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2013年1月20日21時42分 〜
記事 [国際7] 日本人9人殺害と報道 アルジェリアの地元テレビ (朝日新聞) 
http://www.asahi.com/international/update/0120/TKY201301200167.html
2013年1月20日21時30分 朝日新聞


 【カイロ=石合力、村山祐介】アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件で、同国軍特殊部隊は19日午前(日本時間同日午後)、イスラム武装勢力に対する最終作戦を実施し、施設一帯を制圧した。同国内務省は19日夜(同20日未明)、一連の作戦で武装勢力計32人を殺害し、人質23人が死亡したとする声明を出した。アルジェリア政府は、複数の日本人が、死亡したか生存が確認できないと日本政府に伝えた。

 アルジェリアの地元テレビやAFP通信は20日、目撃者の情報として、日本人9人がガス施設で武装勢力に殺害された、と伝えた。

 内務省声明によると、外国人107人とアルジェリア人685人の人質が解放された。人質の国籍は明らかにしておらず、日本のプラント建設会社「日揮」の日本人社員10人の安否は依然確認されていない。

 アルジェリアのサイード情報相は20日、国営ラジオに人質の死者数は23人より増えるとの見通しを示した。最終的な死者数を近く発表するという。地元テレビは20日、同日朝の現場の捜索で新たに25人の遺体が見つかったと速報した。

 国営通信は19日、内務省の声明前の段階で、治安筋の情報として、最終作戦で武装勢力11人と外国人人質7人が死亡したと報じた。7人は武装勢力に殺害されたとしている。一方、アルジェリアの民放テレビ局と中東の衛星放送アルアラビアは、殺された7人に日本人1人が含まれていると伝えた。犯行グループの上部組織とされる「覆面旅団」の広報担当は軍の作戦開始前、モーリタニアの通信社を通じ「外国人人質7人を依然拘束している」と主張。日本人1人のほか米国人2人、英国人1人らとしていた。

 イスラム武装勢力が国家の基幹産業である天然ガス施設を襲撃し、外国人を含む数百人規模の人質を取るという例を見ない事件は、軍の強硬策で発生から4日目に結末を迎えた。人質の人命尊重を求めていた関係国の意向よりも武装勢力の制圧を優先した形だ。

 北・西アフリカ地域では国際テロ組織アルカイダと関連するイスラム過激派の活動が活発化しており、同種の事件が再発するおそれもある。日本を含む外国企業の活動や投資、邦人の安全確保などに大きな影響が出そうだ。

 国営通信は20日、サイード情報相の話として、武装勢力の32人はアラブやアフリカなど6カ国の出身者で構成されていたと伝えた。内務省によると、うちアルジェリア人は3人で、爆発物の専門家も複数いたという。北・西アフリカ地域で活動を活発化させている「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」の関連組織とされる。軍は重火器など大量の武器を押収した。



http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/287.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 野口悠紀雄教授に論破された「ガルダス」浜田教授 (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
04. 2013年1月20日 21:43:05 : YxpFguEt7k
はたともこ氏
「日銀総裁に竹中平蔵説登場。本気か。
 「2%インフレ実現まで無制限金融緩和」と内閣官房参与。国民の所得向上が最優先!株主配当が優先され、トリクルダウンの嘘は証明済。
 竹中日銀総裁では国民生活破壊と世界へのバブル輸出となる。日本は新自由主義ではない。
 参議院において断固否決すべき人事案だ。」
https://twitter.com/hatatomoko/status/292909978384207873

否決してください。絶対通さないでください!

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
76. 2013年1月20日 21:44:56 : QmyrjoZuIs
自分の気に入らない人間はすぐに在日。
日本人も落ちたものだ。

こんなのが居るじゃ、やはり四等国から抜け出せないな。

コメント [政治・選挙・NHK142] 売国奴鳩山氏 ( 深谷隆司 )  笑坊
26. 2013年1月20日 21:47:15 : mKNWMTNf9g
19さん18です
日中関係とは違い、台湾とは昨年の11月に尖閣海域の漁業権問題で日台協議をしています。
協議内容は相手側の許可を得ずに漁船が操業できる共同水域を設けることだそうです。
この協議は3年ぶりで、昨年11月に行ったと言うのがポイントだと思っています。

御免なさい。バトルするつもりの書き込みではないことをご承知ください。

コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
10. 2013年1月20日 21:47:45 : h4ZTivNH3A
阿修羅の小沢支持者みたいなのばかりだと、回復は無理だろうね。

第三極つぶし合い 日本未来の党現有5分の1の可能性 〈獲得議席は最大でも20〉 (スポニチ) 
http://www.asyura2.com/12/senkyo140/msg/366.html
投稿者 笑坊 日時 2012 年 12 月 04 日 09:56:14: EaaOcpw/cGfrA

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
77. 2013年1月20日 21:47:59 : z7QcF2XmTg
そもそも領土の意味も尖閣が何なのかも大して知らんで
新聞で洗脳された知識でもって
領土問題や尖閣を語る、国際音痴の日本人多すぎ。
頭上を米軍機が飛び回り「お友達」面してそこらへんでのさばってんのにさ。
バカばっかりなこんな国はほっときゃ勝手に自滅するよ


コメント [政治・選挙・NHK142] 猪瀬直樹・東京都知事という「本物のニセモノがやってきた」 (生き生き箕面通信)  赤かぶ
08. 2013年1月20日 21:49:17 : QmyrjoZuIs
本物の偽物に430まん票?
あり得ない。
あるとすれば都民はよほどバカだということ!
7割がバカ?
あり得ない。
コメント [政治・選挙・NHK142] 林農水大臣が「TPPは貸し切りバス」、日本が不参加の表明で米国のTPP構想は破綻 (Shimarnyのブログ)  赤かぶ
15. 2013年1月20日 21:50:31 : cCz4ye6Qk7
自民党はTPP反対の小沢氏のパクリでないか。参院選までだと思うが・・
参院選終われば経団連とアメリカの言いなりになるよ。
反対でゴネて農村から票を選挙後は財界から金を貰って賛成へ。そんなところだ。
コメント [地域13] 大阪・ツタンカーメン展は詐欺。黄金のマスクの展示はありません。大混雑ナのは黄金のマスク捜しまわる人でいっぱいだから てんさい(い)
23. 2013年1月20日 21:50:57 : 1laTubqZew

今日が最終日か、上野の森美術館は焼き打ちにあうかもしれんな。


コメント [政治・選挙・NHK142] この狂気じみた暴論ー体育コースの入試中止宣言。(日々雑感)  赤かぶ
13. 2013年1月20日 21:53:11 : jXaTmXcG3s
 橋下は先の選挙中は市長の仕事を放り出して、アチコチ飛び歩いていた。今度の事件をキッカケに、「入試を中止しろ」とのパフォーマンスをすれば、留守にしていた間の存在感の希薄さが消え人気が戻ると考えたが、所詮、程度の低い思い付きに過ぎない。
その結果、責任を取らされるのは被害者の子供達になる。
こんな事も判らない詐欺師橋下を選んだ大阪府民の愚かさは、全国に知られた。
コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
3753. 烈 2013年1月20日 21:53:56 : 8XDoF0CE86B6w : hFO8UDxNNY
よかったー
多摩通信さんに合いの手入れてくれる人出てきてくれはった、ありがとう。
信州さんは長期休暇やし,烈では物足りんし、よろしくお願いしますょ。
”カッコ付きの多摩通信” 入力長いですね〜    東通に対抗?して ”タマ通” ネコみたいでだめか?

(ペンネーム入力したら、次からは1文字目入れたら後は自動で入りますけど・・誰も入れてませんね〜)

コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
11. 2013年1月20日 21:54:18 : Ql4JUZpkn6
>橋下は、、実に上手いし、したたかで発言力もある。
高校生の自殺をハシシタはネタにして、開き直り口だけだろう。
生活の党も、下品で人の不幸につけこめ、といいたいのかな。
そうなれば、類は友を呼ぶ、だけだ。
コメント [政治・選挙・NHK140] 衆院選埼玉5区から出馬!闘う相手は枝野幸男。。。 〜 日本未来の党公認・藤島利久 (街カフェTV ) メジナ
96. 2013年1月20日 21:54:39 : h4ZTivNH3A
21のコメント見る限り、ここの藤島応援コメントは藤島の自演が多数で
特に21は混乱して他人キャラ作りに失敗したように思える。

選挙前なんだから、本人しか街頭演説の場所知らんでしょ。

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
78. 2013年1月20日 21:55:30 : z7QcF2XmTg
ナショナリストを自称する皆様は日本国内から
米軍に出て行ってもらい米国属国からの自立・独立の道を進むことに
真剣に取り組んでもらいたい
それが出来ないうちにやれ中国だやれ韓国だ?
足元見られてんだっつうの!
ガキ扱いされて当然なんだよね

コメント [原発・フッ素29] 東京の汚染度 (のんきに介護) 運否天賦
20. 2013年1月20日 21:56:28 : 2sYTZ5DPGg
<19
九州は汚染の桁が違います。そりゃ汚染されたでしょうよ。でもレベルが違う。
放射能防御プロジェクトの土壌測定の結果をみるとわかります。九州では値が変わっていません。関東から北は、桁が違います。

日本全国どこでも汚染されてるから、国内なら逃げても無駄だという論理に逃げては残念です。海外に移ることのできる人はわずかなので、こう言えば誰も動きません。
でも汚染分布は明らかに、国内で場所により違いがあります。

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢氏 参院での自公過半数阻止に全力 (NHK)  赤かぶ
09. 2013年1月20日 21:57:09 : lRYfivAqeo
あんたも大変だ〜〜ね!!!人の棺桶入る心配してさ〜〜ぁ。

自分が入らない様にね。

コメント [政治・選挙・NHK142] 焦燥感の表れか!集団訴訟への妨害工作疑惑 (先住民族末裔の反乱) 運否天賦
23. 2013年1月20日 21:57:30 : YBIffTvCd2
>>19
>>20

これだけ確定的な状況証拠がそろったのだから
生活の党は安心して不正選挙の実態解明&再選挙を要求出来るだろう。

森ゆうこ・小沢一郎さあ、出番だ!

コメント [政治・選挙・NHK142] 今度の選挙は無効です。ここまで全国で不正が行われていたとは知らなかった 愛国日本
67. AuctionVote 2013年1月20日 21:59:19 : rbG/VFKgpOpPM : E7MiuhXF7C
65さん
温家宝失脚、江沢民引退など、NWOが負けた可能性が高いのならいいですね。
Saarsのような騒動も中国人の工作員が沈めてくれたのですか。
日本人も頑張らないとですね。

コメント [カルト10] 不正当選の福島知事が重体で家族は海外、タクシーのトランクから開票所に運ぶ作業をムサシが担当ではすり替え放題である。 ポスト米英時代
48. 2013年1月20日 21:59:18 : kde0hTvAfw
>>47.
何も「不正選挙」のことは、君のような馬鹿工作員が妄想を書き連ねなくとも、
維新の小選挙区の異常な比例得票数や自公の比例得票数の前回との差分を見れば
操作性が明らか。君は数値のバランスや傾向というものを時系列的に読むのが
出来ない欠陥人間と思うが、君程度のオツムでも少し結果を見れば分かるのだ。
それが出来なければ、やっぱり君はチーム世耕の工作員だネ。
コメント [政治・選挙・NHK142] 竹中平蔵氏の米国への巨大利益供与疑惑とは何か (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
33. 2013年1月20日 22:02:27 : JAkyjGyLnM
ついでに
http://ameblo.jp/eiichiro44/entry-11451594360.html
コメント [政治・選挙・NHK142] 売国奴鳩山氏 ( 深谷隆司 )  笑坊
27. 2013年1月20日 22:02:51 : cCz4ye6Qk7
深谷、ネトウヨなみの頭で出てくるんではない。引っ込んでいろ!
コメント [Ψ空耳の丘Ψ61] 天皇は朝鮮人!?それでもいいけど古代朝鮮は倭人が建国したんだよね。 会員番号4153番
24. 2013年1月20日 22:02:59 : ZXaCg6UOQc
ここは、在日サイトだから、頻繁に削除されるw
朝鮮半島へ移動すると良いと思うよw

肝心なのは、在日朝鮮人が改心して、朝鮮半島を助けないと、危ない。
次のいけにえ戦争のターゲットは、中国。

さて、何処に逃げる? 嫌われている日本?

コメント [政治・選挙・NHK142] 野口悠紀雄教授に論破された「ガルダス」浜田教授 (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
05. 2013年1月20日 22:03:06 : 3fil4HFn8M
野口悠紀はアメリカの金融工学万歳人間で日本の製造業を見下してバカにしている人間だ。しかし、今度はアメリカの金融をバカにし始めたか?
野口悠紀は全く信用できない。

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢氏 参院での自公過半数阻止に全力 (NHK)  赤かぶ
10. 米犬 2013年1月20日 22:03:49 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
>>生活の党の復活<<

在日の支援から手を切って、徹底的に中国・韓国に毅然とした態度が取れるようになったら、少しは人気が出る

ただ・・選挙協力などというどうでもいいことは国民は全く気に留めない。ましてや社民・共産などと選挙協力して良い結果が出るわけない

一つの方法・・日本からパチンコをなく。これで数兆円が半島に流れずに済む。これができたら一気に国師となるだろう。ただ・・森もパチンコ漬けできるかな

記事 [環境・エネルギー・天文板4] The helical model - our solar system is a vortex
件名:The helical model - our solar system is a vortex
引用:http://www.youtube.com/watch?v=0jHsq36_NTU
--------------------------------------------------------------------------------------------


helical→螺旋
vortex→渦巻
--------------------------------------------------------------------------------------------
//Memo
*フィボナッチ数列
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%81%E6%95%B0
*黄金比
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E6%AF%94


//Hitokoto
太陽系も視点を変えればこんな風に螺旋を描いて見えるのですね。
私はとても不思議な気持になりました。
どうですか?みなさんも不思議な気持になりませんでしたか?


ところで、この動画の中に植物の螺旋構造が映されていますが、
これはフィボナッチ数のことを暗示しているのでしょう。
やはり宇宙にもフィボナッチ数が顔をのぞかせるのでしょうか?


自然界の現象は、あるいは、私たちはフィボナッチ数に支配されている。
あるいは支配されているのではなくて、フィボナッチ数そのものである。


いいかえれば、私たちは螺旋であると…


思えばDNAも螺旋構造をしていますね。
思い切ってここでもう一度、おおいなる飛躍をすれば、
私たちの体は宇宙に似せて作られているのではないか?


私たちの母なる大地、地球。
そしてその、地球の母体は広大無辺の宇宙です。


その無辺の宇宙の中で、螺旋を描く地球は美しい、本当に美しい。


地球が育んだもの、地球に育まれたもの…


私は最近、母がとても大きく見えるのです。
老いた母がとても大きく見える。


私たちは、いわば父なる父、母なる母の螺旋の果てに誕生したのでしょう。
螺旋の果ての行く末は、私たちの命運そのものです。


でも今、その小さな愛おしいくらいの螺旋が傷ついていく惨状です。


小さな螺旋、大きな螺旋
螺旋の果ての行く末は、私たちの命運そのものなのです。


"何が新しく生まれた美しさで、何が失われた大切なものか、
それをいつも考えなさい" ―柳田國男


私は最近、賢人のこの言葉に、いつになく胸がつまります。

http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/858.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
12. 2013年1月20日 22:04:14 : 9iblqpuEsc
小沢さんは、党の代表になり全国行脚をやってほしい。
そうする以外、生活党の復活はない。
コメント [お知らせ・管理20] 2013年01月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。 管理人さん
52. 2013年1月20日 22:05:08 : Kse53zYp5s
@板違い(近代史板でなくカルト板か文化板に投稿すべき内容)
Aしかも同報メールのデータによれば、この投稿だけで500キロバイトを超えると
 いう途方もない長文です。板違いでこういうものを阿修羅に貼るということ自体が
 荒らしになると思います。
Bさらにこの途方もなく長文の板違い投稿は、全文が、中村元氏の著作物の
 コピペであり、これ自体が深刻な著作権侵害、法律違反です。

以上のように、以下はきわめて悪質であり、掲示板荒らし以外の何ものでもありません。
どうしてもネットで掲示したいのなら、自分自身のブログで掲示するか、パクリ先の
URLを示すだけで十分でしょう。

       ↓
------------------------------------------------------------
スッタニパータ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/736.html
reki 736 2013/1/20 20:59:19
投稿者: 富山誠
------------------------------------------------------------

コメント [政治・選挙・NHK142] 民主党 もうダメだ〜新代表は提訴寸前、元代表たちは内輪モメ (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
15. 2013年1月20日 22:05:21 : UU0cPuU7fY
民主党は速く消えて無くなれ。国民は希望する。
無責任馬鹿菅は他人の功績を自分がやったとヌカシ。自分の失敗は他人の所為にする。そればかりの菅。仙獄も同じ、否それ以上。消えて欲しい民主党。
  そしたら日本は良くなる。
コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢氏 参院での自公過半数阻止に全力 (NHK)  赤かぶ
11. 2013年1月20日 22:07:17 : 9iblqpuEsc
02さんに賛成
小沢さんの全国行脚以外に復活の道はない。
コメント [原発・フッ素29] 東京の汚染度 (のんきに介護) 運否天賦
21. 2013年1月20日 22:07:56 : mKNWMTNf9g
19さん
広島在住で長崎にお知り合いがいるとのことですから、原爆の被爆者と縁のある方と勝手に思っています。
広島、長崎では、きのこ雲効果が放射性物質を上空に拡散させ、大地に降下した核種が思ったより多くなく、早い復興ができたと聞いたことがあります。

但し、広島はウラン、長崎はプルトニウムですから、当然にα種の放射性物質が残ったと推測します。

多くの人(私もです)が日本を脱出することは不可能だと思いますので、広島、長崎の克服体験があればお聞きしたいです。


コメント [原発・フッ素29] 弘兼憲史、茂木健一郎、勝間和代… 原発PR協力の文化人へ風当たり強まる(J−castニュース) こーるてん
33. 2013年1月20日 22:08:47 : 7Noqiz934Q
>>31

> 欲まみれの二人である。

その通りで、私利私欲が何よりも優先する人は、原発に賛成なんだ。
彼らは、自分が生きている間さえ問題なければ、後はどうなったって知らないという発想から抜け出せない。
文化人として著名になるには競争を勝ち抜いてこないといけないから、自分が今、生き残ることに有利な選択を半ば本能的にしてしまうような人ばかりになる。
自立しているが共生に対する感覚がマヒしているような人になる。
そういう著名人たちを礼賛してきたこの国の人々にも問題はあったのである。

コメント [政治・選挙・NHK142] またひとつ砂川事件の真実が明るみになった <「法の支配」を政治的に曲げたという動かぬ証拠> 天木直人  赤かぶ
12. 2013年1月20日 22:08:56 : i2eP5GOIsg
あしゅら
  「最高裁の罠」や「戦後史の正体」の新証拠が続出ですね。
  最高裁の事務総局の裁判員の参加率の算出方法のごまかしと言い
  この記事と言い、真実はいつかは表に出る。
  東京新聞も上記の記事を両方とも掲載していました。

  少しはホッとしました。

コメント [カルト10] 633万人の7割の430万人が猪瀬に投票したら猪様フィーバーが起きている筈だが私の周囲に投票した者は皆無である。 ポスト米英時代
43. 2013年1月20日 22:09:12 : Dlc3VS08qQ
事前投票に行きましたが、投票券もって行けば、誰でも投票で来ます!しかも立会人がインチキ、不正選挙を知ってるのか、まったくやる気が無く、薄笑いさえ浮かべていました、目も死んでいました!あんたら事前投票なんかしても、マトモにカウントされないよと、立会人の心の中で言っているのが読めました!
コメント [スポーツ1] ジーコ監督「日本がグループ1位になるのは間違いない」 (スポーツナビ) BRIAN ENO
14. 2013年1月20日 22:09:51 : MLDKSKvvpQ
中田、中山さんら参加 松田さん追悼試合

共同通信

2013年1月20日 18:52

 一昨年8月に心筋梗塞のため34歳で亡くなったサッカー元日本代表DF松田直樹さんの追悼試合が20日、群馬県前橋市の正田☆(將の下に酉)油スタジアム群馬で行われ、同学年で中学時代から親交のあった中田英寿さんや、昨年12月に引退を表明した中山雅史さんら、ワールドカップ(W杯)や五輪にともに出場した豪華な顔ぶれが集結した。
 会場は満員の1万120人で埋まった。入場料収入の一部を使い、自動体外式除細動器(AED)を競技団体やスポーツ施設に寄贈する。松田さんの姉、真紀さんは「一人でも多くの方に、あらためて命の大切さを考える機会になれば」とあいさつした。
 松田さんはJ1横浜Mや当時日本フットボールリーグの松本山雅に所属した。昨年1月に横浜で開催された追悼試合にも参加した中田さんは「また来年、再来年と続けて彼の名前が残っていくことは友達として一番うれしい」と話した。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/headlines/article/20130120-00000037-kyodo_sp

松田直樹さんの追悼試合が群馬で開催…“ゴン・ゴール”決めた中山がMVP

2013.01.20 16:59

 2011年8月に急性心筋梗塞により急逝した元日本代表DF松田直樹さんの追悼メモリアルゲーム「松田直樹メモリアル新春ドリームマッチ群馬2013」が20日、松田さんの故郷である群馬県の正田醤油スタジアム群馬で行われた。

 1万人以上の観客が詰めかけた試合は「Naoki Friends」対「群馬県出身Jリーガー」に分かれて行われ、「Naoki Friends」は中田英寿氏や名波浩氏、久保竜彦氏ら日本代表などでともにプレーした選手たちが出場。監督はタレントのパンツェッタ・ジローラモさんが務めた。「群馬県出身Jリーガー」には小島伸幸氏や青木剛(鹿島)らが名を連ねた。

 試合は中田氏らが現役さながらのプレーを披露。昨シーズン限りで現役を引退した中山雅史氏も途中出場し、“ゴン・ゴール”で会場を盛り上げた。試合は4−4の引き分けに終わっている。

 会場に訪れた観客の投票によって決まるMVPに選ばれ、引退セレモニーを行った中山氏は、「今日のメモリアルマッチを見て、松田が笑顔でいてくれることを願います」と話している。

■「Naoki Friends」メンバー
都築龍太、、鏑木豪、秋葉忠宏、氏家英行、鈴木健仁、田中誠、中西永輔、波戸康広、林健太郎、山田卓也、遠藤彰弘、財前宣之、中田英寿、名波浩、平野孝、福西崇史、前園真聖、三浦淳寛、久保竜彦、城彰二、西澤明訓、中山雅史、松原良香、安永聡太郎、佐藤由紀彦

監督:パンツェッタ・ジローラモ

■「群馬県出身Jリーガー」メンバー
小島伸幸、乾大知、沼田圭悟、上村祐司、鳥居塚伸人、佐田聡太郎、佐藤一樹、服部浩紀、青木拓矢、高田保則、佐藤正美、青木剛、樹森大介、真下佐登史、松本大樹、後藤涼、清水慶記、横山翔平、星野悟、小林竜樹、黄大俊

監督:小島伸幸

■「Naoki Friends」 4−4 「群馬県出身Jリーガー」
得点:[N]=福西(52分)、安永(60分)、佐藤(75分)、中山(90+1分) [群]=樹森(3分)、佐田(34分)、真下(38分)、品川(63分)

http://www.soccer-king.jp/news/japan/japan_other/20130120/90969.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
12. 米犬 2013年1月20日 22:10:29 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
相当ガスがたまってしまって爆発しそうです・・

そうだ 国連軍に助けてもらおう♪

コメント [Ψ空耳の丘Ψ61] 天皇は朝鮮人!?それでもいいけど古代朝鮮は倭人が建国したんだよね。 会員番号4153番
25. 2013年1月20日 22:10:40 : ZXaCg6UOQc
在日ビイキしたいのは、解るが、ここは日本。
コメント [カルト10] 四方八方から早口ナンミョーを主体にした騒音波状攻撃を連日連夜仕掛けてくる、これが奴ら創価の戦法だ 真理を愛する者
07. 2013年1月20日 22:11:47 : TNpAcrQFI6
騒音攻撃もそうだけど、創価の(集団ストーカー)ターゲットにされると、ハローワークとか郵便局でも嫌がらせされるね

求職中に求人相談の順番をわざと抜かされたり、郵便局支局で窓口業務を拒否されて、本局まで行くように強要されたことあるよ

飯田橋ハローワークと足立西加平郵便局だけどね

コメント [カルト10] 633万人の7割の430万人が猪瀬に投票したら猪様フィーバーが起きている筈だが私の周囲に投票した者は皆無である。 ポスト米英時代
44. 2013年1月20日 22:11:54 : Dlc3VS08qQ
事前投票に行きましたが、立会人が人がインチキ、不正選挙を知ってるのか、まったくやる気が無く、薄笑いさえ浮かべていました、目も死んでいました!あんたら事前投票なんかしても、マトモにカウントされないよと、立会人の心の中で言っているのが読めました!
コメント [議論30] Re: 1兆ドルプラチナコインは債務か?? 通貨か?? グッキー
06. 2013年1月20日 22:13:19 : fFWSmWt76M
04様
>市民が分かっていないから、分かっていない政治家しか出てこないのです。
 メディアは,第四の権力の自覚もなく,東京に基地を持つ宗主国に監視さ
 れ,宗主国のちょうちん持ちに憂き身を窶(やつ)す。

 外資による経済支配の構図、小沢一郎疑獄事件の本質、蔓延する貧困と格差
のメカニズム、メディアが虚偽情報を流す背景、官僚による社会資本寡占の実
態など、この国の破滅要因を理解頂けるのではないかと思います。
 これより優れた本はいくらでもありますが、これほど衝撃をもたらす本は今
ところ他にありません。
 超現実に向き合う度量のある方は、ぜひ一度、手にとってお読み下さい。
 読後には、世界が一変して見えるでしょう。

「独りファシズム」(響堂 雪乃 著)のサイトにあります。

コメント [政治・選挙・NHK142] 発起人の情報公開、個人情報漏洩と騒ぎ立てる工作員(先住民族末裔の反乱)  かさっこ地蔵
19. 2013年1月20日 22:14:23 : h4ZTivNH3A
吸血鬼は阿片が苦手じゃないのかなー。種じゃなければ問題ないのかな?
コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
13. JohnMung 2013年1月20日 22:15:14 : SfgJT2I6DyMEc : mroDvzkVpw

 このスレで、「真相の道」が狙っていることは、「小沢が脱原発を謳ったことで左派の一部の人たちが小沢を支持していたようですが、この小沢の政策を見ればぶっ飛ぶこと請け合いです。」にみるように、左派勢力との分断であることは明らかです。

 また、大手マスメディアは、参院選に向けて、総選挙前のまやかしの第3極論を基調にした政党の連携を誘導しようとしているが、自公政権に対して、補完勢力の維新やみんなが議席を伸ばしても、日米既得権益亡者(シロアリ)にとっては大した変わりはない。

 こうした状況を踏まえて、小沢一郎氏と生活の党がまず為すべきことは、脱原発、消費税増税反対、TPP参加反対、地域のことは地域で決められる地域主権の確立はもとより、金融・財政政策の見直しと産業経済再生政策、医療保健制度の再構築、教育・文化、技術・技能等々の政策を明確にすることである。

 そして、政策発表と政策議論を先行させるべきである。その上で、他の政党政派との政策面の異同を明確にして、連携や協働行動の話を進めるべきである。
 そうすれば、自ずと、大多数の国民にとって支持すべき政党政派とそうでない政党政派が区分されるはずである。

 私は、道は拓けると確信している。上記に関する具体的な意見は小沢事務所と生活の党に直接伝えることとする。

コメント [政治・選挙・NHK142] 今度の選挙は無効です。ここまで全国で不正が行われていたとは知らなかった 愛国日本
68. 2013年1月20日 22:15:41 : FAhNLMOo5I
>60 朝鮮人大名大友氏 これは百済王の末裔を自称した大内氏が正しい
投票に行く娘がいる年代の人間が特Aなんてネット用語使うの?と思うのは私だけでないはず
コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
14. JohnMung 2013年1月20日 22:18:10 : SfgJT2I6DyMEc : mroDvzkVpw

 「真相の道」や「米犬」はじめネトウヨどもは、メタンガスが溜まりに溜まっているようだな!

コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
13. 2013年1月20日 22:19:17 : YxpFguEt7k
<未来の党>嘉田知事が共同代表を辞任 阿部氏が単独代表に

笈田直樹、加藤明子氏
「現未来で活動するのは11人にとどまる。11人のうち現職は阿部氏だけで、残りは山田正彦、辻恵両前衆院議員と、飯田哲也前代表代行ら新人候補8人。国会では他党との統一会派を目指す。」
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0120/mai_130120_7178431726.html

他党との統一会派とは、みどりの風とかかな。生活の党や社民党とも組めばいいのに。

記事 [カルト10] 不正選挙で選ばれた議員に首班指名された偽総理がTPP参加表明を見送るそうだが無権代理なのだから当然である。
今日久しぶりに安倍と石破の顔をテレビで見たが与党の総裁と幹事長の人相ではなく葬儀屋の名ばかり店長同士のような
暗い人相だったがそれも当然である。
自分達が本当だったら敗北の責任を取って辞任しなければいけない所を首相と与党幹事長をしているのだから気の小さい
二人が暗くなるのも当然である。
自公の比例票から小選挙区当選者の理論値が嫌でも出てマックス150議席の選挙結果だったのもかかわらず倍の300
議席を不正に得たのだから心中穏やかでない筈である。
当然、TPPも自信を持って参加表明などできる筈がなく妥当な判断である。
二人の顔には政治的な死相が出ており夏の参院選まで持てば十分だろう。
ゲンダイで政権交代良かった33%安倍内閣を歓迎しない44%だかだったと思うが安倍内閣末期程度の支持しかないという
事である。
八百長選挙で一番傷つくのは有権者ではなく当事者だという事である。
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/607.html
コメント [アジア14] 「安倍首相の戦略的な東南アジア訪問」(RFIなどの記事) 無段活用
01. 2013年1月20日 22:20:50 : FZ9zA2FrvY
タイの首相 華僑の末裔 経済界は中国人が牛耳る。
インドネシア
インド ともに近日中に中国と海軍共同訓練。

ベトナム 中国メディア・環球網は18日、駐中ベトナム大使が同日、安倍晋三首相のベトナム訪問で「日本とベトナムが共同で中国を包囲する」との見方が出たことに対して「荒唐無稽だ」と否定したことを報じた。

  記事は、ベトナムのグエン・ヴァントゥ駐中大使が18日、中越国交樹立63周年の記者会見上で「日本はベトナムにとって重要な経済パートナーである」と語る一方で、日本と共同で中国を包囲するという見方は「荒唐無稽であり、根拠がないものだ」と発言したと伝えた。

  さらに、グエン大使が「我が国は第2次対戦前後の、日本との不愉快な歴史を忘れない。ベトナム国民も忘れないとし、過去も現在も日本や米国と組んで中国に対抗しようとしたことは一度もないと語ったことを紹介した。

コメント [原発・フッ素29] 弘兼憲史、茂木健一郎、勝間和代… 原発PR協力の文化人へ風当たり強まる(J−castニュース) こーるてん
34. 2013年1月20日 22:21:37 : i2eP5GOIsg
あしゅら
  茂木健一郎は選挙で三宅さんの応援に来ていましたが・・・・
  だから 反原発に転換したのかと思っていたのですが
  違った?
コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
79. 2013年1月20日 22:22:29 : 2ivFiY24c2
根はロスチャイルドかロックフェラーかなんだろうが
それでも特権階級が権力とする全役人の膨大なコストと人材は中枢の権力闘争など関係ない一般の有志によるものだ

いい加減にしてもらいたいもんだなー(^0^)

コメント [原発・フッ素29] 脱原発、世界は教訓を学ばないのか taked4700
07. 2013年1月20日 22:22:45 : YxpFguEt7k
共同通信
「関電は原発の安全強化に向けた工事費として、2013〜15年度に年平均約650億円、九電は年平均約430億円の投資を計画と説明。
原発維持に向け巨額の投資を続ける姿勢を示した。」
http://www.47news.jp/feature/kyodo/news05/2013/01/post-7212.html

動かす気満々ですな。学ばないねぇ…
というより空気に逆らえないのでしょうね。日本人は。

コメント [Ψ空耳の丘Ψ61] 天皇は朝鮮人!?それでもいいけど古代朝鮮は倭人が建国したんだよね。 会員番号4153番
26. 2013年1月20日 22:23:28 : ZXaCg6UOQc
>>22
88年から、朝鮮マフィアって、私を精神病扱いするのだけど。
恩を仇で返していると、誰も助けてくれない状態になり、朝鮮民族は孤立する。

まぁ、そう云うシナリオを古くから作っているようだけど。

朝鮮民族が欲しいのは、地震が多発する日本では無く、中国大陸。
そうそうに、日本から撤退し、帰国した方が良い。
今年から、日本は、地震が多発する。 燻りだしと人減らし目的。

福岡のニューエイジが、予告していた、リストラ地震四回は、保留中だったけど、
天主から、発動許可が降りたので、スケジュールを組み立てている。

地殻の準備は、OKらしい。

コメント [原発・フッ素29] スーパーの魚の放射能調査――またもマダラから検出 (週刊金曜日)  赤かぶ
11. 2013年1月20日 22:24:50 : RLsnOD8oII

 原子力村の海域に生息している深海魚・マダラメの脳内にも高濃度の放射能が検出されたらしい。
コメント [政治・選挙・NHK142] 「出た!橋下徹の決まり文句:想田和弘氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
28. 2013年1月20日 22:26:58 : vWIw6Z2pbg
大阪市民の皆さんにお願いしたい

橋本徹をリコール運動で市長の座から引きずり降ろして下さい。

参議院に出てくるつもりで、石原慎太郎との共同代表を言い出したけど

もう勘弁してもらいたい。

そのまんま東も橋下もみんな自己顕示欲だけのような気がする。

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
80. 2013年1月20日 22:27:54 : jQGF64Jy8Q
マリのテロも値を調べると分かりやすい
あの国はマルクが流通する元フランス領だ
中央銀行も恐らく、、、
どっちがテロリストなのか、私にはもはやわからない
コメント [議論30] Re: 1兆ドルプラチナコインは債務か?? 通貨か?? グッキー
07. グッキー 2013年1月20日 22:28:05 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
どうしてこんな酷い時代に成ってしまったのだろう??
中学生並みの知能で記事を書き、それを有り難がって転載する人が居る。
ちょっと経済板を見たら酷いもんだ、とてもこんな妄想の海に入って行く
元気は無い。

http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/107.html
森永卓郎が馬鹿なことを言っている
「期待インフレ率が上がれば、実質金利が下落して、企業の投資判断が変わる。もちろん少しタイムラグはあるものの、金融緩和は確実に設備投資を増やすのだ」

期待インフレで上がるのは、株、土地、原油、資源、穀物だ。
このうち株、土地は懲りているのでそれほど上がらない。
主に原油、資源、穀物のコモディティーインフレだ。
ガソリンが上がって給料が上がらないというスタグフレーション。
購買力が落ちるから設備投資など起きるわけが無い。

共産党もケインズ派経済学者とやらも酷いことを言っている。
財政規律なんて事を言っていれば経済が回復する分けが無いことは
このスレで書いた。
派遣労働の廃止なんて現在の市場では無理だ。
廃止が出来るような環境を整えなければ派遣労働の廃止は出来ない。
つまり労働需給をタイトにすることが条件だ。
市場に合わなくても法律で決めれば出来ると考える阿呆だ。
よくこんな現実に合わないことを考えるよ。

コメント [戦争b10] 日中開戦 習近平新政権にとって、後退するという選択肢はない  近藤 大介 (現代ビジネス)  赤かぶ
18. 2013年1月20日 22:28:43 : LX6MJfJZCA
今回の騒動が起こる遥か前から、中国では【 日本を全滅させること 】 が研究テーマになっていた。
________________________________
「日本を全滅 (本気である)」
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=P4Inhj986AE&NR=1
趙・国防学院教授
「領土問題は歴史的にみて強権の世界、弱肉強食の世界だ。
歴史学者は色々根拠を探して固有領土を証明するが、我々軍人からすればそんなことがどうでもいい事で、
『領土とは力で奪うものだ』
中国は瞬間にして、日本を全滅させることはもはや空談ではない」
________________________________
こういう思想で、沖縄を侵略して第二のチベットにする計画も着々と進めている。
=======================================
 ”香港で、2011年9月19日に、中華民族琉球特別自治区委員会(会長:趙東 氏)が設立”
=======================================
________________________________

中国では、1768年に尖閣諸島周辺で海底資源が発見されてから、これを奪うべく、
1970年:人民日報と特別提携関係を結んだ朝日新聞誌上に、本多勝一「中国の旅」を連載させ、「南京大虐殺」を日本に逆輸入させる。
朝日新聞を通じて、世界中に広めさせる。
________________________________

戦後は毎年、歴代首相は靖国神社に参拝していた。1985年迄、靖国神社の首相による参拝を問題視する外国は存在しなかった。
1977年におけるA級戦犯の合祀も旧連合国(戦勝国)は容認しており、数多くの外国人の要人も参拝している。
ところが1985年8月7日、朝日新聞が突然「特集・靖国問題 アジア諸国の目」と題する特集記事を組んだ。その中で
「中国は靖国問題について日本の動きを注視している」
と報道した。しかし当時の中国内に、そのような報道がなされた形跡は無い。

では、なぜ朝日新聞は、中国内ですら報道されていないような特殊な情報を入手する事が出来たのか?
それは朝日新聞が、1970年より中国人民日報と特別提携関係を結んだ、中国人民日報の日本国内窓口であったからだ。
朝日新聞は、中国人民日報の日本国内報道窓口として、中国宣伝部が企画した反日キャンペーンを報道したのだ。

そして、朝日新聞の報道に呼応する形で8月11日、中国の人民日報が
「日本国内に首相の靖国参拝に批判的な動きがある」
と報じ、日本の首相の靖国参拝を批判する動きが、まるで日本国内から発生したかのように、世界中に報道した。

この二つの報道に対する、日本および世界の反応を観察した上で、中国は、8月14日
「中曽根首相の靖国参拝は、アジアの隣人の感情を傷つける」
と公式に批判した。

「日本首相の靖国参拝」に対する批判とは、「南京大虐殺」工作と共に、中国共産党が巧妙に仕組んだ情報工作であり、
2010年の尖閣諸島・沖縄侵略作戦に向けて、予め、日本の防衛能力を削いでおく事が目的だった。

1985年当時、中国共産党は、日本社会党の田邉誠の強い勧めにより「南京大虐殺博物館」の建設に乗り出した。
そこで中国は、
・「南京大虐殺」
・「日本首相の靖国参拝」
の二つを車の両輪にし、日本の政治家達に、日本の戦争犯罪への反省を求めるプロパガンダ活動を開始し、その内容を全世界に広め、
日本の国防費を拡大させない作戦を展開して来たのだ。
25年後の2010年に始動する日本列島侵略戦争という中国の一大国家プロジェクトに向けて、
日本の国防能力を予め削いでおくという、一大プロパガンダ作戦を展開していたのだ。
________________________________

日本の外務官僚に対して、中国大使が恐れた事は一度も無い。
2〜3年で人事異動していく日本の外務官僚は、言われた事だけをそつ無くこなして出世する事が、名門出身者の義務だと考えている。
だから中国側が何をやっても事なかれ主義に徹し、口先だけの抗議をして、その場を切り抜けようと考える。
南京事変(1928)の時は、日本警備兵に抵抗禁止の通知を出して、日本人を見殺しにした。
中村大尉事件の時も、中国政府に対する日本外務官僚の弱腰対応が、後の支那事変の拡大へとつながって行った。
支那事変は八割方、日本の外務省が、中国に「配慮」する事によって発生した。
今回も、東京都による尖閣購入を阻止する為に、中国側に外務省が「配慮」して国有化を行った事が、却って事態を深刻化させた。
中国に対しては、断固たる対応をとらないといけない。でないと、また戦争になる。
==========================================================
■支那人を相手に交渉するには強大な武力(軍事力)を背景にするしかない
==========================================================
1854年、在中米高等弁務官ハンフリー・マーシャル氏は、
「中国政府は武力及びそれを行使しようという意志の存在する場合に限ってのみ、正義を認める」
と発言した。
そして彼の後任ロバート・M・マクリーン氏も、
「中国との外交交渉は、カノン砲を突きつけたときのみ行うことが出来る」
と述べた。
1932年、中国に15年住んだ米人作家ロドニー・ギルバート氏は次のように述べた。
「中国人は自分がトップに立って誰か他の者を押さえつけているか、
または自分より強い者の前で屈辱を受け恐れおののいているか、のどちらかでなければ満足できない。
対等の基盤に立って誰かと公平に公正に付き合うことに中国人は決して満足できないのだ」

『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著(1938年)

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
81. 2013年1月20日 22:28:59 : hiyi3uLA8E
ただ、小野寺議員は例の小沢さんの裁判で、指定弁護士側が控訴した際に
「理解に苦しむ、控訴すべきではなかった」と発言した人なので、良識は
ある方ではと思っています。

コメント [政治・選挙・NHK142] 不正選挙を経て無事小沢抜きの野党連合が始まった! (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
19. 2013年1月20日 22:29:01 : 5RwEdcX39Q
ムサシにたのべば 不正選挙は簡単にできる

ボタンを押すだけで鉛筆の字が消え 無効票になったり別の投票箱と交換したり

手はいくらでもあるそうだ

選挙公示一週間前に TBSがムサシに確認したところ 半年前から準備万端

整っていると返事が返っていた それだけ 不正選挙の準備 練習をしていた

わけだ  だから 安部ちゃん 野田ぶーは結果がわかっていたから余裕の

選挙選をやっていたのさ

コメント [経世済民77] 許されざる偽善――ブラック企業賞に輝く「ワタミ」 (生き生き箕面通信)  赤かぶ
58. 2013年1月20日 22:29:41 : Byl8SI6sD2
 いまどき褥創で敗血症っていつの時代の施設だ。医師が怒るのも当然だろう。看護体制、スキルが不十分だ。あるいは看護はパートかアルバイトが多いのだろうか。だとすると入居者の状況を把握できなくなる。

 浴室での事故は予測しえた。なぜなら、個浴が5つ、機械浴が1つすべて仕切られたている。
 しかもここは指定特定施設といって要介護1以上の人がほとんどのはずだ。だとすれば見守りが必要だから仕切られていると見えない。入浴時に何人介助者がついていたかはわからないが、まずマンツーマンでやることは、この会社の人員体制や求人状況からみるとまずない。忙しくて目を離したというから掛け持ちはまちがない。
 つまり人手不足でこんな構造の施設の入浴介助を行うと、とんでもなくリスクが高くなってしまうのはあらかじめ現場を知る人間はわかる。

 職員の休憩室がみあたらない。退職金がない。

 職員のことを考えている施設とは思えないが、案の定施設は入居者の幸せのためだけというのがもモットーだということだ。
 

コメント [雑談専用40] アフリカ 受難の大陸 あやみ
01. あやみ 2013年1月20日 22:29:47 : oZZpvrAh64sJM : iJXyzck3uE
投稿者です。
リンク元の記載を忘れてました、すいません。

つれづればな http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-108.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
82. 2013年1月20日 22:30:54 : ruh0fVo3UU

「争いがあると認めること」は

「日本国の領土であることに疑いがある」と認めることではない。


「日本国の領土であると主張すること」と

「争いがあることを認めること」とは矛盾しない。


争いなどあってもなくてもどうでもいい。

領有権のあるなしが問題だ。

「争いがない」と最初に言い出した人間がバカ。


それだけのことだ。



コメント [戦争b10] アルジェリア政府はなぜ急速に軍事行動に踏み切ったか (1)・(2)  六辻 彰二 | 国際政治学者 福助
04. 無段活用 2013年1月20日 22:33:43 : 2iUYbJALJ4TtU : 6MIcfD8YQs
(ロシアの声)
http://japanese.ruvr.ru/2013_01_20/arujeria-nihonjin-hitojichi-satsugai/

アルジェリア、邦人人質9名が殺害

20.01.2013, 16:55

消息が不明となっていた日本人人質のうち9名は死亡していた。9日とはアルジェリアのガス施設で16−19日の間に殺害されていた。アラブ系のマスメディアは解放された人質からの目撃情報を引用して伝えた。

日本は唯一、人質解放のための軍事作戦を支持せず、政府は人質の人命に脅威となるとして作戦の停止を要請していた。

リアノーボスチ通信

コメント [政治・選挙・NHK142] 発起人の情報公開、個人情報漏洩と騒ぎ立てる工作員(先住民族末裔の反乱)  かさっこ地蔵
20. xyzxyz 2013年1月20日 22:34:22 : hVWJEmY6Wpyl6 : hMsRcRvT0w
>>16
そうか?それならむやみやたらなレッテル貼りやソースや理由もない罵倒の類もそう思わないか?
それらを絡めたら、自分だけ名指しされる言われはないと思うけどなあ。

そもそも自分は、不正不正とネットで騒いで文句言うだけの連中よりは
よほど実際に動いた人のがマシだから褒め称えるのは当たり前だと思うがなあ。

で、君は不正選挙に対してはどう思ってるの?
その立場如何によっては、こういった問いかけや返答もまた変わってくるだろうし。

コメント [政治・選挙・NHK142] 「出た!橋下徹の決まり文句:想田和弘氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
29. 暖かい闇 2013年1月20日 22:35:08 : EnF8e2VGW7OHg : iWO0CQ2u2c
多分この前の選挙は、不正選挙だ。私の周りに橋下の維新なんかに投票した奴は一人もいないぞ。反対に、今回は日本未来の党に入れたよというやつは3人もいたんだよ。私の友人、右から左まであわせて10人の中でだよ。3割は、未来に行ってなくてはおかしいよ。いつも日本共産党にいれている俺でさえ、今回比例は未来と書いた。
 本当にあの橋下に、人気があるとは思えない。あいつは、サラチョンの顧問弁護士やっていたんだよね。あの「目ん玉売れ、腎臓売れ」の何とかていうとこだろう。ま、あいつ自体が、そもそも在日ヤクザの息子だから、日本人の貧乏人が苦しめば苦しむほどうれしいんだろよ。
日本人が、そんなやつを支持するなんて、俺にはとても信じられね―だよ。
コメント [政治・選挙・NHK142] 竹中平蔵氏の米国への巨大利益供与疑惑とは何か (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
34. 2013年1月20日 22:36:11 : jQGF64Jy8Q
郵政民営化は正しい
いずれにせよあんな巨大な金貸しがあっては民間が育たない
電電公社に国鉄、国営なのをいいことにみんな放漫経営に走り狙われた国民の物件の数々だ

そのうちいながわ会も換金のだしに民営化が問われる時代も訪れるのだろう

コメント [マスコミ・電通批評13] フジTVは今年も「大逆風」か? 「嫌いな局」投票で断トツ1位に (J-CASTニュース)  赤かぶ
02. 2013年1月20日 22:36:19 : jXaTmXcG3s
 フジテレビ→フシギテレビ=経営陣は在日だな。
薄汚れて破れた日本の国旗をポールに掲げているところを見たが、
日本の国旗なんぞ“雑巾扱いで良い”ということらしい。

コメント [政治・選挙・NHK142] 政府との癒着を厳しく指弾 伊地震学者への有罪判決理由(朝日新聞)/まったく同じことが福島第一原発にも言えるのではないか! gataro
01. 米犬 2013年1月20日 22:36:23 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
その通りだ!
原子力規制委員会の断層でっち上げなどは正にその典型例。民主の中の中国左翼の支持があったとしか思えない。

理由は明白だ 地震学者は今までどの巨大地震の予知もできていない。東海南海地震のことばかりここ20年大騒ぎしてきた。イタリアでの結果を聞いて

「悪く言っておけばOK」の政府のちょうちん持ちに成り下がった。

厳しく指摘するべきだ。地震学者は反省しろ・・というか予知が無理だってはっきり言おう・断層だって実は何もわかっていません・・・

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢氏 参院での自公過半数阻止に全力 (NHK)  赤かぶ
12. 2013年1月20日 22:36:44 : i2eP5GOIsg
asilyura
  小沢氏とも共闘しそうな発言をした海江田氏が、20年も前にテレビ
  で「夢牧場の宣伝をしていて投資をしたが、今は倒産して騙されたと言って
  海江田氏を提訴した」と、朝日や東京などが新聞で大きく掲載している。
  子供ではあるまい。20年前の儲かる話しに乗って、配当金をうけとりながら
  倒産したから元本が返金されないので、海江田氏を提訴するなんて、ありえな  い。自分の判断の責任をもてないなら投資などするな!!
 こんなくだらない記事を掲載すること自体が、海江田氏を党首から引き落とし
 したい奴の魂胆が見えてくる。

  海江田氏と小沢氏が手を握るのを阻止したい奴の陰謀のひとつの様に思う。
  小沢氏とうまくやろうとする議員を、ことごとくネガキャンで落とす。
  小沢氏の孤立を狙ったキャンペーンではないか!

   マスコミ対策抜きには 生活の党の浮上はありえない。

コメント [政治・選挙・NHK142] 不正選挙を経て無事小沢抜きの野党連合が始まった! (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
20. 2013年1月20日 22:36:49 : LGQf41XY7U
【不自然】自然に反した状態、あるいは自然に反した行動であるため、好ましく思えないものを指す。>18 HvLjNT4aBc
コメント [原発・フッ素29] 反原発トーンダウン? エネルギー政策見直し、NHK調査で43%が「賛成」 (J-CASTニュース)  赤かぶ
12. 2013年1月20日 22:36:58 : SaFHkCO6cg
ウソの報道ばかりやっていて、その情報しか与えられていない人に世論調査、それも誘導するような質問で世論調査などやることが無意味。

そんな調査数字ばかりしか報道しない報道機関に存在価値なし。

一刻も早く潰れて頂きたい。

コメント [経世済民79] 国民のみなさん、ここで儲けるしかない 株価はどんどん上がるぞ 安倍バブルでGO!  赤かぶ
02. 2013年1月20日 22:38:46 : t4OE8qwFPM
バッカじゃない?

素人が儲かる時期などほんのわずか


また餌食になるだけ

ここからはプットの買い場探しだろうな

11月末から仕込んだコールはしっかり利益。

相場とは恐怖と楽観の狭間で儲けることを考える

次は3月の下げを目指して

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
83. 2013年1月20日 22:39:01 : p5D4NckUqg
やっぱり在チョンが俺に噛み付いてきやがったかwwwいいぞwいいぞw


脳無しルーピーバカ山は国家反逆罪で死刑になろうw

以下、真実の情報ありだ。


http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm

南京虐殺は初めっから無かった。

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
84. 2013年1月20日 22:39:27 : d9ENDnJWTc
もう、アメリカからの脱却とか、日本がアメリカに支配されているとか言う幻想を吹聴する奴らは、在日勢力なんだと分かって来たよ、俺は最近ね。多分、こいつらは、そうやって日本の軍隊や国力を弱体化させるのが目的なんだろうね?。中国と戦争する為じゃ無い。こいつら、在日勢力を撃滅する為にこそ、この国には軍隊が必要なんだよ。分かったか?。
コメント [政治・選挙・NHK142] 焦燥感の表れか!集団訴訟への妨害工作疑惑 (先住民族末裔の反乱) 運否天賦
24. 2013年1月20日 22:40:17 : 52mDELfTdw
しっかし、投稿されてから>>1さんのコメントが12分か。
ごくろうさまでやんす。
コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
85. 2013年1月20日 22:40:25 : X1hGdyUhks
>>72さん、>>74さん

同感です。
米や体制側に媚びて、悠々自適に暮らしていく生き方も有りながら、あえてリスク覚悟の言動・行動等、小沢さん同様に尊敬に値します。

「戦後史の正体」は娘や周りの方に薦めました。
お陰様で今回の尖閣騒動に関しては、マスコミの煽りに乗ることなく冷めた目で見ています。

コメント [政治・選挙・NHK142] 政府との癒着を厳しく指弾 伊地震学者への有罪判決理由(朝日新聞)/まったく同じことが福島第一原発にも言えるのではないか! gataro
02. 2013年1月20日 22:40:38 : CbD5crET12
日本では島村英紀先生(日本を代表する地球物理学者)は地震予測は困難であるとの考えです。また炭酸ガスの地球温暖化は一つの仮説であるとの見解です。温暖化要因は完全に解明されていないとも言っています。今年の冬は寒いです。原発が動いていないのに不思議です。島村先生の理論が正しいのではないですか。被害者のいない冤罪事件で有罪になつています。日本でも御用学者(政治、経済、地震学、原子力等)は全て有罪です。
コメント [政治・選挙・NHK142] 生活全国区候補は フォロアー競争で当選順位を決めたら大躍進するぞ(自民党的政治のパンツを剥ぐ)  かさっこ地蔵
07. 2013年1月20日 22:41:45 : 5RwEdcX39Q
自公といい 維新といい ろくな政党がいない日本の中で
                                     生活の党は最後の砦だ

でないと 不正だらけの日本は沈没する 天罰をうける

コメント [政治・選挙・NHK142] 林農水大臣が「TPPは貸し切りバス」、日本が不参加の表明で米国のTPP構想は破綻 (Shimarnyのブログ)  赤かぶ
16. 2013年1月20日 22:43:43 : RATpiZ8w7A
まあぶっちゃけ農協に国際競争力は皆無ですわ
ビール飲ませてまでして味付けした牛の高コストなんて受け付ける国なんてほとんどありません

畑耕すのも自由化の国では大型トラクターつかって一瞬で耕します

あんなじじばばの隠居商売に固定してる農業は一瞬で滅びるでしょう

コメント [政治・選挙・NHK142] 猪瀬都知事ツイート 「東京五輪反対なら引きこもってろ!」「それなら誘致費用もやりたい人だけ負担でいいよな!」 ちゃむちゃん
59. 2013年1月20日 22:45:04 : BNPlZvGk4U
東京五輪反対なら引きこもっていろ、とは聞いて呆れるしかございませんよね。
ならば、一層のこと、騙されたふりをして、東京五輪落選運動というのを、世界に向けて、そっと静かにアピールしてあげるしかございませんよね。
それで、猪瀬都知事には、そんなに招致したければ、どうぞご勝手に、ということで突き放してあげれば良いのだし、世界中から幾らでも背を向けられて、東京だけが、見事な惨敗をさせることで、大いに嘆き悲しませて幾らでも堕落させ、恥を忍んで日本に帰ってきた時には、そっと静かに腹の底で嘲笑いながら、見捨ててあげれば良いのだし、2024年以降に、被災地の東北地方での五輪開催を実現させてあげれば良いのだし、あるいは九州でも沖縄でも、北海道でも構わないし、東京はもうニ度と五輪開催なんかしなくても構わないのだし、むしろ地方での五輪開催を幾らでも喜んで応援してあげることで、東京はもう幾らでも喜んで衰退して、没落させてあげることで、地域経済の活性化に繋がるのなら、此れ程喜ばしいことは無いし、大いに結構なことでは無いでしょうか
コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
14. 2013年1月20日 22:45:22 : 7Noqiz934Q
>>12

小沢さんは、もう年なんだから、そんなに無理をさせるのは方法は得策ではない。
小沢さんを代表になってもらうことは大賛成だが、党の宣伝は小沢さんだけに頼らない方法を模索すべきだ。

小沢さんの顔が嫌いと言ってはばからない女性に聞いてみると、小沢さんの演説を聞いたことは一度もないとのことだ。民主党の代表選で菅総理と戦った一連の演説を聞けば、小沢さんの印象もきっと変わると思う。そういった人は自ら小沢さんについて調べるということはしないけれども、何かの機会に小沢さんについて調べたときに、すぐにそういった情報に到達できるような工夫は必要と感じる。

ネットでつくられるコミュニティの規模は10万人程度と言われるので、ネットだけでは足りないのは事実である。しかし、ネットにはリアルタイムのテレビに替わる機能だけではなく、情報の蓄積という機能がある。小沢一郎ウェッブサイトは、情報蓄積の役割はよく果たしていると思う。
ただ、大手マスコミが作り上げる小沢批判に負けないように、カレル・ヴァン・ウォルフレンのような、なるべく客観的に小沢さんを評価する文に簡単にアクセスできるような工夫が必要である。

コメント [政治・選挙・NHK142] 野口悠紀雄教授に論破された「ガルダス」浜田教授 (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
06. 2013年1月20日 22:46:19 : YxpFguEt7k
確かに11月まで下がってきていて、12月頃から上がってきてる気がしますが…気のせいですかね。
http://www.bloomberg.co.jp/apps/cbuilder?T=jp09_&ticker1=CJGB1U10%3AIND

ちなみに「ガルダス」とはこういうものらしいです。
http://www.youtube.com/watch?v=iskCfT_raUQ

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
86. 2013年1月20日 22:46:36 : p5D4NckUqg
未だに「尖閣諸島」は「中国領」だと吠える馬鹿がいるが、1970年代前まではシナは尖閣諸島は「日本領」だと認めていたのだよ。
ええ!海底資源が発見されるまではね。発見されたと同時に糞支那は尖閣諸島は「中国領」だといきなり言いやがるwwwこれ、明らかに海底資源狙いだろうが!!なんとか言いやがれ!糞在チョン糞支那共が!!8000億バレル、ってスゲェ金額に相当すんだ。
泥棒国家に尖閣諸島奪われてたまるか!糞チョン糞支那よw
コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
15. 2013年1月20日 22:47:14 : T0PyWdY9lQ
党名を「生活」から「復活」に変えない限り、復活は無理

コメント [政治・選挙・NHK142] 甘すぎる安倍首相の対応 人質多数死亡の冷厳な現実 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
43. 2013年1月20日 22:47:31 : Jctz3zNsB6
これって単純に、、、 日本へのTPP参加への脅迫でしょ?

アルカイダ=CIAって、ベンジャミン・フルフォードも言ってるじゃん。
つまり、日本へのTPP参加させるために、安倍政権を脅迫した自作自演の工作。
タイミングよく、ビン・ラディン暗殺の映画がアカデミー賞候補となっているのが、
分かり易いのでは。 阿修羅住人は911は自作自演テロというのは常識なので、
阿修羅初心者はその基本から勉強しないと、2ちゃんねるなどの低俗レベルになる。

安倍がTPP参加をぐずっているので、報復として殺害。
海底核爆発による人工地震や、津波攻撃をしてくるアメリカ(マフィア勢力)なので、
CIAの末端組織が10人程度の日本人を殺すのなんてた易い。
イラク戦争前夜もアメリカ人の工作員に、日本の外交官を殺されてたじゃん。

上にトンチンカンなネトウヨが湧いてるが、CIAの自作自演工作は見抜かれてるよ。
こうした裏事実や裏読み、時事問題の解説などはリチャード・コシミズ氏のブログを
読めば、B層の人も頭が良くなるので、こうした武装勢力を操っているアメリカCIAや
その背後の黒幕の勢力は何なのか?を勉強すれば、世界情勢が見えてくると思う。

コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
3754. 2013年1月20日 22:48:41 : ywS7xb1o5Q
烈さん威厳があってコメント好きです。
自分の個性でいきましょう。なが続きするために。
ペンネームと半角英数で送信されません。どうして(タマ)
コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
16. 2013年1月20日 22:49:53 : cWIBtbognM
不正選挙に負けただけ、生活党の復活を待っています
コメント [政治・選挙・NHK142] 野口悠紀雄教授に論破された「ガルダス」浜田教授 (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
07. 2013年1月20日 22:51:19 : sUpHQ8Q75g
> 日本における過去の量的金融緩和局面の現実とは、ベースマネーの供給は増やしたが、マネーサプライの増大は実現しなかったというものである。

その通り
銀行は貸出し能力の半分しか使えてないことが明らかになってる
このことだけを見ても
日銀の追加金融緩和がデフレ脱却に無力つうことは明白
経済を研究してきた者がそれを無視するとしたら素人以下だ

銀行から市中へカネが流れない抵抗体がそこにあるわけで
それが何でどう取り除くべきかが判らなけりゃ
デフレ脱却なぞいつまで経ってもできない


> しかし、浜田氏はこの点に対する反論を示せなかった。

浜田の発言や態度からは熱意も見識もまるで感じ取れなかった
逆に説得力のある論を展開する自信の無さを感じた

結局どっかの誰かに彼の国への資金移動の指南役を命じられただけだろ
日経を一流経済紙と評価して恥じない経済音痴のバカ国民を騙す仕事だ

エール大はスカル&ボーンズつう悪魔崇拝カルトの本拠地でもある
浜田が日本国民の幸福のために残り短い人生を掛けるとは到底考えられん

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
01. 2013年1月20日 22:51:43 : YBIffTvCd2
不正を目撃しながら何故かその場では指摘せず、後にツイッターで呟く開票立会人。
どう考えてもガセネタに決まっている。彼女を信じる方がおかしい。

不正選挙を主張するものが、いかに検証能力に欠けているかを示す良い事例だ。

コメント [カルト10] 不正選挙で選ばれた議員に首班指名された偽総理がTPP参加表明を見送るそうだが無権代理なのだから当然である。 ポスト米英時代
01. 2013年1月20日 22:51:49 : gEgUSMDN2Y
お天道さまが見てる。ですね。悪いことすると良心が痛みます。
コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
87. 2013年1月20日 22:52:13 : p5D4NckUqg
お前等在日共々日本にマジでいられなくしてやるわ。安倍さんはその件で、動いているらしいからなwアメリカとロシアと協力してねw

それから糞在日共w俺に噛み付いたこと後悔させてやんぜwww

アノニマスの仲間入したからよぉwwwwとことん潰していくぜwwww

コメント [国際7] アルジェリア人質事件の不思議 taked4700
23. taked4700 2013年1月20日 22:52:43 : hZSQK5oYmqF3U : i8SLUeL5qw
>>21

>アルジェリアの奴、日本に戦争でも仕掛けてるのか?

アルジェリアの背後にいる連中がいるのです。アメリカ、フランス、イギリスと言った連中ですよ。彼らはどこも高レベル核廃棄物の処分に行き詰っtている。

コメント [経世済民79] 日本企業の移転加速が拍車 崩れる「世界の工場」の地位=中国  赤かぶ
12. 2013年1月20日 22:52:52 : ali840YW4k
孫崎と鳩山という、国賊に頼んで、どうか中国を見捨てないで、と3回まわってワンと言ったら、中国から出ない、かもしれない。補償も保証もない話だがね
コメント [戦争b10] アルジェリア政府はなぜ急速に軍事行動に踏み切ったか (1)・(2)  六辻 彰二 | 国際政治学者 福助
05. 2013年1月20日 22:54:30 : d9ENDnJWTc
やっぱり、日本人を殺害するのが目的だな?、これは。
コメント [政治・選挙・NHK142] 生活の党は復活できるか? (かっちの言い分)  笑坊
17. 2013年1月20日 22:54:43 : Pgj3S71jfM
ソ連もペレストロイカの過程で保守派がクーデターで政権を取り替えそうとしたことがあった。
そのあと、エリツィンが出てきたが、偽者で金融マフィアの手先で、国富を外国勢力に売り渡す売国奴がその正体だった。
今、ロシアはプーチンのもとで金融マフィアを追い出して国家を再建した。
過渡期には、情勢が次々に変化し反動どもが盛り返し自立派が完敗したように見えることがあるが、時が必ず自立派に機会を与えるだろう。
コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
88. 2013年1月20日 22:54:47 : p5D4NckUqg
んじゃw此処の板晒してとことん潰してやるかのうwww

じゃあなwww

コメント [経世済民79] 国民のみなさん、ここで儲けるしかない 株価はどんどん上がるぞ 安倍バブルでGO!  赤かぶ
03. 2013年1月20日 22:56:01 : SaFHkCO6cg
まだ市場原理主義者の受け売りか。

馬鹿丸出し。日米欧とも国民間の経済格差は広まり失業率は高止まり。

人件費は非正規ばかりが増え単なる外注費になった。

製造業も小売り業も建設業も現場で働いている人は派遣にアルバイトばかり。、
それでいいのなら勝手に賛成しておけ。アホめ。

コメント [戦争b10] アルジェリア情報相「救出作戦で人質にも死傷者」、ガス施設襲撃事件[AFP:死傷者数やその構成など詳細は依然錯綜している] 傍観者A
09. 2013年1月20日 22:56:03 : d9ENDnJWTc
なに?、このアルジェリアって国。爆撃加えた方が良いぞ、こいつら。日本に、喧嘩売ってるの?、こいつらって。
コメント [政治・選挙・NHK142] 民主党 もうダメだ〜新代表は提訴寸前、元代表たちは内輪モメ (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
16. 2013年1月20日 22:57:12 : wWTtX2dP9E
日本で牛何頭並べたら1000億単位の金運用できるんだろう
全員騙されたのでは?
コメント [カルト10] 中国が偽キムチ朝日の捏造を指摘、偽ユダヤの狙いは恐慌詐欺と戦争詐欺である、対米債権国の日中露が組めば阻止は簡単である。 ポスト米英時代
03. 2013年1月20日 22:57:13 : rgFvHPEHEc
本当に日本の大手マスゴミは戦後に潰しておくべきだったな。
あいまい主義の戦後でも最大の曖昧さが出たのがジャーナリズムで稚拙さは世界一の金メダル級だ。
我が子も大手マスゴミだけには入ってほしくない。
一族の恥である。
コメント [原発・フッ素29] 脱原発、世界は教訓を学ばないのか taked4700
08. taked4700 2013年1月20日 22:57:52 : 9XFNe/BiX575U : i8SLUeL5qw
>>07

>というより空気に逆らえないのでしょうね。日本人は。

しかし、確実にこのまま行けば数年から遅くても10年もしないうちに次の原発事故で日本は廃国ですよ。

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
02. 2013年1月20日 22:59:36 : Fpf4Bn917Y
崩壊ではなくて、一名除名だろ。
せっかく始めたんだから、残った人間でやり抜いてほしい。

コメント [政治・選挙・NHK142] 史上空前の 大規模不正選挙 −「米官業政電」総がかりである為 不正がそのまゝまかり通るー (今この時&あの日あの時) 純一
121. 2013年1月20日 23:01:08 : nmfDgbllgg
藤島氏を貶めていうものは
ふせいせんきょ側の人間可,工作員

やましいから、でてきてるんだろう

これだけでも、不正があったと
よめるな! がんばれ 藤島

コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
89. 2013年1月20日 23:02:02 : 2PSrHvqhCo

チャイナネット記事:
- 独・仏の経験が中日関係改善の参考になる可能性 -
(中国網日本語版1月16日)
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-01/16/content_27704133.htm

コメント:
【孫崎】【中国網】及び其の他シナの御用学者等は御立派な「屁話」を開陳するよりも、まずは鉱業採掘権の実態を調べたほうが良さげだと思うがね。

実態:
尖閣問題悪化で40年棚ざらし ますます“資源開発権”が化石化する『双日』の憂鬱
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20120928-00000003-jitsuwa

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
15. 2013年1月20日 23:02:51 : RrXl7eMXJM
ヒトラーの場合は、いちおうの目的を書物とかで明らかにしておいて、
馬鹿なドイツ国民に自党に投票させてから政策は目的の政策を実行した。

それを考えると、
小沢氏は真相氏の述べたような政策をすでに明らかにしてあるのだから、
馬鹿な左翼を騙して自党に投票させてから本来の(真相氏がなぜか嫌う)政策を実行するのなら、それでいいのでは?

また馬鹿な左翼にしか見えない末端信者にしても、実は小沢氏から
ヒトラーの伝えるような奥義を伝授されている可能性があるのだから、
非信者はいちがいに信者を馬鹿にすることもできないとは思われる。
(もし信者が奥義の伝授もなしにあんなことをやっているなら、単なる騙され役の
 馬鹿な左翼ということで、どうしようもなく、小沢氏勝利後にSSのように粛清
 されるのを笑って見てやる対象でしかないのだが)

コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
3755. 2013年1月20日 23:05:19 : ywS7xb1o5Q
ペンネーム(タマ通)と半角英数3852入れても失敗します。どうして?
よっぱりネット音痴です。
北国の人は”こぶしの花”が咲くころまでには帰ってくるでしょう。
コメント [政治・選挙・NHK142] 甘すぎる安倍首相の対応 人質多数死亡の冷厳な現実 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
44. 2013年1月20日 23:06:04 : vf0V28mFDM
【アルジェリア人質事件】
仏大統領、制圧作戦「最も妥当」
2013.1.20 20:04

 【ベルリン=宮下日出男】フランスのオランド大統領は19日、アルジェリア軍の制圧作戦について、「最も適切な選択だった」と同国政府の判断を支持する考えを示した。

 オランド氏は「多くの人質をとられた上、冷酷なテロリストが人質殺害も辞さない状況でアルジェリアに交渉の余地はなかった」と述べた。

 3日間にわたったアルジェリア軍の制圧作戦をめぐっては、人質の出身国への事前の連絡がなかったことなどに対し、国際社会から不満や疑問が出ていたが、フランスはマリへの軍事介入でアルジェリアの協力を受けていることもあり、抑制的な反応にとどまっていた。

 オランド氏は制圧作戦について「全容はまだ分からない」としながらも、「(犯行グループとの)交渉は不可能だった」との認識を強調。マリ介入については「周辺地域のテロを払拭するのに必要な期間、続ける」との考えを改めて示した。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130120/erp13012015590005-n1.htm

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
03. 米犬 2013年1月20日 23:06:11 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
>「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊

おかしい・・ここには不正選挙が確実だと思っている人が大多数らしいから崩壊するはずはないだろう・・

そう言えば日高見さんも「不正選挙と理解している」とか言ってた。相談してみな♪

それに「日本の大多数の人がそう思ってる」ってみんな言ってるから大丈夫じゃない??????

コメント [政治・選挙・NHK142] <平成の不平等条約>参院選対策?安倍首相は、訪米で、TPP参加見送りを表明できるのか? 会員番号4153番
08. 2013年1月20日 23:08:09 : 12Sm7LQDf2
安倍自民党は「TPPは日本の国益を損ねるから参加しない」と言っているわけではないんだよ。
「7月の参院選勝利まで明確な参加表明は待ってくれ」と言うつもりなんだよ。

原則は参加なんだ。
迷っているわけではない。

きっと言い訳に、法外な持参金も用意しているのだろ。
更には、「消費税上げますから、米国債もっと買えるようになりまーーす」
とでも付け足すんだろうな。

アベノミクスだー
笑わせんな
の声が聞こえてきそうだ。

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
04. 2013年1月20日 23:08:13 : kde0hTvAfw
>>01.
チーム世耕が必死。売国工作員は統一教会の阿片窟に引っ込んでいろ!
コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
90. 2013年1月20日 23:08:54 : Qkfbxbj746
>>75
嘘つき野郎

孫崎氏の主張を勝手に変えるな

コメント [政治・選挙・NHK142] 今度の選挙は無効です。ここまで全国で不正が行われていたとは知らなかった 愛国日本
69. 2013年1月20日 23:09:45 : ibCcyK74vA
>58
嘉田知事は北朝鮮のよど号拉致の「市民の党」が選挙で支援していただろ。
管と市民の党との多額な金のやり取りいい、根は深い。
コメント [カルト10] 可哀想な末期症状の創価学会末端信者たちだが長続ききするのが不思議だ 真理を愛する者
06. 2013年1月20日 23:12:55 : GdUWwhR8C2
指導者だか教主が爬(は)虫類系の宗教は邪教
コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
05. 2013年1月20日 23:14:54 : YBIffTvCd2
>>04
お前は何と戦ってるんだ w
妄想も大概にしておかないと。
コメント [政治・選挙・NHK142] 甘すぎる安倍首相の対応 人質多数死亡の冷厳な現実 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
45. 2013年1月20日 23:16:04 : pDQAic94KO
もし日本が身代金を裏取り行きで渡したら、また同じような事件が起こる。他国にも迷惑だ。在日や中国、朝鮮にからの謝罪や金の要求に応じたら、つけあがるのと同じ。
犯罪を助長する行為はやめて、アルジェリアによる武力鎮圧への支援とのみ行い、
邦人が被害を受けたとすれば、アルジェリアに対して賠償用供給すれば良い。

コメント [Ψ空耳の丘Ψ60] アポロ計画の嘘と捏造の流失映像発覚!覆い隠すのに必死なNASA!!    紺屋高尾
26. 2013年1月20日 23:18:05 : SUcVUiAoaE
>25
仰るとおり、
* バンアレン帯を通過するとき、なぜ人間が黒こげにならなかったのか?
バンアレン帯の存在そのものを疑った者がいたのだろうか。
* 何百度もの温度差がある月面上で、どうして人間があんな軽装で動き回れの か?
何百度もの温度差そのものを疑った者がいたのだろうか。
たとえば金星は酸性の濃い大気の惑星で光は地表に届かず、気温は数百度と言われた。しかし昔公開された着陸した無人探査機の脚部の写真は、腐食している様子もなく鮮明に移っていた、記憶している方もいるだろう。
またアメリカでワクチン接種の危険性を調べている研究者に言わせれば、その危険性を医師自体が全く知らない、なぜなら医大で医師を教育する段階ですでに真実を教えないからだそうだ。
確かシオンの議定書にも「我々にとって都合のよい科学のみを広めていく」という一説があった。
物事の一部分のみを取り上げて正誤を議論するのはどうだろうか、全体を俯瞰で見ない限り本当のところは見えてこないように思う、なぜなら欺こうとする者たちもまた優秀だからだ。
コメント [原発・フッ素29] 反原発トーンダウン? エネルギー政策見直し、NHK調査で43%が「賛成」 (J-CASTニュース)  赤かぶ
13. 2013年1月20日 23:18:58 : X1hGdyUhks
>反原発」よりも「経済対策」

NHKを筆頭に、マスコミが↑で歩調をあわせてます。

どのTV局もどの新聞社も福島原発事故はすでに解決したかのような、まるで遠い過去のこととして扱っており、呆れ果てます。

民放と何ら変らないNHK。
しかもお金取られながら、ウソ情報を撒き散らされ、生活環境は著しく悪化すること間違いなしで、もはや害でしかない。

早く潰れて!!

コメント [政治・選挙・NHK142] 衆院選不正選挙に関する英語の記事がついに出た by nuclear-news (SUEの日記 - Yahoo!ブログ) 運否天賦
01. 2013年1月20日 23:18:59 : SaFHkCO6cg
とにかく賛同する。

疑惑に対処するには全ての情報を誰の目にもわかるように公開するのが一番。

ここらに登場する米犬、真相の道のコメントなど全く説得力がない。

コメント [日本の事件30] 時速60キロ超で電柱激突 京都・祇園19人死傷事故 (ANN) 衝突までの暴走動画  赤かぶ
地球温暖化対策計画書・報告書
 条例により公表が定められている事項について、以下のとおりお知らせします。

○広島市地球温暖化対策等の推進に関する条例

同条例37条第1項の規定により、エネルギー環境計画書、エネルギー環境報告書の概要を公表しています。
(当社はお客さまの要請を受け、広島市内の店舗に電気を供給しています)

(平成24年度提出)
「エネルギー環境計画書(平成24年度計画分)」
(108KB)
⁅❍⁆http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0039/8194/ene_plan_h24.pdf

「エネルギー環境報告書(平成23年度計画分)」
(107KB)
⁅❍⁆http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0039/8195/ene_repo_h23.pdf

(平成23年度提出)

「エネルギー環境計画書(平成23年度計画分)」
(110KB)
⁅❍⁆http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0039/8196/ene_plan_h231026.pdf

「エネルギー環境報告書(平成22年度計画分)」
(102KB)
⁅❍⁆http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0039/8197/ene_repo_h231026.pdf

(平成22年度提出)

「エネルギー環境計画書(平成22年度計画分)」
(22KB)
⁅❍⁆http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0039/8198/gwarming_h220728.pdf
⁅❍⁆http://www.kyuden.co.jp/environment_activity_gwarming.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 野口悠紀雄教授に論破された「ガルダス」浜田教授 (植草一秀の『知られざる真実』)  笑坊
08. 2013年1月20日 23:21:13 : bKvSZBGCj2
リフレとは金融緩和+財政出動で消費マインドに火を付けて下流から上流へ景気の流れを拡大していくボトムアップだと思います。
これをトップダウン論で論じようとしても全く話が噛み合わないと思います。

間違っていますでしょうか。

コメント [政治・選挙・NHK142] 史上空前の 大規模不正選挙 −「米官業政電」総がかりである為 不正がそのまゝまかり通るー (今この時&あの日あの時) 純一
122. 2013年1月20日 23:21:15 : 2JakXpr71c
121よ!

藤島利久が!
ふせいせんきょ側の人間だ!!!

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢氏 参院での自公過半数阻止に全力 (NHK)  赤かぶ
13. 2013年1月20日 23:22:02 : vf0V28mFDM
小沢一郎氏来県し参院選への決意語る
(2013年01月20日 18:42 更新)

「生活の党」の小沢一郎衆議院議員がきょう達増知事の後援会の会合に出席するため岩手を訪れ、夏の参議院議員選挙への決意を滲ませました。
会合で来賓として挨拶に立った小沢氏は、「日本未来の党」として惨敗した去年の総選挙を振り返り「力が至らず皆様に迷惑をかけ申し訳ない」と支持者に陳謝しました。
また夏に行われる参院選に向けては、「反撃の第一ステップとして全力であたっていきたいと考えている」と話し、巻き返しへの決意を滲ませました。

http://news.ibc.co.jp/item_18949.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 甘すぎる安倍首相の対応 人質多数死亡の冷厳な現実 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
46. 2013年1月20日 23:25:22 : uYy44oBpxE
>>45
お前が在日だろ
なんだよその意味不明な文章は
コメント [経世済民78] デフレからの脱却は無理なのです 日経ビジネス  BRIAN ENO
46. 2013年1月20日 23:29:22 : C5qh9oFZDI
なんでブライアン・イーノが日経ビジネスで経済記事書いてんだ?と思ったら、、、投稿者か・・・orz 

それはともかく、日経ビジネスの言う事なんか当てにならん。日経は経済紙のくせにポジション・トークしかしないインチキ新聞社ですからw

>民主党政権で内閣府の官房審議官(経済財政分析担当)に転じた
この人がいたから民主党はロクな経済対策ができなかったんじゃないの?
デフレから脱却できなければ国民は緩慢な死を待つだけですよ。
デフレから脱却が無理なんて言うのは、貧乏人はとっとと死ねと言ってるのと同じです。

退職したジジババや金持ちはデフレがいいに決まってる。だが、そいつらがカネを使わず溜め込むから景気も悪化するんよ。会社もそうだな。株主や経営陣ではなく社員に使え。
その上財政再建を経済成長より優先させるバカがいるから、不況で収入が減る中で税金上げるとか有り得ない事がまかり通る。景気が良くなりインフレ傾向になればそれだけで政府の借金は減りだすのに、不況のままデフレをほっとけば幾ら税金を上げようが財政再建などできるわけない。消費が冷え込めば景気が良くなるわけが無いんだから。

デフレ脱却の方法は簡単だよ。金持ちの嫌がることをやればいいw

記事 [原発・フッ素29] 福島県双葉町の井戸川克隆町長が体調不良を訴え緊急入院!井戸川克隆町長の文章「町民の皆様へ」  
福島県双葉町の井戸川克隆町長が体調不良を訴え緊急入院!井戸川克隆町長の文章「町民の皆様へ」
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11453403236.html
2013年01月20日 23時04分52秒NEW  正しい情報を探すブログ


福島県双葉町の井戸川克隆町長が緊急入院したとの情報が入って来ました。21日から本格的な検査をするとのことで、現時点では何が原因なのかは不明です。


☆<福島県双葉町>井戸川克隆町長 体調不良を訴え入院
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130120-00000033-mai-soci
引用:
 東京電力福島第1原発事故で埼玉県加須市に役場ごと避難している福島県双葉町の井戸川克隆町長(66)は20日、宿泊先の同県郡山市のホテルで「頭が重い」と職員に訴え、市内の病院に入院した。意識はあり21日以降に検査するという。

 町によると、町長は19日に同県いわき市で開いた町政懇談会に出席し郡山市に宿泊。20日朝、体調不良を訴えた。20日に福島、郡山両市であった懇談会を欠席し、井上一芳副町長が代理出席した。21日の加須市での懇談会も代理出席する予定。

 双葉町では昨年末、不信任決議を受けて町長が議会を解散。今月24日に町議選が告示される。【神保圭作】
:引用終了


☆原発事故で被爆した双葉町の井戸川町長が緊急入院(1/20 TUFテレビユー福島)
URL http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-1236.html
引用:
双葉町の井戸川克隆町長がけさ、体調不良を訴え郡山市の病院に緊急入院し、きょう開かれた住民との町政懇談会を欠席しました。井戸川町長は住民との町政懇談会に出席するため、郡山市のホテルに宿泊していましたが、けさ7時頃、「頭が重くてフラフラする」と体調不良を訴え郡山市の病院に向かいました。双葉町の職員によると井戸川町長はそのまま検査入院することになりましたが「自力で歩くことはできる」ということです。


一方、きのうからはじまった町民と行政との懇談会には急きょ井上副町長が代理で出席し区域見直しや賠償、中間貯蔵施設の問題など山積する課題について現状を報告しました。町政懇談会はあすも埼玉県加須市で行われる予定ですが、井上副町長が代理で出席する予定です。
:引用終了


井戸川町長といえば、「町民の皆様へ」と題した文章が一時期話題になっていた方ですね。私もこの文章を読みましたが、放射能被曝の現実と真摯に向き合っていることが伝わってきて、非常に好感が持てました。


☆福島県双葉町HP
URL http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20121220.html/
引用:
町民の皆様へ


 町民の皆様、皆様の苦しみは計り知れないものです。毎日、皆様と話し合いができれば良いのですが、なかなか叶えられませんことをお詫び申し上げます。


 私が一番に取り組んでいますのが、一日も早く安定した生活に戻ることです。双葉町はすぐには住めませんが、どこかに仮に(借りに)住むところを準備しなければなりません。そこで、国と意見が合わないのは避難基準です。国は年間放射線量20mSvを基準にしていますが、チェルノブイリでは悲惨な経験から年間5mSv以上は移住の義務と言う制度を作りました。


 私たちは、この事故で最大の被ばくをさせられました、町民の皆様の健康と家系の継承を守るために、国に基準の見直しを求めています。この基準がすべてです。仮に住む場合は安全でなければなりません。子供たちには、これ以上被ばくはさせられませんし、子どもたちが受ける生涯の放射線量は大きなものになります。事故から25年が経ったウクライナの子供たちには働くことができないブラブラ病が多く発生しているそうです。


 私はこのようなことが一番心配です。町は絶対に事故を起こさないと言われて原発と共生してきました。しかし、今は廃虚にさせられ、町民関係も壊されました。自然も、生活も、生きがい、希望やその他すべてを壊されました。一方どうでしょう。これほど苦しんでいる私たちの思いは、皆さんが納得いくものになっていないのです。これを解決するのが先だと訴えています。


 私が皆さんに多くの情報を出さないと叱られていることは十分承知しています。出したくても出せないのです。納得のいくような情報を国に求めていますが、出してこないのです。国とは隠し事のない交渉をすることを求め続けてきています。町民の皆様を裏切ることは決していたしません。これから多くの情報を出していきます。


 放射線の基準に戻りますが、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告を採用していると国では言いますが、国際的に採用している訳ではありません。ヨーロッパには独自の基準があり、アメリカでも自国の基準を作って国民を守っています。最近のICRP勧告では日本を非難しています。もう1〜20mSvを採用しなさいと言っています。これは大変なことで、区域見直しも賠償の基準も変わってきます。


 このような中で冷静にと言っても無理かもしれません。このような環境に置かれているのだから、皆さんの要望を常に政府、与党には伝えてきました。政争に振り回されて進んでいません。


 福島県内に避難している町民を県外に移動してもらう努力はしましたが、関係機関の協力は得られずにいます。しかも盛んに県内に戻す政策が進行しています。県に理由を聞いても納得のいく返事は来ません。町民(県民)の希望を国に強く発信して頂きたいと思います。


 町民の皆さん、損をしないでください。財産には目に見えるものと見えないものが有りますので、区別しなければなりません。目に見えるものは形や重みのあるもの価値が直ぐに判断できるものです。見えないものは未来です。一番心配なのは健康で、被ばくによる障がいであります。ウクライナでは障がいに要する費用が国家の財政を破綻させるような事態になっています。今のウクライナが25年後の日本であってはならないのです。子供に障がいが出ればとんでもない損害です。この見えない、まだ見えていない損害を十分に伝えきれていないもどかしさがあります。まだ発症していないからとか、発症したとしても被ばくとは関係がないと言われる恐れがあります。水俣病のように長い年月をかけて裁判で決着するような経験を町民の皆さんにはさせたくありません。


 昨年の早い時期から町民の皆さんの被ばく検査を国、東電、福島県にお願いし、被ばく防止も合わせてお願いしてきました。しかし、思うようになっていません、原発事故による放射能の影響下に住むことについて拒むべきです。


 損について一部しか言いきれていませんが、一番大きなこと、何年で帰れるかについて申し上げます。今は世界一の事故の大きさのレベル7のままだということ。溶けた核燃料の持ち出し終了が見通せないこと。処理水をどうするのか、核物質の最終処分はどのようにいつまで終わるのかなど多くの要因を考慮して、木村獨協大学准教授が最近の会議の席上、個人の見解として双葉町は場所によっては165年帰れないと発言しました。私には可か不可の判断できませんが、大変重要な言葉だと思います。半分としても80年だとしたら、この損害は甚大なものです。


 また、被ばくの影響についても責任者に対して担保をとっておく必要があります。


 中間貯蔵施設については、議論をしないまま、調査だから認めろと言いますが、この費用の出どころを確かめることが重要です。この施設は30年で県外に出すと国は言っていますが、約束は我々とはまだ出来ていません。この施設の周りには人が住めません。六ヶ所村では2km以内には民家がないようで、双葉町では町の中心部が殆ど入ってしまいます。では、どうするのかの議論が先です。ボーリング調査を行うのは着工です。予算の構成を見ますと、整備事業の下に調査費が付いています。これは行政判断としては着工になります。着工の事実を作らせないために、私は非難覚悟で止めていることをご理解ください。


 十分すぎるほど議論して町民の皆さんの理解の下に進めるべきです。日本初の事業です。双葉町最大の損害で、確かな約束を求める事をしないまま進めてはやがて子供たちに迷惑をかけます。新政権とじっくり話し合いをして、子供たちに理解を貰いながら進めます。このように、私たちには大きな損害があることをご理解ください。


 寒さが一段と厳しくなりました、風邪や体力の低下に気をつけて予防を心がけてください。これからもお伝えします。


 平成24年12月20日


双葉町長 井戸川 克隆 
:引用終了


12月20日に双葉町議会で井戸川克隆町長の不信任案が可決され、現在の双葉町は解散選挙状態になっています。今月の24日に町議選の告示が行われるとのことですが、井戸川克隆町長には是非とも勝ってほしいと私は思います。
もちろん、選挙以前に体調不良で入院しているので、まずは病気の原因を突き止めて、いち早く治すことが最優先です。とにかくも、井戸川克隆町長の無事を祈ります。


☆「正しいことしてるから叩かれる」〜双葉町・井戸川町長を応援してください!
URL http://www.labornetjp.org/news/2012/1225idogawa
引用:
12月20日、双葉町議会の最終日。井戸川克隆町長の不信任案が、可決成立した。議会を傍聴した私は、その瞬間を呆然とした思いで見つめていた。自分はただ傍聴しているだけで、何もできなかった痛恨の念があり、この数日間、ただただ呆然としていた。しかし、多くの人から「双葉町長を励ましたい」「議会に抗議したい」という声が寄せられた。ある友人は「正しいことしてるから叩かれるんだよ」と言った。そして「双葉町はこんなことでは終わらない」という町民の言葉も聞いた。井戸川町長にもその声は届いているだろうし、思いに揺るぎはないことを願いつつ。(堀切さとみ・映画『原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録』制作者)

****************

双葉町議会のリポートをします。前町長の息子である(こんなレッテルを貼りたくもないのだが)岩本久人議員(写真下)が、不信任の理由を次のように述べた。


「町長は町民の声をきく努力をせず、町民との考え方にかい離があり、自分の考えに固執している。・・・それに比べて議会は、多くの町民の声をきいてきた」
「復興のためには福島県の汚染から出る放射炎汚染土壌やがれきの処分問題は避けてはとおれない。それなのに十一月二十八日の中間貯蔵施設の現地調査を議論する会議に、町長だけが欠席し、福島県や町を落胆させた」


これを受けて、井戸川町長(写真上)は「町民の不満が解消されないのは、事故責任者が我々を放置していたからに他ならない。健康問題、賠償問題など、町民に損をしてほしくないという思いで精いっぱい尽くしてきた。まだまだやるべき仕事が多くある中で、不信任は残念でならない。町民どおしがいがみあうことなく、一丸となって戦えるような仕組みづくりに、議会の皆さんは力を尽くしてほしい」と反論した。

この町長発言の後、岩本町議ないし他の議員からの意見があるのかと思ったが「質疑なし」「討論なし」で、本当にあっけなく採決になってしまった。私は議会の傍聴は初めてだったのだが、このやり取りをみていて、何か仕組まれたものを感じた。なぜ今、不信任なんだろう・・・。


井戸川町長を解任しようという動きは、これまでに二回あった。 理由は「町長は独断的だ」「役場が県外にあることで、県内に避難している町民は不利益を被っている」というものだ。町長は、双葉町民は県内・県外避難者の対立を深刻化させないために苦渋の決断として、役場の福島県内移転や、旧騎西高校の弁当の有料化などを決めた。にもかかわらず、三度目の不信任案が十二月二十日に出され、あっという間に八人の議員全員の賛成によって、可決成立してしまったのだ。誰かに頼まれたかのように、何の迷いもなく。

3・11の直後。井戸川町長は、町民を内部被ばくのリスクから遠ざけるため、役場を福島県外に移し、埼玉県の旧騎西高校に多くの町民を避難させた。私はそんな双葉町に共感し、握手したい気持ちで取材を始めた。
:引用終了


☆被曝情報隠し 涙の訴え 双葉町町長 参院7/10




http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/768.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
06. 2013年1月20日 23:31:43 : bs6I0aFUGg
はじめから、提訴を阻止するためのおとり”だった可能性もありますか?
コメント [政治・選挙・NHK142] 「出た!橋下徹の決まり文句:想田和弘氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
30. 2013年1月20日 23:31:53 : E1TZOHXA8M
ゴキブリ橋下なんぞが大阪市長をやっているから、去年の10月から12月の初めまで市役所の周りに「ウォール街を占拠せよ」に倣ったような反橋下団体のテント村ができていた。それを強制排除し、年末年始のイベント用に周辺の施設が供された後、もう何もないはずだが、今なお市役所の周囲をバリケードで包囲したままにして、橋下のインチキ市政に抗議する団体が寄り付かないように防御している。橋下の宣伝広報機関に成り下がった大阪のマスコミは、そんな市役所周辺のミスボラしい光景を一切報じようとしない。橋下のようなクソ野郎は、震災ガレキと一緒に、どこか人も動物も棲息できないような島へ放逐して、処分してしまえ。
コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢氏 参院での自公過半数阻止に全力 (NHK)  赤かぶ
14. 2013年1月20日 23:32:38 : uYy44oBpxE
選挙自体がインチキなので正攻法で何やっても無理っぽい
コメント [政治・選挙・NHK142] 衆院選不正選挙に関する英語の記事がついに出た by nuclear-news (SUEの日記 - Yahoo!ブログ) 運否天賦
02. 米犬 2013年1月20日 23:33:05 : PUHl6PtDGaXFs : 4Q80R8Zler
楽しいですね♪ フィクション「不正選挙」

3年もたったら「生活の党=未来の党=抱き付き詐欺=不正選挙」の笑い話に・・

疑惑があるならはっきりとした証拠で疑惑を示してもらえばいいのに、CIAとかアメリカの陰謀とか荒唐無稽な話ばかり。海外でもカルトとして考えられているのだろう

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
16. 2013年1月20日 23:33:50 : yy7D5jhcis
小沢の主張:A 天皇は日本国の元首だ
---------
そういうが、中国要人訪日の際天皇との会見をごり押しした小沢の態度は何だったんだろ。
コメント [経世済民79] 日本企業の移転加速が拍車 崩れる「世界の工場」の地位=中国  赤かぶ
13. 2013年1月20日 23:37:56 : ali840YW4k
中国2度目の没落の始まりー真の原因とは?
道路や鉄道や港、空港だけがインフラだと思ったら、大間違いだ。
70年前の日清戦争の原因はシナ人の無思慮な暴動が原因だった。法治国家という最低限のインフラをも、破壊しておいて、反省もなしに、中国は同じ誤りを繰り返している。物的なインフラしかわからないような民度を反省するどころか、日本を残酷な仇敵とし、偏狭な排外思想を国民に植え込んだ結果、墓穴を掘ることになったのだ。
恩人である、松下電器の工場を破壊するなど、典型的だ。このような忘恩の国に、
大切な、技術や資本を投下するような国はない。また、毎年暴動を黙認するような
国に保険を掛けさせる保険会社もありえない。保険も掛けられない国にどうやって、投資などする会社がいるのか?。それでも投資する外資会社がいたら、気が狂っているとしか思えない。へんな中華思想を捨てきれない、中国人は哀れとしか言いようがない。
コメント [政治・選挙・NHK142] 小野寺防衛大臣の『国賊』発言こそ許すべきでない  孫崎 享  赤かぶ
91. 2013年1月20日 23:39:15 : Go33PLLSKh
小野寺氏、是々非々的で好感持てる自民党議員だが「国賊」は酷いね。尖閣は「係争地」でしょ?。ボーッとしてた御党のおかげでの「係争地」でしょ!。小野寺さん、コメントというのは怖いですね、小野寺さん。
コメント [マスコミ・電通批評13] フジTVは今年も「大逆風」か? 「嫌いな局」投票で断トツ1位に (J-CASTニュース)  赤かぶ
03. 大阪府民 2013年1月20日 23:41:07 : 2fc9REJTmRlzM : LGtLUVFW1w
J-CASTの読者はネットウヨが大半
当然の結果

馬鹿らしいたらありゃしない

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
17. 2013年1月20日 23:42:00 : 7FLpjisy2w
この小沢の基本政策を知らない支持者などいないよ。
左派ももちろん知っている。
国連中心主義はアメポチ集団的自衛権よりハードルが高い。
アメリカとイスラエルの国連無視の軍事行動につきあって他国を侵略したり
駐留軍を置いたりしない。
自衛隊は専守防衛、国連には協力する。
例えば、石油を収奪するイラク戦争には協力しない。ルワンダには難民を助けに行く。
これは戦争屋と言われるような政策ではない。


コメント [政治・選挙・NHK142] 「出た!橋下徹の決まり文句:想田和弘氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
31. 増税反対 2013年1月20日 23:42:27 : ehcoR2LmdzYII : D9cvjI5T92
それでも大阪府民は橋下が大好きだし、東京都民は石原が大好きなので、

呆れてものが言えません・・・

コメント [政治・選挙・NHK142] 「借りを返すために日米同盟を強化せよ」と書いた産経の論説副委員 (天木直人のブログ)  笑坊
07. 2013年1月20日 23:45:01 : Oe2evAU4x2
産経の親元は韓流大好きで1万人デモを喰らったフジテレビ。
産経新聞は、その事実を報道しない最右翼新聞である。

つまり、長いものには巻かれろの根性なし・腰抜けカスメディアである。

もっと言えば韓流を受け入れ米国のケツも嘗める、森林資源を浪費し人民をかどわかす
糞以下の存在である。

コメント [経世済民79] 国民のみなさん、ここで儲けるしかない 株価はどんどん上がるぞ 安倍バブルでGO!  赤かぶ
04. 2013年1月20日 23:47:13 : dzyN80uCEI

マスゴミが総出で、株価が上がると記事を出しています。

マスゴミは、庶民の味方ではありません。
マスゴミは、お金のと権力の僕、庶民洗脳工作組織です。

今なら株購入で儲けられると、洗脳工作です。
同時に、誰かが、円を下げ、株価を吊り上げる工作をしています。

本当に儲かるなら、人に教えないで、黙って株を買います。

TV、雑誌、新聞・・皆が同じ報道するときは、裏があるでしょう。

庶民に株を買わせて、その後、暴落を仕掛ける。
株価操作の資金と手段は彼らの手中にあります。

この記事に乗って、株を買えば、彼らの思惑にはまって、
結局、大損をこうむります。

===

好景気を演出し、株価を上げて、税金を上げる理由にする。
好景気を演出し、選挙で(勿論、不正選挙ですが)自民大勝させる。

マスコミは自民大勝の理由は株価が上がったからと、
不正選挙の目くらまし、洗脳報道する。

多数自民で、憲法改正し、海外派兵を可能にし、
自衛隊を、米軍の下請け、米兵の弾よけにする。
それをマスゴミで正当化する(洗脳)

自民党を使ってTPP参加で日本を永久的に米国の属国にする。

===

大損をする前に、目を覚ましましょう。

預金封鎖に備えましょう。
銀行から現金を引き出して、タンス預金を確保しましょう。
金利よりATM手数料が高いですよ。

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
07. 2013年1月20日 23:47:23 : w08v0PDanQ
>>01. 2013年1月20日 22:51:43 : YBIffTvCd2
> 不正選挙を主張するものが、いかに検証能力に欠けているかを示す良い事例だ。

アタマが悪いようだな。

ツイッターに書かれた「不正を目の当たりにし」たという証言を、それだけで「検証」することは不可能に決まっている。
それ単独で検証可能な証言でないことは明白。
その後、実際に会うなどして「検証」しようと試みた段階で、どうやら虚言と判明した。
そういうことだ。

虚言を吐いたと思われる“村田氏”は、提訴しようとしている人たちを引っかけ、提訴失敗にもっていく意図を持っていたとも考えられる。

限られた時間の中で、そのような障害にもめげずに最善を尽くし、訴状提出まで持っていた原告団は称賛されていい。


コメント [経世済民79] 国民のみなさん、ここで儲けるしかない 株価はどんどん上がるぞ 安倍バブルでGO!  赤かぶ
05. 2013年1月20日 23:47:44 : mKNWMTNf9g
日本ってネガティブすぎると思う。
円高も円安もどちらに振れても悪材料ばかりの発言が注目され。
株が上がっても下がっても同じこと。

輸入品を扱ってる、特に宝飾品やブランド物、そして外車を扱ってる企業。
海外に委託生産して国内で販売してる企業。
円高でぼろ儲けのはずで、今の為替水準でもしっかり儲かってると思うけどニュースになるのは円高で苦しむ企業ばかり。

株が上がって誰が困るの? 株やってない人だって困ることはないと思う。
株を保有してる企業は財務が好転し評価益を出しそれに伴い税金も払う。
年金問題だってちょっとは一息できるよ。

円安って言うけど、小泉君のときはもっともっと円安だったし株ももっと高かったから、底値から見れば上がったように見えても決して高いとは言えないと思う。

皆の気持ちに少しは希望がないと、実体経済も良くならないと思う。

コメント [政治・選挙・NHK142] 不正選挙を経て無事小沢抜きの野党連合が始まった! (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
21. 2013年1月20日 23:48:33 : 7FLpjisy2w
社民党は民主党と生活の党との護憲・脱原発連合を提言した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130120-00000231-mailo-l16
これは社民、民主と生活が、自民、維新、みんなの改憲と一線を画するもの。
現時点では、悪くないと思う。
政権交代前の国連主義で軍拡の抑止に回るのなら支持するよ。
コメント [政治・選挙・NHK142] 特集 安倍晋三総理 対談 「独立自尊! 私は経済を 立て直す!」  (櫻井よしこ オフィシャルブログ) 真相の道
29. 2013年1月20日 23:50:41 : VoHQXX9kmw
桜井はアベシンゾーの愛人か何かだろうなw
コメント [政治・選挙・NHK142] 林農水大臣が「TPPは貸し切りバス」、日本が不参加の表明で米国のTPP構想は破綻 (Shimarnyのブログ)  赤かぶ
17. 増税反対 2013年1月20日 23:51:13 : ehcoR2LmdzYII : D9cvjI5T92
[この投稿を読んで自民党を見直した]

 冗談も休み休み言いましょうね。

自民党がアメリカに逆らえるわけないじゃないですか・・

コメント [原発・フッ素29] 東日本の放射線管理区域〜どのように日本が汚れたのか?〜小出裕章氏12/22(内容書き出し)  赤かぶ
25. 2013年1月20日 23:53:12 : kde0hTvAfw
>>24.
久しぶりに覗いたが、相変わらずカルトだな君は。賢者を自認しているらしいが、
賢者というものはもっと自制、自省するものだよ。君は賢者じゃなくて愚者だろう。
主張はともかく語り口が非常に汚い。汚いものを口にしたかのように非常に口が
臭い。君の持って生まれて来たものか?家庭に帰って療養しなさい。
コメント [政治・選挙・NHK142] 不正選挙を経て無事小沢抜きの野党連合が始まった! (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
22. Haguregumo 2013年1月20日 23:55:19 : PiKXIf2DjqrLQ : NhrUOzKdHY
闇鍋維新に勘違いアジェンダが加わり、さらに豪華な闇鍋の出来上がり。
でも誰も箸をだそうとはしない。
当たり前である、中身が見えず、鼻をつく異臭で食えない事がバレバレである。

コメント [政治・選挙・NHK142] 「不正選挙」異議申し立て原告団は崩壊 ミネルヴァの梟
08. 2013年1月20日 23:57:05 : w08v0PDanQ

「投稿者 ミネルヴァの梟」で阿修羅内検索をすると
出てくるのは2005年〜2007年の古いものばかりのようだ。

引退してたのがまたノコノコとしゃしゃり出てきたのか?
こんなつまらんネタを貼るためにか?
ご苦労なこったな。(大笑)


コメント [近代史02] スッタニパータ 富山誠
01. 2013年1月20日 23:56:13 : W18zBTaIM6

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正田大観 (2007年3月17日). “スッタニパータ” (日本語).

クリシュナムルティ学友会


阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

 スッタニパータ

第一章 蛇

 第一経 蛇

1  広がった蛇の毒を諸々の薬で〔除く〕ように、生起した憤怒〔の思い〕を取り除く者——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
2  池に生えている蓮の花を〔水に〕入って〔折り取る〕ように、貪欲〔の思い〕を残りなく断ち切った者——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
3  激しく流れる〔渇愛の〕流れを干上がらせて、渇愛〔の思い〕を残りなく断ち切った者——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
4  大激流が極めて力の弱い葦の橋を〔押し流す〕ように、高慢〔の思い〕を残りなく壊し去った者——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
5  無花果[いちじく]の木々に花を探し求める者が〔花を得ない〕ように、諸々の〔迷いの〕生存(有)のうちに真髄(実:真実・本質)に到達しなかった者(迷いの生存を真実と認めなかった者)——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
6  彼に、諸々の怒りが〔心の〕内から存在しないなら、しかして、〔彼は〕それについての有る無し〔の思い〕が超克された者であり、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
7  彼の、諸々の思考が砕破され、内に、残りなく、善く整えられたなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
8  行き過ぎず、戻り過ぎず、この戯論(分別妄想)の一切を超え行った者——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
9  行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れたものである」と、世において知って、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
10  行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れたものである」と、貪欲を離れた、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
11  行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れたものである」と、貪り(貪)を離れた、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
12  行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れたものである」と、怒り(瞋)を離れた、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
13  行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れたものである」と、迷い(痴)を離れた、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
14  彼に、何であれ、諸々の悪習(随眠)が存在せず、諸々の善ならざることが根元から完破されたなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
15  彼に、何であれ、〔迷いの〕此岸に帰り来ることの縁となる、諸々の懊悩から生じるものが存在しないなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
16  彼に、何であれ、〔迷いの〕生存の結縛の因たる諸々の妄想が〔存在せず〕、諸々の〔欲の〕下草から生じるものが存在しないなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。
17  五つの〔解脱の〕妨害[さまたげ](五蓋:貪り・怒り・心の沈滞[おちこみ]と眠気・心の高揚[たかぶり]と悔恨・疑惑の思い)を捨てて、煩悶なく、疑惑を超え、矢を抜いた者——その比丘は、此岸と彼岸を捨てる——蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。

 第二経 ダニヤ

18  牛飼いのダニヤが〔言った〕「わたしは、飯を炊き、乳を搾った者として、〔世に〕存しています。マヒヤー〔川〕の岸辺に、〔妻子や下僕たちと〕共に存する住居があります。小屋は〔しっかりと〕覆われ、火が焚かれています。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
19  世尊(ブッダ)は〔答えた〕「わたしは、怒りなく、鬱屈を離れ去った者として、〔世に〕存しています。マヒヤー〔川〕の岸辺に、一夜の住居があります。小屋(身体)は開かれ(その正体は暴露され)、〔貪欲の〕火は寂滅しています。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
20  牛飼いのダニヤが〔言った〕「諸々の蠅や蚊は、見い出されません。牛たちは、草が生い茂った沼地を歩み、たとえ、雨がやってきても、耐え抜くでしょう。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
21  世尊は〔答えた〕「まさに、筏[いかだ]は、結び縛られ、頑丈に作られました。彼岸に至った超渡者は、激流(渇愛の思い)を取り除くでしょう。〔もはや〕筏に、義(意味)は見い出されません。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
22  牛飼いのダニヤが〔言った〕「わたしの牛飼い女(妻)は、従順で、〔心が〕動きません。長夜にわたり、共に住み、意に適う者です。何であれ、彼女についての悪しき〔話〕を、〔わたしは〕聞きません。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
23  世尊は〔答えた〕「わたしの心は、従順で、解脱しています。長夜にわたり、完全に修められ、善く調御されています。そして、わたしに、悪は見い出されません。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
24  牛飼いのダニヤが〔言った〕「わたしは、自己の稼ぎで〔自らを〕養う者として、〔世に〕存しています。そして、共に存するべき、わたしの子供たちも、無病〔息災〕です。何であれ、彼らについての悪しき〔話〕を、わたしは聞きません。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
25  世尊は〔答えた〕「わたしは、誰の雇われでもなく、〔世に〕存しています。一切世〔界〕において、〔行乞で〕得たものによって、歩みます。〔もはや〕雇われることに、義(意味)は見い出されません。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
26  牛飼いのダニヤが〔言った〕「〔わたしには〕子牛が存在します。乳牛(母牛)が存在します。〔子を〕宿した雌牛が〔存在します〕。〔子を〕宿したことのない雌牛もまた、存在します。さらには、牛たちの主[あるじ]たる雄牛もまた、存在します。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
27  世尊は〔答えた〕「〔わたしには〕子牛は存在しません。乳牛(母牛)は存在しません。〔子を〕宿した雌牛は〔存在しません〕。〔子を〕宿したことのない雌牛もまた、存在しません。ここには、牛たちの主たる雄牛もまた、存在しません。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
28  牛飼いのダニヤが〔言った〕「〔深く〕掘られた諸々の杭は揺るぎなく、ムンジャ〔草〕で作られた諸々の縄は新しく、善く綯[な]われています。まさに、乳牛たちでさえも、断ち切ることはできないでしょう。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
29  世尊は〔答えた〕「雄牛のように、諸々の結縛を断ち切って、象が蔦葛[つたかずら]を〔踏み敷く〕ように、〔諸々の束縛を〕踏み砕いて、わたしは、胎内へとふたたび近づき行くことはないでしょう。しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。
30  低地と高地とを潤しながら、まさしく、ただちに、大雲が雨を降らせた。天が雨を降らせるのを聞いて、ダニヤは、この義(意味)を語った。
31  〔牛飼いのダニヤが言った〕「わたしたちは、世尊を見ました。わたしたちの諸々の利得は、まさに、少からざるものです。眼[まなこ]ある方よ、あなたという帰依所へと、〔わたしたちは〕近づき行きます(覚者に帰依する)。偉大なる牟尼(ブッダ)よ、あなたは、わたしたちの教師に成ってください。
32  牛飼い女(妻)も、わたしも、従順です。善き至達者(ブッダ)のところで、梵行(禁欲清浄行)を行じおこないます。生と死の彼岸に至り、苦しみの終極[おわり]を為す者たちに成ります」〔と〕。
33  パーピマント悪魔が〔言った〕「子をもつ者は、子たちについて喜ぶ。まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちについて喜ぶ。まさに、諸々の依存〔の対象〕は、人の喜びである。依存〔の対象〕なき者——彼は、まさに、喜ぶことがない」と。
34  世尊は〔答えた〕「子をもつ者は、子たちについて憂う。まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちについて憂う。まさに、諸々の依存〔の対象〕は、人の憂いである。依存〔の対象〕なき者——彼は、まさに、憂うことがない」と。

 第三経 犀の角

35  一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて、彼らの誰ひとりでさえも害さずにいる者は、子を求めぬもの。どうして、道友を〔求めよう〕。犀の角のように、独り、歩むもの。
36  〔異性との〕交わりが生じた者には、愛執〔の思い〕が有る。愛執〔の思い〕に従い、この苦しみが生起する。愛執〔の思い〕から生じた〔この〕危険を〔あるがままに〕見る者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
37  朋友や知人を慈しみながら(情をかけつつ)、〔その思いに〕心が縛られた者は、〔自己の〕義(道理)を失う。この恐怖を、親愛〔の情〕のうちに見る者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
38  子たちや妻たちにたいする期待〔の思い〕は、まさしく、〔枝や根が〕広く絡[から]みついた竹〔林〕のようなもの。〔まとわりつくものが何もない〕筍[たけのこ]のように執着なき者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
39  縛られていない〔野生の〕鹿が、林のなかで求めるままに餌場に行くように、識者たる人は、独存〔の境地〕を〔あるがままに〕見る者として、犀の角のように、独り、歩むもの。
40  道友の中にいれば、家においても〔他の〕状況においても、〔外に〕行くにも〔道を〕歩むにも、〔余計なことで色々と〕呼び止められることが有る。〔人が〕望み求めない独存〔の境地〕を〔あるがままに〕見る者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
41  道友の中にいれば、遊興と喜悦が有る。また、子たちのうちにあれば、広大なる愛情が有る。愛しき者との別離を忌避する者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
42  また、四方(東西南北)に障碍[さわり]なき者と成り、いかなるものにても〔足ることを知り〕満足している者として、諸々の危難を打ち負かす驚愕なき者として、犀の角のように、独り、歩むもの。
43  出家者たちでさえも、或る者たちは救い難く、また、家に住する在家の者たちも〔同様に救い難い〕。他者の子たちにたいする思い入れ少なき者と成って、犀の角のように、独り、歩むもの。
44  落葉した黒檀のように、諸々の在家の特徴を取り去って、勇者は、諸々の在家の結縛を断ち切って、犀の角のように、独り、歩むもの。
45  もし、賢明なる道友を得るなら、共に行じおこなう善き住者である慧者を〔得るなら〕、一切の危難を征服して、わが意を得た気づき(念)の者となり、彼とともに、歩むもの。
46  もし、賢明なる道友を得ないなら、共に行じおこなう善き住者である慧者を〔得ないなら〕、征圧した国を〔惜し気もなく〕捨てて〔顧みない〕王のように、犀の角のように、独り、歩むもの。
47  たしかに、〔わたしたちは〕道友の成就(獲得)を賞賛する。最勝の道友たち、〔自分と〕等しい者たちとは、親しくするべきである。これらを得ずして、罪なき〔独存の生活〕を享受する者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
48  金の細工師が見事に仕立てた、光り輝く二個〔の腕輪〕が、腕にあって相打つ(音を立てる)のを見て、犀の角のように、独り、歩むもの。
49  このように、第二者(連れの者)と共にあるなら、わたしには、雑談の言葉、あるいは、叱責〔の言葉〕が存するであろう。この恐怖を未来に見る者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
50  まさに、諸々の欲望〔の対象〕は様々で、蜜のように甘美で、意[こころ]が喜びとするものである。種々なる形態(色)でもって、〔凡夫の〕心を掻き乱す。〔この〕危険を、諸々の欲望の対象のうちに見て、犀の角のように、独り、歩むもの。
51  これは、わたしにとって、疾患と、腫物と、禍と、病と、矢と、恐怖とである。この恐怖を、諸々の欲望の対象のうちに見て、犀の角のように、独り、歩むもの。
52  寒さと、暑さと、飢え、渇き、諸々の暴風と猛暑、そして、諸々の虻と蛇——これらの一切をもまた征服して、犀の角のように、独り、歩むもの。
53  肩が立派に生育した、蓮華〔の紋〕ある巨象のように、諸々の群れを避けて、喜びのままに、林に住み、犀の角のように、独り、歩むもの。
54  〔他者との〕社交[まじわり]を喜ぶ者には、〔彼が〕暫時の解脱に触れるであろうような、その状況は〔存在し〕ない。太陽の眷属(ブッダ)の言葉をこころして聞き、犀の角のように、独り、歩むもの。
55  諸々の見解の対立を超克し、〔解脱に至る〕決定[けつじょう](正しい実践方法)を得て、道を獲得した者は、「〔わたしは〕知恵(智)が生起した者として〔世に〕存している。他によって導かれることはない」〔と〕、犀の角のように、独り、歩むもの。
56  無貪で、虚言なく、無欲で、隠覆なく、汚濁と迷妄を取り払い、一切世〔界〕にたいし依存なき者と成って、犀の角のように、独り、歩むもの。
57  正しからざるものに固着し、義(道理)ならざるものを見る、悪しき道友は、遍く避けるもの。〔気づきを〕怠り、〔執着の対象を〕追い求める者とは、自ら、慣れ親しまぬもの。犀の角のように、独り、歩むもの。
58  多聞[たもん]にして法(教え)を保つ者と、応答自在〔の知慧〕ある秀[ひい]でた朋友と、親しくするもの。諸々の義(道理)を了知して、疑いを取り除き、犀の角のように、独り、歩むもの。
59  世における、遊興の喜悦と欲望の安楽を期待しない者は、〔見てくれを〕十分に作り為すことなくして、飾り立てという状況から離れた者となり、真理を説く者として、犀の角のように、独り、歩むもの。
60  子と妻、父と母、諸々の財産、諸々の穀物と、諸々の眷属と、限りあるかぎりの諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、犀の角のように、独り、歩むもの。
61  「これは、執着〔の対象〕である。ここに、幸福[さいわい]は小さい。ここに、快楽[たのしみ]は少なく、苦痛[くるしみ]は、より一層のものである。これは、〔人を誘惑する〕釣針である」と知って、思慧ある者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
62  水のなかの魚が網を破って〔解き放たれる〕ように諸々の束縛を引き裂いて、炎が焼け跡に引き返さないように〔束縛に戻らず〕、犀の角のように、独り、歩むもの。
63  〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、また、〔物欲しそうに〕足を運ばず、〔感官〕機能(根)を守り、意を守り、〔煩悩が〕漏れ出ず、〔貪欲の炎に〕焼かれず、犀の角のように、独り、歩むもの。
64  葉が刈り払われたパーリチャッタ〔樹〕のように、諸々の在家の特徴を取り払って、黄褐色の衣[ころも](袈裟)をまとい、〔家を〕出て、犀の角のように、独り、歩むもの。
65  諸々の味(味覚の喜び)にたいし、貪り〔の思い〕を為さず、〔心が〕動かない者は、他者からの扶養なく、〔行乞のために〕歩々淡々と歩み、家々に縛られない心の者として、犀の角のように、独り、歩むもの。
66  心の〔有する〕五つの〔解脱の〕妨害(五蓋:貪り・怒り・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い)を捨て去り、一切の付随する〔心の〕汚れ(随煩悩)を除き去って、依存なき者は、愛執という〔心の〕汚点を断ち切って、犀の角のように、独り、歩むもの。
67  楽と苦〔の両者〕に背を向けて、さらには、まさしく、過去における悦意と失意〔の両者〕に〔背を向けて〕、放捨(捨:分け隔てのない心)と寂止(奢摩他・止)と清浄〔の境地〕を得て、犀の角のように、独り、歩むもの。
68  最高の義(勝義:涅槃の境地)を得るため、精進に励み、心に陰鬱なく、怠惰な生活をせず、断固たる努力あり、強靱さと力量を具有した者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
69  坐禅と瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を捨てず、諸法(もの・こと)について、常に法(もの・こと)のままに行じおこなう者は、諸々の生存のうちに危険を触知した者(苦しみの生をあるがままに知り見る者)であり、犀の角のように、独り、歩むもの。
70  〔気づきを〕怠らず渇愛の滅尽を望み求める者、聾唖ならず聞あり気づきある者、法(真理)を究め〔正道を〕決定した〔刻苦〕精励の者は、犀の角のように、独り、歩むもの。
71  諸々の音に動じない獅子のように、〔鳥捕りの〕網に着さない風のように、〔泥〕水に汚されない蓮華のように、犀の角のように、独り、歩むもの。
72  〔敵を〕打ち負かし、〔一切を〕征服して歩む、獣たちの王たる、牙むく獅子のように、諸々の辺境の臥坐〔所〕に慣れ親しみ、犀の角のように、独り、歩むもの。
73  慈愛[いつくしみ]〔の心〕(慈)、放捨[おのずから]〔の心〕(捨)、慈悲[いたわり]〔の心〕(悲)、解脱、そして、歓喜[わかちあい]〔の心〕(喜)を、〔正しい〕時に習い行ない、一切世〔界〕に遮られず、犀の角のように、独り、歩むもの。
74  貪り(貪)と怒り(瞋)と迷い(痴)を捨てて、諸々の束縛を引き裂き、寿命の消滅に動ぜず、犀の角のように、独り、歩むもの。
75  〔人々は〕義(利益)を動機として、〔他者と〕親しくし、そして、〔他者に〕仕える。今日[こんにち]、〔打算的〕動機なき〔真の〕朋友たちは、得難きもの。人間たちの、自己に依って立つ知識(自己本位の断片的知識)ある人間たちは、不浄である。犀の角のように、独り、歩むもの。


 第四経 耕作者バーラドヴァージャ

76  〔耕作者バーラドヴァージャが尋ねた〕「〔あなた(ブッダ)は、自らについて〕『耕作者である』〔と〕公言なさいます。しかしながら、〔わたしたちは〕あなたの耕作〔するところ〕を見ません。〔わたしたちが〕あなたの耕作を知りうるように、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしたちに、〔あなたの〕耕作を説いてください」〔と〕。
77  〔世尊は答えた〕「信が、種子です。苦行が、雨です。わたしのばあい、知慧(般若・慧)が、軛[くぶき]と鋤[すき]です。恥〔を知る思い〕(慚)が、轅[ながえ]です。意[おもい]が、結び紐です。わたしのばあい、気づき(念)が、鋤先と刺し棒です。
78  身体[からだ]が守られ、言葉が守られ、腹において食が自制された者として、〔わたしは〕真理という草刈りを為します。わたしのばあい、温和〔な心〕が、解き放ち(放牧)です。
79  わたしのばあい、精進が、束縛からの〔心の〕平安を運ぶ、荷駄牛です。〔その荷駄牛は〕引き返すことなく、行って憂い悲しまない所(涅槃)に行きます。
80  このように、これが、〔わたしの〕為した耕作です。それは、不死の果と成ります。この耕作を為して、〔人は〕一切の苦しみから解脱するのです」〔と〕。
81  〔さらに、世尊は言葉を続けた〕「わたしにとって、唱えられた詩偈〔に起因する利得〕(詩を唱えて得たもの)は、受けるべきものではありません。婆羅門よ、正しく見る者たちにとって、これは、法(正義)ではありません。覚者たちは、唱えられた詩偈〔に起因する利得〕を除き去ります(詩を唱えて得たものを拒否する)。婆羅門よ、法(正義)が存するなら、これが、生活〔のあり方〕です。
82  また、全一者たる偉大なる聖賢には、煩悩(漏)が滅尽し悔い〔の思い〕が止み静まった者には、他の食べ物と飲み物で奉仕しなさい。まさに、それは、功徳を期す者の田畑(福田)と成ります」〔と〕。

 第五経 チュンダ

83  鍛冶屋の子のチュンダが〔尋ねた〕「多き知慧ある牟尼(ブッダ)に、法(真理)の主[あるじ]たる渇愛を離れた覚者(ブッダ)に、最も優れた馭者たる最上の二足者(ブッダ)に、尋ねます。世に、沙門(修行者)たちは、どれほどいるのですか。どうか、それを説いてください」と。
84  世尊は〔答えた〕「チュンダさん、沙門たちは、四者います。第五〔の沙門〕は、存在しません。じかに〔問いを〕尋ねられた者(教え手)として、彼らについて、あなたに明らかにしましょう。〔すなわち〕道の勝利者、そして、道の説示者、道に生きる者、および、道を汚す者〔の四者〕です」と。
85  鍛冶屋の子のチュンダが〔尋ねた〕「覚者たちは、誰を、道の勝利者と説くのですか。道の教授者は、どのようにして、無比なる者と成るのですか。〔問いを〕尋ねられた者として、道に生きる〔者について〕、わたしに説いてください。また、道を汚す者について、わたしに明らかにしてください」と。
86  〔世尊は答えた〕「疑惑を超え、矢を抜き、涅槃〔の境地〕に喜びある、貪りなき者、天〔界〕を含む世〔界〕の導き手である、そのような者を、覚者たちは、『道の勝利者』と説きます。
87  この〔世において〕、最高のものを『最高のもの』と知って、まさしく、この〔世において〕、法(真理)を告知し区分する者——彼を、疑惑を断ち動揺なき牟尼(沈黙の聖者)を、比丘たちのなかの第二の者である『道の説示者』と言います。
88  見事に示された法(教え)の句(法句)という道に生きる、自制と気づきの者——諸々の罪なき句(境地)に慣れ親しむ者——〔彼を〕比丘たちのなかの第三の者である『道に生きる者』と言います。
89  善き掟[おこない]の者(出家者)たちの覆[おおい]を作り為して(善人のふりをして)、傲岸で、尊大で、家を汚す者——幻術[さぎ]師(偽善者)で、自制なく、籾殻[もみがら]〔のような者〕——〔いかにも〕それらしい形態で行じおこなう者——彼は、『道を汚す者』です。
90  しかして、在家の聖なる弟子である、聞[もん]あり知慧を有する者は、これらのことを理解しました。〔すなわち〕『〔比丘たちの〕全てが、このような〔道を汚す〕者たちではない』と知って、かくのごとく見て、彼の信は失うことなく、まさに、どのようにして、汚れた者と汚れなき者を、清浄の者と清浄ならざる者を、等しき者と為す(混同する)というのでしょう」〔と〕。

 第六経 滅びの者

91  〔天の神が尋ねた〕「滅びつつある人について、わたしたちは、ゴータマ(ブッダ)に尋ねます。〔わたしたちは〕世尊(ブッダ)に問い尋ねるため、やってまいりました。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
92  〔世尊は答えた〕「識知し易い者として、栄える者は〔世に〕有ります。識知し易い者として、滅びの者は〔世に有ります〕。法(真理)を欲する者として、栄える者は〔世に〕有ります。法(真理)を嫌う者として、滅びの者は〔世に有ります〕」〔と〕。
93  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第一の滅びの者です。世尊よ、第二の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
94  〔世尊は答えた〕「彼にとって、正しからざる者たちは、愛しき者たちとして〔世に〕有ります。正しくある者たちについて、愛しき者と為すことがなく、正しからざる法(もの・こと)を選ぶ——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
95  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第二の滅びの者です。世尊よ、第三の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
96  〔世尊は答えた〕「睡眠を戒[ならい]とし、集会を戒とし、かつまた、奮起することのない人——怠け者で、怒ることで知られる者——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
97  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第三の滅びの者です。世尊よ、第四の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
98  〔世尊は答えた〕「あるいは、母が、あるいは、父が、老いて、盛りが過ぎたのを、〔やれば〕できる者として存していながら、養わない者——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
99  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第四の滅びの者です。世尊よ、第五の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
100  〔世尊は答えた〕「あるいは、婆羅門を、あるいは、沙門を、あるいはまた、他の乞食[こつじき]者を、虚偽の論で騙す者——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
101  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第五の滅びの者です。世尊よ、第六の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
102  〔世尊は答えた〕「巨万の富があり、金を有し食を有する人が、諸々の美味なるものを独りで食べる——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
103  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第六の滅びの者です。世尊よ、第七の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
104  〔世尊は答えた〕「出生を強がり、財産を強がり、そして、氏姓を強がる人が、自らの親族を軽んじる——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
105  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第七の滅びの者です。世尊よ、第八の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
106  〔世尊は答えた〕「女について質[たち]悪く、酒について質悪く、さらには、博打について質の悪い人が、得たもの、得たものを、失ってしまう——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
107  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第八の滅びの者です。世尊よ、第九の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
108  〔世尊は答えた〕「自らの妻たちに満足せず、娼婦たちに見とれ、他者の妻たちに見とれる——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
109  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第九の滅びの者です。世尊よ、第十の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
110  〔世尊は答えた〕「盛りを超えた男が、ティンバル〔樹の果実〕のような乳房ある〔若い女〕を導き入れ、彼女への嫉妬で〔夜も〕眠らない——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
111  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第十の滅びの者です。世尊よ、第十一の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
112  〔世尊は答えた〕「酒乱の女や浪費する〔女〕、あるいはまた、そのような男を、権力あるところに置く——それが、滅びつつあるの者の入り口です」〔と〕。
113  〔天の神が尋ねた〕「かくのごとく、まさに、このことを識知します。彼は、第十一の滅びの者です。世尊よ、第十二の者について、説いてください。何が、滅びつつある者の入り口ですか」〔と〕。
114  〔世尊は答えた〕「財物が少なく、〔それでいて〕渇愛の大きい者が、士族の家に生まれ、彼が、この〔世において〕王権を切望する——それが、滅びつつあるの者の入り口です。
115  賢者は、世における、これらの滅びの者たちを観察して、〔あるがままの〕ものの見方を成就した聖者となり、彼は、至福の世〔界〕へと親しみ行くのです」〔と〕。

 第七経 賤民

116  憤怒の者、怨恨の者と、〔為した〕悪を隠覆する人と、堕落した見解の幻術[さぎ]師(偽善者)——彼を「賤民である」と知るように。
117  あるいは、一なる生まれのもの(胎生)、あるいはまた、二なる生まれのもの(卵生)など、この〔世において〕、生き物たちを害し、彼に、生き物にたいする憐憫〔の思い〕が存在しない者——彼を「賤民である」と知るように。
118  村々や町々を制圧し、占領し、圧制者として知られた者——彼を「賤民である」と知るように。
119  もしくは、村であろうと、林であろうと、他者たちがわたしのものとするもの(他者の私有物)を、盗みごころから、与えられていないのに取る者——彼を「賤民である」と知るように。
120  まさに、借金をしておきながら、叱責されるとなると、「あなたからの借金は、まさに、存在しない」と逃げる者——彼を「賤民である」と知るように。
121  まさに、微々たるものが欲しくて、道行く人を殺して、微々たるものを奪い取る者——彼を「賤民である」と知るように。
122  自己を因とし、他者を因とし、さらには、財を因とする、〔利己的な〕人が、じかに〔問いを〕尋ねられた者(教え手)として、虚偽を説く——彼を「賤民である」と知るように。
123  無理強いで、あるいは、了解したうえで、親族たちの、あるいは、友たちの、〔何であれ、他者の〕妻たちと相見える者——彼を「賤民である」と知るように。
124  あるいは、母が、あるいは、父が、老いて、盛りが過ぎたのを、〔やれば〕できる者として存していながら、養わない者——彼を「賤民である」と知るように。
125  あるいは、母を、あるいは、父を、兄弟を、姉妹を、姑を、言葉で傷つけ、悩ます者——彼を「賤民である」と知るように。
126  義(意味)を問い尋ねられた者として存しながら、義(意味)ならざることを教え、隠し事を告げる者——彼を「賤民である」と知るように。
127  悪しき行為(悪業)を為しておきながら、「〔他者が〕わたしのことを知ることがあってはならない」と求める、隠し事の行為(業)ある者——彼を「賤民である」と知るように。
128  まさに、他者の家に行って、御馳走を食べておきながら、〔客として〕やってきた者を歓迎しない者——彼を「賤民である」と知るように。
129  あるいは、婆羅門を、あるいは、沙門を、あるいはまた、他の乞食[こつじき]者を、虚偽の論で騙す者——彼を「賤民である」と知るように。
130  あるいは、婆羅門を、あるいは、沙門を、食事の時がやってきたのに、言葉で悩ませ、そのうえ、〔食を〕与えない者——彼を「賤民である」と知るように。
131  この〔世において〕、正しからざる者たちの〔論を〕説き、迷妄に包まれ、微々たるものを貪り求める者——彼を「賤民である」と知るように。
132  自らの高慢〔の思い〕によって、あるいは、自己を褒め上げ、あるいは、他者を見下す、下劣な者——彼を「賤民である」と知るように。
133  〔他者を〕悩ませ、かつまた、吝嗇[けち]で、悪を求め、物惜しみで、狡猾[あこぎ]で、恥知らずで(無慚)、〔良心の〕咎めなき者(無愧)——彼を「賤民である」と知るように。
134  覚者(ブッダ)を、あるいはまた、彼の弟子を、出家であれ、あるいは、在家であれ、誹謗する者——彼を「賤民である」と知るように。
135  まさに、阿羅漢(人格完成者)ならざる者として存在しながら、「阿羅漢である」〔と〕公言する、梵〔界〕を含む世〔界〕における盗賊——まさに、これは、最低の賤民である。わたしがあなたたちに明らかにした者たち——これらの者たちは、まさに、賤民と説かれた者たちである。
136  〔人は〕出生によって、賤民(非人)と成るのではない。〔人は〕出生によって、婆羅門(聖職者)と成るのではない。行為(業)によって、賤民と成る。行為によって、婆羅門と成る。
137  わたしの、〔以下に示す〕この実例のとおり、また、このことによっても、それ(賤民)について、知りなさい。
 チャンダーラ(旋陀羅:賤民、非人)の子で、「犬殺しのマータンガ」として〔世に〕聞こえた者がいる。
138  彼は、マータンガは、〔修行の結果、煩悩の滅尽という〕極めて得難いものたる、最高の福徳を得た者である。多くの士族たちや婆羅門たちが、彼の奉仕にやってきた。
139  彼は、天の乗り物に乗って、彼は、〔世俗の〕塵を離れた大いなる道を〔行き〕、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕を離染させて、梵世(梵天界)へと近づき行く者と成った。〔チャンダーラ族という〕出生は、彼を妨げなかった——梵世への再生から。
140  〔聖典〕読誦者の家に生まれた、呪文を眷属とする婆羅門たち——しかしながら、彼らは、諸々の悪しき行為(悪業)のうちに〔耽っているのが〕、一度ならず見受けられる。
141  あるいは、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において非難されるべき者たちであり、しかして、未来(来世)には悪しき境遇(悪趣)がある。〔婆羅門という〕出生は、彼らを妨げない——悪しき境遇から、あるいは、非難から。
142  〔人は〕出生によって、賤民(非人)と成るのではない。〔人は〕出生によって、婆羅門(聖職者)と成るのではない。行為(業)によって、賤民と成る。行為によって、婆羅門と成る。

 第八経 慈愛

143  〔まさに〕その、寂静の境地を知悉して、〔解脱という〕義(目的)に智ある者(出家修行者)が為すべきこと——
 有能で、なおかつ、真っすぐで、そのうえ、極めて正直で、かつまた、素直で、柔和で、増慢〔の思い〕なき者として、〔世に〕存するように。
144  また、〔足ることを知り、常に〕満ち足りている者として、なおかつ、〔他者を煩わせない〕扶養し易き者として、さらには、為すべきこと(世俗の義務)少なき者として、軽素な生活者として、かつまた、寂静なる〔感官〕機能(根)の者として、しかして、賢明なる者として、尊大ならず、〔行乞する〕家々に貪りなき者として、〔世に存するように〕。
145  また、他の識者たちが批判するであろうなら、どんなに小さなことであっても、行じおこなわないように。一切の有情(生きとし生けるもの)は、まさしく、安楽で、平安の者たちと成れ——自己〔自ら〕が楽しむ者たちと成れ。
146  何であれ、諸々の生き物たる生類が〔世に〕存するなら、あるいは、動くものたちも、あるいは、動かないものたちも、残りなく、あるいは、長いものたちも、あるいは、大きいものたちも、中くらいのものたちも、短いものたちも、微細や粗大のものたちも——
147  あるいは、〔かつて〕見たものたちも、あるいは、〔いまだ〕見たことがないものたちも、さらには、遠くに住むものたちも、遠からざるところに〔住むものたちも〕、あるいは、〔すでに世に〕有るものたちも、あるいは、〔これから〕生まれ来ることを求めるものたちも、一切の有情(生きとし生けるもの)は、自己〔自ら〕が楽しむ者たちと成れ。
148  他者が他者を欺くことがないように。どこにあろうと、誰であろうと、軽んじることがないように。怒りから、憤りの想い(想:表象・概念)から、互いに他の苦しみを求めることがないように。
149  母が自分の子を〔守るように、それも〕命がけで独り子を守るように、また、このように、一切の生類にたいし、無量なる〔慈愛の〕意[こころ]を習い修めるように。
150  しかして、一切世〔界〕にたいし、無量なる慈愛の意を習い修めるように。上に、また、下に、さらには、横に、隔てなく、怨みなく、敵なき〔意〕を〔習い修めるように〕。
151  立っていても、歩いていても、あるいは、坐し、あるいは、臥していても、眠気を離れ去った者として存するかぎりは、この〔行住坐臥の〕気づき(念)を〔瞬間瞬間に〕確立するように。この〔行住坐臥の気づき〕を、「この〔世における〕梵住〔の境地〕」と言う。
152  しかして、〔誤った〕見解へと近づき行くことなくして、〔正しい〕ものの見方を成就した、戒ある者は、諸々の欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕を取り除いて、もはや、胎内へとふたたび至り行くことは、まさに、ない。


 第九経 ヘーマヴァタ

153  サーターギラ夜叉が〔言った〕「今日、十五〔日〕は、斎戒〔の日〕(布薩)です。〔神聖にして〕天なる夜が、やってきました。至上の名ある教師ゴータマ(ブッダ)に、さあ、〔わたしたちは〕お目にかかるのです」と。
154  ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「どうでしょう、そのような方(ブッダ)の意[こころ]は、一切の生類にたいし、善く向けられていますか。どうでしょう、彼の、諸々の〔思慮〕分別は、〔好ましいものとして〕求められたものや〔疎ましいものとして〕求められなかったものにたいし、〔分け隔てなく〕自在に為されていますか」と。
155  サーターギラ夜叉が〔答えた〕「たしかに、そのような方である、彼の意は、一切の生類にたいし、善く向けられています。しかして、彼の、諸々の〔思慮〕分別は、〔好ましいものとして〕求められたものや〔疎ましいものとして〕求められなかったものにたいし、〔分け隔てなく〕自在に為されています」と。
156  ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「どうでしょう、〔彼は〕与えられていないものを取ることはないですか。どうでしょう、生き物たちにたいし自制〔の思い〕ある者ですか。どうでしょう、〔気づきを〕怠ること(放逸)から遠く離れていますか。どうでしょう、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を捨てることはないですか」と。
157  サーターギラ夜叉が〔答えた〕「彼は、与えられてないものを取りません。しかして、生き物たちにたいし自制〔の思い〕ある者です。しかして、〔気づきを〕怠ることから遠く離れています。覚者(ブッダ)は、瞑想を捨てません」と。
158  ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「どうでしょう、〔彼は〕虚偽を語ることはないですか。どうでしょう、言葉の用途(正しい言葉づかい)が滅尽した者ではないですか。どうでしょう、陰口を言うことはないですか。どうでしょう、〔無意味な〕雑談を語ることはないですか」と。
159  サーターギラ夜叉が〔答えた〕「たしかに、彼は、虚偽を語りません。しかして、言葉の用途(正しい言葉づかい)が滅尽した者ではありません。しかして、陰口を言うことはありません。彼は、〔正しく〕思い考えて、義(道理)のあることを語ります」と。
160  ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「どうでしょう、〔彼は〕諸々の欲望〔の対象〕に染まることはないですか。どうでしょう、〔彼の〕心は混濁してないですか。どうでしょう、〔彼は〕迷いを超え行きましたか。どうでしょう、諸法(もの・こと)について眼ある者ですか」と。
161  サーターギラ夜叉が〔答えた〕「彼は、諸々の欲望〔の対象〕に染まりません。しかして、〔彼の〕心は混濁してません。〔彼は〕一切の迷いを超え行きました。覚者(ブッダ)は、諸法(もの・こと)について眼[まなこ]ある者です」と。
162  ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「どうでしょう、〔彼は〕明知の成就者ですか。どうでしょう、清浄の行ないある者ですか。どうでしょう、彼の、諸々の煩悩は滅尽しましたか。どうでしょう、〔彼に〕さらなる〔迷いの〕生存が存在することはないですか」と。
163  サーターギラ夜叉が〔答えた〕「まさしく、〔彼は〕明知の成就者です。しかして、清浄の行ないある者です。彼の、一切の煩悩は滅尽しました。彼に、さらなる〔迷いの〕生存が存在することはありません」と。
163A  〔ヘーマヴァタ夜叉が言った〕「牟尼の心は、〔正しい〕行為(業)と言葉の用途(言葉の正しい使用)を成就しました。明知と行ないの成就者である彼を、〔あなたは〕法(真理)ゆえに賞賛します」〔と〕。
163B  〔サーターギラ夜叉が言った〕「牟尼の心は、〔正しい〕行為と言葉の用途(言葉の正しい使用)を成就しました。明知と行ないの成就者を、〔あなたは〕法(真理)ゆえに随喜します。
164  牟尼の心は、〔正しい〕行為と言葉の用途(言葉の正しい使用)を成就しました。明知と行ないの成就者ゴータマ(ブッダ)に、さあ、〔わたしたちは〕お目にかかるのです」〔と〕。
165  〔ヘーマヴァタ夜叉が言った〕「鹿のような脛をもち、痩せ細り、食少なく、〔味覚の対象に心が〕動かない慧者(ブッダ)に、林のなかで瞑想する牟尼ゴータマ(ブッダ)に、さあ、〔わたしたちは〕お目にかかるのです。
166  獅子や象のように独り歩む方に、諸々の欲望〔の対象〕について期待なき方に、近しく赴いて、死魔の罠からの解放について、〔わたしたちは〕問い尋ねるのです」〔と〕。
167  〔サーターギラ夜叉とヘーマヴァタ夜叉が言った〕「〔真理を〕告知し〔真理を〕伝授する方に、一切諸法(現象世界)の彼岸に至る方に、怨恨と恐怖〔の思い〕を超え行った覚者ゴータマ(ブッダ)に、わたしたちは問い尋ねるのです」〔と〕。
168  ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕「何にたいし、世〔界〕の生起があるのですか。何について、〔人は〕親愛〔の情〕(愛着の思い)を為すのですか。何にたいし、世〔の人々〕は執取して、何について、世〔の人々〕は打ちのめされるのですか」と。
169  世尊は〔答えた〕「ヘーマヴァタよ、六つのもの(色・声・香・味・触・法)にたいし、世〔界〕の生起があります。六つのものについて、〔人は〕親愛〔の情〕(愛着の思い)を為します。まさしく、六つのものにたいし、〔世の人々は〕執取して、六つのものについて、世〔の人々〕は打ちのめされます」と。
170  〔ヘーマヴァタ夜叉が尋ねた〕「世〔の人々〕が打ちのめされる所〔である、六つのもの〕について、そのどれが、執取〔の対象〕なのですか。〔問いを〕尋ねられた者として、〔迷いの世界からの〕出離について、説いてください。どのようにして、苦しみから解き放たれるのですか」〔と〕。
171  〔世尊は答えた〕「世における五つの欲望の対象(五妙欲:色・声・香・味・触)と、意〔の対象〕という第六のもの(法)が、〔あなたたちに〕知らされました。ここに、欲〔の思い〕を離染させて、このように、苦しみから解き放たれるのです。
172  このことが、あなたたちに真実のとおりに告げ知らされた、〔迷いの〕世〔界〕からの出離です。このことを、わたしは、あなたたちに告げ知らせます。このように、苦しみから解き放たれるのです」〔と〕。
173  〔ヘーマヴァタ夜叉が尋ねた〕「いったい、誰が、この〔世において〕、激流を超えるのですか。誰が、この〔世において〕、〔迷いの〕海を超えるのですか。誰が、足場なく基盤なき深み(迷いの海)に沈まないのですか」〔と〕。
174  〔世尊は答えた〕「一切時において戒を成就した者、〔心が〕善く定められた知慧ある者、内に〔正しい〕思弁ある気づきの者は、超え難き激流を超えます。
175  欲望〔の対象〕についての想い(想:表象・概念)を離れた者、一切の束縛を超え行く者、喜び〔の思い〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者——彼は、深み(迷いの海)に沈みません」〔と〕。
176  〔サーターギラ夜叉とヘーマヴァタ夜叉が言った〕「深遠なる知慧の方を、精緻なる義(道理)を〔正しく〕見る方を、無一物で欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存に執着なき方を、彼を、見よ——一切所に解脱した方を、天なる道を歩み行く偉大なる聖賢を。
177  至上の名ある方を、精緻なる義(道理)を〔正しく〕見る方を、〔解脱の〕知慧を与える方を、欲望と執着〔の対象〕に執着なき方を、彼を、見よ——一切を知る思慮深き方を、聖なる道を歩み行く偉大なる聖賢を。
178  すばらしい夜明けとすばらしい目覚めの今日、まさに、わたしたちは、すばらしいものを見ました。激流を超えた煩悩なき正覚者(ブッダ)を見たのです。
179  神通あり、福徳ある、これら、千の夜叉たちは、〔その〕全てが、あなたという帰依所に赴きます(覚者に帰依する)。あなたは、わたしたちにとって、無上の教師です。
180  そして、わたしたちは、村から村、山から山へと、渡り歩くでありましょう。正覚者(ブッダ)を、さらには、法(もの・こと)が見事に法(もの・こと)たることを、礼拝しながら」〔と〕。

 第十経 アーラヴァカ

181  〔アーラヴァカ夜叉が尋ねた〕「いったい、何が、人にとって、この〔世における〕最勝の富ですか。いったい、何が、善く行じおこなわれた安楽〔の境地〕をもたらすのですか。いったい、何が、諸々の味のなかでは、まさに、より美味なるものですか。どのように生きる生命を、〔賢者たちは〕『最勝のもの』と言うのですか」〔と〕。
182  〔世尊は答えた〕「信が、人にとって、この〔世における〕最勝の富です。法(教え)が、善く行じおこなわれた安楽〔の境地〕をもたらします。真理が、諸々の味のなかでは、まさに、より美味なるものです。知慧によって生きる生命を、〔賢者たちは〕『最勝のもの』と言います」〔と〕。
183  〔アーラヴァカ夜叉が尋ねた〕「いったい、どのようにして、激流を超えるのですか。いったい、どのようにして、〔迷いの〕海を超えるのですか。いったい、どのようにして、苦しみを超え行くのですか。いったい、どのようにして、〔人は〕遍く清まるのですか」〔と〕。
184  〔世尊は答えた〕「信によって、激流を超えます。〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)によって、〔迷いの〕海を〔超えます〕。精進によって、苦しみを超え行きます。知慧によって、〔人は〕遍く清まります」〔と〕。
185  〔アーラヴァカ夜叉が尋ねた〕「いったい、どのようにして、知慧を得るのですか。いったい、どのようにして、財を見い出すのですか。いったい、どのようにして、栄誉を得るのですか。どのようにして、朋友たちと〔交友を〕結ぶのですか。どのようにして、この世から他世へと、死してのち、憂い悲しまないのですか」〔と〕。
186  〔世尊は答えた〕「涅槃〔の境地〕を得るため、阿羅漢(人格完成者)たちの法(教え)に信を置き、〔法を〕聞くことを願う、明眼で〔気づきを〕怠らない者は、知慧を得ます。
187  適切なことを為し、重荷をにない、奮起する者は、財を見い出します。真理によって、栄誉を得ます。与える者は、朋友たちと〔交友を〕結びます。
188  彼に、信ある〔在家の〕家長に、真理と法(教え)と〔道心〕堅固と施与という、これら、四つの法(もの・こと)があるなら、まさに、彼は、死してのち、憂い悲しみません。
189  この〔世において〕、真理と調御と施与と忍耐よりも、より一層のものが見い出されるなら、さあ、他の沙門や婆羅門たちにもまた、広く問い尋ねてみなさい」〔と〕。
190  〔アーラヴァカ夜叉が言った〕「いったい、どのようにして、今や、〔他の〕沙門や婆羅門たちに、広く問い尋ねることができましょう。そして、わたしは、今日、覚知します——すなわち、未来(来世)における義(利益)となるものです。
191  まさに、わたしの義(利益)のために、覚者(ブッダ)は、アーラヴィー(地名)に住むべく、やってきたのです。そして、わたしは、今日、覚知します——すなわち、施したものが大いなる果となる所(布施をするにふさわしい対象)です。
192  そして、わたしは、村から村、町から町へと、渡り歩くでありましょう。正覚者(ブッダ)を、さらには、法(もの・こと)が見事に法(もの・こと)たることを、礼拝しながら」〔と〕。


 第十一経 勝利

193  もしくは、歩いていようが、立っていようが——あるいはまた、坐り、臥しているか——〔身体を〕伸ばし、〔身体を〕曲げる——これが、身体の動きである。
194  骨と腱で束縛され、皮と肉で塗装され、皮膚によって隠蔽された身体は、事実のとおりに見られない。
195  〔身体は〕腸で満ち、胃で満ち、肝臓、膀胱、心臓、肺臓、腎臓、脾臓と——
196  鼻水、唾液、汗、脂肪と、血液、髄液、胆汁と、膏とで〔満ちている〕。
197  また、この〔身体〕の九つの流れからは、一切時において、不浄物が流れ出る。目から目糞が、耳から耳糞が——
198  さらには、鼻から鼻水が〔流れ出る〕。或る時は、口から胆汁を吐き、あるいは、痰を吐く。身体から汗と垢が〔流れ出る〕。
199  また、この〔身体〕の空洞の頭蓋は、脳味噌で満たされている。〔この不浄の身体を〕偏重する愚者は、それ(身体)を、無明のゆえに、「美しい(価値がある)」と思いなす。
200  しかして、彼は、死んで〔地に〕臥し、膨張して青黒くなり、墓場に捨てられたとき、親族たちは、〔彼について〕期待なき者たちと成る。
201  彼を、犬たちや狐たちや狼たち、蛆虫たちが喰い、さらには、〔彼を餌にする〕他の生あるものたちが存在し、烏たちや鷲たちが〔彼を〕喰う。
202  覚者(ブッダ)の言葉を聞いて、比丘は、この〔世において〕、知慧ある者となる。まさに、彼は、それ(身体)について知り尽くす。なぜなら、事実のとおりに見るからである。
203  「この〔身体〕が〔そうである〕ように、そのように、この〔死体〕は〔存していた〕。この〔死体〕が〔そうである〕ように、そのように、この〔身体〕は〔成るであろう〕」〔と見て〕、内にも、外にも、身体についての欲〔の思い〕を離染させるであろう。
204  欲〔の思い〕と貪り〔の思い〕が離染した、その比丘は、この〔世において〕、知慧ある者となる。不死なる寂静に、不死なる涅槃の境地に、〔彼は〕到達した。
205  この、二足の者(人間)は、不浄で、悪臭をはなち、〔諸々の香料によって、悪臭から〕守られている。種々の死骸(汚物)で遍く満ち、そこかしこから、〔汚物が〕流れ出ている。
206  このような〔不浄の〕身体によって、傲慢たるべく思いなし(他者に褒められたいと思い)、あるいは、他者を見下すなら、〔彼は〕見なき者より他の、何だというのだろう(盲者以外の何ものでもない)。

 第十二経 牟尼

207  親愛〔の情〕から、恐怖が生じた。家〔への思い〕から、塵が生まれる。家なく、親愛〔の情〕なきこと——まさに、これは、牟尼(沈黙の聖者)のものの見方である。
208  生じたもの(煩悩)を断ち切って、成長させないなら、〔もしくは〕その生まれつつあるものに〔成長の機会を〕与えないなら、彼を、〔賢者たちは〕「独り歩む牟尼」と言う。彼は、偉大なる聖賢として、寂静の境地を見た。
209  〔迷いの生存についての〕諸々の根拠を考究して、〔その〕種子を粉砕し、〔もしくは〕それについての愛執〔の思い〕に〔成長の機会を〕与えないなら、まさに、彼は、生の滅尽と終極を見る牟尼であり、〔邪[よこしま]な〕考えを捨てて、〔虚構の〕名称(概念)に近づくことがない(名付けを離れた存在となる)。
210  諸々の〔妄執が〕固着する場の一切を了知して、それらのなかの唯[ただ]一つでさえも、欲さずにいるなら、まさに、彼は、貪り〔の思い〕を離れた無貪の牟尼であり、苦労することなく、まさに、彼岸に至った者として、〔世に〕有る。
211  一切を征服する者、一切を知る者、思慮深き者、一切の諸法(もの・こと)に汚されない者、一切を捨てる者、渇愛の滅尽〔という境地〕において解脱した者——まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
212  知慧の力あり、戒と掟を具有した者——〔心が〕定められ、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を喜ぶ、気づきある者——執着から解き放たれ、鬱屈なく、煩悩なき者——まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
213  〔気づきを〕怠ることなく、独り歩む牟尼——諸々の音に動じない獅子のように、〔鳥捕りの〕網に着[ちゃく]さない風のように、〔泥〕水に汚されない蓮華のように、諸々の非難や賞賛〔の声〕に〔心が〕動かない者——他者に導かれず、他者たちを導く者——まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
214  彼にたいし、他者たちが極端な言葉を説いても、水浴場にある柱のように〔どっしりと〕構えているなら、貪欲を離れ、〔感官〕機能(根)が善く定められた彼を、まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
215  まさに、梭[ひ](はた織りの道具)のように、真っすぐに自己を安立[あんりゅう]し、諸々の悪しき行為(悪業)を忌避し、差異と平等を〔あるがままに〕考察する者——まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
216  自己を自制し、悪を為さない者——青年であろうと、中年であろうと、自己を制した牟尼——彼は、〔何ものにも〕悩まされず、何ものをも悩ますことがない。まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
217  最初のものであれ、中程のものであれ、あるいは、残りもの(残飯)であれ、他者の施しに依拠して生きる者(出家者)として、〔行乞の〕食を得たなら、褒めようにも十分ならず、また、不平を説くでもない者(褒めもせず貶しもしない者)——まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
218  若くありながら、何ものにも縛られず、淫欲から離れて歩む牟尼——驕りと怠りから離れた解脱者——まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
219  世〔のあり様〕を了知して、最高の義(勝義:涅槃の境地)を見る者——〔貪りの〕激流と〔欲の〕海を超え渡って、拘束を断ち、依存なく、煩悩なく、そのような者である彼を、まさしく、彼をもまた、慧者たちは「牟尼」と知る。
220  〔在家と出家の〕両者は、等しくない。住居と生活は、遠く離れている。在家者は、妻を養う者である。そして、善き掟[おこない]の者(出家者)は、我執なき者である。在家者は、他の生き物を殺傷することに、自制なき者である。〔自己を〕制した牟尼は、常に、生き物たちを守る。
221  青首の孔雀が宙を行くなら、どんな時も、白鳥の速さには近づかないように、このように、在家者は、比丘には付いて行けない——林のなかで瞑想する、遠離の牟尼には。

第二章 小なるもの

 第一経 宝

222  ここに集いあつまった精霊たちよ、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、空中にあるものたちも、まさしく、一切の精霊たちよ、意[こころ]楽しく有れ。しかしてまた、〔わたしの〕語るところを、謹んで聞け。
223  それゆえに、まさに、一切の精霊たちよ、こころして聞け。人間たる〔世の〕人々のために、慈愛〔の心〕を為せ。それゆえに、まさに、昼も、夜も、〔あなたたちに〕供物を運ぶ者たちである、彼らを、怠りなく守れ。
224  あるいは、この〔世〕における、あるいは、あの〔世〕における、どのような富も、あるいは、諸々の天上における、妙なる宝も、如来(あるがまま行為者)と等しいものは、けっして、存在しない。これもまた、覚者(ブッダ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
225  〔心が〕定められた者である、サキャ〔族〕の牟尼(釈迦牟尼)が到達した、滅尽と離貪という、妙なる不死〔の境地〕——その法(教え)と等しいものは、何であれ、存在しない。これもまた、法(教え)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
226  最勝の覚者(ブッダ)が遍く褒め称えた、清らかさ——それを、〔賢者たちは〕「無間[むけん]なる〔心の〕統一(無間定:時を要さない、即時の禅定)」と言う。その、〔心の〕統一(定:三昧の境地)と等しいものは、〔どこにも〕見い出されない。これもまた、法(教え)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
227  正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
228  堅固な意で〔心が認識の対象に〕しっかりと結び付けられ、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて〔心が欲望の対象に〕無欲なる者たち——彼らは、不死〔の境地〕に入って得るべきものを得た者たちであり、寂滅〔の境地〕を空手[くうしゅ]で得て享受している者たちである。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
229  インダ(インドラ神)の杭(城門に立てられた標柱)が大地に依拠して存し、四〔方〕の風に不動であるように、その喩えのような者を、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を的確に見る、正しい人と〔わたしは〕説く。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
230  深遠なる知慧の者によって見事に示された、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を分明する者たち——たとえ、何であれ、彼らが多く怠る者たちで有るとして、彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
231  まさしく、彼の、ものの見方の成就と共に、まさに、三つの法(もの・こと)が捨て去られたものと成る。〔すなわち〕何であれ、存在するかぎりの、身体が有るという見解(有身見:心身について「自己である」「自己のものである」と妄想し執着する実体論的見解)、および、疑惑〔の思い〕、あるいはまた、〔執着の対象になった〕戒や掟である。また、四つの堕所(地獄・畜生・餓鬼・阿修羅)から解脱し、かつまた、六つの極罪を為すこと(母を殺すこと・父を殺すこと・阿羅漢を殺すこと・覚者を傷つけること・僧団を分裂させること・異教の者を師とすること)は起こりえない。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
232  たとえ、何であれ、彼が、身体によって、言葉によって、あるいはまた、心によって、悪しき行為(業)を為すとして、彼が、それを隠し立てすることは起こりえない。「〔涅槃の〕境地を見た者には、〔そのようなことは〕起こりえない」と〔覚者によって〕説かれた。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
233  〔四つある〕夏の月の第一の夏(春先)に、先端が〔一斉に〕開花した林の茂みのように、その喩えのように、〔覚者は〕涅槃に至る優れた法(教え)を、最高の利益のために〔他に先駆けて〕示した。これもまた、覚者における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
234  優れた者、優れたものを知る者、優れたものを与える者、優れたものを運び来る者、無上なる方が、優れた法(教え)を示した。これもまた、覚者における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
235  古きもの(過去の業)が滅尽し、新しいものの生起が存在せず、未来における生存にたいし心が離染した者たち——慧者である彼らは、〔迷いの〕種子が滅尽し、成長の欲なく、この灯明のように、消え行く(涅槃に到達する)。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
236  ここに集いあつまった精霊たちよ、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、空中にあるものたちも——〔わたしたちは〕天〔の神々〕と人間たちによって供養された如来を、覚者(ブッダ)を、礼拝する——安穏成れ。
237  ここに集いあつまった精霊たちよ、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、空中にあるものたちも——〔わたしたちは〕天〔の神々〕と人間たちによって供養された如来を、法(教え)を、礼拝する——安穏成れ。
238  ここに集いあつまった精霊たちよ、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、空中にあるものたちも——〔わたしたちは〕天〔の神々〕と人間たちによって供養された如来を、僧団(サンガ)を、礼拝する——安穏成れ。

 第二経 生臭

239  〔苦行者ティッサが尋ねた〕「諸々のサーマーカ(雑穀)やディングラカ〔草〕やチーナカ〔豆〕を、葉の果(野菜)や根の果(根菜)や蔓の果(果実)を、正しくある者たちの法(教え)によって得たもの(規則どおりに採取したもの)を、〔常に〕食べている者たち——〔彼らは〕欲を欲するままに偽りを語ることがありません。
240  〔しかしながら〕上手に作り為され、見事に盛り付けされたものを〔常に〕食べている者——他者たちによって布施され供与された妙なるものを、〔雑穀の混じらない〕米〔だけ〕の食べ物を、食べている者——カッサパ(迦葉:過去仏)よ、彼は、生臭[なまぐさ]ものを食べているのです。
241  梵〔天〕(ブラフマー神)の眷属であるあなた(過去仏カッサパ)は、上手に調理された諸々の鳥の肉とともに、〔雑穀の混じらない〕米〔だけ〕の食べ物を食べつつ、『生臭の者は、わたしには受け入れられない』と、まさしく、かくのごとく語ります。カッサパよ、この義(意味)について、あなたに尋ねます。あなたの〔説く〕生臭は、どのような流儀のものですか」〔と〕。
242  〔過去仏カッサパは答えた〕「生き物を殺すこと、〔生き物を〕打つことと切ることと縛ること、〔物を〕盗むこと、虚偽を説くこと、欺くこと、騙すことと、〔役に立たない〕学問に傾倒すること、他者の妻と慣れ親しむこと——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
243  この〔世において〕、諸々の欲望〔の対象〕にたいし自制なき人たち、諸々の味にたいし貪り〔の思い〕ある者たち、不浄のものと交わる者たち、『〔何であれ〕存在しない』という見解(断見論)ある正しからざる者たち、捉えどころなき者(教え難き者)たち——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
244  粗野な者たち、凶悪な者たち、陰口を言う者たち、朋友を裏切る者たち、慈悲〔の心〕なく増慢の者たち、そして、施さないことを戒[ならい]とし、誰にたいしても施さない者たち——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
245  憤怒、驕慢、強情、そして、反抗、幻想[ごまかし]、嫉妬、あるいは、大言壮語、さらには、高慢と増慢、正しからざる者たちへの親愛——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
246  悪を戒[ならい]とし、借金を踏み倒し、告げ口をし、裁きにおいて奸計あり、この〔世において〕、それらしい形態[なり]をする者(偽善者)たち——この〔世において〕、罪障を作る、最低の人たち——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
247  この〔世において〕、諸々の生き物にたいし自制なき人たち——他者たちのものを取って、害することに専念する者たち——戒に劣り、凶暴で、粗暴で、礼を欠く者たち——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
248  これら〔の生き物たち〕にたいし貪り〔の思い〕ある者たち、〔行く手を〕遮り殺害する者(敵意を抱き、害を為す者)たち、常に〔正しからざることに〕専念する〔迷える〕有情たちは、死してのち、闇に赴き、頭を下にして〔真っ逆さまに〕地獄に堕ちる——これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。
249  魚肉〔を食べないこと〕にあらず、断食することにあらず、あるいは、裸身でいること、剃髪すること、結髪すること、埃〔をかぶること〕、諸々の粗い鹿皮〔をまとうこと〕にあらず、あるいは、祭火の勤行にあらず、あるいはまた、世における多くの不死の苦行、諸々の呪文や供犠、諸々の祭祀や季節の勤行に〔あらず〕——疑惑を超えずにいる人間を清めるのは。
250  諸々の〔欲望の〕流れにたいし〔心が〕守られた者として、〔感官〕機能(根)を征圧した者として、歩むように。法(正義)に依って立ち、正直で柔和であることを喜び、執着を超え行き、一切の苦しみを捨て去った慧者は、諸々の見られ聞かれたもの(執着の対象になった認識対象)に汚されません」〔と〕。
251  かくのごとく、世尊(過去仏カッサパ)は、繰り返し、この義(意味)を告げ知らせた。呪文の奥義に至る者(苦行者ティッサ)は、それを知った。生臭なく、〔何ものにも〕依存せず、〔何ものによっても〕捉えどころなき牟尼は、様々な詩偈によって、〔それを〕明らかにした。
252  見事に語られた覚者の句を、生臭なく一切の苦しみを除き去る〔教え〕を聞いて、〔苦行者ティッサは〕謙虚な意[こころ]で如来を拝し、まさしく、その場において、ここに、出家することを選んだ。

 第三経 恥

253  恥〔の思い〕を超え(無視し)、忌避している者——「わたしは、〔あなたの〕友として存在する」と語りながら、諸々のできる行為(業)を引き受けずにいる者——彼のことを、「これは、わたしの〔友〕ではない」と、かくのごとく識知するように。
254  〔実行を〕伴わない愛しい言葉を、朋友たちのあいだで作り為す(語る)なら、賢者たちは、為すことなく語っている者を、〔あるがままに〕知り尽くす。
255  〔朋友にたいし〕常に〔警戒を〕怠らず、〔友情の〕破壊を危惧し、〔相手の〕欠点だけを観る者——彼は、朋友ではない。しかしながら、〔母の〕胸に子が臥すように彼のうちにあり、他者たちによって〔彼との友情が〕壊れないなら、まさに、彼は、朋友である。
256  果報と福利ある者は、人としての重荷を運びつつ、歓喜を作り為す境位(喜びの因となる精進努力)を、賞賛をもたらす安楽(涅槃へと導く精進努力)を、習い修める。
257  遠離の味わいを飲み干して、さらには、寂止の味わいを〔飲み干して〕、懊悩なく悪なき者と成る——法(真理)の喜びの味わいを飲み干しながら。

 第四経 大いなる幸福

258  〔天の神が尋ねた〕「多くの天〔の神々〕や人間たちは、安穏を望みながら、諸々の幸福について、思い考えました。最上の幸福について、説いてください」〔と〕。
259  〔世尊は答えた〕「愚者たちと慣れ親しまないことと、賢者たちと慣れ親しむことと、供養すべき者たちに供養することと——これが、最上の幸福です。
260  適切な地に住むことと、過去に作り為された功徳あることと、自己についての正しい誓願と——これが、最上の幸福です。
261  多聞[たもん](博識)と、技芸と、善く学ばれた律[りつ](規律)と、見事に語られた言葉と——これが、最上の幸福です。
262  母と父に奉仕すること、子と妻を愛護すること、行為(仕事)に混乱なきことと——これが、最上の幸福です。
263  布施と、法(教え)にかなう行ないと、親族たちを愛護することと、罪過なき諸々の行為(業)——これが、最上の幸福です。
264  悪から離れること、〔悪から〕去ること、酔う飲み物(酒)について自制あることと、諸法(もの・こと)にたいし〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)と——これが、最上の幸福です。
265  尊重と、謙譲と、知足と、知恩、〔正しい〕時に法(教え)を聞くこと——これが、最上の幸福です。
266  忍耐と、素直であること、沙門たちと相見[まみ]えることと、〔正しい〕時に法(教え)を論じること——これが、最上の幸福です。
267  苦行と、梵行(禁欲清浄行)と、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を見ること、涅槃〔の境地〕を実証することと——これが、最上の幸福です。
268  世における諸々の法(もの・こと)に触れても、彼の心が動かず、憂いなく、〔世俗の〕塵を離れ、平安であること——これが、最上の幸福です。
269  これらのようなことを為して、一切所で敗者ならず、一切所で安穏へと至る——それが、彼らにとっての最上の幸福です」〔と〕。

 第五経 スーチローマ

270  〔スーチローマ夜叉が尋ねた〕「貪り(貪)と怒り(瞋)とは、何を縁として〔生起したのですか〕。不満と喜悦(好悪の感情)、身の毛のよだつことは、何を〔縁として〕生じたのですか。諸々の思考は、何を〔縁として〕現起して、〔善き〕意[こころ]を〔投げ捨てるのですか〕——少年たちが〔足を縛った〕烏を〔遊び目的で〕投げ捨てるように」〔と〕。
271  〔世尊は答えた〕「貪りと怒りとは、これ〔自身〕を縁として〔生起しました〕。不満と喜悦(好悪の感情)、身の毛のよだつことは、これ〔自身〕を〔縁として〕生じました。諸々の思考は、これ〔自身〕を〔縁として〕現起して、〔善き〕意を〔投げ捨てます〕——少年たちが〔足を縛った〕烏を〔遊び目的で〕投げ捨てるように。
272  〔それらは〕愛執〔の思い〕から生じ、自己から生起したものです——〔ニグローダ樹の葉が〕ニグローダ〔樹〕の幹〔それ自身〕から生じたものであるように。〔それらは〕広く、諸々の欲望〔の対象〕に絡[からみ]みついています——林のなかにはびこった蔓草のように。
273  それが何を縁として〔生起したのか〕を覚知する者たち——彼らは、それを取り除きます。夜叉よ、聞きなさい。彼らは、さらなる〔迷いの〕生存がないように、かつて超えられたことのない、この、超え難き激流を超えます」〔と〕。

 第六経 法にかなう行ない

274  法(教え)にかなう行ない(法行)と梵行(禁欲清浄行)——これを、〔賢者たちは〕「最上の富」と言う。たとえ、もし、家から家なきへと出家した者として〔世に〕有るとして——
275  もし、彼が、口悪き輩[やから]で、〔他者を〕害することを喜ぶ獣愚の者であるなら、彼の生は、より悪しきものとなり、自己の塵を増大させる。
276  紛争を喜ぶ比丘は、迷妄という法(性質)によって覆われた者であり、たとえ、覚者(ブッダ)によって示された法(教え)を告げ知らされても、知ることはない。
277  自己を修めた者たちを悩害し、無明によって〔特定のものを〕偏重する者は、〔心の〕汚れ(煩悩)が地獄に至る道であることを知らない。
278  悪所に堕した者は、胎から胎、闇から闇へと〔赴く〕。まさに、彼は、そのような比丘は、死してのち、苦を受ける。
279  糞坑[こえだめ]が年を経たものとして存するなら、〔汚物で〕満たされるように、このような形態の者として存するなら、穢れを有する者は、まさに、清め難い。
280  比丘たちよ、このような形態[なり]の者を、家〔の生活〕に依存する者(世俗の欲望に縛られた者)と知れ。悪しき欲求ある者、悪しき妄想ある者、悪しき行ないを境涯とする者と〔知れ〕。
281  全て〔の比丘〕は、和合の者たちと成って(一致団結して)、彼を厭い離れよ。殻を取り払え。屑を取り去れ。
282  それゆえに、沙門でないのに「沙門である」と高慢する、籾殻たちを除き去れ——悪しき欲求ある者たち、悪しき行ないを境涯とする者たちを取り払って。
283  〔あなたたちは〕気づきある、清浄の者たちとして、清浄の者たちと共に住むことを〔心に〕想い描け(その実現に努めよ)。それゆえに、〔あなたたちは〕賢明なる、和合の者たちとして、苦しみの終極[おわり]を為すであろう。

 第七経 婆羅門としての法あること

284  過去の聖賢たちは、自己を自制した〔真の〕苦行者たちとして、〔世に〕存した。五つの欲望の対象(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨てて、自己の義(目的)を行じおこなった。
285  〔過去の〕婆羅門たちに、家畜たちは存在しなかった。黄金なく、穀物なく、読誦を財産とし穀物とする者たちとして〔世に〕存し、梵宝(心身における最高のあり方)を守った。
286  〔施者によって〕準備された門口[かどぐち]の食(供養のための食)は、彼らのために作られたものとして存在した。〔人々は〕それを、〔食を〕求める者たち(行乞者)のために施すべく、信によって作られたものと思い考えた。
287  種々なる〔色〕に染まった諸々の衣[ころも]や諸々の臥〔具〕、さらには、諸々の住居によって(それらを供物として)、地方や国々の富み栄える者たちは、彼ら、婆羅門たちを礼拝した。
288  婆羅門たちは、不可侵の者たちとして、不可伐の者たちとして、法(真理)に守護された者たちとして、〔世に〕存した。誰であれ、家々の戸口において、彼らを妨げることは、全くもってなかった。
289  彼らは、四十八年のあいだ、童貞の梵行(禁欲清浄行)を行じおこなった。過去の婆羅門たちは、明知と行ないの完全なる探求を行じおこなった。
290  婆羅門たちは、他者〔の妻〕のもとに行かなかった。また、彼らは、妻を買うこともなかった。まさしく、相愛の者と共に住むことを、一緒になって喜び合った。
291  〔適切な〕その時より他には、月経[つきのもの]で離れている〔妻〕に向かって、〔その〕間、婆羅門たちが淫欲の法(もの・こと)に赴くことは、けっしてない。
292  〔彼らの〕梵行と、戒と、実直、柔和、苦行、温和、不害と、さらにまた、忍耐を、〔人々は〕褒め称えた。
293  彼らのなかでも最高の者として存した、断固たる努力ある梵(婆羅門)——まさしく、彼は、夢の中でさえも、淫欲の法(もの・こと)に赴かなかった。
294  彼の行持[つとめ]に学ぶ者たち、この〔世において〕識者に属するとされる、或る者たちは、〔彼の〕梵行と、戒と、さらにまた、忍耐を、褒め称えた。
295  米と臥〔具〕と衣、そして、酥(バター)と油を、法(真理)によって乞い、集めて、そののち、祭祀を営んだ。準備された祭祀において、彼らが牛たちを殺すことは、けっしてなかった。
296  母や父や兄弟たちが、あるいはまた、他の親族たちとがそうであるように、牛たちは、彼らにおいて諸々の薬が生まれる、わたしたちにとって最高の朋友たちであり——
297  そのように、これら〔の牛たち〕は、〔わたしたちに〕食べ物を与え、そして、力を与え、色艶を与え、安楽を与えてくれる者たちである。この、義(道理)の支配あるところを知って、彼らが牛たちを殺すことは、けっしてなかった。
298  〔身のこなしが〕繊細で身体が大きく、容貌と福徳ある、〔過去の〕婆羅門たちは、自らの諸々の法(性質)によって、諸々の為すべきことや為すべきでないことに邁進する者たちであり、〔彼らの徳が〕世に転起したあいだ、この〔世の〕人々は安楽に栄えた。
299  〔しかしながら〕彼らに、転倒〔の想い〕が存在した(不実の思いが生まれた)。微細な〔欲の喜び〕から、〔まさにその〕微細なものを〔欲望の対象として〕見て、王の華麗さと、〔見てくれを〕十二分に作り為した女性たちとを〔見て〕——
300  善き生まれ〔の駿馬〕を繋ぎ見事に作られた諸々の車と、様々な〔彩りの〕刺繍を、等分に計量され区分された諸々の住居地や住居を〔見て〕——
301  牛たちの輪に囲まれ、美女の群れを擁する、巨万〔の富〕を、〔欲深い〕人間としての財物を、婆羅門たちは貪り求めた。
302  そこで、彼らは、諸々の呪文を編纂して、そのとき、オッカーカ〔王〕(甘蔗:古代の大王)のもとへと近づき行った。「〔あなたは〕多大なる財産と穀物をもつ者として〔世に〕存している。祭祀をしなさい。あなたには、多くの富がある。祭祀をしなさい。あなたには、多くの財がある」〔と〕。
303  しかして、〔このように〕婆羅門たちに説得された、車上の雄牛(戦車隊の統率者)たる王は、それゆえに、馬の犠牲〔祭〕や人の犠牲〔祭〕、サンマーパーサ〔祭〕やヴァージャペイヤ〔祭〕やニラッガラ〔祭〕など、これらの祭祀を執り行なって、婆羅門たちに財を与えた。
304  牛たち、臥〔具〕と、衣と、〔見てくれを〕十二分に作り為した女性たちと、善き生まれ〔の駿馬〕を繋ぎ見事に作られた諸々の車と、様々な〔彩りの〕刺繍を——
305  しっかりと等分に〔計測され〕区分された諸々の喜ばしき住居地を、種々の穀物で満たして、婆羅門たちに財を与えた。
306  しかして、彼らは、そこにおいて財を得て、蓄積することを喜び合った。〔自らの〕欲求に沈んだ彼らの渇愛〔の思い〕は、より一層、増大した。そこで、彼らは、諸々の呪文を編纂して、ふたたび、オッカーカ〔王〕(甘蔗:古代の大王)のもとへと近づき行った。
307  「水と、大地と、黄金、財産や穀物のように、このように、牛たちは、人間たちのものである。まさに、それは、生ある者たちの必需品である。祭祀をしなさい。あなたには、多くの富がある。祭祀をしなさい。あなたには、多くの財がある」〔と〕。
308  しかして、〔このように〕婆羅門たちに説得された、車上の雄牛(戦車隊の統率者)たる王は、それゆえに、幾百千の牛たちを、祭祀において屠らせた。
309  〔牛たちは、人にたいし〕足で〔害すること〕なく、角で〔害すること〕なく、何であろうと、〔人を〕害することは、けっしてない。牛たちは、羊と等しく温和で、瓶[かめ]いっぱいの乳〔を出してくれる〕。その〔牛たち〕を、王は、角を掴まえて、刃でもって屠らせた。
310  しかして、天〔の神々〕たち、先祖の霊、インダ〔神〕(インドラ神)、阿修羅や羅刹たちは、それゆえに、牛のうえに刃が落ちたことを、「法(正義)にあらず」と泣き叫んだ。
311  過去には、欲求(本能)と飢餓(空腹になること)と老化という、三つの病〔だけ〕が、〔人間に〕存在した。しかしながら、家畜たちの屠殺により、〔新たに〕九十八〔の病〕が起こった。
312  この、法(正義)ならざることが、諸々の棒(暴力)のなかの〔一つの〕現われとして、過去に有った。汚れなき者たちが殺され、祭祀をする者たちは、法(正義)から転落する。
313  このように、この、〔欲の思いという〕微細な法(もの・こと)が、過去〔に有ったこと〕であり、識者が非難するところのものである。このような〔供犠〕を見る所では、人は、祭祀をする者を非難する。
314  このように、法(正義)が失われたとき、隷民と庶民たちは分裂した。多くの士族たちが分裂し、妻は夫を軽蔑した。
315  士族たち、そして、梵〔天〕(ブラフマー神)の眷属たち、さらには、他の、氏姓に守られた者たち——〔彼らは〕出生の論(分相応の生き方)を無視して、諸々の欲望の支配へと近づき行った。

 第八経 舟

316  彼から、まさに、法(真理)を、人が識知するなら、彼を、天〔の神々〕たちがインダ〔神〕(インドラ神)を〔供養する〕ように、供養するように。供養された彼は、その〔人〕にたいし、清らかな心ある、多聞[たもん]の者として、〔その人のために〕法(真理)を明らかにする。
317  その〔法〕を義(目的)と為して、こころして聞き、慧者は、法(真理)を法(真理)のままに実践しつつ、しかして、〔彼は〕識者にして〔法を〕分明する精緻の者と成る——〔気づきを〕怠ることなく、そのような〔多聞の〕者と親しくするなら。
318  しかしながら、小なる愚者に仕え親しむ者は、あるいは、義(目的)に至らない者に〔仕え親しむ者は〕、あるいは、嫉妬〔の思い〕ある者に〔仕え親しむ者は〕、まさしく、この〔世において〕、法(真理)を分明せずして、疑惑を超えることなく、死へと近づき行く。
319  人が川に入って、〔それも〕水の流れ速き大水〔の川〕に〔入って〕、彼〔自身〕が〔流れに〕運ばれつつ、流れのままに行くなら、どうして、彼が、他者たちを超え渡すことができるであろう。
320  まさしく、そのように、法(真理)を分明せずして、多聞の者たちの〔説く〕義(道理)をこころして聞かずして、自ら知ることなく、疑惑を超えずにいるなら、どうして、彼が、他者たちを納得させることができるであろう。
321  また、櫂と舵を保有する者と成って、堅固な舟に乗り、そこ(舟)において、〔操舵の〕手段を知る、思慧ある智者として〔有る〕なら、彼は、そこにおいて〔はじめて〕、他の、多くの者たちをもまた超え渡すであろうように——
322  また、このように、〔真の〕知に至り、自己を修めた者として〔世に有るなら〕、多聞にして、不動なる法(真理)の者として〔世に〕有るなら、まさに、彼は、〔法を〕覚知している者であり、他者たちを、耳を傾け〔聴聞の〕縁を具有した者たちを、納得させるであろう。
323  それゆえに、まさに、正しい人と親しくするように——まさしく、思慮ある者と、多聞の者とに。義(道理)を了知して〔常に〕実践している彼は、法(真理)の識知者となり、安楽を得るであろう。

 第九経 何が戒か

324  〔比丘が尋ねた〕「何が、戒ですか。何が、正しい行ないですか。どのような諸々の行為(業)を育てつつ、人は、正しい〔自己〕確立者として存するのですか、そして、最上の義(目的)を得るのですか」〔と〕。
325  〔世尊は答えた〕「長上(年長の先達)を敬い、嫉妬〔の思い〕なき者として存するように。そして、導師と相見[まみ]えるための〔正しい〕時を知る者として存するように。法(真理)の話が発せられた時節を知り、諸々の見事に語られた〔法の話〕を謹んで聞くように。
326  〔正しい〕時に導師の現前に行くように。強情を捨てて、謙譲の生活者となり、義(道理)と法(真理)と自制と梵行(禁欲清浄行)について、まさしく、思念もし、実行もするように。
327  法(真理)を喜びとし、法(真理)に喜びあり、法(真理)において安立し、法(真理)の判別を知る者となり、法(真理)を汚す論を行じおこなうことが、まさしく、ないように。見事に語られた諸々の真実によって導かれるように。
328  笑い、呟き、嘆き、怒り、〔過去に〕為した幻想[ごまかし]、虚言、貪欲と高慢、激昂と粗暴と汚濁と耽溺を捨てて、驕りを離れ、自己を安立した者として歩むように。
329  諸々の見事に語られた〔法の話〕は、識知されることを真髄とします。聞かれたものと識られたものは、〔心の〕統一(定:三昧の境地)を真髄とします。人が、〔気づきを〕怠り、〔物事を〕無理強いする者として〔世に〕有るなら、彼には、知慧も、所聞(学識)も、増えることはありません。
330  しかしながら、聖者によって知らされた法(教え)に喜びある者たち——彼らは、言葉によって、意[こころ]によって、そして、行為(業)によって、無上なる者たちです。彼らは、〔心の〕寂静と〔心の〕温和と〔心の〕統一(定:三昧の境地)を確立した者たちです。所聞(学識)と知慧の真髄に到達したのです」〔と〕。

 第十経 奮起

331  奮起せよ。坐せ(瞑想せよ)。眠ることで、あなたたちに、何の義(利益)があるというのだろう。まさに、病んでいる者たちに、矢に貫かれ苦しんでいる者たちに、何の眠りがあるというのだろう。
332  奮起せよ。坐せ(瞑想せよ)。〔心の〕寂静のために、断固として学べ。あなたたちに怠りあることを死魔の王が識知して、〔彼の〕支配下において〔あなたたちを〕迷わすことがあってはならない。
333  〔限定された特定のものを〕義(目的)とし、〔限定された特定のものに〕依存する、天〔の神々〕や人間たちが、そのために依って立つところの、この、執着〔の思い〕を超え渡れ。まさに、〔いかなる〕時節であろうが、〔あなたを〕超え行くことがあってはならない(瞬時でさえも、虚しく過ごしてはならない)。まさに、〔いかなる〕時節であろうが〔無駄に〕過ごした者たちは、地獄に引き渡され、憂い悲しむことになる。
334  怠ること(放逸)は、塵である。塵は、〔気づきを〕怠ることから生み落とされた。〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)によって、明知によって、自己の矢を抜くように。

 第十一経 ラーフラ

335  〔ラーフラ(人名・ブッダの実子にして比丘)に、世尊は尋ねた〕「〔賢者サーリプッタと〕何度となく共に住んでいるがゆえに、賢者(サーリプッタ)を見下すことがないか、どうか。人間たちにとって松明[たいまつ]の掲げ手である者(サーリプッタ)は、おまえによって、敬われているか、どうか」〔と〕。
336  〔ラーフラが答えた〕「わたしは、〔賢者サーリプッタと〕何度となく共に住んでいるがゆえに、賢者(サーリプッタ)を見下すことがありません。人間たちにとって松明の掲げ手である方(サーリプッタ)は、わたしによって、常に敬われています」〔と〕。
 諸々の序の詩偈が〔終わる〕。
337  〔世尊は言った〕「五つの欲望の対象(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨てて、意[こころ]が喜びとする、諸々の愛しい形態のものを〔捨てて〕、信によって家から出て、苦しみの終極[おわり]を為す者と成れ。
338  善き朋友たちと親しくせよ。そして、騒音少なく、辺境にある、遠離の臥坐〔所〕に〔慣れ親しめ〕。食について量を知る者と成れ。
339  衣料、〔行乞の〕鉢食と、日用品(薬品)、臥坐〔具〕——これらについて渇愛〔の思い〕を為してはならない。〔迷いの〕世に、ふたたび帰り来ることがあってはならない。
340  戒め(波羅提木叉:戒律条項)において〔自己が〕統御された者と〔成れ〕。そして、五つの〔感官〕機能(五根:眼・耳・鼻・舌・身)において〔自己が統御された者と成れ〕。おまえの身体の在り方について〔常に〕気づき(念)が存せ。〔迷いの世について〕厭離〔の思い〕多き者と成れ。
341  貪欲を伴った美しい相(世において「価値がある」と評価される事象)を遍く避けよ。〔身体について〕美しくない〔とする想い〕(不浄想)によって、一境に善く定められた心を習い修めよ。
342  また、無相〔の想い〕を習い修めよ。高慢〔の思い〕という悪習(随眠)を廃棄せよ。それゆえに、高慢〔の思い〕が寂止するがゆえに、〔おまえは〕寂静の者として、〔世を〕歩むであろう」〔と〕。

 第十二経 ヴァンギーサ

343  〔尊者ヴァンギーサが尋ねた〕「まさしく、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において、諸々の疑惑を断ち切る方である、至上の知慧ある教師(ブッダ)に、〔わたしたちは〕尋ねます。アッガーラヴァ(地名)で、〔或る〕比丘が、命を終えました。〔世に〕知られ、福徳ある者で、自己が寂滅した者です。
344  世尊(ブッダ)よ、『ニグローダ・カッパ』という、その婆羅門の名は、あなたによって付けられました。断固として法(真理)を見る方よ、彼は、あなたを礼拝しながら、解脱を期し、精進に励む者として、行じおこないました。
345  サッカ(釈迦)〔族〕の方(ブッダ)よ、一切に眼[まなこ]ある方よ、わたしたちは、〔その〕全てでさえもが、〔あなたの〕その弟子について了知することを求めます。わたしたちの〔両の〕耳は、〔あなたの答えを〕聞くべく、〔今か今かと〕待ち構えています。あなたは、わたしたちの教師です。あなたは、無上なる者として、〔世に〕存しているのです。
346  わたしたちの疑惑を、まさしく、断ち切ってください。それを、わたしに説いてください。広き知慧ある方よ、〔彼が〕完全なる涅槃に到達した者〔であるかどうか〕を、〔わたしたちに〕知らせてください。一切に眼ある方よ、まさしく、わたしたちの中において、語ってください——千の眼ある帝釈〔天〕(インドラ神)が、天〔の神々〕たちに〔語る〕ように。
347  何であれ、この〔世における〕、諸々の拘束、諸々の迷いの道、諸々の知恵なき徒、諸々の疑惑の状況——それらは、如来と会うと、〔もはや〕有りえないのです。人たちのなかの最高者、まさに、この、眼ある方と〔会うと〕。
348  もし、まさに、〔この〕人(ブッダ)が、風が層雲を〔吹き払う〕ように、諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)を、しっかりと打ち払わないなら、一切世〔界〕は、まさしく、〔覆[おおい]に〕覆われた闇として存するでしょうし、光輝ある人たちでさえも、光り輝くことはないでしょう。
349  しかしながら、慧者たちは、灯火の作り手たちとして、〔世に〕有ります。慧者よ、わたしは、あなたを、まさしく、それ、そのとおりの方と思うのです。〔あるがままに〕観る者と知り、〔わたしたちは、あなたのもとへと〕近づき行ったのです。〔光なき〕衆たちのうちにあるわたしたちに、カッパのことを、明らかにしてください。
350  麗しき方よ、麗しき〔その〕言葉を、すみやかに発してください。白鳥たちが〔首を〕もたげて、おもむろに〔鳴く〕ように、美しく整えられた、まろやかな声で吟じてください。まさしく、〔わたしたちの〕全てが、行ないの真っすぐな者たちとなり、あなたの〔言葉を〕聞くでありましょう。
351  残りなく生と死を捨て去った清き方(ブッダ)に請い求めて、法(真理)を説いてもらいましょう。なぜなら、凡夫たちには、欲することを〔考究して〕為すことなく、いっぽう、如来たちには、〔是非を〕考究して為すことあるからです。
352  この〔問いの〕充全なる説明は、正しく真っすぐな知慧ある、あなたの把握するところです。この、〔あなたへの〕最後の合掌は、しっかりと手向けられました。至上の知慧ある方よ、〔答えを〕知っている者は、〔わたしたちを〕迷わせてはなりません。
353  彼此[ひし]における、聖なる法(真理)を知って、至上の精進ある方よ、知っている者は、〔わたしたちを〕迷わせてはなりません。炎暑のさなか、炎暑に焼かれた者が水を〔待ち望む〕ように、〔わたしは、あなたの〕言葉を待ち望みます。聞かれたもの(声)の〔雨を〕降らせてください。
354  〔涅槃の境地を〕義(目的)として、カッパーヤナ(カッパ)は梵行(禁欲清浄行)を行じおこなったのですが、どうでしょう、それは、彼にとって、無駄ではないのですか。彼は、〔生存の依り所を残すことなく〕涅槃に到達したのですか、それとも、〔生存の〕依り所(身体)が有る者(有余依)〔として解脱したの〕ですか。〔彼が〕解脱者と成った〔経緯の〕とおりに、〔わたしたちは〕それを聞きたいのです」〔と〕。
355  世尊は〔答えた〕「〔カッパは〕名前と形態(名色:現象世界)にたいする渇愛を、この〔世において〕断ちました。長夜にわたり悪しき習いとなった、黒き者(悪魔)の流れを〔断ちました〕。残りなく生と死を超えました」と。
 かくのごとく、五者(ブッダが最初に説法した五人の修行者)にとっての最勝の者、世尊は説いた。
356  〔尊者ヴァンギーサが言った〕「第七の聖賢(ブッダ)よ、この〔わたし〕は、あなたの言葉を聞いて、〔心が〕清まります。まさに、わたしの問い尋ねは、無駄ではありません。婆羅門(ブッダ)は、わたしを騙しませんでした。
357  覚者(ブッダ)の弟子(カッパ)は、〔覚者の〕説くとおり、そのとおりに為す者として、〔世に〕有りました。死魔の幻術師が広げた堅固な網を断ち切ったのです。
358  世尊よ、カッピヤ(カッパ)は、執取の最初[はじまり]を見ました。まさに、カッパーヤナ(カッパ)は、極めて超え難い死魔の領域を超え行ったのです」〔と〕。

 第十三経 正しい遍歴遊行

359  〔化仏[けぶつ](ブッダの化身)が尋ねた〕「多き知慧ある牟尼(ブッダ)に尋ねます。〔激流を〕超え、彼岸に至り、完全なる涅槃に到達し、自己を安立した方(ブッダ)に〔尋ねます〕。家から出て、諸々の欲望を除き去り、比丘である彼は、〔迷える〕世において、どのようにして、正しく遍歴遊行するのですか」〔と〕。
360  世尊は〔答えた〕「彼にとって、諸々の幸福〔の占い〕、諸々の天変地異〔の占い〕、諸々の夢〔の占い〕と、諸々の特相〔の占い〕とが完破されたなら、彼は、幸福〔と不幸の価値判断〕という〔心の〕汚点を捨て去った者であり、比丘である彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
361  比丘が、人間たち〔の世界〕における〔諸々の欲望の対象にたいし〕、あるいはまた、諸天における諸々の欲望〔の対象〕にたいしても、貪り〔の思い〕を取り除くなら、〔迷いの〕生存を超え行き、法(真理)を行知して、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
362  比丘が、諸々の中傷〔の言葉〕に背を向けて、憤怒と吝嗇〔の思い〕を捨てるなら、〔他者にたいする〕共感と反感(好き嫌いの感情)を捨て去った者となり、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
363  愛しいものも、愛しからざるものも、〔愛憎ともに〕捨てて、〔一切を〕執取せずして、どこにたいしてであれ、依存なき者は、諸々の束縛から解放された者であり、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
364  彼が、諸々の依存〔の対象〕について、真髄に至らず(真実として認めず)、諸々の執取〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕と貪り〔の思い〕を取り除いて、依存なき彼は、他者に導かれない者であり、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
365  言葉によって、そして、意によって、さらには、行為(業)によって、〔他者を〕遮ることなく(他者にたいし敵意なく)、正しく法(真理)を知って、〔常に〕涅槃の境地を望みながら、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
366  比丘が、『〔彼は〕わたしを敬拝する』と傲慢にならず、たとえ罵られても、〔他者を〕怨まず、他者から食を得ても、驕り高ぶらないなら、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
367  貪欲〔の思い〕と〔迷いの〕生存とを捨てて、比丘である彼は、〔生き物を〕切ったり縛ったりすることから離れ、疑惑を超え、矢を抜いた者となり、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
368  比丘が、自己〔のあり方〕について適切なことを知って、しかして、世において、誰であれ、害さないなら、真実なるままに法(もの・こと)を知って、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
369  彼に、何であれ、諸々の悪習(随眠)が存在せず、諸々の善ならざることが根元から完破されたなら、彼は、依存〔の対象〕なく、〔何ものも〕願い求めない者であり、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
370  煩悩が滅尽し、高慢が捨棄され、一切の貪りの道を超克し、〔心身が〕調御され、完全なる涅槃に到達し、自己を安立した者——彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
371  信あり聞[もん]ある者、〔解脱に至る〕決定[けつじょう](正しい実践方法)を見る者、〔特定の〕党派に赴く者たちのなかにいながら〔特定の〕党派に走り行くことがない慧者——貪りと怒りと憤り〔の思い〕を取り除いて、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
372  清浄なる勝者、〔迷妄の〕覆が開かれた者、諸法(もの・こと)について自在なる者、彼岸に至る者、動揺なき者、形成作用(行:生の輪廻を施設し造作する働き)の止滅という知恵ある智者——彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
373  過去についての、そしてまた、未来についての、諸々の妄想を超え行き、〔計測され概念化した時間を〕超え行って、清浄の知慧あり、一切の〔認識の〕場所(処:認識対象)から解放された者——彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。
374  〔涅槃の〕境地を了知して、〔迷妄の覆[おおい]が〕開かれた〔あるがままの〕法(真理)を行知し、諸々の煩悩の捨棄を見て、一切の依存〔の思い〕が完全に滅尽するがゆえに、彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう」と。
375  〔化仏が言った〕「まさに、たしかに、世尊よ、これは、まさしく、そのとおりです。彼は、このように住する、〔心身が〕調御された比丘は、しかして、一切の束縛が超克された者であり、彼は、世において、正しく遍歴遊行するでありましょう」〔と〕。

 第十四経 ダンミカ

376  〔ダンミカが尋ねた〕「広き知慧あるゴータマ(ブッダ)よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。あるいは、家から家なきに至る者、あるいはまた、家ある在俗の信者(優婆塞)たちがいます。どのように為す者が、善き弟子と成るのですか。
377  なぜなら、あなたは、天〔界〕を含む世〔の人々〕の赴く所を、そして、〔その〕行き着く所を、〔あるがままに〕覚知するからです。精緻なる義(道理)を〔あるがままに〕見る者として、あなたと比ぶべき者は、〔世に〕存在しません。まさに、あなたのことを、〔賢者たちは〕『最も優れた覚者』と説きます。
378  慈しみの者であるあなたは、一切の知恵と法(真理)を確たるものにして、有情たちに明らかにします。一切に眼ある方よ、〔あなたは〕覆[おおい]が開かれた者として〔世に〕存しています。〔世俗の〕垢を離れ、一切世〔界〕において、光り輝きます。
379  エーラーヴァナという名の象王(天人)が、〔あなたのことを〕『勝者である』と聞いて、あなたの現前にやってまいりました。〔あなたの教えを〕聞いて、『善きことである』と満足した気色で、彼もまた、あなたと話し合って、〔法に〕到達したのです。
380  毘沙門〔天〕の王クヴェーラもまた、法(真理)を遍く尋ねる者として、あなたのところに近づきます。慧者よ、あなたは〔問いを〕尋ねられた者として、彼にたいしてもまた、〔法を〕説きます。そしてまた、彼も、〔あなたの言葉を〕聞いて、満足した気色です。
381  誰であれ、これら、論〔争〕を戒[ならい]とする異教の者(外道)たちは、もしくは、アージーヴィカ(邪命外道)たちであろうと、ニガンタ(ジャイナ教徒)たちであろうと、〔その〕全てが、知慧によってあなたを超え渡ることはありません。立ち止まっている者が、行きつつある者を、急ぎ行く者を、〔追い越せない〕ように。
382  誰であれ、これら、論〔争〕を戒とする婆羅門たちは、そしてまた、〔世に〕存する年長の婆羅門たちも、誰であれ、あなたについては、〔その〕全てが、義(目的)に縛られた者(他者に問い尋ねる者)たちとして、〔世に〕有ります。あるいはまた、〔自らを〕論者と思いなしている、他者たちも〔同様です〕。
383  まさに、この法(教え)は、精緻なるものであり、かつまた、安楽なるものです。世尊よ、あなたによって、この〔法〕は、見事に説かれました。全ての者は、その〔法〕こそを、聞こうとしています。最勝の覚者よ、あなたは、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしたちに〔法を〕説いてください。
384  そして、これらの比丘たちは、〔その〕全てが、坐についています。さらにまた、在俗の信者たちも、まさしく、そこに、〔法を〕聞くため〔坐についています〕。〔さあ、みなさん〕聞いてください——〔真実の〕法(教え)を、〔世俗の〕垢を離れた方(ブッダ)によって覚られた〔法〕を、見事に語られた〔法〕を——天〔の神々〕たちがヴァーサヴァ(インドラ神)の〔言葉を聞く〕ように」〔と〕。
385  〔世尊は答えた〕「比丘たちよ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。あなたたちに聞かせよう——〔煩悩を〕払い落とす〔真実の〕法(教え)を。かつまた、全ての者は、その〔法〕を保ち持て。義(道理)を〔正しく〕見る、思慧ある者は、その〔法〕に、出家者に随順する振る舞いの道(出家者にふさわしい行為のあり方)に、慣れ親しむように。
386  比丘は、まさに、時ならざる〔時〕(午後)に〔村を〕渡り歩くことがないように。そして、〔正しい〕時(午前中)に、〔行乞の〕食のために村を歩むように。なぜなら、〔正しい〕時に歩まない者に、諸々の執着〔の思い〕がつきまとうからです。それゆえに、覚者たちは、時ならざる〔時〕には〔村を〕歩まないのです。
387  諸々の形態(色:眼の対象)と諸々の音声(声:耳の対象)と諸々の味わい(味:舌の対象)と諸々の香り(香:鼻の対象)と諸々の接触(触:身の対象)は、有情たちを夢中にさせます。これらの諸法(もの・こと)にたいする欲〔の思い〕を取り除いて、彼(比丘)は、〔正しい〕時に、〔すなわち、村人たちの〕朝食〔の時間〕に、〔村に〕入るように。
388  また、比丘は、〔行乞の〕食を〔正しい〕時に得て、独り、静所に戻って、坐すように。内に思念ある者は、自己を制御した状態となり、意[こころ]を外に放たないように。
389  また、もし、彼が、〔覚者の〕弟子と語り合うなら、あるいは、他者と、あるいは、比丘と、誰であれ〔語り合うなら〕、その、妙なる法(教え)を述べ伝えるように。中傷〔の言葉〕を〔発することが〕ない〔ように〕。また、他者にたいし非難〔の言葉〕を〔発することが〕ない〔ように〕。
390  まさに、或る者たちは、論にたいし反駁します。彼ら、知慧少なき者たちを〔わたしたちは〕賞賛しません。彼らに、そこかしこから、諸々の執着〔の思い〕がつきまといます。まさに、彼らは、そこにおいて、心を遠くに行かせる(妄想する)のです。
391  〔行乞で得た〕食、住まい、臥坐〔具〕と、大衣についた塵を洗い流す水とにたいし、優れた知慧ある〔覚者の〕弟子は、善き至達者(ブッダ)によって示された法(教え)を聞いて、〔正しく〕考究して、〔そのうえで〕慣れ親しむ(使用する)ように。
392  それゆえに、まさに、〔行乞で得た〕食、臥坐〔具〕と、大衣についた塵を洗い流す水とについて、これらの諸法(もの・こと)について、比丘は、蓮〔の葉〕にある水の滴のように、汚されません。
393  つぎに、そのように為す者が善き弟子と成る、在家者の行持[つとめ]について、あなたたちに説きましょう。なぜなら、この、比丘の法(教え)の全部は、執持〔の対象〕(所有物)を有する者(在家者)には、触れることができない(実行できない)からです。
394  〔第一に〕生き物を殺さないように。そして、殺させないように。また、〔生き物を〕殺している他者たちを認めないように。世における、動かないものたち、そして、動くものたち、〔すなわち〕一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて〔害さずにいるように〕(不殺生戒)。
395  それから、〔第二に〕目覚めている弟子は、どこにあっても、何であれ、与えられていないものを遍く避けるように。〔他者をして他者から〕奪わせないように。奪っている者を認めないように。一切の与えられていないものを遍く避けるように(不偸盗戒)。
396  〔第三に〕識者は、燃える火坑を〔避ける〕ようにして、梵行(禁欲清浄行)ならざること(淫欲の行為)を遍く避けるように。また、梵行をできずにいる者は、他者の妻を犯さないように(不邪淫戒)。
397  〔第四に〕あるいは、集会に出たとして、あるいは、衆のなかに入ったとして、独りでいて、ただの一者[ひとり]にたいしても、虚偽を語らないように。〔他者をして虚偽を〕語らせないように。〔虚偽を〕語っている者を認めないように。一切の事実ならざることを遍く避けるように(不妄語戒)。
398  また、〔第五に〕酔う飲み物(酒)を嗜まないように。この〔不飲酒の〕法(教え)を喜ぶ在家の者は、それ(飲酒)について、『狂気という終極あるもの』と知って、〔他者に酒を〕飲ませないように。〔酒を〕飲んでいる者を認めないように。
399  なぜなら、愚者たちは、〔酒による〕驕りから、諸々の悪を為し、さらにまた、他の人たちをして、諸々の怠りある〔行為〕を為さしめるからです。愚者たちに欲せられ、〔世の人々を〕狂気と迷妄ならしむ、この、善ならざる場所(処:領域・範囲)を避けるように(不飲酒戒)。
400  〔第一に〕生き物を殺さないように。および、〔第二に〕与えられていないものを取らないように。〔第三に〕虚偽を語らないように。および、〔第四に〕酒飲みとして存さないように。〔第五に〕梵行ならざる淫欲〔の行為〕から離れるように。〔第六に〕夜に、時ならざる〔時の〕食を食べないように。
401  〔第七に〕花飾りを付けないように。そして、香を焚かないように。〔第八に〕大地にじかに広げた寝床で臥すように。苦しみの終極[おわり]に至る覚者(ブッダ)によって明らかにされた、まさに、この〔法〕を、『八つの支分の斎戒(布薩)』と言います。
402  また、それゆえに、半月〔ごと〕の十四〔日〕と十五〔日〕に、第八〔日〕に、斎戒に入って、さらには、半月のうちの特別な〔日〕(七日・九日・十三日・一日)には、清らかな意[こころ]で、八つの支分を具した、完全無欠な形態〔の斎戒〕を〔守るように〕。
403  また、それゆえに、斎戒に入った朝には、比丘の僧団に、食べ物と飲み物によって、清らかな意で随喜しつつ、識者は、〔自らの〕分[ぶん]のままに分け与えるように。
404  法(教え)によって、母と父を養うように。彼は、法(教え)にかなう商売に従事するように。この〔法〕を転じ行く、怠りなき在家者は、『自光』という名の天〔の神々〕たちのもとへと近づき行きます(自光天に再生する)」〔と〕。

第三章 大なるもの

 第一経 出家

405  〔尊者アーナンダが言った〕「〔覚者ゴータマの〕出家〔の経緯〕について、眼[まなこ]ある方(ブッダ)が出家したとおりのままに、〔あるがままに〕考察する彼(ブッダ)が出家を選んだとおりのままに、〔わたしの知るところを〕述べ伝えましょう。
406  『この、在家の住居[くらし]は煩わしく、塵の〔積もる〕場所(処:領域・範囲)である』と〔考察し〕、『しかしながら、出家は〔煩わしいことがなく〕、開かれたところである』と見て、〔覚者ゴータマは〕出家しました。
407  出家して、身体による悪しき行為(悪業)を避けました。言葉による悪しき行ないを捨てて、生き方を完全に清めました。
408  覚者(ブッダ)は、マガダ〔国〕のギリッバジャ(地名)に、〔すなわち〕ラージャガハ(王舎城:地名)に行きました。優れた〔聖者の〕特相を〔身体に〕ちりばめた方(ブッダ)は、〔行乞の〕食のために〔歩を〕運びました。
409  高楼に立ったビンビサーラ(人名・マガダ国王)は、彼を見ました。〔聖者の〕特相を成就した方を見て、この義(意味)を語りました。
410  〔王は言いました〕『諸君、このことを、こころして聞け。〔彼は〕形姿麗しく、偉丈夫で、清らかである。まさしく、また、行ないを成就し、かつまた、〔一〕ユガ(尋:長さの単位・約二メートル)ばかりを〔隙なく〕見ている。
411  〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、気づき(念)ある者である。この方は、卑しい家から〔出た者〕のようではない(人品卑しからぬ者である)。王の使者たちよ、走れ。比丘(ブッダ)は、どこに行くのだろう』〔と〕。
412  〔そのように〕命じられた、彼ら、王の使者たちは、〔覚者の〕後を追いました——『比丘(ブッダ)は、どこに行くのだろう。どこが住居[すまい]に成るのだろう』〔と〕。
413  〔感官の〕門が守られ、〔自己が〕善く統御された方(ブッダ)は、〔行乞のため〕歩々淡々と歩みながら、すみやかに、鉢を〔施物で〕満たしました——正知と気づきの者として。
414  牟尼である彼は、〔行乞の〕食のための歩行(托鉢)を行じおこない、町を出て、パンダヴァ〔山〕へと〔歩を〕運びました。ここが住居[すまい]に成るのでしょう。
415  〔覚者が〕住居に至ったのを見て、それから、使者たちは、〔覚者のもとに行き、一方に〕近坐しました。そして、使者の一者[ひとり]は、〔王宮に〕帰って、王に知らせました。
416  〔使者は言いました〕『偉大なる王よ、この比丘は、パンダヴァ〔山〕の東の山窟に、虎や雄牛のように、獅子のように、〔堂々と〕坐しています』〔と〕。
417  使者の言葉を聞いて、士族(ビンビサーラ王)は、立派な乗り物でもって、急ぎの気色でパンダヴァ山に出発しました。
418  その士族は、乗り物の〔行ける〕地まで行き、乗り物から降りて、歩行者となり、〔覚者のもとに〕近しく赴いて、彼のもとに至ると、〔一方に〕近坐しました。
419  王は、坐して、挨拶の言葉を喜び交わし、それから、彼は、〔覚者と〕言葉を交わして、この義(意味)を語りました。
420  〔王は尋ねました〕『さて、〔あなたは〕若く、そして、青年で、〔人生の〕最初[はじめ]を生きる若者として存しています。容貌の崇高さを成就し、出生よき士族のようです。
421  象の群れを先頭にした軍隊を美しく荘厳しつつ、〔わたしは〕諸々の財物を与えましょう。受けてください。そして、〔問いを〕尋ねられた者として、〔あなたの〕出生について、告げ知らせてください』〔と〕。
422  〔覚者ゴータマは答えました〕『王よ、〔この方角〕真っすぐに、ヒマヴァント(ヒマラヤ)の山麓に、財と勇を成就した地方があります。コーサラ〔国〕に家ある〔王〕のものです。
423  〔わたしの〕氏姓は、アーディッチャ(太陽)という名で、出生(種族)は、サーキヤ(釈迦)という名です。王よ、その家から出家した者として、〔わたしは〕存しています。諸々の欲望〔の対象〕を望み求める者ではありません。
424  諸々の欲望〔の対象〕のうちに危険を見て、出離〔の境地〕を「平安である」と見て、〔刻苦〕精励するため、〔出家の道を〕行くでありましょう。ここに、わたしの意は喜びます』〔と〕」〔と〕。

 第二経 精励

425  ネーランジャラー川に向かって〔坐し〕、精励することに自己を精励する(全身全霊を挙げて刻苦精励する)、〔まさに〕そのわたし(ブッダ)に——束縛からの〔心の〕平安を得るため、努力して瞑想する者(ブッダ)に——
426  ナムチ(悪魔)が、同情の言葉を語りながら、近づいてきた。
〔悪魔が言った〕「あなたは、痩せ細り、色艶の悪い〔瀕死の〕者として、存しています。あなたの死は、現前にあります。
427  死が千分[ぶ]なら、あなたの命は〔ただの〕一分[ぶ]。君よ、生きたまえ。命あることは、より勝っています。生きている者は、諸々の〔善き〕功徳を作るでありましょう。
428  また、梵行(禁欲清浄行)を行じおこなうあなたには、あるいは、祭火を捧げる〔あなた〕には、多大の功徳が積まれます。〔あなたは〕精励によって、何を為すというのでしょう。
429  精励への道は、行き難く、為し難く、征服し難きものです」〔と〕。
 悪魔は、これらの詩偈を語りながら、覚者(ブッダ)の現前に立った。
430  そのように説く、その悪魔に、世尊(ブッダ)は、このことを説いた。
〔世尊は答えた〕「怠りの眷属よ、パーピマント(悪魔)よ、〔世俗の功徳という、偽りの〕義(利益)によって、〔おまえは〕ここに来た。
431  功徳による義(利益)は、わたしには、微塵ばかりでさえも見い出されない。しかしながら、功徳による義(利益)が〔見い出される〕者たち(世俗の功徳に利を見る者たち)——悪魔は、彼らに説くのがふさわしい。
432  〔わたしには〕信が存在する。それゆえに、わたしには、精進と知慧が見い出される。このように自己を精励するわたしにまた、〔おまえは〕いかなる生を問い尋ねるというのだろう(刻苦精励以外の生に意味はない)。
433  この風(瞑想する覚者の呼吸)は、諸々の川の流れでさえも、干上がらせるであろう。ならば、自己を精励するわたしの、いかなる血が干上がらないというのだろう。
434  血が干上がっているとき、胆汁と痰は干上がる。諸々の肉が滅尽しているとき、心は、より一層、清まる。〔まさにその〕わたしの、気づき(念)と知慧と〔心の〕統一(定:三昧の境地)は、より一層、安立[あんりゅう]する。
435  このように住しつつ、最上の〔苦痛の〕感受(受:認識対象を感受し苦楽の価値づけをする働き)を得た、〔まさに〕そのわたしの心は、諸々の欲望〔の対象〕について、期待することがない。見よ——自己の清浄なることを。
436  おまえの第一の軍団は、『欲望』〔と呼ばれる〕。第二〔の軍団〕は、『不満』〔と〕呼ばれる。おまえの第三〔の軍団〕は、『飢えと渇き』〔と呼ばれる〕。第四〔の軍団〕は、『渇愛』〔と〕呼ばれる。
437  おまえの第五〔の軍団〕は、『〔心の〕沈滞[おちこみ]と眠気』〔と呼ばれる〕。第六〔の軍団〕は、『恐怖』〔と〕呼ばれる。おまえの第七〔の軍団〕は、『疑惑』〔と呼ばれる〕。おまえの第八〔の軍団〕は、『隠覆と強情』〔と呼ばれる〕。
438  利得、名声、尊敬、そして、誤って得た福徳——自己を褒め上げる者も、他者たちを見下す者も——
439  ナムチ(悪魔)よ、これは、おまえの軍団であり、黒き者(悪魔)の攻撃である。勇士ならざる者は、それに勝利することがない。しかしながら、勝利すれば、安楽を得る。
440  この〔わたし〕は、ムンジャ〔草〕(戦闘継続の意思表示に使う)を守り抜くであろう。ここに、〔わが〕命は、厭わしきものとして存せ。もし、敗者として生きるくらいなら、戦場で死んだほうが、わたしには、より勝[まさ]っている。
441  ここ(悪魔の攻撃)に沈んだ、或る沙門や婆羅門たちは、〔道が〕見えない。それによって、善き掟[おこない]の者たちが行く、〔まさに〕その道をも、〔彼らは〕知ることがない。
442  遍きにわたり旗をひるがえして待ち受けている、軍勢を有する悪魔を見て、〔わたしは〕戦いへと赴くのだ。わたしを、〔この〕状況から〔一歩でも〕動かすことがあってはならない。
443  おまえのその軍団を、天〔界〕を含む世〔の人々〕は打ち負かさない。おまえのその〔軍団〕を、〔わたしは〕知慧によって〔超え〕行くのだ——〔焼く前の〕生[なま]の鉢を石で〔打ち砕く〕ように。
444  〔思慮〕分別を自在に為して、また、気づき(念)をしっかりと確立し、〔わたしは〕国から国へと渡り歩くであろう——多くの弟子たちを教え導きながら。
445  〔気づきを〕怠らず、自己を精励する彼らは、欲なきわたしの教えを為す者たちである。彼らは、行って憂い悲しまない所(涅槃)に行くであろう」〔と〕。
446  〔ナムチが言った〕「〔わたしは〕七年のあいだ、歩から歩へと、世尊についてまわった。〔しかしながら〕気づきある正覚者(ブッダ)の弱点には、〔ついに〕到達しなかった。
447  〔愚かな〕烏が、脂肪の色をした岩〔の周り〕を、『はてさて、ここに柔らかい〔肉〕が見つかるであろうか。はてさて、美味なるものが存するであろうか』〔と〕歩き回ったようなもの。
448  そこに、美味なるものを得ずして、烏は、ここから去って行った。烏が岩に〔近づいた〕ように、〔わたしは〕ゴータマ(ブッダ)を襲って、〔結局は〕厭わしくなって、離れ去るのだ」〔と〕。
449  憂い悲しみに打ち負かされた彼の脇から、琵琶が落ちた。そののち、その夜叉(悪魔)は、まさしく、そこにおいて、失意の者となり、〔虚空の〕間に消え入った。

 第三経 見事に語られたもの

450  〔世尊は言った〕「正しくある者たちは言う。『見事に語られた〔法〕は、最上のものである』〔と〕——〔それが、第一である〕。法(真理)を語るように。法(真理)ならざることを〔語ら〕ない〔ように〕——それが、第二である。愛ある〔言葉〕(思いやりの言葉)を語るように。愛なき〔言葉〕を〔語ら〕ない〔ように〕——それが、第三である。真理を語るように。偽りを〔語ら〕ない〔ように〕——それが、第四である」〔と〕。
451  〔尊者ヴァンギーサが、詩偈で答えた〕「それがために自己を苦しめず、さらには、他者たちを害さないであろう、その言葉こそを、語るように。まさに、それは、見事に語られた言葉である。
452  〔皆に〕喜ばれる言葉——愛ある言葉(思いやりの言葉)こそを、語るように。諸々の悪しき〔言葉〕を取る(用いる)ことなくして、他者たちにとって愛ある〔言葉〕を語るのだ。
453  まさに、真理は、不死の言葉である——これは、永遠の法(真理)である。真理と義(道理)と法(教え)において〔自己が〕確立した、正しくある者たちは言う。
454  涅槃〔の境地〕を得るため、苦しみの終極[おわり]を為すため、覚者(ブッダ)が語る平安の言葉——まさに、それは、最上の言葉である」〔と〕。

 第四経 スンダリカ・バーラドヴァージャ

455  〔出生を尋ねるバーラドヴァージャ婆羅門に、世尊は答えた〕「〔わたしは〕婆羅門として存在するわけではありません。王子にあらず、庶民にあらず、あるいは、〔他の〕いかなる〔階級の〕者としても存在しません。凡夫たちの氏姓(迷いの者たちの生のあり様)を知り尽くして、無一物で、智慮ある者として、〔わたしは〕世を歩みます。
456  大衣を着け、家なき者として、髪を剃り、自己が寂滅した者として、〔わたしは〕歩みます——この〔世において〕、人々に汚されることなく。婆羅門よ、わたしに、氏姓についての問いを尋ねたのは、善ならざることです」〔と〕。
457  〔婆羅門が言った〕「君よ、まさに、婆羅門たちは、婆羅門たちに相対して、『いったい、〔あなたは〕尊き婆羅門なのでしょうか』と尋ねます」〔と〕。
〔世尊は答えた〕「もし、あなたが、〔自らについて〕『婆羅門である』〔と〕説くなら、そして、わたしについて『婆羅門ではない』と説くなら、〔わたしは〕三句二十四字の、かのサーヴィッティー(サーヴィトリー讃歌)について、あなたに尋ねます」〔と〕。
458  〔婆羅門が尋ねた〕「聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちは、何に依存して、天〔の神々〕たちへの祭祀を、この世において、多く営んできたのですか」〔と〕。
〔世尊は答えた〕「『〔世の〕終極に至り、〔真の〕知に至る者が、祭祀の時に、彼への捧げものを得るなら、彼に〔捧げものをした祭祀は〕、うまくゆくであろう』と、〔わたしは〕説きます」〔と〕。
459  婆羅門が〔言った〕「そのような、〔真の〕知に至る者を、〔わたしは〕見ました。たしかに、彼に捧げものをした〔祭祀〕は、まさに、うまくゆくでしょう。まさに、あなたのようなお方に相見えることがないので、他の人が献菓を受けるのです」と。
460  〔世尊は答えた〕「婆羅門よ、それゆえに、かくのごとく、まさに、あなたは、〔正しい〕義(道理)を義(目的)とする者(真理の探究者)です。近しく赴いて、問い尋ねなさい。〔心が〕寂静で怒りを離れ、煩悶なく願望なく、思慮深き者を、まさしく、また、この〔世において〕、見い出すでありましょう」〔と〕。
461  〔婆羅門が尋ねた〕「君よ、ゴータマ(ブッダ)よ、わたしは、祭祀に喜びある者です。祭祀を執り行なうことを欲する者です。わたしは、覚知してません。尊き方として、わたしに、〔法を〕教示してください。捧げものをした〔祭祀〕がうまくゆく所、それを、わたしに説いてください」〔と〕。
〔世尊は答えた〕「婆羅門よ、それなら、まさに、あなたは、耳を傾けなさい。あなたに、法(真理)を示しましょう。
462  出生を尋ねてはなりません。しかして、行ない〔こそ〕を尋ねなさい。まさに、火は、薪から生まれます。たとえ、卑しい家系の者でも、〔道心〕堅固な牟尼として、恥〔の思い〕で〔身を〕慎む者は、善き生まれの者と成ります。
463  真理によって調御され、〔心身の〕調御を具し、知の終極に至る、梵行(禁欲清浄行)の完成者——彼に、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
464  諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、家なき者として歩む者たち——自己が善く自制され、梭[ひ](はた織りの道具)のように、真っすぐな者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
465  ラーフ(阿修羅の一類で日蝕や月蝕を引き起こすとされる)の捕捉から解き放たれた月のように、貪欲を離れ、〔感官〕機能(根)が善く定められた者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
466  執着することなく世を渡り歩き、わがものと〔錯視〕された諸々のもの(執着の対象)を捨てて、常に気づきある者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
467  諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、〔一切を〕征服して歩む者——生と死の終極[おわり]を知った者——湖水のように、〔心が〕冷静[おだやか]で、完全なる涅槃に到達した如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
468  〔彼は〕同等の者たちとは等しくあり、等しからざる者(迷える者)たちとは遠く隔たり、終極[おわり]なき知慧ある如来として〔世に〕有ります。この〔世〕であろうと、あの〔世〕であろうと、〔何ものにも〕汚されることなき如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
469  彼のうちに、幻想[ごまかし]〔の思い〕が住みつかず、高慢〔の思い〕なき者——貪欲を離れ、我執なく、願望なく、怒りを除き、自己が寂滅した者——〔真の〕婆羅門たる彼は、憂いの垢を運び去りました。如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
470  意[こころ]の固着(執着の思い)を運び去って、彼に、何であれ、諸々の執持〔の対象〕(所有物)が存在しない者——この〔世〕であろうと、あの〔世〕であろうと、〔両者ともに〕執取せずにいる如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
471  激流を超え渡り、しかして、最高の見[まなざし]によって法(真理)を知った、〔心が〕定められた者(禅定者)——煩悩が滅尽し、最後の肉身[からだ]を保つ如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
472  彼の、諸々の生存(有)の煩悩と諸々の粗野な言葉が、砕破されて滅却に至り、存在しないなら、彼は、〔真の〕知に至る者であり、一切所に解脱した如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
473  彼に、諸々の執着〔の思い〕が存在しないなら、〔彼は〕執着を超え行く者であり、高慢の有情たちのなかにいながら、高慢の有情ならざる者であるなら、田畑や地所(苦しみの原因)と共に、苦しみ(苦しみそのもの)を知り尽くして、如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
474  願望〔の思い〕に依存せずして、遠離〔の境地〕を見る者となり、他者によって知られるべき見解を超克した者となり、彼に、何であれ、諸々の〔欲望や執着の〕対象(所縁)が存在しないなら、如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
475  〔あるがままに〕行知して、彼の、彼此[ひし]における諸々の法(もの・こと)が砕破されて滅却に至り、存在しないなら、執取の滅尽〔という境地〕において解脱した、寂静なる如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
476  束縛と出生について〔その〕滅尽と終極を見る者、貪りの道を残りなく除き去った者——清浄で、〔心の〕汚点(怒りや憎しみなどの悪意)なく、〔世俗の〕垢を離れ、汚濁なき如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
477  自己によって自己を観ることなく、〔心が〕定められ、行ないが真っすぐで、自己を安立した者——まさに、彼は、動揺なく、鬱屈なく、疑惑なき者——如来は、献菓〔を受ける〕に値します。
478  彼に、何であれ、諸々の迷いの起因が存在しないなら——あるいは、一切の諸法(もの・こと)について知見ある者が、あるいは、無上にして至福の正覚を得た者が、しかして、最後の肉体を保つなら——これだけで、魂の清浄があります。如来は、献菓〔を受ける〕に値します」〔と〕。
479  〔婆羅門が言った〕「ならば、そのような、〔真の〕知に至る方(ブッダ)を得た、わたしの捧げものは、真理の捧げものとして、〔世に〕存せ。まさに、梵〔天〕(ブラフマー神)が証人です。世尊よ、わたしの〔献菓を〕納めてください。世尊よ、わたしの献菓を受けてください」〔と〕。
480  〔世尊は答えた〕「わたしにとって、唱えられた詩偈〔に起因する利得〕(詩を唱えて得たもの)は、受けるべきものではありません。婆羅門よ、正しく見る者たちにとって、これは、法(正義)ではありません。覚者たちは、唱えられた詩偈〔に起因する利得〕を除き去ります(詩を唱えて得たものを拒否する)。婆羅門よ、法(正義)が存するなら、これが、生活〔のあり方〕です。
481  また、全一者たる偉大なる聖賢には、煩悩(漏)が滅尽し悔い〔の思い〕が止み静まった者には、他の食べ物と飲み物で奉仕しなさい。まさに、それは、功徳を期す者の田畑(福田)と成ります」〔と〕。
482  〔婆羅門が言った〕「世尊よ、善きかな、わたしは、〔彼を〕そのとおりに識知するでありましょう——わたしのような者の施物を受けてくれる者にして、あなたの教えを得て、祭祀の時に遍く探し求めつつ〔供養する〕ところの者です」〔と〕。
483  〔世尊は答えた〕「彼の諸々の激昂〔の思い〕が離れ去って、彼の心が濁りなく、彼の〔心の〕沈滞[おちこみ]が除かれたなら、しかして、〔彼は〕諸々の欲望から解き放たれた者であり——
484  諸々の〔善き〕境域の終極[はて]にあるもの(煩悩)を取り除く、生と死の熟知者にたいし——祭祀〔の場〕にやってきた、そのような、牟尼の資質を成就した牟尼にたいし——
485  〔見下すような〕渋面を取り除いて合掌し、礼拝しなさい。食べ物と飲み物によって、供養しなさい。このように〔すれば〕、諸々の施物は、うまくゆきます」〔と〕。
486  〔婆羅門が言った〕「尊き覚者(ブッダ)は、献菓〔を受ける〕に値します。無上なる功徳の田畑(福田)に〔値します〕。一切世〔界〕にとって、祭祀〔の対象〕となる方です。尊き方への施しは、大いなる果となります」〔と〕。

 第五経 マーガ

487  マーガ学徒が〔尋ねた〕「君に、ゴータマ(ブッダ)に、寛容なる方に、わたしは尋ねます。黄褐色〔の衣〕(袈裟)を着け、家なき者として歩む方に〔尋ねます〕。乞いに応じる者として、在家の施主が〔祭祀をするなら〕、功徳を義(目的)とし、功徳を期す者が、この〔世において〕、他者たちに食べ物と飲み物を施しながら、祭祀をするなら、祭祀をする者の捧げものは、どこに〔捧げたら〕、清まるのでしょう」と。
488  世尊は〔答えた〕「マーガさん、乞いに応じる者として、在家の施主が〔祭祀をするなら〕、功徳を義(目的)とし、功徳を期す者が、この〔世において〕、他者たちに食べ物と飲み物を施しながら、祭祀をするなら、そのような者(祭祀をする者)は、施与されるべき者たちによって、〔目的を〕達成するでありましょう(供養するにふさわしい者に施すことで、捧げものは清まる)」と。
489  マーガ学徒が〔尋ねた〕「乞いに応じる者として、在家の施主が〔祭祀をするなら〕、功徳を義(目的)とし、功徳を期す者が、この〔世において〕、他者たちに食べ物と飲み物を施しながら、祭祀をするなら、世尊よ、わたしに、施与されるべき者(施すにふさわしい者)たちについて、告げ知らせてください」と。
490  〔世尊は答えた〕「まさに、執着〔の思い〕なくして世を渡り歩く、無一物で、全一者たる、自己を制した者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
491  一切の束縛と結縛を断った、調御者にして解脱者たち、煩悶なく願望なき者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
492  一切の束縛から解き放たれた、調御者にして解脱者たち、煩悶なく願望なき者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
493  貪り(貪)と怒り(瞋)と迷い(痴)を捨てて、煩悩が滅尽した、梵行(禁欲清浄行)の完成者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
494  彼らのうちに、幻想[ごまかし]〔の思い〕が住みつかず、高慢〔の思い〕なき者たち——貪欲を離れ、我執なく、願望なき者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
495  まさに、諸々の渇愛のうちに陥ることなく、激流を超えて、我執なく歩む者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
496  また、この〔世〕であろうと、あの〔世〕であろうと、世において、どこであれ、彼らに、種々なる生存にたいする渇愛〔の思い〕が存在しないなら——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
497  諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、家なき者として歩む者たち——自己が善く自制され、梭[ひ](はた織りの道具)のように、真っすぐな者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
498  ラーフ(阿修羅の一類で日蝕や月蝕を引き起こすとされる)の捕捉から解き放たれた月のように、貪欲を離れ、〔感官〕機能(根)が善く定められた者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
499  貪りを離れ、怒りなく、〔心が〕静まった者たち——この〔世において〕、〔一切を〕捨てて、彼らに、〔もはや〕赴く所(来世)が存在しないなら——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
500  生と死を残りなく捨てて、一切の疑惑を超克した者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
501  自己を洲(依り所)として世を渡り歩き、無一物で、一切所に解脱した者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
502  『これが最後である。さらなる〔迷いの〕生存は存在しない』と、このことを、まさに、ここに、それそのとおりに知る者たち——彼らに、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら。
503  〔真の〕知に至り、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を喜ぶ、気づきある者——正覚を得て、多くの者たちの帰依所となる者——彼に、〔正しい〕時に、捧げものを献じるように。功徳を期す婆羅門が、祭祀をするなら」〔と〕。
504  〔マーガ学徒が言った〕「たしかに、わたしの、諸々の問い尋ねは、無駄ならざるものと成りました。世尊は、わたしに、施与されるべき者(施すにふさわしい者)たちについて、告げ知らせてくれました。あなたは、このことを、まさに、ここに、それそのとおりに知るのです。この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。
505  マーガ学徒が〔尋ねた〕「乞いに応じる者として、在家の施主が〔祭祀をするなら〕、功徳を義(目的)とし、功徳を期す者が、この〔世において〕、他者たちに食べ物と飲み物を施しながら、祭祀をするなら、世尊よ、わたしに、祭祀の成就について、告げ知らせてください」と。
506  世尊は〔答えた〕「マーガさん、祭祀をしなさい。祭祀をする者は、一切所で、心を清めなさい。祭祀は、祭祀をする者が対象(所縁)とするものです。〔彼は〕ここに〔心が〕確立して、〔心の〕汚点(怒りや憎しみなどの悪意)を捨てます。
507  貪り〔の思い〕を離れた彼は、〔心の〕汚点(怒りや憎しみなどの悪意)を追い払って、無量なる慈愛の心を〔常に〕習い修めています。夜に、昼に、常に〔気づきを〕怠らずに、無量〔なる慈愛の心〕を、全ての方角に満たし行きます」と。
508  〔マーガ学徒が尋ねた〕「誰が、清まり、解脱し、あるいは、結縛されるのですか。どのような自己によって、〔彼は〕梵世(梵天界)に行くのですか。牟尼よ、〔問いを〕尋ねられた者として、無知なるわたしに、説いてください。世尊よ、なぜなら、わたしは、今日、〔生き〕証人としての梵〔天〕(ブッダ)を見たからです。なぜなら、まさに、あなたは、梵〔天〕(ブラフマー神)に等しい方である、と真に〔思う〕からです。光輝ある方よ、どのようにして、〔彼は〕梵世に再生するのですか」〔と〕。
509  世尊は〔答えた〕「マーガさん、祭祀をする、そのような者は、施与されるべき者(施すにふさわしい者)たちによって、三種類の、祭祀の成就(祭祀の前後とその最中において、心が清まること)を達成するでありましょう。このように正しく祭祀をして、乞いに応じる者は、梵世に再生する、と〔わたしは〕説きます」と。

 第六経 サビヤ

510  〔遍歴遊行者〕サビヤが〔言った〕「疑いある者として、惑いある者として、〔わたしは〕やってきました。諸々の問いを問い尋ねることを、待ち望んでいる者です。〔あなたは〕わたしのそれら〔の問い〕の、終極[おわり]を為す者と成ってください。〔あなたは〕わたしの諸々の問いにたいし、〔問いを〕尋ねられた者として、順次に、法(真理)のままに、わたしに説き示してください」と。
511  世尊は〔答えた〕「サビヤさん、〔あなたは〕遠くからやってきた者として存してます。諸々の問いを問い尋ねることを、待ち望んでいる者です。〔わたしは〕あなたのそれら〔の問い〕の、終極を為す者と成りましょう。〔わたしは〕あなたの諸々の問いにたいし、〔問いを〕尋ねられた者として、順次に、法(真理)のままに、あなたに説き示しましょう。
512  サビヤさん、わたしに、問いを、何であれ、意のまま、〔あなたが〕求めるままに、尋ねてください。わたしは、あなたの、まさしく、その〔問い〕、その問いの、終極を為しましょう」と。
513  〔遍歴遊行者〕サビヤが〔尋ねた〕「何を得る者を、『比丘』と言うのですか。何によって、『温和な者』と〔言うのですか〕。また、何ゆえに、『調御された者』と言うのですか。何ゆえに、『覚者』と呼ばれるのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き示してください」と
514  世尊は〔答えた〕「サビヤさん、自己〔自身〕が作り為した道によって、完全なる涅槃に赴き、疑惑を超え、虚無(非有:無)と実体(有:存在)とを〔両者ともに〕捨てて、さらなる〔迷いの〕生存が滅尽した、〔道の〕完成者——彼は、『比丘』〔と呼ばれます〕。
515  一切所で、〔愛憎の思いを〕放捨し、気づきある者——〔激流を〕超えた、〔心に〕濁りなき沙門——彼は、誰であれ、一切世〔界〕において害することがありません。彼に、諸々の増長〔の思い〕が存在しないなら、彼は、『温和な者』〔と呼ばれます〕。
516  彼の、諸々の〔感官〕機能(根)が修められ、内と外に、一切世〔界〕において〔修められ〕、この〔世〕と他世を〔あるがままに〕洞察して、〔感官を〕修めた者となり、〔死の〕時を待つ——彼は、『調御された者』〔と呼ばれます〕。
517  全部[すべて]の妄想を〔あるがままに〕弁別して、輪廻を、死滅と再生の両者を〔あるがままに弁別して〕、〔世俗の〕塵を離れ去り、穢れなく、清浄なる者を、生の滅尽を得た彼を、『覚者』と言います」と。
518  〔遍歴遊行者〕サビヤが〔尋ねた〕「何を得る者を、『婆羅門』と言うのですか。何によって、『沙門』と〔言うのですか〕。また、何ゆえに、『沐浴者』と〔呼ばれるのですか〕。何ゆえに、『龍』と呼ばれるのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き示してください」と
519  世尊は〔答えた〕「サビヤさん、一切の悪しき〔行為〕を拒否して、〔世俗の〕垢を離れ、〔心が〕善く定められ、自己を安立した者——彼は、輪廻を超え行って、全一者となります。〔何ものにも〕依存しない、そのような者——彼は、『梵(婆羅門)』〔と〕呼ばれます。
520  〔心が〕静まった者が、〔規範化した〕善悪を捨てて、〔世俗の〕塵を離れ、この〔世〕と他世を〔あるがままに〕知って、生と死を超克したなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『沙門』〔と〕呼ばれます。
521  一切の悪しき〔行為〕を洗い清めて(沐浴して)、内と外に、一切世〔界〕において〔洗い清めて〕、諸々の〔計測され概念化した〕時間(時計の時間・分別妄想・輪廻的あり方)のうちにある天〔の神々〕や人間たちのなかにいながら、〔計測され概念化した〕時間に至らない(輪廻しない・妄想しない)なら、彼を、『沐浴者』と言います。
522  世において、何であれ、罪悪を作らず、一切の束縛と諸々の結縛を捨て去って、解脱者となり、一切所で執着しないなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『龍』〔と〕呼ばれます」と。
523  〔遍歴遊行者〕サビヤが〔尋ねた〕「覚者たちは、誰を、『田畑の勝者』と説くのですか。何によって、『智者』と〔言うのですか〕。また、何ゆえに、『賢者』と〔呼ばれるのですか〕。何ゆえに、『牟尼』という名で呼ばれるのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き示してください」と。
524  世尊は〔答えた〕「サビヤさん、天と人間のものたる〔田畑〕を、梵の田畑を、全部の田畑(認識の領域、行為のあり方)を〔あるがままに〕弁別して、一切の田畑の根元の結縛から解き放たれたなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『田畑の勝者』〔と〕呼ばれます。
525  天と人間のものたる〔蔵[コーサ]〕を、梵の蔵[コーサ]を、全部の蔵[コーサ](認識の領域、行為のあり方)を〔あるがままに〕弁別して、一切の蔵[コーサ]の根元の結縛から解き放たれたなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『智者[クサラ]』〔と〕呼ばれます。
526  清浄の知慧ある者として、内と外の両者における白きもの[パンダラ](認識の領域)を〔あるがままに〕弁別して、黒白(悪業と善業)を超克したなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『賢者[パンディタ]』〔と〕呼ばれます。
527  正しからざる者と、正しくある者と、〔両者の〕法(もの・こと)を〔あるがままに〕知って、内と外に、一切世〔界〕において〔あるがままに知って〕、彼が、天〔の神々〕や人間たちに供養されるなら、執着の網を超え行って、彼は、『牟尼』〔と呼ばれます〕」と。
528  〔遍歴遊行者〕サビヤが〔尋ねた〕「何を得る者を、『〔真の〕知に至る者』と言うのですか。何によって、『随知者』と〔言うのですか〕。また、何ゆえに、『精進ある者』と〔呼ばれるのですか〕。何ゆえに、『善き生まれの者』という名が有るのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き示してください」と。
529  世尊は〔答えた〕「サビヤさん、たとえ、沙門たちのものとして存しようが、婆羅門たちのものであろうが、全部の知[ヴェーダ]を〔あるがままに〕弁別して、一切の感受[ヴェーダナー](受:認識対象を感受し苦楽の価値づけをする働き)について、貪り〔の思い〕を離れたなら、一切の知を超え行って、彼は、『〔真の〕知に至る者[ヴェーダグー]』〔と呼ばれます〕。
530  名前と形態(名色:現象世界)という虚構(戯論:分別妄想)を〔あるがままに〕随知して、内と外に、病の根元を〔あるがままに随知して〕、一切の病の根元の結縛から解き放たれたなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『随知者』〔と〕呼ばれます。
531  この〔世において〕、一切の悪しき〔行為〕を離れた者——地獄の苦しみを超え行って、精進を住居[すまい]とする者——彼は、精進ある者にして精励ある者です。〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『慧者』〔と〕呼ばれます。
532  彼の、まさに、諸々の結縛が刈り取られ、内と外に、執着の根元が〔刈り取られ〕、一切の執着の根元の結縛から解き放たれたなら、〔まさにその〕真実ゆえに、そのような者は、『善き生まれの者』〔と〕呼ばれます」と。
533  〔遍歴遊行者〕サビヤが〔尋ねた〕「何を得る者を、『聞経者(婆羅門)』と言うのですか。何によって、『聖者』と〔言うのですか〕。また、何ゆえに、『行ないある者』と〔呼ばれるのですか〕。何ゆえに、『遍歴遊行者』という名が有るのですか。世尊よ、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き示してください」と。
534  世尊は〔答えた〕「サビヤさん、〔覚者の教えを〕聞いて、世における一切の諸法(もの・こと)を証知して——何であれ、〔世に〕存するもので、罪を有するものと罪なきものを〔証知して〕——〔それらを〕征服し、疑惑なく、解脱した者を、一切所で煩悶なき者を、『聞経者(婆羅門)』と言います。
535  諸々の煩悩と執着を断って、知ある彼は、胎内に近づかず、〔欲望と加害と悩害という〕三種類の想い(想:表象・概念)と〔欲の〕汚泥を除いて、〔計測され概念化した〕時間に至らない(輪廻しない・妄想しない)なら、彼を、『聖者』と言います。
536  この〔世において〕、諸々の行ないについて得るものを得た者、一切時において法(真理)を知った智者、一切所で執着しない解脱者——彼に、諸々の憤り〔の思い〕(敵対心)が存在しないなら、彼は、『行ないある者』〔と呼ばれます〕。
537  上に、また、下に、さらにまた、横に、〔その〕中間において、苦なる報いある行為(業)が存するなら、〔それを〕遍く避け、遍知の者として〔世を〕歩み——幻想[ごまかし]を〔避け〕、高慢を〔避け〕、さらにまた、貪りと怒りをも〔遍く避け、遍知の者として世を歩み〕——名前と形態(名色:現象世界)の完全なる終極[おわり]を為したなら、得るものを得た彼を、『遍歴遊行者』と言います」と。
538  〔遍歴遊行者サビヤが言った〕「広き知慧ある方よ、〔あなたは〕六十と三とある〔諸々の異説を取り除いて〕——〔すなわち、迷える〕沙門の論争に依存し、『表象(想:概念)と文字』という〔迷える〕想い(想:表象・概念)に依存した、諸々の異説を取り除いて——激流と闇を〔超えて〕行きました。
539  〔あなたは〕苦しみの終極[おわり]に至る者として、彼岸に至る者として、存しています。〔あなたは〕阿羅漢(人格完成者)として、正自覚者として、存しています。〔わたしは〕あなたを、煩悩が滅尽した者と思います。〔あなたは〕光輝ある方、思慧ある方、多き知慧ある方です。苦しみの終極を為す方よ、〔あなたは〕わたしをして、〔わたしの疑惑を〕超えさせてくれたのです。
540  〔あなたは〕わたしの疑いを了知していました。〔あなたは〕わたしをして、〔わたしの〕疑惑を超えさせてくれたのです。あなたに、礼拝〔有れ〕。牟尼よ、諸々の寂黙の道において得るものを得た方よ、鬱屈なき方よ、太陽の眷属よ、〔あなたは〕温和な者として存しています。
541  眼[まなこ]ある方よ、かつて存した、わたしの疑惑——それを、〔あなたは〕わたしに説き示してくれました。たしかに、〔あなたは〕牟尼として、正覚者として、存しています。あなたにとって、諸々の〔解脱の〕妨害[さまたげ](蓋)は存在しません。
542  また、あなたにとって、一切の葛藤は、砕破され、分断されました。〔心が〕冷静[おだやか]に成った方、〔心身の〕調御を得た方です。〔道心〕堅固な方、真に努力する方です。
543  龍のなかの龍にして偉大なる勇者たる、〔まさに〕その、〔真理を〕語りつつあるあなたに、ナーラダ(神名)とパッバタ(神名)の両者、全ての天〔の神々〕たちは、随喜します。
544  善き生まれの人よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。天〔界〕を含む世〔界〕において、あなたに対しうる人は存在しません。
545  あなたは、覚者です。あなたは、教師です。あなたは、悪魔を征服する牟尼です。あなたは、諸々の悪習(随眠)を断ち切って、〔激流を〕超えた者として、この〔世の〕人々を〔彼岸へと〕超えさせてくれます。
546  あなたにとって、諸々の依存〔の思い〕は超え行かれ、あなたにとって、諸々の煩悩は破り去られました。〔あなたは〕獅子として、執取〔の思い〕なき者として、〔あらゆる〕恐れと恐ろしさを捨て去った者として、存しています。
547  麗しき白蓮華が、〔汚〕水のなかにありながら、汚されることがないように、このように、あなたは、善と、悪と、〔その〕両者に汚されません。勇者よ、〔両の〕足を差し出してください。サビヤは、教師を敬拝します」〔と〕。

 第七経 セーラ

548  〔セーラ婆羅門が言った〕「世尊よ、〔あなたは〕完成された身体をもち、極めて好ましく、善き出生で、見た目が典雅で、黄金の色艶ある者として存しています。〔あなたは〕歯が純白で、精進ある者として存しています。
549  まさに、善き出生の人には、諸々の特徴が有ります。あなたの身体には、それらの全てが〔有ります〕。偉大なる人がもつ諸々の特相が〔有ります〕。
550  眼が清らかで、美しい顔立ち、偉丈夫で、真っすぐで、輝きある者として、〔あなたは〕沙門の僧団の中で、太陽のように、光り輝きます。
551  見た目が善く、黄金に似た肌をもつ比丘——このように、最上の容貌をもつ、あなたにとって、沙門として〔世に〕有ることが、何になるというのでしょう。
552  〔あなたは〕車上の雄牛(戦車隊の統率者)たる転輪王として、四辺を征圧したジャンブ洲(全インド)の支配者として、〔世に〕有るのがふさわしい。
553  士族たちは、地方の王たちは、あなたに付き従う者たちと成ります。ゴータマ(ブッダ)よ、王のなかの王として、人間〔界〕のインダ(インドラ神)として、王権を為されよ(統治せよ)」〔と〕。
554  世尊は〔答えた〕「セーラさん、わたしは、王として、〔世に〕存しています。〔わたしは〕無上なる法(真理)の王として、法(真理)によって、〔法の〕輪を転じます——〔誰も〕反転できない〔法の〕輪を」と。
555  セーラ婆羅門が〔尋ねた〕「〔あなたは、自らについて〕『正覚者である』〔と〕公言なさいます。ゴータマ(ブッダ)よ、〔あなたは〕『無上なる法(真理)の王として、法(真理)によって、〔法の〕輪を転じる』と語ります。
556  いったい、誰が、軍団の長ですか。〔誰が〕尊き方の弟子として、教師に従い行くのですか。あなたが転じた、この、法(真理)の輪を、誰が、〔後に続いて〕転じ行くのですか」と。
557  世尊は〔答えた〕「セーラさん、わたしが転じた〔法の〕輪を、無上なる法(真理)の輪を、如来に〔続いて〕生まれ来たサーリプッタ(舎利弗:人名・ブッダの高弟)が、〔後に続いて〕転じ行きます。
558  わたしによって、証知されるべきものは証知され、そして、修められるべきものは修められ、捨てられるべきものは捨てられました。婆羅門よ、それゆえに、〔わたしは〕覚者として〔世に〕存しているのです。
559  婆羅門よ、わたしにたいする疑いを取り除きなさい。〔わたしを〕信じなさい。正覚者たちと一度ならず相見[まみ]えることは、得難きこととして〔世に〕有るのです。
560  彼ら(正覚者たち)が一度ならず世に出現することは、あなたたちにとって、得難きことです。婆羅門よ、そして、わたしは、正覚者として、〔毒〕矢の治癒者にして無上なる者として、〔世に存しています〕。
561  〔わたしは〕梵(最高の人格者)と成り、〔他に〕比類なく、悪魔の軍団を撃破し、一切の朋[とも]ならざる〔敵〕を自在に為して、何ものも恐れず、〔自ら〕喜び楽しみます」と。
562  〔セーラ婆羅門が、自らの弟子たちに言った〕「諸君、このことを、眼[まなこ]ある方(ブッダ)が語るとおりに、こころして聞け——〔毒〕矢の治癒者にして偉大なる勇者が、林のなかで獅子が吼えるように〔語る、そのとおりに〕。
563  梵(最高の人格者)と成り、〔他に〕比類なく、悪魔の軍団を撃破する方(ブッダ)を見て、誰が、〔心が〕清まらずにいられよう。黒き生まれの者でさえも、〔心が清まるであろう〕。
564  求める者は、わたしに従え。あるいは、求めない者は、行け。ここに、わたしは、優れた知慧ある方(ブッダ)の現前で、出家するであろう」〔と〕。
565  〔弟子たちは答えた〕「もし、この、正自覚者(ブッダ)の教えが、尊き方(セーラ婆羅門)にとって、好ましきものとなるなら、わたしたちもまた、優れた知慧ある方(ブッダ)の現前で、出家するでありましょう」〔と〕。
566  〔セーラ婆羅門が言った〕「これら、三百の婆羅門たちは、合掌を為して、〔あなたに〕乞います。世尊よ、あなたの現前で、〔わたしたちは〕梵行(禁欲清浄行)を行じおこなうでありましょう」〔と〕。
567  世尊は〔言った〕「セーラさん、現に見られ、時を要さない、〔真の〕梵行は、善く告げ知らされました。そこにおいて、〔気づきを〕怠らずに学ぶ者の出家は、無駄ではありません」と。
568  〔出家したセーラに、世尊は言った〕「諸々の祭祀は、火への供え物を頂点とし、韻文の頂点は、サーヴィッティー(サーヴィトリー讃歌)です。人間たちの頂点は、王であり、諸々の川の頂点は、海です。
569  星々の頂点は、月であり、諸々の輝くものの頂点は、太陽です。功徳を望みながら祭祀をする者たちの頂点は、まさに、僧団(僧:サンガ)です」〔と〕。
570  〔尊者セーラが言った〕「眼[まなこ]ある方よ、あなたという帰依所に〔わたしたちが〕やってきてこのかた(覚者に帰依してから)、〔今日で〕第八〔日〕です。世尊よ、〔わたしたちは〕七夜で、あなたの教えにおいて調御された者たちとして、〔いまここに〕存しています。
571  あなたは、覚者です。あなたは、教師です。あなたは、悪魔を征服する牟尼です。あなたは、諸々の悪習(随眠)を断ち切って、〔激流を〕超えた者として、この〔世の〕人々を〔彼岸へと〕超えさせてくれます。
572  あなたにとって、諸々の依存〔の思い〕は超え行かれ、あなたにとって、諸々の煩悩は破り去られました。〔あなたは〕獅子として、執取〔の思い〕なき者として、〔あらゆる〕恐れと恐ろしさを捨て去った者として、〔世に〕存しています。
573  これら、三百の比丘たちは、合掌を為して、立っています。勇者よ、〔両の〕足を差し出してください。龍(比丘)たちよ、教師を敬拝せよ」〔と〕。

 第八経 矢

574  この〔世において〕、死すべき者(人間)たちの生命は、〔特定の〕相なく、了知されることなく、そのうえ、困難で、なおかつ、短く、しかして、それは、苦によって束縛されている。
575  それによって(それをすることで)生まれた者たちが死なずにすむ、その〔特別な〕行動(方策)は、まさに、存在しない。また、老を得ては、死がある〔だけのこと〕。このように、まさに、生ある者には、諸々の法(性質)がある。
576  諸々の熟した果実には、早く落ちるゆえの恐れがあるように、このように、死すべき者(人間)として生まれた者たちには、常に、死ゆえの恐れがある。
577  また、陶工の作った諸々の土器も、全てが破壊という結末あるように、このように、死すべき者(人間)たちの生命は、〔全てが破壊という結末あるものである〕。
578  青年たちも、大人たちも、愚者たち、賢者たちも——〔その〕全てが、死魔の支配に赴く——〔その〕全てが、死を行き着く所とする。
579  死魔に打ち負かされた彼らが行きつつある他世からは、父親が子供を救うことはなく、あるいはまた、親族たちが親族たちを〔救うこともない〕。
580  〔死に行く者を〕見ているだけで、個々に泣き叫んでいる親族たちを見よ。死すべき者(人間)たちの、まさしく、一者一者[ひとりひとり]が、屠殺される牛のように、〔死へと〕導かれる。
581  このように、世〔の人々〕は、老と死とによって、悩み苦しめられている。それゆえに、慧者たちは、世〔の人々〕の行く末を知って、憂い悲しまない。
582  来た者の、あるいは、去った者の、彼の道を、〔あなたは〕知らない。〔生と死の〕両極を正しく見ずに、〔あなたは〕義(意味)なく、嘆き悲しむ。
583  もし、迷乱して、自己を害し、嘆き悲しんでいる者が、〔嘆き悲しむことで〕何らかの義(意味)を引き出すなら、しかして、明眼の者は、これ(嘆き悲しむこと)を為すであろう。
584  まさに、泣き悲しむことで、憂い悲しむことで、心の寂静を得ることはない。まさに、より一層、苦しみが生起し、肉体が打ちのめされる〔だけのこと〕。
585  自己によって自己を害しつつ、痩せ細り、色艶の衰えた〔瀕死の〕者と成るが、それによって、亡者たちがどうにかなることはない。嘆き悲しむことは、義(意味)なきこと。
586  憂い〔の思い〕を捨てずにいる人は、より一層、苦を受ける。命の終わりを泣き悲しんでいる者たちは、憂いの支配に従ってきたのだ。
587  また、〔自己の作り為した〕行為(業)のままに近づき行き、〔他世へと〕行く、他の人たちをも、見よ。死魔の支配に帰り来て、この〔世において〕、震えているだけの生あるものたちを。
588  まさに、あれやこれや思い考えても、それは、その〔思い〕とは他のものと成る。見よ——世〔の人々〕の行く末を。このような、変じ異なる状態がある〔だけのこと〕。
589  たとえ、もし、若くある者が、百年のあいだ、生きるとして、あるいはまた、より一層〔生きるとして〕、親族の群れとは別れ別れに成り、この〔世において〕、生命を捨てる〔だけのこと〕。
590  それゆえに、阿羅漢(人格完成者)の〔教えを〕聞いて、嘆き悲しみ〔の心〕を取り除くように。命を終えた亡者を見て、「彼は、わたしには〔何も〕できない」と〔知るように〕。
591  燃える家を水で消し止めるように、また、このように、慧者にして知慧を有する者は、賢者にして智者たる人は、生起した憂い〔の思い〕を、すみやかに〔消し静めるように〕——風が、綿を吹き飛ばすように。
592  自己の、嘆き悲しみと渇望と失意〔の思い〕を〔引き抜くように〕。自己の安楽を求める者は、自己の矢を引き抜くように。
593  矢が引き抜かれた者は、〔何ものにも〕依存せず、心の寂静を得て、一切の憂いを超え行き、憂いなく、涅槃に到達した者と成る。

 第九経 ヴァーセッタ

594  〔ヴァーセッタ学徒が尋ねた〕「わたしたち(ヴァーセッタ学徒とバーラドヴァージャ学徒)は、両者ともに、〔他者も〕承認し〔自らも〕公言する、三つのヴェーダ〔の知〕ある者(ヴエーダ聖典の精通者)として、〔世に〕存しています。わたし(ヴァーセッタ学徒)は、ポッカラサーティ(人名)の、この者(バーラドヴァージャ学徒)は、タールッカ(人名)の学徒(弟子)です。
595  三つのヴェーダ(ヴェーダ聖典)について告げられたなら、そこにおいて、〔わたしたちは〕全一の者たちとして、存しています。〔わたしたちは〕詩句の者にして文法ある者(詩句と文法の精通者)たちとして、〔聖典の〕読誦については師匠と同等の者たちとして、存しています。
596  ゴータマ(ブッダ)よ、〔まさに〕その、わたしたちに、出生の論について論争が存在するのです。バーラドヴァージャは、『出生によって、婆羅門と成る』と語ります。しかしながら、わたしは、『行為(業)によって、〔婆羅門と成る〕』〔と〕説きます。眼[まなこ]ある方よ、このように知ってください。
597  〔まさに〕その、わたしたちは、両者ともに、互いに他を了解させることができません。『正覚者』として〔世に〕聞こえた尊き方に問い尋ねるため、〔わたしたちは〕やってきました。
598  合掌した人たちが、滅〔の期間〕を過ぎた月(満月)に向かって敬拝し、礼拝するように、このように、世において、〔世の人々は〕ゴータマ(ブッダ)を〔礼拝します〕。
599  世における眼として出現したゴータマ(ブッダ)に、わたしたちは問い尋ねます。出生によって、婆羅門と成るのですか、それとも、行為によって、〔婆羅門と〕成るのですか。無知なるわたしたちに、説いてください——〔わたしたちが〕婆羅門について、知りうるように」〔と〕。
600  世尊は〔答えた〕「ヴァーセッタさん、わたしは、〔まさに〕その、あなたたちに、生き物たちの出生の区分を、順次に、真実のとおりに、説き示しましょう。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
601  また、草や木々についても、知りなさい。さらにまた、公言しなくても、それらには、出生によって作られた徴表[しるし](種による差異)があります。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
602  それから、蛆虫たちや蟋蟀[こおろぎ]たちについて、蟻たちに至るまで、〔それらについても、知りなさい〕。それらには、出生によって作られた徴表(種による差異)があります。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
603  また、小さいものや大きいものなど、諸々の四足〔の動物〕についても、知りなさい。それらには、出生によって作られた徴表(種による差異)があります。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
604  また、足が腹で、胸で行き、長い背をもつ〔蛇〕たちについても、知りなさい。それらには、出生によって作られた徴表(種による差異)があります。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
605  それから、また、水にあって、水を境涯[すみか]とする魚たちについても、知りなさい。それらには、出生によって作られた徴表(種による差異)があります。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
606  それから、また、翼をもち、翼を乗り物として、宙を行く〔鳥〕たちについても、知りなさい。それらには、出生によって作られた徴表(種による差異)があります。諸々の出生は、まさに、互いを他とするもの(相異なる存在)です。
607  これら、諸々の出生(種)について、出生によって作られた徴表(種による差異)が別々であるように、このように、出生によって作られた徴表が別々のものとして存在することは、人間たちについては、ありません。
608  諸々の髪になく、頭になく、〔両の〕耳になく、〔両の〕眼になく、口になく、鼻になく、〔両の〕唇にも、あるいは、〔両の〕眉にもありません。
609  首になく、〔両の〕肩になく、腹になく、背になく、尻になく、胸になく、陰部になく、淫欲(性行為のあり方)にもありません。
610  〔両の〕手になく、〔両の〕足になく、〔両手の〕指にも、あるいは、〔両手の〕爪にもなく、〔両足の〕脛になく、〔両足の〕膝になく、色にも、あるいは、声にもありません。他の、諸々の出生についてのように、出生によって作られた徴表〔が別々のものとして存在すること〕は、〔人間たちについては〕まさしく、〔有りえ〕ないのです。
611  肉体を有するものたちにおいて各自それぞれに〔見い出される〕、この〔徴表〕は、人間たちについては見い出されません。そこで、〔それぞれの〕区別は、人間たちについては、呼称でもって呼ばれるのです。
612  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、牧畜に依拠して生きる者——彼は、耕作者であって、婆羅門ではありません。
613  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、種々の技能によって生きる者——彼は、技術者であって、婆羅門ではありません。
614  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、売り買いに依拠して生きる者——彼は、商人であって、婆羅門ではありません。
615  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、他者に仕えることで生きる者——彼は、下僕であって、婆羅門ではありません。
616  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、与えられていないものに依拠して生きる者——この者は、盗賊であって、婆羅門ではありません。
617  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、弓術に依拠して生きる者——〔彼は〕戦士として生きる者であって、婆羅門ではありません。
618  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、司祭職によって生きる者——彼は、祭祀者であって、婆羅門ではありません。
619  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。まさに、誰であれ、人間たちのなかで、村と国を領する者——この者は、王であって、婆羅門ではありません。
620  また、わたしは、〔婆羅門の〕胎から生じ、〔婆羅門の〕母から生まれる者を、『婆羅門』と説きません。まさに、彼が、〔執着ある〕所有者として〔世に〕有るなら、彼は、『ボーヴァーディン(「君よ」と呼びかける者)』という名で〔世に〕有る〔だけのこと〕。無一物で、無執取の者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
621  一切の束縛を断ち切って、まさに、思い悩むことがない者は、執着を超え行く者であり、束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
622  紐(憤怒)を断ち切って、さらには、緒(渇愛)と綱(六十二邪見)を、手綱(煩悩)と共に〔断ち切って〕、閂(無明)を引き抜いた覚者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
623  罵倒を、さらには、殴打と結縛を、怒ることなく忍受する者は、忍耐力があり、力ある軍隊〔に匹敵する者〕であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
624  怒りなく、掟あり、戒あり、〔渇愛の〕増長なき者——最後の肉体ある、調御の者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
625  蓮の葉にある水〔滴〕のように、錐[きり]の先にある芥子〔粒〕のように、諸々の欲望〔の対象〕に汚されない者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
626  まさしく、この〔世において〕、自己の苦の滅尽を覚知するなら、〔生の〕重荷を降ろし、〔世の〕束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
627  深遠なる知慧の者、道と非道とを熟知する思慮ある者、最上の義(目的)を獲得した者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
628  在家の者たちと家なき者たち、〔その〕両者と交わらず、家なくして行く、求むこと少なき者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
629  動くものたちと動かないものたち、〔一切の〕生類にたいし、棒(武器)を置いて、〔他者を〕殺さず、〔他者をして他者を〕殺させない者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
630  〔道を〕遮る者たちのなかにいながら遮ることなき者(一切にたいし敵意なき者)、棒(武器)を取る者たちのなかにいながら涅槃に到達した者、執取〔の思い〕を有する者たちのなかにいながら執取〔の思い〕なき者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
631  芥子〔粒〕が錐の先から〔落ちる〕ように、彼の、貪り(貪)と怒り(瞋)と高慢(慢)と隠覆(覆)が打ち倒された者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
632  粗野でなく、〔はっきりと意味を〕識知させる、真理の言葉を話し、それ(言葉)によって、誰とであれ、面倒を起こさずにいる者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
633  また、あるいは、長き、あるいは、 短き、微細と粗大、美なると美ならざるもの(清浄と不浄)、〔何であれ〕世において与えられていないものを取らない者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
634  この世において、そして、他〔世〕において、彼に、諸々の願望(自己中心的な期待や思惑)が見い出されないなら、依存〔の対象〕なく、束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
635  彼に、諸々の執着が見い出されず、〔一切を〕了知して、疑惑なき者となるなら、不死への沈潜(涅槃の境地)を獲得した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
636  この〔世において〕、善も、悪も、両者ともに、執着〔の思い〕を超え行ったなら、憂いなく、〔世俗の〕塵を離れた、清浄の者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
637  垢(汚れ)を離れた月(満月)のように、清浄で、〔心が〕清らかで、濁りなき者——喜びの生存(迷いの生存を喜びとする凡夫のあり方)が完全に滅尽した者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
638  この、障害と悪路と輪廻と迷妄を超え行った者——〔激流を〕超え、彼岸に至った瞑想者——動揺なく、疑惑なく、〔一切を〕執取せずして、涅槃に到達した者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
639  この〔世において〕、諸々の欲望〔の対象〕を捨て去って、家なき者として遍歴遊行するなら、欲望と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
640  この〔世において〕、渇愛〔の思い〕を捨て去って、家なき者として遍歴遊行するなら、渇愛と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
641  人間としての束縛を捨てて、天〔の神〕としての束縛を超え行ったなら、一切の束縛について束縛を離れた者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
642  喜悦も、不満も、〔両者ともに〕捨てて、依存〔の思い〕なく、〔心が〕冷静[おだやか]に成った者——一切世〔界〕を征服する勇者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
643  有情(生類)たちの死滅と再生を、全てにわたり知ったなら、執着なく、善き至達者たる、覚者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
644  天〔の神々〕たちが、ガンダッバ(音楽神)や人間たちが、彼の赴く所を知らないなら、煩悩が滅尽した者であり、阿羅漢(人格完成者)であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
645  彼に、過去も、未来も、〔その〕中間(現在)も、何ものも存在しないなら、無一物で、無執取の者であり、わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
646  〔勇猛果敢な〕雄牛、最も優れた勇者、偉大なる聖賢、〔一切の〕征圧者、不動の沐浴者(梵行終了者)たる覚者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
647  過去(前世)の居住[いきざま]を知った者、そして、〔死後に赴く〕天上と堕所(地獄)を〔両者ともに〕見る者、しかして、生の滅尽を得た者——わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。
648  まさに、これは、世における〔ただの〕呼称であって、名前や氏姓は、〔そのようなものとして〕想い描かれた〔だけの〕ものです。慣習(世俗:社会通念)から生まれ来たものであって、そこかしこで〔そのように名づけられ〕想い描かれた〔だけの〕ものです。
649  無知なる者たちの、長夜にわたり悪しき習いとなった、悪しき見解があります。無知なる者たちは、わたしたちに説きます——『出生によって、婆羅門と成る』〔と〕。
650  出生によって、婆羅門と成るのではありません。出生によって、婆羅門ならざる者と成るのではありません。行為(業)によって、婆羅門と成るのです。行為によって、婆羅門ならざる者と成るのです。
651  行為によって、耕作者と成り、行為によって、技術者と成ります。行為によって、商人と成り、行為によって、下僕と成ります。
652  また、行為によって、盗賊と成り、また、行為によって、戦士として生きる者と成ります。行為によって、祭祀者と成り、また、行為によって、王と成ります。
653  このように、この〔道理〕を〔知り〕、事実のとおりに行為を見る、賢者たちは、〔物事が〕縁によって生起する〔道理〕(縁起:因果の道理)を見る者たちであり、行為の報いを熟知する者たちです。
654  世〔界〕は、行為によって転じ行き、人々は、行為によって転じ行きます。行為の結縛ある有情たちは、進み行く車の、諸々の楔(車軸に車輪を固定する部品)のようなものです。
655  苦行、梵行(禁欲清浄行)、自制、そして、調御——これらによって、婆羅門と成るのです。これが、最上の婆羅門〔の境地〕です。
656  ヴァーセッタさん、このように知りなさい。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)を成就し、寂静にして、さらなる〔迷いの〕生存が滅尽した者が、識者たちにとっては、梵〔天〕(ブラフマー神)であり、帝釈〔天〕(インドラ神)なのです」と。

 第十経 コーカーリヤ

657  まさに、生まれた人の口には斧が生え、それによって、愚者は、自己を断つ——悪しく語られた〔言葉〕(悪口)を語りながら。
658  非難すべき者を賞賛し、あるいは、賞賛すべき者であるのに彼を非難する者——彼は、口(言葉)によって、〔悪しき〕賽の目(罪過)を弁別する(選び取る)。〔彼は〕その賽の目によって、安楽を知ることがない。
659  諸々の博打において、自己さえも含む、まさに、一切の財を敗失することになる、この賽の目は、〔その罪悪の量は〕僅かばかりのもの。〔しかしながら〕善き至達者(覚者)たちについて意[こころ]を汚す(悪意を抱き非難する)なら、この賽の目こそは、〔その罪悪の量は〕より大きなものとなる。
660  百千(十万)と三十六のニラッブダ(数の単位・無限大)と五つのアブッダ(数の単位・無限大)〔年〕のあいだ、悪しき言葉と意[おもい]を向けて聖者を非難する者は、その〔終わりなき〕地獄へと近づき行く。
661  事実ならざることを説く者は、地獄へと近づき行く。あるいはまた、為しておきながら「〔わたしは〕為してない」と言う者も、〔地獄へと近づき行く〕。彼らは、死してのち、両者ともどもに、下劣な行為(劣業)の人間たちとして、他所(来世)において、等しきものと成る。
662  汚れなき人を汚し、清浄で穢れなき人を〔穢す〕者(怒りなき者に怒り、悪意なき者に悪意を抱く者)——まさしく、その愚者に、悪は戻り来る——風に逆らって投げられた微細な塵が〔投げた者自身に戻って来る〕ように。
663  貪欲の対象に束縛された者——彼は、言葉によって、他者たちを誹謗する。信なく、吝嗇で、不親切、物惜しみで、〔他者を〕中傷することに〔自ら〕束縛された者である。
664  口悪しき者よ、〔あるがままの〕事実を離れた聖ならざる者よ、生あるものを殺す悪しき者よ、悪行を為す者よ、人でなしの〔悪しき〕賽の目よ、劣悪な生まれの者よ、この〔世において〕、多く語ってはならない。〔おまえは〕地獄にある者として存しているのだ。
665  〔おまえは〕益なきことのために、塵を撒き散らし、罪障を作る者(罪人)となり、寂静の者たちを非難する。そして、多くの悪しき行ないを行じおこなって、まさに、長夜にわたり、深淵(地獄)へと赴くのだ。
666  誰のものであれ、〔為した〕行為(業)は、まさに、滅することがない。それ(行為)は、かならず、至り行き、〔行為の〕主[ぬし]が、まさしく、〔その報いを〕得る。罪障を作る愚か者は、他世において、自己のうちに、苦しみを見る。
667  〔彼は〕鉄の杭が打たれた状況(地獄)へと、鋭い〔刃の〕切っ先へと、鉄の串へと、近づき行く。しかして、〔地獄には〕熱せられた鉄の玉に似た食が存在する——〔彼に〕適した、そのとおり〔の食〕として。
668  まさに、〔獄卒たちは〕説くときは麗美に説かない。〔優しく〕駆け寄ってこない。救いに近づいてこない。〔地獄に堕ちた者たちは〕広げられた炭火のうえに臥し、遍く燃え盛る火のなかに入る。
669  また、〔獄卒たちは、地獄に堕ちた者たちを〕網で覆いながら、そこにおいて、鉄で作られた諸々の槌で打つ。まさしく、漆黒の暗所に、〔地獄に堕ちた者たちは〕入って行くが、まさに、それ(暗所)は、霧のように広がっている。
670  しかしてまた、遍く燃え盛る火の、銅で作られた大釜に入る。まさに、それらの、遍き火〔の諸々の大釜〕のなかで、〔地獄に堕ちた者たちは〕浮きつ沈みつしながら、長夜にわたり、煮られる。
671  しかして、罪障を作る者(罪人)は、膿と血が交ざり合った〔大釜〕のなかで、そこにおいて、何と、煮られるのだ。〔身体を〕臥す、その〔方向〕その方向で、そこにおいて、〔膿と血に〕触れる者は、〔膿と血で〕汚される。
672  罪障を作る者(罪人)は、蛆虫の住居[すみか]である水のなかで、そこにおいて、何と、煮られるのだ。まさに、〔出て〕行こうにも、縁さえも存在しない。なぜなら、釜は、どこも皆、全て等しく〔できている〕のだから。
673  また、鋭い剣の葉をもつ林——それに入ると、四肢が切り刻まれる。〔獄卒たちは〕釣針で舌を掴み取って、〔四肢を〕引き裂き、引き裂いては、打つ。
674  しかしてまた、渡り難きヴェータラニー〔川〕の鋭い切っ先へと、剃刀の切っ先へと、近づき行く。悪を為す愚か者たちは、諸々の悪を為して、そこに、堕ち行く。
675  まさに、そこにおいて、泣き叫ぶ者たちを、黒いまだらの犬たちが、さらには、大烏たちの群れが喰い、狐たち、大鷲たち、鷹たちが、そして、烏たちが啄む。
676  罪障を作る人(罪人)が見る(経験する)ものたる、ここ(地獄)の生活は、まさに、これは、苦難である。それゆえに、この〔世において〕、命の残りあるうちは、為すべきことを為す人として存するように。そして、驕り高ぶらないように。
677  紅蓮の地獄に連れて行かれた者たち——彼ら〔の寿命〕は、知者たちによって、積み荷のなかの胡麻〔の数に等しい〕と数えられた。まさに、五つの千万ナフタ(数の単位)と、他にまた、十二の百千万〔年〕に成る。
678  ここに説かれた、諸々の苦なる地獄があるかぎり、また、そこにおいて、それだけ長く住まねばならない。それゆえに、清らかで博愛なる善徳の者たちにたいし、常に、言葉と意[こころ]を、遍く守るように。

 第十一経 ナーラカ

679  歓喜を生じ満足している三十〔三天〕衆、インダ〔神〕(インドラ神)、そして、清らかな衣の天〔の神々〕たちが、恭しく衣を掴んで、あまりに賛嘆しているのを、アシタ聖賢は、〔天界での〕昼住(昼の休息)において見た。
680  こころ躍り、喜びの意[おもい]ある、天〔の神々〕たちを見て、そこで、〔アシタ聖賢は〕心〔からの思い〕を為して、このことを言った。
〔アシタ聖賢が尋ねた〕「天〔の神々〕の群れは、何を〔縁として〕、あまりに善き気色なのですか。何を縁として、〔あなたたちは〕衣を掴んで振り回すのですか。
681  阿修羅たちと戦いが存したときでさえも、〔天の〕神々たちに勝利があり、阿修羅たちが敗れた、そのときでさえも、このような、身の毛のよだつ〔歓喜〕はありません。どのような未曾有〔の出来事〕を見て、〔天の〕神々たちは歓喜したのですか。
682  〔天の神々たちは〕口笛を吹き、あるいは、歌い、あるいは、〔楽器を〕奏で、あるいは、〔両の〕手を打ち、あるいは、舞います。メール(須弥山)の頂きに住むあなたたちに、わたしは尋ねます。諸尊よ、わたしの疑惑を、すみやかに払い落としてください」〔と〕。
683  〔天の神々たちは答えた〕「菩薩である彼が、優れた宝である無比なる方が、〔人間たちの〕利益と安楽のために、人間世〔界〕に、サキャ(釈迦)〔族〕の者たちの村に、ルンビニーの里に、生まれたのです。それで、〔わたしたちは〕満足し、あまりに善き気色で存しているのです。
684  彼は、一切の有情のなかの最上者たる方、至高なる人、人のなかの雄牛、一切の人々のなかの最上者たる方です。『聖賢〔の集まる所〕』と名づけられた林で、〔法の〕輪を転じるでありましょう——獣たちの征服者たる力ある獅子が吼え叫ぶように」〔と〕。
685  その声を聞いて、彼(アシタ聖賢)は、急いで〔人間世界に〕降りて行った。そのとき、〔アシタ聖賢は〕スッドーダナ(浄飯:人名・ブッダの父親)の居所へと近づき行った。そこに坐して、サキャ〔族〕の者たちに、このことを言った。
〔アシタ聖賢が尋ねた〕「童子は、どこにおられますか。わたしもまた、〔童子に〕相見[まみ]えることを欲する者です」〔と〕。
686  それから、まさしく、溶炉の口のなかで名工によって精錬された黄金のように輝く童子を、吉祥なるがゆえに至上の容貌をもち光り輝いている子供を、サキャ〔族〕の者たちは、「アシタ」と名づけられた〔聖賢〕に見せた。
687  炎のように光り輝いている童子を見て、天空を行く、星のなかの雄牛(月)のように清浄で、秋に、雲から解き放たれた太陽のように輝いている〔童子〕を〔見て〕、歓喜を生じた〔アシタ聖賢〕は、広大なる喜びを得た。
688  無数の枝(骨)と千の円輪をもつ傘蓋[さんがい](王侯や貴人が使う日除けの大傘)を、〔天の〕神々たちは、空中に保持した。黄金の棒(柄)の諸々の払子[ほっす](柄の先に毛や布を束ねた虫除けの道具)が、〔童子を扇ぐため〕飛び交う。〔しかしながら〕払子や傘蓋を持つ者たちは、〔その姿が〕見えない。
689  「カンハシリ」と名づけられた結髪の聖賢(アシタ)は、黄色の毛布のなかの、黄金の円環のような〔童子〕を見て、また、頭上に白の傘蓋を保持されている〔童子〕を〔見て〕、心が躍り上がり、意[こころ]楽しく、〔童子を〕受け取った。
690  しかして、サキャ〔族〕の牛主(童子)を受け取って、〔聖者の〕特相と呪文の奥義に至る者(アシタ聖賢)は、〔童子の容貌に聖者の特相を〕探し求め、清らかな心で、言葉を発した。
〔アシタ聖賢は言った〕「この〔童子〕は、無上なる方です。二足の者(人間)たちのなかでは、最上の方です」〔と〕。
691  しかして、〔アシタ聖賢は〕自己の先行きを思い浮かべながら、〔何やら〕善からざる気色で涙を流す。〔それを〕見て、サキャ〔族〕の者たちは、泣いている聖賢に言った。
〔サキャ族の者たちが尋ねた〕「もしや、童子に、〔将来、何か〕障りでも有るのではないでしょうか」〔と〕。
692  善からざる〔気色の〕サキャ〔族〕の者たちを見て、聖賢は言った。
〔アシタ聖賢は答えた〕「わたしは、童子について、益ならざることを思い浮かべているのではありません。あるいはまた、彼に、障りが有るというのでもありません。この方は、劣れる者ではありません。〔あなたたちは、童子にたいし〕意を傾ける者と成りなさい。
693  この童子は、至高の正覚を体得するでありましょう。彼は、最高の清浄を見る者であり、この方は、多くの人の利益のために慈しみ〔の思い〕ある者として、法(真理)の輪を転じるでありましょう。彼の梵行(禁欲清浄行)は、広く知られるものと成りましょう。
694  しかしながら、この〔世において〕、わたしの残る寿命は、長くはありません。しかして、わたしのばあい、〔童子が正覚を得る〕中途で、命を終えることと成りましょう。そして、わたしは、忍耐強さでは同等の者なき方(成道後の童子、すなわち、ブッダ)の法(教え)を聞くことはないでしょう。それで、〔わたしは〕苦悩し、災厄に陥った、悩苦ある者として、〔いまここに〕存しているのです」〔と〕。
695  梵行者(禁欲清浄行の実践者)である彼(アシタ聖賢)は、サキャ〔族〕の者たちに広大なる喜びを生んで、〔王の〕内宮から去った。彼は、自ら、甥を慈しみつつ、忍耐強さでは同等の者なき方(成道後の童子、すなわち、ブッダ)の諸々の法(教え)〔を聞くこと〕を勧めた。
696  〔アシタ聖賢が言った〕「『覚者(ブッダ)が、正覚を得た者が、法(真理)の道を渡り歩く』という声を、後に、〔おまえが〕聞くとき、そこに行って、教義について遍く尋ねつつ、世尊である彼(ブッダ)のもとで、梵行を歩め」〔と〕。
697  そのような〔他者の〕利益に意[おもい]ある者、未来における最高の清浄を見る者である彼(アシタ聖賢)に教え示された、彼、ナーラカ(人名・アシタ聖賢の甥)は、功徳の積量を蓄積し、勝者(ブッダ)〔の出現〕を待ち望みながら、〔感官〕機能(根)を守って、住していた。
698  優れた勝者の〔法の〕輪の転起についての声を聞いて、〔そこに〕行って、聖賢のなかの雄牛(ブッダ)を見て、清らかな信ある者(ナーラカ)は、「アシタ」と名づけられた者の教えが実現したので、最勝の牟尼の資質について、最も優れた牟尼(ブッダ)に尋ねた。
 諸々の序の詩偈が終わる。
699  〔ナーラカが尋ねた〕「アシタ〔聖賢〕の、この言葉は、真実のとおりに、了知されました。ゴータマ(ブッダ)よ、それ(牟尼の資質)について、あなたに、一切諸法(現象世界)の彼岸に至る方に、問い尋ねます。
700  牟尼よ、家なき〔身〕を具し、行乞の行を望み求めるわたしに、〔問いを〕尋ねられた者として、最上の境地たる牟尼の資質について、説いてください」〔と〕。
701  世尊は〔答えた〕「あなたに、牟尼の資質について、教え知らせよう。為し難く、征服し難い〔牟尼の資質〕について、さあ、それを、あなたに言い示そう。〔自らを〕堅く保て。断固たる者と成れ。
702  村において、罵倒されても敬拝されても、〔心を〕等しい状態に作り為すように。意[こころ]の怒りを守り押さえるように。寂静にして、傲慢ならずに、歩むように。
703  林においては、火炎の如き〔危険で避けねばならない〕高下諸々のことが現じ来る。女たちは牟尼を誘惑するが、まさに、彼女たちが彼を誘惑するようなことがあってはならない。
704  彼此[ひし]における、諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、淫欲の法(もの・こと)から離れた者となり——動くものと動かないものにたいし、〔一切の〕生き物たちにたいし、〔行く手を〕遮ることなく(敵意を抱かず)、執着しない者となり——
705  『わたしがあるように、そのように、これらのものたちはある。これらのものたちがあるように、そのように、わたしはある』〔と〕、自己を喩えと為して(自らを引き合いにして)、〔他者を〕殺さず、〔他者をして他者を〕殺させないように。
706  〔迷える〕凡夫が執着する所である、欲求と貪欲とを捨てて、眼ある者は、〔法の道を〕実践するように。この地獄を超えるように。
707  腹を空かし〔正しく〕量られた食の者として、求むこと少なく〔味に心が〕動かない者として、〔世に〕存するように。まさに、彼は、〔心の〕欲求にたいし、無欲かつ無求なる者であり、涅槃に到達した者と成る。
708  彼は、〔行乞の〕食のための歩行(托鉢)を行じおこなって、林の外れへと〔歩を〕運ぶように。木の根元に立ち、坐〔所〕に着き、牟尼は——
709  彼(牟尼)は、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を追求する慧者として、林の外れで喜びある者として、存するように。自己を楽しませつつ、木の根元で瞑想するように。
710  それから、夜の明け方には、村の外れへと〔歩を〕運ぶように。〔村の者の〕招きを、あるいは、村からの〔施物の〕提供を、喜ぶことがないように。
711  村に至って、牟尼は、家々を、無理強いで歩むことがないように。食を求めることに言を断ち、放埒[でまかせ]の言葉(食を得るためのほのめかしの言葉)を語ることがないように。
712  『〔施物を〕得たことは、これは〔これで〕善いことである。得なかったことは、〔これはこれで〕善いことである』と、まさしく、〔得ても得なくても〕両者ともどもに、彼は、そのような者であり、ただ、木〔の根元〕に戻る〔だけのこと〕。
713  彼は、鉢を手に〔家々を〕渡り歩きつつ、唖[おし]でもないのに唖と思われる。施しが少なくても、蔑まないように。施す者を見下さないように。
714  まさに、高下諸々の道が、沙門(ブッダ)によって明らかにされた。彼岸に二度行くことはないが、この〔道〕は、一度〔限り〕のものとは思われない。
715  しかして、彼に、執着〔の思い〕が存在しないなら、〔輪廻の〕流れが断ち切られた比丘に、為すべきことと為すべきでないことが〔両者ともに〕捨て去られた者に、苦悶〔の思い〕は見い出されない」と。
716  〔引き続き〕世尊は〔答えた〕「あなたに、牟尼の資質について、教え知らせよう。剃刀の切っ先にある如く、〔世に〕有るように(剃刀の切っ先に塗られた蜜を舐めるのが人間の生である、と自戒する)。舌を上顎に付けて、腹において〔食が〕自制された者として存するように。
717  また、心が陰鬱ならざる者として存するように。あるいはまた、多く思い考えないように。生臭[なまぐさ]ならず、〔何ものにも〕依存せず、梵行を〔自らの〕行き着く所(最終目標)とする者として〔存するように〕。
718  独り坐すことを学ぶように。そして、沙門の従事すること(瞑想)を〔学ぶように〕。独りあることは、寂黙〔の道〕である、〔と、覚者によって〕告げ知らされた。もし、独りあるなら、〔彼は、独りあることを〕喜び楽しむであろう。
719  しかして、〔彼は〕十方に光り輝くであろう。慧者たちの評判を聞いて、欲望を捨て去る瞑想者たちの〔評判を聞いて〕、それゆえに、わたしにしたがう者は、より一層、恥〔を知る思い〕と信〔の思い〕とを作り為すように。
720  それを、諸々の川〔の喩え〕によって識知するように。諸々の溝や峡谷などの小さな流れは、騒ぎ立てつつ行くが、大河は、沈黙なるままに行く。
721  不足のもの——それは、〔いたずらに〕騒ぎ立てる。満ちているもの——それは、まさしく、寂静なるまま。愚者は、〔ぴちゃぴちゃと音を立てる、中身が〕半分の瓶の如くある。賢者は、〔水が〕満ちた湖のようにある。
722  沙門が多く語るなら、〔その言葉は〕義(意味)を伴い、具している。〔あるがままに〕知る者として、彼は、法(真理)を示す。〔あるがままに〕知る者として、彼は、多く語る。
723  また、〔あるがままに〕知る者として、自己を制した者——〔あるがままに〕知る者として、多く語らない者——彼は、寂黙〔の道〕に値する牟尼である。彼は、寂黙〔の道〕に到達した牟尼である」と。

 第十二経 二種の随観

724  苦しみを覚知せず、しかして、苦しみの生起を〔覚知せず〕、さらには、苦しみが残りなく全てにわたり消滅する所〔である寂止の境地を知らず〕、しかして、苦しみの寂止へと至る、その道(八正道)を知らない者たち——
725  彼らは、心の解脱に劣る者たちであり、しかして、彼らは、知慧の解脱と〔苦しみの〕終極[おわり]を為すことができない。まさに、彼らは、生と老〔の輪廻〕へと近づき行く者たちである。
726  しかしながら、苦しみを覚知し、しかして、苦しみの生起を〔覚知し〕、さらには、苦しみが残りなく全てにわたり消滅する所〔である寂止の境地を知り〕、しかして、苦しみの寂止へと至る、その道(八正道)を覚知する者たち——
727  〔彼らは〕心の解脱を成就した者たちであり、しかして、彼らは、知慧の解脱と〔苦しみの〕終極を為すことができる。彼らは、生と老〔の輪廻〕へと近づき行く者たちではない。
728  何であれ、世における、無数なる形態の、〔これらの〕苦しみは、依存という縁から生起する。まさに、〔あるがままに〕知ることなく、依存〔の対象〕を作る者——愚か者は、繰り返し、苦しみへと近づき行く。それゆえに、〔あるがままに〕覚知する者として、苦しみの発生の起源を観る者として、依存〔の対象〕を作らないように。
729  〔今〕この場の〔迷いの〕状態(現世)から他の〔迷いの〕状態(来世)へと、生と死の輪廻へと、繰り返し赴く者たち——まさしく、無明によって、その赴く所がある。
730  なぜなら、この無明は、大いなる迷妄であり、それ(無明)によって、この、輪廻なるものは、長きものとなる。しかしながら、明知に至った有情たち——〔彼らは〕さらなる〔迷いの〕生存には帰り来ない(輪廻的あり方を超越する)。
731  何であれ、苦しみが生起するなら、一切は、形成作用(行:生の輪廻を施設し造作する働き)という縁から〔生起する〕。諸々の形成作用が止滅することで、苦しみの生起は存在しない(有りえない)。
732  「苦しみは、形成作用という縁から〔生起する〕」〔と〕、この危険を知って、一切の形成作用が寂止するがゆえに、〔しかして〕表象作用(想:認識対象を表象し概念化する働き)が破壊するがゆえに、このように、苦の滅尽が有る。このことを、真実のとおりに知って——
733  正しく見る者たちは、〔真の〕知に至る賢者たちは、正しく了知して、悪魔の束縛を征服して、さらなる〔迷いの〕生存には帰り来ない(輪廻的あり方を超越する)。
734  何であれ、苦しみが生起するなら、一切は、識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)という縁から〔生起する〕。識別作用が止滅することで、苦しみの生起は存在しない(有りえない)。
735  「苦しみは、識別作用という縁から〔生起する〕」〔と〕、この危険を知って、比丘は、識別作用が寂止するがゆえに、無欲の者となり、完全なる涅槃に到達した者となる。
736  接触(触:感覚・経験)〔の喜悦〕に打ち負かされ、生存の流れ(輪廻)に従い行き、邪道を実践する彼らにとって、束縛の滅尽は、遠く離れている。
737  しかしながら、接触を知り尽くし、了知して、〔心の〕寂止に喜びある者たち——まさに、彼らは、接触〔の喜悦と、その危険〕を知悉するがゆえに、無欲の者となり、完全なる涅槃に到達した者となる。
738  もしくは、楽しいことであろうが、苦しいことであろうが、苦でなく楽でないことと共に、内も、外も、何であれ、〔愛憎の対象として〕感受されたものが存在しないなら——
739  「これは、苦しみである。虚偽の法(もの、こと)である。壊れ崩れるものである」と知って、〔その〕接触〔その〕接触の衰滅を〔常に〕見ている者(瞬間瞬間の感覚が生じては滅するあり方をあるがままに見る者)は、このように、そこにおいて離染する。比丘は、諸々の感受作用(受:認識対象を感受し苦楽の価値づけをする働き)が滅尽するがゆえに、無欲の者となり、完全なる涅槃に到達した者となる。
740  渇愛を伴侶とする人は、長時にわたり輪廻しつつ、〔今〕この場の〔迷いの〕状態(現世)から他の〔迷いの〕状態(来世)へと、〔生死の〕輪廻を超克することはない。
741  この危険を知って、渇愛〔の思い〕を苦しみの生起と〔知って〕、比丘は、渇愛〔の思い〕を離れ、執取〔の思い〕なく、気づきの者として、遍歴遊行するであろう。
742  〔迷いの〕生存は、執取〔の思い〕という縁から〔生起する〕。〔作られたものとして〕有るものは、苦を受ける。生まれたものには、死が有る。これが、苦しみの生起である。
743  それゆえに、執取〔の思い〕が滅尽するがゆえに、賢者たちは、正しく了知し、生の滅尽を証知して、さらなる〔迷いの〕生存には帰り来ない(輪廻的あり方を超越する)。
744  何であれ、苦しみが生起するなら、一切は、〔利己的な〕勉励という縁から〔生起する〕。諸々の〔利己的な〕勉励が止滅することで、苦しみの生起は存在しない(有りえない)。
745  「苦しみは、〔利己的な〕勉励という縁から〔生起する〕」〔と〕、この危険を知って、一切の〔利己的な〕勉励を放棄して、〔利己的な〕勉励なき〔境地〕における解脱者にとって——
746  〔迷いの〕生存にたいする渇愛〔の思い〕が断たれた、寂静心の比丘にとって、生の輪廻は超えられた。彼に、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。
747  何であれ、苦しみが生起するなら、一切は、食(迷いの生存の動力源となるもの)という縁から〔生起する〕。諸々の食が止滅することで、苦しみの生起は存在しない(有りえない)。
748  「苦しみは、食という縁から〔生起する〕」〔と〕、この危険を知って、一切の食を知り尽くして、一切の食について依存なき者となる。
749  無病〔の境地〕を正しく了知して、諸々の煩悩が完全に滅尽するがゆえに、〔食について正しく〕考究して、〔正しい食のあり方に〕慣れ親しむ者は、法(正義)に依って立ち、〔真の〕知に至る者となり、〔虚構の〕名称(概念)に近づくことがない(名付けを離れた存在となる)。
750  何であれ、苦しみが生起するなら、一切は、動揺という縁から〔生起する〕。諸々の動揺〔の思い〕が止滅することで、苦しみの生起は存在しない(有りえない)。
751  「苦しみは、動揺という縁から〔生起する〕」〔と〕、この危険を知って、それゆえに、〔心の〕動揺を放棄し、諸々の形成作用(行:生の輪廻を施設し造作する働き)を破壊して、比丘は、〔心の〕動揺なく、執取〔の思い〕なく、気づきの者として、遍歴遊行するであろう。
752  〔何ものにも〕依存しない者は、動揺しない。しかしながら、〔何ものかに〕依存する者は、〔常に〕執取している。〔今〕この場の〔迷いの〕状態(現世)から他の〔迷いの〕状態(来世)へと、〔生死の〕輪廻を超克することはない。
753  「諸々の依存〔の対象〕のうちに、大いなる恐怖がある」〔と〕、この危険を知って、比丘は、〔何ものにも〕依存せず、執取〔の思い〕なく、気づきの者として、遍歴遊行するであろう。
754  あるいは、形態(色)に近づき行く有情たち(人間)——あるいは、形態なきところ(無色)に住む者たち(神々)——〔彼らは〕止滅〔の境地〕を覚知することなく、さらなる〔迷いの〕生存へと帰り来る者たちである。
755  しかしながら、諸々の形態を知り尽くして、諸々の形態なきもののうちに止まることなく、止滅〔の境地〕において解脱する者たち——彼らは、死を捨て去る人たちである。
756  見よ——自己でないものについて「自己である」と高慢し、名前と形態(名色:現象世界)のうちに〔思いが〕固着した、天〔界〕を含む世〔の人々〕を。「これは、真理である」と〔迷いのままに〕思いなす。
757  まさに、あれやこれや思い考えても、それは、その〔思い〕とは他のものと成る。まさに、それは、その〔思い〕にとっては虚偽なるものとして有る。まさに、移り行く、虚偽の法(もの・こと)として〔有る〕。
758  涅槃〔の境地〕は、迷妄ならざる法(もの・こと)であり、聖者たちは、それを「真理である」と知る。まさに、彼らは、真理を知悉するがゆえに、無欲の者となり、完全なる涅槃に到達した者となる。
759  諸々の形態(色:眼の対象)、諸々の音声(声:耳の対象)、諸々の味わい(味:舌の対象)、諸々の香り(香:鼻の対象)、諸々の接触(触:身の対象)、諸々の法(法:意の対象)の全部と、諸々の求められ欲せられ意に適うものと、「〔世に〕存在する」と言われるかぎりのもの——
760  こられこそは、天〔界〕を含む世〔の人々〕にとって、「楽しみである」と思われたものである。さらには、これらのものが消滅する所——それは、彼らにとって、「苦しみである」と思われたものである。
761  身体が有る〔という誤った見解〕の破壊は、聖者たちによって、「楽しみである」と見られた。〔あるがままに〕見る者たちの、この〔ものの見方〕は、一切世〔界〕とは、正反対のものと成る。
762  他者たちが「楽しみである」と言うもの——それを、聖者たちは、「苦しみである」と言う。他者たちが「苦しみである」と言うもの——それを、聖者たちは、「楽しみである」と知る。見よ——了知し難き法(真理)を。ここに、迷乱の者たちがいる。無知なる者たちがいる。
763  〔迷妄に〕覆われた者たちには、闇が有る。〔あるがままに〕見ない者たちには、暗黒が〔有る〕。しかしながら、正しくある者たちには、〔迷妄の覆が〕開かれた〔あるがままの真実〕が有る——〔あるがままに〕見る者たちに、光明が〔有る〕ように。〔しかしながら〕法(真理)の熟知者ならざる獣愚の者たちは、〔法の〕現前にいながら〔法を〕識知しない。
764  〔迷いの〕生存にたいする貪り〔の思い〕に打ち負かされ、〔迷いの〕生存の流れ(輪廻)に従い、悪魔の領域に堕ちた者たちによって、この法(真理)が真に正覚されることはない。
765  聖者たちより他の、いったい、誰が、〔その〕境地を正覚するにふさわしいというのだろう——煩悩なき者たちが、正しく了知して、完全なる涅槃に到達する、〔まさに〕その境地に。

第四章 八なるもの

 第一経 欲望

766  欲望〔の対象〕を欲している彼にとって、もし、その〔願い〕が適うなら、たしかに、人は、求めるものを得て、〔その時だけは〕喜びの意[おもい]ある者と成る。
767  〔欲望の対象を〕欲している彼にとって、欲〔の思い〕が生じた人にとって、もし、それらの欲望〔の対象〕が衰え滅びるなら、〔彼は〕矢に貫かれた者のように、悩み苦しむ。
768  足で蛇の頭を〔避ける〕ように、諸々の欲望〔の対象〕を遍く避ける者——〔常に〕気づきある彼は、世における、この執着を超克する。
769  田畑、地所、黄金、あるいは、牛馬、奴隷や下僕、婦女たち、眷属たちなど、種々なる欲望〔の対象〕を貪り求める人——
770  彼を、まさしく、諸々の力なきもの(時の流れ)が押しつぶす。彼を、諸々の危難が踏みにじる。それゆえに、彼に、苦しみが従い行く——壊れた舟に、水が〔浸み入る〕ように。
771  それゆえに、常に気づきある人は、諸々の欲望〔の対象〕を遍く避けるもの。それら(欲望の対象)を捨てて、〔貪欲の〕激流を超えるなら、〔人は〕舟〔に浸み入る水〕を汲み出して、彼岸に至る者となる。

 第二経 洞窟についての八なるもの

772  〔煩悩の〕洞窟(身体)に執着し、多く〔の迷妄〕に覆われた者——迷妄ならしむもの(欲望の対象)のうちに沈み、止[とど]まっている人——そのような類[たぐい]の者である彼は、まさに、遠離〔の境地〕から遠く離れている。まさに、世における諸々の欲望〔の対象〕は、まさに、捨て易きものではない。
773  未来、あるいはまた、過去について、〔あれこれと〕期待する者たち——あるいは、〔現前する〕これらの欲望〔の対象〕を、あるいは、以前〔に見た欲望の対象〕を、〔貪りの思いで〕渇望する者——彼ら、〔潜在的な心の〕欲求を縁とし生存(有)の悦[よろこび]に結縛された者たちは、解脱し難い。なぜなら、他のもの(他者・他物)〔を依り所とする〕解脱は、〔どこにも存在し〕ないのだから。
774  諸々の欲望〔の対象〕について、貪り、追い求め、〔心が〕迷乱した者たち——彼ら、しみったれで、〔世の〕不正に〔思いが〕固着した者たちは、〔いざ、死の〕苦しみ〔の前〕に連れて行かれたなら、〔うってかわって〕嘆き悲しむ。「死んだ〔わたしたち〕は、これから、いったい、どう成るのだろう」〔と〕。
775  それゆえに、まさに、人は、この〔世において〕こそ、学ぶように。何であれ、世において、「不正である」と知られるなら、それを因として、不正を行じおこなうことがないように。慧者たちは言う「その寿命は、まさに、僅かである」〔と〕。
776  〔わたしは〕見る——諸々の生存にたいする渇愛に陥り、世において、震えおののいている、この人々を。下劣な人たちは、〔死に瀕しても〕種々なる生存にたいする渇愛〔の思い〕から離れられず、死魔の門にて泣きわめく。
777  見よ——わがものと〔錯視〕されたもの(執着の対象)に、震えおののいている者たちを——水少なく、涸れた流れのなかにいる、魚たちのような者たちを(彼らは、所有物を失う不安と恐怖で悩み苦しんでいる)。また、このことを見て、諸々の生存について執着〔の思い〕を為さずにいる者は、我執なくして、行じおこなうように。
778  〔種々に対立する〕両極について、欲〔の思い〕を取り除き、〔感官とその対象の〕接触(触:感覚・経験)を知り尽くして、〔欲望の対象を〕貪り求めない者は——自己を難じる者が〔為す〕こと、それを為さずにいる慧者は——諸々の見られ聞かれたもの(欲望の対象)に汚されない。
779  諸々の執持〔の対象〕(所有物)に汚されない牟尼(沈黙の聖者)は、〔心中の〕想い(想:表象・概念)を知り尽くして、〔貪欲の〕激流を超え渡るであろう。〔貪欲の〕矢が引き抜かれた者は、〔気づきを〕怠ることなく行じおこなう者は、この世と他〔世〕を、〔両者ともに〕願い求めない。

 第三経 邪悪についての八なるもの

780  また、或る者たちは、まさに、〔憎しみや怒りなどの〕汚れた意[こころ]で、〔自己の論を〕説く。しかしてまた、まさに、〔自説だけが〕真理である〔という、思い上がりの〕意で、〔自己の論を〕説く。しかしながら、牟尼は、〔論敵への憎悪と自説への固執から〕生じた〔悪意ある〕論に近づかない。それゆえに、牟尼は、〔他者にたいする〕鬱屈(偏見)が、どこにも存在しない。
781  欲〔の思い〕に導かれ、好みによって〔思いが〕固着した者は、まさに、どのようにして、自らの見解を超え渡るというのだろう。〔諸々の特定の見解について〕「〔それらは〕完全である」〔と〕自ら〔思いを〕為す者は、まさに、〔限定された自己だけの観点から〕知るであろうとおりに、そのように〔自説を独善的に〕説くであろう。
782  また、自己の〔保持する〕諸々の戒や掟について、〔他者から〕尋ねられていないのに、他者たちに説く人——まさしく、自ら、自己について、〔あれこれと〕説く者——智者たちは、彼を「聖ならざる法(性質)の者」と言う。
783  しかしながら、自己が寂滅した、寂静なる比丘は、「わたしは云々」と、諸々の戒について誇らずにいる。彼に、〔貪りや怒りなどの〕諸々の増長〔の妄想〕が、世において、どこにも存在しないなら、智者たちは、彼を「聖なる法(性質)の者」と説く。
784  彼に、〔執着の対象として〕想い描かれ〔妄想によって〕形成された諸々の法(もの・こと)が〔存在し〕、〔特別のものとして〕偏重された諸々の清浄ならざるものが存在するなら、〔彼は〕自己〔だけ〕に福利を見る者であり、その、動揺を縁とする〔虚妄の〕寂静に依存する者である。
785  諸々の見解にたいする固着は、まさに、超克し易きものではない。〔それゆえに、比丘は〕諸々の法(もの・こと)のうちに、〔執着の対象として〕執持されたもの(悪しき法)を、〔正しく〕判別するように。それゆえに、人は、それら、諸々の〔妄執が〕固着する場において、法(もの・こと)を放棄し、かつまた、執取する。
786  清き者には、まさに、世のどこにおいても、種々なる生存にたいし、〔あらかじめ断定的に〕想い描かれた〔特定の〕見解は存在しない。幻想も、高慢も、〔両者ともに〕捨てて、清き者たる彼が、どうして、〔迷いの生存に〕赴くであろう。彼は、〔特定の見解や迷いの生存に〕近づかない者である。
787  〔執着の対象に〕近づく者は、まさに、諸々の法(見解)について、〔特定の〕論に近づく。〔しかしながら、特定の見解や迷いの生存に〕近づかない者を、何によって、どのように説くというのだろう(彼は、論争の相手にはならない)。なぜなら、彼には、〔執着の対象として〕執取されたものと、〔排除の対象として〕放棄されたものが、〔両者ともに〕存在しないのだから(彼は、特定の見解を執着の対象として執取することもなく、排除の対象として放棄することもない)。彼は、まさしく、この〔世において〕、一切の見解を払い落としたのだ。

 第四経 清浄についての八なるもの

788  「〔わたしは〕見る——清浄で、無病で、最高なる者を。〔外に〕見られたものによって、人の清浄は有る」〔と〕、〔見てくれだけで〕清浄を観る(理解する)者は、これ(清浄)を〔自己だけの観点で〕証知しながら、「〔外に見られたものが〕最高である」と〔自分勝手に〕知って、〔形だけの知識を〕「〔正しい〕知識である」と盲信する。
789  もし、〔外に〕見られたものによって、人の清浄が有るなら、あるいは、〔形だけの〕知識によって、彼が苦を捨てるなら、彼は、〔見解や知識にたいする〕依存〔の思い〕ある者であって、〔自己でない〕他のものによって清まる〔ことになる〕。なぜなら、〔他のものである、彼の〕見解は、彼について、そのように〔形だけで〕説いている者と、〔自ら〕説くからである。
790  〔真の〕婆羅門(人格完成者)は、他のものから〔生まれた、虚妄の〕清浄を、〔清浄とは〕言わない。自己を捨てる者、この〔世において〕、〔執着の思いを〕為さずにいる者は、見られたものと聞かれたものと思われたもの(我執の思いで対象化され他者化した認識対象)に、あるいは、戒や掟(執着の対象に成り下がった宗教的行為)に、善と悪と(概念化され規範化した価値基準)に、〔何であれ〕汚されない者である。
791  前の〔教師や教義〕を捨てて他の〔教師や教義〕に依存する者たち——〔心の〕揺れ動くまま〔他のものに〕従い行く彼らは、〔自らの〕執着〔の思い〕を超えることがない。彼らは、〔特定の何かを、執着の対象として〕執持し、〔排除の対象として〕放棄する——猿が、枝を掴んでは放つようなもの。
792  自ら〔自分勝手に〕、諸々の掟を受持して、〔自分勝手な〕想い(想:表象・概念)に執着する人は、〔迷いのままに〕高下に赴く。しかしながら、知ある者は、諸々の知によって法(真理)を行知して、広き知慧ある者となり、高下に赴くことがない。
793  あるいは、見られたもの、あるいは、聞かれたものと思われたもの、何であれ、彼は、一切の諸法(もの・こと)にたいし、敵対という有り方を離れている。このように見る者である彼を、〔迷妄の覆[おおい]が〕開かれた者として行じおこなう者を、この世において、〔いったい、誰が〕何によって、想い描くというのだろう(執着の対象を想い描くことがない者は、執着の対象として想い描かれることもない)。
794  彼ら(知慧ある者たち)は、〔特定の何かを〕想い描かず、〔特定の何かを〕偏重せず、「〔これこそ〕究極の清浄である」と説かない。〔執着の思いで〕拘束された執取の拘束(欲望や執着の対象)を捨てて、世のどこにおいても、〔自分勝手な〕願望を作らない。
795  〔執着の対象として〕執持されたものを〔「執着の対象である」と〕、あるいは、〔あるがままに〕知って、あるいは、〔あるがままに〕見て、〔世の〕罪悪を超え行く婆羅門——彼には、〔執着の対象が〕存在しない。〔彼は〕貪り〔の対象〕を貪る者でもなく、離貪〔の思い〕に染まった者でもない。彼には、この〔世において〕、「〔これこそ〕最高である」〔と〕執持されたもの(執着の対象)が存在しない。

 第五経 最高についての八なるもの

796  諸々の見解のなかにおいて、「最高である」と〔独善的に固執し〕固着しながら、世において、人が、それをより上と為すなら、それより他のものについては、〔その〕一切を、「劣る」と言う。それゆえに、〔人は〕諸々の論争を超克しない。
797  見られたものと聞かれたものと思われたもの(我執の思いで対象化され他者化した認識対象)について、あるいは、戒や掟(執着の対象に成り下がった宗教的行為)について、自己〔だけ〕に福利を見る者——彼は、そこにおいて、それ(自己の福利)だけに執持して、他者の一切を「劣る」と見る。
798  〔何ものかに〕依存する者が、他者を「劣る」と見るなら、たとえ、それ(「劣る」という思い)だけでも、智者たちは、拘束と説く。それゆえに、まさに、比丘は、あるいは、見られたものに〔依存せず〕、あるいは、聞かれたものと思われたものに〔依存せず〕、戒や掟に依存しないように。
799  あるいは、知識によって、あるいはまた、戒や掟によっても、世において、〔いかなる〕見解でさえも想い描かないように。自己を〔他者と〕「等しい」と見なさないように。あるいはまた、「劣る」「勝[まさ]る」〔と〕思いなさないように。
800  〔比丘である〕彼は、自己を捨てて、執取することなく、また、知識にも依存を為さない。まさに、彼は、相争う者たちのなかにいながら、〔特定の〕党派に走り行く者ではない。また、彼は、何であれ、〔特定の〕見解を盲信しない。
801  この〔世〕であろうと、あの〔世〕であろうと、種々なる〔迷いの〕生存のために〔あれこれと願い求めず〕、彼に、この〔世において〕、〔生と死の〕両極について、〔自分勝手な〕誓願が存在しないなら、彼に、諸々の〔妄執が〕固着する場は、何であれ、存在しない。〔比丘は〕諸々の法(もの・こと)のうちに、〔執着の対象として〕執持されたもの(悪しき法)を、〔正しく〕判別するように。
802  彼には、この〔世において〕、あるいは、見られたものについて、あるいは、聞かれたものと思われたものについて、〔執着の対象として〕想い描かれた〔自分勝手な〕想い(想:表象・概念)は、微塵でさえも存在しない。〔特定の〕見解に執取しない、その婆羅門を、この世において、〔いったい、誰が〕何によって、想い描くというのだろう(執着の対象を想い描くことがない者は、執着の対象として想い描かれることもない)。
803  〔特定の見解を〕想い描かず、偏重しない者たち——彼らには、〔いかなる〕諸法(もの・こと)でさえも受容されない。〔真の〕婆羅門は、戒や掟によって導かれない。彼岸に至った、そのような者は、〔もはや、この世に〕戻らない。

 第六経 老

804  まさに、この寿命は、僅かである。百年にも満たずに、〔人は〕死ぬ。たとえ、もし、〔百年を〕超えて生きるとして、しかして、彼もまた、まさに、老[おい]によって死ぬ。
805  わがものと〔錯視〕されたもの(欲望や執着の対象)について、〔世の〕人たちは憂い悲しむ。まさに、諸々の執持〔の対象〕(所有物)は、常住のものとして存在しない。「これは、変じ異なる状態として存在しているだけである」と見て、〔賢者は〕家に住み止まらないもの。
806  「これは、わたしのものである」と、人が思うもの——それは、死によってもまた、失われる。また、このように知って、賢者は、わたし(ブッダ)にしたがう者は、我執〔の思い〕に屈さないもの。
807  また、夢で一緒になった者を、目覚めた人が〔もはや〕見ないように、また、このように、〔かつて〕愛された人もまた、命を終えた亡者となっては、〔誰も〕見ない。
808  彼らのばあい、〔世俗の慣習にすぎない〕この名前で呼ばれ、〔かつては〕見られもし、聞かれもした、それらの人たちであるが、人が亡者となっては、名前だけが残り、告げ知らされる〔だけのこと〕。
809  わがものと〔錯視〕されたもの(欲望や執着の対象)を貪る者たちは、憂いや嘆きや物惜しみ〔の心〕を捨てない。それゆえに、牟尼(沈黙の聖者)たちは、執持〔の対象〕(所有物)を捨てて、〔無一物に〕平安を見る者たちとして、行じおこなった。
810  遠離の意[おもい]に慣れ親しみつつ、〔欲望の対象から〕退去して行じおこなう比丘——〔賢者たちは〕言う「彼にとって、それ(遠離の意)は、〔比丘として〕ふさわしいことである」〔と〕——彼が、〔迷いの〕生存域において、〔彼の〕自己を見せないようにするなら。
811  一切所で依存なき牟尼は、愛しきものを作らず、また、愛しからざるものも〔作ら〕ない。〔蓮の〕葉に水が着[つ]かないように、彼のうちに、嘆きや物惜しみ〔の心〕は〔存在しない〕。
812  また、蓮〔の葉〕に水滴が〔着かない〕ように、〔あるいは〕蓮華に水が着かないように、このように、牟尼は、〔世の人々が執着の対象とする〕この、見られ聞かれたもの、あるいは、諸々の思われたものに汚されない。
813  まさに、〔汚れを払った〕清き者は、〔世の人々が執着の対象とする〕この、見られ聞かれたもの、あるいは、諸々の思われたものに〔汚されず〕、それ(見られ聞かれたもの)によって〔あれやこれや〕思い考えることがない。〔彼は〕他のものによって、清浄を求めない。なぜなら、彼は、〔欲に〕染まらず、〔欲から〕離染することもないのだから。

 第七経 ティッサ・メッテイヤ

814  尊者ティッサ・メッテイヤが〔言った〕「尊師よ、淫欲に束縛された者の悩み苦しみについて、〔わたしたちに〕説いてください。あなたの教えを聞いて、〔わたしたちは〕遠離を学ぶつもりです」と。
815  世尊(ブッダ)は〔答えた〕「メッテイヤよ、淫欲に束縛されたなら、〔その時は、わたしの〕教えを忘れもするだけのこと。そして、誤って実践する〔だけのこと〕。〔淫欲に束縛された〕彼のうちには、この、聖ならざる〔悩み苦しみ〕があります。
816  かつては独り行じおこないながら、〔今は〕淫欲に慣れ親しむ者——迷走する乗り物のような彼を、〔賢者たちは〕『世における下劣な凡夫』と言います。
817  かつての福徳と栄誉が、彼にとっては、それが失われもするだけのこと。また、このことを見て、淫欲を捨てるべく、〔遠離こそを〕学ぶように。
818  諸々の妄想に打ち負かされた彼は、貧者のように思い惑います。そのような類[たぐい]の者は、他者たちの〔悪しき〕評判を聞いて、愕然と成ります。
819  しかして、他者たちの論によって叱責された者は、諸々の刃〔の如き悪しき行ない〕を為します。まさに、これは、彼にとっては、大いなる貪り。〔彼は〕虚偽の言葉に沈みます。
820  〔かつては〕『賢者』と知られ、独り行じおこなうことを確立した者が、しかしてまた、淫欲に束縛されたなら、愚か者のように引き回されます。
821  この危険を知って、牟尼は、この〔世においてこそ〕、過去と未来について、独り行じおこなうことを〔すなわち、遠離こそを〕、断固として為すように。淫欲に慣れ親しまないように。
822  遠離こそを、学ぶように。これは、聖者たちにとって、最上のもの。それによって〔自己を〕『最勝である』〔と、独善的に〕思いなさないなら、まさに、彼は、涅槃の現前にあります。
823  〔一切を〕捨てて〔遠離のままに〕行じおこない、諸々の欲望〔の対象〕について〔あれこれと〕期待せず、激流を超えた牟尼を、諸々の欲望〔の対象〕に拘束された人々は羨みます」と。

 第八経 パースラ

824  〔対話者パースラに、世尊は答えた〕「〔彼らは〕『ここ(自説)だけに、清浄がある』と〔執着の思いで、自説を〕説きます。〔けっして〕他者たちの諸々の法(教え)のうちに、清浄を言いません(認めない)。その〔自説〕に依存する者たちは、そこにおいて、〔その自説を〕『美しい(価値がある)』と〔独善的に〕説きつつ、各自の諸々の真理にたいし、個々〔それぞれ〕に固着しているのです。
825  彼ら、論を欲する者たちは、衆のうちに入って、互いに他と敵対し、〔他者を〕愚者と決め付けます。彼ら、賞賛を欲する者たちは、〔自らを〕『智者である』〔と〕説きながら、〔実際には〕他者〔の権威〕に依存して、論難の言葉を説きます。
826  衆の中で、〔論争の〕言葉に束縛された者は、賞賛を求めつつ、敗北を恐れる者と成ります。また、〔他者に〕排斥されたときは、愕然と成ります。彼は、〔他者の〕欠点を探し求める者であり、〔自分への〕非難には怒ります。
827  問〔答〕を審査する者たちが、彼の論について、『遍く劣る、排斥された』と言うなら、劣った論の者は、〔それを〕嘆き、憂い悲しみます。『〔彼は〕わたしを超え行った』と、泣き悲しむのです。
828  これらの論争が、沙門たちのあいだで生じたなら、これらのうちには、〔心の〕高揚と落胆が有ります。また、このことを見て、〔比丘は〕論難の言葉を離れるように。なぜなら、賞賛を得ることの他に、義(利益)は存在しないからです。
829  あるいはまた、衆の中で、〔自己の〕論を告げて、そこにおいて、賞賛された者に成るとして、彼は、意[こころ]が〔そう〕有ったとおりの、その義(利益)を得て(心に想い描いたとおりの結果となり)、それによって、狂喜し、そして、傲慢になります。
830  傲慢——それは、彼にとって、悩み苦しみの境地です。また、この者は、〔以前にも増して〕高慢と増慢〔の論〕を説きます。また、このことを見て、〔比丘は〕論争しないように。なぜなら、智者たちは、それによって、清浄を説かないからです。
831  王の食禄に養われた〔蛮勇の〕勇士が、雄叫びをあげつつ、敵の勇士を求めて行くように、勇士よ、まさしく、彼(敵)のいるところ、そこへと去り行きなさい。〔ここには〕戦いのための〔縁[よすが]である〕これ〔という思い、すなわち、『これだけが、真理である』と主張するための『これ』〕は、すでにもう、存在しないのです。
832  〔特定の〕見解を執持して論争し、そして、『これだけが、真理である』と説く者たち——彼らに、あなたは、〔このように〕説きなさい。『論が生じても、あなたにたいし、敵対〔の思い〕を為す者は、まさに、ここには存在しない』〔と〕。
833  また、〔一切にたいし〕敵対〔の思い〕を為すことなくして行じおこない、諸々の見解によって見解(ものの見方)を遮られない者たち——彼らのうちに、この〔世において〕、『〔これこそ〕最高である』〔と〕執持されたもの(特定の見解)が存在しないなら——パースラさん、彼らにたいし、あなたは、何を得るというのでしょう。
834  しかして、あなたは、意で諸々の悪しき見解を思い考えながら、〔わたしのところに、何ものかを〕尋ね求めにやってきました。〔そして、あなたは〕清き者(ブッダ)とともに〔論争という〕軛[くびき]を〔身に〕付けました。まさに、あなたは、〔それがために〕進み行くことができないでありましょう」〔と〕。

 第九経 マーガンディヤ

835  〔世尊は言った〕「渇愛、不満、貪欲と、〔これらの名をもつ三人の魔女を〕見て、〔わたしには〕淫欲(性交)にたいする欲〔の思い〕さえも、有りませんでした。この、糞尿に満ちたものが、まさしく、何だというのでしょう。足でさえも、それに触れることを求めません」〔と〕。
836  〔マーガンディヤが尋ねた〕「もし、〔あなたが〕このような宝を求めないなら、〔すなわち〕多くの人間〔界〕のインダ(インドラ神)たち(多くの国王たち)に切望された女性〔という宝〕を〔求めないなら〕、悪しき見解、戒や掟に生〔のあり方〕、そして、〔迷いの〕生存への再生について、〔あなたは〕どのようなものと説くのですか」〔と〕。
837  世尊は〔答えた〕「マーガンディヤさん、『〔わたしは〕これを説く』という〔執着は〕、彼(ブッダ)には有りません。〔彼は〕諸々の法(もの・こと)のうちに、〔執着の対象として〕執持されたもの(悪しき法)を、〔正しく〕判別するでありましょう。また、諸々の見解について〔あるがままに〕見ている者は、〔それらを〕執持せずして、〔正しく〕弁別しつつ、内なる寂静を見たのです」と。
838  マーガンディヤが〔尋ねた〕「牟尼よ、〔前もって『こうである』と〕想い描かれた諸々の〔思い〕があり、〔それらにたいする〕諸々の〔断定的〕結論があります。まさに、それらを執持せずして、〔あなたは〕説きます。『内なる寂静』という、この義(意味)は、それは、慧者たちによって、いったい、どのように〔告げ〕知らされたのですか」と。
839  世尊は〔答えた〕「マーガンディヤさん、〔慧者は〕見解によって〔清浄を言わ〕ず、伝承によって〔清浄を言わ〕ず、知識によって〔清浄を言わ〕ず、戒や掟によってもまた、清浄を言わないのです。〔あるいは〕見解なきによって、伝承なきによって、知識なきによって、戒なきによって、掟なきによって、それによってもまた、〔清浄を言わ〕ないのです。そして、これらを放棄し、執持せずして、〔心が〕寂静となり、〔何ものにも〕依存せずして、〔迷いの〕生存を渇望しないのです」と。
840  マーガンディヤが〔言った〕「もし、〔あなたが〕言うように、見解によって〔清浄を言わ〕ず、伝承によって〔清浄を言わ〕ず、知識によって〔清浄を言わ〕ず、戒や掟によってもまた、清浄を言わ〔ない〕なら、〔あるいは〕見解なきによって、伝承なきによって、知識なきによって、戒なきによって、掟なきによって、それによってもまた、〔清浄を言わ〕ないなら、わたしは〔それを〕、まさしく、迷愚の法(教え)と思うのです。或る者たちは、見解によって清浄を〔認知し〕信受します」と。
841  世尊は〔答えた〕「マーガンディヤさん、つまり、〔あなたは〕見解(特定の主義・主張)に依存して尋ねているのです。諸々の執着のうちで迷妄へと陥り、そして、〔わたしが示した〕この〔法〕から、〔正しい〕想い(想:表象・概念)を、微塵でさえも見なかったのです。それゆえに、あなたは、〔わたしの法を〕『迷愚である』と決め付けるのです。
842  『等しい』『勝る』、あるいはまた、『劣る』〔と、種々に〕思いなす者——彼は、その〔思い〕によって〔他者と〕論争するでありましょう。〔しかしながら、これらの〕三種類について〔心が〕動かずにいるなら、彼には、『等しい』『勝る』という〔思いは〕有りません。
843  〔真の〕婆羅門たる彼は、『〔これこそが〕真理である』と、〔いったい〕何を説くというのでしょう。あるいは、彼は、『〔それは〕虚偽である』と、何によって論争するというのでしょう。さらにまた、彼のうちに、『等しい』『等しくない』〔という思い〕が存在しないなら、彼は、何によって論に関わるというのでしょう。
844  家を捨てて、家なくして行く者——牟尼は、村において、諸々の親愛〔の情〕(愛着の思い)を為しません。諸々の欲望〔の対象〕を捨て去った者は、〔もはや、それらを特別のものとして〕偏重しないのです。〔特定の見解に〕執持して、人に〔論争の〕言葉を為すことはないでしょう。
845  それら(諸々の悪しき見解)から遠離した者として、世を渡り歩くなら、龍(牟尼)は、それらを執持して説くことはないでしょう。汚水に生える、荊ある水蓮が、水や泥に汚されないように、このように、寂静〔の境地〕を説き、貪欲なき牟尼は、欲望〔の対象〕にも、世〔間〕にも、汚されないのです。
846  〔真の〕知に至る者は、見解によって、〔高慢の思いに至ることが〕ありません。彼は、思想によって、高慢〔の思い〕に至ることがありません。なぜなら、彼は、それに関わらないからです。〔特定の宗教的〕行為(業)によって〔導かれ〕ず、また、〔他者からの伝え聞きでしかない〕聞かれたものによっても導かれません。彼は、諸々の〔妄執が〕固着する場に連れて行かれないのです。
847  〔誤った〕想い(想:表象・概念)が離染した者には、〔人を縛る〕諸々の拘束は存在しないのです。知慧によって解脱した者には、〔人を惑わす〕諸々の迷妄は存在しないのです。〔特定の〕表象やら見解やらを掴み取った者たち——彼らは、〔互いに〕対立しながら、世を渡り歩くのです」と。

 第十経 破壊の前に

848  〔対話者が尋ねた〕「どのように見る者が、どのような戒ある者が、『寂静者』と呼ばれるのですか。ゴータマ(ブッダ)よ、〔問いを〕尋ねられた者として、その、最上の人について、わたしに説いてください」〔と〕。
849  世尊は〔答えた〕「〔身体の〕破壊(死)の前に、渇愛〔の思い〕を離れ、過去〔の記憶〕に依存せず、〔過去と未来の〕中間(現在)において〔虚妄の思いで〕形成されない者——彼には、〔特別なものとして〕偏重された〔表象や見解〕は存在しません。
850  憤怒なく、畏怖なく、誇らず、悔やまず、智慮によって語り、〔心が〕高ぶらない者——まさに、彼は、言葉を制した牟尼(沈黙の聖者)です。
851  未来について執着なき者は、過去を憂いません。諸々の接触(触:感覚・経験)や見解について遠離を見る者は、〔もはや、何ものにも〕導かれません。
852  〔欲望の対象から〕退去し、虚言なく、羨望〔の思い〕なく、物惜しみ〔の思い〕なき者は、尊大ならず、〔他者を〕忌避せず、また、〔他者の〕中傷に陥る者でもありません。
853  諸々の悦楽に溺れない者は、しかして、増慢に陥る者でもありません。また、こころ優しく、応答自在〔の知慧〕ある者は、信仰なく、離染しません(今に生きる者は、限定された特定の信仰を持たず、無執着の者には、離染という行為自体が存在しない)。
854  利得(行乞の施物)を欲して学ばず、また、利得がなくても怒りません。そして、〔他者の道を〕遮らない者(他者にたいし敵意なき者)は、諸々の味についても、渇愛の〔思い〕で貪りません。
855  〔愛憎の思いを〕放捨し、常に気づきある者は、世において、〔自己と他者について〕『等しい』と思いません。『勝る』〔とも思い〕ません。『より劣る』〔とも思い〕ません。彼には、諸々の増長〔の思い〕は存在しません。
856  彼に、〔他者に〕依存することが存在しないなら、法(真理)を知って、依存なき者となります。彼に、〔迷いの〕生存への〔渇愛の思い〕、あるいは、〔迷いの〕生存から離れることへの渇愛〔の思い〕が見い出されないなら——
857  〔わたしは〕彼を、諸々の欲望〔の対象〕について期待なき者を、『寂静者』と説きます。彼に、諸々の拘束は見い出されません。彼は、執着〔の思い〕を超えたのです。
858  彼に、子供たちや家畜たちは〔見い出され〕ません。あるいは、田畑や地所も見い出されません。あるいはまた、〔執着の対象として〕執取されたものも、あるいは、〔排除の対象として〕放棄されたものも、彼においては、〔対象として〕認められないのです。
859  そこで、〔世の〕凡夫たちや、しかして、沙門や婆羅門たちが、彼のことを〔種々に〕説くであろうが、そのことは、彼にとって偏重されることではありません。それゆえに、〔世にはびこる〕諸々の論にたいし、〔いささかも〕動じないのです。
860  貪りを離れ、物惜しみ〔の思い〕なき牟尼は、増長している者たちのなかで〔論を〕説きません。等しい者たちのなかで〔論を説き〕ません。卑下している者たちのなかで〔論を説き〕ません。〔計測され概念化した〕時間(時計の時間・分別妄想・輪廻的あり方)のうちに〔存在し〕ない者は、〔計測され概念化した〕時間に至らない(輪廻しない・妄想しない)のです。
861  世において、彼に、自らのもの〔という思い〕が存在しないなら、しかして、〔彼は〕所有するものがないので、〔もはや、何ものにも〕憂い悲しまず、また、諸々の法(もの・こと)に〔思いが〕行かず、まさに、彼は、『寂静者』と呼ばれます」と。

 第十一経 紛争と論争

862  〔対話者が尋ねた〕「諸々の紛争と諸々の論争は、何を〔縁として〕生起したのですか。また、諸々の物惜しみ〔の思い〕と共にある諸々の嘆きと憂い、そして、諸々の中傷と共にある諸々の高慢と増慢、それらは、何を〔縁として〕生起したのですか。どうか、それを説いてください」〔と〕。
863  〔世尊は答えた〕「諸々の紛争と諸々の論争は、愛しきもの(自己中心的な愛着や愛執の対象)を〔縁として〕生起しました。また、諸々の物惜しみ〔の思い〕と共にある諸々の嘆きと憂い、そして、諸々の中傷と共にある諸々の高慢と増慢、〔それらもまた、愛しきものを縁として生起しました〕。諸々の紛争と諸々の論争は、諸々の物惜しみ〔の思い〕に束縛されたものであり、しかして、〔他者とのあいだで〕諸々の論争が生じたとき、〔諸々の物惜しみの思いが有るため、他者にたいする〕諸々の中傷と〔成ります〕」〔と〕。
864  〔対話者が尋ねた〕「世における諸々の愛しきもの(自己中心的な愛着や愛執の対象)は、いったい、何を縁として〔生起したのですか〕。あるいはまた、世を渡り歩く諸々の貪欲は、〔何を縁として生起したのですか〕。未来〔という概念〕のために人に有るもの、〔すなわち〕諸々の願望と諸々の目標とは、何を縁として〔生起したのですか〕」〔と〕。
865  〔世尊は答えた〕「諸々の欲〔の思い〕を縁として、世における諸々の愛しきもの(自己中心的な愛着や愛執の対象)は〔生起しました〕。あるいはまた、世を渡り歩く諸々の貪欲は、〔欲の思いを縁として生起しました〕。未来〔という概念〕のために人に有るもの、〔すなわち〕諸々の願望と諸々の目標とは、これ(欲の思い)を縁として〔生起しました〕」〔と〕。
866  〔対話者が尋ねた〕「世における欲〔の思い〕は、いったい、何を縁として〔生起したのですか〕。あるいはまた、〔世の人々が下す〕諸々の〔断定的〕結論は、何を〔縁として〕生起したのですか。あるいはまた、〔世の迷える〕沙門によって説かれた〔悪しき〕諸法(もの・こと)である、怒りと虚偽の言葉と疑い〔の思い〕は、〔何を縁として生起したのですか〕」〔と〕。
867  〔世尊は答えた〕「『悦がある、悦ならざるものがある』と、世において〔人々が〕言うところの、その〔二者〕(快と不快の思い)に依存して、欲〔の思い〕は生起します。世において、人は、諸々の形態(色:妄想によって固定され実体化した形相)のうちに、〔表象として顕現した〕虚無(非有:無)と実体(有:存在)〔だけ〕を見て、〔断定的〕結論を為します。
868  怒りと虚偽の言葉と疑い〔の思い〕——これらの〔悪しき〕諸法(もの・こと)もまた、まさしく、〔悦と悦ならざるものの〕二者(概念的二項対立図式)を〔縁として〕存在しています。疑いある者は、知識の道(妄想によって固定され断片化した学問知識)に学ぶもの。〔このように〕知って、〔これらの悪しき〕諸法(もの・こと)は、〔世の迷える〕沙門によって説かれました」〔と〕。
869  〔対話者が尋ねた〕「悦、および、悦ならざるもの〔の二者〕は、何を縁として〔生起したのですか〕。何が存在していないとき、これらのものは、まさに、有りえないのですか。虚無、さらにまた、実体という、この義(無と有の概念的二項対立)は、何を縁として〔世に有るのか〕を、このことを、わたしに説いてください」〔と〕。
870  〔世尊は答えた〕「接触(触:妄想によって固定され断片化した感覚・経験)を縁として、悦と悦ならざるもの〔の二者〕は〔生起しました〕。接触が存在していないとき、これらのものは、まさに、有りえません。虚無、さらにまた、実体という、この義(無と有の概念的二項対立)は、これ(接触)を縁として〔世に有ること〕を、このことを、あなたに説きます」〔と〕。
871  〔対話者が尋ねた〕「接触(感覚・経験)は、世において、いったい、何を縁として〔生起したのですか〕。あるいはまた、諸々の執持〔の対象〕(所有物)は、何を〔縁として〕生起したのですか。何が存在していないとき、我執は存在しないのですか。何が実体〔というあり方〕を離れたとき、諸々の接触(感官機能の対象)は、〔諸々の感官機能と〕接触しないのですか」〔と〕。
872  〔世尊は答えた〕「名前(名:妄想によって固定され概念化した言葉)と形態(色:妄想によって固定され実体化した形相)と〔その二者〕を縁として、諸々の接触(感覚・経験)は〔生起しました〕。諸々の欲求(潜在的な心の衝動)を縁として、諸々の執持〔の対象〕(所有物)は〔生起しました〕。欲求が存在していないとき、我執は存在しません。形態が実体〔というあり方〕を離れたとき、諸々の接触(感官機能の対象)は、〔諸々の感官機能と〕接触しません」〔と〕。
873  〔対話者が尋ねた〕「どのように行知した者の形態は消滅するのですか。楽、あるいはまた、苦は、どのようにして消滅するのですか。このことを、〔それが〕消滅するとおりに、わたしに説いてください。『それを知りたい』と、〔このように〕わたしの意[こころ]は成りました」〔と〕。
874  〔世尊は答えた〕「想いのままに想う者でなく、想いを離れて想う者でなく、また、想いなき者でなく、実体〔というあり方〕を離れて想う者でなく、このように行知した者の形態は消滅します。なぜなら、諸々の表象作用(想:認識対象を表象し概念化する働き)を縁として、諸々の虚構(戯論:分別妄想)の名称(世界認識の道具として虚構された概念)が〔存在しているにすぎない〕からです」〔と〕。
875  〔対話者が尋ねた〕「〔わたしたちが〕あなたに尋ねたことを、〔あなたは〕わたしたちに述べ伝えてくれました。〔今度は、あなたが最後に説き示された形態の消滅というあり方とは〕他のものについて、あなたに尋ねます。どうか、それを説いてください。
 まさに、或る賢者たちは、いったい、これだけで〔すなわち、形態の消滅というあり方だけでもって〕、この〔世において〕、魂の至高の清浄を説くのですか。あるいはまた、これ(形態の消滅)とは他のものを説くのですか」〔と〕。
876  〔世尊は答えた〕「まさに、或る賢者たちは、また、これだけで〔すなわち、形態の消滅というあり方だけでもって〕、この〔世において〕、魂の至高の清浄を説きます。いっぽうで、彼らのなかの或る者たちは、〔これとは他の〕教義を説き、〔生存の〕依り所(身体)が無い者たちを、『智者たちである』〔と〕説いています。
877  しかしながら、〔牟尼は〕これらの者たちを、『〔いまだ〕依存ある者たちである』と知って——〔すなわち〕考察者にして牟尼たる彼は、〔彼らの〕諸々の依存〔の思い〕を知って——〔しかして〕解脱者は、〔彼らの依存あるあり方を〕知って——〔無益な〕論争に至らず、〔そのように知り見る、真の〕慧者は、種々なる生存のために行知することがありません(彼は、輪廻を超脱する)」〔と〕。

 第十二経 小さなまとまり

878  〔対話者が尋ねた〕「互いに自ら〔各自の〕見解に固着している者たちは、〔自らの見解に〕種々に執持して、〔自らを〕『智者である』〔と〕説きます。『このように知るなら、彼は、法(真理)を知っている』『このことを非難している彼は、全一者ではない』〔等々と〕。
879  また、このように、〔世の自称智者たちは、自らの見解に〕固執して論争します。そして、『他者は、愚者である。智者ではない』と言います。いったい、これらの者たちの、どの論が、真理なのですか。まさに、これらの者たちは、まさしく、〔その〕全てが、〔自らについて〕『智者である』〔と〕説いています」〔と〕。
880  〔世尊は答えた〕「もし、他者の法(見解)を承認しないでいる者が、知慧の劣る愚者と〔成り〕、獣愚の者と成るなら、まさしく、全ての者は、知慧の極めて劣る愚者たちと〔成ります〕。まさしく、全ての者は、これらの見解に〔各人各様に〕固着しているのです。
881  いっぽうで、もし、自らの見解によって、清浄と〔成り〕、清浄の知慧ある者たちと〔成り〕、智者たちと〔成り〕、思慧ある者たちと〔成る〕なら、彼らのうちに、知慧の遍く劣る者は、誰もいなくなります。なぜなら、〔自らの見解という点で〕彼らの見解は、また、そのように、〔彼にとってだけは〕完全であるからです。
882  愚者たちは、互いに他と敵対して、〔『これは、真実である』と〕言うのですが、わたしは、〔断定的かつ限定された言い方で〕『これは、真実である』と説くことが、まさしく、ないのです。〔愚者たちは〕互いに自らの見解〔だけ〕を、真理と為したのですが、それゆえに、まさに、他者を『愚者である』と決め付けるのです」〔と〕。
883  〔対話者が尋ねた〕「或る者たちが、『真理である。真実である』と言うなら、それを、他者たちは、『虚妄である。虚偽である』と言います。また、このように、〔世の迷える沙門たちは、異なる見解に〕執持して〔互いに〕論争します。何ゆえに、沙門たちは、ひとつのことを説かないのですか」〔と〕。
884  〔世尊は答えた〕「それについて、覚知する者が覚知しつつ論争するなら、まさに、真理はひとつです。第二のものは存在しません。〔しかしながら、覚知していない〕彼ら(迷える沙門たち)は、諸々の真理を、種々に、自ら〔自分勝手に、『これこそは、真理である』と〕騒ぎ立てるのです。それゆえに、〔世の迷える〕沙門たちは、ひとつのことを説かないのです」〔と〕。
885  〔対話者が尋ねた〕「〔自らについて〕『智者である』〔と〕説いている、論争好きの者たちは、いったい、何ゆえに、諸々の真理を、種々に説くのですか。いったい、それらの真理は、種々に多くあるものなのですか、あるいは、彼らが〔自己の〕考え(自説)を〔独善的に『真理である』と〕思い込む〔だけ〕なのですか」〔と〕。
886  〔世尊は答えた〕「種々に多くある〔それらの〕真理は、世における、諸々の常住なるものですが、〔それらは、『常住である』と盲信された虚妄の〕想い(想:表象・概念)より他には、まさしく、まさに、〔何ものでも〕ないのです(思い込みの産物でしかない)。しかして、〔彼らは〕諸々の見解のうちに〔自己の〕考え〔独善的に〕を想い描いて、『〔自説は〕真理である。〔他説は〕虚偽である』と、二つの法(見解)を言います。
887  〔他者を〕軽侮して見る者は、さらには、これら、諸々の見られたものと諸々の聞かれたものと諸々の思われたもの(我執の思いで対象化され他者化した認識対象)に〔依存し〕、あるいは、諸々の戒や掟(執着の対象に成り下がった宗教的行為)に依存して、〔他者を〕嘲笑しつつ、諸々の〔断定的〕結論(自己顕示の道具としての主義・主張)に立脚して、しかして、『他者は愚者である。智者ではない』と言います。
888  〔彼は〕他者を『愚者である』と決め付けるが、まさしく、それによって、しかして、自己を『智者である』と言います。自己によって、自ら、『智者である』〔と、独善的に〕説いている彼は、まさしく、そのように〔独善的に〕説き、〔一方的に〕他者を軽侮します。
889  錯誤ある見解によって、〔自らを〕『完全である』〔と見る〕彼は、高慢〔の思い〕で驕慢した者、〔自らについて〕『完成された』と高慢する者です。まさしく、自ら、自らについて、意[こころ]で灌頂[かんじょう]している(自らを自らの手で王位に就けている)のです。なぜなら、彼にとって、その見解は、そのように、〔彼にとってだけは〕完全であるからです。
890  もし、まさに、他者の言葉によって、〔人が〕劣る者と〔成る〕なら、〔その他者〕自身も、〔別の他者の言葉によって〕共に知慧の劣る者と成ります。また〔逆に〕、もし、自ら〔自分勝手に〕、〔真の〕知に至る慧者と成るなら、誰であれ、沙門たちのうちに、愚者は存在しなくなります。
891  『これ(自説)より他の法(見解)を宣説する者たち——〔彼らは〕清浄に違背し、全一者ではない』〔と〕、まさに、このように、異教の者たちは、個々〔それぞれ〕に〔自説を〕説きます。まさに、彼らは、自らの見解にたいする貪り〔の思い〕に染まった者たちです。
892  〔彼らは〕『ここ(自説)だけに、清浄がある』と説きます。諸々の他の法(見解)のうちに、清浄を言いません。また、このように、個々〔それぞれ〕に〔思いが〕固着した異教の者たちは、そこに、自らの道について、断固として〔自らの正しさを〕説いているのです。
893  あるいはまた、自らの道について、断固として〔自らの正しさを〕説いている者は、どうして、ここに、他者を『愚者である』と決め付けることができましょう。彼は、まさしく、自ら、〔他者とのあいだに〕確執をもたらすでありましょう——他者を、清浄ならざる法(見解)の愚者と説きつつ。
894  〔断定的〕結論に立拠して、自ら、〔独善的に〕思い量って、その上で、彼は、世において、〔無益な〕論争へと至るのです。〔しかしながら〕一切の〔断定的〕結論を捨てて、人は、世において、〔一切にたいし〕確執を為さないのです」〔と〕。

 第十三経 大きなまとまり

895  〔世尊は言った〕「誰であれ、これらの者たち——〔各自の〕見解に固着しながら、『これ(自説)だけが、真理である』と〔独善的に〕論争する者たち——彼らは、まさしく、〔その〕全てが、〔他者からの〕非難を招き寄せます。しかしてまた、そこに、〔一部の〕賞賛を得るにしても。
896  まさに、この〔賞賛〕は、僅かです。〔心の〕静けさ〔を得る〕には、十分ではありません。〔わたしは〕論争の結果を、〔非難と賞賛の〕二者〔だけ〕と説きます。また、このことを見て、無論争の境地を平安と観ている者は、〔無益な〕論争はしないものなのです。
897  何であれ、これら、諸々の凡俗なる主義(世俗:通念化した特定の世界観)は、まさしく、これらの全てに、知ある者は近づかないのです。見られたものと聞かれたものについて愛着〔の思い〕を為さずにいる者が、〔特定の見解に〕近づかない彼が、どうして、〔特定の見解に〕近づく者のところへと行けましょう。
898  〔与えられた〕戒を最上とし、〔守るべき〕掟を受持して、〔特定の宗教的行為に〕奉仕している者たちは、〔形だけの〕自制によって、清浄を言います。『この〔世において〕こそ、〔わたしたちは〕学ぶべきだ。しかして、〔いまここにこそ〕清浄は存すべきだ』〔などと、自らを〕『智者である』〔と〕説きつつ、〔結局は、迷いの〕生存へと連れて行かれたのです。
899  もし、戒や掟から離れた者と成るなら、彼は、〔為すべき宗教的〕行為(業)を失って、動揺します。彼は、〔皮肉にも、彼の言葉のとおり〕この〔世において〕清浄を渇望し、切望します——家から離れ、〔そのうえ、共に旅する〕隊商から捨てられた者のように。
900  あるいはまた、一切の戒や掟を捨てて、さらには、罪を有するものも罪なきものも、この、〔宗教的〕行為を〔捨てて〕、『〔これは〕清浄、〔あれは〕清浄ならざる』と切望せずにいる者は、〔一切の執着を〕離れた者となり、寂静について〔さえも〕執持せずして、行じおこなうでありましょう。
901  あるいは、苦行に依存して、〔排除の対象として〕忌避されたものを、しかして、あるいはまた、見られたものを、あるいは、聞かれたものを、あるいは、思われたものを、種々なる〔迷いの〕生存にたいする渇愛〔の思い〕から離れられない者たちは、声高に清浄と唱えます。
902  〔何ものかを〕切望している者には、まさに、諸々の渇望されたもの(欲望の対象)があります。さらにまた、諸々の想い描かれたもの(妄想)にたいする動揺があります。彼に、この〔世において〕、死滅と再生〔の両者〕が存在しないなら、彼は、何に動揺するというのでしょう。また、どこに、〔何を〕渇望するというのでしょう」〔と〕。
903  〔対話者が尋ねた〕「或る者たちが、〔自らの〕法(見解)を『最高である』と言うなら、いっぽうで、他者たちは、まさしく、その〔同じ法〕を『劣る』と言います。いったい、これらの者たちの、どの論が、真理なのですか。まさに、これらの者たちは、まさしく、〔その〕全てが、〔自らについて〕『智者である』〔と〕説いています」〔と〕。
904  〔世尊は答えた〕「まさに、〔彼らは〕自らの法(見解)を、完成されたものと言い、いっぽうで、他者の法(見解)を、劣るものと言います。また、このように、〔自らの法に〕執持して〔互いに〕論争し、互いに自らの〔各自の〕主義(世俗:通念化した特定の世界観)を、真理と言います。
905  もし、他者から誹られたことで、〔或る法が〕劣るものと〔成る〕なら、諸々の法(見解)のうちで、勝るものは、何であれ、存在しないでありましょう。なぜなら、〔彼らは〕個々〔それぞれ〕に、自ら〔の法〕について、断固として〔自らの正しさを〕説きつつ、他者の法(見解)を、『劣っている』と説くからです。
906  また、いっぽうで、〔彼らが〕諸々の自らの道を賞賛するように、まさしく、そのように、諸々の自らの法(見解)にたいする〔個々それぞれの〕供養(信奉)があるなら、まさしく、全ての論が、まさしく、そのように、〔賞賛されるものと〕成りましょう。なぜなら、彼らにとって〔自己の論は〕、まさしく、各自それぞれに清浄であるからです。
907  〔真の〕婆羅門(人格完成者)には、他者に導かれるということ〔自体〕が存在しないのです。諸々の法(もの・こと)のうちに、〔執着の対象として〕執持されたもの(悪しき法)を、〔正しく〕判別するでありましょう。それゆえに、〔彼は〕諸々の論争を超克した者となります。なぜなら、〔彼は〕他者の法(見解)を『勝る』と見ないからです。
908  『この〔清浄の境地〕を、まさしく、そのとおりに、〔わたしは〕知り、見る』〔などと、受け売りの〕見解によって、或る者たちは、〔外に見られた形だけの〕清浄を盲信します。もし、〔他者である彼が〕見たとして、そのことが、〔あなた〕自身にとって、まさに、何になるというのでしょう。〔道を〕外れて、〔彼らは〕他のもの(受け売りの見解)によって、清浄を説くのです。
909  〔貪欲の思いに眩まされて〕見ている人は、名前と形態(名色:現象世界)を〔『常住である』と〕見ます。あるいは、〔そのように〕見て、まさしく、それら(名前と形態)を〔『常住である』と〕了知するでありましょう。〔迷える者は〕欲するままに、多くを見よ——あるいは、少なくを。なぜなら、〔真の〕智者たちは、それ(誤ったものの見方)によって、清浄を説かないからです。
910  〔特定の見解に〕固着して説く者は、まさに、〔真の〕清浄へと導く者ではありません。〔執着の対象として〕想い描かれた〔特定の〕見解を偏重している者です。その〔見解〕に依存する者は、そこにおいて、〔その見解を〕『美しい(価値がある)』と〔独善的に〕説いているのです。〔自己だけの〕清浄を説く者として、彼は、そこにおいて、そのとおり、〔彼だけの清浄を〕見たのです。
911  〔真の〕婆羅門は、〔虚構の〕名称(概念)に〔近づかず〕(名付けを離れた存在となる)、〔計測され概念化した〕時間に近づきません(輪廻しない・妄想しない)。見解に走り行く者ではなく、また、知識の眷属(知識に結縛された者)でもありません。そして、彼は、諸々の凡俗なる主義(世俗:通念化した特定の世界観)を知って、〔それらを〕放捨します——他者たちは、〔各自の見解に、各人各様に〕執持しているのですが。
912  牟尼(沈黙の聖者)は、この世において、諸々の拘束を捨てて、諸々の論争が生じても、〔特定の〕党派に走り行く者ではありません。彼は、寂静ならざる者たちのなかにいながら寂静で、〔諸々の主義や主張を〕放捨していて、〔特定の見解を〕執持することがありません——他者たちは、〔各自の見解に、各人各様に〕執持しているのですが。
913  過去の諸々の煩悩を捨てて、諸々の新しい〔煩悩〕を作らずにいる者——〔彼は〕欲〔の思い〕に行く者ではありません。また、〔特定の見解に〕固着して説く者でもありません。彼は、諸々の悪しき見解から解き放たれた、〔真の〕慧者です。自己を難じることなき者は、世において、〔何ものにも〕汚されません。
914  あるいは、見られたもの、あるいは、聞かれたものと思われたもの、何であれ、彼は、一切の諸法(もの・こと)にたいし、敵対という有り方を離れています。〔生の〕重荷を降ろした彼は、牟尼であり、〔生の〕束縛を離れた者です。〔計測され概念化した〕時間(時計の時間・分別妄想・輪廻的あり方)のうちになく、〔さりとて、まったくの〕滅止ではなく、〔何ものも〕切望しません」〔と〕。
 かくのごとく、世尊は〔語った〕。

 第十四経 迅速

915  〔対話者が尋ねた〕「太陽の眷属にして偉大な聖賢である、あなた(ブッダ)に、遠離について、そして、寂静の境地について、尋ねます。比丘は、どのように見て、涅槃に到達するのですか——何であれ、世において、執取することなく」〔と〕。
916  世尊は〔答えた〕「虚構(戯論:分別妄想)の名称(世界認識の道具として虚構された概念)の根元を、『〔わたしは〕存在する』という〔我執の〕一切を、智慮によって、破壊するように。何であれ、内に、諸々の渇愛〔の思い〕があるなら、それらを取り除くため、常に気づきある者として、〔怠ることなく〕学ぶように。
917  内に、しかして、あるいはまた、外に、何であれ、法(もの・こと)を〔あるがままに〕証知するように。〔ただし〕それによって、強がり(力の誇示)を為さないように。なぜなら、それは、〔高慢の思いは〕正しくある者たちの説く、寂滅〔の境地、すなわち、涅槃〕ではないからです。
918  それによって、〔他者より〕『より勝る』〔と〕思わないように。『より劣る』〔と〕、しかして、あるいはまた、『等しい』〔と思わないように〕。〔自己について〕無数の形態で尋ねられても、自己について〔あれこれと〕想い描くことなく、〔自己を〕安立するように(自己を執着の対象として妄想しない)。
919  比丘は、内こそを、寂止するように。他のものから〔生起した、虚妄の〕寂静を求めないように。内に寂静なる者に、〔執着の対象として〕執取されたものは存在しません。あるいは、〔排除の対象として〕放棄されたものが、どうして、ありましょう。
920  海の中では波が立たず、〔全てが〕安立して有るように、このように、安立し、不動の者として存するように。比丘は、どこにおいても、増長〔の思い〕を為さないように」と。
921  〔対話者が尋ねた〕「開かれた眼[まなこ]の方よ、〔あなたは〕述べ伝えてくれました——自ら体現した、危難を取り除く法(教え)を。あなたに、幸せ〔有れ〕。〔幸いなる人よ、どうか、わたしに〕道を説いてください。戒め(波羅提木叉:戒律条項)を〔説いてください〕。しかして、あるいはまた、〔心の〕統一(定:三昧の境地)を〔説いてください〕」〔と〕。
922  〔世尊は答えた〕「諸々の眼〔で見られたもの〕による〔心の〕動転が、まさしく、存さないように(何を見ても心を動かさない)。村の言葉(卑俗な話)から、耳を遠ざけるように。また、味について、貪り求めないように。そして、世において、何であれ、わがものと〔錯視〕しないように。
923  〔病いに〕罹り〔飢えに〕襲われた者として存するとき、比丘は、どこにおいても、嘆き悲しみ〔の思い〕を為さないように。また、〔迷いの〕生存を渇望しないように。そして、諸々の恐ろしいことに動揺しないように。
924  しかして、諸々の食べ物や諸々の飲み物を〔得ても〕、しかしてまた、諸々の固形の食料や諸々の衣[ころも]を得ても、蓄積[たくわえ]を為さないように。また、それらを得ないでいても、思い悩まないように。
925  瞑想者は、〔物欲しそうに〕足を運ぶ者(必要以上の施しを望む強欲の者)として存さないように。悔い〔の思い〕を離れるように。〔常に気づきを〕怠らないように。しかして、比丘は、騒音の少ない諸々の坐〔所〕と諸々の臥〔所〕に住するように。
926  眠りを多く為さないように。熱情ある者として、〔眠ることなく〕起きていることに慣れ親しむように。倦怠、幻想、笑話、遊興、淫欲を、〔身を〕飾り立てることと共に、捨て去るように。
927  魔術、夢〔占い〕、特相〔占い〕、しかしてまた、星〔占い〕に関わらないように。また、わたしにしたがう者は、〔動物の〕叫び声〔による占い〕、懐妊術、医術に親しまないように。
928  〔他者の〕非難にたいし、動揺しないように。比丘は、〔他者から〕賞賛されて、傲慢にならないように。物惜しみ〔の心〕と共にある貪り〔の思い〕を〔除くように〕。〔他者への〕怒りと中傷〔の思い〕を除くように。
929  〔生活を〕売買[うりかい]に立脚しないように。比丘は、どこにおいても、非難〔の言葉〕を為さないように。また、村において、〔在家者たちと〕交際しないように。利得(行乞の施物)を欲して、人と話をしないように。
930  また、比丘は、自慢する者として存さないように。そして、放埒[でまかせ]の言葉を語らないように。尊大に学ばないように。争議[ののしりあい]の言葉を発しないように。
931  虚偽の言葉に導かれないように。正知の者は、諸々の狡猾[あこぎ]なことを為さないように。しかして、〔相手の〕寿命によって、知識によって、戒や掟によって、他者を軽んじないように。
932  種々の言葉ある者たちや〔迷える〕沙門たちの、多くの〔悪しき〕言葉を聞いて、傷つけられた〔比丘〕は、彼らにたいし、粗暴〔の言葉〕でもって言い返さないように。なぜなら、正しくある者たちは、〔他者にたいし〕敵対〔の思い〕を為さないからです。
933  また、この法(教え)を了知して、比丘は、〔法を、正しく〕弁別している者として、常に気づきある者として、〔怠ることなく〕学ぶように。寂滅〔の境地、すなわち、涅槃こそ〕を、『〔真の〕寂静である』と知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠らないように。
934  まさに、彼(ブッダ)は、〔自己を〕征服する者。〔他者に〕征服される者ではありません。〔彼は〕自ら体現した、伝え聞きでない、〔真実の〕法(真理)を見たのです。それゆえに、まさに、世尊である彼の教えにおいて、〔気づきを〕怠ることなく、常に〔彼を〕礼拝しながら、〔彼に〕学ぶように」〔と〕。
 かくのごとく、世尊は〔語った〕。

 第十五経 棒を取ること

935  〔対話者に、世尊は答えた〕「〔人を傷つける目的で〕棒を取ることから、恐怖が生まれました。見よ——確執ある人を。わたしが〔世の苦しみを〕畏怖したとおりに、〔まさにその〕畏怖〔の思い〕を、〔あなたに〕述べ伝えましょう。
936  水少なきところの魚たちのように震えおののいている人々を見て、互いに他の者たちと反対〔し合い、反目し合う〕者たちを見て、恐怖〔の思い〕が、わたしを侵しました。
937  世〔界〕は、どこも皆、真髄なく〔常住ならざるもの〕。一切の方角は、動揺し〔常住ならざるもの〕。自己の居所を求めつつ、〔苦しみに〕取り憑かれていないところを、〔ついに〕見ませんでした。
938  しかして、まさしく、最後には、〔互いに〕反対〔し合い、反目し合う〕者たちを見て、わたしに、満たされない〔思い〕が有りました。しかして、ここに、心を依り所とする、〔凡夫には〕見難き矢を見たのです。
939  矢に貫かれた者は、一切の方角へと走ります。まさしく、その矢を引き抜いて、〔貪りの思いで〕走らず、〔欲の激流に〕沈みません。
940  そこで、諸々の学び〔のあり方〕が、〔以下に〕随説されます。
 世における、諸々の拘束されたもの(欲望や執着の対象)——それらを追い求める者として存さないように。欲望〔の対象〕について、全てにわたり厭い離れて、自己の涅槃を学ぶように。
941  真理の者は、尊大ならず、幻想[ごまかし]なく、中傷〔の思い〕を捨てた者として存するように。怒りなき牟尼となり、貪りの悪と物欲〔の心〕を超え渡るように。
942  眠気、倦怠、〔心の〕沈滞[おちこみ]を打ち負かすように。怠り(放逸)と共に住まないように。涅槃の意ある人は、増慢〔の思い〕に安立しないように。
943  虚偽の言葉に導かれないように。形姿にたいし、愛執〔の心〕を為さないように。また、高慢〔という心のあり方〕を知り尽くすように。無理強いすること(暴力)から離れて行じおこなうように。
944  古いものを喜ばないように。新しいものに愛着〔の思い〕を為さないように。失われつつあるものを憂い悲しまないように。虚空[うつろなもの]に依存する者として存さないように。
945  〔わたしは〕貪欲〔の思い〕を、『大いなる激流』と説きます。〔欲望の〕奔流と渇望〔の思い〕を、〔欲望の〕対象(所縁:欲望の対象として想い描かれた認識対象)と〔対象の〕妄想(遍計:認識対象を欲望の対象として想い描く心の働き)を、『超え難き欲望の汚泥』〔と〕説きます。
946  牟尼は、真理から外れずして、〔真の〕婆羅門は、高き地に立ちます。彼は、一切を放棄して、まさに、彼は、『寂静者』と呼ばれます。
947  まさに、彼は、知ある者です。彼は、〔真の〕知に至る者です。法(真理)を知って、依存なき者と〔成ります〕。彼は、世において正しく振る舞う者です。この〔世において〕、誰をも羨みません。
948  この〔世において〕、諸々の欲望〔の対象〕を〔超え渡り〕、世における、超え難き執着〔の思い〕を超え渡った者——彼は、〔渇愛の〕流れを断ち、結縛なき者、〔もはや、何ものにも〕憂い悲しまず、悩みません。
949  過去にあるもの——それを、干上がらせなさい。未来においては、何ものも、あなたにとって、有ってはなりません。もし、〔その〕中間(現在)において、〔何ものも〕掴み取らないなら、〔あなたは〕寂静の者として、行じおこなうでありましょう。
950  彼に、名前と形態(名色:現象世界)について、わがものと〔錯視〕されたもの(執着の対象)が、全く存在しないなら、しかして、〔彼は〕所有するものがないので、〔もはや、何ものにも〕憂い悲しまず、まさに、彼は、世において、〔何ものも〕失いません。
951  彼にとって、『これは、わたしのものである』という〔思いが〕、あるいはまた、『〔これは〕他者たちのものである』〔などの思いが〕、何ものも存在しない者——彼は、〔自らの心中に〕我執〔の思い〕を見い出さず、『わたしには、〔何ものも〕存在しない』と憂いません。
952  冷酷ならず、貪欲ならず、〔心が〕不動で、一切所で〔一切にたいし〕等しくあります。動揺なき者について、〔問いを〕尋ねられた者として、その福利を、〔あなたに〕説きましょう。
953  〔心が〕不動で、〔あるがままに〕識知している者には、何であれ、作為は存在しないのです。〔利己的な〕勉励から離れた彼は、一切所に平安を見ます。
954  牟尼(沈黙の聖者)は、等しい者たちのなかで〔論を説き〕ません。卑下している者たちのなかで〔論を説き〕ません。増長している者たちのなかで〔論を〕説きません。彼は、寂静の者です。物惜しみ〔の思い〕を離れた者です。〔特定の何かを、執着の対象として〕執取せず、〔排除の対象として〕放棄しません」〔と〕。
 かくのごとく、世尊は〔語った〕。

 第十六経 サーリプッタ

955  尊者サーリプッタが〔尋ねた〕「かつてこのかた、わたしは、見たことがなく、あるいは、誰にも聞いたことがない——このように、麗しき声ある教師(ブッダ)を——兜率〔天〕からやってきた衆師たる方を。
956  眼[まなこ]ある方(ブッダ)は、天〔界〕を含む世〔の人々〕に〔はっきりと〕見えるように、一切の闇を取り除いて、まさしく、独り、〔真の〕喜悦に到達しました。
957  覚者(ブッダ)たる彼に、そのような、依存なく虚言なき方に、〔兜率天から〕やってきた衆師たる方に、この〔世における〕多くの結縛された者たちのために、問い尋ねることを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。
958  〔世俗の生活を〕忌避し、〔遠離の場所に〕慣れ親しむ比丘にとって——〔無用となり〕捨てられた坐〔所〕や木の根元、あるいは、墓場に〔慣れ親しむ比丘にとって〕——あるいは、山々の諸々の洞窟にある〔比丘にとって〕——
959  諸々の高下の臥〔所〕には、そこには、どれだけの恐ろしいことがあるのですか。比丘は、音のしない臥坐〔所〕において、それら〔の恐ろしいこと〕によって〔心が〕動揺しないものなのです。
960  不死の地(涅槃)に赴きつつある者にとって、世において、どれだけの危難があるのですか。比丘は、辺境の臥坐〔所〕において、それら〔の危難〕を征服するものなのです。
961  彼の、諸々の言葉の用途(言葉の用い方)は、どのように存するべきですか。彼の、諸々の境涯(行為のあり方)は、この〔世において〕、どのように存するべきですか。自己を精励する(全身全霊を挙げて刻苦精励する)比丘の、諸々の戒や掟は、どのように存するべきですか。
962  〔心を〕専一にし、賢明で、気づきある彼は、どのような学びを受持して、自己の垢を取り払うのですか——鍛冶屋が銀の〔垢を取り除く〕ように」と。
963  世尊は〔答えた〕「サーリプッタよ、〔世俗の生活を〕忌避しながら、〔無用となり〕捨てられた坐〔所〕と臥〔所〕に慣れ親しみつつ、正覚を欲する者にとって、もし、この、平穏〔の境地〕があるなら、法(真理)のままなるとおりに、それを、あなたに、〔わたしが〕覚知しているとおりに言示しましょう。
964  慧者たる気づきの比丘は、〔苦しみの〕完全なる終極[おわり]〔の道〕を歩む者たる彼は、五つの恐怖に恐怖しないように。〔すなわち〕諸々の虻と蛾の〔恐怖〕、諸々の蛇の〔恐怖〕、諸々の人間と接触することの〔恐怖〕、諸々の四足〔の動物〕の〔恐怖〕です。
965  また、他の法(教え)にしたがう者(異教徒)たちを畏怖しないように。また、彼らの〔有し、与える〕多くの恐ろしいことを見て〔その愚を知り〕、しかして、善を求める者は、他の諸々の危難を征服するように。
966  病いに罹り、飢えに襲われても、暑さ寒さを耐え忍ぶように。家なき者たる彼は、それら〔の危難〕に、多種多様に襲われても、〔道心〕堅固に努力して、精進を為すように。
967  盗みを為さないように。虚偽を語らないように。動くものと動かないものたち(一切の生類)にたいし、慈愛〔の心〕で接するように。意[こころ]の乱れを識知するなら、〔それを〕『黒き者(悪魔)の徒である』と、取り除くように。
968  憤怒と増慢の支配に赴かないように。また、それらの根を掘り尽くして、〔自己を〕安立するように。しかしてまた、あるいは、愛しきものを、あるいは、愛しからざるものを、〔この世に〕有る者は、確実に征服するように。
969  善を喜ぶ者は、知慧を尊んで、それらの危難を除き鎮めるように。辺境の臥〔所〕にあることの不満を打ち負かすように。〔以下に述べる〕四つの嘆き悲しみの法(もの・こと)を打ち負かすように。
970  〔すなわち〕『いったい、何を食べようか。あるいは、どこで食べようか。まさに、苦しみのうちに臥した(寝苦しかった)。今日は、どこで臥そうか』〔という、四つの法を打ち負かすように〕。家なくして行く、学びの者は、これら、嘆き悲しみに導く諸々の思考〔の働き〕を取り除くように。
971  食べ物と衣とを、〔正しい〕時に得て、彼は、この〔世における〕満足の義(意味)を、量を、知るように。彼は、それら(衣食)を守り、村を〔自己を〕制して歩み、たとえ、〔村人の言葉に〕傷つけられても、粗暴の言葉を説かないように。
972  〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、また、〔物欲しそうに〕足を運ばず、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)に専念し、〔眠らずに〕多く起きている者として存するように。放捨[おのずから]〔の心〕(捨:分け隔てのない心)に努めて、自己が定められた者は、〔自己の〕考え(自説)に依存することを、悔い〔の思い〕を、断ち切るように。
973  諸々の言葉をもって叱責された、気づきある者は、〔その言葉を〕喜ぶように。梵行(禁欲清浄行)を共にする者たちにたいする鬱屈〔の思い〕(嫉妬心)を壊し去るように。限度を超えず、〔常に〕善の言葉を放つように。〔世の〕人の〔迷える〕論という〔悪しき〕法(もの・こと)のために、〔あれこれと〕思い考えないように。
974  しかして、他に、世〔界〕には、気づきある者が、それらを取り除くために学ぶであろう、五つの塵があります。〔すなわち〕諸々の形態(色:眼の対象)、諸々の音声(声:耳の対象)、さらには、諸々の味わい(味:舌の対象)、諸々の香り(香:鼻の対象)、諸々の接触(触:身の対象)にたいする貪り〔の思い〕を打ち負かすように。
975  心が善く解脱した、気づきある比丘は、これらの諸法(もの・こと)にたいする欲〔の思い〕を取り除くように。彼は、〔正しい〕時に正しく法(もの・こと)を考察する者、彼は、〔あるがままの〕事実に専一なる者、〔世の〕闇を打ち払うでありましょう」と。
 かくのごとく、世尊は〔語った〕。

第五章 彼岸へと至るもの

 第一経 序の詩偈

976  呪文の奥義に至り、無所有〔の境地〕を切望する婆羅門(バーヴァリ)は、コーサラ〔国〕の喜ばしき町から、南の道へと赴いた。
977  彼は、アッサカ〔国〕とアラカ〔国〕が接する境域、ゴーダーヴァリー〔川〕の岸辺で、落穂やら果実やら〔を採取すること〕で、住していた。
978  そのすぐ近くに、広く大きな村も有った。その〔村〕から生まれた収益で、〔彼は〕大いなる祭祀を営んだ。
979  〔彼は〕大いなる祭祀を執り行なって、ふたたび、草庵に入った。そこに帰り戻ったところに、他の婆羅門がやってきた。
980  足が傷つき、〔喉が〕渇き、歯は泥だらけで、頭は塵まみれの、その〔婆羅門〕は、しかして、彼のところに近しく赴いて、五百〔金〕を乞う。
981  この〔ような姿の〕彼を見て、バーヴァリ(人名)は、坐〔所〕に招き入れた。〔体調が〕楽であるか、そして、〔具合が〕善いかを尋ね、この言葉を説いた。
982  〔バーヴァリは言った〕「まさに、わたしのもので、〔あなたに〕施されるべき法(もの・こと)は、〔その〕全てが、わたしによって捨て去られました(他に施した)。梵(婆羅門)よ、わたしを許してください。わたしには、五百〔金〕は存在しないのです」〔と〕。
983  〔婆羅門が答えた〕「もし、わたしが乞うているのに、貴様が施さないというのなら、〔今から〕第七の日には、おまえの頭は、七様に裂けてしまえ」〔と〕
984  虚言者のその〔婆羅門〕は、〔呪いの〕準備をして、〔このような〕恐ろしいことを述べ伝えた。バーヴァリは、彼の、その言葉を聞いて、苦悩の者と成った。
985  食もなく、憂いの矢に射抜かれた〔バーヴァリ〕は、打ち萎れ、しかしてまた、このような心では、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)にあっても、意[こころ]は喜ばない。
986  恐れわななく苦悩の者を見て、〔彼の〕義(利益)を欲する天〔の神〕は、バーヴァリのところに近しく赴いて、この言葉を説いた。
987  〔天の神は言った〕「彼は、頭のことを覚知してません。彼は、財を義(目的)とする虚言者[くわせもの]です。彼には、頭について、あるいは、頭が落ちることについて、知識は見い出されません」〔と〕。
988  〔バーヴァリが尋ねた〕「それでは、尊き方(神)は、知っておられます。〔問いを〕尋ねられた者として、それを、頭と頭が落ちることを、わたしに告げ知らせてください。あなたの、その言葉を聞きましょう」〔と〕。
989  〔天の神は答えた〕「わたしもまた、これを知りません。わたしには、ここには、知識は見い出されません。頭と頭が落ちることは、まさに、これは、〔法を究めた〕勝者たちの見るところです」〔と〕。
990  〔バーヴァリが尋ねた〕「それでは、しかして、誰が、この、大地の圏域において、頭と頭が落ちることを知っているのですか。天〔の神〕よ、それを、わたしに告げ知らせてください」〔と〕。
991  〔天の神は答えた〕「カピラヴァットゥ(地名)の町から出家された、世の導き手がおられます。オッカーカ王(甘蔗王:古代の大王)の後裔にしてサキャ(釈迦)〔族〕の子である、光の作り手がおられます。
992  婆羅門よ、まさに、その方は、正覚者です。一切諸法(現象世界)の彼岸に至る方です。一切を証知する力を得た方です。一切諸法(現象世界)について眼ある方です。一切諸法(現象世界)の滅尽を得た方です。依存〔の思い〕の消滅〔という境地〕における解脱者です。
993  その方は、覚者です。世尊です。眼ある方は、世において、法(真理)を示します。あなたは、行って、それ(頭と頭が落ちること)を尋ねなさい。その方は、あなたに、それを説き示すでありましょう」〔と〕。
994  「正覚者」という言葉を聞いて、バーヴァリは、こころ躍る者と成った。存する彼の憂いは些細なものとなり、しかして、〔彼は〕広大なる喜びを得た。
995  わが意を得て、こころ躍る者となり、感嘆〔の思い〕が生まれた彼、バーヴァリは、彼(正覚者)について、天〔の神〕に尋ねる。
〔バーヴァリが尋ねた〕「どこの村に、あるいはまた、町に、あるいは、どこの地方に、世の主(正覚者)はおられるのですか。そこに行って、正覚者に、最上の二足者に、〔わたしたちは〕礼拝したいのです」〔と〕。
996  〔天の神は答えた〕「コーサラ〔国〕の都サーヴァッティ(舎衛城)に、勝者はおられます。多き知慧ある方です。優れた、広き思慮ある方です。その方は、サキャ〔族〕の子で、〔人としての〕重荷を離れ、煩悩なく、〔頭と〕頭が落ちることを知る、人のなかの雄牛です」〔と〕。
997  それから、〔バーヴァリは〕呪文の奥義に至る婆羅門たる〔彼の〕弟子たちに呼びかけた。
〔バーヴァリは言った〕「来れ、学徒たちよ、〔わたしは〕告げ知らせるであろう。わたしの言葉を聞け。
998  その方が一度ならず世に出現すること、これは、得難きことだ。その方が、今日、世に生起した。『正覚者』として〔世に〕聞こえた方だ。すみやかに、サーヴァッティに行って、最上の二足者に相見[まみ]えよ」〔と〕。
999  〔学徒たちが尋ねた〕「婆羅門よ、それでは、〔わたしたちは〕どのようにして、〔その方を〕見て、『覚者』と知りうるのでしょう。〔その方を〕知らないわたしたちに、〔見分け方を〕説いてください。わたしたちが、その方を知りうるように」〔と〕。
1000  〔バーヴァリは答えた〕「まさに、諸々の呪文(ヴェーダ聖典)に伝えられて来た、偉大なる人の諸々の特相がある。そして、三十二の完全なる〔特相〕が、順次に説かれている。
1001  その方の四肢[からだ]に、これらの、偉大なる人の諸々の特相が有るなら、その方の赴く所は、二つだけである。第三は、まさに、見い出されない。
1002  もし、家に住み止[とど]まるなら、この大地を征圧するであろう。棒(刑罰)によらず、刃(武力)によらず、法(正義)によって統治する。
1003  また、もし、その方が、家から家なきへと出家するなら、〔迷妄の〕覆[おおい]が開かれた正覚者にして阿羅漢(人格完成者)たる、無上なる者と成る。
1004  〔わたしの〕出生、氏姓と、特相、〔わたしが通じている〕諸々の呪文(ヴェーダ聖典)、〔わたしの〕弟子たち、さらには、他に、頭と頭が落ちることを、〔言葉に出さず〕意によってのみ、問い尋ねよ。
1005  〔その方が〕妨げなく見る覚者として〔世に〕有るなら、意[こころ]によって尋ねられた諸々の問いに、言葉でもって答えるであろう」〔と〕。
1006  バーヴァリの言葉を聞いて、弟子である十六の婆羅門たち、〔すなわち〕アジタ、ティッサ・メッテイヤ、プンナカ、そして、メッタグー——
1007  ドータカ、ウパシーヴァと、ナンダと、そして、ヘーマカ、トーデイヤとカッパの両者、賢者たるジャトゥカンニと——
1008  バドラーヴダ、ウダヤと、さらには、ポーサーラ婆羅門と、思慮あるモーガラージャンと、偉大なる聖賢のピンギヤと——
1009  〔彼らの〕全ては、各自が衆師たる者たちであり、一切世〔界〕に〔名の〕聞こえた者たちである。瞑想(禅・静慮:禅定の境地)に喜びある瞑想者たちであり、過去(前世)〔に為した善き行為〕の残り香(薫習:過去の業の潜勢力)を香らせた慧者たちである。
1010  〔彼らは〕バーヴァリを拝して、そして、彼にたいし右回り〔の礼〕を為して、結髪と皮衣を〔身に〕付け、全てが北に向かって出発した。
1011  それから、アラカ〔国〕のパティッターナへ、昔の〔都〕マーヒッサティへ、そしてまた、ウッジェーニーへ、ゴーナッダへ、ヴェーディサへ、ヴァナサと名づけられたところへ——
1012  そしてまた、コーサンビーへ、サーケータへ、そして、最上の町サーヴァッティ(舎衛城)へ、セータヴヤへ、カピラヴァットゥへ、そして、クシナーラーの都へ——
1013  そして、パーヴァーへ、ボーガの城市へ、ヴェーサーリーへ、マガダの町へ、そして、意[こころ]が喜びとし、喜ぶべきところ、〔美しき〕パーサーナカ廟へと〔歩を進めた〕。
1014  〔喉が〕渇いた者が冷たい水を〔求める〕ように、商人が大きな利得を〔求める〕ように、炎暑に焼かれた者が影を〔求める〕ように、〔彼らは〕大急ぎで、山に登った。
1015  比丘の僧団の尊ぶところである世尊(ブッダ)は、しかして、その時、比丘たちに、法(真理)を示す——獅子が、林のなかで吼えるように。
1016  アジタは見た——光を放ち、太陽のような正覚者(ブッダ)を——十五〔夜〕の月のように、円満成就〔の境地〕に至り着いた者を。
1017  しかしてまた、彼の四肢[からだ]に、円満成就の特徴(偉大なる人の三十二相)を見て、一方に立ち、喜びあふれて、諸々の意による問いを尋ねた。
1018  〔アジタが尋ねた〕「〔わたしたちの師の〕生まれに関して、説いてください。氏姓を説いてください。有している特相を〔説いてください〕。諸々の呪文(ヴェーダ聖典)における最奥義〔に到達しているか〕を説いてください。婆羅門(バーヴァリ)は、どれだけ〔の数〕の者に教えていますか」〔と〕。
1019  〔世尊は答えた〕「百二十年の寿命、そして、彼の氏姓はバーヴァリ、彼の四肢[からだ]には三つの特相があります。三つのヴェーダ(ヴェーダ聖典)の奥義に至る者です。
1020  〔偉大なる人の〕諸々の特相を、そして、諸々の古伝を、語彙を含み活用を含めて、五百〔の弟子〕に教えます。自らの法(教え)における最奥義に至った者です」〔と〕。
1021  〔アジタが尋ねた〕「最上の人よ、渇愛を断つ方よ、バーヴァリの諸々の特相についての〔詳しい〕考究を明らかにしてください。わたしたちに、疑い〔の思い〕が有ってはなりません」〔と〕。
1022  〔世尊は答えた〕「〔バーヴァリは〕顔を舌で覆い隠します。彼の眉間には白毫があります。覆蔵された衣[ころも]の陰部(陰馬蔵)があります。学徒よ、このように知りなさい」〔と〕。
1023  まさに、何であれ、問いを〔言葉で〕聞かずに〔意で〕聞いて、〔正しく〕問いが説き示されたので、全ての人は、感嘆〔の思い〕が生まれ、〔世尊にたいし〕合掌を為して、〔このように〕考える。
1024  〔すなわち〕「あるいは、天〔の神〕が、あるいは、梵〔天〕(ブラフマー神)が、あるいはまた、スジャーの夫インダ(インドラ神)が、いったい、誰が、意によって、それらの問いを〔世尊に〕尋ねたのだろう。これを、誰に、〔世尊は〕答えるのだろう」〔と〕。
1025  〔アジタが尋ねた〕「〔わたしたちの師である〕バーヴァリは、頭と頭が落ちることを遍く尋ねます。世尊よ、それを説き示してください。聖賢よ、わたしたちの疑いを取り除いてください」〔と〕。
1026  〔世尊は答えた〕「『無明が、頭である』と知りなさい。明知が、頭(無明)を落とします。諸々の信と気づき(念)と〔心の〕統一(定:三昧の境地)に、〔涅槃の境地への〕欲〔の思い〕(意欲)と〔揺るぎない〕精進〔の心〕に、〔明知は〕結び付いています」〔と〕。
1027  そののち、学徒は、大いなる感嘆〔の思い〕で〔身を〕堅くし、皮衣を一方の肩に掛けて、〔世尊の両の〕足に、頭をもって、ひれ伏した。
1028  〔アジタが言った〕「尊師よ、眼[まなこ]ある方よ、バーヴァリ婆羅門は、弟子たちと共に、心が躍り上がり、意[こころ]楽しく、尊き方の〔両の〕足を敬拝します」〔と〕。
1029  〔世尊は答えた〕「バーヴァリ婆羅門は、弟子たちと共に、楽しみの者と成れ。そしてまた、あなたも、楽しみの者と成りなさい。学徒よ、長く生きよ。
1030  では、バーヴァリの、あるいは、あなたの、全ての者たちの、一切の疑惑にたいし、〔問い尋ねの〕機会を作りましたから、何であれ、〔あなたたちが〕意に求めるところ、〔それを〕尋ねなさい」〔と〕。
1031  正覚者(ブッダ)に〔問い尋ねの〕機会を作ってもらった者は、坐して、合掌し、そこにおいて、アジタは、第一の問いを、如来に尋ねた。

 第二経 アジタ学徒の問い(一)

1032  尊者アジタが〔尋ねた〕「世〔界〕は、まさに、何によって覆われているのですか。まさに、何によって光り輝かないのですか。〔あなたは〕何を、それ(世界)にとっての汚れと説くのですか。いったい、何を、それ(世界)にとっての〔すなわち、世の人々にとっての〕大いなる恐怖と〔説くのですか〕」と。
1033  世尊は〔答えた〕「アジタさん、世〔界〕は、無明によって覆われています。物欲〔の心〕あるがゆえに、怠り(放逸)〔の心〕あるがゆえに、光り輝かないのです。〔わたしは〕渇望〔の思い〕を、〔世界にとっての〕汚れと説きます。苦しみを、それ(世界)にとっての〔すなわち、世の人々にとっての〕大いなる恐怖と〔説きます〕」と。
1034  尊者アジタが〔尋ねた〕「諸々の〔欲望の〕流れは、一切所に流れ行きます。何が、諸々の〔欲望の〕流れの防護となるのですか。諸々の〔欲望の〕流れの統御となるものを説いてください。何によって、諸々の〔欲望の〕流れは塞がれますか」と。
1035  世尊は〔答えた〕「アジタさん、世〔界〕には、諸々の〔欲望の〕流れがあります。気づき(念)が、それら〔の流れ〕の防護となります。諸々の〔欲望の〕流れの統御となるものを説きましょう。知慧(般若・慧)によって、これら〔の流れ〕は塞がれます」と。
1036  尊者アジタが〔尋ねた〕「まさしく、しかして、知慧が〔諸々の欲望の流れの統御となり〕、さらには、気づきが〔諸々の欲望の流れの防護となるなら〕、では、尊師よ、〔つぎは〕名前と形態(名色:現象世界)についてです。〔問いを〕尋ねられた者として、これを、わたしに説いてください。どこにおいて、この〔名前と形態〕は消滅するのですか」と。
1037  〔世尊は答えた〕「アジタさん、〔あなたが〕尋ねたこの問いについて、それを、あなたに説きましょう。名前(名)と形態(色)とが残りなく消滅する所——識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)の止滅によって、ここに、この〔名前と形態〕は消滅します」〔と〕。
1038  〔尊者アジタが尋ねた〕「この〔世には〕、あるいは、法(真理)を究めた者たちが、あるいは、多くの学びの者たちがいます。尊師よ、〔問いを〕尋ねられた賢明なる者として、彼らの振る舞い(正しい行為のあり方)について、わたしに説いてください」〔と〕。
1039  〔世尊は答えた〕「諸々の欲望〔の対象〕を貪り求めないように。意[こころ]に濁りなき者として存するように。比丘は、一切諸法(現象世界)に気づきある智者として、遍歴遊行するように」〔と〕。

 第三経 ティッサ・メッテイヤ学徒の問い(二)

1040  尊者ティッサ・メッテイヤが〔尋ねた〕「この世において、〔常に〕満ち足りている者は、誰ですか。誰に、諸々の動揺〔の思い〕が存在しないのですか。両極を〔あるがままに〕証知して、〔その〕中間において、〔何ものにも〕汚されない、智慮ある者は、誰ですか。誰を、『偉大なる人である』と〔あなたは〕説くのですか。この〔世において〕、貪愛〔の思い〕を超え行ったのは、誰ですか」と。
1041  世尊は〔答えた〕「メッテイヤさん、諸々の欲望〔の対象〕について、梵行ある者(禁欲清浄行の実践者)——渇愛を離れた、常に気づきある者——〔法を〕究めて、涅槃に到達した比丘——彼に、諸々の動揺〔の思い〕は存在しません。
1042  彼は、両極を〔あるがままに〕証知して、〔その〕中間において、〔何ものにも〕汚されない、智慮ある者です。彼を、『偉大なる人である』と〔わたしは〕説きます。彼は、この〔世において〕、貪愛〔の思い〕を超え行ったのです」と。

 第四経 プンナカ学徒の問い(三)

1043  尊者プンナカが〔尋ねた〕「動揺することがなく、〔ものごとの〕根元を見る方(ブッダ)への問い尋ねを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちは、何に依存して、天〔の神々〕たちへの祭祀を、この世において、多く営んできたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」と。
1044  世尊は〔答えた〕「プンナカさん、誰であれ、これらの、聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちが、天〔の神々〕たちへの祭祀を、この世において、多く営んできたのは、プンナカさん、〔まさに、いま〕この場で〔彼ら自身が陥っている、迷いの〕状態を〔自ら〕願い求めている者たちが、〔自らの〕老に依存して、〔意味なき〕祭祀を営んできたのです」と。
1045  尊者プンナカが〔尋ねた〕「誰であれ、これらの、聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちは、天〔の神々〕たちへの祭祀を、この世において、多く営んできたのですが、尊師世尊よ、はたして、いったい、祭祀の道に怠りなき彼らは、生と老とを超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」と。
1046  世尊は〔答えた〕「プンナカさん、〔彼らは〕願望し、賛嘆し、渇望し、供犠をします。〔しかしながら、実のところは〕利得〔という目的〕を縁として、欲望〔の対象〕を渇望します。彼らは、祭祀という束縛ある者たちであり、〔迷いの〕生存(有)にたいする貪り〔の思い〕に染まった者たちであり、『生と老を超えてはいない』と〔わたしは〕説きます」と。
1047  尊者プンナカが〔尋ねた〕「尊師よ、もし、彼らが、祭祀という束縛ある者たちであり、諸々の祭祀によって生と老とを超えていないなら、尊師よ、それでは、しかして、誰が、天〔の神々〕と人間たちの世において、生と老とを超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」と。
1048  世尊は〔答えた〕「プンナカさん、世における彼此[ひし]〔のあり方〕を究めて、彼に、動揺〔の思い〕が、世において、どこにも存在しないなら、寂静にして怒りを離れ、煩悶なく願望なき者であり、『彼は、生と老を超えた』と〔わたしは〕説きます」と。

 第五経 メッタグー学徒の問い(四)

1049  尊者メッタグーが〔尋ねた〕「世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください。〔わたしは〕あなたを、〔真の〕知に至る方と、自己を修めた方と、思うのです。何であれ、世における、無数なる形態の、これらの苦しみは、いったい、どこから、生まれ来たのですか」と。
1050  世尊は〔答えた〕「メッタグーさん、まさに、苦しみの起源を、〔あなたは〕わたしに尋ねました。それを、あなたに、〔わたしが〕覚知しているとおりに言示しましょう。何であれ、世における、無数なる形態の、〔これらの〕苦しみは、依存という縁から生起します。
1051  まさに、〔あるがままに〕知ることなく、依存〔の対象〕を作る者——愚か者は、繰り返し、苦しみへと近づき行きます。それゆえに、まさに、〔あるがままに〕知る者として、苦しみの発生の起源を観る者として、依存〔の対象〕を作らないように」と。
1052  〔尊者メッタグーが尋ねた〕「〔わたしたちが〕あなたに尋ねたことを、〔あなたは〕わたしたちに述べ伝えてくれました。〔今度は、それとは〕他のものについて、あなたに尋ねます。どうか、それを説いてください。
 慧者たちは、いったい、どのようにして、激流を超え渡るのですか。生と老を、そして、憂いと嘆きを〔超え行くのですか〕。牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。
1053  世尊は〔答えた〕「メッタグーさん、あなたに、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)のうちで、伝え聞きでない〔あるがままの〕法(真理)を述べ伝えましょう。〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、世における執着を超えるであろう〔真実の法を〕」と。
1054  〔尊者メッタグーが言った〕「偉大なる聖賢よ、しかして、わたしも、その、最上の法(真理)を喜びます。〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、世における執着を超えるであろう〔真実の法を〕」〔と〕。
1055  世尊は〔言った〕「メッタグーさん、何であれ、上に、下に、さらにまた、横に、〔その〕中間において、〔あなたが〕正しく知るなら、これらにたいする喜悦〔の思い〕と固着〔の思い〕とを〔除き去って〕、〔さらには〕識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)を除き去って、〔迷いの〕生存のうちに止[とど]まらないように。
1056  このように住する者は、怠りなく〔常に〕気づきある比丘は、わがものと〔錯視〕された諸々のもの(欲望や執着の対象)を捨てて、〔あるがままに〕行じおこなう者です。知ある者は、この〔世において〕こそ、苦しみを捨て去るように。生と老を、そして、憂いと嘆きを〔超え行くように〕」と。
1057  〔尊者メッタグーが言った〕「偉大なる聖賢の、この言葉を、〔わたしは〕喜びます。ゴータマ(ブッダ)よ、依存なき〔境地〕が、見事に述べ伝えられました。世尊よ、たしかに、まさに、〔あなたは〕苦しみを捨てました。この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです。
1058  牟尼よ、あなたが、止まることなく教え諭すであろう者たち——しかして、彼らもまた、まちがいなく、苦しみを捨てるでありましょう。龍(ブッダ)よ、〔まさに〕そのあなたを、〔わたしも〕共に赴いて、礼拝します。世尊よ、まさしく、また、わたしも、〔彼ら同様〕止まることなく教え諭してください」〔と〕。
1059  〔世尊は答えた〕「無一物で、欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存にたいする執着がなく、〔真の〕婆羅門にして〔真の〕知に至る者と〔あなたが〕証知するであろう者——たしかに、まさに、彼は、この激流を超えたのです。しかして、彼岸へと〔激流を〕超えた者は、〔心に〕鬱屈なく疑惑なき者です。
1060  また、その人は、この〔世において〕、知ある者であり、〔真の〕知に至る者です。種々なる〔迷いの〕生存にたいする、この執着を捨てて、彼は、渇愛を離れた者であり、煩悶なく願望なき者であり、『彼は、生と老を超えた』と〔わたしは〕説きます」〔と〕。

 第六経 ドータカ学徒の問い(五)

1061  尊者ドータカが〔尋ねた〕「世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください。偉大なる聖賢よ、〔わたしは〕あなたの言葉を待ち望みます。あなたの話を聞いて、自己の涅槃を学ぶのです」と。
1062  世尊は〔答えた〕「ドータカさん、それなら、まさに、この〔世において〕こそ、賢明なる気づきの者として、熱く為しなさい(全身全霊をあげて気づきを実践する)。これから〔告げ知らせる、わたしの〕話を聞いて、自己の涅槃を学ぶのです」と。
1063  〔尊者ドータカが言った〕「わたしは、見ます——天〔の神々〕と人間たちの世において、〔正しく〕振る舞う、無一物の婆羅門を。一切に眼[まなこ]ある方よ、〔まさに〕そのあなたを、〔わたしは〕礼拝します。サッカ(釈迦)〔族〕の方よ、わたしを、諸々の疑惑から解き放ってください」〔と〕。
1064  〔世尊は答えた〕「ドータカさん、わたしは、誰であれ、世における疑惑者を解き放つために、赴くことはないでしょう(他者を解脱へと至らしめることはない)。しかして、最勝の法(真理)を了知している者として、このように、あなたは、〔あなた自身で〕この激流を超えるのです」〔と〕。
1065  〔尊者ドータカが言った〕「梵〔天〕(ブッダ)よ、慈悲ある者として、教えてください——わたしが識知しなければならないところの、遠離の法(教え)を。わたしが、虚空のように、〔他者に〕害を加えず、まさしく、この〔世において〕、寂静の者として、依り所なき者として、行じおこないうるように」〔と〕。
1066  世尊は〔答えた〕「ドータカさん、あなたに、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)のうちで、伝え聞きでない〔真の〕寂静を述べ伝えましょう。〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、世における執着を超えるであろう〔真の寂静を〕」と。
1067  〔尊者ドータカが言った〕「偉大なる聖賢よ、しかして、わたしも、その、最上の寂静を喜びます。〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、世における執着を超えるであろう〔真の寂静を〕」〔と〕。
1068  世尊は〔言った〕「ドータカさん、何であれ、上に、下に、さらにまた、横に、〔その〕中間において、〔あなたが〕正しく知るもの——これを、『世における執着〔の対象〕である』と知って、種々なる生存のために、渇愛〔の思い〕を為してはなりません」と。

 第七経 ウパシーヴァ学徒の問い(六)

1069  尊者ウパシーヴァが〔尋ねた〕「サッカ(釈迦)〔族〕の方(ブッダ)よ、わたしは、独りで、大いなる激流を、依り所なく、〔独力で〕超えることができません。一切に眼ある方よ、〔依存の〕対象(所縁)を説いてください。それを依り所にして、この激流を超えるであろう〔依存の対象を〕」と。
1070  世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、無所有〔の境地〕を見る、気づきの者となり、『〔何ものも〕存在しない』という〔思い、すなわち、無一物の境地を〕依り所にして、激流を超えなさい。諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、諸々の言葉(論説)から離れた者となり、渇愛の滅尽を昼夜に観なさい」と。
1071  尊者ウパシーヴァが〔尋ねた〕「一切の欲望〔の対象〕にたいする貪りを離れた者、他のもの(他者・他物)を捨てて無所有〔の境地〕を依り所にした者、表象作用(想:認識対象を表象し概念化する働き)の解脱という最高〔の解脱〕において解脱した者——いったい、彼は、〔何ものも〕追い求めることなく、そこにおいて〔すなわち、解脱の境地において〕安立するのでしょうか」と。
1072  世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、一切の欲望〔の対象〕にたいする貪りを離れた者、他のもの(他者・他物)を捨てて無所有〔の境地〕を依り所にした者、表象作用(想:認識対象を表象し概念化する働き)の解脱という最高〔の解脱〕において解脱した者——彼は、〔何ものも〕追い求めることなく、そこにおいて〔すなわち、解脱の境地において〕安立するでありましょう」と。
1073  〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「一切に眼ある方よ、もし、彼が、〔何ものも〕追い求めることなく、また、多くの年月を、そこにおいて安立するなら、まさしく、そこにおいて、彼は、〔欲の炎が消えた〕解脱者として、〔欲の炎なく〕冷静[こころおだやか]に存するのでしょうか。そのような類[たぐい]の者の識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)は、〔解脱後も〕有るのでしょうか」〔と〕。
1074  世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、風の勢いで飛び散った炎が滅却し去り行くと、〔もはや〕名称に近づかない(名づけようがない)ように、このように、名前と身体(名身)から解脱した牟尼(沈黙の聖者)は、滅却〔の道〕へと去り行き、〔虚構の〕名称(概念)に近づくことがありません(名付けを離れた存在となる)」と。
1075  〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、あるいはまた、彼は、〔もはや〕存在しないのですか。それとも、まさに、常恒であるため、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか。牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。
1076  世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、滅却に至った者(解脱者)には、量ることが〔すなわち、量るべき尺度(認識根拠)が〕存在しないのです。それによって、彼のことを〔あなたに〕説こうとしても、彼には、その〔量るべき尺度〕が存在しないのです。一切の諸法(もの・こと)が完破されたとき、一切の論の道もまた、完破されたのです」と。

 第八経 ナンダ学徒の問い(七)

1077  尊者ナンダが〔尋ねた〕「『〔この〕世には、諸々の牟尼が存在する』〔と〕、〔世の〕人たちは説きます。いったい、彼らは、このことを、どのように〔説くの〕ですか。いったい、〔彼らは〕知識を具有した者を、牟尼と説くのですか。それとも、まさに、〔正しい〕生き方を具有した者を、〔牟尼と説くのですか〕」と。
1078  〔世尊は答えた〕「ナンダさん、智者たちは、この〔世において〕、牟尼たちを、見解によって〔説か〕ず、伝承によって〔説か〕ず、知識によって説かないのです。煩悶なく願望なく、〔他者にたいし〕敵対〔の思い〕を為すことなくして行じおこなう者たち——彼らを、『牟尼(沈黙の聖者)たちである』と〔わたしは〕説きます」〔と〕。
1079  尊者ナンダが〔尋ねた〕「〔いっぽうで、わたしが知っている〕これらの沙門や婆羅門たちは、誰もが、〔外に〕見られたもののうちに〔清浄の境地を〕、さらには、〔他から〕聞かれたものによって清浄〔の境地〕を説きます。さらには、戒や掟によって清浄〔の境地〕を説きます。〔その他〕無数の〔外的な〕形態によって清浄〔の境地〕を説きます。尊師世尊よ、はたして、いったい、彼らが、そこにおいて、〔そのように〕行じおこなうとおりに、〔彼らは〕生と老とを超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」と。
1080  世尊は〔答えた〕「ナンダさん、これらの沙門や婆羅門たちは、誰もが、〔外に〕見られたもののうちに〔清浄の境地を〕、さらには、〔他から〕聞かれたものによって清浄〔の境地〕を説きます。さらには、戒や掟によって清浄〔の境地〕を説きます。〔その他〕無数の〔外的な〕形態によって清浄〔の境地〕を説きます。たとえ、何であれ、彼らが、そこにおいて、〔そのように〕行じおこなうとおりに、『〔彼らは〕生と老を超えてはいない』と〔わたしは〕説きます」と。
1081  尊者ナンダが〔尋ねた〕「これらの沙門や婆羅門たちは、誰もが、〔外に〕見られたもののうちに〔清浄の境地を〕、さらには、〔他から〕聞かれたものによって清浄〔の境地〕を説きます。さらには、戒や掟によって清浄〔の境地〕を説きます。〔その他〕無数の〔外的な〕形態によって清浄〔の境地〕を説きます。牟尼よ、もし、〔彼らを〕激流を超えざる者たちと説くなら、尊師よ、それでは、しかして、誰が、天〔の神々〕と人間たちの世において、生と老とを超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」と。
1082  世尊は〔答えた〕「ナンダさん、わたしは、『全ての沙門や婆羅門たちが、生と老に覆われている』と説くのではありません。まさに、この〔世において〕、あるいは、見られたものを〔捨てて〕、あるいは、聞かれたものと思われたものを〔捨てて〕、あるいはまた、一切の戒や掟を捨てて、さらには、一切の無数の〔外的な〕形態を捨てて、渇愛を知り尽くして煩悩なき者たち——まさに、彼らを、『激流を超えた人たちである』と〔わたしは〕説きます」と。
1083  〔尊者ナンダが言った〕「偉大なる聖賢の、この言葉を、〔わたしは〕喜びます。ゴータマ(ブッダ)よ、依存なき〔境地〕が、見事に述べ伝えられました。まさに、この〔世において〕、あるいは、見られたものを〔捨てて〕、あるいは、聞かれたものと思われたものを〔捨てて〕、あるいはまた、一切の戒や掟を捨てて、さらには、一切の無数の〔外的な〕形態を捨てて、渇愛を知り尽くして煩悩なき者たち——わたしもまた、彼らを、『激流を超えた者たちである』と説きます」〔と〕。

 第九経 ヘーマカ学徒の問い(八)

1084  尊者ヘーマカが〔言った〕「ゴータマ(ブッダ)の教え以前に、『〔これこれこういうもの〕として存していた』『〔これこれこういうもの〕と成るであろう』〔と〕、かつて、〔人々が〕わたしに説き示したことは、その一切が、〔単なる〕伝え聞きであり、その一切が、〔邪な〕考え(邪説)を増大させるものです。
1085  わたしは、そこに、〔いささかも〕喜ぶことはありませんでした。牟尼よ、しかして、あなたも、わたしに、渇愛の絶滅という法(教え)を告げ知らせてください。〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、世における執着を超えるであろう〔真実の法を〕」と。
1086  〔世尊は答えた〕「ヘーマカさん、この〔世において〕、見られ聞かれ思われ識[し]られた、諸々の愛しい形態のものにたいする、欲〔の思い〕と貪り〔の思い〕を取り除くことが、不死なる涅槃の境地です。
1087  このことを了知して、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において涅槃に到達した、気づきある者たち——しかして、彼らは、常に寂静であり——世における執着を超えた者たちです」〔と〕。

 第十経 トーデイヤ学徒の問い(九)

1088  尊者トーデイヤが〔尋ねた〕「彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく、彼に、渇愛が見い出されることなく、しかして、諸々の疑惑を超えた者——彼には、どのような解脱が〔存在するのですか〕」と。
1089  世尊は〔答えた〕「トーデイヤさん、彼のうちに、諸々の欲望が住みつくことなく、彼に、渇愛が見い出されることなく、しかして、諸々の疑惑を超えた者——彼には、他の解脱は〔存在し〕ないのです」と。
1090  〔尊者トーデイヤが尋ねた〕「彼は、依存なき者ですか。あるいは、願い求める者ですか。彼は、知慧ある者ですか。あるいは、知慧によって想い描く者(思量し分別する者)ですか。サッカ(釈迦)〔族〕の方よ、一切に眼ある方よ、わたしが、牟尼を識知できるように、それを、わたしに説明してください」〔と〕。
1091  〔世尊は答えた〕「彼は、依存なき者です。願い求める者ではありません。彼は、知慧ある者です。しかしながら、知慧によって想い描く者(思量し分別する者)ではありません。トーデイヤさん、また、このように、牟尼を識知しなさい——無一物で、欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存にたいする執着なき者と」〔と〕。

 第十一経 カッパ学徒の問い(十)

1092  尊者カッパが〔言った〕「尊師よ、大いなる恐怖を生む激流の〔まさにその〕流れの中で立ちすくんでいる者たちのために、老と死に打ち負かされた者たちのために、〔依り所となる〕洲を説いてください。しかして、あなたは、わたしに、洲を告げ知らせてください。他のものが存在すべくもない、このとおり〔の洲を〕」と。
1093  世尊は〔答えた〕「カッパさん、大いなる恐怖を生む激流の〔まさにその〕流れの中で立ちすくんでいる者たちのために、老と死に打ち負かされた者たちのために、〔依り所となる〕洲を、カッパさん、あなたに説きましょう。
1094  無一物にして無執取であること——これが、他のものが〔存在すべくも〕ない、〔このとおりの〕洲です。それを、老と死の完全なる滅尽を、『涅槃である』と〔わたしは〕説きます。
1095  このことを了知して、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において涅槃に到達した、気づきある者たち——彼らは、悪魔の支配に従い行く者たちではありません——彼らは、悪魔の奴隷に堕す者たちではありません」と。

 第十二経 ジャトゥカンニ学徒の問い(十一)

1096  尊者ジャトゥカンニが〔言った〕「わたしは、欲なき〔あり方〕を欲する勇者(ブッダ)のことを聞いて、激流を超え行く方(ブッダ)に、欲なき〔あり方〕を問い尋ねるため、やってまいりました。〔わたしと〕生を共にする〔世の〕眼たる方よ、寂静の境地を説いてください。世尊よ、それを、わたしに、真実のとおりに説いてください。
1097  なぜなら、世尊は、光り輝く太陽が〔その〕輝きによって大地を〔征服する〕ように、諸々の欲望〔の対象〕を征服して、〔あるがままに〕振る舞うからです。広き知慧ある方よ、少なき知慧のわたしに、法(教え)を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならないところの、この〔世における〕生と老の捨棄〔という法〕を」と。
1098  世尊は〔答えた〕「ジャトゥカンニさん、諸々の欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕を取り除きなさい。出離〔の境地〕を『平安である』と見て、〔執着の対象として〕執持されたものが、あるいは、〔排除の対象として〕放棄されたものが、あなたにとって、何ものも見い出されてはなりません。
1099  過去にあるもの——それを、干上がらせなさい。未来においては、何ものも、あなたにとって、有ってはなりません。もし、〔その〕中間(現在)において、〔何ものも〕掴み取らないなら、〔あなたは〕寂静の者として、行じおこなうでありましょう。
1100  婆羅門よ、名前と形態(名色:現象世界)にたいする貪り〔の思い〕を離れた者には、彼には、諸々の煩悩は、全く見い出されません——それら(煩悩)によって、〔世の人々は〕死魔の支配に行き着くのですが」と。

 第十三経 バドラーヴダ学徒の問い(十二)

1101  尊者バドラーヴダが〔言った〕「家を捨て渇愛を断った動揺なき方、喜びを捨て激流を超えた解脱者、〔計測され概念化した〕時間(時計の時間・分別妄想・輪廻的あり方)を捨てる思慮深き方に、〔わたしは〕乞い願います。龍(ブッダ)の〔言葉を〕聞いて、〔ここに集いあつまった者たちは、満足して〕ここから立ち去るでありましょう。
1102  勇者よ、あなたの言葉を待ち望んでいる種々の人たちが、諸々の地方から〔ここにこうして〕集いあつまったのです。あなたは、彼らのために、どうか、〔真実の法を〕説き示してください。この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」と。
1103  世尊は〔答えた〕「バドラーヴダさん、一切の執取と渇愛を取り除くように。上に、下に、さらにまた、横に、〔その〕中間において、まさに、〔一切〕世〔界〕において、〔世の人々が、それぞれに〕執取するものともの——まさしく、その〔一つ一つ〕によって、人に、悪魔が従い行くのです。
1104  それゆえに、〔このことを〕覚知している、気づきある比丘は、一切世〔界〕において、何ものも執取しないでありましょう——死魔の領域において執着するこの人々を、『執取〔の対象〕に執着する者たちである』と〔あるがままに〕見ながら」と。

 第十四経 ウダヤ学徒の問い(十三)

1105  尊者ウダヤが〔言った〕「〔世俗の〕塵を離れ端座する瞑想者、為すべきことを為した煩悩なき方、一切諸法(現象世界)の彼岸に至る方(ブッダ)への問い尋ねを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。了知による解脱を、無明の破壊を、〔わたしに〕説いてください」と。
1106  世尊は〔答えた〕「ウダヤさん、諸々の欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕と諸々の失意〔の思い〕の両者を捨て去ること、そして、〔心の〕沈滞[おちこみ]を除き去ること、諸々の悔い〔の思い〕を防ぎ護ること——
1107  〔諸々の認識の対象にたいする〕放捨(捨)と気づき(念)という清浄〔の境地〕、〔あるがままの〕法(真理)という〔正しい〕考え方を先導とする〔解脱〕——〔これらを〕了知による解脱と、無明の破壊と、〔わたしは〕説きます」と。
1108  〔尊者ウダヤが尋ねた〕「いったい、何が、世の束縛なのですか。いったい、何が、それ(世)にとっての〔すなわち、世の人々にとっての〕彷徨[さまよい]なのですか。何を捨棄することで、それ(世)にとって〔すなわち、世の人々にとって〕、『涅槃』と呼ばれるのですか」〔と〕。
1109  〔世尊は答えた〕「喜びが、世の束縛です。思考が、それ(世)にとっての〔すなわち、世の人々にとっての〕彷徨です。渇愛を捨棄することで、『涅槃』と呼ばれるのです」〔と〕。
1110  〔尊者ウダヤが尋ねた〕「どのようにして、〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者の、識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)は消滅するのですか。〔わたしたちは〕世尊に問い尋ねるため、やってまいりました。〔わたしたちは〕あなたの、その言葉を聞きたいのです」〔と〕。
1111  〔世尊は答えた〕「内も、外も、感受〔の結果〕(受:苦楽の知覚)を喜ばずにいる者——このように、〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者の、識別作用は消滅します」〔と〕。

 第十五経 ポーサーラ学徒の問い(十四)

1112  尊者ポーサーラが〔尋ねた〕「過去を〔過去として、あるがままに〕指し示し、動揺なく、〔一切の〕疑惑を断った方、一切諸法(現象世界)の彼岸に至る方(ブッダ)への問い尋ねを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。
1113  実体〔というあり方〕を離れて形態を想う者(妄想によって固定され実体化された形相を捨象し、認識対象をあるがままに表象する者)、一切の身体を捨て去る者、『内も、外も、何であれ、存在しない』と見る者の知恵について、サッカ(釈迦)〔族〕の方よ、〔わたしは〕尋ねます。そのような類の者は、どのように導かれるのですか」と
1114  世尊は〔答えた〕「ポーサーラさん、一切の識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)の止住(固着・停滞)を証知している如来は、この、〔識別作用の〕安立を、解脱であり、彼の行き着く所と知るのです。
1115  無所有〔の境地〕の生起を知って、『喜びは束縛である』と〔知るのです〕。このように、このように証知して、それゆえに、そこにおいて、〔あるがままの無常を〕観るのです。〔梵行の〕完成者にして婆羅門たる彼に、この、真実[あるがまま]の知恵が〔成就するのです〕」と。

 第十六経 モーガラージャン学徒の問い(十五)

1116  尊者モーガラージャンが〔尋ねた〕「わたしは、〔かつて〕二〔度〕、サッカ(釈迦)〔族〕の方(ブッダ)に問い尋ねましたが、眼ある方(ブッダ)は、わたしに説き示してくれませんでした。しかしながら、『天の聖賢(ブッダ)は、三度目には説き示してくれる』と、わたしは聞きました。
1117  この世、他世、天〔界〕を含む梵の世〔界〕は、あなたの、福徳あるゴータマ(ブッダ)の、〔あるがままの〕見[まなざし]を証知しません。
1118  このように、崇高なる見者への問い尋ねを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。どのように、世〔界〕を観察する者を、死魔の王は見ないのですか」と。
1119  〔世尊は答えた〕「モーガラージャンさん、常に気づきある者として、世〔界〕を『空である』と観察しなさい。自己についての誤った見解を取り去って、このように、死を超え渡る者として存するように。このように、世〔界〕を観察する者を、死魔の王は見ないのです」〔と〕。

 第十七経 ピンギヤ学徒の問い(十六)

1120  尊者ピンギヤが〔言った〕「眼は清浄ならず、耳は平穏ならず、〔今の〕わたしは、無力で、生彩を欠き、老い朽ちた者として存しています。わたしが、中途半端なまま、迷愚の者として、消え行くことがあってはならないのです。〔わたしに〕法(教え)を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならないところの、この〔世における〕生と老の捨棄〔という法〕を」と。
1121  世尊は〔答えた〕「ピンギヤさん、〔気づきを〕怠る人たちは、諸々の形態〔の思い〕に悩み苦しみます。〔彼らが〕諸々の形態〔の思い〕に打ちのめされているのを見て、ピンギヤさん、それゆえに、あなたは、〔気づきを〕怠らない者として、さらなる〔迷いの〕生存がないように、形態〔の思い〕を捨て去りなさい」と。
1122  〔尊者ピンギヤが言った〕「四方(東西南北)、四維(四方の中間)、上に、下に——これら、十方〔世界〕で、あなたにとって、見られないもの、あるいは、聞かれ思われないものはなく、さらには、世において、識られないものは、何ものも存在しないのです。〔わたしに〕法(教え)を告げ知らせてください。わたしが識知しなければならないところの、この〔世における〕生と老の捨棄〔という法〕を」〔と〕。
1123  世尊は〔答えた〕「ピンギヤさん、渇愛〔の思い〕に囚われ、苦悩を生じ、老に打ち負かされた人間たちを見る者として、ピンギヤさん、それゆえに、あなたは、〔気づきを〕怠らない者として、さらなる〔迷いの〕生存がないように、渇愛〔の思い〕を捨て去りなさい」と。

 第十八経 十六学徒の問いの結語

1124  アジタ、ティッサ・メッテイヤ、プンナカ、そして、メッタグー、ドータカ、ウパシーヴァと、ナンダと、そして、ヘーマカ——
1125  トーデイヤとカッパの両者、賢者たるジャトゥカンニと、バドラーヴダ、ウダヤと、さらには、ポーサーラ婆羅門と、思慮あるモーガラージャンと、偉大なる聖賢のピンギヤと——
1126  これらの者たちは、覚者(ブッダ)のもとに、行ないを成就した聖賢のもとに、近づき行った。〔彼らは〕諸々の精緻なる問いを尋ねる者たちとして、最勝の覚者のもとへと近づき行った。
1127  諸々の問いを尋ねられた覚者は、真実のとおりに、彼らに説き示した。牟尼は、諸々の問いに〔正しく〕説明することで、婆羅門たちを満足させた。
1128  太陽の眷属によって、眼[まなこ]ある覚者によって、満足させられた彼らは、優れた知慧ある方の現前で、梵行(禁欲清浄行)を行じおこなった。
1129  一つ一つの問いに覚者が示したとおりに、そのとおり実践する者は、此岸から彼岸へと赴くであろう。
1130  最上の道を習い修める者は、此岸から彼岸へと赴くであろう。それは、彼岸へと至るための道であり、それゆえに、『彼岸へと至るもの』と〔呼ばれる〕。
1131  尊者ピンギヤは〔バーヴァリのもとに帰り、師に言った〕「〔わたしは〕『彼岸へと至るもの』を読誦するでありましょう。〔世俗の〕垢を離れた、広き思慮ある方(ブッダ)は、〔自らが〕見たとおりに、そのとおり告げ知らせました。無欲で、〔欲の〕林なく、〔世の〕主[あるじ]たる方が、何を因として、虚偽を語るでありましょう。
1132  〔煩悩の〕垢と〔思考の〕迷いを捨て去った方の、高慢(慢)と隠覆(覆)〔の思い〕を捨て去る方の、名誉を伴った〔真実の〕言葉を、さあ、わたしは述べ伝えるでありましょう。
1133  梵(婆羅門)よ、〔世の〕闇を除去する覚者にして一切に眼ある方、世の終極に至り一切の〔迷いの〕生存を超克した方、煩悩なく一切の苦を捨て去る方、『真理』と名づけられた方は、わたしによって近侍[きんじ]されたのです。
1134  鳥が、まばらな林を捨てて、多き果ある森に住むように、また、このように、わたしは、見少なき者たちを捨てて、白鳥のように、大海原に達し得たのです。
1135  ゴータマ(ブッダ)の教え以前に、『〔これこれこういうもの〕として存していた』『〔これこれこういうもの〕と成るであろう』〔と〕、かつて、〔人々が〕わたしに説き示したことは、その一切が、〔単なる〕伝え聞きであり、その一切が、〔邪[よこしま]な〕考え(邪説)を増大させるものです。
1136  彼は、独り、〔世の〕闇を除去し、端座する方、出生よき、光の作り手です。ゴータマ(ブッダ)は、広き知慧ある方です。ゴータマ(ブッダ)は、広き思慮ある方です。
1137  その方は、わたしに、現に見られ時を要さない〔即座[いまここ]の〕法(真理)を、渇愛の滅尽を、疾患なき〔境地〕を、示してくださったのです。その方には、どこにも喩えが存在しないのです」と。
1138  〔バーヴァリが言った〕「ピンギヤよ、それゆえに、〔おまえは〕いったい、どうして、寸時でさえも、広き知慧あるゴータマ(ブッダ)から、広き思慮あるゴータマ(ブッダ)から、離れて住むことがあろうか。
1139  その方は、おまえに、現に見られ時を要さない〔即座の〕法(真理)を、渇愛の滅尽を、疾患なき〔境地〕を、示してくださったのだ。その方には、どこにも喩えが存在しないのだ」〔と〕。
1140  〔ピンギヤは言った〕「婆羅門よ、それゆえに、わたしは、寸時でさえも、広き知慧あるゴータマ(ブッダ)から、広き思慮あるゴータマ(ブッダ)から、離れて住むことがないのです。
1141  その方は、わたしに、現に見られ時を要さない〔即座の〕法(真理)を、渇愛の滅尽を、疾患なき〔境地〕を、示してくださったのです。その方には、どこにも喩えが存在しないのです。
1142  婆羅門よ、〔わたしは〕彼を見ます——意[こころ]によって、あるいは、眼[まなこ]によって。昼夜にわたり、〔気づきを〕怠らず、夜は、〔ゴータマを〕礼拝する者として過ごし、まさしく、それによって、〔もはや、ゴータマから〕離れて住むことなき者と〔自らを〕思うのです。
1143  〔迷いなき〕信と〔真なる〕喜びと〔切なる〕意と〔怠りなき〕気づき(念)が、わたしを、ゴータマ(ブッダ)の教えから離れさせないのです。そして、わたしは、広き知慧ある方が行く、その方角、その〔方角〕に、まさしく、その〔場〕、その〔場〕に、礼拝者として存するのです。
1144  老い朽ち、力と強さに劣る、わたしにとって、まさしく、それによって、身体〔自体〕がそこに行くことはありません。常に〔思慮〕分別を傾けることで、〔そこに〕行くのです。婆羅門よ、まさに、わたしの意は、その方と結ばれているのです。
1145  汚泥に臥しつつ、震えおののく者として、〔わたしは〕洲から洲へと漂[ただよ]いました。しかして、激流を超えた、煩悩なき正覚者(ブッダ)を見たのです」〔と〕。
1146  〔その時、世尊がピンギヤの前に現われて言った〕「ヴァッカリ(人名)、バドラーヴダ(人名)、アーラヴィ・ゴータマ(人名)など、解き放たれた信ある者が〔そう〕有ったように、ピンギヤよ、あなたもまた、まさしく、このように、信を解き放ちなさい(信仰を依存の対象にしてはならない)。〔そうすれば〕あなたは、死魔の領域の彼岸へと至るでありましょう」〔と〕。
1147  〔ピンギヤは言った〕「この〔わたし〕は、牟尼の言葉を聞いて、より一層、〔心が〕清まります。〔迷妄の〕覆が開かれた正覚者(ブッダ)は、〔心に〕鬱屈なく、応答自在〔の知慧〕ある方です。
1148  〔牟尼は〕天のそのまた上をも証知して、彼此[ひし]の一切を知っておられます。教師(ブッダ)は、疑いありと公言する者たちの、諸々の問いの終極[おわり]を為す方です。
1149  それにたいし、どこにも喩えが存在しない、不動で、揺るぎない〔境地〕へと、〔わたしは〕確実に至るでありましょう。ここに、わたしに、疑いはありません。このように、わたしを、確固たる心ある者と認めてください」〔と〕。
http://web.archive.org/web/20091118020427/http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html

コメント [政治・選挙・NHK142] 小沢一郎の政策 = 「憲法9条は改正しろ」 「天皇は日本の元首だ」 「日本は国連指示の戦争(国連憲章42条)に参加せよ」 真相の道
18. 2013年1月20日 23:57:44 : MLDKSKvvpQ
小沢氏も共和党の(G.H.W.)ブッシュとはウマが合っていたようだが、(オバマやH.クリントンが中心の)米国民主党政権下では上手くいかなかった。安倍政権に対しても同じような評価だろう。改憲派は米国民主党から嫌われる。その点では小沢氏も安倍首相も同類だ。
コメント [政治・選挙・NHK142] 衆院選不正選挙に関する英語の記事がついに出た by nuclear-news (SUEの日記 - Yahoo!ブログ) 運否天賦
03. 2013年1月20日 23:58:36 : Oe2evAU4x2
米 犬

楽しいかね?
何が楽しいか全く理解できんし、したくもないがな。

コメント [戦争b10] アルジェリア政府はなぜ急速に軍事行動に踏み切ったか (1)・(2)  六辻 彰二 | 国際政治学者 福助
06. 2013年1月20日 23:59:34 : 5RwEdcX39Q
このテロ事件は 全世界で常時起こる テロは始まったばかりだ
コメント [原発・フッ素29] 弘兼憲史、茂木健一郎、勝間和代… 原発PR協力の文化人へ風当たり強まる(J−castニュース) こーるてん
35. 増税反対 2013年1月20日 23:59:47 : ehcoR2LmdzYII : D9cvjI5T92
[この3人の方に、矛先向けるのはお門違いだと思うが]

 馬鹿言うな。影響力を考えたらその責任は万死に値するぞ・・

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