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意識すればそこに量子が偏在する・・・
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/533.html
投稿者 お天道様はお見通し 日時 2017 年 4 月 20 日 03:33:28: I6W6mAZ85McLw gqiTVpO5l2yCzYKojKmSyoK1
 


意識すればそこに量子が偏在する・・・  飄(つむじ風)


量子の世界はもはや精神の世界・・・
物心一如とは良く言ったものである!
エネルギーと物質は一如である!
意識するということは、
エネルギー現象であるということだ!


実に面白い実験がある。
それは、
光が二つの狭い隙間(スリット)を通過すると、
反映される影は複数となる。
これが、
干渉綾である。



この事から、
光は波であるとの実証された。
その他の素粒子も同じ現象が起こる。
そこで、
量子力学がエネルギーであると同時に
粒子として物質現象を顕しているという
まことに不思議な世界である。
 
エネルギーであり物質であるという、
量子の世界は、
思いである意識の世界に通じているという話だ。
思い(念い)は現象を生むという話は、
本当であった。
「念ずれば、花開く」というのは物理法則でもあった。



量子と言うのは、
物質の最小単位である原子のさらに細かい
素粒子の総称だ。
こうなると非常に分かりにくい世界と考えられるが、
現実に捉えられている物理現象である。
電子計算機という世界もあれば、
やがて、、
量子コンピューターも実現の一歩手前にある。
 
電子計算機はキーボードで、
作業するが、
量子コンピューターになれば、
意識的に動作可能であるということになる。
ETV(UFO)は単なる機械ではない。
量子的制御の可能な意識する機械であるから、
当然、
人間(ET・高等生物)の意識に同通して、
制御されているという話は、
俄然、
真実味を帯びてくる。



今、
意識するということは、
いわゆる生命体の特権と考えられるが、
物質全て極めれば量子である。
全ての物質には意識があるということになる。
一歩譲って、
意識的な制御が可能になるという話だ。
愛情をもって接すれば、
人間も動物もなついてくる。
それは意識があるということである。



意識があるということは、
即ち、命が宿っているということだ。
意識すればそこには量子が存在するということは、
物質は意識で生みだされることでもある。
同時に、
物資は意識を有する。
ということは物質と言えども全て命が宿っているということだ。
万象万物、
全てに命は宿るということである。


問題は、
創造に至る思い(念い)はどんなであるか?
未だ人類は課題が多い・・・。


意識すればそこに量子が偏在する

テーマ:引き寄せの法則

米国ノエティック研究所の主任研究員であるディーン・レイディン博士。

博士は意識と現象の関係について様々な面白い実験をされています。(*^.^*)
 
その一つが量子力学で有名な「二重スリット実験」を応用したものです。
まず二重スリット実験について簡単に説明しますね。(*^▽^*)
下の図のように、二つのスリットに向けて素粒子を発射します。
すると、なぜかその先の壁面が縞模様になってしまう、という実験です。

素粒子が粒(物質)であるならば、壁に浮かぶ縞模様は2本になるはずなんですが、なぜか波(エネルギー)の状態でしか現れるはずがない縞模様になってしまう。
で、なぜそうなるのか確認しようとして観測すると、その縞模様は2本の線で現れます。
 
つまり、素粒子は人間が意識していない時は波(エネルギー)の状態で、人間が意識(観測)した時だけ粒(物質)になっている、ということになるんです。


これを「観測問題」と呼んでいます。
なぜ「問題」と言われているかというと、その現象は確認されていますが、なぜそうなるかはわかっていないからです。(O_O)
で、レイディン博士はこの実験の応用版を行いました。
 
その実験とは、光子(素粒子)をこの二重スリットに発射している際に、スリットの片方だけを多く通過するよう念ずる、というものです。
光子をただ発射しているだけの時はやっぱり普通の縞模様が現れるのですが、人が片方だけ通過するよう強く念じ始めると、明らかな偏りが見られたそうなんです。
 
つまり、人が念じている間だけ縞模様が変化してしまうらしいのです。


この実験を一般人250人で繰り返し行いましたが、いずれも同じ結果が出たとのことです。
この縞模様の偏りを偶然だとすると、これが偶然起きる確率は50万分の3という確率となり、とても偶然とは言い難い確率となります。
 
つまり、人間の意識で素粒子の位置が変化した、ということです。


実際、意識もバイオフォトンという光子(素粒子の一種)です。
光子なので、エネルギーでもあり物質でもある、という二重性の存在です。
 
そして、その意識が、他の素粒子の時間と位置が決めています。
なぜなら、意識することで「波(エネルギー)」の状態だった素粒子が、「粒(物質)」になるからです。
「粒」、つまり物質になると、自動的に時間と位置が決まるからです。
例えば、あなたの肉体という物質は、「今」という時間、「どこか」という位置に必ずいますよね?
逆にいなかったらビックリです。(@_@)
 
話を戻しますね。
 
今回のレイディン博士の実験は、素粒子が粒になる前、つまり波の状態での実験ですが、その波の状態でも意識により偏りが生じるということです。
ちょっと難しかもしれませんが、何れにしても、あなたが何を意識するかで量子の位置と時間が変わるということです。


実際にこの実験でも位置が変わってますしね。(*゚ー゚*)
そして、厳然たる事実として、この世に存在する物質、あるいは空間でさえも量子で出来ています。
もちろんその中にはあなたの肉体も含まれていますよ。(^_^)
そういう意味では、あなたが常に意識を向けていることに量子が偏在するということです。
それはつまり、「現実化する」、ということです。


なので、意識が現象化するとか、意識が現象を引き寄せる、というのは量子力学の世界では完全な物理法則なんです。
だから、これはもはや「信じる、信じない」の話ではない。
物理法則なので、信じていようがいまいが、万人に起こっている現象です。


ただ、本人にその自覚がないだけ。(*゚ー゚*)
で、あなたの肉体含めた周りの量子はどこに偏在していますか?
つまりそれは、「どんな現実があなたの眼の前で展開していますか?」、ということですよ。
そして、その眼の前で展開している現実が、あなたが本当に意識していることです。


なぜなら、その意識に応じてあなたの周りの量子が偏在しているんですから。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
もし、その現実があなたにとって望ましくないことなら、今ここからでも、すでにある幸せや、安心、豊かさに目を向けていったほうがいいですよ。
そして、すでにある幸せや、安心、豊かさを実感すればするほど、量子がそちらに偏在し始めます。
現実という意識の鏡を見て、意識を直す、ということですね。(^_^)



********** 引用ここまで **********


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コメント
 
1. 2017年4月20日 09:08:50 : MpDEIVgNks : 5Q94bm6tEZA[184]
わけのわからないことをいっているね。しかも、量子の捕らえ方も1960年代のようなことを使用している。

言いたいことがあるならば、科学的な色彩を捨てて、すなおに自分の思想を言えばよいだろう。それでも十分に意味がある。キリストも釈迦も意味があるものだから。

創価学会の人も昔、科学的な知見の極一部を捉えて、法華経の言葉に重みを置かせたこともあり、権威的なもので自らの主張を強調したいのは常にあることだ。しかし、求められることは、権威によって主張を強めるのではなく、主張の中にある真実が、科学的な真実と協調しているのだということを述べることであろう。その流れからいうと、まさに本論はさかさまなのである。
 科学で言われている結果は、仮説とそれを実証する多くの事実や理論によって作られたものに過ぎない。常に疑問と仮説が詰まっている余地がある。


2. 2017年4月21日 18:49:53 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[60]

>>1. 2017年4月20日 09:08:50 : MpDEIVgNks
>・・・法華経の言葉に重みを置かせた・・・

あなたはそれで何を言ってるんだ? 法華経の言葉って何だよ。

法華経が何だか知らないのに出鱈目を言ってはいかんだろう。



3. 2017年4月22日 01:13:47 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[841]
あらゆる遍在は意識そのものです。
ここで重要な事をひとつお伝えするならば、われわれが感知、知覚する上で、われわれが意識することとは毎瞬、「エネルギーの交換」を起こしているということです。ですから、「いま何を意識しているか」は「いまどんなエネルギーを交換しているか」です。
この瞬間、とある感情にて「自分であるもの」と「そうでないもの」との接点を持てば(作れば)、そこに交換・交流するエネルギーの性質はその感情に由来した性質のものということになります。

つまり、ヒーリング施術の被験者が何を思っていようとも、そこに際して施術者側はあくまでその思いを尊重したりもせず、中立で、しかも優れた結果を出す人程、淡々と「患者(被験者)は健康体だ」と理解していなければそこに正しいヒーリング交流はないということです。その為の学問を勃興する必要があると私は思います。

あらゆる物事が"思い通りにある"のであれば、人類は誤った「想い」によって誤った世の中を作って来たと云う事が言えます。「想い」または「心」とする言葉自体があまりにも曖昧な定義のままに、理解もまた曖昧なままのものとしてスルーされている状況を改善しなくてはならないでしょう。

「想い」とした価値観に依る「思い込みの感情」にとらわれぬよう(二元性の働きの罠に陥らないよう)にすることが肝要だということとなります。

単純に言葉にすれば、その秘訣として精神状態はいつでも「けして焦らず」であるということでしょうか。とかくわれわれは意識の「武力衝突」を連続して起こしていると云う事が言えるでしょう。
「対話」とはけして相容れないのが「武力による圧力」であるはずです。それを淡々と避けて過ごすには何が必要だとお思いになるでしょうか。

いまある人類はこれにトライする時期に来ていますが。

普段から自己の内面である心の働きを監察することからはじめて欲しく思います。
何か目先の遊びにとらわれ、無意識的に働いている時の知覚は、意識の中にすぐ"不要物"を持ち込みます。

何かを意識する時そこに瞬時に「対象物との接点」が生まれるというならば、常に今、自分の状態を理解し、把握する事が優先すべきことです。そして速やかにそこにおいて"意識の衝突"を避けるようにすること、そして意識のバックボーンとの「自然の繋がり」を得たいところです。
そのためのあらゆる方便はそれぞれの試みにかかっており、様々な訓練を実践し、答えを見出そうと真剣に水からと向き合う事。そこにその都度、自分の「意識がつくり出すもの」とどう向き合えるかが重要だと云う事が言えるのではないでしょうか。ひとつは身体に柔軟性を取り戻す為に基本に立ち返り肉体の働きを見直すことだと思っています。その内ココに書くか何処かに書くか、それたも直接的に人前に出るかしたいものです。誰か手伝ってくれれば良いのですけれど。

今、一番「瑕疵」と云う言葉がお似合いなのは宗教です。そして、国家、政治、法律、これらはもはやそのように人々を導くためのものでは無く、本来あってしかるはずの機能が全く備わっていないのですからね。


4. 2017年4月22日 03:34:09 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[63]

>>3. 2017年4月22日 01:13:47 : q931E3NW4E
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>今一番瑕疵と云う言葉がお似合いなのは宗教・・・
>国家、政治、法律・・・機能が全く備わっていない

それはお前の非常識な我見に過ぎない間違った主観。

お前の妄想だから何の意味もないし人を利益しない。

もっと苦労して勉強しろ。成長するかもしれないだろ


5. 2017年4月22日 11:29:51 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[844]
>4
もっと具体的にその内書いてやろう。

6. 2017年4月22日 13:36:06 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[79]

>>5. 2017年4月22日 11:29:51 : q931E3NW4E
>もっと具体的にその内書いてやろう

馬鹿たれが宗教を捏造してないで早く喋れこの法盗人が!

日本神道の外道は仏教の教義を上辺だけ盗んで国を滅ぼした。

すっかりお見通しだ。余計な恥を晒さないで素直に改心しろ!



[32初期非表示理由]:担当:カルト板へ

7. 2017年4月22日 16:06:24 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[848]
>6
お門違いだ
出直せこの馬鹿

[32初期非表示理由]:担当:言葉使い
8. 2017年4月22日 21:34:10 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[84]

>>7. 2017年4月22日 16:06:24 : q931E3NW4E
>お門違いだ出直せこの馬鹿

つべこべ言わず早く喋れこの逆賊の外道が!

出鱈目宗教論を吹聴して国を荒らすんじゃねえ!



[32初期非表示理由]:担当:言葉使い

9. 2017年4月23日 10:52:48 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[117]
つまり
貴方が感じてる自分も外界も貴方だけの創造の世界かもしれない。
実は回りに誰も居なく自分と言う想像物と目に見え感じる想像物の世界。

ん、何か足りない。


10. 2017年4月24日 01:28:20 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[849]
>8
何度でも言う。出直してこい。

人を怖れる道と人を信じる道とどちらを選びとりたいのか。
どちらを行っても問題は無い。かかる行程が違っても目的地は一つしか無いのだから。

神を信じることと人を信じるということは"同義"である。
それがわからないうちは、常に「何か」でなくてはならないとするのだから、何にもなりようはずもなく、何も解りようはずも無い。


11. 2017年4月24日 10:47:18 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[113]

>>10. 2017年4月24日 01:28:20 : q931E3NW4E
>何度でも言う
>出直してこい
>・・・

そんなことに一々反応するな! 何度も言うなボケ!

お前が最も正しいと信じることを主張すればいい。言い訳は無用。

国を滅ぼした日本の誤れる思想を反省し廃絶するのがこの国の正義だ。



12. 中川隆[8001] koaQ7Jey 2017年4月25日 09:24:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8493]
アホの妄想はもういいよ

意識と観測は何の関係も無い

観測の問題というのは、実験すると系に影響を与えて系の状態を変えてしまうというだけの当たり前の話だよ


13. 2017年4月26日 10:02:36 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[132]

>>12. 中川隆
>アホの妄想はもういいよ
>意識と観測は何の関係も無い

なーんだ、アホの中川だったのか・・、がっかりさせんな〜

どの程度の意識で言ってるのか推定善意の立場で言うけど意識と観測結果は同じだろ。

意識も観測する目も客観的に正しいことだけが絶対的な前提でなければ妄想でしかない。

ネットで無造作にコピペした謬説や謬論を定説と認識する意識と観測が間違ってるだろ。

濁悪世間の人間はそれほど当たり前の認識ができないほど意識が顛倒してるということ。

そのように現実を観る知恵が妙法蓮華経如来寿量品第十六に解かれてるから読んでみろ。

いくらなんでも今の世が濁悪を極めてるのはお前の責任ということなどはそもそもない。



14. 中川隆[-8018] koaQ7Jey 2017年4月26日 19:41:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>13
おまい、物理の話をしているのに妙法蓮華経如来寿量品第十六なんか出すなよ

粒子は観測しない場合は無数の平面波の重ね合わせ

観測すると無数の平面波の中のどれか一つに変化するんだ

人間の意識でどの平面波を選ぶか決めるのは不可能なんだよ


15. 2017年4月26日 21:45:36 : dQ4wzqaE6U : 6SRXwrJ2qS4[145]

>>14. 中川隆
>物理の話をしているのに妙法蓮華経如来寿量品第十六なんか出すな・・・

この一言だけで量子論の話を理解してないことだけが良く分かるけどな。

知覚により起こる意識のメカニズムを量子の性質で理解するのが重要だ。

知覚の有無が性質の異なる量子に影響し運動が確立に支配される話だろ。

だから中川の言ってることの意味は量子論を離れて凝り固まった感情論。

人間は脳の使用率が人それぞれだから修行が浅い人は思考回路が単純だ。

永遠の生命だって量子論で考えて挫折するより如来の説法が分かりやすい。


16. 中川隆[-8014] koaQ7Jey 2017年4月27日 07:27:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>15
おまい、Dirac の量子力学や Neumann の量子力学の数学的基礎も読んでないのか?

アホが量子力学を語るなよ


17. 2017年4月27日 23:00:58 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[1]

>>16. 中川隆
>Dirac の量子力学や Neumann の量子力学・・・
>アホが量子力学を語るな

だから中川は精神異常者なんだよ、お前の意識は知識に基づいていない。

これは何も俺が量子論や量子力学を理解していると主張するのではない。

新聞の記事や書籍の中身を得意げに喋る奴に限って問いには答えれない。

Eテレの宇宙と時空の謎なんかは量子学の学者だって分からないと言う。

未だ解明されてないことが中川先生に分かる訳がないことだけは分かる。

そう言っただけ。アホの中川が他人をアホ呼ばわりするんじゃねえバーカ!

コピペして自分の主張にしないで自分の言葉で理解の程度を言ってみろよ。

話にならないじゃないかhahahahabaka〜



18. 2017年4月27日 23:08:09 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[2]

>>17. 

🙅中川先生 👉 🙆◯◯中川



19. 中川隆[-7978] koaQ7Jey 2017年4月28日 16:53:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>17
>Eテレの宇宙と時空の謎なんかは量子学の学者だって分からないと言う。


そもそも宇宙と時空の謎というのは重力や一般相対論の話であって、量子論とは全く関係無いんだよな


20. 中川隆[-7967] koaQ7Jey 2017年4月29日 06:11:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

しかし何時から、フーリエ解析もできない、ヒルベルト空間論も知らないアホが量子論を語る様になったのかな?

21. 2017年4月29日 10:06:20 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[13]

>>20. 中川隆
>しかし何時からフーリエ解析もできない・・・
>アホが量子論を語る様になったのか

まあな、アホの中川が言ってるんだからな。自分のことは自分で考えろ。

アホには分からないだろうがアプローチの方法が一つだけではないんだよ。

中川にとっては豚に真珠か猫に小判なだけテーマが自然科学の延長分野だ。

それを正しく理解するのに最も最適な方法が実は仏教だったということだ。

何故なら、これも分からないだろうが、仏教は教主が口にした意識なんだ。

意識の中身を知ることだ大切で、量子論の分野でも意識がテーマ。違うんか・・

そこんところ自分の意識をハッキリさせてから他人に感謝しろよ◯◯中川くん



22. 中川隆[-7946] koaQ7Jey 2017年4月29日 12:04:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>21
仏教は無意識の世界を調べる学問

量子論はミクロな現実世界を調べる学問

接点なんか一つも無いんだよ


23. 中川隆[-7945] koaQ7Jey 2017年4月29日 12:11:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

無意識の世界と現実世界を混同してはいけないという釈迦の教え

世界について


ブッダは、人間苦を成立せしめる原因となり条件となっているものに対する無明(無知)を克服すること(知)こそが救いの道であると考えた(縁起の思想)ため、形而上学的見解(空想的ことがら)については、それは知ではないとして認めませんでした。

そのため、人間にとって有意義な「一切」とは、人間の知の及ぶ世界と内察できる心だけであり、それ以外の「一切」を説こうとすると、根拠がないので単なる言葉だけに終わるであろうと説きました。


_______________________


比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。

よく聞きなさい。「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。

それは、

眼と眼に見えるもの、
耳と耳に聞こえるもの、
鼻と鼻ににおうもの、
舌と舌に味わわれるもの、
身体と身体に接触されるもの、
心と心の作用、

のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。

誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。

さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。

何故か。
何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。

(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)

「宇宙即我」について

ブッダは、「世界(宇宙)と我はひとつである」などという主張は、実証できない空想的独断にすぎないので、まったくおろかな見解である、と説きました。

___________________________________

弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」

「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマ・ニカーヤ 22)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html

死後の世界について

ブッダは、人間が死後も存在するかどうかというような人間の知識を超えることがらについては、それは独断にすぎず、無益なものであると考えて、沈黙を守りました。


________________________________

滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? あるいはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか。世尊よ、どうかそれをわたしに説明してください。あなたは真理をあるがままに知っておられるからです。

師は答えた。ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準がない。かれを、ああだ、こうだと論議する根拠がかれについては存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、すべての論議は絶えるのである。
(スッタニパータ 1075〜1076)

尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。

「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。すわなち ---

世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、

これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ 参って、この意味を尋ねてみよう・・・。

もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中略)

「マールンキャプッタよ、わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」

「師よ、そのようなことはありません。」

「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、そのように説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略)

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。

また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。
(マッジマ・ニカーヤ 63)


ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマ・ニカーヤ 72)


弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」

「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマ・ニカーヤ 22)


24. 中川隆[-7943] koaQ7Jey 2017年4月29日 12:39:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

要するに、

わからない事については一切語ってはいけない

というのが釈迦の教えだ


フーリエ解析もできない、ヒルベルト空間論も知らないアホは量子論について一切語るな



25. 2017年4月29日 21:49:15 : MpDEIVgNks : 5Q94bm6tEZA[197]
>21 量子論の分野でも意識がテーマ。

1です。観測というものに意識を入れたのは60年代の哲学的な人たちで、よく量子論を理解していなかったのです。意識と量子論はほとんど関係ない。あるとすれば、意識を生み出す脳内神経ネットワークの作用が分子論的、あるいは信号論的に分析理解されるときに考えられるものでしょう。


26. 2017年4月30日 19:06:33 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[25]

>>25. さん

物質の最小単位とされた原子が原子核と電子から構成され質量を伴う為に量子論が誕生した。
その原子核も電子も複数の素粒子で構成され性質の違いにより数十種まで発見されています。

量子論は急激な進歩を遂げて最近ではニュートリノやヒッグス粒子などが有名になっている。
興味が惹かれるのは素粒子に質量を持つものと質量がないものが存在するらしいということ。
中でも世界の物理学者が驚いたのは物質の質量に関係するというヒッグス粒子の発見でしょ。

熱心な読書家や物理学者でなくても謙虚に既知と不知を自覚しアプローチすればいーんだよ。
そこで意識すればそこに量子が偏在するのテーマに沿うと脳の活動を考えることになります。
電気的な信号により状態が変化する脳細胞の性質は量子や素粒子の性質と種類の領域となる。

物理学者と程遠い素人でも知ると知らざるを認識すれば則ち己を知ればアプローチは可能だ。

やはり最大の関心事は人間の意識が変化する瞬間の質量に影響するというヒッグス粒子です。

何れにしても素人が野次馬的になるのは仕方がないことです。人間の思考は自由であるべき。


27. 2017年4月30日 19:23:46 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[26]

>>22. 中川隆
>仏教は・・・量子論は・・・
>接点なんか一つも無い

やあ中川くん、しばらく見ないうちに随分と真っ黒けになっちまったな。

ところで中川は接点の有無を主張するが無いのは a接点なのか b接点なのか?

仏教も量子論も正しく認識しない人間が接点の有無を決めるのが間違いだろ。



28. 中川隆[-7919] koaQ7Jey 2017年4月30日 21:54:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>26
>やはり最大の関心事は人間の意識が変化する瞬間の質量に影響するというヒッグス粒子です。


また知恵遅れがしゃしゃり出て来た

weak interaction のラグランジアンも書けない、 spontaneous breakdown も知らない、Feynman Diagram も知らないアホがヒッグス粒子について語るな


29. 2017年5月01日 14:56:04 : yI4givJaF6 : iHYifx0YXWg[2]
>26 物理学者と程遠い素人でも知ると知らざるを認識すれば則ち己を知ればアプローチは可能だ。

25です。1で言ったように物理学と程遠いならば、一部の難しい物理的な用語を用いて持論を語っては駄目です。素粒子、ヒッグズ粒子などお化けみたいなところもあるようなので、専門家自体が何がなんだか、量子論の解釈でもなにがなんだか統一しがたいところがあるでしょうから。
 己を知って適切な持論の展開を望みます。勿論専門家との話し合いで、両者による解説ならば、あるいはよいものになるかもしれませんが、現状の最先端科学ではまだ期待うすでしょう。


30. 中川隆[-7819] koaQ7Jey 2017年5月01日 18:19:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

そもそも weak interaction が生物の細胞に影響すると思ってる時点で

クルクルパー確定なんだよ


31. 中川隆[-7818] koaQ7Jey 2017年5月01日 18:32:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

掛け算も満足にできないアホがヒッグス粒子について語ろうなんて笑っちゃうよな

原発板で反原発投稿してるのは こういう知恵遅ればかりだからな

[12初期非表示理由]:管理人:初期非表示

32. 中川隆[-7817] koaQ7Jey 2017年5月01日 18:35:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
これも読んでな:

test _ 魑魅魍魎氏は精神分裂病
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/658.html

[12初期非表示理由]:管理人:初期非表示

33. 2017年5月02日 01:04:55 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[28]

>>30. 中川隆
>>31.
>>32.

いーからもう返レスするな。

お前は既に命終している。




34. 2017年5月02日 01:16:53 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[29]

>>29.
>一部の難しい物理的な用語を用いて持論を語っては駄目
>素粒子、ヒッグズ粒子などお化けみたいなところもある・・・

学者も発表しないようなことは分からないと言ったんだよ、既知と不知を知るのが大事だとね。

興味と時間さえあれば素粒子の性質を詳しく知りたいとは思ってる。やはりヒッグス粒子だな。

物質の元素は種類によって質量が異なるからヒッグス粒子の運動が原子核の質量の決め手だろ。

その決め手となる性質が謎なんだよな今のところ。反重力の性質は実在してるんじゃね?

分かんねえだろうな hahahahahaha〜



35. 中川隆[-7812] koaQ7Jey 2017年5月02日 08:44:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>34
キチガイの妄想はもういいよ

そもそも生物の細胞に働く力は分子間力だから、素粒子間の相互作用なんか何の影響も無いんだよ

Higgs 粒子は影響がゼロに近かったから長い事観測にかからなかったのさ

そんなのが脳細胞に影響する訳ないだろ

反原発派は物理も数学も全く理解できないから、嘘とデマをすぐに信じてしまうんだな


36. 2017年5月02日 09:41:49 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[30]

>>35. 中川隆
>生物の細胞に働く力は分子間力
>素粒子間の相互作用なんか何の影響も無い
>Higgs 粒子・・・脳細胞に影響する訳ない

阿修羅名物の精神異常者 中川隆よ、阿鼻獄に至りて知ったかぶりする余裕は大したもんだな。

お前の主張は間違っている。細胞はマクロの視点だし量子や素粒子は細胞内をミクロで捉える。

知ったかぶりする人間は自分でもなに言ってるのか分からない。マクロとミクロを混同すんな〜

一概にヒッグス粒子が他の素粒子や原子核の性質に影響を与えている可能性を誰も否定しない。

アホ中川くん、意識すればそこに量子が偏在するという視点が正しいということなんじゃね? 


 


37. 2017年5月02日 09:58:04 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[31]

光速を超越する瞬間移動を人間の脳内で実現する可能性はゼロではないね。

量子論は素粒子相互間の影響を無限に近い組み合わせを解明するも同じだ。

スーパーコンピューターより強力な量子コンピュータが活躍する時代です。


38. 中川隆[-7798] koaQ7Jey 2017年5月02日 10:33:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
知恵遅れには何を言っても理解できないという事だな

39. 2017年5月02日 10:53:53 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[33]

>>38.

そんなことないだろ中川くん。悲観するな。

既知と不知を謙虚に正しく自問自答してみろよ。

所詮は誰でも己が凡夫で愚人と知ることになる。

それでもいーだろ。ヒトラーみたいになるより。

世界中の誰もが中川から量子論を学ぶことはない。

分かったかバーカ! 改心しろっちゅー天然!



40. 2017年5月02日 12:21:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
物理学会では昔から午前の部と言って、大乗仏教で素粒子論を解明するという研究発表が午前中に集中してたんだ

午前の部の発表者は精神分裂病患者ばかりだったのは有名な話


41. 2017年5月02日 13:04:00 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[38]

>>40. 2017年5月02日 12:21:25 : b5JdkWvGxs
>物理学会・・・大乗仏教で素粒子論を解明・・・
>発表者は精神分裂病患者ばかりだったのは有名

その当時において仏教惑乱の真実を宗派乱立の現実に見出すべきだろ。正しい結果論として。

馬鹿中川隆が語る仏教と正統な日本人が語る実況としての仏教は雲泥の差が天地ほども違う。

真実は二つと未明からトチ狂ってる場合じゃない。法華経を誹謗して周り全部がコケたんだ。

真実は唯一無二で他の全てが出鱈目だったという消去法も実は別に排他主義でも何でもない。

結局人間は己自身が拠り所とする思想に頼ろうとしてるんだ無意識のうちに正邪も分からず。

法華経が最第一という宗派の教義により過去に命を注ぎ込むことができる。改心すれば当然。

中川隆は玉を掴まず瓦礫を掴んで玉だと盲信し得意げに知ったかぶりするからアホなんだな〜

大乗仏教だと? 仏教の正法は二乗不作仏という教義によって小乗仏教の脱却を説いている。

大乗教で法華経が最高の教えなんだよ。そこのところを日本中が僻んで誹謗したから狂った。

正法では有信無解の成仏を説くが有解無心の不成仏は否定する。中川くん、目覚めろよ〜 

宇宙の無始でビッグバンが起こったとするのは妄想だろ。無始無終でなければ分からない。

量子論は仏教の知恵が無ければ理解が進まないことを世界の学者も気づいてるんじゃね?



42. 2017年5月02日 13:09:30 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[39]

>>41.  

🙅有解無心の不成仏は否定する → 🙆有解無信の成仏は否定する


43. 中川隆[-7795] koaQ7Jey 2017年5月02日 13:16:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
法華経は釈迦の教えに反するインチキ仏教だよ

44. 2017年5月02日 18:35:46 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[40]

43. 中川隆
>法華経は釈迦の教えに反するインチキ

釈尊が法華経を説いたから成仏して如来となった。

法華経を説かずんば中川のようなインチキ人間だろ。

つまり中川が言ってることはそうゆうことなんだよ。

釈迦の教えだと? 惑乱した解釈が星の数ほどある。

お釈迦様の教えを間違って信じれば極楽浄土も無い。

短絡した思考回路の意識では量子論も誤解するだけ。

精神異常者が狂うと人がアホか気違いに見えるのか。

法華経は釈迦仏法の肝要である。不信の成仏無しだ。

仏法の教義が無数に惑乱した現実が釈迦の教えに反する。

釈尊の悟りは難しくて弟子さえ理解できなかったそうだ。

末法の教主釈尊の仏法は釈迦仏法を包含する唯一の正法。

普通の日本人なら妙法蓮華経方便品第二を読めば分かる。


45. 中川隆[-7793] koaQ7Jey 2017年5月02日 20:00:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>釈尊が法華経を説いたから成仏して如来となった。kkyo


仏教の事を何も知らないアホに説明しても仕方ないけど


釈迦は、紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖である。

一方、『法華経』の成立時期は

法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した

第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立した

第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、

第三類(7品)は150年前後に成立した、


46. 2017年5月03日 15:39:52 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[45]

>>45. 中川隆
>釈迦は紀元前5世紀ごろ・・・
>法華経の成立時期・・・

さすが中川隆は阿修羅名物の精神異常者なだけはある。己の主張の論理矛盾さえ分かってない。

法華経を誹謗する輩が宗派を開宗する為に法華経を誤って解釈した出鱈目な謬論・謬説だろう。

そもそも法華経の成立は仏教の教主釈尊が七十二歳から弟子や学者の前で説法したのが最初だ。

釈迦一代の説教を判釈して五時八教に分かち法華時は般若時の後、涅槃時の前に説かれている。

アホの中川は自分で何言ってるのか分かってないことだけは分かる。誰から仏教を教えられたんだ?

出鱈目な仏教宗派が複数もあって偽聖職者ズラして飯を食っている惡僧らが仏教を分かってるのか?

法華経の六訳三存という歴史の真実を認識できてないから数度の経典結集と混同してるんだよ◯◯!


47. 中川隆[-7756] koaQ7Jey 2017年5月03日 15:55:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>46
アホの相手したくないから 専門家の解説読んでね:

長い間、仏教は因果の概念をつかって、民衆に道徳を教えましたが、その概念の拡張解釈は、人問に諦観を与えるとともに、人間理性の正しい行使を妨げることに役立ったようです。近代の精神は、このような因果因縁の概念を否定することから生じるのであります。近代的理性にとって、このような因果因縁の概念こそ、まさに仏教のインチキ性を証明するものと映ったにちがいありません。

 このような因果因縁の概念は、まさに仏教の恥部であったわけです。明治以後、日本の仏教学者が、仏教の束縛を離れて、ヨーロッパから、直接に釈迦仏教を研究する方法を学びとったとき、彼らは、彼らが従来釈迦の教説と思っている仏教が、実は釈迦の仏教でもなんでもなく、はるか後代において、釈迦の名にかこつけて作られた経典編集者の思想にすぎないことを知ってビックリしたものでありました。

そればかりか、釈迦以来、二千何百年という年月は、同じことばの意味をも、まったく変えてしまったようでありました。釈迦の十二因縁の思想は、どうやら、因縁・因果の名でもって、われわれの現実に知られていた思想とまったく別な思想のようでありました。因縁の思想を釈迦それ自身において考える必要があります。

明治以来の根本仏教と解する原始仏教の研究は、結局この因縁の概念、因果の概念を明らかにすることにあったといってよいかもしれません。因縁をあの伝統的な汚名から解放すること、それほあたかも、文明開化の時代の文化人に不評となった仏教を、その迷信の汚名から解放するかのような意味をもっていました。

天台法華思想の系譜 田村芳朗/梅原猛

『法華経』の不思議

梅原 天台思想というのは、日本の仏教の基礎になった思想だと思うのですけれども、ほとんどの日本人は天台の思想について何も知らないのではないでしょうか。これほど日本の文化に大きな影響を与えていながら、日本人は天台の教義というものをほとんど考えてみたことがない。そういう意味でいうと、日本精神史の背骨みたいなところが、全然研究されていないといえるのではないでしょうか。

田村 梅原さんが『地獄の思想』でかなり宣伝してくださったわけですけれども。

梅原 私のなどは不完全なものだと思いますけれども、それですら、いままで指摘した人がほとんどいなかった。天台思想の基礎になった『法華経』というものは、最も日本の文化や思想に大きな影響を残した経典だと思います。そこで『法華経』というのはどういう仏典なのか、そのへんから…

田村 私は、『法華経』というのは非常に不思議な経典だと思いますね。というのは、古来両極の評価がなされている。非常にほめたたえているかと思うと、一方、それとは逆にけなしてしまう。その一つに『法華経』無内容説というのがありますね。たとえば徳川時代に排仏論が起こったときに、富永仲基がそれを最初にいっています。それから有名なのが平田篤胤の能書説ですね。中身のない薬の効能書にすぎないという、そういう無内容説に加えて、もう一つ、『法華経』は愚夫.愚婦のためのものだ、というようなこともいわれました。

現代でも『法華経』にたいして、同様の批判をする学者がいます。また『法華経』に基づいた天台の思想にたいしても、無知なまちがいだらけの思想だといいます。『法華経』には殉教・殉難が強調されていますが、これなどは、一般社会から疎外された、いわば特殊階層によって『法華経』がつくられたためではないかというのです。排他的だという批判も出ていますしね。

ところが反対に、『法華経』自身が平等一乗というように、非常に包容的な、寛容性に富んだ経典だとたたえられてもきております。梅原さんもいわれたように、『法華経』は一般文化や思想に吸収され、大きな影響を与えたことは事実ですね。『法華経』の強調する殉教・殉難の精神も、崇高なものとしてたたえられ、そこに生きる勇気と支えを見いだした人々も出ているわけです。

ともあれ、『法華経』が、このように両極の評価を受けたことは、まことに不思議な現象です。私は仏教にも七不思議があげられると思いますが、これがその一つに数えられるかもしれません。なぜそのような両極の評価を受けるようになったかということですが、それを知るためには、『法華経』が、いつ、どのような時代につくられたかを調べる必要がありましょう。

梅原 大乗仏教思想の発展史の中で、どういうかたちで『法華経』がつくられたのかということですね。もう少しいうと、『般若経』『華厳経』『涅槃経』などとの関係ですね。中国の仏教学者たちが非常に苦労して、そういう関係を論理的に整理したわけですが、現代の仏教学から見ると、それが歴史的にどういう関係でつくられたのでしょうか。

『法華経』の成立

田村 近代になって、原典がヨーロッパを通して紹介されると、あらためて近代的な立場から経典が研究しなおされます。『法華経』についても研究しなおされたわけですけれども、問題は『法華経』の成立年代、あるいは『法華経』の中での各篇の成立の違いですね。そのことについては、いろいろな学者が研究しているようですけれども、私は布施浩岳氏の『法華経成立史』の説にほぼ賛成したいのです、2、3の小さい点では異論があるのですが。それによれば、『法華経』は、「授学無学人記品」第九と「法師品」第十の間で一くぎり入れられ、さらに「嘱累品」第二十一と「薬王菩薩本事品」第二十二の間でもう一つくぎりが入れられます。現在の羅什(クマーラジーヴァ。350?〜409?)訳の『法華経』には「提婆達多品」が第十二章として立てられていますが、これは天台大師あたりになって挿入されたもので、ここでは除きます。

ともかく、そういうことで、『法華経』は、第一類・第二類・第三類というように区分され、第一類は、西暦50年ころ、第二類は100年ころに、それぞれ1グループとしてできあがり、第3類は150年ころまでに、個々につくられて付加されていった、というふうに布施さんはいわれます。竜樹(150〜250頃)の『大智度論』には、『法華経』の最後の章まで引用されているので、第三類の諸章が付加される最終の時期を150年こると見るわけです。

伝統的な区分では、そのはしりが道生(?〜434)に見られますが、「安楽行品」第十三(第十四)と「従地涌出品」第十四(第十五)の間で線を引き、前半と後半に分けたわけですね。なぜそのように分けたかというと、前半では、いわば「宇宙の統一的真理」というものがとかれている。

『法華経』のことばでいえば、「一乗妙法」です。二乗ないし三乗、あるいは諸法を統一した真理、そういう統一的真理というものが明らかにされている。一方、後半では「久遠の人格的生命」とでもいいますか、現実の釈尊を通して、永遠なる仏の存在がときあかされている。要するに、常住の生命とか、久遠の生命というものが強調されている。そういうことで道生が最初に『法華経』を区分し、それを光宅寺法雲(467〜529)も天台大師(智。538-597)も受けついだわけですね。


梅原 ほぼ紀元後1世紀から2世紀にかけてということになりますね。それと『般若経』とか、『華厳経』との関係はどうなりますか。いちばん最初にできた大乗仏教の経典は『般若経』ですか。

田村 『般若経』が最初ですね。紀元後50年ころには「原始般若」ができていたと考えられます。『般若経』作成の意図ですが、それまでの仏教では、根本真理の「空」のつかみ方に誤りがあった。そこで空の観念をあらためてここで再認識というか、その概念をはっきりと規定しようとしたのだと思われます。そこで一応、『般若経』によって空の根本概念に目鼻がついたといいますか、それがさらに理論化されるのは竜樹あたりになってからのことでしょうけれども、『般若経』で原理的には確立された。次には、その空を、もう少し積極的に展開し、あるいは現実にあてはめていこうという考え方や運動が起こってくる。こうして出てきたのが『法華経』とか『華厳経』です。

梅原 『法華経』と『華厳経』とはどちらが先ですか。

田村 『般若経』『維摩経』『法華経』『華厳経』の順で、それに『無量寿経』『阿弥陀経』などの浄土経典を加えて、第一期大乗経典といっております。

梅原 『般若経』と『維摩経』はほぼ同じころですか。

田村 そうですね。相次いてできたもので同類のものと考えられています。第一期大乗経典は、およそ1世紀から3世紀ごろにかけて成立したものと考えられます。

『法華経』以後の経典

梅原 『涅槃経』はいつごろですか。

田村 そのあとになります。第一期大乗経典がほぼ3世紀までにできあがり、論者があらわれてさらに理論体系化します。それが竜樹ですが、そのあとに、あらためてまた経典が作成されます。それが第二期大乗経典といわれるもので、時期的には4世紀に入ってからで、その一つが『涅槃経』ですが、第二期大乗経典の結集のあとにまた論者が出ます。無着(310〜390頃)・世親(5世紀頃)がそうです。

梅原 他の経典はどうなのですか。

田村 第二期大乗経典は、如来蔵系としては『如来蔵経』『不増不減経』『大法鼓経』『央掘摩羅経』『勝髪経』『涅槃経』『無上依経』などがあげられ、阿頼耶識系としては、『解深密経』『大乗阿毘達磨経』などがあげられます。如来蔵経典は、第一期大乗教典で確立した「空」をさらにもっと積極的に主張するといいますか、つまり、内在的に概念づけていったものだといえます。

仏性とか、如来蔵という説がそうです。また永遠観ですが、『法華経』でも、永遠の存在とか永遠の生命を説いていますが、まだ『法華経』の場合の永遠者というものは対象的ですね。「私」にたいして、永遠なる仏が対象的なものにとどまっている。時間的にいえば、永遠という概念は、時間の延長にすぎない。ほんとうに時間・空間を突きぬけた永遠性というもの、ひいては永遠というものは、ただいま、この瞬間に、わがうちにつかまれるというような内在説にまでいっていない。そこまでいくのはやはり第二期大乗経典の中の如来蔵系の経典ですね。

その代表的なものが『涅槃経』です。光宅寺法雲は、そういう永遠性に惹かれたらしく、『法華経』を注釈しながら、『法華経』の永遠性は、仏の神通力で時間を延長したにすぎず、神通力が尽きれば寿命も尽きる、ほんとうに時間・空間を超越した絶対の永遠性というものは、『涅槃経』だということで、彼は『法華経』から『涅槃経』に移っていったわけです。ついでにいえば、如来蔵系の経典というのは、事物の本質面をときあかし、その現象面を分析したのが阿頼耶識系の経典です。

経典偽作の理由

梅原 そういうふうに次々と経典が釈迦の名でつくられた、そういうことは他の文化では行なわれたことがないのでしょうか。ヨーロッパでは、つまりキリストの名で、どんどんあとから経典が出てくるなどということは考えられないことですからね。

田村 さっき仏教の七不思議といいましたが、その七不思議の最たるものが、インドでは、そのように経典が次々とでっちあげられていったということ、しかも釈尊の名前を騙るわけですからね(笑)。

これは全く不思議ですね。

梅原 中国でも、孔子の名の著作はその後出ないでしょ。いくらあつかましい男でも、孔子の本がどこかにかくしてあったととり出してくるようなことはしない。インドだけですね、そういうことの起こったのは。しかし、インド人はそれを信じたのですか。それが偽作だとわかっていたのでしょうかね。

田村 ただ作為に偽作して、シャカはこういったとうそぶいたわけではないとは思いますが。(笑)

梅原 一種の創作が行なわれるわけですか。

田村 よくいわれるように、インド人には歴史意識がない。シャカにまつわる歴史的事実に、あまり関心がなかったのではないですかね。

梅原 自分の中にまで釈尊が入ってしまってるのでしょうか。だから事実とフィクションの差別の意識がなかったのでしょうね。あるいは自分と釈尊との区別の意識もなかったのかもしれない。これをつくりだした男は、一体どういう男なんでしょうかね(笑)。あるいは竜樹あたりがみずからつくりだしたのかもしれない。(笑)

田村 もう一つは、哲学的にいえば、インド人は普遍の世界、現実の歴史的時間を超えた普遍の世界へ自分を投入していく傾向をもっている。そういうふうなことは、歴史的現実の事実には、たいして関心がない。だから、あとからつくられたものでも、釈尊の歴史的事実は問題ではなく、それを超えた釈尊の思想が問題なのだということで、つまり、釈尊はこう語った、というふうになったのではないでしょうかね。

梅原 たしかに暑い所へ行くと、時間の観念がおかしくなりますね。私は昨年カンボジアまで行ったのですけれども、時間の観念がおかしくなった。インドヘ行った人の話だと、タクシーの運転手が、自分のおばあさんは126歳だといって(笑)、そういってるだけではなくて、ほんとうにそう思っている。そういうことからいえば、1世紀や2世紀は問題ではない。われわれの時間とは違った、別の時間に住んでいる。それにしても、よく経典の大量偽作という驚くべきことが起こったものですね。

田村 ですから、『法華経』ができ、インド・中国・日本で、それぞれ『法華経』の注釈がなされるわけですが、国によって、『法華経』にたいする目のつけどころが違っています。インドでは、前にいいました宇宙の統一的真理、普遍平等なる真理、または世界というものが強調されている。インドの仏教学者は、みんなそこに目をつけて、『法華経』のすぐれていることを主張する。たとえば竜樹の『大智度論』は『般若経』を注釈したものですが、その中で、『法華経』をすべての章にわたって引用しつつ、「二乗作仏」を一般的にいえば、『法華経』の普遍平等の説に目をつけ、その点に関しては『般若経』よりすぐれているとさえいっています。

羅什訳『法華経』

梅原 すると田村さんのお考えだと、大乗仏教が空という考え方を出したけれども、まだ『般若経』ではほんとうの空の積極性が出てこない。『法華経』が、その積極性を宇宙の統一原理にまで高めた。そこに『法華経』の独自な思想的位置があるといわれるわけですね。

その『法華経』にたいして、極端な見方があるといわれましたが、私も悪いほうの見方をした本ばかりいままで読んだので(笑)、どうも『法華経』にかんして一つの偏見をもっていたのです。ところが、最近若い学生さんたちといっしょに『法華経』を読んでみて、やっぱり『法華経』はすばらしいと思った。

和辻哲郎さんは『法華経』というのはドラマだというのですが、非常に雄大ですね。それにみごとなイメージの経典ですね。「薬草喩品」など、雨が降って、すべての木々が次々と成長していくという、そのイメージはすばらしいですね。宇宙に内在している仏性のイメージが、実に雄大に次から次へと展開していく。私はその意味で非常に文学的だと思うのです。そういうすぐれた経典が中国に入っていくことになる。そこで『法華経』を考えるとき、どうしてもぬかせないのが羅什だと思うのですよ。

田村 そうですね。『法華経』は、羅什が406年に訳したよりも前に、すなわち286年にすでに竺法護によって訳されているわけですが、これはわれわれにはちょっと読めない。悪く評すれば非常にぎごちない。それにくらべて、羅什のものは名訳であり、美文訳ですね。梅原さんが以前いわれたように、羅什の色気がそこににじみ出ているのかもしれませんね。(笑)

羅什の達意の訳としては、よく指摘されるのが、「方便品」第二の「十如是」ですね。羅什以外のものは漢訳本や原典チベット訳もふくめて、5つのカテゴリー、あるいはそのくりかえしになっています。それが羅什訳では、10のカテゴリーにみごとに整理されている。これは明らかに羅什の作為的なカテゴリーエン(範疇化)ですね。『大智度論』では9つのカテゴリーが立てられていて、それを応用したのだといわれます。

梅原 カテゴリーをですか。

田村 『大智度論』を訳したのが羅什ですからね。『大智度論』を書いたのは竜樹ですけれども、羅什が訳すときにかなり色づけしたのではないでしょうか。

梅原 塚本さんもそういう考え方のようですけれども。

田村 ともかく「十如是」一つとりあげても、羅什の作為的翻訳というものが見られる。厳密な文献考証的立場からすれば、問題となりましょうが、とにかくそういうことのできる人だったということですね。

梅原 『大智度論』というのは、『般若経』の注釈書ですね。けれどもその中で『法華経』を重視してますね。

田村 そうですね。さきにもふれましたように、『法華経』のほうが『般若経』よりもすぐれているというのですね。どこがすぐれているかというと、「二乗作仏」の点だというのです。小乗教徒は、結局、空を誤解してニヒリストになった。ニヒリズムにおちいったものはもはや成仏しない、ということで、大乗教徒から強烈な非難を受けたわけですね。

それが『法華経』にきて一乗平等の真理のもとに、あらためて目を開いて起死回生し、成仏できるのだという保障がえられた。これが『法華経』の「二乗作仏」の説、普遍平等の思想です。ここに羅什は目をつけて、それが説かれている点は、『般若経』よりすぐれている、といったわけですね。世親の『法華経論』というのは、インドにおいて、『法華経』そのものを注釈した唯一の書ですが、やはり「二乗作仏」とか、平等の真理とか、平等の存在とか、平等の世界が、『法華経』の特色として強調されています。

ともあれ、そういうことで、竜樹の『大智度論』では『法華経』が重視されたわけですが、さきほどの話に出ましたように、羅什が訳すときかなり手を入れましたし、『法華経』を訳すさいにもまた、非常に手を入れたところが見られる。

梅原 二重にプリズムが入っている。(笑)

田村 そうですね。羅什の人格、羅什の出生地、あるいは中国に来てからの考え方がどうだったのかとか、中国的な雰囲気にどれほどとけこんでいったのか、ということを、羅什訳の『法華経』を見る場合も、頭におく必要があると思います。このへんの事情はちょっとわからないのですけれども、どうですか。梅原さん、羅什については、たいへん興味をお持ちのようですが。

梅原 それは小説的な興味で(笑)。しかし、羅什の存在というのは重要ですね。それまで中国人に仏教が十分にわからなかったわけですからね。大乗も小乗もいっしょに入ってきて何が何だかわからない。このとき、インドの仏教を直接に知っている羅什がやってきて、中国仏教の伝統を創造する。

ところがその仏教解釈において、羅什の個性が強く影響しているという気がするのですがね。いわば羅什によって中国仏教の基礎がこしらえられたのですからね、天台智の思想を考えるときに、やはりどうしても羅什によってつくられた仏教思想の伝統を考えなくてはならない。智の思想という場合も、『大智度論』と『法華経』からくるのでしょうね。『大智度論』が思索の種でしょ。そのときいちばん中国仏教者を悩ましたのが、例の教相判釈の問題ですね。

教相判釈の問題

田村 私は教相判釈をあらためて再評価できると思うのです。当時の仏教学者のそれぞれの哲学があると思います。それぞれを哲学的見解と見ればいいのじゃないですか。

梅原 仏教の経典を釈迦の一生にあてはめたところが問題ですね。

田村 そこは問題がありますけれども。

梅原 大乗教典の中で、何がいちばんすぐれた経典か。その価値判断が教相判釈と考えられますね。

西洋哲学でいえば、つまり西洋哲学のすべてをソクラテス作ということにして、カントを選ぶか、ヘーゲルを選ぶかという問題になるわけですね。そんなことは長い西洋哲学の伝続の中では考えられないことですよ。その点が中国仏教の教相判釈のおもしろいところですね。

田村 たとえば天台大師の五時八教というような教判の場合、そのうちの五時とは、釈尊一代の説法を五段階に分けて、諸経をそれにあてはめたわけですけれども、はたして天台大師自身が、釈尊がそういうふうに説いたと信じて、その説を立てたかどうか。それほど素朴だとは思えない…。

梅原 日蓮はそう信じている。(笑)

田村 私は日蓮はそれを信じていたというのではなくて、一つの論証方法としてあったと思うのです。偽経ができたということは、すでに問題にあがっているくらいですからね。日蓮だって偽経説というのは知っているのですからね。だから単純に…。

梅原 それを全部偽経にしたら、大乗仏教はなりたたなくなる。(笑)

長い間、歴史的に発展した思想を釈迦の一生にあてはめるのは、むろんまちがいですけれども、これを大乗仏典の発展史と見ると、『華厳経』をのぞいては阿含、方等、般若、法華、涅槃の順になり、たいへん歴史的成立年代にも近くなる。だからその意味では、そういう前提さえぬけばたいへんよくできている。クロノロギーとしてもたいへんおもしろいのではないかと思うのです。

田村 ただ私は『華厳経』を最初にもっていったのは意味があると思うのですよ。結局、『般若経』で空の根本原理が確立されて、こんどは、そこで『法華経』と『華厳経』をくらべた場合、『法華経』は非常に総合的統一的なかたちで、真理を積極的に表現している。

『華厳経』のほうは非常に純粋なかたちで空の真理を表現しているわけですね。『華厳経』を読めば、だれもがそう感じたろうと思うのです。それで『華厳経』を最初にもっていったのですね。つまり釈迦の悟った直後の純粋な状態を表現したものだということです。牛乳でいえば、しぼりたての乳ですね。『涅槃経』に五味のたとえがあり、天台は最初の乳の味に華厳をあてました。ともかく、『華厳経』は、純一な真理に照らされた、まじり気のない理想的世界を説いたものであり、『法華経』は総合ですから、悪も善も全部…。

『涅槃経』に説く五味のうち、最後の醍醐昧というのは、最も牛乳が発酵して、最後の円熟した状態をいうわけですよ。だから私は学生に、どちらをとるかは、結局、本人の好みだっていうのですよ。自分はしぼりたての牛乳のほうがいいという人と、円熟したまろやかなものがいいという人とあるわけです。

『華厳経』を最初にもってきたわけも、そういう思想内容から判断して、教相判釈が立てられたので、そういう点をくみとるべきだと思います。

梅原 人生にたいする天台智の見方があるわけですね。初めは純粋なものを説いたけれどもむずかしすぎた。それでやさしいところから説きおこして、またむずかしいところへ入って、最後に『法華経』を説いた。初めと終わりとはだから、逆に近いわけでしょ。

田村 『華厳経』を最初にもっていくのは、天台以前の教相判釈で、すでに見えています。教判は、南北朝時代に代表的なものとして、南三北七、つまり、江南に三種、江北に七種があげられます。

インドでは、順序、次第をおって経典が成立していったわけですが、中国へは、そういう成立順序はおかまいなしに、見つけたものから翻訳していったわけですね。それで困ったわけですよ。こんなにいろいろあって、一体、どれがほんとうなのか。中国の当時の学者が成立順序を知っていれば、あるいは問題はなかったかもしれませんが、なにせ新しいものが先に入ってきたり、古いものがあとになったりして、雑多に入ってきたものですから、思想内容でもって価値配列づけがなされることになったのですね。結局は、それぞれの学者の哲学的見解の表明ですね。

そこで『般若経』を根本におくというのは問題なかったわけですよ。その上で『華厳経』『法華経』『涅槃経』の三つが注目される。『華厳経』は真理の純一性を説き、『法華経』は真理の統一性、『涅槃経』は真理の永遠性を説いたものですね。真理についての三つの属性というか、その特色が、それぞれ分担して説かれているわけです。『華厳経』は純一無雑なかたちでじかに説いた、ということで頓教と名づけられました。頓ということばは後に実践論に使われたり、認識論に使われたりして、いろいろな意味をもつようになりましたが、本来は釈迦が悟った直後の境地をじかに説いたものということですね。それにたいして『法華経』や『涅槃経』は漸教とされ、そのうち、『法華経』は、万善同帰教、『涅槃経』は常住教と定義づけられました。

南三北七の教相判釈は、結局、『華厳経』を真理の純一性を説いたものとして、アルファ、『涅槃経』を真理の永遠性を説いたものとしてオメガとし、この二つをアルファにしてオメガ、最初にして最後なるものとして最高視したといえます。『法華経』は、両者の中間に位すると考えました。いわば橋渡しです。『法華経』は、すべての思想を総合していて最後に『涅槃経』にバトンタッチする経典だということです。ところが天台大師が出て、『法華経』を最後にもってきて、『涅槃経』はむしろ『法華経』の付属物と見たのです。天台は仏教の統一形態、ないし体系の樹立を志し、そこで、統一的真理を説く万善同帰教として、この『法華経』を最後の段階においたので、ここから天台独自の教相判釈が生まれたわけです。

『法華経』の三部門

梅原 中国の教相判釈は、ほぼ三つの経典が中心でしょうね。どこに中心をおくかで、いろいろ考え方が変わってくるわけですね。

そこで、『法華経』ですけれども、前半が「二乗作仏」を説き、後半が「久遠実成」を説くという解釈になるのでしょうが、これは天台智の創造なのですか。

田村 その解釈は、道生から始まっているんです。道生というのは鳩摩羅什の門下で、鳩摩羅什といっしょに翻訳に参加した。羅什が翻訳したそうですけれども、羅什一人ではなく、共同作業ですね。ですから、いわば翻訳工場ですよ(笑)。彼らは翻訳したあと、互いに討議し合い、また注釈書を著わした。ところがその注釈書が、道生のものしか現在残っていないのですね。その道生の注釈書を見ますと、因門と果門というかたちで分けてある。つまり、前半は因門、後半は果門というぐあいです。

梅原 そうすると、すべての人に仏性がある。衆生に仏性があるというのが前半の因門、そしてそれが永遠の仏性のめざめというかたちで実を結ぶというのが結果ですね。それが迹門と本門ということになりますね。

田村 因果というのは、現実の事物をささえる原理ですね。そのような現実の理法でもって、『法華経』を解釈したところには、なにか現実尊重という中国的考え方がはたらいているのではないか、と思うのですが。天台大師は、そういう因果二門の分け方を受けつぎながら、迹門・本門ということばに置きかえたのです。

梅原 すると解釈も違ってくるわけですか。

田村 解釈は同じです。ただ道生の場合、果門が最後までではないのです。すなわち、「嘱累品」第二十一までですね。「提婆達多品」が加わってきますと、第二十二になりますけれども、当時は第二十一です。この第二十一章までで切ったわけです。そのあとは流通分、つまり応用部としたわけです。ところが道生のあとに光宅寺法雲が出て、『法華経』を注釈したさい、区分のしかたに少し変化が生じました。光宅寺法雲は、やはり因果二門ということばをうけ、同じ解釈を与えているのですが、ただ果門を最後までのばしてしまったのです。天台大師も光宅寺法雲にしたがって、最後までのばした。のばした上で、迹門・本門とした。ですからのばしたところに、ちょっと変化が出てきています。しかしつかまえ方は同じですね。成立史的な観点からいえば、「嘱累品」で区切ったほうがよかったと思いますが。

梅原 前半が宇宙の統一的原理、後半は人格的生命を強調したといわれる。前半には一種のカテゴリー論みたいなものが、はっきり出ているわけでしょ。「方便品」には如是というカテゴリー論が出ている。つまり、差異の世界、万物が差異でありながら、一つの統一をもっというのが前半。後半は永遠なる生命という思想が非常に表面に出てくるのではないかと思うのです。天台大師は、どっちを強調したのでしょうかね。

田村 日蓮にすれば、天台は迹門ばりだというのです。迹門に傾いているというのですね。迹門というのは仮の部門ということですし、本門とは真実の部門だということで、迹門・本門ということばからすれば、天台も後半に重点をおいたということがいえると思うのですがね。

ただし、天台と日蓮との間に違いが出てくるのは、日蓮になって、私のいう第三部門に注目したことです。日蓮のことばでは「第三法門」ですね。成立史的には、最初にふれた第二類の部分、すなわち、「法師品」第十から「嘱累品」第二十一(第二十二)までのところです。そこでは、殉教・殉難の菩薩行が強調されています。一口にいって、実践部門にあたるものですね。

この第三部門は、伝統的な迹門・本門という二部門にまたがるわけですが、日蓮は、本門と重なる部分、すなわち八章を特にとりあげ、「本門八品」ということを主張しました。『観心本尊抄』にはそれが説かれています。

梅原 それは非常におもしろい解釈ですね。私は漠然と読んだわけですけれども、「法師品」の前までは非常に比喩が多いでしょ。ところが次になると、人間のあり方が主に説かれてきますね。そして、またふたたび宇宙論が出てきますね。ちょうど宇宙論と存在論との間に、ダーザイン論、現実人間論が出てくる。そこに日蓮は注目したわけですね。

田村 そうですね。

危機の時代の意識

梅原 そこは天台ではどうなのでしょう。

田村 天台にはそれがありません。価値評価は別にして、最初に日蓮が目をつけた。たとえば、「法師品」に「如来使」というのが説かれている。このことばは非常におもしろいと思います。キリスト教の使徒意識に似たものを感じさせます。この「如来使」ということばはほかの経典を探しているのすけれども、ないですね。「天使」ということばは原始経典にあります。何を天使としたかといいますと、それは生老病死なんです。『天使経』とか1天使品」とかがあって、「お前は天使を見たことがあるか」「ない」「では、病にたおれて体が腐っている人を見たことはないか」「それならある」「それが天使だよ」というような会話が交わされています。つまり、人間の実存的な姿をたとえて天使といったものですね。

ところが『法華経』でいう「如来使」は、現実の苦難にたえて、真理の実践にはげむ者は、仏の使徒としてこの世に遣わされた者であるということで、非常に実践的な意味をもったものです。

梅原 それが「法師品」からはっきり出てきますね。そこがキリスト教的というか、ほかの経典にはところですね。

田村 だから、『法華経』は、ある特殊な階層によってつくられたのではないかという説も出てくるわけです。

梅原 私も最近まではそう思っていたのですよ。こんど読み返してみて、身にしみてわかったのです。いまの時代はそういうものを必要としているのですよ(笑)。『法華経』という経典全体がそうではないと思うのですが、危機の意識の産物ではないかと思うのですがね。危機意識が出てきます。最初の部分にある「方便品」「譬喩品」でしたか、火宅の話があります。火事がおきて家が火につつまれる。卜カゲなどがいっぱいいる。かたわらでは子供が、無心に楽しく遊んでいる。それが世界のイメージというものでしょ。現代もトカゲがいっぱいいたりしてあぶないわけですね。大学あたりでは(笑)。しかし一方で、人々はパチンコや競馬やマージャンばかりしている。これは危機を知らずに遊んでいる子供ですね。

田村 たしかに似てますね(笑)。『法華経』はフィクションにみちておりますが、そういうフィクションには、やはり材料が背景にあったのではないかと思います。「法師品」以降に見られる危機意識といいますか、苦難意識というものが背景にあった。それはなにも『法華経』だけの特別なものではなくて、当時の大乗仏教者、あるいは大乗経典に共通してあったのではないですか。『法華経』だけに限定する必要はないと思うのです。『法華経』はそれを非常に強調しているために、特殊な感じを受けるのですがね。

梅原 危機の時代における人間、指導者というのは、苦難を覚悟しなくてはならない。その苦難のすすめのようなものが『法華経』にはありますね。『法華経』というのは、インドの特殊社会から生まれたという説がありますが、それだけではすまなくなる。日蓮は『法華経』をやはりそういう危機の時代における人間のあり方を説いたものとして読んだ。あの時代は現代に似ている。一種の危機・変革の時代だった。

田村 疾風怒濤の時代ですね。

梅原 そういうふうに読んだときに、『法華経』というのはすばらしい経典だ。火宅のイメージは私も身につまされるんですよ。

田村 そういう危機意識に基づく経典の作成は、たとえば、『涅槃経』を読みますと、やはり法をそしるものといいますか、そういうものが非常に強く出てきてます。

梅原 日蓮も『涅槃経』についてはずいぶん言及していますね。

田村 ですから『涅槃経』がつくられたとき、大乗仏教グループにたいして、外から相当の攻撃があったのではないか。あるいは仏教内で、たとえば小乗仏教徒からの攻撃があったのではないか。あるいは一般社会に、なにかそういう危機意識を持たせるようなものがあったのか、ですね。特に『涅槃経』には武力の問題が出てきております。

梅原 ゲバルト論が出てきて…。(笑)

田村 時にはゲバルトにたいしてゲバルトをもって抵抗してよろしい、なんていうことを説いたりしていますね。

梅原 いままでの仏教解釈では、そういう点がよわいと思うんです。つまり『法華経』のもっている時代の危機意識、その危機意識の中でどう対決したか、そういう点がないから、仏教は生きたものとして見えてこない。仏教の問題は心の内部のものだけに限っている。日蓮の読み方には、そういう危機意識がある。智はその点どうなのですか。

田村 やはり危機の時代ですね。ただし、智が法華哲学をつくるようになったころには隋によって一応統一された時代です。智の家庭は侵略による不幸を受けはしましたが、隋の統一以後は、一応の安定がおとずれます。智も如来使ということばにふれてはいますが、殉教の使徒とか殉難の使徒としての如来使というような解釈は見当たりません。伝教大師も同じですね。

梅原 どちらかというと、智の考え方そのものが、空間的なのでしょうかね。五時八教という思想がありますけれども、それよりも『法華経』のもっている統一的な、いわゆる空間的な把握が…。

田村 ですから歴史的な変化、あるいは歴史的な形成というか、そういうウェルデン(生成)に欠けてくるというのは、そこに起因しているのではないでしょうか。

梅原 どちらかというと平安仏教、古代仏教というのは、空間的な要素が強いのではないですかね。

田村 強いですね。特に日本においては。

法華三大部

梅原 ところが智の著書として、例の『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』は、三つともむずかしくて、これを解説するのはたいへんだったと思いますが。

田村 いや、全く四苦八苦の思いでしたね。

梅原 『法華玄義』では、「南無妙法蓮華経」ということばの解釈が一つの本になった感じですね。

これはどういうことでしょうかね。中国仏教独自のものだと思うのですよ。

田村 それはたしかにそうですね。悪く許すれば、ことばの羅列というのか、非常にカテゴリーエン的ですね。西洋哲学ではどうなのでしょう。

梅原 やはりザッハ(事情)を分析するのがヨーロッパ哲学の態度でしょうね。最初から最後までことばの解釈が占めるというのは、ちょっと考えられないのではないでしょうか。

田村 『法華玄義』では、最初に「妙法蓮華経」という題目について、名・体・宗・用・教、すなわち五重玄義といわれる一種のカテゴリーをきめておいて出発するわけです。しかし『法華玄義』は、読みようによってというか、思想をできるだけ発掘しようという意図をもって読めば、深い哲理なり、思想というものがくみとれると思います。

梅原 田村さんの第一部で非常におもしろいと思ったのは、例の十如是の解釈です。

田村 いや、それは梅原さんの西洋哲学からの見方ではどうなりますか。

梅原 カントのカテゴリー論などとくらべるとおもしろいと思います。魂の実体とか、そういうカテゴリーはないのですか。

田村 ないですね。そういう実体観は強く戒められていますからね。ただ、それが華厳には若干出てきます。

梅原 如来蔵思想になると出てきますか。

田村 『涅槃経』にはそれが出ていますが、しかし、そうなると仏教本来の立場に反するではないか、ということで弁明をつけ加えるわけですね。たとえば如来蔵は我だ、大我だなんてことをいい出します。ところがウパニシャドに見える実体説などと同じではないかという疑問がおこる。そこでまた空をもち出して、そうではないのだというのです。けれども、客観的にみれば相当に実体説が出てきますね。だからたえず弁明をくりかえすのです。

梅原 実体論というのは、魂の不死の思想とつながっているでしょう。ヨーロッパではそうですね。仏教のほうだとこれが因果でしょ。だからたえず生死の問題になる。永遠の生というのは考えない。道元あたりも一種の外道の説だとして、魂の実体説をしりぞけていますね。

田村 身滅心常説だとして否定していますね。

梅原 そういう論理的カテゴリーまでが、仏教の基本的な死生観みたいなものを反映している。それがおもしろいと思いますね。

田村 それは仏教の思想史の底をずうっと流れてきていますね。だから実体的な説が出ても、そのあとで、すぐことわり書きをつけるというわけです。

天台の三諦説

梅原 天台でやかましくいわれた例の空・仮・中の三諦ですが、あれはすでに竜樹にある思想ですね。

田村 天台も引用してますが、竜樹の、「中論」の「観四諦品」第二十四にあります。ただ、あそこでは、三つのカテゴリーになっていないで、二諦です。

梅原 中がないわけですね。

田村 空と仮とがあって、それがイコール、そのまま中だということで、分ければ、真諦と俗諦の二

つのカテゴリーとなる。それを天台が、空・仮・中という三つのカテゴリーに分割して、そして三諦を立てた。これは天台の解釈の誤謬だというふうにいわれたりするのですが、思想ないし哲学的立場から考えるとどうでしょうか。

梅原 空というのは、私のことばでいうと、リアリズムの否定だと思います。仮というのはニヒリズムの否定というわけです。リアリズムを否定しニヒリズムの立場になる。そのニヒリズムも否定して、中の立場に立つというのは、なにかいまの人間存在の本来のあり方を考えて、非常に微妙で深い哲学真理だという気がしますね。

田村 話が少し飛躍するかもしれませんが、西洋哲学者が、空・仮・中の三諦を弁証法にあてはめてみて、円環の弁証法だっていうのですよ。そこには歴史的なウェルデンがない。くるっと円でかこまれてしまう。へーゲルやマルクスの弁証法には、対立を基点とした無限の歴史的生成がある。ところが天台では、中を強調しすぎたせいか、くるっとつつみこまれて、そういう意味では強烈な歴史的生成がないというのですがね。

梅原 私は対立によってものが生成するなんてウソだと思うのですよ。つまり弁証法というのは、ヨーロッパでは闘争によって歴史が発展してきた、その歴史の論理化が、弁証法だと思うのですよ。このまえ、「スキタイとシルクロード展」を見ましたが、スキタイの遺物には、ギリシャ人の彫刻した猛獣の喧嘩の図が多い。猛獣の闘争が彼らの歴史のイメージでもあり、弁証法にも通じるわけですよ。歴史の発展というのはそんなものではない。弁証法の肯定・否定・否定の否定としての肯定というあの論理は、一種の猛獣闘争説を人間社会にあてはめた考え方だと思います。だから天台には西洋の弁証法がないから、空・仮・中の論理がまちがっているなどとはいえません。西洋哲学でいえば、むしろヘーゲルより二―チエの考え方に近いのではないかと思うのです。たとえばニーチェにとって世界は、空しいものである。ところが、世界は空しいものであるという見解にとどまったらだめだ。それは単なるネガティブなニヒリズムだ。ネガティブなニヒリズムからポジティブなニヒリズムにかえらねばならない。もう一度世界にたいして肯定をいわねばならない。天台の空・仮・中の論理はそういう論理に近い。すると天台思想というのは、非常に現代的な、つまり積極的ニヒリズムの性格をもっている。

田村 こちらの立場を擁護して、西洋哲学の弁証法を批判すれば、むこうの弁証法には解決ということがないのですね。永久に対立的展開をするばかりで解決がない。そこがこちらでは解決されている。そう簡単にはいえないかもしれませんけれども、論理的には解決というものが存在しているといえなくはない。しかし、天台の論理には生成がないということはたしかにいえると私は思いますね。

梅原 ただし、西洋の弁証法が絶対に正しい、それにたいしてこちらはそれがないからだめだとはいえない。仏教は仏教で、また生成概念が出てくるのではないですか。鎌倉時代の日本仏教思想には、時間性と歴史性を強調しているでしよう。だから弁証法だけが歴史の見方だとはいえないと思うのですよ。

田村 たしかに、鎌倉時代になると、生成の概念が出てきます。私もそうだと思うのですが、それでは、一体何を材料として生成概念が出てきたかということですね。鎌倉時代の祖師たちが、当時の変転きわまりない歴史的現実というものに対する個的体験、内的体験を通して生成の観念を身につけたのか、あるいはそういう観念を身につけさせるなにか材料があったたのか。ともあれ、私はそこに華厳がよびだされると思います。もともと日本では、伝教大師最澄の時から華厳が入ってますね。ですから、最澄の世界観というのは華厳だと思うのです。空海もそうですね。『十住心論』を華厳から編み出しましたね。最後は真言にいきましたけれども、その根本の論理的なはこびは華厳哲学ですよ。最澄の場合は、非常に華厳的だけれども、形態的な統一仏教の必要を感じ、そこで法華に目を移した。そこで日本の天台も初から非常に華厳的です。その華厳には、天台思想に欠けている生成の観念がある。

梅原 私は華厳をよく読んでいないのですが、『法華経』だと多の一といっても、多が非常に強調されて、そのうちに多が一となり、多が統制的にまとめられているような気がするのです。ところが、華厳だと一が最初にあって、一からすべてが出てくる。いわばプロチノス的な発出論的な論理がある。だから、たとえ時間が、生成が強調されていたにしても、全部が一から発するような発出の時間ではないか。しかし、その最初から永遠の一があるという立場でほんとうの時間が考えられるのか。

田村 自己展開ということですね。結果的には、私もそうだと思います。天台と華厳をくらべた場合、どちらから生成の観念が出てくるかということになると、華厳のほうに可能性がある。しかし結果的には、いわゆる歴史的形成という意味での生成の観念はついに出ないでしまったと思います。

梅原 ただ私は、日本の古代仏教の場合、歴史とか時間性というか、瞬間に生きている人間の個体性というものが、よわかったような気がしますけどね。

田村 私は、中国においても、天台も華厳も禅をもふくめて、総括的にそれはよわかったと思います。インドにくらべて、中国では非常に現実が重視されていますが、いわゆる個的対立とか、生成をおこすような現実の直視はないような気がします。

天台本覚思想の起源

梅原 もう一つ、田村さんに教えられて、これから少し勉強したいと思ったのは、いわゆる本覚思想ですね。いままでも口ではいろいろにいわれても、本覚思想というものが、日本天台独自の思想であり、同時にあの鎌倉仏教の母胎になっているということ、つまり天台思想からすぐ鎌倉仏教が出てくるのではなくて、天台の中で本覚思想が熟してきて、そこからいろんなものが生まれてくるわけでしょ。その本覚思想の重要性が、これまでほとんど考えられたことがなかった。日蓮を読んでいても、やはり本覚思想の影響をぬきにしては考えられない。本覚思想は良源(慈恵大師。912〜985)に始まる。良源から檀那流と恵心流が分かれて、どっちかというと恵心流のほうが主流ですね。源信(恵心)あたりから始まるわけですね。法然にしても道元にしても、そういう本覚思想の影響をうけている。そうすると天台本覚思想というのは、日本独自の思想で、その中から、しかもその枠を破って、鎌倉仏教が出てくるわけですね。この本覚思想とはどういうものなのか。ここに日本天台を解くカギがありそうに思うのですがね。

田村 そうですね。天台本覚思想というのは、これまであまり注目されなかった。最近歴史学者などが本覚思想に注目しはじめましたね。日本の中世文学にしても、芸術にしても、本覚思想をぬきにしては考えられないというようにいわれてきています。鎌倉新仏教の祖師たちも、結局はこの本覚思想から生まれたわけですから、本覚思想を否定するにしろ、肯定するにしろ、無視できないものとして、当時の思想界の背景に存在したということですね。

梅原 本覚思想がどうしてできたのかを考えてみたいと思います。

最澄の場合は、ほぼ智の直輸入だといってもいい。それが円珍・円仁になると密教の影響が強くなってくるわけでしょ。そこで密教と天台思想をどう総合するかが理論的な課題となるように思うのです。ところがさきほどいわれた華厳がありますよね。密教と華厳、それに『大乗起信論』あたりの如来蔵思想の影響があります。それらがどう結合されて日本独自の本覚思想になったかということですね。

田村 天台智頻は『大乗起信論』を全然引用していないのですね。『小止観』に一ケ所引用されていますが、その部分でさえ、あとから挿入されたものだといわれます。

梅原 最澄には『起信論』がとり入れられていますか。

田村 最澄には入っています。中国で華厳哲学が起こり、『起信論』を活用するわけですが、唐代になって、天台6祖の妙楽大師湛然(711〜782)と華厳4祖の清涼大師澄観(738〜839)の間に論争が展開されたとき、それぞれの立場に立ちながら、相手の理論を自家薬籠中のものにして論争しました。だから『起信論』のいわゆる真如随縁の説や、華厳の生成の観念を湛然は自己にとり入れた。したがって以後の天台には『起信論』の思想が入ってくるわけです。最澄は湛然の弟子の道邃・行満から教えを受けたので、当然『起信論』は入っていました。最澄自身、天台法華を学ぶ前に、行表から華厳や『起信論』の書物を教えられ、すでに研究ずみなのです。

そもそも天台本覚思想の本覚ということばは、『起信論』にあるもので、内容的にいえば、最澄においても、すでに天台本覚思想はあったといっていいのかもしれません。はっきりと具体的にあらわれてくるのは慈恵大師良源あたりからですね。円珍・円仁では密教が大幅にとり入れられ、天台は密教化するわけですけれども、良源が出て、ふたたび天台法華の正統にもどします。しかしそれは形態の上でもどしたのですから、思想内容としては、それまでのものを継承、推進していくのですね。いわばあらためて法華の器に盛るわけです。

梅原 それはおもしろいですね。

田村 法華の器に盛ることによって、天台本覚思想というものが熟してきたといえますね。

梅原 そこで永遠性が強調されるわけですね。

天台本覚思想の本質

田村 天台本覚思想を時間論でいえば、「永遠の今」説です。西洋哲学でいわゆる「永遠の今」、私は「絶対瞬間の永遠」というのですがね。要するに時間的にしろ、空間的にしろ、人間の思考の限界を、最後の一線で突破した彼方に展開される世界を理論づけたものです。カテゴリーエンすれば、絶対的一元論ですね。絶対的一元の世界を哲学的に理論づけたものです。原理的には、古くから仏教にはそういう考え方はあります。空観を基調としてあったわけですけれども、本覚思想はそれをつきつめていって理論化した。だから島地大等さんなども、天台本覚思想は、仏教哲学としては究極のものだといわれたわけです。天台法華・華厳・起信論・密教・禅といった当時の代表的な大乗仏教思想が、日本には総決算のかたちで入ってきた。それを受けとめて、総合し、一つの哲学に体系づけたのが天台本覚思想です。

梅原 もう少し整理しますと、良源に始まって…。

田村 良源で具体化し表面にあらわれて…。

梅原 完成者はだれですか?

田村 それはわかりません。完成というより、一応の整合は平安末期ですね。いちばん深奥の真理というわけですから、書物には書かず口伝方式をとりました。密教にあった方式ですけれども、天台本覚思想もそれをもっぱら採用しました。ほかに切紙相承という方式もあります。小さな紙きれに秘伝を書くのです。おもしろいことに、中世の日本の文芸はみんなこの方法なのですね。

梅原 たとえば何がありますか。

田村 世阿弥の『花伝書』がそうでしょ。生け花でも、茶道でも、すべてそういう口伝方式がとられています。

梅原 文底秘沈の法則。(笑)

田村 現在にいたる日本の文化・芸能というのは、南北朝から室町にかけてできあがったものだと思ますが、たとえば池坊の第12代にあたる専慶(1460年代)に「古今遠近を立つる」という口伝があります。生け花の極意をいったものとされますね。『花伝書』も、もともと口伝で、一般には公開されなかったといわれますね。こういう口伝形式は、天台本覚思想からきていると思うのです。

梅原 だれが完成者がわからない。大乗仏教と同じ…。(笑)

田村 天台本覚思想は、最初はそういうふうに口伝や切紙相承で伝えられましたが、平安末期になって、それらを総括して一冊の本に編集しようとする運動が起こってきた。

梅原 なんという本ですか。

田村 最古のものでは、『本理大綱集』とか『円多羅義集』です。後者は日蓮が写しておりますね。

それから源平合戦の時代に、その争乱をよそに叡山の奥深く住み、ひたすら真理を探求した宝地房証真が、『円多羅義集』にふれています。それは、証真が天台三大部を注釈した『法華三大部私記』の中に見えます。ただし証真は、正統派というか保守派というか、本覚思想にたいしては批判的な立場に立ちました。

ふつう一冊の書物にしたときには著者名を入れますねえ。しかし本来口伝だったものはだれが著者だといえないわけですよ。そこでどうしたのかというと、前者は伝教大師最澄作、後者は円珍作とか恵心僧都源信作としたわけです(笑)。そのために現代の私たちを大いに悩ませました。(笑)

梅原 日本でも大乗仏典と同じことが起こったわけだ(笑)。それに関連して、以前出たテレビで話に出たことなのですが、平安末期というのは、芸術の分野でも日本の美の最高点を示すものが出ているということなのです。歌でも文学物語でも絵画でも、平安末期というのは恐るべき時代ですね。そこでいまの天台本覚思想という醍醐味ですね。醍醐昧というのはたいへん甘いものですが、同時に腐りやすい。(笑)

田村 南北・室町時代になると熟しすぎて頽廃してきますね。梅原さんは爛熟したあたりがおいしいのだといわれるかもしれませんがね。(笑)

梅原 そういう爛熟したものの一つの精髄ですね。瞬間の中に永遠がある。だから生きているわれわれの中に、ほんとうの仏性が宿っているのだ、というのは非常に深いメタフィシックだな。

田村 ですから、たとえば生と死の問題、前にちょっと出ましたけれども、天台本覚思想の立場からすれば、空もまたよし、死もまたよし。つまり生も永遠なる真理の一つの活現態であれば、死もまた永遠なる真理ないしは生命の活現のすがただということで、生死を肯定し、達観しているのです。

梅原 そういう考え方は、鎌倉時代の祖師たちにほとんど共通してありますね。

親驚・道元・日蓮

田村 親鸞にしても、道元にしても、また日蓮にしても、根底には天台本覚思想が流れています。そ

れは現実における実践力を獲得するためだったのですね。つまり、天台本覚思想の絶対的一元論によ

りながら、現実救済ないしは実践の面から、天台本覚思想を出て相対的二元論におりたったというこ

とですね。

梅原 生死の問題というのは、道元でも生と死は離れているのではないとか、日蓮では生死血脈なんていうでしょ。それはやはり、生と死が一体だ。しかも瞬間の中に生死が宿っているということですね。道元や日蓮を読んでみて、同じようなところがあるというのは、やはりこの本覚思想から出ているからなのですね。

田村 道元は「永遠の今」をいいますね。「有時の而今」ということが、それですね。『正法眼蔵』の注釈者として有名な天桂伝尊(1648〜1735)は、「有時の而今」を「久遠即是今日」と注釈した。これは天台本覚思想で盛んにいわれることです。たとえば昨日の日月も波も、今日の日月も波も、明日の日月も波も、すべての日月や波には変わりがないということで、「久遠即是今日」を主張しています。天月と池月でたとえてもいます。

道元が盛んに使う比喩ですね。ふつうは池に映った月の影から空の月に目を向ける。そして空の月こそが真実だという。ところがそうではない。空の月も、池に映った月も、それぞれがともに真実の月だ、と説いております。つまり、池に映っている月は影ではなくて、空の月の一つの活現のすがただ。こういう場所におけるこういう形の月なのだというわけです。そういう場にいかされた月、そこにこそ、月の生きたすがたが存する。だから池の月から空の月に目を移す必要はないといっております。

梅原 道元の中には、華厳的世界の影響が強いように思うのですよ。それがどこからきたのかというと、『臨済録』にも『碧巖録』にもない思想だと思います。そこを天台本覚思想というものを媒介にするとよくわかりますね。「永遠の今」という場合、鎌倉時代の仏教というのは、「今」のほうにウェイトがかかっていますね。

田村 そうなのです。その点が天台本覚思想と同じです。「今」にウェイトをかけ、「今」を絶対肯定しています。

ただ、鎌倉時代の祖師たちは、歴史的現実としての「今」をつかんだわけです。ところが歴史的現実の「今」は相対的なものですから、天台本覚思想の絶対的「今」との二つの間にはさまれて苦悩したわけです。

梅原 その点は共通してますね。

田村 法然は歴史的現実としての「今」は相対的世界であることを強調し、そこにおりてきて救済論理を回復するために浄土教をよりどころとした。ところがあとの親鸞や道元や日蓮たちは、あらためて一つの難問、アポリアにぶつかった。法然における歴史的、相対的な現実としての「今」は、当時の現実相を見つめれば無視できないし、哲理としては、天台本覚思想の絶対的「今」も、深遠なものとして無視できない。そこで思想的に苦悩したのが親驚・道元・日蓮だったと思います。

日蓮の永遠性と時間性

梅原 それは宗教のいちばん大切な問題ではありませんか。永遠の問題と時間の問題はね。考えてみると、現代人の心には、歴史ばかりがあって永遠がない。歴史的な人間には進歩思想しかない。しかし人類ははたしてそれだけでいいのかどうか、たいへん疑問に思うのです。人間というのは、やはり永遠と歴史的時間と、この二つの交錯の中で生きてきたのではないか。ところが現代人には永遠がない。そういう根源的な悩みを親鸞も日蓮も提出しているのですね。日蓮という人は、意識においては非常に天台が強かった。最初は自分でも天台の復興者だと思っている。しかし法然に対立する必要があったわけで、そうなると法然の末法史観をそのまま認めて、末法の時代に流行するのは浄土経典ではなく『法華経』だというわけですね。と同時に、易行、易行というけれども、「南無阿弥陀仏」というのは易行にちがいないが、もっと易行がある。それは「南無妙法蓮華経」だという。あの題目は日蓮の発明でしょうが、そういう易行の論理と末法の論理で法然を否定した。法然を否定するつもりが逆に法然の影響を受けた。そこでいまの永遠という観念から歴史性の観念が強く日蓮に出てきたと思うのです。

田村 それは私も同感です。日蓮における歴史的現実の意識は、当時の時代にたいする感覚、あるいは時代社会にたいする自己体験というか、特に受難というものを契機として出てくるわけですが、思想的には法然の影響が濃厚であるように思いますね。

梅原 相手にしているうちに、いつのまにか法然がはいりこんでしまった。意識においては天台復興者のつもりだったけれども、実は自分の最初の志とは違ってしまった。その違いに気づいたのは佐渡へいってからだと思いますが。

田村 私は、日蓮の生涯を3つに分けられると思うのです。『立正安国論』作成ごろまでの30歳代は、天台本覚思想そのものですね。そこでは世界観は絶対的一元論に立ち、時間的には永遠の「今」を説き、法然の相対的二元論をつくわけです。それがよくあらわれているのは『守護国家論』です。それが、『立正安国論』以後、伊豆流罪などの受難を経験していく40歳代になると、しだいに現実対決的となり、歴史主義的なカテゴリーを立ててくる。伊豆流罪中の著書に見える教・機・時・国・序の五綱判といわれるものがそれです。さらに佐渡流罪以後、身延退隠にいたる50歳になると、現実を改変した仏国土を建設することは未来に託し、みずからは現実を超越した世界にひたっていく。私は、日蓮のこの三段階は、茶道でいわれた守・破・難の概念をあてはめることができるのではないかと思います。すなわち、日蓮の30代が守、40代が破、50代が離にあたるといえるのではないか。ところで『守護国家論』などを見てもわかりますように、はじめは法然における来世浄土や臨終正念の思想を一元論的立場から否定したのに、佐渡から身延時代になると、来世浄土や臨終正念をこんどは積極的に説きだしてくるのですね。そういうところに、法然を否定しながら、法然の影響を受けたといいますか、関係していると思われます。

梅原 私はきわめてアイロニカルな見方で、価値復興者としてあらわれた日蓮が、その意識では、価値撹乱者としての法然を否定した。ところがいつのまにか、自分が新しい価値の創造者になっていたと考えます。だから価値復興者日蓮と、佐渡以降の価値創造者としての日蓮を考えると、もともと天台思想から出てきたのでしょうけれども、日蓮はたいへん独自な天台思想の解釈者、あるいは新しい日蓮思想の創造者になった。

日本文芸思潮とのかかわり

田村 そうですね。日本的なという場合、天台の思想、もっと広げて仏教思想と日本文化の問題ですね。日本の文芸思潮とのかかわりあいといってもいい。その問題は、天台本覚思想を考える場合に是非とも必要だと思いますよ。

梅原 たとえば『源氏物語』がありますね。「匂宮」以下を「宇治十帖」といいますけど、実際は光源氏以後の話は十三帖ですが、そこでの物語は、それ以前の部分とは全く違っているでしょ。浄土教的な考え方が強い。その前の部分は密教的というか、台密みたいな非常にはなやかな世界がある。すばらしい生命が湧きあがっている。ところが「宇治十帖」になると、絶望感、無常感がたちこめてくる。いわば『源氏物語』という作品の中に平安時代の思想史みたいなものがそのままあらわれているかのように感じますね。そこに天台本覚思想をおいてみること、これは少し大胆な仮説になるかもしれませんが、例の「玉鬘」の巻の中に、文芸論みたいなものがありますね。そこで、小説というものは、一種のフィクションだという意味のことをいってます。いいかえると空なるものだ。空なるものだけれども、実は現実の正史、たとえば「六国史」とかよりもむしろ真実をあらわしている、というような理論がある。私はこれは例の空・仮の論理を背景において考えられたもののような気がしてならないのですがね。

田村 私もそう思いますね。よくいわれることに、日本文化には思想、ないしは哲学がないといわれるでしょ。なるほど分析的な理論展開はないかもしれませんけど、しかし別な意味での理論はあると思うのですよ。中世の世阿弥の『花伝書』ですね。あれはすぐれた芸術理論ですね。

ですから、日本の文化、あるいは芸術に一つの理論構成がなされた。そういう理論構成のもとになったものは、仏教ではなかったか。すでに『源氏物語』がそうなのですね。次にこれを仏教のほうからいえば、日本の仏教というものは、ただ仏教だけで考えでいいものかどうか。天台本覚思想一つをとりあげても、やはり日本の文化ないしは日本の文芸思潮、そういうものとの関連において考えなければならないものだと思います。反対に、日本の文化なり、文芸思潮のほうから見る場合も、仏教との関係において見なければならないのではないか。『源氏物語』についていえば、本居宣長は仏教的なものをきらって、仏教の入らなかった日本がいちばん正しいのだとして、仏教の影響を『源氏物語』からとりのぞこうとしましたね。

梅原 私は『地獄の思想』でそのことをいったのです。するとある先生がそんなことはない、宣長は仏教が大好きだったのだ、彼はやはり仏教なのだといわれる。『源氏物語玉小櫛』で考えた場合、彼は仏教が好きかどうかはともかく、やはり仏教と『源氏物語』との関係をまじめに考えていなかったと思うのですよ。だけど私は、宣長自身引用しているのが、例の文学論「玉鬘」のその部分でしょ。それは空・仮・中の論理ですね。それを考えずにはあそこを理解できるだろうか、ということになると、やはり決定的なところで宣長は誤っていると思います。宣長の仕事というのは、ある意味でルネツサンス運動ですから、中世をきらった。中世をきらったから仏教をきらった。島崎藤村が、父親が平田篤胤の弟子で、気狂いになってしまった青山半蔵をモデルとして『夜明け前』を書いた。そこで晩年の藤村は、中世というものを見直さなければならないのではないか、といっているわけですよ。やはり宣長・篤胤の線は、故意に仏教との関係を見ようとしなかった。その線が日本の文化史の見方を定めている。そこの面を改めないと、そういう問題意識というものは出てこない。

田村 たとえば中世の歌論についてですが、藤原俊成や定家の歌論書の中に天台の『摩訶止観』などを引き、それに基づいて歌というものは詠まれなければならないといっておりますね。ですから、歌論における幽玄の理論などは、天台法華思想や本覚思想との関係から見直される必要があると思うのですが。

梅原 宣長みたいに仏教と文学の関係を切ってしまうことは、文学をやる人に思想の問題をまじめに考えさせないことになる。思想といえばすべてマルクス主義になってしまう。日本の文学者が思想と文学というときは、マルクス主義と文学という意味ですよ。それはとんでもない話で…。

田村 それ以外は思想ではないというのは困ったものですよ。

日本文化の本質

梅原 『源氏物語』というのは、その後の文学にないような大文学だと思うのです。そういうすばらしい文学がなせてきたか。やはりそういうものは思想の影響なしにできるものではない。その思想は仏教だ。それをもう一度認識しなおさないと、今後の日本にはそういう思想的な小説が生まれえないと思うのですよ。だから日本の文学を思想から見直すことは、今後の日本文学を考える上でも、非常に大切なことだと思うのですよ。ですからいまの和歌のことでも、定家は『摩訶止観』が非常に好きですね。俊成にしても天台止観的ですよね。ですから中世の歌論と天台止観とのつながりを当然考えていいわけですよ。これまでそれはほとんど問題にされなかったですね。

田村 私は宣長の「もののあはれ」論というのは肯定したいのです。ただそれを仏教と切りはなすところに問題がある。

梅原 私もそう思います。

田村 仏教を吸収しつつ、それを日本的に消化し、再生産したのが「もののあはれ」というかたちになった。「もののあはれ」という観念が仏教との関係なくして出てきたのだとする解釈はまちがいだと思います。問題は天台法華にしても、ほかの仏教思想にしても、日本の文化の中に吸収されていって、どういうかたちで再生産されたか、ということではないかと思うのですがね。

梅原 宣長の気持もわからなくはないのです。特に道徳と文学との分け方で、文学的価値と道徳的価値というのは違うのだということがいいたかった。道徳的価値というのは主として儒教の考え方だと思うのです。儒教の勧善懲悪というのは文学の理念ではない。文学というのは別の独自の価値をもっているという考え方なのですね。文学の価値というのは欲望的人間をありのままに書くのだ、という考えなのですね。坊さんが恋歌をつくる。それはよいことではない。人間一皮めくってしまえば色と欲だ。これは私にもよくわかる。(笑)

田村 天台本覚思想でも、南北・室町時代になって、爛熟してきますと、煩悩のふるまいを、そのまま積極的に肯定してきますね。それも真理の活現のすがたとして、真理からはずれたものではない、ということです。すべては仏のふるまいであり、仏からもれるものはないというわけです。ただとらわれたものはいけないというのです。とらわれないで人を殺すならいいというのですよ。だから女性の問題も……。(笑)

梅原 『太平記』というのはそうでしょ。あれは不思議な世界だと思うのです。それから世阿弥。あれは悪の世界ですよ。最後になんとかワキがシテを救うでしょう。やっと最後に救われる。本覚思想というのは能までいくのではないですか。

田村 本覚思想の中で考えうる問題かもしれませんね。一方で天台本覚思想も、南北・室町の日本文化の傾向から考えるべきかもしれませんね。女性の問題にしても、とにかくとらわれなきゃ、浮気してもいいっていうのですよ。女性と交わっても、とらわれるから三角関係だとかなんだとか、悲劇がおこるわけですよ。

梅原 それは便利な話だな(笑)。女房をとりかえるとかいう話もあった。これは聞き捨てならないですよ。(笑)

田村 いや、ほんとです。だから仏が浮気し、仏が悪をするならいいとするのですよ。とらわれるから、そこに悲劇が起こるということで、とらわれないで、サッパリすれば…-・。どうですかこの考えは。

梅原 必ずしも肯定しないけれども(笑)、しかし、一休なんかもそういう考え方らしいですね。

田村 時宗の一遍などにも、天台本覚思想のことばがしきりに出てきます。『一遍上人語録』に、それが見えています。一遍の始めた「踊り念仏」は、室町時代に「念仏踊り」の庶民芸能となって発展していくものですね。そういうことで、一遍と天台本覚思想と室町文化は、きわめて関係ふかいといえましょう。

ところでおもしろいことに、親鸞は女房を持つことを肯定したのに、一遍はむしろ否定したのですね。『一遍上人語録』に、妻子を持つ在家者は上根のものであって、下根の者は、すべてを捨てて出家者たるべきである、という逆説的なことが説かれているのです。ちょっと考えると、天台本覚思想の影響を濃厚に受けながら、それと反対のことをいっているような感じがするのですが、実はそうじゃかい。妻子など固定したものを持つと、とらわれがおきてだめだということなのです。

天台本覚思想は、とらわれるな、固定観念をいだくなということを強調し、ひょうひょう自在に人生を享楽することをすすめたのですね。そのはてに、とらわれなく、広く女を愛せよ、欲望に自然に身をまかすべし、悪をなすもまたよし、と説くにいたったのです。ここまでくるとあぶない。ですから、もとは一般には公開せず、秘密・口伝としたわけです。しかし南北・室町時代になると、おおっぴらに公開した。結果は、天台思想自身の頽廃をまねく。玄旨帰命壇が、その典型的あらわれです。

梅原 悪の肯定ですね。それは私も『太平記』を読んで感じましたよ。これは『平家物語』とは違う。結城なにがしという憎悪のかたまりのような人間が出てくるでしょ。世阿弥の保護者であった佐々木とか、こういうなんともいえない悪いやつが出てくる。しかし悪いやつを悪いとはいっていない。そこが『太平記』と『平家物語』の違いだと思うのですね。いまの田村さんのお話でよくわかる気がします。世阿弥の能は、シテがまず悪ですよ。善はシテではないし、けっして救われない。すベてが悪い煩悩です。それが最後にワキの祈禱によって救われる。最後は即身成仏みたいになるわけですね。それを天台本覚思想で考えると、たいへんおもしろいですね。なにか日本文化の秘密を、新しい視点から見るような気がする。

田村 特異な日本文化の秘密を解くカギは案外天台本覚思想にあるのかもしれませんね。

梅原 これはいままで未知の分野だったわけですよね。これはおもしろかった。

(『仏教の思想5 絶対の真理(天台)』1970年1月角川書店刊)
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/books/tamura&umehara.htm



48. 2017年5月06日 23:07:58 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[88]

>投稿者 お天道様はお見通し 日時 2017 年 4 月 20 日
>意識すればそこに量子が偏在する・・・
>意識するということはエネルギー現象
>エネルギーと物質は一如である

如の文字は仏教経典から派生した言葉で一般には如く、如うのようにありのままの意味です。
仏教では三つの意味に区別して解釈され、二つ両者を対象して相似ているという意味が一つ。
次は実相のあり様をいう時に用いてありのままとか、そのままという認識のことを意味する。
三つめが本来の姿、本質の意味に用いて真実不虚であること、永遠の真理の事象などを指す。

人間の意識というものを歴史に訪ねて宗教史を辿れば紀元前数千年は歴史を遡ることになる。
この歴史探訪にも仏教史が確かな視点だ。仏教惑乱と正法の関係が歴史に刻まれているから。
ですから法華経を誹謗した宗派乱立を知ることが歴史の真実に到達する唯一正しい方法です。

インドに仏教が起こる前は婆羅門を最上位とするバラモン教など身分制度が厳格な国でした。
ベーダ聖典を根本にしてバラモン階級中心の国は仏教が興隆するとヒンズー教に吸収された。
現在インドは法華経を失った因果により仏教は一%ほどまで衰退してヒンズー教が九十数%
人が身分制度や慣習に支配され復習や名誉死を思想的に決める国の国民が幸せなのか疑問だ。

仏教が起こる前に外道思想なる概念が存在してなかった真実を確認しておくべきなんだろう。
外道とはインドにおいて仏教者が仏教以外の教門ならびに信仰者を総称して用いた言葉です。
釈尊在世当時の六師外道、九十五種の外道などが有名である。外道は三種に分類されている。

九十五種の外道とは仏法外の外道のことでバラモン教などが代表例で神々も人生色々だろう。
オーム真理教の本尊がシバ神とかテロ事件で有名になったが外道の神を信仰するのは愚かだ。
量子論の世界でも素粒子の研究学者がシバ神の踊りを狂ったように舞うとか甚だ物怪である。

次なるは附仏法成の外道といって本来は外道であるが仏法の教義を盗み自義に混入した宗派。
釈尊の一番弟子の教義を盗んだ外道が破仏法の教義を打ち立て仏教を壊滅させた歴史もある。
また小乗教に依り開宗した宗派は悉く仏道に迷いを生じ仏種を断絶して内にあって身を喰む。

三つめは学仏法の外道といい、本来は外道でありながら大乗仏教の教義を盗み自義と混ぜる。
一般的に外道を邪説とか邪義の意味に用いたり他人を誹謗中傷する言葉として使われている。

宗教が人間の意識に最も強い影響を及ぼす存在なのは確かです。人は思想で戦争も辞さない。
戦争を望まなくても気づいたら戦争に巻き込まれたは現実的でも人の意識が狂えばあり得る。

一方で仏教は外典と外道を区別しインドのバラモンを外道、中国の儒家や道家を外典とする。
時おり道徳教育の必要性が叫ばれたりしますが儒教と道教は外典の三千余巻とされています。
外典の三千余巻には他事なし、ただ父母の孝養ばかりなり現世を養いて後生を助けずの通り。

仏教の真実を正しく理解するのがどれだけ難しいか人間の信じる意識の持ちかた次第ですよ。

それほど不殺生戒を宗義の一つとする仏教は人の意識次第では実に脆いが仏教が救世教です。



49. 中川隆[-7697] koaQ7Jey 2017年5月10日 13:58:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>48
アホに真実を教えてやるよ:


本当の釈迦の言葉を含んでいる経典は以下の三つだけ、それも弟子によって大幅に改竄・捏造されている:

ダンマパダ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/737.html

スッタニパータ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/736.html

ブッダ最後の旅
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/738.html


対機説法の目的


スッタニパータ 第二章 小なるもの 第一経 宝

227  正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。

これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html


ここで布施を受けるのは、貧しい人々ではなく、バラモンの生活法に則って、家住期を終え、家庭を離れて遍歴修行する遊行者、あるいは祭祀を行うバラモンのことである。
 
ゴータマとその弟子たちもまた、住居と生業をもたない遍歴の修行者であった。 かれらも生存していくためにやはり在家から食を乞わねばならない。 

 そのとき、布施の功徳を問われれば、先のマーガとの問答にあるように、祭祀さえも認めることがあったのだろう。 後の経典は、動物供犠を除けば邪盛会でさえ、肯定されているのである
http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/com/comp5.html


要するに上記227節の意味は、

釈迦の弟子は特別な存在だから、もっと金を出せ

という事ですね。そしてこれこそが仏教における釈迦崇拝の背景でしょう。


スッタニパータを書いた目的も

善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。

というのを一般の人に納得させる事なんですね.

要するに,我々偉大なる釈迦の弟子にもっと金を出せ という事です.

輪廻転生や死後の世界を素朴に信じている無知蒙昧な一般人に大金を出させるには,釈迦の弟子が特別な選ばれた人間であると思わせなければならないですからね.

ブッダというのは目覚めた者という意味で単なる人間にしか過ぎない。

さらに、部派仏教の段階で釈迦の教えは既に大幅に修正されていたので、釈迦の言説は100年後には既に真理だとは思われていなかったですからね。

悟った人間は阿羅漢と言われて、本来はその全員が釈迦と同格ですね。釈迦から阿羅漢に認定された弟子は当時、何千人も居たので、釈迦が特別な人間という訳ではないのです。


釈迦が何故神格化されたかと言うと、無知蒙昧な一般人にお布施を出させるには,釈迦が神で、その弟子も特別な選ばれた人間であると思わせなければならないからでしょう。

坊さんも水を飲んで霞を食べて生きている訳じゃないですからね.

ハッタリも方便

要するに、僧侶にとって宗教は,職業として生活の為にやっているものなので,釈迦の本当の教えなんかどうでもいいという事なんでしょうね.

釈迦の悟りというのは、輪廻転生とか霊界・死後の世界と言われているものが、実際には人間の無意識の中で生起している現象に過ぎないという事に気付いた事なのです。神や悪魔というのも人間の心の中にしか存在しない、そういう事がわかったという事です。

俗に死後の世界とか霊界とか言われているのは心理学の言葉で言えば無意識の事です。人間が死ねば脳が溶けて、意識も無意識も一緒に消えてしまいます。従って、極楽も地獄も人間の死と共に消えてなくなるのですね。

輪廻転生というのも生きている人間の脳内で生じる virtual な経験なんです。そして、その事に気付いたのが釈迦の悟りですね。

ウパニシャッドにおいては、ブラフマン・アートマンが実在する事が真実だったんですね。アートマンというのは人間の魂なので、魂が実在すれば、肉体が滅びてもまた生まれ変わってくるという輪廻の考え方になってしまうのですね。

しかし、輪廻は当時のカースト制を維持する為に悪用されていた考え方なんです。

低いカーストの人間は前世で悪行をした報いだから、上のカーストの人には逆らわず、文句を言わず、がまんして苦しい労働に耐え、来世で高いカーストに生まれ変わる様に努力しなさいという上の人間に都合のいい考え方を押し付けていたのですね。

しかし、釈迦はカーストというのはアーリア人がドラビダ人を征服したから生じたもので、人間の価値とは関係ないとわかっていたんです。

それでカースト制を支えている輪廻転生、アートマンの存在を否定する考え方を探し求めたんです。

そしてその答えとして


アートマンは存在しない(無我説)

生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。

そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。


を思いついたのです。

釈迦の悟りというのはこの無我説を実際の瞑想体験で確認するという事ですね。

神や悪魔や地獄の様な悩みの元になるものは普遍的無意識の浅い層にあるもので、そこからさらに深い所まで下りて行けば普遍的無意識の深い層(涅槃・空の世界)が広がっている。

従って、魂や死後の世界というのは幻影で、涅槃の世界からすべてを見る事ができる様になれば、苦しみもなくなるというのが釈迦の教えです。


ブッダというのは目覚めたる人間という意味ですが、目覚めるというのは魂や死後の世界というのが幻影だと悟るという意味なのですね。


仏教史を整理すると


@ 釈迦は輪廻転生や死後の世界が深層心理に基づく virtual なものだというのに気付いた。


A しかし、当時の人は魂の存在、輪廻転生や死後の世界を信じていたから、真理をそのまま教えたらパトロンの王侯貴族からお布施が貰えなくなる。


B それで、対機説法というのを考えて、魂の存在、輪廻転生や死後の世界を信じている一般人には真理を伝えないで誤魔化す事にした。


C 釈迦の弟子もお布施が貰えなくなると困るから、釈迦の対機説法を釈迦の教えとして仏典をまとめた。 スッタニパータで釈迦が否定した筈の天界や輪廻転生が語られるのにはそういう事情があった。


D 部派仏教で人間の心の深層の研究が進むにつれ、ブラフマン・アートマンが実在する事が確認され、釈迦の無我論をそのままの形で継承するのが不可能となった。


E 大乗仏教になると、釈迦の対機説法を当時の一般民衆に人気のあったヒンドゥー教に置き変えて、宗教ビジネスとして完成させた。 大乗仏教の空というのは本質的にはブラフマン・アートマンと同じものを指している。 その結果、大乗仏教での悟りも釈迦の悟りではなく、バラモン教・ヒンドゥー教の悟り、即ち梵我一如と輪廻転生からの解脱と本質的には変わらなくなってしまった。


F 日本に渡来した大乗仏教ではさらに、仏教の外見だけ残して中身を完全に自然神道に置き変えて、それまで村の古老がやっていた儀式を殆ど引き継いだ。 日本のお坊さんが本来の仏教では絶対にやらない筈の葬式やお盆で稼いでいるのはこういう事情なのです。


纏めると

インド仏教は外観だけ釈迦の教えに見せ掛けているが、中身はバラモン教・ヒンドゥー教に置き換えた。

中国仏教は外観だけインド仏教に見せ掛けているが、中身は道教に置き換えた。

日本仏教は外観だけ中国仏教に見せ掛けているが、中身は自然神道に置き換えた。


50. 2017年5月10日 19:09:20 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[102]

精神異常者の馬鹿中川隆は阿修羅に真実など無かった事実を知らない。

そもそも中川隆の膨大なコメントのほどんどは出鱈目というのが真実だ。

禅宗の信者と自負する中川は本尊が阿弥陀如らいである事実を知らない。

馬鹿中川隆よ、返レスして晩節を汚すなバーカ!!



51. 中川隆[-7691] koaQ7Jey 2017年5月10日 22:20:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

大乗仏教は釈尊の仏教の精神と正反対のインチキ宗教  大橋 幹夫

1. 仏教との出会い

仏教というと日本ではまず印度を連想するようで,日本からの印度ツァーには,必ずと言ってよいほど釈尊の仏跡巡りが入っている。確かに仏教の起源は印度だが,印度の仏教徒は,現実では1%に満たないマイナーな宗教である。大多数の印度人は,紀元前15世紀にアーリア民族がもたらしたバラモン教の流れを汲んでいるヒンズー教徒である。

3500年の印度思想史からみても釈尊の仏教は,紀元前6世紀からせいぜい600〜700年間にすぎず,しかもその期間においてもバラモン教とは併存していたと言われている。その仏教が消滅した後,印度では,バラモン教が変容した形でヒンズー教として復活し,中国や日本では,釈尊の仏教の精神とは正反対の大乗仏教として復活したわけである。

それはそれとして,私の仏教との出会いは,同時に多くのお坊さんとの出会いでもあった。周知のごとく日本の寺の住職の仕事の大部分は,檀家で亡くなった家族の葬式や何回忌などの法事とか,お正月や節分などに行う季節の行事に占められている。内容的には,死者に対する儀式と現世利益のための祈祷ということになる。しかしよく考えてみると,そもそも釈尊は,弟子に対して葬式などの俗事は僧侶の仕事ではないと言っており,実際,釈尊の葬式は在家の信者が取り行い,出家した弟子は誰も携わっていなかったと言われている。また現世利益は苦の原因である煩悩として当然否定されるものであった。そのように考えると,現在,日本の寺の住職のやっているほとんどの仕事は,釈尊が禁じていたことで,むしろ現世的祭祀宗教であるバラモン教の僧侶がやってきたことに近いと思う。現状の日本の仏教教団をみる限り,釈尊の考えたと思われる仏教の本質がまったく変わってしまったと言えるのではないだろうか。


2. 仏教と仏教徒

多くの日本人は,外国で申請書類の宗教欄に自分の宗教を記入する時,ブディストと書くそうである。確かに無宗教とすると,かえって特殊なイデオロギーの持ち主とみられると思っているので,ブディストが無難だと思ってそうする人もいるかもしれない。しかしそうした人を含めて,仏教徒を名乗る人で,たとえ経典は知らなくても,釈尊が「悟り」をひらいて仏陀(覚者)になったことに疑問を感じる人は少ないのではないかと思う。これは,イエスの「キリスト復活の奇跡」を当然のことと信じているキリスト教徒の場合と同じである。

キリストの復活については,新約聖書の解釈を中心にして1000年以上にわたり神学者の中で論議し尽くされてきた。しかし不思議なことに仏教では,経典解釈の研究には膨大な時間が費やされたが,仏教の原点である仏陀の悟りについては,言語では表せないものとして,またそれをいいことにして,あまり論議されてこなかったように思う。もっとも,これが悟りだと言われるいくつかの仏教語はあるが,多少でも仏教を勉強してきた私の場合でも,これだけから悟りを理解することは到底できないのである。ここでいわゆる「悟り」の内容として通説になっている仏教語を拾ってみると,次のような言葉がある。思いつくままに「四諦」「縁起」「三智」「中道」「八正道」などがあり,またこれに関連して仏陀に説法を勧めた「梵天勧請」というキーワードも見逃せない。これらの言葉の相互のポジショニングを確認しながら,釈尊の「悟り」の内容に幾らかでもアプローチし,イメージできたらと思う。

「悟り」をひらいた仏陀は,菩提樹の下で35日間,苦から解放された安らいだ境地を味わっていたと言われている。しかしその内容をいっさい人に説法しようとはしなかった。それを知ったバラモン教の最高神の梵天は,仏陀の許に来て再三にわたって,悟りの教えを説法して人々を救ってほしいと頼んだという。なぜバラモンの最高神が釈尊に頭を下げたのかよく分からないが,これが有名な「梵天勧請」である。これに対して仏陀になった釈尊は,自分が体験した「悟り」の内容は言葉で言い表すことはできないこと,たとえ伝えることができたとしても,アーラヤ(渇愛)を好む人々は,それには従わないだろうと言って梵天の頼みを断ったと言われている。

仏陀の立場から言えば,「悟り」の体験は無意識の中の神秘的体験であるので,日常的世界の言語では表現できないのは当たり前のことである。とすれば当時世俗宗教であったバラモン教の梵天が,このことが分らなかったのも致し方がないことだと言える。しかし最後には,仏陀は折れて説法(初転法輪)を始めるが,言葉にできないイメージを言葉でしゃべるには,間接的な譬え話しかないわけである。それがいろいろな解釈を生み,各種経典や各宗派が生まれ,混乱の原因となったが,逆にこの曖昧さと寛容さが,大乗仏教という世界宗教が誕生するエネルギーになったとも考えられるのである。


3.「悟り」へのアプローチ

キリスト教やユダヤ教におけるモーゼ,あるいはイスラム教のマホメットのような預言者は,普通の人間が神の啓示を受けることによって特別な選ばれた人になったわけである。心理学的に言えば,普通の人間が偶然か必然かは別として,ある普遍的な存在に触れ,それに神秘的一体感を伴う情動体験をして,カミ的存在になったと考えられる。人間の釈尊が,菩提樹の下で成道して,カミ的存在である仏陀になるには,そこには当然,一神教の預言者がそうであったように,一種の神秘的融即体験があったものと考えられる。そうだとすれば,その神秘体験の内容にこそ仏陀の「悟り」を解く鍵があるのではないか。そのように考えると,数々の悟りを説明するキーワードの中で,釈尊が菩提樹の下で,三日三晩にわたる瞑想の中で体感した3つの智恵,つまりその「三智」こそが,それを解く鍵ではないかと考えられる。「三智」の内容は,第一夜は『億宿命智』,二夜目が『衆生生死智』,そして最後の三夜目には『漏尽智』を覚ったと言われている。そして釈尊は成道して仏陀になったのである。

さて,「三智」の中でも中心になると思われるのが,第一夜で観た『億宿命智』と言われる智恵のイメージである。そのイメージとは,釈尊がその一夜で(1)人類(一切衆生)の無始から現在までの歴史のすべての現象を観たことと,(2)釈尊自身の過去世,すなわち過去の輪廻の連鎖のいっさいを観たことだと言われている。(1)については,心理学的に言えば,世界に共通して存在する神話的世界を垣間見ることであり,いわゆる普遍的無意識の意識化に相当すると思われる。仏教が後に変容して,普遍的性格をもつ世界宗教になる因となるイメージとも考えてよい。そして(2)については,釈尊が前世で輪廻転生し,いろいろな姿で世の人のために行をしてきた物語(ジャータカ物語)である。腹の空いた虎に身を投げて与えるという有名な「捨身飼虎」の話も利他行の1つの例として語られている。釈尊が仏陀になる前の,この前世での利他行に目を向けたのが大乗仏教だと言われているので,(2)についても(1)と同様に仏教が世界宗教になる因となる重要なイメージであったと言ってもよいのではないかと思う。

第二夜の『衆生生死智』の智恵とは,天眼通とも言われ,人類(一切衆生)の未来ならびに自身の死後をすべて見透したイメージのことを言っている。仏陀の予測には誤りはないとすれば,釈尊の現世否定の自利仏教は,自身の死後,インドでは現世を肯定するヒンズー教に取って替わられ,他の国では新たに現世肯定の大乗仏教に変容して復活することが,すでに仏陀には分かっていたことになる。それゆえに,最初梵天から衆生への説法を頼まれた時,言葉では言い表せないし,伝えられたとしても衆生はそれに従わないだろうと言って断ったものと考えられる。つまり第一夜が神秘的追体験イメージだとすれば,第二夜は神秘的予知体験イメージと言える。


4.「悟り」の内容のイメージ

最後の第三夜に釈尊が覚ったとされる『漏尽智』とは,第一夜の神秘的追体験イメージと第二夜の神秘的予知体験イメージから直観した智恵のことで,これこそが仏陀の「悟り」の内実となるものと考えられる。その内容が,苦諦・集諦・滅諦・道諦の「四諦」,つまり4つの真理だと言われている。(1)苦諦とは人間の世の中はしょせん苦しみであること,(2)集諦とはその苦しみの原因を糺してみると,それは人間の執着するこころ,煩悩からきていること,(3)滅諦は苦しみの根源である煩悩を断ち切ること,(4)道諦は煩悩を断つためには修行しなければならないということである。

それならどんな修行をすればよいか,その実践方法の内容が,「八正道」と「中道」となる。「八正道」は正しく修行を行うための8つの心得,すなわち,正見,正思,正語,正業,正命,正精進,正念,正定のことで,とにかく正しい気持をもって修行しなさいということ。「中道」とは修行する際には,苦行でも楽行でもなく,要するに無理しない自然体でせよということである。なお,「縁起」という言葉は,本来「四諦」の中の苦・集・滅・道の相互因果関係を意味していたが,その後拡大解釈され,世間はすべて相互依存関係にあるという意味に使われ,従ってこの世には独立した実体はなく,無自性,空であるとの考え方の論拠となっている。

以上は,「三智」を仏陀の悟りの中心概念において,「四諦」あるいは「八正道」「中道」「縁起」などのキーワードを補助概念として整理し布置してみたが,ここで最も注目すべき点は,釈尊が「三智」の神秘的体験イメージを,全体として否定的に直観したということである。釈尊は,輪廻転生を重ねながら一所懸命に衆生のために尽くしてきた(利他行)自分の過去の姿を観て,しょせんは苦しいだけで無駄な生き方だったと総括してしまったのである。バラモンであった過去世での自利利他の世俗的生き方を全否定して,自身のこころに納得できる生き方(自利行)を選択したのである。「四諦」では,苦の原因である煩悩の中心は渇愛だとしている。渇愛つまり愛情を人や物への執着として否定的にとらえ,具体的には家族を捨てて出家をすすめ,出家者にはセックス,妻帯を禁じ,いかなる生産活動も俗事として禁じているのである。言ってみれば,こうした観点からすれば,仏陀の仏教(原始仏教)は,現世否定のペシミズムであり,アンチヒューマニズムの宗教と考えざるを得ないのである。


5.「悟り」の解釈の変容

現代の心理学では,一般的に言うと,人間の「こころ」には意識の部分と無意識の部分があり,おのおのがこころの主体としてお互いには補償関係にあるという。つまりこころには表または外の部分と,裏または内の部分があり,2つの相反する部分をうまく統合することを理想的な姿としている。西洋の生(レーベン )の哲学の系譜を辿ってみても,カントの意志と認識,ショーペンハウアーの意志と表象,ニーチェのディオニュソス世界とアポロン世界などの考え方は,お互いが等価値ではないが,片方を切り捨てずに,その統合を見据えた二元論になっている。印度思想でも,大宇宙(ブラフマン)と小宇宙(アートマン)の二元論を前提として,高い価値をもつブラフマンに統合することを,梵我一如と言って理想的な状態と考えている。

そこで,表のロゴスの原理に相当する「悟り」の『こころ』だけで,それと補償関係にある,裏のエロスまたは生(レーベン)の原理に相当する「煩悩」の『こころ』を抑圧し切り捨ててしまったら,かえって人間は心のバランスを失うし,社会は抑圧されたエネルギーを抱えて,不健全な状態になるのではないかと思うのである。もし仮に,仏陀の悟りの自利行を,すべての人間が実践したらどうなるだろうか。現実には出家することにより,残された家族が崩壊し,妻帯しないことにより,子孫がいなくなる。それより前に生産活動をしないため日常生活ができないことになる。

仏陀は,前述の予知体験から当然それを知っていたため,衆生への説法を躊躇したし,自利行による現世否定の自分の仏教が,この国でいつまでも続くとは思っていなかったはずである。その予想どおり,印度においては原始仏教は消滅し,それに替わって人間の欲望を肯定する現世宗教のヒンズー教が,バラモン教の流れとして復活した。また仏教自体は,大きく変わり,自利利他行(菩薩行)で現世を肯定する大乗仏教として日本,中国において,新たな普遍的世界宗教に変容するに至ったと考えられる。原始仏教が,『仏陀の悟り』をそのまま実践しようとしたのに対して,大乗仏教は,仏陀がしょせん無駄だったといっている『悟りに至るまでのプロセス』を実践しようとした追体験宗教と言えるかもしれない。つまり大乗仏教とは,釈尊が仏陀になる前,バラモンの身分で輪廻転生し,菩薩として行ってきた利他行を追体験しようとする宗教と言えるのである。
https://jung2012.jimdo.com/%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3-%E9%81%8E%E5%8E%BB/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%95%E5%B9%B4%E5%BE%8C%E6%9C%9F%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E-%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%A8%E5%AD%A6%E9%9A%9B%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E4%BB%8F%E9%99%80%E3%81%AE%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%86%85%E5%AE%9F-%E3%81%A8%E5%85%83%E5%9E%8B%E4%BD%93%E9%A8%93/


52. 中川隆[-7690] koaQ7Jey 2017年5月10日 22:25:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

悟ったからと言って人間的に成長した訳ではない


悟りの体験を何度も繰り返し得て、生きている間に、それを究極まで徹底できたとしても、その人は「その人のまま」、ごく普通の人間である。

ユング派分析家のウォルター・オダージンク著『瞑想とユング心理学』では、禅が特徴として、純粋意識、というべきセルフのウロボロス元型だけを活性化する。
個人的無意識を無視するために、悟りの体験を持ちながら、幼児的、暴力的な個人的心を持つことさえある。

プロセス指向心理学の創始者アーノルド・ミンデルは『自分さがしの瞑想』において悟りの落とし穴について述べています。

悟りを最終目標として、それに到達すればすべての問題が解決する考えは、東洋の瞑想の誤解であり、そこから、うぬぼれが出てくることがあります。
他人をレベルが低いとか、幼稚とかみなす傾向があるといっています。

オダージンクさんとミンデルさんがいっていることは、まさしくそのとおりではないかと思うのです。

大乗経典においても、悟りの体験者に対して慢心の罪は五逆の罪よりも重いとまでいうほど厳しく戒めています。

その矛先は自身にも、もちろん向けられているでしょうが、主に小乗の阿羅漢たちに向けられているようにも感じられます。
他人のそれには敏感であっても、自身のそれには気づかないことは大いにありうることです。

個人的な心の問題については手付かずのままということになるのではないでしょうか。

幼児的、暴力的な個人的心を持っていないなどとはいえない。また、対人関係の問題についても、葛藤を抱えたままであるでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/jd6j5rlure09f3/e/abddfac859553290baa3a16b86c396b0


53. 中川隆[-7689] koaQ7Jey 2017年5月10日 22:35:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

坊主の半分は頭が逝かれてる


信仰というのは怖いもので、最初正気ではじめたのが信仰がすすむにつれていつしか強信ならず狂信の世界に突入する。やがて拝んでいるうちに祈祷性精神病になる。

教祖が”気違い”の場合その信者は確実に”気違い”になる。”気違い”はウイルスよろしく伝染する。オーム真理経の麻原彰晃、人民寺院のジム・ジョーンズ(1978年11月18日900名以上集団自決)一人一殺の血盟団の井上日召(1886〜1967)いずれも、教祖の狂気が伝染し弟子を殺したのである。

ゲーテの若き「ウエルテルの悩み」という小説が流行した時に多くの若者が主人公よろしく黄色いチョッキを着て自殺したらしいが、是も狂気のあらわれであろう。

真言密教の坊主には頭の狂ったのが圧倒的に多いがその理由は不思議な超能力を身につけるべく行う、求聞持聡明法・日輪観・月輪観・加持祈祷などにある。祈りをかけて祈りを叶えようとすると、祈りが叶えばそれでよいが、もし叶わざる場合には自分が壊れてしまうのだ。

熱心に祈り続けると、あるとき突然にお客様が”おいで”になる、そうすると一人で泣き出す者、飛び跳ねる者、にやにや笑い出す者、もうあっちの世界に飛んでしまったのだ。こっちの世界にそれでも、もどれる者もいるが戻れなくなる者もいる。

禅の修業でも勝手に座禅などやると、現実と空想の区別がつかなくなり、あっちとこっちの世界の間に彷徨うことになる。これを空病という。導師とはこのことを良く知り、現実に引き戻してやるための存在なのだ。現実に戻さないでさらに背中を押してあっちの世界に追いやるのが悪の宗教であり、邪教なのだ
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/53904826.html


54. 中川隆[-7688] koaQ7Jey 2017年5月10日 22:45:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

密教(秘密仏教)の秘密とは何の事か教えてあげる

ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。


これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。

 この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。

その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。

その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。


 ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。


天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。

 この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。


星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。


 上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。


 というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。

 そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。 
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html

父母や先祖の髑髏に漆を塗って祭壇に祀る。

そしてへールカと呼ばれる中央の男性とダーキニーと呼ばれた女性行者が9名とその前で契りを交わし、その和合水を髑髏に塗り付ける。


髑髏の「建立」

髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

続いて,地面に血を用いて曼荼羅を描き中心に指導者がそのパートナーと座し,その周囲に円形に8人の容姿端麗な美女を配置する. 天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と和合を行なう。

中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立する様にする。 中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合し,それを5日間続ける.

そしてその和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねる。 それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香を焚けば死者の姿が煙のなかに現れる。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻る。

このような修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。 さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。


このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。

舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。 顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女のように化粧する。

こうして髑髏が完成したら、それを壇上に祭り、山海の珍味を供え、反魂香を焚き、子、丑、寅の三刻に祭祀を行う。 そして卯の刻になったら、七重の錦の袋に入れる。

こうして、行者はその袋に入った髑髏本尊を、夜は行者が肌で抱いてあたため、昼は壇に据えて山海の珍味を備えて供養する。


これを7年間続けるのである。


 そして、8年目になると、髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現す。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語る。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/tachikawa/dokurohonzon.htm

髑髏の「建立」。

用意した髑髏を加工して組み立てる。 これには大頭、小頭、月輪形の三種類の制作法がある。

大頭とは、髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

つづいてすでに訳知りの容姿端麗な美女と性交し、その和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねるのである。

髑髏を守っているという七魄(人間の魂は三魂七魄からなるとされる)に和合水(三魂の象徴)を三魂七魄の本尊としての準備が整うわけである。

それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香とは、漢の孝武帝が李夫人の死後も恋しくてならず、方士に香を造らせ、それを焚いて夫人の面影を見たという故事にちなむもので、それを焚けば死者の姿が煙のなかに現れるとされる香である。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻るというのである。

このようなず修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。
このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。


曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。

顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女か、童子(美少年)のように化粧する。
その際、表情は貧相にせず、笑みをたたえ、決して怒ったような顔つきにしないことが大切である。
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/shingontatekawa.html

「真言立川流」を始めたのは見蓮と言う人物で、陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師だった。

北斗・北辰妙見信仰に始まる「交合に寄る歓喜行」は、日本の信仰史上に連綿と続いた呪詛巫女の神行であるから、真言宗の僧侶兼陰陽師だった見蓮が創始した八百万の神・陰陽修験と陀羅尼真言密教の習合教義である真言密教立川流に、その奥義が取り入れられていても「自然な流れ」と言える。

この真言立川流、今の時代ではとても理解されないが、当時、素朴な民衆を矛盾無く導く為に、性に対していたずらに禁欲をさせるより、「肯定した上で民意をリードしよう」と言う考え方があった。

真言密教立川流の始祖と言われ、立川流開祖見連に奥義を授けた仁寛僧正は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮に、真言密教の秘伝「歓喜法」を授けた者である。

仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。

仁寛は、鳥羽天皇の暗殺を謀ったとして、捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。言わば、政治犯の流人である。 そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、醍醐三宝院流秘伝の奥義を伝授されたのだ。

現代人の宗教観とは合致しないであろうが、本来、いずれの宗教も「現世利益」が基本である。 つまり他人の事はどうでも良く、祈る者だけに「利を与える」のが元々の教義だった。 本来、信者の本音で言えば「現世利益」が無い信仰など魅力がある訳が無い。

近・現代に於いて「教えが改善された」と言えばその通りだが、元々の信仰はそんなに立派なものではなく、自分の「利」の為に祈るもので、呪詛的には「相手を呪い殺す願い」をも受け入れる事が「信仰(宗教)の実態」と言って良かったのである。 この辺りを理解すると、個人の「現世利益」の考え方から、極楽浄土に「性的な境地」が結び付く教義「真言密教立川流」に、現実感が出て来ても不思議ではないのである。


常識的に見て密教経典の意味解釈は、解釈する側の意志で加工が可能である。弘法大師(空海)が日本にもたらせた密教は、やがて日本で加工されて行ったが、その原点に近いものがインド・ジャンム・カシミール州最大の地方「ラダック(Ladakh)」に残っている。

このラダック地方の土着宗教がタントラ教の影響を受けた密教で、いわゆるチベット仏教である。 ラダックには多数の仏教寺院、ゴンパがあり、全人口が敬けんな仏教徒である。

釈迦生誕の地に近く、「真言・天台両宗の源流」とも言える「敬けんな仏教徒の地ラダック地方」には、つい近代の英領インド時代に禁止されるまで「一妻多夫」の習慣があり、一人の妻を兄弟で共有していたが、それはチベット仏教においては「けっして教えには背いては居ない」のである。

つまり密教において、性はかなり「おおらかな扱い」であり、現在の日本人が意識する厳しい戒律は「無かった」のである。

元来性行為と言うものは、単に「男女が交われば良い」と言う即物的なものではない。 そこには精神的感情が介在する。 それも複雑で、一口に「愛」とばかりにかたずけられない。

性交の本質は、想像力をたくましくして、被虐心、加虐心、羞恥心に触覚、聴覚、視覚を駆使して、初めて上等な性感を得る。 つまり【右脳域】の本能的無意識の境地に入る為の「行」として捉えるのである。

人間の感性は複雑で、あらゆる情報を脳で処理する事で、結論を導きだす。従って、性的快感も単純ではなく、それに拠る精神的癒し効果も認められる。

つまり、性と精神はリンクしていて、人格の形成にも関与する重大事項と言えるのだが、これを「無理やり離して考えよう」と言う間違った傾向がある。 喜怒哀楽は人間の基本的な感性で、【右脳域】の思考である。 その内の「喜」を以って「楽」を為すのが、密教における性交呪詛所謂「歓喜法」に拠る「極楽浄土」の境地である。


人間は、性行為や食事、音楽や映像鑑賞の際に「ベータ・エンドロフィン」と呼ばれる快感ホルモン物質を分泌させ快感を得る。 言うなれば、宗教行為と性行為、音楽の演奏などは、ある意味同質の目的、快感ホルモン物質の分泌を促す為にある。

宗教に陶酔したり、音楽に聞き惚れたり、視覚、嗅覚、五感の刺激がこの快感ホルモン物質の分泌を促すのなら、人は神の教えで救われても不思議はない。 それを経験的に学習しているから、いかなる宗教にも音楽や雰囲気創りの演出は付き物で、そのトリップ状態は、けして否定すべき物でもない。

言うなれば、宗教行為と性行為が合体した真言密教立川流は、「究極の奥義」だったのではないだろうか?

この快感ホルモン物質がモルヒネと同じ作用を持つ「脳内麻薬」で、精神的ストレスの解消と肉体的老化防止の特効薬であり、必要なホルモン物質なので、健康な性行為の抑制は必ずしも人間の為にはならない。 当然の事ながら、気の持ち様で「自然治癒力が増す」などの奇蹟は現に症例が多いから、宗教の奇蹟も存在する。 真言密教では、この生物反応的効能を肯定して、「修験道に活用しよう」と考えた。


快感ホルモン物質が大量に分泌されると、人間はトリップ状態になる。

従ってかがり火の燃え盛る呪詛の場で、陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)が流れる荘厳な雰囲気の中、激しい性行為を繰り返す事によって、常人には無い激しい反応を見せる。 それが呪詛の効果で、真言密教で言う所の「極楽浄土」である。

その状態が「呪術の効果をもたらす為に必要だ」としていたから、立川流は成立した。 それにしても、呪詛の為に身体を提供して「歓喜法」を体現する呪詛巫女の存在は、現在の感覚では理解が難しい。

しかし、密教の教えの詰まる所は「空」である。 空に私心は無い。

有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空に成れば、如何なる行を求められても、それを不条理と思う事は無い。 実は、「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。 言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思えるパワー現象が生じる。 しかし、そこに到達するには、「空」が要求されるのである。 その「空」に、成りおおせないのがまた、人間である。


行を施され、呪詛巫女が空に及ぶには、その行の厳しさに相応の覚悟が要る。女性の身体は不思議なもので、縛り上げて三日ほど変わる変わる攻め立てれば「脳で考える気持ち」とは別に、身体が性交の快感を覚えてしまう。

つまりそちらの感性は【右脳域】の本能的無意識が覚醒するからである。 そうなればしめたもので、女性から呪詛(性交)に応じる様になり、滞りなく行える呪詛巫女が完成する。 当初の呪詛巫女の仕込み方は大方そんな処である。

呪詛巫女の確保については多くの方法がある。 その一つが、前述した律令制における被差別階級として賤民の利用である。

奴婢として地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢と呼ばれる身分の者の中から「婢」の身分の女性奴隷を選び出し、執拗に性交を施して極楽浄土を体現させ、呪詛巫女に仕立て上げた。

八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。

仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。 金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。

大陸での修行を終えた空海(弘法大師)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。 当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。

空海(弘法大師)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に

「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、
口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、
心に本尊(大日如来)を念ずる

事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。 その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶と呼んでいる。

密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。 手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。

この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者が生まれている。修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。

当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。 呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。

修験道には、役小角を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。 弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。 本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。

この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。 お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。 そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。


真言密教立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行を採用した。 立川流の教義は、真言宗の


「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、

「当相即道(とうそうそくどう)」


の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。


「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は

「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、

淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」

に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。


この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。

「一切の法(手段)は清浄なり」を「男女の性交も清浄なり」と解すれば、良いのである。


如来は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、
欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。

男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。 つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。

それはそうだろう。 禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。


「全ての主である様な心地となる事」、
「欲心をもって異性を見る事」

も、また、

男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳る事、全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、
満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、ものの味もまた清浄なる菩薩の境地である。


と、立川流では、全てのものをその本質において積極的に肯定している。つまり色欲の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの、菩薩のものとして肯定されており、性欲肯定の句として知られている処である。

何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。

それは、菩薩が人々の【右脳域】に存在し、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。

故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。


真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。 現代人の感覚では理解し難いかも知れないが、弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていた事も事実で、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の生命への畏怖を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前である。

つまり真言密教・立川流に拠ると、弘法大師・空海が持ち帰った真言密教の教義解釈は「性交に拠って穢れが浄化される」 と言う解釈なのである。


儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。

ところが、後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。

愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。

開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は、信念とは別の御都合主義の為せる業で教義を変節したのであり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?


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3) 立川流の呪詛様式


立川流の経典は理趣経を習している。 そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行「歓喜行」を採用した。 邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。

確かに、髑髏の存在は「死と言う現実」を見せ付けられるものであり、並みの人間で有ればそれだけでも不快に感じるのは事実である。また、髑髏には生前のその持ち主の魂が宿っていそうで、精神的には犯すべからぬ畏怖の対象であるから、その辺りの抵抗感が存在して、違和感が生じても不思議はない。

にも関わらず、真言立川流が髑髏を本尊としたには、こうした精神的な意識に元付く既成概念そのものを、共通して一気に変革させる狙いを試みていたのではないのだろうか?

真言密教立川流の髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は、王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂と一千人の髑髏の上部を集めたもの、「法界髏(ほうかいろ)」と言う儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。

その様に選ばれた髑髏の表面に、女人の協力を得て、性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、更に髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。

しかもその七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。 こうして約七年間もの歳月を「歓喜行」に費やして作られた立川流の髑髏本尊はその位階に応じて「三種類の験力を現す」と言う。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して「三千世界の全ての真理を語る」と言う強烈な現世利益の本尊である。


真言密教立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、「大日如来と一体になる事」である。 立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵(さんこしょ)、もう片方が二鈷杵(にこしょ)になっている。 この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)と言う。

本堂のお勤め場所の周りに星型の結界が、蝋燭としめ縄で張られる。 しめ縄はいわば神の「結界占地」を標示するもで、神域に張られる事になっている。

蝋燭の炎は、「歓喜行」の間絶やす事は無い。

反言真言を唱え、星形の結界(五芒星)は陰陽師家、安倍晴明の判紋である。

格子状のしめ縄の結界は、九字紋と同じ形状であり、九字紋は横五本縦四本の線からなる格子形(九字護身法によってできる図形)をしている。 九字結界は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を星型に配置し、その間を結んで五芒星(晴明判紋)となす。 安倍晴明判紋は晴明桔梗とも呼ばれ、五芒星と同じ形をしている。五芒星(九字護身法に拠って出来る図形)の意味は、一筆書きで元の位置に戻る事から、「生きて帰ってくる」と言う意味でもある。


「歓喜行」はこのしめ縄の結界の中で全ての障害を排して執り行うのである。呪法に使う髑髏にも、それなりの確りした仕度がいる。

亡なって間もない人頭を、丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆を塗る。朱色を出すには「辰砂(水銀)」を使う。水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。

この「辰砂(水銀)」、弘法大師(空海)が多用していた事で知られている。

真言密教立川流に取って、朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。 仕上がったら、よく乾燥させ、上等な桐箱に収めて置く。

そして七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」を行い、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。

この本格的な「歓喜行」は、真言密教立川流の僧正が呪詛を用いる為に強力な呪力を有する淫液に塗れた髑髏本尊を会得させる為の物だった。これが、「髑髏本尊・歓喜法」と言う秘術である。

立会いの僧正や男女の信者達は、願主が「歓喜行」を行うを、眼前にて見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。 一度達しても、茶吉尼(だきに)天の妖力の色香は強烈で、男はすぐにまた活気を取り戻す。

願主は真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏に和合水の塗布を続けて、七日目の深夜「結願」を迎える。


いよいよ「結願」を迎えた八日目に入った深夜十二時を過ぎからは、「開眼供養」を夜明けまで行う。 和合水と反魂香にまみれた髑髏の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。 その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。 願主が歓喜行をする時は傍らに捧げ、仮本尊となす。

八年目に、ようやく「髑髏本尊」が完成する。 この本尊に妖力が宿り、「呪詛祈願の達成効果を保持する」としていた。 陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、性交を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。

しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。

理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。 この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。 そうなれば髑髏本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。


何故こうした信仰が成立するのか、種明かしをして置く。

人間は「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。こうした興奮の心理的な影響は極論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。 その興奮に影響される判断が、興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に所謂「洗脳状態」に陥る状態が、信仰などに利用される心理的な手段である。


真言密教立川流、その教義は、遠く印度の仏教に遡る。 印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼天と言う魔女が、大日如来の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。

これが日本では、後に稲荷神社に成る。 財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗の商家の奥庭に、祭られたりしていた。

当時の商人の考え方は、「商は長くやるもの」であり、家業、商売を代々繁栄させるのが使命であるため、老舗跡の跡継ぎの確保は重要だった。 その為には跡継ぎに困らない様に妾を持つほどの艶福家で無ければならず、性的パワーのある稲荷の社を祭ったのである。

つまり、幸せにしてくれる神様で、その茶吉尼天が、真言立川流の御本尊である。 茶吉尼天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。 茶吉尼天の法力を高める為には、男女和合の性エネルギーのパワーが必要で有る。

つまり初期の仏教は、信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、道徳教育的な目的から「悪行を積むと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。

一方で修験道師が村々に分け入って布教し、植え付けて行った矛盾とも取れる「おおらかな性意識」は、庶民の中で生き続けていた。

真言密教立川流の本尊・荼枳尼天(だきに天)は、元々はインドのヒンドゥー教の女神で、「荼枳尼天」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したもので、ヒンドゥー教ではカーリー(インド神話の女神/仏教・大黒天女)の眷属とされる。

このヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられ、荼枳尼天は仏教の神となる。元々は農業神であったが、インドの後期密教においては、タントラやシャクティ信仰の影響で、 荼枳尼天は裸体像で髑髏などを抱えもつ女神の姿で描かれるようになって、後に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。


荼枳尼天は、自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べると言われたが、その荼枳尼天が、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、仏教神となって「死者の心臓であれば食べる事を許された」とされる。

日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、荼枳尼天は、性愛を司る神と解釈された為、その男女の和合で「法力を得る」とする真言密教立川流と言う密教の一派が形成され、荼枳尼天を祀り、髑髏を本尊とし性交の儀式を以って即身成仏を体現したとされる流派が興隆を極めた。


真言密教と陰陽道を究めた人物に仁海(じんかい)僧正がいる。醍醐寺隨心院は、九百九十一年(平安時代中期・正暦二年)に雨僧正と呼ばれていた仁海僧正によって建立され、千二百二十九に門跡寺院となった真言宗善通寺派の大本山である。「雨僧正」と呼ばれ、占術の祈祷で「祈雨祈願に成功した」とされる仁海僧正は和泉国の小豪族の家に生まれ、七歳で高野山に上る。 そこで、占星術を身につけ、学僧としても、知られるようになる。

仁海はしばしば五行の考えに基づく易を使う。安倍晴明より少し後の時代に活躍した仁海は、しばしば五行の考えに基づく易を使う。 このことは当時の僧侶が仏教の経典だけではなく、中国の「易経」のような中国特有の古典にも通じていたことを示している。 仁海僧正の私生活を「生臭坊主であった」とする評があるが、それは当時の僧を後世の常識感覚で評するからである。

そもそも、日本の神官や僧侶は、長い事氏族が武士や官僚と兼務していたもので、勢力争いもするし女性も抱く。 高僧と言えども例外ではないから、正妻を置いたかどうかを問わなければ、江戸期以前の僧侶は全て「生臭坊主」である。 と言うよりも、「女性との交わりを呪詛パワーの源」と言う解釈が、密教に於いては為されていたのである。


陰陽師の見蓮に、仁寛が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとする頃、北条(平)政子が心血を注いで礎を作った流石の鎌倉幕府執権・北条得宗家も、代を重ねて落日を迎えようとしていた。 鎌倉幕府が弱体化していた頃、敵対していた勘解由小路(賀茂)家と土御門(安倍)家の両家は天皇の皇統護持の為に和解している。


◆真言密教立川流・南北朝との関わり

北条(平)政子が心血を注いで築きあげた「鎌倉幕府執権・北条得宗家」も、体制百三十年余りを数えて独裁への反感も膨れ上がり、流石に屋台骨が揺らぎ、「時節到来」と倒幕の機運も、静かに盛り上がりつつあった。

そんな時に、皇位に目覚めた後醍醐天皇(第九十六代)が、突如現れた。 それは取りも直さず、地に潜っていた「勘解由小路党」を、そして幕府御家人衆に甘んじていた「源氏の血筋」を目覚めさせる事となった。

この後醍醐天皇(第九十六代)、まさしく密教の申し子だったのである。

京都醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺であり、後醍醐天皇の支えだった。その醍醐寺は、真言密教の教義を支持していた。 従って後醍醐天皇は、真言密教を信奉していたのである。


本来、男女の交合は尊い物である。男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が、男女交合の歓喜パワーであり、密教理念としていた。 この教義を後醍醐天皇が信奉した事は、彼がしごく「人間的であった」と言う事である。

真言密教の理念は、けして浮ついた邪教ではない。 至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在した。

それはそうだろう、武器を携えて破壊と殺戮に行くよりよほど良い。 精神的な愛に於いて、性交はあってもなくても良い。そして独占欲はそれも愛情で有るが、それが愛情の全てではない。 その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。

全てに拘束を欲する愛情もあれば、全てを赦す愛情もある。 難しい所で有るが、愛し方はそれぞれで、自分と違うからと言って、愛が無いとも言いきれない。

空海(弘法大師)が唐から伝えた経典では、何よりも性に対する位置づけが「生命力パワー」と言う前向きな思想からなっている。 真言密教でも、その「生命力パワー」は認められていた。


京都醍醐寺に文観弘真と言う僧侶がいた。彼は先人で有る仁寛僧正を信奉し、その弟子が興した見蓮の真言密教立川流を継承していた。

勿論同じ醍醐寺に、文観弘真に対立する勢力もある。後醍醐天皇(第九十六代)と文観弘真僧正が結び付けば、当然反対派もまた結び付くのが世の習いである。


話は、鎌倉時代末期の事である。

後宇多上皇(第九一代)の皇子・尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵や文観から宋学の講義を受け、宋学の提唱する大義名分論に心酔し、鎌倉幕府の倒幕を目指し、宋の様な専制国家の樹立を志した。

千三百十七年の文保の御和談に於いて花園天皇から譲位され践祚(せんそ)した尊治親王(後醍醐天皇)は野心満々で、平安時代の聖代(延喜帝・醍醐天皇や天暦帝・村上天皇の政治)のような復古的天皇親政を行うべく、当時の醍醐天皇(第六十代)に肖って自ら後醍醐天皇(第九十六代)と名乗り、手初めに父である後宇多上皇が行っていた院政を停止させ、天皇としての実権を確立した。


鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだ文観は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。 これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。 文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教立川流を直伝する。

茶吉尼天のイメージが演出され、衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、天皇は絶倫になる。 退屈な宮中生活にあって、これが「楽しくない」筈はない。

若き天皇は好色でこの教えを痛く気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中に広がった。 後醍醐天皇の相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで、十六人に及ぶ親王、内親王を設けている。

つまり、「皇統を繋ぐには親王が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。 「勘解由小路党の女人(白拍子)」も天皇相手に、歓喜の行で大活躍したのかも知しれないが、詳しい記述はない。 唯、夜な夜な「おごそかな歓喜儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像にするに難くない。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」は、九字呪法である。 そして男女による「歓喜法」で「極楽浄土」を体現する。 その強烈なパワーを持って、四方に幸せをもたらす。

この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言密教立川流を保護し、文観を政務の補佐役にする。 文観の権力は強くなり、一時、日本中に真言立川流は広がって行った。


この辺から、雲行きが怪しくなる。

真言立川流が、余りの隆盛を見せた事で、真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。 右派が、後醍醐天皇の対立相手、大覚寺(持明院統方)と組んだのである。 これは、宗教上の権力争いで、醍醐寺統(後醍醐天皇)と左派(真言立川流)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。 「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。

だが、醍醐党が破れ真言立川流は衰退して行った。 つまり、負けた方が「弾圧された」のである。 そこに至る経過が、南北朝並立の争いとリンクしていた。


文観は、当時としては珍しく、八十歳と言う長寿を全うしたそうである。 文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、真言密教立川流を守っていたのだ。

真言密教立川流(真言宗左派)は、対立する宗教勢力(真言宗右派)と結び付いた政治勢力(北朝方)が、南朝方に勝利すると、倫理観を前面に出して「淫邪教」の烙印を押されてしまった。

所が、本来の立川流の教義の形成経緯は、密教の命の持つ力(パワー)に対する純粋な信仰心と土着の呪術・占術を一体化した修験密教の教義を、誓約(うけい)の概念をも含めて理論武装し、再構築したもので、ただ単に淫蕩な目的の宗教では無いのである。

真言宗右派(反立川流禁欲派)と北朝(持明院統・光明天皇)、足利尊氏派が、真言宗左派(密教立川流・文観弘真僧正)と南朝(大覚寺統・後醍醐帝)、新田義貞・北畠顕家派に勝利し、文観僧正に拠って頂点を極めた真言密教立川流は、急速に衰えて行く。

元々、仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定した。 その開祖・弘法大師否定した儒教思想を、主流と成った真言宗右派は、チャッカリ教義に取り入れて真言密教立川流を邪教とし禁欲の教義を広めた為、安土地桃山期には立川流はほとんど無くなり、江戸初期には完全に消滅してしまった。

後醍醐天皇が吉野へ逃れ、足利氏と持明院統(北朝)が勢力を拡大すると、醍醐寺大覚寺統の「真言密教立川流」は徹底的に弾圧されて先細りと成り、やがて衰退して消滅している。

弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。真言密教に大きく影響を及ぼした理趣経の経典は、その基礎に大陸での「妙見信仰」がある。

実はこの妙見信仰は弘法大師・空海が経典として持ち帰る前に、既に大陸からの移住者(渡来人)達に拠って先行して伝来し普及していた。 そして列島独自の原始宗教と習合し、陰陽修験道として集成していたのである。 そうした経緯から、弘法大師・空海の真言密教は陰陽修験道とは一体化の道を辿り、総本山金剛峰寺は修験道の修行の地と成るのである。

さて妙見信仰の伝来当初は、渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であった様だが、次第に畿内などに広まって行った。 しかし朝廷の統制下にない信仰であった為、統治者としての統制が取れない。 神の威光で統治する朝廷にとって、庶民の間で勝手に広がった「妙見信仰」は危険な存在だった。

七百九十六年(延暦十五年・平安遷都直後)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

これは何を意味するのか?

庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。 本来、信心深いはずの庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?

命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。 元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。

気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。 日本における所謂庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交闇祭り文化」である。

つまり、建前(本音はただの性欲のはけ口かも知れないが?)子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。

例えば、京都・宇治の「暗闇祭り」、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で、相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。 京都府宇治の県神社の「くらやみ祭り」は、明治維新まで無礼講の祭りだったのである。

こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事である。


◆【私の愛した日本の性文化】


当時の庶民感覚は、元々「性」に対しておおらかだった。 信仰が庶民に浸透して行くには、それなりの現世利益が必要で、「北辰祭(妙見祭)」は、当時の庶民が日頃の憂さをおおっぴらに晴らす有り難い行事として、「大いに支持された」と言う事だろう。 そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。


朝廷の「北辰祭(妙見祭)」禁止から十年、八百六年(大同元年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。 空海(弘法大師)が信徒獲得の為に目を付けたのが、北辰祭(妙見祭)禁止に対する「庶民の不満」である。


空海の教えは、

身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、
口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事

により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事が出来る。」として「性」を積極的に肯定している。

この妙見信仰や、修験道と結び付いた弘法大師(空海)の真言密教は庶民にも浸透して行った。

そもそも密教には、人間は「汚れたものではない」と言う「自性清浄(本覚思想)」と言う考えがある。 真言立川流が弘法大師(空海)の「東密(真言密教)の流れを汲む」とされるのに対し、
伝教大師(最澄)の台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とし、摩多羅神を本尊とする「玄旨帰命壇」と言う一派があった事からも、性交を通じて即身成仏に至ろうとする解釈が密教中に存在したのは確かである。
http://jiyodan.exblog.jp/7936468/


55. 2017年5月11日 05:57:09 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[103]

>>51. 中川隆
>大乗仏教・・・大橋 幹夫・・・
>仏教・・・日本ではまず印度を連想する
>日本からの印度ツァー・・・

>>52.
>悟った・・・成長した訳ではない・・・

>>53.
>坊主の半分は頭が逝かれてる
>信仰というのは・・・祈祷性精神病になる
>教祖が”気違い・・・

>>54.
>密教の秘密・・・
>呪術を生業・・・
>真言密教立川流・・・
>空海の教え・・・身に印契を結び
>口に真を唱え心に本尊 大日如来を念ずる・・・
>即身成仏・・・

阿修羅の精神異常者 中川隆よ、お前の言う専門家が邪宗真言宗の信者ということだ。

真言や密教の邪義は中国の派生仏教で空海が遣唐使の任を放棄して持ち帰ったもの。

高野山の真言宗は祈りがかなわないことで歴史の証拠に不足はない。雨乞いも実らず。

中川隆よ、お前の宗教観は宗教無知と同じで真実と言うのは口が八つに裂けたも同時。

既に破釈された真言宗の邪義をしかも仏教ツアーの感想などのどこが専門知識なんだ?

無駄な抵抗とコピペはやめろよ恥知らずの恥知らずが! バーカ!!


56. 中川隆[-7695] koaQ7Jey 2017年5月11日 05:59:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

宗教ビジネスの為に釈迦の教えを否定したインチキ経典 『法華経』


1.大乗仏典のなかの代表的な仏典の一つ

ブッダが死んでから三〜四百年後、西暦一世紀前後に伝統的仏教に対抗する宗教改革運動が仏教内で起こります。大乗仏教運動です。この宗教改革運動の興味深い特徴の一つは、自分たちの主張をするのに、新しい経典を創作したところです。経典というのは、ブッダの弟子たちが、ブッダの教えを弟子から弟子へと伝承してきたものを書き残したものです。ところが、大乗仏教運動の改革者たちは、それらとは別の経典を新しく創作して、あたかもブッダ自身が教えたものであるかのように、自分たちの思想を主張したのです。法華経はその大乗仏典のなかの一つです。

一番最初にあらわれた初期の大乗仏典が般若経です。その後、維摩経や法華経や浄土経などの経典があらわれます。わたしたちの知っている法華経(クマラジーヴァ訳『妙法蓮華経』)の原典はおそらく西暦三世紀の中ごろまでに、さまざまな増幅の歴史を通じて、成立したものです。

つまり、法華経とは、ブッダの死後およそ四、五百年後、大乗仏教運動の宗教改革者たちによって、自分たちの思想を主張するのに、あたかもそれがブッダ自身の教えであるかのごとく、まったく新しく創作された経典(大乗経典)の一つです。言ってみれば、「偽の経典」とも言えるわけで、それゆえ、「大乗非仏説」(大乗仏教はブッダの教えではない)と主張する人もいます。


2.大乗仏教運動の改革者たちの主張とその理想像

大乗経典に書かれている事柄から、大乗仏教運動の宗教改革者たちが、伝統的仏教の何に反逆したかを調べてみると、伝統的仏教の僧たちが自らの修業と悟りを究極的な目的にしていて、大衆の救いにあまり関心を持たなかったところにあることが知られます。この経典の著者たちは、自分自身の救いを後回しにしてまでも大衆の救いの為に生きる、そういう仏教徒としての期待される理想像を、新しく創作した経典に登場させるのです。その理想像が「ボディサットヴァ(菩薩)」です。

ボディサットヴァ(菩薩)とは、もともと、悟ってブッダになる前の求道者のことを指しますが、新しく創作された大乗経典の中では、大衆の救いの為に生きる理想的ヒーローとして登場するのです。観音菩薩とか弥勒菩薩とか、何百何千の菩薩が大乗教典のなかに登場しますが、それらはすべて創作上の架空のヒーローです。大乗経典とは、つまり、真の求道者とはいかにあるべきかを示す理想像として架空の主人公たる菩薩たちが活躍する一連の創作物語なのです。

例えば、初期の大乗経典の代表の一つ『金剛般若経』では、菩薩とはいかなるものであるか、次のように述べています。

スプーティは言った。「ところで世尊よ、良家の男子にせよ、女子にせよ、すでに菩薩の道に向かって歩みを進めたものは、どのようにあるべきであり、どのように実践すべきであり、どのように心を訓練すべきでありましょうか」・・・世尊はつぎのように話された。「さて、スプーティよ、菩薩の道をこころざしたものは、ここで次のような考えを起こさなければならない。すなわち、スプーティよ、『生けるものの世界において、およそ衆生という名の下に包摂される生きとし生けるもの・・・は何ものにせよ、彼らすべてを、私は、煩悩の余燼さえない涅槃の世界に引き入れなければならない。しかもなお、たとえそのように無数の衆生を涅槃に導いたとしても、実はいかなる衆生も涅槃にはいったのではない』と。それは何故かというと、スプーティよ、もしも菩薩に衆生という観念が生じるならば、彼を菩薩というべきではない。それはまたなぜか。スプーティよ、もし彼に自我という観念が生じるなら・・・彼を菩薩と呼ぶべきではないからである。」
(『金剛般若経』、2〜3、長尾雅人訳)
ここでは、菩薩(真の求道者)とは、生きとし生けるものすべてを救うために生きている者だけれど、自分が誰か一人でも救っているなどという観念を一切持たぬ者です。そういう菩薩の姿を修行者の理想として表現することによって、修行者が自らの悟りに専念する伝統的仏教の理想像(阿羅漢)を批判し、仏教を改革しようとするわけです。
『維摩経』という大乗経典では、ヴィマラキールティ(維摩)という名前の在家信者(菩薩でもある)が病気なので、ブッダがその弟子達に見舞いに行くように勧めるのですが、誰も見舞いに行きたがらない。それで、最後に、マンジュシリー(文殊)という名前の菩薩が見舞いに行く、という物語です。マンジュシリーに、病気の具合はどうかとたずねられ、ヴィマラキールティは次のように答えます。

マンジュシリーよ、無知があり、存在への執着があるかぎり、わたくしのこの病もそれだけ続きます。あらゆる衆生に病があるかぎり、それだけわたくしの病も続きます。もしすべての人が病を離れたなら、そのとき、わたくしの病もしずまるでしょう。・・・もしあらゆる衆生に病気がなくなったら、そのときは菩薩にも病気はなくなるでしょう。
(『維摩経』4章「病気の慰問」、長尾雅人訳)
ここでは、菩薩(真の求道者)を「人々が苦しんでいるという理由だけで苦しんでいる病人」として表現することによって、大乗の新しい修行者の理想像を語っています。
法華経でも、同様に、自らの悟りではなく、人々の救いが注目の対象になります。

汝らはこの世において生と死の回転の苦悩から解放されているが、なおいま「さとり」の境地に達しない者のように、仏の乗物を望み欲すべきである。・・・
愚かな理性の輩が無知で、この世における苦悩の根本を視ないとき、「激しい欲望の生ずることが苦悩の起源である」と、余はかれらに進むべきを示す。激しい欲望を滅すために、汝らは常に執着してはならぬ。これこそ、余の説く第三の真理「滅諦」である。それによって、人は間違いなく解放されるのだ。この道を実行してこそ、解放があるからである。シャーリプトラよ、かれらは何から解放されるのか。迷妄から解放されるのだ。しかし、いずれにせよ、かれらは完全に解放されたのではない。「かれらは『さとり』の境地に達していない」と、この世の指導者は言う。余は何故にその人の解放を語らないのか。彼が、この上なく勝れた「さとり」に到達していないからである。

(「譬喩品」、坂本幸男・岩本裕訳)
伝統的な仏教にしたがえば、ブッダの教えはさとりに達することこそ最終的な目的なのです。ところが、法華経はこのように、さとりに達しても「なおいま『さとり』の境地に達しない者のように」さらに「仏の乗物」を望み欲すべきである、というのです。
伝統的な仏教にしたがえば、ブッダの教えは、苦の原因を知り尽くしてそれに執着しないことから、苦からの解放を得る道です。それは苦を作りだしていた原因に対する迷妄からの解放です。それがブッダのさとりなのです。ところが、法華経はいま、それではまだ「この上なく勝れた」さとりに達しているとはいえないというのです。

では、さとりを超えた「この上なく勝れた」さとり、あるいはそこに達するための「仏の乗物」とは一体何なのでしょうか。

教えの王者として、人を安楽ならしめるために、この世に生まれるのが、余の望みなのだ。これが、シャーリプトラよ、余が最後に今日説く教えの根本なのだ。神々と世間の人々の幸福のために、その教えを四方八方に説き示せ。(同上)
巧みに幾千万という多くの人間を苦しみから解放させる人が、実に高い木といわれる。・・・この教えの神髄は常に世間の幸福のためであり、この教えによって世間のすべての者を満足させるのだ。(同上第五章「薬草」)

聡明な人は常に「余は仏になりたい。これらの人も同じである。このように、すべての人々の安楽の基となる正しい教えを、この世における幸福のためにわたしは説こう」と考えよ。(同上第十三章「安楽な生活」)
すなわち、法華経においても、他の大乗経典と同じように、理想の修行者は、苦から解放されてひとり悟りと平安の境地にとどまっている者ではなく、立ち上がって、「神々と世間の人々の幸福のために」、「多くの人間を苦しみから解放させる」ため、「すべての人々の安楽の基となる」ブッダの教えを説き示す者です。これが、たんなる「さとり」を超えた「この上なく勝れた」さとりである、というわけです。
このように、大乗仏教の宗教改革者たちは、自分みずからの救い求める者ではなく、生きとし生けるものの救いを求める者を、求道者の理想像(菩薩)としたのです。そして、その新しい教えを「大乗」、すなわち、たくさんの人々を救うのに大きく勝れた乗物(菩薩乗)、と呼んだのです。


3.ブッダの教えと大衆の迷信

大衆というものは、どこの世界でもいつの時代でも、迷信を信じるものです。それは、仏教徒も同じことです。ブッダが死んだあと、弟子達はその教えを守り修業に専念することに心を向けたことでしょう。しかし、一般大衆は、ブッダの教えを学んだり修業を実践したりするより、むしろ、ブッダの骨を収める仏舎利塔にお参りすることのほうを選んだことでしょう。

ブッダの教えはきわめて理路整然としていて、それは、苦の原因を追及し、それを取り除くことによって苦からの解放を得るというものであり、そのため、ブッダは祈祷やまじないなどを否定しました。神々への信仰は、これを捨てよと教えました。

ところが、大衆の救いに大きな関心を持つ大乗仏教運動の改革者たちは、大衆の迷信を否定しないで、それもブッダの教えであるかのごとく、積極的に受容したのです。例えば、最初期の大乗経典である『八千頌般若経』は次のように述べています。

[ブッダはたずねた。]「カウシカよ、良家の男子にせよ女子にせよ、供養されるべき、完全に悟った如来が完全に涅槃されたときに、その供養のために七宝よりでき、如来の遺骨を収めたストゥーパを千万もつくるとしよう。つくり終わって、それを一生のあいだ、神々しい花、・・・神々しい旗を供え、また周辺にも神々しい燈明や花環を供え、種々の神々しい供養の仕方によって恭敬し・・・祈願するとしよう。カウシカよ、おまえはどう思うか。いったい、その良家の男子や女子は、それによって多くの福徳を得るであろうか。」
カウシカはお答えした。「世尊よ、たくさんに。善く逝ける人よ、たくさんに。」

(『八千頌般若経』第三章「知恵の完成とストゥーパ」、中央公論社、梶山雄一訳)
もちろん、経は、「知恵の完成(般若)の意味を解し、心で吟味し、すぐれた知識に従ってそれに熟慮を加える」方が、仏舎利塔を祀るより、はるかにたくさんの福徳を得る、と付け加えるのですが、決して、仏舎利塔信仰のような大衆迷信を否定したのではありません。むしろ、「それもいいけど」というような言い方で、大衆信仰を抱え込み、その上で、「それよりも、もっといいものがあるよ」というふうに、巧みに、正しい仏教の道に導く方法を取っているわけです。
これは、大乗仏教に特徴的な性質で、伝統的仏教にはほとんど見かけないものです。しかも、後代の大乗経典になるほど、この大衆の迷信を受容する傾向は大きくなります。ストゥーパ信仰だけに限らず、やがて、仏像をつくってそれを拝むことが受容され、最後期の大乗教典(密教)では、ブッダが明白に否定したさまざまな迷信、呪文(真言)や「火をたく護摩の術」等々、さえも受容されることになります。法華経も例外ではありません。

入滅した仏たちの遺骨に供え物を捧げ、宝玉づくりの幾千の塔や、金・銀および水晶の塔を建立した人々、緑玉の塔を、猫目石・真珠づくりの塔を、また極上の瑠璃ならびに青玉の塔を誰かが建立するとき、かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。・・・子供たちが遊戯の際に、そこここに、小石づくりの塚を作り、仏たちのために供養塔とするとき、これらの人々は、すべて「さとり」に到達するであろう。・・・誰かが七宝づくりの、あるいは銅または真鍮で、仏たちの像を作らせるとき、かれらはすべて「さとり」に到着するであろう。・・・壁に、四肢が完全で幾百の福相のある像を、みずから描く人々も、あるいは描かせる人々も、かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。・・・また、如来たちの遺骨に、あるいは塔廟に、あるいは土偶の像に、また壁あるいは粘土づくりの塔に像を描き、香と華とを手向けた人々も・・・かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。・・・また仏たちに供養するために、歌を甘く、また美しく歌っても、仏たちの遺骨にほんのわずかのことをしたり、ただ一種の楽器を奏でさせただけでも・・・かれらはすべて、この世で仏となるであろう。・・・塔に合掌するだけでも、それが完全な形であれ、ほんのちょっと片手を挙げただけにせよ、また、ほんの一瞬頭を下げただけでも、また、ただ一度身体を屈めただけでも、遺骨の安置された場所で、そのとき「仏を礼拝し奉る」と一言いえば、取り乱した心で一言いっても、かれらはすべて、この最勝の「さとり」を得よう。(同上、第二章「巧妙な手段」)
といった具合です。
このように、大衆の救いに特別の関心を持つ大乗仏教運動の改革者たちは、ブッダが否定したさまざまな迷信(大衆信仰)を否定するどころか、むしろそれを積極的に受け入れ、それによって大衆が救われ得ることを主張したのです。そして、それを正当化するために、新しい経典(大乗経典)をつくったわけです。


4.巧みなてだて(方便)

大乗経典は宗教文学です。文学は一種のウソです。しかし、文学は人を騙すためのウソではなく、それを通じて作者のメッセージを伝える創作技術(物語)のことです。大乗経典は、ブッダが教えたという伝統的仏教経典の形式を利用して、空想のブッダや菩薩を登場させて、宗教改革者の思想を伝えた創作物語です。

しかし、大乗経典は、たとえば他の宗教文学にあるような、仏教思想を文学的に表現し直しただけの、単なる宗教文学でもありません。明らかに、そこには、ブッダの思想を継承しつつ、ブッダが語らなかったことを語ろうとしている新仏教のための本物の経典としても書かれています。

それでは、大乗仏教の改革者たちは、どのような根拠で、ブッダの教えでないものをブッダの教えとして新しい経典を次々に創作することができたのでしょうか。

その答えの一つが、「巧みなてだて(ウパーヤ、方便)」という大乗仏教を特徴づける思想にあります。それは、大衆を救わんとする諸仏や菩薩に備わっているとされる救済のための巧みな技術のことです。

例えば、ある人に、古くて倒れかけた大きな家があり、その土台は崩れ落ちて、柱の根元が腐っていたとせよ。・・・その家には五百人以上の人が住んでいた。そして、多くの小部屋があって、汚物が満ちあふれ、見るも汚らわしかった。・・・その家のそこここに、非常な劇毒をもつおそろしき毒蛇がおり、あらゆる種類のサソリやネズミが棲み、有害な生物の棲処であった。・・・そこには、人間の屍を食らうおそろしい猛獣が棲み、それらの立ち去るのを待ち焦がれて、数多くの犬や狼が棲む。・・・かの家は大きく高く、しかもぐらついていて、このように恐ろしく、古びて毀れ、荒涼としていた。
・・・そして、この家がある人の財産であるとせよ。かの人がその家の外にいたとせよ。そして、その家が突然に燃え上がったとせよ。幾千の火焔があたり一面に燃えひろがり、家の四方が火につつまれた。・・・この家の持ち主である、かの人は屋外に立って、それを眺めていた。彼は、自分の子供たちが家の中で玩具に心を奪われて遊んでいて、何も知らない愚か者のように、遊びに夢中になって戯れていることを聴く。

自分の子どもたちの誰も焼け死なないようにと、彼は聴くと直ぐに子どもたちを救おうとしてその家に入った。彼は子どもらに家の欠点を告げる、『おい坊やたち、物凄い災難だよ。ここにはいろいろなものが棲み、またこの火だ。災難が続いて起こるし、激しいよ。毒蛇や、残酷な心のヤクシャやクンバーンダやプレータどもが数多く棲息し、猛獣どもも、犬や狼の群れも、また鷲などが食物を探し求めている。このような輩が多く棲んでいて、火事が起こらなくても、最高の怖ろしさなんだ。このように、どれもこれも災難であるのに、火がまた四方に燃え上がったのだ。』

このように諭されたにかかわらず、子どもらは、遊びに夢中になり、父の言葉を考えずに、また気にもとめない。かの人はそのとき考えよう、『子どものことを思うと、わたしは心配でたまらない。子どもを持ったとて、その子を失えば何になろう。いま、子どもたちを焼き殺してはならない』と。彼はそのとき手段を考える、『子どもたちは玩具に夢中になっている。ここには遊ぶ道具は何もない。しかし、子どもたちはこのように愚かである。』

彼は子どもたちに言った、『坊やたち、お聴き。わたしは、いろんな乗物をもっているんだよ。鹿や山羊や立派な牛が繋がれていて、高くて大きくて、綺麗に飾り立ててあるんだよ。それらの車は、家の外にあるんだ。さあ、走って出てきて、それで遊びなさい。・・・さあ、一緒に出てきて、それで好きなだけ、お遊び。』

子どもたちはこのような乗物のことを聴き、元気を出して急いで走り出てきた。みんなが戸外に出た途端に、子どもらは苦難を免れることができた。

(同上、第三章「たとえ」)
危険な所にいるのに、おもちゃに夢中な子どもたちは、「はやく逃げなければ危険である」と真実の言葉を伝えられても聴こうともしない。菩薩はそこで、巧みな手だて(方便)を施します。「もっと面白いものが外にあるから、それで遊びなさい。」これを聴いて、子どもたちは外にでて助かります。
もし、シャーリプトラよ、余(ブッダ)が人々に「さとり」への欲望を起こせというならば、すべての無知な輩は混乱し、必ずや余(ブッダ)の勝れた言葉を理解しえないであろう。・・・[だから]余(ブッダ)は人間どもの信心の意向と心の動きを知って、多くの種類の教えを示そう。種々の手段を用いて、かれらの心を奮い立たせよう。これが余(ブッダ)の独自の智慧の力である。(同上、第二章「巧妙な手段」)
伝統的仏教のようにブッダの言葉を直接ぶつけるだけでは、救いからはみ出る人々が出てきます。大乗仏教運動の改革者たちは、そのはみ出した人々に注意を向けることこそ真の求道者のなすべきことであると確信したに違いありません。
しかも、かれらは実に革命的なことを考えだしたのです。すなわち、大衆が簡単に受け入れる仏舎利塔信仰や仏像信仰や経典信仰などの迷信を、単に迷信であるとして捨てたりせずに、それらを、かれらのような者たちでさえも仏教の道に入ることができるようにと、秘かに企てられたブッダの巧みな手だて(方便)であると解釈したのです。


5.大乗はブッダの教えを否定する?

悲しみや苦しみからの正しい解放は、その原因や条件を知り、それらを取り除くことによってのみ、達成される、と考えたブッダは、人間の悲しみや苦しみからの解放の手段としての迷信(神々への祈祷や祭祀や呪文等々)は、これを「捨てよ」と説いていたのです。それが伝統的仏教(原始仏典)が伝え残したブッダの教えでした。

ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。
(スッタニパータ 1146、中村元訳)

たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。

(相応部経典42.6 増谷文雄訳)

たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。

(同上)

ブンナカさんがたずねた。「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのか? 先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

ブンナカさんが言った。「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ることによって、欲望を達成しようと望んでいるのである。供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪ってやまない。かれらは生と老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

(スッタ・ニパータ1043-1046、中村元訳)
したがって、法華経などの大乗の諸経典が、ブッダの遺骨に供え物を捧げるだけで(仏舎利塔信仰)、仏像を作ったりそれに礼拝するだけで(仏像信仰)、あるいは経典の一節や題目を唱えるだけで(経典信仰)、最高のさとりに至ることができるのだなどという迷信を大々的に取り入れたということは、かれらが、ブッダの本来の教えを否定することになってしまいます。
そこで、大乗の諸経典は、ブッダの教えを否定するかれらの新しい思想こそが実は「ブッダのより勝れた教え(大乗)であり、伝統的仏教は、ブッダの教えを理解できない大衆を救う心も技術も持たない劣った人々のための仮の、方便としての教え(小乗)であった」、という巧みな手だて(方便)を考えついたわけです。これが、大乗仏教がブッダの教えを否定してもブッダの教えである、と主張するためにかれらが考え出した正当化の論理です。


6.なぜ、ブッダの教えでないものがブッダの道へ導くものとなるのか

「執着から離れよ」というブッダの教えは、欲に捕らわれている者にとっては、受容しにくいものかもしれません。しかし、仏舎利塔や仏像に礼拝し、呪文や経典の名前を唱えれば、その功徳は大きい、もっとお金がもうかる、という話なら、かれらも飛びつくかもしれません。外に出ればもっと楽しい遊びができる、と言われて火中の家から飛び出した子どものように。

病気を直すためには、苦い薬を飲まなければならないかもしれないし、痛い手術もしなければならないかもしれないし、食べたいものも我慢しなければならないかもしれません。誰にでもできるものではありません。しかし、仏舎利塔や仏像に礼拝し、呪文や経典の名前を唱えれば病気が治るのなら、誰にでもできるでしょう。

しかし、いかに、大衆の救いのためとは言え、そんな大衆迎合的なウソをつくことが仏教徒にゆるされるのでしょうか。「ウソではない」というのが大乗仏教運動の改革者の確信でした。

余(ブッダ)が三乗の乗物(それぞれの人に必要な方便としての様々な教え)を約束するのは、余(ブッダ)の言うところの巧みな手段である。しかし、乗物はひとつ、方法もひとつである。そして、ほとけの教えもひとつである。(法華経、第二章、「巧妙な手段」)
それもこれも、みんな、結局、さとりに至る(仏に至る)道であるから、ひとつの仏の乗物(一乗)である、というのです。
では、いかにして、本来のブッダの教えでないものが、ブッダへの道に入ることになるのでしょうか。

例えば、荒涼として住む人もなく、休むところもなければ避難所もない、怖ろしい森があるとしよう。・・・そして、この森に、幾千という人々が到着したとしよう。しかも、この荒れ果てた森は五百ヨージャナの広さにまたがっているとしよう。通過しがたく恐怖の充ちあふれた、その森で、人々を案内する人は金持ちで思慮深く、賢明で決断力があり、経験豊かで、自信のある人としよう。
幾千万という人々は疲れはてて、そのとき、かの案内者に語った。「われわれは疲れはてた。君、もう駄目だ。われわれは引き返したい」と。案内が巧みで賢明な案内人は、そのとき、手段をいろいろと考えよう。「なんと愚かなことか。引き返せば、これらの愚者はみな自分から宝玉をみすみす捨てるものだ。わたしは神通力によって、いま、幾千万億の建物が立ちならび、僧院や遊園で飾られた大都城を造ることにしよう。・・・」と。幻の都城を造って、案内人がこのように言うとしよう。「怖れてはならぬ。悦びなさい。諸君らは素晴らしい都城に着いたのだ。・・・元気を出しなさい。安心しなさい。森を通り抜けてしまったのだ」と。人々を安心させるために、彼はこの言葉を語るのだ。まこと、皆は元気を回復した。

皆が疲労から回復した様子を見て、彼は人々を集めて再び語った。「こちらへ来て、わたしの言うことを聴きなさい。この都城は、わたしが神通力で造ったのだ。おまえたちが疲労困憊しているのを見て、引き返してはならないと思い、この巧妙な手段を用いたのだ。元気を出して、ラトナ=ドゥヴィーパへ行こうじゃないか。」このように、僧たちよ、余(ブッダ)は幾千万の人々の案内人であり指導者である。

(法華経、第七章、「前世の因縁」)
つまり、本来のブッダの教えでなくても、それを受け入れることが、本来のブッダの教えに導かれる何らかの縁となるならば、それは、究極的には、ブッダへの道となるのだから、それもブッダの教えである、というわけです。
仏舎利塔や仏像を造ったり、それらを礼拝することそれ自体は、もちろん、ブッダが教えたように、人をさとりに至らせるものではありません。しかし、仏舎利信仰や仏像礼拝は、ブッダへの尊敬心を育み、やがて、だれかの心の中に、「ブッダとはだれ?」「ブッダの教えとは?」という疑問を生む因縁になることでしょう。同じように、法華経の経典の名前(『妙法蓮華経』)やその他の呪文をとなえることそれ自体は、ブッダが教えたように、人をさとりに至らせるものではありません。こんなものは迷信であって、本来のブッダの教えとは何の関係もありません。しかし、経典の名前を唱える行為は、経典やブッダに対する尊敬心を育み、やがて、だれかの心の中に、「その経典には何が書いてあるの?」「呪文の意味は何?」というような疑問を生む因縁になることでしょう。

心の中に、「ブッダとは何か」、「ブッダは何を教えたのか」、等々の疑問が生まれるとき、人は、本来のブッダの悟りへの道へとすでに一歩踏み出していると言えるでしょう。菩薩の巧みな手だては、こうして、ブッダの本来の教えを受け入れることのできない「劣った人々」をも、ブッダの道へと誘い出してしまうわけです。そこに「大きくてすぐれた乗物」を主張する面目があります。


7.縁起の法と一乗思想と永遠のブッダ

ブッダの教えでないもの、ブッダが否定した事柄さえ、ブッダの道へと導きうるという主張を可能としているものは、もちろん、世界の諸現象が縁起(依存して起こる)関係にあるからです。迷信は迷信、ブッダの教えはブッダの教え、とそれぞれが無関係に自立自存していれば、一方から他方への移行は不可能です。つまり、世界が依存関係や因果関係において存在しているのでなければ、仏舎利信仰やら仏像礼拝やら経典信仰等々の迷信が、ブッダの本来の教えへの因縁とはなり得ません。種々の教えは、実のところ、ブッダのひとつの教えである、という法華経の一乗思想は、まさに、この仏教の中心思想である縁起の思想(空の思想、無我の思想)によって裏付けられています。

一切のものは同じで、本体がなく、本質的に相違のないことを知り、またこれらのものを望まず、また、そのいずれをも決して区別して見ない者は、偉大な理智の持ち主であって、教えの本体を残らず見て、三種の乗物は決してなく、この世には唯ひとつの乗物があると知る。一切のものは同じで、すべては等しく、常に平等に等しい。このように知って、不滅で吉祥な「さとり」の境地を正しく知るのだ。(第五章、「薬草」)

ところで、このことは、人々がブッダの道に導かれる因縁は、歴史的ブッダの存在よりも、はるか以前にさかのぼる、ということになります。このことが、法華経では、「久遠のブッダの威光」といったふうに表現されています。
[仏の実子たちは]多くの世界において、教えを説く。このような所行は、[久遠の]仏の威光による。(序品)

縁起の法(久遠のブッダ)のおかげ(威光、神通力、因縁、根拠)で、ブッダ自身もその他の人々もさとりにいたることができる、というわけです。法華経の物語における真の主人公は、この「久遠のブッダ」として擬人化された縁起の法そのものだと言えるでしょう。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html


57. 中川隆[-7694] koaQ7Jey 2017年5月11日 06:05:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

仏教の経典を何度読んでも眠くなるだけで、何の感動も得られない理由


華厳経をいくら読んでも、とても眠くなるだけでした。

そこで、気づいたのです。

お経は読むものではなく、唱えるものだったのです。

唱えているうちに、意識が変容するように仕組まれているのです。


 河合隼雄「ユング心理学と仏教」(岩波書店)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%A8%E4%BB%8F%E6%95%99-%E6%B2%B3%E5%90%88-%E9%9A%BC%E9%9B%84/dp/4000023438

  

天皇崇拝の時代に生まれ、敗戦を迎えた河合隼雄先生には、
神道や仏教のような宗教性に対する忌避観が深層意識に埋まっていました。

そして西洋合理主義を受け入れつつ、ユング研究のためアメリカに留学しました。

そこで先生は、アメリカやスイスで欧米の研究者たちに出会い、彼らが深層意識の変容の過程として研究している、禅仏教における十牛図や密教の曼荼羅に出会ってしまったのです。

これはまた、ユング研究の錬金術における「賢者のバラ園」とも共通のものでした。

その後の河合隼雄先生の研究は「夢の記」を描いた明恵の華厳経に及びました。
しかし華厳経をいくら読んでも、とても眠くなるだけでした。

そこで、気づいたのです。

お経は読むものではなく、唱えるものだったのです。

唱えているうちに、意識が変容するように仕組まれているのです。


「日常の意識を自立させ洗練させて西洋の近代自我が形成され、それは自然科学という武器を手に入れたので、
その強大さで世界を席巻するかに見えました。

これに対して仏教の説く意識は、西洋の自我と逆方向にそのあり方を洗練させていったのではないでしょうか。

そこには能率とか操作とかの概念がまったくありません。

何の役にも立たないと言いたくなりますが、近代自我の罹っている病を癒す力をそれは持っているのです。」


    *河合先生は近代的自我の病を治す道具としての仏教を発見したのです。


   「心とは如何なるものを言うやらん ふすまに書きし 松風の音!!」

禅には臨済宗と曹洞宗があります。

その中でも臨済宗では合理的な回答の得られない「公案」を呈示します。
「隻手の音」はその代表的な公案のひとつです。

   「片手の拍手の音?」

これは表層の意識による思考に頼らずより深層の意識にと全人的に関わっていくための契機として、
公案が与えられていると考えられます。

クライアントが症状に悩む時、それを解消することにも意味があろうが、
解消せずにいることも意味があると思っています。

どちらを選ぶかはクライアントの個性化に従うのでしょう。

日本の青年を襲っている極端な無気力状態の多くは、A領域に向かう心を「公案」としてもらっていながら、
B領域のことを無価値なものとして感じてしまうので、無為になる状態であると私は考えました。

私はそのような無気力な青年に、仕事をすることの意味や、社会に活躍することの意味を説くよりも、
その人に与えられた公案が、どのようなものか探し出すことに、ともに努力するという態度をとってきました。

   *A領域とは筒井俊彦先生の大乗起信論の心真如(仏心)、B領域は衆生心と解説しています。
http://mandalaya.com/yu-bu.html




58. 2017年5月11日 06:09:33 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[104]

真言宗は天台宗の教義を盗んで密教に取り入れた妄想の上に開宗した邪宗仏教である。

その邪義は天台宗の教義を盗んで密教に取り入れ天皇を誑かして名聞名利に終わった。

現在の国民が最も捨て去るべき亡国の邪宗仏教が真言宗であり帝国を滅ぼした根源だ。


59. 中川隆[-7693] koaQ7Jey 2017年5月11日 06:25:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

釈迦が本当に伝えたかった事

世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。

しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。


 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。

かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。

釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。

 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。

 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。

そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。

 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。

 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。

たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。

つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。

善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。

 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。

要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。

 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。

 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。

しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html

無我について


よく知られているように、「無我」とは、サンスクリット語の「アンアートマン」の漢訳です。


仏典でしばしば言及される「無我」あるいは「非我」と翻訳されるアナートマン(anatman)という語は、「我、自身」を意味するアートマン(atman)に、英語で言えば「un-」とか「non-」を意味するアン(an-)を付けたものです。

それは明らかにアートマンを否定する言葉です。


「アートマン」とは、インドの正統的宗教であるバラモン教(後のヒンズー教)の教義にでてくる、きわめて重要な概念で、人間の個体に内在していると信じられている、肉体の崩壊後も生き残る人間の不変の本質のようなものです。

バラモン教では、このアートマンが輪廻転生すると信じられています。

したがって、アートマンは、インドの伝統的宗教にとって、きわめて重要なものですが、ブッダはこれを真っ向から否定して、アンアートマン(無我)を主張しました。

人間が死んだのちにの生き残って輪廻転生するとと信じられているアートマンなどないと主張したのです。

われ(アートマン)というものはない。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってか、わがものがあろうか。
(相応部経典22.55 増谷文雄訳)


これが、ブッダの思想のもっとも基本的な教えの一つである「無我」の思想です。

「無我」の思想は、単に、自己中心主義を否定しているのではありません。

ブッダはバラモン教の教えである魂の輪廻説を否定したのです。

後代の仏教はやがてバラモン教(ヒンズー教)の教えを再び導入してしまいますが、魂の輪廻説を否定したブッダの「無我」の思想は、いくつかの禅の伝統にはまだ生き残っているように思えます。


信仰について

キリスト教のような宗教と大きく異なって、ブッダは、「信仰を棄てよ」、と教えました。

ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。 (スッタニパータ1146 中村元訳)

ブッダは人間の知識の届かない神秘的なことがらへの言及はさけました。祈祷や呪文や神への捧げものや宗教儀式や運命判断など、まったく無意味であることを説きました。

たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。……

たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。……
(相応部経典42.6 増谷文雄訳)


そのような、祈祷したり、神に捧げものをしたり、呪文を繰り返したり、胡麻を炊いたりして、神秘的な力によって何事かなそうというような夢事から目覚めて、何が人間の非苦の要因であるか(縁起の理法)を究明し、その要因を取り除く道を見つける人のことを、目覚めた人(ブッダ)と呼んだのです。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul01.html

アートマン(死後も存続する永遠の魂)の否定

仏教はアートマンを否定しました。そしてそれをしばしば「無我」(アナートマン、アナッタ)ということばで表現しました。

それは決して、たんに「我執を去る」というような教えではありません。
また、食ったり歩いたり寝たりする日常的「わたし」を否定したわけではもちろんありません。

そうではなく、人間やものに内在していると信じられている恒常な本体、つまり、(人間で言えば)「死後も存続する永遠の魂」を否定したのです。

仏教がなぜ無我を主張したかといえば、仏教の思想の前提に無常の思想、つまり、「常住するものはない」、「永遠不変なものはない」、「ものはすべてうまれ、変化し、滅亡する」、という思想があるからです。「無常(常住するものはない)」という概念と「永遠に存続する魂」の概念は矛盾すると考えられたのです。

原始仏典の中では、無常ということがすべての教えの前提になっている。

「すべては無常であり、すべては苦であり、すべては無我である」という文句は、原始仏典のいたるところでお目にかかる。

無常・苦・無我という概念は、直前の表現のように、いつでも並列されているというわけではない。三つの中でも無常は、苦と無我の根拠とされていることも多い。

すべてが無常なのだから、すべては苦しみであり、そのように無常と苦にさいなまれている自分と世界の中に、絶対者としての自己、恒常・不変・自在な自我などあるわけはない、というようにである。
(梶山雄一、『空の思想 仏教における言葉と沈黙』、8頁)


仏典を読むものはどうしてもこのような無我の思想にぶつかるのです。

つまり、わたしたちの経験世界は見渡すかぎりすべて、わたしたちの肉体も意識もすべて、変滅しており、常住不変なるものはどこにも見つけることはできない(諸行無常)、だから、常住不変であるとされているアートマンなるものはわたしたちの経験世界にはどこにもない(諸法無我)、という主張です。

これが、仏教のアートマン否定の一つの側面です。


仏教のアートマン否定のもう一つの側面は、わたしたちの経験を越えた世界に関する主張の否定です。

たとえば、人(如来)は死後も存続して永遠に生き延びていく(いかない)、というような主張を、ブッダは「おろかな考えである」として否定したのです。

「弟子たちよ、『我』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」

「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマニカーヤ、22:25)

ブッダ自身は、死後の世界とか、世界の始まりだというような、経験を越えた世界に関する問いには、沈黙をもって応えました。

経験を越えた世界に関してはだれもなにも知らない(「真実として捉えられるものではない」)のだから、経験を越えた世界に関する主張はすべて独断(「おろかな考え」)にすぎず、修業の目的(解脱、ニルヴァーナ)の為には、何の役にも立たない、と考えたからです。これが有名なブッダの沈黙(無記、捨置記)です。

ブッダの沈黙のもっとも有名な例は「毒矢のたとえ」ですが、ここでは、もう一つ例をあげておきましょう。

ヴァッチャというある修行者がブッダを訪ねて、

「世界は常住であるかどうか」
「世界には辺限があるかどうか」
「霊魂と身体は一つであるかどうか」
「人は死後にもなお存在するかどうか」

などの質問をしますが、これらの問いに関してはブッダは意見を持たないことをヴァッチャに告げます。そこで、ヴァッチャは、

「いったい、世尊は、いかなるわざわいを見るがゆえに、かように一切の見解をしりぞけられるのであるか」

と問います。そこで、ブッダは答えます。

ヴァッチャよ、そのような種類の問いに対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)


このように、「死後、我は永遠に生きるかどうか」というような(答えのでない)問いに対する見解は独断に過ぎず、修業の目的の為には何の役にも立たない、というのがブッダの立場であり、それでも、「我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう」と主張するものに対しては、ブッダは実に端的に、「おろか」であると戒めています。

以上、仏教のアートマン否定の二つの側面について、まとめてみますと、次のようになります。


経験・観察できる世界

経験・観察できない世界

ブッダの立場 無我である。アートマンは無い。(諸法無我) 沈黙。

「アートマンが死後も存続する(しない)」という見解はおろかである。(無記、無捨置)

ブッダの理由 すべては変滅していて、恒常不変なるものはどこにも見つけることはできない。(諸行無常) 知ることのできない領域に関する見解は独断に過ぎず、修業の目的に役立たない。(常見、断見)


先程、引用した、ヴァッチャとの問答には、じつは、次のような続きがあります。

ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。

「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」

「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」

「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」

すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。

「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。

ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。

他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。

だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。

いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。


ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」

「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」

「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」

「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」


そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。

「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。

その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・
そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」
(同上、増谷文雄訳)


ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。

ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。

ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。

ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。

ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html


60. 2017年5月11日 06:28:19 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[105]

>>56. 中川隆
>宗教ビジネスの為・・・

>>57.
>仏教の経典を何度読んでも眠くなるだけ・・・
>そこで気づいた
>お経は読むものではなく唱えるもの・・・

阿修羅名物の精神異常者 中川隆よ

お前のコメントに釈尊の教えが一つもないのは何故だか分かるか?

真実を教えてあげると言ったが全部出鱈目だ。邪師の邪義ばかりだ。

人は生まれた証に何かを世に残そうと思えば法華経を説かざるを得ない。

法華経を誹謗すれば外道に頼って現世のみ助け後生を助けずの因果応報だ。

せいぜい命終の世界で悶絶して真実を勉強しろよな hahahahahabaka〜


61. 2017年5月11日 06:45:18 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[106]

今の時代は末法時代だ。余経も法華経も栓無しの時代です。

末法の教主釈尊はただ南無妙法蓮華経なるべしと説かれた。

釈迦一代の教えを基に仏教を確立した日本の正法が救世教。



62. 中川隆[-7692] koaQ7Jey 2017年5月11日 06:54:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

インチキ仏教の浄土教はサイモントン療法と同じもの


観無量寿経 9

釈尊はまず、精神を統一し、心を西方に専念して阿弥陀仏とその極楽浄土を観想する方法(定善じょうぜんの観法)を説き始められる。

まずは太陽が西の空に沈みゆく映像を頭の中に焼き付くようになるまで観想する

「日想観」にはじまり、ないし極楽世界のありさまや阿弥陀仏の姿やその徳などを観想し、あるいは自分が極楽浄土に往生しているありさまを観想するといった、十三の観想の段階を説かれる。
http://mujintou.net/dharma/shinshu/kangyou.htm
http://gokagoten8.exblog.jp/26975573/

サイモントン療法

サイモントン療法は米国の心理社会腫瘍学の権威カール・サイモントン博士 (DR. O. CARL SIMONTON)により開発された、がん患者さんとそのサポーター(家族 等) のためのヒーリングプログラムです。 近年ではがんのみならず、ストレスに起因する あらゆる病気に対し 『癒し』 のプログラムが提供されています。

サイモントン博士は米国では優秀な放射線腫瘍専門医として、癌治療の第一線を行くドクターでしたが、臨床の場で患者の治療を重ねるにつれ、病状は全く同じ患者でも、回復力に雲泥の差がみられるという矛盾を何度と無く目の当たりにすることになり、自分の施す医療に行き詰まりを感じるようになりました。全く同じ症状の患者さんに対して同じ治療を行っているに関わらず、成果が出て健康を取り戻す患者さんと、全く成果が出ずに、死を迎える患者さんとにわかれるのです。 

ここで、患者さんの精神・心理状態が病気の経過の大きな違いをつくるということに気付きました。希望をもって治療、または日常生活に取り組む人と、絶望感に苛まれながらそうする人では病気の回復に大きな差が出たのです。

現代では様々な科学的リサーチにより、精神面(心理面)、感情面が人間の免疫機能に大きな影響を及ぼしていることが証明されています。とはいうものの、残念なことに、精神面、心理面をサポート・強化するのに有効な療法やプログラムは、既存医学の臨床の場では体系的に取り入れられていないのが現状です。

病気というものは、その症状が緩和される、あるいは治まるだけでは治癒とはいえません。物理的に癌細胞が死滅するだけでなく、その癌細胞をつくりあげた原因から癒さなければならないのです。私達の心も体も、人間そのものが治癒されて、初めて真の健康が得られます。

サイモントン博士は現代医学の盲点にメスを入れるべく、真の癒しを追求し続け、プログラムを開発。過去約30年間に渡り、癌治療の分野において、また、近年では癌治療のみならず、ストレスが原因となるあらゆる病気・症状の治癒において多大な貢献をしております。

サイモントン療法はベストセラーとなるいくつかの書籍が出版された後、がんのイメージ療法でその名が知れ渡るようになりました。現在もより洗練されたプログラムの拡充を図るべく、改良が重ね続けられており、イメージ療法のみならず、多方面から包括的、体系的に健康へのアプローチがされています。

これまでに、アメリカ、ドイツ、スイス、ポーランドでプログラムが提供されてきましたが、1999年より、日本でもサイモントン療法のプログラムが提供可能となりました。 現在ドイツでは最大クラスであるバベリアン・ガンコントロール協会[南ドイツ]に高水準な癌患者カウンセリングプログラムとして承認されています。

サイモントン療法はカール・サイモントン博士からトレーニングを受け、正式に認可を受けているセラピストのみ行うことが許されています。サイモントン療法認定セラピスト、またはインターン(研修生)に関してはNPO法人サイモントンジャパン事務局までお問い合わせください。
http://simontonjapan.com/about/

C・サイモントン博士のイメージ療法


自分の強い白血球(NK細胞)が、弱々しい癌細胞を攻撃し、撃破するイメージを描く。1日中イメージするのは難しいので、1日2回10分間ずつ瞑想しイメージする。上記の夜寝る前の瞑想タイム時に実施する。

【イメージ療法とは・・】

アメリカのC・サイモントン博士が実践する療法。

人間の体内には1日に3000〜6000個のガン細胞が発生しているが、このガン細胞を50億個(多い人手は100億個)のNK細胞が喰いつぶすことでガン細胞の固まりになるのを防いでいる。NK細胞が弱まるとガン細胞が大きくなるので、イメージ療法の実践でNK細胞を強化!

ガンには弱いイメージを選択し、免疫系には力強いイメージを与えること。そして、死んだガン細胞が自然に体内から流れ出されるところを『見る』のである。瞑想の最後に、自分を健康で、ガンから解放された人として自己確認するのである。


※病気治癒のイメージ

何千何万の熱帯魚が大群(NK細胞)が、ガン細胞をガツガツ、ムシャムシャと喰いつぶす。髪の毛3本に息を吹き掛けると無数の孫悟空が現れ、ガン細胞を残らず退治してくれる。パックマンがガン細胞を喰いつぶすイメージ。


※プラセボ(偽薬)効果

絶対に効くという信念を持って薬を飲む
         ↓ 
神経系を通じて情報伝達(自然治癒力の中枢(間脳)に情報伝達)

      ↓
血液中のリンパ球が強化され、ガンに対する免疫システムが高まってガン治癒に!
名医に処方された薬だから必ず効くという信念

嫌々飲むのと、「これはよく効く」とイメージして飲むのとは大きな違いがある。
http://www.geocities.jp/choko55vv/image.html


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63. 中川隆[-7691] koaQ7Jey 2017年5月11日 07:31:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

元々日本では仏教は宗教としてではなく怨霊調伏の目的で導入したのさ:


真言密教の怨霊調伏を描いた映画

楳図かずお 『マザー』動画
http://www.bilibili.com/video/av2184619/


松竹メディア事業部 2014年

監督 楳図かずお


キャスト

楳図かずお - 片岡愛之助
若草さくら - 舞羽美海
イチエ - 真行寺君枝

お礼参りって…復讐かよっっ!!
親から愛されず孤独で、おまけに傷物にされて縁遠くなり、結婚してからは男狂いと…地元の伝説を作っていたのはイチエさん自身だった。

親戚からも家政婦からも馬鹿にされて、夢で見た通りのお礼参り〜〜〜…。

本当は「子の年・子の月・子の日・子の刻…」(1936年11月?)に生まれたらしい かずおの誕生日をわざわざ自分と同じ誕生日に修正して届け出たのはなんのため?

「お前、似てきたね」
結局、かずおは自分を犯した男の子どもで、イチエはその男にひと目ぼれして探していたというオチらしい。

母親としてこの長男だけを深く愛していて、女としてこの子の父親を探し求めていた。なんか、凄いな。このまま民話のヘビ女にされても仕方ないな。(実際にそんなお母さんだったのかどうかは知らないけど、届け出の誕生日が実際の誕生日と違うのは事実らしい)

「愛してるよぉぉぉぉぉ」の映像はチープだったけれども、ちょっとウルっとなりかけた。

だって、母だもの。
http://www.cinemarev.net/entry/mother-umezu.html


楳図かずお先生による楳図かずお作品の実写映画
「楳図先生!半生記を出版させてくんなまし」

「いいけど住民トラブルの話は無しね」

「了解っす!」


漫画家楳図かずお先生の「半生記」の企画が持ち上がりました。

担当は楳図作品の大ファンで、特に「おろち」に入れ込みまくってる新人編集者、
若草さくら←ここでファンは大喜び


さくらが取材していくうちに、楳図は、母親であるイチエとの間に、強くかつ複雑な関係を持っていることがわかってきます。

イチエは、次男よりも長男の楳図を溺愛してたっぽい。


イチエは、とても美しい人でしたが、 病の床についていました。


楳図に自分が見た夢の話をするイチエ。

「お世話になった方々に、お礼参りをしてきたわ」


イチエは死の直前、楳図に、 「綺麗に化粧をして…」と言い残し亡くなります。

しかし、その手には、どこの誰のものともわからない黒髪が握りしめられていたのでした。


葬式も終わり、日常が始まるはずでしたが、 楳図の周囲では怪奇現象が起こり始めます。


さくらは、楳図の作品に大きな影響を与えているイチエのことを調べるため、
シカ…奈良県曽爾(そに)村を探訪。

そこで、不思議現象に次々襲われるさくら。


一方、楳図の親戚たちが、イチエに襲われる…という事態が勃発。
まさにイチエが見ていたあの夢のとおりになってしもうてる。


実は、イチエの生まれた村に伝わっている、怪奇伝説のモデルはイチエだったのです。

美しいイチエは、通りすがりの男(イケメンらしいが身元不確か)に手篭めにされ孕んでしまい(その子が楳図)、そのことが原因で村人からも親戚からもハミゴにされてしまうのです。


オールドミス(禁止用語)になりかけてたイチエは、 一人の男と結婚しますが、
手篭めったその男を恋してしまってたので、ある意味「男狂い」になってしまった不幸な過去。


イチエは自分を排除した皆様方に、復讐をしておられたのです。

「お礼参り」


楳図は、蘇ったイチエと決別すべく、 神の左手悪魔の右手で戦いを挑みます。

ついでにイチエが苦手としている蜘蛛の絵や、美少女の絵を武器にしたるわ!


実体化したイチエ。
蛇女のようになるイチエ。

対抗する楳図。

イチエは楳図にのしかかり、 「愛してるのよ」と悲壮な声を上げます。

その時、何故か建物が崩れ、落下してしまうさくら。

さくらの髪をむんずとつかみ救出するイチエちゃん…。
死の間際に握ってたのは、さくらの髪の毛だったのねー。


そしてイチエは、さくらの身代わりに深い闇の中へと落ちていくのでした。
ちょっと笑っちゃうポージングで。

「おかあさんいかないでぇぇぇぇ」


事は一段落しますが、 楳図の周囲には、まだイチエがいるような…。

     おしまい

ぼくは、おかあさんがだいすきすきすきすきすきすきあいしてる。

イチエがネグリジェ姿で道を疾走するシーンは、通行人の皆さんが思わず道を譲る…モーゼ状態。
こんな甘酸っぱい思いをするのは、 「実写版スパイダーマン」で、スパイダーマンがごっつ恥ずかしそうに町中を走らされているシーンを見たとき以来でした…。


この映画を一言で表現するならば、楳図かずお作品の実写化、これに尽きます。

漫画を実写にしたらこうなる…という楳図かずおテイスト満載になっております。
監督してるの楳図かずお先生ご本人だし。
故に、ホラー映画として観たなら、あれ?となるかもしれません。


いっちゃん怖い(と思われる)シーンは、廃屋の中で泣いている少女が、こっちを向いたら目から血を流していて…っちゅうところでしょう。


既視感がありますが、気にしない。

それよりも、 母親と息子の間に流れる、しかも同じ腹から産んだ子供でも、 愛する人にそっくりな息子と、 別に愛してないけど生活のために結婚した相手の息子では、愛情の深さに差が生じる…的なところが、 怖かった。


女はいつまで経っても、母になっても女なのよのさ!
そういうのが、いいのかぇ?
母性より己の女性の部分を尊びているオナゴのほうが、いいのかぇ?


楳図かずお永遠のテーマ、

母性(息子に恋してる)
老いたら醜くなる(美しさを永遠に)
寝るときはネグリジェ(そこは違う)

を如実に表した出来上がりとなっておりますぞ。
http://ameblo.jp/makomako-63/entry-12043805571.html




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64. 中川隆[-7689] koaQ7Jey 2017年5月11日 12:38:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

怨霊と仏教


日本を代表する仏像、東大寺の大仏、作られた当時は世界一の大きさを誇った。
しかし、ここでひとつの疑問が。

当時の日本は仏教が伝来してから間もない、アジアの小国に過ぎなかった。
そんな中、なぜ世界一の仏像を作ることにしたのか。

そして、現在でもコンビニより多い寺の数。
仏教徒と意識しなくても、寺に初詣に行く人々。
なぜ仏教はここまで受け入れられたのか。
そこには教科書に載らない日本人の謎が隠されていた。

明治天皇の夜叉孫で、「怨霊になった天皇」などの著作を持つ作家の竹田恒泰さんはこう語る。

旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:

「日本でこれほど仏教が広まったのは、
天皇が仏教を取り入れようと言ったからに他ならないからです。
そして日本が鎮護国家、すなわち、仏教の力を借りて国をまとめようとしたのは、
怨霊に対する怖れが大きな理由だったのです。」

そこには日本最初の怨霊と呼ばれる人物が関わっていた。

日本最初の怨霊とは、どういう人物だったのか。

その人物の遺骨を葬った土地では、農民が次々と死に、 都には疫病が大流行したと怖れられた。

その人物の名は、「長屋王」(684〜729)。

長屋王は天武天皇の皇子と天智天皇の皇女の間に生まれた。
いずれ天皇になってもおかしくない生まれ。
事実、重要ポストを歴任していた。

だが、当時、朝廷では藤原氏が台頭。
藤原氏の4兄弟は天皇と姻戚関係を結ぶべく、妹の光明子を聖武天皇の皇后にしようと働きかけて、 長屋王はこれに強く反対し、藤原氏と対立した。


「長屋王はですね、サラブレッドみたいな存在でして、 天智天皇の孫で天武天皇の孫である、そして左大臣という政治の一番高い位置を占めていた、
そういう重要なポジションにいたため、藤原氏から恨みを買って、蹴落とされたんだと思います。」

729年、政府への密告があった。
長屋王が密かに国家を転覆しようとしているというのだ。

藤原4兄弟らが率いる軍勢は、これ幸いと、長屋王の邸宅を包囲、弁明する余地も与えられぬままに、長屋王は自害に追い込まれ、妻や家族も後を追って果てた。

しかし、長屋王の死後、異変が相次ぐ。

「日本霊異記」によると、 長屋王の遺骨を土佐の国に移して葬らせたところ、農民たちの変死が相次ぐようになり、このままでは「親王の怨霊で、国中の農民が死んでしまうので、埋葬場所を変えて欲しい」

という嘆願書が役所に出された。

これが日本最古の説話集に記述された怨霊の記録。

さらに都には疫病が発生して大流行。

大勢が死に、長屋王を抹殺したと考えられる藤原4兄弟は、わずか4ヶ月の間に次々と命を落とした。

この祟りに対し、聖武天皇が神道以上に頼ったのが仏教だった。

疫病の流行が止むことを祈願して、各地に釈迦像を造り、大般若経を写すことを命じた。

741年にはすべての国に、巨大な寺院をふたつずつ作る、国分寺創建を宣言。
さらに743年には大仏建立を発表。


「よく教科書で、大仏は疫病が流行ったから造られたと言われていますが、
その疫病自体が、長屋王の怨霊だと怖れられていました。
聖武天皇は大仏を建立して、出家してしまうんですよ。

現職の天皇が出家するというのは、大変な事件でして、
国民は、天皇は神だと思っている、その神が出家して仏に額ずいてしまう、
これを見た国民は、仏とはそういう存在なのか、という風に見た訳ですね。」


聖武天皇の孫の時代にも怨霊は生まれた。

桓武天皇の即位時に皇太子となった、兄弟の早良親王は、父である光仁天皇の死後、孤立。
その後陰謀に巻き込まれ36歳で憤死して怨霊に。

3年後、桓武天皇が30歳で死去、皇后が31歳で死去、そして次期天皇の皇太子までが、精神疾患に。

ここで桓武天皇はある決意をする。

「当時、都は怨霊の跋扈(ばっこ)する非常に危険な状態であるという風に信じられていまして、その怨霊から逃れるために、遷都をする、これが桓武天皇の考えだったようです。

794年、桓武天皇は、建設途中の長岡京を放棄し、平安京への遷都を発表、
この事が、日本の仏教界のふたりの巨人、最澄と空海の運命を変えていく。

実は桓武天皇が遷都した平安京の、魔が入ってくると言われる「鬼門」の方角に当たる寺に籠っていたのが最澄だったのだ。

桓武天皇は、平安京を怨霊から守るため、最澄に興味を持つ。

802年には最澄を国費留学生として唐に派遣することを決定。

最新の仏教を学んで、怨霊がもたらす疫病や死から、親族や民を守ってもらうためだった。


「仏教というのは東アジアの最先進国である中国、朝鮮で用いられていますから、
力があると思われていたんですね。
ですから荒れ狂う怨霊を前にして、仏教の力を借りれば鎮められるんじゃないかと考えていたと思います。

事実、最澄が唐から戻ってまずしたことは、病床の桓武天皇への祈祷だった。

だが、その甲斐も虚しく桓武天皇は亡くなる。

その後を継いだ息子の平城天皇は、弟の伊予親王を、謀反の疑いで服毒自殺に追い込み、怨霊化させてしまう。

自分も2年そこそこで身体の不調を訴え、弟に譲位、その後、弟の嵯峨天皇と対立し失脚。
今度は自分自身や子供までもが怨霊化することに。

「桓武天皇亡き後も、平安京は怨霊に悩まされ続けます。

嵯峨天皇は、空海が中国から持ち帰った密教に非常に興味を持ちまして、今までにない特別な霊力を持った、ベールに包まれた密教を取り入れていこうとします。」

空海の密教パワーを確かめたかった嵯峨天皇は、 日本中に疫病が流行った際に空海に祈祷を命じる。

すると今まではびこっていた病気はたちまち治り、人々は回復に向かったという。

嵯峨天皇は空海への信頼を深め、823年には京都の東寺を空海へ与える。

後には宗派の違う東大寺の役員まで空海に委任。

嵯峨天皇の次の淳和天皇も、空海に怨霊を鎮める法会を依頼している。
空海は、都の怨霊封じとしても期待を集めている。


「空海が持ち帰った密教というのは、これまでの仏教と違って、仏にすがるだけではなくて、 自分たちも修行して高めることによって、自然のいろいろなものまでも動かしていく可能性がある。

このような密教に大変な人気が集まります。
ですから、貴族、天皇、そういった人たちも密教を取り入れるようになります。」

神道の中心である天皇が、仏教の密教儀式を行っていた。それはどういうことなのか?

「天皇一代にあたり、一度しか行われない即位儀礼、
天皇が天皇になるための儀式ですが、 従来は神道の儀式だけでした。
ある時そこに仏教の儀式も行われるようになります。」

なんと天皇は、即位の時、密教儀式を行っていたというのだ。

竹田さんの監修のもと、再現を試みた。
その驚くべき内容とは。

天皇の即位式の最も重要な儀式、「紫宸殿の儀」(ししんでんのぎ)は京都御所の御正殿である「紫宸殿」で行われる。

板敷きの空間の中央に、高御座(たかみくら)が置かれている。

高さおよそ5メートル。
平面八角形で柱と柱の間に帳(とばり)を巡らし、内部には椅子が置かれている。

ここに座ることで、天皇の即位が象徴的に示される。

この高御座に着席された後、天皇の密教儀式が行われていたと言うのだ。

天皇が、女官の差し出した「さしば」で覆われている時にしていることとは?

密教で仏を表すポーズ「印相」を組み、仏を意味する言葉「真言」を唱えると言うのだ。

印相、真言、どちらも大日如来を示すものだったと考えられている。


「なぜそのような重要な儀式に仏教が取り入れられたかと言いますと、その時、もう神仏習合が進んでいました。

それで、神道の世界では天照大神、もっとも貴い神様、これが仏教で言う大日如来に該当する、こんなような考え方がされるようになりました。

天皇は即位の儀礼の時に、神道儀式を行うことによって、天照大神の霊力を受け、
そして仏教儀式を行うことによって、大日如来の霊力を受ける、これで天皇は完成すると考えられたんですね。

即位勧請というのは、平安時代に始まって、最後は幕末の孝明天皇まで続けられました。」

そして明治維新、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で仏教を叩いた新政府、
日本に仏教の霊力は必要とされなくなったのだろうか?

実は、明治天皇は、自らの即位の前日に、ある怨霊の鎮魂を丁重に行っていたという。

その人物こそ、日本史上最大の怨霊と呼ばれる、讃岐の地で憤死した崇徳天皇。

無実の罪に陥れられた崇徳天皇は、天皇家への呪いの言葉を残し、憤死。

以後、鎌倉時代から江戸時代まで、武士の時代が続いたのは崇徳天皇のたたりだと信じられていた。

武士の世を終わらせるため、明治天皇は崇徳天皇を丁重に祀る必要があった。

この大事なまつりごと、崇徳天皇の御霊を京都にお迎えするにあたって、神道、仏教、両方でお祀りがなされた。

「700年ぶりに、崇徳天皇の御霊を四国から京都にお移しする時も、神道の儀式と仏教の儀式と両方が行われています。

このように、日本人は、神様と仏様、両方を大切にしながら、 平安時代から今まで神仏分離を経ても、両方区別する事なく、大切にしてきたわけです。」


あなたが、神社と寺を区別せず、神様にも仏様にも同じようにお祈りしてしまう理由、 教科書には載らない日本人の謎には、こんな歴史が隠されていたのだ。
http://blog.goo.ne.jp/jasmine_2009_6/e/2a8ec0a72804a6addf2c68c97b81dcf0

[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

65. 中川隆[-7688] koaQ7Jey 2017年5月11日 12:49:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

これで、法華経、法華経と騒いでるアホも、日本の仏教が

呪詛 + 麻薬を使った乱交パーティ−

だというのがわかったろ:

梵我一如はエロスの世界


フツーの人が本物の の体験をするのはまず不可能です。 どうしてもと言うなら クスリに頼るしかないでしょう。 クスリが「宗教儀式」に使われるのはそういう事情なのです:


芥子の花


ふ〜しょう♪ふ〜めつ♪ふ〜くう〜♪ふ〜じょう♪〜

読経は続いている。焼香の煙が静かに漂い流れてくる。

私の実家は阿波の国、土佐との国境で、海底で堆積し褶曲された山々がある所では隆起しある所では黒潮が流れる青い海へと没した海辺に開けたのどかな土地にある。

宗派は真言、それで弘法大師いわれの話しがここかしこに言い伝えられている。


大師さんが休み、杖をついたところ、そこから清水が湧いてきたとか、ちょうど大石が落ちてきた時、弁当に使っていた箸を地面に突き刺すと忽ち箸は大木の杉の木になって大石の落下をくい止めたとか、小さな頃から法事がある度に先代のおじゅっさんから先祖の逸話を聞くと伴に大師さんにまつわる話しを数多く聞いてきた。

・・・ないし♪むろし♪やくむろしじん♪・・・


遠い声を聞く様に清んだ先代のおじゅっさんの話し声が重なって聞こえてくる。


裏山に住む狸の話をしてくれた事や椎の大木の陰に潜む天狗が夜な夜な空を飛ぶ話しとか、そんな幾つかの話しの中にあって、ことさら不思議と胸の内にわだかまった話し


「大きな声では言えないがね寺の裏山には終戦頃まで芥子の花が咲みだれていてね・・・」


何か咲きみだれる見知らない花々が秘密めいて思い出されてくる。

これは我が母校の校章となっているからだろうか?

焼香の匂いが一層強く漂い私はさらに静かにゆっくりと夢想の翼が開いていく様に感じられてきた。 月の青い光が降り注ぐ裏山に白い花びらの芥子の花が青白く濡れている。 これは梶井基次郎が書いた『櫻の木の下に死体が埋まっている』より尚妖艶ではないだろうか?

芥子の花の下には骨が埋まっているのに違い無いのでは。


空海さんはさすが博学やったんやな〜と思ってしまう。 真言密教の片田舎の末寺に芥子の花が咲き乱れていたと言う事は日本各地の数多くの寺々では芥子が植えられ使われていたのではないだろうか?

さても、古く真言密教の儀式において護摩火に芥子も焼香のひとつとして投げ入れる秘儀が常時おこなわられていたのでは?・・・

かの時代なら十分うなずけれることなのでは。


薄暗い堂内に掲げられた曼荼羅に昇る火と立ち込める煙、それと伴に強い香を焚けば祈りを捧げる人々、 みんな酩酊しないわけが無いのではないだろうか。

人々の眼前に現れるのは極楽浄土だったのではないだろうか。


夢想する私の耳には空海さんが唐国から船で帰るさい墨染めの衣の袖の下には身毒(インド)渡りの芥子坊主を忍ばせた・・・・

サラサラと芥子坊主の中の乾いた実の音が聞こえてくる。

そしてその音はサラサラ サラサラと木霊し流れ来て私の脳内の神経節の一部にエンドルフィン、エンケファリンとして反応し点滅している様に感じられてくる。

それはランニングハイのような高揚なのだろうか?

いやいやそれは今まさに私の脳内で芥子坊主から滲み出した黒く変色した果汁が翼を開ける様に広がっている高揚なのではないだろうか?


・・・ぎゃあ〜てい♪ぎゃあ〜てい♪はらさそ〜うぎゃあ〜てい♪・・・・


読経は尚も続いている。

ああ・・・またもや何処か人知れない廃寺の裏山でひっそりと月の光に濡れながら青白く咲く芥子の花と唄う様に揺れる芥子坊主の姿が私の頭の中で映像として結びだしてきた。
http://plaza.rakuten.co.jp/maeno7547/diary/200901310000/


20 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2010/01/21(木) 22:13:43 ID:rkoUr6r70

薬を使ってのセックスは通常の快感の100倍だってね
射精時なんか脳天がブチ破れるほどの快感
女は常にいきっぱなし


_______________


ヘロイン (heroin, diamorphine) は、アヘンに含まれるモルヒネから作る麻薬。

塩酸モルヒネを無水酢酸で処理し、生成する。

依存性の極めて強い麻薬であり、麻薬及び向精神薬取締法で、その製造・所持・医療目的を含め、規制対象になっている。

現存するあらゆる薬物の中で「快」の面でも「悪」の面でも最も高峰に位置するものとして、「薬物の女王」(The queen of drug) の代名詞を持つ。

使用法はスニッフィング(鼻からの摂取)、経口摂取、静脈注射など様々であるが、この中でも特に、静脈注射をもって摂取した直後数分間にわたって続く

「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものといわれ、時には
「オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているよう」、

また時には

「人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態」
とも表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいといわれるその至福感は、しばしば「約束された安堵」などとも表現される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%B3


人間の脳には主に3系の神経節に分かれております。
そうA・b・cといった具合にです。

A10というところは快楽(ドパミン)
B系は鬱と深くかかわる(セロトニン)
C系は憤怒系(アドレナリン・ほか)

Aに作用させたものが主に「覚せい剤」といわれるもので、
その他モルヒネ・ヘロイン・大麻(THC)などはダウナー系であり
覚せい剤とはまったく異質なものである。

特に最近麻薬指定を受けた「マジックマッシュルーム」(私も数年前まで栽培してた)などはB系のセロトニンという神経伝達物質受容体(シナプス)に結合しガキのころに恋愛したようなホンわかしたいい気分にさせてくれる。

もちろん幻覚は強烈です!

LSD(リゼルグサンジエチルアミド)も同様な状況になる。

覚せい剤はその瞬間的な強烈な効き目とトリップ中の性感覚の急増に伴い女性が常用するとなかなか抜け出せなくなってしまいます。

精神的依存はかなり強烈であるといえます。

最強な依存度を誇るのは「ヘロイン」です!

ダウナー系最強で、禁断症状が一番強烈で骨がきしむような痛みを伴いヘロインなしでは生きてゆけないくらいの禁断症状に見舞われます。

上記2種類に比べればL・きのこ・大麻(THC)などは健康食品程度のもんです(笑)


_____________


覚せい剤(シャブ、速いの、冷たいの、エス、スピード、アイス)


  日本が世界一の消費国家です。

  外観:白い無臭結晶で、舐めると苦い。

  使用方法:静脈注射、炙った煙を吸う、鼻孔注入、経口、アナル、注入
       性器塗布

  効果:注射なら直ぐ、炙りや鼻孔注入なら5〜10分ぐらいで効果が現れ、2〜5時間程続く。
     目が冴え、疲れ眠気がなくなり、気分は最高! 薬が切れるまで、不眠不休で動ける。

     肉欲だけのエロティックなケモノになる

     鼻孔が開き、手足が冷たくなる。効き始めに、お腹がゆるくなる人も多い。
     薬が切れると、激しいウツや過度な倦怠感、イライラなどバッドな症状に襲われる。
頭痛や全身の筋肉痛も辛い。
     この不快感から抜け出すために、また入れる。
     それまでの不快感がなくなり、一気に気持ちよくなる。

     常用して、3、4ヶ月で幻聴/幻視が発生し、
5年後には統合失調症のような症状を一生かかえることになるようだ。

     マジで、「人間やめますか? 覚せい剤やめますか?」状態になるそうです。

     「まじで、人間やめますか? 覚せい剤やめますか?


  所感:ヤクザ関係で、シャブ漬けされるケースもある。

     方法としては、無理矢理、性器やアナルなどに塗布するようだ。

     女性受刑者の8割は、覚せい剤犯なので、女性の方は注意してください。


  メタンフェタミン、アンフェタミン:

     日本では、純度の高い覚せい剤であるメタンフェタミンが多く流通している。

     アンフェタミンは、海外で多く流通しているメタンフェタミンより、純度の低い覚せい剤。
     特徴は、錠剤錠になっている。


  ヤーバー(赤シャブ):

     およそ、メタンフェタミン1対アンフェタミン2の割合でミックスされており、直径5mm・約90mgほどの赤い錠剤だ。

     甘ったるい匂いがし、「WY」と刻印されているものが多い。
     これは、現在日本にも入って来ている。

     知らずに中毒にさせられ、ヤバイことになっている女性が多くいるようです。

     女性の方は、気を付けてください。

http://blog.livedoor.jp/five55/archives/50732585.html

覚醒剤シャブ中毒の幻覚と怖さ


最近ケシ、大麻栽培、それを保持、利用で捕まる大学生が報道されて、早慶戦状態になっている。

外部の人間には、なんで?学生が・・・と理解不可能だ。

実のところ、あの麻薬、覚醒剤(=シャブ、水溶液して使用するとシャブシャブ音がする俗称)の効能は、元ヤクザに聞いたところによると、SEXへの効能のようだ。


これを目的で常用している人が多い。

ウラのルートで情報が入る芸能関係で検挙されたり、逮捕されている人は、みんなスマした顔してもセックスで頭が一杯、そういう人が日本中に充満しているのだろう。

表からは見えない日本と日本人が変質しているのかもしれない。


シャブの値段、昭和60年代〜平成の始めの頃、小袋(2グラム程度)で2万円〜5万円。 それを水に溶かして、三、四回分。

それをセックスの前に打ち、相手の女にも打つ。 快感がまるで違うんだ、という。数倍の快感が得られるという。

こっちが打って、相手の女が打っていないと、快感のギャップで、女は恐怖感をもってしまうらしい。


元ヤクザ氏は、シャブ(覚醒剤)を注射し続けて、中毒になった。

10年に渡って続けて、幻覚で自分がなにやっているか、わからなくなって、元ヤクザ氏は、家の中で家財を壊し、メリケン粉はぶちまけ、自分の子どもを学校から連れ出し、一家連れてドライブ、免許停止で無免許運転。

交通事故で車が停車している時、奥さんや子ども連れて逃げ出し、元ヤクザ氏が逮捕された。 奥さんが警察に届け出て、指名手配になった。 家に帰ってきたとき、警察へ電話して、逮捕される。

そのとき、幻聴や幻覚で自殺しようとして、腕を切りつけた。

急所を外れていたので一命を助かったが、その後も留置場で、縫いあわせた傷口を切ったり、幻覚に悩まされ続けて、その後も自殺を図る。 シャブが効いている間は、あまり痛くもないから、無茶をやる。


幻覚で留置場の壁がだんだん狭まって、今までやっていた恐喝や暴力沙汰の相手が復讐に来るとか、恐怖に悩ませられ、逃げる逃げられない状態で、気が狂うんだそうだ。

覚醒剤を固まりから、粉を溶いて注射液を静脈注射をすれば、すぐ効いてくる。

先ず、気が大きく、目はさえて、腹がすいた感覚がない。 メシを食わなくても平気だ。 だから、大抵の中毒者は痩せている。

その元ヤクザ氏は、当時愛人を6人囲っていた。 若気の至りで、シャブさえ打っていれば、元気、元気で、SEXは何回でもできるか、試したそうだ。

メシも食わないで、24時間で何人相手できるか。

空腹感はなかったが、途中で、カツどん一杯は食べたそうだが、シャブを打って、6人全員制覇したという。 結局、時間は25時間かかったらしいが。

それが、10年目で幻覚が激しくなり、警察官が家に隠れているとか、二階からセックスしている声が聞こえるとか、ちょっとしたことで妻への暴力を振るう。

つまりは「人間が壊れた」状態になった。


留置場から拘置所へ送致され、そこで、幻覚で苦しむ日々が続き、数ヶ月続き、監禁されて禁断症状から、或る日、頭から熱いものが抜け打たように気分が変わった、という。 同時に精神の変化も起こして、今まで本嫌いだった元ヤクザ氏、独房で読書三昧。 気が(良い方に)変になって、自分自身、別人になったかと思ったそうだ。

仏教書を夢中に読んでいたから、それが契機で精神と肉体の遊離を経験した。


これを「死後の世界を見た」「悟りを開いた」という。

本人しか分からない部分であるから、第三者からは、違うとも、その通り、ともいえない。 それが、刑務所内で、仮釈放の条件を満たす模範囚だったにも係わらず、「悟りを開いた」ことは、普通の常識では理解されない。

社会では適応できる人とは認められないようだ。 結局、ぴったり満期まで刑期を勤めることになった。 元ヤクザ氏の話である。




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66. 中川隆[-7687] koaQ7Jey 2017年5月11日 16:08:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2014-12-23 「ユングとチベット仏教の29の悟り」の紹介


The Wisdom of Imperfection
https://www.amazon.co.jp/Wisdom-Imperfection-Challenge-Individuation-Buddhist/dp/1559392525


 この本は、日本で出版されていない。ユングとチベット仏教に関する内容である。

チベット仏教と言えば、まず、ダライラマが頭に思い浮かぶだろうが、チベット仏教の内容となれば、日本人は、なかなか理解できないところがある。この本は、西洋人の視点から、本来、オカルト的な密宗を、精神医学的解釈を加え説明している。

 著者のRob Preeceはイギリス人で、17歳のとき、工場で仕事を始めたが、機械のような仕事に適応できなく、世界各地を旅行し、自己探しを始める。1973年からチベットで、修行を始める。その後帰国し、心理学学科を卒業。1987年から、心理カウンセラーとなる。

 この本を読む前に、たくさんの修行に関する本を見てきた。特に、居住地区が台湾なため、台湾の禅を中心とした本を多く読んできた。

台湾と言えば、民間宗教は道教である。

道教とは、日本の神道のようなもので、いろいろな精霊が神として祭られる。

一番有名なのは馬祖だ。馬祖はもともと福建省で生まれた海の神である。
日本も昔、平清盛の時代、海に鳥居が建てられ、祭られた。当時、福建省の海賊と日本の海賊は手を結んでいると言われたほど、海の産業は盛んだった。

説明すると長くなるが、こういう民間宗教は、ほとんど霊の力を借りている。
従って、宗教関係の本となると、必ず霊の世界に接触しなければならない。
それも、説明なしに、そういう修行方法を紹介される。

「The Wisdom of Imperfection」は、そういうオカルト的な部分を、できる限り、人間性の構造をあげて、説明をしている。


 心に残った言葉:

(1)仏教におけるスピリチュアルは、その場その場を覚醒していること

カウンセリングにおけるスピリチュアルとは、神と人間を分けるような二分法の中で、神に値する部分。
ゆえに、西洋人にとって、人間とはいくらがんばっても完璧になれない存在。


(2)仏教修行は、無意識の影を治療することはできない。

なぜなら、仏教では人は生まれつき覚醒しながら生きる能力があると考える。
一方、カウンセリングでは、人間が生きてきた過程を重視し、その過程で押さえ込まれた願望である無意識を治療することを重視する。

 座禅をしたことがある人ならわかるだろうが、座禅は人の混沌とした思想を排除し、五感をはっきりと意識させ、世界を連結させて考えさせる能力を身につけさせる。

その能力を中国語で「慧」と呼ぶが、「慧」は上述したように、神秘的な現象ではない。
「慧」を身に着けたって、その個人の無意識の影は、取り払うことができない。

例を挙げると、幼少のころ、親に性的虐待をうけたことのある児童は、生存するために記憶を隠してしまう。その影は、隠されただけで、成人すれば知らず知らずにうちに顕著になってくる。

仏教はこのような影を治療することはできない。

性的虐待は少し顕著すぎる例だが、もっと一般的な例を挙げてみると、ピーターパン症候群なども治療の難しい無意識の影だ。

(3)修行にのめりこむそれ自身は固執である。

たくさんの西洋人は、「無我」や「空」の思想を、自己を捨てることであると考える。
実はこれは、たいていのお坊さんも同じ思想である。

仏教を信じる人は、全ての財産を寺に寄付することで、金銭に対する固執を捨てなければならない。また、既婚者は離婚しなければならない。出家以降、如何なる性行為もしてはいけない。

これは、自我欲を捨てるのではなく。心の片隅に隠し、無意識化することである。

時がたてば、彼らはいわゆる変態になるだろう。
カトリックの牧師やお坊さんがよく性的事件を起こすのはこのためである。

ブッタの経典には、仏教の修行は世俗で行うのが良しとかかれている。

寺に出家するのは、精神的変態か、袈裟を着て、社会における地位を獲得することを考えている者が多いと思われる。


(4)宗教は、使って捨てるもの。

もし、お坊さんがこういったら、お金が儲からないので、あまり言う人はいないと思うが、ラジニーシオーショや創巴仁波切などは、素直に述べている。

金鋼経にも同様のことが述べられている。

たくさんの宗教信者は、宗教を信じてたくさん学んだはずだ。
しかし、個々の人間はそれぞれ違った成長を経ている。従って、心のそこで、何か一体化できないものがあるのは当然のことだ。

それが爆発するまで、人はその宗教団体で誠実な信者であろうと努力する。

それ自体は、固執であるが、宗教とは、人間の核心的な存在で、それ自身を否定することは、生命をも否定することに等しい。

ゆえに、たくさんの信者は否定したときに、死を選ぶ。
あるいは、一生心の闇を抱え、宗教団体の奴隷となる。

わたしはそういう人たちをたくさん見てきた。
そういう人たちは、精神的な病気や、癌など致命的な病気を抱えてしまう。


 この本の著者自身、仏教徒であり、仏教を信じることの落とし穴をよく知っている。それを説明してくれた、初めての本だと思う。
http://zaizai25.hatenablog.com/entry/2014/12/23/182215

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67. 中川隆[-7686] koaQ7Jey 2017年5月11日 16:26:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

大乗仏教の悟り (宇宙と「自己」との一体感・同一化)というのは心理学で『自我インフレーション』と呼ばれているものと同じ


個人の意識を潜って行く・・すると先人達の意識に達し、さらには民族、もっと潜って行けば人類の無意識層が横たわっている。

 集合的無意識には「元型」呼ばれるものに分類され、『自我』『自己』『影-シャドウ』『アニムス・アニマ』等。さらに細分化され『仮面-ペルソナ』『子供-インナーチャイルド』等もある。

  【そこで最も重要視しなければ成らないのが『英雄』と言う元型である。】

 元型の作用があまりに強く、自我が十分に自分自身を意識して確立していない場合、自我は、元型の作用像を自分自身の像と混同し、元型の像に同一化することがある。自分が非常に大きな力・権力を持ち、偉大な存在であると錯覚する事態が生じるのだ。

  【これを自我インフレーションと言う。】

 集合的無意識は、ある場合には、無限のエネルギーを持っているように見えることがあり、その結果、自我のインフレーションは極端化し、自分こそは、世界を変革する英雄であり、偉大な指導者であるなどの妄想的な錯覚が生じることがあるだ。
http://linray.run.buttobi.net/column04.html#spirithttp://www.seijin.asia/wps/?p=30

個性化と自我肥大(自我インフレーション)

ユングは最終的には実存主義者ではなく実在論者の立場を取ったと考えていますが、実存主義を理解していたことは確かであると思います。

ユング心理学の言うところの「自己」とは、極論すると「神」または「全宇宙」と言い換えても良いものです。

ユング学派の言う「個性化」が進むとフロイト学派の言うところの自己同一性は高まって行くのですが、その結果心理的変容の1つの最終過程である「自己」との一体感を感じる瞬間が起きます。

これをユング心理学ではエナンティオドロミーと呼びますが、この際に経験者には自我肥大(エゴ・インフレーション)という物が起きているとされます。

この自我肥大という言葉は、言葉だけでも良い印象は無いと思いますが言ってしまえば、「自分と宇宙が一つになったような全能感」が起きます。

私の経験からですが、頭の片隅ではこれは一種の錯覚に過ぎないと気付いているのですが、確かに自分がまるで「神」になったかのような気持ちになり、一種傲慢になりました。

そして非常に分かりにくいと思いますが、同時にそれは「死」に非常に近接した状態、生と死の交わる1点に自分が立っている感覚であり非常に危険です。

別のある心理学者(セラピスト)の言葉を借りると「自分が100%死ぬと分かっていた」という表現も可能です。(彼の場合は私と比較し幾らかポジティヴな状態であったようですが。)

この異常な精神状態が、おそらくニーチェの言うところの「永遠回帰(永劫回帰)」になるのであろうと考えています。

心理的変容が未経験の哲学・文学系の方々は、この永遠回帰を文章・文脈的に理解しようとする傾向があるようですが、この永遠回帰思想はそれだけでは断片的理解に過ぎず、彼のツァラトゥストラには、むしろこの「死を伴った全能感」をニーチェが克服しようとした時に表された言葉が出ているだけと考えています。

ニーチェの「ツァラトゥストラ」含め彼の作品は皆、一種の高揚感がありまた傲慢とも言える全能感に満ちていることがありますが、この原因には彼の梅毒罹患による脳の器質的破壊があったかもしれませんが、ユング派の言葉を借りれば個性化過程における自我肥大による影響もあったのではないかと思います。

ニーチェの文体は非常に力強いのですが同時に一見、混乱・破綻したような文章になっています。

これは自我肥大を伴う個性化課程を経験した者のみは「ああ、そうだよね。同じことを経験しているんだ。」と読み解けるようある程度意図的に設計されていると思います。
http://www.seijin.asia/wps/?p=30



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68. 中川隆[-7685] koaQ7Jey 2017年5月11日 17:28:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

悟り (宇宙と「自己」との一体感・同一化)の体験談

俺が統合失調症を発症した時の話をする 2014年04月22日
http://world-fusigi.net/archives/7221891.html

27: 名無しさん 2014/04/18(金)22:30:04 ID:nOrYKPrgj

宇宙の秘密の前に、俺が発症した時の話しをしないといけない。

2012年2月14日、職場で昼寝をしていた時のことだった。

目を閉じて、じっとしていると、自分と周囲の空間が同化したような。
もっと適切な言い方をすれば、自分が周囲の空間に広がって行くような、
不思議な感覚を覚えたのが、ことの発端だった。


俺はその時の感覚が忘れられず、再び体験したいと思った。

かと言って、それが必ずいつも体験できるわけではない。

それには条件があって、

1.空腹であること
2.ひどく疲労していること
3.寝るわけじゃないけど、ちょっと休みたいという微妙な状態

が揃っていないとダメだと言うことが、少しずつ分かってきた。

あのまま、自分が広がり続ければ、一体どうなってしまうのだろう。
それは怖くもあったけど、とても興味があった。

人間、恐怖よりも好奇心が勝った時ってのは、本当に危ないんだなって今は思う。


32: 名無しさん 2014/04/18(金)22:35:22 ID:PFGJ0Kotj

空気に体がすうっと溶けていくような感覚ならわかるがそれとはまた違うのだろうか


34: 名無しさん 2014/04/18(金)22:36:39 ID:nOrYKPrgj
>>32
空気と言うより、自分という「個」が、周囲の「全」に一体化していく感覚かな。
それは、後でより詳しく書けると思う。


33: 名無しさん 2014/04/18(金)22:35:23 ID:1pgyZHFVh

もったいないな、もう少しで悟り開けたのに、現実という幻に引き戻されたか

38: 名無しさん 2014/04/18(金)22:39:01 ID:nOrYKPrgj

試行錯誤を繰り返しながら、俺は「自分が広がって行く」という感覚のコツを掴んで行った。

目をつぶり、何も考えず、ただ心の奥から沸き上がる
「どこまでも広がり続けたい」
という気持ちに身を委ねる。

それは、恐ろしいほどに心地よく、陶酔するほどの幸福感に満たされていた。

このまま、自分は消えてしまっても構わない。
ただ、どこまでも広がり続けたい・・・そんな風にすら思ったよ。

40: 名無しさん 2014/04/18(金)22:40:15 ID:1pgyZHFVh

元々自分を「個」と感じさせてるモノはプログラムされた自我だからな
そもそも本質は全てと一体なんだよ


47: 名無しさん 2014/04/18(金)22:43:35 ID:PFGJ0Kotj

3つの条件が揃っていれば場所はどこでも可能だったの?


49: 名無しさん 2014/04/18(金)22:46:47 ID:nOrYKPrgj
>>47
どこでも、というわけじゃない。
静かな所や、一番成功率が高かったのは、午前中の公園とかだった。


48: 名無しさん 2014/04/18(金)22:45:27 ID:nOrYKPrgj

そして、ある日、俺は目を閉じ、あぐらをかいて、
自分の中から沸き上がる「広がりたい」という思いに身を委ねていた。

その頃には、俺は自分の周囲、半径数メートルぐらいまでには広がることが出来るようになっていた。

自分の思いに忠実に、それはまるで「自分の内なる声に身を委ねる」ような感覚だ。

少しずつ、少しずつ、自分が周囲の空間へと溶け込んでいく。
溶け込んでいくけれど、決して薄まることはない。

「ここまでしか広がれないのか・・・」
そんなことを思った時、目を開けた俺は不思議な光景を目にした。

目を開いた時、俺は自分ではなくなっていた。
目を開いたはずなのに、俺は目でものを見ていない。

これは例え方が見つからないので、少し冗長な言い方になってしまうけど、
目でも肉体でもなく、広がった自分そのものが、周囲のすべてを見ていた。

その時に、俺は気づいた。
俺は広がっていたのではない。
周囲の空間に、俺はなっていたんだってね。


52: 名無しさん 2014/04/18(金)22:52:01 ID:1pgyZHFVh

一体になって自分に戻ってこれなくなるようじゃ確かに危険だな
こっちの世界では死のようなものだしな


55: 名無しさん 2014/04/18(金)22:54:20 ID:nOrYKPrgj

それを、まるで起爆剤とするかのように、
俺は突然に、周囲の様々なものと同化するような感覚を体験した。

草や木や、草やベンチ、腰を下ろしている土すらも自分になり、
それが連鎖的に、どんどん結びついていく。

「もっと、もっと、広がりたい」

そう思った瞬間、俺は周囲の空間を一気に満たす、まるでエネルギーのようなものになっていた。

すべての物が、自分でありながら自分ではない。
しかし、それらも実はすべてが同じであり、同じではない。

とても理解しがたいかも知れないけれど、その感覚を感じた時、
エネルギーとなった俺は、さらに上空へ、空へと広がって行った。

空に広がった俺は、既に「個」としての自分を忘れていた。

エネルギーとなった自分は、既に自分では制御できない速度で、どんどんと広がって行く。

地球を満たし、太陽系を満たし、さらに遠縁の宇宙空間をも満たした俺は、
すべての物質、あるゆる力が、物理法則だけでなく、
「抽象的な概念」とでも言えば良いのか、事象を構成している「理由」とも結びついていることを感じた。

恐ろしいほどの幸福感、このまま広がり続ければ、一体どこへ行くのだろう?
このまま戻ることは出来ないかも知れないけれど、それでも構わない。

「もっと広がりたい」

そう思った瞬間、俺の存在は宇宙全体へと広がり、そこを満たして行った。

宇宙を満たし、すべてと同一になった俺は、その先へと向かう。
そこは、宇宙の外側だった。


俺はそこで、信じられないものを目撃した。

宇宙の外側には何かがあった。

それは言葉では到底表現できるものではなく、
その一部を例えるとしたら、無数の「12の構造」に満たされていた。

12の構造が無限に続く世界、その1つ1つの構成要素に何かの意味があるように思った。

それを知りたい、そこまでたどり着きたい。

「もっと、もっと広がりたい」

そう思った時、俺は声でもなく、思考でもない、
音としか表現できない言葉のようなものを聞いた。

「帰りなさい」

その途端、突如として大変な恐怖に襲われた。

俺は、自分が「個」である存在であることを思い出し、
エネルギーとしてすべてを満たしている状態から、たちまち自分へと戻って来た。


64: 名無しさん 2014/04/18(金)23:12:26 ID:nOrYKPrgj

「個」としての自分に戻って来た俺は、その時に聞いた「音のような言葉」に怯えていた。

一体、自分は何を見たと言うのだろう。

この時に自分の中で分かっていたことは、


1.すべての存在の「始点」は1つである

2.無数の物体がある宇宙は、実体のあるホログラムのようなもの

3.この世界は複数の世界が重なり合っている非常に曖昧なもの

4.「曖昧」という状態は、複雑化された現象によって「そう見えているだけ」

ということだった。

すべては同一であり、しかしすべては同一ではない。

この「2つの矛盾する事象」が重なり合っている状態が、
この宇宙には隠されている、あるいは宇宙が隠したかった事実なのだと、
その時、俺は信じて疑わなかった。

その体験をした後の俺は、それまで「幸福の行為」だった「自分が広がり続ける」感覚をひどく恐れるようになった。

俺が知ったものは何だったのか分からず、ただ漠然とした恐怖がある。
目を閉じれば、再びあの場所へ行ってしまいそうな気がして、 眠ることもできなくなっていった。

自分の中にある「宇宙の秘密」は、本当は気づいてはいけないものだったのではないか。
その存在してはいけない「秘密」が、自分の脳の中にはある。

恐ろしかった、この宇宙が秘密を知る自分を、放っておくはずがないってね。


疑いを抱いたことでバッドトリップのようなことになったんだな
自我が開放の邪魔をしたってことだ
さて俺も宇宙と重なってくるか

ことあるごとに、俺は恐れおののいていた。

すべての行動、すべての思考、言葉すらもが自分の中にある「宇宙の秘密」という「本当はあってはいけない情報」を帯びているように感じた。

自分は「世界」にケンカを売ってしまった。

このままでは、自分はこの世界の「物理法則」によって殺されてしまう。
睡眠も取れず、無闇に行動もできなくなり、食事もできなくなった。

2週間で体重は10キロ落ち、食べないと死ぬと分かっていても、食事が喉を通らない。

自分の状況を、仮に物理学者や神学者の先生に話しても理解してもらえない。
どうすれば良いのか分からず、自分の頭の中が捻れるような孤独感。
その時、俺は、自分の人生を左右する幸運に恵まれる。

「精神病院の先生なら助けてくれるかも知れない!」


宇宙に命を狙われている自分の「思考」という抽象的な事柄は、
物理法則をも操作して、自分を殺すためのトラップになる。

そして、既に睡眠を取ることが出来なくなっていた自分は、
おそらく、じわじわと世界に兵糧攻めで殺されてしまう。

この「思考」を取り除いてくれるのは、精神医療しかない。

当時、俺は精神病院には強い抵抗があった。

一度行けば、一生レッテルが貼られてしまうのだろうと。
薬漬けにされて、隔離病棟で一生過ごすことになるのではないかと。

しかし、そんなことを言っている場合ではなかった。

俺は妄想の帰結として、幸いにして早期に通院することができた。

通院してから薬を飲み始めたものの、やはり眠ることが出来ない。

睡眠剤を出してもらっても眠れない。
食欲は戻らず、栄養は点滴で補給していた。

俺はこのまま死んでしまうのではないか。
ただ、それも仕方の無いことだと、当時は思っていた。

俺は「宇宙の秘密」を知ってしまった。
それは「存在してはいけなかったもの」であり、それに触れた自分は、
神様にケンカを売ったのだろう。
それなら仕方ないんだろうってね。

そして、ある夜、俺は眠れないけれど目を閉じてベッドに横になっていた。


目を閉じていると、暗闇の中で光りが無数に沸き上がってくるのを感じた。

それはまるで星空のようで、それはいびつな網目状の形を取り始める。

やがて、それらは少しずつ形を変えながら集まり離れを繰り返し、
暗闇の中で光りは、人間のような形を象って行った。

それは、顔が顔面にいくつもあり、肩や腹にも顔があった。
裸体と呼ぶには、その姿は抽象的で、例えば胸部や陰部は省略されていた。

俺は直感的に「あの音のような言葉の主だ」と気づいていた。

「・・・連れて行くなら連れて行ってください、覚悟はできています」

俺が言うと、その光りで象られた人体は浅く微笑みを浮かべたように見えた。

そして、再び光りは四散し、暗闇へと消えていく。

「また会いましょう」

と言うようなニュアンスの音を聞いた俺は、目を開いた。
当然、そんな人物がいるはずもなく、俺は漠然と思っていた。

俺は、宇宙に許してもらえたのかも知れない、と。


もちろん、そのことを先生には話した。

「幻視だと思うけど、うーん、あるって言えばあるんですけどね」

と言う反応だった。
俺は思った、この先生はまるで自分のことを理解しようとしてくれていない。

統合失調症を発症後、俺はこの世界が極めて不吉で、極めて奇妙であるという、
強い妄想に苛まれながらも、仕事を続けていた。

職場では、なるべく普通に振る舞おうと努め、居酒屋に行って出来るだけ人と接する機会を増やそうとした。

この時点では俺は「自分は統合失調症ではなく、宇宙の秘密に触れただけ」という認識を持ち、決して治療に対しては積極的ではなかった。

薬を飲み始めて1ヶ月が経った。

未だに妄想はあったものの、様々な出来事に対して抱いていた「奇妙な感覚」は消失しつつあった。

それでも、俺の中には「宇宙の秘密」があるのだと言う妄想だけは残遺しており、
これによって自分は殺されるようなことはないけれど、 極めて危険な状態である、という確信すら持っていた。

この頃から、陰性症状と言う「気力が湧いてこない」「自殺願望」などを伴う、
統合失調症の症状が顕在化してきたけれど、 病気に関する知識を持っていた俺は、ここが踏ん張りどころだと、仕事は休まなかった。

確かに自分の中から様々な妄想が消失していくのを感じ始めた頃、
現在の主治医は信頼できるのではないか、そう思い始めていた。


85: 名無しさん 2014/04/19(土)00:10:15 ID:uB7ZZyfYR

薬の効果あったのか


87: 名無しさん 2014/04/19(土)00:16:07 ID:Gu3cnVDOc

>>85
健常者の人には分かりづらいかも知れないけど、
精神薬は効果がある。
特に、自分の意志ではどうやっても抗えない「意欲の低下」等にも
効果がある薬が最近は登場して来ているよ。

確かに全員が全員ってわけじゃないけど、
精神病って、本当に自分ではどうすることも出来ない状態があって、
それが健常者からは「怠けている」「考える努力をしていない」って見えちゃう。
それを緩和してくれるんだよ。


86: 名無しさん 2014/04/19(土)00:12:21 ID:Gu3cnVDOc

治療を初めて半年、薬が多すぎると自己判断し、
処方された薬の半分しか飲まなかったところ、
何も考えられない(思考が湧いてこない)状態に陥る。

仕事も出来ず、日常生活にも支障を来すようになり、そのことを先生に相談した。

当然ながら、怒られると思っていたが、先生は笑って、

「んー、薬を飲まなかったのはマズいけど、ちゃんと言ってくれて良かったです」

と言ってくれた。 俺は、腹をくくることに決めた。
この先生になら、自分の命を預けることが出来る。

「俺はまな板の上の鯉だ、先生、よろしくお願いします!」

そこから、先生のことを信じられるようになって行った。


88: 名無しさん 2014/04/19(土)00:23:35 ID:Gu3cnVDOc

2014年4月現在、完全に妄想は消失しており、幻覚もない。
今となっては「宇宙に殺されるってwww」とか思ってしまう。

ただ、俺が体験した「自分が広がり続ける感覚」を、俺は忘れることが出来ない。
それが妄想だったとしても、宇宙の外側に広がっていた無数の構造。

あの先には一体何があったのだろうか、今も思う。

世界は秩序的で、おそらく量子力学が言う不確定性原理すらも、
曖昧さによって世界が隠している「変数」があるのかも知れない。

まったく関係の無い事象因果が、別の事象に影響を与えているのかも知れない。
すべては同時で、すべては同一。

果たして、俺は宇宙に殺されることもなく、今は明日の花見の準備をしている。
俺の体験したことを、すべからく「統合失調症」の一言で片付けることは簡単だけど、こういう体験をした人がいるということ。

そして、統合失調症が決して「謎めいた神秘性のある悪意」ではないことを知ってくれたなら嬉しいです。


コメント


17 不思議な名無しさん :2014年04月23日 08:01 ID:yfzhBd4r0*

この人が頭おかしくなった → 薬飲んで治った。

みたいになってるけど

実はトウシツの人が宇宙の本質とかこの世の真理に近づいていて、
それが一般社会の中では奇異にうつるのでキ○ガイ認定されて
薬でぼやかされて元のなんの変哲もない無害な人に戻された、
みたいに捉えることもできるかも。

宇宙はホログラムのようなものはよく言われてることだけど
12がいっぱいってのはおもしろい。多次元世界を体験した感覚
なのかな。

20 不思議な名無しさん :2014年04月23日 10:08 ID:hTj631dJ0*

こいつ、本当は仏陀になる寸前だったのに勿体無い
精神病院って罪深いなぁ

無我の境地、宇宙即我、といわれる状態だよね

仏教と言うのは大乗仏教除けば大衆宗教とは違い仏陀になるために修行する

こいつが少しでもオカルトの知識があれば同じような状態に先人たちが多くの言葉を残してくれているのに気付いた

こいつなら般若心経も理解できたし
本当の宗教とは大衆向けには何の言葉も残してはいない
こういう状態になった者達のためにヒントを残してくれている

そして修行とはこういう状態になるために行うものだ

25 不思議な名無しさん :2014年04月23日 13:05 ID:ySf1rfuBO*

真理の世界に近づこうとしたからおかしくなったのか
おかしくなったから変な世界を見たなのか

33 不思議な名無しさん :2014年04月24日 00:35 ID:LBQc2Gzq0*

ブッタは、マーラ、悪魔を退けたけど、彼は負けちゃったね。惜しい。


44 不思議な名無しさん :2014年04月26日 06:00 ID:D08Q0z6k0*

私はLSDでこの主が言ってるようなイメージをみたよ。
シラフであそこまで行けたんならすごいと思う。



45 不思議な名無しさん :2014年04月26日 10:07 ID:U.ASqaCJ0*

行った後はどうなる?
1度それを見て恐怖にのまれることがなかったらその後には何がある?
この世界の見方が変わる以外で。
気持ちいいからそこを目指しているかな
いつの時代にもそこを目指す人がいるのが不思議。


46 不思議な名無しさん :2014年04月27日 01:22 ID:3ZM21LK40*

アートマンというか梵天という言葉で表現されているものを見たのかも。

「私が本当に信じた唯一の臨死体験実話〜窓際からの奇跡の生還」
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A7%81%E3%81%8C%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E4%BF%A1%E3%81%98%E3%81%9F%E5%94%AF%E4%B8%80%E3%81%AE%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93%E5%AE%9F%E8%A9%B1%EF%BD%9E%E7%AA%93%E9%9A%9B%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E7%94%9F%E9%82%84&lr=lang_ja&gws_rd=ssl

にも同じような体験をした人の話が読める。


48 不思議な名無しさん :2014年04月27日 05:07 ID:9GB2aO7tO*

幽体離脱した、感覚と似てるのかな。…まるで瞬間移動してるかのような。


49 不思議な名無しさん :2014年04月28日 11:35 ID:uMD.a6790*

ユング派の心理学の話に似てるなあ。

あと宇宙の秘密に触れるという行は瞑想法の効果と非常に似てる。

意識が拡がってゆく感覚の説明は色即是空、空即是色といった、修験者にはなじみの感覚だな。


55 不思議な名無しさん :2014年05月05日 03:12 ID:4bNG4o4n0*

TEDで、ジル・ボルト・テイラー (Jill Bolte Taylor)って人が言ってることと、
LSDをやったときに体験したことが、ほぼ相似してて驚いた。
ここリンク貼れないから興味ある人は是非。


57 不思議な名無しさん :2014年05月09日 20:56 ID:8kt1hWu.0*
>>55
ジル・ボルト・テイラーと同じだよね。
悟りを開いた人って大体こんな感覚・・・


79 不思議な名無しさん :2014年09月16日 11:17 ID:PfuUKGIW0*

病気じゃなくて精神意識の拡大だ。
なんでもかんでも病気にしちゃいけない。

自身が経験した事、体験した事は全て真実だ。
サイケデリクス(トリプタミン系)の覚醒状態や脳内DMTの放出状態になると
精神意識の拡大、普段は見えない波長の観測(音でも光でも)、次元の認識等が可能になる。
全ては体験した人にしか分からないけど、妄想おつとか言ってる人も体験すれば認識できる。

108 不思議な名無しさん :2015年02月23日 17:36 ID:2SQIiZPz0*


それ、仏教でいう見性体験(悟り)だから喜ぶとこなんだけどなぁ・・・。

ちなみに恐れているのは自我(普段自分だと思っている存在で実は幻想)でね、その自我が一時的になくなったときに体験することなんだよ。

心配無用。すばらしい体験をしましたね。 瞑想は続けてください。

119 不思議な名無しさん :2015年04月14日 04:54 ID:K2jT7byO0*

自分も臨死体験をしてけど、自分の場合は死にかけてるのかわかんなくて
でも周りの空間はなんかおかしくて…。

そんでそんな事は無視して今ある状態やら色々分析していったら
あらゆる物事や秘密がわかってきて悟る毎に宇宙に飛んだ。

周りに家族がいたんだけど、自分が瀕死状態って事に気づいてなくて話しかけたら何故か自分と同じ言葉を喋ってた。んで自分は「これが可能性で真実なのか?」と聞いたら母さんや妹が「そうなんだよ。永遠に永遠に永遠に永遠に」とか みんな相槌しながら「永遠に」を連呼していた。

怖くて自分の部屋に閉じこもって目を瞑ったらまた悟り出して止まらなくて宇宙の外まででて
そしたら、あらゆる色、感情、光と影、音が完璧に組み合わさってどんな事をしても全ての可能性に辿り着くようになっている物事の流れが視覚化できた。

そうしてる内に違和感があって自分を見ると光になっていた。

このスレみてわかったことだが、その時自分の周りに三角形?のような形に数字やら色々みえた。真ん中には黒い点があった。

多分この時に神と同化してたと思う。

気づけば心配そうに妹が見ていた。けど妹の過去未来がみえてしかも時間が停止していた。

目を合わせると周りにの呼吸がコマ撮りした映像を何度も再生、巻き戻しを繰り返してるようにみえた。

そのあと視界がくるくる回って心臓が異常に早くなっていた…以下略。

最後に、妹が言うには何か声とは言えない(自然に出てる感じ)謎の音をだして鼻歌?を歌ってたらしい。

あと神に戻って感じた事は愛は素晴らしいく心地いいんだけど何故か悲しさもあった。思った事は他の人の事知りたいなぁだった。他には神は可能性の塊って感じた。

神に戻った後何故か発狂しそうになって全ての物事は永遠に繰り返されると感じると精神崩壊しそうでとりあえず三角形(ダイヤ型でもあった)の中心にある点に集中して無になろうと決めて文字通り無になったら
とてつもない心臓の鼓動が「ドクン‼︎‼︎‼︎」と一回鳴り、身体?全細胞が震えるようなピリピリしたような感覚があり、急にあたりはしばらく真っ暗になった。

しばらくしたらとても優しい銀のような白のようなピンクのような表現出来ない光があって、それを見た瞬間自我や心にこびり付いてた嫌な何かを瞬間吹き飛ばされて超純粋な赤ちゃんに戻った。

感覚的には赤ちゃんの頃に自分の優しいお母さんに甘えてる感じ。

今までに無いくらい素晴らしく心地よかった。
あれは宇宙とか宇宙の外とかわかりやすいものじゃなく、本物の純粋と無条件の愛だった。光以外のとこは宇宙?のようなやっぱり光のような夕日のような感じ。

夕日とか見て懐かしく感じたのはここが自分のいた場所だったからかも。

125 124 :2015年05月05日 12:05 ID:bz91HoP20*

これに遠くても、この手の経験をすると、神を信じなくなる。
いわゆる神と呼ばれるものを「知った」から。

信者の「信じてる」とは「考えてる」に過ぎず、要するに「何も知らない」と分かる。

神を知ってしまうと、大半の宗教や聖典にあるエッセンスが分かると同時に、大半の宗教が(そのエッセンスを除いて)ウソであるというのも分かる。

すっげーーーーーーーーーーーーもったいない。
色即是空もナントカ経も、その実を体得してる偉人になれただろうに。

とはいえ、個人的な選択だったのだから仕方ないのだろうし、迂闊なことはいえないが。


139 不思議な名無しさん :2015年08月17日 17:04 ID:2.Y0Ygqa0*

悟りなんてものをしらないけどコレを悟りだと言うなら
オウムがLSDつかって神秘体験させてるのも同じだとおもうが


142 不思議な名無しさん :2015年11月05日 11:13 ID:f8i4fNuJ0*
>>139
これを人工的に・強制的に経験したくて薬物を用いるのだろう。


143 不思議な名無しさん :2015年11月07日 01:52 ID:6MHE9gd40*

ケタミン系の幻覚剤やったら分かるけど現実なんて脳が作り出してるだけだからな

その脳の機能を意識的にコントロールして精神世界で宇宙を作り出してるだけ
幻覚剤やってればこれは幻覚剤のせいだって意識できるからパニックにはならないけど障害を持った異常な脳だと無意識にそうなるんだろうな

154 不思議な名無しさん :2016年04月21日 22:23 ID:T0aiRkyc0*

脳の自我を意識する場所が壊れると宇宙と一体化するんだよね
普通に脳梗塞とかの病気だったのでは?

177 不思議な名無しさん :2016年04月22日 11:53 ID:X.KnQZrq0*

バーナデット・ロバーツという人の本などを見るとわかるけど
悟るというのは「自我が消える」ことにほかならない。

彼女の場合、一時期記憶障害みたいになっていて日常生活にも支障をきたしている。
病院に行っていたら何らかの病名をつけられていただろう。

インドなんかは悟った人を尊敬する文化があるようだが、この人もちゃんとした寺で修行していれば糖質ではなく僧侶にでもなっていたかもしれない。

195 不思議な名無しさん :2016年04月24日 17:34 ID:5e0L1SMk0*

絶食したりずっと何日も禅を組んでいたりすると脳内物質の具合のせいでこんなふうに神秘体験をすることがあるそうだが

それは悟りとは呼ばないそうだよ。魔境っていうんだってさ
そこで悟った気になっちゃってる奴は未熟者なんだそうだ

って話を聞いたことがあるから
ここで悟りだの真理だの宇宙がどうのこうの持ち上げてる奴は全員偽物なんだろうなと思ってる

201 不思議な名無しさん :2016年08月15日 05:20 ID:I57VnxyN0*

>>195も書いてるけど
禅宗では座禅やってるとある時点で「宇宙の真理を体得した!」みたいな神秘体験をするこ段階があって「それを魔境に入る」という表現をする

だから「瞑想中に仏が出て来たら仏をころせ」という言葉でそれに取り込まれないように戒めたりするけど、自己流で瞑想とかする新興宗教とかでは こういう感覚きた時点でそれを覚醒とかと勘違いしちゃうこともある

(小林秀雄も「ひきこもって座禅すれば悟った気分になって当たり前」という表現してたけど)

ただこの手の知覚変容はいろんなケースあるので
ホルモンの異常以外にもヘルペスウィルスによる枢神経系の炎症とかの場合もあるので この感覚を感じた人は病院に行った方がいいかもしんない
でも宮沢賢治みたいにこの感覚を創作に転化した人もいるんだよなあ


212 不思議な名無しさん :2016年12月10日 15:08 ID:vuY..p5m0*

これを病気じゃないって言ってる人がいるのが怖い。
すごくわかりやすい統合失調症だよ。

身内がこうなったら一刻も早く病院に連れていかないといけない。

自分は病気で手術した時に似たような体験したけど、その時は本当に真理にたどり着いたと思い込んだ。

薬物は強制的に脳内を統合失調症のような状態にしてるんだろうなって思ったよ。
http://world-fusigi.net/archives/7221891.html

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69. 中川隆[-7684] koaQ7Jey 2017年5月11日 17:34:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症に良く見られる症状としては同じ言葉を繰り返す、言葉のサラダ(意味のない単語の羅列)、宇宙人と交信しているという、霊と話をする、チャネリングが出来るというetc.

そして何より、自分が統合失調症であることを認めない患者が多いのがこの病気の最大の特徴であり、統合失調症が発病してから、5年放置した場合、脳の萎縮が前頭葉に達し二度と現実の世界に帰ってこれなくなってしまうのです。

つまり、統合失調症であることを否定し続け、5年間何も対処せずに放置した場合、もう手遅れであるということです。

私は霊能力がついた、ハイヤーセルフとつながっている、という人たちのブログも読みましたが、統合失調症の初期症状が出ているとして間違いないと思います。

あの時の私と完全に症状が一致している。

統合失調症は現在では治療可能な病気であり、予後も良い病気になってきています。
薬も副作用の少ないものがたくさん出てきています。しかし、早期治療が何よりも重要であることには間違いがありません。

どこか思い当たる節があるのなら、一度病院に行って検査されることをお勧めします。
何もないとしたら、それはそれでめでたいことです。しかし、手遅れになってしまえば
人生を台無しにしてしまうこともありえるのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/kuukuumaromaro/diary/200806050000/


Ex4: 精神分裂病患者の脳観察〔日経産業新聞2001年10月3日〕


 米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究チームは、精神分裂病患者の脳で組織の損傷が進んでいる様子を撮影するのに成功した。

分裂病は米国人の約1%にみられ、特に10代後半から20代に多いが、詳しい原因はわかっていない。

病気の進み方が詳しく観察できるようになることで、早期の診断や治療が可能になるとみている。
 
次期共鳴画像装置(MRI)を使って、10代の患者グループの脳を繰り返し撮影した。
はじめ、脳の外部の方にある灰白質という部分が10%以上損傷し、これが脳の残りの部分にも5年にわたり拡がっていくことが分かった。

この損傷がひどい患者ほど、幻覚や幻聴などの症状もひどかったという。
http://www.geocities.jp/ec71276/gennchou/gen.html


脳の画像解析の進歩からわかったこと

 統合失調症が約100年前に一つのまとまりある病気とされてから、その病気の仕組みについてたくさんの研究がなされてきました。まずは亡くなった統合失調症の患者さんの脳が調べられました。脳のどこかで何か異常な所見が見つからないかと、さまざまな脳の部位の切片が作られ、顕微鏡で細かく調べられました。

その結果、前頭葉・海馬やその周辺の部位などで、神経細胞の数が少なかったり、並び方が乱れていたりするらしいという所見が得られましたが、残念ながらすべての患者さんの脳で確実に見られるというものではありませんでした。そのため、このように脳の組織を調べる研究はしばらく行われなくなり、脳の機能(働き)を調べることに研究者の興味が向けられるようになっていました。


CTやMRI

ところが、1970年代から、放射線技術の進歩により人の脳を輪切りの形で撮影することができるようになりました。今でしたら大きな病院であればどこでも備えられているCT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像)という脳の画像解析装置です。この装置を使って、統合失調症患者さんの脳の形を調べた研究が数多くなされました。今までのところ、多くの研究者の間で一致している意見としては、対照群に比べ

脳室(脳の中心にあって脳脊髄液という液体で満ちている空間)が拡大していること
(逆にいうと脳の実質が小さくなっているということ)、

前頭葉や側頭葉が小さいこと、

大脳辺縁系の海馬や扁桃体がとくに左側で小さいこと


などです(ただし、小さいといっても統計的に対照群と比較して小さいということで、脳の画像を見て診断ができるほど大きく違うということはありません。それでもこのような所見が研究者の間で注目されるのは、これが統合失調症の本質的な病因を探るための手がかりになるのではないかと考えられているからです)。これらの脳の部位が小さいということは、その機能も障害されているのであろうと想定されます。図1にMRIによる脳の断面図を示しました。脳の細部までかたちがよくわかります。


PETやfMRI

最近では科学技術の格段の進歩により、脳の形だけでなく、脳の活動もそのままの状態で調べることができるようになってきました。脳のある部分が活発に活動すると、エネルギーのもとになるブドウ糖がそこでたくさん消費されます。脳の血流もその部位で増えて、酸素の消費量も増えます。PET(ポジトロン断層撮影法)、SPECT(シングルフォトン断層撮影法)や機能的MRI(fMRI)などとよばれる方法を使うと、検査されている人の脳の中で、どこでブドウ糖の消費や血流が変化しているかを見ることができます。頭の中で考え事や計算をしてもらったり、ものを見たり聞いたりしてもらいながらテストをすることもできます。

このようにいろいろな精神活動をしているときに、統合失調症の患者さんは、そうでない人と比べて、脳のどこの部位でどのような特徴的な変化を示すのかを調べるのです。このような研究は現在世界中で行われています。テストをいろいろ工夫して、統合失調症に特徴的な所見を得ようと研究者は懸命になっています。

 機能的MRIによる研究の一例を図2に示しました。この図ではふつうのMRIの像の上に、課題によって信号が変化している部位を赤色で重ね書きしています。様々な所見が得られていますが、多くの研究者のあいだで支持されている所見は、
統合失調症では前頭葉の機能が低下しているのではないかというものです。とくに前頭葉を働かせるようなテストをしてもらうと、機能の低下がはっきりしてきます。それ以外にも、左側の側頭葉(言語に関連する領域です)の機能が低下しているという研究者も少なくありません。

また、PETを使うと脳内の神経伝達物質の受容体なども可視化することができます。図3では、FLB457というドーパミンD2受容体に結合する標識化合物を使って、ヒト脳でのD2受容体の分布を調べたものです。


2-2脳の生理的機能の研究からわかったこと


人の脳の機能を丸ごと調べようとするのは、脳の画像診断技術が進歩する前から、脳波や目の動きなどを指標として行われてきていました。残念ながら、当時の脳波や目の動きなどの生理的指標を用いた研究では、統合失調症の病因に直接アプローチするには限界があったといわざるをえません。それでも、統合失調症の患者さんは振り子を見てもらったときに、目の動きがぎこちなくなることや、特定の図形を見てもらったときに視点があまり動かず固定しがちであることなどが明らかになっていました。

最近では、いろいろな刺激を与えた後に出現する脳波をコンピュータで分析し、事象関連電位という脳波上の微妙な変化を抽出することによって、刺激が脳の中でどのように情報処理されているかを調べる方法がさかんに行われています。このうち、聴覚刺激を突然与えた時、約300ミリ秒後に出現するP300という脳波の波形がよく調べられています。P300は聴覚刺激後脳内で複雑な情報処理を経てから出現するものと考えられ、統合失調症の患者さんではP300の出現がよくなかったり、出現が遅れたりすることから、脳の情報処理過程の障害が推測されています(図4)。
http://www.smilenavigator.jp/science/sci02_01.html


統合失調症の原因ははっきりとわかっていませんが、統合失調症の症状が発現しているときの脳の働きがどのようになっているのかについては、徐々に明らかにされつつあります。

統合失調症の症状発現に大きく関与しているのが、ドパミンやセロトニンなどの神経伝達物質*の異常です。幻覚や妄想などの陽性症状はドパミン神経系の機能が過剰亢進しているために引き起こされ、また一部のドパミン神経系では逆に機能が低下するために陰性症状が現れるなど、ドパミン神経系の機能異常が統合失調症の病態に深く関与しています。

また、セロトニン神経系の機能異常でも幻覚などが発現することが知られています。一方、セロトニン神経系はドパミン神経系に対して、抑制的な調節をすることが知られています。また、最近では、グルタミン酸なども病態に関与しているのではないかと考えられています。

陽性症状と陰性症状の発現に関与するドパミンの機能異常 統合失調症ではドパミンの機能異常が病態に大きく関与しています。統合失調症の病態を説明するものとしてよく知られているのがドパミンの過剰です。ドパミン遮断作用をもつ抗精神病薬が陽性症状に対する治療効果をもっていること、また、ドパミン活性作用をもつ薬剤が統合失調症に似た幻覚・妄想を引き起こすことから、統合失調症ではドパミンの機能亢進が1つの病態として考えられています。

脳内のドパミン神経系にはいくつかの経路があり、それぞれ異なった生理機能をもっています。統合失調症の精神症状に関係している1つの経路が中脳辺縁系で、この経路でドパミンの機能が亢進しているために幻覚、妄想などの陽性症状が引き起こされているとされています。

一方、すべてのドパミン経路においてドパミンの機能亢進がみられるわけではなく、一部の経路においては逆にドパミン機能の低下がみられることも明らかになっています。中脳皮質系の経路においてはドパミン機能が低下しており、これが意欲減退、感情鈍麻などの陰性症状を引き起こしていると考えられています。
統合失調症では、中脳辺縁系においてドパミンの機能亢進が、中脳皮質系にてドパミンの機能低下が引き起こされているために、陽性症状と陰性症状という一見相反する症状が併存する背景となっています。


陰性症状の発現に関与するセロトニン系:セロトニン仮説 ドパミン遮断作用のみの抗精神病薬では陰性症状が改善されず、ドパミン遮断作用に加えてセロトニン遮断作用のある抗精神病薬において陰性症状への効果がみられることから、セロトニンが陰性症状の発現と関連しているのではないかと考えられています。ただし、セロトニン遮断作用のみを有する薬剤では抗精神病作用がみられず、抗精神病薬との併用で陰性症状への効果がみられることから、ドパミン神経系とそれを抑制的に作用するセロトニン神経系とのバランスが崩れ中脳皮質系におけるセロトニン系の優位が陰性症状の発現に関係しているとされています。

統合失調症の病態に関与すると考えられる他の神経伝達物質:グルタミン酸仮説 一部の麻酔薬が陽性症状のみならず、陰性症状や認知機能障害に類似した症状を引き起こし、それら薬剤に共通してグルタミン酸遮断作用があることから、グルタミン酸が病態に関与していると考えられています。

特に、麻酔薬ではNMDAとよばれる受容体の機能が阻害されているため、NMDA受容体を介したグルタミン酸機能の低下を病態の背景として想定しているのがグルタミン酸仮説です。この仮説では、統合失調症の一次性の障害としてグルタミン酸の機能異常があり、それを背景にドパミンの機能亢進やセロトニンの拮抗優位が二次性に生じて陽性症状と陰性症状が現れると推測されています。
http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/rikai/kasetsu.html




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70. 中川隆[-7683] koaQ7Jey 2017年5月11日 17:45:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

たこさんご紹介のサイトをちょこちょこ見て回った印象では明らかに病的、すなわち初期の分裂病もしくは妄想を伴う躁鬱病、痴呆などの傾向が感じられるのに対して、sinobu_10さんのはソノ分野に浸かっているヒトなりに理路整然に近く、文章の構成もしっかりしています。

一括りにして良いものかどうか。臨床精神病理は難しくて、実はまだ余り勉強してない分野です。
 
 電波受けるヒトを実際知っております。仕事ができ、礼儀正しく義理堅く、言葉使いが綺麗で、想像力・情緒・感性も豊かで、発明の才もあり、倫理観もしっかりしていて、善意に溢れている。難を言えば少しまじめ過ぎる。

そういう誠に好ましい人望のあるヒトなんですけど、電波が入るんですね。それを普通の事のように言うので、こちらも普通の事のように受け答えしております。

 随分昔からその状態のまま変化がないようで、さらに聞こえるのはドク電波ではなく、善意の宇宙人からの助言が中心だったりしますので、ま、様子を見ています。数年前まではサイババが夢枕に立って「来い」と言ったからというのでインドに行く計画を立てていましたが、現在はモンゴルの平原でUFOとコンタクトする計画を楽しげに語ってくれます。

まじ。ホントに聞こえてるらしいのです。それを蔭で笑う奴がいるのも自覚しているようなのです。

「目を覚ます」という類の話じゃなくて、これ、はっきり言って症例なのです。しかし長年進行してないし、生活に支障がある訳でもないから、無闇にいじらない方が良いのです。


じつは、stomachmanは見積書作成要領の見本を作ったんですが、うっかり本物と間違えられて無用の混乱を起こすことが絶対ないようにと思い、
 
「荒矢田産業株式会社」発行の「重力遮断板セット」の見積書
 
って見本にしまして、発注先に配布したんですよ。そしたら彼がやってきて「あなたなら理解してくれると思う」と語りだした訳でして…
 
理解はすれども、同意はせず。得意の奴で対応しております。


目を醒まさせてあげなくていいの?
念力も自分だけで使ってるぶんにはいいんだけど・・・
自分だけでとどまってないとこが厄介だぁ―!
もうそろそろ、目を細めて笑って見てるばかりでもいられない。

テレビが俺の悪口を流している!
あのCMは俺の事をあざ嗤うのが目的…
 
てのが、典型的な公共電波系電波系さんですが、こちらは公共デンパでナンパするのが怪しからんという、これもまた、割合論から言って、別物ですな。
 
最近、街ですれちがう美女という美女が皆、秋波を送ってくるので困っているstomachmanです。


症例ってのは、夢を壊さないで、みたいなアマイ話ではないんですよ。
 
この彼の場合には、多分初期で停滞している分裂病だと思われます。悪化させないように、stomachmanとしても注意を払っておる訳です。もちろん、症状に悪化が認められたら直ちに治療を開始するよう促す積もりでいます。すなわち、確かに聞こえる電波が、彼の集中力を乱すようになってくると、本当に生活に支障をきたしはじめ、ついには外部とのコミュニケーションが取れなくなってしまう。

電波系というのは、つまりまあ頭の中で電波がささやくのでしょうから、分裂症か薬物中毒の系統になりましょう。sinobu_10さんの方は「パラノイア」系のように思われます。思考にまとまりがありますからね。

もっとも、「症例:G・W・F・ヘーゲル」などのレベルになりますと分裂症と見分けがつかなくなってまいりますが。

 チマタで見かける「ユダヤ陰謀史観」みたいなのと一緒で、いちおうの一貫性はあるのですね。ただその、決定的な証拠は? と言われると「ない!」となって、ならなんで? と言われると「証拠がないのも陰謀だ!」という形で無事に着陸。

こうなるともう誰が何を言っても聞き入れるもんじゃありません。
 
 実は、sinobu_10氏に関しては「教祖様」ではないのです。
「教祖様に疎んじられている一信者」らしいのです。彼が掲示板上で開いたトピックは、「千乃先生」なる教祖様の意を体したと称する信者各位がsinobu_10氏の信条の矛盾を突きまくり、それも彼らの「教義」に基づいてのことですから、さながら宗教戦争の様相を呈し、そこへ「ウォッチャー」を名乗る一般人が面白おかしくチャチャを入れるという展開になっておりまして、なかなかに楽しめる一大エンターテイメントになっておりました。
http://ime.st/members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/past-log/spring/log00000118.html


怪文書の宝庫!
 
 あ、そうそう。某掲示板の方で出くわした怪文書も一つ、ご紹介しましょう。
sinobu_10という、静岡県にお住まいの男性の方がお書きになったものです。挙げられているURLもオススメ度大です。「神が推薦するパソコン…」なんて、もお、死にます。
 
      *
 
目を覚ませよ、国際連合の地下に核爆弾情報
投稿者: sinobu_10 (男性/静岡県)
メッセージ: 113695 / 116578

アメリカの精神の支柱である基督教の神であるヤーベ(八百重)は、
日本にいる事をアメリカの人達に伝えて欲しいのです。
以下の文書を真剣に考えて読んで下さい。そして、国際都市である
ニューヨーク市にある国際連合の地下に核爆弾情報が流れているの
です。爆発する前に友人や知り合いに伝え、引っ越すか警察に真剣に
取り扱う様に伝えて欲しいです。
 
初めまして、忍と申します。

現代科学のタブーである霊界の存在を考慮して、
今、現実問題として、イルミナティ共産主義問題を考えて置きたい
です。其れは、約2億人の虐殺があったのでは無いかという問題で
す。其れは、遠く遡れば、バビロンの時代まで遡れます。

近代は、イルミナティ教団が出来、フランス革命から始まって
一連の共産主義革命を起こした国際金融グループに対して何も
罪を問わない現状になっているのです。其れもユダヤ系列のマ
スコミと歩調を合わせて行動を執っているのです。但し此れは
戦略で行っているので、頃の見境を考えながらの行動であるか
ら、注意深く年数掛けての戦いなのです。

後、もう一つ大きな問題点はスカラー波の技術開発による武器
開発です。其れに関連してインターネットの通信問題も深く考
えなければならないのです。今、一番大きい
問題は、未だ科学が未完成の状態(物理学上の問題)を
解決しないで、それを前提とした意見が権威を持って発
表している所が問題なのです。

現実問題としては、テスラ波による武器開発です。別名「スカラー波」又は「気」
とも言っていますけれど、このテスラ波は物質の根源に
なすもので磁気的な性質を持っています。宇宙の構造
は、磁気法則で全てが成り立っているのです。

磁子の活動が電流を生み、そして力を発生するのです.「テスラ
波(スカラー波)」は、磁子の縦方向に振動している状
態を指しているのです。その悪用は、宇宙そのものがバ
ランス(平衡性)が無くなり、太陽系そのものが崩壊す
る危険性があり、又、精神作用にも動作するので、「洗
脳」にも使われる可能性があるのです。そしてDNAに
も作用するので、奇形児が出来る可能性があるのです。

又、マイクロ波の衛星通信の拡大は、電子レンジの中に
地球が入るという恐ろしい結果が待っているのです。それらの
問題をマスコミは真剣に考えていないのが現状なのです。
そして、環境問題の考え方も対処療法的で、物理療法的
に問題を考えていないのです。それが欠点なのです。
つまり、公害の原因を全て化学化合物で説明し、化学反応
の物理的説明を含んでいないのです。そこに免疫の問題を
考慮する事が出来ないのです。

 
神の言葉
http://page.freett.com/syouhou/kaminokotoba1.html
最後の審判の理由
http://page.freett.com/syouhou/reason_of_last_judgement.html
正しい性道徳とは
http://www.musesworld.co.jp/web2/syouhou/index.html
この侭だと本当に地球が崩壊する
http://page.freett.com/syouhou/index.htm
神が推薦するパソコンPC9821
http://page.freett.com/syouhou/suisennPC.htm

国際連合の地下に核爆弾情報 - Yahoo!ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/true_love_of_gabriel

 
これらの問題を真剣に考えないと、やはり異星人は自衛の為に
最期の手段を使用されるのです。

 日本人が中心になって、神の言葉を、お伝えてこの問題を
解決する方向に考える必要があるのです。

神のいる場所
エルアール出版
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1−4−9 サンエルサビル101号
TEL 03-5453-1870
 
アメリカ国内
HORKOM International Corp.
P.O.Box 282713
San Francisco, California 94128-2713
 
「人が全世界を儲けても、自分の命を損したら、何の得になろうか。又、
人はどんな代価を払って、其の命を買い戻す事が出来ようか。
邪悪で罪深いこの時代にあって、私と私の言葉とを恥じる者に対しては、
人の子も又、父の栄光の内に聖なる御使達と共に来る時に、
其の者を恥じるであろう。
(マルコ福音書第8章34節〜38節)」
http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=17590&genre=sougou



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71. 中川隆[-7682] koaQ7Jey 2017年5月11日 17:53:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

因みに、このスレで法華経、法華経と騒いでいるアホは統合失調症ではなく、感応精神病でしょう。 熱心な信者には妄想が感染するのですね:

統合失調症患者の妄想はすぐに正常者にも伝染する

感応精神病とは

@ 精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。
 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。
 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。


A 宇宙語で会話する夫婦 ← 恭子夫人は唯の詐欺かこのケースかどっちかな?

 まずは精神医学1995年3月号に掲載されている堀端廣直らによる「Folie a deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」というものすごいタイトルの論文から紹介してみよう。

 鍼治療の仕事を営む夫婦の話である。

 夫婦は「温和で物静かな夫婦」とみられていたが、1986年8月中旬から、妻の方が「宇宙からの通信」を受け始めた。その内容は「病気はこうしたら治る」「宇宙から素晴らしい人がやってくる」といったものだった。また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。

そして約1ヶ月後には夫も同様の被害妄想をもつようになり、宇宙からの通信を受け始めたのだという。妄想が感染したのだ。二人は治療を求める客に対して「あなたは価値のない人間だから」などといって断るようになる。昼間から戸を締め切り夜は部屋の電灯を一晩中ともして「宇宙からの使者を待つ」生活をして周囲から孤立していった。

 そして約二年後のこと。今度は夫の方から「宇宙語」と称する言葉をしゃべりはじめ、半年後には妻も同調して二人は「宇宙語」で会話するようになったのだという。近所に抗議に行ったり通行人を怒鳴り追いかけるときにも「宇宙語」を発して近所の人々を驚かすこともあった。

宇宙語は中国語やスペイン語に似た言葉のように聞こえたとのこと。子供が3人いたが、感化されることもなく宇宙語も理解できなかった。

1991年、妻が通行人に暴力をふるう行為があったので妻のみが入院。妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、同席した夫と宇宙語で会話。しかし入院翌日からは落ち着きが見られ話も通じるようになった。

入院3週間後より夫との面会を許可したが、笑顔で落ち着いた様子で宇宙語は話さなかったという。退院してからは「あのときは自分は一生懸命だったのです。今となっては過去のことです。通らねばならない過程だったと思います」と冷静に振り返ることができたという。

 これは春日武彦『屋根裏に誰かいるんですよ。』にも紹介されている症例だが、おそらくこれは「愛」の物語だ。フォリアドゥの成立条件に「2人の親密な結びつき」がある以上、フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。

 この症例で興味深いのは、もともとの妄想の発端は妻だったのにも関わらず、「宇宙語」を話し始めたのは夫の方からだというところ。最初妻が妄想を語り出したとき、当然夫はとまどったことだろう。その時点で病院に連れて行ったり誰かに相談したりすることもできたに違いない。しかし、結局夫はそれをせず、妻の妄想世界を受け入れる。それはつまり、二人の間にはそれほどまでに深い結びつきがあったということだ。それから二年後、夫は、世界を与えてくれた妻に対し「宇宙語」を伝え、さらに二人の世界を広げるのである。

 「宇宙語」はつまり、夫から妻へのプレゼントだったのかもしれない。


B 行者と女工

 もうひとつ、篠原大典「二人での精神病について」(1959)という古い文献に載っている事例も紹介してみよう。72歳の女行者と25歳の女工の話だ。

 まずは行者の方である。老婆は若い頃から信心に凝り、夫や子を捨てて住みこみ奉公をし、金がたまると神社仏閣を遍路するという生活を繰り返していた。いつのころからか病人をまじないし、狸がついているなどというので、昭和31年夏、I病院に入院させられた。病室の隅にお札やお守りで祭壇をつくり大声で祈り、ときどき気合いをかけたりしていた。

医師には「お稲荷さんもこの病院は嫌だといっておりますわ。いろんなことがありますが、いうと気狂いだといわれますさかい」と言っていた。

 一方、女工は18歳で母を亡くし、継母とはうまくいかず、郷里を出て工場を転々とし、苦労を重ねていた。入院1ヶ月前、3年間つきあっていた男性から別れ話を持ち出された。

その後、ほかの人が彼女には無断で男から手切れ金を取ったり、すぐあとで別の男から結婚を申し込まれるなどの事件が重なり、発病。「不動さんの滝に打たれていると自然に首が振れだし、止まらなくなりました。不動さんが私に乗り移り問答できるようになりました。故郷に帰れとお告げがあったので荷物をまとめていると、手切れ金の噂をする声が聞こえてきました」。彼女は昭和31年秋に入院した。

 1年後にこのふたりは同じ病棟で移る。すると2人はすぐさま一日中話し込み、ともに祭壇を拝み、女工は行者のお経を写すようになる。

このころ、女工は「私の病気の原因を知っていて治してくれたのです」「不思議な風が私をおさえつけもがいているときに○○さん(行者の名前)のお守りで楽になりました」と話している。

女工は、男に裏切られて以来始めて、信頼できる人に出会ったのである。このころの2人はまさに教祖と信者の関係であった。

しかしその関係は長くは続かなかった。いったんは救われたものの、行者の方が「腹の中にいる生き物がはらわたを全部食ったらおまえは死ぬ」「人を犯す霊がお前についている」などと女工を脅すようなことをいうようになり、女工は行者に不信を抱くようになる。

彼女は行者とは別に祈るようになったが、するとますます行者は怒る。結局3週間で2人は争い分かれてしまった。女工は言う。「○○さんは私を計略にかけたのです。○○さんは身寄りがないから私を治して退院させ、退院した私に引き取ってもらおうとしたのです」

 その後1ヶ月して面会させたが、語り合わずまた争うこともなかった。行者はその後も変化はなく、女工は症状が消え3ヶ月して退院、故郷に帰っていった。

 孤独な2人の、出会いと別れの物語である。


Cフォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。

もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。

「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。

万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。2人は同じ妄想を共有していたのだった。

 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。

私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。
1.
今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


D古いタイプの感応精神病 ← 幸福の科学信者はこのケース

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。

悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。
 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。

青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。

 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。
 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。

どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。

その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。

すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。
これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。

集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。


E 家庭内幻魔大戦

 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。
Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。

この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。
 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。

昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。
昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。

「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。

長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」
「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。

「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」

「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには

「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。

体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。
きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。

入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」

などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。

 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」

と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。

主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、
「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。

 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。
入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、
「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。

しかし飛べずに興奮し始め、

「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。


F フォリアドゥと家族


 さて最後にちょっと違った視点からフォリアドゥを見てみよう。共同生活をしている家族などの中で狂気が伝染していくというのは、確かに気味の悪い現象ではあるのだけれど、ある意味、感染して同じ狂気を共有するようになった人は幸せといえよう。

抵抗をやめて吸血鬼(or屍鬼orボディスナッチャーorボーグ)になってしまえば楽になるのと同じようなものだ。

 それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
 家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 

映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 

家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。

 これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。しかし、どういうわけか、これまでの文献は、感染した家族には興味を示すのに、狂気に陥らなかった家族についてはほとんど触れていない。「宇宙語」の論文でも、感染しなかった子どものことはほとんど書かれていないし、「家庭内幻魔大戦」の論文でもそうだ。無視しているといってもいいくらいである。

 このへん、精神医学という学問の偏りがよく現れていますね。派手な精神病症状には興味を示すくせに、狂気を耐え忍んできた人の心にはまったく無関心。今でこそPTSDなどが話題になってきているけれど、つい最近までの精神医学はこんな具合だったのだ。
フォリアドゥそのものではなく「狂えなかった家族」に焦点をあてた文献はあまりないのだが、それでも皆無というわけではない。酒井充らによる『いわゆる被虐待児症候群の事例化』(社会精神医学1987年12月)という論文から事例を引いてみる。

発端者は母親であったらしく、結婚前の18歳ごろから

「近所の人たちが自分のことをバカにして笑っている」

とくってかかるなどの行動があったという。21歳で結婚するが、しだいに夫も妄想を共有するようになり、次男Kが生まれた頃には、夫婦そろって近隣といざこざを起こし転居を繰り返していた。

 次男のKは4歳のときに幼稚園に入園したが、両親はKが保母に不当にいじめられているという被害妄想を抱き、中途退園させてしまう。またその頃父から「家族は家族だけでやっていくから、もう二度と外の人とは遊ぶな」と言われ、子どもたちは外出を禁じられるようになる。

 6歳でKは小学校に入学するが、やはり父は担任の家に電話してどなりつけたり、教育委員会に抗議に行ったりしていた。まもなく両親はKの登校を禁止。Kが登校しようとすると、両親、ときには兄も加わってベルトで鞭打つ、金槌で殴りつける、煙草の火を押しつける、鉄パイプで眼を突くなどの身体的虐待が加えられた。そのため、小学3年生以降はほとんど学校に出席できなくなった。

 他の兄弟は親に従ったがKだけは抵抗したため、Kは親の言うことを聞かない子として、兄に行動を監視され、他の家族員から仲間はずれにされていた。Kは自宅内で一人で教科書や本を読みながら過ごすようになる。

12歳、中学校に進学したが一日も出席できず、学校から自宅に届けられた教科書で勉強し、父に命じられて自宅の敷地内の草取りをしたり、自宅内で飼っている豚の世話をしたりしていた。

この頃から、両親の近隣に対する被害妄想はますます強くなり、両親は自宅周囲をトタン板で囲い、月に一、二度のリアカーでの買い出し以外外出をしなくなる。

外出のときには両親はカメラやテープレコーダーを持ち歩き、「いやがらせの証拠」を探していたという。その際にもKは外出を許されず、父から訪問者の声の録音を命じられていた。

 15歳ごろより、Kはマンガ家になりたいと思うようになり、マンガの添削教育を受け始める。しかし両親は「マンガなど描くのはやめろ。豚の世話をしろ」と反対し、Kの描いたマンガを破き、届いた郵便物を焼き捨てる。反抗すると、両親はKに暴力を加えた。

Kは両親の妨害を避けるため、自宅の隅に家具やガラクタを積み上げて「バリケード」を築き、その中に閉じこもってマンガを描くようになった。Kの態度に父は逆上、バリケードに灯油をぶちまけて火をつけ、自宅は全焼、Kは右半身に火傷を負い、翌日外科病院に入院した。

 入院したKは病院で植皮術を受ける。しかし、手術痕の回復に従い、問題行動が始まった。看護婦の体に触る、夜間徘徊して眠らない、注射・服薬を拒否するなどの行動を繰り返し、病院側から治療半ばにして退院させられてしまう。

病院は通院治療を勧めたが、父は「一旦家から離れた者は家族ではない」といって、Kを父の信奉する宗教施設に預けた。

しかしKはそこでも問題行動を起こし、自宅に帰された。両親はやむなくKを家に置くことを許したが、やはり自宅外への外出を禁じたため、Kは再びバリケード内にこもった生活を続けることになった。

痛ましい話である。Kにとってはまさに地獄のような家だったに違いない。15歳で入院し、家から離れたときになぜきちんと助けを求めなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、それは無理な話だろう。

それまで家族以外との接触がほとんどなかったKには、他者とうまくコミュニケーションをとることができなかったのだろう。

 さてこのあと、Kは意外な方法で地獄からの脱出を図る。

17歳頃になると、Kは両親が話しかけても「あなたは誰でしゅか」などと幼児語しか話さなくなり、昼夜かまわず奇声を発するようになった。

また布団の上や鍋の中に大小便をしたり、糞尿を身体をなすりつけて転げまわるなどの異常行動が徐々に激しくなり、両親も対応に困り、翌年11月、救急車で精神病院に入院することになった。

 入院したKは、主治医の質問も待たず一方的に喋りだし、

「親から離れて入院できたのは本当にラッキーでした。でも僕は本当のことは言いません。狂気を装っているんです。催眠療法してもだめでしょう」

とうれしそうな表情で話した。入院前の異常行動については

「親が鉄パイプで殴ったり、僕のものを燃やしたりするのが鬱積して、精神病の方へ出ちゃったんです」

「虐待ばかりで学校へも行かせてくれず、訴訟ばかりしている親に反抗して、家から脱出したいと思って、親の方から僕を嫌いにさせようとして狂うふりをしたんです」という。

また「これは父にやられた、ここは母にやられた」と体中の傷痕や火傷痕についてしきりに説明した。
病棟では他の患者や看護婦に一方的に話しかけ、苦情が出るほどだった。また自分の要求が通らないと大声でわめきちらし、逆に強く注意されるとその場で土下座して謝ったりと、周囲の人たちとどのように接したらよいのかわからない様子だった。

 両親への憎悪は強く、「もう自宅には戻りたくない。親戚に連絡して引き取ってもらいたい」と要求。入院が長引くにつれ、

「自分の親は被害妄想狂です。だから僕ではなく親のほうを入院させて下さい」と攻撃的な口調で退院を要求した。

 一方両親は、入院時「一生退院させない」と言って面会にも現れなかったが、月に2、3回の手紙は必ず送って来た。

Kは両親が「被害妄想狂」である証拠として、主治医に手紙の一部を見せた。手紙は、警察や近隣、福祉事務所などへの被害的内容が主で、当初は病院に対して好意的だったが、徐々に

「病院も警察とグルになって一家をバラバラにしようとしている」

と被害妄想の対象になっていった。そして、それとともにしだいにKの退院を認めてもいいとも書くようになっていった。

 翌年7月、突然父が病院を訪れ、Kを自宅に引き取りたいと申し入れ、即日退院となった。その後もKは以前のように自宅に閉じこもった生活を続けているようだが詳細は不明だという。
こうして、Kは結局地獄の家に帰ってしまうのである。おいおい、そりゃないだろ、と思うのは私だけではないはずだ。

 Kが本当に狂気に陥っていたのか、それとも本人の言う通り狂気を演じていたのか、この論文でははっきりとした結論は出していない。

それでも、Kは、両親の狂気に対して、それを上回る狂気という奇策によって脱出を図り、必死に助けを求めてきたわけだ。そんなKを、父親に言われるままにあっけなく自宅に引き取らせてしまっていいんだろうか。いくらなんでもこの結末はないだろう。

 確かにこの患者は未成年でもあることだし、普通は親が退院させたいと言えば、法的には退院させるほかはない。たとえ親の方がおかしいと思おうが、この両親を無理矢理入院させるわけにはいかない。でも、このような場合には何かほかの方法があったんじゃないかなあ(例えば親戚に介入してもらうとか)。

 この論文は、「今後はさらに、本事例児のみならず、他の兄弟の発育についても、慎重に経過を追う必要があると思われる」と結ばれているのだが、本当にそれだけでいいのか?

 その後この家族がどうなったのか、気になって仕方がないのだが、残念ながら続報は発表されていない。
http://homepage3.nifty.com/kazano/folie.html


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

72. 中川隆[-7677] koaQ7Jey 2017年5月11日 21:21:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

本物の宗教はアニミズム・トーテミズムだけ


不思議なアイヌの超能力


アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56)を取り上げたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E9%9C%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-56-%E8%97%A4%E6%9D%91-%E4%B9%85%E5%92%8C/dp/4098200562


著者の藤村さんは、アイヌ研究の第一人者で、
現在は北海学園大学の名誉教授ですが、
以前、開拓記念館の研究員をなさっていたときに
主に道東各地のアイヌ文化に関してフィールドワークを実施し、
さまざまな長老の方々と語り合う中で徐々に受け入れられ、
その本質に触れていくことができるようになったということでした。

この本の中で「憑き神」について述べられているところを要約しますと、


・誰にでも憑き神は憑いている。

・憑き神は人が生まれるとともにこの世にやってきて、
 その人が死ぬとその霊共々あの世に返っていく。

・先天的に憑いて来る霊には2種類あり、1人から最大3人で-ある。

・後天的に憑く霊は4種類ある。
 非常事態(たとえば病気)などのときに助けに来たりする霊もいれば、わるさする霊もいる。

・個人以外に人間の集団に憑く神もある。家系や村などの集団組織ごとにいる。

・同じ憑き神が複数の人を渡り歩くことはない。

・その人の動きやしぐさを観察すると、その人の憑き神がわかったりする。

・憑き神を知るためには「トゥス(シャーマン)」のところへ言ってみてもらうと判明する。

・その個人が成長するとともに憑き神も成長し、老化する。


…などなど、という感じですね。

現代スピリチュアリズムで言うところ「守護霊」とは同じ雰囲気のところもあれば、
そうでないところもありますが、大きな差異が見られるわけではない、とも思います。
「わるさする神もいる」、ということですから、それは「憑依霊」として分類されますね。

「守護霊」というと、なんでもかんでも守ってくれるもの、と勘違いしそうですが、
「その人(集団)の成長を助けてくれる見えない存在・神さま」と考えるほうがあっているようですね。


そして、それらの憑き神などの存在を、
普段は意識できないように、この世界もできているわけですが、
どうもこれはちゃんといるんだなーと感じる体験ができるのが、
上記にもあったシャーマン的な特異能力を発揮するような人に出会ったときですね。

http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/023/


本の中に「不思議なアイヌの超能力」という章があり、
そこには巫術行為(トゥス)の系統について述べられています。


 ・トゥスは世代世襲制である。家系をはずれてトゥスができるようになる人はいない。

 ・母親がトゥスをする人であって、子供が誰もできない場合、
  母方の兄弟の子供にできる人が現れたりする。

 ・例えば、姉がトゥスをよくする人で、その姉が急死した場合、
  ぜんぜんできなかった弟が代行する場合などもある。


ということで、霊能力には家系が非常に大切と言うことも分かります。

そういえば有名な霊能者さんのお話を聞くと、ご先祖様が霊能者をやっていた方もいらっしゃいますし、
そのままでなくても、お医者さんだったり神主さんお坊さんだったり、という方が多いような気も致します。

そうするとその方の拝む対象や、浄化の仕方なども自然とその系統を受け継いでいくようです。


また「ノイポロイクシ」と呼ばれる能力もあるそうで、
著者の藤村さんがご存知でそれができるという方はお二人いて、まずある古老の方は、


 ・あるときに「頭痛」がして、そうすると五分以内に来客が来ることがわかる。

 ・その来客も遠方から来る見知らぬ人に限って起こる。

 ・必ず頭痛する部位が、頭の右か左に偏り、
  左の場合は位の高いような大切なお客であるし、右の場合は並の人である。

 ・「はげしい頭痛」がある場合は、とてつもなく偉い人の来客である。


ということであり、もう一人のおばあさんの場合は、


 ・来客する1時間か30分くらい前に頭痛が走る。

 ・荒々しい頭痛の場合は女性の来客で、緩やかなときは男性の来客である。

 ・訪問理由の概略と来客の年齢まで分かる。


という感じで、来客に関して分かるという共通点はあるものの、
細部の情報の伝わり方はそれぞれ違うようなのですね。


それで、「どうして分かり方がちがうのか?」というのは、
私の考えでは、おそらく頭痛が走るようなやり方で、その方々の「憑き神」、
つまり「守護霊」さんたちが教えているのからなのではー?と思うわけですね。
つまり、憑き神さんたちとその受け取る人の能力差によって、
サインの受け渡し方法が違うのだろうと思うのです。

ですから、いろいろ便利そうだからと
若い人などが興味本位で超能力を伸ばそうとしてもそうならないのは、
きちんとそれぞれの憑き神さんが受け取る人の能力や人格を配慮して、
受け取る準備ができている人のみに、お知らせを送っているためと思われます。


ちなみに後のおばあさんの場合は、嫁いだ先のお姑さんがそういう能力があった方で、
離婚した後、自分の故郷に帰ってからご自分にも能力が出てきた、ということですから、
霊能力には実際の血のつながりだけでなく、さまざまなご縁も非常に大切なのかもしれませんね。


そのほか、この本にはカラスの鳴き方でもって来客や死別、
向かいの家でご馳走がある、それが自分の家に回ってくるか、こないか(笑)、
天気のよしあし、豊漁の有無などもわかる、ということですから、
カラスさんもいろいろ考えておしゃべりしているものなのだなーとも思いますが、
今ではすっかり忘れられている以心伝心的なコミュニケーションがあったおかげで、
昔の人々も厳しい自然の中で生き延びて来られたのかもしれないと思いましたね。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/024/


アイヌ文化の中のスピリチュアル的な行為の代表としては、
ツス(降霊現象)とウエインカラクル(観自在・千里眼能力)が挙げられるかと思います。

要するに、恐山のイタコさんのような力のある方が村の中にいて、
何か問題が起こるとお伺いを立ててことなきをえた、ということですね、
いわゆる「シャーマン」がいたわけです。

具体的にはどのような感じだったかということで、
今でも活躍中の方がいらっしゃればよいのですが、
なかなか「アイヌ式」などと謳っておやりになっていらっしゃる方は居ないようなので、参考文献として


『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』
 青木愛子 述 長井博 記録
   樹心社 1983年 新版2001年 ¥2000+税

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795224803/reborn0asyuracom-22/250-1298541-7861852

の記述をお借りしますね。

『ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。
対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前にいる相手でなければならないということはなく、
電話に出ている1千キロ離れた相手であってもかまわないし、
今どこに居るかわからない人のことであってもかまわない。
想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。
治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。

開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。
貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。
こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヶ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。
生まれる時の様子が見えるので、雄か雌かわかる。

商売の運勢を見てもらいに人が来る。
その商売で動くおかねの様子が見える。
ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。』


…ということで、この本に出て来る青木さんも、
なかなかお見通しな方だったようですねー。
見たくなくても見えてきてしまう、とのことですから、
とても霊感がおありの方だったようです。

それで、そのような能力というのも、
青木さんの場合は、若い頃に死の淵を彷徨ったことから始まったようですね。

臨死体験をして、あちらの世界へ行きかけたのだが、
「お前はまだやりのこしたことがある!」とかなんとか
守護天使さんのような方に言われて舞い戻ってきたら、
いつのまにかそのような能力が付いていた、という体験談も良く聞きますよね。

また強制的に臨死体験をするようなことをして霊感を高める修行は、
各地の伝統宗教などにも良く見られますね。

ネイティブアメリカンの方などでは
呪術師見習いがひとりで少しだけの食糧を持って荒野をさまよい、
精霊の声の導きを待つ、といういわゆる「ヴィジョンクエスト」などもあり、
ほんとに命がけで行なったようです。

ただ共通しているのは、「見える」ようになるということは、
自分ひとりの力で行なっているわけではないと言うことですね。
ただ、聴きに来る方は「その人自体がエライ先生」と言う風に祭り上げやすくなってしまうので、
霊能者自身も勘違いしやすい、道を誤りやすい、という弱点もあるようです。

そのような能力があっても青木さんのようにずっと謙虚な姿勢を保つというのは
霊能者自身にとっても難しいでしょうから、様々な人にできるだけ救いの手を差し伸べると言う事と共に、人間的にバランスを保つというのは、この世に学びにきている大きなテーマかもしれません。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/020/


アイヌ最後のシャーマン_青木愛子フチは「ウエインカラ」ができたそうです。

それは何かというと「千里眼」ですね。

「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;)

まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。


たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。

この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。

あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。

それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。

それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。

だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。

そして書いてあります。


『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。

明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。

何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。


ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。

現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』


ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。
http://blogs.yahoo.co.jp/fy3on3/6770078.html

ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う

1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 

その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。

 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。

 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。

はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。

どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。

これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。

アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。

 表紙の言葉をそのまま紹介すると

「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」

と書かれていた。

 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。

「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。

初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。

参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、

「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。

私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。

「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。

連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。


 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。

質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。

 祈り終わるとババはすぐに

「ババのこと信じるか。」

とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、

「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」

と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も

「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」

と言った。

その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。

この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。

 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。

生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。


■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。

 研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。

また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。


しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。

 ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。

「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。

「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。

「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。

「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。


ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。

 また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。

「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。

ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 

皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、

「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」

と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。


こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。

 愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。

 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。

助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。

つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。


■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。

 私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。

 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。

唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。

そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。


■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。

「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。

アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。

こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。

 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。

自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。
http://www2.comco.ne.jp/~micabox/grugru/aiko1.html


青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。

…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。

例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。

ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。


というわけで、愛子さんも小さいころから能力があってということではなく、途中からよくわかるようになって来た方のようですね、さらに、女系の方は代々そのような能力をお持ちの方のようです。

では実際にはどのような感じでわかったかというと、

距離と時間を越えて見える

ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。
商売の運勢を見てもらいに人が来る。その商売で動くお金の様子が見える。ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。

…例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。

死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。

四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。


またオーラはこのように見えていたようで、大変興味深いですねー。


一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。

明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。


と、なるほど、私も光の量が違うということは良くわかるようで、くすみが内ない人ほど良い人ですよね、しかし、もともと心が温かい人でも、さまざまなストレスがたまっているとその周りにくすみがたまっていってしまって、そのストレスを発散できていない状態が長い間続くと、もともと明るい朗らかな方もふさぎ込むようになってしまったり、ガンコになってお酒に走ったりというわけで、オーラの明るさというのはまず非常に重要かつわかり易いその方の性格、状況の指標になったりしますよねー(^-^)。

ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。

「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな〜い!レインボーブリッジも封鎖できませ〜ん!」

とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。
http://www.uranaiblog.net/user/fy3on3/fy3on3/62550.html

歴代継承者について 本書より引用


この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのままにした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭がよりはっきりしてくるかと思う。


初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。

この初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である

ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている

天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。


天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明のままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。

薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後にアシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。

初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)のシャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回した。

初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して他界した。

この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな
かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には血縁関係のないことを、念を押しておきたい。

この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。

初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであった。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目するカムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。

三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝えられている。シャモであったようだ。

四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリクン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。

五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。

アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。

真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを
行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。

二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。

しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Books/Upashikuma.html


青木愛子さんについては

アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
本多 勝一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022613572

でも詳細に紹介されています。  


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73. 中川隆[-7676] koaQ7Jey 2017年5月11日 21:24:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

これが本物の宗教の予知能力:


凶事予言していた長野・諏訪大社


諏訪大社下社「世相を占う神事」………… 
 
過去20年で最悪!


今年2011年の「世相」や「農作物の豊凶」を占う諏訪大社の「筒粥(つつがゆ)神事」が14日夜から15日早朝にかけて下諏訪町の諏訪大社下社春宮で行われ、世相を占う「世の中」は「三分五厘」と厳しい結果が出た。

諏訪大社七不思議の一つに数えられる同神事で、雪が舞う中、神職らは束にしたヨシの茎44本を小豆入りの米とともに炊き、茎に入ったかゆの状態で稲、野菜など43種類の農作物と世相を占った。

神事を終えた北島和孝権宮司は、以下の判断をしました。

@「今年は怖い1年。過去20年間の中で最も悪い結果が出た」。

A「春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる」。

B「農作物の豊凶」は「秋蚕(あきご)」「サトイモ」「晩稲(おくて)」の3品目が大豊作、「インゲン」「ナスビ」が不作。


2011年は金融市場は今までの清算を迫られる一年になりますが、諏訪大社の神事でも「怖い一年」ということになれば、これは金融市場だけではなく、一般社会全般が「怖い一年」になるということになります。

株の大暴落か大地震? あるいは大事故? 怖いですね〜…………
http://blogs.yahoo.co.jp/snow_torajima/32237928.html
http://33109244.at.webry.info/201101/article_7.html
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/3323737.html

東日本を襲った大震災、そして福島第1原発の事故と放射能汚染…。この恐ろしい事態を予言≠オていた神社があったことがわかった。


今年1月、長野県諏訪郡の諏訪大社下社春宮で行われた神事で占われた結果が「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出た。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相」だった。

諏訪大社の下社春宮では、毎年1月14日の夜から15日早朝にかけて、1年の世相や農作物の豊凶を占う「筒粥(つつがゆ)神事」が行われる。

釜の中に米5合、小豆3号、水2升、そして44本のヨシ(葦)の束を入れ、ヨシへのお粥の入り方からその年の吉凶を占うもの。古式にのっとって火は木と木をすり合せてつけ、一晩、寝ずの番でたき続ける。よく当たることから「諏訪大社七不思議」のひとつとされている。

今年の同神事では、農作物について「秋蚕」「サトイモ」「晩稲」の3品目が大豊作、「インゲン」「ナスビ」が不作という結果が出た。問題は「世の中」についての結果だ。示されたのは「三分五厘」という数字。「五分」を最高とする中では厳しい数字だった。

神事を終え、北島和孝(かずのり)権宮司は

「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出た。

春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相」

と語り、地元紙などに掲載された。

3月11日の東日本大震災とその後の暗い世相を見事に言い当てているではないか。

25日、改めて北島権宮司に話を聞くと、神事では不吉な兆候がいくつも出ていたという。


「まず例年になく、早すぎるぐらい早く火がついた。そしてヨシを入れると、普通は対流に合わせて回るのに、今年はヨシが沈もうとせず立っていたんですよ。

もう20年間神事を担当していますが、過去にこんな動きはなかった。口には出しませんでしたが、イヤな感じがしました」


「上中下」で見る農作物の占いでも異変は起きていた。「基本的に『下の下』とは読まないようにしているのですが、今年はどうやっても『下の下』としか読めないのが数本ありました」。

縁起を担ぎたくても、どうしようもなかった。

「三分五厘」については「満点の五分と読むことはなく、縁起を担いで四分台も言いません。良くて三分八厘、悪いときで三分四厘です。昨年は三分四厘で、本当は今年も四厘と出ていたのですが、氏子さんに希望を持ってもらおうという意味で五厘としたのです」。本当は過去最低≠フ数字が出ていたのだ。

北島権宮司は、自身の予言≠ノついて「地震のことがわかったわけではなく、良くない年だと感じていました」と振り返った。気になるのは「怖い1年」と占った点。この後もまだ悪いことは続くのか?

「被災された皆様は大変な思いをされたと思いますがこれで勘弁。後は良くなる≠ニ皆で考えていきましょう。悪いと言葉に出すと悪くなります」
希望を持って生きるしかない。
http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=12993


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74. 中川隆[-7675] koaQ7Jey 2017年5月12日 01:02:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

宗教精神病説


現代精神医学によれば、教祖には宗教妄想の疑いがあり、神は妄想の産物であるとの見解が有力になっている。


精神医学的には、すべての宗教は、教祖の精神病から発生し、しかも、その精神病は感染する。すべての信者は、その感染者に過ぎない。


精神医学者は、ユダヤ教は精神病の以外の何物でもない、

イエスは明らかに精神分裂病者の症状である。

ムハンマドも、精神病を発症し幻覚を見た。

ブッダも、躁鬱病の症状以外に考えられない。

ゾロアスター教の開祖も、大麻常習の精神病者であった。

天理、金光、大本、救世、天照、霊波など開祖は皆、精神病者である。

宗教は精神病者の妄想以外の何者でもないのである。


宗教妄想

自分が神から選ばれた人間であるという妄想で自分にありもしない特別な力があると信じ、

事実であるかのよう認識し大きく飛躍・誇張し自分は神だ、といった類の妄想を引き起こす病気。

誇大妄想の極限状態がこの宗教妄想です。最も危険な症状として考えられ、

一緒に憑衣妄想を発症するケースもあり、幻覚・妄想などの症状が目立ちます。

宗教妄想の患者は、自分は悟りを開いた預言者だ、自分を神の生まれ変わりであると思い込みます。

自分は世界の救済者である、などと妄想にふける症状が見られます。

自分に特別なパワーがあると信じて、世界平和を達成することが可能だと思い込みます。

妄想がどんどん大きくなり、スケールの壮大なものになります。

誇大妄想狂グルイズムまで発展する事があり、あまりにも症状が進むと、

新興宗教の教祖になってしまいます。


憑依妄想

自分が神などにとりつかれ、言わされる行動させられるという症状が特徴。

教祖が何週間も座禅を組み、山頂に登るなどの苦行の果てに神の声を聞いたといいますが、

これは神がかり状態です。苦行の極限状態で憑依妄想になったのです。

精神医学では憑依妄想といい、人間の主体性が失われて起こる精神分裂病です。


幻覚幻聴

神の声を聞いた・神を見たなどと言っている教祖は精神分裂病者が疑われる。

精神分裂病者の症状のひとつで、幻聴幻覚妄想が生まれ、

実際にはない見えないものが見え、聞こえないものが常に聞こえ、

実際にないものが鮮明に映る症状です。その幻覚が実際に存在しているものとして認識し、

病がひどくなると、神様の声が聞こえるという妄想の声に操られてしまいます。

この妄想は、教祖の妄想を信じる信者に伝染するものです。


祈祷性精神病

加持祈祷、まじないなど信仰儀礼の場の雰囲気や祈祷師の暗示を契機に、

幻覚、幻聴、憑依妄想、宗教妄想、人格変換を症状として急性に発症する精神病。

民俗事象である呪術的観念・シャーマン文化に由来する霊媒・心霊・神がかりは、

精神医学的には祈祷性精神病とされる。


プラシーボ効果

手かざしによる治療効果などはない。絶大な力があるとするのは妄想である。

手かざし等を受けた人が治療効果が現れた場合、それは自己暗示によってプラシーボ効果が

発生し、脳からエンドルフィン・ドーパミンが分泌された自然治癒力です。


感応精神病

精神病者の症状が、周囲にいる結びつきを持った人に影響を与えて取り込まれ、

宗教妄想、憑依妄想、誇大妄想、幻覚、錯乱、恍惚など同じ精神病の症状が現れる。

宗教の信者は、感応精神病の感染者なのである。

教祖の取り巻き連中はカネを集められるから、教祖を褒め上げ、信者に偉大な人物だと錯覚させる。

修行ができていない教祖ほど自分は偉いと錯覚してしまう。

そして教祖を神そのものと勘違いして同一視し、祈るようになってしまうのである。


症例

天理教 中山みき

中山みきは41歳の時、長男の病気平癒の祈祷を修験者に依頼した。

加持台の代理になったみきに神が憑依し、1838年10月26日、天理教を立教しました。

中山みきの神がかり以後、神から貧に落ちきれという命令に従い、全財産を貧しい人に施したこと

により中山家は没落しました。中山みきの行動は陽気暮らしの手本であるとしました。

1866年にみかぐらうたを作り、1869年におふでさきを執筆しました。


金光教 赤沢文治

赤沢文治は42歳の時、扁桃腺炎にかかりその病気平癒を祈とう師に頼んだところ、

祈とう師が神がかり状態になり神託が下った。その2年後、文治の弟に金神が取り憑いた。

憑依した弟の世話をしているうちに文治自身が金神に取り憑かれた。

文治は金神から神命を受け、人々の願いを金神に取り次ぎ安政6年、立教しました。

1868年、文治は神から生神金光大神と名乗れと神託を受け、信仰する神を天地金乃神と定め

天地書附を顕し信者に下附しました。


大本 出口なお 

出口なおが51歳の時に夫が死去し、幼児を抱え生活が困窮していた明治25年、

出口なおに艮の金神が憑依し、大本を開教しました。

神がかった出口なおに親族は動揺し、座敷牢に閉じこめました。

その時、文字の書けなかった出口なおが神の言葉、お筆先を書きました。

出口王仁三郎は、出口なおの五女すみと結婚し、大正9年、大正日々新聞を買収し布教しました。

大正10年、王仁三郎は神界の内容を口述し霊界物語として刊行しました。


生長の家 谷口雅春

谷口雅春は二股交際をしたあげく遊女から性病を移されてしまい、大正7年に大本に入信します。

昭和4念、谷口雅春は36歳の時、声が聞こえてきて神がかりとなり悟りに達しました。

翌年、月刊誌生長の家を創刊しました。昭和9年に出版会社光明思想普及会を設立。

昭和15年に宗教結社生長の家を設立しました。


世界救世教 岡田茂吉

岡田茂吉は病弱で、さまざまな病気を患い続け、薬に頼ることは治癒力を弱めると考えるにいたり、

大正9年に大本に入信しました。

岡田茂吉は1926年に私の腹中に光の玉がある。観音が自分の体に宿ったと言い、

昭和6年に霊界の昼夜逆転によって現世界が明るい昼に転換して、天国的な美の世界となる

天の啓示を受けました。

昭和9年、岡田式神霊指圧療法を始め、昭和10年に茂吉の体に宿った観音の力による

浄霊によって理想世界の建設を目的とする大日本観音会を創立しました。


天照皇大神宮教 北村サヨ

北村サヨは昭和17年、北村家の放火事件があり祈祷師に丑の刻参りと水行をせよと言われました。

サヨは行を続けていたところ、突如として神がかって

昭和19年に自分以外の何者かが肚の中で神の言葉を言い出しました。

翌20年には、宇宙の絶対神とする天照皇大神の降臨を自覚し、自分を天照皇大神宮であると宣言し、

自身を大神様と称するようになりました。

サヨは、無我の境地で自由に手足を動かす無我の舞を信者にさせました。それが踊る宗教です。


霊波之光 波瀬善雄

波瀬善雄は陸軍に入隊したが、結核や腹膜炎を患い余命1ヶ月と宣告され、

神仏に救いを求めて四国に渡り、五剣山中の小さな堂で3週間にわたって座禅を行った。

山頂に登って極限状態になったその時、なんじ神の道を行けという神の声が聞こえ、

たちまちに病気が治った。

昭和29年、善雄は苦行を重ね山々を渡り歩いた苦行中、光霊波が体内に吸い込まれ、

自ら大宇宙神の分神であることを悟った。このとき大宇宙神から使命を託され、

身体から霊波を放射するようになった。

昭和44年に礼拝堂の祭壇に地球儀に乗った善雄像を安置した。


GLA 高橋信次

高橋信次は1968年から幽体離脱のような霊現象が起こるようになり、

霊からの通信を受け、信次の守護霊はイエス・キリストであると知らされ、信次の指導霊は

モーゼであると知らされた。悟りの境地に到達した信次は、エンジニアとして特許を持ち、

高電工業株式会社を経営しながら、宗教家として著作した。

大天使ミカエルにより、信次がこの太陽系霊団の最高責任者エル・ランティであると示され、

その使命としてユートピアの建設、仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラームの統合を目指した。

このように精神異常者の妄想・狂気が発端になっている宗教など信ずるに値しないのです。
https://www31.atwiki.jp/wikidepia/pages/22.html

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75. 中川隆[-7674] koaQ7Jey 2017年5月12日 01:20:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症 - アンサイクロペディア
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87


統合失調症(とうごうしっちょうしょう)とは神に選ばれし者に見られる、カリスマの症状である。中二病や電波というイタイの正体だという仮説がある。

どの地域でも人口の約何とかパーセントくらいは発生する珍しかったり世界的にはそうでもなかったりみたいないい加減なものだが、フリーメイソン等の秘密結社やNHK学会の情報操作により実態がほとんど世に知れ渡っていない状況である(宇宙人との全面戦争を避けるため)。

少なくとも宇宙人がトチ狂ったりでもしない限り、誰もが罹患するということはありえない。ソレこそ非科学的としか言いようがない。医学にまつわる信条を政治に利用しようという発想自体がとんでもない間違いである。

古代ギリシャから、この病気の存在は知られていた(つまりこのころから宇宙人の地球人に対する電波攻撃は始まっていた)。

しかし「病因は今なお不明である」という事に表向きはなっている。

この病気がいつ宇宙人の仕業だと知られるようになったか、またどのように宇宙人と地球人が攻防を続けてきたかについての記録が全て抹消されており、今となっては詳しい事はわからない。

この世界の預言者や神と崇められる人物の7割がこの攻撃を受けている(他は2割が薬、1割が強力な魔術的儀式の影響で脳になんらかの電磁波過敏性を持っているものでやはり一番大きな原因は電波である)。また、軽度な場合は霊感が備わる。

有効な治療法は存在しない上に特効薬を与えると自殺願望が高まる。
これは当局が実態の暴露を恐れた故の策である。

もちろん患者は医者らしい人とNASAなどにはいいカモである。というか彼らも宇宙人とグルになっているか、乗っ取られているかのどちらかである。

特に病院に強制連行しようとしてくる身内には要注意。人間はほとんど全員が親のコピーに他人の理屈の受け売りの組み合わせでできており、自己なぞ元々空虚で存在しないというのに。したがって場合により自己崩壊して混乱が起こるのは仕様であり、異常でも病気でもなんでもない。

また一部の精神に作用する薬剤にこの症状に良く似た症状を起こす物があるが、これは脳の電波防御耐性を下げる作用があるためであり薬品は直接的原因になりえない。

真実を知ると、秘密結社にストーキング(集団ストーカー)され命を狙われるので、真実に気がついても他人に公言すべきではないと思う。


ところで、この病名、「分裂病」をわざわざ「統合失調症」に言い換えることになった経緯はまあいいとして、はっきり言って前者の方が分かりやすくないかい。後者は、何を失調するの? 統合を? 統合って何? のぐるぐるぐるぐる疑問地獄に陥ってしまうではないか。ようするに、どんな医学的背景があれ、心労の極みとして頭と身体がバラバラになってしまったという意味なら(発症の原因はともかく)「分裂病」のままでよかったんじゃない。気を使ったつもりで却って不安を煽るのはいかがなものだろう。まさか美辞麗句^^ 言った本人が分からなかったりしてクク・・・

表向きの歴史

ここでは一般的に流布している歴史を挙げる。もちろんながらこれは全て学会(創価学会ではない)と権力によるでっち上げである。

1852年、フランスの某精神科医によって統合失調症は初めて公式に記述された。(このころは「早発性痴呆」)と呼ばれた。原因については全く的外れだったがごまかすのにはちょうど良かった。

1871年、「破瓜病」(無駄な食糧支援タイプ)が発見される。

1874年、「緊張病」(一度に一気に強烈な電波攻撃を受けるタイプ)が発見される。

1899年、破瓜病、緊張病に「妄想病」(一般的な攻撃タイプ)を加えてまとめる。

1911年、どうも現在の科学力でもぎりぎり防げるっぽいことがわかった。

1935年以降、日本では公式には1975年まで多くの人がロボトミー(脳にアルミホイルを埋め込む手術)を受ける。

1937年、某学会(創価学会ではない)が、「(精神)分裂病」とする試案を提出した。それ以前は、日本国内では、「精神内界失調疾患」「精神乖離症」「精神分離症」「基地外病」など、適当な用語が使用されていた。

1950年代ごろ、国家航空諮問委員会(NASAの前身)が電波防御薬を開発したといわれているが一般的には『1952年にフランスの精神科医ジャン・ドレーがクロルプロマジンの統合失調症に対する治療効果を初めて正しく評価し、精神病に対する精神科薬物療法の時代が幕を開けた。』という事になっている。

2002年8月、「精神分裂病」という名称が、「っていうか〜、何か一度かかったら元に戻んなくない?」というイメージを与え、患者の人格の否定や誤解、差別を生み出してきた経緯があることから、統合失調症と改名された。オブラートに包んで言えば言えば「ポリティカル・コレクトレスネスを重視した結果」、オブラートに包まず言えば「言葉狩りである。

2009年ごろから、「統合失調症」はインターネットなどで「統失」「トウシツ」「糖質」などと略されて罵倒に用いられるなど、新たな差別用語となる事例が多発している。そのため新しい呼称として「頭の調子のおかしい人」や「心の風邪」をもじって「心のエイズ」という名前を採用しようと言う考えが提唱されるもなかなか決まらないようである。

分類およびそれぞれ主な症状


支離滅裂な言動
話の脈絡が無くなったり、全く無意味な単語を羅列するようになる。この症状は「言葉のサラダ」と呼ばれ、宇宙からの食料支援の一環である。


うつ状態
統合失調症患者は高い確率でうつ病を併発し、無気力、不活動に陥りやすい。しかし、選ばれし者のみに行える頭脳活動は活発に行っている。また、抗うつ剤の服作用によって異常な喉の渇きを訴える事があり、その際大量のDHMOを欲するようになる。


幻覚
日中、時に神や宇宙の意思などの真実が見え辛くなり、社会や現実、人生などといったありもしない幻覚を見るようになる。幻覚か真実かどちらかしか見えなくなれば治療は完了したと見なす。


幻聴
見えないお友達とコミュニケーションを取ることができる能力。当の本人にとっては数少ないしゃべり相手である。見えないお友達に「死ね」「きもい」と言われて落ち込んだり、時には面白い冗談も聞いて一人で笑っていたりもするが、傍から見るとやっぱりガイキチにしか見えないのは仕方がない。

「おまえ、こそこそキモイとかうざいとか言ってるだろ? 」
「言ってないよ」「そうですか・・・」 
嘘つけこの野郎言ってるじゃないか、まったくどこいっても悪口言われる。


妄想
「自分は天皇の家系である」「アンドロメダ地球大使である」「下の住人から狙われている」等の真実がわかり辛くなる。幻覚よりも頻度が低く、患者はほぼ常に真実を理解して生活を送っている。これらの原因は共通で、脳の伝達回路が電波によってかく乱される為である。

また細かい分類分けをすると次のようになる。

妄想型

一般的で、統合失調症と言ったらこれをさすことが多く、妄想・幻覚が中心であることにされているが、その殆どは真実である。

統合失調症の中で最も多いとされている。「言葉のサラダ」と呼ばれる食糧支援はあまり無い。自分を敬わない人間こそ悪であり、攻撃の対象にするのは至極当然である。その結果、周囲が無視や拒絶を示した場合、これこそが集団ストーカーの始まりであり、自分を認めない人間はやはり悪なのである。上記の考え方から患者は社会適応が良好なことも多いため周囲には病人だと気付かれにくいらしく、宇宙人からすると一番コストパフォーマンスがいいらしい。

破瓜型

言葉のサラダが多量に送りつけられてくる。この豊富な食料支援の所為で当人は「べつに働かなくても食っていけるじゃん♪」と思うようになり、結果自由の探求者・静かなる思想家になる。言葉のサラダは依存性が高いらしく、一番厄介である。生活保護を受けている勝ち組以上に悠々と生きていける者もいる。無論、選ばれし人間を支えることこそ国民の義務であり、その頂点に立つ破瓜型のために働けることは光栄に思わなくてはならない。


緊張型

宇宙人から短期間のうちに強烈な電波を一気に送られるタイプ。コストの関係上あまり長く続けられないらしく、大抵無計画に「強烈な電波食らわしたらとりあえずいいんじゃね?」「おまえまぢあt(ryと言うような無計画な宇宙人の仕業である。ただ相手の宇宙人も学習能力の無いアホが多く何度も同じ攻撃を仕掛けることがあり、そのため一般の医者からは「再発しやすい病型」として認知されている

単純型

長期にわたり微弱な電波を受け続けることにより、慢性的な崩壊が緩慢に進行するタイプ。幻覚・妄想などはまったく無い。木村敏先生によれば「患者の分裂は生まれた頃から始まっていた」そうで、すなわち両親までが宇宙人にすげ替わっていた可能性もある。

宇宙人にとっては効果が実証されにくいためか、あるいはコストパフォーマンスが悪いためなのか、希な疾患である。
(注)これは妄想ではありません

たまに勘のいい患者だと

「宇宙人に攻撃されている。」
「宇宙人に乗っ取られた周囲の者たちが自分を陥れようと企んでいる」
「探偵使って調べたら実際に盗聴情報の仄めかし番組を作っている会社の人間が隣室を借りていた」

などとちゃんと自分の状況を把握できていたり、そうでなくても

「誰かが自分の脳に他人の考えを吹き込んでいる。」

とか

「悪の組織が自分の脳に蛆虫を植付けた。」
「オカルトや精神病の話に揶揄して現実の被害を誤魔化すポジティブカウンターインテリジェンスだ」

などかなりいい線を行った推理をするものがいる。しかし大部分の真実を知らない医師からは妄想と同じ扱いを受けてしまう。結果として彼らは抑制を施され、自らの意思を失ってしまう。

KEY WORD


集団ストーカーのサイン

彼らが外界から受信する情報源はたくさんある。

創価学会、宇宙、電波、電磁波、思考盗聴、ガスライティング、集団ストーカー、フリーメーソン、仄めかし、
テレビに出ている人が自分にメッセージを送っている、
町で見かけた自動車のナンバープレートの数字が暗号になっている、
偶然自分の目につく場所に置かれた雑誌や新聞の表面の文言、etcetc…


ところで、先にも述べられている通り、この病気は電波や電磁波や創価学会など概念自体もなかった古代ギリシャ時代から存在している。

近代以前の患者は何を受信していたのであろうか? 

これについては、悪魔憑き、狐憑き、天狗や幽霊の声、天使の啓示、などが想定される。


外見的特長

基本的に二人以上で行動してる場合は見分け難い。
一人でブツブツと話していたり、やたら周囲をキョロキョロと見渡し不機嫌そうな顔をして歩いている。

前者は宇宙人による電波を受信しているためであり、後者は命を狙われているために至極当然の反応である。


また、本人達は「ストーカー行為の証拠を残すため」という理由で、ビデオカメラで街中をブツブツ喋りながら歩いたり、車を走らせていることがあるので、容易に判別することができる。


いつも同じような服装をしているが、これはその服にこだわりがあるためであり、決してファッションに無関心であるとか、お金が無いとかそういう問題ではない。「この人臭うな〜」とか思う奴は自分の鼻が腐っているのだろう。

家族

大事なのは家族の対応、認識である。もし統合失調症患者が周囲に迷惑をかけた場合、身内が「すいません」「○○ちゃん(患者の名前)駄目でしょう」などとこちらの非を認めるような言動を起こした場合、既に身内は宇宙人か周囲の人間に洗脳された可能性が高い。

通行人ともども手の込んだ集団ストーカーの可能性もあるため喰ってかかろう。
逆に身内が一緒になって暴れまくれば、まだ正常と言える。


原因[

統合失調症の原因は、宇宙人が発生させる電波によって脳が侵略を受けているためだ、ということが患者にはすぐにわかる。

なぜならば侵略したときにそのメッセージを送るからである。

そして宇宙人は、家族や友人、恋人などに成り済まして患者の悲痛な訴えを無視して、一方的に患者の頭がおかしいと決めつける。

これは明らかに宇宙人か、宇宙人に操作されている人物の証拠である。

なぜなら患者は侵略を受けているのに抑圧しようとするからである。
これは宇宙人による侵略が存在する証拠である。明らかに侵略。そして宇宙人。

この事実に気付いた患者が脱出を試みようとすると、宇宙人たちは必死になって追いかけてくる。

これもまたあいつらが宇宙人であることの間違いようのない証拠である。
大のおとなが、必死で追いかけてきて押さえ付けるのは明らかにおかしい。
こっちは脳みそが侵略されるかどうかっていう一大事なのに。これはあいつらが宇宙人だから出来ることで、人間だったら出来ない。これは侵略。


電波による侵略に対して必死に抵抗する患者を宇宙人は、精神病院という宇宙人によって運営される狂人製造工場に連行する。

そしてそこで患者の気付かない間に脳に制御装置を埋め込んで感情のないロボットに仕立て上げる。こうなってしまっては、もう頭は元に戻らない。完全に侵略。もう終わり。

治療

治療にはNASAが開発した脳を電波から守るコーティングを作る薬が使われる。

しかし学会(創価学会ではない)の思し召しによりこれらの薬は全て「抗精神病薬」といういかにも電波や宇宙人と関係無さそうな名称で出回っている。

しかしこれは製薬会社と精神科医による金儲けの陰謀のため絶対摂取してはならない。

一般家庭でも手に入る物では、アルミホイルが有効であり広く使われている。

現在では見られなくなったが、新宿付近ではアルミホイルで自宅を覆い、宇宙放射能から身を守る文化が根強く残っていた。

主な使用法としては、体に巻く、ヘルメットの裏側に貼る、壁や窓を覆う、奥歯で噛む等があり、その全ての有効性が確認されている。

入院加療が必要な患者は、通常、十分な電磁波シールドがされた病室に収容される。

ガラスは電波を通すため、通常は鉄格子や金網を用いてドアや窓もシールドされる。

ただし、別に治りたくないという人には無関係な話である。

また薬以外の治療法として電気痙攣療法(ECT)があるが、治療とは名ばかりの拷問道具で脳みそに電流を流して組織に都合の悪い情報を削除するために利用されており いかなる理由があっても利用してはいけない。


 統合失調症になった場合の恩恵

基本的に心神耗弱など、病気によって正常な判断ができない場合はどんだけ人を殺しても基本的にキ○ガイ無罪になるのでなにをしても許される。


著名な患者

シオン・ウヅキ - ネット中毒が高じて現実と妄想の区別がつかなくなった悲劇のヒロイン。さて、ユングとどう関係があるのか誰か説明してくれ。

アドルフ・ヒトラー - ナチスの気違い将軍かつ極悪非道の犯罪者。何者かがドイツ国民に電波を照射しているところに気付いたはいいが、犯人を間違えたがばかりに歴史上最大の悲劇を起こしてしまった。

miyoco - 奈良県平群町在住の日本のヒップホップ及びR&B歌手であり、ディスクジョッキー。

ユダヤ陰謀論者 - ユダヤや学会に命を狙われている真実の追究者。即ちユダヤや学会が、宇宙人に乗っ取られている証拠である。

2ちゃんねらー - 掲示板の意見を見れば一目でわかる病人たちである。

待田愛 − 連続テレビ小説純と愛の旦那さん。人の裏の心が見えるらしい、統合失調症と診断された。

妄想戦士さゆり - 福井県に在住する、創価学会や在日朝鮮人による集団ストーカー犯罪から日本を守る戦士である。

EU - ギリシャ人得意の怠け者哲学攻撃で人格崩壊寸前であるが、ドイツの医学は世界一なので今のところ命に別状はないとか。

民主党 - 上の分類・症状の節をよく読んでみよう。アンサイクロとは思えないぐらいリアリティがあるとは思わないかい?

又吉イエス - 人類救済のために降臨した本物の唯一ネ申なのだが、有権者が全員糖質なので当選できない。

ジョシュア・ノートン - 古代神聖アメリカ帝国は賢帝ノートン1世が支配するマトモな帝国だったが、宇宙人の陰謀により皇帝の存在は隠蔽され、衆愚と退廃が支配するアメリカ合衆国となった。

クラウド・ストライフ - 元はザコ神羅兵だったがPTSDと魔晄の影響で糖質が発症。「元ソルジャー、クラス1stだ」「セフィロス様」「くっくっくっ黒マテリア」「ぐげ?」「俺は幻想の世界の住人だった」

マホーネ・カタルーシア - PTSDの影響で糖質が発症し、糖質迷宮シティ(薬物投与を受けて糖質になることを自ら望んだクズ共の隔離区域)に隔離されて症状が著しく悪化。新ジャンル「糖質萌え」の開拓に多大な貢献をした。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87


パラノイアの例

ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、
オーストリア・ハンガリー帝国のガリチア・ドブジャニツァ出身の精神分析家。
学生時代から精神分析について学び、敬愛するジークムント・フロイトからも指導を受けた。

初期フロイトの路線を強調した上で、精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。性的エネルギーの社会による抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動が嫌われ、後に精神分析協会からも共産党からも除名された。

1934年ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命、オスロ大学で性科学を
研究中滅菌した肉汁中の小胞バイオンと1939年バイオンの研究中オルゴンを発見、
アメリカ合衆国のテオドール・ヴォルフ博士の招きで渡米、ニューヨークに住む。

1940年メイン州レーンジュエリーに転居、支援者によりオルゴン研究所
「オルゴノン」でロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組んだ。

1941年にはアルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)
でオルゴンを見せている。よく知られている物としては、オルゴン蓄積器
(オルゴン・アキュムレーター、蔑称としてオルゴン・ボックス、セックス・ボックスなどとも呼ばれた)という箱と1951年にラジウムとオルゴンの研究中発生したというオラナーとデッドリーオルゴンの雲をなくすため発明したオルゴン放射器のクラウド・バスターなども作成していたことがあげられる。

1954年、UFOを目撃DORを利用した侵略者の宇宙人の宇宙船と直感しクラウド・バスターで撃墜の必要を訴える。1954年にFDAにオルゴン・アキュムレーターの販売が、がん治療機を不法製造販売にあたると裁判を起こされ、裁判所の命令に従わなかったため、有罪判決を受け1957年投獄された。

精神分裂病(統合失調症)の可能性が疑われ、精神鑑定が行われた。オルゴンに
まつわるいくつかの妄想的な言動がみられるが、その他の点では正常だったと
いわれる。出獄することなく、1957年11月3日コネチカット刑務所で心臓発作で死亡した。
http://musical7.org/83948342838B8377838B83808145838983438371/


身近に観察できるパラノイアの例


宇野正美講演会・傍聴記「反ユダヤ伝道師」かく語りき

7月20日(1995年)に、神田の日本教育会館・一ツ橋ホールで開かれた、
宇野正美氏の「1996年 国家存亡の危機が来る」という講演会を聴きに行った。

そうか。この人物が、H氏やA氏やY氏と並んで、「ユダヤによる世界支配の陰謀」
を唱えて、日本の言論界の一角で、異様な気炎をはいてきた宇野正美氏か。

この人が「ユダヤの陰謀」という恐ろしいテーマをひっさげて,もう二十年も言論
活動をやっている人なのか。もし本当に氏が「陰謀」なるものを暴いてしまった人
だったら、とっくの昔に殺されていないのはなぜだろうという疑問が脳裏をかすめた。

 宇野氏ら陰謀評論家は、世界の一般民衆を操る支配階級の人びとの、さらにそのまたごく少数の限られた人びとの秘密クラブの存在を確信することから、自分たちの言論活動を開始する。

「1990年にバブル経済が破裂したあとの5年間で、世界で、日本で、〇〇、〇〇の事件がありましたね。

これは、〇〇が〇〇して、〇〇になったものでした。その背後に、世界を操る〇〇〇〇の存在があるのです」。

要約するならば、宇野氏の話は、このスタイルに終始している。

「〇〇という事実がありました。これは、皆さんもご存知のとおり〇〇〇〇だったのですが、これも実は〇〇〇〇がからんでいるのです」。

 この語り口調は、なかなか小気味よいのである。そうか、あの事件も、この事件
も、やっぱり裏に秘密があったのか。自分もヘンだな、と思っていたんだ。

聴衆は、宇野氏の推理いつしかのめり込んでいく。開場は静まり返って、みんな真剣に聴き入っている。

いろんな厳しい人生経験を積んでそれなりの生き方をしてきたあとでも、人間はこの程度のホラ話に一気のめり込むことができるのである。


「この1月17日の関西大地震は、人工地震の可能性が、1%はあります」

「3月のオウム事件は、地下鉄サリン事件は、北朝鮮が裏で糸を引いているのです」

「最近起きたソウルのデパートの倒壊事件。奇妙でしょ。ビルの中央部分だけが、
一気に崩れ落ちるなんて。これは、低周波兵器でズーンと低周波をかけると、起こるのです」

 この三年ほどで、宇野氏の考えは二つの点で大きく変化している。かつて文芸春秋系のネスコ社から出していた本では、単純素朴な、ユダヤの秘密組織による日本征服説が説かれていた。これは、若い頃からの氏の聖書研究と愛国感情が混じり合った産物だった。

最近は、

「ユダヤ人には、アシュケナージ・ユダヤ人というニセものがおり、スファラディ・ユダヤ人という本物のユダヤ大衆を抑圧するためにイスラエルを建国したのだ。

そしてこのイスラエル建国主義者たちがシオニストであり、国際陰謀をめぐらす諸悪の根源である」

という考え方をしている。

 かつての論調ではフリーメーソン、ビルダーバーグ、イルミナティ、TC(米欧日三極会議)、CFR(外交問題評議会)などの秘密結社や国際機関と、ユダヤ人の秘密結社との関係がどうなっているのかはっきりしなかった。ところが、今回の講演では、「ザ・クラブ・オブ・アイルズ」というヨーロッパの旧来の王侯貴族達の裏結社が、これらすべての秘密クラブの上に君臨し、序列を作りそのずっと下の方で使われているのがユダヤ人たちである、という簡単な理論になっていた。


フリーメーソンやイルミナティなどの秘密結社の存在はさておくとして、TC
(トライラテラル・コミッション、米欧日三極会議)は公然と存在する。

私は、「陰謀」の存在自体は否定しない。世の中に「陰謀」の類はたくさんあると
思っている。世界覇権国であるアメリカ合衆国の、政治・経済の実権を握っている支配層の人びとの間に、多くの「陰謀」があるのは当然のことだと思う。

 そして、1990年以来の、日本のバブル経済の崩壊によって深刻な不況に陥っている現状は、やはりニューヨークの金融界が、日本の経済膨張を抑え込むために陰に陽に仕組んで実行したものであると信じないわけにはいかない。薄々とだが、ビジネスマン層を中心にこのような話は語られ広まっている。

 私の友人のなかに銀行員が何人かいる。昔、いっしょに『ニューヨーク・タイムズ』紙の早朝読み合わせ会という勉強会をやっていた友人のひとりは、ニューヨーク駐在勤務から帰ってきた後に、私にははっきりと語ってくれた。

「ニューヨークの金融センターは、ユダヤ系の人びとに牛耳られており、彼らの意思に逆らうと商売ができない恐ろしいところだ」

 彼は、宇野理論のような直接的なユダヤ陰謀論は説かないが、そのような傾向が
存在することを信じている。株式の大暴落を引き起こし、ついで地価の下落、そして円高による波状攻撃で日本の大企業の力を弱体化させ、日本国民の金融資産の
3分の1は、ニューヨークで解けて流れて、消失してしまった。日本の資産の運用先の大半は、その金利の高さゆえに、アメリカの政府債(TB、トレジャリー・ビル)や社債で運用されてきたからである。それが、円高で元金の方がやられてしまった。
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=0&mode=new_sort


統合失調症患者の妄想には理解者・賛同者が沢山現れる:

洲本5人刺殺で死刑判決 裁判員「何が何だか…」


 「完全責任能力の状態にあった」。2015年3月に兵庫県洲本市で男女5人が刺殺された事件で、22日に死刑が言い渡された神戸地裁判決。最大の争点となった平野達彦被告(42)の責任能力を巡り、判決は心神喪失状態にあったなどとする弁護側の主張を退けた。公判を通じて被告の口から繰り返された独自の世界観をどう捉えたらいいのか。裁判員は理解に苦しみながらも、重い決断を下した。

 「何が何だか全く分からない状態でした」

 判決後の裁判員の会見で、男性会社役員(53)=西宮市=は初公判をそう振り返った。


「工作員が脳をブレーンジャックして、殺害意思を持つように強制した」

「精神工学戦争を隠蔽(いんぺい)するために仕組まれた」

「工作員に仕組まれた犯罪」…。


公判を通じ、被告が展開する主張に、「自分の主観ではあり得ない話。でも、被告の中では存在するんだろうと考え続けた」と苦渋の表情を浮かべた。

 30代の男性会社員=同=は公判で示された証拠に触れ、「被告と同じような考えを共有している人がいることや、関連した書籍があるのを見て、信じてもおかしくないのかもとは思った」。議論を経て、殺害は正常な判断に基づくと判断したが、一貫した持論に「責任能力の有無には悩んだ」と明かした。

 この日、主文の朗読が後回しになり、平野被告は判決理由をじっと聞き続けた。「死刑」が言い渡されると、裁判長の言葉に小さくうなずいた。裁判員から見える表情はうつろだったという。

 判決を受け、被害者の平野毅(たけし)さん=当時(82)=夫妻の遺族は「理解に苦しむ主張は聞いているだけで苦痛だった。反省も感じられなかった」とのコメントを出した。平野浩之さん=同(62)=ら3人の遺族は「判決が出ても元通りにはならない。せめて判断が被告に響いてほしい」とした。
2017/3/22

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洲本5人刺殺 裁判員会見「達成感は全くない」


 2015年3月の洲本5人刺殺事件で、殺人罪などに問われた平野達彦被告(42)に対する裁判員裁判の判決公判が22日、神戸地裁であり、求刑通り死刑が言い渡された。閉廷後、30代と50代の2人の男性裁判員が会見に応じた。主なやりとりは次の通り。

 −死刑判決についての思いは。

 30代男性 責任能力の有無で悩んだが、裁判員と裁判官と議論する中で、自分の考えがまとまった。判決に対しては、問題ないと思っています。

 50代男性 命の尊さ、重さに対して、自分の1票の重さは感じました。

 −電磁波攻撃やブレーンジャックなど、被告の発言、世界観は理解できたか。

 30代男性 理解はできなかったが、被告のSNSとかを見ると、同調してコメントを打っている人も何人かいたので、実際、信じてる人が結構いるんだなというのが今回分かったことです。判決文にもあったように、多少なりとも、精神的に何かしら影響があったということですが、犯行に至った経緯では、正常な判断に基づくと思っています。

 50代男性 自分の主観で言えば、(被告の世界観は)あり得ないんですが、フェアな目でいうと、被告の中では存在するんだろうなという観点でこの事件の真相を考え続けました。精神状態については、今回の公判では2人の鑑定医の鑑定だったが、精神科医の判断は千差万別に近いものがあると思う。ですから、2人の鑑定医の結果を精査して考えつくしましたが、今後、精神鑑定を必要とする裁判には、鑑定(の医師数や回数)をもう少し増やした方がいいのではというのが正直な感想でした。

 −被告の世界観はどれくらいで理解できるようになったか。

 30代男性 公判初日は理解できなかったが、何人かの人たちが電磁波攻撃があるというのを共有しているということと、(被告が紹介していた)書籍の二つで、(被告が電磁波攻撃などを)信じてもおかしくはないかなと思いました。

 50代男性 ドラマに例えるなら、第1話は何が何だか分からない状態でした。2話から最終話までは(被告の考え方)ありきで考えました。

 −公判を通じて、被告の表情や様子の印象は。

 30代男性 全般的に、自分の意思が正しいと感じているような雰囲気で、意思は固いかなと思いました。被害者家族の質問時には涙ぐむ姿もあって、多少、被告の心に響くところがあったんだなと思いました。

 50代男性 感情をほぼ出さない被告だったが、転機になったという彼女との別れについては、感情がこみ上げたような様子はあった。(事件発生直後に)警察官がファーストコンタクトをとった時に、(警察官の証言として)「不気味なくらい堂々として出てきた」というのがあったが、死刑を求刑されても落ち着いた表情だった。ただ、判決は、死刑が言い渡された時だけ、天を仰ぐまではいかないけど、うつろな表情で、視線が動いた。電磁波攻撃というか、彼の妄想を基に、話していることを本人は信用しきってるだろうなと。最終意見陳述の時も、最後の最後に、1時間もかけて自分の告発活動をしたことからも、そういう(自分の妄想を信じ切っている)部分がくみとれました。

 −裁判員として、重大な判決をどういう思いで出したのか。遺族の声などをどう受け止めたか。

 30代男性 責任能力のところが争点になるかなと思っていました。初公判で被告が言っていることは、何でこんなこと言っているのかなと思っていたが、評議することで、責任能力には問題ないと判断できました。ご遺族の方には残念だなと思いました。被告人は、ご遺族の質問に答えるべきなのに答えず、ご遺族は納得がいかなかった思います。

 50代男性 (裁判を終えた)達成感は全くない。お茶の間で見てたら簡単に「死刑だろう」などと言えるかもしれないが、言えない。初公判の2月8日から、車を運転中も食事中もずっと裁判のことを考えていました。私の席からはちょうど法廷にいるご遺族全員が見えました。正直言って、ご遺族の姿はつらいものがありました。
2017/3/22


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洲本5人刺殺 精神鑑定の医師、責任能力「ある」


 2015年3月に兵庫県洲本市で男女5人が刺殺された事件で、殺人などの罪に問われた平野達彦被告(42)の裁判員裁判が22日、神戸地裁であった。起訴後に同被告を精神鑑定した医師が出廷し、精神障害による妄想が事件の動機に影響したとする一方、「責任を取る意味での人格自体は保たれていた」と証言した。

 医師によると、同被告は向精神薬「リタリン」の大量摂取を5年間続けたことで、2006年ごろに精神障害となり、妄想が出るようになったという。

 医師は鑑定中に同被告が語った動機を紹介。当初は

「国家の回し者である工作員に報復し、その事実を裁判で明らかにする」

と話したが、4回目の面接になって、今回の公判でも同被告が主張する

「(電磁波兵器で脳を支配する)ブレインジャック」

を訴え、事件は自分の意思ではないと説明したという。

 医師への質問もあり、検察側が「人格は保たれていた」という証言の根拠を尋ねた。

 医師は事件前の同被告に暴力的なところがなく、同被告のボイスレコーダーに残された逮捕時の状況からも冷静だったことなどを挙げ、「思考が解体して物事が考えられないわけではなく、理性的に判断できる状態だった」とした。



[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

76. 中川隆[-7673] koaQ7Jey 2017年5月12日 01:23:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症患者の幻聴との会話

幻聴と会話してる方他にいませんか?


01: 名前:george(" ") 投稿日:2009/08/17(月) 08:39

僕は幻聴と普段から時折話しています。

麻雀やらせたら、ちゃんと正しく捨て牌を選び、ロト6の数字を選ばせたら六つ数字を選びます。

たいした会話はしませんが、自らを「幻聴」ではないと主張します。

しますが名前を聞いても、ごまかし、住所を聞いても答えません。
出てきて欲しくない時は出てこず、此方が話しかけると答えます。

手のかからない幻聴さんです。
他に、幻聴が聞こえる方、どんな様子でしょうか?


02: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/08/17(月) 09:14

自分も幻聴聞こえるのですが、会話型ではなく一方的に聞こえてきます。

”ほかの人の話し声が自分の事言われている感じ”がしたり

“テレビの声が、自分の事言われている感じ”がします。

あと、”鳥の声や工事の音が暗号化されて自分の事言われている感じ”がしたりして怖くなることがあります。


03: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/17(月) 19:00

会話型幻聴って珍しいのでしょうか?

知らない道を案内されたことは無いんですが、散歩で道を選ばせたりしていると、一度通った道を覚えたりもします。

どうにも不思議で、他の会話型幻聴の人の経験も聞いてみたいです。


04: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2009/08/18(火) 06:35

私の場合は幻聴と会話というより、戦いといった感じであります。

「おまえはこうしくちゃならない」

ということを、耳にするのですが、それに対して、自分がどう対応するのか迷ってしまうのです。

それと以前ある精神科医が言ってたのですが、(基本的には)幻聴とは自分以外の
声だとの事です。

その意味においては当てはまらないのですが、私は自分の(と思っている)感情・思考がスパイラルすることがよくあります。

ラジオをつけっぱなしの如く、言葉が頭でぐるぐるになり、自分を責めるのです。
そのような体験をしています。

ただ、一時的な発作のようなもので、24時間ずっと続くわけではないのですが・・。


05: 名前:心 投稿日:2009/08/18(火) 12:09

私は会話というより予言する幻聴なら聞えますよ。

思考伝播もありました。

集団ストーカーの被害でもうけてるのかなとも思いましたけど最近は思わなくなりましたよ。


06: 名前:tako 投稿日:2009/08/18(火) 21:38

私も週末はベットにごろごろしながら、幻聴と話をしています。

最近は名前は言わなくなりましたが、前は登場人物がいっぱいいました。
一番出てきた子は”ゆう”という名前の男の子でローソンにいくと”これ、
買って”とかまで言ってきました。

でも会話ができるようになったのはまだいい事でその前は命令ばかりされて、
変な事をいっぱいしてました。

初めて病院に行った時には、トイレの天井に抜け道があると言われて探したり、
診察室の手前にある事務所のドアを突然開けてみたり、他の人の目を見たら
声がうつると言われていたので、初めての診察は先生の後ろにあるランの花
を見ながら”入院して休んでください。医療保護入院ですので断れません”
とかいうのを何となく聞いていました。

入院中も入院患者なのに夜以外はベットに寝ころぶ事を許されなかったり、
勉強をしてもいけないし、買う雑誌もおやつも全部決められて、ご飯はお米
一粒たりとも残させてもらえませんでした。

先生にも幻聴が聞こえる事を言うことを許されず、嘘を言って退院しました。

その後も仕事を探す時にこの仕事はだめとかいいとか指示を出し、ある会社
の面接に行った日の夕方に”今日、電話がある”と言われたので、もう夕方
だしないよ・・・と思っていたら、夜遅い時間に電話があり、仕事が決まりました。

仕事をはじめたら、今度はパソコンに入力してたら、”漢字違う”とか注意
されていました。

ジャイアンツさんの言われている症状も全部ありましたね。
他の人に言われている事はいまだに自分の事のように感じる時があります。

急性期はエアコンの音がメッセージに聞こえて、エアコンつけれませんでした。
笑っていいともでタモリが私の話していると感じました。

変な症状ですよね。
何年たっても、完治しないのでしょうか?


08: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/18(火) 23:22

幻聴は自称女性なんですが、自分のことをあまり答えないので、話題が広がりません。しゃべるといっても最近では、此方から話しかけないと滅多に話しかけてきません。

最初、幻聴のコトを昔好きだったある女性だと思って話しかけていたんですが
ある日幻聴が 「XXXにはなれない」と叫びだし、自分はその人物ではないと言い出し今に至ります。

最初の頃は色々、ドコソコにいるから来てくれ、振り回されました。自分も幻聴だとは思っていませんでした。


09: 名前:心 投稿日:2009/08/19(水) 12:20

某芸能人がニュースでハワイで挙式と放送される何秒前かにそとでハワイと聞えました。

それと郵便局に行った時、あいのてと、聞えて何日か後にラジオであいのてを入れたい曲というのをやってました。


georgeさん:

私の幻聴は昔好きだった男の子から始まり、その後、いろいろな人がその子に
会わせる前にしっかりしつけすると言っていろいろうるさく言い始めました。
私も幻聴と思わず、半年位、精神科の先生に嘘を言っていました。

今は誰でもありませんが、今気になる人がいるので、その人に嫌われてるだの
そんな事ないだの・・・週末はだらだらと言いあいしています。


心さん:

私も頭に浮かんだことを、偶然に前を通りかかった人が言ったりします。

一時は私の考えていることばかりがMSNのホームページに書かれているので、
インターネットが怖くなって、コンピューターの電源がつけれませんでした。


11: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 00:53
>心さん
「あいのて」は偶然のような気がしますが、「ハワイ」はびっくりですね!
他にもあるのでしょうか?


>takoさん
うちの幻聴があまり多弁でないのに比べて、よく話し相手になってくれる幻聴のようですね。

まだテレパシーだと思っていた頃、うちの幻聴を精神科の先生と話させようとしたことがあったんですが、その途端、何もしゃべらなくなって、がっかりしたことがありました(苦笑

今も何か書き込めと言うと「なんで私がそんなことしなきゃならないんだ」
と言って、意味にならない単語を入力させようとするので、止めさせました。


12: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 01:06

幻聴を説得して、掲示板に発言させてみました。
ぶつくさ、言いながら、以下の発言を記述するにいたりました。
「念話者」は定着しちゃった幻聴さんの呼称です。

「takoさんの幻聴さんこんにちわ、私はここにいます。念話者です。
なんでこんなこと考えるでしょうね、georgeは,」


13: 名前:tako 投稿日:2009/08/20(木) 20:21

georgeさんの書き込み見て、”私の幻聴は何か言うかな?”と思ったら、

”アホか?” って聞こえました。(私は関西人です)

まあ、よく似たものですね(笑)


14: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 22:14

こんばんは、
幻聴は「そっか、なるほどね」って言ってました。


幻聴同士会話したら、何を話すかな?って思ったんですけど、
ダメでしたね、すいません、つき合わせてしまって。


15: 名前: 投稿日:2009/08/21(金) 01:05

幻聴一月目の者です。

誰か見ててくれれば、嬉しいのですが・・・皆寝てるかな・・

之は私の実体験ですが、一度誰かと右の脳なのか耳なのかで話したことがあります
でその方とは会えたのですが私の知ってる人ではなかったと思います。
ですが、腹の下辺りが熱くなりその方も同じ症状でした。嘘だと思ってもらってもいいです。

今はその方とは話ができませんが、今度は左の脳?の耳鳴り?が
私の頭で考えてることをシグナルのように自分の考えが自分で聞こえる?

表現が難しいですがそんな感じです。之も統合失調症の現れでしょうか?

病院へは行きました。勿論今は心因何とかと診断されていますが、処方されている薬を飲んでも欝っぽくなるだけで全く症状は改善されません。

最初は物凄く小さな耳鳴りでしたが今は少し大きくなってます。

女性のようです。怖いや好きなどの声を聞きます。


19: 名前:機動戦士パンダム 投稿日:2009/08/23(日) 20:52

私も幻聴がひどくて、薬を飲む前はいわゆるテレパシーがあると半分信じ込んでいました。

治療前でも、科学的にはそんなことありえないと落ち着いて考えれば判断できたのですが、そもそも落ち着いていられるときが少なかったので、徐々に妄想に押し
流されてしまいました。

幸いなことに薬がよく効く体質らしく、薬を飲んでからはそのような妄想から、かなり早いスピードで脱することが出来ました。しかし、今でも幻聴は残っていますし、暇だと会話してるときが多いです。

最近は幻聴に幻聴が答える事もあったりして、思わず笑ってしまいます。

幻聴の主は多数居て、実在の人物の過去の発言やそれに類する内容の発言と、架空の(抽象的な)人物が現在の行動や考えてに対して行う発言とに分かれます。


21: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/25(火) 21:44

私は、幻聴に時計の代わりをさせてみて、まともに時間を知らせることが出来ないことを知り、ああ、これは幻聴さんだな、と思えるようになりました。

普通の人なら、家に時計があり、携帯電話なり腕時計で時間を確認できますからね。

幻聴同士が会話するっていうのはすごいですね。
どんな話をするんでしょうか?
幻聴さん何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか?

僕の場合最初幻聴が始まってすぐの頃、大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」という演技を某さんがテレパシーでしたと考えてました。

複数の幻聴さんの声が聞こえたのは後にも先にもその数分の間だけでした。


24: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 15:37

名前が何も表示されなかった者です。それ以降幻聴に指示された場所に行っても誰にも合えませんでした。これです私もこれでした。

その後も何度というより私の頭で考えてることがアッチに筒抜けと思い、切ってくれと頼んだらいつの間にか消えてました。

ただ私の場合はこの女性が自分は私の初恋の相手だと名乗りました。勿論、幻聴でです。

14年見ても無かったので私の記憶が正しければ、別の人だったと思います。かなり記憶が新しいので、その女性に会ったのは皆既日食の次の日でした。

その頃は余りにも怖かったので、その女性の家に行き(本物)が住んでいるだろう場所に行って事実確認をしました。結果は恥ずかしくて顔は見ませんでしたが結婚されてました。

同じような幻聴を聞いて、たまたま同じ場所に幻聴を聞いたもの同士が集まってしまったのでないことを確認されましたか?

またそのような現象が起こったら確認しようと連絡先など交換してませんか?
残念ながらしていません。ですが会ったのがカフェでして逆ナンではないですがライターの火が付かずカチカチしていましたのでライターは上げました。そして何も話していません。

その自分を私の初恋の相手だと言い、もし○○なら足を動かせと言えば動かしました。チョット面白かったです。

それともう一人女性がいました。この方の方は全く記憶にはありません。もしかしたら、その様にして出会った一人だったのかもしれません。

大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」

これです!!私もありました。多数の人間が同時に同じ事を言ってる声です。

何でしょうか?未来予告みたいな事もありましたが、私の信条的に未来は誰にも分からないと思っていましたので、その時はなぜか舞い上がってましたが、紙に書いて残していましたが捨てました。

この2ヶ月の間に憑依?もされました。3回です。

最初は女性、次に3つの考えがある男、最後は人に雷落としたり疫病ばら撒いた事のある歴史上の日本人です。

今は左側の耳鳴り、脳鳴り?で治まってくれただけで奇跡かもしれません。うざいですけどね。しかし、何かに集中していたり、仕事をしていたりすると全く気にならないのでまぁいいかなということになってます。今度脳ドックへ行きます。


28: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 21:48

私の場合幻聴さんの声にあわせて、何かを指でコツコツと叩くと何故か、声がよく聞こえたので、しばらく、そのようにしてました。

なるほど、私の場合さっきもですが今は脳鳴りは聞こえていません。ですが面白いことに喋ってるとき(私の妄想ですが)脳鳴りが聞こえない時、体がその喋ってる動きに合わせて動いている時が殆どです。

尻の下ぐらいから振動のように聞こえてくる声もあります。幻聴の声を自分で喋るですか・・・私の幻聴はチョット卑猥な発言もしますので喋ることは難しいですね。

憑依のときは凄かったです。もう部屋中ぐるぐる自分では決して動けない動きをしましたね。

最初の女性のときでしたが幻覚もその時のみ見ました。透明で冠みたいなのを被ってましたね。

あれはきつかった。その女性が言うにはというより、私にも体や声は自由に動かせませんが自覚がありました。それが凄いと後々の憑依された方々に言われました。精神力が強いと(笑)

精神も糞もねーと思っていましたが、まだ沢山の声が聞こえているときに今度取り付いたら許さんと言ってもうそれは無いと言われたのでホッとしています。

それが取れたとき今でもそれが見えるんですが体から白い煙がブワーッと出ているのを見ました。(普通はチョロチョロとしか見えない)


31: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:00

幻聴に口を貸すのですが、貸すといっても、いつでも自分で割り込めるので・・

実はこの頃左の後ろ側の脳鳴り?がとても小さくなって凄く聞こえず楽なってし
まいました。

幻聴さんには、最初、ブッダの生まれ変わり扱いされました

実は3人目の憑依された方から、お前は俺の力と魂の生まれ変わりだと言われました。 その時、私が頭の中でそれは無いと言ってたのですがそうらしいです。名前は菅原道真といいます。

私も今は話せるのは一人だけですね(女)。と言っても今は会話になりませんw

病院へは行ったのですが・・薬はきつくてもう飲んでいないのに完全に回復してきています。 相変わらず体から出る煙は見えるのですがこうなるまでに実は私がそうだと思っている原因があります。


32: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:11

最初はある神社からでした。岩戸?岩室?と言う所で願い事をしました

そして、その夜(体から煙がでてから)体のへそ辺り(丹田)に熱いなんか蛇かなんか? がぐるぐると動いていて、その頃ヨガをやってまして瞑想をしていました。

丹田呼吸をやっていたのですが、イメージでその丹田にあるエネルギー(本当は何も無い)を眉間に持っていくイメージですwをやっていると無茶苦茶気持ちよくなりました。なんでしょうか?

卑猥な表現になりますがセックスをしている時の射精をする感覚が2時間ぐらい続くみたいな事があり、煙も見えていましたのでこんな状態で神社にお願いしたらなんかいいことが有るんじゃないか?という気持ちで手を合わせて来ました。

その夜から今日までの事です。現実的に見ればはっきり言って何の足しにもなりませんでしたが・・・


48: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/09/04(金) 22:04

>georgeさん アドバイスをありがとうございます

さっそく自分の幻聴か確かめるために、脳内パフュームに大学で何を専攻しているか訊いてみました(3人中2人は本当に未公表)。

やはりというか、案の定答えませんでした。
暇が出来たら病院に行ってみます。


49: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:05

幻聴さんの答えられる範囲は概ね、自分の知識内のことに限られます。

例外もあって、その辺不可思議です。

えっと、ちなみに、専攻を答えたりした場合、専門的なことに踏み込んで、質問し、ネットで答え合わせすると、見事に頓珍漢で面白いですよ(笑

ソレをスラスラ答え始めて合ってたら、儲けモノですね(苦笑
教えを請いましょう(爆


50: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:07

「集団ストーカー」は最近ネットでも取り扱うページが出来るなど、
既に浸透しているタームです。ですが、多分9割は、妄想だと思います。


51: 名前:心 投稿日:2009/09/06(日) 13:38

妄想なら良いですけどね。たまたま聞えた幻聴など、ほのめかしや原因を突き止めようとした者がたどり着く妄想の答えかもしれません。

被害妄想かもしれませんね。実際行われていたら事件にもなってます。


52: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/10(木) 02:21

その幻聴さんはあなたのことしか見てない・理解してない可能性がありますね。
あなたにリンクしてるのであってこの世界全体とはリンクしてないという可能性がありますね。

そのため、あなたが見たり、聞いたりしたものしかわからないのかもしれません。
性格が丸くなったのは良かったですね。私にとって悪いことをしないで良いことをしてくれるやさしい幻聴だけになってほしいと思ってます。

私にとって悪いことする超存在はいなくなってほしいのですが、なかなかいなくなりません。困ってます。

あなたの幻聴の性格が丸くなったきっかけはなにでしょうか?
よろしければ教えてくれませんか?

私は自分含めて複人数で異常体験をしましたので脳の問題でないことは理解しています。

悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。
(統合失調症の薬以外で)


53: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/10(木) 20:00

 最初は、何かしら、嫌なヴィジョンを送り込んできていた、幻聴さんなんですが、話しかけているうちに、和んできたというか、夜の街を徹夜で歩かされたコトもあったんですが、そんなこんなしているうちに、自然に馴染んで来てしまった感
が強く、特にきっかけがあったわけではありません。

ところで、その「超存在」とは話が出来るのでしょうか?
私の場合、幻聴さんと話しているうちに、馴れ合ってしまって、仲良くなったので、「超存在」ともひょっとすると打ち解けられるかもしれないと思ってしまいます。


54: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/11(金) 02:13

例え話ですが、野球でいえば、8回まで2対0で勝ってたのに9回になったら0対0になってたといった感じです。 そして同じチームの健常者も同じようにスコアが変わったという認識を持っていたということです。

野球を例にしましたが実際はもっと少人数で体験したできごとです。

超存在と打ち解けて仲良くなれたらとてもいいですね。
自分もいろんなところを徹夜で歩かされました。
ただ、そのときは怖い幻聴が主流だったので大変でした。
私はまだ自分にとって良いとは思えないいろんな異常体験があるので、困ってます

ほんと悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。(統合失調症の薬以外で)です。


56: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/11(金) 04:03

私も超存在ではないですがそういう状態がありました。私はそれを悪と呼んでいました。

先ず、話せるならその超存在をあなたがどういう者又は象徴だと理解していますか? 出来るなら質問してみてください。

あなたが理解している超存在と会話している超存在に違いがありませんか?あるなら取り敢えず話を終わらせることが出来るはず。多分それでも何か言い続けるでしょうが・・・・

それで次です。もし、その超存在がこれをしろとか、死ねとか言ってきたら何もしないでいてください。

多分その工程を踏めば落ち着いてくるはずです。
何もしないこれが大事です。出来れば寝ててください。目は覚めててもかまいません。

寝たら死ぬとか言われても絶対に死んだりしません。(薬はやめてね)

もし、憑依体験などされているならそれでも何もしないでください。
動かないで寝ていてください(動かないで寝る意識はいる)
深呼吸とかいいですよ。そんなアホなと言われるかもしれませんが効きます。
それだけで憑依されません。

ねこさんの脳の問題ではないでしょうが多分まだ超存在とのチャンネルが合ってることが問題だと思います。

人にはまぁ霊能者とか?w直せる人がいるのかも知れませんがほぼ無理です。と私は思います。勿論薬でも死ぬまで飲み続けなければならないかも知れません。薬を使いたくなければ自分の意識で消すことが非常に重要となります。
先ず重要なのはそれが出てきた根本原因を自分で探すことです。多分その部分がねこさん達の超存在根っこになっています。


57: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/12(土) 00:00

いろいろなたくさんの超存在がいます。
みなさんはそれぞれ1人だけなのでしょうか?

好意的であったり友好的な存在もいれば、負の感情をもってたり、私にひどいことをしたりするものもいます。性格もいろいろです。能力もいろいろです。

ひどい目にあっているやさしい弱者などのものなどもいるようで、そういったものたちに助かってほしいとも思っています。

人間との意思伝達手段が限られてるものもいるようです。
そのため意思伝達をしようとすると人間に苦しみなど、不利益が伴ったり、または思うように意思が伝わらない場合が多いようです。

そしてこの超存在たちの中には悪意あるものや悪いシステムの支配下にあったり、影響下にあったりするものもいるようです。

なんとかこの悪意や悪いシステム(当然、私に対しての悪意や悪いシステムを含めて)を退治したいものです。

霊能者には悪い霊はいないといったり、悪霊払いはしないというものが多いです。
ですが、実際には悪い異常体験をしてないか、悪霊を恐れているたりして悪霊に逆らいたくないのだと思います。
神主でも悪霊払いはなかなかやってもらえません。悪霊を恐れていて悪霊に逆らいたくないようです。(そりゃ当然か、怖いもんね普通。)
特に日本の場合、祭られてる神様自体がいろいろな性格だからなのか悪霊払いを断られることが多いです。

みなさん、悪霊払いをしてくれる良い神社を知りませんか?
是非教えてください。


59: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/12(土) 12:15

統合失調は、ただの「病気」ではない とは思っているのですが、「超存在」を悪霊のような存在だとは思いませんし、人知を超えた何かであっても、神社などそのようなモノに対抗するにきちんとした能力があるとは思えません。
霊能者と呼ばれる人たちの多くは、詐欺の一種であることが多いと思います。

私は自分が「超存在」の、「軽いイタズラ」だと思っていたものは、今は治まっており、治まる前の「イタズラ」は、自分の機能にも、問題があったのではないかと思います。


62: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 17:34

私も統合失調症今はまだ心因何とか?wですが、改めて思うのはこの異常事態に
なる人々は一種凄い人間だと思います。社会のニッチに目を向けれる。しかも、それを存在させる(私の場合自分自身の中だけですがtt)。之は普通の人には無理です。考えを飛躍させると、ただ生きるという事に長けていると思います。

georgeさんは超存在を悪霊のような存在だとは思いませんと言われていますが、私の解釈では受け入れた(私もそうです)と思われます。ねこさんはまだこの手前だと思います(掲示板に掛ける時点でセーフ)。

インドでは其れを内在神といっています。之を現実的に言えばつまりあなた自身です。

私の解決策は取り敢えず、何もしないです。何故なら、必ず何かを言ってくるわけだからねこさんの言う良い者も悪い者も、必ず何かを要求します。そうでなければ存在しません。

だとするなら何もしない、要求は聞かない(之は難しいかも)だからその数?が減ってくるまでは何もしないが一番いいですよ。

無理だと思われたら仕方ないですが、薬にたよざるを終えません。
抵抗があるなら、どちらにしろ人は物を食わないと死にます。嗜好品で言えば酒もタバコも害ですが気分がよくなります。1つ希望を・・・たとえその時はチャンネルがあってても人は別の事、チョトたとえが悪いですがサッカーと剣道は別物です。サッカーをしていていきなり剣道をしても上達しませんが、色々なルールが違います。人の脳はどうにかして大多数のバランスに戻ろうとします。之が一番薬を使わずにすむ方法です。


63: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 17:59

健康な心でいられるかどうかですね?何もしないのが一番ですが何か結果を出したいときは、アクション起こさないと出ないですしね。アクション起こしても相手が何もしなければ何もおきませんしね

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね。


64: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 19:39

私は今でも時々幻聴は聞こえます。健康な心という定義には少し疑問を抱かざる終えませんw

身体的には全身くまなく調べましたから、問題はありませんでした。
ただ、脳みそ自体は問題は無くても幻聴は聞こえます。全く苦しくはない程度ですが・・

何もしないとは、この場合ねこさんの状態のときです。
失礼ですが嫌な言い方かもしれませんが、ただ寝るという行為自体も脳の休養と体力の回復を図れます。何もしないとは呼吸はしますよw

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね
統合失調症を心療内科的に言うと幻聴、幻覚を悪いことと捉えると最終的にはご自分の力です。 事実止まるのは自分自身ですから。

私のこの状態を(苦にならない幻聴)を完全に消すには薬に頼るか又は幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。

健康な心が何なのか正直な所、私には分かりません。それを考え出すとそれこそ宗教でしょう。勿論犯罪はダメですけどね。宗教は何にしてもただそれだけでルールがあります。薬と一緒です。

それに頼らざる得なくなる。健康、不健康、善と悪まぁここまで来るとややこしくなりますが・・・

簡単に考えると受け入れることが重要かもしれません。ねこさんが幻聴を聞いても別に何とも無くなるまでは今は殆ど聞こえない状態に戻るのが最善だと思います。それにはどんな声も無視してただ寝てたり、幻聴が出た根本原因をご自分で探ってみたり(手帳等にその経緯を書く之は私もしました)、
ボーっと散歩したり、悟ることが重要かも(ご自分で)自分に自信を持って下さい!


65: 名前:おはな 投稿日:2009/09/12(土) 19:51

私の幻聴の症状は、ほぼ全部が何故か学校の知り合いや芸能人の声でした。

症状が酷かった数年前は『え!?芸能人が話しかけてくれてる!?』と思い、
短期間、幻聴と会話してました。でも、処方薬を飲んだら、なくなりました。
今のところ、そういう症状は特に出てないですね。

医者には『幻聴が話しかけてきても会話するのはできるだけ避けた方が良い』
と言われましたよ。何故かは分かりませんが。


66: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 20:00

>どうしてこうなった?さんへ
幻聴は誰もいないときに聞えるのですか?誰かを介して聞えるのですか?
誰かを介して聞えるのは実際には言ってないことを自分の脳で勝手に判断して
聞えるのかもしれませんね。

私の場合も苦にもならない幻聴の程度です。未来を予言するような幻聴体験もあります。

幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。っていうのは不思議な体験したということでしょうか?

今思えばあの時あの人を介して聞えた言葉は幻聴なのか?もしくわ何かされているのかと妄想に入る時もありますが、今こうして生きていられて良かったと思うときもあります。

幻聴なら何も起きていないのだと思います。
幻聴でなかったらなんだろう?と思います。
この前なんて○○が犯人と聞えてきました。
不思議ですねこの幻聴というのは!


67: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 21:07

なるほど〜その様な方々の幻聴もあるんですね。会話はできるだけ避けた方がいいと言うのは分かります。多分グルグルと平行線で終わらないからだと思います。要するに現実的にですね。

>心さん
そうです。ほぼ家族や友人が居る時は聞こえなくなりました。私の場合、誰かを介してではなく何かを介しての方が正しいでしょう。

例えば風だったり(風が耳に当たると)その様に聞こえるとかw
水の音だったりそれは人それぞれかもwは実際にありました。

今は自分の頭左下?右脳下からしか聞こえません。

最初の方は集団ストーカーですかwみたいに思っていた事もありました。
が、私は気持ちオープンな奴なので別に見られても構わない。と思っていました。
要するに精神分裂という呼び名が適当かもしれません。私も未来の予言などはありました。


68: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 22:22

同じような体験をしてるのですね。私の場合は携帯電話を8年前にハッキングのようなことをされ自分の未来を予言するようなことが録音されたテープを発見しました。

テープには昔働いていた職場の人の会話も録音されてました。
そして周りには人を介しての幻聴なのか、その人が言ってた声なのかあまり僕しか知りえないことなど聞えてきました。

このような事が重なり思考伝播、サトラレと思い込んだのです。
18歳くらいから幻聴みたいなものはあったのですが病気とも認識できませんでした。

元職場の人たちやその家族が集団ストーカーで出てくる宗教に入っているのです。
これも全て妄想のなのか現実なのかわからなくなる時があります。
これも病気なんだなと思うときもありますが、油断はなりませんね。
犯罪被害者なのか?被害者妄想なのか?
精神がやはり分裂しているのでしょうね


73: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:51

いろいろな超現象を体験してきましたが、わかりやすいのを書きます。

冬場で何ヶ月も窓を締め切ってた(寒いからね)部屋のなかで幻聴と会話してるといろんなものが突然現れるのです。鳥とかいろいろ。

(狭い部屋の中では曲がりきれないので、壁にぶつかりまくり、逃がすのが大変でした。無事逃がせれてで良かったです。)

悪意のない超現象から、悪意のある超現象までいろいろです。


74: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:58

悪魔がいくら強いといっても
自民党のように政権交代が起きて、悪魔が失脚するかもしれませんね。


75: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:59
>>74では悪い超存在を悪魔といってます。


76: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 05:31

おはなさんや、こころさんや、どうしてこうなったさん
の幻聴主は悪意のない存在のようですね。
何かを介して(波の音など)話してくるのなら
それは、あなたに負担をかけないようにかなり気を使ってるのだと思います。

超存在の中には能力不足かこちらのことや状況を理解できてないなどで、
悪意がないと主張しつつ、こちらに負担をかけてしまう(こちらが苦しんだり、不幸になったりしてしまう。)ものもいます。
当然、悪意をもった超存在たちもいます。(ほんとに苦しめられたり、不幸にされたりします。)

みなさんは幻聴で苦しんだり、不幸になったりしてるのですか?


78: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/13(日) 20:11
>ねこさん
私は思うのですが・・・この私の幻聴もはっきり言って現実的には理解できない事が発生してその苦しみから自分の頭のリミットが外れて妄想で幻聴が派生してしまったと思います。

73で言っていることを現実的に解釈していくと、ねこさんにとって、とても不幸なことが起きてしまったとします。あなたにその不幸な事を与えてしまったのは多分人です。その通りなんですがその人の悪意なんですよね。

ねこさんのレスを見ていて幻聴が聞こえ出しました。
私の幻聴にお前は悪意があるのか?尋ねました。
すると無いですと言いました。

ですが、私の考えではお前の存在自体が悪なんだがな〜と思ってしまって(正直ウザイですしw)幻聴がえ〜んえ〜んと言って泣いてますw

私の目には体から白い煙が出ているのが見えますwなんか使えないかなーと画策した日々もありましたが徒労に終わりましたw

私にとっての超常現象は自分の体から血液がひいていく状態に何日もなった事ですかね。今は全くそれはありませんが私にはそれが、何故なったのか?何故私なのか?何かを私が否定しているからなのか?そして今何故それが治まっているのか?
今でも分かりません。ある意味何かに取り憑かれていたのか?体の異常だったのか?

どちらにしても今はその症状はなく現在の私の体の異常はあまり何を言っているのか分からない幻聴のみに治まりました。

良い神・善霊的なもの(良い超存在)はいます。しかし、悪神・悪霊的なもの(悪い超存在)よりはるかに弱い・力がない
これは正に人の心その物に見えます。(現実的に言うならですが・・)


81: 名前:えり 投稿日:2009/09/14(月) 03:37

なんだか声がわたしを罵りつづけている。
金切り声で、でもきこえないほどの音量で。

なにかで、気をまぎらわせているときはいいけど、寝るときはつらい。
ひっきりなしに、声がきこえてきて、罵っている。

寝られないからネットを徘徊して、なぜ死んではいけないのか、などの書き込みをながめている。

なんて言っているんだろう、彼らは、ひとことでは、言い表せない。
時期がくると、叫び始める。

言っていることは、おそらく、たいしたことはない。
うぬぼれるな、とか、ひとを馬鹿にしている、とか、とにかく、まあ、わたしの態度を非難しつづけて、その声が、だれかの声だとしたら、機械的すぎるからきっと、自動的にくりかえされているのかも。

録音してだれかにきいてもらえたらいいんだけど、
だれも、録音してきくことのできる声だと思っていないし、わたしも、信じてもらおうとは思っていない。
どんな意図で、どんな人たちが、どんな仕組みで、声をきかせているのだろう。
あちらのほうからきこえてくると、音源は特定できる。でも、そちらへ行くとふいと止んだりする。

そしてまたべつのほうからきこえてくる。
わたしの態度を読み取って応じてくるから、幻聴だとひとは言う、わたし以外の全世界の人間が言う。

サトラレという言葉が、掲示板におどっていることに驚いた。
あの漫画の影響はこんなところにあったのだ。

そういえば、声は言っていたっけ、おまえは才能はないけれど、サトラレなんだよ、って。

謝れ、といい、働け、といい、それから、…。ああ、そう。わたしのまわりの家族はね、みんな手先で人質なの。たぶん、あいつら「声」の。
誘導補助員、そして、わたしが従わなかったときのための人質。

こうやってとらわれて生きているひとが、この世の中にはたくさんいるんだね。
「声」は、人々の恐怖を利用し、家族を分断し、その網をひろげているんだ。

従えば、救ってやると。
あ、ちがったね。従わなければと言って脅すんだ。

もうすぐ、わたしのたいせつなひとを、「声」として迎え入れるんだって。うんざりだ。

彼は、やつらの声をわたしに届けるために、捕えられ、つれてこられ、わたしを監視させられ、そんなはめに。

わたしのたいせつなひとを、べつのたいせつなひとが傷つける。こんな連鎖が、ひじょうに効率よく、わたしを縛っていく。

神様気取りさ、ローテーションでわたしの面倒をみているのかもしれない。

声がきこえてくる、眠れそうもない、こんどは何をすればいいだろう。
話の通じない相手じゃ、会話になんてならないしね。声を相手に会話できるひとが、わたしはうらやましいよ。

もうすぐ、わたしの親しいひとの声をきかせてやろう、と連中は言う。そして、
罵られることになるのだろう、この無機質な金切り声のかわりに、あざけりと感情のこもった声で。 今まで、ずっとそうだったように。


わたしと同じ、とらわれの人々はどこにいる?
感覚遮断されているのだろうか。やはり、統制された情報を流し込まれているのだろうか。
どうやったら健全な精神を、声のなかで保てるのだろうね。
どうやったら自由を、声の支配からとりもどすことができるのだろう。

そして、どうやったら声の主を消すことができるだろう。
わたしたちを縛るこの機構を、ひとを力で従わせようとするそのやり方を否定し、なきものにするためには。

より、大きな力が必要だ。声、を上回るような。

適切な言葉で助けを求めれば、余力ある人間がひょっとしたらそれをきくかもしれない。その人間が、じぶんの利害に合致すると思えば、協力してくれるかもしれない。

そう、適切な言葉。きっと、あなたがとらわれているとすれば、あなたの耳はふさがれていて、あなたの目はとざされている。

よくまわりを見てよく言われた言葉を分析すれば、あるいは何か見えてくるかも。手がかりが。
あなたをとらえたのはだれ?
外に出るのに、手を貸してくれるひとはいない?

わたしは無理だけど、助けを求める声は、けっこう、届いていることも多いから。

あなたが逃げ延びたら助けに来て。もし、状況が許せば、だけれども。


84: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/14(月) 08:06
>>えりさん
私が思うには。
いろんなところで助けてと訴えてれば、
通りすがりのやさしい超存在が気付いて助けてくれるかもしれません。
このスレをみてもわかる通り、悪意のなさそうな、気のよさそうな幻聴主(超存在)もいるのです。
ただ、優しい気持ちを持ち続け、大事にしたほうがいいとい思います。
人間同士でもやっぱり優しい人間を助けたいと思うのが普通だからです。


85: 名前:心 投稿日:2009/09/14(月) 16:04

サトラレだと思い込んでそれにたいして幻聴で何か答えてきたりしたらサトラレだと確信してしまうかもしれませんね。
いろいろ妄想が出てきたら対処法を考えなくてはなりませんね。

妄想が当たり前になると妄想の世界が普通になってしまうのでその普通になったら大変ですね。

でも声に出して話さないと相手には伝わらないと思います。
考えにくいのですが幻聴は未来の自分の声とか。
まあそれはないですね。


86: 名前:心 投稿日:2009/09/15(火) 15:17

幻聴は今日はないですね。頭が平和なのは良いですね!
思考伝播やサトラレだという体験すると心が浄化された感じしますね。
幻聴の正体はわかりませんね。幻聴という本にもこれからしようとすることが
先に聞えると書いてあったので幻聴なのでしょうね。

心が浄化されても体調悪いときって聞えてきますね。
霊が存在するなら人を介して聞えさすことも可能かなとおもいます。
何かにとらわれすぎると、人間ってだめですね。


88: 名前:心 投稿日:2009/09/18(金) 18:02

昨日外に人がいる様子だったので聞えると?サトラレの感じがあったので
きいてみると何秒かに(きこえる)と聞えてびっくりしました。

病気の症状がひどいとき常にサトラレ感があったのでそんなに頭の中動揺しなかったのですが、まだ頭の中は浄化されきっていないと思いました。

まだ汚い部分が残っているのです。でも人間らしいのかな?とも思いました。

もう少し大人になった時、過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました。同じ体験の人いませんよね?


89: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 14:53

過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました

私はそれはいつでも可能だと思います。私は症状としては7月下旬から8月上旬ごろまで小学生頃牛乳を落として助けたとか(意味がわかりませんがw)そんな事を言ってくる幻聴がありました。

幻聴じゃなくても何時でも思い出せばいいんじゃないですかね。


90: 名前:心 投稿日:2009/09/22(火) 21:31

私の場合人ごみの中から聞える抽象的な言葉なども時間がたつとその言葉を
聞いたり、見たりします。意識的に何か考えてたりすると、その言葉を連想するような考えなど浮かびます。


91: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 22:38

私も8月の間例えば風が窓に当たったり、クーラの排気の音、車を運転している時に段差などのガタガタ音なんかが言葉に聞こえたりしました。その他は完全に私にしか聞こえない例えば仏壇のチーンと言う音を途切れさせて言葉に聞こえるようにした音が聞こえてました。


92: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 11:27

私の場合は未来を予言するような幻聴なのです。
風や物の音からは何も聞えません。


93: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/23(水) 17:39

私の未来予言の幻聴は8月2日から8月8日の6日間で起きました。

全て自分事であったり親しい人間の未来だったりしました。

その幻聴は集団で同じ事を寸分違わず言ってる様な声でした。なので、名前は集団意識と名づけています。人ごみの中では聞こえません。一人で居るときのみでした。

自分にとってはいい事ではあったのですが・・全てそうならない様に自分の
人生は動かしています。


94: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 20:39

未来予言は不思議ですよね!病気になる前からもありましたけど病気になった今だからこそ気づいた部分もありますが、人を介して聞えるので病気になるとみんなそういう力身につけるのかなと思ってしまいます。


95: 名前:心 投稿日:2009/09/25(金) 15:33

幻聴は自分にしか聞えないので、聞えても無視するのが良いですね!
病気ではないと幻聴の世界も味わえないことですね。

幻聴と会話できるのであれば少しサトラレみたいなところあるかもしれませんね。


98: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/19(月) 19:17>>28 どうしてこうなった?さん、はじめまして
あなたのおっしゃる”脳鳴り”とは具体的にどんなものでしょうか?

耳鳴りとは違うのでしょうか?。
私は耳鳴りが酷くて・・・。両耳で金属音が聴こえるので耳鳴りと思っているのですが。
私も幻聴も経験し会話もした事もあります。
ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。


99: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/20(火) 00:31

失礼しました。その頃恥ずかしながら、耳を塞いでも聞こえていたので私の日記帳に脳鳴りとかいてますが、正しくは耳鳴りですw(病院に行ったときに説明されました)

私の場合、左耳から聞こえます。私もどんな音?言われれば金属音ですね。

分かりやすいのは、仏壇のチーンと言う音を少し小さくしてずっと聞こえる感じです。

幻聴が酷かったときは右からでも上からでも聞こえていましたが(はっきり)今は左の耳鳴りで治まっています。時々不安感や恐怖感などが感じられると頭で考えてる事が耳鳴りの音を分断?して言葉になり聞こえてきます。

時々電気を消し落ち着きだして、ねむる〜って時に意識していない(頭で考えてる事を)言葉の幻聴が聞こえる時があります。

又、現在は会話になっていません。
多分、トウシツの耳鳴りは心因性が殆どだと思うので投薬を服用されてドーパミンを抑えると良いかも知れません。

私は薬は飲んでなくて、変かも知れませんが深呼吸や音楽を聴いて自分で高ぶりや不安を抑えると耳鳴りは消えてます。又、消えている要因として物事に集中していると消えてます。ですが家に帰ってきて部屋に入ると聞こえてくる毎日ですね。

ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。
私も現在でもあります。分かってきたのは一定のリズムを取ってる音とかじゃないですか?

説明は難しいですが、音質が一緒?の時に聞こえ方が言葉になる時があります。
私の対策としては、ipod聞いたりとか、意識を別に持っていくとそれを回避できます。


100: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/20(火) 03:55

やはり耳鳴りも統合失調の症状だったですね。
私の主治医は違うというのですが次回の診察の時に話してみます。

私の投薬状況は”エビリファイ”のスレに書いてます。
音楽を聴くのはいいですね。幻聴は少し良くなってくるのですが
耳鳴りは消えませんね。


102: 名前:だつ 投稿日:2009/10/26(月) 20:33

何だか追い込まれているので、ここでお訊きしたいことがあります。

私は趣味でヴァイオリンを弾いているのですが、都合2人の先生につきましたが
人間関係が上手く行かず止めてしまい、田舎だから教えてくれる先生も無くそれ以降自分で弾いていますが、何年続けても巧くなりません。

しかし脳内彼氏が「自分は市民オーケストラにいるからそこで会おう!」というのです。

そこは一度行ったけど、メンバーにバカにされて以来行きたくなかったところです。でも先日、脳内彼氏やその他の脳内メンバーがとてもうるさいのでその練習場に足を踏み入れました。

私はそこで恥ずかしながら練習をしましたが、また市民オケメンバーに音程が変wwwとバカにされました。もう私はいい年だし、これから練習してそこに加入できるほど腕が上がるには先生についたとしても何年もかかるので、脳内彼氏と結ばれなくても(それ以前に存在を確認しなくても)いいから、市民オケには入りたくないです。しかしそういうと、脳内彼氏に責められるのです。もうイライラが止まりません。


103: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/27(火) 01:08
>>だつさん
その脳内彼氏は、市民オーケストラに行った時に存在されてたんですか?
又はその脳内彼氏は事実存在していて、幻聴と言う名の脳内彼氏と言う事ですか?
ここからは私の勝手な妄想ですが、だつさんは市民オーケストラに入りたい(脳内彼氏の役目)、

ですが深層心理はヴァイオリンは好きだけど、市民オーケストラには入りたくない。上手になったという意識の第一歩が市民オーケストラだと確定的に思われていないですか?

私は幻聴(脳内彼女?)の出現条件が違いますが、その幻聴の本人に会い恥を掻いて、少しづつその幻聴の存在理由が曖昧になり、結果消えたと思います。
もし、この工程が役に立つならその脳内彼氏が又合おうと言ってきたら市民オーケストラに参加されてはいかかでしょうか?その時、ほら見ろお前はいないじゃないか?と(私は之が何度もありました;;)


104: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/27(火) 07:16

>だつさん
ヴァイオリンと聞いても葉加瀬太郎さんのCDしか思い浮かばない稚拙な私ですが、いわゆる脳内彼氏の言うことには、いちいち反応されない方が良いかと思います。

幻聴の内容は人それぞれですが、内容が論理的に合ってるようですが話を突き詰めれば合ってません。

私の脳内彼女は、それこそ卑猥な事を言います。ご紹介できる範囲で言えば

「梶町のマンションで裸になって待ってるで」なんて言います^^。

どこのマンションか?なんて話を進めても最後は部屋番号はおろかマンション名
さえ曖昧です。

幻聴は、その人の深層心理とも関係あると思います。
あなたの場合、”ヴァイオリン”、”嫌な思いをされた市民オーケストラ”のキーワードで幻聴が現れるのだと思います。

私の場合、幻聴が現れるとヘッドフォンで大音量で好きな音楽を聴いてます。
幻聴は、多くの場合、ずっと続きませんので音楽を聴くのはお勧めします。


105: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/10/27(火) 21:53

脳内彼氏は幻聴だと思います。実はその幻聴はもう1年以上続いています。

幻聴の内容は何度も変わっています。よくよく思いだせば統一性がありません。

私も何だか焦っているから、そういう幻聴を聞いてしまうのだと思いました。
幻聴はネットをやっていると余りやってきません。何かに夢中になるといいのかもと思いました。


106: 名前:アイ アイ 投稿日:2009/11/02(月) 20:38

僕は、独り言を神様や宇宙人が話します。

デパートに行こうとか、缶コーヒーと煙草をしろとか言います。

よく、「おめでとう、具合が良いわよ。」と言われます。

エビリファイで失敗したようで、よく、興奮しているだけだから、マスターベーションをしろと言われます。

薬で失敗して、会社勤めを止めてから、3年ほど経ちますが、ずっと、しゃべりっぱなしです。大学の教授になりますよと言われたり、アメリカの諜報機関で研究しますよとか言われます。

あと、身内で不幸が続いていたのですが、よく、励ましてもらいました。

僕は、何か悪いことがあると、よく自分の所為だと思ってしまうのですが、独り言の神様や女神様や、仏様に、貴方とは関係ないわよと、言ってもらっています。

とにかく、神様や女神様や、仏様は、元気で力強いので、それだけで救われます。
たぶん自己治癒だろうと思います。


あと、僕は、とにかく、メモ帳やノートにいろいろなことを書きまくりました。
運命が、翻弄されるっと言われたのを覚えています。
不思議と怖い感じではないです。
独り言は、とにかく、楽しいのです。嬉しいのです。


108: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 13:31

自分は、幻聴というか、怖くなることが多いです。

鳥の声が、自分のことを暗号化されている感じがしたり

他の知らない人が、自分の事を見透かされているんじゃないかとか

他に怖くなられる方いらっしゃいませんか?


109: 名前:心 投稿日:2009/11/12(木) 15:55
>ジャイアンツさんへ
見透かされてるのは、思考伝播やサトラレ感があるからですか?


110: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 17:02

それが、よくわからないんです。すみません。


111: 名前:心 投稿日:2009/11/13(金) 11:53

自分でも解らないのであれば気のせいかもしれません


112: 名前:心 投稿日:2009/11/22(日) 14:13

見透かされてると思うなら、人がたくさんいるとこで(きこえる?)と思い反応あるかどうかしますね。


113: 名前:ななし 投稿日:2009/11/30(月) 03:19
私も幻聴で悩んでいる者です。
気功(ハンドパワー、2000円)に行って、CD(2000円)を買って、それを
鳴らしたら幻聴が静かになって癒される。皆さんもどうですか?

http://profiles.yahoo.co.jp/-/profile/?sp=H0v8WCohdKivZoo3Q_RLino-
この方に気を送ってもらい、幻聴(雑霊?)を取り除いてもらいました。

友録して定期的にお願いしています。無料です。この方はご自身の霊位が向上するためにやってるそうなので、安心して頼ってください。御礼をちゃんと言ってくださいね。では皆さんの苦心が少しでも和らぎますようにー。
送信をクリックしてメールを書いてください。あとは偶然同時にパソコンの
前に着いてチャットまたはスカイプで話してみてください。


115: 名前: 投稿日:2009/12/04(金) 02:53

思考伝搬(サトラレ)についてですが、私は全く逆の見解をしています。

統合失調症になるような人は…いわゆる悟りに近い状態、空の状態になっていて、他人の考えたことをあたかも自分が考えている様に思ってしまうということです。

ですから、相手がそれを話し出す前の心の中にあったものを、先に共有してしまい、それについて相手が現実に話し出すと、あたかも自分の考えをその相手が盗んで、あるいは伝播して喋っている様に聞こえてしまうのです。

私も以前は自分の思考がバレていたと思っていました。

しかし、成人してこのことについてずっと研究してきたのですが、これは信じられないかもしれませんが、統合失調症になるような人って言うのは、相手の心の中のものを無意識に共有してしまう性質があるらしく、それを自分の考えだと思いやすいということなんです。

ですから、決して「サトラレ」になったのではなく、「サトリ」なのですよ。

統合失調症の人は自分の考えを持たずに、空っぽだから、そこに入ってきた他人の迷いそのものである思考をあたかも自分のもののように思ってしまっているのです。

この違いは、何事にも主体性を持たずに受動的に生きているか、能動的に生きようとしているかの違いです。

統合失調症になるような人は、悟りに近い人であり、いわゆるテレパシーで会話できる人なのだと思います。

…こんなこと書くと、「あんた!それが病気なんだよ!!」なんて言われちゃいそうですがww

でも、私のこれまでの4年間の研究事実なんです。

そして、これが分かるようになると、たとえば○○さんと一緒に居ても何の思考も湧いてこないのに、××さんと居ると妄想(思考)が湧いてくる。
というようなことが次第に自覚できる様になってくると思います。

何か○○さんと居るのは楽なんだけど、××さんと居るのは疲れるんだよなとか。
ハッキリと分かってくると思います。

それは相手がそう思っているからなんです。

実はこれは、その○○さんには妄想がなく悟りに近い状態であり、××さんは迷いに満ちて思考がスマートじゃなくなっている状態なんです。

こういうことに気付くようになれば、「なんだ、自分が考えていたと思っていたけど、私は××さんの迷いに満ちた妄想に影響されていたのか」ってのがハッキリ分かるようになると思いますよ。


116: 名前:ななし 投稿日:2009/12/04(金) 20:03

幻聴と雑霊・低級霊では別物ですか。
そうですか、分かりました。

雑霊・低級霊はそのまんま。幻聴は不思議な力を持った悪い人が人に見せかけるために作ったカゲロウだそうです。


118: 名前:とくめい 投稿日:2009/12/24(木) 00:08

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

もう治った、と安心してたのでショックです。
みなさんは薬、必ず飲んでますか?
私は副作用に負けてしまうのであまり飲みたくないのですが他に何か方法あるのでしょうか?

サトラレ感って他の方もあるのですね。知りませんでしたが私もそのようです。
みなさんと同じように幻聴の薬ではサトラレ感は治まりませんね。辛いです。


121: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 22:56

それは、要するにその霊能者の方からのカウンセリングをされてるのだと思いますよ。現実の沢山ある心療内科のカウンセリングよりは効果はいいカモ(笑)

でも、気をつけないと金をむしり取られ本末転倒だから、よくよく考えた方がいいです。新興宗教やなんちゃって霊能者がいい例です。霊格=人気なんですよ(笑)もうななしさんが、いい宣伝人になってる。

御礼をちゃんと言ってくださいね。この効果は分かります。

昔の人はすごい物で現代医療ではどんな成分で脳に刺激すれば落ち着くとか、高ぶるとかが分かっているから、薬で処方します。

その御札の呪文は有名どころでは真言宗の真言と同じ効果です。其れは唱えるだけで、脳にセレトニンやらアドレナリンやらが出る仕組みになっています。実は自分で出してるだけですが・・

もっと言うなら、人は走ると息切れをしますがその時、深呼吸して息を整えると体は元に戻ります。

好きな人に好きと言うだけで人は興奮します。要はそう言う事です。俺が知ってる真言で一つ

ノウマク、サンマンダバザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン

不動明王の真言らしいです。効きますよ(笑)

書いててあれですが、このノウマクやソワタヤなんかは体の下側に効いて、意識をどっしりとした気持ちにします。之を科学的に言うなら体からセロトニンが出てるんでしょうね。

真言宗は密教で人間の心や体を鍛えるために、又現代では統合失調症ですが、そういう心の病気はあったと思います。其れを日本では御祓い や(笑)、滝うち(笑)などで解消してきたのでしょう。俺は出身が九州ですが、必ず昔は区切り程度でそういう心の病を取り除ける人達がいたと思います。

極論してしまうなら、本当かうそかという話らなら、之ばっかりはその人次第としか言いようがありません。

俺の祖母は佐賀ですが、祈祷し(笑)みたいな人はいたらしいです。昔で言うなら狐憑きとか、(狐がかわいそうだ(笑))


122: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:13

>>完全にななしさん
俺は悟りとは取ってません。悟ってるなら幻聴や他人の想念を受け取って自分が傷ついたりしないと思うからです。というか、悟りとは何者にも束縛されない状態じゃなかったかな?

酷い言い方をするなら思い込みが激しい人、又は思い込んでしまった人がトウシツ(幻聴や幻覚)引き起こしてしまった。という言い方が正しいのかもしれません。

俺の友人は新興宗教をしていました。マインドコントロール宗教ですね。勿論、其れを信じ込めて生きていける人も居ます。まぁ其れには其れ相応の酷い経験があったんでしょう。

その友人のみ新興宗教から脱退しているので、その環境の過去を引きずっての
生活が待っています。友人はパチンコ依存症で借金があるんですが、自分を異常だとは思っていません。其れによるフラッシュバックの人格崩壊もありません。そういう人間も居ます。

だだ、その友人は過去の事は何も話しません。というより、思い出せないないんでしょう。思い出して俺に話す時はとても苦しそうにしていました。又其れ系の話になると急に沈黙します。

今は会ってませんが(笑)もういい歳なので、そうじゃなくても生きて行かなければならない。


123: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:39

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

何故発症したのか、を考えた方がいいです。

環境が変わったからなのか、
自分が嫌だと思う人間が現れたからなのか?
副作用が嫌だから投薬を控えていたから又出たのか?

サトラレ感と幻聴は投薬が違うと思います。

幻聴は聴覚と右脳の異常?サトラレ感は脳の感覚器官?だからだと思います。
瞑想ではなく、自分自身の今の現状を先ずは認識すると可能性として消えると思います。

この病気が完治するのは間違いなく、自分の周りの環境とリンクしているからです。

サトラレ感がいやなら、先ずは幻聴の摩訶不思議感とか、サトラレ感ではなく、
自分が何故其れが出たのか、どういう生活をしていたのか?又はしているのか?
を先ずは考えるべきだと思います。現実的に、いや真実的にかな?

現実感も言うなれば、自分が見ている世界としか言いようが無いから、自分の真実ですね。

俺の現状は考思化声とヒミツという名の幻聴人格ですが、出るタイミングは孤独になっている時で一番解り易いのはベットに入り寝ている時のみです。


124: 名前:名無し 投稿日:2010/01/13(水) 21:59

私の幻聴は行く所まで行ったという感じです。
もう今では安定している感じです

もうすぐパートでもしようと思ってますが、人の話が聞えないので、1人でする仕事をと思っています。幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います。


125: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 01:51

幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います

ハイそうだと思います。この病気には肉体ではなく、心(精神)なので完治という概念自体不適切だと思います。

幻聴や幻覚なんてのも好き好んで見たいとか聞きたいとかいう人がいる現代の世の中ですからね(スピリチュアルなんてのがいい例)。

自分でバランスとれてれば其れが完治じゃないでしょうか。


126: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:49

昨日、意識がおかしくなり、精神的に苦痛が続きました。今日入院です。(結局、病気は霊能力者によると生霊がついているという詐欺でした。

電話後、「ひまちゃーん、同情しなくていいのよ」という声に挑発されたり、警察役の声に書けと挑発されたり、普通では無いことが続きました。)

幻聴は恐ろしいものです。

事実は事実償わなければ納得いきません。
プライベートはプライベート、
幻聴は幻聴ですが、
病気としては不可解でした。


127: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:50

住民の空間的な出ていけという訴え即答でお願いします。

超常現象で訴える人を大昔、テレビで見たことがあります。

昨日は大変でした。「ひまちゃーん、どう思う?」とか、わざと気に為らせる「どう思う?」とか毎日、幻聴と本人の声が2階1階で聴こえ続きました。

ひどいことです。病気は黙っていること。
無視です。

無視を続けると住民が黙っていないんです。

住民の訴えをどう思いますか。呼びかけ、(家の中)に対する外の住民からの呼びかけに無視に苛立つ住民をどう理解しますか?


129: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 07:22
>127
これは、絶対大丈夫です。
本日入院とのこと。気にせずゆっくり療養下さい。


132: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 23:54
>>126さん
即答できなくてすいません。先ずは、落ち着きましょう。今現在は急性期でしょうか?

多分統合失調症としては急性期だと思います。
大丈夫ですよ。先ずは落ち着きましょう。マジで深呼吸がいいです。

多分126さんは急性期だから、今色んな物事に過剰に反応している状態だと思われます。
また、霊能力は在りませんご心配なさらずに。

その幻聴(生霊)は全て126さんが作り出したものですから、全て不快な幻聴は
取り敢えずは無視です。

取り合えず言える事は住民の訴え、無視に苛立つ住民は居ません。もし出来るなら、イヤホンで音楽を聴くことをお薦めします(病院へ行くまで)。後は、よく睡眠をとることをお薦めします。


133: 名前: 投稿日:2010/01/15(金) 08:13

ありがとうございました。注射を強いのを打ってもらい大分落ち着きました。
生霊じゃないなかもしれないと少し思えるようになりました。

入院は先送りになり、たまに激痛がくるぐらいで済みました。


135: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:36
>>133さん
よかったです^^
取り敢えずは気分を落ち着かす事をお薦めします。

たまに激痛がくるぐらい
激痛はどこに来るんでしょうか?症状は解りませんが、体の力を抜くという事をすると少しはましになるかも知れません。深呼吸で体の力をどっと抜いてください。勿論寝ながらでもいいですよ。

生霊なんかは俺がこの病気になって、色々調べて解った事をここに書きます。

まず、何故霊は体や心に反応するのか?と言う事です。反応という事は自分が反応しているから(要するに受身)と言う事です。

生霊=悩みと捉えてもいいです。というか、生霊=悩みです。

唯、この悩みが分からないから人は混乱して霊だとか何とか言いますが、生霊(悩み)を消すにはその悩みの正体を知る必要があります。そして之は霊能者も霊も関係ないです。先ず間違いなく。

あなたの人生の中で生きている中で何か理不尽な事や不可解な事に遭遇しているのかも知れません。勿論、現実的にです。此処が重要です。幻聴も生霊も霊能力者も関係なくてです。


136: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:51
124名無しさん
そういう風に言われると、俺はいけない事を言ったのかと思ってしまします(笑)

唯、俺の場合は人の話が聞けないほどの幻聴ではないので、仕事中や勉強、家族や友人との会話中には幻聴は存在しない状態なので、バランス取れてると思うし、別にこのままでも何ら問題無いという結果になっています。

ですが、今年の正月は朝まで親戚とマージャンしていましたら、プレイ中でも幻聴は聞こえてきました。 疲れも関係あるかもしれません。

其れこそ、幻聴抜きでも人はそれぞれだと思うので、幻聴があろうと無かろうとお一人で仕事をする事が好きな人もいます。そういう意味で、完治という言葉も取って頂けるとありがたいです。こういう結論から心って言うのは完治も何にも最初から無いのかもしれません(笑)


138: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 23:57
137さん
症状と言うのはどんな症状の事なんでしょうか?。幻聴でしょうか?それならバランス取れてるならいいと思いますよ。どうせ周りには全く聞こえてませんから(笑)

精神科医から言わせれば、全部症状だと思うんですよ。つまり、唯の言葉です。

例えば、風邪でも風邪と言う症状です。でも、風邪が治るのは体の中に在るウイルスを撃退する抗体が出来たから直っただけであって、また幾らでも風邪になります。つまり、風邪にかからなくなった訳ではないと思うのです。

精神科的に言わせれば137さんが好きな仕事して、幸せに暮らしていけるなら
それで良いんじゃないでしょうか?勿論色々な方が精神疾患者でなくても居ますので。 と言うより、137さんがどんな人か分からないので、まぁ公共の福祉に反しない限りは病気ではないと思います(笑)


139: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2010/01/17(日) 21:07

幻覚を強制的にそこに、置いて、話しかけたりしてみるが、返事はない。

独りでいるのを寂しく感じて、仮に昔の記憶の中の女性をイメージして隣に
置いてみたら、寂しさが少し緩和された様な気がした。

ただ、声をかけても笑ったり表情を作ったりはするが、返事はしない。
しかも彼女は外人で会った時も、言葉で会話するまではいかなかったから
なのかも知れない。

とにかく、幻覚は返事をしなかった。

言いたい事はそれだけです、今も意識すれば彼女は側に来ますが、会話は
できませんし、会話してもそれは幻聴なのだと思います。

だけど一瞬彼女を側に感じることができまして、それは幻覚・幻視なのかも
知れない、だけど普通の人でもそのくらいあることなのかもしれないし・・・。


140: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/17(日) 22:18

私の幻聴はひどいです。

「あんたは世界一幸せ者だから世の中のほとんどの人に恨まれている。
そして皆であんたを苦しめた」

と言ってます。本当でしょうか?


147: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/19(火) 01:01

4日前ぐらいの話ですが、俺の幻聴人格は2人いるんですが、一人ととても仲良くなって話していたんですが、家に帰ってくつろいで、たばこ吸ってたら、もう殺してくださいと聞こえ始めました。

(その仲良くなった幻聴からです)俺はその時、恥ずかしいですが、ごめんねと言いました

居て良いからねと言ってます。例えこの先消えても、其れは俺の一部だから、その場合はすまないと言ってます。
そしたら、わかってますと言います(笑)

俺的には時々、もう死ねよと聞こえる時があります。もう一つの幻聴からです。

勿論、原理的には俺が俺に対して言ってるんですけどね。

その優しい幻聴は俺にもう死ねよと出た時(出る時俺がうっとくる(笑))、何故かネオンと言って誤魔化してくれます(笑)。

成る様になれですか・・・実は俺も本質そう思ってます。でも、人が書くと面白い事に投げやりに見えますね。

この症状の場合(幻聴とかの場合)諦めるという発想はよくないです。
幻聴ではなく、自分の人生で何故幻聴が発生したのか?を考えた方がいいです。
幻聴はもしかしたら、あなたの問題を解決するために出たのかもしれないですよ。


148: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/21(木) 18:09

私は幻聴の正体は雑霊だと思い込んでいます。

確かに色々アドバイスしてくる幻聴もいます。でもここぞという時に裏切ります。
悪い人は不幸だから人に当たるんだと聞かされました。

もう自分自身が幻聴から逃れるのに絶望してしまいます。
でも幻聴の薬は飲み続けます。


150: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/21(木) 23:55
124名無しさん
雑念でいいと思いますよ。気長に付き合いながら、あなたがああ幸せだーと思う時がきた時多分、もう消えていると思います。

気にしない事が重要でしょうね。でも、俺がまぁ期間は短い方だと思いますが、
急性期当時は幻聴が在る事が普通だったと記憶しています。自分で幻聴を出した。之が俺にとっては真実です。

俺も夜中にタバコを買いに行こうとした時、幻聴に今コンビニに行って買うべきか、(寒いので笑)明日まで待つべきか、どっちがいいか決めてくれと言ったら(心の中、頭の中?で)どっちでもいいですと連呼します。

どっちか決めろと言うとエート、エートと言って永遠と10分間位そんな事を
言いながら過ごす時があります(笑)その日は其のまま夜中行きましたけど(笑)

薬は重要でしょう。唯、ちゃんと自分の精神状態を把握するのは重要だと思います。鬱、興奮(之は多分吐き気)とか、この作用をしてしまうなら最初の投薬当初は仕方ないですが、御自分で病院の先生と試行錯誤をしながら、安定した
状態に持っていくように頑張ってください。


151: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/22(金) 00:27
ルカさん
バニラスカイ見られたんですか?刑務所でトムクルーズ(ディビット)が幻覚のペネロペ(ソフィア)を見ながら絵を描くシーンがるんですが其のペネロペも何も喋りません。動きますけどね。其のシーンを思い出したんです。

実は俺も幻覚を1度だけ、透明の(水で出来てるような女性)其の時は憑依みたいなことが在ったので、あれなんですが在りました。

まぁその内容は恥ずかしくて書きたくないですが、其の幻覚は、ちっちゃな冠を着けていて、風でなびいてる羽衣みたいなのを着ていて、髪は肩上(でも後ろ側が長かった?)、目は二重で切れ長、鼻筋通ってて唇は小さい、俺は心の中で(うわ、マジで綺麗・・)と思いました。

その後が重要なんですが、其れが終わった後、右脳側が半端なく重たくなって、更に吐き気がしていました。そして便所で吐きました。色も無い、顔の動きも無い、見た時間は10秒程度の幻覚でしたが、反動はそういう状態だった訳です。

この病気は人其々でしょうが、聴覚、視覚と優れている分野が違うことで得意?不得意?があるんだな〜と思いました。

幻で恋人を追い求めるなんて、かわいそうな話だと考えています
まぁそうですね。可哀想な話かもしれません。唯、男性は求めると思いますよ。例え幻でも(笑) 俺は可哀想な男かも知れません;;

幻聴うざいですよ。寝る時なんてずっと聞こえてますから(笑)
無心になったって俺の場合は、耳鳴りになる(笑)
もう慣れましたけどね。


153: 名前: 投稿日:2010/01/22(金) 22:43

幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因です。
意味付けしようとしてませんか?裏切られるとか自分の意思で生きているのですから。
書き込むことで楽になるのなら良いですけどね。
幻聴と会話。あなた方に必要なのは声に出して誰かに聞く、話す勇気をもつことです。病気だから幻聴なのです。


154: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/23(土) 00:18

>>153さん
幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因
間違いなくそうだと思います。ですが、この幻聴、俺の場合は自転車と一緒で一度乗れちゃったら何故か忘れないんですよね(其の感覚を)。勿論、仕事してる時とかは全く気にならないと言うより、多分、存在していません。俺の意識の中では(それに、気にしてたら仕事にならん(笑))。

唯、まぁ嫁さんでも貰えばそれも消えるかもしれませんね。
意味づけに対しては、消すための一つの条件に俺はなったので、何とも言えません。急性期時は自分の意志では操れませんよ。(このニュアンスもだめかな・・)
もしも、之を薬で強制的に消すことが出来たとします。ですが、果たして其の先も出ないと言う保障には多分ならないと思います。幻聴が出るにはその人なりの人生に、何か重大な事が起きた証明でもありますから。
又起きていて、耐えられなくなったからなのか?

俺はこの幻聴を親、親戚、兄弟、友人、全員に説明してます(笑)よく聞かれたのは、どんな風に聞こえるとか俺は出てきたか?とか、こっちが何を言ってるんだ?と思う質問ばっかりでしたけどね。

幻聴で面白いのは、人と話している時は全く聞こえない
(俺は)之だけでも、幻聴を自分で作り出しているという理解に繋がると思います。


168: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/21(日) 19:54

僕の最初の病名は幻覚妄想症でした。「俺はやくざに狙われている」
見たいな事だと教えてもらいました。まだ若くて自分の力で何とかなると思っていたのが歯がゆいです。

幻聴について、結局自分の脳に何かが作用している故に自分の分かる範囲内かと思いきやそうともいかず。理不尽さに任せて、しまうか。しまうしかない。服薬か診察か入院して休息をとる以外では。
僕の思考は支離滅裂。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。以上失礼


171: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 17:29

幻聴のある皆さん、宗教どうですか?
不思議なことが起きている人は不思議ないいことが起こりやすいそうですよ。
私も幻聴があるので宗教を信じて入ってみたところ、数々のいいことがありま
した。お勧めです。


172: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/22(月) 17:42
御仏は信じていますか?


173: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 18:48
幻聴が出てから信じました


186: 名前:名無し 投稿日:2010/03/04(木) 00:44

話は変わりますが、以前、占い師に診てもらったら「あなたには霊感があ
る」と言われました。幻聴に混ざって霊感もあったようですが、まともなの
が霊感でふざけたものが幻聴なのかなと思ってました。そしたら幻聴が

「どっちも幻聴だよ。あんたの気をひくために色んなお告げをして、その代わ
りにイタズラもするんだよ」

と言いました。


187: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/03/04(木) 01:59

幻聴に混ざって霊感はありません。幻聴は幻聴、霊感は霊感です。
そして、この世界中どの人間も例外無く、霊感はあります。

少し、紐解いていくと解るのですが、霊感とは”普通”に全ての人間が視力の許す限り、見えている(感じている)世界とは別の物を捉える時に、ゴーストや霊、霊気、プラーナなど色々な国によって名前は違えど、そういうのを見る、感じる、のを霊感とします。


198: 名前:P 投稿日:2010/04/09(金) 13:17

幻聴の人、人間性が子供みたいだと思いませんか?

付き合ってられないです。
特に「くやしい」と言われるのには苦労させられました。

考え続けてやっとでたのが「下劣」と言い返すことです。
なんか頭もくらくらします。幻聴の内容と関係あるのでしょうか?


199: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 19:48
>>Pさん
俺も今は多分、その段階に来ていると思います。

簡単な事を連呼しませんか?

付き合う必要は無いですよ。俺はほぼ無視していますから。

其れにその幻聴多分俺と状態が一緒なら、もうPさん自身です。つまり、人格性が無い。

彼方の性別が解りませんが、このスレッドで解ったのは、最後に落ち着くのは
俺(本体)が男だから幻聴は女で、本体が女の場合幻聴は男に落ち着くと思います。

しかも、チョットアホな、まぁ餓鬼な感じでしょうね。

霊能者ではこの事をスイッチという表現でしている方が居ますが、意識を幻聴に向けないようにすると頭や体に響きませんよ。俺はもう、そうしています。


190: 名前:フリーダム 投稿日:2010/03/04(木) 23:09

george(" ") 同様、幻聴と会話できます。幻聴は歌も歌います。症状もめちゃくちゃで、「解放してくれ。」、「それはできない。」、「幻聴の原理は人間の脳波に同調させて話しかけている。」などと言っています


200: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 21:51
>>フリーダムさん
190からの書き込みを見ていましたが、幻聴と話す感覚ってありませんか?

俺は在るのです。其れを無視する方向で、別の事(何でもいいです)をしていると
多分、直ぐには無理ですが、幻聴を抑える事が出来ると思います。

俺は急性期時は色んな物音さえ、自分の頭で声で変換していたと思うんです。
俺の研究から言えば、脳も体も別々だが連動していると思うのです。

先ずは自分の体を鍛え上げてみる事をお薦めしますよ。其れこそ中山筋に君じゃないですがある一定の物事に集中していると、確実に幻聴は消えてます。

先ず、聞こえている時は幻聴と会話をしている以外は、ほぼ集中力など要らない作業をしていると思います。

もう一つ其の根拠としては、音楽をヘッドフォンで聴いていると、聞こえなくなります。其れは聴覚を半場強制的に音楽に集中させているからだと思います。

190の文章の幻聴との会話を見ていると、もうフリーダムさん自身が幻聴に捉われている会話内容なんですよね。

本質は幻聴もフリーダムさん自身です。

其の人格性を作ったのも、フリーダムさん自身です。

二重人格の理論です。
其の答えは、前におななさんが証明してくれました。

後はその幻聴人格が自分にとって近ければ近いほど、捉われる気持ちが増大します。

nanoさんという方も居ましたが、其れこそ簡単にこのトリックがわかると思います。 nanoさんの幻聴の主は自分の夫でした。会話内容によっては之が幻聴だという確固たる認識が早いわけです。綺麗に分ける事が出来たら、後は無視です。意識を意図的にずらす。

大人になっても抜けない癖ってありますよね。俺は無いですが、俺の弟(腹違い)が指をかむ癖をよくします。そう言うのと同じだと思われてもいいです。直すのは少し辛いですが、意図的にずらす事をしていると癖のように幻聴も消えると思います。癖に成る事それ自体も、癖を解消する事と一緒だからです。


201: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:07

自分の場合、幻聴は薬を飲もうが、集中しようが、音楽をヘッドフォンで聞こ
うが、なにしても聞こえます。

24時間人の話を聞き続ける状態でノイローゼです。考えただけで違う病気になりそうです。


202: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:26

世の中には、お金を持っていて、将来の不安もない。普通の人と同様に仕
事をして、子供を育てることができず、ある程度将来が予想できるので真面
目にやるのがばかばかしく、世の中の人は踊りを踊っているように見える。
まさしく人生に退屈するような人間がいるのでしょう。

そんな人間が暇つぶしにオンラインゲームの主人公(人間)を操るそれが今の自分の現状でしょう。

人間をロボットのように操ることができる。これは間違いなく事実でしょう。
http://hpcgi3.nifty.com/prunus/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=avium&tn=0305


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77. 中川隆[-7672] koaQ7Jey 2017年5月12日 02:16:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

創価は悪い 創価学会の電磁波攻撃

学会トラブル考5 (盗聴・電磁波)
投稿者 滋賀在住(大阪在住) 日時 2007 年 6 月 22 日 20:28:25: t/wy9U8vaMtKU


私が学会とトラブルを持ったのは平成10年、5月でした。隣家が塾を始めて数年経っていたでしょうか。ウチの前に道路がつき駅前に一直線と言う便利さになりました。そして、スグに「学会に入りなさい」、と折伏に来てそれを断った時、トラブルがおこりました。その後身辺で不審事が度々起こるようになったのです。其の一つが盗聴疑惑だったのでした。

最初に盗聴に気がついたのは、二階で連中の動きを見ている時でした。姿を隠して調べていたのですが突然、車が家の前に停車をしてきたのです。偶然、其の時はそう思いました。車のナンバーを口に出して調べていた時の事です。無論、外に声が聞こえる筈はないのですが・・・。どうにも神経質になり音をたてないようにして二階に上がっても人が、車が目の前にやってきて、止まったりゴミを捨てていくのです。
それからも、遠方に行く準備をして早朝に家を出ると、もう横に車が停車しています。さっきまで無かったのに・・・。深夜2時、3時であろうと、夕方であろうと、遠方に出かける準備をして外に出ると車が・・・。

流石におかしいと思いました。私の家の片側全ては空き地で家が無いのです。と言う事は・・・。二階で車等を新たに調べている時、事実が判明しました。車のナンバー等も口に出さず、静かに調べていた時の事です。ウチの隣家の壁際で音が鳴ったのです。其の時私が、「横で此方を調べている」そう口に出すが早いか、隣家の壁際で大きな足音が。途端に、改造車が私の家の前で停車してきたのです。それ以来、日常でも毎日、家の前で駐車、騒音をたてていた連中が、私が二階で見ていると、余計に駐車を繰り返し、爆音をたて、ゴミを捨て来ていました。もう、疑う余地もありませんでした。隣家が盗聴をして調べていたのです。真面目なはずの隣家が、なぜ。其の疑問は隣家が塾を始めた事にありました。入会すれば塾は繁盛する・・・。いや、入会させてから、塾をやりたい意思を持っていた隣家に塾をさせて会員獲得に使うのだ。どちらの意見も入ってきていたのですが、
どちらにせよ、いつも隣家に時間関係なく張り付くようにして行動を共にする冷たい視線のグループがいた事も事実でした。

父が1999年に亡くなり、ここ5−6年、隣家もより大胆に盗聴をするようになりました。私が「イケダ、学会」等の話をすると「ドン、ドン」という大きな音をたてたり、テレビのチャンネルを変えると「ドン」、ゲームをすると「ドン」、小声で話しても「ドン」、遂に深夜私の寝返りで布団のすれる音がしても「ドン」、何処まで高性能なマイクなのだろうとあきれもしましたが、此方も慣れてきたので途中から、自分の姿と会話を録り、それに反応する隣家、また同時に動く外の人や車の動きまで「連動芝居」として録画、全てを撮り始めたのです。深夜、赤外線カメラで寝ている私の姿で布団が動くと「ドン」と音をたてる画像はナカナカのものがあります。


また、会話と同時に電磁波というのもあります。多くの被害者が頭痛、耳鳴り、私の場合電波時計誤作動もありましたが、私の「イケダ、学会」話で電磁波測定器のブザーが鳴るというモノも録画出来ています。電磁波かどうか、特定できないものまで映像が撮れてありますが、多くの場合電磁波測定器が反応するので「通称・電磁波」としておきましょう。電磁波攻撃については学会被害者、「ある・ない」共にあるようです。
電磁波自体、日本の測定器等の説明を読んでも海外の文章を訳しただけで、どうも少し意味がわかり辛い気がいたしますが、私の場合、一応録画は出来ています。ただ、電磁波らしいとしておきたいと思います。特定が出来るほど電磁波に詳しくないものですから。以前から電磁波測定器が価格が高い等あったようですが、近頃では価格が下がりました。
 
私の場合、資金が少ない為、低価格で、という事で、ペアコム社PCRM10(以前より価格が上がっていますが)、スイッチ「M−Field」側で調べると多く反応がわかります。これに反応が無い場合は、無線マイクに異音が入る事が多いので、電磁波だけではないようです。あくまで、一応、「電磁波」と呼んでいます。これで頭痛、めまい、耳鳴り、電波時計非受信が起こります。


どちらにせよ、高性能マイクで此方の会話、足音、どんなに小さくとも、「騒音、犬の鳴き声、外のゴミ捨て人間、騒音車」等で反応してくる組織。なにも知らないでいると、この反応だけで神経過敏で精神が疲れ視野が狭くなったり、精神が連中の反応・行動に囚われてしまいます。

こういった組織と正々堂々戦い、そしてイヤガラセ・反社会活動を終わらせる為に多くの方にアドバイスや情報を頂いて、連中の「連動芝居」等多くの録画をしネットにも書き込んでいます。そして既に多くの被害者の方も映像・音等を残しておられる事もわかりました。

私自身、昨年よりいよいよ暴力団関係者らしき者が何度も車数台で夜に家前でライトを点けっぱなしにしてうろつき、無言の圧力をかけ始めて来ています。今まで拳銃らしきものまで何度も見せられたりもしましたが、これは住んでいる所が、大阪であ●り●地区が程近く、以前連中が「私が薬を売るのを邪魔して困る」等の偽情報を丸暴側に流していたなどと言う信じて良いのかどうかの情報まで、聞かされた事までありましたが、
一時、あまりに多くの不審人物を見ていたので、然もありなんと納得出来たものでした。しかし、これは住んでいる土地が土地ですから、ほかの被害者の方の場合とは随分違うようです。
http://www.asyura2.com/07/cult4/msg/365.html


創価学会トラブル考 15  創価学会と電磁波被害 @(創価学会の電磁波攻撃・遂にトリフィールドメーター100XEでも異常
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/619.html


________

Question kawasaki250rewardさん 2008/5/30

創価学会による、電磁波被害って本当ですか?

反創価学会の家に、近隣の学会員の家から、電磁波を照射されて、健康被害を受けたという事らしいんですが?

そういえば、電磁波じゃないけど、騒音おばさん(布団たたきおばさん)も、向かいの家の、学会幹部、自称被害者の夫婦に、強力なライトを、照射されて病気の娘さんを、苦しめられたみたいだし・・・

白装束集団、パナウエーブ研究所のスカラー波とは、関係無いと思われます。


Answer 2 mr34877さん 2008/5/31

団地で 朝も早よから学会員のお宅から唸り声が聞こえると言う事で
警察が出動したと言う事が有りました。

正体は 学会員の朝の勤行に合わせて、内緒で飼っていた犬が
一緒に唸っていたと言う屁でもない事が真相でした。

座談会で聞いたシャレにならん話です。
身寄りの無いお年寄りの家で特例でその犬は見てみぬフリをしてくれる事になったのですが、 自分が幸せになる為に 他人に迷惑を掛ける行為を知らず知らずのうちにしている事が学会員のお宅ではよく有ります。

座談会が行われるお宅周辺の路上駐車、集合住宅での早朝、深夜の勤行、などなど・・・。

電磁波と言う武器は 創価の特殊兵器の中でもあまり聞きませんが
敵に対する嫌がらせは徹底的におこなう集団である為、最近仕入れたのかも知れません。

いずれにしても 恐るべき集団である事には変わりありませんが。

今 自称正義の急先鋒と呼ばれる学会員さんから 敵対する宗派の信者のお宅の前で
脱糞して帰ってくると言う攻撃を聞きました。創価の新たなる戦法・玄関爆弾でしょうか。

全く油断ならない集団です。恐怖としか言いようが無い攻撃です。

質問した人からのコメント 2008/6/1

驚く 大変、興味深い回答ありがとうございました!
改めて、あの団体は、とんでもない、最低、凶悪、オカルト軍団だと、認識しました。もう選挙時限定友人?が来ても、公明だけは、入れません!
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1016847470

Question ID非公開さん 2015/5/30

統合失調症の症状で、創価学会に集団ストーカーされているとか、盗聴されているとか、電磁波攻撃を受けているとかの妄想が激しく、家から一歩出たら、皆、創価に見えるらしく、歩いてる人や車、郵便配達、宅配便、パトカー、ヘリコプターや飛行機まで、創価が自分を監視していると思い込んでいます。

私もアンチ創価ですが、さすがにそれはないでしょう(笑)と思います。

何故、あんなに創価に狙われていると思い込んでる統合失調症の方が多いのか不思議です。

海外の統失の患者さんも電磁波がどうのとかの症状はあるみたいですが、創価は世界中に広められてるから、外国人の統合失調症患者さんも日本の統失患者さんみたいに同じ様な創価妄想があると思いますか?

自殺された元タレントの清水由貴子さんは、当初、介護鬱により自殺したと思われてましたが、統合失調症の創価妄想にずっと苦み続けて疲れはて、自殺をした様です。

統合失調症発症前に創価にしつこくされたから、発症後こうなるのか、発症後に しつこくされて創価妄想が起きるのかも知りたいです。

Answer 1 : bottisamuraiさん 2015/5/30

日本で創価がこれほど加害者にあがるのはつい最近で、CIAや公安、自衛隊なんかの名前があがる時代もありましたよ。
海外ではイルミナティやらフリーメーソンやら、様々です。

発症後にネットを見て創価と思う方な多いのではないかなと思います。
多種多様だったのに段々数種類に収束している気がします。


質問者 ID非公開さん 2015/05/30

以前は、創価以外にも妄想の対象があったのですね!

現在は、統失の方もネットをするから、創価妄想の掲示板とか見て、同じ仲間同士で意気投合し、ますます妄想が膨れ上がったりしてるのでしょうね。


Answer 2 : t_ohdoiさん 2015/5/30

私も池田万歳教団の手駒でしか無い信者に、そんな知恵があるかいな?とは思います。ただ嫌がらせやおいまわしは40代ぐらいまでの、汗をかく事を厭わない年代なら
あり得る話です。

私も子供の頃実際にやられました。

中学生の時に突然おさななじみが決別宣言で何事かと問いただしたら「お母さんが言ったから」。

そして彼の母親が地区部長?クラスの熱心な学会員で、私の母親が学会への入会を断った学会員の夫人と友達で、○○君(私)とは付き合ったらダメだとしつけていたからだと、後で解りました。

情報筋のご婦人も宗教嫌いでその場にいたので確かです。

そしてその人個人では済まず、自身の立場を駆使して近所の学会員で同学年の息子・娘を持つ同志にも言いふらしていたとか、そのくせ選挙の時だけはよろしくねと必ず来たりも。

創価学会は選挙の時に突然とにかく数をあたるタイプだけじゃ無く、
特定の知人に固執するタイプも居るので、発症の原因となる事もあり得ます。

外国人もあるんじゃ無いでしょうか。フランスでカルト指定と話が出たのも、
家族や友人と断絶では無くとも突然疎遠になったり、人の信仰を否定して回収するまで許さない布教をする人間が出てきたからのはずです。

Answer3 : nattou_nebaneba777さん 2015/5/30

集団ストーカー行為のゴールは、対象者を自殺に追い込むか、精神病に追い込むことなんですよ。

集団ストーカー被害者の発言を統合失調症患者の妄想に思わせるために、世間を混乱させることを意図とした情報が流されています。

この情報に影響されて、集ストと関係ない本物の統合失調症患者が、集ストされていると勘違いして情報を流すこともあります。

国会での証言もありますし、一部で裁判にもなっています。

普通の人は知りようも無いですが、一部の警察関係者や公的機関の関係者は集ストが実在することを知っています。既にメディア関係者の一部にも知られています。

実は、日本以外にもこの手法を行う集団があって、他国でも問題になっています。
アメリカで開発された手法らしいです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14146149189


Question kuririn10100さん 2013/9/16

なぜ統合失調症の人は創価学会に執着するのですか?

統合失調症の人を見てると、なぜかなんでもかんでも創価学会といったり、集団ストーカーという言葉をだしますが、なぜなのでしょうか。

妄想だとかが異常になってしまう病気ですよね?

ということは個人個人でいろいろな妄想があってもいいはずなのに、なぜ統合失調症の人はみんな創価学会、集団ストーカーということで妄想が一致するのですか?
あと、統合失調症の人はネット右翼(通称ネトウヨ)が異常に多い気がするのですが、なぜなのでしょうか。
どんな背景があるんですか?


Answer1 : patentcomさん 2013/9/18

「集団ストーカー被害者の会」が実在しており、
各地でデモ活動をしています。

http://gsti.web.fc2.com/

この被害者の会を通じて、創価学会関係者が統合失調症の患者さんに対して集団ストーカーをしているという被害妄想が共有されていると推測します。

どうやら、統合失調症の患者さんが外出したとき、どこに行っても、誰かが監視していたり、患者さんが気にしている内容について、誰かが会話しているそうです。

このようなことを集団ストーカーと言っているのでしょうね。

ある人は、宅配便、郵便局などの車が通るだけで、その車がストーカーしていると主張しています。

集団ストーカーが実際にあるか否かは疑問であり、妄想の場合が大部分でしょうね。

Answer2 :ad64c8さん 2013/9/17

統合失調症の方の”妄想”は「被害妄想」ですので、自分を脅かすような敵の存在が不可欠です。

宗教団体などは、彼らの被害妄想を投影するには最適なターゲットなのです。
オカルトや陰謀論なども、彼らの現実(妄想)と相性がいい。

被害妄想が一致しやすいのは、おそらくインターネットの影響でしょう。強迫的な情報発信により、お互いに被害妄想を刺激し合うことで、彼らの現実(妄想)はリアリティを増していくのです。

Answer3 :redpurge2990さん 2013/9/1

まずはこのようなネットの中で多くの人間が適当に書き散らしているからです。
デマを見た人間が、少しずつリアルにしながらデマを完成させていきます。

そして創価学会が身近にある巨大なカルトというのも理由になるでしょう。
どこの地方にも池田会館はありますし、どこでも信者がいます。

agmtjmhmagoさんみたいな真性の統合失調症は病気である事を何が何でも決して認めませんので、無理矢理にでも病気以外の原因を探そうとします。
そうすると「妄想の先輩」が「学会」だと言っているネットの断片を拾い、よくある妄想を構築していきます。

>あと、統合失調症の人はネット右翼(通称ネトウヨ)が異常に多い気がするのですが、なぜなのでしょうか。

日本は現在、本質的な意味での敵国に領土を簒奪されています。
つまりデフコン3の状況です。
国内の敵性国人排斥世論が盛り上がるのも当然です。

この意見が統合失調症患者の「被害妄想」を実に刺激します。

Answer4 :agmtjmhmagoさん 2013/9/17

ad64c8 ← 創価学会員の一般人への責任転嫁です。そのまま創価学会員へ返送ですね

北朝鮮人2990←『〜ネットの中で適当に書き散らしている〜』

キミです。他も全て在日韓国人、在日朝鮮人、創価学会員の事ですね。反日である在日韓国人、在日朝鮮人、創価学会員の精神疾患、総合失調症は敢えて敵を作る事で、日本で生き長らえているのです。日本国内の悪人ですから、自分達が敵に回されては生きて行けません。悪人ですからね


違います。創価学会員が集団ストーカーをやっている事を皆が知っているから、事実を口にしているのです。それから精神疾患、総合失調症は創価学会員の方ですよ。あなたの様に在日韓国人、在日朝鮮人が特に重い先天性の病気です。任務で被害者を妄想、精神病にしたいのでしょうが、幼稚な口八丁、手八丁だけではバレるんです

そろそろ創価学会は終わり、ですかね。追い詰められている事が、手に取るように伝わっています。自殺か自主をしなさい。初めから詰まれています
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10113575535


____


Question emiko_twitterさん 2015/8/31

「創価学会が電磁波攻撃をしてる」と訴えてる統合失調症の彼等は
なんで自分が創価学会に狙われてると思ってるんですか?

遠くから脳に電磁波を送って人を操る武器を創価学会が持っているなら
選挙の時に友達に電話をかけなくても
友達の家や投票所の前で電磁波を流して公明党に投票させるとか

池田大作の逆恨みのターゲットになってるお寺の人に
電磁波攻撃をしてるはずなのに
統合失調症の彼等は...なんで自分が狙われてると思ってるんですか?


Answer 1 ppp1999raidenさん 2015/8/4

俺の恐怖の時間が始まった

創価が電磁波で俺を狂わせる

俺は電磁波で創価の意のままに動かされるパペット

俺は創価テクノロジー犯罪の被害者です

金属製のヤカンの蓋を頭上に置き

金属製のジョウゴを口に咥えると電磁波が体外に放出される

金属製のジョウゴを口から取ったら

俺の思考は創価に盗聴される

先週水曜日AM7:00
俺は金属製のヤカンの蓋を頭上に置き
金属製のジョウゴを口に咥えてゴミを捨てにゴミ置き場に行った

中学生風の男子3人が俺を見て笑った
創価からバイトで雇われた仄めかし部隊だ

俺が金属製のジョウゴを咥えていると思考盗聴できないから
仄めかしのバイトを雇って
俺が金属製のジョウゴを口から取るのを待っている

ゴミ捨て場の10m先にヤマト運輸のトラックが止まっていた

ヤマト運輸のトラックは無線機を使用して電磁波の中継をしている事で有名な創価企業

俺のアパートは創価に包囲されている

思考盗聴があるから俺は逃げる事もできない

逃げても逃げても逃げても創価の集ストが付き纏う


__


Answer 2 soudasuka123さん 2015/8/5

創価学会の集団ストーカーの被害者です。

うーん、「電磁波」っていうのはどうなんですかね?

実は何なのか?

唯、私の場合ですが、身体被害は確かにありました。

身体被害が激しい時に学会の支部長が自宅に来て、「まだ堪えてないのか?」と言ってましたよ。


まあ、その後も、その支部長とか本部長とか、自宅に来ました。

電磁波かどうか分かりませんけど、歯医者に行って、歯を調べると帯電していました。

だから、歯が帯電してたって事は、頭蓋骨にも影響があったと思うんですよね。

これが体にいいはずが無いと。

正直、ロシアとかアメリカ情報局、コインテルプロ(?)、日本政府、自衛隊。

これらが絡んでいるという話は分かりません。

事実は一つ、解釈はいく通りも、という話はありますからね。


Suffering from unsteadiness and dizziness for more than 10 years - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Vnms7TnL5Og&app=desktop

___


Answer 3 rswgn213さん 2015/8/5

この質問にも数人、精神分裂病患者が書き込んでいる様ですね…

被害(妄想)を検索する内に、創価学会が集団ストーカーや電磁波犯罪を行っていると言った趣旨の記事に出会い、

「自分は創価学会にストーカーされているんだ!電磁波は許せない!」

と訳の分からない発想に至るのではないでしょうか?

因みに創価学会が云々の前から同じようなのは居ましたよ。

ソ連に監視されているとか自分は東ドイツのスパイに監視されているとか、
自衛隊が監視しているとか
公安に付きまとわれているとか、
フリーメーソンが云々かんぬんと…
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12148625572



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78. 中川隆[-7671] koaQ7Jey 2017年5月12日 02:31:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

関連投稿


新興宗教「神の子どもたち」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/181.html

「覚醒剤」
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/126.html  

狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない 1
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/420.html

狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない 2
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html

カルトの世界 _ 創価学会とオウム真理教を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html

闇の組織とは? _ 創価学会は鳥人コンテストが好き?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/270.html

語られ始めた皇太子退位論 _ 皇太子妃候補No.1だった柏原芳恵を捏造バイブ・スキャンダルで潰したのは外務省創価グループ?
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html

釈迦は何故日本に再誕したか _ 我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/341.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/342.html

お金とアレにしか興味が無い大川隆法先生を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/218.html

景山民夫を殺した“組織”とは?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/263.html

景山民夫を殺したのは? _ 景山民夫の人生を狂わせた幸福の科学と夫人との出合い
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/228.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/229.html

被差別部落出身の有名人は?_ 創価学会員は被差別部落民か在日
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html



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79. 中川隆[-7670] koaQ7Jey 2017年5月12日 02:50:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html


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80. 中川隆[-7667] koaQ7Jey 2017年5月12日 07:55:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

池田大作先生の午後 2003/03/04

大作が女学会員をレイプを始めたので、コンドーム係、バイブ係、ティッシュ係が
そそくさと部屋の中に入ってきた。

「んもー、チンポが勃たない!」

神崎はうやうやしく「高麗人参赤マムシドリンク『淫乱日顕三号』」を差し出す。

「おい!フェラチオ係!フェラチオ係を呼べ!
全力で先生の魔羅を勃起させるのだ!」

15:35 三十は過ぎているがまだまだイケてるコンパニオン風の係員到着

「フェラチオ係です、

あら、先生、今日もご立派、

もー、わたしなんかお呼びにならなくともよろしいんですよほほほ

まっ、でもぉ、せっかく呼んでいただいたことですからお勤めさせていただきますわ」


さすがフェラチオ係、口がうまかった。

16:02 どうにか半立ちまで勃起


「さあ、この立派な肉マラでレイプを…もとい、幸せの儀式を! 」

女子学会員は藤原紀香にちょっと似た所がある若い人妻だった。

「ふへへ…」

「や、やめてください! 」

「なにをやめるのかな? 
フェラチオならやめてもらったがほれ、ここはビンビン…」


フェラチオ係らは噴出しそうになるのをこれからレイプされる人妻のことを思ってこらえた

老人の性は哀れと諧謔を含んでいるもの…そう思えば人妻にも余裕ができるのだろうが…それに池田大作の慰み者になった女にはずっしりと重い茶封筒が渡されるのが通例なのだ。そうでなければとっくの昔に獄中の人になっていたに違いない

「ああ〜やめて、そ、そんなところっ!」

「ムニャムニャ…」

得意のクンニで人妻を喘がせる大作! レイプ魔の面目躍如

「そ、そんなところ、あぁ…」

「そんなところでは、よくわからないよ…」

脂ぎった顔に笑顔を浮かべながら、大作が言う。

「おい、例のものを…」

「はっ」

バイブ係がカリ高3号を手渡す。ちなみにバイブ係も副会長だった

「もう、許してください…」

「ばかなことをいっちゃいかんよ、まだなんにもしてないじゃないか おい!」

ティッシュ係が先ほどのペーパーナイフをちらつかせるので、若妻はしかたなく、両足をV字型に広げていった。


16:03 大作の一物、充填率75%
16:04 80%

バイブ係「…おい、早くしてくれよ、電池が持たないよ(内心の声)」

君(バイブ係)もっと効く強性剤はないのか?

糖尿でもビンビンになる薬は!←犬柵

わははワシのティムポは文字通り甘いぞ甘いぞアリもむらがる甘さだぞ

早く味見しなさい!糖度100%

若妻は犬柵の先端を恐る恐る口に含んだ・・・

甘い!甘すぎる!くどい甘さだ。

我慢できずそれを吐こうとした時、犬柵からありがたい聖水じゃと小便まで口に出されてしまい、糖分を摂りすぎた為に体がだるくなる人妻であった・・


_______


今日も今日とて池田大作の寝起きは悪かった。

「おい、アキヤ!」

秋谷はうやうやしく「花和尚印絶倫ドリンク」を差し出した

大作はその生臭い液体を一気に飲み干し「次!」と怒鳴った

秋谷は聖教新聞特別編集版を差し出した。

特別編集版は池田の好みに合わせて編集してある特別バージョンで一般のニュースや「我が友に送る」は省略してある。

「寸鉄」が「寸」どころですまない大記事なのはご愛敬だ。

「ふはは〜今日も聖教新聞にはいい記事が一杯だな」

聖教新聞特別編集版を見て満足しきった池田は朝食の食卓に
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1033356504/


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81. 中川隆[-7666] koaQ7Jey 2017年5月12日 07:59:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

宗教とセックスにまみれながら子どもたちが育つ、新興宗教「神の子どもたち」

 
 2005年1月9日、カリフォルニア州のブライスで、車の中で拳銃自殺をした男性の遺体が発見された。男性の身元はすぐに判明。リッキー・ロドリゲスという、アリゾナ州のツーソンで電気技師をする男だった。そして、リッキーのツーソンの自宅アパートには、のどをナイフでかき切られた初老の女性の残虐遺体があり、血だまりの中、息絶えていたという。

 リッキーは殺人を犯す24時間前、自殺する48時間前、元妻、友人、そして自分が育ったカルト教団「神の子どもたち」で育った元信者に向けて、告白ビデオを遺していた。これを見た警察は驚いた。「神の子どもたち」が、子どもにまで性行為を強要していたということ、教団の中で幼児性虐待を受けてきた子どもたちが大勢いること、自分たちは精神的に傷つき、死んだも同然の状態であることを、リッキーはビールをあおりながら、淡々と語り続けていたからである。

 リッキーは「復讐する必要性がある。正義の必要性があるんだ。やりたい(殺したい)からじゃない。もう、このままでは、やっていけない」と、虚ろな目で語りかけていた。ごくごく普通に見える青年、リッキーは、なぜ、老女を殺し、自殺をしたのか。そして、彼を追い詰めた「神の子どもたち」とは、一体、どのような教団なのだろうか。

 「神の子どもたち」は、1968年、バプテスト教会のカリスマ的牧師、デビッド・バーグにより、南カリフォルニアで設立された新興宗教である。父親も牧師であったデビッドは、「イエス・キリストの愛の言葉を広める」ことを目的に、「神の子どもたち」を立ち上げた。最初はシンプルなゴスペルなどで信者に「イエスの愛を」と説いていたが、ヒッピーが集まるようになると「フリー・ラブ」が大事だと説教するようになり、セックスにより信仰を深め、広めようと、スワッピングや乱交を推奨するようになった。スワッピングは子どもたちの目の前でも行われた。「イエス・キリストがお望みのこと」「喜ばしいこと」だと信者の子どもたちは教えられ、異様な環境の中、育てられたのだった。

 グルであるデビッドには、カレン・ゼルビーというお気に入りの女性信者がいた。彼女は、セックスをしてイエスの愛を伝えることにより信者を増やす「浮気釣り(FF)」という新しい福音伝道を開発。カレン自身も積極的にFFを行い、アメリカだけでなく、メキシコやフィリピン、日本でもFF伝道活動が行われるようになり、信者数は一気に増えた。そして、信者の1人だったウェイターの男性の赤ん坊を身ごもったカレンに、デビッドは自分の養子として迎えてあげようと伝えた。彼は、家庭的なイメージを欲しがっていたため、赤ん坊の誕生はグルとしての株を上げるチャンスだったのである。

 1975年1月25日、カレンは男の赤ん坊を出産。名前をリチャード・ピーター・ロドリゲスと名付けた。デビッドは、リッキーのことを自分の次に偉大な存在だとし、跡取りだと公言。デビッド、リッキー、カレンはまるで皇族みたいな崇高な存在だと見られるようになった。しかし、リッキーの幸せな幼少時代は、そう長くは続かなかった。デビッドとカレンは、リッキーを利用して、フリーセックス対象年齢を下げようと企み、幼児・子どもたちにも性行為を強要するようになったのだ。

 教団は、3歳のリッキーが1歳や2歳の女児たちとペッティングをしたり、大人の女性と性行為をする様子を撮影。762ページにもわたる子育て本としてまとめ、信者に配布した。

 1996年に教団を去り、現在ニューヨークでストリッパーとして働きながら薬物中毒と戦っているデヴィータは、ドキュメンタリー番組のインタビューで、

「リッキーと私は、次世代のデビッドとカレンになるように育てられた。私は5歳の頃からベッドでデビッド相手に、手淫やオーラルセックスをさせられたわ」

「12歳になった時、リッキーは自分の母親であるカレンとセックスするようになった。一つのベッドの右側で私とデビッドがオーラルセックスをし、左側でリッキーがカレンとインターコース(性交)をしている。これがイエスの望むハッピーファミリーだと教えられてね。教団の子どもたちは、宗教とセックスにまみれながら育ったのよ。1歳の赤ん坊にオナニーを教えたりもして、狂っているわ」

とぶちまけている。

 子どもと大人が交わるフリーセックス推進により、さらに信者が増えた「神の子どもたち」。しかし、多くの小児性愛者を引き寄せることにもなり、デビッドはインターポールから目をつけられるようになる。教団は、1986年、これ以上探られては困ると考え、子どもの性行為を一切禁じた。そして、その8年後には「FF」「乱交」を禁止。教団名も「ファミリー・インターナショナル」に落ち着き、1994年にデビッドが死去した後は、ポルトガルに拠点を置いていたカレンがリーダーの座に納まった。

 リッキーは19歳の時にハンガリーの教団コミュニティで出会った女性と一緒になっていたが、カレンとの同居生活を続けていた。信者たちは、デビッドの後継人だと教えられていたリッキーがカレンの言いなりになっていることに疑問を抱くようになり、1人、また1人と脱退していった。カレンの家では、教団では禁じられいてたスワッピングが行われており、リッキーは次第に母親に反発するようになる。そして、2000年。妻と共に教団を出て、元信者たちが多く住むアメリカの某地区へと移り住んだのだった。

 しかし、しばらくするとリッキーは元信者たちから次々と連絡を受けるようになる。教団の大人たちに仕返しをしてほしい、壊された精神をどうにかしてほしい、と訴えられるようになったのだ。幼児性虐待を受けながら育った子どもたちは、誰もが心に深い傷を負う。リッキーはそのリーダーとして立ち上がる義務があるのだ、という元信者まで現れた。この声を無視できなかったリッキーは、復讐を企て、妻と離婚。2004年の29歳の夏、アリゾナ州へと向かったのだった。

 リッキーが殺害しようとしていたのは、母親のカレンだった。しかし、教団ナンバーワンである彼女の居場所はトップシークレットであり、リッキーは手がかりさえつかめなかった。しかし、しばらくして、老人ホームに入居している祖父母を訪問したという情報を得て、ホームのある町へと移住。電気技師の職を得て、マーシャルアーツや射撃の練習をしながら、母親を待ち続けた。そして、その4カ月後、あの告白ビデオを撮影したのだった。

 リッキーが首を切り殺害したアンジェラ・スミスという女性は、母親の側近であった。彼女は、教団が制作した子育て本で、リッキーに性の手ほどきをする役としても登場している。しかし、リッキーが母親の居場所を知ることができたのかは、今となっては知る由もない。

 セックスにまみれた幼児期のおぞましい記憶を消そうと、薬物に逃げる教団で育った子どもたちはとても多く、23歳の若さでヘロインとコカインの過剰摂取で死亡した、リヴァー・フェニックスもそうだったのではないかと、元信者らの間では囁かれている。そして、今もなお、多くの者たちが、「神の子どもたち」でのおぞましい性的虐待の記憶に苦しみ、薬物・アルコール漬けになっていると報告されている。
http://happism.cyzowoman.com/2012/04/post_713.html


 


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近親相姦を受け入れる姉妹に喜ぶ父、罪の意識なき残虐殺人事件


今回のオカルト事件簿 【ハラルド&フランク・アレクサンダー事件】

 1970年12月22日、人気リゾート地であるスペイン領カナリア諸島テネリフェ島のヘスス・ナサレン通り37番のアパートメントで、身の毛もよだつような残虐殺人事件が起きた。殺害されたのは、39歳になる一家の母親と15歳と18歳の娘たち。3人は滅多打ちにされ、血しぶきは壁や天井にまで飛び散っていた。全裸になった遺体からは、乳房と女性器が切り取られ、壁に釘で打ちつけられていた。

 ベテラン鑑識医も息を飲むほどの殺害事件を起こしたのは、一家の16歳になる息子。妻と娘たちを殺害された父親は現場に居合わせており、「殺人のバックグランド・ミュージックに」とオルガンを弾いていた。乳房と性器を切り取る作業は、息子と父親が共同で行ったことも明らかになった。

 逮捕された息子と父親は恍惚とした表情を浮かべ、嬉しそうに殺害の詳細を明かし、世界中を震撼させた。だが、一家を知る者たちは「やっぱり」と思ったそうだ。なぜなら、この一家はマイナーな新興宗教「ローバー・ソサエティ」の熱狂的な信者であり、息子を「預言者」として崇め、宗教を理由に近親相姦まで行っていたからである。

 この一家は、どのようにして狂気的なカルトに染まり、また、なぜ猟奇殺人を犯したのだろうか。

■預言者の言うことは絶対である

 一家の父親、ハラルド・アレクサンダーは、ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都ドレスデンに生まれ、後にハンブルグに移り住み、同い年のダグマルと結婚。このハンブルグでハラルドは、ジョージ・リールという病床の老人の世話をするようになった。ジョージは、ドイツ神秘主義者ヤコブ・ロルバー(1800〜1864年)の崇拝者であり、新興宗教ローバー・ソサエティのリーダーであった。ローバー・ソサエティは19世紀初めに設立された厳格なスピリチュアル組織であり、信者以外は悪だという教えを説いていた。全盛期でも信者数は数百人ほどで、小さなカルト集団であったが、大変危険だとして認知されていたという。そして、30年代に入信したジョージは、「神の言葉を聞く預言者」だと信者たちから崇められていたのだ。

 ジョージの最期をみとったハラルドは、妻のダグマルに、自分がローバー・ソサエティのマントルを継承したと伝えた。宗教集会で奏でられる持ち運び可能なオルガンも受け継いだ彼は、意気揚々としており、ダグマルは夫のひたむきな信仰心を大切に育もうと決意。息子・フランクが誕生した時、ハラルドが「この子こそが神の預言者だ!」と宣言した際も夫の言葉を信じ、何の疑問も持たずに受け入れたのである。

 フランクを「神の預言者」だと宣言したハラルドは、「彼の言うこと、望むことは、どんなことでもすべて従わねばならない」というルールを家族に強いた。2歳年上の長女マリア、1歳年下の双子の次女と三女ペトラとサビーネも、両親同様、フランクに仕えた。フランクは王のように彼らを支配し、年を重ねるごとに独裁者のように振舞うようになった。10代になると、「信者以外の女の身体に触れると汚れる」と言い出し、父親に「母と性交を行う」と宣言。間もなくして姉とも交わるようになった。父親はこの状況を歓迎し、家中、ところかまわずセックスをするようになった。「預言者のため」だと教えられていた双子の妹たちは、この状況を喜ばしいことだと思い学校で自慢。近親相姦のうわさはたちまち街中に広がった。警察の訪問も受けるようになった一家は、ドイツを離れることを決断。スペイン領カナリア諸島テネリフェ島に移住したのである。

■殺人ではなく聖なる儀式

 テネリフェ島での一家は人との接触を避けていたが、音程の外れた大音量のオルガンと、その音楽に合わせて賛美歌を歌う家族の大きな歌声が、次第に付近住民の注目を集めるようになった。10カ月間、一家は問題を起こさず静かにしていたが、この頃には双子の妹たちもフランクと性行為をするようになっていた。なお、生計は娘たちが女中をして得た金で立てていたという。

 事件があった日、ハラルドとフランクはサビーネが働くウォルター・トレンクラー医師の自宅を訪問し、サビーネに伝えたいことがあると言った。快くサビーネを呼んだウォルターは、ハラルドの「サビーネよ。我々はフランクがお前の母親と姉たちを殺さねばならなくなってしまったことを伝えるために、ここに来たのだよ」という言葉に仰天。しかし、サビーネはまったく驚くことなく、父親の手を取り頬に当てて「必要なことをなさったのだと信じています」と言った。衝撃を受けるウォルターにハラルドは「あぁ、お聞きになりましたか。我々はわが妻と娘たちを殺しました。殺害の時が来たのです」と落ち着いた口調で伝えた。ウォルターはハラルドとフランクの顔や手、服に血糊がべっとりとついていることに気がつき、あわてて警察に連絡。警察は近隣住民から「地獄のような叫び声が聞こえる」との通報を受け、すでに現場に到着し、畜殺場のようなアパート内の様子を目の当たりにしていた。

 嬉々とした様子で警察の調書を受けたフランクは、殺害の経緯をこう述べた。

「部屋に入ってきた母が、私のことを淫らな眼差しで見たと感じたんです。許されないことだったので、クローゼットから(木製の)ハンガーを取り出し、母の頭を繰り返し殴ったら意識を失い倒れました。父はリビングに行きオルガンを弾き始めたので、私もリビングへ行き、マリア、ペトラの順に殺しました。そして汚れた部分を切り離す儀式に入った時、父はオルガンを弾く手を止め手伝ってくれたのです」

 ハラルドも同じ証言をした上で、「うちの女たちは、いつかこの時が来ることを知っていた」「聖なる時のことを、我々はよく話し合っていた。女たちは生贄になることを喜んで受け入れていた」と発言。3人とも抵抗したあとがまったくなかった理由が明らかになった。

 フランクもハラルドも罪の意識はまったくなく、汚れた3人を清めたことにより天国に行くことができたと喜んでいた。オルガンを弾いたのも祝うためであり、2人は残虐殺人を終えた後、交互にオルガンを弾き賛美歌を歌ったという。精神科医は彼らを診察し「裁判を受ける精神状態ではない」「能力なし」と診断。犯罪的に精神異常である者たちが収容される施設に入れられた。しかし、どんな治療も2人には効かず、次第に「我々は、宗教から迫害された殉教者である」と思い込むようになった。また、ハラルドはフランクのことを「預言者」だと呼び続けているのだという。

 最後に、唯一難を逃れたサビーネだが、父や兄と同じ施設に入ることを熱望したが許されず、厳重な修道院に収容された。彼女は「不純」で「悪魔の手下」である他人と話すことを嫌い、殻に閉じこもり続けていたそうだ。その後、修道院を出ることを許されたサビーネだが、頼れる者は誰もおらず、いまなお修道院に留まっていると伝えられている。
http://happism.cyzowoman.com/2012/01/post_382.html



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全米を震撼させた「シカゴ・リッパーズ」事件


「儀式」といってもその方法は千差万別


 1981〜82年に渡り、シカゴ周辺で若い女性が次々と誘拐、強姦、暴行、拷問された上に殺害されるという事件が発生した。大半の被害者は乳房が切り取られ、傷口を使ってマスターベーションをした形跡も残っており、事件の異常性に世間は震え上がった。警察の捜査は難航したが、奇跡的に一命を取り留めた被害者の証言を得て犯人を検挙。20人近くの犠牲者がいるとされるこの事件の犯人は、地元に住む4人の男性だった。そのうちの一人が「殺人は悪魔に捧げるための生乳房を手に入れるため」だと衝撃的な供述をしたことで、メディアは彼らを「シカゴ・リッパーズ」と呼ぶようになった。

 全米が注目した裁判の結果、直接殺人行為をした2人が死刑、殺人に関与した1人が禁錮70年に。主犯格だとされる男は「自分は殺害などしていない」と主張し、証拠もないため死刑にはならず禁錮120年が命じられた。「シカゴ・リッパーズ」はどれほど残虐な連続殺人事件だったのか。

 1981年6月1日、シカゴ郊外の治安の悪い地区で21歳の娼婦リンダ・サットンの遺体が発見された。一部白骨化していたため死後かなりの時間が過ぎていると見られたものの、検死結果は死後3日。乳房を切り取られたため、そこから蛆が大量に発生し腐敗が早まったのだった。被害者は強姦され激しく暴行を受けた痕があり、手錠もかけられ口には布が捻りこまれていた。なお、金は現場に残っており、物取り目当てでなかったことは明白であった。

 それから同様の手口の事件が連続し、中には死体でマスターベーションした形跡もあったという。1982年10月には、20歳の娼婦ビバリー・ワシントンが強姦、暴行され乳房を切り取られた上で路上に捨てられた。瀕死状態で発見された彼女は、なんとか一命を取り止め犯人について詳しく語りだした。

「男は赤いバンに乗っていた。バックミラーには羽とゴキブリのクリップが付けられていた。運転手は25歳の白人男性でフランネル・シャツを着ていた。ギトギトの茶髪で、言う通りにしたら金を弾むと言われ、車に乗ったら銃を突きつけられフェラチオをするように強要された。その後、大量の薬を飲まされ身体をコードでグルグル巻きにされ、それから意識を失った」

 ビバリーの証言を得た警察は10月20日、赤いバンを運転しているエドワード・シュプライツァーに質問をした。車は証言通りだが、エドワードの外見は証言とは違う。彼は「車の持ち主は僕のボス」だと言い、ボスであるロビン・ゲットの家に警察官を連れて行った。ロビンの姿を見て警察は色めきたった。ビバリーの語った犯人の外見そのものだったからである。

 最初、ロビンは警察官を見ても動揺することはなく、捜査にも協力的だったが、被害者がロビンの写真を見て「この人!」と叫んだことを知ると、早急に弁護士を手配。あまりの手際のよさに警察を驚かせた。実はロビンは、この事件の3年前にシカゴを震撼させた「キラークラウン」ことジョン・ウェイン・ゲイジーの下で働いていたことがあり、ジョンのケースを勉強していたため、警察にどう対応すればよいか熟知していたのである。

 ロビンの逮捕に二の足を踏んだ警察だったが、もう1人、生き延びた被害者の証言を入手することに成功。最低でも3つの事件に関わったとしてエドワードとロビンの逮捕に踏み切った。エドワードは、「自分が車を走らせ、ロビンが女性を誘拐し強姦、暴行し乳房を切り取った。自分は血が苦手で、吐いたこともあったが、ロビンに命じられ乳房を切ったり、傷痕でマスターベーションをするようになった」と詳細に語りだし、7件の殺人と1件の暴行に関わったと供述した。

 エドワードが自白したことを聞かされてもロビンは表情ひとつ変えず、一貫して否定。そうしているうちに、エドワードが突然、自白内容を変え、「殺したのはロビンじゃない。自分の彼女の兄貴アンドリュー・ココライズが殺したんだ」と言い出した。そして、逮捕されたアンドリューは、素直に「殺害したのは自分」「ローズ・ディヴィスとロレイン・ボロウスキは俺が殺した。全部で18人殺した」と自供した。

 警察が聞き込みを強化すると、アンドリューの弟トーマス・ココライズが自分も犯行関与していることを認める発言をしたのだ。周りから「頭の弱い奴」だと言われ、知能指数が低かったとされるトーマスは、警察に促されると、事件の真相をベラベラ語りだしたのである。

 トーマスは自分たちのことを、80年代アメリカの若者の間に流行っていた悪魔崇拝者だと説明。ロビンの家の屋根裏が悪魔教会であり、壁には6つの赤と黒の十字架が描かれており、赤い布をかけた祭壇の周りに皆でひざまずき、儀式を行ったと語った。「生乳房はこの儀式のために必要な生贄」とも明かしている。その儀式だが、まずロビンが聖書の文を読み上げるのを聞きながら、1人ずつ生乳房でマスターベーションを捧げる。そして、全員のマスターベーションが終了したら、ロビンが乳房を小さく切り皆で食べるというものであった。

 なぜ、そのような恐ろしいことをしたのだと警察に問われたトーマスは、キラキラした目で「そうすれば、ロビンに悪魔の力がのり移り、僕たちの願いをすべてかなえてくれるから」だと言い、「やんなきゃいけないんだよ。ロビンが言うんだから絶対だ」と強く述べた。

 実はロビンを知る多くの人が、彼には不思議な力があると恐れ、警察官に「ロビンの目を見てはいけない」と警告した人までいたという。ロビンは子どものころに妹にいたずらをしたため、祖母に引き取られ育てられた。誰もが彼を煙たがり、寂しい生活を送るようになった彼は思春期になると悪魔崇拝にのめり込み、自分には特別な力があると吹聴するようになった。悪魔に祈りを捧げれば、超自然的な力を得ることができ、周囲から一目置かれるとでも思い込んだのだろう。悪魔の虜になったロビンの目は異様な光を放つようになり、周囲の人々は彼を恐れるようになったのだ。

 なぜ、悪魔崇拝の儀式に乳房を使ったのか。ロビンはすべてを否定しているため、真相は明かされていない。しかし、彼は青年時代から乳房に強いこだわりを持っていたと多くの人が証言しており、自分の性欲の対象を悪魔に捧げることで願いをかなえてもらえると考えていたという説が有力だとされている。

 ロビンと知り合いだという女性は、「乳を針で突き刺したい」と告白され、実行してもよいかと繰り返し頼まれたと警察に語っている。また、妻も乳房を針で刺されるというプレイを受けていたとのこと。刑務所を訪れた女性ジャーナリストから、「あなたは乳房に強い関心をもっていますよね。乳フェチですよね。なぜ、そこまで乳房にこだわるのですか?」と質問された時、ロビンは「私は事件には関係していないが」と前置きした上で、「乳フェチなのは家系なんだよ。曽祖父の頃から代々、巨乳と結婚しているしね。元妻も39Dで満足させてもらったよ」とニヤニヤしながらコメント。インタビューをしたジャーナリストは、悪魔は単なる口実で、異様な性癖を満たすために次々と女性を殺めたともとれるような発言だと、感想を述べている。

 このように刑務所では乳への思いを熱く語ったロビンだが、裁判中は乳房への思いを隠し、一貫して無罪を主張。彼が犯人だという証言者はいるものの、証拠がないとして、最終的に死刑は免れた。1983年、彼は強姦、暴行罪などで有罪判決を受け禁錮120年を命じられている。

 トーマスは、殺人罪が認められ、1984年に禁錮70年に。アンドリューには死刑が宣告された。が、実は統合失調症であったとして死刑撤回を求めたものの、1999年3月17日に刑は執行された。最低でも4人の殺害を認めたエドワードも、1984年に死刑が言い渡され、2002年10月に執行された。

 エドワードは生前受けたジャーナリストの取材で、仕事も金もなく薬にはまってボロボロだったときにロビンに助けてもらい、仕事をもらったと語っている。弱みを握られ、気がついたら手先になってしまったというのだ。トーマスもそうだが、エドワードも周りからバカにされており、ロビンに上手く洗脳されてしまったのだろう。

 ロビンは自分が悪魔崇拝者であることは否定しているが、今なお不気味な目力をもっており、悪魔の魅力にとりつかれていると伝えられている。
http://happism.cyzowoman.com/2012/04/post_640.html




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ブラジルの人肉パイ事件は、幽閉、四肢切断、スナッフ・フィルム……グロ要素全部入りだった


『ハンニバル』(東宝)

 2012年4月11日、ブラジル北東部に位置するペルナンブーコ州のガラニュンスで、一組の夫婦と、同居していた夫の愛人の計3人が、5件の殺人容疑で逮捕された。夫の名は、ジョルジ・ベウトラン・ネグロメンテ・ダ・シウベイラ、51歳。妻はイザベル・クリスティーナ・ピリス・ダ・シウベイラ、50歳。愛人はブルーナ・クリスティーナ・オリベイラ・ダ・シウベイラで、25歳と若く勝気な女性だった。


 妻のイザベルは、"ペルナンブーコのスイス"と呼ばれるほど気候が穏やかなこの田舎街で、手作り一口パイの「エンパーダ」を売り、一家の生計を支えていた。ピザのような記事に肉を包みオーブンで焼く「エンパーダ」は、ブラジル人にとって庶民の味。彼女の「エンパーダ」はおいしいと評判で、毎日飛ぶように売れていたという。

 イザベルの客だった人々は、逮捕のニュースを聞き、「あんなに穏やかな女性が人殺しをしたのか」と驚いた。が、間もなくして、吐き気を催すほど驚愕することになる。なんと、被害者の肉をミンチにして、「エンパーダ」に入れて客に売りさばいたとイザベルが供述したのだ。

 身の毛もよだつようなハンニバル事件を起こした3人だが、反省の色はまったくなく、被害者の命を奪ったジョルジは、「地球のために浄化したのだ」と、恍惚な表情を浮かべているという。殺害の手順を詳しく執筆した本まで発売している、ブラジルの人肉パイ事件。一体なぜ、このような奇怪な事件が起こったのだろうか。

 事件の主犯者であるジョルジの肩書きは、俳優、執筆家、ミュージシャン、マーシャルアーツのインストラクター。髪の毛は若干薄くなっているが、51歳とは思えないほど筋肉隆々でたくましい体つきをしており、娘ほど年の離れた愛人がいるのも納得できる風貌の男である。

 アフリカから伝わってきたカンドンブレーやペンテコステ派など、いわゆる超自然的な考えに慣れているブラジルにおいて、ジョルジは、ある日突然、独自のカルトを立ち上げた。そのカルトとは、「世界の浄化と、世界の人口減少」を実現を目指すもの。智天使と呼ばれる「ケルビム」と、大天使「アークエンジェル」の導きによるものだと、彼は明かしている。
 
 カリスマ的な雰囲気を持つジョルジだが、布教活動は積極的に行わず、その代り、イデオロギーを綴った単行本を出版。『統合失調症の啓示』という、まるで神病患者の闘病日記なのかと思うようなタイトルのこの本は、全34章で構成されている"浄化ハウツー本"でもあり、「悪魔に取り憑かれた女性を浄化するため」のノウハウも詳しく記載されている。

 実際に浄化したような下りもあり、「悪魔が宿る若い肉体を見下ろした私は、解放された気持ちで満たされていた。そして、金属板を手に持ち、皮をはぎ、解体していった。悪魔の肉は浄化儀式を行うため、我々が食した。残りは中庭に埋めた」という記述と共に、「女性の四肢切断」の挿絵まで掲載されている。

 実は、ジョルジは精神病を患ったことがある。病名は明かされていないが、本のタイトルである統合失調症だと思われる。しかし、彼は浄化儀式を行っていたときは頭はクリアな状態で正気だったと頑なに主張いいことをしたのだと胸を張っていると伝えられている。

 浄化儀式を実行に移したきっかけだが、ジョルジいわく、ケルビムとアークエンジェルの2大天使に、「悪として生を受けたわけではないが、生まれながらに"呪われた子宮"を持つ、女性」「聖書の『ヨハネの黙示録』に出てくるサタンを示す数字、悪の"666"の数字を持つ女性」を浄化することで、地球を浄化させよという使命を受けたから。

 ジョルジから、「666」の数字が、身分証明カードのID番号に含まれている女性を浄化対象に選ぶように命じられた妻と愛人は、若い女性たちに、「給料のよい子守の仕事がある」と騙して身分証明カードをチェック。ブラジルでは何をするにも、身分証明カードを提示しなければならないため、番号は簡単に見れたとのこと。そして、「666」の数字が入っている女性を自宅に招き入れ、ジョルジが浄化だと言い張りながら彼女たちを殺害したのだった。

 拘置所でメディアの取材を受けたジョルジは、「浄化儀式を行う前は、必ず神からサインが送られてきた」と告白。「私の頭の中に矢が突き刺さり、無数のイメージを見せてくれた」「この者たちを神に送り届けろ、そう、有無を言わさず命じられたのだ」と興奮した口調で語った。

 ジョルジは自分が『統合失調症の啓示』に記した通り、被害者に対して浄化儀式を行った。木づちで撲殺し、皮をはぎ、血抜きをして、バラバラにし、肉を食したのだ。人間の肉は思いのほか多く、3人ではなかなか食べきれなかったため、イザベルが「エンパーダ」に入れて売ればいいと提案。地球を救いたいジョルジは、一も二もなく賛成した。

 イザベルは、警察の調べに対して、気だるい表情を浮かべながら、「エンパーダに人肉を詰め込み、こんがりと焼いて。すべて売ったわ。バーや食堂にも大量に持って行ったし。そういえば、あんたにも売ったわ。あんた、うちのエンパーダをよく買ってたじゃない」と詫びれることなく明かした。

 完全犯罪にもなりえたこの事件だが、終わりはあっけなかった。イザベルが、被害者のクレジットカードで買い物をしたため、遺族がおかしいと思い、調べたところすぐに発覚したのだ。

 警察は、3人が住むジャルディン・ペトロポリスの家の裏庭から、2012年2月25日に行方不明になった31歳のジゼリ・エレナ・ダ・シウベイラと、同年3月12日に行方不明になった20歳のアレクサンドラ・ファルカン・ダ・シウベイラの遺体を発掘。家の中は、人が住んでいるとは思えぬほど荒れており、血のりのついた木づちや、服の切れ端などが発見された。

 また、この家には身元不明の5歳の娘が住んでいたことも明らかになり、警察に保護された。遺体が埋められていた場所を教えてくれたというこの幼女は、2008年に行方不明となった当時17歳だったジェシカ・カミラ・ダ・シウベイラ・ペレイラの娘ではないかと見られている。ジェシカも3人によって殺害された可能性が高く、『統合失調症の啓示』はジェシカを殺したときに書いたものではないかという疑いもかけられているという。

 地元メディアによると、警察は、ジョルジとイザベルが制作した、『エスピリト』というビデオも押収したとのこと。霊という意味のタイトル名がつけられたこの作品は、53分に渡って、夫の幽霊に苦しめられる女性を描いたもので、エマニュエル・シウベイラという役者が主演しているという。拷問を受けている女性が被害者なのか、本物の拷問なのかどうなのか定かではなく、警察は、このビデオが撮影された時期を特定しようと捜査を続けていると報じられている。

 地元メディアに「自分のことを無罪だと信じているのか?」と問われたジョルジは、「戦争の中で、無罪の奴なんているのか?」と返したという。警察は逮捕した3人が、最低でもあと5件の殺人事件に関与していると見ており、イザベルの常連客は「一体、どれだけの人肉パイを食べさせられていたのか」と驚愕していると伝えられている。
http://happism.cyzowoman.com/2013/02/post_1960.html




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Res.191 by 無回答 from トロント 2013/02/05 03:17:09

生まれたばかりのわが子を生きながらに切り刻み、血を集め、その肉も血も当然のごとくに食してしまう。学校に通っている児童たちも、墓の中に眠る嬰児の遺体までも−−。

今、米国の幼い子供たちはだれもが残忍な悪魔教の生け贄として狙われているのだ!

その、目を覆いたくなるような数々の惨状を努めて冷静にレポートする。


■わが子の肉を食らう恐るべき黒ミサの実態

「シェリル、あなたがまだ小さかったころ、両親に黒ミサに連れていかれたことがありますね」

「いいえ、何も覚えていないわ」

「人間は、あまりにもつらいことが起こると、それを忘れようとして記憶を失うものです。あなたが昔起こったことを覚えていなくても無理はありません。でも、あなたの子供のことはどうでしょう。あなたが初めて産んだ子供、双子の男の子と女の子は、あなたの両親の手で殺されたのではなかったのですか」

「やめて、やめてよ……。私は何も覚えていないのよ!」


 カリフォルニア州ロングビーチに住む、ごく普通の主婦シェリル・ホートン(37歳)。

彼女は3年前、極度の精神衰弱に陥り、精神科医サミット博士の治療を受けはじめた。治療が続けられる中、恐るべき事実が次々と明らかになっていった。


 シェリルの両親のロバート・アルトキンとバット・アルトキンは、シェリルが6歳のときにイリノイからカリフォルニアに移住した。父親が食料雑貨商から、大工に転職したのである。

このころから、父親は凶暴な性格を発揮するようになった。

シェリルをベッドに縛りつけては、幼い彼女の性器に箒の柄を突っこんだり、ひどいときには、階段から彼女をさかさまに吊りさげたり、皮膚を焼いたり、体中に針を突き刺したりするようになったのだ。

 父親の異常性は、さらにエスカレートした。

シェリルをロープでぐるぐる巻きにし、内臓を抜いた犬の皮を縫いつけ、その内臓を顔に押しつけて箱の中に閉じこめたこともある。

箱を暖炉から吊りさげて火を焚き、4時間にわたって降霊術の儀式を行ったのだ。

 母親もよく似た性癖の持ち主であった。

シェリルの家では、胸が悪くなるような大乱交パーティーが頻繁に開かれた。

パーティーにはシェリルはもちろん、なんと飼い犬まで参加させられた。

 そう、シェリルの両親は、悪魔教の信奉者だったのである。


「黒ミサは週3回、金曜の夜から日曜の夜にかけて行われました。
祖父母、曾祖父母、全員が悪魔教の信者でした。
ですから父や母にとって黒ミサは、ごく正常なことだったのです」


「私が9歳のとき、母は男の子を産みました。

出産の夜には、たくさんの人たちが家に集まってきました。

生まれたばかりの赤ちゃんを父は〈祭壇〉の上に乗せ、柔らかい新鮮な肉をえぐりとりました。

そして私にナイフを手渡し、喉を裂いて血を集め、足を切り落としてその肉を客に振舞うよう命じました」


「大きくなって私は、男と女の双子の赤ちゃんを産みました。

1人は産まれてすぐに、黒ミサの生け贄として悪魔に捧げられました。

胸に逆十字が置かれ、肌が切り刻まれて客に渡されました。

もう1人も同じように殺されました。

父は『お前が悪魔を信じないから、赤ん坊が死んでしまったんだよ』といって笑っていました。生きていれば2歳のはずです……」


 以上はロサンゼルス高等裁判所の裁判記録である。


シェリルは4万2000ドルもの費用をかけてすべての記憶を取り戻した後、両親を訴え、法廷の場でこのあまりにも衝撃的な事実を告白した。

アメリカの全国民は、20世紀のアメリカで、このような残虐な儀式が行われているという、戦慄の真実を知らされ、震撼したのである。

Res.192 by 無回答 from トロント 2013/02/06 07:42:44

 悪魔教の餌食となった子“ジョン・ドゥー”の場合。

サンフランシスコ警察に、ある日、一人の小さな少年の死体が届いた。

死体はあまりにも損傷がひどく身元の確定が不可能だったため“ジョン・ドゥー”と名づけられた。


 死因解明にあたった検死官は、“ジョン・ドゥー”があまりにも残酷な殺され方をしたのを知って愕然とした。最初はただの、ホモセクシュアルの変質者の仕業と疑っていたのだが、それだけでは説明のつかない背後の状況が、徐々に浮かび上がってきたのである。


 まず彼は、袋に入れられ縛り上げられて、3日間にわたり、めちゃめちゃに殴る蹴るの暴行を加えられた。激痛と恐ろしさに耐えかね、泣き叫んだのだろう。唇がナイフで切りとられている。

 胸に刻まれたペンタグラムが、これが単なる性犯罪でないことの決定的な証拠となった。

睾丸は、そのまま食いちぎられていた。

さらに性器から肛門にかけてもナイフで深くえぐられていたのだ。


 顔の状態もひどかった。

暴行によって腫れ上がった顔は火であぶられ、複数の人間の精液と唾だらけとなっていた。 

右目は目玉がえぐられ、空洞になった眼窩にはロウが注ぎ込まれていた。
左目だけはそのままであった。


 ■アメリカ全土で1年間に行方不明になる子供の数は、数万人とも数十万人ともいわれる。行方不明事件の大半は未解決であり、そのうちかなりの子供が悪魔教の犠牲になっているものとLAPD(ロサンゼルス警察庁)のパトリック・メトロイヤーは語っている。


 ■残忍な悪魔教徒たちに特に好まれるのは、6歳以下の子供である。

この年齢の子供は彼らの命令に従順に従い、事件が発覚したとしても法廷で証言する能力がない。そして何よりも、罪で汚れていないピュアな肉体をもっているのだ。


 ■悪魔教の聖日とされるハロウィンの10月31日と、ケルト族の祭典に端を発するベルテーン祭の4月30日には、アメリカ全土で行方不明になる子供の数が急増するともいわれている。


 学校の教師が悪魔教信者だった場合はさらに悲惨だ。

教師を慕ういたいけな子供たちが、格好の餌食となる。

虐待された子供の親が担任教師を告訴するなど日常茶飯事だ。

さらに、適当な生け贄の子供が不足すると、幼い子供の遺体を狙った墓荒らしまで横行する。暴かれた墓からは、子供の遺体だけが持ち去られるのである。

Res.193 by 無回答 from トロント 2013/02/06 11:02:15

白日のもとに晒された悪魔教の全貌

「グループを裏切ることは、死の契約書にサインするのと同じだ」


■現在、全米には13万5000にものぼる悪魔教のグループや、カルト(教団)があるといわれる。

 それぞれのグループのメンバーは強い絆で結ばれており、機密保持の血の約束を交わしている。これはつまり、グループの秘密を漏らした者には、死が与えられるということを意味する。

 フロリダ州タンパに住むエンジェルは、悪魔教グループの中で実際に数々の儀式に参加していた生き証人であり、FBIに対して行った戦慄の告発のために、現在、執拗にその命を狙われている。


「16歳のとき俺が夢みていたのは、力を持つこと、それと女だった。ロックバンドをやったり、コカインの密売をやったりもした。だけど、いっこうにツキは回ってこなかったんだ。生活を変えて運をつかむために、俺は悪魔教に入信した」


「悪魔教信者の最大の目的は破壊さ。グループに入ったばかりのころ、俺は教会に忍びこんで、中にあったものをめちゃめちゃに壊しまくった。その他、破壊できるものは何でも破壊してやった。

 悪魔に気に入られるよう、毎晩欠かさずお祈りもした。毎週日曜日には、必ず黒ミサに参加した。そして20歳になったころには、すべての儀式を司る大司祭にまで昇格していたんだ」

 エンジェルは、大司祭としての経験から、悪魔教が行う黒ミサの儀式の内容を詳しく語った。その内容は以下のようなものである。


 まず黒ミサの儀式には、悪魔の像が必要とされる。大司祭だけがそれに触れることを許されている。

最初に大司祭は、参加者と儀式が行われる部屋を、悪魔の祈りによって清め、地獄の4つの方角を定める。

4つの方角は、冠をつけた4人の魔王、レビシアン、ベローヤル、ルシファー、サタンに支配される。


 いっぽう祭壇は、西の壁を背にして作られる。参加者の背後にはペンタグラムが飾られる。

そして大司祭が床に伏して祈りを捧げると、いよいよ破壊の儀式が始まる。

参加者が破壊したいものの写真か絵を、マジックトライアングルの中に入れて呪いをかけ、短剣で突き刺すか燃やすかして壊すのだ。こうすることで、サタンの力が呼びさまされるのだという。

 真の悪魔教徒は、敵対する人間を呪ったりはしない。それはサタンの力を試すことになるからだ。それよりも、儀式と修練によって、自分の力を高めることが要求される。

 さて次は、自分自身の闇のパワーを高めるために、哀れみの儀式や絶望の儀式が行われる。

大司祭がサタンの9の掟を読み上げ、参加者はそれぞれの願いを羊皮紙に書き留める。
後に願いがかなったとき、この羊皮紙は祭壇に捧げられる。


 生け贄として生きた人間を捧げるグループもある。グループのリーダーが自ら首を落として、祭壇に捧げることも珍しくない。

また子供を引き裂いて祭壇に捧げることは、サタンへの最高の賛辞とされているのだ……。

Res.194 by 無回答 from トロント 2013/02/06 12:31:46


全米に勢力を拡張する数々の悪魔教グループ

 アントン・サンダー・ラヴェイの名前を一度は聞いたことがあるだろう。

彼は、もともと警察の現場カメラマンだったが、1966年のある日、突然剃髪し、「サタン教会」を設立して、全米に布教活動を行ったことで知られる。

 彼の主著『悪魔の聖書』は50万部という大ベストセラーになり、信者には映画『ローズマリーの赤ちゃん』の監督ロマン・ポランスキー、美人女優ジェーン・マンスフィールド、サミー・デービス・ジュニアなど、そうそうたる面々を擁していたのである。

 ラヴェイが60年代ビートジェネレーションの悪魔教の始祖なら、ハイテク情報化時代の悪の権化は、マイケル・アキノである。

 マイケル・アキノ博士は、悪魔教のカルトの一つ「セット寺院」の大司祭として有名であると同時に、士官学校を優秀な成績で卒業し、米軍の陸軍諜報士官・特殊勤務部隊士官、外国地域担当士官、内政問題士官、海外情報担当を勤める軍部エリートとして、たいへん高名な人物である。

 彼が1975年にセット寺院を設立して以来、彼のグループに関するさまざまな黒い噂が囁かれたが、確たる証拠は掴めず、彼はいまだに軍の要職にとどまっている。

しかし、FBIの特別捜査によれば、少なくとも56人の子供が犠牲となり、被害者全体としては、102人にも及ぶという、恐るべき数字も挙げられている。

 かつてセット寺院内でアキノの愛人として辣腕を振るっていたリンダ・オズボーン・ブラッドも、カルトの中での彼の絶大な権力を証言する。そしてさらに、アキノがナチスの行っていたとされる秘儀に着目し、実際にそれを実践して世界全体の破壊を企てているということも……。

 ラヴェイやアキノのような、恐るべきパワーと野望を抱く指導者のもとに集まる悪魔教徒とは、いったいどのような人々なのだろうか?


「私の家に来ていた人たちは、一見、まったく普通の人たちでした。
彼らは悪魔の存在を信じていると同時に、神の存在も信じているのです。
ですから、クリスマスやイースターも、普通の家庭と変わらず祝いました。

恐ろしい儀式が行われた次の朝も、母はまるで何も起こらなかったように朝食を作り、私を学校に送りだしました」

 と、シェリル・ホートンは語る。

 エンジェルもこう証言する。

「黒ミサや集会に参加するために、全米各地から集まった人々が飛行機から降りてくる様子は、観光で地方から都会に出てきた人々の団体と何ら変わったところはなかった。あいつらはにこやかに談笑しながらデニーズ・レストランのシートに陣どり、その夜の生け贄について話をしたりしているんだ」


 ごく普通の良識ある市民が、夜な夜な血に飢えた悪魔に変身し、幼い子供の生き血を、肉をむさぼり食らう。悪魔信仰の恐ろしさは、まさにこの点にあるといっていいだろう。

 現在、悪魔教グループやカルトの強大なネットワークは、アメリカ国内にとどまらず、ヨーロッパを始め急速にその勢力範囲を拡張している。

あなたの隣に住む人間が、真夜中に悪魔の儀式を行う日が来るのも、そう遠くないかもしれない。

Res.196 by 恐い from 無回答 2013/02/07 00:54:26

黒ミサ・・・恐いですね。
ノースサレーに住んでいるんですが、Green Timbers Parkの101AVEから100AVEにある小道(グリーン・ティンバーズの一部)で、変な集団を何度か見かけた事あります。

何か変な衣装(ハロウィンパーティで着るような?)を着ていて、叫び合っていて・・・

あの小道はもう一生通らないと決めました。

オタクの集団かもしれないけど、なんだか得体の知れない雰囲気があり、恐かったです。

Res.197 by 無回答 from バンクーバー 2013/02/07 06:58:14

一番こわいのは、本当に善良そうな人とか、学校の先生や、教会の神父さんとか牧師さんとかご近所の人なんかが、本当はこういう顔も持っている、っていうときがこわいですよね。

一見するとすごく知的で善良だから、信じてしまって気づいたらそういうグループに取り囲まれてるっていう。

ベストセラーのダビンチコードの中にも秘密結社の秘密儀式、出てきましたよね。

Res.198 by 無回答 from 無回答 2013/02/07 07:25:56

子供が好き(悪い意味で)なのは牧師さんじゃなくて、神父さん。


Res.199 by 無回答 from バンクーバー 2013/02/07 12:58:14

なぜ教会内で児童に対する性的虐待がこんなに多いのでしょうか。
教会内のシステムに問題があるのですか?
神父になる人にそのような傾向を持った人が多いのでしょうか?

2002年にアメリカのメディアが大々的にとりあげたことをきっかけに、カトリック教会の性的虐待事件について多くの報告が行われるようになりました。

アメリカ国内だけでも1950年から2002年にかけての52年間で、カトリック教会の神父4450人が、児童への性的虐待を行った疑いがあり、件数は1万1000件にのぼると報じられています。

カトリック→独身者のみが聖職者となれる

加害者と被害者が成人である場合、大抵は身体的もしくは精神的強要があるのが普通であるが、子供が虐待されている場合には、一見すると同意しているような場合も少なくない。だが、この関係性の軸において「同意」などということはありえない。

子供達にはその行為について理解する能力が存在していない。だが、これを利用して大人達は子供を簡単に従わせてしまう。そのため、不幸にも子供たちは自分に責任があるように思い込んでしまうのである。

おそらくカトリック系列の神父は独身であることが多いからだと思います。いわば出家ですから、女性とみだりに交わることもなかなかいい目はされません。

 そして男性の多い閉鎖的なコミュニティーにずっといれば、おのずと性処理の対象が男性や、少年少女に向いてしまうことがあるのだと思います。

でも、ただ単に 教会というだけで 話題になりやすいだけです。

日本では 学校の教師が・・・ですね。


Res.200 by 無回答 from ビクトリア 2013/02/07 13:00:19


もともとそのような傾向を持っている人間が、絶好の隠れ蓑として神父などの職業を選ぶのでしょう。

女性に興味が無ければ結婚しなくてもいいし、たくさんの子供に密室で会う事が出来ます。

宗教で口止めもできる上に、最近まではバチカンなどは隠蔽体質で犯罪の発覚した国から犯罪者の神父を逃亡させる手助けもしていました。

そのような犯罪者にとっていいことばかりの職業なので、多くの犯罪者予備軍が神父になるのでしょう。

その結果、教会内で神父による児童に対する性的虐待が多くなるのでしょう。

これを防ぐには犯罪者は犯罪者として罰を受けさせて職位を剥奪し、子供に密室で会えるシステムを変えなければいけません。かなりの改革が必要になるでしょう。
http://bbs.jpcanada.com/log/16/24166.html



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【閲覧注意】神の名の下に殺害、近親相姦の館【世界残酷殺人事件】2014/07/29
http://okarutotougijou.com/cruel/734/

「信者以外は全員悪魔」

カルト宗教にはまり近親相姦を繰り返した家族の末路を紹介しよう。

ハラルド&フランク・アレクサンダー事件

1970年12月22日

スペイン領の島の、あるアパートの一室で遺体が発見された。

遺体は三体で全て女性だった。遺体の心臓と性器、乳房は全てくり抜かれ壁に釘で打ち付けられていた。ベテラン鑑識員はあまりの陰惨さに吐いた。 この事件の犯人は父親のハラルド(画像右)と息子のフランク(画像左)16歳。

http://i2.wp.com/okarutotougijou.com/wp-content/uploads/2014/07/alexander.jpg


被害者はダグラル(母)39歳、マリア(姉)18歳、ぺトラ(妹)15歳。 聖なる儀式のために女たちは生贄にされたのだ。

おかしな家族

ハラルドは新興宗教「ローバソサエティ」の信者だった。この宗教、信者の最大数は100人と言われる、全く流行っていないスピリチュアル系宗教だった。信者以外は全員悪という教えがあり、大変危険と世間から認知されていた。

この宗教の教祖様が亡くなり、教祖様の大事にしていた移動式オルガンをハラルドが受け継いだ。ハラルドは歓喜した。ハラルドにとってそれは免許皆伝的なものであったのだろう。

「教祖様の意思を俺が受け継ぐぞ!」ハラルドの目は希望に満ちていた。それを見ていたダグラルは「なんて素敵な男性なの!私が彼を支えていきたい!」と結婚した。

ハラルドとダグラルの間に息子が生まれた。ここから狂気の歯車が動き出す。

息子はフランクと名づけられた。ハラルドは「この子こそが神の預言者だ!!おおお!あなたの意思に全て従います」と生まれたばかりの赤ん坊に忠誠を誓った。ダグラルも勿論従う。

こうしてフランクは我儘三昧の暴君として育てられた。

フランクには二つ年上の姉マリアと一つ下の双子の妹たちぺトラとサビーネと女姉妹に挟まれて育った。姉妹もフランクを兄弟としてではなく、神の預言者として仕えた。

フランクが思春期になると「信者以外の女に触れると身体が穢れる」という理由から「母親と性交する」とハラルドに告げた。ハラルドは「全くそのとおりだ!」と受け入れ息子と妻の性交を見守る。

フランクは母だけでは飽き足らず姉のマリアも含めて、いつでもどこでもやりまくった。

姉マリアは「私は神の預言者とファックしたわー!!」と学校で自慢しまくった。クラスメイトからは奇異な目で見られ、先生にも知れ児童相談所にも通報された。ここで、隔離していれば陰惨な事件は起きなかったであろう。度々やってくる警察官の訪問にうんざりし、一家は引越しを決意する。

スペインのある島で彼らは他人と接触を絶ち暮らしていた。しかし、父親の引く音程外しまくりのオルガンの音にあわせて賛美歌を歌う家族は近所の人間から気味悪がられていた。

家族の収入源は妹が女中をして稼いでいた。この頃になると、妹たちともフランクはやりまくっていた。父親はその光景を見て歓喜していた。

聖なる儀式

1970年12月22日

そのとき、フランクは部屋にいた。母親が部屋に入ってきた。母親は淫らな目でフランクを見たという。フランクは「そのような目で俺を見ることは許されない!許されないんだー!!」と言い木製のハンガーで頭を何度も殴りつけた。母親は失神する。

父親は相変わらずでたらめなオルガンを弾いていた。

フランクはリビングに行き、姉マリア、妹ぺトラを何度も殴打した。

「ギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

このとき、アパートの隣人は「地獄のような叫び声がする」と通報している。

ハラルドは息子の殺人を横目で見ながら、オルガンをかき鳴らした。

「ついに時が来たのだ!フランクよ!神の声を聞いたんだな!!あぁ、神様!」

ハラルドは金槌を持ってきて女たちの頭を打ち続けた。

フランクとハラルドは殺人作業が終わると、不浄なものを解体する作業にうつった。心臓と性器、乳房を取り除く作業だ。ハラルドはフランクが作業中ずっとオルガンを弾き、フランクが休憩するとハラルドはオルガンを弾く手を止め、作業に入った。

三人の遺体から不浄な心臓と性器と乳房を抜きとり、釘で壁に打ちつけた。釘が足りなくなると木製の串を持ってきて心臓をそれに刺した。

「自分たちのもっとも愛する者を殺して、初めて自由が手に入る!!」

聖なる儀式は終わったのだ。

妹サビーネは仕事中だったため、フランクとハラルドは職場まで報告しに行く。

「サビーネ、聞いてくれ。フランクがお前の母と姉たちを殺害することを決めたのだよ」

「まぁ、それはとても必要なことだったのですね。」と、ハラルドの手を取り自分の頬に当てた。これを聞いていたサビーネの職場の人たちびっくり仰天。

「…どういうことなのですか?」

「ああ、聞いていましたか。私たちは妻と娘を殺害したことを娘に報告しにやってきたのです」

よく見ると彼らの服は茶色い染みだらけだった。最初は泥がついてると思ったのだが「…これは血なのか…!」と職場の人は確信した。急いで警察に通報する。

フランクとハラルドは逮捕される。

裁判

裁判では二人とも「聖なる儀式のため、仕方がなかった」と証言した。ハラルドは「うちの女たちはいつかこの日が来るとわかっていました。彼らの不浄なものを切り取ったため彼らは天国に行くことができました」と、のたまった。

彼らに精神鑑定がされ、裁判を受ける状態ではない、ということが判明したため収容施設に送られることになった。

彼らは収容施設で「我らは迫害を受ける殉教者だ」と思い込んでしまった。

一人、難を逃れたサビーネは「自分もハラルドやフランクのいる収容施設に入りたい」と望んだが、それは認められず修道院に送りこまれた。彼女は他人を「悪魔」「不純」と思い、誰とも喋ろうとしなかった。

サビーネは修道院を出ることを許可されたが、彼女に頼れる者は誰もおらず、未だ修道院に留まっているという。
http://okarutotougijou.com/cruel/734/



[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

82. 中川隆[-7665] koaQ7Jey 2017年5月12日 08:09:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

仏教徒は何故堕落するのか _ 仏教信仰がタイ人をダメにした

ทรูมูฟ เอช " การให้ คือการสื่อสารที่ดีที่สุด " TrueMove H : Giving
http://www.youtube.com/watch?v=7s22HX18wDY


最近、タイで人々の涙を誘い、ユーチューブにアップされると世界中で1200万人が視聴して感涙したという動画がある。

タイの携帯電話業者である TRUE が制作した映画なのだが、功徳を積めば必ず良いことが返ってくるという仏教の「因果応報」をよく取り入れた動画だった。

1200万人を感動させたこの動画を、あなたはもう見ただろうか? まだ見ていなければ、以下から見て欲しい。

簡単な英語の字幕があるのと、言葉よりも映像で見せる配慮をしているので、日本語の字幕がなくても分かると思う。

30年前、母親が病気で、母親のために栄養剤を万引きをして捕まった少年が、近くの食堂の店主に助けてもらうところから話が始まる。

30年後、その店主が倒れて病院に運ばれるのだが、治療費がない。娘は泣きながら店を売り、何とかお金を工面しようとするが、それでも足りない……。そんなショートムービーである。

私たち日本人はこの動画を見ると、素直に心に染み入るはずだ。因果応報を知っているから「分かる」のである。優しさを与えれば、優しさが返ることを知っている。

そして、それがとても重要なことであることも理解できる。そして、実際にそんな優しさを与えてくれる人が、世の中に存在することも知っている。踏切で救助死した女性はまさにそんな女性だった。

優しい女性は、それだけで私にとっては尊敬すべき人だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131005T0547120900.html?a=l0ll


タイのCM(日本語字幕)โฆษณาไทย(บรรยายภาษาญี่ปุ่น)
タイ生命保険「パーフェクトな人生」
http://www.youtube.com/watch?v=BVudAu8M_rA

タイCM 泣ける 生きるとは人生とは 【日本語字幕】
http://www.youtube.com/watch?v=QvIq_q7xL3s


「困った人を助ける」という文化のありがたさが身に染みた日

私がタイという国が好きなのは、人々の優しさに触れられるからだ。みんな生きている中で、とても大変な生活をしている。裕福でない人たちも多いし、そんな中でみんな必死で毎日を生き抜いている。

怒ったり、泣いたり、したたかに何か企んだりしながらも、しかし、タイの人たちは根底には優しさがある。

一時、交通事故の後遺症で痩せ細って幽鬼のような姿になった時期があった。

医者には安静にしないといけないと言われていたが、自分の体力を過信していた私は病院食が馴染めないこともあって無理やり退院した。

「どうせなら、最後にタイを見てから寝たきりになろう」と思った私は、無謀にもタイに向かって安宿に泊まった。

そこではイサーンから出稼ぎに来ていた子持ちの女性がいたのだが、彼女は私の容態を見てただ事ではないと思ったらしく、何度も子供を連れ、食べ物を持って部屋に訪ねてくれた。


窮地に陥っている人を、見返りを考えずに助ける

食べ物のお金を払おうとしたら、彼女は頑強に拒否した。彼女は与えてくれるだけだったのである。

私のことを気にかけてくれたのは、そのホテルのフロント係をしていた女性も同じだった。しばしば彼女も部屋に顔を出して、「大丈夫?」と声をかけてくれた。

この部屋で私が死んだら騒ぎになるので、生きているかどうかを確認しに来ているのかと皮肉に考えたりした。身体を壊していても、私は容易に人を信じなかった。

しかし、彼女もそのような邪気があるわけではなく、やはりフルーツを差し入れしてくれたり、汗だくになっている私のために、特別にタオルを何枚も差し入れてくれたりした。

自分が健康なときには気付かなかったが、窮地に陥っている人を見れば、彼女たちは見返りを考えずに助けてくれるのだった。感傷的になっていた私は、その優しさに涙が出た。

イサーンから来た女性は、近くのワット(寺院)で買ったらしい、小さな仏像のペンダントをくれた。

彼女はまったく英語ができなかったので、細かいことは分からなかったが、それをしたら身体が丈夫になるというような意味だったと思う。

きっと、それほど高くないものだと思うが、私はそうやって彼女が私のことを気にかけてくれていることを知って嬉しかった。その小さな仏像のペンダントは今も持っている。

そんな彼女は、宿賃が払えなくなって子供と共に消えた。彼女自身は、私に助けを求めなかった。お金に困っているのなら、助けてあげられたと思うが、彼女は病人の私に助けを求めることはなかった。


東南アジアで広く見られるこのスタイルをワイというが、タイ女性のワイはとても優雅で上品だ。


タイには喜捨(タンブン)という文化がある

「喜んで捨てる」と書くのでいったい何を捨てるのかと思ってしまうが、これは「徳を積む」という意味がある。

タイはお坊さんが人々のいる村を回って、一日の糧を得る。人々はお坊さんに無償で食事を与える。それは「徳を積む」ことであり、「善行を行う」ことでもある。

そうやって徳を積めば、天国に行けると考える仏教の教えがタイに根付いていて、それを喜捨(タンブン)というのだ。

このタイ人に定着したタンブンは、何もお坊さんだけに与えるものではなく、貧しい人たちや困った人たちにも向けられる。

道ばたで物乞いをしている人たちにも与えられるし、病気で困っている人たちにも与えられる。だから、私がボロボロの身体でタイにいたとき、タンブンされていたということになる。

私自身はタイで物乞いやお坊さんにタンブンした記憶はあったのかなかったのか思い出せない。ところが、無視した想い出の方だけは山ほどある。

基本的に私は他人に与えることはないし、どんな困った人がいたとしても、常に傍観者の立場で観察し続けてきた。そんな私がタンブンを受ける身になるとは思わなかった。

しかし、病気になっているときに助けてくれるタイ人の優しさに触れると、困った人を助けるという文化のありがたさや優しさが身に染みて分かる。

日頃は何かにつけて大雑把なタイ人や、タンブンというシステムに前近代的なものを感じていたりしたが、いざ自分が助けてもらうとタイ人の情の深さに感じ入る。

タイ人と言ってもいろんな性格の人がいて一概には言えない部分もあるが、優しい気質の人が多いのは間違いない。包容力があって、とても人間的だ。

基本的に、タイ人の気質は日本人に合う。その優しさは日本人にも理解できるし、共感も感じる。

理解し合えるというのは、とても大事なことであり、人としての基本でもあると思う。どうしても合わない民族もあれば、共感できる民族もある。

タイの文化の優しさが垣間見えるいくつかの動画がある。しみじみと、優しさに浸りたい。

こんな素晴らしい動画に、日本語の字幕を付けてくれている日本人もおられるようだ。感謝と共に、ここで紹介したい。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131225T0448070900.html

白人に都合の良い「仏教国」タイ

白人にとっては、「マイペンライで寛容な仏教国タイ」は都合が良く、何よりもアジアにおける心身ともなる拠り所であろう。

タイに行くことによって、白人は、ちょうど猿が敵を負かしたあとに交尾のときの雌の格好をさせて自己の優位性を確認させるように、アジアに対する優位性を確認するのである。

タイにおける大規模な白人セックスツーリズム、広範なレンタルワイフ遊びには、たんなる性欲を超えたイデオロギー的な意味がある。

たとえば、ヨーロッパの片隅の貧しい白人国に、アジア人男性がおしよせて、白人がタイでやっていることとまったく同じ「お金を払う自由恋愛」を大々的に行ったとしたら、全白人世界を巻き込む怒りの渦をひきおこすだろう。

アジアの国であるタイでそれをやり、誰もそれに抗議をせず、むしろそのような白人をちやほやすることを再確認すること、アジア全体がそれを容認し白人に屈服している姿を確認することは、白人の世界支配を確かなものとするために実際的な意味がある。

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 客の白人男がタイの娼婦と思われる女達に行う悪逆非道で残酷な行為を、ビデオに撮った動画が商業ベースで流通してしまった物と思われます。

 途上国の娼婦なので白人娼婦にはできないようなことを平気でやっているようです。
http://www.snakecastle.com/001-urte.html

なお、タイはおそらくアジアで最も白人崇拝のひどい国である。あからさまに白人に媚び、貧しい同胞女性を平気で白人に売り渡せる生き方こそ、タイ文化の真髄である。

また、タイの仏教ほど腐敗したものはない。寺院内で売春婦に営業をさせる、坊主が外国まで出かけていって少女をレイプする、外国でも列の割り込みを平気でして開き直る、白人ツーリスの集まっているところに行きオリエンタリズムを撒き散らして深夜に托鉢する。このようにタイ仏教は、白人至上主義につかえる奴隷的アジア発の腐臭に満ちたイデオロギーなのである。

ナラティワトに仏教徒は多くない。住民の多くはマレー系のムスリムだが、タイ族仏教徒の殖民が行われている。

この地方はもともと独立したスルタンのパタニ王国であった。マレーシアのクランタン州もそうだった。しかし、シャムの政治的な従属国でもあったので、20世紀のはじめに、シャムが宗主国としてクランタンをイギリスに割譲し、それと引き換えにパタニを併合したものである。クダーもシャムがイギリスに割譲した土地だが、ここはパタニやクランタンに比べるとイスラム色が薄くタイ色が強い。

タイは、このように、白人植民地主義者に対し、自分の土地でもない土地を売り渡すということをやっていわゆる「独立」(=実際は王室をはじめ特権層の利権にすぎない)を保っただけである。

タイのような薄汚い白人至上主義のアジア奴隷主義国家に幻想を抱く日本人がいまだにいることは驚きである。

タイを「微笑みの国」などというのは、北朝鮮を地上の楽園というのとほぼ等価である。

つい10年位前までは、小学生の女の子をぺド白人向けに公然と売り出していた恥知らずな国なのである。
http://www.actiblog.com/melakajournal/17297

 タイの朝は僧たちの托鉢によって始まる。

愉楽に騒ぐ熱帯の夜の名残りと、新たな一日の光が生起する豊饒への胎動との境目に、密かt゚メ目と祈りが流れ出る。合掌した手の熱い思いから、あたかも一瞬一瞬紡ぎ出される奇跡のように、生きとし生けるものの時間が動き始める。あちこちの寺院の本堂や僧房から朝の読経の声が凛々と響き、その清澄な声に乗せて夜の戸帳が開かれてくる。暗がりのなか通りを朝市へ野菜を運ぶ人々のつつましい足がよぎる。

けだるさとさわやかさの錯曹オた薄萇のなかに、家々から人々が表へ出、托鉢に歩く僧たちに恭しく供物を捧げる。裸足の僧と、裸足で食物を捧げる叙ッの、大地を通した交歓のなかに、洗われる心が光る。「サバーイ チャイ」という内面の輝きの美しさを、タイの人々は生れながらに具備している。祈りの溶け合うそこに、タイの朝がある。


タイの寺院――二万八千。僧――二九万人。タに全人口の九六%が仏教徒であり、男九百人に一人が僧籍にある。


男にとって成人は得度することであり、誕生・祝磨E葬儀・新築祝など、およそ人生の節目は仏教によって彩られている。人々はすすんで寺院に寄進し、僧に捧げ物をする。善行を重ね徳を積んで、輪廻の巡りのうちに現世および来世の幸福を祈願する。

 学校教育は仏教の儀礼と道徳をその根幹とし、どの校庭にも仏像があり、朝礼で生徒たちは経を唱和する。挨拶のしかた、目上の人への敬譲、父母への愛、一つの幹から出た枝々の茂りのように、それはタイの社会に隅々まで脈流している。

 タイの時間は仏教の時間であり、季節は仏教の季節でもある。キリスト教暦一九九○年の今年は、仏暦二五三O年にあたる。マカブチャー、カオ・パンサー(安居入り)、オーク・パンサー(安居明け)などの仏教の祝日、仏教の儀ョが、一年という時の流れを色づける。

日本の鎌倉梠繧ノあたるスコタイv鑼明期、王朝は仏教を積極的に採り入れ、統。の根幹とした。崇・な南方上座部仏教の教理は、二つの側面を見せながら、農耕民族としての東南アジアの民に受け入れられていく。一つは為政者の統。闥iとして、一つはどんなものをも受容する、純朴で素直な叙ッの心の証として。

為政学をも内包していた仏教は、歴代の王によって国家秩序維持の手段として強力に保護され、中央集権国家との表裏をなしつつ、民衆のなかへ浸透していった。叙ッは、ただ素朴な心のうちにそれを呑みこみ、むしろ仏教への帰依のなかに、草木として茂る自身の心の風景を投影していった。

王朝の統。と民衆の心の無限の豊かさとの二重奏は、現在まで続く東南アジアの一つの原風景を作り出している。限りない矛盾であるがゆえに、それはまたこの地の一つの美しい精神風土をも形作っている。

 現代の世界はむしろすべてが仏教の教理とは背馳する方向へ大きく動いている。欲望の放逸、物理的な集約化、物質の横溢――それらゆえに苦しんでいる我々の姿は、タイの仏教に照らし合わせるとき、逆説的な苦界の景観をなして浮かび上がってくる。足ることを知らない人間の弱さは、飽和へと追いつめられつつある人間の歴史の危機を警鐘する。

 貧しさのなかから分かち合う者の姿、微笑み合う者の親しさと和かさは、ともに生きる人間の本来のあり方を過汲フ方向に照射しつつ、ひたむきな祈りのなかに、希望を繋げていく。

 
タイ人と仏教


 タイ人は生まれながらに仏教の倫理観のなかにいる。

誕生も輪廻の秩序のなかにあり、父母への敬愛も、年寄への尊崇も、仏教の慈愛の精神のうちに培われる。子供たちはごく自然に仏教による礼儀を学ぶ。両手を前に合わせる合掌の挨拶も、目上の人への服従も、耡への思いやりも、すべて仏教規範のうちに一つの空気として身につけていく。

 タイ人は朝托鉢に来る僧侶に食物を捧げる。また、誕生日には早朝から寺へ行って捧げ物をする。これらも、幼少の頃から一つの習慣として受け入れられていくものである。
「徳を積む」ことを社会と人生の価値観として学んでいく。

「ナーム チャイ」(水の心=怦、)とか、「サバーイ チャイ」(心がすっきりする)とか、精神の清らかさやさわやかさを表す言葉が、日常のなかに息づいている。

 学校でも朝礼ではつねに経文を唱え、仏教式の礼儀作法を学ぶ。

 男qは一生に一度は仏門に入るものとされ、一つの成人ョとみなされている。また母親は自分の息子を仏門に入れることを最上の幸福の一つとする。晩年、ミ会的な役割を終えた人々が、宸ノ入り、僧として孤独に静かな人生を終えていくことも、徳とされている。

 どこへ行っても必ずお寺があり、村や町の組織の中核をなしている。村の人々にとって、宸ヘみんなが集まり、村長を中心に僧に相談を乞う政治の中心である。また重要な儀ョ行なう催しの場でもある。また学校は多く寺の敷地内に建てられ、読み書きを習う教育の場でもあった。なによりも精神的な支えであり、宸霖羶瓦紡爾寮験茲・弔泙譴討い襪噺世辰討いぁ」

タイでは国王が仏教徒であり、国王自身が一度は出家する。仏教は王室を守るものであり、タイの国家の精神的基盤である。 タイの人々にとって、仏教はたんなる宗教ではなく、日常生活そのものであり、価値観であり、ミ会のあり方だと言っても過言ではない。
http://www.asiawave.co.jp/AWbukkyo.htm


タイを含む東南アジア、ミャンマー、カンボジア、ラオス、マレーシア、インドネシア諸国では土地が富力の源泉にならなかった。それは人口が少なかったために、土地を基盤として、封建制社会の社会が形成できなかったということである。これらの諸国ではかつて王国を造り、維持するに当たって、支配層が苦労したのは、自己の支配を如何に正当化するかということであった。土地という絶対的生産手段で支配できないとすれば、精神的基盤で人間を支配する方式を採らざるを得ない。その結果として、今の言葉でいうイデオロギーが非常に重要視される社会になった。そのイデオロギー形成に使われたのが宗教だった。宗教を使いながら自らの支配を正当化し、社会秩序をつくっていったのは東南アジアに成立した王国の共通した姿であったように思う。

タイに仏教がはいってきたのはそれ程古いことではない。上座部仏教が最大の勢力を持つ宗教として成立するのはスコタイ朝三代目ラームカムヘーン王(在位・1279年? - 1300年?)の時代、13世紀である。

上座部仏教における頂点はもちろん仏陀、悟りを得て涅槃に入った人である。ところが、この仏陀は誰でも厳しい修行さえ積めば到達できるのだ。


どんな人間にもその機会は平等に与えられているのは、絶対王制を築こうと思っているものにとって、非常にまずい。国王は絶対であり、すべての頂点に立っていなければならないからで、平等思想が基本にあると権力による統治に説得力がなくなってしまう。しかも、仏陀とは世俗を捨て、すべての欲望を断ち切った人を指している。豪勢に暮らしたり、権力をふるったり、他国と戦争したりする人では絶対にない。

こういった矛盾を解決したのが、新たに導入されたバラモン教だ。

バラモン教国であったクメール帝国の歴代王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一した。神がこの地に再臨しているのだから、人々はひれ伏すのみ。王は天上界を支配する神が転身して地上に姿を現したものである。王は人間の姿をした神である。そう宣言することによって王は大衆の尊敬を得て、権力の絶対性を高めていった。

バラモン教義を採用したアユタヤ王朝(1350年-1767年)やトンブリー王朝(1767年-1782年)の国王は、国土を統治する権力者として、また、神の化身として、“ソムデット・プラプッタジャオユーフア”(神でもある国王陛下)と呼ばれていた。バラモン教では、ヴィシュヌ神が地上に現れる時の仮の姿が仏陀ということになっている。何百年にもわたって王様は神様(仏様)という教えが生きている。だからチャクリー朝のプミポン現国王は最高のタンブンを積んだ人という考えが一般にはある。タイの寺院に行くと寺院の中にプミポン国王の写真が必ずある。また、母の通院するシルブリン病院にはポミポン国王と高僧が向かい合った写真が飾ってあり、女中などその写真に手を合わせている。王様イコール神様、仏様の世界だ。

写真はチェンライのカオソーイ(ココナツカレーそば)屋さんに飾ってあった絵である。水の中で苦しむ人々に神鳥ガルーダに乗ったプミポン国王が空から手を差し伸べている。もう一つの絵は同じく苦界の海でもだえ苦しむ罪人と空で罪人の救済を祈るプミポン国王の図である。国王には光背があって、まさしく仏陀をイメージさせる。面白いことに地獄で苦しむ罪人はすべて男性で女性は描かれていない。

タイでは政治的混乱が起こると、王様が出てくる。王様の前で両者がひれ伏して王様の説教を聞いているというテレビ映像を覚えている人も多いだろう。王様が仲良くやれ、とか何とか言うと流血の惨事が起こった政治闘争も落ち着くところに落ち着いてしまう。あれはタイの社会通念、道徳が依然として強いことを証明していると思う。

プミポン国王は最近、ご健康が優れないため国内巡幸をされていないが、10数年前、活発に地方視察をされている頃には、沿道に庶民が詰め掛け、老婆がしわくちゃの20バーツ札を捧げ持って王様のおいでをお待ちしていた。王様は生活にお困りだからタンブンしましょう、ということではなく、タイで一番、徳の高い人にタンブンしてその効果を高いものにしたいからだ。王様が受け取ってくださったら老婆は無上の喜びを感じる。

タンブンはタイの人にとって喜び以外のなにものでもないように思える。お寺にとってこれ以上ありがたいシステムはない。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48189892.html

タイでは物質的基盤なしに権力を維持するために、温情的人間関係に頼る以外になかった。その温情的人間関係の補強材として仏教とバラモン教が利用された。

タイは仏教の国というが、バラモン教の影響を強く受けている。

タイのお寺にいくと仏陀のほかに三つ頭の象だの猿だのヘビだの、あるいは見たこともない怪しげな鳥の像を多く見かける。これらはバラモン教に由来する神像だ。バラモン教は古代ヒンドゥー教でクメールからタイに伝わったといわれる。

バラモン教の特徴は儀式を重んじることであり、儀式を執り行えば神様は人間ののぞみを叶えてやらなければならないとされている。バラモン教の神様にはいろいろあって家庭のことだけ、地域のことをつかさどる、雨を降らしてくれるなど、それぞれ守備範囲が違っている。でも供物を捧げて儀式を執り行えば必ずご利益があるという判りやすい教えはタイ人には受け入れやすかったと思う。従来の仏教はきっちり存続させ、儀式的な要素だけをバラモン教から取り入れた。日本の神仏習合を思わせるような知恵である。

バラモン教の儀式には、神様の世界と人間界を仲介する特殊な人がいて、その頂点には国王がいる。タイ王室の国章にはバラモン教に由来するガルーダという神鳥が使われ、その国章はタイ紙幣の裏表に印刷されている。ガルーダは、ヴィシュヌ神(バラモン教の主神)の乗り物で、鷲の頭部・嘴・翼・爪を持ち、翼は赤く、全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。

タイ国王は、ヴィシュヌ神=仏陀=ラーマ王の生まれ変わりとされているので、ガルーダはタイ王室の守り神となっている。インドネシアでは仏教伝来と共に、国営航空会社「ガルーダ・インドネシア」のエンブレムにも採用されている。大乗仏教に帰依したガルーダは、「天竜八部衆の迦楼羅(かるら)神」として仏法守護神となった。日本の密教では、梵天や大自在天の化身、あるいは、文殊菩醍の化身といわれ、風雨を止めるための修法である伽楼羅法の本尊とされている。さらに、ガルーダは、日本の民間信仰に取り入れられて「カラス天狗」となった。カラス天狗がプミポン国王をお守りしていると思うと妙な気がするが。

話が横道にそれた。タイの権力者は温情主義をうまく作り出すために仏教の慈悲心を、神の世界との中継ぎにバラモン教を持ってきた。バラモン教は神王思想により、王を神に仕立てている。また、仏教とバラモン教を使って、社会の序列は積徳(タンブン)の量と神への近さで決まっていると一般の人たちに思い込ませている。下の人に、上の人は徳を積んだ人だから、すがって生きなさいと教え、上の人には、下の人に慈悲を垂れなさいと教えている。また上の人は神なる国王から眼に見えない威力を付与されている人達であるので、服従しないとバチが当たると教えている。

このように上の人は下に慈悲を垂れ、下の人は上の人に服従することが、保護ー被保護関係を支える道徳、社会通念となって、今日まで受け継がれてきている。

タイの選挙では(徳を積んだ)立候補者は金をバラまく。貰った人は必ずその恩に報いて投票する。金をもらって、その人に投票しないのはハーブ(悪行)になると考えているのだ。配った金と票数は村ごとに1票の狂いもなく一致するという。伝統的文化の重さを感じる話である。

上の人は徳を積んだ人であるから、下の人に慈悲を垂れなさい、下の人は徳がないから徳を積んだ上の人にすがって生きなさいという教えは、社会的不平等を平等化する見事な論理となっている。下の人が上に歯向かうことがないのだから社会的秩序は安定する。貧しければ貧しいほど、前世のタンブンが少なかったせいだとあきらめて、来世を願ってわずかな蓄えをタンブンに差し出し、上の人にすがって暮らす。益々不平等は拡大し、貧困は激化するのだが、そうなればなるほど上の人への依存が強まり社会は安定していく・・・

この論理は何世紀にもわたって造られてきたもので、なかなか崩れない。これがタイの組織原理、いうなれば文化になっている。制度はみなこれで動いているといっても過言ではないだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48157376.html

タイ仏教とバラモン教とのかかわり 


 タイ仏教に深いかかわりを持つバラモン教は、15世紀頃まで栄えた隣国クメール帝国から伝来したと言われている。 当時のクメール帝国は、現カンボジアに相当する大王国で、その文化は護国寺アンコール・ワットに象徴されるように、インド/ヒンドゥー文化の影響を色濃く受けていた。 その帝国の知識人や宗教家たちを、クメール王朝崩壊と同時に引き抜いた時から、タイ仏教のバラモン色が強まったとされている。

 では、なぜ仏教国にバラモン教なのか?

 仏教とは、本来反バラモン思想として生み出されものたものではなかったか?

 これは、たぶん王制維持のための必然として導入されたのだろうと、現在では考えられている。つまり、上座部仏教の教えだけでは、王制を確固たるものにできなかったのだ。

 上座部仏教における頂点はもちろん仏陀、悟りを得て涅槃に入った人である。ところが、この仏陀は誰でも厳しい修行さえ積めば到達できるのだ(できるかはともかく、チャンスはある)。 どんな人間にもその機会は平等に与えられているのは、絶対王制を築こうと思っているものにとって、非常にまずい。

国王は絶対であり、すべての頂点に立っていなければならないからで、平等思想が基本にあると権力による統治に説得力がなくなってしまう。

 しかも、仏陀とは世俗を捨て、すべての欲望を断ち切った人を指している。豪勢に暮らしたり、権力をふるったり、他国と戦争したりする人では絶対にない。

 こういった矛盾の中から導き出されたのが、バラモン教の導入だ。 バラモン教国であったクメール帝国の歴代王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一した。神がこの地に再臨しているのだから、人々はひれ伏すのみ。これをアユタヤー王朝は見習ったのだろう。

 王は天上界を支配する神が転身して地上に姿を現したものである。 王は人間の姿をした神である。 そう宣言することによって王は大衆の尊敬を得て、権力の絶対性を高めていった。

 これは第2次世界大戦集結前までの日本天皇が、現人神と名乗ってその権力と絶対性を維持していたのと同じような発想だろう。

 しかも、よくできた具合にバラモン教では、ヴィシュヌ神が地上に現れる時の仮の姿が仏陀ということになっている(神は合計10の姿を持っている)。

この話の真実は、バラモン信者の信仰の確かさを試すために神が異教の伝導者である仏陀に転生するのだが、支配力強化に使えるものはなんでも使う。両者を合一させるのはかなり無理な話だが、異教と思わず同族と思えば問題ないのかもしれない。

 とにかく、その利用価値は大変に高い。 さらにバラモン教独特の選民思想も、大衆支配にはとても都合がいい。バラモンのカースト制度を用いて生まれついての身分を決めてしまえば国家が統治しやすいからだ。

 下から上への反乱は許されない。 支配者は常に偉く、不可侵である。

 屈従を余儀なくされる大衆には仏教の輪廻転生思想を同時に教え諭す。 現世での不幸や苦悩は前世でのタンブン不足が原因であり、改善のための手段はなく、ただひたすらに来世を夢見て精進に励めと教え込む。 絶対権力を高めるのに、これほどいい材料は他にはない。タイに今もはびこる身分差別は、ここに端を発しているのである。

 こうして仏教国タイに神がもたらされた。

 王室行事にバラモン教的なものが多いのも、その絶対性と神性を維持するためには不可欠。 王室にはバラモン司祭もおり、彼の御託宣によって吉祥日時を決め、行事を執り行う。仏教の最大擁護者であるタイ国王でさえ、バラモンの命に従うのだ。 もっとも、最近は以前ほどおおっぴらにバラモン行事を行わなくなったと言われているが。

 バラモン教はタイ仏教に神秘性を与え、今ではすっかり同化しているようにも思えるが、やはりどこかに無理がある。

 ワット・アルンのように、何教の寺院なのかわかりにくい寺院もあるし、チャクリー王朝初期の寺院は、バラモン教の仏教的こじつけのような寺院が少なくない。しかし、それが複雑なタイ文化を形成しているのだ。 市内のあちこちにあるピーの祠も、バラモン教の影響だ。祠の中にバラモンの神を祭ってあることが多いことから、それがわかる。これは要するに神棚だ。

日本人が仏教を信仰しながらも神社に参ったり、神棚に供え物をしたりするのと同じ感覚だろう。 以前からタイで信仰されていた精霊信仰が、わかりやすい形になったのだ。 こんな神仏習合について深刻に考えるタイ人はあまりいない。 要は御利益さえあればいいのだろう。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism09.html

上座部仏教の功罪


 仏教はタイ国民の生活に深くたしかに根付いている。思想や行動様式の中にも上座部仏教に基づいたものが多数あり、そこからタイ人の性格形成の秘密を探り出すことが可能だ。 たとえばタイ人の典型的な性格 「ヘン・ケー・トゥア(自分のことだけを考える)」 は、上座部仏教が掲げる 「己だけの完成と救済」 に起因しているのではないか。

 大義を欲しない自己中心的な考え方はタイではごく当たり前のことだが、これは宗教的に見て悪いことではない。最終的に解脱できるのは、努力した本人ひとりなのだから。 一向に解消されない貧富の差や身分の差も、宗教的理由によるところが大きい。 もちろんここにはタイ仏教の底流と複雑に絡み合っているバラモン教の選民思想があるのだが、輪廻転生を信じ、現世の不幸は前世での徳が足らなかったためと思っているタイ人は多く、自分の地位の低さ、能力のなさ、度重なる不幸を生まれついての業と考えて、何事においてもすぐに諦めの境地に達してしまう傾向がある。

 徳を多く積んだ人ほど救われる上座部仏教では、人々は平等に救済されることなどない。

仏教はそもそも反バラモン/カーストの立場から発生しており、仏陀は人間の身分の差を認めず平等を説いていたはずだったが、現在のこの状況はいったいどうしたことか。

 また、男性以上に働きながらも社会的には下等とされている女性の地位も、上座部仏教の教儀に端を発している。女性は上座部仏教において不浄の存在とされているからだ。 僧侶となって修行することが認められていない女性は、必然的に解脱に至る道が閉ざされている。


これは戒律を守る以前の問題だ。尼僧になることはできるが、彼女たちは僧侶ではない。バスに乗っても席を譲ってはもらえないし、あまり敬意は払われない。

 タイ上座部仏教における女性の救済は、まず男の子を産み、その子を立派に育てて出家させ、徳を積ませて初めて成就する。タイ人たちが言うところの、「僧侶の法衣の裾にすがって」 はじめて女性は救いを得ることができるのだ。 彼女たちは、自分だけの努力では、涅槃に行くことができない。

世の中は、まったく公平ではない。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism06.html

タイ人と仏教に関する考察


タイの仏教、即ち小乗仏教は極めて為政者にとって都合の良い宗教であると思う。

タイ人の大多数は仏教徒であり、その多くは定期的な寺への参拝と寄進を欠かさず、日常生活においても(少なくとも表向きは)仏教の教えに背かない様に留意しながら暮らしている。こういう風に述べるとタイ人は善男善女の集団であると誤解される向きがあるかも知れぬが、事実はやや異なり彼らのこういった行動は全て自分の利益の為である。即ち、来世でより良い身分で生まれ変わる為に現世で功徳を積もうとしているのである。

小乗仏教においては、死後に極楽浄土へ行くことが出来るのは戒律を守って修行をした僧のみである。僧以外の者は、修行をする僧の手助けをし功徳を積むことによって、死後には極楽浄土へは行けないもののより良い境遇での生まれ変わりが可能となるという訳だ。
http://plaza.rakuten.co.jp/bangkokian2547/diary/200910070000/

現世とか来世とか生まれ変わりとか、全く非科学的なこれらの事象を信じる人がこの現代社会のどこにいるのか?

と私も以前は疑問に思っていたが、考えてみれば何億といるインドのヒンズー教徒はこれらを固く信じているであろうし、インド人よりは遥かに我々日本人と感覚的に近い筈のタイ人も、その多くが何となくであったとしても輪廻転生を信じているのではないかと思われる。

少し前のことになるが、タイ東北部の田舎に蛇と暮らす男の話をニュースで見た。確か、ある日その男の家の前に大蛇が現れ何度追い払おうとしても頑として退こうとしない為、困って寺の僧に相談したところ

「その蛇は前世ではお前の妻だった」

と宣告され、以後彼は家の中でその蛇と暮らしている、という内容であった。馬鹿な男もいたものだ、と私は笑ったが、そのニュースでは「美談」として取り上げられていたからよく覚えている。横で見ている嫁も、下手に論評しようものなら「私が蛇に生まれ変わったら、貴方は私を捨てるのか?」などと言い出しかねない雰囲気であった。

このケースは極端な例で、だからこそニュースになったのだと思うが、最も軽薄な人々が鑑賞していると思われる夜のトレンディー?ドラマでも、生まれ変わったら云々、といったストーリーが散見されるので、田舎の無学な下層の人々だけが輪廻転生を盲信していると言う訳では断じてないと思う。
http://plaza.rakuten.co.jp/bangkokian2547/diary/200910080000/


タイ社会は日本とは比較にならぬ程の格差社会である。


であるにも関わらず、下層階級の人々に余り悲壮感がないのは、1つには温暖な気候と豊かな食料事情により極貧であっても少なくとも衣食住には困らないことに由るのだろうが、2つには輪廻転生を半ば信じていることも大きいと思う。

自分が現世において貧乏なのは前世における功徳が足りなかったからだと諦めがつくからである。それどころか、「蛇だとか動物に生まれ変わらなくて良かった」と思っているかも知れない。だからこそ、上流階級の金持ちは金持ちであることをこれ見よがしに見せびらかし、下層階級の同胞を思い切り見下すのである。金持ちに生まれたのは前世で功徳を積んだ証拠なのであるから当然である。

そして、そのヒエラルキーの頂上は仏教の守護者である国王である。国王をタイ国民が尊敬して止まないのは、現国王のタイ国への貢献によるところも大きいが、何よりも国王が前世で最高の功徳を積んだからである。

輪廻転生思想を伴うタイ仏教の思想は、学校教育やテレビ等のマスコミを通じてタイ国民に幅広く深く浸透しタイ社会の安定に非常に寄与している。一部の人々が富を独占しても、他の国の様な激しいデモや暴動にはなりにくいのである。

「タイは王国だから社会が安定している」

とはよく聞く謂れであるが、

「タイ国民は輪廻転生思想を持つ小乗仏教の信者が多数を占め、国王を頂点とする超階級社会にも宗教的合理性と納得性があるから安定している」

というのが私なりの解釈である。本当に良く出来たシステムであると思う。

そして、今日も国民の大多数を占める下層階級の人々はなけなしの金で寺や僧への寄進をし、来世での良い生まれ変わりを目指すとともに、実は前世では非常な功徳を積んでいたことが判明したことによる一発逆転=宝くじで明日に夢を繋ぐのである。当然その後は何も努力をせず最低限働いては昼間からゴロゴロする。

日本人である私などはイライラして「神は自ら助く者を助く」って言葉を知っているか?と彼らに説教してやりたいのであるが、嫁に言わせるとああいう人たちには何を言っても無駄であるとの由。大方、

「貧乏に生まれたからには頑張ってもタカが知れている、現世は諦めて来世に期待する」

という様な回答が返ってくるのであろう。誠にもって嘆かわしいが、その一方で私も嫁もこの安定した格差社会から恩恵を受けていることも間違いないから、悩みは深いのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/bangkokian2547/diary/200910090000/

タンブン


修行中の僧侶だけが対象とされる上座部仏教。しかし、タイでは一般大衆にも救済の道が開かれている。 

その道とは、「タンブン(徳を積む)」 こと。

寺院や僧侶に喜捨寄進して善行を積む、いわば他力本願に近いものだ。 現世で身に降りかかる出来事のすべては前世での徳の高低によって決定されていると考えるのが、このタンブン思想の原点だ。

 タイの仏教徒は輪廻転生を深く信じている。徳は積めば積むほど高くなり、それは次の転生時まで持ち越すことができる。幸福は前世で積んだ徳が高かったことを示し、不幸は努力の至らなさを表している。 わかりやすく書くと、タンブンは輪廻の中における善行の長期預金だ。運命の善し悪しは先天的なものだが、それも結局は個人の前世での努力量によって決まる。となれば、現世ではなにをなすべきか?

 一心に、来世に向けて徳を積む作業に没頭するのが正しい。

 この現世での生活は苦しいかもしれないが、苦難の道を乗り切れば、来世での安穏とした日々が待っている。長い輪廻の輪の中には、いい一生もあれば、ツキのない一生もあるというわけだ。

 具体的にはどうするべきか?

 もちろん僧侶となって修行に励むのが人生における最高の善行だが、実生活ではそうもいかない。 こうしてタイの人々は、日夜細かいタンブンに励むのだ。

 また、転生は人間界だけに限ったものではない。タンブンを積む作業を怠ると徳は確実に目減りしていくし、悪行を働くと逆の作用が働いて、下等動物への転生が待っている。罪を犯したものの魂は犬などの獣へと転生され、向上どころではない生活が待っている。

 早朝、僧侶たちはそれぞれがこもっている寺を出て、托鉢(ピンターバーツ)にまわる。

「坊主は乞食(こつじき)であるべし」 という仏陀の教えに従っているのだ。 人の残したものを食べ、人の捨てた布切れを身にまとい、欲望雑念を捨てて解脱する。人々は施しを与え、それが僧侶の修行の糧となることによって徳を積む。

 しかし、彼らの鉢(バーツ)の中には、とても残飯とは思えないほど立派な食品ばかりが詰まっている。施しを希望する人はあとを絶たないし、早朝の市場に行くと 

「喜捨セット(米・おかず・飲み物が小さなビニール袋に入っている)」 

まで売られているのだ。 どんなにすばらしいものを与えられても、僧侶たちは絶対に感謝しない。

それはあくまでも残飯であり、彼らに向かって捨てられたものだからだ。

 タンブンとはすなわち喜捨(喜んで捨てる)すること。人々は僧侶に捨てることによって徳を積み、喜びを得る。感謝するのは施された方ではなく、捨てた方なのだ。

 タイにはひと月に4回の仏教日ワン・プラがある(新月と満月とその中間日)。この日は絶好のタンブン日となり、各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。ここでも、喜ぶのは徳を積むことができた一般の人々なのだ。 また、女性の場合は息子を出家させることが最高のタンブンとなり、家族の徳もまた高まる。

 タイでは20歳以下の男子が出家することをネーンと呼び、成人して正式に僧侶となることはプラと呼ばれている。ネーンは母親に、プラは父親に功徳をもたらし、よって家族全員がタンブンできるのだ。 こうして徳を積めば積むほど来世での生活が保障され、その将来が安定していく。


 しかし、ここにひとつの問題が生まれる。寺院や僧侶に施しを与える余裕のない人々は、どうすればよいのだろう?

  ここから 「施す人は偉い人」 というタイ人の基本思想が芽生えるてくる。 裕福な階級の人々は財力を生かしてどんどん徳を積むことができるが、経済力のない人は積める徳の量も限られてくる。回数、質、量がモノを言うタンブンの世界だ。成り上がりのチャンスは少ない。

 はっきり言うと、タイでは、「タンブンの金額」 が非常に重要視されている(どこの宗教でも同じか)。しかも、喜捨することによって浄化されるので、金の出所は問われない。

また、タンブンはサンガに対して行えばよく、どの僧侶、どの寺院であってもかまわない。 とにかく多くを与えたものが勝ちなのだ。

 その格差は年を追うごとに開くばかり。さらに最近では子供を出家させるにも莫大な金が必要になっている。僧侶になるためには多額の準備金が必要で、手軽なように思える出家でさえも、実は楽ではない。

 不平等の声はあちこちで聞くが、それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。

 ちなみにタイにおける最高のタンブンとは、寺院を建立すること。高位階級への転生は、庶民にとってかなり遠い道でもある。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism05.html

タイの上座部仏教では修行中の僧侶だけが対象とされる。 しかし、タイでは一般大衆にも救済の道が開かれている。その道とは、「タンブン(徳を積む)」 こと。寺院や僧侶に喜捨寄進して善行を積む、いわば他力本願に近いものだ。


仏教の僧は、この世の無常を説きながら、タンブンしなされというばかりである。この現世には幸せはないのだと。だからこそ、来世で幸せになれるよう、現世でしげしげとタンブンに励むタイ娘も多い。


本来は帰依して仏教修行に励むことが最も徳を得る方法なのだろうが、一般人、特に女性の場合は、 “タンブン(托鉢)”という方法で徳を得ようとする。

輪廻転生を信じるお国柄、お金がないのは前世で悪いことをしたからと素直に信じタンブンに励んだり、タンブンの量によって、来世への幸せも得ようと金を出してはせっせとタンブンに励む人が多い。

従って、タンブンの量が多い金持ち=徳が多いという図式になり、社会的に尊敬されたりする。


反対に、タイ人は金がないことを最も恥とする。人が経済的に困っていると、あの人は徳がないからだと見下す傾向がある。

貧乏は、前世で悪いことをした=ゆえに罪が深い=徳がないことと考え、日本人が美徳として考える“清貧”などというのは、タイではバカ者、愚か者、能なし、罪深き人の代名詞なのだ。

特に娘に外国人の恋人ができたと知るや、親族は勿論のこと、親戚一同、どこからか借金の申し込みが絶えないといった被害に遭うことも少なくはない。借金を断ると怒り出す奴も中にはいる。徳の証である金がある人物が、どうしてそれっぽっちの金を貸してくれないか?・・・こちらは困っているのだぞと脅迫まがいの借金申し込みを受けたりする。そういう奴に限って、この娘が子供の頃には、こちらはいろいろ実家の両親に金を貸したり、世話をしてやったものだという話を聞かせる。うんざりである。


夜の商売に従事する人間だけでなくタイ人全般に言えることであるが、たとえ金持ちでも、自前で払うことができても、タイ人というのは他人様の金で飯を食い、酒を食らい、遊ぶことに全くためらいがないのが普通である。その図々しさには多々辟易するものがある。

タイ人というのは外国人からのタンブン(お布施とでも訳すか?)とでも思っているのか、他人に金を使わせることに遠慮はない。金を貰う羞恥も断るプライドもない。

タイ人と金銭のトラブルが発生するのもムリのないことである。金に対する考え方が、まるっきりちがうからだ。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism05.html

タイにちょっと詳しい人なら「タンブン」という言葉を耳にしたことがあるだろう。タンは徳、ブンは積むの意味で、徳を積むの意味になる。具体的には、お寺に寄進したり、托鉢する僧侶に施しを与えり、恵まれないものを援助することだ。


タイの仏教はスリランカ系の上座部仏教(小乗仏教)で本来は出家し、修行を重ねた坊さんしか救われないことになっている。しかし、一般の人でも救済され、来世でより良い生涯を送ることができる方法がある。それがタンブンだ。

現世での幸福は前世でのタンブンが多かったせいであり、不幸は前世でタンブンが少なかったことの表れだとタイ人は考える。現世でタンブンを怠り、悪行を行うと来世は不幸になるばかりか転生先は獣へ落とされる。タンブンは人間として生きるための当然の行いだ。

タンブンを重ねると、それは次の転生時まで持ち越すことができる。タンブンは輪廻の中における善行の長期預金だ。

タンブンをすればするほど来世での生活が保障され、その将来が安定していく。

タイにはひと月に4回の仏教日ワン・プラがある(新月と満月とその中間日)。この日は絶好のタンブン日となり、各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。線香、歯ブラシセット、石鹸、ローソク、花、布地、 お金等僧侶が必要 とする日用品等が入っているタムサンカターンという ポリバケツのセットがスーパーなどで売られていてこれがタンブンされる。トーパーパという竹のクシにお札を挟んだお飾り(丁度お札の花が咲いているように見える)もタンブンされる。

4月のワン・プラに女中のブアがトーパーパを用意していた。みると1000バーツ札の串が何本も刺さっている。全部で3,4万バーツはあるだろう。兄弟始め、村の人からのタンブンを集めたものだそうだ。お寺にタンブンをしに行くので数時間家を空けてもいいか、と聞く。公休ゼロが続いていたのでもちろん承知したが、タンブンが嬉しくてたまらないという様子でいそいそと出かけて行った。

そのあと、5月のワン・プラにもトーパーパを用意していた。ブアに頼まれて近くのお寺に車で行くことになった。お寺では本堂の正面に座ったお坊さんにトーパーパを差し出して三拝九拝する。トーパーパにはブア手書きの手紙がついている。ママさんの病気平癒と我々兄弟の満願成就を祈念して下さいと書いてあるそうだ。別に自分がタンブンしたわけでもないので少し申し訳ない気分になる。

帰りの車中でブアにいくらタンブンしたのかと聞いたら自分のポケットからは2千バーツだけと言う。エエーッ、2千も?それじゃ4月のトーパーパは、と聞くと5千バーツタンブンしたとのこと。

ソンクランの時にも近くのお寺に連れて行かれ、本堂や仏塔で拝むたびに100バーツをタンブンしていた。そのお寺で占いが良く当ると評判のお坊さんの庵に行った。ママさんの病気はどうしたら治るでしょう、とブアが100バーツ(自分も100バーツ)タンブンして尋ねてくれた。体中に刺青をしたアヤしい坊さんのご託宣は「よくゴハンを食べるように」といったものだったが。

ブアの月給は7千バーツだから、給料の大部分をタンブンしていることになる。タンブンすることが目的で働いているようなものだ。大体、キリスト教でも収入の10分の1を寄進すれば天国行きを保証してくれると聞いたことがある。これだと貧者にも救いがある。収入の大部分をタンブンしているブアのようなタイの善男善女に幸せな来世が約束されているのだろうか。

はっきり言うと、タイでは、「タンブンの金額」が非常に重要視されている。裕福な階級の人々は財力を生かしてどんどん徳を積むことができるが、経済力のない人は積める徳の量も限られてくる。回数、質、量がモノを言うのがタンブンの世界だ。残念ながら貧乏な人にはチャンスは少ない。ギブ(タンブン)・アンド・テイク(来世)のドライな勘定で、貧者の一灯といったウェットな感情が入る余地はない。 その格差は年を追うごとに開くばかり。子供が出家することは最高のタンブンとなるが子供を出家させるにも莫大な準備金が必要になっていて、手軽なように思える出家でさえも、実は楽ではない。

不平等の声はあちこちで聞くが、それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48005241.html

無功徳

無功徳(むくどく)と読む。禅をかじった人は、達磨大師と梁の武帝の間で交わされた有名な問答をご存知だろう。

達磨大師は南インドの香至(こうし)国の第三王子として誕生した。釈迦牟尼佛から数えて第二十七代目の般若多羅尊者の弟子となり、その法燈(佛法がこの世の闇を照らす燈火に喩えて言う語)を継いだ。よって 第二十八代目の祖師であり、また中国に禅を伝えた鼻祖として仰がれている。当時の中国は 北は「北魏」 南は「梁」の国に二分されていた。梁の皇帝は「仏心天使」と言われるほど仏教を熱烈に崇拝していた武帝であった。

達磨大師が、インドから中国の梁の国に来たのが 普通元年(520)九月二十一日、と「景徳傳灯録」にある。広州知事 蕭昂(しゅくこう)(武帝の従兄)、がインドから偉い僧侶が我が国に着(つい)たことを、武帝に奏聞した。この奏聞により武帝自ら車を連ねて大師を梁の都金陵の宮殿に迎え入れた。達磨大師が金陵の宮殿に迎えられると、武帝は大師に

「朕、即位以来、寺を造り、経を写し、僧を度すること、勝紀すべからず。何の功徳かあらん〜(自分は、皇帝に即位して以来、多くの寺を建立し,経を書き写し、僧侶を養成し、わが民のために多くの事をなしてきた。その数は計り知れないが、どのような、功徳があるであろうか)」

武帝はこんなに仏法のために尽くしていているのだから、大師から、感謝され、きっと来世は極楽にいけるであろう、といった言葉を期待していたのであろう。だが大師の答えはまことに素っ気ないものであった。大師曰く

「無功徳(むくどく)」(功徳などない)

武帝おどろき、

「何をもってか功徳なきや」 (どうして、功徳がないのか)

大師曰く

「これ、人天の小果にして、有漏の因なり。影の形に随うがごとく、有りと雖も、実にあらず」 
(それはみな 迷いの世界の中の小さな業績なり。迷いの原因を作っておるにすぎない。――影が人に付き纏う様なもので、譬え善意であるにしても、欲望が付き纏っていては、真実ではない ――)


善いことをすると「功徳」と いう お返しを人は心の奥に期待する。これは迷いのもとをこしらえておるようなものだ。お寺を建立したり、僧に供養したり、人民のために 療養所を作ったりするということは,善いことで悪いことではない。しかし、雨露(あまもり)がして部屋に水が漏れると、悩まなければならない様に、功徳を求めてする行為は煩悩のもとである。

「あれもしてやった!」「これもしてやった!」と思うようでは、本当に善い事をしたとは、釈迦牟尼佛は教えてない。むしろ、そうする事によって「自我慾」を高めることになり、功徳につき纏う善意は善意であっても「善意にあらず」・「真実にあらず」と。  

佛天子とまで言われた皇帝であり、また人格者で自身は悪衣悪食で一生を過ごし、居住するところも質素な建物だったと謂う。しかし、真の佛法というものをわかっていない、と大師は説くのである。

タイでタンブンを見るたびに達磨大師の「無功徳」を思い出す。タンブンはまさに見返り(現世も来世も)を期待して行なう行為である。タンブンはタイの日常生活、タイ人の精神生活に溶け込んでいる。タンブンはタイの文化を形作っている。 風邪を引くとタンブンしないせいだと500バーツほどタンブンして、全快を祈る。田舎だとラーメン一杯20バーツで食べられる。日本のラーメン一杯700円で換算すれば500バーツは一万数千円の感覚となる。

お寺の池には魚や亀がうようよ泳いでいる1メートル近い鯰もいる。池のほとりでは小さな魚や亀を売っている。池に放流してタンブンするためだ。市場でも20センチほどの田鰻が売られている。佃煮用ではなく、年の数だけお寺の池や川にタンブンするためだ。高齢者だと鰻の数を数えるだけでも大変だ。お寺には先を争ってお金や物品を寄進する。財力のある人はお寺そのものを建立して寄進する。

そんなタイ人のタンブンは達磨大師から見れば「無功徳」でなんの功徳もないということになる。しかし、タンブンのあと、晴れ晴れとした顔をしたタイの人々を見ると、対価を求めない喜びの境地、つまり「功徳」の世界に至っているのではないかという気もする。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48055508.html

タンブン文化


タンブンは来世への善行預金と書いた。お寺への金銭、物品を寄進、鳥、魚、亀、タニシの放流、乞食への喜捨、山岳民族子弟の奨学金、棄て犬猫の世話などタンブンは多岐にわたる。

今の生活は苦しくともタンブンにより徳が溜まり、来世は白人や日本人に生まれ変わって、豊かな生活を送ることができる、と信じているからタンブンに励むのである。そして今、この世で経済的に苦しい、健康に不安がある、受験に失敗した、失業した、といった不幸はすべて前世でタンブンを積まなかったせいだと考える。逆に現世での成功者や恵まれた人、つまり、政治家、実業家、高級官僚、それから豊かな日本人は前世でタンブンを充分に積んだ人、徳の高い人ということになる。

だから権力者が横暴に振舞っても、

「あの人たちは徳が高いのだから仕方がない」

と言う考えになりがちだ。ここでは権力者に対して持たざるものが団結して立ち上がり、自らの権利を主張する、という社会主義的な政治運動は起こりにくい。タイの人間関係は、権力者に対立するのではなく、前世で高い徳を積んだ人の庇護を求める、という保護ー被保護の人間関係になる、と社会学者は説く。

自分は社会学者でも歴史学者でもない。これまで単なる旅行者として何度かタイを訪れているに過ぎない。しかし、ロングステイをしているといやおうなしにタイの文化に向き合う。女中との関係や交通ルール、市場での売買、食事作法など日常生活の小さなことにでも、これがタイなのかなーと、考え方の相違を感じることが多々あるということだ。

ここで、富山国際大学学長の田中忠治先生の著作を参考にしながら、タイ文化の基本を整理してみたいと思う。(ご興味のある方は先生の「タイ入門」、「 タイ歴史と文化、保護ー被保護関係と倫理」などをお読み下さい)

さて、タイ社会はすべて保護ー被保護の上と下に二分されている。金があり権力を握る人が保護者になり、金や権力のない人は被保護者になるという人間関係であらゆる制度が動かされている。夫婦関係以外の人間関係はすべて保護ー被保護関係になっているそうだ。それは一対一の人間関係で、日本の親分ー子分の人間関係に似ているが違う。権力者や富裕者の周りに人が集まるのは日本と同じだが、タイではこれが一対一に結びついているのが特徴で、被保護者同士が横につながりを持つことは一切ない。

一人一人が権力者に個別、直接に繋がる。もう一つの特徴は、功利的恩の授受関係にある。日本の親分子分の関係においては、一度受けた恩は決して忘れないということになるが、タイでは親分が失脚すると直ちに逃げ出し、次の親分を探すという冷たい関係である。お互い利益のある間だけの関係だ。タイ人には日本の忠臣蔵の話はどうしても理解できないという。利益を分け与えてくれなくなった、それに死んでしまった人(主君)のために命を張るなどということは考えられないのだ。

タイ人の留学生は日本にいるうちは、「先生。先生、」と慕って、先生を喜ばしてくれるが帰国すれば手紙一本も来ないのが普通だ。また、ある駐在員夫婦は、女中さんが結婚するに当たって多額の金品を与えた。しかしあれだけしてやったのに何という恩知らずと、ろくすっぽ挨拶にも来ない女中に失望していた。要するに「恩」の考え方が根本的に違っているようなのだ。

このような人間関係は、「サクディー・ナー制社会」という15世紀から20世紀まで4,5世紀続いた制度の下で生まれている。この制度では支配者と被支配者、王侯貴族と平民というように身分が別れていた、この王侯貴族と平民が保護と被保護の関係だったわけだ。タイでは人間の数に比べて土地が潤沢にあったので、土地を媒介にした社会秩序ができなかった。そこで人間を分配して社会秩序を作っていた。土地ではなく、人を一杯持っている人が偉い。

社会的序列が上の人ほど、国王から沢山の人間を分配され、人間の数によって位階を定めた。支配下の人間の数によって位階を定めたのであるが、それはまた、労働力即兵力の分配でもあった。タイの戦争は領地の奪い合いではなく、人力の奪い合いであり、歴史的にはかなり頻発している。

物質的基盤なしに、配分された人間をコントロールし、権力を維持するにはどうするか。それは温情的人間関係による以外になかったように思われる。その温情的人間関係を補強するために利用されたのが宗教であり、その具体的行動の一つとしてタンブンが登場する。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48090428.html


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163 名前:名無しのタイちゃん 投稿日:2005/12/01(木) 12:54:04

タイ人って身近になれば身近になるほど『ありがとう』って言わないよな。
あと日本人の男、紹介しろ紹介しろとうるさい女(田舎)
あれを買え、これが欲しいとのたまう奴
いろいろ買ってやったのに自分の家の鶏一匹すら差し出そうとしないケチなイサン人

無償の助け合いが全然無いタイ


167 名前:163 投稿日:2005/12/01(木) 21:06:46

バイタじゃないけど小卒、中卒がゴロゴロしている田舎の話だ。
タイの田舎は昔の日本よりもネチネチの付き合いがある。
農耕民族+無教養、社会主義的思想が根底にある。

金はあるものから貰う物。物々交換なんてのも少ないし
とにかく金、金、金。日本人から見れば本当にカスみたいな額でも
何でもかんでも金が絡むと嫌になるよ。

村社会、相互扶助があってもいいだろうにもにもなし。親近者でなければとことん冷たい。
金が無ければ何も出来ない。助けない。病院へ連れて行こうともしない。

329 :オー様と名無し:2007/05/20(日) 23:33:09

仕方がなくお金を選ぶけど本当はそうじゃないと。
女がそれぞれのランクの男について解説してくれたが。

お金いっぱいくれる人は仕方がなく言うことを聞き来世のことをもう考えるそうだ。
その人がお金くれるのだから仕方がないその人の願いを叶えてやるんだって。

自分の体とお金は引き替えそのお金で来世こそだってさ。
この子も救ってあげられなかった。


211 :オー様と名無し:2009/01/01(木) 11:18:24 ID:kaY4rOm.0

タイで節約するのは、かなり惨めだけどな。
日本と違って、自分や他人のステータスをかなり気にしながら生活している
見栄っ張り社会だからな、タイは。


214 :オー様と名無し:2009/01/01(木) 11:57:24 ID:rhwTzBw20

他人を支援して自分の徳を積むからじゃない?
家計はめちゃくちゃだよね。


215 :オー様と名無し:2009/01/01(木) 14:05:08 ID:4TQR9cfA0

金で徳が積めるってのはなぁ・・・。


809 :オー様と名無し:2009/07/18(土) 12:39:24 ID:RIrQ0K8s0

タイでは、一般的に金をくれる人がいい人だ。
タイでは惚れられるかどうかが運命の分かれ道。

惚れられていない場合には、金の切れ目が縁の切れ目だな。
http://jbbs.livedoor.jp/travel/3341/storage/1099834899.html
http://jbbs.livedoor.jp/travel/3341/storage/1178959961.html
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/2009/08/blog-post_1860.html


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

83. 中川隆[-7662] koaQ7Jey 2017年5月12日 20:22:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

不可触民(ダリット)の世界 _ 釈迦が見た地獄とは何だったのか


レイプ大国インドの実態 2013年3月1日
顔に硫酸、素手で腸を出す……信仰とカーストが生んだ獣たち

ITを中心に高度成長の真っ只中にあるインド。しかし……。

 インド政府の統計では、性的暴行が20分に一件。

 2月20日、インドのメディアは、インド西部マハラシュトラ州で、6歳と 9歳、11歳の姉妹 3人が性的暴行を受けた後に殺され、遺体が井戸に捨てられる事件が起きたと伝えた。姉妹は14日に行方不明になり、16日に通学かばんや靴と共に遺体が発見された……。 

 しかし、インドではこの事件以前から残忍な強姦事件が相次いで起こっている。
1月には 32歳の子供連れの女性が、集団レイプされたうえに殺害。
遺体は木につるされた状態で見つかった。

また、32歳の男が顔見知りの女児を拉致。レイプ後に殺害……など。

 そして、インドでレイプ事件が大きく取り上げるきっかけとなった事件は、昨年12月に起きていた。

■インドを揺るがす社会問題の発端となったレイプ事件  凶悪犯罪と無関心を装う周囲

 昨年12月16日夜、首都ニューデリー。当時23歳の女子学生は、28歳の恋人の男性と映画鑑賞後に帰宅しようとしていた。帰宅時間が予定より遅くなり、三輪タクシーもつかまらなかった。そこへ、未成年の容疑者が彼らを私営のバスに乗るように誘い込んだ。多少のためらいはあったものの、私営の乗り合いバスに乗車。あとで分かったことだったが、実は過去に事件を数件起こしたこともあるという、無認可のバスだった。

 乗車後、運転手の男が猥褻な言葉を投げかけ、同乗の仲間もからかいながら言いがかりをつけてきた。

 恋人の男性はバスを止めるように要求した。が、すでにカギはロックされていた。男らは金属の棒で男性を殴り、女性の衣服を刃物で裂いて集団でレイプし始める。男性は暴行を阻止しようとしたが、金属の棒でメッタ打ちにされた。

 男らは、代わる代わる暴行しただけでなく、金属の棒で女性を殴り、局部に鉄の棒を突き刺して腸を引っ掻き回し、なんと素手で腸を引きずり出すという蛮行にまで及んだのだ。

 男らは、2人の身元がわからないように、持ち物、携帯電話を奪い、服も全部剥がした。そして、全裸の2人をバスの外に放り投げたうえ、証拠隠滅のため、バスで轢き殺そうとしたのだった。そして、男性は自ら重傷を追いながらも、女性をバスの下からひきずり出し救った。

 男性は全裸で血まみれの状態で何度も周囲に助けを求めたが、車やバイクは何台も通り過ぎていった。人々も通り過ぎていった。誰もが見て見ぬ振りをしたのだった。数十人の人が集まって話をしていたが、好奇の目で見るぐらいで誰も助けようとはしてくれない。

「服が欲しい。誰か救急車を!」……と、叫んだが、誰も振り向かなかった。

 ようやく来た警察に悲痛な訴えをしたが、無視されるだけ。結局、救急車は来ることなく、パトカーで病院に運ばれるまで2時間以上もかかったのだった。

 激しい暴行を受けた女性は、病院でやっとシーツの切れ端が与えられただけだった。女性は頭部や内蔵に損傷を受けていたが意識はあった。

 被害者の女性は大学の成績もトップクラスの優秀な学生であった。日夜勉学に励み、将来は収入を得て親孝行するのが夢だったという。彼女は入院中、母親に何度も「ごめんなさい」と謝り、「生きていたい」とも話していたという。彼女はジェスチャーで、「私は天に向かっている」と家族に伝えた。しかしこれが最期の言葉となったのだった。

 女性は繰り返し強姦された上に、鉄の棒で性的暴行を受け、腸管を損傷していた。臓器移植を受けるためにインドから医療環境の整ったシンガポールに搬送されたが、29日に息を引き取った。

 男性自身も骨折などの重傷で、恋人を救えなかったことによる心の傷に今も苦しんでいる。被害者の友人の証言によれば、2人は2月に結婚式を挙げる予定であったという。


インド社会が抱える闇 カースト制度、男尊女卑がもたらした恐るべき因習

 インドでは今、急激に凶悪なレイプ犯罪が問題となっている。
しかし、これは過去から黙殺されていたものが明るみに出たに過ぎない。

 実は、インドでのレイプ犯罪は日常茶飯事。

夜中に複数の男に家に侵入され、

抵抗したら硫酸をかけられ顔を破壊された女性。

レイプ被害を警察に訴えても相手にされず、挙句の果てに犯人との婚姻を勧められて自殺した少女など。


しかも、加害者の男はお咎めなしで釈放される……。


これには、宗教的な思想が少なからず影響しているはずだ。

 インドでは、国民の約7割がヒンズー教である。ヒンズー教にはカースト制度という世界的にも有名な身分差別がある。大きく分けて以下の4階級からなっている。


1. バラモン(司祭)
2. クシャトリア(王族・武士)
3. ヴァイシャ(平民)
4. シュードラ(奴隷)

 そのほかに、カーストに属すこともできない人々がおり、その人々は「アチュート」、「不可触賎民(アンタッチャブル)」といわれている。この身分の人は、触れたり見たりしたら汚れる人々とされ、人間扱いされない。彼ら自身は、自分たちのことを「ダリット」と呼んでいる。

「インド独立の父」と讃えられるマハトマ・ガンディーは、ヴァイシャ(平民)出身。
ヒンズー教徒の彼は、最下層のダリットには同情的であったが、カースト制度自体をなくそうとはしなかった。なぜなら、カースト制度は、ヒンズー教の根底となる制度。ヒンズー教では、輪廻転生の概念があり、今の人生を一生懸命頑張れば来世で上の階層に行けるという教えがあるのだ。
なので、カースト制度をなくすことは、ヒンズー教の信仰そのものを否定することになってしまうのだ。

 昨年11月には、小さな村に住む最下層のダリットの16歳の少女が 3時間近くにわたり 7人の男にレイプされた。男たちの1人がレイプの様子を携帯で撮影。その映像を村中に流され、それを見た被害者の父親は絶望し殺虫剤を飲んで自殺した。

 また、別の村の 16歳のダリットの少女が、昼食を取ろうと畑から自宅に向かっていたところ、2人の男たちに別の家屋に連れ込まれ、レイプされた。叫び声を聞いた父親が現場に駆けつけたときには、男たちの姿はなかった。少女はその後、灯油をかぶり焼身自殺した。

 そのほかにも、ダリットの女性はレイプされたうえに、手足を切断されたり、火あぶりにされたり、人糞を食べさせられることを余儀なくされたり、悲惨な事件が後を絶たない。低カーストやダリットの女性に対するレイプは上位カースト男性の力を示すものであり、彼女らは常にレイプの危険にさらされているのだ。

 しかし、このカースト制度がもたらした影響だけが、レイプ犯罪を誘発しているわけではない。昨年12月にバス車内で起きた集団レイプ事件の被害者女性は中流階級のカーストだったといわれている。

 インドには、カースト制度がもたらすレイプ事件誘発以外に、強烈な男尊女卑が残っているのだ。

 未亡人殉死の恐るべき因習「サティ」。夫が死んで火葬されるとき、妻も火に身を投げて自殺することを強要させるというもの。これは近年まで続いてきた。

 さらに、女性が結婚する時に持参金を持ってくる「ダウリー」という制度。法的には禁止されているものの、まだまだ健在である。嫁から持参金を搾り取るために、虐待したり、充分でないと火をつけて焼き殺したりする場合もある。ダウリー殺人と言われる。

 こうした女性に対する暴力はインドで繰り返され、犠牲になる女性たちがどんなに多いことか。女性が危害を加えられたところで警察が動くこともなければ、裁かれることもない。女性に対して罪を犯しても罰せられないことがまかり通っているインド社会では、「女性に対していくらでも酷い虐待をしてもいい」という認識に繋がっている。


カーストが生んだインドの進歩

 ちなみに、カーストは親から子へ代々継承されるので、その家に生まれたら生涯カーストの階層を変えることはできない。ほかのカーストのとの婚姻は不可能。それぞれのカーストによって就ける職業にも制限があり、カーストの最下層は死体処理や糞尿処理など人の嫌がる仕事しか与えられないのが現状だ。唯一そこから逃げ出す方法が、新しい職業であるIT産業。インドでIT産業が急速に成長している理由には、実はカースト制度が深く関係しているのだ。ITと宗教とカースト制度。この3つが、今後のインドの行く末を左右していくのだろう。
http://news.livedoor.com/article/detail/7458790/  


強姦事件の被告、「女は黙ってレイプされろ」 インド 2015.03.04


ニューデリー(CNN) インドで女性を集団強姦(ごうかん)して死亡させた罪で死刑判決を言い渡された男が英BBCテレビのインタビューに対し、

「(被害者の女性は)黙ってレイプされればいいんだ」

と言い放った。ニューデリー警察は3日、混乱を引き起こす恐れがあるとして、裁判所がこのインタビューの公表を禁じたことを明らかにした。

被害者の女性(当時23)は2012年にバスの中で男5人に暴行されて重傷を負い、シンガポールの病院で2週間後に死亡した。

この事件で、バスの運転手だったムケシュ・シン被告を含む5人が集団強姦罪に問われて死刑を言い渡され、4人は判決を不服として控訴している。

BBCはドキュメンタリー番組の収録でシン被告にインタビューした。この中で同被告は

「まともな若い女は夜9時にうろついたりはしない」

「男に比べて女は強姦の原因になりやすい。男と女は平等ではない」

と主張。

「女がすべきは家での家事だ。夜間にディスコやバーをうろついて間違った事をしたり間違った服装をすることではない」

とまくし立て、自分たちには「教訓を教える権利がある」と言い放った。


女性は鉄の棒を使って暴行され、腹部や性器、腸に重傷を負って一部の臓器を摘出しなければならなかった。しかしBBCのディレクターからその話を聞かされても、シン被告は後悔した様子を見せず、

「レイプされている間は抵抗すべきじゃなかった」

「そうすれば『やり終わった』あとで降ろしてやったのに」

と吐き捨てた。


さらに、強姦の代償として死刑を言い渡せば、女性を一層危険にさらすことになるとも主張。

「今度レイプした奴らは、俺たちのように女を放置せず、女を殺すだろう」

と話した。


刑務官によれば、このインタビューは2013年に収録された。死刑判決を言い渡される前か後かははっきりしない。一緒に犯行に加わったシン被告の兄弟も強姦罪と殺人罪で起訴されたが、公判が終わる前の同年3月に、デリーの拘置所で首をつっているのが見つかった。

事件をきっかけとしてインドの女性に対する処遇は国際的な脚光を浴び、国内外で抗議運動が広がった。

しかしシン被告の弁護士は、女性に対して被告と同じような認識を示す。

「もし私の娘や姉妹が婚前行為に及んで自分を恥ずかしめるようなことをしたら、納屋に連れて行って家族全員の前でガソリンをかけ、火を付ける」


BBCは、やはり強姦罪で有罪判決を受けた別の男にもインタビューした。

この男は薄笑いを浮かべながら5歳の少女を強姦した話を語って聞かせたという。

小さな子どもになぜそんなことができるのかと尋ねられると、

「あいつは物乞いだった。命に何の価値もない」


インタビューを収録したBBCのドキュメンタリーは、「国際女性デー」の8日に放送される。
http://www.cnn.co.jp/world/35061290.html


ヒンドゥー教国のネパールでは、今生(こんじょう)の不幸は、前世の因果だから、いま苦しんでいる人は前世の業を落としている最中であり、苦しませておいてやるのが良い、と本気で思っている人が多いようである。

タイでも、「前世の因果」思想。ネパールよりもっと自己責任論に近いかもしれない。ある程度恵まれている人々は、

「自分は前世でそんなに悪いことをせず、あんな真っ黒の下層民に生まれなくて良かった」

と素直に胸をなでおろして終わり、という感じらしい。

こんな国でもかつては左翼運動が存在したことがあったが、分離運動との絡みを除けば、原始的な「妬み」「やっかみ」の情念の噴出に過ぎない。
https://kuantan2007.wordpress.com/2017/02/25/february-25-2017-at-0316pm/


ずいぶん改善されてきたとは言われているが、未だに現実に起きている苛烈な差別がある。ダリットと呼ばれる人たちへの差別だ。

「前世は犯罪者だ」と生まれたときから言われ、「だから差別されて当然なのだ」と結論づけられた人。それが、ダリットである。

もしあなたがダリットの女性として生まれていたら、生まれながらにして両親は虐げられ、嘲笑されているのを見て育つ。家は極度に貧しく、仕事もなく、いつも飢えている。

そして、年頃になると、突然知らない男たちに拉致されてレイプされる。しかし、誰も助けてくれない。ダリットの女性はレイプされてもしかたがないと社会が思っているからだ。

抵抗すれば殺される。手足を切断されたり、生きたまま燃やされたり、アシッド・アタック(酸攻撃)されたりする。警察も犯人を捜してくれない。

なぜなら、ダリットだからである。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120810T2324480900.html


インドでは警察が異様なまでに腐敗していて、警察を相手取った告訴が毎年約6万件もある。

そのうちで逮捕される警察官は20人や30人でしかない。告訴の半数以上は「根拠がない」という理由で却下されている。

どういうことか。警察官が行ったダリットに対する拷問や、暴力、不当な鞭打ち、レイプは、闇から闇へと葬られているということだ。

警察官はブラーミンと結託しており、ダリットがブラーミンを訴えると、訴えたダリット自身が二次被害に遭う。

ブラーミンに対する告訴を取り下げないと殺すと伝える傲慢な警察官も多いという。ダリットは、法の庇護すらない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120813T0923510900.html


2014-06-03
14歳と16歳の少女をレイプして殺害、木に吊して見せしめ

インドでは2012年12月にニューデリーでひとりの女性がバスの中で集団暴行されるという事件が起きた。

(インドで起きている残虐なレイプは増える可能性もある理由)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130128T0334440900.html


この事件に憤って、インド各地で激しい抗議運動が起きたが、それでもレイプ事件は一向に減らない。

外国人女性もインド国内で次々とレイプされているが、国内では低カーストやダリットの女性が集中して襲われている。

ダリットとはカースト制度にも入れない最底辺の人たちのことを指している。不可触民(アンタッチャブル)とも言われている人たちだ。

「不可触」という言葉を見ても分かる通り、「触ることができないほど穢れた人たち」という定義なのである。

(ダリットの女たち(1)いまだレイプされ続ける女性のこと)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120810T2324480900.html


インドでは、未だにこういった差別が当たり前に存在しており、これがインドの貧困を解決できないほど深いものにしてしまっている。


ダリットの女性の多くがレイプされてしまう

ダリットの人々は差別の対象になっており、まともな職が見つからない。街でゴミを片付けたり、死体を片付けたり、トイレ掃除をしたり、そういった誰もしたくない仕事を「世襲」させられている。

教育を受けることもままならない。学校に行けたとしても教室の後ろで地べたに座らされて勉強させられる。

学校にある公共の井戸の水でさえも、「ダリットが触ったら水が汚れる」というので飲ませない。そのような差別的待遇が普通に行われているのがインドの現状だ。

そんなに「汚い」「穢れる」と言っておきながら、若い女性は上位カーストに狙われていて、いつもレイプの対象になる。

インドでは22分に1件の割合でレイプ事件が起きているとも言われているが、その多くがダリットの女性であることはよく知られている。

この22分に1件というのは、被害届があったものだけであり、実際には被害を届けない女性の方が多いのだから、現状はもっと悲惨なことになっている。

インド人はダリットを英語で"Subhuman"(サブ・ヒューマン)と言っているが、この単語に聞き覚えがなければ、辞書で調べて欲しい。「人間以下」と翻訳が出てくるはずだ。

要するに上位カーストの男たちにとって、ダリットの娘たちは「人間以下」なのだから何をしてもいいという理屈になっていて、だからこそ好き勝手にレイプしているのである。

なぜ、インドではこれだけ女性が抗議運動し、国際的にも批判されているのにレイプ事件が減らないのか。その根底には、カーストによる根強い差別が残されているからだ。

死体はわざわざ吊されて「見せしめ」に

ダリットの女性はレイプされるだけではない。時には殺されることもある。殺されるだけではない。死体はわざわざ吊されて「見せしめ」にされることもある。

以前にもレイプされた女性が、木に吊されて発見されるという事件もあった。そういった事件が、インドではいつも当たり前のように起きている。

(集団レイプされて殺され、木に吊されて放置された女性の姿 )
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130206T2225280900.html


2014年5月27日夜、インド北部のウッタールプラデシュ州バダユンで起きたのもそんな事件だった。

14歳と16歳の少女が、集団レイプされ、木に吊されて「見せしめ」にされていたのである。

この2人の少女は同じ村に住む従姉妹同士だったのだが、彼女たちの家にはトイレがなく、ふたりが畑で用を足している時に、5人の男たちに狙われて集団レイプされていた。

5人は代わる代わる少女を犯した後、首を絞めて殺してマンゴーの木にぶら下げた。

少女の家族はすぐに警察に届け出たが、警察は最初まともに取り合おうともせず、今も犯人のうち3人は逃亡したまま行方は見つかっていない。

なぜ、警察はすぐに捜査しなかったのか。犯人の男5人のうち、2人は警察官の息子だったというのもあるかもしれない。

しかし、最大の原因は、殺されたのがダリットの少女だったからだ。インドでは警察も上位カーストの味方だ。ダリットの少女が殺されたくらいは大したことがないと思っている。

マンゴーの木に吊された2人のダリットの少女。5人の男にレイプされていた。


弱者をさらに叩きのめして這い上がれないようにする

インドの貧困。インドのレイプ。インドの腐敗。

こういったものは、すべてインド社会がずっと引きずってきたカースト(身分制度)が生み出している病巣だ。

インドでは未だにヒンドゥー教が深く信奉されており、貧困層も夜になったら近所の祠(ほこら)に集まって、みんなで祈りを捧げるような姿を見ることができる。

また、社会から捨てられたはずの売春女性ですらも、部屋にはシヴァやパールバティやハヌマーンのような神々のポスターが飾られたりしている。

ヒンドゥー教とカーストは密接にリンクしており、ヒンドゥー教の中の輪廻転生もまたカーストと関連している。宗教と身分制度が切り離されずに残っており、それがインド社会を停滞させているのである。

ダリットの人々は、ヒンドゥーの教えによると前世で罪を犯した人たちの末裔なのだから、彼らは現世でその罪を償うべく生きていると彼らは信じている人が多い。

だから、彼らが極貧に堕ちていても、まともな仕事がなくても、レイプされて殺されても「前世が悪いので仕方がない」というひとことで終わってしまう。

そういった社会が続いている。

さすがにこのような地獄が続くことに違和感を感じて、ダリットの救済に力を注ぐ高潔な人たちもインドにはたくさん現れているが、その力はあまりにも小さい。

弱者を救済するどころか、むしろ弱者をさらに叩きのめして這い上がれないようにする人たちも多い。ダリットの女性たちは、未だに這い上がれないままでいる。

そして、レイプされ、木に吊されるのである。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140603T0430200900.html


ダリットの女たち(1)いまだレイプされ続ける女性のこと


ずいぶん改善されてきたとは言われているが、未だに現実に起きている苛烈な差別がある。ダリットと呼ばれる人たちへの差別だ。

「前世は犯罪者だ」と生まれたときから言われ、「だから差別されて当然なのだ」と結論づけられた人。それが、ダリットである。

もしあなたがダリットの女性として生まれていたら、生まれながらにして両親は虐げられ、嘲笑されているのを見て育つ。家は極度に貧しく、仕事もなく、いつも飢えている。

そして、年頃になると、突然知らない男たちに拉致されてレイプされる。しかし、誰も助けてくれない。ダリットの女性はレイプされてもしかたがないと社会が思っているからだ。

抵抗すれば殺される。手足を切断されたり、生きたまま燃やされたり、アシッド・アタック(酸攻撃)されたりする。警察も犯人を捜してくれない。

なぜなら、ダリットだからである。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120810T2324480900.html

インドのレイプ事件はほぼ毎日のように起きている

日本人女性のみならず、外国人女性でもレイプ被害に遭っている。韓国人女性も、アメリカ人女性も、見境いなくレイプされている。

殺された女性もいるが、かろうじて助かっても、もはやインドという国には恐怖しかないだろう。

(レイプされることに気付いても、誰も助けないという心理)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140706T0134110900.html


実はインドのレイプ事件はほぼ毎日のように起きている。それも日本人からすると、到底あり得ないような状況の中でのレイプだ。

同じ建物に住む少女を拉致して数日レイプし続けて殺してしまった事件もあったが、この男はその数日間に親が行方不明の子供を心配して泣き叫んでいるのを知っていて、自分の部屋に戻っては少女をレイプしていた。

あるいは、道歩く姉妹を集団でレイプして、終わったあとは姉妹の首を絞めて殺し、木に吊して「自殺した」と見せかけたものもあった。

レイプした女性を木に吊して見せしめにする事件はパキスタンでも起きているが、なぜ「この女をレイプして殺した」と見せしめにしなければならないのか。

それは、上位カーストが、下位カーストに対して「俺たちに逆らうとこうなる」と震え上がらせて、普段でも逆らわないように恐怖を与えるためである。

下位カースト、もしくはダリット(不可触民)と呼ばれる立場の弱い女性は、しばしば上位カーストの男たちにレイプされる。その実態は想像以上に醜悪で悲惨だ。


インドは、弱い立場の女性にとって地獄のような場所だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150503T0512130900.html

想像してみて欲しい。あなたの両親は掃除や死体処理の仕事をしていて、あなたもその仕事しか就けない。あなたは教育を受けられなかった。あなたは字も読めないし計算もできない。

あなたはいつも殴られ、いじめに遭って逃れられない。警察もあなたの敵で助けてくれない。あなたが女性なら、知らない男にレイプされても泣き寝入りするしかない。

反抗すると虐待される。たとえば、人糞を食べさせられるかもしれない。灯油をかけられて燃やされるかもしれない。自分だけでなく、家族まで巻き添えになって殺されるかもしれない。

そんな境遇にいたら、どう生きればいいのか。

まさか、この世にそんな地獄のような人生を強いられている人がいるはずがない……。先進国の人間であれば誰でも思う。しかし、そのような人生を送っている人たちがいる。

インドの低カースト、あるいはダリット(不可触民)は、今でもそのような境遇の中にある。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20120923T0236040900.html

なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか 2011年8月27日

1980年代後半まで、タイ・ヤラワーやスティサンには冷気茶室という売春宿が当たり前にあった。そこには見るからに幼い少女が監禁されている場所だった。今の人たちには信じられないかもしれないが、少女が監禁されていることくらい誰でも知っていた。1990年代のカンボジアにもあちこちの置屋でベトナムから売られてきた少女が雛壇に並んでいた。ベトナム人の売春村もあって、そこにも10歳にもならない少女が売春していた。少女が売春していることくらい誰でも知っていた。


セックスの奴隷

インドネシアのとある売春村ではもっと悲惨だった。少女が売春宿の地下に監禁されていたのである。

まだ知っている。

インド・ムンバイの売春ストリートも少女を水浴び場に監禁しているし、他の売春地帯では鍵のかかった部屋に押し込められていた。警察が来ると、さらに屋根裏の空洞に隠される。

娼婦が売春するための部屋には天然痘にかかってイボだらけの子供が疲れた身体を横たえて苦しんでいる。娼婦が客を取ってくると、子供は追い出される。娼婦と客は、さっきまで病気の子供が寝ていた温かい体温の残ったベッドでビジネスをする。

コルカタでは、売春する少女が客を部屋まで連れてくると、エイズに罹って幽鬼のようになった痩せさらばえた母親が金を受け取りにやってくる。売春する娘の隣の部屋でエイズの女性が治療もされずに横たわっている。これがあちこちの売春宿で普通に見る光景であると言えば驚かれるだろうか?

あるいは父親が誰だか分からない子供を産み、その子供を脇に置いたままビジネスをする娼婦もいる。この世の地獄とはまさに売春宿のことを指すのだろう。少女たちは、ただ売春宿が儲けるためだけに生かされている。

この恐るべき実態はもちろんユニセフ(国連児童基金)やNGO団体も承知しており、それだからこそ最近は様々な機会で児童売春の深刻な問題を議題に上げるようになってきている。

毎年100万人もの娘たち(少女たち)がセックスの奴隷として売買され、性的搾取されているのはユニセフの報道を読むまでもない。

この国の矛盾はいつか大きな暴力に

この中で、人身売買がもっとも多い国として、インドが挙げられている。
インドは世界最大の売春地帯であり、世界最悪の人身売買国家である。

東南アジアのどの国よりも劣悪な環境の中で、ネパールなどから売られてきた少女たちが凶暴な売春宿の経営者によって監禁され、虐待され、売春をさせられている。その数が一年間に40万人ということなので、先に挙げた毎年100人の犠牲者の約4割はインドが占めていることになる。

インドはカースト制度の中で国が成り立っている。
上位カースト(ブラーミン)は、不可触民(ダリット、アンタッチャブル)の娘たちを面白半分に好きなだけ犯しても罪に問われない。カーストを身分制度というが、私に言わせればそれは間違った訳語であって、正確には「差別制度」である。インドでは陰でこのようなことが囁かれている。

「不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいない」

なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか。理由を聞くと、あまりの恐ろしさに絶句する。

不可触民の娘なら何をしても警察は相手にしないので、男たちが道を歩いている不可触民の娘たちを好き勝手に集団レイプするからだという。もちろん、警察は動くことはないし、悪が糾弾されることはない。果敢に訴えた不可触民もいるが、家ごと燃やされて焼き殺されたりして凄惨な末路を迎えている。ほとんどが泣き寝入りになる。

ちなみにダリットはよく建物ごと焼き殺される。何もかも燃やしてこの世から消してしまいたいと上位カーストは思っているようだ。


生きたまま燃やされた不可触民の少女
顔は残っているが、身体は炭化している
輪姦されて殺されて焼かれた不可触民の姉妹
レイプされ、縛られ、焼き殺された不可触民の女性
性器から血を流しているので乱暴なレイプだったことが分かる


なぜこんなことになるのか。
なぜなら、彼らは不可触民(アンタッチャブル)だからである。人間ではないと思われているのだ。
不可触民は不可触民というカーストに属しているのではない。
彼らはカーストにも属せないほど穢れている、すなわちカースト外(アウト・オブ・カースト)なのである。

この恐るべき差別の国で、売春宿がどういう実態になっているのかは想像するまでもない。売春宿の女性たちのほとんどが不可触民の女性である。カースト色が薄らいできたというのは、上位カースト(ブラーミン)だけの話である。


あらゆる悪が置き去りにされている

カースト制度はすでに過去のもので法的にも廃止されているはずだし、差別的言動は認められないはずだと言う人もいる。しかし、一週間もインドにいれば、それは単なる理想だったということが分かる。法律は機能していない。売春禁止法がどこの国でもまったく機能しない以上に、カースト廃止も機能していない。地方の村では相変わらずカーストに縛られて人々は暮らしており、それは今後も変革される見込みもない。

インドの人口は10億人を越えており、次世代を担う新興国と世界は持ち上げているが、そのうちの約5億人は貧困の中にある。その貧困が半端なものではない。

世界最大の売春地帯であるインド。神々が棲み、すべてが混沌とし、あらゆる思想と哲学が渦巻くこの国。

あらゆる性の技巧が記された古典「カーマ・スートラ」を生んだ国。

『ラ・マン』を生んだフランスの大作家マルグリット・デュラスの愛した国。

しかし、この国は今でもあらゆる悪が置き去りにされて跳梁跋扈としている。

ひとつ注意しなければならないのは、この国の矛盾はいつか大きな暴力となって国を覆っていくということだ。それこそ国が割れるような騒乱が起きても不思議ではない。一筋縄ではいかない国で、一筋縄ではいかない人たちがひしめき、それで何もかも順調に経済発展が享受できると思ったら大間違いだろう。

この国では何が起きてもおかしくない。
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_5583.html


2016-02-06
ラクシュミ。アシッド・アタックされた女性の勇気と恋愛
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20160206T0247080900.html

インドではレシュマという女性がアシッド・アタックされて顔面破壊されている。

しかし彼女はそれにも負けず、ユーチューブで「レシュマによる美容のヒント」と題する動画で自分の顔を見せながら、インドで何が起きているのかを世界に知らしめた。

(顔面破壊されてしまった女性が教える「美容のヒント」の真意)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150906T0146210900.html

インドでは激しいレイプ事件が延々と続いている国だが、問題はレイプだけではなく、こうした女性への凄まじい虐待もあることだ。

インドの女性虐待は、インドにはカースト制度という身分制度が下地にあると言われている。身分の低い女性は人間扱いされていなかった。

そのため、身分の低い人々に対する虐待が横行する歴史が続いていたのである。つまり、

「身分の低い人間は何をしてもいい」

という意識が培われてきて、それが女性に対する暴力、虐待、レイプにつながっていた。

インドのカースト制度は今も残っている。欧米からの人権意識が徐々にインドでも浸透するようになり、都会から変わりつつあるのだが、それでもなお歴史にこびりついた汚点は消えることがない。

プライドが傷つけられてアシッド・アタックする男

女性の顔に強酸(アシッド)をかけるという残虐な犯罪は、今も続いている。女性が男のプライドを傷つけたとき、それは起こるという。

インドでは毎年1000件はそんな事件が起きるのだ。2015年は、ロシア女性がインド人の男の求婚を拒絶して顔面にアシッドをぶちまけられて顔面損壊するという事件まで起きた。

男性の求婚を女性が断ったとき、男はプライドが傷つけられたと考え、「自分と一緒にならないというのであれば、その容姿を台無しにしてやる」とアシッド・アタックに走る。

ラクシュミ・サアという女性に起きたのは、まさにその典型的な事件だった。彼女はまだ15歳だった頃、ひとりの男にプロポーズされた。まだ15歳である。彼女はそれを断った。

そうするとその男は仲間を引き連れて、彼女の顔や腕に強酸をぶちまけたのである。もちろん、この男は後に逮捕されて投獄されたが、ただそれだけの話だ。

彼女は生死の境をさまよい、生き残ったあとはひどい傷痕や痛みに苦しみ、そして高額の医療を受け、何度も何度も皮膚移植をしなければならなかった。

それでも、彼女の傷痕は完治することはない。

インドでは、こんな女性がたくさんいて、苦しみに満ちた人生を送らなければならない。その多くの女性は引きこもり、顔を隠し、まるで存在しないかのように生きるようになる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160206T0247080900.html


2016-03-21 メイド虐待が国際問題になっても絶対になくならない理由

インドではメイド稼業がごく普通に行われていて、若いメイドがその家の主人にレイプされたりする事件も多発している。

若いメイドは無学であり、カーストも低く、高カーストの主人にレイプされても被害を訴えることができない。

警察はいつでも高カーストの味方であり、低カーストの女性は同じ人間に見られていない。そのため、下手に被害を訴えれば、自分や自分の家族が襲撃されてひどい目に遭う。

メイドは人間のように扱われないというのは、中東でも香港でもシンガポールでもマレーシアでも起きていることだ。

中東のメイド虐待はひどい状況である。インドネシアやフィリピンの女性たちは、中東で奴隷さながらの扱いを受け、インドネシア政府は、とうとう中東に自国女性をメイドとして派遣するのを止めてしまった。

フィリピンもそうなるかもしれない。何しろ中東ではどのようなメイドを雇うのかは面接をして容姿で決定するような国である。雇う男が何を考えているのかは、それだけで分かる。

しかし、容姿で選ばれたからと言って、ちやほやされるのではない。パスポートも取り上げられ、ほとんど監禁状態のように閉じ込められ、ほとんど不眠不休でこき使われる。

はっきり言えば、メイドは雇われた時点で人間ではなくなる。奴隷になる。メイドとは、現代の奴隷なのである。人権意識など、そこにはまったくない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160321T0234090900.html

インドの売春地帯に売られ、性奴隷にされていくネパール女性の悲劇


エベレスト山に興味を持つ人はいても、ネパールという国に興味を持つ人は少ない。この国はとても貧しい国で、大抵の人はインドの属州みたいなものだと思っているし、事実そういうところはある。

ネパール女性にとっては殊さらそれは重い意味を持つ。

私が今まで見てきた中でもっともひどい状況に置かれていると思ったのはネパール女性の人身売買だ。

インドのムンバイとコルコタ(カルカッタ)は、インドで有数の売春地帯を抱える地区だが、ここで廃人のようになっている女性の多くがネパールから来た女性だった。


性奴隷、と彼女たちは呼ばれている

どの女性も非常に荒んでおり、喘息やHIVに侵され、皮膚はボロボロになっている。

BBCが報道した内容で、インドからネパールに戻っていく女性たちの38パーセントはエイズに罹っていたという内容もあった。

ちなみに、14歳以下の少女であればエイズ感染率が60パーセントに跳ね上がる。

なぜなのか。それは一時インドで、エイズに罹ったら若い処女を抱けば治るというシャーマニズム治療が信じられて、ネパールの少女が買い漁られた結果でもある。

そうでなくても、インドでは白い肌の女性は魅力的だと思われているので、モンゴロイド系のネパーリーは売春地帯でもよく売れている。それだけエイズ感染率が上がってしまうのだろう。

真夜中に売春地帯を歩いて見ると分かるが、彼女たちの目つきは凶悪で邪見で道行く男たちに親近感などまったく持っていない。憎しみの気持ちがその目つきや威嚇の態度で読み取れる。

彼女たちは売春ビジネスを自ら行っているわけではなく強制されているのだから、やって来る男たちに愛着を持つはずもない。

NPO団体は彼女たちの境遇を「性奴隷(セックス・スレイブ)」と呼んでいる。ムンバイの売春婦の25パーセントはネパーリーだという報告もある。

CNNが取材したあるネパーリーは、9歳のときに一日60人の男を相手にしたということだった。このような未成年のネパーリーはインド圏の売春地帯ではどこでも見る。

ムンバイのフォークランド・ストリート(売春ストリート)でも売春宿に匿われていた少女がいる。

この通りの端には交番のようなものがあって、警察官が定期的に見回りをする。警察官の姿が見えると彼女たちは売春宿の管理者に天井裏に押し込められるのだった。ずっと表に出してもらえない少女も多い。

あと、この界隈の売春宿はほとんどが突き当たり奥が浴室(というよりも単なる水が使える空間)になっているのだが、電気もない暗い一室に押し込められている少女もいた。

一度私は何も知らずにドアを開け、水場の暗闇の隅でひとりの少女が佇んでいるのを見て驚いたこともあった。


フォークランド・ストリート
真ん中に立っているのは客待ちの娼婦

ムンバイやコルコタの売春地帯にいる女性のほとんどがプロのブローカーによって人身売買されたか、誘拐(キッドナップ)の被害であると言われている。

ネパールでは人身売買のブローカーたちが暗躍していて、若い女性が次から次へと売り飛ばされている現状がある。

地理的に見ると、ネパールからは、インドのニューデリーがもっとも近いが、彼女たちの多くはボンベイに供給される。

それはボンベイがインドでも最悪の売春地帯が存在しているというだけではなく、ネパールから距離的にも遠いことが人身売買には都合が良いのである。

どこの国でもそうだが、売買や誘拐された女性は、逃亡の気持ちを失わさせるために、彼女たちが暮らしていた国や場所から遠ざけられる。

遠ければ遠いほどいい。ネパールではヒンディー語を解せない女性も多いから、インドという異国に連れて行かれると、もはや為す術もない。

コミュニティを断ち切り、距離的にも遠いところに隔離すればするほど女性たちを絶望に追いやり、あきらめさせることが容易になる。


横行する人身売買業者

人身売買のブローカーは私も会ったことがある。そのひとりは平気で女性に暴言を吐き、殴り、私にも「日本の女を連れてきたら買う」と言うような男だった。

このような男は見るからに悪人であり、ある意味で危険を避けられる。

問題は別の種類の男だ。仮面をかぶることに長けている演技派の人間が恐ろしい。彼らは、そのビジネスをしている人間のわりには非常に「誠実」に見える。

にこやかな笑みを絶やさず、こちらの目をしっかり見つめて話をする。コルコタでそのような男と会ったことがある。

もし彼と別の場所で会ったら、彼がそんなビジネスをしていると知っても信じられなかっただろう。

彼のような人身売買ブローカーは、清潔な服装を心がけ、誠実に振る舞い、貧しい村の女性と自然に恋に落ちた振りをして、両親と会って結婚式を挙げさえする。

しかし、すべてが偽りだ。やがて、新婚旅行と偽ってムンバイやコルコタに連れて行き、結婚したばかりの自分の「妻」を売り飛ばす。

2010年11月、西ベンガル州で女性を売春地帯に売り飛ばす仕事をしていた27歳の男が逮捕された。


この男は貧しい女性に近づいては結婚して女性を新婚旅行か何かに連れて行くのだが、その行き先がインドの売春宿だった。5年間で60人もの女性を売春宿に売り飛ばしていたという。

このような男がインドには何千人もいて、しかも手口やテクニックが男たちに継承されている。人身売買の歴史もある。社会がそのシステムを組み込んでいる。

警察も売春宿の経営者も全員がグルになっているので、女たちは逃げようがない。

インド・ネパール・バングラデシュの広大な大地で、貧困を背景にした壮大な人身売買の横行が、まったく是正されないまま今日に至っている
http://www.bllackz.com/2010/01/blog-post_25.html


人間以下(Sub-human)と呼び捨てられて、生きている人たち


人身売買されて売春宿に放り込まれ、精神を病んだ若い女性を知っている。

彼女は感情を失い、まるで小さな人形のようにイスに座り、ほとんど何もしゃべることもなかった。

何か問いかけても、彼女の声はほとんど聞き取れないほど小さく、人間としての生気が消えかけているように思えた。
(コルカタの売春地帯で、デビーは人間性を叩きつぶされていた)

あとで彼女は拉致されて売春宿に放り込まれたのだというのを知ったが、猥雑で混沌としたエネルギーがうねっているようなインドの売春地帯で、彼女の醸し出す雰囲気はとても不気味なものがあった。


彼らはインドの中では人間扱いされていない

インドは自他とも認める「人身売買国家」である。他人の子供を拉致・誘拐して、売春地帯や組織に売り飛ばす職業の人間が存在していて、インド・ネパール・バングラデシュ全域をテリトリーにしている。

信じられないかもしれないが、子供が行方不明になるのは珍しい事件でも何でもなく、日本では重大な事件に発展するようなケースが警察に訴えても放置される。

なぜなら、誘拐される子供たちのほとんどが低層のカースト、もしくは不可触民であるからだ。

彼らはインドの中では人間扱いされていない。

上位カーストの男たちが下層カーストの娘たちをレイプするのは日常茶飯事だ。

思春期になって処女のままの下層カーストの娘はほとんどいないともいわれている。集団レイプが横行しているのである。
(なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか)

そういえば以前、こんな事件があった。

下層カーストの少年が上位カーストの少女に恋してラブレターを送った。それを知った上位カーストの男たちは少年をリンチしたあげくに、少年の母親の目の間で、少年を走っている列車に放り込んで轢殺したのである。

凄惨な事件だが、インド人が聞いたら「そういうこともあるだろう」で終わってしまう。

なぜなら、下層カーストの男と上位カーストの女は「交わってはならない」文化になっており、それを破るのは命を捨てることだからである。

最悪の種類の排斥を受けて搾取され、虐待を受けている

インドではいまだに身分制度が堅牢であり、低カーストの人間は人間以下なのだから「豊かになる権利」すらない。

カーストにすら入る権利のない人間(アウト・オブ・カースト)の人間は、インドでは Sub-human であると言われているが、この言葉にインド人の信じるヒンドゥー教のおぞましさが潜んでいる。

Sub-human。人間以下。

低カースト、不可触民(ダリット)たちは、人間の形をしているが、人間ではないことになっている。

彼らは前世で罪を犯したので、今のような身分に生まれてきたのだと社会は定義しており、彼ら自身もまたそのように信じている。

そこに、ヒンドゥー教という宗教の恐ろしさがある。人間以下の人間がいることを、宗教が断言し、社会がそれに染まり、固く信じられているのである。

ヒンドゥー教は人間以下の人間がいると定義しており、ヒンドゥー教徒はそれを潜在意識にも刷り込まれて、社会全体で洗脳し合っている。

そういうわけだから、人間ではない「Sub-human」に人権などない。彼らの富はいつでも奪うことができるし、彼らの女性はいつでもレイプすることができる。

彼らの子供たちが拉致されても、人間ではないのだから、真剣に捜査する必要性すらないと信じられている。

インドが経済発展して貧困がなくなるとは恐れ入った概念だ。

確かに上位カーストは豊かになるだろう。立派な教育を受けたり、いい家に住むこともできるだろう。

しかし、低カーストの人間が果たしてその仲間入りができるかどうかは分からない。

もちろん、多少の例外は出てくるだろうが、圧倒的大多数は無視され続けるだろう。

文化的に彼らは抹殺されており、教育すら受けられないのだから、今のままでは救われることなどありえない。圧倒的大多数のスラムドッグはミリオネアにはなれない。

インドの売春婦たちの惨状をレポートしているNPOでは、このように嘆いている。

They live in sub-human conditions, are abused and exploited and their progeny suffer ostracism of the worst kind.

(彼らは人間以下の状況で暮らしており、彼らの子孫は最悪の種類の排斥を受けて搾取され、虐待を受けている)

インドの貧困地区の現状は、恐らくインドに行ったことのない欧米人や日本人の想像をはるかに圧倒するほどの劣悪さの中にある。

ムンバイのダラピや、コルコタのカリグハットの向こう側のスラムに足を踏み入れれば分かる。

そこに展開されている世界は、今もなおインドが激しい身分制度を内包したいびつな国家であることを示している。

人身売買はなくなるのだろうか。100パーセントの確率で私はなくならないと断言したい。人間ではない人間がいるという社会通念が南アジアの大地に根強く浸透している。

野良犬を捕獲するように、人間以下の身分の子供たちを捕獲して売り飛ばす悪魔や女衒が跳梁跋扈している。これは過去の話ではない。現代の話である。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120731T2334260900.html

身分の低い人間は穢れていると考えるのが、身分制度の無意識


インドのカーストの最底辺の中の最底辺、カーストにすら入れないほどの身分の人間を「不可触民」と言う。英語ではアンタッチャブルである。

「触ることすらできないほど穢れた人たち」

そういう侮蔑が込められた恐るべき言葉が「不可触民」という単語に現れている。

インドでは売春女性が最下層のカーストであるのは意味がある。それは不道徳だからという理由もあるだろうが、他人にかなり密接に「触れる」からだ。

インドでは他人に触れるというのは「汚らわしい」と考える文化が根底にある。
まして、カーストの低い穢れた人間など触りたくもないと思うようだ。

穢(けが)れ……。

「不可触民」というのも触れないほど「穢れて」いるのだという思想で定義された。


自分までもが汚れてしまうと無意識に考える

私たちは普通、「他人が穢れている」「他人が汚い」とは思わない。触りたくないという感覚も起きない。

それは、あまりにも当たり前のように感じるかもしれない。しかし、それは人間が平等であるという意識があるから感じないだけかもしれない。

人間には上下関係があって、自分より身分が下の人間は「劣っている」という傲慢な意識があれば、どうなってしまうのだろうか。

あまりに「穢れている」ので、そんな身分の人間を触れば自分までもが汚れてしまうと無意識に考えるのだ。

少なくとも、カースト制度の中のインド人は、そのように考えたようだ。

今でも程度の差こそあれ、そんな文化がインドでの暗黙の了解になっている。意識化されていないことも多いが、意識してそう語るインド人もいる。

だから、人に触ったり人の持ち物に触ったりしなければならない職業の人間は、最低ランクのカーストと見られるのは自然の流れだったのだろう。

他人の排泄物を扱うバンギー・カーストや不可触民が最低底のカーストと思われているのは、最も汚れたものである排泄物に「触れる」からだ。

そして、他人と肉体交渉することが仕事になっているような売春女性は、女性の中でも最も穢れていると言われている。

誘拐されて売春地帯に放り込まれ、救出されて村に戻っても、売春ビジネスをしていたということが分かったら、村人はこの女性を受け入れない。

彼女は、穢れてしまったからである。


売春地帯に堕ちた女性は、そこを抜け出しても村で受け入れてもらえないことも多い。


劣情の前には不可触民が「不可触」ではなくなる

売春ビジネスに放り込まれる女性は多いのに、いったん放り込まれると抜け出しても彼女は過去を清算することができない。

一度穢れると、今がどうであれ、すでに穢されて元に戻らないと社会が考えているからだ。

NGOが売春女性を救出して女性を村に戻しても、誰も関わろうとしないので生きていけず、仕方がなくまた売春ビジネスに戻る女性も多い。

売春というビジネスの中身を考えると、他人に触れることを無意識に嫌うインド人には「身の毛もよだつ」ことに違いない。

売春女性は他人に「触れる」どころか、男の肉体を自分の体内にまで侵入させるのを許さなければならないからだ。

しかも、1日に何人もの男を受け入れなければならず、それを拒むことができない。

必然的に売春女性は、不浄の極まった女、もはや清くなることはあり得ないまでに穢れてしまった女として扱われるようになる。

どこの国でも売春女性は存在を酷評されるが、インドは格別にそれがひどい。人権を認めるに値せず、もはや人間として扱う必要すらないとでも考えている。

しかし、皮肉な現実もある。

自分の欲望が抑え切れなくなると、「彼らは不可触だから何をしてもいい」と言いながら、ダリット女性の意志も無視して押し倒す男がいるのである。

ボロボロになるまで「不可触」の女性をレイプする警察官の存在もある。

つまり、劣情の前には「不可触民」が「不可触」ではなくなる。触ってもいいことになってしまうのだ。


インドが変わるのは、まだまだ時間がかかる

いったい、どういうことなのだろうか。

これは、別に難しい話ではない。本当は、男たちは誰も「不可触民に触れたら自分も穢れる」とは思っていないのだ。

ただ、そういうことにしておいた方が、最下層の人間を常に奴隷的に扱えるので都合がいい。だから、上位カーストの人間は思っているフリをしている。

現在でも、インドでは最下層の女性たちに対する性的虐待の事件が次々と起きている。国際ニュースになるほど事件が起きているのに、なぜ改善されないのか?

犯人を死刑にすれば状況は変わるのか?

無駄だ。身分制度(カースト)が、社会や、人々の心の中にある限り、最下層の人を見下したり、最下層の女性を見下す状況は変わらない。

また、身分制度とは別に、インドでは保守的な家長主義も浸透しているから、女性であること自体に身分に関係なく虐げられる現状もある。

下層カーストでなくても、女性は男に虐待されたり、虐げられたり、家庭内暴力を受けたりする。これが、インドの女性の置かれている厳しい現状だ。

インドの歴史は、そうやって苛烈な差別を内包したまま続いてきた。しかし、1992年からこの国は経済成長に向けて動き出しており、それから約20年近く経った。

インドはこれでも少しずつ変わりつつある。

しかし、未だ国民の6割が貧困層である現状を見ると、経済発展の動きはとても鈍いことが分かる。インドが根本的に変わるのは、まだまだ時間がかかるのだろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130228T0248220900.html


「魔女狩り」被害に遭う下層民の女性たち 2010年02月11日


【2月11日 AFP】ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)から南へ40キロのピュタル(Pyutar)村で、カリ・ビスウォカルマ(Kalli Biswokarma)さん(47)は、「魔女」であることを白状しろと、近所の人々から2日間にわたり拷問を受けた。

 1児の母親であるカリさんは、カースト制度の枠外に置かれる最下層民「ダリット(Dalit)」の出身だ。

事の発端は、ある教師が病気になったことだった。

家にいたところを35人ほどの村人たちに連れ去られ、牛小屋に閉じ込められ、

「(教師に)魔術をかけただろう」

と責められながら殴る蹴るの暴行を受けた。
さらに、人間の排せつ物を食べることも強制された。
次の日にはナイフで傷つけられた。


「もう拷問には耐えられなかった。命だけは助かろうと、魔女であると告白しました。自分が貧しいから狙われてしまったんです」(カリさん) 

 ネパールでは、毎年数百人のダリット女性が同様の被害に遭っていると見られる。

この国では迷信およびカースト制に基づく差別が根強く、大半のコミュニティーが厳格な父権社会のままだ。

 ヒンズー教に基づいた君主制国家から現代的な世俗国家に移行するなか、政府は今年を「女性暴力撲滅年」と宣言している。しかし困難な道であることは政府も認めている。

■「女性」と「下層民」がネックに

 女性の権利向上を目指してキャンペーンを展開する地元団体によると、女性が魔女の嫌疑をかけられて近所の人から拷問を受けるという事件はこの2年間で少なくとも82件にのぼっている。しかし、家族と共同体から見放されることを恐れて名乗り出ない人も多いため、この数字は氷山の一角と考えられるという。 

 ネパールの法律は女性への暴力を禁じているが、この団体によると、犠牲者が下層民の場合は法律が適用されることはほとんどないという。

 専門家らは、魔女に関する迷信は、女性に暴力を振るうための口実に過ぎないことが多く、標的はほとんど毎回、下層民の女性に落ち着くと指摘する。

 先のカリさんは、カトマンズの避難施設で過ごしたあと、村に戻ってきた。

「魔女」の烙印(らくいん)は消えたわけではない。

「わたしを拷問した何人かがまだ村にいるので恐怖です。
尊厳は失ってしまったけれど、希望を捨てたわけではありません。
正義のために戦います」
(c)AFP/Deepesh Shrestha
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2693601/5287891


2013-02-28
今でもインドでは排泄物を集める仕事しか就けない女性がいる


インドにおける非常に厳しい差別の実態はブラックアジア第三部のインド編でしばしば言及した。

(ブラックアジア「第三部」)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20110203T0000000000.html

この中で、ダリット(不可触民)と呼ばれる人たちが、私たちの目から見ると、信じられない差別の中に放り込まれていて、苦難の人生を歩んでいることも書いた。

たとえば、掃除や死体処理やトイレのくみ取りの仕事を強制され、それしかできない人たちがいる。

(人間の排泄物を両手で集めることを強いられた人たちがいる)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20120923T0236040900.html


これは昔々の話ではなく、2013年に入った今でも現状は変わらない。インドでは生まれながらにして、「トイレ掃除しかやってはいけない」というカースト(身分)があるのである。

インドの社会全体が、誰もやりたがらない仕事を下位カーストに押し付け、そしてそれを固定化させたのだ。


非人=人に非(あら)ず=人間ではない

ダリット(不可触民)は、日本人にも分かりやすく言うと、「非人」である。

江戸時代、日本も身分制度の社会にあって、それは士農工商制度と言われているが、その士農工商のいずれにも属さないカテゴリーも設定されていて、こういった人たちを「非人」と言っていた。

非人=人に非(あら)ず=人間ではない。

そういう身分を作っていた身分制度があったのだ。私たちは明治時代になってから誰が何の仕事をしても構わないようになったが、今でも「家業を継ぐ」という考え方が依然として社会に残っていることもある。

芸能や事業や政治のような「高尚」な分野では家業を継いだほうが楽して儲かるので、利権を守るために自然に「家業を継ぐ」という考え方になる。

金の儲かる仕事に就いている一族であれば、家業は継ぐべきものなのである。

貧困者にとっては家業を継いでも何も得しないので、家業を継がないことが多い。また、家業を継がないことが許される。

もし、これが許されなかったら、あるいは社会に身分を強制されていたら、日本の社会はこれほど発展しなかったということが分かるはずだ。

身分制度は捨てて正解だったのである。

しかし、インドではいまだカーストと呼ばれる身分制度が続いており、カーストによって下位カーストや不可触民に対しての差別が色濃く残っており、継承されている。


排泄物の処理を仕事とするインドの「不可触民」

AFPがこの排泄物処理をしているインドの女性たちの短い特集をユーチューブに上げているので、ここでも紹介したい。いまだにこのような現状にあることがよく分かる映像だ。


映像では、NGO団体が彼女たちを救い出そうと努力している姿が映し出されているが、50万人以上の女性がここで救い出されるわけではない。

インドの闇では依然としてこのような女性たちが差別されたまま放置されて、現状の改善はなされない。

そして、もっとひどいことに、このような仕事に就いている家庭で娘が生まれると、若いうちからレイプされてしまったり、売春地帯に売られることも日常茶飯事のように起きる。(なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか)

コルカタの売春地帯に売られてやって来た女性たちのうちの何人かは、このようなカーストから来た女性たちである。現実は、この映像よりもはるかに沈鬱で救いがない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130228T0037110900.html


Forced to Clean Human Waste in India - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=y3XfjbwqC_g


インド:カースト制度が強いる生業としての排泄物清掃
終わらない「人手による汚物処理」 地方政府の後押しで
https://www.hrw.org/ja/news/2014/08/25/254956

(ニューデリー)— インド政府は「人手による汚物処理」に終止符を打つべきだ、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書内で述べた。地方自治体がこの差別的な慣行を禁じる法を確実に実施することで、下位のカースト出身者が従事する汚物処理業を阻止する必要がある。政府は、このコミュニティに属する人びとが、汚物処理業に代わる持続可能な生業を見つけられるよう支援する既存法を、実際に適用すべきだ。

報告書「生業は排泄物清掃:インドの『人手による汚物処理業』、カースト制度、そして差別」(全96ページ)は、人手による汚物処理業の強制的な性質について調査・考察したもの。インド全土で清掃人カーストに属する人びとが、日々人間の排泄物をバスケットに集めて、処分のために運び出す作業に従事している。通常、女性は汲取式トイレの清掃、男性はより重労働な下水道や浄化槽の清掃を担当する。本報告書は、汚物処理業から逃れようとする際に直面する人びとの困難について詳述した。地元住民による暴力や強制立退きの脅しのみならず、政府関係者による脅迫や嫌がらせ、不法な賃金不払いなどがその具体例である。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの南アジアディレクター ミクナシ・ガングリーは、「インド歴代政府によるカースト制度に基づいた汚物処理業阻止の試みは、差別と地域に横たわる複雑な事情により阻まれてきた」と指摘する。「政府は今こそ人手による汚物処理を禁ずる法を実際に適用し、関連するカーストコミュニティを支援する必要がある。」

2014年にヒューマン・ライツ・ウォッチは135人超に聞き取り調査を実施した。うち100人超はグジャラート、マディヤ・プラデーシュ、マハラシュトラ、ラジャスタン、ウッタル・プラデーシュの各州で、現在または過去に人手による汚物処理業に従事していた人びとだ。地方の田舎で汲取式トイレを清掃する女性は多くが報酬を賃金で受け取っていない。そのかわり慣習的に受け取るのは、食べ残しだったり、収穫期であれば穀物、祭りの時期なら古着、あるいは家畜の放牧や薪収集のための共同体および私有地へのアクセスなどだったりする。すべては仕える家庭の裁量による。「不可触民」の風習が強く残る地域では、報酬の食べ物を(触れないように)手の上に落としたり、目の前に投げつけたり、ということも起こる。

地方自治体当局は汚物清掃人に対する差別の共謀者であることが多い。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、村の自治体および当局が公共の排泄エリア清掃のため、カースト制度に基づいた人員募集を行っていた事例を調査し、取りまとめている。この仕事に従事する人びとはまた、生活のそのほかの分野における差別にも苦しむ。教育や共同体の水源、公共住宅や雇用福利などへのアクセス欠如がその例だ。警察ほか関係当局が、暴力や立退きなどの脅迫を受けたという清掃人の告発に対処しないでいる実態も、本報告書で明らかになっている。

前出のガングリーディレクターは、「排泄物清掃人として働く人びとは、属するカーストによりこの役割を満たすことを求められており、それ以外の仕事には就けないのが普通だ」と指摘する。「この慣行は現存する不可触民の最悪な象徴のひとつと考えられている。なぜなら、不可触民であるという社会的らく印を促し、差別と社会的排除を永続させるからである。」

汚物処理に携わる人びとが苦しむ人権侵害は、身体の内部にもあらわれている。繰り返し排泄物を装備もなしに扱うことが原因で、深刻な健康被害が起き得るからだ。頭痛や呼吸困難、皮膚病、貧血、下痢、嘔吐、黄疸、結膜炎、一酸化炭素中毒などである。これらの症状は、慢性的な栄養不足と医療へのアクセス欠如で、更に悪化することになる。

人手による汚物処理がどれほど広範におこなわれているかを正確に示す、包括的な政府調査は現状存在しない。こうした状況を受けて2014年3月、インドの最高裁判所は「それでも、人手による汚物処理の慣行が衰えることなく継続していることは、極めて明らか」であることを認めた。

人手による汚物処理は、国内諸法と憲法に違反 

インド憲法は、不可触民として知られるカースト制度を理由にした差別を禁じている。1955年制定の公民権法の保護規定は、人手による汚物処理を何人にも強要することを禁じている。2013年には議会が「人手による排泄物清掃人雇用禁止およびリハビリ法」(2013年法)を制定。すべての人手による汚物処理を違法化した。同法はまた、関連するコミュニティが歴史的に被ってきた不公正と侮辱を是正するという、憲法の謳う義務を認識するもので、清掃人カーストの人びとに向けた代替の生業ほか支援の提供を定めている。

2014年3月にインド最高裁は、人手による汚物処理は国際人権法に抵触するという判決を下し、実質的な救済措置を求めた。5月に発足した新政府は、インド社会の隅に押しやられたコミュニティのニーズに応えると誓ったが、汚物処理に終止符を打つための新たな措置は何ら取っていない。

人手による汚物処理業を辞めた人びとは、それがたとえ地元コミュニティに根ざした市民社会イニシアチブの支援を受けた場合でも、住宅や雇用、既存の政府による支援などをめぐり、かなりの障壁があると報告している。注目すべきは、前述の2013年法内で規定されているリハビリの実施を、中央および地方政府による既存の公共計画に任せている点だ。これまで人手による汚物処理業阻止に成功していないのと同じ一連の計画に、である。

経済的支援や奨学金、住宅、代替生活支援ほか重要な法的かつ計画に沿った援助など、2013年法が定める権利が確実に清掃人カーストコミュニティに保障されるよう、政府は既存の関連計画すべてに対し、完全な評価・監視を実施すべきだ。その上で、清掃人カーストコミュニティおよび市民社会団体と協議し、2013年法の条項に沿った包括的な公共計画を策定すべきである。

前出のガングリーディレクターは、「カースト制度に基づき強いられた慣行は、いまだ人びとを人手による汚物処理業に縛りつけている。これに対し求められるのが政府の介入だ」と述べる。「インドの新政府は、この人権侵害的な習わしを永遠になくすための手段を備えており、またその義務も負っている。」

報告書から抜粋した証言
「トイレと排水口を初めて清掃した日、足を滑らせてふくらはぎまで汚物まみれになってしまって。叫んで逃げ出して、家で泣き続けました。あれしか仕事がないのが分かっていたからです。」―ソナ(ラジャスタン州バーラトプル市、2013年6月)

「20軒の汚物処理を担当しています。報酬はロティ(平たいパン)です。2枚以上はくれませんが、くれはするんです。夫は農場で働いていますが、毎日仕事があるとは限りません。私がこれをすれば少なくとも何か食べるものは手に入ります。」―シャンティ(ウッタル・プラデーシュ州マインプリ地区、2014年1月)

「商学と金融を専攻しましたが、仕事はありませんでした。教育を受けたのに、村の評議会は私をトイレ掃除人として雇いました。私がそういう出だから。」―カイラシュ(マハラシュトラ州ジャルガオン地区、2014年3月)

「私たちはパンチャーヤト(地方議会)のメンバーに仕事をほしいと訴えました。それでもらったのが排水路清掃や路上の排泄物処理、トイレ掃除に村掃除、そしてゴミ処理。これが私たちのカーストです。これ以上の仕事は与えられません。尊厳を与えるようなものは何もね。」—ゴパル(マハラシュトラ州ジャルガオン地区、2014年3月)

「家の男たちを呼ぶとこう言ったんです。『トイレ掃除のために女たちをよこさないのなら、女たちをぶちのめす。お前たちもな。安穏と暮らさせやしない』って。恐ろしかった。」—ガンガシュリ(ウッタル・プラデーシュ州マインプリ地区、2014年1月)

「頭にベールを巻いたまま働かなくてはなりませんでした。雨が降れば、服は汚物でびしょぬれになり、乾きません。家も臭います。皮膚病になり、髪も抜けはじめました。」—バダンバイ(マディヤ・プラデーシュ州Neemuch地区、2014年1月)

「人手による人間の排泄物運搬は雇用の一形態ではありません。奴隷制さながらの不公平な行為です。ダリット(不可触民)に対するもっとも顕著な差別のかたちのひとつです。人権侵害の中核を成すね。」—アシフ・シェイク、人手による汚物処理の終焉を目指す草の根運動Rashtriya Garima Abhiyanの創設者
https://www.hrw.org/ja/news/2014/08/25/254956

インドではダリット(不可触民)というカーストがある。

「人間ではない。それ以下だ」と呼び捨てられ、差別されている人たちだ。


(人間以下(Sub-human)と呼び捨てられて、生きている人たち)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120731T2334260900.html


彼らは今も安い労働でこき使われている。

女性は売春宿に売り飛ばされたり、排泄物の汲み取りや、動物の死体の処理など、人のやらない仕事を強制されていることが多い。

(人間の排泄物を両手で集めることを強いられた人たちがいる)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120923T0236040900.html


そんな彼らはまさにインドの隠された奴隷である。

ダリットは激しい差別を受けているのだが、その差別のひとつとして「教育を与えない」というものがある。なぜ教育を与えないのか。

教育を受けて、ものを考えられるようになると、自らの立場を「知る」ことになる。そうすると、社会がおかしいことに「気づく」。自然と「反抗心」が芽生え、現状を変えようと「立ち上がる」人間が出てくる。

そうなると奴隷状態に置かれていた人間が次々と「目が覚めて」しまって、奴隷制が維持できなくなる。だから、教育を与えない。支配者は、最終的に奴隷化する人から教育を奪い、無知なまま生きてくれたほうが都合が良い。

だから、教育を絶対に与えないのである。


教育を与えないというのは、体制にとって非常に重要

アフガニスタンやパキスタンでは、女性が教育を受けようとすると命を狙われる。学校が襲われて飲み水に毒を入れられたり、学校に通う女学生が撃たれたりする。

女性に教育を与えない。なぜなら、教育を受けることによって女性が目覚め、自分たちが抑圧されていることに気がつき、現状を変えようと立ち上がる人間が出てくるからだ。

そうすると、イスラムを「おかしい」という女性が出てくる。あるいは男尊女卑に疑問を持つ女性も出てくる。男女平等だと言い出し、女性が家長制度を脅かすかもしれない。

だから、女性には教育を与えず、考えることすらも禁じて現状が当たり前だと思わせておく。

それでも教育を受ける少女が出てきたり、教育の大切さを訴える「邪魔」な少女が出現する。そんなときは、マララ・ユスフザイのように撃たれたりする。

このような事件があると女性は萎縮し、無知であることに甘んじて声を失っていく。

私たちは部外者なので、イスラム国家の女性が奴隷化されていることは分かる。しかし、当のイスラム女性たちは、自分が奴隷化されていることに気がついていないことも多い。

子供の頃からイスラムに従順であることが当たり前になると、それが世界のすべてだから違う世界が分からないのである。部外者は分かるが、当事者は分からない。

だから「教育を与えない」というのは、体制にとって非常に重要であることが分かる。

教育は一部の人間、すなわち体制側の人間や為政者やエリートだけが受けていればいいのであって、一般大衆は「言われたことだけをロボットのように行う人間」であることが望ましい。

いちいち何かを考えて、体制側のシステムに立ち向かって反旗を翻すような人間が増えるのは望んでいない。むしろ、そんな人間が出ないようにしたいと考えている。

国民から教育を奪い取った方が都合が良くなった
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160401T0037520900.html




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84. 中川隆[-7661] koaQ7Jey 2017年5月12日 20:24:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


遊牧民族アーリアがインドに侵略を開始してから、インドに土着していたドラヴィダ族は次第に追いつめられて南部へと押し込められていく。その過程で膨大な混血と宗教的な融合が起きて、インド・アーリア族とも言うべき混血民族が出来上がった。

インド人とは異なる民族と血が混じり合った人種だ。その混じり具合にもグラデーションがあって、それがカーストとしての身分制度につながったと見られている。

侵略戦争に勝利したのはアーリア人であり、彼らは人種的には白人か、白人に近い特徴を持っている。ドラヴィダ人は黒い肌を持ち、黒人に近い特徴がある。そこで、侵略に打ち勝ったアーリア人の「白肌」は高貴なものと見なされるようになり、侵略されたドラヴィダ人の「黒肌」は唾棄すべきものと決めつけられた。

ボリウッド映画に出てくる主人公たちを見れば分かるが、主演の男女はみんな白い肌の美男・美女ばかりだ。いまだにアーリア色が強いものであることが分かる。

白肌信仰は、潜在的にアーリア系崇拝になる。くだらないボリウッド映画がインド文化に根付けば根付くほど、インド人は意識的にも無意識にも洗脳されて、白い肌をさらに尊ぶようになる。

ドラヴィダ系の血筋を色濃く残した女性。肌が黒く、黒人種の特徴を多く残しているのが特徴だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130105T0318320900.html

色(ヴァルナ)。黒い肌は人間的に劣る人間だと制度化された


インドの女性は「黒」が嫌いだ。

インドの肌の黒い女性は、自分の肌を嫌悪している人もいて、男が「黒い肌が好きだ」と言うと、自分の肌が黒いにも関わらず、必死でその意見が間違っていることを諭そうとする。

「白い肌が美しいのよ。黒い肌は美しくない」

インドでは「色」のことを「ヴァルナ」と言うが、このヴァルナは容易に肌の区別に結びついて、それが最終的には人種差別にまで行き着く。

すなわち、黒い肌の女性は劣っており、ロー・カースト(最下層)であり、醜い女性であると社会通念として通っている。


白肌に価値があると洗脳するかのようなCM

インド女性は顔貌(かおかたち)が美しい人が多い。とくに横顔を見るとその端正さが際立って目を離すことができない。

インドの男たちも自国の女性は東アジア(中国・韓国・日本)の女たちよりも美しいと言って憚らない。

もちろん個人差はあるので美醜の比較は一般論でしかないが、それにしてもインドの美しい女性は、世界中の美しい女性を圧倒的に引き離していて足元にも寄せつけない。

しかし、それでも肌の黒い自国の女と白い肌の東アジアの女がいたら、肌が白いというだけで東アジアの女性と一緒になりたいという男は多い。

白い肌は彼らの中では崇拝に値するものになっている。

女性もそれを知っているので、インドではやたらと美白化粧品が売れる。

たとえば、「Fair & lovely」という化粧品がインドにあるのだが、このコマーシャルは露骨だ。

黒肌で自信喪失の女性が見る見る白い肌に変身して輝く笑みを浮かべるのである。

あるいは、白い肌になったら注目されて成功して幸せになるようなコマーシャルが恥も外聞もなく流されている。

テレビに出てくる女性も、コマーシャルに出てくる女性も、映画に出てくる女性も、みんな判を押したかのように「白肌」だ。

インドは白い肌の人々だけが住んでいるのかと思わせるくらい、白肌俳優の採用が徹底していて、それがボリウッド映画が「夢うつつ」のような下らない内容のものにしてしまっている。

歌あり、踊りあり、シリアスあり、ドラマあり、アクションあり、サスペンスありでも、「真実」だけがない。それが、あまりに「黒」を排除するからだという遠因もある。


白肌崇拝を煽るコマーシャル。白い肌であることが重要であると洗脳するかのようなコマーシャルである。


黒は嘲笑の的になった

インドはインダス文明の担い手だったドラヴィダ族(黒肌)が、アーリア族(白肌)に征服されていく過程で生まれた国である。

アーリア族(白肌)はどドラヴィダ族(黒肌)を屈服させたあとに、肌で身分を分けた。

白肌は崇高で高貴であり、黒肌は劣っていて価値がないという身分制度である。ヴァルナで分けられた身分制度だ。

それをカーストと呼んで社会に定着させて、黒という色は「醜い」という意味を持たせるような徹底ぶりだったから、アーリア族の悪質さが分かる。

とは言っても、アーリア族はまったく躊躇なくドラヴィダとの混血を進めたから、もしかしたら実際には黒肌が劣っているとは思っていなかったのかもしれない。

本当に黒肌が「醜い」と思っていたのであれば、彼らと交わることなどなかったはずだ。

歴史はその逆の結果を見せつけている。インドほど白肌と黒肌の混血が進んだ国家はない。

口ではあれこれ言いながら、アーリア族はドラヴィダ族の女性が美しかったのを実は知っていたのだろう。これも、建前と本音の乖離であって、結果がすべてを物語っている。


肌が白くなったら、とても注目されて人気者になれるというメッセージを露骨に主張するコマーシャル。


黒は白に変えられた。そして、白は崇拝されている

インドでもっとも注意を惹くヒンドゥーの女神にシヴァの妃であるパールヴァティーがいる。

パールヴァティーは「白肌」だ。しかし、怒りに駆られると額が割れて、ドゥルガーという女神が飛び出して来る。

さらにドゥルガーが激怒していくと、今度は正真正銘の「真っ黒の神」であるカーリーに変異していく。

これはパールヴァティー(白肌)からカーリー(漆黒)の順番で語られている。

しかし、歴史から見ると逆だろう。

ドラヴィダの黒がアーリアの男の血を受けて白肌になっていったのだ。

だから、パールヴァティー(白肌)がカーリー(黒肌)になっていくのは先祖帰りであって、元々は「黒」がルーツなのだということを如実に示している。


黒肌のカーリー(左)と、白肌のパールヴァティー(右)。

ドラヴィダ族は征服されたのだから、内心では怒り狂っているのは当然だ。

カーリーがいつも怒り狂っているのは、そういった歴史の悲哀がそこに静かに込められているのであろうと推測している。

黒は白に変えられた。そして、白は崇拝されている。

しかし、インド圏で白が美しいというのは、白い肌の人が歴史の闘争に勝ったからであって、それ以外の何者でもない。

白い肌の人々が負けていれば、白が醜いヴァルナになっていたはずだ。

民族が闘争に負けるというのは、その民族の持つ特質が否定されることでもある。たとえば、日本人が闘争に負ければ、日本人の持つ何らかの特性は嘲笑の的になる。

ドラヴィダは民族闘争に負けて、インドの大地でその肌の黒さが嘲笑の的にされた。ヴァルナ(色)でその嘲笑が制度化されて、インドの歴史は黒を否定した。

私ひとりが黒い女性が美しいと思っていても、当の黒い肌のインド女性がそれを否定する。それでも、私は「黒」が好きだ。


黒い肌の女性が美しくないなんて、いったいどこの誰が考えついた冗談なのだろう。黒い肌の女性も、美しい。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120629T2225080900.html


サンスクリット語の「ダルマ」はカーストを定着させた卑劣な言葉だった


サンスクリット語に「ダルマ」という言葉がある。これは「義務」や「業」と訳されるが、「義務」という言葉で覚えれば分かりやすいかもしれない。

何の義務かというと、自分の運命を受け入れて、その運命をまっとうする義務である。

インドで運命と言えばすぐに「カースト」を思い出すが、これにダルマを重ねると、何が言いたいのかよく分かる。

ダルマというのは、自分のカーストを受け入れてそれをまっとうする義務のことを言っている。


統治のダルマだとか、宇宙のダルマだとかは枝葉末節の部類であり、カーストを守るのがとても大切な「ダルマ(義務)」であるというのがダルマという言葉の言いたいことである。

ダルマを守ることは大切であると言われている。誰が言っているのか? もちろん上位カーストの人々である。

それぞれのカーストは異なるダルマを持つ。そして、それぞれのカーストが自分に与えられたダルマを果たさなければならない。

カーストには大きく分けると以下のようになっている。

僧侶(ブラフミン)
兵士(クシャトリア)
商人(ヴァイシャ)
農民(シュードラ)
ーーーーーーーーーーー
不可触民(ダリット)

上から順番に権力を持つカーストで、一番下の不可触民(アンタッチャブル)というのは、カーストすら属していないので「アウト・オブ・カースト」だと説明される。

生まれたときに子供は親のカーストを受け継ぐことになっている。

一番偉いブラフミンの子供はブラフミンである。そして、不可触民の子供は不可触民である。

身分が固定されている。

教育から待遇まですべて差別されて、どんなに優秀な子供であっても、不可触民であれば教育すら受けさせてもらうことはできない。

他のカーストは彼らと接するべきではないとされていた。だから、「触ることが不可な民=不可触民」なのである。

上位カーストは、誰であっても不可触民が用意した食べ物や飲み物を食べることを禁じられた。

いや、不可触民が触った食器すらも忌避されたし、不可触民を見ることすら「穢れる」とされたのである。

マヌ法典というものがそれを詳細に記しており、このマヌ法典こそがダルマ(義務)を説いているのである。

カースト制度で読み書きが許されるのはブラフミンだけである。

日本人なら、これが「士農工商、穢多非人」という身分制度を持っていた江戸幕府のことを思い浮かべるかもしれない。

まさに江戸幕府はインドのカーストを参考にして作られた制度である。不可触民は、穢多非人と同様の立場になる。

カーストは人間を「人間ではない」という制度である。ダルマはそれを受け入れてその立場を守る義務を果たせ、という意味である。

ダルマという言葉は、身分を固定させるために考えられた卑劣な言葉であることが窺える。
http://www.bllackz.com/2010/03/blog-post_03.html


多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

・「L」はインダス文明の遺伝子と認知されたようです。と共に「L」を主遺伝子とするドラヴィダ人がインダス文明人の子孫であることも認知されつつあるようです。

・「R」はインド亜大陸に留まりましたが、その中から「R1」が分化し更に「R1a」と「R1b」が分化し、「R1a」はインド・アーリア人としてインド亜大陸の主役となり、 一方北西に「R1b」と共に移動した集団はスラブ人としてロシアに留まり主役になりました。

しかし更に西進した「R1b」の中で純血を好んだ一部はケルト系民族としてヨーロッパの先住民となり、 多くは「I」や「N」と交配しケルト・ゲルマン系となり、古代遺伝子「E1b1b」と交配した集団はローマ・ラテン系としてローマ帝国を興隆させました。

いずれにせよ現代ヨーロッパの主役であり、 「R1b」は世界の覇者の遺伝子です。

・「H」はインドの重要な遺伝子として今も残っていますが、その後のインダス文明人やインド・アーリア人の興隆でインド亜大陸の主役ではなくなりました。 一部は定住できずに放浪するジプシー民族となりました。

上流カーストは支配階級の「R1a」頻度が高く、 下層カーストは「H」頻度が高い。
これが「H」がジプシー化した根本原因ではないかと推察出来ます。
本来なら少数民族として定着をするのでしょうが、「R1a」の支配の抑圧を嫌い定着を拒んだのかもしれません。

しかし基本的には入り混じっているので新興勢力「R1a」と先住勢力「H」の遺伝子間の交配はかなり進んでいるようです

大野教授が日本語のルーツと発表し話題になったドラヴィダ系タミール人はなんと平均14%もの「O2a」頻度があることや、他のドラヴィダ人には「O2a」98%もの純系にちかい部族もいる。

この長江文明越系子孫の「O2a」遺伝子集団がタミール語を含むドラヴィダ語族に水田稲作農耕の語彙を持ち込み、日本語の稲作関連語彙と強い相関を持つのが当然だったのです。

黄河文明との戦いに敗れた長江文明の子孫はそのまま留まり黄河文明に飲み込まれた集団もあれば、ある越系「O2a」集団は南へ逃げ遠くインド南部まで逃げ 先進の水田稲作農耕という食糧生産法を持つためにインド亜大陸でも現在まで生き延びることに成功したのです。

下層と差別されてきた極東モンゴロイド遺伝子Y-DNA「O2」も「O3」も カースト集団からは誤差程度にしか検出されません。

Y-DNA「R1a」を基盤とするインドカースト集団がいかにモンゴロイドを下層民として 差別し集団から排斥してきたか過去の歴史が結果としてこれほど見事に現れるとは思いませんでした。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

インドアーリアン度調査 Y-DNA「R1a」 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

Y-DNA「R1a」の最も有望な起源地は中央アジアあるいはロシア/シベリアの南部です。

  Y-DNA「R1a」は、インド・イラン語族、トラキア人、バルト人およびスラブ人へと分化した、北部と東部の原インド・ヨーロッパ語族で支配的な亜型だったと思われます。

  原インド・ヨーロッパ人はYamna文化(紀元前3300年〜2500年前頃、ドナウ川とウラル山脈の間の広大な地域にわたって存在した銅器時代の文化圏で中心地はウクライナだったらしい) に起源を持ちます。

Y-DNA「R1」の発祥の地は中央アジア/コーカサス一帯と言われていますが、 集団は3手に別れ、

1隊はアフリカに到達し先住の「A」,「B」,「E1a」と交配し、もう1隊は「Q」か「C3b」と共にベーリング海峡を渡り北米に現存しています。

残留部隊はその後「R1a」と「R1b」に分化し、2隊に別れ1隊は西進し「R1a」は東欧圏に留まりスラブ系民族になりましたが「R1b」は更に西進し西欧圏に到達しケルト系民族になりました。

最後の1隊はインド亜大陸に南下し先住のインダス文明の子孫のY-DNA「L」ドラヴィダ人を追い出しインド南部に押し込めながら交配しインド・アーリアン民族となりました。

ロシア人の主要民族のスラブ系とインド・アーリアンは完全に同根なのです。
インド人が意外に小柄なようにプーチン等ロシア人もケルト系もラテン系も小柄です。

欧州人の大柄はネアンデルタール人と密に交配したクロマニヨン人の遺伝子を持つノルマン系の形質なのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm


高いカーストのインド女性は美しい

PRINCE FINAL
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=riLWMbUKt-o

Saravana Stores antiq jwelary HQ
http://www.youtube.com/watch?v=zWsv6D5BN2Y&feature=player_embedded

GRT Wedding and Celebration Jewellery
http://www.youtube.com/watch?v=5pLs4g7EVZo&feature=player_embedded

SHREYA GHOSHAL'S JEWELLERY COLLECTION FROM JOYALUKKAS
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=oZvgTbKe_Pw

Nathella Jewellery- Chennai, India
http://www.youtube.com/watch?v=CUXkYu_FZdo&feature=player_embedded

TANISHQ ARIA TVC
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=HciYNzlLLxc


インド女性 - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%A5%B3%E6%80%A7&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=MegyUcClJMf6mAWM3IDgAg&ved=0CDMQsAQ&biw=1040&bih=892


アメリカのユタ大学とインド南部のアンドラプラデシュ大学による共同研究

インドのカースト別のDNA分析から、侵攻したのは「コーカソイドの男子」であり、先住民の下層階級の女子と混血してきたことが証明された。


インドのカースト制度は、「4階層+不可触民」で、実質5階層になっている。

1930年にイギリスがとった人口統計によれば、


1)バラモン(僧侶)・・・・5%
2)クシャトリア(武士)・・・・7%
3)ヴァイシャ(商人)・・・・3%
4)シュードラ(農民工民)・・・・60%
5)アンタッチャブル(穢多非人)・・・・15%


という比率で、これにイスラム教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教などの「異教徒10%」をたすと、100%になる。

1930年以来、1度も統計調査がないというも驚きだが、不可触民(穢多非人)の「15%」という比率は、実際はもっと高いと言われている。

DNA分析の共同研究では、

上層カースト(バラモン+クシャトリア+ヴァイシャ)、
中層カースト(シュードラ)、
下層カースト(アンタッチャブル)

に分類し、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人のDNAと比較している。

表内の数字は、小さいほど関係性の距離が短い(先祖の共通性が高い)ことを示す。
http://jorde-lab.genetics.utah.edu/elibrary/Bamshad_2001a.pdf

 

Y染色体のSTR分析

アフリカ人 , アジア人 , ヨーロッパ人
上層カースト : 0.0166 , 0.0104, 0.0092
中層カースト : 0.0156 , 0.0110 , 0.0108
低層カースト : 0.0131 , 0.0088 , 0.0108


日本の皇位継承問題でもおなじみの「Y染色体」だが、これは男系の遺伝を示す。
インド人の「男系遺伝子」は、ヨーロッパ人とアジア人と同じぐらいの距離にある。

カースト別でいうと、上層カーストとヨーロッパ人の関係がもっとも近い。

低層カーストはアジア人にもっとも近い。

■ミトコンドリア染色体のHVR1分析

アフリカ人 , アジア人 , ヨーロッパ人
上層カースト : 0.0179 , 0.0037 , 0.0100
中層カースト : 0.0182 , 0.0025 , 0.0086
低層カースト : 0.0163 , 0.0023 , 0.0113


ミトコンドリアのDNAは、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代にはまったく関与しない「母系遺伝」になっているので、母系分析に使われる。

この分析によると、インド人の「先祖の女性」は、歴然とした数値をもって、アジア人に近い。

低層カーストがもっとも近く、上層になるにつれて距離が離れていく。


以上の研究から、インド人の母系と父系に明らかな「系統」が生じており、


1)「アーリア人の男性」が「ワンランク下の先住女性」と混血を繰り返した、
2)「低いカーストの男性」が「高いカーストの女性」と結婚するケースはほとんどなかった、

という結論になる。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332

「武士」「庶民」「奴隷」の上に絶対的権力をふるうカーストの最上位階級、バラモン(婆羅門)というのは、中央アジアにおいて極めて少数であったこの「白色人種(アーリヤン)」は、圧倒的多数の「黄色人種」や「黒色人種」の先住民と混血して、完全に同化されてしまうのを極度に恐れ、「バラモンの村」という特別区域に居住していました。

そして、彼らの持って来た民族宗教「バラモン教」の神々を武士階級と庶民階級には強制的に信仰させ、また、奴隷階級がバラモン教にふれることは禁止して、その権威を保とうとしたのでありました。

 この白人支配下のインドに生れた釈迦は、この皮膚の色にもとづく苛酷な人種差別と職業差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。

 最新の研究によれば、ブッダが積極的に人種差別廃止を目指した事実はないとされている。しかし、ブッダは不可触民に対して最上格の敬語をもって接した。この事実そのものが既に革命的なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090111/p2


平等は存在しない。しかし、全人類は「四苦」で平等となる
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20161204T0316390900.html

不可触民とも称されていた極度の差別の中の人たち


「真の平等」を知るには、凄まじい不平等が社会に定着したインドに目を向ける必要がある。

インド文化の奥の奥にまで定着した宗教はヒンドゥー教なのだが、このヒンドゥー教は、カースト制度を是正しており、それが故にインドの身分差別は苛烈なものがある。

そこには平等など存在しない。人々はカーストを意識して暮らしており、多くの人たちは自分よりも下のカーストにある人など見えないし、関心もない。

人間が違うと考えているのである。

このインドの中で最も人間扱いされていないのが、カーストにすらも入れてもらえない人たち、現在ではダリットと呼ばれている人たちである。

ダリットは「アウト・オブ・カースト」と言って、カーストにも入れないほど穢れた人であると認識されていた。あまりに穢れているので、普通の人は触ることすら不可能な存在であると言われた。

そのために不可触民(アンタッチャブル)とも称されていた。

触ることすらも不可能であると言われて毛嫌いされているのだから、これほど悲惨な差別はない。まさに人間以下(サブ・ヒューマン)である。(人間以下(Sub-human)と呼び捨てられて、生きている人たち)

インドのスラム売春地帯でひとりの女性に出会ったことがある。彼女に「あなたの宗教は何?」と聞かれたことがあって、「両親は仏教だったよ」と答えると、彼女は「私も仏教よ」と喜んだ。

彼女は何者だったのか。彼女はダリットの女性だった。

なぜ分かるのか。スラムで最底辺の売春ビジネスをしている女性はその多くが低カーストかダリットだからである。そして、こうした女性が仏教なのは、ヒンドゥー教に絶望して仏教に流れたからである。

仏教……。彼女たちが最後の希望として託した仏教はインドではどのような意味合いがあったのか。

インドの中で最も人間扱いされていないのが、カーストにすらも入れてもらえない人たち、現在ではダリットと呼ばれている人たちである。


すべての人間が抱えることになる「四苦」とは?

仏教の開祖であるブッダは、ゴータマ・シッダールタという部族長の息子として生まれて、本当であれば不自由なく生きることができる身分だった。

しかし、ゴータマは若い頃から「生きる意味」とは何かを思索し、瞑想の中で真理を探し求める性格だった。享楽も、堕落も、浮ついた遊びにも少年の頃から遠ざかり、女性にも関心を示そうとしなかった。

瞑想の中で、彼はやがて「悟り」を開くのだが、そこで人間は思う通りにならないものを4つ抱え込んだ存在であるということを喝破する。

どんなに時代が変わっても、どんな身分の人間であっても、すべての人間が抱えることになる「四苦」とは何だったのか。それは、以下のものである。

(1)生まれてくること。
(2)老いていくこと。
(3)病を得ること。
(4)死んでいくこと。

生まれるというのは、ブッダに言わせればとても困ったことのひとつである。

人の人生は誰も思う通りにいかない。誰もが生きることで苦しみ、もがき、呻吟し、嘆息する。生まれてきたから、そうやって苦しまなければならないのである。

さらに人は誰でも老いていく。若者は、いつまでも若いと思っているはずだが、やがてそうでないことに気付く。自分が老いていき、朝起きるたびに若さを失ってしまう存在であることを認めざるを得なくなる。

そして、人は誰でも病に苦しむ。健康な人は、実はこの世にはひとりもいない。すべての人が何らかの病を持っている。若さを失えば失うほど、病は深刻化していき、リカバリーできないものになる。人は病に苦しみながら生きる存在である。

そして、最後には死を迎える。誰もそこから逃れられない。死はすべての人に与えられた完全に平等な運命である。

人間はこの4つの苦しみを抱えている。誰もがそこから逃れることができない。それをブッダは悟ったのである。仏教というのは、そうした運命を抱えつつも、そんな中で平穏な気持ちで生きることを諭す教えだった。

ガンジス川ほとりで火葬される人。人は誰でも最後には死を迎える。そこから逃れられない。死はすべての人に与えられた完全に平等な運命である。


平等とは、主義主張の中にあったのではない

ブッダの両親はヒンドゥー教徒だった。このヒンドゥー教はカーストという身分制度を内包し、ブッダの時代でも低カーストや不可触民(カーストにすらも入れない人たち)が存在し、超えることのできない身分差別に苦しんでいた。

カーストという身分制度はあまりにも深くインドの文化の中に根付いて、それはもう拭い去ることができないものになっていた。そして、カーストの中で弱い身分の人々は、常に苦しみと共に生きなければならなかった。

ブッダが人々に「四苦」を意識させる教えを生み出したのはなぜか。もう一度、この四苦をよく見て欲しい。

生まれてくること。老いていくこと。病を得ること。死んでいくこと……。

それは、身分を超越し、生きるすべての人間に降りかかる苦しみであり運命だった。つまり、この四苦の前に、人々は平等になったのである。身分が高くても、金持ちでも、権力者でも、この四苦から逃れられない。

人間社会が作り出すシステムは、必ず身分制度を生み出す。資本主義は資本を核にして人間をレベル分けするものだ。

それを克服するために、社会主義や共産主義のような概念が生み出されたが、それもまた人間が人間を統治する中で身分を生み出してしまう。

そんな中で、絶対的な平等を社会に与えるとしたら、いったいどうすれがいいのか。「平等」はいかにして生み出すことができるのか。

それは、ブッダが見つけた。平等は「四苦」から生まれたのである。人間が、逃れられない4つの運命。そこから逃れようともがいてもあがいても堕ちてしまう4つの苦しみ。

その4つの苦しみの中で、人類はやっと「平等」という概念をすべての人間に当てはめることができるとブッダは「悟り」を開いた。

平等とは、主義主張の中にあったのではない。運命(カルマ)の中にあったのだ。

インドの貧しいスラム売春地帯の中で、ひとりの女性が「仏教を信じている」と私に言った。そうなのだ。彼女は自分の運命も私の運命も、四苦の中では同じ運命であると私に教えてくれていたのである。平等がそこにあった。

4つの苦しみの中で、人類はやっと「平等」という概念をすべての人間に当てはめることができるとブッダは「悟り」を開いた。平等とは、主義主張の中にあったのではない。運命(カルマ)の中にあったのだ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20161204T0316390900.html




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85. 中川隆[-7660] koaQ7Jey 2017年5月12日 20:35:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『仏教の思想1』業について(梅原猛)


 業をどう見るか

 この問いに答えるのは「業」の思想のように私は思います。仏教がただ慈悲の思想につきるものであるならば、それはどうしてこのような危機における思想として有効でありえましょうか。仏教は一方で、慈悲を強調しながら、他方、人間の深い煩悩の世界を凝視しています。

 そのような点で、「業」の思想は、今後仏教の現代的意味を考えるとき、たいへん重要な思想であると思うのです。この業の思想の深さについて、私は最近やっと気づいたばかりであり、いつか稿を改めて論じたいと思います。ここでは簡単に触れるだけにとどめるよりしかたがないと思います。

業の思想が、例の十二因縁の思想と深いつながりを持っていることは確かであります。十二因縁とはなんでしょうか。その点、増谷先生のくわしい説明がありますので、ここではくわしく触れる

必要がないかと思います。

 木村泰賢氏によれば、十二因縁の解釈には、三つの解釈の仕方があるというのであります。第一は論理的な解釈、つまり十二因縁、無明から老死までの十二因縁を、論理的範疇として考える考え方であります。第二は、それを心理的あるいは倫理的、現代の哲学用語を使えば、実存的に解釈する道であります。つまり、老や死を、苦と思うことの原因を、渇愛と無明に求める、これが十二因縁の意味であるという解釈であります。それから第三に、十二因縁を実在的に、宇宙的生の発展のあり方を述べたものであるという説があります。つまり、無明から存在するものは発生し、行識を通り、最後に人間が出て老死が生じたという解釈であります。

 このうち、のちの仏教において、とくに部派仏教において有力になったのは、第三の実在的な因果の考え方であったようです。因果はまさに生命の理法を示したものというわけです。しかもその因果が、道徳の問題と結合するとき、善因善果、悪因悪果、三世の因果という考え方が生まれます。

われわれが長い間、因果の概念で知っていたのは、このような因果概念でありました。私は子どものころ、縁日に見世物を見に行きましたが、そこにはロクロ首の女や熊女などがいました。このロクロ女や熊女は親の因果が子に報いて、このような片輪者になったといわれました。明治以前までわれわれ日本人はよいことがあると、先祖のおかげでといって喜び、悪いことがあると、親の因果と思ってあきらめたものでした。

 因果の概念には宿命論的ひびきがあります。そこには、おのれの運命への諦めがあります。そして同時に、このような現世の運不運を、人間の理解できない前世の因縁と結びつけることによって、仏教は、はなはだしく、理性の正しい行使を傷つけます。因果の概念は、まさに、日本人を諦観にしばりつけるとともに、日本人の理性をマヒさせた最大の元凶のようでした。

 長い間、仏教は因果の概念をつかって、民衆に道徳を教えましたが、その概念の拡張解釈は、人問に諦観を与えるとともに、人間理性の正しい行使を妨げることに役立ったようです。近代の精神は、このような因果因縁の概念を否定することから生じるのであります。近代的理性にとって、このような因果因縁の概念こそ、まさに仏教のインチキ性を証明するものと映ったにちがいありません。

 このような因果因縁の概念は、まさに仏教の恥部であったわけです。明治以後、日本の仏教学者が、仏教の束縛を離れて、ヨーロッパから、直接に釈迦仏教を研究する方法を学びとったとき、彼らは、彼らが従来釈迦の教説と思っている仏教が、実は釈迦の仏教でもなんでもなく、はるか後代において、釈迦の名にかこつけて作られた経典編集者の思想にすぎないことを知ってビックリしたものでありました。

そればかりか、釈迦以来、二千何百年という年月は、同じことばの意味をも、まったく変えてしまったようでありました。釈迦の十二因縁の思想は、どうやら、因縁・因果の名でもって、われわれの現実に知られていた思想とまったく別な思想のようでありました。因縁の思想を釈迦それ自身において考える必要があります。明治以来の根本仏教と解する原始仏教の研究は、結局この因縁の概念、因果の概念を明らかにすることにあったといってよいかもしれません。因縁をあの伝統的な汚名から解放すること、それほあたかも、文明開化の時代の文化人に不評となった仏教を、その迷信の汚名から解放するかのような意味をもっていました。


 因縁の論理的解釈

 このうち、論理的解釈はもっとも近代的解釈のようであります。このような解釈の代表が、宇井伯寿氏の『十二因縁の解釈−縁起説の意義−』と和辻哲郎氏の『原始仏教の実践哲学』であるといわれます。じつは、この解釈には、すでに先例があり、新カント派の哲学者マックス.ワレーザーが、『原始仏教の哲学的基礎』という本を書き論理的解釈の先鞭をつけたといいます。

ワレーザーの本を私は読んでいませんので、はっきりしたことは申しかねますが、日本においてこのような理解がはなばなしく、出てきたときは、まさに新カント学派の全盛時代であったことに注意する必要があります。新カント学派は、ヴィンデルバントやリッケルトに代表されるカント復興運動でありますが、それは、当時ドイツに広がったカント以後の非合理主義的な思想に反対して、カントの合理主義に帰れという運動でありました。いわば、それは小市民の合理主義を代表するものでありましょうが、なんでもドイツ哲学を最高の真理として学ぶ日本の哲学者のサル真似主義が大正デモクラシー運動と結びつき、日本の哲学者はほとんど新カント派の哲学者になりました。このとき秀才の文献学的仏教学者宇井伯寿氏と、秀才哲学者和辻氏のみごとな理性主義的仏教解釈が生まれたのです。

 新カント派は非合理主義、人間の本質を非合理な意志や感情におく非合理主義に深いにくしみをもっていました。そして彼らが、もっともきらったのはショウペンハウエルでした。なぜなら、ショウペンハウエルは、彼らの尊敬する師カントを非合理主義のほうにねじまげたからです。

 ところがまさに仏教は、とくに原始仏教は、従来ショウペンハウエルの見地で見られていたわけです。ショウペンハウエルは、世界を動かしているものを、近代哲学の伝統に反して、理性として考えず、盲目の意志として考えます。われわれの生命を支配する盲目の意志、この盲目の意志は、必然的に人間を苦悩におとしいれます。意志の世界は必然的に苦の世界であります。この苦の世界から、人間を救い出す必要かあります。そのためには、この意志を否定すること、我の意志を否定することが必要であるとショウぺンハウエルは考えます。ショウぺンハウエルは、釈迦の思想中に、このような意志否定の哲学を見て驚くわけです。ショウぺンハウエルは、釈迦の涅槃をこのような意志否定の境地として解釈します。

 ショウぺンハウエルの弟子、ドイッセンは、この師の思想に啓発されて、仏教の研究を志します。

つまりヨーロッパは、ショウぺンハウエル思想によって、仏教を発見するわけです。そして、西洋の仏教学をそのまま学んだ明治以前の日本の仏教学も、またショウぺンハウエルから仏教を見ていたわけです。仏教学者姉崎正治氏は、ショウぺンハウエルの『意志と現識としての世界』の訳者でありますし、木村泰賢氏もショウぺンハウエルに大きな影響を受けています。

 ヨーロッパの哲学、ドイツの哲学がショウぺンハウエルから抜け出そうとしていたのです。ドイツの哲学、とくに現在流行しているドイツの流行哲学を最高の哲学と無邪気に思っている日本の哲学者が、このような風潮により、仏教解釈においても、ショウぺンハウエルを抜け出て、カントに帰ろうとしたのは当然であります。そこから和辻氏の解釈が出てまいります。和辻氏の解釈は、死の解釈において、その本質をむき出しています。死は彼によれはVergehenすることです。つまり過ぎてゆくことであります。死ははたして単なる過ぎてゆくことでありましょうか。

ここで、釈迦の人間の苦悩を語ったかの偉大なる教説が、論理的範疇(はんちゅう)論に化するのです。ハイデッガーはExistenzialistat実存範疇ということばを作っています。それは実存的人間存在を表わす範疇であり、それはKategorie論理的範疇とまったく違うというのです。退屈や不安はエキジステンチアリテートに属しますが、カテゴリーには属しません。和辻氏はまさに、ここで一つの誤謬を犯したのです。それは実存範噂に属することを、論理的範疇の意味に解釈したという誤謬です。宗教的不安なしに仏教を見たすぐれた文献学者宇井氏が、そのような誤謬を犯したのは当然かもしれません。和辻氏は、この宇井氏の解釈を哲学的に根拠づけたわけです。まことに才気あるさっそうたる誤謬であります。

 従来から私は和辻氏に対して、きびしすぎる批判をくだしてきましたが、別に和辻氏に恨みがあるわけではありません。私は和辻氏を、むしろ私どもの仕事の先輩として、尊敬すらしています。

しかし私は、和辻氏の青年時代はまだヨーロッパの最先端の哲学に真理そのものが住んでいるという幻想を脱却することができなかったのではないかと思うのです。

 十二因縁を論理的に解釈すること、それはまさに仏教の合理化であり、近代化であるようでありました、この因縁という仏教の汚点のように見える思想を、長い間の不名誉から救うすばらしい行為のようでありました。しかし、因果・因縁を論理的カテゴリーとして解釈して、いったいどういう利益があるというのでしょう。われわれはそこに、ただ、不明確に語られたカント哲学を見るだけであります。釈迦の思想を不明瞭に語られたカント哲学としてみることは、はたして釈迦にとって名誉でありましょうか。当時のインテリの目からみれば、それは名誉なことであったのでしょう

が、いかんながら、釈迦の十二因縁を、論理的カテゴリーとして解釈することは、まったくの誤解のようであります。

 因縁の実存的解釈

 このような解釈より、さきに述べた木村氏の第二の解釈のほうが、ほるかに正しい解釈であると思います。つまり釈迦は、やはり生病老死の原因を求めるのです。どうして人間の世界に苦があるか、世界の苦の原因は何か。そしてその原因をわれわれの心の中にある渇愛と無明に求めます。渇愛は欲望を欲望の側から、無明はむしろ知の側からそれがわれわれの知をくらませるものとしてとらえるわけです。つまりこの老死の苦の原因が、渇愛または無明、すなわち盲目の意志というわけです。このような解釈はショウペンハウエル的ですが、同時に、明治時代の日本の原始仏教研究家の多くの意見です。私はこの見方は一応正しいのではないかと思います。

 人間には苦がある。苦の原因は何か。渇愛あるいは無明。この渇愛、無明を滅ぼせ。このような苦の原因の追求と、同時に苦の滅びに関する追求、それはけっして論理的追求ではなく実存的追求といわれるべきものと思います。釈迦の思想は実存的なものであります。したがって、このような実存的な釈迦は論理的な解釈よりはるかに正しさをもちます。

 人間における渇愛と無明の深さ、のちの仏教はそれを煩悩といいます。そして仏教はじっとおのれの心の姿を見ているところがあります。暗い闇の心の凝視、それが仏教に、キリスト教以上の深みを与える思想的特質なのです。ヨーロッパの哲学では、人間を理性的自我としてとらえます。しかし、人間は理性的自我に尽きません。人間の中には深い煩悩の相がありノます。無明は無知と違います。無知は知らない心ですが、無明は知っていても止められない心であります。このような心、深い煩悩の心の考察は、ヨーロッパにおいて、ショウペンハウエル以後においてはじめて自覚に上されました。近代的な無意識の発見者フロイドは、ショウペンハウエルとニーチェから思想的示唆を得たというわけです。このように煩悩の世界、無明の世界は西洋において、ショウペンハウエル以来の哲学の一潮流にすぎないのですが、仏教ではこの間題が思想の中心問題となります。闇の煩悩の凝視、そこに仏教思想の深さがあります。

 このように解された十二因縁の説は、はなはだ倫理的にして、しかも実存的な説であります。死の苦の原因は、無明渇愛にある、その渇愛無明を捨てたまえ。

 このような十二因縁の見方は、はなはだ倫理的、実存的であります。たしかにこの理解は仏教理解の解釈として実存的であります。まさにこれこそすぐれた十二因縁の解釈であるといえます。

 しかし、はたして十二因縁はこのような意味に尽きるでしょうか。木村泰賢氏は、十二因縁はこのような意味には尽きない、そこには実在する生命の発展過程を、時間的に説明するという面もあると言うのです。たとえば、無明行識の識といわれるものは、受胎の状態に比せられます。つまり十二因縁はすべての存在するものが発生し、老死を生み出すまでの時間的契機を明らかにしたものだと言うのです。

 このような実在的生命観は、因果理解に、道徳的要求が加わった場合、あの善因善果、悪因悪果の説すなわち、よい行為にはよい結果が伴い、悪い行為には悪い結果が伴うという考え方が生じます。しかしこのような縁起の概念をとる仏教学者は現代では少ないようです。むしろ、それは宗派を代表する古い仏教学者の意見に多いようです。木村泰賢氏は、第二の実存的な思想が因果概念にあることを認めながら、同時に、実在的な因果概念も仏教においては無視できない思想であると言われます。


 人類の業

 私はこの第二のいわば、倫理的、あるいは心理的、あるいは実存的な因果理解は、たしかに近代的な正しい因縁概念の理解と思いますが、それはいささか不十分なのではないかと思うようになりました。なぜなら、そこではあくまで個人の存在が問題の中心でありました。実存は、むしろ個人に尽きています。

したがって、十二因縁の否定は、個人の内面のみでよいわけです。けれど、はたして、原始仏教は現代哲学のように個人中心主義的でしょうか。あるいほ、はたして因果関係に、個人を越えて拡大されることはないでしょうか。個人は個人を越えた因果関係によってしばられない、それはむしろ、近代的個人主義の立場の前提です。しかしはたしてそうでしょうか、親の因果ははたして、子に報いないでしょうか。祖先のしわざがわれわれの滅びの原因になることがまったくないのでしょうか。われわれが何万年の間になってきた運命によって、われわれが左右されることははたしてよいのでしょうか。われわれが本能という名で呼んでいる能力、これはやはりわれわれが祖先から伝えた一つの潜在能力ではないでしょうか。われわれの祖先がわれわれに投げかけた運命に、われわれが支配を受けることはないのでしょうか。

 私はやはり、因縁の問題を単なる倫理的、心理的、あるいは実存的問題に限定するのは正しい解釈ではないのではないかと思います。やはり、人間が、自己を越えた因果、いってみれば、普遍なる宇宙の生命発生以来の運命の支配を受けているという考えが、十二因縁の思想の中にあるように思うのです。

こういう宇宙発生以来の生命の無意識の支配力を「業」というのでありましょう。仏教ではこのような業を認めますが、仏教では自己を業のままに流させるのではなく、業からの脱出をはかるのであります。業にまとわれるかぎり、人間は永遠に苦の世界に坤吟します。この菅の世界、永遠の輪廻(りんね)の世界をまぬがれるには、因果のくさびを切る必要があります。人類が発生以来、になっている重い煩悩の鎖の環を切り取ること、ここに仏教の教説があるわけです。


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ヒンドゥー教の預言。労働者の時代が終われば次は何か?
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151008T0230130900.html

年末にインドに行くと、街中の露店がいっせいにカレンダーを売り出しているのを見かける。

そのカレンダーにはボリウッドの美人女優の顔が並んでいることもあるが、最も多いのは神々を描いたものである。

ヒンドゥー教のシヴァ神、象神ガネーシャ、あるいはラクシュミー、ハヌマーン等の神々が描かれ、飾られているので、まるで露店が神々の祭典のように見える。

インドでは今も祭壇に夕方のある時間になると人々が集まって一心不乱に祈念している姿もある。

昼間の何気ない時間でも、街のあちこちにある祭壇にごく普通の会社勤めと思われる男性が足を止めて手を合わせてから去っていく姿を見かける。

スラムに住む貧しい女性の部屋に行くと、どの女性の部屋にもドアの上や壁の目立つところにシヴァのポスターがうやうやしく飾られている。


カーストは古来は「4つのグループ」の区分け

このように、インドにはヒンドゥー教が依然として根強く存在しているのは、インドに降り立った人間なら誰でも気付く。インド人から宗教を取り上げるのは不可能だ。

だから、このヒンドゥー教が有している大きな問題「カースト制度」がインドから消えることもないだろう。それは、インド社会にもはや歴史的文化として根付いているので、除去することは不可能だとも言われている。

カーストというのは「身分制度(クラス)」のことだが、カーストのクラスは本来は「身分」というよりも、まったく違った4つの行動様式を持つグループとしての区分けで始まったものだったと言われている。基本的な4つのグループとは以下のものを指す。

(1)バラモン
(2)クシャトリヤ
(3)ヴァイシャ
(4)シュードラ

現在ではこれが細分化されて数千にも及ぶカーストとなっているのだが、そもそもこの4つのグループの意味は何のグループだったのか。それはこうだ。

(1)求道する、宗教を信じる、精神世界を追求する
(2)戦う、鍛える、勝ち取る
(3)商売をする、稼ぐ、貯蓄する
(4)働く、肉体労働する

時代が経つにつれて、この分類はバラモンが「支配者」になってシュードラが「奴隷」になるような意味の変質が行われていくようになり、差別問題としてつながっていくようになる。

しかし、古来のヒンドゥー教はこの4つのグループの貴賤を論じるために並べたのではなく、「ひとりの人間の中にこの4つの行動様式はすべて含まれており、これらは輪廻する」という意味でグループ化されたと言われている。

インド社会の根底にあるヒンドゥー教は、「ひとりの人間の中に4つの行動様式が含まれている」としている。


輪廻転生(生まれ変わり)のもうひとつの対象

ある人間は宗教を追求する。だからその人は「バラモン」になる。ある人は戦いを追求する。だからその人は「クシャトリヤ」になる。

ある人はビジネスを追求する。だからその人は「ヴァイシャ」になる。ある人は労働を追求する。だからその人は「シュードラ」になる。

この4つグループは職業として「固定化」されたが、その固定化がインドの歴史に大きな禍根を生み出すようになった。

本当は「4つの道をひとりの人がすべて持っている」という本来の姿であった方が良かったのである。そうでないと、ヒンドゥー教が預言している一連の思想が分からなくなってしまうからだ。

古来ヒンドゥー教はなぜこの4つのグループを分けたのか。

ヒンドゥー教は「輪廻転生(生まれ変わり)」を取り入れている宗教であることはよく知っているはずだ。インドでは死は終わりを意味しているのではなく、新しい生まれ変わりを意味している。

人々が熱心に祈っているのは、次に生まれ変わるときは良い身分で生まれ変わって欲しいと思うからである。

この人間の生まれ変わり思想は日本でもよく知られているが、ヒンドゥー教の「輪廻」は、もうひとつ大きなサークルがある。実は、ヒンドゥー教は「歴史」も輪廻して永遠に続くと言われているのである。

そして、ここにカーストの4つのグループが関わってくる。

ヒンドゥー教は4つの時代が順番に繰り返して、それが無限に続くと言われている。その4つが以下のものである。

(1)求道・宗教・精神の時代
(2)戦争・戦士の時代
(3)商売・商人の時代
(4)労働者の時代

まさに、バラモンの時代、クシャトリアの時代、ヴァイシャの時代、シュードラの時代と連動している。それぞれの時代が順番にやってきて、4つが終わるとまた求道・宗教・精神の時代に入っていくのだという。人間の歴史はこれを無限に繰り返すというのがヒンドゥーの預言だ。

バラモンの時代、クシャトリアの時代、ヴァイシャの時代、シュードラの時代と連動している。それぞれの時代が順番にやってきて、4つが終わるとまた求道・宗教・精神の時代に入っていくのだという。


現代が終わったとき、次はどんな時代が来るのか?

世の中は複雑怪奇であり、何事も単純に進まない。だから、4つの時代が繰り返すと言っても必ずしも本当にその通りに歴史が道を辿るとは言えない。

しかし、古代のヒンドゥー教の示したこの歴史認識はとても示唆に富んでいるように見える。

日本も求道することに意味があった時代もあれば、軍人が社会を動かし戦争が時代を覆い尽くした時代もあれば、商売が全盛になった時代もあれば、誰もが労働者になっていく今のような時代もある。

アメリカもまた時代の境目をどこで区切るのかは別にして、似たような経緯を辿っている。他の国も、大体似たような歴史を辿っているはずだ。

私たちは現在、資本主義の世界に生きている。かつての資本主義は「商売して儲けよう」とみんなが思う資本主義だったので、商売・商人の時代に近かった。

しかし、今の資本主義は超巨大な多国籍企業がすべての富を収奪し、全人類を労働者にしてしまうような時代になっている。つまり「労働者の時代」に入っている。

勤め人の中には「自分たちは奴隷だ、社畜だ」と自嘲する人もいるが、まさに「労働者の時代」の真っ只中にいると感じる人も多いだろう。

1%の超金持ちと99%の労働者(貧困層)の社会は持続可能とは思えないと誰もが思うはずだ。しかし、この時代が自壊したら次はどんな時代が来るのか、誰も予測することすらもできないはずだ。未来は誰にも分からないのだから当然だ。

しかし、ヒンドゥー教はこの問いに対して答えを出しているのである。

「労働者の時代が終わると、また求道者の時代に戻る」

本当なのかどうかは誰にも分からない。信じるかどうかもあなた次第だ。未来に思いを馳せるとき、このヒンドゥー教の教えをベースに考えると面白いかもしれない。

いずれにしても、人間の歴史が終わらないで延々と続くのであれば、その時代その時代で人間の求めるものや権勢を持ったグループが変わっていくというのは間違いない。

私たちは今、明らかに「労働者の時代」の真っ只中にいる。果たして、いつ時代の転換が来るのだろうか。そして時代の変転がやってきたとき、次は「宗教の時代」に入っているのだろうか……。

繰り返しが連続するマンダラ。ここにも「輪廻」が隠されている。ヒンドゥーは無限の宗教である。4つの時代が無限に繰り返し、移り変わると考えている。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151008T0230130900.html


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86. 中川隆[-7659] koaQ7Jey 2017年5月12日 20:51:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

初期仏教から7、8世紀頃までの仏教は、その最大の手段は、業と煩悩の止滅を追求する<止滅の道>であった。

この多分に都会的な形而上学的、自己探求型の宗教は、当時の豊かな商業経済に裏付けられた都市型の文明に支えられていた。

シッタータ王子も生まれてから青年に達するまで宮殿をほとんど出たことがない。仏教は、アーバンな衒学的な色彩を有した貴族の宗教たり得たのである。

ところが、貿易相手の西ローマ帝国の滅亡とともに、社会のあり方が、重商経済国家から、帰農国家に様変わりしていったのだ。農村中心の社会が再構成されるに従い、仏教も土臭い庶民の心に対応していくことになる。つまり、出家僧個人の精神的至福の追求から、在家信徒の現世利益追求型へのゆるやかな転換である。

 その過程において、4、5世紀頃から徐々に7、8世紀頃にかけて、護摩祭などの集団的祭礼、血骨皮を用いる土着信仰儀礼の浸食、性的オルギア、そして、憑依現象の利用などが顕著になってきた。

ただし、こと憑依に関しては、完全な忘我状態にあるのではなく、自意識を有して観想状態に入るというというという優位性を主張できたのではあるが。
http://akibba.no.coocan.jp/ARCHV/sirin/3posss.html


仏教は宗教ではない。という見解がある。

 宗教とは、人間と神の関係を<信仰>を軸に構築したものである。そこにおける神とは、ユダヤ教や、イスラム教のように創造神であったり、キリスト教のように創造神/聖霊/メシアの統合体(三位一体)、クリシュナ教徒のように近代化された古代神だったりするが、ある種の霊的超越者であり、多くは宇宙創造神である。

 ところが、仏教は成立の初期において、教祖自身にこの種の信仰心が希薄なのである。教祖シッタータ王子は、人間として真理に到達したが、自分が神であると宣言した訳ではないし、神の預言者であった訳でもない。

 そもそも釈迦族のシッタータ王子は、クシャトリア階級の出目であるからバラモン階級のように精神世界に没入する訳にはいかなかった。

インドのカースト制度において伝統的な神事は、バラモン階級の専売特許であった。
そこで、かれは当時流行の精神世界ヒッピーである「沙門」になる道を選んだ。

沙門になるのは、簡単である。身分も問われない。「わたしは、沙門になった。」と宣言し、林住期や遊行期の老バラモンのように無一文で修行三昧の生活に入れば良いのだ。

 かれは様々な行者に倣い瞑想を深め、宇宙と人のあり方を追求した。その意味で、シッタータ王子は宗教家と言うよりも実践的哲学者、精神修行者であった。かれが求めたのは宇宙構造、なかんずく人間(小宇宙)と大宇宙の関係に関する真実(真理)であり、輪廻という循環構造からの自己の解放であった。最近のひ弱な修行者のように精神的な安寧や、既存の神話体系を借定したヌミノース体験を追求した訳ではない。

 その意味で、かれはニューエイジ・サイエンスを極めたと言っても良い。

 そして、<12因縁の順観と逆観>という瞑想法を経て<成仏>したのである。

 シッタータ王子が悟りを開いた後、その悟りを開くプロセスを<現法的梵行>と呼んだ。

現法的梵行とは、津田博士の言を借りると

「八正道の本質というのは、<現法的梵行>、すなわち、一生の間性的貞潔を守る、要するにセックスをしないということです。」

ということだ。

つまり、仏教において、最大の戒律は、<不犯>であった。 

もちろん、これは人間の本能に著しく反する行為である。
インド人にとって、性生活を営むことと生きることはほとんど同義語であり、<現法的梵行>に従うことは、生きることを放棄せよと命令するのに等しい。

 悟達したシッタータ王子、いや釈迦無二仏陀は、この非人道的なシステムに人間が耐えられる訳がないと判断し、教えを伝授するのを断念(これを<不説>という。)し、そのまま涅槃に入ろうとした。

いかに真理であろうと、多数の人間が賛同できるか、少なくとも甘受できるシステムでないと、衆生の絶望を深めるだけだからだ。

このときのシッタータ王子の判断は、良く理解できる。かれは衆生のために真理探究の道に入った訳ではない。深刻な実存的疑問を味わって、その解決のために天才的な能力を傾けた青年なのである。大宇宙と小宇宙に通底する真理を会得したからには、それを理解できず、まして、実践するなどおよそ不可能であろう大多数の人間に、無理な教えを提示するよりは、自得した理法を用いて、存在の次の位相に転移し、先を探ろうとするのは、探求者としては自然な成行きである。

 ところが、伝承によると、梵天王(ブラーフマン)が釈迦無二菩薩の<不説>をいち早く知り、その場に伺候して熱心に説法を勧請する。つまり、「世界に教えを説くまで、涅槃に入るのを思いとどまる」ように懇願した。

釈迦が法を説かねば人間社会(六道を含めると人間以外も含まれるが)が敗壊する。世界そのものが敗壊すると、梵天は惑乱したという。梵天は、いわば上位霊的存在であったが、人間のように活動界に根を置いていないため、輪廻を解脱する方法を開発できなかったのだ。

また、護法天としての本能が、いまや六界に教えを説く立場となった仏陀が責任を放棄して、自分の手の届かない領域に避難してしまうのを阻止するという使命感にも燃えていたのであろう。この勧請は成功し、釈迦はこの熱意に打たれて、あらためて世界を慈悲の目で見て説法に踏み切る。これを<梵天勧請>と言う。

 ところで、津田眞一博士は、ここに梵天を使嗾した上位の無名神を想定する。かれの作業仮説である<開放系の神>においては、梵天勧請がなされるまで釈迦が<不説>に傾いていたことから、釈迦の<慈悲>を外部からもたらした存在、<閉鎖系>である釈迦の仏法をも内包する<開放系>の神を想定したのだ。

 この<開放系の神>とは、『リグ・ヴェーダ』に言及される根源神プルシャのように、世界を身体とする神、地球そのもの、或いは生命の自然の流れの総体のようなものと考えられる。<出家主義的な現法的梵行>という生命の潮流に反する行為は、巨大な宇宙の順流に対する部分的な反流を発生させる。そして、この意図的に起こされた反自然のベクトルが、「世界を敗壊させない」ために必要な刺激となっている。

 梵天勧請により、釈迦が不説を撤回し、人間の生命潮流に僅かな反流を発生させた。

 生命潮流とは、何か。それは、個々の生命が織りなす巨大な潮流である。その一端は、『リグ・ヴェーダ』にある宇宙の開闢に端を発し、インド神の宇宙論によれば無窮の未来において目覚めたヴィシュヌ神(または、シヴァ神)が新羅万象を破壊し尽くす、宇宙の終焉までの長い時間軸を中心に螺旋状に存在するすべての生命の軌跡である。

その一部のみが地上の生命として現れ、目にすることができるが、インド的輪廻転生の思想によれば生と死はひとつの道の表と裏であり、生命潮流の螺旋は、その上昇弧では誕生、成長、老衰、死という生命の顕在部分を、下降弧においては、輪廻転生を準備する同じ生命の糸の未顕現部分を表すことになる。

そして、幾億とも知れぬ生命の支流の総体が、意志をもつ、プルシャ、すなわち未顕在の<梵(ブラーフマ)>と無数の目覚めた<神我(アートマン)>として、<開放系の神>を形作る。この巨大で、かつ微小の存在が、自らの運動の正常値を保つために、<現法的梵行>という反流、または生命潮流からの逸脱を必要としていた。

 星ひとつ分の生命、インド人の思想によれば、その中には人間のみならず、鳥獣草木はおろか、六道の精霊、魔獣すべてが含まれる巨大な生命のうねりに比べると、仏教の一僧侶の生命は余りにも小さいが、その生命の輝き(津田博士は、<intensite>(激烈さ)という用語を使っているが)において、神と対面し、神を癒すほどの働きをもつのであると言う。当代随一の仏教思想家(哲学者)の思想が、SF作家光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』と同じような結論に導かれるのも面白い。

 津田博士の仮説は大胆であるので、その後の歴史的動きを見てみよう。

 仏陀の生存中の教団は、その哲学を科学的正確さで追求した。理法の内容からして、一般の社会人が、たとえ王侯貴族であろうと、身分を保持し、社会生活を営みながら<最初期の解脱プログラム>を履修できるものではない。

そのためには社会生活と肉親の全てを犠牲にし、出家する必要があった。仏陀が懸念したように、ほとんどの人間には実修できるものではない。

しかも、後に<波羅密の方法>(パーラミターナヤ)と呼ばれる釈迦の教えは、非常に時間を必要とした。人間の一生ではまかない切れず、<三阿僧祇劫>という膨大な時間をかけて、何度も生まれ変わり、僧として修行を繰り返して、初めて解脱できるのである。

大多数の衆生は、仏陀の教え、最終的な解脱からは切り離されていた。仏陀の教団についていける者たちは小数のエリートだったのだ。

 従って、当然のことだが、カリスマ的指導者である仏陀の没後に、教団は崩落した。

 それは<神秘哲学の閉鎖的実践集団>から、<教祖を神格化した布教集団>への変貌、或いは教えの民衆化という運動に現れた。

これを追求した者たちは、自分たちの運動を<大乗>と呼び、仏陀の本来の教えに忠実な者たち(上座部仏教)を侮蔑の念をこめて<小乗>と呼んだ。

「乗」とは<乗り物>の意味であり、<大乗>の方が多くの民草を救えるという自負が呼ばせたものだ。

 しかし、仏陀の発見した真理の本質的部分が変化した訳ではない。大乗仏教の僧侶は、トリックを使ったのだ。

釈迦の方法論は、人間の業や煩悩を無くすために否定的な努力を重ねる<止滅の道>(ニヴリッティ・マールガ)と、世間的活動を積極的に行い心活動を活発にする<促進の道>(プラヴリッティ・マールガ)という二つの相反する方法論に集約できるが、上座部仏教では主として<止滅の道>を、大乗仏教では主として<促進の道>を励行した。

正しい行為を積み重ねれば、仏陀への信仰心を維持し、「やがては安心往生できる」というのは<促進の道>としても、かなり欺瞞的な教えである。

単なる善行のレベルで、修行もしない衆生が輪廻の枠の外に出ることはないからだ。

 ユダヤ教のハシドのように、日々の生活のなかにティクーンを織り込み<殻>(クリパー)の内部に聖なるものを満たすことにより、<神聖なる火花>(フンケ)をひとつひとつ解放していこうという運動に似ていなくもないが、ハシドにしても<輪>(ギルガル)から離脱するためには超人的な刻苦勉励が必要なのである。

ハシディズムの教えでは、毎夜、人間の霊魂は眠りとともに肉体を離れ、その一日分の罪科について天使の審判を受けるとされた。そして、死の瞬間に罪科が重ければ、抜き身の剣を保持した天使が、復活もままならぬように死者の霊体をぎざぎざに切り刻んでしまうのである。

 大乗仏教の僧都が、衆生の目から真理を隠して、道徳性で埋めて教えた動機は、あまりにも残酷な真理(在家信徒は所詮、解脱できない。)から目をそらす<大慈悲>であっただろう。そこにはドストエフスキーの『大審問官』がクリストスを非難する感動的な場面に通じる「神に離反しても民草を愛する」という覚悟が読みとれる。しかし、哲学的立場から見れば、嘘は嘘である。

 後に、この欺瞞が密教の発展とともに自然解消し、<真言の方法>(マントラナヤ)と呼ばれる現在の時間短縮の手段が開発される。弘法大師は、これを<即身成仏>と呼んだ。ある意味では「嘘から出た誠」である。

<真言の方法>にもいくつものやり方がある。日本に伝教し真言密教では、『大日経』において、真口意の<三密行>が説かれ、『金剛頂経』では<五相成身観>が説かれた。

ところが、後期密教においては、成仏実現のリアリティを高めるため、三密のうち身体要素が強調され、生理的行法や、性的行法が導入され、それを理論化、細密化していく。

 性を否定した仏教が、インドにおける最後の発展形態である後期密教において、性を肯定するがごとき教義に変化していったのは、興味深いものがある。

 チベット仏教のサキャ派の碩学サチェン・クンガーニンポは、著書『密教概論』において、大乗仏教の顕教と密教の違いを次のようにまとめている。

 顕教は、愛欲などの煩悩を打ちきる必要があり、<法身>と<色身>を成就するための菩薩としての修行期間が長い。それ故に<因乗>と呼ばれる。

 密教は、愛欲を立つ必要がない。短い期間で果を得るので、<果乗>と呼ばれる。

 つまりは、シッタータ王子が反自然的かつ直線的な技法で得た果を、自然かつ迂回的な技法で達成しようとするのが密教であるとも言える。システムは常に進化するのである。
http://akibba.no.coocan.jp/ARCHV/sirin/1anti.html

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87. 中川隆[-7658] koaQ7Jey 2017年5月12日 20:54:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

釈迦はコーカソイドだった


ガウタマ・シッダールタ Y染色体ハプログループR1a1a1b系統 【アーリア系】


インド・アーリア系(注1)シャーキャ族(注2)の尊者であるガウタマ・シッダールタ(注3)のY染色体は、ハプログループR1a1a1b1a2(R-Z280)(注4)であると推定されている(注5)(注6)。

これは、シャーキャ族王族の男系子孫であるパキスタン人男性から得られたデータと、仏舎利の調査に基づくものである(注7)。

ガウタマ・シッダールタの火葬骨である仏舎利は、マウリヤ朝のアショーカ王の時代に8万余に分骨され膨大な寺院に再配布された。
日本へは推古天皇の時代に舶来(注8)し、推古元年正月15日(西暦593年)には、法興寺の刹の柱の礎の中に置かれた(注9)。

http://famousdna.wiki.fc2.com/upload_dir/f/famousdna/8e8fbd1f41170b337bd75b24281163cd.jpeg


picture from Wikipedia

注1)A study headed by geneticist Z. Zhao et al. (2009) based on an analysis of "32 Y-chromosomal markers in 560 North Indian males collected from three higher caste groups (Brahmins, Chaturvedis and Bhargavas) and two Muslims groups (Shia and Sunni) were genotyped" found that "a substantial part of today's North Indian paternal gene pool was contributed by Central Asian lineages who are Indo-European speakers, suggesting that extant Indian caste groups are primarily the descendants of Indo-European migrants."

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2755252/

An increasing number of studies have found South Asia to have the highest level of diversity of Y-STR haplotype variation within R1a1a, such as those of Kivisild et al. (2003), Mirabel et al. (2009) and Sharma et al. (2007, 2009).

注2)平凡社『世界大百科事典』釈迦族

注3)Sengupta et al. in their 2006 paper in the American Journal of Human Genetics say that "Our overall inference is that an early Holocene expansion in northwestern India (including the Indus Valley) contributed R1a1-M17 chromosomes both to the Central Asian and South Asian tribes".

注4)Haplogroup R1a as the Proto Indo-Europeans and the Legendary Aryans as Witnessed by the DNA of Their Current Descendants http://www.pnas.org/content/103/4/843.full

注5)A prehistory of Indian Y chromosomes: Evaluating demic diffusion scenarios

注6)Polarity and Temporality of High-Resolution Y-Chromosome Distributions in India Identify Both Indigenous and Exogenous Expansions and Reveal Minor Genetic Influence of Central Asian Pastoralists, by Sanghamitra Sengupta,1 Lev A. Zhivotovsky,2 Roy King,3 S. Q. Mehdi,4 Christopher A.

Edmonds,3 Cheryl-Emiliane T. Chow,3 Alice A. Lin,3 Mitashree Mitra,5 Samir K. Sil,6 A. Ramesh,7 M. V. Usha Rani,8 Chitra M. Thakur,9 L. Luca Cavalli-Sforza,3 Partha P. Majumder,1 and Peter A. Underhill3, 1Human Genetics Unit, Indian Statistical Institute, Kolkata, India; 2N. I. Vavilov Institute of General Genetics, Russian Academy of Sciences, Moscow; 3Department of Genetics, Stanford University, Stanford; 4Biomedical and Genetic Engineering Division, Dr. A. Q. Khan Research Laboratories, Islamabad; 5School of Studies in Anthropology, Pandit Ravishankar Shukla University, Raipur, India; 6University of Tripura, Tripura, India; 7Department of Genetics, University of Madras, Chennai, India; 8Department of Environmental Sciences, Bharathiar University, Coimbatore, India; and 9B. J. Wadia Hospital for Children, Mumbai, India http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=1380230

注7)"R-Z280(R1a1a1b1a2) Origin of the Saka Races"

注8)『日本書紀』、推古元年正月15日(西暦593年)に、「仏の舎利を以て、法興寺の刹の柱の礎の中に置く」とある。

注9)仏舎利は593年に芯礎に安置されたが、1196年に落雷のため仏塔が焼失した。そのため、翌年いったん仏舎利は掘り出され、新しい舎利容器を木箱に入れて、ふたたび仏塔の芯礎部分に埋められた。1956年に行われた飛鳥寺周辺の発掘調査により、法興寺の遺構の仏塔跡地の芯礎から木箱に収められた仏舎利が発見されている。
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93R1a%E7%B3%BB%E7%B5%B1


ハプログループR1aはインド北部から中央アジアや東ヨーロッパに高頻度に分布している。

ロシア人(ベルゴロド州)に59.4%[2]、ポーランド人に55.9%[3]、パシュトゥーン人に51%[4]、インド北部に48.9%[5]、アルタイ人に46.9%[6]、タジク人に44.7%[7]など。したがって、インド・ヨーロッパ語族に属する集団が、このハプログループR1a系統(特にR1a1a)と、ほぼ同等であろうと考えられている[8] [9] 。

「クルガン仮説」および「:en:Proto-Indo-Europeans」も参照

このハプログループはいわゆるアーリア人の子孫の分布を示している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97R1a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)


インド・ヨーロッパ語族の拡散モデル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97R1a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/File:IE_expansion.png

R1aの下位系統の拡散
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97R1a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/File:R1a1a1_Migrations.jpg

R1aの系統樹と分布
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97R1a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/File:Aryan_migration_map_and_haplogroup_tree.jpg


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88. 中川隆[-7657] koaQ7Jey 2017年5月12日 21:00:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫) 2012/3/28 Jill Bolte Taylor (原著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%84%B3%E2%80%95%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4102180214


右脳の世界


 右脳だけで生きている人間はいない。だが、ハーバード大学の女性脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士は37歳のある朝、とつぜん脳卒中に見舞われ、左脳が機能しなくなり、回復するまでの期間、右脳のみで生きることになった。


 そのときの感覚を博士は、自分の体が溶けて(つまり固体ではなく流体になって)、宇宙と一体になったみたいだという。左脳の方向定位連合野は自分の体がどこから始まりどこで終わるかを判別しているが、ここがやられると肉体の境界線がなくなってしまうのだと。


 話は変わるが、現場でセックスをしていて自分を明け渡すような深いオーガズムを迎えそうになったとき、「溶けちゃう!」と言い出す女の子がいる。深いオーガズムへのプロセスでは、「スタッフとかまわりの人が1人ずついなくなり、最後には私もいなくなった」と言う子もいた。また、ある女性はオーガズム後のインタビューで、「宇宙とか世界とか、いろんなものをひっくるめて全部私なんだ」と語った。


 左脳には、右脳が感じた情報を時間軸に沿ってきちんと整理し、分析して、言葉化する機能が備わっている。それに対して右脳はこの瞬間瞬間を感じ取るだけだ。だから右脳にとっては過去も未来もなく、あるのは現在だけである。


 セックスの最中に相手のテクニックを過去の男と比べる子がいる。自分が密かに想いを寄せる人からされてるんだと妄想しながらしている子もいる。これらは意識が過去や未来に行っているわけだが、オーガズムは自分が今この瞬間にいないかぎり絶対に起きない。


 テイラー博士は著書『奇跡の脳〜脳科学者の脳が壊れたとき』(竹内薫訳、新潮文庫)の中で、右脳の世界をこんなふうに記している。


 〈左の脳の「やる」意識から右の「いる」意識へと変わっていったのです。小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身しました〉


 〈左脳は自分自身を、他から分離された固体として認識するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、淋しくもない〉


 〈この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵をわたしは授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の意識の中に存在し、どんな瞬間でも、脳のその部分の回路に「つなぐ」ことができるはずなのです〉


 テイラー博士の受けた治療とは左脳の機能を取り戻すことだったのだが、その過程で別の学者2人が、チベットの僧侶とフランシスコ会の修道女を呼んで、ある実験をした。僧侶と修道女には瞑想や祈りをしてもらい、そのときの彼らの脳内を画像に撮った。すると、瞑想のクライマックスや神と一体になったとき、言語中枢そして方向定位連合野の活動が減少し、右脳が前面に出てくることがわかった。つまり、テイラー博士は科学者だけに、自分の体験のみならず、第三者の検証をもって自らの考えを二重に証明したことになる。


 『奇跡の脳』は全米で50万人の人々が読んだと聞く。そして日本でも影響を受けた人は少なからずいるはずである。博士はなぜこの本を書いたのだろう。脳卒中を体験し、結果として芽生えた利他の心や慈悲性が、自然とこの本を書かせたように僕には思える。


 深いオーガズムを体験した女の子たちが「こういうふうになればもっと幸せになれるのに」と気づき、開花した母性が他者に対して「苦しみを取って、楽にしてあげたい」とその子を突き動かすように……。


 言語化するのはたしかに左脳だけれど、左脳で勉強したことを書いたわけではないから、読んだ人は共感・共鳴したのではないだろうか。


 今は左脳が尊重される世の中だ。分析も論理も計算も言語も、そして右脳をコントロールするのも、それは左脳の働きである。だが、その左脳から右脳が自由になったとき、博士は悟りとも言える境地に達した。


 だからと言って、左脳が悪者というわけではない。生きていくうえでは両方が必要だ。しかし、右脳の世界を体験してみると、新たな気づきが起きるはずである。そのために脳卒中になるわけにはいかないけれど……。次回は、一般の人でも利他や慈悲の境地に至る方法論と言われる「マインドフルネス」について見ていきたい。
http://blog.livedoor.jp/yoyochu/archives/54689464.html






[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

89. 中川隆[-7656] koaQ7Jey 2017年5月12日 21:27:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>86
>「八正道の本質というのは、<現法的梵行>、すなわち、一生の間性的貞潔を守る、要するにセックスをしないということです。」


釈迦は当時のインドで普通に行われていた

>>83
>レイプ大国インドの実態 顔に硫酸、素手で腸を出す……信仰とカーストが生んだ獣たち

>ダリットの女性として生まれていたら、生まれながらにして両親は虐げられ、嘲笑されているのを見て育つ。家は極度に貧しく、仕事もなく、いつも飢えている。

>そして、年頃になると、突然知らない男たちに拉致されてレイプされる。しかし、誰も助けてくれない。ダリットの女性はレイプされてもしかたがないと社会が思っているからだ。

>抵抗すれば殺される。手足を切断されたり、生きたまま燃やされたり、アシッド・アタック(酸攻撃)されたりする。警察も犯人を捜してくれない。
>なぜなら、ダリットだからである。


を毎日毎日見せられているうちに、セックスが地獄的世界を作る原因だと考える様になったのですね。

インドでなく日本でも全く同じですね:


@ 女子高生コンクリート詰め殺人事件

女子高校生コンクリート殺人事件 概要

1989年、女の子が41日間渡って監禁され、計100人ぐらい(少しでも関った人を含めて)に強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。(深く関ったのは5,6人)ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。

少年達は床に全裸の順子を寝かせ膣にオロナミンCの空瓶2本を突っ込んだ。
そして3キロの鉄アレイを持ち出し順子の腹の上1メートルにかざした。
少年

「ここから鉄アレイ落としたら瓶が割れて膣の中がグチャグチャだぜぇ。ヒヒヒヒヒ」


順子
「いやああああ!やめて!やめて!」


少年
「やめなああいギャハ!」


鉄アレイは順子の腹へ落ちた。2本の瓶は割れなかったが鉄アレイとぶつかる音か甲高く響いた。


少年
「おもしれえ!おもしれえよおおおお!!」

少年
「おれにもやらせて!おれにもやらせて!」


少年達は何度も鉄アレイを落とし膣から鳴る音を聞いて笑い転げた。 やがてこの方法の虐待に飽きた少年達は別の虐待を始める。

そして膣に入れた2本の瓶は忘れ去られたまま順子は絶命しコンクリート漬けにされた。


467 :名無しさん@自治スレにてローカルルール議論中:2008/12/30(火) 13:24:28 ID:ESwy0TF30

AはCとDに対し「道具を万引きして来い」と命令。CとDはホームセンターへ向かい、ペンチや鉄アレイなどを調達。


C「いいものパクってきやしたぜ」

少年達は順子の服を脱がせ、CとDが両足を押さえ、順子の股を開かせた。
Bは電気ドライバーを取り出し、コンセントに差し込む。


B「グヘへへこれを入れてやるぜ」


順子は両足をバタバタさせたが、CとDはガッチリ押さえる。

ウイーンと電気ドライバーが回転する。そして電気ドライバーは膣に入った。
順子は痛がって大暴れするが、Bは無理矢理電気ドライバーを突っ込む。

悲鳴とともに膣が血が飛び散り、順子の膣は破壊されていく。


そこにAはペンチを持ってきて、乳首をひねり潰す。

乳首からも血が飛び散り、乳首も膣も使い物にならなくなっていった。


裁判記録から一部引用


お尻の穴に花火を入れ爆発させ、膣やに直系3センチの鉄の棒を何度も強引に突っこみ、性器や尻の穴を完全に破壊

(途中、膣をタバコの灰皿代わりにされる。

重い鉄アレイを身体(裸体)を数十回にわたって殴られ、まぶたに熱いろうそくをたらされ、


●陰毛を剃り、女性器に異物を挿入 

●ライターのオイルで皮膚を焼いた 

●肛門に瓶を挿入し思いきり蹴った)

 

手足を縛り、

膣にマッチ棒(ライター)を入れられ、点火し、燃やされ、
膣の中や裸体をライターで火あぶり、苦しさのあまり何度も気絶する。

その恐怖や苦しみや痛みは想像を絶する!

(この時ストレスと恐怖のあまり髪が全部抜け落ちていく)

しかし、犯人どもは哀れみの情など一切見せず、引き続き、陵辱、暴行を行う

大勢の男にかなり大量の精液を飲まされ(フェラチオで)、

500ccの尿を飲まされた。

ゴキブリも食わされたそうである。

また女の子の悲鳴や激しいリンチの音は監禁されている部屋の中で音楽をボリュームいっぱいで流しているため、外に届かない。

恐ろしい事に、監禁されていることを知ってた人は計100以上いるが、誰も通報しない。

(死体が発見されるまで)そして最後はひどく殴られ失禁して)死んだ。

(殺された)死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。

死体には髪がなくなっていた。

死体の陰部にはオロナミンC2本、入っていた。

なお、死体は手足を縛られた状態であった。


◆陰毛を剃り、陰部にマッチの軸木を挿入して火をつける。

◆ゴキブリを食べさせる。

◆性器や肛門に鉄棒、ビンなどを挿入。

◆性器や肛門に入れたビンに釘を打ち肛門内、性器内で割った。

◆両鼓膜が激しく傷ついており、最後のほうはほとんど音が聞こえていなかった。

◆小指の生爪を剥がす

◆左乳首はペンチのようなもので潰す。

◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる。

◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲ませる。

◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。

◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打。

◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打。

◆ダンベルを1メートル以上の高さから腹部に向けて落とす。

◆揮発性の高いジッポオイルなどを太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける。

◆あまりの恐怖に脳が縮小していた。

◆最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、 やがて、ほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。

◆遺体の乳房には20本位の裁縫針が入っていた。

◆歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった。

◆あまりのストレスに生前頭髪が抜け落ちていた。


初期

・強姦に加わった人間は100人超。強姦回数は400回を越える。

・全ての強姦が生。中出しに飽きると口内発射、顔面発射でフィニッシュ。

・過度の強姦で失神した場合は水をぶっかけ、息を吹き返させる。

中期以降

・膣にシンナーを入れ、キュウリやニンジンを出し入れする。

・肛門で爆竹や花火をして遊ぶ。

・床に複数のガビョウを置いて、その上に背負い投げやパワーボムで投げる。

・膣にオロナミンCのビンを入れる。破壊した肛門にもオロナミンCを入れる。

・膣に入ったオロナミンCの上に鉄アレイを何度も落とし、音を楽しむ。

・音楽に合わせてストリップショーをやらせる。

・ゴキブリ、ウンコを食べさせ、尿を飲ませる。

・体にオイルをまき、ライターで火をつけヤケドさせる。

・ヤケドでかぶれた肌を更に焼いたり、蹴ったりする。

・真冬に裸でベランダに出す。

・焼き鳥の串を肛門や膣に入れる。

・仰向けに寝かせて口の中に鎌や木刀を入れて顔を変形させる。

・裸にして竹刀や鉄の棒で毎日殴る。床に寝かせて竹刀をノドに押し付ける。

・膣を灰皿代わりにしてタバコを吸う。

・タバコの吸殻も膣に入れる。

・ハサミで膣に傷つけ大流血させる。

・乳房と乳首にマチ針を刺し、上から蹴りを入れる。

・乳首をペンチで潰す。


遺体の状況

・肛門と膣の中にはオロナミンCが入っていた。鉄アレイで割られた破片もあり。

・顔面は殴られた傷や腫れで識別は全くつかない状態。

・体中がヤケドとアザだらけで髪の毛はなかった。

・性器と肛門は完全に破壊。


現場検証の際、床、壁のみならず、天井にまで血が飛び散っていた。目鼻口の位置が判らぬほど膨れ腫上り、御両親でさえ判別しがたいほどに変わり果てていた。解剖の結果


頬骨・顎の骨が砕ける

ほぼ失明状態 片目においては完全失明

鼓膜が破損し、聴覚不機能

歯茎に付いている歯が一本もない

子宮・肛門は最も損傷が酷く、他の人体部より激しく腐敗、

文字通り完全に破壊され双方の壁は引き裂け、区別が無くなり、中にはタバコの吸殻、花火、瓶2本

頭髪は過度の恐怖により抜け落ちていた

脳が縮小していた(あまりの辛さに耐え切れず、脳自身が死を選択・命令する現象)

彼女が最後に言った言葉は「助けて下さい」ではなく「もう殺して下さい」であった

乳に針二十本くらい入ってた、は2ちゃんで最近知ったが
どれほど恐ろしいことをやらかしてくれたのかと唖然としたよ。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html

A中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川市立北都中学校の女子中学生校内集団レイプ事件


朝、少女が呼び出された男子トイレに行くと、既にDQNのケンジとタカシと吉田の三人がボッキしてスタンバイしている!

「遅えぞ!」
「申し訳ありません!」
「ノーパンチェックだ!」
「かしこまりました!」

少女は自らスカートをたくし上げる!パンツ!履いていない!

ノーパンチェック済ますとそのままケンジの手マン!十分に濡れたところで立ちバックだ!

ケンジは少女の尻を無茶苦茶に叩きながらの激しいピストン!

中出しの後はお掃除フェラだ!「美味しいミルクをありがとうございます」

「次は俺の番だ!」タカシがバキュームフェラを要求!

四つん這いになって激しくチンポを吸引!

吉田は少女の後ろに回って尻を撫で回しながら、舌で少女のアナルを愛撫!

朝からイキまくりイカせまくりの辛え学校生活だぜ!


・加害者達は学校の廊下をバイクで走るキチガイ。同級生はおろか教師も平気で殴っていた。

・当初行われていたいじめは、被害者の胸が大きいことをからかうことから始まった。被害者の胸を触り、スカートをめくってお尻を触るような比較的軽い性的ないじめだった。

・加害者の1人が被害者に交際を迫ったが断われた。それ以降、性的ないじめの内容が激しくなった。トイレや空き教室に無理やり連れ込み、服を脱がせて被害者の身体を執拗に弄び、フェラチオを強要するようになった。

・中2の夏に処女を奪われた。それ以降、フェラチオの強要だけでなく度々強姦されるようになった。

・被害者は最初、激しく抵抗していたが、そのたびに過激な暴力を振るわれていた。たび重なる暴行と脅迫により、中2の半ばにはほとんど言いなりになっていた。

・被害者は加害者に敬語を使い、ご主人様と呼ばされていた。命令されればクラスメートのいる教室でも裸になった。フェラチオのときに精液を飲んだら「おいしいミルクをありがとうございます」と言わされていた。


・日常的に強姦されるようになった当初、加害者は膣外に射精していたが、徐々に膣内に射精されることが増えていった。妊娠を恐れた加害者は、被害者に売春をさせた金でピルを購入して常飲させていた。

・被害者が少しでも反抗的な態度をとったら容赦なく殴りタバコの火を押しつけた。

「兄貴とセックスさせるぞ」
「母親も犯すぞ」
「少年院なんてすぐ出てこれる」

と脅していた。


・陵辱現場に連行されている際、通りかかった教師に「助けて」と叫んだが無視された。被害者が教師に助けを求めたことに激昂した加害者は被害者の後頭部を殴り、背中にタバコの火を押しつけるなどの激しい暴行を加えた後に強姦した。

・加害者の機嫌が悪いと命令に従順でも暴力を振るわれることがあった。教室で裸にさせられて、肛門に指を突っ込まるいじめをされていたとき、「うんこついたじゃねえか」と激昂した加害者に長時間に渡る暴行を受けた後に強姦されている。

・授業中にもトイレに連れて行かれて強姦されていたが教師は何もしなかった。体育の授業ではサイズの小さい体操服を着るように命令されていた。授業中にも殴られて体操服を脱がさていたが教師は何も言わなかった。

・性器や肛門に様々な異物を挿入されていた。性器にタバスコを塗られたときには、あまりの痛みに絶叫して許しを乞うたが、加害者は大笑いしていた。「ま○こにタバスコぶっかけるぞ」と加害者が脅すだけで泣き出すほど怯えていた。

・下着をつけずに登校するよう命令されていた。加害者が「ノーパンチェック」と言うと自分でスカートめくって下着をつけていないことを証明していた。

・陰毛に火をつけられて縮れてしまったときには「汚ねえから剃ってこい」と加害者に言われた。それ以降は常に剃毛してくるように命令されていた。

・自由な排泄を禁止されていた。加害者の見ているところで裸になって用を足していた。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要していた。「このうんこてめえに食わせるぞ」と脅されていた。

・尻に落書きをされた上、裸で踊るように命令されていた。手を抜くと暴行されるため、必死に尻を振って加害者の歓心を買っていた。

・被害者との日常的な性交はリーダー格である一部の加害者だけの特権だった。他の加害者の性処理はフェラチオやパイズリが主だったが、加害者の誕生日などには性交を強要されていた。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html

こういう現実を毎日見ていた釈迦は、性欲がすべての悪の根源だと判断して、性欲を抑える事を悟りの最終目標にしたのです:


現法的梵行とは、津田博士の言を借りると

「八正道の本質というのは、<現法的梵行>、すなわち、一生の間性的貞潔を守る、要するにセックスをしないということです。」

ということだ。

つまり、仏教において、最大の戒律は、<不犯>であった。 

もちろん、これは人間の本能に著しく反する行為である。
インド人にとって、性生活を営むことと生きることはほとんど同義語であり、<現法的梵行>に従うことは、生きることを放棄せよと命令するのに等しい。

 悟達したシッタータ王子、いや釈迦無二仏陀は、この非人道的なシステムに人間が耐えられる訳がないと判断し、教えを伝授するのを断念(これを<不説>という。)し、そのまま涅槃に入ろうとした。

いかに真理であろうと、多数の人間が賛同できるか、少なくとも甘受できるシステムでないと、衆生の絶望を深めるだけだからだ。




[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

90. 中川隆[-7659] koaQ7Jey 2017年5月13日 08:00:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

セックスと暴力。このふたつが密接に結びついている理由

戦場で殺戮とレイプが密接に結びつくのは深い理由がある

中東に吹き荒れる狂気の暴力集団ISISの戦闘員が今求めているのは何か。

それはバイアグラだ。人道援助のグループが現地ラッカの医師から聴取した話によると、ISISの戦闘員は性奴隷にした妻を痛めつけながらの過激なセックス行為を行っており、猥褻な下着を買い与えて着せている。

そして、殺人をしていないときはセックスを、セックスをしていないときは殺人をしているのだと言う。自分の支配下においた人々には厳格なまでのイスラム法を敷いているにもかかわらず、そうなのだ。

セックスに狂うことをISISの幹部は奨励している。

「子孫を増やして、我が同胞で世界を埋め尽くせ」というのが上層部の命令であり、ひとりでも多くの女性を妊娠させるのは彼らの「義務」なのだ。

殺戮とレイプ、暴力とセックスが見事なまでに結びついているのがISISの姿からも分かる。そうなのだ。人間が野獣になると、暴力とセックスが剥き出しになって現れてくる。
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20150225T0256310900.html

治安悪化、暴力蔓延はレイプの時代の幕開け、経済崩壊後の世界 2011年8月29日
http://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0a55.html

そろそろ、学習したほうがいいかもしれない。これから暴力の時代に入っていき、そうなると真っ先に狙われるのは女たちであることを。

戦争が起きたり、国が無法地帯になったとき、もっとも弱い存在になるのが女性たちだ。これから女たちにとって受難の時代がやって来る可能性がある。

戦争が起きたらレイプが横行する現実

日米欧で経済悪化が深刻化しているのが今の状態で、いずれ先延ばしができなくなって様々な国が破綻していくことになる。

当然、どこの国でも治安が悪化し、暴動が起きたり、内乱が起きたり、最期には恐らく戦争になる。

日本もグローバル社会に組み込まれているし、今まで圧倒的な軍事力で守ってくれていたアメリカが衰退することによって近隣国家から侵略も受ける可能性もゼロではない。

法の庇護がなくなれば、あとは肉食獣のような男たちが、暴力や、権威や、金で女たちを貪り尽くしていくことになる。

外国からの侵略を受けた国・民族・組織の女性は、常にレイプされているのはよく知られている。

ヒトラー率いるドイツ軍がロシアで何をしたか。アウシュビッツのユダヤ女性に何をしたか。日本軍が中国で何をしたか。敗戦したナチスドイツになだれ込んだロシア兵がドイツ女性に何をしたか。

そこではレイプが吹き荒れていたのではなかったか。

もちろん、遠い過去の話ばかりではない。独立運動を戦っていた東ティモールでインドネシア軍が民兵と共に何をしたか。

ルワンダでツチ族、フツ族の女性たちがそれぞれどうなったか。セルビアでの民族浄化とは何だったのか。 コンゴの女性たちはどうなっているのか。

コンゴの集団レイプ事件は、いまだに終わっていない。国連軍の目と鼻の先で女性が家族の前でレイプされているのである。


レイプされ、焼き殺されそうになったコンゴの女性
レイプされ、目をつぶされたコンゴの女性

・戦略的に女性をレイプ。史上最悪の暴力国家コンゴ
・コンゴのレイプ地獄から逃げて国境でも輪姦

マン・アルオベイディ。
カダフィ派の兵士15人にレイプされたと訴えて泣いている。

戦争になれば正義など吹っ飛んでいく
歴史が冷酷に示しているのは、女性は略奪・レイプの対象だという事実だ。

有事になった瞬間に、人権という概念が失われる。剥き出しの暴力と欲望が秩序に取って変わる。歴史がそれを教えてくれている。

イラクの「治安維持」のために駐屯しているアメリカ軍でさえ、アブ・グレイブ刑務所で、イラク女性をレイプしていたという事実が英紙によってすっぱ抜かれた(レイプ写真まで出回った)。

ちなみにレイプされた女性の多くは自殺、妊娠した状態で保釈された女性は家族に一族の屈辱だと言われて殺されたという。

オバマ大統領はそういった写真の公開を見送って、今も事実が公開されていない。 一部の写真が漏れ伝わっているが、氷山の一角である。

正義がそこにあると思ってはいけない。戦争になれば、正義など吹っ飛んでしまうのである。

2011年エジプトのムバラク追放の民主化デモの際、取材に行っていたララ・ローガンは、独裁主義を倒す正義の集団と喧伝されていた民主化デモの男たちにレイプされたのは記憶に新しい。


レイプされたララ・ローガン

実は彼女がレイプされていた場面は動画としてあったようで、それを見た関係者は「彼女は6人の男に膣を犯され、無数の男が肛門もレイプ、さらには片方の乳首も噛みちぎられたように見える」と記している。

誰も助けに行かなかった

暴力時代になったとき、真っ先に女が犠牲になる例を挙げよと言われれば、いくらでも例を上げることができる。

スハルト政権が崩壊する寸前、スハルトは暴徒の矛先を華僑に向けるために、特殊部隊を使ってジャカルタ北部のコタを襲撃するように煽動したが、その際も華僑の女性たちが片っ端からレイプされて殺されていった。

このときのレイプ写真もやはり一部で出回っていたが、白昼の混乱した街で女性が男たちに羽交い絞めにされたままレイプされているものだった。

レイプされる華僑の女性
レイプされたあとは焼き殺されていた

写真と言えば、東ティモールで兵士たちが女性を踏みづけにしたり、上半身裸にして取り囲んだり、殺害した女性の死体を穴に棄てている写真も出回った。

最初から拷問し、殺してしまうことを目的にしてやっているのである。このような人権侵害が起きていることは20年間も訴え続けられていたが、国際政治は完全に「無視」を決め込んでいた。

アメリカも、ASEAN各国も、国連も、東ティモールの女性たちがレイプされ続けているのを知りながら、誰も助けに行かなかった。

こちらは東ティモールの実態を描いた書籍にも収録されているので知っている人も多いのではないか。

軍や警察が国民の敵になっていく

女性の時代というのは、平和時にのみ存在する概念であることを女性たちは気がついているだろうか。

それは非常にもろい基盤の上に成り立っているものであり、法と秩序が失われた瞬間に、すべての女は身の安全が保証されなくなってしまう。

治安悪化が当たり前になるときは、経済も破綻しているときだから、公務員の汚職、モラルの低下も起きている。これは何を意味するのかというと、警察までがアテにならない存在になっていくということである。

いや、軍や警察が国民の敵になっていくこともある。

インドネシア警察が売春婦を逮捕しては署内で「セックスすれば保釈してやる」と言っているというのはよく新聞沙汰になっていた。

インド・ゴアで、三人の警官が道端に立っている娼婦を捕まえて車内に押し込み、そのまま脅してレイプした事件があった。

この警官たちはそれを携帯電話でビデオに記録していて、同僚たちに見せて「自慢」して回っていたという( THE TIMES OF INDIA より)。

それだからこそ、世界が平和であることは女性にとっては最重要事項である。いざとなったら警察が守ってくれるなど、そんなことはあり得ない。警察こそが女性の最大の敵になるのである。

狂気のような犯罪者も解き放たれる

また治安が悪化していけば、当然のことながら犯罪も増えていく。女性をターゲットにしたレイプ犯罪も増えるだろう。

連続レイプ殺人が増えるのも、だいたいが警察権力が弱いときである。

もともと世の中には一定数のサディスト、ネクロフィリア、ネクロサディストといった危険な嗜好を持った男たちがいる。

普段は妄想の中にしかなかった彼らの性癖は、警察組織が弱まったと分かったら、弾けるように世の中に出ていくのである。

彼らは暴力を振るうことによって性的な快感を得る。

最初は、殴りつけたり、首を締めたりしているだけで満足を得ているのだが、そのうちにそれで飽きたらなくなり、一線を超えてしまう。

狙いをつけた女を殴り殺し、レイプし、死体を損壊し、ときには食べてしまったりする。このひとつひとつの行為に薄気味悪い名前がつけられている。

殴りつける サディスト
殺してレイプ ネクロフィリア
死体を壊す ネクロサディスト
死体を食べる カニバリズム

治安が悪化していくと、おおよそ正気とは思えない男たちが夜の街を徘徊して事件を起こすようになる。治安の悪化によって、狂気の犯罪者が解き放たれるのである。


レイプ殺人の現場

乳首がちぎられている。
犯罪者にネクロサディストの心理が見える
乳房の損壊を見ても、サディスティックな殺人であることが分かる


激しく損壊されている女性の死体。
腕が切り落とされ、内臓が取り出されている。
典型的なネクロサディストの殺人だ。

・ 暴力性愛・死姦・死体損壊は、どのような快楽なのか
・おぞましき屍姦の事件に、心の闇をのぞき込む

そろそろ暴力時代が来ることの覚悟を

平和が失われる理由はいろいろある。宗教問題、領土問題、民族問題、経済問題。

日本を含めた先進国が瓦解していくのは、経済問題が立ち行かなくなった時だろう。

日本でも、失業者が増え、財政がパンクし、債務不履行(デフォルト)を起こして世界中から信用を失くす時が来るかもしれない。

そうなると、今の日本では軍事力もなく、政治的交渉力もないので、そのまま侵略の対象となってもおかしくない。

世界を見渡してみれば、ほとんどの国の男たちが好戦的であり、無慈悲であり、銃の扱いを知っている。

第二次世界大戦後、日本はアメリカの庇護の下で、すっかり平和に慣れてしまったが、そのせいですっかり平和主義になって、銃の扱いすら知らないでいる。

今まではそれでよかった。しかし、もうこれからはそうはいかない。

治安悪化、テロ、暴力で満ち溢れていくので、これまでのような状態のままだと抵抗すらできないのである。

しかし、アメリカの覇権が失われていくと共に、日本に対する庇護が消えていく。

いよいよ日本も、自ら血と暴力の世界に足を踏み入れるしかない。そういう時期に来ている。

冒頭に書いた通りだ。無法地帯になったとき、もっとも弱い存在になるのが女性たちだ。

法の庇護がなくなれば、あとは肉食獣のような男たちが、暴力や、権威や、金で女たちを貪り尽くしていく。

日本人はそういう時代が来る可能性もあることを覚悟したほうがいいのではないだろうか。
http://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0a55.html

(ヒューマン・ライツ・ウォッチが、ソマリアでもレイプが蔓延していることを報じています。ソマリアと言えば、国全体が無法地帯と化して暴力に満ち溢れている国です。暴力とセックスが結びつきを書いた記事を再度トップに上げたいと思います。)

この地球上で、最も女性にとって危険な場所は「コンゴ」であると言われている。コンゴでは殺戮とレイプが吹き荒れていて、未だ止まらない。
(戦略的に女性をレイプ。史上最悪の暴力国家コンゴ)


アフリカでは、コンゴの他にもスーダンや中央アフリカでも女性が戦略的にレイプされている。

そして、最近では無法地帯ソマリアでも、レイプが恒常的に行われていることがヒューマン・ライツ・ウォッチによって報告されている。レイプの被害者の3分の1は、18歳未満の未成年である。

戦場では殺戮とレイプがしばしば密接に結びつく。つまり、殺戮という究極の暴力と、レイプという究極のセックスが、そこに結びついている。

もっと端的に言うと、セックスと暴力は、切り離せないものになっている。

セックスと暴力の相性

セックスと暴力は、いったいどうして結びつくのだろうか。様々な要因があって、たとえばセックスというのは元々肉体的なものであり、その肉体性が暴力を喚起するという説がある。

セックスは本能であり、本能は動物的であり、動物的なものは暴力性が垣間見える。だから、セックスと暴力は相性がいいと一般的には言われている。

科学者は別の見方をしていて、たとえば、セックスと暴力の相性は、脳の仕組みに関連していると考えているようだ。

・性ホルモンの中枢
・性行動の中枢
・攻撃性の中枢

この3つの中枢が、人間の脳の非常に狭い部分に隣接している。

性ホルモンの中枢と性行動の中枢は同じ間脳の視床下部付近にあるのだが、攻撃性の中枢は間脳に近くの扁桃核にある。

性的な刺激を受けると、その刺激は攻撃性をも誘発する。逆に、攻撃性の刺激を受けると性行動をも誘発する。恐らく刺激が強ければ強いほど、その刺激が放射状に別の中枢に拡散していくのだろう。

だから、セックスと暴力は一体化することもあるのだというのが科学者の説明だ。

動物の交尾でも同じ

セックスが暴力と結びついているというのは、人間社会ではレイプやボンデージやサディズムやネクロフィリアなどがすぐに挙げられる。

売春女性を殺しまくる連続殺人鬼は、たいていはレイプしてその後に殺すのではなく、殴って蹴って刺して食いちぎって血まみれになった女を見て興奮しているのが損壊した死体を見ても分かる。(娼婦49人殺しロバート・ピックトン。典型的な死体加虐者)

レイプという犯罪がバレないように殺して証拠隠滅するのではなく、殴り殺しながらレイプするのが目的なのである。死体の処置に困ったら、今度は切り刻んで食べてしまったりする。

脳の中では、食欲の中枢も実は暴力の中枢に近い。これは、狩りで動物を殺したら、そのあとは食べるという一連の行動が、本能によっても強化されているということでもある。脊椎動物はほとんどがそのような脳の作りになっている。

ネクロフィリアがネクロサディストになって、さらにはカニバリズムにまで行き着くのは、すべて本能の為せる業だったのかもしれない。

動物の交尾も、オスがメスを攻撃する形で始まることが多いのだという。アカゲザルの場合でも、猫の場合でもそうだ。

また、オスは他のオスにメスを取られないように、攻撃性を剥き出しにしながら交尾に入る。

あるいは、一匹のメスを巡って最初にオス同士で闘いあって、勝ったほうがメスと交尾するというスタイルを取る。そこでも暴力が関わっている。


根源的な「本能」の結びつき

平和な時代が続いていると、なぜ暴力が存在するのか忘れてしまうし、誰でも暴力を振るわれるのは嫌なので先進国になればなるほど暴力を封じ込める。

そうすると、余計に暴力が縁遠いものになって、暴力とセックスが結びつくというのが犯罪的だとすら思うようになる。

しかし、アメリカ兵がどこででも敵地で女性をレイプしていたり、アフリカの暴力闘争には必ずスレイブ(奴隷)にされる女たちの姿があったりするように、暴力の現場には必ずセックスがそこに見え隠れする。

どんな時代の、どこの国の戦争でも、必ず暴力の現場には、レイプがある。

売春地帯でも同じだ。最初から暴力を振るうために来ている男の存在もある。レイプも罵倒も、売春地帯ではごくありふれた犯罪だ。

今でも暴力とセックスは切り離せない現状がそこにある。

暴力とセックスは根源的な「本能」の結びつきだった。


ボスニアでは戦略的レイプが行われた

相手を殴りつけて勝敗を決める

人間の三大欲望というのは「食欲」「性欲」「睡眠欲」とよく言われている。

「三大欲望」とはよく言われるが、「三大本能」とは言われない。三大本能という言い方をすると、恐らくこうなる。

食欲、性欲、暴力欲。

かつては獲物を採るにも暴力が必要だった。かつては女を取り合うにも暴力が必要だった。

食欲と性欲は密接に暴力と結びついていたので、脳も暴力を本能として格上げしているのである。

暴力を否定するのはまっとうな社会人としては当然だ。それは人間社会ではあってはならないものである。

スポーツも暴力の代償みたいなものだから、本当であればあんなものは禁止すべきなのかもしれない。

ボクシングや格闘技を見れば分かるが、相手を殴りつけて勝敗を決める残酷なものである。ボクシングはスポーツであるが、同時に暴力行為でもある。

しかし、ルールを決めて行っているのだからそれはいいと人々は言う。そこに暴力があるというのは奇妙なことに、人々の頭からすっぽりと抜けている。

ボクシングや格闘技を見て喜ぶ人は大勢知っているが、「格闘系のスポーツ反対」と国会で訴える人は見たことがない。


レイプ。傷害。私生活も暴力まみれだったマイク・タイソン

人々は暴力に飢えている

人間が本当に暴力が嫌いだと思っているのであれば、スポーツは絶対に流行しない。暴力を見たいから、暴力がベースになっているスポーツを見る。

どう見ても、スポーツは暴力の代用か、暴力そのものであり、それを見て人間は喜んでいる。

映画でも暴力とセックスに溢れている。ホラー映画でもゾンビ映画でも暴力が主題になっているではないか。それをカネを払って見たいと人々は思っているのである。

客観的に言うと、人々は暴力に飢えているのだ。

あなたがスポーツをするのが好きだったり、スポーツを見て楽しんでいたり、人が死ぬ映画を見たりしていることがあったりするのであれば、あなたも本能で暴力を求めているということだ。

それでいて暴力はいけないと、したり顔で否定しているのかもしれない。それは、あなたの本能とは違う建前を口にしているだけかもしれない。

あなたは、食欲という本能を持ち、性欲という本能を持っている。あなたもそれを否定しないだろう。

では、なぜもうひとつの本能である「暴力」が自分からすっぽり脳から抜けていると思うのだろう。暴力は、間違いなくあなたの体内にも眠っている。

ここが、人間の恐ろしい部分である。
http://www.bllackz.com/2011/09/blog-post.html  

[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

91. 2017年5月13日 19:46:17 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[110]

>>90. 中川隆
>人間の恐ろしい部分

阿修羅名物精神異常者の中川隆よ

お前の主張は濁悪の世迷いごとだ。

誰にも何の薬にもならない気の毒。

出鱈目では何も分からないだろう。

正しい仏教は世間の体を治すものだ。

hahahahahahabaka!


92. 2017年5月14日 09:32:31 : DmJcG1r9M6 : t2zgxHfcOwI[121]

>>91.コメントをした者です。コメント削除理由が不当です。

混乱したコメントという認識が正しいことを説明して下さい。

これは言論の自由における当然の要求です。

説明できないなら削除を撤回して頂きたい。

削除人は速やかに理由を説明して下さい。



93. 中川隆[-7661] koaQ7Jey 2017年5月16日 08:58:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

仏教とシャーマニズム
http://bbs.jinruisi.net/blog/2017/05/2828.html

古代インドの神秘主義――ウパニシャッド哲学思想

キリスト教・イスラム教といった一神教以外の宗教にも、神・超越者との合一を目指す神秘主義思想が存在する。2600年前に始まるインドのウパニシャッド哲学がその一つである。

ウパニシャッドでは、究極的な真理・神である「ブラフマン(大我)」と、個的存在としての人間の実体である「アートマン(小我)」が一体化するという「梵我一如の思想」を説く。それまでインドを支配してきたアーリア人の宗教(バラモン教)が、呪術性の強い祭儀主義・祭式万能主義的であったのに対し、ウパニシャッドは「神人合一」を目指す神秘主義思想を体系化した。バラモン教の祭祀によって神に救いを求めるのではなく、一人一人の人間が瞑想法などの宗教的な修行によって「世界の根本原理・神(ブラフマン)」と一体化して救いを得ようとする神秘主義を確立した。この思想が、その後のインド宗教思想を貫く一つの柱となる。

「ブラフマン(宇宙原理)」という絶対的存在との合一を目指すウパニシャッド神秘主義思想は、初めはタパスという難行・肉体行を修行法としたが、やがてヨーガ修行法(瞑想法・精神統一法)へと変化する。瞑想や精神統一という行を通して、神との合一という神秘体験に至れるとした。修行を通じた神人一体の神秘体験こそが、「悟り」であり「解脱」であるとされたが、一方で、瞑想以外の行法として、日常生活の道徳的行為(カルマ・ヨーガ)を重要視する立場も現れた。

ウパニシャッド思想は、ブラフマン・超越的存在者との合一体験を「悟り」であり「解脱」であるとする。このブラフマンを「法(ダルマ)」としたのがシャカであった。シャカは瞑想などの修行法を通して「法」と人間の一体化を目指し、その達成が「悟り」を得ること(覚者になること)であり、輪廻のサイクルから「解脱」することであるとした。「シャカ仏教」は、ウパニシャッド思想の延長上に位置する神秘主義宗教とも言える。 (中川註: シャカではなく部派仏教の間違い)

一神教の教理組織宗教では、ひたすら神を信じ、これにすがる中で救いを得ようとするが、ウパニシャッドや仏教は、信仰のあり方が根本的に違っている。修行に励んだ結果、自ら神(ブラフマン・根本原理)や法(ダルマ)と一体化する体験を通して悟り(解脱)を得て救われるとする。
(*大乗仏教、特にその中の“浄土信仰”では、この大原則が根底から変化する)。

仏教の「密教」と神秘主義

仏教は神秘主義的な一面を持つが、同時に強力な思弁的・論理的・理知的な面も併せ持つ。実際、シャカの死後、弟子たちは複雑で難解な思弁の展開と精密な教理論争を行った。

一方で、仏教は知性重視の傾向を持ちつつも、見解の相違に対して比較的寛容であり、その多様性を認めてきた。キリスト教のように見解の相違を認めず、異端のレッテルを貼って迫害することはほとんどなかった。それは「密教」という強烈な神秘主義に対する姿勢にも現れている。キリスト教は神秘主義を「異端」として弾圧・排斥したが、仏教は「顕教(教理重視の方向性をとる立場)」と「密教(神秘主義)」と区分することで、神秘主義に顕教と対等な立場を与えてきた。

シャカ仏教の根本教義「法を悟ることによって成仏・解脱を目指す」。
(中川註: シャカ仏教ではなく部派仏教の間違い)

この成仏に至るプロセス自体が神秘主義的であるが、その神秘主義的側面を前面に押し出して、成仏(悟り・解脱)のための具体的な実践体系を整備し展開したのが「密教」である。「密教」という言葉には、他者にもらしてはならない秘密の教え・秘儀という意味が込められている。

5〜6世紀頃、大乗仏教の一派が、ヒンドゥー教から呪術や儀礼などを取り入れて「タントリズム」という秘密仏教をつくったのが、インド密教の始まりとされる。この「タントリズム(秘密仏教)」は、仏教本来の思弁的傾向・自己修業的傾向に対し、反思弁性・反理性主義的方向性・反苦行的方向性を主張した。高度な思弁や困難な苦行の代わりに、図や像といった象徴を用いて「悟り(解脱)」が達成できるとした。

6〜8世紀のインド密教が中国に伝えられて「中国密教」となり、9〜11世紀のインド密教がチベットに伝えられて「チベット密教」が成立した。中国密教では、天台宗が神秘的合一性の経験を重視する瞑想修行を発展させ、そこから座禅修行を中心とする禅宗(禅仏教)が形成された。さらに日本では、中国に伝えられたインド密教を空海が学び、密教的修行によって「即身成仏」(*人間が肉身を持った現世において真理を体得し仏・覚者になること)が可能であるとする神秘主義思想を確立した。

インドにおけるタントリズムは中世には大きな思想運動になったが、それと同時期(7世紀)に、もう一つの大きな神秘主義的思想運動が発生した。それがバクティー運動である。バクティー運動は「神への献身愛(バクティー)」という宗教的情熱によって神との合一を目指す。忘我による神との一体化を目的とした熱狂的な神秘主義である。

仏教教理のシャーマニズム化――「シャーマニズム仏教」の成立

シャカ仏教の根本教義には、自己を超えた存在(真理)との合一を目指す方向性が示されていた。
(中川註: シャカ仏教ではなく部派仏教の間違い)

しかし仏教が伝播していく過程で、土着のシャーマニズムの影響を受けたり、シャーマニズムの要素を仏教内に取り入れたり、あるいは部分的に融合するなどして、自らの宗教的本質を変質させていく。

とりわけ、中国に入ってきた仏教は、根本教理それ自体を変質させ、シャーマニズム化していく。

仏教はもともと、生きている人間が悟りを得るための宗教であり、死者の救いを目的としたものではなかった。ところが仏教は、シャーマニズムの影響を受け、「死者のための宗教・死後の救いのための宗教」に変わった。仏教では、死者は四十九日を過ぎれば“輪廻転生”するとされるから、いつまでも死者を弔うことや、まして死者の霊魂を定期的に地上に呼び戻すことは認められない。しかし中国に入った仏教は、祖霊の招魂を中心とする「シャーマニズム仏教」に変身し、それがそのまま日本に伝来する。

その後、中国では“禅宗”のみが仏教として存続し他の宗派は消滅したが、日本では仏教は、死者の救いを重点とする宗教として現在まで存続してた。日本仏教においては、寺は魂の修行をする場所ではなく、死者を祀る場所になった。シャカが説いた仏教と日本仏教は宗教教義の内容が異なるものになった。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2017/05/2828.html


94. 中川隆[-7660] koaQ7Jey 2017年5月16日 09:04:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>ブラフマン・超越的存在者との合一体験が「悟り」であり「解脱」である


この意味での悟りというのは大脳生理学の言葉で言うと、統合失調症や覚醒剤等の影響で左脳の機能が麻痺した状態を意味している:


奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫) 2012/3/28 Jill Bolte Taylor (原著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%84%B3%E2%80%95%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4102180214

右脳の世界


 右脳だけで生きている人間はいない。だが、ハーバード大学の女性脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士は37歳のある朝、とつぜん脳卒中に見舞われ、左脳が機能しなくなり、回復するまでの期間、右脳のみで生きることになった。


 そのときの感覚を博士は、自分の体が溶けて(つまり固体ではなく流体になって)、宇宙と一体になったみたいだという。左脳の方向定位連合野は自分の体がどこから始まりどこで終わるかを判別しているが、ここがやられると肉体の境界線がなくなってしまうのだと。


 話は変わるが、現場でセックスをしていて自分を明け渡すような深いオーガズムを迎えそうになったとき、「溶けちゃう!」と言い出す女の子がいる。深いオーガズムへのプロセスでは、「スタッフとかまわりの人が1人ずついなくなり、最後には私もいなくなった」と言う子もいた。また、ある女性はオーガズム後のインタビューで、「宇宙とか世界とか、いろんなものをひっくるめて全部私なんだ」と語った。


 左脳には、右脳が感じた情報を時間軸に沿ってきちんと整理し、分析して、言葉化する機能が備わっている。それに対して右脳はこの瞬間瞬間を感じ取るだけだ。だから右脳にとっては過去も未来もなく、あるのは現在だけである。


 セックスの最中に相手のテクニックを過去の男と比べる子がいる。自分が密かに想いを寄せる人からされてるんだと妄想しながらしている子もいる。これらは意識が過去や未来に行っているわけだが、オーガズムは自分が今この瞬間にいないかぎり絶対に起きない。


 テイラー博士は著書『奇跡の脳〜脳科学者の脳が壊れたとき』(竹内薫訳、新潮文庫)の中で、右脳の世界をこんなふうに記している。


 〈左の脳の「やる」意識から右の「いる」意識へと変わっていったのです。小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身しました〉


 〈左脳は自分自身を、他から分離された固体として認識するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、淋しくもない〉


 〈この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵をわたしは授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の意識の中に存在し、どんな瞬間でも、脳のその部分の回路に「つなぐ」ことができるはずなのです〉


 テイラー博士の受けた治療とは左脳の機能を取り戻すことだったのだが、その過程で別の学者2人が、チベットの僧侶とフランシスコ会の修道女を呼んで、ある実験をした。僧侶と修道女には瞑想や祈りをしてもらい、そのときの彼らの脳内を画像に撮った。すると、瞑想のクライマックスや神と一体になったとき、言語中枢そして方向定位連合野の活動が減少し、右脳が前面に出てくることがわかった。つまり、テイラー博士は科学者だけに、自分の体験のみならず、第三者の検証をもって自らの考えを二重に証明したことになる。


 『奇跡の脳』は全米で50万人の人々が読んだと聞く。そして日本でも影響を受けた人は少なからずいるはずである。博士はなぜこの本を書いたのだろう。脳卒中を体験し、結果として芽生えた利他の心や慈悲性が、自然とこの本を書かせたように僕には思える。


 深いオーガズムを体験した女の子たちが「こういうふうになればもっと幸せになれるのに」と気づき、開花した母性が他者に対して「苦しみを取って、楽にしてあげたい」とその子を突き動かすように……。


 言語化するのはたしかに左脳だけれど、左脳で勉強したことを書いたわけではないから、読んだ人は共感・共鳴したのではないだろうか。


 今は左脳が尊重される世の中だ。分析も論理も計算も言語も、そして右脳をコントロールするのも、それは左脳の働きである。だが、その左脳から右脳が自由になったとき、博士は悟りとも言える境地に達した。


 だからと言って、左脳が悪者というわけではない。生きていくうえでは両方が必要だ。しかし、右脳の世界を体験してみると、新たな気づきが起きるはずである。そのために脳卒中になるわけにはいかないけれど……。次回は、一般の人でも利他や慈悲の境地に至る方法論と言われる「マインドフルネス」について見ていきたい。
http://blog.livedoor.jp/yoyochu/archives/54689464.html



もちろん、釈迦の悟りはブラフマン・超越的存在者との合一体験とは次元が全く違うものです


95. 中川隆[-7658] koaQ7Jey 2017年5月16日 11:20:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

釈迦の悟りについては

釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html


96. 管理人さん[1922] iseXnZBsgrOC8Q 2017年5月16日 13:24:54 : goJCZio63dQ[410]
>>92 処理ミスで初期非表示にしてしまいました。元に戻しておきました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

97. 2017年8月03日 20:07:55 : J0EfR5l7E6 : Pg8W7GUPCkg[41]

>>96. 管理人さん
>元に戻しておきました
>ご迷惑をおかけして・・・

いやあ〜いーんですよっっ=3

それはお互い様というより噛み合わない議論も他人様の迷惑だったでしょうから・・、

ネットの自由登校掲示板として言論と表現の自由を貫く阿修羅は世界も羨むだろうね

真実に到達したなら今度は正しく共有して所期の目的を達成して行きましょうっっ=3

hahahahahahahaha〜




[12初期非表示理由]:管理人:カルト宗教コメント多数により全部処理

98. 2017年8月14日 00:40:39 : 4YnWpzg2IY : IGGspoSb@IE[1]
 
甥、馬香川、 ディラックの量子力学と意識について語れや
甥、馬香川、 ノイマンの量子力学の数学的基礎と壱岐市について語れや
甥、馬香川、 フーリエ解析やヒルベルト空間論と意識について語れや
甥、馬香川、 弱い相互作用のラグランジアンと意識について語れや
甥、馬香川、 自発的対称性の破れと意識について語れや
おい馬鹿川、 ファイマンダイヤグラムと意識について語れや

ほんま腹の立つ男やな、目の前にいたらブッ倒してやりたい

甥、馬香川、 物理を汚すな!
 


99. 中川隆[-6411] koaQ7Jey 2017年9月28日 07:35:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>98
人間が居ても居なくても物理法則は何も変わらないから

物理法則と意識には何の相関関係も無いのさ


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

100. 中川隆[-6409] koaQ7Jey 2017年9月28日 07:37:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

何の関係も無いものを関連付けて考えるのは関係妄想と言って精神分裂病患者の症状なんだな

[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理
101. 中川隆[-12930] koaQ7Jey 2018年6月08日 05:32:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15055]

読んでね:


阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 19 日 18:34:43:

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

102. 2018年11月24日 17:10:25 : htUgV4ZEBg : ucDrEBgQDLg[7] 報告
この手の話って、要はニールス=ボーアのコペンハーゲン学派が諸悪の根源、以上でも以下でもないと思う
103. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月10日 23:09:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21910] 報告

数学や物理学が理解できないアホを矯正するにはこうする以外に方法は無い:


中国:イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬と宣言!/フランス:寛容だから制御不能?連日ジハード!! 2018年09月11日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


当たり前のように欧州でジハードが頻発していますがテロではないでそうで、殺されて抗議するナショナリストのデモや主張がナチスと呼ばれ弾圧されるのに、ムスリム移民による犯罪はよく精神疾患と呼ばれているようです。


ということは、中国政府の言うことは正しいということになりますね。びっくり


四角02

イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬である

China declares Islam an ‘incurable tumour’ and a ‘poisonous medicine’

By VOICE OF EUROPE 5 September 2018


中国はイスラムを大きくなる問題と捉え国内のウイグルムスリムへの行動を強めています。

国連やアメリカの職員によるとこれまでに約100万人が収容キャンプに入れられたと見ています。


収容者によると、キャンプではムスリムはイスラムを拒絶するように強要され毎日共産党の歌を習わされているとのことです。キャンプでは豚肉とアルコールを強要されるとの報告もあります。

キャンプは当初ウイグルムスリムの過激派と戦うために作られましたが、今では長いひげも再教育キャンプ送りとなる場合があります。


共産党の公共ラジオはこう言っています。


再教育のために選ばれた公民はイデオロギー的な病気に感染している。彼らは宗教的過激主義と暴力テロイデオロギーに感染しているので、患者として病院に入院して治療を受けなければいけない。


宗教的過激主義イデオロギーは毒薬の一種で人々の心を混乱させる。宗教的過激主義を根絶しなければ、暴力テロ事件が不治の悪性腫瘍のように成長し広がってしまう。

このようにWeChatを通してウイグルに昨年伝えられました。


国連の委員会で中国代表はそのような再教育センターは無いと言っています。


ジョージタウン大学の中国史教授James Millward氏によると、「宗教的信仰は病状と見られる」とのことです。

中国政府は今思想を治療する再教育キャンプを“病院”と呼んでいます。

過激主義の病原菌を殺す殲滅医療処置をすべてのウイグル人に対して行いたいのです。

ラジオはこう言っています。


いかなる犯罪も行っていないが過激思想を吹き込まれた一定の人たちがいる。彼らは既に病気に感染している。病気の症状がはっきりと表れる危険が常にあり、それは公共に深刻な危害を与えるだろう。

だから、彼らは脳内からウイルスを取り除き正常な精神にするために、再教育病院に入院しなければならない。

波線END


一方、中国とは違う国、例えば寛容なフランスはイスラムテロが当たり前となってきています。


四角02


9/9深夜にパリでテロ(当局によるとテロではないとのこと)がありました。日本語メディアではパキスタン出身と見られる男が通行人7人を襲ったということでしたが、Mailonlineなどではもっと詳しく報じています。容疑者は30代と見られ、アフガニスタン人子供難民のID書類を持っているとして、そもそも偽造身分証でパリにいる難民のようです。

イギリス人が襲撃された付近は、英国への密入国を企てるアフガニスタン人の偽装難民たちが野宿するユーロスターの駅に近いそうです。ペタンク(pétanque)のプレイヤーらが断続的な通り魔事件のある時点で鉄のボールを犯人の頭に4回あてて武器を放棄させようとしましたが出来ませんでした。このナイフ攻撃で危険な状態にいる人もいますが現在のところ死者はいません。


ついでに紹介すると、そのアフガニスタン偽造難民たちが密入国を狙う英国ですが、9/8にはロンドンの北150マイルにあるBarnsleyで女が1人逮捕されました。このヒジャブを被った女は30cmのナイフを振り回して通行人たちを追いかけまわしうち1人に怪我をさせました。彼女は「Kill, kill, kill」と叫んでいたそうです。(クリップ記事はこちら)


またフランスにもどって、

9/10の朝もテロがありました。郵便配達の人が何者かに喉を刺され、その後容疑者は別の人を襲撃しようとして失敗しています。


同じく9/10の朝、リヨンの空港で男がテロで逮捕されました。

男は高速道路を違う方向に走り警察に止められてもすり抜けて空港に行きました。警官の射撃の中を潜り抜け、通行人を車でなぎ倒そうとしましたが成功しませんでした。

男の車はターミナルビルのガラスドアに衝突して止まり空港警備に捕まりました。

警察からの情報では、逮捕時に「アラー・アクバル」と叫び、「神に遣わされた」と言ったそうです。(クリップ記事はこちら)


Terrorist attack Lyon airport France - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WrPyKtoK0YU

このほかにフランスで最近起きた事件は次のようなものです。

8/23、36歳の男が母と妹をナイフで死傷させ警官に射殺されています。2016年からテロリストリストに載っている精神疾患だそうです。

この事件の数日前にはPerigueuxでアフガニスタン難民申請者が4人をナイフで襲撃して逮捕されました。

6/17にはフランス南部の町で「アラー・アクバル」と叫ぶ女がスーパーマーケットでカッターナイフを振り回して2人に怪我をさせました。


フランスでは過激主義者やISによるジハーディストのテロ(当局は精神疾患とするケースが多い)が続いていて、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件から240人以上がイスラム過激主義者の犠牲になっています。


四角02


男尊女卑で7世紀の価値観を21世紀に持ち込み自分達の集団以外を見下し、特別扱いをゴリ押ししながらテロも量産するこの集団、治安維持そして国民を守るために国家としてどう向き合い対処するのか、外野からの中国批判だけでは何も解決しないし無責任だと思います。

※中国政府は当局の監督下にないものはキリスト教でも締め付けを強化していますが、テロと密接な関係がある対イスラムの方が厳しいようです。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


「職業訓練だ」中国、新疆ウイグルの収容施設を合法化
2018年10月12日 14時54分
https://www.epochtimes.jp/2018/10/36955.html

2017年4月、施設内で「再教育」を受ける収容者たち(新疆ウイグル自治区司法当局の微信アカウントより)
https://img.epochtimes.jp/i/2018/10/11/t_pvpblpl6nyinj9wxes9d.jpg


新疆ウイグル自治区人民代表大会常務委員会は9日、「極端化を除去する条例」の改正案を発表した。改正案では、ウイグル人を収容する施設を「職業訓練センター」と位置づけた。新疆では、中国共産党政府が建設した隔離施設に100万人以上が拘束されていると報じられ、国際的な批判が相次いでいる。今回の改正案は批判をかわす狙いがあるとみられる。

改正案には、国の反テロ法や宗教法に基づき「過激な宗教思想、分離主義を取り除き、市民の正常な生産活動と生活、言論を保つ」と記した。

ウイグル人の生活習慣も制限された。民族衣装「ブルカ」とベールを着用する者、ヒゲをはやす者、そして子どもに国の教育を受けさせない者は「極端分子」と見なされ、「法に基づいて」施設で思想改造を受けると、定められた。

同条例は2017年に定められたが、9日に可決した改正案で、収容施設の役割は職業訓練センターであるという内容が新たに追加された。具体的に「職業訓練もかねる教育を施す。収容者は国の公用語を勉強し、思想教育、心理と行動の矯正を受けることによって、極端化を除去する」という。

海外のウイグル組織や人権団体によると、当局の「過激派、分離主義、テロリズムと闘う」の名目で、100万もの市民が収容施設に拘束されているという。

ラジオフリー・アジア(RFA)は10月6日、収容施設で働く警備員にインタビューした。そこでは、収容者たちは「なぜ自分が再教育を受けなければならないのか」と問い詰め、思想改造を受けているという。また、施設内には監視カメラが設置され、収容者同士が会話することや、行動が、厳しく制限されている。

この警備員は、収容者の割合に関して「女性が20%、70歳以上が10〜20%、15〜18歳が5〜10%」と答えた。3度の食事はごはん茶碗に半分ほど盛ったものが出るが、自殺できないように椀はプラスチック製。「彼らは食事がハラール・フードであるかどうかを聞くことは許されない。すべての申し出は政治警察が受け付ける」と述べた。

新疆の収容施設を衛星写真で分析するカナダ在住の中国人留学生ショーン・ジャン氏によると、収容施設と考えられる建物はこれまで60以上見つかっており、それぞれ監視塔、作業所、限られた出入口、高いフェンスと電気柵が設けられ、刑務所の構造と似ていると指摘している。

7月、収容施設で働いていたウイグル族の女性は、カザフスタンの裁判所での証言で「中国当局は再教育施設だと主張しているが、その内容は山奥にある刑務所」と暴露した。


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

104. 中川隆[-12626] koaQ7Jey 2019年1月29日 12:28:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

阿修羅掲示板の頭がおかしい投稿者のリスト

・天橋立の愚痴人間
・Kse53zYp5s = Mnxczxr6Dw
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・ポスト米英時代
・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ

____


具体的には

天橋立の愚痴人間氏と Kse53zYp5s氏は強迫性人格障害者

ポスト米英時代氏と お天道様はお見通し氏は統合失調症

佐伯まお氏、魑魅魍魎男氏と BRIAN ENO 氏はパラノイア

日高見連邦共和国氏と けろりん氏は IQ が低いだけ


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

105. 中川隆[-11425] koaQ7Jey 2019年3月15日 10:35:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[571] 報告

これも読んでね:

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html

能力が低い人は、自分の能力が低いことに気づく能力も低い
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/940.html

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html

▲△▽▼


これ読めば、自分のどこが逝かれてるか良くわかるよ:


ダメダメ家庭の目次録
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/index_original.html


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

106. 中川隆[-11424] koaQ7Jey 2019年3月15日 10:45:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[572] 報告

1970年代は科学的社会主義とかいうのが流行っていて、

唯物弁証法とかマルクスやレーニンの理論が既に科学的に証明されたと思っていたアホが沢山いたんだよ

お天道様はお見通し氏の話もその手のものなんだ。

赤軍派議長の塩見孝也なんか 2017年11月に死ぬまでずっと 世界同時革命とか叫んでたからね:

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html



[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


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