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[政治・選挙・NHK253] 未来託せる日韓議連にならないか/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
1. 中川隆[-13598] koaQ7Jey 2018年11月14日 12:12:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
徴用工問題の本質
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね


朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52


旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88

旭川 中国人墓地(上川郡)

とても有名な心霊スポット。

日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。

墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203


日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


いわゆるホンモノです。

心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。

しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。

その1つは、北海道の「中国人墓地」です。

北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。

日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。


彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。

実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害

1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った


また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。

ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。

なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。


極秘情報 中国人墓地にまつわる事故

中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92071-1471+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%8A%E5%B7%9D%E9%83%A1%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E7%94%BA%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3/@43.6625413,142.5913463,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f0cd9f2b6fe409f:0x4492a267c5a4f525!8m2!3d43.6640765!4d142.6600564?hl=ja


この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。

このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。

そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。

当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。

ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。

それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。

当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。

確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。

しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……

「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」

それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。

全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川


2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。

今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。

北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。

東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。

慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。

資料:

中国人強制労働による殉死の墓

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。

戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。

そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494


旭川中国人墓地


昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。


地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja


この地図のおおむね中心付近にあります。

 
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。

私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・

8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・

コンビニの店員曰く、

この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」

我々は早速、現地へ向かった。

しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!

『ごるぅぁぁああああ!!!!』

天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」


驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・

出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。

我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。

そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。


【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。

一つ目、二つ目ははずれだった・・・

そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。

給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、


店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」

とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。

そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、

店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」

と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。

細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。

店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」

そして、店長は去っていった。

我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!

 沢山の手形が着いているではない
か!!!!!

私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると

「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」

なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・

ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。

でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。

ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。

「なるほど、これが幽霊か・・・・」

幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html


91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf

太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 


93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm


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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画

「労務動員計画」を参照

1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。

山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。

≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫


松代大本営建設の徴用

1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。

「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。

「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。

また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。

≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である


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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日  日本共産党幹部会委員長  志位和夫

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https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)

 10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。

 安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。

 こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。

(2)

 日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。

 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。

 強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。

 たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。

 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。

(3)

 韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。

 1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。

 徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。

 今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。

 日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。


 日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。

「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を

志位委員長の一問一答

日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致

 ――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。

 志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。

 ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。

 「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。

 裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。

 この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。

国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を

 ――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。

 志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。

 同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。

 私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。

 先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。

国家間の請求権についてどう考えるか

 ――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。

 志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。

 韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。

 その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。

 私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。

 ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
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「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html



http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/619.html#c1

[政治・選挙・NHK253] 「移民」は「技能労働者」、「日米FTA」は「日米TAG」、「徴用工」は「労働者」・・・哀れな嘘のつけるひとでなし!! 赤かぶ
5. 中川隆[-13597] koaQ7Jey 2018年11月14日 13:06:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
徴用工問題の本質
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね


朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52


旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88

旭川 中国人墓地(上川郡)

とても有名な心霊スポット。

日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。

墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203


日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


いわゆるホンモノです。

心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。

しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。

その1つは、北海道の「中国人墓地」です。

北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。

日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。


彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。

実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害

1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った


また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。

ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。

なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。


極秘情報 中国人墓地にまつわる事故

中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92071-1471+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%8A%E5%B7%9D%E9%83%A1%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E7%94%BA%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3/@43.6625413,142.5913463,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f0cd9f2b6fe409f:0x4492a267c5a4f525!8m2!3d43.6640765!4d142.6600564?hl=ja


この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。

このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。

そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。

当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。

ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。

それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。

当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。

確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。

しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……

「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」

それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。

全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川


2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。

今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。

北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。

東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。

慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。

資料:

中国人強制労働による殉死の墓

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。

戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。

そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494


旭川中国人墓地


昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。


地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja


この地図のおおむね中心付近にあります。

 
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。

私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・

8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・

コンビニの店員曰く、

この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」

我々は早速、現地へ向かった。

しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!

『ごるぅぁぁああああ!!!!』

天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」


驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・

出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。

我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。

そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。


【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。

一つ目、二つ目ははずれだった・・・

そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。

給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、


店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」

とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。

そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、

店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」

と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。

細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。

店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」

そして、店長は去っていった。

我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!

 沢山の手形が着いているではない
か!!!!!

私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると

「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」

なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・

ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。

でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。

ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。

「なるほど、これが幽霊か・・・・」

幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html


91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf

太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 


93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm


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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画

「労務動員計画」を参照

1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。

山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。

≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫


松代大本営建設の徴用

1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。

「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。

「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。

また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。

≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である


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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日  日本共産党幹部会委員長  志位和夫

(1)
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)

 10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。

 安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。

 こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。

(2)

 日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。

 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。

 強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。

 たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。

 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。

(3)

 韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。

 1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。

 徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。

 今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。

 日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。


 日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。

「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を

志位委員長の一問一答

日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致

 ――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。

 志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。

 ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。

 「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。

 裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。

 この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。

国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を

 ――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。

 志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。

 同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。

 私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。

 先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。

国家間の請求権についてどう考えるか

 ――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。

 志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。

 韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。

 その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。

 私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。

 ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
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「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html



http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/620.html#c5

[リバイバル3] ボッタクリ アンプ _ FM Acoustics の世界 中川隆
29. 中川隆[-13596] koaQ7Jey 2018年11月14日 13:23:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
FM811 FMは超高精度な音と圧倒的な確かさで楽音のリアリティを訴求する。
他社のアンプとは余りの違いで、聴いた瞬間に「これは別次元だ」ナンバーワンだとなる。

現行ハイエンドと比べると鮮度感やS/N比や透明度ではやや弱い。

情緒や官能なら球アンプを突き詰めた方が良く、低価格でもFMは越えられる。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/754.html#c29

[政治・選挙・NHK253] 安倍首相が「徴用工でなく労働者」と言い換えを命じても強制労働の歴史は消せない! 麻生家の炭鉱は「朝鮮人地獄」と…(リテラ 赤かぶ
4. 中川隆[-13595] koaQ7Jey 2018年11月14日 14:42:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
徴用工問題の本質
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね


朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52


旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88

旭川 中国人墓地(上川郡)

とても有名な心霊スポット。

日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。

墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203


日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


いわゆるホンモノです。

心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。

しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。

その1つは、北海道の「中国人墓地」です。

北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。

日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。


彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。

実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害

1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った


また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。

ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。

なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。


極秘情報 中国人墓地にまつわる事故

中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92071-1471+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%8A%E5%B7%9D%E9%83%A1%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E7%94%BA%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3/@43.6625413,142.5913463,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f0cd9f2b6fe409f:0x4492a267c5a4f525!8m2!3d43.6640765!4d142.6600564?hl=ja


この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。

このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。

そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。

当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。

ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。

それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。

当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。

確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。

しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……

「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」

それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。

全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川


2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。

今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。

北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。

東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。

慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。

資料:

中国人強制労働による殉死の墓

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。

戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。

そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494


旭川中国人墓地


昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。


地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja


この地図のおおむね中心付近にあります。

 
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。

私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・

8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・

コンビニの店員曰く、

この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」

我々は早速、現地へ向かった。

しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!

『ごるぅぁぁああああ!!!!』

天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」


驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・

出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。

我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。

そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。


【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。

一つ目、二つ目ははずれだった・・・

そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。

給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、


店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」

とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。

そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、

店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」

と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。

細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。

店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」

そして、店長は去っていった。

我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!

 沢山の手形が着いているではない
か!!!!!

私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると

「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」

なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・

ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。

でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。

ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。

「なるほど、これが幽霊か・・・・」

幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html


91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf

太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 


93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm


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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画

「労務動員計画」を参照

1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。

山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。

≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫


松代大本営建設の徴用

1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。

「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。

「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。

また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。

≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である


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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日  日本共産党幹部会委員長  志位和夫

(1)
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)

 10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。

 安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。

 こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。

(2)

 日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。

 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。

 強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。

 たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。

 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。

(3)

 韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。

 1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。

 徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。

 今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。

 日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。


 日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。

「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を

志位委員長の一問一答

日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致

 ――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。

 志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。

 ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。

 「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。

 裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。

 この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。

国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を

 ――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。

 志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。

 同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。

 私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。

 先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。

国家間の請求権についてどう考えるか

 ――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。

 志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。

 韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。

 その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。

 私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。

 ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
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「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/622.html#c4

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
32. 中川隆[-13594] koaQ7Jey 2018年11月14日 14:45:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
安倍首相が「徴用工でなく労働者」と言い換えを命じても強制労働の歴史は消せない! 麻生家の炭鉱は「朝鮮人地獄」と…
https://lite-ra.com/2018/11/post-4368.html

2018.11.14 安倍「徴用工でなく労働者」と言い換えも麻生家の炭鉱は「朝鮮人地獄」 リテラ

     
朝鮮人徴用工虐待は麻生財務相の一族経営の炭鉱で!(自由民主党HPより)


 いわゆる徴用工問題で、安倍政権が歴史修正主義的攻勢を強めている。先日、韓国の大法院(最高裁)が、植民地時代に強制的に動員された元徴用工にたいして新日鉄住金の賠償を命じる判決を下したが、安倍首相の「ありえない判決」「請求権協定で解決済み」なる大号令のもと、新聞やテレビ、週刊誌などの国内メディアは口を揃えて猛批判。これに乗じて政府は原告らの呼称を「徴用工」から「朝鮮半島出身労働者」に統一した。

 安倍首相は1日の衆院予算員会で、「当時、国家総動員法上、国家動員令には『募集』と『官斡旋』『徴用』があったが、実際、今回の裁判の原告は(徴用でなく)全部『募集』に応じたため、『朝鮮半島出身労働者問題』と言いたい」と述べた。河野太郎外相も「原告は徴用されたのではなく『募集』に応じた人だ」と強調している。

「徴用工」という言葉がもつ“強制性”のイメージをかき消そうとの狙いは明らかだろう。

 たしかに、戦前の労務動員計画と国民動員計画に基づく朝鮮半島からの動員は1939年からの「募集」と1942年からの「官斡旋」、そして1944年の「徴用令」に分類される。ようするに、安倍首相らは「この元徴用工と呼ばれている原告らは民間企業が募集し、自由契約によって日本での労働を選んだ人たちであって、日本政府の命令ではない」と印象づけたいわけだ。

 完全なる詭弁だ。そもそも「募集」の実態は「民間企業が自由に朝鮮人を集めて日本に連れてきた」というようなものでは決してない。その手続きは、各企業から申請された「移住朝鮮人」の数を厚生省が査定し、内地からの指示で朝鮮総督府が自治体に割りふり、その指定を経て、現地の日本人警察官らと一体となって行うというもの。朝鮮人の労務動員は、大日本帝国政府の方針に従い、明確に当局が管理した“国策”に他ならなかった。

 また、政府が「募集」形式から「官斡旋」(42年実施)に移行したもっとも大きな理由は、事業主を各企業から事実上の官製組織である「朝鮮労務協会」とするなど、動員手続きの簡略化だった。当時、日中戦争の長期化と緊迫する国際情勢を目の当たりにしていた政府は、炭鉱や軍事関連施設での労働力を補填するための迅速な動員を望んでいたのである。そして、アジア太平洋戦争で消耗するなか、戦争継続と軍事物資増産を目的に1944年、国民徴用令による「徴用」を朝鮮半島でも実施し、強制連行を強化したわけだ。

 いずれにせよ、「募集」「官斡旋」「徴用」の形式に限らず、これらはみな政府の正式な方針に基づき、当局管理下で行われた動員であって、さも「自由契約によって日本で働いただけだ」とするような安倍政権の主張は誤りであり、歴史修正主義と断じざるをえない。戦時中の朝鮮人の動員に詳しい外村大・東京大学大学院教授は、著書『朝鮮人強制連行』でこのように指摘している。

〈徴用実施以前において朝鮮総督府、内務省、雇用企業の関係者自身が「強制的」「拉致同然」と言うような要員確保は行われていた。また労務動員実施の初期の段階では、経済的な理由から離村を希望していた朝鮮人が日本内地にやって来たことは事実であるが、これも日本政府の国策が背景にあること、職場の移動を禁止されていたこと、就労期間延長が強いられ、戦争末期まで炭鉱等での労働を続けていた場合には徴用された扱いとなっていたという事情がある。これらの点から、一九三九〜一九四五年度の労務動員計画・国民動員計画によって日本内地の事業場に配置された朝鮮人のすべてが、なんらかの意味で強制力を持つ日本国家の政策的関与のもとで動員されたと言うべきである。〉

■麻生財務相の一族経営の炭鉱で行われていた朝鮮人徴用工虐待

 ところが、新聞やテレビ、週刊誌などの大手メディアは、こうした政権による見え見えのプロパガンダに対して、批判はおろか追及する素振りすらみせない。繰り返すが、安倍政権の“代弁者”のように韓国政府や韓国司法を攻撃し、ネット右翼を煽り、元徴用工を貶めるような報道を続けている有様である。

 それどころか、マスコミはもっと重要なことすらネグっている。それは、当時、連行された徴用工たちが、どのような目に遭わされたのかという歴史的な事実だ。

 前述したように、朝鮮人たちのほとんどは、石炭鉱業や軍需関連工場に送られ、財閥系の炭鉱を中心に、暴力による強制労働や過酷な環境での生活を余儀なくされた。ここでは、当事者の証言からいくつかの例を具体的に紹介しよう。

 たとえば、福岡県の麻生鉱業だ。現在の麻生太郎財務相兼副総理の出身でも知られる麻生家は、もともと炭鉱で巨大な財を築き上げた。厚生省の集計によれば、1939〜45年にかけて麻生鉱業へは少なくとも1万623人が連行された。麻生系の炭鉱では「朝鮮人地獄」と呼ばれるような光景が広がっていたという。

 複数の元朝鮮人徴用工の証言によれば、麻生系の赤坂炭鉱では、朝鮮人寮の周囲は針金のついた板壁で囲まれており、監視所と番人に見張られて外部との面会もできなかった。労務事務所には留置所のような監獄部屋があったという。坑道内は暑く、臭気がこもった。日中戦争が始まると扱いは酷くなり、休みも認めず、逃亡したりサボったりした坑夫は木刀やベルトなどで殴打されるなど、暴力的な強制労働が行われたという。

「官斡旋」の時代には、このような証言もある。隔離された朝鮮人寮で朝の5時に起こされると、広場で点呼を受け、君が代などの斉唱が行われた。6時に入坑し、夜の9時までの15時間労働だった。「これから敵のトーチカを攻撃する。突撃進め!」と坑口に追い立てられた。労務係は見せしめに死ぬほど叩き、給与は強制的に貯金され、故郷への送金は最初の200円が送られただけだった。労務係に糾すと、逆に木刀で叩かれた。

 事故や激務による重症も、本人の不注意とされたり、もみ消しが行われたという。朝鮮人への傷害致死事件も起きた。赤坂炭鉱での複数証言によれば、1944年秋、第二直轄寮の労務が飲酒の上で朝鮮人を虐待して、事故死に見せかけるために線路上に放置した。その遺体を発見した朝鮮人たちは激怒し暴動を起こした。朝鮮人の数名が逮捕、強制送還された一方、労務への刑事罰はなかったとされる。逆に、抗議した朝鮮人のリーダーが検挙され、憲兵隊が監視するようにすらなったという。

■世界遺産「軍艦島」でも…「汁かけ飯一杯で栄養失調」「脱走者に拷問」

 もちろん、こうした強制労働の悲惨な実態は麻生系炭鉱だけの話ではない。たとえば、三菱系の長崎・崎戸炭鉱では、朝鮮人はガスが多く崩落の激しい現場に送られた。食堂の内側にある小部屋でリンチされ、鞭を打たれた。労務係に抗議したら半殺しにあった。釘を打った板の上に正座させられ、軍靴で蹴り上げられ、ケーブル線で殴られたなど、連行された複数の朝鮮人徴用工たちによる証言が残っている

 もうひとつ、長崎の端島(通称、軍艦島)での元徴用工の証言もあげておきたい。周知のように軍艦島は、2015年に安倍首相の肝いりでユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」に含まれている。

 1943年に14歳で連行された崔璋燮さんは、高等国民学校での木銃の訓練の最中、いきなり捕まえられて益山の郡庁に連れて行かれた。翌日、汽車で釜山へ運ばれた。釜山からは原田という名前の日本人よって船で博多まで引率され、長崎に向かい、再び船に乗せられて着いたのが端島だった。「端島がどんな所か何も話さず、無条件に良い所だと騙して、あの手この手で逃亡を防ぎながら連行した」という。2010年の市民団体関係者によるインタビューのなかで、崔さんは端島での強制労働や生活をこう語っている。

「石炭を掘り出す仕事、採炭だ。わずか一週間だけ採炭現場を見学させて、仕事に就かせた。一番方、二番方、三番方というふうに三交代で一日一六時間労働のときと、二交代で一日一二時間労働のときとあった。一度に四〇人ずつ、坑口から三、〇〇〇尺もの地下にものすごいスピードで降下して、身の縮む思いがした。現場は暑くて汗だくなので、一年中、褌一丁で働いた。(中略)汁かけ飯一杯食っただけで長時間働くのだから、みんな栄養失調状態になった。仕事が終わって、七メートルはある防波堤の上に毛布を敷いて体を休めていると、脚が痙攣を起こした。『俺、死にそうだ』という呻き声も聞こえた。しかも賃金をもらったことはない。私の記憶は確かだ」

「(島から脱出した人は)いたけれども、ひどい目に遇った。木浦や井邑の水泳が上手な人たちが丸太で筏を作り、海を渡ろうとしたが、途中で疲れ果てて捕まったり、陸地まで行って捕まった人もあり、ゴムのチューブで皮膚も剥げるほど叩かれた。悲鳴を聞いて駆けつけた私たちの目の前でさんざん拷問された。六七号棟のところに当時あった空き地でのことだ。大体一一名ほどで、彼らは投獄されたらしく、島からいなくなった」

「(端島を世界遺産にすることについて聞かれ、)端島がわれわれにとってどんなところだったと思っているのか。騙して強制連行して、こき使い、人間として行きられないところだったのだ。四面海で逃げ出すこともできず、自分自身を放棄して、生きた心地がしなかった。人生を台無しにされた。あの地獄は忘れようとしても忘れられない」

■徴用工問題と安倍政権の入国管理法改正には共通点が

 朝鮮や中国から連行された徴用工たちは、給与や生活環境、割り当てられた現場の危険性などで、日本人よりも劣った差別的待遇を強いられることが多かった。徴用工問題は、植民地支配と侵略戦争をめぐる問題であると同時に、差別意識に根ざした「外国人」労働問題の側面がある。

 実は、これはいま、安倍政権がゴリ押ししている、外国人労働者の受け入れを拡大する法案=入国管理法改正にも関係している話なのだ。

 言っておくが、強引に繋げているわけではない。周知の通り、国会では、入国管理法改正案の内容が極めて曖昧であることや、外国人たちの生活支援等の整備がおざなりであることが追及されている一方で、ネトウヨなどの右派からも「移民政策だ」として批判の声があがる。安倍首相は「深刻な人手不足に対応するため」などとその緊急性をアピールするが、現実には、労働者が集まりにくい業種に低賃金で外国人を使いたい財界の要望だ。

 この状況は戦前の日本に重なっている。実際、1930年台の終わりに日本政府が戦時労務動員の方針を策定する以前は、朝鮮人の渡日は政府の手で抑制されていた。そして国内世論のなかにも、日本が植民地支配をしている朝鮮の人々への恐怖から「労働者としての受け入れ」を拒絶する風潮があった。ここから日本政府が朝鮮人などを労働力として動員していった流れについて、前述の外村教授はこのように説明している。

〈朝鮮人渡日抑制方針が存在したなかで、その緩和を求め、朝鮮からの労働力導入に積極的であったのは石炭産業の経営者だった。そうした動きはすでに日中戦争開始前に存在していた。言い換えれば、戦争による絶対的な労働力不足のなかで、もはや他に選択肢がないとして朝鮮からの労働者導入が要望されたわけではないのである。
 この段階で石炭産業が朝鮮に労働力を求めたのは、その経営のあり方が関係していた。炭鉱では、機械化による生産性向上ではなく、人力に依存しての石炭の採掘が続けられていた。そこでは、できるだけ安い賃金で働く労働力の確保が経営のカギとなった。そして、福利厚生や安全対策、賃金をはじめとする労働条件の改善を図ることで労働力を集め、熟練労働者を留めおく施策は行われず、したがってそれゆえに労働者の確保がますます困難になるという悪循環に陥っていた。〉

 戦時下において、朝鮮人は日本政府の方針で強制的に動員され、日本人とは異なる差別的な環境で働かされた。だが、外村教授は〈これは日本帝国のマジョリティたる日本人がマイノリティの朝鮮人を犠牲にすることで恵まれた立場にいたということを意味するわけではない〉と指摘する。〈むしろ、朝鮮人の存在によって日本人民衆に対する抑圧もまた続けられていたと見ることが可能であ〉り、〈そのような状況をマジョリティが自覚し改善し得ずにいたことが、朝鮮人強制連行のようなマイノリティに対する加害の歴史をもたらしたのである〉と。

 徴用工問題を通じて振り返るべきは、日本の植民地支配における朝鮮人への差別的扱いはもちろんのこと、政府が奴隷的な労働を担う人々をつくりあげることで、それ以外の人たち待遇を改善しなかったという事実である。安倍政権の歴史修正主義が塗りつぶそうとしているのは、朝鮮半島への加害事実だけでない。メディアもわたしたちも、そのことに気がつかねばならない。
(梶田陽介)

■主な参考文献
『朝鮮人強制連行』(外村大/岩波書店)
『調査・朝鮮人強制労働@炭鉱編』(竹内康人/社会評論社)
『〔増補改訂版〕軍艦島に耳を澄ませば 端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記憶』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会・編/社会評論社、文中で引用した崔璋燮さんの証言は同書に収録されている)
『労働力動員と強制連行』(西成田豊/山川出版社)
『朝鮮人戦時労働動員』(山田昭次、古庄正、樋口雄一/岩波書店)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c32

[近代史02] 間違いなく日本の朝鮮統治は全てが悪 中川隆
26. 中川隆[-13593] koaQ7Jey 2018年11月14日 14:46:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
安倍首相が「徴用工でなく労働者」と言い換えを命じても強制労働の歴史は消せない! 麻生家の炭鉱は「朝鮮人地獄」と…
https://lite-ra.com/2018/11/post-4368.html
2018.11.14 安倍「徴用工でなく労働者」と言い換えも麻生家の炭鉱は「朝鮮人地獄」 リテラ

     
朝鮮人徴用工虐待は麻生財務相の一族経営の炭鉱で!(自由民主党HPより)


 いわゆる徴用工問題で、安倍政権が歴史修正主義的攻勢を強めている。先日、韓国の大法院(最高裁)が、植民地時代に強制的に動員された元徴用工にたいして新日鉄住金の賠償を命じる判決を下したが、安倍首相の「ありえない判決」「請求権協定で解決済み」なる大号令のもと、新聞やテレビ、週刊誌などの国内メディアは口を揃えて猛批判。これに乗じて政府は原告らの呼称を「徴用工」から「朝鮮半島出身労働者」に統一した。

 安倍首相は1日の衆院予算員会で、「当時、国家総動員法上、国家動員令には『募集』と『官斡旋』『徴用』があったが、実際、今回の裁判の原告は(徴用でなく)全部『募集』に応じたため、『朝鮮半島出身労働者問題』と言いたい」と述べた。河野太郎外相も「原告は徴用されたのではなく『募集』に応じた人だ」と強調している。

「徴用工」という言葉がもつ“強制性”のイメージをかき消そうとの狙いは明らかだろう。

 たしかに、戦前の労務動員計画と国民動員計画に基づく朝鮮半島からの動員は1939年からの「募集」と1942年からの「官斡旋」、そして1944年の「徴用令」に分類される。ようするに、安倍首相らは「この元徴用工と呼ばれている原告らは民間企業が募集し、自由契約によって日本での労働を選んだ人たちであって、日本政府の命令ではない」と印象づけたいわけだ。

 完全なる詭弁だ。そもそも「募集」の実態は「民間企業が自由に朝鮮人を集めて日本に連れてきた」というようなものでは決してない。その手続きは、各企業から申請された「移住朝鮮人」の数を厚生省が査定し、内地からの指示で朝鮮総督府が自治体に割りふり、その指定を経て、現地の日本人警察官らと一体となって行うというもの。朝鮮人の労務動員は、大日本帝国政府の方針に従い、明確に当局が管理した“国策”に他ならなかった。

 また、政府が「募集」形式から「官斡旋」(42年実施)に移行したもっとも大きな理由は、事業主を各企業から事実上の官製組織である「朝鮮労務協会」とするなど、動員手続きの簡略化だった。当時、日中戦争の長期化と緊迫する国際情勢を目の当たりにしていた政府は、炭鉱や軍事関連施設での労働力を補填するための迅速な動員を望んでいたのである。そして、アジア太平洋戦争で消耗するなか、戦争継続と軍事物資増産を目的に1944年、国民徴用令による「徴用」を朝鮮半島でも実施し、強制連行を強化したわけだ。

 いずれにせよ、「募集」「官斡旋」「徴用」の形式に限らず、これらはみな政府の正式な方針に基づき、当局管理下で行われた動員であって、さも「自由契約によって日本で働いただけだ」とするような安倍政権の主張は誤りであり、歴史修正主義と断じざるをえない。戦時中の朝鮮人の動員に詳しい外村大・東京大学大学院教授は、著書『朝鮮人強制連行』でこのように指摘している。

〈徴用実施以前において朝鮮総督府、内務省、雇用企業の関係者自身が「強制的」「拉致同然」と言うような要員確保は行われていた。また労務動員実施の初期の段階では、経済的な理由から離村を希望していた朝鮮人が日本内地にやって来たことは事実であるが、これも日本政府の国策が背景にあること、職場の移動を禁止されていたこと、就労期間延長が強いられ、戦争末期まで炭鉱等での労働を続けていた場合には徴用された扱いとなっていたという事情がある。これらの点から、一九三九〜一九四五年度の労務動員計画・国民動員計画によって日本内地の事業場に配置された朝鮮人のすべてが、なんらかの意味で強制力を持つ日本国家の政策的関与のもとで動員されたと言うべきである。〉

■麻生財務相の一族経営の炭鉱で行われていた朝鮮人徴用工虐待

 ところが、新聞やテレビ、週刊誌などの大手メディアは、こうした政権による見え見えのプロパガンダに対して、批判はおろか追及する素振りすらみせない。繰り返すが、安倍政権の“代弁者”のように韓国政府や韓国司法を攻撃し、ネット右翼を煽り、元徴用工を貶めるような報道を続けている有様である。

 それどころか、マスコミはもっと重要なことすらネグっている。それは、当時、連行された徴用工たちが、どのような目に遭わされたのかという歴史的な事実だ。

 前述したように、朝鮮人たちのほとんどは、石炭鉱業や軍需関連工場に送られ、財閥系の炭鉱を中心に、暴力による強制労働や過酷な環境での生活を余儀なくされた。ここでは、当事者の証言からいくつかの例を具体的に紹介しよう。

 たとえば、福岡県の麻生鉱業だ。現在の麻生太郎財務相兼副総理の出身でも知られる麻生家は、もともと炭鉱で巨大な財を築き上げた。厚生省の集計によれば、1939〜45年にかけて麻生鉱業へは少なくとも1万623人が連行された。麻生系の炭鉱では「朝鮮人地獄」と呼ばれるような光景が広がっていたという。

 複数の元朝鮮人徴用工の証言によれば、麻生系の赤坂炭鉱では、朝鮮人寮の周囲は針金のついた板壁で囲まれており、監視所と番人に見張られて外部との面会もできなかった。労務事務所には留置所のような監獄部屋があったという。坑道内は暑く、臭気がこもった。日中戦争が始まると扱いは酷くなり、休みも認めず、逃亡したりサボったりした坑夫は木刀やベルトなどで殴打されるなど、暴力的な強制労働が行われたという。

「官斡旋」の時代には、このような証言もある。隔離された朝鮮人寮で朝の5時に起こされると、広場で点呼を受け、君が代などの斉唱が行われた。6時に入坑し、夜の9時までの15時間労働だった。「これから敵のトーチカを攻撃する。突撃進め!」と坑口に追い立てられた。労務係は見せしめに死ぬほど叩き、給与は強制的に貯金され、故郷への送金は最初の200円が送られただけだった。労務係に糾すと、逆に木刀で叩かれた。

 事故や激務による重症も、本人の不注意とされたり、もみ消しが行われたという。朝鮮人への傷害致死事件も起きた。赤坂炭鉱での複数証言によれば、1944年秋、第二直轄寮の労務が飲酒の上で朝鮮人を虐待して、事故死に見せかけるために線路上に放置した。その遺体を発見した朝鮮人たちは激怒し暴動を起こした。朝鮮人の数名が逮捕、強制送還された一方、労務への刑事罰はなかったとされる。逆に、抗議した朝鮮人のリーダーが検挙され、憲兵隊が監視するようにすらなったという。

■世界遺産「軍艦島」でも…「汁かけ飯一杯で栄養失調」「脱走者に拷問」

 もちろん、こうした強制労働の悲惨な実態は麻生系炭鉱だけの話ではない。たとえば、三菱系の長崎・崎戸炭鉱では、朝鮮人はガスが多く崩落の激しい現場に送られた。食堂の内側にある小部屋でリンチされ、鞭を打たれた。労務係に抗議したら半殺しにあった。釘を打った板の上に正座させられ、軍靴で蹴り上げられ、ケーブル線で殴られたなど、連行された複数の朝鮮人徴用工たちによる証言が残っている

 もうひとつ、長崎の端島(通称、軍艦島)での元徴用工の証言もあげておきたい。周知のように軍艦島は、2015年に安倍首相の肝いりでユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」に含まれている。

 1943年に14歳で連行された崔璋燮さんは、高等国民学校での木銃の訓練の最中、いきなり捕まえられて益山の郡庁に連れて行かれた。翌日、汽車で釜山へ運ばれた。釜山からは原田という名前の日本人よって船で博多まで引率され、長崎に向かい、再び船に乗せられて着いたのが端島だった。「端島がどんな所か何も話さず、無条件に良い所だと騙して、あの手この手で逃亡を防ぎながら連行した」という。2010年の市民団体関係者によるインタビューのなかで、崔さんは端島での強制労働や生活をこう語っている。

「石炭を掘り出す仕事、採炭だ。わずか一週間だけ採炭現場を見学させて、仕事に就かせた。一番方、二番方、三番方というふうに三交代で一日一六時間労働のときと、二交代で一日一二時間労働のときとあった。一度に四〇人ずつ、坑口から三、〇〇〇尺もの地下にものすごいスピードで降下して、身の縮む思いがした。現場は暑くて汗だくなので、一年中、褌一丁で働いた。(中略)汁かけ飯一杯食っただけで長時間働くのだから、みんな栄養失調状態になった。仕事が終わって、七メートルはある防波堤の上に毛布を敷いて体を休めていると、脚が痙攣を起こした。『俺、死にそうだ』という呻き声も聞こえた。しかも賃金をもらったことはない。私の記憶は確かだ」

「(島から脱出した人は)いたけれども、ひどい目に遇った。木浦や井邑の水泳が上手な人たちが丸太で筏を作り、海を渡ろうとしたが、途中で疲れ果てて捕まったり、陸地まで行って捕まった人もあり、ゴムのチューブで皮膚も剥げるほど叩かれた。悲鳴を聞いて駆けつけた私たちの目の前でさんざん拷問された。六七号棟のところに当時あった空き地でのことだ。大体一一名ほどで、彼らは投獄されたらしく、島からいなくなった」

「(端島を世界遺産にすることについて聞かれ、)端島がわれわれにとってどんなところだったと思っているのか。騙して強制連行して、こき使い、人間として行きられないところだったのだ。四面海で逃げ出すこともできず、自分自身を放棄して、生きた心地がしなかった。人生を台無しにされた。あの地獄は忘れようとしても忘れられない」

■徴用工問題と安倍政権の入国管理法改正には共通点が

 朝鮮や中国から連行された徴用工たちは、給与や生活環境、割り当てられた現場の危険性などで、日本人よりも劣った差別的待遇を強いられることが多かった。徴用工問題は、植民地支配と侵略戦争をめぐる問題であると同時に、差別意識に根ざした「外国人」労働問題の側面がある。

 実は、これはいま、安倍政権がゴリ押ししている、外国人労働者の受け入れを拡大する法案=入国管理法改正にも関係している話なのだ。

 言っておくが、強引に繋げているわけではない。周知の通り、国会では、入国管理法改正案の内容が極めて曖昧であることや、外国人たちの生活支援等の整備がおざなりであることが追及されている一方で、ネトウヨなどの右派からも「移民政策だ」として批判の声があがる。安倍首相は「深刻な人手不足に対応するため」などとその緊急性をアピールするが、現実には、労働者が集まりにくい業種に低賃金で外国人を使いたい財界の要望だ。

 この状況は戦前の日本に重なっている。実際、1930年台の終わりに日本政府が戦時労務動員の方針を策定する以前は、朝鮮人の渡日は政府の手で抑制されていた。そして国内世論のなかにも、日本が植民地支配をしている朝鮮の人々への恐怖から「労働者としての受け入れ」を拒絶する風潮があった。ここから日本政府が朝鮮人などを労働力として動員していった流れについて、前述の外村教授はこのように説明している。

〈朝鮮人渡日抑制方針が存在したなかで、その緩和を求め、朝鮮からの労働力導入に積極的であったのは石炭産業の経営者だった。そうした動きはすでに日中戦争開始前に存在していた。言い換えれば、戦争による絶対的な労働力不足のなかで、もはや他に選択肢がないとして朝鮮からの労働者導入が要望されたわけではないのである。
 この段階で石炭産業が朝鮮に労働力を求めたのは、その経営のあり方が関係していた。炭鉱では、機械化による生産性向上ではなく、人力に依存しての石炭の採掘が続けられていた。そこでは、できるだけ安い賃金で働く労働力の確保が経営のカギとなった。そして、福利厚生や安全対策、賃金をはじめとする労働条件の改善を図ることで労働力を集め、熟練労働者を留めおく施策は行われず、したがってそれゆえに労働者の確保がますます困難になるという悪循環に陥っていた。〉

 戦時下において、朝鮮人は日本政府の方針で強制的に動員され、日本人とは異なる差別的な環境で働かされた。だが、外村教授は〈これは日本帝国のマジョリティたる日本人がマイノリティの朝鮮人を犠牲にすることで恵まれた立場にいたということを意味するわけではない〉と指摘する。〈むしろ、朝鮮人の存在によって日本人民衆に対する抑圧もまた続けられていたと見ることが可能であ〉り、〈そのような状況をマジョリティが自覚し改善し得ずにいたことが、朝鮮人強制連行のようなマイノリティに対する加害の歴史をもたらしたのである〉と。

 徴用工問題を通じて振り返るべきは、日本の植民地支配における朝鮮人への差別的扱いはもちろんのこと、政府が奴隷的な労働を担う人々をつくりあげることで、それ以外の人たち待遇を改善しなかったという事実である。安倍政権の歴史修正主義が塗りつぶそうとしているのは、朝鮮半島への加害事実だけでない。メディアもわたしたちも、そのことに気がつかねばならない。
(梶田陽介)

■主な参考文献
『朝鮮人強制連行』(外村大/岩波書店)
『調査・朝鮮人強制労働@炭鉱編』(竹内康人/社会評論社)
『〔増補改訂版〕軍艦島に耳を澄ませば 端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記憶』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会・編/社会評論社、文中で引用した崔璋燮さんの証言は同書に収録されている)
『労働力動員と強制連行』(西成田豊/山川出版社)
『朝鮮人戦時労働動員』(山田昭次、古庄正、樋口雄一/岩波書店)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/392.html#c26

[昼休み54] 「紀州のドンファン」こと野崎幸助さん 急性覚醒剤中毒死 _ 55歳下の新婚妻は AV女優だった? 中川隆
50. 中川隆[-13592] koaQ7Jey 2018年11月14日 17:05:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]

紀州のドン・ファン衝撃死に噂される“夜の営み拒否”と“離婚届事件”

【紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏が死亡】迷宮入りも囁かれた怪事件に急展開か
2018年11月14日 16時50分 日刊大衆

紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏が死亡した事件は、迷宮入りも囁かれていた
事件は急展開が見られるといい、和歌山県警の捜査は大詰めを迎えつつあるとの声も
野崎氏には本田翼似の新しい“彼女”がいたといい、妻から乗り換えようとしていたとも


 美女4000人を抱いた男、紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏(享年77)が5月24日に急性覚醒剤中毒で謎の死を遂げてから早5か月超。迷宮入りも囁かれた怪事件が、ここにきて急展開が見られるという。在阪の全国紙社会部記者は、

「薬物捜査班を投入し、和歌山県警の捜査は、いよいよ大詰めを迎えつつあるとも聞こえてきますね」

 と語る。捜査が佳境に入る中で、本誌がつかんだ独占情報はたして、“真犯人”は誰なのか?

 まずは、野崎氏が和歌山県田辺市にある自宅2階のソファにもたれかかり、全裸で亡くなっていたときの衝撃状況を改めて振り返りたい。

 ドン・ファンに30年仕えた家政婦(67)の独白を掲載した『週刊朝日』(10月26日号)によると、野崎氏が亡くなった当日、家政婦が午後8時頃に野崎氏宅へ戻ると、2月8日に入籍していた若妻Sさん(22)が1階でテレビを見ていたという。

 家政婦が「社長(野崎氏のこと)は?」と聞くと、「上で寝ている」と若妻が答えたと証言している。

 やがて、2階でドンという大きな音がして、家政婦が「社長が怒っている。早く上に行きなさい」と若妻に伝え、彼女がソファでグッタリしている野崎氏を見つけるのだ。それが午後10時すぎだった。

 警察関係者が話す。

「野崎氏が2階で風呂上がりに裸でテレビを見ることはよくあるそうなので、全裸だったのはうなずけます。だが、当日の状況でいくつか気になる点があります」

 まず、死後硬直の状態から見て野崎氏が亡くなったのは、

「家政婦が戻る2〜3時間前、つまり死亡推定時刻は午後5〜6時とみられるんです。つまり、ドンという大きな音の正体もさることながら、死体が事実上、4〜5時間放置されていたことになるんです」(前同)

 それから、もう一つ、気になる点があるとされる。

「それは、1階であまりテレビを見ることのなかったとされるSさんが、その日は、なぜか1階でテレビを見ていたことだといいますよ」(同)

 いったい、それはなぜか。

「Sさんは警察の事情聴取に、野崎氏と結婚後、一度も“してない”と証言しているといいます。

 だが、それは実のところ、野崎氏が年齢的なこともあって求めなかったからではなく、野崎氏が何度か迫ったものの、その都度、彼女が拒否していたからだというのが真相だそうなんです」(同)

 警察の調べによると、野崎氏が自宅にいるときには、夫婦でダブルベッドのある2階の寝室でテレビを見ることが多かったとされる。

「2階にいると野崎氏に“迫られる”からと、Sさんはよく1階に下り、リビングでスマホのゲームをしていたようです。ただ、その日はゲームの代わりに、なぜかテレビだったということなんです……」(同)

 この謎めいた話が本当なら驚くべきことだが、この夫婦間の“レス”の話が、野崎氏が亡くなる約1か月前の、離婚をめぐる事件につながっていくのだ。

 事件の闇に迫った『紀州のドン・ファン殺害「真犯人」の正体』(講談社+α文庫)では、「ミス・ワールド」と呼ぶ女優の本田翼似の新たな美女の存在がクローズアップされている。

 死の17日前、野崎氏はその新しい“彼女”と東京・丸の内のパレスホテルで一夜を過ごし、著者の吉田氏に対して、Sさんと離婚し、「ミス・ワールド」と結婚すると話していたという。

 前出の社会部記者が、こう続ける。

「やはり、死の1か月前頃でした。野崎氏とSさんの間で、行為を拒み続けたことが原因で最終通告として離婚届を“出す、出さない”で激しく揉めたことがあったそうです。野崎氏は、Sさんから、本気で別の女性へ乗り換えようとしたのかもしれません」

 前出のドン・ファン本にも、Sさんがドン・ファンの目の前で離婚届を破り捨てたことが書かれている。現在発売中の『週刊大衆』11月26日号では、続けてドン・ファン衝撃死事件の独占情報を掲載。総額30億円とも言われる“消えた遺産”に絡み、捜査当局が注目する“ある関係者”についても報じている。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/198.html#c50

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
25. 中川隆[-13591] koaQ7Jey 2018年11月14日 17:16:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]

2018年11月14日
メガソーラーが日本中で災害を引き起こす


太陽光事業者は金儲けにしか関心はない

画像引用:https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/production/uploads/images/7653606/rectangle_large_type_2_40d3662d970acce99758eb6ed66ca696.jpg

金儲けしか関心がない「エコ企業」たち

太陽光発電は3.11後の一過性ブームが過ぎて鎮静化し、メガソーラーをめぐる反対運動が活発化している。

日本各地で草原や森林を切り崩してメガソーラーを建設し「地球に優しい」と言っているが反発は強まっている。

長野県、三重県、静岡県、愛知県、九州各地で建設に反対する声が上がっている。



メガソーラー建設が加速したのは2011年に原発が停止し、太陽光発電が脚光を浴びたからでした。

太陽光発電は無公害だということで政府が後押しし、固定価格買い取り制度をつくりました。

現在はメガソーラーが発電した電気が余ってしまい、新規参入を抑制して買取価格を下げている。


政府が抑制策に転じたのは一つは固定価格買い取りによる電気料金値上がりで、1世帯あたり年間1万円を負担しています。

再生可能エネルギーの割合は5%に過ぎないが、電気料金への転嫁は年間2.4兆円に達しています

政府は事業用買取価格は2022年に8円程度まで下げる予定で、8円に下げるとほとんどのメガソーラーは赤字になります。


ですが既に発電開始した発電所は20年間買い取り価格が固定なので、2011年ごろに契約した物は2031年までキロワット時40円で買取してくれます。

キロワット時8円に下がれば赤字だが、今のうちに契約して発電開始すれば18円で買い取ってもらえます。

これが最近駆け込み乗車のようにメガソーラーが増加している理由で、業者は自然には何の関心もなく金儲けでやっているだけです。

メガソーラーは優しくない現実

太陽光発電はCO2ゼロで発電できるゼロエミッションと宣伝されたが実際にはCO2を発生します。

まずソーラーパネル生産でCO2が発生し建設や輸送でも発生し、完成後も保守点検などの人間活動でCO2が発生します。

加えて日本では「空き地」など存在しないので森林や草地を造成してソーラーパネルを建設しています。


森林伐採によりCO2が吸収されなくなるのでCO2が増加する筈ですが、これらは一切計算されていません。

アメリカでは砂漠が無限にあるので森林を伐採せずに済むが、日本では森を伐採しない限り太陽光も風力も発電できません。

これが太陽光発電のウソであり、CO2だけを見てもどれほど減少するのかは議論があります。


さらに森林伐採は周辺環境を悪化させ、とくに山の上や崖の上にソーラーパネルを設置して、がけ崩れを引き起こす例が増えています。

2018年は台風や大雨が多かったが、各地でメガソーラーが原因の災害が発生しました。

メガソーラーの下側に住居があったら、いつ土砂が崩れてくるか予想できず、今後ソーラー災害が多発するでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/78136624.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c25

[経世済民129] 米中貿易戦争 先行き不安吹き飛ばした「独身の日」爆買い 日本が見ようとしない中国経済の真実(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 中川隆[-13590] koaQ7Jey 2018年11月14日 17:19:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20665]
ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


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「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/430.html#c2

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
40. 中川隆[-13592] koaQ7Jey 2018年11月14日 18:21:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20668]

特定技能1号の家族帯同不許可は嘘っぱち!
日本で結婚、産休、育休、日本人と同等の権利を全部ゲット! 2018年11月14日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12418990744.html


嘘つき売国政府が「特定技能1号は家族の帯同を認めない」と言っています。

また、健康保険の家族は日本国内居住が条件とか、年金の配偶者も国内居住が条件と言っていますが、まだ法律になっていません。

先にこれらの法改正をしてから低レベル外国人受け入れの議論をすべきだと思います。

(私は、社会保障は国民専用だと思うので、外国籍の健康保険や年金は別に分けるべきだという考えです。)

しかし、法改正すれば安心かというとそれも大間違いです。

みなさんは現在の技能実習制度下で、妊娠、出産が認められているのを知っていますか?

技能実習生といえども労働関係法令が適用されます。日本人と同等の権利があります。
たった3年間の技能実習なのに、
その間妊娠していても出産しても育児をしていても解雇できないのです。?*

おまけに妊娠したりすれば技能実習ビザから配偶者ビザ(他のビザも含む)への変更も可能です。
これで技能実習生と言えますか?技能実習生のビザで入りながらのんびり出産育児をしていてもいいんです。
あらかじめ「結婚、出産、の時は解雇」という契約書は結べないことになっています。

参照:技能実習生が妊娠・出産しても解雇できない。実習期間中に産休や育休!これで技能実習???

さて、本題です。

日本社会の劣化を招く単純労働外国人移民(特定技能1号、2号)は建前上支援目的の実習でもなく、スキル?を持った「人材」という労働者扱いですから当然妊娠も出産もOKです。


外国人材を特定技能として受け入れる機関(企業)は前述したとおり、日本人と同等以上に報酬を支払う以外に、社会保険や雇用保険の加入、労災保険の適用など雇用や労働に関するすべての法令遵守が日本人と同等に義務付けられます。https://global-saiyou.com/column/view/tokuteiginou

au 着フル

例えば途上国の低スキルA男さんと低スキルB子さんが恋愛していたとします。

既婚をダメとは言えないでしょうが一応慎重に独身のまま「特定技能1号」として堂々と入国します。(結婚していても第三世界の公的書類は偽造三昧ですから何とでもなります)

下矢印

日本に来てすぐに結婚(事実婚もあり)します。

すぐに子供を産みます。

その間B子さんは産休や育休を最大限使って母国では出来ないような(母国で自分を見下していた中級上級国民を見返すような)公的サービスを受けます。その間の待遇は日本人と同じです。

下矢印

日本政府はこの子供だけの母国送還をすることは困難でしょう。

滞在ビザを出さなくてもリベラルや人権派弁護士の猛攻撃で人道的に滞在させるしかなく、そうなれば日本在住の家族として医療費、子ども手当すべて出すことになります。

そうしている間もB子さんは育休でのんびり。A男さんも父親の育休などを最大限取得、これを理由に解雇することもできません。日本人と同等ですから。

下矢印

その間にもB子さんはまた妊娠、産休と育休をくり返し仕事もしないでのんびりです。

こうやって5年間の滞在期間ほとんど働かず、子供を産むことに専念して日本から社会保障をたくさんもらい続けます。

下矢印

5年後、子供は日本語しか知らない、出産を理由にビザの更新が無いのは差別だ!とまたリベラルや人権派弁護士が猛攻撃、まだまだ子供を産み続けるかもしれませんがこの大家族はこのまま日本に永住することになるでしょう。タイ人のウテナンや、フィリピン人のカルデロンのこともう忘れちゃいましたか?これも日本の国境破壊を目論む者たちの地固めです。

日本で知り合った低度人材外国人同士の結婚、出産もあるでしょう。

ムスリムの妻を1人しか認めないそうですが子供はどうですか?他の妻の子供も認めるんでしょう?みんな税金?おかしいでしょう?そういう制度設計でしたか?

特定技能1号から続々生まれる婚外子、私生児なんかも政府はどうするんですか?

「母親と乳飲み子を引き離すのか〜!鬼〜!」という声が出ることを当然政府は予想しています。というか待ち望んでいるのではないかと思います。まるで八百長プロレスです。

政府は保険や年金の家族・配偶者を日本国内居住対象とするようですが、幼児教育無償化も貧困外国人にとって特にありがたい制度です。(親族に預かってもらうか自分で仕事場に連れていくのがあちらでは普通ですから)

第三世界の底辺の人たちが低スキル労働者として日本に入り込んで出産育児教育まで全部日本人にたかる制度が出来上がってしまったということです。

だから政府の資料は「特定技能1号」について「家族の帯同は基本的に認めない」なのです。

矢印

(政府資料)

自民党の労働力確保の特命委員会による定義では、「移民=入国時に永住権を持っている者」であり、「就労目的の者は移民ではない」という世界中の誰にも通用しない認識を持っています。ちなみにこの党の総裁が安倍首相です。

これと同様、「家族の帯同は認めない」というのも、日本入国時に家族が帯同されていなければよく、日本で家族になった場合は仕方ないでしょう(本心は嬉しいはず)ということです。

障害者雇用促進法もあるので外国人が精神障害や知的障害、身体傷害の場合、家族が業務の遂行に支障がないように帯同が許可されるのかもしれませんね。ええ!!

何しろ日本人と同等の権利を有しているんですから。(外国籍でも一時的な滞在や不法滞在でなければ障害者手帳が交付されます。)

「家族を呼べるように1号を頑張って2号になろう!」こんな真面目なのは世界中に日本人しかいません。実体として家族で暮らすことが最初から可能な人もいるということを知りましょう。

日本側雇用主の方も、ひとり者より家族がいる方が真っ当に働くだろうと思っていますから「家族の帯同は認めない」は有名無実化します。

目 見えませんか?自分たちの未来が・・・

難民条約や人権規約の国際条約右矢印内外人平等右矢印来てほしくない外国人層の襲来で社会保障が破壊される右矢印移民も自国庶民も下層民となる右矢印多様性万歳のおかげで分断社会となり資本家に対抗する団結力はすでに無い右矢印資本家に隷属するしかない私達

日本政府は自国民が不幸になる欧州型の移民受け入れを選択したのです。

日本政府が選択しなかったシンガポールはこんな感じです。矢印

シンガポールは途上国の人間の特性を正確に熟知しておりきちんと管理しています。


妊娠出産

メイドの管理も政府機関が行っていて、メイドへの給料から一定額を国が取り、定期健康診断を行い、妊娠やエイズ検査も定期的に行う。検査で妊娠やエイズが陽性となれば、理由のいかんを問わず国外退去となる。例えば、雇い主の家主によるレイプによる妊娠でも問答無用、メイドは故郷へ帰らされる。子供を産んでシンガポールに居着くことは許さない。

 この外国人労働者への冷酷な割り切りシステムは欧米のメディアなどから時折非難されるが、シンガポール政府も国民もどこ吹く風だ。―有本香氏―

また、シンガポールには低レベル「人材」ほど高くなる外国人雇用税があります。


外国人雇用税
外国人雇用税は 1980 年導入され、その後、生産性向上のため、1991 年にはスキル保持者と非保持者間の雇用税額を差別化した。未熟練労働者ほど高い雇用税が課されるが、未熟練でもスキルテスト合格等により熟練労働者とみなされると税率が低減される。また、雇用税額は業種により異なる。
(例)

建設業の未熟練労働者 →月額 470 シンガポールドル
同熟練労働者 →月額 150 シンガポールドル
S パス(中間の技能人材)→月額 50 シンガポールドル 等(官邸HP)

※日本政府は他にも制度を調べ知っていますが、人権侵害と見て真似をしません。

政府は受け入れ企業に特定技能1号外国人に対する支援を義務付けていますが、それよりも彼らが来て負担増となる自治体へ税金を納める、犯罪者になったら被害者に賠償するなどを受け入れ企業に義務付けた方が、実効性があると思います。そうすれば自然と真面目な支援もするでしょう。

そして、政府は「特定技能」について「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材」と位置付けていますが、学歴要件がないのはまだしも、実務経験も不要なんですよ。びっくり

隣国に乞食の出稼ぎに行ったりする農村の人たちを私は思い浮かべるんですが・・・

私は何度か途上国暮らしがあるのですが、常々「こんな人たちが日本に来たら大変だ」と思っていたんです。

用を足してそのままだから下半身の衣類が不潔、ゴキブリを掴んだ手を洗わない、床に落ちたものを食べる、どこでもトイレ、どこでもゴミ箱、もう本当に不衛生極まりないんです。

油を流しに捨てるのは当たり前、ゴミの分別やリサイクルもほぼ不可能なレベルの人たちが大量にいます。説明しても理解出来る人はごくわずかです。

でも上層部の人たちは違いますので、庶民の衛生観念の無さをいつも嘆いていました。

滞在を高度人材に限っていた時にはまだ何とかなっていましたが今度はダメでしょう。

「話せばわかる」というレベルならとっくに彼らの母国が変わっているはずなんです。途上国では嘆かわしい自国民がいなくなることで発展できるかもしれませんけど、私たちは確実に後退します。コンビニが半分になっても野菜が高騰しても低レベル移民が溢れかえるよりよほどましです。彼らは犯罪とも仲良しです。逆恨みで殺されることも増えるでしょう。残虐な事件も多いですが、それは無教養であることにも関係します。病気や感染症も持っています。

低レベルの外国人を大量に入れて私たちと同等に扱うことは、経済、ましてや人権や人道問題ではないんです。

日本人である自分自身の生存が脅かされるような事態なのです。冷



http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c40

[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
153. 2018年11月14日 19:19:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20668]
真空管アンプについての よく有る誤解
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c153
[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
1. 中川隆[-13591] koaQ7Jey 2018年11月14日 19:24:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20668]

300Bアンプ _ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) SV-91B


SV-91B
\ 290,000 〜 \ 464,000 +税
https://www.kit-ya.jp/products/detail/597


当社のハイエンド300Bシングルパワーアンプが遂に再登場です!

世の所謂「91B型」300Bシングルは何故オリジナルとこんなに音が違うのだろう、という疑問からSV-91Bの開発がスタートしたのは2003年のことです。あれから10年、回路ならびに外観そのままに組立マニュアの一新など再現性(作り易さ)の向上のため内部を一新しました。

旧モデルと同様、3段増幅回路を用い、通常は送信管アンプに使う大型出力トランスを300B用にアレンジ。また300Bをフルスイングする為に通常では考えられない利得を電圧増幅段で稼ぎ、「マルチループフィードバック」回路で強力に音を締めています。並みのプッシュプルアンプを寄せ付けないドライブ力。大型SPを楽々と制動する私どものパワーアンプの最上級モデルの一つです。

電圧増幅管にPSVANE WE310A


形式:300Bシングルパワーアンプ

※使用トランスは全て橋本電気製

入力:入力1系統、ヴォリューム無
配線方式:オール手配線

ボンネット:無し
使用真空管:310A*4、300B*2、274B*1

 ※「真空管無し」の場合、全ての真空管は付属しません。
 ※「真空管有り」の場合、「PSVANE WE310A*2ペア」「Prime 300B ver.4*1ペア」「GD 274B*1」が付属します。
 ※「PSVANE WE仕様」の場合、「PSVANE WE310A*2ペア」「PSVANE WE300B*1ペア」「PSVANE WE274B*1」が付属します。


定格出力:10W + 10W(8Ω、THD:10%)

サイズmm(突起部・球含む):W400×D300×H220
重量:24kg

※本製品は真空管・配線材を含みます。
https://www.kit-ya.jp/products/detail/597


▲△▽▼


壊れにくい真空管アンプと壊れやすいアンプの内部の違い
http://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1963912500


こちらのアンプでは複数に安定動作せず、故障が早かったり苦労させられたのであえて悪例として紹介します。

サンバレー キット屋の SV-91B という 300B真空管アンプです。

http://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1963912500

この○を付けた部分の電解コンデンサーが早晩ドライアップして故障した例が多くレポートされているようで無理もありません。

平蔵のアンプです。
300B と WE252A 真空管双方を刺せるコンパチブルアンプです。


同じ機能の回路部分に赤丸を付けました。

http://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1963912500


こちらは比較的能率の低いソナス・ファベール社ガルネリやアマティーを鳴らすためのEL156プッシュプル真空管アンプです。

同様の部分です。

http://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1963912500


違いがわかりましたでしょうか?


・発熱するホーロー抵抗の耐圧の違いで、キット屋のそれはおそらくギリギリ。
 平蔵のは余裕ある2倍ないし3倍のW数
 これでホーロー抵抗の表面温度に倍以上の差が出てきます。

・ホーロー抵抗と電解コンデンサーが接近しすぎ。

・発熱する部品は上に、熱に弱い電解コンデンサーは下にの熱対流の法則を守れていない

おそらく設計者はこのイトケンこと伊藤健一さんのこのような本を読んだことは無いのでしょう。


ワットと熱と故障のはなし (SCIENCE AND TECHNOLOGY) 伊藤 健一
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E7%86%B1%E3%81%A8%E6%95%85%E9%9A%9C%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97-SCIENCE-TECHNOLOGY-%E4%BC%8A%E8%97%A4-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4526037273/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1540958165&sr=1-1&keywords=%E5%81%A5%E4%B8%80+%E4%BC%8A%E8%97%A4+%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E7%86%B1

余裕を持ったシャーシを使わないそもそもの設計が悪いのだと思います。
このように商品として売られていても、耐久性など考えられていない設計製品は故障が早いので要注意です。

デザインや利益を優先するあまり、こういったセオリーが守られていない市販オーディオ製品もたくさん見ます。
内部をしっかり観察した上でないと買えません。

コメント

mixiユーザー2017年11月30日 06:48

そりゃ電解枯れますね(汗)。

PC電源の話になります。
数年前デスクトップPCの電源部を交換する時、それまでの500W物から、
CPU等搭載部品から推定し、ピークに必要な350Wの倍近い650W物、
かつ変換効率ワンランク上に換え、夏場でも排気FANの静粛化を目指しました。
今だと排気FANは気持ち程度の風量で済んでます(PCが暖房にはならない)。


____

mixiユーザー2017年11月30日 06:55
> mixiユーザー 

ここのアンプは都合3台も誤って所有しました。
どれも多かれ少なかれかような問題を内部から観測することが出来ました(^_^;)。

伊藤健一著作シリーズによると、メーカーの熾烈なコスト競争から定格ギリギリは避けなければならないものの、せめて2倍の抵抗とされていました。
コンデンサーらも同様でしょう。

____

mixiユーザー2017年11月30日 07:05
> ゴルゴ平蔵さん


引退した知り合いの古い電気工事屋さんが、最近の電源は定格以上流れる事を想定せず、ギリギリの部品しか使ってない、と嘆いていましたっけ。
定格でも発熱しているとも。
コストダウンし過ぎですね。


____


mixiユーザー2017年11月30日 07:11
> mixiユーザー 

商業ビルやマンションの電線。中華無印当たり前だそうで、アンテナケーブルのシールドは網線も使わず、皮を剥くとばらりと銅線がたらーっ(汗)


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mixiユーザー2017年11月30日 07:20
> ゴルゴ平蔵さん

ムンクの叫ぶ男になりそう。

____


mixiユーザー2017年11月30日 07:45
> mixiユーザー 

修理費用で儲かる。閉鎖したVW audiを売っていた地元のファーレンというディーラーの店長の朝礼挨拶を思い出しました。「皆さん、まだオープンして2年、苦しい!でも後1年我慢してください、車検と修理で最低維持できる利益が出るのですから!」

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mixiユーザー2017年11月30日 07:57
> ゴルゴ平蔵さん

電線だと最悪、火事ですけね。
車だって、冬の高速でエンコしてオーナーが瀕死の目に合ったら訴訟になりそう。


____


mixiユーザー2017年11月30日 08:00
> mixiユーザー 

オーディオの電解コンデンサーを早くドライアップさせたところで火事もなければ保証期間は動けば足りて、訴訟しても客が負けますねげっそり


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mixiユーザー2017年11月30日 08:13
> mixiユーザー 

イトケンこと伊藤健一著作シリーズによると、電線メーカーはその火事だけ避ければ足りるので、電力ギリギリ。その代わり瞬間電圧降下の問題は避けられず、精密電気製品の誤動作や、オーディオの音質悪化は避けられないようです。電線メーカーに文句言っても駄目。それは機器の設計が悪いとされるそうです。

____


mixiユーザー2017年11月30日 12:03
> ゴルゴ平蔵さん

安定した揺るぎ無い電源が全ての基礎ですね。

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mixiユーザー2017年11月30日 12:05
> mixiユーザー 

そうですね。イトケンさんもホンネはギリギリ耐圧の3倍くらいのケーブルやCRは使いたいんだと推測しました。

____

mixiユーザー2017年12月01日 00:18
> mixiユーザー

キット屋さのアンプ…営業妨害になるので、余り言いたくは無いですが、部品が粗悪過ぎます。

トランスは菅野電気製ですから信頼性は中華製とは比較になりませんが、特性は悪いし、音もイマイチ…

また電解コンデンサはTKとか余り良いものではありません。
電解の事故は良くありまして、私はニッケミ、ニチコン、スプラグ、ローデンシュタィン、シーメンス辺りしか信用しません。

また抵抗器も余り良く無く、中華か台湾辺りのものが使われて居ると思います。
抵抗器も福島双葉とか日本抵抗器、デール等の信頼のあるものでなければ信用出来ません。

そう考えると、残念ながらキット屋さんのアンプは音もイマイチで、安かろう、悪かろうとなります。

____


mixiユーザー2017年12月01日 08:43
> mixiユーザー 

ここのSV501というアンプの300BのUXタイトソケット、だんだん端子が緩んでくるので、ラジオペンチで端子を締め直したら、端子が折れてしまいました。
SV63というアンプでは、始終電源FUSEが飛ぶとしたら、アンペアの大きなFUSEを送ってきて、とうとう出力トランスから煙りが立ち上がりました。

自作アンプのプロ用仕様状況にかかわらずの安定状況はレポートしたとおりです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963688283&owner_id=8290003

さすがはおわかりのようですね。


____

mixiユーザー2017年12月01日 08:52
> mixiユーザー


アンプから発煙ですか…Σ(・□・;)
一歩間違えれば、火災じゃ無いですか…

ソケット、コネクタ類は一番重要な箇所ですね!
安物を使うと、結局接触不良で泣くことになる…

しかし、カソード抵抗でバイパスコンデンサーを炙るとか、もう電気のこと何も分かって無いですね(*´Д`*)

そんなアンプに古典球、恐ろしくて刺せません。

私も学生の頃20年くらい前ですが、安いし、憧れたものですが…f^_^;

http://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1963912500  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c1

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
2. 中川隆[-13590] koaQ7Jey 2018年11月14日 19:33:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20668]

ギャングエラー

古いアンプに出やすい「ギャングエラー」という症状があります。
これはボリューム0〜1ぐらいの時に左右のバランスがちぐはぐになるというもの。

極端な場合、片方からしか音が聴こえなかったりということもあります。大きな音で聴く環境の方にはいいのですが、例えば夜中に小さい音でじっくりとオーディオを楽しむときに困ります。修理してみても、モデルによっては改善に限界があるので、「ギャングエラーのことは多少は仕方ない」、と不便なまま楽しんでおられる方も多いと思います。

 先日こういった症状で修理に出したアンプについて、いつもお世話になっている修理のご担当者様からこういったお話を伺いました。
「こういったアンプが作られた1960〜1970年代には、ライン入力が今よりも小さかったんです。じつは今のCDプレーヤーなどの出力は当時のチューナ―やテープレコーダーのライン出力よりも、倍ほどの音量に設定されています。」

「なるほど!」これを伺ったとき、長年思っていた疑問が解けた様な気がしました。

 つまり、昔のアンプに今のCDプレーヤー等をつなぐと、「入力信号が想定されているより大きいために→必然的にボリュームツマミを極わずかに回しても大きな音が出る」という状態になっているのです。そして小さい音で聴くにはツマミのごくごく最初の部分を使わざるを得ない。当時アンプを設計した人たちはそんな状態を想定していないですから、最初の0〜1位置での左右の音圧差についてはあまり気にしていなかった…。ということではないでしょうか。

 そのような場合、打つ手は?と尋ねてみました。

「アンプよりも手前にボリュームがあれば、それをしぼってみてください。例えばCDプレーヤーには固定出力(FIXED)端子と、可変出力(VARIABLE)がついているものがあります。その場合ならVARIABLEにつないで、OUT LEVELを半分ぐらいにしていただくと、当時の出力に近いので、ギャングエラーが気にならない状態でお使いいただけると思います。またプリアンプの後につないでいるパワーアンプにボリュームがあれば、そちらを小さめにしても同じ効果があります。」

こうすれば、アンプのボリュームが9時ぐらいでちゃんと聴けるようになりますね。なるほど。

 もちろん、CDの出力はFIXEDで出した方が「信号が大きい+ボリュームを通さない」→音が良いのでそちらにつなぐのがセオリーなのですが、ギャングエラーによってお困りの場合にはこういった方法も有効かと思います。VARIABLE端子がない場合は、途中でアッテネーターなどをつなぐのも良いかもしれません。
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/131101/index.html

▲△▽▼


【偽バレ】サンバレー天守スレ16【1周年記念】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1537717438/


100名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/05(金) 19:00:25.47ID:jog38ZNT>>107

簡易プリメインについているボリュームは音量を上げるための機構ではなく、
アンプに入力される電圧を絞って適正ゲインに調節するための"アッテネータ"(減衰器)であるということ。
https://web.archive.org/web/20170222005407/http://www.kit-ya.jp/etc/20170216_first%20step%20for%20tube%20amplifier.pdf

1ビットの分解能は1/65536であり、最大出力の2Vに対して僅か30μVに過ぎません。
この微小電圧を簡易プリメインでは掬い上げることが出来ません。
https://web.archive.org/web/20160408040951/http://tubeaudio.exblog.jp/25295030/

その理屈をハイレゾに当てはめると、ハイレゾは24ビットぐらいある。
しかも、サンバレーのプリアンプはCDなどのライン受けはバッファーも通さず直接ボリウムに入れている。

当たり前だが、ボリウムは減衰器だから、減衰してしまいますね。簡易プリメインはアッテネータ、プリアンプは違う、
と思ってるとしたら、どうにかしている。ボリウムの後ろにアンプが来てる。それはパワーアンプだって同じことだもの。

しかもハイゲイン上等の産婆アンプ群はゲインが高いのでCDやDAC入力だとボリウム位置8時9時で爆音になるので
ギャングエラーが出る程絞り込まなきゃ使えない、と来た。

つまり、天守理論によると、ボリウム絞るとCDでもダメらしいから、ハイレゾの1ビットなんて全くもって無意味、
にならないかいw  なんか、あまりに低レベルなんで、書いてて情けなくなってきたよwww

ものすごく単純な理屈なんだけど、それすら考えずに思い込みだけでおしゃべりする、自分でそれを信じこむ、
そうやって、摩訶不思議な珍説が生まれるんでしょうなあ。 


101名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/05(金) 19:10:40.71ID:jog38ZNT

産婆アンプは低NFBでハイゲイン、つまりS/N的には不利だし、実際残留ノイズも多いという話もある。

まともなメーカー製とちがって、きちんとスペック出してくれてないので、想像になってしまうが、
CDの理論でのダイナミックレンジは16bitで約96dBだから プリ、パワーを合わせた総合S/Nがそれ以上
ないと、理論的には1bitなんてすくい上げられないことになるんよねw
実際家庭で静かに聞くレベルだと、録音されてても聴感上聞こえない音域ってのがあるわけで、
あんまり問題にならないんだけど、ボリウム通ったら1bitがすくい上げられないとか、その根拠とするものは
なんなのか、知りたいところですわ。 ボリウムは、抵抗分割回路だから、理論通りに微小な電圧がでるだけ。

それがノイズに埋もれるかどうかは、その系のノイズレベルとの兼ね合いであって、ボリウムを通るから
微小電圧がすくい上げられないわけではない。

簡単な抵抗分圧も、理解できないのかな、彼はw


102名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/05(金) 20:59:19.92ID:eP+pSjZf

技術がわからないからなのか、
"音は人なり"とか"誰々さんの人生が鳴るときのような音"とか
全く技術的にも論理的にもおかしなカルト宗教じみたことを言うw


103名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/05(金) 23:08:00.44ID:jog38ZNT

産婆プリのライン入力はいきなりボリウム。
天守理論だとボリウムは減衰し、抵抗体を通るので音が曇る

産婆プリ+産婆パワーはトータルでCDやDACのライン入力をスピーカーで鳴らす目的としては
ゲインが高すぎるので、8時、9時で爆音が出てしまう。
8時、9時の位置というのは当然抵抗体を通るので音が曇るはず。

何度も書くけどw インピーダンス云々で説明しようとしても、プリの入力でも
パワーの入力でも同じことが起きるはずで、プリのボリウムでは起きない、
パワーでは起きるというのは明らかに矛盾するわけです。
これは、電気分からなくても容易に理屈が通らないことが理解出来るとおもいます。

CDやDACのソリッドステートのライン出力はたいていとてもインピーダンスが低い。
産婆プリのカソードフォロアなんて目じゃないと思う。だからインピーダンスで説明してもダメすよw

プリを入れたほうが好ましい音になる、という言い方であれば、疑問は持たないけど、
無理くり理屈をつけようとして、逆に矛盾をさらけ出している事にも気が付かない。

素晴らしいプロフェッショナリズムと言えよう


104名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/06(土) 00:25:18.34ID:5gmNjsuw

さて、ボリウムの抵抗体を通ると音が曇る、としようw まあ、そういう事もあるかも、しれない。
だとすれば、CDから産婆パワー直で、ボリウムを大きく開けて使う場合の抵抗体を通る量と、

CDから産婆プリ入れてパワー(天守理論で入力全開)繋いで、プリのボリウムを絞って使う場合の
抵抗体を通る量

同じ音圧で試聴するばあい、ボリウムの抵抗を通る量は、明らかに後者のほうが大きい。
プリのゲイン分、余計に絞らなければならないからだ。

で、なんだっけ、抵抗体を沢山通ると、音が曇る、って理屈なんだっけ。
じゃぁ、プリ入れたほうが余計に曇るわけ、だよね。

はい論破w

ほんと、純朴で疑わず、自分で調べない、分からない人が、そういうの鵜呑みにして、
パワー全開にして、プリを思いっきり絞って、ギャングエラーがでて困ってしまう、という悲劇が
現実に起きているという事実・・

https://web.archive.org/web/20171225112720/http://community.phileweb.com/mypage/entry/1990/20120320/29669/
https://web.archive.org/web/20171225162430/https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c628098128
https://web.archive.org/web/20171225164020/http://cello300b.exblog.jp/14857128/
https://web.archive.org/web/20171226131644/https://blogs.yahoo.co.jp/goldzg2003/70800350.html


このプリ、30万ぐらい、するんだっけ。 お金は出せても、知恵は買えない、
お金を出しても、正しい知恵は得られず、珍なる説明をもらって納得してがまんするしかない人たち。

1人でもいいから、そのおかしさに気がついて、解脱されん事を祈りたいです 
西蓮寺の観音様彼らをお救いください 合掌


105名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/06(土) 14:31:02.26ID:FHRzmbWG>>108

デタラメを言ってはいけません。
大恥は過去の名機やブランドの威光にタダ乗りし、ウソ、デタラメ、珍説をばら撒き
偽ブランド商品や粗悪品を売りつけて真空管オーディオを冒涜するとんでもない反社会的悪徳商人です。


Yoshihiro@オデオ垢
@DiaryOneword

この前のTriodeの山ア氏とか、
あとはサンバレーの大橋氏とか、確かな情熱で真空管アンプの啓蒙活動をされている方々もおられるからねえ…

真空管オーディオの世界を絶滅に追い込みたくない、理解者を一人でも増やしたい、という思いは我々だって同じなんだわ。
5:17 - 2018年10月4日
https://twitter.com/MakotoOhashi/status/1048398279124209664
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)


106名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/06(土) 14:55:51.72ID:YyJNxEvQ

数少ない信者フォロワーの賞賛の言葉ですから大切にしましょうw
でも気に入らない発言があればキット屋倶楽部の時に本人に断りや連絡もなく一方的にリンクを消したように
ツイッターもフォローを外すのでしょうねw


107名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/06(土) 15:03:52.00ID:xu/6VJ2T
>>100
その微小電圧をハムノイズ多い下手くそ半田付けアンプは雑音に埋もれさせるだけw


108名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/06(土) 16:09:34.40ID:5gmNjsuw
>>105
真空管アンプって、天守とかがネット販売するまえから、
少しづつ復活基調だったのよ。天守はその基調と、ネット通販の普及に
うまくシンクロさせて安キット作ってるところを探し出したというだけ。
彼は、あちこち電話かけまくって、作ってくれるところ開拓したって、言ってたでしょ。

むしろ乱売や取っ替え引っ替えのおかしな風潮を作り出して、
昔からコツコツと、大きな商売にならずとも細い線を繋いでいたガレージレベルの店や
静かに楽しんでいた自作派とかは大迷惑の感が強いんでないか。

結局売って儲けることに情熱を掛けてるだけ。それは商売人だから、あたりまえ。
それ自体は非難すべきことではないが、

中露球をGEだのJANだの言ってるのを見ても、
5R4は5V3Aと吹聴してクレーム付けられたらその経緯を消去改ざんしてしまう、
それが、確かな情熱というんだから、そういうの見せられてる方としては、たまらんわけよw


109名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/07(日) 13:12:15.21ID:RbN2b7qs

【注意喚起】
本日と明日、損保会館(東京)で反社会的悪徳企業サンバレーによる東京洗脳ミサが行われます。
技術を全くわかっていない主宰大恥によるウソ、デタラメ満載の口先だけのインチキ詐欺トークに
騙されないよう注意しましょう。

試聴再生は様々なバイアスをかけ、騙しのテクニック満載です。事前のトークによる印象操作、
加工された音源、ボリューム操作等に要注意です。
特に前方の列はサクラ信者で固められていると思われます。同調圧力をかけてくるのでこれも要注意。

催眠商法の手口(警視庁)
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/higai/shoho/saimin.html

クーリングオフをご存知ですか
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/higai/shoho/anote4.html






プリアンプ ボリュームのギャングエラー対策出来ず 2012年03月20日
https://web.archive.org/web/20171225112720/http://community.phileweb.com/mypage/entry/1990/20120320/29669/


2年ほど前に中古で入手したサンバレーの管球プリアンプ「SV310」、スピーカの能率の良さもあって、夜などでボリュームを絞り気味すると左右音量差が気になります。

ボリュームは「コスモス」のAカーブ20kΩが標準で、今回もう少しボリュームを開け気味にできる方が?との安直な考えと部品バラツキでギャングエラーが少ないことを祈りつつ、同じ「コスモス」の50kΩに交換してみました。
#配線は中古購入のまま引き直していないのであしからず。

ついでに、電源スイッチ、入力セレクターなどのノブもパネルとの隙間が広めだったのでワッシャやナット位置で調整してクリアランスを改良してみました。

トラブルが無い限り、滅多にケース内を覘くことが無いので、またまたついでにチューブラのカップリングコンデンサが「チュウブラりん」になっていたので事故や精神衛生上、当然振動から来る音質にも影響が有ろうかと「ホットメルト」でサブシャシーに固定しておきました。

蓋を閉めて入出力の機器類を接続してみれば、本来の目的であった「ギャングエラー対策」は効果無しでした。しかも20kΩと50kΩではそれ程ボリュームの位置は変わっていないようです。Aカーブの対数に因るものからでしょうか?

結局釈然としない投資と作業となってしまいましたが、こころなしか低域の厚みが増したような気がします。これがボリュームなのかコンデンサの固定なのか定かでは無いですが…

本来対策をしたかったギャングエラー、ディテント式のアッテネータしか対策無いのでしょうか…

【追記:備忘】
サンバレーに相談の結果、プリのアンプゲインを犠牲にするのはオススメ出来ないこと。パワーの入力ゲインで調整するのがベターとのことで、聴感で様子を見ながら約16dBの入力アッテネータ挿入。
(R1:HOT側…18kΩ/R2:GND側…3.3kΩ)

レス一覧

北の旅人さん、始めまして!!
O'Audiと申します。

私も下手ながら半田ごてを握ります!!
新参ものですが、どうぞ宜しくお願い致します。

VRのギャングエラー、厄介ですよね...私も良く苦しめられます(^^;)

さて、お写真を拝見したところ、ボリュームの3本足(片chあたり)の全てに配線が接続されているようですが、恐らくそれらは「入力」、「出力」、「GND(0V)」の3つではないでしょうか?
もしそうだとすると、ボリュームの「分圧比」で音量を調節しているものと思われます。
その場合、「ボリュームの回転角度」と「出力」の関係は、20kΩと50kΩでほとんど差が出ないと思われます。

さて、肝心のギャングエラーですが、以下のような対策はいかがでしょうか?

@ボリュームの入力ピンと入力(青色の配線)の間に直列に抵抗を入れる。
Aボリュームの出力ピンとGNDピンの間に並列に抵抗を入れる。

それぞれ、異なる副作用や制限事項が御座います。
また、いずれの場合でも、音色(音質)に何らかの影響を与えるかもしれません。

もし御興味があれば、より詳細にご説明させて頂きます。
(音色(音質)に関しては、駄耳ゆえ、あまりお力にはなりません...(^^;))

また、既にご存知の内容でしたら、読み飛ばしてくださいませ。m(_ _)m

では。

byO'Audi at2012-03-20 23:34


O'Audiさん 初めまして。

コメントを頂き有り難うございます。

仰ること理解できました。確かに20kΩであろうが50kΩであろうが抵抗分割の中点電位を拾っている訳ですから比率としては同じですね。
本来の半固定抵抗の抵抗変化成分のみが、音量変化として使えれば良いのですが、回路図も無いので少しWeb上で探してみます。

また仰せのようにシリーズで入力側にR追加、或いはGND側にパラってR追加も試してみたいと思います。
音質的には後者の方が抵抗による汚染要素?が少ないような気がします。トライしてみます。

有難うございます。今後とも助言、ご教授宜しくお願い申し上げます。

by北の旅人 at2012-03-21 21:12

https://web.archive.org/web/20171225112720/http://community.phileweb.com/mypage/entry/1990/20120320/29669/

▲△▽▼

中古美品★サンバレー SV−310U 真空管プリアンプ サンバレー完成品
https://web.archive.org/web/20171225162430/https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c628098128


サンバレー SV−310U 真空管プリアンプ を出品します。
こちらのプリアンプはキット品ではなく、サンバレーによる完成品です。 
2007年の組立品です。 小さな打ちキズはございますが、ヘコミなどなく状態は良好です。

中古で購入し、購入後1年ほど使用し、ここ数年は使用頻度は極端に少なくなっていました。

動作は問題ありませんが、製品のボリュウームを絞り込んだ(時計でいうと8時〜9時あたり)時にギャングエラーが発生します。

これは音質重視でパーツを選定しているため、製品の仕様とのことです。

プリアンプ本体に、スベトラーナWE310A互換球2本、フィリップス5R4GYS1本、組立マニュアル、検査書、電源ケーブル(動作確認用)が付属します。

到着時に動作しない以外は基本的にノークレームノーリターンでお願いします。
https://web.archive.org/web/20171225162430/https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c628098128


▲△▽▼

管球オーディオ雑感記。
謎体験??→解決。 2012-03-13
https://web.archive.org/web/20171225164020/http://cello300b.exblog.jp/14857128/


本当は SCORE 邸訪問第2弾を書くつもりだったのですが、ちょっと不思議な体験をしたので。

こないだ強盗もとい、ギャングエラー退治の話は書いたのでご存知だとは思います。
アルプスのRK272連Aカーブの10Kオームを取り付けたのですが・・・
念の為 サンバレーの大橋さんに報告をしたら、

「10kだとギリギリかな・・・という部分が(標準は20k。)ギャングエラー的には高い VOL で受けた方が有利〜(細かく刻むのと大きく刻むのではどちらが誤差がでやすいか)

〜私どもでは音質的見地で20Kで決めたわけですが、電気的には20k以上であれば問題ない〜

プレイヤーのなかには一部出力インピーダンスの高い機器もあるので、安全をみると高くしておく方が無難〜」との返答が。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なるほど・・・と思い、早速こばちゃんさんから頂いたVOLに交換を試みました。


https://web.archive.org/web/20171225164020/http://cello300b.exblog.jp/14857128/


へったくそ〜。からげられなかったし・・・


まずはアルプスRK27の100kオーム。こばちゃんさんのお古です。

なんとか頑張って(最近半田つけは億劫・・・)繋いだところ・・・あれ!?
再び強盗出現!!そして軽い「ジー」ノイズ(VOL最大で止まる)。あちゃ〜。
半田づけが悪かったのかもしれませんが。
ともかくギャングはダメなので取り外し。こばちゃんさん、悪くおもわないでね。

次はカナダPEC製の100kのボリューム。これは(取り付けて気づいたのですが)シャフトが太く、
標準のツマミが使えなくなります。

今度はギャングも退散、でもやっぱりジーノイズ(328管と整流管の間に手を挟むと収まる)。

そして音がちょっと色がついていて(ビンテージ的??これはこれでいいかも)、ちょっとメインシステムには合わない気がしたので・・・最後のRK27の50kを試すのが面倒になり・・・
(というよりノイズが恐怖だったので10kに戻したら・・・)


やっぱりノイズ治まります。そして10kが一番音が解れて厚みを感じる。
(SPに拠ると思います。100kに替えたSCOREさんちでは全く気にならないですから)
↑勘違いでした。訂正。SCOREさんは20kの別のに替えたそうです。

なぜですかね〜?不思議。

サンバレーの大橋さんの「私どもでは音質的見地で20Kで決めたわけですが」と関係あるのかな。
今度聞いてみようと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜という訳で、10kオームに戻してしまったんですよ。一体なんなんだ〜(雄たけび)!!
10kで困る機器が出てきたら、改めて検討しようと思います。


^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜その後〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

大橋さんと再びお話を伺ったら(要約しました)・・・

「入力インピーダンスは高いほうがベターで10kより20k、20kより100kの方が負荷に対しドライブしやすくなる。つまり下がれば下がるほど前置機器から見て重い負荷となる。

ただ音質に関してはこれとは別で、必ずしも高い方がベターとはいいきれない。

なので音質的にSV-310は20kを選んだ経緯が。一部DVDプレーヤーやSACDプレーヤーには10k程度のものがある。

原則的に前置機器の出力インピーダンスの20倍以上の入力インピーダンスで受けるべきとされているので、一般的機器の出力インピーダンス600Ωを標準だとすると20倍は12kという意味でギリギリ。

VOL位置でも変わる。という理由で20k以上がお薦め。
ただ特に音質に問題がなければこのままでも問題はなし〜」


との答えが。

という訳で・・・面倒くさがりの自分は当分10kかな(笑)。ノイズもなく、音も良い。
少し配線も熱で被覆が溶けかかっているし。

Comments(6)  


Commentedby Owariの眞 at 2012-03-14 10:46 x

おはようございます。

100kΩとすると、入力インピーダンスが高くなって、ノイズを拾いやすくなっているのではないかと。多分50kΩあたりが限度かと。
どうしても100kΩを使うなら、VR〜グリッド入力ピンまでの間を片側のシールドを落としたシールド線でつなぐといいかもです。
Commentedby こばちゃん at 2012-03-14 10:55 x


お騒がせいたし、誠に申訳ございません。

どうも不良品とまではいかなくとも、許容範囲を超えた偏差があ
る個体ですね。
大橋さんが言われるのは、インピーダンス適合の問題もあります
が、普及品のボリュウムは構造上摺動子タイプなので、塗りムラ
の面からは、薄くて済む小抵抗のものがエラーが少ないというこ
とじゃないかなと考えますが。。

それもですが、気になるのは「ジー」ノイズの出現ですね。
音的にはアースラインからのノイズに思えますが、なんでシャー
シの上の状態(手をかざすこと)によって収まるのかということと、
なんで高抵抗のものだけ出るのか分かりません。
シールドケースに入れたら収まりそうですが。。
賢者の登場をお待ちします。
Commentedby score1204 at 2012-03-14 13:08


あれれ、うちはアルプスのミニデテント20kですよ。若松通商の店頭においてあるのを偶然手に入れました。
ジーノイズ、なんですかね〜??
私もアースラインのような気がしますが、正直判りません。
Commentedby kennoy-mini at 2012-03-14 18:59


Owariの眞様、対策ありがとうございます。
憶えておきます。
Commentedby kennoy-mini at 2012-03-14 19:01


こばちゃnさんこんばんわ。
管のせいかも。差込が良くなかった回だったのかもしれません。
何にせよ、10kだと以前より静かです(笑
Commentedby kennoy-mini at 2012-03-14 19:02


すいませんSCOREさん、訂正しました!!
ラッキーでしたね!
https://web.archive.org/web/20171225164020/http://cello300b.exblog.jp/14857128/





http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c2

[昼休み54] (イギリス)英BBCが中国の”臓器移植産業”の闇を報道 「ドナー以外の臓器の出所元は、拘束されたウイグル人、チベット人… 木卯正一
2. 中川隆[-13589] koaQ7Jey 2018年11月14日 20:09:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20668]

中国、誘拐事件で9歳女児死亡 遺体から臓器が抜き取られていた
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/chuugokutoukyokuga-jyakyoushitei-shita-hourinkou-shinjyaheno------itaino-jintaihyouhonka-nadono-jittai/light.cgi?

中国、誘拐事件で9歳女児死亡 遺体から臓器が抜き取られ
https://www.epochtimes.jp/2017/12/30083.html

中国湖北省黄梅県ではこのほど、9歳の女の子が誘拐され死亡する事件が起きた。遺体から臓器が全部抜き取られていたという。女の子の親族は大紀元の取材に対して、当局の関与をほのめかした。

 小学校3年生の陶秀麗ちゃんは11月25日ごろ、黄梅県沙嶺村の自宅前で、一人で遊んでいたところ突然いなくなった。村の目撃者は「秀麗ちゃんが家の近くで20代の男と話しているのを見た。男の横には(同省)武漢市ナンバープレートの白い車が止まっていた」と話した。家族は不審者に連れ去られたと考え、自宅の周辺を捜したが発見できず、地元の警察当局に通報した

28日、警察関係者は家族に対して「容疑者が見つかった」「秀麗ちゃんは殺害された」と伝えた。また事件について「容疑者は自動車を運転中、秀麗ちゃんをひいてしまった。責任を追及されるのを恐れ秀麗ちゃんを殺害した」と説明した。

 秀麗ちゃんの遺体と対面にした親戚は、「髪の毛が全部そられていた。全身は包帯で巻かれていた」と話した。

 父親によると、遺体安置所で、ある関係者が親族に対して秀麗ちゃんの臓器は全て摘出された、と発言した。

 しかし翌日葬儀が終わると、臓器の摘出について明かした関係者は、前日の発言を撤回したという。父親は同関係者が、警察当局の者であるかどうかについて明言を避けた。

 陶さんは「娘の臓器は盗まれたとみんな知っている。しかし、口には出さない。警察が娘の遺体を見た村民に対して『噂話を流す人は逮捕するぞ』と脅していた」と当局に口止めされていると述べた。

 母親は娘の遺体が自宅に送ばれた翌日、一部の村民によって強制的に埋葬されたと話した。また、警察当局は親族の了承を得ていないにもかかわらず、秀麗ちゃんの遺体を司法解剖した。その結果も親族に知らせていないという。

 親族の一人は取材に対して「秀麗ちゃんの臓器は(当局関係者らに)摘出されたと思うが、今証拠はない。当局の主張に従うしかない」と話した。

 父親は、第三者による司法解剖を行っても「当局に鎮圧されるのみだ」として、諦めていると述べた。

 父親は当局の説明は、村人の目撃情報とつじつまが合わないとして疑問を持っている。「男性と話していたのに、なぜ交通事故に遭ってしまったのか」「自動車事故なら、相手が保険に入っていれば、賠償金をカバーできる。なぜ人を殺さなければならないのか?」

 中国紙・北京青年報(12月8日付)はこの事件について、ある警察の話として、司法解剖中に遺体の髪の毛を剃るのも、臓器組織の摘出も「解剖中に必要なプロセスだ」と言ったと報じた。

 秀麗ちゃんの母親は「臓器が誰に移植されたのか知りたい」「殺した人は捕まったが、臓器を取った人は誰なのか!明らかに黒幕がいるのに!」と微博でその怒りを書き込んだ。

(記者・顧暁華、翻訳編集・張哲)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/291.html#c2

[中国12] 中国、誘拐事件で9歳女児死亡 遺体から臓器が抜き取られていた(かいけつニュース速報) 怪傑
1. 中川隆[-13588] koaQ7Jey 2018年11月14日 20:10:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20668]

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/797.html#c1

[原発・フッ素50] 性欲減退、勃起不全(ED)に悩む男性が増えているようだ 被ばくが原因であることは確実だろう  魑魅魍魎男
2. 中川隆[-13590] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:03:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
福島原発事故は既に昔の話で、現在でも原発稼働が危険だという事にはなりません

技術は日進月歩で進歩しています。
最初期の福島原発と最新の原発とを同列には語れないのです。

2018年09月07日
北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
中規模の発電所が一か所停止しただけで北海道はすべての電力を失った


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/DmZ8C4bU8AAU1WZ.jpg


原発があれば停電しなかった

9月6日に発生した地震で北海道全域が停電し、翌日までに3分の1ほどが復旧したが、全土の回復には1週間程度かかる。

停電の原因は北海道の電力を半分を発電していた苫東厚真発電所が緊急停止したことで、需要に対して発電量が減ったのが原因でした。

交流電流は周波数を維持するため発電量と使用量が一致する必要があり、発電量が半分に減ると事故の原因になる。


北海道は全体を一つの地域として電力調整していたので、周波数を保てなくなりすべての発電所を停止しました。

もし需給バランスが崩れたまま送電を続けたら、送電線や送電設備、家庭や企業で火災などが発生した可能性があった。

北海道には本州から60万kwの送電を受けることができるが、北海道側の電力がないと供給を受けることができない。


停電の原因になった苫東厚真火力発電所は165万kwで、地震のとき北海道全体の電力の半分を供給していた。

発電所は地震で緊急停止し需給バランスが崩れ、続いて安全のため他の発電所もすべて停止した。

北海道全域の電力回復には苫東厚真火力発電所の稼働が必要だが、破損しているので修理しないと稼働できない。


原発を稼働しないリスク

ここで指摘されているのは2011年から停止している原発が稼働していれば、停電は起きなかったのではないかということです。

北海道には泊原発があり最大出力は207万kWで、1基稼働しただけで苫東厚真火力発電所の半分程度を発電できる。

泊原発のある場所は震度2程度の揺れで、稼働中なら緊急停止したでしょうが、その後運転を再開できた。


北海道のすべての発電所が停止したので外部電源喪失になり、自前のディーゼルエンジンで冷却している。

もし泊原発が稼働中だったら苫東厚真火力発電所が停止しても、停電しないか短時間で解消できた可能性がある。

泊原発が運転停止している理由は地元住民や反原発の反対からで、どこかが壊れているわけではない。


2011年まで日本の電力は大幅に余っていて、常に必要な量の2倍以上の発電能力を持っていました。

原発が停止しても火力で発電するプランだったので、全原発が停止しても停電しませんでした。

反原発や脱原発運動はこれを逆手にとって「電気は余っている」と主張し原発廃止を訴えている。


だが2倍以上の余裕を持たせていたのを「余裕ゼロ」にしていたので、何かあれば供給能力が不足するのは最初から指摘されていました。

北海道全域の停電は起きるべくして起きたので、その原因は原発を停止させた北海道の人たち自身にある。

しかも地震が発生したのは電力需要が少ない秋の9月で、一日で最も電力需要が少ない午前3時だった。


本来なら全域停電などするはずがない好条件だったのに、自らの意思で原発を止めた結果、このような事態に至ったのです。
http://www.thutmosev.com/archives/77471088.html
 


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2018-09-07
『初の「ブラックアウト」 最大火力停止が引き金
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35092520W8A900C1EA2000/
 管内の電力がほぼすべて止まる「ブラックアウト」。日本の電力会社で初めての大きな事故に至ったのは、震源地の近くにある石炭火力発電所、苫東厚真発電所(厚真町)に北海道電力が電力供給を依存していたためだ。

 同発電所は1、2、4号機の3つの設備がある。経済産業省によると、4号機は地震後の再稼働に向けた作業の中でタービン付近からの出火を確認。1号機、2号機はボイラーが損傷していた。復旧には少なくとも1週間かかる。北電の荒矢貴洋執行役員は同日の記者会見で「そこまで大きい事故は想定していなかった」と語った。

 問題は損傷だけでなく、3基が同時に止まったことにもあった。最大165万キロワットの発電能力が使えなくなり、北海道の使用電力のうち半分程度の供給が瞬時に消えた。

 これが北電の持つ他の発電所にも影響した。電力会社は電力の周波数を安定させるため、需要と供給が一致するように発電能力を調整する。北電は北海道全域でこうした調整をしている。苫東厚真が消えると他の発電所も次々に止まり、電力会社として初めての「ブラックアウト」に至った。(後略)』


 一か所の火力発電所に北海道という広範囲の半分のエネルギー供給を依存していた。


 結果、地震発生により全道がブラックアウト。信号機が停まるレベルの停電が全域で発生。


 北海道電力の場合、苫東厚真発電所のような発電シェアが大きい発電所が停まると、周波数が乱れ、他の発電機のタービンが破損する恐れがあります。結果、全道ブラックアウトとなってしまいました。


 これが"冬"に起きた場合、どれほど悲惨な事態になったか、想像をしたくありません。


 また、先週訪れ、今週末にも講演のお仕事で訪れる予定の札幌が、あんな有様になるとは・・・。熊本地震後の阿蘇市にように、道路が数メートルも陥没。


 液状化で建物が傾き、電柱が倒れる。


 全道ブラックアウトであるため、JR全線も航空便もストップ。現代文明がいかに「電力」に依存しているかが分かります。


 しかも、全面停電で直流を交流に変換する設備も止まり、本州と結ぶ連系線を使うこともできませんでした。


 泊原発停止の影響は、まだ書きません。書きませんが、いずれにせよ「特定の何か」に依存した状況で「安全保障」など成り立たないという現実を、全道ブラックアウトはまざまざと見せつけてくれました。


 繰り返しますが、
「このままでは大地震など自然災害で国民の生命や財産がみすみす奪われる」
「このままでは、大停電(ブラックアウト)が起きかねない」
 と、しつこく警告していたわたくしにしても、今回の事態は全く喜んでいません。ただ、ひたすら悲しいです。


 ブラックアウトなど、起きないにこしたことはないのです。とはいえ、これほどまでにエネルギー安全保障を疎かにしている以上、ブラックアウトは起き得るし、実際に起きてしまいました。


 これだけ自然災害が多発し、ブラックアウトまで発生したにも関わらず、それでも、
「防災の強化のために政府は支出するべきだ」
「エネルギー安全保障強化のために、FITは廃止し、原発を全て再稼働するべきだ」
 という声が高まらないとしたら(高まらないでしょうが)、我が国はもうおしまいです。亡国まっしぐらです。


 といいますか、ここまで愚かな国が亡国に至らないとしたら、むしろ"歴史”に対して失礼なような気がしてきます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403205183.html


4. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2018年9月07日 18:40:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18307] 報告
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全国空港乗降客数 GRFのある部屋 2018年 09月 07日
https://tannoy.exblog.jp/30033898/


昨日の北海道の地震で、震源地近くにあった火力発電所が停止して、その影響で、北海道中の発電所が動かなくなっています。夜には一部復帰したのですが、全道で300万世帯が真っ暗な夜を迎えます。


北海道中、どこに行っても電気が供給されない異常事態です。食事も取れないし、勿論、テレビやインターネットも出来ません。頼りの携帯電話は、バッテリーが無くなりつつあります。くるまが普通の人の唯一の電源供給手段ですから、その車にガソリンを入れる人の長い列が並びました。


コンビニの冷蔵品は電源がなくなれば、ダメになります。きょうはその冷凍でなくなった商品を、店頭で配っていました。お店の冷蔵庫が使えなくなり、食材がだめになるまえに焼き肉にして、おみせのまえで無料で配っている焼く肉屋さんもいました。皆、助け合いをしているようです。


昼間の間に、食材の仕入れを行うために三時間待ちで店頭に並んだようです。しかし、それを調理する方法がないのです。ガスは一部通っているようですが、夜になれば調理が大変危なくなります。真っ暗な街では不安が募ります。


困るのは、旅行者でしょう。東京に帰るはずの人たちや、外国からの観光客は泊まるところの確保も必要です。全道中の列車や高速も止まっているし、飛行機も千歳が封鎖されているから、ホテルは連泊が可能でしょうが、食べるものもないし、電気が使えなければお風呂にも入れません。すべて電気モーターに頼っているからです。泊まり客の食事もどのように作るのか、大変です。


今日の夕方の大洗からのフェリーボートには、関東地方の警察、自衛隊、救助隊、医療チーム、電力会社の作業員等が、夕方のフェリーで苫小牧に向かいました。明朝から活躍することでしょう。


北海道は、独立した島です。本州から電気もガスも水も供給できません。本州側の電力会社のように融通することが出来ないのです。現在は青函トンネル経由で、60万キロワットとが限界ですが、来年の3月までに、1.5倍増やした90万キロワットが増電可能になります。まだいまは工事中です。


北海道全体では、普通で300万キロワット必要ですから、最大500万キロぐらいの消費量になります。それらを万遍なく供給するには、現在の供給量(14%ぐらい)を五倍ぐらい上げ無くてはなりません。まだ真夏だから生き死ににはなりませんが、真冬なら大変なことです。停電即、命の心配になります。これは北電の問題ではなく、政治の問題です。北海道ばかりではなく、東京も準備しておかなければなりません。


全国空港乗降客数一覧 (平成29年統計)
順位 空港名 国内線 国際線 合計/一日
1 東京国際空港(羽田) 68,367,662 16,895,012 233,596
2 成田国際空港 7,540,249 31,091,309 105,840
3 関西国際空港 6,848,636 21,036,154 76,397
4 福岡空港 17,629,158 6,167,691 65,197
5 新千歳空港 19,428,246 3,290,366 62,243
6 那覇空港 17,435,393 3,537,689 57,460
7 大阪国際空港(伊丹) 15,597,777 0 42,734
8 中部国際空港(セントレア) 5,936,543 5,509,055
31,358
9 鹿児島空港 5,332,140 286,000 15,392
10 仙台空港(仙台国際) 3,100,326 270,124 9,234


現在、大量の観光客が日本に押し寄せていますが、関空が使えず、千歳も閉鎖されている現在は、8万人の旅行客が、旅行を中止しているか、世界中の空港で足止めをされています。日本人観光客は、福岡や名古屋などの代替えの空港を探しますが、外国人は旅行を中止するでしょう。


加えて、夢の都市、札幌がじつはこれほどまでもインフラが脆弱だったと言うことは世界中に配信されています。今回の地震、それによるインフラの停止が、世界中の札幌への憧れを削がなければ良いのですが。


停電は、二三にちで復旧するでしょうが、関空の橋は簡単には直りません。まず、つぶれた橋を取り除いて、電車を通すのに何日かかるかです。損傷した橋を外さなければ何も始まりませんが、準備にどれだけを必要とするか、まだ調査段階だと思います。現在、伊丹空港は、完全に国内専用です。毎日4万人も使用している日本でなごやよりおおきな七番目の空港ですが、国際線はゼロです。神戸は、名ばかりの国際空港で、年間たった110人です。代替えに神戸空港などを緊急に国際空港にしないと、大阪経済は相当な損害を被るでしょう。
https://tannoy.exblog.jp/30033898/


5. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年9月08日 06:13:26: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18325] 報告
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北海道ブラックアウト 最大の火力発電所からドミノ倒し 2018年9月7日04時57分
地震に襲われた北海道のほぼ全域が一時停電した。最大の火力発電所がダメージを受けて需給のバランスが崩れ、ドミノ倒しのように発電所が止まった。完全復旧までは1週間以上かかる見通しだ。


 「極めてレアなケース。すべての電源が落ちるリスクは低いとみていた」

 6日午後、札幌市の北海道電力本店。停電で薄暗い1階ロビーに設けられた会見場で、真弓明彦社長は、こわばった表情で話した。

 今回の停電は、離島などを除く北海道のほぼ全域で発生した。電気事業連合会によると、大手電力会社のほぼ全域に及ぶ大規模停電は初めてだ。

 今回の停電の発端となった苫東厚真火力発電所(北海道厚真町)は、北電で最大の火力発電所であり、3基の能力は計165万キロワット。地震でとまり、北電は、この時点の供給力の半分以上を一気に失った。需給のバランスが崩れ、その影響がほかの発電所にも及んで停止。道内全域の停電に追い込まれた。

 経済産業省が想定していた北海道での発電設備トラブルによる供給力減少は129万キロワット。「(165万キロワットは)想定外だった」と担当者も話す。

 電気はためることができないため、必要な分だけを発電所で出力を細かく調整しながら供給する。そのバランスをみるための指標が「周波数」だ。発電機の回転速度にあたる。

 電気の供給が増えると周波数は高くなり、需要が増えると周波数は低くなる。北海道を含む東日本では周波数を常に50ヘルツになるように制御している。

 しかし、需要と供給のバランスが急激に崩れて周波数が乱れると、タービンの故障やシステムの異常が起こりやすくなる。これを避けるため、電力の供給を自動的に遮断する仕組みが元々備わっている。

 大阪電気通信大の伊与田功教授(電力系統工学)は「北海道各地で電気の遮断がドミノ倒しのようにいっせいに起き、すべての発電機が電気系統から離れて広域で停電する『ブラックアウト(全系崩壊)』が起きた」と話す。

 今後は、とめていた水力発電を動かし、そこでつくった電気を使って火力発電などを順次、稼働させていく。ただ、十分な供給力を確保するには、ボイラーやタービンを損傷した苫東厚真火力の復旧が欠かせず、1週間以上かかるという。

もし冬だったら…

 今回の大停電は「想定外」とは言い切れない。

 2011年の東日本大震災では、東京電力福島第一原発など多くの原発が止まり、首都圏では計画停電が実施された。一カ所に多くの発電設備を置く「集中立地」のリスクへの対応は、震災の教訓の一つだった。

 北海道での大停電が、暖房などで電力がより必要な冬に起きていたら、被害はさらに大きくなった可能性がある。

 電力会社間の電力の融通にも課題が残った。

 北海道と本州の間には電力をやりとりできる「北本連系線」があり、頼みの綱のはずだった。

 距離が長くても送電が安定するよう直流を採用しているため、北電が本州から電力を受け取るには、北海道側で受け取った直流から通常の交流に変換しなければならない。変換の装置を動かすために交流の電気が必要だが、停電のために調達できず、すぐに使えなかった。

 しかも、連系線の能力は最大60万キロワット。苫東厚真火力の発電能力の2分の1に及ばない。北電は外部電源がいらない新しい連系線を本州との間に建設しているが、今回の事態には間に合わなかった。

 大阪府立大の石亀篤司教授(電力システム工学)は「本州から受け取れる電力は多くなく、北海道内はほぼ独立した系統。地震の発生が(電力消費の比較的少ない)未明で発電所の多くが止まっていたため、出力のバランスを維持するのが難しかったのではないか」とみる。

 同様の大規模停電が北海道以外で起きる可能性はあるのか。ほとんどの電力会社は、複数の電力会社と外部電源が必要でない連系線でつながっている。石亀さんは「可能性は低いだろう」とみる。

 一方、電力のシステムに詳しい荻本和彦・東京大特任教授は「地震はどこでも起こりうるので、電源の種類や場所を分散することで停電リスクを減らすことが重要だ。だが、完璧にするのは難しいので、大規模停電が起きた際の減災対策を考えておく必要がある」と指摘する。
https://www.asahi.com/articles/ASL966Q4QL96ULFA044.html?ref=yahoo


北海道で計画停電を検討 10日開始も、1回2時間ほど 9/7(金) 21:22配信


6日未明の地震によって北海道で相次いだ発電所の停止を踏まえ、政府は道内での計画停電の検討に入ったことを明らかにした。地域と時間を事前に決めておく停電で、需給が厳しくなれば週明け10日にも踏み切るという。実施されれば、東日本大震災直後の2011年3月に首都圏で行われて以来となる。


 地震による停電は一時、道内ほぼ全域の295万戸に及んだ。政府は、老朽発電所の再稼働などによって週末の8日中にいったん停電をほぼ解消できる、との見通しを示した。ただ、ピークをまかなうことは難しいとして、8日から1割程度の節電を道民や企業に要請する。数値目標付きの節電要請は13年冬に北電が行って以来だ。

 工場や企業が本格的に動き需要が増える週明けになって、節電がうまくいかなかったり、発電所が故障したりした場合には、計画停電に踏み切る可能性があるという。1回2時間ほどを想定し、準備する。

 世耕弘成経済産業相は「計画停電は極力回避をしたいので、道民のみなさまには最大限の節電へのご協力を改めてお願いしたい」と呼びかけた。

 北海道庁によると、7日午後10時までに停電が解消したのは218万戸。一時停電した295万戸の7割超にあたる。
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朝日新聞社


6. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年9月08日 06:15:57: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18325] 報告
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震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」
地震学者 西岡千史 2018.9.6
https://dot.asahi.com/dot/2018090600047.html?page=1

北海道を震度7の地震が襲った。気象庁によると、地震の発生は6日午前3時8分、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.7で、震源の深さは約40キロと推定されている。

 地震地質学が専門の岡村真・高知大名誉教授は、今回の地震について「石狩平野には馬追丘陵から南北に延びる地域に活断層が存在すると推定されていて、震源は石狩低地東縁断層帯の東側と思われる」と分析している。震源に近い厚真町などでは家屋の倒壊や土砂崩れが発生し、生き埋めの被害も出ている。


 これまで北海道では、太平洋側に延びる千島海溝でM9クラスの地震が想定され、前回の発生から約400年が経過していたことから「切迫性が高い」と警戒されていた。だが、岡村氏によると「千島海溝との関連性は低い」という。

「今回は内陸で起きた地震で、規模としてはそれほど大きなものではなかった。ただ、震源が深く、石狩低地帯は地盤が弱いところが多いため、地盤災害が広がったと思われます。余震も想定されることから、土砂崩れが起きる地域に住む人は警戒を続けてほしい。また、捜索活動を続ける人も、二次災害に気をつけてほしい」(岡村氏)

 さらに、被災地を混乱させているのは295万戸におよぶ道内全域の停電だ。道内の信号機はストップし、固定電話や携帯電話がつながらない地域も出ている。

「2003年のニューヨーク大停電のとき、日本では複数の系統から電源を確保しているから、1つの発電所のトラブルが原因で広範囲の停電は起こりにくいシステムになっていると言われてきた。なぜ、こんなことが起きたのか。訓練も行われていなかったのか。今後、徹底した調査による原因究明が必要です」(岡村氏)

 なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。

2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか。

「泊原発には3系統から外部電源が供給されていますが、北電の中で3つの変電所を分けていただけと思われる。北電全体がダウンしてしまえばバックアップにならないことがわかった。今回の地震で、揺れが小さくても外部電源の喪失が起きることを実証してしまった。『お粗末』と言うしかありません」(岡村氏)

 北電によると、地震発生直後に同社最大の火力発電所、苫東厚真発電所が緊急停止。電力供給の需要と供給のバランスが崩れたことで周波数の低下が起き、他の発電所も運転が止まった。苫東厚真発電所の復旧は、少なくとも1週間かかるという。泊原発の非常用ディーゼル発電は最低7日間稼働できるというが、「事故にならなくてよかった」ではすまされない。

「北電だけの問題だけではなく、監督官庁である経産省や原子力規制委員会にも責任がある。このような事態が起きることを想定して、原発施設の電源確保の仕組みをチェックしていなかったということ。これは大問題です。近づく南海トラフ地震でも、すべての火力発電のブラックアウトを想定しておくべきです」(岡村氏)

 現在、発電所の再稼働に向けて作業が行われているが、電力復旧のめどは立っていない。もし、泊原発で非常用のディーゼル発電が故障などで使えなかった場合は、“最後の砦”であるガスタービン電源車に頼らざるをえなかったことになる。今回の地震は「原発への電源供給」という災害対応の“基本中の基本”に問題があったことを明らかにした。(AERA dot. 編集部・西岡千史)

※6日午後、厚真町鹿沼で震度7を観測していたと気象庁が発表したため最大震度を修正しました


7. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:02:58: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18328] 報告
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北海道のブラックアウト、なぜ起きた?
電力需要の半分を賄っていた苫東厚真発電所が落ちた 2018年9月8日
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/022700115/090700147/?P=1


[日経エネルギーNext2018年9月7日付の記事を転載]


まさか日本で「ブラックアウト」が起きるとは――。

 9月6日午前3時8分頃、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震が発生。北海道全域で全域停電、いわゆるブラックアウトが起きた。一時は、北海道内のほぼ全世帯に当たる295万戸で停電した。


北海道で震度7  地震で停電したままの札幌市中心部=6日午後6時38分(出所:共同通信イメージズ)


 ブラックアウトの発生は、9電力体制のスタート以来、初めてのことだ。東日本大震災によって東京電力・福島第1原子力発電所事故が発生し、津波で太平洋沿岸部の発電所が被災した時でさえ、ブラックアウトは起きなかった。

 では、なぜ今回、ブラックアウトが起きたのか。原因を端的に言えば、北海道電力・苫東厚真火力発電所(厚真町)の一極集中だ。

 苫東厚真は石炭火力発電所で、3機合計で定格出力が165万kW。道内最大規模を誇る。北海道電力によると、地震発生時、道内需要310万kWの約半分を苫東厚真が賄っていたという。

 電気は貯めることができない。常に需要(電力の使用量)と供給(発電量)を一致させておく必要がある。今回のように、需要は変わらないのに供給が減ると、過負荷の状態となり、周波数が低下する。

 周波数の低下は、停電発生を意味する。各変電所に設置してある周波数低下防止装置(URF)が、周波数が一定値以下になったことを検知すると、停電が他の地域に広がらないように系統を遮断する。停電しているところに電気が流れると通電事故が発生したり、設備が損傷してしまうためだ。一方、発電所も周波数の低下を検知すると、自動で停止し、系統から自らを切り離す(解列する)。

 今回、震源地の近くに立地する苫東厚真火力発電所は、かなり揺れたはずだ。地震発生からほどなくして苫東厚真発電所は停止しただろう。その瞬間に、道内の供給は一気に半分に落ち込み、周波数が急激に低下した。

 北海道は人口も少なく、電力需要自体が小さい。北電が発表した9月7日の最大需要予測は380万kW。例えば、東電の最大需要は4700万kW弱。北電エリアの10倍以上だ。仮に東電エリアで苫東厚真と同規模の発電所が停止したとしても、供給の急激な落ち込みにはならない。

 地震発生が深夜で、電力需要が日中よりも小さく、他の発電機の稼働が少なかったことも、苫東厚真の脱落の影響度を大きくした。通常であれば、他の発電機が周波数の低下を検知して、出力を上げるなどの動きをする。だが、今回は苫東厚真の脱落分を回復させる手立てがなかった。

 こうして苫東厚真発電所の周辺部から、周波数の低下は徐々に道内に広がった。いくら系統を遮断しても、需給のバランスは取れず、ドミノ倒しのように停電エリアが広がっていった。同時に、発電所も連鎖的に停止した。こうして、北海道はブラックアウトしたのだ。


なぜ苫東厚真発電所の一極集中は起きたのか


 では、なぜ苫東厚真の一極集中は起きたのか。理由は、推測も含めて様々ありそうだ。

 まず第1に、苫東厚真が高効率な石炭火力発電所であったことだ。発電所の効率性は規模に比例する。道内最大規模の苫東厚真は、発電コストが安価で、北電にとって競争力のある電源だったはずだ。

 ある大手電力幹部は、「電力自由化が進む中、発電コストが安い発電所を稼働させたいと考えるのは普通のこと。苫東厚真発電所は北電エリアで最も大規模な石炭火力。これを動かしたいと思うのはよく分かる」という。

 北海道の小規模な電力需要に対して、苫東厚真は規模が大きい。ただ、競争を勝ち抜いていくためには、大規模な設備が必要だというのは十分に理解できる話だ。

 第2が、北電・泊原子力発電所が稼働していなかったこと。「泊原発が動いていれば、苫東厚真をフル稼働させる必要はなく、脱落による供給の急減は起きなかった」という声も聞こえてきた。ただ、泊原発も地震検知によって停止する可能性があり、これが根源的な解決法になるのかどうかは分からない。

 第3が、本州との連系線の強化だろう。北海道と本州をつなぐ北本連系線の現在の容量は60万kW。東日本大震災後の議論を経て2019年には90万kWに拡張することが決まっている。

 仮に、苫東厚真の脱落による影響が、北本連系線の容量以下であれば、本州からの送電によってブラックアウトを回避できた可能性がある。

 そして第4が、電力網(系統)が大きすぎることだ。大規模集中の電力システムは、大規模で高効率な発電所から、広域に送電することを前提として作られている。だからこそ、苫東厚真のような大規模な発電所が脱落したときには、連鎖的に停電が広がる範囲が大きい。

 近年、再生可能エネルギーの普及拡大は凄まじい勢いで進んでいる。配電網内に設置した分散電源を融通しながら利用する系統技術も開発が進んできた。例えば、大規模な発電所が脱落して送電ができなくなった時に、すべてを停電させるのではなく、分散電源を備えた配電網を一時的に送電網から切り離せば、完全な停電にならずに済む。

 現在、太陽光発電などの分散電源は、周波数低下を検知すると、大型火力などと同様に自動で停止するようになっている。今回の地震の影響がなかった発電所が停止した中には、大規模な発電所だけでなく、再エネ発電所も含まれている。

 少しでも停電の影響を軽微にするための方法には、様々な選択肢がある。長い時間をかけて構築してきた大規模集中型の電力システムの中での改善もあれば、分散型の電力システムを取り入れる方向での選択もあるだろう。


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 まさか日本で「ブラックアウト」が起きるとは――。

 9月6日午前3時8分頃、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震が発生。北海道全域で全域停電、いわゆるブラックアウトが起きた。一時は、北海道内のほぼ全世帯に当たる295万戸で停電した。


北海道で震度7  地震で停電したままの札幌市中心部=6日午後6時38分(出所:共同通信イメージズ)


 ブラックアウトの発生は、9電力体制のスタート以来、初めてのことだ。東日本大震災によって東京電力・福島第1原子力発電所事故が発生し、津波で太平洋沿岸部の発電所が被災した時でさえ、ブラックアウトは起きなかった。

 では、なぜ今回、ブラックアウトが起きたのか。原因を端的に言えば、北海道電力・苫東厚真火力発電所(厚真町)の一極集中だ。

 苫東厚真は石炭火力発電所で、3機合計で定格出力が165万kW。道内最大規模を誇る。北海道電力によると、地震発生時、道内需要310万kWの約半分を苫東厚真が賄っていたという。

 電気は貯めることができない。常に需要(電力の使用量)と供給(発電量)を一致させておく必要がある。今回のように、需要は変わらないのに供給が減ると、過負荷の状態となり、周波数が低下する。

 周波数の低下は、停電発生を意味する。各変電所に設置してある周波数低下防止装置(URF)が、周波数が一定値以下になったことを検知すると、停電が他の地域に広がらないように系統を遮断する。停電しているところに電気が流れると通電事故が発生したり、設備が損傷してしまうためだ。一方、発電所も周波数の低下を検知すると、自動で停止し、系統から自らを切り離す(解列する)。

 今回、震源地の近くに立地する苫東厚真火力発電所は、かなり揺れたはずだ。地震発生からほどなくして苫東厚真発電所は停止しただろう。その瞬間に、道内の供給は一気に半分に落ち込み、周波数が急激に低下した。

 北海道は人口も少なく、電力需要自体が小さい。北電が発表した9月7日の最大需要予測は380万kW。例えば、東電の最大需要は4700万kW弱。北電エリアの10倍以上だ。仮に東電エリアで苫東厚真と同規模の発電所が停止したとしても、供給の急激な落ち込みにはならない。

 地震発生が深夜で、電力需要が日中よりも小さく、他の発電機の稼働が少なかったことも、苫東厚真の脱落の影響度を大きくした。通常であれば、他の発電機が周波数の低下を検知して、出力を上げるなどの動きをする。だが、今回は苫東厚真の脱落分を回復させる手立てがなかった。

 こうして苫東厚真発電所の周辺部から、周波数の低下は徐々に道内に広がった。いくら系統を遮断しても、需給のバランスは取れず、ドミノ倒しのように停電エリアが広がっていった。同時に、発電所も連鎖的に停止した。こうして、北海道はブラックアウトしたのだ。

とはいえ全面復旧には時間がかかる


 復旧に向けた作業は急ピッチで進んでいる。まずは止まっていた水力発電を再稼働させ、その電気を使って、停止した発電所を動かし始めた。9月6日午後には、砂川発電所(砂川市)が稼働し、旭川エリアの一部で停電が解消した。その後も、複数の発電所を稼働させ、9月7日午前に約5割の停電が解消した。

 ただ、完全復旧には時間がかかりそうだ。

 北電が発表した9月7日の発電所の稼働予定を足し合わせ、北本連系線を使った本州からの送電分を足し合わせても、約310万kWにしかならず、最大需要380万kW (予測)には届かない。苫東厚真発電所を復旧させないことには、供給力不足が解消しないのだ。

 ただ、苫東厚真は、1、2号機でボイラー配管の損傷が見つかっている。また、4号機はタービンで火災が発生。復旧には一定の時間を要すると見られる。

 送電鉄塔など送配電設備の損傷もある。停電解消には、こうした設備の修復も必要だ。北電は「復旧には1週間程度はかかる」としている。


JEPXのスポット取引も中止


 9月6日午後6時、日本卸電力取引所(JEPX)は「北海道エリアのスポット取引を北海道エリアの需給バランスが改善されるまでの間、中止」する旨を告知した。当面、北海道エリアの電力取引は中断されることが決まった。全面自由化後、市場閉鎖は初めてである。

 「需要に対して供給力が決定的に不足している状況で市場閉鎖な当然」と小売電気事業者幹部は受け止める。ただ、新電力もブラックアウトは初めて経験だ。「復旧までの小売電気事業者の責任や負担が明確に分からず、対応に関連する情報収集を急いでいる」と話す。

 JEPXが北海道エリアの取引再開の条件に挙げる「需給バランスの改善」は、「苫東厚真の復旧がカギ」(JEPX幹部)だ。

 災害時の大手電力会社の対応は、かねて称賛に値するものだ。形式ばったルールなしに、他地域の電力会社が応援に駆けつける。今回も既に昨日の段階で、大手電力各社が電源車や応援人員を送っている。いまこの瞬間も、最大限の努力をもって復旧作業を進めていることだろう。

 一刻も早い復旧を願うとともに、ブラックアウトの経験を今後に活かす議論を始めたい。


8. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:19:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18361] 報告
▲△▽▼


ブラックアウトと原子力発電 2018-09-08


今回の北海道のブラックアウトは、

(1) 泊原発を再稼働できない状況で、
(2) 複数の火力発電機がメンテナンスに入らざるを得ず、
(3) 165万kwという北海道の電力需要の半分を担う苫東厚真火力発電所が停まり、
(4) 周波数が大きく乱れ、他の発電機が自動停止した


 というメカニズムだったと考えます。


 誤解している人がまだいますが、電気とは十分な蓄電が未だに不可能で、今、消費されている電気は、今、生産されています(発電機で)。電力会社は一定の周波数の範囲内で、需要と供給を合わせなければなりません。


 苫東厚真火力発電所のように極端にシェアが高い発電機が停まると、 周波数の許容範囲を超えてしまいます。すると、接続されている電気機器や発電機が故障してしまうため、各地域の発電所がシャットダウンされ、ブラックアウトとなりました。


 というわけで、ポイントは、

「泊原発が稼働していた場合、苫東厚真火力発電所が停まっても周波数の変動許容範囲内で、ブラックアウトは起きなかったのではないか?」

 になります。この辺りは、今後の検証を待つとして、それ以前に、

「一つの発電所に域内電力の半分を委ねざるを得ない時点で、エネルギー安全保障は成り立っていない」

 という現実を、国民は理解するべきです。


『北海道ブラックアウト 最大の火力発電所からドミノ倒し
https://www.asahi.com/articles/ASL966Q4QL96ULFA044.html

 地震に襲われた北海道のほぼ全域が一時停電した。最大の火力発電所がダメージを受けて需給のバランスが崩れ、ドミノ倒しのように発電所が止まった。完全復旧までは1週間以上かかる見通しだ。

 「極めてレアなケース。すべての電源が落ちるリスクは低いとみていた」
 6日午後、札幌市の北海道電力本店。停電で薄暗い1階ロビーに設けられた会見場で、真弓明彦社長は、こわばった表情で話した。

 今回の停電は、離島などを除く北海道のほぼ全域で発生した。電気事業連合会によると、大手電力会社のほぼ全域に及ぶ大規模停電は初めてだ。

 今回の停電の発端となった苫東厚真火力発電所(北海道厚真町)は、北電で最大の火力発電所であり、3基の能力は計165万キロワット。地震でとまり、北電は、この時点の供給力の半分以上を一気に失った。需給のバランスが崩れ、その影響がほかの発電所にも及んで停止。道内全域の停電に追い込まれた。

 経済産業省が想定していた北海道での発電設備トラブルによる供給力減少は129万キロワット。「(165万キロワットは)想定外だった」と担当者も話す。(後略)』


 いやいや、泊原発を動かさず、苫東厚真火力が需要の半分を担っている時点で、165万kwの供給力減少は「普通に起きえる事態」でしょう。子供でも理解できる話です。


 結局、東日本大震災後に原発を「政治的」に停め、しかも代替の安定電源を増やすどころか、再生可能エネルギーなどという「ビジネス」にはなるものの、電力の安定供給には糞の役にも立たない電源を増やし、エネルギーミックス崩壊を放置していた「ツケ」が出始めているという話です。


 相変わらず、イデオロギー的に反原発な連中が多いですが、だったら原発に変わる「エネルギーミックス強化」になりえる電源を教えて下さい。ちなみに、火力はダメです。理由は、原油、石炭、LNGなど、我が国はほとんど自給できないためです。


 火力を増やしたところで、エネルギー自給率は下がります。電力会社の収益も悪化し、使用済み核燃料の処理や廃炉の技術開発すら不可能になります。


 さらには、メンテナンスコストが削られることで、日本の停電率は上がっていくことになります。もちろん、電気料金も上がりますが、それでいいんだ?


 別に、未来永劫、原発を使うべきとは言いませんが、とりあえず日本はエネルギー安全保障回復のために、原発を稼働しなければならないのです。


 また、未だに「地震で原発が〜」などと適当なことを書いている人がいますが、日本の原発は福島第一原発の事故後、耐震性が著しく強化されています。しかも、東日本大震災の際には、福島第一原発をはじめ、全ての原発は普通に自動停止しました。


 福島第一の事故は、津波による電源喪失。ただ、それだけです。電源喪失の結果、冷却ポンプが動かせなくなり、事故に至ったのです。


 建屋の屋上にディーゼルの発電機があれば、それで済んだ話なのですよ。


 今回の泊原発も、外部からの電源供給は止まった(そりゃそうでしょう)ため、非常用発電機でポンプを動かし続けました。


 上記が「事実」であるにも関わらず、共産党の小池晃を代表に、今回のブラックアウトを反原発に利用しようとする連中が少なくなく、吐き気がします。


 繰り返しますが、だったら原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さいよ。それができないなら、せめて口をつぐめ。


 今回のブラックアウトは、反原発に固執し、エネルギー安全保障の劣化を放置し、一つの発電所に供給の半分を委ねなければならない事態に追い込んだ「政治家」「言論人」そして「国民」の責任なのです。


 次なるブラックアウトを回避するためにも、日本はエネルギーミックスのバランスを回復する必要があります。そのためには、原発を稼働せざるを得ないのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403443295.html


9. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:35:27: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18361] 報告
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泊原発を緊急再稼働させるべきだ 2018/09/06
だから散々言っただろう。電力は、足りてるからいいってもんじゃねえんだよ。原発反対のバカは、人殺しだ。泊は震度2から3だろ。

バカのヒステリーに振り回されて、電気がなく治療を受けられず死んでいく奴の方が圧倒的に多いんだからな。

そういう話はマスコミには、流れない。
http://www.nikaidou.com/archives/105729


10. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月09日 10:53:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18382] 報告
▲△▽▼


続 ブラックアウトと原子力発電 2018-09-09

 こと原発関連のエントリーを書くと、日本語が分からない連中が次々に出現してウンザリするのですが、わたくしは、

「原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さい」

 と、書いているんですよ。


 反原発派は、すぐに火力を増やせどうのと言い出しますが、火力発電所の新設には、土地の選定から数えると、少なくとも十年は必要です(原発は二十年だそうです)。


 十年間は「今すぐ」なの?


 日本のエネルギー安全保障は、すでに崩壊状態であったことを、全道ブラックアウトが証明しました。つまりは、「今すぐ」改善しなければならないのです。


 それにも関わらず、火力発電の強化を未だに言っている・・・。


 そもそも、北海道電力を含む日本の電力会社の火力発電所は老朽化し、使用に堪えないものが少なくないのです。それを、騙し騙し使わざるを得ない状況に追い込まれていたのです、日本の各電力会社は。


 火力発電を強化するどころか、一部の発電所は取り壊しをしなければならない時期に至っています。


 老朽化が進んだ結果、当然ながら、メンテナンスの回数も激増し、電力会社は供給を維持するために綱渡りを強いられていました。


 2010年度の北海道電力における火力発電所のトラブル件数は52件。2016年は82件。着実に増えてきていますが、当然です。


 北海道電力の奈井江発電所では、わたくしよりも年上の発電所が現役なのですよ。半世紀近く稼働し続けてきた老朽化発電所が、身体に鞭打って動き続けています。


 それはまあ、トラブルやメンテナンスが増えて当然です。


 北海道地震の死者数は35人を越えました。


 停電はほぼ解消しましたが、何しろ上記の有様なので、いつ次の発電機の故障があるか分かりません。


 といいますか、最大火力である苫東厚真発電所が復旧していないため、建設後半世紀近い「老体」がフル稼働し、ようやく供給を確保している有様です。


『北海道で2割節電要請 経産相、停電はほぼ解消
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3514610008092018MM8000/

 北海道で震度7を観測した地震で、世耕弘成経済産業相は8日夜、道内に平常時より2割の節電を呼びかける考えを示した。地震による停電はほぼ解消したが、週明けの電力需要増などに備え、これまで1割としていた目標を引き上げる。被災地では空路や鉄道の再開が進む一方、約2万6千戸が断水するなどインフラの復旧は途上だ。

 節電目標の引き上げは老朽化した火力発電所の故障リスクなどを踏まえた。世耕経産相は記者団の取材に「土砂崩れなどで立ち入り困難な一部地域を除き、8日中に停電を解消させる予定だ」と説明。大規模停電の再発を防ぐため、万一の場合に計画停電を実施する方針も改めて示した。(後略)』


 苫東厚真発電所が復活したところで、老朽化火力に一定の電力供給を依存せざるを得ないという状況は変わりません。


 ちなみに、来年2月には石狩湾新港発電所が動き出しますが、当初は1号機だけなので、出力は56.94万Kwのみ。2号機以降は、2023年以降の稼働予定です(さすがに早めたいところでしょうが)。


 また、2019年までに運転年数が40年を超す老朽化火力は、132万kw。石狩湾1号機が動き出したところで、老朽化火力の稼働は続かざるを得ません。泊原発が再稼働しない限りは。


 結局、石狩湾1号機が動き出しても、北海道の電力供給は、苫東厚真発電所に極端に依存する構造は変わらないのです。


 目の前に危機があり、その解決方法も明らかである。


 無論、「未来永劫」の解決策ではなく、泊原発を再稼働し、とにもかくにも「目の前の危機」を乗り越え、その後は石狩湾2号機以降の建設を早め、老朽化火力を「引退」させ、さらには水力発電の強化など中期的なエネルギーミックス確保を目指す。


 その「後」、原発についてどうするのか。使用済み核燃料の再処理や最終処分、廃炉の技術開発を着々と進めていきつつ、原発をエネルギーミックスの中でいかに位置づけるのかを考えていく。


 これ以外に、北海道のエネルギー安全保障を回復する道はありません。


 正直、「ピコーンッ! ひらめいたっ!」系の適当なアイデアで解決できるほど、北海道の(あるいは日本の)エネルギー安全保障崩壊は甘い問題ではないのです。


 「今すぐ」に解決する必要がある以上、北電は泊原発を再稼働しなければならないのです。政治は動かなければなりません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403646397.html


11. 中川隆[-13649] koaQ7Jey 2018年9月10日 10:36:20: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18412] 報告
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全道ブラックアウトと発送電分離 2018-09-10


 北海道の大規模停電は、一部の地域を除きほぼ解消されました。


 世耕経済産業大臣は、電力需要が高まる平日は需給の逼迫が予想されるとして、全道に二割の節電を求めています。


 今回のブラックアウトは、季節が厳冬期ではなかったという点が、本当に不幸中の幸いでした。


 氷点下二十度の世界、しかも大雪で交通もままならない世界において、ブラックアウトが起きたら・・・。人類史に残る悲劇になってしまったのは確実です。


 ちなみに、冬の北海道は電力需要が500万kw(現在は300万Kw台)を超すため、苫東厚真が復旧したとしても、万全には程遠い状況が続きます。


 政治的に「泊原発再稼働」を認めなければなりません。


 その上で、原子力規制委員会の審査を続ければいいのです。


 ちなみに、発電所の再審査等は、発電しながら進めていくというのが「グローバルスタンダード」です。さもなければ、将来の懸念に考慮した挙句「現在の危機」を招きかねないためです。


 原発を全て停止したまま審査を行うなどという「頭がおかしい」ことをしているのは、日本だけです。


 また、北海道の停電は解消しつつありますが、台風21号による西日本の停電は続いています。


『台風21号に伴う停電「9日中に半分に」 世耕経産相
https://www.asahi.com/articles/ASL996QVZL99ULFA005.html

 台風21号に伴う関西電力と中部電力の管内での停電について、世耕弘成経済産業相は、9日午後3時時点で約3万戸まで減ったことを明らかにした。この半分にあたる1万5千戸まで9日中に減らすことを「目指したい」とも述べた。復旧を加速させるため国土交通省に加えて自衛隊とも連携していく、という。』


 日本国は今、北海道と西日本という二つの戦線で、自然災害との戦争を繰り広げていることになります。陳腐な書き方ですが、戦争はすでに始まっているのです。


 さて、北海道には泊原発を動かすという「短期的な解決策」がありますが、中期的に、とんでもない問題が待ち構えていることを知ってください。


 すなわち、2020年4月の「発送電分離」です。


 電力会社の送配電部門と、発電部門が「法的に分離」されるのです。さらに、一般送配電事業者・送電事業者が、発電事業を行うことは「禁止」されます。


 また、「適正な競争関係を確保するため」というバカげが理由から、一般送配電事業者・送電事業者と発電事業者について、取締役の兼業禁止等の行為規制も課せられるのです。


 つまりは、2020年4月以降、電力会社(一般送配電事業者・送電事業者)は「発電所を持たない」状況になるわけでございます。


 自前の発電所がない「電力会社」は、果たしてこれだけ自然災害が多発する日本国において、電力の安定供給が実現できるのでしょうか。


 あるいは、大震災で発電所なり送電網なりが破損したとき、「速やかな復旧」が可能なのでしょうか。


 できるはずがありません。


 現在の日本国において、ギリギリ電力が安定的に供給され、復旧が何とかなっているのは、電力会社が発電から送電網までを統合的に管理しているためです。要は「社内で何とかしている」のです。ところが、2020年4月以降は「社内」では話が終わらなくなってしまいます。


 それにも関わらず、
「発電部門を新規ビジネスに」
 などという、レントシーキングの対象とし、安倍政権は発送電分離を強行しようとしています。


 このまま発送電分離を進めると、我が国は電力の安定供給が「目標」で、自然災害の際には復旧に何か月もかかる「発展途上国」へと落ちぶれることになるでしょう。


 日本のエネルギー安全保障が崩壊状態にあることが、全道ブラックアウトで確定しました。安倍政権は発送電分離を早急に中止するべきです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403889378.html


12. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2018年9月14日 06:33:02: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18523] 報告
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全道停電まで緊迫の18分間 泊原発への電力供給維持に手を尽くす?
9/13(木) 19:31配信 北海道新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010003-doshin-hok

各地の病院の停電時刻。倶知安、岩内は午前3時28分


病院の自家発電装置の記録から追跡

 6日の胆振東部地震の発生直後に道内を襲った全域停電「ブラックアウト」。道内各地の病院に設置された自家発電装置の記録から、そのメカニズムの一端が明らかになってきた。前代未聞の停電はどのように発生し、どのように広がったのか。北海道電力が明らかにしない中、地震発生からブラックアウトまでの18分間を追った。(宇野沢晋一郎、長谷川裕紀)

停電前後、北海道の明暗 東京の測量会社が撮影
.

自動で負荷遮断 北本連系線がフル稼働

 6日午前3時7分 最大震度7の激震が胆振管内厚真町を襲った。

 午前3時8分 厚真町内にある道内最大の火力発電所、苫東厚真火力発電所(3基=3号機は廃止)の2号機と4号機(合計出力130万キロワット)では、高温の水蒸気を運ぶ細長いボイラー管が縦揺れに耐えきれず損傷。直後に停止し、北電は全道の電源の4割を一瞬にして失った。

 当時社員ら27人がいたが、ブラックアウトを防ぐため、手動でなく自動的に二つの作業が進んだ。

 一つが「負荷遮断」。ブラックアウトで道内の電源がゼロになると、発電機を動かすのに必要な電気もなくなり、復旧に時間がかかる。停止した電源に見合うだけの需要を一時的に切り離し、停電から回復しやすくしようとした。一瞬にして、道北、函館などの地域の多くで停電。残されたのは札幌など道央が中心だった。

 午前3時11分 二つ目の自動システム「北本連系線」がフル稼働。北海道と本州を結ぶ送電線で、どちらかの地域で需給バランスが崩れると、自動的に電気が送られる仕組みになっている。最大量である60万キロワットが本州から北海道に向けて送られ始めた。

 この時点で、道内の需給バランスは不安定ながらも、保つことができていた。
.

釧路ではいったん送電再開

 午前3時15分 同3時9分に停電した市立釧路総合病院で送電が再開された。

 午前3時17分 同じく釧路地方向けの送電網で釧路赤十字病院で電力がいったん復旧。高橋令総務係長は「自宅でもいったん電気が戻った記憶がある」。
.

午前3時25分 北電「ブラックアウト」

 午前3時25分 苫東厚真火発で唯一運転を続けていた1号機(出力35万キロワット)のボイラー管損傷が深刻化。「穴が開いており、何百度もの高温の水蒸気が噴き出し、すさまじい音だったに違いない」(東京工業大の奈良林直特任教授)と推測され、他の2基停止による電力の周波数低下にも耐えきれず自動停止した。

 1号機停止で、道内の他の発電所が連鎖的に停止。道内で電源が失われたため、本州からの送電もできなくなった。北電はこの時刻を「ブラックアウト」としている。
.


全道停電まで緊迫の18分間 泊原発への電力供給維持に手を尽くす?


泊原発の位置に注目


倶知安と岩内には午前3時28分まで電力供給

 午前3時28分 北電の発表とは異なり、後志管内倶知安町と岩内町の病院ではこの時刻まで送電が続いた。送電線の先には、泊原子力発電所(同管内泊村)があり、常に冷却が必要な使用済み核燃料が大量に置かれている。北電は冷却を維持するため、あらゆる手段で、電力供給を維持しようとしたようだ。同時刻に冷却用の非常用電源が動き始めている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010003-doshin-hok


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2段階で全道停電 一部地域切り離し、十数分しか持たず 09/13 07:24

 6日未明の胆振東部地震による停電で、北海道電力が道内全域の「ブラックアウト」を防ぐため、停電地域を自動的に道東や道北など一部に限定しようとしていたことが分かった。本州からの送電も増加したが、地震発生から18分後に全域停電したとみられる。北海道新聞が、自家発電装置を持つ主な病院23カ所の記録を集計した結果、地域内でばらつきはあるが、停電はほぼ2段階で起きていた。経済産業省は、北電の対応が適切だったのか検証を進めることになる。

 北電は、取材に対し、ブラックアウトの詳細な経緯は明らかにしていない。

 大規模病院では、停電時に自動で切り替わる自家発電装置を備え、停電発生時刻を記録する。これを各地域の目安として集計すると、地震発生(午前3時7分)直後とブラックアウト発生(同25分)前後に分かれた。北見や函館などの病院では、地震発生直後の同8分に停電した一方、札幌や旭川、苫小牧の病院の停電はブラックアウト時だった。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/227740


13. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月15日 09:49:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18550] 報告
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泊原発の再稼働が必要である 2018-09-15

 さて、今回の北海道地震及びブラックアウトを受け、相変わらず泊原発に関する意味不明な論調が飛び交っています。


 SNSの話ではありません。歴とした「新聞」もそうなのです。


 一番、分けがわからなかったのは以下の東京新聞の社説。


『<北海道地震>全道停電 集中は、もろく危うい
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018090702000170.html

 苫東厚真発電所の機能不全に始まる停電の闇が、広い北海道を覆い尽くした。電源の一極集中、過度な依存は、地震に弱い。バックアップと調整機能の強化が急がれる。大都市圏でも、なおのこと。

 一発電所のダウンが全道を覆い尽くした。復旧は始まっているものの、一時は全二百九十五万戸が光を失った。阪神大震災時を上回る。交通機関をはじめ、あらゆるインフラが機能不全に陥った。

 震源地に近い苫東厚真は、道内最大の火力発電所。三基の最大出力は合計百六十五万キロワットに及ぶ。(中略)

 大規模発電所への過度な依存を改め、再生可能エネルギーの活用を視野に発電所の配置を見直し、本州も含めた連携網、つまり需給調整の機能の強化が急務である。現に北海道電は本州からの融通で急場をしのぐという。

 かといって、原発には安易に頼るべきではない。
 苫東厚真の1号機、2号機の配管が損傷し、蒸気が漏れ出した。4号機では、タービンから出火した。地震の揺れによる損壊は、原発でも十分起こり得る。
 原発事故の影響が火力発電所の比ではないことは、3・11で明らかだ。今回の地震でも泊原発の外部電源は、震度2で喪失した。(後略)』


「今回の地震でも泊原発の外部電源は、震度2で喪失した」


 あの・・・。泊原発の外部電源が喪失したのは、苫東厚真発電所が落ちて、全道ブラックアウトになったためで、「震度2の地震」とやらは何の関係もないのですが。


原子力発電所は、停めていれば安全というわけではありません。使用済み燃料が貯蔵されたプールを冷却ポンプで冷やし続ける必要があります。


 福島第一原発は、地震では普通に自動停止しました。自動停止したとしても、ポンプは動かし続けなければなりません。


 東日本大震災の際には、東方地域の電力の多くが停まり、福島第一原発への外部電源(外から引っ張った電線で供給される電気)も止まりました。


 というわけで、ポンプを動かすには非常用発電機(大抵はディーゼル)に頼ることになります。ところが、その後の津波で非常用発電機までもがやられてしまい、事故に至ったのです。


 泊原発は停止中で、自家発電ができないため、外部から引いてきた電線から供給される電気でポンプを動かし続けていました。


 全道ブラックアウトになれば、外部電源が停まるのは当たり前でしょ。


 それにもかかわらず、東京新聞の社説は「震度2の地震で外部電源が停まった」という印象操作を行い、原発再稼働への道をふさぐ世論操作を行っているわけです。


 北海道の道民の「生命」に関わるエネルギー安全保障強化のためには、泊原発を再稼働する以外に道はない(あるというならば、教えて下さい)にも関わらず。


 しかも東京新聞は、


『電力がインフラの中のインフラであることを、今度の地震であらためて思い知らされた。
 医療機関への影響は特に深刻だ。これが、命にかかわる八月の猛暑のさなか、道外で起きていたらと思うと一層背筋が寒い。
 大都市ほど停電には弱い。電源の分散配置、連携強化が急がれるのは北海道だけではない。』


 と書いておきながら、原発は否定。代わりに何の電源を増強するべきかについては、スルー。


 この手の無責任な連中の発言力が大きく、原発が再稼働されず、電力需要が膨れ上がる冬を迎えなければならない北海道。怒りを禁じ得ません。


 ちなみに、政府が泊原発再稼働を決めた場合、「北海道の冬」にはまだ間に合います。


 2012年6月16日、野田佳彦総理大臣(当時)が大飯原発の再稼働を決定し、大飯3号機が動き始めたのが、7月5日。4号機は7月21日でした。

 以前、電力会社の中の人に聞いたところ、原発再稼働のためには「一か月」あればいいとのことでした。

 つまりは、政府が今、泊原発再稼働を決定すれば、遅くとも10月中には再稼働が可能なのです。

 それにも関わらず・・・・。


『泊原発「直ちに再稼働あり得ない」…菅官房長官
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180910-OYT1T50076.html
 菅官房長官は10日の記者会見で、北海道電力泊原子力発電所(北海道泊村)の再稼働について、「原子力規制委員会で新規制基準に基づく安全審査中なので、直ちに再稼働することはあり得ない」と否定した。
北海道地震を受け、電力需給が逼迫ひっぱくする恐れが出ているが、政府は火力発電所の再稼働や本州からの電力融通に加え、節電を呼びかけることで対応する方針だ。』


 「節電を呼びかける」

 発展途上国ですな、我が国は。

 ちなみに、泊原発がなぜ原子力規制委員会の審査をなかなかクリアできないのかといえば、
「活断層がないことを証明しろ」
 と、悪魔の証明を求められているためです。

 しかも、活断層があったところで、地震発生の確率は数万年に一度。数十年しか稼働しない原発について、数万年に一度「発生するかもしれない」地震を理由に、再稼働を認めないのです。

 さらに言えば、地震が発生したところで、耐震化が強化された311以降の原発は、事故に至る可能性は極めて低いのです。

 しつこいですが、福島第一原発の事故は「電源喪失」が理由であり、地震そのものではありません。建屋の屋上に非常用発電機を置いておけば、あの事故は起きませんでした。

 ところが、この手の主張を政治家は誰も口にせず、北海道電力に対して「手足を縛ったまま、責任を丸投げ」というわけです。

 我が国は、狂っています。


 くどいですが、わたくしは別に原発推進論者ではありません。もちろん、火力推進者でも水力推進者でも、再エネ推進者でもありません。日本のエネルギー安全保障が強化されるなれば、電源は何でもいいです。


 とはいえ、現在の北海道(日本全国がそうですが)のエネルギー安全保障を回復し、冬に「凍死者続出」などという悪夢を避けるためには、泊原発再稼働以外に道はないのです。(あるいというならば、しつこいですが「今すぐ」に使える電源を教えてくれ!)


 同じ国民である北海道の人たちが、節電の常態化という発展途上国の暮らしに叩き落されるのは耐えられないのです。冬に同じ国民が次々に凍死していく事態も、何としても回避しなければならないと考えています。

 これって、変? 普通の感覚だと思うのですが。

 ところが、日本の政治に責任を持つべき政治家は、原発再稼働という「絶対に必要なソリューション」から目をそらし続ける。

 繰り返しますが、我が国は狂っています。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12405054313.html


14. 2018年9月15日 23:43:20 : 7IsConGZXQ : kdImzkGWg@Q[3] 報告
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北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか
https://hbol.jp/174509


15. 中川隆[-13612] koaQ7Jey 2018年9月16日 20:40:36: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18598] 報告
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「北電ブラックアウト」は人災だったと言えるこれだけの理由
そろそろ民主党時代の呪いを振り払おう
川口 マーン 惠美
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57521


北海道で台風、地震の被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風による被害が収束しないうちにやってきた大地震。北海道は、台風や地震とはそれほど縁のない土地だ。だから地震のショックはもとより、余震の中での電気のない生活はどれほど辛かったか想像に余りある。

電気は貯められない。しかも、多すぎても少なすぎても停電になるので、常に需要に供給量を合わせていかなければならない。読売オンラインは、「電力会社は、発電する量と消費する量がおおむね一致するように調整している」とサラッと書き流していたが、それがどれだけ難しいことか。

電気需要は、まず、季節によって大きく変動するし、寒波や猛暑、高気圧の居座りなど、中期的変動もある。平日と週末でも変わる。1日の中でも、巨大ビルが目覚め、工場が稼働し始めると、それに合わせて各発電所が出力を上げていく。W杯やオリンピックの自国戦があれば、休日や夜間でも、突然、電気の需要はコブのように盛り上がる。さらに昨今は、そこにお天気まかせの再エネが入ってくるので、調整はさらに複雑になった。


今回のブラックアウトは、地震発生当時、全電力需要の半分を発電していた苫東厚真火力が停止してしまったので、他の発電所も発電機の故障を防ぐため、次々に自動停止して起こった。電力会社の社員は、停電をさせてはならないというDNAを持っているので、その瞬間から寝ずの復旧作業が始まった。他の電力会社からも救援のため、同じDNAを持った人たちが発電車両を駆って北海道に向かった。

ブラックアウトの原因

需要と供給を合わせるのが難しいと書いたが、今では多くをコンピューターがやってくれる。しかし、ブラックアウトが起こったあと、一つ一つ発電所を復活させていくのは、誰も経験したことのない、まさに未知の領域だ。

今まで知らなかったが、一度止まってしまった発電機を稼働させるには、種火となる電気が要るそうだ。ところが、今回は北海道全体が停電していた。そんな場合、電気なしに発電を再開できるのは、水力しかない。だから北電では、水力発電所で作った電気を、まさに貴重な火種として、まず、砂川火力発電所を立ち上げた。

ただ、送電したその瞬間にどれぐらいの需要があるかは、やってみなければわからない。家で心細い思いをしていた人々は、冷蔵庫がブーンと唸り出したのを聞いて、「わー、電気、付いた、付いた!」と喜べば済むが、そこで需要と供給のバランスが大きく食い違ったら、また、自動停止となり、元の木阿弥だ。

そこで、一定の範囲に限って慎重に送電し、バランスが上手く取れたとわかったら、発電量と送電の範囲を少しずつ広げていく。針の穴を通すような、緊張の時間だったに違いない。こうして、あの広い北海道で、8日の夜には、ほぼ全域で電気が回復した。まさに神業だった。

なのに、巷には、その北電を非難する声がある。ブラックアウトが起こったのは、北電が、発電を苫東厚真の火力に一極集中していたのが悪いそうだ。

苫東厚真の一極集中は当たっている。それがブラックアウトの直接の原因であったことも確かだ。しかし、北電がそれを望んでやっていたかというと、そうではない。泊原発を動かせないから、一局集中してしまったのだ。

東日本大震災の前、泊原発は北海道の電気の44%を担っていた。それが停止したら、当然、電気が逼迫する。だからといって、火力発電所をすぐに新設できるわけはない。仕方なしに、廃止するはずの老朽火力まで動員して、この6年間、必死でやりくりしてきた。老朽火力はトラブルが多いのに、よくもまあ、今まで大停電も起こさずに頑張ってきたものだと思う。

泊原発は東日本大震災の影響を受けなかったので、福島原発の事故の後も、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、日本で最後まで頑張った原発だ。それ以来、再稼働を目指し、新規制基準に対応するよう鋭意努力を続けてきた。現在の日本の原発の安全基準は、世界一厳しい。何が起こっても大丈夫なようにと、電源、ポンプ、燃料、水は、これでもかというほど、何重にも確保した。

地震対策も万全だ。泊原発の最大加速度については、今のところ620ガルに耐えられるようにと、必要な補強工事が進められている(ガルというのは、物理学における揺れの激しさを示す単位)。

ちなみに、東日本大震災のときの福島第一原発では最大で550ガルの揺れ。先週の地震の泊の揺れは、1号機、2号機、3号機が、6ガル、および7ガルだった。原子炉建屋など重要な建物は、強固な岩盤に直接くっつけて建設してあるので、泊原発はほとんど揺れなかったと言ってよい。


この原発が稼働していれば、苫東の一極集中もなかったし、ブラックアウトも起こらなかっただろう。

泊原発の再稼働が認可されない理由

ところが、とんでもないデマが飛び交っている。

朝日新聞系列のAERAdot.の9日付の記事では、「2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても『絶対に電源を切らさないこと』だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか」と書く。タイトルは、「震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発『経産省と北電の災害対策はお粗末』地震学者」。

繰り返すようだが、泊の原子力発電所は6年間動いていない。3基ある原発には、使用済みとこれから使う燃料棒を保管してある水槽がある。圧力容器ではなく、普通の水槽だ。ここが停電になっても、突然、水が沸騰し、蒸発し、むき出しになった核燃料が爆発の危険に晒されるというようなものでは決してない。

普段、核燃棒の冷却には普通の電気が使われている。ところが、北海道全土が停電になってしまったので、当然、電気が来なくなった。僭越ながら、外部電源喪失というのは停電のことだ。

だから、燃料棒の冷却のため、予備の非常電源を使った。そのどこに問題があるのか? 私は理系の人間ではないが、それでも、福島第一や第二の電源喪失と、泊のそれの違いぐらいはわかる。

ところが、太田某という女性弁護士は、この記事を読んで、「震度2で電源喪失寸前ってどれだけ危ういのか。お粗末という言葉でも足りない。原発持てる国土じゃないって認めようよ」と発信しているので、わからない人もいるらしい。日本が原発を持てる国じゃなければ、どの国が持てるのだろう?

これだけ厳重に安全対策が敷かれている泊原発の再稼働が未だに認可されない理由は、原発の近隣の海岸の地形が、新潟の佐渡島の小木半島、および青森県大戸瀬周辺に似ているからだというのである。この両者は、地震の隆起でできた地形であり、泊も似ているから、ひょっとすると原発の近辺、あるいは真下に活断層があるかもしれないというのが、原子力規制委員会の見解。

発電所敷地内の断層については、北電が念入りに調査したが、いずれも後期更新世(12万6000年前から1万1700万年前まで)以降の活動は認められていない。しかし、原子力規制委員会は2017年3月、北電の提出したデータを認めなかった。規制委というのは、原発を稼働させないことが自分たちの使命だと固く信じている人たちの集まりだ。


資源貧国の生きる道

規制委の不思議な生い立ちを、東京工業大学先導原子力研究所助教授の澤田哲生氏が下記のように説明する。

「規制委は(略)強大な権限を持つ『3条委員会』(府省の大臣などからの指揮や監督を受けず、独立して権限を行使することができる機関・著者注)として発足した。(略)そのことを菅氏は2013年4月30日付の北海道新聞に臆面もなく吐露している。(略)『トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです』」(『北海道地震、未曾有の大停電は菅直人にも責任がある』iRONNA9月7日付)

規制委が菅直人の負の遺産と言われる所以だ。


北電の発表では、泊発電所の安全対策工事費の総額見通しは、「2000億円台半ば程度」。これだけしても、規制委がある限り、いつ再稼働できるやらさっぱりわからない。

ただ、幸いなことに、福島第一の事故以前から、つまり、泊が稼働していた時から、北電は石狩湾新港発電所の新設計画を進めていた。完成予定は来年の3月。

元々は、老朽化した石炭火力を止めて、CO2排出の比較的少ないLNG(液化天然ガス)で置き換えるつもりだったが、いまのところ、老朽火力の廃止はあり得ない。そんなことをしたら、たちまち電気が足りなくなる。

私は、今回のブラックアウトは人災だったと思っている。現在の北海道の状態は、元気な主力選手をベンチに引っ込めて、二流選手に発破をかけ、人数が足りないのでとっくに引退した選手まで引っ張り出し、挙げ句の果てに、試合に負けたからと叱責しているようなものだ。

日本のように資源貧国が原子力を使わなければ、徒らに国力を弱める。日本が戦後、平和で、しかも豊かな国になれたのは、決して偶然ではない。その貴重な宝物を、私たちが壊してしまっては、先人にも子孫にも申し訳が立たない。原子力規制委は、一刻も早く菅直人氏の呪いを振り切り、国民の生活を守るためにも、安全な原発の再稼働に踏み切ってほしいと願う。


16. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2018年9月17日 09:06:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18604] 報告
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続 泊原発の再稼働が必要である 2018-09-17

 さて、改めて北海道の電力需要のピークは516万kwです(12月)。


 北海道電力は、苫東東が復旧しない中、とにかく電源をかき集め、350万kwは確保。何とか厳冬期までに苫東東を復活させ、550万kwを確保する計画になっています。


 もっとも、上記は老朽化した火力発電が故障しないという前提になっており、十分な電力を確保できるかどうかは「不明」です。


 経産省は、
「10月以降は電力需給が正常化する」
 としていますが、大規模な発電所の故障がないこと、及び気候が前年並みであることが前提です。つまりは「お天気様次第」なのです。


 この状況で、かたくなに泊原発を再稼働しない日本国。泊原発の再稼働について、一切、発言をしようとしない政治家たち。


 我が国は、もはや国家の体をなしていません。


『「北電ブラックアウト」は人災だったと言えるこれだけの理由 そろそろ民主党時代の呪いを振り払おう
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57521  

 北海道で台風、地震の被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

 台風による被害が収束しないうちにやってきた大地震。北海道は、台風や地震とはそれほど縁のない土地だ。だから地震のショックはもとより、余震の中での電気のない生活はどれほど辛かったか想像に余りある。

 電気は貯められない。しかも、多すぎても少なすぎても停電になるので、常に需要に供給量を合わせていかなければならない。読売オンラインは、「電力会社は、発電する量と消費する量がおおむね一致するように調整している」とサラッと書き流していたが、それがどれだけ難しいことか。

 電気需要は、まず、季節によって大きく変動するし、寒波や猛暑、高気圧の居座りなど、中期的変動もある。平日と週末でも変わる。1日の中でも、巨大ビルが目覚め、工場が稼働し始めると、それに合わせて各発電所が出力を上げていく。W杯やオリンピックの自国戦があれば、休日や夜間でも、突然、電気の需要はコブのように盛り上がる。さらに昨今は、そこにお天気まかせの再エネが入ってくるので、調整はさらに複雑になった。

 今回のブラックアウトは、地震発生当時、全電力需要の半分を発電していた苫東厚真火力が停止してしまったので、他の発電所も発電機の故障を防ぐため、次々に自動停止して起こった。電力会社の社員は、停電をさせてはならないというDNAを持っているので、その瞬間から寝ずの復旧作業が始まった。他の電力会社からも救援のため、同じDNAを持った人たちが発電車両を駆って北海道に向かった。(中略)

 なのに、巷には、その北電を非難する声がある。ブラックアウトが起こったのは、北電が、発電を苫東厚真の火力に一極集中していたのが悪いそうだ。

 苫東厚真の一極集中は当たっている。それがブラックアウトの直接の原因であったことも確かだ。しかし、北電がそれを望んでやっていたかというと、そうではない。泊原発を動かせないから、一局集中してしまったのだ。

 東日本大震災の前、泊原発は北海道の電気の44%を担っていた。それが停止したら、当然、電気が逼迫する。だからといって、火力発電所をすぐに新設できるわけはない。仕方なしに、廃止するはずの老朽火力まで動員して、この6年間、必死でやりくりしてきた。老朽火力はトラブルが多いのに、よくもまあ、今まで大停電も起こさずに頑張ってきたものだと思う。

 泊原発は東日本大震災の影響を受けなかったので、福島原発の事故の後も、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、日本で最後まで頑張った原発だ。それ以来、再稼働を目指し、新規制基準に対応するよう鋭意努力を続けてきた。現在の日本の原発の安全基準は、世界一厳しい。何が起こっても大丈夫なようにと、電源、ポンプ、燃料、水は、これでもかというほど、何重にも確保した。

 地震対策も万全だ。泊原発の最大加速度については、今のところ620ガルに耐えられるようにと、必要な補強工事が進められている(ガルというのは、物理学における揺れの激しさを示す単位)。

 ちなみに、東日本大震災のときの福島第一原発では最大で550ガルの揺れ。先週の地震の泊の揺れは、1号機、2号機、3号機が、6ガル、および7ガルだった。原子炉建屋など重要な建物は、強固な岩盤に直接くっつけて建設してあるので、泊原発はほとんど揺れなかったと言ってよい。

 この原発が稼働していれば、苫東の一極集中もなかったし、ブラックアウトも起こらなかっただろう。(後略)』


 川口先生は、後略部で先日のエントリーでも取り上げた、
「泊原発の外部電源が落ちた(ブラックアウトなのだから当たり前)ことを受け、非常用電源が稼働したことを「批判」し、原発再稼働を妨害しようとする論調」
 について、「とんでもないデマ」と、猛烈に批判しています。


 くどいですが、泊原発の外部電源が落ちたのは、北海道全域で停電したためで、震度2の地震とやらは何の関係もありません。


 それにも関わらず、
「わずか震度2の地震で、外部電源が落ちた!」
 と、騒ぎ立て、原発に対する信頼性を貶め、再稼働を防ごうとしているわけです。


 川口先生も引用されていましたが、AERAdotは9月6日の記事、


「震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者」


 と、信じがたい見出しの記事を配信しました。


 記事中で、AERAは、

『なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。』

 と、書いています。


 いやいや、全道ブラックアウトが起き、泊原発の外部電源が失われなければ、そちらの方が驚きです。というか、魔法が必要です。


 とはいえ、多くの国民は「外部電源」の意味を理解していないため、メディアが「震度2で外部電源が失われた」と、やられると、普通に「やっぱり原発は安全じゃないんだ」という印象操作をされます。


 この種の川口先生風に言うと「デマ」、わたくしに言わせれば「これはもはや『テロ』と呼ぶべきでは」と考えてしまう印象操作により、北海道の住民の方々は「節電生活」「停電時の凍死」という、発展途上国並のリスクを押し付けられているわけです。


 くどいですが、わたくしは原発推進論者ではないので、泊原発再稼働無しで「今すぐ」に北海道の電力の安定供給が可能な方法があるならば、それでもいいと思います。


 でもね、そんなものはないんだよ。


 しかも、「震度2で電源喪失!」といったデマ、テロリズムを叫ぶ連中が後を絶たず、「たった一つの解決策」の道が封じられる。


 これが、日本の現実です。


 改めて断言します。日本政府は、政治的に泊原発の再稼働を決断しなければなりません。北海道の「同じ国民」を守る気があるならば。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12405511094.html


17. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2018年9月17日 17:46:18: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18610] 報告
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余震も停電もまだある北海道で「今、ストーブが足りない」という大問題
9/17(月) 10:00配信 現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180917-00057564-gendaibiz-bus_all


 北海道・札幌市出身のライター、梅津有希子さんは、9月6日の震災後1週間して、一人暮らしをする母のために帰省をした。その一番の理由は、1年のうち半分必要だというストーブの確保のためだったという――。

 9月6日未明に起きた、最大震度7を記録した北海道胆振東部地震。厚真町を中心に甚大な被害となったが、その後の北海道内全域約295万戸にわたる大停電が、道民の防災意識をガラリと変えたといっていいだろう。過去にも北海道南西沖地震や十勝沖地震などの大きな地震はあったが、道内全域の停電は、1951年の北海道電力創設以来初だという。

 今回の大規模停電の復旧タイミングは地域によってかなり差があり、「復旧まで少なくとも1週間」という情報も流れるなど、道民の不安は募る一方だった。結局、筆者の札幌の実家は地震発生3日目の夜に復旧したが、道内でも最後のほうだった。

 北海道から出たことがなく、これまで大きな災害経験のないひとり暮らしの母は、「札幌で震災は起こらないだろう」と思い込んでおり、防災の備えはゼロ。食べ物と飲み物は問題なかったが、今回の停電でも「家の電話がつながらない」「携帯の充電が切れた」「車で充電しようにも、電動シャッターが開かず車が出せない」「水は出るが電動のトイレが流せない」「テレビもラジオもチェックできない」と、とにかく何もできない。「これは一緒に災害対策をせねば」と、様子が落ち着いてきた1週間後、札幌に帰省したのだ。
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余震も停電もまだある北海道で「今、ストーブが足りない」という大問題


空っぽになったホームセンターのストーブ棚。9月9日現在品切れとあったが、これは9月14日の写真だ 撮影/梅津有希子


もしも真冬にこの大停電が起きたら

 わが家と同じような家族はたくさんいたようで、家電量販店やホームセンターはどこも大盛況。各店の棚から一斉に姿を消したのが、ポータブル式の石油ストーブだ。
真っ暗ななか、携帯やスマホの充電も切れ、情報もなかなか入手できず、いつ通電するかもまったくわからない……。

 「もしもこの大停電が真冬に起きたら」と、誰もが考えたことだろう。今回は半袖の季節でまだよかったが、厳寒期に停電すると、凍死する人も出てくるかもしれない。暖房の対策が急務だ。

 現在、北国の暖房は「FF式」と呼ばれる石油ストーブが主流だ。FFとは、「Forced Flue(強制通気)」の略で、ファンで強制的に給排気を行う暖房のこと。換気の必要がなく、部屋の空気が汚れないことが利点で、気温の低い真冬でも素早く部屋を温めてくれる。FF式でなければ寒さはしのげないといっても過言ではないくらい、北国の冬には欠くことのできないパワフルな暖房器具だ。

 ところが、このFF式をはじめとする石油ストーブは、電気がないと使うことができないため、停電時は一発アウト。このため、乾電池で動くポータブルタイプの石油ストーブに道民が殺到し、一瞬で棚から消えたのだ。

 いくつかのホームセンターと家電量販店に問い合わせてみたところ、「入荷の予定はあるが、いつ入るかは未定」とのこと。入荷してもすぐに売れてしまうといい、「欲しい時にストーブが買えない」という状況もまた、今回の停電同様、北海道の歴史で前代未聞のことではないだろうか。

 FF式が主流の今、ポータブルタイプはあまり需要がない。とある家電量販店のスタッフは、「昨日入荷した10台がすぐに売り切れた」と驚き、「例年ポータブルは大して売れず、こんなことは初めて。しばらくこればかり売る日が続きそうです」と、忙しそうにメーカーに在庫を確認していた。


札幌では9月から4月までが「ストーブ期」

 冬の長い北海道は、半年以上ストーブの世話になる。地域や住宅環境によっての差もあるが、札幌の実家(一軒家)の場合だと、9月下旬から4月上旬まではほぼ毎日使い、気温によっては6月まで使うこともよくある。

 子どもの頃、道内でも寒さの厳しい芦別市で木造の古い家に住んでいたことがあるが、朝起きると部屋の中で吐く息が白く、布団の端が凍っていた。このような実体験があるため、「ストーブが消えていても、布団をかぶっていれば死ぬことはないらしい」、ということは経験的に理解している。

 実家には現在5台のFF式ストーブがあるが、真冬に今回のような停電が起きたら1台も使えない。布団をかぶっていれば死なないであろうとはいえ、電池で動くストーブが1台はあったほうが安心だとすぐにホームセンターに向かったが、棚はもぬけの殻だった。皆考えることは同じなのだ。

 それでは、筆者の住んでいる東京に戻ってから購入して送ろうと、東京の家電量販店に問い合わせてみたところ、「ストーブはまだ並んでいません」との返答が。そうだ、札幌にいてうっかり忘れていたが、東京はまだ夏の終わりのような気候だった。そして、震災で宅配便もストップしてしまったため、送るに送れない。ネットショッピングも同様だ(9月15日現在は、一部地域を除きほぼ通常通りの配送)。
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真冬の震災に備えて用意するべきもの

 ストーブが入手できないならば、真冬の震災に備えて何を用意すればいいか。まずはカセットコンロとカセットガスだろう。火が使えれば、お湯も沸かせるし暖も取れる。温かいものを口にできるだけでも、精神的にまったく違うだろう。

 とりあえず、暖房が使えなくても家の中にいれば風と雪をしのぐことができるので、ダウンジャケットを着てカイロを使えば大丈夫だろう。アウトドア用のダウンパンツもはけば、足腰も温まりさらに安心だ。

 今回は、とりあえずはカセットガスとカイロを多めに購入しつつ、札幌滞在中、毎日家電量販店にストーブの入荷を確認していたところ、「昨日入荷して、今なら3台あります」といわれ、すぐに車で向かったのだが、早くも残り1台! 無事入手することができて、まずはひと安心だ。今回の札幌でのミッションを終えた気分である。

 多くの道民たちが慌て、防災への意識を高めた今回の大停電。筆者も2011年に揃えた防災グッズを見直し、スマホの充電環境を改めて整えようと思わせられた出来事となった。


18. 中川隆[-13565] koaQ7Jey 2018年9月20日 11:28:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18667] 報告
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2018年9月20日【小浜逸郎】泊原発を再稼働すべき理由

北海道胆振東部地震から二週間経ちました。
ライフラインはだいぶ復旧してきたようです。
でも依然として断水が続いている地域があり
ます。
しかし、北海道最大の火力発電所である苫東
厚真発電所の復旧は意外に早く、すでに一部
の供給は始まろうとしています(このメルマ
ガがお手元に届くころは、もう供給されてい
る可能性が高いですね)。
そういえば、関空の復旧もハイスピードで進
んでいますね。
このあたりの日本の技術者、作業員の協力体
制はさすが、まだまだ捨てたもんじゃないな
と思いました。

それはいいのですが、問題は、ハード面に関
するこれからの対応です。

このたびの地震によって生じた全道ブラック
アウトの問題を考えてみましょう。

筆者は、泊原発をすぐにでも再稼働すべきだ
と考えています。
これは、政府が決断しさえすれば、一か月で
こぎつけることができます。

以下に、再稼働すべき理由を述べます。
これは、単純な数字の問題なのです。

苫東厚真の最大出力は165万kW。
地震時(9月6日)、の全道の電力需要は380
万kW。
苫東厚真が担っていた電力は全道の総電力需
要の半分以下でした。
しかし、苫東厚真が損傷を起こしただけで、
全道295万戸が停電してしまいました。
それには、二つの原因があります。
第一に、このような大幅な供給バランスの崩
れによって、他の発電所からの送電の周波数
を一定に保つことができなかったこと。
第二に、もともと北海道電力は、一部の電力
を本州からの供給に頼っていた(はずでした)。
これが機能しなかったのですね。
この本州からの供給を北本連携線といいます。

海底ケーブルのように長距離で絶縁が重要な
ポイントになる送電では、直流が有利ですか
ら、本州から北海道に送電されてくる電機は
直流です。
家庭での電機は交流ですね。
これは発電所から家庭に至るまでに、交流だ
と変圧が容易だからです。
すると北本連携線では、直流を交流に変換し
なくてはなりません。
ところが今回の場合、この変換がうまく行き
ませんでした。

しかし、この北本連携線が仮にうまく作動し
たとしてもその最大出力はわずか60万kW。
ということは、仮に第一の周波数の問題がな
く、かつ第二の北本連携線をうまく利用でき
た場合でも、
380−165+60=275(万kW)
しか確保できなかった計算になります。
残りの105万kWは、不足したわけです。
部分的な停電は避けられなかったでしょう。

ちなみに苫東厚真発電所は、初稼働以来33
年以上を経ていて、かなり老朽化しています。
さらに、不足分を慌てて補った五つの発電所
の年齢はこれよりも古く、38歳から48歳で
す。
一般に火力発電の耐用年数は40年とされて
います。
最大の危機に対応すべく、青息吐息のお年寄
りに頑張ってもらったわけですね。

こんな状態を続けていていいのでしょうか。
何か肝心なことを忘れていませんか。

今回、テレビのニュースを見ていて、初めの
うち、政府筋から原発の「ゲ」の字も出ない
のに驚きました。
10日になってようやく政府見解が出ましたが、
何と泊原発の再稼働は「考えていない」とい
うものでした。
常識的に考えて、こんな大緊急時には、政府
は直ちに泊原発再稼働の議論を開始すべきで
しょう。
原子力規制委員会の審査などを待っている場
合ではありません。

その審査とは、例によって、数十万年前の活
断層の安全性を確かめるという悠長極まるも
のです。
活断層の存在が地震に結びつくかどうかは、
個々の場合で異なります。
ふつう数千年から数万年規模のサイクルで地
震が起きるとして、たとえば5000年周期の
活断層で、2000年前に地震が起きたとした
ら、あと3000年は大丈夫ということになり
ます。
いずれにしても、100年単位くらいの精密さ
で活断層地震の発生確率を計算することはき
わめて困難だということになります。

しかし、もし今回のような地震によるブラッ
クアウトが厳冬の北海道で起きていたら、寒
さのために何人の人が凍死するでしょうか。
ライフラインも途絶え、物流も滞り、道内の
産業は停止し、回復に何か月もかかり、その
間に餓死する人も出るかもしれません。
これらの確率の方がずっと高いことは確実で
す。

冬期の北海道の電力需要は約500万kW超。
今回、青息吐息の老兵たちをかき集めること
と、北本連携線の修復と、相当無理をした節
電によって、ようやく380万kWの需要の9
割を確保したのです。
しかしこんな状況では、とうてい冬の電力需
要を満たすことはできないでしょう。

泊原発の総出力は、207万kW。
苫東厚真が全面回復すれば(11月までには可
能とされています)、苫東厚真プラス泊で、
165+207=342(万kW)
ですから、残り160万kWを他の発電で確保
すればよいことになります。
しかも泊の年齢は1号機29歳、2号機27歳、
4号機9歳です。
若い彼らに頑張ってもらえば、楽々厳しい冬
場をしのげるでしょう。

ちなみに原発の耐用年数は、国際的にも法的
な基準がありませんが、原発を最も活用して
いるフランスでは40年を目途にしようとい
う動きが有力です。

泊原発ではまた(どこの原発でも事情はだい
たい同じですが)、福島事故の教訓を活かして、
16.5メートルの防潮堤、建屋への水の浸入を
防ぐ水密扉、免震重要棟、フィルター付きベ
ントなどの設置・建設をすでに終えています。
できる限りの備えがすでにできているのです。

反原発派は何を言っても100%の安心を求め
ますが、そんなことは神でもない限り不可能
です。
交通事故で毎年4000人以上の人が死ぬのに、
車をなくせという声が盛り上がらないのは、
車の効用が大多数の人に受け入れられている
ためと、交通事故を可能な限り少なくする努
力が現に多方面で行われているためです。
文明の利器にはリスクがつきものですが、私
たちは、便利さや快適さの度合いとリスクの
大きさとを、広い視野と正しい情報をたより
にしながら、常に天秤にかけて生きていくほ
かはないのです。

本当は、北海道電力は、もっと発電設備を増
やさないと危ないのです。
泊も含めた北海道の総発電設備による出力は、
一応780万kWありますが、泊はまったく稼
働していませんから、それ以外の発電所の出
力は、フル稼働して573万kW。
設備利用率は、ここ数年、ピーク時で9割に
達しています。
8%以上は余剰電力としてキープしておくの
がこの業界の常識ですから、
573×(1.00−0.08)=527
となって、ぎりぎりなわけです。

電力は私たちの生活と産業の源です。
悲惨な結果がこれ以上広がらないように、
政府はもっとエネルギー行政にお金をかけ、
知恵をはたらかせなくてはなりません。
https://38news.jp/economy/12419


19. 中川隆[-13580] koaQ7Jey 2018年9月21日 14:22:44: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18736] 報告
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北海道電力、債務超過危機で国有化説も…値上げ連発と全域停電で「道民離れ」加速
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24847.html
2018.09.21 文=編集部 Business Journal

 苫東厚真発電所(「Wikipedia」より)


 9月6日午前3時8分、北海道胆振地方を震源とする震度7の地震が発生した。発生直後、震源地近くにあった北海道電力最大の火力である苫東厚真発電所(厚真町)の1、2、4号機がすべて停止。供給力の4割強が一気に喪失。北海道全域で電力が止まる“ブラックアウト”が起き、道内全世帯に当たる295万戸が一斉に停電した。

 ブラックアウトの発生は、戦後の9電力体制(現在は沖縄電力を含めて10電力)がスタートして以来、初めてのことだ。

 同日午前8時15分、世耕弘成経済産業相は「数時間以内に電力復旧のめどを立てるよう北電に指示した」と説明した。世耕氏の発言を受けて北電の真弓明彦社長は6日昼すぎ、「全道の電力の復旧には1週間以上かかる。すべての電源が落ちるリスクは低いと考えていた」と述べた。

 ところが、同日午前、苫東厚真の4号機のタービン付近から出火。この火災により苫東厚真の完全復旧は11月以降にずれ込むことになった。

「『北電は意思決定が遅く、説明責任の意識が低い』。北電の対応にいらだちを募らせる経産省は、徐々に前面に出ていく。電気をたくさん使う企業への節電要請や計画停電の準備は、経産省が主導した」(9月13日付朝日新聞)

 北電は事実上、経産省の管理下に置かれたことになる。世耕氏が北電のスポークスマンであり、真弓社長ら役員たちに指示する北電の最高権力者のようだと話題になった。

 世耕氏は電力不足を解消するため、早い段階から計画停電に言及していた。計画停電とは、事前に用途、日時、地域などを定めて、電力の供給を一時停止することだ。しかし、計画停電は企業や家庭にかかる負担が大きい。工場など生産現場の実態を知らない官僚の机上の空論で、企業を殺す“劇薬”との批判が強い。

 北電は19日、苫東厚真発電所1号機が再稼働したと発表。これを受けて、電力需要を1割削減するための節電要請は解除された。

■債務超過転落の危機が再来

 北海道全域で停電するブラックアウトをもたらした原因は、苫東厚真発電所への一極集中にあると指摘されている。だが、元をたどれば、かつてピーク時の電力需要の4割超を賄っていた泊原子力発電所(泊村)へとたどり着く。2011年の東日本大震災後、泊原発は安全性の審査が進まず、12年以降動いていない。

 原発依存度が高かった北電は、経営危機に陥った。原発の稼働停止により、火力発電所の燃料費や他社からの電力購入費が急増。14年3月期の連結最終損益は629億円の赤字(前期は1328億円の赤字)と、3期連続の赤字になった。純資産は1467億円まで減り、自己資本比率は7.58%へと低下した。

 15年3月期以降も赤字が続けば、純資産が底をつき、負債が資産を上回る債務超過になってしまう。経営破綻は時間の問題となった。

 そこでこの時、政府が救済に乗り出した。北電は14年7月、政府系金融機関である日本政策投資銀行を割当先として、議決権のない優先株を発行して500億円を調達した。さらに同年11月、経産省は北電の電力料金の再値上げを認めた。率にして15.33%だ。北電は13年9月に7.73%値上げしたばかりだった。

 政府の救済策によって、北電の15年3月期の連結最終損益はかろうじて29億円の黒字に転換。自己資本比率は9.81%に上昇。債務超過の危機をひとまず切り抜けた。

 だが、副作用は大きかった。2度にわたる電気料金の値上げで、北海道の電気料金は全国でも最高水準となった。電気料金の高い負担を嫌った顧客は、比較的安価な新電力へと流れた。

18年3月期の電力10社の決算によると、電力販売量は北陸電力を除く9社で減少した。減少率は2.1%減。新電力に流れたからだ。

 もっとも減少率が大きかったのは北電の7.5%減。家庭用の低圧電力が5.2%減少したほか、工場やオフィス向けの高圧・特別高圧が9.7%減と大きく減った。電気代がコストのなかで大きなウェイトを占める小売業で、北電から新電力に切り替える動きが加速した。報道によると、コープさっぽろやセブン-イレブン・ジャパンが道内の大半の店舗で新電力に変更したという。

 北電の年間販売電力量248億キロワット時は、北陸電力や四国電力に水を開けられ全国9位。下位には沖縄電力しかいない。

 道内全域で停電したことで、北電離れが一段と加速するのは必至。期初に、19年3月期の販売電力量は18年3月期より6.5%減ると見込んでいたが、この程度の落ち込みでは済みそうにない。

 地震に伴う復興費用がどれほどかかるかは公表していないが、北電の経営が火の車になることは必定だ。北電の18年6月末時点の純資産は2195億円、自己資本比率は11.0%。復旧費用が膨らめば、この程度の純資産は、すぐに吹き飛んでしまう。

 再び、債務超過転落の危機が迫ってきた。前回のような政投銀による優先株の引き受けや電力料金の大幅な値上げという弥縫策では乗り切れないだろう。

 戦後の電力業界史上、最悪・最低のブラックアウトを起こした北電に再建策はあるのか。北電を一時、国有化して、抜本的な改革を図るしかないとの見方も流れる。

 政府=経産省が北電の再建策の切り札としているのが、泊原発の再稼働だ。原発を1基稼働させれば年間1000億円のコスト削減になるとみられる。だが、再稼働には反発も強い。

 北電の救済策は、国有化と泊原発再稼働を軸に進む可能性が高い。


20. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2018年9月24日 14:20:52: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18799] 報告
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北海道地震で工場停電  生乳廃棄悔しい 電力、乳業なぜ停止 危機管理体制再考を
9/24(月) 7:03配信 日本農業新聞


スラリータンクへつながる排水口を見つめる西川さん。2日分の生乳を廃棄した(北海道大樹町で)


 北海道地震による大規模停電で生乳廃棄を余儀なくされた全道の酪農家から、乳業メーカーや電力会社に対して、危機管理体制の見直しを求める声が高まっている。酪農家は停電に備え用意していた発電機を使って、搾乳・冷蔵したにもかかわらず、自家発電装置を持たない乳業工場が相次ぎ操業を停止し、生乳を出荷できなかった。農家からは「廃棄は人災」と憤る声も上がる。(川崎勇、大山知香)

 「停電に備えて発電機を準備してきた。生乳を出荷できたのに、本当に腹立たしい。残念だ」

 北海道大樹町で乳牛約1100頭を飼う日昭牧場の西川久雄理事は、6日未明の停電後50時間ほど、8日朝まで軽油を300リットル以上費やして自家発電機を稼働。通常通り1日2回の搾乳を続けた。2日分の生乳約36トンを泣く泣く廃棄した。同牧場は、2013年に発電機を設置。16年には停電時でも牛舎や搾乳設備の電力を確保しようと、約500万円をかけ大型発電機に更新していた。それだけに、悔しさが募る。所属するJA大樹町では、組合員78戸のうち7割が発電機を導入。隣接する広尾町のJAひろおも71戸の8割以上で設置していた。

 同町で乳牛630頭を飼う角倉光記さん(65)も、停電時は自家発電機で通常通り搾乳したが、10トン以上を廃棄した。角倉さんは「酪農家だけでは供給責任を果たせない。危機管理体制を改めて考え直すべきだ」と語気を強める。道によると、6〜10の5日間で全道の生乳廃棄による被害額は21億円ほどに上る。

 北海道電力への要望も相次ぐ。別海町の60代の酪農家は、乳業メーカーの対応も含め「今回の生乳廃棄は人災と言っても過言でない。電力の安定供給に向けて対策を進めるべきだ」と憤りを訴える。北海道農業団体災害対策本部は、同電力に対し電力の安定供給に関する要請を実施。万全な発電・通電体制の構築や再発防止などを求める。

 農水省によると、北海道内にある日量処理量が2トン以上となる乳業工場39カ所のうち、37カ所が大規模停電時に工場を稼働するための自家発電設備を持っていなかった。9割超の工場が操業を一時的に停止し、酪農家が出荷できなくなる事態に陥った。業界の大規模災害時の危機管理のあり方が問われた形だ。

 自家発電設備の導入が進まない背景に巨額の費用負担がある。工場の規模によるが、生産ラインを長い時間稼働させる自家発電設備は「高いもので10億円単位になる」(乳業関係者)。定期的な保守点検費用も大きな負担になる。

 地震発生直後も生産ラインを稼働できたのはよつ葉乳業の2工場だけ。自家発電設備を導入していたためだ。しかし多くの工場は、クーラーステーションなど周辺施設用に限定した自家発電設備にとどまっているのが実態だ。「落雷などの数時間の停電は想定できるが、これだけの大規模の災害には備えていなかった」(乳業関係者)と明かす。

 今回の被害を受け、対応を検討するメーカーもある。Jミルクは「いかに安定したサプライチェーンにしていくかが大きな課題だ」と話す。


21. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2018年9月24日 14:22:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18799] 報告
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北海道地震1週間 乳房炎多発 死亡牛も 回復兆候見せず地域経済に打撃 標茶、別海町
2018年09月13日


体力を消耗し、横たわる牛を見つめる宍戸さん(12日、北海道標茶町で=富永健太郎写す)


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 最大震度7を観測した北海道地震は13日で発生から1週間。全道が一時停電したことで、酪農家が深刻な事態に陥っている。停電により満足に搾乳できず、乳量・乳質低下の要因となる乳房炎が多発。淘汰(とうた)された牛や、死亡した牛も発生している。酪農専業地帯では、地域経済への影響が懸念されている。(川崎勇)

 「助けを求めるように牛が鳴いていた。乳房炎も多発し、とにかくかわいそうだ」

 標茶町で搾乳牛300頭を飼う宍戸豊さん(56)は力なく話す。6日の停電以降、7日夜に発電機を借りて設備を動かし、2日ぶりに搾乳した。だが、出荷できずに、これまでに廃棄した生乳は30トン以上。その間地下水をくみ上げていたポンプも使えず、水の確保にも奔走した。その後停電は解消した。「牛の病気は大丈夫だろうか」。不安は的中した。

 搾乳できないことによる乳房炎が50頭ほど発生。死亡した牛も出ている。1日7トン搾っていた乳量は停電前の6、7割に落ち込んだ。体力を消耗し、牛は今も牛床でへたり込む。地震発生から1週間がたとうとしているが、牛の状態は回復の兆候を見せない。

 乳房炎は時間を空けて発症する場合も多く、今後も気が抜けない。一般的に治療に1週間から10日間ほど要し、その間生乳は出荷できない。回復しても最悪の場合、元の乳量に戻らないケースもある。「今後どうなってしまうのか」(宍戸さん)。2016年に数億円をかけ牛舎を更新したばかり。被害が収束するめどは立たず、不安が募る。

 乳牛頭数が全国の市町村で最も多い別海町。玉置健三さん(60)は、近隣の酪農家から発電機を融通してもらい、停電が復旧した7日夜まで1日1回やっとの思いで搾乳した。ただ、搾乳牛45頭のうち、最大13頭が乳房炎を発症した。停電解消後も乳業工場の受け入れができなかったため、やむを得ず生乳を廃棄した。

 玉置さんは「助け合って搾ったのに、受け入れてもらえずショックだった」とうつむく。

 道東NOSAIによると、根室地方の9月6〜10日の5日間の乳房炎診断件数は3761件と先月の同時期より1400件ほど増えた。別海町が最も多く、前月比8割増の2457件。潜在的な発生数はさらに多いとみられる。同町が管轄の根室南部事業センターは「診断件数は平時より大幅に増え、一時的に薬の在庫がなくなった。こんなことは初めてだ」と被害の大きさを訴える。

 JAしべちゃの千葉孝一組合長は「処理した生乳に対する補償や、電力の供給方法の見直しが必要だ」と強調する。別海町を管内に持つJA道東あさひでは、生乳生産量が25%ほど減少した。JAの原井松純組合長は「二度とこうしたことが起きないよう、インフラ整備を充実してほしい」と訴える。

 同町は「地域経済に何かしらの影響があるだろう。町の産業の根幹を担う酪農家が一日も早く元に戻れるよう支援していきたい」(農政課)と強調する。

 北海道地震は大規模な土砂崩れなどで41人が死亡し、一時は道全域の約295万戸が停電した。停電はほぼ解消したが、電力の供給は綱渡りの状況が続き、節電が長期化する可能性もある。生活再建に向けた動きが進む一方、現在も1590人が避難し、完全復旧までの道は遠い。


22. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2018年9月25日 13:09:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18805] 報告
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北海道を脱原発の実験場にするな --- 森 修 2018年09月20日


私は北海道で生まれ育ち、大学卒業後就職し各地を転勤したが、東日本大震災の年に札幌の子会社に転籍となり、今回の地震を札幌で経験した。最初に思ったことは真冬でなくて本当に良かった。電気が無くともまだ寒くない。犠牲になった方には本当に申し訳ないが、これは天の啓示に違いない。

もし厳冬期の吹雪の夜に同じことが起きたら、高齢者や生活弱者を中心に10万人単位での凍死者が出るだろう。今の暖房機器は電気がなければ全く稼働しないのだ。これは北海道で生活したものでないと実感できないと思う。

また台風一過後で比較的に天候に恵まれたことも不幸中の幸いだった。もし猛吹雪だったら除雪車も出動できず復旧作業は大幅に遅れていただろう。道東の猛吹雪で車が立ち往生し、死人がでた記憶も道民には生々しいが、内地の方には記憶の彼方になった出来事であろう(北海道では本州3島を内地という)。


運転停止中の泊原発(北電サイトより:編集部)

今回は3日ほどで全道概ね通電したが、吹雪が3日も続けば通電もそれだけ遅れ、飲み水も全て凍ってしまう。氷の世界で人は何時間生きていけるのだろうか?内地の方には想像すらできないことだろう。

復旧の目途が立ったころ、民放のアナウンサーが「コストのことを考えて原発を稼働すべきという人がいるが、大丈夫です、電気は足りています。安心して暮らしてください」という趣旨のコメントをしていた。

こいつは道民を馬鹿にしていると思った。

少なくとも供給力と需要のバランスを示し「厳冬期を想定しても十分な供給余力があるので、不需要期の今は大丈夫です」程度のコメントならわかるが、根拠もなく大丈夫は無いでしょう。冗談でなく戦争中に「大和魂で日本は必ず勝つ」の類です。真っ暗な冷凍倉庫に入って、凍っていくペットボトルを抱え、一晩過ごしてからもう一度コメントして下さい。

もっとも北海道電力の供給余力は泊原発が稼働してこそ生まれるのであって、脱原発のマスコミは根拠を示すことは出来ない。だからデマを流して道民を惑わす。あえて脱原発の是非については述べないが、北海道と内地をつなぐ送電線は60万kwの能力しかない。こんな閉じられた供給システムの中で、脱原発の実証実験はやめてもらいたい。道民はモルモットではありません。

脱原発を目指すならば十分な準備をしてやって下さい。東日本大震災以降、順次原発が休止するなか、たまたま電力の供給力不足による停電は発生していないが、北海道電力だけでなくどの地域も綱渡りの需給バランスだったようだ。今回の地震で内地の人も目を覚まして欲しい。

首都圏直下型の地震や東海、東南海地震が起きた時、日本はヨーロッパとは違い他国から電力供給をうけることができない。日本が北海道になるのです。その時、北海道からは60万kwしか応援できません。今回、道民は分かりました。「原発を止めても電力は足りている」は全くのデマです。日本国民も目を覚ますべきです。道民同様モルモットではありません。

高橋知事へのお願いです。今年の冬は道民の命と生活を守るために、泊原発を再稼働させてください。北海道の冬は、空気や水が必須であるように、電気が無ければ生きていけません。根室沖地震の発生確率がまた上がりました。熊本のように胆振東部地震の本震や札幌周辺で誘発地震があるかもしれません。想定外のことは起こるのです。

原発が無くても電力の供給力が十分につくまでは、内地からの応援が無いに等しい北海道を、脱原発の実験場にするのを止めさせて下さい。実験結果は既に出ました。失敗です。マスメディアのデマから道民の生活を守ってください。
宜しくお願いします。
http://agora-web.jp/archives/2034796.html


23. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2018年9月27日 08:49:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18853] 報告
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「原発は動かさない」という思考停止からの脱却を 2018-09-27

 北海道電力の苫東厚真発電所の4号機が稼働し、北海道の電力供給は「一息」ついています。


 また、北電はメンテナンス中だった知内発電所2号機を、予定を一か月以上も早めて9月25日に再稼働。


 結果、電力供給力は461万キロワットとなり、9月の想定ピーク需要は確保が可能となっています。


 もっとも、北海道の電力需要は、これから冬にかけて膨張していきます。18年1月のピーク時は、525万キロワットに達しました。


 全ての(老朽化発電所含む)の発電機を動かしたとしても、「ギリギリ」の状況が続くだけです。北海道の方々は、突発的な停電やブラックアウトに怯えながら、「北海道の冬」を乗り切らなければなりません。


 まさに、発展途上国です。


 泊原発を再稼働するしかありません。


『動かぬ原発、老朽火力頼み 思考停止が大規模停電招く エネルギー日本の選択 北海道地震が問う危機(上)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3568510023092018SHA000/
 6日午前3時すぎ、緊急地震速報のアラームがなった。「震源は苫東厚真火力発電所に近い」。この情報に北海道電力の社員は身構えた。今の北海道電にとって苫東厚真の役割が重いことを知っていたからだ。
 苫東厚真発電所の停止が大規模停電を引き起こした(北海道電力提供)
 北海道全域で295万戸が停電するブラックアウト。最大の原因は発電能力の過度な集中だった。電力供給の約半分を出力165万キロワットの苫東厚真火力が一手に背負う。砂上の楼閣のようなアンバランスがなぜ放置されていたのか。
 「泊原発が最優先だった」。電力関係者は指摘する。207万キロワットの出力をもちながら停止中の泊原発が再稼働すれば供給が安定するのは確か。問題は安全審査の通過が見通せず再稼働時期がまったくわからないのに、現実を直視した対策を打たなかったことだ。(後略)』


 「思考停止が大規模停電招く」という見出しだったため、
「思考停止的に原発を停止していたため、ブラックアウトが起きた」
 と、反省の弁を述べるのかと思いましたが、何と、
「思考停止的に原発に固執したから、ブラックアウトが起きた」
 という、斜め上の記事でございました。


 あのね、火力発電所の建設は場所の選定から含めると、十年はかかるのですよ。


 菅直人が「不法」に原発を停止させ、北海道電力は手足を縛られた状況で、北海道民の生活やビジネスを守るためにやれることをやってきました。


 2011年時点では原子力規制委員会が、ここまで頭がおかしい(活断層がないことを証明しろ!)組織となるなど、誰にも予想がつきませんでした。しかも、自民党政権になったため、政治がもう少しまともに動く(原発を再稼働させる)と期待しても、仕方がない話です。


 そもそも、原発が停止した時点で火力発電の建設に手を付けても、2018年には間に合いませんでした。しかも、火力発電は原油はLNGの輸入を増やすため、北海道の電気料金は確実に上昇します。


 北海道電力は、「電力の安定供給」と「電気料金上昇を防ぐ」という課題を「手足を縛られたまま」達成しようとし、原発の耐震化や防災に投資を集中させたのです。それを非専門家の部外者(しかも、道民でもない)日系の記者が、
『再稼働に向けた工事を優先し、他の発電所への投資は後回しになった。当然、全体の電源バランスの改善は進まない。』
 などと、偉そうに書く。


 吐き気がします。


 しかも、日経の記事は、


『原発はいつ、何基を再稼働できるかわからない。頼みの火力発電も老朽化で停止リスクを抱え、特に石炭火力は世界的な地球温暖化対策の流れのなか新設も難しい。早急に思考停止を脱し、災害にも強い電力システムの将来像を固めなければ、日本のエネルギー危機は回避できない。』


 ろいう文章で記事を絞めているくせに、原発再稼働には一言も触れない。


「早急に思考停止を脱し、災害にも強い電力システムの将来像を固める」
 ために、どうしたらいいのかは一言も書かない。原発再稼働無しで、災害に強い電力システムを早急に構築できるはずがないでしょう。


 思考停止に陥っているのは、むしろ日経新聞の方です。


 思考停止から脱し、現実の北海道電力危機を解決するために、政府が泊原発の再稼働を決断すれば「冬」にはまだ間に合うのです。


 「原発は動かさない」という思考停止からの脱却を!
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12407855100.html


24. 中川隆[-13531] koaQ7Jey 2018年9月29日 08:27:16: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18898] 報告
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北海道の復旧、復興、発展のために(前編)2018-09-29
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408244056.html


「北海道電力は泊原発を再稼働しなければならない」

 と、主張すると、

「北海道に住んだこともない東京都民が何を嘴を突っ込んでいるんだ!」 
 と、反発する人がいるかも知れませんが、わたくしは小学校は「千歳小学校」です。(もちろん千歳市立千歳小学校)


 た〜な〜び〜くけ〜む〜り〜、たるまえの〜。という、千歳小学校の校歌は未だに歌えます。ちなみに、千歳小学校百周年の記念パレードの際に、先頭で大太鼓を叩いていたのはわたくしです。


 小学校の頃は、千歳の市民スキー場(まだあるのかな?)やモーラップスキー場で、スキーに明け暮れていました。雪が積もった校庭を踏み固め、スケートリンクを作る「あの儀式」も、何度も経験しています。


 というわけで、北海道の「冬」がいかなるものかは嫌というほど知っているのです。金属を触ると、手に貼りつくという極寒も、未だに身体が覚えていますよ。


 北海道の冬がいかに残酷であるかを理解しているからこそ、泊原発を動かさなければならないと主張しているのです。


 泊原発を再稼働するためには、まずは「地元」が声を上げる必要があります。つまりは、道議会と北海道知事です。


『全道停電「北電の責任重い」 道議会で知事 地震被害1500億円超
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/230038

 高橋はるみ知事は20日の道議会代表質問で、胆振東部地震に伴ってブラックアウト(大規模停電)が発生したことに関し「深刻な事態だ。北海道電力の責任は極めて重い」と述べ、北電の責任に初めて言及した。ブラックアウトを含めた今回の災害対応について検証する委員会を早期に設置する意向も示した。
 知事は、ブラックアウト発生に関する道の責任をただされ、「道としては、大規模停電の影響をできるだけ緩和していけるよう停電対応のあり方や非常時の備えなどについて検証し、必要な対策を講じる」と述べるにとどめた。』


 いや、「必要な対策を講じる」というならば、道議会や道知事は泊原発の再稼働を政府に求めなければならないでしょう。


 といいますか、他に「ソリューション(解決策)」があるというならば、是非とも伺いたいところです。現実には、そんなものはありはしません。


 結局のところ、緊縮財政、規制緩和、自由貿易というグローバリズムのトリニティを推進してきた日本政府は、地方自治体を含め、
「政府が国民の生命や財産を守る」
 という、基本的な義務を放棄したとしか思えません。


 ある「専門家」の方に聞いたところ、厳冬期の北海道で今回のようなブラックアウトが起きた場合、死者は数千人(!)にのぼるだろう、とのことでした。


 政府の役割を「小さくする」ことを善と考える現在の日本政府や北海道庁にしてみれば、大停電で大勢の住民が凍死する事態になったとしても、
「そんなものは、自己責任」
 で済んでしまうのでしょうか。


 ならば、政府などいらない。国民を守るために最大限の努力をする。これは政府の「義務」だと信じているわけですが、すでに日本には「政府」は存在しないも同然なのですか?


 今回の全道ブラックアウトや、台風により吹き飛ぶ太陽光パネルの数々を見ていて、改めて理解できました。


 小さな政府だの、原発を動かさないだのといった「贅沢」は、平時にしか通用しないのです。現在の日本は、すでに「非常事態」に突入しています。


 何しろ、厳冬期に北海道電力の老朽化火力発電が緊急停止すると、数千人の「同じ国民」の生命が奪われかねない状況なのです。


 ちなみに、未だに「原発再稼働はまかりならない! 太陽光で〜」とか頭のおかしいことを主張する人がいますが、冬の北海道で太陽光発電は役に立ちません。


 そもそもが、ベースロード電源になりえないことに加え、雪がパネルに積もるだけで発電不可能になります。しかも、夜はいずれにしても発電できません。


 それにも関わらず、イデオロギー的に原発再稼働に反発し、まともな代替案も出さない反原発派や、無策放置主義の北海道知事や道議会には怒りしかわいてきません。


 日本国は、北海道に暮らす数百万の「同じ国民」を守るために、原発再稼働を決断しなければならないのです。


 その上で、北海道の復旧、復興、発展のために何をするべきかについては、明日、書きたいと思います。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408244056.html


25. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2018年9月30日 18:17:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18922] 報告
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北海道の復旧、復興、発展のために(中編)2018-09-30


9月27日に電事連が「北海道胆振東部地震における  大規模停電の発生について 」という調査報告書を公表しました。


 同報告書によって、(電事連は言っていませんが)、

「泊原発を稼働していれば、全道ブラックアウトは起きなかった」

 ことが確定しました、電事連や電力関係者は口にしないでしょうから、あえて大声で言います。


「泊原発を稼働していれば、全道ブラックアウトは起きなかった」


 電事連の報告書によると、ブラックアウトまでの経緯は以下の通りです。


@ 地震発生直後(地震発生〜周波数回復)

1. 苫東厚真2,4号機停止(発電:▲116万kW:タービン振動検知) により周波数が急低下した。加えて苫東厚真1号機の出力が低下した(発電:▲5万kW:推定)

2. 北本連系設備から緊急的に電力を受電した

3. 周波数の低下により負荷遮断を行なった(需要:▲130万kW)


4. 狩勝幹線、新得追分線、日高幹線の送電線故障により、道東エリア及び北⾒エリアが停電(需要:▲約13万kW)、水力が停止した(発電:水力▲43万kW)

5. 周波数の低下により風力が停止した(発電:風力▲17万kW)

6. 周波数の低下が46.13Hzで止まり、回復方向に切り替わった

7. 中央給電指令所よりバランス停止中の水力・火力発電機に起動指令を行った

8. 北本連系設備や水力のAFC機能により周波数が一時的に50Hzでバランスした


A 地震発生直後(送配電線再送電〜負荷遮断2回目)

9. 狩勝幹線、新得追分線、日高幹線ほかの事故復旧(自動)により道東エリアが復電した

10. 需要増加により徐々に周波数が低下した

11. 中央給電指令所の指令により火力の出力が増加した

12. 苫東厚真1号機の出力が低下した(発電:▲20万kW推定)

13. 周波数の低下により負荷遮断を行った(需要:▲16万kW)


B ブラックアウトまで

14. 苫東厚真1号機停止(発電:▲10万kW推定)したため再び周波数が低下した

15. 周波数の低下により負荷遮断を行った(需要:▲6万kW)

16. 知内1号機、伊達2号機、奈井江1号機が停止した(発電:▲34万kW)

17. 周波数の低下により水力(主に46Hz以下)等が停止するとともに北本連系設備が運転不能となった

18. 北海道エリアがブラックアウトに至った


 改めて、電力とは供給側と需要側が一定の周波数の範囲内(北海道は50kh)内で安定させなければなりません。さもなければ、電気機器や発電機が破損します。


 ブラックアウトに至るまでの周波数の変動は、以下の通り。


【全道ブラックアウトに至るまでの北海道電力の周波数の変動】

http://mtdata.jp/data_61.html#blackout


 周波数の動きを見ると、ブラックアウトの「危機」が三回あったことが分かります(三回目で力尽きた)。


 一つ目は、地震により苫東2、4号機が停止し、116万kWが失われた時点。

 二つ目が、苫東1号機の出力低下。

 三つ目が、苫東1号機の停止を受けた周波数低下による水力の停止と、北本連系設備の停止(本州と北海道を結ぶ線)。


 泊原発が稼働していた場合、何しろ200万kwのベースロード電源の発電機が動いているわけですから、苫東厚真のシェアははるかに低かったでしょう。


 ということは、そもそも@が起きなかったのです。何しろ、発端は苫東厚真の116万kwの喪失なのです。


 しかも、泊原発がある地域の震度は「2」であったため、原発は停止せず、苫東厚真2、4号機の喪失をカバーすることが可能でした。あるいは、他の発電機が出力を上げることで、周波数の低下は起きなかったはずなのです。


 もちろん、苫東厚真の1号機が「根性」で発電を続け、周波数が維持された場合、周波数の低下を受けた各発電機の「負荷遮断」の連鎖は起きず、ブラックアウトまでには至らなかったかも知れません。最終的には、苫東厚真1号機が力尽きたことで、ブラックアウトとなりました。


 とはいえ、そもそも当初の時点で苫東厚真2、4号機の停止をカバーすることさえできれば、その後のブラックアウトに繋がる負荷遮断の連鎖は起き得なかったのです。


 というわけで、泊原発を稼働していれば、今回の全道ブラックアウトは起きませんでした。


 それでもなお、

「泊原発が動いていても、ブラックアウトに至った」
「厳冬期の北海道の住民などどうでもいい。とにかく、原発を動かしてはいけない」

 と、主張するのですか?


 主張するのでしょう。頭がおかしい反原発派のイデオロギー的反原発論により、日本国のエネルギー安全保障は壊され、このままでは北海道は再度のブラックアウトの危機に怯えながら、厳冬期を迎えることになります。


 北海道の方々を「同じ国民」「救わなければならない国民」と認識するならば、声に出さなければなりません。


 泊原発が稼働していれば、ブラックアウトは起きなかったという「真実」について。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408547550.html


26. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2018年10月05日 10:09:38: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19024] 報告
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<北海道地震>原発停止、再生エネ後手…政策の課題映す
10/4(木) 22:34配信 毎日新聞


苫東厚真火力発電所=北海道厚真町で2018年9月12日、本社機「希望」から梅村直承撮影


 北海道内で9月6日の地震直後に全域停電(ブラックアウト)が発生してから約1カ月が経過した。今回の問題の背景には原発が動かない中で火力発電に過度に依存する一方、再生可能エネルギーも活用しきれていない実態がある。北海道電力だけでなく、国のエネルギー政策の課題を映し出している。【和田憲二】

 ◇火発依存リスク 全国に

 経済産業省の認可団体「電力広域的運営推進機関」が設置した第三者委員会の分析などによると、地震直後に苫東厚真(とまとうあつま)火力2、4号機(計116万キロワット)が停止し、送電線故障で水力発電計約43万キロワットも停止。地震直前の需要・供給量(約309万キロワット)の半分を失った。一部地域で強制停電を行い綱渡りの調整をしたが、苫東厚真1号機(35万キロワット)も故障で止まり、ブラックアウトに至った。

 浮かび上がるのは、泊原発(計207万キロワット)が長期停止する中で、大規模火力の苫東厚真に過度に依存していた問題だ。原発再稼働を見込んで設備投資を控える一方、小規模火力より効率の良い苫東厚真を重視し、コスト優先の供給体制を築いていた。2016年の電力小売り全面自由化後は他社に顧客を奪われ、経営は厳しい。

 他電力の関係者は「地震後に起きた発電設備や送電線の故障は設備投資を絞っていた結果」(幹部)と指摘する。ただ、自由化後の競争激化でコスト抑制を追求せざるを得ないのは他電力も同じだ。

 再エネの活用にも課題を残した。道内には太陽光と風力で計170万キロワット超の発電設備があるが、地震直後に機器の故障を防ぐため自動停止した。太陽光などは天候による出力変動が大きく、これを調整するには火力発電などの稼働が必要で、太陽光などを全面的に使うまで約1週間かかった。

 国は、30年度に再エネを「主力電源化」する方針を掲げ、蓄電池などの技術革新や電力会社間の融通強化を促してきた。しかし、今回の地震で、非常時に安定供給できる体制が確立されていない現状が改めて示された。経産省は「現時点での再エネの実力と課題が明らかになった」として、必要な対策を急ぐ考えだ。

 ◇牛乳、もろい供給体制 停電で工場稼働できず

 全国の生乳(牛乳・乳製品の原料)生産量の半分を占める酪農王国・北海道が被災し、牛乳が一時品薄になった首都圏のスーパーの店頭などでは販売がほぼ正常化した。ただ、他の都府県での生産が先細りする中、北海道に依存する供給体制のもろさが露呈した格好だ。

 農林水産省によると2017年度の生乳生産量は前年度比0.7%減の729万トンで、その53%が北海道産。道内で搾られた生乳は毎日専用の貨物船で茨城県の日立港、一般の客船で関西へそれぞれ輸送されている。

 台風などで出航できないこともしばしばで、地震直前も台風21号の影響で船が欠航していた。また、牛は暑さに弱く、業界団体Jミルクによると、7〜9月の本州の生産量は前年比2.7%減。そこに北海道地震が追い打ちをかけた。北海道では乳業メーカーの工場が停電で稼働できず9月6〜10日に生乳2万トンが廃棄された。

 供給体制の回復が遅れ、首都圏や関西圏で展開するスーパーは「地震後1〜2週間は一部商品が品薄になり、購入できる点数を限って販売したが、9月末には通常の8〜9割に回復した」と話す。

 1990年代以降、酪農家と飼育頭数は減少傾向で、この10年で酪農家は3割、飼育頭数は1割減った。高齢化や後継者難への対策も急務となっている。ホクレン農業協同組合連合会は「乳牛を増やして生産量を拡大してきたが、他の都府県の生産を何とか維持してもらいたい」と全国的な供給体制の改善を訴えている。


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1. 中川隆[-13589] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:03:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]

福島原発事故は既に昔の話で、現在でも原発稼働が危険だという事にはなりません

技術は日進月歩で進歩しています。
最初期の福島原発と最新の原発とを同列には語れないのです。

2018年09月07日
北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
中規模の発電所が一か所停止しただけで北海道はすべての電力を失った


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/DmZ8C4bU8AAU1WZ.jpg


原発があれば停電しなかった

9月6日に発生した地震で北海道全域が停電し、翌日までに3分の1ほどが復旧したが、全土の回復には1週間程度かかる。

停電の原因は北海道の電力を半分を発電していた苫東厚真発電所が緊急停止したことで、需要に対して発電量が減ったのが原因でした。

交流電流は周波数を維持するため発電量と使用量が一致する必要があり、発電量が半分に減ると事故の原因になる。


北海道は全体を一つの地域として電力調整していたので、周波数を保てなくなりすべての発電所を停止しました。

もし需給バランスが崩れたまま送電を続けたら、送電線や送電設備、家庭や企業で火災などが発生した可能性があった。

北海道には本州から60万kwの送電を受けることができるが、北海道側の電力がないと供給を受けることができない。


停電の原因になった苫東厚真火力発電所は165万kwで、地震のとき北海道全体の電力の半分を供給していた。

発電所は地震で緊急停止し需給バランスが崩れ、続いて安全のため他の発電所もすべて停止した。

北海道全域の電力回復には苫東厚真火力発電所の稼働が必要だが、破損しているので修理しないと稼働できない。


原発を稼働しないリスク

ここで指摘されているのは2011年から停止している原発が稼働していれば、停電は起きなかったのではないかということです。

北海道には泊原発があり最大出力は207万kWで、1基稼働しただけで苫東厚真火力発電所の半分程度を発電できる。

泊原発のある場所は震度2程度の揺れで、稼働中なら緊急停止したでしょうが、その後運転を再開できた。


北海道のすべての発電所が停止したので外部電源喪失になり、自前のディーゼルエンジンで冷却している。

もし泊原発が稼働中だったら苫東厚真火力発電所が停止しても、停電しないか短時間で解消できた可能性がある。

泊原発が運転停止している理由は地元住民や反原発の反対からで、どこかが壊れているわけではない。


2011年まで日本の電力は大幅に余っていて、常に必要な量の2倍以上の発電能力を持っていました。

原発が停止しても火力で発電するプランだったので、全原発が停止しても停電しませんでした。

反原発や脱原発運動はこれを逆手にとって「電気は余っている」と主張し原発廃止を訴えている。


だが2倍以上の余裕を持たせていたのを「余裕ゼロ」にしていたので、何かあれば供給能力が不足するのは最初から指摘されていました。

北海道全域の停電は起きるべくして起きたので、その原因は原発を停止させた北海道の人たち自身にある。

しかも地震が発生したのは電力需要が少ない秋の9月で、一日で最も電力需要が少ない午前3時だった。


本来なら全域停電などするはずがない好条件だったのに、自らの意思で原発を止めた結果、このような事態に至ったのです。
http://www.thutmosev.com/archives/77471088.html
 


▲△▽▼

2018-09-07
『初の「ブラックアウト」 最大火力停止が引き金
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35092520W8A900C1EA2000/
 管内の電力がほぼすべて止まる「ブラックアウト」。日本の電力会社で初めての大きな事故に至ったのは、震源地の近くにある石炭火力発電所、苫東厚真発電所(厚真町)に北海道電力が電力供給を依存していたためだ。

 同発電所は1、2、4号機の3つの設備がある。経済産業省によると、4号機は地震後の再稼働に向けた作業の中でタービン付近からの出火を確認。1号機、2号機はボイラーが損傷していた。復旧には少なくとも1週間かかる。北電の荒矢貴洋執行役員は同日の記者会見で「そこまで大きい事故は想定していなかった」と語った。

 問題は損傷だけでなく、3基が同時に止まったことにもあった。最大165万キロワットの発電能力が使えなくなり、北海道の使用電力のうち半分程度の供給が瞬時に消えた。

 これが北電の持つ他の発電所にも影響した。電力会社は電力の周波数を安定させるため、需要と供給が一致するように発電能力を調整する。北電は北海道全域でこうした調整をしている。苫東厚真が消えると他の発電所も次々に止まり、電力会社として初めての「ブラックアウト」に至った。(後略)』


 一か所の火力発電所に北海道という広範囲の半分のエネルギー供給を依存していた。


 結果、地震発生により全道がブラックアウト。信号機が停まるレベルの停電が全域で発生。


 北海道電力の場合、苫東厚真発電所のような発電シェアが大きい発電所が停まると、周波数が乱れ、他の発電機のタービンが破損する恐れがあります。結果、全道ブラックアウトとなってしまいました。


 これが"冬"に起きた場合、どれほど悲惨な事態になったか、想像をしたくありません。


 また、先週訪れ、今週末にも講演のお仕事で訪れる予定の札幌が、あんな有様になるとは・・・。熊本地震後の阿蘇市にように、道路が数メートルも陥没。


 液状化で建物が傾き、電柱が倒れる。


 全道ブラックアウトであるため、JR全線も航空便もストップ。現代文明がいかに「電力」に依存しているかが分かります。


 しかも、全面停電で直流を交流に変換する設備も止まり、本州と結ぶ連系線を使うこともできませんでした。


 泊原発停止の影響は、まだ書きません。書きませんが、いずれにせよ「特定の何か」に依存した状況で「安全保障」など成り立たないという現実を、全道ブラックアウトはまざまざと見せつけてくれました。


 繰り返しますが、
「このままでは大地震など自然災害で国民の生命や財産がみすみす奪われる」
「このままでは、大停電(ブラックアウト)が起きかねない」
 と、しつこく警告していたわたくしにしても、今回の事態は全く喜んでいません。ただ、ひたすら悲しいです。


 ブラックアウトなど、起きないにこしたことはないのです。とはいえ、これほどまでにエネルギー安全保障を疎かにしている以上、ブラックアウトは起き得るし、実際に起きてしまいました。


 これだけ自然災害が多発し、ブラックアウトまで発生したにも関わらず、それでも、
「防災の強化のために政府は支出するべきだ」
「エネルギー安全保障強化のために、FITは廃止し、原発を全て再稼働するべきだ」
 という声が高まらないとしたら(高まらないでしょうが)、我が国はもうおしまいです。亡国まっしぐらです。


 といいますか、ここまで愚かな国が亡国に至らないとしたら、むしろ"歴史”に対して失礼なような気がしてきます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403205183.html


4. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2018年9月07日 18:40:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18307] 報告
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全国空港乗降客数 GRFのある部屋 2018年 09月 07日
https://tannoy.exblog.jp/30033898/


昨日の北海道の地震で、震源地近くにあった火力発電所が停止して、その影響で、北海道中の発電所が動かなくなっています。夜には一部復帰したのですが、全道で300万世帯が真っ暗な夜を迎えます。


北海道中、どこに行っても電気が供給されない異常事態です。食事も取れないし、勿論、テレビやインターネットも出来ません。頼りの携帯電話は、バッテリーが無くなりつつあります。くるまが普通の人の唯一の電源供給手段ですから、その車にガソリンを入れる人の長い列が並びました。


コンビニの冷蔵品は電源がなくなれば、ダメになります。きょうはその冷凍でなくなった商品を、店頭で配っていました。お店の冷蔵庫が使えなくなり、食材がだめになるまえに焼き肉にして、おみせのまえで無料で配っている焼く肉屋さんもいました。皆、助け合いをしているようです。


昼間の間に、食材の仕入れを行うために三時間待ちで店頭に並んだようです。しかし、それを調理する方法がないのです。ガスは一部通っているようですが、夜になれば調理が大変危なくなります。真っ暗な街では不安が募ります。


困るのは、旅行者でしょう。東京に帰るはずの人たちや、外国からの観光客は泊まるところの確保も必要です。全道中の列車や高速も止まっているし、飛行機も千歳が封鎖されているから、ホテルは連泊が可能でしょうが、食べるものもないし、電気が使えなければお風呂にも入れません。すべて電気モーターに頼っているからです。泊まり客の食事もどのように作るのか、大変です。


今日の夕方の大洗からのフェリーボートには、関東地方の警察、自衛隊、救助隊、医療チーム、電力会社の作業員等が、夕方のフェリーで苫小牧に向かいました。明朝から活躍することでしょう。


北海道は、独立した島です。本州から電気もガスも水も供給できません。本州側の電力会社のように融通することが出来ないのです。現在は青函トンネル経由で、60万キロワットとが限界ですが、来年の3月までに、1.5倍増やした90万キロワットが増電可能になります。まだいまは工事中です。


北海道全体では、普通で300万キロワット必要ですから、最大500万キロぐらいの消費量になります。それらを万遍なく供給するには、現在の供給量(14%ぐらい)を五倍ぐらい上げ無くてはなりません。まだ真夏だから生き死ににはなりませんが、真冬なら大変なことです。停電即、命の心配になります。これは北電の問題ではなく、政治の問題です。北海道ばかりではなく、東京も準備しておかなければなりません。


全国空港乗降客数一覧 (平成29年統計)
順位 空港名 国内線 国際線 合計/一日
1 東京国際空港(羽田) 68,367,662 16,895,012 233,596
2 成田国際空港 7,540,249 31,091,309 105,840
3 関西国際空港 6,848,636 21,036,154 76,397
4 福岡空港 17,629,158 6,167,691 65,197
5 新千歳空港 19,428,246 3,290,366 62,243
6 那覇空港 17,435,393 3,537,689 57,460
7 大阪国際空港(伊丹) 15,597,777 0 42,734
8 中部国際空港(セントレア) 5,936,543 5,509,055
31,358
9 鹿児島空港 5,332,140 286,000 15,392
10 仙台空港(仙台国際) 3,100,326 270,124 9,234


現在、大量の観光客が日本に押し寄せていますが、関空が使えず、千歳も閉鎖されている現在は、8万人の旅行客が、旅行を中止しているか、世界中の空港で足止めをされています。日本人観光客は、福岡や名古屋などの代替えの空港を探しますが、外国人は旅行を中止するでしょう。


加えて、夢の都市、札幌がじつはこれほどまでもインフラが脆弱だったと言うことは世界中に配信されています。今回の地震、それによるインフラの停止が、世界中の札幌への憧れを削がなければ良いのですが。


停電は、二三にちで復旧するでしょうが、関空の橋は簡単には直りません。まず、つぶれた橋を取り除いて、電車を通すのに何日かかるかです。損傷した橋を外さなければ何も始まりませんが、準備にどれだけを必要とするか、まだ調査段階だと思います。現在、伊丹空港は、完全に国内専用です。毎日4万人も使用している日本でなごやよりおおきな七番目の空港ですが、国際線はゼロです。神戸は、名ばかりの国際空港で、年間たった110人です。代替えに神戸空港などを緊急に国際空港にしないと、大阪経済は相当な損害を被るでしょう。
https://tannoy.exblog.jp/30033898/


5. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年9月08日 06:13:26: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18325] 報告
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北海道ブラックアウト 最大の火力発電所からドミノ倒し 2018年9月7日04時57分
地震に襲われた北海道のほぼ全域が一時停電した。最大の火力発電所がダメージを受けて需給のバランスが崩れ、ドミノ倒しのように発電所が止まった。完全復旧までは1週間以上かかる見通しだ。


 「極めてレアなケース。すべての電源が落ちるリスクは低いとみていた」

 6日午後、札幌市の北海道電力本店。停電で薄暗い1階ロビーに設けられた会見場で、真弓明彦社長は、こわばった表情で話した。

 今回の停電は、離島などを除く北海道のほぼ全域で発生した。電気事業連合会によると、大手電力会社のほぼ全域に及ぶ大規模停電は初めてだ。

 今回の停電の発端となった苫東厚真火力発電所(北海道厚真町)は、北電で最大の火力発電所であり、3基の能力は計165万キロワット。地震でとまり、北電は、この時点の供給力の半分以上を一気に失った。需給のバランスが崩れ、その影響がほかの発電所にも及んで停止。道内全域の停電に追い込まれた。

 経済産業省が想定していた北海道での発電設備トラブルによる供給力減少は129万キロワット。「(165万キロワットは)想定外だった」と担当者も話す。

 電気はためることができないため、必要な分だけを発電所で出力を細かく調整しながら供給する。そのバランスをみるための指標が「周波数」だ。発電機の回転速度にあたる。

 電気の供給が増えると周波数は高くなり、需要が増えると周波数は低くなる。北海道を含む東日本では周波数を常に50ヘルツになるように制御している。

 しかし、需要と供給のバランスが急激に崩れて周波数が乱れると、タービンの故障やシステムの異常が起こりやすくなる。これを避けるため、電力の供給を自動的に遮断する仕組みが元々備わっている。

 大阪電気通信大の伊与田功教授(電力系統工学)は「北海道各地で電気の遮断がドミノ倒しのようにいっせいに起き、すべての発電機が電気系統から離れて広域で停電する『ブラックアウト(全系崩壊)』が起きた」と話す。

 今後は、とめていた水力発電を動かし、そこでつくった電気を使って火力発電などを順次、稼働させていく。ただ、十分な供給力を確保するには、ボイラーやタービンを損傷した苫東厚真火力の復旧が欠かせず、1週間以上かかるという。

もし冬だったら…

 今回の大停電は「想定外」とは言い切れない。

 2011年の東日本大震災では、東京電力福島第一原発など多くの原発が止まり、首都圏では計画停電が実施された。一カ所に多くの発電設備を置く「集中立地」のリスクへの対応は、震災の教訓の一つだった。

 北海道での大停電が、暖房などで電力がより必要な冬に起きていたら、被害はさらに大きくなった可能性がある。

 電力会社間の電力の融通にも課題が残った。

 北海道と本州の間には電力をやりとりできる「北本連系線」があり、頼みの綱のはずだった。

 距離が長くても送電が安定するよう直流を採用しているため、北電が本州から電力を受け取るには、北海道側で受け取った直流から通常の交流に変換しなければならない。変換の装置を動かすために交流の電気が必要だが、停電のために調達できず、すぐに使えなかった。

 しかも、連系線の能力は最大60万キロワット。苫東厚真火力の発電能力の2分の1に及ばない。北電は外部電源がいらない新しい連系線を本州との間に建設しているが、今回の事態には間に合わなかった。

 大阪府立大の石亀篤司教授(電力システム工学)は「本州から受け取れる電力は多くなく、北海道内はほぼ独立した系統。地震の発生が(電力消費の比較的少ない)未明で発電所の多くが止まっていたため、出力のバランスを維持するのが難しかったのではないか」とみる。

 同様の大規模停電が北海道以外で起きる可能性はあるのか。ほとんどの電力会社は、複数の電力会社と外部電源が必要でない連系線でつながっている。石亀さんは「可能性は低いだろう」とみる。

 一方、電力のシステムに詳しい荻本和彦・東京大特任教授は「地震はどこでも起こりうるので、電源の種類や場所を分散することで停電リスクを減らすことが重要だ。だが、完璧にするのは難しいので、大規模停電が起きた際の減災対策を考えておく必要がある」と指摘する。
https://www.asahi.com/articles/ASL966Q4QL96ULFA044.html?ref=yahoo


北海道で計画停電を検討 10日開始も、1回2時間ほど 9/7(金) 21:22配信


6日未明の地震によって北海道で相次いだ発電所の停止を踏まえ、政府は道内での計画停電の検討に入ったことを明らかにした。地域と時間を事前に決めておく停電で、需給が厳しくなれば週明け10日にも踏み切るという。実施されれば、東日本大震災直後の2011年3月に首都圏で行われて以来となる。


 地震による停電は一時、道内ほぼ全域の295万戸に及んだ。政府は、老朽発電所の再稼働などによって週末の8日中にいったん停電をほぼ解消できる、との見通しを示した。ただ、ピークをまかなうことは難しいとして、8日から1割程度の節電を道民や企業に要請する。数値目標付きの節電要請は13年冬に北電が行って以来だ。

 工場や企業が本格的に動き需要が増える週明けになって、節電がうまくいかなかったり、発電所が故障したりした場合には、計画停電に踏み切る可能性があるという。1回2時間ほどを想定し、準備する。

 世耕弘成経済産業相は「計画停電は極力回避をしたいので、道民のみなさまには最大限の節電へのご協力を改めてお願いしたい」と呼びかけた。

 北海道庁によると、7日午後10時までに停電が解消したのは218万戸。一時停電した295万戸の7割超にあたる。
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朝日新聞社


6. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年9月08日 06:15:57: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18325] 報告
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震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」
地震学者 西岡千史 2018.9.6
https://dot.asahi.com/dot/2018090600047.html?page=1

北海道を震度7の地震が襲った。気象庁によると、地震の発生は6日午前3時8分、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.7で、震源の深さは約40キロと推定されている。

 地震地質学が専門の岡村真・高知大名誉教授は、今回の地震について「石狩平野には馬追丘陵から南北に延びる地域に活断層が存在すると推定されていて、震源は石狩低地東縁断層帯の東側と思われる」と分析している。震源に近い厚真町などでは家屋の倒壊や土砂崩れが発生し、生き埋めの被害も出ている。


 これまで北海道では、太平洋側に延びる千島海溝でM9クラスの地震が想定され、前回の発生から約400年が経過していたことから「切迫性が高い」と警戒されていた。だが、岡村氏によると「千島海溝との関連性は低い」という。

「今回は内陸で起きた地震で、規模としてはそれほど大きなものではなかった。ただ、震源が深く、石狩低地帯は地盤が弱いところが多いため、地盤災害が広がったと思われます。余震も想定されることから、土砂崩れが起きる地域に住む人は警戒を続けてほしい。また、捜索活動を続ける人も、二次災害に気をつけてほしい」(岡村氏)

 さらに、被災地を混乱させているのは295万戸におよぶ道内全域の停電だ。道内の信号機はストップし、固定電話や携帯電話がつながらない地域も出ている。

「2003年のニューヨーク大停電のとき、日本では複数の系統から電源を確保しているから、1つの発電所のトラブルが原因で広範囲の停電は起こりにくいシステムになっていると言われてきた。なぜ、こんなことが起きたのか。訓練も行われていなかったのか。今後、徹底した調査による原因究明が必要です」(岡村氏)

 なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。

2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか。

「泊原発には3系統から外部電源が供給されていますが、北電の中で3つの変電所を分けていただけと思われる。北電全体がダウンしてしまえばバックアップにならないことがわかった。今回の地震で、揺れが小さくても外部電源の喪失が起きることを実証してしまった。『お粗末』と言うしかありません」(岡村氏)

 北電によると、地震発生直後に同社最大の火力発電所、苫東厚真発電所が緊急停止。電力供給の需要と供給のバランスが崩れたことで周波数の低下が起き、他の発電所も運転が止まった。苫東厚真発電所の復旧は、少なくとも1週間かかるという。泊原発の非常用ディーゼル発電は最低7日間稼働できるというが、「事故にならなくてよかった」ではすまされない。

「北電だけの問題だけではなく、監督官庁である経産省や原子力規制委員会にも責任がある。このような事態が起きることを想定して、原発施設の電源確保の仕組みをチェックしていなかったということ。これは大問題です。近づく南海トラフ地震でも、すべての火力発電のブラックアウトを想定しておくべきです」(岡村氏)

 現在、発電所の再稼働に向けて作業が行われているが、電力復旧のめどは立っていない。もし、泊原発で非常用のディーゼル発電が故障などで使えなかった場合は、“最後の砦”であるガスタービン電源車に頼らざるをえなかったことになる。今回の地震は「原発への電源供給」という災害対応の“基本中の基本”に問題があったことを明らかにした。(AERA dot. 編集部・西岡千史)

※6日午後、厚真町鹿沼で震度7を観測していたと気象庁が発表したため最大震度を修正しました


7. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:02:58: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18328] 報告
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北海道のブラックアウト、なぜ起きた?
電力需要の半分を賄っていた苫東厚真発電所が落ちた 2018年9月8日
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/022700115/090700147/?P=1


[日経エネルギーNext2018年9月7日付の記事を転載]


まさか日本で「ブラックアウト」が起きるとは――。

 9月6日午前3時8分頃、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震が発生。北海道全域で全域停電、いわゆるブラックアウトが起きた。一時は、北海道内のほぼ全世帯に当たる295万戸で停電した。


北海道で震度7  地震で停電したままの札幌市中心部=6日午後6時38分(出所:共同通信イメージズ)


 ブラックアウトの発生は、9電力体制のスタート以来、初めてのことだ。東日本大震災によって東京電力・福島第1原子力発電所事故が発生し、津波で太平洋沿岸部の発電所が被災した時でさえ、ブラックアウトは起きなかった。

 では、なぜ今回、ブラックアウトが起きたのか。原因を端的に言えば、北海道電力・苫東厚真火力発電所(厚真町)の一極集中だ。

 苫東厚真は石炭火力発電所で、3機合計で定格出力が165万kW。道内最大規模を誇る。北海道電力によると、地震発生時、道内需要310万kWの約半分を苫東厚真が賄っていたという。

 電気は貯めることができない。常に需要(電力の使用量)と供給(発電量)を一致させておく必要がある。今回のように、需要は変わらないのに供給が減ると、過負荷の状態となり、周波数が低下する。

 周波数の低下は、停電発生を意味する。各変電所に設置してある周波数低下防止装置(URF)が、周波数が一定値以下になったことを検知すると、停電が他の地域に広がらないように系統を遮断する。停電しているところに電気が流れると通電事故が発生したり、設備が損傷してしまうためだ。一方、発電所も周波数の低下を検知すると、自動で停止し、系統から自らを切り離す(解列する)。

 今回、震源地の近くに立地する苫東厚真火力発電所は、かなり揺れたはずだ。地震発生からほどなくして苫東厚真発電所は停止しただろう。その瞬間に、道内の供給は一気に半分に落ち込み、周波数が急激に低下した。

 北海道は人口も少なく、電力需要自体が小さい。北電が発表した9月7日の最大需要予測は380万kW。例えば、東電の最大需要は4700万kW弱。北電エリアの10倍以上だ。仮に東電エリアで苫東厚真と同規模の発電所が停止したとしても、供給の急激な落ち込みにはならない。

 地震発生が深夜で、電力需要が日中よりも小さく、他の発電機の稼働が少なかったことも、苫東厚真の脱落の影響度を大きくした。通常であれば、他の発電機が周波数の低下を検知して、出力を上げるなどの動きをする。だが、今回は苫東厚真の脱落分を回復させる手立てがなかった。

 こうして苫東厚真発電所の周辺部から、周波数の低下は徐々に道内に広がった。いくら系統を遮断しても、需給のバランスは取れず、ドミノ倒しのように停電エリアが広がっていった。同時に、発電所も連鎖的に停止した。こうして、北海道はブラックアウトしたのだ。


なぜ苫東厚真発電所の一極集中は起きたのか


 では、なぜ苫東厚真の一極集中は起きたのか。理由は、推測も含めて様々ありそうだ。

 まず第1に、苫東厚真が高効率な石炭火力発電所であったことだ。発電所の効率性は規模に比例する。道内最大規模の苫東厚真は、発電コストが安価で、北電にとって競争力のある電源だったはずだ。

 ある大手電力幹部は、「電力自由化が進む中、発電コストが安い発電所を稼働させたいと考えるのは普通のこと。苫東厚真発電所は北電エリアで最も大規模な石炭火力。これを動かしたいと思うのはよく分かる」という。

 北海道の小規模な電力需要に対して、苫東厚真は規模が大きい。ただ、競争を勝ち抜いていくためには、大規模な設備が必要だというのは十分に理解できる話だ。

 第2が、北電・泊原子力発電所が稼働していなかったこと。「泊原発が動いていれば、苫東厚真をフル稼働させる必要はなく、脱落による供給の急減は起きなかった」という声も聞こえてきた。ただ、泊原発も地震検知によって停止する可能性があり、これが根源的な解決法になるのかどうかは分からない。

 第3が、本州との連系線の強化だろう。北海道と本州をつなぐ北本連系線の現在の容量は60万kW。東日本大震災後の議論を経て2019年には90万kWに拡張することが決まっている。

 仮に、苫東厚真の脱落による影響が、北本連系線の容量以下であれば、本州からの送電によってブラックアウトを回避できた可能性がある。

 そして第4が、電力網(系統)が大きすぎることだ。大規模集中の電力システムは、大規模で高効率な発電所から、広域に送電することを前提として作られている。だからこそ、苫東厚真のような大規模な発電所が脱落したときには、連鎖的に停電が広がる範囲が大きい。

 近年、再生可能エネルギーの普及拡大は凄まじい勢いで進んでいる。配電網内に設置した分散電源を融通しながら利用する系統技術も開発が進んできた。例えば、大規模な発電所が脱落して送電ができなくなった時に、すべてを停電させるのではなく、分散電源を備えた配電網を一時的に送電網から切り離せば、完全な停電にならずに済む。

 現在、太陽光発電などの分散電源は、周波数低下を検知すると、大型火力などと同様に自動で停止するようになっている。今回の地震の影響がなかった発電所が停止した中には、大規模な発電所だけでなく、再エネ発電所も含まれている。

 少しでも停電の影響を軽微にするための方法には、様々な選択肢がある。長い時間をかけて構築してきた大規模集中型の電力システムの中での改善もあれば、分散型の電力システムを取り入れる方向での選択もあるだろう。


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 まさか日本で「ブラックアウト」が起きるとは――。

 9月6日午前3時8分頃、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震が発生。北海道全域で全域停電、いわゆるブラックアウトが起きた。一時は、北海道内のほぼ全世帯に当たる295万戸で停電した。


北海道で震度7  地震で停電したままの札幌市中心部=6日午後6時38分(出所:共同通信イメージズ)


 ブラックアウトの発生は、9電力体制のスタート以来、初めてのことだ。東日本大震災によって東京電力・福島第1原子力発電所事故が発生し、津波で太平洋沿岸部の発電所が被災した時でさえ、ブラックアウトは起きなかった。

 では、なぜ今回、ブラックアウトが起きたのか。原因を端的に言えば、北海道電力・苫東厚真火力発電所(厚真町)の一極集中だ。

 苫東厚真は石炭火力発電所で、3機合計で定格出力が165万kW。道内最大規模を誇る。北海道電力によると、地震発生時、道内需要310万kWの約半分を苫東厚真が賄っていたという。

 電気は貯めることができない。常に需要(電力の使用量)と供給(発電量)を一致させておく必要がある。今回のように、需要は変わらないのに供給が減ると、過負荷の状態となり、周波数が低下する。

 周波数の低下は、停電発生を意味する。各変電所に設置してある周波数低下防止装置(URF)が、周波数が一定値以下になったことを検知すると、停電が他の地域に広がらないように系統を遮断する。停電しているところに電気が流れると通電事故が発生したり、設備が損傷してしまうためだ。一方、発電所も周波数の低下を検知すると、自動で停止し、系統から自らを切り離す(解列する)。

 今回、震源地の近くに立地する苫東厚真火力発電所は、かなり揺れたはずだ。地震発生からほどなくして苫東厚真発電所は停止しただろう。その瞬間に、道内の供給は一気に半分に落ち込み、周波数が急激に低下した。

 北海道は人口も少なく、電力需要自体が小さい。北電が発表した9月7日の最大需要予測は380万kW。例えば、東電の最大需要は4700万kW弱。北電エリアの10倍以上だ。仮に東電エリアで苫東厚真と同規模の発電所が停止したとしても、供給の急激な落ち込みにはならない。

 地震発生が深夜で、電力需要が日中よりも小さく、他の発電機の稼働が少なかったことも、苫東厚真の脱落の影響度を大きくした。通常であれば、他の発電機が周波数の低下を検知して、出力を上げるなどの動きをする。だが、今回は苫東厚真の脱落分を回復させる手立てがなかった。

 こうして苫東厚真発電所の周辺部から、周波数の低下は徐々に道内に広がった。いくら系統を遮断しても、需給のバランスは取れず、ドミノ倒しのように停電エリアが広がっていった。同時に、発電所も連鎖的に停止した。こうして、北海道はブラックアウトしたのだ。

とはいえ全面復旧には時間がかかる


 復旧に向けた作業は急ピッチで進んでいる。まずは止まっていた水力発電を再稼働させ、その電気を使って、停止した発電所を動かし始めた。9月6日午後には、砂川発電所(砂川市)が稼働し、旭川エリアの一部で停電が解消した。その後も、複数の発電所を稼働させ、9月7日午前に約5割の停電が解消した。

 ただ、完全復旧には時間がかかりそうだ。

 北電が発表した9月7日の発電所の稼働予定を足し合わせ、北本連系線を使った本州からの送電分を足し合わせても、約310万kWにしかならず、最大需要380万kW (予測)には届かない。苫東厚真発電所を復旧させないことには、供給力不足が解消しないのだ。

 ただ、苫東厚真は、1、2号機でボイラー配管の損傷が見つかっている。また、4号機はタービンで火災が発生。復旧には一定の時間を要すると見られる。

 送電鉄塔など送配電設備の損傷もある。停電解消には、こうした設備の修復も必要だ。北電は「復旧には1週間程度はかかる」としている。


JEPXのスポット取引も中止


 9月6日午後6時、日本卸電力取引所(JEPX)は「北海道エリアのスポット取引を北海道エリアの需給バランスが改善されるまでの間、中止」する旨を告知した。当面、北海道エリアの電力取引は中断されることが決まった。全面自由化後、市場閉鎖は初めてである。

 「需要に対して供給力が決定的に不足している状況で市場閉鎖な当然」と小売電気事業者幹部は受け止める。ただ、新電力もブラックアウトは初めて経験だ。「復旧までの小売電気事業者の責任や負担が明確に分からず、対応に関連する情報収集を急いでいる」と話す。

 JEPXが北海道エリアの取引再開の条件に挙げる「需給バランスの改善」は、「苫東厚真の復旧がカギ」(JEPX幹部)だ。

 災害時の大手電力会社の対応は、かねて称賛に値するものだ。形式ばったルールなしに、他地域の電力会社が応援に駆けつける。今回も既に昨日の段階で、大手電力各社が電源車や応援人員を送っている。いまこの瞬間も、最大限の努力をもって復旧作業を進めていることだろう。

 一刻も早い復旧を願うとともに、ブラックアウトの経験を今後に活かす議論を始めたい。


8. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:19:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18361] 報告
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ブラックアウトと原子力発電 2018-09-08


今回の北海道のブラックアウトは、

(1) 泊原発を再稼働できない状況で、
(2) 複数の火力発電機がメンテナンスに入らざるを得ず、
(3) 165万kwという北海道の電力需要の半分を担う苫東厚真火力発電所が停まり、
(4) 周波数が大きく乱れ、他の発電機が自動停止した


 というメカニズムだったと考えます。


 誤解している人がまだいますが、電気とは十分な蓄電が未だに不可能で、今、消費されている電気は、今、生産されています(発電機で)。電力会社は一定の周波数の範囲内で、需要と供給を合わせなければなりません。


 苫東厚真火力発電所のように極端にシェアが高い発電機が停まると、 周波数の許容範囲を超えてしまいます。すると、接続されている電気機器や発電機が故障してしまうため、各地域の発電所がシャットダウンされ、ブラックアウトとなりました。


 というわけで、ポイントは、

「泊原発が稼働していた場合、苫東厚真火力発電所が停まっても周波数の変動許容範囲内で、ブラックアウトは起きなかったのではないか?」

 になります。この辺りは、今後の検証を待つとして、それ以前に、

「一つの発電所に域内電力の半分を委ねざるを得ない時点で、エネルギー安全保障は成り立っていない」

 という現実を、国民は理解するべきです。


『北海道ブラックアウト 最大の火力発電所からドミノ倒し
https://www.asahi.com/articles/ASL966Q4QL96ULFA044.html

 地震に襲われた北海道のほぼ全域が一時停電した。最大の火力発電所がダメージを受けて需給のバランスが崩れ、ドミノ倒しのように発電所が止まった。完全復旧までは1週間以上かかる見通しだ。

 「極めてレアなケース。すべての電源が落ちるリスクは低いとみていた」
 6日午後、札幌市の北海道電力本店。停電で薄暗い1階ロビーに設けられた会見場で、真弓明彦社長は、こわばった表情で話した。

 今回の停電は、離島などを除く北海道のほぼ全域で発生した。電気事業連合会によると、大手電力会社のほぼ全域に及ぶ大規模停電は初めてだ。

 今回の停電の発端となった苫東厚真火力発電所(北海道厚真町)は、北電で最大の火力発電所であり、3基の能力は計165万キロワット。地震でとまり、北電は、この時点の供給力の半分以上を一気に失った。需給のバランスが崩れ、その影響がほかの発電所にも及んで停止。道内全域の停電に追い込まれた。

 経済産業省が想定していた北海道での発電設備トラブルによる供給力減少は129万キロワット。「(165万キロワットは)想定外だった」と担当者も話す。(後略)』


 いやいや、泊原発を動かさず、苫東厚真火力が需要の半分を担っている時点で、165万kwの供給力減少は「普通に起きえる事態」でしょう。子供でも理解できる話です。


 結局、東日本大震災後に原発を「政治的」に停め、しかも代替の安定電源を増やすどころか、再生可能エネルギーなどという「ビジネス」にはなるものの、電力の安定供給には糞の役にも立たない電源を増やし、エネルギーミックス崩壊を放置していた「ツケ」が出始めているという話です。


 相変わらず、イデオロギー的に反原発な連中が多いですが、だったら原発に変わる「エネルギーミックス強化」になりえる電源を教えて下さい。ちなみに、火力はダメです。理由は、原油、石炭、LNGなど、我が国はほとんど自給できないためです。


 火力を増やしたところで、エネルギー自給率は下がります。電力会社の収益も悪化し、使用済み核燃料の処理や廃炉の技術開発すら不可能になります。


 さらには、メンテナンスコストが削られることで、日本の停電率は上がっていくことになります。もちろん、電気料金も上がりますが、それでいいんだ?


 別に、未来永劫、原発を使うべきとは言いませんが、とりあえず日本はエネルギー安全保障回復のために、原発を稼働しなければならないのです。


 また、未だに「地震で原発が〜」などと適当なことを書いている人がいますが、日本の原発は福島第一原発の事故後、耐震性が著しく強化されています。しかも、東日本大震災の際には、福島第一原発をはじめ、全ての原発は普通に自動停止しました。


 福島第一の事故は、津波による電源喪失。ただ、それだけです。電源喪失の結果、冷却ポンプが動かせなくなり、事故に至ったのです。


 建屋の屋上にディーゼルの発電機があれば、それで済んだ話なのですよ。


 今回の泊原発も、外部からの電源供給は止まった(そりゃそうでしょう)ため、非常用発電機でポンプを動かし続けました。


 上記が「事実」であるにも関わらず、共産党の小池晃を代表に、今回のブラックアウトを反原発に利用しようとする連中が少なくなく、吐き気がします。


 繰り返しますが、だったら原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さいよ。それができないなら、せめて口をつぐめ。


 今回のブラックアウトは、反原発に固執し、エネルギー安全保障の劣化を放置し、一つの発電所に供給の半分を委ねなければならない事態に追い込んだ「政治家」「言論人」そして「国民」の責任なのです。


 次なるブラックアウトを回避するためにも、日本はエネルギーミックスのバランスを回復する必要があります。そのためには、原発を稼働せざるを得ないのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403443295.html


9. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:35:27: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18361] 報告
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泊原発を緊急再稼働させるべきだ 2018/09/06
だから散々言っただろう。電力は、足りてるからいいってもんじゃねえんだよ。原発反対のバカは、人殺しだ。泊は震度2から3だろ。

バカのヒステリーに振り回されて、電気がなく治療を受けられず死んでいく奴の方が圧倒的に多いんだからな。

そういう話はマスコミには、流れない。
http://www.nikaidou.com/archives/105729


10. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月09日 10:53:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18382] 報告
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続 ブラックアウトと原子力発電 2018-09-09

 こと原発関連のエントリーを書くと、日本語が分からない連中が次々に出現してウンザリするのですが、わたくしは、

「原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さい」

 と、書いているんですよ。


 反原発派は、すぐに火力を増やせどうのと言い出しますが、火力発電所の新設には、土地の選定から数えると、少なくとも十年は必要です(原発は二十年だそうです)。


 十年間は「今すぐ」なの?


 日本のエネルギー安全保障は、すでに崩壊状態であったことを、全道ブラックアウトが証明しました。つまりは、「今すぐ」改善しなければならないのです。


 それにも関わらず、火力発電の強化を未だに言っている・・・。


 そもそも、北海道電力を含む日本の電力会社の火力発電所は老朽化し、使用に堪えないものが少なくないのです。それを、騙し騙し使わざるを得ない状況に追い込まれていたのです、日本の各電力会社は。


 火力発電を強化するどころか、一部の発電所は取り壊しをしなければならない時期に至っています。


 老朽化が進んだ結果、当然ながら、メンテナンスの回数も激増し、電力会社は供給を維持するために綱渡りを強いられていました。


 2010年度の北海道電力における火力発電所のトラブル件数は52件。2016年は82件。着実に増えてきていますが、当然です。


 北海道電力の奈井江発電所では、わたくしよりも年上の発電所が現役なのですよ。半世紀近く稼働し続けてきた老朽化発電所が、身体に鞭打って動き続けています。


 それはまあ、トラブルやメンテナンスが増えて当然です。


 北海道地震の死者数は35人を越えました。


 停電はほぼ解消しましたが、何しろ上記の有様なので、いつ次の発電機の故障があるか分かりません。


 といいますか、最大火力である苫東厚真発電所が復旧していないため、建設後半世紀近い「老体」がフル稼働し、ようやく供給を確保している有様です。


『北海道で2割節電要請 経産相、停電はほぼ解消
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3514610008092018MM8000/

 北海道で震度7を観測した地震で、世耕弘成経済産業相は8日夜、道内に平常時より2割の節電を呼びかける考えを示した。地震による停電はほぼ解消したが、週明けの電力需要増などに備え、これまで1割としていた目標を引き上げる。被災地では空路や鉄道の再開が進む一方、約2万6千戸が断水するなどインフラの復旧は途上だ。

 節電目標の引き上げは老朽化した火力発電所の故障リスクなどを踏まえた。世耕経産相は記者団の取材に「土砂崩れなどで立ち入り困難な一部地域を除き、8日中に停電を解消させる予定だ」と説明。大規模停電の再発を防ぐため、万一の場合に計画停電を実施する方針も改めて示した。(後略)』


 苫東厚真発電所が復活したところで、老朽化火力に一定の電力供給を依存せざるを得ないという状況は変わりません。


 ちなみに、来年2月には石狩湾新港発電所が動き出しますが、当初は1号機だけなので、出力は56.94万Kwのみ。2号機以降は、2023年以降の稼働予定です(さすがに早めたいところでしょうが)。


 また、2019年までに運転年数が40年を超す老朽化火力は、132万kw。石狩湾1号機が動き出したところで、老朽化火力の稼働は続かざるを得ません。泊原発が再稼働しない限りは。


 結局、石狩湾1号機が動き出しても、北海道の電力供給は、苫東厚真発電所に極端に依存する構造は変わらないのです。


 目の前に危機があり、その解決方法も明らかである。


 無論、「未来永劫」の解決策ではなく、泊原発を再稼働し、とにもかくにも「目の前の危機」を乗り越え、その後は石狩湾2号機以降の建設を早め、老朽化火力を「引退」させ、さらには水力発電の強化など中期的なエネルギーミックス確保を目指す。


 その「後」、原発についてどうするのか。使用済み核燃料の再処理や最終処分、廃炉の技術開発を着々と進めていきつつ、原発をエネルギーミックスの中でいかに位置づけるのかを考えていく。


 これ以外に、北海道のエネルギー安全保障を回復する道はありません。


 正直、「ピコーンッ! ひらめいたっ!」系の適当なアイデアで解決できるほど、北海道の(あるいは日本の)エネルギー安全保障崩壊は甘い問題ではないのです。


 「今すぐ」に解決する必要がある以上、北電は泊原発を再稼働しなければならないのです。政治は動かなければなりません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403646397.html


11. 中川隆[-13649] koaQ7Jey 2018年9月10日 10:36:20: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18412] 報告
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全道ブラックアウトと発送電分離 2018-09-10


 北海道の大規模停電は、一部の地域を除きほぼ解消されました。


 世耕経済産業大臣は、電力需要が高まる平日は需給の逼迫が予想されるとして、全道に二割の節電を求めています。


 今回のブラックアウトは、季節が厳冬期ではなかったという点が、本当に不幸中の幸いでした。


 氷点下二十度の世界、しかも大雪で交通もままならない世界において、ブラックアウトが起きたら・・・。人類史に残る悲劇になってしまったのは確実です。


 ちなみに、冬の北海道は電力需要が500万kw(現在は300万Kw台)を超すため、苫東厚真が復旧したとしても、万全には程遠い状況が続きます。


 政治的に「泊原発再稼働」を認めなければなりません。


 その上で、原子力規制委員会の審査を続ければいいのです。


 ちなみに、発電所の再審査等は、発電しながら進めていくというのが「グローバルスタンダード」です。さもなければ、将来の懸念に考慮した挙句「現在の危機」を招きかねないためです。


 原発を全て停止したまま審査を行うなどという「頭がおかしい」ことをしているのは、日本だけです。


 また、北海道の停電は解消しつつありますが、台風21号による西日本の停電は続いています。


『台風21号に伴う停電「9日中に半分に」 世耕経産相
https://www.asahi.com/articles/ASL996QVZL99ULFA005.html

 台風21号に伴う関西電力と中部電力の管内での停電について、世耕弘成経済産業相は、9日午後3時時点で約3万戸まで減ったことを明らかにした。この半分にあたる1万5千戸まで9日中に減らすことを「目指したい」とも述べた。復旧を加速させるため国土交通省に加えて自衛隊とも連携していく、という。』


 日本国は今、北海道と西日本という二つの戦線で、自然災害との戦争を繰り広げていることになります。陳腐な書き方ですが、戦争はすでに始まっているのです。


 さて、北海道には泊原発を動かすという「短期的な解決策」がありますが、中期的に、とんでもない問題が待ち構えていることを知ってください。


 すなわち、2020年4月の「発送電分離」です。


 電力会社の送配電部門と、発電部門が「法的に分離」されるのです。さらに、一般送配電事業者・送電事業者が、発電事業を行うことは「禁止」されます。


 また、「適正な競争関係を確保するため」というバカげが理由から、一般送配電事業者・送電事業者と発電事業者について、取締役の兼業禁止等の行為規制も課せられるのです。


 つまりは、2020年4月以降、電力会社(一般送配電事業者・送電事業者)は「発電所を持たない」状況になるわけでございます。


 自前の発電所がない「電力会社」は、果たしてこれだけ自然災害が多発する日本国において、電力の安定供給が実現できるのでしょうか。


 あるいは、大震災で発電所なり送電網なりが破損したとき、「速やかな復旧」が可能なのでしょうか。


 できるはずがありません。


 現在の日本国において、ギリギリ電力が安定的に供給され、復旧が何とかなっているのは、電力会社が発電から送電網までを統合的に管理しているためです。要は「社内で何とかしている」のです。ところが、2020年4月以降は「社内」では話が終わらなくなってしまいます。


 それにも関わらず、
「発電部門を新規ビジネスに」
 などという、レントシーキングの対象とし、安倍政権は発送電分離を強行しようとしています。


 このまま発送電分離を進めると、我が国は電力の安定供給が「目標」で、自然災害の際には復旧に何か月もかかる「発展途上国」へと落ちぶれることになるでしょう。


 日本のエネルギー安全保障が崩壊状態にあることが、全道ブラックアウトで確定しました。安倍政権は発送電分離を早急に中止するべきです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403889378.html


12. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2018年9月14日 06:33:02: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18523] 報告
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全道停電まで緊迫の18分間 泊原発への電力供給維持に手を尽くす?
9/13(木) 19:31配信 北海道新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010003-doshin-hok

各地の病院の停電時刻。倶知安、岩内は午前3時28分


病院の自家発電装置の記録から追跡

 6日の胆振東部地震の発生直後に道内を襲った全域停電「ブラックアウト」。道内各地の病院に設置された自家発電装置の記録から、そのメカニズムの一端が明らかになってきた。前代未聞の停電はどのように発生し、どのように広がったのか。北海道電力が明らかにしない中、地震発生からブラックアウトまでの18分間を追った。(宇野沢晋一郎、長谷川裕紀)

停電前後、北海道の明暗 東京の測量会社が撮影
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自動で負荷遮断 北本連系線がフル稼働

 6日午前3時7分 最大震度7の激震が胆振管内厚真町を襲った。

 午前3時8分 厚真町内にある道内最大の火力発電所、苫東厚真火力発電所(3基=3号機は廃止)の2号機と4号機(合計出力130万キロワット)では、高温の水蒸気を運ぶ細長いボイラー管が縦揺れに耐えきれず損傷。直後に停止し、北電は全道の電源の4割を一瞬にして失った。

 当時社員ら27人がいたが、ブラックアウトを防ぐため、手動でなく自動的に二つの作業が進んだ。

 一つが「負荷遮断」。ブラックアウトで道内の電源がゼロになると、発電機を動かすのに必要な電気もなくなり、復旧に時間がかかる。停止した電源に見合うだけの需要を一時的に切り離し、停電から回復しやすくしようとした。一瞬にして、道北、函館などの地域の多くで停電。残されたのは札幌など道央が中心だった。

 午前3時11分 二つ目の自動システム「北本連系線」がフル稼働。北海道と本州を結ぶ送電線で、どちらかの地域で需給バランスが崩れると、自動的に電気が送られる仕組みになっている。最大量である60万キロワットが本州から北海道に向けて送られ始めた。

 この時点で、道内の需給バランスは不安定ながらも、保つことができていた。
.

釧路ではいったん送電再開

 午前3時15分 同3時9分に停電した市立釧路総合病院で送電が再開された。

 午前3時17分 同じく釧路地方向けの送電網で釧路赤十字病院で電力がいったん復旧。高橋令総務係長は「自宅でもいったん電気が戻った記憶がある」。
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午前3時25分 北電「ブラックアウト」

 午前3時25分 苫東厚真火発で唯一運転を続けていた1号機(出力35万キロワット)のボイラー管損傷が深刻化。「穴が開いており、何百度もの高温の水蒸気が噴き出し、すさまじい音だったに違いない」(東京工業大の奈良林直特任教授)と推測され、他の2基停止による電力の周波数低下にも耐えきれず自動停止した。

 1号機停止で、道内の他の発電所が連鎖的に停止。道内で電源が失われたため、本州からの送電もできなくなった。北電はこの時刻を「ブラックアウト」としている。
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全道停電まで緊迫の18分間 泊原発への電力供給維持に手を尽くす?


泊原発の位置に注目


倶知安と岩内には午前3時28分まで電力供給

 午前3時28分 北電の発表とは異なり、後志管内倶知安町と岩内町の病院ではこの時刻まで送電が続いた。送電線の先には、泊原子力発電所(同管内泊村)があり、常に冷却が必要な使用済み核燃料が大量に置かれている。北電は冷却を維持するため、あらゆる手段で、電力供給を維持しようとしたようだ。同時刻に冷却用の非常用電源が動き始めている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010003-doshin-hok


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2段階で全道停電 一部地域切り離し、十数分しか持たず 09/13 07:24

 6日未明の胆振東部地震による停電で、北海道電力が道内全域の「ブラックアウト」を防ぐため、停電地域を自動的に道東や道北など一部に限定しようとしていたことが分かった。本州からの送電も増加したが、地震発生から18分後に全域停電したとみられる。北海道新聞が、自家発電装置を持つ主な病院23カ所の記録を集計した結果、地域内でばらつきはあるが、停電はほぼ2段階で起きていた。経済産業省は、北電の対応が適切だったのか検証を進めることになる。

 北電は、取材に対し、ブラックアウトの詳細な経緯は明らかにしていない。

 大規模病院では、停電時に自動で切り替わる自家発電装置を備え、停電発生時刻を記録する。これを各地域の目安として集計すると、地震発生(午前3時7分)直後とブラックアウト発生(同25分)前後に分かれた。北見や函館などの病院では、地震発生直後の同8分に停電した一方、札幌や旭川、苫小牧の病院の停電はブラックアウト時だった。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/227740


13. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月15日 09:49:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18550] 報告
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泊原発の再稼働が必要である 2018-09-15

 さて、今回の北海道地震及びブラックアウトを受け、相変わらず泊原発に関する意味不明な論調が飛び交っています。


 SNSの話ではありません。歴とした「新聞」もそうなのです。


 一番、分けがわからなかったのは以下の東京新聞の社説。


『<北海道地震>全道停電 集中は、もろく危うい
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018090702000170.html

 苫東厚真発電所の機能不全に始まる停電の闇が、広い北海道を覆い尽くした。電源の一極集中、過度な依存は、地震に弱い。バックアップと調整機能の強化が急がれる。大都市圏でも、なおのこと。

 一発電所のダウンが全道を覆い尽くした。復旧は始まっているものの、一時は全二百九十五万戸が光を失った。阪神大震災時を上回る。交通機関をはじめ、あらゆるインフラが機能不全に陥った。

 震源地に近い苫東厚真は、道内最大の火力発電所。三基の最大出力は合計百六十五万キロワットに及ぶ。(中略)

 大規模発電所への過度な依存を改め、再生可能エネルギーの活用を視野に発電所の配置を見直し、本州も含めた連携網、つまり需給調整の機能の強化が急務である。現に北海道電は本州からの融通で急場をしのぐという。

 かといって、原発には安易に頼るべきではない。
 苫東厚真の1号機、2号機の配管が損傷し、蒸気が漏れ出した。4号機では、タービンから出火した。地震の揺れによる損壊は、原発でも十分起こり得る。
 原発事故の影響が火力発電所の比ではないことは、3・11で明らかだ。今回の地震でも泊原発の外部電源は、震度2で喪失した。(後略)』


「今回の地震でも泊原発の外部電源は、震度2で喪失した」


 あの・・・。泊原発の外部電源が喪失したのは、苫東厚真発電所が落ちて、全道ブラックアウトになったためで、「震度2の地震」とやらは何の関係もないのですが。


原子力発電所は、停めていれば安全というわけではありません。使用済み燃料が貯蔵されたプールを冷却ポンプで冷やし続ける必要があります。


 福島第一原発は、地震では普通に自動停止しました。自動停止したとしても、ポンプは動かし続けなければなりません。


 東日本大震災の際には、東方地域の電力の多くが停まり、福島第一原発への外部電源(外から引っ張った電線で供給される電気)も止まりました。


 というわけで、ポンプを動かすには非常用発電機(大抵はディーゼル)に頼ることになります。ところが、その後の津波で非常用発電機までもがやられてしまい、事故に至ったのです。


 泊原発は停止中で、自家発電ができないため、外部から引いてきた電線から供給される電気でポンプを動かし続けていました。


 全道ブラックアウトになれば、外部電源が停まるのは当たり前でしょ。


 それにもかかわらず、東京新聞の社説は「震度2の地震で外部電源が停まった」という印象操作を行い、原発再稼働への道をふさぐ世論操作を行っているわけです。


 北海道の道民の「生命」に関わるエネルギー安全保障強化のためには、泊原発を再稼働する以外に道はない(あるというならば、教えて下さい)にも関わらず。


 しかも東京新聞は、


『電力がインフラの中のインフラであることを、今度の地震であらためて思い知らされた。
 医療機関への影響は特に深刻だ。これが、命にかかわる八月の猛暑のさなか、道外で起きていたらと思うと一層背筋が寒い。
 大都市ほど停電には弱い。電源の分散配置、連携強化が急がれるのは北海道だけではない。』


 と書いておきながら、原発は否定。代わりに何の電源を増強するべきかについては、スルー。


 この手の無責任な連中の発言力が大きく、原発が再稼働されず、電力需要が膨れ上がる冬を迎えなければならない北海道。怒りを禁じ得ません。


 ちなみに、政府が泊原発再稼働を決めた場合、「北海道の冬」にはまだ間に合います。


 2012年6月16日、野田佳彦総理大臣(当時)が大飯原発の再稼働を決定し、大飯3号機が動き始めたのが、7月5日。4号機は7月21日でした。

 以前、電力会社の中の人に聞いたところ、原発再稼働のためには「一か月」あればいいとのことでした。

 つまりは、政府が今、泊原発再稼働を決定すれば、遅くとも10月中には再稼働が可能なのです。

 それにも関わらず・・・・。


『泊原発「直ちに再稼働あり得ない」…菅官房長官
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180910-OYT1T50076.html
 菅官房長官は10日の記者会見で、北海道電力泊原子力発電所(北海道泊村)の再稼働について、「原子力規制委員会で新規制基準に基づく安全審査中なので、直ちに再稼働することはあり得ない」と否定した。
北海道地震を受け、電力需給が逼迫ひっぱくする恐れが出ているが、政府は火力発電所の再稼働や本州からの電力融通に加え、節電を呼びかけることで対応する方針だ。』


 「節電を呼びかける」

 発展途上国ですな、我が国は。

 ちなみに、泊原発がなぜ原子力規制委員会の審査をなかなかクリアできないのかといえば、
「活断層がないことを証明しろ」
 と、悪魔の証明を求められているためです。

 しかも、活断層があったところで、地震発生の確率は数万年に一度。数十年しか稼働しない原発について、数万年に一度「発生するかもしれない」地震を理由に、再稼働を認めないのです。

 さらに言えば、地震が発生したところで、耐震化が強化された311以降の原発は、事故に至る可能性は極めて低いのです。

 しつこいですが、福島第一原発の事故は「電源喪失」が理由であり、地震そのものではありません。建屋の屋上に非常用発電機を置いておけば、あの事故は起きませんでした。

 ところが、この手の主張を政治家は誰も口にせず、北海道電力に対して「手足を縛ったまま、責任を丸投げ」というわけです。

 我が国は、狂っています。


 くどいですが、わたくしは別に原発推進論者ではありません。もちろん、火力推進者でも水力推進者でも、再エネ推進者でもありません。日本のエネルギー安全保障が強化されるなれば、電源は何でもいいです。


 とはいえ、現在の北海道(日本全国がそうですが)のエネルギー安全保障を回復し、冬に「凍死者続出」などという悪夢を避けるためには、泊原発再稼働以外に道はないのです。(あるいというならば、しつこいですが「今すぐ」に使える電源を教えてくれ!)


 同じ国民である北海道の人たちが、節電の常態化という発展途上国の暮らしに叩き落されるのは耐えられないのです。冬に同じ国民が次々に凍死していく事態も、何としても回避しなければならないと考えています。

 これって、変? 普通の感覚だと思うのですが。

 ところが、日本の政治に責任を持つべき政治家は、原発再稼働という「絶対に必要なソリューション」から目をそらし続ける。

 繰り返しますが、我が国は狂っています。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12405054313.html


14. 2018年9月15日 23:43:20 : 7IsConGZXQ : kdImzkGWg@Q[3] 報告
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北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか
https://hbol.jp/174509


15. 中川隆[-13612] koaQ7Jey 2018年9月16日 20:40:36: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18598] 報告
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「北電ブラックアウト」は人災だったと言えるこれだけの理由
そろそろ民主党時代の呪いを振り払おう
川口 マーン 惠美
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57521


北海道で台風、地震の被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風による被害が収束しないうちにやってきた大地震。北海道は、台風や地震とはそれほど縁のない土地だ。だから地震のショックはもとより、余震の中での電気のない生活はどれほど辛かったか想像に余りある。

電気は貯められない。しかも、多すぎても少なすぎても停電になるので、常に需要に供給量を合わせていかなければならない。読売オンラインは、「電力会社は、発電する量と消費する量がおおむね一致するように調整している」とサラッと書き流していたが、それがどれだけ難しいことか。

電気需要は、まず、季節によって大きく変動するし、寒波や猛暑、高気圧の居座りなど、中期的変動もある。平日と週末でも変わる。1日の中でも、巨大ビルが目覚め、工場が稼働し始めると、それに合わせて各発電所が出力を上げていく。W杯やオリンピックの自国戦があれば、休日や夜間でも、突然、電気の需要はコブのように盛り上がる。さらに昨今は、そこにお天気まかせの再エネが入ってくるので、調整はさらに複雑になった。


今回のブラックアウトは、地震発生当時、全電力需要の半分を発電していた苫東厚真火力が停止してしまったので、他の発電所も発電機の故障を防ぐため、次々に自動停止して起こった。電力会社の社員は、停電をさせてはならないというDNAを持っているので、その瞬間から寝ずの復旧作業が始まった。他の電力会社からも救援のため、同じDNAを持った人たちが発電車両を駆って北海道に向かった。

ブラックアウトの原因

需要と供給を合わせるのが難しいと書いたが、今では多くをコンピューターがやってくれる。しかし、ブラックアウトが起こったあと、一つ一つ発電所を復活させていくのは、誰も経験したことのない、まさに未知の領域だ。

今まで知らなかったが、一度止まってしまった発電機を稼働させるには、種火となる電気が要るそうだ。ところが、今回は北海道全体が停電していた。そんな場合、電気なしに発電を再開できるのは、水力しかない。だから北電では、水力発電所で作った電気を、まさに貴重な火種として、まず、砂川火力発電所を立ち上げた。

ただ、送電したその瞬間にどれぐらいの需要があるかは、やってみなければわからない。家で心細い思いをしていた人々は、冷蔵庫がブーンと唸り出したのを聞いて、「わー、電気、付いた、付いた!」と喜べば済むが、そこで需要と供給のバランスが大きく食い違ったら、また、自動停止となり、元の木阿弥だ。

そこで、一定の範囲に限って慎重に送電し、バランスが上手く取れたとわかったら、発電量と送電の範囲を少しずつ広げていく。針の穴を通すような、緊張の時間だったに違いない。こうして、あの広い北海道で、8日の夜には、ほぼ全域で電気が回復した。まさに神業だった。

なのに、巷には、その北電を非難する声がある。ブラックアウトが起こったのは、北電が、発電を苫東厚真の火力に一極集中していたのが悪いそうだ。

苫東厚真の一極集中は当たっている。それがブラックアウトの直接の原因であったことも確かだ。しかし、北電がそれを望んでやっていたかというと、そうではない。泊原発を動かせないから、一局集中してしまったのだ。

東日本大震災の前、泊原発は北海道の電気の44%を担っていた。それが停止したら、当然、電気が逼迫する。だからといって、火力発電所をすぐに新設できるわけはない。仕方なしに、廃止するはずの老朽火力まで動員して、この6年間、必死でやりくりしてきた。老朽火力はトラブルが多いのに、よくもまあ、今まで大停電も起こさずに頑張ってきたものだと思う。

泊原発は東日本大震災の影響を受けなかったので、福島原発の事故の後も、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、日本で最後まで頑張った原発だ。それ以来、再稼働を目指し、新規制基準に対応するよう鋭意努力を続けてきた。現在の日本の原発の安全基準は、世界一厳しい。何が起こっても大丈夫なようにと、電源、ポンプ、燃料、水は、これでもかというほど、何重にも確保した。

地震対策も万全だ。泊原発の最大加速度については、今のところ620ガルに耐えられるようにと、必要な補強工事が進められている(ガルというのは、物理学における揺れの激しさを示す単位)。

ちなみに、東日本大震災のときの福島第一原発では最大で550ガルの揺れ。先週の地震の泊の揺れは、1号機、2号機、3号機が、6ガル、および7ガルだった。原子炉建屋など重要な建物は、強固な岩盤に直接くっつけて建設してあるので、泊原発はほとんど揺れなかったと言ってよい。


この原発が稼働していれば、苫東の一極集中もなかったし、ブラックアウトも起こらなかっただろう。

泊原発の再稼働が認可されない理由

ところが、とんでもないデマが飛び交っている。

朝日新聞系列のAERAdot.の9日付の記事では、「2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても『絶対に電源を切らさないこと』だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか」と書く。タイトルは、「震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発『経産省と北電の災害対策はお粗末』地震学者」。

繰り返すようだが、泊の原子力発電所は6年間動いていない。3基ある原発には、使用済みとこれから使う燃料棒を保管してある水槽がある。圧力容器ではなく、普通の水槽だ。ここが停電になっても、突然、水が沸騰し、蒸発し、むき出しになった核燃料が爆発の危険に晒されるというようなものでは決してない。

普段、核燃棒の冷却には普通の電気が使われている。ところが、北海道全土が停電になってしまったので、当然、電気が来なくなった。僭越ながら、外部電源喪失というのは停電のことだ。

だから、燃料棒の冷却のため、予備の非常電源を使った。そのどこに問題があるのか? 私は理系の人間ではないが、それでも、福島第一や第二の電源喪失と、泊のそれの違いぐらいはわかる。

ところが、太田某という女性弁護士は、この記事を読んで、「震度2で電源喪失寸前ってどれだけ危ういのか。お粗末という言葉でも足りない。原発持てる国土じゃないって認めようよ」と発信しているので、わからない人もいるらしい。日本が原発を持てる国じゃなければ、どの国が持てるのだろう?

これだけ厳重に安全対策が敷かれている泊原発の再稼働が未だに認可されない理由は、原発の近隣の海岸の地形が、新潟の佐渡島の小木半島、および青森県大戸瀬周辺に似ているからだというのである。この両者は、地震の隆起でできた地形であり、泊も似ているから、ひょっとすると原発の近辺、あるいは真下に活断層があるかもしれないというのが、原子力規制委員会の見解。

発電所敷地内の断層については、北電が念入りに調査したが、いずれも後期更新世(12万6000年前から1万1700万年前まで)以降の活動は認められていない。しかし、原子力規制委員会は2017年3月、北電の提出したデータを認めなかった。規制委というのは、原発を稼働させないことが自分たちの使命だと固く信じている人たちの集まりだ。


資源貧国の生きる道

規制委の不思議な生い立ちを、東京工業大学先導原子力研究所助教授の澤田哲生氏が下記のように説明する。

「規制委は(略)強大な権限を持つ『3条委員会』(府省の大臣などからの指揮や監督を受けず、独立して権限を行使することができる機関・著者注)として発足した。(略)そのことを菅氏は2013年4月30日付の北海道新聞に臆面もなく吐露している。(略)『トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです』」(『北海道地震、未曾有の大停電は菅直人にも責任がある』iRONNA9月7日付)

規制委が菅直人の負の遺産と言われる所以だ。


北電の発表では、泊発電所の安全対策工事費の総額見通しは、「2000億円台半ば程度」。これだけしても、規制委がある限り、いつ再稼働できるやらさっぱりわからない。

ただ、幸いなことに、福島第一の事故以前から、つまり、泊が稼働していた時から、北電は石狩湾新港発電所の新設計画を進めていた。完成予定は来年の3月。

元々は、老朽化した石炭火力を止めて、CO2排出の比較的少ないLNG(液化天然ガス)で置き換えるつもりだったが、いまのところ、老朽火力の廃止はあり得ない。そんなことをしたら、たちまち電気が足りなくなる。

私は、今回のブラックアウトは人災だったと思っている。現在の北海道の状態は、元気な主力選手をベンチに引っ込めて、二流選手に発破をかけ、人数が足りないのでとっくに引退した選手まで引っ張り出し、挙げ句の果てに、試合に負けたからと叱責しているようなものだ。

日本のように資源貧国が原子力を使わなければ、徒らに国力を弱める。日本が戦後、平和で、しかも豊かな国になれたのは、決して偶然ではない。その貴重な宝物を、私たちが壊してしまっては、先人にも子孫にも申し訳が立たない。原子力規制委は、一刻も早く菅直人氏の呪いを振り切り、国民の生活を守るためにも、安全な原発の再稼働に踏み切ってほしいと願う。


16. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2018年9月17日 09:06:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18604] 報告
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続 泊原発の再稼働が必要である 2018-09-17

 さて、改めて北海道の電力需要のピークは516万kwです(12月)。


 北海道電力は、苫東東が復旧しない中、とにかく電源をかき集め、350万kwは確保。何とか厳冬期までに苫東東を復活させ、550万kwを確保する計画になっています。


 もっとも、上記は老朽化した火力発電が故障しないという前提になっており、十分な電力を確保できるかどうかは「不明」です。


 経産省は、
「10月以降は電力需給が正常化する」
 としていますが、大規模な発電所の故障がないこと、及び気候が前年並みであることが前提です。つまりは「お天気様次第」なのです。


 この状況で、かたくなに泊原発を再稼働しない日本国。泊原発の再稼働について、一切、発言をしようとしない政治家たち。


 我が国は、もはや国家の体をなしていません。


『「北電ブラックアウト」は人災だったと言えるこれだけの理由 そろそろ民主党時代の呪いを振り払おう
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57521  

 北海道で台風、地震の被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

 台風による被害が収束しないうちにやってきた大地震。北海道は、台風や地震とはそれほど縁のない土地だ。だから地震のショックはもとより、余震の中での電気のない生活はどれほど辛かったか想像に余りある。

 電気は貯められない。しかも、多すぎても少なすぎても停電になるので、常に需要に供給量を合わせていかなければならない。読売オンラインは、「電力会社は、発電する量と消費する量がおおむね一致するように調整している」とサラッと書き流していたが、それがどれだけ難しいことか。

 電気需要は、まず、季節によって大きく変動するし、寒波や猛暑、高気圧の居座りなど、中期的変動もある。平日と週末でも変わる。1日の中でも、巨大ビルが目覚め、工場が稼働し始めると、それに合わせて各発電所が出力を上げていく。W杯やオリンピックの自国戦があれば、休日や夜間でも、突然、電気の需要はコブのように盛り上がる。さらに昨今は、そこにお天気まかせの再エネが入ってくるので、調整はさらに複雑になった。

 今回のブラックアウトは、地震発生当時、全電力需要の半分を発電していた苫東厚真火力が停止してしまったので、他の発電所も発電機の故障を防ぐため、次々に自動停止して起こった。電力会社の社員は、停電をさせてはならないというDNAを持っているので、その瞬間から寝ずの復旧作業が始まった。他の電力会社からも救援のため、同じDNAを持った人たちが発電車両を駆って北海道に向かった。(中略)

 なのに、巷には、その北電を非難する声がある。ブラックアウトが起こったのは、北電が、発電を苫東厚真の火力に一極集中していたのが悪いそうだ。

 苫東厚真の一極集中は当たっている。それがブラックアウトの直接の原因であったことも確かだ。しかし、北電がそれを望んでやっていたかというと、そうではない。泊原発を動かせないから、一局集中してしまったのだ。

 東日本大震災の前、泊原発は北海道の電気の44%を担っていた。それが停止したら、当然、電気が逼迫する。だからといって、火力発電所をすぐに新設できるわけはない。仕方なしに、廃止するはずの老朽火力まで動員して、この6年間、必死でやりくりしてきた。老朽火力はトラブルが多いのに、よくもまあ、今まで大停電も起こさずに頑張ってきたものだと思う。

 泊原発は東日本大震災の影響を受けなかったので、福島原発の事故の後も、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、日本で最後まで頑張った原発だ。それ以来、再稼働を目指し、新規制基準に対応するよう鋭意努力を続けてきた。現在の日本の原発の安全基準は、世界一厳しい。何が起こっても大丈夫なようにと、電源、ポンプ、燃料、水は、これでもかというほど、何重にも確保した。

 地震対策も万全だ。泊原発の最大加速度については、今のところ620ガルに耐えられるようにと、必要な補強工事が進められている(ガルというのは、物理学における揺れの激しさを示す単位)。

 ちなみに、東日本大震災のときの福島第一原発では最大で550ガルの揺れ。先週の地震の泊の揺れは、1号機、2号機、3号機が、6ガル、および7ガルだった。原子炉建屋など重要な建物は、強固な岩盤に直接くっつけて建設してあるので、泊原発はほとんど揺れなかったと言ってよい。

 この原発が稼働していれば、苫東の一極集中もなかったし、ブラックアウトも起こらなかっただろう。(後略)』


 川口先生は、後略部で先日のエントリーでも取り上げた、
「泊原発の外部電源が落ちた(ブラックアウトなのだから当たり前)ことを受け、非常用電源が稼働したことを「批判」し、原発再稼働を妨害しようとする論調」
 について、「とんでもないデマ」と、猛烈に批判しています。


 くどいですが、泊原発の外部電源が落ちたのは、北海道全域で停電したためで、震度2の地震とやらは何の関係もありません。


 それにも関わらず、
「わずか震度2の地震で、外部電源が落ちた!」
 と、騒ぎ立て、原発に対する信頼性を貶め、再稼働を防ごうとしているわけです。


 川口先生も引用されていましたが、AERAdotは9月6日の記事、


「震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者」


 と、信じがたい見出しの記事を配信しました。


 記事中で、AERAは、

『なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。』

 と、書いています。


 いやいや、全道ブラックアウトが起き、泊原発の外部電源が失われなければ、そちらの方が驚きです。というか、魔法が必要です。


 とはいえ、多くの国民は「外部電源」の意味を理解していないため、メディアが「震度2で外部電源が失われた」と、やられると、普通に「やっぱり原発は安全じゃないんだ」という印象操作をされます。


 この種の川口先生風に言うと「デマ」、わたくしに言わせれば「これはもはや『テロ』と呼ぶべきでは」と考えてしまう印象操作により、北海道の住民の方々は「節電生活」「停電時の凍死」という、発展途上国並のリスクを押し付けられているわけです。


 くどいですが、わたくしは原発推進論者ではないので、泊原発再稼働無しで「今すぐ」に北海道の電力の安定供給が可能な方法があるならば、それでもいいと思います。


 でもね、そんなものはないんだよ。


 しかも、「震度2で電源喪失!」といったデマ、テロリズムを叫ぶ連中が後を絶たず、「たった一つの解決策」の道が封じられる。


 これが、日本の現実です。


 改めて断言します。日本政府は、政治的に泊原発の再稼働を決断しなければなりません。北海道の「同じ国民」を守る気があるならば。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12405511094.html


17. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2018年9月17日 17:46:18: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18610] 報告
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余震も停電もまだある北海道で「今、ストーブが足りない」という大問題
9/17(月) 10:00配信 現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180917-00057564-gendaibiz-bus_all


 北海道・札幌市出身のライター、梅津有希子さんは、9月6日の震災後1週間して、一人暮らしをする母のために帰省をした。その一番の理由は、1年のうち半分必要だというストーブの確保のためだったという――。

 9月6日未明に起きた、最大震度7を記録した北海道胆振東部地震。厚真町を中心に甚大な被害となったが、その後の北海道内全域約295万戸にわたる大停電が、道民の防災意識をガラリと変えたといっていいだろう。過去にも北海道南西沖地震や十勝沖地震などの大きな地震はあったが、道内全域の停電は、1951年の北海道電力創設以来初だという。

 今回の大規模停電の復旧タイミングは地域によってかなり差があり、「復旧まで少なくとも1週間」という情報も流れるなど、道民の不安は募る一方だった。結局、筆者の札幌の実家は地震発生3日目の夜に復旧したが、道内でも最後のほうだった。

 北海道から出たことがなく、これまで大きな災害経験のないひとり暮らしの母は、「札幌で震災は起こらないだろう」と思い込んでおり、防災の備えはゼロ。食べ物と飲み物は問題なかったが、今回の停電でも「家の電話がつながらない」「携帯の充電が切れた」「車で充電しようにも、電動シャッターが開かず車が出せない」「水は出るが電動のトイレが流せない」「テレビもラジオもチェックできない」と、とにかく何もできない。「これは一緒に災害対策をせねば」と、様子が落ち着いてきた1週間後、札幌に帰省したのだ。
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余震も停電もまだある北海道で「今、ストーブが足りない」という大問題


空っぽになったホームセンターのストーブ棚。9月9日現在品切れとあったが、これは9月14日の写真だ 撮影/梅津有希子


もしも真冬にこの大停電が起きたら

 わが家と同じような家族はたくさんいたようで、家電量販店やホームセンターはどこも大盛況。各店の棚から一斉に姿を消したのが、ポータブル式の石油ストーブだ。
真っ暗ななか、携帯やスマホの充電も切れ、情報もなかなか入手できず、いつ通電するかもまったくわからない……。

 「もしもこの大停電が真冬に起きたら」と、誰もが考えたことだろう。今回は半袖の季節でまだよかったが、厳寒期に停電すると、凍死する人も出てくるかもしれない。暖房の対策が急務だ。

 現在、北国の暖房は「FF式」と呼ばれる石油ストーブが主流だ。FFとは、「Forced Flue(強制通気)」の略で、ファンで強制的に給排気を行う暖房のこと。換気の必要がなく、部屋の空気が汚れないことが利点で、気温の低い真冬でも素早く部屋を温めてくれる。FF式でなければ寒さはしのげないといっても過言ではないくらい、北国の冬には欠くことのできないパワフルな暖房器具だ。

 ところが、このFF式をはじめとする石油ストーブは、電気がないと使うことができないため、停電時は一発アウト。このため、乾電池で動くポータブルタイプの石油ストーブに道民が殺到し、一瞬で棚から消えたのだ。

 いくつかのホームセンターと家電量販店に問い合わせてみたところ、「入荷の予定はあるが、いつ入るかは未定」とのこと。入荷してもすぐに売れてしまうといい、「欲しい時にストーブが買えない」という状況もまた、今回の停電同様、北海道の歴史で前代未聞のことではないだろうか。

 FF式が主流の今、ポータブルタイプはあまり需要がない。とある家電量販店のスタッフは、「昨日入荷した10台がすぐに売り切れた」と驚き、「例年ポータブルは大して売れず、こんなことは初めて。しばらくこればかり売る日が続きそうです」と、忙しそうにメーカーに在庫を確認していた。


札幌では9月から4月までが「ストーブ期」

 冬の長い北海道は、半年以上ストーブの世話になる。地域や住宅環境によっての差もあるが、札幌の実家(一軒家)の場合だと、9月下旬から4月上旬まではほぼ毎日使い、気温によっては6月まで使うこともよくある。

 子どもの頃、道内でも寒さの厳しい芦別市で木造の古い家に住んでいたことがあるが、朝起きると部屋の中で吐く息が白く、布団の端が凍っていた。このような実体験があるため、「ストーブが消えていても、布団をかぶっていれば死ぬことはないらしい」、ということは経験的に理解している。

 実家には現在5台のFF式ストーブがあるが、真冬に今回のような停電が起きたら1台も使えない。布団をかぶっていれば死なないであろうとはいえ、電池で動くストーブが1台はあったほうが安心だとすぐにホームセンターに向かったが、棚はもぬけの殻だった。皆考えることは同じなのだ。

 それでは、筆者の住んでいる東京に戻ってから購入して送ろうと、東京の家電量販店に問い合わせてみたところ、「ストーブはまだ並んでいません」との返答が。そうだ、札幌にいてうっかり忘れていたが、東京はまだ夏の終わりのような気候だった。そして、震災で宅配便もストップしてしまったため、送るに送れない。ネットショッピングも同様だ(9月15日現在は、一部地域を除きほぼ通常通りの配送)。
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真冬の震災に備えて用意するべきもの

 ストーブが入手できないならば、真冬の震災に備えて何を用意すればいいか。まずはカセットコンロとカセットガスだろう。火が使えれば、お湯も沸かせるし暖も取れる。温かいものを口にできるだけでも、精神的にまったく違うだろう。

 とりあえず、暖房が使えなくても家の中にいれば風と雪をしのぐことができるので、ダウンジャケットを着てカイロを使えば大丈夫だろう。アウトドア用のダウンパンツもはけば、足腰も温まりさらに安心だ。

 今回は、とりあえずはカセットガスとカイロを多めに購入しつつ、札幌滞在中、毎日家電量販店にストーブの入荷を確認していたところ、「昨日入荷して、今なら3台あります」といわれ、すぐに車で向かったのだが、早くも残り1台! 無事入手することができて、まずはひと安心だ。今回の札幌でのミッションを終えた気分である。

 多くの道民たちが慌て、防災への意識を高めた今回の大停電。筆者も2011年に揃えた防災グッズを見直し、スマホの充電環境を改めて整えようと思わせられた出来事となった。


18. 中川隆[-13565] koaQ7Jey 2018年9月20日 11:28:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18667] 報告
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2018年9月20日【小浜逸郎】泊原発を再稼働すべき理由

北海道胆振東部地震から二週間経ちました。
ライフラインはだいぶ復旧してきたようです。
でも依然として断水が続いている地域があり
ます。
しかし、北海道最大の火力発電所である苫東
厚真発電所の復旧は意外に早く、すでに一部
の供給は始まろうとしています(このメルマ
ガがお手元に届くころは、もう供給されてい
る可能性が高いですね)。
そういえば、関空の復旧もハイスピードで進
んでいますね。
このあたりの日本の技術者、作業員の協力体
制はさすが、まだまだ捨てたもんじゃないな
と思いました。

それはいいのですが、問題は、ハード面に関
するこれからの対応です。

このたびの地震によって生じた全道ブラック
アウトの問題を考えてみましょう。

筆者は、泊原発をすぐにでも再稼働すべきだ
と考えています。
これは、政府が決断しさえすれば、一か月で
こぎつけることができます。

以下に、再稼働すべき理由を述べます。
これは、単純な数字の問題なのです。

苫東厚真の最大出力は165万kW。
地震時(9月6日)、の全道の電力需要は380
万kW。
苫東厚真が担っていた電力は全道の総電力需
要の半分以下でした。
しかし、苫東厚真が損傷を起こしただけで、
全道295万戸が停電してしまいました。
それには、二つの原因があります。
第一に、このような大幅な供給バランスの崩
れによって、他の発電所からの送電の周波数
を一定に保つことができなかったこと。
第二に、もともと北海道電力は、一部の電力
を本州からの供給に頼っていた(はずでした)。
これが機能しなかったのですね。
この本州からの供給を北本連携線といいます。

海底ケーブルのように長距離で絶縁が重要な
ポイントになる送電では、直流が有利ですか
ら、本州から北海道に送電されてくる電機は
直流です。
家庭での電機は交流ですね。
これは発電所から家庭に至るまでに、交流だ
と変圧が容易だからです。
すると北本連携線では、直流を交流に変換し
なくてはなりません。
ところが今回の場合、この変換がうまく行き
ませんでした。

しかし、この北本連携線が仮にうまく作動し
たとしてもその最大出力はわずか60万kW。
ということは、仮に第一の周波数の問題がな
く、かつ第二の北本連携線をうまく利用でき
た場合でも、
380−165+60=275(万kW)
しか確保できなかった計算になります。
残りの105万kWは、不足したわけです。
部分的な停電は避けられなかったでしょう。

ちなみに苫東厚真発電所は、初稼働以来33
年以上を経ていて、かなり老朽化しています。
さらに、不足分を慌てて補った五つの発電所
の年齢はこれよりも古く、38歳から48歳で
す。
一般に火力発電の耐用年数は40年とされて
います。
最大の危機に対応すべく、青息吐息のお年寄
りに頑張ってもらったわけですね。

こんな状態を続けていていいのでしょうか。
何か肝心なことを忘れていませんか。

今回、テレビのニュースを見ていて、初めの
うち、政府筋から原発の「ゲ」の字も出ない
のに驚きました。
10日になってようやく政府見解が出ましたが、
何と泊原発の再稼働は「考えていない」とい
うものでした。
常識的に考えて、こんな大緊急時には、政府
は直ちに泊原発再稼働の議論を開始すべきで
しょう。
原子力規制委員会の審査などを待っている場
合ではありません。

その審査とは、例によって、数十万年前の活
断層の安全性を確かめるという悠長極まるも
のです。
活断層の存在が地震に結びつくかどうかは、
個々の場合で異なります。
ふつう数千年から数万年規模のサイクルで地
震が起きるとして、たとえば5000年周期の
活断層で、2000年前に地震が起きたとした
ら、あと3000年は大丈夫ということになり
ます。
いずれにしても、100年単位くらいの精密さ
で活断層地震の発生確率を計算することはき
わめて困難だということになります。

しかし、もし今回のような地震によるブラッ
クアウトが厳冬の北海道で起きていたら、寒
さのために何人の人が凍死するでしょうか。
ライフラインも途絶え、物流も滞り、道内の
産業は停止し、回復に何か月もかかり、その
間に餓死する人も出るかもしれません。
これらの確率の方がずっと高いことは確実で
す。

冬期の北海道の電力需要は約500万kW超。
今回、青息吐息の老兵たちをかき集めること
と、北本連携線の修復と、相当無理をした節
電によって、ようやく380万kWの需要の9
割を確保したのです。
しかしこんな状況では、とうてい冬の電力需
要を満たすことはできないでしょう。

泊原発の総出力は、207万kW。
苫東厚真が全面回復すれば(11月までには可
能とされています)、苫東厚真プラス泊で、
165+207=342(万kW)
ですから、残り160万kWを他の発電で確保
すればよいことになります。
しかも泊の年齢は1号機29歳、2号機27歳、
4号機9歳です。
若い彼らに頑張ってもらえば、楽々厳しい冬
場をしのげるでしょう。

ちなみに原発の耐用年数は、国際的にも法的
な基準がありませんが、原発を最も活用して
いるフランスでは40年を目途にしようとい
う動きが有力です。

泊原発ではまた(どこの原発でも事情はだい
たい同じですが)、福島事故の教訓を活かして、
16.5メートルの防潮堤、建屋への水の浸入を
防ぐ水密扉、免震重要棟、フィルター付きベ
ントなどの設置・建設をすでに終えています。
できる限りの備えがすでにできているのです。

反原発派は何を言っても100%の安心を求め
ますが、そんなことは神でもない限り不可能
です。
交通事故で毎年4000人以上の人が死ぬのに、
車をなくせという声が盛り上がらないのは、
車の効用が大多数の人に受け入れられている
ためと、交通事故を可能な限り少なくする努
力が現に多方面で行われているためです。
文明の利器にはリスクがつきものですが、私
たちは、便利さや快適さの度合いとリスクの
大きさとを、広い視野と正しい情報をたより
にしながら、常に天秤にかけて生きていくほ
かはないのです。

本当は、北海道電力は、もっと発電設備を増
やさないと危ないのです。
泊も含めた北海道の総発電設備による出力は、
一応780万kWありますが、泊はまったく稼
働していませんから、それ以外の発電所の出
力は、フル稼働して573万kW。
設備利用率は、ここ数年、ピーク時で9割に
達しています。
8%以上は余剰電力としてキープしておくの
がこの業界の常識ですから、
573×(1.00−0.08)=527
となって、ぎりぎりなわけです。

電力は私たちの生活と産業の源です。
悲惨な結果がこれ以上広がらないように、
政府はもっとエネルギー行政にお金をかけ、
知恵をはたらかせなくてはなりません。
https://38news.jp/economy/12419


19. 中川隆[-13580] koaQ7Jey 2018年9月21日 14:22:44: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18736] 報告
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北海道電力、債務超過危機で国有化説も…値上げ連発と全域停電で「道民離れ」加速
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24847.html
2018.09.21 文=編集部 Business Journal

 苫東厚真発電所(「Wikipedia」より)


 9月6日午前3時8分、北海道胆振地方を震源とする震度7の地震が発生した。発生直後、震源地近くにあった北海道電力最大の火力である苫東厚真発電所(厚真町)の1、2、4号機がすべて停止。供給力の4割強が一気に喪失。北海道全域で電力が止まる“ブラックアウト”が起き、道内全世帯に当たる295万戸が一斉に停電した。

 ブラックアウトの発生は、戦後の9電力体制(現在は沖縄電力を含めて10電力)がスタートして以来、初めてのことだ。

 同日午前8時15分、世耕弘成経済産業相は「数時間以内に電力復旧のめどを立てるよう北電に指示した」と説明した。世耕氏の発言を受けて北電の真弓明彦社長は6日昼すぎ、「全道の電力の復旧には1週間以上かかる。すべての電源が落ちるリスクは低いと考えていた」と述べた。

 ところが、同日午前、苫東厚真の4号機のタービン付近から出火。この火災により苫東厚真の完全復旧は11月以降にずれ込むことになった。

「『北電は意思決定が遅く、説明責任の意識が低い』。北電の対応にいらだちを募らせる経産省は、徐々に前面に出ていく。電気をたくさん使う企業への節電要請や計画停電の準備は、経産省が主導した」(9月13日付朝日新聞)

 北電は事実上、経産省の管理下に置かれたことになる。世耕氏が北電のスポークスマンであり、真弓社長ら役員たちに指示する北電の最高権力者のようだと話題になった。

 世耕氏は電力不足を解消するため、早い段階から計画停電に言及していた。計画停電とは、事前に用途、日時、地域などを定めて、電力の供給を一時停止することだ。しかし、計画停電は企業や家庭にかかる負担が大きい。工場など生産現場の実態を知らない官僚の机上の空論で、企業を殺す“劇薬”との批判が強い。

 北電は19日、苫東厚真発電所1号機が再稼働したと発表。これを受けて、電力需要を1割削減するための節電要請は解除された。

■債務超過転落の危機が再来

 北海道全域で停電するブラックアウトをもたらした原因は、苫東厚真発電所への一極集中にあると指摘されている。だが、元をたどれば、かつてピーク時の電力需要の4割超を賄っていた泊原子力発電所(泊村)へとたどり着く。2011年の東日本大震災後、泊原発は安全性の審査が進まず、12年以降動いていない。

 原発依存度が高かった北電は、経営危機に陥った。原発の稼働停止により、火力発電所の燃料費や他社からの電力購入費が急増。14年3月期の連結最終損益は629億円の赤字(前期は1328億円の赤字)と、3期連続の赤字になった。純資産は1467億円まで減り、自己資本比率は7.58%へと低下した。

 15年3月期以降も赤字が続けば、純資産が底をつき、負債が資産を上回る債務超過になってしまう。経営破綻は時間の問題となった。

 そこでこの時、政府が救済に乗り出した。北電は14年7月、政府系金融機関である日本政策投資銀行を割当先として、議決権のない優先株を発行して500億円を調達した。さらに同年11月、経産省は北電の電力料金の再値上げを認めた。率にして15.33%だ。北電は13年9月に7.73%値上げしたばかりだった。

 政府の救済策によって、北電の15年3月期の連結最終損益はかろうじて29億円の黒字に転換。自己資本比率は9.81%に上昇。債務超過の危機をひとまず切り抜けた。

 だが、副作用は大きかった。2度にわたる電気料金の値上げで、北海道の電気料金は全国でも最高水準となった。電気料金の高い負担を嫌った顧客は、比較的安価な新電力へと流れた。

18年3月期の電力10社の決算によると、電力販売量は北陸電力を除く9社で減少した。減少率は2.1%減。新電力に流れたからだ。

 もっとも減少率が大きかったのは北電の7.5%減。家庭用の低圧電力が5.2%減少したほか、工場やオフィス向けの高圧・特別高圧が9.7%減と大きく減った。電気代がコストのなかで大きなウェイトを占める小売業で、北電から新電力に切り替える動きが加速した。報道によると、コープさっぽろやセブン-イレブン・ジャパンが道内の大半の店舗で新電力に変更したという。

 北電の年間販売電力量248億キロワット時は、北陸電力や四国電力に水を開けられ全国9位。下位には沖縄電力しかいない。

 道内全域で停電したことで、北電離れが一段と加速するのは必至。期初に、19年3月期の販売電力量は18年3月期より6.5%減ると見込んでいたが、この程度の落ち込みでは済みそうにない。

 地震に伴う復興費用がどれほどかかるかは公表していないが、北電の経営が火の車になることは必定だ。北電の18年6月末時点の純資産は2195億円、自己資本比率は11.0%。復旧費用が膨らめば、この程度の純資産は、すぐに吹き飛んでしまう。

 再び、債務超過転落の危機が迫ってきた。前回のような政投銀による優先株の引き受けや電力料金の大幅な値上げという弥縫策では乗り切れないだろう。

 戦後の電力業界史上、最悪・最低のブラックアウトを起こした北電に再建策はあるのか。北電を一時、国有化して、抜本的な改革を図るしかないとの見方も流れる。

 政府=経産省が北電の再建策の切り札としているのが、泊原発の再稼働だ。原発を1基稼働させれば年間1000億円のコスト削減になるとみられる。だが、再稼働には反発も強い。

 北電の救済策は、国有化と泊原発再稼働を軸に進む可能性が高い。


20. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2018年9月24日 14:20:52: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18799] 報告
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北海道地震で工場停電  生乳廃棄悔しい 電力、乳業なぜ停止 危機管理体制再考を
9/24(月) 7:03配信 日本農業新聞


スラリータンクへつながる排水口を見つめる西川さん。2日分の生乳を廃棄した(北海道大樹町で)


 北海道地震による大規模停電で生乳廃棄を余儀なくされた全道の酪農家から、乳業メーカーや電力会社に対して、危機管理体制の見直しを求める声が高まっている。酪農家は停電に備え用意していた発電機を使って、搾乳・冷蔵したにもかかわらず、自家発電装置を持たない乳業工場が相次ぎ操業を停止し、生乳を出荷できなかった。農家からは「廃棄は人災」と憤る声も上がる。(川崎勇、大山知香)

 「停電に備えて発電機を準備してきた。生乳を出荷できたのに、本当に腹立たしい。残念だ」

 北海道大樹町で乳牛約1100頭を飼う日昭牧場の西川久雄理事は、6日未明の停電後50時間ほど、8日朝まで軽油を300リットル以上費やして自家発電機を稼働。通常通り1日2回の搾乳を続けた。2日分の生乳約36トンを泣く泣く廃棄した。同牧場は、2013年に発電機を設置。16年には停電時でも牛舎や搾乳設備の電力を確保しようと、約500万円をかけ大型発電機に更新していた。それだけに、悔しさが募る。所属するJA大樹町では、組合員78戸のうち7割が発電機を導入。隣接する広尾町のJAひろおも71戸の8割以上で設置していた。

 同町で乳牛630頭を飼う角倉光記さん(65)も、停電時は自家発電機で通常通り搾乳したが、10トン以上を廃棄した。角倉さんは「酪農家だけでは供給責任を果たせない。危機管理体制を改めて考え直すべきだ」と語気を強める。道によると、6〜10の5日間で全道の生乳廃棄による被害額は21億円ほどに上る。

 北海道電力への要望も相次ぐ。別海町の60代の酪農家は、乳業メーカーの対応も含め「今回の生乳廃棄は人災と言っても過言でない。電力の安定供給に向けて対策を進めるべきだ」と憤りを訴える。北海道農業団体災害対策本部は、同電力に対し電力の安定供給に関する要請を実施。万全な発電・通電体制の構築や再発防止などを求める。

 農水省によると、北海道内にある日量処理量が2トン以上となる乳業工場39カ所のうち、37カ所が大規模停電時に工場を稼働するための自家発電設備を持っていなかった。9割超の工場が操業を一時的に停止し、酪農家が出荷できなくなる事態に陥った。業界の大規模災害時の危機管理のあり方が問われた形だ。

 自家発電設備の導入が進まない背景に巨額の費用負担がある。工場の規模によるが、生産ラインを長い時間稼働させる自家発電設備は「高いもので10億円単位になる」(乳業関係者)。定期的な保守点検費用も大きな負担になる。

 地震発生直後も生産ラインを稼働できたのはよつ葉乳業の2工場だけ。自家発電設備を導入していたためだ。しかし多くの工場は、クーラーステーションなど周辺施設用に限定した自家発電設備にとどまっているのが実態だ。「落雷などの数時間の停電は想定できるが、これだけの大規模の災害には備えていなかった」(乳業関係者)と明かす。

 今回の被害を受け、対応を検討するメーカーもある。Jミルクは「いかに安定したサプライチェーンにしていくかが大きな課題だ」と話す。


21. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2018年9月24日 14:22:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18799] 報告
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北海道地震1週間 乳房炎多発 死亡牛も 回復兆候見せず地域経済に打撃 標茶、別海町
2018年09月13日


体力を消耗し、横たわる牛を見つめる宍戸さん(12日、北海道標茶町で=富永健太郎写す)


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 最大震度7を観測した北海道地震は13日で発生から1週間。全道が一時停電したことで、酪農家が深刻な事態に陥っている。停電により満足に搾乳できず、乳量・乳質低下の要因となる乳房炎が多発。淘汰(とうた)された牛や、死亡した牛も発生している。酪農専業地帯では、地域経済への影響が懸念されている。(川崎勇)

 「助けを求めるように牛が鳴いていた。乳房炎も多発し、とにかくかわいそうだ」

 標茶町で搾乳牛300頭を飼う宍戸豊さん(56)は力なく話す。6日の停電以降、7日夜に発電機を借りて設備を動かし、2日ぶりに搾乳した。だが、出荷できずに、これまでに廃棄した生乳は30トン以上。その間地下水をくみ上げていたポンプも使えず、水の確保にも奔走した。その後停電は解消した。「牛の病気は大丈夫だろうか」。不安は的中した。

 搾乳できないことによる乳房炎が50頭ほど発生。死亡した牛も出ている。1日7トン搾っていた乳量は停電前の6、7割に落ち込んだ。体力を消耗し、牛は今も牛床でへたり込む。地震発生から1週間がたとうとしているが、牛の状態は回復の兆候を見せない。

 乳房炎は時間を空けて発症する場合も多く、今後も気が抜けない。一般的に治療に1週間から10日間ほど要し、その間生乳は出荷できない。回復しても最悪の場合、元の乳量に戻らないケースもある。「今後どうなってしまうのか」(宍戸さん)。2016年に数億円をかけ牛舎を更新したばかり。被害が収束するめどは立たず、不安が募る。

 乳牛頭数が全国の市町村で最も多い別海町。玉置健三さん(60)は、近隣の酪農家から発電機を融通してもらい、停電が復旧した7日夜まで1日1回やっとの思いで搾乳した。ただ、搾乳牛45頭のうち、最大13頭が乳房炎を発症した。停電解消後も乳業工場の受け入れができなかったため、やむを得ず生乳を廃棄した。

 玉置さんは「助け合って搾ったのに、受け入れてもらえずショックだった」とうつむく。

 道東NOSAIによると、根室地方の9月6〜10日の5日間の乳房炎診断件数は3761件と先月の同時期より1400件ほど増えた。別海町が最も多く、前月比8割増の2457件。潜在的な発生数はさらに多いとみられる。同町が管轄の根室南部事業センターは「診断件数は平時より大幅に増え、一時的に薬の在庫がなくなった。こんなことは初めてだ」と被害の大きさを訴える。

 JAしべちゃの千葉孝一組合長は「処理した生乳に対する補償や、電力の供給方法の見直しが必要だ」と強調する。別海町を管内に持つJA道東あさひでは、生乳生産量が25%ほど減少した。JAの原井松純組合長は「二度とこうしたことが起きないよう、インフラ整備を充実してほしい」と訴える。

 同町は「地域経済に何かしらの影響があるだろう。町の産業の根幹を担う酪農家が一日も早く元に戻れるよう支援していきたい」(農政課)と強調する。

 北海道地震は大規模な土砂崩れなどで41人が死亡し、一時は道全域の約295万戸が停電した。停電はほぼ解消したが、電力の供給は綱渡りの状況が続き、節電が長期化する可能性もある。生活再建に向けた動きが進む一方、現在も1590人が避難し、完全復旧までの道は遠い。


22. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2018年9月25日 13:09:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18805] 報告
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北海道を脱原発の実験場にするな --- 森 修 2018年09月20日


私は北海道で生まれ育ち、大学卒業後就職し各地を転勤したが、東日本大震災の年に札幌の子会社に転籍となり、今回の地震を札幌で経験した。最初に思ったことは真冬でなくて本当に良かった。電気が無くともまだ寒くない。犠牲になった方には本当に申し訳ないが、これは天の啓示に違いない。

もし厳冬期の吹雪の夜に同じことが起きたら、高齢者や生活弱者を中心に10万人単位での凍死者が出るだろう。今の暖房機器は電気がなければ全く稼働しないのだ。これは北海道で生活したものでないと実感できないと思う。

また台風一過後で比較的に天候に恵まれたことも不幸中の幸いだった。もし猛吹雪だったら除雪車も出動できず復旧作業は大幅に遅れていただろう。道東の猛吹雪で車が立ち往生し、死人がでた記憶も道民には生々しいが、内地の方には記憶の彼方になった出来事であろう(北海道では本州3島を内地という)。


運転停止中の泊原発(北電サイトより:編集部)

今回は3日ほどで全道概ね通電したが、吹雪が3日も続けば通電もそれだけ遅れ、飲み水も全て凍ってしまう。氷の世界で人は何時間生きていけるのだろうか?内地の方には想像すらできないことだろう。

復旧の目途が立ったころ、民放のアナウンサーが「コストのことを考えて原発を稼働すべきという人がいるが、大丈夫です、電気は足りています。安心して暮らしてください」という趣旨のコメントをしていた。

こいつは道民を馬鹿にしていると思った。

少なくとも供給力と需要のバランスを示し「厳冬期を想定しても十分な供給余力があるので、不需要期の今は大丈夫です」程度のコメントならわかるが、根拠もなく大丈夫は無いでしょう。冗談でなく戦争中に「大和魂で日本は必ず勝つ」の類です。真っ暗な冷凍倉庫に入って、凍っていくペットボトルを抱え、一晩過ごしてからもう一度コメントして下さい。

もっとも北海道電力の供給余力は泊原発が稼働してこそ生まれるのであって、脱原発のマスコミは根拠を示すことは出来ない。だからデマを流して道民を惑わす。あえて脱原発の是非については述べないが、北海道と内地をつなぐ送電線は60万kwの能力しかない。こんな閉じられた供給システムの中で、脱原発の実証実験はやめてもらいたい。道民はモルモットではありません。

脱原発を目指すならば十分な準備をしてやって下さい。東日本大震災以降、順次原発が休止するなか、たまたま電力の供給力不足による停電は発生していないが、北海道電力だけでなくどの地域も綱渡りの需給バランスだったようだ。今回の地震で内地の人も目を覚まして欲しい。

首都圏直下型の地震や東海、東南海地震が起きた時、日本はヨーロッパとは違い他国から電力供給をうけることができない。日本が北海道になるのです。その時、北海道からは60万kwしか応援できません。今回、道民は分かりました。「原発を止めても電力は足りている」は全くのデマです。日本国民も目を覚ますべきです。道民同様モルモットではありません。

高橋知事へのお願いです。今年の冬は道民の命と生活を守るために、泊原発を再稼働させてください。北海道の冬は、空気や水が必須であるように、電気が無ければ生きていけません。根室沖地震の発生確率がまた上がりました。熊本のように胆振東部地震の本震や札幌周辺で誘発地震があるかもしれません。想定外のことは起こるのです。

原発が無くても電力の供給力が十分につくまでは、内地からの応援が無いに等しい北海道を、脱原発の実験場にするのを止めさせて下さい。実験結果は既に出ました。失敗です。マスメディアのデマから道民の生活を守ってください。
宜しくお願いします。
http://agora-web.jp/archives/2034796.html


23. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2018年9月27日 08:49:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18853] 報告
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「原発は動かさない」という思考停止からの脱却を 2018-09-27

 北海道電力の苫東厚真発電所の4号機が稼働し、北海道の電力供給は「一息」ついています。


 また、北電はメンテナンス中だった知内発電所2号機を、予定を一か月以上も早めて9月25日に再稼働。


 結果、電力供給力は461万キロワットとなり、9月の想定ピーク需要は確保が可能となっています。


 もっとも、北海道の電力需要は、これから冬にかけて膨張していきます。18年1月のピーク時は、525万キロワットに達しました。


 全ての(老朽化発電所含む)の発電機を動かしたとしても、「ギリギリ」の状況が続くだけです。北海道の方々は、突発的な停電やブラックアウトに怯えながら、「北海道の冬」を乗り切らなければなりません。


 まさに、発展途上国です。


 泊原発を再稼働するしかありません。


『動かぬ原発、老朽火力頼み 思考停止が大規模停電招く エネルギー日本の選択 北海道地震が問う危機(上)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3568510023092018SHA000/
 6日午前3時すぎ、緊急地震速報のアラームがなった。「震源は苫東厚真火力発電所に近い」。この情報に北海道電力の社員は身構えた。今の北海道電にとって苫東厚真の役割が重いことを知っていたからだ。
 苫東厚真発電所の停止が大規模停電を引き起こした(北海道電力提供)
 北海道全域で295万戸が停電するブラックアウト。最大の原因は発電能力の過度な集中だった。電力供給の約半分を出力165万キロワットの苫東厚真火力が一手に背負う。砂上の楼閣のようなアンバランスがなぜ放置されていたのか。
 「泊原発が最優先だった」。電力関係者は指摘する。207万キロワットの出力をもちながら停止中の泊原発が再稼働すれば供給が安定するのは確か。問題は安全審査の通過が見通せず再稼働時期がまったくわからないのに、現実を直視した対策を打たなかったことだ。(後略)』


 「思考停止が大規模停電招く」という見出しだったため、
「思考停止的に原発を停止していたため、ブラックアウトが起きた」
 と、反省の弁を述べるのかと思いましたが、何と、
「思考停止的に原発に固執したから、ブラックアウトが起きた」
 という、斜め上の記事でございました。


 あのね、火力発電所の建設は場所の選定から含めると、十年はかかるのですよ。


 菅直人が「不法」に原発を停止させ、北海道電力は手足を縛られた状況で、北海道民の生活やビジネスを守るためにやれることをやってきました。


 2011年時点では原子力規制委員会が、ここまで頭がおかしい(活断層がないことを証明しろ!)組織となるなど、誰にも予想がつきませんでした。しかも、自民党政権になったため、政治がもう少しまともに動く(原発を再稼働させる)と期待しても、仕方がない話です。


 そもそも、原発が停止した時点で火力発電の建設に手を付けても、2018年には間に合いませんでした。しかも、火力発電は原油はLNGの輸入を増やすため、北海道の電気料金は確実に上昇します。


 北海道電力は、「電力の安定供給」と「電気料金上昇を防ぐ」という課題を「手足を縛られたまま」達成しようとし、原発の耐震化や防災に投資を集中させたのです。それを非専門家の部外者(しかも、道民でもない)日系の記者が、
『再稼働に向けた工事を優先し、他の発電所への投資は後回しになった。当然、全体の電源バランスの改善は進まない。』
 などと、偉そうに書く。


 吐き気がします。


 しかも、日経の記事は、


『原発はいつ、何基を再稼働できるかわからない。頼みの火力発電も老朽化で停止リスクを抱え、特に石炭火力は世界的な地球温暖化対策の流れのなか新設も難しい。早急に思考停止を脱し、災害にも強い電力システムの将来像を固めなければ、日本のエネルギー危機は回避できない。』


 ろいう文章で記事を絞めているくせに、原発再稼働には一言も触れない。


「早急に思考停止を脱し、災害にも強い電力システムの将来像を固める」
 ために、どうしたらいいのかは一言も書かない。原発再稼働無しで、災害に強い電力システムを早急に構築できるはずがないでしょう。


 思考停止に陥っているのは、むしろ日経新聞の方です。


 思考停止から脱し、現実の北海道電力危機を解決するために、政府が泊原発の再稼働を決断すれば「冬」にはまだ間に合うのです。


 「原発は動かさない」という思考停止からの脱却を!
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12407855100.html


24. 中川隆[-13531] koaQ7Jey 2018年9月29日 08:27:16: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18898] 報告
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北海道の復旧、復興、発展のために(前編)2018-09-29
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408244056.html


「北海道電力は泊原発を再稼働しなければならない」

 と、主張すると、

「北海道に住んだこともない東京都民が何を嘴を突っ込んでいるんだ!」 
 と、反発する人がいるかも知れませんが、わたくしは小学校は「千歳小学校」です。(もちろん千歳市立千歳小学校)


 た〜な〜び〜くけ〜む〜り〜、たるまえの〜。という、千歳小学校の校歌は未だに歌えます。ちなみに、千歳小学校百周年の記念パレードの際に、先頭で大太鼓を叩いていたのはわたくしです。


 小学校の頃は、千歳の市民スキー場(まだあるのかな?)やモーラップスキー場で、スキーに明け暮れていました。雪が積もった校庭を踏み固め、スケートリンクを作る「あの儀式」も、何度も経験しています。


 というわけで、北海道の「冬」がいかなるものかは嫌というほど知っているのです。金属を触ると、手に貼りつくという極寒も、未だに身体が覚えていますよ。


 北海道の冬がいかに残酷であるかを理解しているからこそ、泊原発を動かさなければならないと主張しているのです。


 泊原発を再稼働するためには、まずは「地元」が声を上げる必要があります。つまりは、道議会と北海道知事です。


『全道停電「北電の責任重い」 道議会で知事 地震被害1500億円超
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/230038

 高橋はるみ知事は20日の道議会代表質問で、胆振東部地震に伴ってブラックアウト(大規模停電)が発生したことに関し「深刻な事態だ。北海道電力の責任は極めて重い」と述べ、北電の責任に初めて言及した。ブラックアウトを含めた今回の災害対応について検証する委員会を早期に設置する意向も示した。
 知事は、ブラックアウト発生に関する道の責任をただされ、「道としては、大規模停電の影響をできるだけ緩和していけるよう停電対応のあり方や非常時の備えなどについて検証し、必要な対策を講じる」と述べるにとどめた。』


 いや、「必要な対策を講じる」というならば、道議会や道知事は泊原発の再稼働を政府に求めなければならないでしょう。


 といいますか、他に「ソリューション(解決策)」があるというならば、是非とも伺いたいところです。現実には、そんなものはありはしません。


 結局のところ、緊縮財政、規制緩和、自由貿易というグローバリズムのトリニティを推進してきた日本政府は、地方自治体を含め、
「政府が国民の生命や財産を守る」
 という、基本的な義務を放棄したとしか思えません。


 ある「専門家」の方に聞いたところ、厳冬期の北海道で今回のようなブラックアウトが起きた場合、死者は数千人(!)にのぼるだろう、とのことでした。


 政府の役割を「小さくする」ことを善と考える現在の日本政府や北海道庁にしてみれば、大停電で大勢の住民が凍死する事態になったとしても、
「そんなものは、自己責任」
 で済んでしまうのでしょうか。


 ならば、政府などいらない。国民を守るために最大限の努力をする。これは政府の「義務」だと信じているわけですが、すでに日本には「政府」は存在しないも同然なのですか?


 今回の全道ブラックアウトや、台風により吹き飛ぶ太陽光パネルの数々を見ていて、改めて理解できました。


 小さな政府だの、原発を動かさないだのといった「贅沢」は、平時にしか通用しないのです。現在の日本は、すでに「非常事態」に突入しています。


 何しろ、厳冬期に北海道電力の老朽化火力発電が緊急停止すると、数千人の「同じ国民」の生命が奪われかねない状況なのです。


 ちなみに、未だに「原発再稼働はまかりならない! 太陽光で〜」とか頭のおかしいことを主張する人がいますが、冬の北海道で太陽光発電は役に立ちません。


 そもそもが、ベースロード電源になりえないことに加え、雪がパネルに積もるだけで発電不可能になります。しかも、夜はいずれにしても発電できません。


 それにも関わらず、イデオロギー的に原発再稼働に反発し、まともな代替案も出さない反原発派や、無策放置主義の北海道知事や道議会には怒りしかわいてきません。


 日本国は、北海道に暮らす数百万の「同じ国民」を守るために、原発再稼働を決断しなければならないのです。


 その上で、北海道の復旧、復興、発展のために何をするべきかについては、明日、書きたいと思います。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408244056.html


25. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2018年9月30日 18:17:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18922] 報告
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北海道の復旧、復興、発展のために(中編)2018-09-30


9月27日に電事連が「北海道胆振東部地震における  大規模停電の発生について 」という調査報告書を公表しました。


 同報告書によって、(電事連は言っていませんが)、

「泊原発を稼働していれば、全道ブラックアウトは起きなかった」

 ことが確定しました、電事連や電力関係者は口にしないでしょうから、あえて大声で言います。


「泊原発を稼働していれば、全道ブラックアウトは起きなかった」


 電事連の報告書によると、ブラックアウトまでの経緯は以下の通りです。


@ 地震発生直後(地震発生〜周波数回復)

1. 苫東厚真2,4号機停止(発電:▲116万kW:タービン振動検知) により周波数が急低下した。加えて苫東厚真1号機の出力が低下した(発電:▲5万kW:推定)

2. 北本連系設備から緊急的に電力を受電した

3. 周波数の低下により負荷遮断を行なった(需要:▲130万kW)


4. 狩勝幹線、新得追分線、日高幹線の送電線故障により、道東エリア及び北⾒エリアが停電(需要:▲約13万kW)、水力が停止した(発電:水力▲43万kW)

5. 周波数の低下により風力が停止した(発電:風力▲17万kW)

6. 周波数の低下が46.13Hzで止まり、回復方向に切り替わった

7. 中央給電指令所よりバランス停止中の水力・火力発電機に起動指令を行った

8. 北本連系設備や水力のAFC機能により周波数が一時的に50Hzでバランスした


A 地震発生直後(送配電線再送電〜負荷遮断2回目)

9. 狩勝幹線、新得追分線、日高幹線ほかの事故復旧(自動)により道東エリアが復電した

10. 需要増加により徐々に周波数が低下した

11. 中央給電指令所の指令により火力の出力が増加した

12. 苫東厚真1号機の出力が低下した(発電:▲20万kW推定)

13. 周波数の低下により負荷遮断を行った(需要:▲16万kW)


B ブラックアウトまで

14. 苫東厚真1号機停止(発電:▲10万kW推定)したため再び周波数が低下した

15. 周波数の低下により負荷遮断を行った(需要:▲6万kW)

16. 知内1号機、伊達2号機、奈井江1号機が停止した(発電:▲34万kW)

17. 周波数の低下により水力(主に46Hz以下)等が停止するとともに北本連系設備が運転不能となった

18. 北海道エリアがブラックアウトに至った


 改めて、電力とは供給側と需要側が一定の周波数の範囲内(北海道は50kh)内で安定させなければなりません。さもなければ、電気機器や発電機が破損します。


 ブラックアウトに至るまでの周波数の変動は、以下の通り。


【全道ブラックアウトに至るまでの北海道電力の周波数の変動】

http://mtdata.jp/data_61.html#blackout


 周波数の動きを見ると、ブラックアウトの「危機」が三回あったことが分かります(三回目で力尽きた)。


 一つ目は、地震により苫東2、4号機が停止し、116万kWが失われた時点。

 二つ目が、苫東1号機の出力低下。

 三つ目が、苫東1号機の停止を受けた周波数低下による水力の停止と、北本連系設備の停止(本州と北海道を結ぶ線)。


 泊原発が稼働していた場合、何しろ200万kwのベースロード電源の発電機が動いているわけですから、苫東厚真のシェアははるかに低かったでしょう。


 ということは、そもそも@が起きなかったのです。何しろ、発端は苫東厚真の116万kwの喪失なのです。


 しかも、泊原発がある地域の震度は「2」であったため、原発は停止せず、苫東厚真2、4号機の喪失をカバーすることが可能でした。あるいは、他の発電機が出力を上げることで、周波数の低下は起きなかったはずなのです。


 もちろん、苫東厚真の1号機が「根性」で発電を続け、周波数が維持された場合、周波数の低下を受けた各発電機の「負荷遮断」の連鎖は起きず、ブラックアウトまでには至らなかったかも知れません。最終的には、苫東厚真1号機が力尽きたことで、ブラックアウトとなりました。


 とはいえ、そもそも当初の時点で苫東厚真2、4号機の停止をカバーすることさえできれば、その後のブラックアウトに繋がる負荷遮断の連鎖は起き得なかったのです。


 というわけで、泊原発を稼働していれば、今回の全道ブラックアウトは起きませんでした。


 それでもなお、

「泊原発が動いていても、ブラックアウトに至った」
「厳冬期の北海道の住民などどうでもいい。とにかく、原発を動かしてはいけない」

 と、主張するのですか?


 主張するのでしょう。頭がおかしい反原発派のイデオロギー的反原発論により、日本国のエネルギー安全保障は壊され、このままでは北海道は再度のブラックアウトの危機に怯えながら、厳冬期を迎えることになります。


 北海道の方々を「同じ国民」「救わなければならない国民」と認識するならば、声に出さなければなりません。


 泊原発が稼働していれば、ブラックアウトは起きなかったという「真実」について。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408547550.html


26. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2018年10月05日 10:09:38: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19024] 報告
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<北海道地震>原発停止、再生エネ後手…政策の課題映す
10/4(木) 22:34配信 毎日新聞


苫東厚真火力発電所=北海道厚真町で2018年9月12日、本社機「希望」から梅村直承撮影


 北海道内で9月6日の地震直後に全域停電(ブラックアウト)が発生してから約1カ月が経過した。今回の問題の背景には原発が動かない中で火力発電に過度に依存する一方、再生可能エネルギーも活用しきれていない実態がある。北海道電力だけでなく、国のエネルギー政策の課題を映し出している。【和田憲二】

 ◇火発依存リスク 全国に

 経済産業省の認可団体「電力広域的運営推進機関」が設置した第三者委員会の分析などによると、地震直後に苫東厚真(とまとうあつま)火力2、4号機(計116万キロワット)が停止し、送電線故障で水力発電計約43万キロワットも停止。地震直前の需要・供給量(約309万キロワット)の半分を失った。一部地域で強制停電を行い綱渡りの調整をしたが、苫東厚真1号機(35万キロワット)も故障で止まり、ブラックアウトに至った。

 浮かび上がるのは、泊原発(計207万キロワット)が長期停止する中で、大規模火力の苫東厚真に過度に依存していた問題だ。原発再稼働を見込んで設備投資を控える一方、小規模火力より効率の良い苫東厚真を重視し、コスト優先の供給体制を築いていた。2016年の電力小売り全面自由化後は他社に顧客を奪われ、経営は厳しい。

 他電力の関係者は「地震後に起きた発電設備や送電線の故障は設備投資を絞っていた結果」(幹部)と指摘する。ただ、自由化後の競争激化でコスト抑制を追求せざるを得ないのは他電力も同じだ。

 再エネの活用にも課題を残した。道内には太陽光と風力で計170万キロワット超の発電設備があるが、地震直後に機器の故障を防ぐため自動停止した。太陽光などは天候による出力変動が大きく、これを調整するには火力発電などの稼働が必要で、太陽光などを全面的に使うまで約1週間かかった。

 国は、30年度に再エネを「主力電源化」する方針を掲げ、蓄電池などの技術革新や電力会社間の融通強化を促してきた。しかし、今回の地震で、非常時に安定供給できる体制が確立されていない現状が改めて示された。経産省は「現時点での再エネの実力と課題が明らかになった」として、必要な対策を急ぐ考えだ。

 ◇牛乳、もろい供給体制 停電で工場稼働できず

 全国の生乳(牛乳・乳製品の原料)生産量の半分を占める酪農王国・北海道が被災し、牛乳が一時品薄になった首都圏のスーパーの店頭などでは販売がほぼ正常化した。ただ、他の都府県での生産が先細りする中、北海道に依存する供給体制のもろさが露呈した格好だ。

 農林水産省によると2017年度の生乳生産量は前年度比0.7%減の729万トンで、その53%が北海道産。道内で搾られた生乳は毎日専用の貨物船で茨城県の日立港、一般の客船で関西へそれぞれ輸送されている。

 台風などで出航できないこともしばしばで、地震直前も台風21号の影響で船が欠航していた。また、牛は暑さに弱く、業界団体Jミルクによると、7〜9月の本州の生産量は前年比2.7%減。そこに北海道地震が追い打ちをかけた。北海道では乳業メーカーの工場が停電で稼働できず9月6〜10日に生乳2万トンが廃棄された。

 供給体制の回復が遅れ、首都圏や関西圏で展開するスーパーは「地震後1〜2週間は一部商品が品薄になり、購入できる点数を限って販売したが、9月末には通常の8〜9割に回復した」と話す。

 1990年代以降、酪農家と飼育頭数は減少傾向で、この10年で酪農家は3割、飼育頭数は1割減った。高齢化や後継者難への対策も急務となっている。ホクレン農業協同組合連合会は「乳牛を増やして生産量を拡大してきたが、他の都府県の生産を何とか維持してもらいたい」と全国的な供給体制の改善を訴えている。


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日本人の源流考 2018/10/18
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

  国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、2017年10月に核-DNA解析でたどる「日本人の源流」本を出版しました。 その中でやっと海の民にも焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が 間違ってはいないかもしれない雰囲気になって来ました。

  そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 これはY-DNA及びmtDNAの論文104編を読み込みメタアナリシスした結果得た、アブダクション(推論)です。 追加の着想がまとまる都度書き足します。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して組み立てていますので、異論・興味のある方は、 当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。


0.はじめに

  当ガラパゴス史観が、Y-DNAとmtDNAツリー調査を進めて行った時、ホモサピエンスの歴史自身をもう少し深堀したい疑問が生じてきました。


・何故、ホモサピエンス始祖亜型のY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたる
 まで狩猟採集の原始生活から前進せず、ホモエレクトスの生活レベルのままだったの
 か?

・出アフリカを決行した結果、分化したシ−ラカンス古代4亜型の中でY-DNA「D」、
 Y-DNA「E」やY-DNA「C」などの、オーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸
 島、アフリカなどの僻地に残った集団も、現代に至るまで何故「A」,「B」同様、狩
 猟採集から抜け出せなかったのか?

・彼らは本当にホモサピエンスになっていたのだろうか?我々現生人類はアフリカ大陸
 でホモサピエンスに進化してから出アフリカしたと思い込んでいるが、もしかすると
 出アフリカ後に、ネアンデルタール人との遭遇で現代型に進化したのではないか?


1.ネアンデルタール人の出アフリカから始まったようだ。

  ホモサピエンスの亜種とされているネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス:Homo sapiens neanderthalensis)は、 ホモエレクトスから先に進化し、60万年ぐらい前には出アフリカし、先輩人類としてユーラシア大陸に拡がったらしい。 そして3万年前ぐらいには絶滅した、という見解になっている。

  しかし現生人類の遺伝子の3−4%はネアンデルタール人から受け継いでいることも研究の結果解明されている。 その後、現生人類の先祖が、スタンフォード大学の研究では2000人程度の規模で、出アフリカしユーラシアに拡がるまで ネアンデルタール人の歴史は既に数十万年を経過しており、その間にネアンデルタール人はユーラシア各地で亜種に近いぐらい分化していたらしい。 アジアで発掘されたデニソワ人はどうもネアンデルタール人のアジア型の1例のようだ、 しかも研究ではデニソワ人の遺伝子が現代人に6−8%も受け継がれている、という報告まである。

  これはつまり現生人類は既にある程度の高度な文化を築き上げていたネアンデルタール人との亜種間交雑の結果、 一気に爆発的に進化し現ホモサピエンスとして完成したのではないかと考えるのが妥当なのではないかと思われる。


2.原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!

  我々現代人(Homo sapiens sapiens=解剖学的現生人類)の祖先は、ネアンデルタール人が先に進化し出アフリカした後も進化できずに出遅れ、 アフリカ大陸に残存していたホモエレクトスの中で、先ずmtDNA「Eve」がやっと進化し、Y-DNA「Adam」は かなり遅れて進化したと考えられていた様だが、最近の研究ではY-DNA「Adam」も20万年近く前には既に現れていたらしい。

  しかも最近の発掘調査では、10万年前ごろにはすでにレバント地域に移動していたらしく、 8万年前頃には中国南部に到達していたのではないか、と報告されてきている。 これまでの5−6万年前頃に出アフリカしたのではないかという旧説が、どんどん遡ってきているのは 今後まだまだ新しい研究報告がある予兆と思われる。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人が先に進化し、出アフリカした後に、落ちこぼれ 取り残されていた最後のホモエレクトスが遅れて進化したのが、我々の直接の先祖の原ホモサピエンスだったと考えられる。

  つまり、このころまでアフリカ大陸ではホモエレクトスが存続していた可能性があり、 原ホモサピエンスはホモエレクトスの最終形だったはずである。

Y-DNA「Adam」がY-DNA「A」となり、
Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分化し、
Y-DNA「BT」がY-DNA「B」とY-DNA「CT」に分化したが、

  この「A」と「B」はホモエレクトスのY-DNA亜型だった可能性も十分ありえる。

Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、Y-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分化した。

  これは中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測可能である。

  この「C」以降が現生人類のY-DNA亜型と考えられるが、もしかするとネアンデル
  タール人の亜型の可能性だってありえる。

 つまりY-DNA「A」と「B」はホモ・サピエンス・サピエンスではあるが完成形ではない プロト(原)ホモ・サピエンス・サピエンスと言っても良いかもしれない。

 西欧列強が世界中を植民地化するべく搾取活動を続けているときにわかったことは、 アフリカ大陸やニューギニア・オーストラリアやアンダマン島の先住民は、 何万年もの間、古代のままの非常に素朴な狩猟採集民の文化レベルにとどまっていた、ということだった。

  研究調査からかなり高度な文化・技術レベルに達していたと判ってきているネアンデルタール人と比べると、 分類学的・解剖学的な現生人類/ホモサピエンスに進化したというだけではホモ・エレクトスと何ら変わらない文化レベルだったという証明だろう。 つまり脳容積がホモエレクトスより大きくなったり、会話が出きるようになった程度では、同時代のネアンデルタール人より原始的な、 しかし可能性は秘めている新型人類に過ぎなかったようだ(しかし体毛は薄くなり、前頭葉が発達し、見た目は多少現生人類的だが)。

  では一体、なぜ現生人類は現代につながるような文明を興すほど進化できたのだろうか?大きな疑問である。 一部の王国を築いた集団を除いた、古ネイティブ・アフリカンは大航海時代になっても、狩猟採集民でしかなかった。 その後西欧列強と出会わなければ、今でも狩猟採集のままのはずである。

  このことは、文明と言うものを構築するレベルに達するには解剖学的なホモサピエンスではなく、 何か決定的なブレークスルーのファクターがあったはずである。

  ネアンデルタール人と原ホモサピエンスの亜種間交配の結果、進化の爆発が起こったと推測するのが今のところ最も妥当だろう。

  出アフリカした先輩人類のネアンデルタール人と亜種間交雑し、 ネアンデルタール人がすでに獲得していた先進文化を一気に取り込むことに成功し、 恐らく人口増加率(繁殖性)が高い原ホモサピエンスの中にネアンデルタール人が自然吸収される形で統合化されたのが 完成形の現ホモサピエンスと考えるのが最も妥当性が高い。 (この繁殖力の高さが現生人類の勝ち残った理由なのではないか、想像を逞しくすると、交配の結果得た後天的な獲得形質かもしれない。)

  もし出アフリカせずネアンデルタール人とも出会わずアフリカの中に留まっていたら、 人類は相変わらず19世紀ごろのサン族やピグミー族のように素朴な狩猟採集段階に留まっているだろうと容易に推測できるが、 北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。 つまりホモサピエンスが出アフリカし狩猟採集文化から脱し、現代文明にまで至ったのは必然だったということかもしれない。


3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」と「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級として ネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)
  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。 その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。 どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」が そのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような 移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。 最も頻度が高いのはTanana族である、約40%もの頻度を持つ。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、 大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。


4.長江文明系稲作農耕文化民の到来

  さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

  古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した現代遺伝子亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、 Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分化しインダス文明を興し、後にドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。 Y-DNA「T」からは後のジェファーソン大統領が出自している。

  Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。 このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く70-80%も残されており、テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。

  しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子は Y-DNA「R1a」,「R1b」,「J2」などに変貌している為、東アジア起源の面影は全くない。 唯一タタール人に若干の面影が残っているが、今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も40%以上も残っている。やはり移動性の強い遺伝子のようだ。

  さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている事は研究者の周知である。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない(当史観は環境適応は進化ではないと考えるが、 ラマルクの後天的獲得形質論も進化論といわれるので、進化の一部なのでしょう。と言うことは余談だが、 人類(動物)は体毛が減少する方向に進んでいるので、実は禿頭/ハゲも「進化形態」である事は間違いない。)

  この東北アジア起源のY-DNA「O」は雑穀栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。

  一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」(旧「O2a」)と「O1b2」(旧「O2b」)が分化し稲作農耕は発展したようだ。 このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

  長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し江南から更にベトナムへ南下し、 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 ほぼ純系のY-DNA「O1b1」が残っているのはニコバル諸島 (Y-DNA「D*」が残るアンダマン諸島の南に続く島嶼でスマトラ島の北に位置する)のShompen族で100%の頻度である。

また南インドのドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、 越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。 カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、ドラヴィダ民族(特にタミール人)に 長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、その結果、学習院大学の大野教授が 日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となったが、こんな遠くまで稲作農耕民が逃げてきたことを間接証明した功績は大きい。

  一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州族で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州族の14%は、満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い(恐らく起源は同一集団)要因となっている。 北朝鮮はツングース系遺伝子の分布が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。 過去の箕子朝鮮や衛氏朝鮮が朝鮮族の起源かどうかは全く分かっていないが、呉系稲作農耕民が起源の一つであることは間違いないだろう。

  長江流域の呉越の時代の少し前に江南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、インド亜大陸でY-DNA「O1a」はほとんど検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは台湾のほとんどの先住民、フィリピンの先住民となんと日本の岡山県である。

  岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として 混在して来たのか単独で来たのか?岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は 楚系文化の名残と推測可能で、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。 台湾やフィリピンの先住民の民話を重点的に学術調査するとわかるような気がしますが。


5.黄河文明系武装侵攻集団の到来

  狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島での中国王朝出先機関内の生き残りの戦いに敗れ逃れてきたのが、 Y-DNA「O2」(旧「O3」)を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、 長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

  朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ追い出される形で日本列島に逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でも、また黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。

  この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていた戦闘要員としてのツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」であろう。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など 朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた騎馬を好む好戦的な集団と推測できる。

  この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の朝鮮半島の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由である。

  一方、韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」,Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」,「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。

  一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 特有の征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。


6.簡易まとめ

  日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、 一方過去の武士団や維新前後の武士や軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 日本人を構成するもともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。


  日本人の3つの源流は、

  ・日本列島の中で約1万年以上純粋培養されてきた大多数の素朴な狩猟採集民と少数のハンターの縄文系、

  ・中国大陸から僻地の日本列島にたどり着き、集団の和で結束する水田稲作農耕民の弥生系、

  ・朝鮮半島を追い出された、征服欲出世欲旺盛な大王系/武士団系の武装侵攻集団系、


  個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの古代遺伝子(縄文系、しかも女系遺伝するmtDNAでは何と約67%が 縄文系のmtDNA「M」系なのです。)が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。 もしこの縄文系遺伝子がなければ、日本列島と朝鮮半島及び中国はほとんど同一の文化圏と言って差し支えないでしょう。 それだけ縄文系遺伝子がもたらした日本列島の基層精神文化は、日本人にとって世界に冠たる独特の国民性を支える守るべき大切な資産なのです。


7.後記

  これまで独立した亜型として扱われてきた近代亜型のY-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は、 現在、再び統合されてY-DNA「K」の子亜型Y-DNA「K1」とY-DNA「K2」の更に子亜型(孫亜型)として再分類される模様です。 つまり独立名をつける亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンの Y-DNA「Q」等が含まれているのです。 とても遺伝子が近いとは思えないのです。では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

  これらの亜型群は何十万年の歴史でユーラシア大陸の各地で亜種に近いほど分化していたと考えられている ネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNA亜型を受け継いだだけの可能性も十分にあるのです。 西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。 何しろネアンデルタール人もデニソワ人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で当然Y-DNAもmtDNAも 遺伝子が繋がっているのだから。恐らくY-DNAもmtDNAもほとんど同じ亜型程度の違いしかない可能性は高いのです 今後の研究の発展を楽しみに待ちましょう。


8.余談

  (極めて余談ですが、北方系極東人の多くは寒冷地適応や黄砂適応を受け、フラット顔になってはいますが、 中国で発掘される古代人骨はほとんどコーカソイド顔であり、フラット顔は後天的獲得形質であることは研究者達が認めています。 日本人にはこの後天的獲得形質を獲得してから日本列島に渡ってきた集団が多かったことを示しています。 日本人の胴長短足は、高身長の弥生系と武装侵攻系の上半身と小柄な縄文の下半身の交雑の結果に過ぎず、日本人に意外に多い反っ歯や受け口も 弥生系の細身の顎に縄文系のがっしり歯列が収まりきらず前に出てしまっただけであり、親知らずは逆に出られなかっただけです。

  また日本人固有の古代的なホスピタリティは、縄文系である古代亜型Y-DNA「D」と「C」(合計で日本人男性の出現頻度約45%を占める) 及びmtDNA「M」(合計で日本人全体の約67%を占める)の固有の特質であり、近代亜型群の特質ではありません。 つまり特に日本人と他の民族との違いのほとんどは、この縄文系遺伝子の伝えてきた極めて古代的な、 狩猟採集民やハンター民の持つ行動様式や思考回路のもたらす結果に帰することは疑いようがありません。

  もし、天孫族や武士団族が朝鮮半島から負け組として追い出されてこなければ、日本列島は徳川時代の高度な文化もなく、 当時世界最大の都市だった江戸もなく、容易に西欧列強の植民地になっていたでしょう。つまり極めて残念なことですが、 日本人の世界に冠たる高度な技術力や文化性は、日本列島の3重遺伝子構造を構成する遺伝子の中で最後にやってきた Y-DNA「O2」(旧O3)がもたらしてきたものなのです、中国や韓国と支配階級が同じY-DNA「O2」遺伝子なのに結果が異なってきたのは、 常に外敵との抗争や侵略に脅かされ、技術や文化の熟成が近代までに確立「出来なかったか/出来たか」の違いなのでしょう。)


9.時代の趨勢

  3.3 Y-DNA「R1b」に書いた文章を復誦します。

  極めて明らかなことは、国・国民が先進的になるには純系民族では無理なのです。辺境民化してしまいエネルギーが低すぎるのですが、 競う共存遺伝子の種類が多ければ多いほど集団エネルギーが高くなり、国の活性度が上がり、覇権に向かうのです。 アジアの中で唯一近代化に成功した日本は縄文系−弥生系(長江文明系)−武装侵攻系(黄河文明系)が交雑し、 武装侵攻系が核になり集団エネルギーを一気に高め、一時はジャパンアズNo1と覇権を握るかもしれないほどの勢いを手に入れました。

  しかし日本が高止まりしてしまった間に中国が、日本以上の複雑な遺伝子ミックスにより集団エネルギーを高め、近代化らしきものに成功し 対外的には日本に取って替わりアジアの覇権を握ったように見えるレベルに達しました。しかし国民一人当たりの生産性があまりにも低く、 日本の1/4以下程度しかなく真の覇者には恐らく永久になれないでしょう。

  その中国も恐らく近いうちに日本同様高止まりするでしょうが、東アジアには日本、中国に代わる国はもはや存在しません。 南アジアのインドはロシアのスラブ系と同じインド・ヨーロッパ系遺伝子が支配する国ですが、中国同様あまりに国民一人あたりの 生産性が低すぎ日本の1/20程度しかなく覇権には届かないでしょう。

  当分の間はY-DNA「R1b」のアメリカとY-DNA「O2」(旧「O3」)の中国が覇権争いを続けるでしょうが、中国も日本もアメリカに 対する輸出で生産性を上げてきたので、アメリカにとって代わることは逆に自滅に向かうためまず不可能でしょう。
  非常に残念ですが、現代世界の構図は、世界の警察官であり輸入超大国のアメリカが太陽として中心に存在し、世界中から生産物を 買いまくり、そのおかげでアメリカの周りに各国が衛星のように回っていられるだけなのです。 水星、金星はEU諸国、地球は日本、火星はロシア、木星が中国、土星がインドという感じでしょうか。

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空想談

  このコラムの項目2で「北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。」と書いたのですが、 布団に入ってウトウトし始めた時に、突然、”空想の語り部”が降臨してきて グチュグチュと御託言を言い残していったので、忘れないうちに書き留めます。

  何故、ヒトを含む類人猿の進化ツリー前半のギボン(テナガザル)やオランウータンは(東南)アジアにしか棲息しておらず、 進化ツリー後半のゴリラやチンパンジーはアフリカにしか棲息していないのか?

  ヒトがアフリカで発祥したのはチンパンジーとの共通の祖先がアフリカにしかいなかったからなのは極めて明白ですが、 では何故共通の祖先はアジアにはいなかったのか?何故アフリカにしかいなかったのか? この疑問に関する納得できる説明を探してみたのですが、今のところ全く見つかってはいません。

  今のところの進化ツリーでは進化の後半で、ゴリラの祖先になった類人猿はアジアからアフリカに大移動をしたことになります。 要するに、ヒトの遠い源郷はアジアだったから、人は出アフリカしてユーラシア大陸を東に進んだと言うことになります。 つまりサケやウナギが戻ってくるのと一緒で、源郷戻りが遺伝子に埋め込まれているのではないか!? では逆に、なぜ類人猿はアジアからアフリカに移動をしたのか?も依然、極めて大きな謎です。

  とにかく解剖学的現代ヒト族は宿命に導かれ出アフリカし、中東あたりで先輩ヒト族の中東型ネアンデルタール人と交雑し分化し、 インド洋の沿岸に沿って東のアジアを目指し大移動を決行し、古代遺伝子Y-DNA「C」と「D」はアジアに到達しそこで棲息をしてきたわけです。 ところが別の古代遺伝子Y-DNA「E」は、せっかく出アフリカしたにも関わらずまたアフリカに出戻ってしまった。 ということはアフリカに進むことも遺伝子に組み込まれているのかもしれない。

  では残りの古代遺伝子Y-DNA「F」は、なぜインド亜大陸に留まり全新興遺伝子の親遺伝子となったのだろうか? アフリカ大陸でヒト族がチンパンジーとの共通の祖先から分化したように、インド亜大陸で新興遺伝子の共通の祖先の古代遺伝子「F」から 分化したのでしょう、それを実行した最も考えられる要因はアジア型ネアンデルタール人との交雑でしょう。

  インド亜大陸はアフリカ大陸と同様の、進化や分化を後押しするパワーがあるのではないか?誰か研究してくれませんかね!!!!!。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c17

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
18. 中川隆[-13587] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:12:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
歴史REAL日本人の起源 (洋泉社MOOK 歴史REAL) ムック – 2018/6/5
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2REAL%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E6%B4%8B%E6%B3%89%E7%A4%BEMOOK-%E6%AD%B4%E5%8F%B2REAL/dp/4800314739

『洋泉社ムック歴史REAL 日本人の起源』 2018/07/24
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html


 洋泉社より2018年6月に刊行されました。本書はおもに、弥生時代までの古代DNA研究・縄文時代研究・弥生時代研究の解説で構成されています。それぞれの執筆者は篠田謙一・山田康弘・藤尾慎一郎の各氏で、期待できそうなので購入しましたが、期待通りに最近の研究成果を知ることができました。とくに、弥生時代までの古代DNA研究の解説では、私が不勉強なため、多くの知見を新たに得ることができ、たいへん有益でした。以下、本書で注目した見解について、備忘録的に取り上げていきます。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析から、縄文人にはハプログループM7aとN9bが広範囲で見つかっており、現代ではほぼ日本人にしか見られません。ただ、どちらも出現(分岐)年代が3万〜2万年前頃なので、38000年前頃に日本列島に進出してきた人類と縄文人とは直接的な祖先-子孫関係にはなかった可能性が指摘されています。もっとも、あくまでもmtDNA解析に基づく推測ですから、38000年前頃の日本列島の人類集団と縄文人とが、もちろんその後の流入による遺伝的影響はあるとしても、直接的な祖先-子孫関係にある可能性も考えられます。

 縄文人のmtDNA解析数も蓄積されて、地域差が見えてくるようになりました。琉球列島を含む関西以西ではM7aが卓越するのにたいして、北海道・東北ではN9bが多数を占めています。また、サブグループまで分類すると、関西以西と東北・北海道では、M7aでもそれぞれ異なるグループが分布しています。そのため本書では、地域間の人的交流が広範囲に及ぶものではなかったかもしれない、と指摘されています。もっとも、後述するように、遺伝的交流は盛んではなくとも、交易などによる文化的交流はある程度以上活発だった可能性もじゅうぶんあるとは思います。

 また、現代日本人では、N9bが2%程度で、7%程度存在するM7aも、縄文時代の関西以西のサブグループで大半を占めることから、現代日本人に継承されている縄文人のDNAは、おもに西日本の縄文人に由来するのかもしれません。そうだとすると、弥生時代最初期にユーラシア大陸から九州北部に渡来した集団が在地の縄文人と混合し、東進していったために、現代日本人に占める縄文人の遺伝的影響は、西日本系の方が東日本系より高くなったのかもしれない、と本書は推測しています。

 縄文人のゲノム解析も進められており、最近になって、北海道礼文島の船泊遺跡から出土した3800〜3500年前頃の女性のゲノムは、現代人とほぼ同じ精度で解析されたそうです。平均網羅率は明示されていませんでしたが、30倍以上ということでしょうか。この女性の血液型はA型で、耳垢は湿式、切歯はシャベル状ではなく、巻き毛だったことが明らかになっています。これらの表現型はおおむね予想通りでしたが、目の虹彩は茶色で、人骨からの推測通り、身長が低くなる傾向を有する遺伝子が確認されました。

 この女性の両親は近い血縁関係にあり、両親の近縁関係の程度はアマゾンの先住民と同じくらいと推測されています。船泊遺跡からは、新潟県の糸魚川沿いの翡翠や、シベリアで発見されたものと類似した貝製装飾品が発見されていますが、婚姻圏は狭かったのではないか、と本書は推測しています。ただ、こうした狭い婚姻関係が一般的だったのか否かは、もっと縄文人のゲノム解析数が蓄積されないと、判断が難しいように思います。

 船泊遺跡の女性のゲノム解析の結果、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文人と同様に

(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/201609/article_3.html


船泊縄文人も現代の東アジア集団とは大きく離れている、と明らかになりました。現代人の集団で船泊縄文人とある程度遺伝的に近縁性を示すのは、アイヌ・琉球・「本土」日本・台湾や沿海州などユーラシア東部圏沿岸地域の先住民でした。本書は、東南アジアからの初期拡散により北上した集団のなかでユーラシア東部圏沿岸地域に居住した人々が融合し、縄文人が形成されたのではないか、と推測していますが、確証するにはユーラシア大陸の古代DNA解析が必要だ、と指摘しています。

 船泊遺跡では縄文時代の男性遺骸も発見されており、ゲノムが部分的に解析されているそうです。この男性もゲノムが解析された女性も、海獣など脂肪分に富む食資源に依存している場合に有利となる、脂肪代謝に関連する多様体を有しており、北極圏の先住民集団も同様です。船泊遺跡ではじっさいに漁撈具や海獣の骨が多数発見されているので、海獣への依存度が高い食生活を送っていたようです。船泊遺跡の男性のY染色体ハプログループは、現代日本人では30%以上存在するものの、中国や韓国ではほとんど見られないD1bでした。しかし、船泊遺跡の男性のY染色体ハプログループは、D1bの中でも現代日本人で多数を占めるサブグループD1b1ではなく、Y染色体でも、北海道の縄文人が現代日本人にはさほど遺伝的影響を及ぼしていない、という可能性が想定されます。

 弥生時代の人類のゲノム解析も進められていますが、縄文系と渡来系という以前からの形態学的分類がそのまま当てはまるものではなく、複雑な様相を呈していることが明らかになってきました。福岡県那珂川町安徳台遺跡で発見された弥生時代中期の女性は、典型的な渡来系弥生人と考えられており、遺伝的には韓国や中国の集団と類似する、と予想されていましたが、ゲノム解析の結果、現代日本人の範疇に収まり、むしろやや縄文人に近い、と明らかになりました。本書は、安徳台遺跡の弥生時代中期の集団が東進し、在来の縄文系と混合していったとすると、現代日本人における縄文人の遺伝的影響はもっと高くなっていると予想されることから、弥生時代中期〜古墳時代におけるユーラシア大陸からの渡来を想定する必要がある、と指摘しています。

 縄文系とされる弥生人のゲノムも解析されています。長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代後期の合葬された男女2人は、縄文人と共通する形態学的特徴を有している、と評価されています。mtDNAのハプログループでは、女性が縄文系と考えられるM7a、男性が渡来系と考えられるD4aと明らかになりました。しかし、核ゲノム解析では、縄文人と現代日本人の中間に位置する、との結果が得られました。上述した安徳台遺跡の事例からも、弥生時代には在来系と渡来系との融合が進んでおり、弥生人は均一な集団ではなく、独自の遺伝的構成を有していた、と言えるでしょう。本書は、弥生時代の渡来系は当初より在来系の縄文人と融合し始め、当時の朝鮮半島には渡来系弥生人と同じ遺伝的構成を有する集団はいなかっただろう、と推測しています。

 また本書は、弥生時代になっても日本列島の大半に縄文系の人々がいたと考えられることから、弥生時代以降もユーラシア大陸から日本列島への流入があり、現代日本人につながる集団の完成は古墳時代だろう、との見通しを提示しています。まだ予備的な研究の段階ですが、古墳時代になると、関東の集団の遺伝的な構成が大きく変わるそうで、古墳時代の日本列島の住民のDNA解析の進展が期待されます。また、飛鳥時代以降の古代DNAの解析も、日本史研究に大きく寄与するでしょうから、今後の研究の進展が楽しみです。


 これまで、先史時代の研究は考古学と形態学が主流でした。近年では古代DNA研究の進展が目覚ましいものの、考古学と形態学でも研究は着実に進展しています。日本列島最初期の土器は北海道では発見されておらず、朝鮮半島最古の土器は1万年前頃であることから、縄文土器は日本列島で開発された可能性が高そうです。また南島地域においては、縄文文化との共通性も相違点も見られ、時期により縄文文化と連動したり離れたりしていたそうです。本書は、他地域との交流はあるにしても、対馬海峡において文化的な境界線を引けることからも

(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html

縄文文化の空間的範囲は、現代の日本国の領域と厳密に一致しているわけではないものの、ほぼその範囲に収まる、との見解を提示しています。

 これは形態学的にも言えることで、縄文人の形質は、空間的には北海道から九州まで、時代的には早期から晩期前半までほぼ同一で、世界中で類似した古人骨は発見されていないそうです。そのため、縄文時代には、形質を大きく変化させるような他地域からの人的流入はなかった、と考えられています。それでも、やはり地域差はあり、北海道では地位内の差異が比較的大きい一方で、九州では小さいことが明らかになっており、縄文人の形成過程と関わっているかもしれません。

 縄文時代には定住が進みましたが、その度合いは地域により異なっており、その要因は依存していた食資源の違いだろう、と推測されています。縄文時代の農耕は近年よく主張されるようになりましたが、畑はまだ見つかっておらず、ダイズやアズキなどの作物が確定しただけだ、と本書は慎重な姿勢を示しています。縄文時代には、後期において、墓の分析から、北海道や東北でかなりの階層化が生じていた、と推測されています。しかし本書は、晩期にはこれらの地域で均質化が見られることから、おそらくは人口の少なさが要因で、階層社会は持続しなかっただろう、と指摘しています。

 弥生時代については、本書では紀元前10世紀にさかのぼるとする早期説が大前提となっていますが、まだ議論が決着したとは言えないようです

(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/201406/article_1.html


茨城県と栃木県以北では、水田稲作が行なわれても環濠集落が見られませんが、本書はその理由を、地域の核となる存在がなかったからではないか、と推測しています。水田稲作は、災害にあってもすぐに再開する傾向が強いのですが、東北の北部では、水田稲作が途絶えて数百年再開されませんでした。本書はその理由として、寒冷な気候が要因ではなく、東北の北部には水田稲作が始まっても土偶があることから、何らかの信仰形態・世界観の違いを挙げています。本書では古墳時代についても少し言及されており、九州や近畿では墳丘墓が早くから見られるものの、紀元後には衰退して古墳時代には直結しておらず、古墳時代の直接の起源は、紀元後2世紀半ば〜後半にかけての吉備や出雲にあるのではないか、との見解が提示されています。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c18

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
19. 中川隆[-13586] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:15:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明 2018年7月25日
https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/58540

金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覺張隆史特任助教,医薬保健研究域医学系・革新ゲノム情報学分野の佐藤丈寛助教および田嶋敦教授は,コペンハーゲン大学が中心となって進めている古代ゲノム研究の国際研究チームと共に,日本列島の縄文時代遺跡や東南アジアから出土した古人骨26個体のゲノム解析(※1)を実施し,今日の東南アジアで生活する人々の起源と過去の拡散過程を解明しました。

今回,ゲノム解読がなされた縄文人骨は,愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚遺跡(※2)から出土した約2千500年前の縄文晩期の女性人骨(※3)で,縄文人の全ゲノム配列(※4)を解読した例としては世界で初めての公表となります。

この縄文人骨1個体の全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8〜2千年前の東南アジア人など80を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施した結果,現在のラオスに約8千年前にいた狩猟採集民の古人骨と日本列島にいた約2千500年前の一人の女性のゲノムがよく似ていることが分かりました。

このように,本研究は,縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析(※5)によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられます。

特に,縄文人骨のゲノム解析は,覺張隆史特任助教,北里大学医学部の太田博樹准教授,国立歴史民俗博物館の山田康弘教授を中心とした『縄文人ゲノム解読プロジェクト(※6)』の成果の一つとなります。

これらの知見は,日本列島に居住していた各時代の人々の起源の解明に将来活用されるだけでなく,広く東アジア・東南アジアにおける人類集団の起源と拡散に関する研究に大きな寄与をもたらすことが期待されます。

本研究成果は,2018年7月6日に国際学術誌「Science」に掲載されました。

https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/58540
図 古人骨ゲノムデータから復元された人の拡散ルート

【用語解説】

※1 ゲノム解析
生物が持つ遺伝情報の広範囲な解析のこと。

※2 伊川津(いかわづ)貝塚遺跡
愛知県田原市に位置する縄文時代後晩期の貝塚遺跡。明治期から現代までに200体以上の人骨が検出されている日本で最も代表的な縄文時代遺跡。小金井良精や鈴木尚など著名な人類学者が人骨の形態学的な研究を進めてきた。同市は,他にも,吉胡貝塚,保美貝塚などの縄文時代を代表する貝塚が古くから調査されており,各遺跡から非常に多くの人骨が検出されている。

※3 約2千500年前の縄文晩期の女性人骨
2010年度に伊川津貝塚から出土した縄文人骨。近年の研究では,日本列島における弥生時代の開始は3000年前とされているが,弥生文化の到来時期は地域ごとに異なる。今回の伊川津貝塚出土の成人女性人骨は共伴した土器などから,五貫森式土器の時期のものと判明しており,渥美半島においてこの時期はまだ縄文時代の文化を残している。また,分析対象となった女性人骨は形態学的に典型的な縄文人の特徴を有していた。

※4 全ゲノム配列
生物が持つDNA配列の中でも,タンパク質の発現に関連する遺伝子領域のDNA配列だけでなく,遺伝子以外の領域全てを含めた広い範囲のDNA配列のこと。

※5 クロスチェック分析
異なる分析機関,異なる分析手法,異なる解析手法で,独立して同じ結果が得られるかを評価する分析手法のこと。古代DNA研究で重要な科学的指標の一つに当たる。

※6 縄文人ゲノム解読プロジェクト
日本の考古学者と人類学者,遺伝人類学者,ゲノム研究者などから構成される研究プロジェクト。
https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/58540


以下、詳しい説明(PDF)より抜粋
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【研究成果の概要】

本論文で国際共同研究チームは,DNA の保存環境として最も悪い東南アジアの遺跡出土人骨25 個体と日本の縄文人骨1 個体の計26 個体の古人骨からDNA 抽出を実施し,ゲノム配列決定に成功しました。得られた古人骨ゲノムデータと世界各地の現代人集団のゲノムデータを比較した結果,東南アジアに居住していた先史時代の人々は,6 つのグループに分類できることが分かりました(図3)。

グループ1 は現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,ラオスのPha Faen 遺跡(約8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアのGua Cha 遺跡(約4 千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。

また,このグループ1 に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。

さらに,伊川津縄文人ゲノムは,現代日本人ゲノムに一部受け継がれていることも判明しました。

一方,他のグループ2〜6 は農耕文化が始まる新石器時代から約500 年前までの古人骨で,ホアビン文化の古人骨とは遺伝的に大きく異なっており,それぞれ異なる拡散と遺伝的交流(すなわち混血)の歴史を持っていることが分かってきました。

グループ2はムラブリ族などの現代オーストロアジア語族と遺伝的に近く,現代東アジア集団とは遺伝的な構成要素をあまり共有していないことが分かりました。

さらにグループ1 と東アジア集団が分かれた後に,グループ1 からグループ2 への混血の痕跡が見つかりました。

また,グループ3 は現代東南アジア集団のタイ・カダイ語族やオーストロネシア語族と遺伝的に近く,グループ4 は現代の中国南部地域の人々と遺伝的に近いことも分かりました。

さらに,グループ5 は,現代のインドネシア西部の人々と遺伝的に近く,グループ6 は,いわゆる旧人に分類される古代型人類であるデニソワ人からの部分的な混血の痕跡なども見られました。

このように,部分的には中国南部の少数民族からの遺伝的な影響があったり,台湾などの地域へも遺伝的なつながりがあったりと,新石器時代の東南アジアの人々は単純に元々住んでいた狩猟採集民がそのまま農耕を取り入れたという静的な状態ではなく,大陸内と島嶼部で複数の大きな移住の過程で徐々に農耕を取り入れて行ったことが分かってきました。

従来の考古学的な視点からは,これらの時期には稲作・雑穀などの農耕文化を持つ人類集団が東南アジアに多数入植して原住民と置き換わったというシンプルな「2 層構造仮説」が提唱されてきました。

本研究成果では,すでに稲作文化を持っていた中国南部からの遺伝的な影響は部分的で,人々が完全に置き換わったということではないことが判明しました。その大きな移住の波が少なくとも4 回以上はあったことが解析の結果分かってきたことから,このような東南アジアの人々の移動を「複合モデル」という新しい枠組みで捉え直すことになりました。

本研究は,考古遺物でしか人類の拡散の議論ができないと従来考えられてきた東南アジア地域において,古人骨のゲノム分析により人類の拡散を解明した初の成功例になりました。今後,同様の分析を様々な地域に応用することで,各地域の詳細な人類の移動史を科学的に評価することが可能になったことが,本研究の最も大きな成果といえます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=337608

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c19

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
20. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:45:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]

縄文時代における九州と朝鮮半島との交流 2018/05/27


 以前、当ブログで


つくられた縄文時代: 日本文化の原像を探る (新潮選書) – 2015/11/27
山田 康弘 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが

(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html

もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。

じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。

対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。

また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c20

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
137. 中川隆[-13584] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:45:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]

縄文時代における九州と朝鮮半島との交流 2018/05/27


 以前、当ブログで


つくられた縄文時代: 日本文化の原像を探る (新潮選書) – 2015/11/27
山田 康弘 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが

(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html


もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。

じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。

対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。

また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c137

[議論21] 「縄文時代はよかった。」で?どうやって縄文時代のいい所を取り入れるのか? ワヤクチャ
40. 中川隆[-13583] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:46:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]

縄文時代における九州と朝鮮半島との交流 2018/05/27


 以前、当ブログで


つくられた縄文時代: 日本文化の原像を探る (新潮選書) – 2015/11/27
山田 康弘 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが

(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html


もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。

じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。

対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。

また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c40

[経世済民129] 中国で仕事する日本人が素直に感じた「このままだと日本ヤバい」(まぐまぐニュース) 赤かぶ
1. 中川隆[-13582] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:57:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/443.html#c1

[政治・選挙・NHK253] 「日韓請求権協定」を破った韓国最高裁の徴用工判決への反論資料、海外メディアに配布へ(かいけつニュース速報) 怪傑
2. 中川隆[-13581] koaQ7Jey 2018年11月15日 05:59:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
徴用工問題の本質
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね


朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52


旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88

旭川 中国人墓地(上川郡)

とても有名な心霊スポット。

日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。

墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203


日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


いわゆるホンモノです。

心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。

しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。

その1つは、北海道の「中国人墓地」です。

北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。

日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。


彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。

実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害

1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った


また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。

ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。

なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。


極秘情報 中国人墓地にまつわる事故

中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92071-1471+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%8A%E5%B7%9D%E9%83%A1%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E7%94%BA%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3/@43.6625413,142.5913463,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f0cd9f2b6fe409f:0x4492a267c5a4f525!8m2!3d43.6640765!4d142.6600564?hl=ja


この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。

このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。

そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。

当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。

ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。

それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。

当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。

確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。

しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……

「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」

それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。

全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川


2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。

今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。

北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。

東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。

慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。

資料:

中国人強制労働による殉死の墓

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。

戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。

そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494


旭川中国人墓地


昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。


地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja


この地図のおおむね中心付近にあります。

 
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。

私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・

8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・

コンビニの店員曰く、

この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」

我々は早速、現地へ向かった。

しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!

『ごるぅぁぁああああ!!!!』

天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」


驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・

出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。

我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。

そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。


【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。

一つ目、二つ目ははずれだった・・・

そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。

給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、


店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」

とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。

そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、

店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」

と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。

細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。

店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」

そして、店長は去っていった。

我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!

 沢山の手形が着いているではない
か!!!!!

私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると

「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」

なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・

ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。

でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。

ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。

「なるほど、これが幽霊か・・・・」

幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html


91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf

太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 


93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm


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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画

「労務動員計画」を参照

1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。

山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。

≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫


松代大本営建設の徴用

1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。

「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。

「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。

また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。

≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である


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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日  日本共産党幹部会委員長  志位和夫

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https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)

 10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。

 安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。

 こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。

(2)

 日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。

 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。

 強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。

 たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。

 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。

(3)

 韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。

 1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。

 徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。

 今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。

 日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。


 日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。

「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を

志位委員長の一問一答

日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致

 ――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。

 志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。

 ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。

 「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。

 裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。

 この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。

国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を

 ――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。

 志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。

 同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。

 私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。

 先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。

国家間の請求権についてどう考えるか

 ――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。

 志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。

 韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。

 その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。

 私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。

 ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
▲△▽▼


「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/643.html#c2

[政治・選挙・NHK253] 条約を無視して…韓国政府の「三権分立」論には無理がある ここがおかしい 小林節が斬る!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-13580] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:00:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
徴用工問題の本質
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね


朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52


旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88

旭川 中国人墓地(上川郡)

とても有名な心霊スポット。

日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。

墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203


日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


いわゆるホンモノです。

心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。

しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。

その1つは、北海道の「中国人墓地」です。

北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。

日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。


彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。

実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害

1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った


また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。

ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。

なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。


極秘情報 中国人墓地にまつわる事故

中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92071-1471+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%8A%E5%B7%9D%E9%83%A1%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E7%94%BA%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3/@43.6625413,142.5913463,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f0cd9f2b6fe409f:0x4492a267c5a4f525!8m2!3d43.6640765!4d142.6600564?hl=ja


この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。

このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。

そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。

当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。

ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。

それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。

当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。

確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。

しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……

「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」

それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。

全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289


北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川


2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。

今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。

北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。

東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。

慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。

資料:

中国人強制労働による殉死の墓

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。

戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。

そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494


旭川中国人墓地


昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。


地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja


この地図のおおむね中心付近にあります。

 
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。

私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・

8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・

コンビニの店員曰く、

この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」

我々は早速、現地へ向かった。

しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!

『ごるぅぁぁああああ!!!!』

天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」


驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・

出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。

我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。

そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。


【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。

一つ目、二つ目ははずれだった・・・

そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。

給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、


店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」

とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。

そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、

店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」

と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。

細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。

店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」

そして、店長は去っていった。

我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!

 沢山の手形が着いているではない
か!!!!!

私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると

「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」

なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・

ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。

でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。

ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。

「なるほど、これが幽霊か・・・・」

幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html


91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf

太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 


93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm


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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画

「労務動員計画」を参照

1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。

山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。

≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫


松代大本営建設の徴用

1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。

「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。

「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。

また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。

≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である


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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日  日本共産党幹部会委員長  志位和夫

(1)
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)

 10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。

 安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。

 こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。

(2)

 日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。

 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。

 強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。

 たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。

 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。

(3)

 韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。

 1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。

 徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。

 今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。

 日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。


 日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。

「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を

志位委員長の一問一答

日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致

 ――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。

 志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。

 ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。

 「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。

 裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。

 この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。

国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を

 ――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。

 志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。

 同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。

 私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。

 先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。

国家間の請求権についてどう考えるか

 ――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。

 志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。

 韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。

 その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。

 私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。

 ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
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「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/637.html#c1

[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
16. 中川隆[-13579] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:12:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
生保レディの甘い言葉に要注意 古い保険の下取りに隠された罠(マネーポスト)
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/439.html

マネーポストWEB 11/14(水) 16:00配信 女性セブン2018年11月15日号


お宝保険は1990年代までの商品


 生命保険に支払う保険料は世帯平均で年38万2000円。1か月分の給料がまるまる飛んでいくほど高額で、“保険貧乏”に陥る家庭も少なくない。そうならないためには、どんな保険を選べばよいのだろうか。

 この低金利の時代に低利で固定されてしまう貯蓄型の保険は、この先インフレになれば、満額受け取れたとしてもお金は加入時から目減りしてしまう。それならば保険に加入せず、低リスクの投資をした方が「ずっと得」との専門家の見方もある。

 ただし、金利が高かった時代に販売された貯蓄型保険は違う。実は、今では考えられないような高い金利で固定されている「お宝」保険である可能性が高いのだ。なかには、払った保険料総額の2倍近い満期金が保証されているものもあるという。ファイナンシャルプランナーの長尾義弘さんが語る。

「バブルの時代に遡りますが、1985年4月1日から1999年3月31日までは、運用利回り(運用の利益率のこと、予定利率といわれる)が最高に近い6%の商品もありました。この時期に販売された保険を持っていたら、手放してはいけません。6%まで高くなくとも、1999年3月までに契約したかどうかが1つの目安になります」

 ただ、仮に予定利率が4%と高かったとしても、支払った保険料全体に4%の利息が付くわけではないという。『「保険のプロ」が生命保険に入らないもっともな理由』など多数の著書がある保険アドバイザーの後田亨さんは、こう話す。

「死亡保障にかかる費用や販売手数料が引かれた後の金額が積み立て・運用に回るため、4%を大きく下回ることもあります」

 また、こうした高利回りの貯蓄型保険は、生保にとっては赤字のもと。解約させたいのが本音だ。

「生保レディが自宅を訪問し、『今の家族構成では、違うタイプの保険がおすすめなので、古い保険は下取りしましょう』などと言い、あの手この手で解約を促してきます。今契約している保険を解約して新しい保険に入り直すことを、保険の『転換』といいますが、新しい保険に入るため、通常年齢とともに保険料も上がっていくはずです。

 しかし、『これまでと同じ保険料で入れる』などと言って転換を促すのは、保険会社のサービスではなく、多くの場合、元の保険の解約返戻金で新しい保険の保険料を一時払いしているからにすぎません。貯めたお金を掛け捨て部分に使ったことで、保険料が安くなっているだけなのです。転換は契約者にとってのメリットはほとんどありません。損をするケースがほとんどです」(長尾さん)

 二度と手に入らないかもしれないお宝保険。売り文句に押されて手放さないよう気をつけよう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c16

[文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
145. 中川隆[-13578] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:16:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20671]
片山さつき大臣スキャンダル続出。「追及されても辞めない」を許すな
https://hbol.jp/178823
2018.11.14 選挙ウォッチャーちだい  ハーバー・ビジネス・オンライン


選挙ポスターのような「自著の宣伝看板」

 現在、ゴリゴリに「口利き」や「不正経理」の疑いが噴出している片山さつき議員は、2022年に全国比例区から立候補する予定の参議院議員です。2年前に参議院議員に再選を果たしたばかりなので、次のチャンスは2022年ということになり、あと4年間は落選させるチャンスがありません。

 「朝まで生テレビ」や「TVタックル」など、政治を扱うテレビ番組に出演することが多いため、お茶の間の知名度の高い政治家ですが、その裏では謎のお金が動いていたり、申告しなければならないお金が申告されていなかったり、財務省で働いていたくせに「お金の管理ができない」という真っ黒な国会議員であることが発覚しつつあります。

 皆さんも忙しいと思うので、いちいち片山さつきさんのスキャンダルばかりを追っているほど暇ではないと思いますので、ここまで週刊誌や国会質疑で問われている疑惑の数々をまとめていくことにしましょう。こんな議員が何の責任も取らずに国会議員を続けていること自体が、とっても不思議な話です。不正があっても全然辞めないので、これが当たり前になりつつあるかもしれませんが、本当は国会議員を辞職しなければならない話だと思います。

事の発端は「週刊文春」が報じた口利き疑惑


第一報を報じた週刊文春

 事の発端は、沖縄1区比例復活の国場幸之助先生が人妻に卑猥な内容のLINEを送っていたことが報じられた号の「週刊文春」です。2015年、税務調査を受けた企業の経営者から相談を受け、国税庁に働きかけるための着手金として100万円を請求。企業経営者と片山さつき大臣の音声データが存在し、片山さつきさんが国税局長に電話をしていたという事務所関係者の証言まで存在する状態です。

 誰がどう見ても完全に証拠が揃っているため、普通に考えれば「真っ黒」なのですが、なんと、片山さつきさんは「口利きをしたこともなければ、100万円を受け取ったこともない」としていて、音声データについては「似ている気はするが、自分の声かは判断できない」と言い出しました。

 安倍政権はこれまで甘利明さんの賄賂疑惑をはじめ、これまであらゆる疑惑に、どれだけ証拠を突きつけられても「どうでしょうね?」と言うだけで、まったく認めることはないし、まったく責任を取ることもありません。誰がどう見ても完全にアウトな案件でも徹底的に否定すれば乗り切れるというのが現在の安倍政権のスタンスです。

 片山さつきさんは早々に「週刊文春を訴える」と逆ギレを見せたわけですが、これは裁判に勝つか負けるかという話はあまり関係ありません。それより国会で質問された時に「訴訟案件なので」と答えられれば、それ以上は答える必要がなくなる大作戦なのです。自分が訴えられているのではなく、自分が訴えている裁判なのに、それでも「訴訟案件なので」で乗り切ろうとすることにビックリですが、このような乗り切り方が編み出されたことによって、現在、国会では大臣や議員がどれだけ悪いことをしても、責任を取ることもないし、まったく辞めないということが起こっています。

 聞かれた質問にはまったく答えず、ただ他人事のようにやり過ごすだけ。こんな酷い政治家は次回の選挙で絶対に落とすべきだと思いますが、全国比例で参議院議員に立候補しているので、「自民党」と書く人が多ければ自動的に当選してしまうスタイル。実は、杉田水脈さんが議員になってしまう構図と似ています。

グダグダな収支報告書

 自分のお金すら管理できない人に、果たして、地方創生のためのお金の流れを管理できるのでしょうか?

 片山さつき大臣は、自身が代表を務める政治団体「山桜会」と「自民党東京都参院比例区第25支部」の2016年分の政治資金収支報告書に記載漏れがあったとして、31日付けで報告書を訂正しました。どうしてこうなったのかについて片山さつきさんは「秘書が間違えた」としていますが、傍から見ていると、ただバレちゃったから仕方なく記載漏れということで報告したようにしか見えません。山桜会が50万円、第25支部が275万円の記載漏れがあったということで、合計で325万円のミスがあったということになりますが、実は、この話にはさらに続きがありました。

 「自民党東京都参院比例区第25支部」は2014年と2016年にそれぞれ最低でも20万円ずつの政治資金の出入りが未記載だったことが発覚し、11月2日付で修正。さらに、片山さつきさんの選挙費用として488万円が計上されていましたが、実際には288万円だったということで修正。つまり、なんだかんだで500万円以上の政治資金が未記載だったということなります。

 500万円といったら、けっこういろいろなことができる金額ですが、指摘された分だけでこの値段なので、本当はどれくらいの未記載があるのかがわかりません。テレビでよく見かけるので知名度は高いのですが、実際には黒いお金を動かしている疑惑の議員だということがわかりました。これからは「テレビでお馴染みの」ではなく、「お金の流れが不透明でお馴染みの」ということで、ちゃんと悪いことをしていないかをチェックしていきましょう。

次々と報じられる公職選挙法違反の疑惑

 片山さつき大臣が報じられているのは、政治資金や口利きだけではありません。公職選挙法にも違反しているのではないかという疑いがかけられているのです。その代表的なのは、浦和駅から徒歩5分の場所にある片山さつき大臣の巨大な看板です。

 表向きは「著書を宣伝するため」ということになっていますが、実際のところは「選挙でアピールするため」ではないかと指摘されていて、実際、その看板を見てみると、ただ著書を宣伝するというより、ここが片山さつきさんの故郷であることを宣伝しているようにも見えるのです。著書の宣伝であれば、わざわざ卒業した小学校を書く必要がないし、わざわざ「地元感」を演出する必要がないのではないかと思いますが、この疑惑が指摘された国会答弁では、日本語が通じないのかと思うくらい質問された内容にはほとんど答えない不誠実な回答をしました。「東京大学から財務省に入ったエリート」という肩書きが泣きます。

 実際に、噂の看板を見てきましたが、そんなに宣伝効果が高いようには見えません。幹線道路に面しているのですが、幹線道路に対して平行に立っているため、広告を見るためには横を向かなければなりません。なので、わざわざこの広告を見る人は少ないと思うのですが、片山さつき大臣いわく、この広告を出したことで「大変本が売れた」そうなので、この界隈に本を大量購入する人がいるのでしょうか。また、この広告は浦和にしかないとされていましたが、どうやら静岡県浜松市にも同様の看板があったそうで、片山さつき大臣は国会で嘘をついていたことになります。

 片山さつき大臣の公選法違反疑惑は、それだけではありません。なんと、片山さつき先生のカレンダーなるものを配布していたそうです。乃木坂46のカレンダーならともかく、「片山さつきカレンダー」を欲しい奇特な人がいるのかと思いますが、政治資金もザルだし、選挙のルールも守られていないし、何よりも国税庁に口利きをして脱税が指摘されそうな会社を助けてあげる代わりに着手金として100万円もらうという、法のルールさえ守らない大臣が誕生してしまっているのです。こんな大臣を普通にテレビ番組に出演させ、お茶の間の知名度を高めようというのですから、この国のメディアも完全にどうかしています。徹底的に追及される必要があるでしょう。

国会で追及されても「辞めない」という地獄のような話

 片山さつき大臣は、とても著名な政治家の一人です。国会議員は衆議院が465人、参議院が242人なので、合計707人です。いくら政治や選挙に興味がある人だって、さすがに707人もの顔と名前を覚えていられないし、知らない国会議員の方が数は多いと思います。そんな中で、片山さつきさんのことを知っている人はとても多いはずで、どうして多いのかと言ったら、さまざまなテレビ番組で見かける機会があり、いろいろな地方選挙で応援演説に駆けつけることが多いからです。

 しかし、いくらテレビで何度も見かけるからって、その人が良い政治家であるとは限りません。

 実際、安倍晋三総理を見ても、奥さんはアレだし、モリカケ問題に公文書改竄問題、口では責任を取ると言いながら実際に責任を取ったことは一度もない人間性などを踏まえ、まったく良い政治家だとは言えません。知名度と実際の中身はまったく比例しないのです。むしろ、知名度を上げることで「裏での仕事」をセコセコやっている可能性があり、僕たちは選挙の時に「テレビに出ているあの人に」ということで投票するのではなく、本当に仕事をしてくれそうな人に投票しなければならないのです。

 こっそり国税庁に口利きしてくれる国会議員は、脱税している経営者にとってはありがたい存在かもしれませんが、本来払うべき税金が払われなくなってしまうわけですから、国益という意味では損なわれています。国益を損なうことを平気でできる人間を「テレビに出ているから」という理由で選んでしまっていいのでしょうか。

 いくら証拠が揃っていても、どこまでもすっとぼけて辞めないし、責任を取らない。本来であれば、野党議員たちの追及で辞めさせなければならないのだと思いますが、野党も野党で頼りなく、週刊誌の報道をベースに「どうなっているんですか?」と聞くだけで、疑惑の大臣に「どうなっているんでしょうね」と他人事のように返されて「ぐぬぬ」とか言っているのです。

 こうなったら僕たち有権者が自分たちの手で落選させなければならないのですが、僕たちは4年後の2022年まで、片山さつき大臣が裏家業に勤しみ、国民のために働いてくれるタイプの国会議員ではないことを覚えていられるでしょうか。また、片山さつき大臣は参議院議員の全国比例ということもあり、そもそも自民党を選ぶ人が多ければ、ほぼ自動的に当選してしまうような仕組みになっています。「片山さつきさんはクソだと思っているけれど、自民党に投票したい」という人は、きっと自民党に投票することになるため、結局、自分たちの意志とは裏腹に片山さつきさんが当選してしまうというのが、今の日本の選挙システムです。

 有権者の9割ぐらいの人が「片山さつきさんには投票したくない」と思わなければ片山さつきさんが落選することはないので、今のままだと、片山さつきさんは2022年も議員に当選し、それから6年間は議員として仕事をしてしまい、2028年まで影響力を持ち続けることになります。チャンスはたったの1回なので、この疑惑の数々はなるべく多くの人が共有しなければならないのです。

選挙ウォッチャーの分析&考察

 片山さつき大臣の不正疑惑については、週刊誌でも、テレビでも、ネットニュースでも報じられています。

 誰も気付かないような地方議員の不正ではなく、有名な国会議員の不正なのですから、本当はもっと話題になっていいし、多くの国民が「次の選挙では投票しない」と心に決めるレベルだと思うのです。ところが、一度くらい悪事がニュースになっても、知名度の方が勝ってしまうのは、人々が政治や選挙に無関心を極めているからです。

「次の選挙では投票しない」と心に決める人よりも「この人のことを知っているから投票する」という人の方が多いために、本当は落選すべき人が当選してしまうという現象が起こっているのです。そして、昨今の若者の投票率が低いのは「よくわからない人に投票して変な人が議員になってしまうのであれば、よくわからないのに投票しない方がいい」と考えている人が多いからです。

「自分のせいで適性に欠ける人間が議員になってしまうのを防ぐため」だったりするのです。僕はそれを乗り越えて、ちゃんとした人に議員になってもらいたいと考えているので、「選挙ウォッチャー」という仕事を始めたわけなのですが、まだまだ片山さつき大臣より知名度が低いので、この世界を変えることができません。コツコツ頑張りましょう。

<取材・文/選挙ウォッチャーちだい(Twitter ID:@chidaisan)>
ちだい●選挙ウォッチャーとして日本中の選挙を追いかけ、取材活動を行う。選挙ごとに「どんな選挙だったのか」を振り返るとともに、そこで得た選挙戦略のノウハウなどをTwitterやnote「チダイズム」を中心に公開中。立候補する方、当選させたい議員がいる方は、すべてのレポートが必見。


http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c145

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
116. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:33:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]

中国、「消費落込み」10月の小売高は実質で「過去最低」2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13552790.html


この季節は、日の入りが早く「釣瓶落とし」と称される。中国経済は、GDPの4割を占める個人消費が不調で、まさに「釣瓶落とし」だ。中国政府は、「個人消費」統計を発表せず、政府消費と個人消費を合算して「最終消費」という紛らわしい言葉を使っている。これが、何と6割だと胸を張る。実際の個人消費は4割でゲタを履かせているのだが、気の毒なほど見栄っ張りの国である。

『日本経済新聞 電子版』(11月14日付)は、「中国で消費落ち込み、10月の実質伸び過去最低」と題する記事を掲載した。

(1)「中国で個人消費の落ち込みが鮮明になってきた。同国の国家統計局が14日発表した10月の小売売上高(社会消費品小売総額)は、物価の変動を除いた実質の伸びが前年同月比5.6%と過去最低の水準に落ち込んだ。自動車の販売が振るわなかった。米国との貿易戦争で景気の先行きに不透明感が強まるなか、消費者の節約志向が広がっている」

10月の小売売上高(社会消費品小売総額)は、実質の伸びが前年同月比5.6%と過去最低の水準になった。株価の低下は、中国当局がいくら「情報隠蔽」を図っても容易に知れ渡る。国民が不安心理に駆られるのもやむを得ない。株価下落に加えて、住宅価格の顕著な下落があれば、中国経済は一瞬のうちに機能停止に陥るであろう。その「死の淵」まで来ているのだ。その認識が、どこまで広がっているだろうか。中国人民銀行が最も恐れている事態が接近している。

(2)「中国のエコノミストが高額消費を占うとして注目するマカオのカジノ収入も失速。前年同月からの伸び率は8月に17%だったが、9、10月はそれぞれ2%台。反腐敗運動で不振だった2016年夏以来の低水準だ。10月の小売売上高の伸びは名目では前年同月比8.6%となり、9月より0.6ポイント減速した。統計の信頼度が高い、一定規模以上の小売業の売上高の伸びも同3.7%と過去最低。物価上昇を考えると実質の伸びはゼロ近辺とみられる」

マカオのカジノ収入も失速。前年同月からの伸び率は8月に17%だったが、9、10月はそれぞれ2%台と指摘している。カジノ収入が9月以降は激減している。これは、いよいよ「来るべきもの来た」という印象を深める緊急事態が起こり始めた前兆かもしれない。

私は、日本のバブル経済崩壊に関わる一部始終(発生から崩壊、その後の後遺症まで)を見つめてきた一人として、中国経済を検証してきた。その感想をいえば、日中は瓜二つの過程で「破滅」へ向かっていると言うことである。中国経済は別、ということはあり得ない。金融現象の「引潮」(信用収縮)に見るマネーサプライ(M2)の急速鈍化は、日本経済と同じ道を歩んでおり、中国経済が苦闘の真っ最中にあることを物語っている。

中国が、米中貿易戦争で最後まで戦うという無謀な選択をすれば、今後どういう結果が待っているか。その一端は、きょうの記事に現れている。その意味で、極めて象徴的な記事である。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c116

[昼休み54] 毛沢東気取りの習近平の近況 中川隆
81. 中川隆[-13606] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:34:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]

中国、「消費落込み」10月の小売高は実質で「過去最低」2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13552790.html


この季節は、日の入りが早く「釣瓶落とし」と称される。中国経済は、GDPの4割を占める個人消費が不調で、まさに「釣瓶落とし」だ。中国政府は、「個人消費」統計を発表せず、政府消費と個人消費を合算して「最終消費」という紛らわしい言葉を使っている。これが、何と6割だと胸を張る。実際の個人消費は4割でゲタを履かせているのだが、気の毒なほど見栄っ張りの国である。

『日本経済新聞 電子版』(11月14日付)は、「中国で消費落ち込み、10月の実質伸び過去最低」と題する記事を掲載した。

(1)「中国で個人消費の落ち込みが鮮明になってきた。同国の国家統計局が14日発表した10月の小売売上高(社会消費品小売総額)は、物価の変動を除いた実質の伸びが前年同月比5.6%と過去最低の水準に落ち込んだ。自動車の販売が振るわなかった。米国との貿易戦争で景気の先行きに不透明感が強まるなか、消費者の節約志向が広がっている」

10月の小売売上高(社会消費品小売総額)は、実質の伸びが前年同月比5.6%と過去最低の水準になった。株価の低下は、中国当局がいくら「情報隠蔽」を図っても容易に知れ渡る。国民が不安心理に駆られるのもやむを得ない。株価下落に加えて、住宅価格の顕著な下落があれば、中国経済は一瞬のうちに機能停止に陥るであろう。その「死の淵」まで来ているのだ。その認識が、どこまで広がっているだろうか。中国人民銀行が最も恐れている事態が接近している。

(2)「中国のエコノミストが高額消費を占うとして注目するマカオのカジノ収入も失速。前年同月からの伸び率は8月に17%だったが、9、10月はそれぞれ2%台。反腐敗運動で不振だった2016年夏以来の低水準だ。10月の小売売上高の伸びは名目では前年同月比8.6%となり、9月より0.6ポイント減速した。統計の信頼度が高い、一定規模以上の小売業の売上高の伸びも同3.7%と過去最低。物価上昇を考えると実質の伸びはゼロ近辺とみられる」

マカオのカジノ収入も失速。前年同月からの伸び率は8月に17%だったが、9、10月はそれぞれ2%台と指摘している。カジノ収入が9月以降は激減している。これは、いよいよ「来るべきもの来た」という印象を深める緊急事態が起こり始めた前兆かもしれない。

私は、日本のバブル経済崩壊に関わる一部始終(発生から崩壊、その後の後遺症まで)を見つめてきた一人として、中国経済を検証してきた。その感想をいえば、日中は瓜二つの過程で「破滅」へ向かっていると言うことである。中国経済は別、ということはあり得ない。金融現象の「引潮」(信用収縮)に見るマネーサプライ(M2)の急速鈍化は、日本経済と同じ道を歩んでおり、中国経済が苦闘の真っ最中にあることを物語っている。

中国が、米中貿易戦争で最後まで戦うという無謀な選択をすれば、今後どういう結果が待っているか。その一端は、きょうの記事に現れている。その意味で、極めて象徴的な記事である。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html#c81

[昼休み54] 毛沢東気取りの習近平の近況 中川隆
82. 中川隆[-13605] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:39:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]

中国、「報道規制」経済ニュースも検閲対象へ貿易戦争「敗れたり」 2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13551950.html

中国も随分と落ちぶれたものだ。習近平氏は、経済ニュースまで検閲対象に加えたという。悪いニュースは報道させない。国民の目と耳をふさぐ戦法に出てきた。経済の実態が極めて悪化しているのだろう。戦時中の日本が経験したように、「報道規制」は実態経済の悪化を示す証拠である。

今さら悔いても始らないが、習氏は民族主義者の煽動に乗ってしまい、この始末である。米国と戦って勝てると見た習氏の力量の限界を示している。貿易戦争に入る前、中国の改革派は署名入りで反対論を打ち上げている。中国は、貿易紛争で米国と互角に対抗する力はない、というものだった。結果は、その通りになっている。習氏の権威は、これでかなりの「ディスカウント」になろう。

『フィナンシャル・タイムズ』(11月14日付)は、「中国、景気減速で経済ニュースも検閲対象に」と題する記事を掲載した。

(1)「中国の経済成長が減速し、米国との貿易戦争が消費者心理や株式市場に打撃を及ぼすなか、中国政府は国内メディアの統制をさらに強めている。共産党は数十年来、力強い経済発展を自らの正統性のよりどころにしてきただけに、景況感が下向きになってきたこの時期、経済ニュースは政治ニュースと同様に検閲の対象になっている。『こんなに厳しい検閲はこれまでなかった』と、20年のキャリアを持つ経済記者は打ち明ける。『今年後半に大きな方針転換があった』。中国の有力メディアの記者・編集者十数人が匿名を条件にフィナンシャル・タイムズ紙に語ったところでは、中国の中央宣伝部の当局者が数カ月前、中国経済を中傷するような報道をしないよう指示したという」

日本の戦時中の情報検閲の経験を聞くと、それは厳しいものだったという。私の勤めた『週刊東洋経済』では、毎号のゲラ刷りで検閲を受けるのだが、遠回しに書いても検閲官は敏感に対応したという。「負け戦」とは、こういうものだ。中国が、ここまで経済ニュースに敏感なのは、「敗戦」による責任回避を始めているのであろう。習近平氏も、ミソをつけたものだ。

(2)「メディア関係者によると、消費者の支出減や地方政府による債務返済の苦闘ぶり、破産した民間企業の人員解雇、国有企業の非効率経営といった話題の報道は日を追って認められなくなっている。報道機関は『貿易戦争』という語句の使用を禁じられ、貿易摩擦が中国経済減速につながるといった解説も避けるよう命じられている、と複数の記者が証言した。世界の企業や投資家が製品の販売先、株式・債券市場への投資先として中国との関わりを深めるなかで、独自の経済報道に対する弾圧も強まっている」

もともと、官製メディアはただの宣伝機関であるから記事に信憑性がない。となると、外国メディアの情報が唯一の信頼性ある情報と言うことになる。この状態が、この先「何十年」も続くのか。中国経済に「朗報」が期待できない以上、情報の解禁は困難であろう。購読を止めた方が良いのかも知れない。

(3)「ある有力誌の編集者は、経済報道への規制がこれまで政治報道にだけ向けられていたのと同じ程度に厳しくなっていると話し、『いまや経済が政治問題化している』と言い放った。関係筋によると、報道規制当局は編集者に対し、経済問題を題材にしたりネット上で拡散したりしないよう電話で指示している。『今年は電話がかかってくる回数がかなり多くなった』と、1日に何度も電話を受けるという編集者が明かした。関係者によると、中国の大半のメディアはここ数年、広告収入の減少で採算ぎりぎりの経営状態にあり、(当局から)一時閉鎖でも(命令を受ければ)財務的に大打撃になり得るという」

大半のメディアの広告収入が減ったと指摘している。この事実こそ、中国経済の末端は、不景気風に見舞われている証拠だ。中国経済の「落城」は近い。習近平氏は、全権を一手に握って、もはや逃げ場がなくなった。どうする積もりだろうか。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html#c82

[お知らせ・管理21] 2018年11月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
17. 中川隆[-13604] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:44:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]
>>15
>中川隆、およびpGJUxgu1uKEらによる長文の荒らしコメントに
大変迷惑しています。


僕に真実を明らかにされて大変迷惑してるんだろ。

中国政府は必死に情報統制してるから、阿修羅の中国工作員にも同様の指示がされたという事だ:

中国、「報道規制」経済ニュースも検閲対象へ貿易戦争「敗れたり」 2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13551950.html

中国も随分と落ちぶれたものだ。習近平氏は、経済ニュースまで検閲対象に加えたという。悪いニュースは報道させない。国民の目と耳をふさぐ戦法に出てきた。経済の実態が極めて悪化しているのだろう。戦時中の日本が経験したように、「報道規制」は実態経済の悪化を示す証拠である。

今さら悔いても始らないが、習氏は民族主義者の煽動に乗ってしまい、この始末である。米国と戦って勝てると見た習氏の力量の限界を示している。貿易戦争に入る前、中国の改革派は署名入りで反対論を打ち上げている。中国は、貿易紛争で米国と互角に対抗する力はない、というものだった。結果は、その通りになっている。習氏の権威は、これでかなりの「ディスカウント」になろう。

『フィナンシャル・タイムズ』(11月14日付)は、「中国、景気減速で経済ニュースも検閲対象に」と題する記事を掲載した。

(1)「中国の経済成長が減速し、米国との貿易戦争が消費者心理や株式市場に打撃を及ぼすなか、中国政府は国内メディアの統制をさらに強めている。共産党は数十年来、力強い経済発展を自らの正統性のよりどころにしてきただけに、景況感が下向きになってきたこの時期、経済ニュースは政治ニュースと同様に検閲の対象になっている。『こんなに厳しい検閲はこれまでなかった』と、20年のキャリアを持つ経済記者は打ち明ける。『今年後半に大きな方針転換があった』。中国の有力メディアの記者・編集者十数人が匿名を条件にフィナンシャル・タイムズ紙に語ったところでは、中国の中央宣伝部の当局者が数カ月前、中国経済を中傷するような報道をしないよう指示したという」

日本の戦時中の情報検閲の経験を聞くと、それは厳しいものだったという。私の勤めた『週刊東洋経済』では、毎号のゲラ刷りで検閲を受けるのだが、遠回しに書いても検閲官は敏感に対応したという。「負け戦」とは、こういうものだ。中国が、ここまで経済ニュースに敏感なのは、「敗戦」による責任回避を始めているのであろう。習近平氏も、ミソをつけたものだ。

(2)「メディア関係者によると、消費者の支出減や地方政府による債務返済の苦闘ぶり、破産した民間企業の人員解雇、国有企業の非効率経営といった話題の報道は日を追って認められなくなっている。報道機関は『貿易戦争』という語句の使用を禁じられ、貿易摩擦が中国経済減速につながるといった解説も避けるよう命じられている、と複数の記者が証言した。世界の企業や投資家が製品の販売先、株式・債券市場への投資先として中国との関わりを深めるなかで、独自の経済報道に対する弾圧も強まっている」

もともと、官製メディアはただの宣伝機関であるから記事に信憑性がない。となると、外国メディアの情報が唯一の信頼性ある情報と言うことになる。この状態が、この先「何十年」も続くのか。中国経済に「朗報」が期待できない以上、情報の解禁は困難であろう。購読を止めた方が良いのかも知れない。

(3)「ある有力誌の編集者は、経済報道への規制がこれまで政治報道にだけ向けられていたのと同じ程度に厳しくなっていると話し、『いまや経済が政治問題化している』と言い放った。関係筋によると、報道規制当局は編集者に対し、経済問題を題材にしたりネット上で拡散したりしないよう電話で指示している。『今年は電話がかかってくる回数がかなり多くなった』と、1日に何度も電話を受けるという編集者が明かした。関係者によると、中国の大半のメディアはここ数年、広告収入の減少で採算ぎりぎりの経営状態にあり、(当局から)一時閉鎖でも(命令を受ければ)財務的に大打撃になり得るという」

大半のメディアの広告収入が減ったと指摘している。この事実こそ、中国経済の末端は、不景気風に見舞われている証拠だ。中国経済の「落城」は近い。習近平氏は、全権を一手に握って、もはや逃げ場がなくなった。どうする積もりだろうか。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/541.html#c17

[お知らせ・管理21] 管理人さんへ 長文コピペのキング 中川隆さんの 取り扱いで要望です 知る大切さ
31. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:46:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]
僕に真実を明らかにされて阿修羅の中国工作員も迷惑してるみたいだね。

中国政府は必死に情報統制してるから、阿修羅の中国工作員にも同様の指示がされたという事だ:


中国、「報道規制」経済ニュースも検閲対象へ貿易戦争「敗れたり」 2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13551950.html

中国も随分と落ちぶれたものだ。習近平氏は、経済ニュースまで検閲対象に加えたという。悪いニュースは報道させない。国民の目と耳をふさぐ戦法に出てきた。経済の実態が極めて悪化しているのだろう。戦時中の日本が経験したように、「報道規制」は実態経済の悪化を示す証拠である。


今さら悔いても始らないが、習氏は民族主義者の煽動に乗ってしまい、この始末である。米国と戦って勝てると見た習氏の力量の限界を示している。貿易戦争に入る前、中国の改革派は署名入りで反対論を打ち上げている。中国は、貿易紛争で米国と互角に対抗する力はない、というものだった。結果は、その通りになっている。習氏の権威は、これでかなりの「ディスカウント」になろう。


『フィナンシャル・タイムズ』(11月14日付)は、「中国、景気減速で経済ニュースも検閲対象に」と題する記事を掲載した。


(1)「中国の経済成長が減速し、米国との貿易戦争が消費者心理や株式市場に打撃を及ぼすなか、中国政府は国内メディアの統制をさらに強めている。共産党は数十年来、力強い経済発展を自らの正統性のよりどころにしてきただけに、景況感が下向きになってきたこの時期、経済ニュースは政治ニュースと同様に検閲の対象になっている。『こんなに厳しい検閲はこれまでなかった』と、20年のキャリアを持つ経済記者は打ち明ける。『今年後半に大きな方針転換があった』。中国の有力メディアの記者・編集者十数人が匿名を条件にフィナンシャル・タイムズ紙に語ったところでは、中国の中央宣伝部の当局者が数カ月前、中国経済を中傷するような報道をしないよう指示したという」


日本の戦時中の情報検閲の経験を聞くと、それは厳しいものだったという。私の勤めた『週刊東洋経済』では、毎号のゲラ刷りで検閲を受けるのだが、遠回しに書いても検閲官は敏感に対応したという。「負け戦」とは、こういうものだ。中国が、ここまで経済ニュースに敏感なのは、「敗戦」による責任回避を始めているのであろう。習近平氏も、ミソをつけたものだ。


(2)「メディア関係者によると、消費者の支出減や地方政府による債務返済の苦闘ぶり、破産した民間企業の人員解雇、国有企業の非効率経営といった話題の報道は日を追って認められなくなっている。報道機関は『貿易戦争』という語句の使用を禁じられ、貿易摩擦が中国経済減速につながるといった解説も避けるよう命じられている、と複数の記者が証言した。世界の企業や投資家が製品の販売先、株式・債券市場への投資先として中国との関わりを深めるなかで、独自の経済報道に対する弾圧も強まっている」


もともと、官製メディアはただの宣伝機関であるから記事に信憑性がない。となると、外国メディアの情報が唯一の信頼性ある情報と言うことになる。この状態が、この先「何十年」も続くのか。中国経済に「朗報」が期待できない以上、情報の解禁は困難であろう。購読を止めた方が良いのかも知れない。


(3)「ある有力誌の編集者は、経済報道への規制がこれまで政治報道にだけ向けられていたのと同じ程度に厳しくなっていると話し、『いまや経済が政治問題化している』と言い放った。関係筋によると、報道規制当局は編集者に対し、経済問題を題材にしたりネット上で拡散したりしないよう電話で指示している。『今年は電話がかかってくる回数がかなり多くなった』と、1日に何度も電話を受けるという編集者が明かした。関係者によると、中国の大半のメディアはここ数年、広告収入の減少で採算ぎりぎりの経営状態にあり、(当局から)一時閉鎖でも(命令を受ければ)財務的に大打撃になり得るという」


大半のメディアの広告収入が減ったと指摘している。この事実こそ、中国経済の末端は、不景気風に見舞われている証拠だ。中国経済の「落城」は近い。習近平氏は、全権を一手に握って、もはや逃げ場がなくなった。どうする積もりだろうか。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/499.html#c31

[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
215. 中川隆[-13602] koaQ7Jey 2018年11月15日 06:48:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]


僕に真実を明らかにされて阿修羅の中国工作員も迷惑してるみたいだね。
中国政府は必死に情報統制してるから、阿修羅の中国工作員にも同様の指示がされたという事だ:


中国、「報道規制」経済ニュースも検閲対象へ貿易戦争「敗れたり」 2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13551950.html

中国も随分と落ちぶれたものだ。習近平氏は、経済ニュースまで検閲対象に加えたという。悪いニュースは報道させない。国民の目と耳をふさぐ戦法に出てきた。経済の実態が極めて悪化しているのだろう。戦時中の日本が経験したように、「報道規制」は実態経済の悪化を示す証拠である。


今さら悔いても始らないが、習氏は民族主義者の煽動に乗ってしまい、この始末である。米国と戦って勝てると見た習氏の力量の限界を示している。貿易戦争に入る前、中国の改革派は署名入りで反対論を打ち上げている。中国は、貿易紛争で米国と互角に対抗する力はない、というものだった。結果は、その通りになっている。習氏の権威は、これでかなりの「ディスカウント」になろう。


『フィナンシャル・タイムズ』(11月14日付)は、「中国、景気減速で経済ニュースも検閲対象に」と題する記事を掲載した。


(1)「中国の経済成長が減速し、米国との貿易戦争が消費者心理や株式市場に打撃を及ぼすなか、中国政府は国内メディアの統制をさらに強めている。共産党は数十年来、力強い経済発展を自らの正統性のよりどころにしてきただけに、景況感が下向きになってきたこの時期、経済ニュースは政治ニュースと同様に検閲の対象になっている。『こんなに厳しい検閲はこれまでなかった』と、20年のキャリアを持つ経済記者は打ち明ける。『今年後半に大きな方針転換があった』。中国の有力メディアの記者・編集者十数人が匿名を条件にフィナンシャル・タイムズ紙に語ったところでは、中国の中央宣伝部の当局者が数カ月前、中国経済を中傷するような報道をしないよう指示したという」


日本の戦時中の情報検閲の経験を聞くと、それは厳しいものだったという。私の勤めた『週刊東洋経済』では、毎号のゲラ刷りで検閲を受けるのだが、遠回しに書いても検閲官は敏感に対応したという。「負け戦」とは、こういうものだ。中国が、ここまで経済ニュースに敏感なのは、「敗戦」による責任回避を始めているのであろう。習近平氏も、ミソをつけたものだ。


(2)「メディア関係者によると、消費者の支出減や地方政府による債務返済の苦闘ぶり、破産した民間企業の人員解雇、国有企業の非効率経営といった話題の報道は日を追って認められなくなっている。報道機関は『貿易戦争』という語句の使用を禁じられ、貿易摩擦が中国経済減速につながるといった解説も避けるよう命じられている、と複数の記者が証言した。世界の企業や投資家が製品の販売先、株式・債券市場への投資先として中国との関わりを深めるなかで、独自の経済報道に対する弾圧も強まっている」


もともと、官製メディアはただの宣伝機関であるから記事に信憑性がない。となると、外国メディアの情報が唯一の信頼性ある情報と言うことになる。この状態が、この先「何十年」も続くのか。中国経済に「朗報」が期待できない以上、情報の解禁は困難であろう。購読を止めた方が良いのかも知れない。


(3)「ある有力誌の編集者は、経済報道への規制がこれまで政治報道にだけ向けられていたのと同じ程度に厳しくなっていると話し、『いまや経済が政治問題化している』と言い放った。関係筋によると、報道規制当局は編集者に対し、経済問題を題材にしたりネット上で拡散したりしないよう電話で指示している。『今年は電話がかかってくる回数がかなり多くなった』と、1日に何度も電話を受けるという編集者が明かした。関係者によると、中国の大半のメディアはここ数年、広告収入の減少で採算ぎりぎりの経営状態にあり、(当局から)一時閉鎖でも(命令を受ければ)財務的に大打撃になり得るという」


大半のメディアの広告収入が減ったと指摘している。この事実こそ、中国経済の末端は、不景気風に見舞われている証拠だ。中国経済の「落城」は近い。習近平氏は、全権を一手に握って、もはや逃げ場がなくなった。どうする積もりだろうか。


▲△▽▼


僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。
つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう


http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c215

[お知らせ・管理21] 2018年11月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
18. 中川隆[-13601] koaQ7Jey 2018年11月15日 07:03:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]
>>11, >>15

僕に真実を明らかにされると困る組織が沢山あるみたいだね

阿修羅掲示板は心有る人からは、オームの残党がやっているアホ陰謀論掲示板だと思われているから、影響力ゼロだよ。

5ちゃんに阿修羅へのリンクを貼ると投稿できないし、その程度のアホ掲示板だというのが世間の評価さ。


僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。
つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/541.html#c18

[昼休み54] 韓国は既に共産体制へ向かって驀進中 中川隆
26. 中川隆[-13600] koaQ7Jey 2018年11月15日 07:07:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]

文在寅氏が、韓国経済を潰す可能性はこれだけ高い!2018年11月15日

今朝、「メルマガ5号」を発行しました。下記のような内容です。


目次

文在寅氏は政治家向きでない

大統領府に元学生運動家終結

労働貴族を生んだ「主体思想」

最賃大幅引き上げはどうなる

反企業主義が韓国の落日招く

北朝鮮支援で国内景気を犠牲

韓国第19代大統領の文在寅(ムン・ジェイン)氏は、1953年1月24日生まれの65歳です。両親が、朝鮮戦争の際に北朝鮮から韓国へ逃れてきました。先祖は北朝鮮の地に眠っています。こういう経歴が、文氏の政治行動に大きく影響を与えていると思います。南北統一が、最大の政治目標になっていることは疑いないでしょう。

文氏は、社会派弁護士として活躍しました。絶えず、社会の底辺で陽の当らない人たちの立場で、弱者を支援する弁護活動をしてきました。このことが示すように、「義憤」という感情が文氏を支配してきたように感じるのです。これが、大統領になって「最低賃金の大幅引き上げ」という政策として登場した背景でしょう。

文在寅氏は政治家向きでない

以上の二点が、文大統領の政治行動のバックボーンになっていると見て間違いないでしょう。人間誰しも、身近な経験から社会全体の動きを眺めています。この狭い限られた経験から、自らを大きく解き放つには、一段の努力が必要です。残念ながら、文大統領にはそれが感じられないのです。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13550928.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/278.html#c26

[お知らせ・管理21] 2018年11月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
19. 中川隆[-13599] koaQ7Jey 2018年11月15日 07:13:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]

誰が見ても、赤かぶ氏は巨大な組織の工作員グループで、阿修羅掲示板の情報操作をしている


メディアを襲う言論弾圧の嵐と着実に浸透している洗脳工作としての「赤かぶ」の横行
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/465.html
投稿者 海野雄吉 日時 2018 年 11 月 13 日 11:29:06: Kg/AGhESWTs4c ikOW7JdZi2c  

首相官邸による言論弾圧で日本のメディアは萎縮しているが、そんな中でネット世界には未だ自由があると期待したいが、阿修羅でも目立っている「赤かぶ」を名乗るグループの発言の洪水は、心ある読者にうんざりさせる効果を発揮している。
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/472.html

どう見ても何人もの人間が手分けして書き込みをしているとしか考えられないのは、24時間体制で書いているタフさであり、組織的なものが関与しているに相違ない。一見して便宜を図っているように見せかけて、一定の方向に導いて習慣化させ、思考力を落とそうとする高度作戦ではないか。言論の自由は多様性にあるのに、赤カブの圧倒的な書き込み行為は情報の集中化で独裁行為だ。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/541.html#c19

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
21. 中川隆[-13598] koaQ7Jey 2018年11月15日 09:26:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20701]

畿内の被差別部落民は縄文系

2013年12月17日 形質人類学のデータ

エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099203.html


chielien_4f89277efa984404924a2bf6bさん 2016/8/30 21:55:06
同和地区、被差別部落関連のご相談です。気分を害される方もいらっしゃるかと思いましたがネットで調べても詳しく分からないのでこちらでご相談させていただくことにいたしました。

付き合って5ヶ月ほどの彼氏がいる30代の女性です。

年齢のこともあり、付き合い始めからお互い結婚を意識した中で、お付き合いをしております。付き合って3ヶ月頃には互いの両親にも会うことができ、双方の両親ともに私たち自身は気に入ってくださっています。ただ、、彼のご両親が同和地区や被差別部落出身のことを気にされる方のようで、私の苗字と、両親祖父母の出身地が九州ということを知ると、祖父が部落出身ではないかということを気にされてるということを聞きました。

第三者機関で調べてくださって結構ですとお伝えしたのですが、付き合いもまだ浅く、結婚の話にも具体的になっていないので調べないと言われました。彼もご両親と言い合いになったりして辛い思いをしています。なんとかこれから結婚という先を見て楽しくお付き合いを続けたいと思っているので、彼も私も自分達なりに調べたところ、そちらの出身ではないと思っているのですが、それでは信じてもらえる証拠にならず困っています。興信所に調べてもらいたいと思っています。そこでお聞きしたいのですが、

@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。

A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。

B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。

探偵も興信所も、部落問題は取り扱わないと記載されていることが多いので困っています。もちろん私も彼も差別はしてはいけないという考えですが、彼のご両親にも色々と事情があり、彼のことを思って気にしているので、彼とご両親を仲違いさせていることに心苦しいのです。ただ私も彼もお互いこの人と結婚したい‼︎と心から願っています。とはいえ彼の大切なご両親に祝福されないまま強行突破はしたくありません。わがままかもしれませんが、、

とにかく調べる方法がなにかあれば助言をいただけると大変嬉しいです。
また、同じような経験をされた方がいらっしゃったらどのようにされたのかお聞きしたいです。

大変深い悩みで辛い思いをしております。差別だというご叱責は遠慮していただきたいです。

___

Answer katuragi_893さん 2016/9/11 8:49:32

部落とは元来、村の集落を表す単語で昔はズバリ、穢多村・穢多・非人村・非人と言っていましたが、余りに露骨すぎるので今は穢多村・穢多・非人村・非人の隠語で部落を使ってます。同和は「同胞融和」の意味でこれまた穢多村・穢多・非人村・非人の隠語です。(江戸時代中期以前は穢多と非人は違うモノでしたが江戸時代後期?頃から、セックス、混血、共同行動で今では非人も穢多に同化し同じモノです。有名な非人の末裔に「フーテンの寅」こと車 寅次郎がいます)
https://www.youtube.com/watch?v=HR01VW7qpKY
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穢多とは奴隷の末裔で日本人じゃ無い。諸説あるが

穢多(えた)とは
日本人とは異なる異人種・異民族。
古代、日本人との戦争に負けた民族が日本人に捕えられ奴隷となっていた民族、穢多族。

非人(ひにん)とは
罪を犯した者に与えられる刑罰の一つ。
罪を犯した者は罰として、非人の身分に落とされた。

穢多は奴隷の末裔。具体的には国栖・土蜘蛛の末裔(マレーポリネシア系人種)+蝦夷の俘囚+中世、近世の流民、罪人・賎民との混血。日本人では無い。

室町時代から「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。穢多の子はいつまでも穢多である」との絶対的概念があるから、穢多族の子は確定的に穢多族に成る。それ故、穢多族男女は既成事実作り中出し妊娠H狙って来る傾向があり大変危険です。

超強力な穢多部落優遇が存在してる段階で差別は無いし、現実は非穢多部落民が穢多部落民からヤリタイ放題されてます。穢多部落民忌避は邪馬台国と出雲帝国時代、2300年前からある日本の伝統文化です。西日本では婚姻忌避は存在していますが、あれは差別ではありませんし誰だって穢多の子は穢多で忌避される血筋を入れたくありません。もし、穢多部落民が逆の立場なら絶対穢多部落民の血筋は入れないでしょう。

或る左翼部落問題活動家が自分の息子の嫁に穢多部落民女を忌避し破談にしたのはこの部落の真実知ってるからです。左翼部落問題活動家で息子の嫁に穢多部落民女を忌避した奴は狡い奴です。他人には穢多部落民と婚姻しても何ともないよ言いながら、自分の息子の嫁には人種的、歴史的に穢多と言う階級の真の意味を知ってるかから忌避したんです。ホントに狡い奴です。

穢多部落民との結婚は彼も穢多部落民に成り、産まれて来る子も穢多部落民に成ると言う事です。わかっていましたか?。彼との子供も排除・忌避される側に成るという事です。本音と建て前、違いますから今でも就職忌避・婚姻忌避が現実に存在していますから貴方の子供が成人した時に穢多の血筋で就職忌避・婚姻忌避に遭遇するでしょう。。
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全部説明したと思いますが私の書き込みを絶えずチェックし絶えず削除
依頼を出す真実を知られたく無い歴史隠蔽、穢多部落民血筋(DNA)拡散
を狙う穢多部落民に付き纏われてるのでコピペで失礼します。

実際、部落の問題にはこれがあり、奴等が「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と言えた義理ではありません。

山口組ヤクザ約70%の者が部落出身者であり約10%の者が韓国人等の外国人。 カプランとデュブロ

潜入ルポ ヤクザの修羅場(鈴木智彦著 文春ウェブ文庫)

「不良はある程度の年齢になると、ヤクザになるか、右翼になるか、同和にいくか進路を決めるんですわ」彼のいう右翼も同和も”似非”を意味しており、純粋なそれに所属している人間たちにとっては迷惑な話だろう。しかし、彼の何気ない一言は、関西の暴力社会の基本構造をストレートに現している。鈴木智彦は曰く「暴力団と政治団体と人権団体の三位一体は、裏社会最強のコンビネーションだ」、「大阪ではかつて、同和利権を制するものがヤクザ社会を制すると言われていた」。

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実。

被差別部落と暴力団(鈴木智彦)

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実で、仮に一般人と穢多非人部落民が婚姻し、その婚姻が破綻し穢多部落民と離婚しょうとしても、離婚する時は、解同(人権団体)が出て来て「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と喚き散らし一般人の親・親戚の所に押しかけます。

警察は相手が解同(人権団体)なのと民事不介入で介入してくれません。
ヤクザ(暴力団)、右翼団体(政治団体)の場合は警察が介入してくれますが解同(人権団体)の場合は警察が介入しないのを知ってて奴等はやって来ます。
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穢多部落民は過去戦争を煽動・推進したことから天皇から絶対的に嫌悪・忌避・排除されています。

穢多部落民忌避の根源は天皇が絶対的に穢多を嫌悪・忌避・排除してるからです。千年経っても変わりません。

天皇・皇后、障害者支援施設視察

:質問:
@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。
A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。
B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。


:回答:完璧に調べる方法はある。

ただ、貴方が穢多だった場合、自殺、、、。。。魔の宗門人別改帳、江戸時代穢多管理は仏教(宗門)で行っていたので菩提寺が穢多寺なら絶対穢多で一般百姓は原則穢多寺を菩提寺に出来ません。曽祖父の嫁、曽祖母の菩提寺もついでに調べたら完璧に判ります。どの寺が穢多寺だったかは今でも完璧に判ります。逃げられません。徳川幕府の完璧な穢多部落民、嫌悪・忌避・排除に感謝すべきですね。

私は前、この菩提寺による穢多判別の回答をしましたが、穢い穢多部落民共によって削除されました。でも、これが核心です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12163671097


http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c21

[昼休み54] 韓国は既に共産体制へ向かって驀進中 中川隆
27. 中川隆[-13600] koaQ7Jey 2018年11月15日 10:01:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20704]

2018年11月15日
現代自動車が世界で苦戦 新技術でも後れを取る


古いセダンは売れなくなり、新技術でも後れを取っている

画像引用:http://dg24ae6szr1rz.cloudfront.net/photo/cdb571a7677df09692f3a26e3ded451d.jpg/w664/tr/file

現代自動車の成長止まる

韓国の現代自動車は2000年代に日本車キラーと恐れられたが、今では存続が危ぶまれている。

各国とも売り上げは低迷し、EVや自動運転などの新技術では日本車以上に苦戦している。

目先ではセダンからSUVの流れについていけず、古臭い車がショールームに並んでいる。




まず売り上げ低迷だが韓国が頼みにしていた米欧中ともに売り上げ、シェアが低下しています。

市場シェアは中国で最大11%だったのが4%、アメリカでも4%、欧州3.4%だった。

これに傘下企業の起亜自動車を加えてみても、それぞれ7%以下というところです。


現代自動車の2017年の販売台数は450万台で前年から6.4%減、2018年も前年から減少しています。

現代起亜グループとしては2017年に850万台を販売し世界4位だった

ロシアではシェア23%と急増しているが、他メーカーが対ロ制裁で遠慮しているからでした。


不振の原因とみられているのは生産コスト上昇で、韓国労働者の賃金は経済破綻した1997年やリーマンショックの2008年より大きく上昇した。

もはや韓国では安く車を製造することはできず、これは半導体や家電製品でも言われている。

韓国製造業は人件費の安さに支えられていたが、もともと生産性が低かったのでコスト上昇を吸収できなかった。

上と下からサンドイッチの韓国製造業

現代自動車は海外生産比率が日本車より低いが、これは工場の効率が劣るため、アメリカなどで生産したら日本車より高くなってしまうからです。

韓国車は安い日本車コピーとして売れてきたが、価格面で差がなくなると高級セダンにシフトしました。

トヨタより割安で最初は成功したのだが、セダンからSUVの波に乗れなかった。


現代自動車は80歳の鄭夢九(チョン・モング)会長が保守的なため、高級セダンに固執していると言われている。

彼の時代は高級セダンこそ成功者の車だったが、今そうした車に乗るのは高齢者だけです。

現代自動車は数年前の親族闘争によって現代グループから離脱し、他の現代企業と関係を断っている。


品質、デザイン、新技術、コスト競争のいずれも日本車や欧州車に負けていて、今後中国車に市場を奪われる可能性がある。

スマホや家電がそうなっているように、低価格品は中国製、高級品は日米欧が住み分けし、韓国はサンドイッチになっている。

これから不安視されているのはEVや自動運転などの新技術で、研究開発費の割合は他メーカーよりかなり低い。


各国で義務化されるかも知れない、ハイブリッドやEVへの対応が遅れるのではないかと考えられています。
http://www.thutmosev.com/archives/78143958.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/278.html#c27

[政治・選挙・NHK253] スタートから間違えた入管法改正/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
2. 中川隆[-13599] koaQ7Jey 2018年11月15日 10:36:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20704]
中国人移民を入れると日本人は絶滅する
1. 沖縄や北海道で中国系住民が過半数になったら独立宣言して中国小日本省になる
2. 中国軍が自国民保護という名目で沖縄や北海道を占領
3. 日本人浄化にとりかかる
4. 日本政府は遺憾の意を表するが、これは中国の内政問題だとして相手にされない


ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


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「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


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詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/652.html#c2

[政治・選挙・NHK253] <原発事故裁判>遺族「母は東電に殺された」「誰一人、責任を取っていないのは悔しい」 年末求刑へ :原発板リンク  赤かぶ
1. 中川隆[-13598] koaQ7Jey 2018年11月15日 10:40:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20704]
福島原発事故は既に昔の話で、現在でも原発稼働が危険だという事にはなりません
技術は日進月歩で進歩しています。
最初期の福島原発と最新の原発とを同列には語れないのです。

2018年09月07日
北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
中規模の発電所が一か所停止しただけで北海道はすべての電力を失った


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/DmZ8C4bU8AAU1WZ.jpg


原発があれば停電しなかった

9月6日に発生した地震で北海道全域が停電し、翌日までに3分の1ほどが復旧したが、全土の回復には1週間程度かかる。

停電の原因は北海道の電力を半分を発電していた苫東厚真発電所が緊急停止したことで、需要に対して発電量が減ったのが原因でした。

交流電流は周波数を維持するため発電量と使用量が一致する必要があり、発電量が半分に減ると事故の原因になる。


北海道は全体を一つの地域として電力調整していたので、周波数を保てなくなりすべての発電所を停止しました。

もし需給バランスが崩れたまま送電を続けたら、送電線や送電設備、家庭や企業で火災などが発生した可能性があった。

北海道には本州から60万kwの送電を受けることができるが、北海道側の電力がないと供給を受けることができない。


停電の原因になった苫東厚真火力発電所は165万kwで、地震のとき北海道全体の電力の半分を供給していた。

発電所は地震で緊急停止し需給バランスが崩れ、続いて安全のため他の発電所もすべて停止した。

北海道全域の電力回復には苫東厚真火力発電所の稼働が必要だが、破損しているので修理しないと稼働できない。


原発を稼働しないリスク

ここで指摘されているのは2011年から停止している原発が稼働していれば、停電は起きなかったのではないかということです。

北海道には泊原発があり最大出力は207万kWで、1基稼働しただけで苫東厚真火力発電所の半分程度を発電できる。

泊原発のある場所は震度2程度の揺れで、稼働中なら緊急停止したでしょうが、その後運転を再開できた。


北海道のすべての発電所が停止したので外部電源喪失になり、自前のディーゼルエンジンで冷却している。

もし泊原発が稼働中だったら苫東厚真火力発電所が停止しても、停電しないか短時間で解消できた可能性がある。

泊原発が運転停止している理由は地元住民や反原発の反対からで、どこかが壊れているわけではない。


2011年まで日本の電力は大幅に余っていて、常に必要な量の2倍以上の発電能力を持っていました。

原発が停止しても火力で発電するプランだったので、全原発が停止しても停電しませんでした。

反原発や脱原発運動はこれを逆手にとって「電気は余っている」と主張し原発廃止を訴えている。


だが2倍以上の余裕を持たせていたのを「余裕ゼロ」にしていたので、何かあれば供給能力が不足するのは最初から指摘されていました。

北海道全域の停電は起きるべくして起きたので、その原因は原発を停止させた北海道の人たち自身にある。

しかも地震が発生したのは電力需要が少ない秋の9月で、一日で最も電力需要が少ない午前3時だった。


本来なら全域停電などするはずがない好条件だったのに、自らの意思で原発を止めた結果、このような事態に至ったのです。
http://www.thutmosev.com/archives/77471088.html
 


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2018-09-07
『初の「ブラックアウト」 最大火力停止が引き金
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35092520W8A900C1EA2000/
 管内の電力がほぼすべて止まる「ブラックアウト」。日本の電力会社で初めての大きな事故に至ったのは、震源地の近くにある石炭火力発電所、苫東厚真発電所(厚真町)に北海道電力が電力供給を依存していたためだ。

 同発電所は1、2、4号機の3つの設備がある。経済産業省によると、4号機は地震後の再稼働に向けた作業の中でタービン付近からの出火を確認。1号機、2号機はボイラーが損傷していた。復旧には少なくとも1週間かかる。北電の荒矢貴洋執行役員は同日の記者会見で「そこまで大きい事故は想定していなかった」と語った。

 問題は損傷だけでなく、3基が同時に止まったことにもあった。最大165万キロワットの発電能力が使えなくなり、北海道の使用電力のうち半分程度の供給が瞬時に消えた。

 これが北電の持つ他の発電所にも影響した。電力会社は電力の周波数を安定させるため、需要と供給が一致するように発電能力を調整する。北電は北海道全域でこうした調整をしている。苫東厚真が消えると他の発電所も次々に止まり、電力会社として初めての「ブラックアウト」に至った。(後略)』


 一か所の火力発電所に北海道という広範囲の半分のエネルギー供給を依存していた。


 結果、地震発生により全道がブラックアウト。信号機が停まるレベルの停電が全域で発生。


 北海道電力の場合、苫東厚真発電所のような発電シェアが大きい発電所が停まると、周波数が乱れ、他の発電機のタービンが破損する恐れがあります。結果、全道ブラックアウトとなってしまいました。


 これが"冬"に起きた場合、どれほど悲惨な事態になったか、想像をしたくありません。


 また、先週訪れ、今週末にも講演のお仕事で訪れる予定の札幌が、あんな有様になるとは・・・。熊本地震後の阿蘇市にように、道路が数メートルも陥没。


 液状化で建物が傾き、電柱が倒れる。


 全道ブラックアウトであるため、JR全線も航空便もストップ。現代文明がいかに「電力」に依存しているかが分かります。


 しかも、全面停電で直流を交流に変換する設備も止まり、本州と結ぶ連系線を使うこともできませんでした。


 泊原発停止の影響は、まだ書きません。書きませんが、いずれにせよ「特定の何か」に依存した状況で「安全保障」など成り立たないという現実を、全道ブラックアウトはまざまざと見せつけてくれました。


 繰り返しますが、
「このままでは大地震など自然災害で国民の生命や財産がみすみす奪われる」
「このままでは、大停電(ブラックアウト)が起きかねない」
 と、しつこく警告していたわたくしにしても、今回の事態は全く喜んでいません。ただ、ひたすら悲しいです。


 ブラックアウトなど、起きないにこしたことはないのです。とはいえ、これほどまでにエネルギー安全保障を疎かにしている以上、ブラックアウトは起き得るし、実際に起きてしまいました。


 これだけ自然災害が多発し、ブラックアウトまで発生したにも関わらず、それでも、
「防災の強化のために政府は支出するべきだ」
「エネルギー安全保障強化のために、FITは廃止し、原発を全て再稼働するべきだ」
 という声が高まらないとしたら(高まらないでしょうが)、我が国はもうおしまいです。亡国まっしぐらです。


 といいますか、ここまで愚かな国が亡国に至らないとしたら、むしろ"歴史”に対して失礼なような気がしてきます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403205183.html


4. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2018年9月07日 18:40:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18307] 報告
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全国空港乗降客数 GRFのある部屋 2018年 09月 07日
https://tannoy.exblog.jp/30033898/


昨日の北海道の地震で、震源地近くにあった火力発電所が停止して、その影響で、北海道中の発電所が動かなくなっています。夜には一部復帰したのですが、全道で300万世帯が真っ暗な夜を迎えます。


北海道中、どこに行っても電気が供給されない異常事態です。食事も取れないし、勿論、テレビやインターネットも出来ません。頼りの携帯電話は、バッテリーが無くなりつつあります。くるまが普通の人の唯一の電源供給手段ですから、その車にガソリンを入れる人の長い列が並びました。


コンビニの冷蔵品は電源がなくなれば、ダメになります。きょうはその冷凍でなくなった商品を、店頭で配っていました。お店の冷蔵庫が使えなくなり、食材がだめになるまえに焼き肉にして、おみせのまえで無料で配っている焼く肉屋さんもいました。皆、助け合いをしているようです。


昼間の間に、食材の仕入れを行うために三時間待ちで店頭に並んだようです。しかし、それを調理する方法がないのです。ガスは一部通っているようですが、夜になれば調理が大変危なくなります。真っ暗な街では不安が募ります。


困るのは、旅行者でしょう。東京に帰るはずの人たちや、外国からの観光客は泊まるところの確保も必要です。全道中の列車や高速も止まっているし、飛行機も千歳が封鎖されているから、ホテルは連泊が可能でしょうが、食べるものもないし、電気が使えなければお風呂にも入れません。すべて電気モーターに頼っているからです。泊まり客の食事もどのように作るのか、大変です。


今日の夕方の大洗からのフェリーボートには、関東地方の警察、自衛隊、救助隊、医療チーム、電力会社の作業員等が、夕方のフェリーで苫小牧に向かいました。明朝から活躍することでしょう。


北海道は、独立した島です。本州から電気もガスも水も供給できません。本州側の電力会社のように融通することが出来ないのです。現在は青函トンネル経由で、60万キロワットとが限界ですが、来年の3月までに、1.5倍増やした90万キロワットが増電可能になります。まだいまは工事中です。


北海道全体では、普通で300万キロワット必要ですから、最大500万キロぐらいの消費量になります。それらを万遍なく供給するには、現在の供給量(14%ぐらい)を五倍ぐらい上げ無くてはなりません。まだ真夏だから生き死ににはなりませんが、真冬なら大変なことです。停電即、命の心配になります。これは北電の問題ではなく、政治の問題です。北海道ばかりではなく、東京も準備しておかなければなりません。


全国空港乗降客数一覧 (平成29年統計)
順位 空港名 国内線 国際線 合計/一日
1 東京国際空港(羽田) 68,367,662 16,895,012 233,596
2 成田国際空港 7,540,249 31,091,309 105,840
3 関西国際空港 6,848,636 21,036,154 76,397
4 福岡空港 17,629,158 6,167,691 65,197
5 新千歳空港 19,428,246 3,290,366 62,243
6 那覇空港 17,435,393 3,537,689 57,460
7 大阪国際空港(伊丹) 15,597,777 0 42,734
8 中部国際空港(セントレア) 5,936,543 5,509,055
31,358
9 鹿児島空港 5,332,140 286,000 15,392
10 仙台空港(仙台国際) 3,100,326 270,124 9,234


現在、大量の観光客が日本に押し寄せていますが、関空が使えず、千歳も閉鎖されている現在は、8万人の旅行客が、旅行を中止しているか、世界中の空港で足止めをされています。日本人観光客は、福岡や名古屋などの代替えの空港を探しますが、外国人は旅行を中止するでしょう。


加えて、夢の都市、札幌がじつはこれほどまでもインフラが脆弱だったと言うことは世界中に配信されています。今回の地震、それによるインフラの停止が、世界中の札幌への憧れを削がなければ良いのですが。


停電は、二三にちで復旧するでしょうが、関空の橋は簡単には直りません。まず、つぶれた橋を取り除いて、電車を通すのに何日かかるかです。損傷した橋を外さなければ何も始まりませんが、準備にどれだけを必要とするか、まだ調査段階だと思います。現在、伊丹空港は、完全に国内専用です。毎日4万人も使用している日本でなごやよりおおきな七番目の空港ですが、国際線はゼロです。神戸は、名ばかりの国際空港で、年間たった110人です。代替えに神戸空港などを緊急に国際空港にしないと、大阪経済は相当な損害を被るでしょう。
https://tannoy.exblog.jp/30033898/


5. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年9月08日 06:13:26: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18325] 報告
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北海道ブラックアウト 最大の火力発電所からドミノ倒し 2018年9月7日04時57分
地震に襲われた北海道のほぼ全域が一時停電した。最大の火力発電所がダメージを受けて需給のバランスが崩れ、ドミノ倒しのように発電所が止まった。完全復旧までは1週間以上かかる見通しだ。


 「極めてレアなケース。すべての電源が落ちるリスクは低いとみていた」

 6日午後、札幌市の北海道電力本店。停電で薄暗い1階ロビーに設けられた会見場で、真弓明彦社長は、こわばった表情で話した。

 今回の停電は、離島などを除く北海道のほぼ全域で発生した。電気事業連合会によると、大手電力会社のほぼ全域に及ぶ大規模停電は初めてだ。

 今回の停電の発端となった苫東厚真火力発電所(北海道厚真町)は、北電で最大の火力発電所であり、3基の能力は計165万キロワット。地震でとまり、北電は、この時点の供給力の半分以上を一気に失った。需給のバランスが崩れ、その影響がほかの発電所にも及んで停止。道内全域の停電に追い込まれた。

 経済産業省が想定していた北海道での発電設備トラブルによる供給力減少は129万キロワット。「(165万キロワットは)想定外だった」と担当者も話す。

 電気はためることができないため、必要な分だけを発電所で出力を細かく調整しながら供給する。そのバランスをみるための指標が「周波数」だ。発電機の回転速度にあたる。

 電気の供給が増えると周波数は高くなり、需要が増えると周波数は低くなる。北海道を含む東日本では周波数を常に50ヘルツになるように制御している。

 しかし、需要と供給のバランスが急激に崩れて周波数が乱れると、タービンの故障やシステムの異常が起こりやすくなる。これを避けるため、電力の供給を自動的に遮断する仕組みが元々備わっている。

 大阪電気通信大の伊与田功教授(電力系統工学)は「北海道各地で電気の遮断がドミノ倒しのようにいっせいに起き、すべての発電機が電気系統から離れて広域で停電する『ブラックアウト(全系崩壊)』が起きた」と話す。

 今後は、とめていた水力発電を動かし、そこでつくった電気を使って火力発電などを順次、稼働させていく。ただ、十分な供給力を確保するには、ボイラーやタービンを損傷した苫東厚真火力の復旧が欠かせず、1週間以上かかるという。

もし冬だったら…

 今回の大停電は「想定外」とは言い切れない。

 2011年の東日本大震災では、東京電力福島第一原発など多くの原発が止まり、首都圏では計画停電が実施された。一カ所に多くの発電設備を置く「集中立地」のリスクへの対応は、震災の教訓の一つだった。

 北海道での大停電が、暖房などで電力がより必要な冬に起きていたら、被害はさらに大きくなった可能性がある。

 電力会社間の電力の融通にも課題が残った。

 北海道と本州の間には電力をやりとりできる「北本連系線」があり、頼みの綱のはずだった。

 距離が長くても送電が安定するよう直流を採用しているため、北電が本州から電力を受け取るには、北海道側で受け取った直流から通常の交流に変換しなければならない。変換の装置を動かすために交流の電気が必要だが、停電のために調達できず、すぐに使えなかった。

 しかも、連系線の能力は最大60万キロワット。苫東厚真火力の発電能力の2分の1に及ばない。北電は外部電源がいらない新しい連系線を本州との間に建設しているが、今回の事態には間に合わなかった。

 大阪府立大の石亀篤司教授(電力システム工学)は「本州から受け取れる電力は多くなく、北海道内はほぼ独立した系統。地震の発生が(電力消費の比較的少ない)未明で発電所の多くが止まっていたため、出力のバランスを維持するのが難しかったのではないか」とみる。

 同様の大規模停電が北海道以外で起きる可能性はあるのか。ほとんどの電力会社は、複数の電力会社と外部電源が必要でない連系線でつながっている。石亀さんは「可能性は低いだろう」とみる。

 一方、電力のシステムに詳しい荻本和彦・東京大特任教授は「地震はどこでも起こりうるので、電源の種類や場所を分散することで停電リスクを減らすことが重要だ。だが、完璧にするのは難しいので、大規模停電が起きた際の減災対策を考えておく必要がある」と指摘する。
https://www.asahi.com/articles/ASL966Q4QL96ULFA044.html?ref=yahoo


北海道で計画停電を検討 10日開始も、1回2時間ほど 9/7(金) 21:22配信


6日未明の地震によって北海道で相次いだ発電所の停止を踏まえ、政府は道内での計画停電の検討に入ったことを明らかにした。地域と時間を事前に決めておく停電で、需給が厳しくなれば週明け10日にも踏み切るという。実施されれば、東日本大震災直後の2011年3月に首都圏で行われて以来となる。


 地震による停電は一時、道内ほぼ全域の295万戸に及んだ。政府は、老朽発電所の再稼働などによって週末の8日中にいったん停電をほぼ解消できる、との見通しを示した。ただ、ピークをまかなうことは難しいとして、8日から1割程度の節電を道民や企業に要請する。数値目標付きの節電要請は13年冬に北電が行って以来だ。

 工場や企業が本格的に動き需要が増える週明けになって、節電がうまくいかなかったり、発電所が故障したりした場合には、計画停電に踏み切る可能性があるという。1回2時間ほどを想定し、準備する。

 世耕弘成経済産業相は「計画停電は極力回避をしたいので、道民のみなさまには最大限の節電へのご協力を改めてお願いしたい」と呼びかけた。

 北海道庁によると、7日午後10時までに停電が解消したのは218万戸。一時停電した295万戸の7割超にあたる。
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朝日新聞社


6. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年9月08日 06:15:57: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18325] 報告
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震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」
地震学者 西岡千史 2018.9.6
https://dot.asahi.com/dot/2018090600047.html?page=1

北海道を震度7の地震が襲った。気象庁によると、地震の発生は6日午前3時8分、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.7で、震源の深さは約40キロと推定されている。

 地震地質学が専門の岡村真・高知大名誉教授は、今回の地震について「石狩平野には馬追丘陵から南北に延びる地域に活断層が存在すると推定されていて、震源は石狩低地東縁断層帯の東側と思われる」と分析している。震源に近い厚真町などでは家屋の倒壊や土砂崩れが発生し、生き埋めの被害も出ている。


 これまで北海道では、太平洋側に延びる千島海溝でM9クラスの地震が想定され、前回の発生から約400年が経過していたことから「切迫性が高い」と警戒されていた。だが、岡村氏によると「千島海溝との関連性は低い」という。

「今回は内陸で起きた地震で、規模としてはそれほど大きなものではなかった。ただ、震源が深く、石狩低地帯は地盤が弱いところが多いため、地盤災害が広がったと思われます。余震も想定されることから、土砂崩れが起きる地域に住む人は警戒を続けてほしい。また、捜索活動を続ける人も、二次災害に気をつけてほしい」(岡村氏)

 さらに、被災地を混乱させているのは295万戸におよぶ道内全域の停電だ。道内の信号機はストップし、固定電話や携帯電話がつながらない地域も出ている。

「2003年のニューヨーク大停電のとき、日本では複数の系統から電源を確保しているから、1つの発電所のトラブルが原因で広範囲の停電は起こりにくいシステムになっていると言われてきた。なぜ、こんなことが起きたのか。訓練も行われていなかったのか。今後、徹底した調査による原因究明が必要です」(岡村氏)

 なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。

2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか。

「泊原発には3系統から外部電源が供給されていますが、北電の中で3つの変電所を分けていただけと思われる。北電全体がダウンしてしまえばバックアップにならないことがわかった。今回の地震で、揺れが小さくても外部電源の喪失が起きることを実証してしまった。『お粗末』と言うしかありません」(岡村氏)

 北電によると、地震発生直後に同社最大の火力発電所、苫東厚真発電所が緊急停止。電力供給の需要と供給のバランスが崩れたことで周波数の低下が起き、他の発電所も運転が止まった。苫東厚真発電所の復旧は、少なくとも1週間かかるという。泊原発の非常用ディーゼル発電は最低7日間稼働できるというが、「事故にならなくてよかった」ではすまされない。

「北電だけの問題だけではなく、監督官庁である経産省や原子力規制委員会にも責任がある。このような事態が起きることを想定して、原発施設の電源確保の仕組みをチェックしていなかったということ。これは大問題です。近づく南海トラフ地震でも、すべての火力発電のブラックアウトを想定しておくべきです」(岡村氏)

 現在、発電所の再稼働に向けて作業が行われているが、電力復旧のめどは立っていない。もし、泊原発で非常用のディーゼル発電が故障などで使えなかった場合は、“最後の砦”であるガスタービン電源車に頼らざるをえなかったことになる。今回の地震は「原発への電源供給」という災害対応の“基本中の基本”に問題があったことを明らかにした。(AERA dot. 編集部・西岡千史)

※6日午後、厚真町鹿沼で震度7を観測していたと気象庁が発表したため最大震度を修正しました


7. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:02:58: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18328] 報告
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北海道のブラックアウト、なぜ起きた?
電力需要の半分を賄っていた苫東厚真発電所が落ちた 2018年9月8日
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/022700115/090700147/?P=1


[日経エネルギーNext2018年9月7日付の記事を転載]


まさか日本で「ブラックアウト」が起きるとは――。

 9月6日午前3時8分頃、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震が発生。北海道全域で全域停電、いわゆるブラックアウトが起きた。一時は、北海道内のほぼ全世帯に当たる295万戸で停電した。


北海道で震度7  地震で停電したままの札幌市中心部=6日午後6時38分(出所:共同通信イメージズ)


 ブラックアウトの発生は、9電力体制のスタート以来、初めてのことだ。東日本大震災によって東京電力・福島第1原子力発電所事故が発生し、津波で太平洋沿岸部の発電所が被災した時でさえ、ブラックアウトは起きなかった。

 では、なぜ今回、ブラックアウトが起きたのか。原因を端的に言えば、北海道電力・苫東厚真火力発電所(厚真町)の一極集中だ。

 苫東厚真は石炭火力発電所で、3機合計で定格出力が165万kW。道内最大規模を誇る。北海道電力によると、地震発生時、道内需要310万kWの約半分を苫東厚真が賄っていたという。

 電気は貯めることができない。常に需要(電力の使用量)と供給(発電量)を一致させておく必要がある。今回のように、需要は変わらないのに供給が減ると、過負荷の状態となり、周波数が低下する。

 周波数の低下は、停電発生を意味する。各変電所に設置してある周波数低下防止装置(URF)が、周波数が一定値以下になったことを検知すると、停電が他の地域に広がらないように系統を遮断する。停電しているところに電気が流れると通電事故が発生したり、設備が損傷してしまうためだ。一方、発電所も周波数の低下を検知すると、自動で停止し、系統から自らを切り離す(解列する)。

 今回、震源地の近くに立地する苫東厚真火力発電所は、かなり揺れたはずだ。地震発生からほどなくして苫東厚真発電所は停止しただろう。その瞬間に、道内の供給は一気に半分に落ち込み、周波数が急激に低下した。

 北海道は人口も少なく、電力需要自体が小さい。北電が発表した9月7日の最大需要予測は380万kW。例えば、東電の最大需要は4700万kW弱。北電エリアの10倍以上だ。仮に東電エリアで苫東厚真と同規模の発電所が停止したとしても、供給の急激な落ち込みにはならない。

 地震発生が深夜で、電力需要が日中よりも小さく、他の発電機の稼働が少なかったことも、苫東厚真の脱落の影響度を大きくした。通常であれば、他の発電機が周波数の低下を検知して、出力を上げるなどの動きをする。だが、今回は苫東厚真の脱落分を回復させる手立てがなかった。

 こうして苫東厚真発電所の周辺部から、周波数の低下は徐々に道内に広がった。いくら系統を遮断しても、需給のバランスは取れず、ドミノ倒しのように停電エリアが広がっていった。同時に、発電所も連鎖的に停止した。こうして、北海道はブラックアウトしたのだ。


なぜ苫東厚真発電所の一極集中は起きたのか


 では、なぜ苫東厚真の一極集中は起きたのか。理由は、推測も含めて様々ありそうだ。

 まず第1に、苫東厚真が高効率な石炭火力発電所であったことだ。発電所の効率性は規模に比例する。道内最大規模の苫東厚真は、発電コストが安価で、北電にとって競争力のある電源だったはずだ。

 ある大手電力幹部は、「電力自由化が進む中、発電コストが安い発電所を稼働させたいと考えるのは普通のこと。苫東厚真発電所は北電エリアで最も大規模な石炭火力。これを動かしたいと思うのはよく分かる」という。

 北海道の小規模な電力需要に対して、苫東厚真は規模が大きい。ただ、競争を勝ち抜いていくためには、大規模な設備が必要だというのは十分に理解できる話だ。

 第2が、北電・泊原子力発電所が稼働していなかったこと。「泊原発が動いていれば、苫東厚真をフル稼働させる必要はなく、脱落による供給の急減は起きなかった」という声も聞こえてきた。ただ、泊原発も地震検知によって停止する可能性があり、これが根源的な解決法になるのかどうかは分からない。

 第3が、本州との連系線の強化だろう。北海道と本州をつなぐ北本連系線の現在の容量は60万kW。東日本大震災後の議論を経て2019年には90万kWに拡張することが決まっている。

 仮に、苫東厚真の脱落による影響が、北本連系線の容量以下であれば、本州からの送電によってブラックアウトを回避できた可能性がある。

 そして第4が、電力網(系統)が大きすぎることだ。大規模集中の電力システムは、大規模で高効率な発電所から、広域に送電することを前提として作られている。だからこそ、苫東厚真のような大規模な発電所が脱落したときには、連鎖的に停電が広がる範囲が大きい。

 近年、再生可能エネルギーの普及拡大は凄まじい勢いで進んでいる。配電網内に設置した分散電源を融通しながら利用する系統技術も開発が進んできた。例えば、大規模な発電所が脱落して送電ができなくなった時に、すべてを停電させるのではなく、分散電源を備えた配電網を一時的に送電網から切り離せば、完全な停電にならずに済む。

 現在、太陽光発電などの分散電源は、周波数低下を検知すると、大型火力などと同様に自動で停止するようになっている。今回の地震の影響がなかった発電所が停止した中には、大規模な発電所だけでなく、再エネ発電所も含まれている。

 少しでも停電の影響を軽微にするための方法には、様々な選択肢がある。長い時間をかけて構築してきた大規模集中型の電力システムの中での改善もあれば、分散型の電力システムを取り入れる方向での選択もあるだろう。


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 まさか日本で「ブラックアウト」が起きるとは――。

 9月6日午前3時8分頃、北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震が発生。北海道全域で全域停電、いわゆるブラックアウトが起きた。一時は、北海道内のほぼ全世帯に当たる295万戸で停電した。


北海道で震度7  地震で停電したままの札幌市中心部=6日午後6時38分(出所:共同通信イメージズ)


 ブラックアウトの発生は、9電力体制のスタート以来、初めてのことだ。東日本大震災によって東京電力・福島第1原子力発電所事故が発生し、津波で太平洋沿岸部の発電所が被災した時でさえ、ブラックアウトは起きなかった。

 では、なぜ今回、ブラックアウトが起きたのか。原因を端的に言えば、北海道電力・苫東厚真火力発電所(厚真町)の一極集中だ。

 苫東厚真は石炭火力発電所で、3機合計で定格出力が165万kW。道内最大規模を誇る。北海道電力によると、地震発生時、道内需要310万kWの約半分を苫東厚真が賄っていたという。

 電気は貯めることができない。常に需要(電力の使用量)と供給(発電量)を一致させておく必要がある。今回のように、需要は変わらないのに供給が減ると、過負荷の状態となり、周波数が低下する。

 周波数の低下は、停電発生を意味する。各変電所に設置してある周波数低下防止装置(URF)が、周波数が一定値以下になったことを検知すると、停電が他の地域に広がらないように系統を遮断する。停電しているところに電気が流れると通電事故が発生したり、設備が損傷してしまうためだ。一方、発電所も周波数の低下を検知すると、自動で停止し、系統から自らを切り離す(解列する)。

 今回、震源地の近くに立地する苫東厚真火力発電所は、かなり揺れたはずだ。地震発生からほどなくして苫東厚真発電所は停止しただろう。その瞬間に、道内の供給は一気に半分に落ち込み、周波数が急激に低下した。

 北海道は人口も少なく、電力需要自体が小さい。北電が発表した9月7日の最大需要予測は380万kW。例えば、東電の最大需要は4700万kW弱。北電エリアの10倍以上だ。仮に東電エリアで苫東厚真と同規模の発電所が停止したとしても、供給の急激な落ち込みにはならない。

 地震発生が深夜で、電力需要が日中よりも小さく、他の発電機の稼働が少なかったことも、苫東厚真の脱落の影響度を大きくした。通常であれば、他の発電機が周波数の低下を検知して、出力を上げるなどの動きをする。だが、今回は苫東厚真の脱落分を回復させる手立てがなかった。

 こうして苫東厚真発電所の周辺部から、周波数の低下は徐々に道内に広がった。いくら系統を遮断しても、需給のバランスは取れず、ドミノ倒しのように停電エリアが広がっていった。同時に、発電所も連鎖的に停止した。こうして、北海道はブラックアウトしたのだ。

とはいえ全面復旧には時間がかかる


 復旧に向けた作業は急ピッチで進んでいる。まずは止まっていた水力発電を再稼働させ、その電気を使って、停止した発電所を動かし始めた。9月6日午後には、砂川発電所(砂川市)が稼働し、旭川エリアの一部で停電が解消した。その後も、複数の発電所を稼働させ、9月7日午前に約5割の停電が解消した。

 ただ、完全復旧には時間がかかりそうだ。

 北電が発表した9月7日の発電所の稼働予定を足し合わせ、北本連系線を使った本州からの送電分を足し合わせても、約310万kWにしかならず、最大需要380万kW (予測)には届かない。苫東厚真発電所を復旧させないことには、供給力不足が解消しないのだ。

 ただ、苫東厚真は、1、2号機でボイラー配管の損傷が見つかっている。また、4号機はタービンで火災が発生。復旧には一定の時間を要すると見られる。

 送電鉄塔など送配電設備の損傷もある。停電解消には、こうした設備の修復も必要だ。北電は「復旧には1週間程度はかかる」としている。


JEPXのスポット取引も中止


 9月6日午後6時、日本卸電力取引所(JEPX)は「北海道エリアのスポット取引を北海道エリアの需給バランスが改善されるまでの間、中止」する旨を告知した。当面、北海道エリアの電力取引は中断されることが決まった。全面自由化後、市場閉鎖は初めてである。

 「需要に対して供給力が決定的に不足している状況で市場閉鎖な当然」と小売電気事業者幹部は受け止める。ただ、新電力もブラックアウトは初めて経験だ。「復旧までの小売電気事業者の責任や負担が明確に分からず、対応に関連する情報収集を急いでいる」と話す。

 JEPXが北海道エリアの取引再開の条件に挙げる「需給バランスの改善」は、「苫東厚真の復旧がカギ」(JEPX幹部)だ。

 災害時の大手電力会社の対応は、かねて称賛に値するものだ。形式ばったルールなしに、他地域の電力会社が応援に駆けつける。今回も既に昨日の段階で、大手電力各社が電源車や応援人員を送っている。いまこの瞬間も、最大限の努力をもって復旧作業を進めていることだろう。

 一刻も早い復旧を願うとともに、ブラックアウトの経験を今後に活かす議論を始めたい。


8. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:19:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18361] 報告
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ブラックアウトと原子力発電 2018-09-08


今回の北海道のブラックアウトは、

(1) 泊原発を再稼働できない状況で、
(2) 複数の火力発電機がメンテナンスに入らざるを得ず、
(3) 165万kwという北海道の電力需要の半分を担う苫東厚真火力発電所が停まり、
(4) 周波数が大きく乱れ、他の発電機が自動停止した


 というメカニズムだったと考えます。


 誤解している人がまだいますが、電気とは十分な蓄電が未だに不可能で、今、消費されている電気は、今、生産されています(発電機で)。電力会社は一定の周波数の範囲内で、需要と供給を合わせなければなりません。


 苫東厚真火力発電所のように極端にシェアが高い発電機が停まると、 周波数の許容範囲を超えてしまいます。すると、接続されている電気機器や発電機が故障してしまうため、各地域の発電所がシャットダウンされ、ブラックアウトとなりました。


 というわけで、ポイントは、

「泊原発が稼働していた場合、苫東厚真火力発電所が停まっても周波数の変動許容範囲内で、ブラックアウトは起きなかったのではないか?」

 になります。この辺りは、今後の検証を待つとして、それ以前に、

「一つの発電所に域内電力の半分を委ねざるを得ない時点で、エネルギー安全保障は成り立っていない」

 という現実を、国民は理解するべきです。


『北海道ブラックアウト 最大の火力発電所からドミノ倒し
https://www.asahi.com/articles/ASL966Q4QL96ULFA044.html

 地震に襲われた北海道のほぼ全域が一時停電した。最大の火力発電所がダメージを受けて需給のバランスが崩れ、ドミノ倒しのように発電所が止まった。完全復旧までは1週間以上かかる見通しだ。

 「極めてレアなケース。すべての電源が落ちるリスクは低いとみていた」
 6日午後、札幌市の北海道電力本店。停電で薄暗い1階ロビーに設けられた会見場で、真弓明彦社長は、こわばった表情で話した。

 今回の停電は、離島などを除く北海道のほぼ全域で発生した。電気事業連合会によると、大手電力会社のほぼ全域に及ぶ大規模停電は初めてだ。

 今回の停電の発端となった苫東厚真火力発電所(北海道厚真町)は、北電で最大の火力発電所であり、3基の能力は計165万キロワット。地震でとまり、北電は、この時点の供給力の半分以上を一気に失った。需給のバランスが崩れ、その影響がほかの発電所にも及んで停止。道内全域の停電に追い込まれた。

 経済産業省が想定していた北海道での発電設備トラブルによる供給力減少は129万キロワット。「(165万キロワットは)想定外だった」と担当者も話す。(後略)』


 いやいや、泊原発を動かさず、苫東厚真火力が需要の半分を担っている時点で、165万kwの供給力減少は「普通に起きえる事態」でしょう。子供でも理解できる話です。


 結局、東日本大震災後に原発を「政治的」に停め、しかも代替の安定電源を増やすどころか、再生可能エネルギーなどという「ビジネス」にはなるものの、電力の安定供給には糞の役にも立たない電源を増やし、エネルギーミックス崩壊を放置していた「ツケ」が出始めているという話です。


 相変わらず、イデオロギー的に反原発な連中が多いですが、だったら原発に変わる「エネルギーミックス強化」になりえる電源を教えて下さい。ちなみに、火力はダメです。理由は、原油、石炭、LNGなど、我が国はほとんど自給できないためです。


 火力を増やしたところで、エネルギー自給率は下がります。電力会社の収益も悪化し、使用済み核燃料の処理や廃炉の技術開発すら不可能になります。


 さらには、メンテナンスコストが削られることで、日本の停電率は上がっていくことになります。もちろん、電気料金も上がりますが、それでいいんだ?


 別に、未来永劫、原発を使うべきとは言いませんが、とりあえず日本はエネルギー安全保障回復のために、原発を稼働しなければならないのです。


 また、未だに「地震で原発が〜」などと適当なことを書いている人がいますが、日本の原発は福島第一原発の事故後、耐震性が著しく強化されています。しかも、東日本大震災の際には、福島第一原発をはじめ、全ての原発は普通に自動停止しました。


 福島第一の事故は、津波による電源喪失。ただ、それだけです。電源喪失の結果、冷却ポンプが動かせなくなり、事故に至ったのです。


 建屋の屋上にディーゼルの発電機があれば、それで済んだ話なのですよ。


 今回の泊原発も、外部からの電源供給は止まった(そりゃそうでしょう)ため、非常用発電機でポンプを動かし続けました。


 上記が「事実」であるにも関わらず、共産党の小池晃を代表に、今回のブラックアウトを反原発に利用しようとする連中が少なくなく、吐き気がします。


 繰り返しますが、だったら原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さいよ。それができないなら、せめて口をつぐめ。


 今回のブラックアウトは、反原発に固執し、エネルギー安全保障の劣化を放置し、一つの発電所に供給の半分を委ねなければならない事態に追い込んだ「政治家」「言論人」そして「国民」の責任なのです。


 次なるブラックアウトを回避するためにも、日本はエネルギーミックスのバランスを回復する必要があります。そのためには、原発を稼働せざるを得ないのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403443295.html


9. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年9月08日 11:35:27: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18361] 報告
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泊原発を緊急再稼働させるべきだ 2018/09/06
だから散々言っただろう。電力は、足りてるからいいってもんじゃねえんだよ。原発反対のバカは、人殺しだ。泊は震度2から3だろ。

バカのヒステリーに振り回されて、電気がなく治療を受けられず死んでいく奴の方が圧倒的に多いんだからな。

そういう話はマスコミには、流れない。
http://www.nikaidou.com/archives/105729


10. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月09日 10:53:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18382] 報告
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続 ブラックアウトと原子力発電 2018-09-09

 こと原発関連のエントリーを書くと、日本語が分からない連中が次々に出現してウンザリするのですが、わたくしは、

「原発に変わる、エネルギー自給率を高める電源を、それも「今すぐ」に使える電源を教えて下さい」

 と、書いているんですよ。


 反原発派は、すぐに火力を増やせどうのと言い出しますが、火力発電所の新設には、土地の選定から数えると、少なくとも十年は必要です(原発は二十年だそうです)。


 十年間は「今すぐ」なの?


 日本のエネルギー安全保障は、すでに崩壊状態であったことを、全道ブラックアウトが証明しました。つまりは、「今すぐ」改善しなければならないのです。


 それにも関わらず、火力発電の強化を未だに言っている・・・。


 そもそも、北海道電力を含む日本の電力会社の火力発電所は老朽化し、使用に堪えないものが少なくないのです。それを、騙し騙し使わざるを得ない状況に追い込まれていたのです、日本の各電力会社は。


 火力発電を強化するどころか、一部の発電所は取り壊しをしなければならない時期に至っています。


 老朽化が進んだ結果、当然ながら、メンテナンスの回数も激増し、電力会社は供給を維持するために綱渡りを強いられていました。


 2010年度の北海道電力における火力発電所のトラブル件数は52件。2016年は82件。着実に増えてきていますが、当然です。


 北海道電力の奈井江発電所では、わたくしよりも年上の発電所が現役なのですよ。半世紀近く稼働し続けてきた老朽化発電所が、身体に鞭打って動き続けています。


 それはまあ、トラブルやメンテナンスが増えて当然です。


 北海道地震の死者数は35人を越えました。


 停電はほぼ解消しましたが、何しろ上記の有様なので、いつ次の発電機の故障があるか分かりません。


 といいますか、最大火力である苫東厚真発電所が復旧していないため、建設後半世紀近い「老体」がフル稼働し、ようやく供給を確保している有様です。


『北海道で2割節電要請 経産相、停電はほぼ解消
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3514610008092018MM8000/

 北海道で震度7を観測した地震で、世耕弘成経済産業相は8日夜、道内に平常時より2割の節電を呼びかける考えを示した。地震による停電はほぼ解消したが、週明けの電力需要増などに備え、これまで1割としていた目標を引き上げる。被災地では空路や鉄道の再開が進む一方、約2万6千戸が断水するなどインフラの復旧は途上だ。

 節電目標の引き上げは老朽化した火力発電所の故障リスクなどを踏まえた。世耕経産相は記者団の取材に「土砂崩れなどで立ち入り困難な一部地域を除き、8日中に停電を解消させる予定だ」と説明。大規模停電の再発を防ぐため、万一の場合に計画停電を実施する方針も改めて示した。(後略)』


 苫東厚真発電所が復活したところで、老朽化火力に一定の電力供給を依存せざるを得ないという状況は変わりません。


 ちなみに、来年2月には石狩湾新港発電所が動き出しますが、当初は1号機だけなので、出力は56.94万Kwのみ。2号機以降は、2023年以降の稼働予定です(さすがに早めたいところでしょうが)。


 また、2019年までに運転年数が40年を超す老朽化火力は、132万kw。石狩湾1号機が動き出したところで、老朽化火力の稼働は続かざるを得ません。泊原発が再稼働しない限りは。


 結局、石狩湾1号機が動き出しても、北海道の電力供給は、苫東厚真発電所に極端に依存する構造は変わらないのです。


 目の前に危機があり、その解決方法も明らかである。


 無論、「未来永劫」の解決策ではなく、泊原発を再稼働し、とにもかくにも「目の前の危機」を乗り越え、その後は石狩湾2号機以降の建設を早め、老朽化火力を「引退」させ、さらには水力発電の強化など中期的なエネルギーミックス確保を目指す。


 その「後」、原発についてどうするのか。使用済み核燃料の再処理や最終処分、廃炉の技術開発を着々と進めていきつつ、原発をエネルギーミックスの中でいかに位置づけるのかを考えていく。


 これ以外に、北海道のエネルギー安全保障を回復する道はありません。


 正直、「ピコーンッ! ひらめいたっ!」系の適当なアイデアで解決できるほど、北海道の(あるいは日本の)エネルギー安全保障崩壊は甘い問題ではないのです。


 「今すぐ」に解決する必要がある以上、北電は泊原発を再稼働しなければならないのです。政治は動かなければなりません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403646397.html


11. 中川隆[-13649] koaQ7Jey 2018年9月10日 10:36:20: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18412] 報告
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全道ブラックアウトと発送電分離 2018-09-10


 北海道の大規模停電は、一部の地域を除きほぼ解消されました。


 世耕経済産業大臣は、電力需要が高まる平日は需給の逼迫が予想されるとして、全道に二割の節電を求めています。


 今回のブラックアウトは、季節が厳冬期ではなかったという点が、本当に不幸中の幸いでした。


 氷点下二十度の世界、しかも大雪で交通もままならない世界において、ブラックアウトが起きたら・・・。人類史に残る悲劇になってしまったのは確実です。


 ちなみに、冬の北海道は電力需要が500万kw(現在は300万Kw台)を超すため、苫東厚真が復旧したとしても、万全には程遠い状況が続きます。


 政治的に「泊原発再稼働」を認めなければなりません。


 その上で、原子力規制委員会の審査を続ければいいのです。


 ちなみに、発電所の再審査等は、発電しながら進めていくというのが「グローバルスタンダード」です。さもなければ、将来の懸念に考慮した挙句「現在の危機」を招きかねないためです。


 原発を全て停止したまま審査を行うなどという「頭がおかしい」ことをしているのは、日本だけです。


 また、北海道の停電は解消しつつありますが、台風21号による西日本の停電は続いています。


『台風21号に伴う停電「9日中に半分に」 世耕経産相
https://www.asahi.com/articles/ASL996QVZL99ULFA005.html

 台風21号に伴う関西電力と中部電力の管内での停電について、世耕弘成経済産業相は、9日午後3時時点で約3万戸まで減ったことを明らかにした。この半分にあたる1万5千戸まで9日中に減らすことを「目指したい」とも述べた。復旧を加速させるため国土交通省に加えて自衛隊とも連携していく、という。』


 日本国は今、北海道と西日本という二つの戦線で、自然災害との戦争を繰り広げていることになります。陳腐な書き方ですが、戦争はすでに始まっているのです。


 さて、北海道には泊原発を動かすという「短期的な解決策」がありますが、中期的に、とんでもない問題が待ち構えていることを知ってください。


 すなわち、2020年4月の「発送電分離」です。


 電力会社の送配電部門と、発電部門が「法的に分離」されるのです。さらに、一般送配電事業者・送電事業者が、発電事業を行うことは「禁止」されます。


 また、「適正な競争関係を確保するため」というバカげが理由から、一般送配電事業者・送電事業者と発電事業者について、取締役の兼業禁止等の行為規制も課せられるのです。


 つまりは、2020年4月以降、電力会社(一般送配電事業者・送電事業者)は「発電所を持たない」状況になるわけでございます。


 自前の発電所がない「電力会社」は、果たしてこれだけ自然災害が多発する日本国において、電力の安定供給が実現できるのでしょうか。


 あるいは、大震災で発電所なり送電網なりが破損したとき、「速やかな復旧」が可能なのでしょうか。


 できるはずがありません。


 現在の日本国において、ギリギリ電力が安定的に供給され、復旧が何とかなっているのは、電力会社が発電から送電網までを統合的に管理しているためです。要は「社内で何とかしている」のです。ところが、2020年4月以降は「社内」では話が終わらなくなってしまいます。


 それにも関わらず、
「発電部門を新規ビジネスに」
 などという、レントシーキングの対象とし、安倍政権は発送電分離を強行しようとしています。


 このまま発送電分離を進めると、我が国は電力の安定供給が「目標」で、自然災害の際には復旧に何か月もかかる「発展途上国」へと落ちぶれることになるでしょう。


 日本のエネルギー安全保障が崩壊状態にあることが、全道ブラックアウトで確定しました。安倍政権は発送電分離を早急に中止するべきです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12403889378.html


12. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2018年9月14日 06:33:02: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18523] 報告
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全道停電まで緊迫の18分間 泊原発への電力供給維持に手を尽くす?
9/13(木) 19:31配信 北海道新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010003-doshin-hok

各地の病院の停電時刻。倶知安、岩内は午前3時28分


病院の自家発電装置の記録から追跡

 6日の胆振東部地震の発生直後に道内を襲った全域停電「ブラックアウト」。道内各地の病院に設置された自家発電装置の記録から、そのメカニズムの一端が明らかになってきた。前代未聞の停電はどのように発生し、どのように広がったのか。北海道電力が明らかにしない中、地震発生からブラックアウトまでの18分間を追った。(宇野沢晋一郎、長谷川裕紀)

停電前後、北海道の明暗 東京の測量会社が撮影
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自動で負荷遮断 北本連系線がフル稼働

 6日午前3時7分 最大震度7の激震が胆振管内厚真町を襲った。

 午前3時8分 厚真町内にある道内最大の火力発電所、苫東厚真火力発電所(3基=3号機は廃止)の2号機と4号機(合計出力130万キロワット)では、高温の水蒸気を運ぶ細長いボイラー管が縦揺れに耐えきれず損傷。直後に停止し、北電は全道の電源の4割を一瞬にして失った。

 当時社員ら27人がいたが、ブラックアウトを防ぐため、手動でなく自動的に二つの作業が進んだ。

 一つが「負荷遮断」。ブラックアウトで道内の電源がゼロになると、発電機を動かすのに必要な電気もなくなり、復旧に時間がかかる。停止した電源に見合うだけの需要を一時的に切り離し、停電から回復しやすくしようとした。一瞬にして、道北、函館などの地域の多くで停電。残されたのは札幌など道央が中心だった。

 午前3時11分 二つ目の自動システム「北本連系線」がフル稼働。北海道と本州を結ぶ送電線で、どちらかの地域で需給バランスが崩れると、自動的に電気が送られる仕組みになっている。最大量である60万キロワットが本州から北海道に向けて送られ始めた。

 この時点で、道内の需給バランスは不安定ながらも、保つことができていた。
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釧路ではいったん送電再開

 午前3時15分 同3時9分に停電した市立釧路総合病院で送電が再開された。

 午前3時17分 同じく釧路地方向けの送電網で釧路赤十字病院で電力がいったん復旧。高橋令総務係長は「自宅でもいったん電気が戻った記憶がある」。
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午前3時25分 北電「ブラックアウト」

 午前3時25分 苫東厚真火発で唯一運転を続けていた1号機(出力35万キロワット)のボイラー管損傷が深刻化。「穴が開いており、何百度もの高温の水蒸気が噴き出し、すさまじい音だったに違いない」(東京工業大の奈良林直特任教授)と推測され、他の2基停止による電力の周波数低下にも耐えきれず自動停止した。

 1号機停止で、道内の他の発電所が連鎖的に停止。道内で電源が失われたため、本州からの送電もできなくなった。北電はこの時刻を「ブラックアウト」としている。
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全道停電まで緊迫の18分間 泊原発への電力供給維持に手を尽くす?


泊原発の位置に注目


倶知安と岩内には午前3時28分まで電力供給

 午前3時28分 北電の発表とは異なり、後志管内倶知安町と岩内町の病院ではこの時刻まで送電が続いた。送電線の先には、泊原子力発電所(同管内泊村)があり、常に冷却が必要な使用済み核燃料が大量に置かれている。北電は冷却を維持するため、あらゆる手段で、電力供給を維持しようとしたようだ。同時刻に冷却用の非常用電源が動き始めている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010003-doshin-hok


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2段階で全道停電 一部地域切り離し、十数分しか持たず 09/13 07:24

 6日未明の胆振東部地震による停電で、北海道電力が道内全域の「ブラックアウト」を防ぐため、停電地域を自動的に道東や道北など一部に限定しようとしていたことが分かった。本州からの送電も増加したが、地震発生から18分後に全域停電したとみられる。北海道新聞が、自家発電装置を持つ主な病院23カ所の記録を集計した結果、地域内でばらつきはあるが、停電はほぼ2段階で起きていた。経済産業省は、北電の対応が適切だったのか検証を進めることになる。

 北電は、取材に対し、ブラックアウトの詳細な経緯は明らかにしていない。

 大規模病院では、停電時に自動で切り替わる自家発電装置を備え、停電発生時刻を記録する。これを各地域の目安として集計すると、地震発生(午前3時7分)直後とブラックアウト発生(同25分)前後に分かれた。北見や函館などの病院では、地震発生直後の同8分に停電した一方、札幌や旭川、苫小牧の病院の停電はブラックアウト時だった。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/227740


13. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月15日 09:49:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18550] 報告
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泊原発の再稼働が必要である 2018-09-15

 さて、今回の北海道地震及びブラックアウトを受け、相変わらず泊原発に関する意味不明な論調が飛び交っています。


 SNSの話ではありません。歴とした「新聞」もそうなのです。


 一番、分けがわからなかったのは以下の東京新聞の社説。


『<北海道地震>全道停電 集中は、もろく危うい
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018090702000170.html

 苫東厚真発電所の機能不全に始まる停電の闇が、広い北海道を覆い尽くした。電源の一極集中、過度な依存は、地震に弱い。バックアップと調整機能の強化が急がれる。大都市圏でも、なおのこと。

 一発電所のダウンが全道を覆い尽くした。復旧は始まっているものの、一時は全二百九十五万戸が光を失った。阪神大震災時を上回る。交通機関をはじめ、あらゆるインフラが機能不全に陥った。

 震源地に近い苫東厚真は、道内最大の火力発電所。三基の最大出力は合計百六十五万キロワットに及ぶ。(中略)

 大規模発電所への過度な依存を改め、再生可能エネルギーの活用を視野に発電所の配置を見直し、本州も含めた連携網、つまり需給調整の機能の強化が急務である。現に北海道電は本州からの融通で急場をしのぐという。

 かといって、原発には安易に頼るべきではない。
 苫東厚真の1号機、2号機の配管が損傷し、蒸気が漏れ出した。4号機では、タービンから出火した。地震の揺れによる損壊は、原発でも十分起こり得る。
 原発事故の影響が火力発電所の比ではないことは、3・11で明らかだ。今回の地震でも泊原発の外部電源は、震度2で喪失した。(後略)』


「今回の地震でも泊原発の外部電源は、震度2で喪失した」


 あの・・・。泊原発の外部電源が喪失したのは、苫東厚真発電所が落ちて、全道ブラックアウトになったためで、「震度2の地震」とやらは何の関係もないのですが。


原子力発電所は、停めていれば安全というわけではありません。使用済み燃料が貯蔵されたプールを冷却ポンプで冷やし続ける必要があります。


 福島第一原発は、地震では普通に自動停止しました。自動停止したとしても、ポンプは動かし続けなければなりません。


 東日本大震災の際には、東方地域の電力の多くが停まり、福島第一原発への外部電源(外から引っ張った電線で供給される電気)も止まりました。


 というわけで、ポンプを動かすには非常用発電機(大抵はディーゼル)に頼ることになります。ところが、その後の津波で非常用発電機までもがやられてしまい、事故に至ったのです。


 泊原発は停止中で、自家発電ができないため、外部から引いてきた電線から供給される電気でポンプを動かし続けていました。


 全道ブラックアウトになれば、外部電源が停まるのは当たり前でしょ。


 それにもかかわらず、東京新聞の社説は「震度2の地震で外部電源が停まった」という印象操作を行い、原発再稼働への道をふさぐ世論操作を行っているわけです。


 北海道の道民の「生命」に関わるエネルギー安全保障強化のためには、泊原発を再稼働する以外に道はない(あるというならば、教えて下さい)にも関わらず。


 しかも東京新聞は、


『電力がインフラの中のインフラであることを、今度の地震であらためて思い知らされた。
 医療機関への影響は特に深刻だ。これが、命にかかわる八月の猛暑のさなか、道外で起きていたらと思うと一層背筋が寒い。
 大都市ほど停電には弱い。電源の分散配置、連携強化が急がれるのは北海道だけではない。』


 と書いておきながら、原発は否定。代わりに何の電源を増強するべきかについては、スルー。


 この手の無責任な連中の発言力が大きく、原発が再稼働されず、電力需要が膨れ上がる冬を迎えなければならない北海道。怒りを禁じ得ません。


 ちなみに、政府が泊原発再稼働を決めた場合、「北海道の冬」にはまだ間に合います。


 2012年6月16日、野田佳彦総理大臣(当時)が大飯原発の再稼働を決定し、大飯3号機が動き始めたのが、7月5日。4号機は7月21日でした。

 以前、電力会社の中の人に聞いたところ、原発再稼働のためには「一か月」あればいいとのことでした。

 つまりは、政府が今、泊原発再稼働を決定すれば、遅くとも10月中には再稼働が可能なのです。

 それにも関わらず・・・・。


『泊原発「直ちに再稼働あり得ない」…菅官房長官
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180910-OYT1T50076.html
 菅官房長官は10日の記者会見で、北海道電力泊原子力発電所(北海道泊村)の再稼働について、「原子力規制委員会で新規制基準に基づく安全審査中なので、直ちに再稼働することはあり得ない」と否定した。
北海道地震を受け、電力需給が逼迫ひっぱくする恐れが出ているが、政府は火力発電所の再稼働や本州からの電力融通に加え、節電を呼びかけることで対応する方針だ。』


 「節電を呼びかける」

 発展途上国ですな、我が国は。

 ちなみに、泊原発がなぜ原子力規制委員会の審査をなかなかクリアできないのかといえば、
「活断層がないことを証明しろ」
 と、悪魔の証明を求められているためです。

 しかも、活断層があったところで、地震発生の確率は数万年に一度。数十年しか稼働しない原発について、数万年に一度「発生するかもしれない」地震を理由に、再稼働を認めないのです。

 さらに言えば、地震が発生したところで、耐震化が強化された311以降の原発は、事故に至る可能性は極めて低いのです。

 しつこいですが、福島第一原発の事故は「電源喪失」が理由であり、地震そのものではありません。建屋の屋上に非常用発電機を置いておけば、あの事故は起きませんでした。

 ところが、この手の主張を政治家は誰も口にせず、北海道電力に対して「手足を縛ったまま、責任を丸投げ」というわけです。

 我が国は、狂っています。


 くどいですが、わたくしは別に原発推進論者ではありません。もちろん、火力推進者でも水力推進者でも、再エネ推進者でもありません。日本のエネルギー安全保障が強化されるなれば、電源は何でもいいです。


 とはいえ、現在の北海道(日本全国がそうですが)のエネルギー安全保障を回復し、冬に「凍死者続出」などという悪夢を避けるためには、泊原発再稼働以外に道はないのです。(あるいというならば、しつこいですが「今すぐ」に使える電源を教えてくれ!)


 同じ国民である北海道の人たちが、節電の常態化という発展途上国の暮らしに叩き落されるのは耐えられないのです。冬に同じ国民が次々に凍死していく事態も、何としても回避しなければならないと考えています。

 これって、変? 普通の感覚だと思うのですが。

 ところが、日本の政治に責任を持つべき政治家は、原発再稼働という「絶対に必要なソリューション」から目をそらし続ける。

 繰り返しますが、我が国は狂っています。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12405054313.html


14. 2018年9月15日 23:43:20 : 7IsConGZXQ : kdImzkGWg@Q[3] 報告
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北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか
https://hbol.jp/174509


15. 中川隆[-13612] koaQ7Jey 2018年9月16日 20:40:36: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18598] 報告
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「北電ブラックアウト」は人災だったと言えるこれだけの理由
そろそろ民主党時代の呪いを振り払おう
川口 マーン 惠美
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57521


北海道で台風、地震の被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風による被害が収束しないうちにやってきた大地震。北海道は、台風や地震とはそれほど縁のない土地だ。だから地震のショックはもとより、余震の中での電気のない生活はどれほど辛かったか想像に余りある。

電気は貯められない。しかも、多すぎても少なすぎても停電になるので、常に需要に供給量を合わせていかなければならない。読売オンラインは、「電力会社は、発電する量と消費する量がおおむね一致するように調整している」とサラッと書き流していたが、それがどれだけ難しいことか。

電気需要は、まず、季節によって大きく変動するし、寒波や猛暑、高気圧の居座りなど、中期的変動もある。平日と週末でも変わる。1日の中でも、巨大ビルが目覚め、工場が稼働し始めると、それに合わせて各発電所が出力を上げていく。W杯やオリンピックの自国戦があれば、休日や夜間でも、突然、電気の需要はコブのように盛り上がる。さらに昨今は、そこにお天気まかせの再エネが入ってくるので、調整はさらに複雑になった。


今回のブラックアウトは、地震発生当時、全電力需要の半分を発電していた苫東厚真火力が停止してしまったので、他の発電所も発電機の故障を防ぐため、次々に自動停止して起こった。電力会社の社員は、停電をさせてはならないというDNAを持っているので、その瞬間から寝ずの復旧作業が始まった。他の電力会社からも救援のため、同じDNAを持った人たちが発電車両を駆って北海道に向かった。

ブラックアウトの原因

需要と供給を合わせるのが難しいと書いたが、今では多くをコンピューターがやってくれる。しかし、ブラックアウトが起こったあと、一つ一つ発電所を復活させていくのは、誰も経験したことのない、まさに未知の領域だ。

今まで知らなかったが、一度止まってしまった発電機を稼働させるには、種火となる電気が要るそうだ。ところが、今回は北海道全体が停電していた。そんな場合、電気なしに発電を再開できるのは、水力しかない。だから北電では、水力発電所で作った電気を、まさに貴重な火種として、まず、砂川火力発電所を立ち上げた。

ただ、送電したその瞬間にどれぐらいの需要があるかは、やってみなければわからない。家で心細い思いをしていた人々は、冷蔵庫がブーンと唸り出したのを聞いて、「わー、電気、付いた、付いた!」と喜べば済むが、そこで需要と供給のバランスが大きく食い違ったら、また、自動停止となり、元の木阿弥だ。

そこで、一定の範囲に限って慎重に送電し、バランスが上手く取れたとわかったら、発電量と送電の範囲を少しずつ広げていく。針の穴を通すような、緊張の時間だったに違いない。こうして、あの広い北海道で、8日の夜には、ほぼ全域で電気が回復した。まさに神業だった。

なのに、巷には、その北電を非難する声がある。ブラックアウトが起こったのは、北電が、発電を苫東厚真の火力に一極集中していたのが悪いそうだ。

苫東厚真の一極集中は当たっている。それがブラックアウトの直接の原因であったことも確かだ。しかし、北電がそれを望んでやっていたかというと、そうではない。泊原発を動かせないから、一局集中してしまったのだ。

東日本大震災の前、泊原発は北海道の電気の44%を担っていた。それが停止したら、当然、電気が逼迫する。だからといって、火力発電所をすぐに新設できるわけはない。仕方なしに、廃止するはずの老朽火力まで動員して、この6年間、必死でやりくりしてきた。老朽火力はトラブルが多いのに、よくもまあ、今まで大停電も起こさずに頑張ってきたものだと思う。

泊原発は東日本大震災の影響を受けなかったので、福島原発の事故の後も、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、日本で最後まで頑張った原発だ。それ以来、再稼働を目指し、新規制基準に対応するよう鋭意努力を続けてきた。現在の日本の原発の安全基準は、世界一厳しい。何が起こっても大丈夫なようにと、電源、ポンプ、燃料、水は、これでもかというほど、何重にも確保した。

地震対策も万全だ。泊原発の最大加速度については、今のところ620ガルに耐えられるようにと、必要な補強工事が進められている(ガルというのは、物理学における揺れの激しさを示す単位)。

ちなみに、東日本大震災のときの福島第一原発では最大で550ガルの揺れ。先週の地震の泊の揺れは、1号機、2号機、3号機が、6ガル、および7ガルだった。原子炉建屋など重要な建物は、強固な岩盤に直接くっつけて建設してあるので、泊原発はほとんど揺れなかったと言ってよい。


この原発が稼働していれば、苫東の一極集中もなかったし、ブラックアウトも起こらなかっただろう。

泊原発の再稼働が認可されない理由

ところが、とんでもないデマが飛び交っている。

朝日新聞系列のAERAdot.の9日付の記事では、「2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても『絶対に電源を切らさないこと』だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか」と書く。タイトルは、「震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発『経産省と北電の災害対策はお粗末』地震学者」。

繰り返すようだが、泊の原子力発電所は6年間動いていない。3基ある原発には、使用済みとこれから使う燃料棒を保管してある水槽がある。圧力容器ではなく、普通の水槽だ。ここが停電になっても、突然、水が沸騰し、蒸発し、むき出しになった核燃料が爆発の危険に晒されるというようなものでは決してない。

普段、核燃棒の冷却には普通の電気が使われている。ところが、北海道全土が停電になってしまったので、当然、電気が来なくなった。僭越ながら、外部電源喪失というのは停電のことだ。

だから、燃料棒の冷却のため、予備の非常電源を使った。そのどこに問題があるのか? 私は理系の人間ではないが、それでも、福島第一や第二の電源喪失と、泊のそれの違いぐらいはわかる。

ところが、太田某という女性弁護士は、この記事を読んで、「震度2で電源喪失寸前ってどれだけ危ういのか。お粗末という言葉でも足りない。原発持てる国土じゃないって認めようよ」と発信しているので、わからない人もいるらしい。日本が原発を持てる国じゃなければ、どの国が持てるのだろう?

これだけ厳重に安全対策が敷かれている泊原発の再稼働が未だに認可されない理由は、原発の近隣の海岸の地形が、新潟の佐渡島の小木半島、および青森県大戸瀬周辺に似ているからだというのである。この両者は、地震の隆起でできた地形であり、泊も似ているから、ひょっとすると原発の近辺、あるいは真下に活断層があるかもしれないというのが、原子力規制委員会の見解。

発電所敷地内の断層については、北電が念入りに調査したが、いずれも後期更新世(12万6000年前から1万1700万年前まで)以降の活動は認められていない。しかし、原子力規制委員会は2017年3月、北電の提出したデータを認めなかった。規制委というのは、原発を稼働させないことが自分たちの使命だと固く信じている人たちの集まりだ。


資源貧国の生きる道

規制委の不思議な生い立ちを、東京工業大学先導原子力研究所助教授の澤田哲生氏が下記のように説明する。

「規制委は(略)強大な権限を持つ『3条委員会』(府省の大臣などからの指揮や監督を受けず、独立して権限を行使することができる機関・著者注)として発足した。(略)そのことを菅氏は2013年4月30日付の北海道新聞に臆面もなく吐露している。(略)『トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです』」(『北海道地震、未曾有の大停電は菅直人にも責任がある』iRONNA9月7日付)

規制委が菅直人の負の遺産と言われる所以だ。


北電の発表では、泊発電所の安全対策工事費の総額見通しは、「2000億円台半ば程度」。これだけしても、規制委がある限り、いつ再稼働できるやらさっぱりわからない。

ただ、幸いなことに、福島第一の事故以前から、つまり、泊が稼働していた時から、北電は石狩湾新港発電所の新設計画を進めていた。完成予定は来年の3月。

元々は、老朽化した石炭火力を止めて、CO2排出の比較的少ないLNG(液化天然ガス)で置き換えるつもりだったが、いまのところ、老朽火力の廃止はあり得ない。そんなことをしたら、たちまち電気が足りなくなる。

私は、今回のブラックアウトは人災だったと思っている。現在の北海道の状態は、元気な主力選手をベンチに引っ込めて、二流選手に発破をかけ、人数が足りないのでとっくに引退した選手まで引っ張り出し、挙げ句の果てに、試合に負けたからと叱責しているようなものだ。

日本のように資源貧国が原子力を使わなければ、徒らに国力を弱める。日本が戦後、平和で、しかも豊かな国になれたのは、決して偶然ではない。その貴重な宝物を、私たちが壊してしまっては、先人にも子孫にも申し訳が立たない。原子力規制委は、一刻も早く菅直人氏の呪いを振り切り、国民の生活を守るためにも、安全な原発の再稼働に踏み切ってほしいと願う。


16. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2018年9月17日 09:06:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18604] 報告
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続 泊原発の再稼働が必要である 2018-09-17

 さて、改めて北海道の電力需要のピークは516万kwです(12月)。


 北海道電力は、苫東東が復旧しない中、とにかく電源をかき集め、350万kwは確保。何とか厳冬期までに苫東東を復活させ、550万kwを確保する計画になっています。


 もっとも、上記は老朽化した火力発電が故障しないという前提になっており、十分な電力を確保できるかどうかは「不明」です。


 経産省は、
「10月以降は電力需給が正常化する」
 としていますが、大規模な発電所の故障がないこと、及び気候が前年並みであることが前提です。つまりは「お天気様次第」なのです。


 この状況で、かたくなに泊原発を再稼働しない日本国。泊原発の再稼働について、一切、発言をしようとしない政治家たち。


 我が国は、もはや国家の体をなしていません。


『「北電ブラックアウト」は人災だったと言えるこれだけの理由 そろそろ民主党時代の呪いを振り払おう
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57521  

 北海道で台風、地震の被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

 台風による被害が収束しないうちにやってきた大地震。北海道は、台風や地震とはそれほど縁のない土地だ。だから地震のショックはもとより、余震の中での電気のない生活はどれほど辛かったか想像に余りある。

 電気は貯められない。しかも、多すぎても少なすぎても停電になるので、常に需要に供給量を合わせていかなければならない。読売オンラインは、「電力会社は、発電する量と消費する量がおおむね一致するように調整している」とサラッと書き流していたが、それがどれだけ難しいことか。

 電気需要は、まず、季節によって大きく変動するし、寒波や猛暑、高気圧の居座りなど、中期的変動もある。平日と週末でも変わる。1日の中でも、巨大ビルが目覚め、工場が稼働し始めると、それに合わせて各発電所が出力を上げていく。W杯やオリンピックの自国戦があれば、休日や夜間でも、突然、電気の需要はコブのように盛り上がる。さらに昨今は、そこにお天気まかせの再エネが入ってくるので、調整はさらに複雑になった。

 今回のブラックアウトは、地震発生当時、全電力需要の半分を発電していた苫東厚真火力が停止してしまったので、他の発電所も発電機の故障を防ぐため、次々に自動停止して起こった。電力会社の社員は、停電をさせてはならないというDNAを持っているので、その瞬間から寝ずの復旧作業が始まった。他の電力会社からも救援のため、同じDNAを持った人たちが発電車両を駆って北海道に向かった。(中略)

 なのに、巷には、その北電を非難する声がある。ブラックアウトが起こったのは、北電が、発電を苫東厚真の火力に一極集中していたのが悪いそうだ。

 苫東厚真の一極集中は当たっている。それがブラックアウトの直接の原因であったことも確かだ。しかし、北電がそれを望んでやっていたかというと、そうではない。泊原発を動かせないから、一局集中してしまったのだ。

 東日本大震災の前、泊原発は北海道の電気の44%を担っていた。それが停止したら、当然、電気が逼迫する。だからといって、火力発電所をすぐに新設できるわけはない。仕方なしに、廃止するはずの老朽火力まで動員して、この6年間、必死でやりくりしてきた。老朽火力はトラブルが多いのに、よくもまあ、今まで大停電も起こさずに頑張ってきたものだと思う。

 泊原発は東日本大震災の影響を受けなかったので、福島原発の事故の後も、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、日本で最後まで頑張った原発だ。それ以来、再稼働を目指し、新規制基準に対応するよう鋭意努力を続けてきた。現在の日本の原発の安全基準は、世界一厳しい。何が起こっても大丈夫なようにと、電源、ポンプ、燃料、水は、これでもかというほど、何重にも確保した。

 地震対策も万全だ。泊原発の最大加速度については、今のところ620ガルに耐えられるようにと、必要な補強工事が進められている(ガルというのは、物理学における揺れの激しさを示す単位)。

 ちなみに、東日本大震災のときの福島第一原発では最大で550ガルの揺れ。先週の地震の泊の揺れは、1号機、2号機、3号機が、6ガル、および7ガルだった。原子炉建屋など重要な建物は、強固な岩盤に直接くっつけて建設してあるので、泊原発はほとんど揺れなかったと言ってよい。

 この原発が稼働していれば、苫東の一極集中もなかったし、ブラックアウトも起こらなかっただろう。(後略)』


 川口先生は、後略部で先日のエントリーでも取り上げた、
「泊原発の外部電源が落ちた(ブラックアウトなのだから当たり前)ことを受け、非常用電源が稼働したことを「批判」し、原発再稼働を妨害しようとする論調」
 について、「とんでもないデマ」と、猛烈に批判しています。


 くどいですが、泊原発の外部電源が落ちたのは、北海道全域で停電したためで、震度2の地震とやらは何の関係もありません。


 それにも関わらず、
「わずか震度2の地震で、外部電源が落ちた!」
 と、騒ぎ立て、原発に対する信頼性を貶め、再稼働を防ごうとしているわけです。


 川口先生も引用されていましたが、AERAdotは9月6日の記事、


「震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者」


 と、信じがたい見出しの記事を配信しました。


 記事中で、AERAは、

『なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。』

 と、書いています。


 いやいや、全道ブラックアウトが起き、泊原発の外部電源が失われなければ、そちらの方が驚きです。というか、魔法が必要です。


 とはいえ、多くの国民は「外部電源」の意味を理解していないため、メディアが「震度2で外部電源が失われた」と、やられると、普通に「やっぱり原発は安全じゃないんだ」という印象操作をされます。


 この種の川口先生風に言うと「デマ」、わたくしに言わせれば「これはもはや『テロ』と呼ぶべきでは」と考えてしまう印象操作により、北海道の住民の方々は「節電生活」「停電時の凍死」という、発展途上国並のリスクを押し付けられているわけです。


 くどいですが、わたくしは原発推進論者ではないので、泊原発再稼働無しで「今すぐ」に北海道の電力の安定供給が可能な方法があるならば、それでもいいと思います。


 でもね、そんなものはないんだよ。


 しかも、「震度2で電源喪失!」といったデマ、テロリズムを叫ぶ連中が後を絶たず、「たった一つの解決策」の道が封じられる。


 これが、日本の現実です。


 改めて断言します。日本政府は、政治的に泊原発の再稼働を決断しなければなりません。北海道の「同じ国民」を守る気があるならば。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12405511094.html


17. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2018年9月17日 17:46:18: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18610] 報告
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余震も停電もまだある北海道で「今、ストーブが足りない」という大問題
9/17(月) 10:00配信 現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180917-00057564-gendaibiz-bus_all


 北海道・札幌市出身のライター、梅津有希子さんは、9月6日の震災後1週間して、一人暮らしをする母のために帰省をした。その一番の理由は、1年のうち半分必要だというストーブの確保のためだったという――。

 9月6日未明に起きた、最大震度7を記録した北海道胆振東部地震。厚真町を中心に甚大な被害となったが、その後の北海道内全域約295万戸にわたる大停電が、道民の防災意識をガラリと変えたといっていいだろう。過去にも北海道南西沖地震や十勝沖地震などの大きな地震はあったが、道内全域の停電は、1951年の北海道電力創設以来初だという。

 今回の大規模停電の復旧タイミングは地域によってかなり差があり、「復旧まで少なくとも1週間」という情報も流れるなど、道民の不安は募る一方だった。結局、筆者の札幌の実家は地震発生3日目の夜に復旧したが、道内でも最後のほうだった。

 北海道から出たことがなく、これまで大きな災害経験のないひとり暮らしの母は、「札幌で震災は起こらないだろう」と思い込んでおり、防災の備えはゼロ。食べ物と飲み物は問題なかったが、今回の停電でも「家の電話がつながらない」「携帯の充電が切れた」「車で充電しようにも、電動シャッターが開かず車が出せない」「水は出るが電動のトイレが流せない」「テレビもラジオもチェックできない」と、とにかく何もできない。「これは一緒に災害対策をせねば」と、様子が落ち着いてきた1週間後、札幌に帰省したのだ。
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余震も停電もまだある北海道で「今、ストーブが足りない」という大問題


空っぽになったホームセンターのストーブ棚。9月9日現在品切れとあったが、これは9月14日の写真だ 撮影/梅津有希子


もしも真冬にこの大停電が起きたら

 わが家と同じような家族はたくさんいたようで、家電量販店やホームセンターはどこも大盛況。各店の棚から一斉に姿を消したのが、ポータブル式の石油ストーブだ。
真っ暗ななか、携帯やスマホの充電も切れ、情報もなかなか入手できず、いつ通電するかもまったくわからない……。

 「もしもこの大停電が真冬に起きたら」と、誰もが考えたことだろう。今回は半袖の季節でまだよかったが、厳寒期に停電すると、凍死する人も出てくるかもしれない。暖房の対策が急務だ。

 現在、北国の暖房は「FF式」と呼ばれる石油ストーブが主流だ。FFとは、「Forced Flue(強制通気)」の略で、ファンで強制的に給排気を行う暖房のこと。換気の必要がなく、部屋の空気が汚れないことが利点で、気温の低い真冬でも素早く部屋を温めてくれる。FF式でなければ寒さはしのげないといっても過言ではないくらい、北国の冬には欠くことのできないパワフルな暖房器具だ。

 ところが、このFF式をはじめとする石油ストーブは、電気がないと使うことができないため、停電時は一発アウト。このため、乾電池で動くポータブルタイプの石油ストーブに道民が殺到し、一瞬で棚から消えたのだ。

 いくつかのホームセンターと家電量販店に問い合わせてみたところ、「入荷の予定はあるが、いつ入るかは未定」とのこと。入荷してもすぐに売れてしまうといい、「欲しい時にストーブが買えない」という状況もまた、今回の停電同様、北海道の歴史で前代未聞のことではないだろうか。

 FF式が主流の今、ポータブルタイプはあまり需要がない。とある家電量販店のスタッフは、「昨日入荷した10台がすぐに売り切れた」と驚き、「例年ポータブルは大して売れず、こんなことは初めて。しばらくこればかり売る日が続きそうです」と、忙しそうにメーカーに在庫を確認していた。


札幌では9月から4月までが「ストーブ期」

 冬の長い北海道は、半年以上ストーブの世話になる。地域や住宅環境によっての差もあるが、札幌の実家(一軒家)の場合だと、9月下旬から4月上旬まではほぼ毎日使い、気温によっては6月まで使うこともよくある。

 子どもの頃、道内でも寒さの厳しい芦別市で木造の古い家に住んでいたことがあるが、朝起きると部屋の中で吐く息が白く、布団の端が凍っていた。このような実体験があるため、「ストーブが消えていても、布団をかぶっていれば死ぬことはないらしい」、ということは経験的に理解している。

 実家には現在5台のFF式ストーブがあるが、真冬に今回のような停電が起きたら1台も使えない。布団をかぶっていれば死なないであろうとはいえ、電池で動くストーブが1台はあったほうが安心だとすぐにホームセンターに向かったが、棚はもぬけの殻だった。皆考えることは同じなのだ。

 それでは、筆者の住んでいる東京に戻ってから購入して送ろうと、東京の家電量販店に問い合わせてみたところ、「ストーブはまだ並んでいません」との返答が。そうだ、札幌にいてうっかり忘れていたが、東京はまだ夏の終わりのような気候だった。そして、震災で宅配便もストップしてしまったため、送るに送れない。ネットショッピングも同様だ(9月15日現在は、一部地域を除きほぼ通常通りの配送)。
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真冬の震災に備えて用意するべきもの

 ストーブが入手できないならば、真冬の震災に備えて何を用意すればいいか。まずはカセットコンロとカセットガスだろう。火が使えれば、お湯も沸かせるし暖も取れる。温かいものを口にできるだけでも、精神的にまったく違うだろう。

 とりあえず、暖房が使えなくても家の中にいれば風と雪をしのぐことができるので、ダウンジャケットを着てカイロを使えば大丈夫だろう。アウトドア用のダウンパンツもはけば、足腰も温まりさらに安心だ。

 今回は、とりあえずはカセットガスとカイロを多めに購入しつつ、札幌滞在中、毎日家電量販店にストーブの入荷を確認していたところ、「昨日入荷して、今なら3台あります」といわれ、すぐに車で向かったのだが、早くも残り1台! 無事入手することができて、まずはひと安心だ。今回の札幌でのミッションを終えた気分である。

 多くの道民たちが慌て、防災への意識を高めた今回の大停電。筆者も2011年に揃えた防災グッズを見直し、スマホの充電環境を改めて整えようと思わせられた出来事となった。


18. 中川隆[-13565] koaQ7Jey 2018年9月20日 11:28:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18667] 報告
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2018年9月20日【小浜逸郎】泊原発を再稼働すべき理由

北海道胆振東部地震から二週間経ちました。
ライフラインはだいぶ復旧してきたようです。
でも依然として断水が続いている地域があり
ます。
しかし、北海道最大の火力発電所である苫東
厚真発電所の復旧は意外に早く、すでに一部
の供給は始まろうとしています(このメルマ
ガがお手元に届くころは、もう供給されてい
る可能性が高いですね)。
そういえば、関空の復旧もハイスピードで進
んでいますね。
このあたりの日本の技術者、作業員の協力体
制はさすが、まだまだ捨てたもんじゃないな
と思いました。

それはいいのですが、問題は、ハード面に関
するこれからの対応です。

このたびの地震によって生じた全道ブラック
アウトの問題を考えてみましょう。

筆者は、泊原発をすぐにでも再稼働すべきだ
と考えています。
これは、政府が決断しさえすれば、一か月で
こぎつけることができます。

以下に、再稼働すべき理由を述べます。
これは、単純な数字の問題なのです。

苫東厚真の最大出力は165万kW。
地震時(9月6日)、の全道の電力需要は380
万kW。
苫東厚真が担っていた電力は全道の総電力需
要の半分以下でした。
しかし、苫東厚真が損傷を起こしただけで、
全道295万戸が停電してしまいました。
それには、二つの原因があります。
第一に、このような大幅な供給バランスの崩
れによって、他の発電所からの送電の周波数
を一定に保つことができなかったこと。
第二に、もともと北海道電力は、一部の電力
を本州からの供給に頼っていた(はずでした)。
これが機能しなかったのですね。
この本州からの供給を北本連携線といいます。

海底ケーブルのように長距離で絶縁が重要な
ポイントになる送電では、直流が有利ですか
ら、本州から北海道に送電されてくる電機は
直流です。
家庭での電機は交流ですね。
これは発電所から家庭に至るまでに、交流だ
と変圧が容易だからです。
すると北本連携線では、直流を交流に変換し
なくてはなりません。
ところが今回の場合、この変換がうまく行き
ませんでした。

しかし、この北本連携線が仮にうまく作動し
たとしてもその最大出力はわずか60万kW。
ということは、仮に第一の周波数の問題がな
く、かつ第二の北本連携線をうまく利用でき
た場合でも、
380−165+60=275(万kW)
しか確保できなかった計算になります。
残りの105万kWは、不足したわけです。
部分的な停電は避けられなかったでしょう。

ちなみに苫東厚真発電所は、初稼働以来33
年以上を経ていて、かなり老朽化しています。
さらに、不足分を慌てて補った五つの発電所
の年齢はこれよりも古く、38歳から48歳で
す。
一般に火力発電の耐用年数は40年とされて
います。
最大の危機に対応すべく、青息吐息のお年寄
りに頑張ってもらったわけですね。

こんな状態を続けていていいのでしょうか。
何か肝心なことを忘れていませんか。

今回、テレビのニュースを見ていて、初めの
うち、政府筋から原発の「ゲ」の字も出ない
のに驚きました。
10日になってようやく政府見解が出ましたが、
何と泊原発の再稼働は「考えていない」とい
うものでした。
常識的に考えて、こんな大緊急時には、政府
は直ちに泊原発再稼働の議論を開始すべきで
しょう。
原子力規制委員会の審査などを待っている場
合ではありません。

その審査とは、例によって、数十万年前の活
断層の安全性を確かめるという悠長極まるも
のです。
活断層の存在が地震に結びつくかどうかは、
個々の場合で異なります。
ふつう数千年から数万年規模のサイクルで地
震が起きるとして、たとえば5000年周期の
活断層で、2000年前に地震が起きたとした
ら、あと3000年は大丈夫ということになり
ます。
いずれにしても、100年単位くらいの精密さ
で活断層地震の発生確率を計算することはき
わめて困難だということになります。

しかし、もし今回のような地震によるブラッ
クアウトが厳冬の北海道で起きていたら、寒
さのために何人の人が凍死するでしょうか。
ライフラインも途絶え、物流も滞り、道内の
産業は停止し、回復に何か月もかかり、その
間に餓死する人も出るかもしれません。
これらの確率の方がずっと高いことは確実で
す。

冬期の北海道の電力需要は約500万kW超。
今回、青息吐息の老兵たちをかき集めること
と、北本連携線の修復と、相当無理をした節
電によって、ようやく380万kWの需要の9
割を確保したのです。
しかしこんな状況では、とうてい冬の電力需
要を満たすことはできないでしょう。

泊原発の総出力は、207万kW。
苫東厚真が全面回復すれば(11月までには可
能とされています)、苫東厚真プラス泊で、
165+207=342(万kW)
ですから、残り160万kWを他の発電で確保
すればよいことになります。
しかも泊の年齢は1号機29歳、2号機27歳、
4号機9歳です。
若い彼らに頑張ってもらえば、楽々厳しい冬
場をしのげるでしょう。

ちなみに原発の耐用年数は、国際的にも法的
な基準がありませんが、原発を最も活用して
いるフランスでは40年を目途にしようとい
う動きが有力です。

泊原発ではまた(どこの原発でも事情はだい
たい同じですが)、福島事故の教訓を活かして、
16.5メートルの防潮堤、建屋への水の浸入を
防ぐ水密扉、免震重要棟、フィルター付きベ
ントなどの設置・建設をすでに終えています。
できる限りの備えがすでにできているのです。

反原発派は何を言っても100%の安心を求め
ますが、そんなことは神でもない限り不可能
です。
交通事故で毎年4000人以上の人が死ぬのに、
車をなくせという声が盛り上がらないのは、
車の効用が大多数の人に受け入れられている
ためと、交通事故を可能な限り少なくする努
力が現に多方面で行われているためです。
文明の利器にはリスクがつきものですが、私
たちは、便利さや快適さの度合いとリスクの
大きさとを、広い視野と正しい情報をたより
にしながら、常に天秤にかけて生きていくほ
かはないのです。

本当は、北海道電力は、もっと発電設備を増
やさないと危ないのです。
泊も含めた北海道の総発電設備による出力は、
一応780万kWありますが、泊はまったく稼
働していませんから、それ以外の発電所の出
力は、フル稼働して573万kW。
設備利用率は、ここ数年、ピーク時で9割に
達しています。
8%以上は余剰電力としてキープしておくの
がこの業界の常識ですから、
573×(1.00−0.08)=527
となって、ぎりぎりなわけです。

電力は私たちの生活と産業の源です。
悲惨な結果がこれ以上広がらないように、
政府はもっとエネルギー行政にお金をかけ、
知恵をはたらかせなくてはなりません。
https://38news.jp/economy/12419


19. 中川隆[-13580] koaQ7Jey 2018年9月21日 14:22:44: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18736] 報告
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北海道電力、債務超過危機で国有化説も…値上げ連発と全域停電で「道民離れ」加速
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24847.html
2018.09.21 文=編集部 Business Journal

 苫東厚真発電所(「Wikipedia」より)


 9月6日午前3時8分、北海道胆振地方を震源とする震度7の地震が発生した。発生直後、震源地近くにあった北海道電力最大の火力である苫東厚真発電所(厚真町)の1、2、4号機がすべて停止。供給力の4割強が一気に喪失。北海道全域で電力が止まる“ブラックアウト”が起き、道内全世帯に当たる295万戸が一斉に停電した。

 ブラックアウトの発生は、戦後の9電力体制(現在は沖縄電力を含めて10電力)がスタートして以来、初めてのことだ。

 同日午前8時15分、世耕弘成経済産業相は「数時間以内に電力復旧のめどを立てるよう北電に指示した」と説明した。世耕氏の発言を受けて北電の真弓明彦社長は6日昼すぎ、「全道の電力の復旧には1週間以上かかる。すべての電源が落ちるリスクは低いと考えていた」と述べた。

 ところが、同日午前、苫東厚真の4号機のタービン付近から出火。この火災により苫東厚真の完全復旧は11月以降にずれ込むことになった。

「『北電は意思決定が遅く、説明責任の意識が低い』。北電の対応にいらだちを募らせる経産省は、徐々に前面に出ていく。電気をたくさん使う企業への節電要請や計画停電の準備は、経産省が主導した」(9月13日付朝日新聞)

 北電は事実上、経産省の管理下に置かれたことになる。世耕氏が北電のスポークスマンであり、真弓社長ら役員たちに指示する北電の最高権力者のようだと話題になった。

 世耕氏は電力不足を解消するため、早い段階から計画停電に言及していた。計画停電とは、事前に用途、日時、地域などを定めて、電力の供給を一時停止することだ。しかし、計画停電は企業や家庭にかかる負担が大きい。工場など生産現場の実態を知らない官僚の机上の空論で、企業を殺す“劇薬”との批判が強い。

 北電は19日、苫東厚真発電所1号機が再稼働したと発表。これを受けて、電力需要を1割削減するための節電要請は解除された。

■債務超過転落の危機が再来

 北海道全域で停電するブラックアウトをもたらした原因は、苫東厚真発電所への一極集中にあると指摘されている。だが、元をたどれば、かつてピーク時の電力需要の4割超を賄っていた泊原子力発電所(泊村)へとたどり着く。2011年の東日本大震災後、泊原発は安全性の審査が進まず、12年以降動いていない。

 原発依存度が高かった北電は、経営危機に陥った。原発の稼働停止により、火力発電所の燃料費や他社からの電力購入費が急増。14年3月期の連結最終損益は629億円の赤字(前期は1328億円の赤字)と、3期連続の赤字になった。純資産は1467億円まで減り、自己資本比率は7.58%へと低下した。

 15年3月期以降も赤字が続けば、純資産が底をつき、負債が資産を上回る債務超過になってしまう。経営破綻は時間の問題となった。

 そこでこの時、政府が救済に乗り出した。北電は14年7月、政府系金融機関である日本政策投資銀行を割当先として、議決権のない優先株を発行して500億円を調達した。さらに同年11月、経産省は北電の電力料金の再値上げを認めた。率にして15.33%だ。北電は13年9月に7.73%値上げしたばかりだった。

 政府の救済策によって、北電の15年3月期の連結最終損益はかろうじて29億円の黒字に転換。自己資本比率は9.81%に上昇。債務超過の危機をひとまず切り抜けた。

 だが、副作用は大きかった。2度にわたる電気料金の値上げで、北海道の電気料金は全国でも最高水準となった。電気料金の高い負担を嫌った顧客は、比較的安価な新電力へと流れた。

18年3月期の電力10社の決算によると、電力販売量は北陸電力を除く9社で減少した。減少率は2.1%減。新電力に流れたからだ。

 もっとも減少率が大きかったのは北電の7.5%減。家庭用の低圧電力が5.2%減少したほか、工場やオフィス向けの高圧・特別高圧が9.7%減と大きく減った。電気代がコストのなかで大きなウェイトを占める小売業で、北電から新電力に切り替える動きが加速した。報道によると、コープさっぽろやセブン-イレブン・ジャパンが道内の大半の店舗で新電力に変更したという。

 北電の年間販売電力量248億キロワット時は、北陸電力や四国電力に水を開けられ全国9位。下位には沖縄電力しかいない。

 道内全域で停電したことで、北電離れが一段と加速するのは必至。期初に、19年3月期の販売電力量は18年3月期より6.5%減ると見込んでいたが、この程度の落ち込みでは済みそうにない。

 地震に伴う復興費用がどれほどかかるかは公表していないが、北電の経営が火の車になることは必定だ。北電の18年6月末時点の純資産は2195億円、自己資本比率は11.0%。復旧費用が膨らめば、この程度の純資産は、すぐに吹き飛んでしまう。

 再び、債務超過転落の危機が迫ってきた。前回のような政投銀による優先株の引き受けや電力料金の大幅な値上げという弥縫策では乗り切れないだろう。

 戦後の電力業界史上、最悪・最低のブラックアウトを起こした北電に再建策はあるのか。北電を一時、国有化して、抜本的な改革を図るしかないとの見方も流れる。

 政府=経産省が北電の再建策の切り札としているのが、泊原発の再稼働だ。原発を1基稼働させれば年間1000億円のコスト削減になるとみられる。だが、再稼働には反発も強い。

 北電の救済策は、国有化と泊原発再稼働を軸に進む可能性が高い。


20. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2018年9月24日 14:20:52: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18799] 報告
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北海道地震で工場停電  生乳廃棄悔しい 電力、乳業なぜ停止 危機管理体制再考を
9/24(月) 7:03配信 日本農業新聞


スラリータンクへつながる排水口を見つめる西川さん。2日分の生乳を廃棄した(北海道大樹町で)


 北海道地震による大規模停電で生乳廃棄を余儀なくされた全道の酪農家から、乳業メーカーや電力会社に対して、危機管理体制の見直しを求める声が高まっている。酪農家は停電に備え用意していた発電機を使って、搾乳・冷蔵したにもかかわらず、自家発電装置を持たない乳業工場が相次ぎ操業を停止し、生乳を出荷できなかった。農家からは「廃棄は人災」と憤る声も上がる。(川崎勇、大山知香)

 「停電に備えて発電機を準備してきた。生乳を出荷できたのに、本当に腹立たしい。残念だ」

 北海道大樹町で乳牛約1100頭を飼う日昭牧場の西川久雄理事は、6日未明の停電後50時間ほど、8日朝まで軽油を300リットル以上費やして自家発電機を稼働。通常通り1日2回の搾乳を続けた。2日分の生乳約36トンを泣く泣く廃棄した。同牧場は、2013年に発電機を設置。16年には停電時でも牛舎や搾乳設備の電力を確保しようと、約500万円をかけ大型発電機に更新していた。それだけに、悔しさが募る。所属するJA大樹町では、組合員78戸のうち7割が発電機を導入。隣接する広尾町のJAひろおも71戸の8割以上で設置していた。

 同町で乳牛630頭を飼う角倉光記さん(65)も、停電時は自家発電機で通常通り搾乳したが、10トン以上を廃棄した。角倉さんは「酪農家だけでは供給責任を果たせない。危機管理体制を改めて考え直すべきだ」と語気を強める。道によると、6〜10の5日間で全道の生乳廃棄による被害額は21億円ほどに上る。

 北海道電力への要望も相次ぐ。別海町の60代の酪農家は、乳業メーカーの対応も含め「今回の生乳廃棄は人災と言っても過言でない。電力の安定供給に向けて対策を進めるべきだ」と憤りを訴える。北海道農業団体災害対策本部は、同電力に対し電力の安定供給に関する要請を実施。万全な発電・通電体制の構築や再発防止などを求める。

 農水省によると、北海道内にある日量処理量が2トン以上となる乳業工場39カ所のうち、37カ所が大規模停電時に工場を稼働するための自家発電設備を持っていなかった。9割超の工場が操業を一時的に停止し、酪農家が出荷できなくなる事態に陥った。業界の大規模災害時の危機管理のあり方が問われた形だ。

 自家発電設備の導入が進まない背景に巨額の費用負担がある。工場の規模によるが、生産ラインを長い時間稼働させる自家発電設備は「高いもので10億円単位になる」(乳業関係者)。定期的な保守点検費用も大きな負担になる。

 地震発生直後も生産ラインを稼働できたのはよつ葉乳業の2工場だけ。自家発電設備を導入していたためだ。しかし多くの工場は、クーラーステーションなど周辺施設用に限定した自家発電設備にとどまっているのが実態だ。「落雷などの数時間の停電は想定できるが、これだけの大規模の災害には備えていなかった」(乳業関係者)と明かす。

 今回の被害を受け、対応を検討するメーカーもある。Jミルクは「いかに安定したサプライチェーンにしていくかが大きな課題だ」と話す。


21. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2018年9月24日 14:22:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18799] 報告
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北海道地震1週間 乳房炎多発 死亡牛も 回復兆候見せず地域経済に打撃 標茶、別海町
2018年09月13日


体力を消耗し、横たわる牛を見つめる宍戸さん(12日、北海道標茶町で=富永健太郎写す)


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 最大震度7を観測した北海道地震は13日で発生から1週間。全道が一時停電したことで、酪農家が深刻な事態に陥っている。停電により満足に搾乳できず、乳量・乳質低下の要因となる乳房炎が多発。淘汰(とうた)された牛や、死亡した牛も発生している。酪農専業地帯では、地域経済への影響が懸念されている。(川崎勇)

 「助けを求めるように牛が鳴いていた。乳房炎も多発し、とにかくかわいそうだ」

 標茶町で搾乳牛300頭を飼う宍戸豊さん(56)は力なく話す。6日の停電以降、7日夜に発電機を借りて設備を動かし、2日ぶりに搾乳した。だが、出荷できずに、これまでに廃棄した生乳は30トン以上。その間地下水をくみ上げていたポンプも使えず、水の確保にも奔走した。その後停電は解消した。「牛の病気は大丈夫だろうか」。不安は的中した。

 搾乳できないことによる乳房炎が50頭ほど発生。死亡した牛も出ている。1日7トン搾っていた乳量は停電前の6、7割に落ち込んだ。体力を消耗し、牛は今も牛床でへたり込む。地震発生から1週間がたとうとしているが、牛の状態は回復の兆候を見せない。

 乳房炎は時間を空けて発症する場合も多く、今後も気が抜けない。一般的に治療に1週間から10日間ほど要し、その間生乳は出荷できない。回復しても最悪の場合、元の乳量に戻らないケースもある。「今後どうなってしまうのか」(宍戸さん)。2016年に数億円をかけ牛舎を更新したばかり。被害が収束するめどは立たず、不安が募る。

 乳牛頭数が全国の市町村で最も多い別海町。玉置健三さん(60)は、近隣の酪農家から発電機を融通してもらい、停電が復旧した7日夜まで1日1回やっとの思いで搾乳した。ただ、搾乳牛45頭のうち、最大13頭が乳房炎を発症した。停電解消後も乳業工場の受け入れができなかったため、やむを得ず生乳を廃棄した。

 玉置さんは「助け合って搾ったのに、受け入れてもらえずショックだった」とうつむく。

 道東NOSAIによると、根室地方の9月6〜10日の5日間の乳房炎診断件数は3761件と先月の同時期より1400件ほど増えた。別海町が最も多く、前月比8割増の2457件。潜在的な発生数はさらに多いとみられる。同町が管轄の根室南部事業センターは「診断件数は平時より大幅に増え、一時的に薬の在庫がなくなった。こんなことは初めてだ」と被害の大きさを訴える。

 JAしべちゃの千葉孝一組合長は「処理した生乳に対する補償や、電力の供給方法の見直しが必要だ」と強調する。別海町を管内に持つJA道東あさひでは、生乳生産量が25%ほど減少した。JAの原井松純組合長は「二度とこうしたことが起きないよう、インフラ整備を充実してほしい」と訴える。

 同町は「地域経済に何かしらの影響があるだろう。町の産業の根幹を担う酪農家が一日も早く元に戻れるよう支援していきたい」(農政課)と強調する。

 北海道地震は大規模な土砂崩れなどで41人が死亡し、一時は道全域の約295万戸が停電した。停電はほぼ解消したが、電力の供給は綱渡りの状況が続き、節電が長期化する可能性もある。生活再建に向けた動きが進む一方、現在も1590人が避難し、完全復旧までの道は遠い。


22. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2018年9月25日 13:09:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18805] 報告
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北海道を脱原発の実験場にするな --- 森 修 2018年09月20日


私は北海道で生まれ育ち、大学卒業後就職し各地を転勤したが、東日本大震災の年に札幌の子会社に転籍となり、今回の地震を札幌で経験した。最初に思ったことは真冬でなくて本当に良かった。電気が無くともまだ寒くない。犠牲になった方には本当に申し訳ないが、これは天の啓示に違いない。

もし厳冬期の吹雪の夜に同じことが起きたら、高齢者や生活弱者を中心に10万人単位での凍死者が出るだろう。今の暖房機器は電気がなければ全く稼働しないのだ。これは北海道で生活したものでないと実感できないと思う。

また台風一過後で比較的に天候に恵まれたことも不幸中の幸いだった。もし猛吹雪だったら除雪車も出動できず復旧作業は大幅に遅れていただろう。道東の猛吹雪で車が立ち往生し、死人がでた記憶も道民には生々しいが、内地の方には記憶の彼方になった出来事であろう(北海道では本州3島を内地という)。


運転停止中の泊原発(北電サイトより:編集部)

今回は3日ほどで全道概ね通電したが、吹雪が3日も続けば通電もそれだけ遅れ、飲み水も全て凍ってしまう。氷の世界で人は何時間生きていけるのだろうか?内地の方には想像すらできないことだろう。

復旧の目途が立ったころ、民放のアナウンサーが「コストのことを考えて原発を稼働すべきという人がいるが、大丈夫です、電気は足りています。安心して暮らしてください」という趣旨のコメントをしていた。

こいつは道民を馬鹿にしていると思った。

少なくとも供給力と需要のバランスを示し「厳冬期を想定しても十分な供給余力があるので、不需要期の今は大丈夫です」程度のコメントならわかるが、根拠もなく大丈夫は無いでしょう。冗談でなく戦争中に「大和魂で日本は必ず勝つ」の類です。真っ暗な冷凍倉庫に入って、凍っていくペットボトルを抱え、一晩過ごしてからもう一度コメントして下さい。

もっとも北海道電力の供給余力は泊原発が稼働してこそ生まれるのであって、脱原発のマスコミは根拠を示すことは出来ない。だからデマを流して道民を惑わす。あえて脱原発の是非については述べないが、北海道と内地をつなぐ送電線は60万kwの能力しかない。こんな閉じられた供給システムの中で、脱原発の実証実験はやめてもらいたい。道民はモルモットではありません。

脱原発を目指すならば十分な準備をしてやって下さい。東日本大震災以降、順次原発が休止するなか、たまたま電力の供給力不足による停電は発生していないが、北海道電力だけでなくどの地域も綱渡りの需給バランスだったようだ。今回の地震で内地の人も目を覚まして欲しい。

首都圏直下型の地震や東海、東南海地震が起きた時、日本はヨーロッパとは違い他国から電力供給をうけることができない。日本が北海道になるのです。その時、北海道からは60万kwしか応援できません。今回、道民は分かりました。「原発を止めても電力は足りている」は全くのデマです。日本国民も目を覚ますべきです。道民同様モルモットではありません。

高橋知事へのお願いです。今年の冬は道民の命と生活を守るために、泊原発を再稼働させてください。北海道の冬は、空気や水が必須であるように、電気が無ければ生きていけません。根室沖地震の発生確率がまた上がりました。熊本のように胆振東部地震の本震や札幌周辺で誘発地震があるかもしれません。想定外のことは起こるのです。

原発が無くても電力の供給力が十分につくまでは、内地からの応援が無いに等しい北海道を、脱原発の実験場にするのを止めさせて下さい。実験結果は既に出ました。失敗です。マスメディアのデマから道民の生活を守ってください。
宜しくお願いします。
http://agora-web.jp/archives/2034796.html


23. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2018年9月27日 08:49:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18853] 報告
▲△▽▼


「原発は動かさない」という思考停止からの脱却を 2018-09-27

 北海道電力の苫東厚真発電所の4号機が稼働し、北海道の電力供給は「一息」ついています。


 また、北電はメンテナンス中だった知内発電所2号機を、予定を一か月以上も早めて9月25日に再稼働。


 結果、電力供給力は461万キロワットとなり、9月の想定ピーク需要は確保が可能となっています。


 もっとも、北海道の電力需要は、これから冬にかけて膨張していきます。18年1月のピーク時は、525万キロワットに達しました。


 全ての(老朽化発電所含む)の発電機を動かしたとしても、「ギリギリ」の状況が続くだけです。北海道の方々は、突発的な停電やブラックアウトに怯えながら、「北海道の冬」を乗り切らなければなりません。


 まさに、発展途上国です。


 泊原発を再稼働するしかありません。


『動かぬ原発、老朽火力頼み 思考停止が大規模停電招く エネルギー日本の選択 北海道地震が問う危機(上)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3568510023092018SHA000/
 6日午前3時すぎ、緊急地震速報のアラームがなった。「震源は苫東厚真火力発電所に近い」。この情報に北海道電力の社員は身構えた。今の北海道電にとって苫東厚真の役割が重いことを知っていたからだ。
 苫東厚真発電所の停止が大規模停電を引き起こした(北海道電力提供)
 北海道全域で295万戸が停電するブラックアウト。最大の原因は発電能力の過度な集中だった。電力供給の約半分を出力165万キロワットの苫東厚真火力が一手に背負う。砂上の楼閣のようなアンバランスがなぜ放置されていたのか。
 「泊原発が最優先だった」。電力関係者は指摘する。207万キロワットの出力をもちながら停止中の泊原発が再稼働すれば供給が安定するのは確か。問題は安全審査の通過が見通せず再稼働時期がまったくわからないのに、現実を直視した対策を打たなかったことだ。(後略)』


 「思考停止が大規模停電招く」という見出しだったため、
「思考停止的に原発を停止していたため、ブラックアウトが起きた」
 と、反省の弁を述べるのかと思いましたが、何と、
「思考停止的に原発に固執したから、ブラックアウトが起きた」
 という、斜め上の記事でございました。


 あのね、火力発電所の建設は場所の選定から含めると、十年はかかるのですよ。


 菅直人が「不法」に原発を停止させ、北海道電力は手足を縛られた状況で、北海道民の生活やビジネスを守るためにやれることをやってきました。


 2011年時点では原子力規制委員会が、ここまで頭がおかしい(活断層がないことを証明しろ!)組織となるなど、誰にも予想がつきませんでした。しかも、自民党政権になったため、政治がもう少しまともに動く(原発を再稼働させる)と期待しても、仕方がない話です。


 そもそも、原発が停止した時点で火力発電の建設に手を付けても、2018年には間に合いませんでした。しかも、火力発電は原油はLNGの輸入を増やすため、北海道の電気料金は確実に上昇します。


 北海道電力は、「電力の安定供給」と「電気料金上昇を防ぐ」という課題を「手足を縛られたまま」達成しようとし、原発の耐震化や防災に投資を集中させたのです。それを非専門家の部外者(しかも、道民でもない)日系の記者が、
『再稼働に向けた工事を優先し、他の発電所への投資は後回しになった。当然、全体の電源バランスの改善は進まない。』
 などと、偉そうに書く。


 吐き気がします。


 しかも、日経の記事は、


『原発はいつ、何基を再稼働できるかわからない。頼みの火力発電も老朽化で停止リスクを抱え、特に石炭火力は世界的な地球温暖化対策の流れのなか新設も難しい。早急に思考停止を脱し、災害にも強い電力システムの将来像を固めなければ、日本のエネルギー危機は回避できない。』


 ろいう文章で記事を絞めているくせに、原発再稼働には一言も触れない。


「早急に思考停止を脱し、災害にも強い電力システムの将来像を固める」
 ために、どうしたらいいのかは一言も書かない。原発再稼働無しで、災害に強い電力システムを早急に構築できるはずがないでしょう。


 思考停止に陥っているのは、むしろ日経新聞の方です。


 思考停止から脱し、現実の北海道電力危機を解決するために、政府が泊原発の再稼働を決断すれば「冬」にはまだ間に合うのです。


 「原発は動かさない」という思考停止からの脱却を!
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12407855100.html


24. 中川隆[-13531] koaQ7Jey 2018年9月29日 08:27:16: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18898] 報告
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北海道の復旧、復興、発展のために(前編)2018-09-29
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408244056.html


「北海道電力は泊原発を再稼働しなければならない」

 と、主張すると、

「北海道に住んだこともない東京都民が何を嘴を突っ込んでいるんだ!」 
 と、反発する人がいるかも知れませんが、わたくしは小学校は「千歳小学校」です。(もちろん千歳市立千歳小学校)


 た〜な〜び〜くけ〜む〜り〜、たるまえの〜。という、千歳小学校の校歌は未だに歌えます。ちなみに、千歳小学校百周年の記念パレードの際に、先頭で大太鼓を叩いていたのはわたくしです。


 小学校の頃は、千歳の市民スキー場(まだあるのかな?)やモーラップスキー場で、スキーに明け暮れていました。雪が積もった校庭を踏み固め、スケートリンクを作る「あの儀式」も、何度も経験しています。


 というわけで、北海道の「冬」がいかなるものかは嫌というほど知っているのです。金属を触ると、手に貼りつくという極寒も、未だに身体が覚えていますよ。


 北海道の冬がいかに残酷であるかを理解しているからこそ、泊原発を動かさなければならないと主張しているのです。


 泊原発を再稼働するためには、まずは「地元」が声を上げる必要があります。つまりは、道議会と北海道知事です。


『全道停電「北電の責任重い」 道議会で知事 地震被害1500億円超
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/230038

 高橋はるみ知事は20日の道議会代表質問で、胆振東部地震に伴ってブラックアウト(大規模停電)が発生したことに関し「深刻な事態だ。北海道電力の責任は極めて重い」と述べ、北電の責任に初めて言及した。ブラックアウトを含めた今回の災害対応について検証する委員会を早期に設置する意向も示した。
 知事は、ブラックアウト発生に関する道の責任をただされ、「道としては、大規模停電の影響をできるだけ緩和していけるよう停電対応のあり方や非常時の備えなどについて検証し、必要な対策を講じる」と述べるにとどめた。』


 いや、「必要な対策を講じる」というならば、道議会や道知事は泊原発の再稼働を政府に求めなければならないでしょう。


 といいますか、他に「ソリューション(解決策)」があるというならば、是非とも伺いたいところです。現実には、そんなものはありはしません。


 結局のところ、緊縮財政、規制緩和、自由貿易というグローバリズムのトリニティを推進してきた日本政府は、地方自治体を含め、
「政府が国民の生命や財産を守る」
 という、基本的な義務を放棄したとしか思えません。


 ある「専門家」の方に聞いたところ、厳冬期の北海道で今回のようなブラックアウトが起きた場合、死者は数千人(!)にのぼるだろう、とのことでした。


 政府の役割を「小さくする」ことを善と考える現在の日本政府や北海道庁にしてみれば、大停電で大勢の住民が凍死する事態になったとしても、
「そんなものは、自己責任」
 で済んでしまうのでしょうか。


 ならば、政府などいらない。国民を守るために最大限の努力をする。これは政府の「義務」だと信じているわけですが、すでに日本には「政府」は存在しないも同然なのですか?


 今回の全道ブラックアウトや、台風により吹き飛ぶ太陽光パネルの数々を見ていて、改めて理解できました。


 小さな政府だの、原発を動かさないだのといった「贅沢」は、平時にしか通用しないのです。現在の日本は、すでに「非常事態」に突入しています。


 何しろ、厳冬期に北海道電力の老朽化火力発電が緊急停止すると、数千人の「同じ国民」の生命が奪われかねない状況なのです。


 ちなみに、未だに「原発再稼働はまかりならない! 太陽光で〜」とか頭のおかしいことを主張する人がいますが、冬の北海道で太陽光発電は役に立ちません。


 そもそもが、ベースロード電源になりえないことに加え、雪がパネルに積もるだけで発電不可能になります。しかも、夜はいずれにしても発電できません。


 それにも関わらず、イデオロギー的に原発再稼働に反発し、まともな代替案も出さない反原発派や、無策放置主義の北海道知事や道議会には怒りしかわいてきません。


 日本国は、北海道に暮らす数百万の「同じ国民」を守るために、原発再稼働を決断しなければならないのです。


 その上で、北海道の復旧、復興、発展のために何をするべきかについては、明日、書きたいと思います。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408244056.html


25. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2018年9月30日 18:17:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18922] 報告
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北海道の復旧、復興、発展のために(中編)2018-09-30


9月27日に電事連が「北海道胆振東部地震における  大規模停電の発生について 」という調査報告書を公表しました。


 同報告書によって、(電事連は言っていませんが)、

「泊原発を稼働していれば、全道ブラックアウトは起きなかった」

 ことが確定しました、電事連や電力関係者は口にしないでしょうから、あえて大声で言います。


「泊原発を稼働していれば、全道ブラックアウトは起きなかった」


 電事連の報告書によると、ブラックアウトまでの経緯は以下の通りです。


@ 地震発生直後(地震発生〜周波数回復)

1. 苫東厚真2,4号機停止(発電:▲116万kW:タービン振動検知) により周波数が急低下した。加えて苫東厚真1号機の出力が低下した(発電:▲5万kW:推定)

2. 北本連系設備から緊急的に電力を受電した

3. 周波数の低下により負荷遮断を行なった(需要:▲130万kW)


4. 狩勝幹線、新得追分線、日高幹線の送電線故障により、道東エリア及び北⾒エリアが停電(需要:▲約13万kW)、水力が停止した(発電:水力▲43万kW)

5. 周波数の低下により風力が停止した(発電:風力▲17万kW)

6. 周波数の低下が46.13Hzで止まり、回復方向に切り替わった

7. 中央給電指令所よりバランス停止中の水力・火力発電機に起動指令を行った

8. 北本連系設備や水力のAFC機能により周波数が一時的に50Hzでバランスした


A 地震発生直後(送配電線再送電〜負荷遮断2回目)

9. 狩勝幹線、新得追分線、日高幹線ほかの事故復旧(自動)により道東エリアが復電した

10. 需要増加により徐々に周波数が低下した

11. 中央給電指令所の指令により火力の出力が増加した

12. 苫東厚真1号機の出力が低下した(発電:▲20万kW推定)

13. 周波数の低下により負荷遮断を行った(需要:▲16万kW)


B ブラックアウトまで

14. 苫東厚真1号機停止(発電:▲10万kW推定)したため再び周波数が低下した

15. 周波数の低下により負荷遮断を行った(需要:▲6万kW)

16. 知内1号機、伊達2号機、奈井江1号機が停止した(発電:▲34万kW)

17. 周波数の低下により水力(主に46Hz以下)等が停止するとともに北本連系設備が運転不能となった

18. 北海道エリアがブラックアウトに至った


 改めて、電力とは供給側と需要側が一定の周波数の範囲内(北海道は50kh)内で安定させなければなりません。さもなければ、電気機器や発電機が破損します。


 ブラックアウトに至るまでの周波数の変動は、以下の通り。


【全道ブラックアウトに至るまでの北海道電力の周波数の変動】

http://mtdata.jp/data_61.html#blackout


 周波数の動きを見ると、ブラックアウトの「危機」が三回あったことが分かります(三回目で力尽きた)。


 一つ目は、地震により苫東2、4号機が停止し、116万kWが失われた時点。

 二つ目が、苫東1号機の出力低下。

 三つ目が、苫東1号機の停止を受けた周波数低下による水力の停止と、北本連系設備の停止(本州と北海道を結ぶ線)。


 泊原発が稼働していた場合、何しろ200万kwのベースロード電源の発電機が動いているわけですから、苫東厚真のシェアははるかに低かったでしょう。


 ということは、そもそも@が起きなかったのです。何しろ、発端は苫東厚真の116万kwの喪失なのです。


 しかも、泊原発がある地域の震度は「2」であったため、原発は停止せず、苫東厚真2、4号機の喪失をカバーすることが可能でした。あるいは、他の発電機が出力を上げることで、周波数の低下は起きなかったはずなのです。


 もちろん、苫東厚真の1号機が「根性」で発電を続け、周波数が維持された場合、周波数の低下を受けた各発電機の「負荷遮断」の連鎖は起きず、ブラックアウトまでには至らなかったかも知れません。最終的には、苫東厚真1号機が力尽きたことで、ブラックアウトとなりました。


 とはいえ、そもそも当初の時点で苫東厚真2、4号機の停止をカバーすることさえできれば、その後のブラックアウトに繋がる負荷遮断の連鎖は起き得なかったのです。


 というわけで、泊原発を稼働していれば、今回の全道ブラックアウトは起きませんでした。


 それでもなお、

「泊原発が動いていても、ブラックアウトに至った」
「厳冬期の北海道の住民などどうでもいい。とにかく、原発を動かしてはいけない」

 と、主張するのですか?


 主張するのでしょう。頭がおかしい反原発派のイデオロギー的反原発論により、日本国のエネルギー安全保障は壊され、このままでは北海道は再度のブラックアウトの危機に怯えながら、厳冬期を迎えることになります。


 北海道の方々を「同じ国民」「救わなければならない国民」と認識するならば、声に出さなければなりません。


 泊原発が稼働していれば、ブラックアウトは起きなかったという「真実」について。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12408547550.html


26. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2018年10月05日 10:09:38: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19024] 報告
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<北海道地震>原発停止、再生エネ後手…政策の課題映す
10/4(木) 22:34配信 毎日新聞


苫東厚真火力発電所=北海道厚真町で2018年9月12日、本社機「希望」から梅村直承撮影


 北海道内で9月6日の地震直後に全域停電(ブラックアウト)が発生してから約1カ月が経過した。今回の問題の背景には原発が動かない中で火力発電に過度に依存する一方、再生可能エネルギーも活用しきれていない実態がある。北海道電力だけでなく、国のエネルギー政策の課題を映し出している。【和田憲二】

 ◇火発依存リスク 全国に

 経済産業省の認可団体「電力広域的運営推進機関」が設置した第三者委員会の分析などによると、地震直後に苫東厚真(とまとうあつま)火力2、4号機(計116万キロワット)が停止し、送電線故障で水力発電計約43万キロワットも停止。地震直前の需要・供給量(約309万キロワット)の半分を失った。一部地域で強制停電を行い綱渡りの調整をしたが、苫東厚真1号機(35万キロワット)も故障で止まり、ブラックアウトに至った。

 浮かび上がるのは、泊原発(計207万キロワット)が長期停止する中で、大規模火力の苫東厚真に過度に依存していた問題だ。原発再稼働を見込んで設備投資を控える一方、小規模火力より効率の良い苫東厚真を重視し、コスト優先の供給体制を築いていた。2016年の電力小売り全面自由化後は他社に顧客を奪われ、経営は厳しい。

 他電力の関係者は「地震後に起きた発電設備や送電線の故障は設備投資を絞っていた結果」(幹部)と指摘する。ただ、自由化後の競争激化でコスト抑制を追求せざるを得ないのは他電力も同じだ。

 再エネの活用にも課題を残した。道内には太陽光と風力で計170万キロワット超の発電設備があるが、地震直後に機器の故障を防ぐため自動停止した。太陽光などは天候による出力変動が大きく、これを調整するには火力発電などの稼働が必要で、太陽光などを全面的に使うまで約1週間かかった。

 国は、30年度に再エネを「主力電源化」する方針を掲げ、蓄電池などの技術革新や電力会社間の融通強化を促してきた。しかし、今回の地震で、非常時に安定供給できる体制が確立されていない現状が改めて示された。経産省は「現時点での再エネの実力と課題が明らかになった」として、必要な対策を急ぐ考えだ。

 ◇牛乳、もろい供給体制 停電で工場稼働できず

 全国の生乳(牛乳・乳製品の原料)生産量の半分を占める酪農王国・北海道が被災し、牛乳が一時品薄になった首都圏のスーパーの店頭などでは販売がほぼ正常化した。ただ、他の都府県での生産が先細りする中、北海道に依存する供給体制のもろさが露呈した格好だ。

 農林水産省によると2017年度の生乳生産量は前年度比0.7%減の729万トンで、その53%が北海道産。道内で搾られた生乳は毎日専用の貨物船で茨城県の日立港、一般の客船で関西へそれぞれ輸送されている。

 台風などで出航できないこともしばしばで、地震直前も台風21号の影響で船が欠航していた。また、牛は暑さに弱く、業界団体Jミルクによると、7〜9月の本州の生産量は前年比2.7%減。そこに北海道地震が追い打ちをかけた。北海道では乳業メーカーの工場が停電で稼働できず9月6〜10日に生乳2万トンが廃棄された。

 供給体制の回復が遅れ、首都圏や関西圏で展開するスーパーは「地震後1〜2週間は一部商品が品薄になり、購入できる点数を限って販売したが、9月末には通常の8〜9割に回復した」と話す。

 1990年代以降、酪農家と飼育頭数は減少傾向で、この10年で酪農家は3割、飼育頭数は1割減った。高齢化や後継者難への対策も急務となっている。ホクレン農業協同組合連合会は「乳牛を増やして生産量を拡大してきたが、他の都府県の生産を何とか維持してもらいたい」と全国的な供給体制の改善を訴えている。


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