代償行為)だったのだろうと私は思うのです。」(195頁)

ここまでの論を見ただけで、なぜ先帝が「鎮魂と慰藉」という「象徴的行為」を「象徴天皇」の本務であるとして、あれほど強調されてきたのか、その理路が逆方向からわかってくる。

天皇陛下の象徴的行為による国民の道義性の「底上げ」の努力は、改憲の運動が進み、憲法九条の「道義性」が減殺されてゆくプロセスとほぼ並行している。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。

いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。

日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。

という話を神戸新聞にしたのだけれど、変な話過ぎたので、記事にはならなかったので、ここに採録するのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c24

[近代史3] 昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった 中川隆
2. 中川隆[-10355] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:00:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1735]

憲法の日に寄せて - 内田樹の研究室 2019-05-03
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html


2019年5月3日 1947年5月3日に憲法が施行されてから、72年目になる。

今年は先日読み終えて、たいへんに衝撃を受けた加藤典洋さんの『九条入門』(創元社)の所論の一部を紹介して、私見をいささか付け加えたい。(以下敬称略にします。すみません、加藤さん)

先日の神戸新聞のインタビューでも、「憲法一条と九条はワンセット」という加藤の知見に基づいて天皇制について話したのだけれど、その部分はカットされてしまったので、それも含めて。

天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。

法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会(のちの極東委員会)に属した。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。

メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

ということは、極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合には天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判が開かれた場合には天皇が被告席に立たされる可能性があったということである。

ドイツやイタリアでは、憲法がゆっくり時間をかけて検討され、起草されたが、日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに(憲法制定権限をもつ極東委員会が発足する寸前に)1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ、日本政府に開示されたのは2月13日)が発表された。

極東委員会のメンバーが日本視察を終えて2月1日に横浜を離れると同時に草案の検討が始まり、彼らが太平洋を横断して、サンフランシスコに到着した2月13日に憲法は書き上げられていた。そして、「もう誰にも手出しできない状況」(72頁)が生まれていた。

GHQには憲法制定権はないから、建前上これは「日本国民の自由に表明せる意思に従い」起草されたものである。

それにしても、なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?極東委員会や国務省の裏をかくような真似をしたのか?

加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。
天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。

天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。

マッカーサーの知恵袋だったフェラーズ准将は知日派の情報将校だったが、つよく天皇の免罪を求めた覚書をマッカーサーに提出している。

「無血侵攻を果たすに際して、われわれは天皇の尽力を要求した。その命令によって700万の兵士の武装解除が可能になった。したがって、その彼を戦争犯罪のかどで裁けば、日本国民の目には、背信に等しいものと映るであろう。統治機構は崩壊し、たとえ武装解除されているにせよ、全国的反乱は避けられない。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍が必要となり、占領期間は延長されざるを得ないであろう」(83頁)

マッカーサーはそのような事態を全く望んでいなかった。

彼には短期間のうちに日本軍国主義の一掃と、社会の民主化をなしとげ、米軍兵士たちを無傷で帰郷させ、日本占領に奇跡的成功を収めた「卓越した行政官」という声望を求める個人的理由があった。

彼は1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補に指名されることを狙っていたからである。

そのためにはどうしても「昭和天皇の免罪と助命をかちえて、天皇の信頼を獲得して、その力を利用して占領統治を成功させる」(73頁)必要があった。
マッカーサーにはタイムリミットがあった。

48年には彼は68歳になる。現役大統領のトルーマンは4歳年下、48年にトルーマンが後継指名し、52年に共和党の大統領候補指名を得たドワイト・アイゼンハウアーはかつてマッカーサーの副官だった軍人で、10歳年下である。
現役軍人は大統領になれない。

48年の大統領選の準備のためには本国に帰国しなければならない(マッカーサーは太平洋戦争の前からほとんど帰国したことがなかった)。華々しい凱旋帰国のためには早期の占領成功が必須だった。

そのために、1947年からマッカーサーはアメリカ国内向けに繰り返し「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」という声明を出し、本国へ対して「日本の占領をすみやかに終わらせることを望む」メッセージを送り続けた。

しかし、「大勝」という大方の予想を裏切って、48年3月のウィスコンシン州での予備選挙でマッカーサーは惨敗を喫し、いきなり指名レースから脱落してしまう。

それはまだ先の話で、1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。

そのためには、極東委員会が憲法制定権を行使して、ゆっくり時間をかけて憲法草案(これは天皇制を廃絶するものである可能性があった)を検討する作業を始める前に、すべてを片付けねばならない。

そのときにマッカーサーに「天啓」のように訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。

天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。
天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。

「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)

天皇制の存続につよい懐疑のまなざしを向ける極東委員会の国々(ソ連は天皇制そのものの廃絶を求め、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは天皇制による軍国主義の復活を恐れ、中華民国は天皇が裁判で訴追されないことに不服を申し立ていた)に「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。

ここまでの加藤の行論には反論の余地がないと思う。

憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定されたという加藤の論には説得力がある。

とくに私が興味を持ったのは、この「極端な戦争放棄」に当時の政治家や憲法学者たちが熱狂したという点である(その多くは後になって「九条二項には個別的自衛権を放棄したものではない」と掌を返したように解釈を覆したが)。

加藤はこれを日本人が病んだ「道義心の空白」(193頁)によって説明する。

敗戦によって日本がそれまで道義的価値の源泉として見上げてきた(少なくとも制度的にはそう強制されてきた)天皇がその地位を失った。
天皇制は戦争責任を免れるかたちで存命することになった。

それを喜んだ日本人もたくさんいただろう。けれども、天皇がもはや国家の道義的な中心ではなくなったという事実に日本人は深い空虚感を感じたはずである。
いったいこれから先、日本人は何を道義とし、モラルとして生きていったらよいのか?

その「藁をもつかむ」状態にあった日本人に提示されたのが、戦力を持たず、交戦権を否定し、全面的な戦争放棄を実行して世界に類のない平和国家をめざすのだという憲法九条の「物語」である。

「世界に類のない」というところが肝心なのである。

世界に冠絶する大日本帝国が瓦解した後に、それでも日本人はなんらかのかたちで「世界に類をみない国」でありたいと切望した。

加藤はこのときに日本人を巻き込んだ熱狂についてこう書いている。

「自分たちの空っぽの道義の『空白』には、いま、そのようなものこそが、必要なのだ、自分たちはそれをこそ求めていたのだ、と考え、その条項を全面的な賛同の気持ちで受けいれることにした。このとき起こったことが、そうした側面をもっていたとしたら、それは、戦争放棄の『光輝』によって行う、天皇の民主化の『空白』の"埋め合わせ"(代償行為)だったのだろうと私は思うのです。」(195頁)

ここまでの論を見ただけで、なぜ先帝が「鎮魂と慰藉」という「象徴的行為」を「象徴天皇」の本務であるとして、あれほど強調されてきたのか、その理路が逆方向からわかってくる。

天皇陛下の象徴的行為による国民の道義性の「底上げ」の努力は、改憲の運動が進み、憲法九条の「道義性」が減殺されてゆくプロセスとほぼ並行している。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。

いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。

日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。

という話を神戸新聞にしたのだけれど、変な話過ぎたので、記事にはならなかったので、ここに採録するのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html#c2

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない 中川隆
2. 中川隆[-10354] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:01:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1736]

憲法の日に寄せて - 内田樹の研究室 2019-05-03
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html


2019年5月3日 1947年5月3日に憲法が施行されてから、72年目になる。

今年は先日読み終えて、たいへんに衝撃を受けた加藤典洋さんの『九条入門』(創元社)の所論の一部を紹介して、私見をいささか付け加えたい。(以下敬称略にします。すみません、加藤さん)

先日の神戸新聞のインタビューでも、「憲法一条と九条はワンセット」という加藤の知見に基づいて天皇制について話したのだけれど、その部分はカットされてしまったので、それも含めて。

天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。

法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会(のちの極東委員会)に属した。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。

メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

ということは、極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合には天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判が開かれた場合には天皇が被告席に立たされる可能性があったということである。

ドイツやイタリアでは、憲法がゆっくり時間をかけて検討され、起草されたが、日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに(憲法制定権限をもつ極東委員会が発足する寸前に)1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ、日本政府に開示されたのは2月13日)が発表された。

極東委員会のメンバーが日本視察を終えて2月1日に横浜を離れると同時に草案の検討が始まり、彼らが太平洋を横断して、サンフランシスコに到着した2月13日に憲法は書き上げられていた。そして、「もう誰にも手出しできない状況」(72頁)が生まれていた。

GHQには憲法制定権はないから、建前上これは「日本国民の自由に表明せる意思に従い」起草されたものである。

それにしても、なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?極東委員会や国務省の裏をかくような真似をしたのか?

加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。
天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。

天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。

マッカーサーの知恵袋だったフェラーズ准将は知日派の情報将校だったが、つよく天皇の免罪を求めた覚書をマッカーサーに提出している。

「無血侵攻を果たすに際して、われわれは天皇の尽力を要求した。その命令によって700万の兵士の武装解除が可能になった。したがって、その彼を戦争犯罪のかどで裁けば、日本国民の目には、背信に等しいものと映るであろう。統治機構は崩壊し、たとえ武装解除されているにせよ、全国的反乱は避けられない。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍が必要となり、占領期間は延長されざるを得ないであろう」(83頁)

マッカーサーはそのような事態を全く望んでいなかった。

彼には短期間のうちに日本軍国主義の一掃と、社会の民主化をなしとげ、米軍兵士たちを無傷で帰郷させ、日本占領に奇跡的成功を収めた「卓越した行政官」という声望を求める個人的理由があった。

彼は1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補に指名されることを狙っていたからである。

そのためにはどうしても「昭和天皇の免罪と助命をかちえて、天皇の信頼を獲得して、その力を利用して占領統治を成功させる」(73頁)必要があった。
マッカーサーにはタイムリミットがあった。

48年には彼は68歳になる。現役大統領のトルーマンは4歳年下、48年にトルーマンが後継指名し、52年に共和党の大統領候補指名を得たドワイト・アイゼンハウアーはかつてマッカーサーの副官だった軍人で、10歳年下である。
現役軍人は大統領になれない。

48年の大統領選の準備のためには本国に帰国しなければならない(マッカーサーは太平洋戦争の前からほとんど帰国したことがなかった)。華々しい凱旋帰国のためには早期の占領成功が必須だった。

そのために、1947年からマッカーサーはアメリカ国内向けに繰り返し「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」という声明を出し、本国へ対して「日本の占領をすみやかに終わらせることを望む」メッセージを送り続けた。

しかし、「大勝」という大方の予想を裏切って、48年3月のウィスコンシン州での予備選挙でマッカーサーは惨敗を喫し、いきなり指名レースから脱落してしまう。

それはまだ先の話で、1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。

そのためには、極東委員会が憲法制定権を行使して、ゆっくり時間をかけて憲法草案(これは天皇制を廃絶するものである可能性があった)を検討する作業を始める前に、すべてを片付けねばならない。

そのときにマッカーサーに「天啓」のように訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。

天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。
天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。

「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)

天皇制の存続につよい懐疑のまなざしを向ける極東委員会の国々(ソ連は天皇制そのものの廃絶を求め、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは天皇制による軍国主義の復活を恐れ、中華民国は天皇が裁判で訴追されないことに不服を申し立ていた)に「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。

ここまでの加藤の行論には反論の余地がないと思う。

憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定されたという加藤の論には説得力がある。

とくに私が興味を持ったのは、この「極端な戦争放棄」に当時の政治家や憲法学者たちが熱狂したという点である(その多くは後になって「九条二項には個別的自衛権を放棄したものではない」と掌を返したように解釈を覆したが)。

加藤はこれを日本人が病んだ「道義心の空白」(193頁)によって説明する。

敗戦によって日本がそれまで道義的価値の源泉として見上げてきた(少なくとも制度的にはそう強制されてきた)天皇がその地位を失った。
天皇制は戦争責任を免れるかたちで存命することになった。

それを喜んだ日本人もたくさんいただろう。けれども、天皇がもはや国家の道義的な中心ではなくなったという事実に日本人は深い空虚感を感じたはずである。
いったいこれから先、日本人は何を道義とし、モラルとして生きていったらよいのか?

その「藁をもつかむ」状態にあった日本人に提示されたのが、戦力を持たず、交戦権を否定し、全面的な戦争放棄を実行して世界に類のない平和国家をめざすのだという憲法九条の「物語」である。

「世界に類のない」というところが肝心なのである。

世界に冠絶する大日本帝国が瓦解した後に、それでも日本人はなんらかのかたちで「世界に類をみない国」でありたいと切望した。

加藤はこのときに日本人を巻き込んだ熱狂についてこう書いている。

「自分たちの空っぽの道義の『空白』には、いま、そのようなものこそが、必要なのだ、自分たちはそれをこそ求めていたのだ、と考え、その条項を全面的な賛同の気持ちで受けいれることにした。このとき起こったことが、そうした側面をもっていたとしたら、それは、戦争放棄の『光輝』によって行う、天皇の民主化の『空白』の"埋め合わせ"(代償行為)だったのだろうと私は思うのです。」(195頁)

ここまでの論を見ただけで、なぜ先帝が「鎮魂と慰藉」という「象徴的行為」を「象徴天皇」の本務であるとして、あれほど強調されてきたのか、その理路が逆方向からわかってくる。

天皇陛下の象徴的行為による国民の道義性の「底上げ」の努力は、改憲の運動が進み、憲法九条の「道義性」が減殺されてゆくプロセスとほぼ並行している。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。

いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。

日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。

という話を神戸新聞にしたのだけれど、変な話過ぎたので、記事にはならなかったので、ここに採録するのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html#c2

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
8. 中川隆[-10353] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:01:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]

憲法の日に寄せて - 内田樹の研究室 2019-05-03
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html


2019年5月3日 1947年5月3日に憲法が施行されてから、72年目になる。

今年は先日読み終えて、たいへんに衝撃を受けた加藤典洋さんの『九条入門』(創元社)の所論の一部を紹介して、私見をいささか付け加えたい。(以下敬称略にします。すみません、加藤さん)

先日の神戸新聞のインタビューでも、「憲法一条と九条はワンセット」という加藤の知見に基づいて天皇制について話したのだけれど、その部分はカットされてしまったので、それも含めて。

天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。

法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会(のちの極東委員会)に属した。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。

メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

ということは、極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合には天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判が開かれた場合には天皇が被告席に立たされる可能性があったということである。

ドイツやイタリアでは、憲法がゆっくり時間をかけて検討され、起草されたが、日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに(憲法制定権限をもつ極東委員会が発足する寸前に)1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ、日本政府に開示されたのは2月13日)が発表された。

極東委員会のメンバーが日本視察を終えて2月1日に横浜を離れると同時に草案の検討が始まり、彼らが太平洋を横断して、サンフランシスコに到着した2月13日に憲法は書き上げられていた。そして、「もう誰にも手出しできない状況」(72頁)が生まれていた。

GHQには憲法制定権はないから、建前上これは「日本国民の自由に表明せる意思に従い」起草されたものである。

それにしても、なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?極東委員会や国務省の裏をかくような真似をしたのか?

加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。
天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。

天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。

マッカーサーの知恵袋だったフェラーズ准将は知日派の情報将校だったが、つよく天皇の免罪を求めた覚書をマッカーサーに提出している。

「無血侵攻を果たすに際して、われわれは天皇の尽力を要求した。その命令によって700万の兵士の武装解除が可能になった。したがって、その彼を戦争犯罪のかどで裁けば、日本国民の目には、背信に等しいものと映るであろう。統治機構は崩壊し、たとえ武装解除されているにせよ、全国的反乱は避けられない。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍が必要となり、占領期間は延長されざるを得ないであろう」(83頁)

マッカーサーはそのような事態を全く望んでいなかった。

彼には短期間のうちに日本軍国主義の一掃と、社会の民主化をなしとげ、米軍兵士たちを無傷で帰郷させ、日本占領に奇跡的成功を収めた「卓越した行政官」という声望を求める個人的理由があった。

彼は1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補に指名されることを狙っていたからである。

そのためにはどうしても「昭和天皇の免罪と助命をかちえて、天皇の信頼を獲得して、その力を利用して占領統治を成功させる」(73頁)必要があった。
マッカーサーにはタイムリミットがあった。

48年には彼は68歳になる。現役大統領のトルーマンは4歳年下、48年にトルーマンが後継指名し、52年に共和党の大統領候補指名を得たドワイト・アイゼンハウアーはかつてマッカーサーの副官だった軍人で、10歳年下である。
現役軍人は大統領になれない。

48年の大統領選の準備のためには本国に帰国しなければならない(マッカーサーは太平洋戦争の前からほとんど帰国したことがなかった)。華々しい凱旋帰国のためには早期の占領成功が必須だった。

そのために、1947年からマッカーサーはアメリカ国内向けに繰り返し「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」という声明を出し、本国へ対して「日本の占領をすみやかに終わらせることを望む」メッセージを送り続けた。

しかし、「大勝」という大方の予想を裏切って、48年3月のウィスコンシン州での予備選挙でマッカーサーは惨敗を喫し、いきなり指名レースから脱落してしまう。

それはまだ先の話で、1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。

そのためには、極東委員会が憲法制定権を行使して、ゆっくり時間をかけて憲法草案(これは天皇制を廃絶するものである可能性があった)を検討する作業を始める前に、すべてを片付けねばならない。

そのときにマッカーサーに「天啓」のように訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。

天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。
天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。

「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)

天皇制の存続につよい懐疑のまなざしを向ける極東委員会の国々(ソ連は天皇制そのものの廃絶を求め、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは天皇制による軍国主義の復活を恐れ、中華民国は天皇が裁判で訴追されないことに不服を申し立ていた)に「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。

ここまでの加藤の行論には反論の余地がないと思う。

憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定されたという加藤の論には説得力がある。

とくに私が興味を持ったのは、この「極端な戦争放棄」に当時の政治家や憲法学者たちが熱狂したという点である(その多くは後になって「九条二項には個別的自衛権を放棄したものではない」と掌を返したように解釈を覆したが)。

加藤はこれを日本人が病んだ「道義心の空白」(193頁)によって説明する。

敗戦によって日本がそれまで道義的価値の源泉として見上げてきた(少なくとも制度的にはそう強制されてきた)天皇がその地位を失った。
天皇制は戦争責任を免れるかたちで存命することになった。

それを喜んだ日本人もたくさんいただろう。けれども、天皇がもはや国家の道義的な中心ではなくなったという事実に日本人は深い空虚感を感じたはずである。
いったいこれから先、日本人は何を道義とし、モラルとして生きていったらよいのか?

その「藁をもつかむ」状態にあった日本人に提示されたのが、戦力を持たず、交戦権を否定し、全面的な戦争放棄を実行して世界に類のない平和国家をめざすのだという憲法九条の「物語」である。

「世界に類のない」というところが肝心なのである。

世界に冠絶する大日本帝国が瓦解した後に、それでも日本人はなんらかのかたちで「世界に類をみない国」でありたいと切望した。

加藤はこのときに日本人を巻き込んだ熱狂についてこう書いている。

「自分たちの空っぽの道義の『空白』には、いま、そのようなものこそが、必要なのだ、自分たちはそれをこそ求めていたのだ、と考え、その条項を全面的な賛同の気持ちで受けいれることにした。このとき起こったことが、そうした側面をもっていたとしたら、それは、戦争放棄の『光輝』によって行う、天皇の民主化の『空白』の"埋め合わせ"(代償行為)だったのだろうと私は思うのです。」(195頁)

ここまでの論を見ただけで、なぜ先帝が「鎮魂と慰藉」という「象徴的行為」を「象徴天皇」の本務であるとして、あれほど強調されてきたのか、その理路が逆方向からわかってくる。

天皇陛下の象徴的行為による国民の道義性の「底上げ」の努力は、改憲の運動が進み、憲法九条の「道義性」が減殺されてゆくプロセスとほぼ並行している。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。

いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。

日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。

という話を神戸新聞にしたのだけれど、変な話過ぎたので、記事にはならなかったので、ここに採録するのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c8

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
70. 中川隆[-10352] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:03:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]
2016年12月19日
【雅子妃】雅子の不倫相手の奥参事官はやはり殺害されていた、
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2017/02/06/2017020620170206000000/


≪外務省当時、雅子の不倫相手だった奥参事官はやはり殺害されていた≫

その方が、「断言」されましたが、奥参事官は「雅子入内」後アフリカへ飛ばされたのち、「殺害」されたそうです。

★単なる「流れ弾」に当たったのではないそうです。

これもネット内でつぶやかれていましたが、「そう考えるのが自然だ」と言う見方が「担保」された形になりました。

雅子の精神的異変はそれ以来だとのことです。

(もともとキチガイ家系ですが。いとこが大阪の精神病院に捨てられ見舞客もないとのこと)

精神病の家系を入れるべきではないのに、強引に入れた連中がいました。ほぼ定説化していますが故高円宮憲仁親王と同妃久子です。

小和田恒が北朝鮮の家系であること、江頭が穢多であることも某国家の主要地位にあった方にとっては当時から既知の事実だったそうです。

皆複数の主張を同じくするブロガー達にとっては既知の情報ですが、改めて事実として「担保」してもらった形です。

★正直な感想を述べると実に「あっけない感じ」で「三流ドラマ」の「裏舞台」が一般公開された様な気分です。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2017/02/06/2017020620170206000000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c70

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
71. 中川隆[-10351] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:13:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/


2015年4月1日

今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c71

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
72. 中川隆[-10350] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:57:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]

2017年1月6日
雅子様の外務省時代の不倫相手だった奥参事官が暗殺されていた
http://reptilianbuster.blogspot.com/2017/01/blog-post_11.html

雅子様が外務省時代で不倫相手だった奥参事官が、アフリカに飛ばされた後、暗殺されていたらしい。口封じのためだろう。

浩宮の奥さんで、日本の皇室のプリンセスが、外務省で不倫していたなんて国民に知れたら、ばつが悪いからだ。

でも私が気になる殺された雅子様のハーバード大学時代のボーイフレンドの件に関しては、あまりニュースにはならない。

下の画像、ハーバード大学(実際にはハーバード大学付属の短大?)の卒業式の写真には、すべて、このボーイフレンドが写っていた。


http://reptilianbuster.blogspot.com/2017/01/blog-post_11.html


雅子様との件をマスコミに話す前に処理されてしまった模様だ。口封じのための暗殺。

雅子様がプリンセスに成るために、少なくとも2人のレプ男性が犠牲となった模様だ。その他にも数人居るかもしれない。皇室としては、セックスや性癖などの事を喋られてはマズイと考えたのだろう。大体、浩宮との結婚の前に、数人のボーイフレンド達とズッコン!バッコン!とやっていたなどと国民に知れ渡るだけで、プリンセスの印象が悪くなる。

もちろん、それらのレプ男性達は、雅子様が未来のプリンセスに成るなんて、思いもよらなかった事だろう。雅子様と寝たというだけで殺されてしまったレプ男性達の冥福を祈る。

下の映像に雅子様と奥参事官が一緒に歩いているのが映っている。


Reptilian Princess Masako finger shapeshifting 雅子様 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2ao7vmAxIak


前夜、一緒に楽しんだのか?ニヤける奥参事官と、その後を歩く雅子様。

「今晩もどう?」と雅子様に尋ねる奥参事官


「じゃあ、今晩も会おうね」と雅子様に手を振る奥参事官。と同時に、雅子様の人差し指が長く伸びる。


4 件のコメント:


藤野ふもと2017年1月7日 2:47
にやける奥参事官、という寫眞は、蛇のピコ太郎にソックリ。げげげ。
彼の歯も長くシェイプシフトしてますね。
動画の48くらいからの彼女のキツーイ縦目シエプシフトが怖いね。 やっぱり人の目にもきつい目ってのは実際、蛇目やデカ目になって居るわけなんですね。

優しさや思いやりなんてものは持ち合わせないレプ。
ご優秀伝説とか いかに嘘ニュースだったかわかるね。
 もういい加減にして欲しいです。

reptilianisreal2017年1月7日 10:53
「ご優秀伝説」って笑えるよね。ハーバード大学では無く、付属の短大?だったとの情報もあり。東大の大学院も親の権力コネで試験無しで入学。オックスフォード大学院でも、1つも単位が取れなかったとの事。いかにも特権レプのお嬢さん学歴ロンダリング詐欺という感じ。

藤野ふもとさ〜ん、今年もキレのあるコメント、ドンドンよろしくね!


藤野ふもと2017年1月7日 14:34
ええ?もしもキレが出たとしたら,それはここで学んだからですよ〜。毎日見ない日はないです。皆さんと同じ、すぐ飛んできちゃいます(笑)

 このブログで目覚めさせられ、本当は何が起こっているのかを知れば、やがてそれが広がって行って、世の中が変わっていきますからね。

ずっと、のほほーん、と騙されてた私ですが、
でも今は見逃しませんよ。映画や動画のレプシェイプシフト!!

一般人をすり減るまで働かせて、なんでも楽に得して理由もナシに威張っている特権階級なんて、ひどいよねえ。 特権やめてけれ。今年もリアルさんを皆さんと一緒に応援して頑張っていきましょう。


yupan Fantasy2017年1月8日 1:45
なるほど(≧▽≦)其れで指が反応しちゃったのですね‼︎(爆)。
http://reptilianbuster.blogspot.com/2017/01/blog-post_11.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c72

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
73. 中川隆[-10349] koaQ7Jey 2019年5月03日 21:11:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]


奥参事官⬅︎イラク戦で事故死【車中メール】送信先❓親米・反米


雅子妃 外務省時代に奥参事官と不倫


奥参事官の娘が可愛すぎる - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6TEAXVQcWsA


雅子さま外務省時代
奔放な雅子妃さま⬅︎雅子さま、高校堕胎、入内前に更にまた堕胎


雅子さま−外務省時代と1993年(音声なし) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=3__VfoLrxAc

【皇室ニュース】雅子さま、高校堕胎、入内前に更にまた堕胎。

お妃条件皆無の為、候補除外、「うちの娘のどこが悪い!」と
小和田恒が皇居に怒鳴り込んだというのが本当だ!?
ww【皇室まとめチャンネル】
http://blog.livedoor.jp/ail01u9j10taw/archives/5004527.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c73

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
74. 中川隆[-10348] koaQ7Jey 2019年5月03日 21:21:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」から転載
https://blogs.yahoo.co.jp/binslove2005/64884589.html

今日は東宮妃雅子さんです。

この方、1993年の入内以来、最初こそ「公務もどき」のことを東宮とちょこちょこやっていましたが、しばらくすると東宮の「人格否定宣言」が出て、「適応障害宣言」でて、公務は一切無視になりました。


それなのに、巨額の国費を使って「オランダ静養旅行」、最近ここ2,3年は、露骨に「スキー旅行」「静養旅行三昧」です。何か月か前、珍しく東宮とトンガへの公務をしましたが、肝心の晩餐会は欠席、これは「公務失格」です。

そのかわり、内廷日で、ブランドもの買いあさり。東宮は独身時代、理想の結婚相手として「テハニ(ティファニー)」で買い物するような人は困る」と言っていました(笑)

それに、実家の小和田恒や小和田優美子、「礼節姉妹(笑)」と呼ばれる、双子の妹二人は「準皇族気取りで」しょっちゅう、東宮御所に入りびたりです。


双子の一人の池田礼子は例の「ヤフオク事件」に絡んでいる可能性が大です。出品の写真に写り混んでいる日本人離れしたスタイルの良い足が、そっくりです。


良識ある日本人、保守の日本人は「怒り心頭」ですが、雅子碑は、全く意に介していません。自然と国民を挑発するような行動もします。結論の一つを言うと
★雅子碑には「世間」という概念が全く無いのです。この時点で【100%日本人ではありません】東アジアのどこかの国の人間でしょう。


台湾ではないですよ。別の記事で書きますが、親日国台湾派、戦前の日本統治時代の教育精神を未だ断固として固守しているのです。台湾の大手のエバー航空の社員教育は【教育勅語】を使用しているそうです。【教育勅語】は明治天皇のお言葉ですからね。現代の若い台湾世代は、家で、日本統治時代に育った「日本語世代」の祖父母に、倫理の基本を日本精神として叩きこまれているそうです。「日本精神(りっぷんちぇんしん)」というそうです。彼らは祖父母から、恥じ入ることをしたら、潔く腹を切れと言われているそうです。これで、雅子碑の「台湾人説」は消えました(笑)


では、中国人か、中国人女性なら、年収6千万円ももらえば、やれと言われたことはちゃんとやると思います。これで、【中国人説】は消えました。


李氏朝鮮時代500年間に、李王家以外の支配層に両班(やんばん)という一握りの集団がいました。中国から朱子学を輸入して、韓国式に改良して「性理学」という、空想的な学問らしきものを作って両班たちは議論を日常的にやっていました。
両班たちのモラル(倫理)は、絶対に働かないことでした。汗をかいて働く連中を軽蔑します。じゃあ、収入はどうしたかというと、小作地の様なものを持っていて、農民や白丁(ぺくちょん)と呼ばれる奴隷たちに交錯させていました。両班は、収穫物を無慈悲に搾取して、農民や奴隷は、死なない程度に生きていました。日本が統治し始めてから初めて「奴隷解放」をしました。現在の韓国大統領パククネの父、朴正煕は解放された奴隷の一人でした。


韓国の掲示板に書いてありましたけど、両班たちは、絶対に働こうとはせず、朝から寝るまで「孔子いわく、孟子いわく・・・・」を念仏のように繰り返していたそうです。これでは、国が停滞するのも当然です。
韓国人に言わせると、今でも【両班根性】を持った朝鮮、韓国人はDNAの関係で良く見かけるそうです。


★雅子碑の「公務おサボり」は【両班根性】です。これで、【雅子妃朝鮮人説】が証明されました。


雅子碑は、田園双葉小学校を、2度受験して不合格、三度目の受験にも失敗、双子も妹は既に合格、母親の小和田優美子が「双子の教育に支障が出る」と面接官の前で、大泣きに泣いて、裏口入学成功。朝鮮には【泣く子は餅をもう一つもらえる】という諺が有ります。また、朝鮮には【泣き女】という職業が有ります。セオル号沈没事件の時に、男と密会していたパククネが、何日か後、現場に駆け付けた後、パククネに駆け寄って大泣きしたのが、金で雇った泣き女です。
話しは戻りますけど田園双葉ってそんなに難しい学校なんでしょうかね?知ってる人教えてください。


その無理して裏から入った田双も高校2年時に突然退学して、アメリカの高校へ転向。双子の妹も呆れる原因だったそうですが、理由は「妊娠中絶説」もあります。

アメリカ時代に、中国系アメリカ人のデビット・カオに「トップレスのはめ撮り」写真を撮られました。ご成婚後カオはその写真の買い取りを宮内庁に要求しました。


デビット・カオは数年後に、ニューヨークで、少年ギャングに殺害されました。

この報復は、父親の小和田恒が、池田大作に頼み込み、池田が、アメリカのSGI(創価学会インターナショナル)に命じたものと思われます。

この直前に、カオはFBIから、「変な日本人が入国しているから身辺に注意するように」と忠告されている。

同僚や友人に言わせると、雅子碑は、セフレ(セックスフレンド)はすぐにできるが、友達はできにくいそうです。


その後、妃候補に名が上がると、勤務先の外務省や宮内庁に怪文書が飛び交う、いずれもただれた男性関係がメイン、不倫も多数、怪文書は、旧華族を思わせる達筆な文字が多かったそうです。
乱脈な男性関係については、個別に過去記事に乗せましたので後で読んでおいてください。


★雅子碑は【性的倫理観無し】、元々朝鮮人には【倫理観】という概念も言葉もないでしょう。韓国の遠征売春婦に似ている。簡単に股を開く、所謂【サセコ】です。
知能で言えば、田双をやめた、高2か、中学生レベルでしょう。ハーバートはオヤジのコネ、卒論はオヤジのコネで国際派の経済評論家や、有名人に協力させましたが、私は実際の卒論も、丸投げして、国際派の知識人に書かせたと思ています。


何故なら、小学校時の田双3回受験失敗、この時点で、【学力では負け組】です。

そんな人が、ハーバートの卒論が書けるとは常識では有り得ません。ハーバートは、コネ入学、卒業も卒論は、他人が作成が真相だと思います。そして、ハーバートはコネ入学、不正卒業した後は、またもやオヤジのコネと帰国子女枠で、東大に学士入学、ろくに授業に出ず、単位も取らないうちに、外交官試験に合格して退学。外交官試験も実際の出来は、ズタボロだった思いますよ。実際は不合格の出来だったと思います。但し、当時の外務事務次官が、小和田恒だったので、官房長も落とすわけにいかず、不正合格させました。


本来は、採用できない人物を入れたものだから、全く使い物にならない。

直属の課長が何度も次官の小和田に「お宅の娘さん使えないんですけど・・・」と度々の直訴、やっと落ち着いた仕事が【専用のコピー係】、コピーこそ私の権限とうるさく言ったので、ついたあだ名が【コピー番長】(笑)。

空いた時間は不倫関係となった上司や男女関係になった同僚とおしゃべり
入内が確定して、退職が決まった時、「厄介者がいなくなる(笑)」と省内は大喜びしたそうです。


私は、率直に言って、この人の知能は相当低いと思いますよ。親のコネが無かったら、底辺の都立高校から、実質無試験のFランク大学入学がやっとのことだと思います。或る意味東宮とは似たもの夫婦です。


★国語力を疑わせるドン引き発言。


@外務省から、英国オクスフォードに留学する際の友人との送別会で「ふんどしを締めなおして頑張ってきます」座は一瞬にして凍りつきました。ギャグじゃなくまじめに言ったのでしょう。


A皇居で、三笠宮ェ仁殿下と遭遇した際に「あら、おひさしぶり〜お元気だった?」殿下は怒りを通り越して後ずさりしたそうです(笑)それでは、命式を見ていきましょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/binslove2005/64884589.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c74

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
75. 中川隆[-10347] koaQ7Jey 2019年5月03日 21:29:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]

雅子様とご病気(5) 2007.11.13


2ちゃんねるより拾った記事。

16 :名無しさん@3周年:04/06/01 21:30
>>15
皆さん、何も知らないで語っているのね(w

イラクで米軍に射殺された奥外交官は、雅子の外務省時代の「彼氏」だったことは公然の秘密。この影響が雅子の鬱病の大きな原因となったことは想像に難くない。
 これと、「男子出産」圧力が重なって、隔離状態になった。

侍従長もよく観察すると、皇太子の結婚、男子出産問題で、辞職をしている人がいるよ。ある人曰く、「馬鹿らしくてやってられない」と。


18 :名無しさん@3周年:04/06/01 22:02
>>16
ということは、雅子妃は処女じゃなかったの?
よくそんな女を皇室にむかえたね。
いや、非処女がイカンと言いたいのではなく、皇室ってそういうのにうるさそうじゃん。


25 :名無しさん@3周年:04/06/02 23:25
>>24
16はネタではありません。皇室の報道は自粛されているの、記者連中で知っている人は結構いるハズです。皇太子が何か言わなければ、記事になる可能性はゼロです。元侍従長の話は直接聞いているので、確かです。


28 :名無しさん@3周年:04/06/13 14:56
本当かな??

38 名前:日本@名無史さん :04/06/12 12:59
>>35
まじれしゅだが雅子は1度も妊娠してない。
前回2000年8月出産予定のはずで流産したことになったのは実は祖母のおじが明治天皇にあたる橋本龍太郎の息子橋本龍の長男を皇室にブッキングしようと橋本が画策して失敗し2001年12月の愛子誕生は橋本龍太郎と彼の愛人である華麗姫(中国人)との間の子「和子」の娘を敬宮愛子にした。もう一人は明仁とある女性の間に生まれた男子を皇太子の息子として雅子に押し付けようとして失敗。
残り一人はウヨがプッシュした皇太子のたねをある女性に人工授精ではらましその腹の子は女子であったが流産したのが真相。このとき堤教授が首になった。                  ↑(ウヨが女帝論に消極的になった理由)

35 :名無しさん@3周年:04/06/13 19:39
16はしゃべっちゃって良かったのか?
アンタ記者じゃないだろ?
俺もある所から情報仕入れていたが有名な話だよ。

…どうやら奥参事官との話は本当っぽいですね。
ただ、まだソースを発見できていないので、確実、とまでは行きませんが。
もう少し調べてみたいと思います。
http://yoshizokitan.blog.shinobi.jp/Entry/1355/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c75

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
76. 中川隆[-10346] koaQ7Jey 2019年5月03日 21:46:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]

Dosuko Wiki デビッド・カオ

小和田雅子がハーバード大学時代に付き合いがあり、彼女のトップレス写真まで撮影所持していて、小和田雅子婚約時代にその写真をマスコミ流出するのしないの外交機密費から金を出して流出ストップしたのしないのという噂話に登場する男性名。

英語綴りは「David Kao」で、恐らく中国系移民の「高 gao」姓ではないかと考えられている。朝鮮族に「カオ」の音に近い姓はないとのこと。

目次[表示]

Chicago Sun-Timesシカゴ・サン・タイムズ January 11, 1993 / January 15, 1993 デビッド・カオ記事の痕跡編集
http://www.highbeam.com/doc/1P2-4150584.html(魚拓)

Owada `Boyfriend' Backs Off
Article from: Chicago Sun-Times
Article date: January 15, 1993
Author: Bill Zwecker

Royal pains: Readers of Monday's column learned about David Kao, a 35-year-old Boston management consultant who claimed to be the former "boyfriend" of Masako Owada, the fiancee of Japan's Crown Prince Naruhito.
Harvard University sources confirm seeing Kao and Owada at several parties during the time the future empress was a student, but it appears unlikely there was any romance. Though Kao claimed to be "devastated" that Owada was marrying the crown prince and insisted he had photos of her appearing topless on a secluded beach, he declined repeated ...

◾ニュース速報+板:【皇室】雅子さま主要行事以外は欠席へ 宮内庁、オランダ側と協議★4より

750 名無しさん@13周年 2013/04/21(日) 15:34:15.11 ID:y4/UpCV40
デビッド・カオの記事は、Chicago Sun-Timesシカゴ・サン・タイムズ
January 15, 1993  魚拓残ってたw

825 名無しさん@13周年 sage 2013/04/21(日) 16:25:39.00 ID:j8eort3o0
>>750
David Kaoの記事はChicago Sun-Timesのアーカイブにまだあるな
"SEARCH ARCHIVES"から"David Kao"で検索すると出てくるわw


http://www.suntimes.com/archives/index.htmlより「David Kao」で検索

Owada `Boyfriend' Backs Off
Click here for complete article
Author: Bill Zwecker
Date: January 15, 1993
Publication: Chicago Sun-Times
Page: 17
Word Count: 180
Excerpt:
Royal pains:
Readers of Monday's column learned about David Kao, a 35-year-old Boston management consultant who claimed to be the former "boyfriend" of Masako Owada, the fiancee of Japan's Crown Prince Naruhito.
Harvard University sources confirm seeing Kao and Owada at several parties during the time the future empress was a student, but it appears unlikely there was any romance. Though Kao claimed to be...

Owada `Boyfriend' Backs Off
Click here for complete article
Author: Bill Zwecker
Date: January 15, 1993
Publication: Chicago Sun-Times
Page: 17
Word Count: 180
Excerpt:
Royal pains:

Readers of Monday's column learned about David Kao, a 35-year-old Boston management consultant who claimed to be the former "boyfriend" of Masako Owada, the fiancee of Japan's Crown Prince Naruhito.
Harvard University sources confirm seeing Kao and Owada at several parties during the time the future empress was a student, but it appears unlikely there was any romance. Though Kao claimed to be...

Masako's Ex Threatens To Reveal All
Click here for complete article
Author: Bill Zwecker
Date: January 11, 1993
Publication: Chicago Sun-Times
Page: 18
Word Count: 124
Excerpt:
Royal rumblings:
Looks like the former boyfriend of Masako Owada is so upset that she's marrying Japan's Crown Prince Naruhito, he's threatening to go public with juicy details of his romance with Owada, a 29-year-old Harvard-educated diplomat. David Kao reportedly has topless photos of Owada - a la Fergie in Italy - and has told friends he would like to sell them to the supermarket sleazoids.
As if he needed more headaches, Prince Charles...

『週刊新潮』1993年1月28日号<特集・キャリアウーマン「皇太子妃」で皇室は変わるか>より編集
◾記事その1 / 記事その2

pp.131-132より引用
元ボーイフレンドの登場
 宮中の人たちの旧来の感覚からすれば、小和田さんは「異例の皇太子妃」であることは、論を待たない。
 かつて浩宮妃の選定にあたり、宮内庁が十六項目の「条件」(参考画像)を定めている、と伝えられたことがある。
 その十番目の項目は、
<会社勤めやアルバイトをした女性は除かれる>
 というものだった。後になって、採用時の人物評価がこっそりささやかれたりするのは望ましくないし、また、社会人生活の間にボーイフレンドができていたら困る――というのが理由らしい。
 小和田さんの場合、人物評価はまったく問題なし。ボーフレンドについては、
「ハーバード時代に付き合っている白人男性がいた」
 という甚だ抽象的な噂が流されたことがあるぐらいで、ご本人も、
「大学の教室は男の子が多い。お話したらボーイフレンドになっちゃうと言うなら、誰ともお話できないわ」
 と笑っていたそうだけど、皇太子妃に内定した直後、日刊紙『シカゴ・サン・タイムズ』(十一日付)が、とんでもない記事を掲載した。
<雅子さんの元ボーイフレンド、すべてを暴露すると息巻く>
 という見出しで、
<元ボーイフレンドのデービッド・カオ氏は小和田さんのトップレス写真を複数持っていて、ゴシップ紙に売り込みたいと友人に語った>
 というのだ。『シカゴ・サン・タイムズ』は発行部数が五十二万部。高級紙ではないが、ゴシップばかりを扱うタブロイド紙でもないという。記事を執筆したビル・ズウェッカー記者が語る。
「ニュースソースの一人から、“面白いことを言う人間がいる”と連絡が入り、デービッド・カオ氏に電話をしてみたんです。カオ氏はボストン在住の三十六歳の経営コンサルタント。彼が言うには、“小和田さんと初めて会ったのは、ボストン近くのケンジントンという町でのパーティーだった。その後、一緒に映画や夕食に行ったりするようになり、愛し合うようになった。小和田さんとはロマンティックな関係だ”と。彼は“やりとりした手紙も持っているし、数年前の夏、一緒に行ったビーチで撮った彼女のトップレス写真も持っている”と言うんです」
 皇太子妃内定の喜びに冷水を浴びせるような報道だが、四日目には事実上、それを取り消すような続報が載せられた。
「カオ氏と小和田さんが、最低二回、同じパーティーに同席していたことは確認できています。しかし、手紙や写真をファックスで送ってくれと言っても、イヤだという。そのうち、電話をかけても“現在この電話は使用されておりません”になってしまいました。シカゴの日本領事館を通じて問い合わせた結果、小和田さん本人の談話として“カオ氏のことは知らない”という答えが返ってきましたし、おそらくこの話はカオ氏のインチキか誇大妄想なのではないのでしょうか」(ズウェッカー記者)

『噂の真相』1993年3月号<マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証>小和田雅子をめぐる噂の数々 より編集

pp.27-28より引用
 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。
「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ――』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ――」紙の記事と同じようなハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。
 宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。
「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

『週刊ポスト』1990年6月22日号<卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない>より編集
◾『週刊ポスト』1990年6月22日号<卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない>

p.44より引用
 それでは、なぜ、小和田(雅子)さんは(皇太子妃候補)リストから外されたのか。
 前出の宮内庁関係者が、解説する。

「小和田さんのハーバード大学時代の学友と称する匿名の人物から、宮内庁関係者以外の第三者宛に“怪文書”が出されていたのです。

 手紙を入手して自ら読んだ侍従によると、内容は、ハーバード大学の学友だった頃、小和田さんには仲のいいボーイフレンドがいたというもので、どういう服装で、どういったところへデートに出掛けていたかなどが、事細かに記述されていたといいます。

 ボーイフレンドがいること自体、大学生にとっては当たり前のことですし、世間一般でいえばなんら取り沙汰されるほどのことでもない。

 しかしそれが、こと妃候補の女性となると事情は一変します。しかも、この文書が、皇族や神道関係者の知るところとなり、ボーイフレンドのいた女性は将来の皇后として適切でないといった“小和田妃”反対の声があがりはじめたんです」
 宮内庁関係者の解説は、さらに続く。

「かりに、小和田さんが皇太子妃に決定したとしても、その反対の声は容易に収まりそうもない。そういう判断のもと、小和田さんはリストから外されたんです。

 殿下は、こうした行為が自分と小和田さんの成婚の可能性をおもしろく思わない宮中の一部の人間によって行われたとお思いですし、それが側近たちの一致した見方なんです。ですから、殿下の憤りも大きなものにならざるをえないんです」

この記事ではデビッド・カオの名は出ていないが、彼と思しき男性の存在は1990年上半期時点で既に把握されていたと分かる。


当人か同姓同名別人物か不明だが、2009年6月David Kao(当時49歳)が殺害されたというNYタイムズ記事編集

http://www.nytimes.com/2009/06/11/nyregion/11arrests.html (Webarchive記録)
2 Teenagers Are Accused of Killing Sleeping Man
By JAMES BARRON
Published: June 10, 2009

Walking down a street in Flushing, Queens, long after the lights had come up on the Friday-night movie they had gone to see, a group of teenagers spotted a double-parked Lexus sport utility vehicle with a man asleep inside. The authorities said they hatched a plan to break into the S.U.V., put the man — a marketing executive for a Chinese-language newspaper — in a chokehold and steal his cash and car.

It was not the first time the youths had preyed on Asian men in Flushing, the authorities said, but this time it was more than robbery.

On Wednesday, two of the teenagers, Chris Levy, 17, of Harlem, and Cory Azor, 16, of East Elmhurst, Queens, were arraigned in Queens Criminal Court in the strangling of the man, David Kao, 49, early Saturday. Mr. Kao, 49, worked for The World Journal, which bills itself as the largest Chinese-language newspaper in North America.

A third suspect, Keron Wilthshire, 17, was charged with possession of stolen property, the Lexus.

Mr. Levy and Mr. Azor were held without bail. Mr. Wilthshire was ordered held in $75,000 bail. Another teenager whose name was not released was also arrested. That suspect’s case is being prosecuted in Queens Family Court.
The police said Mr. Azor told them it was Mr. Levy who dictated the plan.
“Chris said he was going to go into the car and choke him up,” Mr. Azor was quoted as saying, “and I was going to go through his pockets for money.”

Prosecutors said Mr. Levy forced his way into the S.U.V. and put Mr. Kao — a resident of Woodhaven, Queens, who had dozed off in the car — in a headlock. Then Mr. Levy dragged him over the driver’s seat and into the back of the S.U.V., prosecutors said, where he punched him and choked him again.
They drove off in the Lexus, Mr. Azor told detectives. “Chris said the guy still had a pulse,” the police quoted him as saying. But they drove to what Mr. Levy said was a dead-end street and dumped Mr. Kao there. Mr. Azor told the police, “We found a place to drop him off.” The police said they found the body on Saturday near Barclay Avenue and 147th Street in Flushing.

The police said Mr. Azor told them that Mr. Kao “had around $115 that we all split,”

Officials said they were taken into custody on Monday after someone called 911 and reported an argument near an S.U.V. parked in an alley behind 145-10 20th Avenue, about 2 ½ miles from where the teenagers had overpowered Mr. Kao. The caller was suspicious that the S.U.V. was stolen, the authorities said.

The officers sent to investigate the argument checked the license plate on the S.U.V. and discovered that it was registered to Hsiao Kao, Mr. Kao’s sister, officials said. The prosecutors said the suspects had Mr. Kao’s wallet and credit cards. Mr. Levy and Mr. Azor were charged with second-degree murder, robbery and possession of stolen property.

The three were also charged in the May 27 robbery of Jin Ton Yuan, 42, on Ash Avenue, in Flushing. The authorities said that the three followed Mr. Yuan into an elevator and that Mr. Wilthshire grabbed him from behind and placed him in a chokehold while Mr. Levy held a silver pistol to his head.
They took his cellphone and cash from his wallet, the authorities said. But prosecutors said Mr. Wilthshire, who was charged with robbery in Yuan case, told the police he threw the phone away because he did not like it.
Efforts to reach lawyers for Mr. Levy, Mr. Azor and Mr. Wilthshire were unsuccessful on Wednesday night.


Racist Blacks beat a Chinese man to death
https://www.youtube.com/watch?v=6hjHYxAg-Sw


https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%AA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c76

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
77. 中川隆[-10345] koaQ7Jey 2019年5月03日 21:50:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]
昔の男 元小和田雅子さんの男性関係  
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12237678487.html

https://archive.is/HmEiX

Royal pains: Readers of Monday's column learned about David Kao, a 35-year-old Boston management consultant who claimed to be the former "boyfriend" of Masako Owada, the fiancee of Japan's Crown Prince Naruhito.

Harvard University sources confirm seeing Kao and Owada at several parties during the time the future empress was a student, but it appears unlikely there was any romance. Though Kao claimed to be "devastated" that Owada was marrying the crown prince and insisted he had photos of her appearing topless on a secluded beach, he declined repeated requests by this column for proof. …

BBのごく粗い訳を添えておきます。

皇室の痛恨事

「月曜日のラム」の愛読者にとって、ボストンの経営コンサルタント、デビッド・カオ(35歳)が“日本の皇太子徳仁の婚約者、小和田雅子の元ボーイフレンドである”と主張していることは、御存知の通り。

ハーバード大学の当時の在校生たちは、将来の皇后が学生であった時にいくつかのパーティーでカオと小和田が一緒にいるところを目撃しているが、恋愛関係にあったとは見えないようだった。

しかしながらカオは、小和田が皇太子妃となることに「ショックを受け(途方に暮れ)」そして、カオは小和田雅子を人里離れた浜辺で写した、上半身裸の写真を持っていると、断言した。
その言葉を確認するために、当コラムはカオにその写真を見せてくれるように何度も頼んだのだが、彼はそのつど丁重に断りを入れてきた。

・・・・・ここまで

おそらく記事の否定派は「unlikely there was any romance」
二人の間に恋愛感情があったとは見受けなかった、というフレーズに
焦点を当てるのでしょうが、ブログ主はカオがハーバードという名門を出て、
(こちらは、つてがあっての裏口入学の可能性は薄い)経営コンサルタントを
営んでいるような男が、極東の皇太子妃についてわざわざ嘘をつくメリットが
考えられないのです。

お金目的であるなら、写真を売っているはずで「丁重に断る」ことはしていないはずです。ブログ主は、いっそこのデビッド・カオが雅子妃のトップレスを、もっと大きな雑誌に持ち込んで売っていてくれたら・・・・現在の穀潰し、神道破壊雅子妃はいなかったのに、と残念に思います。

海外の雑誌は容赦なく、英国の王子は二人共盗撮され、弟のほうは全裸画像を、兄君のほうは立ち小便を撮られ、性器までさらされています。

雅子さまの上半身裸が、報じられていたら即破談だったでしょうね。
海外雑誌より、日本政府か宮内庁に写真を見せ、強請れば雑誌に売るより
法外な高額を彼は手にしたのでしょうが、悪者ではなく、ただ恋人であった「おれの雅子」が自分を捨てて、プリンセスの道を選んだことが、ショックで寂しかったのではないでしょうか。それで、つい口走ったことを疑われ、「写真を持っている」と明かした。

それ米国メディアが聞きつけ、記事にして写真の確認を持ちかけ、断られた・・・・・。

「人里離れたビーチ」で、上半身を脱いで男の前にさらすなら、男女の関係があった、と見るべきでしょう。

デビッド・カオが存命であるなら、雅子さまのトップレス写真もいつか公開される可能性もあったのでしょうが(即位が近づく、今この時に切実に欲しいのですが)デビッド・カオは、車中にいるところを黒人少年二人に襲われて、殺害されています。

またこれも、外務省時代の不倫相手の参事官として、海外誌で姓名まで報じられたお方は、銃撃戦の煽りで、亡くなられています。

水俣に関わる母方実家、江頭家の何か禍々しいものを感じないでもありません。男の運気を奪う禍々しい女・・・・? 皇太子殿下も、おそらく尿関係の癌でいらっしゃり、人工膀胱[尿路ストーマ]の装着は国家あるいは皇室に近い筋では、もはや常識として知られているようです。

当記事は、先の記事への追加参考記事です。
字数制限で、先行記事には収まりきれなかったので、単独追加しました。

宮中や王室に入る女性が非処女であってはまずい理由は、先の記事に述べてあります。

小和田家は、雅子さまの外務省時代の不倫も、その近い家系に精神病院に入院したきりの精神病者がいることも隠して、入内させていますね。(大阪の病院に、雅子妃のいとこ様が見舞客もなく、打ち捨てられた形で長期入院中。双子の妹、節子さんも精神の不調が伝えられ、また雅子妃は時折、ギャーッと叫ばれていること、「雅子さまがお 具合が悪い時は、国民に見せられないお姿になる」と、至近にいた人物に言われています)

▼朝鮮創●による皇統乗っ取り近し? 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/03f1b7ee44187f7ba91c4659d59627b5

それにしても、小和田恒氏軟禁が事実なら、次の皇后の父親は犯罪に手を染めたお方?
即位の後に、これを容赦ない海外メディアがすっぱ抜いたら、皇室は崩壊の危機、先帝たちが築き上げた伝統は地に堕ち、隠蔽に加担した日本国の政府も、軽蔑され、国民も恥ずかしく居たたまれない思いを味わうでしょう。

小和田恒氏は、外務省の機密費に手をつけた過去もあり。娘の入内のお陰で、追求を免れた過去。

それぐらいはまだ微罪です。この方が、日本国と国民に犯した大罪に比べれば。

小和田恒氏を喚問せよ 【拡散希望】

小和田家が半島系であることも、国家に近い界隈にいる人々には周知の事実であるようだし、また小和田恒氏と雅子妃が神道とは相容れぬ半島出自の会長が支配して来た某カルト教の信徒でいらっしゃり、神道否定の異教徒でいらっしゃることも。また母方実家江頭は特殊エリアのご家系。

今ならまだ間に合います。

ヤフオク、他お宝の海外流出、愛子さまの一件など、廃太子要件は十二分に揃っているので、内々で皇室と話をつけ、表向き「皇太子の重篤な病により、自ら退位をご希望」として、特措法制定なら、政府も天皇の憲法違反に手を貸すようなことではなく、こちらへ特措法を立てるべきです。

即位の後に、海外メデイアにスクープされたら無残です。
マスコミは、公開するタイミングを狙うのは洋の東西問わずで、
海外メディアがもし、すでにネタを握っていたら、即位の儀に
海外超VIPが100人以上、参集した時を狙いそうな。
某国のホテルに軟禁、監視に付き添われている某人の写真なんか
すでにありそうな、予感。
発表しないならしないで、政府か宮内庁に大金を強請れる状態かもしれません。
仮にそうなら億単位でも払うでしょ。
本当に当人も背景もいかがわしい女性を宮中に入れたばかりに、迷惑な、迷惑な、迷惑な!!

・・・・・・またそれゆえに、全てが露見する前に生前退位とやらで、
即位を急ぐべく、焦慮されているのかもしれません。皇太子の間は、
自主退位の形を取れば、廃太子可能ですが、天皇となったらその
地位は不動で、司直の手も政府の手も及びません。その不動の
地位を不出来で、ご病気の長男にお望みなのか・・・・・祭祀が不可能なことを
ご承知なのに。

祭祀の失せた皇室はその明確な存在理由を喪います。
誰でもなれる、天皇。・・・・・それで、皇室が存続出来ますか?

皇室廃絶論の台頭は火を見るより明らかで、GHQが敗戦時に仕掛けた
皇室無力化、空洞化ウィルスがここまで繁殖、ついに出自の定かならぬ
皇后が誕生する瀬戸際、その万世一系を外れた血筋にある内親王を天皇に即位させるべく画策する勢力を生み、それを支持する国民まで現れています。

また何度も書いていますが、正田家はアメリカの小麦粉利権で、当時の
GHQと癒着した今にして思えば逆賊的お家。元正田美智子さんの入内には、異教徒であるフランスの神父(GHQサイドとの関わりがあったと想像)がキーパーソンとして存在し、その後の入内に具体的に動いたのも、GHQが日本弱体化のツールとして使った、キリスト教の信徒たち、いわば異教徒たちです。
(キリスト教への誹謗ではありません。あくまでも神道の祭祀王のおわす、皇室の価値観との対比で書いています)

雅子妃の母方実家、江頭家が水俣病との関係、皇后陛下の妹様が、
第二の水俣の元凶、昭和電工に嫁がれ二代の皇后陛下が、汚れた
水とご縁があるという禍々しさ。
皇太子は、反日韓国人に取り込まれ「水の大使」として、反日国連と国連大学にお出入り、その挙句体内の汚れた水・・・・・小水のトラブルを得て、人造膀胱ストーマを装着、異臭を立てるお身の上とおなりです。(同病への差別で言うのではなく、祭祀の出来ぬお体であることを承知で両陛下が、即位を急がれていることへの異議として、申し上げています)

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ttp://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E6%B2%BB%E6%98%8E

野球選手の追っかけをやっていた時代。深夜に六本木の酒場に同伴して、
お持ち帰りされてない、ってことがあるのかな・・・・・?

原田治明氏 当時33歳  英文ではティーンエイジのときめき、となってますがw 十代ではないですね。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12237678487.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c77

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
78. 中川隆[-10344] koaQ7Jey 2019年5月03日 22:23:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1746]

日本一運のいい女ー新皇后の肖像 7
2018-10-18
https://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/e/1c85980c274d76225fbf0ec255d4a289


 週刊ポスト1990年6月22日号


「卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない」

「それでは、なぜ、小和田(雅子)さんは(皇太子妃候補)リストから外されたのか。
 前出の宮内庁関係者が、解説する。
「小和田さんのハーバード大学時代の学友と称する匿名の人物から、宮内庁関係者以外の第三者宛に“怪文書”が出されていたのです。

 手紙を入手して自ら読んだ侍従によると、内容は、ハーバード大学の学友だった頃、小和田さんには仲のいいボーイフレンドがいたというもので、どういう服装で、どういったところへデートに出掛けていたかなどが、事細かに記述されていたといいます。

 ボーイフレンドがいること自体、大学生にとっては当たり前のことですし、世間一般でいえばなんら取り沙汰されるほどのことでもない。

 しかしそれが、こと妃候補の女性となると事情は一変します。しかも、この文書が、皇族や神道関係者の知るところとなり、ボーイフレンドのいた女性は将来の皇后として適切でないといった“小和田妃”反対の声があがりはじめたんです」
 宮内庁関係者の解説は、さらに続く。

「かりに、小和田さんが皇太子妃に決定したとしても、その反対の声は容易に収まりそうもない。そういう判断のもと、小和田さんはリストから外されたんです。
 殿下は、こうした行為が自分と小和田さんの成婚の可能性をおもしろく思わない宮中の一部の人間によって行われたとお思いですし、それが側近たちの一致した見方なんです。ですから、殿下の憤りも大きなものにならざるをえないんです」

 国民の中では「私は関係ありません!」で全部終わったと思っている人多数。そんな事より世間ではかっこいい礼宮と可愛い紀子ちゃんに夢中。皇太子なんかどうでもいいや・・・的な雰囲気の中で掲載された記事。

え?終わってなかったの?なあに?それなら僕は結婚しないって・・それならって何よ。別にいいけど結婚しなくてもさ・・と思ったら怪文書が出たから怒ってる?どうしても雅子さんがダメなら誰とも結婚しないって?アホか?

 素行の悪さは折り紙付きだったのに、皇太子はそれを「対抗勢力の陰謀」だと思ったわけですね。すっかり小和田さんちに取り込まれてしまいました。

それでも国民の中では終わった話だった・・・筈なんですよ。

 「デビット・カオ」というのがいわゆる元ボーイフレンド。

1993年1月のシカゴ・サンタイムズ誌にデビッド・カオという中国系アメリカ人が小和田雅子について暴露すると言って来たらしい。この件については1993年1月の週刊新潮

「特集・キャリアウーマンで皇太子妃で皇室は変わるか」において

「皇太子妃に内定した直後、日刊紙『シカゴ・サン・タイムズ』(十一日付)が、とんでもない記事を掲載した。

<雅子さんの元ボーイフレンド、すべてを暴露すると息巻く>
 という見出しで、

<元ボーイフレンドのデービッド・カオ氏は小和田さんのトップレス写真を複数持っていて、ゴシップ紙に売り込みたいと友人に語った>

 というのだ。『シカゴ・サン・タイムズ』は発行部数が五十二万部。高級紙ではないが、ゴシップばかりを扱うタブロイド紙でもないという。記事を執筆したビル・ズウェッカー記者が語る。

「ニュースソースの一人から、“面白いことを言う人間がいる”と連絡が入り、デービッド・カオ氏に電話をしてみたんです。カオ氏はボストン在住の三十六歳の経営コンサルタント。彼が言うには、“小和田さんと初めて会ったのは、ボストン近くのケンジントンという町でのパーティーだった。その後、一緒に映画や夕食に行ったりするようになり、愛し合うようになった。小和田さんとはロマンティックな関係だ”と。彼は“やりとりした手紙も持っているし、数年前の夏、一緒に行ったビーチで撮った彼女のトップレス写真も持っている”と言うんです」
 皇太子妃内定の喜びに冷水を浴びせるような報道だが、四日目には事実上、それを取り消すような続報が載せられた。

「カオ氏と小和田さんが、最低二回、同じパーティーに同席していたことは確認できています。しかし、手紙や写真をファックスで送ってくれと言っても、イヤだという。そのうち、電話をかけても“現在この電話は使用されておりません”になってしまいました。シカゴの日本領事館を通じて問い合わせた結果、小和田さん本人の談話として“カオ氏のことは知らない”という答えが返ってきましたし、おそらくこの話はカオ氏のインチキか誇大妄想なのではないのでしょうか」(ズウェッカー記者)

 壮大に事実を暴露しておいて「誇大妄想なのではないでしょうか?」と締めくくるところがいかにも日本のマスコミっぽい。これが日本における最後の良心だったのかな。

 シカゴ・サンタイムズに売り込んだ瞬間に何かが起きた・・・という事でしょうか?お金を渡された?でもここで殺害してしまうと大変なことにと思われたか?

しかし、この記事が雅子妃決定直後に出て来た事に意義があったのかと思うのですが。

そういう「心無い噂」「雑音」は気にしない様に・・・って皇太子は誰かに言われたのかしらねーー可哀想にコキュにされて。

 噂の真相1993年3月号

「マスコミが書絶対にけない皇太子妃小和田雅子逆転決定に見る「現代の生贄」の検証」

「さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ――』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」

 真偽はさておき、この「シカゴ――」紙の記事と同じようなハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

 宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)

 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

 小和田雅子には常に男の影・・・・(笑)そりゃまあ29歳の女性だし、何人の男性と関係があってもいいけどさ。でもつまり男関係をきちんと清算して「いい思い出」にしてこなかったことがお妃候補として危ないと思われていたのは事実なんでしょうね。世はバブル時代、女性が強かった頃だしねーー

 でも問題なのは日本のマスコミがこの事実を知りながら無視していたこと。今と同じ構図がそこにはあります。

 いやはやそれにしても上司と不倫の噂も一人じゃなくて二人。その一人が奥大使でイラクで亡くなった方?真面目に不倫していたのか・・・そうか・・・ベッキーなんか可愛いもんだわーーと。

 2009年6月NYタイムズにデビッド・カオ死亡記事にて一件落着。

ちょっと時計の針を回し過ぎました。戻りますね。

 週刊女性1990年8月21日・28日号

「独占スクープ皇太子さまお妃選び難航の中小和田雅子さん電撃再浮上!!最有力候補から3年6月密かに帰国して」

 女性自身1991年1月22日号

「もう一度殿下と会ってください!」皇太子妃激動!あの小和田雅子さんに小和田雅子さんが緊急接触」

 秋篠宮家の慶事が終わり、ほとぼりもさめたと思ったんでしょうか?

まさに電撃浮上ですよ・・小和田雅子さんってまだお妃候補だったのーーー?っていうか皇太子、まだ諦めてなかったのーーー?

世の中「紀子ちゃんブーム」ですっかり舞い上がって身に迫る危機にさっぱり気づきませんでした。
https://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/e/1c85980c274d76225fbf0ec255d4a289


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c78

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
79. 中川隆[-10343] koaQ7Jey 2019年5月03日 22:26:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1747]


皇室の行方~皇太子誕生日前におさらい
http://maruga935.blog8.fc2.com/blog-entry-1701.html


来年は東宮小和田の終焉の年となりますように・・・

<小和田雅子のまとめ>
雅子様優秀伝説

@学習院初等科編入試に落ちたと言う噂あり
⇒優美子は田双出身なのに、何故、雅子が学習院に?という謎があるが落ちた為に目的が分からぬままとなる
まさか、恒ったら、この時から皇室御用達学校で「浩宮徳仁」との接点を目論んだとか?なんて憶測も

A田園双葉の入試に3回落ちて、双子が受かった事で、落ちた3回目に優美子が「雅子の教育に悪い」と泣いて懇願して前代未聞のお情けで編入させてもらう。
⇒これは、本当。「魚の尾びれって何のこと?」という雅子の無知無教養ぶりで落ちるの当たり前
帰国子女の学力が低い事は、昔からのこと。親が教育熱心か否かで、大きく分かれるのが帰国子女の学力
紀子妃は、学習院初等科に編入したが、帰国子女というハンデの中、学習院初等科でオール5だったと当時の担任談、勉強だけでなくスポーツも得意で運動神経が抜群だったとの話

B田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
⇒外交官の子女が、高校で海外に転校は有り得ない
外務省関係者専用の寄宿舎があり、そこに大学受験を控えた子女らが日本に残って高校に通うそうな
子女の大学は日本の有名校に進む方が常識だった外務省の中で、高校で海外に転校する理由は大きく分けて二つ
1)表に出せない問題を起こした(妊娠、犯罪等)
2)学力不足で進学先が馬鹿校しかない
恐らく、雅子はその二つともと言われている
このドタバタ海外転校劇は、双子からも軽蔑される程の事だったと言われている(噂ですがね、あくまでも)
多分、妊○中○かもとかなんとか

Cアメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
⇒何年アメリカに居ても、スラングしか話せなかったとか
外務省の同僚からは、「中学生レベルの英語力も無い」とまで言われていた
頭の悪さも当然ながら、付き合う男が低所得最下層の移民とかそういう無学無教養レベルだったりするから

D当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
⇒ここが後にハーバードに買収された為、ハーバード大入学&卒業と言うインチキスライド学歴ロンダリング

E中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
⇒決定的証拠、だらしない異性関係
美智子妃、紀子妃には絶対に無い過去

F卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
⇒小和田恒の学歴ロンダの定番、権力使った口利きだが、本人がバカ過ぎて使いこなせず
この無能ぶりは、後に、外務省ルーキーのインタビューや、入内後の「10年10年、クワガタクワガタ」等でも明らかに


G普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
⇒中学程度の英語力だったりスラングだったりは勿論、日本語ですらまともに会話が出来ない
それは、語学力と言ううよりコミュニケーション力の無さ
小中高と日本にいたのに、友達が1人も居なかった事からよくわかる
渡米先のアメリカの高校でも大学でも、同棲する男は居ても、友人は居なかった

H東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。
⇒東大のサークルで「有名人を探す」というのがあったが、このメンバー曰く
「どんなに網を張っても、学内で小和田雅子だけ見つけることは出来なかった」と
ぶっちゃけ一回も通わず中退したという見方が無難

I外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
⇒父親小和田恒も同じ事やってた、まさに、この親にしてこの娘あり

J通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
⇒出勤したのだから、遅刻でも可というのが本人だけのスタンスだったため、
退職するまで改善されないままだった

K仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
⇒帰国子女、英語は堪能と言うゴユーシュー伝説を職場でも吹聴してた為、
それならばと通訳を任されたが、専門用語はもとより、何一つ通訳出来ずに泣きだして途中逃亡
関係者が相手国に謝罪する羽目に
雅子の上司が、恒に「お宅の娘が使いものにならないので、どうすりゃいいか」とSOS発信したら恒が逆切れ

Lしょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
⇒職場でも父親恒の威光を笠に、傲慢な態度で同僚を見下し馬鹿にしていたので嫌われていた
実質、コピー係しか任されなかったがタダの事務職員なのだが、「外交官」と後にマスコミ使って大キャンペーンをはる

Mオックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
⇒「馬鹿がいる、本物の馬鹿がいる、あれじゃ単位など取れるわけが無い」と当時、同じ留学仲間に言われていた。それだけ言われる程、誰の目にも馬鹿だった事が判明。見た目でも分かる相当な馬鹿とは、よほど頓珍漢だったのだろう


N米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
⇒小和田三姉妹は、性的欲求がかなり強いらしく、色んな噂がある
双子も女友達よりBFの方が多かったそうな


O皇室に入内後は父親の影響が及ばない為、何でも国際電話で海外の恒に指示を仰がないと何も決められない

P日の丸が苦手

Q鳥居がくぐれない


皇室は勿論、親王流産後の愛子出産で、学習院を巻き込む現在のハルマゲドンが展開される
静養歴:公称10年目、実質20年目
遊びは皆勤賞

鼻緒が切れるのも時間の問題


<皇太子と水>

小和田恒は、外務省保有の証券を担保に、外国資金を調達し、ギニアの水、環境関係に投資している

そのため雅子はギニア人がからむ引見や会見だけは必ず出席(実家の金儲けの手助けをする)

皇太子は、私設団体の「水環境フォーラム」に参加するなど、思いっきり利用されている

鴨場でのカードを引く勇気無し
それが、結果寿命を縮めることに

<小和田家の経済状況>
サブプライムローンの影響を受け借金地獄で東宮御所に逃亡中。
コンクリ御殿も売りに出しても売れず、皇室ゆかりの品々を雅子を経て海外に売却。
国内でもヤフオクにて皇太子や双子が撮影&アップロードして売却
察知した国民が、政治家や宮内庁に報告、即行買い戻しに走り展示に間に合った品もある
それを雅子が見て驚き、二回も見学に行って、売り飛ばしたはずの品物が戻っていることを確かめに行く

国民が知る以上に、売却についての調査はされている可能性有り
しかし、売却先のルートが掴めなかったり、買い戻し額が高額になってしまう物も有り
即位しうる者のみが継承する天皇家の品物でさえ売却されている可能性有り
徳仁がヤフオク騒動で慌てて、髪の分け目を変えて変装した気でいる辺り、認識犯として見ていいだろう

しかし、借金の方が雪だるま式に膨れ上がり、皇室の物を幾ら売りさばいたところで追いつかず
悠仁親王殿下ご誕生までは、愛子天皇で胡坐をかいていたが、それが無理となり、女宮家論をぶち上げたが頓挫居
とにかく、徳仁雅子即位で、莫大な内邸費を手にする執念あり

このまま徳仁の摂政になられたら、莫大な内邸費を手に入れられなくなる為、秋篠宮殿下の摂政論を、何としてでも妨害したい小和田恒は現在、日本に帰国し東宮に住みこむ

雅子の立后は無いと通告されているが、秋篠宮摂政前に陛下が崩御すれば、そのまま自動的に雅子を立后さえるため、誰よりも一日も早い陛下崩御を待ち望んでいるのが小和田恒

小和田一家が、皇室から取れる物は全て取る、というスタンスで税金使い放題でいることに、ネット上だけでなく、遂に広く国民が気付きはじめたため、週刊誌を利用し「プリンセス雅子物語」と言う「嘘物語」を掲載するも、笑われるだけで失敗。コートの下に盗み出した皇室の品物を隠している事や、東宮住込みや、園遊会等で出された料理は一通り食べて行くところまでバレており、何をしても隠せずに益々立場が悪くなり窮地に立つ←NEW


小和田家って、日本一の貧乏なのかもしれない

借金取りから逃げ回る皇太子妃の親って有り得ないもの

皇太子を財布代わりにしないと、外食も出来ない貧乏一家

流石、日本最下層出身だけある
http://maruga935.blog8.fc2.com/blog-entry-1701.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c79

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
80. 中川隆[-10342] koaQ7Jey 2019年5月03日 22:29:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1748]

皇室に行方〜愛子誕生の真実
http://maruga935.blog8.fc2.com/blog-entry-1712.html

愛子の顔立ちは、オール徳仁だと思ったけど
見ると

鼻は雅子に瓜二つ

ボコボコしたこれぞ団子鼻の典型な形

江頭チッソにも似ていると噂だが
間違いなく
雅子と徳仁の遺伝子で形成された子供だったんだなぁと改めて思ったこの度の正月写真

分かっているだけで、入内後の雅子の妊娠は二度(その前は、何回あったのかは分からんが)

この二回の懐妊は、真偽はともかく体外受精とも言われている

幾ら、世継が必須の東宮とは言え、結婚も遅かったのもあるだろが
不妊症とは断定できない入内早期の段階で、いきなり体外受精ってやるかな?と
ましてや、健康な子宮か不妊症の有無の確認の意味もあるブライダルチェックを
処女膜と堕胎確認の検査だと思い込んで拒絶するような馬鹿な上、
「私の周りにそんな事を言う人はいません」等と陛下に口答えする様な女が、
不妊検査を受けたり、そもそもそんな早くから体外受精ってやるかね?
苦しい不妊治療や体外受精なんか面倒な事、新婚一日目から普通に起きて来ない雅子がやるとは思えない

周囲は、物凄く気を配って、徳仁と雅子を2人だけにしてあげてたという話は知人から聞いた事がある

地方の某ホテルのスウィートルームに2人だけで一歩も外に出ずお忍び宿泊してた事とか
多分、たまたま知人のホテルだったから漏れ伝わったけど、
それ以外でもあっただろう、そういう周囲の「配慮」というものが

美智子皇后陛下の入内の頃とは雲泥の差の厚待遇
無理強いなどされた事も無く
両陛下ですら腫れ物に触るような扱いでいたから
この20年間、好き勝手やってきた
ブランド品も買い漁った
色んな所へ貸切で遊びに行っては莫大な税金を使ってきた
そんな暮らしをしながら、1人目は流産

そして、2人目に愛子を授かった

夫婦関係があった

下世話な詮索だが
ここがね
どうなのかと
徳仁がどこまでも無能だからといって、
夫婦生活まで完全無能だったのかと考えれば
簡単に頷く事でもない気がする
あくまで憶測と推測でしか無いけど

想像は不気味で気持ち悪いからしたくないけど
この二人には共通点が多くて、正に似た者夫婦なだけあって
生活の中のどこかで共有していた部分があっただろうと

愛子が生まれるまでの約7年?8年?

少なくとも、あの籠城事件までは
この夫婦が今の様な関係では無かったのではなかろうかと
決して、恋愛結婚でもないし、尊重しあった間柄でもないのは端から分かるが
夫婦であった期間はあったであろう

雅子自身の頭の悪さ覚悟の無さ無責任さと判断力の無さから
世継の責任である妊娠出産の気概が全く無かった事が
あの「秋篠宮家にもう一人」と宮内庁が公言した事に繋がるだろう

男を絶てなかった高校大学外務省時代のだらしない性遍歴

その雅子が、例え気持悪い徳仁であっても
まだ今より若かったあの頃には
やはり夫婦生活はあったであろうと
愛子のあの顔立ちを見ていると
つくづく、本当に2人の間に出来た子供なのだなと思う

流れてしまった親王と言われている子供も
そして愛子も

江頭と
金吉と
そして
皇統2000年の膿徳仁の集大成

神様は
東宮と秋篠宮家にそれぞれ公平に男児と女児を授けた
それを生かすも殺すも親次第

女児を最初に授かった秋篠宮家の後に
親王を授かった東宮家
これは、今上陛下が東宮時代に第一子が親王だった時と同じく
それ以上に、劇的な親王ご誕生になるはずだったであろう

しかし、馬鹿は私欲の為の行楽で流した

そこで、愛子を授けたら
その愛子を利用して、良からぬ事ばかり企む東宮

そして、あの小泉政権下の皇室滅亡計画の国会中に
劇的な懐妊報告
更に、男児出産と言う41年ぶりの一大センセーション

神様達は
金のナマズや二重の虹、竜の姿をした雲
プリンセスキコを開花させ、台風をふっ飛ばし
それはそれはお喜びで、両陛下両殿下を祝福された

原因があるから結果が出る

東宮が愛子を授かった原因は
他人が操作する不妊治療や体外受精に寄るものではなく
あくまで、この二人の責任による原因によって出た結果だろうと
愛子を見ているとそう思えてならない

もし

愛子の障害が
他者の手による何らかの関与や操作が原因による出産なら

あくまで
そうだったと仮定したら

愛子天皇、愛子宮家の頓挫に加え
雅子立后が無くなった場合、
雅子等小和田がその事を原因に挙げて
何かしらの悪事をしかけてくるのではないかと

どうしてくれる?お前等が悪いという
例の他罰性で
雅子を追い出せないようにする為の
皇室を強請るカードにしてくるのではなかろうかと

そこがね、引っかかる
あくまで私見だけど

もし、通常妊娠だったのに

雅子の意向で、無痛分娩だったと言われている事が本当だったとしたら

それが原因という人もいるかもしれないけど

酸素欠乏症による障害や薬物投与の副作用でない限り
先天性の脳の障害の場合は、この無痛分娩はあまり関係ないのではないかと
これも私見に過ぎないけど

愛子の魂自体が、不具な身体に宿る事と東宮を両親に選んで生まれてきた

霊的に考えた場合、そうだったとしたら
この一家における愛子出生に纏わる全ての事が、
他人の所為では無く、徳仁と雅子と愛子の魂と所業のなせる業であると断言してもいいのかもしれない

愛子の顔立ちを見ていると
しみじみとそう思えるのだ


林真理子が、雅子擁護の紀子妃卑下記事を書いたと話題になっていたが、
昔、彼女はこういう記事を書いていたはず

週刊文春・2006年1月26日号に林真理子が、小泉政権時代に持ちあがった皇室典範改正問題について、コメントを書いている。

「皇室に“改革”なんて必要ないんです。女性・女系天皇に賛成する人達は、相撲の土俵に女を上がらせないのはなぜだ、と言ているのとまったく同じ。天皇とは、日本だけにしか存在しない、簡単には割り切れない、神がかった摩訶不思議な存在なんです。だから“有難味”がある。」

「安っぽい民主主義や男女平等なんていう言葉で天皇のことを論じちゃいけないんです。」

「たしかに、いまが“皇室の危機”だということは私も感じています。びっくりするくらい、若い人に皇室への尊敬の念が薄れてきている。(中略)親しみやすさの獲得とともに、尊敬が薄まったんです。」

その通りだと思う

ただ、雅子がお妃候補と騒がれ、内定した時に
雅子のあの怪しげな家系図が公表されたことに対し

「家系図を公表するのはプライバシーの問題ではないか」

という記事を書いていた記憶がある

美智子妃の時も
紀子妃の時も
それぞれ両親の家系図が何代も前に遡って公表された

正田家も
川嶋家も
ただの家柄では無い、由緒正しいしっかりとした家柄であったのに対し
雅子の所は、母方チッソ、父方三代前以前が不明という日本人としては有り得ない家系で
更に、部落解放同盟が家系探索を妨害反対運動を起こすという前代未聞の珍事まで起きた

しかし
マスコミはどこも騒がず、林真理子もその事については何もコメントしていなかった記憶がある

今回の林真理子の記事は、未だ、雅子の方が人気があり、紀子妃を好きだと言う人は周囲に居ないと書いた

上記に貼った2006年の記事では
皇室は日本にしかない特殊な神がかった特別な世界であることを自認している
つまり、それだけ特集で尊敬の念に値する世界に、庶民が入内するのなら
当然、何者なのかを内外にハッキリさせなければなるまい
何者なのかも分からないような者が、婚姻という制度だけで神聖なる世界に入り
神聖な世界の人間としての尊敬の念の対象となる立場に立つ
そして、神聖な子供を産む役割を担う
日本特有の神聖な世界に外国人スパイなど紛れ込ませるわけにもいかない

どうやら
雅子入内の際は、遡れない家系図をプライバシーと擁護した事を忘れているようだ

一方、雅子入内の前、世の中がバブルの余韻から抜け出せなかったあの頃、ワンレンボディコン女とは明らかに別世界の、ブランド物など何一つ身につけない所謂、普通のワンピースを着て、パーマも化粧もしない素顔のままでマスコミの前ではニコニコと笑顔で口数が少ない川嶋紀子さんという1人の女子大生を、世間知らずのぼーっとしたただの大人しい女の子だと見下していたのは、拝金主義者のキャリアウーマン達だった。

今は亡きナンシー関は、ご成婚の翌年懐妊された秋篠宮ご夫妻を「無関心」の象徴の様なエッセイを載せた

その後、出産と同時に、若く可愛らしい紀子妃フィーバーは影を潜め、初孫である眞子様にマスコミの関心は集中した。

テキパキとご公務を完璧にこなす若い紀子妃の評価は皆無だった記憶がある
ご成婚間も無い時から、海外の王族貴族達に英語で御案内する見事な立ち振る舞いの紀子妃の映像が流れても、称賛する声は殆ど聞いた事が無い
僅か、大学出たての22歳23歳の女性が、あそこまで見事な外交を披露しているのにである

そこまで若い妃殿下の皇室外交に無関心だったマスコミと世間は
外交官の娘で外務省勤めの雅子に、皇室外交の期待を寄せた
雅子本人は外交官でも高官でもない、所謂、ただの一般事務職員でしかないのに
何故か、雅子が外交官であるかのような認識が独り歩きをしていた

お妃教育の段階で、英語教育は不要でしょうと削除された事も相まって
帰国子女、英語堪能、外交官でないのに外交官と思われてきた

働く女性を意識し、あのバブル時代に社会に出ずして入内した稀有な紀子妃をどこか蔑んでいた、所謂、キャリアウーマン志向の林真理子が、雅子の学歴ロンダリングにすっかり騙された1人として、雅子入内に期待をしていたのは確かだろう。

しかし、入内後、雅子が自己アピールの看板にしていた海外公務で立派に見えた事は一度も無く、ただ歩いて立って座っての所作だけでも失敗ばかりで、得意と自慢していた英語力はさっぱりで、知恵も知識も品格すら無く、行く先々で迷惑ばかりかけ、遂には、サボり捲りの遊びまくりと言う前代未聞の実力無しだった本性が現れ出た途端、2006年の記事に繋がった気がする。


そして、2009年の原氏との対談で、林真理子は、
「次の世代(皇太子夫妻)は大丈夫かなと不安が出てきます。」
と応えている。

雅子の取り柄とされた学歴が嘘っぱちだったのは今や白昼の下にさらされたようなものだが
林真理子等あの時代のキャリアウーマンを自称する女たちが、学生の身分から直ぐ結婚して皇室に入内した紀子妃を、庶民の専業主婦のように見ていたのも確かだろう

しかし、皇族は終身雇用の職種であり、三食昼寝付きの専業主婦とは真逆の、終身職業婦人なのである
紀子妃は、学生を卒業と同時に宮妃となった職業夫人なのである
国内外の公務という妻としての仕事、宮中祭祀祝賀行事等嫁ぎ先の冠婚葬祭等嫁としての仕事、お世継を産み育てると言う母嫁妻としての責任と言う大きな役割を全て完璧にこなさなければならない
正に公私ともに仕事づくしの世界に嫁ぎ、そこで晩餐会、御訪問、慰問、祭祀、外交、冠婚葬祭、であらゆるキャリアを磨きながら、ご自身の妃殿下と言う立場での研究までされ、翻訳、慰問、名誉総裁等の役割までこなしながら、子育てをし嫁ぎ先の舅姑に仕え、宮家を効率良く回し管理している、これこそ、キャリアウーマンの中のキャリアウーマン、それが紀子妃なのである。

今迄、林真理子が、そんな紀子妃を悪く書いた記事を目にした記憶も無い
私が知らないだけかもしれないが

林真理子の秋篠ageエッセイおさらい。


それにしても、紀子妃の評価は高まるばかりである。こう申し上げては失礼であるが、判官びいきも手伝って、世の女性たちの人気は雅子妃の方が上だったような気がする。
働いていた時代のふつうの言葉で喋ろうとする雅子妃に対して、すっかり宮中語になじんだ紀子妃に異和感を持った女性は多い。
それが今、聖家族の中心に祭り上げられたのである。
皇室が担わなければいけない「ノーブレス・オブリージュ」のひとつに、理想的な家庭をつくり、それを国民に見せる、というのがあるが、秋篠宮家はそれを今回たっぷりと披露してくれた。
私の年代だと、十七年前のお二人の婚約記者会見のことをはっきりと憶えている。
あの初々しかったカップルが、今や中年の入り口に立ち、思慮も分別もしっかり身につけられたのだなあという感慨がわく。
病室での「いってきます」「ご苦労さま」といった会話など、「いいご夫婦だなあ」と心をうつではないか。
そして病室にいらした二人の内親王さまの可愛らしくて賢そうなこと。
あまりにも秋篠宮家がお幸せそうなので、ついつい皇太子家と比較してしまう。
するとやはりぎこちなさが目立つのである。
皇太子だけがニコニコと笑われ、 こわばった笑顔の雅子さまがいる。
そして全くお笑いにならない愛子さまがいる。

悠仁親王殿下御誕生の頃のエッセイである
学生上がりだった紀子妃の稀有な人格を理解出来なかったあの当時から、既に20年近い歳月がたち、その能力の高さは誰の目にも明らかとなった

なのに、何故、今この雅子批判の時期に、雅子人気だ、紀子妃好きな人いないというような記事を書いたのか?

週刊文春 2013年1月3日・10日号
■雅子妃ご結婚20年・ご療養10年私はこう考える
  雅子さま、この二十年、お幸せだったのでしょうか?特別寄稿/林真理子        

・私はつくづくお気の毒だと思うのであるが、つい先日「公務はご欠席でもハロウィンパーティーは楽しんだ」
 という記事が週刊誌に出た。考えてもみるがいい。何年間も適応障害という病を抱え、体の加減が悪い人がいるとする。大勢の人目に晒され、長時間立ったままの仕事はつらいと休職しているが、身内のホームパーティーに誘われ、久しぶりにのびのびと楽しい時間を過ごした。
                                                 
 が、これが悪いと非難されたら、いったい日々をどのように過ごせばいいのであろうか。
 二十年前に比べて、マスコミの意地の悪くなっていることといったらお気の毒である。
                                                     
・私の予言どおり、愛子さまはまことに雅なお顔立ちをしていらっしゃる。今時の少女とはまるで違う。
 十一歳にして凛とした威厳を持っていらっしゃるのだ。            
                                         
・こう申し上げては失礼であるが、愛子さまの生まれながらの高貴さに、雅子さまがふりまわされて
 いるような気がして仕方ない。                       
   
・「いっそ秋篠宮様に譲位されては」などというのはあまりにも失礼だ。何よりも皇太子さまは
 妃殿下を深く愛され、大層仲むつまじいとお聞きしている。

・これと反対に、私は未だかつて男でも女でも、紀子さまを好きだという人に会ったことがない。
          
・私は申し上げたい。二十年前に比べかなり低くなっているものの雅子さまにはまだ人気がある。

あの曽野綾子でさえ、最初から批判の多かった雅子の品の無さを、はじける笑顔だの何だの擁護してたが、美智子皇后陛下の女帝バッシングと失語症についての養護記事を書いてから、流石に何年もご病気と自分で言い訳をして何もしないのなら皇太子を辞めるべきだと言わしめた

しかし、林真理子のこの雅子と紀子妃に対する20年にも及ぶ一貫性の無さはなんなのか?

皇室の神々しさを唱えていながら、公務も仕事も子育てすらせず、異教であり私的な行動であるハロウィンパーティには出ることを擁護出来る神経も理解出来ないが、擁護のしどころが無いが故なのかもしれない

作家として、物書きとしての目は持っていながらも
やはり、物書きとして記事を載せてもらうには、
その出版社の思想に迎合する「世渡り術」も必要なのかもしれない

林真理子の記事の一貫性の無さを感じる度
小林よしのりが脳裏を横切るのは私だけではあるまい
http://maruga935.blog8.fc2.com/blog-entry-1712.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c80

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
81. 中川隆[-10341] koaQ7Jey 2019年5月03日 23:05:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1749]

2017年01月15日
雅子さんの黒歴史
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/5162817.html


生前退位により皇太子が即位すると、雅子さんが皇后になる、悪夢・・・

雅子さんについては過去にも何度か書いてきたがさらにおさらいする。

こちらは簡潔に書かれた画像さんから:


雅子の黒歴史:

yjimageQS61AS6C

>田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。

>田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

>アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。

>当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

>中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。

>卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。

>それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

>普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。 yjimageJ44NVYK2

>東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。

>授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して父のいる外務省にコネ入省。

雅子は庇のコネが効かなかったオックスフォード大では修士号を
取得することが出来ず、屈辱の帰国したんだったよね。
確かオックスフォード大は国費留学だったよね。
この頃から税金泥棒だったのか。


学歴詐称女マタコ ハーバード卒は嘘! Name 名無し 17/01/10(火)10:38 ID:nDoBWQ8. No.1876163

ほんとは「ラドクリフ女子大学卒」(米国の名門女子大)

もちろん、父親のコネの裏口入学

バツが悪いのか、バレるからか、先輩のケネディ大使には会わなかった。


さらに別サイトに出ていた詳細:

【雅子の経歴】

http://ameblo.jp/9023410651/entry-11502029224.html

@田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
A田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
Bアメリカの公立高校では最低レベルのESLクラスから出られず。
C当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部の
  ラドクリフに入学。
D卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
  インタビュー。
 それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
 普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
E東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が
当時教授をしていた。授業にはほとんど出席せず
1単位も取れずに中退。

F父のいる外務省へ。 当時外交官は2世が多く、父がもうすぐ
外務次官という娘を、どんなに出来が悪くても落とすことはなかった。
G外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
H通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
I仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると
失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
Jしょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
K職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
Lオックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一学位が取れず。


そして晩餐会や公務に出ても中途退席、中抜けしてまた出てきて、いかにもすべて出席したかのような報道。公務に出ない理由は、

体調の波って具体的にどんな症状
子どもみたいな理由が多いと思うが
眠い
腹一杯で動けない
二日酔い
まだ食べていたい
愛子が学校に行かないから
寝すぎて腫れ瞼だから
姉妹と食事の約束しちゃったから
出るはずのうんこが出ない
下痢しそうだから
外は暑いから&寒いから
テレビ見たいから
気分乗らないから
最大の理由は仕事したくないからですかね


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宮中行事 祭祀が出来ないなら速やかに廃妃が妥当!出来る方がおられます! Name 名無し 17/01/12(木)21:32 ID:8JQQbNQc No.1879395 [返信]

@神道の最高位の家に身を置きながら鳥居を潜れない

A祭祀やりたくない・出来ない

B宮中行事出ない

Cドタ出・ドタキャンで準備にあたる警察官、地域住民の負担が増し、経費がかさむのも平気

D公私の区別・節度なく、内廷費を実家の親族にも使う

E重篤な精神疾患がある(親族にも何人か精神疾患ありの精神病家系)

F実子(愛子内親王)を完全な別人とすり替えた疑惑

G実家と連携して宮中の宝物を窃盗し売却の疑惑

H宮内庁職員の重要なポストは、父親の息のかかった者(学会員)が就き私物化を謀ってきた

I学習院を改悪

J海外での皇室の評判を(正田美智子さん含めて)下げてきた

K自分達はやりたい放題でヌクヌクとして、筆頭宮家の方に過度の負担がかかる事が続いている(宮中行事・祭祀・公務をサボったその日、その週にレストラン、スキー【4泊5日】には行く)等… 顔もヒドイが、やる事もヒドイ!


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雅子さんについての記事は書ききれないほどある。
こんな人が皇后になっていいのか?
天皇が生前退位するということはこの人が皇后になるということ、それでもよいのか?
そういう考えなら、不思議でならない。

この記事へのコメント

26. Posted by remmikki 2017年01月16日 08:47

いくつか入った雅子擁護のコメントは削除しました。

ブルーフォックスさん、

なるほど4つに分類されるのですね。
保守も左翼も分かれているようですね。
サヨク活動のツイッター拝見しました。
それにしても無条件崇拝保守系がけっこういますね。
まだまだ真実が見えない人が多いです。

婉児さん、

皇統を、日本をつぶしたい連中が多いですが、結局自爆してますね。
あれだけ粉飾だらけで常識もマナーもわきまえない雅子さんをよくまあ擁護できるものです。
バカとしか思えません。

25. Posted by 婉児 2017年01月16日 01:43

つたない文章で東宮夫妻擁護をするコメには片腹痛い(笑)
あぁ、それでも日本を潰したくて必死なのは
伝わりましたよ、無駄な努力ご苦労だこと!

マサコさんは、出自も学歴も粉飾。
育ちが悪く、マナーも身に付いていない。
教養も常識も無く、食っちゃ寝以外なんの嗜みも無い。
努力が嫌い、社交もできない。
自分自身しか愛せない、非情な女。
仕事はおろか、家事もできない。
自身が果たすべき責務を自覚していない。

こんな人物はマサコさん以外いませんよ❗
サイコパスは矯正できないんです。

行方不明になっている、国家の財産の件。
マサコさんの父親の件。
矯正不能なマサコさんの精神状態。
ナルヒト氏の病状。
公務をサボりまくりの東宮夫妻。
これだけ疑惑があるのですから、
国民に対して説明義務があります。

とりわけ許せないのは、祭祀を疎かにしていること。
東宮夫妻は神に対して不敬不遜であることを、
彼等を擁護するバカは考えもしないんですね。


24. Posted by ブルーフォックス@皇室問題、最早通用しない二元論 2017年01月15日 23:08

管理人様
皆様

いまだに、

保守ならば皇室崇敬
皇室批判は皆反日

の二元論に縛られる保守陣営が少なくありませんね。

4つの類型に分けられると思います。

@皇室無条件崇拝保守系(著名人でも少なくない)
A皇室とて反日は許さない保守(我々)
B赤い皇族を支持する左翼(民進党共産党田原AERA)
C天皇皇族はあくまでも敵(反天連)

左翼もBCの二派に分かれています。
先ほど、久しぶりにCの類型を見ました。

http://ameblo.jp/hirai-h/entry-12231095165.html

この人物はツイッターでも左翼活動をしています。

しかし、最近ではBの方が優勢だと思います。

ところが、@の人にはAもBもCにしか見えません。

もっとも、そういうことを防ぐためには、我々AはCとは絶対に組んではならないと思います。

23. Posted by remmikki 2017年01月15日 21:17

浜茄子さん、

そうか、左巻きね。
あんなのを擁護するのは同じレベルですね。
わざわざこちらのブログに来て論理破綻のコメント、ご苦労様なことです。
擁護する同士のブログで傷なめ合ってくださいませ、ということ!

怒子さん、

二代続けて大幅ダウンですね。
修正写真見ました、驚きますね。

桃太さん、

K国の人達、カルト信者、そんなところでしょう。
彼らは日本語がなってないからすぐにわかります。

花蓮さん、

そうですね、そろそろ打ち切ります。
彼らのコメントを自分ひとりでしまうのもけっこうストレスなので皆さんと共有していただきました。
ありがとうございます。

22. Posted by remmikki 2017年01月15日 21:10

雨だれさん、

私も今だにあの体たらくを見ていて擁護する人がいることに驚きです。
迷惑ばかりかけて、義務は放棄、たまに公務に出ても中抜け、正月から一連の儀式は欠席、よくまあ、地位にしがみついていられるものです。日本の家庭なら静かに退席でしょう、
やることやらないからこんなに黒い過去をほじくりだされているのです。
日本人は寛容ですから、学歴経歴なくてもきちんとすることすれば、こんな批判はしませんよ。
やらない上に迷惑かけ、税金使いたい放題、だから追及されていること本人も擁護派もわかってないです。

日本が大切女性さん、

犬のお手振りありましたねえ、びっくりしました。
皇太子をいつも荷物席、これも誰も注意しないし、びっくりです。
皇后になってはならない人、国民もとうてい受け入れられないです。

はなさん、

数えられないほどの大嘘ばかりです。
擁護するならひとつひとつ真実がどうなのか検証してコメントしてほしいものです。
いいところひとつもなし、こんな人いませんよ。
スイスで軟禁されているジジンのこともマスゴミあげて必死に隠してますね。
これも時間の問題でそのうち明らかになってくるでしょう。
はい、カルト信者が沸いてきてます、やはり相当焦っているのでしょうね。

べりーさん、

秋篠宮家のお印をHNとして名乗る人は○条の会のマジマでしょう。
嫌がらせばかりする根性の汚い人。
雅子をいまだに信じている人がいることこそ信じられないです。
たくさんの事実を上げられてますね、すべて書かれている通りです。
存在価値などないですわ。
どこが優秀なんでしょうねえ?行動で示してほしいものです。
やることなすことすべて優秀でないこと自ら証明しているではないですかね。


21. Posted by remmikki 2017年01月15日 21:07

きいろさん、

あれ、そうでした?バッシングされてました?
最初からアゲアゲ記事ばかりかと思ってましたが。

憂国の徒さん、

そうでした、雅子さんと比べたら、ショーンさんの経歴詐欺はかわいいものでした。
企業で学歴・経歴詐欺書いたら、即解雇ですけどね。
皇室ってクビにならない不思議なところですわ。

リボンさん、

私もどういう方が知りたくて調べたのですが、出てこないです。
ハーバードの同級生や教授の話は皆無ですよ。
紀子さまは黙々とお子様たちを育てあげ、修士・博士を取得されてます。
雅子、悔しかったら、やってみろ!

コマさんさん、

優秀ぶりの実態は皆無です。
海外海外、VIP待遇で接待されたいだけ、義務は放棄。
税金使ってほしくないです。

花畑さん、

公務が嫌なら出て行けばいいこと。
でも特権がほしいから出ていかない。
「義務は果たさないのに権利だけ主張する」とんでもない人が皇太子妃です。

ベリーさん、

論理が破綻してますね。
まるで説得力なし、あれで擁護しているつもり?
ひとつも反論できてないです。
そうですね。雅子よりは正しい生活をしている国民がほとんどではないですかね。
あんな自堕落なことしていたら、家庭は持ちません。
こんな人たちに擁護されている情けないこと。

るりこさん、

礼儀作法がまったくダメ、常識もない、挨拶したくない人には出てこない非礼ぶり。
欲しいのは特権のみ。だから絶対に出ていかない。


20. Posted by 花蓮 2017年01月15日 20:33

ブログ主さま

もうそろそろコメント欄を仕切られたほうがよろしいのではございませんか?

一条の会のアホコメなど、皆さま、もう読みたくもないでしょうし、反論するのも時間の無駄というものでございましょう・・。


19. Posted by 桃太 2017年01月15日 20:28

だけをたけと発音(表記)するとか、
雅子さん擁護の方、
日本人じゃないですな。

18. Posted by 怒子 2017年01月15日 20:14

皇太子妃に、最も相応しくない人。
皇后なんてとんでもない冗談です。
何しろ下品。
育ちの悪さが丸出しですよ。
祖先が辿れない人が日本の???
ちょっと昔までは、公家出でなければ
なれない決まりだったのにミテコから
大幅ダウン!
ディスカウントものになりましたね。
せめて1代で終わりにして久邇さまの
お姫さまに入内して頂いていれば…
皇室は安泰でしたのにね。
久邇さまは今や本物の東大医学部の
先生におなりあそばしておりますわ。

修正マタコの写真に笑いました。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1484229117481.jpg


17. Posted by 浜茄子 2017年01月15日 20:03

こーや巻は左巻き、
とーりすがりは取り憑かれ
でしょうが。
あんなん擁護するには自分も同じか
皇室を知らない人ってこと。
マタコも知らないから平気なんしょ?
日本人が大切にして来たものをば
破壊するんだから。
とーだいコネ枠ありますんよ。
単位取れないけどね。
バッカじゃないの?
R女子大が合併でハバドになったんしょ?
田ふたも途中退学だしねー。
有名な話じゃないの。
ソーか!oジョーの会か!
このお二人さんは。
他でやってろ!ってーの!
自分のブログどーしたん?
訪問者もなくオキャワイソー!!

16. Posted by はな 2017年01月15日 19:39

再度しつれいします。
朝鮮創価隊がずいぶん湧き出してきていますね。
そうとう焦ってきています。
美智子か雅子かもわかりませんが。


15. Posted by ベリー 2017年01月15日 19:35


高野槙という高貴な印の名でバカなことをいう人がいますね。

>未だにこんな事を信じている人がいるなんて信じられない…

「こんな事」というのは「ハーバード、東大」という「優秀説」のことかと思っていましたら逆だったとは。

よしんばハーバード、東大が真実だとしてもそれだけ優秀な人が今、自堕落、サボりの常習者だと言うのは歴然とした事実。
正月の行事すべて欠席。

時間がたっぷりあるのに何も為さない。
お茶もお花も楽器も何もしない。

趣味も持たず、なんらかの研究も学習もしない。
食っちゃ寝のただ生きているだけ。
客人を玄関先までも出迎えない無礼。
庭先への奉仕団への挨拶すらしない。
午前中は具合が悪いから公務はせず午後から具合が良くなってスキー。
これも事実。


どこに存在価値があるのかわかりませんね。
世継ぎを生むのが務めなのに複数の子を持つ努力もしない。

それどころか国民の血税を好き放題。

どれもこれも事実なので反論できないことでしょう。


不思議な病気です。
医師団と言われる人たちの顔も見えませんし。

「優秀な人が病気になるほど皇室が窮屈である」
というならば出て行けばいいだけ。
「自分にはつとまりませんでした」と。

誰も止めないでしょう。

>紀子様が渦中の㊛と呼ばれてお妃候補にもなかったこと、どう思われますか?


意味不明です。

ともあれ、「優秀な雅子様」が優秀さを発揮し公務をされたりスピーチをされたりしたことを「見たこと」がありません。

愛子様が優秀であるエピソードがたくさんあっても誰も愛子様がプロ並みなスキーやネイティブな英語を見たこともきいたこともありません。

優秀な人は皇室でも有能に立ち回るはずです。
ようは優秀では無いということの証明を雅子妃みずからしているも同然です。

14. Posted by はな 2017年01月15日 19:27

学歴、職歴(コピー番長、外交官などと大ウソ)詐称。平成の大泥棒、小和田恒の長女、朝鮮人。
まだまだ、数え上げればきりがない。
本当にいいところが一つも無い人とはよく言ったもの。アヘ写真も出回って。どうしてこうも皇室は隠して闇に葬ろうとするのか。ポーカーフェースでいられる神経がそもそも狂っている。
こんな奴を交互になんぞ、安部さんが許すわけがない。ナルも天皇になんぞさせるわけがない。
これだけ中韓を追いつめ、崩壊させた実行力を信じたい。野田政権の時、保安庁の船が中国漁船にぶつけられても何も言えなかった日本国を蘇生させた安部首相。あのまま行けば当にわれわれは中国の奴隷になり下がっていた。アキミチの左巻き、アホナルの韓国に取り込まれた状態は、安部さんも重々承知。
安部さんを信じたいと思います。ちなみにスイスの天皇家財産引き出し失敗は、しつこくソラマメ(でしたか?)、小泉前総理が絡んでいます。こいつらが総務省にせっついてバカ親父の救出に向かわせたそうです。魑魅魍魎がうごめいています。


13. Posted by 日本が大切女性 2017年01月15日 18:58

いよいよ皇后になられる雅子妃殿下。
 これまで一番ショックだったのは、犬のお手ふりでした。 いくら身分が上位とはいえ、 
国民は殆ど快くは感じなかったのでは。  そんなことを平気でできる人は、人間としても
失格です。まして、日本の象徴たる皇太子妃ですよ。
 そんな妃殿下であることを現実に見れば、過去の噂やヤフオク事件だって、有りそうなもの
と思われるのは当然ではないか。
噂が、あった無かったの問題ではない。皇后になってはならない人に思え…悲しい。
皇后の世が、平穏無事とは思えず恐ろしくも思う。


12. Posted by 雨だれ 2017年01月15日 18:22

おもしろいですね。いろんな意見が有るのは結構ですが、誰かと比べて見ろとは!!
あまりに幼稚な投稿が有りまして、世の中
は50:50の意見が有るのは当然かも知れませんが、現在の雅子の様子を見て、擁護出来る人間が居るとは驚きです。  

国民の使う高速道路を閉鎖してスキーに行くわ、夕方の通勤時間帯に駅に足止めしての帰り道だわ。


その他もろもろの迷惑をかけながら義務である歳費もお客様もお迎えしない。そんな嫁ならいらんわ。義父母が疲れた。辞めたいとまで言わせている家族ってないでしょ
 少なくとも、言われないような行動する事は大人のする造作です。
だから、過去もほじくり出されるのよ。

一般の方と比べるなら、同じ皇室の方と査証して欲しいです。過去の皇室にこんなバカ居ましたか。このブログに進入して暴言吐くんじゃないでしょ。


11. Posted by るりこ 2017年01月15日 17:47

remmikkiさま

いつもアップありがとうございます。

妃殿下に英語や美しさは二の次です。
日本の文化の一端を担うお覚悟が
雅子さんには圧倒的に 足りないのです。

日本の礼儀作法さえお出来にならない、しかも姿勢の悪い人に、
心底愕然とした事を思い出します。

それよりも、周知の事実の疾患を降嫁したうえで ご実家で治療されたほうがはるかに雅子さんのためにも、国民的にも良いと思います。


9. Posted by ベリー 2017年01月15日 14:26


「通りすがり」という匿名の人の言うことなど、論理的破綻しているのはどこのコメント欄でも同じですね。
カールルイスの批評をしている人に「じゃあ、あんたは100をカールルイスより速く走ることができるのか」と言ってるも同然。

でも、雅子さんはカールルイスではないですね。
最低レベルの女ですから。

「卵をうめなくても良し悪しはわかる」
という常識的な事がわからない愚かもの。

質問をされてますけど、ほとんど人が「はい、妃殿下より上です」と答えられますよ。

一番笑ったところ

>あなたは妃殿下より正しい生活をなされているのですか?


国民のほとんどがこの雅子さんより正しい生活をしてますよ。
ぐうたらしてません。
さぼりもしません。
税金でも生きていません。

馬鹿な人がいるものです。
通りすがりさんは、きっと午後に起きてジャンクフード食べて、仕事もさぼってるんでしょうね。

雅子さん以下がいるとは。
それでも、ジャンクフードは自分のお金ならば少しは雅子さんの上でしょうか。


7. Posted by 花畑 2017年01月15日 13:23

雅子さんはご優秀と言われましたが、今の生活の仕方は一般人としてもあり得ないのではないですか?

体調の波と言って国内外の大切なお客様に会う行事もドタキャンし
食事がありそうな所はドタデ

遊びは皆勤
しかも暇なのに国民の休みと被せてきて交通規制
遊びなのに厳重な警備
税金の無駄遣いも大概にして欲しいものです

皇室のしきたりがあわないのなら離縁なさって下さい
もしくは、ナルさんを連れて出ていってかまいません

皇室に留まるならしきたりを重んじ身分をわきまえて下さい
皇室は雅子さんのためにあるのではないのです

20年近くいて馴染めないなんて公人としてあり得ないですよ
雅子さんは公人になったのだからそれなりの行動が求められます
それが嫌なら出てけよって話なのにおいしい思いはやめられない止まらない

義務は果たさないのに権利だけ主張するって一般人でも嫌われますよね


6. Posted by コマさん 2017年01月15日 12:47

ご優秀作でキャリアウーマンだつたとマスコミから報じられてるけど、ハーバードやら東大やら外務省に入ったんできっと優秀なんだろうって感じで、実際に凄い⤴⤴って思わせる画像やら実績は知らない。
でも、公務中居眠り、大震災後の海外でのはしゃぎっぷり、足の悪い少年に歩行器の娘の写真を見せてlike you、犬の足でお手ふり、スキー三昧、あれって思わせる画像やら行動はありすぎる。 海外に行きたいのも、公務として親善んをはかりたいのではなく、VIP待遇で接待されて楽しみたいではと思わせる。
不思議な方ですね。。

5. Posted by リボン 2017年01月15日 11:48

remmikkiさま

昨日は女官長の伊東氏についてご教示いただきありがとうございました。目立つのでさてどんな御方?と疑問に思ったのですが、お手数をおかけしてしまいました。

雅子さんの卒論を斜め読みしたことがありますが、いくら(自称)ハーバードの優秀な学生でも接触が困難と思われる経済界の錚々たる大物に謝辞があげられており、驚いたものです。

紀子さまはご自身の才能をひけらかさず、黙々と精進されている…。見習いたいと思います。


2. Posted by 憂国の徒 2017年01月15日 10:10

ショーン何某氏の経歴詐称など実にかわいらしいものですね・・・。


1. Posted by きいろ 2017年01月15日 08:25

美智子様が即位されたとたんバッシング記事は皆無。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/5162817.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c81

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
82. 中川隆[-10340] koaQ7Jey 2019年5月03日 23:20:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1750]
辱しめられる皇室小和田雅子の闇 2013年03月31日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11502029224.html

お前は般若か
小和田雅子は
          「創価学会の一員」

福田元総理-(元秘書)小泉
       |        (↑兄弟子)
       |_(元秘書)小和田恒---雅子(東宮妃)---敬宮愛子内親王
                  |     /   |
               外務省・国連---大鳳会(創価)---風岡宮内庁次長
                                        (公明党)

※大鳳会・・・外務省内創価学会員のグループ名。
静養中にも関わらず、雅子妃が深夜ホテルで学会員の外務省男3人と
会食してたことが週刊文春にすっぱ抜かれた・・・・・・・・

【雅子の経歴】

@田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。

A田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

Bアメリカの公立高校では最低レベルのESLクラスから出られず。

C当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部の
  ラドクリフに入学。

D卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
  インタビュー。
 それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
 普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

E東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が
当時教授をしていた。授業にはほとんど出席せず
1単位も取れずに中退。

F父のいる外務省へ。 当時外交官は2世が多く、父がもうすぐ
外務次官という娘を、どんなに出来が悪くても落とすことはなかった。

G外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。

H通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

I仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると
失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

Jしょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

K職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

Lオックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一学位が取れず。

雅子ガン見
 東京サミット晩餐会にて、「ロシア語が堪能」との触れ込み
によりエリツィン大統領の隣席に座らされたものの、話が弾む
クリントン大統領と紀子妃様をなぜか凝視する雅子。

海外誌は
日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をする
という異常事態と報道。

最下層令嬢が、実家の親とつるんで
皇室を我が物にしようとする異常事態。

皇太子夫妻に関わって不幸になった方々

*堤医師(雅子妃の不妊治療担当医師)、研究費横領疑惑で失脚。

*愛子さまに、と贈られた象が、牙で飼育員をあぼーん。

*曽我東宮侍従長、急死

*仲良くしていただいた高円宮殿下、若くして急死。

*野村万之丞(皇太子のご学友)若くして急死。

*木工職人(愛子さまのおもちゃ作った人)若くして急死

*君島一郎(雅子妃婚約後の正式写真に洋服が使われたデザイナー)
 急死

*東宮で大膳として料理の腕をふるった渡辺誠さん、若くして急死

*森英恵(雅子妃のウエディングドレスデザイナー)会社倒産

*森村桂(雅子妃ご成婚の時にお祝いのケーキを焼く)病院で自殺

*26世宗家観世清和が愛人作って男の子産ませ、妻の観世あすかさん
 は長男と共に追い出され離婚
(観世清和が皇太子のご学友、妻の観世あすかさんは雅子妃に愛子さま
 ご生誕時にメッセージを贈る)

*観世さんに悪影響を受け、宝生流の家元夫人、自殺

*李玖(李垠殿下と梨本宮方子女王の息子)
 「東宮夫妻には是非、韓国に訪問していただきたい」と言った途端に
 2005年7月に心臓麻痺で死去

*目黒の小和田二世帯住宅を建てた豊建設(高島屋の子会社)、倒産

*猪口大臣、大臣就任時のブルーのドレスは雅子妃ご成婚祝賀晩餐会用
 に作ったものだった
 →上智大学を解雇。

*皇太子が昨年2月、アメリカのノルト女史の詩を紹介。その直後ノルト
 女史、急死。

*2006年2月10日、雅子妃はお気に入りの韓国人指揮者チョン・ミュンフン
 を招き2時間も英語で歓談
 →2週間後の2/24、チョン・ミュンフンはパリのコンサートを病気の為に
 突然キャンセル

*2006年3月5日、いつもの雅子妃の希望で、WBC日本-韓国戦を観戦し
いつものように途中で帰る
 →結果:日本チームまさかの逆転負け。

◆雅子の伝説◆

・天皇が死ぬのを待っていると欧米メディアに書かれたことがある。

・東宮に名産品を献上すると小和田家から丁寧なお礼状が届くこ
 とがあるようだ。

・障害者施設を慰問したとき手を差し出され「触らないで!!」と
 叫んだことがある。 障害者を気持ち悪いものと思っているようだ。

・アラブ圏では「日本の皇太子は何故フィリピーナ
(=メイド)のような女と結婚したのだろう」と
不思議がられ、
 欧米の王族の間では皇室の悪口ばかり言っているので「しつけの悪い
 メイドのよう (=主人の悪口をペラペラしゃべるメイド)」と言われている。

・レジャー(行啓)の前には公務を入れてバランスを取っているが、楽な
 公務しかしないので
 怠惰な性格がバレバレになっている。

・関東近県以外は人外魔境と思っているから滅多に行かない。

・留学時代黒人の子供を堕したのがトラウマになっていて、今でも黒人の
 大使等との接見や午餐はほとんど欠席。

・アメリカ留学中につきあっていたデビット・カウというBFに
 セミヌードを撮られた。
 雅子入内が報道されるとデビットはそれをタブロイド誌に
 売り込もうとしていた。

・上記と同一人物が撮影かどうかわからないが、NYタイムズに
 セミヌードが持ち込まれ宮内庁が慌てて買い取った。

・外務省時代O本氏と交際していたが、雅子入内が決まるとO本氏は
 外務省をやめさせられた。
 今でも外務省から仕事をまわしてもらっている。
 O本氏は将来の外務次官と噂の高い有能な人物で事情を知らない人は
 退職を不思議がっていた。
 雅子妃は公のインタビューで2回「O本さんを尊敬してます」と言った。
 元妻の佐藤陽子によるとO本氏は床上手らしい。

・入内前に多くの男と付き合っていたのでクラミジアになってしまい卵管
 が詰まって不妊になった。
 そのためゴッドハンドと呼ばれた顕微授精の権威の東大のT医師の治療
 で愛子を産んだ。

※日本はもうだめかもしれない

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11502029224.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c82

[近代史02] ドイツは一方的な加害者か?(2007年05月08日ミクシイ日記再録)    西岡昌紀 西岡昌紀
3. 中川隆[-10339] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:15:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1751]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼


【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

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ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/807.html#c3

[近代史02] ドイツの女性達が体験した悲劇(2007年05月08日ミクシイ日記再録)    西岡昌紀 西岡昌紀
12. 中川隆[-10338] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:16:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1752]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/808.html#c12

[ホロコースト2] ホロコースト認めて禁固刑逃れを狙ったアービングの失敗は醜態 木村愛二
5. 中川隆[-10337] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:18:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1753]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/717.html#c5

[ホロコースト3] アウシュヴィッツの犠牲者数の変遷 侵略の正確な実像をとらえるために 提供人D
4. 中川隆[-10336] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:18:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1754]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼


【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/179.html#c4

[ホロコースト5] 第3章 「ガス室」は実在したか?−−「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか」(転載自由)   西岡昌紀
5. 中川隆[-10335] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:19:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1755]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/192.html#c5

[ホロコースト6] アウシュヴィッツには、戦後多くのドイツ人の女性や子供、老人などが収容された。--看守の多くはユダヤ人だった。 西岡 西岡昌紀
4. 中川隆[-10334] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:19:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1756]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼


【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/208.html#c4

[ホロコースト6] ダッハウの謎−−過去の「ガス室」目撃証言はどうなったのか?    西岡昌紀 西岡昌紀
45. 中川隆[-10333] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:20:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1757]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/205.html#c45

[ホロコースト6] 「ユダヤ人絶滅」の命令書は発見されて居ない。−−「ユダヤ人問題の最終的解決」とはソ連への強制移住を意味した。  西岡昌紀
8. 中川隆[-10332] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:20:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1758]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/210.html#c8

[ホロコースト6] ディーゼル・エンジンの一酸化炭素でガス室を作れるか?−−「ホロコースト」の教義の科学的不合理 西岡昌紀
6. 中川隆[-10331] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:21:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1759]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/211.html#c6

[ホロコースト5] ツィクロンB(サイクロンB)について     西岡昌紀 西岡昌紀
4. 中川隆[-10330] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:21:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1760]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/172.html#c4

[ホロコースト5] アウシュヴィッツの歩き方(重要なお知らせ)   これから現地に行く皆さんへ 西岡昌紀
4. 中川隆[-10329] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:22:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1761]

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼


【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。

ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

redarmyrape

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/183.html#c4

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
19. 中川隆[-10355] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:27:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1735]

ムスリムの矯正・再教育は可能か?


中国が、ウイグルで民族浄化作戦を展開している。

民族浄化には、一定の民族を「絶滅させる」ために直接、市民を大量虐殺する方法と、その民族独自の宗教・習慣・文化・言語を「取り上げ」、一定の文化そのものを破壊し、存在させなくさせる方法がある。

後者は日本人に対し、日本語の使用を全面的に禁止し、寿司・刺身・和食を食べる事を違法行為・犯罪とし、コメの生産を犯罪行為として禁止する等の事態に該当する。

 現在、中国政府は7歳〜14歳までのウイグル人の子供をウイグル地域から「強制連行」し、漢民族の居住地域で生活させ、教育を受けさせている。つまり中国語を使う教育を強制し、ウイグル語を地球上から消滅させようとしている。そして中国文化の中で育て、ウイグル文化に「一切触れさせない」ようにし、ウイグルの文化の継承者が居ない状況を作り、その文化を破壊している。

これは民族虐殺に等しく、文字通り、民族浄化である。

中国政府の政策は、ナチスの行ったユダヤ人虐殺と同等であり、本来、多様な文化・言語が地球上に多数、存在する事によって、相互に影響を与え合い、新しい別の文化・文明が次々と作り出されてきた人類の歴史に対する「虐殺行為」である。中国政府の政策は全人類への「冒涜」「犯罪」である。

 また中国政府は、若いウイグル人女性を40万人、漢民族の済む天津、青島へ「強制移住」させ、ウイグル人同士の結婚を「事実上」禁止し、ウイグル人と漢民族の結婚・混血を強制している。これはウイグル人を「地球上から絶滅させる」ウイグル人絶滅政策であり、ナチスのユダヤ人虐殺と同一の政策である。

これは仮に、日本政府が、日本人同士の結婚を禁止するため、若い日本人女性を全員アメリカへ強制移住させ、事実上、日本人女性にアメリカ人との結婚しか「認めない」政策を取る事と同じである。

 しかも、強制移住させられたウイグル人女性は、安い賃金で一日12時間も労働を強制され、宿泊施設は衛生環境の悪い汚れきった部屋に閉じ込められ、刑務所での生活のような人生で「若い時代を浪費」させられている。

これは中国人によるウイグル人の事実上の奴隷化である。

 またウイグルの宗教はイスラムであるが、中国政府は18歳以下のウイグルの若者達にイスラムのモスク(寺院)への出入りを法律で禁止している。そして、イスラムの習慣である「ラマダン=断食」の時期に、ウイグルで食糧の配布を意図的に行っている。これ等は明らかなウイグルの宗教・文化に対する破壊工作であり、極めて悪質な「民族浄化・虐殺」である。

これが中国を「表に立てて行う、ロスチャイルドの世界帝国の支配原理」である。

ウイグルは、明日の日本の姿である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/123821982.html


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ウィグル自治区はまるで“ナチスの収容所”日本メディアが報じない中国の白色テロ
  孫向文  2018/7/10
https://vpoint.jp/column/116063.html


こんにちは、マンガ家の孫向文です。

●中国の「白色テロ」の実態

 国家権力が行う“テロ行為”は「白色テロ」と呼ばれています。例えば、かつて毛沢東が発動した文化大革命のような大虐殺や、ナチス・ドイツが行ったユダヤ人への大虐殺(ホロコースト)がそれに当たります。

 現在、白色テロは、中国の新疆ウィグル自治区で進行中です。
 米紙ワシントン・ポストの報道によると、中国政府は2016年から現在に至るまで、10万人超のウィグル人を労働再教育センターに強制収容してます。また、アメリカのRFA(ラジオ・フリー・アジア)の報道によると、その労働再教育センターとは、刑務所より劣悪な場所とされ、狭い部屋に50人くらいのウィグル人をすし詰めで収容して、1人当たりのスペースは僅か2平方メートル。全員同時に寝ることは無理なので、囚人たちは順番で寝るというのだから驚きです。また、長時間日差しに当たらないため、悪臭、皮膚病が蔓延していると言われています。

●エイズ感染者を牢屋に同居!?

 さらに深刻な状況は、わざとエイズ感染者を監獄に入れ、ウィルスを蔓延させて死なせるというのです! 重症のエイズ患者の口から蛆(うじ)が湧いてくるような、まさしくグロテスクな映画そのものの状況です。

 ここで、一番問題なのは、収容されてるウィグル人達には、具体的に罪はなく、中国政府は「テロ対策のため」という大雑把な理由で収容を正当化しているのです。つまり単なる中国共産党による“民族浄化”策の一環であり、これはまさしく「現代版のナチス収容所」と言えるでしょう。その現代版のヒトラーこそ、習近平国家主席です。まさにこの状況はナチス収容所より非人道的で残虐な状況です。

 新疆ウィグル自治区で起きている強制収容の事件には、まだまだたくさんの関連報道があります。

●米政府は本気で人権問題を理由に経済制裁を実施

 6月28日のワシントン・ポストの報道によると、アメリカで“国際宗教自由”担当特別大使に任命されたサム・ブラウンバック(Sam Brownback)カンザス州知事によれば、新疆ウィグル自治区でウィグル人を強制収容する任務を執行する中国共産党幹部たちのアメリカで開設した銀行口座と不動産、証券などの資産をすべて凍結するような議案を議会に提出しました。もし可決されれば、アメリカ史上初の、中国の人権問題で中国共産党幹部に経済的制裁を実施するという快挙になります。

 以前の民主党オバマ政権は当時、劉暁波氏の釈放を求め、中国共産党による人権弾圧を非難したが、口ばかりの外交辞令で、実現することは一度もありませんでした。これに対して、トランプ大統領がリードする共和党政権は美辞麗句ばかりを並べるリベラルな民主党政権より、強い実行力のある政権だということです。

●「フェイクニュース」作ってまでで善人面をする中国政府

 この強制収容の問題に関して、私のウィグル人の友人が、中国の「フェイクニュース」を見つけ出し暴いたのです。

 4月21日、ウィグル自治区の機関メディア『新疆日報』は、「中国政府は貧困のウィグル人家庭に、米などの食材を送り込んで、また壊れた家具や家電の修繕に無料サービスをしました」と報じたのですが、実はこのニュース、当局がそのウィグル人一家の大黒柱である夫を強制収容したことで、家庭が経済的破綻状態に追い込まれたもので、追い込んだ張本人である中国政府が「善人面」をしてウィグル人家庭を助けたという“美談”に仕立て上げた“マッチポンプ”式のプロパガンダに過ぎないのです。

 しかも、米などの食材はウィグル族ではなく、漢族の食文化です。これは「ウィグル人が我ら漢族の偉大なる食文化を取り入れて、幸せになった」という同化政策のプロパガンダの意味を含んでおり、以前からずっとやっているというのです。

●鳥型ドローンで人民の生活を監視!?

 収容所以外でも、中国政府はハイテク機器を使って、ウィグル人の暮らしをすべて監視しています。香港メディアの『南華早報』の報道によると、新疆ウィグル自治区に「監視カメラを搭載してる、鳥を模倣したドローン」を沢山飛ばしたり、市民の日常生活監視の実験を行っています。そのハイテクな鳥型ドローンは鳥のように鳴いたり、羽ばたきをしたり、さらに本物の鳥と一緒に飛ばせて、鳥自身も隣に一緒に飛んでるヤツは「ドローン」であることを気づかないくらい本物そっくりの「鳥ロボット」だということです。

 さらに、このドローンを開発する会社の社名も判明しました。「海康威視」(HIKVISION)という監視カメラなどの設備を生産する中国の民間企業でした。同社は2017年に新疆ウィグル自治区の監視のために、中国政府と5件の契約を取りかわし、さらに18億5000万人民元(約307億円)もの資金を獲得しました。内容は全部「国家安全」という名目です。もし、この鳥型監視ロボットが普及したら、中国全土に飛ばして、電信柱に固定された監視カメラでは映らない、「死角」なしで、中国国民の生活を徹底的に監視することになります。

 僕が調べたところ、日本の京都大学にも「海康威視」(HIKVISION)の監視カメラを導入しました。もしかして、中国政府はこの企業を通じて、京都大学の人々を監視してるかもしれません。

■HikvisionがIHS Markit*の2017年報告で首位を維持
https://www.sankeibiz.jp/business/news/170622/prl1706221641119-n1.htm
(SankeiBizホームページ2018/6/22)


 公式ホームページを見てみると、すでに世界中に触手を伸ばしてるようです。

※IHK Markitとは
 2016年6月、米大手調査会社IHSと英金融情報会社マークイットが合併してできた巨大情報調査会社

●中国による日本の土地浸透を日本国民に周知徹底を

 欧米メディアはこの数カ月の間に新疆ウィグル自治区で行われている強制収容について、数多く報道してきましたが、日本のマスメディアはほとんど報道しません、また同時にチベットで起きている焼身自殺など、人権弾圧の事件をほとんど報道しません。

 まるで日本のマスメディアは、中国共産党を「忖度」してるように思えてなりません。現実、尖閣諸島や沖縄、北海道への中国政府による静かな政治浸透が進行しています。これら日本の土地が、将来はチベットやウィグルのような惨状になる可能性だって無きにしも非ずです。今こそ、日本国民に中国共産党の脅威を周知徹底して知らせなければなりません。
https://vpoint.jp/column/116063.html


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【中国の民族浄化】ウイグル人男性は収監、残った女性は漢族と強制婚姻…”尖閣上陸”で起こりうる生き地獄 2018/8/28
https://this.kiji.is/407098240993477729


こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。

先日、中国共産党による、罪のないウィグル人の強制収容について報道がありました。詳しくは以下の記事に書きました。


今日は、この事態がさらに深刻化していることをお知らせします。

8月14日、ロイター通信の報道よると、中国全土の警察は2016年から、携帯電話をスキャンして、通信記録と個人情報を全部ハードディスクに保存するような検閲機器を大量に購入しました。実際にその機器は、新疆ウィグル自治区に使用されています。ウィグル自治区に住む外国人を含む、すべての人間が自宅から出たら、街角にたくさんの警察が厳戒し、通行人に対して上記の機器で携帯電話のスキャンを義務化しています。

https://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/renquanfazhi/hj-08172018103739.html

また、アメリカのWSJの報道より、ウィグル人を収容するような建造物(収容所)をさらに建設していることを、米国の人工衛星が捉えました。


WSJが釈放されたウィグル人の親族を取材したところ、釈放された人はまもなく死亡、もしくは監獄の中で死亡したケースも多く、監獄内では非人道的な拷問を行っていたことが想像できます。監獄の中では、ウィグル人を改宗させるように「この世に神様がいない」と思い込ませたり、酒と豚を入った料理を無理やり食べさせる拷問がされているようです。

中国共産党の目的は、ウィグル人をいわば”中国共産党教”に改宗させること。失敗したら闇で処刑がなされるのです。この事態は1950年のウィグル大虐殺以来の、最大規模の「民族浄化」とみられます。

■ウイグル男性は収監、女性は漢族と婚姻!? 背後にはあの政策の弊害が…

この映像は「東トルキスタンを語ろう」(Talk East Turkestan)というウィグル人の人権を守る反共産党のグループのフェイスブックの公式アカウントが発布したものです。中国共産党はウィグル人の女性を漢族の男性と無理やり結婚させ、その結婚式でウィグル人の親族に中華人民共和国の国歌を無理やり歌わせる動画です。

https://www.facebook.com/TalkEastTurkestan/videos/2059752307619210/

また、台湾英語新聞では、「家族を助けるために漢族の男性と結婚したウィグル人の女性」の報道もありました。

https://www.taiwannews.com.tw/en/news/3442256

動画は短いですが、簡単に会話を訳すると

司会「出会ってから、どれくらい付き合いましたか?」
新郎「2ヶ月です」
(新婦は終始、悲しい顔つき)

要はウィグル人女性の家族が収容所に監禁されており、彼女は家族を釈放する条件として、漢族の男性と結婚するように中国政府に婚姻を迫られたと考えられます。

ウィグル自治区に強制収容される人の大多数は若い男性と報道されていましたが、これは若いウィグル人の未婚男性を監禁し、残った若いウィグル人の未婚女性を漢族の未婚男性と強制結婚させる、中国共産党による実質的な民族浄化なのです。

このような事態の背景には、漢族の一方的な事情があります。かつて、中国の一人っ子政策(※現在は廃止されている)により、男尊女卑の思想から男児を望む家庭が多く存在しました。中国政府は胎児の性別を診断する医療行為が違法であっても、密かに胎児の性別を診断して、女児と分かったら人工中絶する病院が絶えませんでした。

結果として男児ばかりが出生し、中国全土の男女性別比例のバランスが崩れました。そして、未婚の漢族男性がたくさんいるため、中国の少子高齢化を懸念し、その惨状を打開するために、ウィグル自治区の民族浄化を解決する一石二鳥の国策を図ったというわけです。

■尖閣上陸の向こう側で起こる生き地獄、通州事件が教える中国人の恐るべき気質

日本人にとっては、決して対岸の火事ではないでしょう。中国の反日デモのプラカードや、反日掲示板の書き込みによく見られる、身の毛もよだつ言葉が有ります。

「我々は日本に復讐するのだ、釣魚島(尖閣諸島)を奪還して、人民解放軍が日本に上陸したら、日本人の男と三十路以上の女性を全員殺す。若い女とヤらせるか、結婚させろ」、「我々が狙うのは日本の土地だ、日本人はいらない」と捲し立てる輩が多いのです。

また、「我々は台湾統一を目指す、狙うのは台湾の土地だ。台湾人はいらない」と書き込みもあり、こちらも日本への主張とスタンスはほぼ同じです。

これは空論やフィクションのようにみえますが、歴史的な実例があります。通州事件や満州開拓団が引き揚げる時に日本人男性は中国人に殺され、若い女性は強姦される地獄がありました。そのため、当時の若い日本人女性はあえてスカートではなくズボンを穿き、男装をしました。現在は、チベット民族、ウィグル民族に対して現在進行形の民族浄化です。
(なお、満州引き揚げ時に日本人を襲ったのは中国人だけではなく、ソ連の人たちや朝鮮人などがいたことも追記しておきます)

中国共産党だけではなく、同じく漢族政権の国民党の蒋介石政権も台湾に上陸時に、原住民の民族を浄化して、漢族の移民を送り込む手段を取りました。このような歴史を常に繰り返す中国に、周辺国は危機感を持たないといけません。

現在の日本はチベットとウィグルに関する報道では、中国政府の「忖度」をするような自主規制をしています。日本人にとって、決して対岸の火事ではないこの事態に備えるために、移民政策に対して様々なリスクを想定することや、外国人の受け入れの拡大によるデメリットに関しても、おざなりにすることなく真剣に考えなければなりません。

中国共産党にとって、先進国や敵の弱みにつけ込んで侵略しようとすることは、当たり前の常套手段なのです。

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Uighurs living in Turkey shout slogans as they hold a poster of Chinese Vice President Xi Jinping as they stage a demonstration outside a hotel where Jinping is staying in Ankara, Turkey, Tuesday, Feb. 21, 2012 . Xi, who is expected to become president of the world's most populous nation next year, is scheduled to hold talks with Turkish leaders Tuesday and oversee the signing of cooperation agreements with Turkey. (AP Photo/Burhan Ozbilici)

https://this.kiji.is/407098240993477729

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「若い女性のレイプは毎日」新疆ウイグル収容施設からの出所者明かす
2018年10月19日 12時05分
https://www.epochtimes.jp/2018/10/37153.html

再教育施設に収容されたカザフスタン籍のウイグル族オミール・ベクリさん(右奥男性)は、収容施設内では拷問を受けたと大紀元に明かした(本人提供)

再教育施設に収容されたカザフスタン籍のウイグル族オミール・ベクリさん(右奥男性)は、収容施設内では拷問を受けたと大紀元に明かした(本人提供)


中国新疆ウイグル自治区には超法規的収容施設があり、100万人以上が強制収容されていると、米国務省や国連が懸念を示してきた。大紀元の取材に応じた、ウイグル族の出所者や家族は、施設内では拷問や撲殺、若い女性たちに対するレイプが繰り返されていると語った。

動物のように鎖で繋がれる

「拷問はとてつもなく非人道的で、とても耐えられるものではない」とオミール・べクリさん(42)は大紀元に語った。収容されているウイグル人たちは「動物のように鎖でつながれ」、身体が「うっ血して腫れ上がるほど叩かれる」という。

新疆ウイグル生まれのベクリさんは2017年3月、新疆の首都ウルムチから180キロ離れた両親の住む山村にいたところ、押しかけた警官に黒い袋をかぶせられ、強制連行された。

中国籍だったべクリさんは、12年前にカザフスタン国籍を取得したカザフ在住者。当時、観光についての国際会議に参加するため、ウルムチを訪れていた。

べクリさんは中国警察に7カ月間拘留され、その後20日間、再教育施設に入所した。拘束は「共産党と習近平主席への賛歌を歌うことを拒否した」ためだという。

拷問について、「恐怖を与え心身を虚弱にさせる。屈服させて従わせるようにする」とべクリさんは述べた。また、ベクリさんは収容所で、ウイグル人が拘禁されている部屋から遺体が引きずられて運ばれていくのを目撃したという。「おそらく撲殺されたのだろう」とべクリさんは述べた。

「若い女性のレイプは毎日」

15カ月間の収監ののち、9月に出所したばかりのカザフスタン国籍ウイグル族の女性(54)は、収容所では若いウイグル族の女性が毎日のようにレイプされており、もし拒絶したら殺すと脅されていたと、大紀元に語った。

「若い女の子たちが一晩中むさぼられていました。もし抵抗すれば、何か(薬物)注射して殺すぞ、と脅されていました」。この匿名の女性は、実際に2人の女性が注射されて死亡したのを見たという。さらに、収監中の女性たちには避妊薬が与えられていた。

女性によると、収容所には小部屋があり、最初は40〜50人収容されるが、5〜10人ずついなくなり、やがて部屋は空っぽになるという。「いなくなった人は戻ってきません。いつも数十人は殺されているはず…」。

中国共産党政府は公式見解として、海外の人権団体や米政府から指摘された施設について説明を二転三転させてきた。最初は「存在しない」「でっち上げ」などと存在そのものを否定。次に「過激派思想を矯正する再教育施設」。この10月には、新疆の党委員会が「職業訓練センター」と法的に定め、大量拘束を正当化した。

新疆の収容所について国際的に関心が高まるなか、10月15日、中国中央テレビ(CCTV)は夕方のゴールデンタイムに15分の番組で、収容所内の様子を放送した。工場や教室、運動場を含む大型施設の中で、ウイグル族が共通の制服を着て、「中国普通語(共通語)、法律の知識、職業訓練」を受けているという。国際的な批判を払いのけ、収容施設の「正当性」を強調する狙いがある。

中国少数民族派事務所を担当する中国統一戦線部フー・リャンヘ副部長は8月、ジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃パネルで、「ウイグル人を含む新疆市民は平等な自由と権利を享受している」「少数民族への抑圧もないし、『テロ対策』名目の信仰弾圧もない」と明言した。教育プログラムがあることについては認めたが、100万に上る人の不当拘留との指摘は「全くのでたらめ」と否定した。


2018年2月、新疆ウイグル自治区ホータンで巡回している武装警察(BEN DOOLEY/AFP/Getty Images)

2001年9月11日、米同時多発テロ事件以降、世界各国は過激派組織の脅威を目撃し、テロ対策を強化してきた。しかし、中国共産党政府は「テロの脅威」を逆手に取り、無神論と社会主義を掲げる共産党イデオロギーに服従しないグループの抑制に利用した。一部の仏教、キリスト教、法輪功、またチベットやウイグルなど少数民族を「過激派、分離主義者、テロリスト」と定義し、迫害を正当化した。

収容所に家族が収監されたという家族は、大紀元に対して新疆ウイグル自治区は極度の監視下にあり、海外の友人や家族と連絡を取ることを禁止されていると述べた。また、ウイグル文化であるヒゲを伸ばしたり、宗教集会を開催したりすることは禁止されていると付け加えた。

(文=イザベル・ヴァン・ブルーゲン/翻訳編集・佐渡道世)

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催涙ガスにスタンガン、手錠…中国ウイグル収容施設の実態 180か所超存在
2018年10月25日 14:14 発信地:北京/中国
http://www.afpbb.com/articles/-/3194615?cx_part=top_topstory&cx_position=1

【10月25日 AFP】中国の新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)で大勢のウイグル人のイスラム教徒らが再教育施設に拘束されているとされる問題で、自治区内にはこうした施設が少なくとも181か所存在することが、AFPによる政府文書などの調査で明らかになった。施設向けにスタンガンや警棒、手錠などが大量に調達されていることも判明。「教育施設」どころかむしろ刑務所に近い実態が浮かび上がった。

 国営の中国中央テレビ(CCTV)は先週、新疆ウイグル自治区の「職業訓練センター」について、幸せそうな学生たちが標準中国語を学んだり、職業技能を磨いたり、スポーツや民族舞踊などの趣味に打ち込んだりしている近代的な学校であるかのように報じた。

 しかし、こうした施設の一部を管理する同自治区ホータン(Hotan)の当局は今年、警棒2768本や電気棒550本、手錠1367個、催涙スプレー2792缶など、教育とはほぼ無関係な物品を数度にわたって購入している。

 これらは、ウイグル自治区内の地方政府が2017年初め以降、「職業訓練センター」の建設・運営に関連して1000回以上にわたって調達してきた物品のほんの一例だ。

 国際人権団体はこうした施設を政治的な「再教育キャンプ」と呼び、少数民族ノウイグル人らイスラム教徒およそ100万人が収容されていると主張。施設は国際社会の厳しい目にさらされている。

 中国政府は収容施設の存在そのものを否定していたが、国連(UN)や米国などからの国際的な非難を受けて、存在を認めた上で反論する方針に転換。施設は「自由な」教育と職業訓練を通じて、宗教的な過激主義や分離主義、テロリズムの拡散を防止するものだと喧伝している。

 だが、入札関係の見積書や予算案、作業報告書など、公的に入手可能な中国政府の文書1500点以上をAFPが検証したところ、この施設の運営実態は学校よりも刑務所のようだということが分かった。


■「つながりを断て、出自を絶て」

 文書が示すところでは、施設には有刺鉄線が張り巡らされ、各所に赤外線カメラが設置され、催涙ガスや「テーザー銃」などのスタンガン、「狼牙棒(ろうげぼう)」と呼ばれるとげ付きこんぼうを手にした大勢の警備員が、「学生」を厳しく管理している。

 ある文書には、施設は「学校のように教育し、軍隊のように管理し、刑務所のように警備すべし」という、自治区トップの陳全国(Chen Quanguo)党委書記の言葉が記されていた。

 また別の文書には、新たな、より良き中国人民をつくるべく、施設はまず「(被収容者の)血筋を断ち、ルーツを断ち、つながりを断ち、出自を断つ」必要があると書かれていた。

 AFPが収集したデータによると、ウイグル自治区にはこうした施設が少なくとも181か所存在する。

 CCTVの報道では、そろいの制服を着た「学生」が、編み物や織物、パン焼きなどの技術や標準中国語を満足げな表情で学んでいた。講義への出席は任意ともされていた。

 こうした施設が初めて登場したのは2014年。ウイグル自治区で死者を伴う暴動が発生したことを受けて、当局が「テロリズム撲滅」運動を開始した時のことだ。

 2017年初めになって、こうした施設の建設に拍車がかかった。この時期に、ウイグル人が大多数を占める自治区南部の複数の地方政府が「焦点集団を対象とした集中教化キャンプ」の建設で工期の短縮を命じている。焦点集団とは、宗教の信者、貧困層、教育を受けていない人物、徴兵適齢の男性ほぼ全員などを含むあいまいな表現だ。

 その後すぐ、ウイグル自治区政府は「宗教的な過激思想」の管理に関する規則を公布した。

 当局は、過激派はどこにでも潜んでいる可能性があると警鐘を鳴らし、禁煙やテントの購入といった無害と思える行動を含めて、25の違法な宗教行為と75の過激派の兆候に警戒するよう幹部に指示。「拘束すべき人物はできる限り拘束」するように命じている。

「職業訓練センター」の建設と運営には膨大な費用がかかるために、2017年には自治区各地の司法当局の支出が爆発的に増えた。AFPが計算したところ、当初予算の少なくとも577%増に相当する30億元(約480億円)近くが投じられたもようだ。

 自治区南部の地方政府は、特別基金で不足分を補った。予算関係の文書によれば、こうした特別基金の少なくとも一部の出所は、中国で公安部門を取り仕切る党中央政法委員会となっている。


■中国政府「強い疑問」も否定せず

 2017年4月ごろには、各地方政府が施設関係のさまざまな入札の公示を始めている。それには、高度な監視システムや、「教室」で「学生」の様子を記録するためのカメラ、有刺鉄線、電話の盗聴器、赤外線監視装置といった刑務所で使われるような機材も含まれる。

 本記事の公表に先立ち、AFPは地方当局に繰り返し取材を試みたが、連絡はなかった。中国外務省の華春瑩(Hua Chunying)報道官は24日の定例記者会見で、AFP記者に対し「あなたが書いた状況が真実なのかどうか、私は強い疑問を呈したい」と述べたが、内容については特に否定しなかった。

 中国政府は、ウイグル自治区で施設に収容されている人を最大100万人とする見積りを認めていない。しかし入札関係の書類には、その数が膨大であることをうかがわせる記述がある。

 少なくとも1か所の施設を監督するホータン当局は、2018年初めの1か月に次のような注文をしていた。

 中国語の教本19万4000冊。靴1万1310足。(c)AFP/Ben Dooley


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ウイグル「絶望」収容所──中国共産党のウイグル人大量収監が始まった
China's Secret Education Camp
2018年2月16日 水谷尚子(中国現代史研究者)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/02/post-9547.php


古都カシュガルでも公安当局の取り締まりは強まる一方 Kevin Frayer/GETTY IMAGES


<著名ウイグル人学者が突然自宅から消えた――中国共産党が新疆各地でウイグル人を強制収容所に収監している>

著名なウイグル人イスラーム学者で、『クルアーン』のウイグル語訳者として名を知られる82歳のムハンマド・サリヒ師が17年12月中旬、中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチの自宅から突然何者かに連行された。サリヒ師は中国共産党の強制収容施設に収監され、約40日後の18年1月24日に死亡した。

サリヒ師は36年、南新疆のアトシュ市に生まれ、長く中国政府のシンクタンクである中国社会科学院に所属。87年からは新疆イスラーム学院の学長も務めた。『ウイグル語・アラビア語大辞典』をはじめ多くの著作もある。イスラーム学の大家として、新疆ムスリム社会で崇敬されていたため、その知らせはテュルク系ムスリムに深い悲しみと衝撃をもたらした。

サリヒ師と共に作家の娘と娘婿、さらに2人の孫も連行されたが、一家が今どこに収容されているのか依然不明だ。この事件に憤慨した国外のウイグル人諸団体は、直後に各国の中国大使館に対して抗議デモを行った。かくも高齢な老学者がなぜ、「思想改造のための強制収容施設」に収監されたのか。

新疆ウイグル自治区では今、中国の主体民族である漢人以外の人々が、社会的地位も収入も一切関係なく、何の罪もなくして強制収容施設に収監されているとの報告が数多く寄せられている。ターゲットの大部分がウイグル人だ。

ウイグル人の10人に1人は拘束されているとの説もあるほど、多数の人々が「行方不明」になっている。アメリカの短波ラジオ放送「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」によれば、総人口約360万人のうち90%をウイグル人が占める南部カシュガル地区で、ウイグル人口の約4%に当たる約12万人が拘束されているという。

要注意人物の「点数表」

連行は強引で、職場から突然警官に「頭に黒い布をかぶせられて」連れ去られたとのケースも報告されている。収容所は、かつてウイグル語教育を行っていた学校の校舎などを転用。一部屋に何十人もが寝泊まりし、衛生状況も劣悪で既に多くの死者を出しているとの告発もある。

在日ウイグル人も例外ではない。日本に留学したり、日本の会社に勤務していたりしたウイグル人で、昨年夏に新疆へ一時帰郷し、日本に戻ってこられなかった人々が筆者の知る限り複数存在する。

彼らは帰郷した後、地元警察にパスポートを没収され、強制収容施設に連行されているらしい。収監者の親族は、身内が施設内でひどい扱いをされないよう気を使ってメディアや外国人に接触しようとせず、また親族自身も詳細を把握していない。

「もうこの半年、両親や兄弟と1本の電話も繋がらない」と嘆くウイグル人に、筆者は何人も会った。

強制収容所に関する情報は16年末あたりから現れ始めた。RFAウイグル語部門が本格的に取り上げたのが、17年8月初旬。以後、関連報道は急激に増え、現在に至るまで数日に1回の割合で取り上げられている。


流出した「点数表」の写真 (c)RFA


https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/02/post-9547_2.php


突然拘束され死亡したサリヒ師 (c)RFA


昨年夏頃、ウルムチの河北西路居住区から、ウイグル人の中から要注意人物を抽出するための点数表が流出した。点数は100点で、(1)ウイグル人である (2)イスラームの礼拝をしている (3)宗教知識がある (4)(当局が要注意とする中東など)26カ国に行ったことがある (5)外国に身内がいる (6)外国留学した子供がいる......といった項目に該当すれば10点ずつ減点され、点数が低ければ要注意人物、つまり収容所送り対象者となる。

新疆では自治区の成立から現在まで、ウイグル人による反政府蜂起が頻発してきた。それでも、民族浄化を目的とすると言っても過言ではない、強制収容所をつくるという国際人権規約に反する行為を一国の政府が行うのは異常事態である。そしてこの収容所建設と、習近平(シー・チンピン)国家主席の経済圏構想「一帯一路」政策は大いに関係があると筆者は考えている。

胡錦濤(フー・チンタオ)主席時代の10年に第1次中央新疆工作会議が開かれ、新疆での「西部大開発」と経済活性化が目標とされた。しかし、結果としてその政策は新疆に住む漢人とウイグル人の格差を広げ、ウイグル人亡命者を増大させただけだった。その後、習が国家主席に就任した翌年の14年5月に第2次中央新疆工作会議が開催され、同11月から習は一帯一路政策を各地で本格的に提唱し始めた。

かつて日本が提唱した「大東亜共栄圏」の拡大版とも言える経済圏構想の実現には、中国からユーラシア大陸の出入り口となる新疆の安定化が必須だ。90年代から最近にかけてウイグル人反政府主義者が行ってきた公安当局や党幹部を狙った自爆攻撃などに、共産党は業を煮やしていた。反政府運動を効率的に弾圧し一帯一路を粛々と推進するため、以前のチベット自治区党委員会書記でチベット弾圧に積極的に荷担した陳全国(チェン・チュエングオ)が、16年8月から新疆ウイグル自治区党委員会書記に着任した。

スクープ記者による告発

RFAは96年に米議会が出資して首都ワシントンで設立された。言論の自由が保障されているとは言い難いアジアの地域に情報提供し、民主化・自由化を促すことを目的としている。

ウイグル語放送部門スタッフの中でも、ショフレット・ウォシュルは、ずば抜けて取材力のある記者で、片っ端から新疆に電話をかけ、中国語とウイグル語を駆使して繋がった相手から情報を入手する手法で情報を取り、スクープを連発してきた。

17年12月6日放送の記事によれば、新疆の公安当局は微信(WeChat)などのソーシャルメディアで国外留学中のウイグル人に連絡を取り、「帰国しなければ母親を強制収容所に送る」などと脅迫している。以下はトルコ在住のウイグル人留学生に対する、公安当局の脅しの一部だ。

「私は収容所の者だ。母親が大切ならこのアカウントを追加せよ」「トルコで暮らし、留学しているウイグル人の家族や親戚を収容所に収監し、強制的に『再教育』するようにとの上層機関からの命令がある」「おまえがトルコ留学中だから、母親がおまえの代わりに『再教育』をされる」「トルコ国内にいる全てのウイグル人家族が、代償を支払うことになる」


8か月も収容所で拘束されたオムルベク・アリ(上)は体重が40キロも減った(下) (c)RFA


これだけの人々が拘束されていたら、当然ながら産業や経済は崩壊していく。17年10月18日放送の記事では、南新疆ホタン市で大勢の商人が収容所送りとなったため、市内最大のバザールで店の3割が閉鎖され、顧客も半分程度に落ち込んでいる状況が紹介された。

同じく南新疆カシュガルのベシケリム村では、2000万平方メートルのブドウ畑のブドウが腐り始め、村民の暮らしを直撃しているという。取引をするウイグル人商人のほとんどが収容所送りとなり、買い手がなくて市場に出回らなくなったためだ。一方で、「商売敵がいなくなって、取引がうまくいっている」と語る漢人商人のインタビューも紹介された。

キリスト教徒にも魔の手

新疆では今「2つの顔を持つ不逞分子らを一掃する運動」が行われている。共産党幹部という顔と、実は民族主義者らを心の中で支持している顔という二面性を持つ者の意味であろう。この運動により、新疆各地の共産党幹部クラスも容赦なく収容所に送られているようだ。

17年12月21日放送の記事によれば、南新疆コルラ市のある地域の党書記を務めたこともあり、「民族団結模範」として表彰されたこともあるというナマン・バウドゥン(おそらく仮名)は、健康状態があまりに悪いため収容所に連行はされなかった。しかし、かつて「(党の)宣伝活動模範」として当局に表彰された妻のパティグリ・ダウット(彼女もこの10年で3回も手術を受けており、健康状態はよくない)は17年10月9日に拘束され、今も消息不明だ。

一旦はバウドゥンも収容施設に入れられる手続きのため警察署に行かされた。その際、「500人ほどが非常に広い会議室に並んでいた」と、彼は証言する。コルラには強制収容施設が4カ所あり、1500人以上が「再教育」を受けている。警察署で人の「仕分け」がなされ、脅迫や拷問を含む取り調べを受けて、その結果によって収容所に行くか、拘置所や刑務所に入れられるかが決まると、バウドゥンは語った。

彼は警察署で検査のために過ごした3日間のうちに、コルラの住民であるムタリプ・アブドゥウェリという25歳の青年が、鉄製の椅子に縛られ、手錠をかけられ手から血を流した状態で取り調べを受けているのを目撃した。こうした証言が命懸けであることは言うまでもない。


18年1月23日放送の記事で、カザフスタンのアルマトイから取材に応じたオムルベク・アリは、カザフ人とウイグル人の両親の間に生まれ、カザフ国籍を持つ人物だ。多言語に通じることから、カザフスタンの旅行会社に勤務していた。

アリは新疆東部ピチャンにある両親宅に突然現れた警察官に黒い布を頭にかぶせられて身柄を拘束され、どこかへ連行された。その際指紋や血液も採取され、警察の「仕分け」の結果、危険分子として「カラマイ市技術研修センター」の名の看板が掛かる収容所に送られた。カザフスタン外交官たちの働き掛けで、8カ月後にようやく「一切の訴えを起こさない」ことを条件に釈放されたが、収容所内の環境は劣悪で出所したときには体重が40キロも減少。帰国と同時に入院した。

アリは、現段階で収容所を体験した唯一の生還者だ。彼によれば、少なくとも収容所には約1000人が収容され、8割がウイグル人で2割がカザフ人だった。被収容者の年齢層は16歳から老人までと幅広い。農民から「2つの顔を持つ不逞分子」とされる公務員まで、1つの部屋に20人以上がすし詰め状態で寝泊まりしていた。

コミュニケーションは全て中国語で行うよう強要され、毎朝7時に点呼集合と中国国旗掲揚があり、国家と共産党に忠誠を誓うスローガンを叫ばされる。収容所側は、共産党の政策の素晴らしさを学ぶ政治学習や、愛国主義の講義を強要。プロパガンダ歌謡を中国語で正しく歌い、共産党への忠誠と感謝を述べるスローガンを大声で斉唱しなくては食事をもらえない。警察から最短でも1年の学習を厳命されており、彼の滞在中、誰一人として「卒業」した者はいなかった。

拘束されているのは、ウイグル人などのテュルク系ムスリムだけではないようだ。収容所には新疆のキリスト教徒が少なからず収監されたとの証言もある。

漢人でプロテスタントのキリスト教徒である張海濤(チャン・ハイタオ)は、16年に「国家政権転覆扇動罪」で有期刑19年の判決を受け、新疆中部シャヤール県の監獄で服役している。彼はネットの中で共産党の新疆政策とウイグル人弾圧を批判していた。妻子はキリスト教諸団体の尽力で、アメリカに政治亡命した。声を上げ、異議を唱えるキリスト教徒にも、政府は厳しい姿勢を取っている。

ウイグル人をはじめとする「良心の囚人」の命を担保に、一帯一路構想は進んでいる。

<本誌2018年2月20日号[最新号]掲載>

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2018年12月21日
中国がウイグル人100万人収容 何をやっているか


ウイグル人は立っているだけで公安にぶんなぐられて連行される


画像引用:【社説】ウイグル族への弾圧、世界は注視すべし - WSJhttps://jp.wsj.com/articles/SB10932311186379994373904584405993864002878

金の切れ目が中国との切れ目

アメリカは中国政府がウイグルで100万人の政治犯を収容していると指摘し、批判を強めています。

アメリカは天安門事件以来、中国の経済成長によって人権問題に目をつぶる態度を取ってきました。

天安門事件に目をつぶり、チベット弾圧にも目をつぶり、ウイグル弾圧にも目をつぶってきました。

それはすべて金儲けのためで、アメリカ政府は金が儲かるならチベット人なんか滅んでも良いという姿勢を示した。

言葉を言い換えると「金儲けにならないなら見逃す理由はない」訳で、金の切れ目が縁の切れ目になった。

数年前に石原伸晃環境相が福島県の汚染土問題で、「最後は金目でしょ」と本当の事を言ってしまい辞任に追い込まれた。


面白いことに福島県の人たちは「金の問題ではない」と言いながら、最後はやっぱり金を要求していました。

人間はどこでもこんなものであり、アメリカ人だけが金の亡者とは言い切れない。

日本も「中国様に金を恵んでもらおう」と人権問題は見なかったことにし、中国を褒めたたえた人が大勢居ました。


この数年中国の成長率は低下していて、無理やり成長率を維持した結果、膨大な負債を抱えています。

もう中国の成長が終わるのがはっきりしたので、アメリカは中国にペコペコするのを辞めました。

これが米中対立の根本で、マスコミが解説するほど複雑ではないです。


ウイグルは古代には独自の文明が栄えたが、トルコ、ロシア、清朝、ソ連、中国と支配者が入れ替わった。

現在ウイグルを占領しているのは共産中国で、チベット王国を滅ぼしたのと同じ手口を進めている。

黄河文明伝統の侵略の手口は、まず人民を移住させ、自国の領土だと主張して、最後に軍事占領する。


中国はウイグルで何をしているか

清朝は別名を満州と言い、日清戦争と辛亥革命後に日本が満州国を建国して王朝を維持して統治しようとした。

すると中華民国は中国人を満州国に侵入させ勝手に移民し、「中国の領土だ」と言って満州に侵略戦争をしかけてきた。

これが日中戦争で、満州を防衛した日本が侵略者にされ、満州人は人種として滅亡した。


同じことを中国はチベットでやり、内モンゴルやウイグルでも行っている。

北朝鮮との国境近くには朝鮮族の土地があるが、これも同じ手口で滅ぼして「中国固有の領土だ」と言っています。

その具体的手口は規約に抵触するほど「非人道的」なので書けないが、虫けらや動物なみに扱った。


アメリカが指摘しているのはウイグルで無数の収容所をつくって、ウイグル人を拘束しているという事です。

大小1万か所以上の収容所が存在し、健康そうな男は歩いているだけで拘束されます。

ウイグルではパソコンやスマホに「スパイソフト」導入が義務付けられ、スマホのデーターを公安に送信しています。


全てのウイグル人は顔認証に登録されて駅や道路の防犯カメラと連動し、行動を監視されています。


学校では「唾液」の提出が義務付けられ、DNAを登録され照合できるようにしている。


ウイグル人は「人間用の」学校や幼稚園に入学をゆるされず、企業への就職や移住も認められていない。


やっていることはナチスの収容所以下であり、裁判にもかけずに毎日処刑しています。

アメリカや日本はこういう事を数十年前から知っていたが、中国との金儲けのために見逃していました。
http://www.thutmosev.com/archives/78486120.html

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WSJ社説 中国「再教育」施設のムスリムたち
2018 年 8 月 30 日 08:40 JST

 中国の少数民族ウイグル族が政府に不当に扱われていることについての情報が次々と明るみに出ており、政府の対応は自らの信頼を損ねている。

 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は今月、中国政府が北西部の新疆ウイグル自治区で、ウイグル族やその他のイスラム教徒向けの収容所を増やしつつあると報じた。わずか4週間前の衛星写真にも、壁に囲まれた複数の施設が建設されている様子が写っている。これらの施設で拘束されていたと話す6人の元収容者はWSJに対し、他の収容者と共に肉体的・精神的な虐待を受け、イスラム教の信仰を捨てるよう迫られたと明かした。

 中国政府は今月に入り、このような少数民族向け収容所の存在を初めて認めた。だがマイノリティー政策を担当する共産党の高官フ・リャンヘ氏は、人種差別を扱う国連の委員会に対し、これらの収容所は軽犯罪者向けの職業訓練所だと述べた。

 フ氏は、政府がウイグル族や少数派のイスラム教徒を「再教育センター」で恣意(しい)的に拘束しているわけではないと述べた。また100万人が収容されているとする国連の専門家や米当局者の推計が誤りであるとも話した。外務省の報道官は外国人記者らに対し、反中国勢力が「政治的な意図を持ち、中国にぬれぎぬを着せようとしている」と述べた。

 中国政府がいくら憤慨しても、これらの収容所に数十万人もの無実のイスラム教徒が拘束されている証拠は否定できないほどある。ウルムチやカシュガルには街角から人影が消えた地区がいくつかあり、警察が複数の住宅を封鎖している。ベルリンにある欧州文化神学学院のエイドリアン・ゼンツ研究員が公共事業の契約書を分析したところ、中国政府が1億ドル(約111億円)を投じて「再教育キャンプ」を78カ所に建設し、その総面積は最大で計8万2000平方メートルに及ぶことが分かった。ゼンツ氏はこのような収容所が1300カ所もあると推計している。

 中国のイスラム教徒らがいま海外メディアに口を開いていることには大きな意味がある。彼らは親族が拘束されることを恐れ、通常は多くを語らない。だが家族単位で施設に収容され、そのまま消息が分からなくなるような今、守るべき人すらいないのだ。収容所の中で死亡した親族もいると話す人もいる。

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 フ氏は国連の委員会に対し、「少数民族の弾圧はなく、テロ対策の名の下で彼らの信仰の自由を迫害していることもない」と伝えた。だが2015年に制定された中国の対テロ法は、日々の祈りやあごひげを伸ばすこと、ラマダン(断食月)中の断食、そして伝統的な食事制限を守るといった普通の信仰表現を罰するために利用されている。

 元収容者らによれば、施設の守衛はイスラム教徒らに、信仰を放棄して共産党への忠誠を誓うよう圧力をかけている。ある若いウイグル族の人物はWSJに対し、「彼らは宗教について、宗教など存在しない、なぜ信仰するのか、神などいない、と言う」と述べた。別の人物は守衛が国家主席の名前を挙げ、「アラーに感謝するのではなく習近平に感謝すべきだと言った」と明かした。

 共産主義を掲げる中国は信仰の自由を尊重するとの約束を一度も守ったことがないが、毛沢東後はしばらくの間ある程度寛容だった。習主席の下での迫害は、毛の文化大革命以来で最も厳しいものになっている。当局は全国で宗教信仰者に嫌がらせをし、モスクだけでなくキリスト教の教会も破壊している。国際社会はこのような悪行を止めることができないかもしれないが、その実態を暴くことはできる。


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2016年05月30日
中国の治安維持部隊 予算18兆円で少数民族弾圧
http://thutmose.blog.jp/archives/60763210.html


北京は大陸では最も遅れた地域で、北京人種は少数民族に過ぎなかった。
故に北京以外は全て他民族の土地です。


中国勢力図☆5500年前
http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/7/f/7f12e8cc.jpg


中国は一つの民族と言っているが、実際は北京系が他の民族を支配しています。

北京は中国でも遅れた地域だったので、他の地域は全て異人種が統治していた外国だったのです。


2つの軍隊を持つ中国

中国には2つの軍事力があり、一つは目に見えてテレビで姿を見ることができます。

見えるのは表向きの軍事力で予算は約16兆円、南シナ海に軍艦を送り、日本の領空を侵犯しています。

もう一つは見えない軍事力で、見える軍事力を1割ほど上回って推移しています。


見えないほうは「治安維持費」と呼ばれていて、表も裏も最高機密で、本当の予算は非公開です。

欧米メディアによると表の軍事費は16兆円で、裏の軍事費は18兆円と見られています。

ちなみにアメリカの軍事費は約70兆円で日本は約5兆円となっています。


中国は表と裏を合計すると約34兆円で、ついにアメリカの半分に達しました。

中国の軍事費は2016年も7%以上増えていて、今後もGDPの伸びを上回る伸び率が予想されています。

ではこの「裏の軍隊」は一体何をしているのでしょうか。


治安維持費の正式名称は公共安全予算で、公式には抗議活動の予防や暴動鎮圧、インターネット管理に当てられる。

だが国民一人ずつに監視をつけても18兆円は簡単に使いきれる金額ではありません。

アメリカには西武開拓時代というのがあり、昔は西部劇が人気の映画ジャンルでした。


北京は最も遅れた地域だった

アメリカ合衆国は最初首都があったワシントン州や東海岸だけだったが、南と西に領土を広げて現在の形になりました。

西部開拓とは、アメリカ人は綺麗事を言っているが、原住民を消し去って無人の荒野にしてしまい、白人が占領した事を言います。

原住民は抵抗するので軍隊やガンマンがインディアンを討伐したのを、かっこ良く映画にしたのが「西部劇」でした。

アメリカが「合衆国」になるために犠牲にした原住民は、2000万人とも6000万人とも言われています。

その手口は文字を読めない先住民に同意のサインをさせ、軍隊を投入して村ごと焼き払うなどだが、西部劇ではカットされています。


次に中国の歴史を見ると、現代の「中国人」とは要するに黄河文明の人々で、北京周辺の狭い範囲の民族でした。

彼らは数千年の間、弱小民族であり、モンゴル人や長江文明などに支配されていました。

歴史上黄河文明が中国全土を支配したのは、1950年に建国した現在の中国だけです。


北京以外は全て「外国」であり植民地なので、アメリカの西部劇と同じく軍事力で敵を消し去る必要があります。

アメリカにとってのインディアンが中国人にとってのモンゴル人、ウイグル人、チベット人、満州人などです。

上海も本来は長江文明に属し、北京とは異なる文明ですが、現在は渾然一体となっています。


漢字、火薬、羅針盤、印刷など中国が発明したと言っているもののほとんど全ては、長江文明で始まったものです。

長江に比べると黄河すなわち北京は遅れた地域で、遅れていたのでやたら子供を産んで人口を増やしました。

すると遅れて劣っていた黄河文明の北京の方が、数で圧倒してどんどん南下していきました。


秦の始皇帝をはじめ、歴代皇帝は今日の少数民族だった


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/d/b/dbcfae0f.jpg


治安維持とは原住民弾圧

今中国が国内でやっている事は、9割以上の地域の「本来の所有者」の少数人種をこの世から消し去る事業です。

北京以外は全て「外国」なので少数民族は邪魔であり、特にウイグルとチベットを敵視しています。

「治安維持」とは要するに少数民族をこの世から消し去り、中国全土を北京人種が支配するための費用です。


中国では毎日10回以上どこかで暴動が起きていて、テロも頻繁に発生しています。

中国は「国内だ」と言っているが、ウイグル人やチベット人から見ると、北京系中国人こそ外国人です。

ウイグルやチベットでは現地語の禁止、民族衣装の禁止、移住政策、教育の禁止などが行われている。


少数民族の年間所得は中国人の10分の1で、年収数万円といったところです。

絶え間ない弾圧政策で、例えば夕飯を食っている最中でも治安部隊が銃を持って突入してきて、家族を連行したりします。

テロ容疑だとかもっともらしい理由をつけるが、何の理由も無く連れ去って恐怖を与えるのは、中国4000年の伝統的な統治方法です。


台湾原住民によると中国人は、理由もなく暴行し、理由を説明せずに連れ去って処刑する。

理由を明かさない事が「何をしても無駄だ」という恐怖を増幅させ、住民を服従させるのだという。

対して日本軍は必ず理由を説明し、その理由を論破すれば相手を議論で負かすことが可能だという。
http://thutmose.blog.jp/archives/60763210.html


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2017年10月07日
ウイグルとチベット 本当の中国と嘘の中国
http://www.thutmosev.com/archives/72955009.html


共産党はアパルトヘイトのような制度でウイグル人を囲い込み、絶滅に追いやっている
引用:http://img.recordchina.co.jp/thumbs/m720/201704/20170426-05492486.jpg


ウイグル人の苦境

2009年7月にウイグル暴動が発生し、中国共産党は治安部隊を投入して鎮圧し、数千人を粛清しました。

その後新彊ウイグル自治区でウイグル人と中国共産党の間で激戦が続き、2014年には大規模な襲撃やテロが相次ぎました。

最近はウイグルに関するニュースは聞かれなくなり、平和になったかのように見える。

だがウイグルに関するニュースが少なくなったという事は、共産党による民族粛清がそれだけ進んだのを意味している。

昔「満州帝国」という国があり日本の悪事の象徴とされているが「満州」とは清国の別の言い方で、日本は清国を再建しました。

中国は辛亥革命で皇帝を廃位したが、もともと清国人つまり満州人は中国人(北京系)とは別の人種でした。


日本帝国は満州人が中国に侵略されないよう保護すると同時に、支配下に置いたが、国境を越えてどんどん中国人がやってきました。

中国より満州のほうが経済が発展したので、良い生活を求めて中国人が押し寄せ、あっという間に中国人が多数になった。

敗戦で日本軍が撤退すると事態はさらに悪化して、現在では満州人はほぼ絶滅し、民族としては存在していません。


同じ事がチベットとウイグルでも起きて、圧倒的な繁殖力の強さを武器に、中国人は少数民族国家を侵略しました。

チベットは独立国だったのだが、毛沢東の共産軍に征服され、チベット自治区に貶められました。

共産党はチベット人の追放や粛清、中国人の入植を行い、チベット人は絶滅への道を歩んでいます。


チベット侵略と破壊

これに加担したのがアメリカや欧州で、見てみぬ振りをするどころか日本軍との戦争やソ連との冷戦で中国の協力を得るために加担しました。

今ではチベット人は共産党の許可を得ないと自国を旅する事もできないし、仏教は厳しく弾圧され、子供に仏教を教えることも禁止されています。

チベット王が住んでいたポタラ宮殿は共産軍に占拠され、チベットの独立を示すものは破壊しつくされました。


チベットではチベットの歴史や文化、言語などを教えるのは禁止されていて、画一的な北京語と中国の歴史、文化だけを教育しています。

チベット王であるダライ・ラマ14世はインドに亡命し、高齢なので中国共産党が決めた「ダライ・ラマ15世」を任命しようとしています。

共産党が15世を任命したらおそらく15世は王政の廃止を宣言し、チベット王国を消滅させるでしょう。


ダライ・ラマ14世は独自に15世を任命しようとしていて、2人のダライラマ15世が現われるかも知れません。

チベットを破壊するために共産党は、チベット人の子供をさらって思想改造し、チベット弾圧を行わせたと言われています。

子供に親を襲わせて家族を分断し国家に従わせるのは、実はソ連の得意技で、共産主義の伝統文化です。


長江周辺も実は侵略した土地であり、「中国固有の領土」は北京周辺しかない
Image568
引用:http://earthresources.sakura.ne.jp/er/Resources(2)/Image568.gif


絶滅しつつある民族

ウイグル人に現在行っているのもこれで、共産党がウイグル族の子供を拉致し、思想改造を施し軍事教育し、ウイグル人弾圧を実行させます。

後を継ぐべきウイグルの子供が侵略者側になって破壊するので、ダメージは計り知れず、絶望の淵に落とされます。

親子や家族同士、同じ民族同士を戦わせるのは中国古来からの戦法でもあり、三国志とかによく登場します。


共産中国は日本や沖縄でもこれをやり1970年代には大成功して、日本で共産主義暴動を起こさせました。

今は沖縄に入れ込んでいて、琉球人に独立運動を起こさせて中国の手先に利用しています。

目的は日本人と琉球人を戦わせて混乱させ、チベットのように沖縄や尖閣諸島を侵略する事です。


最近共産党はITを駆使した弾圧を行っていて、ウイグルやチベットでは「監視ソフト」をスマホやPCに義務化しています。

どこの誰がPCやスマホで何をしているか、全部分かってしまい、24時間監視されています。

もし監視ソフトが入っていないIT機器を所持していたら逮捕され、おそらく2度と太陽を見ることはできません。


テロ防止と称して顔データを取り、街灯や駅に監視カメラを設置して、行動を監視する事もやっています。

ウイグル人は移動の自由を禁止され、就職や教育も制限され、例えばウイグル人は「中国人」用の幼稚園に入園拒否されます。

昔のアメリカの黒人差別と同じで、中国社会に参加させないようにしています。


この結果チベット人やウイグル人の所得は中国人の平均よりかなり低く、貧困状態に置く事で、テロを起こせなくしています。

またウイグル人はアラブ人に近いが、中東国家には経済力を利用して、ウイグル人を逮捕して送還するよう依頼している。

このようにしてウイグル人とチベット人は、この世から消されつつあります。
http://www.thutmosev.com/archives/72955009.html

2017-12-24 中国のウイグル支配は最先端の人民監視システムで行われる
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html


中国は漢民族ではない辺境国のウイグル人の地区を「新疆」だと言って強制支配している。

ウイグル人はイスラム教徒で独自の文化を擁しているのだが、長らく中国共産党と対立して莫大な死者を出してきた。

何度も何度も独立運動が起こされて、そのたびに中国は凄まじい強権を発動してこれを取り締まった。この歴史の中で、漢民族はウイグル人に憎悪されるようになっている。

こうした民族対立と歴史対立を続けながら中国がこの地区を完全に掌握したいと考えているのは、この地区こそが中国の一帯一路の要所となるからである。さらにこの地区には地下に膨大な資源が眠っている。

中国はこの地区を絶対に手放さない。しかし、中国が支配を強めれば強めるほどウイグル人の抵抗と中国憎悪は激しいものになって対立の根は深まっている。

そのため、中国はどうしたのか。ウイグル人の収入を増やして懐柔するのと同時に、ウイグル人を徹底的に監視するために超高度な監視システムを構築するようになった。

まさにジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」に見られる国民徹底監視の「ビッグブラザー」がウイグルに現れた。


ウイグル人はいかに中国に監視されているのか?

中国のウイグル人監視は常軌を逸するレベルにあると、ヒューマン・ ライツ・ウォッチは報告している。中国はありとあらゆる監視をウイグル人に課している。

ウイグル人は常にIDカードを携帯する義務がある。ウイグル人は長いヒゲを生やすことができない。ウイグル人はベールを着用することができない。

ウイグル人はウイグル文化を研究してはならない。ウイグル人は生体データを提出しなければならない。ウイグル人は指定の場所で教育を受けなければならない。

ウイグル人は指定の場所で医療を受けなければならない。ウイグル人は指定の場所に住まなければならない。ウイグル人はガソリンを買うには身分証明が必要だ。ウイグル人は電車に乗る時は検問を受けなければならない。

ウイグル人は日常のありとあらゆる行動に関して監視されるようになっている。

上記はほんの一例だ。ウイグル人は、ホテルでも、ショッピングモールでも、銀行でも検問が必要で、すべての行動は中国当局に監視され、掌握される。

ウイグル人もスマートフォンを使えるが、公安当局が求めたらこのスマートフォンの中身も公安が調べることを阻止してはならないことになっている。

新疆ウイグル自治区では、監視カメラが無数に設置され、さらに町の至る所に交番が建てられて公安がウイグル人を監視している。

少しでも中国政府に反発する態度をしたり、抗議したり、暗号ソフトを使っていたり、反中国のコンテンツを所持したりしていると、問答無用に拘束される。

いったん拘束されると、いつ出所できるのかまったく分からない。場合によっては「国家分裂罪」で死刑になる可能性もある。ウイグル人の研究者がウイグル文化を研究していたというだけで「国家分裂罪」で起訴されるのである。

インターネットはウイグルだけでなく中国全土が完全監視下にあって、見られるコンテンツも決まっており、匿名で何かを書き込むというのは事実上、不可能になっている。


人民は徹底的に弾圧され、監視される社会と化す

「中国が素晴らしい、中国は発展している、中国は平和的、次の時代は中国の時代だ、日本は中国を見習え」と、未だに中国を絶賛している人がいる。

しかし、中国が他国を侵略するのであれば、その国はどうなってしまうのか。

その答えがウイグルである。

人民は徹底的に弾圧され、監視され、いったん監視システムが構築されたら、もう二度と反政府的な言動をすることができなくなるのだ。

欧米や日本にとって技術革新や最先端技術というのは、自分たちの日常を豊かにするためのものだ。最先端技術は楽しみであり、喜びでもある。

ところが、中国にとって技術革新や最先端技術というのは、人民を効率的に監視し、弾圧し、異分子を炙り出すものなのである。人民にとって悪夢であり、恐怖である。

それを、中国はウイグルでやっているのだ。

こんな中で新疆ウイグル自治区に住みたいという人はいないはずだ。自分が監視され、下手な言動をしたら公安に拘束されるかもしれないような不自由極まりない場所に行きたいと思う人間はどうかしている。

中国政府がやっているのは、ウイグル人に対する明白な人権侵害であるのは間違いない。

ところが、この凄まじい人権侵害に対して抗議する国外の良識ある人は、「内政干渉だ」と中国政府から徹底的に抗議される。そして以後は「中国の敵」と認定されて、事あるごとに執拗な攻撃を受けることになる。

だから、欧米の「自称」人権主義のエスタブリッシュメントたちは中国に何も言わない。チベットでも激しい弾圧が繰り返されているが、人権主義だったバラック・オバマ前大統領でさえも中国市場のために何も言わなかった。

エスタブリッシュメントは口ではきれい事を言っているが、人権よりも金だったのである。

https://www.youtube.com/watch?v=EZkvtyKnxvM
2009年に起きたウイグルの暴動。以後、中国は徹底的にウイグル人を弾圧・監視してきた。


中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例

中国が民主化することは、中国共産党がこの国を支配している限りは絶対にない。

新疆ウイグル自治区やチベット自治区を見ても分かる通り、中国が民主化したら途端にこれらの国々は漢民族の支配から抜け出そうと独立運動を起こすからだ。

中国が民主化するというのは、中国がバラバラになるということと同じ意味なのである。

中国が激しい勢いで、それも国外からの批判をモノともせずに辺境国を徹底弾圧・徹底監視するのは、そうしないと国家が分裂してバラバラになってしまうからだ。

また、漢民族であってもすべての人民が中国共産党を支持しているわけではない。中国ではしばしば暴動が起きて、反政府運動も生まれるのだが、そのたびに中国政府は容赦なく弾圧してきた。

天安門事件では、1989年6月3日から4日の2日間で、中国政府は反政府運動をする人民を一気に3000人も殺したと最近になって香港紙は書いている。AFP通信では「少なくとも1万人」とある。

中国政府は自分たちに反対する人間は、容赦なく殺しまくる体質を内包しているのである。この体質が、チベット自治区や新疆ウイグル自治区で発揮されている。

中国は独裁国家であり、独裁である限り民主化はなく、民主化がないのだから自由もない。自由に政権批判などしていたら、次の日には拘束されるか死体になって発見される国だ。

こんな国が他国の技術を盗みまくって経済発展したからと言って、「中国は素晴らしい」とか「中国は次の超大国」だとか言って賛美している人の気が知れない。

中国のやり方、中国の体質、中国の徹底弾圧・徹底監視に危機感を抱けないのであれば、それはあまりにも想像力が足りないとしか言いようがない。

「騙した方よりも騙された方が悪い」という国を賛美したり褒めたりすることの危険性を、もっと真剣に考えるべきだ。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が他国を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html

2017年07月27日 中国のネット世界 強まる規制と失われる自由

中国に不都合なサイトは遮断され、このブログも中国からは見れない
引用:http://growth-ideas.com/wp/wp-content/uploads/2015/10/18f03320-s.jpg


中国で許されている自由

中国にはもともと自由は無かったが、ケ小平の南巡講話で改革解放が始まってから、自由化が進められた。

以前は生まれた村から出る事が出来ず、一生農民だったが、現在では起業してお金で「都市戸籍」を買えるようになった。

また一人っ子政策で出産には出産許可証が必要だったが、現在は2人まで許可されるようになった。

         
インターネットも普及し、金持ちは外国への旅行をし、株式や土地投資などもし、一見すると他の国と同じように見える。

だが細かく見るとインターネットは実名登録制で、匿名でSNSに書き込んでも、ヒモ付きIDなどで政府に把握されている。

インターネットに書き込めるのは中国政府が許可した事だけで、多くの話題が禁止事項になっている。


例えば中国のネットには戦時中の日本軍の蛮行(全て虚偽)はいくらでも書き込めるが、戦時中に共産軍や国民党軍がやった事は書き込めない。

また天安門事件について書くことも読むことも出来ないし、毛沢東の本当の姿を知ることもできない。

うっかり本当の事などを書いてしまうと、公安がやってきて連行され、生涯行方不明にされてしまう。


2015年に中国全土で数百人の人権派弁護士が拘束されたが、今も解放されず行方不明の弁護士が何人もいる。

弁護士は弁護士仲間が被害を訴えたりするが、報道関係者とか、まして一般人が拘束されるのは日常茶飯事です。

公安や警察は拘束しても発表せず、裁判も行わないので、家族すら公安にさらわれたのを知らない場合が多い。


ネット上の自由

最近共産党が目を光らせているのが習近平など政府要人への批判で、クマのプーさんを禁止したのが話題になった。

プーさんが習近平に似ているところから、批判的な事を書き込む代わりにプーさんを持ち出すのだった。

習近平は不正蓄財をしているという代わりに、プーさんは儲けているようだという具合に書き込む。


中国政府は13億人全員をネット上で識別する技術とか、運転免許や社会保障に連動される登録制度などを編み出した。

例えばネット上で政府批判をすると違反点数が加算され、自動車ローンや住宅ローンができなくなり、進学も大手企業への就職も断られる。

2017年になって新たなネット規制技術を編み出し、不正な画像や動画が掲載される前に削除してしまう。


天安門事件やプーさん画像をネット投稿しようとすると、掲載が反映される前に画像は消されてしまうのです。

掲載した本人も、続いてこの世から消されるのかも知れません。

チャットやメールなど個人間の通信も政府が監視していて、不適切な内容は遮断されるようになってきています。


欧米の調査によると中国政府は数十万人規模のサイバー部隊やネット調査員を抱えてネット対策をしている。

笑えるのは彼らの業務の大半がネットに書き込んで情報を誘導する事だそうで、不適切な書き込みを打ち消すのです。

誰かが日本を褒めたら反対の書き込み、政府批判に傾いてきたらその反対の内容を大量に書き込みます。


これが公安警察や人民解放軍の仕事だというから、世の中には変わった職業があるものです。


ブログに国家の許可証が必要

2017年に中国政府は突如、ネット上のあらゆるコンテンツには、政府の許可を得たという証明書が必要になると交付した。

といっても政府系の業界団体がそう言っただけなのだが、中国ではこの場合、習近平が言ったのと同じになります。

インターネット上のすべての視聴覚コンテンツは「社会主義の本質的価値」を守っているか2人以上の監査人の監査を受ける必要があるという内容でした。


これの意味する所は文章の情報は検閲が自動化されてきたので、把握し難い映像などの検閲を強化するという事のようです。

監査人を任命するのはもちろん共産党と癒着した業界団体で、政府に不都合なサイトは閉鎖される。

サイトだけでなく全ての個人ブログも対象になり、あらゆるネットサイトに共産党の許可が必要になります。


この規制が完全に実行されるのか、それともかなり緩い抜け道が用意されるのかは、今の所わからない。

そして新疆ウイグル自治区では最近、ウイグル族のネット機器にスパイウェアをインストールするよう強制している。

ウイグル自治区はウイグル人の独立国家だったのを、中国が植民地支配して、ウイグル人の根絶やし政策を実行中です。


中国では年間4000件のテロや暴動が発生していて、新疆ウイグル自治区がもっとも頻発しているとされている。

スマホやパソコンに政府が作った監視ソフトをインストールさせ、路上で警察官が検査している。

もし監視ソフトが入っていないスマホを所持していたら、おそらくテロリストとして連行され、そのままあの世行きになります。


中国人(という民族は存在しないが)の場合は刑務所に入れてもらえるが、ウイグル人はそれすら許されません。

監視ソフトによってネット上のあらゆる活動のほか、どんなサイトを見たか、GPSの位置情報も警察・公安が把握している。
http://www.thutmosev.com/archives/71941911.html

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ウイグル族を「QRコード」で管理する中国
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/qr.php
2018年9月12日(水)17時30分 ジェイカブ・ ルワンドウスキ ニューズウィーク

新疆ウイグル自治区のカシュガルで通行人の身分証をチェックする警察官。背後には治安部隊の姿が Thomas Peter-REUTERS


<新疆ウイグル自治区のイスラム系少数民族、ウイグル族に対する中国当局の人権侵害は有名だが、今度は住人把握のためQRコードが各戸に貼られたという>

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が9月9日に公表した報告書によれば、中国北西部の新疆ウイグル自治区では、イスラム教徒であるウイグル族の自宅にQRコードが設置されているという。

新疆ウイグル自治区の元住民はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、以下のように話している。「2017年春から、人が出入りするすべての家にQRコードが設置されている。設置後は、2日おきか毎日、役人が来てQRコードをスキャンする。その家の住人の人数が記録されているからだ。その頃から、家に来ている訪問者に対して、『なぜここにいる?』と質問するようになった。夜にも確認に来る」

スキャンすると住人の詳細情報が表示されるこのQRコードは、当局によれば人口管理用だという。元住民の話によれば、当局はQRコードに加え、DNAや声のサンプルも採取している。歩行パターンを記録するために、警察署内で歩くことまで強制されていると元住民は話している。

■DNAサンプルや虹彩データも

別の住民は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して以下のように話している。「パスポートを申請したとき、DNAサンプルと虹彩スキャンデータを採取された。また動画も撮られた。字が読める人は新聞を読み上げるところを、字が読めない人は『歌を歌ってもいいし、作り話をしてもいい』と。異を唱えられる立場ではない」

ウイグルでは、およそ100万人のイスラム教徒が「政治教育センター」という名の収容所に入れられている。報道によれば、センターに収容された者たちは、みずからの宗教や民族的アイデンティティーを否定するよう強制され、中国の法律や政策を暗誦するよう求められる。指示に従わないと、24時間立ったままでいる拷問を受けたり、独房に監禁されたりするという。

中国外務省の耿爽報道官によれば、中国政府が目指しているのは「安定と発展、統一と生活を促進」すると同時に「分離独立主義と暴力的なテロ行為」を終わらせることだという。耿は問題の報告書に触れるのを避けたが、ヒューマン・ライツ・ウォッチについては「偏見に満ちている」と論評したと、ロイターは報じている。

新疆ウイグル自治区での取り締まりについて中国政府は、イスラム過激派が新疆の攻撃を計画しており、深刻な脅威だとして正当化している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの中国部長ソフィー・リチャードソンは英インディペンデント紙に対して、「新疆における中国政府の人権侵害は、ここ数十年の中国で例のない規模に及んでいる」と述べた。「人権侵害を止めさせるためには中国に制裁を科すべきなのか。国連と加盟各国にとって、新疆ウイグル自治区での弾圧は重要な判断材料になるだろう」

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2017年12月29日
中国の完全監視区域 ウイグルやチベットで行われるIT管理


監視区域内では検問が行われ、住民は自由に出歩くことは出来ない
引用:http://img.ltn.com.tw/Upload/liveNews/BigPic/600_phpDNun38.jpg


完全監視区域

中国ではITテクノロジーを駆使した国民監視システムが構築され、誰も逃れることはできない。

行き過ぎた監視システムが出来上がるに至った理由は多発するテロや暴動で、年間3,000件以上の暴動が発生している。

毎日10件のペースでどこかで反政府テロや暴動、抗議集会が起きていて、政府は厳しく取り締まっている。


暴動が激しい地域ほど監視体制も厳しく、最近中国の植民地になった地域ほど暴動は多い。

ウイグルは元々ウイグル国だったが、第二次大戦や中共内戦のドサクサに紛れて毛沢東の共産軍が侵略し支配した。

アメリカ人は馬鹿なので中国人と周辺民族の区別がつかず、日本人以外は全て中国人だと考えて、周辺民族侵略に加担した。


こうして侵略されたモンゴル、チベット、ウイグルでは、数千万人もの人が民族浄化の対象になり、亡くなった。

第二次大戦終結以降、中国共産軍などによる死者は、合計で1億人を超えていると推測されている。

こうした歴史的経緯があって2009年にウイグル暴動があり、再び数万人が共産軍と治安部隊の犠牲になった。


そのウイグルでは現在、ITを使ってウイグル人を完全管理する試みが開始され、あらゆる自由を剥奪している。

町中のあらゆる場所では100mおきに監視カメラが設置されているが、住民全員を登録し、顔認証で一日の行動を管理している。

通りのいたるところで公安が検問をしていて、手荷物検査をしているが、武器を探している訳ではない。


中国伝統の少数民族管理方法

通行人のスマホを取り上げて検査機器に接続し、監視ソフトが入っているかを点検している。

ウイグルなどでは監視ソフト無しのスマホを持ち歩くのは遺法であり、PCなど全ての通信機器にインストールが義務つけられている。

この監視ソフトは一定時間ごとに治安警察に位置情報を知らせるほか、通信記録や保存データの内容も逐一知らせる。


もし監視ソフト無しの電子機器を持っているのが見つかれば、連行され刑務所か強制収容所に入れられる。

中国には裁判制度が無く、日本など外国に関係した事件だけ特別に裁判を開くが、普通は何もしない。

逮捕や連行を発表する制度も無く、人知れず連れ去られ、そのまま永久に行方不明になるのが中国の司法制度です。


ウイグル人は要監視対象なので移動の自由は無く、ウイグル自治区でも教育や職業を制限されている。

ウイグル自体が貧しいのに、中国人(漢民族と自称している連中)に比べてウイグル人は貧しく、公職や良い職業は中国人が独占している。

警察や治安部隊、軍に入れるのは中国人だけで、たとえ入隊しても「ウイグル人狩り」のような任務をやらされる。


自民族を自分の手で弾圧させるのは中国伝統の管理法で、チベットでもチベット人の若者に弾圧させて、数百万人を粛清しました。

子供を洗脳して親を襲撃させるような事が、チベットやモンゴルや満州やウイグルで行われました。
http://www.thutmosev.com/archives/74223396.html

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2018年01月04日
暴走する中国IT革命 DNA登録や監視アプリ義務へ


中国製スマホには最初から無断送信機能が仕込んであるとも言われている
引用:https://si.wsj.net/public/resources/images/BN-WU223_33z61_M_20171229041052.jpg


顔認証で全国民を監視

資本主義社会はハイテクの進化によってIT革命が起き、AI社会になろうとしているが、中国ではあらぬ方向に進化している。

ITやAIによって14億人の人民を監視するツールとして着目し、ITを利用して全ての国民を常時監視下に置こうとしている。

代表的な例が「監視アプリ」「遺伝子登録」「顔認証」でこれらは順次、全ての国民に義務化されようとしています。


          

日本や西側社会でもこうした物は存在するが、利用は企業が独自に集めたものか、犯罪歴がある人などに限られている。

例えば最近日本では10年以上逃走していた指名手配班を、「駅で発見した」ようなニュースが何度か有りました。

逮捕された容疑者の顔を見ると手配写真とは似ても似つかない別人で、一体どうやって犯人だと気づいたのか疑問です。


少し前の報道で警視庁や警察が防犯カメラに顔認証システムを組み合わせて、いくつかの駅などに実験運用しているというのがありました。

おそらく現在は実験段階から先へ進み、警察の写真とカメラの映像を、顔認証で照合できるようになっていると考えられます。

イギリスはもっと進んでいて、テロ事件の捜査ではロンドンの全ての駅に顔認証連動カメラが設置されていると報道していました。


中国はこれをさらに進めて、全ての国民の顔情報をデータベースに登録し、駅などの監視カメラと照合して、常時監視可能にしようとしています。

日本の最近の報道では、高速道路で自動車の運転者を顔認証する技術を開発したそうなので、さっそく中国でも取り入れるでしょう。

覆面を被っているか後部座席でじっとしているしか、カメラの顔認証から逃れる方法はありません。


PCデータや遺伝子も共産党のもの

今の所適用はウイグルなどテロが頻発している地域の一部だが、やがて主要都市や上海、北京にも拡大される。

次に中国が目を付けているのが国民監視アプリで、これも既にウイグルではテロ防止の名目で義務化されています。

中国ではアリババやテンセントのようなIT企業は、実は中国共産党幹部が経営に加わっていて、準国営企業という側面を持っています。


大手IT企業は利用者の情報をすべて警察や公安と共有していて、ここでも「共有」が間違った方向で活用されている。

公安はIT企業の協力で国民監視アプリを開発し、さらに「密告機能」も搭載し、市民相互監視を奨励している。

監視アプリはスマホやPCの内部を勝手に捜索し、勝手に公安警察に送信し、テロを未然に防止していると政府は説明している。


密告機能はテロリストや反政府主義者を密告すると褒賞がもらえるようだが、その機能を利用すると自分も監視されてしまう。

今のところ一部の地域以外ではアプリ導入は任意だが、次第に地方都市から首都へと拡大される。

最後の極めツケが「遺伝子登録」で、すでに各地の学校ではDNA登録のために生徒の「つば」を集めている。


最初は集めやすい学校と犯罪者から収集し、やがては14億人全員の遺伝子情報を登録し、DNAによる国民監視制度を確立する。

目的はやはりテロや犯罪の防止とされているが、国民を監視下に置くことを最終的な目標にしているように思える。

中国で販売されている中国製スマホやPCには、販売時から外部に情報を無断送信する機能が仕込まれているのは、度々報道されている。

こうして中国は世界初の「IT監視国家」になろうとしている。
http://www.thutmosev.com/archives/74348276.html

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2018年5月22日
コラム:中国ウイグル族を苦しめる現代版「悪夢の監視社会」

[14日 ロイター] - 中国北西部の新疆自治区に暮らすムスリム主体の少数民族ウイグル族にとって、逃げ隠れできる場所はどこにもない。監視対象の個人が自宅や職場から300メートル以上離れると、顔認識ソフトが自動的に当局に通報すると言われている。

住民が個人の追跡を可能にするスマートフォン用アプリをダウンロードしないままだと逮捕される可能性があると、ソーシャルメディアの利用者は指摘する。海外旅行をしたいと願うだけでも、逮捕の原因になる可能性があり、中国政府は出国者の家族を拘束し、強制送還を求めて政治的な圧力をかけたりもする。

いわゆる「再教育キャンプ」に収容されたウイグル族は、過去2年間で少なくとも12万人に達すると、米政府系のラジオ・フリー・アジアは推計する。最大100万人に上るとの報告もあり、米議員グループは先月、少数民族を対象とする最大規模の拘束だと表現している。

外国との接触はすべて疑惑の目で見られ、収容所送りになった人々のなかには、有名なサッカー選手や、国境を越えた商業活動を行っているパキスタン人を夫に持つウイグル族もいると言われている。

大規模拘束に関する報告について、中国政府はコメントを拒否。また、一部がここ数年小規模の分離独立運動を続けているウイグル族に対する抑圧についても中国政府は否定している。

新疆自治区におけるイスラム主義者の反政府活動に直面していると主張する中国政府は、ナイフや爆発物を使った国内攻撃の多くはウイグル族武装勢力によるものだと非難する一方、ウイグル族の指導者グループをテロリスト指定している。

外部専門家も、中国が脅威にさらされていることを認識している。イラク及びシリアのイスラム系過激派組織「イスラム国(IS)」戦闘員には数百人のウイグル族が含まれていると伝えられており、その一部は、帰国して中国人の血を「川のように」流すと宣言している。

それでも、新疆自治区の状況は、テロの危険性に対する合理的な対応範囲を超えているようだ。

実際には同自治区はむしろ、こうした抑圧手法の意図的な実験場にされているように見受けられる、人権問題の専門家から懸念の声が上がっているように、いずれ、他の国内地域や、それ以上の範囲におけるモデルになりかねない。

習近平国家主席が権力を握って以来、世界で最も人口の多い中国における抑圧的な政策が顕著に強まっている。

腐敗撲滅キャンペーン下で外国人や高級官僚も含め習主席の政敵が数百人も逮捕される一方で、政府は顔認識ソフトなど最先端の監視テクノロジーへの投資を拡大している。警察は今月、5万人の群衆から容疑者1人を発見することも可能になった。

また、国内外の反対派を威圧し、批判を抑え込むために、高まる一方の国際的な政治影響力をますます露骨に利用するようになっている。

このことを誰よりも痛切に感じているのが、人口1100─1500万人と推定される中国のウイグル族だ。彼らは、政府支配下にある近隣のチベット自治区とほぼ同様の圧力を受けている。だが、有名人からの支持を受け、亡命中の指導者として著名なダライ・ラマを擁するチベット族の状況とは異なり、ウイグル族が直面する困難は、外部世界から気づかれないままであることが多い。

ウイグル族に対する抑圧は、2つの面で特に陰湿だ。それは、先進的なテクノロジーが駆使されていること、そしてその規模が世界的にが広がっていることだ。国内のウイグル族は長年迫害に直面していたが、中国政府による圧力はこのところ急激にエスカレートしている。

2015年初頭にはすでに、海外のウイグル族コミュニティに対する恫喝や潜入工作のため、中国政府はさまざまな手法を駆使していた。

中国に対して敵対的とみられるウイグル族に関する情報収集に協力しなければ、中国に残された家族が苦しむことになると国外のウイグル族たちを脅していた。昨年、中国は複数の国々に対して、ウイグル族留学生の国外退去を呼びかける世界的なキャンペーンを開始。エジプトだけでも数十人が一斉検挙されて本国送還となった。

中国政府は新疆自治区において、世界のどの国よりも包括的な「ハイテク国家監視システム」を構築しているようだと専門家は指摘。同自治区におけるインフラ整備は、他の国内地域にもまして、こうしたプログラムの強化と明白にリンクしている。

今年後半には地下鉄が開業する予定だが、すべての乗客は、利用のたびに身分証明書の提示を求められる。また同自治区の住民は昨年、すべてのスマートフォン及び電子機器を提出するよう命じられた。「テロリストの動画」などの違法コンテンツが保存されていないか当局のチェックを受けるためだ。

人工知能と監視テクノロジー全般で世界をリードすることを目指している中国では、こうした技術がますます高度化するだろう。

それによって中国政府が何を得たいのかを推測することはさほど難しくない。監視を広く深くするだけでも、少数の武装勢力を追跡し、発見して、目論みを阻止することが容易になる。

だが、新疆自治区における中国政府の行動の幅広さは、ウイグル族であるか否かにかかわらず、すべての中国市民に対して、国家権力がいかに強力であり、規律に背くことがどれほど大きな犠牲を伴うかという明確なメッセージを送っている。

米国による定期的な報告や、ウイグル族支援グループや報道機関の活動を除けば、同自治区で起きている出来事に対して世界はほとんど関心を示していない。

米国政府にしても、貿易や北朝鮮情勢といった問題に比べ、ウイグル族の問題は比較にならないほど中国政府に対して取り上げることはまれだ。欧州諸国は中国との貿易に血眼になっており、習政権を批判することにはなおさら及び腰だ。

中国のウイグル族が、海外支援を得る望みは今のところほとんどない。一時は湾岸諸国とトルコが支援する可能性が見込まれたが、その後、関心は冷めてしまったようだ。

残念なことだ。少数民族や反体制派に対する、このようなハイテクを駆使した抑圧が今後広がっていくならば、もっと関心を持たなかったことをわれわれはいずれ後悔するのではないだろうか。

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【石平のChinaWatch】新疆自治区は「青空監獄」 あらゆる施設で行われる身体検査
https://gansokaiketu-jp.com/2018-08-06-chuugokuniyoru-tibettoya-higashitorukisutan-uigurujitiku------no-buryokuniyoru-kyousei-sesshuu-toutikano-sangeki-naiyou.htm

【石平のChinaWatch】新疆自治区は「青空監獄」 あらゆる施設で行われる身体検査
http://www.sankei.com/column/news/180823/clm1808230006-n1.html


今月、スイスのジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃委員会で「100万人以上のウイグル人が中国で拘束されているという情報がある」との指摘があり、世界の人々を驚愕(きょうがく)させた。

 これに対し、中国の代表は、「根拠のない中傷だ」として、強く反発した。「100万人」という数字の確かさは別にしても、ウイグル人への弾圧は、紛れもない事実である。

 新疆自治区では、自治区に住むウイグル人全体が、さまざまな形で自由を剥奪・制限され、日常的に監視されている状況下にある。

 5月31日掲載の本欄に書いた監視カメラと人工知能(AI)とを結合させた国民監視システムが、新疆自治区全体をカバーしていることはいうまでもないが、それに加えて、自治区のあらゆる公的場所では今、「安全検査」という名の強制検問が日常的に行われている。

 銀行、郵便局、病院、百貨店、スーパーマーケット、映画館、自由市場、電車の駅などなど、あらゆる施設の入り口に検問所が設置され、出入りする人々は全員、身分証明書の提示を求められた上で、所持品のすべてや身につけているものまでを検査されているのである。

 その結果、新疆の人々は街に出かけたり買い物したりして普通に生活しているだけで、1日十数回以上、場合によって数十回以上の検問を受ける羽目になっている。

 ラーメン屋さんに入ってラーメン1杯を食べるために、あるいは公衆トイレに入って用を足すごとに、検査を受けなければならない。

 銀行や百貨店や大型施設の場合、入り口に空港の安全検査と同様の機械が設置されているが、普通のラーメン屋さんや小さなスーパーマーケットの検問は文字通り「人の手」に頼っている。

 つまり、入り口に大の男が立っていて、入ってくる人の体に両手を伸ばして指で触れながら、「異常なもの」を身につけているかどうか、を検査するのだ。

 もちろん、相手が女性であってもお構いなし。「人権」なんか、なきもの同然である。


武装警察と政府要員による町のパトロールも日常化している。

 新疆自治区の至る所で、自動小銃所持の武装警察がパトロールするのは日常的風景となっているが、そのために、中国政府は20万人の武装警察を新疆に派遣している。それでも足りないと思ったのか、政府はさらに準国家公務員としての「パトロール要員」を大量に雇っている。

 あるいは各地の住民を「ボランティアパトロール隊」として組織化して町の監視に当たらせている。

 そういう人々は推定100万人を超えており、政府当局は、自治区の隅から隅まで、監視の目を光らせているのである。

 このようにして今の新疆自治区では、そこに住む人たち、特にウイグル人たちは、日常的に監視されたり検問されたりして、基本的な人権が恣意(しい)的に蹂躙(じゅうりん)され、人間としての尊厳と自由を奪われている。

 ウイグル人たちの独立運動を力ずくで押さえつけるために、中国政府は今、新疆自治区全体を、まさに「青空監獄」にしてしまったのである。

 国家と民族の独立を失ったウイグル人たちの悲劇は、われわれにも多くのことを教えてくれるはずである。

 中国共産党が、どのような政権なのか、国家と民族の独立を中国によって奪われていたらどのような結果となるのか、われわれは心の中で銘記しておくべきであろう。

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「中華帝国は”解体”すべきか」ペマ・ギャルポ他、『正論』2018/11/18
・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html

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中国の駐米大使、ウイグル問題で警告 「中国に制裁発動なら報復」
2018.11.28 Wed posted at 18:27 JST


中国の崔天凱駐米大使がウイグル問題での批判に反論/CHRIS KLEPONIS/AFP/Getty Images

(CNN) 中国の少数民族ウイグル族に対する人権侵害が報告されている問題をめぐり、同国の崔天凱駐米大使は27日、トランプ米政権が中国政府に対する制裁の発動に踏み切れば中国側も報復措置に出ると警告した。

ロイター通信とのインタビューで述べた。米議会の報告書によれば、中国西部の新疆ウイグル自治区ではイスラム教徒100万人が中国政府により「再教育施設」に強制収容されたとみられている。

26日には世界各国の専門家270人が共同で声明を出し、中国政府の施策を厳しく非難。収容者らは「栄養不良の状態に置かれ、耐え難い精神的苦痛にさらされている」と主張した。

米国ではトランプ政権がこうした現状への批判を強めているほか、超党派の議員グループからも中国政府への制裁を求める声が上がっていた。

崔大使はこれらの批判に反発し、中国政府はあくまでもテロリストへの「再教育」を試みているのだと強調。中国の対応を過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」と戦う米軍になぞらえ、「ISISと戦う米国の当局者に制裁が科される事態など想像できるだろうか」と述べた。

また米軍が中東でテロリストを殺害しているのに対し、中国政府はそうしたテロリストの多くを再教育することで「彼らが普通の人間として、普通の生活に戻れるようにしている」と説明した。

そのうえで中国の当局者に何らかの制裁が科されるのであれば、中国政府も相応の報復措置に踏み切らざるを得ないと警告した。ただ具体的な報復の内容については明らかにしなかった。

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中国、西側の「干渉」に怒りあらわ ウイグル問題の説明要求で 
2018.11.16 Fri posted at 17:10 JST


ウイグル問題の説明を求める西側諸国からの公式書簡に中国政府が猛反発/Kevin Frayer/Getty Images


北京(CNN) 中国の少数民族ウイグル族に対する人権侵害が報告されている問題をめぐり、同国政府は15日、西側諸国の外交官15人が起草したとされる関連の公式書簡について、他国への「干渉」に当たると強く反発する姿勢を示した。

中国外務省の華春瑩副報道局長は同日の記者会見で、依然として続く新疆ウイグル自治区での人権侵害の説明を求めた上記の外交官らに対し「干渉」ではなく「前向きな役割」を果たすべきだと苦言を呈した。そのうえで「なぜ彼らが新疆の状況に懸念を抱くのかが分からない。なぜこの種の要求を通じて中国に圧力をかけたのだろうか。この種の行動は極めて不合理だと考える」と批判した。

ロイター通信が報じたところによると、西側諸国の大使15人が起草したという書簡は、陳全国・新疆ウイグル自治区党委書記と会談し、イスラム教徒が大半を占めるウイグル族の処遇について説明を求めたいとする内容だった。

国際社会ではこの数週間で、中国に対する圧力が拡大。世界的に報道されたウイグル族への弾圧を止めるよう要求する声が広がっている。

CNNは書簡の写しを入手しようと各大使館に連絡を取ったがこれまでのところ返答はなく、書簡に関するコメントも得られていない。

中国外務省の華副報道局長は、政府の見解として外交官らが新疆を訪れるのは認めるものの、それによって地方政府に「圧力をかける」ことには反対すると強調。「この種の行動は外交関係に関するウィーン条約の規定を超えていると思う」「もし彼らが、悪意と偏見によって地方政府の問題に干渉しようとするなら、あるいは根拠もなく中国を非難しようとするなら、我々は断固としてこれに反対する」と述べた。

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中国:イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬と宣言! 2018年09月11日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html

当たり前のように欧州でジハードが頻発していますがテロではないでそうで、殺されて抗議するナショナリストのデモや主張がナチスと呼ばれ弾圧されるのに、ムスリム移民による犯罪はよく精神疾患と呼ばれているようです。


ということは、中国政府の言うことは正しいということになりますね。びっくり


イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬である

China declares Islam an ‘incurable tumour’ and a ‘poisonous medicine’

By VOICE OF EUROPE 5 September 2018

中国はイスラムを大きくなる問題と捉え国内のウイグルムスリムへの行動を強めています。

国連やアメリカの職員によるとこれまでに約100万人が収容キャンプに入れられたと見ています。


収容者によると、キャンプではムスリムはイスラムを拒絶するように強要され毎日共産党の歌を習わされているとのことです。キャンプでは豚肉とアルコールを強要されるとの報告もあります。

キャンプは当初ウイグルムスリムの過激派と戦うために作られましたが、今では長いひげも再教育キャンプ送りとなる場合があります。


共産党の公共ラジオはこう言っています。


再教育のために選ばれた公民はイデオロギー的な病気に感染している。彼らは宗教的過激主義と暴力テロイデオロギーに感染しているので、患者として病院に入院して治療を受けなければいけない。


宗教的過激主義イデオロギーは毒薬の一種で人々の心を混乱させる。宗教的過激主義を根絶しなければ、暴力テロ事件が不治の悪性腫瘍のように成長し広がってしまう。

このようにWeChatを通してウイグルに昨年伝えられました。


国連の委員会で中国代表はそのような再教育センターは無いと言っています。


ジョージタウン大学の中国史教授James Millward氏によると、「宗教的信仰は病状と見られる」とのことです。

中国政府は今思想を治療する再教育キャンプを“病院”と呼んでいます。

過激主義の病原菌を殺す殲滅医療処置をすべてのウイグル人に対して行いたいのです。

ラジオはこう言っています。


いかなる犯罪も行っていないが過激思想を吹き込まれた一定の人たちがいる。彼らは既に病気に感染している。病気の症状がはっきりと表れる危険が常にあり、それは公共に深刻な危害を与えるだろう。

だから、彼らは脳内からウイルスを取り除き正常な精神にするために、再教育病院に入院しなければならない。

※中国政府は当局の監督下にないものはキリスト教でも締め付けを強化していますが、テロと密接な関係がある対イスラムの方が厳しいようです。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c19

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
20. 中川隆[-10354] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:36:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1736]

ムスリムの矯正・再教育は可能か? _ 2


2018 年 9月 8 日
中国のウイグル人への弾圧状況についてレポート
在日ウイグル人有識者会議
http://uyghur-j.org/20180908/uyghur_japan_report_20180908.pdf


ウイグル人は、ユーラシア大陸のほぼ中央に位置し、シルクロードとも言われてきた東トルキスタン(現“新疆ウイグル自治区”)を中心に暮らす、独自の歴史と文化を持つイスラム教を信仰する人々である。

ウイグル人は、8-9世紀に約100 年継続した「ウイグル可汗国」(Oghuz Orkhon Khanate)、9〜13 世紀に約300 年繁栄した「天山ウイグル王国(Uyghur Kingdom of Qocho, 天山山脈北麓)」と「カラ・ハン朝 (Kara-Khanids Dynasty, タリム盆地)」、16−17 世紀に165 年繁栄した「セイディア汗国」(Saidia Khanate, ヤルカンド)などを建国していた。

こうした独立のウイグル国家は18 世紀から清朝の支配下におかれ、1884 年に「新しい領土」を意味する「新疆」という名前が付けられた。それでも、ウイグルの反抗が途絶えず1933 年と1944 年に「東トルキスタン共和国」として独立国家を設立していた。しかし、1949 年に再び中国人民解放軍の侵略により、共産党支配下に置かれた。

ウイグルは、かつて仏教やマニ教も信仰した歴史もあったが、8 世紀からはずっとイスラム教を信仰してきた平和を愛する農耕民・遊牧民である。

ウイグルは、長い歴史の中でアジア、ヨーロッパ文化も吸収しながら、独自の言語(ウイグル語)や文化・習慣を培って、守ってきたのである。
ウイグルは、古代から音楽・踊りを生活の一部として、それを発展させながら、非常に明るく平和に暮らしていた。ウイグルの古典音楽「12ムカム」は歌、ダンス、音楽が一体となったもので、その素晴らしさが認められ、「世界無形文化遺産」に登録されたほどである。ウイグル人は中国で「能歌善舞」(歌も踊りも上手な)民族と呼ばれてきた。

ウイグルは、何千年もの歴史の中で、男性はヒゲを生やすのと伝統的な帽子をかぶり、女性はベールをかぶるのと肌脚を露出しないようにロングスカートを着るという習慣を作ってきた。

しかし、今現在、中国共産党の支配下にある、実際に全く「自治」のないこの「新疆ウイグル自治区」で何が起こっているだろうか。

中国でいま、ウイグルアイデンティティーを破壊する重大な人権侵害、同化・民族浄化が行われているのだ!


1.【ウイグル文化への侵害】

1)ウイグルの男性(老人以外)は髭を生やすことが禁止されている。
https://www.bbc.com/news/world-asia-china-39460538

2)ウイグルの女性はベールやロングスカートを着用することが禁止されている。
新疆ウイグル自治区当局は昨年4月1日から、ひげや公共の場所での顔などを覆うベールの着
用を禁じる新たな法律を発効した。
「新疆ウイグル自治区でひげやベール禁止、過激思想対策」(2017.04.01)
https://www.cnn.co.jp/world/35099111.html


第五章 中国のウイグル言語への侵害状況

1949 年に中国人民解放軍の侵攻により共産党支配下に置かれ、1955 年に設置された新疆ウイ
グル自治区(東トルキスタン)の当初は、東トルキスタン・イリ政府と中国共産党の交渉、平和
条約の約束通り、それまでに展開されてきたウイグル言語など独自の民族言語による教育が継続
された。1950 年初頭からは漢語が選択科目として導入されていた。
しかし、1960 年代に入ると次第に漢語教育が重要視されるようになり、漢語が民族学校におい
て必須科目となる一方、漢語学校に設置されていたウイグル語の選択科目は廃止された(リズワ
ン, 2009)。
1977 年から新疆ウイグル自治区政府は少数民族への漢語教育の強化を政策課題としてさらに
強調するようになった(リズワン, 2009;Mamtimyn 他, 2015)。
1982 年制定の中華人民共和国憲法では、少数民族言語による教育が保護されることになった
(Grose, 2010)が、実際には教育現場における漢語への一元化が推進されていった。
1990 年代末からは少数民族の漢語習得、主流文化の吸収が強く促されるようになる(王, 2006)。
2004 年に交付された「全面的に双語教育を推進することに関する決定(関与大力推進双語教学
的決定)」により、ウイグル語の授業のみをウイグル語で行い、その他の科目はすべて漢語で教え
る「双語教育」に取って代わられることとなった(アナトラ,2013;リズワン他, 2014)。
2010 年からウイグル全地域において幼稚園、小学校一年から「双語教育」が実施されるように
なり、中国内陸からウイグル語が知らない漢族教師が大量に投入された(例えば、2017 年4 月
26 ホータン地区・チラ県政府ウェブサイトでの募集(参考資料8)によると、人口13 万人のこの
県だけで1093 人の教師を中国内陸から募集している;またホータン地区政府からも中国内陸向け
の同様な募集(参考資料9)があり、現地一般教師給与の2 倍以上の賃金が提示されている。これ
により、学校ではウイグル語の授業がほとんど行われなくなり、漢語を習い始めたばかりの子ど
もたちに、すべての授業を漢語で行うようになった。一方、これまでに長年ウイグル語による授
業をやって来たベテランの優秀な教師たちが、漢語水準が満たない理由で「下放」された(教育
現場から追い出された)。教育レベル、学生の知力が著しく落ちていった。
この時、ウイグル言語に対する危機を感じた有志の教育者が私立のウイグル語幼稚園、小学校
の設立を試みた。現在トルコ在住のアブドワリ・アユップ(Abduweli Ayup)氏(参考10)がウ
イグル語学校設立を仕掛けた一人である。アブドワリは2011 年アメリカ留学から帰国したあと、
カシュガルでウイグル語学校を立ち上げた。しかし、2013 年にアブドワリ氏を含む学校設立に関
わった3 人(他Dilyar Obul, Muhemmet Sidik Abdurshit)が、寄付で集まった支援金の「横領罪」
で投獄され(明らかに冤罪である)、ウイグル語学校計画が滅ぼされたのである。(その後、アブ
ドワリ氏は治病のためトルクに渡り、現在もウイグル語保護活動を続けている)。
また、中国でウイグル族が直面している現実への理解と問題解決を訴え、当局の政策に批判的
な声を上げた知識人、中央民族大学(北京)の著名なウイグル族経済学者、イリハム・トフティ
ウイグル語教育 → 「双語」教育 → 漢語のみの教育への転化
→ 幼稚園、小・中・高校、大学でのウイグル語使用全面禁止へ

第五章 中国のウイグル言語への侵害状況

准教授(Ilham Tohti, 伊力哈木·土赫提)が「国家分裂罪」に問われ、2014 年9 月23 日、無期懲役判決で投獄された(参考資料11)。

2016 年に元中国共産党チベット自治区委員会の書記で、チベット人の弾圧で手腕を発揮した陳全国が新疆ウイグル自治区の書記に就任してから、ウイグル語の使用禁止、漢語教育のみを実施という重大な人権侵害、同化・民族浄化政策を露骨に展開してきた。これは陳の指示で設置した洗脳のための「再教育センター、強制収容所」や監視社会体制以外のもう一つ謀略である。

ウイグル語禁止政策は以下の各地区政府の通知・通達の内容から見取れる。

2017 年7 月5 日、ホータン地区政府のホームページに、「ホータン地区双語教育規定5 カ条小中学校双語教育強化」(《和田地区制定双语教育五条规定,加强中小学双语教育》(参考資料12))
という規定を発表した。内容は

(1)国家通用言語文字(漢語)を全面普及し、民族言語を付加した双語教育原則を堅持すること、

(2)2017 年秋学期から小学校入学前の3 年で国家通用言語文字教育を徹底し、小学校1 年、中学校1 年から国家通用言語文字教学を全面実施、2020 年には国家通用言語文字教学を全体的に実現すること、

(3)漢語教師がウイグル語で研修受けるという間違ったやり方を止めること、

(4)教育系統
内、学校内でウイグル語文字、スローガン、図画などの使用を断固禁止すること、

(5)教育系統の集団活動、公共活動、管理ワークの中でウイグル語の使用を断固禁止すること。

以上の双語教育政策に対しての怠慢、不履行、小細工などをした人は、「両面派」、「両面人」として厳重に懲罰される、であった。

そのほか、「ホータン地区学前(入学前)教師8 カ条ルール」、「ホータン地区国語教育5 カ条規定」などがある(参考資料13)。

2017 年10 月10 日、イリ・カザフ自治州イニン県教育局が、自治区教育庁の「少数民族文字教材補選使用に関する通知」(《关于少数民族文字教材教辅选用有关工作的通知》)を通達し、当県において、

(1)全てのウイグル語とカザフ語の「国語」教材の使用を停止すること、学校にすでにある教材は封存すること、

(2)国家統編の教材「道徳と法治」、「歴史」教材の少数民族文字に翻訳が終わっていないものを含め、使用を停止すること、

(3)関連学科少数民族文字の教材・補助資料の使用を停止すること、

(4)この「通知」要求により、各学校が教材・補助教材選択・使用規定に違反してはいけない、問題発覚時はすぐ報告すること、という内容を発表した(参考資料14)。


ウイグル語使用禁止と同時にウイグル語教科書、文学・歴史に関係する出版物の焼却が各地で行われた(参考資料15-16)。


第六章 中国のウイグル文化・宗教への侵害状況

China Uighurs: Xinjiang ban on long beards and veils
https://www.bbc.com/news/world-asia-china-39460538

3)街の中で民族衣装、ワンピースや長めのシャツが強制的にカットされる。
これらの写真は、2018 年7 月13 日ウルムチ市内で撮影され、WeChat に投稿されたもの

4)ウイグル学生に中華漢族衣装を着させ、孔子・漢族思想教育を強要されている。

・ウイグルアイデンティティーの破壊・同化
http://freedomsherald.org/ET/cmp/


5)伝統的ウイグル歌舞の代わりに中国漢族文化の戏剧を強要されている。
ウイグル音楽「十二ムカム」が世界無形文化遺産に登録されているなど、ウイグル音楽・
舞踊が有名であり、ウイグル人は「能歌善舞」(歌も踊りも上手な)民族と呼ばれることがあ
るが、このような文化を漢族文化に置き換えようとしている。


6)ウイグル女性を漢民族の男性と強制結婚させられている。
https://news.so-net.ne.jp/article/detail/1582964/
http://www.atimes.com/article/beijing-accused-of-forcing-uyghur-han-intermarriages/

漢族の男性がウイグル族女性の親族を監禁して強要結婚……涙に濡れる花嫁の姿
http://www.cyzo.com/2018/06/post_164302_entry.html
Beijing accused of forcing Uyghur-Han intermarriages
http://www.atimes.com/article/beijing-accused-of-forcing-uyghur-han-intermarriages/
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2.【宗教への侵害】

1)モスクの閉鎖、モスクへ中国旗と監視カメラを設置
https://www.rfa.org/english/news/uyghur/mosques-08032017153002.html
http://america.aljazeera.com/articles/2013/9/18/uighurs-bow-downtochineseflagatxinjiang
mosque.html
https://www.rfa.org/english/news/uyghur/urumqi-07072010084824.html
https://www.engadget.com/2018/02/22/china-xinjiang-surveillance-tech-spread/
2)モスクに政府系監視係の職員を配置
Xinjiang Authorities Convert Uyghur Mosques Into Propaganda Centers
https://www.rfa.org/english/news/uyghur/mosques-08032017153002.html
3)18 歳以下の全員、学生、教師、職員の礼拝、断食など禁止
https://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/china/5794696/Chinese-authorities-ban
-Uighurs-from-mosques.html
https://www.theepochtimes.com/communist-regime-bans-people-under-18-from-attendingmosques-
in-xinjiang-china_1730829.html
4)モスクで行われて来たウイグル伝統的葬式に家族以外の人々の参加禁止
5)ウイグル人ボランティアの遺体清浄禁止
https://www.rfa.org/uyghur/xewerler/din/meyit-yuyghuchi-ayal-02192018135741.html?enc
oding=latin
6)当局管理下の遺体処理・葬儀場(葬儀サービスセンター)を設立
https://www.rfa.org/uyghur/xewerler/kishilik-hoquq/xitay-uyghur-miyit-ishlirigha-qol-tiqti-
04062018235849.html?encoding=latin
7)ウイグル人密集地に火葬場建設
ウルムチ沙依巴克区 火葬场保安員の公募
33
中国のウイグル人への弾圧状況についてレポート
在日ウイグル人有識者会議
https://m.wlmq.com/0010155185.html
https://www.rfa.org/uyghur/xewerler/kishilik-hoquq/jeset-koydurush-06122018145148.html
?encoding=latin
https://www.rfa.org/uyghur/xewerler/kishilik-hoquq/jeset-koydurush-06132018153137.html
?encoding=latin
https://www.rfa.org/uyghur/xewerler/kishilik-hoquq/jeset-koydurush-06142018151310.html
?encoding=latin
8)新生児にイスラム系の名前を付けることを禁止するほか、一部大人の名前の改名を強要
https://www.voanews.com/a/china-issues-ban-on-many-muslim-names-in-xinjiang/3826118
.html
https://www.telegraph.co.uk/news/2017/04/25/china-bans-islamic-baby-names-muslim-maj
ority-xinjiang-province/
9)収容所でウイグル人に豚肉とアルコールを強要
イスラム教徒に豚とアルコールを強要する中国・ウイグル「絶望」収容所
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10194.php


http://uyghur-j.org/20180908/uyghur_japan_report_20180908.pdf

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c20

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
21. 中川隆[-10353] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:39:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]

ムスリムの矯正・再教育は可能か? _ 3


驚愕の真実!東京新聞が「恐怖の中国」を報道!  2019/02/14
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/441.html
https://85280384.at.webry.info/201902/article_136.html

▼驚愕の真実!東京新聞が「恐怖の中国」を報道!

 東京新聞が中国共産党による少数民族ウイグル族への弾圧の実態を告発した。

 習近平中国を許してはならない。

 このフェイスブックを見ている中国シンパよ、それでもまだ、非道な習近平独裁を支持するのか?ネットを使ってここで、「教宣活動」を続けるのか?

 東京新聞が「ウイグル収容所の証言 中国化強要 24時間尋問、全裸検査」と銘打って、残酷で非道な習近平の「恐怖の中国」をレポートした。

************************

 少数民族ウイグル族弾圧で、昨年9月まで中国政府の「再教育施設」に入れられていた女性が、1年以上続いた収容生活を証言した。

 24時間続く過酷な尋問に、「手足を縛られて寝た」という劣悪な環境など「中国化」を強要された実態を訴えた。

 女性はカザフスタン人のウイグル族、ギュルバハール・ジャリロアさん(54)。カザフとウイグル自治区との間で洋服を貿易する事業を営んでいた1017年5月、友人からの電話で「商品が届いたから来てほしい」と言われてウルムチを訪ね、突然中国の治安機関に拘束された。

 身に覚えのない「テロ活動支援」が容疑だった。

 弁護士の要求を拒否され、裁判もないまま1年3カ月にわたり再教育施設に収容された。

 窓のない部屋は幅3メートルに奥行き7メートル、壁は高さ6メートルほどで、約40人の女性が詰め込まれた。

 全員が横になれず、夜は交代で就寝。私語は禁止され、見つかると手足を縛られた。

 週に一度検査と称して全裸にされ、「ドアの外から男性監視員が見ていた。屈辱だった」。粗末な食事で体重は九キロ減った。

 特に3カ月に一度の割合で呼び出された尋問は、水も与えられずに24時間続いた。

 失神すると手を針で刺された。収容者は定期的に注射を打たれ、「頭がボーッとした」と鎮静剤が投与されたのではと疑う。

 部屋のテレビでは習近平の演説が流され、中国共産党の歌を合唱させられた。

 ウイグル語の読み書きができないジャリロアさんは書かなかったが、ほかの女性たちは「政府と党に感謝する」などとする反省文を繰り返し書かされたという。

詳しくはここをクリック
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201902/CK2019021402000140.html?ref=rank


ウイグル収容所の証言 中国化強要 24時間尋問、全裸検査
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201902/CK2019021402000140.html
2019年2月14日 東京新聞 朝刊

※キャプチャー

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ウイグル人の次は回民、習政権のムスリム虐殺は続く
https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2019/03/post-37.php
2019年03月23日(土)15時10分  ユーラシアウォッチ 楊海英 ニューズウィーク

習政権以前に細々と行われた礼拝(10年、寧夏回族自治区銀川) REUTERS


<新疆ウイグル自治区は「宗教の中国化」先進地域? 毛沢東を救ったイスラムの民を襲うジェノサイド>

100万人ものウイグル人とカザフ人を再教育センターに強制収容した新疆ウイグル自治区は、今や中国で「先進地域」の地位を獲得したらしい。

全国人民代表大会(全人代)で3月5日、李克強(リー・コーチアン)首相が習近平(シー・チンピン)国家主席の「宗教の中国化」路線を強調。その翌日には、内陸部の寧夏回族自治区幹部が「先進地域」に倣えと発言した。

イスラム教の「中国化」の下、「テロリスト予備軍」ウイグル人を「善良な中国人民」に改造しつつあると評価され、晴れて「先進」の栄冠を手にしたのだ。

現地では聖典コーランの誦読(しょうどく)が禁止され、携帯電話からイスラム関連アプリの削除を義務化。オアシスのウイグル人村落に漢民族を送り込んで雑居を進め、漢民族の幹部たちはウイグル人の家々に「進駐」。豚肉食を強制し、母語による会話を禁止する。家族同士がウイグル語で会話すると、「漢民族の悪口を言い、祖国分裂をたくらんでいる」と疑われる。

強制収容所内のウイグル人たちも「再教育」後、順調に出所できるわけではない。彼らは数百〜数千人単位で中国内地の陝西省や東北の黒竜江省などに強制移住させられている。

母語の禁止や強制移住といった民族・宗教集団の破壊は、ジェノサイド(集団虐殺)として国際法で禁じられている。その根拠となるジェノサイド条約は国連で48年に採択され、当時の中国政府も署名した。しかし、中国はこの条約をずっとほごにし、少数民族の生来の権利を保障しようとしなかった。

こうして新疆ウイグル自治区の「先進的」経験は今や、中国全土に拡大。最も熱心に導入し、学んでいるのは寧夏回族自治区だ。同自治区の人口700万人近くのうち約35%が回民という、イスラム教を信仰する民族で占められている。回民の「回」はイスラム教を指す古い表現「回教」に由来し、49年の中華人民共和国の建国後は回族と呼ばれるようになった彼らは、中国語を母語とするムスリムだ。

■文革中に豚飼育を強制

古くは唐や宋の時代に貿易で来たアラブ商人と中国人の間の子孫との説もあるが、大半は13世紀の元朝に形成された、イスラム教に改宗したモンゴル軍、中央アジアから移住したペルシア人やトルコ人にさかのぼる。元が滅ぶとモンゴル人は草原に戻ったが、ムスリムは中国にとどまって緩やかに回民に変わっていった。

20世紀になり、回民は中国共産党の恩人となった。国民政府に追われ、毛沢東率いる紅軍(共産党軍)が1935年10月、長い逃亡の末に落ち着いたのが寧夏・甘粛・陝西の3省に囲まれた寒村、延安(現・陝西省)だった。

寧夏と甘粛にはマホメットの名に由来するイスラム系、馬(マ)一族率いる軍閥が割拠しており、37年に毛と対立する紅軍分派(西路軍)約2万人を壊滅。延安をのみ込もうとしていた。

毛はまず馬一族と誼(よしみ)を交わすことで生き残りを図った。回民を「イスラム教を信仰する漢民族」と見なす国民政府に対し、共産党は回民に民族としての地位を認める「先進的」姿勢を打ち出して対抗。漢民族とは別の民族となれば、将来の共産党政権成立後に自治・自決権が与えられる。ムスリムの軍人は相次いで共産党を支持するようになり、国民政府から離脱した。

49年の建国後、共産党は回民に「回族」として寧夏で文化的自治は容認したものの、イスラム信仰に対して一貫して厳しい弾圧政策を採ってきた。50年代には回民知識人とイスラム教指導者を大量粛清し、地元教団を解散。66年からの文化大革命中には豚の飼育を強制し、モスクを破壊した。

習政権の今、寧夏回族自治区ではアラビア語の「ハラール」看板やモスク(イスラム礼拝所)上のドームが撤去。代わりに中国国旗が掲げられている。全ては新疆に学んだ結果、と同自治区の幹部たちは豪語する。

ジェノサイド条約も守らない共産党は、確実に時計の針を「後進」させているようだ。

<本誌2019年03月26日号掲載>


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中国国歌斉唱に豚のみの食事、イスラム教徒が語るウイグル強制収容所
3/26(火) 20:01配信 AFP=時事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190326-00000040-jij_afp-int&p=1


中国の再教育施設に収容されていたオムル・ベカリさんが再現した拘束の様子。トルコ・イスタンブールにて(2019年3月6日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190326-00000040-jij_afp-int.view-000


【AFP=時事】中国・新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)の再教育施設での1日は早朝の国歌斉唱と自己批判から始まり、そして多くの場合、豚のみの食事で終わる──施設で行われている洗脳について、かつて収容されていたイスラム教徒が詳細に証言した。

【関連写真】拘束の様子を再現するオムル・ベカリさん
https://www.afpbb.com/articles/-/3217648?pid=21099952&tmpl_skin=gallery&utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=p1&cx_rss=afp&cx_id=3217648

 国連(UN)の専門家によると、中国国内で最大のイスラム少数民族であるウイグル人の大半が暮らす新疆ウイグル自治区では現在、厳重な警備が敷かれる中、イスラム教徒およそ100万人が再教育施設に収容されている。
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 中国政府はさまざまな疑惑に反論し、イスラム過激思想対策として施設を運営していると一貫して主張している。
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 少数民族カザフ人のオムル・ベカリ(Omir Bekali)さんはカラマイ(Karamay)の施設に数週間収容され、昨年トルコに逃れた。ベカリさんは施設での生活について、教育などではなくトラウマだったと振り返る。
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 イスタンブールの自宅で取材に応じたベカリさんによると、収容所の目的はただ一つで、被収容者の信仰を剥ぎ取ることだったという。
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「毎朝7時から30分間、被収容者たちは中国国家を歌わされた。40人か50人で壁に向かい、一緒に歌った」
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 カザフ人男性が身に着ける帽子をかぶったベカリさんは、「私は全くもって歌いたくなかった、しかし毎日繰り返され、今でも体に染みついている。1年がたつというのに、あの歌がまだ頭の中で鳴り響いている」と語った。
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■豚を食べ、中国語を話せ

 ベカリさんは新疆ウイグル自治区でウイグル人とカザフ人の両親の下に生まれ、中国出身の多くの少数民族同様、仕事を求めて2006年にカザフスタンに渡り、そこでカザフ国籍を取得した。
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 だが2017年に出張で新疆ウイグル自治区に戻った際、ベカリさんは逮捕され、「テロリズム」を支援した罪で7か月間収監された後、再教育施設に送られた。
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 ベカリさんによると、収容所ではイスラム教徒にとって聖なる日である金曜日に豚肉を食べることが義務付けられていた。イスラム教では豚肉を口にすることは禁じられている。


また被収容者は当局から「生徒」と呼ばれ、中国語以外の言語を話すことを禁じられていたほか、礼拝やひげを伸ばすことも、当局が宗教的な過激化の兆候とみなしていたため許されなかったという。
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 ベカリさんは2か月ほどで施設を出られたが、カザフ当局の介入があったからだとベカリさんはみている。
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 中国にいる家族たちが危険にさらされるのを恐れ、多くの人が沈黙を貫いている一方、ベカリさんは収容所の状況を語ることができる数少ない生存者の一人として、海外で行われる国際会議などに出席して自らの経験を証言し続けている。
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 ベカリさんには今も中国にいる両親ときょうだいがいるが、連絡は一切ないという。施設から釈放された後、ベカリさんは妻や子どもたちと共にカザフスタンを離れ、トルコに移住した。中国とは「もっと距離を置く」つもりだと、ベカリさんは語った。【翻訳編集】 AFPBB News


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中国・ウイグル強制収容所の内側─催涙ガス、テーザー銃、教本
2018年12月30日 16:48 発信地:北京/中国
https://www.afpbb.com/articles/-/3204613?utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=r1&cx_rss=afp&cx_id=3217648

中国の新疆ウイグル自治区で、ウイグル人ら少数民族のイスラム教徒を強制収容しているとみられる施設の地域別設置数をまとめた図。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3204613?pid=20834252&page=1

【12月30日 AFP】(編集部付記)中国の新疆ウイグル自治区でウイグル人、カザフ人、キルギス人ら少数民族のイスラム教徒が大量に拘束され、過酷な環境の下で思想改造を強制されているとみられる問題に、国際的な批判と懸念が高まっている。現地での取材が厳しく制限される中、AFPは2018年10月24日、中国政府の公開文書を基に収容施設の運営実態に迫ったベン・ドゥーリー記者の記事を北京発で配信した。以下、当ウェブサイトで同25日に掲載した抄訳にカット部分の訳を追加した全訳版を、図解とともに公開する。


■楽しげに学ぶ研修生?

 研修生たちが楽しそうに標準中国語を学び、職業技能を磨き、スポーツや民族舞踊といった課外活動に熱心に取り組んでいる──。国営の中国中央テレビ(CCTV)が10月中旬に放送した映像を見ると、中国の最西部・新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)にある「職業訓練センター」は、あたかも近代的な学校であるかのようだ。

 ところが、自治区南西部ホータン(Hotan)地区のある地方政府でこうした施設を管轄する部署は、今年、数度にわたって次のような物品を調達していた。警棒2768本、電気棒550本、手錠1367個、それに催涙スプレー2792缶。いずれも、教育と関係があるようにはとても思えない品目だ。

 これらは、2017年初め以降、自治区内の地方政府が「職業技能教育訓練センター」の建設や運営に関連して発注した物品の、ほんの一例にすぎない。自治区全体では、センター向けの調達要求が計1000回以上行われている。

 こうした施設に対して、今、国際社会から厳しい目が向けられている。国際人権団体は、施設の実態は政治的な「再教育キャンプ」だと批判し、ウイグル人やほかの少数民族のイスラム教徒が最大100万人収容されているとみている。

 中国政府は、以前はこうした施設の存在自体を否定していた。しかし、国連(UN)や米国をはじめとする国際社会からの批判を受けて、施設が存在することは認めた上で、批判に反論する宣伝戦に転じている。

 中国政府の主張はこうだ。センターは「自由な」教育と職業訓練を通じて、分離主義、テロリズム、宗教的な過激主義の拡散を防ぐためのものである──。

 だが、AFPが入札や予算関係の文書、業務報告書など、公に入手できる中国の政府文書1500点以上を検証したところ、施設は学校どころか刑務所のように運営されていることが分かった。


■「つながりを壊せ、出自を壊せ」

 政府文書が示すところによれば、こうした「職業訓練センター」の周囲には有刺鉄線が張り巡らされ、赤外線カメラも設置されている。内部では、催涙ガスや、テーザー銃などのスタンガン、「狼牙棒(ろうげぼう)」と呼ばれる、とげの付いたこん棒などを与えられた大勢の警備員が、「研修生」を厳しく管理している。

 ある文書には、自治区トップの陳全国(Chen Quanguo)共産党委員会書記の次のような発言が引用されていた。いわく、センターは「学校のように教育し、軍隊のように管理され、刑務所のように警備され」るべきだ。

 また、別の文書にはこう記されている。より優れた中国公民を生み出すために、センターではまず、入所者の「血筋を打ち壊し、基盤を打ち壊し、つながりを打ち壊し、出自を打ち壊さ」なければならない──。

■収容所数は180カ所超

 AFPのまとめによると、新疆ウイグル自治区内にはこうした施設が少なくとも181か所存在する。

 中国中央テレビの報道では、センターへの参加は自由意志に基づくものと紹介され、そこでは、そろいの制服を着た「研修生」たちが、標準中国語を学習したり、編み物や織物、パン焼きといった職業技術の研修を受けたりしていた。

 ウイグル自治区にセンターが登場するのは2014年にさかのぼる。自治区内で死者を出す暴動が起きたことを受けて、地元当局が「テロリズム」に対する「厳打」と呼ぶ厳しい取り締まりに乗り出した年だ。

 ただ、施設の建設に拍車がかかったのは2017年初めになってからだ。この時期に、ウイグル人が住民の大多数を占める自治区南部で、複数の地方政府が「焦点集団を対象とした集中教化センター」の建設加速を命じている。「焦点集団」とは、信仰を持つ人、貧しい人、教育を受けていない人、軍隊に入るのに適した年齢の男性ほぼ全員などを含められるあいまいな表現だ。

 ほどなくして、新疆ウイグル自治区政府は「宗教的な過激思想」の管理に関する条例を公布した。

 当局は、過激派はどこにでも潜んでいる可能性があると警告し、幹部らに対し、25の違法な宗教活動のほか、禁煙やテントの購入といった無害と思える行動を含め、75の過激主義の兆候に目を光らせるよう指示した。

 「拘束すべき人物はできる限り拘束せよ」。幹部らはそうも命じられている。


■党中央から資金

 その結果、拘束者が急増し、各地方政府は大急ぎで対応に追われたようだ。

 センターの建設や運営には多大な費用がかかることから、2017年には自治区全体で司法当局の支出が爆発的に増えている。AFPの試算によれば、当初予算の少なくとも577%増に相当する30億元(約480億円)近くが投じられたもようだ。

 自治区南部の複数の地方政府は、財源不足を、センター向けの特別な資金で補った。予算関係の文書によれば、資金の少なくとも一部は、中国の公安部門を取り仕切る党中央政法委員会から直接支出されている。

■「虎椅子」も発注

 2017年4月ごろには、各地方政府が施設関係のさまざまな入札の公告を始めている。調達品目を見ると、確かに、机や椅子、エアコン、2段ベッド、食器といった、中国の一般的な大学の備品として違和感がないものもある。

 だが、それだけではない。高度な監視システム、「研修生」の室内の様子を記録するためのカメラ、有刺鉄線、電話盗聴器、赤外線監視装置など、刑務所で使われるような機材も含まれているのだ。

 センターはほかにも、警察の制服、暴動対応用の盾やヘルメット、催涙スプレー、催涙ガス、網を発射するネットガン、スタンガン、電気棒、警棒、やり、手錠、狼牙棒などを購入している。

 さらに、少なくとも1カ所のセンターは、中国の警察が尋問対象者の身体拘束に用いる器具、通称「虎椅子」も注文していた。

 自治区の区都ウルムチ(Urumqi)の党機関は、センター向けにテーザー銃の調達を緊急に要望する文書の中で、これらの機材は「職員個人の安全を確保する」ために必要だと訴えている。非殺傷武器については「通常の火器を使わなくてもよい状況で、偶発的な事故が起こる可能性を減らす」上で重要だとも指摘している。

■中国外務省「強い疑問」

 AFPは自治区の地方当局に繰り返し取材を試みたが、本記事を公開するまでにコメントを得ることはできなかった。中国外務省の華春瑩(Hua Chunying)報道官は10月24日の定例記者会見で、本記事が明らかにした事実に疑問を呈する一方、内容を特に否定もしなかった。華報道官はAFP記者に次のように語った。

「あなたが(記事に)書いている状況が真実なのかどうかについては、強い疑問を呈しておきたい」「あなたには、中国当局がどう説明しているか、中国メディアがどう伝えているかを調べてもらいたい」

 ウイグル人らの大量拘束をめぐり、中国に対する制裁を呼び掛けているマルコ・ルビオ(Marco Rubio)米上院議員(共和党、フロリダ州選出)は同日、AFPの報道を受けて、ツイッター(Twitter)で施設に関する中国側の説明に改めて疑念を示した。

「中国は世界に対して、新疆の強制収容所を職業訓練センターだと信じ込ませようとしている。しかし、警棒を2768本、電気棒を550本、手錠を1367個、催涙スプレー2792缶購入する職業訓練センターとは、いったいどんな職業訓練センターなのか?」


■定期的に「自己批判」

 2017年末には、自治区で「上位の当局」から、各施設の運営を画一化するよう指示が出されている。複数の地方政府のウェブサイトによれば、新たに「職業教育訓練サービス管理局」が設立され、そのトップは刑務所や拘束施設の運営経験のある当局者が務めている。

 ある地方政府の職業教育訓練サービス管理局の文書によれば、センターの入所者は標準中国語や党の主張に関する知識を週、月、「季節」単位で試験されるほか、定期的に「自己批判」を書くことになるとされている。

 また、入所者はセンターで「スローガンを叫び、紅歌を歌い、三字経を暗記する」とも言及されている。紅歌とは中国共産党をたたえるものなど愛国的な歌、三字経とは儒教の基本的な徳目を説いた中国の伝統的な教育書のことだ。

 入所者のファイルは集中管理されたデータベースに登録され、入所者は違反行為や成績によって分類されていた。

 犯罪で服役していた人は、「信用できない者は信用できる場所に置く」という原則に従うとして、刑務所を出所後、直接センターに送り込まれていた。

 一方、センターで良い成績を修めた人には、家族に電話することや、センター内の特別な部屋で家族と面会することが認められていた。

■各世帯から「最低1人」収容か

 当局者には、入所者の家族の自宅を定期的に訪れ、家族に「反過激主義」について教示し、共産党への反発に硬化しかねない怒りの兆候が彼らにみられないかかどうか、チェックすることが命じられている。

 ある地方政府の職業教育訓練サービス管理局が自局の義務について記した文書によれば、職業教育訓練サービス管理局はセンターに関して、「脱走」を防ぐなど、施設内で「面倒なこと」が起こらないように「絶対的な安全」を確保するものとされている。

 各地方政府は、元服役囚や宗教的な過激主義の罪に問われた人に加え、各世帯の少なくとも1人に対して、最低でも1〜3か月間、「職業訓練」を受けさせるよう指示されていた。人口約2400万人の新疆ウイグル自治区で、貧困を軽減するというのが表向きの理由だ。

 中国政府はこれまで、同自治区内で施設に拘束されている人の数を最大で100万人とする見方を否定している。だが、入札関係の書類には、その数が膨大であることをうかがわせる記述も見つかった。

 ホータン地区のホータン県で少なくとも1か所のセンターを管轄する地元当局は、2018年初めの1か月だけで次のような物品を発注している。

 中国語の教本19万4000冊。靴1万1310足。(c)AFP/Ben Dooley



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c21

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
22. 中川隆[-10352] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:43:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]

中国政府はムスリムをなんとか矯正・再教育しようと70年間以上必死に頑張って来たのですが、全然上手く行っていない様です。

元々イスラム教は宗教ではなく、オウム真理教と同類の単なるアホ・カルトなのです。

イスラム教を批判してもムスリムは一切聞く耳を持たないので、文章や言葉での論理的批判は無意味です。

ここまで来たらもうイスラム教とムスリムを完全に滅ぼす以外には手立ては無いです。


一刻も早く世界中の国が一致団結して人類の敵ムスリムを絶滅させることを望みます。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c22

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
23. 中川隆[-10351] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:51:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]

イスラムに限らず、カルト信者には痛い思いをさせないと矯正・再教育できないのですね:


中国共産党によって強制収容されたウイグル人などからの強制的な臓器摘出、法輪功から他の民族、宗教へと対象拡大=報道(かいけつ ニュース&記事 速報)
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/chuugokutoukyokuga-jyakyoushitei-shita-hourinkou-shinjyaheno------itaino-jintaihyouhonka-nadono-jittai/light.cgi?
強制的な臓器摘出、法輪功から他の民族、宗教へと対象拡大=報道
https://www.epochtimes.jp/2019/03/41332.html

中国における信仰弾圧を報じる多言語メディア「寒冬(Bitter Winter)」のディレクターは3月12日、中国共産党政権が組織的に、国内外の臓器移植希望者のために、需要に応じて収容者から臓器を強制摘出する問題はいまだに続いていると述べた。被害は、法輪功学習者以外、他の少数民族や宗教グループにまで対象が拡大しているという。

寒冬の創業者でイタリアの宗教社会学者マッシモ・イントロヴィーネ(Massimo Introvigne)氏は3月11、12日、台湾の台北で開催された第15回「インド太平洋地域における市民社会の自由擁護のための対話」に同メディアのディレクター、マルコ・レスピンチ(Marco Pespinti)氏と共に出席した。

衛星放送新唐人テレビ(NTDTV、大紀元メディアグループ)の取材に応じたレスピンチ氏は、中国共産党による臓器強制摘出問題は継続していると述べた。被害は「チベット人のような他の民族や宗教にも拡大している。現在は特に、ウイグル人だ」と語った。

2017年、米国の調査ジャーナリストであるイーサン・ガットマン氏によると、新疆地域と近隣に住む1500万人以上のウイグル人の9割以上は採血を受けていたという。

「人々のDNAを採集し、100万人以上の罪のない人々を拘束することは、何を意味しているのか? この2つの事情は、臓器奪取は止んでいないことをうかがわせる」と、レスピンチ氏はNTDTVに述べた。

米国のサム・ブラウンバック(Sam Brownback)宗教の自由特別大使は3月8日、香港の外国人記者クラブで、中国共産党による法輪功学習者とウイグル人からの臓器強制摘出は引き続き報告されているとし、この非人道的犯罪に改めて危惧を示した。

レスピンチ氏は、共産圏以外の自由主義社会は、臓器収奪問題を停止させるためにもっと積極的な行動を取るべきだと主張する。「止んでいないということは、行動が足りないと言うことだ。このむごい問題はすぐさま止めさせなければならない」

ウイグル族の元外科医アニワル・トフティ氏は3月15日までに、ラジオ・フリー・アジアの取材に対して、アラブ系、とくにサウジアラビア人が新疆で「ハラール・オーガン(豚肉を食べなかった人の臓器)」を調達していることを明らかにした。

寒冬は、中国本土からの情報協力者による寄稿文を掲載している。同メディアが2018年5月に設立して以後、中国本土で少なくとも45人の協力者が「国家転覆罪」または「外国勢力との共謀罪」で拘束されたという。

レスピンチ氏は、中国共産党政府の主張は偽りだと述べた。「(寒冬の協力者は)専門家、ジャーナリスト、罪を犯していない人々だ。彼らは、中国共産党政権が人々の宗教の自由と人権を侵害していると報告しただけだ」

国際的な圧力により45人のうち半数は釈放されたが、のこり22人は依然として連絡が取れない状態だという。

「彼らがまだ生きていることを願っている。しかし私たちには全く情報が入ってこない。彼らの所有する連絡手段はすべて断ち切られたようだ」とレスピンチ氏は述べた。同氏はまた、中国本土で拘束され、釈放されたある記者は翌日、取材活動を継続すると申し出たことを明らかにした。

「共産党は、記者を逮捕してメディア活動を阻止し、情報封鎖したいのだろうが、人々の勇敢さは阻止できない」「信条のある人は、共産党の弾圧を報告することで、困難を抱える他の人々を助けることができると信じている」


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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c23

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
24. 中川隆[-10350] koaQ7Jey 2019年5月04日 06:53:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]

という事で、中国政府はムスリムをなんとか矯正・再教育しようと70年間以上必死に頑張って来たのですが、全然上手く行っていない様です。


元々イスラム教は宗教ではなく、オウム真理教と同類の単なるアホ・カルトなのですね。

イスラム教を批判してもムスリムは一切聞く耳を持たないので、文章や言葉での論理的批判は無意味です。

ここまで来たらもうイスラム教とムスリムを完全に滅ぼす以外には手立ては無いです。


一刻も早く世界中の国が一致団結して人類の敵ムスリムを絶滅させることを望みます。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c24

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
104. 中川隆[-10349] koaQ7Jey 2019年5月04日 07:14:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]

車中泊おすすめ軽自動車15選。軽が今のブーム!2019/01/15 更新
https://camphack.nap-camp.com/233


車中泊をするのに軽自動車で行うのが密かなブームとなっています。軽自動車でもできるの?と疑問が残りそうですが、じつはフルフラットにすれば余裕を持った広々空間を実現できるのです!それでは、車中泊のできるおすすめ軽自動車をご紹介!

車中泊グッズ20選!これで快適車中泊!
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車中泊のグッズは、マットや寝袋だけでなくインバーターなどじつはしっかりと準備が必要です。そんな車中泊に必要なグッズをご紹介!定番からあ...

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人気ブランド別キャンプマット30選
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キャンプのマットは、快適な睡眠を確保するための縁の下の力持ちとなるキャンプギアです。特に寒くなる季節には、冷気を遮断し、ふかふかであっ...

軽自動車でも車中泊ができる!?
車中泊に最適な広々空間
出典:鳥栖建材屋

車種:N BOX+スペシャルOKワゴン
最近では車中泊そのものを楽しむ愛好家たちも増えてきました。さて、車中泊と言えば大きなワンボックスカーを想像する方が多いでしょう。しかし、軽自動車でも車種を選べば一人や二人での車中泊を楽しむことができるんです!軽自動車で車中泊ができれば経済的にもとてもお得。その選び方とおすすめ車種をご紹介します!

車中泊用として選ぶ基準
車中泊に最適な軽自動車の基準がイメージできる画像出典:スズキ

一番大事なポイントは「体を休めて寝ることができるかどうか」です。休憩や仮眠くらいならシートのリクライニングを倒すだけでも十分ですが、しっかりと睡眠となるとそうはいきません。旅先で十分な睡眠なく、疲れが取れないとあっては本末転倒です。車両の購入前なら実際にシートを倒して寝転がってみたりと、しっかりと確認をしてから車種を選ぶようにしましょう。

また、絶対に必要なのがマットです。シートがフラットになると言ってもデコボコな部分が多く、ちゃんと寝るには不十分です。マットでデコボコを埋めてしっかり眠れるようにしましょう。人気車種なら専用のマットが発売されているものもありますし、キャンプ用品のマットでも十分に使えます。空気を入れるエアマットならデコボコを消して、快適な寝心地を確保できるので特におすすめです!

おすすめ軽自動車
《ダイハツ》

ウェイク
車中泊におすすめ軽自動車紹介(ダイハツ:ウェイク)出典:ダイハツ

背の高い室内は荷物を積むにも余裕があり、アイポイントも高いので視界が広く、運転に余裕が生まれます。ラゲッジスペースの下に設けられたアンダートランクに荷物を収められるほか、多彩なシートアレンジを組み合わせることで大量の荷物持っていても車中泊が可能です。アウトドアブランド、モンベルとのコラボモデルも登場。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(ダイハツ・ウェイク詳細説明画像)出典:ダイハツ

アトレーワゴン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(ダイハツ・アトレーワゴン)出典:ダイハツ

内装は、上質でモダンかつ広々空間を意識されてた設計です。フルフラット時でも多少段差があるので、クッションやマットがあるとより快適でしょう。広いラゲッジスペースはふだん使いから旅行、車中泊まで余裕を持って使うことができます。快適な車中泊ができる軽キャンピングカー「楽旅」モデルもあります。

車中泊におすすめ軽自動車(ダイハツ・アトレーワゴンの広々空間)出典:ダイハツ

ハイゼットカーゴ
車中泊におすすめ軽自動車(ダイハツ・ハイゼットカーゴ外観)出典:ダイハツ

ビジネスモデルならではの、広くフルフラットになる空間は、助手席を倒さなくても就寝スペースが作れるほど余裕があります。アクティと同様に「旅楽」モデルも用意されていて、ベットマット、キャビネット、テーブル等快適な車中泊ができる装備を備えています。

車中泊におすすめ軽自動車(ダイハツ・ハイゼットカーゴの荷室画像)
出典:ダイハツ

《スズキ》

ハスラー
車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・ハスラー外観画像)出典:スズキ

カーオブザイヤーも受賞した人気のハスラー。フラットになるシートレイアウトの他、ベットクッション、シェード、カーテンといった車中泊でも必須のアイテムが正規アクセサリーとして用意されており、販売店で直接見て購入できるのもうれしいポイント。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(ダイハツ・ハスラー荷室画像)出典:スズキ

ジムニー
車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・ジムニー外観)出典:スズキ

強い人気を誇るジムニーは、軽唯一の本格オフロード車。そのままではフラットにできませんが、社外メーカーによる用品で対応可能。その人気ゆえにパーツが数多くあり、DIYで加工するなど情報も豊富なのも魅力です。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・ジムニー荷室)出典:車中泊まとめwiki

ワゴンR
車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・ワゴンR外観)出典:スズキ

そのスタイルと走行性能の良さから人気のワゴンR。助手席側がフルフラットになるほか、ちょっとしたクッションなので運転席側もフラットに。背が高めの車なのでマットなどで高さを上げても圧迫感がありません。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・ワゴンR荷室)出典:車中泊まとめwiki

エブリィワゴン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・エブリィワゴン外観)出典:スズキ

ビジネスモデルベースで後方空間が広く、シートアレンジが幅広いエブリィ。スライドドアで人や荷物の出し入れがしやすいのも◎。一人車中泊+自転車など用途に合わせて自分なりのレイアウトを楽しもう!

車中泊におすすめ軽自動車紹介(スズキ・エブリィワゴン荷室)出典:スズキ

《ホンダ》

NBOX+
車中泊におすすめ軽自動車紹介(ホンダ・NBOX+外観)出典:ホンダ

マルチボードを活用することでフルフラットのベッドにしたり、スロープで自転車を出し入れしやすくしたりと多彩です。専用のシェード、カーテン等が用意された車中泊用のオプションパッケージもあり。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(ホンダ・NBOX+荷室)出典:ホンダ

バモスホビオ
車中泊におすすめ軽自動車紹介(ホンダ・バモスホビオ外観)出典:ホンダ

ハイルーフ仕様で天井が高いので大きな荷物の出し入れがしやすく、圧迫感も少ないホビオ。余裕のある後方空間はリアシートを前倒しすれば自転車も積載できるほど。自分好みのレイアウトが可能です。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(ホンダ・バモスホビオ荷室)出典:ホンダ

アクティバン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(ホンダ・アクティバン外観)出典:ホンダ

ビジネス用ならではの広い空間は、前列のシートを倒さなくても就寝空間が作れるほど。バモス同様自分好みのレイアウトで車中泊の空間を作ることができますね!

車中泊におすすめ軽自動車紹介(ホンダ・アクティバン荷室)出典:ホンダ

《マツダ》

スクラムワゴン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(マツダ・スクラムワゴン外観)出典:マツダ

フルフラットにしても微妙な段差があるのでクッション等で埋めよう。助手席、リアシートと繋いで寝ても後ろに荷物が置けるラゲッジスペースが確保できます。ハイルーフ車仕様もあるので天井の圧迫感を少なくして荷物の出し入れをしやすくすることもできます。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(マツダ・スクラムワゴン荷室)出典:マツダ

《三菱》

ミニキャブバン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(三菱・ミニキャブバン外観)出典:三菱

ビジネスモデルならでの広い空間と完全なフラット状態にできるのは、車中泊をする上でうれしいところ。こちらも助手席を残したまま就寝スペースを作ることができます。棚を据え付けたり大規模な車中泊用の改装ベースにも最適。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(三菱・ミニキャブバン荷室)出典:三菱

《スバル》

サンバーバン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(スバル・サンバーバン外観)出典:スバル

しっかりした足周りで、力強い走りを実現した人気のサンバー。こちらもビジネスモデルならではの広い空間を自由にアレンジして、車中泊用の空間を作ることが可能。走りと就寝、どちらも楽しみたい人向けの一台!

車中泊におすすめ軽自動車紹介(スバル・サンバーバン荷室)出典:スバル

《日産》

NV100 クリッパーリオ
車中泊におすすめ軽自動車紹介(日産・NV100 クリッパーリオ外観)出典:日産

大人4人が座っても後ろに荷物をたっぷり詰めるほど広い室内空間。さらに荷物や人数に合わせて自由なシートアレンジができます。子どもが乗り降りしやすい電動オートステップなど、細かい所の装備も充実していているので、日常でも使いやすさを実感できます。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(日産・NV100 クリッパーリオ荷室)出典:日産

《トヨタ》

ピクシスバン
車中泊におすすめ軽自動車紹介(トヨタ・ピクシスバン外観)出典:トヨタ

広い空間だけでなく、実用性の高い小物入れなど細やかな装備も充実。特に大きなグローブボックスなどは、宿泊用の小物をいれるのにも最適です。

車中泊におすすめ軽自動車紹介(トヨタ・ピクシスバン荷室)出典:トヨタ

マナーを守って楽しい車中泊を!
車中泊をする人が増えたことで、残念ながらマナーの悪い人たちの行為が目立ち、指摘されるようになってきました。気楽だからと言って、どこでも停めて勝手に休んでいいというわけではありません。公共の場所でも禁止であったり、事前に連絡が必要な場合もあります。周囲に配慮して、本当に快適な車中泊を楽しみましょう!
https://camphack.nap-camp.com/233

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c104

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
105. 中川隆[-10348] koaQ7Jey 2019年5月04日 07:19:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

【軽キャンピングカー】本気でほしくなる軽キャンピングカー10選 2019/04/15 更新
https://camphack.nap-camp.com/89-2

【最新に更新!】軽キャンピングカーは、軽自動車を改造しているため安価で普段乗りもできるところがポイントです。今回はおすすめの軽キャンピングカー10車を厳選!軽自動車と言っても、装備はかなり充実しています。また、販売店も紹介します!


キャンピングカー情報総まとめ!興味があるならこの10選は要チェック
https://camphack.nap-camp.com/3038

ザ・キャンピングカーのキャブコンについて紹介!興味があるなら見ておきたいキャンピングカーを厳選しました。他にも、軽キャンピングカーやハ...

軽キャンピングカーを本気でほしくなるポイント!


1,なんといっても低価格!

軽キャンピングカーは、軽自動車をカスタマイズした車なので、価格帯は80万〜300万円。通常のキャンピングカー、いわゆるキャブコンの価格が安くても500万円はすることを考えると、かなりお手頃です! また、ベースは軽自動車なので維持費が安価であることもうれしい大きなポイントです。


2,ふだん使いにも乗れちゃいます!

軽キャンピングカーの特徴は、そのコンパクトさにあり、小回りが利くので小道でもスイスイどこでも行くことができます。そして、多くのものが外装からはキャンピングカーとはわからないため、ふだん買い物に行く際でも使用できるのがうれしいですね。それでは、編集部が選んだキャンピングカー10台を詳しく紹介!

〈1〉ダイハツグループがお届けするコンパクトな最高空間「ATRAI 旅楽」

出典:ダイハツ

ダイハツグループDCraft「ATRAI 楽旅」

出典:ダイハツ


上下可変式の収納棚は大容量かつ寝る時も快適!

軽キャンピングカーのテーブル


出典:ダイハツ

大きなスライド式テーブルで食事も楽々!
充実装備に力がこめられた軽キャンカー。たっぷり収納に全面遮光カーテン、可変式の収納棚など、他の車とは一線を隔する装備に注目です。

車中泊が楽々楽しめる1台、ロングトリップも快適に過ごせそう!

●販売価格(税抜):車両本体価格+¥425,000〜
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈2〉外装も内装もグッドデザインな軽トラキャンパー「J-cabin MiniW」

出典:mystic

2016年のグッドデザインショーを受賞した技あり軽トラキャンパー!
出典:mystic

ウッドパネル調の内装でバンライフなムードがたまらない

出典:mystic

ロフト型のベッドでリビングも広々!
グッドデザインショーを受賞した車両だけあって、外装も内装も、軽トラベースというアイデアにいたるまで全てがグッドデザイン。日本にフィットしたキャンピングカーを具現した造りで、扱いやすいく過ごしやすいキャンピングカーに仕上がっています。

サーファーやスノーボーダーといったアクティブなアウトドアマンにもぴったり!
●販売価格(税抜):¥1,925,926
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈3〉リアル”トランスフォーマー”!?驚きの変形システム「かるキャン」

出典:karucan

まるでトランスフォーマー! 「変形する」軽キャンピングカー!
白い軽キャンピングカー


出典:karucan

走る時は飛び出す空間を収納した通常車両の形

軽キャンピングカーの中


出典:karucan


停車して空間を展開すれば大人でも立てるほど広い!
こちらはなんと「変形」するキャンピングカー。走行時には通常のKカーですが、停車した際にキャンピング空間をトランスフォーマーのごとく展開します。この「変形」により軽キャンピングカーとしては規格外の居住性を実現!

軽キャンでも広い室内がほしいという方におすすめの軽キャンピングカーです!
●販売価格(税抜):¥2150,000〜
●定員/就寝可能人数:2名/2名
●詳細はこちら

〈4〉キャンプだけじゃもったいない!ゴージャスな大空間「インディ727」

出典:indiana-rv

くつろぎの豪華大空間を備えた本格キャンパー
軽キャンピングカーのインディ727の中


出典:indiana-rv


軽キャンということを忘れさせる豪華なリビング

軽キャンピングカーのインディ727の中のくつろぎスペース
出典:indiana-rv


フルフラットでは軽キャンとしては規格外の4名就寝可能!

ただの車中泊の領域を超えて、快適な本格キャンピングカーを追求した一台。アルミボディパネルを採用し、軽量性と断熱性を高めています。そしてこだわりの内装では、“寝るだけじゃもったいない”をコンセプトに、まるでフルサイズキャンピングのようなゴージャスリビング空間に仕上げています。本格キャンピングカーに憧れる方は必見!

思わず軽キャンパーになりたくなる!見た目&性能のいい4つのクルマ

一緒にキャンプに行きたい今注目の軽自動車4選!思わず軽キャンパーになりたくなる、見た目の良さと性能について4つの車種をご紹介。走行性能...

2017年も軽キャンが席巻!?ジャパンキャンピングカーショーを取材してみた!

2017年ジャパン

●販売価格(税抜):2,895,000
●定員/就寝可能人数:4名/4名
●詳細はこちら

〈5〉コスパ最高なシンプル実用軽キャンパー「PICCOLO CAMPER+」

出典:autoone

キャンパーとして必要充分な装備を備えたシンプルかつ良コスパな一台
軽キャンピングカーのPICCOLO CAMPER+の天井


出典:autoone

収納性抜群! 天井部分には6戸ものキャビネットを装備!
軽キャンピングカーのPICCOLO CAMPER+のダイニング

出典:

autoone


テーブルを設置することで必要十分なダイニングが出現!
シンプルな作りながら必要十分な装備。実用性を高めたソリッドなキャンピングです。

折りたたみシンクやエクストラダイニングも簡潔で、アクティビティを目当てに全国を飛び回りたいというような方にもぴったりな車両ですよ!
●販売価格(税抜):¥1,499,000
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈6〉レトロポップなルックスがキュート「スピナキャルルック仕様」

出典:nutsrv

レトロポップな外観にゆとりの居住性でおしゃれキャンパーにもぴったり

出典:nutsrv

フラットに展開すれば大人2人が余裕で寝られる広さ

出典:nutsrv


サイド収納はフルフラットの状態でも使用可能!

まるでワーゲンバスのようなレトロポップなルックスが魅力の軽キャンパー。

内装もカラバリがあり、好みの設定を選べます。室内空間もゆったりとられていて収納もたっぷり確保。大量にキャンプ道具を運びたいおしゃれキャンパーも注目の車両です。


●販売価格(税抜):¥3,190,000〜
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈7〉アクティブなルックス、内装はスタイリッシュなデニムモチーフ!「ミニチュアクルーズ デニムエディション」

出典:okamotors

アクティブなルックスにぴったりのデニム内装がオンリーワンなキャンパー

出典:okamotors


デニムをモチーフにデザインされた内装がムード抜群!


出典:okamotors

キャビネット上部には大容量収納を装備!
アクティブでスタイリッシュな外観にマッチしたデニムモチーフの内装をもつキャンピング。ディテールにまで凝ったデニム内装で、好きな方にはたまらない雰囲気を演習。

カジュアルな世界観が好きな方にぴったりの軽キャンピングカー!

●販売価格(税抜):¥1,760,000〜
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈8〉リアルウッドが素敵なキャブコン軽キャンピングカー「ラ クーン」

出典:az-max

軽キャンとは思えない大空間を楽しめるキャブコンキャンパー

出典:az-max

ウッドの内装が旅の気分を盛り上げてくれます

出典:az-max

キャブコン仕様ならではのゆとりある大空間!キャブコン仕様で軽キャンピングカーとは思えない驚きの広さ。さらに内装は高級感漂う光沢ある木目でムード満点。キャビネットスペースも充実で、シンクも装備。

キャブコンならではの余裕を楽しめる軽キャンピングカーです!

●販売価格(税抜):¥2,689,000〜
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈9〉軽キャンピングカーでペットとともに楽しいキャンプを!「ルネッタ」


出典:VANTECH

成熟した大人向けに優雅さを追求したキャンパー


出典:VANTECH


スペースに制限ある軽キャンでは嬉しいフルフラット仕様


出典:VANTECH

デザインも美しいスクウェアシンクはシャワーとしても使えます


フルサイズのキャンピングカーでお馴染みのバンテックが作った大人のための上質な軽キャンピングカー。大人の優雅なキャンピングカーライフを実現する充実装備と落ち着いて品のある内装が特徴的。フルサイズから軽キャンに乗り換えを考えている方にもぴったりです。


●販売価格(税抜):¥2,520,000〜
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

〈10〉愛犬と旅ができる軽キャンピングカー!「愛犬くん」
軽キャンピングカーの愛犬くん


出典:AUTO ONE

内装はペットのことを考えた装備がいっぱい!
軽キャンピングカーの愛犬くんのゲージを置く場所


出典:AUTO ONE


ペットのケージを置くスペースもあり


出典:AUTO ONE


ソーラーパネルとベンチレーターが標準装備でペットにも安心
愛犬家必見! 国内で唯一のペット専用キャンピングカーです!

温度センサー付吸排気ベンチレーターで換気もしっかり計算されています。シャワーも標準装備なので、軽い汚れなら問題なく対応可能です。

●販売価格(税抜):¥1,699,000〜
●定員/就寝可能人数:4名/2名
●詳細はこちら

関東・関西エリアの軽キャンピングカー購入可能店舗&購入サイト

関東エリア
オートショップアズマ
店舗:埼玉県越谷市大間野町3-1(展示場)
軽キャンピングカーの「ラクーン」 と「 K-ai」を製造販売しています。
→オートショップアズマ詳細はこちら

東和モータース販売
店舗:東京本店 東京都杉並区上高井戸1-21-18
軽キャンピングカーの新車、中古車の保有数が多いです。
→東和モータース販売の詳細はこちら

東京キャンピングカーランド
店舗:神奈川県大和市下鶴間10-1
全国に5店舗を展開しており、たくさんの個性的なキャンピングカーを揃えています。
→東京キャンピングカートランド詳細はこちら

オートワン
店舗:神奈川県藤沢市獺郷1187
軽キャンピングカーの製造、販売を行っています。キャンパーのニーズに合わせたラインナップとなっています。
→オートワンの詳細はこちら

インディアナRV
店舗:神奈川県綾瀬市大上1-5-28
「インディ727」を主に販売しています。
→インディアナRVの詳細はこちら

関西エリア
株式会社マックレー
店舗:京都府京都市左京区静市野中町404
軽キャンピングカー「ディアラジュニア」をはじめとして、幅広く製造販売店を行っています。
→株式会社マックレーの詳細はこちら

大森自動車
店舗:大阪府泉北郡忠岡町忠岡北3-13-10
軽キャンピングカーの製造、販売を行う以外に、豊富な中古車を取り揃えています。
→大森自動車の詳細はこちら

キャンピングカーフジワラ
店舗:奈良県大和郡山市美濃庄町335-4
「エブリイバン」をベース車にした軽キャンピングカー「ナイス・ケー」を製造販売しています。他社の軽キャンピングカーの代理販売もしており、ラインナップが充実しています。
→キャンピングカーフジワラの詳細はこちら

軽キャンパーは国内旅に最良バランス
燃費・居住性・扱いやすさ、軽キャンピングカーは国内旅に最良バランスのキャンピングカーと言っても過言ではありません。しかも価格も驚くほどお手頃。

日本生まれの日本にフィットした軽キャンピングカーで、国内を気軽にめぐってみてはいかがでしょうか。
https://camphack.nap-camp.com/89-2
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c105

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
133. 中川隆[-10347] koaQ7Jey 2019年5月04日 07:41:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]

誰が見ても今上天皇は精神薄弱


美智子様の実子は1人だけ???

ベルギー大使館のパーティーに行った時にイスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」
(中川註: 皇太子だけが美智子様の実子という意味)

と自慢げに話していた。その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確率は高い。

美智子様の子供は一人だけ? とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは
秋篠宮の父親が違うという驚きの情報だった。

と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供でしかも父親は天皇陛下ではないと言う話になる。


そして、究極的に私が見つけた2チャンネル的なサイトには、なんと、秋篠宮自身が

「だれか、私の父を知りませんか?」

というページだった。そこには


「何回も母に聞きましたが、母は頑として口を開こうとしません。
私は、父親が違うという事で、養父や兄弟にも、散々、いじめられて育ちました。だれか、私の父を知っている人がいましたならご連絡ください。」


というものだった。


その秋篠宮の実父は、もしかして殺されてしまった可能性もあるのではないのだろうか。

ウワサによると、秋篠宮の実父は宮内庁の警備員だったらしい。美智子様に赤ちゃんができてしまってから堕胎しろとは宮内庁もいえず、次男として育てられたという話だ。

この話は、英国のハリー王子とだぶる。彼もダイアナ妃とポロ教師のボーイフレンドとの間にできた子供で、チャールズ皇太子の子供ではない
http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/03/blog-post_6330.html

▲△▽▼


Dosuko Wiki Naru

ナルちゃんこと、浩宮徳仁親王にまつわる伝説というか事件簿です。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/Naru

参考:【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【あとよろ】
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%BE%B3%E4%BB%81%E3%81%AE(%EF%BE%9F%D0%94%EF%BE%9F)%EF%BE%8A%EF%BD%A7%3F%E3%81%AA%E7%99%BA%E8%A8%80%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

目次[表示]

■第1期−初等科入学前−■編集
◾ 4歳誕生日を前に母美智子さまが「(浩宮は)食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです」と語る事件

『美智子さまの気品―陛下とお子さま、そしてお孫さまと歩まれた50年』江森敬治、主婦と生活社(2008年)より

 皇太子さまの四歳の誕生日を前に皇后美智子さまは、
「この四年間、強く感じたことですが、第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。たとえば、食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです。それで、まだ小さい時に、手を引いて大膳で料理を作っているところをわざわざ見せに行ったこともあります」と、述べられている。

◾ 3歳誕生日パーティーで「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」と歌った後、レコードのノイズ音「プツン、プツン」を口再生する事件
◾ 交通博物館見学でパトカー模型を目にして「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」事件

『明星増刊』1964年5月緊急号<かわいいおもちょいナルちゃん言葉>

p.141より引用
 昭和38年2月23日、ナルちゃんは満3歳のお誕生日を迎えられました。(中略)美智子さまがお作りになったバースデー・ケーキの3本のロウソクを勢いよく吹き消されたナルちゃんは『おサルのかごや』を歌い始めました。「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」ご一同が拍手しようと手をおかまえになったとき、とつぜん「プツン、プツン」と声を出されて、ご一同びっくり。
「ナルちゃん、いまの“プツンプツン”ってなーに」正田恵美子さんがおたずねすると、
「レコードがそういったよ」とケロリとされていました。“プツン”“プツン”という音がしたのです。

 ことしの2月26日、鷹司平通氏がおつとめになっている交通博物館にいらしったナルちゃんは、ミニカーがずらりと並んでいる前にじーっと立っておられましたがとつぜん、
「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」とパトカーを指さして大喜びでした。
参考ようつべ:4歳浩宮のおしゃべり「19931231皇太子妃誕生物語5」 2:20〜

◾ 子供が茶碗を叩いて面白がって遊ぶのはよくあることだが、徳仁の場合はお母さまに二度三度言われても、お父さまにお尻を叩かれても止めず、ついには罰として外に出されるまで茶碗叩きを止めない、異様過ぎる茶碗叩き遊び熱中事件

『浩宮さま』浜尾実著

p.52より抜粋
 浩宮さまは、両陛下からはもちろんのこと、私からもよく叱られたものであった。
 お食事のことで両陛下が厳しかったために、お叱りをうけるのはお食事の前後が多かったようである。一般にスプーンを使って自分で食べられるようになった子供は茶碗を叩いて面白がることがある。浩宮さまもそういう時期があった。
 「イケマセン」と皇后さまがやさしく言われるのだが一度でお止めになるときとそうでないときがある。
 二度三度言われてもおききにならないときは、陛下のご出馬となる。陛下はしばしば浩宮さまのお尻を叩かれた。あるときはその茶碗叩きをお止めにならないという理由で庭にだされたこともあった。
≪Part1592-703発掘奥様によるご紹介≫

◾ 1964年3月に皇太子殿下(当時)と美智子さま・浩宮(4)が千葉県房総半島旅行、吉田屋旅館で初めてスリッパを出されどうしてよいのかわからず固まってしまう、ごゆっくり風味事件
ソース:2007/11/07秋の皇室番組SPでの「皇太子ご一家房総旅行でのスリッパ履き替えエピソード」
◾ 1964年10月浩宮(4)はじめての学習院幼稚園運動会、「カゼをひかれたあと」との理由で何故か一人だけござの上で寝転がる姿を披露事件
ソース:『週刊平凡』サヨナラ1964写真集あの日あの時12月10日増刊号<ボクは赤組 秋の運動会>グラビア
◾ 1965年秋、当時の皇太子ご一家が軽井沢静養で作家・川端康成氏の山荘を訪問、その際5歳半過ぎの浩宮は挨拶もなしにビスケットを6つ7つ立て続けに食い、そのまま「おさきに」とだけ言って去り、川端氏に「かういふ習はしがおありなのだらうか」( ゚д゚)ポカーソとせしめる事件

『川端康成全集 第十二巻』新潮社、昭和四十五年五月十日発行

pp.321-329「美智子妃殿下」より抜粋引用
 新宮(=礼宮)さまのご安産、そしてご命名の日を迎へられたのを、私もおよろこびする國民であるとともに、私ひとりのひそかなよろこびも、それに加わつてゐる。ご安心といつては、あるひは失禮にあたるのをおそれるが、ご出産の(1965年)十一月三十日の五十日ほど前、皇太子ご夫妻が軽井澤をお引きあげになる二日ほど前、美智子妃殿下が私の山小舎をおたづね下さつて、常ではないおからだに、萬々一おさはりがあつてはと、私はご心配したからである。
 軽井澤の私の山小舎に近づくと、小路に勾配がついてゐて、雨水に土の流れるのをふせぐために淺間石をごつごつ埋めてあつて、車ががたつくし、その小路から、急な段々を山小舎までのぼらねばならない。しかも、お越しくださるといふ日は、九月十日過ぎながら、千メエトルの高原のかなり冷たい雨になつた。暖爐に薪をたくほどであつた。
 妃殿下の内々のおいでは私どもはありがたいけれども、惡い小路の車のがたつきをおそれて前もつてそれをお傳へしておいた。しかし、もつともご心配のない月とかで、やはりお見え下さることになつた。下の小路に二三臺の車がとまつたので、私たちはあわてて段々をお迎へにおりた。車から出られる妃殿下に、雨がさをさしかけようとすると、妃殿下は逆に雨がさを私にさしかけようとして下さる。妃殿下はさういふお方である。
・・中略・・
 ふつと私に雨がさを傾けて下さりさうになさつたのも、さういふおやさしい性である。正田家にいらしたころのしつけでもあるかもしれない。しかし、妃殿下は妃殿下おひとりの雨がさで、山小舎におのぼりになつたのはもちろんである。この日は、妃殿下だけがお越し下さるとのことであつたが、皇太子殿下と浩宮さまも、下の細道まではごいつしよで、山小舎の上がり口で車をお降りになつた。私たちはそこでごあいさつした。
・・中略・・
 とにかく産月近いおからだで、私の山小舎へおいでいただいたのも、なんのお障りもなかったことで私たちはうれしい。そのときは暖爐に薪をたいて、およそ二時間ばかりお話をした。
 思ひがけないことには、皇太子殿下が愛宕山の帰りにお迎へにおいでになつた。この夏は、浩宮さまをお鍛へになるおつもりで、小淺間をはじめ、軽井澤の小山を六つか七つお登りになつたさうだが、その日は愛宕山にお登りになる豫定で、冷雨のなかを實行されたらしい。愛宕山もてつぺんのあたりは車が行かない。私の山小舎の下の細道へおいでになつた皇太子殿下は、洋服の半身がお濡れになつてゐた。少しお休み下さいませんかといふと、浩宮さまとごいつしよに山小舎へあがつていらした。
 浩宮さまはおなかがすいていらしたのか、ビスケツトを六つ七つ、たてつづけに召しあがつた。そして間もなく、「おさきに。」とおつしやつて、おひとりでさつさと扉をお出にならうとした。かういふ習はしがおありなのだろうか。浩宮さまがお出になつて、皇太子皇太子妃殿下もお帰りになつた。妃殿下は皇太子殿下のお車で、皇太子のご運轉は石のごろごろを避けて、お靜かで、お見送りの私たちは胸をなでおろした。もし、皇太子殿下のご運轉などとわかれば騒ぎで、これも軽井澤のご自由のひとつであらう。
(東京新聞昭和四十一年一月四日初出。旧仮名遣いは原文ママ、旧字体は一部新字体に改めている。丸括弧は補足記載で原文にはなし)

◾ 幼少時の家族ハイキング時、皇太子殿下(=今上陛下)は常にリュックの中に分厚い植物図鑑をお持ちになり興味のある植物を見つけては立ち止まって調べられるのに、一方浩宮はマイペースでどんどん歩きたいと陛下と一緒に立ち止まらなくてはならないのが面白くなく、ある時お二方は険悪な雰囲気に…それを美智子様がとりなした事件

『岳人』1997年6月号への徳仁寄稿文より、ttp://www.youtube.com/watch?v=RNeZDm_EyCA 参考ナレーション入りYoutube映像

五歳のとき、父に連れられて初めて、離山(はなれやま)へ登って以来、軽井沢近辺の山々を歩くのが好きになった。父は山登りの途中、たとえ花のない植物であっても、興味を抱いて足を止めおもむろにリュックサックから分厚い原色日本植物図鑑を取り出す。そのたびに、頂上に早く着きたいという私の望みは絶たれるのであった。母の回想によれば、父のたびたびの停車に業を煮やしたのか、山頂に到着したとき父と私との間には一種険悪なムードが漂っていたそうである。

『岳人』2005年10月号 東京新聞編集局長水野和伸<山での皇太子さま 担当記者同行記>記事 p.18より引用
足慣らしという奥多摩の棒ノ折山では、(徳仁)殿下一行のペースの速さにギブアップする記者が続出した。

※今上陛下(当時皇太子殿下)によるゆったりハイキング理由については、重い荷物・機材を運んでいる随行員とマスコミ記者を気遣ってのことと言われている。大人になったナルちゃんがこの配慮を理解できたかについては、後掲「だらしないですね」事件からして、かなり疑わしいと言わざるを得ない。

◾ 1965年10月3日学習院幼稚園運動会にて同年11月末に後の秋篠宮殿下をご出産される臨月の美智子さまもご観戦、ナルちゃんはフォークダンスの相手をすっぽかして見学予定のお母さまに走り寄ってダンスの場に引っ張り出してしまうという、幼稚園児だからしょうがないけど相手の先生の立場ないよね事件

MSN産経【皇室ウイークリー】(153)愛子さま、メディアがプレッシャー?「ナルちゃん」の運動会を振り返る 2010.10.9 07:00

 愛子さまの運動会の様子は次回の皇室ウイークリーで詳しくご紹介することにして、今週は45年前に行われた学習院幼稚園の運動会を取り上げたい。主役は当時5歳だった皇太子さま(浩宮さま)だ。
 「ナルちゃん楽しい半日 学習院幼稚園の運動会」。昭和40年10月4日の産経新聞朝刊はそんな見出しで、浩宮さまの元気なご様子を伝えている。浩宮さまは綱引きとタマ入れの競技にご出場。「顔をまっかにしてふんばったり、元気にタマをなげる姿に、ご両親はいかにも楽しそう」。当時皇太子だった陛下の様子も「ほかのパパ、ママにまじって、三角帽子をかぶり、二人一組で、フラフープの輪をくぐりながらのかけっこ。こんどはナルちゃんが大声援」と紹介している。
 他社の報道だが、当時皇太子妃だった皇后さまは、礼宮さま(秋篠宮さま)の出産を間近に控えていたため、母子が手を取って踊るフォークダンスはご見学の予定だったが「浩宮さまは相手の先生をすっぽかしておかあさまのところに走り寄られていた」。リレーでは「軽井沢できたえられた健脚をみせて力走、ご両親も身を乗り出すようにして声援をおくられた」と、運動会を楽しむご一家の様子を伝えている。
 
参考画像:
1965年10月3日 東京・目白の学習院幼稚園で美智子さまとフォークダンスで手をつないでいる浩宮
1965年10月3日 学習院幼稚園の運動会で美智子さま(ご懐妊中)の耳元で何かを囁く5歳の浩宮。この翌月11/30礼宮殿下ご誕生
1965年10月3日 学習院幼稚園運動会で浩宮が、当時ご懐妊中で見学のみの予定だった母美智子さまに遊戯を一緒にするようねだる事件連結画像(TBS「ひるおび!」2010/10/12)

◾1965年12月、弟礼宮の世話に明け暮れる母美智子さまに「子犬のガイコツ」をプレゼント、母親の気を引きたがる年頃だからしょうがないけど現在だったら間違いなくサイコパスの萌芽扱いされるよね事件

女性セブン1966年2月16日号デラックス版 浩宮さま満6歳ご誕生記念特集号<特集=浩宮さま満六歳のお誕生日おめでとう 少年になった「ナルちゃん」の素顔 いたずら坊主でテレビっ子 もの知り博士でフェミニスト ママに子犬のガイコツをプレゼント>記事一部より引用

 昨年(補足:1965年)十二月、ナルちゃんが一人で葉山のご用邸にお行きになったときのこと――
 東宮御所で礼宮さまのご養育に専念なさっている美智子さまに、ナルちゃんから画用紙のお手紙がとどいた。
 ひらいてごらんになると、なにやらガイコツらしい絵にそえて、鉛筆がき。
『いぬのがいこつ、おおくりします。なるひと』
 とんでもないプレゼントだわ、まさかほんとに‥‥と ・・中略・・
「おたたちゃま、これおみやげですよ」
 ナルちゃんのにこにこ顔につられて、ついうっかり箱をあけられた美智子さまはびっくり仰天。
 なかには、お手紙どおり、子犬のガイコツがごろりところがっていた。
“まあ、こんなもの!”とおしかりのことばが出そうになったが、ナルちゃんは得意満面‥‥。

■第2期−初等科時代−■編集
◾ 小学校低学年時代、当時の東宮侍医であった緒方安雄氏のポケットに勝手に手を突っ込んで飴を奪い取る、ほとんどサル並みの振る舞いをしていた事件

元東宮侍医医学博士・緒方安雄著『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

p.174より引用
 それはいつごろであったろうか?
 たぶん浩宮さまが小学初年級ごろであったと思う。
 私は煙草を吸わないのでそのかわりにドロップを数個いつもポケットにいれていて、ときどきなめることにしていた。
 ある日のこと、私の上衣のポケットがふくれているのに気づかれたのか、突然ポケットに手を入れて、そこにはいっているドロップをつまみ出された。
「これアメ? 食べてもいい?」
 とお聞きになる。私は躊躇した。妃殿下が正しく行っていらっしゃる宮さまの食生活を破る恐れがあるからだ。
 しかし、ついには負けて、どうぞということになり、宮さまは嬉しそうに、そしておいしそうになめていらっしゃる。

◾ 勉強もしたがらず好きな教科もないナルちゃん、母美智子さまに授業参観に行くのが気が重いとまで感じさせる事件

『美智子さまのおことば』河原敏明、講談社文庫1997年12月15日発行

pp.107-108より引用
ナルちゃんはなかなか勉強しなくて困ってるの。学校は好きなんだけど、これといって好きな学科はなく、学校で好きなものといえば、野球ぐらいじゃないかしら。教育熱心なお母さまが多いから、授業参観に行くのが、とても気が重いこともあるのよ。
ナルちゃんはとてもユニークな存在でしょう。今のところまだ勉強に意欲がでてこないようなので、他のお母さまに見られるのがとても気になるの。  (初等科に入学したころ、親しい友人に)
 
当時、学習院では年に一回全校授業参観が開かれていた(学年のものは年十回近く)。
未来の天皇と同級生になったのだから、同級生の父兄たちは、こぞって授業参観にやって来ては、美智子さまと浩宮に熱い視線を注いでいたことだろう。
美智子さまはは、それを「ユニークな存在」と語っている。しかし、そのお悩みは、「なかなか勉強しなくて」「授業参観が気が重いこともある」などと、ごく普通の母親の悩みとかわらない。
それにしても、珍しく率直に心情を吐かれたものである。

◾ 学習院初等科入学した頃の授業参観にて、教科書を読むだけのことにも四苦八苦、母上美智子さまの顔色を変えさせる事件

『週刊朝日』1980年10月24日号 やんごとなき方々の御日常p.37より引用

(『デキゴトロジー vol.1 ホントだからまいっちゃうの巻』新潮文庫 p.252にも所収)
 浩宮様が学習院初等科へ入学されたころの話。
たまたま美智子妃も参加された授業参観の日、なんのはずみか宮様に順番が当たり、教科書を読まれるはめになった。しかし、なかなかすんなりと読めず、四苦八苦される彼を見て、だんだん美智子妃の顔色が変っていった。
 とどめは先生の、
「お家でもう少し勉強してきなさい」
の一言であった。美智子妃は、がっくりと首うなだれ、すごすごと帰途につかれたのである。

◾ 幼少時、遊び相手だった養育係浜尾実東宮侍従の息子さんと一緒に、東宮御所で飼っていた熱帯魚を解剖してそれをそのまま放置し遊びに出かけ、父上である明仁皇太子殿下に片付けをしなかったことをこっぴどく叱られる事件

浜尾実著『ほめ方上手の親学―頭のいい子になる急所しつけ法』青春出版社プレイブックス新書(1984年)

 東宮御所である日、小さな事件がありました。
 私(=浜尾実氏)の息子は宮さまと年齢が近かったこともあって、お遊び相手としてときどき御所にうかがっていたのですが、宮さまのお部屋にある水槽から熱帯魚をとり出し、二人で解剖してしまったのです。いくつか年上の私の息子のほうが率先してやったに違いないのですが、その解剖した魚の残骸をそのままにしておいたのが殿下に見つかってしまったからたいへんです。
 そのとき宮さまは殿下から大目玉をいただいたのですが、殿下のお叱りは魚を解剖したからということでなく、魚の残骸の後片付けをしないでお庭に遊びに出かけてしまったということだったのです。
 俗にいわれる「ナルちゃん憲法」の一つに「”ながら病”はできるだけ避けること。靴を履くときなども『靴を履いたらおんもネ』といいながら靴を履くことだけに集中させること」という項目があります。
 宮さまはこのとき、涙で顔をクシャクシャにさせながら、ぞうきんで床をふいておられました。
≪Part1565-504・523発掘奥様によるご紹介≫

◾ 1967年8月18日長野県軽井沢静養中、浜尾実東宮侍従とともに小諸市の青果市場を社会見学する当時7歳4ヶ月のナルちゃん、見学最中に桃の甘い匂いが漂い、食欲が刺激されたのか思わず指を咥える、小学校低学年とはいえお出かけの場で幼稚すぎる振る舞いでは?事件
ソース:『女性自身』1993年9月14日号<発掘!皇太子さま桃のいい匂いに思わず指が…26年前の夏休み、長野県小諸市の青果市場で可愛いハプニング>グラビア
◾ 1967年11月30日礼宮2歳誕生日、7歳9ヶ月の徳仁が一家映像撮影中主役の弟にばかり注目が集まっているのが不満で世話をしているお母様の気を引くためか、急に顔をチャッキー表情にして大声で喚く事件
参考:YTVミヤネ屋2008/09/08よりキャプ連結画像
◾ 叱られた徳仁が罰として夜家の外に出されるも、夜の庭についてお母さまに熱心に語り、叱られた意味を全く理解していない事件

『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

p.44より引用
 若宮さま方は、六歳頃までに、かなり厳しいしつけをお受けになる。お父さま殿下に、暗いお部屋に入れられたり、夜のお外に出されたことも、おありになる。しかし、お叱りになる一方、十分おかわいがりになる。この二つはしつけに欠くことのできぬ両輪である。
(中略)
 両宮さまの叱られぶりも、それぞれ面白い。
 浩宮さまは、放り出された夜のお庭の素晴らしさを、夢中になって、お母さまにご報告になった。

◾ 叱られた徳仁が罰として廊下に立たされ晒されている状態が嫌になり、無邪気に一緒にいた弟礼宮を巻き込み歌を歌ってごまかす事件

『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

pp.45-46より引用
 浜尾侍従は、この浩宮さまのお仕置きの別の光景を、次のように話している。
 浩宮さまが罰として立たされた廊下は、侍従やその他の職員が通るところで、罰せられるつらさよりも、これらの人に見られることのほうがつらかったようだ。
 そのうちに礼宮さまが、
「お兄ちゃま、なにしているの? ボクもいっしょにいてあげるよ」
 というふうに並んでお立ちになった。が、ていさいの悪いことには変わりがない。そこで、浩宮さまは、一計を思いつかれた。それは歌を歌うことであった。歌っていれば罰で立たされているとは誰も思わないであろうというわけか。
 ともあれ浩宮さまは、大きな声で歌いはじめた。礼宮さまは、とつぜん歌いはじめたお兄ちゃまの口もとをポカンと見ておられたが、ご自分は何をなすべきかを、すぐに了解され決意したようで、ご自分もたどたどしく歌いはじめになった。まさに二重唱というべきである。
 このご様子をご覧になった妃殿下は、
「もう叱られたことを忘れてしまったでしょうね」
 と、思わずほほえまれ、やがて、ご自分も楽しそうに合唱に加わられた。
 内舎人があまりやかましく、お叱りしたとき、浩宮さまは私のいた第二内廷の部屋へはいっていらして、
「ああ、ボクは内舎人になりたいよ。叱ってばかりいればいいんだもの」と、心からではなく、なかばからかう気持ちで嘆いていらしたことがあった。そのときお兄さまといっしょだった礼宮さまも、
「そうだ、そうだ」と、協同作戦をとっていらした。

※【スライド】の項目も参照されたい。

◾ 昭和45年(1970年)4月、浩宮と礼宮兄弟二人だけで大阪万博を見学することに。浩宮はこの大阪万博で「一回だけ」の約束だったアトラクションに「もう一度乗りたい」と言い張り、同行した養育係の浜尾実侍従がそれを許してしまう事件
兄弟が行く先々は当然警備で閉切り、待たされたり利用を制限された一般人もいた。浜尾実氏が後年TVインタビュー(1972年4月放映「ぼくら一年生」)で笑いながらそのエピソードを披露するが、当時そのあおりを食らって待たされた人々はたまったものではない。
当時画像:1970年4月 同上大阪万博を兄弟二人だけで見学する浩宮と礼宮(赤服コンパニオンの後列左端は浜尾実侍従)

浩宮様と浜尾実さん http://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw

1972年4月15日放送「ぼくら一年生」引用映像あり、5分15秒あたりから
女性司会:昭和45年大阪で開かれた万博。
浜尾実 :いろいろなところをお供しておりますとね、帰ってから、浜尾さんああいうものがあったね、あれはよかったねとか、面白かったねと、いろいろおっしゃってくださるんですけども、実は私は見てるようなふりをして全然見てない(笑)宮さまのことが心配で、怪我をなさらないだろうか、転ばれないだろうか、少し寒くて風邪ひかれないだろうかとかいうことばかり気にしておりますのでね。ほとんど憶えてないんです。
女性司会:大変ですねえ。
浜尾実 :(笑)
女性司会:本当あの、浩宮さまは本当に子供らしいというか、嬉しそうですね。なんかこれあの待望の(浩宮がボートアトラクションに乗っている映像について)、2回お乗りになられたんでしょ。
浜尾実 :一度というお約束だったんだけども、「浜尾さんもう1回いいでしょ」とおっしゃって2回お乗りになったんですね。
女性司会:それであんな嬉しそうな。
浜尾実 :これは番外なんです(笑)

◾ 大阪万博見学で、偶々一緒になった小学生の女の子に執着し、当人はその場から去ってしまったのに「あの子がいないといやだ」と探し回らせ周囲を困らせる事件≪2ch書き込み≫

ニュース速報+板より【皇室】 眞子さまと佳子さま、卒業式★2

802 名無しさん@十周年 sage 2010/03/22(月) 22:12:30 ID:gdgyskiR0
>>784
うちの叔母は大阪万博の時に浩宮様と一緒に自動車に乗るイベントで選ばれたんだ
でも派手がましくて拒んだら、浩宮様が絶対この子でないと嫌だっておっしゃられて、
場内放送で探されて強制的に乗せられたんだよ
その話し聞かされてそこまで執着するって意外だと思った。

◾ 大阪万博にて取材カメラの前で「シェー」をしてみせる事件
◾ 一家で浜名湖静養の折り、養殖ウナギを見学した浩宮は自分では手を出さず、浜尾実東宮侍従に「つかんでみたら」と言う、自分が嫌なことを他人である大人に命じてやらせようとする臆病ぶり事件

『週刊現代』2009/1/24号<再生&激変'09年の論点/雅子妃には「離婚」という選択肢もありうる>当時浜名湖同行取材していた渡辺みどり記事

p.33より引用
 皇太子と秋篠宮の性格の違いを物語るエピソードで、思い出されるのが昭和40年代にご家族で浜名湖に行かれたときのことです。
 養殖されているウナギの桶を覗きこんでいた浩宮は、自分では手を出さず、東宮侍従の浜尾実さんに「つかんでみたら」とおっしゃった。一方の礼宮は桶にひょいと手を入れ、ウナギをつかんで振り回したんです。
 いま皇室のなかで、秋篠宮の存在感がだんだんと大きくなっているように感じられますが、あのときのお二人の様子は、鮮明な記憶として残っています。

◾ ロイヤルボックスでサーカス鑑賞の徳仁、ひじをつく行儀の悪さを何度も浜尾実侍従に注意され、しまいには肘を強く払われるという実力行使まで受けてしまう、公衆の面前で注意されてるのに鈍すぎやしないか?事件

『週刊女性』2010年9月21日号<不登校発覚から6か月 新学期の課題を識者3人が緊急愛のムチ提言「愛子さまは、ご挨拶くらいちゃんと…」>表紙

pp.29-30より引用
渡辺みどり
「・・前略・・皇族としてのマナーやお気遣いは、やはり小さいころからしつけをしないと身につかないと思います。
 皇太子さまが子ども時代、ロイヤルボックスでひじをついてサーカスを鑑賞されていたことがありました。それを当時の浜尾実侍従が何度も注意して最後には、ひじを強く払ったこともありました。
 時にはそういう強いしつけというものが必要なのです。・・後略・・」

※後に娘愛子を連れて一家で神宮球場野球観戦をすることになるが、その折の愛子肘つきを父親としても全く窘めないというオチがついている。
参考画像:2009/7/12東宮一家野球観戦@神宮球場 だらしない肘付き姿の愛子に、それを全く注意しようともしない雅子と徳仁

◾ 学校でミカンが配られたが、皮の剥き方が分からずそのまま持ち帰る事件

『殿下の料理番―皇太子ご夫妻にお仕えして』渡辺誠著、小学館文庫(2002年)

p.38より引用
 陛下や殿下のご日常のお食事では、「お直し」と言って、フルーツもすべて手を加えてからお出しします。たとえば、ブドウであればひと粒ずつすべて皮を剥き、種を取り除きますし、ミカンもオレンジも皮を剥き、わかりやすく言えばミカンの缶詰めのような状態にして、召し上がっていただきます。
 これについて、こんな話を聞いたことがありました。
 現在の皇太子殿下がまだ小学生や中学生でいらしたころのこと。学校でミカンがひとつずつ配られたことがあったのだそうです。ところが、お直しのミカンしかご存じなかった殿下は、ミカンの皮の剥き方がわからず、そのまま持ってお持ち帰りになりました。その話をお聞きになった美智子さまが、なにごとも皇室のやり方だけでなく、世間一般ではどのようにされているかということも殿下には知っていただくようにしたい、とご要望になったと伝えられています。

◾時期不明であるが小学生ぐらいか? 学習院時代生徒の一人が食べていたお弁当の中身に興味を持ち、わざわざお付きの人員(浜尾実氏?)に質問させ、めでたく赤いタコさんウインナーゲット事件

ツイッター書き込み(WebArchive記録、魚拓記録)

高校の恩師が学習院出身で、当時お弁当食べてたら遠くから皇太子様が見てたらしく、お付きの人が寄ってきてタコさんウインナーのことを「その赤いのは何ですか?と殿下が質問されております」て言われたそう。「良かったら召し上がられますか?」て差し出したら喜んで食べてくれたんだって言うてた。
17:44 - 2015年9月20日

◾ 学習院短大OG奥様書き込み“「ナルイニさんは授業中に前席の男の子のうなじを舐めたらしい。」という噂を聞いたこともありました。”≪2ch書き込み≫
◾ 1971年冬、苗場スキー場からの帰りに一家で雪道を歩いている折、すぐ隣で父上皇太子殿下が滑って転んだのにぼーっとしたまま何もしない事件、また転んだお父様の真似をして尻餅をついてみる弟礼宮の真似をして転ぶという、世間一般では兄の真似を弟がするものなのに、弟の真似をする5歳年上の兄事件
ソース:1971年冬 雪道で滑って転んだ父上に手を差し伸べる礼宮と、見ているだけの浩宮(72年とあるのは誤り)
女性自身別冊 1971年4月皇室特集号<パパがころんだからボクも……>苗場国際スキー場から帰られる際雪道で転ばれた父皇太子殿下を真似して尻餅をついてみる礼宮と更にその真似をする浩宮モノクロラビア
◾ 時期不明であるが小学生ぐらいか? 浜尾実東宮侍従宅官舎へ遊びに行って「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」とのたまう事件

女性自身別冊 1971年4月皇室特集号、浜尾実氏インタビュー記事より浩宮「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」

 いつのことだったか、浩宮が浜尾さんの官舎へ遊びに来られたとき、とつぜん、
「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」
 と言われたことがあったそうだ。それは子供らしいとっさの感じを親しみの中で言葉にされたのだろうが――正直のところ雨漏りのする官舎である。


■第3期−中等科時代−■編集
◾ 学習院中等科1年に進学した浩宮、成績表を持ち帰り「おたたさま、お点が赤座布団の上に乗っかっているよ」と母美智子さまに報告。成績の悪さを赤いアンダーラインで注意書きされるほどに勉強は不出来だった事件

『フォト・ドキュメント 浩宮さまのとっておき会話 お誕生から、ご婚約へ』松崎敏弥、光文社1987

p.30より引用
中等科1年生の成績表
浩宮「おたたさま(お母さま)、お点が赤座布団の上に乗っかっているよ」
(中等科1年生のとき、成績表を学校から持ち帰られたが、成績表に赤いアンダーラーンをひいて注意書きがひとつあった。浩宮さまのユーモラスな表現に美智子さまも思わず苦笑を)

◾ 初等科の頃から登校時に振り返って母美智子さまに向けて行ってきますのお手振りしていたナルちゃん、なんと中学に入っても続けていてついに美智子さまから「もう、やめましょうね」と言われてしまう事件

『美智子さまのおことば』河原敏明、講談社文庫1997年12月15日発行

p.108より引用
もう、やめましょうね。    (浩宮が中等科に進んだときに)
 
初等科時代は、浩宮は登校するとき、見送りに立つ美智子さまに振り向いて手を振る習慣があった。
この言葉を口にすることは、美智子さまにとってもお辛いことだったろう。
「中学生になって、大人になったのだから……」と心を鬼にして、ご自身の子離れのためにもこうおっしゃったのではないだろうか。
(Part2233-797奥様ご紹介)

◾ 3歳の妹紀宮について12歳浩宮が言葉を求められ、「サーヤはキラキラで一生懸命ね」と年齢の割に幼すぎる発言、取材記者が何とかフォローしてあげる事件≪2ch書き込み≫

Part1555-918 可愛い奥様 sage 2009/05/21(木) 16:02:50 ID:+Iwr5zMqO

サーヤの三歳(白いワンピース着てスキップしてる写真付)のお誕生日の記事に、兄の浩宮さまの妹評が載っていた。
“サーヤはキラキラで一生懸命ね”
私が今でもその記事を覚えているのは、その後に続く記者の方の〆の文章のせい。
“意味はわからないが何となくわかる表現。”って書いてあった。
当時浩宮さまは12歳6年生なのに、妹のこと聞かれた答えが記者さんに目一杯フォローされてるって、子ども心にもびっくりした。
何となく雅子さんと話が合うわけだよね。
 
Part1556-20 可愛い奥様 sage 2009/05/21(木) 19:00:02 ID:QVqmm75/0
>>前スレ918
>サーヤの三歳(白いワンピース着てスキップしてる写真付)のお誕生日の記事に、兄の浩宮さまの妹評が載っていた。
>“サーヤはキラキラで一生懸命ね”
 
>当時浩宮さまは12歳6年生なのに
 
サーヤ3歳の誕生日なら1972年の4月18日。
ナルさんは1960年2月の早生まれだから12歳中1だよ。

◾ 中学生のとき、知人に送った年賀状で「賀正」の賀の字の貝が横一本足りなかったのが、はっきりTV画面に映った事件
◾ 中等科時代、数学の家庭教師の授業を受けていた折、問題の答を間違えることが嫌でなかなか解答を示そうとしなかった事件

浩宮の学習院高等科時代の主管=担任であった小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年3月27日第一刷発行)、pp.21-22より引用
 ――高等科の数学科の佐藤茂人教諭が、中等科時代の浩宮の家庭教師をつとめていたことがある。その時の話で、浩宮は自信がないと練習問題の解答をなかなか示そうとしなかったとか。数学の誤答を提出することを、嘘をつくことと同義に考えていたという。中等科の彼には「誤答」→「嘘をつくこと」=「いけないこと」という、常識では考えられない思考の枠がはめられていたといえよう。

◾ 中等科時代、東宮御所で家庭教師の授業を受けているときに「窓を少し開けた方がいいね」と言われて窓を全開、「もう少し閉めて」と言われて今度は全部ぴたっと閉めてしまう、窓の開け閉め加減が理解できない事件

小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、pp.73-73より引用

 この学年の相(原文ママ)主管の佐藤茂人教諭が、浩宮の中等科時代に数学の家庭教師を引き受けていたことは先に述べた。
 冬の東宮御所での勉強中、部屋の暖房が利きすぎているので
「窓をすこしあけた方がいいね」と言うと、全部開放し、しばらくして
「もうすこし閉めて」と言うと、ぴたっと閉めてしまった。
 ――「浩宮には、窓をちょうどよく開けたり閉めたりするってことが出来ないんだ。自分で窓をしめたりあけたりする習慣が、小さい時からなかったんだろうね」と佐藤さんは言い「だから家庭教師に行った時には、なるたけ自分の部屋の窓のあけしめをやらせたんですよ」と語ってくれた。
 きちんと決められたことはできるが、きわめて日常的な、小さい時からわれわれが日々の生活の中で自然に身につけるもの、生活の知恵ともいえないような文字通り「瑣事」にうとい点が浩宮にあるのは、やはり否めなかった。
 美智子妃の母親としての細かい心づかいがあったとしても、あの東宮御所で多くの側仕えの人々に付き添われた生活では、そこまではカバーできなかったということだろう。

◾ 中等科3年生当時の徳仁を美智子さまが「浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています」と評する、反抗期には全く無縁っぽい「PURE」風味で寧ろ心配すべきじゃないの?事件

河原敏明著『美智子さまのおことば 愛の喜び・苦悩の日々』講談社文庫(1997年)、p.112より引用
客観的に満足かということではなく、わたくしの感じで言えば、浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています。浩宮を大切に思っているとしか申し上げようがございません。(昭和49年10月お誕生日記者会見)

◾ 中等科修学旅行の宿泊先部屋で枕投げが始まり、同級生の皆は空気を読んで浩宮には当たらないように投げ合っていたのだが、それが「おもしろくなかった(原文ママ)」浩宮はある男子生徒の後頭部を枕で力任せに叩き、その生徒は思わず反撃、ナル顔面に枕がヒットし大量鼻血事件≪週刊女性2010年3月30日号 学習院“深イイ”話7連発 その3 修学旅行の枕投げの夜に起こった…皇太子さま流血事件≫

■第4期−高等科時代−■編集
◾ 1976年、知的障害児童施設「ねむの木学園」の宮城まり子園長がご招待を受け園児の絵画作品を持参し東宮御所参内、皆夢中になって鑑賞しているのを面白く思わなかったのか「わたくしのは?」と当時高等科の浩宮が空気読めない発言、それに間髪入れず「あなたのは、1枚残らずちゃんっと、しまってございますよ」とKY徳仁のあしらい方を心得すぎな母美智子さま、絵画で注目を集める知的障害児童の存在に次々代天皇予定者が嫉妬事件

2009年4月12日皇室日記スペシャル「両陛下がはぐくまれたねむの木の絆」より

久能靖:どういうきっかけだったんですか、最初に(美智子さまと)お会いになったのは?
宮城まり子:最初? きちっとお会いしたのは、絵を見たいからって言うので、東宮へ絵を持っていったんですよね。で、見ていただいたとき、皆夢中になっちゃったんですよ。
ったら今の皇太子が、ちょっと嫉妬心かな、「わたくしのは?」とお聞きになったの。ったら皇后さまがね、間髪入れずに「あなたのは、1枚残らずちゃんっと、しまってございますよ」と仰ったの。
そしたらニコーッと笑って、「そう、ありがとう」って言われたときの、その間髪入れずのお母さまの答っていうのは、これは素敵なお母さんだなーって思いました。
<当内容記録連結画像>
※当事件は『女性自身』2009/4/21号 p.52<ご成婚50年愛の秘話「皇后さまは“日本中の子どものお母さま”」>宮城まり子氏記事でも触れられ、1976年の出来事と判明している。浩宮が誕生日を迎え新年度に入っていれば、16歳高等科2年生である。

◾ まだ学生の時、テレビに映って本人が「子供の頃に、僕の家には国道が走っているって言ったら、級友に驚かれまして...(笑)」と無邪気に言っていた事件
◾ 学習院時代の皇太子は人の噂になるほどの存在感がなかったらしい。担任の先生も「身分がなければ記憶に残らない生徒だった」といわれてる事件
◾ 学生時代に教室の掃除をした時に、皇太子の机を動かそうとして机が倒れ中から寒い点数の答案用紙(本来なら親に見せるもの)がいくつも出てきて、皇太子は「エヘヘヘヘ…」と笑ってごまかした事件
◾ 同級生がトイレでタバコを吸ってる間見張りに立たされてた、断るでもなく注意するでもなく、ただただ利用される事件

『週刊現代』1993年1月23日号 p.25より引用

 一方、皇太子は学習院高等科3年のころ、殿下の悪友仲間が学校のトイレの中でタバコを吸った。そのとき、たまたま居合わせた殿下に、「先生が通りかかったら教えてくれ」と、廊下での見張りを頼んだ。頼まれた殿下は抵抗するでもなく、
「あ、そう」
 と数分間の見張り役をお引き受けになったそうです。

◾ テニスをしてる女子生徒に玉拾いを命令されてた事件
◾ 友人を集めて御所のプールで泳ぐ会を開催、そのとき余りの広さに迷子になってしまった友人の「あまり広いので……」に対し、「そうだね、これもみんなのおかげですよ」ワケワカメ受け答え事件(時期不明なので、便宜的に証言の賀陽正憲氏が同級生だった高等科時期に入れておきます)

『皇室アルバム』vol.10(右)、vol.11(左)<素顔の皇太子殿下を語る お二人の呼吸はぴったり 賀陽正憲(談)>記事(注:vol.10も11も同内容インタビューであるが、vol.11については一部訂正の上再構成している)

p.64より引用
 殿下は常に「みなさまのおかげ」という気持が強くあるようです。ある時こんなことがありました。御所のプールで泳ぐ会があったのです。この時参加した一人が迷子になってしまった。そのうちに出てきましたが、そのとき迷子になった人が「あまり広いので……」と言ったそうです。殿下は「そうだね、これもみんなのおかげですよ」と言われました。

◾ 学生時代、学食のカレーを肉多めに盛ってもらおうとして、厨房担当の女性にたしなめられた事件

小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、p.67より引用

 ごく稀にではあったが、浩宮も高等科食堂を利用することがあった。浩宮自身が食堂の昼食に興味を持ったためかもしれない。
 カレーライスを注文して、食堂の賄いの女性に
「お肉をたくさん入れてください」と頼んだが「高等科のカレーライスは安いでしょう、だからお肉はあまり入っていないのよ」と言われて
「そうですか」と納得していた。そんなこともあった。
 生徒は普通、食堂のカレーライスがどの程度のものか、よく知っていたから「お肉をたくさん……」などという場違いな注文を口にすることもなかったが、そんなところにも世間知らずという意味での浩宮らしさが覗いていた。

◾ 学習院男子高等科二年時、第二学国語として選択履修していたフランス語を、恐らく浩宮の頭脳スペックでは授業についていけなくなって放棄、それについて担任が尋ねると「ええ、いろいろ事情がありまして……」と誤魔化す事件

小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、pp.23-25より引用

 このあと(補足:当時の皇太子殿下と美智子妃殿下揃っての父母面談で話題が変わり)美智子妃は
「二年になってフランス語をやめてしまいましたが、苦手と申しましょうか、ちょっと不安があったようなのです」
 と、浩宮のフランス語の選択放棄について触れた。浩宮は高等科一年で第二外国語として選択履修していたフランス語をに、二年になるに当たって放棄していた。
 私がこの件について、五月はじめのホームルームのあと、浩宮に雑談風に
「フランス語をやめたんだね」と訊くと、
 浩宮は少し眩しそうな目つきをして
「ええ、いろいろ事情がありまして……」と曖昧な応え方をした。私はそれ以上深く追求しようとは思わなかった。
 高等科では一年次に必修の英語以外に第二外国語として、ドイツ語、フランス語のいずれかを選択必修できるコースがある。しかし第二外国語は、二年、三年と進むにつれて負担が大きくなり、三年では一日に少なくとも一時間、ときには二時間連続の曜日もあって、その日は朝から五十分授業が八時限で夕方五時に終了という具合である。そのため二年になる段階で諦めて選択放棄する生徒があった。
 浩宮もおそらく、その学習負担増と、そこからくる全般的な成績の低下を懸念したのではないか。学習院大学への内部進学推薦基準は、高等科の一、二、三年の全教科平均点が各学年六十点以上というハードルが設けられていた。フランス語の担当教員にきいたところでも、フランス語の成績は他教科に比べて低かったようだ。
「ご本人も“いろいろと事情がありまして……”と、言っておられました」
「そうですか」
 両殿下は顔を見合せ
「将来のことを考えて、英語の他にフランス語も馴れておいた(原文ママ)方がよろしいかと思い、高等科に進むときに薦めたのですけれど……」
 と美智子妃はやや残念そうな表情であった。フランス語は、やはり海外からの国賓などを念頭に置いての将来的な配慮の一環だったのだ、と私は納得した。
 フランス語の選択放棄について美智子妃がとくに話題としたのは、浩宮が私に訊かれたことをご両親との間で話したためかもしれない。いわば浩宮の「いろいろと事情がありまして……」という発言についての微妙なフォローだったのかもしれない。

◾ 高等科2年生ぐらいから徳仁が、東宮職・学校関係者らとの懇親会で飲酒(ビール)してた事件

小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社、pp.68-69より引用

 宮内庁東宮職と学習院中高等科教員チーム「クラブ服部」とのテニスマッチが、浩宮在学中は年に一回東宮御所のコートで開かれた。浩宮はじめ、当時初等科在学中だった礼宮も参加して、土曜の午後を楽しんだ。緑に囲まれたコートからは四谷界隈の高層ビルが別世界のものとして望まれた。東宮職メンバーのテニスのレベルの前に「クラブ服部」のメンバーは完敗することが多かった。
 試合後懇親会があり、ビールなどが出て、浩宮、礼宮も出ていた。
 その席で浩宮が「アーヤは負けそうになると、おこってラケットを放り出すんだから」と笑いながら話していたのが印象に残っている。両者の対比としても面白かったが、浩宮が他の人間に対して思ったことを直截に述べることは珍らしかった(原文ママ)からだ。肉親の弟ということで、リラックスした状況の中では、いかにも人間的な発言――というか、当り前のどこにでもいる兄と弟の間柄をかいま見た瞬間でもあった。礼宮は子供っぽく、しかしちょっと恥しそうに笑っていた。浩宮は二年生ぐらいからは、ビールなどもかなり飲んでいた。
 浩宮の学友として賀屋(原文ママ、59頁でも‘賀屋正憲’と記載)も参加していた。彼は浩宮と並んで観戦したり、東宮職メンバーの一員として浩宮とダブルスを組んだりした。
 彼は懇親会終了後、教員たちとともに四谷へ出て、二次会に流れる教師連に誘われると喜んで付いてきた。居酒屋に入って、末席に座った彼は、おひらきになるまでビールを飲みながら付き合い、にこにこして帰って行った。

◾ 浩宮当人の要望ではないのだろうが、学校行事で遠出する際に浩宮が乗った貸切バスは、ノンストップで運行できるよう警官が信号を手動操作・覆面パトカーが先導といった特別扱いされまくり事件

小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社、pp.35-36より引用

 たとえば貸切バスを使う場合には沿道の警備に所轄署の警官が配備され、沿道の交通信号も浩宮の乗ったバスはノンストップで走行できるよう手動で操作される。
 沼津遊泳実習、多摩湖畔マラソン大会の往復、八幡平登山合宿の際の岩手県下の交通などはこのスタイルだった。従ってとくに東京都下を往復することになる多摩湖マラソンの場合、学年別クラス順に走るバスで浩宮クラスの後に続く車両は殆ど例外なく赤信号でストップさせられた。一般の、関係ない車も同様であった。それは浩宮の乗ったバスをノンストップで通過させるため、青信号を無理に継続させたり逆に赤信号を随時青に切り換えたりするその皺寄せが後続車両や横断車両にきたのであった。他のクラスからは「ひでえなあ」という声もきかれた。当然浩宮のバスの前後には覆面パトカーが先導し追尾した。

◾ 1978年3月31日午後、東宮御所で開かれた浩宮高等科・礼宮初等科卒業を祝う会にて、礼宮がピアノ曲、浩宮がバイオリンを演奏し、その後に浩宮が当時の大ヒット曲だった石川さゆり「津軽海峡冬景色」をピアノ伴奏付きで2番まで独唱した事件

小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、序章 津軽海峡・冬景色 pp.7-11より引用

 一九七八年(昭和53年)三月三十一日、東宮御所で午後四時から、浩宮徳仁親王と礼宮文仁親王の卒業を祝う会が催された。この三月に浩宮は学習院高等科を、六歳下の礼宮は同初等科を卒業した。
 JR信濃町駅から権田原の交叉点を左折して坂を下る途中、右手に東宮御所の正門がみえる。正門には皇宮警察の詰所があり、ここで、前もって招待状とともに送られてきた参入券を提示して通る。正門からは木立の間の砂利道を過ぎて車寄せになる。
 私は四時少し前に到着した。玄関のクロークでコートと鞄を預け、入って直ぐのレセプション用の広間に通った。百名を超える、主として学習院初等科、高等科を中心とする関係者が集まっていた。
 天皇家からは皇太子(現天皇)、同妃(現皇后)両殿下が、正田家からは英三郎氏、富美子夫人が出席した。
 はじめは“音楽の会”で幕を開け、浩宮の中等科時代の音楽の先生が贈った礼宮、浩宮の卒業を祝うピアノの小曲が披露された。浩宮の誕生日のお茶の会でも、十六歳の祝いの折には十六小節からなる小曲をまずプレゼントするというスタイルをここでも踏襲したものだった。
 つづいて礼宮がピアノ曲を弾き、浩宮はバイオリンを演奏した。
 そのあと浩宮は
「高等科の先生に“津軽海峡・冬景色”を好きだとおっしゃる先生がいらっしゃるので、高等科への感謝の気持をこめて歌います」
と前置きして、ピアノの伴奏で“津軽海峡・冬景色”を独唱した。
 前年の春ごろから、新人歌手石川さゆりの歌う“津軽海峡・冬景色”はヒットしていた。
 思いがけない展開で、しかもヒット中の歌謡曲ということで、会場は一瞬「あれ?」という雰囲気でわずかにざわめいた。
 しかし、あわてずさわがず“柔らかな直立不動”とでも言いたいような感じで
  上野発の 夜行列車 おりた時から
  青森駅は 雪の中
  北へ帰る 人の群れは
  誰も無口で
  海鳴りだけを きいている
 とおさえたテナーで歌いだされたそれは、演歌あるいは歌謡曲というより、明治以来の小学唱歌の趣があった。いかにも浩宮らしい歌いぶりだな、と思いながら私も聴き入っていた。
  私もひとり 連絡船に乗り
  こごえそうな鷗見つめ
  泣いていました
  ああ 津軽海峡 冬景色
 一番で終るかと思っていると、続けて
  ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと
  見知らぬ人が 指をさす
  息でくもる 窓のガラス
  ふいてみたけど
  はるかにかすみ 見えるだけ
  さよならあなた 私は帰ります
  風の音が胸をゆする
  泣けとばかりに
  ああ 津軽海峡 冬景色   (JASRAC 出0102153-101)
 二番まで歌い終わった時、一瞬、間があって拍手が起こった。両親殿下も微笑しながら手をたたいていた。
 浩宮の“津軽海峡・冬景色”は、本来の石川さゆりの歌にこめられた未練とか悔恨とか絶望といった情念がきれいに拭い去られていた。いや、はじめからそういう情念とは無縁の、いわば風景を叙情する歌として歌われていた。そこに物足りなさを感じる向きもあるかもしれない。しかしそれが、浩宮一流の歌い方であり、清々しさを感じさせもした。
 そのあと、お茶の会に移った。


■第5期−大学・英国留学、婚約前−■編集
◾学習院OG奥様書き込み「浩宮さまは、大学1年生(18歳)の時に、大学祭で升酒をしこたまお召し上がりになってました。」≪2ch書き込み≫
◾1980年2月23日二十歳になった浩宮、成年式でいつもより早い7時頃に起きなければならないため、弟礼宮・妹紀宮・東宮職員らから借りた全部で5つの目覚まし時計で“万全の体制”をとらなければならないほどに早起きが苦手事件
◾1980年2月23日成人した浩宮、公式記者会見で理想の女性を問われ、当時お嫁さんにしたい女優ナンバー1・竹下景子の名前を挙げてしまう事件

『サンデー毎日』1980年3月16日号<拝復 浩宮さま 記者会見で私のことを「いいですね」とおっしゃったとか…… 竹下景子>記事一部

◾朝食も家族と一緒に摂らず、両親弟妹が揃って見ていた朝のTV番組「新日本紀行」も徳仁一人だけ見ないなど、やっぱり寝坊助事件

『新天皇家の自画像―記者会見全記録』(薗部英一 編、文春文庫、1989年)

昭和55年12月18日東宮御所檜の間 皇太子殿下(当時、現在の今上陛下)47歳の誕生日を前に
p.236より引用
記者  テレビの番組はいかがですか。
皇太子 テレビの方は最近はニュースですかね。朝7時のニュースを見ながら食事をする。
記者  夕方以降はどうですか。
皇太子 夕方からは、決まって見るというものは非常に少ないですね。あとは「新日本紀行」というのが、朝、日曜日にありますね、7時半から。あんなのは割に見ますね。
<補足:新日本紀行の再放送時間帯 1978年4月9日-1982年3月14日 NHK総合毎週日曜日7:30-8:00>
(中略)
p.238より引用
記者  浩宮さまも大きくなられて、それぞれテレビを持って、自分の見たいテレビを見るという時代になってきたと思うんですが、テレビは一つで、ご一家一緒に見るという……。
皇太子 それはさっきの食堂でですね。朝は絶対一緒にはならない。
記者  はあ、なるほど。浩宮さまは朝遅いから。
皇太子 日曜です、さっき話したのは。あと二人は一緒になりますね。それから美智子と。四人は一緒になりますけれどね。なかなかあちらは朝が遅いから。

◾ 学友の誕生日プレゼントとして、桐の箱に入った君が代のレコード(シングル)を贈る事件≪2ch書き込み≫

Part2363-684 可愛い奥様 sage 2012/06/08(金) 08:44:58.16 ID:DlUX1a+X0

浩宮エピ。学習院大学時代に誕生日プレゼントにと
桐の箱に入った君が代のレコード(シングル)を
貰った人がいる。


◾ 大学時代にコンパに参加。会費はいいですからと遠慮した仲間に向かって「いや、ちゃんとカンパしますよ」と浩宮が差し出したのは500円ぽっきり、お友達はジョークか本気か悩んだらしい事件≪2ch書き込み≫

Part37-203 :可愛い奥様:04/03/26 23:56 ID:tLa+dtxy

学生時代にちょこっと聞いたパタさんの話で
飲み会に行って、パタさんは早めに席を立ったんだけど、
その際出したお金が500円だった・・・
真偽の程は知らないけど、その話を聞いたとき
私は「金銭感覚の無い、お坊ちゃんだな〜(ちょっと呆れ)」
だったんだけど、同じ話を聞いても友人の感想は
「自由になるお金があまり無いんだね、可哀相だね」だった。
きっと、この友人タイプが皇族の間で上手く立ち回れるタイプなんだろうなぁ
もしくわ騎虎さんぐらい、腹の据わったお人柄かw


◾ 大学史学科での飲み会で酔っ払い「院歌を歌いましょう!」と一人盛り上がる事件≪2ch書き込み≫

Part1755-156 可愛い奥様 sage 2010/03/16(火) 09:05:50 ID:UTf05b8U0

知り合いに学習院大学文学部史学科で皇太子の同級生がいたんて、また聞きで聞いた
浩宮エピです。
 
史学科で泊まりの旅行があったときに、当時の浩宮が酔っ払っちゃって、
「みなさん!さあ、院歌を歌いましょう!」って一人で盛り上がったんだって。
当時から空気読めなかったのかも…
 
それで、みんなが「殿下、うるさいからもう寝なよ」と部屋に連れて行ったそうな。

◾ 大学時代、飲み会で急性アルコール中毒に陥った友人を「じゃ、後はよろしく」とほかの友人に世話を押し付けその場を立ち去った事件
◾ 大学オーケストラ合宿にて団員たちが酒盛り、別室にいた徳仁が楽しげな声が聞こえてくるのでそれに気付き宿の屋根を伝って窓から闖入押しかけ参加、飲み会終了後に廊下から戻ってくる徳仁を目にした見張り番役侍従たちは吃驚仰天事件≪週刊現代2009/10/10号≫
◾大林宣彦の映画『転校生』がお気に入りでビデオを徹夜してまで見ていた、それを聞かされた大林監督から『ふたり』のビデオget事件

http://fotopus.com/naviblog/ohbayashi/2007/07/

大林 宣彦の写真ブログ 雨撮晴記(うさつせいき)|ナビゲーターズ写真ブログ|FotoPus(写真コミュニティフォトパス)|オリンパス
6月26日
引用
 皇太子殿下がお若い頃、ぼくの昔の《転校生》が大好きであられたという嬉しい話は、渡辺さんが教えてくれたこと。後にお会いした殿下は、「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」、と笑ってらした。それで完成したばかりの《ふたり》のヴィデオを献呈したこともありました。殿下青春の日の一挿話であります。


◾ 1983-1985年イギリス留学中に日本人旅行者に「うっそー!」と言われたが、 「うっそー!」の本義がわからず事件
ソース:徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』学習院教養新書7
◾学習院の学食でうどんすすってるときに、周りに汁が飛び散っていた……と聞いたなる食べ方汚い疑惑≪2ch書き込み≫

Part3022-370 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/19(月) 20:00:14.26 ID:Y5UV+pMr0

アレに引きヅラれて堕落していくナルイニに何か美点があるとしたら、
食事のマナーくらいか、と思ったが、
いや、以前ワイン?を乾杯前に飲んでいた映像があったっけ。

371 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/19(月) 20:04:05.38 ID:na/jRB2O0
>>370
ナルはクチャラーと言われてますよね。

381 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/19(月) 20:18:21.03 ID:9+JseF+y0
>>371
クチャラーっていうか、食べ方がだらしない。
学習院の学食でうどんすすってるときに、周りに汁が飛び散っていた……と聞いた。

◾ 御成婚のおりに皇太子殿下の御学友(多分英国人)が テレビで学生時代の殿下のゲーム好き(マイコン)について語っていた事件
◾ 英国留学中、徳仁のご学友になるための指導を宮内庁関係者から受けた日本人留学生、彼らが言い含められたこととは「中学生と思ってお話しください」事件≪2ch書き込み≫
→【保管庫01】
◾ イギリス留学時、現地のディスコ(?)に行ったらファッションチェック(懐)に引っ掛かり(Gパン履いててダメだったんだよね)、入れてもらえなかった事件
◾ (もちろん日本の皇太子であることを店員は知らなくて)しかし懲りずに2度目はわざわざ違うディスコを選び入り込んだ事件
◾ イギリス留学時代に生まれて初めてコインランドリーを使うことになり、洗濯物の詰め過ぎ・洗剤の入れ過ぎで、洗剤の泡が洗濯機からあふれ出す事件

『女性自身』1993年3月18日号 p.49より引用、徳仁親王著『テムズとともに―英国の二年間』(学習院創立125周年企画の学習院叢書、非売品)の孫引き箇所
2017年9月12日 佳子殿下英国留学出発ニュースで、徳仁のコインランドリー大失敗事件を字幕スーパー付きで紹介
私は手順どおりに機械の中に洗濯物を入れ、洗剤を注ぎ、お金を入れた。四十分ほどで出来上がると聞いていたので、四十分後に再び地下のローンドリー(孫引き原文ママ)に行ってみた。すると、あたりは泡だらけである。よく見ると泡は明らかに私が使用した洗濯機から流出している。そばにはあきれ顔の一人の学生がいた。「これは、君のか。泡があふれているよ」と彼は言った。洗濯物の詰め過ぎであった。

◾ 留学中の寮自室にブルック・シールズとジェーン・フォンダのポスターを貼る事件
1985年 英国オックスフォード大学院留学での学生寮における徳仁の部屋、壁にブルック・シールズとジェーン・フォンダのポスターを貼っていたエピソードは有名だが、同じく壁に掛けられている色紙に書かれた日本画が斜めになり絵の前に紐が垂れ下がっているだらしない光景連結画像(FNN2017/9/12)
FOCUSフォーカス 1990年11月9日号<皇太子が密かに招かれた美人女優―ブルックシールズとの5年ぶりの再会>表紙・目次・記事
◾ 留学中の寮にブルック・シールズと柏原芳恵ちゃんのシールを貼る事件
◾ 1984年春、私的にパリ・ジュネーブ・南仏そしてイタリアベニスを旅行、カメラ持参で写真を撮りまくり、時には手持ちフィルムを使い果たしてしまい現地一等書記官に閉まっていたカメラ屋で追加フィルムを買わせる事件

『フライデー』1984年11月23日創刊号<『フライデー』にも投稿していただきたい殿下の「必撮」ポーズ>記事

p.17より引用
 今春、殿下は学位論文完成のための研修旅行として、パリ、ジュネーブ、南仏、イタリアなどを訪問されたが、古都ベニスでの“必撮”ぶりは、ことのほかだったという。この旅行、殿下ご自身がプランを立てた私的なものであったが、それはそれ、ローマからは堀駐イタリア大使が、ミラノからは田辺総領事が、という具合に案内人が駆けつけた。・・中略・・夕方には小松一等書記官が、すでにクローズになったカメラ屋で、追加フィルムの購入を頼み込んだほど。このご旅行で、殿下はフィルム200本ほどお撮りになったというから、プロ顔負けの撮影量だろう。

◾英国留学中、服を買い物している途中に男性店員が肩にタッチしてきたのを、即自分の手で拭い直す事件
1985年? イギリス留学で服の買い物中男性店員に肩をタッチされ、(バッチイバッチイ)とばかりに即自分の肩を触る徳仁連結画像(FNN2017/9/12)
1985年? イギリス留学で服の買い物中男性店員に肩をタッチされ、(バッチイバッチイ)とばかりに即自分の肩を触る徳仁gif動画(FNN2017/9/12)
◾ 1985年2月22日イギリス留学中の報告を兼ねた25歳誕生日発表記者会見にて理想のお妃像を聞かれ、「ティファニーであれやこれやと買物する人では困ります」と、特定メーカーを名指ししてネガティブ発言事件【テファニー】
◾ イギリス留学終盤に招待されたエリザベス女王のお茶会で、その場に用意されていないお酒(確かスコッチ)が飲みたいと言い出して先方を慌てさせた事件≪2ch書き込み≫

Part2707-238 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 15:59:09.50 ID:8PuLs8xR0

浩宮、で強烈に覚えているのは、イギリス留学も終わりに近づいた頃に招待
されたエリザベス女王のお茶会で、その場に用意されていないお酒(確か
スコッチ)が飲みたいと言い出して先方を慌てさせたというエピ。
紹介したワイドショーでも「一段と大人になられた浩宮さま、本場の味を
ご所望になったのでしょうね」とかコメントされていたけれど、ちょっと
面倒な人かも?と思ったのをいまだに覚えている。
 
今の惨状だと、もう不思議にも思わないけれど。
この人は、国外に出さずに出家でもさせればよかったんじゃないかな。
 
494 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 21:16:43.62 ID:1TjtKG300
 >>238
スコッチウイスキーは関税の関係で当時お値段が高くて、「スコッチ」を注文するのが
ステイタスだったのよね。
 
サッチャー時代に等級別関税撤廃で「スコッチ」が身近になった。(竹下登の時だったと思う)
 
そのサッチャーさんの時代にリバプールで「万国庭園博覧会」があって、エリザベス女王が
テープカット。
浩宮がちょうど留学していて なんと開会宣言なんかしちゃったのよ。
着物の女王で 松岡修造奥の田口恵美子さんが参加していた。
 
その時代浩宮が「スコッチ」を所望するって おおいにあり得るわ。

◾ 1985年秋イギリス留学からの帰国時に、運転免許証もないくせに、007ジェームズ・ボンドで有名な高級車アストンマーチンを購入しちゃう事件
◾ 1985年秋イギリス留学からの帰国した折の会見にて「英国王室の警備を見て感じるが、日本の警備は過剰警備との印象を受ける。人数も多く目立ちすぎる」警備が厳しいのと自由がないのを指摘事件
◾ 報道関係者や取り巻きの中に自分好みの美人を発見すると「お写真一枚よろしいですか。あんまりお美しいものですから」と見境なしにナンパしてた事件
◾ しかも外国でも同じことをして、スウェーデンの美人女性記者に写真をねだり、スウェーデンの新聞に「日本の皇子は○○嬢のハートを射止めることができるか?」とからかい記事を書かれ国境を越えて馬鹿にされちゃったよ事件

『美智子さまのおことば』河原敏明、講談社文庫1997年12月15日発行

pp.140-141より引用
〔昭和六十年六月〕
あの赤い服を着ていた方?
 
浩宮二十五歳。
今上天皇ご夫妻がノルウェイご訪問のさい、英国留学中の浩宮も合流して、西海岸のフィヨルド(峡湾)を見学された。
そのとき四十人余の内外記者団ののなかに、目のさめるような美人記者(エバ・グロービゲン、二十四歳)をみとめた浩宮は、すぐ彼女の前に進んで一枚のスナップをされるハプニングがあった。
それについて記者会見の席で、「ええ、たいへん美人だったものですから」と悪びれもせず語ると、すかさず美智子さまはこのように浩宮に問い、浩宮は「ええ」と答えている。
美智子さまもわが子の積極的な行動を、さりげなく見守っていたのだ。日本ではむろんのこと、留学中も殿下のツヤ話は一向伝わってこなかったのだが、これには美智子さまも楽しそうにほほえまれたことだろう。

PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<現地緊急取材 浩宮殿下と“恋人”エバ嬢に直撃インタビュー(インタビュー・写真 河原敏明)>エバ・グロービゲン嬢と浩宮二人の顔写真カラーグラビア

PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<“プリンス・ヒロはエバをモノにできるのか!?”――現地紙には連日、大見出しが>エバ・グロービゲン嬢インタビュー記事
PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<カメラマンの彼とは2年前から同棲、10ヵ月前に別れを告げて、今は“恋人なし”>エバ・グロービゲン嬢インタビュー記事
PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<帰国は9月末か10月初め。「あの写真を送ってください」とご自分でアドレスを>浩宮インタビュー記事


◾ 軽井沢静養で弟礼宮とテニス、その折にどうやって入手したか不明だが1986年7月23日英国アンドリュー王子&セーラ妃結婚記念Tシャツを着て登場、その笑撃的な格好のまま平気でTV撮影取材まで受けてしまう事件


1986年8月7日 軽井沢町千ヶ滝テニスコートでテニスを楽しまれる浩宮と礼宮、浩宮の着ているTシャツは英アンドリュー王子とセーラ妃との結婚記念顔写真入り

FRIDAYフライデー 1986年9月5日号<「ヒロさーん」「アヤさーん」ギャル大騒ぎ お二人のTシャツ それぞれの着こなし方>カラーグラビア、シンプルな白Tシャツを裾出し着こなしされる礼宮殿下・とにかく目立つ英国アンドリュー王子&セーラ妃結婚記念青色Tシャツを裾パンツinで着用の浩宮徳仁
1986年8月 カラー映像からの兄弟の軽井沢静養テニス姿、徳仁Tシャツは青色でした
同上英国アンドリュー王子とセーラ妃結婚記念Tシャツ着用姿が、松崎敏弥著『浩宮さまのとっておき会話』表紙に


◾ 1986年8月12日宮城県南蔵王山麓での第9回日本ジャンボリー大会で「こんにちわ.Naruhito 」とサインしてしまい、「こんにち“は”」を理解してないこと露呈事件

『KAPPA HOMES フォト・ドキュメント 浩宮さまのとっておき会話』松崎敏弥、光文社1987年1月31日初版発行

p.94より引用
昭和61年8月12日 宮城県の南蔵王山麓での第9回日本ジャンボリー大会で
<アメリカ人のAndy Ogaurさんによる茶色の字(英語と日本語)>
Hello I am from America.
Lets have a fun time at this Jamboree.
Andy Ogaur
こんにちは!
<黒色の字>
こんにちわ.  Naruhito

◾ 浩宮と小和田雅子が全く同じ『FOCUS』1986/10/17号に掲載され、その翌週スペイン・エレナ王女レセプションパーティーで二人が出会う、偶然にしてはあまりに出来すぎな「運命の出会い」事件
◾ 1986年9月18日スペイン王室エレナ王女歓迎レセプションの挨拶で小和田雅子に[左向き上目づかい\決め顔上目遣い]]で見上げられ一目惚れし、後に7年越しの初恋を実らす事件(本当は初恋は別の人)
◾ 「小和田雅子と初めて出会った」エレナ王女パーティの直ぐ翌日には、歌手・柏原芳恵のコンサートお楽しみ。仏ミッテラン大統領から贈られた特別新品種の薔薇「プリンセス・サヤコ」を柏原嬢ヘのプレゼントとして持参して行った事件

朝日新聞1986年10月20日朝刊14版p.22より引用

芳恵さんバラをどうぞ 浩宮さまリサイタルへ
 浩宮さまは十九日午後、東京・新宿の厚生年金会館で開かれた歌手柏原芳恵さんのデビュー七周年リサイタルを楽しまれた。
 ご自身が柏原さんのファンで、英国留学中は自室に写真をはっておられたといわれ、主催者からのお願いに応じられた。
 白黒のツートンカラーのセーター、ベージュのズボンという気軽な服装で劇場に着かれた浩宮さまは、お出迎えの柏原さんからレコードや写真集を受け取られると、お返しに、用意された一輪のピンクのバラを贈られた。このバラは五十七年に来日したミッテラン仏大統領から皇太子ご一家に「プリンセス・サヤコ」と命名されて贈られた新品種で、東宮御所の庭に植えられたもの。同日朝、切り取ってお持ちになったという。
参考画像:1986年10月19日 小和田雅子に出会ったエレナ王女パーティーの翌日、新宿区厚生年金会館で開かれた歌手・柏原芳恵のデビュー7周年リサイタルにバラの花を持参して駆けつけた浩宮当時26歳

◾ 女優・紺野美佐子を東宮御所にまで招いて歓談しちゃう、とにかくメン喰いミーハー事件

『文藝春秋』1987年1月号<浩宮妃を決定する10の条件(河村信彦)>

p.233より引用
(2)美人であること
 日本を代表する女性が不美人ではちょっと困るのではないだろうか。それに浩宮はメン喰い、かつミーハーである。ブルック・シールズに会いに行ったり、柏原芳恵のコンサートに出かけたり。紺野美佐子を東宮御所に招いて歓談したこともあった。

◾ 榊原郁恵もお好きであったらしい事件
◾ 大場久美子もお好きであったらしい、要するにボインちゃん好み事件
◾ 独身時代の育樹祭公務で、説明しているのに同じこと聞いてきて担当者を疲弊させる事件

Part3274-997 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2017/09/16(土) 22:24:48.70 ID:IVlzti2P0

祖父のいとこが育樹祭で独身の皇太子と会った。いとこの感想 小さくって説明しているのに同じこと訊いてきて疲れたと( ̄〜 ̄;) #ジョブチューン #皇室
- 21:05

・・後略・・

◾ 1987年4月25日高円宮邸での夕食会に招かれ、同じく招待されていた小和田雅子とツーショットに、兄のように慕っていた高円宮が齎した後年のgdgd状態につながる大きなきっかけ事件

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年)

pp.65-66より引用
 入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。
 お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。
・・中略・・
 話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

◾ 1988年5月第7回俊友会定期演奏会にてビオラソロを担当(ホルツバウアー作曲、ヴィオラとコントラバスのための協奏曲)、開演前に挨拶した礼宮殿下が「…その…ヴィオラのソロがいささか技量不足ではないかと思って(会場笑)、あの…多々お聴きづらいところもあるかと思いますが(会場爆笑)、どうぞ皆さまあの…がまんして、最後までゆっくりお楽しみいただければ、と思っております」、弟に謙遜の代弁をさせたのかと思いきや本当に物凄いびよらソロだった事件

参考ようつべ:音楽 http://www.youtube.com/watch?v=uXTb5uBU7VE#t=1m40s

1分40秒から、徳仁ビオラソロ映像あり。徳仁は4歳からバイオリンを習っているので、この時点で約24年の弦楽器キャリアがあるのだが………… orz

◾ 1988年5月第7回俊友会定期演奏会にてビオラソロを担当(ホルツバウアー作曲、ヴィオラとコントラバスのための協奏曲)、開演前に挨拶した礼宮殿下が「…その…ヴィオラのソロがいささか技量不足ではないかと思って(会場笑)、あの…多々お聴きづらいところもあるかと思いますが(会場爆笑)、どうぞ皆さまあの…がまんして、最後までゆっくりお楽しみいただければ、と思っております」、弟に謙遜の代弁をさせたのかと思いきや本当に物凄いびよらソロだった事件
◾ 祖父である昭和帝崩御のその翌日、様々な儀式が執り行われる中、これで小和田雅子への反対はなくなると期待でもしていたのか、浩宮の表情は平然としていて歩き方も胸を張ったツッタカター事件
◾ 昭和帝崩御後、ご一家で陵墓について話し合ってた時ただ一人「それでは先に失礼します」と引き上げた事件。滅多に人を非難する事が無かったという実妹・紀宮から「(お兄様は)無責任ですよ」となじられたとも言われている。【あとよろあとよろ】
◾ 英国留学からの帰途、米国プリンストン大学に立ち寄りファンである女優ブルックシールズと面会、西独新聞に「合衆国美人女優にプロポーズ」と書かれちゃう事件

ニュース速報+板:【皇室】雅子さまがウイルス性胃腸炎 2、3日静養★2

477 名無しさん@12周年 2012/01/14(土) 10:55:25.20 ID:9Dsovjih0
浩宮がブルックシールズに会うまでの経緯
 
オックスフォード留学中、ご学友に一族全員オックスフォードという秀才K君がいた。
K君の兄はオックスフォードで教鞭を執っていた。
K君の兄がアメリカのプリンストン大学に移転することになった。
プリンストン大学にはブルックシールズが在籍していた。もちろん一学生として。
その情報を知った浩宮、K君に拝み倒し、K君兄にブルックと面会できるよう
取り計らってもらう。
オックスフォード留学からの帰途、なぜかアメリカを経由し、
プリンストン大学に行きブルックとの面会を果たす。
ブルックにしてみりゃ、なんでいきなり私に会いに学校に来るの?って( ゚д゚)ポカーン。
 
つまり、友達の兄ちゃんが先生やってる学校に憧れのスターがいるから会わせろとゴネた。
ひでぇww

◾ 来日したブルック・シールズを皇居に招待、二度目のご対面事件
参考画像:1985年ブルック・シールズと会うために米国プリンストン大学訪問 & 1990年10月25日来日中だった女優ブルック・シールズを浩宮が宮内庁を通じて私的に招いたという記事(フォーカス平成2年11月9日号)
◾ 1990年両陛下から離れ一人暮らし(といっても世話する侍従ら職員はたんまりいるが)を始めた徳仁、子供の頃から食べさせられていたが実は嫌いだった納豆を「朝食に出さないでください」と注文、我が子に嫌いな食べ物を克服させようとした両陛下のお心遣いは全く伝わらなかった事件

佐藤あさ子著『雅子さまと愛子さまはどうなるのか?』草思社 p.144より引用
(1990年、ナルが一人暮らしを始めた時)「そのとき、皇太子さまは『朝食に納豆を出さないでください』とおっしゃったそうです。納豆があまりお好きじゃなかったのに、子どものときからずっと我慢しておっしゃらなかったんですね。残さず召し上がっていらしたそうです」

◾ 趣味の登山ではウィスキー持参でお楽しみが専ら、また重い機材を運んで登山に同行する取材記者に向かって「だらしないですね」と荷物を持つ必要が無い自分の立場をすっかり忘れ軽口を叩く事件
◾ 1992年常念岳登山した折、山小屋「常念小屋」にて徳仁が出発の際、控えていた侍従たちが駆け寄り、スリッパを脱ぎ散らかしたのを見て、「ウチの連中はお行儀が悪くて困りますね」と苦笑、「山田さん(=常念小屋主人)、二人でスリッパをそろえましょう」と言い、侍従があわてて手伝おうとすると「いいよ。君たちはそこにいなさい」と制する、スリッパを揃えるのはいいことだが山小屋主人にいちいち部下の不始末を告げて手伝わせるのはちょいといかがなものか、脱ぎ散らかした当人に片付けさせるのが筋では?事件≪週刊現代2009/10/10号≫
◾ NHK朝の連続TV小説『ひらり』(1992年10月5日〜1993年4月3日放送)の脚本家内舘牧子氏が園遊会に招かれ、その内舘氏に対し「主人公のお姉さんはどちらの男性と結ばれるのですか?」とネタバレ質問しちゃう事件≪2ch書き込み≫

【TV】テレビネタ581クール【実況厳禁】

45 可愛い奥様 sage 2010/04/16(金) 23:18:04 ID:mdE9QhBp0
前スレ>>989
 
NHKの朝ドラ(多分「ひらり」)の脚本書いてた中舘まきこが、
当時園遊会に招かれて、ドラマを見ていた皇太子に
(二人の男性に求愛されて悩むヒロイン姉の事を)
「主人公のお姉さんはどちらの男性と結ばれるのですか?」聞かれて
「内緒です」と答えた事があったらしいよ。
 
47 可愛い奥様 sage 2010/04/16(金) 23:20:59 ID:mdE9QhBp0
ごめん!
『内舘だ。』

◾ 小学校視察にて、前もって指名されていた母親と仕込み「懇談」、事前に芝居の立ち稽古のごとき練習があったという事件≪2ch書き込み≫

Part1819-249 可愛い奥様 sage 2010/05/18(火) 08:11:13 ID:5tm8vNEk0

>>245
徳仁サンは昔からそうみたいだよ。まだ結婚前のころ小学校に来ることがあって、前もって
指名された母親と「懇談」が設定された。侍従だかから細かく指導があって、「殿下から
これこれという質問があります。」と言われたので「ではこう答えればいいですか?」と
やり取りの確認があったんだと。それをまるでお芝居の立ち稽古のように何度もやらされて
「大変だった〜」と会合に遅刻して来てそう言ってた。
 
もともと会話の成り立たない方なんだと思う。それを一生懸命周りがフォローしてたんだよ。

◾ 1992年スペインのセビリア万博を訪問した徳仁、スペインワインを賞味して「フランスワイン、イタリアワインより美味しい」と、公人としての外国親善訪問の場でフランス・イタリアの面子潰す発言をしちゃう事件

http://www.club-nippon-spain.jp/report48.html

日西経済友好会 第48回定例会活動報告
* 日時:2010年05月24日(月)18:45〜21:30
* 講演:「スペインワインのソムリエを目指して」
2) 質疑応答より
13) 皇太子殿下が1992年のセビリア万博に見えて、今までスペインワインを飲んだことがないが、フランスワイン、イタリアワインより美味しいと言われた。殿下のお名前を出すのはどうかと思うが、第三者の著名人によるPRは効果あるのではないか?
− 間違いないでしょう。


■第6期−小和田雅子との婚約・結婚後−■編集
◾ 婚約記者会見にて、雅子が「その(プロポーズ受け入れを)考えている過程で殿下からは心を打つような言葉をいくつかいただきました。そのひとつは、これは(1992年)11月の後半だったと思いますけれども、私に対して、『皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうにおっしゃってくださいました」とのたまったことで、本当に徳仁がそんなことを口走ったかどうかも不明な台詞を、全世界に向けて言質としてとられてしまう事件
http://www.youtube.com/watch?v=V_4dzPPspME
◾ 婚約記者会見にて「皇后美智子さまが嫁がれた際様々な苦労があったと聞きますが…」という記者質問に対して、「皇后陛下(=自分の母親)からはそのような(苦労)話は一切うかがっておりません。私が拝見しておりまして、いつも明るく楽しい方ですので、ちょっと私にはそのようなこと(=入内後のたいへんな苦労)があったと言われても、ちょっとピンとこないところがあるわけなんです」と回答、当時はめでたい席で過去の母親苦労話に言及するのを回避したかと思いきや、マジで母親が見えないところで努力し苦労してきたことを長男の癖に理解できてないんじゃないの?事件
http://www.youtube.com/watch?v=MFcmObfKyhs
◾ 結婚の儀を終え宮中装束で写真撮影、これまでの成婚時宮中装束写真と比較すると、徳仁の袴下赤色部分がほとんど隠れてる、秘密足袋疑惑事件【秘密靴】
◾ 結婚の儀を終え洋正装で写真撮影、雅子の広がったスカートの前裾横に立ち、低身長隠しで真横に並ばず若干前に出ていることがバレバレ事件
◾ 結婚パレード後、雅子と立ち位置が逆になる、早速打ち合わせがgdgd息が合わない事件
◾ 結婚早々雅子はベッドをともにしてくれず、朝一緒に起きることもしないので、朝食の席では雅子が現れるのをじっと待ち続ける事件
◾ まだお子が出来る前、皇太子がパーティーかなんかの席で 「 ボ ク は 元 気 で す 」発言事件
◾ コウノトリとオーケストラのジョークは相変わらず使い続ける事件
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2001/masako/rightmenue/goroku.html
◾ 雅男のイヤリングを拾ってあげた事件
現場画像:1993年10月9日 岩手県行啓で特別養護老人ホーム視察、雅子が落としたイヤリングを拾う皇太子
◾ 1995年東京都最高峰雲取山登山にて、雅子が少し残した山荘カレーを完食事件
◾ お客様にお茶をだす時の茶托を廃止する事件

『週刊文春』2001年12月13号<総力特集雅子妃ご出産 初めて明かされるとっておきの十大秘話>記事 p.50より

【茶托を出さない理由】乃万暢敏(のまのぶとし)さん
 殿下は子供の頃から、自分に厳しく人に優しいという方でした。そして気配りを重要視される方です。たとえば、御所では、ある時からお客様にお茶をだす時の茶托をやめました。漆塗りの立派な茶托が、熱くなった湯のみの糸底にぴったりと吸い付いて持ち上がってしまうことがありますよね。その茶托が落ちて大きな音を立てると、タダでさえ慣れない御所で緊張されているお客様が、痛々しいほど緊張される。だったら茶托はやめて、くつろいでお茶をどうぞ、という気配りなのです。

◾ 1998年8月石川県加賀市での梨狩りにてナシを落とした徳仁、すぐ隣にいる妻雅子は一部始終を見ていながら棒立ちで何もせず、自分で拾って女官が持つ籠に入れるしかなかった事件(当該場面映像キャプチャ連結画像)

参考ようつべ:雅子さま1989−2000 ttp://www.youtube.com/watch?v=AIBLW_spqj8#t=5m12s 5分12秒から梨狩り場面映像あり。
おまけ画像:1998年8月石川県加賀市梨狩り光景、この体勢なら徳仁は爪先立ちになっているのが当然だが……

◾ 1999年12月フィリップ王太子結婚式参列のためベルギー訪問、式典・祝賀行事とは関係ないグルメ旅行で訪れた町デュルビュイにて予定外に勧められた地酒リキュール一気飲み、一瞬のことで止める暇もなかった周囲は真っ青事件

『文藝春秋』2002年1月号 東宮夫妻を現地で案内した在ベルギー大使・兵藤長雄氏<雅子妃ベルギーの秘話>記事

p.151より引用
 (補足:ベルギーの王太子結婚)式典の翌日、ヨーロッパで一番小さく美しいデュルビュイというアルデンヌ地方の山荘に御夫妻を非公式に御案内した時には、レテビでこの両殿下のお姿を拝見したという 村民総出の大歓迎を受けられた。両殿下も気軽に歓迎にお応えになったが、村長さんに案内されて村の市場の横を通った時、地酒のリキュールを露店で売っていた老人が歓迎の印に一杯献上したいと杯を差し出した。すると殿下はそれを素直にお受け取りになって一気に呑みほされた。私は一瞬青くなった。お止めする暇のないくらいの一瞬の出来事であったが、案内役を勤めた村長さんも、一瞬ヒヤーッとしたが、村の老人の善意を信じて受けて下さった殿下に感動したと後日語っていた。
参照:【ベルギー訪問】

◾ 香淳皇后と今上陛下・皇后陛下・秋篠宮ご一家・紀宮殿下との交流について、2000年12月天皇陛下が自ら誕生日会見で語られ、徳仁雅子については完全スルー。恐らくこの二人は香淳皇后を見舞ったこともろくにないとお察しされる事件

天皇陛下お誕生日に際し(平成12年)より引用

問3 今年6月に,香淳皇后がお亡くなりになりました。お別れの時のお気持ちや,印象に残っている出来事,お言葉などがありましたらお聞かせください。
天皇陛下
吹上大宮御所は,私どもの住んでいる御所からすぐの所にあります。週末には大抵皇后や紀宮,時には秋篠宮一家を交えて吹上大宮御所をお訪ねしていました。皇后は,香淳皇后がお元気であったころと変わりなく心を込めてお尽くししていました。また,秋篠宮の子供たちが一緒の時には,いつも子供たちを香淳皇后のおそばに連れて行き,二人が皇后に倣いお手を一生懸命さすったりしているのが印象に残っています。香淳皇后が崩御された時に,秋篠宮家の子供たちが,お見舞いしたいということを言ったことを,秋篠宮が話していますが,このようなことから香淳皇后に親しみを感じていたことと思います。香淳皇后がもう御生存ではいらっしゃらないのだということをしみじみと感じたのは,崩御の夜,祗候しこうのために吹上大宮御所を訪れた時のことでした。帰り道,空を仰ぐと月がこうこうと照っていました。昭和天皇崩御から11年,吹上大宮御所に勤める職員が皆誠意を持って勤めてくれたことを感謝しています。香淳皇后は,早くから高齢化の兆しがおありになり,香淳皇后とお話らしいお話ができたのは随分前のことになります。その分を昭和天皇がお心を遣われ,私どもの子供たちとの話も務めてくださったことを感謝とともに思い出します。香淳皇后について印象に残っていることは多々ありますが,戦後親子兄弟が,一緒に過ごす機会が多くなったころの香淳皇后の朗らかな印象は,私の記憶に深く残っています。

◾ 妻雅子が妊娠、その定期健診に100%同行、自分の仕事ちゃんとしてるの?事件
まとめ画像:2001年 雅子妊娠中、徳仁が全検診に付き添った記録一覧

■第7期−敬宮愛子ちゃん誕生後−■編集
◾ 内親王誕生後、毎日宮内庁病院に通った事件(異例)
◾ 夫婦で皇室では異例の我が子愛子命名事件【敬宮愛子ちゃん】
◾ 愛子誕生前は子供ができないことについて「コウノトリのご機嫌に任せて」とごまかし続けていたくせに、2002年4月2日愛子誕生についての夫妻会見で「地球上に人類が誕生してからこの方,絶えることもなく受け継がれているこの命の営みの流れの中に,今私たちが入ったということ,そういうことに新たな感動を覚えました」自分たち夫婦が長い間小梨だったことを忘れたかのような配慮なし発言事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 愛子と雅子に傘をさしてあげた事件
◾ 平成15年(2003年)元旦発表ご一家画像で、床に大量の玩具をぶちまけて愛子を遊ばせ、雅子と床にぺったんと乙女座りした徳仁があやしている姿が全国配信されてしまう事件
◾ 「お父様」でなく「パパ」と呼ばせる事件【うずらちゃん】【愛ちゃんパパ】
参考:「あそこに行ったらうみへびがいるわね、おとうさま」東宮家とは真逆の子育てをなさっていることがよく分かる秋篠宮家ようつべ映像
◾ 愛子抱っこしまくりついでに、一般人の子供も抱っこしまくり事件
参考画像:『女性自身』6/24号<皇太子ご一家・公園での「おふれあい」全会話!「愛ちゃん」とどんなお話、したのかな?>モノクログラビア記事
◾ 神宮外苑での愛子公園デビュー散歩の時、昼間から売店で酒(缶ビール)を買って飲んでた事件
◾ 映画試写会で来日した豊乳女優アンジェリーナ・ジョリーの乳に見とれ、その谷間ジロジロ長時間凝視光景をテレビで放映される事件
参考画像:2003年9月2日 同上「トゥームレイダー2」チャリティー試写会にて、アンジェリーナ・ジョリーと握手するのに顔でなく胸元に視線がいってる皇太子
◾ 嫁雅子が娘愛子を連れて軽井沢篭城中(2004年3月25日〜4月26日)、4月24日第15回全国「みどりの愛護」のつどいで国営吉野ヶ里歴史公園内を独りぼっち視察、その式典中に涙を流して泣く事件≪2ch書き込み≫
◾ 2004年雅子軽井沢篭城中、両陛下・秋篠宮両殿下・紀宮殿下と皇居で会食後、母上皇后陛下の手を取って涙を流す事件
ソース:『週刊新潮』2005年5月4日号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>、『週刊新潮』2007年1月4・11日新年特大号<特集 かくも色濃い「皇室の憂愁」>記事、徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事に『フライデー』2009年9月25日号でも蒸し返される。

『週刊新潮』2007年1月4・11日新年特大号<特集 かくも色濃い「皇室の憂愁」>記事 p.30より引用

 ある皇室ジャーナリストが言う。
「殿下のご心配は絶えることがありません。03年12月に公務から離れられた雅子妃は精神状態が不安定な日々が続き、軽井沢の小和田家の別荘で静養されていた時には、別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました。05年5月の人格否定発言の前には、思い悩まれた殿下が、両陛下と紀宮さまとの4人だけの食事の席で、美智子皇后とお二人だけになった時、皇后の手をとって泣かれたこともあったそうです。その後、人格否定発言があり、また、雅子妃が東宮幹部に電話で“私、皇太子妃、やめます!”と叫んだこともあった。情緒が不安定で、両陛下は、腫れ物に触るように雅子妃に気を使ってこられたのです」


■第8期−人格否定発言、その後−■編集
◾ 平成16年(2004年)5月10日デンマーク・ポルトガル・スペイン訪問前記者会見=人格否定会見、会見終わりに「人格否定」とはどういうことかと記者から尋ねられ、「外国訪問できないことを含めて、雅子も私もいろいろ悩んだ」発言事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 泥酔して「もう、離婚したい…」とつぶやいた疑惑?事件≪2ch書き込み≫
◾ 平成17年(2005年)歌会始お題「歩み」にて、「頂きにたどる尾根道ふりかへりわがかさね来し歩み思へり」もうじきボクチン天皇だ〜とバカ丸出し且つ不吉不敬極まりない歌を詠んだ事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 雅子が長野県SOスペシャル・オリンピック公務をドタキャンした理由を尋ねたオバちゃんに対して、「(直前の奥志賀)スキーで疲れたから」と答えちゃう事件
◾ 2005年2月21日収録・45歳誕生日会見に嫁祖母であり

チッソ江頭豊の妻である江頭寿々子をフルネームで呼び、ドロシー・ロー・ノルト女史の詩を持ち出してアイボを笑うなと無言で恫喝する事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 2005年8月3日石川県開催の第9回日本アグーナリーにて、右手が金属性義手の外国人男性と握手するのに、右手を出してしまう臨機応変さのなさが露呈事件

Part2720-93奥様が『皇室』より発掘画像


Part2720-131 可愛い奥様 sage 2014/01/11(土) 07:04:04.13 ID:90FFRZDJ0
>>93
これ、ボーイスカウトのイベントだよね。
 
多分、ナルさんはご存じなかったと思うけど、
ボーイスカウトは左手の握手が普通なので(右手はスカウトサインに使う)、
失礼にはならないですよ。
(むしろ理解があると思われたかも)

◾ 2005年愛知万博視察のヨルダン館にて「死海」の水のプールを見学。阪神淡路大震災を尻目に強行した1995年の同国訪問に触れ、案内役の関係者に「阪神大震災が起こり途中で日本に戻ったため、死海は見られなかったので、また行きたいです」と発言事件
◾ 雅子が宮中祭祀に参加しなくなったことを心配した職員が皇太子にこのままでいいのかと尋ねたところ、皇太子は「参加しなくていいよ」と返事、その職員は「そう言われちゃったらしょうがないよ」と周囲に漏らすしかなかった事件

『週刊文春』2005年12月29日号<雅子さま「誕生日の乱」皇室記者オフレコ解禁!大座談会 皇太子ご夫妻への風当たり>pp.29-30より引用

A 「皇太子はどこまでも雅子さまをお庇いになる」と言う関係者もいます。それはご立派なことです。しかし雅子さまが宮中の祭祀にあまり参加されなくなった頃、ある職員が心配して皇太子にこのままでいいのかと尋ねたそうです。皇太子のご返事は「参加しなくていいよ」でした。その職員は「そう言われちゃったらしようがないよ」と周囲に漏らしていたそうです。
C 最近、皇太子殿下のことを心配する声はよく聞きますね。殿下はあまりにお優しすぎるんです。妃殿下のことが心配で心配で、お立場のことまでお考えになる余裕がないのでしょう。
B 残念だったのは、ご静養中とはいえ、皇太子ご夫妻が終戦記念日にテニスをされたこと。今年は戦後六十年で、両陛下のサイパン訪問や那須の千振開拓地訪問がありましたから、余計に目立ってしまいましたね。
A 終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が良くなかったですね。「殿下は幼い頃から戦没者慰霊に取り組む両陛下のお姿を見てお育ちのはずなのに、いったいどうされてしまったのか」という声が聞こえてきましたよ。確かに“戦争の記憶の継承”を非常に大事にされてきた平成皇室だけに、あそこは東宮職がフォローして差し上げるべきだったのではないでしょうか。

◾ メキシコ水フォーラムに出席するも、口に出るのはま雅子の事ばかりだったよ事件【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】
◾ 2006年5月トリノオリンピック入賞者を招いた慰労茶会で、どの選手にもアイボの話をし呆れられた事件
◾ 2006年5月トリノオリンピック慰労茶会で、スピードスケートの岡崎朋美選手が言った「愛子さまにも将来スピードスケートを…」社交辞令に対し、「(愛子は)フィギュアスケートをやっているので」とけんもほろろだった事件


2006年5月12日 第20回オリンピック冬季競技大会(=トリノ五輪)入賞者等招待の慰労茶会:岡崎氏証言「愛子さまがスケートの格好をして マネをしてですね そういうしぐさをしてましたということを言われましたので ぜひじゃあスピードスケートを将来やっていただきたいなということを言ったんですけど…やはり今フィギュアスケートをおやりになっているそうで」
◾ 2005年・2007年・2008年の8月那須御用邸静養で遊びに出かけた那須ファミリー牧場にて「よーしパパ、メリーゴーランド乗っちゃうぞー」事件


参照:2005年メリーゴーランド画像/2007年メリーゴーランド画像/2008年メリーゴーランド画像
◾ 2006年9月上旬山形県での地方公務宿泊先ホテルで、収穫時期の外れたラ・フランスの生ジュースを、「皇族は缶・ビンジュースを飲めない(生ジュースでないとダメ)」などと明らかな嘘を吐いてまでいきなり所望事件


ソース:『週刊新潮』2007年2月22日号<初公開!これが「皇族接遇マニュアル」だ▼「お絞りは固めに」「便座カバーは白」「御先導は2〜3歩左斜め前を」▼「ラ・フランスのジュースを飲みたい」皇太子の一言でホテルは大混乱。▼BSE騒ぎの中で、陛下に「オクステイルスープ」を出したシェフは……▼天皇家をお迎えする施設や自治体に対して宮内庁が出した「お迎えマニュアル」が流出。>
◾ 2006年9月13日甥っ子・悠仁親王殿下命名の儀を鳥海山登山にかこつけてブッチするも、天候不良で最後まで登頂できず事件
◾ 2007年7月27日 佐賀総体開会式出席のため佐賀県行啓、公開演技を披露した佐賀北高の女子生徒に声を掛ける場面を撮影されるが、その女子生徒を見つめる目力が余りに強すぎ、後に「目勃起」と称される事件(西日本新聞HPに掲載された画像、拡大すると凄い目付きに)
◾ 2007年8月24日、この夏の甲子園で初優勝を飾った佐賀北高校校長へ「私も応援しました」という内容のメッセージが届けさせ、応援を受けなかった決勝対戦相手の広島広陵高校立ち場なしで公平性も何もあったもんじゃない事件
◾ 2007年10月徳島県訪問? 「徳仁さんに地ビールまずいって言われちゃいました。(中略) うず潮ビール 夕食時だそうです。」→因果関係は不明だが、約2年後製造中止事件≪2ch書き込み≫


【百年の孤独】
◾ 平成20年(2008年)歌会始お題「火」にて、「蒼(あを)き水たたふる阿蘇の火口より噴煙はのぼる身にひびきつつ」と自分が実際に見学した阿蘇山の光景を歌にするも、阿蘇山旅行経験者からは「阿蘇山の火口にある湖はバスクリン色かシャンプーのメリット色で、到底“蒼き水”なんてものではないのでは??」と大勢の人に疑問を抱かれる事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 2007年12月大分県訪問にて児童養護施設と保育所などを兼ねる「Plaza Puer光の園」を視察、家庭環境には決して恵まれてないと推察できる子供ら相手に「愛ちゃんパパです」と暢気に自己紹介事件
◾ 2008年2月13日羽毛田信吾宮内庁長官が前年徳仁が誕生日会見で語った「(両陛下と)お会いする機会をつくっていきたい」表明から参内回数が増えていないことを取り上げ異例の“苦言”定例会見、それに対し2008年2月21日誕生日会見で「家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」と、両陛下と東宮家の関係については公的なものではないので回答しないという立場をとる事件≪宮内庁公式情報≫
◾ そのくせ自分のマーキングジョギングや、雅子愛子の「電車でGO!」体験は、テレビカメラを呼んで撮影させてまで公表事件
◾ 平成20年(2008年)2月の48歳誕生日会見にて、健康維持方法として[マーキング|ジョギング]]について語る徳仁、「私自身は一回のジョギングでこの赤坂御用地の中を2周から3周するのですけれども,先月1か月間で,100キロメートルを超える距離を走りました」それって自慢というより寧ろ仕事が無くて超暇ってことでは?事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 同じく平成20年(2008年)2月の48歳誕生日会見にて、「テニスや,回数は少ないですけれども,登山やスキーも私の健康維持には欠かせません」とまるでスキー旅行要望雅子の代弁事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 平成20年(2008年)6月11日ブラジル訪問前記者会見にて相変わらずの「お医者様」発言、そして雅子がブラジル訪問に同行しない件について、「(ブラジルは無理だが)今の雅子の体調にもうまく耐えられるのではないかと思われるような,そういうものが将来出てきた場合には,その場合として考えていければというような意味です。いずれにしましても,そのような訪問が雅子の回復の上でも役立つものであればということを強く考えております。」と公式訪問前会見でブラジルに超配慮なし発言をしでかす事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 2008年6月ブラジルで開かれる日本人移住100周年式典などに出席する皇太子の人となりを知ってもらおう企画で、なんと20年以上前の著書『テムズとともに』(学習院教養新書、1993年出版)がポルトガル語で翻訳されることに。ネタ無しで今更翻訳出版のタイムラグもさることながら、出版にあたって皇太子が寄せた「ブラジルの読者のみなさんには、青年時代の私が本国から遠く離れた英国という地において経験し、あるいは感じた事柄の中に、何らかの関心を見いだしていただければ幸いです」との文章も収録。遠い異国の地での生活体験については日系ブラジル移民の方々の方がどう見ても豊富なのに、何故かたかだか1983-1985年・二年間の留学経験ぽっちで上から目線のナルちゃん文章。同翻訳本は3000冊出版され、地元の病院、日本人学校、在日ブラジル人学校などに配られたとのこと。……そんな数少ない著書翻訳事件
◾ 2008年6月、日系移民100周年記念式典のためブラジル訪問した徳仁、シナリオが準備されてないような懇談の場では「お元気で」連発で相手に合わせたアドリブ皆無、アマゾンから遠路ブラジリアまでやってきた日系老人の「ぜひアマゾンにも訪ねていただきたい」に対しても、「お元気で」のみ返事事件


→【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】参照
◾ 2008年7月1日、せんべいこと創価学会の聖教新聞第一面にて、徳仁ブラジル訪問でのパラナ州移住100年祭にてSGI青年部500人が演奏と演技を披露したという記事が思いっきり掲載、池田大作長男で跡継ぎと目される池田博正SGI副会長とばっちり同じ壇上にのぼり、昼食会も同席するという、本当に本当に本当にマジで洒落にならない事件
◾ 2008年8月からの東宮御所改修で天皇陛下が使用されていた机を粗大ゴミとして廃棄しようとして秋篠宮家に引き取られる、おそらく雅子が捨てさせようとしたのだろうが家長としてそれを許してしまう事件≪選択2014年1月号≫
◾ 2008年8月那須静養、りんどう湖ファミリー牧場行楽で同行の雅子妹池田礼子一家と足漕ぎボートに乗り、ボートペダルまで踏んで差し上げちゃう事件
◾ 2008年9月13日、学習院百周年記念会館で開かれたウルトラセブンイベントの<超ウルトラ>サプライズゲストとして登場≪Part1323-522・773・836、Part1324-435・444複数mixi情報≫、前日12日からの両陛下葉山ご静養への合流お誘いを「東宮仮御所への引っ越しもあっていろいろとお忙しいということではないか(MSN産経皇室ウィークリー9/13)」と断り、両陛下よりセブンを優先させる事件


補足:秋篠宮殿下は葉山ご静養に合流し、13日に東大農学部で開かれた「三蔵経学術シンポジウム」に葉山から足を運びご出席、そしてまた葉山にお戻りになっている。
◾ 2008年10月9日北京五輪入賞者らとの茶会、フェンシング・フルーレ銀メダリスト太田雄貴選手に「愛子と一緒に観戦しましたが、愛子から『ルールが全くわからない』と聞かれ、『僕もわからない』と答えました」とのたまい、逆に太田選手の側から「ルールも含めて少しずつ日本の中で広まればいいですかね」とフォローされてしまう事件
◾ 東宮一家が外食に出かけようと出発支度、しかし雅子だけが一向に現れず、徳仁と愛子が玄関で1時間以上待つことに。その間、雅子の夫徳仁はただ娘愛子と遊んで待っているだけで、妻雅子を呼びに行こうとも何もしない「遠慮」というか仮面夫婦状態事件

『サンデー毎日』2008年11月2日号<療養生活まる5年 孤独なプリンセス 午前零時に散歩する雅子さま>記事

p.149より引用
 ある日、ご一家で外食をする予定があった。東宮御所から車で出かけるため、出発時間の少し前に、皇太子さまと愛子さまが玄関に姿を見せた。
 ところが、雅子さまはいっこうに来ない。10分、20分、30分……結局、雅子さまは1時間以上遅れて姿を見せた。その間、皇太子さまは玄関で愛子さまと遊んだり、話をしたりしてずっと待っていたというのだ。
「普通だったら様子を見に行きますよね。だが、皇太子さまはそうはなさらない。玄関でずっとお待ちになっているだけでした。遠慮されているのでしょうか? 雅子さまはお部屋にいるので、どうされているのかもわからないのです。もちろん、女官も中に入ることはしませんから」(前出・宮内庁関係者)


共同通信2/6魚拓
日テレノーカット工房ベトナム訪問前徳仁会見映像
◾ 2009年2月5日ベトナム訪問前公式記者会見にて、ベトナムベトナムgdgdg牛歩会見をして時間稼ぎをし、体調不良の陛下と公務と雅子マターについての質問には予定時間になったからと司会進行の大森茂侍従が一方的に強引打ち切り強行、宮内記者会は6日野村一成東宮大夫に「取材の制限、妨害に等しい」と抗議文提出、同日野村東宮大夫が「予定時間を厳格に守ろうとするあまり記者会見を終了させたもので、率直におわびする」謝罪文発表、そんな前代未聞会見事件 ≪宮内庁公式情報≫


参考:* 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見前の質問事項すり合わせにて、「雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀(=同年1月7日昭和天皇二十年祭)についてもぜひ触れてください」と、都合のいい記者質問を自分からおねだりする事件

『AERA』2010年1月4・11日合併増大号<陛下が触れない雅子さまの病状>p.22より引用

 2009年雅子さまのスタートは好調に思われた。
(中略。新年一般参賀・昭和天皇二十年祭である皇霊殿の儀・なるほど展・WBC・みどりの愛護について何年何ヶ月ぶりと説明が入る)
 この時期の雅子さまの充実ぶりは、こんなエピソードからも伝わってくる。
「雅子さまががんばっていらっしゃる姿を国民のみなさまにもお伝えしたかったのでしょう。皇太子さまは2月23日のご自身の誕生日に向けての記者会見で、宮内庁記者会からの質問事項に『雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀についてもぜひ触れてください』といった趣旨のご希望を述べられたそうです」(宮内庁関係者)


産経新聞2/23魚拓「Alphabet Zoop」表面と裏面の図柄と、カードを手にしている愛子と徳仁。トランプとは異なり、両面ともに上下が決まっている図柄であることに注目。
日テレにこにこアルバム 5分30秒あたりから「Alphabet Zoop」、英語カルタが上下逆さまでもおかまいなしな徳仁。雅子も似た傾向があり、手持ちの札を揃えて見やすくするという知恵は働かないらしい光景。日テレにこにこアルバム
◾ 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見にて、「愛子が赤坂御用地で遊んでいるときに,眞子内親王様や佳子内親王様に声をかけていただいて一緒にお遊びしたりしたこともあります」発言、自分より年少で班位も低い姪に「様」付け事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見にて「雅子は頑張り過ぎてしまい、その後の公務をすることが難しくなる」といったことをのたまい、関連質問で「雅子ヒが頑張りすぎるって何をさ?」とつっこまれgdgd回答、そのまま終了したがなんと約20分後のカメラマンが撤収作業をしている最中に戻ってきて「雅子は周囲の期待もありますので、1つの公務をする場合には全力を傾けることがあります。1つの公務をする場合、それだけ多くの日数をとって、そのための準備をする。やはりそれに伴って、結果としては疲れが残ることもありますので、次から次へと新しい公務をするということはまだ難しい、ということを申し上げたかったわけです」と付け加える、またも前代未聞会見事件


参考:* 延長&一旦退出後舞い戻ってきての追加説明2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見終了後のオフレコ懇談会で、ベトナム訪問に同行していてバレンタインチョコを徳仁に渡した女性記者にお礼の言葉を述べたのはよかったが、「(中川昭一財務大臣へべれけ会見の話題から)お酒はまあ飲みますが、甘いものはあまり好きではありません。“両刀遣い”じゃないんですよ」と言っちゃう事件≪週刊文春2009/3/12号≫
◾ 延長&一旦退出後舞い戻ってきての追加説明2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見終了後のオフレコ懇談会お開き時に、「これにて一件落着!」と遠山の金さん(杉良太郎)のモノマネをしてみせる能天気事件≪週刊文春2009/3/12号≫
◾ 2009年2月徳仁49歳誕生日映像で、「優秀な愛ちゃんに英語教育してます!」アピールのためか東宮一家が英語カルタ「Alphabet Zoop」に興じている場面を撮影させるが、徳仁が手にしているカードは全部上下逆さまだった事件


参考画像: 参考動画:* 2009年3月7日ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド日本対韓国戦があった夜、東宮家にプライベート電話をかける間柄の某氏が夜8時半〜9時頃緊急の要件にて何度も電話をかけるも応対に出ず、夜9時半過ぎにようやく電話に出た徳仁が第一声で『佐藤君(仮名)、見てるかなっ! 素晴らしい試合だね』と、自分が友人をシカトしていたことも理解していないんじゃないか事件≪週刊現代2009/10/10号≫
◾ 2009年5月9日毎年恒例両陛下との粟の種籾蒔きに東宮一家が仔犬「ゆり」を同伴し参内、皇居から退出する移動ワゴン車で一家の主が犬より下座に座る事件【(奥)】
◾ 2009年7月16日長崎県佐世保市にて開催の第45回献血運動推進全国大会にて、3年前に7歳の息子を病気で亡くし、治療のための輸血体験を発表した主婦に「うちの娘も7歳です」「寂しくないですか」KY発言事件【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】【八大行啓】
◾ もう小学生である愛子と両側からそれぞれ手をつないだ雅子と徳仁が茶会にお出まし、愛子が何かゴニョゴニョ話しているのを、『今、歯が抜けて聞きづらいでしょう。愛子は○○○○と言ってるんですよ』と説得力に乏しいフォロー事件
◾ 2010年徳仁50歳誕生日発表用映像を庭園にて一家三人&飼い犬ゆりで撮影、雅子と愛子がしゃがんでゆりを弄り回している仲間に入ろうとしたものの、ゆりに舐められそうになった瞬間慌てて手を引っ込めそそくさと立ち上がり、実は犬苦手なのがバレバレになってしまう事件


参考映像: 5分10秒あたりから徳仁犬苦手バレバレシーンあり。* 2010年徳仁50歳誕生日会見(2月19日収録)にて、娘愛子が学習院初等科生活を楽しんでいると発言したその僅か2週間余りの後、愛子不登校を野村一成東宮大夫が公式会見発表する、誕生日公式記者会見で大嘘吐いたことバレバレ事件

皇太子殿下お誕生日に際し(平成22年)

皇太子殿下の記者会見
会見年月日:平成22年2月19日
会見場所:東宮御所
(問4に対し、愛子は)学校生活にも,すっかり慣れて毎日楽しんで通学しています。学校の先生方やお友達にもとてもよくしていただいていることを有り難く思いますし,また,1月には学校から郵便局の見学に出掛けるなど,学校の内外で様々な経験を積み重ねることによって,本人も充実感を味わっている様子で,私たちもとてもうれしく思っています。詩を書くことや漢字の練習,あるいは掛け算の九九の習得にも励んでいます。


保管庫15マコオタ画像集(雅子関係)19マコオタ画像集(雅子関係)19チィーッス{| border="1" |- | 【皇室ウイークリー】(159)行事ご欠席で「残念」雅子さまがメッセージ 愛子さま、放課後に学校「居残り」も (2/5ページ)
2010.11.20 07:00
 皇太子さまは「第30回記念大分国際車いすマラソン」観戦のため、13、14の両日、大分県で過ごされた。大分には過去10回訪問しているが、今回の湯布院・日田地域は初めて入られたという。
 今回は車いすマラソンのほか、介護の研修施設や江戸時代の私塾「咸宜園(かんぎえん)」などを訪問したが、通常の地方視察と比べてやや“異色”だったのは、13日に日田市で訪問された三和酒類のいいちこ日田蒸留所。「いいちこ」ブランドの工程ご視察の最後には、市販されている4種類の焼酎と、コップが用意されていた。
 県などの事前の説明では、「皇太子さまが焼酎に口をつけられるかは、そのときにならないと分からない」とのことだったが、皇太子さまは迷いなくコップを手に取られると、「いいちこ」の高級版、「特撰いいちこ」「いいちこスペシャル」「いいちこフラスコボトル」の3種類を次々と口へ。「ああ、違いますね」などと感想を口にされた。同社によると、フラスコボトルはいいちこブランドの最高峰で、720ミリリットルで2700円という。
 ちなみに4種類の中で唯一飲まれなかったのは、「下町のナポレオン」のキャッチフレーズでおなじみの“普通”のいいちこだった。 |}


■第9期−東日本大震災発生後−■編集
◾【東日本大震災】【お慎みの日】参照
◾【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】参照
◾【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】参照
◾ マスコミ撮影が入る現場でズボン股間に小さな染みをつけてお出まし、「お漏らし?膀胱に問題あり??」と疑念発生事件
参考画像:2011年8月11日 那須塩原駅前で出迎えの人々に手を振る東宮一家。愛子は横目で両足を開いて仁王立ち、腰あたりの低いところでお手振りもどき。徳仁のズボン股間に小さな染みあり / 徳仁染み付きズボン画像を掲載したMSN産経
2011年8月11日 那須塩原駅前での東宮一家3人カラーグラビア、徳仁のズボン染み・愛子のシャネル足が確認できる(女性セブン9月8日号)
→『女性自身』2011年9月13日号グラビア参照
◾【山中湖事件】参照
◾【カメコ】【マコオタ画像集(雅子関係)26】参照

http://megalodon.jp/2013-1204-0620-49/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00259048.html

皇太子さま、米・バイデン副大統領とケネディ駐日大使と面会(魚拓)
皇太子さまは3日、来日中のアメリカのバイデン副大統領とケネディ駐日大使と面会された。
外務省からの願い出によって実現した3日の面会は、東京・港区の東宮御所で、およそ30分間にわたって行われた。
宮内庁によると、皇太子さまは東日本大震災の際に、アメリカから寄せられた支援に対する感謝の言葉を述べられたという。
バイデン副大統領は、震災直後の2011年夏に、ケネディ大使は11月、被災地を訪問しており、皇太子さまは、2人から被災地の話を熱心に聞かれていたという。
(12/03 22:39)


『女性自身』2014年5月6日号<愛子さま、被災盲導犬のために全額はたいた中学生の「初」お小遣い!>

p.43より引用
(補足2014年4月オール学習院での、盲導犬のアイメイト協会ブースにて)愛用の赤いお財布に入っていた小銭を募金されると、サポートグッズの販売コーナーへ。グッズの売り上げは協会に寄付されるという。
 愛子さまはまずボトルを手に取られ、次にトートバッグをご覧になったのだが……。
「ボトルは800円、バッグは1千900円でしたが、愛子さまのお財布の中には2千円。財布とグッズを見比べながら、少し困ったように考え込まれていました。どうやら小銭を募金してしまったこともあり、お小遣いが足りなくなってしまわれたようです」(前出・学習院関係者)
 愛子さまがご自身でお金を支払われる機会はほとんどない。しかし皇太子ご夫妻は、今回のような学校関係のイベントに参加されるときなどには、一定額をお渡ししているという。
 この日お持ちだったのは愛子さまが中学生になられての“初”お小遣いだったのだ。
 ご夫妻は少し離れたところから様子をご覧になっていたが、愛子さまが困惑されているのに気付かれたようで、
「皇太子さまが、足りない分を補てんされていました」(前出・学習院関係者)

朝日新聞記者・中田絢子氏ツイッターより

中田 絢子‏@ayako_nkd
また、26日は愛子さまが中等科に進学してから初めての授業参観があり、皇太子ご夫妻も参加。1〜5限まで英語、音楽、理科、国語、古文の授業を参観されたそうです。ご夫妻は愛子さまが授業を熱心に聞き、お友だちと楽しそうに過ごされている様子を喜ばれたそうです。
3:22 - 2014年6月27日


『週刊文春』2015年3月5日号<雅子さま「ご公務欠席」会見の緊迫場面「そもそもご体調とは何なのか?」記者も苛立った>記事

p.157より引用
「雅子さまにお疲れのご様子は全く見られませんでした。事前にお送りした報告書を丹念に読み込んでくださっていた。途中、職員がドアをノックしたのですが、皇太子さまが『無視していいですよ』とおっしゃり、妃殿下ともにもっとお話を続けたいご様子でした」(総括責任者の三浦浩喜氏)


http://www.sankei.com/life/news/150207/lif1502070007-n1.html

2015.2.7 06:00
【皇室ウイークリー】
(369)両陛下、葉山の海岸をご散策 住民らに「どちらから?」と尋ねられご交流 雅子さま、被災3県の高校生と1年半ぶりご再会
(2/3ページ)より引用
 皇太子ご夫妻は3日、お住まいの東宮御所で、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の高校生5人と1年半ぶりに再会し懇談された。
 5人は、経済協力開発機構(OECD)などによる復興人材育成プログラム「OECD東北スクール」に参加した中高生の代表。参加者約100人は昨年8月、復興イベント「東北復幸祭」を仏パリで開き、被害状況や復興の現状などを自ら企画して世界に紹介した。ご夫妻はスクールの活動に関心を寄せ、準備中の平成25年夏にも東京都内での発表会で5人を含むメンバーと懇談されていた。
 この日、ご夫妻はパリでの体験談を熱心に聞かれ、懇談は予定を大きく超えて50分間に及んだ。出席者によると、皇太子妃雅子さまは宮城県気仙沼市出身で仙台育英高校2年の小山結(ゆ)有(う)さん(17)に「気仙沼の状況は今どうですか」と尋ねられた。ご夫妻は「地元のためにこれからも頑張ってくださいね」と励まされたという。

https://twitter.com/ayako_nkd/status/562808245652561920
朝日新聞 中田絢子記者公式ツイッター‏@ayako_nkd
懇談は30分の予定が50分近くになったそう。この最中、皇太子さまと雅子さまは何度も紅茶やクッキーをすすめてくださった、と生徒さんたちから聞きました/皇太子ご夫妻、被災3県の高校生と懇談 東宮御所 - 朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASH2354JPH23UTIL02Q.html


◾ 2010年3月3日ガーナ及びケニア訪問前記者会見にて、関連質問で「妃殿下のアフリカに対する関心,殿下からご覧になって,どういった部分に特におありでしょうか,お聞かせください」と問われ、「そうですね,アフリカが抱えている様々な問題,全体に対してあると思いますし,具体的にどの問題というのはなかなか難しいかもしれないのですけれども,もちろん貧困の問題ですとか,それから教育の問題,さらには環境問題なども含めて,非常に幅広くアフリカの問題に対して関心を寄せているというふうに,私には感じられます」との具体性も何もあったものではない漠然とした回答、夫妻でアフリカ問題について話したこともないだろとバレバレ事件≪宮内庁公式情報≫
◾ 2010年5月17日カンボジアのシハモニ国王陛下来日歓迎式典で弟秋篠宮殿下に後ろを振り向いてまで話しかける、雅子から私語癖が伝染ったらしい事件(同年12月26日「皇室ご一家」にて放送)
◾ 2010年6月結婚式参列のためスウェーデン訪問したナルちゃん、式前日の各国王族夕食会にてよれよれタキシード姿を披露事件


参考:ttp://cache.daylife.com/imageserve/0cOw1JUeVX3c1/x999.jpg daylife配信画像その1]、ttp://cache.daylife.com/imageserve/00cI8kP0Os1cg/x999.jpg daylife配信画像その2]→その他関連画像は* 2010年6月19日スウェーデンのビクトリア王太子結婚式当日、参列王侯貴族各国要人の中、カメラを手に平気で撮影しまくる事件
参考:ttp://cache.daylife.com/imageserve/0eQMfu723K2qF/999x.jpg daylife配信画像その1]、ttp://cache.daylife.com/imageserve/08iNcxOggP3xX/999x.jpg daylife配信画像その2]→その他関連画像・映像は* 2010年6月19日スウェーデンのビクトリア王太子結婚式に独りぼっち出席したナルちゃん、華やかなドレス姿の他国王室カップルに意味なくまとわり付いてマスコミ撮影を邪魔し、その光景のYoutube視聴者から「シュリンプ=ちび」呼ばわりでコメント書かれる事件
◾ 2010年9月1日那須静養から帰京する那須塩原駅前にて、娘愛子がワンボックスカーの陰に隠れてしまい出てこない“雲隠れ”、それを苦笑いだけで全く窘めようとしない事件
◾ 2010年11月13日大分県訪問にて徳仁がいいちこ日田蒸留所見学、高級版「特撰いいちこ」「いいちこスペシャル」「いいちこフラスコボトル」の3種類を飲むも、“普通”のいいちこだけは唯一口をつけない事件
◾ 2011年4月11日東日本大震災発生から1ヶ月となるこの日、東宮御所に愛子同級生を招き、午前11時〜夜7時近くまでお楽しみパーティー開催、「皇太子殿下はビデオカメラを、雅子さまは小さなカメラをそれぞれお持ちになり、子供たちの様子を常に撮影していました」事件
◾ 2011年5月14日六大行啓「みどりの愛護のつどい」で徳仁が富山県訪問、被災者15名と対面し「愛子もリレーの選手なんですよ」発言、クラスから2名選抜される秋の学習院初等科運動会リレー選手にもう確定済みなんですか?事件
◾ 2011年5月17日徳仁と来日したルクセンブルク・ギヨーム皇太子が懇談、東宮御所玄関出迎えで徳仁が「Nice to meet you again」、英語の動詞meet中学生レベル誤用事件
◾ 2011年8月11日那須御用邸静養へ出発する恒例の那須塩原駅前マスコミ撮影、トイレで粗相したのか、手洗いがぞんざいだったのか、飲み物をこぼしたか、理由は不明だが、ズボン股間に小さな染みを付けてお出まし事件
◾ 2011年8月24日那須どうぶつ王国にて徳仁愛子とのび太君家族ら一行がお楽しみ、ラクダライドの徳仁はニッコニコ笑顔で到底51歳には見えません事件(この日雅子は同行せず)

◾ 2011年9月14-16日学習院初等科4年生の山中湖2泊3日校外学習にまで雅子が同行、「皇太子妃雅子さまも付き添いのため、別の車で山中湖に向かわれた。」≪産経新聞9/14≫、「雅子さまも同じホテルに泊まり2泊3日の間、愛子さまを見守り続けるという。」「雅子さまは愛子さまが行く先々にすべて赴き、活動を見守るという。」≪毎日新聞9/14≫、そんな妻を諌めるどころか徳仁は「愛子さまは同級生らとともにバスに乗られ、出発の際には皇太子さまが見送られたという。」≪MSN産経皇室ウイークリー9/17≫、東宮夫妻は典型的なモンスターペアレント事件
◾ 2011年11月13日、天皇陛下東大病院入院により両陛下欠席となった山梨県「恩賜林御下賜100周年記念大会」に名代として出席することになり御乗用列車(お召し列車)にて移動、その車内でデジタルカメラ片手にお手振りしている徳仁の姿が撮り鉄さんたちに激写され、『週刊新潮』11/24号グラビア記事にまでなってしまった、徳仁はいつでもどこでもカメラパチパチカメコ事件
◾ 2013年12月3日、バイデン米副大統領がケネディ駐日大使を伴い東宮御所訪東日本大震災]]被災地を訪問した二人から「被災地の話を熱心に聞かれていたという」自分たちが視察した被災地についての話は?外国人から自国被災復興状況の話聞かされるのって情けなさ過ぎない?被災地情報を二人に聞かせるべきで立場逆じゃね?事件
◾ 中学生にもなって単純な計算、また先々の見通しが苦手だとお察しされる「アイメイト盲導犬グッズ」愛子エピソード、足りない金は父徳仁があっさり補填するという甘やかしぶり事件
◾ 2014年6月26日(木)愛子が学習院女子中等科に入って初めての保護者参観日、徳仁雅子二人揃って1時間目から5時間目までフル授業参観という、体力と暇ありすぎ事件
◾ 2015年2月3日東宮御所にて徳仁雅子が「OECD東北スクール」参加の高校生たちと懇談、それが大幅に予定時間オーバー。懇談中部屋をノックした東宮職員に対して徳仁が言い放った言葉は「無視していいですよ」≪週刊文春2015/3/5号≫
◾2016年3月1日エジプトのシシ大統領と徳仁(インフルエンザ療養中の陛下の代理)が会見・昼食会。それらが終わり「別れ際」になってようやく徳仁がエジプトによる東日本大震災への支援に言及返礼。本来なら最初の会見時に述べるべきことを別れ際になってようやく口にする体たらくにスレッド住民奥様方が呆れかえる事件
参考:2016年3月1日エジプトのシシ大統領との会見・昼食会に徳仁代理出席ニュース集

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/Naru
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c133

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
83. 中川隆[-10346] koaQ7Jey 2019年5月04日 07:48:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]

Dosuko Wiki 小和田恒
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92


雅子夫人の実父、小和田恆(昭和7年・1932年9月18日-)のこと。御一行様スレでは大抵「ジジン」のあだ名で称されている。類義語に「カンキリヒサシ」「閣下(外務省時代小和田氏を「閣下」と呼ばないとたいへんお腹立ちになられたという逸話があるとか)」がある。
←→【小和田優美子】
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%84%AA%E7%BE%8E%E5%AD%90

2008年春〜夏にかけては軽い脳梗塞を起こし、都内複数病院で入院治療→軽井沢別荘静養していたと、『週刊現代』2008/12/13号<雅子さま、公務復帰決意の陰に悲壮「父が脳梗塞闘病」>にて伝えられる。しかしこれは自らの影響力が弱まることにつながると危惧したのか、かつての部下であった野村一成東宮大夫に国際電話をかけてきて、定例会見にてそれを否定させる発表をさせたと『週刊文春』2008/12/18号<平成皇室の「試練」 天皇と黒田清子さん「お二人の時間」−美智子皇后が外された後も会話は続く ▼雅子妃父「脳梗塞」に「申し入れ」>が報じる。
週刊現代について「事実無根のデタラメ記事」と国際電話でえらく強く怒りの弁で述べていたとのこと。

それから約1年後、『女性自身』2010/1/19号<雅子さま、「輝きの笑顔」にあった実父「緊急手術」からの生還!>が、2008年入院・軽井沢静養について改めてしたためると共に、2009年12月中旬に小和田恒が脳梗塞発症予防のために血流の流れをよくする「バイパス手術」を「血栓に関する治療が世界的に有名で世界最高レベル」の都内某大学病院にて受けたと記事にしている。2008年に恒が国際電話で週刊現代記事を「事実無根のデタラメ」と言い切ったのは真っ赤な嘘だったわけであり、今後の東宮周辺の動きと併せ注目度が高まっている。

参考:【小和田金吉】、【小和田毅夫】、【学歴ロンダリング】、【準皇族】、【ワシントン奥】、【ジョーズのテーマ】

目次[表示]

小和田恒の色紙やら立て札やら石碑やら椅子やらいろいろ参考画像

「高校時代の恆氏」ぼけた写真ながら顎の左右噛み合せの悪さが窺える小和田恒画像、この噛み合せの悪さは娘雅子や孫娘愛子にも引き継がれることに(週刊文春 2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号)
1993年10月10日 2007年12月5日TBS「水トク!」で“アノ小和田家御用達”として紹介された岐阜県飛騨高山にあるうどん&蕎麦屋『太田庵つるつる亭』に飾られている、小和田恒直筆色紙「優雅礼節 平成五年十月十日 小和田恒 優美子」
1993年11月13日 「雅子妃殿下御父上誕生の地 樹種ハマナス 寄贈北蒲原郡聖籠町 平成五年十一月十三日 新発田市皇太子殿下後成婚記念実行委員会」との立札が設けられる
『週刊新潮』1994年9月22日号<二百五十人集った 小和田国連大使の出版記念パーティー>カラーグラビア
七日、帝国ホテルで行われた小和田国連大使の出版記念パーティー。政・官・財界などから、福田赳夫、宮沢喜一、瀬島龍三氏をはじめとする約二百五十名が出席する華麗な会となった。が、当の本人は派手なことがとにかくお嫌いらしい。
「看板を外してくれとおっしゃる。花束を壇上で受け取ろうとしない。すぐ隅の方へ行ってしまう。奥様に至ってはさらにその後ろで、壁の花と化していました」(パーティー参加者)
肝心の本のタイトルは「参画から創造へ」。これまで発表した論文を中心にまとめた学術書ゆえに、初版は二千部とのこと。
『週刊新潮』1998年5月14日号<ワイド特集 問題人間の問題発言 (4)「辞める」と言わない小和田国連大使の長期留任>表紙・目次
2000年7月25日 雅子が欠席した香淳皇后斂葬の儀に出席している小和田恒・優美子。添えられた説明は「ご親族も、もちろん御参列」(週刊新潮2000年8月10日号<雅子さまは欠席された皇太后さまの葬儀>モノクログラビア)【夏バテのようなもの】
2009年8月7日 山形県山辺町出身で国際連盟理事会議長・国際司法裁判所所長を務めた安達峰一郎氏生家を訪ねた小和田恒、なんとその生家敷地に自らの直筆名前と手形を掘り込んだ豪華な黒御影石製来町記念碑「山之辺町来町記念 国際司法裁判所所長 小和田恒 平成二十一年八月七日」を建立
オランダ・ハーグの国際司法裁判所の椅子に十六八重表菊まがいの菊紋を使用 ←「雅子妃殿下御父上誕生の地」立札、「山之辺町来町記念」御影石記念碑とのまとめ画像
……「当の本人は派手なことがとにかくお嫌いらしい」だなんて嘘も大嘘、謙虚とはあまりに程遠い、強烈な自己主張をしたがる小和田恒の性格がよく分かる画像集である。

小和田恒像の変化(2001/12/1愛子誕生会見→2008/4/29ダラス空港→2009ハーグ国際司法裁判所にて→2010/2/18ハワイEast-West Center)

雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件 & 最後の晩餐は「ベリーエキスペンシヴレストラン」事件

LL.B.(法学学士)止まりである小和田恒、彼がLL.M.(法学修士)を取れなかったその理由について海外インタビューPDFファイルが発掘され祭状態に
参照:【学歴ロンダリング】


Part1131-131 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 15:45:22 ID:mpoZ4GNf0
なんかちょっとさっきからジジンの事が気になって☆ネットで色々見てたけど

ジジンは一応ケンブリッジで今のLLMに当たるポスグラのコースにはいたみたいね
でも卒論は上げてない、と
しかし卒論提出できなかった言い訳が....ヒーヒーハライテ
イギリスに船で来てトランク無くされたんだと
その中に卒論が入ってたんだとwww

あの頃ってまだ皆船使ってヨーロッパに行ってたの?
1950年代でも外務省の研修員は飛行機使わせてもらえなかったのかな?


205 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 17:17:49 ID:5Tjl+lm50
そういえばこんな記事が大昔あったなあ。
トランクがどうのこうのという話はないようだが。
--
外務事務次官に就任した小和田恒氏 学者顔負け、国際法の論客
日本経済新聞 1991/08/03

省内ではよく「プロフェッサー・オワダ」と呼ばれる。外務省きっての国際法や国際政治の論客であり、学者顔負けの博識ぶりは海外でも知られている。
昭和30年に東大教養学部を卒業して研修のため留学した英国ケンブリッジ大学大学院では、才能を見込んだ主任教授が在学期間の延長を求め、通常2年の留学期間が3年になった。
(中略)
論理的な話しぶりは「日本人離れしている」という定評がある。(中略)
その半面、「あまりにも論理的で、まあまあという日本的というかアジア的なところがない」というように人間味に欠けるとの声も多い。議論してもかなわないと、
小和田氏との議論を敬遠する向きが多いのも事実だ。小和田氏は「自由闊達に議論して、のびのびと仕事をすれば、創造的な発想が出てくる」と省内論議の活発化を説くが、さてどうするか。
長女の雅子さんは北米二課で日米経済摩擦に取り組み、親子二代の外交官。
ゴルフ、マージャンはやらず、趣味はスキー。「スタイルは良くないが、転ばず滑ることでは人に負けない自信がある」。(後略)


286 名前:131 :2008/02/18(月) 18:10:20 ID:mpoZ4GNf0
すいません、レス入れた後急に来客プチ公務が入っちゃって

ソースですが
28ページに及ぶニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目
www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf

今もまだ半分しか読み切れてない
長い
ツッコミは色々あるけど
要はジジンは自分の人生を語ってる
ジジンの父親って教頭だったんだっけ?
なんだか隠したいのか?って思う程話に出さないっていうかなんツーか
ジジンにとてケンブリッジは楽しかったようだけど微妙に対談相手の教授の質問をかわしている様な?


注:当該PDFファイルはnyulawglobal.orgからlaw.nyu.edへ移転、後にlaw.nyu.edでも削除されてしまいましたが、Webarchive記録から現在でも閲読可能です。

http://web.archive.org/web/20090509214310/http://www.law.nyu.edu/idcplg?IdcService=GET_FILE&dDocName=ECM_DLV_015899&RevisionSelectionMethod=LatestReleased (Webarchive記録)


314 131 sage 2008/02/18(月) 18:45:36 ID:mpoZ4GNf0
ひいいいい〜、ジジンのこの一冊って「アンナカレーニナ」だってええええ〜
いややあ、このジジン「嵐が丘」といい
ダメだ、このジジンの趣味はついてけんorz

好きな音楽はクラッシックジャズ...
もしかしてキースジャレットはジジンの好みだったのかね?
バロック音楽ーバッハーが好きねぇ...
猫足趣味ワルロココ調インテリア類などのルーツなのか?

ジジンって典型的なガリ勉見栄張りタイプだね
なんか丼がジジンの言いなりって判る気がする

最後の晩餐は「日本のものごっつう美味くて高いレストランで。でもジャッジだから店の名前は、ヒミツ」だって
最後の晩餐と言いながら東宮御所やら高級フレンチレストランでゴチになってるのは誰だwwww

あー、疲れた
本当にジジンは白人には饒舌だな
「アンナカレーニナ」「嵐が丘」
もうジジンは生理的にダメ...


342 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:08:31 ID:PBwy5yZ30
>>205
 >英国ケンブリッジ大学大学院では、才能を見込んだ主任教授が在学期間の
 >延長を求め、通常2年の留学期間が3年になった。

これって、、、、、wwwww
2年でMPhillのDissertationが書き上がらずに1年Extensionもらったから
履歴書で年数が合わない(二年のはず)のをごまかすだけじゃんw
しかも結局論文は「カバンの中に入れて紛失したため」提出しなかったんでしょ?

人生のはじめからねつ造と虚飾、出世のためには必死で創価でも何でも利用してきた
成り上がりがよく分かるねえ。


360 131 sage 2008/02/18(月) 19:27:57 ID:mpoZ4GNf0
もう一度ジジンの対談読み直して論文無くした時の早合点の部分があったのに気が付いた

論文が紛失したのは
×仕上げて日本からロンドンに戻って来た時ではなく
○論文はほとんど完成に近かったけど日本に帰らなくてはいけないしもう少し手を加えて日本で仕上げようとロンドンから船で発つ時
でしたスマソ

>>342
対談ではケンブリッジの3年目に Humanitarian Trust Friendship という賞を大学がジジンに上げたので I continued to do my doctorate だったそうなwww


364 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:37:08 ID:n5+qA8Ij0
>>360
論文書く時は何度も下書きするだろうし
途中で担当の教授に見せて直されたりと
いくつも参考にする物位あるのにな〜。

嘘くさい言い訳だw 


365 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:37:54 ID:PBwy5yZ30
>>360
つまり人より1年長くかけても書き上がらず、
日本へかえって仕上げて送ると英側には嘘をつき、
結局マンドクセになって日本側には「紛失して提出できなかった」と別の嘘をつく。


370 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:44:44 ID:vpJs+zX40
>>286
この資料発見GJですわ〜

該当部分タイプしました(コピペできなくて死にそうでした)。
適当に訳した要旨含め、間違いがあったらご指摘ください。

In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship.
On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion,
but I wanted to brush it up and siubmit it later.
I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment.

Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks.
One of the trunks disappeared in London dockyard.
And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things,
like my clothes, books, and so forth.
And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate.

(要旨)
ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。
ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、
その時はもう日本に戻らなければならなかったから。

当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。


371 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:47:28 ID:5Tjl+lm50
>>370
(ノ∀`) アチャー
ところで田氏は修士号はお持ちなのでしょうか?
1993年の記事をみると小和田氏はケンブリッジ「留学」ってなっているんだけど、
1995年の記事では、英ケンブリッジ大大学院修了ってなっているんだわ。


376 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:51:38 ID:ix1ZXJ120
おいこら。
博士号取るための論文なんて、下書き何百枚もあるだろうが。
それら全部一緒に持ち運んでいて、全部なくしたというのか?
普通は最終脱稿だけ持ち歩いて、初稿は机の引き出しに保管じゃないかえ?
へええ〜〜〜〜〜〜〜。
別に取れなきゃ取れないって言えば「あっそう」なのに、
いちいち尤もらしい言い訳するのは、みっともない。


377 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:52:31 ID:mpoZ4GNf0
>>370
タイピング乙でした!

あ、また自分の間違い見つけちゃったorz
ジジンがもらった賞は
×Humanitarian Trust Friendship
○Humanitarian Trust Studentship
でした
申し訳ない


379 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:54:14 ID:rEx98kW80
>>376
こういう言い訳を聞かされる方は、イライラするよね。
嘘って分かってるのにもっともらしく、しかも下らないすぐばれる程度の。

評判が悪いのも頷けるわ。
誉めるところが一つもないんだから。


381 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:56:24 ID:8DDHRKciO
教授にほめられて是非にと言われて博士号とれないとな?


382 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:57:13 ID:PBwy5yZ30
>>286よんだわ。
教授が「博士論文を書かれたんですよね?」と水を向ける。
すると>>370さんのいいわけを言う。
これ明らかに釈明のためにこの場を使っているね。教授もイッチョ乗せられてるクサい。
教授は小和田がLLBコースに在籍はしたがLLBの学位を持っていないことには触れず
急にDoctrateに話を切り替える。書いたんですよね?と
すると突然小和田が実はかくかくしかじか、といいわけを始めるんだよね。
この発言は2005年11月で愛子の女帝論議が活発化している頃だ。
知られたくない過去をあれこれ保持繰り返され、なぜ学士卒なのに大きな顔で判事が出来るのかなど、
そこでジジンはこの日本人の目に触れにくい媒体をわざと使って昔語りをしたと言うわけだな。


385 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:01:49 ID:n5+qA8Ij0
始め修士課程にいて、是非にと言われて博士課程(というか
大学院の後半?)と計3年いて、一応取った事になっている学位は

「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学士)

なの?なんだかよくわからん。そんなに大切な論文なら
手荷物にしっかり入れないのかな?


386 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:04:55 ID:TAtzptuq0
>>382 なぜ学士卒なのに大きな顔で判事が出来るのか

うひゃひゃひゃ!一番触れて欲しくない部分だろーにpgr


387 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:09:50 ID:n5+qA8Ij0
>>385
ちょっとわかった自己レス

At various universities in the UK such as Oxford, and Cambridge
the principal law degree is a B.A., in either Jurisprudence or Law
respectively; the B.C.L. and LL.B. are second-entry postgraduate degrees.
The University of Cambridge has recently replaced their LL.B. degree with an LL.M.

一応、修士と同程度にはなっているのね。LLB。で、最近更にLLBが
LLMに変わったと。一応欲しかったのはJ.Dと。


391 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:22:41 ID:PBwy5yZ30
>>385
LLBは学卒と大学院資格の中間。ちょっと分類難しい。
高卒から普通に大学受験で入学できるが、高卒からでは修了にとても長い時間がかかる。
大卒Bacheloprの場合は短期間で済む(砲火大学院ぽい)
pdfにもあるがアメリカではBachelorだと大学院格に見えないので
(生徒集めのため)LLM に学位名を変更しているとあるが
イギリスではいまだにLLBのままとおもう。

ところでジジンはLLB持っているの?
持っていれば鼻高々にLLBと唱えて歩きそうだが。
日本語で「修士課程修了」は学位があるかとは関係ない、別のゴマカシかも知れない。


392 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:25:35 ID:PBwy5yZ30
>>391
 >大卒Bacheloprの場合は短期間で済む(砲火大学院ぽい)

タイポ訂正と付け加え

すでに大卒Bachelorを持つ人の場合はLLB取得が短期間で済む(法科大学院ぽい)


394 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:29:13 ID:vpJs+zX40
「Humanitarian Trust Studentship」でググったら、これの説明らしきものが出てきた。
賞というよりも奨学金?

ttp://www.admin.cam.ac.uk/reporter/2001-02/weekly/5860/38.html
>Humanitarian Trust
>STUDENTSHIP IN INTERNATIONAL LAW

>The Humanitarian Trust has sponsored a fund from which studentships may be awarded from time to time
> for research students at Cambridge studying for a Ph.D., M.Litt., or Diploma, in any field of international law.
> Candidates must produce evidence that they have obtained, or are likely to obtain,
>before the end of the academical year of their candidature, a degree or diploma at a university or college
>in the Commonwealth of Nations, the United States of America, the Continent of Europe,
>the former Union of Soviet Socialist Republics, the Hebrew University of Jerusalem,
>or at any other university or college approved by the Electors for the purpose of this regulation.

>They must also produce evidence of their fitness to engage in advanced study.
>Students must be of sufficient merit.
>The value of the studentship is ordinarily £1,000 a year, payable termly in advance.
>It may be held concurrently with another award or scholarship,
>except for a Commonwealth Fund Fellowship, a College Fellowship, or endowment of similar magnitude.
>The studentship is tenable for a year, but may be extended for a further year.
>Certain travel expenses associated with the student's work may also be paid.


411 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:42:27 ID:dkWK3eHS0
>>403
飛行機の今のご時世でもロストバゲージはある話なわけで、
自分の手元のカバンに入れておけばいいのに。

でも、>>370な経緯なら、日本に戻ってから書き直せば良かったじゃんとは思う。


414 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:44:08 ID:5IdfUXsq0
宿題忘れた小学生の方がまだマシな言い訳をいいそう。


416 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:45:08 ID:PBwy5yZ30
>>403
コピー機の無い時代でもジジンは英語で論文を書いており(書いていたなら、だがw)
カーボン紙をひいて複製を作りながらタイプできていたはず。
紛失で提出できませんでした、はまったくお寒い言い訳でしかないよ。


417 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:47:02 ID:03XaPleB0
大事な論文の控えを取ってなかった時点でもうダメ男じゃん
こんな言い訳、どこの世界でも通らんわ


418 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:47:53 ID:K9Ii3V250
奨学金もらっておきながら論文出さなかったのか…呆
オワッタ父、娘とは違ってお勉強 だ け は できる、ガッツのある人物、
というイメージがあったけれど
結構中途半端で言い訳がチキンなんだね
やはり親子だ

ところで上の方のレスにあったけれど
禿長官の諫言って、「皇太子自体が参内しない」のを諫めた発言だったのか
愛子ちゃんがどうのこうのじゃない、もっと本質的で重大な問題の提起だったのね
世が世なら謀反の恐れ有り、じゃないか?てゆーか実態はそれに近い?


421 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:48:49 ID:XKbcWTFH0
>>394
普通の奨学金ですね。

外国の大学図書館の入館証を、まるで何かの顕彰のように読み替えては信者相手に自慢する、何処ぞの教祖サマを連想しました。


422 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:48:52 ID:03XaPleB0
連投スマソ
カンキリを試さなかったから部下を叱責する閣下が
自分が論文紛失で博士号とれませんでしたテヘって

ありえん


425 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:50:48 ID:XlG5HOuM0
>>411
>でも、>>370な経緯なら、日本に戻ってから書き直せば良かったじゃんとは思う。
んだな、同意。
紛失しちゃったから諦めました、って、
あのネチコイしかいし体質の小和田さんにしたら、
あっさりしすぎだw。
ほんとに、この親にしてこの子有りだよね〜、
留学延長までしたのに修士が取れなかったのも、
要らぬ言い訳して自爆するところなんかもwww


429 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:58:28 ID:dkWK3eHS0
>>425
だよねえ。

データを取らなきゃいけない理系の研究ではないんだし、
再度、参考文献を当たるしかないんじゃないかな。

時代が時代で「そんなに洋書が簡単に手に入らないんです!」でも、
奨学金をもらったくらいの学生ならば、担当教授に経緯を説明すれば、
参考文献の本は送ってくれそうなもんだと思うけどな。
実費負担が嫌だったのかしらんw

でも、博士号を目の前にして、あっさり諦めるってのも、何か変な話。
あのお勉強しかとりえが無くて、プライドが高く、名誉欲の塊のジジンがねえ…。


432 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:00:46 ID:vpJs+zX40
>>398
>>421
やっぱり奨学金ですよね。
>The value of the studentship is ordinarily £1,000 a year
だから一年あたり約20万円?(当時のポンドはもっと高かったはず)と、
>Certain travel expenses associated with the student's work may also be paid.
だから研究のためにかかった交通費も支給される。

奨学金もらうだけもらっておきながら論文出さなかったと。


434 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:02:22 ID:9jBSW/z20
昭和50年ごろのレートで1£=1000円ほどだったかと。


440 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:07:43 ID:vpJs+zX40
>>434
d。
じゃあ1000£は100万円か!
まあ当時から1000£だったのかはわからないけど、金額の多い少ないの問題じゃないよね。


441 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:08:02 ID:TbFvmwL20
>>364
だね。あの時代って手書きで書いて、最終的にタイプで打って製本屋に製本してもらって
論文完成だったはず。論文関係の下書きからなにから、全部一つのトランクに入れるなんて。
で、頭に概要が残ってれば、ひと月あれば書けるはず。だってどの資料をつかってどう考えたか、
記憶があるんだから。ジジン、まともに論文書いてない可能性高し


442 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:08:17 ID:2tKQv4Vu0
しかしあれですね13票もすごーと思ったけど、今日はもっとすごいネタが上がったね。@論文


443 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:08:28 ID:8q6lFP4D0
あの小和田父が、本当に完成間近の博士論文を紛失されて
黙って博士号取得を諦めるとは思えないんですが・・・。

恫喝・ゆすり・たかりで、慰謝料くらいはせしめてる筈でしょうが。

嘘ついてるの丸分かり。本当にカッコ悪い人だ。


447 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:12:53 ID:5jTlFQfd0
>>441
大事なものなら、普通は手荷物にいれて自分で管理するかとw
手荷物とトランクにそれぞれ入れるとか。


448 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:14:11 ID:6msByhzL0
基本、海外で移動するときには、ほんとうに大切なものは手荷物です。
海外に精通している小和田さんらしくもないw


449 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:16:29 ID:tWW+tEDX0
正直、自費で海外で勉強していないから、こういう考えられないことでも
平気で出来るんだと思う。


450 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:17:04 ID:w0EkkmGK0
>>440
昭和30年代なら、東大の1年の学費が9000円ぐらいだったらしい。
それに昔は1ドル360円の時代だったし。
外貨の持ち出しも制限受けていて、外国にいくのもたいへんな時代だったとl聞いている。
いろいろ聞いたけど、忘れた。

多分、ベトナムやミャンマーの人がアメリカにいくようなもの。
1000ポンドは大金だったはず。


452 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:18:07 ID:rEx98kW80
>>448
どうせなら置き引きにあったとかひったくられたとか、若しくは強盗に襲われて
勇敢に立ち向かったが体格差はどうにもならず、トランクを取られてしまった。
内ポケットに入っていたチケットは無事で、帰国する事が出来たが、その後
論文の再作成に手をつける事が、どうしても出来なかった。
ショックが大きかったのだろうが、その時はそんなことすら分からないほど、
精神的に衰弱しきっていた、とか言えばいいのに。

同じ嘘なら大きくつけよw


454 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:18:32 ID:5jTlFQfd0
>>451
ロストバゲッジなんか、有名スポーツ選手でも普通にありますからね…


457 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:21:55 ID:XlG5HOuM0
しかし、恆パパの時代は、
省費(国費)留学したのに修士号取れずに帰って来ても、
恥ずかしい事じゃなかったのかな?
その後、出世コースからもはずれず、
性格の悪さ剥き出しでカンキリ風吹かしながら生きてこられたんだから。


458 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:23:07 ID:mpoZ4GNf0
どうしてジジンはロンドンから日本への長ーい航海の途で
紛失された論文をちょっとでも思い出しながら書こうと思わなかったのかなあ

それと日本に帰って外務省に論文があげられなかった経緯をちゃんと説明したのかねー


460 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:23:33 ID:RwCUNZD/0
昭和52年の渡英で、一ポンド500円くらいだったと、
旅行したおじいさんが言っています。

まだ一ドル360円だったことは確かだよな。
昭和60年あたりに、一ドル250円くらいになった。


461 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:23:46 ID:tWW+tEDX0
省費留学して修士号取らずに帰ってくるっていうのは
外務省では日常茶飯事なんだろうか。

なんせ事務次官とその娘がこれだし。


464 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:27:14 ID:0Mauv8Ir0
>>458
やる気があるなら預けてないよww
いつでも取り出せるように手元に置いてるでしょう。

最初から論文なんか入ってなかったんだろうよ。


475 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:42:03 ID:TbFvmwL20
>>454
うん、自分フィギュアスケート好きなんだけど、すごい高率でロスバゲ。
テロ関連でスケート靴が機内持ち込みできなくなったから、これで試合
欠場する選手までいる。
船旅なら、手荷物もたくさん持てそうだし、書けてなかったに100OWD


480 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:50:09 ID:yTEjekhB0
昭和30年代なら、日本では学位にそれほどこだわってなかったから
学位とれなくても小和田ジジ的には別に問題はなかったと思われ。
大学の教授でも年取ってる人にはドクター持ってない人結構いる。(特に文系の人)
日本も欧米並みに学位にこだわるようになったのは最近だよね。

そもそも当時の外務省って、東大中退がエリート扱いされるヘンな場所だったんだから。
東大中退といえば聞こえはいいけど、学歴的には高卒よね。
なので、留学で学士になった。
欧米では学位を持っているか持っていないかは非常に重要視されており
外交官は大抵修士を持っていることが前提になってたり、他の国際関係機関でも
修士がないとそもそも働く資格がなかったりするので、日本の外務省員は学歴的に劣る
ということで、キャリアは全員留学させて、修士を取るようにしたのが
もうちょっと後のことだと思う。


482 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:55:20 ID:5zvCVIEE0
●●雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件●●
ソース(28ページに及ぶ)ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目

www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf(注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします)
In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship.
On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion,
but I wanted to brush it up and siubmit it later.
I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment.

Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks.
One of the trunks disappeared in London dockyard.
And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things,
like my clothes, books, and so forth.
And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate.

(要旨)
ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。
ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、
その時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。


485 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:59:14 ID:AZVsfwMl0
>>482
心の底から、 嘘 く さ い !


486 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:01:08 ID:GW0PLtJe0
恒よ…
そもそも最初から書き上げた論文なんてあったのか…?


488 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:02:23 ID:GW0PLtJe0
トランクを盗まれたから私は博士になれなかった。全部泥棒のせいだ。

こう言いたいのか。

この男に恥の概念はないのか?


491 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:04:26 ID:0Mauv8Ir0
私だったら、どうしても帰らねならないのなら、取りあえず提出して帰る。

・・・つーか、帰国の日はあらかじめ決まっていたはずだよね?
なんで論文完成してないんだよ。
雅子と同じでいい加減なんだね。さっすが親子。


497 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:07:02 ID:8q6lFP4D0
>>491
内容に自信がなかったんでしょ。
帰国前の一ヶ月くらい、「いかにして自分は恥をかかずにこの論文を出さないで済むか?」
の策を練るのに頭ひねってたんでしょ。ヴァカですね。


499 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:08:38 ID:AZVsfwMl0
こんな言い訳したら(しないけど)、教授に半殺し、大学から永久追放されるよ。
協力してくれた、卒研生や先輩方にも、顔向けできない。
無理、絶対、こんな言い訳できない。


501 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:09:58 ID:f284QcWK0
ジジンは嘘も100回言えば真実になる、の口。

次官級会議のとき、だれも水を向けないのに
ひとりで勝手に
「困ってるんですよ。皇太子様がしつこくて。何度お断りしても言って来られる」
と言いまわってた。
霞ヶ関の語り草。


503 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:13:17 ID:WnF32PXi0
>>460
余分かもしれませんが、昭和34年のトヨタ(当時全国最高クラス)の初任給は2万円台
その当時1ポンドは当時の1000円、ドルは360円でドルポンが1対3ぐらいだったそうです
日英の物価の差はあったのですが、それでも1000ポンドはイギリスでも現在日本の400―500万ぐらいの価値がありました
当時のスカラシップはとくに留学生向けのものはそのぐらい手厚かったのです
イギリスのミドルクラスの生活ができるぐらいの金額というのが基準だったそうで
この話は同時期アメリカにスカラシップで留学していた父が今横で語り続けているものです
ちょっときいたら、止まらなくなってる・・・父さんたらぁ・・


506 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:14:29 ID:vpJs+zX40
>>482
これを訳した者ですが、>>394の説明によると奨学金のようなので

>ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。
これ↑訂正ですね。

「ケンブリッジ大学の裁定でHumanitarian Trust Studentship奨学金を受け、博士号コースを続けていた3年目。」

で大丈夫でしょうか?


510 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:18:35 ID:6DfDL9CD0
>>506
乙です。

●●雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件●●
ソース(28ページに及ぶ)ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目
www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf
注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします。

In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship.
On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion,
but I wanted to brush it up and siubmit it later.
I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment.

Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks.
One of the trunks disappeared in London dockyard.
And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things,
like my clothes, books, and so forth.
And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate.

(要旨)
ケンブリッジ大学の裁定でHumanitarian Trust Studentship奨学金を受け、博士号コースを続けていた3年目
ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、
その時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。


515 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:31:27 ID:mpoZ4GNf0
>>510
乙です

この愉快なジジンの対談レクチャーを発見した者ですが
もし現物を読みたいといる方がいらっしゃる場合
リンク先はここです(pdf形式)
http://www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf

注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします。


それから
×マニュスクリプト
○トランスクリプト
でした
もしよろしければ訂正願います
マニュスクリプトだと手書きってことになってしまうので


520 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:35:31 ID:03MRZP9J0
●●雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件●●
ソース(28ページに及ぶ)ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのトランスクリプトの8ページ目

http://www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf(注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします)

In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship.
On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion,
but I wanted to brush it up and siubmit it later.
I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment.

Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks.
One of the trunks disappeared in London dockyard.
And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things,
like my clothes, books, and so forth.
And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate.

(要旨)
ケンブリッジ大学の裁定でHumanitarian Trust Studentship奨学金を受け、博士号コースを続けていた3年目。
ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、
その時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。

522 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:39:50 ID:vpJs+zX40
>>520
あちゃーたびたびすみません、自分のタイプミス見つけてしまいました。
要旨2行目、「ケンブリッジ」の「ッ」が「ツ」になっちゃってます。恥ずかしス

524 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:42:16 ID:mpoZ4GNf0
>>518
これ、前に見つけてここに貼ったけど
ジジンが丼入内に舞い上がってた証拠

1993年2月26日NYタイムズの記事(英語ですが)
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F0CEED81538F935A15751C0A965958260
下から15行目以降


764 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:25:21 ID:edqr7Sxv0
日本の教養学部の学士しか持ってなくて、これはイギリスの法学部の学士(現在のLLB)と
同等とは見なされないから、この時点でイギリスの法学部で3年で博士号取得は無理なんだけど、
外務省の場合アメリカの大学に派遣留学する人も多いし、あちらでは関連のある学部の学士が
あれば修士論文なしで直で4年で博士も可能だから、そのあたりの混乱をうまく
利用していかにも博士号取得済みのように思わせてたのかも。


769 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:26:42 ID:m2ThZ6q/0
小和田恒氏の博論紛失談、限りなく嘘くさいなあ。

船に預けた荷物が紛失したのであれば紛失証明書を汽船会社に出してもらってその旨大学当局に申し出ればいくらでも提出期限は延期してくれる。
イギリスの大学はそういう融通はきくところ。

それ以前に1960年頃のケンブリッジで3年で博士号取得間近というのがおかしい。

イギリスの場合も文系の博士の学位は80年代までは滅多にださないものだった。
今でも通常大学院進学後5年かけてとるのが当たり前。


822 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:49:08 ID:edqr7Sxv0
ていうか普通に考えたら、イギリスの法学部の学部卒なら一年で取れる
修士だけど、ジジンは他学部卒だし、言葉の壁もあるから、外務省は2年与えた。
しかし2年経っても修士が取れなかったので、日本にはドクターコースに進んだと言って
期間延長。とりあえず3年かけて修士は取れたので一安心。その後「博士号は?」と
聞かれた時にはトランクネタ使用、でFAでは。

大体、本当に少しでも博論書いてたら、紛失の話をする際にはかならずそのタイトルとか
内容とか少しは話すでしょ?法学関係者相手の講演だったんだから。彼らが「ああ、
あの当時ならなかなか面白いテーマだったね」と思うような博論じゃないと意味ないし。

上にも書かれてるけど、この対談は本当に的外れ。相手は一生懸命おもしろくしようと
頑張ってるのに、結局のところは外国官僚の自慢話で終わってるから。


829 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 02:08:35 ID:WgivHNY20
>>822
>とりあえず3年かけて修士は取れたので一安心。

修士取れてないんじゃなかった?
国際司法裁判所のプロフによると
ttp://www.icj-cij.org/court/?p1=1&p2=2&p3=1&judge=13
>B.A., University of Tokyo (1955). LL.B., Cambridge University (1956).

になってるよ。「LL.B」って「法学士」だよね?


835 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 02:20:51 ID:edqr7Sxv0
>>829
厳密には「修士号」は未取得ですね。
当時のLLBは現在のLLMに相当するという情報もあるようですが、
これは近年ではLLBなしでも入学できるLLMプログラムが増えたせいでしょうか。
とりあえず最初のpostgraduate degreeということで安易に「修士」と書いてしまいましたが、
現実にはセカンドバチェラーでしたね。訂正します。


841 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 02:38:53 ID:edqr7Sxv0
ジジンがケンブリッジに行ったのは入省後の研修だけ。
その後ケンブリッジでの客員教授職とか、そういうものは一切ない。
対談内での博論紛失の話も、ケンブリッジ留学の帰国時となっている。
あちこちから名誉博士号はもらってるけどね、ジジンの場合。

ちなみに、イギリスはアメリカと比べて大学(ユニバーシティ)入学までがかなり厳しく、
アメリカの大学の一般教養レベルの基礎知識は入学前にこなしてるから、
イギリスの学士〜アメリカの修士レベル、という人もいる。
そういう話をうまくからめて、アメリカ方式になぞらえて自分の学位を
かさ上げして省内の人々に吹聴してたのかも。

私の憶測だけど、あっちに言ってから、教養学部の学士はLLBに相当しないので
LLMプログラムには入れないとか言われたんじゃないの?歴代の派遣は
東大法卒が多かっただろうし、彼らの学士が認められてたから自分のそれも当然
通用すると思ったら大間違い、みたいな。日本では天下の東大卒なら学部や
学科はどこでもいいような風潮があっただろうけど、海外ではそうはいきませんからね。


857 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 05:28:51 ID:YR7pTpzk0
>>515さん、よく見つけましたね。
ざっと読みましたが、なんというか、外交官ってこれでだいじょうぶなの。

>>587
同意です。
対談者のプロフェッサーがケンブリッヂで共通の師に学んだ奇遇にふれて、
その師たちは好かったかと聞いているのに、その質問には「はい」とだけ答えて
あの頃はまさに自分の「人生最良の日々」だったと、まるで話をはぐらかすように続ける。
だから相手に「なぜですか?」「そこで奥様と出会ったのでしょうか?」
なんていわれてる。

そして博士号に関して対談者が言ったことは完全に皮肉だと思う。
”Then you wrote your doctorate, and you had an interesting story in the docks of London, did you not?”
「それからあなたは博士論文をお書きになったんですが、ロンドンの港で面白い話があったんですよね?」

トランクごと無くしたというのはたしかに「面白いストーリー」ですね orz

小和田氏が無人島に持っていきたい本として「アンナ・カレーニナ」をあげると、
相手には”At least it is big.”の一言で片付けられてるし。

なんか、悲しくなってきました。

小和田恆閣下論文盗難言い訳事件続報、博論のようになんとなく見せかけているのは、やっぱ修論じゃね?疑惑

Part1152-797 可愛い奥様 sage 2008/03/06(木) 17:03:06 ID:UehMntup0
すんまそん、話豚切りで
今ジジンが2003年にケンブリッジのアドヴァイザリーコミッティーのメンバーになったというケンブリッジのニュスレター見つけたんだけど(pdf)
http://www.eai.cam.ac.uk/Newsletter_march2003.pdf

注:eai.cam.ac.ukのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします。


2ページ目

そこに50年代に修士コースにいたってなってる
やっぱドクター論文無くした云々って嘘っぱちっぽいね
2002年にケンブリッジに客員研究員として来て久々の親交を持ったとあるね

815 可愛い奥様 sage 2008/03/06(木) 17:16:11 ID:CNy9kxPW0
>>797
この部分ですね。

Professor Owada has a longstanding association with Cambridge, having
carried out postgraduate work here in the 1950s,

827 可愛い奥様 sage 2008/03/06(木) 17:23:00 ID:UehMntup0
>>815
そうです、それ
ジジンってLLB(現在のLLM)持ってるのに簡潔に
Professor Owada has a longstanding association with Cambridge LLB(またはLLM)って書かないのかな?
とちょっと不思議に思ったのよ
まさかLLBすら持ってないなんてことないよね、いくらなんでも


Part1188-661 可愛い奥様 sage 2008/04/06(日) 10:07:05 ID:Covm101j0
Judge Hisashi Owada
(Member of the Court since 6 February 2003)

B.A., University of Tokyo (1955). LL.B., Cambridge University (1956).

ケンブリッジ法学部卒が「1958年」なら様々なことのつじつまが合うかも。
国際司法判事が経歴詐称したらどうなるんだろうね。

665 可愛い奥様 sage 2008/04/06(日) 10:17:21 ID:1eGAMgkO0
>>661
LLMのコースは今は一年のコースだけど半世紀前はどうだったのかわかんないんだよね
ジジンは博士課程にいなかったのは確かだから博士論文を書いてたのは絶対にありえないんだし
修士課程にいてケンブリッジ留学を終えたのは間違いないのだから

って書いてて今ウィキ見つけたよ
ジジンやっぱ当時LLBの学士しか持ってなかった気がするwwwww
それで修士課程にいたけど、論文提出できなかったので当時のLLMはもらえなかった、とwwww
The History of the LL.M.
http://www.law.cam.ac.uk/courses/llm/the_history_of_the_llm.php
The LL.M., in its present form, came into existence in 1982. Its origins lie in two degrees offered previously by the University – the degree of Bachelor of Law, or LL.B., and a prior version of the LL.M.


小和田恒が望む最後の晩餐は「a really good, very expensive restaurant」お高いレストランご所望というセンスのなさと浅ましさ、お気に入り小説『アンナ・カレーニナ』等について
注:話を追いやすくするため、最初の箇所を重複掲載します。


Part1131-131 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 15:45:22 ID:mpoZ4GNf0
なんかちょっとさっきからジジンの事が気になって☆ネットで色々見てたけど

ジジンは一応ケンブリッジで今のLLMに当たるポスグラのコースにはいたみたいね
でも卒論は上げてない、と
しかし卒論提出できなかった言い訳が....ヒーヒーハライテ
イギリスに船で来てトランク無くされたんだと
その中に卒論が入ってたんだとwww

あの頃ってまだ皆船使ってヨーロッパに行ってたの?
1950年代でも外務省の研修員は飛行機使わせてもらえなかったのかな?


205 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 17:17:49 ID:5Tjl+lm50
そういえばこんな記事が大昔あったなあ。
トランクがどうのこうのという話はないようだが。
--
外務事務次官に就任した小和田恒氏 学者顔負け、国際法の論客
日本経済新聞 1991/08/03

省内ではよく「プロフェッサー・オワダ」と呼ばれる。外務省きっての国際法や国際政治の論客であり、学者顔負けの博識ぶりは海外でも知られている。
昭和30年に東大教養学部を卒業して研修のため留学した英国ケンブリッジ大学大学院では、才能を見込んだ主任教授が在学期間の延長を求め、通常2年の留学期間が3年になった。
(中略)
論理的な話しぶりは「日本人離れしている」という定評がある。(中略)
その半面、「あまりにも論理的で、まあまあという日本的というかアジア的なところがない」というように人間味に欠けるとの声も多い。議論してもかなわないと、
小和田氏との議論を敬遠する向きが多いのも事実だ。小和田氏は「自由闊達に議論して、のびのびと仕事をすれば、創造的な発想が出てくる」と省内論議の活発化を説くが、さてどうするか。
長女の雅子さんは北米二課で日米経済摩擦に取り組み、親子二代の外交官。
ゴルフ、マージャンはやらず、趣味はスキー。「スタイルは良くないが、転ばず滑ることでは人に負けない自信がある」。(後略)


286 名前:131 :2008/02/18(月) 18:10:20 ID:mpoZ4GNf0
すいません、レス入れた後急に来客プチ公務が入っちゃって

ソースですが
28ページに及ぶニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目
www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf

今もまだ半分しか読み切れてない
長い
ツッコミは色々あるけど
要はジジンは自分の人生を語ってる
ジジンの父親って教頭だったんだっけ?
なんだか隠したいのか?って思う程話に出さないっていうかなんツーか
ジジンにとてケンブリッジは楽しかったようだけど微妙に対談相手の教授の質問をかわしている様な?


注:当該PDFファイルはnyulawglobal.orgからlaw.nyu.edへ移転、後にlaw.nyu.edでも削除されてしまいましたが、Webarchive記録から現在でも閲読可能です。

http://web.archive.org/web/20090509214310/http://www.law.nyu.edu/idcplg?IdcService=GET_FILE&dDocName=ECM_DLV_015899&RevisionSelectionMethod=LatestReleased (Webarchive記録)


314 131 sage 2008/02/18(月) 18:45:36 ID:mpoZ4GNf0
ひいいいい〜、ジジンのこの一冊って「アンナカレーニナ」だってええええ〜
いややあ、このジジン「嵐が丘」といい
ダメだ、このジジンの趣味はついてけんorz

好きな音楽はクラッシックジャズ...
もしかしてキースジャレットはジジンの好みだったのかね?
バロック音楽ーバッハーが好きねぇ...
猫足趣味ワルロココ調インテリア類などのルーツなのか?

ジジンって典型的なガリ勉見栄張りタイプだね
なんか丼がジジンの言いなりって判る気がする

最後の晩餐は「日本のものごっつう美味くて高いレストランで。でもジャッジだから店の名前は、ヒミツ」だって
最後の晩餐と言いながら東宮御所やら高級フレンチレストランでゴチになってるのは誰だwwww

あー、疲れた
本当にジジンは白人には饒舌だな
「アンナカレーニナ」「嵐が丘」
もうジジンは生理的にダメ...


643 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 23:58:56 ID:tFaGaQBq0
それとこれには大笑い。対談形式の講演の最後に個人的な質問がいくつかあったんだけど
(無人島に行くならどの本を持っていくか、とか)
>Professor Weiler(ワイラー教授):
>And are you willing to share with us what you will have as your last supper?
それでは人生最後の食事(「最後の晩餐」)には何を食べたいか、教えていただけますか?
>Judge Owada(小和田判事):
>Well, being someone who comes from Japan, I would like to have my last supper in Japan at the
>best restaurant in Japan.
えー、私は日本出身ですから、やなり最後の食事は日本の最高レベルのレストランで取りたいですね。
>Professor Weiler:
>Which is what?
それはどのようなもので?
>Judge Owada:
>It is got to be a really good, very expensive restaurant,
本当に上質で、とても高級な(高価な)レストランでなければなりません。
>but you know, as a judge, I have to be very careful in particular in being specific on this question.
しかし皆さんご存知のように、私は判事ですから、このような質問に関しては
あまり特定情報を出さないよう注意をしなければならないのですよ。

ジジンは一応「ユーモア」で笑いを取ったつもりらしいけど、
日本出身ですから、と言いつつ和食が食べたいとは一言も言ってないのにワラタ。
日本のレストランがいいのは、自分の顔が知れててVIP待遇されるからでしょ。


648 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:01:19 ID:Zk60XSuk0
「えー、私は日本出身ですから、あぐらをかきながらトロを手づかみでガツンと行きたいですね」
ぐらい言ってくれればいいのに


650 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:02:46 ID:RwCUNZD/0
得意そうだけど、間が抜けた答弁だね。
これで頭がいい、って言えるのかな。
ユーモアのひとつもないし。
あさましい感じしか出てない。


654 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:05:14 ID:Mj9QBjg40
>>648
質問者は「スキヤキ」とか「スシ」とか「ステーキ」とか
食べ物の名前を期待してるよね。


656 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:07:17 ID:hS5T5wRu0
最高級のレストランってpgr
ほんとに貧乏くさい人だね。恥ずかしくないのかな。


661 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:08:26 ID:Js/PiCsd0
「日本とフランスの三つ星制覇を生涯の目標にします、
って正直に言えばいいのに・・・」


667 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:11:03 ID:DIothnzm0
お袋の味、とかねぇ。これなら貧乏くさくないし。
とうとうお里が知れた、ってことですね。

あ、もうひとつ。海外に住んでいたんなら、
あの店のあの料理をもう一度たべてみたいなぁ、
とかいうのがいくつかあるよなぁ。

変な答え方で頭のよさなんて全然感じないわ。


668 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:11:32 ID:k1eBWN3f0
>>654
私がこの質問者だったら想定するのは
「母親のミソスープ」とか「妻のちらし寿司」とかそういう心温まる…
いや、なんでもない……orz


685 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:27:02 ID:3TSignwb0
>>668
わかるわかる。
少なくとも、「最高レベルのレストラン」とか「上質で高価なレストランでなければ」
なんて下品な発想はねぇ…

関係ないけど、「もし身分を隠して市井に紛れることができたらどうしたいか」
と問われて
「今の身分のまま、受け入れられることを自分は望む」とおっしゃった陛下と
「少し違う話になるけれども、隠れ蓑を使うことができれば、古書店街で立ち読みがしたい」
とおっしゃった皇后さまが浮かんだよ。雲泥の差のはこういうことを言うんだな。


689 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:31:51 ID:BGaDP8Y30
>>643
d!
笑止、笑止、pgrですわ〜
雅子のルーツここにあり!
very expensive  な restaurant ってwww
自分では上品なつもりなんでしょうが下品の極みだわ
成り上がり根性むきだし


700 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:39:15 ID:gi5JPPpu0
>>668>>685
まず「高級なレストラン」というのが下品。
お母さんの手作りの家庭料理より美味しいものはないでしょう、ジジン世代なら尚更。
懐かしく思う静さんの手料理、ただの1つもないのかしら?
ほんと変わったジジーだな。


703 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:40:58 ID:DIothnzm0
郷土料理とかねぇ。
質問している人も「ハァ?」って感じだね。

お父様ってお偉いのw


708 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:43:09 ID:edqr7Sxv0
普通なら人生最後の夕食(翌日には死ぬ)なんだから、
家族と家庭料理を楽しみたいとか、あるいは妻と二人で
思い出のあるレストランにもう一度行きたいとか言うものじゃない?
実際に告知ありでそんなシチュエーションになったら、
殆どの人は食事なんてろくにのどを通らないと思うのですが・・・

それを、明日には死ぬからできるだけ高価な高級レストランでたらふく食べて
おこうなんて、卑しいにもほどがあるわ。日本の恥。


758 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:20:25 ID:NwpwXfIo0 ←擁護書き込み乱入
日本の出なので、日本のexpensiveなrestaurantに行きたいというのは、
公人としての答えとしても適したものでしょう。
「日本人」であること、「日本文化」へのリスペクト、これらを考えれば、
小和田の答えは的外れではない。
むしろ「日本に拘わる」「国粋的」とも言い掛かりをつけられかねない。
にもかかわらず、彼はあくまで「日本」を懐かしんでいる。
公人として質問を受けているという自覚と、日本人としての矜持だと思いますけどね。

expensiveについていえば、日本料理の最高峰に君する一連の料理人や料亭など、
それだけの価値が充分にあるということは誰も否定しないでしょう?
内実ともに日本文化の先鋭である彼らのもてなしを期待するのなら、
高額の覚悟はやはり要るもの。

そういう料理を、「最後の晩餐」として願うといったところで、別に成金とか
嫌らしいとかは無い。
日本料理はそれだけの価値があるものといっているわけだもの。

仮に「母の手作りの云々」とか「妻の・・・」と答えたところで、逆に
「公的な場での、公人に対する質問に対して、卑近な内輪の話を持ち出して」とか、
「また自分の家族の話」と揚げ足を取られるのがオチでしょう。


760 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:21:53 ID:DIothnzm0
詭弁


767 可愛い奥様 2008/02/19(火) 01:25:59 ID:BMTu28Yk0
>>758
工作必死ですね。そもそもの質問が「公的な場での公人に対する質問」なのか
考えてみればいいのに。アメリカ文化が全くわかってないなぁ。スクリプト読
んでみたけど、こんなの誰が興味あるのか。。。って内容。ここまで人をひき
つけないのもスゴイ。こんな外交官、本当にお寒いね。

あと、アンナカレーニナ。。。まじで凍りますよ。トルストイって。。。
趣味悪い、というか、なんだかなぁ。知性が全く感じられない。


770 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:26:55 ID:82h5qivc0
>>758
小和田さん的には完璧なお答えなんだろうが、聞いてるほうはかれの
人柄を、嵐が丘やアンナカレーニナを愛読する温かい人とは到底思えなくて、
え?って当惑するような答えだって、わからないんだろう。

まさに、そこが、小和田さんが100年かかっても理解できない人間の
心の問題なんだよ。


772 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:28:15 ID:3TSignwb0
>>758
そうかな。
「人生最後の食事を選べるとしたら、母の手作りの○○が食べたいですね」
と答えたとして、
「公人のくせに内輪の話を持ち出してw」
なんて誹る人っているだろうか?そもそも「最後の晩餐は?」なんて物凄く私的な問いかけだよ。


776 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:29:46 ID:BEKGK0AJ0
最後の晩餐をどこで食べたいって聞いたんじゃないよね?

たぶん相手は、自宅のダイニングで、いつも食べてる好物の物を
答えてるだろうって聞いたのに、えっ???って驚いただろうな。


777 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:29:48 ID:viX0AegS0
>>772
お前の妻、料理しねぇじゃん。とはちょっと思っちゃうかも。


780 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:30:55 ID:m2ThZ6q/0
レストランの形容詞にexpensiveという時点で変。

goodとかfineとかでないと英語としておかしい。


785 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:33:08 ID:QlLyE7Q60
>>643
人生最後の食事が最高レベルの高級レストランって・・・成り上がりの田舎者丸出しだね。
よほど貧しい食生活の人生を送ってきたんだな。
なんとなく雅子が食べ物に固執する?わけも透けて見える。


787 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:34:08 ID:BGaDP8Y30
>>785
最高級って言ってるのにすごく貧しく感じるんだよね。


788 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:34:20 ID:DIothnzm0
>>780
そうそう、安くても美味しい料理を出す店だってあるし、
母親の作ってくれた料理なんて、そんなに高級=値段が高い
材料、ってわけでもないしね。

親を否定しているような人生だったのかな。


789 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:35:00 ID:Mj9QBjg40
>>772
こういう場合の問いかけって、インタビューの最期に回答者の個性や人間味を引き出したいんだよね。


793 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:36:16 ID:PqSovlrL0
最後の晩餐は 高価なレストラン、か…
親子揃って薄っぺらい趣味ですねー
高価であれば何でもいいのか?自分の好みとかはないの?
さんざん公費で食い散らかしておいて、その程度の舌なのか、ナサケナス
大体、判事だから具体名をあげちゃいけないという理屈もよくわからないなあ
天皇にでもなったつもりでしょうか、判事ってそんなにお偉いの?
いちいち上げ足取るようなことはしたくないのですが
でてくるエピソードがことごとく心が冷えるようなものばかり。

>>767
アンナカレーニナってなんかマズイの?
ちゃんと読んでいないので(最初のほうでやめちゃった)
どの程度趣味が悪いのかわかんないんですけど…


796 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:37:10 ID:PPt4FIDh0
トルストイ好きでもかまわないんですよ。
ロシア文学の金字塔ではあるわけですから。

でも、「アンナ・カレーニナ」と「嵐が丘」と並べて持ってこられると、
最近はハーレクインでも愛読してそうな、
おっさんとしてはキモイ部類になっちゃうんですよね。


798 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:37:29 ID:NwpwXfIo0 ←擁護書き込み再び乱入
>>772

ここの人達が、ね。


800 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:37:45 ID:m2ThZ6q/0
expensiveという言葉自体にそもそもネガティブなニュアンスがあるからレストランへの褒め言葉にならないですよ。
たとえ身分の高い人やお金持ちの口から発せられてもexpensiveという表現には日本語で言うと「割高な」に近いニュアンスがある。
expense自体が「費用」というよりは「負担」に近い言葉だし。


811 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:42:36 ID:cwKl9VDbO
>>796
同じトルストイでも、「復活」とか「戦争と平和」
とかあるだろうに。
渋いところで「クロイツェルソナタ」とか。


812 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:42:44 ID:BEKGK0AJ0
「アンナ・カレーニナ」と「嵐が丘」

ジジン、メロドラマとか韓流ドラマとかの路線も好きなんじゃない?


813 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:43:00 ID:3TSignwb0
>>798
ああ、そういう意味だったんですね。
「なんて答えてもpgrするつもりなんでしょ?」ってことですね?

もし小和田氏が最後の質問に対して、772のように答えたとしたら、
一般的な想定を外れる答えではないのでその箇所がここにコピペされることは
なかったでしょうし、仮に貼られたとしても
「なんで娘はあんなに外食大好きになっちゃったんだろうねぇ」
「やっぱり母親の食育って大切かもね」
という論調になったんじゃないですかね。


819 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:46:25 ID:PPt4FIDh0
>>811
そうです。
ロシア語が堪能なら、詩的美しさで
プーシキンを愛読するという選択もあったのに、

数々のロシア文学の中から選んだのが「アンナ・カレーニナ」

韓流ドラマも絶対お好きなはずですw


821 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:49:03 ID:PqSovlrL0
>>803
そういったおうちだからこそ
「ごはんとみそしる」といった答えは出てこない訳ですね
いや、別に高級レストランでもいいんだけどさ、
そこまで言及するなら何処のどんなメニューって言えばいいじゃないですか
言わないのなら『何でもいいから祖国で食事をしたい』とでも言えば綺麗に纏まるのに
不思議な人だなあ

>>811
同感です。戦争と平和は人物を追ったストーリーの他に
当時の国際情勢や戦術の解説などもあり
最初は「たるいな」って思っていたそういう部分が
個々の登場人物の運命と複雑に絡んできたりして面白かった
アンナカレーニナは終始一貫メロドラマで嫌になってしまった
この際ちゃんと読んでみようと思います
よい機会をくださってありがとうジジン。


823 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:49:10 ID:GDNR+qAC0
>>819
世界的にはトルストイの評価が高く、日本人はドストエフスキーが好きで、
ロシア人のインテリはプーシキンが好きでメッセージカードにプーシキンの
言葉を添えたりするそう。


844 可愛い奥様 2008/02/19(火) 03:09:44 ID:/bbljAxSO
>>823 プーシキンというと…オネーギンとか、スペードの女王とかですね。
オペラやバレエになってる。
盆は、くにさんを選んでおけばよかったと思ってるかしら。…ないなorz

日本ハンディキャップ論

雅子妃の父・小和田恒氏が外務省時代に日本国の在り方について唱えていた主張。「ハンディキャップ国家論」ともいう。その定義については、論者によって微妙に評価が分かれるが、日本が平和維持活動等において、軍事力を用いた、いわゆる「一人前の活動」をしてはいけない、という面では共通している。特定アジアへの「土下座外交」の基礎をなすものだとして、保守派の論者からは厳しく批判されている。

いずれにしろ、様々な問題行動を起こす東宮夫妻に加え、暴論を吐く外戚、その手下の東宮大夫、媚中派の宮内庁参与と四拍子揃っているのが、今の東宮と宮内庁の状態である。一刻も早く、この現状を抜本的に改革し、災いの種を一掃することが望まれる。

2002年(平成14年)06月06日 第154回通常国会 衆議院 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会 4号、「(斉藤邦彦が)小和田先輩が言われたハンディキャップ国家論を私は正しいと思いますということおっしゃっているわけでございます」

○田久保参考人 田久保(編者注;田久保忠衛氏)でございます。
 本日は、かかる権威ある会議にお招きいただきまして、大変ありがとう存じます。
 私の専門は国際情勢と外交防衛でございまして、その見地からいろいろ申し上げてみたいと思うのでございます。四十年近く在野の評論家生活をやってまいりましたので、勝手なことを申し上げて、あるいは皆様の御不興を買うかもわかりませんが、何とぞ御容赦いただきたいと思います。
(中略)
  湾岸戦争で衝撃を受けたか受けないかでございますが、私は、政府は受けていなかったんじゃないか、特に、中心たるべき官庁の外務省は受けていなかったんではないかというふうに考えているわけでございます。
 当時、九三年でございますから、湾岸戦争の二年後でございます。小和田外務次官が現役でございまして、東京芸大の平山郁夫先生と「プレジデント」で対談をしたわけでございます。平山先生が、小和田さん、あなた、外務次官だから、日本の今後行くべき方向はどうなの、どういうふうに考えるの、こういう質問に対して小和田さんは、三つあります。一つは、戦争に敗れた直後の日本で、清く、貧しく、美しく生きていくので、国際貢献なんか考えなくていい、こういうことです。このアジアの小国の地位に甘んじていいんだ、余り他の国とかかずらいたくない、こういうお考えであります。
 その直前に、小沢さんの普通の国論というのがジャーナリズムでわっともてはやされて、これに対して小和田さん、ちょっと曲解しておられるんじゃないかなと思ったんですが、政治、経済、軍事、軍事だけがバランスがとれてない、これを経済に見合った軍事力にする。経済に見合った軍事力にするというと、これは世界第二位のGNPを持った日本は、とんでもないことにならざるを得ない。小沢さんが言っているのはそんなことじゃなくて、非常に単純な、一般大衆がわかるように、普通の国がやっていることをやれっつうの、こういう言い方ですね、あの日本改造論の中に出てくる表現は。大して意味を持たない。ただし、小和田さんは、これはバランスをとった国になれ、こういう意味だと。
 三つ目の選択は、軍事の貢献はやはりだめなんだ、そのかわり、その他の面で日本はほかの国よりももっとやるんだ、こういうことでございます。例えば、軍事が出せない。ほかの国が軍事力を出して百億ドル出していれば、こっちの方は軍事を出さない、軍事面での貢献をしないかわりに三百億ドル、四百億ドル、こういうふうに出すんだというお考えのようでございます。
 第一、自分の国がハンディキャップ国家などと言うことは、私はいいのかねという疑問を持つわけでございます。それから、そういう第三の生き方というのは、湾岸戦争で余り通用しなくなったんじゃないかなというのが私の考えでございましたので、これは愕然としたというふうに私は申し上げなければいけないと思います。
 この直後に斉藤邦彦さんが外務次官になられて、駐米大使におなりになるときだったですか、日本プレスセンターで会見というか講演をやられて、一問一答をやられた。そこで、小和田先輩が言われたハンディキャップ国家論を私は正しいと思いますということおっしゃっているわけでございます。ここまでくると、これはこういうことで突っ込んでいくとどういうことになるのかなという私は心配を持っているわけでございます。
 (後略)
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=23065&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=8&DOC_ID=10191&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=23320


『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社、2006年)pp.167-169より抜粋引用、「小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である」
◾『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社、2006年)


「(前略)福田康夫氏と谷垣禎一氏は外交の最大テーマとして『日中の異常な関係の正常化』をあげている。『異常な関係』とは何か。日本の首相が靖国神社を参拝するかぎり、『首脳会談を行わない』と中国側が頑張っている状態こそ異常というほかない。これは『たった一つのことが気に入らないといって首脳会談に応じないのは異常だ』と小泉首相が言っている通りだ。国際的常識では『他国の神社参拝を自国の外交関係の中心部分にする国は全世界でも例がない』(米中経済安保調査委員会ラリー・ウォーツェル委員長=産経新聞2006年5月13日付)と見るほうが自然だろう。
 中国の側に理があるという非常識を日本国民に植えつけてきたのは、田中内閣以後の親中派議員と外務官僚だ。中国に対する贖罪意識に加えて、日中条約締結後にはじめたODA援助がらみの利権が親中派議員を激増させた。
 一方で外務省主流も親中派に傾き、チャイナスクールが跳梁跋扈した。小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である。
 次官、駐米大使、外務省顧問を歴任した栗山尚一宮内庁参与は『日本は永遠に謝罪し続けなければならない』という主旨の大論文を月刊誌『外交フォーラム』に連載(2006年1・2月)した。
 栗山氏によれば、首相が靖国参拝をやめても、ガス田、尖閣諸島、国連安保理常任理事国などすべての懸案問題で中国の譲歩は期待できないが、それでも謝れという。そもそも何も得ることが期待できない方針を『政策』と呼べるのだろうか。
 こと中国のことになると、急に風向きを気にする政・官・学・財界の諸氏の姿勢は不可解といわざるをえない。」

『渡部亮次郎のエッセイ集』、「小和田が外務事務次官時代(1991年8月93年8月)時代に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である」

外務官僚の背骨
 一連の外務省不祥事件は、そろそろ判決が出はじめる一方で鈴木宗男事件はまだまだ尾をひいている。その中で北朝鮮からの集団脱国者対応や不審船引き揚げなど当面の外交問題についての我が外務官僚閣下らのお粗末は、批判する方が疲れてしまうくらい続く。どうしてこんな体たらくになってしまったのか。どうもその底には、皇太子妃殿下の父たる元外務事務次官・小和田恒の「ハンディキャップ国家論」の甘えと驕りが横たわっている。
(中略)
小和田恒という人は、超エリートといわれるが、政界に知られるようになったのは若くして福田赳夫首相の秘書官になってからだが、なぜか省内に人望は無い。仕事に厳しすぎるという以外に何かありそうだが、官僚の口はいまだに固い。その小和田が外務事務次官時代(1991年8月93年8月)時代に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である。日本は他の大国と違って、憲法9条の平和規定が厳然としてある。仮にPKOなどの国際貢献でそれがハンディキャップとなっても、最大限尊重すべきで、あくまでも憲法の許される範囲内で、世界に貢献すべきだ、という論である。
 この論は次の事務次官斎藤邦彦(のちに駐アメリカ大使、国際協力事業団総裁)にも追認され、今日も外務省無気力の允許状になっている。そこには敗戦の結果として押し付けられた憲法であるとか、軍隊は外交の手段として用いるべきではない、という敗戦・無能力国家を厳として是認するばかりで、国民を奮い立たせるとかの精神はひとかけらもない。あるものはゼニだから、これさえ出しておけば、他から文句をいわれることはないから いいじゃないか、と言っているに過ぎない。国家の誇りなんかとっくの昔に棄ててしまった逆乞食の驕りである。
 中国大使・阿南は陸軍大臣の倅であることを、何かと隠そうとするらしい。一種のハンディキャップ大使に自ら陥っていると言えるかもしれない。しかし、大使は事務官ではない。国家を代表して駐在しているのだから、社交もさることながら、外交に徹するべきだ。言う事も言わないでいる方が友好だと考えているとしたら、本当にハンディキャップ外交のハンディキャップ大使になってしまうだろう。
 中国は、綿の中に針を潜ませた外交をする国である。昨今の核戦力の増強ぶりと靖国問題を中心とする対日攻勢を見るまでも無く、日本との間に単なる友好のみを考えているとは絶対考えられない。靖国と国民を乖離させ、国民をして「国のために死ぬことは馬鹿らしいことだ」と思わせて防衛意識を低下させ、やがて日本を属国にする際、好都合にすることを狙っているとしか思えない。それをただただ「友好」の二文字だけで事なかれを決め込むとは、なんとも情けない。
 アメリカもクリントン時代の対中国政策をがらりと変えて国益を守ろうしている。その時に我が外務省のみが、チャイナ・スクールにまかせた中日友好万歳だけで国を操縦していけるとは、どうしても考えられない。
http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~tokuhisa/watanabe/watanabe7.html

2014年9月6日チャンネル桜より、「小和田さんは色々言われてる通りで、まさに東京裁判のね、その、初判決と裁判そのものの解釈を中曽根内閣時代に土井孝子さんの質問に答える形である意味、ぐちゃぐちゃにした張本人ですよ。で、そのあとも日本はハンディキャップ国家で行くしかないて事を展開した人ですよね。」

Part2850-692 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/09/10(水) 13:41:58.10 ID:9MjgU9Va0
チャンネル桜でジジンの批判が出てるわ。いいいわ〜産経編集長GJ

712 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/09/10(水) 15:05:03.82 ID:dEiey3vE0
>>692
つべで見れます?

727 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/09/10(水) 16:21:15.35 ID:9MjgU9Va0
>>712
owd部分だけ書きお越し

2時間目 10分39秒から 上島喜郎
所謂河野談話から、一連の謝罪が続いた時の内閣とは離れて、この官僚を見た時に当時の外務事務次官
誰だったのかと見てみるとね。栗山尚一さん次が、小和田恒さん次が斉藤邦彦さんなんですよ。
で、ちょっとエピソードで言うと、栗山さんが産経新聞のインタビューに答えてる話の中で戦勝国の作った
歴史の中で遺憾であっても、その中で生きるしかないんだと個人的な考えとは仰ってたけど、でも、外務省の
トップに立つ役人がね。その歴史観だったのは私はショックだった。
次に、小和田さんは色々言われてる通りで、まさに東京裁判のね、その、初判決と裁判そのものの解釈を
中曽根内閣時代に土井孝子さんの質問に答える形である意味、ぐちゃぐちゃにした張本人ですよ。
で、そのあとも日本はハンディキャップ国家で行くしかないて事を展開した人ですよね。
その後、斉藤さんはちょっと付け足しなんだけど、駐米大使に出た後、アイリスチャンのレイプオブナンキン
むこうでなってるときに(討論番組に出演した時と思われる)言ってた事は、日本政府は謝罪と補償をしてる
と言ってるだけでファクト対しての議論はまったくしてない。

この三人が一番表立って売国してるんだよね。
是非、この場面だけでも見ていただきたい。私、初めて上島さんが発言してる事に同意した回です
ニコニコのURL貼っておきますね
ttp://www.nicovideo.jp/watch/1409909057

頭が沸騰しそうになると思いますけど、冷静にジジンのやってきた所業を拡散していきたいですわ


小和田恒と創価学会

1988年1月6日 創価学会が小和田恒外務省官房長宛に、池田大作会長の香港ならびにアセアン三ヶ国訪問のために便宜を図ってくれと要請する文書を送る。


◾雅子の実父小和田恒が、池田大作の海外訪問に便宜を図っているズブズブっぷりが国会議事録に記録されている:
 【[001/001]134 - 参 - 宗教法人等に関する特別委員会 - 3号 平成07年11月27日]】
 それから、ちょっと外務大臣にお尋ねいたしますけれども、実は一九八八年の一月六日付で、八八年ですから昭和六十二年ですか、創価学会の事務総長原田稔さん、この方から当時の外務省官房長の小和田恒さんあてに、「本年一月末より二月中旬にかけて、創価学会インタナショナル一SGI)会長・池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにアセアン三ケ国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約二週間にわたり、下記の日程で訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます。」ということで、メンバーは、池田大作創価学会インタナショナル会長・創価学会名誉会長、池田かね同夫人、池田博正同子息、創価学会副青年部長。これは、何か奥さんと家族ぐるみで訪問をするから、外務省の官房長によろしく頼むと言っているんですね。


『週刊新潮』1996/5/16号<創価学会が小和田恒氏に送った「外遊特別待遇」要請書>記事
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1228313680069.jpg


◾週刊新潮 2016年3月24日号<変見自在684 狭量の共感(高山正之)>コラム記事【せんべい】


p.144より引用
東宮は創価学会シンパの娘を迎えられている。

はっきり言って大不評の2002年サッカーワールドカップ日韓共同開催、言い出しっぺの黒幕は小和田恒であると民主党岡田克也氏証言

Part1995-158 可愛い奥様 sage 2011/01/28(金) 06:32:23 ID:QbGfl8tk0
民主おからの2006年8月29日週刊ビデオメッセージの中にこんなん見つけた。
小和田氏が日韓フォーラムの日本側議長を何年もつとめてたらしいけど、
2002ワールドカップを共催gdgdにした黒幕…?キシュツでしたらごめん。
ちなみに96年第4回の出席者には広中和歌子の名前もあった。
(抜粋)
 >日韓フォーラム
 >実はこれから、淡路島に出掛けます。淡路島で今日から「日韓フォーラム」というものが開催されます。
 >この日韓フォーラムというのは、日本と韓国の有識者、政治家であったり経済人であったり、あるいは学者であったり、日韓のそういう有識者が集まって、日韓の課題について議論するということで、大変権威のある、そして中身のある会議です。
 >私は数年前までこの会議に毎年参加していました。日本と韓国で交互に開催されてきたわけです。
 >当時、日本側の議長は外務省OBの小和田さん、皇太子妃雅子さまのお父さん、が非常にリーダーシップを発揮されて、中身のある会議が開催されていました。少し前になりますけれども、ワールドカップサッカーの日韓共催を最初に提案したのも、この会議の場です。


三顧の礼

目上の人間が自ら才能ある人物のもとに出向き協力を求めるべく説得すること。地位の高い人間が、地位は低いが才能ある人間に礼を尽くすことで迎え入れること。
「三国志」において、諸葛孔明の才覚を知った劉備が自分の部下として働いてくれるよう何度も無駄足を踏みつつも諦めず説得を続けたことで、それに感じ入った孔明が劉備の要請に応じたという逸話に基づく諺である。

『週刊現代』2004年6月19日号 新聞テレビが報じない「浩宮の乱」 宮内庁はスパイなのか
p.31より引用
 宮内庁歴代幹部の中にはいまもって、
「小和田家も川嶋家も皇室にはふさわしくなかった」
 とハッキリ口にする人間もいる。飲食店など公衆がいる前で、雅子妃を厳しく批判する職員もいる。
 小和田家では、こうした批判に苛立ちを強めている。
「そもそも、雅子妃が何度も『私には自信がありません』とお断りしたのに、皇太子が『全力でお守りする』と言って三顧の礼を尽くして迎えられたのではなかったか。それなのにどうしてこういう扱い、批判を受けなければいけないのか」(小和田家の知人)

要するに小和田サイドからは「皇太子が三顧の礼を尽くして小和田雅子を迎えたのにいったい何なんだ?!」との主張がされているということである。
果たして雅子夫人が諸葛孔明に匹敵する才覚を持ち合わせているかどうかはさておき、この三国志・三顧の礼には裏エピソードとも言えるものが存在する。それは劉備が孔明をスカウトしていた一方で、曹操もまた孔明を部下にしようと使者を送っていたというものである。劉備は自身が説得に出向き、曹操は使者を遣したという差がある。聡明な孔明には曹操の方が上手でありいずれ天下人となることは分かっていたのだが、劉備の真摯な態度に感銘を受けて、後々不利になることを予測しつつも彼の為に力を尽くすことを決めたというものである。

つまり「三顧の礼」とは「目上の人間が自ら礼を尽くし説得をして、真摯な要請を受けた目下の側はたとえ後に不利益が生じることになってもその思いに応えるべく全力で働く」ということなのである。
小和田側の主張は自らに都合の良い諺の前半部分だけであり、雅子夫人が東宮妃としての仕事をさぼりまくっていることは無視しているわけである。自分(の娘雅子)を孔明と擬えるのは実に度胸があるというか、よほどその才能に自信を抱いている証左であると思われる。


カンキリヒサシ

『さらば外務省!』にて紹介された缶切りを巡る外務省時代の小和田恒氏エピソードから、氏のあだ名の一つとして御一行スレに定着している。


『さらば外務省!――私は小泉首相と売国官僚を許さない』天木直人(著) 講談社(2003/10)
pp.57-59 小和田恒――「その缶切り試したかい」より引用〜
 外務省に入省して二年目の一九七〇年七月から、憧れの米国研修が始まった。その研修生活の一年目が過ぎようとしていた一九七一年の夏、大使館の仕事を手伝えと命令が下った。日米合同閣僚会議がワシントンで開かれ、外務大臣他多くの閣僚が訪米してくるという。
・・中略・・
 その夜私は、ホテルの一室に設けられた事務局に当番として詰めていた。皆が寝静まった午前零時過ぎ、福田赳夫外務大臣の秘書官である小和田恒から電話がかかってきた。雅子皇太子妃の実父である。用件は「缶切りを至急もってこい」だった。そんなものはホテルのルームサービスに頼めばいいのだが、部下に仕事を言いつけるのが官僚の習性である。
 ホテルのボーイに缶切りをもらい、外務大臣の部屋に飛んでいった。ドアをノックしても返事がない。再びノックしてみた。しばらくしてドアがわずかばかり開き、その隙間から眼鏡越しに小和田の目が覗いた。
「遅くなりました。缶切りを持参しました」
 小和田はドアをわずかに開けたまま、その隙間から顔を半分だけ覗かせるようにし私をしばし眺め、やがて蚊の鳴くような声でこう言うのだった。
「その缶切り試したかい」
 その意味するところが分からなかった私は、素直に答えた。
「試してはいませんが、切れると思います」
 小和田は一言も発せずに私の顔を見つめた後、そのままドアを閉めてしまった。呆気にとられた私は、しばし呆然と廊下にたたずみ、「何がいけなかったんだろう。このまま帰る訳にもいかないしなあ……」と思案した。
 どれくらい時間がたっただろうか。やがてドアが再び開き、缶切りを持って立っている私に無言で手が伸びてきた。私は慌てて缶切りを渡した。無言のままドアは閉められた。私はホッとした気持ちで、事務局のある部屋へ戻っていった。
 この話を控え室の先輩たちに話した。そして彼らから「詰めが甘い」者は外務省では出世しないという事を教えられた。何事も考え抜いて用意周到に事を運ばない者は、無能の烙印を押されるという。
「ありがとう」の一言さえ若い職員にかけることのできない、成績至上主義の人間のみが事務次官という最高のポストに上り詰める。外務省とは、そういう組織であることを、私はその後の外務省人生で嫌というほど見せつけられるのであった。

同p.83 「中途退職した二人の外務省OBの生きざま」 より引用〜
・・前略・・
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』(岩波出版)を出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。
 その浅井を外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが、退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くような真似をすれば、省をあげて潰しにかかる」と、面と向かって引導を渡したという。
(後略)
〜以上両引用終わり


Part556-600 可愛い奥様 sage 2006/07/29(土) 16:58:33 ID:l1tjn4GW
ドーピングチェックと重量チェックで引っかかって
出走実績ほぼ皆無のくせに
どうしたわけかダービーには出たがる駄馬プリンセスマサコ
ドンキホーテに身請けされ風車と戦うためにオランダへ

607 可愛い奥様 sage 2006/07/29(土) 17:19:40 ID:tksH0dl3
 >>600
プリンセスマサコ (牝)
父:カンキリヒサシ、母:ユミコシングル(未出走)
父の父:タケオ(未出走)母の父:チッソエガシラ
生産者:小和田牧場 馬主:小和田一族 
厩舎:ナルニヤ厩舎(赤坂) 調教師:野村イッセイ 獣医:O野 ネ谷

※これはフィクションです。実在の人物・場所とは一切関係ありません。


新潟県立高田高等学校生徒会長選挙得票13票事件

ジジンこと雅子夫人の実父・小和田恒の、高校時代の人望の薄さを象徴している数字と事件。小和田恒が新潟県立高田高等学校の生徒会長選挙に出た折の最下位得票数である。またその選挙同日には同じ顔ぶれで副会長選挙も合わせて行われたが、そちらもぶっちぎりの最下位という結果に終わっている。
生徒会長選挙では投票総数690票のうちの13票で1.9%、副会長選挙では投票総数670票(生徒会長選より20票少ない理由は不明)のうちの57票で8.5%である(小数点第2位以下四捨五入)。


『高田高等学校百年史』高田高等学校百年史刊行委員会(昭和48年=1973年発行)、p.590より引用
昭和後編年表(昭和24年度)
8月24日 生徒会長、副会長選挙。新保修(二年生)当選
◇会長
新保  修  二九二票
桐原 雅夫 一八〇票
清水  功  一三九票
細野  勇   六六票
小和田 恒  一三票
◇副会長
新保  修  二八六票
清水  功  一二五票
桐原 雅夫 一二二票
細野  勇   八〇票
小和田 恒  五七票


小和田恒wiki情報にも書かれていることであるが、恒氏の父・小和田毅夫氏は旧制中学の教師であり、息子が通っていた新潟県立高田高等学校の校長もつとめていた人物である。そして高田高校の校長であった期間は「昭和21年3月〜昭和33年3月」であり、実は恒の在学期間を完全に含んでいるのである。

◾『小和田家の歴史 雅子妃殿下のご実家』川口素生著、新人物往来社2001年12月10日発行、巻末小和田家関係略年表(pp.202-203)を参考、高田高校校長時期の小和田毅夫と、小和田恒在学期間、そして毅夫校長辞職まで

昭和21年 一九四六 3月 小和田毅夫、県立高田中学校に校長として赴任。恒は柏崎中学校から高田中学校へ転校する。学制改革により高田中学校は高田高等学校に改編されるが、毅夫は引き続き校長をつとめる。
23年 一九四八 この年 高田高等学校、妙高山への前項登山を開始。以後、同校の年中行事の一つとして定着する。
26年 一九五一 3月 小和田恒、高田高等学校を卒業。東京大学に進学する。 5月17日 貞明皇后(大正天皇皇后)薨去。
30年 一九五五 この年 小和田恒、東京大学教養部を卒業後、外務省に入省。
32年 一九五七 この年 失火により高田高等学校校舎が消失。
33年 一九五八 3月 小和田毅夫、高田高等学校校長を退職(離任式は年度を超えて4月に実施という異例ぶり)。

参考:『高田高等学校百年史』高田高等学校百年史刊行委員会(昭和48年=1973年発行)、p.729・p.1233職員録より引用 昭和三十三年(一九五八)  4月7日 小和田毅夫校長離任
 4月8日 久保田隆円校長就任
 ○新校長に久保田先生
 十二年もの長い間、本校の校長として在任されていた小和田先生が突然おやめになられた。そして、先生の離任式が新学期が始まる前日の四月七日に行われ、あけて八日、新校長久保田先生の就任式が行われた。
氏名:小和田毅夫/就職年月日:昭和21.3.15/転退職年月日:昭和33.3.31
職名(教科):校長/最終学歴:広島高師文科第一部/備考(転出先など):依願免

……前年5月の火事による引責辞任なら同年度終業式に離任諸行事を行えば円滑であり、こんなに慌しくなくてもよいはずである。依願退職届を出すに当たっていろいろ揉めたであろうと推察される。


人には向き不向きがあるのだから、生徒会長選挙で票を獲得するだけが人間の価値ではないことは言うまでもない。しかし自分が通っていた高校の学校長が実の父親で、そして立候補までしていながら最下位惨敗結果に終わるというのは、かなり珍しいことと言わざるを得ないだろう。
この13票事件には特筆すべき追加エピソードがある。

『文藝春秋』2005年6月号<紀宮会見文書を読んで 結婚の条件 美智子皇后と雅子妃(福田和也)>
p.153より引用
 小和田家は、刻苦勉励の家である。
 勤勉と実務的有能さで立身を目ざす、官僚的価値観。
 旧村上藩士の家系である(注:但しこれは小和田金吉の存在の曖昧さからして祖先ロンダリングの可能性がかなり色濃い)小和田家は明治維新前後に衰微し、雅子妃の曽祖父である金吉が早世したのち、妻の竹野は産婆の資格をとり、針仕事をしながら一子毅夫を育てたという。毅夫は勉学に励み、高田中学を主席で卒業、広島高等師範学校に進んだ。高等師範はすべて国費でまかなわれる。
 教育者としても、生徒たちに「自らの力によって険難を切り開いては進み、進みては切り開く」ことを求めた(岩瀬達哉「小和田家の娘」『現代』平成五年三月号)。
 竹野が、女学校時代の成績がよいからと選んだ嫁、静と毅夫の間に生まれたのが、雅子妃の父、小和田恒氏ほか八人の兄弟である。恒氏は、父が初代校長を務めた高田高校の一期生となり、父親から総代として褒賞を受けた。だが生徒会長選挙では、十三票しか獲得できなかった。

生徒会選挙でドンケツだった我が息子に卒業生の総代をやらせるところが、後年恒が自分の影響力をバックに娘雅子に学歴ロンダリングさせることに重なり、小和田毅夫・恒というこの父子は全く同じ論理思考で動いていると言えるだろう。


◾「恒と中高同級だったおじさまの話」なる書き込み


Part2425-189 可愛い奥様 2012/09/11(火) 20:32:58.17 ID:97KmI+TZ0
忘れないうちにこっそり投下
恒と中高同級だったおじさまの話
勉強はよくできた、が、運動神経が全くなかった、縄跳びも跳べない位だった
父親の校長は真面目な人だった

生徒会長に立候補して3票しか入らなかったと週刊誌で読みましたが、人望はありましたか?
と質問したら、
言いにくそうに、人気はなかったなぁ、と言ってました。
普段は悪口は言わない立派なおじさまから初めて聞いた不評だったのでびっくりでした
まぁ、昔話でなつかしそうではあったよ

219 189 sage 2012/09/11(火) 21:23:27.34 ID:97KmI+TZ0
sage忘れてすみません
3票じゃなくて13票でしたね
ここに書くのは初めてですよ
リアルに恒の評判聞いたので書き込みしました

小和田恒、国連大学総長選に落選、高校時代の生徒会長選挙で得票数わずか13票の悪夢再び事件と、馬鹿高いくせに使えないNY大使公邸について

Part866-540 可愛い奥様 sage 2007/05/11(金) 07:27:11 ID:rlcUmsl80
しばらくアク禁で書き込めなかったんで超亀なのだけど、
小和田ジジンは国連大学総長なんて狙うはずない、というご意見が
ありましたが、全く違います。
実は小和田氏は、国連大学総長選挙に「落ちた」のです。
日本外務省としては、兆の金を投入して国連大学ビルを
建てたのだから、「プリンセス」の父親である小和田氏が
まさか落ちるとは思わず、選挙活動をまともにしていなかったという
裏事情もあります。
外務省の甘ちゃんなんちゃって外交により
票を持っている方々から小和田氏が「総長にふさわしくない奴」と
思われていることが浮き彫りになった結果、落選しました。
まさかの落選で小和田氏激怒。
本来別の方が就任するはずだったニューヨークに国連大使として赴任した。
ニューヨークの大使公邸、買い直しも、外務省のせいで
落選したのだから、とごり押しされて仕方なく行われた。

568 可愛い奥様 sage 2007/05/11(金) 08:42:51 ID:zx7mvSjg0
>>540,560
同じ話をNYに駐在していた人から聞いた。
とくに大使公邸の話は最低。

ユダヤ教のシナゴーグのすぐ近く(つまり、
テロがある危険性高し)にあり、
異常に高い上、改装をしないと
まったく使えない物件だったとのこと。

そのことを批判した次の大使は、
すぐに飛ばされた(引退を強要された)とか。

アメリカ大使時代の小和田恒が購入を決めたのは、約24億円+改修費用11億円の、駐車スペースもない国連本部から離れた使えない建物
◾朝日新聞 2007年8月17日夕刊<35億円大使公邸お荷物? 前大使が外務省に売却意見 老朽化・国連まで「遠すぎ」>記事より引用


 セントラルパーク近くの高級住宅街にある公邸は、米国の鉄道王ゆかりの築100年を超える歴史的な建造物。地上5階、地下2階で、延床面積は約2350平方メートルに上る。国連安全保障理事会の常任国入りを目指す日本にふさわしい建物をと、小和田恒・元大使の在任当時に購入を決断。99年に約2100万ドル(当時のレートで約24億円)で購入し、約11億円かけて改修した。
 だが国連本部から2キロ以上離れている上、駐車スペースがないため、関係者によると100人以上の会合が開かれるのは年10回程度。本部の近くにレセプションホール付きの事務所ビルを持つ韓国やドイツと比べると、外交の場としての利便性や活用度は低い。


「女は、男から言ってきてくれるのを待つしかないんです。雅子が思い悩んでいるのを、みていられない」
◾『VIEWS』1994年11月号<何が、誰がロイヤルカップルを苦しめる 皇太子と雅子妃『苦悩の結婚16ヶ月』>高山文彦署名記事【VIEWSヴューズ】【居眠り】

p.32より引用
 ふたりのそんな姿は、単なる夫婦関係の問題というだけでなく、自分たちではとても抗しきれないある“力”の存在に気づき、それに必死に耐えているようにさえおもわれる。というのも婚約が決まる過程をもう一度洗いなおしていくうちに、じつに「皇太子の片思い」というこれまでの純愛ラブストーリーとはまったくちがった流れが、浮かびあがってきたからである。
 皇太子は雅子妃との結婚について、思い悩んでいた。結婚をのぞんでいたのは、むしろ雅子妃の父、当時外務省事務次官だった小和田恒氏ではなかったか。
 二年まえの一九九二年秋、全国民がお妃選びに注目しているまっただなかで、天皇と小和田家のあいだを行き来し、メッセンジャーをつとめたある福祉団体役員の証言によれば、彼が小和田氏に会ったとき、
「陛下が皇太子殿下のご結婚を気にしている」
 と伝えると、小和国氏は顔を曇らせ、うつむき加減になって、こう漏らしたという。
「殿下は帝王学に徹しすぎますよ。女は、男から言ってきてくれるのを待つしかないんです。雅子が思い悩んでいるのを、みていられない」
 皇太子自身がはっきりとプロポーズをすれば、小和田雅子はそれを受けいれる用意がある、とこの人物は受けとめた。
 その一ヵ月まえに、彼は天皇に会っている。そのとき天皇は、
「小和田雅子さんという方は、どういう方か。皇太子の気持ちは、どうも小和田雅子さんらしい」
 と胸中をあかした。そして、
「外務省次官の娘さんであれば、こちらとしても結構な話だとおもうが」
 と話した。
 この人物は、この時、小和田雅子さんが本命であることを確信したという。その上で小和田恒氏と会ったのだが、その直前、小和田氏本人が直接、天皇と会い、ふたりきりで結婚について話し合う機会をもったと彼は語る。
「表向きは外務省次官が世界情勢の激変について、ご進講するということでした。しかし、中身はまったくちがう。皇太子殿下と雅子さんの結婚話が、二時間以上も交わされたときいています」
 家長どうしの突っこんだ話し合いが行われていたというのである。
 そのころまでに二百人ともいわれるお妃候補が、浮かんでは消えた。お妃選びのメンバーであったある人物は、天皇と小和田氏の話し合いがおこなわれる一年近くもまえに、お妃選びが特定の流れに向かっていることに気づいていたという。
「結論からいえば、はじめから雅子さんありき、だったのです。ただ、その時点では、雅子さんのことには気づきませんでした。
 ひとつの決まった流れが存在しているということに気がついたのは、私と同じお妃選びのメンバーが突然、その任務からおりると言いだしたときでした」
 引きとめるためにでかけていった彼は、逆に相手から、じつに意味深長なことばでさとされた。
「お妃選びから、きみも手を引いたほうがいいよ。もう流れは決まっているんだから」

「皇室の中で自分の居場所を見つけろ」

小和田恒が娘雅子に「皇室の中で自分の居場所を見つけろ」と言ったとする、オランダ王室紙編集長ソース

雅子さまは自身が置かれている今の状況を率直に話されたんだと思います

お父さまの恒さんは 雅子さまが皇室の中で自分の場所を見つけ
そして見つけたその場所を受け入れ
その中で素晴らしいお立場を作り上げて行った方がいい…
そんなお話をされたはずですよ
byコルネリウス・D・ホルテ編集長(Vorsten紙)


皇淳皇后危篤の報で御所に駆け付けてしまう、皇族気取りか!な小和田恒


『週刊現代』2004年6月19日号 <新聞テレビが報じない「浩宮の乱」 宮内庁はスパイなのか>
pp.30-31より引用
 雅子妃にとってたまらないのは、批判の矛先が、ときに父親の小和田恒にまで向けられることだ。たとえば、こんな指摘がある。ある宮内庁OBがいう。
「昭和天皇の香淳皇后が危篤になられたとき、小和田氏が御所に駆けつけてこられたんです。皇太子妃の父親なのだから、小和田氏が来るのは当然だと思うかもしれませんが、宮内庁では必ずしもそういう受け止め方ではありません。
 彼は元外務次官かもしれないが、皇族ではない。『皇族になった方の父親』というだけのこと。美智子皇后の父上、正田英三郎さんは、こういうとき、けっして目立つような真似はなさいませんでした。このときの一件は、皇后も不快に感じられていたようです。こうした行動が、宮内庁から見れば違和感になる。外務官僚特有の傲慢さが鼻につくということがあります」
 ちなみに、正田英三郎氏は美智子さまご成婚のあと、好きだった赤坂・銀座のクラブ通いを一切やめ、私欲も捨てて、最後は相続税のために自宅を物納するところまで身辺を清潔にしていた。
「それに比べて、小和田さんはいまだに贅沢な外務官僚の癖が抜けていないのではないか。よそ様から豪華な接待を受けて、平然としているではないか。
 愛子さまがお生まれになったとき、美智子皇后陛下より先に、雅子妃の母親の優美子さんが抱き上げたという話もまことしやかに流れています。真偽はともかく、そういう話が流れるほど、宮内庁では小和田家に対する反感が強いということです」(前出・宮内庁OB)

オランダ一格式高いゴルフクラブ「王立ハーグゴルフ&カントリークラブ」の入会を希望するも、けんもほろろに断られる小和田恒
◾週刊文春 2013年5月16日号<オランダ密着レポート 雅子妃が「小和田雅子」に戻られた夜 ご両親に完全無視され凍りつく報道陣…テレビには決して映らない緊迫の面会現場>記事

内容抜粋:
5月1日、アムステルダムの皇太子夫妻が滞在するホテルに現れた小和田夫妻。待っていたマスコミ「とるな」と言わんばかりに、急いで車のサンバイザーを下してカメラをさえぎる。その動作はメディアに顔が出るのを躊躇するなどというようなつつましいものではなかった。マスコミに対する嫌悪がありありとみてとれた。
小和田氏は駐車券をとると口にくわえて急発進。猛スピードで地下駐車場に入っていった。
あまりに露骨な小和田氏の態度にその場にいたカメラマンや記者は呆然。
「妃殿下に関する日頃の報道に鬱積した思いもあるのだろが、かりにも皇太子妃の両親。メディアに顔をそむけるような行動をとるべきではなかった。一礼して通り過ぎれば済む」(千代田関係者)
宮内庁記者クラブと東宮職の間で一悶着。マスコミを嫌う小和田夫妻はホテルに籠城。
代表撮影に絞られた。それが決まったのは帰る30分前。
夜11時前、小和田夫妻はホテルを出発。車内の夫妻は無表情。
外務省の誰に聞いてもそう答えるだろうが、彼は他人に厳しく、栄達や名誉に対する強い執着を持っている。友人を必要としないタイプ。崇高な物言いで誰も近寄らない。
国際司法裁判所の判事をしている小和田氏は任期切れの時は88歳。それでも辞めないのは強い意志があるから。
小和田氏はオランダの日本人社会でも有名人。
国際司法裁判所の判事にまでのぼり詰めた小和田氏が、今欲知っているのは名誉。彼は「勲章が欲しい」と言っていた。
皇太子妃の父になった時点で、それはありえない話なのに、本人的には「理屈にあわない」と感じている。
小和田氏が判事として赴任してしばらくして、オランダ随一の格式高いゴルフクラブ「王立ハーグゴルフ&カントリークラブ」の入会を希望した事があった。その時、日本の会員枠が埋まっていた為、断られた。各国の外交官枠は別にあるが国際司法裁判所は外交官ではないので適用できない。
でも小和田氏は「自分の後輩である大使が会員なのに自分が会員になれないのはおかしい」といって、クラブの会長に直談判。それでも断られる。


p.26より引用
 また、小和田氏が判事として赴任後しばらくして、ワッセナーという高級住宅地にある、オランダ随一の格式高いゴルフクラブ「王立ハーグゴルフ&カントリークラブ」の入会を希望したことがあったという。
 当時の会長の側近が話す。
「そのとき、日本の会員枠が埋まっていたため、クラブは彼の入会を断りました。各国の外交官枠は別にあるのですが、国際司法裁判所の判事は外交官ではないので、その枠を適用できないのです。しかし彼にすれば、『はるかに後輩の大使が会員なのに、自分が会員になれないのはおかしい』という気持ちだったのでしょう。秘書を伴ってクラブの会長に直談判に来たのです。
 会長は執務室で丁重に迎え、長い時間小和田氏の不満を聞いていたのですが、結局はお断りしたそうですよ。いくら文句を言われても、当クラブには当クラブのルールがあるわけですから」

スルメ

捕獲したイカを捌いて内臓を出し、素干しして作成する平らな形状の乾物のこと。国際司法裁判所(International Court of Justice)のジャッジが着用する法衣レーススカーフがこれにかなり似ており、ICJ HPが掲載するジジンこと小和田恒画像において首からぶらさがっているものを形容するのに用いられている。

2007年2月5日英エリザベス女王がオランダ訪問した際、国際司法裁判所で小和田夫妻と同じフレームに収まっている写真があるが、その画像においてもこのスルメは氏の胸元に燦然とぶら下がっている。

某省錬金術のからくりを暴く

Part578-45 :某外資系金融奥 :2006/08/18(金) 17:13:16 ID:KTuf4NfW
 それではつたない文章で申し訳ないのですが、少し書かせていただきます。
 これは公益通報者保護法がある今、本当にどこかに通報しようかと思っていたのですが
 どこに通報してよいのかわからず、とりあえずここに書かせていただこうかと思います。
 ブログなどだと、守秘義務違反の恐れがあり、混沌としている2chの方が
 安全かなという判断の元にお目汚しで申し訳ないのですが、書かせていただきます。

 まず、7月の半ばちょっとすぎぐらいから、例の省庁は大量の外国債券をlendingという形で
 担保にし、低いレートで資金調達して行きました。
 普通、債券はこのように貸借取引で貸し借りされた場合には「買戻し条件付」になるのが通常でしたが
 なぜかただの「lending」扱いでした。厳密にいうとこういった場合REPO(Repurchase Agreement)取引にはなりません。
 しかも、なぜか、帳簿には載せない取引でした。

 一般的に貸し出されている金利よりもかなり格安でお金を貸していました。
 債券の場合、売った値段と買った値段の差が金融会社(あえて銀行とも証券とも書かないことをお許しください)になるので
 こういった「お買い求めになったお客様に、貸借取引で優遇してあげる」と言ったことは
 あるにはあるのですが、それにしても、マーケットをなめているとしか思えないぐらいの格安金利。
 しかもなんであのように大量に外貨が必要になるのかさえ疑問でした。

 日銀も取引したりするのですが、日銀の場合外貨準備高のためなんだなと納得できるものがあります。
 しかし、今回の大量のlending取引はどれも7月半ばから、ちょうど今日ぐらいの1ヶ月の資金調達だったんです

59 :某外資系金融奥 :2006/08/18(金) 17:24:21 ID:KTuf4NfW
 またこのlending取引は、roll overと言って、期間を延ばすこともできます。
 なんらかの理由で8月18日まで大量の外貨が必要で、その支払いが済んだあと
 どこか別のところからお金を引っ張ってきて、返済し、返済できなかったものに関しては
 借り入れ期間を延ばすといったことが可能なんです。

 しかも、この取引は、日本の例の省庁と某外資系金融の海外支店との取引になっているため
 発覚しづらいという後ろめたい人には最高のメリットがあります。

 また例の省庁が潤沢な資金があることから、金融機関としてはマーケットを無視したような
 省庁に特になるように、「安く売ってあげて、高く買う」といったこともしています。
 なぜ薄利多売の原理で、多く買ってくれる人に利点をあげたいのと
 債券は、株のような取引所で取引するものではない性質から、金融機関が在庫を抱えると困るので
 そういうときに、買ってくれる人がいると大変助かるからです。

 私は、金融機関に携わる人間として、このような市場原理を無視した「超格安な資金調達」を
 している某省庁に嫌悪感を感じます。
 そして、これがどうして表にでないのかも不思議です。

 たった一部の人の贅沢や私腹を肥やすために、
 他の人が手に出来ないような優遇したレートでお金を調達しているのでしょう?

 本当にあの機密費問題はもっとちゃんとやってもらいたかったと思います。
 そして今でも間違いなく例の省庁のドンの一人はあの方なんです。

91 :某外資系金融奥 :2006/08/18(金) 17:36:50 ID:KTuf4NfW
 インドネシア駐在奥のすばらしいレスと入り混じってしまってすいませんでした。
 そういえば、某省庁は欧州債や米国債は保持していても
 資金繰りに困っているであろう国の国債はおろか、アジアの国債は一つも持っていません。

 今回お伝えしたかったのは、
 「あのご静養には明らかに某省庁が主導している可能性がある」こと
 「某省庁の官僚たちが同席するのであれば、その資金調達は違法スレスレの危ない取引から発生している可能性がある」こと
 そして
 「なぜかこの時期に限って大量の資金を某省庁が手にしている」こと
 この3つです。

 最初は、北に闇金でも配ってミサイルを凍結するのかとも思っていました。

 また何か怪しい動きがあり次第お伝えいたします。

877 :可愛い奥様:2006/08/19(土) 11:07:33 ID:kt6V7jWM
 わての夫が外資系証券会社勤務。
 彼の専門はフューチャーとデリバなんで債券はあまり詳しくないと言ってましたが、話聞きました。
 やっぱヤバい取引みたいっすね。
 特にずっとlendingのままってのが。
 大概の外資証券では個人のディーラーの思惑でショートしちゃいけないし、マーケットルールを無視した取引なんかできないって言ってたよん。
 ただ、その取引がどこで行われたかにもよってその国のマーケットルールが適用になるので取引自体がおかしかったかはどの国のマーケットでされたかにもよるとか言ってた。
 だから外務と外資系金融の海外支店でやったってのはそこんところだろうね。
 「でも基本的にこの話は公に出たら大きなスキャンダルになるの?」って私が聞いたら「うん」って言ってた。
 なので、マスコミ、この件大突っ込み入れて下さいね♪

89 :某外資系金融奥 :2006/08/19(土) 12:34:23 ID:lIBdsTNk
 いくつかみなさんが疑問に思うことや、少し書き足して起きたいことがあったので
 またお目汚しですが、書かせていただこうと思います。(ちょうどよく嵐さんも来てるようなので助かりますw)

 まずlending取引は、デリバティブではありません。
 デリバティブというのは、日本語でいうと金融派生商品です。
 原資産(債券、株など)をもとに「派生した」取引なので
 オプション、先物、ワラント などをいいます。

 それと、申し訳ないのですが、金額と明白な日にちについてだけは
 お答えすることができません。ごめんなさい。

 強調して書いておきたいのは、「おそらく某省庁のこの取引の口座は海外口座である」ということです。
 仕組みとしては、金融機関や企業の財務に関わった人なら理解しやすいと思うのですが
 簡単に説明するとこんな感じです。

 1) 某省庁 → 金融機関 (お金を調達して欲しいとの指示を出す)
 2) 金融機関 → 金融機関のA国支店 (某省庁のA国支店に入金指示を出す)
 3) 金融機関のA国支店 → 某省庁のA口座 (入金する)

 こんな感じなので(オフショア取引といって外外の取引ですね)
 国内の法律はほぼ関係ないと思われますし、帳簿もない、東京の金融機関では
 金の動きもないのでほとんど見つけることは不可能です。
 外貨のまま外で取引するのですから。

 しかも普通債券の貸借取引は、LIBORというロンドンの銀行間レートを参考にするのですが
 これもまったくの無視していたように思います。

103 :某外資系金融奥 :2006/08/19(土) 12:43:47 ID:lIBdsTNk
 あと、かなり危ないことを書いてるのですが
 2chは警察か裁判所の要請がない限り、IPを公開しないとうたっているので一応信じて。

 もし何かお咎めがあった場合にには、もうヤケクソで全部洗いざらい吐くので
 むこうも「ネットの伝説扱い」ぐらいの扱いにするんでしょう。

 でも、一人でも多くの人が、疑問を持ってくれたら・・そんな思いを持って書いています。
 金融は汚い仕事のように思われますが、私は私なりに理念を持ってやってきたので
 誰か特定の人が私腹を肥やすなんて、冗談じゃないと思います。

140 :某外資系金融奥 :2006/08/19(土) 13:08:53 ID:lIBdsTNk
 >>127
 ごめんなさい。まったく知らない人にもわかりやすいように説明しなければ
 意味がないので、もう一度ご説明いたしますね。

 まず、このお話を読んでください。
 あなたはAの財務担当者です。Aは闇のお金が必要になりました。
 でも、予算からは出せないお金なので、持っていた債券を担保にお金を借りることを思い立ちます。
 ただ、この取引はあまり人目についてはまずいので
 AのB国支店にある口座を利用することを考えました。
 お金を借りることにする金融機関Cにもその旨を伝えました。
 Cは「いつも金融商品を大量に買ってくれるお客さんだからな」といって
 普通の取引ではありえないほど安くお金を貸してくれたばかりか
 内密にAのB国支店にCのB国支店を使って入金しました。

 あなたは安く大量にそして、帳簿に残らないお金を手にしました。
 期限にはお金を返さなければならないのですが、それは3月まで先延ばしするのもよし
 どこから調達してひっぱるのもよし。
 また安く借り入れたお金を元に、金融商品を買って利殖をし利益を稼ぐのもよし。
 様々な用途を想像してあなたはにんまりとしました。

 おしまい。

196 :可愛い奥様:2006/08/19(土) 13:53:46 ID:kt6V7jWM
 外資系金融奥乙っす。
 ちょっと前にフューチャーとデリバ専門の外資系証券に勤める夫に話を聞いた者です。
 彼は2ch情報には懐疑的なので割と冷たく応答されてますが、追加でレス上がって来たので
 また聞きました。
 言われたのはLIBROというのは推奨最低レートみたいなもんで、それよりも低いレートで取引は可能だけれども、
 金貸した外資系金融は損をするから取引自体は大間抜けな取引で常識的にはあり得ない、と。
 ということでOKなんでしょうか。
 その上で「それってディーラー個人の裁量でできるの?それとも会社ぐるみで知っててやってるってことなの?そんなことアリなの?」
 って質問したら、「2ch情報なんだから。本気でWhistleblowするんだったら2chになんて書くか?」と冷たく言われて終わったorz
 私は外資系金融奥の話は信じます。


Part587-516 :某外資系金融奥:2006年08月24日(木) AM 12:12 ID:7egWAc1F
スレの流れが速くて、ついていけない感じなのですが、国連と日本ユニセフで少し書けそうなことを思い出したので
またお目汚しよろしいでしょうか?

あと、「守秘義務があるのに」とか「現実味がない」などのご批判はごもっともですが
守秘義務とはお客様の個人情報を言うのだと私は思っています。法人であれ、個人であれ。
血税を預かる運用である場合は、本来ならば国民すべてが財務状況その他を閲覧する権利があると思います。
昔、大蔵省の資金運用部が郵貯簡保の巨額を運用していたときに
私たちは、どのぐらい彼らが運用が下手で、損失を出しているのかを知っていました。
某板で同じことを思う人が次々と書いたり、週刊誌に載ったりしてやっと世間がこの巨額損失に目を向けて
今では郵政が独自の運用をするようになったりした経緯もあります。

あと、ここに書いたことは本当に話半分で何気にロムって下さったらいいと思っています。
でも一人でも多くの人が、何かの不祥事が発覚したときに、「あ〜、これはそういうことだったんだ」って
思い出して感心を持って下さったらそれでいいと思っています。

530 :某外資系金融奥:2006年08月24日(木) AM 12:25 ID:7egWAc1F
私は説明が下手なので、ただ長いだけの文章になってしまったら申し訳ないです。
ニュー速にもちょっとだけ触りを書いたのですが、大蔵省はあまりの不祥事の多さに
二つに分割されてしまいました。みなさんも知ってるとおり、金融庁と財務省です。
そのまえの金融監督庁になった頃から、金融改革のあった頃から
治外法権の外資系金融も監査が入るようになりました。

私の主人は日系勤めなのですが、日系は本当に監査が厳しかったのに対して
外資金融はそれまではめちゃめちゃ甘かったのです。
だから当然、そういうところには「悪いこと」がはびこります。
日系ならば、暴力団の口座にもチェックがいくにも関わらず
外資ならば、やり放題という時代があったわけです。

544 :某外資系金融奥:2006年08月24日(木) AM 12:34 ID:7egWAc1F
銀行や証券会社にはリテール(個人対象)とホールセールス(法人対象)という業務があります。
外資系の場合、(信託銀行を除く)ほとんどがホールセールスなのです。
にもかかわらず、個人口座があったりしました。

これは本当に守秘義務に触るのでこれ以上のことが言えませんが、国連関係とだけ申し上げておきます。

一般人が作ることができない、ホールセールス専門でやっている外資系金融の個人口座。
確かに従業員だったら、持ち株などでありえないことはないです。
(もちろんその場合正式な手続きが必要です)
でも、明らかに異様なその口座名は、「何かあるな」としか思えないものでした。

553 :某外資系金融奥:2006年08月24日(木) AM 12:42 ID:7egWAc1F
>>540
そうですね、国連、外務省・・本当に腐ってますよね。
まともな人は絶対に何割かはいらっしゃると思うけれど
だから死ぬ思いで内部告発(機密費問題のときとか)したんだと思います。

>>542
アドバイスありがとうございます。でもこの方が都合がいいこともあったりしてw
せっかくの気遣いですのにすいません。

>>547
もっとひどかったのが、やはり親戚筋。仕事の出来ない人がいいポジションにいるときは
かならずといっていいほど知り合いが監査側にいたりして、日にちをリークしてくれる。
・・そうですか、あそこにお勤めでしたか。。夜更かしさせてしまってすいません。

あと一つレスを書いたら退散しますので、話の流れをぶったぎってしまってすいません。

556 :某外資系金融奥:2006年08月24日(木) AM 12:50 ID:7egWAc1F
国連の個人口座のことは、残念ながらこれ以上はかけないです。
でも、聞けば「うそ?あの人の旦那様の口座が?あの人はいい人じゃなかったの?」
と思われると思います。

私はその口座を見つけたときにひどくがっかりしたものでしたから。

あと大蔵省の資金運用部は、少し金融の知識がある人ならわかるぐらい
「これは負けすぎじゃないの?」といったものでした。
アメリカなどでは、公的資金などには株を入れないことになっています。
でも大蔵省の資金運用部は、本当に人の金で遊んでるな、状態でした。

日本ユニセフは馬鹿みたいに高価な建物を建てて問題になっていますが、
あそこも資金運用はしているはずです。
「自分の金じゃないから、負けてもいいや」という気持ちがなければいいのですが。
当然、外資金融をお使いですよね?としか、今の私は書けないです。

今日は少々歯切れが悪くなってしまいました。
もし不明なところがあれば、お答えはいたします。

581 :某外資系金融奥:2006年08月24日(木) AM 01:06 ID:7egWAc1F
>>568
ttp://tanukur.blog8.fc2.com/blog-entry-281.html
ユニセフと日本ユニセフ(理事小和田優美子氏)は違うので
ユニセフに直接送ったらいいと思います。あなたの善意は伝わるはずです。

巨額の資金が動くときには、必ず何かあると見ていいと思うし
私ももうメディアで言われていることは、話半分で聞くようにしています。

今回のご静養で思うことは、国民が明らかにと「変」だと思っているのに
週刊誌もテレビも新聞も一切報道しないという気持ち悪いことです。
ある意味、「一番守られてる利権」なのでしょうね。国連とか、「ご静養」は。

長々とお目汚し失礼いたしました。

586 :可愛い奥様:2006年08月24日(木) AM 01:11 ID:4KTPFwdx
「あの人」って緒方さんでしょうね。

私は外資系金融奥ではないけど昔、日系証券にいたことがあります。
そこでもホールセールの部署なのになぜか個人口座があって
それは大抵、法人の資金運用に関して「決定権」を持っている人の口座でした。
証券会社は新規公開株などをその個人口座に優先的に割り当てて公開時に売却益を得させる=袖の下、なわけです。
運用の決定権を持っている人は 袖の下をくれた証券会社に優先的にその法人の資金運用において
株の注文を出したり、債券を購入したり・・・・という形で手数料という見返りを与えます。

外資系金融奥が書かれていることも同じようなことなのでしょう。
国連も外務省も資金を運用している→運用に関して決定権を持つ人に利益を供与する
→決定権者は利益供与の見返りとしてその金融機関で債券を購入するなど手数料を落とす・・・・
→金融機関はさらなる手数料のために決定権者に利益を供与・・・・・
という図式。

付け加えるなら 証券会社にとって手数料が大きい商品はリスクが高いので
運用で失敗するケースがままあります。あと誰も買わない商品をはめ込む先として
利益供与先を利用することも。
外資系金融奥が書かれていた「運用下手すぎ」というのは まっとうに運用して利回りが悪かったのではなく
証券会社の言いなりでリスクの高い商品に手を出したか 株を売買する時期ではないのに
言いなりになって株を売買したり 債券の運用も言いなりで失敗したか・・・でしょう。
国民から預かった資金をそうやってズサンに運用しながら 運用担当者は金融機関から供与された利益で
一儲け、金融機関も賄賂の見返りとして落とした手数料で一儲け、損失は国民が
かぶる・・・・という構図ですね。

601 :可愛い奥様:2006年08月24日(木) AM 01:22 ID:4KTPFwdx
>>593
どういたしまして。
私の想像ですが 外資系奥が書こうとしていることは
大蔵省の資金運用部の方の個人口座が外資系金融にあってそこからいろんな形で
利益供与を受けていた。その見返りで株や債券の購入などで手数料を落としていた・・・・という
贈収賄の話でしょう。一儲けするのは「個人口座」と「金融」で
損をするのは一般国民。
不可解なのはそういう個人口座が「収賄」で摘発されたことがない、ということですね。
Oさんも「旦那さんの口座」ということですから発見されないのか
わざと見過ごされているのかわかりませんが。
個人的にはホールセールにある個人口座は一度徹底的に身元を洗う必要がある、
ということです。仮名・借名の口座ではないか?親族口座であれば完全に怪しいと
思っていいです。

615 :可愛い奥様:2006年08月24日(木) AM 01:35 ID:4KTPFwdx
>>608
そうなんですよ。家族口座、親族口座なんて利益供与のためにあるといっても
過言ではない。ある運用決定権者なんて 新規公開株の割り当てが多すぎて
証券会社の社内規定の回数を上回ってきたもんだから 親族の口座を作って
さらに新規公開株を割り当てたほど。彼の得た売却益は彼の年間の給料より多かったはず。
当然、彼が運用していた団体の運用成績は悪かったですよ、ハイリスクな外債とかを
購入してましたからね、賄賂の見返りとしてw
でも、ま、運用の失敗はお金を預けている人たちがかぶるわけで
運用者本人と金融機関は一儲けできて めでたしめでたし・・・です。

755 :可愛い奥様:2006年08月24日(木) AM 04:01 ID:jNc+rShT
>>586
言ってること半分は分かるけど、IPOの割当をお得意さま優先にするのは万国共通だけど。
ホールセールとかリーテールと言う枠組みに拘ってるあたり、ちょとズレていると思う。
いわゆる資産家と言われる人たちは大口投資家です。
IPOの割当が行き過ぎるてSECに取り締まられた時代があって、
ダッチオークションとか出来てきたけど、それでもファンドの世界で大口が優遇されるのは
市場の論理として当然のことです。なんか、ちょっとズレてるギミのところがある。
何処の外資か知らないけど、外資の場合は殆どがホールセールと言うのは
かなりモニョル。

言っとくけど、小和田家はアホだと思ってるので
国連擁護、外務省擁護する気は毛頭ありません。

800 :可愛い奥様:2006年08月24日(木) AM 08:04 ID:4KTPFwdx
>>755
スレの流れをよく読んでください。
「IPOの割り当てが大口優先なのは当然」とか「大手が優遇されるのは市場の論理
として当然」ということが論点になっているのではないのですよ。
リテール、ホールセールという枠組みにこだわっているのでもない。
論点となっているのは
@年金などの大きな資金を運用しているところの決定権者の個人口座がホールセール部門に存在し
Aその個人口座に新規公開株などが優先的に割り当てられ株の売却益を得させる、という構図があり
B売却益を得た決定権者はその見返りとしてその証券会社に年金資金の運用において株や債券の注文を増やして手数料を落とす
C証券会社にとって手数料が大きい外債やハイリスクの商品も購入、結果、運用に失敗して 不利益をこうむるのは資金を預けている国民

問題となっている個人口座が単なるお金持ちの個人客であればIPOの優先割り当ても別に問題にはされないでしょう。
ここで問題になっているのは普通であればお金持ちには分類されない”公務員”の個人口座にIPOがバンバン割り当てられ
”公務員”はその見返りとして 公的資金の運用において自分に利益を供与してくれた証券会社に
手数料を落としていく・・・・というのが 「贈賄」「収賄」に当たるのでは?ということです。

自分から利益供与を要求するような決定権者もいましたよ。IPO漬、接待漬、でしたね、そういう人は。
運用しているのは個人資産、という大富豪ならともかく、一公務員に過ぎない人が
公的資金の運用の決定権者であることをいいことに私腹を肥やす、しかも公的資金を高いリスクにさらしながら・・・です。
一儲けしているのは「収賄」した決定権者と、「贈賄」の見返りとして手数料を落としてもらった
金融機関で、損をかぶったのは「国民」という図式です。


小和田恒の浮気で優美子夫人に異変?……てなとんでもなく下世話なことをめでたい筈の小和田雅子婚約内定時期に態々記す中村紘子寄稿記事

『週刊文春』1993年1月21日号<特別寄稿 皇太子妃決定! 日本はとってもツイている!>中村紘子記事
p.159より引用
 思えばあれが発端だった。五年ほど前の年の暮、いや正確に言うと一九八七年十二月十八日の夜、外務省きってのピアノの名手で私が時々我が家の「ホームコンサート」で連弾をお願いする斎藤邦彦さん(現外務審議官)のお宅に夕食に招かれた時のこと、三十分近くも遅れて現れた小和田夫妻の様子が何となくおかしかったのである。
 とりわけ優美子夫人ときたら、何故かすっかりやつれて眉間には深い皺を寄せ、私たちの談笑にもどうやら心ここにあらずと言った風情で、時折あらぬ方向を深刻な眼差しで見つめていたりする。
 帰りの車中で私がその気がかりを話すと、おいしいお酒ですっかり出来上がった主人(補足:中村紘子の夫である、小説家の庄司薫)は言った。
「どんなに知的で誠実な紳士も、人の子であり男である、とする……」
「とする?」
「小和田さんに愛人がいて奥さんにバレた」
 同じくホロ酔い気分の私は、あのお名前どおりに優美な小和田夫人が闊達な静謐さとでも言った雰囲気を持つ希有の紳士小和田さんの銀髪に、爪を立てて怒り狂う図なるものを想像しようと試みたが、どうしてもうまくいかなかったのをよく覚えている。
 真相は翌朝たちまち明らかになった。開いた朝刊各紙の週刊誌の広告には、「小和田雅子さん、皇太子妃に」という活字が大きく躍っていたのである。


両陛下海外訪問の際に外務省海外広報課が作成する皇室紹介冊子について、担当者が『伊勢神宮と出雲大社をどう書くべきでしょうか』と聞いたところ、『そういうことに興味はない』と冷たく言い放つ小和田恒
◾『週刊文春』2014年3月27日号<天皇皇后両陛下伊勢御参拝の最中 雅子さま奥志賀スキー旅行 「雅子や愛子にも行ってほしい」美智子さまの思い届かず……>記事


p.36より引用
 雅子さまが祭祀から縁遠くなってしまっている現状について、「遡れば、そうした懸念はご結婚当初からあった」というのは、別のベテラン宮内庁担当記者。
 「もともと八百万の神や自然神を尊崇するという日本古来の神道的な考えは、雅子さまには馴染みがなかったのです。平成五年、ご成婚を控えていた雅子さまは、宮内庁に通い、約五十時間の“お妃教育”をお受けになりました。語学はお得意でしたから英語や仏語は省略され、憲法の授業もよく理解されていたそうです。
 しかし神道についてはご進講者が色々と日本語で話をしてもピンとこなかったそうなのです。そこで、授業では『THE WORLD OF SHINTO』(神道聖典/仏教伝道協会刊)という英語のテキストを使用し、英語で皇室神道について学ばれた。当時、あの世界観を英語で理解できるのか、疑問に思ったものです」
・・中略・・
 また、ある外務省関係者は、雅子さまの父、小和田恒氏が外務省事務次官時代の話が忘れられないという。
 「海外広報課では、両陛下が海外訪問をなさる際、両陛下のプロフィールや、訪問国との関係を先方に紹介する、外国語で書かれた冊子を毎回作ります。その前段に日本の皇室や、伊勢神宮、出雲大社、八百万の神について解説を入れる事になったのですが、そこで担当者が『伊勢神宮と出雲大社をどう書くべきでしょうか』と聞いたところ、小和田氏は『そういうことに興味はない』と冷たく言い放ったそうなのです」


2009年12月26日東京新聞が報じた「恒がプレゼンターを務めた受賞日付が明かされない日蘭賞」ニュース、なんと1ヶ月半も前の出来事だったと判明。12月帰国して受けた脳梗塞バイパス隠蔽の健康アリバイ工作か??

東京新聞より

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20091226/CK2009122602000062.html(魚拓)
【東京】
拓殖大・長坂教授に『蘭日賞』 オランダモデル日本に紹介
2009年12月26日
「蘭日賞」を受賞した長坂氏(右から2人目)。左から、ハイデン総長、小和田氏、ヒューリック教授=いずれもオランダのライデン大学大講堂で
◆『NGO研究 評価され光栄』
 拓殖大学(東京都八王子市)国際学部の長坂寿久(としひさ)教授が、日本とオランダの文化・研究・経済関係に貢献した個人や団体に贈られる「蘭日賞」を受賞した。長坂氏は、均等待遇によりパートタイム労働を促進して財政赤字と高失業率を克服したオランダ型ワークシェアリング(労働時間短縮による雇用創出)や、政府・NGO・企業の三者が協働するオランダの社会経済システム「オランダモデル」を日本に紹介したことなどが評価された。日本人の受賞は初めて。(土田修)
 同賞はライデン大学エイリオン財団が二〇〇四年から実施。同大のファン・デル・ハイデン総長らが審査し、二年に一回顕彰している。三回目となった今年は「アカデミック調査」をテーマに長坂氏と同大東アジア芸術・文化部のファン・ヒューリック教授(東洋美術史)が受賞した。
 十六世紀に設立された同大はオランダ最古の大学で、幕末オランダに留学した日本人はここで学んだ。幕末から明治初期の教育者、西周(あまね)がフリーメイスンに入会したときの署名文書も残されている。植物園にはシーボルトが日本から持ち帰った植物が植えられ、アジサイやカエデが茂るシーボルト記念庭園にはブナの巨木の下にシーボルトの胸像が立っている。
 同大の大講堂で催された授賞式で、ハーグ国際司法裁判所長で同大国際関係学教授でもある小和田恒氏が長坂氏ら二人に蘭日賞を贈呈した。
 授賞式で長坂氏は「オランダの社会経済システムは二十一世紀の日本や世界にとって大きな意味がある。民主主義をよりよく機能させるには政府・NGO・企業がパートナーシップを結び、三者による対話と合意に基づく社会システムをつくっていく必要がある。私のオランダをフィールドとしたNGO研究を評価していただき、光栄に思う」とスピーチした。
 <長坂寿久> 1942年神奈川県生まれ。明治大卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)に入会し、アムステルダム、ニューヨークなどに駐在。99年から現職。専門は国際関係論。「NPOファミリーハウス」前理事長。著書に「オランダモデル〜制度疲労なき成熟社会」(日本経済新聞社)、「NGO発、『市民社会力』〜新しい世界モデルへ」(明石書店)、「オランダを知るための60章」(同)など多数。


日蘭賞授賞式の日付がどこにも入っていないという、5W1Hの基本も踏まえない
奇妙な書き方をしている記事であることに注目されたい。

拓殖大学HPより

http://www.takushoku-u.ac.jp/news/2009/091109nagasaka.html
長坂寿久教授 「蘭日賞」 受賞
 長坂寿久教授(国際学部)は、長年にわたる日本とオランダとの研究交流などの功績により、「蘭日賞」を受賞しました。
 同賞は2004年からオランダ・ライデン大学のエイリオン財団が2年に1回顕彰しているもので、同教授は、日本人として初めての受賞となり、授賞式は、11月9日にライデン大学の大講堂で行われ、国際司法裁判所の小和田所長から賞が贈呈されました。
 受賞理由としては、同教授はオランダ型ワークシェアリングといった現代のオランダ経済社会システムの21世紀的意味について、『オランダモデル』(日本経済新聞社、2000年)『オランダを知るための60章』(明石書店、2007年)をはじめとした関連書籍や多くの記事で紹介してきたことや、ジェトロ(現日本貿易振興機構)のアムステルダム事務所長として、1993年〜97年(3年7ヶ月)まで現地に駐在し、多くの案件を手掛け、その間、ジェトロの仕事以外に、現地の「在蘭日本商工会議所」(JCC)の理事・事務局長を務め、日蘭関係の様々な問題処理にもあたり、帰国時には、アムステルダム市長から、アムステルダムのために国際的に活躍したとして『感謝状』を贈呈されました。こういった一連の仕事ぶりが高く評価されたことにあります。


こちらはきちんと「(2009年)11月9日」だと記している。小和田恒も一緒に撮影した記念写真画像あり。

外務省時代に「隠れ入院」したことがある小和田恒、怪しい場所として使っていたのは順天堂大学病院とのこと
◾同志社大学社会学部浅野健一(元共同通信社記者)ゼミHPより


http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2000/cambodia.html
「公人」とプライバシー カンボジア首相を「偽名」入院させた順天堂  浅野健一
(前略)
 順天堂医院に関して私がこだわってきた「事件」がある。外務省が九一年に、当時国交のなかったカンボジア(ヘン・サムリン政権)のフンセン首相夫妻を秘かに日本に招いて、順天堂大学医学部附属順天堂医院に「山内」という偽名で、入院させ治療を受けさせたことがある。(以下は、「週刊金曜日」00年4月28日号の「人権とメディア」に「外国の首相が偽名入院 権力と癒着 順天堂」と題して書いた。)
 一月一八日の朝日新聞は「担当外交官が回顧録を出版」という見出しで、カンボジア和平実現に外務省の一課長としてかかわった河野雅治氏(現アジア局審議官)が舞台裏の真相を描いた『和平工作 対カンボジア外交の証言』(岩波書店)を出版した伝えた。
 さっそく本を読んだ。驚いたことに、第一五章に「医療外交」として、河野氏ら外務省官僚が違法なことをしたと堂々と自白している。違法なことをしたという自覚が全くなく、手柄話として書いている。
 [《日本政府が承認していないヘン・サムリン政権の「首相」》の「病気治療という人道目的の訪日」
を実現するため、報道陣に知られることのないように、「対外的に不公表とし、いわば極秘裏に進める」
ことになったという。九一年四月、順天堂病院に入院する際、《このオペレーションが外部に漏れないよ
うにするため、念には念を入れ、フンセンは「山内一郎」の偽名を使って入院した。この事実は、当時医
院関係者の間でもごく一部にしか知らされていなかった》というのだ。「外務省は、フンセンの左目義眼
をプラスティック製の軽くて新しいものに作り替えてあげた」。またフンセン首相は3泊4日の日程で入
院したのだが、小和田恒外務審議官(皇太子妃の父)も全く同じ期間、偶然にもすぐ上の部屋に入院し、
二人が退院した夜、フンセン首相を囲む夕食会が開かれ、カンボジア和平の進め方について、非公式に話
し合ったと書かれている。](浅野要約)
(後略)

小和田恒についてのその他書き込み集

今や準皇族・小和田家の人々の歌舞伎座における振る舞い目撃情報

Part187-86 :可愛い奥様:05/02/23 00:13:01 ID:3WSCiq+d
文楽を見るのが何故仕事なの?
大相撲観戦は仕事じゃないんでしょ。


100 :可愛い奥様:05/02/23 00:23:25 ID:fYdT4DAS
>>86
彼女にはモノスゴイ忍耐と苦痛を伴う「観劇」だからだと思われ。
嫌味じゃなくて、東京の人は文楽より歌舞伎に走るから
もともとあまり馴染がないと思う。
まぁ皇太子みたいに説明受けずに(演者の声がでかいので割と普通の光景)
イヤホンガイドしてたから、何聞いても聞き取れないか
最初から寝るつもりだったのは確かだろうけど。


137 :可愛い奥様:05/02/23 00:44:52 ID:fYdT4DAS
そういえば>>100書いてちょっと思い出した。
婚約発表が済んだあと、五月か六月の雨の日昼の部なんだけど 歌舞伎座に小和田夫妻&双子が来たのに遭遇した。
開演前からではなくて、演目ひとつ終わってからタクシーで乗りつけたから 皆誰だかわかってザワザワ、
2階席からも人が覗きこむ。 花道七三横の結構いい席。
と、そのざわめきを聞いて何を思ったか小和田ジジンが立ち上がり 観客を振り仰いで大きく会釈。
途端に会場中がシーーーーーン・・・・ ヒソヒソ ヒソヒソ・・・・ それは看板役者だけが花道上で許される見得>知らなげだったジジン
第一あそこへ見に来ている人の中には、 「外務官僚なんて旅行会社の添乗員がわりよ」と豪語するクラスも しょっちゅう混じってる
だから、一斉に 「何勘違いしてるのよーーーっ」って、すーごいシラケた空気。
幕が上がって双子のどちらかが眠り始めて 「泣き」の部分で場内に寝息が響きだしたので 途中で帰って行ったよ。
みんなお上品だから 閣下たちに聞こえないようにクスクス、クスクス笑っていた。
私はその時まだ鬼女じゃなかったので、ただ圧倒されてたが (だって皇太子妃の父を鼻で笑うなんてっっっ)
あのおば様たちは卓見だったんだなぁと今にして思う。
 


スイス領事館にて小和田夫妻が訪問しディナーをする時、アポ無しで娘三人を連れてきちゃった、雅子礼子節子皆挨拶できず家族でだけ会話してた事件

Part393-701 可愛い奥様 sage 2006/03/04(土) 15:48:06 ID:2V64CSVE
うちの母の大学の同級生の両親が昔スイスの領事館にいたことがあるんだけど(総領事って言うの?)
その時大使として赴任していた小和田夫妻が家に訪ねてくる事になって、
最初は夫婦二人で来るって事だったからそのためにディナー用意しておもてなしの準備をしていたら
当日突然娘三人も付いて来て大慌てだった、って話を聞いたよ。

まだ三人とも子供だったと思うけど、でも挨拶ひとつできなくて、食卓についても両親としか会話できない
なんか変な姉妹だったらしい。当然お礼の言葉もなし。大使の方が領事よりもずっと格が上だから、
その招いた側の領事夫妻も気を使ってたいそう疲れたようだ。

優美子さんは教育ママとしては有名だったけど、でもしつけはゼロだったんだね。
でも父親の力関係があるとはいえ、子供まで礼を欠くってのは最低だと思う。


842 701 sage 2006/03/04(土) 18:13:18 ID:4i9YjKI7
>>828
ごめん、「当時子供だったんだろう」ってのは私の推測。
今58歳のうちの母親の同級生のご両親の話だからそんなもんかなあ、と。
でも中学生くらいだった可能性もあるよね(それだとさらに信じられないんだが>飛び入り、挨拶なし)。

この話は雅子さんが婚約した時に最初に母が自慢げに話してくれたんだけど、
当時は「あの三姉妹は挨拶もできないくらいのはにかみ屋さんだったんだってよー。」みたいに
好意的な話だった。先日雅子さんの話してたらこの話しが再び出て、母の感想は
前レスで皆さんが言っているような感想と同じになってたw

でも母は「雅子さんかわいそう」というスタンスは昔から変わらなくて、
いまだに「十分な躾もされないで勉強ばかりさせられて、社交性のない欠陥人間になっちゃって
かわいそう」とか言ってるよ。十分失礼だと思うが。


Part705-868 可愛い奥様 sage 2006/11/03(金) 20:36:41 ID:/VxS76V4
もと外交官夫人の奥様(結構年輩の方)とお話しする機会がありました。

ここでも既出の「招かれた家に断りなしに娘三人同伴」事件は結構有名な模様。
某○○領事に小和田氏から「今度○○に寄りますのでその際にはよろしく」と言われ、
当日ディナーの用意をして待っていたら、年の割りに背だけは大きい三人姉妹がついてきて
びっくりして大慌てだったと言う話。一番驚いたのは、結構いい年をした三人姉妹が
挨拶もできず、会話も家族内でしかしようとしなかったことで、「外務省の世界は特殊で
たまに勘違いした大使級の子供などが、領事など格下の相手とは口もきこうとしない、
なんて事もあるんですよ、嫌な世界ですよね」とおっしゃっていました。
既出の話では「しつけがなっていない」という結論だったかと思いますが、この方は「わざとだ」と思っているようでした。
ただ、このエピの当時、小和田氏はロシアに単身駐在してたそうなので、既出のエピとはまた
別件かもしれません(その人の記憶も確実とは言えないのですが)。

少し意外だったのが、優美子さんが夫の言いなりになる妻で、夫唱婦随な夫婦だと言う話。
単に「優美子さんはあまり頭がよろしくないので、頭の切れる小和田氏に頼りっきり」だという事のようです。
傍から見ると「尻に敷かれてる」っぽかったので意外でした。雅子さんも小和田氏のような男性と結婚してれば
それなりに幸せだったのかもしれませんね、などと話してきました。

この方は基本的にもと反小和田派なので、情報も少し差し引きして捉えた方が良いかもしれませんが、
色々きけて結構面白かったです。

雅子入内にあたって小和田家が遠い親類縁者にまで30万円の祝い金を要求していた件について

Part856-916 名前:可愛い奥様 :2007/04/30(月) 11:13:53 ID:ksGvMQr70
>小和田家は現金で受け取った

そうかもしれません
雅子さんのご結婚のとき、小和田家側のお祝いの会がありました
ご親戚(かなり遠い)までお知らせがあったんだけど
そのとき、「住宅ローンもあって小和田家も金がないので
お祝いはご親戚一律30万円で」
ってお願いがあったそうです
「こんなこと一生に一回しかないから出てみたいけど
30万ってねぇ」
ご主人のほうが「ほんのすこしカスル程度よ」っていう親戚で
普通なら結婚の連絡もないような付き合いだそうです

呼ばれた方が言ってるのを直接聞きました
「雅子さんってどんな方?」ってきいたら「ぜんぜん知らない」って

雅子のドタキャンは父親小和田恒譲りか? 2000年5月の恒ドタキャン情報

Part1131-74 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 14:46:06 ID:mpoZ4GNf0
古い話みつけた
ジジン、ドタキャンして怒られてるwww

>ハーバード便り
>2000年05月03日
>夜8時からは、Kennedy Center for Government で、小和田恒さんもきて、
>シンポジウムがあるというので、期待してでかけましたが、
>直前になって小和田さんはキャンセルになって、みんな怒っていました。

107 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 15:12:14 ID:vpJs+zX40
>>74
2000年5月というと、ジジンは「日本国際問題研究所」という所の理事長をやってた頃だね。
ググッてみたら所在地千代田区だから、その頃は日本に住んでいたんだ。
相手が飛行機代出してくれなくてその「しかいし」で直前キャンセルしたんだったりして…
やつならそのくらいやりかねんからな

(↓過去スレから拾ってとっておいた資料より)
・国連大使(1994.4〜1998.10) 
 国連日本政府常駐代表兼任(1994-1998)
 安全保障理事会議長(1997,1998)
・日本国際問題研究所理事長(1998-2003)    
・世界銀行総裁上級顧問(1999-2003)
・外務省退官(1999.2)
・国際司法裁判所判事(2004〜)

「娘を娼婦として差し出した…」「見返りにもらったものがあるのに金がありあまってないのはなぜ?」小和田恒の興味深い海外インタビュー映像が存在しているようだよ情報

Part1244-763 可愛い奥様 sage 2008/06/12(木) 03:15:59 ID:3XYpAUvP0
メールしました。
公務が雅子の回復に役立つものだけピックアップされて行われるのであれば
単なる治療。
治療をテレビや新聞で報道する必要もないし、何より訪問先に迷惑です。
あと、面白い話を聞きました。
owdのインタビューの変わったビデオが存在するそう。
外国でのお話ですが、外務省が必死で高額のお金使って封印したようです。
「私は国際判事なんだ。訴えるぞ!!」って涙目。


Part1245-47 可愛い奥様 sage 2008/06/12(木) 11:22:39 ID:ceSyTUco0
ナル、声が震えてない?

前スレであった、小和田の涙目VTRが見たくてたまらない。
外務がお金で回収したってんだから、よっぽどマズーな内容なんだろ。
誰かコピーとってないかな?ようつべにうpしてくれたらネ申。

63 可愛い奥様 sage 2008/06/12(木) 11:42:30 ID:3XYpAUvP0
>>47
涙目VTRは、結構有名なインタビュアーが関わっているそうです。
面白い言葉があって
「娘を娼婦として差し出した…」「見返りにもらったものがあるのに金がありあまってないのはなぜ?」
結構辛らつな質問というかw
逃げ切ったつもりのところに突っ込まれて「国際判事」がでたそうです。
海外マスコミにコネがある方なら、ひょっとすると存在を知ることができるかも。

書籍購入の支払いは今でも全部外務省に回すという小和田恒

Part1447-759 名無しさん@自治スレにてローカルルール議論中 sage 2009/01/11(日) 21:04:33 ID:gXGwi0poO
携帯カキコ、見づらくてすみません。

母の友人のご親族の中にタト務の方がいらっしゃいます。
一つの例ですが、OWD氏が国内滞在中に書籍等を買う時は
タト務省着払いにして、タト務に支払わせてから届けさせるそう(今も)
「兎に角 お 金 に 汚 い」と話していたそうです。
この方は、親族から仕入れた真実のOWDネタを世間話に混ぜて方々で話し、
布教に努めておられるそうですww

2014年6月17日桂宮宜仁殿下斂葬の儀に出席された奥様情報、「小和田恒優美子」夫婦個人名で供花した小和田夫妻について

Part2796-62 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:16:36.21 ID:LHiMLRm50
拝礼し、安らかにとお祈り申し上げてきました。
彬子さま、常陸宮同妃両殿下、高円宮家の方々がいらっしゃいました。

小和田恒・優美子夫妻からのお花がありました。
近衛家、黒田家等、他の方々は、家のお名前で、
財務大臣や都知事等の方々は官職名のみ、または官職名付でしたのに…
正田家、川嶋家からのお花はなかったので、連携がとれてないのだなあと、思いました。


66 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:22:35.98 ID:QPn//8qr0
>>62
お見送りされたんですね。お疲れさまでした。

小和田家では葬儀は目立つためのイベントなのかと。
あの一家は本当に残念なオツムの人ばかりなのね。


67 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:22:52.51 ID:tOxcakA20
>>62
むしろ
>小和田恒・優美子夫妻からのお花がありました。

が突出していて、異様。
勝手にやらかしたんでしょう。

正田家がなさらないのなら、
小和田はするべきではない。
川嶋家の対応で〇
元皇族(清子さま)や親族(近衛家)とは立場が違います。


70 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:25:43.58 ID:F638XBXZ0
>>62
他の方々は家名だけなのに
小和田恒・優美子ってフルネーム書いてあったの?
目立ちたいんだなー


72 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:28:00.52 ID:n6lW2xzm0
>>62
小和田恒・由美子って木札に書いていたの?


74 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:29:08.77 ID:ILOLB8MM0
ジジン、ババンの花はどこが用意したのかね。誰が支払ったんだろう


79 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:33:26.56 ID:f308MeNC0
こういうお花は官庁は秘書課あたりに手配頼むのよ。弔電とセットが多い。
ガイムの担当者はなんでうちに支払わせるの?と思いながらも、名前をどうするか聞いただろうね。


85 可愛い奥様@転載は禁止 2014/06/17(火) 14:42:55.37 ID:7LlKeDAx0
小和田恒・優美子夫妻からのお花がありました

まさしくオワダ何様!?


86 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:43:06.99 ID:LHiMLRm50
>>67さま
62です、私も、同じ考えです。
連携がとれていないのは小和田夫妻、と思っての書き込みでした。
せめて正田家、川嶋家に確認すればよろしいのに…

>>72さま
その通りです。
家名、官職名のお花の中で、夫妻連名での個人名の大書、目立ちました。
寛仁親王殿下のときも、そうでした。


87 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:45:05.87 ID:DtYjuTfg0
小和田は宮家のつもりなんじゃね??

東宮御所にお住まいだから勘違いされたのよw


91 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:50:40.98 ID:49HobP0F0
過去にはおしかけ騒動、記帳騒動もあったし
やっぱりおかしい人たちなんだよね


92 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:54:12.92 ID:Voqifg1N0
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1402983963777.png

ふとましいね

ジジンババンの花は東宮職が気をきかせて出したと言っても驚かないわ
本当に、皇族気取りなんだね


93 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:54:14.13 ID:nIfXltPf0
>>86
>寛仁親王殿下のときも、そうでした。

ハナッから連携するつもりなんて無いんでしょうね
普通は悪目立ちを恥ずかしく思うものだけど、小和田夫婦は 「悪目立ち上等」 な価値観なんでしょう


奥様は両殿下のご葬儀にいらしたんですね
頭が下がります


94 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:55:09.78 ID:fWPcDh6pO
>>62 お疲れさまでした

ジジン、最低
宮内庁は見逃してるんだね、並びの順番とか必ずあるはずだから札を見ないはずはない


95 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 14:58:32.58 ID:c25/9eDW0
>>93
「正田さんも川嶋さんも気が利かないわねw」ぐらいは思ってそう


97 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 15:00:47.99 ID:Ehci3+et0
ジジンは
正田家…息子の代(皇后陛下のお兄様)になっているし、官僚>粉屋
川嶋家…官僚>学者
ぐらいしか思ってないだろうな。

もう、ジジンは人生を完了してほしいよ。


98 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 15:01:27.37 ID:IRDjXFkk0
>>86
奥さまは、ご葬儀にいらっしゃったのね。
乙でございます。
OWDには、根っから「家」という概念が欠落しているのでしょうね。
つくづく下賤の出らしいエピですわ。


102 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 15:13:03.02 ID:uEWtYw3/0
>62
owd恥ずかしー。
そもそも名家じゃないんだから小和田といったら自分たちしかいないのに、
わざわざフルネームってw


103 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 15:14:18.84 ID:KTib1zq/0
>>92
東宮職にジジンが指示出したに10000ヨロヨロですわ。

ジジンとババンが「花出しておけ」と言うから個人名なんじゃない?
てか、一般からの供花供物は受け付けないと、要綱にあったのにw


153 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/06/17(火) 16:19:01.96 ID:LHiMLRm50
天皇陛下・皇后陛下、皇族の方々からは、お花ではなく、
榊(のようなもの)が祭壇の両側に立てられていました。

お花は、皆さま同じでした。

祭壇の向かって右側には、祭壇側の上段から、
近衛家・島津家・黒田家等のご親戚、
財務大臣麻生太郎(寛仁親王妃ご実家でしょうか)、
「小和田恒優美子」、
閣僚・衆議院議長等、都道府県知事等、
の順番でした。

桂宮殿下のご公務の関係の方々からのお花は、祭壇の左側を飾っていました。

映像では、三笠宮殿下は、お強く気丈であられましたが、
心中いかばかりお悲しみでしょう…


2016年11月4日故・三笠宮殿下への一般拝礼をされた奥様談「皇太子同妃両殿下は、10時40分頃、お車で退出なさいました。秋篠宮同妃両殿下は、一般拝礼中も、彬子女王殿下の次席にいらっしゃいました。」「(供花について)やはり小和田恒由美子のお花がありました。正田家、川嶋家からはありませんでした。寛仁親王殿下の時と同じです。小和田氏は三笠宮系と個人的な関係がおありで、その縁で供花してるんでしょうか?」

Part3162-912 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/11/04(金) 13:33:17.61 ID:qH31v24d0
午前の一般拝礼に参りました。
日本をお守りくださいとお願い申し上げました。

皇太子同妃両殿下は、10時40分頃、お車で退出なさいました。
秋篠宮同妃両殿下は、一般拝礼中も、彬子女王殿下の次席にいらっしゃいました。

皇族方の御降嫁先、妃殿下方のご実家筋(高木家、麻生家他)、
役職付きの国政関係者や地方自治体長からの供花の中で、
やはり小和田恒由美子のお花がありました。
正田家、川嶋家からはありませんでした。
寛仁親王殿下の時と同じです。
小和田氏は三笠宮系と個人的な関係がおありで、その縁で供花してるんでしょうか?

945 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/11/04(金) 14:57:45.03 ID:3GGx2gD80
典子さん婚家は神道だから三笠宮家の葬儀に出席してはいけない理由はない訳で。

地元で祈祷をしたんでしょうかね。お花もなかったの?

週刊誌の出番ですわ。

960 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage New! 2016/11/04(金) 15:21:42.59 ID:qH31v24d0
>>937
942さんのおっしゃるとおり、一般拝礼です。
祭壇向かって右側に、供花が(おそらく)序列順に並べてありました。
祭壇の左側や、参道脇にも一部ありますが、離れるにつれ関係が薄い感じがします。

祭壇向かって右側の供花は、祭壇側・最上列から、
皇族方の降嫁先(千家家、黒田家、島津家など。数家連名もあり)、
妃殿下方のご実家筋(高木家、麻生太郎氏など。連名もあり)、
そして小和田恒由美子、
あとは政治家など、役職付きの方々です。
連名もある中で、単独でしかも個人名のお花は、小和田恒由美子だけだったと記憶します。

>>945
千家家からは、供花とは別に、祭壇脇の榊も出ていたように思います。

>>950
各局ニュースで参列皇族の方々を映す際に、供花が一瞬映りますので、ご確認ください。

965 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/11/04(金) 15:32:34.83 ID:qH31v24d0
960=912です。
>>957
11時40分から一般拝礼ですが、1時間以上前から、道路で並んで待つのです。
10時40分頃には儀式が終わったのでしょう、
皇太子同妃両殿下だけでなく、参列なさった方々が各々黒塗りの車で続々と退出されました。
彬子女王殿下を始め三笠宮殿下にお近い方々と、秋篠宮同妃両殿下は、一般拝礼の時もいらして、
一般人のご挨拶を受けておられました。

言って委員会でハニートラップの話題。かつてソ連の日本大使館で二回引っかかった今80代のひとがいるそうだ。

Part3037-224 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/11/22(日) 14:24:54.14 ID:blPeQzNW0
言って委員会でハニートラップの話題。
かつてソ連の日本大使館で二回引っかかった今80代のひとがいるそうだ。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92
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