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2018年12月18日16時40分 〜
記事 [経世済民130] 日産は会長人事見送り…ルノーに逆らえずクーデター大失敗(日刊ゲンダイ) 


 


日産は会長人事見送り…ルノーに逆らえずクーデター大失敗
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/243962
2018/12/18 にっかん日刊ゲンダイ


17日、記者会見する日産自動車の西川社長(C)共同通信社

 日産のクーデターは大失敗した――。そんな声が聞かれ始めた。17日夕方、日産は取締役会を開いたが、ゴーン前会長の後任を決められなかった。横浜市の本社で会見した西川広人社長は後任人事について、「継続協議すると確認した」とし、決定時期についても「いつとは決めていない」と話した。

 ほぼ1カ月前、日産はゴーンを電撃解任した。事前に情報は全く漏れず、西川社長らのクーデター説が流れたほどだ。

「確かにゴーン解任までは鮮やかでした。しかし、その後は西川社長がもくろんだ会長兼任が大株主ルノーの壁に阻まれた。日産サイドは、次から次へとゴーン容疑者に不利な情報をリークしたようですが、ルノーは結局ゴーンをCEOにとどめたままです。日産の思惑通り、コトは運ばなかったということでしょう。きのうの会見は日産の敗北宣言に映りました」(経済ジャーナリストの井上学氏)

 短期決戦をもくろんだ西川社長だったが、ルノーの強気姿勢はまるで変わらず、ゴーンの後任人事は先送り。

 一方、「ガバナンス改善委員会」を同日設置したことを明らかにした。

「経団連前会長の榊原定征氏や日産の社外取締役など7人で構成されています。会長人事については生煮えの印象ですが、ガバナンス改善委員会を通じて、じっくり検討していくことになるのでしょう」(経済ジャーナリストの小宮和行氏)

 西川社長も、「ガバナンス委員会の提言(来年3月末まで)を受け、(後任会長を)決めた方がいいとの声もある」とした。

 大株主の意向には逆らえない……と痛感した西川社長の苦悩はしばらく続きそうだ。













http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/155.html

コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
2. 中川隆[-13750] koaQ7Jey 2018年12月18日 16:48:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

神道や日本古来の文化を憎んでいた天皇一族


カトリック教徒になろうとした昭和天皇


「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)

昨年公開された『昭和天皇実録』は、あまり新事実がないという評判だったので興味がなかったのだが、本書を読んで驚いたのは、戦後に昭和天皇がカトリックに改宗しようと考えていた事実だ。1948年には次期ローマ法王とされていたスペルマン枢機卿と面会し、改宗について相談している(当時は単なる儀礼的訪問と発表された)。

これは天皇が「現人神」だとするとありえない話で、靖国神社もカトリック教会に改造しなければいけない。しかし天皇はそういう矛盾を気にかける様子もなく、「こういう戦争になったのは宗教心が足りなかったからだ」と述懐している。つまり彼も、国家神道なんて宗教とは思っていなかったわけだ。

これは退位問題ともからんでいた。天皇自身は退位したいと考えていたようだが、皇太子が未成年なので摂政を立てざるをえない。しかしそれはむずかしいので、天皇は改宗して国家神道を捨て、戦争責任に決着をつけようと考えたらしい。今でも日本の「保守派」には天皇制=国家神道=靖国神社と信じている人が多いが、天皇は信じていなかったのだ。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51969028.html


昭和天皇の発言記録(1946・4〜6)ホイットニー文書


昭和天皇 神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要する。


この文書は、昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が全編にわたり記された、「極秘」扱いの、英文三頁以上にわたるメモランダムである。

1946年4月から6月の間に、東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニーの私物として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に寄贈され、1978年に機密解除されている。


ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】

二、三週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。

日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。

徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、という論理のうえに築かれていた。かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。

この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。

日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。

それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。

しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。

政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。

以上のようなことから、私は今は日本人のもつ美点を述べている場合ではなく、むしろその欠点を考える時だと感じている。

私は、マッカーサー元帥と元帥の行っていることにたいへん大きな感銘を受けている。また、対日理事会におけるアメリカの態度にとても感謝し、それが安定効果を持つと感じている。

しかし、私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。日本の労働者は、物事を真似する事において、義務を等閑にして自分の権利を利己的に追求しやすく 、米国のストライキから有害な影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。

自分の治世に与えられた名前 ―昭和、啓発された平和― も今となっては皮肉なように思えるが、自分はその名称を保持することを望み、真に「煌く平和」の治世となるのを確実にするまでは、生き長らえたいと切に願っている。

私は鈴木(貫太郎)提督の被った損失に心を痛めている。鈴木は、降伏準備のための内閣を率いるよう私が命じたのであり、海軍の恩給ばかりでなく、それは理解できるにしても、文官としての恩給までも失った。

彼は侍従長を長く勤め、そして降伏準備の任務をよくこなした。彼の提督という階級と戦時の首相という地位が追放に該当するのは当然としても、彼は、皇室に仕えていた地位の恩給の受け取りも現在停止されている。私は、鈴木提督個人のためだけでなく、このような価値剥奪が日本人に理解されず、占領軍の利益にも日本自身の利益にもならない反米感情をつくり出すという理由から、不安を募らせている。
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
http://nueq.exblog.jp/20875307/

▲△▽▼

美智子さまは皇族を全員クリスチャンにさせる使命を与えられていた

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 2016年3月11日
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5

今回の記事は、何かあった時のために先の稿と共に、それぞれできる形で永久保存扱いにしておいたほうがよいかもしれません。

皇后陛下とGHQとの癒着の根っこが明らかになりました。

現代の日本における、あらゆる国家弱体化・破壊要素は全て、在日さえ含めてGHQ発です。皇后陛下はGHQ施策の極めて具体的な体現者です。


◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

↑ 国会で美智子さんの出自と、成婚の陰謀、そして皇太子(今上)の不出来ぶりが、厳しく追求された極めつけの史料です。

◆なんと、社会党が支援していた美智子さま

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1

◆皇后陛下は「アカ」でした

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c1d3f5e7a9593118391c92ad90752bac


かねてより、拙ブログでは正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室弱体化施策の一環であることを、推論として検証してきました。

また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために日清製粉と結びついたことも。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教をそのツールに使ったことは事実です。

そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、 愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。

他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との親交他。


20150203.館林の日清製粉ミュージアムと正田記念館内外部CX-535
https://www.youtube.com/watch?v=CA9Nht0Bo30


こちらに正田家と、GHQ派遣のアップルトン女史との密着ぶりが残っています。
女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。


当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。

正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから追放されていた時代です。

外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。

雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。因縁めくことには、お二方とも日本人の健康破壊に関与した第一第二水俣病に、つながっていらっしゃいます。現代では日清製粉の遺伝子組み換え小麦粉が、日本人の健康破壊。皇后は敗戦時から今まで、日本人の健康破壊者とご縁があります。


野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)

正田文右衛門は、正田醤油の創業者です。文右衛門も日本人としては相当に高身長。正田一族、それと母の冨美さんも当時としては図抜けた背の高さ、兄妹共に。ただ一人美智子さんだけが小柄。(当時の日本人としては、 平均ですが正田の中では、一人だけ極端に小さい)


日本本来のものである醤油から、小麦粉への新たな進出。
敗戦国から戦勝国アメリカへの擦り寄りが日清製粉です。

美智子様の入内直前に、国会でその入内ぶりの不可解な動きを追求されています。その一つが新平民、つまり部落出身ということの ほのめかしです。拙ブログではその点は断定していず、保留状態です。

ただ、正田家が新平民ではなくても、母方はどうでしょうね。
正田家が、部落と密着した存在であったことは事実。

美術館には正田家の、家系図まで麗々しく掲げられています。

1873 明治6年12月
・正田文右衛門(三代)醤油醸造創業 ※1

1891 明治24年7月
・帳簿組織を改め複式簿記を採用

1900 明治33年1月
・合名会社正田文右衛門商店設立

1908 明治41年10月
・正田式麦煎機特許取得

1910 明治43年2月
・正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社


この年譜で目を引くのは、「正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社」

「正田稲荷神社」とは?

これは稲荷神社ではなく、白山神社ではなかったかと思うのですが?

なぜ稲荷と書くのでしょう? 白山神社は、部落の人々の信仰対象でした。
(信仰者即穢多非人というわけではありません。)

「目車町」は、皇后を部落の出として書いた被差別部落出身作家の上原善広氏によれば非差別地区だということです。


⇒ 調べました


http://www.shoda.co.jp/knowledg/bunkazai.htm

正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。
また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。

そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。


【正田稲荷神社】
もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。

以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。

・・・・・・・・・・・・ここまで

画像二枚目の神社さんがネットでは「白山神社」として、認識されている祠だと思われますが、いったいなぜ稲荷が白山神社に変貌?

仮説が一つあるとすれば、目車という被差別部落にあった神社さんの移転なので、穢多非人という人たちに多く信仰されていた白山神社さんと勘違いされた?

念のため、白山神社さんの ご神体を調べましたがお狐さんではありません。

更に白山神社は全国に散らばっていますが、そこが全部被差別部落だということではありません。穢多非人の人たちだけの信仰対象でもありません、念のため。

由緒正しいお家柄なら、なぜわざわざ穢多非人村に越していらしたのか?
醤油製造に穢多非人を使った?

しかし「正田神社」と呼ばれるほどの厚き稲荷信仰のお家が、一族根こそぎカトリックに改宗?

何か不穏な気がするのは考えすぎでしょうか。

・・・・・・と書いて、ふと思い出したのですが・・・・


先入観を与えるといけないので、この画像を見て見える人だけどうぞ。
更にオカルト的な話が嫌な人や認めない人は、スルーして下さい。


皇后陛下に現れた数少ない・・・・・皇太子夫妻に比べると少ない・・・・
霊画像に、霊眼が多少ある人が見えるのは、



九尾の狐です。

誰でも視える形ではなく、視える人だけに限定で、むしろよかったです。
わかりやすいと、合成とか気のせいとか言われてうざったらしいので。
なぜ皇后に狐? と霊写真に気づいた時には不思議だったのですが、
お狐信仰のお家でしたか・・・・。
皇后に憑いた霊体の、九尾の狐は瞋恚(怒り)の形相ですが・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d4caf989f1ec33423082307330b824

とはいえ、BBの霊眼もさしてあてになるレベルではないので、視える知人に再チェックしていただいたら・・・


こんな感じで、美智子さまの背後にいるそう。BBはこんなに判然と視えるわけではありません。
帽子のデザインも、狐っぽいのは偶然でもないのかもしれません。

霊眼のある知人が更に示してくれたのは、皇后陛下の内面がこういうふうである、と。


一説に半島出自だとも言われる小和田家のように下賤なことはしない・・・・のが正田家だと長いこと言われてきましたが・・・・


もっと下品でした。

美智子さまのご両親様の胸像でございます・・・・


日清製粉会社の歴史を展示している「製粉ミユージアム」内に展示。何の事はない、皇后陛下を間接的にCMガールとして、日清製粉の宣伝ですね。

普通、妻の銅像まで置きませんが。日清製粉にとっては夫妻の娘が皇后陛下だってことで、莫大なメリットです。

こういうところからも商売人の娘は本来、忌避されたのでしょう。
小和田は小和田で、娘の入内を最大限に活用、外務省機密費流用疑惑は不問にされるし、とうとうハーグの判事にまで上り詰めました。

◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。

以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。

http://www.wikiwand.com/zh-yue/%E7%AC%AC25%E5%B1%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9C%BE%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B8%BD%E9%81%B8%E8%88%89

若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。
5期連続当選のベテラン議員が。


中央が平井義一氏。


1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。

国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。


1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 – 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより

国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。

没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか?

気色の悪い・・・・。⇒ コメント欄に・・・・ご存命だそうです。Wikiの「没年不明」記述はなぜに?

⇒更にコメ欄に。衆議院の広報課に訊いたら、平成19年9月6日にご逝去。

平井議員とは違う意味で、履歴の一部がすっぽり消されているのは、美智子さん入内に直接動いたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックです。

足跡はかなり詳しくWiki他にまとめがあるのに、部落布教のために群馬は館林に向かい、そこで布教していた事実だけ全部、過去から抜き取られ、なかったことになっています。

ご本人が著した書物まで焚書されたら、ジョセフ・フロジャック神父が美智子さんの父方祖母、正田きぬさんを一番目の布教者として、それから次々に正田一家をカトリックに改宗させたことも、 「なかったこと」にさせられるのかもしれません。

正田家とGHQの癒着、それにからんだ美智子さんの入内について発信し始めたのは、ひょっとして拙ブログが始発だったかもしれませんが(始発信は誰でもいいのですが)これまで推論の域を出なかったことが更に今回の記事で一歩進めたかもしれません。


朝鮮髪飾り ペッシテンギ


国連女子差別撤廃委が女性天皇を認めよ、そのために皇室典範改正をと、言ってきましたが、もともと現行の皇室典範も戦前のそれから様変わりしたのはGHQ関与だと思います。憲法をいじった彼らが皇室典範放置はないですね。

それまでは皇太子が不出来であったり人望が無かったり、ふさわしからぬ行為がった時は、長男であろうと排除、ふさわしい人物が天皇になっていました。

皇后も目論む女系天皇は論外ですが、どんなアホでも長男なら即位というのも、考えてみればGHQのやりそうなことです。当時の皇太子(今上)はさんざん、GHQによる恫喝と洗脳教育で自虐史観左翼に仕立てていたので、そのまま即位させないと、計画が成就しないわけです。


いまだ日本を敵国としてみなす「敵国条項」のある反日国連とその事務総長、潘基文と癒着している皇太子。そのさぼり妻は国連大学通学には熱心で、 個室が与えられたほど。またその父はGHQの意向に忠実で、要するに反日姿勢で出世階段を駆け上がっています。妹も国連関係。

池田 (小和田)礼子国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。

そして、売国の宮高円宮の長女と同じく、あの中抜き日本ユニセフに母親と妹が関与。小和田は真っ黒。反日一家です。出自はほぼ間違いなく半島。

そして国連といえば美智子皇后の盟友、ブサヨフェミの緒方貞子。

皇后の、女性宮家の創設で皇后の助っ人をし、一方ですでに在日という難民に苦しめられている日本に、更に難民受け入れを迫る左翼女がいます。

皇后陛下が主張なさり、天皇陛下がそれに追随なさっている「皇太子の系譜の女性天皇」を立てたら、皇統に朝鮮人の血が入り込みます。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5


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“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係? 2014.10.30
https://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html?page=1

米国へホームステイに出発する佳子さま(2013年8月) (写真:読売新聞社代表撮影) (c)朝日新聞社 

 秋篠宮家の次女、佳子さま(19)が学習院大学を辞め、AO入試に挑んだことで話題の国際基督教大学(ICU)。結果はまだ公表されていないが、迎えるためにはやはり大学側も、入念に準備するのだろう。

 ところでなぜ、佳子さまと眞子さまの姉妹は、キリスト教精神に基づく大学を選んだのか。天皇は天照大神の子孫とされ、一切の神儀祭事は神道にのっとって実施されている。だが、皇室とキリスト教の関係を調べると、公開されたばかりの「昭和天皇実録」に興味深い記述がいくつか見受けられる。

 まずクリスマスにプレゼントを贈る習慣は、1904年の日露戦争のころにすでに皇室にあった。戦後、A級戦犯が処刑された1948年ごろには、昭和天皇は多くのキリスト教徒と接し、定期的に聖書の講義も受けていたと記されている。

 また、実録ではこんなエピソードを伝えている。皇太子(いまの天皇陛下)が結婚する際、皇太子妃(美智子さま)がミッション系の聖心女子大出身だったことから、「ある皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響」と聞いた昭和天皇が美智子さまに「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したというのだ。実はこれらは当時の雑誌が書き立てた噂話で、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと実録は記している。

 京都産業大学の所功名誉教授(日本法制文化史)が解説する。

「皇室とキリスト教の関係を、狭い宗教の観点から考えると事実を読み違えるでしょう。明治以降、欧米からさまざまなことを学びながら近代化してきた中で、キリスト教もひとつの西洋文化として、柔軟に受け入れてきたのです」

 その流れは現代まで脈々と続き、眞子さまと佳子さまがICUを目指すことになったのは、何の不思議もないことなのだ。そんな歴史と伝統を受け継ぎながら、学習院という皇室の「殻」を破った佳子さまの新たな青春のスタートが待たれる。

※週刊朝日  2014年11月7日号より抜粋
https://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html?page=1



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] <東京新聞が一面トップで書いた!>辺野古阻止の起死回生策はこれだ!  天木直人  赤かぶ
32. 2018年12月18日 16:48:23 : 32gaobLF6I : n57cn6vWo0E[682]
●民主主義の新しい一つの形。安部那津男・自公私物化政権のパワハラ阻止!

『「みんなで沖縄をまもろう!」 ローラがインスタで呼びかけた理由』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181218-00010000-bfj-soci

★ 祝:遂に10万筆超え達成 → 米政府動く ヽ(^o^)丿

『ホワイトハウスに「辺野古埋め立て」の停止求める署名10万筆超え 米政府が対応検討へ』
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/henoko-shomei

これが新しい民主主義の一つの形となるでしょう。

30万筆、50万筆となっていければ、沖縄を安部那津男・自公私物化政権のパワハラから守れる。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/142.html#c32

コメント [経世済民130] ファーウェイめぐり勃発した米中IT覇権争いは「対岸の火事」ではない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
3. 2018年12月18日 16:52:55 : LiAK8mOVpk : JfLzxe_9T5I[903]
米国は追いつかれた中国に対し、走路妨害をして追い越しを阻んでいるが、既に勝負は有るのではないか。

場合によっては、中国に追い抜かれた米国が後ろから待て待て追い抜くなーと叫んでいるようにも見える。

ファーウェイを排除したところで米国には其れに対応する技術は持ち合わせていないだろうし、たとえ準備できたとしてもコストで負ければ勝負ありになるのではないか、米国やその仲間を置いてけぼりにして中国とその仲間でどんどん走り去って行くのではないか。
あれだけ日本車を叩いておきながらアメ車はそれを挽回できなかった。
F35が無能なのはイスラエルが証明しているし。
米国の兵器もアホな国しか買わないようだし。
これは米国の断末魔の叫び?
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/153.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
33. ボケ老人[158] g3uDUJhWkGw 2018年12月18日 16:54:00 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2740]
>31.RWBZZ9vTHKk

変動IDの陰に隠れてしか書き込むことのできないアホウが何か囀っているようだ。
変動IDが悪いと言っているのではない。その陰に隠れてしかものの言えない情けない奴だから嘲られるのだヨ

悪口雑言以外にまともなコメはできないのか。
唯一
【5のお前に対する感想は、極めて正常かつ健全な精神と教養のもとで述べられている。】
ぐらいが日本語としての関の山か
ところが、お前のようなバカは

>5.:そういう意識も、戦後、CIAなどが日本人に植え付けたものと思えませんか?

これが何を指しているのかもわからないのだろう。
ネトウヨの間でしか通用しないWGIPを指しているのだよ。
マッカーサーの民主化指令が冷戦勃発とともに挫折したことも分からずして
WGIPを唱える馬鹿。お前のことだヨ
改憲を押し付けられていることには目を瞑る
根性なしの情けない奴なんだよ、お前らは

>31.:お前の国体の独自見解は、ウィキですら要出典マーク付けられる程度の妄想だな。

偉そうに、妄想だというのなら、お前の情けない頭で絞り出した国体論を提示してみろよ。
もう一つ
wikiの見方を教えてやるネ
出典が存在すればどんなトンデモナイ事跡でも無批判に載せるのがwikiだ
査読システムとは大きく異なるからよく覚えておくんだヨ

お説教はこれぐらいでよいかな(笑)
スマンスマン査読システムなんて高尚なことがお前に分かるはずないことを忘れていた。
     
   
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c33

コメント [カルト20] 宗教詐欺に二つの意味あり、泥棒が罪悪感を払拭する、我々に自分が奴隷だと思わせる、この二つである。 ポスト米英時代
5. 2018年12月18日 16:55:39 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4583]
★ 御意を煮詰めれば大きいことは悪いことと言ってもよく昔のCMの逆が真実で何でそんなに大きくする必要があるのかと言えば結局は欲であり支配欲ですからジジイの欲に限りがないということでホント迷惑な話デス   しかしジジイが縄張りをどんなに大きくしようと宇宙大の各自の意識の大きさには比べようもなくスグにそのことに気づかされるのにアホとツイ  

★ いやジジイらが次元移行しても同じ周波数の価値観では展開する世界も今の様子と似たようなモンであり本当の豊かさだの喜びだのには程遠く石コロを宝石のように汗だくになって集め抱え込みオメーラに渡してタマルカ、などと時代劇の盗賊のカシラみたいに絶叫し、あ//てかアンタそろそろ時代劇再放送始まるんじゃネエノ;蛭子の鬼平半カ丁
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/146.html#c5

コメント [カルト20] ダマスゴミ・仏デモ半減、偽イスラムテロサックスが原因、しかしイエベ運動は何人も否定できないのである。 ポスト米英時代
4. 2018年12月18日 16:55:54 : JIY1sdNlGo : co7U_wqZ@s0[122]
どこの国でもどんな社会でも選挙の結果だけで権力者が権力を手放したことはない。同じく個人の権利では個人が立ち上がり街頭での活動なしに個人が人権を手にしたことはない。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/142.html#c4
コメント [原発・フッ素50] 日立、英原発計画を凍結へ 安倍政権輸出案件、全て暗礁に  赤かぶ
49. 2018年12月18日 17:00:31 : 1C2TkCRDiw : BEWEEtlamL0[71]
3つぐらいの用件だろう

1つは新しい会計になるので今までの信用会計で変な借金しないで通貨出せるので馬鹿らしい

1つはルネッサンスも日立化成とも分社化などで分かれて計画破産で銭は調達した

1つは日立を狙っていたクズ企業や国家が頭と胴体切断し知的財産を完全別会社で外注扱いで移転登記などしているので日立を潰してもお宝は取れない馬鹿らしいのでバイバイと逃げた

この何れか又は全部ヒットか
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/666.html#c49

コメント [政治・選挙・NHK255] <東京新聞が一面トップで書いた!>辺野古阻止の起死回生策はこれだ!  天木直人  赤かぶ
33. 2018年12月18日 17:03:45 : 3WeQLyRQrU : QMRayp5x@3k[116]
署名しました。
沖縄の問題ですが、日本全体の問題でもあります。フランス国民がマクロンを驚かせたように、トランプ&アホベを驚かせましょう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/142.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK255] マスコミと政府の大嘘がまたバレた!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
13. 2018年12月18日 17:04:27 : QF1DZXV1o6 : wYJ4Jd7sEC8[2]
肉屋のゴミ箱に群がる豚
無残な仲間をほおばる
こんな肉屋も豚もいりません

天罰を


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/161.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査と称するプロパガンダ報道を止めろ。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
5. 2018年12月18日 17:04:49 : 3WeQLyRQrU : QMRayp5x@3k[117]
世論調査せなく、世論操作を行っている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/155.html#c5
コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
3. 中川隆[-13749] koaQ7Jey 2018年12月18日 17:09:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]
皇室の人の大部分がクリスチャンです。


皇后陛下がクリスチャンであることは有名

ですが・・それだけでなく・・・。

天皇皇后両陛下をはじめ皇族の大部分。

皇室職員の大部分。

・・・がクリスチャンであることは公然の

秘密です。


皇后陛下および宮妃(宮家の奥様)は全員

クリスチャンです。


・皇后陛下・・(旧姓)正田美智子さま

 カトリックの名門正田家(日清製粉)

 から。


・常陸宮妃・・(同)津軽華子さま

 青森の津軽家(旧大名)から。

 津軽家の藩校は現在ミッションスクール (東奥義塾・・プロテスタント)。


・三笠宮妃・・(同)麻生信子さま

 九州のカトリックの名門麻生家から

 麻生セメント。


・高円宮妃・・(同)鳥取久子さま

 四国の鳥取家から。

 おそらく聖公会だとおもいます。


歴代侍従長の多くはクリスチャン。

現職女官長井上和子氏など皇室職員の大部

分がクリスチャン・・・・。


個人名は多すぎて書ききれません。


参考のサイトは上記以外多数あります。


 


http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/

日本キリスト教女性史


津田梅子・・津田塾大学創始者

市川房枝・・国会議員、婦人運動家

・・・・・

・・などなど・・非常に多数。


http://www.yahoo.co.jp/

Yahoo! JAPAN


URLはダミー
http://q.hatena.ne.jp/1138821235
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
34. 2018年12月18日 17:10:36 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3211]

>>30
日本には=政党法が無いからだよ^^

政党の定義が(無い)←この瞬間=与党・野党の概念は=日本に存在しない^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
35. 2018年12月18日 17:12:21 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3210]

すなわち=国政調査権に関する=国会の権限とは^^

議員個人に=帰する^^

当たり前の=話である^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
36. 2018年12月18日 17:14:12 : qiLka6GYLU : RWBZZ9vTHKk[5]
ボケ老ぼーや、顔がサルのおけつくらい赤くなってるよ。
自分の知ってることを精一杯吐き出してるようだけど、本で読んだ又は人から聞いたってことばかりで自分で考えた結果と思えるものがないな。
お前の恥でかつ個性は、何を忠告されてもはねのける勢いかな。かわいそうにな。一生なおらない、一生大切なことがわからないまま、死んでいくんだぁ。

ま、本人は気がつかないから、お気楽を続けて、過ごせるというもんだがな。

お前が言うまともな日本語とは人真似をさも自分の考えのように言い散らかすこと、これって三才児の発育過程だね、ボケ老ぼーや?!
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c36

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
37. 2018年12月18日 17:16:05 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3209]

両院が=それぞれ取りまとめるとは^^

国会対策でも=そうだが^^

点でに、個人々が同じ国政調査を行う事で^^

調査の重複を=来さない様に^^

両院で=それぞれ同種の調査について、整理して1つの事案に対して1つの調査とする←こう読まれねばならない^^

当然、同じ質問であっても=衆院と参院では、それぞれ可能ということである^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c37

コメント [政治・選挙・NHK255] <東京新聞が一面トップで書いた!>辺野古阻止の起死回生策はこれだ!  天木直人  赤かぶ
34. 2018年12月18日 17:17:42 : 32gaobLF6I : n57cn6vWo0E[683]
●日本人もできるじゃないか。この勢いを「国民の生活が第一」の新政権樹立へ!

奴隷社会化に反対するフランスやベルギーの大規模デモと比べて、日本人はおとなしいといわれるけれど、道具や方法さえ整えば日本人だってやれるではないですか。

考えて見れば、自民党から民主党に政権を移行させたのも国民の力だったわけだが、国民は自分達の力を、最近の野党の体たらくで忘れてしまっていただけだ。

日本人は、デモはやや苦手、ましてテロなんてできない。

穏やかな手段で民意が反映できる仕組み(システム)さえ用意できれば、そして事実に基づく情報さえ共有できれば、日本を動かせるということだ。

これを成功させ、更に安部那津男・自公私物化政権を引きずり降ろし、「国民の生活を第一」にする新政権を打ち立てましょう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/142.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
38. 2018年12月18日 17:18:10 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3217]

情報の開示請求は=個人であっても行政に請求できる^^

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/jyohokokai/kaiji.html

↑それなのに^^

国会議員は=衆参両委員会で拒否されたら=情報の開示請求は出来なくなるとか^^

常識で=あるわけがない^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c38

コメント [政治・選挙・NHK255] <この記事は国民必読である!>安倍首相の防衛政策は「張り子の虎」だと書いた読売新聞  天木直人  赤かぶ
4. 2018年12月18日 17:19:29 : LyK2zzmIoY : 0CqMvo0bSOw[3]
張り子の虎でいいのさ
天下り出向が目的だから。

水利権売り払い、経済制裁で即破綻

原発吹っ飛べば戦う暇もなし

サイバーウォーの時代に兵器買ってる時代錯誤

マイナンバーを中国企業に任せて漏洩する間抜け

腐ったものは数在れど守ったものなど何もない

不良品売り歩くアホウドリ


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/185.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
39. 2018年12月18日 17:20:32 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3216]

これは=野党が=国政調査を蔑ろにするための=方便であり^^

国会議員には=行政機関、および、独立行政法人への立ち入り調査権限が=明確に存在する^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
40. 2018年12月18日 17:21:53 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3215]

国会議員を含む^^

公務員の=立ち入る調査権が(無い)のは^^

民間事業者とか、個人に対する=情報開示請求である^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c40

コメント [カルト20] 宗教詐欺に二つの意味あり、泥棒が罪悪感を払拭する、我々に自分が奴隷だと思わせる、この二つである。 ポスト米英時代
6. 2018年12月18日 17:25:38 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[938]
悪徳宗教で花瓶に30万とか買わされると、かってあった。寺の柱に100万円寄付しても、だまされたとは言わない、悪徳宗教を擁護するつもりはないが、どちらも同じようなものだ。要は個人の価値観の問題だ。価値観をグローバル化しようとしているのがロスチャ一派だ、今の日本の政府も同じ、川崎の金太郎飴は懐かしいが、金太郎飴にはなりたくない、今日この頃である。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/146.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
41. 2018年12月18日 17:25:59 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3214]

どこの世界に^^

個人に存在する=情報開示請求が^^

国会議員には=両院によって拒否可能←などという解釈が出るのか?^^

これぞ^^

野党の=債務放棄の動かぬ証拠だ^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c41

コメント [経世済民130] 年金は破たんする!のウソ 公的年金は赤字ではない(wezzy ) 赤かぶ
14. 2018年12月18日 17:28:02 : LyK2zzmIoY : 0CqMvo0bSOw[4]
これまでに680兆円集めたのに、残っているのは180兆円の積立不足!

だから賦課方式にしたんだ。正直ではなく首が回らなくなってな。

使ったもんだな厚労省役人!
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/126.html#c14

コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
4. 中川隆[-13748] koaQ7Jey 2018年12月18日 17:28:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

皇室一家の宗教に関して気になる噂がある。なんと、天皇陛下と皇后陛下はキリスト教信者であるらしい。

それなのに皇室の神事を執り行っているという。しかも、ローマ法王はこの件を許可してるという。また、皇太子と雅子様も自らの宗教を明らかにしていないが、噂ではキリスト教という話だ。

皇太子はかねてから国事である行事を変えたいと言っている。神事をやりたくないのだろう。日本の皇室なのに、すっかりキリスト教にのっとられてしまったようだ。
http://homepage3.nifty.com/nonu/g02koe.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
42. 2018年12月18日 17:29:22 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3213]

野党の=ご飯論法を=行使しての^^

官僚の不正隠蔽に対する=幇助は目に余る^^

共同正犯だ^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK255] 池上さん、北方領土「2島先行返還を軸に」ってどういう意味ですか? 安倍政権は「4島返還」を断念したのです。  赤かぶ
1. 2018年12月18日 17:34:32 : 1hFwhl5XF6 : A44FqszPm3Y[948]
 ロシア極東開発を統括するトルトネフ副首相は10日、北方領土問題について「プーチン大統領と安倍晋三首相は、島の引き渡しについて一度も議論していない。協議しているのは、共同経済活動についてだ」と述べた。タス通信が同日報じた。

安倍壷は、何もしていない。
事実はわからないのに、池上彰のNHK流講釈は上手いね。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/186.html#c1

コメント [原発・フッ素50] ”破滅”の二字しかない見るも無残な日本の原発の海外売り込み政策(そりゃおかしいぜ第三章) :政治板リンク 赤かぶ
2. 2018年12月18日 17:35:02 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10094]
原発固執の政権ノー
.
日本共産党
2018/12/18 に公開
2018.12.14 国会正門前で藤野保史衆院議員がスピーチ 
「318回再稼働反対!首相官邸前抗議」主催/首都圏反原発連合
https://www.youtube.com/watch?v=j_Fb5HZP_h4
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/659.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 実は辺野古反対派 昭恵夫人「海を守りたい」思いはどこへ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[2216] kNSCqYLU 2018年12月18日 17:35:57 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[682]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/181.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 池上さん、北方領土「2島先行返還を軸に」ってどういう意味ですか? 安倍政権は「4島返還」を断念したのです。  赤かぶ
2. 2018年12月18日 17:36:48 : 1RFEkLSxKM : GDNH4KJh0Mc[4443]
島の交渉すらしていないと
はっきり言え 池上
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/186.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] にっちもさっちもいかなくなった安倍政権の原発輸出!   赤かぶ
18. 地下爺[3980] km6Jupbq 2018年12月18日 17:37:25 : GYcRPWoePg : qQ1l3M7sSRs[409]
10さま


>私が注目するのは岸信介と並び3スケというのがいまして、
 鮎川義介(ぎすけ)・日産コンチェルンの総帥、久原房之助(くはらふさのすけ)・
 日立グループの総帥、松岡洋右・戦前の外務大臣。まだいくらでも います。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 共産党の書記長であった実力bPの宮本賢治、マルクス主義を世に広めた
 京大教授の河上肇、法律界の大御所といわれた岩田宙造、戦後最後の
 内務相の憲兵を組織して『日本のいちばん長い日』を演出した内務相トップの
 安部源基。こういうのが一度に溢れ出るように、田布施の町の周辺から登
 場するわけです。

   ※鬼塚英昭氏が語る【田布施マフィア】【田布施支配】とは何か? 引用
     http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=315585


 というわけで日立はグラバー商会の息のかかった金・銀・炭坑などの採掘業が

 その起源です。そこから 田布施財閥 と呼びましたが いいすぎましたか?!


    
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/133.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK255] 実は辺野古反対派 昭恵夫人「海を守りたい」思いはどこへ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[2217] kNSCqYLU 2018年12月18日 17:38:43 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[683]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/181.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK254] 大規模デモで政府に直接訴えるフランスとおとなしい日本 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
33. 2018年12月18日 17:39:53 : imf801LpCA : KNUNKvDsBfI[436]
>32
サルの仲間はやっぱりウキャウキャ笑うのか?
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/912.html#c33
コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
5. 中川隆[-13747] koaQ7Jey 2018年12月18日 17:41:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

戦前の天皇一族は JPモルガンと、戦後はロックフェラー家と大の仲良し


天皇家と国際金融資本との関係

日本にもアメリカ軍の恒久的な軍事基地がいくつもあるが、これは中国やロシアを締め上げるための出撃基地。明治時代から日本はダーイッシュと同じように、アングロ-シオニストの傭兵として扱われてきた。

例外はアメリカでウォール街と対立していたニューディール派がホワイトハウスの主導権を握っていた期間だけだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709250000/

2017.08.26
94年前の9月1日に起こった関東大震災は虐殺事件を引き起こし、日本をJPモルガンの属国にした

8月も終わり、9月を迎えようとしている。

1923年9月1日、日本にとって大きな節目になる出来事が起こった。相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲い、10万5000名以上の死者/行方不明者を出し、その損害総額は55億から100億円に達したのだ。

震災対策の責任者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビ、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監だった。震災当日の夕方、赤池総監は東京衛戍(えいじゅ)司令官の森山守成近衛師団長に軍隊の出動を要請、罷災地一帯に戒厳令を布くべきだと水野内相に進言しているが、その頃、「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、翌日の夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電した。

そうした中、朝鮮人や社会主義者が虐殺され、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われて殺されそうになる。伊藤圀夫はその後「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、千田是也と名乗るようになった。アナーキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺されたのもこの時だ。この虐殺には治安当局が関係している疑いがあり、その意味でもこの時の犠牲者を追悼するという姿勢を東京都知事は見せてきた。それを止めるという意味は対外的にも重い。

震災後、山本権兵衛内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だった。

震災手形で日銀の損失が1億円を超えた場合は政府が補償することも決められたが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だ。

復興に必要な資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモントだ。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。

1932年にはアメリカでも大きな出来事が引き起こされている。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破ったのだ。

フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

このフーバーは1932年、駐日大使としてジョセフ・グルーを選び、日本へ送り込んだ。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーが結婚していたアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后である。

グルーの皇室人脈をそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

そうした人脈を持つグルーだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

当時、アメリカの大統領就任式は3月に行われていた。その前、2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミで開かれた集会で狙撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、ルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に弾丸が命中して市長は死亡した。

群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外した可能性があり、本来なら事件の背景を徹底的に調査する必要があるのだが、真相は明らかにされなかった。ザンガラは3月20日に処刑されてしまったのである。

そして1934年、名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、海兵隊のスメドレー・バトラー退役少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」でウォール街の大物たちによるクーデター計画を明らかにしている。少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチは、クーデター派が「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。

バトラーに接触してきた人物はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領を健康問題で攻撃し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して大統領をすげ替えることにしていたという。クーデター計画と並行する形で、ニューディール政策に反対する民主党の議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だった。

それに対し、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら自分は50万人以上を動かして対抗するとバトラーは応じた。内戦を覚悟するように警告したわけだ。そうしたこともあり、クーデターは実行されていない。クーデターを計画したとされた人々は誤解だと弁明、非米活動特別委員会はそれ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。捜査当局も動かなかった。

言うまでもなくジョセフ・グルーは第2次世界大戦後にジャパンロビーの中心的な存在となり、日本で進んでいた民主化の流れを断ち切り、天皇制官僚国家を継続させている。大戦前、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈は戦後も生き残った。これが「戦後レジーム」の実態であり、「戦前レジーム」とはウォール街の属国になることを意味している。そうした意味で、安倍晋三の言動は矛盾していない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708260000/


2017.10.21
選挙だけで国の行く末を変えることはできず、事態が悪化してきたことを過去の出来事は教えている

投票日が近づいているが、選挙だけで国の行く末を決められるとは言えない。「自由と民主主義の国」だと宣伝されているアメリカでは事実上、選択肢は民主党と共和党という大差のない政党だけ。この2党に属さない大統領が誕生する可能性があったのは2000年の選挙だが、このときは最有力候補と言われていたジョン・F・ケネディ・ジュニアが1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。

より露骨な形で排除されそうになったり、排除された大統領も存在する。例えば、ウォール街と対立関係にあったニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の選挙で大統領に選ばれると、33年から34年にかけてウォール街の大物たちはクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言、記録に残っている。金融資本、巨大鉄鋼会社、情報機関や軍の好戦派、イスラエルなど少なからぬ敵がいたジョン・F・ケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。

日本の場合、明治維新からイギリスやアメリカの強い影響下にある。アメリカの巨大金融機関JPモルガンが日本に君臨するようにあったのは関東大震災から。1932年にはウォール街の影響下にあったハーバート・フーバー大統領がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーを大使として日本へ送り込んできた。

このグルーが結婚したアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで九条節子、後の貞明皇后と親しくなったと言われている。

グルーは松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)のだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、その翌年6月に離日する直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

言うまでもなく、岸信介の孫が安倍晋三。安倍は「戦前レジーム」を復活させたいようだが、その体制とはウォール街に支配された天皇制官僚国家だ。ニューディール派が実権を握った期間だけ、この構図が崩れた。

第2次世界大戦後の日本を形作る司令塔的な役割を果たしたグループが存在する。ジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物がジョセフ・グルー。アメリカのハリー・トルーマン政権ががあわてて作った現行憲法の第1条は天皇制存続の宣言で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。「神聖にして侵すべからざる存在」から「象徴」へタグは取り替えられたものの、その本質に根本的な変化はなかった。

日本が降伏した直後はアメリカの影響力が圧倒的に強かったが、時間を経るに従って日本の戦争責任を追及するであろう国の影響が強まってくることが予想された。当然、天皇の戦争責任が問われることになる。その前に「禊ぎ」を済ませる必要がある。日本国憲法にしろ、東京裁判にしろ、「天皇制」の存続が重要な目的だったのだろう。

比較的日本に寛容だったと思われるアメリカ軍の内部にも厳しい意見はあった。そのターゲットのひとつが靖国神社。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していた。それをブルーノ・ビッテル(ビッター)の働きかけで阻止したというのだ。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

このビッターはカトリックの聖職者で、ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされている。ジョバンニ・モンティニ(後のローマ教皇パウロ六世)を除くと、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ最も重要な人物。ビッターもCIAにつながっている可能性は高い。

1953年秋にリチャード・ニクソン副大統領が来日、バンク・オブ・アメリカ東京支店のA・ムーア副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」と伝えられている。この席にビッターもいたという。ドワイト・アイゼンハワー大統領がニクソンを副大統領に選んだ理由は、ニクソンが闇資金を動かしていたからだと言われている。

そのビッターはニクソンと会談した2カ月後、霊友会の闇ドル事件にからんで逮捕されてしまう。外遊した同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だったが、ビッターが逮捕されたときに押収された書類はふたりのアメリカ人が警視庁から持ち去り、闇ドルに関する捜査は打ち切りになってしまう。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。

日本では天皇制官僚国家という型を壊すことは許されない。「左翼」とか「リベラル」というタグをつけていても、この型から抜け出さなければ許される。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710200000/

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2017.11.08
祖父の岸信介の真似をしたのか安倍首相はトランプ米大統領とゴルフをしたが、岸はウォール街一派

安倍晋三首相とドナルド・トランプ米大統領は11月5日、プロゴルファーの松山英樹を引き連れて越谷市のゴルフ場でプレーしたようだ。

安倍首相が敬愛しているという祖父の岸信介もゴルフが好きだったようで、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃した翌年の1942年に岸は駐日大使だったジョセフ・グルーをゴルフに誘い、敗戦後の57年に首相としてアメリカを訪問した際にはドワイト・アイゼンハワー大統領、通訳の松本滝蔵、そしてプレスコット・ブッシュ上院議員とゴルフをしている。言うまでもなく、プレスコットはジョージ・H・W・ブッシュの父親、ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたる。

本ブログでは何度も書いてきたが、グルーは1932年、ハーバート・フーバー大統領が任期最後の年に大使として日本へ送り込んでいる。グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、グルー本人はモルガン人脈の中核グループにいたと言えるだろう。その人脈の中心には巨大金融機関のJPモルガンがあり、この金融機関は1923年にあった関東大震災の復興資金を調達したことから日本に大きな影響を及ぼすようになった。

また、グルーの妻であるアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代には日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そのときに親しくなった友人のひとりが九条節子、後の貞明皇后(大正天皇の妻)だという。

グルーを日本へ送り込んだフーバーはスタンフォード大学を卒業してから鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系の鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に見込まれて出世、大統領になった人物だ。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

1932年の大統領選挙でもJPモルガンをはじめとするウォール街の住人はフーバーを支援していたが、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。このグループは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大するという政策を打ち出し、植民地やファシズムにも反対していた。ウォール街とは対立関係にある人物が大統領に選ばれたわけである。そこで日米従属関係が揺らぐ。

その当時、大統領就任式は3月に行われていたが、その前の月にルーズベルトはマイアミで銃撃事件に巻き込まれている。大統領に就任した後にはウォール街のクーデター計画が待ち受けていた。

ウォール街のクーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に注目し、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」を研究、改憲して別の政府を設立するわけでなく、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の仕事を引き継ぐというシナリオだったという。クーデターを成功させるため、ウォール街の勢力は名誉勲章を2度授与され、人望が厚かった海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込みにかかるのだが、失敗してしまう。

計画に反発した少将はクーデター計画をジャーナリストのポール・フレンチに話し、そのフレンチは1934年9月にクーデター派を取材している。その時、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があると聞かされたと語っている。

それに対し、バトラー少将はクーデター派に対し、「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」と宣言、内戦を覚悟するように伝えている。(“Statement of Congressional Committee on Un-American Activities, Made by John W. McCormack, Chairman, and Samuel Dickstein, Vice Chairman, Sitting asa Subcommittee” / ”Investigation of Nazi Propaganda Activities and Investigation of Certain Other Propaganda Activities,” Public Hearings, Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, December 29, 1934)

その際、クーデター派は新聞を使い、「大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。そうすれば、彼を見て愚かなアメリカ人民はすぐに信じ込むに違いない。」とも話していたとしている。ルーズベルトは1945年4月、ドイツが降伏する直前に急死してウォール街がホワイトハウスで主導権を奪還した。その際、ルーズベルト大統領には健康に問題があったと宣伝された。

こうしたアメリカの権力バランスの変化は日本の占領政策にも影響、「逆コース」が推進される。その中心で活動していたのが1948年6月に設立されたACJ(アメリカ対日協議会)、いわゆるジャパン・ロビーである。そのACJの中心的な存在だったのがジョセフ・グルーにほかならない。

ACJはウォール街が創設した破壊工作(テロ)機関のOPCとも人脈が重なっているが、そのOPCはアレン・ダレスの腹心だったフランク・ウィズナーが率いていた。ちなみに、ふたりともウォール街の弁護士だ。

OPCの東アジアにおける拠点は上海に設置されたが、49年1月に解放軍が北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立するという展開になったことから日本へ移動している。日本では6カ所に拠点を作ったが、その中心は厚木基地に置かれた。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998)その1949年に日本では国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。つまり、7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。そして1950年6月に朝鮮半島で戦争が勃発する。朝鮮戦争だ。

この戦争でアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)は63万5000トンの爆弾を投下したと言われている。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トンであり、その凄まじさがわかるだろう。1948年から57年までSACの司令官を務め、日本での空爆も指揮しいたカーティス・ルメイは朝鮮戦争の3年間で人口の20%を殺したと認めている。

その後、ルメイやアレン・ダレスを含むアメリカの好戦派はロシアに対する先制核攻撃を計画、1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると​、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201711080000/

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76年前の日本軍による真珠湾攻撃の原因を米国の制裁に求めるなら朝鮮に対する制裁も反対すべき

今から76年前、1941年12月7日の午前7時48分(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。ここは海岸が遠浅で攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。非常識とまでは言えないだろうが、攻撃のリスクは高い。それを厳しい訓練でクリアしたということだ。

アメリカ政府の対日制裁でやむなく攻撃した、あるいはアメリカ側は事前に攻撃を知っていたと主張する人がいるが、日本軍は実際に攻撃している。つまりアメリカによる偽旗作戦ではない。

日本に対する制裁には歴史的な背景がある。1872年の琉球併合から74年の台湾派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を本格化、米英の利権と衝突して対日制裁になるわけだ。こうした制裁が軍事行動を誘発すると考えている人は、例えば朝鮮に対する制裁にも反対しているのだろう。そうでなければ矛盾だ。あるいは朝鮮に圧力を加え、戦争を誘発したいと考えているのだろうか?

明治維新から1932年までの日本はイギリスとアメリカというアングロ・サクソン系の国に従属、その手先として動いた側面がある。明治維新はイギリスの思惑と違って内戦が早い段階で終結、徳川時代の人脈が生きていたので完全な属国にはならなかったが、大きな影響下に置かれたことは間違いない。

ここでいうアメリカとはウォール街を意味する。1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震、つまり関東大震災が発生、復興に必要な資金を調達するために日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガンだ。

この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモント。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

この政権が進めた政策はレッセ-フェール、つまり新自由主義的なもので、その責任者で「適者生存」を信じるある井上は失業対策に消極的。その結果、貧富の差を拡大させて街には失業者が溢れて労働争議を激化させ、農村では娘が売られると行った事態になった。一般民衆に耐え難い痛みをもたらすことになったわけだ。

当然のことながら、アメリカでもJPモルガンを中心とするウォール街の住人は強い影響力を持ち、1929年に大統領となったハーバート・フーバーもそのひとり。フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

ところが、1932年の大統領選挙でフーバーは負けてしまう。当選したのは巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。大きな力を持っていたとはいえ、今に比べるとアメリカ支配層の力はまだ小さく、選挙で主導権を奪われることもありえた。

このフーバーはホワイトハウスを去る少し前、1932年にJPモルガンと関係の深いジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。なお、この年に井上準之助は血盟団のメンバーに暗殺されている。

グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻で、グルーが結婚していたアリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后だという。

グルーの皇室人脈はそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

こうした人脈を持つグルーが日本軍の動向に関する機密情報を入手していても不思議ではないが、このグルーとルーズベルト大統領との関係が良好だったとは言えない。情報がきちんと伝えられていたかどうか疑問があるが、JPモルガンへは詳しく伝達されていただろう。

グルーが大使として日本へ来る前年、1931年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こした。この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だ。1932年には「満州国」の樹立を宣言するのだが、この年にアメリカでは風向きが変わっていた。本来なら日本はその変化に対応する必要があったのだが、そのまま進む。そして1937年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしたのだ。そして1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こし、惨敗した。

本ブログで何度か指摘したように、このソ連侵攻作戦はアングロ・サクソンの長期戦略に合致している。その作戦が失敗したことから南へ向かい、米英の利権と衝突するわけだ。ドイツ軍がソ連に対する大規模な軍事侵攻、いわゆるバルバロッサ作戦を開始したのはその2年後、1941年6月のことだ。

この作戦でドイツは軍の主力を投入したが、ドイツ軍の首脳は西部戦線防衛のために大軍を配備するべきだと主張、反対している。日本が真珠湾を攻撃する前で、アメリカは参戦していないが、それでもイギリスがその気になれば、西側からドイツを容易に攻略することができるからだ。この反対意見を退けたのはアドルフ・ヒトラー。この非常識な「判断」との関連で注目されているのがヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスの動きだということも本ブログでも指摘した。1941年5月10日にヘスは単身飛行機でスコットランドへ飛んでいるのだ。

ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まった。ここまではドイツ軍が圧倒的に優勢だったが、1942年11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲して43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。主力を失ったドイツ軍の敗北はこの時点で決定的だ。

その4カ月後、1943年5月に米英両国はワシントンDCで会談して善後策を協議、7月にアメリカ軍はイギリス軍と共にシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。このとき、アメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏した。ハリウッド映画で有名になったオーバーロード(ノルマンディー上陸)作戦は1944年6月になってからのことである。ノルマンディー上陸作戦の結果、ドイツ軍が負けたと思い込んでいる人も少なくないようだが、これはハリウッドによる洗脳の効果を証明している。

その一方、スターリングラードでドイツ軍が壊滅した後にアレン・ダレスなどアメリカ支配層はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部たちと接触を始めている。例えば、1942年の冬にナチ親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探るために密使をOSSのダレスの下へ派遣、ドイツ降伏が目前に迫った45年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だった親衛隊の高官、カール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)イタリアとスイスとの国境近くでウルフがパルチザンに拘束された際にはダレスが部下を派遣して救出している。(Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

ドイツは1945年5月に降伏しているが、その前の月にルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還した。副大統領から昇格したハリー・トルーマンはルーズベルトとの関係が希薄。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりとして知られている。
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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)


 本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。


 その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。


 バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。


 バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。


 クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。


 1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。


 一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。


 1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/


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米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)

 明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。


 その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。


 しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。


 イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。


 このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。


 このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。


 このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。


 1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。


 ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。


 そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。


 この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。


 それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。​その演習に中国軍は3200名を参加させている​。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。


 明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130001/


▲△▽▼


2018.09.21 自民党総裁選という茶番

 自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。


 アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。


 ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。


 アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。


 その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)


 1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。


 このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。


 唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。


 安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。


 1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。


 グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。


 グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。


 松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/


天皇家の蓄財(2.26事件の真の闇/補遺)2007年02月23日 | Weblog

 2・26事件について書いたときに、若干皇室の資産に触れた。

 皇室の蓄財に関して、『神々の軍隊』(濱田政彦著)ではこう書かれている。

 「戦前、皇室には予算として年額450万円が国家予算から計上されていたが、一説によれば天皇の総資産は少なく見積もっても約16億円であるという。だが、宮内庁のこの数字は嘘で、本当の資産総額は、海外へ隠した資産を含めれば、信じ難いような天文学的金額であるともいわれている。

皇室予算だけではこのような金額を貯蓄することは不可能であるが、当時皇室は横浜正金(後の東京銀行)、興銀、三井、三菱ほか、満鉄、台湾銀行、東洋拓殖、王子製紙、台湾製糖、関東電気、日本郵船等、大銀行、大企業の大株主であり、その配当総計は莫大なものであった。すなわち、これら企業・銀行の盛衰は、そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。こうなると戦争で、財界が植民地から搾りとるほどに皇室は豊かになるということになる。」

 戦前の天皇家と国家、あるいは天皇家と資本家の関係がこれで言い尽くされているであろう。天皇は昭和の大戦争に深く関与した。戦争責任はある。いかにユダヤから仕掛けられた戦争であろうとも、大企業、大銀行はみんな戦争経済へと誘導したのであって、その大株主であった天皇が戦争を指導したのだから、責任なしとは言えない。私は先の戦争に関して連合国に謝る理由はないと思うが、天皇に戦争の責任は重大だったと思う。

先の引用にもあるように、天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。当時は海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。この日本郵船が大量の移民をアメリカに送り込んだ(数十万人といわれる)し、また大量の若い女性を海外に運んだのである(娼婦にするためである!)。

 日本郵船だけでなく、天皇は大阪郵船の大株主でもあり、これを使って、日本は手に入れた外地へ、人間や物資を運ばせ、莫大な利益をあげさせた。

 鬼塚英昭氏の『天皇のロザリオ』(成甲書房)によれば、福沢諭吉は「賎業婦人(娼婦)の海外出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」と主張している。外貨稼ぎに日本の女性を使えと言ったのであるから、どこが「天は人の下に人をつくらず」だ! 

つまり諭吉は、娼婦の海外輸出は天皇と三菱に利益もたらすから「得策だ」と平然と言ったのである。だから諭吉はユダヤ・フリーメースンの会員だったのだ。慶應義塾とは日本資本主義と天皇を支える私立の重要な学校であった。財界人を多く輩出したのは慶應義塾や官製の東京帝国大学であった。

 そこを出た財界のトップたちは、記述のように、2・26事件を影で操り、そこから一気に戦争経済へ主導し、政府要職にも就くなどして日本を大戦争とその果ての破局へと導くのである。

 鬼塚英昭氏の『天皇のロザリオ』には、戦前の皇室が銀行支配も徹底していたことを書いている。皇室は日本銀行の47% の株を所持していた。だから紙片を発行し、公定歩合を調整するたびに、莫大な利益が皇室に流れた、とある。日銀は発足当初からユダヤ国際金融資本の日本支店であるから、これでいかに天皇家とユダヤ資本が深い関係かがわかるだろう。

 さらに鬼塚氏は天皇とアヘンの関係も暴露している。

 「同じ手口(米国に移民を送って儲けた話)を皇室と三菱は考えた。ペルシャ(イラン)からのアヘンの輸入であった。皇室と三菱は三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起こる可能性があったからだ。三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国家はこのアヘンの金でできた。

 天皇一族はこの利益を守るために秘密組織をつくった。厚生省という組織に、天皇は木戸幸一(後に内大臣)を入れ、アヘン政策を推進させた。1938(昭和13)年12月に興亜院がつくられ、アヘン政策を統括した。日本でもケシ栽培をし、朝鮮にほうり込んだ。中国でも熱河省でケシ栽培をした。この利益も皇室の財産の形成に大きく貢献した。 

 多くの(ほとんどと言うべきか)軍人たちが、三菱と三井のアヘンの利益の一部をもらって遊興にあけくれた。」

 天皇も、財閥も、軍人も、アヘンという恥ずべき巨悪に手を染め、巨利を得ては遊興に使うために、戦争を次々に仕掛けたのだった。このゆえをもって、天皇はついに終生、中国と朝鮮には足を踏み入れることができなかった。ちなみに沖縄も、天皇は自らの助命と引き換えに、米軍の永久使用を提供したので、これまたついに沖縄を行幸することはできなかった。

 さて、再び『神々の軍隊』の続きである。

 「皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、なかでも国際決済銀行、通称バーゼルクラブは、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣ではなく、すべてを金塊で決算する銀行であった。

 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃すよう指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。」

 昭和天皇は大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が取り上げられることを心配したのだ(むろん実態は連合国は承知していた)。だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。海軍の潜水艦を私的に使ってアルゼンチンに金塊を避難することまでやった。

 そして進駐軍がくると、マッカーサーに卑屈に叩頭し、朕はキリスト教徒になってもいい、日本をカソリックの国にしてもよいと申し出た。宮中の女性を東京裁判のキーナン検事に提供して歓心を買い、戦争中の陸軍軍人の内輪情報を(田中隆吉を使って)チクっては責任を全部東条らに押しつけて、彼らが絞首刑になるよう誘導した。みんな、自分の命乞いのため、そして資産保全のためである。
 
 小林良彰の『日本財閥の政策』は、鈴木大拙と出光の関係を書いたときに紹介したが、こんなことも書いている。

 「中島知久平(中島飛行機 ゼロ戦の製造で有名)は、陸軍が(支那事変で)未だ戦線を黄河あたりにまででとどめようとしているとき、閣僚の一人として漢口まで行かねばならないと主張した。もっとも大胆に(中国戦線)拡大を唱えたのは、鐘紡社長津田信吾である。

彼は中国との全面戦争とともに、イギリスとの戦争を説いた。彼の強硬論は鐘紡の高利益の基礎に外地会社の多角経営があり、これを積極的に中国領内に拡大する希望を持ったこと、(中略)中国国内に原材料基地を見出さねばならぬという因果関係からくるものであろう。」

 中島知久平が閣僚になって戦争を主張したように、また王子製紙社長の藤原銀治郎は、海軍顧問、商工大臣、国務大臣。軍需大臣を歴任し、その地位を利用して戦争でしこたま儲けたクチである。

 戦後、自民党の大物議員で60年安保時に外相を務めた藤山愛一郎も戦前、大日本製糖社長として、戦争を煽った人物である。彼は台湾での製糖事業を一手に握っていたが、さらに南方と中国南部に製糖工場を広げるべき軍部と結託した人間である。

 こうした三井.三菱以外の中小財閥も、積極的に戦争経済を推進しようと図ったのである。それを最も喜んだのはこれらの会社の大株主だった天皇であった。

 こうして見てきたように、天皇は莫大な蓄財を行うために、財閥と組んで国民を売りとばし、戦争を仕掛けて国民を殺してきた。責任はすべて軍人と国民とに押し付けた。血も涙もない、とはこのことではなかろうか。

 終戦後、彼は「人間宣言」のあと、全国を巡幸して歩いた。その映像は今も残る。敗戦で打ちひしがれた国民を激励すると称して(膨大な予算を使って)行幸したときの姿は、わざと古着にすり減ったクツを履いて、軍部に騙された気の毒な天皇という哀愁を演出してみせたのだった。

彼は1901年生まれだから、巡幸のころはまだ40代後半なのに、わざと猫背にして60歳くらいの老人のように見せているように、映像や写真からは伺える。何を説明しても「あ、そう」と答えたことは有名になったが、これも自分は戦争を指揮したりしない、言われるがままの人間だったという印象を与えるためだろう。

戦前には絶対に大衆の前に姿を晒さなかった彼が、大衆に向けてソフト帽子をふりふり、愛想笑いを浮かべて「平和天皇」を演じてみせたことは、戦犯から除外してもらうための進駐軍へのポーズでもあったし、見事に国民をも騙すことにも成功したのであった。

 戦後もついにマッカーサーをも騙しきって、資産を守った天皇が、なんで古着にボロ靴なのか。その心根の深奥をわれわれ国民は知るべきであろう。
http://web.archive.org/web/20100212091907/http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/b2add89dad958852f4994fb54f0874b0


最近、古本屋で購入した

「自伝的戦後史」著者 羽仁五郎
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E4%BC%9D%E7%9A%84%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2-%E4%B8%8A-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%BE%BD%E4%BB%81-%E4%BA%94%E9%83%8E/dp/4061340913


の帯にも

「日本の天皇は戦前3億円ぐらいだった財産を、戦争が終わってみたら300億円ぐらいにしていた」

とあります。


▲△▽▼


天皇家は戦争中に何をしていたのか
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8120443.html


先日から、

「歴史の真相と大麻の正体」内海聡 著 三五館 刊
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E3%81%A8%E3%80%81%E5%A4%A7%E9%BA%BB%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%86%85%E6%B5%B7-%E8%81%A1/dp/4883206289

という本を読んでいて、その本は私が大麻というものが世界に及ぼしてきた事実を、私が知らない見解で記してあるかもしれない、という期待から読んでいると記してきました。

2そしてこの本は、第一部:歴史の真相 第二部:大麻の正体 に分かれていて、私は第二部の大麻の正体を読むことが一番の目的で読んでいるのですが、その前の第一部の歴史の真相のところで気になることがあったので、先日2回ほどそのことについて書かせて頂きました。ですがまた、その第一部の歴史の真相のところで気になったところがあったのでそのことについて記したいと思います。ではますは「歴史の真相と大麻の正体」からその部分を引用します。

(引用開始)

タイトル:「原爆を落とされてもしょうがない」

商船三井の共同経営者は、天皇家とCIAの日本作戦部長のマクスウェル・クライマンであった。そして天皇家が大東亜戦争時に蓄財した金はナチスのヒトラーの口座に隠されていた。ヒトラーはじつは隠れユダヤ人であることは有名だが、そのヒトラーとともに戦争ビジネスをやっていたのはだれかを考えねばならない。


天皇家の蓄財1

天皇が「原爆を落とされてもしょうがない」と発言したことが知られるが、広島、長崎に原爆が落ちた時も、天皇家はどうやって自分の資産を維持するかに腐心していた。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃がした蓄財は累計で5〜10億ドルにのぼるとしている。天皇家の蓄財に関しては濱田政彦著 「神々の軍隊」(三五館)などが詳しい。

(引用終わり)

これは大東亜戦争時、日本の多くの兵隊が海外に行き、命をかけて戦って死に、東京大空襲など、日本の津々浦々で行われた大空襲で多くの日本国民が命を亡くした最中に、昭和天皇が皇室の資産をいかに守ることに腐心していたかを記した文になります。

この引用文の最後に、

「天皇家の蓄財に関しては

濱田政彦 著 「神々の軍隊」(三五館)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E2%80%95%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%E3%80%81%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%AF%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%87%91%E8%9E%8D%E8%B3%87%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%97%87-%E6%B5%9C%E7%94%B0-%E6%94%BF%E5%BD%A6/dp/4883202119


などが詳しい」とあります。では、その「神々の軍隊」には天皇家の蓄財についてどのように書かれているのか、以下にその部分を引用したいと思います。


(引用開始)


@ 戦前、皇室には予算として年額450万円が国家予算から計上されていたが、一説によれば天皇の総資産天皇家の蓄財3は、最も控えめに見積もっても約16億円であるという。だが、宮内省のこの数字は嘘で、本当の資産総額は、海外に隠した資産を含めれば、信じ難いような天文学的金額であると言われている。皇室予算だけではこのような金額を貯蓄することは不可能であるが、当時皇室は横浜正金、興銀、三井、三菱ほか、満鉄、台湾銀行、東洋拓殖、王子製紙、台湾製糖、関東電気、日本郵船等、大銀行、大企業の大株主であり、その配当総計は莫大なものであった。すなわち、これら企業・銀行の盛衰は、そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。こうなると戦争で、財界が植民地から搾り取るほどに皇室は豊かになるということになる。


A 2.26事件で天皇が、まっ先に事件が日本経済に与える影響を心配したのは当然であろう。「朕が信頼する重臣」とは、財界の代理人たちであるからその怒りは天皇にとっては、しごく正統な怒りであったのだ。


B 財界のトップたちは、2.26事件後の大勢翼賛、国家総動員体制の下、政府の要職に就いて日本を破局へと導いた。一例を挙げれば王子製紙の藤原銀治郎は、海軍省顧問、産業設備営団総裁、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し、戦争経済に貢献している。


C 皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、中でも国際決済銀行、通称"バーゼルクラブ"は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣でなく、すべてを金塊で決済する銀行であった。


D 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に"洗浄"されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。


E 価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。


F 大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠され天皇家の蓄財4ている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。


(引用終わり)※数字は私の書き込みによる。

ではこの引用文についてまとめ及び気になることを書いていきたいと思います。

まず@段落のところですが、

・戦前に天皇家は天文学的な金額を蓄財していた。

・天皇家は横浜正金、興銀、三井、三菱ほか、多くの銀行、財閥の大株主であり、その利益が莫大であった。

・銀行、財閥は当時、戦争経済で儲けていて戦争を続けさせ、植民地政策のもとで利益を上げていて、それによって株価が上がり結果、天皇家の資産は莫大なものになっていった。


A段落目で、「2.26事件で天皇が、まっ先に事件が日本経済に与える影響を心配したのは当然であろう。「朕が信頼する重臣」とは、財界の代理人たちであるからその怒りは天皇にとっては、しごく正統な怒りであったのだ。」とありますが、当時上述したように戦争を遂行すればするほど銀行、財閥などは儲かり結果、天皇家も儲かっていたわけですからその財閥が日本の軍隊に入り込んで、戦争を遂行するように仕向けていたわけです。だから2.26事件で純粋に心から日本の未来を憂いた青年将校が起こした2.26事件が起こったときも昭和天皇は、「天皇家がカネ儲けできなくなる」という理由で2.26事件そして青年将校に対して怒りを覚えたのです。

B段落目

上述したとおりのことが書かれています。「一例を挙げれば王子製紙の藤原銀治郎は、海軍省顧問、産業設備営団総裁、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し、戦争経済に貢献している」、ということです。

C段落目

天皇家は資産を海外でモルガン商会(ユダヤ系財閥)を通して蓄財していて、天皇に近い重臣たちもそのおこぼれに預かり、儲けていたということです。そして天皇家とバチカン、‘バーゼルクラブ’などはグルになってカネ儲けしていたことを示唆しています。

D段落目

田布施2ここではまとめというよりは、文中の、「内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。」の中の「昭和19年」に焦点を当てたいと思います。というのはこの昭和19年に天皇家の資産の蓄財において大きな変化あったからです。では、昭和19年(1944年)に何があったのか。そのことが先日も引用させて頂いた

「日本のいちばん醜い日」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E9%86%9C%E3%81%84%E6%97%A5-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862169


に書かれていましたので以下に引用します。

(引用開始)

(前略)シーグレーブ夫妻の「ヤマト・ダイナスティ」の中に次のような一節がある。

「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分も含んでいなかった。天皇家は日本一の大地主で、ほとんどは徳川幕府が崩壊したときに天皇家にもたらされた(明治維新後に獲得したものがほとんどである:引用者注)。まさしく当時の日本の大地主であったのだ。もちろん、ヒロヒトの自己申告の中には、本土や海外の隠匿された財宝は含まれていない。SCAPの審査員が、この審査をパスさせたのであるが、彼は不機嫌そうに記したのだ。「正確さという面では、この部門では問題外とされた」

占領が終わり、日本人の専門家が天皇の財産を再計算した。その中には皇居や御用邸の不動産、工芸美術品などは計算外としたが、それでも660億円を超えていた。」

私はこのシーグレーブの本を読み、納得した。それは天皇と男爵住吉門左衛門が特殊な関係にあったがゆえであると思ったのである。天皇家の御料地のほとんどが住友財閥の力で移動し、売却されたのである。1944年、住友林業の所有地が莫大に増加するのである。

「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分を含んでいなかった」とシーグレーブが書いているのは事実である。紙幅の都合上、これ以上は書かないが、私は明治から戦前までの御料地獲得に執念を燃やす田布施一族の歴史を追求してきた。そして、この帝国秘密探偵社の資料とシーグレーブの本を読み合わせ、納得した。(後略)

(引用終わり)

昭和天皇の側近であった木戸幸一(木戸孝允の孫)が天皇家の財産を海外に逃がすよう指示した金額は(当時の貨幣価値で)660億円。だがその660億円もの大金であるにもかかわらずそこには天皇家が所有する御料地すなわち皇居や日本各地にある御用邸の土地や御料林は含まれていない。

そして、「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分を含んで天皇家の蓄財2いなかった」とあるように昭和天皇ヒロヒトは1944年に大もうけをした。しかもそれが、前述したように、天皇家が当時結託していた大財閥の一つである住友財閥の住友林業であったわけです。

この事実は私は日本人として絶対に忘れてはいけない事実であると考えます。なぜか? 1944年といったら日本の兵隊の方々が海外に出て、命をかけて、玉粋覚悟で、時には「天皇陛下バンザーイ」と叫んで、心から日本のため、と思いながら死んでいきました。また、日本国内では、多くの日本人が数千人否、数万人否、数十万人否、数百万人もの日本人が空襲で死にました。そのさなかに天皇家は大財閥と結託して、日本国民のことなど露ほどにも頭になく、蓄財に励んでいたからです。この事実は‘戦争とは何か’、‘天皇家とは何か’という疑問を見事に解き明かしています。

E段落目はそのまま抜粋します。

「価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。」

ここで「さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。」とあります。この‘南米’というところに注目すべきと考えます。その理由は次の7段落目に記されています。

F段落目

「大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠されている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。」

この段落では大戦末期から戦後に至る南米地域の状況について書かれています。なぜ南米地域にナチスの残党は逃走したのか?なぜ南米なのか?そしてヒットラーも実は戦争末期に自殺したのではなく、アルゼンチンに逃走した、という説があります。そして私がこの段落を読んで気になったのは第2次世界大戦後、この南米地域の各国がハンガリー系ユダヤ人であるミルトン・フリードマンが唱えたシカゴ経済学(大企業ボロ儲け経済学)を信奉したシカゴ・ボーイズといわれる連中に乗り込まれ、その国の政治・経済を乗っ取られ、結果その国の経済市場が欧米系の大企業に乗っ取られた、という事実です。アルゼンチンやチリやホンジュラスなどがそうです。

そしてその事実と引用文の、「そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けている」という記述が関係していると思います。ですがここではこのことについてこれ以上記しません。ただ関係していると思われる、とだけ記させて頂きます。
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8120443.html

天皇家は戦争中に何をしていたのか A
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8123592.html


先日、太平洋戦争中における天皇家の蓄財に記させて頂きました。戦争中に天皇家が日本の土地を買い占めて戦争で多くの日本人が死んでいくさ中に蓄財に励んでいてそれも莫大に儲けていたことや、そもそも天皇家は当時の多くの大財閥、銀行などの大株主で、戦争が長引けば長引くほど植民地における大財閥の事業拡大、生産増産、戦争資金の需要増大による銀行、大企業の株価高騰で大儲けしていたことなどについて記しました。

今日はその天皇家の蓄財について違った面から考察し、記していきたいと思います。では、まずはそのことについて詳しく記してある、先日も引用した「日本のいちばん醜い日」 鬼塚英昭 著 成甲書房 刊  からの引用から始めたいと思います。

(引用開始)

(前略)アメリカは公式には日本への石油の輸出を禁止した。しかし、アメリカ国籍の船、または日本国籍の船によるものが禁止されただけであった。あの太平洋戦争田布施2中も秘密ルートでアメリカの石油、重要な原料(タングステン、四塩化エチル等)が日本へ送られた。

これが戦争の本当の姿なのだ。昭和天皇はこのからくりを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣に秘密にしていた。

あの国際赤十字社のシステムは、戦傷者を救うためにつくられたのではない。国際金融同盟の連中が、商売(=戦争)をスムーズに長きにわたって続けるためにつくられたのである。太平洋の委任統治諸島で密かに石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。この船は攻撃できないという国際条約ができているので、安心して石油や重要物資を日本は購入できた。(後略)

(引用終わり)

前回は戦争時においてその、戦争することによって派生する日本の植民地事業において三井、三菱、住友などの財閥、銀行などが大儲けし、結果天皇家も大儲けする、ということについて記させて頂きました。ですがこの引用文は戦争から派生する要素ではなく、戦争そのものが天皇家を儲けさせていたことを記す内容となっています。

あの、戦前に日本への制裁としてABCD(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)包囲網が1941年に敷かれてアメリカから石油の輸入が途絶え、日本は窮地に追い込まれた、と我々は学校の歴史の授業で教わってきました。だが、実際には「赤十字」という看板を掲げた船で石油が輸入されていた。その赤十字は実は戦傷者の傷を治したり命を救うために設立されたのではなく、戦争を‘スムーズ’に長引かせるために国際金融同盟の連中がつくり上げたものだった。つまり戦者が簡単に死んでしまっては戦争がすぐに終わってしまい、国際金融同盟の連中やそれに纏わる財閥、銀行そして天皇家もカネ儲けができなくなる。だから赤十字を設立して、兵隊の傷の治療をし、延命させ、再度戦場に送り込む、ために赤十字がつくられたということです。

では次に同著から上の引用文に続く、その石油購入の資金についての記述を以下に引用します。

(引用開始)

では、あの大戦中、その莫大な支払い代金はどうしたのか、という問題が出てくる。この代金の主なものは、ア天皇家の蓄財5ジア支配の途中で略奪した、金、銀、プラチナ等の貴金属である。その一部は日本へ持ち帰り(赤十字のマークをつけた船で)、マルフクという金貨に鋳造する。これを現地に送り、食料等の必要物資の現地での購入にあてる。残りの金塊や宝石類は、スイスの国際決済銀行(BIS)に送る。ここで貴金属をドルまたはスイス・フランにし、迂回経路で必要物資の支払いにあてる。残ったドルやスイス・フランは、国際決済銀行か、同一系統のスイス国立銀行の秘密口座に入っていく。かくて、戦争が長引けば長引くほどに天皇一族と、秘密裏に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。

(引用終わり)

日本に石油はなかったが中国侵略などで強奪した金・銀・プラチナを代金の支払いにあてた。その一部が天皇家の資産となった。つまり戦争で金・銀・プラチナなどの貴金属を強奪すればするほど天皇家は儲かるということです。ではさらにこの引用文に続く記述を引用したいと思います。

(引用開始)

近衛文麿首相は幾度も天皇に戦争の中止を訴えた。天皇一族は日清戦争、日露戦争を通じて多額の賠償金を得て、その一部をスイスの銀行に入れることで逆に彼らから弱みを握られた。ルーズヴェルトは借金漬けで弱みを握られていた。チャーチルしかり。スターリンは過去の悪行のほぼ全データを握られ、彼ら国際金融資本家たちを‘ご主人様’と呼んでいた。フルシチョフ元首相の「フルシチョフ回想録」にそのことが克明に書かれている。明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座もスキャンダルの種になりえた。ここに、近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある。

(引用終わり)

この引用文は世界を支配する、本当の仕組みを示唆する記述となっています。ルーズヴェルト、チャーチルというときのアメリカ大統領とイギリス首相が借金漬けで、ロシアのスターリンは悪行のほぼ全データを握られ、国際金融資本家たちに弱みを握られていた、と非常に興味深いことが書かれています。ではここでこの3人のうちの1人であるチャーチルのそのあたりについて同じ鬼塚氏の「20世紀のファウスト」成甲書房 刊 という著作に詳しく書いてあるので以下に引用します。

(引用開始)

(前略)1938年3月下旬、第2次世界大戦勃発の1年前、チャーチルは借金のために田舎の別荘を売りに出そうとしていた。ロスチャイルドから依頼を受けた金融業者サーケインズ5・ヘンリー・ストラコッシュが借金の肩代わりを申し入れた。チャーチルは受けた。そしてそのとき、一つの条件を受け入れることになる。金のないチャーチルはヴィクトリア地区の汚らわしいモルペス・マンションに住んでいた。その過去をみることにしよう。

1928年当時、チャーチルは第一次世界大戦の回顧録「世界の危機」の続編を執筆していた。アスター卿の「タイムズ」から2000ポンドの前払い印税を支払ってもらった。これとは別に世界各国での連載を含めての5,000ポンド以上が彼の懐に入っていた。しかし、彼は貧乏のどん底にあった。ウォール街での株投資で大損失をしていたからだ。このことはすでに書いた。

ユダヤ王ロスチャイルド一族のバーナード・バルークはチャーチルにアメリカ講演旅行をやらせ、1万ポンドの保証をしてやった。それでも借金は返せず、バルークに特別に用立ててもらった。彼はユダヤ王ロスチャイルドの御用新聞「デイリー・メール」のビーヴァルック卿と特別契約を結び、8,000ポンド近い原稿料を得ていた。だがそれでも彼の経済的困窮は、別荘を売り払う段階までいったのである。

しかしチャーチルは海軍大臣、首相へとなっていく。政治家になれば収入は極端に減る。では誰が、何の目的のためにチャーチルの借金を返してやったのだろうか。ここまで書けば答えは書かなずもがなであろう。1939年3月、チェンバレン首相は海軍大臣にチャーチルを迎えなければならなくなる。チャーチルは1914年8月に海軍省に入っている。

海軍大臣になると、チャーチルはルーズヴェルト大統領に手紙を出した。2人は数多くの手紙をやりとりをする。一海軍大臣がアメリカ大統領と、どうして秘密のルートで手紙の交換が出来るのであろうか。この2人は「黒い犬」で、ユダヤ王ロスチャイルドから長い長い鎖の手綱で引っ張られていることを考えれば納得がいくのである。

チャーチルの人気は上昇していく。なぜか。チェンバレン首相の宥和政策に公然と抗議しだしたからである。ヒトラーがポーランド領ダイツィヒの割譲を要求した。チャーチルはヒトラーと闘えと叫びだした。黒い貴族の新聞は、戦争を煽りだした。1938年9月30日、イギリスとフランスは宥和政策をとり、侵略されたチェコを犠牲にして、ヒトラーと現状維持の協定を結んだ。この宥和政策は後にヒトラーによるポーランド侵攻により破られ、第2次世界大戦へと拡大していく。(後略)

(引用終わり)

チャーチルはウォール街での株投資で大損し、借金漬けになっていた。本を書いても借金は返せず、別荘まで天皇家の蓄財6売り払わざるをえないとこまで落ちぶれていて、ヴィクトリア地区の汚いマンション暮しをしていた。そこにユダヤ王ロスチャイルドの回し者バーナード・バルークが大戦が始まる1年前にきて、‘一つの条件’をのまされた。その条件とは・・・・上に書いてあるとおりです。首相になって第二次世界大戦を引き起こす、という条件です。

つまりユダヤ王ロスチャイルドなどの国際金融同盟の連中は、弱みをもっている人間をピックアップし、金を渡し、もちろん恫喝もし、操るということです。このことは世界中で起こっており、日本でも頻繁に起こされていて、政治家のスキャンダル暴露はその一つです。‘女を抱かせる’というハニー・トラップも含めて。

そして天皇家にも、スキャンダルは多々あり、そのことが国際金融同盟の天皇家支配に繋がっているということです。ゆえに「近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある」と著者の鬼塚氏は書いているのです。

そして先の引用文にさらに続く文章ではその戦争時におけるマネー・ゲームの様相が記されていました。以下に引用します。

(引用開始)

この国際決済銀行を舞台にして、戦争は続けられたのである。日本銀行と横浜正金銀行の大株主は天皇であった。天皇は、二人の役員(それ以外に事務局員たちも)をこの国際決済銀行に送り、取引をさせていたのである。天皇の代理人の役員が金儲けに奔走する場面がハイアムの「国際金融同盟」の中に書かれている。

「1942年夏、フランス政府の閣僚であり、ナチス占領下のパリにある民間銀行のヴォルムス銀行の役員であるピエール・プシューは、イブ・ブレアール・ド・ボアサンジューとBISで会合を持った。プシューはボアサンジューにドワイト・D・アイゼンハワー大将が北アフリカに侵攻する作戦を計画中であると語った。彼はこの情報を友人であるヴィシー駐在のアメリカ国務省代表のロバート・マーフィーから手に入れたのである。ボアサンジューはクルト・フォン・シュレーダーにこの情報を伝えた。シュレーダーと他のドイツ人の銀行家たちは直ちに、フランスの取引銀行と同調して、九〇億フランの金貨をBIS経由でアルジェに搬送した。ドイツの敗北を予測して、ドルの為替差損でボロ儲けを狙ったのである。ナチスの協力者たちはほとんど一晩で、自分たちの持ち金を三億五千万ドルから五億二五百万ドルまで増やしたのだった。この取引に関しては、BISのトーマス・H・マッキトリック、ヘルマン・シュミッツ、ミエル・プール、そして日本人役員たちも共謀に加担していた。この取引の別の協力者でナチス最高司令部にいる他の幹部たちに、この秘密を漏らしたものがいた。この男はバチカンの諜報活動グループに所属する工作員だった。この情報は1946年6月21日にオットー・アーベッツがアメリカ政府担当者に宣誓供述したことで明らかになった。」

この一文は、「戦争とは何か」を如実に示している。戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけではなく、巨大なマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。

この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。この銀行に加入していなければ、中国本土に攻め込む力さえなかったのである。ひと度、この銀行に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちばん金の儲かるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知りつくした人物は日本にいなかったし、これからも登場しないだろう。(後略)

(引用終わり)

このように‘戦争’とは国と国の間で行われる利益の収奪、憎悪だけでなく、国際金融同盟の連中がカネ儲けするために引き起こされるということです。否、その方が多いのです。

ところで前回記した私の文で引用させて頂いた「神々の軍隊」濱田政彦 著 三五館 刊 の文の最後に、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない」と記してありましたが、私はこの一文に強く違和感を覚えました。本当にそうか? と。

ではここで上に引用させていただいた本の著者である鬼塚氏の他の著作の一つである、

「天皇のロザリオ」成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%82%AA-%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%BD%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%AD%96%E8%AC%80-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862002


からこの一文についての鬼塚氏の見解が書いてある部分を抜粋してこの文を終わりたいと思います。

(引用開始)

(前略)日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の「神々の軍隊」が出た。この本の中で濱田は天皇の秘密資金について触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。

天皇家の蓄財3「 皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、中でも国際決済銀行、通称"バーゼルクラブ"は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣でなく、すべてを金塊で決済する銀行であった。


内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に"洗浄"されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。


価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。


大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠されている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして天皇家の蓄財7南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。」

濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。」には全く賛成できない。私は、昭和天皇が戦後も、マニングの書いているように蓄財作戦に熱中したと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人びとを悩ませたのである。

マーク・ゲインの「ニッポン日記」
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E6%97%A5%E8%A8%98-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/4480084282


には天皇の財産について詳しく書かれている。だがここではすべて省略する。初版本で書かれていることが再版本では省略されているとのみ書く。1946年3月24日、マーク・ゲインは天皇の埼玉行幸を描いている。

大麻3「天皇はただ一人で正食をとった。天皇以外の我々は、冷たい飯と悪臭鼻をつく大根の漬物と、その紡績会社から出された刺身の小片を口に押し込んだ。窓からみると、女工たちが列をなして並んでいたので話をしようと思って戸外に出た。彼女らははずかしそうにクスクス笑うだけで誰も答えてくれそうになかった。が、とにかく彼女等は「十五歳」 ---- 最低就労年齢 ---- で、1日9時間半働き、一日三円乃至五円支払われていることを聞き出した。そこへ天皇が出て来たので、彼女等は最敬礼をし、支配人の号令一下、万歳を唱えた。それから彼女等の専制君主をみようと首を伸ばすのであった。」

当時の女性の日給は1日9時間半働いて1日3三円ないし五円。1945年8月15日から約半年たっているので
、インフレが進んだ後だから半年前はもっと安い。たぶん一円から三円であろう。

計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的金額がクローズアップされる。

それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は三十七億二千万円」。

木下道雄の(元侍従長の)「側近日記」
https://www.amazon.co.jp/%E5%81%B4%E8%BF%91%E6%97%A5%E8%AA%8C-%E6%9C%A8%E4%B8%8B-%E9%81%93%E9%9B%84/dp/4163442103


が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。

「ところで戦争直後の天皇家の財産は37億5千万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7,912億円である。」

この数字の10倍近くをスイスの銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100天皇家の蓄財8億円を切っていた。天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。天皇の「キリスト教入信」対策は、この2つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。

これが大東亜戦争を天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。

それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも広田弘毅(私の注:終戦前の首相経験者の1人)のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。

(引用終わり)

ということです。戦前も戦後も天皇家は全く貧乏なんかではないのです。そしてこの天皇を安倍晋三は今の象徴から戦前の元首にしようとしています。明治維新後、伊藤博文が大室寅之祐を明治天皇に仕立て上げ、元首にしたように。その狙いは....... 皆さんもう、お分かりですよね?
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8123592.html


▲△▽▼



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
43. 地下爺[3981] km6Jupbq 2018年12月18日 17:45:06 : GYcRPWoePg : qQ1l3M7sSRs[410]
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c43
コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
6. 中川隆[-13746] koaQ7Jey 2018年12月18日 17:45:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

戦前の天皇一族は JPモルガンと、戦後はロックフェラー家と大の仲良し _ 2


天皇家は国際金融資本のエージェント

宮内庁のホームページに、天皇皇后両陛下がロックフェラーの自宅でロックフェラー家との晩餐会を行っていることが記載されている


(平成6年)天皇皇后両陛下のアメリカ合衆国御訪問について

6月16日(木)ロックフェラー家との晩餐会(ロックフェラー邸)
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h06america/eev-h06-america.html

天皇という力の正体とは?〜ロックフェラーと手を結んだ昭和天皇〜


天皇財閥は、日本株式会社の長として、戦後も変わることなく勢力を維持し続けてきました。

エリート官僚上がりの首相達が、アメリカの意向にそった政治を行ってきたことは、周知の事実ですが、その礎を築いてきたのが、実は昭和天皇とのことです。昭和天皇は、戦後間もなく、ロックフェラー一族との絆を深め、政界にその影響力を及ぼしていたようです。

引き続き、『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』から抜粋→転載します。

◆属国・日本の指導者を管理する要員

日本は戦後、こぞってアメリカの軍門に降った。これが戦勝国と敗戦国の関係であり、当然のことであった。同時にそれは日本国の「国策」でもあったのだろう。そのことは、昭和天皇みずから範を示すかのように、息子である皇太子(今上天皇)に、アメリカからの家庭教師をつけたことをみても分かる。「ヴァイニング夫人」と呼ばれたエリザベス・ヴァイニング(1902−1999)である。

ヴァイニング夫人は終戦直後から4年間、英語家庭教師及び学習院講師として皇太子の教育にあたった。熱心なクェーカー教徒であった。敗戦国の君主が、皇太子に、戦勝国からの家庭教師をつけるということは、完全にその国に従属したことを示している。最も、これはアメリカから押し付けられたのではなく、昭和天皇みずからの提案であったとヴァイニング夫人は述べている。

日本滞在時の回想録『皇太子の窓』で、彼女は次のように書いている。

「アメリカ人び家庭教師」というのは、占領軍から押し付けられたのだというような推測がしばしば行われているが、これくらい事実に反するものはない。「アメリカ人の家庭教師」というは天皇御自身が思いつかれたのである。皇太子の教育を委任されている人々とご相談になることさえなく、御自分から進んで申し出られたのであって、まったく先例のないことであった。(『皇太子の窓』31ページ)

では、どのようにしてヴァイニング夫人が選ばれたのか。『皇太子の窓』の記載に寄れば、昭和21年(1946)に訪日したアメリカ教育使節団が皇居を訪れた際に、団長のジョージ・ストダード博士に向って、昭和天皇が皇太子の家庭教師をひとり、世話してもらえないかと声をかけたのが、きっかけだったという。

アメリカ教育使節団とは、日本に民主教育を植え付けることを目的とした使節団である。その報告書「アメリカ教育使節団報告書」は、戦後の日本民主教育の大綱であり、いまだに適用され続けている文書である。戦後の「教育勅語」といってよい。

アメリカ教育使節団はマッカーサーの連合軍総司令部からの要請によって招致された団体であり、日本の軍国主義的教育を一掃する目的があった。もっとはっきり言えば、日本人がこれ以上、アメリカに逆らえないように「洗脳」するのが目的であった。この報告書は『アメリカ教育使節団報告書』として講談社から文庫で出版されており、使節団の全員の名前が記載されている。その中には、当然のように「ロックフェラー財団」の名前も見える。

ロックフェラー財団やフォード財団といったアメリカの「財界」は、戦後の日本に対して「フィランソロピー」、つまり慈善事業として巨額の資金を投入している。このことは『戦後日米関係とフィランソロピー』に詳しい。ただし、それは純粋に善意によるものではなく、長期的な「投資」だった。つまり、日本が今後良好な市場になるように、反米的な教育をしないように、下地をつくっていたのである。

こうして背景を探っていけば、昭和天皇がアメリカの政財界、特にアメリカ最大の財閥であるロックフェラー一族に対して、自らの皇太子の教育を任せたことの意味が分かるだろう。ヴァイニング夫人は、属国の指導者を管理するための要員なのである。

一国のトップの行動は、下々の者たちにも影響を与えるだろう。お上のやることを、下々のものはみな真似をするのである。日本の支配階級が、ほぼ例外なく、アメリカべったりであるのは、このような理由があるのである。

◆天皇財閥最後の総帥、昭和天皇

昭和天皇は、天皇財閥の最後の総帥であった。

昭和50年(1975)に、昭和天皇はアメリカを訪問している。ホワイトハウスで開かれた、フォード大統領夫妻主催の晩餐会で行った、有名な「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」というスピーチが、日米両国民の胸を打ったというエピソードとして長く語り継がれている。

そして、そのスピーチは「暖かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べる」と続く。これは、戦後の「天皇外交」により、直接アメリカ財界の代表者であったダレスと談判して今後の日本の体制をつくったのが、昭和天皇であったことを考えれば、みずから決断した事業に対する振り返りであっただろう。

昭和天皇はアメリカ滞在中の10月5日、ニューヨークではロックフェラー三世(1906−1978)邸を訪問している。そして翌日の6日には、ロックフェラー三世主催のジャパンハウスでのレセプションに参加した。

ロックフェラー邸訪問は、大統領との会見などと同じ公式行事ではない。そのために日曜日が選ばれている。このアメリカ訪問の目的、最も重要な目的はこの「非公式行事」にある。それが、ロックフェラー邸訪問であった。朝日新聞社の『天皇のアメリカ ご訪米記念写真集』に収められた隋行記には次のように記されている。


4日夕、ニューヨークのケネディ空港に着き,宿舎ウォルドルフ・アストリア・タワーズに入られた天皇、皇后両陛下は、明けて5日、ご滞米中最初の日曜日を楽しまれた。朝、散歩に出られたセントラルパークでは、待ち受けていた中学生達の日本語のコーラスの輪に囲まれ、お二人とも相好をくずされた。お昼は郊外のロックフェラー家に招待され、投手のロックフェラー三世、弟のロックフェラー副大統領から、家族的なもてなしを受けられた。(『天皇のアメリカ ご訪米記念写真集』89ページ)


ロックフェラー邸では、チェイス・マンハッタン銀行頭取のデイビッド・ロックフェラー氏が「皇居のそばにウチの銀行の東京支店があるからご利用下さい」と申し出たのを「預金ですか、貸し出しですか?」とユーモラスに切り返された。(『天皇のアメリカ ご訪米記念写真集』92ページ)

昭和天皇は、戦前期の天皇財閥の総帥であった。そして戦後の日本においても「象徴」として、「法人」として、日本経済の中枢に存在し続けていた。その天皇が、アメリカを代表する財閥の、統治の党首であるロックフェラー三世(現在の党首は、三世の息子の四世ジェイ・ロックフェラー上院議員)と親しく会っているのである。

おそらく、天皇とロックフェラー三世は初対面ではない。

そのことは、状況証拠から明らかである。それは、昭和26年(1951)の「天皇・ダレス会見」時に、ダレスといっしょに来日したのが、ほかならぬロックフェラー三世だったからである。

ジャーナリスト、松本重治の『昭和史への一証言』はこのように伝えている。


その年(引用者註:1951年)、ジョン・F・ダレスはサンフランシスコ講和条約を結ぶためのアメリカと駆使として日本にやってきますが、その時、ジョン・ロックフェラー三世を連れてきたのです。それはダレスなりの考えがあってのことでした。(中略)日米の文化交流ができないだろうかというわけで、ロックフェラーを連れてきたのです。ロックフェラー自身も、同じ考え方をしていました。(『昭和史への一証言』236ページ)

天皇とロックフェラー三世は、朝鮮戦争さなかの1951年に東京で会っていただろう。そして、ロックフェラー財閥の代理人であるダレスとともに、今後の日本の行方を決定したのである。

昭和天皇は、その返礼のために、四半世紀を経てロックフェラーを訪れた。それは、日本とアメリカを代表する、大財閥の党首同士による約束だったのだろう。
http://www.kanekashi.com/blog/2015/06/4231.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
44. 2018年12月18日 17:48:41 : rgtuYe2PxM : 8izam9Kx4Ho[1]
>>34,>>35さん

ありがとうございます。なるほどね。
で、現実は、政党議会制、政党内閣制になっていると言われる原因(多数制議決)だから政党議会とうっかり誤解してしまう。

>すなわち=国政調査権に関する=国会の権限とは^^
議員個人に=帰する^^当たり前の=話である^^

大賛成!!!そもそも「国政」という言葉はそうでしょう。国会議員個人単位から国政。議会と明らかに違う。

調査権の段階なら、やはり国会議員個人レベルで可能にすべきですね。

証人喚問など国会で証言する重要なことは、議会に諮ることもいいかもしれない。
その場合、やはり、「国政」調査権という条文以外で規則づけてくれないと間違う私のような者もいるし。

政党政治が多数決を作り出すわけだから、選挙制度をなんとか変えてほしいですよ。小沢さん、小選挙区制は破綻してきたんじゃないですか?
固執しないで、時代の変化に合わせてください。不正選挙調査だってしてください。全国の保管箱開けてチェックするだけでいいそうだよ。しかも、最近、どこかの県が、知らずに保管箱を選挙後すぐに廃棄したとして、ニュースが出ていたので、チャンス。だって公選法で保管箱の保管が法定化されているはずだから、知らないなどの理由はありえない。別の選挙区でやっていないか、全国的に調査したらいいし、本当に保管箱に投票された票が入っているか、中身を空けてみないと分からないね。そのとき、大テレビ画面で全国に写せば、各地の票がおなじだと大騒ぎになるかも。

野党はこの程度をやってみなさいよ。不正選挙なんていわないからさ。調査なんだからさ。



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c44

コメント [経世済民130] 「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”(郷原信郎が斬る) 赤かぶ
10. 2018年12月18日 17:49:38 : QF1DZXV1o6 : wYJ4Jd7sEC8[3]
郷原信郎

日産ゴーンの起訴話の中で
高額報酬自体が「悪」として非難されるべきことではない?

これはこの男がゴマカシ屋である証拠である

高額報酬のデドコロに言及しなければいけない。

トヨタ日産等の大手輸出依存企業は政権と癒着し悪法を立法させ
(社会保障と税の一体改革などの寝言にダマサレタ)
国民の税金をかすめ取っている。

消費税の戻し税からの高額報酬は品格以前であり
悪徳による重大犯罪。

何を斬る?これでは大根でも切れないだろう


http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/152.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎(事務所)「目先の利益か国の未来か。なぜこんな簡単なことがわからないのか!」日立、英原発計画を凍結へ 全て暗礁に 赤かぶ
7. 地下爺[3982] km6Jupbq 2018年12月18日 17:52:15 : GYcRPWoePg : qQ1l3M7sSRs[411]
◆画像の引用元◆
「私に似た人間を拝まないでください。拝んでも問題は解決しません。
 悪化するだけです」 by 厄病神(貧乏神)
 http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/524.html




http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/171.html#c7

コメント [戦争b22] 日本が空母保有を検討、軍備競争のスイッチを押す(チャイナネット) 無段活用
14. 2018年12月18日 17:52:23 : DGFgSNLkAc : Vw@rIzAnqjU[1]
>>13
>>投稿のあんちゃんだぞ

>中国が空母を4隻も持とうとしているのは、当然自分の国から発進したのでは対応ができない範囲の権利主張をしたがっているということに他ならない
凄いね
中国は良くて日本はダメという偏見主義とは(笑)
当然自分の国から発進したのでは対応ができないって事例あるの?
それって日本でも当てはまらない?
理由さえあれば空母持っていいって事(笑)?
日本も十分な理由で空母持とうとしてますよ(笑)?
別に
>日本が中国に対抗して空母を持とうとする
だけではないからね(笑)

>どんなに有効な防空システムを持っていたにしても、無敵空母など存在しない。ミサイル一発があたれば大爆発を誘発し、過去のミッドウェー海戦のように海のもくずとして消えてしまう可能性は十分ある

可笑しいな
米軍は原子力空母沢山持っているけど、攻撃受けて沈んだ事例はあったっけ(笑)?
一例だけだして何もかもダメというのはバカがやること(笑)
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/456.html#c14

コメント [経世済民130] 「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”(郷原信郎が斬る) 赤かぶ
11. 2018年12月18日 17:53:57 : Elio0nEowE : h2RZrOIR1F8[-660]
> 「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”(郷原信郎が斬る)

ゴーン氏逮捕について、フランスのメディアは「それ見たことか」と冷ややかな論調であり、
これまでにもゴーン氏の巨額報酬に対して批判的な記事を何度も発表してきた左派デジタル新聞メディアパールは、同日、『神聖不可侵と思い込んでいたゴーン氏の転落』というタイトルで、「これまでうまいこと疑惑をもみ消して来たが」で始まる手厳しい記事を発表。そして、過去のゴーン氏に関する数々の疑惑に言及した後、「経営者の給与を厳密検査して株主に情報を提供するコンサルタント会社Proxinvestが、ここ10年、ゴーン氏の給与が不透明なものであることを告発し続けて来たが、取締役会からなんの反応も得られなかった」とし、取締役会の怠慢を告発している。[1]

つまり、フランスのメディアは郷原信郎と違って“日本人の品格”ではなく、”ゴーン氏の品格”を問題にしている。

[1] ゴーン氏逮捕、フランスのメディアは「それ見たことか」と冷ややかな論調
https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20181122-00105016/
プラド夏樹 | パリ在住ライター、ジャーナリスト
11/22(木) 8:03

ルノー、日産自動車、三菱自動車工業の会長を兼務するカルロス・ゴーン氏が19日、金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された。ところで、フランスの一般メディアではどのように報道されているのだろうか?

慎重、かつ冷ややかな反応

メディア上では右派左派を含め、全体的に冷ややかな論調だ。フランスの庶民はもともと「億万長者アレルギー症」なうえに、折しも先週末に17日に、ガソリン価格高騰と購買力低下に反対する「21世紀の一揆」と呼ばれるデモが全国的レベルで起き、約28万人が「車がなかったら仕事に行けない、でもそうしたら食えなくなる!」と各地の主要道路を占拠して国中を大渋滞に陥れたばかりである。国民の頭に血が昇っている、そんな週末明けに届いたゴーン氏逮捕に関する報道には、左派・右派を問わず、「どうせそんなことだろうと思ってた」感が漂う。

19日、右派フィガロ紙でさえ『栄光の頂点でなぎ倒されたゴーン』というタイトルで記事を発表。サブタイトルは「金欲と権力欲という2つの欠点の代償を支払う羽目に」というものだ。本文では「ゴーン氏は古代ローマ史に通じていたから知っていたはずだ。歴代の皇帝たちはいつも裏切り者ブルータスが現れるのを恐れていたことを。栄光の頂点にありながら、この月曜日、その最も忠実な側近であった日産自動車社長西川広人氏が放った矢に倒れた」と。

これまでにもゴーン氏の巨額報酬に対して批判的な記事を何度も発表してきた左派デジタル新聞メディアパールは、同日、『神聖不可侵と思い込んでいたゴーン氏の転落』というタイトルで、「これまでうまいこと疑惑をもみ消して来たが」で始まる手厳しい記事を発表。そして、過去のゴーン氏に関する数々の疑惑に言及した後、「経営者の給与を厳密検査して株主に情報を提供するコンサルタント会社Proxinvestが、ここ10年、ゴーン氏の給与が不透明なものであることを告発し続けて来たが、取締役会からなんの反応も得られなかった」とし、取締役会の怠慢を告発している。

実際、フランスの大企業経営者が巨額報酬を欲しいままにしている理由に、経営者の給与を定める取締役員会において、従業員代表が役員の1/3(ドイツでは1/2まで)までしか占めることができず発言力が少ないこと、そしてまた多くの場合、役員というのが経営者とナアナアの関係にある人物という実態がある。「今回、私の昇給に挙手してくれたら、次回は君のところの取締役員会で君の言うとおりにするから」というようなことになりがちなのだそうだ。

20日夕方に発売された中道左派ル・モンド紙経済版(21日付け)の一面見出しは、『ルノー:パリはゴーン時代を終え、後継者を準備』。『太陽王の転落』とタイトルした記事では、2016年にヴェルサイユ宮殿のグラン・トリアノンで開かれたゴーン氏の再婚パーティーの場面の描写から始まり、「今や財政不正の疑いで東京の拘置所に捕らわれた王様は裸だ。日産自動車の後継者、西川広人会長は、ゴーン氏をあらゆる罪で告発し、なかでも、ヴェルサイユ宮殿でのパーティー費用を会社に支払わせたことを非難している。日本で大人気だったゴーン氏だが、ルイ14世が言ったとされている、『私が役職に就けてやった者は恩知らずな振る舞いをするようになり、残りの100人は不満を漏らす輩になる』という言葉を思い出すべきだった」と皮肉っている。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/152.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査と称するプロパガンダ報道を止めろ。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
6. 2018年12月18日 17:56:16 : hHRyrQsPsY : C257NcSSuSY[251]
01、日高見さん、
>統計学的根拠が『調査対象が正規分布をしているから』という、この根拠薄弱な屁理屈に集約されている云々(でんでん)

誤解があるようですね。統計学(母比率の区間推定)でいう正規分布というのは、こういうことなのです。つまり、
真の内閣支持率(神様が知っている)をpとすると、全国からランダムに一人選んだ場合、彼が内閣支持である場合もあるし不支持である場合もあるが、彼が「支持」である確率はpです。

2人を選んだ場合、2人とも支持の確率(2人とも支持になる確率)はp^2、1人のみ支持の確率は2p(1-p)、0人のみ支持の確率は(1-p)^2です。

n人を選んだ場合、n人全員が支持の確率はp^n、0人支持の確率は(1-p)^n、
x人支持の確率はnCx・p^x・(1-p)^(n-x)です。(←所謂二項分布、母集団が大きい時になりたつ。)

そして、xを横軸に、y=nCx・p^x・(1-p)^(n-x)を縦軸のグラフを考えて下さい。

そして、このxとyの関数、二項分布が、nを大きく取れば(100とか1000とか)、正規分布と見做してよいということなのです。このサイト(http://toukei.link/probabilitydistributions/binomialdistribution/)の「コインを1000回投げた時のx」というグラフのようになります。この例ではp=0.6にしてありますが、1000回投げて(1000人の世論調査に相当する)、中心(期待値)が600でプラスマイナス20程度に殆ど(95%の)面積が入っていることが分かるでしょう。

つまり、真の(ウソでない)支持率が60%だとすると、1000人調査すれば、期待値は600だが、誠実に調査したとしてもバラツキは出て、620人の場合も590人の場合も結果としてありうる。しかし、そのバラツキは95%の確率で3%に収まる、ということです。(このバラツキはnとpに依存します。)

だから、統計学的には、1000程度のサンプルで、95%の信頼度で、3%程度の誤差で、母集団を推定することは可能なのです。

マスゴミの世論釣査の問題点は、1000程度の大きさでも、正規分布と見做していることでもなく、以下のようなことです。
@ホントに釣査しているのかデータを公表しない。どなたか書かれていたが、質問回答の音声を公表するとか、信頼されるための努力がゼロ。
A11月の日経と毎日で12ポイントもの差があった。誤差が3%くらい(p=0.4でも0.5でもほぼ同じ)のはずなのに、4σくらいのあり得ないデータになっている。しかも、毎月同じ傾向。これはあり得ない。
B40%~45%の「不回答」があるのを考慮していない。40%も不回答なら釣査に失敗した、というのが正しい発表だ。
Cすべてのマスコミが回答者の平均値のみを「真の支持率」であるかのように報道し、誤差、バラツキについてはディスクレーマーすら書いていない。

などなど。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/155.html#c6

記事 [国際24] ロシアのSNSによる2016米大統領選介入、米国民の分断狙う深刻な状況だった(ニューズウィーク)
ロシアのSNSによる2016米大統領選介入、米国民の分断狙う深刻な状況だった
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/12/sns2016.php
2018年12月18日(火)09時15分 ニューズウィーク


12月17日、超党派の米上院議員が公表した2つの民間専門機関の報告書によると、2016年の米大統領選に対するロシアのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を利用した介入は、これまで考えられていたよりも範囲が広いことが判明した。写真はロシア国旗と、ツイッターとフェイスブックのロゴ。ゼニツァで5月撮影(2018年 ロイター/Dado Ruvic)


2016年の米大統領選に対するロシアのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を利用した介入は、これまで考えられていたよりも範囲が広く、人種や過激思想によって米国民の分断化も狙っていた──。超党派の上院議員が17日公表した2つの民間専門機関の報告書で、こうした実態が判明した。

報告書はそれぞれ、ソーシャルメディア分析会社ニュー・ナレッジと、オックスフォード大学および調査会社グラフィカの研究チームがまとめた。サンクトペテルブルクを拠点にしてロシア政府の情報工作を担当しているとみられる企業インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)が、米国政治を都合よく操作しようとしていたという。

今回の報告書はおおむね、米国の諜報機関が既に把握してたことを確認する内容だったが、何年も前にさかのぼって活動のより詳しい部分を記している。

ニュー・ナレッジの報告書は、ロシア側のある情報工作組織(トロールファーム)がカリフォルニア州とテキサス州で、分断主義をあおろうとしていたと指摘した。

上院情報特別委員会のリチャード・バー委員長(共和党)は「新たに公表されたデータで、ロシアがいかに積極的に人種や宗教、思想で米国民を分断しようとしたかが証明された」と述べ、ロシアの機関は米国の民主的な組織に不信感を植え付ける活動をしており、それは今も続いていると付け加えた。

同委員会の民主党トップ、マーク・ワーナー議員は「これらの報告書はロシアが米国を分断化するために社会にある断層を巧みに利用し、われわれの民主主義を破壊し、操ろうとした範囲を示している。こうした企ては、従来明らかにされていたよりもずっと包括的で計算し尽され、広範だった」と語った。










http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/795.html

コメント [政治・選挙・NHK255] 伊集院静氏が指摘 今の65歳から80歳が日本をダメにした 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
40. 2018年12月18日 18:05:41 : zK8Ga0CBTk : Un3FObIKHbQ[1]
65〜80歳

地域の自治会活動でも同じ
この年代のやり方って、自分勝手でメチャクチャ
知識も乏しいけど、面倒なのか時間がないのか調べようともしない
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/138.html#c40

コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
7. 中川隆[-13745] koaQ7Jey 2018年12月18日 18:08:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

天皇一族は売春業者、未成年の日本女性が天皇家の金蔓だった


 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。


貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html


高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。


「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。


日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。


娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。


「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」


福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。


至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825


1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社


日本郵船が創立される。

明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。

そこで福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」


という指示を天皇に与える。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。

(福沢諭吉全集 第15巻)


1900年初頭から天皇の命令の下、

「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」


という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。


日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設された。

(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。


また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた

米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で1億ドルを超えると記録されている。

国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。

戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。
そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。

また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という巨大な壷に蓄財された。

中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争 は天皇の個人的蓄財のために行われていた。

この問題を調査したエドワード・ベアは、「天皇一族は金銭ギャングである」と吐き棄てるように語っている。

(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)


1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族はこの蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始める。

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、スイスに850万ポンド、ラテンアメリカに1004万ポンド等、広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5〜10億ドルに上るとしている。

(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。


広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本をどのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。

日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そしてスイス銀行まで遠路運搬されていた。

中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されている最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路
アルゼンチン、スイス等に運び出していた。

天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。

(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)。


なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンである。

そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」である。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。

天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していた。

天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。

(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 


ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。


1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。


天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」

(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。


「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団である。

追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語るのがジャーナリストの仕事である。

天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。

http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607


人身売買と近代日本の成立 


自国女性を海外に売るのが「ロイヤルビジネス」だった


「からゆきさん」と呼ばれたどちらかといえば普通の「娘の身売り」の陰には、さらに悪質な詐欺的人身売買が、国策として、天皇のロイヤルビジネスとして、白人商人と連携して組織的に、国策会社日本郵船(=三菱)により、大々的に行われていた。

そして、その人身売買こそが、日本資本主義の原初的蓄積過程だった。

つまり、近代日本国家は自国女を売って成立した。


「オルタナティブ通信」などを通じて知るようになったこの事実ですが、まとまった知識を持った人をTwitterで見つけました。

http://twitter.com/urashima2


戦前の日本は民族差別に反対してたとか言ってる方がいまだに多いが、実際のところは人身売買する上で邪魔だったというのが大きな理由のようだ。そもそもアメリカが排日移民法を作らざるを得なかったのは日本からあまりに膨大な日本人女性が売られてきたからにほかならない。


戦前の日本が差別を許さないとか、プロパガンダにもならない妄想…。

世界最大の賤業婦人(売春婦)輸出大国だったのに。

それも騙して海外へ連れ出すという極悪非道ぶり。


いわゆる「からゆきさん」なんてハイカラな名称付けられているのが、それ。

ジャパゆきさんは自分の意志でオーディション受けて、どういう場所で働くか承知で来るかも知れない、からゆきさんの大半は国策として騙された人や誘拐・拉致同然に連れだされた方々なのでまるっきり違う。


からゆきさんと言っても中国だけじゃない。

世界中に貨物船の片隅に押し込められ売られており、明治から昭和にかけて、その数は30万人以上とも言われている。

戦争責任を追求する大手マスコミでさえ、からゆきさんについては非情に及び腰。

理由はロイヤル・ビジネスだから。


おもに日本郵船=三菱と組んでいるが、三菱といえば岩崎弥太郎。

岩崎といえば龍馬。龍馬といえばグラバー。

グラバーといえば武器商人…ってな具合に背後は真っ黒の助。

そもそも武器を買うための資金として人身売買をはじめた。


グラバーといえばマセソン商会の元社員で代理人。

マセソンといえばアヘン商人。

ようするに茶を買うためアヘンを売るのが、武器を買うために女性を売る…にかわっただけ。

長州ファイブを留学させたのもマセソン商会。

岩崎=長州閥=天皇家は一蓮托生でアヘン・武器商とつるんでた。


騙して日本人女性を売った金で武器を買う。

その両方でピンハネすればボロ儲け。


三菱財閥が巨大化した最大の理由が人身売買…

などとは歴史の教科書や社史にも出てくるわけない。


人身売買であげた利益で武器を買い、それで戦争を行っては国民を虫けらのように死なせた。そういうビジネスを明治以来一貫して下衆なアヘン・武器商人と結託しながらやってきた。宗教も人種も違う連中を奴隷貿易するでもなく、自国の同胞女性を詐欺まがいに海外へ大量に売り飛ばすという豪快なことをしていた日本。


さうがの毛唐も

「オーマイガッツ!

ジャップのやつ正気の沙汰とは思えない。

オークレイジー」

なんて驚いたことだろう。


そういう背景により、クレージーなジャップによる人身売買を阻止するため、アメリカは排日移民法をつくってくれた。それを、差別だとかいうのだから凄い。


戦争の原因について


「カリフォルニア州への移民拒否については、 日本を憤慨させるに十分なものであった」

とは裕仁天皇のお言葉。これが戦争の原因なのだというから素晴らしい。


戦前の国策による人身売買の実態を隠蔽するため「からゆきさん」と混同されるようにイメージの偽装転換が巧妙になされている。実際はからゆきさんなんてレベルをこえた国策の人身売買が壮大なスケールで行わていた。


本来の「からゆきさん」なんてのは九州の貧しい農村部の女性が女衒に連れられアジアの娼館で働くというものだが、日本郵船とかがやってたのは基本的に詐欺。


「海外で教養を身につけよう」

「あこがれのアメリカで働こう」


なんてかんじで良家の子女から寒村にいたるまで処女を集めた。


私もこのブログで、アメリカの人身売買報告書が日本に異常に厳しいことを人種差別ではないかと批判したことがありましたが、見当違いだったかもしれません。

彼らは当然ながらこういう過去の事実を知っている。この件の被害者は日本人であり、欧米商人も関与していたので、あえて言挙げはしないが、日本国がこういう体質をもっているということには留意している。このような過去の犯罪行為について、日本人がほとんど知らされておらず日本国内に批判も反省もないことも見ている。

普通に「人身売買を防止する」という観点から見て、日本が要警戒国になるのは当然ですね。


これから必然的に貧しくなっていく日本ですが、日本女性は日本国家および天皇一族を警戒したほうが良いといえます。同時に、従軍慰安婦問題や南京強姦事件で騒いでくれる近隣国の人々に感謝しなければならない。被害者が日本人だけなら、誰も騒がず、語ろうとする者は口封じをされ、そんな過去はなかったことになります。

天皇と三菱とが一体になり、外国商人と連携して、国策でこのような犯罪行為を行った歴史が「なかったこと」にされている。何の反省もない。

このままでは、日本国家にカネが必要なときにはまた同じことが繰り返されることになるでしょう。


日本国=天皇=三菱等、

はその成立時から人身売買マフィアであり、芯から腐っていると言えます。初めから腐っているものはどうしようもありません。「日本の解体」が是非必要です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/


あめゆきさんの歌、山田わか


 日系アメリカ人の歴史の本を読んでいた時に、

「アメリカの日本人の嚆矢(はじまり)は日本人売春婦」

という記述に出会って、愕然としたことがある。


 コロラドに、江戸時代の日本人売春婦の墓標が残されているそうだが、日米和親条約(1853年)が締結される以前の話である。日本から、アメリカに直接に向かうことができなかったので、アジアを経由して、密航者としてアメリカに渡ったらしい。

 この女性たちの歴史の発掘に尽力されたのが、サンフランシスコの日本語協会の石崎五郎さん(UCデイビス校の獣医学の教授、故人)だった。石崎さんは、そうした女性の存在を不憫に思われたようだ。 中国や東南アジアに渡ったからゆきさんのことは、森崎和江や山崎朋子の著作で知ってはいたが、そうした事実が、このアメリカでもあったのだ。


 明治の新聞ダイジェストを読んでいた時に、オーストラリア行きの船の船倉で、日本人売春婦が窒息死体となって発見されたという記事を目にしたことがあるが、日本人売春婦は、オーストラリアにも、密航させられていたようだ。 十九世紀末のアジアに渡った日本人売春婦を意味する”からゆきさん”という言葉から、山崎朋子(ノンフィクション作家)が、”あめゆきさん”という言葉を作り、「あめゆきさんの歌:山田わかの数奇なる生涯」という本を書いたのが、1978年。

 プラムさんに、山田わかが働いていた場所を訊ねられた私は、シアトル時代の山田わかの手掛かりを求めて、この本を読み返した。 この本の記述とシアトル旧日本人街明細図から、20世紀初頭に、彼女が白人相手の売春婦として働いていた場所が分かった。

現在のシアトル・アジア人街のあるインターナショナル・ディストリクトの一角だ。 私自身、以前、インターナショナル・ディストリクトを訪れた時に、山田わかはどこで働かされていたのだろうと、漠然とした疑問をもちながら、同地域を歩いていたのだが、今回、キング・ストリートと5番街の角のアロハ・ハウス(現在は別のお店になっている)で働いていたことが分かった。


 1906年に、26歳で日本に帰国した山田わかは、近所に住んでいたことから平塚らいてふと知遇を得て、青鞜に参加。『朝日新聞』の人生相談の回答者になって、アメリカ帰りの女流評論家として成功した。


 アメリカの図書館で、私は、戦前に発行された山田わかの本を2冊、見掛けたことがあるし、サンフランシスコで、彼女の夫となった山田嘉吉の教える英語塾で山田わかに出会ったことがあるという人から話を訊いたこともある。 私が渡米した頃には、ヤングさんと呼ばれた日系一世の若手がまだ、生きていたのだ。ヤングさんは、英語の勉強のために、サンフランシスコの山田嘉吉の英語塾に通ったようだ。

 山田わかのシアトル時代の記述については、サンフランシスコで発行された『あめりか新聞』(1937年)のオリジナルをUCLAのライブラリー(special collections library)で読んだこともあるし、山崎朋子が出会ったリン(林)司書から、直接、お話を聞いたこともある。リンさんは、UCLAのアジア関係の生き字引のような方だったが、1990年代の前半に退職された。

第二次世界大戦後、山田わかが心血を注いだ仕事に、売春婦の更生施設の建設、運営があった。 売春婦から更生して家庭人となった彼女だからこそ、更生が、いかに大切であるかということを知っていたのであろう。

 私は、アメリカに住む日本人のことをリサーチしている理由の一つに、日本人は、アメリカから何を学ぶのだろか、ということがある。山田わかの場合は、不屈の向上心だったのではないだろうか。

http://plaza.rakuten.co.jp/katiebooks/diary/200408240000/

昔アメリカで、ハロウィーンに英語もできないくせに白人様の真似をして調子こいていた馬鹿な日本人留学生が射殺された事件がありました。しかし、アメリカ白人がやったことなので日本人は怒りません。その因縁のハロウィーンを、やがて日本人たちはアメリカ白人と一緒になって馬鹿騒ぎして祝うようになりました。

だいたい日本人に同胞意識などない。自分が白人様にでも引き立てられれば、黄色人種の同胞なんてクソみたいなものです。日本人で出世して偉くなる人はみんなそう思っています。


天皇のロイヤルビジネスは、日本人の素人女性を騙して、日本郵船の貨物船に乗せて海外に性奴隷として売り、外貨を稼ぐというものでした。


日露戦争などの戦費もそれで出した。

同胞の日本人女でさえ騙して奴隷にして、船内で白人船員に強姦させて売春婦教育し、外国の売春宿に平気で売る事をしてきた日本人なので、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行や戦地や日本軍進駐先(前記事のタイにも進駐していた)での住民強姦など朝飯前のことです。

(そんなことを否定したり事実を争ったりする方がどうにかしています)。


日本はもともとそういう麗しい国なのです。なので、マトモな人間なら、日本人であれ外国人であれ、「反日」になるのが自然です。
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
45. 2018年12月18日 18:10:45 : imf801LpCA : KNUNKvDsBfI[437]
国政調査権(森ゆう子の場合)
https://twitter.com/moriyukogiin/status/1065500896153354241
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c45
コメント [政治・選挙・NHK255] <Dr.ナイフ氏、恐ろしい証拠動画>安倍晋三氏がネトウヨの親玉 講演の大部分、民主党をディスるまくる  赤かぶ
35. スポンのポン[10433] g1iDfIOTgsyDfIOT 2018年12月18日 18:13:17 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[743]
 
 
■仲村之菊という人は右翼が何か知らずに右翼団体に入り
 自分を右翼と言わなければ辻褄が合わなくなっているだけです。

 確かなことは
 人間を右左に分けることはバカげているということです。
 人間を分けるべき重要な基準は善悪しか有りません。

 私は自分自身を右だとも左だとも思ったことはないし
 眼の前にいる人をそういう基準で見たこともありません。
 良い人か悪い人か。
 それだけで十分なはずです。

 天皇が好きな人に悪い人はいませんか。
 天皇が嫌いな人はみんな悪い人ですか。

 天皇が好きか嫌いかはどうでもいいことです。
 天皇を特別な人間と思うか否かが重要です。

 『人間は誰もが等しく平等な権利を持ってこの世に生まれている。』

 この考えを認めない人がいるなら
 それは右でも左でも無く単なる悪であり狂気でしかありません。
  
 右翼という言葉はこういう単なる狂気を
 政治思想に見せかけるまやかし言葉に過ぎません。
 
 狂気は常に冷酷で残忍であり、
 優しい狂気というものはこの世に存在しません。

 優しく思いやりのある心を持ちながら自分を右翼と言う人がいたなら
 その人は右翼という狂気の正体を知らずに
 自分を勘違いしているだけのことです。
 
 
 
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/137.html#c35

コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
8. 中川隆[-13744] koaQ7Jey 2018年12月18日 18:13:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

天皇一族は売春業者、未成年の日本女性が天皇家の金蔓だった _ 2


こんな女に誰がした(パンパン編)__天皇陛下を恨んでね

終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた 「次から次へ、体じゅう痛くて…」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962

2018.08.15 貴志 謙介 元NHKディレクター・プロデューサー 現代ビジネス
ようやく見えた「戦後ゼロ年」の真実

今年も8月15日がめぐってきた。だが、73年前の敗戦をめぐる記憶は日々確実に薄れている。

とりわけ記憶の劣化が著しいのは、敗戦直後の一年間、いわゆる「戦後ゼロ年」であろう。みじめな焼け跡暮らし、占領の屈辱、飢え、虚脱感、思い出したくもないヤミ買い。高度成長という威勢の良い華やかなサクセス・ストーリーの陰で、暗い役回りを押し付けられたせいかもしれない。

だがもっと本質的なことは、敗戦直後の時代には、その時代を経験した人であっても知ることのできなかった秘密がたくさんあるということだ。

占領軍は、情報をコントロールしていることを悟られないような巧妙なやり方で検閲をおこない、メディアを支配する情報戦を仕組んでいた。その結果、占領政策にとって都合の悪い出来事や情報は隠されたまま、いわばブラックホールのなかへ姿を消してしまった。

「戦後社会の原点」とみなされる時代であるにもかかわらず、多くの真実が欠落し、核心がぼやけたまま風化してしまったのである。

ところがここへ来て、思いがけず、戦後ゼロ年をめぐる新しい視野がもたらされようとしている。原動力のひとつは、機密資料の公開である。たとえば、2007年に機密解除された10万ページのCIA文書があり、150万点に達するGHQの検閲記録がある。A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。

こうした極秘文書を多くの証言とつきあわせていくと、驚くべき真実が続々と浮かび上がってくる。まず、時計の針を敗戦から3日後の1945年8月17日にあわせてみよう。

日本政府がつくった「性の防波堤」

この日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿がなによりも急いだことは何だったか。

実は近衛は入閣直後、ただちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、米軍相手の売春施設を作るよう要請したのである。

40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、日本の戦争指導者がもっとも恐れたことは、兵士による性犯罪であった。そして「性の防波堤」と位置づけられたのが、「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」であった。

RAAをめぐる公式記録『R・A・A協会沿革誌』はこう述べている。

〈R・A・A協会が、その使命を忠実に達成する為、真先に開業したのは慰安所である。進駐軍将兵にとって、何よりも先ず慰安すべき面はセックスの満足であった〉

電光石火のごとく霞が関が動いた。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁など、主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長・池田勇人(のちの首相)である。池田の号令で大蔵省がポンと3300万円を出す。現在の価格に換算すれば10億円を超える。

占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人、そして官僚が何を置いても、外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのは、なぜだろう。国家が主導した売春施設を準備した警視総監・坂信弥は、内務省の資料のなかでこう証言している。

「東久邇さんは南京に入城されたときの日本の兵隊のしたことを覚えておられる。(略)それで、アメリカにやられたら大変だろうなという頭はあっただろうと思います」(大霞会編『続内務省外史』、地方財務協会)

軍国主義者がおびえていたのは、結局のところ、来るべき占領軍の蛮行というよりも、鏡に映った己の姿、日本軍の影だったのではあるまいか。

「からだじゅうが痛くて…」

8月28日、午前9時、RAAの幹部20名が皇居前広場に集合した。『R・A・A協会沿革誌』によれば、ここで全員が宮城に向かい宣誓式を行ったという。宣誓の主旨はこうである。

〈(RAA協会は)戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せらる。(略)『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、(略)「国体護持に挺身せんとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす〉

敗戦国であるドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも、占領軍を相手にする売春婦は大勢いた。しかし、国家が号令を発して、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国はほかにない。

8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第一号」として、「小町園」を開店した。ポツダム宣言の受諾からわずか2週間しかたっていない。

50人の女性、それも大半はシロウトの女性が送り込まれ、10畳、20畳の大部屋をカーテンや屏風で仕切り、30ほどの部屋が作られた。待ちかねたように、米兵がどっと押し寄せ、障子や襖を蹴破って、土足のまま押し入ってくる。女たちは恐怖のどん底へ投げ込まれた。

「恐怖におびえるまもなく、兵隊が入ってくるなり私を抱くと、しびれるほど唇を吸う。(略)入れ替わりに、つぎの兵隊がくる。(略)つぎからつぎへと抱いては送り、送っては抱き、(略)からだじゅうが痛くて……。」(『東京闇市興亡史』より)


RAAが横須賀に設けた慰安施設「安浦ハウス」(米軍資料)

女とみると、手あたりしだい

『R・A・A協会沿革誌』によれば、小町園を皮切りに、立川「キャバレー富士」、調布「調布園」、福生「福生営業所」、北多摩「ニューキャッスル」、築地「宮川」、人形町「花家」、向島「迎賓館大蔵」、若林「R・A・Aクラブ」が次々とオープン。

東京だけで33か所。従業員は450人。ダンサー2000人。350人の「慰安婦」。ひとりの女性が最高で一日60人を相手にした、との証言もある。


銀座松坂屋近くにRAAがつくったキャバレー“Oasis of Ginza”(Photo by gettyimages)

一方、RAAの幹部連中は何をしていたか。戦前に吉原で遊郭を経営していた経歴を持つRAA営業所長・岡本清次の談。

「RAAの仕事は国家の肝煎りですから、国から給料もらっているような身分でした。基本給千百円、手当て千百円の計二千二百円というのは、当時としてはそうとうな高給取り」

「食事のほうは、米兵からの土産もあったし、なにしろ警視庁から食券がきていましたから。(略)兵隊がもってくる牛肉は、ブ厚くてスキヤキにするとほんとうにうまかった」

当時、警視総監であった坂は、「RAAがあったおかげで占領軍兵士による強姦事件はほとんどなかった」と主張している。しかし、近年公開された米軍の極秘資料は、それがまぎれもなく“虚偽の申告”であり、実態はむしろ逆であったことを示唆している。

米兵による暴行事件は、8月30日にはじまり、RAAの営業によっても止むことがなかった。1945年11月中に発生した米兵の犯罪は、婦女暴行、強姦、盗み、おどし、たかりなど、554件に達している。報道が禁止されていたゆえ、一般に知られなかっただけなのである。

特に強姦事件や強盗事件が多かったのは、小町園に近い大森海岸であった。売春婦の紹介業を務めていた菅原道雄は、その理由をこう証言している。

「大森で、強盗・強姦事件が頻繁におきたのも慰安所と関係ありますね。タバコや洋服を『金にかえてくれ』といってくるヤツが多かったし、それもないヤツは強盗をしてまで女を抱く金を得ようとする。慰安所にはGIが行列をなしていてあぶれちゃうヤツがでるんですよ。そうなると、手あたりしだい、女とみると襲いかかるのです。

夜の八時ころだったでしょうか。大森から大森海岸へ行くまっ暗な道で女の人の悲鳴をきいたことがあります。たぶん素人の人でしょうが強姦されていたんです。私は一目散に逃げましたよ。だって、アメちゃんは刃物をもってましたからね」

RAAの組織と人脈から、占領終了後、赤線や基地売春が生まれた。国家がつくりだした巨大売春施設こそ、戦後の売春産業の源泉であったのである。

いまも残る「東京ブラックホール」

戦後ゼロ年のブラックホールに迷い込んだのは、国家の「いけにえ」となった女性ばかりではない。占領下の東京には、いたるところに、ブラックホールが存在していた。

あらたに発掘された映像からも、その痕跡がみつかる。たとえば、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。数兆円にもおよぶ日本軍の隠匿物資の一部である。もとはといえば、本土決戦のために軍が国民から徴用した物資であり、こうした莫大な財産は国民には返還されず、高級軍人や官僚など特権階級に横領されて、ヤミ市に横流しされていたのである。

戦後ゼロ年、飢餓やインフレは、戦争中より深刻だった。もし、隠匿物資が国民を救うために使われていたら、どれほど多くの戦災者が救われていたことだろう。

人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされたのである。その事実を、私たちの記憶のなかに、あらためて刻み込んでおかなくてはならない。

膨大なCIA文書から、戦後ゼロ年にどのような権力構造が生まれていたかを知ることもできる。たとえば、占領軍は、表向きは「日本を民主化し、軍国主義者を追放する」政策を推進したが、裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしていた。

米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。軍国主義の残党、ヤミ成金、官僚や政治家を問わず、占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。

こうして戦後ゼロ年を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した日本の支配層との合作で「世界最大の親米国家ニッポン」が造られていく。そのときできあがった権力構造のDNAは、いまも日本を支配している。

戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、戦争を推進した旧支配層を取り込んで、アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのである。

『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』という本では、いままで視界から失われていた闇を見つめ、わたしたちの記憶の欠落を埋めていくことを試みた。復元された戦後ゼロ年の姿を現在の日本と重ね合わせれば、いまの日本を呪縛する仕掛けも見えてくるにちがいない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962

▲△▽▼


こんな女に誰がした(パンパン編)__天皇陛下を恨んでね

 『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。

 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。

 この売春施設の目的は性のハケ口を設けることによって、占領軍がレイプ事件などを起こさないためにという「性の防波堤」とも言うべきものであった。が、実際は占領軍によるレイプ事件は日常茶飯事であった。

 さてRAAであるが、東京の大森を皮切りに各地に作られ全盛期にはそこで働く「パンパン」と呼ばれた女性は7万人を数えるようになった。しかしその後占領軍兵士が持ち込んだ性病が蔓延し、GHQは21年3月10日慰安所への兵士の立ち入りを禁止し、RAAは崩壊する。パンパンの彼女たちの多くは私娼となって街で客を求めるようになる。

 そのころ吉原はというと、戦時中に東京大空襲で焼け野原になるも政府の援助によってすぐに復興。そして終戦を迎えると、前述のRAAの慰安施設となる。

 GHQは占領軍のRAAの立ち入りを禁止すると同時に、日本政府に対して公娼廃止を求める。日本政府はこれを受けて公娼を廃止するが、実際は特殊飲食街を指定しその地域内での売春行為は取り締まらないようになった。これが「赤線」の始まりである。

 赤線地帯は吉原や新宿二丁目など戦前は貸座敷があったところが指定され、風俗営業取締法(以下風営法)によって「カフェー喫茶」などが営業されていた。この「カフェー喫茶」であるが、もちろん「喫茶」といってもただ単にお茶を飲むのではない。かつて花魁として働いていた女性が今度は女給という呼称で売春をしていたのである。その後赤線は朝鮮戦争の特需景気により営業する店が急増した。そのころの泊まりの料金は1000〜3000円。

 赤線が一応風営法というかたちで許可をとっていたのに対し、その許可を取らないで売春行為をしていたのが青線である。青線は表向き料理屋の形をとっているが客と交渉が成立したときは店を閉め売春をする。青線のほうが基本的に価格は安く、比較的所得・階層の低い人が利用していたと言う。

 しかし、赤線・青線地帯もやがて崩壊する。昭和33年4月1日売春防止法(以下売防法)が施行される。これはこれまで黙認してきた売春行為を禁止するものであった。なぜこの次期に売防法が公布・施行されたのか。それは日本が国連に加盟するためである。国連は昭和24年「人身売買及び売春行為の搾取禁止のための条約」を決議しており、国連に加盟するためには娼婦をなくすことが必要であったからである。

 売防法について、赤線で働いていた女性は猛反対していた。もし赤線がなくなれば彼女達は生きる術を失うことになる。政府は何も生活の保障や仕事の斡旋などはしてくれない。東京では「東京都女子従業員組合連合会」を結成し、売防法に反対するビラまきなどを行った。

 しかしながら売防法は施行され、そして吉原をはじめとする赤線地帯は消えていったのである。職を失った女性たちは、厚生施設に通い手に職をつけようとした者もいたが、白線・黒線と呼ばれる結婚相談所の形をとった売春組織で働く者もいたし、それ以外の性風俗で働く者もいた。 
http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


赤線地帯 溝口健二監督 撮影・宮川一夫

出演者 若尾文子
三益愛子
町田博子
京マチ子
木暮実千代
http://www.youtube.com/watch?v=vBE4favGFZw&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=0&playnext=1
http://www.youtube.com/watch?v=CnfoMLE1uvc&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=CsE9BH31D0c&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=2

http://www.youtube.com/watch?v=K_bfxPVbEZs&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=oo54ArDnCxc&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=9ZFbsOfFqiA&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=5

http://www.youtube.com/watch?v=zCBAQZWKGQM&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=6
http://www.youtube.com/watch?v=sdeSrCGqrvI&feature=PlayList&p=5F47B09163B9438D&index=7

「戦争が終わってアメリカさんが来たら、素人さんを守ってくれ、防波堤になってくれなんて、いーい調子でおだてられちまってね」というセリフ!

映画のラスト。初めて吉原の店に出る生娘の少女が、ようやくのことで男を誘う呼び声を出すが、すぐに柱の陰に隠れてしまう。

彼女は、これから男に体を売って生きていかなければならない。その未来の始まりが映画の終わりだ。何という終わり方!

また、それが溝口監督の映画の最後のシーンになった
http://bojingles.blog3.fc2.com/blog-entry-682.html


記録映画「赤線」  官許遊郭の実態
http://www.youtube.com/watch?v=WOZEV7sh_TU&feature=related

赤線
http://www.youtube.com/watch?v=Czjvt2wB3Z8

記録映画『赤線』・ネオンきらめく吉原 1958
http://www.youtube.com/watch?v=w3b6A9fxSE0&feature=related

記録映画『赤線』・東京パレス(小岩) 1958
http://www.youtube.com/watch?v=tM45aDtaU-4&feature=related

記録映画『赤線』・洲崎パラダイス 1958
http://www.youtube.com/watch?v=I9iF39c-Hdk&feature=related

怒れる占領軍を親日家に変えたこの手腕__昭和天皇は偉大だった


昭和天皇は主席検事キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った(?)。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


田中隆吉は、すぐに、主席検事キーナンに親しいボディーガードとなった。二人は、両者に共通するフランス語を使い、田中はバーボンをあたかも「特級酒」ように楽しむことを覚えた。田中が出版した回顧録によれば、キーナンは田中を日本暮らしのガイドのように使った。

もし、キーナンが女性関係を望んだ時は、彼はただ会話に「Je suis fort. (私は強い)」 とだけ言えば、田中は電話をかけてその段取りをととのえた。

実際、田中は何事にも明るく、靴を脱ぐのを嫌うキーナンが、靴のまま畳の間に入り込んでも問題を起こさないような、そんなくつろぎの場をも手配した。キーナンは、アメリカ人将校と日本の上流婦人との間の関係を良しとしていなかった。彼はよく言った。

「私もちょっとしたあそびは好きだが、素人に手を出したりはしない。それはよくない。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


マッカーサーの部下職員の宿泊所として徴用された旧東京記者クラブでは、22人のメイドと電話交換手が、夜、そうした職員の部屋で過ごしているところを発見された。占領後半年までに、少なく見積もっても、半分以上のアメリカ軍将校たちが日本人の愛人を持つと見られていた。

 10月、幣原内閣が発足しようとする頃、特殊慰安協会はその供給について、下士官と将校を分離し、50万人の占領軍全体がすべて同じように魅力的なサービスが受けるのは難しいと強調し始めた。そしてその日より、下士官には下級のホステスバーが、兵卒には「ウィロウ・ラン」となり、上等な老舗旅館は将校向けとなった。つまり、もはやだれもが十分に満足しえるものではなくなっていた。

みごとな庭園を持つ豪奢な別荘の幾つかにはアメリカ式浴室が設けられ、そして人々の視界からは消えた。米軍士官にもっとも人気のあったのは、東京中心部のネオン街にある、招待客のみを受け入れる、プライベートクラブだった。

 そうしたクラブの筆頭が「大安」で、裕仁の弟、海軍大佐の高松宮の親友、安藤明が経営しており、戦時に便乗して暴利を稼いできていた。

トラック運送あるいは建設業界のボスとして、最初の占領軍の着陸に際し、厚木基地のまたたくうちの修復工事を成し遂げて名を売っていたのが安藤だった。

そのクラブ「大安」では、米軍の高級将校に、活発で英語の話せる貴婦人を紹介し、夜ごと、その記念にと、御木本の真珠のネックレスが贈呈されていた。

彼の気前の良い商風は、幾度も彼を倒産の崖淵に追い込んでいたが、地下商売で大当たりを上げては再起していた。そして最後に短期の刑務所暮らしをした後は、引退して安楽な生活を楽しんだ。

 そうしたクラブとは別に、内閣官房楢橋渡や東久邇元首相の別荘では、極めて興味深い享楽が繰り広げられていた。東久邇のパーティーの様は余り記録に残されていないが、楢橋のそれは、見るからに露骨な誘惑そのもので、今日。老いたアメリカ人将軍たちが当時を思い出して顔を赤らめるものとなっている。

楢橋は熱海に別荘をもっていた。熱海の入江や山々、そして名高い温泉やホステスたちと、当地はその持ち味をあえて強調する必要もなく、かつ、楢橋は名うてのもてなし上手だった。その裕福な弁護士は、戦争中、北京で最大かつ最も儲けの良い情報収集源ホテル〔北京飯店〕を経営していた。

その彼の部下の鳥尾〔鶴代〕子爵夫人が、コトニー・ウィットニー准将に仕える将官〔民政局次長チャールス・ケーディス〕の愛人となった。ウィットニーは、連合軍最高司令部民政局を動かし、日本の法制改革の草案作りをしていた。その元ホテル経営者の楢橋は、自分と自分の「貴婦人」たちが、最後にはウィットニーの部下たちすべてを「とりこ」にするだろうと豪語していた。

 性的わいろに加えて、さらに特異な投資機会も存在していた。

マッカーサーの会計担当ハロルド・R・・ルース大佐は、占領軍将兵たちは、毎月、支払われる給料より800万ドルも余計に故国に送金をしているとの報告を行った。

日本人が中国から略奪してきた数々の骨董品は、日本産の秘蔵品とともに、米国へ送られる雑のうの中に入れられていた。

天皇の叔父、東久邇宮自身も骨董業を手がけ、後になって、要職にあるアメリカ軍士官たちに安売りし過ぎて破産したと、よく語っていた。http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


8月15日の降伏の日、近衛宮は警視庁長官、伴信也を呼んで言った。「我々は日本の娘たちを守らなければならない。特に君にはそれを理解してもらいたい」。用意周到な中産階級の人々は、女たちを山中に隠れさせ、いざという時のために青酸カリ剤を持たせていた。

スラム街には、貞淑であろうとする権利も、国を思って自ら愛国者であろうと考える暇すらも与えられたことのない数千人の女たちが残されていた。今や、そうした女たちの出番であった。

伴長官は、東京の主要な娯楽業界――旅館、レストラン、麻雀荘、お茶屋、バー、売春宿など――の代表を招集した。

8月23日、こうしたお歴々によって、連合軍下士官のための「特殊慰安施設協会」が設立された。この団体は、勧業銀行による二百万ドル相当の株発行を資本とし、その株券は天皇の友人たちに販売された。数週間のうちに、同協会は、東京で33個所、地方で5個所、そして二つの婦人専門病院での事業を始めた。 

また同協会の別事業として、東京下町にあった軍需品工場がホテルに改造された。刀を鍬に作り直す事業などより、はるかに儲かるビジネスだった。

後にこの施設が最終的に廃止されるまでに、 「ウイロー・ラン」 と呼ばれたその工場は、250人の女たちによる生産ラインを持ち、一日に平均3,750人の兵士たちを受け入れるという生産高をあげた。

 特殊慰安施設協会とその付属組織は、 「一年一円」衆と称して天皇に仕える工業界人団体によって支援され成長した。

この団体は、化学、海運業界の重鎮であり、過去十ヶ月、和平派に属し、木戸内大臣と幾度も会談を重ねてきた、山下太郎によって組織、統率されていた。山下とその賛同者は、二億円、およそ1,400万ドルの基金を集め、天皇に献上した。

この贈呈が、その受け入れに木戸内大臣が二日を要したところからみて、何らかの見返りが要求されていたことが伺える。


 山下と 「一年一円」衆が引き受けた仕事のうち、最も難しかったものは、マッカーサー及びその側近との間の連絡業務であった。

宮中のご婦人たちの助言によれば、無能な国内警察による通訳用務が放棄され、外国語に通じたそうした国際経験ある婦人たちがそれを代行するようになれば、連合軍司令部との関係ははるかに円滑になる、というものであった。そこで、パリやロンドンに暮らしたことのある王妃や侯爵夫人たちの一団は、米国での良好なコネを持つビジネスマンの一団と協力し合うことに同意した。折角の貯蓄も目減りして見る影もない戦争未亡人には、新しい着物を買うための資金も用意された。名家の別荘は、その品格と遊興施設の程度によってランク付けされた。西洋の首都で見られるようなものをまねて、会員制のクラブが作られた。

裕福な才女たちのグループは名うての芸者を招き、男たちをもてなす芸に取り組んだ。

 日本は、マッカーサーが自分の兵隊たちに予測していた気の緩みにつけ込むための準備を万全に整えていた。和平派の特殊慰安施設協会は、まさしくその目的のために、国をあげての娼婦力を動員していた。

最初に米軍の機動部隊が東京に到着し、所定の兵営や工場に収まり、そこに検問所を設置した時より、兵員たちは、幾台ものトラックに満載されてきた女たちが検問所前で下車して準備が整い、通訳から「特殊慰安施設協会からの御挨拶です」と説明されてびっくり仰天した。

この最初の進呈は受け取りを拒絶され、そのトラック満載の贈り物は未開封のまま返品された。だが数週間のうちに、それが日本側の騙し打ちではないと判ると、アメリカ人たちはそれに打ち解け始めた。そしてすぐににマッカーサーは、「広がっていると報じられる占領軍メンバーと不品行な日本女性との間の乱れた関係に大きな懸念と深い困惑」を表すこととなった。

 戦前、日本の売春婦は、その小柄さ、その恥じない快楽主義、そして彼女たちの自尊と誠実さを込めた甘美なサービスで、国際的な評判を得ていた。

彼女たちは、主要都市の街外れにある、壁で囲まれ、飾り立てられた街区に住み、働いていた。その最も著名なものは、東京の吉原で、きらめく提灯とごった返す小路を持つ40エーカー〔16万m2〕ほどの治安の良い一画を形成し、金張りの龍と朱塗りの門、着飾った客引きや曲芸師と砂糖菓子売り、格子を通して垣間見える池や庭と縁側や格子窓の向こうの女たちといった、集積された東洋の魅惑と悪徳の場であった。

 空襲を生き延びたそうした女たちは、首都圏全体に霧散していた。少しでも英語が話せるものは、特殊慰安施設協会に雇われ、郊外の古びた宿屋や、同協会が下町に作ったキャバレーや売春宿で、そのサービスを提供するのを待ち構えていた。

アメリカ人による需要は、ついには、横浜の「ビック・ティッツ〔「大きなおっぱい」の意〕・バー」や。東京の「ハード・オン〔「勃起した」の意〕・カフェ」のような目立った歓楽場所を生みだし、占領が始まって1ヶ月も経たない時点で、歓迎されるとみられる所では、目立たないようにながら、あたかも偶然を装い、そうした女たちが商売を始めていた。

 米兵のうちには、まるで麻薬の幻覚であるかのような、そうした初期の出来事を経験したものがいる。日本の地方で、武器の隠し場所を捜索していた元第8軍団の軍曹が、1945年10月末のある日の経験を述べている。


 彼と同僚は、その日、東京の東方にある小さな海辺の町のほこりっぽい広場に、彼らの乗るジープを止めた。そこで彼らが、昼食のためにK号携帯糧食を開こうとしていた時、シルクハットを被り、黒く盛装した一人の紳士がやってきて、たどたどしい英語で、粗末な場所だがその屋根の下で、食事を摂ったらいかがかと申し出てきた。彼は、ジープの後方バンパーに立ち、海を見下ろす崖の上へと、砂利道を案内した。竹藪の前で車を止めさせ、崖の淵にある、古い宿屋へと小道を下った。

その玄関では、着物を着た四人の麗しい娘が、彼らの靴を脱がせ、二階の、漆塗りの食卓の置かれた畳敷きの部屋へと通した。座布団が差しだされ、ふすまが開けられると、素晴らしい景色がそこに広がり、眼下では波が磯に砕け散っていた。女中が、K号携帯糧食に加えるべく、ビール、おひつに入ったほかほかのご飯、数々の前菜を持って入ってきた。娘たちは、間違った英語をにぎやかにしゃべり、はしを使って米兵たちにそれを食べさせた。そして、指やマッチ棒やビール瓶をもちいた接客ゲーム――言葉を超越した遊び――を彼らに教えた。とっくり入りの燗のついた酒も出され、それを杯で飲んだ。

やがて、食事と歓談に満腹したところで、娘たちが言った。「お風呂に入りましょう」。

 折り返した階段を下りて、崖下のほら穴状の部屋へと案内された。その岩の床はおだやかに傾斜し、一方の壁は海に向かった開口部だった。その床の中央に、タイル張りの湯気をあげる浴槽があった。

娘たちは着物を取り、男たちの服を脱がせ始めた。娘たちは、手おけで火傷しそうなその熱いお湯を自らあびた。その行為は繰り返され、兵士たちは大喜びしてそれをまねた。皆がそうして洗い終わった時、娘たちは浴槽の中に身を沈めた。男たちは、それに従い、その40度を越える熱いお湯に体を入れ、ゆっくりと首までつかったが、火傷はしないようだった。彼女たちは、兵士たちの顔を手ぬぐいでふいて、女中が運んできたビールを小さなグラスで飲ませた。遠くでは、崖の影が、海面の上に長く延びていた。

 皆がよく浸かった頃、女中が清潔な木綿の浴衣を持ってきて、男たちはそれを着て、その帯を前で結び、その結び目を背に回すことを教わった。そして娘たちは、彼らを、二階の個室へと案内した。そこでは、畳の床の上に厚い布団が敷かれ、またしても、ビールが幾本か、食膳の上に並べられていた。

一人の娘が、「アメリカ風の愛し方をして」と、軍曹に手を巻きつけながら言った。軍曹は、一瞬息をのみ、圧倒され、夢中となって、そして、それを拒むには自分が余りに誇らしくなっているのを感じていた。

翌朝、彼は一人で眼を覚ました。隣の部屋の仲間を起こし、そのぜいたくな遊びの代金を請求された場合を心配して、彼らの手持ちの金をかき集めた。

女中がお茶とご飯をもってきた。朝食の後、彼らは、その黒の盛装の男にそれでよいかを尋ねた。その男は、その代金は、一人につき、煙草二箱で結構と言った。玄関では、昨夜の相手をしてくれた娘たちが、靴べらを手にして待っており、満面の笑みをうかべて礼をして、彼らが帰途につくのを見送った。


 そのような、初期の接触がもたらした体験や物語は、親密関係無しといった公式占領政策をアメリカのMPによって徹底させることを不可能にした。ジャングルで闘ってきた精鋭部隊が、すべて「米国内」に帰還し終わるまでに、そうした女たちは、米国人宿泊所や定期的な一掃取締についてのあらましを知っていた。

連合軍隊員によって占められたかつての日本軍兵舎や武器改造工場は、消灯時ともなると、ヒールの音や漂う香水の香り、溜息や何かのきしみ音などが響く、不可思議な時間帯となった。http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


「米軍の本隊がまもなく到着する。宿舎は内村旅館である。

どのくらいの期間滞在するかわからないが、
署長は米軍から知覧の町民を守るようにとの中央の命令を受けている。

一番怖いのは婦女暴行であるが、これについては各方面の協力を得て、
彼らに当てがう女たちを確保した。

その女たちは、いわゆる慰安婦である。
 (赤羽礼子 石井宏著「ホタル帰る」草思社p188)

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   ゙'!,,,い:    ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\  .,l 私のせいで多くの女性が犠牲になった?
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     ll,  ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i   あ、そう! だから何?
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米兵は日本の「慰安婦」を常用していた

エリック・タルマッジ
AP通信 2007年4月25日18時44分

http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-13.fc2.com%2Fr%2Fe%2Fd%2Fredfox2667%2F51064_640x480.jpg/

この日付のない写真は横須賀市によって公開された。東京の南に位置する横須賀の安浦遊郭前に集まる米水兵。日本の降伏後米兵に売春を提供するために日本側によって設置された多くの慰安所の一つ(提供:AP通信/横須賀市)

【AP通信:東京】 第二次大戦中、軍のために女性を奴隷化した日本の忌まわしい行いには、余り知られていない続編がある。降伏後日本は米兵に対しての同様な「慰安婦」を提供したのである。米占領当局の黙認の下に。

 これまで英訳されてなかったものを含むAP通信の史料再調査は、女性が売春を強要されていると言う内部報告に関わらず、米当局が公的な売春システムを許可していたことを明らかにした。またアメリカ側は、日本が戦時中に占領したアジア諸国で女性に残忍な扱いをしていた事も熟知していた。

 1946年春にダグラス・マッカーサー司令官が売春宿を閉鎖させたが、それまでに何万人もの女性が安値で米軍相手の売春婦として雇われていた。1945年8月に米軍の日本進駐を期に多くの売春宿が営業を開始した事が記録には書かれている。

 東京の東北に位置する茨城県警の公式記録には「遺憾ながら、我々警察は占領軍のために慰安所を設けなければならなかった。それが経験豊富な女性の特別任務であったのは、一般の女性や少女を守るための防波堤とする目的であった」とある。

 日本の降伏と占領に関して協議するため日本の代表団がフィリピンに発つ前日の1945年8月18日に、内務省の指令があった。茨城県警は直ちに準備に取りかかったが、丁度良い施設は独身警察官の寮であり、それはすぐに売春慰安所に模様替えされた。20人の慰安婦と共に海軍施設から寝具が運び込まれた。慰安所は9月20日に営業を開始した。


売春宿は大繁盛
http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-13.fc2.com%2Fr%2Fe%2Fd%2Fredfox2667%2F2007050102564097_1.jpg/


記録には「慰安所が開設されて以降予想通りに大繁盛だった。慰安婦たちは...昨日の敵に自らを売ることに抵抗があり、言語や人種の違いなど彼女達にも最初は大きな戸惑いがあった。しかし彼女達は高額の賃金を受け取り、徐々にその仕事を受け入れるようになった」と書かれている。

 政府の財源で運営された「保養慰安協会」(RAA) の援助の下に、警察と東京の業者は売春宿のネットワークを設立した。1945年8月28日、東京の南隣の厚木へ進駐軍の先行隊が到着、その日の夕暮れまでに軍は最初の売春宿を見つけることになる。

 RAAの情報課長だった鏑木清一氏は「私はRAA幹部と共にそこに急いで向かったが、路上に500-600人の米兵が列を作っているのを見て驚いた。アメリカの自治警察が兵達をコントロール出来ない状態だった」と1972年の回想録でそう書いている。

 警察と民間によって運営されていたとしても、このシステムは戦時中の海外の日本軍によって設立された慰安所を手本にしている。

 鏑木氏はまた「進駐軍の兵は前払いでチケットとコンドームを与えられた」と書いている。最初のRAAの売春宿「小町園 - The Babe Garden」は当初38人の売春婦だったが、必要に迫られててすぐさま100人に増員した。女性一人当たりが一日に15-60人を相手にした。

 アメリカ人の歴史学者ジョン・ダウアー氏の著書『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本』によると、売春婦との一回が15円で、タバコ一箱の半額であり、「突然の高需要のために売春宿の運営者は、認可された売春婦でない女性をやむなく公募した」とある。

 戦争で身内を失った小町園の滝田ナツエさん (当時19) は、事務職募集広告で応募したが、空いてる唯一の職が慰安婦であると言われ、仕事につくように説得された。1952年の占領終了後に出版された鏑木氏の回想録によると、滝田さんは売春宿開業の数日後に列車に身を投げたとのことだ。「最悪の犠牲者は...『新日本女性』の広告に応募して来た、未経験の女性であった」とダウアー氏は書いている。

 鏑木氏によると、1945年の末までに35万人の米軍が日本に駐留し、米兵のためにRAAは最高時7万人の売春婦を雇っていたとある。そのためにそこに日本人以外の慰安婦が海外から来たと言う説があるが、それに関する明確な証拠はない。

 広島歴史研究所の田中利幸教授は、鏑木氏の提示した数字は根拠に乏しいとしているが、RAAはそのごく一部であり、公式記録に載っていない民間売春業者の数は更に多いであろうとしている。田中氏が発見した記録によると、米駐留軍幹部は、進駐軍の相手をする慰安婦のためにペニシリンを日本政府に提供し、RAAの売春宿のそばに予防施設を作り、兵隊達に使用を許可したとある。

 旧日本軍のための慰安婦と、進駐軍のために募集された慰安婦の類似性を駐留軍幹部は見過ごさなかった。GHQ衛生福祉厚生部のヒュー・マクドナルド上級士官の1945年12月6日の回想録によると、日本の慰安婦はしばしば強要されていたことを米進駐軍は把握していたと言う。「貧困の極致の両親に促され少女は契約を無理強いされた。時には自ら進んで家族のために犠牲になったとあるが、しかしながらそれは情報提供者の主観であり、かつてよりは一般的ではなくなったにせよ、都市部では少女の奴隷化の習慣はまだ存在している」と書いている。


RAAの崩壊

 従軍牧師達の苦情と、売春宿の発覚が米国に帰国後の進駐軍に不名誉となる懸念から、1946年3月25日、マッカーサーは全ての売春宿や慰安所その他の売春所への立ち入り禁止を指令し、間もなくRAAは解散した。

 マッカーサーの主な心配事はモラルの問題ではなかった。田中氏によると、進駐軍の米兵の1/4以上がその時点までに性病に感染していたとのことだ。「全国規模の立ち入り禁止令は、15万人以上の日本人女性を突然失職させた」と田中氏は2002年の性奴隷に関する著書でそのように書いている。元慰安婦の大半が兵士相手の違法ビジネスを続けたが、その多くが性病を持ち貧困であったとある。
http://redfox2667.blog111.fc2.com/?mode=m&no=2


 アメリカの朝鮮戦争時における慰安婦施設について

 朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人女性の売春婦(慰安婦)を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

朝鮮の戦場から一定期間毎に交代で米軍の兵隊が送られてきた。
 (中川八洋「歴史を偽造する朝鮮」徳間書店p225) 
http://www.tamanegiya.com/iannfudoitu18.5.302.html


「国体護持」へ国策売春

『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。


 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。
 http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


 1945年8月18日、俗に言う終戦の日の三日後、内務省警保局長は進駐軍用に慰安施設を整備するように全国に無電を発した。9月4日には内務省保安課長も同様の命令を出している。内務省警保局というのは今日で言う警察庁のような物であり、全国の警察の元締めである。

「これを受けて各警察は慰安所の設置や慰安婦確保に奔走する。その模様を詳述しているのが『神奈川県警察史』だ。それによると空襲で焼けた花街に女性は残っておらず、警察が業者に公務乗車証明書を発給し、疎開先を回って勧誘させた。また、慰安所の布団や衣類、化粧品、消毒薬などの手配や運搬には、直接警察官が携わったという。」
とある。

 東京では警視総監坂信弥が指示して売春業者と飲食店経営者に「特殊慰安施設協会」を作らせ対応したという。この特殊慰安施設協会には、後に吉原などのソープランド経営者に連なる者達が沢山いたという。更に当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。

「警察と大蔵省がバックの国策事業ゆえ、協会は堂々と新聞広告まで出して慰安婦を募っている。」

「進駐軍売春作戦の発案者とされる坂は、国務大臣近衛文麿から国体護持のために婦女子対策をと指示され、慰安所設置を決めたと生前語っている」
のである。占領下では米兵による強姦事件なども多かったために、反米感情が爆発して折角天皇制を存続させることに成功したのにそれが元の木阿弥となることを未然に防ぐためである。花街の女性を強姦に対する防波堤とした訳だ。

 で、特殊慰安施設協会に参加した売春業者達が戦時中に何をしていたかというと、当然の話であるが大日本帝国陸海軍の将兵相手に商売をしていた訳である。つまり従軍慰安婦=戦時性奴隷の手配に手を染めていたものも多数いた。

米軍相手に政府機関が売春婦を斡旋するという政策を取った背景には、日本軍将兵の間に強姦事件によって性病が蔓延したり占領地での人心掌握に支障が出ないように配慮した経験が生かされていた。

実際には日本軍の士気やモラルは非常に劣悪で、強姦殺人は日常茶飯事であった。毎日のこの記事だけでは従軍慰安婦=戦時性奴隷に日本政府や軍部が関わっていたことに対する状況証拠でしかないが、軍人に女性をあてがうという発想が、当時の日本人の感覚として極々普通の物であったことが分かるだろう。 
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/08/post_cfe5.html


「江東区女性軍」強制連行……。
「本土決戦が叫ばれた昭和二十年(一九四五年)に、国土防衛軍である「江東区女性軍」の編成にくりこまれた女性青年団埼玉第一中隊の百三人は、終戦の日に帰してもらえなかった。

「耐えがたきを耐えて、全日本婦人の楯となるべき……」

 と、お上が手早くつくった「国際親善協会RAA」(占領軍慰安婦)のうち、都内の四カ所に強制連行され、やみくもに米軍との交接を強いられた。
 そのことは埼玉らず、広島の女子青年団、そして川崎のM軍軍需工場など、他地区にも多くみられた。
 当時−−天皇のために捧げてたてまつると、血の宣紙を捧げてあった娘たちは、

「血書を捧げた君たちの忠誠を、天はみそなわしたもうたものであろう。君たちでなければ、日本人の操を、進駐軍の手から守り通すことはできない」

 占領軍慰安婦の持ちかけがお上からだされたのは敗戦直後の八月二十一日、RAAの誕生とともに二十六日には慰安婦の徴募がなされ、二十八日はRAAが宮城前で誓詞をなし、同日は厚木進駐の米兵に横浜の小町園が開所した。
 RAA発表による占領軍慰安婦は、昭和二十年十一月まで二万人、最盛期七万、閉鎖時の昭和二十一年(一九四六年)三月二十七日、五万五千であり、閉鎖は性病兵が増えたという米軍側の主張によった。」


横須賀……。

「横須賀に上陸した兵は、バイラーと呼ばれる客引きに案内された。−略−
 街は建物のかげ、ボートの中、神社、学校、いたるところで性行為が見られた。
「外人が船に乗ってくるから、パンパンがよってくる。横須賀へ来た船の着くところをこわした方がいい」(『日本の売春問題』神崎清)」

子どもたちが目撃して、作文にしている……。
−−小泉はこんな環境で育ったのだろうか?

自己責任は小泉政権のスローガンでしたね。直接は関係ですが……。

「閉鎖までの慰安所料金は、ショートで百円、オールナイトで三百円であり、RAAは充分にもうかっていた。政府融資の国策事業なのに、慰安婦たちからは部屋代、食費、衣裳、雑品、化粧品などと、昔からの廓のしきたりをむしろ越えるほど取り上げ、揚句の果てに、病気や怪我も、慰安婦の自己払いであった。」


閣議より前に、業者たちを集めたという。
「前述の慰安婦指令は、閣議よりも四日も早く、広尾小学校の警視庁保安課より出されてたのだ。高橋保安課長と大竹風紀係長らが、さっそく業者を集めてかたりかけた。」


調布、三鷹……。
「RAAの仕事では、立石は黒人用慰安所とされた。
 調布の日本楽器の建物は「調布園」として、九月十日に慰安婦三十人で開店し、三鷹はキャバレー慰安所として、ニューキャッスルが開所した。」

「娘を売る光景」
「人売は昭和二十三、四、五年と、売春婦に売られたが一番多いとされている(労働省婦人少年局の調査による)。」

http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/0b9d55f0b563f7420ee0432b3a409d22


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三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
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確かに売春婦ですが一般の女性を米兵によるレイプから守るためでもありました。
進駐軍がモラルがあったから日本は幸せだったというのはGHQの報道管制のたまもの
白人は昔から現地の女性をレイプし生まれた混血児をその植民地の支配層にするという政策を取り続けていました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1430857764


進駐軍犯罪史

 読売新聞の調べによる昭和32年の国内10大ニュースのトップはジラード事件。これはちゃんとした世論調査に基くものなので、当時の国民が最も関心を示したニュースが直接、反映されるものだ。ジラードとは進駐軍の兵士の名前である。ジラード事件とは進駐軍の兵士が村議夫人を射殺したという事件であった。
 
 進駐軍犯罪といえば大規模なものでは松本清張が「黒地の絵」で描いた、小倉の黒人兵大量脱走劇に伴う地域住民への大規模なレイプ、暴力沙汰がある。昭和25年7/11、およそ160人の黒人兵による祗園祭の日の犯罪事件は進駐軍によって厳重な報道規制が行われ、事件をうかがわせるような記事は当時の在京各紙にはまるで見えない。結局、この事件は7/15に進駐軍による鎮圧で市街戦となるまで続いた。この市街戦についても徹底した報道規制が行われた。
 
 昭和20年8/15から昭和27年4/28の平和条約発効までの間、日本はアメリカ進駐軍の支配下にあった。この間、都内での進駐軍犯罪被害の届出は318件、全国では2万5500件であったが、この数字は「氷山の一角」とされていた。なぜなら進駐軍犯罪被害の届出は非常に困難だったので、実際の犯罪被害は届出件数の数倍はあったのではないかと当時の人の生活感覚では感じられていたのである。
 
 進駐軍犯罪被害で役所に届出を出すと、まず加害者が本当に進駐軍という証明書を要求される。さらに市町村長の証明書、警察の証明書正副5通を要求され、少しでも不備があれば受理されない。これをようやく揃えて、やっと届出が受理される。その数字が全国で2万5500件であった。つまり届け出なかった、書類に不備がありつき返された、揉み消されたなどの犯罪被害の件数は2万5500件の中には入っていないのである。
 
 届出が受理されても、その審理は粗末なものだった。子供が酔っ払いのアメリカ兵のジープに轢殺された母は被害届をようやくCID(陸軍犯罪調査部)に受理されるも、何の連絡もなく放置され、呼び出されて「裁判でお前が負けた」と言い渡されて終わり。裁判があったのかなかったのか、あったとしたらどんな審理がされたのか何も伝えられないというシロモノだった。さらには仕事帰りにアメリカ兵にジープに拉致されて走行中に道に飛び降りて死んだ娘は「身元不明の売春婦」として処理され、家族が訴え出てもまともにとりあってもらえぬという酷さ。他にも道路を横断しているのが誰の目にも明らかなのに、アメリカ兵の運転するトラックがスピードを落さずにそのままその歩いて道を渡っている日本人をひき殺すという事もあった。あるいは突然、理由なくアメリカ兵に射殺されたり、道を歩いていて殴り殺されたり、強姦されたりなどの犯罪被害は総計3万4000件と言われたが、うち2万件は泣き寝入りしたとされている。
 
 終戦直後、進駐軍の到着に備えて政府は婦女子に警戒を呼びかけてはいた。「婦女子は淫らな服装をせぬこと、また人前で胸をあらはにしたりすることは禁物である。外國軍人が『ハロー』とか『ヘイ』とかあるいは片言まじりの日本語で呼びかけても、婦女子は相手にならず避くること」。
 
 しかしアメリカ兵によるレイプ事件は昭和20年8/30、占領部隊の日本上陸第1日目にすでに発生している。これはワシントンの米政府機関が保管していた当時の日本の内務省警保局「米兵の不法行為」に記載されており、8/30午後1時30分には神奈川の横須賀市旭町で車運転手の家にアメリカ兵2人が押し入り、留守番をしていた運転手の妻(36)と長女(17)をピストルを手にレイプした事件が起きている。このアメリカ兵2人は午前11時30分に件の家を下見しており、中に女性しかいないのを確認して犯行に及んだのだった。また同日午後6時には横須賀市の鎮守府正門にあったガラス商の家で、女中(34)が1人で留守番をしていたところをアメリカ兵2人にレイプされている。アメリカ兵は交互に見張りに立ってレイプしたという。
 
 アメリカ兵の上陸したところにレイプ事件あり。9/1にはアメリカ兵による日本人女性レイプは房総に飛び火した。千葉の安房郡の漁村の漁師の家に3人のアメリカ兵が押し入って、出征中に戦死した漁師の息子の妻(28)が留守番中に輪姦されたのをはじめ、同じ村では押し入ったアメリカ兵4人のうちの1人が別の漁師の妻(36)をレイプする事件が起きた。同日午後6時には横浜市中区でアメリカ兵2人と日本人2人に連れ出された女中(24)が野毛山自然園の中の米軍宿舎でアメリカ兵27人に輪姦される事件が起きている。この女中は翌日、意識不明となっているのを元の家へと送り返されている。
 
 アメリカ兵の理不尽な暴力の被害に遭ったのは女性ばかりではない。9/15午後10時30分には川崎市木月の国民酒場で、店主の田中(47)と長男(16)が酔ったアメリカ兵3人によって射殺される事件が起きている。特に深い理由もなくアメリカ兵に突然、射殺されて泣き寝入りという実例となる事件であるが、こうした事件はほとんどが表沙汰となる事はなかったのである。
 
 アメリカ兵による犯罪が公に報じられたのは、9/9に事もあろうに葉山の御用邸に乱入して略奪の限りを尽くしたというニュースが最後であった。9/10よりGHQの報道管制が始まったため、それ以降は進駐軍のレイプ、強盗、暴行殺人などの犯罪は全く報じられず、こうした犯罪に対しては日本警察も手が出せないという状態が続いた。政府は性の防波堤としてRAA(特殊慰安施設協会=進駐軍相手の売春公社)を設置したが、当の進駐軍から廃止にされて街頭には米兵相手のパンパン(売春婦)が溢れるようになった。こうしたパンパンは蔑視の対象にされたが、米兵の一般婦女子への際限ないレイプへ歯止めをかけた功績は大きい。
 
 このようにしてアメリカ兵による犯罪はどんな些細な事件でも新聞での報道は厳禁とされたので、総じて日本人のアメリカ進駐軍への感情は悪くはなっていない。占領中のアメリカ進駐軍犯罪には損害賠償法令がなかったため、日本独立後の昭和31年5/22、進駐軍被害者連盟が結成されて政府に補償とそれまで報道が控えられていたアメリカ兵の犯罪事実の公表へ向けて活動するなどとした。
 
 ジラード事件は昭和32年であるから進駐軍犯罪への報道はタブーではなくなっていたものの、日本の裁判管轄権が進駐軍には通用しないという構図が日本国民の前にさらされてこうした事が反米感情などに火をつける事となっていく。
 
 1/30の事であった。アメリカ軍の群馬県相馬ヶ原演習場はアメリカ軍が演習中には立ち入り禁止区域となっていて、それを破った者には刑事特別法による懲役1年以下、罰金2000円以下という罰則規定まであった。しかしこの相馬ヶ原は地元住民らが地べたに落ちている銃弾の薬莢を拾って生計の足しとするのが慣わしで、この日も相馬村議の妻、坂井なか(46)が仲間らと薬莢拾いのために相馬ヶ原に立ち入っていた。
 
 なかと一緒にいた男性(30)ら5人の証言によれば、なかは米兵に追われて逃げる最中に突然、撃たれてそのまま絶命した。この事件は当初、伏せられていたものの、2/2に5人の目撃者の中から社会党の茜ヶ久保重光衆院議員に相談を持ちかけた者があり、一気に政治問題化していく。一般の国民が事件の概要を知ったのは2/3の新聞報道によってであった。
 
 なかを撃った米兵は第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード特務三等兵(21)で、なかには2発銃弾を浴びせていた事も判明。1発目が外れて2発目を発射したというから、事故などではなく完全な確信犯である事は明らかであった。
 
 事件が表に出されて慌てたアメリカ進駐軍は2/4、熊谷の籠原キャンプの憲兵隊から群馬県警へジラードが事件を自供したと報告、その後、ジラードは地裁に告発されたものの、日米行政協定がネックとなってジラードは公務中なので裁判権はアメリカにあるというアメリカ軍の主張に押し切られそうになる。日本の反米感情の激化を恐れたアメリカが結局は裁判権不行使という裏技で、ようやく日本側の手でジラードは起訴された。これが5/18である。アメリカではジラードの日本への身柄引き渡しを認めないよう訴訟が起こされ、7/11にアメリカ最高裁によってようやく日本での裁判権が認定された。11/19に前橋地裁は傷害致死で懲役3年、執行猶予4年の判決を下し、控訴されずに12/6、ジラードはアメリカへ帰国して事件は日本国民に割り切れない感情を残したまま幕を下ろした。
 
 ジラードがなかを撃つ前にも別の弾拾いの住民に向けて発砲していた事や、なかと小野関英治に「パパサン大丈夫、ママサン大丈夫」と話しかけて近くの壕を指して「ママサン、タクサンネ」と言っていた事が明らかになったのは公判によってであった。ジラードは発砲時にはビクター・ニール・ニクル特務三等兵と一緒におり、最初は小野関に向けて空砲を発砲、続けて「ゲラルヒヤ」となかを誘い、逃げたところを背中から撃っていた。さらになかが倒れた後、ジラードはなかに近寄って触っており、なかを殺害した事は認識していたものと思われた。
 
 ジラードは7/5に日本人女性と結婚、帰国の際には同伴しており、味噌樽を土産にアメリカに持ち帰った。昭和33年4月にオタワのジラード邸を訪問した松田ふみ子によれば、ジラード邸はペンキが剥げ落ちて板は腐って2間きりの狭い家だったが、当時、日本では珍しいテレビ、電気冷蔵庫、ガスレンジが完備していた。ジラードは帰国後、工場で荷物運びをしていたが失業し、妻のハルは英語が下手なのでジラードと意思疎通が出来ず、さらに5ヶ月でわずか5ドル(1800円)しか貯金がたまらない事もあり日本に手紙も出せない状態だったという。
 
 相馬ヶ原は榛名山の南側に広がる原野で大正9年に陸軍の演習場となり、周辺住民の薬莢拾いはその頃から軍に黙認された「権利」であった。周辺住民の土地を一部強制収容して演習場にしたため、周辺住民の生計の足しのための薬莢拾いについて陸軍でもとやかく言えなかったのである。演習場は戦後はアメリカ進駐軍に接収されたが、旧日本陸軍時代と違って実弾射撃で農家の萱などに被害が出るようになり、戦前よりかえって周辺住民の生活は圧迫されてしまう。
 
 相馬村の上新田地区では地域住民全員が薬莢拾いを主な収入源としており、桃井村住民と合わせ3、400人が薬莢拾いを行っていた。1日に2、3貫(7.5キロから11キロ)を拾い、週に1度来る鉄くず屋に1貫(3.75キロ)を7、800円で売り、いい稼ぎとなっていた。月平均で1人あたま2万円の収入となったという。勢い、薬莢拾いにも熱が入り、演習の最中に演習場の中に立ち入ったり、演習場の中に穴を掘って潜み、演習中の砲弾の爆発を待つ者までいた。こんな事をすれば生命の危険にさらされるのは無理もなく、1月には砲弾の破片で薬莢拾いの住民に死者が出ている。アメリカ軍側では再三にわたって危険だからと地域住民の演習場立ち入り規制を日本側に求めていたが、地域住民は送検されても過去に起訴された事はなかった。
 
 薬莢拾いは相馬ヶ原だけの風習ではなく、演習場のある地域ではどこでも行われていた普通の事であった。静岡の御殿場にあるアメリカ軍の東富士演習場の狐塚でも昭和31年9/7午前7時30分に地元の農婦(31)が演習中のアメリカ兵に撃たれて重傷を負っている。農婦が立ち入り禁止区域にいた事から農婦側の過失として事件は処理されていたが、ジラード事件では被害者女性が死んでしまった事や社会党が政治問題化した事から一気に国民の反米感情に火をつける事となったのである。ところが相馬村ではジラード事件調査に訪れた社会党県議団には非協力的な姿勢で、今回の騒動で薬莢拾いの「特権」が奪われる事を村民らは恐れていた事も当時の報道には記されている。事件後も相馬ヶ原では地域住民ら100人が毎日、薬莢拾いを続けていた。
 
 ジラードがなぜ薬莢拾いの村議夫人を撃ったのかは、演習の最中に手袋をはめてまだ熱い薬莢を拾ったりする地元住民らの姿をジラードの所属する部隊の中でどのように感じてどういう話題にしていたかがわかれば、その理由のいくばくかが見えてきそうな気はする。禁止された区域に立ち入ってくるのだから非は向こうにあるという意識がジラードの中にはなかったか。或いは薬莢拾いの地元住民だって家に戻れば人並みの暮らしをする普通の人間であるというところまでジラードの意識が思い及ばなかったか。
 
 このジラード事件で日本の対米世論が硬化する最中の昭和32年8/2午後3時、茨城の那珂湊市前浜の県道で工員の北条清(24)が母親のはる(63)を自転車に乗せて走行中、突然、低空飛行の飛行機が2人に接触してはるは胴体を真っ二つにされ即死、清は重傷を負った。この飛行機の正体はアメリカ軍水戸補助飛行場から飛来したL22型連絡機で、2人は尾翼に引っかけられたのだった。
 
 目撃者の男性(35)の証言によれば、アメリカ軍機は機首を落として畑すれすれに飛んできてそこで曲がりかけた後、再び地面すれすれを超低空飛行、尾翼を芋畑でバウンドさせて上昇する最中に2人を引っかけたのだという。2人は阿字ヶ浦に向かう途中であった。
 
 このアメリカ軍機を操縦していたのはジョン・L・ゴードン中尉(27)、ほかに下士官も同乗していたとされる。現場に飛来する直前にこのアメリカ軍機は近くの海水浴場でも低空飛行をして海水浴客が驚くさまを楽しんでいるかのようだったというから、故意に危険な飛行をしていたのは明らかであった。しかしアメリカ軍側は異常気流で操縦不能になったための事故と主張、茨城県警ではこのアメリカ軍側の主張を斥けて8/8、ゴードンを書類送検としたが8/21には不起訴となっている。
 
 ゴードンはなぜ危険な低空飛行をしたのか?実は類似の事件は戦前にもあった。操縦士が無意味な低空飛行を地上に人がいる場所で試みて、飛行機に人を引っかけて死なせてしまう事件である。昭和2年10/21、東京の芝区愛宕小学校で運動会が行われている最中、下志津飛行学校生徒の操縦する飛行機が低空飛行をして校庭の小学生のうち3人が引っかけられて1人が死亡した。この件では操縦士は後に不時着を試みたなどと弁明している。ゴードンの例も、この飛行学校生徒の例も、自らの操縦の腕を得意がっていたのではないか。衆人環視の場所で低空飛行を繰り返して地上の人たちが騒いだり驚くのを面白がる、そういう心理から危険極まりない行為に及んだのではないか。
 
 ジラード事件、低空飛行殺傷のゴードンの事件の記憶さめやらぬ昭和33年9/7午後2時、西武線下りの飯能行き列車が埼玉の狭山市入間川ジョンソン基地内の武蔵藤沢−稲荷山公園間を走行中、1両目に銃弾が飛び込み、乗客の武蔵野音大絃楽科1年の宮村祥之(21)の背中に命中、午後3時に運ばれた基地内の病院で死亡した。列車を撃ったのはジョンソン基地憲兵隊臨時勤務のピーター・E・ロングブリー三等航空兵(19)で、「空射ちの練習をしていたところ実弾が入っているのを忘れて撃った」としたがすぐさまアメリカ軍に逮捕された。
 
 宮村は母子家庭で、母は郷里の熊本の荒尾で日雇人夫をしながら女手一つで宮村を育て、音楽家を夢見ていた息子を東京の大学へと進ませていた。宮村は昭和30年に上京、初めは東洋音楽短大に通っていた。事件の直前にはコントラバスのバイトが見つかり、母に仕送りをもう受けなくても大丈夫と連絡があったばかりであったという。
 
 アメリカ軍では当初、公務中の出来事で事故だとしたものの、いくら空射ちのつもりだったと主張しても列車に向けて発砲したのでは言い逃れのしようがなく、公務時間中の出来事ではあるが列車を撃ったのは公務とは到底認められないという見解を出した。早速埼玉県警はロングブリーを書類送検、昭和34年5/11に地裁で禁固10ヶ月の判決が出ている。
 
 アメリカ進駐軍がらみの事件ではこうして全国的な話題になった事件以外にも無数の犯罪が起きているが、それらは公にされる事は稀であった。昭和34年4月には青森の上北郡六ヶ所村で三沢基地の米軍機が訓練に際して爆弾を誤って落としていく事が頻繁となり、東京でも報道されている。六ヶ所村は米軍三沢基地の天ヶ森演習場と高瀬川を隔てた場所にあり、以前より米軍機が爆弾を誤って落としていたが、およそ3ヶ月に1発の割合だったので特に問題化していなかった。3ヶ月に1発のレベルでは報道すらされていなかったという事で当時はこの手の米軍の無法ぶりが基地の近くでは日常的だった事がわかる。
 
 しかし昭和33年9月より米軍ジェット機の練習用爆弾が昭和34年4月までに六ヶ所村に30発落下しており、うち10発は民家から2、30メートル以内の場所で爆発していた。米軍機の速度が向上して爆弾を標的に当てにくくなり誤爆しやすくなったらしい。昭和33年12月には125キロ爆弾が六ヶ所村倉内の農家の近くに落下し馬小屋に穴が開いて山火事となったほか、昭和34年3月下旬には農作業中の男性の3、4メートルの場所に爆弾が落ちて男性は気絶、さらに3/20、同じ男性の水田に爆弾が落下し爆発して5、6メートル四方の穴が開く出来事があった。米軍は模擬爆弾なので大丈夫だなどと説明していたが、死傷者が出ないのが不思議なほどであった。六ヶ所村では米軍機が爆弾を落とす標識を海上にするように陳情していた。
 
 昭和35年3/10午前10時、沖縄の伊江島の伊江村の米軍演習場の立ち入り禁止区域で弾拾いをしていた農業の島袋武盛(20)と大城敏一(19)が、米空軍ジェット機から機関砲で砲撃されて島袋は右足を銃創貫通、大城は右腕切断という重傷を負った。米軍演習場での弾拾いは沖縄に限らず内地でも付近の農民の「特権」として暗黙の了解事項になっており、伊江島ではそのための信号旗を持って農民は弾拾いをしていたが砲撃されたのだった。
 
 昭和36年11/20午後3時30分には茨城の那珂湊市釈迦町の旅館など民家8軒が、アメリカ軍水戸射撃場からの機関砲弾13発を浴びた。米軍機の誤射によるもので、旅館では窓ガラスが撃ちぬかれて座布団に直径20センチ、長さ75センチの砲弾が突き刺さっていた。ほかにも家の中や庭先などに被弾しており、旅館の女将は寝ていたら音がして、座布団や畳から煙が出ていたという。過去にも被弾事件は200件起きていた。
 
 昭和37年5/5午前3時30分、神奈川の横須賀市汐入町巡査派出所に私服の米兵5人が酔って市民を暴行していると通報があり巡査2人が駆けつけたが、うち遠藤寛巡査(37)が米兵1人に蹴られ倒れそうになったので警棒で押し返したところ、警棒を奪われたのでピストルで威嚇しながら交番へと連れて行こうとした。しかし50メートルの途中で遠藤巡査は5人の米兵に組み伏せられ、奪われたピストルで頭と右腕を撃ち抜かれて死亡、犯人の米兵はそのまま逃走した。午後7時30分、在日米海軍は20歳4人、19歳1人の二等水兵が遠藤巡査殺害の際の5人であったと発表、いずれも横須賀港に入港していたLST(戦車揚陸艦)トモグリー号の乗員で、裁判は日本で行われるとされた。
 
 昭和39年7/20午前1時30分には静岡の御殿場市中畑の米海兵隊キャンプ・フジで近所の農家の妹、勝又(45)が立ち番中の米兵に小銃で下腹部を撃たれ死亡する事件があった。この女性は酔っており、うずくまっていて米兵の日本語、英語の呼びかけに答えなかった。3回呼んでも返事がない時は撃ってもいいという管理規則だった。この女性は独身で知恵遅れ、酔うと放浪癖があったという。アメリカ軍は撃った兵士は不明であるとし、また公務中なので裁判管轄権はアメリカにあるとした。この事件については報道はなされたものの、ジラード事件と違って社会問題化せず、実際に事件自体について知らない人がほとんどである。
 
 昭和47年9/20午後には沖縄の米海兵隊基地キャンプハンセンで、米海兵隊第4師団第3大隊のジェームス・S・ベンジャミン上等兵(25)の部屋で靴を磨いていた基地従業員の栄野川盛勇(37)にベンジャミンが10ドル紙幣が消えたと難癖を付けて口論となり、ベンジャミンがライフル銃で栄野川を射殺した事件があった。9/21に警察庁がベンジャミンは公務中ではないと見解を出してアメリカ軍に犯人引き渡しを要求したが、アメリカ軍は公務中として応じなかった。9/22、インガソル米駐日大使は1次裁判権は日本にあるとし、在沖縄米海兵隊基地司令部もベンジャミンは公務中ではなかったと認め、9/23午後11時50分、沖縄県警はベンジャミンを書類送検した。10/3、ようやくベンジャミンの身柄は日本に渡されて殺人罪での起訴となった。しかしその後、ベンジャミンには心神喪失で無罪の判決が出ている。

http://www.geocities.jp/showahistory/history04/32c.html


占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 

【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の許可により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。

 AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの許可で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。

 AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を許可した一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した−と報道した。同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。しかしこれら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。

 日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を許可されたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っている。
(19/05/06 03:21)
http://tamezou.at.webry.info/200705/article_1.html


1945年9月28日、進駐軍は都衛生課に慰安施設の開設を要求した
『占領秘録』 中公文庫 住本利男著

坂信弥氏の話

それから婦女子の問題は内閣でも非常に心配した。私は内閣に呼ばれ近衛公から

『日本の娘を守ってくれ、この問題は一部長に任せず君が先になってやるように』

と言われた。一般の婦女子を守るために防波堤を築くことも考えました。慰安施設を作り、そうしたところで働く女性を集める。こう言う矢面に立とうという人があったればこそ、あとの若い人たちが救われたのだと思う。

なにしろ、米軍が進駐したその晩に、早くも左官級の人々がジープを飛ばして東京にきた。そして丸の内警察署を警視庁と間違えてか、入ってきて、女を世話しろという。そういうものはないと答えると、あの辺に大勢いるではないかといって、日比谷辺りを歩いている女の人たちを指さした。あれは良家の子女だといって納得させるのに骨が折れたようだった。

良家の子女が間違われる心配は多かったのです。

とにかく警視庁で、この際国民のためになるならという人を集め、向島や大森などに設備をした。それからすぐに特殊慰安施設協会(RAA)というものが料亭SやYの主人達によって作られ、資金は三百万円を勧銀から借り出して経営したわけです。


ペニシリン 東京へ

都衛生課が一番はじめに受けた命令は、「女」の問題だった。

九月二十八日に総司令部に来い、というので、与謝野博士がでかけてゆくと、軍医総監のところへつれてゆかれた。総監は、大きな東京の地図を前にしていて、女の問題を持ち出したのだった。その時に公衆福祉局長のサムス准将(当時は大佐)に紹介され、それから同氏との交渉がはじまった。

赤坂は焼けてしまい、新橋は休業、柳橋はない、という有様で、都内の花柳界で残っていたのは五ヶ所きりだった。それに特飲街が十七ヶ所あったが、博士は先方の要求で進駐軍用としての割ふりをやった。

葭町は将校用とか、向島はなに、というふうに決めたのだが一番困ったのは黒人兵の割当てであった。与謝野博士は、業者からやみ打ちをうける覚悟で、五、六ヶ所を考えて相談した。初めは女たちも泣いて嫌がったようだが、黒人兵のほうからすれば、日本人は「白人」の部類に入る。だから女に対しては親切をきわめ、サーヴィスにつとめたものだった。それでニ、三日すると、黒人兵大歓迎ということになり、博士も心配していただけにホッとしたものである。
その時の命令は、

「都知事の責任において進駐軍の兵隊を性病にかからせてはならない。だから都の責任で検診を厳重にやるように・・・」

ということだった。週一回の検診では不足だという。「花柳病予防法」というものがあったが、それではやれないので、すぐに「性病予防規則」を作り、花柳界、特飲街、それから「特殊慰安施設協会」(RAA)などに検診や治療をやったのである。もっとも都側は、日本には治療するにも薬がない、完全に命令を履行するため薬をもらいたい、と申し出た。その結果、ダイヤジンやペニシリン、梅毒のマハルゾールの三種の薬品が大量に与えられたのであった。ただその代償として女から治療費などをとってはならぬ、無料でやれ、ということだった。

こうして、進駐軍用に、焼け残った都内の花柳界、特飲街が割りあてられてしまい、日本人用はたった一つ特飲街の千住があるだけだった。

引揚者や家族を疎開させた単身者が多かったので、風紀上何か問題が起きはしないかと心配されたのだが、事故も起こらなかった。ニ、三ヶ月後には千住だけでなく、ニ、三の場所もよいことになったが、こんどは、日本人の客があまり歓迎されない、という妙な現象が起こった。

翌年の四月ごろになると、進駐軍兵士で性病にかかるものが多くなってきた。これが理由で、総司令部は全部の花柳界を「立ち入り禁止」(オフ・リミット)にしてしまった。

病気のことも原因だが、花柳界のことが米国の新聞特派員によって本国に報道されたため、兵士の母親や家族では大問題となったからであった。我々の師弟が、そういういかがわしい特飲街に行っているのは怪しからん、という非難がサムス准将のところへ殺到したものだった。花柳病は実際はそんなに多くはなく、むしろ減っていたのだが、これを口実にして、サムス准将は政策の切りかえをやったのである。


「パンパン」の発生

占領下にできた新しい社会現象は「パンパン」であろう。軍隊の後には女が行進する、ということは歴史が語る事実である。進駐してから形もかわり、場所も移ったが、いつも軍隊の後を追っていた。
米国の軍人や軍属などが日本に落とす金は一億八千五百万ドルといわれるが、「パンパン」のかせぐドルは、その半ばに達するだろうという。

パンパンの発生は二十一年の夏頃であった。最初は立川、東京市内の日本劇場の周り、有楽町などで、数も五百人ぐらいだったが、そえがまたたく間に二千人、三千人になろうという有様だった。「パンパン・ガール」は健康診断を受けないから性病の罹患率が高くなってきた、と言うので、進駐軍の方が困ってしまった。

東京都が性病予防規則をつくった時、厚生省は、自治体だけでああいう規則をつくるのはけしからん、というので叱ったことがあった。しかし、都側は進駐軍から命ぜられたから仕方がない、という立場をとっていた。与謝野課長はハーグの陸戦法規に、「出先官憲は占領軍の命令を守らなければならない」と書いてあるのを見て、厚生省に説明し、そこで初めて厚生省は、花柳行予防特例によって、全国府県知事の責任で検診をやることにした。占領軍当局は、進駐軍を相手とするダンスホールのダンサー、ビャホールの従業員まで検診をやれ、といいだした。ダンサーも気の毒だったが、ビヤホールの従業婦などは、年少の人たちが多くて、ひどい飛ばっちりを受けたものだと、関係者は言っている。

特例の規定にしたがって、検診をしたものは、写真入のカードを持たせたが、これを思っていれば安全、というわけで、ヤミ屋がカードを売り出すような始末となった。そこで進駐軍はカード制はだめだといいだし、特例はすぐに廃止するわけにも行かないので、「申合せ」で発行を中止してしまった。

「パンパン」に対しては無検診だからというので進駐軍は一斉検挙を日本側に申し入れた。日比谷にあった憲兵司令官とか軍医関係のものがやればよかったのだが、東京には十一の憲兵分隊があり、分隊では下士官が命令し、警察官が協力して逮捕したものだから、場合によっては行きすぎもあった。とうのは何人捕まえたという報告を出さなくてはならなかったので、数をあげようとする傾向があった。

社会的な問題となったのは、東上線大山駅で、電車をとめて、乗っていた若い女たちを全部引っ張った事件だった。日本の警察官がついていたのだから、これはそうじゃない、といえばよかったのだし、またその意見もきけばよかったのだが、先方は日本の警察はヤミ取引があるのではないかと疑う。それで商売女でないことが判っていながら、みすみす吉原病院に送るというようなことがあった。病院のほうは、きたものは検査する義務を持っていたから、送られて来たものはすべて検査した。普通のお嬢さんがそうした目にあうことはしばしばだった。警視庁に、負けたとはいえ日本は法治国家ではないか、という抗議がいくたびかきた。


与謝野光氏の話

「我々のほうは進駐軍の命令にしたがった、国際公法によってやったのだとい理屈はある。しかし、これはやり方の問題で、やはり警官が弱かった。私は、なるべく前によく聞きただせ、といっておいたし、幾人かは帰しもしたけれど、ひどい目にあった人が相当あったと思う。米軍は自分の国の兵隊を守ることに急なため、日本の女性に迷惑をかけることになった。

進駐軍が性病を持ち込んだこともあったろう。しかし特に悪性のものもでなかった。むしろ米兵から、どこで遊んだら病気になったというような報告が多かったので、日本側は信用されず、米軍の軍医が直接検診に乗り出したこともある。

たとえば日本橋のどこで、目が黒いとか、背丈がどのくらいだが、というだけで名前も判らない。これを探すのは容易ではなかった。

 『パンパン狩り』は、狩り込みを先方がやってこちらが検診するというやり方だったが、後に、二十六年の九月からは、先方が検挙するのはやめて、日本側でやることになった。総司令部の公安課から、日本の法務府検務局長に対して、今後は日本でやること、ただし今までの成績を落とすようなことがあったら、責任者を即刻クビにする、という強い命令がでた。検務局長と警視庁、それに私が総司令部によばれて、依頼をうけた。しかしどうして検挙するかが問題だった。私のほうでやるには性病予防法の第十一条でやるほかない。

第十一条というのは、常習売淫の疑いあるものは、地方長官が検診の命令を出すことができる、というものでした。私は検務局長に対し、私のほうでやれといっても、第十一条は検診の命令で、検挙してもよいとは書いていないがいいのか、と聞いたものです。いいからやってくれ、というので警視庁は暴力で妨害するものを防ぐために『売春班』をつくった。ところで警察のほうは、検挙すると調書をとらなくてはならない。事務手続きが厄介で、そうしないと人権蹂躙になる。とにかく、今でも周一回、警視庁、私のほう、それから混成の三種類でやっていますが、私たちのほうはやめたいのです。

おかしなことに総司令部も二つに意見が分かれていた。公衆衛生局と憲兵司令官は病気をなくしたいといって我々に強く要求してくるが、法務局のアップルトン検務局長は、私をよびつけて、

『怪しからん、人権蹂躙ではないか。君は連れて行く権限は無い。第十一条は禁止命令で、lつれていく権限は書いていない。文化国家のやるべきことではない。また常習淫売というのは、一回だけではだめで、二回以上行わなければなりたたない。しかも現行犯だけをつかまえること、また検診命令も即刻出頭なんていう命令ではいけない。四十八時間のうちに出頭するように命じ、納得ずくでやれ』というのだが、四十八時間内に出頭しろといっても、来るものではないのです。

検務局長の意見に従っていても、たとえば立川基地などの現地の司令官は軍人なのだから、こちらのいうことなどはききはしません。週一回やらない限り、『立入禁止』(オフ・リミット)にするという。業者などは、これをやられると困るので、我々のほうになんとかやってくれ、といってくる。占領下では先方の命令でやられたのだが、独立したこれからは、法律的な根拠がなければやれないのであって、法の改正を厚生省などに要望してもなかなか実現しないのです。

性病が増えたように思う人が多いが、戦前に比べるとぐんと減っています。性病についての統計は今までは発表してはいけないというので公にされていないが、減少しています。東京だけをみても終戦当時に比べて四分の一位に減っている。これからもますます減ると思います。パンパンのよな野放しのものも減っているのです。初め彼女らの罹病率は60パーセントくらいだったが、今は10−15パーセントくらい。まして花柳界は減っている。いずれにしろ、占領行政のうちで、我々公衆衛生に関係した部門は一番めぐまれていたといえましょう。積極的に援助を受け、総司令部が先にたってやってくれたので、業績は大いにあがったのでした。」
http://urara225.iza.ne.jp/blog/entry/203155/


堕ちた大和撫子たち

 パンパンが街を闊歩する

 アメリカ軍が進駐して来て、大方の兵隊は市民には危害を加えないということが分かってくると、ようやく街も落ち着きを取り戻し、市民の表情にも安心感が現れ始めた。

 この頃、パンパンという言葉が流行った。パンパンというのは、進駐軍の兵士を相手にして、春を売る日本女性のことである。これには、オンリーというのがあって、兵隊の中でも上級階級専属で、このクラスになると住居も与えられ、いわゆるダンナから手当てをもらい、アメリカの、当時の一般の日本人がとても手にすることの出来ない衣食物を供与されて、贅沢な生活をしていた。

そうでない、不特定多数の下級の兵士を相手にするクラスの彼女らは、街角に立ってアメリカ兵の袖を引いていた。当時は、小倉には米軍の24師団が駐屯していたので、街にはアメリカ兵が多く、商売相手には事欠かなかったらしい。小倉の真ん中を流れる紫川にかかる常盤橋(当時)のたもとには、夜になると彼女たちがズラリと並んでいたものである。

 彼女たちの化粧や服装は、完全にアメリカナイズされていた。今なら普通と言えるかも知れないが、当時、人々は目をみはった。茶色に染めた髪、真赤な口紅、ピンクや紫などの手足の爪、肩をあらわにしたドレス、踵の高いカラフルなハイヒール、どれをとっても昨日まで、「撃ちてし止まむ」と化粧気もなく、耐乏生活に耐えていたモンペ姿の日本女性だとは思えなかった。

 人々は「大和撫子も堕ちたもんよ」と眉をひそめた。しかし、中には「あれらのおかげで、普通の家庭の娘が、アメ公(アメリカ兵の蔑称)どもに悪さをされなくて済んでるんだから」とそれなりの評価をする大人もいたが、ほとんどは陰で「パン助」と言って白い目でみていた。

 しかし、彼女たちは、そんな視線を尻目に、ハイヒールの音を響かせて、アメリカ兵の片腕にすがって街を闊歩した。それは夜だけでなかった。昼間も堂々としていた。敗戦という現実に心身ともに打ちひしがれた市民のなかにあって、彼女たちだけが生き生きとしていた。

 パンパンの語源は定かでないそうである。英語のpompom(これは性交という意味があるそうだが)が基になったという説もあるし、単純にペンペンという三味線の音、つまり芸者を意味しているというのもあったりする。しかし、広辞苑には原語不詳とあるが、「第二次大戦後の日本で、街娼、売春婦のことを指した」とある。

 私は、最初に彼女たちを目の当たりに見た時にはとても驚いた。それまで接してきた女性と言えば、母であり、姉、近所のおばさんたち、学校の教師などの通常の女性であったから、まるで異国人を見る思いがしたものである。しかし、それにはすぐに慣れた。彼女たちは、戦後の風俗となって、一時期世間に定着していた。

 確かに売春というのは、道徳的ではない。しかし、終戦を境に、彼女たちは自分の女体を武器にして、それまで鬼畜と喧伝されてきたアメリカの兵士といち早く関わり、その持てる金やモノを吸い取って、人々が一夜にして変わった混乱の中で、空腹を抱えて打ちひしがれている時に、図太く生きていた。大人たちは、彼女たちを口では軽蔑していながら、心のどこかで羨望していた。一見しただけで、その服装や持ち物が違っていた。物資の豊富なアメリカがそこにあったのである。

 常盤橋の両側には、靴磨きが多く並んで客待ちをしていた。中には、戦災孤児と言われた少年もいたが、戦闘帽を目深に被った白衣の傷痍軍人も多くいた。その中には義手を着けた人もいて、椅子に座って客が片方づつ履いたまま磨き台に載せる靴をかがみ込んで器用に磨いている。客のほとんどは、アメリカ兵や彼らと手を組んで歩くパンパンたちであった。日本の大人たちには、金を払って靴を磨かせる余裕などなかったということだ。

 あの白衣の傷痍軍人たちは、昨日まで誇り高き天皇陛下の軍隊として、日の丸の下で、聖戦完遂に命を賭けて鬼畜アメリカ兵と戦っていたに違いない。それが今日はその元敵兵の足元に膝を屈して靴磨きをせねばならないように、一夜にして世の中が変貌してしまった、ということだ。同時に私は、少年の幼い心情ではあったかも知れないが、そのアメリカ兵が磨き終わり、交替して椅子に座ったパンパンが、その元軍人の鼻先に足に履いたままの真っ赤なハイヒールを突き出して磨かせる光景に、何かしら義憤めいたものを覚えたものである。

 彼女は、普通では手に入らない洋モク(当時、憧憬を込めて外国のタバコをこう呼んだ)を、チュウインガムを噛みながら紅い唇に咥えてくゆらし、隣のアメリカ兵と何やら片言の英語を交わしながら、時にキャッ、キャッと甲高い笑い声を発している。その靴磨きは、下を向いたまま、黙々と彼女の靴を磨いている。私は、こんな光景に出くわす度に、なんだかこのような元軍人が可哀想で、同国人にいささかの遠慮もなく、思いやりを示さないそのパンパンが心から嫌いになった。
http://enjoynaming.cocolog-nifty.com/sudou34/2008/11/post-f3d2.html


パンパン狩り

性病が蔓延したため、強制検査のために街娼の狩込みを強化する警察やMP。有病者は強制入院させられる。池袋でもよく行われた西口闇市での取締りの光景。

RAA慰安所(米兵相手の慰安施設)や花柳街・特殊飲食街では GHQの要請で米兵を性病から保護するため 公娼や私娼に強制検診が行われていた 公娼制度廃止でRAAの慰安婦たちが何の補償もなく解雇されると 街娼(戦後自然発生)が急増 性病罹患数も増え
 強制検査のために「パンパン(米兵相手の街娼)狩り」が行われるようになる
http://com-support.co.jp/war_and_peace/after_johoku-daikusyu/index7.html


パンパンの狩り込みは、昭和二十一年(一九四六年)一月二十八日から東京ではじまった。GHQの要請でだが、占領軍の性病防止のためといえた。

京都は昭和二十三年の検挙者は二千四百二十二名であった。年齢は大正生まれが七十八名、昭和生まれがほとんどで、彼女のように十九歳から二十四歳ぐらいまでが百三十六名と一番多かった。(国家地方警察本部防犯課の資料による)


昭和21年、パンパンの一斉手入れ。こんな女に誰がした?

昭和21年の朝日新聞に、品川駅付近のホテルに出没する売春婦、いわゆるパンパンの一斉取り締りが報じられているそうです。

全部で300人が検挙されたが年齢は16歳から38歳までいた。けっこう若いじゃんと思われるかもしれません。暮らしに困って売春をなさる方の中には、恐ろしいほどの年配の方もいます。 専業は少なく、官庁や会社の事務職の者も混ざっていた。 参考資料によれば、「ダンサー、女給」など、売春業に手を染めやすい方々もおいでですが、「女工や会社の事務職、公務員」など、いわゆる堅気の女性もいたらしい。

300人のうち、性病にかかっていた者が60人いた。2割ほどの確率で病気をもらって帰るのでしょうか。当時、一番恐れられていたのは梅毒です。HIVと比べれば可愛い病気かもしれません。

「どうせ日本は負けたのだから、私たちが好きなことをするのは勝手だ」と取調べで煙草を吸う女もいた。
http://blog.q-q.jp/200702/article_17.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c8

コメント [原発・フッ素50] 日立、英原発計画を凍結へ 安倍政権輸出案件、全て暗礁に  赤かぶ
50. 2018年12月18日 18:14:31 : kndpfSUxjE : 6eXOoNbVOz8[4]
日本の戦車を米軍に売り込んだらどうだ
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/666.html#c50
コメント [政治・選挙・NHK255] 総務省が5G指針で中国企業を排除へ。従わないと電波の割り当てなし : 安全保障への脅威・中国を排除  日米英豪独仏が実行 真相の道
13. 真相の道[4284] kF6RioLMk7k 2018年12月18日 18:20:15 : lKEz1hlf2w : 2zbd@nB2O7U[858]
  
>>11さん
  
それは単なるモバイル契約数の割合。
  
インフラ普及率(回線数の割合)予測は、>>10で引用した通り34%。
世界中の回線の34%が2024年には5Gに置き換わるということです。
  
  
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/174.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK255] <東京新聞が一面トップで書いた!>辺野古阻止の起死回生策はこれだ!  天木直人  赤かぶ
35. 2018年12月18日 18:21:25 : qoVQbet9h2 : g7zVMEtvnAM[1]
ハワイ州の米国からの独立も、脳裏において。

普天間基地移設、辺野古基地建設の、日米の交渉記録の開示を要請してください。

防衛大臣だった稲田氏が、普天間基地の閉鎖は決定していないと発言していましたよね。

基地に関する交渉記録と契約の内容を、議員と行政は、調査をするのを優先してください。

また、米国は日本と違い、官僚主権ではないので、大統領が変わると制度も変化します。 今まで開示されなかった文書も公になる可能性もありますし、交渉をすすめることができる可能性もあります。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/142.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK255] 総務省が5G指針で中国企業を排除へ。従わないと電波の割り当てなし : 安全保障への脅威・中国を排除  日米英豪独仏が実行 真相の道
14. 真相の道[4285] kF6RioLMk7k 2018年12月18日 18:23:50 : lKEz1hlf2w : 2zbd@nB2O7U[859]
   
>>12さん
> ・総務省の予測笑った   
  
     
「総務省の予測」ではありませんよ。
 
「グローバルの携帯電話事業者による業界団体GSMAの予測」です。
   
日本語が理解できないのでは論外です。
  
     
  
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/174.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
46. 2018年12月18日 18:28:57 : oti67fzxTA : zf9RJkt0udU[4]
今頃、そんな事を言っている。選挙もFake,政治も密約が当たりまえのFake,
何々経済アナリスト、評論家も口先Fake、フクシマの報道をしないでお茶をに押しているマスゴミもFake,本当のものは生の瞬間と死!だけ。

今、アメリカのC〜というNEWSの若造2〜人から、コインテルプロをかけられているけれど、騙された振りをしてあ・げ・て・る。
普通の日本人がどういう反応をするか?見たいらしい。
こんな年齢の人間を騙して、人体実験を遂行出来ているという方が青二才″。
ま、若い、思い上がった兄ちゃん達がどこまでやるか?面白いけどね。
向こうもこっちも暇だねぇ〜。

さて、
アベだけなく、日本はアメリカに騙され、騙された日本政府はそのツケを国民に廻し下げて、騙す。
おフランスのマクロン親父の“おためごかし譲歩”に、騙されないフランス庶民は日本人と違い、ずっーと、賢いと言う事だ。
日本人はずっーと、アホ? やれやれ😥 フッ〜


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c46

コメント [政治・選挙・NHK255] 伊集院静氏が指摘 今の65歳から80歳が日本をダメにした 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
41. 2018年12月18日 18:30:33 : fVmzl2gB1s : EmgMWclYDB0[61]
 >>32
 >>23だけど
 伊集院静も元電通マンなんだな。略歴を調べて「…64歳児の安倍晋三を巧みに避けてますねw」も、然もありなんと納得した。一体、今の文化人・言論人に博報堂や電通の出身者が何人居るんだろうか?
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/138.html#c41
コメント [原発・フッ素50] あの原発、今もモクモク煙を吐いている!   赤かぶ
17. 2018年12月18日 18:32:19 : qoVQbet9h2 : g7zVMEtvnAM[2]
2011年の写真で気がついたのは、

フクイチ周辺の森林が、地下水脈から水を引き上げる役割を担っていた可能性があるのに、その樹木を伐採して、汚染水タンク置き場を作っているという矛盾。

樹木を伐採したら、フクイチへの地下水の流入は増えるでしょう。
(その件については、 稲田氏のご親族といわれている生長の家から出版されている科学の本に書かれています。)

凍土壁が地下水流入を防ぐのが目的ではなく、 使用済み核燃料プールと同じ階にあった、一時保管中の核燃料が、周辺に飛び散っているために冷却するのが目的ならば、 凍土壁を作っている理由が地下水流入を防ぐためというでまかせよりも一致してくると思います。

ところで、日本の原発は本当に発電をしていたのか、という疑問が出てきます。

原子力潜水艦には、原子炉一基分が搭載されているとの事。
フランスのように川上に原子炉があるのではなく、すべての原発が海岸沿いにあるのは、原子力潜水艦や空母のエンジンに利用した燃料の取り換えの為では?



http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/660.html#c17

コメント [経世済民130] 日産ゴーン“無理筋”再逮捕で国策捜査説がますます濃厚に! 特捜部と日産幹部の背後に菅官房長官、経産省の影(リテラ) 赤かぶ
12. 2018年12月18日 18:33:35 : lWUCfj8NHI : iqR9GZ7aFkc[35]
捜査尋問のために再逮捕はあり得るだろう、無理筋という本文は説得力が無い。

ゴーンは百億円をせしめようと画策した。この様なことを特捜部は見過ごすことはしないだろう。

http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/151.html#c12

記事 [カルト20] ポニョ・ノスカ港に巨大刑務所船スタンバイ、毎日・仏デモ受けてデジタル課税決定。ロスチャの傀儡元首を戴く国の先行指標である
まだまだマクロンサックスは小出しにグロバリ政策を後退させているだけだが、ゼロ回答で鎮圧とは雲泥の差で、服の上からおっぱい、ブラの上からおっぱいという具合になし崩し的に進み、イエローベストの方も味をしめていき、パンツも脱がんかーいみたいにエスカレーターしていき、五階、使用済み下着売り場ですみたいな感じでマクロンサックスが退陣するまで小出しが続く訳である。
巨大病院戦は311サックスの時に中国の申し出で知り、空き缶キムチサックスが断ったのは残念だったが、それはそれとして巨大刑務所船もあるとは知らなかったが、海賊の子孫が刑務所船にぶちこまれるとはストーリーとして巧すぎで笑えるが、病院や刑務所以外にも用途が沢山ありそうである。
英国でもイエローベスト運動が万単位に達したそうで、若い時に労使交渉の両方を経験した事のある私に言わせれば、やむを得ずだとは思うがマクロンサックスの譲歩の仕方は下手で、もう少しボリュームのある譲歩を一発かまして区切り感を出すべきだったが、今となっては死者も出てしまったし、小出し譲歩で時間は稼げるが、いずれにせよアウトである。
そして、ヒラリーサックスがどうなるかまだはっきりしないが、格上のマクロンサックスが退陣となると、格下のアベロンら傀儡元首のドミノ倒しも必定である。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/147.html
コメント [政治・選挙・NHK255] 池上さん、北方領土「2島先行返還を軸に」ってどういう意味ですか? 安倍政権は「4島返還」を断念したのです。  赤かぶ
3. 斜め中道[5936] js6C35KGk7k 2018年12月18日 18:34:49 : u12DNOjV8I : DpNsSI7B2fY[3971]
>>1 >>2 さまに賛同。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/186.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
47. 2018年12月18日 18:36:23 : oti67fzxTA : zf9RJkt0udU[5]
46.ですが、訂正とお詫び。
フクシマの報道をしないで、(誤)お茶をに押している➡(正)お茶を濁しているマスゴミもFake,
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c47
記事 [ペンネーム登録待ち板7] 他人が貧乏であることを嘲笑する未知の物
2018年12月18日、午後2時過ぎ、店において、買い物をして帰る途中、2人組の男が取り囲んできて、因縁をつけてきた。「おまえ、貧乏くさいなー、貧乏くさいなー」と言いながら通行を妨害し、取り囲んできた。私はその連中を今まで見たことがなかったし、当然名前も知らない。この連中は徒歩で、近くの駅方面からやってきた。おそらく電車でどこかの学校に通学している学生だろう。大学の学生かもしれないが、大学にはそんな学生はいないはずだ。どこかの三流大学か、あるいは高校だろう。中学生かもしれないが、それほど若くは見えなかった。私は確かに貧乏であるが、そんなことはこんな連中には何の関係もない。私が貧乏であろうがそんなことは余計なお世話だ。この二人組もそれほど金持ちには見えなかった。電車で通学しているぐらいだから、ものすごい大金持ちではないはずだ。それに通行人が貧乏であるのかそうでないのかがどうしてこの連中に関係するのか、あるいは興味があるのかわからない。もしかしたら、金を奪おうという目的で、そういう人を狙っているのかもしれない。に通報したが、が来る頃にはその連中はどこかに消えていた。こういう連中というのは本当に逃げるのは早く、とても追いつかない。とにかくこの近くに住んでいるらしい。近くにはいこいの森という病院があり、その近所にもいくつかアパートがある。団地もある。もっと丘の上には一戸建て住宅の集まっているところもある。丘の上は大学で、昔は国際大学だった。実はここの太陽の街がある鉄道の駅近くで、若者による集団リンチ殺人事件が起きた。それは大学のすぐ近くだ。県市官は、「この時間帯にこの店に来るのはやめたらどうか」と言った。どうしてこういう連中が嫌がらせをしてくるのを避けるために時間帯を変えねばならないのかわからない。本来はこういう嫌がらせをする連中を何とかするのががやるべきことだ。たいしたことではないと思うかもしれないが、もしも私がこういう連中と同じことをやれば、通りすがりの人に対して、侮辱したり、からかったり、因縁をつけたり、嘲笑し、差別し、言いがかりをつけたら、必ず反撃を受けるだろうし、そのまま放置されないだろう。この近くには交番はない。非常に治安が悪く、信号無視も日常的だ。不良グループや暴走族グループが存在する。駅は今は無人駅だが、以前は駅員がいた。無人駅になってからものすごく治安が悪化し、放置自転車が駅周辺の道をふさぐようになった。号線の下を通行できるはずの地下道は、放置自転車やバイクで占領されている。実はこの駅には無料の駐輪場がない。有料の駐輪場はあるが、それも満杯状態で新規の申し込みを断るところが多い。今後もこういうことは続くだろうが、すべてを無視して放置しても、何も解決しない。またこういう状態が慢性化し、蔓延し、これが普通のことになってしまうと、困ることになる。この町は、以前は市ではなかったため、あらゆる面で環境整備が遅れており、追いついていない。この連中はまだ若いけれども、これから大変苦労するだろうなと思う。なぜならば、そういうことを繰り返していると、必ず問題となるからだ。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/783.html
コメント [政治・選挙・NHK255] 実は辺野古反対派 昭恵夫人「海を守りたい」思いはどこへ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 斜め中道[5937] js6C35KGk7k 2018年12月18日 18:38:47 : u12DNOjV8I : DpNsSI7B2fY[3972]
埋め立て反対・・・巨大糞花ラフレシアの花の開花・・・のイメージが!

まぁ、花言葉は「夢うつつ」だけどにゃ〜♪
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/181.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] 総務省が5G指針で中国企業を排除へ。従わないと電波の割り当てなし : 安全保障への脅威・中国を排除  日米英豪独仏が実行 真相の道
15. 2018年12月18日 18:40:54 : bHIK31y7KA : DVUGJ@2YOZg[1]
「単なるモバイル契約数」 

笑った。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/174.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
48. 2018年12月18日 18:41:58 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3227]

>>44
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本国憲法第15条

↑このように^^

国会議員が=選挙されるのは当然であるばかりなく^^

憲法によれば^^

公務員は=定期的に任命・罷免を=国民が可能にできる←ことが憲法上明記されていて^^

公務員の=終身雇用など←100%憲法違反である^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c48

コメント [政治・選挙・NHK255] <この記事は国民必読である!>安倍首相の防衛政策は「張り子の虎」だと書いた読売新聞  天木直人  赤かぶ
5. スポンのポン[10434] g1iDfIOTgsyDfIOT 2018年12月18日 18:44:07 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[744]
 
 
>中国や北朝鮮など日本を取り巻く安全保障環境は厳しい。

■この真っ赤な大嘘の一文で国民を脅かし
 防衛費の増大を正当化するためのインチキ記事だ。
 天木直人はこのことを知りながら
 読売の国民騙しの片棒を担いでいる。

 何がどこが安全環境が厳しいんだ。
 独裁者が発狂でもしない限り
 戦争なんか絶対に起きないと断言できる。
 唯一危険なのは戦争をしたくてしょうがない
 この国のキチガイ総理の暴走だけだ。
  
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/185.html#c5

コメント [原発・フッ素50] ”破滅”の二字しかない見るも無残な日本の原発の海外売り込み政策(そりゃおかしいぜ第三章) :政治板リンク 赤かぶ
3. 茶色のうさぎ[-9190] koOQRoLMgqSCs4Ks 2018年12月18日 18:44:48 : 43Wm6imX6U : dej6dn7F8Uo[-4]

 ぺっ♪ 共産党

 自分の、犯罪は? 安倍総統閣下が、悪い??? ぷっ♪あほ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/659.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
49. 2018年12月18日 18:45:15 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3226]

さらに^^

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本国憲法第14条

↑14条において^^

社会的序列が=国民の判断の上位に=立地することを=憲法は禁じている^^

15条との併読によれば=政党の優先順位なる(国民の判断と無関係の序列)が^^

選挙結果に反映されれば←それは=憲法違反だ^^

すなわち=比例代表制とは=明確な憲法違反なのである^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c49

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
50. 2018年12月18日 18:47:00 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3225]

政党法が=不在である以上^^

政党に=いかなる権限もあるわけはなく^^

国会で=与党なる政党が←何かを否決できるなど^^

↑こんな法解釈が=成り立つわけがない^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c50

コメント [政治・選挙・NHK255] 枝野立民と前原国民が戦う!参院京都で対立候補擁立&野党の全面共闘は困難に+選挙制度のあり方( 日本がアブナイ! ) 笑坊
2. 2018年12月18日 18:48:13 : ZL7o43eS1o : dOhFRJJYtdE[622]
野田豚が合流するかもという話で茶化しに久々に来てみればまだこんな程度の話か

この動きは茶番で、目的は前原とお仲間の枝野の立憲の共産潰しにある
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/178.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] <この記事は国民必読である!>安倍首相の防衛政策は「張り子の虎」だと書いた読売新聞  天木直人  赤かぶ
6. 2018年12月18日 18:49:12 : F3ZPAtVg6A : @K67S9zWZMg[1]

天木生よ、耄碌しおったんかい、ゴミ売りの論旨は、張り子でなく本物虎にしようつって、防衛力強化を煽っちょるんだよ。なのに”戦えない”とかに目を曇らせて、ゴミ売りの本論を白内障でみる如く、見逃しおるぞ。そげん透かすかな文章力で、 天木生はこっからも文字情報の世界で生きていくつもりかい。ゴミ売りのこげん本論旨は、反国家的・反国民的な、危なっかしい大いにヤベエもんだぞ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/185.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
51. 2018年12月18日 18:49:40 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3233]

そして→この法解釈とは=^^

与党が披露しているわけでは=ない^^

公務員の悪事について=追求すべき野党の方より^^

野党が=債務を果たせない理由として^^

↑あるまじきにも=主張されていることは^^

このトピの=スレッドを追えば=明白である^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c51

コメント [経世済民130] 「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”(郷原信郎が斬る) 赤かぶ
12. 2018年12月18日 18:49:52 : lWUCfj8NHI : iqR9GZ7aFkc[36]
郷原はフェアーでリベラルだと思っていたがいつから変節したのだろう。
「日本人の品格」を問う前にゴーンの品格を問わなければならない。

たかが雇われ経営者が立て直しが成功したとされて分をわきまえず他の日本の大企業のCEOをはるかに超える報酬を得ていてさらにそれに倍する報酬を得ようと画策したのだから。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/152.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
52. 2018年12月18日 18:53:38 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-3232]

これらが^^

如何に与党が=酷くとも^^

有権者たる国民は=与党以外の、野党に票を投ずることは^^

有り得ない←との結論に達する理由なのである^^

与党も=確かに問題は=ある^^

しかし^^

野党に取って変える←ことが=比べ物にならないくらい=さらに悪化する^^

↑もう、これが=立証されているに等しい状況なので^^

誰も=野党に票を投じないのだ^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c52

コメント [お知らせ・管理21] 2018年12月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
50. 日高見連邦共和国[11615] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2018年12月18日 18:55:18 : uNxwsLkwEI : S8WDslivSQY[1]
>>45 『管理人さん』

『3度目の説得』を試みる前に、件のコメントが投下されたスレッド・コメント欄にて、
『過去2回の説明』の再読要求を出してみましたが、いまだレスポンスはありません。

↓↓↓
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/133.html#c15

恐らくは、どこまで行っても『聞く耳持たず』でしょうが、懲りずに説得を続けます。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/542.html#c50

コメント [戦争b22] 日本が空母保有を検討、軍備競争のスイッチを押す(チャイナネット) 無段活用
15. 投稿のあんちゃん[266] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2018年12月18日 18:57:20 : ec5C2vDjSU : aSHPXHF@09I[422]

 また阿修羅らしい、いちゃもんづけが始まったが、

 >中国は良くて日本はダメという偏見主義とは(笑)
当然自分の国から発進したのでは対応ができないって事例あるの?
それって日本でも当てはまらない?
理由さえあれば空母持っていいって事(笑)?

 まるで人の言っていることを理解していない、勘違いの受け取り方だと思う。もう一度読み直してほしい。

>米軍は原子力空母沢山持っているけど、攻撃受けて沈んだ事例はあったっけ(笑)?

 米国は日本との戦争以降は確か海戦としての戦争はしていないはず。
 日本との海戦では空母ホーネット・レキシントン・プリンストン・ワスプ・ヨークタウンを失っている。ただ米国は人命優先で充分な救助を行っているが、それでも多くの死者がいる。



http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/456.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK255] 沖縄出身のりゅうちぇるが「辺野古埋め立て中止嘆願署名」を紹介! 慰霊の日に語っていた米軍基地と沖縄戦(リテラ) 赤かぶ
9. 2018年12月18日 18:57:25 : qoVQbet9h2 : g7zVMEtvnAM[3]
恐竜時代には巨大な植物たちが酸素を生産していましたが、 1万5千年前に月が現れ、地球に海水がもたらされてからは(洪水とノアの方舟)、 海が地球の呼吸を担うようになってきました。

その海の浄化をするマングローブやそこに生息する生き物、サンゴたちには、これからの地球上の酸素を生産するという大事な役割があるのだと思います。

日本は海人の国です。 目の前にひろがる太平洋を、海の森林にしていく、生物多様性を作り上げていくという日本人に課せられた役割は、みずがめ座の時代にぴったりです。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/144.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
53. 2018年12月18日 19:02:34 : qoVQbet9h2 : g7zVMEtvnAM[4]
米国では教育省が80年代に破綻しているのですが、
どのように破たんしたのかよくわかりません。

民営化が関係しているのだとすれば、

モリカケ問題は、文科省(財務省)の破綻や、教育ビジネスを目論むグローバリストの工作の可能性があります。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c53

コメント [政治・選挙・NHK255] 枝野立民と前原国民が戦う!参院京都で対立候補擁立&野党の全面共闘は困難に+選挙制度のあり方( 日本がアブナイ! ) 笑坊
3. 2018年12月18日 19:08:41 : bHIK31y7KA : DVUGJ@2YOZg[2]
別に無理して全面共闘しなくてもいい
したい奴だけ集まればいい

最悪なのは安倍そっちのけで自民以外叩く連中
むしろこっちのほうが問題

野ブタとか野田豚とか言っている連中
自民が政権復帰した選挙の時
自民そっちのけで民主叩きに励み
結果、表は自民に流れ、本来とれるはずもなかった
自民三分の二議席獲得に貢献した

叩けば票や議席が自分のものになると考えるような浅ましい人間
忠告を武士して野ブタ野ブタ言っていたくせに
自分のことは棚に上げて「野ブタが野ブタが」と反省ゼロ

また同じことを繰り返す
森友問題がでたときも、そっちのけで
「野ブタ野ブタ」とレンホーおろしに励んで
結果、前原就任にてを貸した疫病神

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/178.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] 沖縄出身のりゅうちぇるが「辺野古埋め立て中止嘆願署名」を紹介! 慰霊の日に語っていた米軍基地と沖縄戦(リテラ) 赤かぶ
10. 2018年12月18日 19:08:53 : UPaJl6yzxQ : Sabv9K00ubk[88]
ローラさんも参戦。
●ローラさんが辺野古移設反対 インスタで署名呼びかけ「みんなで沖縄をまもろう!」
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/45244
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/144.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査と称するプロパガンダ報道を止めろ。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
7. 日高見連邦共和国[11616] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2018年12月18日 19:13:58 : uNxwsLkwEI : S8WDslivSQY[2]
>>02>>03 『22A』さん

世論調査の『千なんぼのサンプル数の有効性』は、母集団の分布を『正規分布』と“仮定”した上での
『中心極大定理』によって説恵できるもの、だという“屁理屈”がまかり通っている訳ですヨ。

しかも、世論調査の“有効回答”は、現実は“無作為サンプル”にすらなっていない
・・・ってのは、既に散々、あちこちで説明した通りです。一度“疑う事”をお勧めします。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/155.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[2218] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:17:13 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[684]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] 国民は安倍首相に騙されている」と籠池泰典!   赤かぶ
54. 2018年12月18日 19:17:30 : imf801LpCA : KNUNKvDsBfI[438]
>53
グローバリストは公教育を破壊するつもりに決まってるだろ。

「可能性がある」とか言われても。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/170.html#c54

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[2219] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:18:15 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[685]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 立憲民主党が「無所属の会」6人の会派入り了承!   赤かぶ
1. 2018年12月18日 19:19:21 : pUdmnsF5CY : @AvHZ22s9C8[1]
ダメだこりゃ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/188.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[2220] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:19:26 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[686]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c3
コメント [経世済民130] ソフトバンクの新規上場に漂う暗雲…!「共倒れ」で大ピンチの可能性 今週の「AI株価予報」で読む(現代ビジネス) 赤かぶ
3. 2018年12月18日 19:19:53 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[201]
乗せられる 手足縛られ ステージに
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/142.html#c3
コメント [経世済民130] 日立、スイスのABBから送配電事業を約7140億円で買収−過去最大 武田薬は格付3段階引下げ J&Jベビーパウダー危機 うまき
1. 2018年12月18日 19:20:13 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[202]
堅実さ 捨てて火中の 栗拾い
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/147.html#c1
コメント [経世済民130] 異次元緩和が限界、日銀が金融不安定化の懸念認める…地銀の8割が本業赤字(Business Journal) 赤かぶ
2. 2018年12月18日 19:20:28 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[203]
鼻につく 自作自演の したり顔

滔々と 被害論じる 放火犯
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/149.html#c2

コメント [経世済民130] 新築ワンルーム投資などやってはいけない!約30年間キャッシュアウトで収支マイナスに(usiness Journal) 赤かぶ
1. 2018年12月18日 19:20:42 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[204]
割高で 投資に向かぬ 不動産
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/150.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[2221] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:20:51 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[687]









http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c4
コメント [経世済民130] 日本の消費増税、痛み緩和の支出は一時的に=IMF高官 財投総額13.1兆円、財政融資追加も2年連続減=19年度計画で政府 うまき
3. 2018年12月18日 19:20:57 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[205]
煽りつつ IMFは 嘲笑い
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/144.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 伊集院静氏が指摘 今の65歳から80歳が日本をダメにした 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
42. 2018年12月18日 19:21:16 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[206]
長生きを すれば貴方も 逃げ切れず
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/138.html#c42
コメント [政治・選挙・NHK255] 問答無用の自治破壊実行する政府の怖さ/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
4. 2018年12月18日 19:21:32 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[207]
文字通り 秘密結社だ 産経は
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/140.html#c4
コメント [経世済民130] 日産は会長人事見送り…ルノーに逆らえずクーデター大失敗(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
1. 2018年12月18日 19:21:35 : 1hFwhl5XF6 : A44FqszPm3Y[949]
ルノーの株価は、半値八掛け二割引になって行きそうです。
日産を食わないと、ルノーが消滅することに成りますね。


http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/155.html#c1

コメント [原発・フッ素50] 日立、英原発計画を凍結へ 安倍政権輸出案件、全て暗礁に  赤かぶ
51. けろりん[3979] gq@C64LogvE 2018年12月18日 19:21:45 : 8iDQRlRKiM : kvUrmlFk5kk[432]

>日本の戦車を米軍に売り込んだらどうだ

ニッポンの親父を__戦前のように、またまた最賃労働者として
中国、ブラジル、インド、中東あたりに輸出すりゃ、いいんだ。

もう、クルマの輸出は無理だから
暇になる日本郵船で今度は「オッサン唐行きさん」で
貿易黒字を目指すんだよ・・・。

マンガとゲームしか分からんほどアタマは悪いけれども、
ニッポンの50歳代40歳代のネトウヨおっちゃんらは
文句も言わずによく働くゼ。
愛国心も十分ある・・・メイド・イン・ジャパン最賃労働者だ。



http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/666.html#c51

コメント [政治・選挙・NHK255] 台湾が韓国が赤くなる 対抗すれば日本は自滅する  赤かぶ
8. 2018年12月18日 19:22:13 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[208]
トラブルを 散らす日本に 顔しかめ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/148.html#c8
コメント [戦争b22] 日本が空母保有を検討、軍備競争のスイッチを押す(チャイナネット) 無段活用
16. 2018年12月18日 19:24:14 : DGFgSNLkAc : Vw@rIzAnqjU[2]
>>15
取り敢えず認識の違いというのを理解したらどうだい?
誰もが>>投稿のあんちゃんのような考えなんてない

>まるで人の言っていることを理解していない、勘違いの受け取り方だと思う。

認識の違い(笑)
大体、「当然自分(中国)の国から発進したのでは対応ができない」から中国は空母持ったと中国政府は言ってるの(笑)?中国政府の空母保有理由は信じて日本政府の空母保有理由は信じないのはおかしいくない?
それをいってるの(笑)
大体、何、自分の理論は当たり前みたいに言ってるの(笑)?
てか、空母くらいでピンと来ないなら国防に首を突っ込まなければいいじゃん(笑)

>米国は日本との戦争以降は確か海戦としての戦争はしていないはず

で(笑)?
空母不要論にはほど遠いよ(笑)

>ただ米国は人命優先で充分な救助を行っているが、それでも多くの死者がいる。

戦争なんだから仕方ない
てか、アニメや映画じゃないんだからさ(笑)
一々、そんな事で文句言う人は国防を何もわかっていない証拠
中国だってお前のような腰抜けと自称平和精神で空母を手放したかい(笑)?

戦死者云々で言うなら中国軍は余程の頭悪い集団ってことになるが(笑)?

まあ、あれだ
>いちゃもんづけが始まったが、
と言う割には、中国には優しいんだね(笑)
中国に空母破棄しろ、くらい言わないと軍拡競争は止まりませんよ(笑)

ま、日本しか批判出来ない奴は下らないから仕方ないけどな(笑)
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/456.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK255] マスコミと政府の大嘘がまたバレた!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
14. 2018年12月18日 19:27:44 : 4TT1NrVMIY : 9dbmnLQaukE[2]
大手安売りチェーン店で導入の新型?セルフレジは間違いなく!金額がチャージされると考えるのは誤解。
待機しているお兄ちゃんがやったとは思えないが、いくらでも操作出来て、一品に付き、\60〜\70、正価より高く付ければ、それに税金だから、5人〜10人、やれば\1,000位、分るよね、意味。
セルフレジのちょっと、怪しげな機械もあって、何回か小銭を入れても、‟不足”と表示される。
人の好い人か、又、間抜けな人間は何回も小銭を投入する。
数回、経験すると気が付く。こりゃ、変だ?とね。
札だけ投入の時はま、大丈夫かな?

何もかも、写真家;故福島菊次郎氏ではないが、【嘘っぱちの嘘っぱちなんだ】が身に染みる日本、世界になりました。
嘘をやっている奴って、薄汚さがプンプン!臭っているもの、どうしたって。
やっぱりさ、真実っていいもんだと思うがね。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/161.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK255] 総務省が5G指針で中国企業を排除へ。従わないと電波の割り当てなし : 安全保障への脅威・中国を排除  日米英豪独仏が実行 真相の道
16. 空っぽの愛国君[144] i_OCwYLbgsyIpI2RjE4 2018年12月18日 19:28:15 : XC4kc1n7Fs : rO6WZTH90ng[145]

おーい、真相の道

俺はあんまり詳しくないから教えてほしいのだが

(単なる)モバイル契約数=モバイル契約している回線数

とは違うのか?

日本では例えば「自分はドコモと2回線契約している」(その場合の契約数は2)という言い方をすると思うが、

どこか知らんがお前の国では
「ワタシ、ドコモと1つの契約を結んでるあるよ。
その1つの契約の中で2つの回線を使ってるあるよ」とでも数えるのか?

それともあれか、「
回線数としては34億回線存在しているが
そのうち契約されているのは17億回線である」
そういう考え方なのか?


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/174.html#c16

コメント [原発・フッ素50] 日立、英原発計画を凍結へ 安倍政権輸出案件、全て暗礁に  赤かぶ
52. けろりん[3980] gq@C64LogvE 2018年12月18日 19:28:20 : 8iDQRlRKiM : kvUrmlFk5kk[433]
・・・・それにな、

ゴミのようなクズ兵器を米国から5年ローンで買わされている植民地コッカのだよ・・、
お人好しジャパン製の戦車を・・・パンツのゴム紐屋が・・・なんで買うんだ???
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/666.html#c52

コメント [政治・選挙・NHK255] 沖縄独立はもはや絵空事ではない(読む・考える・書く) HIMAZIN
42. 2018年12月18日 19:29:48 : 31SddFPNX2 : 0ewluXf3xMg[91]
>>41
>中国共産党についてはどう思っているのか。

今のところ日本の内政に干渉しないから害はない、という認識。
貴方の想像とは異なるかもしれないが、中国を支持しているわけでもない。
ただ、今のところ敵の敵は味方、今後、敵になる可能性だってある。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/117.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK253] TPP11が年内発効へ 日米FTAで総仕上げのたくらみ 脅かされる日本社会(長周新聞) JAXVN
8. 2018年12月18日 19:33:18 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10096]
EPA・TPP11の酪農家が分かる、情報を出すべき
.
日本共産党
2018/12/18 に公開
2018.12.11 参院農林水産委員会閉会中審査 紙智子議員の質問
https://www.youtube.com/watch?v=4iH36KLmXrk
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/347.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
5. 2018年12月18日 19:34:43 : UPaJl6yzxQ : Sabv9K00ubk[89]
●日本政府の原発輸出案件が全滅、日立の英原発計画が凍結へ
https://buzzap.jp/news/20181217-sell-nuke-plant-to-uk5/
●日立が英国での原発新設計画を凍結へ!3兆円もの出資企業見つからず!トルコやベトナムに続き、安倍政権肝いりの原発輸出政策が全て暗礁に!
フランスの次世代原子炉(核サイクル)計画の凍結に加え、原発輸出事業も全て暗礁に!これでも日本政府と企業は“核発電”にしがみつき続けるのか!?
https://yuruneto.com/hitachi-genpatu-touketu/
●爆発した国の原発買わんわそりゃ
アベシンゾーと経産省の不快な仲間たちが推し進めていた原発輸出が、一つ残らず失敗だそうで
http://my.shadowcity.jp/2018/12/post-14472.html
●菅長官が「日本の原子力技術に対する期待の声は各国から寄せられている」って会見で言ってた。とうとう幻聴まで。
https://ameblo.jp/miraihamassugumiteruyo/entry-12426643050.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査で内閣支持率一斉下落…肝いり政策がそろって不評(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 2018年12月18日 19:35:06 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[209]
気休めを 混ぜて誤魔化す 偽調査

ぶれないよ 高い支持率 これだけは
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/151.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
6. 2018年12月18日 19:35:12 : vopBsAEHwo : KEj3qWOfJC0[154]

メルケルにも言われたが、政治音痴なんだよ。

政治家が政治音痴というのは冗談にしてはかなりキツイ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 人間のクズ中のクズ、アベデンデンセェゴバカと「毎年、毎月賃金は2〜3%上昇してきた」と老人性痴呆の症状がさらに悪化… 赤かぶ
2. 2018年12月18日 19:35:23 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[210]
ツッコミを 浴びて慌てて 飾り立て
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/152.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査と称するプロパガンダ報道を止めろ。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
8. 2018年12月18日 19:35:41 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[211]
暇潰し 「世論調査」で 嫌がらせ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/155.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK255] 世界で最も悲惨な性暴力!<本澤二郎の「日本の風景」(3187)<伊藤詩織さん事件にも目をつむる自公の女性議員> 笑坊
1. 2018年12月18日 19:35:52 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[212]
闊歩する 表舞台を レイプ魔が
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/157.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] 「平成の安保闘争」の機は塾した  天木直人  赤かぶ
3. 2018年12月18日 19:36:40 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[213]
気をつけろ 事を起こせと 煽る奴

安全に 高みの見物 ご自身は
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/158.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] マスコミと政府の大嘘がまたバレた!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
15. 2018年12月18日 19:36:50 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[214]
やらせなど 居直るだけの テレビ局
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/161.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK255] 巨額税収減に負け惜しみ連発…小池知事がさらけ出した無能(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2018年12月18日 19:37:00 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[215]
負け惜しみ 自業自得の 裏返し
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/165.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK255] ポイント還元反対64%(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
3. 2018年12月18日 19:37:12 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[216]
押しつけと わかれば募る 反感が
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/162.html#c3
コメント [原発・フッ素50] 日立、英原発計画を凍結へ 安倍政権輸出案件、全て暗礁に  赤かぶ
53. けろりん[3981] gq@C64LogvE 2018年12月18日 19:37:30 : 8iDQRlRKiM : kvUrmlFk5kk[434]

金融グループの、植民地統治総大将の、その直属の部下の
平民出身の一兵卒のマッカーサーにまで、
このクニのニンゲンの精神年齢は、十二歳のお子ちゃまである・・
などと見抜かれてんだよ。

その後、一億総白痴化計画がものの見事に功(?)を奏し・・・だ、
いまや、おそらく・・
いま、日本人の精神年齢は、八歳のお子ちゃまである・・に、
変化しているハズだ。


< パヨパヨち〜ん >___のような。
・・・普通、こんな表現は__できんだろ???

そうとう、来てるゼ・・・・このクニは・・・。
ネット投稿ひとつ見てても・・・わかるじゃないか。


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/666.html#c53

コメント [国際24] ロシアのSNSによる2016米大統領選介入、米国民の分断狙う深刻な状況だった(ニューズウィーク) 赤かぶ
1. 2018年12月18日 19:40:39 : 1hFwhl5XF6 : A44FqszPm3Y[950]
<報告書はそれぞれ、ソーシャルメディア分析会社ニュー・ナレッジと、オックスフォード大学および調査会社グラフィカの研究チームがまとめた。>

これってFacebookのデータが、上の3者に流されたってこと?

https://pbs.twimg.com/media/Ds-yuwjVYAABd42.jpg:large

http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/795.html#c1

コメント [国際24] 司法当局の嘘に無感覚な西側の有力メディア(1/3)(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
2. 2018年12月18日 19:41:16 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10095]
昨日から今日にかけての動き 2018年12月18日
.
新 ch政経
2018/12/18 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=ntKrzH3HogA
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/738.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 立憲民主党が「無所属の会」6人の会派入り了承!   赤かぶ
2. 2018年12月18日 19:44:12 : vopBsAEHwo : KEj3qWOfJC0[155]

中村喜四郎が参加と言うと、少し重層感が出てきたな。

小沢一郎、小泉純一郎にも動きが出るかもしれない。

福山、辻元、長妻では自民党の寝技・締め技で簡単に逝ってしまう。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/188.html#c2

コメント [経世済民130] 「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”(郷原信郎が斬る) 赤かぶ
13. 2018年12月18日 19:46:39 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[217]
あるように 見せてもいつか ないとバレ
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/152.html#c13
コメント [経世済民130] 日産「株暴落」危機…高額配当金の見直しでルノーと対決か(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 2018年12月18日 19:46:55 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[218]
追い出して あっさり剥がれた 化けの皮
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/154.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍首相と鈴木宗男氏、北方領土「2島返還」でコンビ結成…菅長官、次期首相へ意欲か(Business Journal) 赤かぶ
6. 2018年12月18日 19:47:10 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[219]
ない望み あるように見せ 猿芝居
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/163.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査と称するプロパガンダ報道を止めろ。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
9. 日高見連邦共和国[11617] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2018年12月18日 19:48:20 : uNxwsLkwEI : S8WDslivSQY[3]
>>06

丁寧な統計学的な説明、ありがとうございます。私も多少は“統計学”を齧った人間ですので、
貴方の言わんとする事は理解しているつもりです。ですがそれは、机上の統計学論であり、
リアルな“内閣支持率”が『正規分布』を取るものかどうかを説明するものではありません。

貴方のご説明は、誰も検証できない『世論調査の対象のテーマは正規分をしている』という
“仮定”を、統計学を用いた“後付けの理屈”で説明している(ように見える)だけです。

例えば、与論調査における最も単純な質問のひとつでもある『内閣支持率』ですが、
その回答が貴方の言う通り、ごく単純な『YES/NO』の二者択一であるのならば
貴方の説明を否定はしません。いや、確かに、世論調査が求める回答が『YES/NO』
に加えて精々『分からない』という“3拓”である事は間違いないのですが、問われた方の頭を
巡るのは、そんな単純な2者択一や三択では有り得ないだろうという事は同意してくれますか?

ここでは軽く触れて、後で詳しく説明したいと思うのですが、半ば強引に引き出される
“2拓”の間には、十把一絡げで分類される『分からない』という奥深い民意があるのです。

『分からない/判断でいない』のは何故か?政治に全く関心ない、考えた事もないって人、
その反対側に、政治に関心があるから、よく考えているからこそ判断できないという人が居る。

政治に関心ない人も、元から箸にも棒にもかからない政治に無関心な奴も居れば、
かつては興味も関心もあったが、昨今の政治状況に絶望して関心を失ったヤツ。

『正しい保守』に期待しながらも、今の安倍や自民党には期待できないと見限る方、
『清冽な革新』を待望しながらも、今の野党や左翼政治家を見限らざるを得ない方。

これらの背景を考え合わせ、『内閣支持率』という極めて単純な設問に対する回答が本当に
『正規分布』しているのかどうか、私にはどう考えても『していない』としか言えません。

或いは、ぎりぎり、『内閣支持率』のような単純な質問は、その回答が『正規分布』している
と言えないことも無いのかもしれませんが、それだって、サンプルが本当に“無作為”に選ばれ、
かつ、『無理に回答を強要しない/中間回答を尊重する』という場合に限って言える例外です。

ちなみに、貴方が言う、下の方の『@〜C』のご見解には、私も異論はありません!

ですが、一言『40%の非回答(有効回答率60%)』すらも怪しい(有効回答率はもっと遥かに低い)
というのが私の見解です。貴方は、有効回答率60%でも“調査に失敗だ”と仰ってますよネ。
ああ、コレはまさに大正論!『非回答40%』の時点で、既に“ランダムサンプリング”の要件を失ってる。

何がしかの調査の依頼に対して『答える/答えない』というバイアスがかかってるんですから!

また、後ほど。



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/155.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] 成功体験という幻想日本 都市伝説の如く暗躍する○○ (世相を斬る あいば達也) 赤かぶ
6. 2018年12月18日 19:48:20 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[220]
成功に 驕り他国を 軽蔑し

縮むだけ 過去の驕りの 反動で
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/167.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] ホワイトハウスに「辺野古埋め立て」の停止求める署名10万筆超え 米政府が対応検討へ(BuzzFeed News) 赤かぶ
1. 赤かぶ[2222] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:49:35 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[688]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/190.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] マスコミと政府の大嘘がまたバレた!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
16. 2018年12月18日 19:49:41 : LFdj7v4TY2 : oNChsjs1RfI[370]
小泉だよ、小泉! 新自由主義を構造改革と言い換えて大道芸にした詐欺師!
あのおっさんが「ほ〜ら、郵政民営化ってこ〜んなにいいもんだよ〜」と嘘八百。
国民がひどい目に遭わされたと気づいたときは、あのおっさんは議員を辞めて
国民の追及が届かないところに逃げてしまった。しかも次男進次郎をという最悪の
遺伝子を政界に埋め込んでいった。私達にできることは進次郎が総理になることを
全力で阻止することだ!
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/161.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK255] ホワイトハウスに「辺野古埋め立て」の停止求める署名10万筆超え 米政府が対応検討へ(BuzzFeed News) 赤かぶ
2. 赤かぶ[2223] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:51:21 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[689]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/190.html#c2
コメント [カルト20] ダマスゴミ・仏デモ半減、偽イスラムテロサックスが原因、しかしイエベ運動は何人も否定できないのである。 ポスト米英時代
5. 2018年12月18日 19:52:02 : O4pUfLwvsA : lleAWoei_CE[831]
2氏のコメントに考えさせられました。
 
 置かれた立場で意識が変わることがある。
そういう事も織り込み済みで、わかっていて我々納税者は利用されている。
言いかえれば「洗脳」されている。

2氏のような状態を説明し理解してもらう「場」はそんなにない。
だからそういうことを「知る」者も少ない。
土台、メデイアが伝えない。
独裁国家(日本もだ)のメデイアが伝えない情報を意識的に取ろうとすることはふつう出来ない。
なんらかの切っ掛けがなければできない。

 「教育」により疑問を持たないように持たないように生かされてきた者にとっては尚更だ。



http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/142.html#c5

コメント [カルト20] 宗教詐欺に二つの意味あり、泥棒が罪悪感を払拭する、我々に自分が奴隷だと思わせる、この二つである。 ポスト米英時代
7. 2018年12月18日 19:53:07 : LFdj7v4TY2 : oNChsjs1RfI[371]
やっぱり禅宗がいいのかな。ひたすらストイックに生きれば人間は変われる?
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/146.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK255] ホワイトハウスに「辺野古埋め立て」の停止求める署名10万筆超え 米政府が対応検討へ(BuzzFeed News) 赤かぶ
3. 赤かぶ[2224] kNSCqYLU 2018年12月18日 19:53:56 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[690]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/190.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK254] ばら撒きが目的で、増税は言い訳のアベシンゾウ(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
3. 2018年12月18日 19:56:23 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10100]
いざなぎ景気超え 庶民が実感できない本当の理由
.
報道20XX
2018/12/18 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=gYPb9sp3Bb8
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/799.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍は北方領土をすべて投げ捨てたのか。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
2. 2018年12月18日 19:56:35 : FA571pEDnk : rT7ERmeN3f0[93]
>>1さん、その言い方は「地方切り捨て」につながりかねませんよ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/175.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 環境破壊と民主主義の破壊を同時に行う辺野古埋め立て(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
2. 2018年12月18日 19:57:07 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[221]
ぶち壊せ 一石二鳥 埋め立てで
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/169.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 55万件流出マイナンバー 普及には“20%還元”しか道はない(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
7. 2018年12月18日 19:57:25 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[222]
容赦なく 闇に流れる プライバシー
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/173.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK255] 辺野古埋立は「第4の琉球処分」、12月14日は「沖縄屈辱の日」。(澤藤統一郎の憲法日記) 赤かぶ
3. 2018年12月18日 19:57:39 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[223]
沖縄も 実は隠れた 植民地
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/166.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍晋三内閣の支持率は前回調査(11月)から4ポイント減の37%、国民有権者の勤務評定は厳しく自民党内では「安倍晋三離れ 笑坊
2. 2018年12月18日 19:57:52 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[224]
隠れ支持 甘い数字で 他人酔わせ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/176.html#c2
コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
9. 中川隆[-13743] koaQ7Jey 2018年12月18日 19:59:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

日本をアメリカの植民地にして貰った天皇一族


東京を囲むように米軍基地がある。

横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。
天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね。


▲△▽▼

山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』
「昭和天皇とダレスと吉田茂」

戦後の「日米安保条約」は、どのような政治政策過程を経て決定したのか?昭和天皇と吉田茂は必ずしも同じではなかった。米軍基地の無条件延長を主張していたのは、米国側のダレスであり、日本側でそれを主張していたのは、吉田茂ではなく、昭和天皇であった。

吉田茂が、サンフランシスコ行きを逡巡していたのは、「安保条約調印式」に出たくなかったからだ。しかし、吉田茂の態度が一変する。昭和天皇との「謁見」である。昭和天皇は、吉田茂を呼びつけ、厳しく説教したと思われる。

「米軍基地無条件延長」と「沖縄切り捨て」を主張する昭和天皇の「リアリズム」を、今の時点でどう評価するか、なかなか、単純な問題ではない。大問題であろう。
http://yamazakikoutarou.hateblo.jp/

▲△▽▼

(通称)沖縄メッセージ

(昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」)
http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/law_war/okinawa_message.html


 ■ (参考) (通称)沖縄メッセージ(昭和天皇のマッカーサー元帥に宛てた「米軍による沖縄占領状態を長期間継続させることを依頼するメッセージ」)


 1947年9月に、昭和天皇は米軍が沖縄や琉球列島のその他の島に米軍が占領状態を50年間より更にもっと長期間継続させることを希望する天皇の考えを示し、当時、天皇の御用掛であった寺崎英成が占領軍の政治顧問のシーボルトの事務所を訪れて考えを伝え、ワシントンのマッカーサー元帥にその内容を送ってもらうように依頼したものである。  その文章の記録が残されている。


 しかし、1946年11月には日本国憲法が公布され、既に象徴天皇が確定し、天皇は政治的な権力を行使できない立場になっていたのであるが、それにも拘わらず、政府を通さずに、個人の利益のために直接アメリカ側に政策要望を出していたことになる。


 ワシントンで公文章の公開となったものが沖縄県の公文書館にコピーとして保存されている。(注)  その内容は次のようなものである。

 筆者の意訳で概要説明する。
 1947年9月20付けのシーボルトからマッカーサー元帥宛の文章を、シーボルトがワシントンの国務長官宛に「将来の琉球列島に関する天皇の考え」と題して、1947年9月22日付けで至急の封書に同封して送っている。


 尚、この後に寺崎が10月3日にシーボルトに会った際に、シーボルトは、陸軍省の意見として、沖縄をアメリカが自由にするとし、国務省の意見は定まっていないことを伝えている内容が書かれている。 (「寺崎御用掛日記」(寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー著)文藝春秋 )

(シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた手紙の内容)
                                              1947年9月22日

標題:将来の琉球列島に関する天皇の考え


  国務長官宛

  拝啓

   私は、1947年9月20日付けのマッカーサー元帥に宛てた私の説明のコピーを同封致しております。そのコピーの内容は、
  天皇のアドバイザーである寺崎が、彼の要望で私のオフィスを訪れてきて、彼と話した内容の要旨を記録したものです。
   その内容は、日本の天皇は、沖縄や琉球列島のその他の島々へのアメリカ合衆国による軍事的占領を継続することを
  希望しており、その要望は、疑うべくもなく、天皇自身にとって大いに利することになることに基づくものであるという
  ことがわかるのである。天皇は、また、これらの島々の米軍による占領の継続が、長期間の賃借契約の方式によること
  を思い描いている。天皇の意見によると、それによって、日本国民は、きっと、アメリカ合衆国には下心がないと納得
  するようになり、アメリカ合衆国が軍事の目的のために占領することを喜んで受け容れることになるであろう。という
  ことである。
  
                                                     敬具


                                                W.J.シーボルト


(シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた手紙に同封したメモ内容)
                                              1947年9月20日


  マッカーサー元帥宛のメモ

   天皇の顧問の寺崎英成が、将来の沖縄に関しての天皇の構想を私(シーボルト)に伝えるため訪れた。
   寺崎は、天皇が米国が沖縄や琉球列島の島に軍事占領を継続することを希望していると述べた。 
   天皇の考えは、そのような占領は、米国にとっても有益であり、日本にも防護をもたらすことになるだろうというもの。 
   天皇は、そのような行動は、広く日本国民に受け入れられると感じている。国民の間では、ロシアの脅威があり、また、
  占領が終わった後に、左翼や右翼のグループの台頭もあり、かれらが事変を起こしかねないし、それをロシアが日本の
  内政干渉のために利用する可能性もある。 
   天皇が更に考えるには、沖縄の占領(他の島の占領も必要かもしれない)が、日本の主権は残した状態で、25年や50年間、
  いや、更に長期間の賃借の形態に基づくものになるであろうということである。
   天皇は、このような占領政策によって、日本人にアメリカが琉球列島に関して恒久的な意図が無いように思わせるので
  あり、他の国、例えば、特にソ連や中国が同様な権利を要求することをそれによって止めさせることになるという。
   手続きに関して寺崎が思うには、沖縄や琉球列島内の他の島における軍事基地の権利獲得については、日本と連合国の
  講和条約の一部にする方法よりも、むしろ日米間の二国間の条約によるべきであるとする。
   寺崎が思うには、連合国との講和条約の一部にする場合は、かなり強制的な平和条約の様相になることが察しられ、将来、
  日本人のことを同情的に解するなど危機的になるだろうと。

                                                W.J.シーボルト






83. 中川隆[-7550] koaQ7Jey 2017年5月21日 22:42:00: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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《 昭和天皇とマッカーサーと日米安全保障条約 》
講和条約後の日米同盟という名の巧妙な占領政策の継続。日本全国基地化とアメリカの治外法権、米軍優先の軍事訓練と日本国民への人権侵害が現在も強硬に実施される日米の取極め。昭和天皇が天皇制の護持を目論んだ所産であると言えよう。アメリカの奴隷であり続ける日本の防衛・外務官僚、それを国民に押し付ける自民党政権。

原因となった日米戦争。連合国の勝利、敗戦後の日本における連合国による占領。アメリカを除く連合国は、日本の政治及び軍事の最高総覧者である昭和天皇を裁判において責任を問うべきであると主張。 その流れを、連合国占領軍の最高司令官であるダグラス・マッカーサー元帥及びワシントンは天皇制の存続を目論み、その絶対的な権力者である昭和天皇の戦争責任の訴追免除を取り計らい、日本の軍備の解体を行い、天皇制を維持するために象徴天皇を確定させる日本国憲法を早急に策定させた。

アメリカは、日本をソ連や中華の共産圏勢力の思想が太平洋の諸島への感化するのを防止するため、及び武力により太平洋の島々やアメリカへの攻撃を防御するための西太平洋の最前線の砦とし、極東からフィリピン、オーストラリアに至る軍事面の防衛ラインを構想していて、戦後の武器の機動性と破壊力を総合的に捉えて、日本全土にわたって機動的な米軍基地化が必要であるとした。

マッカーサーと連合国による占領体制から日米安全保障条約による米国単独の占領下へ移行させ、先に記述した日本全土の米軍基地化及び治外法権、自由な軍事活動と米軍の優先を確立させ、日本が米国に協力と服従することとの引き換えに、天皇の戦争責任の免責や講和条約締結後も内外からの天皇の排斥に繋がりかねない天皇が脅威と感じる勢力から昭和天皇及び天皇制を米軍が守ることを利用して、かけがえの無い日本を、日本が永続的に米国の奴隷となるように両者で協議し決定したものであることは疑いの無い事実であろう。 但し、日本国民には表面的には疑問を抱かせないように細心の注意を日米が策を講じることになる。

昭和天皇が己を守るために当時の天皇大権を行使して米国と協議するように吉田総理に命じたであろう。

昭和天皇と天皇制護持、戦争責任免除と引き換えに日本国の米軍基地化を日米安全保障条約本体とは別の取極めや覚書での調印であったのだろうと推測される。1951年9月及び1952年2月の調印など。

戦後すぐに、昭和天皇や側近とアメリカ側との間で、これらの対応や戦後の占領統治などに関して画策がなされたと推察される。

昭和天皇は、マッカーサー元帥に対し、日本の独立後に連合国が占領の駐留を解除して退去した後に、別途にアメリカとの二国間協定による米軍のほぼ無期限の日本駐留(日本占領の誤魔化し)を日本から申し出たことを米国が了承して日本全国に米軍基地を継続させて軍隊を駐留させる仕組みを構築し、外部からの共産勢力のみならず、周辺国に刺激された日本国民が目覚めて天皇制を排除する勢が勃興しないようにして昭和天皇を護持する保障を与えたのである。旧日米安保条約の内乱条項であることは想像に難くない。

旧日米安保条約や日米間の行政協定や種々の覚書、交換文章などによる取極めを初めとして、その後の新たな協定や条約への改定においても、米軍が必要な取極めは、表立って載せない事項としていつでも自由に定めて調印することができる。

この日米安保条約は、アメリカ政府が日本の内政に関与・影響を行使できる保障を与えたと言ってもよい。

戦後60年以上経過しており、東西ベルリンの壁も崩壊し、ソ連も崩壊している現在において、21世紀においてもアメリカは日本の巧妙に単独占領体制を継続させているのです。更に、一般的に政治に無関心な日本国民からアメリカを敵対視されないように狡猾に、巧妙に、アメリカの軍事体制に組み込まれた日本軍の人的兵力規模の拡大や武器装備の配備を増加することを求めてきているのです。

アメリカの言いなりに、日本の一般国民の人的・物的なアメリカ軍への協力体制について、既に法制化されている。 後は、憲法改正を行い、現日本国憲法の9条の戦争放棄を削除すること及び日本軍の保有を位置づければ、国連の集団的自衛権というものを行使することが実現可能となり、日米安保条約、周辺事態法、日米物品供与などの取極めによって、アメリカが周辺事態と判断すれば、日本は中南米や中東、アフリカなどの国々でのアメリカと共同で戦争を行うことを拒否できないことになる。日・米共同軍は、アメリカ合衆国の最高司令官の指揮統率下に入ることになる。

おめでとう日本国民の諸君。新日本国憲法がアメリカのために機能することになったから、これで、安全保障面、米軍に関わる周辺事態のときは、現在の米軍の基地以外に、日本のどこでも基地を設定できる根拠に基づき軍事活動の制限なき自由が保障されているのです。アメリカが非常事態だと宣言すれば、この場合には、民間の日本人でも、私有の物資や土地、建物、必要な機械・部品・装置などの軍による徴用や一般人の人的協力についても要求に絶対応じなければならないことが既に法的に定まっています。それに反対の人は、アラブの春の如く、実力で徹底抗戦するしかないでしょう。この場合には、日本軍が国民を弾圧する事態に発展することでしょう。独裁政治への変貌が完成した記念となる瞬間です。

日本は本当の民主主義の国家にはなっておらず、アメリカの圧力には逆らえないで逆に国民を無視し、且つ官僚利権を奪われることに対しては狡猾に術策を講じて利権を守り通し、国民はその官僚に支配される構造の社会から脱出できない。

そのうち日本は、一握りのアメリカに隷属し権力を行使できる立場の族が、軍事大国として積極的に平和目的と称して武力行使に及ぶ道に故意に日本を誘導し、天皇大権からアメリカ国大統領大権のもと、この国家の政策に逆らう国民思想はすべて取り締まれる法律を制定し、また憲法解釈とやらを悪用して、北朝鮮と同じ国民総動員をかけて強い日本を世界に訴える未来になるであろう。 国民が官僚・政府・日本軍の暴走を止めない限りは。

かつて、国連決議による承認を得ることが出来ずにアメリカがイラクを攻撃する戦争を、小泉元総理が日本国として根拠を調べずにアメリカの言いなりに応じて2003年3月20日に支持を表明した。また、その後イラクへの自衛隊派遣を断行しても誰も止めなかった事実からして、日本は第二次世界大戦の教訓を直ぐに忘れ去り、容易に過去の同じ過ちを繰り返し、集団的自衛権を行使した戦争に加担することがほぼ確実視される中で権力を有する政権・軍隊を誰が止めることができるであろうか?

日本国の天皇制や日米安全保障条約、政治制度などについて、日本国民は、それらを国民自身によって改革することが求められているのである。
http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/emperor/japan_emperor.html


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April 29, 2017

天皇メッセージ発見者・進藤栄一氏に聞く 「苛烈な現実 今も」 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

http://ift.tt/2oRPQmn

「天皇メッセージは、1947年9月に宮内庁御用掛の寺崎英成が米国側に伝えたものを米本国に送った報告電文で、昭和天皇がすすんで沖縄を米国に差し出すという内容だった。昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏付けられた。昭和天皇実録でも確認されている」

―当時の背景は。

「まだ占領軍内で沖縄をどうするか意見が分かれていた。軍事化を進めて共産主義の対抗基地に使うというタカ派と、日本の民主化を進めることが平和構築につながるとするハト派が拮抗(きっこう)していた。そこへ天皇メッセージが出て来て、それを軸に占領軍内での沖縄の位置付けが反共拠点として要塞(ようさい)化すべきだというものへと明確化していった。それが天皇メッセージの歴史的意義だ」

「さらに翌48年2月に寺崎が2度目の天皇メッセージを届ける。その中で『南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含め』て反共防衛線をつくるべきだと提言する。最も恐るべきは日本の共産主義化だと。これは戦前以来の発想だった」

―沖縄は日本から切り離され米施政権下を経て72年に日本に復帰した。だが米軍基地の集中は変わらず、基地の自由使用など“軍事占領”ともいえる実態は今も続いている。

「沖縄が日本に復帰した後も米軍基地は残り、逆に強化されている。これは天皇メッセージに始まる沖縄の苛烈な現実の帰結だ」
https://kuantan.me/2017/04/29/april-29-2017-at-0501am/



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天皇メッセージ


「天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」GHQシーボルト外交局長

「屈辱の日」と天皇メッセージ 沖縄切り捨て、差別の原点 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

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ソ連侵攻の防衛線に 昭和天皇 48年、2度目のメッセージ

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効してから28日で65年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。

米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、翌48年2月に2度目の“天皇メッセージ”といえる考えが天皇側から米軍側に伝えられていた。皇室と連合国軍総司令部(GHQ)との連絡係を務めた宮内府御用掛の寺崎英成氏が、ソ連の侵攻に備え「琉球」を含む日本列島からフィリピンを防衛前線とする考えを米側に伝達していた。

共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという施策を積極的に展開していた「天皇外交」の姿が浮かび上がる。

寺崎氏は、GHQのウィリアム・シーボルト外交局長に対し「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、そして可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶ」のが現実的施策だとする考えを米側に伝えた。

寺崎氏の提案を受けシーボルト氏は、米本国への電文で「寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」と説明し、天皇側の意向を反映したものだとの認識を示した。
https://kuantan.me/2017/04/30/april-30-2017-at-1210pm/

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「新天皇の最初の国賓がトランプ大統領」という報道の持つ意味
http://kenpo9.com/archives/4519
2018-12-05 天木直人のブログ ※文中、「省っ長天皇」を「象徴天皇」に修正


 きょうの各紙が一斉に報じた。

 皇太子さまが来年5月1日に新しい天皇に即位し、最初に迎える国賓がトランプ米大統領になる方向になったと。

 これはもちろん安倍政権が意図的に流した情報だ。

 そしてトランプ大統領を最初の国賓として招待する事は安倍首相が自ら決めた事だ。

 この事は何を意味するのか。

 その答えは、紹介した「日米安保体制史」(吉次公介著 岩波新書)の中にある。

 「日米安保体制史」の本の中に繰り返し出てくる驚きの史実は昭和天皇こそ日米安保体制を最も強く望んだ人だったということだ。

 私は、昭和天皇が吉田茂に対し、早く日米安保条約を締結せよと急がしたことを豊下楢彦氏の著書を通して知っていた。

 また、沖縄処分の事や、在日米軍の必要性をマッカーサーに訴え、逆にマッカーサーから憲法9条の重要を指摘されたという事も公開情報で知っていた。

 しかし、そのような昭和天皇の日米安保重視の発言は、他にもここまで多く存在していたのだ。

 その事を私は「日米安保体制史」で知って驚いた。

 平和憲法が出来た直後ならいざ知らず、それから何十年たっても、日米安保重視の政治的発言を昭和天皇は繰り返していたのだ。

 その天皇陛下を反面教師として今上天皇は憲法9条遵守の立場を貫かれた。

 そして来年の5月1日からは、文字どおり戦後世代の皇太子が即位される。

 その皇太子が真っ先に迎える国賓が米国の大統領なのである。

 賢明な読者ならもうお分かりだろう。

 文字通り戦後世代の新しい天皇を象徴天皇として戴く新しい時代の日本もまた、日米関係を最重要視する日本になるということだ。

 その事を、米国に伝え、みずからの国民に対してはそういう事だと思わせる。

 まさしくこれが安倍首相の、新天皇が迎える最初の国賓はトランプ米大統領でなくてはならないという、意思だ。

 それを知ってメディアが流したとすれば、メディアもまた日米安保最優先ということだ。

 それに気づかずに流したとすればメディア失格だ。

 どちらにしても、「新天皇の最初の国賓がトランプ大統領」という報道の持つ意味は深刻である(了)


トランプ氏、新天皇と来年5〜6月会見へ 外国首脳で初
https://digital.asahi.com/articles/ASLD37RPGLD3UTFK01Y.html
2018年12月4日03時00分 朝日新聞


 日米両政府は、来年6月末に大阪での開催を予定する主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の前に、米国のトランプ大統領を国賓待遇として日本に招く方向で調整に入った。皇太子さまが来年5月1日に新しい天皇に即位するため、トランプ氏が最初に会見する外国首脳になる見通しだ。

 政権幹部が明らかにした。ブエノスアイレスでのG20サミットにあわせた先月30日の日米首脳会談で、トランプ氏は新しい天皇陛下との会見について「大変光栄に思う」と述べたという。会談冒頭でもトランプ氏は「日本に招待され天皇の素晴らしい行事を心待ちにしている」と語った。

 来日の時期は、皇太子さまが即位する5月1日から大阪でのG20がある6月28、29日までの間で調整。トランプ氏は新天皇と会見し、安倍晋三首相とも会談する方向だ。G20でも改めて来日することになり、米国大統領が短期間に連続して来日するのは極めて異例という。

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天皇メッセージ

「天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」GHQシーボルト外交局長

「屈辱の日」と天皇メッセージ 沖縄切り捨て、差別の原点 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

http://ift.tt/2pi9jiJ

ソ連侵攻の防衛線に 昭和天皇 48年、2度目のメッセージ

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効してから28日で65年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。

米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、翌48年2月に2度目の“天皇メッセージ”といえる考えが天皇側から米軍側に伝えられていた。皇室と連合国軍総司令部(GHQ)との連絡係を務めた宮内府御用掛の寺崎英成氏が、ソ連の侵攻に備え「琉球」を含む日本列島からフィリピンを防衛前線とする考えを米側に伝達していた。

共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという施策を積極的に展開していた「天皇外交」の姿が浮かび上がる。

寺崎氏は、GHQのウィリアム・シーボルト外交局長に対し「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、そして可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶ」のが現実的施策だとする考えを米側に伝えた。

寺崎氏の提案を受けシーボルト氏は、米本国への電文で「寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」と説明し、天皇側の意向を反映したものだとの認識を示した。
https://kuantan.me/2017/04/30/april-30-2017-at-1210pm/


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2017年11月16日
斎藤隆夫衆議院議員の反軍演説(全文) 斎藤隆夫「支那事変処理に関する質問演説」。二・二六事件日米開戦と天皇とイルミナティの戦争責任。
http://fanblogs.jp/kokochan/archive/55/0


昭和天皇に戦争責任はありますよね

2.26事件の時、天皇陛下が激怒して軍に鎮圧命令を出した事は
ただのお飾りではなく統帥権があったということではないか

それならば日米開戦の責任もある
し、敗戦の責任もあるな

来日中のトランプ米大統領が日本に向かう途中のハワイで3日、大統領のツイッターのアカウントで「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」と投稿した。1941年に旧日本軍の奇襲で始まった太平洋戦争で、米国が唱えた合言葉だ。

北朝鮮のミサイルがハワイに向くことを踏まえて76年前の「奇襲」を北朝鮮情勢に読み替え、注意喚起する意図があったとの見方もあるという。


特別編 『昭和天皇独白録』 にみる 日米開戦の責任者たち
http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS05c.html

講義のポイント


アメリカが抹殺した理由は?

デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928〜1983)は、アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。バーガミニを抹殺するために、200〜500万ドルの賄賂・監視料が使われた。日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。

バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。

どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。

二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか?

川島義之(陸軍大将)が裕仁の前で読み上げた二・二六の決起趣意書(北一輝が手を入れたという)をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。

今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。庶民の味方であるわけがない裕仁は、徹底鎮圧を指示した。木戸幸一(きど・こういち、1889〜1977年。長州藩の木戸孝允=桂小五郎が大叔父)も徹底鎮圧を勧めた。

396年計画 1549.8.15-1945.8.15

こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。ザビエルは、1549年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日)に、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。

日本を訪問したザビエルは、「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」とイエズス会の本部に報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。

イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、西南戦争で抹殺された。孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、イルミナティの宮中浸透は完成していた。大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。

明治天皇は薩長の傀儡だった。間接的にはイルミナティの傀儡とも言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、簡単には染まらなかった。西郷を殺すことにも本心では反対していた。それで死後に西郷の名誉回復もしている。日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。

大正天皇の不発クーデタ。大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、西園寺は自分が仕えた4代(孝明〜昭和)の中で最も知性に優れていたと語っている。大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として日本を改造したかった。議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。その天皇の考えに山県有朋は衝突した。

裕仁は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。立花隆の『天皇と東大』によると、上杉憲法学は議会の撲滅を主張していた。議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように「宮中」から指示をしていたのが裕仁である。日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」として利用されたのが二・二六事件だった。

イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。

中国への戦争に反対していた真崎大将を二・二六事件の「黒幕」だとして刑務所に閉じ込めている間に、統制派は中国との戦争に火をつけた(1937年の盧溝橋事件)。こうして最後にイルミナティの日本滅亡計画(敗戦革命)を完了させるため、アメリカを相手に戦わせたのが「太平洋戦争(Pacific War=平和の戦争)」である。近年になって公開された米国政府文書により、アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。たが、木戸というより裕仁だ。近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。

太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。

裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に日本に駐留することにさせた。沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。

「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」

皇道派の支持者だった山口富永(ひさなが)さんが昭和19年に陸軍に入隊するとき、真崎大将を訪ねて聞いた。「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」 それに真崎大将は「226の将校もそれを嘆いて死んでいった」と答えている。その真崎大将も、宮中(裕仁)に抵抗することはできなかった。真崎大将の死後、その長男が裕仁の通訳を30年も務めた。この天皇の呪縛を超えない限り、日本人に未来はない。


以下は、この講義の全編の文字起こしである。

70年以上に亘って日本国民に対して絶対的に隠蔽され続けてきた
2・26事件の真相、全面開示

太田龍

(週刊日本新聞)

2008年1月25日 日本義塾公開講義

バーガミニ『天皇の陰謀』の「新版への序文」に埋もれていた衝撃の事実

バーガミニの『天皇の陰謀』、最初の上下2巻の版じゃなくて、1983年に出た新書版・全7巻の第一巻の巻頭にバーガミニが「新版への序文」というのを書いている。このバーガミニの新版への序文は、私の判断では大変重要なんですけど、私の知る限りバーガミニの新版への序文を読んでその重要性に気がついて、ちゃんとコメントする、意見を発表するというか、注意を喚起するというか、そういう事をした人を私は誰も知りません。多分誰もやってないんじゃないですか。すごく重要ですよ。


バーガミニの全二巻本も今はとても手に入りにくい。新書版は更に手に入りにくい。この新書版は、私がよく読んだらかなり無断で削除してます、全二巻本からね。あんまり良い本でもない、熱心に読まれないかもしれないけども、バーガミニの「新版への序文」は新書版しか載ってないです。ほとんどまともに読まれてないんじゃないかと思う。それでコピーして差し上げたんです。

今日は「二・二六事件の真相の全体開示」ということをお話しします。ここにバーガミニの後編の32頁のコピーがあるでしょう。二・二六の青年将校達の決起趣意書がそのまま載せてあります。この決起趣意書というのは、バーガミニの本に説明してありますけど、青年将校の主な人達が自分で文章を作成したんでしょう。それを北一輝のところへ持っていったら、北一輝が文章に手を入れて、メリハリの効く語呂にしたと書いてあります。決起趣意書をお読みになったことありますか?

川島陸軍大臣が昭和天皇に謁見して天皇の前で決起趣意書を、青年将校はこういう趣旨で決起したようですと読み上げるわけですよ。読み上げたら裕仁がどう考えたかという事をバーガミニが書いています。

私が決起趣意書を読み上げてみます。これはすごく難しい字を使っていて、今の日本人にはサラサラなんて読めなくなっていると思うんです。私も一か所読めない字があります。辞典を引いて来ればよかったんですけど一か所は読めない字があります。意味はわかりますけれど。読んでみますね。

謹んで惟(おもんみ)るに我が神洲たるゆえんは、万世一系たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生々化育(せいせいかいく)を遂げ、ついに八紘一宇を完うするの国体に存す。この国体の尊厳秀絶は、天祖肇国神武建国より明治維新を経てますます体制を整へ、今やまさに万方に向って開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

しかるに頃來、遂に不逞凶悪の徒、簇出(そうしゅつ)して、私心我慾を恣(ほしいまま)にし、至尊絶対の尊厳を藐視(びょうし)し僭上(せんじょう)これ働き、万民の生々化育を阻害して塗炭の疾苦を呻吟(しんぎん)せしめ、したがって外侮外患(がいぶがいかん)、日を追うて激化す。

いわゆる元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、この国体破壞の元凶なり、ロンドン軍縮条約ならびに教育総監更迭における統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭竊(せんせつ)を図りたる三月事件あるいは学匪、共匪、大逆教団等の、利害あい結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にて、その滔天(とうてん)の罪悪は流血憤怒、真に譬(たと)えがたきところなり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の噴騰、相沢中佐の閃発となる、まことに故なきにあらず。しかも幾度か頸血を濺ぎ来たって今なお、いささかも懺悔反省なく、しかも依然として私権自欲におって・・・苟且(こうしょ)(これが分かんないんですねぇ、苟も且つっていうんですね)偸安(とうあん)を事とせり。露支英米との間、一触即発して祖宗遺垂のこの神洲を一擲(いってき)破滅に堕せしむるは火を睹(み)るよりも明かなり。

内外真に重大危急、今にして国体破壊の不義不臣を誅戮(ちゅうりく)し、稜威をさえぎり、御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(さんじょ)するに非ずして皇謨(こうぼ)を一空せん。あたかも第一師団出動の大命煥発せられ、年来御維新翼贊を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衞戍(えいじゅ)の我等同志は、まさに万里征途に上らんとしてしかも顧みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。

君側の奸臣、軍賊を斬所(ざんじょ)して、彼の中枢を粉碎するは、我等の任として能く爲すべし。臣子たり股肱たるの絶対道を、今にして尽くさずんば、破滅沈淪を飜すに由なし。ここに同憂同志機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝腦をつくし、もって神洲赤子の微衷を献ぜんとす。皇祖皇宗の神霊、ねがわくば照覧冥助を垂れたまわんことを。

昭和十一年二月二十六日

っていうんですね。ここにバーガミニが説明してます。裕仁は黙ったままその趣意書に耳を傾けた、その激烈な言葉と軍人精神の勇敢な見せかけの背後に裕仁は彼の好戦的な全政策への完全な否認を読み取ることができた。ベールをかけた腹話的な言い方で反乱者たちは裕仁に請うてこれ以上の外征上の紛争の危険から手を引き、彼の勢力を内政改革と日本の伝統的な大和魂の保持に傾けるように求めていた、という風にバーガミニは説明しているんです。

バーガミニは、二・二六の決起趣意書と、それを裕仁が聞いてどう考えたかという事について、このように説明しているんですけど、こういう説明は、今まで日本人は全く聞いたことはないですよ。バーガミニの評価、説明は大変妥当な、非常に当たり前の説明だと私は思うんですね。

しかし、裕仁はそういう風に考えたけど、川島陸軍大臣、本庄侍従武官長、その他陸軍の中枢将官のほとんどは、こういう青年将校の決起に完全に同調、共鳴というか同情というか支持というか、そういう風な気分だったわけですね。そのことをバーガミニは事実に即してちゃんと説明しています。しかし、日本で今まで出版されている、公表されている、あるいはテレビ、その他等で言われている説明とは甚だしくギャップがあるわけですよ。それで、問題がどこにあるかをまず明確に設定しないとダメですよ。

これはバーガミニの英語の巻の上巻です。上巻と下巻があって、全一巻本というのもあります。日本の翻訳は1973年に出た、いいだもも訳の上下二巻、約1100頁少しなりますかね。バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めてそれを明らかに光を当てたんですよ。

この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を寄せたわけです。驚くべきことが書いてあります。

「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と言ってるんですよ。

これはビックリしませんか? 非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。

この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。これは欧米ではとてつもないエリートです。インサイダーの候補です。そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたりして、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいになったって言ってるんです。

内輪に見積もっても200万〜500万ドル。今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃないでしょうか。200万〜500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料として使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?

「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす大きな蝿叩きを作るために手を貸した」って言うんですよ。ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達の中核の献身を受けていたって言うんです。つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかったんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?

本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、どうのこうのって訳ですよ。アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。

そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって言うことになっちゃった。そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、そう言ってますよ。

これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない本だと考えるのは当然ですよ。ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、バーガーミニに襲いかかった。それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下にさらけ出してしまう。そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。

いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。

それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられてしまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だインチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人はそういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。だから、普通の人は理解不可能です。


何故そうなるのか? 日本の天皇教信者と日本の国家権力とその他、それに類する御用作者・御用学者・その他が、バーガーミニを否定するのは当然でしょう。しかし、なんでアメリカの権力がバーガーミニを葬り去ろうとするのですか。この本は全くのインチキだって否定するんですか。それはまさしく、昭和天皇が単に日本的存在であるだけではなくて、イルミナティ、サタニスト世界権力によって育成された、極めて有能な重要な貴重な傀儡である、イルミナティ、サタニスト世界権力の道具として裕仁は機能したし、ずっとこの本が出た当時もそうだし、今に至るまでそうである、ということの明確な証拠であると私は思います。そう評価することで、バーガーミニの本の重要性と、今それを再評価して日本人がちゃんと勉強する、消化することを始めるべき緊急な必要性があることが証明されると思います。

裕仁は別のことを考えていた

それで、私が読み上げた「蹶起趣意書」については、侍従武官長も、陸軍大将も、他の軍事参議官(まだ予備役になっていない現役の陸軍大将の全部か一部が天皇の軍事顧問の役割を果たすよう設定された職務。軍事参議官会議とは昭和天皇の諮問に答える)も、将官クラスも、ごく少数の非常に突拍子もないへんてこりんな軍人以外の、当時の日本の軍人・将校のほとんどが、この蹶起趣意書にすごく共感したわけです。

当時の日本の人口の6〜7割は農民ですけど、その農民は、第一次大戦後の軍が入ってきて、それから昭和4年(1929年)の世界経済大恐慌の前後からずっと続いてる、日本の経済恐慌の結果、農村は生きることも、死ぬこともできない様な塗炭の苦しみを味わってるわけですよ。兵隊はそういうところから出てくるんですから、将校はそれをひしひしと感じてるわけですよ。だから、多かれ少なかれ趣意書に書かれていることは、天皇の重臣などを殺したというのは、私利私欲、私的目的の為ではなく、こういう趣旨を掲げて、何とか変えてもらいたいと決起した志を酌むべきではないか、少なくとも天皇はその志を酌んで名誉を与えてもらいたいというのが、当時の(海軍は別ですけど)陸軍の首脳層のほぼ全員一致の考えです。

それでも、裕仁は全然問題にしないわけです。全然別の考えなんです。

バーガミニは、二・二六が起きた後、裕仁は単身、厳密に言えば一人じゃないですね、裕仁のそばにいた木戸幸一は、そのころ内大臣府秘書官長だった。二・二六で内大臣の斉藤実が殺されたでしょう。そのあと(1940年から)木戸幸一が内大臣になった。しかし木戸幸一1人じゃない。裕仁(昭和天皇)の摂政時代から、「十一会」という私的な結社を主宰してるんですよ、昭和天皇の顧問団。しかし、バーガーミニは、昭和天皇は単独で自分の考えを強行突破して、あらゆる反対、異論を押し潰して、いくつもの政治決戦に最終的に勝利したと評価してます。

それは全く正当な評価です。日本人は、そんな話はいまだかつて聴いたことがないですからね。だからね、それは非常に衝撃的な評価ですけど、バーガミニの本を最初から読んでいくと、当然そうなるとわかる。

薩摩と長州の宮中掌握

二・二六事件の当事者、関係者をあげていくと11項目ぐらいになる。決起趣意書については先程お話しました。二・二六事件の主役として、表面に出てくるのは4つの勢力なんです。昭和天皇、陸軍の北進派、陸軍の南進派、決起青年将校団の4つです。しかし現象面として挙げていくと、そう言えるという事であって、その現象では物事の本質は見えてこない。本質は何か、さかのぼって突き詰めていくと、落合莞爾さんが吉薗(よしぞの)周蔵〔上原勇作陸軍元帥の私的特務をしていた人物〕の手記について、今ニューリーダーに連載していることの画期的な意味、今まで日本人が全く知らされていない、気がついていない、極めて重要な根源的な近代日本の状況を知る為の要素があります。私も落合さんの連載を読んでいて気がついたんですけど、そもそも孝明天皇を弑逆(暗殺)した主役が長州なんです。公家の一部(岩倉、三条など)が共同謀議して実行したんでしょう。ところが、薩摩が長州と共同歩調をとらないと、それはうまくいかないんですよ。薩摩が孝明天皇を弑逆して大室寅之祐を天皇にすり替えて、イルミナティの傀儡として全く偽者の天皇をでっちあげて、それを本物の天皇として日本人に見せかけて、日本人をずっと騙して、その真相を絶対に秘密にする、そういうシステムを作る上に、薩摩と長州がその二つの主役だった事を私は既に色々なところで言ってます。

しかし薩摩は西郷隆盛が主たる人物。西郷隆盛は、イルミナティのコントロール下で彼らの傀儡となって日本を支配するというような生き方には、究極的にNOと言ったんです。NOと言ったのでフリーメーソンがイルミナティに西郷隆盛の排除を命令したんです。長州と薩摩も彼らの傀儡に対して。それが西南戦争です。西郷さんと一緒に薩摩の武士の約半分は殺されました。残った半分はどうなったかというと、そのすぐ後に大久保も殺されて、その為に、薩摩の力が弱くなって長州のひとり天下のように思われるわけです。

ところが、実はそうでもないんですね。その事を落合さんがずっと調べていって、重要な事実を発見しました。薩摩は英国と戦争をやって、長州は4カ国と戦争をやって、敗北したら掌を返すようにイルミナティの家来になるわけですよ。薩摩も長州も。そして薩摩藩は有能な青年武士をフリーメーソンのグラバーの手引きで英国に留学させた。長州ファイブと英国では言うようですが、その中の一人が伊藤博文です。それから井上(馨)。伊藤と井上は明治時代ずっとペアで日本を支配する。その他、その長州ファイブが、フリーメイソンと、フリーメーソンを上回る直系の長州政権内の決定的なワンワールドの支持の元に動く。これについては加治将一という人の本に割と詳しく書いてある。ところが薩摩も長州とほとんど同時に何人かの青年武士をロンドンに留学させている。そのほうもワンワールド・フリーメーソンに会っただろうと加治って人も言ってます。

しかし、落合っていう人が言うのには、西郷軍(西郷さんの陣営)が完全に潰された後、薩摩は長州に対して弱体化したかというと、そうではないんですね。西郷、大久保、吉井友実〔よしい・ともざね、1828〜1891年。西郷、大久保と同等クラスで、薩摩藩のナンバー3。フランスに留学してワンワールド・フリーメイソンに加入し、明治初期から宮中に入っていた。西郷、大久保なき後、ワンワールドの代理人として宮中を掌握〕の3人が主要な指導的人物と言われていて、その吉井というのが明治になって留学してフリーメーソンに加盟したと落合さんは言ってる。陸軍に入るけど留学して、そして宮中に入る。つまり、ワンワールド、フリーメーソンは宮中を完全に掌握する事を重要な政治課題として設定したと私は思います。

それから、松方正義〔まつかた・まさよし、1835〜1924年。薩摩藩。金融を掌握〕は有名な財政家・金融家ですけど、これもワンワールドでロスチャイルド直系の子分だと言ってます。従って薩摩はワンワールドを通じて西郷さん一派が完全に消えた後も金融を押さえ、宮中を押さえる。そういう風にしてワンワールドは長州の陸軍、薩摩の金融・宮中の勢力が二本立て、両建てで日本をコントロールしたと、私が要約するとなります。

これは私は気がつかなかった。その後、高島鞆之助〔たかしま・とものすけ、1844〜1916年〕という長州(薩摩の言い間違え)の有望というか有能な武士が、陸軍中将になるけど、やはり宮中に入るんです。高島鞆之助もヨーロッパに留学してフリーメーソンに加盟したと言うんです。薩摩の吉井と高島が、普通の歴史には全く出てこないけど、長州の陸軍、官僚と並んで同時にワンワールド、フリーメーソンの日本支配の極めて重要な陣営として機能してる、という事なんです。

私がここで何を言いたいかと言うと、大室寅之祐を擦り替えて天皇にはした。当然、京都で継続してきた日本の朝廷、天皇の系統とはまるで別物ですけど、別物であるにも関わらず、継続した天皇家の正統であると日本人に思わせないといけません。これは非常に難しい仕事ですよ。代々ずっと続いた天皇の正統な継承者であるというふうに日本国民に思わせるように、パフォーマンスというか、フリというか、演技というか、そういう風に作ると同時に、裏のほうでは国民に全く知られないところで宮中はワンワールドの司令通り忠実に動くように演出しなければならない。これは途轍もない難しい仕事ですよ。そういう場に際したのが、吉井と高島。薩摩の非常に有力な武士団の実力者です。

という事を、上原勇作〔うえはら・ゆうさく、1856〜1933年。薩摩藩。山県有朋と同時代の陸軍大将。吉井、高島のひいきで出世。やはりワンワールド〕を調べていた落合莞爾が気がついたという訳なんですね。そういう風に見ると今問題になってる事が凄くよく解る。そうして宮中を握るでしょう。そうすると出てきた現象はどうなるかというと、皇族の男子は全員原則として軍人になるべしというような規則にするんです。軍というのは、陸軍か海軍かのどちらか。従ってバーガミニは、明治、大正、昭和と皇族の表をずっと作って、追って行くわけです。驚いた事に日本には皇族がどうなっているかについて詳しい情報は全くない。変な話だが、わざとそうしてる。そこを調べて行くと、皇族の男子の軍人というのが、陸軍軍人、海軍軍人、ものすごくたくさんいる。そんな事は孝明天皇までの日本の天皇の伝統には存在しないです。

明治天皇がそんな事を考え出して、こういう風にしようなんて事はあり得ない。ワンワールドの司令を受けた宮中を完全に支配する力を得た、吉井、高島、そういう薩摩の藩閥勢力によって宮中がそういう風に作り変えられていった訳ですよ。陸軍軍人、海軍軍人らの皇族は、当然の事ながら英国、フランス、プロシア(ドイツ)、その他ヨーロッパの王室、陸軍・海軍の軍人のシステムをそっくり同じ様なものを作るわけですよ。
:引用終了

昭和天皇裕仁は、明確に戦争責任があるのに、その責任を逃れて平然としていた愚劣な「人間のクズ」です
戦前の礼装をまとった昭和天皇裕仁(ひろひと)。 彼は一旦戦争が始まると、結構好戦的で、かつ優柔不断だったようです。それも一因となり、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)は早期終結の機会を逸しました。
結果、日本人で310万人、海外も含めれば、1000万人以上の兵士と一般市民が死に追いやられました。
彼が平和主義者であったというのは、後年の巧みな演出、作り話です。
敗戦直後、日本各地を視察する昭和天皇裕仁。決して謝罪して回ったわけではありません。
晩年の昭和天皇裕仁。 意図してか、「あっそう」としか発声しない、脳天気なボケ爺さんぶりを発揮。
八月はどうしても、戦争と昭和天皇裕仁(ひろひと)について考えさせられます。

先の大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)について、憲法上(形式的面はあったにせよ)最高責任者の地位にあったにもかかわらず、同氏は何の痛痒も感じていなかったようです(例えば: http://ameblo.jp/hirai-h/entry-11323724860.html )。 大正天皇のように知的障害があったのならともかく、彼にそうした病歴はありません。

終戦後、占領政策上 天皇を生かして利用する方が得策との米国政府の判断をいいことに、裕仁は政治的責任はおろか道義的責任すらとらず、さらに説明責任さえ果たさず、平然とのうのうと生き延びました。唾棄すべき無責任男、「人間のクズ」です。       
極東国際軍事裁判(東京裁判)の結果、東條英機はじめ政治家・軍人7名が絞首刑となりましたが、最も処刑されるべきは裕仁であるはずでした。ところが実際は上述のように米国の都合で不起訴となり命拾いしたのです。
(こうした一連のことが、日本社会の無責任体質を助長する一因になったと言えます。)

実は、この男の評価をめぐっては、小学5年生の時、クラス担任の中年男性教師と大論争しました。 その教師が天皇を敬愛していたからなのか、世間の菊タブーを恐れての忠告だったのか、いずれにせよ天皇や皇室についての批評はやめろという指導でした。
     
しかしその指導にだけは、今も決して従うつもりはありません。
※ なお。昭和天皇裕仁については、月刊誌「文藝春秋」に、評論家で慶應大学教授の福田和也が連載記事を書いています(これまで85回)。 私とは全く主張が異なりますが、そちらもぜひ参照されるとことをお薦めします。(10月号からは「文藝春秋」のWeb版での連載になるようです。
             
コピーライトマーク 2012 HIRAI HIROAKI
二・二六事件
二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。
この事件の結果岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。
陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(陸軍幼年学校・旧制中学校から陸軍士官学校に進み任官した、20歳代の隊附の現役大尉・中尉・少尉達)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。
決起将校らは歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。
そのうえで、彼らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを拒否。天皇の意を汲んだ陸軍と政府は彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。叛乱将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。しかし、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。
事件後しばらくは「不祥事件(ふしょうじけん)」「帝都不祥事件(ていとふしょうじけん)」[3]とも呼ばれていた。
算用数字で226事件、2・26事件[4]とも書かれる。
森友問題の原点 安倍・松井・籠池を結びつけた団体の正体
森友学園事件と二・二六事件

 報道によれば、今月一〇日、学校法人「森友学園」の籠池泰典理事長が、豊中市内の塚本幼稚園で記者会見をおこない、大阪府に対して「瑞穂の国記念小学院」の認可申請を取り下げたことなどを明らかにしたという。
 ほぼ、「完全撤退」と言える。これを聞いた関係の役人は、さぞかし、安堵の胸をなでおろしたことであろう。
 ところで、インターネット上の「The Huffington Post」(三月一〇日二〇時四七分更新、吉野太一郎さん執筆)によれば、この会見の中で、籠池泰典理事長は、次のような歴史観を示したという。

○先の大戦前の二・二六事件の将校のことを思いました。ああ、国家のために殉ずる気持ちで頑張ってきた人たちが、指導部に抹殺された。
○勝者にはいい印象、敗者には悪い印象が与えられます。ただ一〇〇年たてばひっくり返ることがあろうかと思います。

 ここで、籠池理事長は、みずからを「二・二六事件の将校」に擬している。すなわち、国家のためを思ってとった行動が、はからずも国家の「指導部」によってとがめられ、ついに抹殺されることになった存在として、みずからを捉えたのである。
 では、籠池理事長は、みずからの抹殺を指示した「指導部」として、いったい、「誰」を想定していたのだろうか。
 二・二六事件の際、叛乱軍の討伐を命じたのは昭和天皇であり、その決意を支えたのは、木戸幸一内大臣秘書官長、湯浅倉平〈クラヘイ〉宮内大臣、広幡忠隆侍従次長という三人による協議だったという(斎藤実内大臣は死亡)。端的に言えば、昭和天皇と、木戸内大臣秘書官長、湯浅宮内大臣、広幡侍従次長、このメンバーが、叛乱軍の討伐を決定した「指導部」であった。
 このとき、天皇の周辺にいた、本庄繁侍従官長、伏見宮博恭〈ヒロヤス〉軍令部総長、香椎浩平戒厳司令官は、いずれも皇道派の軍人であったが、天皇の決意を変えることはできなかった。
 さて、今回、籠池理事長の抹殺を決意し、実行した「指導部」は、誰だったのだろうか。常識的に考えれば、安倍晋三首相ということになるだろう。
 しかし、安倍首相は、もともとは籠池理事長のシンパだったとされる。その夫人は、一時、「瑞穂の国記念小学院」の名誉校長の地位にあった。安倍首相の役回りは、二・二六事件でいえば、「黒幕」と目されながらも、最後は、青年将校らを見捨てた真崎甚三郎大将に近い。籠池理事長抹殺の司令塔は、やはり、安倍首相とは別のところに存在したと見るべきだろう。
 もちろん、「真相」はわからない。だからこそ、会見の場にいた記者には、聞いてほしかったと思う。「あなたを抹殺した指導部として、あなたは、いったい、誰を想定していますか」と。
「二・二六事件」 日本を震撼させた日を写真で振り返る
1936年2月26日早朝、陸軍の青年将校に率いられた約1500人の反乱部隊が決起して首相官邸などを襲撃した。日本列島を震撼させたクーデター未遂事件の模様を写真で振り返った。
第二次世界大戦資料館
「ソ連との問題は極力重大化させないように努めたいと考えます。かかる難題は、様々に形を変えて連日引き起こされているようですが、多くは丸く収まるでしょう。我々の明日の事業達成を阻むただ一つの障害、それは今日の我々の疑心暗鬼です。」=フランクリン・ルーズヴェルト(「チャーチル宛の手紙」より、ポーランド問題について=
オラドゥールの虐殺(1944年6月10日)

破壊された村
写真はwikipediaより転載。
 1944年6月10日に、ドイツ占領下のフランス・リムーザン地方リモージュ市の北西約20kmにあるオラドゥール・シュル・グラヌ(Oradour-sur-grane)村で、ナチス武装親衛隊によって起こされた村民虐殺事件。 1944年6月6日、連合軍のノルマンディー上陸作戦の進行に連動する形で、フランス・レジスタンスのドイツ軍に対する妨害活動が盛んになっていた。その中で、参謀本部からノルマンディーへの移動を命じられた武装親衛隊第2装甲師団「ダス・ライヒ」は、この妨害活動に悩まされていた。
 6月10日早朝に、ドイツ人高級将校がオラドゥール村のレジスタンス組織(マキ)にとらえられたようであり、またオラドゥール村の住民のほぼ全てがマキに関係しているというフランス人の密告を受けた。
 SS少佐オットー・ディークマンに率いられた第1連隊「デア・フューラー(総統)」第1大隊120名は、同日オラドゥール村を包囲し、身分証の確認という口実で村民を村中心部の広場に集めた。例外を除いて全ての村人642人は数カ所に分けられ、無惨にも殺害された。虐殺の生存者は、村に兵が現れてすぐに逃げ出した20名ほどの集団を除き、6名のみであった。殺害の後は、徹底的に村の建物を破壊した。
 戦後、シャルル・ド・ゴールフランス大統領は、ナチス占領の残虐さを後世に残すため、オラドゥール村を再建せず、廃墟のまま保存することを決めた。
 ちなみに、オラドゥールの虐殺には第二次世界大戦にドイツに併合されていたフランスのアルザス地方出身の兵(アレマン人)も含まれていた。この兵士たちは1953年に軍事裁判にかけられたが、紆余曲折をへて2月19日、フランス議会において全てのアレマン人を恩赦とする決定がなされ、即座に釈放された。

第二次世界大戦とは?
(2002.10.29作成)
(2003.07.06手直)
(2006.05.06手直)
(2008.03.01追加)
〜とりあえず、思いついたことを書きます、随時必要に応じて手直していく予定です〜
 第二次世界大戦とは、文字通り全世界を巻き込んだ大戦争で、期間的に言えば、1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻に対し、同年9月3日に英仏が対独宣戦布告をした日から、ヨーロッパでは、1945年5月8日のドイツ降伏文書発効、アジアでは1945年9月2日の降伏文書調印(即日発効)(戦闘については、1945年8月15日のポツダム宣言を受諾する旨の昭和天皇の国民向けラジオ放送(いわゆる玉音放送)でほぼ終了(ちなみに連合国への受諾回答は前日8月14日)。)までを指します。
 この大戦では世界の49カ国が戦闘に参加、合わせて動員兵力 1億1000万人という未曾有の規模でありました。
 いままでの戦争とはいろいろな点で大きく違い、大きく分けて、

1.戦闘員より、非戦闘員(民間人)の死者が同等または多かったこと。(ある推計では軍人戦死者2700万人、民間人死者2500万人)
2.原子爆弾という究極の大量破壊兵器を生み出したこと。
3.総力戦であり、一方の国が徹底的に破壊されない限り戦争が終結しなかったこと。
4.第一次世界大戦のような経済的利害の衝突だけではなく、第二次世界大戦は、民族、イデオロギーの衝突でもあり、これが民族迫害という悲劇をもたらしたこと。

などが上げられます。
特に、1.について詳細に言えば、死者数だけを見れば、総数は5000万人から6000万人にのぼり、主なものだけをピックアップして見ても、目を覆うばかりです。

ソ連人 1000万人〜2000万人
中国人 注) 1000万人以上
ユダヤ人 600万人
ポーランド人 500〜600万人
ドイツ人 450万人
日本人
(1937年7月からの数) 310万人
アメリカ人 30万人
イギリス連邦 60万人
フィリピン 110万人
インドシナ 200万人
インドネシア 200万人
注)この戦死者は、政治的な思惑から毎年ごとに大幅な上方修正がなされ、また中共内戦の被害者も含まれる可能性が高いので、実際の正確な数字は不明である。

 また、重要なことはこの第二次世界大戦は、ヒトラーという誇大妄想にとりつかれた野心家が一人で引き起こしたまさしく「我が闘争」であったことです。
(文責 館長)

(参考)日米開戦時の日米国力比較

●新庄大佐による1941(昭和16)年の日米国力分析結果
物  品 アメリカ 日米比率
鉄鋼生産量 9,500万トン 1:24
石油精製量 1億1,000万バレル 1:80
石炭生産量 5億トン 1:12
電力 1,800万キロワット 1:4.5
アルミ生産量 85万トン 1:8
航空機生産機数 12万機 1:8
自動車生産台数 620万台 1:50
船舶保有数 1,000万トン 1:1.5
工場労働者数 3,400万人 1:5 出典:開戦通告はなぜ遅れたか:斉藤充功、新潮新書

●石油関連数値日米比較(1941(昭和16)年)
日本 米国 日米比率
原油生産量(万バレル/日) 0.52 383.6 1:738
人造石油生産量(万バレル/日) 0.33 - -
石油精製能力(万バレル/日) 9.04 465.8 1:52
原油処理量(万バレル/日) 4.93 389 1:79
液体燃料在庫量(万バレル/年) 4,300 3億3,500 1:7.8
精油所1日1人当精製量(バレル) 4 53 1:13 出典:米国戦略爆撃調査団石油報告
さいとう‐たかお〔‐たかを〕【斎藤隆夫】

[1870〜1949]政治家。兵庫の生まれ。憲政会・民政党に所属。二・二六事件直後の粛軍演説などで軍を批判、昭和15年(1940)議会から除名された。第二次大戦後は進歩党の結成に参加、第一次吉田・片山両内閣で国務相。
斎藤隆夫衆議院議員の反軍演説(全文)
斎藤隆夫「支那事変処理に関する質問演説」
http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/hangun_2.html

いわゆる「斎藤隆夫の反軍演説」


※斎藤隆夫の「反軍演説」を下記のサイトより、再録させて頂いた。これは、私のための検索の便である。
http://blechmusik.xrea.jp/d/saito/s01/
※引用元は上記である。
※このサイトは、貴重な一次資料を丹念に収集・整理した、きわめて優れたサイトである。
※以下、サイト本文である。


はじめに

国会図書館のウェブサイトで、1940-02-02(昭和15年)に行われた、「支那事変処理に関する質問演説」(いわゆる「反軍演説」)が、公開されています。

4-10 反軍演説 | 史料にみる日本の近代
インターネット上には、いわゆる「反軍演説」のテキストがいくつかアップロードされていますが、ここでは独自に上のページの画像から文字起こしをしてみました。ですので、他のウェブサイトと記述が異なる箇所があります。「云ふ」を「云う」に書き換える、段落を独自に増やしたり箇条書きを導入するなどして文を読みやすくする、などなど手を加えた箇所があります。

なお、『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』では、「支那事変処理を中心とした質問演説」とのタイトルが付けられていますが、衆議院議事速記録の表記の方を採用しました。また、同書掲載文では強調線と強調点が記されていますが、同様に採用していません。


1940年(昭和15年)2月2日

国務大臣の演説に対する斎藤君の質疑

第01段落
支那事変が勃発しましてからすでに二年有半を過ぎまして、内外の情勢は益々重大を加えて居るのであります、此の秋に当りまして一月十四日、而も議会開会後に於きまして阿部内閣が辞職して、現内閣が成立し、組閣二週間の後において初めて此の議会に臨まるることに相成ったのであります、総理大臣を首めとして、閣僚諸君の御苦心を十分に御察しすると共に、国家の為に切に御健在を祈る者であります。

第02段落

米内首相は組閣匆々天下に向って、現内閣の政策を発表せられたのでありまして、吾々は新聞紙を通じて、之を承知致して居るのであります、併し其の政策と称するものは、唯僅に題目を並べたに過ぎないのでありまして、諸般の政策は此の帝国議会に於て陳述すると附加えてあります、それ故に昨日の御演説を拝聴致したのでありまするが、相変らず抽象的の大要に過ぎないのでありまして、之に依って、国政に対する現内閣の抱負経綸を知ることは勿論出来ない、併しながら私は今日此の場合に於て、是等の問題、即ち

第一は支那事変の処理、
第二は国際問題、
第三は国内問題、

是等の三問題全部を通じて質問を致す時間の持合せもありませぬから、此の中の中心問題でありまする所の支那事変の処理、之に付て私の卑見を述べつつ、主として総理大臣の御意見を求めて見たいのであります。

支那事変の処理は申すまでもなく非常に重大なる問題であります、今日我国の政治問題として是以上重大なる所の問題はない、のみならず今日の内外政治は何れも支那事変を中心として、此の周囲に動いて居るのである、それ故に吾々は申すに及ばず、全国民の聴かんとする所も固より茲にあるのであります、

一体支那事変はどうなるものであるか、
何時済むのであるか、
何時まで続くものであるか、
政府は支那事変を処理すると声明して居るが、如何に之を処理せんとするのであるか、

国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、此の議会を通じて聴くことが出来得ると期待せない者は恐らくー人もないであろうと思う、曩に近衛内閣は事変を起しながら其の結末を見ずして退却をした、平沼内閣は御承知の通りである、阿部内閣に至って初めて事変処理の為に邁進するとは声明したものの、国民の前には事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしまった、現内閣に至って初めて此の問題をこの議会を通して国民の前に曝け出す所の機会に到来したのであります、

是に於て私は総理大臣に向って極めて率直に御尋をするのである、支那事変を処理すると言わるるのであるが、

其の処理せらるる範囲は如何なるものであるか、
其の内容は如何なるものであるか、
私が聴かんとする所は茲に在るのであります、

私の見る所を直言致しまするならば、元来今回の事変に付きましては、当初支那側は申すに及ばず、我が日本に於きましても確に見込違いがあったに相違ないのであります、即ち我国より見まするならば、其の初めは所謂現地解決、事変不拡大の方針を立てられたのでありまするが、其の方針は支那側の挑戦行為に依って立どころに裏切られ、其後事変は日に月に拡大し、躍進に躍進を重ねて遂に今日の現状を見るに至ったのであります、支那側の見込違い、是は言うを要しないのであります、

此処にご参考の為に引用すべき文書があります、是は昨年十二月十三日、内閣情報部より発行せられたる所の週報でありまするが、此の中に「支那事変を解決するもの」と題して支那派遣軍総司令部報道部長の名を以て一の論文が掲載せられて居るのである、此の中に如何なることが現われて居るかと見ると、

「 抑々此の戦争は、支那人、殊に蒋介石の日本に対する認識不足と、其の日本の実力誤算から出発し、又日本の支那に対する研究不足と認識不足とに依って始められ、又深められて来た」
云々と記載されてある、即ち此の度の事変は支那が日本に対する所の認識不足、又日本が支那に対する所の認識不足、此の二つの原因に依って始められ、又是が深められたものに相違ない、

併しながら翻って考えて見ますると、仮令此の認識不足なしと雖も、日支両国の間に於きましては早晩一大事変か起こらざるを得ない其の禍根が、何れの所にか隠れて居った、其の機運が熟して居った、それが彼の北支の一角蘆溝橋に於ける支那側の不法射撃、此の事実に触れて外部に爆発したに過ぎないのでありまして、是は仕方がない、所謂運命であります、両国間に蟠る所の運命でありますから、是は仕方がない、

併しながらその後事変は益々進展して、彼我の勢力並に勝敗の決も明になりました以上は、成べく速に此の事変を収拾する、そうして出来るならば再び斯の如き事変が起らないように、日支両国の間に横わる一切の禍根を斐除して、以て和平克復を促進することは独り日本の政治家の責任であるのみならず、実に支那の政治家の責任であると私は思うのであります、

唯問題はどうして是等の禍根を取除くことが出来るか、どうしたならば将来の安全を保障することが出来るか、吾々は支那の立場を考うるとともに、主として日本の立場を考えねばならぬのである、

そこで先づ第一に吾々が支那事変の処理を考うるに当りましては、寸時も忘れてならぬものがあるのであります、それは何であるか、外の事ではない、此の事変を遂行するに当りまして、過去二年有半の長きに亘って我が国家国民が払いたる所の絶大なる犠牲であるのてあります、即ち此の間に於きまして我が国民が払いたる所の犠牲、即ち遠くは海を越えて彼の地に転戦する所の百万二百万の将兵諸士を初めとして、近くは之を後援する所の国民が払いたる生命、自由、財産其の他一切の犠牲は、此の壇上におきまして如何なる人の口舌を以てするも、其の万分の一をも尽すことは出来ないのであります。

(拍手)

而も是等の犠牲は今日を以て終りを告げるのではない、将来久しきに亘る、今後幾年に亘るかということは、今日何人と雖も予言することが出来ない状態にあるのであります、実に此の度の事変は、名は事変と称するけれども、其の実は戦争である、而も建国以来未だ曾て経験せざる所の大戦争であります、随て其の犠牲の大なると共に、其の戦果に至っても亦実に驚くべきものがある、昨日も此の議場に於て陸軍大臣の御話がありました通り、今日の現状を以て見まするならば、我軍の占領地域は実に日本全土の二倍以上に跨って居るのであります、而して是等の占領は如何にして為されたものであるか、何れも忠勇義烈なる我が皇軍死闘の結果である、即ち是が為には、十万の将兵は戦場に屍を埋めて居るでありましょう、之に幾倍する数十万の将兵は、悼ましく戦傷に苦しんで居るでありましょう、百万の皇軍は今なお戦場に留まって、有ゆる苦難と闘って居るに相違ない、斯くして得られたる所の此の戦果、斯くして現われたる所の此の事実、之を眼中に置かずしては、何人と雖も事変処理を論ずる資格はない。

(「ヒヤヒヤ」拍手)

諸君も御承知の如く、我国は曾て四十余年前に支那と戦った、三十余年前に露西亜と戦った、是等の戦は何れも国運を賭したる戦いであったに相違はございませぬが、今回の戦と比べまするならば、其の規模の大なること、其の犠牲の大なること、日を同じくして語るべきものではない、然るに是等の戦は、如何なる条件を以て、和平克復を見るに至ったかと云うことは、歴史が之を明記して居りまするから、茲に述べる必要はない、

それ故に之を過去の歴史に鑑み、又之を東亜における大日本帝国の将来に鑑み、之を基礎として、以て事変処理の内容を充実するにあらざれば、出征の将士は言うに及ばず、日本全国民は断じて之を承知するものではない。

(「ヒヤヒヤ」拍手)

政府に於て其の用意があるかないか、私が問わんとする所は茲にあるのであります、米内首相は事変処理に付ては、既に確乎不動の方針が定められて居る、斯く声明せられて居るのでありまするが、其の方針とは何であるか、所謂近衛声明なるものであるに相違ない、即ち一昨年十二月二十二日に発表せられた所の近衛声明、是が事変処理に関する不動の方針であることは、申すまでもないことであります、

所が私は元来此の近衛声明なるものに向っては、聊か疑いを抱いて居るのであります、此の際誤解を防ぐが為に御断りをしておきます、きっぱりと御断りをして置きまするが、私は今俄に近衛声明に反対をする者ではない、さりとて賛成をする者でもない、賛成をするか反対をするかは、政府の説明を聴いて、然る後に於て考える積りであります。

(拍手)

今日は質問であります、質問は読んで字のごとく疑いを質すのである、それ故に此の考えをもってご聴取を願いたいのであります、近衛声明の中にはどう云うことが含まれて居るかと言いますると、大体五つの事柄が示されて居るのであります、

其の一つは支那の独立主権を尊重すると云うことである、
第二は領土を要求しない、償金を要求しないということである、
第三は経済関係に付ては、日本は経済上の独占をやらないと云うことである、
第四は支那に於ける第三国の権益に付ては、之を制限せよと云う如きことを支那政府には要求しない、
第五は防共地域である所の内蒙附近を取除く其の他の地域より、日本軍を撤兵すると云うことであります、

此の五つが近衛声明に含まれて居る所の要項である、而して此の声明はただ日本のみに対する声明でなければ、又支那のみに対する声明でもない、実に全世界に対する所の声明でありまするから、如何なることがあっても之を変更することが出来るものではない、絶対に是は変更を許さないのである、

若し苟且にも之を変更するが如きことがありますならば、我国の国際的信用は全く地に墜ちてしまうのであります、唯そればかりではない、ご承知の如く彼の汪兆銘氏、同氏は此の近衛声明に呼応して立ち上ったのである、即ち此の近衛声明を本として、和平救国の旗を押し立てて、新政権の樹立に向って進んで来て居るのである、其の後同氏は屡々声明書を発表して居りまするが、此の声明書を見ますると、徹頭徹尾近衛声明を文字通り、額面通りに解釈をして居るのである、即ち同氏が屡々発表しました所の声明書、此の声明書に現われて居る所の文句を、其の儘取って来て総合しますると、こういうことになるのであります、

近衛声明の如くであったならば支那に取っては別に不利益はない、日本は此の声明によって全く侵略主義を放棄したのである、日本は是まで侵略主義を執って居ったが、近衛声明に依って侵略主義を放棄したのであると言うて居る、日本が侵略主義を放棄したと云うことは、即ち軍事上に於ては征服を図らず、経済に於ては独占を考えないと云うことである、

斯くの如く日本が戦争中に於て反省したる以上は、中国も亦深く自ら反省する所があって、一日も速に和平を実現せねばならぬ、

而して斯くの如き和平は絶対に平等の立場に於て結ばねばならぬ、戦勝者が戦敗者に対する態度はー切放棄すべきである、随って和平条件は決して支那国家の独立自由を害するものではないから、何人と雖も和平の実現を拒むことは出来ない、

声明書に現われて居りまする所の文句を其の儘取って来て総合すると、斯くの如きものになるのである、そうして此の声明を発表して爾来一年有余の間、和平運動の為に進んで来て居るのであります、それですから御承知の通り支那民衆、蒋介石一派よりは実に言うに堪えざる所の攻撃を受け迫害せられ、身を挺して和平運動の為に進軍して来て居るのであります、

それ故に同氏の立場から見れば、徹頭徹尾此の声明をば裏切ることは出来ない、若しこれを裏切るか如きことかありましたならば、和平運動、延いては新政権の樹立は根本から崩壊せられてしまうのである、

是に於て私は政府に向って御尋ねをするのである、支那事変処理の範囲と内容は如何なるものであるか、重ねて申しまするが、

支那の独立主権は完全に尊重する、
支那の独立主権を完全に尊重する以上は、将来支那の内外政治に向っては苟且にも干渉がましきことは出来ない、若し干渉がましきことを為したならば、支那の独立主権は立ちどころに侵害せられるのである、

領土は取らない、償金はとらない、
支那事変の為にどれだけ日本の国費を費やしたかと云うことは私は能く分りませぬ、併しながら唯軍費として吾々が此の議会において協賛を致しましたものだけでも、今年度までに約百二十億円、来年度の軍費を合算致しますると約百七十億円、是から先どれだけの額に上るかは分らない、二百億になるか三百億になるか、それ以上になるか一切分らない、それ等の軍費に付ては一厘一毛と雖も支那から取ることは出来ない、悉く日本国民の負担となる、日本国民の将来を苦しめるに相違ない、

また経済開発に付ては、決して日本のみが独占をしない、
支那の経済開発と云うことが叫ばれて居りまするが、是も日本だけが独占をすべきものではない、

第三国権益を制限するが如きことは支那政府に向っては要求しない、
是まで我国の政治家は国民の前に何と叫んで居ったか、此の度の支那事変は、支那より欧米列国の勢力を駆逐する、欧米列国の植民地状態、第三国から搾取せられて居る所の支那を解放して、之を支那人の手に戻すのであると叫んで居ったのでありますが、是は近衛声明とは全然矛盾する所の一場の空言であったと云うことに相成るのであります、

其の他占領地域より日本軍全部を撤兵すると云うのである、
残る所に何があるか、それが私には分らないのであります、殊に日本軍の撤兵に付いては、汪兆銘氏が如何なることを言うて居るかと云うと、第一次声明の中に斯う云うことが現われている、

近衛声明において特別重要なる点は日本軍の支那からの撤兵である、そうして其の撤兵は全部が急速に且つ有ゆる方面に於て一斉に行われねばならぬということである。即ち撤兵は、全部が急速にあらゆる方面に於て一斉に行われねばならぬと云うことである、唯提案せられたる所の日支防共協定の存続期間に限って、日本軍の駐屯すべき所謂特定地区は唯内蒙の付近のみに制限せられなければならない、

斯様に汪兆銘氏は声明して居りまするが、之を近衛声明と対照しますると、少しも間違いはないのであります、然る以上は是より新政権を対手に和平工作を為すに当りましては、

支那の占領区域から日本軍を撤退する、
北支の一角、内蒙附近を取除きたる其の他の全占領地域より日本軍全部を撤退する、

過去二年有半の長きに亘って、内には全国民の後援の下に、外に於ては我が皇軍が悪戦苦闘して進軍しました所の此の占領地域より日本軍全部を撤退すると云うことである、是が近衛声明の趣旨でありますか、政府は此の趣旨を其の儘実行する積りでありますか、是が私は聴きたいのであります、総理大臣は言うに及ばず、軍部大臣に於ても此の点に付て御説明を煩わして置きたい。
第03段落

次に事変処理に付ては東亜の新秩序建設と云うことが繰り返されて居ります、此の言葉は昨日以来此の議場においてもどれだけ繰り返されているか分らない、

元来此の言葉は事変の初めにはなかったのでありますが、事変後約一年半の後、即ち一昨年十一月三日近衛内閣の声明によって初めて現われた所の言葉であるのであります、東亜の新秩序建設と云うことはどういうことであるか、昨日外務大臣の御言葉にもあったように思いますが、近頃新秩序建設と云うことはこの東洋に於てばかりではない、欧羅巴に於ても数年来此の言葉が現われて居るのであります、

併しながら欧羅巴に於ける新秩序の建設と云うものは、詰り持たざる国が持てる国に向って領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義の如きものでありますが、其の後の実情を見ますると全然反対である、随分持てる所の大国が持たざる所の小弱国を圧迫する、迫害する、併呑する、一種の弱肉強食である、茲に至って欧羅巴に於ける新秩序建設の意味は全く支離滅裂、実に乱暴極まるものであります、

併し欧羅巴のことはどうでも宜い、欧羅巴に於ける新秩序の建設などは、吾々に於て顧る必要はない、此の東亜に於ける新秩序建設の内容は如何なるものがあるか、是も近衛声明及び之に呼応したる所の汪兆銘氏の声明を対照してみますると、新秩序建設には確かに三つの事柄が含んで居る、それは何であるか、

第一は善隣友好と云うことである、
第二は共同防共である、
第三は経済提携であります、

是が是までの公文書に現われて居る所の新秩序建設の内容でありまするが、政府の見る所も之に相違ないのであるか、新秩序建設と云うことが朝野の間において屡々謳われて居るのでありまするが、其の新秩序建設の実体は以上述べたる三つのことに過ぎないのであるか、尚お此の外に何ものがあるのであるか、なければ宜しい、あるならばそれを聴きたい、あっても言えないと言わるるならばそれでも宜しい、兎に角是ほど広く、是ほど強く高調せられている所の戦争の目的であり犠牲の目的である所の東亜新秩序建設の実体は、政府の見る所は何であるか、これを承って置けば宜しいのであります。
第04段落

之に関連して御尋ねをしておきたいことがある、此処に昨年十二月十一日附を以て発表せられたる東亜新秩序答申案要旨というものがある、是は興亜院に於て委員会を設けて審議せられたる所の其の答申案であります、之を見ますると云うと、吾々には中々難しくて分らない文句が大分並べてある、即ち

皇道的至上命令、
「うしはく」に非ずして「しらす」ことを以て本義とすることは我が皇道の根本原則、
支那王道の理想、
八紘一宇の皇謨、

中々是は難かしくして精神講話のように聞えるのでありまして、私共実際政治に頭を突込んで居る者には中々理解し難いのであります。

(拍手)

併しそれは別と致しまして、近頃になって東亜新秩序建設の原理原則とか、精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬと云うことは一体どう云うことであるか、東亜新秩序建設は此の大戦争、此の大犠牲の目的であるのでございます、然るに此の犠牲、戦争の目的である所の東亜新秩序建設が、事変以来約一年半の後に於て初めて現われ、更に一年の後に於て特に委員会までも設けて、其の原理、原則、精神的基礎を研究しなくてはならぬと云うことは、私共においてはどうも受取れないのであります、

(拍手)

此の点は総理大臣に限らず、興亜院の総裁で宜しいのでありますからして、何故興亜院に於ては特に委員会までも設けて、斯う云うことの研究に着手せられたのであるか、之を聴いて置きたいのであります、

昭和十五年二月三日付官報号外衆議院議事速記録第五号第四十三頁
 第二段第十九行第五字目以下削除の部分左の如し

第05段落

私は是より一歩を進めまして少し私の議論を交えつつ政府の所信を聴いてみたい、政府に於ては斯ういうことを云われるに相違ない、又歴代の政府も言うて居る、何であるか、

此の度の戦争は是までの戦争と全く性質が違うのである、此の度の戦争に当っては、政府は飽くまでも所謂小乗的見地を離れて、大乗的の見地に立って、大所高所より此の東亜の形勢を達観して居る、そうして何ごとも道義的基礎の上に立って国際正義を楯とし、所謂八紘一宇の精神を以て東洋永遠の平和、延いて世界の平和を確立するがために戦って居るのである、故に眼前の利益などは少しも顧る所ではない、是が即ち聖戦である、神聖なる所の戦いであるという所以である、

斯様な考えを持つて居らるるか分らない、現に近衛声明の中には確に此の意味が現われ居るのであります、其の言は洵に壮大である、その理想は高遠であります、併しながら斯くの如き高遠なる理想が、過去現在及び将来国家競争の実際と一致するものであるか否やと云うことに付ては、延いて考えねばならぬのであります。

(拍手)

苟も国家の運命を担うて立つ所の実際政治家たる者は、唯徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがあるのであります。

(拍手)

現実に即せざる所の国策は真の国策にあらずして一種の空想であります、先ず第一に東洋永遠の平和、世界永遠の平和、是は望ましきことではありまするが、実際是が実現するものであるか否やと云うことに付ては、お互に考えねばならぬことである、古来何れの時代に於きましても平和論や平和運動の止むことはない、宗教家は申すに及ばず、各国の政治家等も口を開けば世界の平和を唱える、又平和論の前には何人と雖も真正面からして反対は出来ないのであります、併しながら世界の平和などが実際得られるものであるか、是は中々難しいことであります、

私共は断じて得られないと思って居る、十年や二十年の平和は得られるか知れませぬが、五十年百年の平和すら得られない、歴史家の記述する所に依りますると、過去三十五世紀、三千四百幾十年の間に於て、世界平和の時代は僅に二百幾十年、残りの三千二百幾十年は戦争の時代であると言うて居る、斯くの如く過去の歴史は戦争を以て覆われて居る、将来の歴史は平和を以て満たさるべしと何人が断言することが出来るか

(拍手)

のみならず御承知の通りに近世文明科学の発達に依りまして、空間的に世界の縮小したること実に驚くべきものである、之を千年前の世界に比較するまでもなく、百年前の世界に比較するまでもなく、五十年前の世界に比較しましても、実に別世界の感が起こらざるを得ないのである、此の縮小せられたる世界に於て、数多の民族、数多の国家が対立して居る、其の上人口は増加する、生存競争は愈々激しくなって来る、民族と民族との間、国家と国家との間に競争が起らざるを得ない、而して国家間の争いの最後のものが戦争でありまする以上は、此の世界に於て国家が対立して居りまする以上は、戦争の絶ゆる時はない、平和論や平和運動が何時しか雲散霧消するのは是は已むを得ない次第であります、

若し之を疑われるのでありますならば、最近五十年間に於ける東洋の歴史を見ましょう、先程申上げました通りに、我国は曾て支那と戦った、其の時於ても東洋永遠の平和が唱えられたのである、次に露西亜と戦った、其の時にも東洋永遠の平和が唱えられたのである、又平和を目的として戦後の条約も締結せられたのてありまするが、平和が得られましたか、得られないではないか、平和が得られないからして今回の日支事変も起こって来たのである、

又眼を転じて欧羅巴の近状を見ようではありませぬか、御承知の通りに二十幾年前に欧羅巴はあの通りの大戦争をやった、五箇年の間国を挙げて戦った、戦争の結果はどうなったか、敗けた国は言うに及ばず、勝った国と雖も徹頭徹尾得失相償わない、其の苦き経験に顧みて、戦争などはやるものでない、凡そ世の中に於て戦争ほど馬鹿らしいものはない、それ故に未来永久、此の地球上からして戦争を絶滅する、其の目的、其の理想をもって国際連盟を作った、我が日本も五大強国のーとして之に調印して居るのであります、平和は得られましたか、国際連盟の殿堂はどうなって居るか、民族の発展欲、国家の発展欲は、紙上の条約などで以て抑制することが出来るものでない、十年経ち、二十年経つ間に於て又もや戦争熱が勃興して来る、欧羅巴の現状は活きた教訓を吾々の前に示して居るのであります、

或者は言うて居る、此の度の戦争は「ベルサイユ」条約が因である、「ベルサイユ」条約に於て独逸に向って苛酷なる所の条件を課したから、其の反動として今回の戦争が起こったのであると斯う言うて居る、一応の理窟であるに相違ない、併しなから「ベルサイユ」条約がなかったならば戦争は起こらなかったと誰が断言することか出来るか、第一次欧羅巴戦争の前に於きましては「ベルサイユ」条約はなかったのてありますけれども、戦争は起こったのである、

即ち人間の欲望には限りがない、民族の欲望にも限りがない、国家の欲望にも限りがない、屈したるものは伸びんとする、伸びたものは更に伸びんとする、茲に国家競争が激化するのであります、尚お之を疑う者があるならば、更に遡って過去数千年の歴史を見ましょう、世界の歴史は全く戦争の歴史である、現在世界の歴史から…

(発言する者多し)

(議長 「静粛に」)

戦争を取り除いたならば、残る何物があるか。

(「君のような自由主義者が多いからだ」と呼ぶ者あり)

そうしてーたび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない、是非善悪の争いではない、徹頭徹尾力の争いであります、強弱の争いである、強者が弱者を征服する、これが戦争である、正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味ではない、先程申しました第一次欧羅巴戦争に当りましても、随分正義争いが起こったのであります、独逸を中心とする所の同盟側、英吉利を中心とする所の連合側、何れも正義は我に在りと叫んだのでありますが、戦争の結果はどうなったか、正義が勝って不正義が敗けたのでありますか、そうではないのでありましょう、正義や不正義は何処かへ飛んで行って、詰まり同盟側の力が尽き果てたからして投げ出したに過ぎないのであります、今回の戦争に当りましても相変らず正義論を闘わして居りますが、此の正義論の価値は知るべきのみであります、詰まり力の伴わざる所の正義は弾なき大砲と同じことである。

(拍手)

羊の正義論は狼の前には三文の値打もない、欧羅巴の現状は幾多の実例を吾々の前に示して居るのであります、

斯くの如き事態でありますから、国家競争は道理の競争ではない、正邪曲直の競争でもない徹頭徹尾力の競争である。

(拍手)

世にそうでないと言う者があるならばそれは偽りであります、偽善であります、吾々は偽善を排斥する、飽くまでも偽善を排斥して、以て国家競争の真髄を掴まねばならぬ、国家競争の真髄は何であるか、曰く生存競争である、優勝劣敗である、適者生存である、適者即ち強者の生存であります、強者が興って弱者が亡びる、過去数千年の歴史はそれである、未来永遠の歴史も亦それでなくてはならないのであります。

(拍手)

此の歴史上の事実を基礎として、吾々が国家競争に向うに当りましては、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ、自国の力を養成し、自国の力を強化する、是より外に国家の向うべき途はないのであります。

(拍手)
第06段落

彼の欧米の基督教国、之を見ようではありませぬか、彼等は……

(「もう宜い」「要点要点」と呼び、其の他発言する者多し)

(議長「静粛に願います」)

彼等は内にあっては十字架の前に頭を下げて居りますけれども、一たび国際問題に直面致しますと、基督の慈善博愛は蹴散らかされてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする、是が即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります、

此の現実を無視して、唯徒に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば

(小田栄君「要点を言え、要点を」と呼び、其の他発言する者多し)

(議長「静粛に願います、小田君に注意致します」)

現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない。私は此の考えを以て近衛声明を静に検討して居るのであります、即ち之を過去数千年の歴史に照し、又之を国家競争の現実に照して…

(発言する者多し)

(議長「静粛に願います」)

彼の近衛声明なるものが、果して事変を処理するに付て最善を尽したるものであるかないか、振古未曽有の犠牲を払いたる此の事変を処理するに適当なるものであるかないか、東亜に於ける日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、以て将来の安全を保持するに付て適当なるものであるかないか、之を疑う者は決して私一人ではない。

(拍手)

苟も国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくして居るであろうと思う、それ故に近衛声明を以て確乎不動の方針なりと声明し、之を以て事変処理に向わんとする現在の政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を加えて、以て国民の疑惑を一掃する責任があるのであります。

(拍手)

第07段落

私は更に進んで重慶政府と、近く現われんとする所の新政府との関係に付て御尋を致したいのであります、昨年八月阿部内閣が成立致しました当時に於ては、汪兆銘氏を首班とする所の新政府は、今にも現われんとするが如き噂が立てられたのてありますが、それが段々と延引して今日に至って居るのである、併し聞く所に依れば、愈々近く其の成立を見んとするのでありますから、是は日支両国の為に洵に慶賀に堪えないことであります、我国は曩に蒋政権を撃滅するまでは断じて戈を収めない、国民政府を対手にしては一切の和平工作をやらないと宣言して居る、然る以上は新に生るる所の新政府、之を援けて以て和平調整を為さねばならぬ、之に付ては誰一人として反対する者はないのであります、

併しながら退いて考えて見ますると、一体此の新政府はどれだけの力を持って現われるのであるか、是が私共には分らないのであります、申すまでもなく苟も国際間に於て、又国際法上に於て、政府として立ちまする以上は、内に向っては国内を統治する所の実力を備え、外に向っては国際義務を履行する所の能力を有する、此の内外両方面の条件を兼備するものにあらざれば、政府として立つことも出来ねば、政府として之を承認することも出来ない筈であります、其の実力とは何であるか、即ち兵力であります、軍隊の力であります、如何に法制を整えても、如何に政治機構を打建てても、又如何に文章口舌に巧みでありましても、兵力を有せざる政府の威令が行わるる訳がない、殊に之を支那歴朝創業の跡に顧みましても、旧王朝を滅して新王朝を創業する、旧政権を倒して新政権を建設する者は、悉く武人であります、即ち兵馬の間に天下の権を握らざる者はないのである、

彼の孫逸仙が革命事案に向って精力を傾倒したに拘らず、其の業が成らず志を得ずして終に最期を遂げたのは何が故であるか、詰り彼が武人にあらず、武力を有しなかったからであります、之に反して彼の後輩でありまする所の蒋介石が、一時なりとも支那を統一したのは何が故であるか、彼は武人であって武力を有しておったからであります、殊に近頃支那の形勢を見渡しますると云うと、我軍の占領地域であり、同時に新政権の統轄地域である所に於てすら、匪賊は横行する、敗残兵は出没する、国内の治安すら完全に維持することが出来ない、加うるに新政府と絶対相容れざる所の彼の重慶政府を撃滅するにあらざれば、新政府の基礎は決して確立するものではない、それ故に新しき政府を打建てる第一の条件は、何といっても兵力でありまするが、将に現われんとする所の新政府には其の力があるのであるのであるか、ないのであるか、之に付て御説明を煩わしたいと思うのであります。
第08段落

次に新政府が現われましたならば、我国は何としても之を承認せざるを得ないのであります、之を承認すると同時に此の新政府の発展に向っては、極力之を支持せねばならぬのである、支持すべきことを既に声明せられて居る以上は、此の声明を何処までも履行しなければならない、即ち是が為には政治上に於ても、軍事上に於ても、又経済上に於ても、其の他有ゆる犠牲を払って此の新政府を援けねばならぬのである、そうして新政府を援けて将来名実共に完全なる独立政府とした其の後に於て、我国との関係が極めて円満に持続せらるるものであるかないか、是も大切なる問題であるのであります、私共は決して新政府を疑う者ではない、殊に汪兆銘氏を首めとして、身を挺して和平救国の為に奮闘して居る所のあの支那の政治家諸氏に対しては、衷心より敬意を払う者であります。

併しながら、国の異なるに従って国民性にも違いがある、是は仕方がない、現に汪兆銘氏は一昨年の暮に重慶脱出以来、屡々声明書を発表して、蒋介石に向って和平勧告をしたのであります、併しながら蒋介石は之を一蹴して顧みない、そこで昨年の七月には断然として蒋介石に向って絶縁状を送って居る、然るにも拘らずつい最近一月の十六日でありまするか、それこそ辞を卑くし、言葉を厚くして蒋介石に向って停戦講和の通電をやって居る、是は支那の政治家に於て初めて出来ることでありまして、吾々日本の政治家に於ては想像も及ばないことである、それ故に新政府を援助することは宜しいが、新政府の将来に向って決して盲目であってはならない、之に付て総理大臣はどう云う考えを持って居られるのであるか、之を一つ承って置きたいのであります。
第09段落


次に新政府が出来た後に於て重慶政府との関係はどうなるものであるか、之に付きましては前内閣の阿部首相は新聞を通じて、斯う云う意見を述べて居らるるのであります、即ち新政権が出来たならば、新政権は重慶政府に向って働き掛けるであろう、新政権樹立の趣旨が徹底したならば、重慶政府も一緒になって和平救国の途に就くであろう、斯う云う意見を述べて居られるのであります、是は決して前阿部首相一人の意見ではない、今日政府の要人の中には、確に此の意見を持って居る人があるのであります、是が私には分り兼ねるのである、新政権と重慶政府、どう考えても是が将来一致するものであるとは思えないのであります、なぜに一致しないか、御承知の通りに重慶政府は徹頭徹尾容共抗日を以て其の指導精神と為し、之を基として長期抗戦を企てて居るのである、然るに之に反して新政府は反共親日をもって指導精神と為し、之を以て新政府の樹立に向って進んでいるのである、

此の氷炭相容れざる二つのものがどうして一緒になることが出来るか、私共に於てはどうも是は想像が付かない、是は唯理窟ばかりの問題ではなくして、支那の現状を見ましても斯様なことは到底想像することが出来ないのである、殊に先程申しましたように、蒋介石を徹底的に撃滅するにあらざれば断じて戈を収めない、此の鉄の如き方針が確立して、之を以て有ゆる作戦計画が立てられて居るべき筈であるのであります、先程引用致しました所の此の文書の中に於きましても、確に其の意味は現われて居るのである、即ち

重慶政府が出来た所が蒋介石は決して兜を脱がない、重慶政府が屈服しない限りは日本軍は飽くまでも重慶討伐に向って進軍するのである、汪兆銘は日本の重慶討伐に便乗して戦うのである、

是が軍部の方針であるに相違ないのであります、然るに前内閣の首相及び政府の要人は彼の如き気楽なる考を持って居る、支那事変処理の根本方針に付て政府と軍部との間に於て何か意見の相違があるらしくも思えるのであります、是は前内閣のやったことでありまして、現内閣のやったことではないのてありまするが、併し支那事変の処理に付ては前内閣の方針を踏襲すると言われた所の現内閣の総理大臣は、之に付ても相当のお考えがあるには相違ないと思いまするから、此の点も併せて伺って置きたいのであります。

第10段落

次に重慶政府に対する方針、重ねて申しまするが、蒋政権を撃滅するにあらざれば断じて戈は収めない、蒋介石の政府を対手としては一切の和平工作はやらない、この方針は動かすべからざるものでありまするが、其の後蒋介石は敗戦に次ぐに敗戦をもってして、今日は重慶の奥地に逃込んで、一地方政権と堕して居るとはいうものの、今尚お大軍を擁して長期抗戦を豪語し、有ゆる作戦計画をして居るように見受けられるのであります、固より之に付ては我方に於きましても確乎不抜の方針が立てられて居るに相違ありませぬが、併し前途のことは是は測り知ることが出来ない、然るに一方に於ては何処までも新政権を支持せねばならぬ、有ゆる犠牲を払って之を支持せねばならぬ、即ち一方に於ては蒋介石討伐、他の一方に於ては新政権の援助、我国は是より此の二つの重荷を担うて進んで行かなければならぬのでありますが、是が我が国力と対照して如何なる関係を持って居るものであるか、私共決して悲観するものではない、悲観するものではないが、是が人的関係の上に於て、物的関係の上に於て、又財政経済の関係に於て如何なるものてあるかと云うことは、全国民が聴かんとする所であると思うのであります。

(拍手)

それ故に此の点に付きましては総理大臣は申すに及ばず、関係大臣に於て出来得る限りの説明を与えられたい、吾々は固より言えないことを聴こうとするのではない、外交上、軍事上、其の他経済財政の関係に於きましても、言えないことがあることは能く承知して居るのでありますから、言えないことを聴かんとするのではない、此の議場に於て言えるだけの程度に於て、成べく詳しく御説明を願いたいと思うのであります。

最後に支那全体を対象として、今後の形勢に付て政府の意見を聴いて置きたいことがある、申すまでもなく支那は非常な大国であります、其の面積に於きましても日本全土の十五倍に上って居る、五億に近い人口を有して居る、我国の占領地域が日本全土の二倍半であると致しますならば、まだ十二倍半の領土が支那に残されて居るのであります、此の広大なる所の領土に加うるに、之に相当する所の人口を以てして、之を統轄する所の力を有する者でなければ、支那の将来を担って立つことは出来ない、近く現われんとする所の新政府は是だけの力があるのであるか、私共如何に贔屓目に見ましても、此新政府に是だけの力があるとはどうも思えないのであります、

そうするとどうなるのでありますか、若し蒋介石を撃滅することが出来ないとするならば、是は最早問題でない、縦し之を撃滅することが出来たとしても、其の後はどうなる、新政府に於て支那を統一する所の力があるのでありますか、あると言わるるならば其の理由を私は承って置きたい、若し其の確信がないとせらるるならば、支那の将来はどうなるか、各所に於て政権が分立して、互に軋轢して摩擦を起す、新秩序の建設も何もあったものではないのであります。

(拍手)

そうして斯くの如き状態が支那に起るのは何が基であるかと云うと、詰まり蒋政権を対手にしては一切の和平工作をやらない、即ち一昨年の一月十六日、近衛内閣に依って声明せられました所の爾来国民政府を対手にせず、之に原因して居るものではないかと思うが、政府の所見は如何であるか。

而して若し今後此の方針を固く守って進みますならば、表面に於ても裏面に於ても、公式非公式を問わず、一切重慶政府を対手としてはならないのである、又我国が之を対手とすることが出来ないのみならず、近く現われんとする所の新政権も、断じて重慶政府を対手にすることは出来ない筈なのであります、我が日本は対手にしはしないが、新政府は之を対手にしても宜いと云うことは、是は言われない、なぜならば新政府に対しては日本は干渉はしないが指導するのである、即ち新政府に対して日本は指導的立場に立って居るのでありまするから、若し新政府が重慶政府に向って何か交渉の途を開くと仮定致しまするならば、是は誰が見た所が日本の指導に基づくものに相違ないと思う、又思われても仕方がないのであります、そうすると支那の将来はどうなるものでありますか、何時まで経っても此の現状をば精算することは出来ないと思われるのでありまするが、政府は此の点に付てどう云う御考えを持って居られるのでありますか、是も併せて伺いたいのであります。

(拍手)
第11段落

私の質問は大体以上を以て終りを告げるのでありまするが、最後に於て一言を残して、併せて政府の所信を質しておきたいことかある、改めて申すまでもござりませぬが、支那事変は実に建国以来の大事件であります、建国以来二千六百年、此の間に於て我国は幾度か外国と事を構えたことはありまするけれども、今回の事変の如く其の規模の広大なるもの、其の犠牲の大なるものはないのであります、随て此の事変が如何に処理せられ、如何に解決せらるるかと云うことは、実に我が日本帝国の興廃の岐るる所であります、事変以来今日に至るまで吾々は言わねばならぬこと、論ぜねばならぬことは沢山あるのでありまするが、是は言わない、是は論じないのであります、吾々は今日に及んで一切の過去を語らない、又過去を語る余裕もないのであります、一切の過去を葬り去って、成べく速に、成べく有利有効に事変を処理し、解決したい、是が全国民の偽りなき希望であると同時に、政府として執らねばならぬ所の重大なる責任であるのであります。

(拍手)

歴代の政府は国民に向って頻りに精神運動を始めて居る、精神運動は極めて大切でありまするが、精神運動だけで事変の解決は出来ないのである、況や此の精神運動が国民の間にどれだけ徹底して居るかと云うことに付ては、此の際政府としても考え直さねばならぬことがあるのではないか。

(拍手)

例えば国民精神総動員なるものがあります、この国費多端の際に当って、随分巨額の費用を投じて居るのでありまするが、一体是は何を為して居るのであるかは私共には分らない。

(拍手)

此の大事変を前に控えて居りながら、此の事変の目的は何処にあるかと云うことすらまだ普く国民の間には徹底して居らないようである。

([ヒヤヒヤ』拍手)

聞く所に依れば、何時ぞや或る有名な老政治家が、演説会場に於て聴衆に向って今度の戦争の目的は分らない、何の為に戦争をして居るのであるか自分には分らない、諸君は分って居るのであるか、分って居るならば聴かして呉れと言うた所が、満場の聴衆一人として答える者がなかったと云うのである。

(笑声)

此処が即ち政府として最も注意をせねばならぬ点であるのである、殊に…

(「注意しろ」「議長」と呼ぶ者あり)

(議長「静粛に願います」)

国民精神に極めて重大なる関係を持って居るものであって、歴代の政府が忘れて居る所の幾多の事柄があるのであります、例えば戦争に対する所の国民の犠牲であります、何時れの時に方りましても戦時に当って国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります、即ち一方に於ては戦場に於て生命を犠牲に供する、或は戦傷を負う、然らざるまでも悪戦苦闘して有ゆる苦艱に耐える百万二百万の軍隊がある、又仮令戦場の外に居りましても、戦時経済の打撃を受けて、是までの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない、然るに一方を見ますると云うと、此の戦時経済の波に乗って所謂殷賑産業なるものが勃興する、或は「インフレーション」の影響を受けて一攫千金は愚か、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余る所の生活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない。

(拍手)

戦時に当っては已むを得ないことではありますけれども、政府の局に在る者は出来得る限り此の不公平を調節せねばならぬのであります、

然るに此の不公平なる所の事実を前に置きながら、国民に向って精神運動をやる、国民に向って緊張せよ忍耐せよと迫る、国民は緊張するに相違ない、忍耐するに相違ない、併しながら国民に向って犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない。

(拍手)

是と同時に政府自身に於ても真剣になり、真面目になって、以て国事に当らねばならぬのではありませぬか。

(「ヒヤヒヤ」拍手)

然るに歴代の政府は何を為したか、事変以来歴代の政府は何をなしたか。

(「政党は何をした」[黙って聞け」と呼ぶ者あり)

二年有半の間において三たび内閣が辞職をする、政局の安定すら得られない、斯う云うことでどうして此の国難に当ることが出来るのであるか、畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けて居る。

(拍手)

身を以て国に尽す所の熱力が足らないからであります、畏多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何らの経験もない、而も其の器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織する、国民的支持を欠いて居るから、何事に付ても自己の所信を断行する所の決心もなければ勇気もない、姑息倫安一日を弥縫する所の政治をやる、失敗するのは当り前であります。

(拍手)

斯う云うことを繰返して居る間に於て事変は益々進んで来る、内外の情勢は愈々逼迫して来る、是が現時の状態であるのではありませぬか、之をどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考えねばならぬ所は茲に在るのであります、

吾々は遡って先輩政治家の跡を追想して見る必要がある、日清戦争はどうであるか、日清戦争は伊藤内閣に於て始められて伊藤内閣に於て解決した、日露戦争は桂内閣に於て始められて桂内閣が解決した、当時日比谷の焼打事件まで起りましたけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、此の事変を解決して然る後に身を退かれたのであります、伊藤公と云い、桂公と云い、国に尽す所の先輩政治家は斯くの如きものである、然るに事変以来の内閣は何であるか、外に於ては十万の将兵が殖れて居るに拘わらず、内に於て此の事変の始末を付けなければならぬ所の内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼の重責を誤って辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかは知れませぬが、事変は解決はしない、護国の英霊は蘇らないのであります。

(拍手)

私は現内閣が歴代内閣の失政を繰返すこと勿かれと要求をしたいのであります、

事変以来我が国民は実に従順であります、言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情をも披瀝することが出来ない、殊に近年中央地方を通じて、全国に弥漫して居ります所の彼の官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する、政府の統制に服従するのは何が為であるか、一つは国を愛する為であります、又一つは政府が適当に事変を解決して呉れるであろう、之を期待して居るが為である、

然るに若し一朝此の期待が裏切らるることがあったならばどうであるか、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある。

(拍手)

而も此の事が、国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならば尚お忍ぶべしと雖も、事実全く反対の場合が起ったとしたならば、国民は実に失望のどん底に蹴落されるのであります、国を率いる所の政治家は茲に目を着けなければならぬ、

繰り返して申しまするが、事変処理は有ゆる政治問題を超越する所の極めて重大なる所の問題であるのであります、内外の政治は悉く支那事変を中心として動いて居る、現に此の議会に現われて来まする所の予算でも増税でも、其他有ゆる法律案は何れも直接間接に事変と関係を持たないものはないでありましょう、それ故に其の中心でありまする所の支那事変は如何に処理せらるるものであるか、其の処理せらるる内容は如何なるものであるか、是が相当に分らない間は、議会の審議も進めることが出来ない筈なのである、私が政府に向って質問する趣旨は茲にあるのでありまするから、総理大臣は唯私の質問に答えるばかりではなく、尚お進んで積極的に支那事変処理に関する所の一切の抱負経綸を披瀝して、此の議会を通して全国民の理解を求められることを要求するのである。

(拍手)

私の質問はこれをもって終りと致します。

(拍手)

(発言する者あり)

(議長「野溝君に御注意致します」)

12(国務大臣米内光政君登壇)
国務大臣(米内光政君)お答致します

支那事変処理に関する帝国の方針は確乎不動のものであります。政府はこの方針に向って邁進せんとするものてあります。戦争と平和に関するご意見は能く拝聴致しました。以下具体的問題についてお答を致します。

支那側の新中央政府に関する帝国の態度は如何、こういうご質問であります。汪精衝氏を中心とする新中央政府は、東亜新秩序建設につきまして、帝国政府と同じ考えを持っておりますから、帝国と致しましては、新政府が真に実力あり、かつ国交調整の能力あるものであるということを期待致しまして、その成立発展を極力援助せんとするものであります。

(拍手)

その次に新政府樹立後、これと重慶政権との関係は如何というご質問でありまするが、新政府が出来上りまして、差当り重慶政府と対立関係となるということは、やむを得ないものと考えておりまするが、重慶政府が翻意解体致しまして新政府の傘下に入ることを期待するものであります。

次に国内問題でありまするが、政府は東亜新秩序建設の使命を全うせんがために、鞏固なる決意のもとに手段を尽して断乎時局の解決を期している次第であります。この興亜の大事案を完成しまするためには、労務、物資、資金の各方面に亘りまして、戦時体制を強化整備致しまして、国家の総力を挙げて、本問題処理のために総合集中することが肝要でありまして、これがために真に挙国一致、不抜の信念に基づきまする国民の理解と協力とを得ることが必要であると存ずるのであります

(拍手)
http://fanblogs.jp/kokochan/archive/55/0


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] ホワイトハウスに「辺野古埋め立て」の停止求める署名10万筆超え 米政府が対応検討へ(BuzzFeed News) 赤かぶ
4. 2018年12月18日 20:00:56 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10102]
「辺野古埋め立て止める」ホワイトハウスへの署名が10日で10万筆超える - 多くの著名人の呼びかけが効果か
.
時事ぽぽんぷぐにゃん
2018/12/18 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=-NBU39uHYvg
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/190.html#c4
コメント [戦争b22] 日本が空母保有を検討、軍備競争のスイッチを押す(チャイナネット) 無段活用
17. 投稿のあんちゃん[267] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2018年12月18日 20:03:10 : ec5C2vDjSU : aSHPXHF@09I[423]

 勝手に(笑)ってろ。

 正体はバレバレだ。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/456.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
7. 2018年12月18日 20:03:27 : FA571pEDnk : rT7ERmeN3f0[94]
> なぜ拒否されたのか、
セールス戦略のどこが具体的にまずかったのか、

「原発は割りに合わない」が世界的な認識になっているからですよ。いまだに原発に固執しているのは日本だけです。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c7

コメント [カルト20] マクロン窮地→偽イスラムテロサックス、アベロン不支持逆転→札幌ビル爆発サックス、いつものスピンサックスである。 ポスト米英時代
7. 2018年12月18日 20:08:58 : O4pUfLwvsA : lleAWoei_CE[832]
4,5,6氏に同感。

 このところ急にあちこちの電車が止まるようになって何これと
思っている所にこの爆発。
フランスはおおっぴらにモメてるが我が国は「おおっぴら」に出来な
いのでコソコソ揉めてるらしい。
 電車は止まるわ爆発は起こるわ民家が突然焼けるわ...突然死刑
が一日に大量に行われるわ...、やってるご本人たちにも(理由が
あって)制御できないらしい、と推察する。

ま、一応効果を考えて立案している者がいるのだろうが「常軌を
逸している」という判断を人間はできるので常識外の状態が出て
きたら疑う者も出てきます。
素直なテレビ人間ばかりではない。

 マクロンコケたらデンデンとミゾユウもこけることは時間の問題だろう。
ヒラリーも終わったし。



http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/138.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK255] <この記事は国民必読である!>安倍首相の防衛政策は「張り子の虎」だと書いた読売新聞  天木直人  赤かぶ
7. 2018年12月18日 20:11:58 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10104]
中期防衛力整備計画について
.
日本共産党
2018/12/18 に公開
2018.12,18 小池晃書記局長が会見
https://www.youtube.com/watch?v=6Uw0skYcQIo
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/185.html#c7
コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
10. 中川隆[-13742] koaQ7Jey 2018年12月18日 20:15:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

日本をアメリカの植民地にして貰った天皇一族 _ 2


2012-09-08 吉田茂は“マッカーサーのペット”だった


吉田茂は戦前から米国のある筋(奥の院)と密通していたと言われている。太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関するいわゆる「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂だった。


ベストセラー「戦後史の正体」の著者・孫崎 亨氏がNHKドラマ「負けて勝つ~戦後を創った男・吉田茂」(9月7日よりスタート。午後9時~10時13分・連続5回)の正しい見方を伝授している。


(引用、ここから)
孫崎 享 2012年9月7日 - 15:05

吉田茂:NHKドラマ吉田茂の「負けて勝つ」。
本当か!

歴史を見れば、吉田茂、本質従米以外の何者でもない。

今日日本の政治の醜さの原型は吉田首相に。
占領下米国隷従の吉田首相が独立後も政権を担ったのが日本の悲劇。
かつ池田勇人等、吉田学校とか言ってその後の政治家も継承。

米国隷属の権化を英雄に仕立てようとするNHKドラマは何を意図?
番組偶然でない。

野田首相はTPPやオスプレイ等で全くの隷属。
その時期にこの番組。

という訳で、見る時の手引き書を作成


 @占領軍の性格を正確に伝えているか。

  降伏文書は「日本はポツダム宣言実施のため、連合国総司令官に要求された全命令を出し行動とる事を約束する」、


 A吉田首相の基本姿勢は

  『鯉はまな板の上にのせられてからは、庖丁をあてられてもびくともしない。あの調子』。

  それを知らせているか。


 Bマッカーサーは

  「軍事占領は、一方はドレイになり、他方はその主人の役を演じ始める

と述べ、吉田を含め日本側をドレイに見てたことを知らせているか


 C吉田茂はGHQの情報部門の代表者ウィロビーの宿舎に夜こそこそ出かけ指示を仰いでいたことを報じているか、


 D占領直後、米国は日本の経済を徹底的に破壊する姿勢を示したが、その時吉田はどうしていたか、


 E米国の対日政策が変更したのは冷戦が深刻化し、米国が日本利用決定し対日経済政策変更、これを単に吉田の業績としてないか、


 F吉田首相の最大の問題は安全保障で日米安保条約に署名したこと。


ダレスは

「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標」。

 吉田首相はこれにどう抵抗したか、

またダレスは米紙に

「米国は日本を守る義務をもっていない。」

と書いているが、これに吉田首相はどう対応したか」

皮肉なことにNHK放映、「戦後史の正体」ベストセラーになる真っ最中。

「戦後史の正体」の多くの読者は「この番組何」と厳しい評価を下すだろう。
(引用、ここまで)

“マッカーサーのペット”だった吉田茂をなぜ、今、あらためて英雄扱いするのか。その背後には米国政府をも動かす“奥の院”の存在があることを私たちは知るべきなのだ。

 そもそも、吉田茂は戦前から米国のある筋(奥の院)と密通していたと言われている。太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関するいわゆる「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂だった。

 吉田茂の出自を見れば、この男が“奥の院=ロスチャイルド”と繋がっていることが分かる。

 吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国 大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任 した。

 養父・吉田健三とは何者か?ここがポイントなのだ。

吉田健三は英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげた。

ジャーディン・マセソン商会は国際巨大財閥ロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。


 富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。吉田茂の妻は牧野伸顕伯爵の長女・雪子。

 雪子は米国駐日大使ジョゼフ・グルーの妻アリス・ペリー・グルーとは幼馴染みであり、アリスから世界経済や政治についてレクチャーを受けていた。

実はアリスはペーリ提督の末裔にあたる。このアリスから雪子をはじめ昭和天皇の母である九条節子と秩父宮妃でもある鍋島伸子の娘3人はロスチャイルド=モルガンの情操教育=洗脳教育を受けていた。

アリスの母の旧姓はキャボット。
黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いた悪名高きキャポット一族である。


 吉田茂は妻の雪子を通じてロスチャイルド=モルガンに寵愛され、出世街道を上昇していく。ちなみに雪子は麻生太郎元首相の祖母である。

 前述の通り、吉田茂は“日本最大の売国奴”だった。米国にとっては最も便利な男だった。その功績で、トルーマン米大統領とマッカーサーの決定で戦後最長の長期政権の首相になったことは言うまでもない。
 
 NHKドラマ「負けて勝つ」はまさか吉田茂が“売国奴”だったことなど触れるわけがないだろう。5回にわたるドラマは最も重要であり真実である部分を隠蔽するに違いない。この点を凝視する必要がある。

 ところで、吉田茂の身長は155センチ。かなりの小柄だ。主演の渡辺謙は何と184センチという長身だから、このことをとっても“嘘”なのだ。今の若者にとっては吉田茂が小男だったことなどは知る由もないから、イメージのギャップもない。それを良いことにマッカーサーにひけをとらない長身の吉田茂を視聴者に印象づけようとしている。

 解散総選挙が視野に入りつつある今、保守本流と言われてきた吉田茂を持ち上げるドラマが放送されることに違和感を感じなければならない。
http://ameblo.jp/parody/entry-11349418084.html


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吉田茂側近(辰巳栄一元陸軍中将)がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/212.html
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009100301000210.html

吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見

 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。

 有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

 CIAの辰巳氏に関するファイル(52〜57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。

 辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。
(共同)

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原爆を投下される迄 日本が頑張った訳

第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。

 天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。

 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。

 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。

天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。

 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。
http://alternativereport1.seesaa.net/


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昭和天皇に入れ知恵した(?)ジョセフ・グルーの正体

アメリカのジョセフ・グルーは1941年日米開戦までの駐日大使であったが、在任中10年間の間に牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔らと深く関わって、牧野らから御前会議の内容や日本政府の極秘事項をスパイさせていた。白洲次郎もその一味である。

 ジョセフ・グルーは、外交史ではよく平和主義者で、戦争末期には天皇制を認めて早期に終戦を図るべき努力したとなっているが、大ウソである。
 以下は、おおむね鬼塚英昭氏の『原爆の秘密(国外編)』(成甲書房)から教わったものだ。

 グルーはアメリカのモルガン財閥の血族の一人である。つまりモルガン財閥が対日工作のために送り込んだエージェントであった。戦争に反対した平和主義者とは、アメリカの走狗となり果てていた当時の(今も)マスゴミによって宣伝された顔なのである。鬼塚氏はグルーを、トルーマン大統領に代わってから実質的な国務長官として、原爆投下に向けてスティムソン陸軍長官と共同歩調をとったえげつない人物として描いている。
 
 鬼塚氏によれば、原爆は国際金融資本グループが第二次世界大戦後の世界で、核兵器で大儲けをする計画でなされた実験であったと述べている。それが長崎に投下されたプルトニウム爆弾であった。広島に投下されたウラン型の原子爆弾はとうに完成していたが、プルトニウムでの原爆は完成に時間がかかった。だからプルトニウム爆弾が完成するまで日本が降伏しないように指示をだしたのはグルーであり、それを日本側の吉田茂、牧野伸顕、樺山愛輔ら(おそらく海軍の米内光政も)に伝える役割を担ったのが白洲次郎であった。

 憲兵隊もそれを掴んでいて、吉田茂とその反戦グループの意味で彼らを「ヨハンセン・グループ」と呼んだ。ヨハンセン・グループは、アメリカのユダヤ国際金融勢力の意を受けたグルーの指示で日本の降伏を引き延ばしていた。
 鬼塚氏は、白洲次郎を「スティムソン陸軍長官(原爆の責任者)とヨハンセンに操られた“プリンシプルのない男”」と称している。

 白洲次郎の父・文平は綿貿易商「白洲商店」を興して巨万の富を築いた人物である。明治時代にハーヴァード大学を卒業しているから、このときすでにイルミナティあるいはユダヤ財閥と関係を持った(工作員となった)はずである。後にドイツのボンに学んだ折、白洲の妻となる正子の父・樺山愛輔と面識を得たということになっているが、次郎も正子も幼少のころから(イルミナティによって)結婚させられる手筈が整っていたと思われる。

 次郎はケンブリッジ大に留学する。学者を目指したとされるがウソだろう。神戸でチンピラやっていて、英国に行っても高級車を乗り回すしか能がない男が学問だなんて笑わせるんじゃない。イルミナティの工作員として教育されるためにケンブリッジ大学に呼ばれたと見るべきであろう。白洲次郎も本格的にイルミナティに取り込まれて、終世ドレイ的契約を交わしたのであろう。
 そのうち親元の「白洲商店」が昭和2年の金融恐慌で倒産して帰国せざるを得なくなる。一方で樺山愛輔も金融恐慌のあおりで理事をしていた十五銀行が閉鎖に追い込まれる。そのせいで米国に留学していた娘の正子も帰国させられ、そこで次郎と正子が出会ったことにされて、結婚に至るのだ。

 次郎はいきなり日本水産の取締に就任する。これも誰かの手が働いたのだろう。鯨油の輸出に携わり、以後毎年、イギリスに赴く。ロンドンでは駐英大使・吉田茂と親交を深め、日本大使館の2階が定宿となる。いくら知り合いだからといっても、吉田が白洲を日本大使館に住まわせてやるとは…。ここにもイルミナティ関連の工作が効いているのだ。

 白洲次郎は日水時代に、近衞文麿の政策ブレーンも務め始める。ゾルゲ事件のあの尾崎秀実とともに、だ。いったい実業家とは名ばかりで、政治の勉強をしたわけでもなく、政治家を目指したわけでもない遊び人の男が、どうして近衛文麿首相の側近に食い込んでいけたというのか。白洲は情報を収集しては米英の工作機関に渡し、また指示を受けて近衛首相を操作したと思われる。日本を泥沼の支那事変に没入させ、勝算のない日米戦争に引き込まれたのは、直接的には白洲らの工作によるのである。

 ソ連の工作員だった朝日新聞の記者、尾崎秀実はゾルゲ事件に連座して死刑になったが、おそらく同じような工作を担当していた米英側の工作員・白洲次郎は生き延びて、さらに戦後GHQの手先まで務めたのである。アメリカ側が戦時中に白洲に手を出すなと日本の官憲に厳命した可能性はある。それは白洲も尾崎も同じイルミナティの手先であったが、戦後は冷戦構造を演出しなければならなかったから、イルミナティとしては日本をアメリカの統治下におくので、ソ連系の尾崎は邪魔になったのだろう。尾崎は日米戦を実現させた意味で、勲一等ではあったが、アメリカ系スパイの白洲と組んでいたことがわかれば、まずいからではなかったか。

 ちなみに朝日新聞は、尾崎秀実を「信念の記者」と今もって褒めている。朝日のコラムニスト早野透がそう言っている。尾崎がスパイとして日本を支那事変の泥沼に陥れる工作に加担し、やがては敗戦直前にソ連軍に侵入させて多くの満州・朝鮮にいた日本人を陵辱させた、その人でなし尾崎を朝日は絶賛する。
 
 鬼塚氏は『原爆の秘密(国外編)』で「白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう」と書いている。
 鬼塚氏はよく調べたと思うが、しょせん戦争はすべてユダヤ・イルミナティが仕組む八百長であることが十分わかっていない。八百長には演出家も俳優も必要なだけで、白洲はただの小間使いである。

 Wikipedia にはこうある。

 1950(昭和25)年、講和問題で池田勇人蔵相・宮澤喜一蔵相秘書官と共に渡米しジョン・フォスター・ダレスと会談、平和条約の準備を開始した。

 1951(昭和26)年9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ英語から毛筆による日本語に書き直し、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせた。昭和27年(1952年)11月19日から昭和29年(1954年)12月9日まで外務省顧問を務めた。

 よく言うわ。講和交渉もサンフランシスコ条約も、本来、政治家でもない白洲ごときが口をだせるものではない。全部イルミナティの指示によって白州がお目付役となって随行したにすぎまい。まるで最近の小泉劇場を演出した秘書官みたいだ。

 鬼塚英昭氏は『原爆の秘密』で、日本の敗戦時のポツダム宣言受諾「黙殺」と原爆投下がセットになっていると述べている。これはポツダム宣言が出た直後に、ときの総理・鈴木寛太郎が「黙殺」という言葉を使い、そのため米英国民世論が激昂し、それを受けてトルーマンが原爆投下を決断したとされる一連の動きに関してである。

 鈴木首相が「黙殺」と言ったから、原爆投下の正義、口実が確保されたということになっている。これは、スティムソン陸軍長官からヨハンセン・グループに「黙殺」という言葉を使えと指示が行き、それを受けて鈴木首相が「黙殺」と言わされたのだ、という。

 その「黙殺」という言葉を当時の同盟通信社が「ignore」と訳して世界に発信した。つまりわざわざ人騒がせな刺激的な言葉を選んで、アメリカに原爆投下の口実を与えるよう工作したのである。
 
 その同盟通信社はヨハンセン・グループの樺山愛輔の父・資輔が設立したものであった。樺山愛輔が天皇の意向を受けて「ignore」と訳して返事としたと、鬼塚氏は説いている。そこに樺山の娘婿の白洲次郎が一枚かんでいるかもしれない、と。

 白洲次郎は日本に原爆を投下させる役割を担った悪魔というべきチンピラでしかない。
http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/cat5132966/index.html


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日本の軍事力が壊滅状態に追いこまれ、敗戦がすでに決定的であったときに、米軍が機雷による海上封鎖で日本全土を飢餓状態に追いこむ必要がなぜあったのか。

なぜ米軍は軍事施設や軍需工場は温存して、一般市民を焼き殺す作戦を計画的に強行したのか。

こうした疑問は、戦地に兵隊として動員され生死の境をくぐって帰還した体験者のいまわしい記憶とも響きあい、「あの戦争はいったいなんだったのか」の問題意識をともなって論議が発展している

攻撃の対象は日本の一般民であって、軍部ではなかった

 制海権、制空権を確保したアメリカは潜水艦による日本の輸送船をことごとく撃沈する方針をとると同時に、マリアナ基地からB29による日本本土への空襲を開始。45年3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋などの大都市から全土の中小都市あわせて94都市の家屋・家財を焼き払い、広島・長崎への原爆投下を頂点に70万人を殺傷した。さらに、機雷1万1000個を日本の主要湾岸に投下し、内航・外航の大小の船舶をことごとく撃沈、日本国民を徹底的に飢餓状態に追いこむ作戦を強行するにいたった。

 アメリカの攻撃の対象は、「戦争の勝敗を決めるのは軍人ではなく、国民全体が“この戦争は負けだ”と思わないかぎり戦いは終わらない」という米軍将校の訓辞に見るように、すでに日本の軍部ではなく、無辜(こ)の非戦斗の人民大衆であった。人民を抑えつけなければ占領支配ができないという意味であった。


 昭和天皇にとっては「国体護持」だけが狙いで,アメリカが原爆を投下してくれた事にも感謝していた

 天皇制政府は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。

この時期、日本から和平打診の情報がアメリカの新聞で報道され、沖縄戦のさなかの5月には降服の打診がおこなわれたが、アメリカ政府が公式に拒否した事実も明らかにされている。

 当時、アメリカにとっては、なによりも戦後のソ連の影響力を排除し、日本を単独占領支配すること、そのために日本の人民の反米的要素、革命的な気力を喪失させることが最大の眼目となっていた。45年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗北後の3カ月後にソ連が参戦することが約束されたことは、アメリカ支配層がそれまでに計画的に日本を制圧することを至上命令とした。そのために、原爆の開発と日本への投下計画「マンハッタン計画」をおしすすめ、広島・長崎への投下を強行したのである。


昭和天皇は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。

アメリカはその理由として、「日本の軍国的国家主義の根絶」と「自由主義傾向の奨励」をあげ、これに反対するものは、反動的であるかのように宣伝。なによりもまず、原爆の被害にかんする資料を、医学資料から日本人が撮影した記録映画、写真にいたるまでことごとく没収して持ち去り、それにかんする報道をいっさい禁止し、天皇制軍国主義を上回る検閲をおこなった。

 プレスコードの「禁止項目」には、「占領軍・占領政策・アメリカ批判」「占領軍将兵と日本人女性との親密な関係描写」「左翼宣伝」などとともに、「飢餓の誇張」などがあり、高度の機密兵器である機雷投下についてふれることは御法度とされた。

 これには新聞・雑誌・刊行物、放送、演劇脚本・映画・紙芝居・幻灯など、言論・文化のあらゆるものが対象とされ、一般市民の手紙・葉書などの郵便物、電報・電話の傍受にいたるまで徹底したものであった。しかも、「民主主義」のたてまえから「検閲が知られるようなことが絶対にないように、それを暗示することもふくめて、残してはならない」ことまで指示。違反したものには、沖縄送りなどのきびしい刑罰を設定していたことも、明らかとなっている。

 日本の商業マスコミ、「共産党」中央指導部、社会民主主義の政治勢力はおしなべて、こうした占領政策を賛美し、人民が戦争体験の真実を語ることを抑圧する支配構造が形成されてきた。この構図は今日まで生きて作用してきたといえる。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/okasinasennsoudaltuta.htm

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1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告に直面し、海軍大臣米内光政大将は、1945年8月12日、次のように語った。

「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢[国民の厭戦気分の蔓延と政府・軍首脳への反感]を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」(『海軍大将米内光政覚書』:ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫 引用)

原爆投下が、昭和天皇の終戦の聖断をもたらしたのではない。敗北続きの軍、国難・生活難に陥れた日本の指導者たちへの国民の反感という世論が、共産主義革命・国体変革という未曾有卯の危機を予感させた。日本の指導者たちは、広島・長崎への原爆投下を、終戦(降伏)する口実としたが、核兵器の恐ろしさや戦後世界の核戦略は理解できなかった。

ソ連は、国体・天皇に敵対する共産主義者の集まりであり、ドイツを打倒した強大な軍事力が日本に向けば、日本は占領され,国体も変革されるであろう。このようなソ連による国体変革の脅威を目前にして、米国への降伏、国体護持を請うたのが、終戦の聖断である。
http://suyap.exblog.jp/5842042


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・ロスチャイルド財閥を中心とする国際金融同盟は、原子力に注目し、これに莫大な資金を投資し、ウラン鉱の買収を大戦中に始めていた。原爆の実験はそのために是非とも必要だった。日本がその標的にされた。スティムソン陸軍長官が(このことを)6月8日直前に天皇宛の文書でヨハンセン・グループのルートで送ったとみられる。P511

・あれだけの大惨事を見て、米内海軍大臣は“天佑”だと叫んだのである。天皇も「終戦の詔書」の中で一回触れたが、それからは一言も非難の声をあげなかった。その時だけが例外ではない。P521


・日本にとって、天皇にとって都合のよいことが原爆投下によってもたらされた。

天皇はこの直後に、アメリカから“天皇制護持”の約束を与えられていることだ。

そして、御前会議を開き、ポッダム宣言受諾を決定する。

間違いなく、原爆投下と交換条件である。

アメリカは、アメリカ国内よりも日本での非難を恐れていたと思う。…国際金融同盟の連中は、「さすが、スティムソン、よくやってくれた!」と快哉をあげたことであろう。「これで日本は、永遠に俺たちの奴隷の国になったぞ」と。P522

・天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ではどうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理をつけられる見通しがたったからである。

 この広島の原爆で、第二総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。8月6日8時ごろに、多数の第二総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。この日、間違いなく、第二総軍の全員は、8時ごろに集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第二総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが、この総司令部に行っていないのである。P524-528
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/230.html


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21、マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。

@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。

http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html


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天皇の原爆しょうがない発言

昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。

この会見の場で、

「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」

と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c10

コメント [国際24] スマートフォン戦争:ヤンデックスとファーウェイ、欧米独占企業に挑戦(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
1. 2018年12月18日 20:15:50 : NWffBBSkqg : Ww@49fCsj5k[6]

 過去に帰ってみると、電話の時代において、電話会社は通話内容を聞こうと思えば可能だったはず。

 現在において携帯において然り、ネット上であっても発信者、受信者の情報は調べることは無論可能であろう。

 匿名性を信じているものは、愚か者か。
 
 いちいちの情報は無価値であるが、大量に集積できたならば、と金になってしまうものもある。

 情報を独占するとは、無限に存在する砂から砂金である人物の個人情報の収集と形をなさず流動している砂の動静を種々のインデックスで分析可能にする、この二点であろうか?分析可能な状態を手に入れることは逆からみれば、動静を操る手段を独占的に所有していることになる。そうなれば素敵な事をこれでもかとするのが可能となる。

 そりゃあ必死にならざるを得まい。
 
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/794.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] “拒絶”青山に新たなブランド/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 2018年12月18日 20:16:28 : p3XDjCDsXc : P6kQ9UuFPjU[224]
青山ってそんなにブランドか?
田舎から出てきた奴が金貯めたら住みたい町ってだけだろ?

だから「貧乏人は来るな」と言うんだろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/187.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK254] 小沢一郎(事務所)全力で埋め立て進めると官房長官「全力で沖縄の思いを踏みにじる」ということ。怒りしか覚えない 赤かぶ
19. 2018年12月18日 20:16:48 : of1jUkAqnw : f_1dw@0G0E4[8]
>>17
>小沢さんが具体的に何をした、言ってみろ

国民を踏みにじる政権と闘ってるよ。
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/920.html#c19

記事 [国際24] デモと暴動の国、露わになったフランスの本質 国を動かすのは「一握りのエリート」 仏暴動「なぜ黄色いベストなのか?」辻仁成
デモと暴動の国、露わになったフランスの本質
国を動かすのは「一握りのエリート」
2018.12.18(火) 佐藤 けんいち
【写真特集】フランス全土に広がるデモ、「黄色いベスト」運動
フランス・パリで行われた政府の燃料税引き上げに抗議する「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動で、道路を走る装甲車(2018年12月8日撮影)。(c)AFP/Zakaria ABDELKAFI 〔AFPBB News〕

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 今年2018年は「明治150年」であると同時に「日仏交流160周年」の記念すべき年である。だが、日本におけるフランスのイメージは急速に悪化している。それは、立て続けに発生し、今なお着地点が見えない2つの事件が、日仏両国で交差しながら進行中だからだ。

 2018年も押し詰まってきた11月19日、日本の日産自動車と三菱自動車、フランスのルノー3者の会長を兼任していたカルロス・ゴーン氏が逮捕され、フランス政府が出資しているルノーによる日産支配の構造が一般人の目に明るみになった。それだけではない。フランス側の当事者であるマクロン大統領が、12月1日から始まり現在もなお継続中の「黄色いベスト」運動のデモと暴動で窮状に立たされている。

 この2つのニュースが連日メディアで流されているので、フランスのイメージが悪化するのは避けられない状況にある。

 だが、もともと日本人はあまりにもフランスを知らなさすぎたのである。日本人はフランスの芸術・文化には慣れ親しんでいるが、フランスの政治体制についてはほとんど関心がない。実はフランスという国は中央集権の官僚国家であり、警察国家である。もう記憶が薄れているかもしれないが、南太平洋で核実験を強行した国だ。こういった側面だけを見たら、およそ一般の日本人が憧れたりうらやましいと思ったりする存在ではないはずだ。おそらく例外は官僚だけではないか。日本の官僚にとってフランスの官僚は羨望の対象である。その理由については、おいおい見ていきたい。

 とはいえ、せっかくの機会である。この機会にフランスというものをしっかりと見つめてみよう。よく知ったうえで、友好関係を深めていけばいいのだ。

 もはや、かつてのように日本人が一方的にフランスに憧れるという時代ではない。日本のアニメやマンガを愛する若者は多く、彼らは日本に熱いまなざしを注いでいる。マンガを読みたいから日本語を学ぶというフランス人も少なくない。

 逆に日本では、日本の大学の選択外国語からフランス語が転落して久しい。大学時代に第二外国語としてフランス語を選択した私としては寂しい限りだが、フランスの国際的な相対的地位の衰退を如実に反映しているといえよう。いつの時代でも、若者は先物買いをするものだ。

 今回は「明治150年」「日仏交流160年」という意味について文化・芸術面以外の側面から振り返りながら、現在のフランスという国の特質について考えてみたい。

フランスに警察制度を学んだ『翔ぶが如く』の裏主人公
 さて、「明治150年」といえば、NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』であろう。一昨日の日曜日(12月16日)に最終回を迎えたが、展開があまりにも早く、西南戦争もたった1話で片付けられたとネット上で賛否両論もあったようだ。だが、私自身はこの大河ドラマは夏前に見るのをやめてしまったので、確かなことは言いようがない。ドラマとはいえ、あまりにも脚色の多い描写に、見る気がなくなってしまったからだ。

 その代わりというわけではないが、同じく西郷隆盛を主人公にした18年前の大河ドラマ『翔ぶが如く』の原作を読むことにした。言うまでもなく、司馬遼太郎による歴史小説である。『翔ぶが如く』は、放送当時は日本にいなかったためドラマを見ておらず、原作も読んだことがなかったのだ。今年になってから、書店の店頭に文庫版が平積みになっていたので、思い切って読むことにした次第だ。

 文庫本で10冊もある大河小説ともいうべき『翔ぶが如く』の主人公は、実は西郷隆盛(=西郷吉之助)だけでない。倒幕プロジェクトにおいては、同じ薩摩藩出身で無二の盟友でありながら、明治維新後は「近代化」の方向をめぐって対立することになる大久保利通(=大久保一蔵)の物語でもある。「情理」という点からいえば、「情の西郷」に対して「理の大久保」といっていいだろう。むしろ作者の司馬遼太郎は、大久保利通のほうに多く共感を寄せているように思われた。

川路利良の肖像(出所:Wikipedia)
 そして裏主人公ともいうべきなのが、日本の「警察制度の父」となった川路利良(かわじ・としよし)だ。いきなり小説の冒頭でフランスを舞台に登場する川路利良も、また薩摩藩出身であった。もともと西郷にかわいがられた人だが、のちに大久保に心酔し、大久保の「近代化」構想の一翼を担うことになる。西欧先進国にキャッチアップするため、近代的な官僚制の確立を急いだ大久保が根幹に据えたのが内務省であったが、その内務省において大きな役割を果たすことになったのが、治安を守る警察制度であった。

 では、どの国をモデルに警察制度を設計すべきなのか? それを検討する責任者として任されたのが川路利良であった。1871年(明治3年)には、司法省が派遣した西欧視察団の一員として欧州各国の警察を視察し、なかでもフランスの警察制度に大きな感銘を受けている。日本に帰国後には、フランスの警察制度をモデルに日本の警察制度の確立に邁進することになった。

 西郷隆盛が西南戦争(1877年)で敗北し、鹿児島の城山で壮絶な最期を遂げたことは周知の通りだが、西郷軍の鎮圧には川路利良率いる警察が政府軍として動員されていることは意外と知られていないようだ。陸軍だけではマンパワー不足であったからだ。

 大警視(現在の警視総監)の川路は陸軍少将を兼任し、その傘下にあった警視隊で組織された別働第三旅団を率いて参加、分水嶺となった田原坂(たばるざか)の激戦では大きな功績をあげている。ちなみに、主力となっていたのは、「薩摩憎し」の感情に煮えたぎる旧会津藩士たちであった。

 日本の警察制度が確立するのは、西南戦争以後のことである。川路利良と警察制度の確立、そして出発点がフランスであったことは、東京の京橋にあるポリスミュージアム「警察博物館」の常設展示で知ることができる。機会があれば、ぜひ訪れてみてほしい。

帝国陸軍もフランスがモデルだった
 面白いことに明治政府は、警察だけでなく、発足当時の陸軍もまたフランスをモデルとしていた。日清・日露戦争から第1次世界大戦にかけての陸軍上層部は、フランス式のエリート教育を受けた軍人たちであった。

 陸軍がドイツ式にモデルチェンジしたのは、1885年(明治18年)に陸軍大学校教授としてプロイセン陸軍のメッケル参謀少佐が招かれ、その翌年から陸軍改革が開始されて以降のことである。1870年の普仏戦争で、フランス陸軍に勝利したプロイセン陸軍の評価が陸軍内部で高まっていたからだ。

 司馬遼太郎の代表作の1つには、おなじくNHKでドラマ化された『坂の上の雲』がある。その主人公で、日露戦争でロシアのコサック部隊を破った「日本騎兵の父」秋山好古もまた、数学中心のフランス式の教育を受けて、フランスに留学して騎兵のなんたるかを学んだ人であった。松山藩出身の秋山は、最後は陸軍大将まで昇進している。帝国陸軍で元帥まで昇進した軍人は、西郷隆盛を除けば歴代で17人しかいないが、そのなかでも薩摩藩出身の上原勇作は「日本工兵の父」であり、秋山好古の同期であった。しかも、同じくフランスに留学したフランス派であった。賊軍となった会津藩出身だが、義和団事件で活躍し国際的に絶賛された柴五郎は砲兵科出身であり、秋山や上原とは同期であった。最終的に陸軍大将まで昇進しているが、子孫のためにのこした遺書によれば、すべてをフランス語で学んだと回想している。

 近代日本はまた、教育制度もフランスをモデルに制度設計したことにも、触れておかなくてはならないだろう。陸軍に警察に教育制度。近代日本が中央集権制のフランスから学んだ社会制度は少なくない。その功罪については、いろいろと考えなくてはならない。

フランスを牛耳る「一握りのエリート」
 現在の日本の官僚や官僚出身者には、フランスを礼賛する者が少なくない。それはフランスの文化や芸術を礼賛するというよりも、フランスの官僚制を礼賛しているのだ。

 すでに見てきたように、フランスは警察国家であるだけでなく、首都パリを中心にした中央集権制で強固な官僚国家である。日本の官僚が羨望のまなざしでフランスの官僚制度を見ているのは、当然といえば当然であろう。とはいえ、官が強すぎるのは考えものだ。経済とビジネスに関しては、同じ大陸欧州の連邦国家ドイツと比べるパッとしないのは、そのためではないか?

 米国社会には、「リボルビングドア」(回転ドア)があるといわれる。トップクラスのビジネスパーソンが政治任命でホワイトハウス入りしたり、政治家が落選後や退任後には再びビジネス界やシンクタンクに転職というケースが多いことを指している。だが、フランスはその比ではない。「一握りのエリート」によって、高級官僚から大企業の経営職にいたるまで、要職がたらいまわしされているといっても言い過ぎではない。

 冒頭でも触れたが、いま日本とフランスで焦点となっているゴーン氏と、暴動に翻弄されるマクロン大統領という因縁の2人もまた、それぞれ一握りのエリートの1人であり、似たもの同士である。カルロス・ゴーン氏は官僚出身ではないが、ルノー前会長は高級官僚出身者であった。エマニュエル・マクロン氏も、投資銀行出身であることが強調されているが、キャリアの第一歩は高級官僚である。エリート中のエリートである財務総監(日本でいえば財務省)の上級公務員であった。

 こういったフランスのエリート官僚制度を人材面で支えているのが、「グランゼコール」と呼ばれる高等教育機関の卒業生たちだ。グランゼコール(Grandes Ecoles)とは、日本で表現すれば「大学校」となるが、フランスでのプレステージは「大学」よりもはるかに高い。日本人はフランス最高峰の大学というとソルボンヌ、すなわちパリ大学を想起する人が多いかもしれないが、実はそうではないのだ。

 そのなかでもとくに、「エコール・ポリテクニーク」(日本語の通称は「理工科学校」)、「エコール・ノルマル・シュペリュール」(日本語の通称は「高等師範学校」)、「エコール・ナシオナール・ダドミニストラシオン」(略称はENA、日本語の通称は「国立行政学院」)の3つが最難関かつ最高峰とされている。自分の頭脳と成績に自信をもつ者が目指す、憧れの存在だ。

 ゴーン氏はエコール・ポリテクニークを卒業した上で、さらにエコール・デ・ミーヌ(パリ鉱業学校)を卒業している。エコール・デ・ミーヌは1学年100人程度しか学生がおらず、フランス最高のエリート校という評価もある。かつては鉱山技術者養成の学校であったが、現在では理工系のビジネススクールのような存在に変化している。いかに超優秀な超エリートであるかがわかるだろう。

 一方、大統領のマクロン氏は、パリ第十大学(通称「ナンテール」)でヘーゲル哲学を学んだあと、アンスティチュート・デチュード・ポリティーク・ドゥ・パリ(日本語の通称は「パリ政治学院」)で公共問題を専攻したあと、エコール・ナシオナール・ダドミニストラシオン(ENA)を卒業している。

 このように、ゴーン氏が理系の超エリートなら、マクロン氏は社会科学系の超エリートである。しかも、ともに哲学も修めているのである。グランゼコールや大学の入学資格である「バカロレア」の試験には哲学が課されるからだ。これはフランスの際だった特色である。

 余談めいた話になるが、私は日本の大学を卒業後に米国に留学して、米国最古の工科大学である「レンセラー・ポリテクニーク・インスティチュート」(略称RPI、通称レンセラー工科大学)でMBA(経営学修士号)を取得している。日本に帰国後に、とある飲み会の席でそのことを話したところ、えらく驚かれたことがある。会話相手の日本女性はフランス留学経験があり、「ポリテクニーク」に過剰反応したようだった。うるわしき誤解(笑)は、その場でただちに修正しておいたが、それほどゴーン氏の母校の1つであるエコール・ポリテクニークはフランスで評価が高いのだ。

ナポレオンが創設したエコール・ポリテクニーク
 グランゼコールのすべてを解説している余裕はないので、ここではエコール・ポリテクニークを中心に取り上げることにしよう。

 エコール・ポリテクニークは、フランス革命中の1794年に創設されたが、実質的な創設者は1804年に皇帝となったナポレオンである。拙著『ビジネスパーソンのための近現代史』でも、同時代と後世に多大な影響をあたえたナポレオンの業績について詳しく取り上げているが、ナポレオンは、もともと土木技術者養成のために設立されたエコール・ポリテクニークを、軍事技術者養成のための学校として改組し再建した。

 そういった経緯があるので、エコール・ポリテクニークは現在でも国防省管轄の大学校であり、初年度は新入生全員が兵役につくことになっている。7月14日の革命記念日のパレードで先頭に立つのは、制服に身を包んだ学生たちなのだ。

 ただし現在では、この学校を卒業して職業軍人の道を進む者はきわめて少数だ。圧倒的多数はゴーン氏の場合のように、その他のグランゼコールに進学する者が圧倒的に多いようだ。

 エコール・ポリテクニークは、学業成績による入学者選抜を行っているが、それだけでなく体力テストも合格基準をクリアしないと入学できない。軍の学校である以上、当然といえば当然だが、フランス型エリートがフィジカルエリートでもあることは強調しておくべきポイントだろう。確かにフランスでも英米でもエリートは一般人とは体格が違うことが多い。この点は、異なる教育システムではあるとはいえ、英米とも共通している。

 エコール・ポリテクニークは、エコール・ノルマルやENAといったトップクラスのグランゼコールと同様、学費が無料であるだけでなく、公務員扱いとして給与が支給されるのも特色だ。日本で同様の存在といえば防衛大学校が該当するが、国内でのプレステージにおいてはフランスとは比較にはならないだろう。

卒業順位ですべてが決まるENA
 グランゼコールは、基本的に入学者の選抜を学力によって行っているが、第2次大戦後に創設されたENA(国立行政学院)は、国家上級官僚を養成する実学コースであり、卒業順位ですべてが決まる仕組みになっている。

 一番から順番に、自分が希望する官庁に配属されることになっているが、一番人気は国務院と財務総監(日本でいえば財務省)であり、会計検査院である。職業キャリアの第一歩を財務総監の上級公務員から始めたマクロン氏が、いかにエリート中のエリートであるかがわかるだろう。成績が一生つきまとうという点において、日本の陸軍大学校はENAと同じ仕組みであった。だが、その結末がいかなるものであったかは、ここであえて指摘はしない。

 官僚人気が衰えた現在の日本では、試験の成績だけで入学者を選抜し、卒業順位ですべてが決まるフランス型のシステムには違和感を抱く人も少なくないだろう。だが、実はこの選抜システムは、フランス革命の申し子なのだ。身分や財産ではなく、学力のみで選別するのは、まさに「機会均等」を全面に打ち出した啓蒙思想の成果であり、「近代」を体現しているフランス革命の申し子であった。

デモと暴動でしか社会変革ができない国
 今回フランス全土に拡大した暴動は、格差社会における「一握りのエリート」への反乱といっていい。燃料費値上げから始まった「黄色いベスト」運動のデモが、異議申し立ての段階から暴動にまで発展しているのは、食糧暴動から始まって民主化運動に発展した2011年の「アラブの春」とよく似ている。SNSでの呼びかけで始まり、明確なリーダーが不在なまま急速に拡大していった姿も共通している。

【写真特集】フランス全土に広がるデモ、「黄色いベスト」運動
フランス・パリで行われた政府の燃料税引き上げに抗議する「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動で、機動隊の前にひざまずいて両手を頭に乗せるデモ参加者(2018年12月8日撮影)。(c)AFP/Sameer Al-Doumy〔AFPBB News〕

 先進国フランスを支える一握りのエリートと、グローバルな理念やタテマエばかりを語る上から目線の大統領。これに「ノン」をつきつけたのが、中産階級から転落した勤め人たちだ。かつてのような大学生や労働者階級を中心としたイデオロギー主導のデモではない。移民や難民が中心の暴動でもない。仕事と生活に不可欠なクルマの燃料費が普通の勤め人たちの家計を直撃しているのである。それだけ切実なものが背景にある。

 民主主義の先進国でありながら、デモと暴動でしか社会変革ができないフランスは、変革を一歩一歩確実に実行していく本来の意味の「保守主義」とは、ほど遠い場所に位置している。妥協を余儀なくされたマクロン大統領のもと、今後なんらかの改革は行われるだろうが、正直いってフランスに対する評価はネガティブにならざるをえない。ドイツのメルケル首相の指導力が失速しつつあるいま、フランスのマクロン大統領がEUの盟主になるかと思われたが、その可能性は遠のいた。いや、はたしてそういう日が来るのかどうかさえ不明であり、EU崩壊の可能性も絵空事ではなくなるかもしれない。

「ノーブレス・オブリージュ」という表現がある。人の上に立つエリートは、自らを犠牲にしてでも、率先垂範して義務を果たさなくはならないという思想の表明である。そもそも「ノーブレス・オブリージュ」(noblesse
oblige)というフレーズはフランス語だ。英語でもそのまま使用されるが、日本語に直訳すれば、「高貴さは義務を負わせる」となる。

 フランスの「一握りのエリート」たちに、はたしていまでも「ノーブレス・オブリージュ」が存在するのかどうか。ゴーン氏の行状やマクロン氏の惨状を見ていると、疑問をもたざるをえないのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54962

辻仁成が見る仏暴動「なぜ黄色いベストなのか?」
過去の暴動とは違う。国民の声から「ジレ・ジョーヌ運動」の特異性が聞こえる
2018.12.18(火) 辻 仁成
フランス「黄色いベスト」デモ、4週連続 機動隊と衝突 略奪も
フランス「黄色いベスト」デモ、4週連続 機動隊と衝突 略奪も。「親愛なるブルジョワの皆様 お邪魔して申し訳ありません 私たちは皆、尊厳を持って生きさせて頂いてもよろしいでしょうか?」と書かれたプラカードを掲げる人〔AFPBB News〕

  (作家、辻仁成)
※編集部注:一部デバイスでは辻のしんにょうの点がひとつになりますが、正しくはふたつです

 なぜ、彼らはジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)を着るのか。世界中の人々はこのデモ衣装の統一を不思議に思ったのではないか。

 実は数年前、ここフランスでは、自動車内に黄色いベストの携帯が義務付けられた。だから、私の車にもこの黄色いベストが常備されている。事故が起こった時、運転手は車外に出て危険から自らの身を守るためにこれを着る。

 ガソリン税の増税が決まった時、これに反発する人々が皮肉を込めてこれを羽織り、危険から身を守るためにデモ行進をはじめた。この皮肉こそが政府の増税政策に不満を持つ人々の心を掴んだ。つまり、私もしようと思えば自分のジレ・ジョーヌを羽織って簡単にデモに参加することが出来るのだ。この黄色いベストは空港でも、工事現場でも、工場でも、路上でも、ありとあらゆる人々が危険から身を守るために日常羽織っているものだから。同時にそれは労働者のシンボルでもある。どこかの団体を意味するマークではなく、まさに市民運動の象徴ということになる。

「ガソリン代を払えないなら電気自動車を買えばいい」
 パリはクリスマスを前に規模は縮小したもののまだ予断を許さない状態が続いている。

 マクロン大統領をマリー・アントワネットに譬える批評もある。「パンがないならブリオッシュを食べればいい」と言ったアントワネットの言葉が「ガソリン代を払えないなら電気自動車を買えばいい」に変換され皮肉られている。

 個人的な話だが、私はマクロン大統領誕生時に強い期待を持った一人だった。マクロン一人を悪者にしていいのか、という記事も確かにあるし、彼がこの30年の政治的なツケを背負わされた格好であることも事実であろう。

 しかし、フランスの国民に同情する気持ちはなく、その怒りは想像を超えて拡大した。なぜか?

 黄色いベストを着た人たちがパリでデモを始めた5週間前、マクロン大統領はこの運動を重要視していなかった。現場に駆けつけることもせず静観した。これは初動対応のミスであり、大統領という立場上責められても仕方がない。マクロン大統領は代議士の経験も自治体を代表したこともないので市民に耳を傾けることや市民との駆け引きに長けていないのではないか。事態が深刻化してやっと12月10日テレビで謝罪した。初動対応の悪さやその最中の態度の冷たさによって、予想をはるかに超える状態となった。立ち上がったフランス庶民の声も「マクロン、辞任!」へと傾きつつある。

フランス人は今の状況をどう思っているのか?
 そこで今のフランスの空気を読みほどきたく、様々なフランス人にインタビューを試みた。「あなたは今この状況を、そしてマクロン大統領をどう思うのか」

テレビ局勤務50代「これはこの30年あまり、政府が庶民のことを無視し続けた結果です。物価や税金はうなぎ上り。その一方、SMIC(最低賃金)が1200ユーロ弱(15万円程度)でどうやって庶民は暮らしていけますか? 華やかな印象の『パリ』とは対照的にフランスの貧困層は明らかに膨張している。今回のデモの発端となったガソリン税増税は郊外に暮らし、車が必要不可欠な人たちにとっては大打撃となる。President des riches(金持ちのための大統領)と言われるマクロン大統領に対する不満は爆発しました。この怒りは理解できるし、その怒りを主張する行為こそフランスの伝統なのです」

ホテル従業員40代「クリスマス前なのに、毎週末、買い物することができない状況が続いています。その結果、購買力低下が大きな社会経済問題になっています。観光面からいうと過去3年はテロの問題で旅行客が激減した。2018年、やっと取り直しつつあったのに、この問題が起き、またパリから旅行客の足が遠のいている。ホテルの予約もデモ5週目に入り、キャンセルが相次ぎ、今日現在(12/15)では客室稼働率が50%ですよ。信じられますか? クリスマス前、パリ中心部での出来事です」

カフェ勤務ギャルソン20代「政府が国民の声を一切聞かないから、ジレ・ジョーヌが出てきたんだよ。政府は俺たちの生きる気力を奪うほどに高い税金を市民に果たしてるからね、こうなったのも当たり前だと俺は思う。いいか、俺の仲間たちの中には、この8年間バカンスも取れずに働き続けている奴もいれば、ばかげたことに税金を、ローン組んで払ってる奴さえいるんだ。日本じゃ考えられないことだろ?」

工場勤務30代「マクロンはテクノクラート(技術官僚)であり、冷たく傲慢な男だ。国民や市民に全く寄り添っていない。僕が求めるのはお金じゃない。彼が大統領の座から去ることです」

銀行勤務30代「政府への反感を表明することには賛成しますが、自分個人の意見としては、今回の騒動、特に暴力で解決を促す流れには一切共感を見出せない。黄色いベストを纏った人たちの暴力行為は100パーセント無意味だし、やっちゃいけない。恐らく多くのフランス人もそう思っているはず。中流階級と呼ばれる所得税、住民税、等をきちんと納めている人達は、今回の騒動の最中は暴動行進に参加しないと思いますよ」

労働者、最低限の人たちだけの問題ではなくなっている
12月10日にマクロン大統領はデモの沈静化狙い演説。それを聞く「ジレ・ジョーヌ運動」の参加者たち。(写真:Abaca/アフロ)
 企業に勤める中産階級の中にはデモを否定的にみる人たちがいる一方で、やはり大多数の庶民、労働者たちは政府への不満を募らせている。他方、ブルジョア階級や知識人の中にもデモに理解を示す意見があった。マクロン大統領を支持する人たちは都市部のどちらかというと富裕層かもしれない。その富裕層も一枚岩ではない点が今回の特徴と言える。

 フランスのデモと言えばそれに便乗し破壊活動や略奪をするカッサー(破壊者)が有名だが、彼らは郊外に暮らす鬱憤を持った若者たち、仕事を持つことのできない行き場のない移民を中心とする低所得者の子供たちだが、そこに一部、政治的意図を持ったプロや単なる窃盗グループが混じっていることも注意しなければならない。

 ともかく今回の大きな特徴は怒りが頂点に達しているジレ・ジョーヌにカッサーが合流し大きな暴動へと発展した。カッサーの行動は常に批判の対象となってきたが、そういう子たちを産んだ社会と政府の責任を問う声も大きい。物価が高くなり税金が高騰するフランスで富裕層を優遇しているととらえられた政府の長にその矛先が向かうのも当然かもしれない。

 パリはすでに5週間にもわたって暴動が続き、その間にテロまで起こり、世界中が不安視している。これがフランス革命のようなものにまで発展するとは考えにくいが、けれども1968年の五月危機とは異なった流れを生みつつある現実は無視できない。五月危機では学生を中心に暴動が起きたが、その時は政府側がデモ隊側の条件改善要求を大部分受け入れ事態を収拾させている。ところが今回のデモ隊は五月危機の時の組織ある集団ではなく、あらゆる層を巻き込んだ市民であることに着目しなければならない。

 大統領はSMIC(最低賃金)の人たちに毎月100ユーロの支援、残業代を課税対象から外すなど幾つかの妥協案を提示したが、お金で解決しようとする姿勢が裏目に出ている。すでに最低賃金の人たちだけの問題ではなくなりつつある。

 なぜデモ隊は黄色いベストを着ているのか、この根底にある問題をマクロン大統領が直視する時、このフランスの政治的綱渡りの糸口が見えるのかもしれない。黄色いベストが赤いベストにならないことをパリで生きる一人として私は祈る。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54983
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/796.html

記事 [国際24] 芸術より韓国系住民、押し切られたロサンゼルス  次のターゲットはアリゾナ州と息巻く「新移民」に米国人の反応は 
芸術より韓国系住民、押し切られたロサンゼルス
次のターゲットはアリゾナ州と息巻く「新移民」に米国人の反応は
2018.12.18(火) 高濱 賛

http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/8/c/600/img_8c7131a43350d62b7ddb717cc5f69b87115538.jpg

「この壁画はアジア人民を弾圧し隷従させた人類に対する犯罪を象徴する『旭日旗』を連想させる。公立教育施設の建物の壁画には不適切だ。直ちに撤去せよ」
韓国系に抹殺された「太陽とエバ・ガードナー」
 米西海岸最大の日刊紙「ロサンゼルス・タイムズ」は12月14日付け2面でこう報じた。

"Mural to come down after talks fail"(壁画、話し合い決裂で撤去へ)

 「壁画」とは、12月13日付で報じたロサンゼルス市内のロバート・F・ケネディ公立高校のジムの外装に描かれた「太陽と美女とココナツツリー」の壁画だ。

 これにいちゃもんを付けたのは地元の在米韓国系有志団体「Wilshire Community Coailtion」(WCC=ウェルシェア・コミュニティ連合会)だ。

 「ロサンゼルス・タイムズ」によれば、その後の経緯はこうだ。書いたのは同紙で小中高教育を担当するハワード・ブルーム記者だ。

 「画家のバウ・スタントン氏が13日、自分の描いた絵を批判する人たちと会った時、会話は友好的だった。だが彼の描いたコリアタウンの作品をどうするかについての(ロサンゼルス統一学区当局の)結論は覆されなかった」

 「彼がロバート・F・ケネディ公立学校の建物の壁に描いた女優(実はモデルはエバ・ガードナー)とココナツツリーの背後にあった太陽の図柄に異議を申し立てたのは地元のコリアン活動家たちだった」

 壁画が(他の30の壁画と同時に)お目見えしたのは2016年5月。それ以後、彼らは、その太陽の図柄は日本帝国の戦闘旗であり、ちょうどナチスのハーケンクロイツと同じような存在だと主張し続けてきた」

 「そして2018年12月6日、同統一学区長が夏休み中に撤去すると述べ、今回それを再確認したことでコリアンたちはその決定に満足に意を表した」

 ロサンゼルス統一学区のロバート・マルティネス区長が12月6日、撤去声明を出すや、「教育・言論の自由」の守護神とも言われてきた2つの団体がこれに抗議する声明を出した。

American Civil Liberties Union(ACLU=アメリカ市民自由連合)
American Association of School Administrators(AASA=アメリカ学校教育責任者協会)

2018年11月15日、壁画の前でデモをする韓国系活動家たち
 「この壁画を撤去することは、学校で学ぶ生徒たちが多様な考え方や見解に接するアクセスを一方的に査定し、許可不許可を決める公共の圧力に屈する危険な前例を作りかねない」

 「撤去正式決定」について14日現在両団体は沈黙を守っている。

 筆者の問い合わせにも無回答だ。ロサンゼルス統一学区は米国の識者の声を完全に無視した格好だ。

ロサンゼルスの教育長も教育委員会も「ノーコメント」
 12月13日の記者会見には「全面謝罪」した同統一学区の最高責任者、マルティネス氏は姿を見せずじまい。

 「撤去」の意向を再確認したのは、同学区の部長級のユージン・ヘルナンデス業務担当責任者だった。

 同氏は「決定は統一学区職員全員の総意だ」と述べたが、「ロサンゼルス・タイムズ」のブルーム記者は「この点について教育委員会委員(複数)や教育長に質問したが回答はなかった」と書いている。

 今回の決定をめぐってはロサンゼルス統一学区関係者だけでなく、ロサンゼルス教育委員会にも異論があったことをうかがわせる、

 前述の団体からの抗議に真正面から答えるのを避けているのがありありだ。

 壁画についての経緯にさかのぼれば、スタントン氏に依頼した時点からの責任問題を蒸し返すことになるからだ。

 それに韓国系の背後にいる韓国政府との外交問題にまで発展しかねない。

 「地元コリアンとの衝突を避ける一方で、撤去はあくまでも事務的に穏便に目立たぬように済ませようとした小童(こわっぱ)役人の浅知恵」(事情をよく知る地元非韓国系弁護士)というわけだ。

スタントン氏「市は私の絵を守ってくれなかった」
 「渦中の人」になってしまった画家のスタントン氏は、12月13日の韓国系活動団体の代表で弁護士のチャン・ヤング・ジェン氏との初めての会談でこう述べている。

 「私が今日皆さんに会いに来たのは、この壁画を描いた意図について説明し、批判される方たちのお考えも聞くためだ」

 「描かれた絵画について検閲すること、特に教育的な環境で検閲することは適切ではない、という私の考え方を一歩も譲ることはできない」

 これに対して、韓国系活動団体は撤去する代わりにスタントン氏にこう提案した。

 「撤去した後、同じ壁に新たに別の壁画を描いてはどうか」

 画家のとしてのメンツを傷つけられたのだろうか。同氏は即座に回答した。

 「もう二度とこの場所に壁画を描くつもりはない。もう二度とロサンゼルス統一学区のために絵を描きたくない。彼らは私の絵画を批判する人たちから私の絵画を守ろうとしなかったからだ」

 「(私の絵に対する韓国系の人たちの)一義的不満は朝鮮の歴史におけるある特定の時期について米国ではよく知られていない点にあるように思う」

 「今回の論議の中でポジティブなことは、私を含めすべての関係者が韓国系の一部の人たちが『旭日旗』を見ると理屈抜きで本能的に反応することについて学んだことだ」

 「彼らの気持ちは分かった。しかし私がこの壁画を撤去することに反発していることに変わりはない」

画家のバウ・スタントン氏。現在仕事場にしているニューヨーク・ブルックリンのアトリエで。
 スタントン氏は名門ラグナ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインを卒業、現在一般絵画、壁画、ステンドグラス、モザイク、マルチメディア・アニメーションなどの分野で活躍している。

 「上る太陽」にこだわる腹の座った芸術家だ。

韓国系団体「今後太陽を描くなら説明文をつけよ」
 これに対してジェン氏は韓国系活動団体を代表してこう「最後通告」を突きつけた。

 「我々は決してあなたを標的にしているわけではない。(太陽の図柄をテーマにしてきた)あなたがこれからもその図柄を描き続けることに反対するわけではない」

 「ただ太陽の図柄を描いた絵にはこの図柄は『旭日旗』ではないといった説明文をつけてほしい。そうすれば決してあなたの作画活動を妨害などしない」

 「あなたは素晴らしい画家であり、偉大な芸術家であり、我々は尊敬している。と同時に我々は言論・表現の自由を遵守したい。我々の誠実さに偽りはない」

 ジェン氏は名門ロヨラ法科大学院を出て弁護士資格を取った「韓国系社会の星」(ロサンゼルス在住の日系弁護士)。

 商法、企業法、民事訴訟を扱う法律事務所の共同経営者だ。どうやら米国憲法で謳われている社会正義や言論・表現の自由を守る分野では素人のようだ。

 6日の記者会見で同氏はこうも述べた。

 「我々は(スタントン氏の壁画のような)旭日旗を連想される他の図柄のものについても見つけたら抗議していく」

 「例えばアリゾナ州旗などはスタントン氏の壁画などよりも旭日旗に似通っている。アリゾナ州旗のカギ十字はどうか? 実に不愉快だとは思わないか?」

 ロサンゼルスの次はアリゾナ攻撃なのだろうか。

問われる在米韓国系、「米国市民としての見識」
 12月13日付の記事で引用した米元外交官に「撤去決定」についてのコメントを求めると以下のようなメールを送ってきた。

 「次はアリゾナだって? いったい自分たちを何様だと思っているんだろう。

 今回の『勝利』は(コリアンの多い)カリフォルニア、しかも(コリアン人口密集地の)ロサンゼルス・コリアタウンでのもの。それがアリゾナはおろか、全米で通用すると思っているんだろうか」

「芸術を抹殺する権利などない」と読者の声
 「ロサンゼルス・タイムズ」の読者からはさっそく反応が出ている。

 投書欄には5通の投書が掲載された。すべてロサンゼルス統一学区の「撤去決定」に反論している。そのうち「知的な」2通を紹介しておこう。

 「一グループが芸術を抹殺することなどできない。そのようなことをすれば我々の対話は止まり、芸術家たちは沈黙するだけだ」

 「確かにアートは見て心を乱すことはしばしばある。だがそれをかき消そうとするだけでジレンマを解消することなどできない」

 「この画家は何も分裂や苦痛を意図して伝えようとしたわけではない。彼は描いた人物(エバ・ガードナー)とその時代を讃えようとしてこの絵を描いたのだ」(フィルモア在住カレン・S・ブロウディ)

 「撤去を決めたロサンゼルス統一学区長は、この壁画を撤去する理由として『芸術はヒューマン・スピリットを祝うものであって、コミュニティの感情を害するものであってはならない』と述べている」

 「だが感情を害しているのはこの壁画自体ではなく、コミュニティに住む住民たちだ」

 「一部の住民はこの壁画で傷ついていると言うが、民族的・文化的経験によって異なり、絶え間なく変化するアートの定義づけを同じコミュニティに住む住む隣人同士でもっと考えるべきではないだろうか」(ロサンゼルス在住ミッチ・パラダイス)

 こうした反響を呼んだコリアンの活動家たちは何と答えるだろう。

 移民歴がまだ短く、「祖国とのへそ脳がまだ切れずにいる多くのコリアン」にとって先輩格の非韓国系米市民から学ぶことは多々ありそうだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54982
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/797.html

コメント [戦争b22] 日本が空母保有を検討、軍備競争のスイッチを押す(チャイナネット) 無段活用
18. 2018年12月18日 20:22:27 : DGFgSNLkAc : Vw@rIzAnqjU[3]
>>17
反論出来ずに逃げたサヨク(笑)
サヨクの平和精神なんては紙ペラペラのように薄過ぎて草
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/456.html#c18
記事 [社会問題9] 赤の他人に「お父さん!」と呼ばれる不快感 テレビにあふれている「非常識」と「ステレオタイプ」 
赤の他人に「お父さん!」と呼ばれる不快感
テレビにあふれている「非常識」と「ステレオタイプ」
2018.12.18(火) 筆坂 秀世
テレビタレントはコシのあるうどんをいつも絶賛するが・・・(写真はイメージ)
(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)

 テレビの旅番組や食べ歩き番組などを見ていると、タレントが見ず知らずの人に対して「お父さん」とか「お母さん」、時には「おじいちゃん」「おばあちゃん」などと声をかけるシーンがしょっちゅう出てくる。

 何というデリカシーのない言葉遣いなのだ、と呆れてしまう。いきなり知らない人から「お父さん」「お母さん」などと声をかけられて愉快な気分になる人などいないだろう。以前、私の知り合いが見ず知らずの老婦人に「おばあちゃん」と声をかけた際、「私はあんたのおばあちゃんじゃないよ」と怒られた話を聞いたことがある。その通りである。

 私も先日、実に不愉快な思いをした。それはS新聞の販売店の店長が、購読延長の依頼に訪れた際、私のことを「お父さん」と呼んだからだ。こんな呼ばれ方をしたのは初めてだった。購読延長の依頼を断ろうかと思ったほどだ。

 テレビに出るタレントの意図は分かっている。親しみを込めているつもりなのだ。だがそれは大きな錯覚であり、思い上がりである。「私はタレントで有名人だから、『お父さん、お母さん』と呼ばれれば、みんな喜ぶはずだ」とでも思っているのだろう。上から目線なのである。

 見ず知らずの大会社の社長や大学教授に、いきなり「お父さん」と呼ぶ人間はいないだろう。この呼び方がいかに非常識なものか、分かるだろう。こんなことも分からないとすれば、テレビというのは、実にデリカシーのない媒体だということになる。

 私は兵庫県生まれだが、関西の方では、あまりこういう呼び方はしなかったように思う。最近のことは知らないが。「こんにちは」とか、「すみません」とか、普通に声をかければ良いだけのことだ。新聞販売店の店長であれば、「筆坂さん」と呼べば良いのだ。そうすれば、私の背中に虫唾(むしず)が走ることはない。

麺類はコシがあれば良いのか
 若いタレントの食レポもまったくいただけない。そば、うどん、ラーメンなどの麺類を食べた際、漏らす感想がほとんど同じなのだ。「コシがありますね」「コシがすごいですね」、これだけだ。麺類はコシがあれば良いと思っているのだ。

 私はコシのあるうどんが美味しいと思ったことはない。大坂のきつねうどんで育った私にとって、うどんの命は喉ごしだと思っている。もちろん美味いつゆが必要だが。噛まなければ食べられないようなうどんは、私にとっては最悪である。

 新大阪駅に新幹線の改札を出て、在来線の方に移動すると左手に立ち食いうどん屋さんがあった。入り口で「きつねうどん」と頼むと即座に「きつねうどん一丁!」と調理場に声がかけられ、おつりを受け取ってカウンターに行くと同時に、きつねうどんが出てくるという素早さだった。柔らかいうどんだから、二、三度熱湯にくぐらせれば出来上がりなのである。

 博多のうどんも柔らかく、喉ごしが良い。今、讃岐うどんが流行っているが、私が香川県で食べた本場の讃岐うどんは、東京などで食べるうどんよりも柔らかかった。関東の人は固いうどんが好きなのかも知れないが、コシがあれば良いというものでもないのだ。

 そばやラーメンだって基本は同じだ。ぼそぼそは駄目だが、コシが強いというわけでもない。すすーっと入ってくる喉ごしは、やはり麺類には不可欠なのだ。“麺類はコシ”などというのは、テレビが作った誤解でしかない。

 そもそも二十歳、三十歳くらいの若いタレントが、それほど美味いものを食ってきたわけがない。食レポができるほどの舌には、まだ育っていないはずなのだ。

人の好みは千差万別
 サバの有名ブランドに「関サバ」(せきさば)というのがある。豊予海峡で漁獲され、大分市の佐賀関で水揚げされることから「関サバ」と呼ばれている。「関アジ」も有名である。私も以前、大分や博多で食したことがある。昔から「サバの生き腐れ」と言われてきたように、食あたりが発生しやすいので、酢じめにするか、煮るか、焼くかで食べられてきた。だがこの関サバは、生のまま刺身食べることができる。まさに絶品である。

 私の田舎は京都に近いので、京都の食文化の影響を強く受けていた。母は、毎年、蕪(かぶら)の千枚漬けを作っていた。秋祭りの時期になるとサバの棒寿司を数十本作っていた。まだ冷蔵庫もない時代からそうだった。だからサバが大好きだった。ところが30年位前、高田馬場の寿司屋でサバの握りがあまりにも美味しかったので6貫ばかり食べて帰宅した後、激しい腹痛に見舞われた。蕁麻疹(じんましん)が出るどころではなかった。夜中、タクシーを呼んで病院に行ったところ、腸閉塞だった。

 2年程して、「もう大丈夫だろう」と思って、またサバの握りを食べた。またも腸閉塞になって入院した。以来、煮サバ、焼きサバは食べるが、サバ寿司の類いは我慢している。

 そんな時に、博多に行った時、友人が食事に誘ってくれ、新鮮な魚で美味い酒を飲んだ。その刺身の一つが関サバだった。この高級なサバに、箸を付けないわけにはいかなった。思い切って一切れだけ食した。幸い腸閉塞にならず、蕁麻疹も出なかった。

 話が横道に逸れてしまったが、それほど関サバは美味なサバなのである。確かNHKだったと記憶しているが、夏場に大分で関サバの刺身を食べる場面が映し出され、若い女性タレントが「脂が凄くのっていますね」と感想を述べた。すると、大分の漁業関係者だったと思うが、「いえ、今の時期は、脂はあまりのっていません」と返答したのだ。これには笑ってしまった。

 肉でも、魚でも、若いタレントが言うのは、「脂が凄くのっていますね」ばっかりなのだ。脂が少ないが美味い食材はいくらでもある。一方、脂がのっていて気持ちの悪い食材もいっぱいある。

 要するに、本当に美味いのか、美味くないのか、正直に語らないから、こういう恥をかくことになる。麺類でも、魚でもそうだが、人の好みは千差万別である。それを無理矢理一方向に持って行ってしまうのが、テレビの悪いところなのだ。

テレビが取り上げる行列店は本当に美味いのか?
 今年(2018年)の6月に、妻と広島に旅行した。原爆ドームに行き、妻が宮島に行ったことがないというので宮島にも行った。せっかくの広島だったので、お好み焼き屋さんに行くことにした。テレビで紹介された店や行列ができる店もたくさんある。

 混んでいる店も嫌なのでうろうろしながら、結局、広島駅の中にある店の一軒に入った。だが、がっかりだった。焼き上がりも乱雑だし、味も良くなかった。東京で食べた広島お好み焼きの方がはるかに美味かった。

 翌日タクシーに乗ってその話しを運転手さんにすると、「テレビで紹介され、行列ができている店で美味しいところなんかありませんよ。路地を入っていったようなところでひっそりおばあさんがやっているような店の方が美味しいですよ」と言ったのに続いて運転手さんが言った言葉が実に名言だった。

「お客さん、そもそもお好み焼きなんて大したご馳走じゃないんですから。そんなもんですよ」。妙に納得してしまった。この一言で“まずいモノを食わされた”という恨み辛みは吹き飛んでしまった。

 1945年8月6日の原爆投下から73年、破壊し尽くされた広島だったが、見事に大都市に変貌した。今や中国地方随一の街である。私が入った店は失敗だったが、本当はもっと美味しいお好み焼きがあるはずだ。広島は、ふらりと訪れただけでは分からない奥深い魅力に満ちているのだ。この日はマツダスタジアムで広島東洋カープの試合があり、駅周辺は赤い色で埋められていた。広島の人たちが、熱狂的な広島カープファンであることが分かるような気がした。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54989
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/897.html

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
8. 2018年12月18日 20:24:40 : LiAK8mOVpk : JfLzxe_9T5I[904]
この期に及んで、未だに政権にしがみつき、基地害の権力を振り回す気が知れない。
権力を明け渡したら余程まずい事が有るのだろう。
命令されていることはまだ半分しか実行できていないので、それで権力にしがみついているのか?
早い所この基地害を引きずりおろさねば本当に日本は危ないぞ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c8
コメント [戦争b22] 日本が空母保有を検討、軍備競争のスイッチを押す(チャイナネット) 無段活用
19. 2018年12月18日 20:25:00 : KcnozIzy2E : T7vxRQ_7pOE[20]
>>投稿のあんちゃん
中国よりも頭悪いサヨク(笑)
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/456.html#c19
コメント [近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
11. 中川隆[-13741] koaQ7Jey 2018年12月18日 20:25:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207]

日本人の反乱に恐れおののいていた天皇家の人々

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK255] 世論調査と称するプロパガンダ報道を止めろ。(日々雑感(My impressions daily)) 笑坊
10. 2018年12月18日 20:26:44 : hHRyrQsPsY : C257NcSSuSY[252]
09、
数学を齧った?日本語も読めていないのでは?

>“内閣支持率”が『正規分布』を取るものかどうか云々(でんでん)

内閣支持率は正規分布も何もない、単一唯一の値です。
正規分布(二項分布)をとるのは、その母集団からn個をサンプリングした時の、x個が「支持」である確率です。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/155.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK255] 高須院長、辺野古新基地問題で「ウーマン」村本のツイートに「ウーマン君のように領土を差し出す人たちは」(スポーツ報知) JAXVN
16. 2018年12月18日 20:29:41 : V1FbMNsCqU : o_rxAUceMcc[95]
ネットはウヨの巣窟で今の政権の有力支持母体のひとつなのでネットの反応なんか気にする必要はない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/115.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻! 無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす(リテラ) 赤かぶ
9. 佐助[6302] jbKPlQ 2018年12月18日 20:32:03 : RbPZf2tsH6 : K9EhTpDjOxI[721]
原発も化石燃料もいらない
基軸通貨の多極化とエンジンレス化の産業革命に大胆にシフトした国家が繁栄する。

蒸気機関の発明が、汽車から船、そして自動車から飛行機と驚くべき産業革命を牽引したが、コンデンサー電子半導体電池は、電子機器から家庭と工業電力、そして、電車・船・自動車・飛行機・ロケットにも使われ普及するために、次期産業革命の中心になる。

そして人類を救う,すべての産業で起きるん産業革命がアップルのiPad 革命によつて、電子書籍は電子電池と合体して、2008 年にスタートしている。

これは誰も決めることはできない。一つの方式に集約されるのは、技術とデザインの対立的な要素と周期と一致した場合だけ。

家庭も工場も乗り物も、電子電池電源で動く時代になるので、都市も農業も漁業も本当
にかわり、人類は産業革命を謳歌することになる。

次産業革命の起点となるエンジンレスの本命は、水素発電と電磁波起電力です。原子力ではない。

次期産業革命は、家庭も工場も車も動力エンジンを、水素発電&電磁波起電力に移行させて発生する。そのため、放射能・CO2を発生させる動力は一掃され、乗用車はエンジンレスとなる。

化石や原発によるAI制御の自動制御や電気自動車や蓄電池ではない。エンジンも電池なく、運転手なしの安全車です。

コンデンサー電子半導体電池は,オペレータ任意介入できる自動制御や半自動制御や乗用車は、全く燃料の補給が必要なく、燃料電池を積まなくても路上を走れる。そして、浮上し飛ぶことも、ビルの壁面に磁石のように張りついて上昇下降することもできる。衝突の心配のない無人運転車になる。今開発されているAI制御の自動制御とは異なる。

過電流やヒステリシスや追従性・応答性に優れていて,極寒地や灼熱に強い。電池のように電気をため込むのではなく、電磁波を熱変換して使用する永久起電装置である。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/189.html#c9

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