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DbsSfawrpEw コメント履歴 No: 100067
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[政治・選挙・NHK237] 悪事の裏に安倍あり  赤かぶ
25. 中川隆[-5674] koaQ7Jey 2017年12月15日 06:34:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

民進党、反日マスゴミなどの中国人・在日が流すデマ、印象操作に騙され、論理的思考が出来ず政治に無関心で正しい知識を持たない戦後の日本のような愚民国家では、政府が国のためになる正しい政策を行うことができません。

日本は中国人・在日とグローバリストという二つの敵から挟み込まれている。

2017年12月12日、安倍内閣総理大臣と会食しました。

【写真 左から藤井聡内閣官房参与、三橋貴明、安倍晋三内閣総理大臣、西田昌司参議院議員】
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12335968256-14090011183.html

総理と直接お話しし、多くの事実が分かったのですが、メルマガで書ける内容ではないため、ポイントのみ。

(1)
総理はPB黒字化目標が「日本を滅ぼしている」事実を理解しており、財政拡大路線に転じたがっている

(2)
とはいえ、政治的には困難
なぜ、政治的に困難なのかといえば、
大きな理由として「世論」と「自民党」の二つがあります。

(中略)

いかに内閣総理大臣とはいえ、国民も党も味方にならないのでは、財政拡大路線に転じることはできないのです。


【三橋貴明】安倍総理と直接議論して分かったこと《最新ニュース速報》1213
https://www.youtube.com/watch?v=y_nstm93DG4

【三橋貴明】TVで言えない安倍総理と夕食会の裏話。
https://www.youtube.com/watch?v=tEL0IzdlGRU

三橋貴明 財務省によって日本は滅びる!繁栄を阻む2つの壁はこれだ!
https://www.youtube.com/watch?v=u8xTHxQ44vI

三橋貴明 NHKはなぜ反日なのかを語る
https://www.youtube.com/watch?v=p24iCUOElsg

三橋貴明が朝日系列の番組で朝日新聞に痛烈!「全部ウソですよ」 1126
https://www.youtube.com/watch?v=VbesJQJrfAY

東アジアを“無秩序”にした日本国憲法 北朝鮮に侮られ、中国は尖閣奪おうと連日包囲
http://www.sankei.com/world/news/171214/wor1712140002-n1.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/178.html#c25

[アジア23] 「まずい店が見つからない!」訪日韓国人を感動させた日本の食べ物=韓国ネット「日本は世界のワントップ」「韓国もだいぶ日本に 赤かぶ
1. 中川隆[-5673] koaQ7Jey 2017年12月15日 06:41:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

パンは食べてはいけない


2017.12.13 小麦は昔と今では全く別物になっている グルテンフリーのすすめ
http://golden-tamatama.com/blog-entry-gulten-free.html


ワタスは時々用事で外出が続いたりすると、朝はコンビニでコーヒーとパンで済ます。

で、お昼になったらどっかのラーメン屋でバクバク食べて。
他にはピザとかパスタとか。
そんな適当なものばかり食べてます。

で、外食が続いたりすると
ワタスの場合、肌が荒れるというか。

うー痒いよ〜
時々、手の甲が赤くなってカサカサになってきてしまうのですね。

そうやって、かいてるとひび割れてしまって、
で、最初は、霜焼けかと思って薬を塗ってたんですが、
なかなか治らないんですね。

で、しばらく家で食べると肌荒れが治るのでした。
だから、もしかして食生活の影響?
と思ったりしてます。

良く考えたら外出時にワタスが食べるものと言えば
小麦製品ばっかりなんですね。

パン、ピザ、パスタ、ラーメン、うどん、そば。
小麦ばっかです。

そばは半分は小麦です。
この間、そばを食べたらめちゃくちゃ手がかゆくなってしまいますた。

で、もしかしたら小麦アレルギー?
と思って調べたのですが、どうも最近の小麦はかなり怪しい。

ワタスのお手々が痒くなってしまうのは小麦のせいでは?
と思うようになりますた。

以下のような話が載ってました。

なんでも、最近はグルテンフリー。
健康のために小麦を食べないのが流行ってるそうです。


グルテンフリー  数百回の交配で古代種とは別物になってしまった現代の小麦
http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/b1bb3fce73388304d916c322222d9448

 より

グルテンフリーとは、小麦などの麦類を食さないことです。

グルテンフリーをはじめて、1ヶ月もしないうちに、便秘が改善され、疲れにくくなったと喜んでいました。
そこで、グルテンフリーについて調べてみることにしました。

プロテニスプレーヤーのジョコビッチ選手をはじめ、
女優の長澤まさみさん、ディーン・フジオカさん、ローラさん、優木まおみさんなど多くの有名人もグルテンフリーを実践していることが分かりました。

ATP男子シングルス世界ランキングで、4年間1位であったジョコビッチ選手の次の言葉が印象的です。

『体重が約5キロ落ち、かつてなく強靭になり、子供時代から振り返っても1番の健康体になった。
そして、生涯の目標だった2つのゴールに到達した。ウィンブルドン優勝と世界ランキング1位だ。

わずか18ヶ月で、私をただの「そこそこ良い選手」から「世界最高の選手」に生まれ変わらせたのは、新しい食事だった。
私の人生が大きく変わったのは、体にあった正しい食事を始め、体が求めている通りに従ったからだ。』

ジョコビッチ選手のようにグルテンフリーの食事に変えただけで、絶大な効果が出ているケースも多いそうです。

ただ、5,000年ほど前から人類が食してきた麦類を止めただけで、なぜ体調が改善されるのでしょうか? 

確かに肉類や砂糖を止めると、体調が改善されますが、麦類も同じなのでしょうか。 

そこで、グルテンフリーについて書かれている書籍を3冊読んでみました。

3冊の書籍を読んでみると、小麦の問題はその誕生の経緯にあることが分かりました。


メキシコシティの東に設置された国際トウモロコシ・小麦改良センター(IMWIC)は、1943年にロックフェラー財団とメキシコ政府の協力のもとでスタートしました。

IMWICでは、小麦の交配による品種改良に取り組むことになりました。  

当初の小麦は、大量の肥料を与えると、小麦の先端に巨大な種子が実ることが分かりました。ただ、先端が重いため、倒れてしまいました。

その後、遺伝子学者であるノーマン・ボーローグ博士が、品種改良を重ねることにより、茎が太くて短い小麦の開発に成功しました。
この品種は、茎が短いため、多くの実をつけても倒れません。

しかも短期間で成長し、収穫することができます。この小麦は収穫量が膨大なため、米国をはじめ世界中に広まりました。

当時飢餓に襲われていたインドやパキスタン、中国、コロンビアなどの諸国にも迎えられました。その結果、中国では小麦の生産量が8倍に拡大し、食料事情の改善に大きく貢献したことは事実です。

この小麦は、収穫量が飛躍的に増大するだけでなく、病気にも強く、農薬や殺虫剤の抵抗力も増し、冷害や干ばつの耐性も高いという夢のような小麦なのです。農家が飛びつくのも当然といえます。

この小麦の交配品種により、ボーローグ博士は、「グリーン革命の父」と呼ばれ、1970年にノーベル平和賞を受賞しました。

カンザス州立大学の小麦育種学教授のアラン・フリッツ博士によれば、ボーローグ博士の開発した小麦は、世界中で栽培されている小麦の99%以上を占めているとのことです。
つまり日本でもこの品種が多く栽培されているということになります。

この奇跡の小麦が登場するまでに、IMWICでは数百回の交配が行われたそうです。
その結果、数百種という膨大な新品種の小麦が作られ、市販食品として販売されてきました。

ところが、数百回もの交配等の遺伝子変化が加えられたにもかかわらず、人体への安全性テストはまったく行われないまま販売されてきたのです。

交配した新品種の小麦から発現したたんぱく質を、二つの親の品種と比較すると、子にあたる新品種のたんぱく質の95%は親と同じですが、残りの5%は二つの親のいずれとも異なるという結果が出ました。
特に小麦のたんぱく質であるグルテンは、交配により大幅に構造が変化したのです。

交配は遺伝子組み換え技術ほどの精度はありませんが、研究者が気づかずに、目的の効果とは関連のない遺伝子のスイッチをONにしたり、OFFにしたりした可能性があります。
こうして生み出された特異な性質は、現在でもすべてが明らかになっているわけでもありません。
したがって、人間に望ましくない影響を及ぼしかねない小麦の変容は、遺伝子組み換え以前に行われた品種改良の結果なのです。

このことから、精白されていない全粒粉であっても、元の小麦自体に異常があるため、安全とはいえないことが分かります。

さらに、農薬の問題もあります。日本は小麦の消費量の85%を輸入に頼っていますが、輸入された小麦には、ポストハーベストという通常畑で使用される農薬の100倍〜数百倍濃い濃度の農薬が散布されています。これではパンにカビが生えないワケですね(輸入された大豆、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ、オレンジ、レモン、バナナなどにも散布されています)。

ここで、交配による品種改良と遺伝子組み換えの違いを述べたいと思います。

品種改良とは特徴を持った同じ種のもの同士を交配し、その長所を持った品種をつくることを言います。
例えば、寒さに強いが虫に弱い小麦と 寒さに弱いが虫に強い小麦を掛け合わせて、寒さに強く虫にも強い小麦を作るのが品種改良です。

遺伝子組み換えは、他の種からその特徴を持った遺伝子を組み換えることです。

例えば、寒さに弱いが虫に強い小麦に、寒さに強いシロクマの遺伝子を組み込むことで、虫に強く寒さにも強い小麦を作る技術です。

遺伝子のスイッチをONにしたり、OFFにしたりという観点では、交配と遺伝子組み換えは同じだといえます。

遺伝子組み換えの危険性については、誰もが認識していますが、交配による品種改良は安全であると大多数の人は考えているのではないでしょうか。

50年にわたり数百回もの交配を繰り返せば、遺伝子組み換えと同様な危険性があるということになります。
現在の小麦は、交配のやり過ぎで、古代の小麦とはまったく違った植物に改変されてしまったのです。

何でもやり過ぎは良くないという典型ですね。

50年にわたる交配の結果、古代の小麦とはまったく別物になってしまった現在の小麦。その小麦の摂取を止めた方の効果をご紹介したいと思います。

・肌の乾燥が改善
・むくみがとれる
・寝起きがよくなる
・疲れにくくなる
・腸の調子がよくなる

早ければ1週間でこのような効果が現れる方もいますので、やってみてもいいかもしれません。

以下のような話も載ってました。



朝食でパンを食べることが、人間の脳と体を完全に狂わせる。
https://lrandcom.com/not_eat_wheat

日本は小麦の全消費量の85%を輸入に頼り、しかもその6割はアメリカ産が占めていますが、現在アメリカで収穫されている小麦は、20世紀後半に行われた遺伝子研究によって形質転換されたもので、本当に天然の小麦とは明らかに異なります。

米国の医師ウィリアム・デイビス氏は、「現在の小麦が本物の小麦なら、チンパンジーは人間だと言うようなもの」だと指摘し、この形質転換された小麦が肥満、高血圧、糖尿病、そして心臓疾患の原因になっており、患者2000人に独自の「小麦抜き」の食生活を実践してもらったところ、病気や疾患が見事なまでに回復する結果になったと同医師は述べています。

・・日本がアメリカから輸入している小麦は収穫量を増やすために、病気や日照り、そして高温に耐えるように品種改良したもので、大幅に形質転換された品種の小麦は、人工的な硝酸塩肥料や有害生物防除なしでは育だちません。

さらに、日本が輸入している小麦はカビが生えないよう、防腐剤が大量にふりかけられている場合が多く、このような輸入小麦がパン、ラーメン、パスタ、そしてお好み焼きなどに使われていると考えるだけでも、何となく食欲がなくなってきます。

「小麦は食べるな!」の著者、ウィリアム・デイビス博士によれば、現在北米の小麦農家の平均収穫量は100年前と比べて、10倍を超えており、食生活に小麦が取り入れられたことで、食品業界や製薬業界が信じられないほど大儲けした・・

乳ガンはもともと欧米に多い病気ですが、ここ最近では日本でも乳ガン患者が急激に増えており、料理評論家の幕内秀夫さんによれば、乳ガンの患者さんで、朝にパンを食べている方の割合は、40歳以上で7割、20代、30代では8割に上ると言われています。

この乳がんもそうですが。
なんで日本はこんながん患者が増えてるんでしょうね。

以下は、国立がん研究センターの統計です。
男女とも、がんの死亡数は増加し続けてて、
2015年のがん死亡数は、1985年の約2倍なんですね。

http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#mortality


http://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2017/12/OSV1031_AAA_1985-2015.jpg?x45209
http://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2017/12/OSV1053_AAA_1985-2012.jpg?x45209


国立がん研究センターでは、
がん死亡数が増えた原因は高齢化と結論付けてます。

おいおい。
そりゃジジババになったらガン患者は増えるかもしれないが、それだけじゃないでしょう。

ワタスは、小麦というのもかなり影響があるのではと思ってます。

ワタスは小麦を食べると体が痒くなる。
幸いにしてまだ股間までかゆくなってません。
そして小麦を食べないと治る。

これは、ワタスの敏感な肌センサーが
食べるな危険!
と教えてくれているのではないかと思ってます。

そのためワタスは最近はグルテンフリー。

日本人らしく、お茶とおにぎりを食べるようにしてます。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-gulten-free.html

http://www.asyura2.com/17/asia23/msg/434.html#c1

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
50. 中川隆[-5671] koaQ7Jey 2017年12月15日 07:40:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

道南のスキー場 | スキー場・スノーボードゲレンデ検索のPOPSNOW
https://www.popsnow-net.com/hokkaido/donan

ニセコのスキー場 | スキー場・スノーボードゲレンデ検索のPOPSNOW
https://www.popsnow-net.com/hokkaido/niseko

道央のスキー場 | スキー場・スノーボードゲレンデ検索のPOPSNOW
https://www.popsnow-net.com/hokkaido/dooh

道東のスキー場 | スキー場・スノーボードゲレンデ検索のPOPSNOW
https://www.popsnow-net.com/hokkaido/doto


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c50

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
51. 中川隆[-5670] koaQ7Jey 2017年12月15日 07:40:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

今は東京から千歳まで 7000円の格安航空券で行けるし、北海道には一泊二食付 7000円程度の人気温泉宿が沢山あるので東北や長野にスキーに行くより北海道に行った方が遥かに安くあがります。

北海道でニセコ以外は リフトの料金も、宿泊費も、日帰り温泉料金もすべて内地より3割ないし5割は安いのですね。


格安航空券・飛行機チケット・LCC予約のトラベリスト
https://travelist.jp/

札幌(新千歳)空港の格安航空券・飛行機予約はスカイチケット 国内
http://skyticket.jp/area_hokkaido


【プランニング】1泊2日で北海道を楽しむ【スキー・スノボ編】 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/otoku/twodayski/

【お得技】北海道の冬に適した冬靴・雪靴・スノーブーツ 滑りにくい歩き方とは? 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/otoku/snowshoes/

北海道観光情報一覧(目的別) 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/hokkaido-sightseeing/

北海道コンシェルジュ|穴場観光スポット、おすすめグルメ、お土産やお取り寄せ
http://hokkaido-concierge.info/

北海道旅行モデルプランナビ
http://みんなで北海道.com/


北海道週末移住のすすめ
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/03/03/215126


先日テレビで沖縄への週末移住を

特集していましたが、北海道への

週末移住はどうでしょう?

格安ツアーを使う

航空券とホテルがセットになった

格安ツアーというのがあります。


【お得技】格安国内ツアーでお得に北海道旅行する方法 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/otoku/t-travel/

【移動】格安で北海道旅行するならスカイマークがおすすめ!なぜ? 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/otoku/skymark/

LCCを使う

【移動】LCCを使ってお得に北海道旅行する6つの方法 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/otoku/lcc/


LCCはホントに安い。大手航空会社の半分下手

すれば3分の1ぐらいになることもあります。

大手航空会社でも安い運賃設定はありますが

かなり早めに予約しないとダメですよね。

急に休みが取れたりしたときには使えません。

その点LCCは直前でも安い。直前の方が安かったり

します。

LCCは日にち、時間によって値段が変わるので

こまめなチェックが必要。底値を知るのが

大事です。

あと、支払いに「コンビニ払い」を選ぶとお得。

コンビニ払いだと支払いをしないと自動的に

キャンセルになるので支払期日までに安くなったら

予約を取り直すこともできるんです。

さらにもっとお得なのが「セール」

たまにあるのでメルマガは登録しておきましょう。


北海道内での宿泊

北海道ではゲストハウスに泊まるがお得。

【富良野】そらいろのたね【ゲストハウス】 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/stay/soratane-2/

【札幌】SocialHostel365【ゲストハウス】 北海道コンシェルジュ
http://hokkaido-concierge.info/stay/socialhostel365/


ゲストハウスは安く泊まれるだけじゃなくて

旅人同士で交流もできます。

一人旅でもぜんぜん寂しくない!

移住となると勇気とパワーがいりますが、

週末移住ならお手軽なので試してみても

いいんじゃないでしょうか?
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/03/03/215126


北海道から東京へ格安で行く【飛行機】【ホテル】
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/05/16/145820


北海道に住み始めてからちょこちょこ東京に行っています。

大阪にいるときは年1回行くかどうかだったのですがこっちに来てから
2〜3ヶ月に1回ぐらいは行ってます。

見たい舞台や行きたいセミナーが北海道ではやってないってのもあるんですが


大阪から東京へ新幹線で行くより

飛行機で札幌から東京で行くほうが

安かったりするんですよね、実は。


http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/05/16/145820


往復1万円ちょっとで行けます。

(日にちとか時間帯によるけど)

予約はいつも格安予約サイトを使います。

最短5分で予約!会員登録不要!国内航空券予約はエアータウン

最近ニュースで格安チケットのトラブルが

報道されたりしましてが、ここはいつも

使ってるので問題なしです。

どれが安いか一目でわかるので使いやすいし。

新千歳空港までは連絡バスを使います。

http://www.chuo-bus.co.jp/highway/airport/

乗り換えなしでいけるから楽だし

回数券買っておけばかなりお得です。

バスの難点といえば時間が読めないところ

ですが、空港でうろうろするのが好きなので

かなり早めに行くので無問題です。

(遅れたことないけど)

成田空港からはシャトルバスを使います。

京成高速バス 東京駅〜成田空港900円(東京シャトル)
http://www.keiseibus.co.jp/kousoku/nrt16.html


安いし第3ターミナルから直接乗れるので楽です。

ホテルの予約も

予約サイト
http://www.nta.co.jp/

trivago.jp - 世界トップクラスのホテル料金比較サイト
https://www.trivago.jp/

を使います。安いホテルが探しやすいです。

先日も東京でお花見をしてきました。

そんなわけで札幌に住んでいてもあまり不自由は感じません。

移住してよかった!
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/05/16/145820
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c51

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
52. 中川隆[-5669] koaQ7Jey 2017年12月15日 08:11:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

北海道各地のスキー場 良い点と悪い点
http://www.geocities.jp/mfbox/skiarea/hokkaido.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c52
[政治・選挙・NHK237] これでも政治が動かなければ米軍基地問題の解決は絶望的だ  天木直人  赤かぶ
1. 中川隆[-5668] koaQ7Jey 2017年12月15日 08:42:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
官僚の上役はアメリカ軍人なんだから安部には何も発言権が無いんだよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/210.html#c1
[原発・フッ素49] 伊方3号機に運転差し止め命令 脱原発ドミノが始まるのか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 中川隆[-5667] koaQ7Jey 2017年12月15日 10:10:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
「頭がおかしい」裁判官と知恵遅れ反原発派が日本を滅ぼす


『伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分  18年9月まで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/

 四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初めて。(後略) 』


 広島高裁の野々上裁判長は、伊方原発から130キロ離れた阿蘇山の危険について、
「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」
 と説明しています。


 念のため、阿蘇山は九州中央部にあり、伊方原発は「四国」です。


 阿蘇山の火砕流が伊方原発に届くということは、大分県が「全滅」していることになります。伊方原発云々以前に、日本政府は、
「大分県及び阿蘇の火砕流が届く可能性がある九州北部に人は住んではならない」
 と、居住規制をかけなければなりません。



 無論、野々上裁判長にしても、本気で阿蘇の火砕流が伊方原発に届くことを懸念しているのではないでしょう。


 単に、
「伊方原発の運転を差し止める」
 という結論があり、その結論に持っていくために、客観的に「頭がおかしい」と判断される理由付けをしているに過ぎません。


 四国電力は阿蘇の火山について、
●現在のマグマ溜まりは破局的噴火直前の状態ではなく、今後も、現在の状況が継続するものと判断。
●阿蘇山の火砕流堆積物は阿蘇カルデラ内に限られる。
 と評価し、原子力規制委員会の了承を得ています。


 ちなみに、伊方原発の運転の停止を命じる仮処分を広島高裁に申し立てたのは、わずか4名。


 18年1月から再稼働するはずだった伊方原発の運転ができないため、四国電力は毎月35億円の損害が出ることになります。

 当然ながら、四国電力の経営は悪化し、四国全域の電気料金に影響せざるを得ないでしょう。


 欧州の「子供難民」の事例を笑えません。我が国にしても、狂った国なのです。


 狂った祖国を正気に戻すためには、どうしたらいいのか? 国民一人一人が真剣に考えなければならないのです。手遅れになる前に。

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/230.html#c5

[不安と不健康16] 牛乳はカルシウムを奪い骨を弱める。毒素をだし、血液を汚す。タバコの害どころではない。政治的圧力や宣伝攻勢で洗脳 てんさい(い)
84. 中川隆[-5666] koaQ7Jey 2017年12月15日 10:26:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
400字以上の長文にアレルギー反応を示す阿修羅住民の国語力はこんなもの:


▼深刻!日本語の問題文が理解できない中学生が43%!

 多くの中、高生が優しい日本語の文章が理解できない。国立情報学研究所の調査結果で明らかになった。「文章が理解できない」?つまり意味がわからないというのだ。由々しき出来事である。

 文科省は英語を来年4月から小学3年と4年で必修科目とする。進む国際化への対応だそうだ。しかし、肝心の日本語が分からないで英語重視と言うのはいかがなものか? どの国でも母国語を理解出来た上での外国語ではないのか。

 日本語の問題文が理解できない実例を挙げよう。問題は中学教科書からの引用だ。

 「幕府は1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」が、同じ意味かどうかを尋ねた。

 これを「同じ」と、間違って答えた中学生が43%もいた。高校生でも28%が不正解だった。こんな短い日本語が理解できない。しかもテストの問題文だ。これでは救いようがない。社会に出て、どうするのか?

 例えば新型のスマホを買うにしても、契約書や説明書が付いている。何が書いてあるか分からなければお話にならない。「読解力不足」では済まない。

 なぜ、こんな“未完成品”が多いかと言うと、子どものころから本を読む習慣がなかったからだ。親が子供に本を与えない。そんな家庭で育った子供は理解力が著しく劣る。

 そのまま成長すれば中、高生になっても“未完成品”だ。なぜ、そんな子供が高校に進学で来たかと言えば、少子化の中で「生徒の質は問わない」と言う高校が少なくない。

 大学にも「自分の名前だけ書ければ合格」と言うところがある。商売だから授業料さえいただければOKだ。

 このように幼児期に本と親しむか否かで将来、大きな知的格差が生まれる。日本語で書いた文章が理解できないと、子供たちは将来、まともな仕事に就くことも難しいだろう。

 「幼児期の育て方がいかに大事か」、分かろうというものだ。優しい日本語の文章が理解できない。すべては親の責任である。



http://www.asyura2.com/13/health16/msg/629.html#c84

[政治・選挙・NHK237] 「安倍晋三」という限りなく馬鹿で性根の腐った男 (simatyan2のブログ) 赤かぶ
40. 中川隆[-5665] koaQ7Jey 2017年12月15日 11:24:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
安部は賢いんだけど、官僚はアメリカ軍人の命令にしか従わないからね:

民進党、反日マスゴミなどの中国人工作員・在日が流すデマ、印象操作に騙され、論理的思考が出来ず政治に無関心で正しい知識を持たない戦後の日本のような愚民国家では、政府が国のためになる正しい政策を行うことができません。

日本は中国人工作員・在日とグローバリストという二つの敵から挟み込まれている。

2017年12月12日、安倍内閣総理大臣と会食しました。

【写真 左から藤井聡内閣官房参与、三橋貴明、安倍晋三内閣総理大臣、西田昌司参議院議員】
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12335968256-14090011183.html

総理と直接お話しし、多くの事実が分かったのですが、メルマガで書ける内容ではないため、ポイントのみ。

(1)
総理はPB黒字化目標が「日本を滅ぼしている」事実を理解しており、財政拡大路線に転じたがっている

(2)
とはいえ、政治的には困難
なぜ、政治的に困難なのかといえば、
大きな理由として「世論」と「自民党」の二つがあります。

(中略)

いかに内閣総理大臣とはいえ、国民も党も味方にならないのでは、財政拡大路線に転じることはできないのです。


【三橋貴明】安倍総理と直接議論して分かったこと《最新ニュース速報》1213
https://www.youtube.com/watch?v=y_nstm93DG4

【三橋貴明】TVで言えない安倍総理と夕食会の裏話。
https://www.youtube.com/watch?v=tEL0IzdlGRU

三橋貴明 財務省によって日本は滅びる!繁栄を阻む2つの壁はこれだ!
https://www.youtube.com/watch?v=u8xTHxQ44vI

三橋貴明 NHKはなぜ反日なのかを語る
https://www.youtube.com/watch?v=p24iCUOElsg

三橋貴明が朝日系列の番組で朝日新聞に痛烈!「全部ウソですよ」 1126
https://www.youtube.com/watch?v=VbesJQJrfAY

東アジアを“無秩序”にした日本国憲法 北朝鮮に侮られ、中国は尖閣奪おうと連日包囲
http://www.sankei.com/world/news/171214/wor1712140002-n1.html

安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った


日本では自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。

戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。

日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。

対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。

対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。
https://tanakanews.com/170910japan.htm


官僚の流すデマに騙されるな

加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争


官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          

萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。


_____


官僚たちは人事権を事務次官が持つことによって政治家には介入させなかった。

それが内閣人事局が人事権を持つことによって、官僚の権力の源泉が失われて、これが官僚には面白くないことだった。

だから官僚たちにとっては、安倍総理は敵であり、第一次安倍内閣は官僚たちによるマスコミへのスキャンダルリーク作戦で退陣に追い込んだ。それがまさかの第二次安倍内閣の発足によって、官僚たちへの「内閣人事局」による報復が始まった。文科省の天下り問題はその一例に過ぎない。

組織の論理から言えば、官僚の人事は行政のトップである総理大臣や各省の大臣が持つのが当たり前ですが、以前は各省の事務次官が人事権を持っていた。だから官僚たちは、内閣の言うことよりも事務次官の言うことを聞いて、内閣総理大臣の言うことは面従腹背だった。

それが「内閣人事局」ができたことで、内閣総理大臣の権力は非常に大きくなった。それが官僚たちには面白くない。だからまたしてのスキャンダルリーク作戦で安倍総理の足を引っ張り出した。政治家のスキャンダルは警察や検察庁の官僚が握って持っている。豊田真由子議員もそうだし、中川俊直議員もそれでやられている。

いずれも二回生議員で安倍チルドレンとマスコミは呼んでいる。安倍総理がどこまで巻き返せるかは国民の支持率次第ですが、マスコミは連日安倍ネガティブキャンペーンを張っている。やらせているのが財務省官僚たちであり、籠池騒動の元は財務省官僚の安倍総理への裏切りにある。

このような官僚たちの裏切り行為に対して、安倍総理が「内閣人事局」を使っての報復人事が行われるだろう。まさに中堅官僚にとっては安倍総理につくか事務次官につくかの選択を迫られる事態となっている。安倍総理が踏ん張りきれれば官僚のスキャンダルリーク作戦も収まるのでしょうが、マスコミも官邸につくか官僚につくかで分かれている。

もっとも、政界でも反安倍の動きが有り、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部の動きが怪しくなっている。ここでも反安倍に舵を切った石破氏もいれば、安倍政権を支えるかで処遇も違ってくるだろう。問題は安倍政権への支持率であり、共謀罪強行採決では大きく支持率を下げた。

文科省の前川前次官が告発の記者会見を開いて抵抗しているのも、官僚と官邸との権力闘争が主体であり、人事権を取り上げられた官僚の抵抗は続くだろう。しかし安倍政権が長期化すれば官僚への人権発動で、反安倍の官僚たちは飛ばされるから官僚たちも必死だ。



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/163.html#c40

[政治・選挙・NHK237] 蓮舫さん、立憲民主党入りを検討  赤かぶ
7. 中川隆[-5665] koaQ7Jey 2017年12月15日 15:53:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
蓮舫は中国のスパイだろ

枝野も中国の手先だったというのが証明されたな
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/223.html#c7

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
235. 中川隆[-5664] koaQ7Jey 2017年12月15日 17:02:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月14日
テスラのEVトレーラー 電力不足で充電できない可能性

問題は電力と充電する場所がない事と、CO2が減らない可能性がある事
引用:https://assets.media-platform.com/bi/dist/images/2017/11/18/5a0e7e2ff914c31e008b4852-w1280.png

EVトレーラーは充電できない?

EVメーカーテスラは野心的な計画を矢継ぎ早に発表しているが、問題も次々に起こしている。

今度のトラブルは11月に発表したばかりの新型EVトレーラー『セミ』で、実際には公道を走れないかも知れない。

『セミ』は1回の充電で約800km走行でき、トラックなのに加速性能が優れていて、価格は15万ドルでエンジン付きとあまり変わらない。


         

しかもエンジンを搭載しないので故障が少なく、耐久性はエンジン付き車より高い。

まあ全てテスラ側が言っている説明なので、それらが本当なのかは分からないが、マスコミには高く評価されている。

英経済紙のFINANCIAL TIMESは先日、テスラのEVはよりコンパクトなエンジン車よりCO2排出量が多くなるという批判的な記事を掲載していた。


今回はテスラのEVトレーラーを槍玉に挙げて、『充電に4,000軒分の電力が必要』と分析しました。

EVトレーラー『セミ』は専用の充電設備「メガチャージャー」を利用すれば、30分で約640kmの走行が可能と説明されています。

FINANCIAL TIMESによるとこのバッテリーを30分で充電するには、1,600キロワットの電力が必要になる。


1,600キロワットは家庭用電力3,000から4,000軒分に匹敵し、現行のスーパーチャージャーの10倍が必要になる。

テスラ社は太陽光など自然エネルギーで充電していると主張するが、実際には大部分が火力発電の電力が使用されている。

問題の一つは充電するためのインフラで、これほどの充電設備はまだ存在していない。

EV化によってCO2が減るとは限らない

問題の二つ目はこのようなEVが普及したら電力が不足することで、太陽光で賄えないのは明らかです。

記事にはイギリスでEVが普及すると、原発6ヵ所が新たに必要になると書かれている。

話はEVメーカーを超えて、国全体でどうやってEVの電力を賄うかに発展し、電力がないならEVを売っても充電できない。


EVは充電設備を起点にしてしか走行できないので、利便性を考えると少なくとも10キロごとに、こうしたメガチャージャーが必要になる。

テスラのバッテリー容量は非常に大きいので、家庭用充電器などでは「充電に掛かったのと同じ時間しか走れない」とされている。

8時間充電すれば8時間走れるのだが、寝る前にコードをさし忘れたら、明日は仕事に使えない。


まして大型トレーラー用のバッテリーは乗用車の10倍なので、家庭用充電器では「充電に掛かった10分の1の時間しか走れない」事になる。

さらに大きな問題点は、トレーラーをEV化してもCO2は削減されない可能性がある事で、まだこうした計算をした人は居ない。

乗用車の場合、小型車はEVの方がCO2が少ないが、テスラSやXのように2トン以上のEVでは、より軽量に出来るガソリン車のほうがCO2が少なくなる。


超大型トレーラーではどうなるのか、発電方法によって大きく変わるが、もし原発ではなく火力発電だとしたら、エンジン付きよりCO2が多くなるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/74052561.html

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c235

[原発・フッ素49] <大問題>東京新聞「広島高裁は、伊方原発に阿蘇山からの火砕流が到達する可能性を指摘。玄海原発も川内原発も同じような距離」 赤かぶ
1. 中川隆[-5663] koaQ7Jey 2017年12月15日 17:03:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
「頭がおかしい」裁判官と知恵遅れ反原発派が日本を滅ぼす

『伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分  18年9月まで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/

 四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初めて。(後略) 』


 広島高裁の野々上裁判長は、伊方原発から130キロ離れた阿蘇山の危険について、
「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」
 と説明しています。


 念のため、阿蘇山は九州中央部にあり、伊方原発は「四国」です。


 阿蘇山の火砕流が伊方原発に届くということは、大分県が「全滅」していることになります。伊方原発云々以前に、日本政府は、
「大分県及び阿蘇の火砕流が届く可能性がある九州北部に人は住んではならない」
 と、居住規制をかけなければなりません。


 無論、野々上裁判長にしても、本気で阿蘇の火砕流が伊方原発に届くことを懸念しているのではないでしょう。


 単に、
「伊方原発の運転を差し止める」
 という結論があり、その結論に持っていくために、客観的に「頭がおかしい」と判断される理由付けをしているに過ぎません。


 四国電力は阿蘇の火山について、
●現在のマグマ溜まりは破局的噴火直前の状態ではなく、今後も、現在の状況が継続するものと判断。
●阿蘇山の火砕流堆積物は阿蘇カルデラ内に限られる。
 と評価し、原子力規制委員会の了承を得ています。


 ちなみに、伊方原発の運転の停止を命じる仮処分を広島高裁に申し立てたのは、わずか4名。


 18年1月から再稼働するはずだった伊方原発の運転ができないため、四国電力は毎月35億円の損害が出ることになります。

 当然ながら、四国電力の経営は悪化し、四国全域の電気料金に影響せざるを得ないでしょう。


 狂った祖国を正気に戻すためには、どうしたらいいのか? 国民一人一人が真剣に考えなければならないのです。手遅れになる前に。

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/231.html#c1

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
115. 中川隆[-5662] koaQ7Jey 2017年12月15日 17:19:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

最底辺は「資本主義の世界でもがく地獄」だった

私は20歳の時に社会から完全にドロップアウトして、東南アジアや南アジアのスラムや貧困街に巣食って真夜中の世界をウロウロして生きていた人間です。

東南アジアや南アジアの社会の最底辺というのは、日本の相対的貧困どころではなく、まさに今日を生き抜けるかどうかの究極の「絶対貧困」の中にあります。

そこは、資本主義から完全に疎外されている人が「資本主義の世界でもがく地獄」であったと言えます。この地獄というのは比喩ではありません。

親は子供を売り、女性は身体を売り、自暴自棄に陥った男たちが飢えた野獣のような目をして真夜中を徘徊するような世界を地獄と言わずに何と言っていいのか私には分かりません。

この社会の最底辺に巣食っているうちに、私はこの最底辺を支配している存在をつぶさに知ることになります。誰もが金を持っていない社会の最底辺を支配しているのは何だったと思いますか?

それもまた「金」だったのです。社会の最底辺は「剥き出しの資本主義」だったのです。

誰もが金を持っていないから資本主義の世界から外れるのではなく、むしろ最底辺に向かえば向かうほど人々は剥き出しの資本主義に染まっていくのです。

「人は金のために生きているのではない」と社会の最底辺で言えば生きて帰れないでしょう。なぜなら、最底辺の人々は金のために苦しみ、金のために生きているからです。

金がなければ飢えて死にます。金がなければ雨風もしのげません。金がなければ、家も、持ち物も、健康も、尊厳も何もかも失います。理想など語っている暇も余裕もないのです。

「金のため」に、ある人は人間の尊厳を捨てて物乞いをし、ある人は身体を売り、ある人は犯罪を犯します。生存の極限にあります。だから、持たざる女性はこのように言うのです。

No Money, No Honey.(お金がなければ、蜜もない)

これほど凄まじい資本主義の光景を私は見たことがありません。この荒んだ世界で、私は「この世は資本主義であり、絶対にここから逃れられない」と叩き込まれました。

こうしたアンダーグラウンドを徹底的に描いているのが私の主催するもうひとつのブログ『ブラックアジア』です。このような世界を書き続けているのは日本では私だけであり、ブラックアジアは唯一無二の存在となっています。


資本主義の仕組みに気づき、利用するということ

資本主義の世界は格差を生み出す構造になっています。持たざる者からすべてを奪い取り、持っている者はさらに得ることができるのです。

絶対貧困の中では、人々は死ぬほど働いても年間約3万円ほどしか稼げません。

ベネズエラのように国が経済運営に失敗していたり、シリアやイランのように戦争に巻き込まれていたり、北朝鮮のように独裁者が国民を弾圧していたりする世界では、どんなに才能や勤労精神があっても誰でも絶対貧困に追い込まれます。

一方で、アメリカでは事業家や投資家が莫大な資産をさらに膨れ上がらせており、すでに富裕層の上位は個人資産が10兆円に迫ろうとしています。

絶対貧困層の資産がゼロだと考えると、その差は10兆倍であると言えます。

10,000,000,000,000倍です。

10倍や100倍の差どころではなくなっているわけです。1000倍や1万倍でもありません。10兆倍です。あまりに常軌を逸した格差で、私たちはもうこの数字を実感として捉えることすらもできません。

それにしても、なぜ持たざる者がさらに失い、なぜ富裕層の富みだけが増えていくという現象が起きるのでしょうか。

それは陰謀ではありません。資本主義のシステムです。

資本主義ではある一定の資産増大の仕組みが用意されており、資産を持つ人間であればあるほどさらに資産を増やせる仕組みになっています。

資産を大量に持つ人間がその資本主義の仕組みに気づき、そして利用することができます。

逆に資産を持たない人間は資本主義の仕組みに気付かず、気付かないから何もしないのです。

資本主義の仕組みはどうなっていて、どうすれば富裕層が利用しているシステムを使えるのかは、さらにこのシステムを使うにはどのような考え方を持たなければならないのか。

『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』
http://www.mag2.com/m/0001566290.html

は、それを解き明かそうとして、毎週いろんな角度で資本主義の仕組みと、その利用の仕方を書き続けています。読めば読むほど、資本主義のリアルな世界が見えてくるはずです。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171215T1428200900.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c115

[政治・選挙・NHK237] 天皇陛下の安倍首相に対する「御恨み骨髄」は本当だった  天木直人  赤かぶ
6. 中川隆[-5661] koaQ7Jey 2017年12月15日 17:24:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
チョンの知恵遅れ天皇のご機嫌取っても仕方ないだろ

祖国の韓国に引き取って貰えばいいんだ

日本人はみんなアホ天皇一族の扱いに困ってるんだ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/220.html#c6

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
237. 中川隆[-5671] koaQ7Jey 2017年12月15日 18:27:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

コーヒー豆の品質偽装は業界の常識?


外資系コーヒー店は本国から焙煎した豆を運ぶので、店に着いた時には豆が酸化している
引用:http://3.bp.blogspot.com/-Mgg2OlhFpUQ/T_pPsLn_1SI/AAAAAAAABRE/FSI--2ya5kk/s1600/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E8%8D%92%E5%B0%BE%E5%BA%97%E5%86%85.JPG

安い豆を高い豆にブレンド

むかし平成の米騒動と言われた出来事があり、1993年の記録的冷夏で米不足になりました。

政府はタイ米を緊急輸入したが不人気なので、日本米にタイ米を混ぜる「ブレンド米」を発売したが、却って不味さが強調されました。

国産米は販売されなくなり、タイ米と国産米をセットにしたセット米しか買えなくなり、タイ米は駅前に捨てられてハトの餌になりました。



国民は怒り、政府の米政策の失敗を非難したり、国産米の「闇米」を高値で買ったりしていました。

ところが今までずっとコーヒー豆では、堂々と安い豆を高級品として売ったり、「ブレンド豆」にして販売していた疑惑が出ています。

コーヒー豆業界では周知の事実であり、低価格でありながら高級品を謳っている商品は、まず贋物だそうです。


本当に高級な豆を使っている喫茶店では1杯500円もするのに、1杯150円とかでファーストフード店で売られていたら、間違いなく贋物でしょう。

缶コーヒー業界がその典型で、どんな豆を使っても100円か130円でしか売れないのに、豆だけが高級品な訳がありません。

スーパーやコンビニで売られている「こだわりのコーヒードリンク」も全てその類だと言われています。


100円台で販売されているコーヒー飲料は、表示に関係なく同じ等級の低価格な豆が使用されています。

これがお茶っ葉だと安い葉と高い葉の違いはすぐばれるが、コーヒーはミルクや甘味料を混ぜるので、分かり難くなる。

豆の輸入業者も飲料メーカーも、そこは常識として100円で良い豆など使えないのは知っています。

酸化した豆にミルクを混ぜてカフェラテ

100円台の缶コーヒーやコーヒードリンク豆に使えるコストは1割程度でしょうから、1杯10円くらいで良い豆など買える筈が無いです。

自家焙煎の珈琲豆を直接買うと、100g500円くらいするので、1杯分50円が掛かります。

コンビニ珈琲とかで使われている豆は、仕入れ値1杯10円か20円だと思います。


コーヒー豆は生豆でも劣化するが、焙煎した後は急速に劣化し、さらに粉にすると数日で酸化してしまいます。

このため保存するのにお金が掛かり、低価格で高品質な豆は販売できないのです。

コンビニ珈琲は安くコーヒーを飲みたい人が買うから良いのだが、「本格派」とか「こだわり」を売りにして実際は低品質な豆を使っている例があります。


日本中で大人気の外資系コーヒーチェーンはアメリカの工場で焙煎した豆を日本に輸入していて、店に着いた時には酸化しきっています。

どう味わっても100円のコンビニコーヒーより酷い味だが、大量に混ぜ物を入れ「xxxラテ」とか「フラペチーノ」として販売している。

さらにコーヒー豆には高級なアラビカ種と、安価なロブスタ種があり、ロブスタ種は天候不順に強いので、市販の豆の殆どで使われています。


アラビカ種と表示があるが価格が高いわけではないとしたら、それは良くてロブスタ種とのブレンドでしょう。

コーヒー界では顧客が提示した値段によって、指定されたより等級を落とすのが普通で、良い豆を欲しければ高い金を払うしかありません。

高い豆を高品質なまま提供するには、豆の管理にも金が掛かるので、結局高級なコーヒーは1杯400円や500円とかになるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/74064964.html
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c237

[リバイバル3] 1日に3杯以上コーヒーを飲むと失明する 中川隆
4. 中川隆[-5670] koaQ7Jey 2017年12月15日 18:27:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

コーヒー豆の品質偽装は業界の常識?


外資系コーヒー店は本国から焙煎した豆を運ぶので、店に着いた時には豆が酸化している
引用:http://3.bp.blogspot.com/-Mgg2OlhFpUQ/T_pPsLn_1SI/AAAAAAAABRE/FSI--2ya5kk/s1600/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E8%8D%92%E5%B0%BE%E5%BA%97%E5%86%85.JPG

安い豆を高い豆にブレンド

むかし平成の米騒動と言われた出来事があり、1993年の記録的冷夏で米不足になりました。

政府はタイ米を緊急輸入したが不人気なので、日本米にタイ米を混ぜる「ブレンド米」を発売したが、却って不味さが強調されました。

国産米は販売されなくなり、タイ米と国産米をセットにしたセット米しか買えなくなり、タイ米は駅前に捨てられてハトの餌になりました。



国民は怒り、政府の米政策の失敗を非難したり、国産米の「闇米」を高値で買ったりしていました。

ところが今までずっとコーヒー豆では、堂々と安い豆を高級品として売ったり、「ブレンド豆」にして販売していた疑惑が出ています。

コーヒー豆業界では周知の事実であり、低価格でありながら高級品を謳っている商品は、まず贋物だそうです。


本当に高級な豆を使っている喫茶店では1杯500円もするのに、1杯150円とかでファーストフード店で売られていたら、間違いなく贋物でしょう。

缶コーヒー業界がその典型で、どんな豆を使っても100円か130円でしか売れないのに、豆だけが高級品な訳がありません。

スーパーやコンビニで売られている「こだわりのコーヒードリンク」も全てその類だと言われています。


100円台で販売されているコーヒー飲料は、表示に関係なく同じ等級の低価格な豆が使用されています。

これがお茶っ葉だと安い葉と高い葉の違いはすぐばれるが、コーヒーはミルクや甘味料を混ぜるので、分かり難くなる。

豆の輸入業者も飲料メーカーも、そこは常識として100円で良い豆など使えないのは知っています。

酸化した豆にミルクを混ぜてカフェラテ

100円台の缶コーヒーやコーヒードリンク豆に使えるコストは1割程度でしょうから、1杯10円くらいで良い豆など買える筈が無いです。

自家焙煎の珈琲豆を直接買うと、100g500円くらいするので、1杯分50円が掛かります。

コンビニ珈琲とかで使われている豆は、仕入れ値1杯10円か20円だと思います。


コーヒー豆は生豆でも劣化するが、焙煎した後は急速に劣化し、さらに粉にすると数日で酸化してしまいます。

このため保存するのにお金が掛かり、低価格で高品質な豆は販売できないのです。

コンビニ珈琲は安くコーヒーを飲みたい人が買うから良いのだが、「本格派」とか「こだわり」を売りにして実際は低品質な豆を使っている例があります。


日本中で大人気の外資系コーヒーチェーンはアメリカの工場で焙煎した豆を日本に輸入していて、店に着いた時には酸化しきっています。

どう味わっても100円のコンビニコーヒーより酷い味だが、大量に混ぜ物を入れ「xxxラテ」とか「フラペチーノ」として販売している。

さらにコーヒー豆には高級なアラビカ種と、安価なロブスタ種があり、ロブスタ種は天候不順に強いので、市販の豆の殆どで使われています。


アラビカ種と表示があるが価格が高いわけではないとしたら、それは良くてロブスタ種とのブレンドでしょう。

コーヒー界では顧客が提示した値段によって、指定されたより等級を落とすのが普通で、良い豆を欲しければ高い金を払うしかありません。

高い豆を高品質なまま提供するには、豆の管理にも金が掛かるので、結局高級なコーヒーは1杯400円や500円とかになるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/74064964.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html#c4

[リバイバル3] ココナッツオイルを使うバターコーヒーダイエット 中川隆
27. 中川隆[-5669] koaQ7Jey 2017年12月15日 18:28:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

コーヒー豆の品質偽装は業界の常識?


外資系コーヒー店は本国から焙煎した豆を運ぶので、店に着いた時には豆が酸化している
引用:http://3.bp.blogspot.com/-Mgg2OlhFpUQ/T_pPsLn_1SI/AAAAAAAABRE/FSI--2ya5kk/s1600/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E8%8D%92%E5%B0%BE%E5%BA%97%E5%86%85.JPG

安い豆を高い豆にブレンド

むかし平成の米騒動と言われた出来事があり、1993年の記録的冷夏で米不足になりました。

政府はタイ米を緊急輸入したが不人気なので、日本米にタイ米を混ぜる「ブレンド米」を発売したが、却って不味さが強調されました。

国産米は販売されなくなり、タイ米と国産米をセットにしたセット米しか買えなくなり、タイ米は駅前に捨てられてハトの餌になりました。



国民は怒り、政府の米政策の失敗を非難したり、国産米の「闇米」を高値で買ったりしていました。

ところが今までずっとコーヒー豆では、堂々と安い豆を高級品として売ったり、「ブレンド豆」にして販売していた疑惑が出ています。

コーヒー豆業界では周知の事実であり、低価格でありながら高級品を謳っている商品は、まず贋物だそうです。


本当に高級な豆を使っている喫茶店では1杯500円もするのに、1杯150円とかでファーストフード店で売られていたら、間違いなく贋物でしょう。

缶コーヒー業界がその典型で、どんな豆を使っても100円か130円でしか売れないのに、豆だけが高級品な訳がありません。

スーパーやコンビニで売られている「こだわりのコーヒードリンク」も全てその類だと言われています。


100円台で販売されているコーヒー飲料は、表示に関係なく同じ等級の低価格な豆が使用されています。

これがお茶っ葉だと安い葉と高い葉の違いはすぐばれるが、コーヒーはミルクや甘味料を混ぜるので、分かり難くなる。

豆の輸入業者も飲料メーカーも、そこは常識として100円で良い豆など使えないのは知っています。

酸化した豆にミルクを混ぜてカフェラテ

100円台の缶コーヒーやコーヒードリンク豆に使えるコストは1割程度でしょうから、1杯10円くらいで良い豆など買える筈が無いです。

自家焙煎の珈琲豆を直接買うと、100g500円くらいするので、1杯分50円が掛かります。

コンビニ珈琲とかで使われている豆は、仕入れ値1杯10円か20円だと思います。


コーヒー豆は生豆でも劣化するが、焙煎した後は急速に劣化し、さらに粉にすると数日で酸化してしまいます。

このため保存するのにお金が掛かり、低価格で高品質な豆は販売できないのです。

コンビニ珈琲は安くコーヒーを飲みたい人が買うから良いのだが、「本格派」とか「こだわり」を売りにして実際は低品質な豆を使っている例があります。


日本中で大人気の外資系コーヒーチェーンはアメリカの工場で焙煎した豆を日本に輸入していて、店に着いた時には酸化しきっています。

どう味わっても100円のコンビニコーヒーより酷い味だが、大量に混ぜ物を入れ「xxxラテ」とか「フラペチーノ」として販売している。

さらにコーヒー豆には高級なアラビカ種と、安価なロブスタ種があり、ロブスタ種は天候不順に強いので、市販の豆の殆どで使われています。


アラビカ種と表示があるが価格が高いわけではないとしたら、それは良くてロブスタ種とのブレンドでしょう。

コーヒー界では顧客が提示した値段によって、指定されたより等級を落とすのが普通で、良い豆を欲しければ高い金を払うしかありません。

高い豆を高品質なまま提供するには、豆の管理にも金が掛かるので、結局高級なコーヒーは1杯400円や500円とかになるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/74064964.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/597.html#c27

[昼休み53] 日本は近い将来、中国小日本省になる 中川隆
8. 中川隆[-5668] koaQ7Jey 2017年12月15日 19:32:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

支那人に征服される呑気な日本
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支那人に狙われた北海道


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(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
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  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)
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  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

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(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)
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  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。

チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)
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  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)
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  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)
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  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)
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  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)
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  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)
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  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)
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支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)
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  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

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(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)
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  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)
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  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)
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  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

Elizabeth Hurley 5Lucy Liu 2(左: エリザベス・ハーレー / 右: ルシー・リュー)
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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)
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  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)
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  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)
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  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

Chunese workers 8chinese eye stubbed 1
(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)
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  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
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http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html#c8

[リバイバル3] 熱海青翠 _ 中国人に乗っ取られた訳有り(?)高級リゾートマンション 中川隆
28. 中川隆[-5667] koaQ7Jey 2017年12月15日 19:32:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

支那人に征服される呑気な日本
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支那人に狙われた北海道


Chinese woman 1Chinese 11
(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
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  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

Chinese tourists 1Chinese 7
(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)
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  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

Chinese & cherry trees
(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)
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  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。

チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)
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  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

Chinese in Chicago 1Chinese in Chicago 2
(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)
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  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)
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  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

Chinese in Chicago 3Chinese in Chicago 5
(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)
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  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)
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  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

Dresden Germany 1German village 1
(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)
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  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)
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支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

Hugh Grant & Ekizabeth Hurley 2Hugh Grant & Ekizabeth Hurley 4Tinglan Hong 2
(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)
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  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

Hugh Grant & Anna-Eberstein 2Hugh Grant parents
(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)
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  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

Chinese boy 1Chinese kid 2
(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)
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  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

Black & ASian couple 1Chinese woman 6Black Asian 4
(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)
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  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

Elizabeth Hurley 5Lucy Liu 2(左: エリザベス・ハーレー / 右: ルシー・リュー)
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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

Lisa Ling 2Lauren Tom 2Rosalind Chao 2Joan Chen 2
(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)
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  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)
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  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)
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  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

Chunese workers 8chinese eye stubbed 1
(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)
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  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/571.html#c28

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
53. 中川隆[-5666] koaQ7Jey 2017年12月15日 21:09:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

シーズン別、積雪と雪質について
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/71/

今回は、シーズン別に積雪量と雪質について、主にコブを滑る視点から考えてみたいと思います。

※以下、首都圏からスキーに行く観点からの内容になります。東北北部や、北海道等では当てはまりません。

◆11月

人工雪と言っていいのかな? 一般的な水をスプレーのように噴射して作る人工雪とは異なりますが、砕いた細かい氷を斜面にまいたスキー場がオープンします。
Yeti、軽井沢プリンスホテル等のスキー場です。

コースの端をモーグラーさんたちが申し合わせたように繰り返し滑って、お昼頃にコブのラインらしきものができることが、たまにあります。

でも、この時期に期待できるゲレンデは、フラットでシーズン初めの足慣らし程度と考えた方が良いと思います。

滑りごたえがなく、不完全燃焼になってしまうことが多いので、私はあまりこの時期にはスキーに行きませんが、小春日和の日にスキーができることに感謝すべきなのかもしれませんね。


◆12月前半

ようやく寒波が押し寄せて、待ちに待った初の積雪。
スキー場が、ポツポツとオープンし始め、スキーヤーが一番ワクワクする時期です。

ですが、1回に降った新雪が 50cm あったとしても、圧雪車で押し固めれば 15センチにも満たない雪の量です。

コブができる前に斜面の土が見えてきてしまい、スキーにキズをつけてしまう恐れがあります。

この時期は、はやる気持ちを抑えてスキーに行くのはガマンしたほうが良いと思います。

モーグラーとしては、シーズンインを少し遅くして、そのぶん春は雪がなくなるまでしつこく滑るほうがイイと思います。

◆12月後半

第2、第3の大きな寒波が押し寄せます。

第1の寒波による雪が、圧雪車やスキーで押し固められて凍り、下地がしっかりできた上に積もった雪なので、地面が出てきてしまう心配は少なくなります。
ここで、ようやく遅いシーズンインです。

運が良ければ、初すべりでコブやパウダーを滑れます。


◆1月前半

ほとんどのスキー場はオープンしていますが、まだ積雪は十分とは言えないことが多いです。

特にコブ斜面は、コブの溝のところに土が出てきてしまうことが良くあります。

積雪情報を調べて、コブ斜面が滑れそうなスキー場をチョイスしますが、この積雪情報で2つ注意すべき点があります。

まず1つめは、「大きなスキー場」。

標高差のある大きなスキー場の場合、積雪情報に明記されている雪の量は、たいていスキー場のトップの一番雪が積もっている部分の積雪です。

そのため、ボトムの部分には少ししか雪が積もっていないことがあります。
ですので、大きなスキー場の積雪情報は、3割ほど少なく見積もったくらいがちょうどいいと思います。


2つめは、「人工雪のスキー場」です。

人工雪のスキー場の積雪量は、人工雪を一番多く作ったコースの積雪量を表示しています。

そのため、スキー場のメインとなるコースには雪が十分にあるけど、コブ斜面にはそれほど雪が無いなんてこともあります。

◆1月後半

一年で最も寒い時期ですが、一番雪質が良く、スキーが楽しい時期です。

各スキー場のモーグルバーンも続々オープンし、大雪が降ればパウダーを楽しめます。

この時期、スキー場の気温は 0度を上回ることはほとんどありません。
そのため、雪が溶けることがありません。
そして、溶けないということは凍ることもありません。

ハードパックされた斜面でも、凍っていないので、エッジはずれずに、しっかりと雪を噛みます。
その上、滑走性もGood。
スキーがうまくなったような錯覚をしてしまうのがこの時期です。



◆2月前半

まだまだ冬まっただ中ですが、時おり春先のように暖かくなる日があります。
これを境に、スキー場のバーンの状態が一変します。

暖かい日に溶けた雪が夜に凍って、カチンカチンのアイスバーンのできあがり。
特に凍ったコブ斜面には苦労します。

再びの寒波で乾燥した雪が降っても、すぐにその下のアイスバーンが出てきてしまいます。
自分の実力の無さを痛感する時期です。

◆2月後半

積雪量が一年で一番多くなる時期ですが、気温がわずかに上がり始めて、少しずつ春の訪れを感じます。

暖かい日はコブ斜面の表面が少し溶けて柔らかくなり、直線的にラインコブを攻められるようになります。

いっぽう、寒い日は溶けた雪が凍ります。

前日が暖かかった場合は、縦の直線的なラインコブが固く凍るので、スピードコントロールが難しくなります。

こんな時は無理せずに、温度が上がるお昼前後からコブ斜面を滑ることをおすすめします。

春一番の強風が吹いて、リフトが運休することがあるので、スキーに行く前に

スキー & スノボー - ウェザーニュース
http://weathernews.jp/ski/

で、念のため風速も確認しておきましょう。

◆3月前半

都会では花粉が猛烈に飛び交う季節です。

「花粉から逃げるため」と、家族にはもっともらしい理由を言って、スキー場に向かいます。
だいぶ暖かくなり、本格的に春スキーの季節到来です。

3月の初旬の季節外れの暖かい日、特に雨が降ったときなど雪が急に溶けて非常に滑りにくくなることがあります。

溶けた雪が固まるとザラメ雪になりますが、その一歩手前の溶けた状態は、俗に言う「くされ雪」です。

セメントのようなベットリとした湿った雪で、スキーの滑走性が極端に悪くなります。
スキーが滑らないのと、ベットリした雪質で、けっこう滑りにくい雪質だと思います。

くされ雪が凍ると、雪は小さな氷の粒状になります。これがザラメ雪で、わりと滑りやすい雪質です。
コブ斜面の雪もだいぶゆるみ、暖かい気温の中、楽しく滑れる季節です。


◆3月後半

積雪量の少ないスキー場はクローズになってしまい、スキーヤーとしては少しさみしい時期です。

お昼になると雪が溶けてグチャグチャになり、一般のスキーヤーは午前中だけ滑って、お昼には帰ってしまうことが多くなります。

でも、コブ斜面は雪がグチャグチャでも楽しく滑れるので、モーグラーは夕方まで滑ります。

午前中だけ滑って帰ってしまう一般スキーヤーが多いので、駐車場のゲレンデに近い一等地がお昼過ぎに空いていたりします。

そのため、午後から出陣のモーグラーが、ゲレンデから最短距離の駐車場に車を止めることができるようになります。

春分の日の週末を過ぎると、残雪スキーの季節になり、ほとんどのスキー場のリフト券が割引になります。

スキーバカ以外は、春分の日の週末でだいたいそのシーズンのスキーは終了です。
そのおかげで、スキー場は空いていて、普段混んでいて避けてた人気スキー場にも行きやすくなります。

道路に雪がなくなるので、高速のインターから遠い高畑や志賀などのスキー場にも行きやすくなります。


◆4月前半

「まだスキーやってるの?」と、周りの人にあきれられる季節です。
気にせずスキーに行きましょう。

雪があって、良いコブがあるスキー場となると、かなり限られてきます。

雪がグチャグチャなので、すぐにコブが深くなり、コブから受ける衝撃が強くなります。
昼過ぎには、ももがプルプル痙攣しちゃうことも。

整地はグチャグチャの雪質で滑りにくくなるので、基礎スキーヤーもコブ斜面に集まり、整地はガラガラなのに、コブ斜面だけが混雑していることが多くなります。

ふだんはコブができないような緩斜面にもコブができて、コブ初心者がコブに慣れるには良い季節だと思います。

急斜面でも、接雪を無視したドスンドスン滑りで滑れてしまうので、スキーのトップの先落としが苦手な、なんちゃってモーグラーでもコブを直線的に滑れることがあります。

◆4月後半

かぐら、天神平、奥只見丸山など、残雪期にしか行かないようなスキー場しかチョイスがなくなります。

下界は春まっただ中。
ここまで暖かくなると、スキーに行くモチベーションが明らかに下がりがちになります。

整地を滑るには厳しい雪質ですが、コブならまだまだ滑れます。がんばりましょう。

スキー場の周辺の雪が溶けた下から、フキノトウがたくさん採れます。
(おいおい、山菜狩りしてないでスキーしようよ!)
フキノトウの苦味でスキーシーズンの終わりを感じ、感傷にひたってしまいます。
でも、毎晩フキミソばかりだと、いいかげん飽きてきます。

この時期になると、釣りやハイキング、温泉などのスキー以外のレジャーと、スキーを組み合わせた旅行が、気軽にできるようになります。
車中泊も、かなり楽になります。


◆5月前半

「まだスキーできるの?」と、周りの人にビックリされます。
スタッドレスをノーマルタイヤに変えても良い季節です。(これで多少燃費アップ)

オープンしているスキー場が限られているので、ゴールデンウィークのスキー場は結構混雑します。

でも、ゴールデンウィークの他の観光地はもっと混んでます。
迷わずスキーに行きましょう。

この時期の雪質になると、細身のモーグル用の板だと雪に潜ってしまって滑りづらくなります。(これが本当のもーぐるスキー)
ちょっと太目のセミファットくらいの板の方が、凡庸性があって使いやすいと思います。


◆5月以降

初夏の時期、月山、乗鞍の雪渓などでまだ滑れますが、気軽に日帰りで行ける距離ではなくなります。

お金と時間があれば、ニュージーランドもあります。
私は行けないので、私の分まで楽しんできてください。
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/71/

モーグルな生活 ◆スキー場紹介
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/106/

飯綱リゾートスキー場
石打丸山のナイター
八海山スキー場
ノルン水上スキー場
月山スキー場
ブランシュたかやまスキー場
尾瀬岩鞍スキー場
高畑スキー場
猪苗代スキー場ミネロ
エーデルワイス スキー場
水上宝台樹スキー場
「閉鎖されて残念!!」なスキー場
奥利根スノーパーク
奥只見丸山スキー場
神立高原スキー場
風が強い日のスキー場
NASPA スキーガーデン
かぐらスキー場
なかさと清津スキー場
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/106/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c53

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
54. 中川隆[-5665] koaQ7Jey 2017年12月15日 21:48:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アイスコブとアイスバーンとパウダーと|波太一ブログ 2016年04月11日
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12149237571.html


桜と雪の共演
残雪でない所がポイントですね(^O^)

https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12149237571-13617877211.html

半透明は氷
白は雪

外はフワフワ 中はカリカリの状態


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12149237571-13617877220.html

かぐ高山頂 7℃


レッスンは難易度 MAX の
アイスバーン攻略法

テーマは“無事生還”


@とりあえず外向傾を取り横滑り


内倒すると 落下する板に対して

重心が遅れ、

次のターンに繋げ辛くなります


そこで、無理矢理でいいので

外手を下げると外傾が取れ、

板と一緒に落ちられる様になります


A山開きシュテム


パラレルに移行する前にシュテムを挟みます

すると補助輪(内足)のある安定した中で

外足をフラットに踏む感覚が得られ、

ターン前半のブレーキが掛けやすくなります


Bターン前半からのブレーキ


ブレーキを掛けるには摩擦抵抗を

作らなければなりません

それには圧力が必要です

強く体重を掛けて

滑走面を斜面に擦り付けるようにします

C回旋操作で方向転換


スピードが落ちたら外足に

乗り移り、足首を

思いっきり捻ってぎゅわっとターンします

深い角度でターンする事により

またスピードを落とせます


後はこの連続で降りていけばOKです

スピードの割に

重心が板より先行する事で

落ち着いて降りられるでしょう

シュテムからパラレルへの移行は

長くなるので又にします


とりあえずシュテムすれば

急斜面アイスバーンでの

安全な方向転換は可能ですょ^_−☆


樹林帯はパウダーだろうと目論み
ゴロマンも行ってきました!o(^▽^)o


案の定、サラサラパウダー!
低気圧マン、ありがとー☆☆

しかも空いててバージンスノー

すンばらしー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

来て良かったぁあ


やはりベニヤマザクラは
美しいですね

湯沢町の木に制定されています


明日4/12は

高波 テククラ

小野寺 コブ


天気は

晴れますが 北風で肌寒そうです

アイスバーンとアイスコブは残るでしょう

午後には表面がザラメになるかも

知れません

ジャガイモ注意報 発令〜


かぐらスキー場
田代スキー・スノーボードスクール 高波
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12149237571.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c54

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
55. 中川隆[-5664] koaQ7Jey 2017年12月15日 21:53:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アイスバーンとパウダースノー 2014-01-13
http://blog.goo.ne.jp/1977take1094/e/c84239722ff5b49a5bd4073f1f7ff9cb

土曜日の午後から急遽スノーボードに行って来ました

昼過ぎに決まったのであれこれ準備して15時過ぎに川崎を出発

道路が混んでいて中央道乗ったのは17時近く

三連休ですもんね

この時間帯の中央道下りは好きなんですよ


まずは24時まで滑れる、ホームゲレンデのノルン水上のナイターへGo


自分が育った氷のゲレンデ・・ノルン(笑)


この日も期待を裏切らないカリカリのアイスバーン

ノルンはこうでなきゃ


最初は一人でのんびり滑ってたのですが・・・

何と、ももプロと偶然出会い久しぶりに一緒に滑りました

結局楽しくなってしまい、24時の最終リフトまで滑ってしまいました

ももプロ


最後はゲレンデに二人しかいなくて・・・


昔はこのノルンのナイターを毎日ラストまで滑ってたっけ・・・

毎晩、毎晩、氷のナイターをひたすら滑って滑って(笑)

速くなるにはひたすらこれしかない!!とチョッカリ(直滑降)していました

おかげで、今でもあたしの滑りはカービングレス(笑)


いや〜楽しいナイターセッションでした

そして、水上から新潟のかぐらに移動

翌日のかぐらは

晴れ&パウダーで最高でした

普段はあまり動かない山頂の第5ロマンスリフトが稼働していたので、山頂からパウダーを頂けました


山頂へ向かうリフトは行列

実はこの行列の大半は初心者(笑)

レンタルボードの人や、ビーニーやゴーグルすら着けていない様な人達がたくさんいて

オフピステ(非圧雪帯)まで横滑りで斜面を崩してしまう

あのオフピステゾーンに来るならせめてもう少し滑れる様にならないとみんなが厳しい

まともに滑れず、パウダーゾーンで転びいつまでも抜け出せずに苦しむのは本人達だし、滅多に当たれないパウダーチャンス

を楽しみたい人達にとっても少ないオフピステゾーンがメチャメチャに荒される悲劇・・・

まぁ、誰でもパウダースノーを楽しみたいのは一緒なので仕方ないのですが・・・

パウダースノーを滑るのは本当に高度なテクニックを要します。

一度転ぶと、下手したら2、30分抜け出すのに時間がかかる事は珍しくありません。

それを下までに2回も3回も繰り返しても楽しい訳がない

だからね、あまり初心者にはオフピステはお勧めできない・・事故も考えるとね

それでも今回は上手くラインを見つけて数本は楽しめました


本当はハイクして奥まで行きたかったのですがスノーシューを持っていなかったので、無理でした

笑えたのが、一応奥まで行ことバックカントリーの一行の後を歩いて着いていったのですが、スノーシューを履いていない自分だけ突然「ずぼっ」っと、ももまで雪に埋まってしまって(笑)

コントみたいで恥ずかしかった・・

一人でそのままUターンして

途中すれ違う人達のあの初心者を見る様な冷たい眼差し(笑)

いやぁ、確かに自分も迷惑な初心者の一人でしたわ

チクショー悔しかった


滑りなら、そのパウダーボードにも負けねーぞ(笑)


後は、パークのポコジャンをポコッと飛んだり、ひさぶさにグラトリで遊んだりと一人で楽しみました


かぐら全然好きじゃなかったけど今回で好きになっちゃいました
http://blog.goo.ne.jp/1977take1094/e/c84239722ff5b49a5bd4073f1f7ff9cb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c55

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
56. 中川隆[-5663] koaQ7Jey 2017年12月15日 22:07:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

実のところ今からがスノーボードは面白い 2015年3月28日·Written by 野上大介
https://www.redbull.com/jp-ja/snowboarding-is-my-asyuracom-22


元ライダーの雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.22


いよいよ後半戦に突入したスノーシーズン。東京では桜が咲き誇り、入学や入社などを控える一年の節目となる時期だ。この原稿を書き始めるにあたり外に出てみると、編集部のある原宿を歩く人々は上着を脱ぎ、雪のことなど考えている様子は皆無。一般的には当然だし、4月上旬でクローズするゲレンデが多いことも事実。だが、スノーボードの節目にはまだ早い。GWまで営業予定のゲレンデが全国各地に点在しているし、バックカントリーに出れば十分に楽しめるからだ。


とは言え、相当な“スキモノ”でないかぎり腰は重いだろうけど、それは本当の楽しみ方を知らないからでは? そう言われてドキっとしたスノーボーダーがいるとしたら、今だからこそ楽しめるライディングについて一緒に考えてみたい。


まずは雪質。コーンスノー、いわゆるザラメ雪だ。氷の粒状になった状態のことを指すわけだが、意外にも板が走る。ハイシーズンに滑っていたようにエッジを立てる感覚で滑ってしまうと沈んでしまい、思うようにボードをコントロールできずにストレスを感じるかもしれないが、よりソール面を意識して滑ることで雪面からの反動を活かせれば、また違った面白さを発見できるだろう。


トップシーズンのターンでも言えることなのだが、エッジを立てて滑るのではなく、カービングによりうっすらと彫れた雪面の凹部分を踏む感覚で滑ってほしい。エッジを“立てる”よりもソール面で“踏む”と考えたほうが、安定感が増し、力強いライディングをイメージできるはずだ。これが本当のカービングターン。コーンスノーで滑り込むことにより、こういったトレーニングにも繋がるかもしれない。


また、春雪はつまらないと決めつけている人がいるとしたら、よく耳を傾けてほしい。板がよく走る軟らかいザラメ雪のピステンバーンがもしノートラックだったら……パウダーライディングのような感覚が得られるのだ。目からウロコが落ちたのでは?


ただし、この時期の雪は多くの人が滑走すれば当然ボコボコになるので、パウダーを狙うときと同様に早めの時間帯にライディングできるよう心がけよう。気をつけてほしい点もいくつかあり、気温が高く表面に水分が浮き出てくるとソールとの間に表面張力が発生する“ストップスノー”になってしまい、反対に日陰ではアイスバーンでカチカチになっている可能性もあるので、雪質の変化には十分気をつけながら滑ってほしい。あとは、言わずもがなかもしれないが、ホットワクシングやストラクチャー(滑走面に溝を入れることで、雪面との間の排水効果が上げり滑走性がアップする)を入れるなど、ソール面の対策も重要。


さらに、トップシーズンには気づかなかった場所にヒットポイントが出現する時期でもある。雪解けとともに実際の地形があらわになり、天然パークのように遊べるエリアが増えるわけ。前述したようにボードが走るコーンスノーであれば、トップシーズンには到達できなかった壁地形のポイントに当て込めるなど、より自由度の高いライディングを楽しむことができるのだ。雪が減ることで浮かび上がってきた3D地形を滑り込めば、フリーライディングのスキルが上がることは間違いない。


そして雪が軟らかく気温が上がるのだから、トリックに挑戦するには絶好の機会。アプローチでスピードが出なければ意味がないので前述したようにメンテナンスは必要不可欠だが、暖かいから身体は動くし、ランディングが軟らかいので恐怖心は軽減するはず。パーク初心者から上級者にまで共通して言えるだろう。ただし、雪が緩んでいる分着地でボードが引っかかりやすくなっているので、それを意識したうえでトライしてほしい。


ほかにも、GWは営業しているゲレンデが限られるので例外になるが、基本的にゲレンデは空いているし、リフト券が割り引きになっているケースも多い。加えて、雪道に遭遇する可能性が格段に減るので、運転に自信のない人でもアクセスがしやすくなるなど、メリットも多い。転倒すればウエアは濡れるしブーツの中は蒸れるかもしれないが、ビギナーにとってはトップシーズンよりも取り組みやすい環境が整っているのかもしれない。


これらのことを踏まえて考えると、雪解けもポジティブに捉えられるのではないだろうか。また雪が降るのを半年以上待つのか、今だからできることを楽しみながら来シーズンに繋げるのか。それはあなた次第だ。
https://www.redbull.com/jp-ja/snowboarding-is-my-asyuracom-22

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c56

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
57. 中川隆[-5662] koaQ7Jey 2017年12月15日 22:26:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

パウダー用のスキー板


airport917gtさん 2011/12/20 17:07:32
パウダー用のスキー板

初中級レベルの人でも乗りこなせますか?
カービングしか履いた事がないのでイマイチよくわかりません。
どなたか教えてください。


k_fzr1000さん 2011/12/22 01:27:04

不整地・深雪は、道具ではありません。足前です。

どんなに幅広の板を持って来ても、必ず雪に潜ります。滑っていても、です。その為に、長さが邪魔に感じられてしまいます。

これを克服出来ない足前、つまり回旋動作を出来ない足前なのであれば、どんな板でも苦労する事を請け合います。

せめて、両足荷重、切り替えも交互操作では無くて両足同時操作が出来て欲しい。その上で、板の長さを苦にしない足前を身に付けてから、深雪や新雪に挑むべきです。が・・・

単に整地でパウダー用を履くのであれば、多少滑り難い位で済むと思いますよ、違和感は多くても。
私が見てる限りでは、内倒の気が有る方は苦労されますね。

・・・

で、「パウダー」という単語が乱発されている様なので、補足します。

単なる新雪・深雪と、パウダーと呼べる状況は異なります。

日本海の対馬"暖"流によって湿気が上がる日本では、パウダーと真に呼べる状況はかなり少ない、限られた物です。ニセコでさえ、2月の頭に山頂迄雨が入っちゃったりする事が在りますし、3月頭の北信では、真綿が水を吸った様な新雪に遭遇する事も在ります。新雪なのに、極めて扱いに手子摺る深雪です。


パウダー用、パウダーで浮く板、と言うのは、先ず長いです。長くてしなやかで良くしなる。弓形にしなるから浮く。。。

そして、整地での実用性を無視した様な幅広形状が、その浮きに拍車を掛けるのです。

この長さを深雪の中で苦にしない事が、乗り手の条件に成って来る訳です。

柔らかい板が長いので、整地を滑ると両端がパタパタと暴れるのが普通だったりします。こんな特性では、板や靴に寄り掛かって滑る事は出来ません。自分でしっかりと真っ直ぐ立つ意識が出来ていないと、不安定と感じるだけです。


ID非公開さん 2011/12/24 22:47:41

センター幅が85mmの板でパウダーに入りますが問題なく楽しめます。
でも整地はまったりして楽しくありません。

僕の場合5本の板から、ゲレンデに合わせて3本位チョイスしてゲレンデに行き履き替えます。

Re IsmのLA-F 167センチも持っています。(トップ117 センター79 テール104)
この板は整地もパウダーも大丈夫ですね。

でもある程度スピード有るほうが浮力が出るので、パウダーは急斜面に入ります。
初中級レベルの人が入れる斜面はではないと思います。

初中級者が1本だけ持つならセンター75ぐらいの170センチ位の板が無難だと思います。


smrgd938さん 2011/12/22 00:20:51
ハッキリ言ってパウダーは道具だと思います。

自分も基礎板履いてた時はパウダー全然苦手でしたが、試乗会でパウダー板(K2のカンファス)履いたら新雪でも簡単に浮くので感動して購入し、遊んでるうちにいつの間にかパウダー滑れるようになってました。

一度コツを掴むとデモ板でも滑れるようになります。

ただ、パウダー専用機と言われるセンター110以上の板はゲレンデでは違和感たっぷりです。

なるべく軽くて柔らかくてペラペラな感じの板でセンター100以下のが初級者でもパウダー浮きやすく操作もしやすいです。

流行のロッカータイプならなお回しやすく楽です。長さは170〜180程度。

全般的にフリースキー系の板の方が軽くて扱いやすいです。その際はビンディング取り付け位置を後ろ目に付けてもらうことを忘れずに。

おすすめはサロモンのBBR8.9とロシニョールのS3という板です。どちらもカンファス持ってなかったら買ってます(^^)

bonbon_522さん 2011/12/21 00:04:09

今年からパウダーに入っています。

今年新しい板を買い早速滑っていますが多少戸惑いますが慣れれば問題ないと思います。

スキー歴は10年ほどで中級レベルです。

板の種類によりけりですがアルマダのJJならパウダーから整地まで幅広く使え軽く乗りやすいと思います。

coco_natsu_zeldaさん 2011/12/21 00:58:06

パウダー用のスキー板≒すごく太い板

という前提で書きます。

正直、すごく太い板を初中級の方が履くのは難しいと思います。

というのは、

@ゲレンデでパウダーに遭遇するのは稀なので、すごく太い板でふつうのゲレンデを滑るのは、ふつうの板で滑るより難しいこと

Aパウダーを滑るためには、板の性能よりも滑る人の技術によるところが大きい。それなりによいポジションにいる必要があり、初中級では難しく、下手に滑ると雪に埋もれて骨折するリスクがあること。
です。


正直なところ、初中級の方がパウダーに入って、板がパウダー用の板だから滑れる、ということはまずあり得ません。

幸運にもパウダーがあったら、お持ちの板でパウダーに入り、どうすれば滑ることができるか試行錯誤を楽しむのが醍醐味だと思います。

nonbiriskierさん 2011/12/21 15:52:48

乗ってみないとわかりません。
パウダー専用で整地のことなど考えていない、極太で長めのモデルだと苦労すると思います。

パウダーと整地半々の、「チョイ太オールラウンド」程度なら大丈夫です。

【追】
パウダー用の板を買いたいのでしょうか?
デザイン的にカッコいいから…というならば、普通のカービングスキーとしても使えるモデルもありますよ。ちょっと鈍いだけで。

パウダーパフパフのスキー場に行って、レンタルしたいというならば大いに借りてみてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1277768142



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c57

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
58. 中川隆[-5661] koaQ7Jey 2017年12月15日 22:32:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

piropiro1121さん 2011/11/16 11:52:20

このカービングスキー板で、ニセコのパウダーが滑ることができますか?

板の詳しい説明は、
http://www.tanabesports.com/fs/skier/cd8187

ブランド:HEADヘッド
モデル:TT*WH/
品番:311240
カラー:ホワイト

サイズ(長さ)
149cm
R=11.7m/Sidecut:112-67-96mm
156cm
R=12.9m/Sidecut:112-67-97mm

去年、買ったものです。

今年の暮れから正月にかけて
ニセコ、富良野のスキー場に行く計画を立てています。

今年、このスキー板で、圧雪してあるところから10cm積もっていると
少し滑りにくくて、20cm以上だと滑りにくかったです。

もしも、これでダメなら、どのような板を買えばよろしいでしょうか?


補足
ご回答ありがとうございます。

私は、今年の正月から始めたばかりの初心者です。
でも、スキーにハマって1シーズンで17回行きました 笑
兵庫県のハチ北、スカイバレイあたりに良く行ってました。
湿雪の状態です。

今、ニセコに行ったことある友達に聞いたら
あの板でも結構行けるって言ってました。

もし、必要ならむこうでレンタルしてみます。

jijiski63さん リクエストマッチ 2011/11/16 18:54:03

滑ることができるか?でしたら、滑ることはできます。

質問にあるようなタイプのスキーで志賀高原の膝上まである新雪を滑ったことが何度もあります。

また、雪質によっても滑り易さは異なります。

「圧雪してあるところから10cm積もっていると少し滑りにくくて、20cm以上だと滑りにくかったです」は、どんな雪質だったですか?

湿った雪だと10cmでも20cmでも滑りにくく、ニセコのような気温の低い乾いた雪だと滑りやすいです。

しかし、より滑りやすい板があるか?ならそれはあります。

一番、滑りやすいのは、今、話題の「ロッカータイプのスキー」です。

ロッカータイプとは普通のスキーとは逆にトップとテールが上に反った形をしたスキーです。

深雪を滑るために開発されたスキーであり、トップが上に反っているので浮き上がりやすくなっています。

普通のスキーで深雪を滑るにはちょっとしたコツ・テクニックが必要ですが、ロッカータイプのスキーは普通の滑り方で滑れます。

また、深雪はセンターが太いスキーの方が浮きやすいので「ファットスキー」「セミファットスキー」と呼ばれるスキーの方が滑りやすいです。


従い、滑り易さの順番は下記になります。

「ロッカースキー」>「ファットスキー」>「セミファットスキー」>「普通のカービングスキー」


上記のうち「ロッカースキー」「セミファットスキー」は整地でも普通のスキーと同じように滑れます。「セミファットスキー」はセンター幅が80mm前後の板を言います。

最初にも書きましたが雪質の良い北海道ならお持ちのスキーでも滑れます。しかし、不安がおありで予算が許すなら購入されるのも一つの手だと思います。その場合は「ロッカータイプ」でしょう。


補足へ

今年のお正月から始められたのですか、それなら20cmの湿雪が難しくても失礼ですが無理は無いです。

しかし、ニセコとかの深雪はハチ北の雪とは全く違って抵抗がないですから滑りやすいです。

少なくとも10cmや20cmの新雪だと普通に整地されたゲレンデを滑るのとなんら変わりはありません。自分はこんなに上手かったかと思われるでしょう。また、転んで雪を食うのも楽しいですよ!!

「もし、必要ならむこうでレンタルしてみます。」は良い選択です。思い切り楽しんで来てください。

ただ、寒い時は半端でなく寒いです。一度、吹雪の時に行った時はバスから降りて200m先のホテルに行くまでに凍死するかと思いました。防寒対策は十分に準備して行かれた方が良いです。


質問した人からのコメント 2011/11/23 16:00:04

むこうで、新雪になった場合、ファットスキーを借りたいと思います。


ID非公開さん 2011/11/19 22:12:04

僕が今年買った家族用(初心者)の板です。
http://item.rakuten.co.jp/tanabesp/cd10332/

身長が155cmなので板は145cm
本当なら150cm位が良いのですが、この板はセンターが74mmあるので雪が軟らかくても浮力を得やすいので扱いやすい145cmにしました。

確かにセンターの幅が広いと悪い雪や深雪は滑りやすいです。

初心者は外足にほとんど加重して雪が軟らかいとバランスを崩しやすくなるため、センター幅が広いほうが安定します。

でも足がそろうようになればセンターの幅はあまり関係なくなります。
かえって硬い整地ではセンター幅67mm位は良いと思いますよ。
今の板で滑り込み技術の向上を目指してください。

はまり方によっては、いずれ僕みたいに4種類の板を使い分けるようになるかもですね。

ezo_homareさん 2011/11/17 08:11:13

初心者の方がゲレンデ内のコース脇でパウダーを楽しむなら、この板でも滑れます。
膝下の新雪なら本州よりも雪が軽いので、楽しめるでしょう。
また雪の降り方次第では、ナイターでもパウダーが楽しめます。

東山リミテッドを含めた完全なオフピステを滑るのは、難しいです。

ロープを潜る事はもちろん、コース外へのゲートからは出ないよう忠告します。
初心者には普通に滑るだけでも難しいです。楽しんできてください。

専用の板ならもっと楽に滑れます。センターの幅が67ではなく、90は欲しいです。

板のトップは柔らか目(大抵は柔らかい)。ビンディングは下駄を履いていないもの。

ただし、地元のゲレンデでは全く使い物にならないでしょう。

k_fzr1000さん 2011/11/16 22:44:05

もう既に補足も書かれてしまっているので、私見を書きます。

piropiro1121さんの体格、スキル次第の様に思います。

オフピステで滑るのは、何よりも先ず足前です。兎にも角にも足前、コレに尽きます。ですから、「板でどうだ」という優先順位はずっと下がると考えて下さい。

次。浮き易い板という物が存在します。でも、両足荷重・両足操作が出来なければ、多少の差は有っても、苦労する事に変わりは無いでしょう。

そもそも、Offピステ、ニセコの各ゲートの外は、選ばれし者のみ許される世界です。行って苦労するのは自由ですが、相応の技術と心構えが求められる所だ、と言う事を良く認識して下さい。

そして又、ここで皆さんから付く回答も、決して初心者向けの物では無い事に留意して下さい。ニセコルール、そしてニセコ雪崩調査所の日々のレポートに対しても、十二分に敬意を表して下さい。

浮く板の条件は、今は第一に接雪荷重の小ささ、と言う事に成ってます。早い話、(特に中央部が)太けりゃ浮く、と。

が、それが全てではありません。昔から言われているのは、長くて柔らかい板は細くても浮く、です。弓なりに綺麗にしなる事が、浮く機能としてとても大事なのです。(付随的に捻れ剛性も柔らかい)

つまり、不整地でも板の長さを苦にしない滑り方が出来る足前が重要なのです。

一方で、ご提示頂いた板は、短めでサイドカーブがキツい物です。

キツいサイドカーブを一杯に活かす為には、捻れ剛性が高い事が求められます。そうで無いと、両端の折角太く成ってる部分は捻り戻されてエッジが立たない事に成ります。

加えて、前後端にも相応に荷重を配分する為に、意外にフレックス剛性が高めに設定してあるのです。

つまり、浮き易さに不可欠な、しなやかに撓むという性質とは相反する性格付けでもあるのです。

価格からして上級者向けモデルでは無さそうですから、その分のしなやかさを期待出来ますが、持っている基本的性格が、オフピステの浮きに関しては向いているとは言えない訳です。

どんな板が良いか、は簡単に言えません。あなたの足前・体格・脚力が最低でも情報として欲しいです。

私的には、長さが身長以上、中央幅80mm〜。(ならサイドカーブ21m程度)
サイドカーブに拘らないなら、中央幅がもっと太い物。

出来たら、身長+10cm以上の長さの板を、滑り難いと感じつつも、整地で不自由無く滑れる足前が欲しいナ、と思ってます。

余談ですが、私の連れは「好きこそ物の上手なれ」なのか、慎重派なのにここ数年でメキメキ上達していて、今年は身長+10cm以上の170cmのGS板を、雪面の凸凹で「キョロキョロしなくて良い」と喜んで履いていました。が、それでもOffは殆ど入れません。(本来Off用の浮く板でも)

それ位にOffは手強いのです。

両足均等荷重で踵を踏み、大袈裟な位体全体を使って、大きく抜重する。ここから始めてみて下さいな。

cherry_sakuraiさん 2011/11/16 20:56:45

私と入れ違いかな。。。。

オフピステじゃなきゃ大丈夫でしょう。オフピステに行く場合
は、FATを借りた方が良いでしょうね。

でも、ニセコに始めて行くなら、降雪があればコース内で十分と
思いますよ。50〜60cm くらい積もることもあるので、そうな
るとパウダーだらけです。

シー・ハイル!!!!

norisan009さん 2011/11/16 16:56:35

滑れるかどうか・・・と聞かれれば滑れます。

ただし、新雪だと板の幅が狭く板の長さも短いので板が雪の中に潜りやすくて、板を浮かせるための滑り方をしないといけないので新雪は滑りにくいと言えます。

「ファットスキー(セミファットスキー)」といわれる板の幅が広くて長い板は新雪でも勝手に板が浮いてくるので非常に滑りやすいですよ。

兵庫のスキー場と北海道のスキー場の新雪はまったく別物と思ってください。

北海道のパウダースノーは非常に軽く少しコツさえ掴めば気持ちよく滑れますよ。
なお、新雪でなければ今回のヘッドの板でも十分快適に滑る事が出来ます。

北海道に居る間にもし大雪が降ったらファットスキーをレンタルしてみてください。

張り切って購入して北海道に乗り込んでもパウダースノーがなければ宝の持ち腐れですので。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1275556312
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c58

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
59. 中川隆[-5660] koaQ7Jey 2017年12月15日 22:43:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

圧雪していないパウダー斜面を滑るコツを教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1373011458


anima0129さん 2011/10/9 23:52:35

圧雪していないパウダー斜面を滑るコツを教えてください。

当方、中級スキーヤーなのですが、コブや非圧雪斜面は
これまで敬遠してきた軟弱派であります(^^;)。ですが、
毎年訪れるニセコなどは、パウダーこそが醍醐味だといわれて
います。未だその醍醐味を味わえずにいる私たちです……。

オフピステもそうですが、朝イチのパウダーランなども、
何度かやってみましたけれど、不慣れな私たちには恐怖感の
ほうが先にたってしまい、せっかくのパウダーを満喫するには
程遠い状況でした……。

パウダーには、後傾気味がいいというのは聞いたことがあります。
(間違っているかもしれませんが。)

そのほか、どんなことでもよいのです。ピステンの入っていない
斜面を気持ちよく滑るコツや心構え(?)のようなもの、教えて
頂ければ幸いです。

足元が埋もれてよく見えないと、恐怖感をもってしまうという
へなちょこスキーヤーに、どうぞアドバイスをお願いします!

luca_cbrさん 2011/10/12 10:31:38

20年前は新雪やコブが大得意で上級と言えたのですが、現在はコブや新雪はうまく滑れない自称中上級(中級かも・・・)のFIS規格のGS競技板でバックボウルのような新雪にも無謀にも入っていく目線から、、、


>パウダーには、後傾気味がいいというのは聞いたことがあります。

既に皆さん回答されているように、後傾は転ぶ原因になります。

人生唯一の20年前の真っ直ぐな板の頃のレッスンで習ったのは、普段はブーツより30cm程前(板の中心)に重心があるイメージで、新雪の時はブーツの真下(板の後半)に重心を置くというものでした。

ただ、上半身を後傾して重心を変えるのではなく、何か・・別のもので重心を変えるはずです。当時は重心の位置の話を聞いた直後に出来ていましたが、今は体がついてこないのでまったく上手く出来ませんが。。。。

>足元が埋もれてよく見えないと、恐怖感をもってしまうという


私はここが上級と中級の差ではないかと感じています。

上級者はそもそも足元を見ず、目線は常に先に置き進路の見当や他人の位置の把握をしています。少なくとも20年前の私はそうでしたし、吹雪で視界がほとんど無い状況でもコブを真っ直ぐすごい勢いで転ぶこと無く滑り降りてました。

中上級と自称する今の私は、、、新雪やコブでは足元・板の先端ばかりを見てます(=新雪やコブでは回りが見えてません・・・(危))で、新雪では板が雪に潜って行くのを見て焦ってターンをしようとして、コブでは次のコブへのルートの見当が出来ていないため、どれだけ板を回せばよいのか分からずバランスを崩すというのがオチ・・・のようです。

なぜ足元を見てしまうか・・・は、やはり技術が足りないからとしか言いようが無く。新雪では足元を見ながらでも度胸でエイヤっ!と行けば問題なくターンしながら滑れますが、半端無く疲れます。

理由を考えてみると、無理やりターンをしようとして全身で伸び上がる動き(ジャンプ)をしようとしているのでしょうが、その動作をする時は足元の雪はまだ沈み込んでいる途中であり、思いっきり蹴ってもよくて半分ぐらいしか力が加わってないのだと思います。その点、上級者の滑りを眺めていると、、雪の沈み込みが終わって足(脚)に突き上げる力が加わり始めるのをきっかけにバネのようにターンの切り替えの動作を始めているように見えます。論理的に考えても、同じ斜め前方への伸び上がりの力を加えるにしても、これなら効率良く少ない力で出来ますしね。

となると、やはりターンをした後の次の動作を始めるまでの雪が沈みきるまでの待ち時間が技術の差となってしまうのですが、それよりも足(脚)に加わる突き上げを、目に頼らず足(脚)のみで感じ取れるかどうかの差が上級者と中級者の差では無いかと思います。突き上げが始まる=雪の沈み込みが終わった証拠ですし。

実際、私は圧雪やレース後のアイスバーン的なコースでは斜度が40度ぐらいあれども足元を見ること無く周囲の状況をを見ていますし、足(脚)にかかる突き上げをきっかけにターンを開始しています。ので、新雪やコブを滑る時のコツもやっぱりこれではないかな、と思います。

あ、あとスキー場近くの地元民でしょうが、新雪を綺麗に滑られてた初老(に見えたのですが、日本人ではないと実年齢は見当つかず)の方曰く「板の太さは関係無く、スピードを出さないから板が浮かんのよ。。」、と。確かに、水上スキーは普通なら沈んでしまう所をスピードを出すことによって浮力を得てますし、スピードが早ければターン時の雪が沈み込む時間も短くなりますね。

過去に上級を言えるだけの滑りが出来ていた経験を元に色々と考えてはいますが。。。再現出来ない中上級では何を言っても説得力ないんですけどね(苦笑) ですが、こうやって文字にすることで、自分の課題がはっきりと浮かび上がったような気がします。



質問した人からのコメント 2011/10/14 22:26:34

後傾ではないこと、足裏全体で板に乗ること、足元を見すぎないこと等々も、肝に銘じます。


keita_fufufuさん 2011/10/12 14:47:31

技術的なことは滑り込めば理解してきます。
滑り込めば新しい道具に興味が出てきます。

ですので、自分でもおっしゃってるように恐怖感、これを払拭する為のコツを。

声を出すのです。

滑り出す瞬間にフッフ〜!って感じ。
ターンするたびにフ〜↑って。

足元なんて見ないで、前を見て大きくターン。

楽しく滑るように心がければOKだと思います。

kf0004_2さん 2011/10/12 08:00:37

>パウダーには、後傾気味がいいというのは聞いたことがあります。


後傾といって、ただ無意味に後ろよりに乗ればいいという単純な話ではありません。

どんなに体が傾いても、板のトップシートから垂直に伸びる直線上に体が残っていることが条件ですよ。外れてしまったらコントロールを失います。(パウダーだと致命的になる可能性があります)

なので、いきなり深い新雪を滑るのは危ないですね。

下が圧雪されている浅めの場所で感覚を掴むことをお勧めします。(30cm以下くらいがベストですね)

下が硬ければ潜ってしまっても雪面にあたって戻ってきますので、潜り続けることはないです。

それならば安心して滑ることができるはずなんで、ソコで圧雪バーンまで潜らないようなポジションを探してください。(前記の乗り方を参考にしてみるといいと思います)

慣れてきたら徐々に深い雪に挑戦していけば、そのうちに滑ることができるようになるかと思います。

mibuka227さん 2011/10/11 15:23:50

私の経験からは・・

・板を無理に力で回そうとしない。

・左右リズム良くターンするようこころがける。
板を振るよりリズム重視です。

・リズム良く荷重抜重を意識すること

smrgd938さん 2011/10/10 23:44:21

パウダー滑るコツ

@板をセンター90前後、通常使ってる長さ+5cm前後、ペラペラした感じの軽くて柔らかい板をはいてみる。

Aせーので斜面に飛び込む。

B板全体に体重をかけたわませ、斜め前に伸び上がるようにして抜重、の繰り返し。

C後傾と言うよりつま先を浮かす感じです。足首の緊張が大事。

パウダーランは道具が8割(^^)v

@を使えば膝下位なら簡単にスキーが浮きます。そこで飛んだり跳ねたりしながらパウダーの仕組みを理解して、深いところに突撃!

Aで思い切れれば意外とスピード出ないことが判り、楽しい&俺カッコイイでやみつきになります。一度感覚つかむと普通の板でもある程度イケル様になります(^^)


mc9_x3さん 2011/10/10 21:16:03

実際、深雪は難易度が高いです。雑誌では気軽に書いてますけど。気温が高い時の、重い深雪はまさにE難度ですよ。

でも、そんな難しい斜面でも、ポン、ポン、ポンと何気なく滑り降りてしまう年配の技術員の先生の滑りを見ると、基本が文字通り完璧に身に付いている、という事が見て取れます。やはり、ここでも基本が大事なんですね。

飛ばされても、次の瞬間に基本に戻して着地して、何事も無かったように滑り続けます。もう見ていてほれぼれしちゃうくらいです。

また、パウダーと呼ばれるような良い条件は、まあ場所にもよりますけど、シーズン中に数えるくらいしかないので、そのときに備えてあらかじめしておくと良い練習があります。

それはプロペラターンです。昔はスラロームフットワークとも呼ばれていましたが。
ちょっとキツイ練習ですが、これです
http://www.youtube.com/watch?v=NPUCE-wGiCo&feature=player_detailpag...

ポイントとしては、

・上体は常に谷方向に向けておく。

・ブーツを中心に、スキーのトップを左右に振る。

・雪面にスキーを叩き込んで、その反動で抜重してスキーを振る。

あと注意する点は、

・スキーを回しすぎるクセがつくことに注意する。と言うのは、スキーは、曲げようとして自分からスキーを回してはいけない、というところがありますからね。

・スキーを走らせながら、雪面にそっとスキーを置くようなソフトなエッジングとなめらかなスキー操作が原則で、プロペラターンのような急激なエッジングは例外的、ということです。

まあ、斜面の状況によって滑りの正解も変わっていきますよね。

海和さんのすばらしい滑りです。何事においても、本物は古くなることはありません。
http://www.youtube.com/watch?v=QkeMEhFKtok&feature=player_detailpag...


k_fzr1000さん 2011/10/10 14:30:53

新雪・深雪斜面って事ですよね?
厳密な事を言えば、湿雪とパウダーは違いますから。
という話は置いといて。

斜面に常に直角に立つ事、です。


>後傾気味がいいと

これは飽く迄、「加減」の話であって、後傾だったら反対側のターンに切り替えせません。

anima0129さんの具体的な足前が判らないので、出来るだけ平易な表現にしますが・・・。

先ず、平地でジャンプしながら滑れる様に成って下さい。特に、切り替えの瞬間に小さくジャンプ出来るかが大事です。

ジャンプ出来ると言う事は、正しい位置に乗れている事の証です。不整地でもジャンプ出来たら、切り替えが楽に成るのです。

ジャンプする方向も大事。決して真上に跳び上がってはいけません。斜め前方に、です。

だから、エイヤァ〜と急斜面に飛び込む覚悟が大事なんですよ。

思い切り良く飛び込めれば、恐怖心からお尻が後ろへ低く引けてしまう事もありません。太腿を立ててお尻や腰を前に出す伸び上がり方が出来る事が、特に不整地を滑る上で重要なのです。

一例のVをご紹介します。冒頭の新雪滑走の部分だけで結構です。

http://www.youtube.com/watch?v=TkBt-_bkpw8

みんな上手な筈なのに、お尻が後ろで太腿が寝たままの姿勢・切り替えだと失敗する訳です。

・・・

ターンをする。ちょっとしゃがんで踏ん張った姿勢から伸び上がって抜重する。

この時に、足首の曲げ角、臑の前傾角、腰から上の上体の前傾角を起こさない・戻さない様に注意しながら伸び上がり抜重をする様にして下さい。太腿を立てるだけの運動に成る筈です。

顎が上がっても、両手が後ろに引けても駄目です。

ターンの終わりで踵を踏んで踏ん張ったら、自分から"谷"に飛び込む様に、思い切り良く滑る事が大事なのです。


良いスキーを!

と書いてから思い付きましたが。

足下不如意なので、踏んで直ぐに反応が出て来る・得られる訳ではありません。リズムが狂うのです。から、ゆったりとした調子のズレを許容して下さい。バランスを崩し難く成る筈です。


jh8vvnさん 2011/10/10 13:13:44

膝が隠れるくらいのフカフカパウダーは、とっても楽しいですよね。

コツは、スキーを横にずらして回すようなことはしないで、イルカが泳ぐように両足均等荷重で軽いジャンプを連続するイメージです。

自然とスキーが勝手にターンをします。

雪面が少し固いクラストとかスキーのトップが雪に潜って出てこないような雪質なら、やや後傾気味でも良いですが、フカフカパウダーならセンターポジションで滑った方が良いです。

スキーのボトムが潜ることで、斜面の傾斜とは違う斜度のように滑ることが出来ますから、怖がらずにフォールラインに向かっていくと良いです。

ちなみに、万が一転けてスキーが外れると、想像以上に走って行方不明ということがありますから、ストッパーとは別にベルト型の流れ止めがあると良いです。


jijiski63さん 2011/10/10 11:04:09

パウダーでもブーツがやっと隠れるくらいの深さでしたら整地と同じ滑り方で良いです。特に、ニセコなどの雪温が低い場合は変える必要はありません。

それ以上に深くなってスキーが雪中で浮いている状態になると少しテクニックが必要になります。先ず、


@スタンスは広くせず閉脚に近くする。

A常に両足に均等加重する。

Bターンは、スキーを操作して回すのではなくエッジを切り替えたら、両脚を伸ばしてスキーの真上から踏んでやることにより、面を使って滑る。ターンを焦らないことも大事。

C切り替え時には、伸ばした脚を引き付けて縮めてから切り替える。
引き付けるのは踵をお尻に近づけるようにする。
また、このときにつま先を上にあげてやるとスキーのトップが浮いてくる。


以上です。

また、後傾は絶対に駄目です。

確かにトップは浮きますが体が後ろに残されて制御不能になります。
特にCでスキーを引き付ける時に後傾にならないようにしないといけません。

しかし、後傾ではなく踵に支点を置くのはありです。
これはなかなか難しいことなので整地で試して見られたら良いです。

心構えです。深雪を滑るには、ある程度のスピードが必要です。

スピードがないと抵抗が大きくスキーがターンしてくれません。ターンしてくれないと焦ってスキーを回そうとして両足均等加重が崩れて破綻してしまいます。恐怖感があるなかでスピードを出すのは益々怖いでしょうが克服しないといけません。また、怖いからと言って上体を前のめりに低くするのも禁物です。

以上、色々言いましたがやればそんなに難しいことではありません。一度、コツを掴めば整地より易しいくらいです。深雪を滑ると雲に乗っているような気分になり爽快です。是非、勇気を持ってチャレンジしていただきたいです。

書き忘れてました。深雪では深い弧のターンは難しいので、浅い弧のターンが良いのですが、大回りで浅い弧だとそれこそスピードが出るので、浅い弧の小回りで滑った方が易しいです。

小回りと言っても間延びした小回りです。従い、上体は常にフォールラインに向けておきます。

pi_papa_jpさん 2011/10/10 09:43:12

すべての斜面で共通して言えることですが、
「スキー板の滑走面全体で滑る」ことが、コツといえばコツです。

>中級スキーヤー
>コブや非圧雪斜面はこれまで敬遠してきた

エッジング中心の滑り方が体に染み付いていると察します。

あまりエッジに頼らず、面で「滑る」「曲がる」「止まる」を意識しながら滑ってみてください。

また、「パウダーには、後傾気味がいい」は、鵜呑みにしない方がよいです。

後傾が良いのではなく、前傾はダメということ。


cherry_sakuraiさん 2011/10/10 19:32:44

後傾は駄目です。上手な人は後傾に見えますが、実はそうでない。
そこを実感出来ないと上手には滑れないと思います。

先ず、不整地斜面を沢山滑ることですね。コブとか敬遠しているよう
では駄目だと思いますよ。先ず、そこからです。

毎年、トップシーズン(12月末〜2月始)にニセコに行けば自然と上手
になると思いますよ。沢山振ると圧雪が間に合わないこともあります
ので。

沢山振った翌日に、深雪用のファット・スキーをレンタルするもの手です。
通常のスキーより浮力が大きいので、コツ(感覚)が掴めるかも。

パスダーが上手かどうか、滑らないで解る方法があります。少し荒れた
新雪に、スキーの板を解らないように埋めておきます。大体の場所を示
して早く探せる人は間違いなく上手です。

まあ、そのくらい、こけて板を外して探してるということなんですが。。。

ニセコのスキー学校には、パウダー体験コースもありますので、それに
参加するのが近道かも。。

http://www.youtube.com/watch?v=IznIphEktos

これ観ましょう。 イメージを覚えてください。

シー・ハイル!!!

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c59

[政治・選挙・NHK237] 「政策に賛同してもらえるかどうかだ」と枝野幸男!   赤かぶ
1. 中川隆[-5660] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:09:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本を滅ぼすのが枝野幸男の目的


菅、枝野、北沢が妨害しなければ原発事故は起きなかった

「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男
引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0


福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。

菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました


あの日責任者達は何をしていたのか

6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。

東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。

福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。

翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。

燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。

燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。


福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。

この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。

事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。


後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。

枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。

「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。


「炉心溶融」を禁止したのは菅直人

調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。

メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。

清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。


東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。

事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。

自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。


3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。

だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。

清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。


枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。

自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。

燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。


菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
94c1b802
引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg


「なんだ、馬鹿野郎」

ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。

首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。


結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。

所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。


自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。

自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。

アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。


吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。

海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。


嘘だらけの閣僚達

その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。

菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。

だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。


だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。

要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。

こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。


空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。

だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。

果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。


だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。

最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。

その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。

なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。

________


2017-09-25
次の選挙の大義は「反日の議員を絶対に落選させること」だ


アメリカの株式市場は2008年のリーマンショックで衝撃的な大暴落に見舞われたのだが、日本の株式市場もアメリカと一緒につるべ落としの暴落となった。

この大混乱はずっと尾を引くのだが、アメリカが混乱を収束させたのは2009年の終わりあたりからである。2010年に入ってからは暴落した株式はどんどん回復して、2011年には早くもリーマンショック以前に値を戻した。

ところで、リーマンショックの震源地とは遠かったはずの日本はどうだったのか。

リーマンショックの激震が収まったのは、やはりアメリカと同じ2009年の終わりあたりである。ところが、ここから日本はアメリカと対照的な動きを見せるようになった。

日本の株式市場はまったく元に戻らず、元に戻るどころかどんどん低迷していったのである。この低迷は2012年までずっと続いていた。

本来であれば、サブプライムローンに関わっておらず、バブル崩壊の震源地でもなかった日本はアメリカよりも早く立ち直っていなければならなかった。

それなのに、なぜこの2009年から2012年まで日本は地獄のような経済低迷を迎え、地を這い回っていたのか。


2009年から2012年の地獄の経済低迷は誰の責任か?

理由は言うまでもない。日本では2009年から2012年まで民主党が政権を取っていて、この政権によって政治も経済も大混乱に見舞われてしまったからである。

民主党政権が下野して第二次安倍政権が本格的にスタートした2013年から株価が怒濤の如く上昇していったのを見ても、それが分かる。

日経平均株価が2008年の後半に1万円割れしたのは、アメリカのサブプライムローン問題とリーマン・ショックがあったからだ。それはアメリカと世界経済の問題であり、日本の問題ではなかった。

しかし、2009年から2012年の日本の経済低迷は、世界経済やリーマンショックは関係ない。この時期の地獄は、民主党政権の問題だ。

民主党が稀に見る信じがたいまでの「無能集団」だったので、それがゆえに日本は這い上がれなかった。

民主党の党首だった鳩山由紀夫は全世界から「ルーピー」だと言われて嘲笑されていたし、菅直人は頭の中が空き缶だと言われた。

さらに野田佳彦に至っては、今でも収束できていない原発事故を2012年12月16日に「収束した」と言った信じがたい嘘つき男だった。

こんな無責任な人間どもが政権を取って適当な政治をしていたのだから、回復するはずの株価さえ回復しなかったのは当然だ。まさに株価も景気も「地を這う」状態だったのである。

しかもこの民主党には中国・韓国・北朝鮮の息のかかった工作員が大量に紛れ込んでいて、意図的に日本の破壊を目論んでいたのだった。

円高も、日本企業に大きなダメージを与えて中国・韓国の企業を躍進させるものだったし、東日本大震災の復興予算が食い物にされて韓国に流れていたという実態もあった。

さらに瀕死になっている日本経済をよそに、韓国のために日韓通貨スワップさえ積極的に結ぼうとしていた。


日本は安倍政権によって間一髪で助かったのだ

民主党はマニフェストを掲げて「あれもする、これもする」と国民に約束して政権を奪い取ったのだが、ことごとく約束を破っていった。

マニフェスト詐欺という言葉も生まれたが、国民に「詐欺だ」と言われるほど民主党政権はひどかったのだ。

埋蔵金があると言ってなかったし、天下りを許さないと言って郵政三役を天下りさせたし、赤字国債を抑制すると言って過去最大の赤字国債を発行したりした。

逆にマニフェストに入っていないことには、力を入れて推し進めようとしていた。民主党政権はマニフェストにはなかった「何」をしようとしていたのか。

朝鮮人学校無償化、外国人地方参政権、人権侵害救済法案、外国人住民基本法、夫婦別姓等である。まさに反日政策のオンパレードだった。

しかしながら、マスコミの民主党絶賛の声に洗脳されて多くの日本人が2010年に入ってもまだ民主党を支持していた。

この時点で、私はもう日本は終わりだと確信して、資産の半分はドル建てのアメリカの株式、残りはゴールドに変えて、日本円をなるべく持たない方向に切り替えた。

さらに2012年の初頭にはもう一度考え方を変えた。この時にゴールドをすべて売却し、資産のほぼ90%をアメリカの多国籍企業に投資して現在に至っている。

日本の景況感の悪化、異常な円高、株式市場の低迷は、すべて民主党の売国のせいだった。

だから、2012年12月16日に民主党政権が崩壊して自民党政権が復活したとき、日本がリセットされたと気付かなかった人はほとんどいない。

もし、第二次安倍政権が生まれていなかったら、日本は確実に崩壊していたのは間違いない。日本は安倍政権によって間一髪で助かったとも言える。


次の選挙の大義は「反日議員を落選させること」だ

安倍政権にも欠点はある。相変わらず消費税を増税すると言っているし、守られもしないのに韓国と日韓合意をして翻弄されたりしている。報復外交もしない。韓国と断交もしない。

中国・韓国・北朝鮮は反日国家であり、日本にとって危険極まりない存在であるのはすでに明確になっている。にも関わらず、国内に大量の工作員が紛れ込んで工作活動をしているのを放置し続けている。

北朝鮮も日本の上空を横切ってミサイルを飛ばし、「核兵器で日本の4つの列島を海へ沈める」と恫喝しているのに、いつも遺憾の意を表明するくらいでうやむやにする。

国内には北朝鮮の工作機関である朝鮮総連が堂々と存在しているのに、まったく手をかけない。

パチンコという違法ギャンブルが街中に林立して日本人をギャンブル依存症に陥れ、その利益が北朝鮮のミサイルの資金源になっているのにこれも見て見ぬフリをしたままだ。

おおよそ、反日国家には何もできていないのが安倍政権である。しかし、それでも自ら売国していた民主党政権とは100倍も200倍も良い政権であると評価できる。

再び政権交代するというのは絶対にあり得ない選択肢であり、特に民進党みたいな政党に期待をかけるというのは、まわりを巻き込んで自殺すると言っているのと同じである。

民進党の前代表だった村田蓮舫は、どこの国の誰なのかまったく分からないままだし、現在の代表である前原誠司は北朝鮮の女性と親しく付き合っているのが週刊紙でバラされている。

民進党はすでに民意を失っており、支持率も8%かそれ以下くらいしかない泡沫政党になりつつあり、次々と離党者が沸いて出て党内はガタガタだ。

まだこんな政党が残っているというのがどうかしている。

次の選挙でやらなければならないのは、日本を混乱させることしか能がない民進党や反日議員をことごとく選挙で落とすことである。

次の選挙の大義は「反日議員を落選させること」である。これ以上に大切なことは他にない。


安倍政権は日本にとって重要な政権である。もし、第二次安倍政権が生まれていなかったら、日本は確実に崩壊していたのは間違いない。日本は安倍政権によって間一髪で助かったとも言える。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170925T1456020900.html


2017-09-30
腐ったゴミを排除するように、民進党の議員を排除していく

民進党の反日議員がみんなこぞって「希望の党」に入りたがっているのだが、全員が同じ「希望の党」に移動するのであれば、最初から民進党に残れば良かったのではないか。

なぜ、わざわざ民進党を抜けて他の党に移動するような面倒臭いことをしているのか。しかも選挙前のゴタゴタの中で、なぜ合流できるのかどうかも分からないのに、そんな無謀なことをしたいと思ったのか。

それは、そうせざるを得ない理由があったからだ。

民進党はあまりにも無能で反日で悪評まみれだったので、選挙したら絶対に負けることが戦う前から分かっていた。国民からの信頼を失っており、支持率は5%すらもなかった。完全なる泥船である。

だから、誰もが逃げ出しているのである。自分たちが寄ってたかってめちゃくちゃにして、信頼を失ったのが決定的になったら名前も大義も捨てて、さっさと違う別の党にいく。

自ら所属する場所に愛着などまったくなく、自分の都合で集まって、自分の都合で逃げ去っていく。

ついさっきまで「リベラル」と言っていたのに、情勢が悪くなるとすぐに「私は保守だ」「これでも保守と仲が良い」とか言い出して取り繕い、甘い蜜のあるところに群がる。

後先のことは何も考えていない。自分のことばかりだ。それが民進党の議員である。


ひたすら相手を攻撃し、批判し、中傷し、誹謗する

民進党の議員は日本人ではないような言動をする。

たとえば、自分の主張ばかり大声でわめいて他人の意見はまったく聞かない。大声でわめけば主張が通ると思っているので、言いがかりのようなことでひたすらわめき散らす。

代替案など出さないし提案もしない。ひたすら相手を攻撃し、批判し、中傷し、誹謗し、恫喝し、威嚇するだけなのだ。大声でわめくDNAが備わっているかのように集団で寄ってたかってわめき散らす。

とても日本人には見えない気質だ。まるで中国・韓国・北朝鮮の人間のように見える。

事実、民進党の議員のほとんどは日本よりも中国・韓国・北朝鮮と密接に関わっている議員が多い。

村田蓮舫は今も日本人なのか台湾人なのか中国人なのか、どこの誰なのか分からない得体の知れない二重国籍者で、中国語は話せないと言いながら、外国では中国語で受け答えするような人間だ。

現代表の前原誠司も、北朝鮮で接待係の女と密着し、議員室に「お母さん」と呼ぶ韓国人の焼肉屋の女を連れ込み、献金を受けるような人間だ。

そもそも、この党の創設者である鳩山由紀夫が中国・韓国・北朝鮮の代弁者として日々、反日言動を繰り返しているのは承知の通りだ。

だから民進党は中国・韓国・北朝鮮の工作員の「巣」と言われるようになっており、日本人は誰も民進党を相手にしなくなっていった。

それもそうだ。週4日も不倫セックスをする山尾志桜里のように、国会で「日本死ね」とわめき散らす議員が所属する政党を日本人の誰が支持するというのか。

日本人は誰もこんな政党を支持しない。だから、民進党は崩壊に見舞われている。


絶対に日本のためになるようなことはしない政党

民進党の議員には極端な二面性がある。表面的には善良で立派な人物を演じようとしているし、国民に寄り添ったような堂々たるマニフェストを掲げて日本人におもねた。

しかし、裏側はまったく違う。自己中心的で、日本に対する悪意が満ち溢れ、国益を尊重する議員に対しても憎悪や嫉妬という感情が渦巻いている。

まるで、民進党議員の心の中には「恨(はん)」という薄気味悪い感情が渦巻いているようだ。

常に不平不満ばかりで、身体に火が付いたような憤怒で病気のように燃え、他罰主義で、ご都合主義で、怨念でドロドロになっている。

悪意があるので表では良いことを言っても、絶対に日本のためになるようなことはしない。

自分たちが政権の座に就くとすぐに国民を裏切り、マニフェストは何一つ実現させなかったのを見ても分かる。

マニフェストが実現できなかったのは、無能だったからでもあるが、その前に「そんなものは、どうでも良かった」からでもある。政権を取るためのエサだったのだ。

それは、マニフェストにはない「二重国籍の容認」「永住外国人への地方選挙権付与」「多文化共生の促進」「大量移民の受け入れ」などを次々と実現していこうとしたのを見ても一目瞭然だ。最初から騙す気でやっていた。

だから、民進党の議員を日本人は誰ひとりとして信じなくなっていったのだ。

明瞭さ、公平さ、潔癖さ、反省は民進党の議員にはない。

民進党の議員に存在するのは、不透明、自己中心、裏切り、開き直り、身勝手というものばかりである。

自分には甘く、他人には厳しく、提案はなく足の引っ張り合いと攻撃ばかりだ。吐き気がするほど、おぞましい。


腐ったゴミは相変わらず腐ったゴミでしかない

民進党の議員は、自分の悪いところを変えていくことはない。国民に受け入れられるように地道に党の体質改善に取り組むこともない。

信頼を勝ち取るというのは、長い時間と国民との絆が必要だが、そんな時間がかかって面倒なことは一切しない。

「感謝」「対等」「公平さ」といった本来の日本人が有しているはずの価値感は民進党の議員はまったく持っていない。民進党の議員は「同じ価値観を有していない」のである。

だから、民進党の議員は「民主党」という名前が都合が悪くなったらあっさりとその名前を捨てて「民進党」と改名し、民主党と民進党は違うというような言い方でしらばっくれる。

そして、民進党という名前でも悪評が広がるとどうするのか。

今度は民進党を捨てて、全員で違う党に合流しようとするのである。それで選ばれたのが「希望の党」だった。大義があって合流しているのではない。大義がないから、どこでも合流できるのだ。

その民進党の議員の行動様式は、犯罪者の行動と似通っている。多くの犯罪者は今の名前で悪評が広がると、すぐに名前を乗り換えて違う名前でまた同じことをする。

自分の犯罪者的行動を変えるのではなく、名前を変える。名前を変えて別人に成りすまして、また犯罪を行う。犯罪者にとっては、名前というのは使い捨てなのである。

民進党の議員も同じだ。自分の所属する党の名前をころころと変え、それでも駄目なら党を捨てて他に寄生し、乗っ取り、そこでも同じように反日で日本をおとしめていく。

民進党の議員がそのような気質があるのだとすると、次の選挙では「どこに入れるのか」が重要ではなく、「民進党の議員を片っ端から落選させる」ことが重要であるのが分かる。

腐ったゴミを他の場所に持っていっても、腐ったゴミは相変わらず腐ったゴミである。腐ったゴミを置いておけばまわりもまた腐っていく。

腐ったゴミは排除しなければならないということだ。次の選挙では、それができるかどうかが問われている。民進党の議員を着実に落選させていく。これが、次の選挙の大義であるのは間違いない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170930T1645310900.html


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理


4. 新共産主義クラブ[4846] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年10月01日 17:30:32 : xFZ3A1MwHU : MNysA44CA5s[13]

▲△▽▼

 
 友人である前原誠司氏の頭を冷やさせ、民進党代表を臨時党大会を開いて解任し、民進党と希望の党との合流の話を撤回してほしい。
 
 リベラル派だけの新党結成を裏で進めながらも、合流の撤回を優先して進めた方が早いし、筋も通っている。
 
 


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/245.html#c1

[経世済民124] 2018年度経済見通し(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5659] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:19:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
官僚が安部の妨害をしてるんだよ:


民進党、反日マスゴミなどの中国人工作員・在日が流すデマ、印象操作に騙され、論理的思考が出来ず政治に無関心で正しい知識を持たない戦後の日本のような愚民国家では、政府が国のためになる正しい政策を行うことができません。

日本は中国人工作員・在日とグローバリストという二つの敵から挟み込まれている。

2017年12月12日、安倍内閣総理大臣と会食しました。

【写真 左から藤井聡内閣官房参与、三橋貴明、安倍晋三内閣総理大臣、西田昌司参議院議員】
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12335968256-14090011183.html

総理と直接お話しし、多くの事実が分かったのですが、メルマガで書ける内容ではないため、ポイントのみ。

(1)
総理はPB黒字化目標が「日本を滅ぼしている」事実を理解しており、財政拡大路線に転じたがっている

(2)
とはいえ、政治的には困難
なぜ、政治的に困難なのかといえば、
大きな理由として「世論」と「自民党」の二つがあります。

(中略)

いかに内閣総理大臣とはいえ、国民も党も味方にならないのでは、財政拡大路線に転じることはできないのです。


【三橋貴明】安倍総理と直接議論して分かったこと《最新ニュース速報》1213
https://www.youtube.com/watch?v=y_nstm93DG4

【三橋貴明】TVで言えない安倍総理と夕食会の裏話。
https://www.youtube.com/watch?v=tEL0IzdlGRU

三橋貴明 財務省によって日本は滅びる!繁栄を阻む2つの壁はこれだ!
https://www.youtube.com/watch?v=u8xTHxQ44vI

三橋貴明 NHKはなぜ反日なのかを語る
https://www.youtube.com/watch?v=p24iCUOElsg

三橋貴明が朝日系列の番組で朝日新聞に痛烈!「全部ウソですよ」 1126
https://www.youtube.com/watch?v=VbesJQJrfAY

東アジアを“無秩序”にした日本国憲法 北朝鮮に侮られ、中国は尖閣奪おうと連日包囲
http://www.sankei.com/world/news/171214/wor1712140002-n1.html

世界で唯一成功した共産国家と言われた日本型共産主義国家が崩壊して、共産国家特有の肥大化した官僚制だけがそのまま残った
という評価になるだろ

安部とか菅、野田には何の決定権も権限も無くい、単に官僚に言われた通りに動いていただけ:


安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った


日本では自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。

戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。

日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。

対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。

対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。
https://tanakanews.com/170910japan.htm


官僚の流すデマに騙されるな

加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争


官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          

萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。


_____


官僚たちは人事権を事務次官が持つことによって政治家には介入させなかった。

それが内閣人事局が人事権を持つことによって、官僚の権力の源泉が失われて、これが官僚には面白くないことだった。

だから官僚たちにとっては、安倍総理は敵であり、第一次安倍内閣は官僚たちによるマスコミへのスキャンダルリーク作戦で退陣に追い込んだ。それがまさかの第二次安倍内閣の発足によって、官僚たちへの「内閣人事局」による報復が始まった。文科省の天下り問題はその一例に過ぎない。

組織の論理から言えば、官僚の人事は行政のトップである総理大臣や各省の大臣が持つのが当たり前ですが、以前は各省の事務次官が人事権を持っていた。だから官僚たちは、内閣の言うことよりも事務次官の言うことを聞いて、内閣総理大臣の言うことは面従腹背だった。

それが「内閣人事局」ができたことで、内閣総理大臣の権力は非常に大きくなった。それが官僚たちには面白くない。だからまたしてのスキャンダルリーク作戦で安倍総理の足を引っ張り出した。政治家のスキャンダルは警察や検察庁の官僚が握って持っている。豊田真由子議員もそうだし、中川俊直議員もそれでやられている。

いずれも二回生議員で安倍チルドレンとマスコミは呼んでいる。安倍総理がどこまで巻き返せるかは国民の支持率次第ですが、マスコミは連日安倍ネガティブキャンペーンを張っている。やらせているのが財務省官僚たちであり、籠池騒動の元は財務省官僚の安倍総理への裏切りにある。

このような官僚たちの裏切り行為に対して、安倍総理が「内閣人事局」を使っての報復人事が行われるだろう。まさに中堅官僚にとっては安倍総理につくか事務次官につくかの選択を迫られる事態となっている。安倍総理が踏ん張りきれれば官僚のスキャンダルリーク作戦も収まるのでしょうが、マスコミも官邸につくか官僚につくかで分かれている。

もっとも、政界でも反安倍の動きが有り、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部の動きが怪しくなっている。ここでも反安倍に舵を切った石破氏もいれば、安倍政権を支えるかで処遇も違ってくるだろう。問題は安倍政権への支持率であり、共謀罪強行採決では大きく支持率を下げた。

文科省の前川前次官が告発の記者会見を開いて抵抗しているのも、官僚と官邸との権力闘争が主体であり、人事権を取り上げられた官僚の抵抗は続くだろう。しかし安倍政権が長期化すれば官僚への人権発動で、反安倍の官僚たちは飛ばされるから官僚たちも必死だ。


http://www.asyura2.com/17/hasan124/msg/874.html#c1

[昼休み53] 北九州一家監禁殺人事件 中川隆
2. 中川隆[-5658] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:32:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ザ ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて・・・ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B6+%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3+%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%AE%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB+


『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜・午後2時〜2時55分/関東ローカル)は、普段見ることが出来ない人間の一面や人間関係、生き方、ひとつの職業を深く掘り下げて見えてくる隠された本質、記憶に残る事件や出来事などを取材し、その事柄のありのままの姿、事実をお届けするドキュメンタリー番組。

フジテレビで10月15日(日)と22日(日)の2週にわたって放送した『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人である夫婦の元に生まれ、「人殺しの息子」と呼ばれながら生きてきた息子(24)が、初めてメディアのインタビューを受けたもので、自身の怒りや悲しみ、そして苦悩の日々などを激白した。

その壮絶な証言の数々に大きな反響が集まった。番組放送後に全国の視聴者の方々から「是非全国放送でやってもらいたい」との声が多く寄せられたため、全国ネットで放送する。今回は、10月に放送した内容だけでなく、放送後、再度息子に敢行したインタビュー、母・緒方純子受刑者による未公開の手紙などの内容を加えて、再編集した形でお送りする。


スタッフ
【チーフプロデュース】張江泰之
【制作】フジテレビジョン



http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html#c2

[番外地6] メモ3 中川隆
1. 中川隆[-5657] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:32:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
ザ ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて・・・ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B6+%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3+%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%AE%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB+


『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜・午後2時〜2時55分/関東ローカル)は、普段見ることが出来ない人間の一面や人間関係、生き方、ひとつの職業を深く掘り下げて見えてくる隠された本質、記憶に残る事件や出来事などを取材し、その事柄のありのままの姿、事実をお届けするドキュメンタリー番組。

フジテレビで10月15日(日)と22日(日)の2週にわたって放送した『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人である夫婦の元に生まれ、「人殺しの息子」と呼ばれながら生きてきた息子(24)が、初めてメディアのインタビューを受けたもので、自身の怒りや悲しみ、そして苦悩の日々などを激白した。

その壮絶な証言の数々に大きな反響が集まった。番組放送後に全国の視聴者の方々から「是非全国放送でやってもらいたい」との声が多く寄せられたため、全国ネットで放送する。今回は、10月に放送した内容だけでなく、放送後、再度息子に敢行したインタビュー、母・緒方純子受刑者による未公開の手紙などの内容を加えて、再編集した形でお送りする。


スタッフ
【チーフプロデュース】張江泰之
【制作】フジテレビジョン

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html#c1

[昼休み53] 日本は近い将来、中国小日本省になる 中川隆
9. 中川隆[-5656] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:54:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-12-16
異国を覆い尽くす中国人と、やがて生まれてくる中国人の街

アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコは、人口の5分の1である約85万人が中国系移民で占められている。

そして2011年にはエドウィン・M・リーという中国系市長を生み出した。

この市長は2017年12月12日に謎の死を遂げているのだが、いずれはまた中国系の市長が生まれるのではないかと噂されている。その裏には中国政府の意向も動いているからだ。

異国で急激に増えて政治に進出し、じわじわと市や州や国を乗っ取っていくのは中国の常套手段である。中国がこの手法を採れるのは、2つの条件が整っているからだ。

1つは莫大な人口がいること。もう1つは国民が他国に定住することを厭わない気質を持っていることだ。確かに中国は莫大な人口を抱え、そして人々は金のためならどこにでも行く。

中国の人口は、約13億7900人である。世界の人口で言うと、7人に1人は中国人である。

その中国人は、昔から「白手起業」という言葉があって、何もないところから叩き上げて成り上がっていくのが「普通の生き方」として捉えられている。

日本人と違って組織に属することもなく、自分の肉体と才覚だけでのし上がるのが王道だと考えているのだ。

世界中で増殖し、世界中から排斥される中国人

中国人が組織に属しても往々にして賄賂を取ったり私腹を肥やしたりするのは、やはり組織内で自己ビジネスをしているのだと考えれば、そのメンタリティが理解できる。

そういった国民性があるので、彼らが信じるのは自分だけだ。他人や、組織や、国など、まったく眼中にないことが多い。だから彼らは、いとも簡単に国を越えて世界に出て行く。

ロシアでも、アメリカでも、オーストラリアでも、カナダでも、アフリカでも、東南アジアでも、彼らは金が儲かると思えば、どこにでも行く。

次々と国を渡ってそこに定住し、ひとりが成功すると家族をどんどん呼び寄せてネズミ算式に増えていく。そのために中国人の排斥運動はどこの国でも頻繁に起きる。

たとえばニュージーランドでも、あまりにも増えすぎた中国人に嫌気が差した人の一部が「中国人は出て行け」という排斥運動を起こしている。

カナダでも中国人の入国拒否が行われている。バンクーバーは中国人に乗っ取られたのではないかというほど中国人だらけであり、2012年からカナダは中国人移民を制限するようになっているのである。

フランスでも、中国人が現地のフランス人に襲われている。フランスのメディアは「フランス人の学生は、中国人に侵略されているという意識を持っている」という要旨を記事にしたこともある。

アフリカでも事情は変わらない。ケニアでも中国人排斥運動が起きているし、ガーナでも中国人排斥運動が起きている。「金のためなら何でもやる」「訳の分からない中国文化を持ち込んで広げる」というのが、排斥の理由だった。

ロシアでも国民の半数がチャイナタウンに嫌悪感やマイナスイメージを持つ。「中国人は文化的な素養が低すぎる」として、移民摘発では狙い撃ちされている。

ロシアと言えば、モスクワのチェルキゾフスキー市場が強制閉鎖されているのだが、これはもちろんロシア政府の「チャイナタウン潰し」だった。

チェルキゾフスキー市場は白手起業の中国人で満ち溢れ、密輸や模造品、海賊版、粗悪品、コピー品の温床だった。チャイナタウンが密輸品の宝庫であるのは確かだ。

何でもある。ニセ物からジャンク品、日用品からポルノ、宝石から食料品。ないものがない。


バンコクのチャイナタウン「ヤワラー地区」。すでにここは現地の一部のようになっている。


チャイナタウン初期は貧困層と切り離せない

世界中で中国人の排斥運動が起きているのだが、これは逆に言えば中国人が世界中に「進出」しているということであると理解しなければらない。

若い中国人は留学生としてその国に潜り込み、そしてアルバイトや違法就業によって現地に根付いていく。あるいは、最初から商売目当てで、徒手空拳、裸一貫でその国に入り込む中国人もいる。

海外でビジネスをする中国人は「華僑」と呼ばれている。東南アジアでもお馴染みの「人種」だ。

この華僑と呼ばれる人たちは、素晴らしい技術やサービスでのし上がってきたわけではない。

仕入れの金もない者は、料理人や、床屋や、クリーニング屋のようなところで肉体労働から始まる。

何か仕入れる金を持っている者は、集団で固まって、貧困層が買う安い物を売って生きるところから始まっている。安っぽい日用品や、安っぽい食品が多い。

一般的に、最初は仲間内でのビジネスで始まるが、やがて値段の安さや品物の豊富さに釣られた現地人が訪ねるようになって、そこがチャイナタウンとして機能していく。

貧困層にとって大量の物資が安く買えるというのは、取り澄ました高級品を丁寧なサービスで買うよりも重要なことだから、チャイナタウンはそれで現地に根づくのである。

貧困とチャイナタウンはまさに双子の兄弟のようなものだ。チャイナタウン初期には、貧困層と切っても切り離せない。

しかし、貧困層を取り込んで発展していくという特徴もあって、マナーも悪く、貧困層特有の無法や無秩序が増長していく。そもそも、売っているものが、海賊版だったり、違法商品だったり、まがい物だったりして、最初からいかがわしい。

それがその国の文化にはそぐわないので、強い軋轢や摩擦を生み出し、社会問題に発展する。どこの国でもチャイナタウンは最初のうちは「嫌悪感」の対象になる。

フィリピンのチャイナタウン。英語の看板と中国語の看板が渾然一体となっている。フィリピン人はもちろん誰も中国語が読めない。


貧困層をターゲットにした新たなチャイナタウン

チャイナタウンが拡大して行くと、組織抗争もしょっちゅう起きる。

1980年代のニューヨークでもそうだったが、チャイナタウンには狭い場所に堂(トン)と言われる様々な黒社会の組織が存在するので、しばしば抗争やいさかいを起こす。

1980年代のニューヨークのチャイナタウンは、ちょうどベトナム人の犯罪グループと中国人の黒社会グループが対立が目立っていた頃だった。

ある朝、中国人側のグループに属するホステスが殺されて、全裸にされて道端に転がされていたというので大騒ぎになっていたが、見せしめだと噂されていた。

2000年頃は、日本でも日本最大の歓楽街である歌舞伎町には中国人マフィアが増えていた。一時は中国人に占領されるのではないかというほど中国人が集まったのだ。

そこに起きたのが、中華料理屋で対立するグループが青龍刀を振り回して相手を惨殺した事件だった。日本の大都会で青龍刀が振り回されるのだから、多くの日本人はこの事件に驚いた。

当時の石原慎太郎都知事が2004年から歌舞伎町の浄化作戦を始めたのは、まさに中国人マフィアをこの街から排斥するためでもあった。

石原慎太郎は歌舞伎町を乗っ取った中国人のゴロツキに激しい嫌悪を抱き、敵愾心を剥き出しにしていた。この浄化作戦で中国人のゴロツキは姿を消したが、潜伏先は池袋だったので今度は池袋の北口側が中国人の牙城と化した。

チャイナタウンは計画的に生まれるのではなく、中国人の数が増えたところで不動産が次々と買い取られて街が中国色に染まって生まれるのである。

チャイナタウンを好む人がいる一方で、現地当局や周辺住民にとっては迷惑この上ないとして非常に嫌う人も多い。

池袋や西川口は、中国人が自然増殖している最中で、オセロの白が黒のひっくり返るように、日本人が消えて中国人に占拠されるのではないかと懸念する人もいる。

日本では、横浜中華街も神戸の南京町も、どことなく上品な観光地的な街になっている。完成された中華街は観光地へと変貌する。

しかし、チャイナタウンの「始まり」は、いつもカオスと無秩序と軋轢の中だ。

すでに日本には底辺で100万人以上もの中国人が入り込んでいる。この流れはさらに加速して、日本のあちこちでチャイナタウンの「芽」が育つ。

やがてそれが大きな潮流となったとき、横浜や神戸とはまた違ったチャイナタウンがどこかで生まれ出てくるはずだ。日本に、それができる。


横浜のチャイナタウン。横浜最大の観光街として欠かすことのできない場所でもある。

池袋の中国人専門の書店、食品店、料理店、旅行代理店が大量に入り込んでいるビル。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171216T0202400900.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html#c9

[リバイバル3] 熱海青翠 _ 中国人に乗っ取られた訳有り(?)高級リゾートマンション 中川隆
29. 中川隆[-5655] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:55:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-12-16
異国を覆い尽くす中国人と、やがて生まれてくる中国人の街

アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコは、人口の5分の1である約85万人が中国系移民で占められている。

そして2011年にはエドウィン・M・リーという中国系市長を生み出した。

この市長は2017年12月12日に謎の死を遂げているのだが、いずれはまた中国系の市長が生まれるのではないかと噂されている。その裏には中国政府の意向も動いているからだ。

異国で急激に増えて政治に進出し、じわじわと市や州や国を乗っ取っていくのは中国の常套手段である。中国がこの手法を採れるのは、2つの条件が整っているからだ。

1つは莫大な人口がいること。もう1つは国民が他国に定住することを厭わない気質を持っていることだ。確かに中国は莫大な人口を抱え、そして人々は金のためならどこにでも行く。

中国の人口は、約13億7900人である。世界の人口で言うと、7人に1人は中国人である。

その中国人は、昔から「白手起業」という言葉があって、何もないところから叩き上げて成り上がっていくのが「普通の生き方」として捉えられている。

日本人と違って組織に属することもなく、自分の肉体と才覚だけでのし上がるのが王道だと考えているのだ。


世界中で増殖し、世界中から排斥される中国人

中国人が組織に属しても往々にして賄賂を取ったり私腹を肥やしたりするのは、やはり組織内で自己ビジネスをしているのだと考えれば、そのメンタリティが理解できる。

そういった国民性があるので、彼らが信じるのは自分だけだ。他人や、組織や、国など、まったく眼中にないことが多い。だから彼らは、いとも簡単に国を越えて世界に出て行く。

ロシアでも、アメリカでも、オーストラリアでも、カナダでも、アフリカでも、東南アジアでも、彼らは金が儲かると思えば、どこにでも行く。

次々と国を渡ってそこに定住し、ひとりが成功すると家族をどんどん呼び寄せてネズミ算式に増えていく。そのために中国人の排斥運動はどこの国でも頻繁に起きる。

たとえばニュージーランドでも、あまりにも増えすぎた中国人に嫌気が差した人の一部が「中国人は出て行け」という排斥運動を起こしている。

カナダでも中国人の入国拒否が行われている。バンクーバーは中国人に乗っ取られたのではないかというほど中国人だらけであり、2012年からカナダは中国人移民を制限するようになっているのである。

フランスでも、中国人が現地のフランス人に襲われている。フランスのメディアは「フランス人の学生は、中国人に侵略されているという意識を持っている」という要旨を記事にしたこともある。

アフリカでも事情は変わらない。ケニアでも中国人排斥運動が起きているし、ガーナでも中国人排斥運動が起きている。「金のためなら何でもやる」「訳の分からない中国文化を持ち込んで広げる」というのが、排斥の理由だった。

ロシアでも国民の半数がチャイナタウンに嫌悪感やマイナスイメージを持つ。「中国人は文化的な素養が低すぎる」として、移民摘発では狙い撃ちされている。

ロシアと言えば、モスクワのチェルキゾフスキー市場が強制閉鎖されているのだが、これはもちろんロシア政府の「チャイナタウン潰し」だった。

チェルキゾフスキー市場は白手起業の中国人で満ち溢れ、密輸や模造品、海賊版、粗悪品、コピー品の温床だった。チャイナタウンが密輸品の宝庫であるのは確かだ。

何でもある。ニセ物からジャンク品、日用品からポルノ、宝石から食料品。ないものがない。

バンコクのチャイナタウン「ヤワラー地区」。すでにここは現地の一部のようになっている。


チャイナタウン初期は貧困層と切り離せない

世界中で中国人の排斥運動が起きているのだが、これは逆に言えば中国人が世界中に「進出」しているということであると理解しなければらない。

若い中国人は留学生としてその国に潜り込み、そしてアルバイトや違法就業によって現地に根付いていく。あるいは、最初から商売目当てで、徒手空拳、裸一貫でその国に入り込む中国人もいる。

海外でビジネスをする中国人は「華僑」と呼ばれている。東南アジアでもお馴染みの「人種」だ。

この華僑と呼ばれる人たちは、素晴らしい技術やサービスでのし上がってきたわけではない。

仕入れの金もない者は、料理人や、床屋や、クリーニング屋のようなところで肉体労働から始まる。

何か仕入れる金を持っている者は、集団で固まって、貧困層が買う安い物を売って生きるところから始まっている。安っぽい日用品や、安っぽい食品が多い。

一般的に、最初は仲間内でのビジネスで始まるが、やがて値段の安さや品物の豊富さに釣られた現地人が訪ねるようになって、そこがチャイナタウンとして機能していく。

貧困層にとって大量の物資が安く買えるというのは、取り澄ました高級品を丁寧なサービスで買うよりも重要なことだから、チャイナタウンはそれで現地に根づくのである。

貧困とチャイナタウンはまさに双子の兄弟のようなものだ。チャイナタウン初期には、貧困層と切っても切り離せない。

しかし、貧困層を取り込んで発展していくという特徴もあって、マナーも悪く、貧困層特有の無法や無秩序が増長していく。そもそも、売っているものが、海賊版だったり、違法商品だったり、まがい物だったりして、最初からいかがわしい。

それがその国の文化にはそぐわないので、強い軋轢や摩擦を生み出し、社会問題に発展する。どこの国でもチャイナタウンは最初のうちは「嫌悪感」の対象になる。

フィリピンのチャイナタウン。英語の看板と中国語の看板が渾然一体となっている。フィリピン人はもちろん誰も中国語が読めない。


貧困層をターゲットにした新たなチャイナタウン

チャイナタウンが拡大して行くと、組織抗争もしょっちゅう起きる。

1980年代のニューヨークでもそうだったが、チャイナタウンには狭い場所に堂(トン)と言われる様々な黒社会の組織が存在するので、しばしば抗争やいさかいを起こす。

1980年代のニューヨークのチャイナタウンは、ちょうどベトナム人の犯罪グループと中国人の黒社会グループが対立が目立っていた頃だった。

ある朝、中国人側のグループに属するホステスが殺されて、全裸にされて道端に転がされていたというので大騒ぎになっていたが、見せしめだと噂されていた。

2000年頃は、日本でも日本最大の歓楽街である歌舞伎町には中国人マフィアが増えていた。一時は中国人に占領されるのではないかというほど中国人が集まったのだ。

そこに起きたのが、中華料理屋で対立するグループが青龍刀を振り回して相手を惨殺した事件だった。日本の大都会で青龍刀が振り回されるのだから、多くの日本人はこの事件に驚いた。

当時の石原慎太郎都知事が2004年から歌舞伎町の浄化作戦を始めたのは、まさに中国人マフィアをこの街から排斥するためでもあった。

石原慎太郎は歌舞伎町を乗っ取った中国人のゴロツキに激しい嫌悪を抱き、敵愾心を剥き出しにしていた。この浄化作戦で中国人のゴロツキは姿を消したが、潜伏先は池袋だったので今度は池袋の北口側が中国人の牙城と化した。

チャイナタウンは計画的に生まれるのではなく、中国人の数が増えたところで不動産が次々と買い取られて街が中国色に染まって生まれるのである。

チャイナタウンを好む人がいる一方で、現地当局や周辺住民にとっては迷惑この上ないとして非常に嫌う人も多い。

池袋や西川口は、中国人が自然増殖している最中で、オセロの白が黒のひっくり返るように、日本人が消えて中国人に占拠されるのではないかと懸念する人もいる。

日本では、横浜中華街も神戸の南京町も、どことなく上品な観光地的な街になっている。完成された中華街は観光地へと変貌する。

しかし、チャイナタウンの「始まり」は、いつもカオスと無秩序と軋轢の中だ。

すでに日本には底辺で100万人以上もの中国人が入り込んでいる。この流れはさらに加速して、日本のあちこちでチャイナタウンの「芽」が育つ。

やがてそれが大きな潮流となったとき、横浜や神戸とはまた違ったチャイナタウンがどこかで生まれ出てくるはずだ。日本に、それができる。

横浜のチャイナタウン。横浜最大の観光街として欠かすことのできない場所でもある。


池袋の中国人専門の書店、食品店、料理店、旅行代理店が大量に入り込んでいるビル。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171216T0202400900.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/571.html#c29

[番外地6] 米ネオコンとは? 中川隆
48. 中川隆[-5654] koaQ7Jey 2017年12月16日 09:08:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017.12.16
サウジから連れ出されたレバノン首相は新たなシリア侵略を仕掛ける役割を負わされている可能性


サウジアラビアで大規模な粛清が始まった今年(2017年)11月4日、レバノンのサード・ハリリ首相が辞任を表明する録画映像をサウジアラビアのテレビが流したが、その表明は後に取り消された。粛清が始まった頃、ハリリとビジネスで緊密な関係にあったアブドゥル・アジズ・ビン・ファハド王子の死亡説も流れたが、サウジアラビア情報省はすぐに否定している。

軟禁状態だとされたハリリをサウジアラビアから連れ出したのはフランスの​エマニュエル・マクロン大統領​。招待という形でハリリはフランスを訪問した。家族同伴と伝えられているが、ふたりの子どもはサウジアラビアに残っている。人質だと言う人もいる。

マクロンは2006年から09年まで社会党に所属、その間、08年にロスチャイルド系投資銀行へ入り、200万ユーロという報酬を得ていたといわれている人物。つまり、ロスチャイルドの使用人。粛清を主導したと見られているモハメド・ビン・サルマン皇太子とも親しいと言われている。

今年9月にビン・サルマン皇太子はイスラエルを秘密裏に訪問していることから、今回の粛清はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権と連携してのことだった可能性がある。また、粛清の直前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを秘密裏に訪れていることも注目されている。

ところで、サード・ハリリの父親、ラフィク・ハリリは2005年2月に殺されている。この殺害事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、ヒズボラに所属するという4名が起訴されている。

この事件では早い段階から「シリア黒幕説」が流された。2005年10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出しているのだが、証拠は示されていない。メーリスはアメリカやイスラエルの「情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」とは考えなかったようだ。

メーリスの報告書では犯人像が明確にされていないうえ、暗殺に使われた三菱自動車製の白いバンは2004年に相模原で盗まれたのだが、そこからベイルートまで運ばれた経緯が調べられていないなど「欠陥」が当初から指摘されていた。

また、アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオがアルジャジーラで放送されたが、このビデオをメーリスは無視。また、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクなる人物は、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたとしているのだが、​ドイツのシュピーゲル誌​は、サイド・サディクが有罪判決を受けた詐欺師だと指摘する。

しかも、この人物を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサド。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたようだ。

もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。

メーリスの報告書が出された後、シリアやレバノンの軍幹部が容疑者扱いされるようになり、レバノン軍将官ら4人の身柄が拘束されたのだが、シュピーゲルの報道後、報告書の信頼度は大きく低下、シリアやレバノンを不安定化させたい勢力の意向に沿って作成されたと疑う人が増えた。2005年12月になるとメーリスは辞任せざるをえない状況に追い込まれ、翌月に辞めている。後に特別法廷は証拠不十分だとして4人の釈放を命じ、その代わりにヒズボラのメンバーが起訴されたわけである。

STLは2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではなく、サウジアラビア、アメリカ、フランス、イギリス、レバノンが年間85億円程度だという運営資金を出していた。

この法廷が設置される前年、2006年7月から8月にかけてイスラエルはレバノンに軍事侵攻、ヒズボラと戦っている。その際、イスラエル海軍のコルベット艦がヒズボラの対艦ミサイルで損傷を受けたるなど予想外に苦戦した。イスラエルが単独で攻め込むことは難しい状況になったのだ。

一方でハリリ・グループは「未来運動」なる活動を開始、武装部隊(テロ部隊)を編成した。その部隊を財政的に支援してきたのがデイビッド・ウェルチ米国務省次官補を黒幕とする「ウェルチ・クラブ」なるプロジェクトだと言われている。

​WikiLeaksが公表した外交文書​によると、ロンドンを拠点とする反アサド派を2000年代の半ばからアメリカ政府は資金面などで支援、亡命シリア人のネットワークの「正義発展運動」も生み出した。

2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載された調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が​シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作​を開始している。

また、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語ったことは、2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が明らかにしている。(​3月​、​10月​)

2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから数週間後、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画をたてていたともクラークは語っている。

シリアの体制転覆は遅くとも1991年の段階でネオコンのスケジュールに入っていた。そうした状況の中、ラフィク・ハリリは暗殺された。アメリカはその責任をシリア政府になすりつけてアサド体制を倒そうとしたが、まだ倒されていない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712160000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/751.html#c48

[中国12] 中国の20〜40代が行きたい国、日本が首位に=中国ネットからは「正直、意外だ」の声も 赤かぶ
1. 中川隆[-5653] koaQ7Jey 2017年12月16日 09:48:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

支那人に征服される呑気な日本


支那人に狙われた北海道

Chinese woman 1Chinese 11

(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)

  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

Chinese tourists 1Chinese 7

(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)

  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

Chinese & cherry trees

(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)

  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。

チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)

  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)

  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)

  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)

  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)

  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)

  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)

支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)

  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

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(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)

  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)

  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)

  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)

  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)

  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)

  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)

  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/406.html#c1

[政治・選挙・NHK237] 天皇陛下の安倍首相に対する「御恨み骨髄」は本当だった  天木直人  赤かぶ
14. 中川隆[-5652] koaQ7Jey 2017年12月16日 10:00:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
チョンの天皇は日本人の敵


有識者として選ばれたある保守系有名言論人は「天皇は祈るだけで、何もしなくて良い」と発言し、天皇は激怒したとも言われている。

「自分の生き方を全否定する内容」に強い不満を感じたと、宮内庁関係者を通じて表明している。

現天皇は昭和天皇の後を受け継ぎ、象徴天皇として公務に全身全霊を捧げてきたという自負を持っている。


だが時として天皇自身の強い思いが空回りしたり、国の利害と食い違う事もあり、「平成」の約30年間を通じて矛盾が拡大した。

天皇が終戦の日や新年や、折に触れて表明する「おことば」は、度々日本政府の立場を潰してきた。

最近の例では平成27年8月14日の戦後70年談話、いわゆる『安倍談話』と翌日に天皇が表明した「おことば」の矛盾が挙げられる。

謝罪は公務ではない

平成27年8月14日の安倍談話では「村山談話」「河野談話」のような中国や韓国への直接の謝罪や、侵略戦争で日本批判の文言を盛り込まなかった。

「植民地支配から永遠に決別」「すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」「繰り返し痛切な反省と心からのおわび」などの言葉はあった。


戦後60年の「村山談話」は文章の大半が日本の侵略非難と、中国韓国への謝罪だったので、大きく転換したと言える。

もっとも村山談話より前の時代は、「戦後XX年」は戦争で被害に遭った「日本人を追悼する」日だったので、元に戻ってはいない。

村山総理は戦争被害に遭った日本人には一言も触れずに、ひたすら日本人を罵倒し、批判する談話を読み上げていました。


こういう経緯があって安倍談話が発表された翌日、平成27年8月15日に日本武道館における全国戦没者追悼式で、天皇の「おことば」が発表された。

「さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」という一節が含まれていました。

言葉は丁寧だが「日本が戦争を起こしたのを反省しなさい」「日本さえ存在しなければ戦争は起きなかった」という村山首相談話と同じような事です。


いつもこうであり日本の政治家や首相、要人が過去を反省する必要はないと言った後で、天皇が「いや日本人は永遠に謝罪しなさい」と否定してしまう。

終戦の日のたびにこうしたパターンが繰り返され、日本人は天皇によって恥をかかされるのが、毎年恒例になっている。

いくら真実を明らかにしても、翌日には天皇が「日本人は反省しなさい」などと言うので全てが水泡に帰してしまう。


昭和天皇は慎重に言葉を選んだが、現天皇は口が軽い
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引用:http://gazou.gundari.info/images-2ch-201401/20140702003201.jpg

日本国民を踏みつける天皇の「おことば」

「南京事件」は中華民国軍(台湾軍)が起こした事件であり、日本軍は南京市民を救済したのだが、「天皇は罪を認めて謝罪しているじゃないか」と反論されてしまう。

従軍慰安婦も親が金目当てで売り飛ばしたのだが、これも「天皇が戦争犯罪を認めて毎年謝罪している」のが動かぬ証拠にされてしまう。

現天皇の「おことば」は日本国民に迷惑でしょうがないので、少し黙っていて欲しい。

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/220.html#c14

[政治・選挙・NHK237] 天皇陛下の安倍首相に対する「御恨み骨髄」は本当だった  天木直人  赤かぶ
15. 中川隆[-5651] koaQ7Jey 2017年12月16日 10:19:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>14 で一部間違いを訂正しておくと

>南京事件」は中華民国軍(台湾軍)が起こした事件であり、日本軍は南京市民を救済したのだが、「天皇は罪を認めて謝罪しているじゃないか」と反論されてしまう。

>従軍慰安婦も親が金目当てで売り飛ばしたのだが、これも「天皇が戦争犯罪を認めて毎年謝罪している」のが動かぬ証拠にされてしまう。


南京事件も従軍慰安婦強制連行も事実だけど、昭和天皇の命令でやったものだから
責任はすべて天皇一族にある

天皇命令に逆らったら殺されるからね


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/220.html#c15

[政治・選挙・NHK237] 「政策に賛同してもらえるかどうかだ」と枝野幸男!   赤かぶ
4. 中川隆[-5650] koaQ7Jey 2017年12月16日 10:37:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
小沢、枝野は中国のスパイだろ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/245.html#c4
[政治・選挙・NHK237] 「政策に賛同してもらえるかどうかだ」と枝野幸男!   赤かぶ
5. 中川隆[-5649] koaQ7Jey 2017年12月16日 10:38:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
支那人に征服される呑気な日本


支那人に狙われた北海道

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(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)

  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

Chinese tourists 1Chinese 7


(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)

  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

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(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)

  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。

チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)

  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)

  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)

  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)

  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)

  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)

  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)

支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)

  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

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(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)

  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)

  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)

  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)

  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)

  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)

  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)

  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/245.html#c5

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
108. 中川隆[-5648] koaQ7Jey 2017年12月16日 10:42:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

支那人に狙われた北海道

(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html

  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。

2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。

支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。

例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。

さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。

宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。

この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c108

[政治・選挙・NHK237] 自民党支持者にも高まらない改憲機運/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5647] koaQ7Jey 2017年12月16日 11:30:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
アメリカが改憲に反対してるからだろ:

1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。
米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。


安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/252.html#c1

[政治・選挙・NHK237] 自民党支持者にも高まらない改憲機運/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
3. 中川隆[-5646] koaQ7Jey 2017年12月16日 11:56:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>2
アメリカは一枚板ではないというだけ

日本がアメリカを攻撃できる兵器は絶対に売らないし持たせない

改憲しようとすると日本の官僚やマスコミに安部批判させる
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/252.html#c3

[政治・選挙・NHK237] 自民党支持者にも高まらない改憲機運/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
4. 中川隆[-5645] koaQ7Jey 2017年12月16日 11:59:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
日本は攻撃用兵器を保有できるか? 巡航ミサイル導入議論


防衛だけしていても「防衛」はできないという矛盾を自衛隊は抱えている


日本がトマホーク導入希望

一部報道によると北朝鮮情勢が厳しくなる中で、日本政府が巡航ミサイル導入を希望しているとされている。

米国製「トマホーク」導入を想定し、来年度予算に調査費計上を予定していると、政府関係者が語ったという。

自民党は4月30日、北朝鮮の弾道ミサイルなどを想定し、敵基地攻撃能力の保有を政府に提言していました。


過去には日米防衛協力のための指針、日米ガイドラインで日本は敵基地を含めるよう要請したが、米側が拒否してきた。

この議論は日本国内で何度か盛り上がった事があったが、アメリカの反対などで毎回断念してきた。

アメリカは何度か日本に戦争への参加や攻撃能力取得を求めたが、日本側が要望したときには拒否してきた。


古くは1950年の朝鮮戦争時、非武装だった日本に「日本軍再結成」と朝鮮出兵を求めてきて、日本側は拒否した。

ベトナム戦争の時も協力要請があったが、やはり日本側は直接の協力を拒否し、湾岸戦争でも出兵を拒否した。

それでいて日本がF2戦闘機やF22戦闘機取得で攻撃能力を得ようとすると、アメリカは毎回拒絶してきた。


1993年に北朝鮮が核開発と弾道ミサイル開発を本格化させたとき、米クリントン政権は北朝鮮攻撃を決め、日本に協力要請してきた。

日本側はまた協力を拒絶した一方で、日本が戦闘機に攻撃能力を持たせる件を、アメリカ側が拒絶してきた。

こうした両国の食い違いによって北朝鮮は野放しになり、日本は攻撃用兵器を取得できずにいる。


日米安保の機能不全

日本が戦闘機などに敵基地攻撃能力を持たせようとすると、アメリカは必ず「極右政権」や「侵略戦争を肯定している」のような批判を浴びせた。

つまりアメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などで自分が負けそうに成ると「おい日本、敵を攻撃しろ」と言ってくるが、攻撃用の兵器を持とうとすると反対している。

2013年頃にも自衛隊が独自開発する短距離弾道ミサイルを配備するという話があったが、その後情報はなく立ち消えになったかも知れない。


今回の巡航ミサイル導入も、トマホークはアメリカ製兵器であり、アメリカが許可しなければ導入できない。

一連の出来事で分かるのは、アメリカ政府は日本が攻撃用兵器を保有する事を、過去ずっと拒絶してきたという事です。

敵基地を攻撃できるという事はハワイやグアム、アメリカをも攻撃できるという事で、アメリカ軍にとって脅威となる。


生かさずころさずという言葉があるが、アメリカは日本が「過剰な軍事力」を持たないように、日米安保という枠に嵌めている。

日米安保が有る限り日本は守られるが、その一方で日本が攻撃兵器を持つことは許さない。

日本が他国を攻撃できなくすることで、アメリカは日本の軍事的主導権を握り、何でも要求を飲ませる事ができます。


早い話、日本が核ミサイルを保有してしまえば、アメリカが貿易赤字で騒いでも、日本政府は「だからなに?」と突っぱねるでしょう。

現実の日本はアメリカに安全保障を依存しているので、アメリカの要求を拒否することはできません。

アメリカの機嫌を伺っているのだが、攻撃用兵器を保有しないことで、ますます日本のアメリカへの発言力は低下している。
http://www.thutmosev.com/archives/70798368.html


不思議なことだがアメリカは何度も日本に再軍備を迫ったくせに、日本が独自に再軍備しようとすると反対している。

中曽根首相が「ハリネズミ防衛論」を主張したときや、小泉首相から安倍首相のときは「軍国主義の右翼」と批判している。

アメリカに都合のいい時だけ再軍備を迫ってくるが、それでは日本が再軍備しようと言い出すと、それは軍国主義だと言うのでした。


こうして今も日本は攻撃兵器を保有しない「非武装国家」のままであり、安全保障を米国に依存していて、逆らうことは出来ません。

2014年にオバマ大統領が訪日したとき、安倍首相は土下座でもしかねない勢いで「親米ぶり」をアピールし、「米国は尖閣諸島を守る」という発言をやっと引き出しました。

アメリカの飼い犬と言われながらそうせざるを得ないのも、日本は中国に反撃できる兵器を保有していないからです。


経済政策でも金利変更でも、税金政策でもアメリカの承認が必要なのは、誰もが知っていて口にしない事実です。

これらを考えると今回の日米経済対話でも、日本はアメリカの言いなりに成らざるを得ないのであり、最初から選択肢がありません。

アメリカの要求を呑むか、それとも中国の領土になるかを選べるだけで、冷戦時代のソ連と中国が入れ替わっただけです。


独立国にとって軍事力や防衛力がいかに重要か、「アメリカに守ってもらう」という事は、アメリカの命令に絶対服従しなくてはならない。

軍隊を持たないことは自由な経済政策ができず、外交交渉で不利になるので、結局経済的に不利になり、利点は何も無い。

日本人がここに気づくまで、日本は外交交渉や経済戦争で負け続けるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/70542300.html

阿修羅の安部批判も電通工作員がやってんだよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/252.html#c4

[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
67. 中川隆[-5644] koaQ7Jey 2017年12月16日 12:42:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

絶滅寸前の日本人と日本文化
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c67
[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
1. 中川隆[-5643] koaQ7Jey 2017年12月16日 12:45:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2013年5月3日「恥の文化」の力
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


このところ特に強く感じるんですが、最近の日本人って、ホントに自信を失ってますよね。といっても、周りの大学生などと話していると、若い世代はそれほどでもないように思うのですが、50代後半〜60代ぐらいの人たちは、なんか日本は経済も文化も根本的にダメダメみたいな感情をもっているように思います。

だから、「バスに乗り遅れるな」とか「世界の孤児になってもいいのか」「これからは英語、英語、留学、留学、トーフル、トーフル」「アジアに打って出るしかない」みたいな強迫的ともいえるグローバル化衝動が生じるのかなあなどと日々感じております。

こういう日本人の自信のなさの背景には、一つは、日本の道徳に対する不信感があるようです。

たとえば、「日本人は同調主義的だ」「自律性や主体性がない」「権威に弱い」「周りの他者や世間の目ばかり気にする」ということがよく言われます。

なんでこんなイメージが広まったかといえば、一つの理由として、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが書いて終戦後、日本でベストセラーになった『菊と刀』の議論があると思います。

この本の中で、ベネディクトは、日本は「恥の文化」だといって、日本の一般的な道徳観をかなり悪く言っています。

ベネディクトの説明によると、「恥の文化」とは、「ものの良し悪しを判断する際に、他者の目や世間の評判のみを基準とする外面的な道徳が支配的な文化だ」というんですね。

要するに、周りに他者や権威者の目がなければ、日本人は悪いことしますよ〜というわけです。

逆に、ベネディクトは自分とこのアメリカの道徳は「罪の文化」であり、自律的だといっています。たとえば、「罪の文化」は、「道徳の絶対標準を説き、良心の啓発を頼みとする」と書いています。

つまり、アメリカ人は、「良心を重視するので、誰もみていなくても悪いことしませんよ、自律的ですよ」というんですね。

こういう「恥の文化=他律的、外面的」、「罪の文化=自律的、内面的」という図式を『菊と刀』で展開して、日本の道徳を否定的にみるわけです。

『菊と刀』は、終戦直後の日本でよく読まれました。戦争でみんな自信を失っていたんでしょうね。日本人は真面目だから、戦争で負けたのは、自分たちに何か欠陥があったからに違いない。アメリカ人の言うことをよく聞いて反省しなければならない、と考えたのだと思います。

それで、「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で同調主義的だ」というイメージを受け入れてしまったんだと推測します。

でも、このイメージ、正しくないですよね。
たとえば、日本は、米国に比べれば、はるかに治安が良く、犯罪も少ないと思います。
電車に財布を置き忘れても無事に届けられる確率は、日本は世界で最も高い部類に入るでしょう。
人に見られてなければ悪事を犯すなんてことは、大部分の日本人には思いもよらぬことです。
権威に弱いというのも、間違いだと思います。日本ほど、政治家の悪口をいう国民はそうそういないように思います。私も例にもれませんが(^_^)

つまり、ベネディクトは、日本の道徳をひどく矮小化し、間違って理解していたと思います。現代の日本人も、残念ながらベネディクトの理解に影響されてしまっているところ多々があるようです。

ベネディクトの「恥の文化」の理解のおかしさについて、いくつも指摘したいことがあるのですが、今回は、上の新聞記事でも書いた一点だけ触れたいと思います。

「恥の文化」で敏感に感じとるべき他者の視点として、同時代の他者や世間だけではなく、死者の視点、つまり過去の世代の人々の視点もあるということをベネディクトは見逃していたということです。

現代の日本人も忘れがちかもしれませんが、日本の伝統では、死者の視点を常に身近に感じ、死者に思いを馳せることに、とても価値が置かれていました。
(なんか五月の連休ではなく、お彼岸に書いたほうがいいような内容ですね…。スミマセン…)
f(^^;) フタタビポリポリ

私はすごく好きな文章でよくとりあげるのですが、民俗学の祖・柳田国男は、この点についてとても美しく書いています。

「私がこの本のなかで力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである」(『先祖の話』)

「日本を囲繞したさまざまな民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形をもって、おおよそは行きわたっている。

ひとりこういうなかにおいてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念しているものと考えだしたことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りもなくなつかしいことである。

それが誤りたる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人が決めてよい。我々の証明したいのは過去の事実、許多の歳月にわたって我々の祖先がしかく信じ、さらにまた次々に来る者に同じ信仰をもたせようとしていたということである」(「魂の行くえ」)。

つまり、柳田国男によると、日本の多くの人々は、人が死んだら故郷の山のあたりに魂は昇って行って、そこから子孫の生活をずっと見守っているというのですね。そしてお盆になると降りてきて、子孫や近所の人たちと一緒に過ごして、お盆が終わるとまた戻っていく。そういうふうに考えられてきたというわけです。

私は、この考え、すごく好きです。私も死んだら、近くの山の頂上あたりにふわふわと漂って、後の世代の人々の生活をぼーっと見ていたいなあ、なんて思います。
柳田国男が「…限りもなくなつかしいことである」といった気持ちがわかるような気がします。
(^-^ )

少し話がズレました…。
(-_-;)

柳田国男がここで述べているのは、日本人の道徳は、死者、つまり過去の世代の人々に思いを寄せ、彼らの意を汲むことを重んじてきたことだと解釈できます。

つまり「恥の文化」は、同時代の他者や世間のみではなく、今は声をあげることのない過去のさまざまな人々の思いを感受し汲みとってはじめて完成するということです。

同時代の他者の観点やその総体としての世間の観点だけでなく、過去に生きたさまざまな人々の視点やその集合体としての祖霊に思いを馳せる。
それを通じて、いわば横軸(同時代)だけでなく、縦軸(伝統)の視点を身につけ、時間のつながりのなかで自分の位置を反省し、遠い将来まで見据えたうえで自分がいま何をなすべきかを立体的かつ複眼的に考えられるようになる。

本来の「恥の文化」とは、とても奥深く、そこまで求めたものだと思います。

そこをベネディクトは見抜けなかったし、現代のわれわれ日本人も、忘れがちのような気がします。

現代では、死者とのつながりが忘れられ、縦軸が疎かになっているので、(私もえらそうなことはまったく言えませんが)ふらふらと周囲の目ばかり気になり、自分を見失い、何をなすべきか定まらない人が増えているように思います。

靖国の問題だけではないですが、現代の日本人にとって困ったことの一つは、戦前と戦後で意識の分断が生じやすくされてしまったことですよね。

それが、日本人が本来の力を発揮するのを難しくしているのではないかと思います。

逆に言えば、日本にもう少しおとなしくしていてもらいたい国々は、何かにつけてそこに付け込もうとするんですよね。

戦前と戦後の意識の分断をどう修復すれば一番いいのか私にはわからないところも多いのですが、一つ言えると思うのは、戦前の人々も、現代の我々も、根本ではあまり変わっていないと認識することなんじゃないでしょうか。国民性って、そう簡単に変わるものではありませんので。そしてもっと身近に過去の世代の人たちに思いを馳せることではないかと思います。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/03/se-12/


続・「恥の文化」の力


前回のメルマガのあと、周囲の学生から、

「日本の道徳は、「世間様」だけじゃなくて、「お天道様」も重視しますよね。この二つって、どういう関係なんですか?」

と尋ねられました。

また、メルマガのHPやフェイスブックのコメントにも、「お天道様」関係に触れたものをいくつかいただきました。

私も、日本の道徳は、「世間様」だけでは終わらず、「お天道様」の目を意識するようになるのが本来の姿だと思います。単なる世間様倫理だけではないですよね。

ですが、前回書きましたように、ベネディクトの議論などの影響を受けて、

「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で主体性がなく同調主義的だ!」

というイメージがいまでも結構、根強いみたいです。
(´_`;)トホホ

少々前の本ですが、一昔前のいわゆる「進歩的文化人」っぽい政治学者の本を読んでいたら、こういう趣旨のことが書いてありました。

「日本人が水戸黄門のドラマが好きなのは、日本人が、オカミに弱いからだ。権威に従属したり、権威にすべてを委ねてしまったりするのが好きなのだ」。

この進歩的文化人氏以外にも、『水戸黄門』についてこういうふうに語っている人、いまでもときどきいるように思います。大手新聞の社説とかにも、この手の観点から日本人をくさして、「だから日本人は新しい規範意識を身につけ、主体性をもった市民に生まれ変わるべきだ」みたいなの、結構ありそうです。

でも、日本の道徳に対するこういう見方って、一面的過ぎですよね。

確かに、日本人は、ふだんは他者との調和を好む人が多いと思いますが、時と場合によっては、その時代の大多数の人々の見方である「世間様」の見解に逆らっても、自分の信じる道を貫こうとする人もたくさんいますよね。

「世間が分かってくれなくても、己を貫き、歯を食いしばってがんばっていこう」。

そういう強さをしっかり持っている日本人も、決して少なくないと思います。

「世間様」だけではなく、「お天道様」を意識するようになるとはどういうことなのか、少し考えてみたいと思います。

確かに、日本人が、「人目を気にする」ことは多いようです。
発達心理学の本などをみると、子供のしつけの際に「他者が自分のことをどう見ているかを意識させることが多い」というのは、日本の子育ての一つの特徴のようです。

これは別にへんなことでもなんでもなく、他者の目から自分をみることを覚えさせようとしているのだと思います。他者の目を意識して、他者の観点から自分を振り返る。そして悪いところがあれば改めることを学ばせる。そういうことなのでしょう。

子供は、だいたい最初は、母の目を意識することを覚えます。次に父親、兄弟姉妹、友達、先生、先輩後輩、近所の人…という具合に、だんだんと意識する対象が広がっていきます。そして、いろいろな人のもの見方を、当人なりに整理して作り上げたのが、「他者の一般的な見方」である「世間の見方」といえるでしょう。

子供は、成長のある段階で「世間の見方」を身につけます。そして世間一般の観点から自分を見つめることができるようになります。たぶん思春期ぐらいでしょうか。

でも、そこで成長が止まり、世間のものの見方を絶対視してしまって、それに従属するというわけではないですよね。ほとんどの子は、世間のものの見方を身につけたからといって、世間の見方が絶対に正しいなどと考えたりはしないでしょう。

当然のことですが、世間が間違うこともあるってことが、だんだんわかってくるからです。世間が、自分のことを全部知っていてくれているということはまずないわけですから。

「自分は○○だけど、周囲はそうはみてくれない」とか、「世間は自分の学校のことを△△のようにいうけど、実はそんなんじゃない」ということを皆、経験するでしょう。それによって、「世間は間違うこともある」ということがわかってきます。
それで、世間の見方や期待に沿って生きていくだけでは満足できなくなるんですね。


たとえば、石川啄木のこの短歌、そのあたりの気持ちを詠んでいると思います。


へつらいを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

たぶん、啄木がある程度、売れてからだと思うのですが、おべっかを使う人が周りに集まってくる。でも、自分は、自分のことをよく知っているから、お世辞を聞いても素直に喜べない。そればかりか、自分自身の至らなさに逆に腹が立ってくる。そんな気持ちを詠んだ歌だと思います。(勝手な解釈です。違うかもしれません。スミマセン…)

世間の見方に満足できなくなると、人は、次のように感じると思います。


「世間は自分や自分を取り巻く事情をよく知らないようだが、よく知っているとすれば、どう判断するのだろうか」。

そして、多くの人は、現実の世間そのものではなく、こちらの問いかけ、つまり「世間が自分や自分を取り巻く事情をよく理解しているとすれば、どう判断するのだろうか」ということを基準にして生活するようになると思います。


この「事情をよく理解している世間」というのがいわゆる「お天道様」だといえるでしょう。(または、「ご先祖様」とか、前回触れた「祖霊」とか、あるいは「神様」でもいいと思います)。

こういう感じで、結構多くの日本人が、「世間は必ずしもわかってくれないかもしれないけれど、お天道様には恥ずかしくない生き方をしよう」というふうになっていくのだと思います。

ベネディクトは、「恥の文化」を「世間様」レベルで止まるかのように誤解してしまったようですが、そうではないんですね。日本の道徳は、そこで止まるものではなくて、「お天道様」レベルまで進んでいくと捉えるほうが自然だと思います。

そして大多数の日本人は、「世間様」レベルの道徳では満足せずに、自分の子供には「お天道様」レベルの道徳意識を身につけてほしいと願ってきたはずです。日本の道徳は、世間様倫理ではなく、「お天道様」の目を意識するように求めるものだといっていいと思います。

そう考えると、さきほどの某進歩的文化人氏の「日本人が水戸黄門好きなのは、オカミや権威に弱い日本人の性格をよく表している」というのは、いかにもアサハカ、あるいはイジワルな見方だなあと思います。

むしろ『水戸黄門』は、不当な権威や権力にこびない、己の倫理観に従った自律的な生き方を賛美し推奨する物語であると理解するほうが、自然ではないかと思います。

たとえば、『水戸黄門』のドラマでは、次のような設定がよくありますよね。

ある町では、悪代官が、強欲な商人と結託している。そして、その町で、頑固だが真っ当に生きている職人に辛い仕打ちを行っている。職人は、どうにか持ちこたえ、慎ましくも己の信念に従って生活している。

だが、職人があまりにひどい悪代官と強欲商人の仕打ちに負けそうになったとき、水戸黄門の一行がやってくる。黄門様一行は、職人の窮状をよく知るようになり大いに同情し、悪代官と強欲商人の不正をただすために立ち上がり、彼らに正当な裁きを加える。

以上のようなものです。

このようなおなじみの設定では、悪代官や強欲商人は、偏狭な世間やそこでの権威の象徴だと解することが適切でしょう。水戸黄門の一行は、実はすべてをお見通しの「お天道様」の象徴だと理解できると思います。

したがって『水戸黄門』の物語が与えるメッセージは、権威への従属とか、世間への同調とかではぜんぜんなくて、むしろ次のようなものだと思います。

「お天道様はきっとすべてを観ていてくださり、最終的には正直者こそ救われるはずだ。だから、たとえ現在、よこしまな権力者にいじめられていたとしても、あるいは世間に認められていないとしても、くじけずに己の倫理観を貫いて強く生きよ!」
m9(`・ω・´) キリッ

こういうメッセージに、多くの日本人は世代を超えて共感してきたんでしょう。それで『水戸黄門』は人気番組だったのだと思います。

『水戸黄門』を、日本人の権威に弱く主体性に欠けた同調主義的性格を表す物語だ!などと受け取る「進歩的文化人」系の人って、いまでもときどき目にしますが、日本へのまなざしが少し冷たすぎますよね。もっと共感的理解ができないものかと思ってしまいます。まあそれが商売なのかもしれませんが…。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/17/se-13/

 

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c1

[昼休み53] 北九州一家監禁殺人事件 中川隆
3. 中川隆[-5642] koaQ7Jey 2017年12月16日 12:54:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日の日本人への拷問 2016-01-18 17:25:43 | 日記

北九州監禁事件では


大便排泄を1日1回に限定し

全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです


かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします

【尼崎大量殺人】角田美代子4【コンク李ドラム缶死体】


角田美代子

これだけの凶悪事件を起こした重大犯罪人にしては、こいつの過去が一つも晒されていない。

犯人が日本人の場合は、親戚、何十年も前の同級生、会社関係、全てを晒して追及するハズ。

主犯格に韓国籍の李正則がいることから在日犯罪である事は間違いない。
報道機関、特にテレビメディアは印象操作や犯人隠避の罪で放送免許を剥奪するべき。

民事不介入を盾に見て見ぬ振りをしてきた警察もだらしないけど
所謂『被差別者』に対して強行な捜査をすると、人権派やマスコミがうるさいんだよね
こういう事件が発生するようなシステムが着々と作り上げられてきた


日本人なら微罪でも逮捕するのに、ZやBなら殺人などの重罪でも野放しって
なんかおかしくない?

この国は異常だと思う。


自分が住む部屋でよく殺すよなあ
その辺の神経がやっぱり日本人じゃないって感じ


一部報道では、女性親族が

「女の私からは言えないような猥褻な格好をさせられていた」

と言っていたな。


北九州監禁事件でも、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしいからな。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。


尼崎のコンクリート殺人で捕まってだいぶたってるのに主犯の情報がほとんどでてこない

いつもなら犯人の過去を喜んで暴くマスゴミに在日か同和団体から圧力がかかってるのだろう

もう法律で本当の国籍、本名で報道するようにしないといけないな


☆在日につかまったら若い娘は、舌をかんで自殺するしかないのですね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/96a6656d746c7425de9a2d31c0b09e19

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html#c3

[番外地6] メモ3 中川隆
2. 中川隆[-5641] koaQ7Jey 2017年12月16日 12:55:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日の日本人への拷問 2016-01-18 17:25:43 | 日記

北九州監禁事件では


大便排泄を1日1回に限定し

全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです


かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします

【尼崎大量殺人】角田美代子4【コンク李ドラム缶死体】


角田美代子

これだけの凶悪事件を起こした重大犯罪人にしては、こいつの過去が一つも晒されていない。

犯人が日本人の場合は、親戚、何十年も前の同級生、会社関係、全てを晒して追及するハズ。

主犯格に韓国籍の李正則がいることから在日犯罪である事は間違いない。
報道機関、特にテレビメディアは印象操作や犯人隠避の罪で放送免許を剥奪するべき。

民事不介入を盾に見て見ぬ振りをしてきた警察もだらしないけど
所謂『被差別者』に対して強行な捜査をすると、人権派やマスコミがうるさいんだよね
こういう事件が発生するようなシステムが着々と作り上げられてきた


日本人なら微罪でも逮捕するのに、ZやBなら殺人などの重罪でも野放しって
なんかおかしくない?

この国は異常だと思う。


自分が住む部屋でよく殺すよなあ
その辺の神経がやっぱり日本人じゃないって感じ


一部報道では、女性親族が

「女の私からは言えないような猥褻な格好をさせられていた」

と言っていたな。


北九州監禁事件でも、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしいからな。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。


尼崎のコンクリート殺人で捕まってだいぶたってるのに主犯の情報がほとんどでてこない

いつもなら犯人の過去を喜んで暴くマスゴミに在日か同和団体から圧力がかかってるのだろう

もう法律で本当の国籍、本名で報道するようにしないといけないな


☆在日につかまったら若い娘は、舌をかんで自殺するしかないのですね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/96a6656d746c7425de9a2d31c0b09e19

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html#c2

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
2. 中川隆[-5640] koaQ7Jey 2017年12月16日 13:03:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

神道とは

これが弥生人の神道
 
古代の日本人の霊魂観によると、人は肉体と霊魂からなり、また霊魂を「タマ(魂・玉)」と呼びました。生命の維持はタマの働きによって保たれ、死はタマの離脱することだと考えられていたのです。病気や怪我などはタマの一時的離脱であり、死はタマの永遠の離脱(脱出)を意味していました。つまり、「タマ(魂・玉)」は生命活力の根源とされてきたのです。

 「タマフリ(魂振り)」は、「タマ(魂・玉)」を振り動かして、その霊威を高める働きです(魂振・魂殖・魂触・魂降などは少しずつニュアンスが違いますが、生命エネルギーの活性化という意味では同じです)。神や人のタマを人の中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め結び付けること(「タマシズメ(魂鎮め)」)は、霊威が活き震うことの前提であり、「タマフリ(魂振り)」により人の生命力と活動力が強化されると考えられたのです。

 「タマフリ(魂振り)」いわゆる鎮魂(ミタマシズメ・ミタマフリ)は、禊祓(みそぎはらい)と並ぶ神道の重要な行法で、枯渇する人の魂を振り起こし、衰微する魂の生命力を再生する救霊の呪法です。そして鎮魂祭は、人の肉体から遊離しようとする「タマ(魂・玉)」をしっかりと中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め固定し(「タマシズメ(魂鎮め)」)、「タマフリ(魂振り)」をすることによって人の生命力と活動力を強化すると考えた古代信仰から生まれた神事(祭祀)なのです
http://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50045056.html

人里に近い山を「葉山」といい、亡者の霊がしばし山中に留まり、この世への執着を絶った後に祖霊となり、やがて里を訪れて子孫に福をもたらしてくれる、という葉山信仰が東北に多く、恐山もその一つだ、といいます。
http://www.kurikomanosato.jp/to-r07simokita.htm


「人が死ねば肉体は滅びても、その霊は祖霊として永遠不滅な一種の生命体となって蘇生復活し、高い山に上って住み、山上から麓の子孫を守ってくれる」と信じられていました。この我が国固有の信仰は、すでに「古事記」にも見られ、永年にわたって脈々と受け継がれてきたのです。

 古来、子孫の生活の中で最も重要なことは「稲作」であり、祖霊なる「ハヤマの神」は、春4月8日ごろ「田の神」とになって田に降りて、子孫の農耕を助け、秋の収穫が終わると、家族と新穀を共食し、10月8日ごろ再び山に帰って休むと信じられていました。

したがって、「ハヤマ」のある場所は、田の見える端の山でなければなりません。もっとも、祖霊の住まう山は「ハヤマ」の冠を持つとは限らず、山形県や秋田県の「モリノヤマ」などは、「ハヤマ」に相当する山です。
http://www.geocities.jp/hayama1462m/hayama-history.htm


これが縄文人の神道  

上の稲作云々の部分は弥生時代以降に変わった部分で本来の神道は:

アイヌの人々が考える宇宙は、この世とあの世とからなる。人間は死ぬとあの世へ旅立つが、そこではあの世での新しい生活がある。そこで一生を終えるのと、またこの世に戻ってくる。この世とあの世とは、同じ生活が営まれているが、季節や昼夜は反対である。

 霊魂 この行き来するものが霊魂であるが、この世にあるすべてのものに霊魂が宿っているとされている。

 アイヌにとってのカミ観念 そうした霊魂のうち、火や雷、地震、津波などの自然現象、クマやオオカミ、トリカブトなどの強い力を持った動植物など人間の意のままにならないもの、力を持ったもの、不思議もの、役に立つもの、あるいは恐ろしいものが、神として崇められ、畏れられた。神は崇められるだけではない。神として崇められた霊魂は、人間世界へなんらかの恩恵をもたらすことで、返礼する。


_____


東漢氏の遺産・「祓いの神道」


梅原猛は、その著「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)の中で、「祓いの神道」は初めて天武天皇によって開始されたが、それは東漢氏の遺産によるものだと言っている。詳しくは「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)を読んでほしいが、その要点のみここに紹介しておこう。梅原猛は、次のように述べている。すなわち、

『 平城遷都とともに、まさに、飛鳥の時代は完全に終焉を遂げるのである。後に、東漢氏の中にただ一氏、坂上氏が栄えたが、それは、武人・坂上田村麻呂を出現せしめたことによってである。東漢氏は、文化的指導力を失って、武人として生き残ったのである。(岩井國臣の注:梅原猛は丹波康頼に眼がいっていないのは残念である。阿知王の子孫は、坂上氏と丹波氏がずっと歴史を通じて文化的指導力を発揮したのである。丹波氏のこと、医心方のことを忘れてはならない。)』

『 こうして、飛鳥はと遠くなったが、私は、不比等、というより藤原氏は、東漢氏から実に重要なものを受け継いでいると思う。それは、「祓いの神道」である。われわれはふつう日本の神道というと、祓いのことを考えるが、祓いは、けっして昔から日本の神道の中心的行事ではなかった。』

『「大宝令」の施行とともに、この祓いの行事は、もっとも重要な国家の神事の一つになったのである。この定例の祓いの神事に、東漢氏は西漢氏とともに重要な役割を演じるのである。』

『 まず、東西の漢氏によって祓いが行われ、次に文武百官を集めて、中臣氏によって祓いが行われるのである。この東西漢氏の祓いと、中臣氏の祓いの言葉が、「延喜式」の祝詞(のりと)に残されているが、東西漢氏の祓詞(はらえごと)は漢語であり、中臣氏の祓詞(はらえごと)は和語である。東西漢氏の祓詞(はらえごと)次のようである。「謹請、皇天上帝、三極大君、日月星辰、八方諸神、司令司籍、左東王父、右西王母、五方五帝、四時四気、捧以禄人、請除、禍災捧以金刀、請延帝祚、呪曰、東至扶桑、西至虞淵、南至炎光、北至弱水、千城百闕、精治万歳、万歳万歳」』

『 これは、明らかに道教の神事であろう。東西漢氏は、これを漢語で読み、人形(ひとがた)を捧げて、天皇の身のけがれを除き、金刀を捧げて、天皇の齢(よわい)の長久を祈る訳である。祓いの儀式の一つの目的は、明らかに、天皇の長久を祈るためである。しかし、それに尽きないところに、祓いの神道の政治的性格がある。中臣の祓いは、文武百官を集めて行われるところに、その意味がある。親王以下文武百官を侍らせて、祓いがなされ、神の言葉が告げられる。皇孫が天降りましましてから多くの罪が出たが、この罪を、この六月の晦(つごもり)、あるいは十二月の晦(つごもり)を期して、水に流してやる。それゆえに、購(あがな)いを出せ。これを私は、国家による司法権の確認の神事であると思う。』

『 このように不比等は、東漢氏の伝える道教の儀式を、律令の精神によって改造して、「中臣の大祓の祝詞」なるものを作成し、そして、それに基づいた記紀神話を創造したと思われるが、この祓いに刑罰を含ませる事は、おそらく天武帝から学んだのであろう。』・・・と。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-db00.html

【天武天皇】

日本書紀の天武紀を見ますと、第四〇代天武天皇(在位六七三〜六八六年)の和風の諡は、「天淳中原瀛真人」(あまのぬなかはらおきのまひと)といいます。

「天淳中原」は沼の中の原ということで、天武天皇が水沼を開拓して飛鳥浄御原宮の都づくりをしたことに由来しています。

瀛州は東海に浮かぶ神山の一つです。八色の姓の最上位は真人であり、真人は仙人の上位階級になるので、天皇も道教の最高神に近い存在であることを示しています。

ここに天武天皇の宗教観に道教の要素がみられるのです。

「天皇は神にしませば」と詠まれるときの神は、神仙思想の神のことを指し、仙人の上位にいる存在であったのです。天武天皇は天文遁甲を重視していたことがわかります。この道教への関心は天武天皇だけではなく、母の斉明天皇に顕著にみえます。天武天皇の没後以後は、日本の道教と神道と分かちがたく融合し、独立には存在していないといいます。ただし、影響をどこまで大きく評価するかは見方が分かれるところです。(『日本の古代』6、鎌田元一稿、五三頁)。

天武天皇などの名称は漢風の諱で八世紀の後半ころにつけられました。この「真人」とは道教でいう勝れた道士とか覚者の呼称です。陶弘景は神・真人・仙人の三階級を説き、それぞれは七または三に分け、これらのランクに対応して天宮を説きます。最高の宮殿は玉清宮で、中央にあるのは元始天尊(虚皇道君)です。

また、真人とは現人神のことで、悟りを開いた神仙のことです。後漢になりますと天上世界の最高神となります。この「天皇大帝」は北極星を神格化したものです。紀元六世紀に老子の「元始天尊」が説かれますと、この新しい最高神である「元始天尊」に移行します。つまり、日本の天皇に道教の影響が伝わっていたということです。「天淳中原瀛真人」の「瀛」というのは司馬遷の『史記』始皇本紀に、仙人がすむ東方海中の三神山の一つです。三神山は蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)のことで、瀛州にすむ真人という諱が送られているのです。理由は風神を祭った竜田の風神の祭祀や、占星占台を作る道教の行事を行っていることに関係しているといいます。

天武四(六七五)年に始めて占星台が置かれます。『日本書紀』に天武天皇は「天文遁甲を能くす」とあり、これらの基盤に八門遁甲や天文占星を使いこなしていたことがわかります。天武天皇が式占に通じていたということは、式盤(ちょくばん)のような占具や占法を記した易書が輸入されていたことになります。式盤の現物は北朝鮮の平壌府の近郊にある漢代楽浪郡治の遺跡から発見されています。(村山修一著『日本陰陽道史話』四〇頁)。

また、天武天皇は伊勢の日神を天照大神としてあがめ、天武三年に大来皇女を伊勢に遣わして祭祀にあたらせています。一方では鎮護国家の経典として『金光明経』を重視していました。神道と仏教をその目的に向かって両立させていました。天武天皇と天照太神は強い結びつきがあります。

神道の振興は外来文化の浸透に対抗する、日本の民族意識を高揚させるためであったといいます。結論的には、天武天皇は日本古来の豪族の信仰を重視し、地方的な祭祀の一部を国家の祭祀に引き上げたのが天照太神といえます。しかし、各地豪族の祭祀をそのまま容認することではなく、天皇家が祖神とした天照大神の下位に、各地の神を位置づけ体系化することにありました。つまり、天皇権力の強化の指標でもあったのです。

この条件のもとに各地の神社・祭祀は保護されますが、引き換えに国家の管理に服すことを余儀なくされたのです。こういう情勢のなかに古代の国家神道が形成されました。天武天皇は伊勢神宮を日本の最高の神社とする道筋をつけたのです。天武天皇が天照太神を祭祀した由来は「壬申の乱」にあります。

『日本書紀』に「壬申の乱」のとき伊勢に入った大海人皇子は、途中の迹太川(朝明川)のほとりで伊勢神宮の方角に向かい天照大神を望拝したとあります。

古代の伊勢神宮は「私幣禁断の制」があり、皇族であっても私的な参拝や奉幣はできませんでした。天武天皇が陣中から望拜しただけではなく、戦勝祈願のため使者を神宮に使わしたとも言います。(萩原龍夫編『伊勢信仰』T、六二頁)。

天武天皇は式占と呼ぶ仙術に通じていたといいます。式は栻(チク)とも書き、楓子棗の心木で作り回転して吉凶を占う陰陽道の用具です。伊賀国を通過するとき黒雲が十余丈にわたって天になびいたのを見て、式占により天下が二つに分かれる兆候であること、そして、自分が勝利すると占ったといいます。楽浪の遺跡から式が二個発見されており、方円の二枚の小薄板で表面に黄粉を塗り朱線で輪郭を書いています。

円盤は径が九a、北斗七星を朱画し一二月神名・十干十二支を墨書し、方盤は一三、四a、墨で八卦・十干十二支・二十八宿を配列し、方盤の上に円盤を重ねて使用します。(金指正三著『星占い星祭り』五五頁)。この『日本書紀』の天照大神望拜の記事は、『安斗智徳日記』を基に書かれたといいます。安斗智徳は天武天皇に従って吉野を出発した舎人の一人です。

ここから天武天皇における天照太神と伊勢神宮の創立が始まります。

伊勢神宮は陰陽五行説を導入した当初の姿を今に伝える重要な宮といいます。

天武朝の思潮は星の信仰と五行の理の応用の二つに分けられ、星の信仰は主として仏教に吸収され、五行の理の応用は神社の祭祀に下降していったといいます。(吉野裕子著『陰陽五行思想からみた日本の祭』三六九頁)。

ただし、一説には天武天皇が望拜したのは天照太神ではなく、滝原の地で祭られていた伊勢大神であるともいいます。この解釈においては、天照大神の出現は伊勢大神からの移行ではなく新しい神の創出であるとし、伊勢大神を望拜したが伊勢大神を通して天照大神にであり、その神は名前も無くいわば原初の天照大神であるとします。そして、この根拠は仏教にあるとします。

欽明天皇の仏教受容いらい、傍観中立の立場をとってきた倭王家でしたが、始めて仏教受容に踏み切った舒明天皇の子として生まれ、出家した経歴をもっていたのが天武天皇でした。つまり、『金光明経』(正論品)の帝王神権説を基にして、天照大神を祖神とする神統譜がつくられたとします。

天照大神は三十三の諸天=神になぞらえられたのであり、その子孫である天孫・皇孫は天護によって天子となったとのべます。天皇=明神=現人神の思想的根拠となります。(田村圓澄著『伊勢神宮の成立』一一八頁)。

道教の天皇・地皇説と『金光明経』の正法治世説の両者が融合されたことになります。

「壬申の乱」が終わり天武元(六七二)年九月に飛鳥京に帰ります。まず嶋宮に着き数日後に岡本宮に移ります。岡本宮は斉明天皇の後飛鳥岡本宮です。そして、翌六七三年二月に即位します。近江朝廷に従った豪族が排除され、皇后の鵜野皇女(持統天皇)や草壁・大津皇子などの皇族を重用し、その下に豪族を位置づける皇親政治を行います。そして、味方となった美濃の尾張氏(熱田神社)、鴨氏(賀茂神社)、三輪氏(三輪神社)などに、功績により伊勢神宮・熱田神宮として国家から擁護され、三種の神器の賦与がこの二神宮におこなわれました。(西野儀一カ著『古代日本と伊勢神宮』二三一頁)。

即位後の一番初めの新嘗祭を大嘗祭といいます。天武天皇が最初(次の持統天皇とも)に始めます。新嘗祭は一一月下の卯・辰の二日間の行事で常設の神嘉殿を祭場としますが、大嘗祭は卯の日から午の日までの四日間行います。大嘗宮を臨時に増設して祭場とします。二日目の辰の日には中臣寿詞(よごと)の奏状や、忌部による神器の鏡剣献上という即位儀そのままの儀式があります。(『神道史大辞典』六二七頁)。

大嘗祭において天皇は新穀を神と共食したのち、神座に莚と薦を重ねてとじた褥(しとね)を巻いて作られた坂枕を寝具として、その床に籠もる儀礼を行います。この寝具を天孫瓊瓊杵尊が降臨するさいに覆われていた真床追衾に比定し、天皇がこれに籠もることによって、天孫の霊を獲得することができるとします。(折口信夫稿「大嘗祭の本義」『古代研究』民俗学篇)。

このような床に籠もる儀礼が特徴です。美園古墳(大阪府八尾市。古墳時代前期末から中期初頭)出土の家形埴輪は床を持つことから、新嘗祭を行う建物を表現しているといいます。豪族居館のハレの場の中心となる建物には床が設けられていたのです。(『日本の古代』5、辰巳和弘稿、三七六頁)。また、六七四年に斎宮制度の復活として、娘の大来皇女を伊勢神宮に送り、初代斎王として仕えさせます。四年二月一三日には娘の十市皇女と天智天皇の娘阿閉皇女(元明天皇)が伊勢神宮に参詣します。

天武天皇の没後の七〇一年(大宝元年八月三日)に大宝律令が施行されます。六八一年に天武天皇は律令制定を命ずる詔を発令し六八六年に没します。持統天皇の三(六八九)年六月に飛鳥浄御原令が制定されます。この令は律がなく国情に適さないものでした。

律令選定に携わったのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂などで、藤原不比等は天智天皇から藤原朝臣の姓を賜った藤原鎌足の子です。

文武天皇二(六九八)年に不比等の子孫のみが藤原姓を名のり、太政官の官職に就くことができました。不比等の従兄弟たちは中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当します。不比等は氏寺の山階寺を奈良に移し興福寺と改めます。

大宝律令において初めて日本の国号が定められたように、白村江の敗戦を契機に進められた大きな国家事業でした。これにより、天皇を中心として二官八省(太政官・神祇官の二官、中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省の八省)の官制を骨格にした中央集権統治体制が成立します。天皇は律令的な官僚機構に裏付けられた王権となったのです。

二官は国政を総括します。神祇官(カミツカサ・カムツカサ)の淵源は、推古・舒明朝ころの祭官である中臣氏が担当しています。中臣氏は従来の物部・忌部氏に代わって、宮廷祭祀を担当した新興氏族でした。中国の皇帝に対する日本の天皇の特徴は、祭祀に大きな役割がかかっていることです。そのような天皇像をつくりだしたのが、律令の立法者である藤原不比等(六五九〜七二〇年)にほかならないといいます。(『日本の古代』一四、佐藤宗諄稿、一二頁)。

伊勢神宮の式年遷宮開始年については、天武天皇一四(六八六)年、持統天皇二(六八八)年などがありますが、持統天皇四(六九〇)年に第一回が行われたとされます。注目すべきは同三(六八九)年正月に吉野に行幸を始めたことです。

方位のうえで内宮は熱田神宮と吉野宮までの距離が同じです。外宮は断夫山古墳と吉野宮までの距離も同じです。伊勢神宮の内外宮ともに吉野宮とつながる方位なのです。「高天原広野姫天皇」の諡号は、高天原の女神である天照太神になぞらえたことです。天武天皇一四年一月二一日に冠位制定がなされ、二月四日に大唐人・百済人・高麗人の併せて一四七人に官位を与えています。藤原京造営に関わるものとされますが、伊勢神宮の遷宮にも関わっていたといいます。

百済王氏への位階授与と賜姓は百済系渡来人に結束をもたらし、大仏造立にあたり藤原仲麻呂と関与していきます。(大坪秀敏著『百済王氏と古代日本』一三三頁)。持統五(六九一)年に呪禁博士木素丁武・沙宅万首に銀二十両を賜っています。翌六(六九二)年二月、伊勢行幸に先だって、陰陽博士沙門法蔵・道基に銀二〇両を賜っています。

これは、行幸の安全や神宮祭祀など、政策における褒美といわれます。先には、天武天皇三(六七四)年八月三日に、石上神宮に忍壁皇子を遣わして神宝を磨かせています。同四(六七五)年四月一〇日には、竜田の風神を祀るために美濃王を、広瀬の大忌神を祀るために間人大蓋を遣わしています。両神を祀るために勅使が遣わされる初めとされます。この年一月二三日に諸々の社を祭ったのを、祈年祭の始まりとみる説もあります。同一三(六八五)年の二月に広瀬王を畿内に遣わします。このとき陰陽師が同伴し四神相応の要件を相地しています。

占筮相地の判断は『周易』『新撰陰陽書』『黄帝金匱』『五行大義』『大唐陰陽書』によります。天武天皇の強権により、道教が日本土着宗教との合体により図られたといいます。持統朝には斎王の派遣はありませんが、同六(六九二)年三月に伊勢に行幸します。その後の天皇は行幸をしていません。ここに、伊勢神宮の謎といわれる一面が指摘されています。(関裕二著『伊勢神宮の暗号』九六頁)。

明治から敗戦までの国家神道全盛時には、道教が海を渡って神道になったとか、天皇が立てた多武峰の両槻宮は道観と同じというと、学会から非難されたといいます。

いずれにしても七世紀の伊勢神宮にその変化の秘密が隠されていました。

天武天皇の玄孫になる称徳天皇の崩御により、皇統は天武系から天智天皇の孫である光仁天皇に移ります。これにより天武天皇の血筋は皇統から絶えますが、舎人親王の子孫が清原真人の姓を賜り清原氏の祖となり、高市皇子の子孫が高階真人の姓を賜り高階氏の祖となっています。ともに、後世になっても「真人」を名のっています。

そして、天武・持統陵が藤原京の真南(丙午)に造ったのは、蘇りの地を意味していました。持統天皇は子供の草壁皇子と敵対した大津皇子を刑死させ二上山に葬りました。二上山は藤原京からは庚の方角で、「金=刑死」を意味した所です。『万葉集』に飛鳥の神奈備や神岳をよんだ歌が二〇首あまり収められています。

そのなかに、天武天皇の死にさいしての持統天皇の歌があります。この神岳は通説では雷岳(いかずちのおか)でしたが、橘寺の背後に「ミハ山」という小字名があることから、この山を神奈備・神岳にあてることができます。

ミハとはミワともいえます。ミハ山の麓一帯は橘と呼ばれた地域で、橘は神仙の常世にある「非時の香菓」(ときじゃくのかぐのみ)のことです。つまり、ミハ山はこの神仙の山なのです。(『日本の古代』9、千田稔稿、一三四頁)。

また、天武天皇は「壬申の乱」のとき迹太川畔で天照太神に加護を祈っています。古来、伊勢大神は倭王によって日の神として、伊勢の滝原に祀られていました。

また、伊勢神祀の原初形が蛇神(竜蛇神)を祀るものであったといいます。クサナギのナギは蛇の古語を意味しており、クサナギの剣は猛蛇剣といえる霊異をもつ剣の通称で、スサノオのヤマタノオロチ退治の神話がクサナギ剣を通してヤマトタケルにつながるとき、伊勢を舞台に同じような大蛇退治と霊剣発見の英雄譚が語られたといいます。(本位田菊士著『伊勢神宮と古代日本』三四頁)。

即位した天武天皇は律令国家の樹立をめざし、伊勢大神を皇祖神天照大神として祀り、伊勢神宮を国家の総廟、日本統治の根幹としました。そして、天皇は天照大神の聖性を継承した明神、現人神としたのです。

また、即位のときに大来皇女を斉内親王として泊瀬で潔斎させ迫瀬斎宮に送ります。これにより、斉内親王による伊勢奉斉を再興しました。同時に護国の経典である『金光明経』と『仁王経』を寺院で読誦させます。

さらに、その皇統を確立するために『古事記』の編纂を命じ、養老四(七二〇)年には諸氏族の伝承も納めた『日本書紀』がまとめられます。

皇大神宮の創始に関する伝承は、こうした天武天皇の意図に即した記述といいます。(宮家準著『神道と修験道』五八頁)。
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index205.htm

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c2

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
3. 中川隆[-5639] koaQ7Jey 2017年12月16日 13:03:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「忖度」への冷笑と道徳の矮小化

 今年の流行語大賞の一つは「忖度(そんたく)」だそうだ。私は、最近の「忖度」という言葉の使い方には違和感を覚える。森友学園の問題以降、「忖度」は「権力者におもねり、その意を汲む」という意味で使われるようになってしまった。

 元来、「忖度」に悪い意味はない。辞書には「他者の心を推し量ること」とある。他者の気持ちを敏感に感じとり、おもんぱかるということであり、「思いやり」「やさしさ」など日本人が大切にしてきた道徳に大いに関係のある語なのである。

 実際、忖度の相手をオカミや上司など権力者に限定する必要はない。「友人の行動の意図を忖度してみた」「息子の気持ちを忖度する」という具合に、同等もしくは目下の者の気持ちを推し量る場合にも、この言葉を使うことができる。

 ではなぜ「忖度」が「権力者におもねり、その意をくむ」という意味で専ら使われるようになってしまったのか。政権批判を盛り上げたい一部マスコミがこの意味で多用した影響は大きい。だが残念ながらそれだけではなく、現代日本人の多くが、日本の道徳が本来備えている奥行きを見失いつつあることも一因ではないか。

 日本の道徳では、子供を、他者の気持ちによく気が付き、配慮できる敏感さを備えるように育てる。また、感受した他者の観点から自分自身を見つめ、それまでの行動や考え方を改めていく素直さも重視する。

 ここで注意すべきは、気持ちを感受すべき「他者」には非常に幅広いものが含まれるということである。前述の通り、権力者や目上の者だけでではなく同等あるいは目下の者も含まれる。

 また、同時代の者だけではなく、すでに亡くなった人々も含まれる。柳田国男によれば、日本の伝統的死生観の特徴とは、人は亡くなってもそう遠方には行かず、「故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念している」と考えてきたことにある。「草葉の陰から見ている」という表現にあるように、死者はわれわれを常に見守っていると考えたのである。墓参りやお盆の行事を大切にしてきたのは、過去の世代の人々に思いを馳(は)せる感受性を養うためでもある。過去の人々の観点から自分自身の存在を見つめる、いわば歴史の縦軸を意識することの大切さを教えようとしてきたと理解することもできる。

 また、動植物など人間以外の生き物への配慮も日本人は重視してきた。例えば、食前に「いただきます」と唱え、食材への感謝を示すのもこの表れである。さらに言えば「もったいない」という言葉に表されているように、モノへの配慮や感謝も大切だと考えてきた。針供養や包丁供養の慣習からもこの点はみてとれる。

 このように日本の道徳では、本来、万物・万人といってもいいほどさまざまな対象に気を配り、その「気持ち」に配慮すべきだとされてきた。多様な者やモノの観点から自分を見つめ、それらとの関係のなかで、反省を繰り返し、時には厳しく自分を律することが必要だと考えられてきたのである。

 しかし、現代では、お盆や墓参りの習慣は衰え、「ご先祖様が草葉の陰から見ている」と教える親も少なくなった。「もったいない」の精神も忘れられがちである。日本の道徳の可能性が矮小(わいしょう)化されつつあるのではないか。そのため「忖度」も「おもねり」としてしか理解できなくなってしまったのではないか。「忖度」が、冷笑気味に使われるのを見ると、日本人自身が、日本の道徳の豊かさを理解できなくなりつつあるように思われてならない。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c3

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
4. 中川隆[-5638] koaQ7Jey 2017年12月16日 13:20:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

核DNA解析でたどる 日本人の源流 – 2017/10/21 斎藤成也 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%A0%B8DNA%E8%A7%A3%E6%9E%90%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8B-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E6%88%90%E4%B9%9F/dp/4309253725/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1513397933&sr=1-1&keywords=%E6%96%8E%E8%97%A4+%E6%88%90%E4%B9%9F

2016年7月27日 大日向 明子 インタビュー
最新DNA研究と縄文人   斎藤成也


最近、遺伝子の研究が進み日本人のルーツに関する新事実が明らかになりつつあります。今回はNHK番組への出演や書籍の出版、公開シンポジウムなどでご活躍の国立遺伝研究所の斎藤成也教授にお話をうかがいました。

▼先生の遺伝子の研究から日本人のルーツに関する新事実が明らかになったとお聞きしましたが、それはどのようなものですか?

これまで日本人は大陸からわたってきたと考えられていたため、遺伝子が東アジアの人たちと近いと考えられていました。ところが調べてみると、東アジアの人たちは遺伝子が似ているのに、日本人はそれとは違うことがわかりました。そこで、その違いをもたらす原因を縄文人の影響だと仮定し、縄文人のDNAを分析したところ、やはりその原因が縄文人にあったことが分かったのです。さらに日本人の中でも、沖縄の人たち、アイヌの人たちはさらに違いが大きいことも分かっています。

▼それでは、その縄文人は、どこからやってきたのでしょうか?

人類はアフリカを出て、約4万年前に東アジアに到達し、東アジア人と東南アジア人に分岐しました。

これまでその形質から縄文人は、東南アジアからやってきたと考えられてきました。北方からやってきたという説もあります。ところがDNA分析では東アジア人と東南アジア人に分岐するより古い時代に日本にやってきたらしいとわかりました。

(図参照)
http://jomonjin.info/archives/504


古い時代にユーラシアのどこからきたのも、はっきりしません。長い年月をかけて混血し、いろいろな経路をたどって移動しているので、分析はとても難しいのです。


縄文人のルーツ


▼具体的には、どのようにDNAを分析されたのですか?

「核DNA解析」という方法です。ひとつのDNAから一個しかとれないので、難しい技術ですが、今までの「ミトコンドリアDNA解析」よりも、はるかに多くの情報がとれるものです。

寒冷な地域の保存のよい福島県の三貫地貝塚から100体以上の人骨が出土していたので、その成人男女の2体の歯根部を使いました。97%がバクテリアの遺伝子でわずか3%の縄文人の遺伝子から分析するのでとても難しい技術です。当時(2014年)私の研究室に総合研究大学院大学の学生として所属していた神澤秀明博士(現在は国立科学博物館人類研究部研究員)が分析しました。

渡来系弥生人はまだ分析されていないのですが、現代にも遺伝子が引き継がれていると仮定して、中国人や韓国人を渡来人の母集団の子孫とみたてて研究しました。

▼その分析の結果は、日本人の形成にどのような可能性をもたらすのでしょうか?

私が提唱しているのは、公開シンポジウムなどでも発表しましたが、下図のような「日本列島人の三段階形成モデル」です。

http://jomonjin.info/archives/504

日本列島人を大きくとらえると、北部、中央部、南部の三地域に大きく分かれています。

北部にはアイヌ人、中央部にはヤマト人、南部にはオキナワ人がいます。

アイヌ人とオキナワ人は、ヤマト人と異なる共通性が残っていて、その部分では、現在の日本人は北部や南部の混血が進まなかった地域を除き、縄文人と弥生人の混血であるという「二重構造説」と同じです。

私のこのモデルが新しいのは、二重構造説でひとつに考えられていた新しい渡来民を第二段階と三段階にわけたところにあります。


第一段階は約4万年前から約4000年前(旧石器時代と縄文時代の大部分)です。第一波の渡来民がユーラシアのいろいろな地域から様々な年代に、日本列島の南部、中央部、北部の全体にやってきました。

第二段階は約4000年前から約3000年前(縄文時代末期)です。日本列島の中央部に第二の渡来民の波がきました。第二波の渡来民の子孫は、日本列島中央部の南側において、第一波渡来民の子孫と混血していったことを示します。

一方、中央部の北側と北部および南部では第二波の影響は、ほとんどありません。

第三段階は、約3000年前から現在までです。

本州の中央部に第三段階で水田稲作の技術をもたらした渡来人が列島に入っていって、日本列島の中央部(福岡県、瀬戸内海沿岸、近畿地方の中心部、東海地方、関東地方の中心部)に移動していったことを示します。

この段階では人口が急速にふえていきました。
中央部が二重になっているのは、日本海や太平洋の沿岸に第二段階の渡来人のDNAが残ったのではないかということを示しています。

前半の約3000年前〜約1500年前(弥生時代と古墳時代)は北部と南部および東北地方では、第三波の影響はありませんでした。

後半の約1500年前から現在(飛鳥時代以降)になると、それまで中央部の北にいた人が北海道に移動していったり、中央部の南にいた人が沖縄に移住したりしました。北海道の北部にはオホーツク人が渡来するなど時代とともに混血が進みました。

人の移動は複雑で、時代とともにいろいろ混血していったと考えられますが、おおまかに私の説を表すとこのようになります。この三段階渡来モデルは、わたしたち研究グループが提案しているのですが、他の研究分野でもこれに似た説が提唱されています。

エルヴィン・ベルツはヤマト人を東アジア北部から渡来した長州型と東南アジアから渡来した薩摩型に分けました。三段階モデルにあてはめると、長州型が第三段階渡来民の子孫、薩摩型はもっぱら第二段階渡来民の子孫に対応するかもしれません。縄文人の遺伝子が受け継がれているのは、20%です。稲作をもたらした渡来系の人の移動の前にも大陸から渡ってきているということです。

人の移動は複雑でまた長い年月にわたっていますから、オホーツクから入ってきたり、いろいろな遺伝子が混ざっていくわけで、すべてこれで説明できるわけではありません。

言語に関していえば、第二段階が今の言語を伝えているのではないかと現在、思っています。

出雲地方と東北地方の人々の間に遺伝的な共通性が存在する可能性もでてきました。出雲の方言と東北の方言が似ていることが以前から指摘されていますが、言語の伝わり方は、とても複雑なのでいろいろ調べていかなければわからないことも多いと思います。

▼出雲の国譲り神話が、文化的・遺伝的に少し異なる人々の間で起きた出来事である可能性についてはいかがですか?

記紀神話では、出雲地方の権力者が九州北部の権力者に国を譲り渡したと解釈される話がでてきます。荒神谷遺跡からおびただしい数の銅剣が発見されましたが、出雲地方の勢力と九州北部の勢力と交わしたなんらかの出来事を示唆しているのではないかと思えてなりません。

わたしたちの研究グループで東京いずもふるさと会と荒神谷博物館の協力を得て、出雲地方の遺伝子を調べました。

出雲地方が大陸に近いにもかかわらず、関東の人のほうが、大陸の人たちの遺伝子に近いことがわかりました。

先ほどの三段階のモデルでいうと、第二段階の渡来人が第三段階の渡来人に権力を譲り渡したのではないかという考え方です。確かなことはもう少し、研究を重ねていかなければわかりませんが、いろいろな可能性を考えて研究していくことは大事だと思います。

▼これからDNA研究はどのように進んでいくのでしょうか?

縄文時代の人骨が東日本からいくつか発見されたので、そのDNAを使って、研究が進められていくといろいろなことが分かってくるでしょう。沖縄の石垣島から2万年前も前の旧石器時代の人骨も見つかり、現在研究が進められています。DNA分析は、縄文人の姿だけではなく、血液型や耳垢・肌の状態などその体質まで知ることができます。

今世紀に入ってすぐ、ゲノムが解読されて以来、この分野の研究は進みました。どんどんいろんなことが今後、わかってくると思います。私は文字に残っていない自然誌をふくめてヒストリーを考えていく方向で、これからもいろいろな方々と研究していきたいと思っています。

国立遺伝学研究所 斎藤成也教授

*写真は三島市にある国立遺伝学研究所と斎藤成也教授

【プロフィール】

1957年福井県生まれ。国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門教授。総合研究大学院大学遺伝学専攻教授、東京大学生物科学専攻教授を兼任。1979年東京大学理学部生物学科人類学課程卒。1986年テキサス大学ヒューストン校生物学医学大学院修了。主要著書に「歴誌主義宣言」(2016年 ウェッジ)、「日本列島人の歴史」(2015年 岩波ジュニア新書)、Introduction to Evolutionary Genomics (2014年 Springer)、「ダーウィン入門」(2011年 ちくま新書)他。

(2016.4.11 斎藤研究室でインタビュー/文・写真 大日向明子)
http://jomonjin.info/archives/504

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c4

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
5. 中川隆[-5637] koaQ7Jey 2017年12月16日 13:22:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

斎藤成也 縄文人は東南アジア人でも東アジア人でもなくオリジナルアジア人
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/57427204.html

「核ゲノム全体に散在している数十万のSNP座位における対立遺伝子情報をもちいて,これら3集団からサンプルした各個体間および世界の他地域の人間の遺伝的近縁関係を推定。

アイヌ人とヤマト人については,これら2集団が混血をはじめた時期を西暦6世紀と推定し,また集団間で特に大きな対立遺伝子頻度の差があるゲノム領域のなかに,形態的表現型に関与する遺伝子が含まれていることをみいだした。

一方,現代日本列島人にゲノムが引き継がれたと考えられている縄文時代人の核ゲノム塩基配列の一部をはじめて決定し,縄文人が東ユーラシアの中できわめて特異な系統に位置づけられることを発見しました.」
www.molbiol.saitama-u.ac.jp/pdf/141217poster.pdf

SNP=一塩基多型

「 ある生物種集団のゲノム塩基配列中に一塩基が変異した多様性が見られ、その変異が集団内で1%以上の頻度で見られる時、これを一塩基多型(いちえんき・たけい、SNP : Single Nucleotide Polymorphism)と呼ぶ。

従って、対立遺伝子頻度がこれより低いときに使用するのは基本的に誤りで、そのような物は突然変異と呼ばれる(参照:多型)。ある一つの塩基が別の塩基に置換されて起きるため、一つのSNPには置換前と置換後の二種類の対立遺伝子しか見つからないことが多い。が、まれに3から4個の対立遺伝子があるSNPもある。複数形でSNPs(スニップスと発音)と呼ばれることもある。SNPの起源は中立進化説がいうように、種の分化後にランダムに発生したものだと考えられている。」


NHK サイエンスゼロhttp://www.nhk.or.jp/zero/

※要約 サイエンスZERO「日本人のルーツ発見!核DNA解析が解き明かす縄文人」▽オジリナルDNA「縄文人」とは【2016年4月3日(日)NHK Eテレ放送まとめ】
http://yonta64.hatenablog.com/entry/zero/2016-0403-%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84

イメージ 1
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/GALLERY/show_image.html?id=57427204&no=0


斉藤教授の使ったサンプルは、縄文末期(3000年前ほど)の男女遺骨の歯である。

この内部に残存していたDNAの中で、これまでなされてきやY染色体や母系のmtDNAではなく核ゲノムDNAだけを抽出することに成功した。これは快挙。斉藤研究室ではこれに先立ってMISHIMAと名づけられた核ゲノム分離機を完成させていた。今回の分析はこのMISHIMAあってこそである。

核DNAは1細胞にひとつしか存在せず、これまでそのサンプル採集が非常に困難であった。そこで斉藤教授は日本列島の寒冷地ならば、細胞の劣化が少ないと推測し、東北縄文人を選んだところ、DNAそのものはやはりかなりばらばらになったうえに、歯の中に寄生していたバクテリアのDNAも混在していた。これを丹念に仕分けし、ヒトのものだけを抽出して並べる作業が若い助手の手で行われた。


myDNA分析に関して筆者は、サンプル数の少なさやミトコンドリア内部のDNAでは母方しかわからないということを指摘してきた。しかし核DNAならばその個体すべての祖先が全部受け継がれた塩基データが30億個も採取できる。mtDNAの何十倍ものデータである。


その後、東北、北海道の各地でも、この成功に刺激された縄文人DNA分析が行われ、その結果、やはり予想通り、縄文人にも地域によって数種類の違いが見られた。つまり縄文人も一種類ではなかったという結果である。


イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/GALLERY/show_image.html?id=57427204&no=1


問題は、もっと初期縄文人、そして西日本までに及ぶサンプル収集によるデータの淘汰が必要である。いずれにせよ、今回の結果からは、少なくとも末期東北縄文人の核DNAからは、縄文人は東南アジア、東アジア人が、分岐する以前に、同じ汎アジア原種から先に分岐したもので、これは日本の縄文人だけのものとわかった。縄文人が北方ステップルートからではなく、ヒマラヤの南側を通ってやってきた南方系だったことも明確になった。


その縄文の血脈は、現代日本人の中に20パーセントの割合で残存。これまでのmtDNAでは10数パーセントに過ぎないとされてきた分析結果を書き換えた。そしてmtのバイカル湖起源説も白紙に戻す結果となった。

要するに日本の縄文人は中国の華北人や華南人、朝鮮民族や東南アジア人よりも早くアジア原種から分岐した、独立した謎の血脈だったとなる。つまりより原種に近いということだろう。なぜそうなったかはまだわからない。その後、弥生時代直前までに複数のアジアからの来訪者があって、これらが混血。その結果遺伝子の20%に縄文末期人の特徴が残ったとなる。つまりあらゆるアジア人の中で、日本人だけは特殊となる。


すべて筆者の予想に近い結果となった。


mtDNA研究の第一人者だった篠田謙一教授は、この数年前から、人類学者らの疑問に答える形で核ゲノム分析の必要性を著作に著しているが、斉藤教授の分析が彼のmtDNA分析や、Y染色体分析を上回る成果であることを認めている。あとはより多いデータと弥生人、旧石器人の詳細分析が出るまで、わくわくしながらわれわれは待てばよい。ただし日本の土壌ではなかなかサンプルは出てこないだろうが。また、おまけとして、日本人の外見上のさまざまの遺伝子が、思ったより縄文人から受け継がれていることも面白い。これは化粧品メーカー研究室の発見したものである。しみそばかすが多いヒトは縄文の血が残ったヒトらしい。また直毛は弥生系渡来人の、くせ毛は縄文系らしい。

最後に言っておくべきことは、これらはまだあくまでも途中経過でしかないことだ。常に化学の発見は慎重に判断し、決して大喜びしてはなるまい。それに今回、渡来系の分析では中国人(江南・漢・現代南方漢民族)やベトナム人はあっても朝鮮民族のデータがないのも気になった。
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/57427204.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c5

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
6. 中川隆[-5636] koaQ7Jey 2017年12月16日 13:27:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源 日本人の源流考 12月10日


30-3-a. 日本人の源流とY-DNA、mtDNA遺伝子ハプロタイプ出現頻度調査まとめ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-3.htm


国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、核-DMA解析でたどるによる「日本人の源流」本を出版しました。

 やっと海の民に焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が正しそうな雰囲気になって来ました。

 そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して図々しく組み立てましたので異論噴出が当然です。 異論・興味のある方は当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。


1.最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」とY-DNA「C」

 Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。
 Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分離し、
 Y-DNA「BT」がY-DMA「B」とY-DNA「CT」に分離し、
 Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、更にY-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分離した。これは恐らく先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測できる。


 Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分離したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」のサン集団等やY-DNA「B」のピグミー集団等の支配階級としてネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

 一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、 そこから北上し現在の中国大陸に到達した。その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として絶滅危惧部族として遺伝子を伝えてきている。

 Y-DNA「CT」から分離したもう一方のY-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸で古代遺伝子Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人と交雑した結果Y-DNA「G」以降の全てのY-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA遺伝子全ての発祥の地となったと考えられる。

 もう一方の分離したY-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸にそれぞれニューギニア高地人集団やアボリジニ集団、 つまりオーストラロイドとして現代まで残っている。

 スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

 現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

 さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査では検出されていない。どうやら途絶えてしまった可能性が高い。

 一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」がそのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

 オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決めてはY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

 一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。この集団はサハリンから南下し北海道に入り、 更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

 このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の交雑混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が日本人の持つ海洋性の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

 ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

 この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と 海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の交雑混成集団と考えられる。 このY-DNA「C2a」が日本人の持つ大陸性の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

 この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパではフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、 Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。最も頻度が高いのはTanana族である。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

 またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2bia2」に分化し、大部分はモンゴル族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。


2.長江文明系稲作農耕文化の到来

 さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

 Y-DNA「F」から分離した亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分離しインダス文明を興し、ドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。

 Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く残されており、 テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。 しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子はY-DNA「R1a」、「R1b」、「J2」などに変貌している為、 東アジア起源の面影は全くない。唯一タタール人に若干の面影が残っているが今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も残っている。

 さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない。

 この東北アジア起源のY-DNA「O」は穀物栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。 一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」と「O1b2」が分化し稲作農耕は発展したようだ。このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

 長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し河南からベトナムへ南下し 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 特にドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。 カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、 ドラヴィダ民族(特にタミール人)に長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、 その結果、学習院大学の大野教授が日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となった。

 一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州の14%は満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い要因となっている。 北朝鮮はツングース系の遺伝子が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。

 長江流域の呉越の時代の少し前に河南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、東南アジア、インド亜大陸でY-DNA「O1a」は検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは海南島、台湾となんと日本の岡山県である。 岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として渡来し来たのか単独で来たのか? 岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は楚系文化の名残と推測でき、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。


3.黄河文明系武装侵攻集団の到来

 狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島から生き残りに敗れ逃れてきたのが、Y-DNA「O2」を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

 朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ日本列島に追い出される形で逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でもまた黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。 この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていたツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」である。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた好戦的な集団と推測できる。

 この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由であり、

 一方韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」、Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」、「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリヒティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。 一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。


4.後記

 日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、一方過去の武士団や維新後の軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 もともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。


・日本列島の中で約1万年純粋培養されてきた素朴な狩猟採集とハンターの縄文系、

・好戦的な黄河系に中国大陸を追いだされ僻地の日本列島にたどり着いた、小集団の
 和で結束する稲作農耕民の弥生系、

・朝鮮半島の生存競争に敗れて半島を追い出され、本家中国に追い付き追い越せの
 征服欲出世欲旺盛な武装侵攻集団、


 個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 これだけ世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの縄文古代遺伝子が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-3.htm


30-3-b. 日本人のY-DNA、mtDNA遺伝子ハプロタイプ出現頻度調査まとめ

  出現頻度は、グローバルで入手できた論文のデータを全て単純合算せずに、調査人数を調整して算出しています。 調査した研究者はそれぞれ独自に調査を行っているので、同じ日本人を複数回調査している可能性は極めて低いと思います。 それなら1つの研究のサンプル人数は少なくても、入手できる全てのグローバル論文のサンプル数を積算すればサンプル数が増えより精度が上がることになります。 従って頻度は複数の論文の頻度値の単純平均ではなく、各論文の亜型の人数を割り出し逐一積算し全体数から頻度を再算出しています。

  mtDNA(左列)とY-DNA(右列)をまとめてみました。多少わかりやすいかと思います。


http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-3.htm


 このmtDNA調査で最も重要なことは日本人の2/3(66%)がmtDNA「M」系であり、世界でこれだけの高頻度の「M」を持つのは、チベット人(約70%)と日本人だそうです。 そして両民族は奇しくも充分な人口規模を持つ世界で唯2のY-DNA「D」民族です。特に琉球人は世界最大頻度の「M」系民族でありアイヌ民族に次ぐY-DNA「D」民族でもあります。 これは偶然の一致ではなく日本列島の縄文のコアであるY-DNA「D」はmtDNA「M」と常にペアで行動してきたことを示しています。

  一方日本人の1/3(33%)は欧米系のmtDN「N」系になります。mtDNA「M」と「N」は出アフリカ前にすでに分化していたとする仮説と アジア(恐らくインド亜大陸か近東)で分化したとする2つの仮説があり、まだ決着はついていません。 しかしネアンデルタール人との亜種間交配で出アフリカしたY-DNA「CT」が「DE」と「CF」に分化したとする仮説が現在もっとも合理的なので、 mtDNAも出アフリカ後に同じ理由で「M」と「N」に分化したとすると説明を付けやすいのです。

  黄河文明の古代遺跡から発掘される人体はコーカソイドの特徴を持っていることは、考古学ではよく知られています。 これは寒冷地適応や黄砂適応を獲得するまえのY-DNA「O3」はY-DNA「CF」の子孫としてふさわしい彫深の外観であったことを示しています。 同様に典型的なフラットフェースのモンゴル人Y-DNA「C3c」も、本来は兄弟亜型Y-DNA「C2」と「C4」のニューギニア先住民やアボリジニと同じく いかつい彫深顔であったことが容易に推測できます。これほど寒冷地適応は厳しい環境要因だったのです。

  ではmtDNA「N」系列はどうやって日本列島にやって来たのでしょうか?


1.Y-DNA「CF」系縄文人の「C1a」や「C3a」とともに来た、か

2.Y-DNA「O」と共にわたって来た、か

3.その両方の場合。


  縄文遺跡から出土するmtDNA「B」は上記1の場合、その他はY-DNA「O」とともに、mtDNA「HV」などはシルクロード経由も考えられます。

  アイヌ民族のmtDNA「Y」はオホーツク文化で古代アイヌ民族を征服した古代ニヴフ族がもたらしたものでしょう。 その古代ニヴフ族は東北アジア系Y-DNA「C3c」のツングース系かモンゴル系と考えられます。 明治期でもアイヌ人男性の一部はコーカソイドと考えられたほど端正な顔立ちだったので、 いづれにせよ寒冷地適応を獲得する前の東北アジア集団が北海道に渡ってきたことになります。

  主題ではありませんが、アスリート能力のうちもっとも重要なエネルギー産生能力は、エネルギー産生がミトコンドリアで行われる以上、 母系遺伝することは当たり前です。白筋と赤筋とmtDNAとの関係はわかりませんが、調査結果からみると 瞬発系アスリートはmtDNA「N」系のmtDNA「F」と「B」が素地を持っているようです。一方、持久力系はmtDNA「G」が多いようです。 非常に残念なことはミトコンドリアは本記事14-2.でおわかりのように母系遺伝するため、父親がどんなに優秀なアスリートでもエネルギー産生能力は 遺伝しません。母親がその能力を持ったmtDNAを持っていない限り、トンビの子はトンビなのです。残念!

  ではY-DNA調査で分かることはなんでしょうか?

縄文系は現代日本人男性の約43%を占め、古代遺伝子の3種のY-DNA亜型から構成され、コアになる世界でも希少なY-DNA「D」(チベット民族がY-DNA「D1」、 縄文系がY-DNA「D2」)と更に希少な海洋性ハンターY-DNA「C1」と内陸性ハンター「C3a」が含まれます。 世界の先進国の中でこれほど古代遺伝子が男性人口の約半分も占める国家は日本しかありません。 3.11でも示されたような世界を驚かせた日本だけが持つ従順性、規律性やホスピタリティなど独特の精神文化はこの古代遺伝子から構成される 縄文基層文化がもたらすものです。

  日本はこの古代性に加えてY-DNA「O2」(「O2b」,「O2b1」,「O2a」)と「O1a」の弥生系水田稲作農耕民の遺伝子が持つ地域集団を形成し行動する、 先進国でも珍しい規律性の強い村社会的なコミュニティが加わり、ますます独自性を強めています。

  では内向きになりがちな縄文−弥生系に対し、日本人のグローバル性をもたらしたのは何なのでしょうか? それは朝鮮半島の生き残りに負けて半島を追い出され日本列島に逃げ込み、日向なる土地から出発し征服行脚を行った大和朝廷族や他の天孫族、 及び高句麗、新羅、百済などから追い出されてきた武士団族などのY-DNA「O3」プロト漢族遺伝子を持つ武装侵攻集団に他ならないでしょう。 当時の朝廷では和洋女子大の研究者が報告しているように漢語を話し、本家中華王朝に追い付き追い越せで文化力を高め これも独自な発展をする原動力となり、日本人のガラパゴス性の起源になったものと思われます。

  当ガラパゴス史観もまだ確固たる日本人論を持ってはいません、憶測や妄想も含むアブダクション(推論)の段階です。 国を挙げてY-DNAとmtDNAを調査すると、日本人のガラパゴス的民族性の起源と特性がもっとあぶりだされると思います。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-3.htm

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c6

[政治・選挙・NHK237] 安倍晋三よ、お前が叫んだ「国難」はどうなった?  赤かぶ
1. 中川隆[-5635] koaQ7Jey 2017年12月16日 14:20:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
北朝鮮高官の証言「我々は日本海側の原発を狙う」

――日本に対しては、どこに狙いを定めているのか?

「第一に首都圏の横須賀基地、第二にわが国への攻撃に利用される在日米軍基地、そして第三に、日本海側に広がる原発だ。

日本が、全面的に米帝と一心同体だと言って加担するなら、われわれは日本を米帝の一部とみなし、日本にもミサイルの雨を降らせるだろう」

――北朝鮮が開戦したら、アメリカ軍が北朝鮮全土を一斉砲撃し、たちまち金正恩政権が消滅するのは確実だ。

「最終的な結末が、どうなるかは知らない。だがそうなる前に、全面的な反撃を行い、わが国の尊厳を世界に顕示する。


『スラムに消えた情けない男の話』。
【親分に媚びて生きている男】
むかしある街に、情けないひ弱な男が一人住んでいた。

この男、小金だけは貯め込んでいるようだが、自分一人ではケンカもできないし、まともに他人と交渉することもできない。できることと言えば「親分」に媚びて親分に面倒をみてもらうことくらいだった。

その「親分」、大金持ちで腕っ節の強く、街でいつも一番デカイ顔をしていた。

ひ弱な男はそんな親分の周りをいつも、まるで子犬のようにまとわりついていた。小金を使ってあの手この手で媚びながら、何かあったら親分に泣きついてやっかい事を処理してもらっていた。

その媚びっぷりはまさに街一番。だから町の中ではいつも、侮蔑の目で見られ、どこにいっても何をやってもいつも、軽く小馬鹿にされながら生きているーーー彼は正真正銘、小金もちなことだけが唯一の取り柄の街一番の情けない小物だった。

【凶暴な隣人】
そんな彼の家の隣には、すこぶる凶暴な質の悪いチンピラが住んでいた。

この凶暴なチンピラ、時折、ひ弱な男の家にやってきてモノを盗んでいったり、気に入らない事があればすぐに暴力で威嚇してくる困った奴だった。

そんなある日、このチンピラがなにやら怪しげな「武器」をいくつもいくつも作っていることが分かった。まだ全て完成しないようだが、隣の男を半殺しにできる程度の力はもう身につけているようだった。

だからそのひ弱な男はもう、恐ろしくて凶暴な隣人に何の手出しも出来ないーーそんな状況となってしまっているのだった。

【凶暴なチンピラが「親分」に一か八かのケンカを売る】
ところがそのチンピラ、今度は「親分」にケンカを売ろうとしていることが分かってきた。

このチンピラ、この街で生きて行こうとすれば、この親分の言いなりになっていてはそのうち殺される、だったら、一か八かこの親分にケンカを売って、もう自分には手出しできない様な「凄い武器」をつくっておこう、と考えたようだ。

つまりこのチンピラ、自分の生き残りをかけて親分に手出しさせない凄い武器を作り上げてしまおう、という博打に打って出たわけだ。

とはいえ今の所、その凄い武器はまだ完成していないようだ。が、その凄い武器の完成も時間の問題のようだった。

【親分、チンピラを潰す事を決める】
そんな話を耳に為た「親分」はもちろん、黙っちゃいない。

「今のところあのチンピラの武器は、あの情けない俺の子分を半殺しにできるようだが、俺の身はまだ安全なようだ。だったら、まだ俺のところまであいつの武器が届かないうちに、潰しておかないと、俺の身がヤバくなる。今潰しておかなきゃいかん。」

そう考えた親分は、今のうちにそのチンピラをぶっ潰しておこうと決めた。

とは言え、一つだけやっかいな事がある。

「おそらく俺があのチンピラに攻撃を仕掛けたら、おそらくあいつはすぐに反撃に打って出て、俺の子分のあの情けない男をすぐに半殺しにしてしまうだろう。」

この親分にしてみれば、あの子分はまずまず使い勝手もよく、小金も持っているから重宝していたのだから、半殺しにされて、もう使い物にならなくなるのは少々もったいない──とはいえ背に腹は代えられない──自分が将来やられちまう事を考えればあの少々便利な子分ごとき、半殺しの目に遭おうが消えて無くなろうがまぁ、たいした事じゃない──そう考えた親分は、かの「情けない男」を呼びつけてこう言った。

親分 「おい、あのヤバイおまえの隣人、あいつは俺を攻撃する武器を作ってるようだ。それが完成すりゃ、俺は何をされる分かんねぇ。だから俺はもう、あいつをぶっ潰すことにした。お前も俺に協力しろ。分かったな。」

子分 「はい、親分がそうおっしゃるなら、分かりました。喜んで協力します!」

親分 「もちろん、あいつは反撃してくるだろうけど、大丈夫だ。俺がおまえを守ってやるから。心配するな。安心しろ。」

子分 「なんとお優しいお言葉! 分かりました、ありがとうございます!」

【媚びてばかりで、完全な馬鹿になっていた子分】
もちろん、「大丈夫だ、安心しろ」という「親分」の言葉はウソだ。そんな保証なんてどこにもない。もうその凶暴なチンピラは、情けない子分を半殺しにできる力を身につけてるんだから、攻撃を仕掛けりゃ、その子分は半殺しにされるに決まっている。

だけど子分は、「はい、分かりました」しか言いようがない。ここで親分に盾をついたら、何をされるか分からないからだ。今までずっとイエスマンとして親分の言いなりになってきたその情けない男にはもう、他に残された道などどこにもないのだ。

というよりも、自分で考える力も気力もなくなっているから、親分が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なんだろう──と馬鹿丸出しで思っているようだった。

その馬鹿っぷりに、町中の人々が唖然とした。半殺しにされるのに、何が「なんとお優しいお言葉!」だ。こいつは馬鹿か──? 皆そう思った。

ただし一番びっくりしているのが、その親分自身だった。

「こいつ、ホント馬鹿だなぁ。半殺しにされるのは俺じゃ無くてお前なんだぞ? なのに、やけに素直に俺の協力するって、しかも『なんとお優しいお言葉! ありがとうございます!』ってまでいってやがる。

とはいえまぁ、こんな都合のいいこたぁねぇ。たっぷりと自ら進んで必死に協力してもらって、半殺しになってもらって全部こいつの自己責任、ってことにしておきゃぁ、それでいいだろう。ほんと馬鹿だなぁこいつ。」

【情けない男、案の定、半殺しにされ、スラムに消える】
──かくして、「親分」は、子分の全面協力を得ながら飛び道具で攻撃をしかけた。

そして案の定、その凶暴なチンピラは反撃をしかける。無論その反撃は「親分」に対してではない。我らが「情けない男」に対してだった。結果、情けない男は誠に情けない事に半殺しの目にあわされ、もう再起できないほどの深手を負うこととなった。

しかしこのケンカそのものは、圧倒的に力の強い親分が勝ち、最後にはチンピラは完全に潰されてしまった。その後、そのチンピラの家は、この親分と、隣町の親分とでうまく相談しながら、運営していく事になったようだ。

その後、その哀れな情けない男がどうなったかと言えば──当然誰からも同情されはしなかった。馬鹿丸出しで親分にひっついていって、誰もが予想したとおりに半殺しにされたんだから、誰の目から見てもはっきりとしたいわゆる自己責任、ってやつだ。

もちろん、もうどうしようもないから誠に情けない事に「助けてださい」と親分や周りの人々に泣きついて回ったようで、ちょっとした小銭を何人かから恵んでもらったりはしたようだが、それでは焼け石に水。

結局この情けない男、ちゃんとした病院に行くこともできず、半身不随になって自分でカネが稼げない体になってしまったようだった。だからこの男が生きて行くためにどうしても必要だった「カネ」まで全て失うことになった。

どうしようも情けない男だが、ちょっと前なら「小金」を持っていたから少々ちやほやされることもあった。親分にかわいがられていたのも、そんな「小金」があったからだ。だけど、その頼みの綱の「金」すらなければ、一体誰が彼に見向きするというのか。そんな媚びる以外に何の才能も無いような男に──。

だから今や、その男がどこで何をしているのかを知る人など、もう誰もいない。最近聞いた風の便りでは、隣町のスラム街で、その地区のボスになけなしの金を使って媚びながら生き続けているという事だが──それが本当かどうかも、もう誰にも分からない。
https://38news.jp/politics/11290



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/254.html#c1

[政治・選挙・NHK237] 自民党支持者にも高まらない改憲機運/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
9. 中川隆[-5634] koaQ7Jey 2017年12月16日 14:38:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
統一教会はCIAの下部組織だろ

CIAは日本の核武装や改憲を阻止しようと電通、マスコミや官僚を使って反安部扇動してるのさ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/252.html#c9

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
7. 中川隆[-5633] koaQ7Jey 2017年12月16日 15:12:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

支那人に征服される呑気な日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


支那人に狙われた北海道


Chinese woman 1Chinese 11
(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
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  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

Chinese tourists 1Chinese 7
(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)
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  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

Chinese & cherry trees
(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。


チャイナタウンが出現するアメリカ

Chinese New Year 22Chinese New Year in Feb 24 1985
(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

Chinese in Chicago 1Chinese in Chicago 2
(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

Chinese Immigrants in ChcagoChinese kids 222
( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)
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  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)
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  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)
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  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)
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  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)
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支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)
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  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

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(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)
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  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)
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  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)
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  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)
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  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)
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  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)
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  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)
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  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c7

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
8. 中川隆[-5632] koaQ7Jey 2017年12月16日 15:17:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年10月31日 北鮮の難民がやって来る ?! / 日本国民になってしまう定住朝鮮人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68679896.html

ミサイル攻撃よりも怖ろしい難民

  総選挙というお祭りが終わって、日本国民一段落したと安堵しているが、議員選びよりも重要な問題が待ち構えている。すなわち、北鮮危機だ。保守系雑誌は「北朝鮮が我が国に向けてミサイルを発射するんじゃないか」とか、「米軍による北朝鮮への攻撃が始まりそうだ」と騒ぎ立て、各誌が特集を組んでいる。だが、本当の国難はそんなものではない。日本政府が自発的、あるいは渋々ながらも、大量の北鮮難民を受け容れてしまうことなのだ。

  確かに、トランプ大統領は強硬な態度を取り続ける金正恩に対し、安易な妥協を見せず、武力制裁を行う可能性がある。そもそも、ロナルド・レーガン大統領に憧れるトランプとしては、ジミー・カーターのように人権外交を標榜して失敗したくない。イランの人質奪還作戦で大失態を犯した大統領は惨めなもので、現在でも語り草になっている。やはり、「強いアメリカ」を前面に出して、自分に刃向かうゴロツキ国家を倒してこそ、偉大なる大統領として歴史に名が残るんじゃないのか。だから、ソ連よりも遙かに劣る北朝鮮に、自ら譲歩して核保有を許してしまうなんて想像できない。もし、トランプが何らかの裏取引で北鮮の核保有を黙認したら、国内の共和党保守派からの突き上げが噴出し、四面楚歌のトランプは益々孤立化を深めてしまうだろう。


(左: ジミー・カーター / ロナルド・レーガン/ ドナルド・トランプ  / 右: 金正恩)

  ただ、国際政治には不確定要素が多いから、正確に未来を予測することは難しい。したがって、我々は最悪のシナリオを想定し、あらかじめ「腹」を決めておく必要がある。例えば、核ミサイルに対する防禦を整備してこなかった日本人は、多くの同胞が死んでも「仕方ない」と諦め、残った国民が復讐心と克己心を持って国家を再興することだ。まぁ、現実的には日米同盟があるから簡単に核攻撃は受けないと思うが、自国を自力で守ろうとしない国民なんだから、同盟国に裏切られて消滅しても文句は言えまい。国際政治で「他力本願」は愚の骨頂だ。少なくとも米国は日米同盟を守ろうと“努力”するが、法の抜け穴を突いて日本を助けない場合だってある。また、そうじゃなくても、日本を軍事的に助けてやる代わりに、経済協力を“水増し”して求めてくることもあるだろう。どっちみち、我が国は苦難に陥るということだ。

左翼分子を披露するテレ朝

  北鮮問題を扱うテレビ番組はいくつもあるが、テレ朝の『ビートたけしのTVタックル』は支那や北鮮を擁護する番組として知れ渡っている。いつもは下らない内容なので観ることはないが、10月29日の放送では、防衛評論家の桜林美佐と経済評論家の三橋貴明、軍事アナリストの西村金一が出演していたので、仕事をしながら片手間で議論を聴くことにした。しかし、制作スタッフの真意は、これらの評論家が発する警告ではなく、極左ジャーナリストの青木理(おさむ)や「アジアプレス」の石丸次郎を世間に紹介することにあった。ワイドショーで常連客の青木はともかく、北鮮を熱心に取材する石丸には用心が必要だ。例えば、彼の北鮮難民に関しての発言は聞き捨てならない。石丸は戦争に伴って「北朝鮮が特殊部隊を送るなんてあり得ない !」とか、「武装難民が日本に押し寄せるなんてナンセンスですよ !」と言いのけた。石丸の考えによれば、「北朝鮮が消滅してしまうのに、特殊部隊が闘う理由なんてあるんですか?」という訳だ。そんなの特殊部隊員が気にすることではない。戦争が始まる前後に特殊部隊への指令が発令されれば、部隊員は命に代えても自分の任務を遂行しようとするし、日本に上陸した部隊は祖国との連絡が無くても暴れ回るものである。

Ishimaru Jiro 2(左 / 石丸次郎 )

  一般の日本人には軍事が解っていない。特殊部隊員は命令を実行することのみに専念する。だから、国際政治とか任務を終えてからの出世は考えない。たとえ、日本人が「北鮮兵士の皆さん、あなた方の祖国は崩壊しましたよ。もう意味が無いので投降して下さ〜い !」とメガホンで呼びかけても、北鮮の特殊部隊員は出頭しないだろう。だいいち、日本国政府は命令の解除コードを知っているのか? 日本に潜入した北鮮兵は、上官からの正式な停戦命令を受けない限り、死ぬまで戦い続けるんだから、日本人による「降伏勧告」なんて「策略」としか思わない。彼らは日本の自衛隊に殲滅されるまで、殺戮や破壊をやめないだろう。

  仮に、特殊部隊が投入されなくても、北鮮難民の中に便衣兵、つまり民間人を装ったゲリラ兵や長期滞在を目論む工作員が紛れ込んでいる場合だってあるのだ。ところが、日本政府は偽装難民と一般難民を区別できないから、どうしても悪質な北鮮人を国内に招き入れてしまう虞(おそれ)がある。たとえ政府が難民を一時的に離島へ収容し、ゲリラ兵の摘発に乗り出しても、国内の反日勢力が政府に圧力を掛け、「人権無視の隔離だ !」とか「人道主義に反する !」「朝鮮人への差別だ !」と騒ぎ立てるから、いつまでも孤島に閉じ込めておくことはできない。ちょっと考えれば朝鮮人を支援しそうな連中など、直ぐ思いつくじゃないか。 例えば、共産党、立憲民主党、民進党、自民党に潜む左翼議員、帰化鮮人の活動家、韓国民団、朝鮮総聯の残党、全共闘崩れの老左翼、人権派弁護士、移民・難民支援団体など、彼らはマスコミと結託して一大勢力を形成し、北鮮難民を本土に迎入れようと手引きするはずだ。

日本に根づく朝鮮人

  難民というのは、いつまでも難民ではない。日本にやって来た北鮮難民は、必ずや「日本国民」となる。金王朝の下で呻吟(しんぎん)した朝鮮人は、豊かで快適な日本に驚いてしまうから、絶対に“あの”悲惨な半島に帰ろうとは思わない。たとえ言葉が不自由で無職の状態であっても、気前の良い日本政府が食事を与えてくれるし、衣服や住居まで手配してくれる。しかも、子供の教育、職業訓練、医療保障に加えて、お小遣いまでくれるんだから至れり尽くせりだ。難民としてやって来た大人が日本国籍を取ることが無理でも、その子供たちは日本の学校に通い、日本語を覚えるわけだから、成人すれば帰化を申請するし、日本人と結婚してしまえば自動的に日本国民になれる。北朝鮮の崩壊を一番喜ぶのは、日本に定住できた北鮮難民だろう。


( 写真 / 貧困に喘ぐ北鮮人)

  日本人にとって怖ろしいのは、北鮮から発射される核ミサイルではなくて、大量に雪崩れ込む忌まわしい北鮮人だ。北鮮軍による武力攻撃を受けるのは嫌だが、脳天気な日本人が目覚めるのは、本当に目の前で同胞が殺された時でしかない。いくら国会で政治家が軍事的脅威を議論したって、そんなのは所詮「どこか余所の国」で起こる他人事に過ぎないから、大多数の日本国民はたいして関心を示さず、藝能ニュースの方に耳を傾けるはずだ。したがって、いくらJアラートを鳴らしても、有権者は真剣に考えないから、日本国政府に有効な防衛策は無い。日本人は合衆国政府の意向を黙って拝聴するのがせいぜいだろう。


(写真 / 1950年代、戦争を逃れる朝鮮人)

  問題なのは、戦場と化した朝鮮半島、とりわけ崩壊した北鮮で“厄介者”となる大衆である。もし、米軍が斬首作戦を真剣に実行すれば成功するかも知れない。だが、その後が大変だ。誰が北鮮の後始末をするのか? 本来なら、同胞の南鮮人だろう。しかし、只でさえ不景気に喘ぐ南鮮人が、大量の貧民を新たに抱きかかえることができるのか? 当然、南鮮政府は米国と日本に支援を要請するはずで、堂々と物資や金銭を恵んでくれとせがむだろう。老朽化した工業施設とか、未熟なインフラしかない北鮮が自力で経済復興できる訳がないので、ケチな米国はお金を貯め込んでいる日本に「お前が助けてやれ !」と命令するんじゃないか。結局、拉致被害を受けた日本が、加害者側の北朝鮮に税金を貢ぎ、負担でしかない朝鮮人を国内に引き受けて面倒を見る破目になるのだ。

  日本人はシリア難民を背負い込んだドイツやアメリカに、もっと目を向けるべきだ。ドイツの惨状は頻繁に報道されたから多少は知られているが、アメリカの状況も似たようなものである。例えば、2013年、米国は69,926人の中東アジア難民を受け容れてしまったが、国務省に設置された人口・難民・移民局(Bureau of Population, Refugees and Migration)は、難民を定住させるために3億1千万ドル(約341億円 / 1ドルを110円で換算)もの予算を使ったそうだ。 (Steven A. Camarota and Karen Zeigler, " The Hight Cost of Resettling Middle Eastern Refugees", Center for Immigration Studies, November 2015) シリアなどからの難民に対して、合衆国は手厚い福祉を与えたそうで、個人への社会保障補助金(SSI)は平均で年間13,494ドル(148万4千340円)となり、一世帯当たり最初の五年間で平均21,658ドル(238万2千380円)も支給されていたのである。困窮家庭への臨時給金(TANE)だと、一年に月平均5,061ドル(55万6千710円)となり、一世帯当たり9,287ドル(102万1千570円)となっていた。難民の91.4%が受け取っていた食券プログラム(SNAP)だと、個人としては年間4,039ドル(44万4千290円)貰っていて、一世帯当たり平均18,458ドル(203万380円)が支給されていたのである。


(写真 / 米国にやって来たシリア難民)

  難民支援者は「人道主義」を掲げて北鮮人を受け容れろと叫ぶが、その親切な人々は自分のお金を使おうとは思わない。「善きこと」は「他人のゼニ」で行う、というのが彼らのモットーであるから、難民が定住するための費用は総て税金である。難民が受け取る支援金は厖大な額なのに、彼らが払うかも知れない税金は勧めの涙程度。金王朝下で奴隷並みの生活をしていた北鮮人には、先進国で必要とされる技術者などはいないし、大多数が未熟練労働者か、潰しの利かない半端者、何をやらせてもダメな木偶の坊、無教養のタダ飯喰らいで、後はチンケな泥棒か、ひねくれ者、殺人鬼、強姦魔、犯罪予備軍くらいである。日本語も解らず、“コレ”といった特技も無い朝鮮人が、日本で出来る仕事といったら筋肉労働くらいしかない。だが、それとて難しいのだ。というのも、朝鮮人に土方をやらせても、現場監督と意思疎通が出来ないから、どんなヘマをやらかすか分かったもんじゃない。したがって、常に目を光らせておかないといけないから、現場監督は精神が休まることはなく、神経が参ってしまうのだ。それに、鮮人人夫が建設工事でヘマをやらかせば、通行人とかに怪我をさせるかも知れないし、場合によっては大事故を引き起こして多数の死傷者を出すかも知れないのだ。雇い主の建設会社は、こうした時の責任を背負う覚悟があるのか? 安くコキ使えるはずの外人労働者が、結果的には「高くついた」なんて事態も考えられるのだ。

  もっとウンザリするのは、北鮮を併合したことで更なる不景気に陥った南鮮から、没落した南鮮人が脱出を図り、手軽に渡航できる日本を目指すことだ。労働移民を歓迎する日本企業と、人口減少に悩む日本政府は、定住目的の南鮮人を排除しないから、益々日本の朝鮮化が進むことになるだろう。多民族主義の脅威に気付いていない日本人にはピンとこないだろうが、定住型の朝鮮人が増えるということは、日本国民の遺伝子プールの中に朝鮮人の精子や卵子が混入し、朝鮮人の肉体を持つ日本人が増えてしまう事を意味する。昭和の頃までなら、大半の日本人にとって朝鮮は“外国”であったが、平成の日鮮混血児にとっては“ご先祖様の郷里”となってしまい、別の形で日韓併合が再現されてしまうのだ。大都市のみならず、全国各地に朝鮮人が拡散し、“朝鮮顔”の日本人が激増してしまうんだから、考えただけでも怖ろしい。

  保守派の知識人や一般国民は、皇室問題や教育問題、農業問題、グローバル経済化などに直面すると、口を揃えて日本文化を守れと訴えるが、「誰が」守るのかに言及しない。大抵の国民は「我々国民が」と述べるが、その日本国民は「日系」なのか「朝鮮系」「支那系」「フィリピン系」「タイ系」なのかを考えず、全国民に呼びかければ“自然と”賛同するはずだと思っている。しかし、日本の文化や伝統、神社仏閣を守るのは、日本人の両親と祖父母を持つ「日系日本人」だけである。もし、朝鮮人の片親を持つと、日本人としての意識が希薄になり、縦糸の「血統」がぼやけてしまうのだ。確かに、日鮮混血児であっても、「日本が好き」と答えるだろう。だが、その「日本」とは「現在だけの日本」あるいは「住み慣れた土地」を意味し、何千年も前から続く「神州」でも「皇国」でもない。朝鮮人や支那人との混血児が、明治の頃の日本人と同じ「国民意識」を持つのか? 彼らは「ナショナリズム」を否定的に捉えるだろう。なぜなら、自分の肉体の中に異質で恥ずかしい遺伝子が含まれていることを自覚しているからだ。日系日本人が「鮮人駆除」を叫ぶと、彼らが嫌悪感を覚えてしまうのは、体内の朝鮮的血統が反応してしまうからである。

(左: 朝鮮人の生徒 / 右: 「Kポップ」を宣伝する朝鮮人)

  こうした日鮮混血児が増える事は本当に深刻である。昔は、日教組が“日本人の”子供を「反日分子」に改造するため苦労した。しかし、朝鮮系の子供に関しては、そうした努力や洗脳は要らない。帰化鮮人の子供や日鮮混血児は、洗脳せずとも“自然と”日系国民に反感を覚えるし、自ら進んで反日運動に加わったりする。日系日本人なら、たとえ左翼史観や反皇室教育を受けたとしても、何らかの切っ掛けで間違いに気付き、皇室伝統の素晴らしさを理解し、正常な日本人へと戻ることができる。ところが、朝鮮人や支那人の遺伝子が混じった子供は、天皇陛下を目にしても畏敬の念が湧くことはなく、却って「なんだ、あんな奴。いつも威張りやがって。いったい、どこが偉いんだ? 税金泥棒じゃないか !」と思ってしまうのだ。帰化鮮人の全員が反皇室とは限らないが、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児で、いったい何人の尊皇主義者がいるんだ? 敗戦から半世紀以上経って、帰化した朝鮮人の子孫はかなりの数に上るはずだ。しかし、彼らの中から立派な伝統主義者とか愛国者が輩出されたとは聞いたことがない。朝鮮系の評論家とか大学教授で、心から日本の歴史や皇室、伝統文化を愛している人物がいたのか? あれだけ多くの朝鮮人が日本の教育を受け、日本人と結婚して子供をもうけ、親子代々日本に住み続けているのに、著名な愛国派知識人すら出現しないのだ。

国内に潜む敵

  先ほど述べた石丸次郎が、特殊部隊の侵入を否定したが、北鮮人工作員を使うのは何も金王朝だけとは限らない。たとえ、彼らの祖国である北朝鮮が崩壊しても、北鮮人が抱く反日感情は消滅しないし、支那人やロシア人が背後で操ることだって考えられるのだ。日本の支那専門家は北京政府の動向ばかり説明しているが、ロシア人とのパイプを隠している北鮮人がどれほど居るのか述べる事はない。もともと、北朝鮮はソ連が創った傀儡国家で、金日成(金聖柱)を首領に据えたのはスターリンである。この独裁者が若き金日成を選んだのは、彼が一番業績が無く、他と比べて操りやすい小僧と踏んだからだ。なるほど、北京政府が北鮮を軍事・経済の面で支援・保護しているが、ロシアが手を引いたとは考えにくい。ロシア人はマフィアと同じだから、一度摑んだ駒は絶対に放さず、徹底的にしゃぶり尽くすし、残りカスまで利用するはずだ。

  したがって、民間人を装って日本に潜入する北鮮工作員の中には、支那人やロシア人の手先が紛れていると考えた方がよい。彼らは直ぐに暴れ回るゲリラ兵とならず、「忍び」として日本に根を下ろし、パトロンの指令を待ちながら「一般人」として暮らすだろう。こうした連中の子供や孫は、やがて日本の官庁や企業、軍隊に浸透し、こっそりと極秘情報を盗み取るかも知れないし、上級幹部になって日本の国益を損なう人材になっているかも知れないのだ。(支那・朝鮮系の警察官や裁判官なんて、考えただけでも身震いする。) それ以上に危険なのは、朝鮮系の子孫が国会議員になって、朝鮮や支那、ロシアのために尽くすことである。現在でさえ、白真勲や福山哲郎といった朝鮮系議員が暗躍しているのに、更なる帰化鮮人議員が増えれば、国防計画でさえ困難な状況になるだろう。例えば、いくら自衛隊が最新鋭の戦闘機やイージス艦を購入しても、こうした反日議員が実戦使用を禁止すれば、単なる模型に過ぎない。つまり、北京政府は日本の議員を最良の「部下」として保有しているわけで、実弾を用いずとも日本の領土を征服できる。


左: 北鮮人
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右: 支那人
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  また、自衛官の中にも支那やロシアに配備された「スリーパー(忍びの草)」がいるから、いざという時は攪乱部隊として起動するはずだ。それに、支那人と結婚した自衛官の息子が自衛隊に入れば、防諜活動にとって別の問題が生じてくる。日本人は建前として民族差別を行わないことになっているから、支那系自衛官への監視が難しくなるだろう。しかし、北京から派遣された工作員は、同じ血を有する「同類」に接触を謀ってスパイに仕立てることが多い。実際、FBIに食い込んだスパイも支那系アメリカ人であったから、支那人の諜報機関は必ず混血児に目を附けてくる。たとえ、日支混血児が最初からスパイでなくても、支那人外交官に対しての抵抗感が薄いので、食事やカラオケの誘いについ乗ってしまうこともある。片親が支那人だと何かと共通点が多い混血児は、何となく支那人工作員に親近感を覚え、交際を続けているうちに“いつの間にか”情報提供者になってしまうのだ。特に、女の工作員が肉体を武器に男性の支那系あるいは朝鮮系自衛官を誘惑したら、結構その手口に嵌まってしまう者も多いだろう。

  難民の受け容れは、日本社会の隅々に損害を与えるものである。我が国の防衛力を低下させるばかりでなく、普段の生活まで食い散らかしてしまうのだ。例えば、難民がもたらす利益などは“ほぼゼロ”に近いが、医療費だけは一人前にかかるし、中には持病持ちもいるから、特別治療を受ける奴もいる。北鮮なら重病に苦しみながら死亡するだけの貧民でも、豊かな日本に来れば最新鋭の医療機器と高度な外科手術で治療して貰えるのだ。また、虫歯だらけの朝鮮人でも、「歯が痛い」と泣きつけば、即座に治療して貰えるんだから、国民健康保険をきちんと払っている日本人は激怒するだろう。日本国民が親子代々長年に亙り、高い保険料を納めながら維持してきた制度なのに、横滑りしてきた朝鮮人が“ちゃっかり”その恩恵に浴しているんだから、頭にきても当然じゃないか。もう説明するのも厭だけど、日本の刑法は犯罪者に甘く、日本の「囚人生活」ですら北鮮の「市民生活」よりも遙かに素晴らしく、“安心して”暮らせる日本の刑務所はサマー・キャンプに近い。


左: 朝鮮人女性
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右: 朝鮮人の少年
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  貧しい外人の到来は、医療費の問題だけではない。難民は子供連れで来るから、日本の人権派は鮮人の児童に対して義務教育を与えろと叫ぶはずだ。しかし、難民の子供は上流階級の私立学校に入ることができないので、必然的に庶民が通う公立学校に配置されることになる。しかし、日本語が不充分な鮮人児童が混入されれば、日本人の児童は大迷惑だ。異民族混淆クラスは、大抵の場合、学力低下に悩む。ドイツでも移民・難民の子供が多く住む地区では、学校の質的レベルが低下し、国家規模の問題となっている。国語(ドイツ語)が分からない移民の子供が、算数や数学、理科を苦手科目とするのは当り前だ。こうなれば、公立学校しか選択肢の無いゲルマン系の親は、移民・難民の流入に不満を募らせ、民族対立の火種となってしまう。日本の親だって、我が子には良い環境で最善の教育を与えたいと望むはずだ。それなのに、政府が勝手に鮮人の児童を日本人クラスに混ぜるから、日本人の親はブツブツと愚痴をこぼすようになる。毎度の事だけど、おっとりした日本の庶民は、自分が招いたわけでもない難民によって苦しむ事になるのだ。(ついでに言えば、日本の給食は北鮮人にとって高級料理と映る。毎日が豪華ディナーとなるから、大人だって学校に通いたくなるだろう。)


(写真 / 大進化を遂げる朝鮮人女性 )
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  難民問題で最大の障壁となっているのは、国内で沸き起こる「人道主義」だ。ユダヤ人が勝手につくった難民条約を締結するから、日本人はその害悪に苦しむ破目になるのだ。国家の将来や国民の日常生活を守るなら、難民条約など廃棄すべきだし、難民がボロ船に乗ってやって来るなら、躊躇せず砲撃で沈めるべきである。国家防衛とは国益を優先することで、流血を見るのが嫌だから、自滅を選ぶというのは愚者の考えだ。撃沈して溺れる難民を見て気の毒に思うのは一瞬の事である。ところが、その苦痛に耐えられないからといって難民を受け容れてしまえば、百年以上、つまり三世代以上の激痛を味わうことになるだろう。

現在の日本人は死刑を「忌まわしい」と考える平安貴族のような臆病者になっている。現実の社会には悪人がいるので、社会を維持しようと思えば、犯罪者に温情を示すべきではない。容赦無く斬首刑にすべし。国家への害悪が予想できるなら、躊躇無く北鮮難民を海の藻屑にすべきである。もし、人権派が文句を言うなら、「じゃあ、お前が日本国籍を捨てて、朝鮮半島で人道支援をすればいいじゃないか !」と言ってやれ。こうした左翼に限って、決して日本から出ようとせず、国内で快適な生活を送りながら「善人」の振りをしているものだ。大量の“みすぼらしい”北鮮人が到来した時、「難民を養いたい」と手を挙げる左翼が何人出てくるのか? 本当に楽しみである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68679896.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c8

[政治・選挙・NHK237] 安倍晋三は日本を暗い時代に戻そうというのか?  赤かぶ
1. 2017年12月16日 15:30:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
官僚がやっているんだろ

決定権が何も無い安部に責任を押し付けるなよ


民進党、反日マスゴミなどの中国人工作員・在日が流すデマ、印象操作に騙され、論理的思考が出来ず政治に無関心で正しい知識を持たない戦後の日本のような愚民国家では、政府が国のためになる正しい政策を行うことができません。

日本は中国人工作員・在日とグローバリストという二つの敵から挟み込まれている。

2017年12月12日、安倍内閣総理大臣と会食しました。

【写真 左から藤井聡内閣官房参与、三橋貴明、安倍晋三内閣総理大臣、西田昌司参議院議員】
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12335968256-14090011183.html

総理と直接お話しし、多くの事実が分かったのですが、メルマガで書ける内容ではないため、ポイントのみ。

(1)
総理はPB黒字化目標が「日本を滅ぼしている」事実を理解しており、財政拡大路線に転じたがっている

(2)
とはいえ、政治的には困難
なぜ、政治的に困難なのかといえば、
大きな理由として「世論」と「自民党」の二つがあります。

(中略)

いかに内閣総理大臣とはいえ、国民も党も味方にならないのでは、財政拡大路線に転じることはできないのです。


【三橋貴明】安倍総理と直接議論して分かったこと《最新ニュース速報》1213
https://www.youtube.com/watch?v=y_nstm93DG4

【三橋貴明】TVで言えない安倍総理と夕食会の裏話。
https://www.youtube.com/watch?v=tEL0IzdlGRU

三橋貴明 財務省によって日本は滅びる!繁栄を阻む2つの壁はこれだ!
https://www.youtube.com/watch?v=u8xTHxQ44vI

三橋貴明 NHKはなぜ反日なのかを語る
https://www.youtube.com/watch?v=p24iCUOElsg

三橋貴明が朝日系列の番組で朝日新聞に痛烈!「全部ウソですよ」 1126
https://www.youtube.com/watch?v=VbesJQJrfAY

東アジアを“無秩序”にした日本国憲法 北朝鮮に侮られ、中国は尖閣奪おうと連日包囲
http://www.sankei.com/world/news/171214/wor1712140002-n1.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/256.html#c1

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
60. 中川隆[-5776] koaQ7Jey 2017年12月16日 16:04:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

fall_soldierさん 2017/2/7 21:37:05

富良野スキー場では、ファットスキーで楽しめますか?
それとも基礎系の板の方が楽しめる感じですか?

勿論天候にも左右されると思うのですが!


k1200gtjpさん 2017/2/9 15:53:07

毎晩ピステン掛けますから、基礎板です。
オフピステならファットでも。
白人さんは皆ファットで、オフピステしか行きません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14170228599?query=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC&status=solved


tamakinzzzzさん 2013/12/12 22:46:00

ファットスキーでパウダーってのは、メーカーの戦略?

ファットスキーでパウダーってのは、大部分がメーカーの戦略、という意見を読みました。
本当ですか?
太くても意味ないってこと?


namerikawa1000さん 2013/12/13 12:06:37

新たな分野でブームをおこして売り上げにつなげるメーカーの戦略はと言う意味では正しいです。
それはアパレルであろうが食品であろうがみんな同じでしょう。

でも太さは大きな恩恵があります。
たいして上手くもないボーダーがパウダー斜面を滑れるのは幅広だからです。

スキーも全く同じようにパウダーが滑りやすくはなりますが、引き換えに整地が全然楽しくなくなります。

daienshinkaramonoさん 2013/12/14 09:11:31

下記の方々の言われる通りです。

先ず、貴方が未圧雪の深雪を滑る経験が豊富でなければ理解しにくい。

そしてカービングなどは圧雪された堅い雪でエッジを立てながら滑る似は堅い板が向いている。

ビンボーな訳でもないけれどゲレンデスキーをホドホド(一本で)に楽しもうとすると「オールラウンド」系を選ぶと。。。

深雪もナントカ。。。圧雪もナントカ。。。。 (カービング大回りはパタパタで怖いけどコブは楽)

あらゆる雪を体験しなければ、メーカー戦略なんて方向の思考回路になっちゃうのかなぁ?

kf0004_2さん 2013/12/13 20:13:24

単純に太い方が技術レベルに関係なく浮力が出しやすいことは事実ですよ。

極端な例で、同じ長さのスキーとボードで深雪を滑ったとすると、ボードの方が自由に滑ることができるはず。

ボーダーが深雪を簡単そうに滑っているのはそのせい。実際、アルペンボードでもスキーより簡単に浮かせられます。

板が細ければ細いほど、深雪滑るのには技術と体力が必要です。

なにせ、ほっとけば深雪ではスキーが勝手に潜っていくので、トップを浮かせる筋力と重心移動技術が必要ですからね。

メーカー側のうたい文句も

簡単に楽しく深雪が滑れますw

的な感じですからね。間違いじゃないです。

ただ、あの手の板は整地されたゲレンデには向かないということは、メーカーも言わないですがw

ID非公開さん 2013/12/13 18:19:19

パウダーを滑る事が目的のヘリスキーでは 国内は判りませんが、
カナダではスキーの方はファットスキーでないと お断りで最悪ヘリ会社のをレンタルして下さいでした。

纏まった人数で決まった時間内で回すヘリスキーでメンバー内にノーマル板で転びまくる方居たら困りますからね。


lovecats_hさん 2013/12/13 13:19:42

ニーズがあるから商品化するので、顧客のニーズでもありメーカーの戦略でもあります。

これまで、レース、指導としてきてスキーはレーストレーニング用でしたが昨シーズン途中からフリーライドのスキーに変更。

レース用に比べればスピード対応は高くはないですが、ゲレンデでのフリーなら問題ないです。

レース用、デモ用でも滑れますがゲレパウだけでなくBCでは楽しさが比較になりません。
このことを差し引いても変えて良かったと思ってます。

jijiski63さん 2013/12/13 09:36:43

そんなことはありません。

圧雪されたゲレンデに積もった新雪なら少々深くても普通のスキーでいけますが、オフピステの新雪・深雪だとファットスキーのものです。

また、圧雪されたゲレンデに積もった新雪でも、技術がない場合は威力を発揮します。

ようは、どのような用途で使うか、どんなシチュエーションに重きをおくか次第ではないでしょうか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11117848841
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c60

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
61. 中川隆[-5775] koaQ7Jey 2017年12月16日 16:08:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

arashic_attyanさん 2014/5/27 16:58:28

スキー板のファットスキーの他の板とは違う特徴を教えてください。

補足
どのような工夫によって新雪を滑りやすくなったのでしょうか。
よろしくお願いしますm(_ _)m

yoshihiko_powpowさん 2014/5/28 00:37:18

シンプルに、名前の通り通常のスキーより幅が広いスキーです。

幅が広い(面積が広い)ことにより、深雪でも沈みにくくなります。
想像してください。雪に腰まで埋まった状態と、足首まで埋まった状態。
どちらが自由度が高いでしょうか???

また、最近のスキーはロッカーといって、板のトップ側の反りが大きくなっています。
これによって、滑走中の浮きやすさが増して、深雪が滑りやすくなります。

pi_papa_jpさん 2014/5/28 07:57:50

>ファットスキーの他の板とは違う特徴

一番の違いは、「ゼロキャンバー」であるところです。

もともと、沈みやすい雪を踏むのですから、なによりも浮力重視。
これと連携して、トップロッカーの大きさも、ゲレンデ板とは異なります。

あと、深雪ランに特化していくと、えぐれたサイドカーブもなくなり、逆にツチノコカーブのものもあります。


toshigimaさん 2014/5/28 05:58:59

基本的に新雪などを滑るのに適した板です

ゲレンデ以外を滑ることにも適しています

ゲレンデと兼用タイプもあります

素足とかんじきの違いと同じという事ですよ

素足なら雪に深く埋まってしまうのをかんじき(スノーシュー)をつければ面積が広くなって埋まらない

ファットスキー=幅広スキーは物によっては普通のスキーの2倍以上の面積があります

その分軽い新雪にも埋まりにくいという事が出来るのです
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10129708625
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c61

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
62. 中川隆[-5774] koaQ7Jey 2017年12月16日 16:31:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

emelianenko_fedor1958さん 2013/3/18 10:39:48

ファットスキーて使用頻度多いですか?

バックカントリーブームで雑誌も盛んにファットスキー特集してます。
でも ファットスキーを買っても 最初のうちは毎回使ったけど、 その太さと重さを持て余して次第にあまり使わなくなってしまい、物置でほこりをかぶって放置してる人やオークションで手放してしまう人も多いと噂で聞きましたが 本当でしょうか?・・


smrgd938さん 2013/3/19 21:28:04

するどい質問ですね
そうなんです。

自分は新雪が全く滑れなかったのですが、試乗会でファット(センター95mm、長さ179cm)に乗ったところ簡単に新雪が滑れたのでファットの虜になり、早速購入してパウダー突撃を繰り返したものですが、板のおかげであっという間に新雪滑るコツをつかんじゃって、1・2シーズン後には別にファットでなくてもゲレンデパウダー程度では不自由しなくなるという...。

ちなみに今シーズンはそのファットスキー、一度も出番がありません。
センター74mm、長さ170cmのオールラウンド板で十分になりました(^^;

ファットスキーという道具が技術を導くのですが、獲得した技術によって道具が不要になるというこの矛盾...。


質問した人からのコメント 2013/3/22 21:57:16

実は行きつけのスキーショップにブラックダイヤモンドのファットが安売りしていたので 来シーズンのために買っておこうかと考えてていたのですが みなさまのご回答を拝見しまして もう少し慎重に検討することにします。


k_fzr1000さん 2013/3/19 00:52:15

>使用頻度多いですか?

全然! f(^=^;)
汎用性が無いですから、出番が中々来ない。結果、持ってるだけ。(苦笑)

重さは、寧ろ軽いんじゃないかなぁ、と思います。何せ常用している準GS板のプレートが重いモンで。(苦笑)

ですから、人夫々でしょうねぇ。

八方で外人さんが履いてるのを多々見掛けますが、もうその板じゃ無いだろって時期・雪質でも履いてたりしますので、レンタルも考えて貸せよぉ、と思いますです。(^^;)

追加

以前、大荒れに成った翌日の猫間で持ち出して、酷い目に遭った事が有ります。

未だ全部運転開始して無い位だから、一部じゃさぞ積もっただろう・・・と期待したら、却って強風で吹き飛ばされて凍ったテロンテロンが顔を出していたりする様な状況。

で、バーンが硬いと、幅が広過ぎる板は、角付けを起こされちゃうんでずねぇ。d(^^;) これが物凄く疲れる。

加えて、ロッカー形状に成ってたりすると、しっかりエッジングする為に、妙に腰を落として椅子に座ったかの様な姿勢に成る。増々疲れます。

硬い所じゃ、良い所が無いんですヨ。(苦笑)

又、新雪であっても湿度が高い雪だと、除雪抵抗が大きく成り過ぎます。
フォーミングのブーツでも、足が揉まれる位に。

そういう意味で、状況を選ぶんですね、太い板は。
だから出番も少なく成ってしまうのです。

hitiwanaamagoさん 2013/3/18 15:55:54

ファットスキーはセンター幅が広く浮力を大きくしたスキーですのでゲレンデに未圧雪のエリアが残っていれば使うと通常のスキーより簡単にスキーが浮き滑りやすいです

短所は太い分重量が増えエッジまで中心より遠くなるのでエッジ感覚が鈍くなったり硬いバーンではかかりが悪くなります

極端に太いセンターが100オーバーの板でなければ「セミファットと呼ばれています」整地バーンも使えますよ

近年流行のロッカーの形状とも合わせて極端なファットでなければゲレンデでも十分使えます

ただ人口雪のように極端に硬いバーンになるとやっぱり気持ちよくないです

t14849281621さん 2013/3/18 15:38:23

時々やっている人を見かけますが、山スキー専門の板です。
普通のゲレンデとか向いてないが、深雪とかヘリスキーなどを専門の板ですから。

人によってはぜんぜん使ってない人もいますが・・・
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10103984055
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c62

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
63. 中川隆[-5773] koaQ7Jey 2017年12月16日 18:59:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

663名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 02:52:31.68

去年初北海道で富良野いって本州との違いにやられ気に入った
今年どこ行こう

664名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 04:39:34.06>>668>>672>>674

関東から行くけどルスツも札幌国際も朝里も小樽も富良野もカムイもいきたい
えらべねえよおお


672名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 17:55:08.83
>>664
その中なら混み具合と規模のバランスでルスツでええやろ

668名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 13:10:21.66
>>664
札幌泊日帰りでいいやろ ニセコも行ける

674名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 18:09:32.80
>>664
全部行けばいいだろ
札幌泊でどこも日帰りできるよ
一番遠い富良野が片道2時間って所か?

669名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 13:51:46.83

胆振側住人からすると札幌からニセコ日帰りは嫌だな


671名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 17:35:03.71

札幌国際ふっかふかでした。さらにシニア1600円で最高でした。
ファットスキーが大活躍。ゲレンデでパウダー遊びができる稀有なスキー場ですね。

667名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 09:27:26.49

糠平は?


693名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 05:37:16.46

糠平良いけど周りになんもねえ


665名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 08:01:26.29>>673

俺は逆に本州で滑ってみたい。長野や新潟の豪雪ニュース見ると北海道と変わらないと思うし、食堂とかもサービス良さそう。

673名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 18:04:45.93>>675>>677
>>665
いや待て待て
ハイシーズンの時期で北海道の4月中頃の雪だぞ
きれいなバーンは朝だけ、すぐボコボココブだらけだよ?


677名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 19:20:35.24
>>673
さすがにそれは無いんじゃないかな?
新潟辺りが雪重いのはなんとなく想像つくけど、長野や山形の月山とかなら期待していいんじゃない?
岐阜から向こうは行こうとは思わんけど。

675名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 18:57:04.36>>676
>>673
へー 俺も本州で滑った事ないから分からんけど、標高の高い所だとあんま変わらないって本州から来た人間が言ってた


676 6732017/12/14(木) 19:19:43.94
>>675
オレ 3年前に北海道転勤になったんだけど、はじめてテイネに行ったとき、ピステンの上に薄パウのってる状態が朝から帰るまで続いて、こんなのがあるのか!って感動したよ

長野、新潟のスキー場じゃ経験したこと無かったなぁ。すぐ雪同士がくっついてコブ
もっと標高の高い御岳とか乗鞍だと同じなのかもしれないけど

666名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 08:09:01.75>>670

本州住みで両方滑るが、雪の量は長野や新潟の豪雪地帯のほうが多い。
ただ、気温が高めだから、降雪量と相まって雪はとんでもなく重い。
修行として滑っておくと、どこでも深雪を簡単に滑れるようになる。


670名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 14:10:19.25
>>666
長野や新潟は雪の量はあるよね
大体本州で極上と言われるときの雪質で北海道では普通くらいの質

ただそれよりもスキー場の規模が全くちがうから、コース狭いし混み混みだし、パウダーは平日でも争奪戦でオープン1時間も持たないし、みんなピリピリしてる


682名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 20:55:38.13

ここ5年ほどシーズンに数回、北海道に遠征してる関東勢だが
去年の2月の連休の時の白馬の雪は北海道の今くらいのサラサラ雪で、 感動した。


690名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 02:50:15.20

甲信越の2000m級=東北の1000m級=北海道の平地のスキー場かな

北海道で標高高いところの雪質には本州じゃ勝てない

724名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 23:58:57.95

本州なんて滑る価値ないだろ

678名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 19:27:38.02>>679>>684>>691

向こう出身の彼女の話によると、
標高が高いところは、そこそこよい雪だけど、
そこまで行く労力と時間が北海道とは比べようがないらしい。

下界から2時間程度でいけるスキー場で、
まともな雪があるのは1か月くらいで、しかも重たい雪。
その後は、溶けて凍ってガッチガッチのザラザラ。

北海道人はそう思わんのだろうが、
車で2時間ちょっとで行ける、
ルスツ、ニセコ、キロロに行けるのはすごことらしい。

691名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 02:56:11.71>>692>>694>>695
>>678
2時間でニセコってのも凄いけど、それ以上に1時間未満でテイネや札幌国際ってのが凄くない?

同じ政令指定都市の仙台とか新潟に住んでれば2時間ちょっとで、安比や蔵王、かぐらや白馬には行けるけど、街中から1時間のスキー場のレベルは札幌と雲泥の差がある


692名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 03:05:08.85
>>691
国際が約一時間で行けるのは本当にすごいと思うわ
休みの日とか、起きてから行こっかなーで行けちゃう簡単に行けちゃうからな
しかもバスも格安


694名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 08:05:14.09
>>691
盛岡からなら安比や雫石とかは近いよ。
雪質も悪くないし。

695名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 09:03:10.28
>>691
テイネなんて結構登ったインターの辺りまで家があるし。
あの辺に家建てるのはやはりスキー目的なのかな。


679名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 20:33:58.39
>>678
リフト9時からだから8時50分頃着くと良いよ
なんて言ったら怒られるし、信じてもらえないよね

684名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 21:31:45.22
>>678
かぐらなんかはトップの標高が1850mくらいあるが、
新幹線+バスorタクシーで東京から1時間半で着くぜ。
で、スキー場は天然雪で6月までオープン。

680名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 20:47:27.28

あと相乗りな。
北海道では現地集合がデフォだが、内地では相乗りしないと交通費で破産する

681名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 20:51:44.75>>683

本州だと土日は降るとリフト運航1時間以上前に並んで、さらに横入りされて喧嘩起きて、リフトおりたらレース

一瞬でコース外までギタギタ

685名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 21:44:10.04

>本州だと土日は降るとリフト運航1時間以上前に並んで、さらに横入りされて喧嘩起きて、リフトおりたらレース

これはまさにかぐらだわw
最低でもロープウェイ運行開始30分前に並ばないと1便に乗れない。


>一瞬でコース外までギタギタ

かぐらの場合、これはないな。
(リフトを使ってお手軽に)コース外滑走できるエリアが広いから、
遠くまでトラバースしたり木の密度の濃い所を攻めれば昼頃でもノートラックは残っている。

683名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 21:03:15.75>>686
>>681
そんな流行ってるスキー場羨ましいわ。
福島のスキー場リフト待ちなんてほとんどないぜ。

686名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 21:47:50.47
>>683
福島っていうか東北は本州で最後の楽園だとおもう
雪よくて海外からも少なくて空いてるし

新潟長野は外人特に中国人が多くてすごい

687名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 21:59:42.40

福島は、外人バリアあるからなw

688名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 22:05:37.83

中国人が多いのはトマムとGALAだな。
どっちも中国人は多いが、滑っている人はほとんどいないけどw

689名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/14(木) 22:18:31.74

年明けにルスツとテイネに行くわ
雪もたっぷりありそうだし楽しみだな


696名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 09:17:40.51

レス見てGooglehomeに「テイネスキー場まで何キロ?」て聞いたら31キロだった。
藻岩山スキー場までは7キロだった。

だけどまだ滑りに行ってないわw

697名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 10:09:42.33

道央とかナイターでも斜面荒れないよね。あれは衝撃を受けたわ。

698名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 10:27:31.92

いや、ゲレンデによるだろ?
テイネとか荒れにくいけど、オーンズとかフッズとかボコボコ。

699名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 11:21:22.16>>700>>705>>709

北海道行ったことなくて今シーズン行きたいんだけど、2泊3日の泊まりで行くとして、札幌市内のビジネスホテルとかに泊まってバスでルスツまで行くってのは現実的?


700名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 11:39:15.48
>>699
札幌駅周辺に泊まってルスツ号で行くなら現実的


705名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 12:59:40.48
>>699
ルスツ号は、読売新聞ビルの横からでているから、グレイスリー札幌ホテルとか便利そう
アクセスライナーのでているホテルで大丈夫だけど。

東京や大阪発なら、普通にJAL/ANAの札幌ステイのスキーツアーで行くのが安くていいと思う。


709名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 13:53:53.85
>>699
ルスツで滑るだけが目的で札幌に用事がないなら洞爺湖温泉に泊まって道南バスorレンタカーで行くのがマジでおすすめ(約30分)
もし俺がルスツに行く日なら乗せてってやる


701名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 11:52:11.20

まあそのまま留寿都に泊まれば時間も気にせず色々楽で便利だとおもうけどな
高いけど

702名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 11:56:38.31

シーズンのルスツとニセコのホテルは庶民には高すぎるからな
ルスツはニセコのような格安ペンションという逃げもないし

707名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 13:35:54.06

北海道リゾートライナーが停車するホテルを宿とすれば?
帰りが遅い便なら7時間半くらいルスツに滞在できるはず

704名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 12:22:38.72

レスありがとう。
駅周辺ならなんとかなるんだね。
ギリギリまで滑ってたい人間だから、ホントならルスツに泊まりたいけど出遅れちゃったし高いしでなかなか。

710名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 18:03:22.64

ちなみにルスツに行くとして、何月が一番コンディションいい?
例えば山形蔵王だと樹氷観れる1月下旬から2月頭が雪質も観光的にもいいとかあるけど、北海道だとどうなのかな?

711名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 18:26:58.13

1月下旬から2月かな

712名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 18:41:16.25
>>710
雪質いいのは1〜2月だけど、その時期だと裏磐梯や蔵王でも雪質いいよね
福島周辺と北海道で差が出るの12月と3月かな!

北海道でももちろん、低気圧通過した後とかだと湿った雪にはなるから運の要素も多いけどね

714名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 19:06:46.07
>>711>>712
なるほど、ハイシーズンは同じなんだねー。確かにその時期は本州も良い。
とはいえ、ハイシーズンの北海道を体験したいからやはりその時期に行くしかないな。


719名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 22:20:55.26
>>712
いや、そのいい時期の北海道は、そっちのスキー場の良い状態よりもっと良いと思うよ
2月中頃は、外れる可能性があるから、1月中旬から2月上旬までが良いと思う


716名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 19:25:46.97>>723

明日はニセコルスツどうかな
昨日今日降ったの?

723名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 23:41:53.90
>>716
ルスツは降ってないからパウダーは期待しないほうがいいかな


717名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 20:04:38.44

今日の午後、初めてルスツで滑ってきた
すぐ飽きるだろうと思っていたけど、ナメててスマンカッタって感じ
イゾラの方も予想してた以上の斜度があって疲れたよ…(少しガリガリしてたし)


703名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 12:10:33.3

ルスツ半額(´・ω・`)

1/9までだけど

https://travel.dmkt-sp.jp/sp/info/coupon/171215.html?FM=top-le-main01


706名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 13:18:58.75
>>703
なんじゃこりゃ!!!衝撃じゃねーか

708名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 13:38:47.61
>>703
ルスツ号とそれ使ったら2850円で滑れるのか
いいなーいいなー


713名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 18:47:42.77
>>703
これの買い方がわからん…
誰か教えて

715名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 19:19:01.91
>>713
明日から


718名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 22:16:05.35
>>703
それで1日券買って、次半額券もらえたら凄い


720名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 22:25:55.56
>>718
もらえるみたいだよ


721名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 22:57:08.62
>>720
まじかよ
じゃあ10枚くらい半額で買っておいてルスツ半額→テイネ半額を繰り返せるわけか

722名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/15(金) 23:13:35.86

電子チケットだから転売対策されてるのか
枚数制限はなくて期限は3ヵ月

早割要らなかったな
処分しようか


744名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/16(土) 17:06:01.43

ルスツ半額で10枚ゲッツ
二回目はテイネ、中山峠で消化するわ

745名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/16(土) 17:09:00.09

この手のはリフト券売り場でスマホに該当画面を提示して係に見せればおk
処理は一日券購入と同じだから半額クーポンもちゃんと出てくる

746名無しさん@ゲレンデいっぱい。2017/12/16(土) 17:26:49.34

売れすぎて販売停止にならんか不安やで
実際使えたかレポよろしこ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1508583669/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c63

[経世済民124] 「一帯一路」に協力姿勢 日本の態度に変化(人民網日本語版) 無段活用
1. 中川隆[-5772] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:06:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017-12-16
異国を覆い尽くす中国人と、やがて生まれてくる中国人の街

アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコは、人口の5分の1である約85万人が中国系移民で占められている。

そして2011年にはエドウィン・M・リーという中国系市長を生み出した。

この市長は2017年12月12日に謎の死を遂げているのだが、いずれはまた中国系の市長が生まれるのではないかと噂されている。その裏には中国政府の意向も動いているからだ。

異国で急激に増えて政治に進出し、じわじわと市や州や国を乗っ取っていくのは中国の常套手段である。中国がこの手法を採れるのは、2つの条件が整っているからだ。

1つは莫大な人口がいること。もう1つは国民が他国に定住することを厭わない気質を持っていることだ。確かに中国は莫大な人口を抱え、そして人々は金のためならどこにでも行く。

中国の人口は、約13億7900人である。世界の人口で言うと、7人に1人は中国人である。

その中国人は、昔から「白手起業」という言葉があって、何もないところから叩き上げて成り上がっていくのが「普通の生き方」として捉えられている。

日本人と違って組織に属することもなく、自分の肉体と才覚だけでのし上がるのが王道だと考えているのだ。


世界中で増殖し、世界中から排斥される中国人

中国人が組織に属しても往々にして賄賂を取ったり私腹を肥やしたりするのは、やはり組織内で自己ビジネスをしているのだと考えれば、そのメンタリティが理解できる。

そういった国民性があるので、彼らが信じるのは自分だけだ。他人や、組織や、国など、まったく眼中にないことが多い。だから彼らは、いとも簡単に国を越えて世界に出て行く。

ロシアでも、アメリカでも、オーストラリアでも、カナダでも、アフリカでも、東南アジアでも、彼らは金が儲かると思えば、どこにでも行く。

次々と国を渡ってそこに定住し、ひとりが成功すると家族をどんどん呼び寄せてネズミ算式に増えていく。そのために中国人の排斥運動はどこの国でも頻繁に起きる。

たとえばニュージーランドでも、あまりにも増えすぎた中国人に嫌気が差した人の一部が「中国人は出て行け」という排斥運動を起こしている。

カナダでも中国人の入国拒否が行われている。バンクーバーは中国人に乗っ取られたのではないかというほど中国人だらけであり、2012年からカナダは中国人移民を制限するようになっているのである。

フランスでも、中国人が現地のフランス人に襲われている。フランスのメディアは「フランス人の学生は、中国人に侵略されているという意識を持っている」という要旨を記事にしたこともある。

アフリカでも事情は変わらない。ケニアでも中国人排斥運動が起きているし、ガーナでも中国人排斥運動が起きている。「金のためなら何でもやる」「訳の分からない中国文化を持ち込んで広げる」というのが、排斥の理由だった。

ロシアでも国民の半数がチャイナタウンに嫌悪感やマイナスイメージを持つ。「中国人は文化的な素養が低すぎる」として、移民摘発では狙い撃ちされている。

ロシアと言えば、モスクワのチェルキゾフスキー市場が強制閉鎖されているのだが、これはもちろんロシア政府の「チャイナタウン潰し」だった。

チェルキゾフスキー市場は白手起業の中国人で満ち溢れ、密輸や模造品、海賊版、粗悪品、コピー品の温床だった。チャイナタウンが密輸品の宝庫であるのは確かだ。

何でもある。ニセ物からジャンク品、日用品からポルノ、宝石から食料品。ないものがない。

バンコクのチャイナタウン「ヤワラー地区」。すでにここは現地の一部のようになっている。


チャイナタウン初期は貧困層と切り離せない

世界中で中国人の排斥運動が起きているのだが、これは逆に言えば中国人が世界中に「進出」しているということであると理解しなければらない。

若い中国人は留学生としてその国に潜り込み、そしてアルバイトや違法就業によって現地に根付いていく。あるいは、最初から商売目当てで、徒手空拳、裸一貫でその国に入り込む中国人もいる。

海外でビジネスをする中国人は「華僑」と呼ばれている。東南アジアでもお馴染みの「人種」だ。

この華僑と呼ばれる人たちは、素晴らしい技術やサービスでのし上がってきたわけではない。

仕入れの金もない者は、料理人や、床屋や、クリーニング屋のようなところで肉体労働から始まる。

何か仕入れる金を持っている者は、集団で固まって、貧困層が買う安い物を売って生きるところから始まっている。安っぽい日用品や、安っぽい食品が多い。

一般的に、最初は仲間内でのビジネスで始まるが、やがて値段の安さや品物の豊富さに釣られた現地人が訪ねるようになって、そこがチャイナタウンとして機能していく。

貧困層にとって大量の物資が安く買えるというのは、取り澄ました高級品を丁寧なサービスで買うよりも重要なことだから、チャイナタウンはそれで現地に根づくのである。

貧困とチャイナタウンはまさに双子の兄弟のようなものだ。チャイナタウン初期には、貧困層と切っても切り離せない。

しかし、貧困層を取り込んで発展していくという特徴もあって、マナーも悪く、貧困層特有の無法や無秩序が増長していく。そもそも、売っているものが、海賊版だったり、違法商品だったり、まがい物だったりして、最初からいかがわしい。

それがその国の文化にはそぐわないので、強い軋轢や摩擦を生み出し、社会問題に発展する。どこの国でもチャイナタウンは最初のうちは「嫌悪感」の対象になる。

フィリピンのチャイナタウン。英語の看板と中国語の看板が渾然一体となっている。フィリピン人はもちろん誰も中国語が読めない。


貧困層をターゲットにした新たなチャイナタウン

チャイナタウンが拡大して行くと、組織抗争もしょっちゅう起きる。

1980年代のニューヨークでもそうだったが、チャイナタウンには狭い場所に堂(トン)と言われる様々な黒社会の組織が存在するので、しばしば抗争やいさかいを起こす。

1980年代のニューヨークのチャイナタウンは、ちょうどベトナム人の犯罪グループと中国人の黒社会グループが対立が目立っていた頃だった。

ある朝、中国人側のグループに属するホステスが殺されて、全裸にされて道端に転がされていたというので大騒ぎになっていたが、見せしめだと噂されていた。

2000年頃は、日本でも日本最大の歓楽街である歌舞伎町には中国人マフィアが増えていた。一時は中国人に占領されるのではないかというほど中国人が集まったのだ。

そこに起きたのが、中華料理屋で対立するグループが青龍刀を振り回して相手を惨殺した事件だった。日本の大都会で青龍刀が振り回されるのだから、多くの日本人はこの事件に驚いた。

当時の石原慎太郎都知事が2004年から歌舞伎町の浄化作戦を始めたのは、まさに中国人マフィアをこの街から排斥するためでもあった。

石原慎太郎は歌舞伎町を乗っ取った中国人のゴロツキに激しい嫌悪を抱き、敵愾心を剥き出しにしていた。この浄化作戦で中国人のゴロツキは姿を消したが、潜伏先は池袋だったので今度は池袋の北口側が中国人の牙城と化した。

チャイナタウンは計画的に生まれるのではなく、中国人の数が増えたところで不動産が次々と買い取られて街が中国色に染まって生まれるのである。

チャイナタウンを好む人がいる一方で、現地当局や周辺住民にとっては迷惑この上ないとして非常に嫌う人も多い。

池袋や西川口は、中国人が自然増殖している最中で、オセロの白が黒のひっくり返るように、日本人が消えて中国人に占拠されるのではないかと懸念する人もいる。

日本では、横浜中華街も神戸の南京町も、どことなく上品な観光地的な街になっている。完成された中華街は観光地へと変貌する。

しかし、チャイナタウンの「始まり」は、いつもカオスと無秩序と軋轢の中だ。

すでに日本には底辺で100万人以上もの中国人が入り込んでいる。この流れはさらに加速して、日本のあちこちでチャイナタウンの「芽」が育つ。

やがてそれが大きな潮流となったとき、横浜や神戸とはまた違ったチャイナタウンがどこかで生まれ出てくるはずだ。日本に、それができる。

横浜のチャイナタウン。横浜最大の観光街として欠かすことのできない場所でもある。


池袋の中国人専門の書店、食品店、料理店、旅行代理店が大量に入り込んでいるビル。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171216T0202400900.html

http://www.asyura2.com/17/hasan124/msg/880.html#c1

[中国12] 「日本への配慮」、中国メディアの報道にも  赤かぶ
2. 中川隆[-5771] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:09:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>1
>兄弟たちが住む地への略奪・破壊の侵略戦争に、
明治以前は地域性が多様であった各地に
さまざまな言語があり(日本語は人工言語)、この国は
多様な「民族」の集合体であるのが眼にも明らかだったのが、

また嘘言ってる

日本語は縄文時代に話されていた言葉で、それ以降も語彙が増えただけだ
http://www.asyura2.com/17/china12/msg/407.html#c2

[中国12] 「日本への配慮」、中国メディアの報道にも  赤かぶ
3. 中川隆[-5770] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:11:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

支那人に征服される呑気な日本

支那人に狙われた北海道

Chinese woman 1Chinese 11
(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)

  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)

  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

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(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)

  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。

チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)

  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)

  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)

  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)

  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)

  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)

  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)

支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)

  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

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(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)

  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)

  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)

  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)

  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)

  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)

  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)

  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html

2017-12-16
異国を覆い尽くす中国人と、やがて生まれてくる中国人の街

アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコは、人口の5分の1である約85万人が中国系移民で占められている。

そして2011年にはエドウィン・M・リーという中国系市長を生み出した。

この市長は2017年12月12日に謎の死を遂げているのだが、いずれはまた中国系の市長が生まれるのではないかと噂されている。その裏には中国政府の意向も動いているからだ。

異国で急激に増えて政治に進出し、じわじわと市や州や国を乗っ取っていくのは中国の常套手段である。中国がこの手法を採れるのは、2つの条件が整っているからだ。

1つは莫大な人口がいること。もう1つは国民が他国に定住することを厭わない気質を持っていることだ。確かに中国は莫大な人口を抱え、そして人々は金のためならどこにでも行く。

中国の人口は、約13億7900人である。世界の人口で言うと、7人に1人は中国人である。

その中国人は、昔から「白手起業」という言葉があって、何もないところから叩き上げて成り上がっていくのが「普通の生き方」として捉えられている。

日本人と違って組織に属することもなく、自分の肉体と才覚だけでのし上がるのが王道だと考えているのだ。


世界中で増殖し、世界中から排斥される中国人

中国人が組織に属しても往々にして賄賂を取ったり私腹を肥やしたりするのは、やはり組織内で自己ビジネスをしているのだと考えれば、そのメンタリティが理解できる。

そういった国民性があるので、彼らが信じるのは自分だけだ。他人や、組織や、国など、まったく眼中にないことが多い。だから彼らは、いとも簡単に国を越えて世界に出て行く。

ロシアでも、アメリカでも、オーストラリアでも、カナダでも、アフリカでも、東南アジアでも、彼らは金が儲かると思えば、どこにでも行く。

次々と国を渡ってそこに定住し、ひとりが成功すると家族をどんどん呼び寄せてネズミ算式に増えていく。そのために中国人の排斥運動はどこの国でも頻繁に起きる。

たとえばニュージーランドでも、あまりにも増えすぎた中国人に嫌気が差した人の一部が「中国人は出て行け」という排斥運動を起こしている。

カナダでも中国人の入国拒否が行われている。バンクーバーは中国人に乗っ取られたのではないかというほど中国人だらけであり、2012年からカナダは中国人移民を制限するようになっているのである。

フランスでも、中国人が現地のフランス人に襲われている。フランスのメディアは「フランス人の学生は、中国人に侵略されているという意識を持っている」という要旨を記事にしたこともある。

アフリカでも事情は変わらない。ケニアでも中国人排斥運動が起きているし、ガーナでも中国人排斥運動が起きている。「金のためなら何でもやる」「訳の分からない中国文化を持ち込んで広げる」というのが、排斥の理由だった。

ロシアでも国民の半数がチャイナタウンに嫌悪感やマイナスイメージを持つ。「中国人は文化的な素養が低すぎる」として、移民摘発では狙い撃ちされている。

ロシアと言えば、モスクワのチェルキゾフスキー市場が強制閉鎖されているのだが、これはもちろんロシア政府の「チャイナタウン潰し」だった。

チェルキゾフスキー市場は白手起業の中国人で満ち溢れ、密輸や模造品、海賊版、粗悪品、コピー品の温床だった。チャイナタウンが密輸品の宝庫であるのは確かだ。

何でもある。ニセ物からジャンク品、日用品からポルノ、宝石から食料品。ないものがない。

バンコクのチャイナタウン「ヤワラー地区」。すでにここは現地の一部のようになっている。


チャイナタウン初期は貧困層と切り離せない

世界中で中国人の排斥運動が起きているのだが、これは逆に言えば中国人が世界中に「進出」しているということであると理解しなければらない。

若い中国人は留学生としてその国に潜り込み、そしてアルバイトや違法就業によって現地に根付いていく。あるいは、最初から商売目当てで、徒手空拳、裸一貫でその国に入り込む中国人もいる。

海外でビジネスをする中国人は「華僑」と呼ばれている。東南アジアでもお馴染みの「人種」だ。

この華僑と呼ばれる人たちは、素晴らしい技術やサービスでのし上がってきたわけではない。

仕入れの金もない者は、料理人や、床屋や、クリーニング屋のようなところで肉体労働から始まる。

何か仕入れる金を持っている者は、集団で固まって、貧困層が買う安い物を売って生きるところから始まっている。安っぽい日用品や、安っぽい食品が多い。

一般的に、最初は仲間内でのビジネスで始まるが、やがて値段の安さや品物の豊富さに釣られた現地人が訪ねるようになって、そこがチャイナタウンとして機能していく。

貧困層にとって大量の物資が安く買えるというのは、取り澄ました高級品を丁寧なサービスで買うよりも重要なことだから、チャイナタウンはそれで現地に根づくのである。

貧困とチャイナタウンはまさに双子の兄弟のようなものだ。チャイナタウン初期には、貧困層と切っても切り離せない。

しかし、貧困層を取り込んで発展していくという特徴もあって、マナーも悪く、貧困層特有の無法や無秩序が増長していく。そもそも、売っているものが、海賊版だったり、違法商品だったり、まがい物だったりして、最初からいかがわしい。

それがその国の文化にはそぐわないので、強い軋轢や摩擦を生み出し、社会問題に発展する。どこの国でもチャイナタウンは最初のうちは「嫌悪感」の対象になる。

フィリピンのチャイナタウン。英語の看板と中国語の看板が渾然一体となっている。フィリピン人はもちろん誰も中国語が読めない。


貧困層をターゲットにした新たなチャイナタウン

チャイナタウンが拡大して行くと、組織抗争もしょっちゅう起きる。

1980年代のニューヨークでもそうだったが、チャイナタウンには狭い場所に堂(トン)と言われる様々な黒社会の組織が存在するので、しばしば抗争やいさかいを起こす。

1980年代のニューヨークのチャイナタウンは、ちょうどベトナム人の犯罪グループと中国人の黒社会グループが対立が目立っていた頃だった。

ある朝、中国人側のグループに属するホステスが殺されて、全裸にされて道端に転がされていたというので大騒ぎになっていたが、見せしめだと噂されていた。

2000年頃は、日本でも日本最大の歓楽街である歌舞伎町には中国人マフィアが増えていた。一時は中国人に占領されるのではないかというほど中国人が集まったのだ。

そこに起きたのが、中華料理屋で対立するグループが青龍刀を振り回して相手を惨殺した事件だった。日本の大都会で青龍刀が振り回されるのだから、多くの日本人はこの事件に驚いた。

当時の石原慎太郎都知事が2004年から歌舞伎町の浄化作戦を始めたのは、まさに中国人マフィアをこの街から排斥するためでもあった。

石原慎太郎は歌舞伎町を乗っ取った中国人のゴロツキに激しい嫌悪を抱き、敵愾心を剥き出しにしていた。この浄化作戦で中国人のゴロツキは姿を消したが、潜伏先は池袋だったので今度は池袋の北口側が中国人の牙城と化した。

チャイナタウンは計画的に生まれるのではなく、中国人の数が増えたところで不動産が次々と買い取られて街が中国色に染まって生まれるのである。

チャイナタウンを好む人がいる一方で、現地当局や周辺住民にとっては迷惑この上ないとして非常に嫌う人も多い。

池袋や西川口は、中国人が自然増殖している最中で、オセロの白が黒のひっくり返るように、日本人が消えて中国人に占拠されるのではないかと懸念する人もいる。

日本では、横浜中華街も神戸の南京町も、どことなく上品な観光地的な街になっている。完成された中華街は観光地へと変貌する。

しかし、チャイナタウンの「始まり」は、いつもカオスと無秩序と軋轢の中だ。

すでに日本には底辺で100万人以上もの中国人が入り込んでいる。この流れはさらに加速して、日本のあちこちでチャイナタウンの「芽」が育つ。

やがてそれが大きな潮流となったとき、横浜や神戸とはまた違ったチャイナタウンがどこかで生まれ出てくるはずだ。日本に、それができる。

横浜のチャイナタウン。横浜最大の観光街として欠かすことのできない場所でもある。


池袋の中国人専門の書店、食品店、料理店、旅行代理店が大量に入り込んでいるビル。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171216T0202400900.html

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/407.html#c3

[中国12] 「日本への配慮」、中国メディアの報道にも  赤かぶ
4. 中川隆[-5769] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:16:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無い

漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


勝てないロシア

中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


1979年にソ連は国ですらないアフガニスタンの武装勢力に惨敗し、10年後の1989年に撤退しました。

この敗戦はチェルノブイリ事故や大韓航空撃墜とともに、ソ連崩壊の原因になった。

この時アメリカが結成した武装勢力が「アルカイダ」で2001年にNYで9.11テロを起こし、現在も活動している。


「アルカイダ」はさらに湾岸戦争時に米軍グリーンべレーの軍事訓練を受けて「イスラム国」へと進化しました。

アメリカが軍事訓練したのはイラクのフセイン政権と戦わせるためでしたが、今はアメリカが「イスラム国」と戦っています。

こういう理由でソ連が戦ったアルカイダは、今考えるとかなり強く、もしかしたら当時の米軍でも負けたかも知れない。


ロシアの領土はもともとアイヌ人のような北方民族の土地で、彼らを追い出して住み着き、国を作った。

以来千島樺太を含めて、領土化したのは全て北方民族の土地で、その領土を守る事に掛けては強い。

だが日露戦争など他の列強と呼ばれた国には、ほぼ勝った事がない。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html

50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e

中国人は悪い。

遠からず中国人は大陸の資源を完全に食い尽くして、日本に何億人もの難民が押し掛ける事になるよ。5年先か10年先かはわからないが。

もし中国にこちらから侵略戦争を仕掛けないのなら、海上封鎖の準備をして日本に侵入して来る中国人難民を全滅させる方法を考えておいた方がいい。

中国人の頭上からガソリンを撒いて火炎放射器で火を付けるのが一番簡単か。

硫酸をかけて体ごと溶かす方が良いか?

とにかく早急に日本人の知恵を集めて何としても中国人難民の日本上陸を阻止しないといけないね。

まあ、そういう時代になれば中国人・朝鮮人撲滅ビジネスで日本中好景気に沸く訳だ。 めでたいことだな。 小沢先生の最愛の祖国は地上から消滅するけどねwwww


とりあえず、道で中国人を見つけたら必ず生卵をぶつけてやる習慣をつけた方がいいね

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/407.html#c4

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
9. 中川隆[-5768] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない


振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。

中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。



日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html


問題は日本人が中国人移民と混血してDNAが中国人と変わらなくなる事なんですね。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c9

[政治・選挙・NHK237] 遅すぎた高裁判断 火山地震国で原発再稼働など無理なのだ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5767] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:34:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
「頭がおかしい」裁判官と知恵遅れ反原発派が日本を滅ぼす
『伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分  18年9月まで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/

 四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初めて。(後略) 』


 広島高裁の野々上裁判長は、伊方原発から130キロ離れた阿蘇山の危険について、
「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」
 と説明しています。


 念のため、阿蘇山は九州中央部にあり、伊方原発は「四国」です。


 阿蘇山の火砕流が伊方原発に届くということは、大分県が「全滅」していることになります。伊方原発云々以前に、日本政府は、
「大分県及び阿蘇の火砕流が届く可能性がある九州北部に人は住んではならない」
 と、居住規制をかけなければなりません。


 無論、野々上裁判長にしても、本気で阿蘇の火砕流が伊方原発に届くことを懸念しているのではないでしょう。


 単に、
「伊方原発の運転を差し止める」
 という結論があり、その結論に持っていくために、客観的に「頭がおかしい」と判断される理由付けをしているに過ぎません。


 四国電力は阿蘇の火山について、
●現在のマグマ溜まりは破局的噴火直前の状態ではなく、今後も、現在の状況が継続するものと判断。
●阿蘇山の火砕流堆積物は阿蘇カルデラ内に限られる。
 と評価し、原子力規制委員会の了承を得ています。


 ちなみに、伊方原発の運転の停止を命じる仮処分を広島高裁に申し立てたのは、わずか4名。


 18年1月から再稼働するはずだった伊方原発の運転ができないため、四国電力は毎月35億円の損害が出ることになります。


 当然ながら、四国電力の経営は悪化し、四国全域の電気料金に影響せざるを得ないでしょう。


 狂った祖国を正気に戻すためには、どうしたらいいのか? 国民一人一人が真剣に考えなければならないのです。手遅れになる前に。


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/263.html#c1

[政治・選挙・NHK237] <大問題>東京新聞「広島高裁は、伊方原発に阿蘇山からの火砕流が到達する可能性を指摘。玄海原発も川内原発も同じような距離」 赤かぶ
1. 中川隆[-5766] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:34:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
「頭がおかしい」裁判官と知恵遅れ反原発派が日本を滅ぼす
『伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分  18年9月まで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/

 四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初めて。(後略) 』


 広島高裁の野々上裁判長は、伊方原発から130キロ離れた阿蘇山の危険について、
「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」
 と説明しています。


 念のため、阿蘇山は九州中央部にあり、伊方原発は「四国」です。


 阿蘇山の火砕流が伊方原発に届くということは、大分県が「全滅」していることになります。伊方原発云々以前に、日本政府は、
「大分県及び阿蘇の火砕流が届く可能性がある九州北部に人は住んではならない」
 と、居住規制をかけなければなりません。


 無論、野々上裁判長にしても、本気で阿蘇の火砕流が伊方原発に届くことを懸念しているのではないでしょう。


 単に、
「伊方原発の運転を差し止める」
 という結論があり、その結論に持っていくために、客観的に「頭がおかしい」と判断される理由付けをしているに過ぎません。


 四国電力は阿蘇の火山について、
●現在のマグマ溜まりは破局的噴火直前の状態ではなく、今後も、現在の状況が継続するものと判断。
●阿蘇山の火砕流堆積物は阿蘇カルデラ内に限られる。
 と評価し、原子力規制委員会の了承を得ています。


 ちなみに、伊方原発の運転の停止を命じる仮処分を広島高裁に申し立てたのは、わずか4名。


 18年1月から再稼働するはずだった伊方原発の運転ができないため、四国電力は毎月35億円の損害が出ることになります。


 当然ながら、四国電力の経営は悪化し、四国全域の電気料金に影響せざるを得ないでしょう。


 狂った祖国を正気に戻すためには、どうしたらいいのか? 国民一人一人が真剣に考えなければならないのです。手遅れになる前に。


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/261.html#c1

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
116. 中川隆[-5767] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:54:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

組織はもう人生を安定化させる役目を失ったことを自覚せよ


1990年代までの日本は、企業が終身雇用の制度を取っていたので、サラリーマンは自分の人生に責任を負う必要がなかった。どこかの企業に所属しているだけで、その企業が定年まで面倒を見てくれたからである。

そして定年後は国が引き継いで自分の面倒を見てくれた。サラリーマンは大過なく働いていれば、あとは何も考えなくても良かった。

そして、自分の仕事の結果すらも考えなくても良かったと言える。すべては「上の人」が責任を負っていたからだ。その代わりサラリーマンは会社の命令には逆らえず、人生の大半を会社に飼い殺しされることになる。

「社畜だ」とサラリーマンは自分たちを自嘲した。

しかし、「社畜生活はやってみればやめられない」と当事者は言う。なぜなら、仕事で失敗しても追い出されず、生産性を上げられなくてもクビにならず、賃金はそれなりに上がり、定年まで安泰だったからである。

自分で自分の仕事を見付け、食い扶持を探し、必死になって収入を確保するというのは、とても苦しいことだ。何しろ自分が失敗したら自分が責任を取らなければならない。下手したら翌日から路頭に迷う。

だから、会社というぬるま湯に浸かり、「社畜」として生きることに徹する日本人が大半になっていった。

自分の人生に自己責任を負わないでも生きていけた

多くの自営業者が「毎月、決まった給料を振り込んでもらえるサラリーマンが羨ましい」というのはそういうことだ。

寝ていようが、サボっていようが、だらだら仕事をしていようが、給料はそれなりに振り込まれる。定年まで、それが絶対的に保証される。

給料を意図的に増やしたければ、昼間は仕事をしないで、夜から仕事をすると、今度は残業手当というものさえも会社からせしめることもできた。

必死にならなくてもいいのだ。仕事の結果を考えなくても、会社はせっせと給料を振り込んで養ってくれる。確かに給料は安いかもしれないが、これほどの「安定」は想像できないほど恵まれたことだ。

つまり1990年代までのサラリーマンは、自分の人生に自己責任を負わないでも生きていけた特権階級だったのである。

しかしバブル崩壊と共に、こうした終身雇用の制度は徐々に機能しなくなり、見捨てられていくことになる。

バブル崩壊によって日本企業が体力をなくしたのと同時に、この頃からインターネットによる情報革新が急激に進んでいき、世界は完全なるグローバル化に覆い尽くされた。

グローバル化した社会で、ほぼすべての企業が世界中の企業と激しい競争を強いられるようになっていき、苛烈なコスト削減で生き残らなければならなくなった。

コストの中で大部分を占めているのは人件費である。だから人件費は極限まで削減される動きとなっていく。

IT化によって不要な社員は切り捨てられる。ビジネスモデルが変わっても、やはり社員は切り捨てされる。企業が競争に負けても社員は切り捨てられる。会社に利益が上がっても、不景気に備えて社員が切り捨てられる。

つまり、会社はもう終身雇用とは真逆の経営をしている。常に社員を削減する方向で動くようになったのである。


企業の「利益」がすべてにおいて最優先される世界

今までは、「どこか大きな会社に就職すれば将来は安泰」という標準的な人生設計が日本人にはあった。それが崩れた。サラリーマンは安定した職種ではなくなって、突如として日本人は目指す人生設計を失ったのだ。

そして今、日本人は社会を頼りなく浮遊している。企業が不要だと思う社員をどんどん切り捨てていくようになった結果、転職は当たり前の社会となった。

そして、どのみち社員は辞めさせるか、勝手に辞めるので、最初から社員として雇わずに非正規雇用で使い捨てにするのが常態となった。

総務省の労働力調査でも、非正規雇用が今も相変わらず増えていることが確認されている。

ひとつの企業が、その人の人生を定年まで面倒を見ることがなくなり、「自分の面倒は自分で見ろ」ということになっていったのだ。

こうした傾向は、インターネットの高度な発展、人工知能の進化、ロボット化などによる雇用を削減するイノベーション(技術革新)によってさらに苛烈なものになっていく。

こうした次世代の技術革新をリードし、圧倒的な優位に立っているのはアメリカの巨大ハイテク企業である。こうしたイノベーションが世界を席巻し、支配していくようになる。

だから、雇用はさらに減り、削減され、従業員は今よりももっと「コスト扱い」されて、切り捨ての対象になっていく。容赦ないリストラ、非正規雇用、低賃金、使い捨ては、止まらない動きになる。

ブルーカラーの仕事も大幅に減るが、ホワイトカラーの仕事もまた削減されていく。これから起きるイノベーションは、時代を凄まじく変化させていく。

それなのに、何の危機感もなくサラリーマンを続けているというのは、自殺行為であると言っても過言ではない。サラリーマンはもっと激しい危機感を覚えなければ未来に抹殺される。


すべてが「自己責任」に帰結していく

会社組織は従業員を守らなくなる。だから、「組織」に依存して生きる今までの人生設計は崩壊する。今後は自分の人生の浮沈は否が応でも「自己責任」になっていく。

大企業に勤めていても安泰ではない。シャープや東芝を見ても分かる通り、巨大企業であっても経営者が馬鹿丸出しだと会社は一気に傾いていく。

シャープの経営陣は、ライバルのサムスン電子に情報を盗まれてもヘラヘラと笑っていた。とんでもない間抜けが、社長や会長をしていたのである。

(あまりにもお人好しすぎて骨の髄までしゃぶられるシャープ)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/03/20150320T1809490900.html


ところが会社が傾いた時、何が起きたのか。リストラされるのは経営者ではなく社員の方だったのだ。間抜けが残って、従業員を切り捨てていたのである。

東芝もそうだ。経営者が保身し、従業員の賃金を減らし、ボーナスを減らし、子会社に飛ばし、リストラして、自分たちの失策のツケを従業員に負わせていた。

大手企業でもこれだ。

これからは放り出される前提で生きる必要がある。そして、いざ放り出されたとき、それでも生きていけるのか、食べていけるのか、すべてが「自己責任」に帰結していく。

自己責任の時代だから、自分の生き方を誰かに責任をもってもらうわけにいかない。自分の人生に起きる結果は、すべて自分が受け止めなければならなくなる。

今まで「給料が低い、待遇が悪い、生活できない」というのは、国や企業のせいにしていれば良かったが、今後は自己責任になるので、「そうなったのは自分が悪い」ということになってしまう。

組織はもう人生を安定化させる役目を失った。そのため、個人がサバイバルを強いられる。

ますます凶暴化するグローバル社会の中で、個人が社会の庇護を失っていく。社会が弱肉強食化しており、個人が生き残りの能力を試される。自分ひとりで生き残れるかどうか、社会があなたを試してくる。


社会が弱肉強食化しており、個人が生き残りの能力を試される。自分ひとりで生き残れるかどうか、社会があなたを試してくる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c116

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
64. 中川隆[-5775] koaQ7Jey 2017年12月17日 03:31:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

雪質がいいというのは凍える事


2013.1-9 今日の最低気温、氷点下30℃! in北海道 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9TsgAg1uV78

氷点下15℃の世界 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nxh6iaB4Yq0

氷点下20℃でやってみた。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wUmq41Wa1jU

冬の弟子屈、猛吹雪_(´ཀ`」 ∠) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=n979HY2c4ek
https://www.youtube.com/watch?v=5nExSIRzmQI

2016年冬の弟子屈、BoseIronFactoryからの猛吹雪映像です。
こんな猛吹雪は何度もありませんが、たまにあります。
出たらたぶん死にます_:(´ཀ`」 ∠):


2016年 02月 26日 今週は寒い北海道


雪祭りの頃は比較的暖かかったのですが、今週の北海道は冷えています。

札幌の街中でも、昼間でマイナス2度、夜はマイナス9度にぐらい下がっています。
夜、晴れて放射冷却がある千歳空港あたりでは、今朝はマイナス17度まで行ったようです。

そんなときは、内陸の盆地などでは、マイナス二十数度まで下がります。

帽子や手袋がないと歩けませんね。札幌でも、久し振りに帽子を被るほどでした。


6:50の気温
http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=24992302&i=201602%2F26%2F99%2Ff0108399_885326.jpg
http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=24992302&i=201602%2F26%2F99%2Ff0108399_8112316.jpg


数字がすごいですね。今日は千歳や恵庭の数字がすごいです。


そんな中、内陸の旭川方面まで往復してきました。
高速もすごい雪ですが、下道に降りると大変です。
車とすれ違う時などは気を使います。どちらを見ても雪ばかり。

お昼を探すのも、過疎化が進んだ地域では大変です。
前からあったお店も大分閉められています。

街まで戻ってラーメンやさんを捜しました。駐車場を探すのも大変です。
http://tannoy.exblog.jp/24992302/

移住生活で気をつけること。物件編。|北海道移住始めました(^^ 2017年01月26日
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12237381988.html


北海道に移住したのは良いけれど、立地が悪く、雪が降ると完全な陸の孤島になる。


そういった物件も多くあります。


冬は温かいところで過ごして、それ以外は北海道で過ごす。と言う二地域居住の方でしたら特に問題は無いでしょうが、一年中北海道で過ごすといった方にはそうした物件はあまりお勧め出来ないかもしれません。


そうした物件とは、どんな物件かというと、そう、実は北海道移住のイメージそのものの物件なのです。


北海道移住と言うと、広大な草原の中の一軒家といったイメージもあるかもしれません。もしくは森の木立の中のログハウス。


実のところ、私自身もそういう草原の中の一軒家に住んでいます。


この、近い方のお隣さんは250メートルほど離れており、家から町道まで出る私道を含めて考えると350メートルほどあります。

遠いほうのお隣さん(反対側)は1100メートルほど離れていて、お隣さんまで歩いて15分はかかるという・・・。


http://ameblo.jp/gts1000tdm850/image-12237381988-13843785891.html


BoseIronFactoryが我が家、右下の家が近い方のお隣さん です。
遠いほうのお隣さんは「あ」の横、右上の大きな建物がたくさんあるお宅です。


Falconの場合は好き好んでこうしたところに住んでいるので特に問題はありませんし、逆にメリットのほうが多いです。


ですが、除雪機も無く、体力も無い女性や老夫婦がここに一人で住むとしたら、この場所は絶対にお勧めしません。


我が家の場合、町道まで80メートルの私道があります。

町道は除雪してくれますが、私道は除雪してくれませんから、この部分の私道が雪で埋まって車も人も一晩で全く通れなくなるんです。


でも実は我が家の場合、怖いのは雪の降る量ではなく風なんです。
北海道の雪は殆どの場合、サラサラの乾いた雪ですから、吹けば飛んでいってしまいます。
天気がよくても、風が吹くと風で雪が巻き上げられる地吹雪と言うものが起きます。

そうして巻き上げられた雪は吹き溜まりを作ります。
吹き溜まりは段差のような部分があれば容赦なく吹き溜まっていきますから、全日に50センチの雪が降り、除雪機で除雪したとするとその50cmの段差を大好物としてすぐに埋めてしまいます。

つまり、気温が低くて雪がサラサラのまま風が吹くと、どんなに晴れていても何度でも除雪する必要があるということです。


我が家の場合、その吹き溜まりが、80メートルの私道のほぼすべての部分に出来ますから、風が吹いている限りは、80メートル×5メートルくらいの道を一日に4〜5回除雪することもあるくらい。

とても人力では無理。というものです。

ちなみに、近い方のお隣さんは町道からはそれほど離れていませんから、町道のすぐ横に車を停めて雪をかき分けていけばまだ大丈夫ですが、酷いときには一晩で40〜60cm程度の積雪もありますし、風で吹き溜まる雪も半端ではありません。


ですので、近い方のお隣さんのように町道や道々などから近くであっても、陸の孤島になる可能性は充分にあることをキモに命じておいてください。

一方で森の中の家はどうでしょうか?


森の中は木々などの障害物ばかりですので草原の一軒家に比べると吹き溜まりは少ないと思われます。

ただし、広い敷地の中の木々のほとんどを切って家を建てた場合、家の周りが吹き溜まりになる可能性が高いです。


吹き溜まりで無いところに関しても、風で流されていく雪が少ない分、積雪量としては多くなります。

なので森の中に自分の家に通ずる道があると言った場合には積もった雪で動きがとれない場合も。


風が森でガードされている分飛ばされることも少ないので、雪の量が全体に渡って多くなると言うパターンです。

草原の中の一軒家も森の中の一軒家も、どちらもそれなりの問題を抱えているといえますね。

では、除雪などを出来るだけしないで陸の孤島にならないためにはどのような物件を選んだら良いのか?


北海道移住のイメージとは違うかもしれませんが、それは市街地の物件です。


市街地の舗装道路に面している家でしたら、玄関から道までの少ない除雪で済みますし、立ち並ぶ家並みなどが吹き溜まりを起こす風などもガードしてくれます。


まぁ、移住というには面白みに欠ける窓からの風景かもしれませんけれども・・・。
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12237381988.html


生きてますよん(^^)v|北海道移住始めました(^^ 2016年02月25日


生きてます(笑)


こんなことやって遊んでますので、ご安心ください。


バナナで釘を打ってみた。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=k9vylCLO1Zc


ちなみにバナナをだいぶ前に用意していたので、熟しきっており、結構フニャフニャでした。
それでも充分釘を打てましたから、モービルのCMも嘘じゃなかったということですね(^^


なお、薔薇をバラバラにするのは薔薇を買いに行くのが面倒ですのでやりません(笑)

その代わり沸騰したお湯が一瞬にして雪の結晶になるマジックはこの後載せます(^^)v

(この後、スタッフが責任持ってバナナを食べました!!)
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12132714271.html

楽しんでますよん(^^)v|北海道移住始めました(^^ 2016年02月25日


今日は今季一番の冷え込みになりました。マイナス23度位です。


で、以前テレビで見て面白かった実験をいろいろとやってみました。


そのひとつは先に上げたバナナで釘を打つというものですが、こういうのもやったのです!!


マイナス20度を下回ると熱湯が一瞬で凍りつきます。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SHCnA2_Tt1o


面白いでしょ?


沸騰したお湯を振りまくと一瞬にして雪の結晶となって雲のように真っ白になります。

今度はかき氷のイチゴシロップを買ってきて、シロップ入りのお湯を振りまいてみたいと思います(笑)
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12132716688.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c64

[昼休み53] 北九州一家監禁殺人事件 中川隆
4. 中川隆[-5774] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:09:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
在日朝鮮人は何をやるかわからない


朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html

在日朝鮮部落の性教育


ヤクザと風俗が在日朝鮮部落民の生業の定番ですが

風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、


「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。
http://www.h-ken.net/txt/2478/
http://www.h-ken.net/txt/2478/page_1/

近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
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1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
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僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
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父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」


そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」


精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
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朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
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母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
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昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
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妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。
両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。
ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
http://www.kazunoie.com/memo/memotanesai.html


ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
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失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
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午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2ndtane.html

近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。

「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。

ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。

「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」

僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。

「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。

「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」

チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。

「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」

チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。

「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」

僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。

精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。

「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html#c4

[番外地6] メモ3 中川隆
3. 中川隆[-5773] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:10:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何をやるかわからない

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7


裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html


在日朝鮮部落の性教育


ヤクザと風俗が在日朝鮮部落民の生業の定番ですが


風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、


「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。
http://www.h-ken.net/txt/2478/
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近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
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1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
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僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
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父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」


そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」


精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
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朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
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母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
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昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
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妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。
両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。
ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
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ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
http://www.kazunoie.com/memo/memomagusaku.html


失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
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午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2ndtane.html

近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。

「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。

ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。

「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」

僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。

「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。

「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」

チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。

「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」

チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。

「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」

僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。

精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。

「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html#c3

[番外地6] メモ3 中川隆
4. 中川隆[-5772] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:13:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人が集まると嫌な国が出来上がる
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


(左: 「理想の美」を手に入れた朝鮮人モデル / 右: 自然な顔面を保つ朝鮮人娘)

  いつからか分からないが、テレビ局が来日外国人を捕まえて、日本の文化や名所、料理を絶讃させる番組が増えたそうだ。日本は高度な文明国家だから低俗な外国人が驚嘆してもおかしくはないけれど、もし一般の日本人が「日本の素晴らしさは?」と訊かれたら何と答えるのか。こんな質問を急に街頭で尋ねられれば、大抵の人は「う〜ん、そうだなぁ」と考えてしまうだろう。我々としては普段通りの生活をしているだけだから、一々外国の事情と比べて何が優れているのか、なんて調べない。応ずる人によって意見はまちまちだろうが、一つだけ簡単に述べれば、「日本人が住んでいるから」と言えるんじゃないか。確かに、我が国の自然環境も理由の一つになっているけど、究極的に日本の素晴らしさは日本人にある。

  ところが、近年、この“素晴らしさ”を台無しにしようとする動きがある。大手「口入れ屋」のパソナを背にする竹中平蔵たちが、少子高齢化と人口減少を口実に、安い外国人労働者を引き込もうとしているのだ。しかも、この大量輸入に加え、朝鮮半島から多くの南鮮人が移り住んでいるという。韓国移民政策研究院の調査資料(2017年度版)によると、過去10年間で大韓民国の国籍を放棄した者は、22万3千611人に達したそうだ。2007年に2万3千528人を記録した国籍放棄者は、2016年になると3万6千404人に増えたそうだから、さすが「地獄の朝鮮(ヘル・コリア)」である。その内訳を見てみると、国籍を棄てた南鮮人は主に米国に向かったそうで、アメリカ国籍を取得した者が9万4千908人と最も多い。多民族政策を取るカナダも人気が高く、3万2千732人の南鮮人がカナダ国籍を取得したそうだ。

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(左: 半世紀前にドイツへ渡った朝鮮移民 / 右: 民族衣装を纏った朝鮮女性)

  問題なのは、日本を目指した南鮮人の方である。もう目が眩んでしまうけど、5万8千870人が日本国籍を取得したそうだ。(「韓国国籍放棄者が急増・・・・『国家競争力の損失』」 中央日報、2017年11月8日) 南鮮の報道機関は「国力の損失だ」と歎いているが、日本人からすれば「反日分子の到来」か「汚染被害の拡散」にしか見えない。あの“穢らわしい”半島から来日してくる連中が、立派で有能な人材なんて考えられないし、どちらかと言えば「棄民」じゃないのか。どうせ、南鮮国内にいたって大半が“穀潰し”か“半端者”なんだから、南鮮の政治家にとったら「日本に厄介払いが出来て良かった」という気分だろう。一方、日本人の南鮮移住者はいったい何名いるのか? 答えは、「分からない」というのが一般的。法務省は帰化申請をする外国人に関するデータなら持っているが、日本国籍を放棄し、南鮮国籍を取得した日本人については統計を取っていないのだ。つまり、祖国を捨てた奴らの行く先には関心が無いということである。

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(左: 黒人と結婚した朝鮮人女性とその子供たち / 右: 朝鮮人の父親と息子)

  でも、日本人で“わざわざ”南鮮人になろうとする者は、“よほど”の事情を抱えた人物に違いあるまい。だって、普通の神経を持った日本人なら、朝鮮人にまで零落(おちぶ)れる道を選ばないだろう。一番考えられるのは、朝鮮人男性と結婚してしまった日本人女性である。例えば、日本に来た南鮮人留学生が日本人女性と恋仲となり、南鮮へ連れ出すというケースが考えられる。もちろん、嫁の両親は大反対。朝鮮という野蛮国に娘が住むなんて恐ろしいし、第一、日本人の誇りが許せない。でも、バカ娘には現実の厳しさが解っていないから、両親の説得にも馬耳東風。いくら鮮人に惚れたからといって、日本でヌクヌクと育った日本人に朝鮮での暮らしは耐えられない。しかも、南鮮の国籍を取得すれば、南鮮人が同胞となり、太極旗に忠誠を誓う破目になるじゃないか。

  ところが、悲劇はこれで終わらない。仲間となった鮮人からは「元日本人」とか「豚の足」と蔑まれ、夫の両親や親戚からも下女のように扱われるのだ。その上、自分の子供は「朝鮮人」として育てられるから、いくら日本語(母語)を話せても、実家の両親や兄弟たちとは違った人間になってしまう。それに、日本人の母親は南鮮国籍を取ったからといって、自分を朝鮮人とは思わない。さらに複雑なのは、劣等国の朝鮮に住むと、日本に居た時には思わなかった「日本人意識」が芽生え、「あんな人達とは一緒にされたくない !」と思うようになる。日本に居る友達にだって、「朝鮮人になりました」とは言いたくないし、格下の人種になったような気がするから、朝鮮での暮らしに嫌気がさす。パリとかロンドン、ベルリンなら、ちょっとした自慢になるけれど、朝鮮人だらけのソウルや釜山なんて格好悪いし屈辱だ。だいいち、チマ・チョゴリを着た姿なんて、恥ずかしくて人に見せられないから、友達に動画や写真を送ることはまず無いだろう。

  朝鮮人は日本人を嫌いなくせに、やたらと日本にやって来る。しかも、何食わぬ顔で帰化申請を行ったり、結婚を切っ掛けにして“いつの間にか”日本人になっていたりするのだ。南鮮に居る時には、やれ「日帝は赦せない !」とか「竹島は韓国の領土だ !」と叫ぶが、日本に移住するや、その威勢は消え失せ、「国籍や民族の違いを言い立てる人はレイシストです !」なんて言いやがる。中には、「私は元韓国人で、朝鮮人ではありません !」とほざく奴もいるから呆れてしまう。朝鮮人に説教しても仕方ないけど、彼らの中には堂々と「チョーセン人は差別用語だ !」と抜かす奴も居るから、その頭を広辞苑でひっぱたきたくなる。在日や帰化、南や北を問わず、日本に於いて朝鮮人は皆「朝鮮人」か、略して「鮮人」であり、我々がどう呼ぼうと我々の勝手である。テレビ番組で「韓国のかた」と馬鹿丁寧に呼んでいるアナウンサーほど、心の底で鮮人を「格下」に見ているはずだ。実際、在日米軍士官に対して反感を持っていているテレ朝の玉川徹だって、自分より劣っているとは思っていないから、「アメリカのかた」なんて呼ばないだろう。日本人ジャーナリストは西歐系白人に対しては遠慮が無い。“対等意識”を持っているせいなのか、アメリカ人にはズケズケと本音をぶつけることが出来る。

アジア人の子供を養う日本人納税者

  今月に入り、不吉な福祉制度が発表された。政府は大学などの高等教育と2歳児以下の保育園の費用について、住民税が課されない世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化するとの方向で検討に入ったそうだ。(西村圭史 「高等教育などの無償化、住民税非課税世帯で検討」 2017年11月9日附「朝日新聞」) 安倍首相は、3〜5歳児は全世帯で幼稚園と保育園の費用を無料にし、高等教育と2歳児以下は低所得者世帯に限って無料にする、との案を述べていた。一般国民はこうした提案を聞くと諸手を挙げて賛成するが、その世帯はどんな人物で構成されているのか、とは考えない。「日本国民とは日本人」という定義は過去の話で、現在は帰化鮮人世帯とか支那人かタイ人を娶った混淆家庭、日本人の姦通相手から子供の認知を受けたフィリピン人母子家庭、パキスタン人やマレー人の夫を持つ日本人妻と混血児の家庭など、ゾっとするような世帯が増えている。

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(写真 / フィリピン人の子供たち )

  日系人の庶民は漠然と「我々の国民健康保険制度や年金制度、給食制度は大切だから、みんなで支えましょう」と合唱するが、その「みんな」にはアジア系帰化人が混ざっていることに気づかない。日系日本国民は明治や江戸時代、あるいはもっと遡って、室町や鎌倉時代から日本人なので、つい「日本国民」は総て「日本人」と思ってしまう。だが、裸踊りや酌婦を仕事にして来日したフィリピン人、中古車ディーラーのパキスタン人、民族料理店を営むトルコ人、単純労働や詐欺が専門の支那人などは、「昔ながらの日本人」ではない。朝鮮人はかつて「大日本帝國の公民」であったが、その大多数は敗戦後に帰国しており、現在居坐っている連中は密入国者かその子孫、あるいは仕事を求めての新参者かのいずれかである。現在の日本にある社会保障制度は、我々の両親、祖父母、曾祖父母が心血注いで築き上げた民族的「遺産」である、ということを忘れてはならない。我々は余りにも無頓着であるため、この貴重な相続財産を不注意にも、アジア系帰化人や永住外国人に与えている。これがもし、個人の遺産相続という場合なら、決して外人に分け与えることははないだろう。

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(写真 / タイ人の子供たち)

  考えてもみよ。近所をうろつく朝鮮人が、突然、我が家の庭先にダンボール・ハウスを拵えて住みついたら、どうするのか? たていての日本人であれば、腕ずくでもこの不逞鮮人を叩き出すだろう。ましてや、この朝鮮人を養子にしたり、自分の戸籍に入れるなんて事はまずあり得ない。だが、国家規模になると事情が違ってくる。短期滞在や永住外国人でも「国民健康保険」に加入できるし、在日朝鮮人でも生活保護がもらえたりする。また、不正入国の外国人でも日本で子供を出産すれば、我が子を公立学校に通わせることもできるし、その子供が成長してしまえば、たとえ「不正」がバレても、特別滞在許可をもらえたりする。つまり、ある程度の潜伏期間をじっと堪え忍べば、有り難い「ご褒美」がもらえるということだ。政府は低所得者の家庭に育児手当を与え、保育園や学校の費用を肩代わりしようとしているが、その「世帯」には支那人とかフィリピン人、タイ人の低所得者や母子家庭が含まれている。

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(左: フィリピンの若い女性たち / 右: ショー・パブで働くフィリピン人女性 )

  以前、市議会議員のフィリピン人妻が、スナックで働いていたにもかからわず、生活保護を受け取っていたという事件があった。役所にとって「福祉予算」というのは「他人のゼニ」なので審査が甘い。自分の銭なら100円だって惜しいのに、税金だと数百万円でも無駄にできる。例えば、1千万円の税金をドブに捨てても平気な役人でも、お昼の定食では節約するようで、食堂で注文する時、財布を“ちら”っとのぞき、850円のAセットを650円のBセットに抑え、赤提灯の酒代を計算しながらジっと我慢。節約精神が旺盛な役人だと、「今日は3千円の特上天丼にしようかなぁ」なんて考えない。だいたい、役人は税金を「予算」と呼んで、無駄遣いの正当化をしているんだから、国民は役所の「予算消化(与えられた税金を何が何でも使い切ること)」に目を光らせるべきである。筆者は以前、役所の「闇」を突いたことがあるが、その時、担当した「お役人様」は、筆者を共産党員か左翼オンブズマンと勘違いしたようだ。周りの若い女子職員は、「何か、いや〜な人がやって来た」という雰囲気を漂わせ、緊張した表情で黙々と仕事をこなしていた。後で議員にも直接苦情を述べたので、役所ではちよっとした騒ぎとなったそうだ。役人や議員を相手にする場合、なるべく具体的かつ緻密に、論理を用いて追い詰めることが肝要である。(断っておくけど、筆者は左翼活動家じゃないぞ。)

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(写真 / 酒場で働くタイ人女性たち)

  脱線したので話を戻す。帰化人家族とか永住者世帯には低所得者が珍しくなく、社会福祉金をもらっている人が多い。例えば、日本人の既婚男と不倫の末に身籠もったフィリピン人女性は、その姦通相手とは結婚せず、母子家庭のまま日本に住んだりするから、福祉依存者か生活保護の受給者だったりする。しかも、日比混血児が優等生になる確率はかなり低く、出来損ないか凡庸な子供といったところが関の山だ。規律や品格を示す父親が不在なうえに、だらしない性格の母親に育てられる混血児が、知的好奇心に満ち、自然界や宇宙の神秘に興味を抱くなんて思えない。国語さえ覚束ないのに、理科や数学で頭角を現すのか? まぁ、知的訓練を必要としないスポーツなら一番になれるかも知れないけど。一般の日系日本人は呑気だから、公金を使うのは日本人の子供を助けるためだと考えている。しかし、実際のところ、同胞とは思えない異民族の子供を養っているのだ。

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(左: 朝鮮人の子供 / 右: 支那人の子供 )

  冷酷な現実に目を背ける日本人は、予想される悲劇を回避せず、事件が起きてから後悔することが多い。昼行灯(ひるあんどん)と左巻きが溢れる法務省は、毎日が節分のような役所で、帰化申請をするアジア人に国籍を気前よくばらまいている。日本国籍を与えるということは、日本国を支える正式メンバーを承認することであり、我々と対等な「公民」にするということだ。本来なら、帰化を許す前に、申請者の素性や経歴を一般公開し、全国民がその者を審査し、正当な反対意見があれば帰化申請を却下すべきである。例えば、在日朝鮮人やその子孫を「国家の成員」にするのであれば、国民投票にかけたっておかしくはあるまい。日本人は世間の常識で考えるべきた。例えば、ある片親だけの家庭で、妻を亡くした父親がいたとする。その鰥(やもめ)となった父親が再婚する際、いくら何でも一応、子供たちに話をつけるじゃないか。それをスキップして、いきなり父親が「今度、父さんはフィリピン出身の女性と結婚することにしたんだ。明日から、あの人がお前達の母さんになるんだよ」と言えば、息子だって「えっっ ! 何 ! なんで? 嫌だよぉ、そんな !! だってさぁ、いきなりあんな外人が母さんの代わりだなんてあり得ないよ。オレ、どんなことがあっても反対だからね !!」とヘソを曲げるだろう。一般の日系日本人も基本的に同じで、朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人を日本国の「家族」とは思わない。

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(左: フィリピン人の祖母と孫 / 右: 支那大陸を去る支那人)

  日本人は日本人同士だから国民的・民族的絆を大切にするのであって、金銭や福祉、あるいは豊かな生活を目的にして帰化するアジア人は何時まで経っても「よそ者」だ。異民族がひしめき合う米国ですら、民族・人種での一体感は無い。例えば、先祖代々アメリカに住むイギリス系国民が、デンマークやスウェーデンからの白色移民を受け容れる事はあっても、皿洗いとしてチャイナタウンに潜り込む支那人とか、イスラム教を信奉する髭面のイラク人、難民枠で雪崩れ込むソマリア人、不法滞在でも永住権を求めるメキシコ人を「対等なアメリカ人」とは思わない。一般的にアメリカ人は団結力が強いと思われているが、それは各人が星条旗を前にするからで、お互いの顔を見つめ合うことで一体感を実感している訳ではないのだ。ハリケーンによる洪水とか土砂崩れで黒人が取り残されたって、一般のアメリカ白人が命懸けで助けることはなく、救助を「職業」というするレスキュー隊に丸投げ。ただ、災難に遭った黒人を哀れに思う白人も居るけど、それは被災者に同情する「自分」の姿に酔っているだけで、自ら進んで助けたいわけではない。(可愛い犬や猫なら別だけど。) 浸水した家に取り残された黒人は可哀想だが、その汚水には屎尿やネズミの死骸とか、犬の糞から大腸菌、未知のバイ菌が混ざっているから、自分の脚を濁流に漬けるのは嫌だ。黒人の災難はテレビで観るだけに限る。

日本国民の遺伝子プールに混ざる異質な精子

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(左: メダルを獲得した浅田真央 / 右: 民間企業のCMに出た浅田氏)

  我々は大量の朝鮮人が日本国籍を取得した世界を想像してみるべきだ。隣近所に不愉快な帰化鮮人が増えるだけではなく、自分の息子や娘の配偶者になるかも知れないんだから、考えただけでも恐ろしいじゃないか。箱入り娘の子宮に朝鮮人の精子が入って、腹が膨れてしまうなんて寒気がする。しかも、生まれてきた孫が亭主の朝鮮人にソックリとなったら気が滅入るだろう。日本社会は急速に変化している。スポーツ界ではこの傾向が強く、日本を代表して国際大会に出場する人物が、総て朝鮮系であっても不思議ではないのだ。例えば、フィギュア・スケートの世界大会で、南鮮のキム・ヨナが金メダルを取ったけど、もし彼女が帰化鮮人の娘であったたら、日本人は熱心に応援するのか? 帰化鮮人の子供は血統的に見れば「朝鮮人」であるが、書類上は「日本国民」である。したがって、キム・ヨナの如き朝鮮系スケーターであっても、成績が良ければ日本代表選手となってしまうだろう。そして、彼女は浅田真央の如き日系人選手と並んでオリンピックに出場することもあるし、場合によっては日系人選手を蹴り落として代表選手に上り詰めるという事態も起こり得る。(実際、短距離を得意とする陸上選手がほぼアフリカ系という未来はそう遠くない。) こうなった時、日系日本人は朝鮮系が独占するフィギュア・スケートの代表団を「日本チーム」と見なすのか? また、代表選手三名が揃って朝鮮系となってしまい、奇しくも金銀銅メダルを獲得した場合、素直に「やったー。すごい !」と喜べるのか?

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(左: ペットを抱く浅田真央 / 中央: 大会で演技を披露する浅田 / 右: 浮かない顔のキム・ヨナ)

  「親近感」というのは自分と同類の者、自分と似ている種族に対して強くなる。多くの日本人が浅田真央に期待を寄せたのは、彼女の才能が卓越していた“だけ”ではあるまい。彼女が見せる表情や、ひたむきに練習する姿、辛い事があっても、それを押しつけがましく視聴者に伝えない慎ましさ、失敗を犯しても他人のせいにしない潔さが好評だったからじゃないのか。彼女が見せる自然な謙虚さとか、成功した時の笑顔は素晴らしかった。日本人は浅田氏のような競技者が好きだ。一方、南鮮人のキム・ヨナはどうだったのか。報道によれば、世界大会に出場したキム選手の評判は芳しくなく、他国のスケーターは彼女に近づこうとしなかったそうだ。見るからに傲慢で、勝者としての品格も無ければ、人間的魅力すら無い。まぁ、下品でがさつな朝鮮民衆にとっては“おあつらえ向き”の選手なのだろうが、日本では歓迎されないタイプだ。ただ、栄華を誇る氷上の女王も、引退すれば徐々に曾ての人気は翳り、厭な側面しか残らないからピンチに陥る。金メダリストのキム(金)選手が頼りにするのは金貨くらいなものだろう。

  ここで再び、日本人は「なぜ朝鮮人は朝鮮を去るのか ?」を考えねばならない。朝鮮人が祖国から逃れるのは、畢竟(ひっきょう)、南鮮が朝鮮人によって構成されているからだ。朝鮮人が何千何万人集まっても、日本の寒村ほどの魅力を生み出すことはできない。朝鮮人は朝鮮人が嫌いで、支那人も支那人が嫌いだ。支那人とソックリな民族であるユダヤ人も同類で、ユダヤ人だらけの地域が嫌いである。彼らに共通しているのは、他民族から疎まれる鼻つまみ者で、その心がねじ曲がっているという点だ。それを民族性と言ってしまえばそれまでだが、できれば彼らとは接触したくない。ところが、現状は逆になっている。かつて日本人は心が清く立派な民族であったのに、朝鮮人を始めとするアジア人を包括したことで、劣化の道を選んでいるんだから自業自得だ。

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(写真 / 幼い頃と成人した時に撮られたキム・ヨナ)

  悪夢はそれだけではない。我々は朝鮮人でさえ嫌う朝鮮人の遺伝子を取り込もうとしている。最近、日本のマスコミがキム・ヨナ選手の肉体的変貌を伝えていた。報道によると、彼女の容姿が激変しており、キム氏を目にした記者の中には、「あの子誰?」と尋ねる人もいたそうだ。科学的証拠が無いので断定はできないが、一部には美容整形じゃないかという指摘もある。筆者は高須クリニックの高須克弥院長のような知識を持たないので自信がない。けど、キム氏の写真を眺めたところ、素人ながらも異変に気がついた。彼女が幼い時に撮られた写真と、花形選手になてからの写真を比べると月とスッポンだ。もしかしたら、南鮮の化粧品は皮膚や骨格まで変形させる超近代的劇薬が使われているのかも知れないぞ。朝鮮人女優なら特殊メイク無しで、映画の『Xメン』に出演できるんじゃないか。(ミュータントの「ミスティーク」を演じたレベッカ・ロメインRebecca Romijnは印象的だった。) それはともかく、南鮮では政府による公共投資額が少ないのか、民間人が自発的に顔面工事を施し、GDPを増やそうとするらしい。しかし、いくら国家主導のインフラ整備が足りないからといって、親からもらった容姿まで再開発しようとするんだから、南鮮人の「変革好き」には目を見張るものがある。

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(左: レベッカ・ロメイン / 「Xメン」でのミスティーク / 右2枚: 顔面工事を行った朝鮮人女性)

  こうした改造熱が南鮮国内に留まっていれば問題は無いが、大量の朝鮮移民が日本に雪崩れ込み、彼らの嫌うツングース的遺伝子が日本人の遺伝子プールに注がれたら堪ったもんじゃない。こうなれば、朝鮮人との混血は単に日系人の容姿を変えるだけでなく、祖先をも変えてしまうのだ。もし、ある日本人男性が朝鮮人女性と結婚した場合、二人の間に生まれる日鮮混血児は、少なくとも朝鮮人の祖父母二名を持つことになる。ただし、この混血児が持つ朝鮮人の肉親は、母方の祖父母に留まらない。伯父叔母、従兄弟、はとこ、曾祖父などに広がり、5代6代7代・・・20代・・・25代・・・50代と遡って、何百何千もの朝鮮人が祖先になってしまうのだ。これじゃあ、まるで天空を背負うアトラスみたいで、乞食より汚い朝鮮人が千人も自分の背中にのしかかっているようなものである。日鮮混血児にとって朝鮮史は「外国史」ではなく、「祖先の過去」となってしまい、自分のルーツを見つめる科目になるのだ。日系人の子供は鮮やかな日本史を学んで楽しいだろうが、日鮮混血児は暗くて“どんより”とした朝鮮史を意識する破目になり、陰鬱を通り越して悲しくなる。しかも、日本の敗戦後にのさばった朝鮮人は見るに耐えない。「日本人」でありたいと望む朝鮮系児童は、第三国人として横暴の限りをつくした不逞鮮人など知りたくはないだろう。だから、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』を偶然手にし、第五章を読んだ帰化鮮人の親は烈火の如く怒るはずだ。たぶん、本をズタズタに引き千切って燃やしてしまうんじゃないか。在日朝鮮人には、何としても我が子に隠したい過去がある。朝鮮系帰化人の子供が増えれば、学校での歴史教育は、益々闇の中を彷徨(さまよ)うことになるだろう。それにしても、日本では歴史の授業が過去を忘却する教科になっているんだから腹が立つ。

Korean Park Min Young Plastic SurgeryKorean Actress, Park Min Young


(左: 生来の顔を持つ朴ミン・ヨン / 中央と右: 外科的変身を遂げ美人女優になった朴氏)

自由を失う日本人

  朝鮮人を始めとするアジア系国民が増えると、もう一つの災難、すなわち日系日本人が自国を失う破目になる。例えば、親子代々「日本人」である日系人が、アジア系帰化人や移民、難民の排斥を訴えると、「ヘイト・スピーチ(憎悪言論)」を行う“不届き者”として非難され、弱い者イジメをする“悪人”にされてしまうのだ。しかし、日系人にしたら、自分たちの祖国に闖入する不逞鮮人や支那人、あるいは売春婦もどきの東南アジア人を駆除したいだけで、ことさら外国人を排除したいわけではない。事実、ハイテク産業や投資会社に勤める西歐系ビジネスマンや在日米軍士官、オーストラリアやカナダからの白人ファッション・モデルを追放しようとする日本人はいないだろう。NHKやTBSは「外国人排斥の気運が高まって危険です !」と報道するが、その「外国人」の正体を具体的に説明しないのだ。例えば、「外国人参政権」を取り上げても、それを「在日鮮人参政権」とは評さない。また、観光地における外人トラブルに言及しても、それが主に支那人によるものとは明言しないし、支那人の仰天行動に不満を漏らすホテル従業員の本音もNGだ。電車内のマナー違反だって、大抵は沢山の荷物を持ち込む支那人観光客だったりする。

  日系人には「言論の自由」があったはずなのに、最近ではそれも怪しくなってきた。例えば、朝鮮人が“あちこち”に住みつく川崎市では、「ヘイト・スピーチ」規制の一環として、「外人排斥団体」に対し公園などの場所を貸さないようにするらしい。でも、どうして日本人が自分たちの郷里を守る為に蹶起(けっき)することが“いけない”のか? 不愉快な侵入者が増えてくれば、自衛意識が高くなっても当然じゃないか。NHKなどは偏向報道を糾弾する日本人視聴者を門前払いする一方で、新華社通信の支那人や民間人を装う工作員なら大歓迎だ。本来、日本は日本人の国というのが前提で、健全な公務員は日系日本人を優先すべきなのに、いかがわしい外国人や図々しい帰化人の方を重視する。もっとも、共産党や公明党、民進党系の左翼議員がアジア人の味方に廻っているので、公務員の中には良心の呵責を感じている者もいるだろう。とは言っても、左翼議員からの叱責が怖いから、厭でも従うしかない。

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(左: 朝鮮人の抗議デモ / 右: アメリカ黒人の抗議デモ)

  米国でも事情は同じだ。例えば、CNNやABCは大規模な街頭デモを報じるが、それを「怒れる若者たちによる抗議行動」とだけ伝える。しかし、実際の映像を観ると、デモの参加者たちは主に黒人であったり、先頭に立って煽るのが極左の活動家という場合が多い。主要マスコミは「黒人暴動」と言えないので、わざと「若者による抗議」と言葉を濁している。でも、これだと「嘘」にはならないから、「フェイク・ニュース」との批判を避けることはできる。しかし、本質的には「詐欺ニュース」に近い。アメリカは元々白人国家だったのに、大手企業が安い労働力を欲したため、移民規制を撤廃してしまい、有色人種が溢れる多民族社会になってしまった。かつて、イギリス系入植者は原住民のインディオを追い払って「少数派(マイノリティー)の土人」に貶めたが、今では自分が移民に押し込められ、「白人少数派」に没落してしまった。なんとも皮肉なものである。日本人は気付いていないが、米国に押し寄せる支那人は一度も発砲せずにアメリカを征服できるのだ。方法は簡単。支那人は“いつも”のように“支那人らしく”振る舞えばいい。つまり、街中で「ペッ」と痰を吐き、ガチョウのようにガァーガアァと喋り、アパートメントを支那人所帯で埋め尽くし、学校にも我が子を送り込めばいいのだ。そうすれば白人が自主的に領土を明け渡す。所謂「白人の逃避」である。

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(左: 公害に苦しむ支那人 / 右: 貧困に喘ぐ支那人 )

  一般国民は薄々分かっていても口にしないが、アジアからの移民は日本を質的に向上させることはない。なるほど、大手の派遣会社は仲介手数料を取って儲かるし、コンビや介護施設は人手不足の解消となる。しかし、大半の日系国民にとっては、アジア移民は厄介者でしかない。日本人は日本人どうして暮らしたい。これが我々の本音だ。朝鮮人や支那人、フィリピン人と混じり合って暮らすのは最悪。彼らと付き合っても楽しくないし、不愉快な場面が増えるだけ。心が優しい日本人になると、劣等民族を傷つけないために、通常以上の気配りが必要となってくる。例えば、美白化粧品を愛用する日本人女性が、タガログ族系フィリピン人や茶色いインド人を前にして、「あの化粧品よかったわよぉ〜」なんて言えないじゃないか。また、黒人との混血児は日傘をさす日系人の母親を見て、「ボクのママには必要ないな」と思うから、周りの日本人は日焼けの話は避けるようになる。多民族幼稚園ではTVアニメ『ジャングル黒べぇ』のDVDなど厳禁だし、名作の『ブラック・ジャック』でも購入しないだろう。支那の名物料理、子供の小便を用いたゆで卵は香ばしいかも知れないが、幼稚園での再現は論外だ。イタリアでは人間の足が混入した支那料理が話題になったけど、日本ではこれから人間の指とか爪が発見されるかも知れない。(Julian Robinson,"Chinese restaurant is accused of serving human FEET to diners in Italy after gruesome image of rotting flesh is posted online by a waiter", Daily Mail, 13 January 2017 / 註 : 筆者はその写真を入手したけど、ライブドア社の検閲があるので載せられません。勇気のある方はネットで調べてね。) でも、支那人シェフなら、「ワタシの店ではそれが目玉料理よ !」と言うかも知れないぞ。実際、牛の目玉や金玉がスープの中に入っていたりしてね。

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(左: 昔の朝鮮人 / 右: 現在の朝鮮人)

  とにかく、色々な理由を述べることができるが、簡単に言って日本人は朝鮮人が嫌いである。朝鮮人は激怒するが、日本人からすると朝鮮人は下品で粗野。彼らは歴史的に支那人やモンゴル人、そして両班階級に弾圧されたり、理不尽な搾取を受け続けてきたので、性格が骨の髄まで歪んでいるのだ。その証拠に、彼らが集まった国を見てみれば解るじゃないか。自分たちが受けたと称する日帝からの屈辱と恥辱を西歐人にアピールし、白人からの同情を買うことで日本人への「当て付け」にしようとする。口にすることさえ忌まわしいが、「慰安婦問題」は典型的な対鮮トラブルだ。実際は醜悪な淫売女でも、朝鮮人は想像と妄想を膨らまして無垢な少女に変換し、米国にまで慰安婦像を造って設置するんだから、馬鹿というより気違いに等しい。日本の保守派は文大統領がトランプ大統領の歓迎式典に元売春婦の老婆を呼んできたことに驚き、その愚行を非難していたが、筆者から見れば、いかにも朝鮮人らしい行動に思える。アホの坂田師匠は「藝」として阿呆を演じているが、朝鮮人は“自然”にアホな行動を取っている。朝鮮人は野生動物や昆虫と同じだ。例えば、サソリに刺されたカエルが、「どうしてボクを刺すんだ?」と質問したとする。非難されたサソリにしてみれば、「刺したかったから」と答えるしかないだろう。だいたい、自分で自分の行動を反省できるくらいなら、あんな国家になっていない。

朝鮮人が集うと最低に

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(写真 / 日本のの恩恵を受ける前の惨めな朝鮮人たち)

  朝鮮人は「魅力」という言葉に無縁の民族である。南鮮にはクズ野菜を漬けたキムチくらいしか自慢するものが無い。余りにも貧しすぎたせいで工業技術すら発達しなかったし、貨幣経済も発展せず、他国民に披露できる文化にも乏しい。日本で育った朝鮮人の青年は、「アリランの詩(うた)」とか「パンソリ」なんて恥ずかしくて言葉に出来ず、「プク」と呼ばれる太鼓すら叩くのも嫌である。朝鮮人が口ずさむ民謡なんて陰気なメロディーで、日本人の友達には紹介したくない。以前、帰化鮮人歌手の錦野旦(あきら)が、歌謡界は朝鮮系歌手がいないと成り立たないと豪語していたが、朝鮮系歌手は日本で生まれ育ったから、有名歌手になれたのだ。朝鮮に住んでいたらデビューする機会さえ得られない。せいぜい一日中、空を眺めて屁をこいているだけの人生だ。例えば、和田アキ子は有名歌手になったが、それとて所属事務所のお陰だろう。彼女には作曲能力が無いから、他人が作った曲を歌っているだけ。もし、彼女が朝鮮で育っていたら、いま手にしている名声と地位は無い。1970年代や80年代の南鮮でも歌謡曲はあったが、それは片田舎の野暮天が夢中になる程度の代物で、日本人が聴いたら大爆笑。朝鮮人は先進国の日本に生まれ育ったから「著名人」になれたのだ。

K-Pop Star 3K-Pop star 4


(写真 / K-Popの人気グループ)

  もし、朝鮮の流行歌が素晴らしいのであれば、なぜ日本のレコード会社は朝鮮名曲集アルバムとか、1970年代南鮮ヒット曲といったCDを発売しないのか? 1980年代の南鮮人は日本の民衆文化に憧れており、こっそりと日本のTVドラマや映画などを観たり、歌謡曲やニュー・ミュージックのファンになっていたそうだ。今でも南鮮では、外国文化を輸入・盗作しており、「K-Pop」というのはアメリカ人歌手の猿まねに過ぎない。朝鮮人は三人寄っても「紛(まが)い物」しか産み出せず、せいぜい日本の文化を“さらり”と盗むだけ。日本人か馬鹿されれば、「何を言うか ! 日帝は我々の“国”を盗んだじゃないか !」と激昂し、羞じらいも無く開き直る。こんな連中が日本に押し寄せ、新大久保や川崎、大阪などに住みつく。かくて、朝鮮人が増え始めると、そこに住んでいた日本人が「よそ」へ引っ越すから、いつの間にか朝鮮人街の一丁出来上がりとなってしまう。

  西歐系白人が住む目黒とか麻布、青山の一等地なら「お洒落な街」となるのに、朝鮮人が棲息する新大久保は賤民のゲットーと化してしまう。現実はまことに厳しい。ナメクジみたいな顔附きの朝鮮人が携帯電話屋とか装飾雑貨店を営み、買い出しに来る客も朝鮮人だから、まともな日本人は目を伏せながら通りすぎるだけだ。(筆者はじっくりと現地の商店街を見物したことがあるので、今でもよく覚えている。) 住み慣れた街を朝鮮人に占拠された日系住民は悲惨なものだ。引っ越そうにも資金が無いし、朝鮮人が群集したことで店や家の資産価値も激減してしまう。「昔は良かった」と歎く高齢者は、朝鮮人の体臭を嗅ぎながら“お迎え”を待つしかない。それにしても、朝鮮からの「疫病神」に囲まれる日本人が、冥途からの「死神」を待ちわびるなんて憐れじゃないか。書店では亭主に不満を抱く奥様が『だんなデス・ノート : 夫の「死を」願う妻たちの叫び』を買っているそうだけど、これからは朝鮮人を呪い殺す『鮮人撲滅デス・ノート』が発売されるんじゃないか。筆者も小遣い稼ぎに一つ出版してみたいなぁ。
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2017年10月31日 北鮮の難民がやって来る ?! / 日本国民になってしまう定住朝鮮人
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ミサイル攻撃よりも怖ろしい難民

  総選挙というお祭りが終わって、日本国民一段落したと安堵しているが、議員選びよりも重要な問題が待ち構えている。すなわち、北鮮危機だ。保守系雑誌は「北朝鮮が我が国に向けてミサイルを発射するんじゃないか」とか、「米軍による北朝鮮への攻撃が始まりそうだ」と騒ぎ立て、各誌が特集を組んでいる。だが、本当の国難はそんなものではない。日本政府が自発的、あるいは渋々ながらも、大量の北鮮難民を受け容れてしまうことなのだ。

  確かに、トランプ大統領は強硬な態度を取り続ける金正恩に対し、安易な妥協を見せず、武力制裁を行う可能性がある。そもそも、ロナルド・レーガン大統領に憧れるトランプとしては、ジミー・カーターのように人権外交を標榜して失敗したくない。イランの人質奪還作戦で大失態を犯した大統領は惨めなもので、現在でも語り草になっている。やはり、「強いアメリカ」を前面に出して、自分に刃向かうゴロツキ国家を倒してこそ、偉大なる大統領として歴史に名が残るんじゃないのか。だから、ソ連よりも遙かに劣る北朝鮮に、自ら譲歩して核保有を許してしまうなんて想像できない。もし、トランプが何らかの裏取引で北鮮の核保有を黙認したら、国内の共和党保守派からの突き上げが噴出し、四面楚歌のトランプは益々孤立化を深めてしまうだろう。


(左: ジミー・カーター / ロナルド・レーガン/ ドナルド・トランプ  / 右: 金正恩)

  ただ、国際政治には不確定要素が多いから、正確に未来を予測することは難しい。したがって、我々は最悪のシナリオを想定し、あらかじめ「腹」を決めておく必要がある。例えば、核ミサイルに対する防禦を整備してこなかった日本人は、多くの同胞が死んでも「仕方ない」と諦め、残った国民が復讐心と克己心を持って国家を再興することだ。まぁ、現実的には日米同盟があるから簡単に核攻撃は受けないと思うが、自国を自力で守ろうとしない国民なんだから、同盟国に裏切られて消滅しても文句は言えまい。国際政治で「他力本願」は愚の骨頂だ。少なくとも米国は日米同盟を守ろうと“努力”するが、法の抜け穴を突いて日本を助けない場合だってある。また、そうじゃなくても、日本を軍事的に助けてやる代わりに、経済協力を“水増し”して求めてくることもあるだろう。どっちみち、我が国は苦難に陥るということだ。

左翼分子を披露するテレ朝

  北鮮問題を扱うテレビ番組はいくつもあるが、テレ朝の『ビートたけしのTVタックル』は支那や北鮮を擁護する番組として知れ渡っている。いつもは下らない内容なので観ることはないが、10月29日の放送では、防衛評論家の桜林美佐と経済評論家の三橋貴明、軍事アナリストの西村金一が出演していたので、仕事をしながら片手間で議論を聴くことにした。しかし、制作スタッフの真意は、これらの評論家が発する警告ではなく、極左ジャーナリストの青木理(おさむ)や「アジアプレス」の石丸次郎を世間に紹介することにあった。ワイドショーで常連客の青木はともかく、北鮮を熱心に取材する石丸には用心が必要だ。例えば、彼の北鮮難民に関しての発言は聞き捨てならない。石丸は戦争に伴って「北朝鮮が特殊部隊を送るなんてあり得ない !」とか、「武装難民が日本に押し寄せるなんてナンセンスですよ !」と言いのけた。石丸の考えによれば、「北朝鮮が消滅してしまうのに、特殊部隊が闘う理由なんてあるんですか?」という訳だ。そんなの特殊部隊員が気にすることではない。戦争が始まる前後に特殊部隊への指令が発令されれば、部隊員は命に代えても自分の任務を遂行しようとするし、日本に上陸した部隊は祖国との連絡が無くても暴れ回るものである。

Ishimaru Jiro 2(左 / 石丸次郎 )

  一般の日本人には軍事が解っていない。特殊部隊員は命令を実行することのみに専念する。だから、国際政治とか任務を終えてからの出世は考えない。たとえ、日本人が「北鮮兵士の皆さん、あなた方の祖国は崩壊しましたよ。もう意味が無いので投降して下さ〜い !」とメガホンで呼びかけても、北鮮の特殊部隊員は出頭しないだろう。だいいち、日本国政府は命令の解除コードを知っているのか? 日本に潜入した北鮮兵は、上官からの正式な停戦命令を受けない限り、死ぬまで戦い続けるんだから、日本人による「降伏勧告」なんて「策略」としか思わない。彼らは日本の自衛隊に殲滅されるまで、殺戮や破壊をやめないだろう。

  仮に、特殊部隊が投入されなくても、北鮮難民の中に便衣兵、つまり民間人を装ったゲリラ兵や長期滞在を目論む工作員が紛れ込んでいる場合だってあるのだ。ところが、日本政府は偽装難民と一般難民を区別できないから、どうしても悪質な北鮮人を国内に招き入れてしまう虞(おそれ)がある。たとえ政府が難民を一時的に離島へ収容し、ゲリラ兵の摘発に乗り出しても、国内の反日勢力が政府に圧力を掛け、「人権無視の隔離だ !」とか「人道主義に反する !」「朝鮮人への差別だ !」と騒ぎ立てるから、いつまでも孤島に閉じ込めておくことはできない。ちょっと考えれば朝鮮人を支援しそうな連中など、直ぐ思いつくじゃないか。 例えば、共産党、立憲民主党、民進党、自民党に潜む左翼議員、帰化鮮人の活動家、韓国民団、朝鮮総聯の残党、全共闘崩れの老左翼、人権派弁護士、移民・難民支援団体など、彼らはマスコミと結託して一大勢力を形成し、北鮮難民を本土に迎入れようと手引きするはずだ。

日本に根づく朝鮮人

  難民というのは、いつまでも難民ではない。日本にやって来た北鮮難民は、必ずや「日本国民」となる。金王朝の下で呻吟(しんぎん)した朝鮮人は、豊かで快適な日本に驚いてしまうから、絶対に“あの”悲惨な半島に帰ろうとは思わない。たとえ言葉が不自由で無職の状態であっても、気前の良い日本政府が食事を与えてくれるし、衣服や住居まで手配してくれる。しかも、子供の教育、職業訓練、医療保障に加えて、お小遣いまでくれるんだから至れり尽くせりだ。難民としてやって来た大人が日本国籍を取ることが無理でも、その子供たちは日本の学校に通い、日本語を覚えるわけだから、成人すれば帰化を申請するし、日本人と結婚してしまえば自動的に日本国民になれる。北朝鮮の崩壊を一番喜ぶのは、日本に定住できた北鮮難民だろう。


( 写真 / 貧困に喘ぐ北鮮人)

  日本人にとって怖ろしいのは、北鮮から発射される核ミサイルではなくて、大量に雪崩れ込む忌まわしい北鮮人だ。北鮮軍による武力攻撃を受けるのは嫌だが、脳天気な日本人が目覚めるのは、本当に目の前で同胞が殺された時でしかない。いくら国会で政治家が軍事的脅威を議論したって、そんなのは所詮「どこか余所の国」で起こる他人事に過ぎないから、大多数の日本国民はたいして関心を示さず、藝能ニュースの方に耳を傾けるはずだ。したがって、いくらJアラートを鳴らしても、有権者は真剣に考えないから、日本国政府に有効な防衛策は無い。日本人は合衆国政府の意向を黙って拝聴するのがせいぜいだろう。


(写真 / 1950年代、戦争を逃れる朝鮮人)

  問題なのは、戦場と化した朝鮮半島、とりわけ崩壊した北鮮で“厄介者”となる大衆である。もし、米軍が斬首作戦を真剣に実行すれば成功するかも知れない。だが、その後が大変だ。誰が北鮮の後始末をするのか? 本来なら、同胞の南鮮人だろう。しかし、只でさえ不景気に喘ぐ南鮮人が、大量の貧民を新たに抱きかかえることができるのか? 当然、南鮮政府は米国と日本に支援を要請するはずで、堂々と物資や金銭を恵んでくれとせがむだろう。老朽化した工業施設とか、未熟なインフラしかない北鮮が自力で経済復興できる訳がないので、ケチな米国はお金を貯め込んでいる日本に「お前が助けてやれ !」と命令するんじゃないか。結局、拉致被害を受けた日本が、加害者側の北朝鮮に税金を貢ぎ、負担でしかない朝鮮人を国内に引き受けて面倒を見る破目になるのだ。

  日本人はシリア難民を背負い込んだドイツやアメリカに、もっと目を向けるべきだ。ドイツの惨状は頻繁に報道されたから多少は知られているが、アメリカの状況も似たようなものである。例えば、2013年、米国は69,926人の中東アジア難民を受け容れてしまったが、国務省に設置された人口・難民・移民局(Bureau of Population, Refugees and Migration)は、難民を定住させるために3億1千万ドル(約341億円 / 1ドルを110円で換算)もの予算を使ったそうだ。 (Steven A. Camarota and Karen Zeigler, " The Hight Cost of Resettling Middle Eastern Refugees", Center for Immigration Studies, November 2015) シリアなどからの難民に対して、合衆国は手厚い福祉を与えたそうで、個人への社会保障補助金(SSI)は平均で年間13,494ドル(148万4千340円)となり、一世帯当たり最初の五年間で平均21,658ドル(238万2千380円)も支給されていたのである。困窮家庭への臨時給金(TANE)だと、一年に月平均5,061ドル(55万6千710円)となり、一世帯当たり9,287ドル(102万1千570円)となっていた。難民の91.4%が受け取っていた食券プログラム(SNAP)だと、個人としては年間4,039ドル(44万4千290円)貰っていて、一世帯当たり平均18,458ドル(203万380円)が支給されていたのである。


(写真 / 米国にやって来たシリア難民)

  難民支援者は「人道主義」を掲げて北鮮人を受け容れろと叫ぶが、その親切な人々は自分のお金を使おうとは思わない。「善きこと」は「他人のゼニ」で行う、というのが彼らのモットーであるから、難民が定住するための費用は総て税金である。難民が受け取る支援金は厖大な額なのに、彼らが払うかも知れない税金は勧めの涙程度。金王朝下で奴隷並みの生活をしていた北鮮人には、先進国で必要とされる技術者などはいないし、大多数が未熟練労働者か、潰しの利かない半端者、何をやらせてもダメな木偶の坊、無教養のタダ飯喰らいで、後はチンケな泥棒か、ひねくれ者、殺人鬼、強姦魔、犯罪予備軍くらいである。日本語も解らず、“コレ”といった特技も無い朝鮮人が、日本で出来る仕事といったら筋肉労働くらいしかない。だが、それとて難しいのだ。というのも、朝鮮人に土方をやらせても、現場監督と意思疎通が出来ないから、どんなヘマをやらかすか分かったもんじゃない。したがって、常に目を光らせておかないといけないから、現場監督は精神が休まることはなく、神経が参ってしまうのだ。それに、鮮人人夫が建設工事でヘマをやらかせば、通行人とかに怪我をさせるかも知れないし、場合によっては大事故を引き起こして多数の死傷者を出すかも知れないのだ。雇い主の建設会社は、こうした時の責任を背負う覚悟があるのか? 安くコキ使えるはずの外人労働者が、結果的には「高くついた」なんて事態も考えられるのだ。

  もっとウンザリするのは、北鮮を併合したことで更なる不景気に陥った南鮮から、没落した南鮮人が脱出を図り、手軽に渡航できる日本を目指すことだ。労働移民を歓迎する日本企業と、人口減少に悩む日本政府は、定住目的の南鮮人を排除しないから、益々日本の朝鮮化が進むことになるだろう。多民族主義の脅威に気付いていない日本人にはピンとこないだろうが、定住型の朝鮮人が増えるということは、日本国民の遺伝子プールの中に朝鮮人の精子や卵子が混入し、朝鮮人の肉体を持つ日本人が増えてしまう事を意味する。昭和の頃までなら、大半の日本人にとって朝鮮は“外国”であったが、平成の日鮮混血児にとっては“ご先祖様の郷里”となってしまい、別の形で日韓併合が再現されてしまうのだ。大都市のみならず、全国各地に朝鮮人が拡散し、“朝鮮顔”の日本人が激増してしまうんだから、考えただけでも怖ろしい。

  保守派の知識人や一般国民は、皇室問題や教育問題、農業問題、グローバル経済化などに直面すると、口を揃えて日本文化を守れと訴えるが、「誰が」守るのかに言及しない。大抵の国民は「我々国民が」と述べるが、その日本国民は「日系」なのか「朝鮮系」「支那系」「フィリピン系」「タイ系」なのかを考えず、全国民に呼びかければ“自然と”賛同するはずだと思っている。しかし、日本の文化や伝統、神社仏閣を守るのは、日本人の両親と祖父母を持つ「日系日本人」だけである。もし、朝鮮人の片親を持つと、日本人としての意識が希薄になり、縦糸の「血統」がぼやけてしまうのだ。確かに、日鮮混血児であっても、「日本が好き」と答えるだろう。だが、その「日本」とは「現在だけの日本」あるいは「住み慣れた土地」を意味し、何千年も前から続く「神州」でも「皇国」でもない。朝鮮人や支那人との混血児が、明治の頃の日本人と同じ「国民意識」を持つのか? 彼らは「ナショナリズム」を否定的に捉えるだろう。なぜなら、自分の肉体の中に異質で恥ずかしい遺伝子が含まれていることを自覚しているからだ。日系日本人が「鮮人駆除」を叫ぶと、彼らが嫌悪感を覚えてしまうのは、体内の朝鮮的血統が反応してしまうからである。


(左: 朝鮮人の生徒 / 右: 「Kポップ」を宣伝する朝鮮人)

  こうした日鮮混血児が増える事は本当に深刻である。昔は、日教組が“日本人の”子供を「反日分子」に改造するため苦労した。しかし、朝鮮系の子供に関しては、そうした努力や洗脳は要らない。帰化鮮人の子供や日鮮混血児は、洗脳せずとも“自然と”日系国民に反感を覚えるし、自ら進んで反日運動に加わったりする。日系日本人なら、たとえ左翼史観や反皇室教育を受けたとしても、何らかの切っ掛けで間違いに気付き、皇室伝統の素晴らしさを理解し、正常な日本人へと戻ることができる。ところが、朝鮮人や支那人の遺伝子が混じった子供は、天皇陛下を目にしても畏敬の念が湧くことはなく、却って「なんだ、あんな奴。いつも威張りやがって。いったい、どこが偉いんだ? 税金泥棒じゃないか !」と思ってしまうのだ。帰化鮮人の全員が反皇室とは限らないが、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児で、いったい何人の尊皇主義者がいるんだ? 敗戦から半世紀以上経って、帰化した朝鮮人の子孫はかなりの数に上るはずだ。しかし、彼らの中から立派な伝統主義者とか愛国者が輩出されたとは聞いたことがない。朝鮮系の評論家とか大学教授で、心から日本の歴史や皇室、伝統文化を愛している人物がいたのか? あれだけ多くの朝鮮人が日本の教育を受け、日本人と結婚して子供をもうけ、親子代々日本に住み続けているのに、著名な愛国派知識人すら出現しないのだ。

国内に潜む敵

  先ほど述べた石丸次郎が、特殊部隊の侵入を否定したが、北鮮人工作員を使うのは何も金王朝だけとは限らない。たとえ、彼らの祖国である北朝鮮が崩壊しても、北鮮人が抱く反日感情は消滅しないし、支那人やロシア人が背後で操ることだって考えられるのだ。日本の支那専門家は北京政府の動向ばかり説明しているが、ロシア人とのパイプを隠している北鮮人がどれほど居るのか述べる事はない。もともと、北朝鮮はソ連が創った傀儡国家で、金日成(金聖柱)を首領に据えたのはスターリンである。この独裁者が若き金日成を選んだのは、彼が一番業績が無く、他と比べて操りやすい小僧と踏んだからだ。なるほど、北京政府が北鮮を軍事・経済の面で支援・保護しているが、ロシアが手を引いたとは考えにくい。ロシア人はマフィアと同じだから、一度摑んだ駒は絶対に放さず、徹底的にしゃぶり尽くすし、残りカスまで利用するはずだ。

  したがって、民間人を装って日本に潜入する北鮮工作員の中には、支那人やロシア人の手先が紛れていると考えた方がよい。彼らは直ぐに暴れ回るゲリラ兵とならず、「忍び」として日本に根を下ろし、パトロンの指令を待ちながら「一般人」として暮らすだろう。こうした連中の子供や孫は、やがて日本の官庁や企業、軍隊に浸透し、こっそりと極秘情報を盗み取るかも知れないし、上級幹部になって日本の国益を損なう人材になっているかも知れないのだ。(支那・朝鮮系の警察官や裁判官なんて、考えただけでも身震いする。) それ以上に危険なのは、朝鮮系の子孫が国会議員になって、朝鮮や支那、ロシアのために尽くすことである。現在でさえ、白真勲や福山哲郎といった朝鮮系議員が暗躍しているのに、更なる帰化鮮人議員が増えれば、国防計画でさえ困難な状況になるだろう。例えば、いくら自衛隊が最新鋭の戦闘機やイージス艦を購入しても、こうした反日議員が実戦使用を禁止すれば、単なる模型に過ぎない。つまり、北京政府は日本の議員を最良の「部下」として保有しているわけで、実弾を用いずとも日本の領土を征服できる。


左: 北鮮人
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右: 支那人
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  また、自衛官の中にも支那やロシアに配備された「スリーパー(忍びの草)」がいるから、いざという時は攪乱部隊として起動するはずだ。それに、支那人と結婚した自衛官の息子が自衛隊に入れば、防諜活動にとって別の問題が生じてくる。日本人は建前として民族差別を行わないことになっているから、支那系自衛官への監視が難しくなるだろう。しかし、北京から派遣された工作員は、同じ血を有する「同類」に接触を謀ってスパイに仕立てることが多い。実際、FBIに食い込んだスパイも支那系アメリカ人であったから、支那人の諜報機関は必ず混血児に目を附けてくる。たとえ、日支混血児が最初からスパイでなくても、支那人外交官に対しての抵抗感が薄いので、食事やカラオケの誘いについ乗ってしまうこともある。片親が支那人だと何かと共通点が多い混血児は、何となく支那人工作員に親近感を覚え、交際を続けているうちに“いつの間にか”情報提供者になってしまうのだ。特に、女の工作員が肉体を武器に男性の支那系あるいは朝鮮系自衛官を誘惑したら、結構その手口に嵌まってしまう者も多いだろう。

  難民の受け容れは、日本社会の隅々に損害を与えるものである。我が国の防衛力を低下させるばかりでなく、普段の生活まで食い散らかしてしまうのだ。例えば、難民がもたらす利益などは“ほぼゼロ”に近いが、医療費だけは一人前にかかるし、中には持病持ちもいるから、特別治療を受ける奴もいる。北鮮なら重病に苦しみながら死亡するだけの貧民でも、豊かな日本に来れば最新鋭の医療機器と高度な外科手術で治療して貰えるのだ。また、虫歯だらけの朝鮮人でも、「歯が痛い」と泣きつけば、即座に治療して貰えるんだから、国民健康保険をきちんと払っている日本人は激怒するだろう。日本国民が親子代々長年に亙り、高い保険料を納めながら維持してきた制度なのに、横滑りしてきた朝鮮人が“ちゃっかり”その恩恵に浴しているんだから、頭にきても当然じゃないか。もう説明するのも厭だけど、日本の刑法は犯罪者に甘く、日本の「囚人生活」ですら北鮮の「市民生活」よりも遙かに素晴らしく、“安心して”暮らせる日本の刑務所はサマー・キャンプに近い。


左: 朝鮮人女性
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右: 朝鮮人の少年
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  貧しい外人の到来は、医療費の問題だけではない。難民は子供連れで来るから、日本の人権派は鮮人の児童に対して義務教育を与えろと叫ぶはずだ。しかし、難民の子供は上流階級の私立学校に入ることができないので、必然的に庶民が通う公立学校に配置されることになる。しかし、日本語が不充分な鮮人児童が混入されれば、日本人の児童は大迷惑だ。異民族混淆クラスは、大抵の場合、学力低下に悩む。ドイツでも移民・難民の子供が多く住む地区では、学校の質的レベルが低下し、国家規模の問題となっている。国語(ドイツ語)が分からない移民の子供が、算数や数学、理科を苦手科目とするのは当り前だ。こうなれば、公立学校しか選択肢の無いゲルマン系の親は、移民・難民の流入に不満を募らせ、民族対立の火種となってしまう。日本の親だって、我が子には良い環境で最善の教育を与えたいと望むはずだ。それなのに、政府が勝手に鮮人の児童を日本人クラスに混ぜるから、日本人の親はブツブツと愚痴をこぼすようになる。毎度の事だけど、おっとりした日本の庶民は、自分が招いたわけでもない難民によって苦しむ事になるのだ。(ついでに言えば、日本の給食は北鮮人にとって高級料理と映る。毎日が豪華ディナーとなるから、大人だって学校に通いたくなるだろう。)


(写真 / 大進化を遂げる朝鮮人女性 )
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  難民問題で最大の障壁となっているのは、国内で沸き起こる「人道主義」だ。ユダヤ人が勝手につくった難民条約を締結するから、日本人はその害悪に苦しむ破目になるのだ。国家の将来や国民の日常生活を守るなら、難民条約など廃棄すべきだし、難民がボロ船に乗ってやって来るなら、躊躇せず砲撃で沈めるべきである。国家防衛とは国益を優先することで、流血を見るのが嫌だから、自滅を選ぶというのは愚者の考えだ。撃沈して溺れる難民を見て気の毒に思うのは一瞬の事である。ところが、その苦痛に耐えられないからといって難民を受け容れてしまえば、百年以上、つまり三世代以上の激痛を味わうことになるだろう。

現在の日本人は死刑を「忌まわしい」と考える平安貴族のような臆病者になっている。現実の社会には悪人がいるので、社会を維持しようと思えば、犯罪者に温情を示すべきではない。容赦無く斬首刑にすべし。国家への害悪が予想できるなら、躊躇無く北鮮難民を海の藻屑にすべきである。もし、人権派が文句を言うなら、「じゃあ、お前が日本国籍を捨てて、朝鮮半島で人道支援をすればいいじゃないか !」と言ってやれ。こうした左翼に限って、決して日本から出ようとせず、国内で快適な生活を送りながら「善人」の振りをしているものだ。大量の“みすぼらしい”北鮮人が到来した時、「難民を養いたい」と手を挙げる左翼が何人出てくるのか? 本当に楽しみである。
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9. 中川隆[-5768] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。

日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html#c4

[昼休み53] 北九州一家監禁殺人事件 中川隆
5. 中川隆[-5771] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:14:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人が集まると嫌な国が出来上がる
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

(左: 「理想の美」を手に入れた朝鮮人モデル / 右: 自然な顔面を保つ朝鮮人娘)

  いつからか分からないが、テレビ局が来日外国人を捕まえて、日本の文化や名所、料理を絶讃させる番組が増えたそうだ。日本は高度な文明国家だから低俗な外国人が驚嘆してもおかしくはないけれど、もし一般の日本人が「日本の素晴らしさは?」と訊かれたら何と答えるのか。こんな質問を急に街頭で尋ねられれば、大抵の人は「う〜ん、そうだなぁ」と考えてしまうだろう。我々としては普段通りの生活をしているだけだから、一々外国の事情と比べて何が優れているのか、なんて調べない。応ずる人によって意見はまちまちだろうが、一つだけ簡単に述べれば、「日本人が住んでいるから」と言えるんじゃないか。確かに、我が国の自然環境も理由の一つになっているけど、究極的に日本の素晴らしさは日本人にある。

  ところが、近年、この“素晴らしさ”を台無しにしようとする動きがある。大手「口入れ屋」のパソナを背にする竹中平蔵たちが、少子高齢化と人口減少を口実に、安い外国人労働者を引き込もうとしているのだ。しかも、この大量輸入に加え、朝鮮半島から多くの南鮮人が移り住んでいるという。韓国移民政策研究院の調査資料(2017年度版)によると、過去10年間で大韓民国の国籍を放棄した者は、22万3千611人に達したそうだ。2007年に2万3千528人を記録した国籍放棄者は、2016年になると3万6千404人に増えたそうだから、さすが「地獄の朝鮮(ヘル・コリア)」である。その内訳を見てみると、国籍を棄てた南鮮人は主に米国に向かったそうで、アメリカ国籍を取得した者が9万4千908人と最も多い。多民族政策を取るカナダも人気が高く、3万2千732人の南鮮人がカナダ国籍を取得したそうだ。

Korean migrants to GermanyKoreans 3

(左: 半世紀前にドイツへ渡った朝鮮移民 / 右: 民族衣装を纏った朝鮮女性)

  問題なのは、日本を目指した南鮮人の方である。もう目が眩んでしまうけど、5万8千870人が日本国籍を取得したそうだ。(「韓国国籍放棄者が急増・・・・『国家競争力の損失』」 中央日報、2017年11月8日) 南鮮の報道機関は「国力の損失だ」と歎いているが、日本人からすれば「反日分子の到来」か「汚染被害の拡散」にしか見えない。あの“穢らわしい”半島から来日してくる連中が、立派で有能な人材なんて考えられないし、どちらかと言えば「棄民」じゃないのか。どうせ、南鮮国内にいたって大半が“穀潰し”か“半端者”なんだから、南鮮の政治家にとったら「日本に厄介払いが出来て良かった」という気分だろう。一方、日本人の南鮮移住者はいったい何名いるのか? 答えは、「分からない」というのが一般的。法務省は帰化申請をする外国人に関するデータなら持っているが、日本国籍を放棄し、南鮮国籍を取得した日本人については統計を取っていないのだ。つまり、祖国を捨てた奴らの行く先には関心が無いということである。

Korean & Black family 2Korean face 1


(左: 黒人と結婚した朝鮮人女性とその子供たち / 右: 朝鮮人の父親と息子)

  でも、日本人で“わざわざ”南鮮人になろうとする者は、“よほど”の事情を抱えた人物に違いあるまい。だって、普通の神経を持った日本人なら、朝鮮人にまで零落(おちぶ)れる道を選ばないだろう。一番考えられるのは、朝鮮人男性と結婚してしまった日本人女性である。例えば、日本に来た南鮮人留学生が日本人女性と恋仲となり、南鮮へ連れ出すというケースが考えられる。もちろん、嫁の両親は大反対。朝鮮という野蛮国に娘が住むなんて恐ろしいし、第一、日本人の誇りが許せない。でも、バカ娘には現実の厳しさが解っていないから、両親の説得にも馬耳東風。いくら鮮人に惚れたからといって、日本でヌクヌクと育った日本人に朝鮮での暮らしは耐えられない。しかも、南鮮の国籍を取得すれば、南鮮人が同胞となり、太極旗に忠誠を誓う破目になるじゃないか。

  ところが、悲劇はこれで終わらない。仲間となった鮮人からは「元日本人」とか「豚の足」と蔑まれ、夫の両親や親戚からも下女のように扱われるのだ。その上、自分の子供は「朝鮮人」として育てられるから、いくら日本語(母語)を話せても、実家の両親や兄弟たちとは違った人間になってしまう。それに、日本人の母親は南鮮国籍を取ったからといって、自分を朝鮮人とは思わない。さらに複雑なのは、劣等国の朝鮮に住むと、日本に居た時には思わなかった「日本人意識」が芽生え、「あんな人達とは一緒にされたくない !」と思うようになる。日本に居る友達にだって、「朝鮮人になりました」とは言いたくないし、格下の人種になったような気がするから、朝鮮での暮らしに嫌気がさす。パリとかロンドン、ベルリンなら、ちょっとした自慢になるけれど、朝鮮人だらけのソウルや釜山なんて格好悪いし屈辱だ。だいいち、チマ・チョゴリを着た姿なんて、恥ずかしくて人に見せられないから、友達に動画や写真を送ることはまず無いだろう。

  朝鮮人は日本人を嫌いなくせに、やたらと日本にやって来る。しかも、何食わぬ顔で帰化申請を行ったり、結婚を切っ掛けにして“いつの間にか”日本人になっていたりするのだ。南鮮に居る時には、やれ「日帝は赦せない !」とか「竹島は韓国の領土だ !」と叫ぶが、日本に移住するや、その威勢は消え失せ、「国籍や民族の違いを言い立てる人はレイシストです !」なんて言いやがる。中には、「私は元韓国人で、朝鮮人ではありません !」とほざく奴もいるから呆れてしまう。朝鮮人に説教しても仕方ないけど、彼らの中には堂々と「チョーセン人は差別用語だ !」と抜かす奴も居るから、その頭を広辞苑でひっぱたきたくなる。在日や帰化、南や北を問わず、日本に於いて朝鮮人は皆「朝鮮人」か、略して「鮮人」であり、我々がどう呼ぼうと我々の勝手である。テレビ番組で「韓国のかた」と馬鹿丁寧に呼んでいるアナウンサーほど、心の底で鮮人を「格下」に見ているはずだ。実際、在日米軍士官に対して反感を持っていているテレ朝の玉川徹だって、自分より劣っているとは思っていないから、「アメリカのかた」なんて呼ばないだろう。日本人ジャーナリストは西歐系白人に対しては遠慮が無い。“対等意識”を持っているせいなのか、アメリカ人にはズケズケと本音をぶつけることが出来る。

アジア人の子供を養う日本人納税者

  今月に入り、不吉な福祉制度が発表された。政府は大学などの高等教育と2歳児以下の保育園の費用について、住民税が課されない世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化するとの方向で検討に入ったそうだ。(西村圭史 「高等教育などの無償化、住民税非課税世帯で検討」 2017年11月9日附「朝日新聞」) 安倍首相は、3〜5歳児は全世帯で幼稚園と保育園の費用を無料にし、高等教育と2歳児以下は低所得者世帯に限って無料にする、との案を述べていた。一般国民はこうした提案を聞くと諸手を挙げて賛成するが、その世帯はどんな人物で構成されているのか、とは考えない。「日本国民とは日本人」という定義は過去の話で、現在は帰化鮮人世帯とか支那人かタイ人を娶った混淆家庭、日本人の姦通相手から子供の認知を受けたフィリピン人母子家庭、パキスタン人やマレー人の夫を持つ日本人妻と混血児の家庭など、ゾっとするような世帯が増えている。

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(写真 / フィリピン人の子供たち )

  日系人の庶民は漠然と「我々の国民健康保険制度や年金制度、給食制度は大切だから、みんなで支えましょう」と合唱するが、その「みんな」にはアジア系帰化人が混ざっていることに気づかない。日系日本国民は明治や江戸時代、あるいはもっと遡って、室町や鎌倉時代から日本人なので、つい「日本国民」は総て「日本人」と思ってしまう。だが、裸踊りや酌婦を仕事にして来日したフィリピン人、中古車ディーラーのパキスタン人、民族料理店を営むトルコ人、単純労働や詐欺が専門の支那人などは、「昔ながらの日本人」ではない。朝鮮人はかつて「大日本帝國の公民」であったが、その大多数は敗戦後に帰国しており、現在居坐っている連中は密入国者かその子孫、あるいは仕事を求めての新参者かのいずれかである。現在の日本にある社会保障制度は、我々の両親、祖父母、曾祖父母が心血注いで築き上げた民族的「遺産」である、ということを忘れてはならない。我々は余りにも無頓着であるため、この貴重な相続財産を不注意にも、アジア系帰化人や永住外国人に与えている。これがもし、個人の遺産相続という場合なら、決して外人に分け与えることははないだろう。

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(写真 / タイ人の子供たち)

  考えてもみよ。近所をうろつく朝鮮人が、突然、我が家の庭先にダンボール・ハウスを拵えて住みついたら、どうするのか? たていての日本人であれば、腕ずくでもこの不逞鮮人を叩き出すだろう。ましてや、この朝鮮人を養子にしたり、自分の戸籍に入れるなんて事はまずあり得ない。だが、国家規模になると事情が違ってくる。短期滞在や永住外国人でも「国民健康保険」に加入できるし、在日朝鮮人でも生活保護がもらえたりする。また、不正入国の外国人でも日本で子供を出産すれば、我が子を公立学校に通わせることもできるし、その子供が成長してしまえば、たとえ「不正」がバレても、特別滞在許可をもらえたりする。つまり、ある程度の潜伏期間をじっと堪え忍べば、有り難い「ご褒美」がもらえるということだ。政府は低所得者の家庭に育児手当を与え、保育園や学校の費用を肩代わりしようとしているが、その「世帯」には支那人とかフィリピン人、タイ人の低所得者や母子家庭が含まれている。

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(左: フィリピンの若い女性たち / 右: ショー・パブで働くフィリピン人女性 )

  以前、市議会議員のフィリピン人妻が、スナックで働いていたにもかからわず、生活保護を受け取っていたという事件があった。役所にとって「福祉予算」というのは「他人のゼニ」なので審査が甘い。自分の銭なら100円だって惜しいのに、税金だと数百万円でも無駄にできる。例えば、1千万円の税金をドブに捨てても平気な役人でも、お昼の定食では節約するようで、食堂で注文する時、財布を“ちら”っとのぞき、850円のAセットを650円のBセットに抑え、赤提灯の酒代を計算しながらジっと我慢。節約精神が旺盛な役人だと、「今日は3千円の特上天丼にしようかなぁ」なんて考えない。だいたい、役人は税金を「予算」と呼んで、無駄遣いの正当化をしているんだから、国民は役所の「予算消化(与えられた税金を何が何でも使い切ること)」に目を光らせるべきである。筆者は以前、役所の「闇」を突いたことがあるが、その時、担当した「お役人様」は、筆者を共産党員か左翼オンブズマンと勘違いしたようだ。周りの若い女子職員は、「何か、いや〜な人がやって来た」という雰囲気を漂わせ、緊張した表情で黙々と仕事をこなしていた。後で議員にも直接苦情を述べたので、役所ではちよっとした騒ぎとなったそうだ。役人や議員を相手にする場合、なるべく具体的かつ緻密に、論理を用いて追い詰めることが肝要である。(断っておくけど、筆者は左翼活動家じゃないぞ。)

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(写真 / 酒場で働くタイ人女性たち)

  脱線したので話を戻す。帰化人家族とか永住者世帯には低所得者が珍しくなく、社会福祉金をもらっている人が多い。例えば、日本人の既婚男と不倫の末に身籠もったフィリピン人女性は、その姦通相手とは結婚せず、母子家庭のまま日本に住んだりするから、福祉依存者か生活保護の受給者だったりする。しかも、日比混血児が優等生になる確率はかなり低く、出来損ないか凡庸な子供といったところが関の山だ。規律や品格を示す父親が不在なうえに、だらしない性格の母親に育てられる混血児が、知的好奇心に満ち、自然界や宇宙の神秘に興味を抱くなんて思えない。国語さえ覚束ないのに、理科や数学で頭角を現すのか? まぁ、知的訓練を必要としないスポーツなら一番になれるかも知れないけど。一般の日系日本人は呑気だから、公金を使うのは日本人の子供を助けるためだと考えている。しかし、実際のところ、同胞とは思えない異民族の子供を養っているのだ。

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(左: 朝鮮人の子供 / 右: 支那人の子供 )

  冷酷な現実に目を背ける日本人は、予想される悲劇を回避せず、事件が起きてから後悔することが多い。昼行灯(ひるあんどん)と左巻きが溢れる法務省は、毎日が節分のような役所で、帰化申請をするアジア人に国籍を気前よくばらまいている。日本国籍を与えるということは、日本国を支える正式メンバーを承認することであり、我々と対等な「公民」にするということだ。本来なら、帰化を許す前に、申請者の素性や経歴を一般公開し、全国民がその者を審査し、正当な反対意見があれば帰化申請を却下すべきである。例えば、在日朝鮮人やその子孫を「国家の成員」にするのであれば、国民投票にかけたっておかしくはあるまい。日本人は世間の常識で考えるべきた。例えば、ある片親だけの家庭で、妻を亡くした父親がいたとする。その鰥(やもめ)となった父親が再婚する際、いくら何でも一応、子供たちに話をつけるじゃないか。それをスキップして、いきなり父親が「今度、父さんはフィリピン出身の女性と結婚することにしたんだ。明日から、あの人がお前達の母さんになるんだよ」と言えば、息子だって「えっっ ! 何 ! なんで? 嫌だよぉ、そんな !! だってさぁ、いきなりあんな外人が母さんの代わりだなんてあり得ないよ。オレ、どんなことがあっても反対だからね !!」とヘソを曲げるだろう。一般の日系日本人も基本的に同じで、朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人を日本国の「家族」とは思わない。

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(左: フィリピン人の祖母と孫 / 右: 支那大陸を去る支那人)

  日本人は日本人同士だから国民的・民族的絆を大切にするのであって、金銭や福祉、あるいは豊かな生活を目的にして帰化するアジア人は何時まで経っても「よそ者」だ。異民族がひしめき合う米国ですら、民族・人種での一体感は無い。例えば、先祖代々アメリカに住むイギリス系国民が、デンマークやスウェーデンからの白色移民を受け容れる事はあっても、皿洗いとしてチャイナタウンに潜り込む支那人とか、イスラム教を信奉する髭面のイラク人、難民枠で雪崩れ込むソマリア人、不法滞在でも永住権を求めるメキシコ人を「対等なアメリカ人」とは思わない。一般的にアメリカ人は団結力が強いと思われているが、それは各人が星条旗を前にするからで、お互いの顔を見つめ合うことで一体感を実感している訳ではないのだ。ハリケーンによる洪水とか土砂崩れで黒人が取り残されたって、一般のアメリカ白人が命懸けで助けることはなく、救助を「職業」というするレスキュー隊に丸投げ。ただ、災難に遭った黒人を哀れに思う白人も居るけど、それは被災者に同情する「自分」の姿に酔っているだけで、自ら進んで助けたいわけではない。(可愛い犬や猫なら別だけど。) 浸水した家に取り残された黒人は可哀想だが、その汚水には屎尿やネズミの死骸とか、犬の糞から大腸菌、未知のバイ菌が混ざっているから、自分の脚を濁流に漬けるのは嫌だ。黒人の災難はテレビで観るだけに限る。

日本国民の遺伝子プールに混ざる異質な精子

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(左: メダルを獲得した浅田真央 / 右: 民間企業のCMに出た浅田氏)

  我々は大量の朝鮮人が日本国籍を取得した世界を想像してみるべきだ。隣近所に不愉快な帰化鮮人が増えるだけではなく、自分の息子や娘の配偶者になるかも知れないんだから、考えただけでも恐ろしいじゃないか。箱入り娘の子宮に朝鮮人の精子が入って、腹が膨れてしまうなんて寒気がする。しかも、生まれてきた孫が亭主の朝鮮人にソックリとなったら気が滅入るだろう。日本社会は急速に変化している。スポーツ界ではこの傾向が強く、日本を代表して国際大会に出場する人物が、総て朝鮮系であっても不思議ではないのだ。例えば、フィギュア・スケートの世界大会で、南鮮のキム・ヨナが金メダルを取ったけど、もし彼女が帰化鮮人の娘であったたら、日本人は熱心に応援するのか? 帰化鮮人の子供は血統的に見れば「朝鮮人」であるが、書類上は「日本国民」である。したがって、キム・ヨナの如き朝鮮系スケーターであっても、成績が良ければ日本代表選手となってしまうだろう。そして、彼女は浅田真央の如き日系人選手と並んでオリンピックに出場することもあるし、場合によっては日系人選手を蹴り落として代表選手に上り詰めるという事態も起こり得る。(実際、短距離を得意とする陸上選手がほぼアフリカ系という未来はそう遠くない。) こうなった時、日系日本人は朝鮮系が独占するフィギュア・スケートの代表団を「日本チーム」と見なすのか? また、代表選手三名が揃って朝鮮系となってしまい、奇しくも金銀銅メダルを獲得した場合、素直に「やったー。すごい !」と喜べるのか?

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(左: ペットを抱く浅田真央 / 中央: 大会で演技を披露する浅田 / 右: 浮かない顔のキム・ヨナ)

  「親近感」というのは自分と同類の者、自分と似ている種族に対して強くなる。多くの日本人が浅田真央に期待を寄せたのは、彼女の才能が卓越していた“だけ”ではあるまい。彼女が見せる表情や、ひたむきに練習する姿、辛い事があっても、それを押しつけがましく視聴者に伝えない慎ましさ、失敗を犯しても他人のせいにしない潔さが好評だったからじゃないのか。彼女が見せる自然な謙虚さとか、成功した時の笑顔は素晴らしかった。日本人は浅田氏のような競技者が好きだ。一方、南鮮人のキム・ヨナはどうだったのか。報道によれば、世界大会に出場したキム選手の評判は芳しくなく、他国のスケーターは彼女に近づこうとしなかったそうだ。見るからに傲慢で、勝者としての品格も無ければ、人間的魅力すら無い。まぁ、下品でがさつな朝鮮民衆にとっては“おあつらえ向き”の選手なのだろうが、日本では歓迎されないタイプだ。ただ、栄華を誇る氷上の女王も、引退すれば徐々に曾ての人気は翳り、厭な側面しか残らないからピンチに陥る。金メダリストのキム(金)選手が頼りにするのは金貨くらいなものだろう。

  ここで再び、日本人は「なぜ朝鮮人は朝鮮を去るのか ?」を考えねばならない。朝鮮人が祖国から逃れるのは、畢竟(ひっきょう)、南鮮が朝鮮人によって構成されているからだ。朝鮮人が何千何万人集まっても、日本の寒村ほどの魅力を生み出すことはできない。朝鮮人は朝鮮人が嫌いで、支那人も支那人が嫌いだ。支那人とソックリな民族であるユダヤ人も同類で、ユダヤ人だらけの地域が嫌いである。彼らに共通しているのは、他民族から疎まれる鼻つまみ者で、その心がねじ曲がっているという点だ。それを民族性と言ってしまえばそれまでだが、できれば彼らとは接触したくない。ところが、現状は逆になっている。かつて日本人は心が清く立派な民族であったのに、朝鮮人を始めとするアジア人を包括したことで、劣化の道を選んでいるんだから自業自得だ。

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(写真 / 幼い頃と成人した時に撮られたキム・ヨナ)

  悪夢はそれだけではない。我々は朝鮮人でさえ嫌う朝鮮人の遺伝子を取り込もうとしている。最近、日本のマスコミがキム・ヨナ選手の肉体的変貌を伝えていた。報道によると、彼女の容姿が激変しており、キム氏を目にした記者の中には、「あの子誰?」と尋ねる人もいたそうだ。科学的証拠が無いので断定はできないが、一部には美容整形じゃないかという指摘もある。筆者は高須クリニックの高須克弥院長のような知識を持たないので自信がない。けど、キム氏の写真を眺めたところ、素人ながらも異変に気がついた。彼女が幼い時に撮られた写真と、花形選手になてからの写真を比べると月とスッポンだ。もしかしたら、南鮮の化粧品は皮膚や骨格まで変形させる超近代的劇薬が使われているのかも知れないぞ。朝鮮人女優なら特殊メイク無しで、映画の『Xメン』に出演できるんじゃないか。(ミュータントの「ミスティーク」を演じたレベッカ・ロメインRebecca Romijnは印象的だった。) それはともかく、南鮮では政府による公共投資額が少ないのか、民間人が自発的に顔面工事を施し、GDPを増やそうとするらしい。しかし、いくら国家主導のインフラ整備が足りないからといって、親からもらった容姿まで再開発しようとするんだから、南鮮人の「変革好き」には目を見張るものがある。

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(左: レベッカ・ロメイン / 「Xメン」でのミスティーク / 右2枚: 顔面工事を行った朝鮮人女性)

  こうした改造熱が南鮮国内に留まっていれば問題は無いが、大量の朝鮮移民が日本に雪崩れ込み、彼らの嫌うツングース的遺伝子が日本人の遺伝子プールに注がれたら堪ったもんじゃない。こうなれば、朝鮮人との混血は単に日系人の容姿を変えるだけでなく、祖先をも変えてしまうのだ。もし、ある日本人男性が朝鮮人女性と結婚した場合、二人の間に生まれる日鮮混血児は、少なくとも朝鮮人の祖父母二名を持つことになる。ただし、この混血児が持つ朝鮮人の肉親は、母方の祖父母に留まらない。伯父叔母、従兄弟、はとこ、曾祖父などに広がり、5代6代7代・・・20代・・・25代・・・50代と遡って、何百何千もの朝鮮人が祖先になってしまうのだ。これじゃあ、まるで天空を背負うアトラスみたいで、乞食より汚い朝鮮人が千人も自分の背中にのしかかっているようなものである。日鮮混血児にとって朝鮮史は「外国史」ではなく、「祖先の過去」となってしまい、自分のルーツを見つめる科目になるのだ。日系人の子供は鮮やかな日本史を学んで楽しいだろうが、日鮮混血児は暗くて“どんより”とした朝鮮史を意識する破目になり、陰鬱を通り越して悲しくなる。しかも、日本の敗戦後にのさばった朝鮮人は見るに耐えない。「日本人」でありたいと望む朝鮮系児童は、第三国人として横暴の限りをつくした不逞鮮人など知りたくはないだろう。だから、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』を偶然手にし、第五章を読んだ帰化鮮人の親は烈火の如く怒るはずだ。たぶん、本をズタズタに引き千切って燃やしてしまうんじゃないか。在日朝鮮人には、何としても我が子に隠したい過去がある。朝鮮系帰化人の子供が増えれば、学校での歴史教育は、益々闇の中を彷徨(さまよ)うことになるだろう。それにしても、日本では歴史の授業が過去を忘却する教科になっているんだから腹が立つ。

Korean Park Min Young Plastic SurgeryKorean Actress, Park Min Young


(左: 生来の顔を持つ朴ミン・ヨン / 中央と右: 外科的変身を遂げ美人女優になった朴氏)

自由を失う日本人

  朝鮮人を始めとするアジア系国民が増えると、もう一つの災難、すなわち日系日本人が自国を失う破目になる。例えば、親子代々「日本人」である日系人が、アジア系帰化人や移民、難民の排斥を訴えると、「ヘイト・スピーチ(憎悪言論)」を行う“不届き者”として非難され、弱い者イジメをする“悪人”にされてしまうのだ。しかし、日系人にしたら、自分たちの祖国に闖入する不逞鮮人や支那人、あるいは売春婦もどきの東南アジア人を駆除したいだけで、ことさら外国人を排除したいわけではない。事実、ハイテク産業や投資会社に勤める西歐系ビジネスマンや在日米軍士官、オーストラリアやカナダからの白人ファッション・モデルを追放しようとする日本人はいないだろう。NHKやTBSは「外国人排斥の気運が高まって危険です !」と報道するが、その「外国人」の正体を具体的に説明しないのだ。例えば、「外国人参政権」を取り上げても、それを「在日鮮人参政権」とは評さない。また、観光地における外人トラブルに言及しても、それが主に支那人によるものとは明言しないし、支那人の仰天行動に不満を漏らすホテル従業員の本音もNGだ。電車内のマナー違反だって、大抵は沢山の荷物を持ち込む支那人観光客だったりする。

  日系人には「言論の自由」があったはずなのに、最近ではそれも怪しくなってきた。例えば、朝鮮人が“あちこち”に住みつく川崎市では、「ヘイト・スピーチ」規制の一環として、「外人排斥団体」に対し公園などの場所を貸さないようにするらしい。でも、どうして日本人が自分たちの郷里を守る為に蹶起(けっき)することが“いけない”のか? 不愉快な侵入者が増えてくれば、自衛意識が高くなっても当然じゃないか。NHKなどは偏向報道を糾弾する日本人視聴者を門前払いする一方で、新華社通信の支那人や民間人を装う工作員なら大歓迎だ。本来、日本は日本人の国というのが前提で、健全な公務員は日系日本人を優先すべきなのに、いかがわしい外国人や図々しい帰化人の方を重視する。もっとも、共産党や公明党、民進党系の左翼議員がアジア人の味方に廻っているので、公務員の中には良心の呵責を感じている者もいるだろう。とは言っても、左翼議員からの叱責が怖いから、厭でも従うしかない。

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(左: 朝鮮人の抗議デモ / 右: アメリカ黒人の抗議デモ)

  米国でも事情は同じだ。例えば、CNNやABCは大規模な街頭デモを報じるが、それを「怒れる若者たちによる抗議行動」とだけ伝える。しかし、実際の映像を観ると、デモの参加者たちは主に黒人であったり、先頭に立って煽るのが極左の活動家という場合が多い。主要マスコミは「黒人暴動」と言えないので、わざと「若者による抗議」と言葉を濁している。でも、これだと「嘘」にはならないから、「フェイク・ニュース」との批判を避けることはできる。しかし、本質的には「詐欺ニュース」に近い。アメリカは元々白人国家だったのに、大手企業が安い労働力を欲したため、移民規制を撤廃してしまい、有色人種が溢れる多民族社会になってしまった。かつて、イギリス系入植者は原住民のインディオを追い払って「少数派(マイノリティー)の土人」に貶めたが、今では自分が移民に押し込められ、「白人少数派」に没落してしまった。なんとも皮肉なものである。日本人は気付いていないが、米国に押し寄せる支那人は一度も発砲せずにアメリカを征服できるのだ。方法は簡単。支那人は“いつも”のように“支那人らしく”振る舞えばいい。つまり、街中で「ペッ」と痰を吐き、ガチョウのようにガァーガアァと喋り、アパートメントを支那人所帯で埋め尽くし、学校にも我が子を送り込めばいいのだ。そうすれば白人が自主的に領土を明け渡す。所謂「白人の逃避」である。

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(左: 公害に苦しむ支那人 / 右: 貧困に喘ぐ支那人 )

  一般国民は薄々分かっていても口にしないが、アジアからの移民は日本を質的に向上させることはない。なるほど、大手の派遣会社は仲介手数料を取って儲かるし、コンビや介護施設は人手不足の解消となる。しかし、大半の日系国民にとっては、アジア移民は厄介者でしかない。日本人は日本人どうして暮らしたい。これが我々の本音だ。朝鮮人や支那人、フィリピン人と混じり合って暮らすのは最悪。彼らと付き合っても楽しくないし、不愉快な場面が増えるだけ。心が優しい日本人になると、劣等民族を傷つけないために、通常以上の気配りが必要となってくる。例えば、美白化粧品を愛用する日本人女性が、タガログ族系フィリピン人や茶色いインド人を前にして、「あの化粧品よかったわよぉ〜」なんて言えないじゃないか。また、黒人との混血児は日傘をさす日系人の母親を見て、「ボクのママには必要ないな」と思うから、周りの日本人は日焼けの話は避けるようになる。多民族幼稚園ではTVアニメ『ジャングル黒べぇ』のDVDなど厳禁だし、名作の『ブラック・ジャック』でも購入しないだろう。支那の名物料理、子供の小便を用いたゆで卵は香ばしいかも知れないが、幼稚園での再現は論外だ。イタリアでは人間の足が混入した支那料理が話題になったけど、日本ではこれから人間の指とか爪が発見されるかも知れない。(Julian Robinson,"Chinese restaurant is accused of serving human FEET to diners in Italy after gruesome image of rotting flesh is posted online by a waiter", Daily Mail, 13 January 2017 / 註 : 筆者はその写真を入手したけど、ライブドア社の検閲があるので載せられません。勇気のある方はネットで調べてね。) でも、支那人シェフなら、「ワタシの店ではそれが目玉料理よ !」と言うかも知れないぞ。実際、牛の目玉や金玉がスープの中に入っていたりしてね。

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(左: 昔の朝鮮人 / 右: 現在の朝鮮人)

  とにかく、色々な理由を述べることができるが、簡単に言って日本人は朝鮮人が嫌いである。朝鮮人は激怒するが、日本人からすると朝鮮人は下品で粗野。彼らは歴史的に支那人やモンゴル人、そして両班階級に弾圧されたり、理不尽な搾取を受け続けてきたので、性格が骨の髄まで歪んでいるのだ。その証拠に、彼らが集まった国を見てみれば解るじゃないか。自分たちが受けたと称する日帝からの屈辱と恥辱を西歐人にアピールし、白人からの同情を買うことで日本人への「当て付け」にしようとする。口にすることさえ忌まわしいが、「慰安婦問題」は典型的な対鮮トラブルだ。実際は醜悪な淫売女でも、朝鮮人は想像と妄想を膨らまして無垢な少女に変換し、米国にまで慰安婦像を造って設置するんだから、馬鹿というより気違いに等しい。日本の保守派は文大統領がトランプ大統領の歓迎式典に元売春婦の老婆を呼んできたことに驚き、その愚行を非難していたが、筆者から見れば、いかにも朝鮮人らしい行動に思える。アホの坂田師匠は「藝」として阿呆を演じているが、朝鮮人は“自然”にアホな行動を取っている。朝鮮人は野生動物や昆虫と同じだ。例えば、サソリに刺されたカエルが、「どうしてボクを刺すんだ?」と質問したとする。非難されたサソリにしてみれば、「刺したかったから」と答えるしかないだろう。だいたい、自分で自分の行動を反省できるくらいなら、あんな国家になっていない。

朝鮮人が集うと最低に

Koreans 008


(写真 / 日本のの恩恵を受ける前の惨めな朝鮮人たち)

  朝鮮人は「魅力」という言葉に無縁の民族である。南鮮にはクズ野菜を漬けたキムチくらいしか自慢するものが無い。余りにも貧しすぎたせいで工業技術すら発達しなかったし、貨幣経済も発展せず、他国民に披露できる文化にも乏しい。日本で育った朝鮮人の青年は、「アリランの詩(うた)」とか「パンソリ」なんて恥ずかしくて言葉に出来ず、「プク」と呼ばれる太鼓すら叩くのも嫌である。朝鮮人が口ずさむ民謡なんて陰気なメロディーで、日本人の友達には紹介したくない。以前、帰化鮮人歌手の錦野旦(あきら)が、歌謡界は朝鮮系歌手がいないと成り立たないと豪語していたが、朝鮮系歌手は日本で生まれ育ったから、有名歌手になれたのだ。朝鮮に住んでいたらデビューする機会さえ得られない。せいぜい一日中、空を眺めて屁をこいているだけの人生だ。例えば、和田アキ子は有名歌手になったが、それとて所属事務所のお陰だろう。彼女には作曲能力が無いから、他人が作った曲を歌っているだけ。もし、彼女が朝鮮で育っていたら、いま手にしている名声と地位は無い。1970年代や80年代の南鮮でも歌謡曲はあったが、それは片田舎の野暮天が夢中になる程度の代物で、日本人が聴いたら大爆笑。朝鮮人は先進国の日本に生まれ育ったから「著名人」になれたのだ。

K-Pop Star 3K-Pop star 4

(写真 / K-Popの人気グループ)

  もし、朝鮮の流行歌が素晴らしいのであれば、なぜ日本のレコード会社は朝鮮名曲集アルバムとか、1970年代南鮮ヒット曲といったCDを発売しないのか? 1980年代の南鮮人は日本の民衆文化に憧れており、こっそりと日本のTVドラマや映画などを観たり、歌謡曲やニュー・ミュージックのファンになっていたそうだ。今でも南鮮では、外国文化を輸入・盗作しており、「K-Pop」というのはアメリカ人歌手の猿まねに過ぎない。朝鮮人は三人寄っても「紛(まが)い物」しか産み出せず、せいぜい日本の文化を“さらり”と盗むだけ。日本人か馬鹿されれば、「何を言うか ! 日帝は我々の“国”を盗んだじゃないか !」と激昂し、羞じらいも無く開き直る。こんな連中が日本に押し寄せ、新大久保や川崎、大阪などに住みつく。かくて、朝鮮人が増え始めると、そこに住んでいた日本人が「よそ」へ引っ越すから、いつの間にか朝鮮人街の一丁出来上がりとなってしまう。

  西歐系白人が住む目黒とか麻布、青山の一等地なら「お洒落な街」となるのに、朝鮮人が棲息する新大久保は賤民のゲットーと化してしまう。現実はまことに厳しい。ナメクジみたいな顔附きの朝鮮人が携帯電話屋とか装飾雑貨店を営み、買い出しに来る客も朝鮮人だから、まともな日本人は目を伏せながら通りすぎるだけだ。(筆者はじっくりと現地の商店街を見物したことがあるので、今でもよく覚えている。) 住み慣れた街を朝鮮人に占拠された日系住民は悲惨なものだ。引っ越そうにも資金が無いし、朝鮮人が群集したことで店や家の資産価値も激減してしまう。「昔は良かった」と歎く高齢者は、朝鮮人の体臭を嗅ぎながら“お迎え”を待つしかない。それにしても、朝鮮からの「疫病神」に囲まれる日本人が、冥途からの「死神」を待ちわびるなんて憐れじゃないか。書店では亭主に不満を抱く奥様が『だんなデス・ノート : 夫の「死を」願う妻たちの叫び』を買っているそうだけど、これからは朝鮮人を呪い殺す『鮮人撲滅デス・ノート』が発売されるんじゃないか。筆者も小遣い稼ぎに一つ出版してみたいなぁ。
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2017年10月31日 北鮮の難民がやって来る ?! / 日本国民になってしまう定住朝鮮人
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ミサイル攻撃よりも怖ろしい難民

  総選挙というお祭りが終わって、日本国民一段落したと安堵しているが、議員選びよりも重要な問題が待ち構えている。すなわち、北鮮危機だ。保守系雑誌は「北朝鮮が我が国に向けてミサイルを発射するんじゃないか」とか、「米軍による北朝鮮への攻撃が始まりそうだ」と騒ぎ立て、各誌が特集を組んでいる。だが、本当の国難はそんなものではない。日本政府が自発的、あるいは渋々ながらも、大量の北鮮難民を受け容れてしまうことなのだ。

  確かに、トランプ大統領は強硬な態度を取り続ける金正恩に対し、安易な妥協を見せず、武力制裁を行う可能性がある。そもそも、ロナルド・レーガン大統領に憧れるトランプとしては、ジミー・カーターのように人権外交を標榜して失敗したくない。イランの人質奪還作戦で大失態を犯した大統領は惨めなもので、現在でも語り草になっている。やはり、「強いアメリカ」を前面に出して、自分に刃向かうゴロツキ国家を倒してこそ、偉大なる大統領として歴史に名が残るんじゃないのか。だから、ソ連よりも遙かに劣る北朝鮮に、自ら譲歩して核保有を許してしまうなんて想像できない。もし、トランプが何らかの裏取引で北鮮の核保有を黙認したら、国内の共和党保守派からの突き上げが噴出し、四面楚歌のトランプは益々孤立化を深めてしまうだろう。


(左: ジミー・カーター / ロナルド・レーガン/ ドナルド・トランプ  / 右: 金正恩)

  ただ、国際政治には不確定要素が多いから、正確に未来を予測することは難しい。したがって、我々は最悪のシナリオを想定し、あらかじめ「腹」を決めておく必要がある。例えば、核ミサイルに対する防禦を整備してこなかった日本人は、多くの同胞が死んでも「仕方ない」と諦め、残った国民が復讐心と克己心を持って国家を再興することだ。まぁ、現実的には日米同盟があるから簡単に核攻撃は受けないと思うが、自国を自力で守ろうとしない国民なんだから、同盟国に裏切られて消滅しても文句は言えまい。国際政治で「他力本願」は愚の骨頂だ。少なくとも米国は日米同盟を守ろうと“努力”するが、法の抜け穴を突いて日本を助けない場合だってある。また、そうじゃなくても、日本を軍事的に助けてやる代わりに、経済協力を“水増し”して求めてくることもあるだろう。どっちみち、我が国は苦難に陥るということだ。

左翼分子を披露するテレ朝

  北鮮問題を扱うテレビ番組はいくつもあるが、テレ朝の『ビートたけしのTVタックル』は支那や北鮮を擁護する番組として知れ渡っている。いつもは下らない内容なので観ることはないが、10月29日の放送では、防衛評論家の桜林美佐と経済評論家の三橋貴明、軍事アナリストの西村金一が出演していたので、仕事をしながら片手間で議論を聴くことにした。しかし、制作スタッフの真意は、これらの評論家が発する警告ではなく、極左ジャーナリストの青木理(おさむ)や「アジアプレス」の石丸次郎を世間に紹介することにあった。ワイドショーで常連客の青木はともかく、北鮮を熱心に取材する石丸には用心が必要だ。例えば、彼の北鮮難民に関しての発言は聞き捨てならない。石丸は戦争に伴って「北朝鮮が特殊部隊を送るなんてあり得ない !」とか、「武装難民が日本に押し寄せるなんてナンセンスですよ !」と言いのけた。石丸の考えによれば、「北朝鮮が消滅してしまうのに、特殊部隊が闘う理由なんてあるんですか?」という訳だ。そんなの特殊部隊員が気にすることではない。戦争が始まる前後に特殊部隊への指令が発令されれば、部隊員は命に代えても自分の任務を遂行しようとするし、日本に上陸した部隊は祖国との連絡が無くても暴れ回るものである。

Ishimaru Jiro 2(左 / 石丸次郎 )

  一般の日本人には軍事が解っていない。特殊部隊員は命令を実行することのみに専念する。だから、国際政治とか任務を終えてからの出世は考えない。たとえ、日本人が「北鮮兵士の皆さん、あなた方の祖国は崩壊しましたよ。もう意味が無いので投降して下さ〜い !」とメガホンで呼びかけても、北鮮の特殊部隊員は出頭しないだろう。だいいち、日本国政府は命令の解除コードを知っているのか? 日本に潜入した北鮮兵は、上官からの正式な停戦命令を受けない限り、死ぬまで戦い続けるんだから、日本人による「降伏勧告」なんて「策略」としか思わない。彼らは日本の自衛隊に殲滅されるまで、殺戮や破壊をやめないだろう。

  仮に、特殊部隊が投入されなくても、北鮮難民の中に便衣兵、つまり民間人を装ったゲリラ兵や長期滞在を目論む工作員が紛れ込んでいる場合だってあるのだ。ところが、日本政府は偽装難民と一般難民を区別できないから、どうしても悪質な北鮮人を国内に招き入れてしまう虞(おそれ)がある。たとえ政府が難民を一時的に離島へ収容し、ゲリラ兵の摘発に乗り出しても、国内の反日勢力が政府に圧力を掛け、「人権無視の隔離だ !」とか「人道主義に反する !」「朝鮮人への差別だ !」と騒ぎ立てるから、いつまでも孤島に閉じ込めておくことはできない。ちょっと考えれば朝鮮人を支援しそうな連中など、直ぐ思いつくじゃないか。 例えば、共産党、立憲民主党、民進党、自民党に潜む左翼議員、帰化鮮人の活動家、韓国民団、朝鮮総聯の残党、全共闘崩れの老左翼、人権派弁護士、移民・難民支援団体など、彼らはマスコミと結託して一大勢力を形成し、北鮮難民を本土に迎入れようと手引きするはずだ。

日本に根づく朝鮮人

  難民というのは、いつまでも難民ではない。日本にやって来た北鮮難民は、必ずや「日本国民」となる。金王朝の下で呻吟(しんぎん)した朝鮮人は、豊かで快適な日本に驚いてしまうから、絶対に“あの”悲惨な半島に帰ろうとは思わない。たとえ言葉が不自由で無職の状態であっても、気前の良い日本政府が食事を与えてくれるし、衣服や住居まで手配してくれる。しかも、子供の教育、職業訓練、医療保障に加えて、お小遣いまでくれるんだから至れり尽くせりだ。難民としてやって来た大人が日本国籍を取ることが無理でも、その子供たちは日本の学校に通い、日本語を覚えるわけだから、成人すれば帰化を申請するし、日本人と結婚してしまえば自動的に日本国民になれる。北朝鮮の崩壊を一番喜ぶのは、日本に定住できた北鮮難民だろう。


( 写真 / 貧困に喘ぐ北鮮人)

  日本人にとって怖ろしいのは、北鮮から発射される核ミサイルではなくて、大量に雪崩れ込む忌まわしい北鮮人だ。北鮮軍による武力攻撃を受けるのは嫌だが、脳天気な日本人が目覚めるのは、本当に目の前で同胞が殺された時でしかない。いくら国会で政治家が軍事的脅威を議論したって、そんなのは所詮「どこか余所の国」で起こる他人事に過ぎないから、大多数の日本国民はたいして関心を示さず、藝能ニュースの方に耳を傾けるはずだ。したがって、いくらJアラートを鳴らしても、有権者は真剣に考えないから、日本国政府に有効な防衛策は無い。日本人は合衆国政府の意向を黙って拝聴するのがせいぜいだろう。


(写真 / 1950年代、戦争を逃れる朝鮮人)

  問題なのは、戦場と化した朝鮮半島、とりわけ崩壊した北鮮で“厄介者”となる大衆である。もし、米軍が斬首作戦を真剣に実行すれば成功するかも知れない。だが、その後が大変だ。誰が北鮮の後始末をするのか? 本来なら、同胞の南鮮人だろう。しかし、只でさえ不景気に喘ぐ南鮮人が、大量の貧民を新たに抱きかかえることができるのか? 当然、南鮮政府は米国と日本に支援を要請するはずで、堂々と物資や金銭を恵んでくれとせがむだろう。老朽化した工業施設とか、未熟なインフラしかない北鮮が自力で経済復興できる訳がないので、ケチな米国はお金を貯め込んでいる日本に「お前が助けてやれ !」と命令するんじゃないか。結局、拉致被害を受けた日本が、加害者側の北朝鮮に税金を貢ぎ、負担でしかない朝鮮人を国内に引き受けて面倒を見る破目になるのだ。

  日本人はシリア難民を背負い込んだドイツやアメリカに、もっと目を向けるべきだ。ドイツの惨状は頻繁に報道されたから多少は知られているが、アメリカの状況も似たようなものである。例えば、2013年、米国は69,926人の中東アジア難民を受け容れてしまったが、国務省に設置された人口・難民・移民局(Bureau of Population, Refugees and Migration)は、難民を定住させるために3億1千万ドル(約341億円 / 1ドルを110円で換算)もの予算を使ったそうだ。 (Steven A. Camarota and Karen Zeigler, " The Hight Cost of Resettling Middle Eastern Refugees", Center for Immigration Studies, November 2015) シリアなどからの難民に対して、合衆国は手厚い福祉を与えたそうで、個人への社会保障補助金(SSI)は平均で年間13,494ドル(148万4千340円)となり、一世帯当たり最初の五年間で平均21,658ドル(238万2千380円)も支給されていたのである。困窮家庭への臨時給金(TANE)だと、一年に月平均5,061ドル(55万6千710円)となり、一世帯当たり9,287ドル(102万1千570円)となっていた。難民の91.4%が受け取っていた食券プログラム(SNAP)だと、個人としては年間4,039ドル(44万4千290円)貰っていて、一世帯当たり平均18,458ドル(203万380円)が支給されていたのである。


(写真 / 米国にやって来たシリア難民)

  難民支援者は「人道主義」を掲げて北鮮人を受け容れろと叫ぶが、その親切な人々は自分のお金を使おうとは思わない。「善きこと」は「他人のゼニ」で行う、というのが彼らのモットーであるから、難民が定住するための費用は総て税金である。難民が受け取る支援金は厖大な額なのに、彼らが払うかも知れない税金は勧めの涙程度。金王朝下で奴隷並みの生活をしていた北鮮人には、先進国で必要とされる技術者などはいないし、大多数が未熟練労働者か、潰しの利かない半端者、何をやらせてもダメな木偶の坊、無教養のタダ飯喰らいで、後はチンケな泥棒か、ひねくれ者、殺人鬼、強姦魔、犯罪予備軍くらいである。日本語も解らず、“コレ”といった特技も無い朝鮮人が、日本で出来る仕事といったら筋肉労働くらいしかない。だが、それとて難しいのだ。というのも、朝鮮人に土方をやらせても、現場監督と意思疎通が出来ないから、どんなヘマをやらかすか分かったもんじゃない。したがって、常に目を光らせておかないといけないから、現場監督は精神が休まることはなく、神経が参ってしまうのだ。それに、鮮人人夫が建設工事でヘマをやらかせば、通行人とかに怪我をさせるかも知れないし、場合によっては大事故を引き起こして多数の死傷者を出すかも知れないのだ。雇い主の建設会社は、こうした時の責任を背負う覚悟があるのか? 安くコキ使えるはずの外人労働者が、結果的には「高くついた」なんて事態も考えられるのだ。

  もっとウンザリするのは、北鮮を併合したことで更なる不景気に陥った南鮮から、没落した南鮮人が脱出を図り、手軽に渡航できる日本を目指すことだ。労働移民を歓迎する日本企業と、人口減少に悩む日本政府は、定住目的の南鮮人を排除しないから、益々日本の朝鮮化が進むことになるだろう。多民族主義の脅威に気付いていない日本人にはピンとこないだろうが、定住型の朝鮮人が増えるということは、日本国民の遺伝子プールの中に朝鮮人の精子や卵子が混入し、朝鮮人の肉体を持つ日本人が増えてしまう事を意味する。昭和の頃までなら、大半の日本人にとって朝鮮は“外国”であったが、平成の日鮮混血児にとっては“ご先祖様の郷里”となってしまい、別の形で日韓併合が再現されてしまうのだ。大都市のみならず、全国各地に朝鮮人が拡散し、“朝鮮顔”の日本人が激増してしまうんだから、考えただけでも怖ろしい。

  保守派の知識人や一般国民は、皇室問題や教育問題、農業問題、グローバル経済化などに直面すると、口を揃えて日本文化を守れと訴えるが、「誰が」守るのかに言及しない。大抵の国民は「我々国民が」と述べるが、その日本国民は「日系」なのか「朝鮮系」「支那系」「フィリピン系」「タイ系」なのかを考えず、全国民に呼びかければ“自然と”賛同するはずだと思っている。しかし、日本の文化や伝統、神社仏閣を守るのは、日本人の両親と祖父母を持つ「日系日本人」だけである。もし、朝鮮人の片親を持つと、日本人としての意識が希薄になり、縦糸の「血統」がぼやけてしまうのだ。確かに、日鮮混血児であっても、「日本が好き」と答えるだろう。だが、その「日本」とは「現在だけの日本」あるいは「住み慣れた土地」を意味し、何千年も前から続く「神州」でも「皇国」でもない。朝鮮人や支那人との混血児が、明治の頃の日本人と同じ「国民意識」を持つのか? 彼らは「ナショナリズム」を否定的に捉えるだろう。なぜなら、自分の肉体の中に異質で恥ずかしい遺伝子が含まれていることを自覚しているからだ。日系日本人が「鮮人駆除」を叫ぶと、彼らが嫌悪感を覚えてしまうのは、体内の朝鮮的血統が反応してしまうからである。


(左: 朝鮮人の生徒 / 右: 「Kポップ」を宣伝する朝鮮人)

  こうした日鮮混血児が増える事は本当に深刻である。昔は、日教組が“日本人の”子供を「反日分子」に改造するため苦労した。しかし、朝鮮系の子供に関しては、そうした努力や洗脳は要らない。帰化鮮人の子供や日鮮混血児は、洗脳せずとも“自然と”日系国民に反感を覚えるし、自ら進んで反日運動に加わったりする。日系日本人なら、たとえ左翼史観や反皇室教育を受けたとしても、何らかの切っ掛けで間違いに気付き、皇室伝統の素晴らしさを理解し、正常な日本人へと戻ることができる。ところが、朝鮮人や支那人の遺伝子が混じった子供は、天皇陛下を目にしても畏敬の念が湧くことはなく、却って「なんだ、あんな奴。いつも威張りやがって。いったい、どこが偉いんだ? 税金泥棒じゃないか !」と思ってしまうのだ。帰化鮮人の全員が反皇室とは限らないが、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児で、いったい何人の尊皇主義者がいるんだ? 敗戦から半世紀以上経って、帰化した朝鮮人の子孫はかなりの数に上るはずだ。しかし、彼らの中から立派な伝統主義者とか愛国者が輩出されたとは聞いたことがない。朝鮮系の評論家とか大学教授で、心から日本の歴史や皇室、伝統文化を愛している人物がいたのか? あれだけ多くの朝鮮人が日本の教育を受け、日本人と結婚して子供をもうけ、親子代々日本に住み続けているのに、著名な愛国派知識人すら出現しないのだ。

国内に潜む敵

  先ほど述べた石丸次郎が、特殊部隊の侵入を否定したが、北鮮人工作員を使うのは何も金王朝だけとは限らない。たとえ、彼らの祖国である北朝鮮が崩壊しても、北鮮人が抱く反日感情は消滅しないし、支那人やロシア人が背後で操ることだって考えられるのだ。日本の支那専門家は北京政府の動向ばかり説明しているが、ロシア人とのパイプを隠している北鮮人がどれほど居るのか述べる事はない。もともと、北朝鮮はソ連が創った傀儡国家で、金日成(金聖柱)を首領に据えたのはスターリンである。この独裁者が若き金日成を選んだのは、彼が一番業績が無く、他と比べて操りやすい小僧と踏んだからだ。なるほど、北京政府が北鮮を軍事・経済の面で支援・保護しているが、ロシアが手を引いたとは考えにくい。ロシア人はマフィアと同じだから、一度摑んだ駒は絶対に放さず、徹底的にしゃぶり尽くすし、残りカスまで利用するはずだ。

  したがって、民間人を装って日本に潜入する北鮮工作員の中には、支那人やロシア人の手先が紛れていると考えた方がよい。彼らは直ぐに暴れ回るゲリラ兵とならず、「忍び」として日本に根を下ろし、パトロンの指令を待ちながら「一般人」として暮らすだろう。こうした連中の子供や孫は、やがて日本の官庁や企業、軍隊に浸透し、こっそりと極秘情報を盗み取るかも知れないし、上級幹部になって日本の国益を損なう人材になっているかも知れないのだ。(支那・朝鮮系の警察官や裁判官なんて、考えただけでも身震いする。) それ以上に危険なのは、朝鮮系の子孫が国会議員になって、朝鮮や支那、ロシアのために尽くすことである。現在でさえ、白真勲や福山哲郎といった朝鮮系議員が暗躍しているのに、更なる帰化鮮人議員が増えれば、国防計画でさえ困難な状況になるだろう。例えば、いくら自衛隊が最新鋭の戦闘機やイージス艦を購入しても、こうした反日議員が実戦使用を禁止すれば、単なる模型に過ぎない。つまり、北京政府は日本の議員を最良の「部下」として保有しているわけで、実弾を用いずとも日本の領土を征服できる。


左: 北鮮人
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右: 支那人
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  また、自衛官の中にも支那やロシアに配備された「スリーパー(忍びの草)」がいるから、いざという時は攪乱部隊として起動するはずだ。それに、支那人と結婚した自衛官の息子が自衛隊に入れば、防諜活動にとって別の問題が生じてくる。日本人は建前として民族差別を行わないことになっているから、支那系自衛官への監視が難しくなるだろう。しかし、北京から派遣された工作員は、同じ血を有する「同類」に接触を謀ってスパイに仕立てることが多い。実際、FBIに食い込んだスパイも支那系アメリカ人であったから、支那人の諜報機関は必ず混血児に目を附けてくる。たとえ、日支混血児が最初からスパイでなくても、支那人外交官に対しての抵抗感が薄いので、食事やカラオケの誘いについ乗ってしまうこともある。片親が支那人だと何かと共通点が多い混血児は、何となく支那人工作員に親近感を覚え、交際を続けているうちに“いつの間にか”情報提供者になってしまうのだ。特に、女の工作員が肉体を武器に男性の支那系あるいは朝鮮系自衛官を誘惑したら、結構その手口に嵌まってしまう者も多いだろう。

  難民の受け容れは、日本社会の隅々に損害を与えるものである。我が国の防衛力を低下させるばかりでなく、普段の生活まで食い散らかしてしまうのだ。例えば、難民がもたらす利益などは“ほぼゼロ”に近いが、医療費だけは一人前にかかるし、中には持病持ちもいるから、特別治療を受ける奴もいる。北鮮なら重病に苦しみながら死亡するだけの貧民でも、豊かな日本に来れば最新鋭の医療機器と高度な外科手術で治療して貰えるのだ。また、虫歯だらけの朝鮮人でも、「歯が痛い」と泣きつけば、即座に治療して貰えるんだから、国民健康保険をきちんと払っている日本人は激怒するだろう。日本国民が親子代々長年に亙り、高い保険料を納めながら維持してきた制度なのに、横滑りしてきた朝鮮人が“ちゃっかり”その恩恵に浴しているんだから、頭にきても当然じゃないか。もう説明するのも厭だけど、日本の刑法は犯罪者に甘く、日本の「囚人生活」ですら北鮮の「市民生活」よりも遙かに素晴らしく、“安心して”暮らせる日本の刑務所はサマー・キャンプに近い。


左: 朝鮮人女性
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右: 朝鮮人の少年
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  貧しい外人の到来は、医療費の問題だけではない。難民は子供連れで来るから、日本の人権派は鮮人の児童に対して義務教育を与えろと叫ぶはずだ。しかし、難民の子供は上流階級の私立学校に入ることができないので、必然的に庶民が通う公立学校に配置されることになる。しかし、日本語が不充分な鮮人児童が混入されれば、日本人の児童は大迷惑だ。異民族混淆クラスは、大抵の場合、学力低下に悩む。ドイツでも移民・難民の子供が多く住む地区では、学校の質的レベルが低下し、国家規模の問題となっている。国語(ドイツ語)が分からない移民の子供が、算数や数学、理科を苦手科目とするのは当り前だ。こうなれば、公立学校しか選択肢の無いゲルマン系の親は、移民・難民の流入に不満を募らせ、民族対立の火種となってしまう。日本の親だって、我が子には良い環境で最善の教育を与えたいと望むはずだ。それなのに、政府が勝手に鮮人の児童を日本人クラスに混ぜるから、日本人の親はブツブツと愚痴をこぼすようになる。毎度の事だけど、おっとりした日本の庶民は、自分が招いたわけでもない難民によって苦しむ事になるのだ。(ついでに言えば、日本の給食は北鮮人にとって高級料理と映る。毎日が豪華ディナーとなるから、大人だって学校に通いたくなるだろう。)


(写真 / 大進化を遂げる朝鮮人女性 )
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  難民問題で最大の障壁となっているのは、国内で沸き起こる「人道主義」だ。ユダヤ人が勝手につくった難民条約を締結するから、日本人はその害悪に苦しむ破目になるのだ。国家の将来や国民の日常生活を守るなら、難民条約など廃棄すべきだし、難民がボロ船に乗ってやって来るなら、躊躇せず砲撃で沈めるべきである。国家防衛とは国益を優先することで、流血を見るのが嫌だから、自滅を選ぶというのは愚者の考えだ。撃沈して溺れる難民を見て気の毒に思うのは一瞬の事である。ところが、その苦痛に耐えられないからといって難民を受け容れてしまえば、百年以上、つまり三世代以上の激痛を味わうことになるだろう。

現在の日本人は死刑を「忌まわしい」と考える平安貴族のような臆病者になっている。現実の社会には悪人がいるので、社会を維持しようと思えば、犯罪者に温情を示すべきではない。容赦無く斬首刑にすべし。国家への害悪が予想できるなら、躊躇無く北鮮難民を海の藻屑にすべきである。もし、人権派が文句を言うなら、「じゃあ、お前が日本国籍を捨てて、朝鮮半島で人道支援をすればいいじゃないか !」と言ってやれ。こうした左翼に限って、決して日本から出ようとせず、国内で快適な生活を送りながら「善人」の振りをしているものだ。大量の“みすぼらしい”北鮮人が到来した時、「難民を養いたい」と手を挙げる左翼が何人出てくるのか? 本当に楽しみである。
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http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html#c5

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
10. 中川隆[-5770] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:19:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる

中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。

慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。

トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。

彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。

これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。

逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。

策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。


盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人

日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。

正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。

しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。

策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。

騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。

まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。

日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。

食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。

彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。

最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。


日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている

日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。

民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。

朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。

テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。

もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。

こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。

さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。

言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。

辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。

日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。

そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。

だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。

しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。


「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく

ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。

親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。

たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。

だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。

しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。

自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。

彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。

それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。

その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。

関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。

これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。

中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c10

[政治・選挙・NHK237] 不正義の国。総理も大臣も局長も嘘ばかり。しかし、不信は確実に進んでいる。不正義が横行する国に未来はない 小沢一郎(事務所 赤かぶ
1. 中川隆[-5769] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:24:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国人に乗っ取られた国にも未来はない


小沢がやっていた事

2009年から2012年までの民主党は、日本の技術立国を叩きつぶすために気が狂ったような円高を放置した。

そうすることによって日本企業、日本商品の競争力を削ぎ、代わりに中国や韓国のパクリ商品や安物商品が売れるようにした。そして、民主党は日本企業を中国・韓国の地に誘導して、そこで「技術」が漏洩するように仕向けていた。

中国・韓国の企業は、日本から盗んだ技術で成り上がっていき、技術を吸い取られた日本企業は窮地に落ちていった。もうすでに起きてしまったことは戻せず、流出してしまった技術も取り返せない。
http://www.bllackz.com/2014/09/blog-post_9.html


日本が物を作って売らなくなったのは、物を作っても作っても円高になるからだ。

どんなに企業努力しても、円高になって競争力を失う。日本人は耐えて耐えて耐え抜いて円高に対処しようとしてきたが、それ以上の円高が襲いかかっていたのだ。

さらに2008年9月15日以降、アメリカがリーマンショックで崩壊寸前になって、相対的に被害の少なかった日本が円高の波をそのままかぶることになった。

そして、民主党政権は円高を放置するだけ放置してまったく対策をとらずに「見守るだけ」に終始した。日銀は日銀で白川方明総裁も、まったく何も手を打たなかった。

日本の製造業は1990年代からの円高で疲弊していた。最後に、馬鹿な民主党政権と、無能な日銀総裁のダブルパンチが2009年から2012年まで続いて、もう製造業の社長はあきらめの境地に落ちたのだ。

円高が止まらないから、もう作るのをあきらめた。
円高が止まらないから、輸出で食べていくのを止めた。
http://www.bllackz.com/2013/05/100.html


小沢・陸山会がやっていたのはハニートラップによる「愛国者潰し」


中国・韓国・北朝鮮などの反日国家に行った政治家は、往々にして寝返って帰ってくる。そして以後、これらの国々のスポークスマンのようになっていく。

ワナにかけられたということだ。「未来の大臣」のように持ち上げられ、大金を与えられ、さらにハニートラップも仕掛けられ、弱みを握られて逆らえなくなる。

私利私欲の塊のような政治家は、地位と金と女を与えられたらワナを仕掛けられたネズミのように引っかかる。

今まで威勢よく中国・韓国・北朝鮮に対峙していた政治家も、こうした国に行くといきなり「日本も歴史を見つめるべきだ」「北朝鮮の核は容認すべきだ」「中国・韓国に謝罪すべきだ」と自ら言い出すようになる。

弱みを握られ、脅されているのである。

政治家だけでない。新聞記者も、ジャーナリストも、小説家も、みんなこうした国々に「招待」され、まともに「金と女」に懐柔されて帰ってくる。

ハニートラップというのは、敵対国家が美しい女性工作員をあてがって標的にする男と性的関係を持たせて弱みを握る工作活動である。古典的だが、ほとんどの男はワナに堕ちる。


自分の性行為を克明に記録されたら逆らえなくなる

男は分かっていても、目の前の美しい女が言い寄ってきたら性的本能を刺激されて逆らえない。理性よりも本能が勝る。そして、ワナに自ら堕ちていく。

女性の工作員は、これと言ったタイプはない。

標的にする男の趣味に合わせた女が用意され、男が見初めるようにする。女性工作員は準備されてそこにいるのだが、男はたまたま自分の気に入った女性を自分が見つけたと思う。

そして、女性工作員が男を誘うのではなく、男が自らの意志で誘うように女性工作員を含め、まわりの人間が状況を誘導していく。

男の行動は逐一ビデオで記録され、口説き文句なども録音されていく。男が女性工作員をベッドに連れて行くと、性行為もまた記録される。

スパイ組織を持つ国ではハニートラップを国家ぐるみでやっているので、ホテルの部屋も盗聴器や盗撮ビデオが仕掛けられているのは常識だ。

だから、多くの要人はどこかの国でホテルの部屋に泊まる時、まず部屋に盗聴器が仕掛けられていないか、シークレット・サービスに入念に調べさせて部屋に入る。

それでも発見されない盗聴器や盗撮ビデオはあるし、そもそも要人が自ら女性工作員を連れ込んだら、女性工作員が記録媒体を仕掛けるので事前のチェックは意味をなくす。

自分の性行為が克明に記録され、それが相手の組織の手の中にあると知らされたら、多くの男は逆らえなくなる。

もし相手の言うことを聞かなければ、自分のセックスを徹底的に暴露されて、今まで自分が築いてきた立場、信用、人脈、ビジネスはすべて吹き飛んで破滅する。

しかし、相手の望む通りに行動し、発言すれば、逆に地位は守ってもらえて金も与えられ、しかも重要人物として扱ってもらえる。

わざわざ好き好んで破滅を選ぶ人間はいない。だから、ハニートラップを仕掛けられた男は、みんな割り切って売国発言をするようになっていく。


ハニートラップの女性工作員は無数に存在する

2004年には在上海日本国総領事館に勤務する当時46歳の領事が自殺しているのだが、この人もハニートラップに引っかかってしまった人だ。

(ウィキペディア:上海総領事館員自殺事件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E7%B7%8F%E9%A0%98%E4%BA%8B%E9%A4%A8%E5%93%A1%E8%87%AA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


この人は「一生あの中国人たちに国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と遺書を綴って自殺している。

この人こそが真の愛国者であり、見上げた人である。しかし、この人のように「日本を売り飛ばすくらいなら死ぬ」という人は例外中の例外で、多くは売国奴となって生き延びる。

国を売り飛ばせば生きていける。そして国を売り飛ばせば自分の身分は安泰だ。だから、ハニートラップにかかった男のほとんどは、売国して生き延びるしかないと思う。

国益を第一に考えている政治家・ジャーナリスト・著名人・官僚・公務員・実業家・教育関係者・技術者は、絶対にこれらの国に行くべきではないし、関わるべきではない。

「まさか自分がハニートラップの対象になるはずがない」と考えるべきではない。ハニートラップの対象は驚くほど広い。そしてハニートラップの女性工作員は無数に存在する。

そもそも、日本はスパイ防止法すらも制定できていないスパイ天国なので、日本国内にいても安全ではない。

たとえば、自衛隊員の配偶者は異様に外国人妻の比率が高いことで知られている。

2013年で約800人の隊員が外国人の妻を持ち、そのうちの約600人は中国人妻であると『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』の著書である鳴霞(めいか)氏が記している。

韓国出身者も多いと鳴霞氏は指摘する。反日国家の女性が大量に自衛隊員と結婚しているという事実が、単なる偶然だと考えている人はほとんどいないはずだ。

中国・韓国・北朝鮮は、「ハニートラップ大国」である。本土でそれをやっているのであれば、日本国内でもそれをやっていると考えても間違いない。


ハニートラップを仕掛けて標的を潰すこともできる

中国・韓国・北朝鮮は、日本人にハニートラップを仕掛けて情報を盗むだけでなく、ハニートラップを仕掛けて標的を潰すこともできる。

たとえば、中国・韓国・北朝鮮に都合の悪い発言をする人間がいたとする。

この人物を潰すにはどうすればいいのか。まずは身辺を調査してスキャンダルになりそうなネタがないかどうかを調べる。あればそれを利用するし、なければ作る。

どのように作るのか。

例の如く、女性工作員を向かわせてハニートラップを仕掛けるのである。ワナにかかれば後は何でもできる。

性行為を記録して「暴露する」と脅すこともできるし、あるいは女性に「あの男にレイプされた」と騒がせるのもいい。本当にレイプされていなくても構わない。

密室で起きたことは何が真実か分からないからだ。

女性工作員が「あの男にレイプされた」「すべての女性のために戦いたい」と公共の場で泣いて騒げば、あたかもそれが真実のように伝わっていく。

念を入れて、仲間の工作員どもに「共に戦う」「支えます。あなたは独りではない」と騒がせれば、対象の男を一気に潰すことができる。このあたりは、被害者ビジネスをしている人間がいつもやっている手口と重なる。

こうした「ハニー・トラップによる愛国者潰し」を仕掛けられたら逃れられない。社会的に抹殺されるまでやられる。日本の愛国者はそうやってことごとく潰されてきた。

ウブな日本人は、こうした邪悪な工作に引っかかりやすいし、世論も反日の工作活動に騙されやすい。

反日国家の人間と関わるというのがいかに危険なことなのか、スパイ防止法がないというのはいかに恐ろしいことなのか、日本人はもっと真剣に考えた方がいい。

世界は善意で動いているわけではないのだ。むしろ、悪意で動いていると見るのが正しい。


「ハニー・トラップによる愛国者潰し」を仕掛けられたら逃れられない。社会的に抹殺されるまでやられる。日本の愛国者はそうやってことごとく潰されてきた。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170531T1358070900.html


外国人秘書(女)を住まわせていた小沢名義の都心のマンションはスケスケバスルーム。

"不可解" 陸山会、「民主・小沢氏」名義で億ション買いあさり…謎の女子中国人留学生、外国人秘書が住む?


産経

6年に1700万円で購入したワンルームマンション「プライム赤坂」の一室は、13年12月に外国人秘書の居宅としての使用をやめ、民間のコンサルタント会社に月7万円で賃貸。その後、19年9月には主に不動産の再開発を行う都内の建設会社に1300万円で売却している


164 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2010/01/14(木) 04:47:29 ID:W2B4Xvhc

殆どバレてるみたいだから暴露する
そのマンション、中国女を使って接待する為のもんだ
要するに売春宿、ソース俺の上司。


172 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2010/01/14(木) 05:10:13 ID:W2B4Xvhc

上司は売春、部下はキャバクラ、下っ端は三角木馬
お前ら…、これが日本の与党なんだぜ。


便器まで丸見えってどんだけ変態なんだよ。
http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/52415838.html


2007/11/2215:20:59
小沢一郎民主党代表の政治団体兼資産管理団体「陸山会」が所有する、資産として政治資金収支報告書に記載されている東京都心の8つの億ションとマンション。


・港区元赤坂1‐7「元赤坂タワーズ902号室」
 億ション、秘書との“打ち合わせ”場所

・港区赤坂2‐17「チュリス赤坂701号室」
 億ション、「陸山会」事務所、「小沢一郎東京後援会」

・港区赤坂2‐14「ライオンズマンション赤坂志津林305号室」
 小沢一郎の書庫

・千代田区麹町2‐12「グラン・アクス麹町602号室」
 「ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」
(政治家としての公的な業務ではないと小沢自身が認める)、
“若い中国人女性”2人の住居(小沢側は“留学生”と弁明)

・港区赤坂2‐17「プライム赤坂204号室」
 「株式会社エスエー・コンサルティング」

・港区赤坂6‐13「クレアール赤坂203号室」
 小沢の英国人秘書の事務所兼居宅

・港区赤坂2‐8「デュオ・スカーラ赤坂802号室」
 小沢の韓国人秘書(女)の事務所兼居宅

・港区南青山2‐2「ラ・セーナ南青山502号室」
 小沢の中国人秘書の事務所兼居宅

以上全て小沢一郎名義になっている!!
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113563916


241 :名無しさん@十周年:2010/01/15(金) 13:57:15 ID:FJFHnBrR0

購入物件の一部

チェリス赤坂701号 (1億7000万円、1995年1月25日購入 施工:住友建設)

ライオンズマンション赤坂志林 305号 (1650万円、1994年12月22日購入 施工:東海興業 ←http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/build/1232782427/

ラ・セーナ南青山 (3320万円、2001年1月11日購入 施工:三平建設株式会社 ←http://www.rondan.co.jp/html/mail/0902/090218-11.html

プライム赤坂 (1700万円、1994年12月22日購入 施工:鹿島建設 ←)

Grande Axe麹町 (1億1000万円、1994年11月25日購入 施工:佐藤工業 ←http://www.asyura2.com/2002/hasan7/msg/618.html

Duo Scala 赤坂 (3264万円、2001年1月18日購入 施工:新日本建設 ←http://www.rondan.co.jp/html/mail/0403/040302-4.html

元赤坂タワーズ (1億5138万円、1994年11月25日購入 施工:清水建設 ←http://www.unkar.org/read/money6.2ch.net/build/1210139973
http://www.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU

クレアール赤坂    施工:南海辰村建設(http://secwords.com/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E8%BE%B0%E6%9D%91%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE.html


1.「赤坂タワーズ902号室」小沢氏と秘書の打ち合わせ場所

2.「チュリス赤坂701号室」陸山会の文書上の存在場所
 使用目的:小沢氏と秘書の打ち合わせに使用(小沢一郎東京後援会に賃貸) 

3.「ライオンズマンション赤坂志津林305号室」小沢氏の書庫

4.「グラン・アクセス麹町602号室」
 使用目的:ジョン万次郎ホットフィールド記念国際草の根交流センターとして使用

5.「プライム赤坂204号室」 (株)エスエー・コンサルティングに賃貸

6.「クレアール赤坂203号室」 英国人秘書の事務所兼居宅

7.「デュオ・スカーラ赤坂802号室」 韓国人女性秘書の居宅

8.「ラ・セーナ南青山502号室」 中国人秘書の居宅

まぁ掘れば掘るほど真っ黒くろすけだなw


227 :名無しさん@十周年:2010/01/15(金) 13:01:18 ID:FJFHnBrR0493

名前:可愛い奥様[] 投稿日:2010/01/15(金) 12:33:45 ID:wY0z2J7Z0

http://www.lets-creation.co.jp/upimage/2008021800005_6.jpg
韓国人女秘書を住まわせていたデュオスカーラ赤坂部屋間取り

http://www.re-guide.jp/images/Estate/15/EstateC/0396000MHA60152/roomLayoutImage1/0396000MHA60152.jpg
小沢と秘書の打ち合わせ(笑)に使われていたチュリス赤坂部屋間取り

http://www.sumai1.com/search/detail/bid=320103
同じく打ち合わせ用の元赤坂タワーズ

http://chintai360.jp/mansion/27861
小沢の書庫用ライオンズマンション赤坂志津林

http://www.k-foresthome.com/condominium/rf_img/kuremadori_exfield21.gif

英国人秘書を住まわせていたクレアール赤坂

http://clementia.co.jp/rent/detail_search/931.html

ウワサのプライム赤坂、2階はワンルーム 13年12月まで外国人秘書の居宅として使用 鹿島建設
例のスケ風呂部屋は5階w

http://www.office-chintai.net/020/010/r_1.html
中国人秘書を住まわせていたラ・セーナ南青山

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org561465.jpg
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org561469.jpg
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org561473.jpg


グラン・アクス麹町「ジョン万次郎ホットフィールド記念国際草の根交流センター」として使用
何故か「李&朱」www    
     ↑
     シナ女が住んでるのはこっちか 
http://antikimchi.seesaa.net/article/59932477.html ←ココもゼネコン汚職のニオイ


"党首は不動産王?!" 小沢一郎衆院議員の豪華マンション一挙世界初公開
http://www.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU


国民を騙す民主党の闇を叩く!! H20.10.8夕方 民主党本部5/6 せと弘幸編
http://www.youtube.com/watch?v=eszG6WVuUXk

「小沢は、隠しマンションに韓国人、シナ人、英国人を住まわせている」

小沢一郎民主党代表の美人秘書は朝鮮人!
http://www.youtube.com/watch?v=o-lXuggolkk

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/282.html#c1

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