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http://www.asyura2.com/acat/r/re/ret/REttWUlNMENXZG8=/100000.html
[番外地9] 資本家は税率2割の配当で食っているんだよ、所得税なんか払っていない。 中川隆
5. 中川隆[-6388] koaQ7Jey 2021年3月25日 05:35:34 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[1]
累進課税では階級は無くせないよ。
資本家は税率2割の配当で食っているんだ、働いていないから所得税なんか払っていない。
資本家は健康保険や年金も上限が低いから、全所得の内の無視できる程の比率にしかならない。
累進課税では所得再分配は不可能なんだよ。

労働者に金をばら撒いてハイパーインフレにしない限り資産家の所得は減らないよ。
国債金利はすべて資本家の所に行くから国債も止めて政府紙幣にしないと、政府が労働者から金を取り上げて資本家に金をやっている事になるんだよ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/235.html#c5

[リバイバル3] ウーマナイザー、欧米の女性たちを虜《とりこ》にしたアダルト・トイの実用度 中川隆
1. 中川隆[-6387] koaQ7Jey 2021年3月25日 05:46:55 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[2]
理想の男の姿とは _ 女性用ラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/245.html

世界を変えた映画『エマニエル夫人』
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/249.html

ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html

「AI搭載ラブドール」の実用度
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/877.html

AI搭載ラブドールと一緒に暮らそう _ とんでもない美人のラブドールがやってきた!
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/220.html

セックスドールに中国男性は夢中
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/284.html

中国人客急増で梅毒大流行 _ 性病地獄に堕ちていく日本の風俗嬢
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/251.html

中国製ラブドールのブリードには内分泌攪乱物質が大量に含まれていて非常に危険
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/260.html

「女の子のニオイ」を再現する方法
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/247.html


セックスも、愛も、恒常的にそれがそこにあると、欲望も疼きも感動も消え去る
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1189.html

女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/829.html

女の停年は35歳
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html

女の子に合う香り、加齢臭のオバサンに合う香り
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/449.html

「女の子のニオイ」を再現する方法
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/247.html

我々は「自分の老い」に向き合ってきたか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/446.html  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1141.html#c1

[近代史5] LGBT・トランスジェンダーの世界 中川隆
1. 中川隆[-6386] koaQ7Jey 2021年3月25日 06:03:47 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[3]
LGBT・トランスジェンダーよりロリコン・近親相姦の方がまだ まともですね:

ロリコンと近親相姦の世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/456.html

日本のフツーの男はみんなロリコンだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html

ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html

女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/829.html

女の停年は35歳
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ _ フロイトが妄想だと信じた近親相姦の話はすべて事実だった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 _ 日本は近親相姦(父→娘)が多い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

プチエンジェル事件の深すぎる闇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html


▲△▽▼


昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html

トランスジェンダーのパオロ・パゾリーニ (Pier Paolo Pasolini, 1922年3月5日 - 1975年11月2日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/214.html

Those Were The Days _ リリアン・ギッシュが独身を通した理由 _ グリフィスの映画
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/487.html

ロリコンのグリフィス (David Wark Griffith、1875年1月22日 - 1948年7月23日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/192.html

ロリコンのチャップリン (1889年4月16日 - 1977年12月25日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/202.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/541.html#c1

[近代史5] ロリコンと近親相姦の世界 中川隆
6. 2021年3月25日 06:14:16 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[4]
LGBT・トランスジェンダーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/541.html

ウーマナイザー 12種吸引及び振動モード、欧米の女性たちを虜《とりこ》にするアダルト・トイ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/540.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/456.html#c6

[近代史5] テレビ・新聞による情報操作と Google・Appl・Facebook・Amazon による検閲・言論統制に歯止めがかからない 中川隆
16. 2021年3月25日 06:20:11 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[5]
【ch桜・別館】フェイクニュース発信の正体[桜R3/3/24]
2021/03/24






http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/513.html#c16
[近代史4] どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領 中川隆
59. 中川隆[-6385] koaQ7Jey 2021年3月25日 06:21:10 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[6]
【ch桜・別館】フェイクニュース発信の正体[桜R3/3/24]
2021/03/24






http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html#c59
[近代史5] バイデン「フェイク票」上乗せの卑劣な手口と真犯人判明! 「死者の不在者投票」も… トランプ“戒厳令”発動で米内戦勃発へ!! 中川隆
106. 中川隆[-6384] koaQ7Jey 2021年3月25日 06:22:47 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[7]
【ch桜・別館】フェイクニュース発信の正体[桜R3/3/24]
2021/03/24






http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/359.html#c106
[近代史5] 日本人による極悪非道の世界侵略の歴史 中川隆
1. 中川隆[-6383] koaQ7Jey 2021年3月25日 06:37:01 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[8]
チャンネル桜や正論、WILL はフェイクニュースを流して、日本人が過去にやって来た悪行を隠すのが天才的に上手い
日本人による極悪非道の世界侵略の歴史
尖閣・沖縄・北海道・千島は日本の領土ではない

・chousen で長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる

・chousen の無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作って朝鮮と交易する

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド

・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた台湾先住民をジェノサイド

・文禄・慶長の役 → chousen で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の chousen 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・chousen の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、chousen 女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・1971年 本多勝一のルポ 「中国の旅」が朝日新聞に連載される → 南京大虐殺や戦時中の中国での日本支配の実態をルポ、文春や新潮は昭和天皇の戦争犯罪を隠蔽する為に渡部昇一や鈴木明に本多勝一批判をさせ、それ以降右翼は現在に至る迄、南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定する悪質なデマを流し続けている。

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償金請求を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから 売り攻勢をかけ7000円台まで暴落させるのに成功した。 外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

・尖閣乗っ取り → 尖閣を漁場にしていた台湾人を追い出す。中華民国(台湾)は尖閣は宜蘭県に属す島嶼だ、と昔から主張している。宜蘭は台湾原住民平埔族の中の一群であるクヴァラン族が広く住んでいた地域で、1632年にはクヴァラン族が歴史資料に登場している。

が、大まかな流れです。

▲△▽▼

日本の支配者は今も昔も chousen 人なので残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのですね

今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

天皇家は漢民族で百済語を話していた、
弥生人(chousenの無土器文化人)は日本語を話していた、
縄文人はアイヌ語を話していた。

ヤマトの英雄 ヤマトタケル(=関西チョx) 坂上田村麻呂(=百済出自の在コリ)
ヤマトの神 スサノオ(=韓神)
ヤマトの姫 卑弥呼(=chousen系シャーマン)
ヤマトの王 桓武天皇(=母ちゃんが百済人)
ヤマトの信仰 稲荷神(=渡来系の秦氏が広める) 仏教(=百済から伝来)
ヤマトの食 水稲・米(=chousen半島から伝来)
ヤマトの家 寺・神社(=渡来人の建築)
ヤマトの墓 支石墓(=chousen半島から伝来)
ヤマトの美人 飛鳥美人(=高句麗婦人)
ヤマトの名字 佐藤(=O1b2の藤原氏由来)
ヤマトの国史 日本書紀(=百済人の編纂)
ヤマトの天 高天原(=chousen半島)

半島出身のスメラ尊の和風諡号にはかならず「天」がつく。
書紀で「天」は chousen 半島を指すのだ。

________

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【重要・証拠アリ】安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」!
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html

菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/537.html#c1

[昼休み54] 相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている 中川隆
5. 2021年3月25日 07:17:47 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[9]
“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム”
小島 庸平 2021/03/25


 創業者一族は高額納税者番付に名を連ね、法人所得ランキングの上位にも毎年のようにランクインしていたサラ金各社。一方で利用者はしばしば深刻な多重債務に陥り、破産や自殺に追い込まれる人も少なくなかった。1983年の貸金業規制法制定によって、厳しい督促は制限されるようになったが、債権を回収しようとするサラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を実施。過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで続いた……。果たしてサラ金業者はどのような方法で取り立てを行っていたのだろう。

 東京大学大学院経済学研究科で准教授を務める小島庸平氏の著書『 サラ金の歴史 』を引用し、苛烈な取り立てを行っていたサラ金、消費者金融の知られざる内実を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

男女間の役割分担
 サラ金の有人店舗には、原則として男女がそれぞれ最低一人は配属された。窓口での対応や、一回目の延滞を起こした顧客に対する連絡は男女問わず担当したが、基本的には女性が営業、男性が債権回収というように、男女の分業がはっきりしていた。業界内で女性支店長はめずらしくなかったものの、最大手の武富士では、回収は基本的に男性社員の仕事であり、回収できなければ支店長にはなれないという暗黙の了解があったという( 中川 2006 )。

  小田(2006) は、こうした男女間の性別役割分業の理由を、客には男性が多いので女性の甘い声で営業をかけた方が成績が上がり、反対に債権回収は男性でないとなめられるうえ、客の暴力などの危険があるからだと説明している。

 貸金業者は、「貸すときの地蔵顔、返すときの閻魔顔」などと言われることがある。サラ金では、女性に地蔵顔、男性に閻魔顔を割り振ることで、店舗の運営が円滑になるよう工夫していた。貸し付ける時には顧客の自尊心を尊重して丁寧な接客を心がけ、反対に回収の際には軽く思われないよう力強い態度で返済を要求する。サラ金における男女間の分業は、女性社員を債務者の予期しない行動から隔離する配慮と同時に、顧客(特に男性)の感情を自社に都合よくコントロールしようという意図に基づいていた。

顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて行う回収
 顧客の感情に働きかけるサービス業に独特な労働のあり方は、「感情労働」と呼ばれる。漫画『闇金ウシジマくん』を社会学の視点から丹念に読み解いた 難波(2013) は、「感情労働」という言葉を生んだ ホックシールド(1982=2000) が、集金業務を感情労働の一つとして挙げていることに着目している。

 肉体労働者が肉体で稼ぎ、頭脳労働者がアイデアや専門知識を売っているように、感情労働者は自らの感情をコントロールし、顧客の感情を雇主に有利なように誘導することで賃金を得る。営業スマイルを浮かべ、航空機内で「真心」のこもったサービスを提供するキャビン・アテンダント(CA)は、典型的な感情労働者である。

 ホックシールドによれば、CAだけでなく、顧客の未払い代金を回収する航空会社の集金人も感情労働に従事していた。集金人は、必要に応じて怒りや苛立ちを露わにし、料金を滞納する顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて回収を行うからである。

 サラ金の社員もまた、航空会社の集金人に類似した業務に従事しており、ホックシールドの言う感情労働者とみなせる。以下では、サラ金やクレジットカード会社などの消費者金融に特有な感情労働である債権回収に注目して、その実態に迫ってみたい。

感情労働としての債権回収
 現在、一般の消費者に対する債権回収には厳しい規制が加えられている。1983年に制定された貸金業規制法によって、債務者に返済を督促できる時間帯の制限や、「威迫」の禁止などが明確化され、その後も段階的に規制が強化された。1990年代のプロミスで「資金回収の神様」と呼ばれたある幹部は、顧客の心を巧みに開かせ、個人的な信頼関係を構築して金を取り立てることに長けていたという( 岩田 1996 )。

 しかし、こうしたマイルドな取り立ての一方で、脅迫的に支払いを求めることも珍しくなかった。サラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を加えており、過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで止むことはなかった。

 感情労働としての債権回収について生々しい証言を残しているのが、元中堅サラ金業者の室井忠道である。 室井・岸川(2003) によれば、債権回収の際には、延滞している債務者に「効率よく怖がって貰う」ことが必要だった。一日に何軒も回収に行くのだから、四六時中怒鳴っていては声が嗄れてしまう。そのため、服装は「おっかなそうな格好」でなければならない。「我々の取立の時は、アメ横で買ってきた特攻服を若いヤツに着せたり、ダークスーツで行ってたけど、いまのヤミ金の連中もそういうドスを利かせる感じでしょう。作業着やジャージじゃ怖がらないから」。恐怖という感情を掻き立てる強面の回収スタイルは、大手の消費者金融も大同小異だったと室井は述べている。

債務者の恐怖心を煽るための細々とした工夫
 加えて、室井の店舗では、回収を行う別室のテーブルとして特に幅の狭いものを選んで置いていた。顧客と顔が接近している方がプレッシャーをかけられ、取り立てや交渉で有利になるからである。債務者の精神を効率的に圧迫し、恐怖心を煽るための細々とした工夫は、回収業務の過程に様々な形でちりばめられており、そうした工夫が債権回収の成績を上げるうえで不可欠だった。

 債権回収の担当者が感情をコントロールする対象は、債務者本人だけに留まらず、時に債務者の家族にも及んだ。法律的には、浪費的な使途のために借りた金は、債務者本人以外に返済の義務はない。1983年に制定された貸金業規制法では、家族を含む第三者への支払い要求が明確に禁止されている。

違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウ
 にもかかわらず、同法制定後も某サラ金は勉強会を開き、債務者の家族に入金を説得するロールプレイング研修を行っていた( ほのぼの 2003 )。講師となる上司が夜逃げした債務者の父親を演じ、回収役の社員は代理返済に応じるよう働きかけるのである。

 社員の間では「学芸会」などと揶揄されていたが、父親役の上司は豊富な債権回収の経験を持っており、役作りは真に迫っていた。研修では、入金を説得する際には「返済しろ」とは決して言わず、「協力」を「お願い」するという形で、貸金業規制法違反を免れようとしていた。本来は違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウが、研修の場で議論され、共有されていた。

 さらに、親だけでなく子どもに対して督促を行うこともあり、サラ金業者が小学校宛てに支払催告書を送りつけて問題化したこともあった(『朝日』1983年6月18日付朝刊)。督促を受けて恐怖を感じた子どもが、夜尿や自傷行為を起こした例も報告されている(武富士被害対策全国会議2003)。1999年に大手サラ金に入社した 金太(2003) は、子どもを利用した債権回収の方法を、やや冗談めかして次のように紹介している。

 延滞している債務者に電話で督促していると、支払いを引き伸ばすために子どもに受話器を取らせ、「親はいません」などと居留守を使われることがある。そんな時には、子どもに向かって「僕、アンパンマンだけど……」と名乗るのがよい。子どもは「ホントに?」と食いついてくるから、今度家に行くからね、などと言って丸め込めば、親に電話を代わってくれる。結果的に親が電話口でアンパンマンにペコペコ謝ることになるので、子どもの夢を壊してしまうが、やむをえない。小学生になると疑われるから、あくまでも対象年齢は5〜6歳くらいまで。年末ならば、アンパンマンはサンタクロースに置き換えてもよい。

 債務者本人だけでなく、家族の感情をもコントロールしながら債権回収を行う手立ては、しばしば面白おかしく話題にされ、共有された。小手先の小細工も含めた工夫の積み重ねによって、サラ金の回収技術は徐々に進化し、債務者をさらに追い込んでいく。「パパ/ママはどうしてアンパンマンに謝ってたの?」などと子どもに聞かれた債務者が抱くであろう屈辱感とやり切れなさは、察するに余りある。時に家族も巻き込みながら、債務者本人に精神的打撃を与えることが、債権回収を効率的に進めるうえでは有効であり、必要だった。

(中略)

職務の「脱人格化」と自己責任論
 債権回収に伴う精神的負荷を軽減する方法は、感情労働の金融技術というべきものだった。たとえば、元アイフル社員の笠虎崇にとって、入社当初は債権回収ほど嫌な仕事はなかった。その嫌悪感を払拭する上で、上司から受けた次のような助言が有効だったという。

「いいか、殺人犯や凶悪犯の役をやる役者が、素の自分でやっていたら罪悪感にさいなまれて嫌になっちゃうだろう。取り立ても同じ。素の自分で取り立てしていたら嫌になるのは当たり前。ドラマだと思って、こわもての取り立て役になったつもりで演技するんだよ。そうすれば、舞台(仕事)の上でどんなにえぐい取り立てやっても、その舞台が終われば、そこで起こったこととは関係のない、自分に戻れる。仕事とプライベートをしっかり分けてやれば、取り立てで辛い思いはしなくなるぞ」( 笠虎 2006 )

 取り立て役を演じる「役者」になりきることで、仕事とプライベートを切り分ける。これは、ホックシールドがdepersonalization(「脱個人化」あるいは「脱人格化」)と呼んだ対応である。取り立て役を「演じる」ことで、業務から本来の自己の人格を分離し、債権回収につきまとう罪悪感を受け流すのである。

「脱人格化」は心身を病む
 こうした職務の「脱人格化」は、自分を偽ることになるため、しばしば労働者本人の自尊心を傷つける。ホックシールドは、「脱人格化」を行う感情労働者は、やがて自分を偽ることに嫌気が差し、最終的には燃え尽きる可能性が高くなると指摘している。

 この指摘は、確かに一面では正しい。就職氷河期にカード会社に入社した榎本まみは、「脱人格化」に成功しているように見える練達の社員でも、心身を病んで退職する者は少なくなく、それはまるで「人の消費や使い捨てのような労働だった」と述べている( 榎本 2012 )。

 だが、「脱人格化」が感情労働者を燃え尽きさせるというホックシールドの見立てに対しては、 鈴木(2012) が的確に整理しているように、多くの批判が寄せられている。実際、サラ金の感情労働者が、職務の「脱人格化」によってむしろ精神的な負荷を軽減し、自尊心を守ろうとしていたという証言は、数多く残されている。

債権回収は「ゲーム」
 その一つが、債権回収をある種のゲームとみなす方法である。某サラ金の元社員は、「相手の債務状況や家族関係、営業店の交渉履歴などのデータを駆使して、いかに回収できるかを考え、追い込む。まさにゲームだった」と述べている(『朝日』2006年9月19日付朝刊)。債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は「勝負」の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば「勝ち」だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた。典型的な職務の「脱人格化」である。

 加えて、債権回収に伴う心理的負荷を軽減するもう一つの方法が、自己責任論の内面化だった。サラ金社員は、延滞する債務者を自業自得だと割り切り、徹底的に追い詰めたのである。元大手サラ金のある社員は、次のように振り返っている。

「当時の上司の口癖は、「悪いのは客。どんなことを言っても許されるんだ」と。しょせんは電話での督促ですから、何を言おうが、どんな悪態をつこうが気楽なんです。だんだん相手を攻めたてる面白味にも目覚めちゃって、こいつら人生の負け組なんだと……。責任転嫁もいいところですけど、当時の私はほんとにそう思っていました。」( 須田 2006 )

 債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすれば、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられた。債務者に対する共感や同情を意識的に断ち切り、債権回収業務を円滑に進めるうえで、自己責任論の内面化は有効だった。だからこそ、上司は部下に向かって「悪いのは客。どんなことを言っても許される」と口癖のように繰り返したのだろう。

 こうした自己責任論の内面化や、職務の「脱個人化」が、感情労働に従事する人びとの心理的な負担の軽減に貢献したことは間違いない。自業自得の客になら「どんなことを言っても許される」と信じ、取り立ては「演技」や「ゲーム」にすぎないと自分を納得させれば、債権回収に伴う精神的な負荷を、少なくとも短期的には軽減できた。顧客の追い込みに付随する心理的な葛藤を回避し、自尊心を守るための方策が、職場の上司と部下、先輩と後輩という感情労働の重層的な構造の中で伝承されていた。

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは へ続く

https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E7%89%B9%E6%94%BB%E6%9C%8D%E3%81%A7%E6%80%96%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%8B-%E5%B9%85%E3%81%AE%E7%8B%AD%E3%81%84%E6%9C%BA%E3%81%A7%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%92-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E6%A5%AD%E8%80%85%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%9B%86%E9%87%91%E6%A5%AD%E5%8B%99-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/ar-BB1eVA7A?ocid=msedgntp

借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは
小島 庸平 2021/03/25

“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム” から続く

「サラ金」は、利息制限法で定められた金利を超過したグレーゾーン金利で貸し付けを行っており、借金返済に苦しむ膨大な数の被害者を生み出した。そうした借金苦に悩まされる人たちの窮状を解決すべく、結成されたのが「サラ金問題研究会」だ。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが開始した社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となった。

 ここでは、東京大学大学院経済学研究科准教授の小島庸平氏が「サラ金」にまつわる約110年間の歴史を紐解いた一冊『 サラ金の歴史 』(中公新書)を引用。サラ金規制強化のきっかけになった社会運動のあらましを紹介する。


◆◆◆

「サラ金被害者の会」結成
「いくら苦しくても、死ぬのはやめてともに助け合い、サラ金地獄から抜け出そう」

 そう呼びかけて「サラ金被害者の会」(以下、「被害者の会」と略)が結成されたのは、1977年10月のことだった。組織づくりを主導したのは、同年5月に大阪で15名の若手弁護士が結成した「サラ金問題研究会」である。この研究会の目的は、サラ金に対する法規制を議論し、被害者の救済方法を検討することだった。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが起こした社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となる。

 弁護士の木村達也の回想によると、被害者の会が結成された経緯は、次のようなものだった。

 1977年5月、サラ金苦の相談が増えていることに気づいた大阪の若手弁護士たちが、解決法を探るために「サラ金問題研究会」を結成した。同年6月にメディアで好意的に紹介されると、全国から相談が殺到する。中でも研究会の呼びかけ人だった木村は、相次ぐ取材や相談者への対応に忙殺された。見かねた先輩弁護士の中村康彦は、木村に「被害者の会」を組織するよう助言している。

 中村は、公害訴訟の分野で多くの経験を積んでおり、被害者を組織することの重要性を知る人物だった。さらに、森永ヒ素ミルク中毒事件で名を挙げた中坊公平も、1977年に大阪弁護士会の公害委員会から消費者保護委員会を独立させて委員長となり、78年には木村を同委員に選任した。1960年代後半以降、四大公害病や食品汚染問題が次々と訴訟に発展しており、そこで蓄積された弁護士たちの経験と組織が、サラ金問題でも活かされていた。そんな経緯もあって、サラ金問題は「第二の公害」とも呼ばれた。


 中村の助言を受けた木村は、さっそく「被害者の会」の組織化に動き出した。しかし、日々返済に追われ、昼も夜も懸命に働いている人びとの中から、運動の核になってくれそうな候補者を探すのは難しかった。

借金返済に苦しむ仲間が結束
 ある夜、木村は、協力してくれそうな相談者たちを会議室に集め、被害者の会の必要性を説いた。しかし、彼らに「被害者」の意識は少なく、反応も発言もほとんどない。そこで、木村は自己紹介を兼ねて全員に厳しい取り立ての体験を話してもらうことにした。すると、次々に発言が続き、参加者の緊張感と警戒心が一気に薄れ、仲間意識が芽生えた。後に、木村は、「サラ金被害者は孤独と不安の中で悩み苦しんでも人に相談できず、一人耐え続けていたのだ。借金返済に苦しむ同じ仲間を見出して安心し、結束したのだ」と振り返っている。

 木村らの努力の結果、1977年10月24日に全国で初めて被害者の会が大阪で結成された。記者会見には新聞社やテレビ局の記者が数多く集まり、マスコミの「サラ金地獄」報道はさらに加熱していった。

若く勢いのある弁護士を引きつけたサラ金問題
 この時、被害者の会の初代会長職を引き受けたのが、当時50代の男性Mだった。Mは、多重債務者としてサラ金からの厳しい取り立てを受け、親子四人で心中しようと夜の街をさ迷ったことがあった。空腹に耐えかねて一本のコーラを買い、公園の水で薄めて分け合って飲み、そのうまさから心中を思いとどまったという経験の持ち主である( 江波戸 1984 )。

 余談だが、サラ金被害者の救済に奔走した弁護士の木村晋介は、上の内容とはやや異なるM会長の経験談を聞いて衝撃を受け、サラ金問題に関わるようになったと振り返っている( 木村 1990 )。こちらの木村弁護士は、椎名誠の自伝的小説『哀愁の町に霧が降るのだ』に登場する木村晋介、「怪しい探検隊」や「東日本何でもケトばす会(東ケト会)」のメンバーである。

 この時期のサラ金問題は、メディアで盛んに報道されたこともあり、若く勢いのある弁護士を多数引きつけていた。後に日弁連会長となる宇都宮健児も、多重債務者に関わる案件を引き受けることで事務所独立の契機をつかんだ。北海道釧路市の今瞭美のように、地方に波及したサラ金問題の実態を鋭く告発し、武富士から「天敵」( 中川 2006 )と恐れられた弁護士もいた。皮肉にも、サラ金業界は、被害者を増やしすぎたがゆえに借金問題を扱う弁護士に安定した収入を与え、被害者運動を継続して支援することを可能にしたのである( 上川 2012 )。

被害者の会に対し、世間の目は冷たかった
 話を被害者の会に戻そう。Mが会長職を引き受けることでようやく組織された被害者の会に対し、世間の目は冷たかった。多くの消費者団体は「借りたものを返さない方が悪い」と関心を示さず、一般からの寄付もごくわずかしか集まらなかった。登録会員は一年足らずの間に800名を超えたが、自身の問題が片付けば会に寄り付かなくなるか、サラ金に追い詰められて活動どころではなくなってしまった。逆境の中でもM会長はくじけず、「夫や妻、兄弟がサラ金禍にひそかにあえいでいるかもしれないんですよ。他人事じゃないんだ」と、熱心に活動に取り組んでいた。

 被害者の会の運営に意欲を燃やすMは、自宅の電話番号を公開して相談者からの電話に連日対応し、優しい言葉をかけ続けた。しかし、会結成から3ヵ月が経つ頃、Mは心身に不調をきたしてしまった。「どの相談も暗く重く悲しいものであったから、その精神的苦しみから逃れられない」と言うのである。さらにその3ヵ月後、Mが被害者から預かった返済金約800万円の使い込みが発覚した。「酒を飲まずにはいられなかった」というのが、Mの釈明だった。

 被害者の会は、横領したMを自首させることに決めたものの、この経緯が某新聞にすっぱ抜かれ、運動は一時苦境に陥った。精神的にも経済的にも深い傷を負った当事者たちが被害者運動に従事するのは、決して容易ではなかった。

 それでも、1983年までに全国で21の被害者組織が結成され、運動は着実に全国へ広げられた。恐怖心や罪悪感を煽られた多重債務者たちが業者に毅然と立ち向かうには、法律的知識を身につけるだけでは不十分で、弁護士や被害者の会といった背後の「味方」が必要だった( 大山 2002 )。サラ金禍に苦しむ人びとの声は、有能な弁護士たちや自助グループの支援もあって、徐々に大きくなっていった。

破産件数の急増
 追い込まれても返す金のない多重債務者が、自殺や夜逃げ以外の方法で問題を解決しようとすれば、最後に残された手段は自己破産である。その方法を確立したのが、被害者の会と、それを支援する弁護士たちだった。

 1952年から70年代までの破産事件数は、おおよそ年間2000件前後で推移していた。しかし、1984年には2万6385件へと急増し、このうち貸金業関係の比率は、初めて数値の得られる85年には67.1%と、3分の2以上を占めた。

 1983年6月18日付の『朝日新聞』朝刊は、「自殺、心中や夜逃げよりは、なけなしの財産を投げ出しても自己破産の宣告を受けた方が――。サラ金の返済に困り、ぎりぎりのがけっぷちに立たされて、裁判所に自ら破産を申し立てる人が急増」と報じている。貸金業規制法が制定される前後の時期から、多重債務によって破産を余儀なくされた人びとの存在が明らかになりつつあり、サラ金の引き起こした社会問題として大きな注目を集めていた。

 こうした破産件数の増大は、多重債務者の深刻な状況を一面では反映していた。しかし、そこから債務者の悲惨な状況のみを読み取るのは正確ではない。破産件数の増大は、苦境にある多重債務者たちが、過剰な債務の支払いを回避するべく積極的に抵抗を試みたことの反映でもあった。

破産宣告を受ける予納金「5万円」も払えない
 1980年当時、サラ金問題研究会に集まっていた弁護士たちは、利息制限法を活用して元本を減額する調停申立や任意整理には限界があり、最後の救済手段は自己破産しかないと判断していた。しかし、この頃はまだ自己破産は一般的ではなく、破産宣告を受けるには最低5万円、ときに50万円もの高額の予納金を裁判所から請求された。サラ金問題研究会の弁護士たちは、まずこの予納金の減額を求めていくつかの訴訟を起こしている。5万円も払えないような多重債務者が、相談者の大多数だったからである。

 次いで、1982年10月には、サラ金問題研究会が編者となって小冊子『自分でできる破産』を発行した。同書は一般書店では流通しなかったにもかかわらず約2万冊も売れ、自己破産件数増加の最初の呼び水となった。

 この間の動きに深く関わっていた木村達也は、「破産・免責手続きを認めなければ、多重債務者は自殺か犯罪に走るしかない。消費者信用に多重債務、返済不能者の発生は不可避であり、破産・免責手続こそ消費者信用の安全弁である」と訴え続けていた。

 その甲斐もあって、破産宣告をまるで「死の宣告」かのように考える誤解が徐々に解け、中には『自分でできる破産』を持って法律事務所に駆け込んでくる人も現れた。弁護士たちの粘り強い努力により、破産はサラ金問題の有力な解決策となったのである。破産件数の増加は、弁護士たちの熱意と、多重債務者たちが過去の失敗を乗り越え、人生の再出発に踏み出そうとした苦闘の結果でもあった。

貸金業規制法の立法過程
 だが、木村たちは、自ら利用の道筋をつけた破産申立も、結局は事後的な対症療法に過ぎないと自覚していた。本質的には、サラ金をはじめとする貸金業に適切な規制を加え、高利の多重債務に苦しむ人びとをこれ以上生み出さないような立法措置が不可欠だった。

 利息制限法と出資法の関係を整理し、上限利率を引き直す作業は困難を極めた。業界・被害者・与野党・政府の利害が複雑に絡み合う中で、上限金利については容易に意見がまとまらず、7年近い歳月をかけて1983年にようやく貸金業規制法が制定された。貸金業規制法が制定されるまでの道のりは、長く困難に満ちたものだった。

 1979年に政府が法案作成を断念した後、与野党や業界・日弁連から提出された貸金業規制法案は、過剰取り立てや過剰融資に規制を加える点では一致していた。しかし、上限金利の扱いについては鋭く意見が対立しており、この不一致が法案成立に多くの時間を要した最大の原因だった。

「不当利得」とされたグレーゾーン金利が合法化
 利息制限法と出資法の間のグレーゾーン金利については、最高裁が1968年に「不当利得」と判示していた。にもかかわらず、規制法案の検討過程では問題が蒸し返された。業界と与党がグレーゾーン金利の合法化を求め、これに反対する野党・運動側と真っ向から対立したのである。結局、各党と運動側、業界の間で議論はいつまで経ってもまとまらず、最終的には大蔵省が間に入って法案を成立させている。

 こうして1983年に国会を通過した貸金業規制法では、上限金利は109.5%から40.004%へと半分以下に引き下げられた。業界の利害を重視する自民党は上限利率54.76%を求めていたから、野党や運動側の主張を認め、業界に一定の譲歩を求める判断だった。

 その一方で、たとえ利息制限法違反のグレーゾーン金利であっても、債務者が任意に支払い、法令で定める書面が提出されていれば、有効な弁済とみなされることになった。いわゆる「みなし弁済」条項である。1968年の最高裁判決で「不当利得」とされたグレーゾーン金利が、貸金業規制法のみなし弁済条項によって合法化されたのである。

 被害者の会や弁護士たちは、当然ながら「貸金業界寄りの法案で賛成できない」とすぐさま反対の意見を表明した。しかし、木村達也は成立した規制法を見て、腹の中で密かに「やった!」と快哉を叫んだという。約7年にもわたって繰り返し法案が流れたこともあり、上限金利40%が引き下げの限界と考えていたからである。当時の情勢は、それほどまでに厳しいものだったのだろう。

 だが、みなし金利条項は後日に禍根を残した。2006年の貸金業規制法改正の際、グレーゾーン金利の扱いは再び大きな問題として取り上げられることになる。

成立後の法律を健全に成長させた弁護士たち
 ともあれ、こうして1983年4月にようやく貸金業規制法が成立し、施行は同年11月からとされた。制定から施行までの半年余りの間に、大蔵省は規制法に関連する政省令を策定しなければならない。

 その政省令案について、日弁連に事前の内示と意見の照会があった。大阪から呼び出されたサラ金問題研究会の木村達也たちは、東京のホテルに泊まり込んで内示された政省令を何回も検討し、貸金業者の債権取立規制をはじめ、詳細な規定を追加した。貸金業規制法に命を吹き込む政省令の検討過程で、木村たちは「この法律は私達が作ったのだ」という自負の念を強めたという。

 さらに、貸金業規制法成立後も、木村たちは解説書を出版して各地で学習会を開催し、貸金業者の違法行為に対して厳しい告発運動を展開した。木村は、「成立後の法律を健全に成長させたのも私達だった」と語っている。貸金業規制法の成立・運用の両面で、被害者の運動とそれを支える弁護士たちの経験と手腕が果たした役割は、確かに極めて大きかった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%80%9F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E8%BF%94%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%8C%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%82%B5%E5%8B%99%E8%80%85%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A-%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E5%8A%9F%E7%B8%BE%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1eVJVk
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html#c5

[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
62. 中川隆[-6382] koaQ7Jey 2021年3月25日 07:18:07 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[10]
“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム”
小島 庸平 2021/03/25


 創業者一族は高額納税者番付に名を連ね、法人所得ランキングの上位にも毎年のようにランクインしていたサラ金各社。一方で利用者はしばしば深刻な多重債務に陥り、破産や自殺に追い込まれる人も少なくなかった。1983年の貸金業規制法制定によって、厳しい督促は制限されるようになったが、債権を回収しようとするサラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を実施。過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで続いた……。果たしてサラ金業者はどのような方法で取り立てを行っていたのだろう。

 東京大学大学院経済学研究科で准教授を務める小島庸平氏の著書『 サラ金の歴史 』を引用し、苛烈な取り立てを行っていたサラ金、消費者金融の知られざる内実を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

男女間の役割分担
 サラ金の有人店舗には、原則として男女がそれぞれ最低一人は配属された。窓口での対応や、一回目の延滞を起こした顧客に対する連絡は男女問わず担当したが、基本的には女性が営業、男性が債権回収というように、男女の分業がはっきりしていた。業界内で女性支店長はめずらしくなかったものの、最大手の武富士では、回収は基本的に男性社員の仕事であり、回収できなければ支店長にはなれないという暗黙の了解があったという( 中川 2006 )。

  小田(2006) は、こうした男女間の性別役割分業の理由を、客には男性が多いので女性の甘い声で営業をかけた方が成績が上がり、反対に債権回収は男性でないとなめられるうえ、客の暴力などの危険があるからだと説明している。

 貸金業者は、「貸すときの地蔵顔、返すときの閻魔顔」などと言われることがある。サラ金では、女性に地蔵顔、男性に閻魔顔を割り振ることで、店舗の運営が円滑になるよう工夫していた。貸し付ける時には顧客の自尊心を尊重して丁寧な接客を心がけ、反対に回収の際には軽く思われないよう力強い態度で返済を要求する。サラ金における男女間の分業は、女性社員を債務者の予期しない行動から隔離する配慮と同時に、顧客(特に男性)の感情を自社に都合よくコントロールしようという意図に基づいていた。

顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて行う回収
 顧客の感情に働きかけるサービス業に独特な労働のあり方は、「感情労働」と呼ばれる。漫画『闇金ウシジマくん』を社会学の視点から丹念に読み解いた 難波(2013) は、「感情労働」という言葉を生んだ ホックシールド(1982=2000) が、集金業務を感情労働の一つとして挙げていることに着目している。

 肉体労働者が肉体で稼ぎ、頭脳労働者がアイデアや専門知識を売っているように、感情労働者は自らの感情をコントロールし、顧客の感情を雇主に有利なように誘導することで賃金を得る。営業スマイルを浮かべ、航空機内で「真心」のこもったサービスを提供するキャビン・アテンダント(CA)は、典型的な感情労働者である。

 ホックシールドによれば、CAだけでなく、顧客の未払い代金を回収する航空会社の集金人も感情労働に従事していた。集金人は、必要に応じて怒りや苛立ちを露わにし、料金を滞納する顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて回収を行うからである。

 サラ金の社員もまた、航空会社の集金人に類似した業務に従事しており、ホックシールドの言う感情労働者とみなせる。以下では、サラ金やクレジットカード会社などの消費者金融に特有な感情労働である債権回収に注目して、その実態に迫ってみたい。

感情労働としての債権回収
 現在、一般の消費者に対する債権回収には厳しい規制が加えられている。1983年に制定された貸金業規制法によって、債務者に返済を督促できる時間帯の制限や、「威迫」の禁止などが明確化され、その後も段階的に規制が強化された。1990年代のプロミスで「資金回収の神様」と呼ばれたある幹部は、顧客の心を巧みに開かせ、個人的な信頼関係を構築して金を取り立てることに長けていたという( 岩田 1996 )。

 しかし、こうしたマイルドな取り立ての一方で、脅迫的に支払いを求めることも珍しくなかった。サラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を加えており、過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで止むことはなかった。

 感情労働としての債権回収について生々しい証言を残しているのが、元中堅サラ金業者の室井忠道である。 室井・岸川(2003) によれば、債権回収の際には、延滞している債務者に「効率よく怖がって貰う」ことが必要だった。一日に何軒も回収に行くのだから、四六時中怒鳴っていては声が嗄れてしまう。そのため、服装は「おっかなそうな格好」でなければならない。「我々の取立の時は、アメ横で買ってきた特攻服を若いヤツに着せたり、ダークスーツで行ってたけど、いまのヤミ金の連中もそういうドスを利かせる感じでしょう。作業着やジャージじゃ怖がらないから」。恐怖という感情を掻き立てる強面の回収スタイルは、大手の消費者金融も大同小異だったと室井は述べている。

債務者の恐怖心を煽るための細々とした工夫
 加えて、室井の店舗では、回収を行う別室のテーブルとして特に幅の狭いものを選んで置いていた。顧客と顔が接近している方がプレッシャーをかけられ、取り立てや交渉で有利になるからである。債務者の精神を効率的に圧迫し、恐怖心を煽るための細々とした工夫は、回収業務の過程に様々な形でちりばめられており、そうした工夫が債権回収の成績を上げるうえで不可欠だった。

 債権回収の担当者が感情をコントロールする対象は、債務者本人だけに留まらず、時に債務者の家族にも及んだ。法律的には、浪費的な使途のために借りた金は、債務者本人以外に返済の義務はない。1983年に制定された貸金業規制法では、家族を含む第三者への支払い要求が明確に禁止されている。

違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウ
 にもかかわらず、同法制定後も某サラ金は勉強会を開き、債務者の家族に入金を説得するロールプレイング研修を行っていた( ほのぼの 2003 )。講師となる上司が夜逃げした債務者の父親を演じ、回収役の社員は代理返済に応じるよう働きかけるのである。

 社員の間では「学芸会」などと揶揄されていたが、父親役の上司は豊富な債権回収の経験を持っており、役作りは真に迫っていた。研修では、入金を説得する際には「返済しろ」とは決して言わず、「協力」を「お願い」するという形で、貸金業規制法違反を免れようとしていた。本来は違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウが、研修の場で議論され、共有されていた。

 さらに、親だけでなく子どもに対して督促を行うこともあり、サラ金業者が小学校宛てに支払催告書を送りつけて問題化したこともあった(『朝日』1983年6月18日付朝刊)。督促を受けて恐怖を感じた子どもが、夜尿や自傷行為を起こした例も報告されている(武富士被害対策全国会議2003)。1999年に大手サラ金に入社した 金太(2003) は、子どもを利用した債権回収の方法を、やや冗談めかして次のように紹介している。

 延滞している債務者に電話で督促していると、支払いを引き伸ばすために子どもに受話器を取らせ、「親はいません」などと居留守を使われることがある。そんな時には、子どもに向かって「僕、アンパンマンだけど……」と名乗るのがよい。子どもは「ホントに?」と食いついてくるから、今度家に行くからね、などと言って丸め込めば、親に電話を代わってくれる。結果的に親が電話口でアンパンマンにペコペコ謝ることになるので、子どもの夢を壊してしまうが、やむをえない。小学生になると疑われるから、あくまでも対象年齢は5〜6歳くらいまで。年末ならば、アンパンマンはサンタクロースに置き換えてもよい。

 債務者本人だけでなく、家族の感情をもコントロールしながら債権回収を行う手立ては、しばしば面白おかしく話題にされ、共有された。小手先の小細工も含めた工夫の積み重ねによって、サラ金の回収技術は徐々に進化し、債務者をさらに追い込んでいく。「パパ/ママはどうしてアンパンマンに謝ってたの?」などと子どもに聞かれた債務者が抱くであろう屈辱感とやり切れなさは、察するに余りある。時に家族も巻き込みながら、債務者本人に精神的打撃を与えることが、債権回収を効率的に進めるうえでは有効であり、必要だった。

(中略)

職務の「脱人格化」と自己責任論
 債権回収に伴う精神的負荷を軽減する方法は、感情労働の金融技術というべきものだった。たとえば、元アイフル社員の笠虎崇にとって、入社当初は債権回収ほど嫌な仕事はなかった。その嫌悪感を払拭する上で、上司から受けた次のような助言が有効だったという。

「いいか、殺人犯や凶悪犯の役をやる役者が、素の自分でやっていたら罪悪感にさいなまれて嫌になっちゃうだろう。取り立ても同じ。素の自分で取り立てしていたら嫌になるのは当たり前。ドラマだと思って、こわもての取り立て役になったつもりで演技するんだよ。そうすれば、舞台(仕事)の上でどんなにえぐい取り立てやっても、その舞台が終われば、そこで起こったこととは関係のない、自分に戻れる。仕事とプライベートをしっかり分けてやれば、取り立てで辛い思いはしなくなるぞ」( 笠虎 2006 )

 取り立て役を演じる「役者」になりきることで、仕事とプライベートを切り分ける。これは、ホックシールドがdepersonalization(「脱個人化」あるいは「脱人格化」)と呼んだ対応である。取り立て役を「演じる」ことで、業務から本来の自己の人格を分離し、債権回収につきまとう罪悪感を受け流すのである。

「脱人格化」は心身を病む
 こうした職務の「脱人格化」は、自分を偽ることになるため、しばしば労働者本人の自尊心を傷つける。ホックシールドは、「脱人格化」を行う感情労働者は、やがて自分を偽ることに嫌気が差し、最終的には燃え尽きる可能性が高くなると指摘している。

 この指摘は、確かに一面では正しい。就職氷河期にカード会社に入社した榎本まみは、「脱人格化」に成功しているように見える練達の社員でも、心身を病んで退職する者は少なくなく、それはまるで「人の消費や使い捨てのような労働だった」と述べている( 榎本 2012 )。

 だが、「脱人格化」が感情労働者を燃え尽きさせるというホックシールドの見立てに対しては、 鈴木(2012) が的確に整理しているように、多くの批判が寄せられている。実際、サラ金の感情労働者が、職務の「脱人格化」によってむしろ精神的な負荷を軽減し、自尊心を守ろうとしていたという証言は、数多く残されている。

債権回収は「ゲーム」
 その一つが、債権回収をある種のゲームとみなす方法である。某サラ金の元社員は、「相手の債務状況や家族関係、営業店の交渉履歴などのデータを駆使して、いかに回収できるかを考え、追い込む。まさにゲームだった」と述べている(『朝日』2006年9月19日付朝刊)。債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は「勝負」の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば「勝ち」だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた。典型的な職務の「脱人格化」である。

 加えて、債権回収に伴う心理的負荷を軽減するもう一つの方法が、自己責任論の内面化だった。サラ金社員は、延滞する債務者を自業自得だと割り切り、徹底的に追い詰めたのである。元大手サラ金のある社員は、次のように振り返っている。

「当時の上司の口癖は、「悪いのは客。どんなことを言っても許されるんだ」と。しょせんは電話での督促ですから、何を言おうが、どんな悪態をつこうが気楽なんです。だんだん相手を攻めたてる面白味にも目覚めちゃって、こいつら人生の負け組なんだと……。責任転嫁もいいところですけど、当時の私はほんとにそう思っていました。」( 須田 2006 )

 債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすれば、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられた。債務者に対する共感や同情を意識的に断ち切り、債権回収業務を円滑に進めるうえで、自己責任論の内面化は有効だった。だからこそ、上司は部下に向かって「悪いのは客。どんなことを言っても許される」と口癖のように繰り返したのだろう。

 こうした自己責任論の内面化や、職務の「脱個人化」が、感情労働に従事する人びとの心理的な負担の軽減に貢献したことは間違いない。自業自得の客になら「どんなことを言っても許される」と信じ、取り立ては「演技」や「ゲーム」にすぎないと自分を納得させれば、債権回収に伴う精神的な負荷を、少なくとも短期的には軽減できた。顧客の追い込みに付随する心理的な葛藤を回避し、自尊心を守るための方策が、職場の上司と部下、先輩と後輩という感情労働の重層的な構造の中で伝承されていた。

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは へ続く

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは
小島 庸平 2021/03/25

“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム” から続く

「サラ金」は、利息制限法で定められた金利を超過したグレーゾーン金利で貸し付けを行っており、借金返済に苦しむ膨大な数の被害者を生み出した。そうした借金苦に悩まされる人たちの窮状を解決すべく、結成されたのが「サラ金問題研究会」だ。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが開始した社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となった。

 ここでは、東京大学大学院経済学研究科准教授の小島庸平氏が「サラ金」にまつわる約110年間の歴史を紐解いた一冊『 サラ金の歴史 』(中公新書)を引用。サラ金規制強化のきっかけになった社会運動のあらましを紹介する。


◆◆◆

「サラ金被害者の会」結成
「いくら苦しくても、死ぬのはやめてともに助け合い、サラ金地獄から抜け出そう」

 そう呼びかけて「サラ金被害者の会」(以下、「被害者の会」と略)が結成されたのは、1977年10月のことだった。組織づくりを主導したのは、同年5月に大阪で15名の若手弁護士が結成した「サラ金問題研究会」である。この研究会の目的は、サラ金に対する法規制を議論し、被害者の救済方法を検討することだった。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが起こした社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となる。

 弁護士の木村達也の回想によると、被害者の会が結成された経緯は、次のようなものだった。

 1977年5月、サラ金苦の相談が増えていることに気づいた大阪の若手弁護士たちが、解決法を探るために「サラ金問題研究会」を結成した。同年6月にメディアで好意的に紹介されると、全国から相談が殺到する。中でも研究会の呼びかけ人だった木村は、相次ぐ取材や相談者への対応に忙殺された。見かねた先輩弁護士の中村康彦は、木村に「被害者の会」を組織するよう助言している。

 中村は、公害訴訟の分野で多くの経験を積んでおり、被害者を組織することの重要性を知る人物だった。さらに、森永ヒ素ミルク中毒事件で名を挙げた中坊公平も、1977年に大阪弁護士会の公害委員会から消費者保護委員会を独立させて委員長となり、78年には木村を同委員に選任した。1960年代後半以降、四大公害病や食品汚染問題が次々と訴訟に発展しており、そこで蓄積された弁護士たちの経験と組織が、サラ金問題でも活かされていた。そんな経緯もあって、サラ金問題は「第二の公害」とも呼ばれた。


 中村の助言を受けた木村は、さっそく「被害者の会」の組織化に動き出した。しかし、日々返済に追われ、昼も夜も懸命に働いている人びとの中から、運動の核になってくれそうな候補者を探すのは難しかった。

借金返済に苦しむ仲間が結束
 ある夜、木村は、協力してくれそうな相談者たちを会議室に集め、被害者の会の必要性を説いた。しかし、彼らに「被害者」の意識は少なく、反応も発言もほとんどない。そこで、木村は自己紹介を兼ねて全員に厳しい取り立ての体験を話してもらうことにした。すると、次々に発言が続き、参加者の緊張感と警戒心が一気に薄れ、仲間意識が芽生えた。後に、木村は、「サラ金被害者は孤独と不安の中で悩み苦しんでも人に相談できず、一人耐え続けていたのだ。借金返済に苦しむ同じ仲間を見出して安心し、結束したのだ」と振り返っている。

 木村らの努力の結果、1977年10月24日に全国で初めて被害者の会が大阪で結成された。記者会見には新聞社やテレビ局の記者が数多く集まり、マスコミの「サラ金地獄」報道はさらに加熱していった。

若く勢いのある弁護士を引きつけたサラ金問題
 この時、被害者の会の初代会長職を引き受けたのが、当時50代の男性Mだった。Mは、多重債務者としてサラ金からの厳しい取り立てを受け、親子四人で心中しようと夜の街をさ迷ったことがあった。空腹に耐えかねて一本のコーラを買い、公園の水で薄めて分け合って飲み、そのうまさから心中を思いとどまったという経験の持ち主である( 江波戸 1984 )。

 余談だが、サラ金被害者の救済に奔走した弁護士の木村晋介は、上の内容とはやや異なるM会長の経験談を聞いて衝撃を受け、サラ金問題に関わるようになったと振り返っている( 木村 1990 )。こちらの木村弁護士は、椎名誠の自伝的小説『哀愁の町に霧が降るのだ』に登場する木村晋介、「怪しい探検隊」や「東日本何でもケトばす会(東ケト会)」のメンバーである。

 この時期のサラ金問題は、メディアで盛んに報道されたこともあり、若く勢いのある弁護士を多数引きつけていた。後に日弁連会長となる宇都宮健児も、多重債務者に関わる案件を引き受けることで事務所独立の契機をつかんだ。北海道釧路市の今瞭美のように、地方に波及したサラ金問題の実態を鋭く告発し、武富士から「天敵」( 中川 2006 )と恐れられた弁護士もいた。皮肉にも、サラ金業界は、被害者を増やしすぎたがゆえに借金問題を扱う弁護士に安定した収入を与え、被害者運動を継続して支援することを可能にしたのである( 上川 2012 )。

被害者の会に対し、世間の目は冷たかった
 話を被害者の会に戻そう。Mが会長職を引き受けることでようやく組織された被害者の会に対し、世間の目は冷たかった。多くの消費者団体は「借りたものを返さない方が悪い」と関心を示さず、一般からの寄付もごくわずかしか集まらなかった。登録会員は一年足らずの間に800名を超えたが、自身の問題が片付けば会に寄り付かなくなるか、サラ金に追い詰められて活動どころではなくなってしまった。逆境の中でもM会長はくじけず、「夫や妻、兄弟がサラ金禍にひそかにあえいでいるかもしれないんですよ。他人事じゃないんだ」と、熱心に活動に取り組んでいた。

 被害者の会の運営に意欲を燃やすMは、自宅の電話番号を公開して相談者からの電話に連日対応し、優しい言葉をかけ続けた。しかし、会結成から3ヵ月が経つ頃、Mは心身に不調をきたしてしまった。「どの相談も暗く重く悲しいものであったから、その精神的苦しみから逃れられない」と言うのである。さらにその3ヵ月後、Mが被害者から預かった返済金約800万円の使い込みが発覚した。「酒を飲まずにはいられなかった」というのが、Mの釈明だった。

 被害者の会は、横領したMを自首させることに決めたものの、この経緯が某新聞にすっぱ抜かれ、運動は一時苦境に陥った。精神的にも経済的にも深い傷を負った当事者たちが被害者運動に従事するのは、決して容易ではなかった。

 それでも、1983年までに全国で21の被害者組織が結成され、運動は着実に全国へ広げられた。恐怖心や罪悪感を煽られた多重債務者たちが業者に毅然と立ち向かうには、法律的知識を身につけるだけでは不十分で、弁護士や被害者の会といった背後の「味方」が必要だった( 大山 2002 )。サラ金禍に苦しむ人びとの声は、有能な弁護士たちや自助グループの支援もあって、徐々に大きくなっていった。

破産件数の急増
 追い込まれても返す金のない多重債務者が、自殺や夜逃げ以外の方法で問題を解決しようとすれば、最後に残された手段は自己破産である。その方法を確立したのが、被害者の会と、それを支援する弁護士たちだった。

 1952年から70年代までの破産事件数は、おおよそ年間2000件前後で推移していた。しかし、1984年には2万6385件へと急増し、このうち貸金業関係の比率は、初めて数値の得られる85年には67.1%と、3分の2以上を占めた。

 1983年6月18日付の『朝日新聞』朝刊は、「自殺、心中や夜逃げよりは、なけなしの財産を投げ出しても自己破産の宣告を受けた方が――。サラ金の返済に困り、ぎりぎりのがけっぷちに立たされて、裁判所に自ら破産を申し立てる人が急増」と報じている。貸金業規制法が制定される前後の時期から、多重債務によって破産を余儀なくされた人びとの存在が明らかになりつつあり、サラ金の引き起こした社会問題として大きな注目を集めていた。

 こうした破産件数の増大は、多重債務者の深刻な状況を一面では反映していた。しかし、そこから債務者の悲惨な状況のみを読み取るのは正確ではない。破産件数の増大は、苦境にある多重債務者たちが、過剰な債務の支払いを回避するべく積極的に抵抗を試みたことの反映でもあった。

破産宣告を受ける予納金「5万円」も払えない
 1980年当時、サラ金問題研究会に集まっていた弁護士たちは、利息制限法を活用して元本を減額する調停申立や任意整理には限界があり、最後の救済手段は自己破産しかないと判断していた。しかし、この頃はまだ自己破産は一般的ではなく、破産宣告を受けるには最低5万円、ときに50万円もの高額の予納金を裁判所から請求された。サラ金問題研究会の弁護士たちは、まずこの予納金の減額を求めていくつかの訴訟を起こしている。5万円も払えないような多重債務者が、相談者の大多数だったからである。

 次いで、1982年10月には、サラ金問題研究会が編者となって小冊子『自分でできる破産』を発行した。同書は一般書店では流通しなかったにもかかわらず約2万冊も売れ、自己破産件数増加の最初の呼び水となった。

 この間の動きに深く関わっていた木村達也は、「破産・免責手続きを認めなければ、多重債務者は自殺か犯罪に走るしかない。消費者信用に多重債務、返済不能者の発生は不可避であり、破産・免責手続こそ消費者信用の安全弁である」と訴え続けていた。

 その甲斐もあって、破産宣告をまるで「死の宣告」かのように考える誤解が徐々に解け、中には『自分でできる破産』を持って法律事務所に駆け込んでくる人も現れた。弁護士たちの粘り強い努力により、破産はサラ金問題の有力な解決策となったのである。破産件数の増加は、弁護士たちの熱意と、多重債務者たちが過去の失敗を乗り越え、人生の再出発に踏み出そうとした苦闘の結果でもあった。

貸金業規制法の立法過程
 だが、木村たちは、自ら利用の道筋をつけた破産申立も、結局は事後的な対症療法に過ぎないと自覚していた。本質的には、サラ金をはじめとする貸金業に適切な規制を加え、高利の多重債務に苦しむ人びとをこれ以上生み出さないような立法措置が不可欠だった。

 利息制限法と出資法の関係を整理し、上限利率を引き直す作業は困難を極めた。業界・被害者・与野党・政府の利害が複雑に絡み合う中で、上限金利については容易に意見がまとまらず、7年近い歳月をかけて1983年にようやく貸金業規制法が制定された。貸金業規制法が制定されるまでの道のりは、長く困難に満ちたものだった。

 1979年に政府が法案作成を断念した後、与野党や業界・日弁連から提出された貸金業規制法案は、過剰取り立てや過剰融資に規制を加える点では一致していた。しかし、上限金利の扱いについては鋭く意見が対立しており、この不一致が法案成立に多くの時間を要した最大の原因だった。

「不当利得」とされたグレーゾーン金利が合法化
 利息制限法と出資法の間のグレーゾーン金利については、最高裁が1968年に「不当利得」と判示していた。にもかかわらず、規制法案の検討過程では問題が蒸し返された。業界と与党がグレーゾーン金利の合法化を求め、これに反対する野党・運動側と真っ向から対立したのである。結局、各党と運動側、業界の間で議論はいつまで経ってもまとまらず、最終的には大蔵省が間に入って法案を成立させている。

 こうして1983年に国会を通過した貸金業規制法では、上限金利は109.5%から40.004%へと半分以下に引き下げられた。業界の利害を重視する自民党は上限利率54.76%を求めていたから、野党や運動側の主張を認め、業界に一定の譲歩を求める判断だった。

 その一方で、たとえ利息制限法違反のグレーゾーン金利であっても、債務者が任意に支払い、法令で定める書面が提出されていれば、有効な弁済とみなされることになった。いわゆる「みなし弁済」条項である。1968年の最高裁判決で「不当利得」とされたグレーゾーン金利が、貸金業規制法のみなし弁済条項によって合法化されたのである。

 被害者の会や弁護士たちは、当然ながら「貸金業界寄りの法案で賛成できない」とすぐさま反対の意見を表明した。しかし、木村達也は成立した規制法を見て、腹の中で密かに「やった!」と快哉を叫んだという。約7年にもわたって繰り返し法案が流れたこともあり、上限金利40%が引き下げの限界と考えていたからである。当時の情勢は、それほどまでに厳しいものだったのだろう。

 だが、みなし金利条項は後日に禍根を残した。2006年の貸金業規制法改正の際、グレーゾーン金利の扱いは再び大きな問題として取り上げられることになる。

成立後の法律を健全に成長させた弁護士たち
 ともあれ、こうして1983年4月にようやく貸金業規制法が成立し、施行は同年11月からとされた。制定から施行までの半年余りの間に、大蔵省は規制法に関連する政省令を策定しなければならない。

 その政省令案について、日弁連に事前の内示と意見の照会があった。大阪から呼び出されたサラ金問題研究会の木村達也たちは、東京のホテルに泊まり込んで内示された政省令を何回も検討し、貸金業者の債権取立規制をはじめ、詳細な規定を追加した。貸金業規制法に命を吹き込む政省令の検討過程で、木村たちは「この法律は私達が作ったのだ」という自負の念を強めたという。

 さらに、貸金業規制法成立後も、木村たちは解説書を出版して各地で学習会を開催し、貸金業者の違法行為に対して厳しい告発運動を展開した。木村は、「成立後の法律を健全に成長させたのも私達だった」と語っている。貸金業規制法の成立・運用の両面で、被害者の運動とそれを支える弁護士たちの経験と手腕が果たした役割は、確かに極めて大きかった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%80%9F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E8%BF%94%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%8C%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%82%B5%E5%8B%99%E8%80%85%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A-%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E5%8A%9F%E7%B8%BE%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1eVJVk
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c62

[リバイバル3] 投資損失でも自己破産はできる 常識は嘘だらけ 中川隆
5. 中川隆[-6381] koaQ7Jey 2021年3月25日 07:18:27 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[11]
“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム”
小島 庸平 2021/03/25


 創業者一族は高額納税者番付に名を連ね、法人所得ランキングの上位にも毎年のようにランクインしていたサラ金各社。一方で利用者はしばしば深刻な多重債務に陥り、破産や自殺に追い込まれる人も少なくなかった。1983年の貸金業規制法制定によって、厳しい督促は制限されるようになったが、債権を回収しようとするサラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を実施。過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで続いた……。果たしてサラ金業者はどのような方法で取り立てを行っていたのだろう。

 東京大学大学院経済学研究科で准教授を務める小島庸平氏の著書『 サラ金の歴史 』を引用し、苛烈な取り立てを行っていたサラ金、消費者金融の知られざる内実を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

男女間の役割分担
 サラ金の有人店舗には、原則として男女がそれぞれ最低一人は配属された。窓口での対応や、一回目の延滞を起こした顧客に対する連絡は男女問わず担当したが、基本的には女性が営業、男性が債権回収というように、男女の分業がはっきりしていた。業界内で女性支店長はめずらしくなかったものの、最大手の武富士では、回収は基本的に男性社員の仕事であり、回収できなければ支店長にはなれないという暗黙の了解があったという( 中川 2006 )。

  小田(2006) は、こうした男女間の性別役割分業の理由を、客には男性が多いので女性の甘い声で営業をかけた方が成績が上がり、反対に債権回収は男性でないとなめられるうえ、客の暴力などの危険があるからだと説明している。

 貸金業者は、「貸すときの地蔵顔、返すときの閻魔顔」などと言われることがある。サラ金では、女性に地蔵顔、男性に閻魔顔を割り振ることで、店舗の運営が円滑になるよう工夫していた。貸し付ける時には顧客の自尊心を尊重して丁寧な接客を心がけ、反対に回収の際には軽く思われないよう力強い態度で返済を要求する。サラ金における男女間の分業は、女性社員を債務者の予期しない行動から隔離する配慮と同時に、顧客(特に男性)の感情を自社に都合よくコントロールしようという意図に基づいていた。

顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて行う回収
 顧客の感情に働きかけるサービス業に独特な労働のあり方は、「感情労働」と呼ばれる。漫画『闇金ウシジマくん』を社会学の視点から丹念に読み解いた 難波(2013) は、「感情労働」という言葉を生んだ ホックシールド(1982=2000) が、集金業務を感情労働の一つとして挙げていることに着目している。

 肉体労働者が肉体で稼ぎ、頭脳労働者がアイデアや専門知識を売っているように、感情労働者は自らの感情をコントロールし、顧客の感情を雇主に有利なように誘導することで賃金を得る。営業スマイルを浮かべ、航空機内で「真心」のこもったサービスを提供するキャビン・アテンダント(CA)は、典型的な感情労働者である。

 ホックシールドによれば、CAだけでなく、顧客の未払い代金を回収する航空会社の集金人も感情労働に従事していた。集金人は、必要に応じて怒りや苛立ちを露わにし、料金を滞納する顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて回収を行うからである。

 サラ金の社員もまた、航空会社の集金人に類似した業務に従事しており、ホックシールドの言う感情労働者とみなせる。以下では、サラ金やクレジットカード会社などの消費者金融に特有な感情労働である債権回収に注目して、その実態に迫ってみたい。

感情労働としての債権回収
 現在、一般の消費者に対する債権回収には厳しい規制が加えられている。1983年に制定された貸金業規制法によって、債務者に返済を督促できる時間帯の制限や、「威迫」の禁止などが明確化され、その後も段階的に規制が強化された。1990年代のプロミスで「資金回収の神様」と呼ばれたある幹部は、顧客の心を巧みに開かせ、個人的な信頼関係を構築して金を取り立てることに長けていたという( 岩田 1996 )。

 しかし、こうしたマイルドな取り立ての一方で、脅迫的に支払いを求めることも珍しくなかった。サラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を加えており、過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで止むことはなかった。

 感情労働としての債権回収について生々しい証言を残しているのが、元中堅サラ金業者の室井忠道である。 室井・岸川(2003) によれば、債権回収の際には、延滞している債務者に「効率よく怖がって貰う」ことが必要だった。一日に何軒も回収に行くのだから、四六時中怒鳴っていては声が嗄れてしまう。そのため、服装は「おっかなそうな格好」でなければならない。「我々の取立の時は、アメ横で買ってきた特攻服を若いヤツに着せたり、ダークスーツで行ってたけど、いまのヤミ金の連中もそういうドスを利かせる感じでしょう。作業着やジャージじゃ怖がらないから」。恐怖という感情を掻き立てる強面の回収スタイルは、大手の消費者金融も大同小異だったと室井は述べている。

債務者の恐怖心を煽るための細々とした工夫
 加えて、室井の店舗では、回収を行う別室のテーブルとして特に幅の狭いものを選んで置いていた。顧客と顔が接近している方がプレッシャーをかけられ、取り立てや交渉で有利になるからである。債務者の精神を効率的に圧迫し、恐怖心を煽るための細々とした工夫は、回収業務の過程に様々な形でちりばめられており、そうした工夫が債権回収の成績を上げるうえで不可欠だった。

 債権回収の担当者が感情をコントロールする対象は、債務者本人だけに留まらず、時に債務者の家族にも及んだ。法律的には、浪費的な使途のために借りた金は、債務者本人以外に返済の義務はない。1983年に制定された貸金業規制法では、家族を含む第三者への支払い要求が明確に禁止されている。

違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウ
 にもかかわらず、同法制定後も某サラ金は勉強会を開き、債務者の家族に入金を説得するロールプレイング研修を行っていた( ほのぼの 2003 )。講師となる上司が夜逃げした債務者の父親を演じ、回収役の社員は代理返済に応じるよう働きかけるのである。

 社員の間では「学芸会」などと揶揄されていたが、父親役の上司は豊富な債権回収の経験を持っており、役作りは真に迫っていた。研修では、入金を説得する際には「返済しろ」とは決して言わず、「協力」を「お願い」するという形で、貸金業規制法違反を免れようとしていた。本来は違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウが、研修の場で議論され、共有されていた。

 さらに、親だけでなく子どもに対して督促を行うこともあり、サラ金業者が小学校宛てに支払催告書を送りつけて問題化したこともあった(『朝日』1983年6月18日付朝刊)。督促を受けて恐怖を感じた子どもが、夜尿や自傷行為を起こした例も報告されている(武富士被害対策全国会議2003)。1999年に大手サラ金に入社した 金太(2003) は、子どもを利用した債権回収の方法を、やや冗談めかして次のように紹介している。

 延滞している債務者に電話で督促していると、支払いを引き伸ばすために子どもに受話器を取らせ、「親はいません」などと居留守を使われることがある。そんな時には、子どもに向かって「僕、アンパンマンだけど……」と名乗るのがよい。子どもは「ホントに?」と食いついてくるから、今度家に行くからね、などと言って丸め込めば、親に電話を代わってくれる。結果的に親が電話口でアンパンマンにペコペコ謝ることになるので、子どもの夢を壊してしまうが、やむをえない。小学生になると疑われるから、あくまでも対象年齢は5〜6歳くらいまで。年末ならば、アンパンマンはサンタクロースに置き換えてもよい。

 債務者本人だけでなく、家族の感情をもコントロールしながら債権回収を行う手立ては、しばしば面白おかしく話題にされ、共有された。小手先の小細工も含めた工夫の積み重ねによって、サラ金の回収技術は徐々に進化し、債務者をさらに追い込んでいく。「パパ/ママはどうしてアンパンマンに謝ってたの?」などと子どもに聞かれた債務者が抱くであろう屈辱感とやり切れなさは、察するに余りある。時に家族も巻き込みながら、債務者本人に精神的打撃を与えることが、債権回収を効率的に進めるうえでは有効であり、必要だった。

(中略)

職務の「脱人格化」と自己責任論
 債権回収に伴う精神的負荷を軽減する方法は、感情労働の金融技術というべきものだった。たとえば、元アイフル社員の笠虎崇にとって、入社当初は債権回収ほど嫌な仕事はなかった。その嫌悪感を払拭する上で、上司から受けた次のような助言が有効だったという。

「いいか、殺人犯や凶悪犯の役をやる役者が、素の自分でやっていたら罪悪感にさいなまれて嫌になっちゃうだろう。取り立ても同じ。素の自分で取り立てしていたら嫌になるのは当たり前。ドラマだと思って、こわもての取り立て役になったつもりで演技するんだよ。そうすれば、舞台(仕事)の上でどんなにえぐい取り立てやっても、その舞台が終われば、そこで起こったこととは関係のない、自分に戻れる。仕事とプライベートをしっかり分けてやれば、取り立てで辛い思いはしなくなるぞ」( 笠虎 2006 )

 取り立て役を演じる「役者」になりきることで、仕事とプライベートを切り分ける。これは、ホックシールドがdepersonalization(「脱個人化」あるいは「脱人格化」)と呼んだ対応である。取り立て役を「演じる」ことで、業務から本来の自己の人格を分離し、債権回収につきまとう罪悪感を受け流すのである。

「脱人格化」は心身を病む
 こうした職務の「脱人格化」は、自分を偽ることになるため、しばしば労働者本人の自尊心を傷つける。ホックシールドは、「脱人格化」を行う感情労働者は、やがて自分を偽ることに嫌気が差し、最終的には燃え尽きる可能性が高くなると指摘している。

 この指摘は、確かに一面では正しい。就職氷河期にカード会社に入社した榎本まみは、「脱人格化」に成功しているように見える練達の社員でも、心身を病んで退職する者は少なくなく、それはまるで「人の消費や使い捨てのような労働だった」と述べている( 榎本 2012 )。

 だが、「脱人格化」が感情労働者を燃え尽きさせるというホックシールドの見立てに対しては、 鈴木(2012) が的確に整理しているように、多くの批判が寄せられている。実際、サラ金の感情労働者が、職務の「脱人格化」によってむしろ精神的な負荷を軽減し、自尊心を守ろうとしていたという証言は、数多く残されている。

債権回収は「ゲーム」
 その一つが、債権回収をある種のゲームとみなす方法である。某サラ金の元社員は、「相手の債務状況や家族関係、営業店の交渉履歴などのデータを駆使して、いかに回収できるかを考え、追い込む。まさにゲームだった」と述べている(『朝日』2006年9月19日付朝刊)。債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は「勝負」の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば「勝ち」だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた。典型的な職務の「脱人格化」である。

 加えて、債権回収に伴う心理的負荷を軽減するもう一つの方法が、自己責任論の内面化だった。サラ金社員は、延滞する債務者を自業自得だと割り切り、徹底的に追い詰めたのである。元大手サラ金のある社員は、次のように振り返っている。

「当時の上司の口癖は、「悪いのは客。どんなことを言っても許されるんだ」と。しょせんは電話での督促ですから、何を言おうが、どんな悪態をつこうが気楽なんです。だんだん相手を攻めたてる面白味にも目覚めちゃって、こいつら人生の負け組なんだと……。責任転嫁もいいところですけど、当時の私はほんとにそう思っていました。」( 須田 2006 )

 債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすれば、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられた。債務者に対する共感や同情を意識的に断ち切り、債権回収業務を円滑に進めるうえで、自己責任論の内面化は有効だった。だからこそ、上司は部下に向かって「悪いのは客。どんなことを言っても許される」と口癖のように繰り返したのだろう。

 こうした自己責任論の内面化や、職務の「脱個人化」が、感情労働に従事する人びとの心理的な負担の軽減に貢献したことは間違いない。自業自得の客になら「どんなことを言っても許される」と信じ、取り立ては「演技」や「ゲーム」にすぎないと自分を納得させれば、債権回収に伴う精神的な負荷を、少なくとも短期的には軽減できた。顧客の追い込みに付随する心理的な葛藤を回避し、自尊心を守るための方策が、職場の上司と部下、先輩と後輩という感情労働の重層的な構造の中で伝承されていた。

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは へ続く

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは
小島 庸平 2021/03/25

“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム” から続く

「サラ金」は、利息制限法で定められた金利を超過したグレーゾーン金利で貸し付けを行っており、借金返済に苦しむ膨大な数の被害者を生み出した。そうした借金苦に悩まされる人たちの窮状を解決すべく、結成されたのが「サラ金問題研究会」だ。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが開始した社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となった。

 ここでは、東京大学大学院経済学研究科准教授の小島庸平氏が「サラ金」にまつわる約110年間の歴史を紐解いた一冊『 サラ金の歴史 』(中公新書)を引用。サラ金規制強化のきっかけになった社会運動のあらましを紹介する。


◆◆◆

「サラ金被害者の会」結成
「いくら苦しくても、死ぬのはやめてともに助け合い、サラ金地獄から抜け出そう」

 そう呼びかけて「サラ金被害者の会」(以下、「被害者の会」と略)が結成されたのは、1977年10月のことだった。組織づくりを主導したのは、同年5月に大阪で15名の若手弁護士が結成した「サラ金問題研究会」である。この研究会の目的は、サラ金に対する法規制を議論し、被害者の救済方法を検討することだった。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが起こした社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となる。

 弁護士の木村達也の回想によると、被害者の会が結成された経緯は、次のようなものだった。

 1977年5月、サラ金苦の相談が増えていることに気づいた大阪の若手弁護士たちが、解決法を探るために「サラ金問題研究会」を結成した。同年6月にメディアで好意的に紹介されると、全国から相談が殺到する。中でも研究会の呼びかけ人だった木村は、相次ぐ取材や相談者への対応に忙殺された。見かねた先輩弁護士の中村康彦は、木村に「被害者の会」を組織するよう助言している。

 中村は、公害訴訟の分野で多くの経験を積んでおり、被害者を組織することの重要性を知る人物だった。さらに、森永ヒ素ミルク中毒事件で名を挙げた中坊公平も、1977年に大阪弁護士会の公害委員会から消費者保護委員会を独立させて委員長となり、78年には木村を同委員に選任した。1960年代後半以降、四大公害病や食品汚染問題が次々と訴訟に発展しており、そこで蓄積された弁護士たちの経験と組織が、サラ金問題でも活かされていた。そんな経緯もあって、サラ金問題は「第二の公害」とも呼ばれた。


 中村の助言を受けた木村は、さっそく「被害者の会」の組織化に動き出した。しかし、日々返済に追われ、昼も夜も懸命に働いている人びとの中から、運動の核になってくれそうな候補者を探すのは難しかった。

借金返済に苦しむ仲間が結束
 ある夜、木村は、協力してくれそうな相談者たちを会議室に集め、被害者の会の必要性を説いた。しかし、彼らに「被害者」の意識は少なく、反応も発言もほとんどない。そこで、木村は自己紹介を兼ねて全員に厳しい取り立ての体験を話してもらうことにした。すると、次々に発言が続き、参加者の緊張感と警戒心が一気に薄れ、仲間意識が芽生えた。後に、木村は、「サラ金被害者は孤独と不安の中で悩み苦しんでも人に相談できず、一人耐え続けていたのだ。借金返済に苦しむ同じ仲間を見出して安心し、結束したのだ」と振り返っている。

 木村らの努力の結果、1977年10月24日に全国で初めて被害者の会が大阪で結成された。記者会見には新聞社やテレビ局の記者が数多く集まり、マスコミの「サラ金地獄」報道はさらに加熱していった。

若く勢いのある弁護士を引きつけたサラ金問題
 この時、被害者の会の初代会長職を引き受けたのが、当時50代の男性Mだった。Mは、多重債務者としてサラ金からの厳しい取り立てを受け、親子四人で心中しようと夜の街をさ迷ったことがあった。空腹に耐えかねて一本のコーラを買い、公園の水で薄めて分け合って飲み、そのうまさから心中を思いとどまったという経験の持ち主である( 江波戸 1984 )。

 余談だが、サラ金被害者の救済に奔走した弁護士の木村晋介は、上の内容とはやや異なるM会長の経験談を聞いて衝撃を受け、サラ金問題に関わるようになったと振り返っている( 木村 1990 )。こちらの木村弁護士は、椎名誠の自伝的小説『哀愁の町に霧が降るのだ』に登場する木村晋介、「怪しい探検隊」や「東日本何でもケトばす会(東ケト会)」のメンバーである。

 この時期のサラ金問題は、メディアで盛んに報道されたこともあり、若く勢いのある弁護士を多数引きつけていた。後に日弁連会長となる宇都宮健児も、多重債務者に関わる案件を引き受けることで事務所独立の契機をつかんだ。北海道釧路市の今瞭美のように、地方に波及したサラ金問題の実態を鋭く告発し、武富士から「天敵」( 中川 2006 )と恐れられた弁護士もいた。皮肉にも、サラ金業界は、被害者を増やしすぎたがゆえに借金問題を扱う弁護士に安定した収入を与え、被害者運動を継続して支援することを可能にしたのである( 上川 2012 )。

被害者の会に対し、世間の目は冷たかった
 話を被害者の会に戻そう。Mが会長職を引き受けることでようやく組織された被害者の会に対し、世間の目は冷たかった。多くの消費者団体は「借りたものを返さない方が悪い」と関心を示さず、一般からの寄付もごくわずかしか集まらなかった。登録会員は一年足らずの間に800名を超えたが、自身の問題が片付けば会に寄り付かなくなるか、サラ金に追い詰められて活動どころではなくなってしまった。逆境の中でもM会長はくじけず、「夫や妻、兄弟がサラ金禍にひそかにあえいでいるかもしれないんですよ。他人事じゃないんだ」と、熱心に活動に取り組んでいた。

 被害者の会の運営に意欲を燃やすMは、自宅の電話番号を公開して相談者からの電話に連日対応し、優しい言葉をかけ続けた。しかし、会結成から3ヵ月が経つ頃、Mは心身に不調をきたしてしまった。「どの相談も暗く重く悲しいものであったから、その精神的苦しみから逃れられない」と言うのである。さらにその3ヵ月後、Mが被害者から預かった返済金約800万円の使い込みが発覚した。「酒を飲まずにはいられなかった」というのが、Mの釈明だった。

 被害者の会は、横領したMを自首させることに決めたものの、この経緯が某新聞にすっぱ抜かれ、運動は一時苦境に陥った。精神的にも経済的にも深い傷を負った当事者たちが被害者運動に従事するのは、決して容易ではなかった。

 それでも、1983年までに全国で21の被害者組織が結成され、運動は着実に全国へ広げられた。恐怖心や罪悪感を煽られた多重債務者たちが業者に毅然と立ち向かうには、法律的知識を身につけるだけでは不十分で、弁護士や被害者の会といった背後の「味方」が必要だった( 大山 2002 )。サラ金禍に苦しむ人びとの声は、有能な弁護士たちや自助グループの支援もあって、徐々に大きくなっていった。

破産件数の急増
 追い込まれても返す金のない多重債務者が、自殺や夜逃げ以外の方法で問題を解決しようとすれば、最後に残された手段は自己破産である。その方法を確立したのが、被害者の会と、それを支援する弁護士たちだった。

 1952年から70年代までの破産事件数は、おおよそ年間2000件前後で推移していた。しかし、1984年には2万6385件へと急増し、このうち貸金業関係の比率は、初めて数値の得られる85年には67.1%と、3分の2以上を占めた。

 1983年6月18日付の『朝日新聞』朝刊は、「自殺、心中や夜逃げよりは、なけなしの財産を投げ出しても自己破産の宣告を受けた方が――。サラ金の返済に困り、ぎりぎりのがけっぷちに立たされて、裁判所に自ら破産を申し立てる人が急増」と報じている。貸金業規制法が制定される前後の時期から、多重債務によって破産を余儀なくされた人びとの存在が明らかになりつつあり、サラ金の引き起こした社会問題として大きな注目を集めていた。

 こうした破産件数の増大は、多重債務者の深刻な状況を一面では反映していた。しかし、そこから債務者の悲惨な状況のみを読み取るのは正確ではない。破産件数の増大は、苦境にある多重債務者たちが、過剰な債務の支払いを回避するべく積極的に抵抗を試みたことの反映でもあった。

破産宣告を受ける予納金「5万円」も払えない
 1980年当時、サラ金問題研究会に集まっていた弁護士たちは、利息制限法を活用して元本を減額する調停申立や任意整理には限界があり、最後の救済手段は自己破産しかないと判断していた。しかし、この頃はまだ自己破産は一般的ではなく、破産宣告を受けるには最低5万円、ときに50万円もの高額の予納金を裁判所から請求された。サラ金問題研究会の弁護士たちは、まずこの予納金の減額を求めていくつかの訴訟を起こしている。5万円も払えないような多重債務者が、相談者の大多数だったからである。

 次いで、1982年10月には、サラ金問題研究会が編者となって小冊子『自分でできる破産』を発行した。同書は一般書店では流通しなかったにもかかわらず約2万冊も売れ、自己破産件数増加の最初の呼び水となった。

 この間の動きに深く関わっていた木村達也は、「破産・免責手続きを認めなければ、多重債務者は自殺か犯罪に走るしかない。消費者信用に多重債務、返済不能者の発生は不可避であり、破産・免責手続こそ消費者信用の安全弁である」と訴え続けていた。

 その甲斐もあって、破産宣告をまるで「死の宣告」かのように考える誤解が徐々に解け、中には『自分でできる破産』を持って法律事務所に駆け込んでくる人も現れた。弁護士たちの粘り強い努力により、破産はサラ金問題の有力な解決策となったのである。破産件数の増加は、弁護士たちの熱意と、多重債務者たちが過去の失敗を乗り越え、人生の再出発に踏み出そうとした苦闘の結果でもあった。

貸金業規制法の立法過程
 だが、木村たちは、自ら利用の道筋をつけた破産申立も、結局は事後的な対症療法に過ぎないと自覚していた。本質的には、サラ金をはじめとする貸金業に適切な規制を加え、高利の多重債務に苦しむ人びとをこれ以上生み出さないような立法措置が不可欠だった。

 利息制限法と出資法の関係を整理し、上限利率を引き直す作業は困難を極めた。業界・被害者・与野党・政府の利害が複雑に絡み合う中で、上限金利については容易に意見がまとまらず、7年近い歳月をかけて1983年にようやく貸金業規制法が制定された。貸金業規制法が制定されるまでの道のりは、長く困難に満ちたものだった。

 1979年に政府が法案作成を断念した後、与野党や業界・日弁連から提出された貸金業規制法案は、過剰取り立てや過剰融資に規制を加える点では一致していた。しかし、上限金利の扱いについては鋭く意見が対立しており、この不一致が法案成立に多くの時間を要した最大の原因だった。

「不当利得」とされたグレーゾーン金利が合法化
 利息制限法と出資法の間のグレーゾーン金利については、最高裁が1968年に「不当利得」と判示していた。にもかかわらず、規制法案の検討過程では問題が蒸し返された。業界と与党がグレーゾーン金利の合法化を求め、これに反対する野党・運動側と真っ向から対立したのである。結局、各党と運動側、業界の間で議論はいつまで経ってもまとまらず、最終的には大蔵省が間に入って法案を成立させている。

 こうして1983年に国会を通過した貸金業規制法では、上限金利は109.5%から40.004%へと半分以下に引き下げられた。業界の利害を重視する自民党は上限利率54.76%を求めていたから、野党や運動側の主張を認め、業界に一定の譲歩を求める判断だった。

 その一方で、たとえ利息制限法違反のグレーゾーン金利であっても、債務者が任意に支払い、法令で定める書面が提出されていれば、有効な弁済とみなされることになった。いわゆる「みなし弁済」条項である。1968年の最高裁判決で「不当利得」とされたグレーゾーン金利が、貸金業規制法のみなし弁済条項によって合法化されたのである。

 被害者の会や弁護士たちは、当然ながら「貸金業界寄りの法案で賛成できない」とすぐさま反対の意見を表明した。しかし、木村達也は成立した規制法を見て、腹の中で密かに「やった!」と快哉を叫んだという。約7年にもわたって繰り返し法案が流れたこともあり、上限金利40%が引き下げの限界と考えていたからである。当時の情勢は、それほどまでに厳しいものだったのだろう。

 だが、みなし金利条項は後日に禍根を残した。2006年の貸金業規制法改正の際、グレーゾーン金利の扱いは再び大きな問題として取り上げられることになる。

成立後の法律を健全に成長させた弁護士たち
 ともあれ、こうして1983年4月にようやく貸金業規制法が成立し、施行は同年11月からとされた。制定から施行までの半年余りの間に、大蔵省は規制法に関連する政省令を策定しなければならない。

 その政省令案について、日弁連に事前の内示と意見の照会があった。大阪から呼び出されたサラ金問題研究会の木村達也たちは、東京のホテルに泊まり込んで内示された政省令を何回も検討し、貸金業者の債権取立規制をはじめ、詳細な規定を追加した。貸金業規制法に命を吹き込む政省令の検討過程で、木村たちは「この法律は私達が作ったのだ」という自負の念を強めたという。

 さらに、貸金業規制法成立後も、木村たちは解説書を出版して各地で学習会を開催し、貸金業者の違法行為に対して厳しい告発運動を展開した。木村は、「成立後の法律を健全に成長させたのも私達だった」と語っている。貸金業規制法の成立・運用の両面で、被害者の運動とそれを支える弁護士たちの経験と手腕が果たした役割は、確かに極めて大きかった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%80%9F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E8%BF%94%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%8C%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%82%B5%E5%8B%99%E8%80%85%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A-%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E5%8A%9F%E7%B8%BE%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1eVJVk
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1017.html#c5

[近代史3] 日本人を憎む被差別同和部落出身者 1 _ 橋下徹 中川隆
13. 中川隆[-6380] koaQ7Jey 2021年3月25日 07:19:11 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[12]
“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム”
小島 庸平 2021/03/25


 創業者一族は高額納税者番付に名を連ね、法人所得ランキングの上位にも毎年のようにランクインしていたサラ金各社。一方で利用者はしばしば深刻な多重債務に陥り、破産や自殺に追い込まれる人も少なくなかった。1983年の貸金業規制法制定によって、厳しい督促は制限されるようになったが、債権を回収しようとするサラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を実施。過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで続いた……。果たしてサラ金業者はどのような方法で取り立てを行っていたのだろう。

 東京大学大学院経済学研究科で准教授を務める小島庸平氏の著書『 サラ金の歴史 』を引用し、苛烈な取り立てを行っていたサラ金、消費者金融の知られざる内実を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

男女間の役割分担
 サラ金の有人店舗には、原則として男女がそれぞれ最低一人は配属された。窓口での対応や、一回目の延滞を起こした顧客に対する連絡は男女問わず担当したが、基本的には女性が営業、男性が債権回収というように、男女の分業がはっきりしていた。業界内で女性支店長はめずらしくなかったものの、最大手の武富士では、回収は基本的に男性社員の仕事であり、回収できなければ支店長にはなれないという暗黙の了解があったという( 中川 2006 )。

  小田(2006) は、こうした男女間の性別役割分業の理由を、客には男性が多いので女性の甘い声で営業をかけた方が成績が上がり、反対に債権回収は男性でないとなめられるうえ、客の暴力などの危険があるからだと説明している。

 貸金業者は、「貸すときの地蔵顔、返すときの閻魔顔」などと言われることがある。サラ金では、女性に地蔵顔、男性に閻魔顔を割り振ることで、店舗の運営が円滑になるよう工夫していた。貸し付ける時には顧客の自尊心を尊重して丁寧な接客を心がけ、反対に回収の際には軽く思われないよう力強い態度で返済を要求する。サラ金における男女間の分業は、女性社員を債務者の予期しない行動から隔離する配慮と同時に、顧客(特に男性)の感情を自社に都合よくコントロールしようという意図に基づいていた。

顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて行う回収
 顧客の感情に働きかけるサービス業に独特な労働のあり方は、「感情労働」と呼ばれる。漫画『闇金ウシジマくん』を社会学の視点から丹念に読み解いた 難波(2013) は、「感情労働」という言葉を生んだ ホックシールド(1982=2000) が、集金業務を感情労働の一つとして挙げていることに着目している。

 肉体労働者が肉体で稼ぎ、頭脳労働者がアイデアや専門知識を売っているように、感情労働者は自らの感情をコントロールし、顧客の感情を雇主に有利なように誘導することで賃金を得る。営業スマイルを浮かべ、航空機内で「真心」のこもったサービスを提供するキャビン・アテンダント(CA)は、典型的な感情労働者である。

 ホックシールドによれば、CAだけでなく、顧客の未払い代金を回収する航空会社の集金人も感情労働に従事していた。集金人は、必要に応じて怒りや苛立ちを露わにし、料金を滞納する顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて回収を行うからである。

 サラ金の社員もまた、航空会社の集金人に類似した業務に従事しており、ホックシールドの言う感情労働者とみなせる。以下では、サラ金やクレジットカード会社などの消費者金融に特有な感情労働である債権回収に注目して、その実態に迫ってみたい。

感情労働としての債権回収
 現在、一般の消費者に対する債権回収には厳しい規制が加えられている。1983年に制定された貸金業規制法によって、債務者に返済を督促できる時間帯の制限や、「威迫」の禁止などが明確化され、その後も段階的に規制が強化された。1990年代のプロミスで「資金回収の神様」と呼ばれたある幹部は、顧客の心を巧みに開かせ、個人的な信頼関係を構築して金を取り立てることに長けていたという( 岩田 1996 )。

 しかし、こうしたマイルドな取り立ての一方で、脅迫的に支払いを求めることも珍しくなかった。サラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を加えており、過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで止むことはなかった。

 感情労働としての債権回収について生々しい証言を残しているのが、元中堅サラ金業者の室井忠道である。 室井・岸川(2003) によれば、債権回収の際には、延滞している債務者に「効率よく怖がって貰う」ことが必要だった。一日に何軒も回収に行くのだから、四六時中怒鳴っていては声が嗄れてしまう。そのため、服装は「おっかなそうな格好」でなければならない。「我々の取立の時は、アメ横で買ってきた特攻服を若いヤツに着せたり、ダークスーツで行ってたけど、いまのヤミ金の連中もそういうドスを利かせる感じでしょう。作業着やジャージじゃ怖がらないから」。恐怖という感情を掻き立てる強面の回収スタイルは、大手の消費者金融も大同小異だったと室井は述べている。

債務者の恐怖心を煽るための細々とした工夫
 加えて、室井の店舗では、回収を行う別室のテーブルとして特に幅の狭いものを選んで置いていた。顧客と顔が接近している方がプレッシャーをかけられ、取り立てや交渉で有利になるからである。債務者の精神を効率的に圧迫し、恐怖心を煽るための細々とした工夫は、回収業務の過程に様々な形でちりばめられており、そうした工夫が債権回収の成績を上げるうえで不可欠だった。

 債権回収の担当者が感情をコントロールする対象は、債務者本人だけに留まらず、時に債務者の家族にも及んだ。法律的には、浪費的な使途のために借りた金は、債務者本人以外に返済の義務はない。1983年に制定された貸金業規制法では、家族を含む第三者への支払い要求が明確に禁止されている。

違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウ
 にもかかわらず、同法制定後も某サラ金は勉強会を開き、債務者の家族に入金を説得するロールプレイング研修を行っていた( ほのぼの 2003 )。講師となる上司が夜逃げした債務者の父親を演じ、回収役の社員は代理返済に応じるよう働きかけるのである。

 社員の間では「学芸会」などと揶揄されていたが、父親役の上司は豊富な債権回収の経験を持っており、役作りは真に迫っていた。研修では、入金を説得する際には「返済しろ」とは決して言わず、「協力」を「お願い」するという形で、貸金業規制法違反を免れようとしていた。本来は違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウが、研修の場で議論され、共有されていた。

 さらに、親だけでなく子どもに対して督促を行うこともあり、サラ金業者が小学校宛てに支払催告書を送りつけて問題化したこともあった(『朝日』1983年6月18日付朝刊)。督促を受けて恐怖を感じた子どもが、夜尿や自傷行為を起こした例も報告されている(武富士被害対策全国会議2003)。1999年に大手サラ金に入社した 金太(2003) は、子どもを利用した債権回収の方法を、やや冗談めかして次のように紹介している。

 延滞している債務者に電話で督促していると、支払いを引き伸ばすために子どもに受話器を取らせ、「親はいません」などと居留守を使われることがある。そんな時には、子どもに向かって「僕、アンパンマンだけど……」と名乗るのがよい。子どもは「ホントに?」と食いついてくるから、今度家に行くからね、などと言って丸め込めば、親に電話を代わってくれる。結果的に親が電話口でアンパンマンにペコペコ謝ることになるので、子どもの夢を壊してしまうが、やむをえない。小学生になると疑われるから、あくまでも対象年齢は5〜6歳くらいまで。年末ならば、アンパンマンはサンタクロースに置き換えてもよい。

 債務者本人だけでなく、家族の感情をもコントロールしながら債権回収を行う手立ては、しばしば面白おかしく話題にされ、共有された。小手先の小細工も含めた工夫の積み重ねによって、サラ金の回収技術は徐々に進化し、債務者をさらに追い込んでいく。「パパ/ママはどうしてアンパンマンに謝ってたの?」などと子どもに聞かれた債務者が抱くであろう屈辱感とやり切れなさは、察するに余りある。時に家族も巻き込みながら、債務者本人に精神的打撃を与えることが、債権回収を効率的に進めるうえでは有効であり、必要だった。

(中略)

職務の「脱人格化」と自己責任論
 債権回収に伴う精神的負荷を軽減する方法は、感情労働の金融技術というべきものだった。たとえば、元アイフル社員の笠虎崇にとって、入社当初は債権回収ほど嫌な仕事はなかった。その嫌悪感を払拭する上で、上司から受けた次のような助言が有効だったという。

「いいか、殺人犯や凶悪犯の役をやる役者が、素の自分でやっていたら罪悪感にさいなまれて嫌になっちゃうだろう。取り立ても同じ。素の自分で取り立てしていたら嫌になるのは当たり前。ドラマだと思って、こわもての取り立て役になったつもりで演技するんだよ。そうすれば、舞台(仕事)の上でどんなにえぐい取り立てやっても、その舞台が終われば、そこで起こったこととは関係のない、自分に戻れる。仕事とプライベートをしっかり分けてやれば、取り立てで辛い思いはしなくなるぞ」( 笠虎 2006 )

 取り立て役を演じる「役者」になりきることで、仕事とプライベートを切り分ける。これは、ホックシールドがdepersonalization(「脱個人化」あるいは「脱人格化」)と呼んだ対応である。取り立て役を「演じる」ことで、業務から本来の自己の人格を分離し、債権回収につきまとう罪悪感を受け流すのである。

「脱人格化」は心身を病む
 こうした職務の「脱人格化」は、自分を偽ることになるため、しばしば労働者本人の自尊心を傷つける。ホックシールドは、「脱人格化」を行う感情労働者は、やがて自分を偽ることに嫌気が差し、最終的には燃え尽きる可能性が高くなると指摘している。

 この指摘は、確かに一面では正しい。就職氷河期にカード会社に入社した榎本まみは、「脱人格化」に成功しているように見える練達の社員でも、心身を病んで退職する者は少なくなく、それはまるで「人の消費や使い捨てのような労働だった」と述べている( 榎本 2012 )。

 だが、「脱人格化」が感情労働者を燃え尽きさせるというホックシールドの見立てに対しては、 鈴木(2012) が的確に整理しているように、多くの批判が寄せられている。実際、サラ金の感情労働者が、職務の「脱人格化」によってむしろ精神的な負荷を軽減し、自尊心を守ろうとしていたという証言は、数多く残されている。

債権回収は「ゲーム」
 その一つが、債権回収をある種のゲームとみなす方法である。某サラ金の元社員は、「相手の債務状況や家族関係、営業店の交渉履歴などのデータを駆使して、いかに回収できるかを考え、追い込む。まさにゲームだった」と述べている(『朝日』2006年9月19日付朝刊)。債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は「勝負」の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば「勝ち」だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた。典型的な職務の「脱人格化」である。

 加えて、債権回収に伴う心理的負荷を軽減するもう一つの方法が、自己責任論の内面化だった。サラ金社員は、延滞する債務者を自業自得だと割り切り、徹底的に追い詰めたのである。元大手サラ金のある社員は、次のように振り返っている。

「当時の上司の口癖は、「悪いのは客。どんなことを言っても許されるんだ」と。しょせんは電話での督促ですから、何を言おうが、どんな悪態をつこうが気楽なんです。だんだん相手を攻めたてる面白味にも目覚めちゃって、こいつら人生の負け組なんだと……。責任転嫁もいいところですけど、当時の私はほんとにそう思っていました。」( 須田 2006 )

 債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすれば、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられた。債務者に対する共感や同情を意識的に断ち切り、債権回収業務を円滑に進めるうえで、自己責任論の内面化は有効だった。だからこそ、上司は部下に向かって「悪いのは客。どんなことを言っても許される」と口癖のように繰り返したのだろう。

 こうした自己責任論の内面化や、職務の「脱個人化」が、感情労働に従事する人びとの心理的な負担の軽減に貢献したことは間違いない。自業自得の客になら「どんなことを言っても許される」と信じ、取り立ては「演技」や「ゲーム」にすぎないと自分を納得させれば、債権回収に伴う精神的な負荷を、少なくとも短期的には軽減できた。顧客の追い込みに付随する心理的な葛藤を回避し、自尊心を守るための方策が、職場の上司と部下、先輩と後輩という感情労働の重層的な構造の中で伝承されていた。

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは へ続く

https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E7%89%B9%E6%94%BB%E6%9C%8D%E3%81%A7%E6%80%96%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%8B-%E5%B9%85%E3%81%AE%E7%8B%AD%E3%81%84%E6%9C%BA%E3%81%A7%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%92-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E6%A5%AD%E8%80%85%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%9B%86%E9%87%91%E6%A5%AD%E5%8B%99-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/ar-BB1eVA7A?ocid=msedgntp

借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは
小島 庸平 2021/03/25

“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム” から続く

「サラ金」は、利息制限法で定められた金利を超過したグレーゾーン金利で貸し付けを行っており、借金返済に苦しむ膨大な数の被害者を生み出した。そうした借金苦に悩まされる人たちの窮状を解決すべく、結成されたのが「サラ金問題研究会」だ。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが開始した社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となった。

 ここでは、東京大学大学院経済学研究科准教授の小島庸平氏が「サラ金」にまつわる約110年間の歴史を紐解いた一冊『 サラ金の歴史 』(中公新書)を引用。サラ金規制強化のきっかけになった社会運動のあらましを紹介する。


◆◆◆

「サラ金被害者の会」結成
「いくら苦しくても、死ぬのはやめてともに助け合い、サラ金地獄から抜け出そう」

 そう呼びかけて「サラ金被害者の会」(以下、「被害者の会」と略)が結成されたのは、1977年10月のことだった。組織づくりを主導したのは、同年5月に大阪で15名の若手弁護士が結成した「サラ金問題研究会」である。この研究会の目的は、サラ金に対する法規制を議論し、被害者の救済方法を検討することだった。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが起こした社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となる。

 弁護士の木村達也の回想によると、被害者の会が結成された経緯は、次のようなものだった。

 1977年5月、サラ金苦の相談が増えていることに気づいた大阪の若手弁護士たちが、解決法を探るために「サラ金問題研究会」を結成した。同年6月にメディアで好意的に紹介されると、全国から相談が殺到する。中でも研究会の呼びかけ人だった木村は、相次ぐ取材や相談者への対応に忙殺された。見かねた先輩弁護士の中村康彦は、木村に「被害者の会」を組織するよう助言している。

 中村は、公害訴訟の分野で多くの経験を積んでおり、被害者を組織することの重要性を知る人物だった。さらに、森永ヒ素ミルク中毒事件で名を挙げた中坊公平も、1977年に大阪弁護士会の公害委員会から消費者保護委員会を独立させて委員長となり、78年には木村を同委員に選任した。1960年代後半以降、四大公害病や食品汚染問題が次々と訴訟に発展しており、そこで蓄積された弁護士たちの経験と組織が、サラ金問題でも活かされていた。そんな経緯もあって、サラ金問題は「第二の公害」とも呼ばれた。


 中村の助言を受けた木村は、さっそく「被害者の会」の組織化に動き出した。しかし、日々返済に追われ、昼も夜も懸命に働いている人びとの中から、運動の核になってくれそうな候補者を探すのは難しかった。

借金返済に苦しむ仲間が結束
 ある夜、木村は、協力してくれそうな相談者たちを会議室に集め、被害者の会の必要性を説いた。しかし、彼らに「被害者」の意識は少なく、反応も発言もほとんどない。そこで、木村は自己紹介を兼ねて全員に厳しい取り立ての体験を話してもらうことにした。すると、次々に発言が続き、参加者の緊張感と警戒心が一気に薄れ、仲間意識が芽生えた。後に、木村は、「サラ金被害者は孤独と不安の中で悩み苦しんでも人に相談できず、一人耐え続けていたのだ。借金返済に苦しむ同じ仲間を見出して安心し、結束したのだ」と振り返っている。

 木村らの努力の結果、1977年10月24日に全国で初めて被害者の会が大阪で結成された。記者会見には新聞社やテレビ局の記者が数多く集まり、マスコミの「サラ金地獄」報道はさらに加熱していった。

若く勢いのある弁護士を引きつけたサラ金問題
 この時、被害者の会の初代会長職を引き受けたのが、当時50代の男性Mだった。Mは、多重債務者としてサラ金からの厳しい取り立てを受け、親子四人で心中しようと夜の街をさ迷ったことがあった。空腹に耐えかねて一本のコーラを買い、公園の水で薄めて分け合って飲み、そのうまさから心中を思いとどまったという経験の持ち主である( 江波戸 1984 )。

 余談だが、サラ金被害者の救済に奔走した弁護士の木村晋介は、上の内容とはやや異なるM会長の経験談を聞いて衝撃を受け、サラ金問題に関わるようになったと振り返っている( 木村 1990 )。こちらの木村弁護士は、椎名誠の自伝的小説『哀愁の町に霧が降るのだ』に登場する木村晋介、「怪しい探検隊」や「東日本何でもケトばす会(東ケト会)」のメンバーである。

 この時期のサラ金問題は、メディアで盛んに報道されたこともあり、若く勢いのある弁護士を多数引きつけていた。後に日弁連会長となる宇都宮健児も、多重債務者に関わる案件を引き受けることで事務所独立の契機をつかんだ。北海道釧路市の今瞭美のように、地方に波及したサラ金問題の実態を鋭く告発し、武富士から「天敵」( 中川 2006 )と恐れられた弁護士もいた。皮肉にも、サラ金業界は、被害者を増やしすぎたがゆえに借金問題を扱う弁護士に安定した収入を与え、被害者運動を継続して支援することを可能にしたのである( 上川 2012 )。

被害者の会に対し、世間の目は冷たかった
 話を被害者の会に戻そう。Mが会長職を引き受けることでようやく組織された被害者の会に対し、世間の目は冷たかった。多くの消費者団体は「借りたものを返さない方が悪い」と関心を示さず、一般からの寄付もごくわずかしか集まらなかった。登録会員は一年足らずの間に800名を超えたが、自身の問題が片付けば会に寄り付かなくなるか、サラ金に追い詰められて活動どころではなくなってしまった。逆境の中でもM会長はくじけず、「夫や妻、兄弟がサラ金禍にひそかにあえいでいるかもしれないんですよ。他人事じゃないんだ」と、熱心に活動に取り組んでいた。

 被害者の会の運営に意欲を燃やすMは、自宅の電話番号を公開して相談者からの電話に連日対応し、優しい言葉をかけ続けた。しかし、会結成から3ヵ月が経つ頃、Mは心身に不調をきたしてしまった。「どの相談も暗く重く悲しいものであったから、その精神的苦しみから逃れられない」と言うのである。さらにその3ヵ月後、Mが被害者から預かった返済金約800万円の使い込みが発覚した。「酒を飲まずにはいられなかった」というのが、Mの釈明だった。

 被害者の会は、横領したMを自首させることに決めたものの、この経緯が某新聞にすっぱ抜かれ、運動は一時苦境に陥った。精神的にも経済的にも深い傷を負った当事者たちが被害者運動に従事するのは、決して容易ではなかった。

 それでも、1983年までに全国で21の被害者組織が結成され、運動は着実に全国へ広げられた。恐怖心や罪悪感を煽られた多重債務者たちが業者に毅然と立ち向かうには、法律的知識を身につけるだけでは不十分で、弁護士や被害者の会といった背後の「味方」が必要だった( 大山 2002 )。サラ金禍に苦しむ人びとの声は、有能な弁護士たちや自助グループの支援もあって、徐々に大きくなっていった。

破産件数の急増
 追い込まれても返す金のない多重債務者が、自殺や夜逃げ以外の方法で問題を解決しようとすれば、最後に残された手段は自己破産である。その方法を確立したのが、被害者の会と、それを支援する弁護士たちだった。

 1952年から70年代までの破産事件数は、おおよそ年間2000件前後で推移していた。しかし、1984年には2万6385件へと急増し、このうち貸金業関係の比率は、初めて数値の得られる85年には67.1%と、3分の2以上を占めた。

 1983年6月18日付の『朝日新聞』朝刊は、「自殺、心中や夜逃げよりは、なけなしの財産を投げ出しても自己破産の宣告を受けた方が――。サラ金の返済に困り、ぎりぎりのがけっぷちに立たされて、裁判所に自ら破産を申し立てる人が急増」と報じている。貸金業規制法が制定される前後の時期から、多重債務によって破産を余儀なくされた人びとの存在が明らかになりつつあり、サラ金の引き起こした社会問題として大きな注目を集めていた。

 こうした破産件数の増大は、多重債務者の深刻な状況を一面では反映していた。しかし、そこから債務者の悲惨な状況のみを読み取るのは正確ではない。破産件数の増大は、苦境にある多重債務者たちが、過剰な債務の支払いを回避するべく積極的に抵抗を試みたことの反映でもあった。

破産宣告を受ける予納金「5万円」も払えない
 1980年当時、サラ金問題研究会に集まっていた弁護士たちは、利息制限法を活用して元本を減額する調停申立や任意整理には限界があり、最後の救済手段は自己破産しかないと判断していた。しかし、この頃はまだ自己破産は一般的ではなく、破産宣告を受けるには最低5万円、ときに50万円もの高額の予納金を裁判所から請求された。サラ金問題研究会の弁護士たちは、まずこの予納金の減額を求めていくつかの訴訟を起こしている。5万円も払えないような多重債務者が、相談者の大多数だったからである。

 次いで、1982年10月には、サラ金問題研究会が編者となって小冊子『自分でできる破産』を発行した。同書は一般書店では流通しなかったにもかかわらず約2万冊も売れ、自己破産件数増加の最初の呼び水となった。

 この間の動きに深く関わっていた木村達也は、「破産・免責手続きを認めなければ、多重債務者は自殺か犯罪に走るしかない。消費者信用に多重債務、返済不能者の発生は不可避であり、破産・免責手続こそ消費者信用の安全弁である」と訴え続けていた。

 その甲斐もあって、破産宣告をまるで「死の宣告」かのように考える誤解が徐々に解け、中には『自分でできる破産』を持って法律事務所に駆け込んでくる人も現れた。弁護士たちの粘り強い努力により、破産はサラ金問題の有力な解決策となったのである。破産件数の増加は、弁護士たちの熱意と、多重債務者たちが過去の失敗を乗り越え、人生の再出発に踏み出そうとした苦闘の結果でもあった。

貸金業規制法の立法過程
 だが、木村たちは、自ら利用の道筋をつけた破産申立も、結局は事後的な対症療法に過ぎないと自覚していた。本質的には、サラ金をはじめとする貸金業に適切な規制を加え、高利の多重債務に苦しむ人びとをこれ以上生み出さないような立法措置が不可欠だった。

 利息制限法と出資法の関係を整理し、上限利率を引き直す作業は困難を極めた。業界・被害者・与野党・政府の利害が複雑に絡み合う中で、上限金利については容易に意見がまとまらず、7年近い歳月をかけて1983年にようやく貸金業規制法が制定された。貸金業規制法が制定されるまでの道のりは、長く困難に満ちたものだった。

 1979年に政府が法案作成を断念した後、与野党や業界・日弁連から提出された貸金業規制法案は、過剰取り立てや過剰融資に規制を加える点では一致していた。しかし、上限金利の扱いについては鋭く意見が対立しており、この不一致が法案成立に多くの時間を要した最大の原因だった。

「不当利得」とされたグレーゾーン金利が合法化
 利息制限法と出資法の間のグレーゾーン金利については、最高裁が1968年に「不当利得」と判示していた。にもかかわらず、規制法案の検討過程では問題が蒸し返された。業界と与党がグレーゾーン金利の合法化を求め、これに反対する野党・運動側と真っ向から対立したのである。結局、各党と運動側、業界の間で議論はいつまで経ってもまとまらず、最終的には大蔵省が間に入って法案を成立させている。

 こうして1983年に国会を通過した貸金業規制法では、上限金利は109.5%から40.004%へと半分以下に引き下げられた。業界の利害を重視する自民党は上限利率54.76%を求めていたから、野党や運動側の主張を認め、業界に一定の譲歩を求める判断だった。

 その一方で、たとえ利息制限法違反のグレーゾーン金利であっても、債務者が任意に支払い、法令で定める書面が提出されていれば、有効な弁済とみなされることになった。いわゆる「みなし弁済」条項である。1968年の最高裁判決で「不当利得」とされたグレーゾーン金利が、貸金業規制法のみなし弁済条項によって合法化されたのである。

 被害者の会や弁護士たちは、当然ながら「貸金業界寄りの法案で賛成できない」とすぐさま反対の意見を表明した。しかし、木村達也は成立した規制法を見て、腹の中で密かに「やった!」と快哉を叫んだという。約7年にもわたって繰り返し法案が流れたこともあり、上限金利40%が引き下げの限界と考えていたからである。当時の情勢は、それほどまでに厳しいものだったのだろう。

 だが、みなし金利条項は後日に禍根を残した。2006年の貸金業規制法改正の際、グレーゾーン金利の扱いは再び大きな問題として取り上げられることになる。

成立後の法律を健全に成長させた弁護士たち
 ともあれ、こうして1983年4月にようやく貸金業規制法が成立し、施行は同年11月からとされた。制定から施行までの半年余りの間に、大蔵省は規制法に関連する政省令を策定しなければならない。

 その政省令案について、日弁連に事前の内示と意見の照会があった。大阪から呼び出されたサラ金問題研究会の木村達也たちは、東京のホテルに泊まり込んで内示された政省令を何回も検討し、貸金業者の債権取立規制をはじめ、詳細な規定を追加した。貸金業規制法に命を吹き込む政省令の検討過程で、木村たちは「この法律は私達が作ったのだ」という自負の念を強めたという。

 さらに、貸金業規制法成立後も、木村たちは解説書を出版して各地で学習会を開催し、貸金業者の違法行為に対して厳しい告発運動を展開した。木村は、「成立後の法律を健全に成長させたのも私達だった」と語っている。貸金業規制法の成立・運用の両面で、被害者の運動とそれを支える弁護士たちの経験と手腕が果たした役割は、確かに極めて大きかった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%80%9F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E8%BF%94%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%8C%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%82%B5%E5%8B%99%E8%80%85%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A-%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E5%8A%9F%E7%B8%BE%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1eVJVk
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/114.html#c13

[昼休み52] 「最も危険な政治家」橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点 中川隆
61. 中川隆[-6379] koaQ7Jey 2021年3月25日 07:19:38 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[13]
“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム”
小島 庸平 2021/03/25


 創業者一族は高額納税者番付に名を連ね、法人所得ランキングの上位にも毎年のようにランクインしていたサラ金各社。一方で利用者はしばしば深刻な多重債務に陥り、破産や自殺に追い込まれる人も少なくなかった。1983年の貸金業規制法制定によって、厳しい督促は制限されるようになったが、債権を回収しようとするサラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を実施。過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで続いた……。果たしてサラ金業者はどのような方法で取り立てを行っていたのだろう。

 東京大学大学院経済学研究科で准教授を務める小島庸平氏の著書『 サラ金の歴史 』を引用し、苛烈な取り立てを行っていたサラ金、消費者金融の知られざる内実を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

男女間の役割分担
 サラ金の有人店舗には、原則として男女がそれぞれ最低一人は配属された。窓口での対応や、一回目の延滞を起こした顧客に対する連絡は男女問わず担当したが、基本的には女性が営業、男性が債権回収というように、男女の分業がはっきりしていた。業界内で女性支店長はめずらしくなかったものの、最大手の武富士では、回収は基本的に男性社員の仕事であり、回収できなければ支店長にはなれないという暗黙の了解があったという( 中川 2006 )。

  小田(2006) は、こうした男女間の性別役割分業の理由を、客には男性が多いので女性の甘い声で営業をかけた方が成績が上がり、反対に債権回収は男性でないとなめられるうえ、客の暴力などの危険があるからだと説明している。

 貸金業者は、「貸すときの地蔵顔、返すときの閻魔顔」などと言われることがある。サラ金では、女性に地蔵顔、男性に閻魔顔を割り振ることで、店舗の運営が円滑になるよう工夫していた。貸し付ける時には顧客の自尊心を尊重して丁寧な接客を心がけ、反対に回収の際には軽く思われないよう力強い態度で返済を要求する。サラ金における男女間の分業は、女性社員を債務者の予期しない行動から隔離する配慮と同時に、顧客(特に男性)の感情を自社に都合よくコントロールしようという意図に基づいていた。

顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて行う回収
 顧客の感情に働きかけるサービス業に独特な労働のあり方は、「感情労働」と呼ばれる。漫画『闇金ウシジマくん』を社会学の視点から丹念に読み解いた 難波(2013) は、「感情労働」という言葉を生んだ ホックシールド(1982=2000) が、集金業務を感情労働の一つとして挙げていることに着目している。

 肉体労働者が肉体で稼ぎ、頭脳労働者がアイデアや専門知識を売っているように、感情労働者は自らの感情をコントロールし、顧客の感情を雇主に有利なように誘導することで賃金を得る。営業スマイルを浮かべ、航空機内で「真心」のこもったサービスを提供するキャビン・アテンダント(CA)は、典型的な感情労働者である。

 ホックシールドによれば、CAだけでなく、顧客の未払い代金を回収する航空会社の集金人も感情労働に従事していた。集金人は、必要に応じて怒りや苛立ちを露わにし、料金を滞納する顧客の罪悪感や恐怖心に働きかけて回収を行うからである。

 サラ金の社員もまた、航空会社の集金人に類似した業務に従事しており、ホックシールドの言う感情労働者とみなせる。以下では、サラ金やクレジットカード会社などの消費者金融に特有な感情労働である債権回収に注目して、その実態に迫ってみたい。

感情労働としての債権回収
 現在、一般の消費者に対する債権回収には厳しい規制が加えられている。1983年に制定された貸金業規制法によって、債務者に返済を督促できる時間帯の制限や、「威迫」の禁止などが明確化され、その後も段階的に規制が強化された。1990年代のプロミスで「資金回収の神様」と呼ばれたある幹部は、顧客の心を巧みに開かせ、個人的な信頼関係を構築して金を取り立てることに長けていたという( 岩田 1996 )。

 しかし、こうしたマイルドな取り立ての一方で、脅迫的に支払いを求めることも珍しくなかった。サラ金業者は、巧みに法の抜け穴を探り当て、言葉を慎重に選びながら事実上の「威迫」を加えており、過酷な取り立ては21世紀初頭に至るまで止むことはなかった。

 感情労働としての債権回収について生々しい証言を残しているのが、元中堅サラ金業者の室井忠道である。 室井・岸川(2003) によれば、債権回収の際には、延滞している債務者に「効率よく怖がって貰う」ことが必要だった。一日に何軒も回収に行くのだから、四六時中怒鳴っていては声が嗄れてしまう。そのため、服装は「おっかなそうな格好」でなければならない。「我々の取立の時は、アメ横で買ってきた特攻服を若いヤツに着せたり、ダークスーツで行ってたけど、いまのヤミ金の連中もそういうドスを利かせる感じでしょう。作業着やジャージじゃ怖がらないから」。恐怖という感情を掻き立てる強面の回収スタイルは、大手の消費者金融も大同小異だったと室井は述べている。

債務者の恐怖心を煽るための細々とした工夫
 加えて、室井の店舗では、回収を行う別室のテーブルとして特に幅の狭いものを選んで置いていた。顧客と顔が接近している方がプレッシャーをかけられ、取り立てや交渉で有利になるからである。債務者の精神を効率的に圧迫し、恐怖心を煽るための細々とした工夫は、回収業務の過程に様々な形でちりばめられており、そうした工夫が債権回収の成績を上げるうえで不可欠だった。

 債権回収の担当者が感情をコントロールする対象は、債務者本人だけに留まらず、時に債務者の家族にも及んだ。法律的には、浪費的な使途のために借りた金は、債務者本人以外に返済の義務はない。1983年に制定された貸金業規制法では、家族を含む第三者への支払い要求が明確に禁止されている。

違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウ
 にもかかわらず、同法制定後も某サラ金は勉強会を開き、債務者の家族に入金を説得するロールプレイング研修を行っていた( ほのぼの 2003 )。講師となる上司が夜逃げした債務者の父親を演じ、回収役の社員は代理返済に応じるよう働きかけるのである。

 社員の間では「学芸会」などと揶揄されていたが、父親役の上司は豊富な債権回収の経験を持っており、役作りは真に迫っていた。研修では、入金を説得する際には「返済しろ」とは決して言わず、「協力」を「お願い」するという形で、貸金業規制法違反を免れようとしていた。本来は違法であるはずの代理弁済を引き出すためのノウハウが、研修の場で議論され、共有されていた。

 さらに、親だけでなく子どもに対して督促を行うこともあり、サラ金業者が小学校宛てに支払催告書を送りつけて問題化したこともあった(『朝日』1983年6月18日付朝刊)。督促を受けて恐怖を感じた子どもが、夜尿や自傷行為を起こした例も報告されている(武富士被害対策全国会議2003)。1999年に大手サラ金に入社した 金太(2003) は、子どもを利用した債権回収の方法を、やや冗談めかして次のように紹介している。

 延滞している債務者に電話で督促していると、支払いを引き伸ばすために子どもに受話器を取らせ、「親はいません」などと居留守を使われることがある。そんな時には、子どもに向かって「僕、アンパンマンだけど……」と名乗るのがよい。子どもは「ホントに?」と食いついてくるから、今度家に行くからね、などと言って丸め込めば、親に電話を代わってくれる。結果的に親が電話口でアンパンマンにペコペコ謝ることになるので、子どもの夢を壊してしまうが、やむをえない。小学生になると疑われるから、あくまでも対象年齢は5〜6歳くらいまで。年末ならば、アンパンマンはサンタクロースに置き換えてもよい。

 債務者本人だけでなく、家族の感情をもコントロールしながら債権回収を行う手立ては、しばしば面白おかしく話題にされ、共有された。小手先の小細工も含めた工夫の積み重ねによって、サラ金の回収技術は徐々に進化し、債務者をさらに追い込んでいく。「パパ/ママはどうしてアンパンマンに謝ってたの?」などと子どもに聞かれた債務者が抱くであろう屈辱感とやり切れなさは、察するに余りある。時に家族も巻き込みながら、債務者本人に精神的打撃を与えることが、債権回収を効率的に進めるうえでは有効であり、必要だった。

(中略)

職務の「脱人格化」と自己責任論
 債権回収に伴う精神的負荷を軽減する方法は、感情労働の金融技術というべきものだった。たとえば、元アイフル社員の笠虎崇にとって、入社当初は債権回収ほど嫌な仕事はなかった。その嫌悪感を払拭する上で、上司から受けた次のような助言が有効だったという。

「いいか、殺人犯や凶悪犯の役をやる役者が、素の自分でやっていたら罪悪感にさいなまれて嫌になっちゃうだろう。取り立ても同じ。素の自分で取り立てしていたら嫌になるのは当たり前。ドラマだと思って、こわもての取り立て役になったつもりで演技するんだよ。そうすれば、舞台(仕事)の上でどんなにえぐい取り立てやっても、その舞台が終われば、そこで起こったこととは関係のない、自分に戻れる。仕事とプライベートをしっかり分けてやれば、取り立てで辛い思いはしなくなるぞ」( 笠虎 2006 )

 取り立て役を演じる「役者」になりきることで、仕事とプライベートを切り分ける。これは、ホックシールドがdepersonalization(「脱個人化」あるいは「脱人格化」)と呼んだ対応である。取り立て役を「演じる」ことで、業務から本来の自己の人格を分離し、債権回収につきまとう罪悪感を受け流すのである。

「脱人格化」は心身を病む
 こうした職務の「脱人格化」は、自分を偽ることになるため、しばしば労働者本人の自尊心を傷つける。ホックシールドは、「脱人格化」を行う感情労働者は、やがて自分を偽ることに嫌気が差し、最終的には燃え尽きる可能性が高くなると指摘している。

 この指摘は、確かに一面では正しい。就職氷河期にカード会社に入社した榎本まみは、「脱人格化」に成功しているように見える練達の社員でも、心身を病んで退職する者は少なくなく、それはまるで「人の消費や使い捨てのような労働だった」と述べている( 榎本 2012 )。

 だが、「脱人格化」が感情労働者を燃え尽きさせるというホックシールドの見立てに対しては、 鈴木(2012) が的確に整理しているように、多くの批判が寄せられている。実際、サラ金の感情労働者が、職務の「脱人格化」によってむしろ精神的な負荷を軽減し、自尊心を守ろうとしていたという証言は、数多く残されている。

債権回収は「ゲーム」
 その一つが、債権回収をある種のゲームとみなす方法である。某サラ金の元社員は、「相手の債務状況や家族関係、営業店の交渉履歴などのデータを駆使して、いかに回収できるかを考え、追い込む。まさにゲームだった」と述べている(『朝日』2006年9月19日付朝刊)。債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は「勝負」の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば「勝ち」だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた。典型的な職務の「脱人格化」である。

 加えて、債権回収に伴う心理的負荷を軽減するもう一つの方法が、自己責任論の内面化だった。サラ金社員は、延滞する債務者を自業自得だと割り切り、徹底的に追い詰めたのである。元大手サラ金のある社員は、次のように振り返っている。

「当時の上司の口癖は、「悪いのは客。どんなことを言っても許されるんだ」と。しょせんは電話での督促ですから、何を言おうが、どんな悪態をつこうが気楽なんです。だんだん相手を攻めたてる面白味にも目覚めちゃって、こいつら人生の負け組なんだと……。責任転嫁もいいところですけど、当時の私はほんとにそう思っていました。」( 須田 2006 )

 債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすれば、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられた。債務者に対する共感や同情を意識的に断ち切り、債権回収業務を円滑に進めるうえで、自己責任論の内面化は有効だった。だからこそ、上司は部下に向かって「悪いのは客。どんなことを言っても許される」と口癖のように繰り返したのだろう。

 こうした自己責任論の内面化や、職務の「脱個人化」が、感情労働に従事する人びとの心理的な負担の軽減に貢献したことは間違いない。自業自得の客になら「どんなことを言っても許される」と信じ、取り立ては「演技」や「ゲーム」にすぎないと自分を納得させれば、債権回収に伴う精神的な負荷を、少なくとも短期的には軽減できた。顧客の追い込みに付随する心理的な葛藤を回避し、自尊心を守るための方策が、職場の上司と部下、先輩と後輩という感情労働の重層的な構造の中で伝承されていた。

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借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは へ続く

https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E7%89%B9%E6%94%BB%E6%9C%8D%E3%81%A7%E6%80%96%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%8B-%E5%B9%85%E3%81%AE%E7%8B%AD%E3%81%84%E6%9C%BA%E3%81%A7%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%92-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E6%A5%AD%E8%80%85%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%9B%86%E9%87%91%E6%A5%AD%E5%8B%99-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/ar-BB1eVA7A?ocid=msedgntp

借りたものを返さない方が悪いのか? 全国の多重債務者を救った「サラ金問題研究会」の知られざる功績とは
小島 庸平 2021/03/25

“特攻服で怖がらせる””幅の狭い机でプレッシャーを” サラ金業者が語った「集金業務」という”ゲーム” から続く

「サラ金」は、利息制限法で定められた金利を超過したグレーゾーン金利で貸し付けを行っており、借金返済に苦しむ膨大な数の被害者を生み出した。そうした借金苦に悩まされる人たちの窮状を解決すべく、結成されたのが「サラ金問題研究会」だ。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが開始した社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となった。

 ここでは、東京大学大学院経済学研究科准教授の小島庸平氏が「サラ金」にまつわる約110年間の歴史を紐解いた一冊『 サラ金の歴史 』(中公新書)を引用。サラ金規制強化のきっかけになった社会運動のあらましを紹介する。


◆◆◆

「サラ金被害者の会」結成
「いくら苦しくても、死ぬのはやめてともに助け合い、サラ金地獄から抜け出そう」

 そう呼びかけて「サラ金被害者の会」(以下、「被害者の会」と略)が結成されたのは、1977年10月のことだった。組織づくりを主導したのは、同年5月に大阪で15名の若手弁護士が結成した「サラ金問題研究会」である。この研究会の目的は、サラ金に対する法規制を議論し、被害者の救済方法を検討することだった。サラ金苦に陥った被害者と、被害者を支援する弁護士とが起こした社会運動は、やがてサラ金に対する規制強化実現の大きな原動力となる。

 弁護士の木村達也の回想によると、被害者の会が結成された経緯は、次のようなものだった。

 1977年5月、サラ金苦の相談が増えていることに気づいた大阪の若手弁護士たちが、解決法を探るために「サラ金問題研究会」を結成した。同年6月にメディアで好意的に紹介されると、全国から相談が殺到する。中でも研究会の呼びかけ人だった木村は、相次ぐ取材や相談者への対応に忙殺された。見かねた先輩弁護士の中村康彦は、木村に「被害者の会」を組織するよう助言している。

 中村は、公害訴訟の分野で多くの経験を積んでおり、被害者を組織することの重要性を知る人物だった。さらに、森永ヒ素ミルク中毒事件で名を挙げた中坊公平も、1977年に大阪弁護士会の公害委員会から消費者保護委員会を独立させて委員長となり、78年には木村を同委員に選任した。1960年代後半以降、四大公害病や食品汚染問題が次々と訴訟に発展しており、そこで蓄積された弁護士たちの経験と組織が、サラ金問題でも活かされていた。そんな経緯もあって、サラ金問題は「第二の公害」とも呼ばれた。


 中村の助言を受けた木村は、さっそく「被害者の会」の組織化に動き出した。しかし、日々返済に追われ、昼も夜も懸命に働いている人びとの中から、運動の核になってくれそうな候補者を探すのは難しかった。

借金返済に苦しむ仲間が結束
 ある夜、木村は、協力してくれそうな相談者たちを会議室に集め、被害者の会の必要性を説いた。しかし、彼らに「被害者」の意識は少なく、反応も発言もほとんどない。そこで、木村は自己紹介を兼ねて全員に厳しい取り立ての体験を話してもらうことにした。すると、次々に発言が続き、参加者の緊張感と警戒心が一気に薄れ、仲間意識が芽生えた。後に、木村は、「サラ金被害者は孤独と不安の中で悩み苦しんでも人に相談できず、一人耐え続けていたのだ。借金返済に苦しむ同じ仲間を見出して安心し、結束したのだ」と振り返っている。

 木村らの努力の結果、1977年10月24日に全国で初めて被害者の会が大阪で結成された。記者会見には新聞社やテレビ局の記者が数多く集まり、マスコミの「サラ金地獄」報道はさらに加熱していった。

若く勢いのある弁護士を引きつけたサラ金問題
 この時、被害者の会の初代会長職を引き受けたのが、当時50代の男性Mだった。Mは、多重債務者としてサラ金からの厳しい取り立てを受け、親子四人で心中しようと夜の街をさ迷ったことがあった。空腹に耐えかねて一本のコーラを買い、公園の水で薄めて分け合って飲み、そのうまさから心中を思いとどまったという経験の持ち主である( 江波戸 1984 )。

 余談だが、サラ金被害者の救済に奔走した弁護士の木村晋介は、上の内容とはやや異なるM会長の経験談を聞いて衝撃を受け、サラ金問題に関わるようになったと振り返っている( 木村 1990 )。こちらの木村弁護士は、椎名誠の自伝的小説『哀愁の町に霧が降るのだ』に登場する木村晋介、「怪しい探検隊」や「東日本何でもケトばす会(東ケト会)」のメンバーである。

 この時期のサラ金問題は、メディアで盛んに報道されたこともあり、若く勢いのある弁護士を多数引きつけていた。後に日弁連会長となる宇都宮健児も、多重債務者に関わる案件を引き受けることで事務所独立の契機をつかんだ。北海道釧路市の今瞭美のように、地方に波及したサラ金問題の実態を鋭く告発し、武富士から「天敵」( 中川 2006 )と恐れられた弁護士もいた。皮肉にも、サラ金業界は、被害者を増やしすぎたがゆえに借金問題を扱う弁護士に安定した収入を与え、被害者運動を継続して支援することを可能にしたのである( 上川 2012 )。

被害者の会に対し、世間の目は冷たかった
 話を被害者の会に戻そう。Mが会長職を引き受けることでようやく組織された被害者の会に対し、世間の目は冷たかった。多くの消費者団体は「借りたものを返さない方が悪い」と関心を示さず、一般からの寄付もごくわずかしか集まらなかった。登録会員は一年足らずの間に800名を超えたが、自身の問題が片付けば会に寄り付かなくなるか、サラ金に追い詰められて活動どころではなくなってしまった。逆境の中でもM会長はくじけず、「夫や妻、兄弟がサラ金禍にひそかにあえいでいるかもしれないんですよ。他人事じゃないんだ」と、熱心に活動に取り組んでいた。

 被害者の会の運営に意欲を燃やすMは、自宅の電話番号を公開して相談者からの電話に連日対応し、優しい言葉をかけ続けた。しかし、会結成から3ヵ月が経つ頃、Mは心身に不調をきたしてしまった。「どの相談も暗く重く悲しいものであったから、その精神的苦しみから逃れられない」と言うのである。さらにその3ヵ月後、Mが被害者から預かった返済金約800万円の使い込みが発覚した。「酒を飲まずにはいられなかった」というのが、Mの釈明だった。

 被害者の会は、横領したMを自首させることに決めたものの、この経緯が某新聞にすっぱ抜かれ、運動は一時苦境に陥った。精神的にも経済的にも深い傷を負った当事者たちが被害者運動に従事するのは、決して容易ではなかった。

 それでも、1983年までに全国で21の被害者組織が結成され、運動は着実に全国へ広げられた。恐怖心や罪悪感を煽られた多重債務者たちが業者に毅然と立ち向かうには、法律的知識を身につけるだけでは不十分で、弁護士や被害者の会といった背後の「味方」が必要だった( 大山 2002 )。サラ金禍に苦しむ人びとの声は、有能な弁護士たちや自助グループの支援もあって、徐々に大きくなっていった。

破産件数の急増
 追い込まれても返す金のない多重債務者が、自殺や夜逃げ以外の方法で問題を解決しようとすれば、最後に残された手段は自己破産である。その方法を確立したのが、被害者の会と、それを支援する弁護士たちだった。

 1952年から70年代までの破産事件数は、おおよそ年間2000件前後で推移していた。しかし、1984年には2万6385件へと急増し、このうち貸金業関係の比率は、初めて数値の得られる85年には67.1%と、3分の2以上を占めた。

 1983年6月18日付の『朝日新聞』朝刊は、「自殺、心中や夜逃げよりは、なけなしの財産を投げ出しても自己破産の宣告を受けた方が――。サラ金の返済に困り、ぎりぎりのがけっぷちに立たされて、裁判所に自ら破産を申し立てる人が急増」と報じている。貸金業規制法が制定される前後の時期から、多重債務によって破産を余儀なくされた人びとの存在が明らかになりつつあり、サラ金の引き起こした社会問題として大きな注目を集めていた。

 こうした破産件数の増大は、多重債務者の深刻な状況を一面では反映していた。しかし、そこから債務者の悲惨な状況のみを読み取るのは正確ではない。破産件数の増大は、苦境にある多重債務者たちが、過剰な債務の支払いを回避するべく積極的に抵抗を試みたことの反映でもあった。

破産宣告を受ける予納金「5万円」も払えない
 1980年当時、サラ金問題研究会に集まっていた弁護士たちは、利息制限法を活用して元本を減額する調停申立や任意整理には限界があり、最後の救済手段は自己破産しかないと判断していた。しかし、この頃はまだ自己破産は一般的ではなく、破産宣告を受けるには最低5万円、ときに50万円もの高額の予納金を裁判所から請求された。サラ金問題研究会の弁護士たちは、まずこの予納金の減額を求めていくつかの訴訟を起こしている。5万円も払えないような多重債務者が、相談者の大多数だったからである。

 次いで、1982年10月には、サラ金問題研究会が編者となって小冊子『自分でできる破産』を発行した。同書は一般書店では流通しなかったにもかかわらず約2万冊も売れ、自己破産件数増加の最初の呼び水となった。

 この間の動きに深く関わっていた木村達也は、「破産・免責手続きを認めなければ、多重債務者は自殺か犯罪に走るしかない。消費者信用に多重債務、返済不能者の発生は不可避であり、破産・免責手続こそ消費者信用の安全弁である」と訴え続けていた。

 その甲斐もあって、破産宣告をまるで「死の宣告」かのように考える誤解が徐々に解け、中には『自分でできる破産』を持って法律事務所に駆け込んでくる人も現れた。弁護士たちの粘り強い努力により、破産はサラ金問題の有力な解決策となったのである。破産件数の増加は、弁護士たちの熱意と、多重債務者たちが過去の失敗を乗り越え、人生の再出発に踏み出そうとした苦闘の結果でもあった。

貸金業規制法の立法過程
 だが、木村たちは、自ら利用の道筋をつけた破産申立も、結局は事後的な対症療法に過ぎないと自覚していた。本質的には、サラ金をはじめとする貸金業に適切な規制を加え、高利の多重債務に苦しむ人びとをこれ以上生み出さないような立法措置が不可欠だった。

 利息制限法と出資法の関係を整理し、上限利率を引き直す作業は困難を極めた。業界・被害者・与野党・政府の利害が複雑に絡み合う中で、上限金利については容易に意見がまとまらず、7年近い歳月をかけて1983年にようやく貸金業規制法が制定された。貸金業規制法が制定されるまでの道のりは、長く困難に満ちたものだった。

 1979年に政府が法案作成を断念した後、与野党や業界・日弁連から提出された貸金業規制法案は、過剰取り立てや過剰融資に規制を加える点では一致していた。しかし、上限金利の扱いについては鋭く意見が対立しており、この不一致が法案成立に多くの時間を要した最大の原因だった。

「不当利得」とされたグレーゾーン金利が合法化
 利息制限法と出資法の間のグレーゾーン金利については、最高裁が1968年に「不当利得」と判示していた。にもかかわらず、規制法案の検討過程では問題が蒸し返された。業界と与党がグレーゾーン金利の合法化を求め、これに反対する野党・運動側と真っ向から対立したのである。結局、各党と運動側、業界の間で議論はいつまで経ってもまとまらず、最終的には大蔵省が間に入って法案を成立させている。

 こうして1983年に国会を通過した貸金業規制法では、上限金利は109.5%から40.004%へと半分以下に引き下げられた。業界の利害を重視する自民党は上限利率54.76%を求めていたから、野党や運動側の主張を認め、業界に一定の譲歩を求める判断だった。

 その一方で、たとえ利息制限法違反のグレーゾーン金利であっても、債務者が任意に支払い、法令で定める書面が提出されていれば、有効な弁済とみなされることになった。いわゆる「みなし弁済」条項である。1968年の最高裁判決で「不当利得」とされたグレーゾーン金利が、貸金業規制法のみなし弁済条項によって合法化されたのである。

 被害者の会や弁護士たちは、当然ながら「貸金業界寄りの法案で賛成できない」とすぐさま反対の意見を表明した。しかし、木村達也は成立した規制法を見て、腹の中で密かに「やった!」と快哉を叫んだという。約7年にもわたって繰り返し法案が流れたこともあり、上限金利40%が引き下げの限界と考えていたからである。当時の情勢は、それほどまでに厳しいものだったのだろう。

 だが、みなし金利条項は後日に禍根を残した。2006年の貸金業規制法改正の際、グレーゾーン金利の扱いは再び大きな問題として取り上げられることになる。

成立後の法律を健全に成長させた弁護士たち
 ともあれ、こうして1983年4月にようやく貸金業規制法が成立し、施行は同年11月からとされた。制定から施行までの半年余りの間に、大蔵省は規制法に関連する政省令を策定しなければならない。

 その政省令案について、日弁連に事前の内示と意見の照会があった。大阪から呼び出されたサラ金問題研究会の木村達也たちは、東京のホテルに泊まり込んで内示された政省令を何回も検討し、貸金業者の債権取立規制をはじめ、詳細な規定を追加した。貸金業規制法に命を吹き込む政省令の検討過程で、木村たちは「この法律は私達が作ったのだ」という自負の念を強めたという。

 さらに、貸金業規制法成立後も、木村たちは解説書を出版して各地で学習会を開催し、貸金業者の違法行為に対して厳しい告発運動を展開した。木村は、「成立後の法律を健全に成長させたのも私達だった」と語っている。貸金業規制法の成立・運用の両面で、被害者の運動とそれを支える弁護士たちの経験と手腕が果たした役割は、確かに極めて大きかった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%80%9F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E8%BF%94%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%8C%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%82%B5%E5%8B%99%E8%80%85%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%82%B5%E3%83%A9%E9%87%91%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A-%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E5%8A%9F%E7%B8%BE%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1eVJVk
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/452.html#c61

[近代史4] 中華人民共和国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
6. 中川隆[-6378] koaQ7Jey 2021年3月25日 08:12:16 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[14]
03-25 この状況で中国の富豪は戦々恐々
2021/03/25





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/750.html#c6
[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
12. 中川隆[-6377] koaQ7Jey 2021年3月25日 08:12:40 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[15]
03-25 この状況で中国の富豪は戦々恐々
2021/03/25





http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c12
[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
32. 中川隆[-6376] koaQ7Jey 2021年3月25日 08:13:08 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[16]
03-25 この状況で中国の富豪は戦々恐々
2021/03/25





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c32
[近代史4] 中国の特権階級の貴公子ぶり 寝ていてもお金が増える仕組み 中川隆
3. 中川隆[-6375] koaQ7Jey 2021年3月25日 08:19:00 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[17]
03-25 この状況で中国の富豪は戦々恐々
2021/03/25





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/742.html#c3
[番外地9] 米国が東アジア侵略の拠点と考える日本・共産主義との戦い 中川隆
1. 中川隆[-6374] koaQ7Jey 2021年3月25日 08:23:50 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[18]
西田昌司は日本の歴史を何も知らない
明治以降の日本政府を支配していたのは田布施の chousen人で、戦前からずっと英米の傀儡政権だった
米国が東アジア侵略の拠点と考える日本
日本は明治維新以来、アングロ・サクソンの影響下にある。地政学の父と呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダーは1904年に発表した論文の中で、ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げて最終的にはロシアを制圧するというプランを示していた。彼はイギリスの支配グループの所属、そのグループのプランをまとめと考えられる。
 イギリスが薩摩や長州を中心とする勢力に肩入れして「明治維新」と呼ばれるクーデターを成功させ、明治政府に対して技術や資金を提供したのは、侵略の手先を育てることが目的だったのだろう。薩長政権は1872年に琉球を併合、74年に台湾に派兵、75年には江華島事件で朝鮮王朝に揺さぶりをかけ、94年から95年にかけては清(中国)と戦争、マッキンダーが論文を発表した1904年にはロシアと戦争を始めた。

 明治維新以降、日本を支配してきた勢力の背後にはアングロ・サクソンが存在、日本人を大陸侵略の手先に提供することで彼らの地位と富は保障されてきた。侵略を受け入れさせるため、日本では東アジアを貶める「反アジア教育」が徹底され、その影響は現在も残っている。

 日露戦争後、1917年11月にロシアで十月革命を経て社会主義の看板を掲げるソ連が誕生すると、日本はイギリス、アメリカ、フランスと共同で軍事介入した。1922年に日本軍は略奪物資を携えて帰国するが、1941年7月の関東軍特種演習までソ連侵略の意思は持ち続けている。

 その後、日本軍は石油を求めて東南アジアへ向かい、ハワイの真珠湾を1941年12月7日午前8時(UTC7日18時)に、またマレーシア北端の港町コタバルを12月8日午前1時(UTC7日17時)にそれぞれ奇襲攻撃してイギリスやアメリカと戦争を始めた。それでも日本の一部支配層はアメリカの金融資本や石油資本と関係を維持している。

 日本とウォール街との関係を象徴する人物がジョセフ・グルーだということは繰り返し書いてきた。1932年から駐日アメリカ大使に就任、松岡洋右、松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎、岸信介らと親しく、皇室にも太いパイプを持っていた。1945年に日本は降伏するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。

 日本列島、南西諸島、台湾をつなぐ弧で大陸を封鎖、朝鮮半島に橋頭堡を築くという戦略をアングロ・サクソンは明治時代から現在に至るまで維持している。

▲△▽▼

日本人は過去にやって来た悪行を隠すのが天才的に上手い

日本人による極悪非道の世界侵略の歴史
・文禄・慶長の役 → chousen で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の chousen 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・chousen の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、chousen 女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償金請求を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから 売り攻勢をかけ7000円台まで暴落させるのに成功した。 外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

・尖閣乗っ取り → 尖閣を漁場にしていた台湾人を追い出す。中華民国(台湾)は尖閣は宜蘭県に属す島嶼だ、と昔から主張している。宜蘭は台湾原住民平埔族の中の一群であるクヴァラン族が広く住んでいた地域で、1632年にはクヴァラン族が歴史資料に登場している。

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明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【重要・証拠アリ】安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」!
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html

菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/240.html#c1

[近代史5] LGBT・トランスジェンダーの世界 中川隆
2. 中川隆[-6373] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:04:39 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[19]
トランスジェンダーのジャニー喜多川は、CIA工作員だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/521.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://amezor-iv.net/shisou/150920200912.html

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/541.html#c2

[近代史4] 中華人民共和国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
7. 中川隆[-6372] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:49:01 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[20]

2021年03月25日
2020年の中国、唯一のプラス成長は本当だったか?
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html


中国人の7割が年収36万円以下なので、日本に来ていたのは高所得者


農民工減少が示唆するマイナス成長

2020年の中国は主要国で唯一プラスとなる2.3%成長だったが、それに疑問を投げかける統計が出ている。

2008年にも中国は先進国がリーマンショックでマイナス成長の中、唯一9.6%の高度成長を達成した。

だがこの年中国の主要経済統計はすべてマイナスで、「一体何がプラスだったのか?」と疑問の声が上がった。


この2008年以降中国のGDPは実態経済と乖離していき、最近ますます不自然さを増している。

中国国家統計局によると2020年に農村から都会への出稼ぎが減少したが、おそらく1980年代以降初めてだった。

出稼ぎ労働者は農民工と呼ばれるが、これは単なる出稼ぎではなく法律違反の犯罪者でもある。


中国では許可を得ない限り生まれた本籍を離れてはならず、労働をしてもならない事になっている。

ここが共産主義の根幹で、人々が土地を離れて自由に生きたらそれは自由主義になり、居住地を命令できるのが共産主義です。

90年代から2000年代に農民工が激増したが、給料は住民の半分程度で社会保障はなにもなかった。


密告されれば逮捕され故郷に返されるので、どんな悪条件でも農民工は受け入れざるを得ませんでした。

日本など外国に旅行していたのは都市に住む都市戸籍住人だけなので、外国で農民工を目にすることはありません。

農民工は毎年6%以上増えていたが、20年末に2億8560万人と前年より2%減少した。

唯一のプラス成長はウソである疑い

コロナで経済活動が止まり移動の制限が厳しくなり、感染を恐れて出稼ぎを控えた人が多いと考えられる。

もう一つのより深刻な原因は少子化と人口減で、2020年の出生数は1000万人で2016年の半分に減った。

少子化が急激に経済を停滞させるのは日本で実証済みで、たとえ老人が増えて人口が同じでも経済はマイナス成長になる。


農民工の給与の伸びも鈍化し、年6%以上だったのが2020年は2%台の伸びにとどまった

2020年12月の物価は前年同月比0.2%だったので、1年間で0.2%しか物価が上昇しなかった。

日本の2020年物価上昇率はマイナス0.2%だったので、日本より少し高いだけに留まりました。


日本の2020年GDPはマイナス3.3%、中国はプラス2.3%だというのだが信ぴょう性に乏しい。

農民工の平均年齢は40.8歳と若くなく工場作業員の平均給は493ドル(約5万3000円)だがこれでも農民よりはるかに高い。

中国の農民収入はやっと年収10万円に達した程度なので、月給5万円なら都会で働く人が多いのです。

中国人の年収の実態

国家統計局によると月収1090元(1万6350円)以下の層が中国には6億人存在し、多くが農民と言われている。

中国は以前は農村の平均年収を発表していたが、10万円ぐらいで発表をやめてしまった。

北京師範大学中国収入分配研究院の課題研究チームという長い名前のチームが2019年に中国の年収分析をしている。


月収1090元(約1万6510円)以下の人口は6億人で、総人口の42.86%も存在していた。

月収2000元(約3万300円)以下の人口は9.64億人、総人口の68.9%を占めていました。

14億人の7割が月収3万円以下という事で、7割の人の平均月収が2万円とすると年間合計約230兆円になります。


先進国では全国民の年収を合計するとGDPの5割以上になるが、中国がそうなるには3割の高収入層が520兆円の収入がなくてはならない。

月収2000元(約3万300円)以上の人口は4.36億人で総人口の31.1%なので高収入層の平均年収は約119万円になる。

高収入層の中でも格差が大きく、共産党幹部は数兆円の資産を蓄えているとされている。


大雑把に言って人口の4割は年収20万円以下、3割は20万円から36万円、3割は年収36万円以上というのが中国のGDP1500兆円が正しかった場合です。

もしGDPが1000兆円でGDPに対する国民の年収(所得)が少なかったら、実態はこの半分かも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/750.html#c7

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
33. 中川隆[-6371] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:49:52 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[21]

2021年03月25日
2020年の中国、唯一のプラス成長は本当だったか?
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html


中国人の7割が年収36万円以下なので、日本に来ていたのは高所得者


農民工減少が示唆するマイナス成長

2020年の中国は主要国で唯一プラスとなる2.3%成長だったが、それに疑問を投げかける統計が出ている。

2008年にも中国は先進国がリーマンショックでマイナス成長の中、唯一9.6%の高度成長を達成した。

だがこの年中国の主要経済統計はすべてマイナスで、「一体何がプラスだったのか?」と疑問の声が上がった。


この2008年以降中国のGDPは実態経済と乖離していき、最近ますます不自然さを増している。

中国国家統計局によると2020年に農村から都会への出稼ぎが減少したが、おそらく1980年代以降初めてだった。

出稼ぎ労働者は農民工と呼ばれるが、これは単なる出稼ぎではなく法律違反の犯罪者でもある。


中国では許可を得ない限り生まれた本籍を離れてはならず、労働をしてもならない事になっている。

ここが共産主義の根幹で、人々が土地を離れて自由に生きたらそれは自由主義になり、居住地を命令できるのが共産主義です。

90年代から2000年代に農民工が激増したが、給料は住民の半分程度で社会保障はなにもなかった。


密告されれば逮捕され故郷に返されるので、どんな悪条件でも農民工は受け入れざるを得ませんでした。

日本など外国に旅行していたのは都市に住む都市戸籍住人だけなので、外国で農民工を目にすることはありません。

農民工は毎年6%以上増えていたが、20年末に2億8560万人と前年より2%減少した。

唯一のプラス成長はウソである疑い

コロナで経済活動が止まり移動の制限が厳しくなり、感染を恐れて出稼ぎを控えた人が多いと考えられる。

もう一つのより深刻な原因は少子化と人口減で、2020年の出生数は1000万人で2016年の半分に減った。

少子化が急激に経済を停滞させるのは日本で実証済みで、たとえ老人が増えて人口が同じでも経済はマイナス成長になる。


農民工の給与の伸びも鈍化し、年6%以上だったのが2020年は2%台の伸びにとどまった

2020年12月の物価は前年同月比0.2%だったので、1年間で0.2%しか物価が上昇しなかった。

日本の2020年物価上昇率はマイナス0.2%だったので、日本より少し高いだけに留まりました。


日本の2020年GDPはマイナス3.3%、中国はプラス2.3%だというのだが信ぴょう性に乏しい。

農民工の平均年齢は40.8歳と若くなく工場作業員の平均給は493ドル(約5万3000円)だがこれでも農民よりはるかに高い。

中国の農民収入はやっと年収10万円に達した程度なので、月給5万円なら都会で働く人が多いのです。

中国人の年収の実態

国家統計局によると月収1090元(1万6350円)以下の層が中国には6億人存在し、多くが農民と言われている。

中国は以前は農村の平均年収を発表していたが、10万円ぐらいで発表をやめてしまった。

北京師範大学中国収入分配研究院の課題研究チームという長い名前のチームが2019年に中国の年収分析をしている。


月収1090元(約1万6510円)以下の人口は6億人で、総人口の42.86%も存在していた。

月収2000元(約3万300円)以下の人口は9.64億人、総人口の68.9%を占めていました。

14億人の7割が月収3万円以下という事で、7割の人の平均月収が2万円とすると年間合計約230兆円になります。


先進国では全国民の年収を合計するとGDPの5割以上になるが、中国がそうなるには3割の高収入層が520兆円の収入がなくてはならない。

月収2000元(約3万300円)以上の人口は4.36億人で総人口の31.1%なので高収入層の平均年収は約119万円になる。

高収入層の中でも格差が大きく、共産党幹部は数兆円の資産を蓄えているとされている。


大雑把に言って人口の4割は年収20万円以下、3割は20万円から36万円、3割は年収36万円以上というのが中国のGDP1500兆円が正しかった場合です。

もしGDPが1000兆円でGDPに対する国民の年収(所得)が少なかったら、実態はこの半分かも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c33

[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
13. 中川隆[-6370] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:50:09 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[22]

2021年03月25日
2020年の中国、唯一のプラス成長は本当だったか?
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html


中国人の7割が年収36万円以下なので、日本に来ていたのは高所得者


農民工減少が示唆するマイナス成長

2020年の中国は主要国で唯一プラスとなる2.3%成長だったが、それに疑問を投げかける統計が出ている。

2008年にも中国は先進国がリーマンショックでマイナス成長の中、唯一9.6%の高度成長を達成した。

だがこの年中国の主要経済統計はすべてマイナスで、「一体何がプラスだったのか?」と疑問の声が上がった。


この2008年以降中国のGDPは実態経済と乖離していき、最近ますます不自然さを増している。

中国国家統計局によると2020年に農村から都会への出稼ぎが減少したが、おそらく1980年代以降初めてだった。

出稼ぎ労働者は農民工と呼ばれるが、これは単なる出稼ぎではなく法律違反の犯罪者でもある。


中国では許可を得ない限り生まれた本籍を離れてはならず、労働をしてもならない事になっている。

ここが共産主義の根幹で、人々が土地を離れて自由に生きたらそれは自由主義になり、居住地を命令できるのが共産主義です。

90年代から2000年代に農民工が激増したが、給料は住民の半分程度で社会保障はなにもなかった。


密告されれば逮捕され故郷に返されるので、どんな悪条件でも農民工は受け入れざるを得ませんでした。

日本など外国に旅行していたのは都市に住む都市戸籍住人だけなので、外国で農民工を目にすることはありません。

農民工は毎年6%以上増えていたが、20年末に2億8560万人と前年より2%減少した。

唯一のプラス成長はウソである疑い

コロナで経済活動が止まり移動の制限が厳しくなり、感染を恐れて出稼ぎを控えた人が多いと考えられる。

もう一つのより深刻な原因は少子化と人口減で、2020年の出生数は1000万人で2016年の半分に減った。

少子化が急激に経済を停滞させるのは日本で実証済みで、たとえ老人が増えて人口が同じでも経済はマイナス成長になる。


農民工の給与の伸びも鈍化し、年6%以上だったのが2020年は2%台の伸びにとどまった

2020年12月の物価は前年同月比0.2%だったので、1年間で0.2%しか物価が上昇しなかった。

日本の2020年物価上昇率はマイナス0.2%だったので、日本より少し高いだけに留まりました。


日本の2020年GDPはマイナス3.3%、中国はプラス2.3%だというのだが信ぴょう性に乏しい。

農民工の平均年齢は40.8歳と若くなく工場作業員の平均給は493ドル(約5万3000円)だがこれでも農民よりはるかに高い。

中国の農民収入はやっと年収10万円に達した程度なので、月給5万円なら都会で働く人が多いのです。

中国人の年収の実態

国家統計局によると月収1090元(1万6350円)以下の層が中国には6億人存在し、多くが農民と言われている。

中国は以前は農村の平均年収を発表していたが、10万円ぐらいで発表をやめてしまった。

北京師範大学中国収入分配研究院の課題研究チームという長い名前のチームが2019年に中国の年収分析をしている。


月収1090元(約1万6510円)以下の人口は6億人で、総人口の42.86%も存在していた。

月収2000元(約3万300円)以下の人口は9.64億人、総人口の68.9%を占めていました。

14億人の7割が月収3万円以下という事で、7割の人の平均月収が2万円とすると年間合計約230兆円になります。


先進国では全国民の年収を合計するとGDPの5割以上になるが、中国がそうなるには3割の高収入層が520兆円の収入がなくてはならない。

月収2000元(約3万300円)以上の人口は4.36億人で総人口の31.1%なので高収入層の平均年収は約119万円になる。

高収入層の中でも格差が大きく、共産党幹部は数兆円の資産を蓄えているとされている。


大雑把に言って人口の4割は年収20万円以下、3割は20万円から36万円、3割は年収36万円以上というのが中国のGDP1500兆円が正しかった場合です。

もしGDPが1000兆円でGDPに対する国民の年収(所得)が少なかったら、実態はこの半分かも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c13

[近代史4] 中国の特権階級の貴公子ぶり 寝ていてもお金が増える仕組み 中川隆
4. 中川隆[-6369] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:50:32 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[23]

2021年03月25日
2020年の中国、唯一のプラス成長は本当だったか?
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html


中国人の7割が年収36万円以下なので、日本に来ていたのは高所得者


農民工減少が示唆するマイナス成長

2020年の中国は主要国で唯一プラスとなる2.3%成長だったが、それに疑問を投げかける統計が出ている。

2008年にも中国は先進国がリーマンショックでマイナス成長の中、唯一9.6%の高度成長を達成した。

だがこの年中国の主要経済統計はすべてマイナスで、「一体何がプラスだったのか?」と疑問の声が上がった。


この2008年以降中国のGDPは実態経済と乖離していき、最近ますます不自然さを増している。

中国国家統計局によると2020年に農村から都会への出稼ぎが減少したが、おそらく1980年代以降初めてだった。

出稼ぎ労働者は農民工と呼ばれるが、これは単なる出稼ぎではなく法律違反の犯罪者でもある。


中国では許可を得ない限り生まれた本籍を離れてはならず、労働をしてもならない事になっている。

ここが共産主義の根幹で、人々が土地を離れて自由に生きたらそれは自由主義になり、居住地を命令できるのが共産主義です。

90年代から2000年代に農民工が激増したが、給料は住民の半分程度で社会保障はなにもなかった。


密告されれば逮捕され故郷に返されるので、どんな悪条件でも農民工は受け入れざるを得ませんでした。

日本など外国に旅行していたのは都市に住む都市戸籍住人だけなので、外国で農民工を目にすることはありません。

農民工は毎年6%以上増えていたが、20年末に2億8560万人と前年より2%減少した。

唯一のプラス成長はウソである疑い

コロナで経済活動が止まり移動の制限が厳しくなり、感染を恐れて出稼ぎを控えた人が多いと考えられる。

もう一つのより深刻な原因は少子化と人口減で、2020年の出生数は1000万人で2016年の半分に減った。

少子化が急激に経済を停滞させるのは日本で実証済みで、たとえ老人が増えて人口が同じでも経済はマイナス成長になる。


農民工の給与の伸びも鈍化し、年6%以上だったのが2020年は2%台の伸びにとどまった

2020年12月の物価は前年同月比0.2%だったので、1年間で0.2%しか物価が上昇しなかった。

日本の2020年物価上昇率はマイナス0.2%だったので、日本より少し高いだけに留まりました。


日本の2020年GDPはマイナス3.3%、中国はプラス2.3%だというのだが信ぴょう性に乏しい。

農民工の平均年齢は40.8歳と若くなく工場作業員の平均給は493ドル(約5万3000円)だがこれでも農民よりはるかに高い。

中国の農民収入はやっと年収10万円に達した程度なので、月給5万円なら都会で働く人が多いのです。

中国人の年収の実態

国家統計局によると月収1090元(1万6350円)以下の層が中国には6億人存在し、多くが農民と言われている。

中国は以前は農村の平均年収を発表していたが、10万円ぐらいで発表をやめてしまった。

北京師範大学中国収入分配研究院の課題研究チームという長い名前のチームが2019年に中国の年収分析をしている。


月収1090元(約1万6510円)以下の人口は6億人で、総人口の42.86%も存在していた。

月収2000元(約3万300円)以下の人口は9.64億人、総人口の68.9%を占めていました。

14億人の7割が月収3万円以下という事で、7割の人の平均月収が2万円とすると年間合計約230兆円になります。


先進国では全国民の年収を合計するとGDPの5割以上になるが、中国がそうなるには3割の高収入層が520兆円の収入がなくてはならない。

月収2000元(約3万300円)以上の人口は4.36億人で総人口の31.1%なので高収入層の平均年収は約119万円になる。

高収入層の中でも格差が大きく、共産党幹部は数兆円の資産を蓄えているとされている。


大雑把に言って人口の4割は年収20万円以下、3割は20万円から36万円、3割は年収36万円以上というのが中国のGDP1500兆円が正しかった場合です。

もしGDPが1000兆円でGDPに対する国民の年収(所得)が少なかったら、実態はこの半分かも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/742.html#c4

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
48. 中川隆[-6368] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:51:17 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[24]

2021年03月25日
2020年の中国、唯一のプラス成長は本当だったか?
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html


中国人の7割が年収36万円以下なので、日本に来ていたのは高所得者


農民工減少が示唆するマイナス成長

2020年の中国は主要国で唯一プラスとなる2.3%成長だったが、それに疑問を投げかける統計が出ている。

2008年にも中国は先進国がリーマンショックでマイナス成長の中、唯一9.6%の高度成長を達成した。

だがこの年中国の主要経済統計はすべてマイナスで、「一体何がプラスだったのか?」と疑問の声が上がった。


この2008年以降中国のGDPは実態経済と乖離していき、最近ますます不自然さを増している。

中国国家統計局によると2020年に農村から都会への出稼ぎが減少したが、おそらく1980年代以降初めてだった。

出稼ぎ労働者は農民工と呼ばれるが、これは単なる出稼ぎではなく法律違反の犯罪者でもある。


中国では許可を得ない限り生まれた本籍を離れてはならず、労働をしてもならない事になっている。

ここが共産主義の根幹で、人々が土地を離れて自由に生きたらそれは自由主義になり、居住地を命令できるのが共産主義です。

90年代から2000年代に農民工が激増したが、給料は住民の半分程度で社会保障はなにもなかった。


密告されれば逮捕され故郷に返されるので、どんな悪条件でも農民工は受け入れざるを得ませんでした。

日本など外国に旅行していたのは都市に住む都市戸籍住人だけなので、外国で農民工を目にすることはありません。

農民工は毎年6%以上増えていたが、20年末に2億8560万人と前年より2%減少した。

唯一のプラス成長はウソである疑い

コロナで経済活動が止まり移動の制限が厳しくなり、感染を恐れて出稼ぎを控えた人が多いと考えられる。

もう一つのより深刻な原因は少子化と人口減で、2020年の出生数は1000万人で2016年の半分に減った。

少子化が急激に経済を停滞させるのは日本で実証済みで、たとえ老人が増えて人口が同じでも経済はマイナス成長になる。


農民工の給与の伸びも鈍化し、年6%以上だったのが2020年は2%台の伸びにとどまった

2020年12月の物価は前年同月比0.2%だったので、1年間で0.2%しか物価が上昇しなかった。

日本の2020年物価上昇率はマイナス0.2%だったので、日本より少し高いだけに留まりました。


日本の2020年GDPはマイナス3.3%、中国はプラス2.3%だというのだが信ぴょう性に乏しい。

農民工の平均年齢は40.8歳と若くなく工場作業員の平均給は493ドル(約5万3000円)だがこれでも農民よりはるかに高い。

中国の農民収入はやっと年収10万円に達した程度なので、月給5万円なら都会で働く人が多いのです。

中国人の年収の実態

国家統計局によると月収1090元(1万6350円)以下の層が中国には6億人存在し、多くが農民と言われている。

中国は以前は農村の平均年収を発表していたが、10万円ぐらいで発表をやめてしまった。

北京師範大学中国収入分配研究院の課題研究チームという長い名前のチームが2019年に中国の年収分析をしている。


月収1090元(約1万6510円)以下の人口は6億人で、総人口の42.86%も存在していた。

月収2000元(約3万300円)以下の人口は9.64億人、総人口の68.9%を占めていました。

14億人の7割が月収3万円以下という事で、7割の人の平均月収が2万円とすると年間合計約230兆円になります。


先進国では全国民の年収を合計するとGDPの5割以上になるが、中国がそうなるには3割の高収入層が520兆円の収入がなくてはならない。

月収2000元(約3万300円)以上の人口は4.36億人で総人口の31.1%なので高収入層の平均年収は約119万円になる。

高収入層の中でも格差が大きく、共産党幹部は数兆円の資産を蓄えているとされている。


大雑把に言って人口の4割は年収20万円以下、3割は20万円から36万円、3割は年収36万円以上というのが中国のGDP1500兆円が正しかった場合です。

もしGDPが1000兆円でGDPに対する国民の年収(所得)が少なかったら、実態はこの半分かも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c48

[近代史4] 日中のGDPのいい加減さ 中川隆
17. 中川隆[-6367] koaQ7Jey 2021年3月25日 09:51:39 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[25]

2021年03月25日
2020年の中国、唯一のプラス成長は本当だったか?
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html


中国人の7割が年収36万円以下なので、日本に来ていたのは高所得者


農民工減少が示唆するマイナス成長

2020年の中国は主要国で唯一プラスとなる2.3%成長だったが、それに疑問を投げかける統計が出ている。

2008年にも中国は先進国がリーマンショックでマイナス成長の中、唯一9.6%の高度成長を達成した。

だがこの年中国の主要経済統計はすべてマイナスで、「一体何がプラスだったのか?」と疑問の声が上がった。


この2008年以降中国のGDPは実態経済と乖離していき、最近ますます不自然さを増している。

中国国家統計局によると2020年に農村から都会への出稼ぎが減少したが、おそらく1980年代以降初めてだった。

出稼ぎ労働者は農民工と呼ばれるが、これは単なる出稼ぎではなく法律違反の犯罪者でもある。


中国では許可を得ない限り生まれた本籍を離れてはならず、労働をしてもならない事になっている。

ここが共産主義の根幹で、人々が土地を離れて自由に生きたらそれは自由主義になり、居住地を命令できるのが共産主義です。

90年代から2000年代に農民工が激増したが、給料は住民の半分程度で社会保障はなにもなかった。


密告されれば逮捕され故郷に返されるので、どんな悪条件でも農民工は受け入れざるを得ませんでした。

日本など外国に旅行していたのは都市に住む都市戸籍住人だけなので、外国で農民工を目にすることはありません。

農民工は毎年6%以上増えていたが、20年末に2億8560万人と前年より2%減少した。

唯一のプラス成長はウソである疑い

コロナで経済活動が止まり移動の制限が厳しくなり、感染を恐れて出稼ぎを控えた人が多いと考えられる。

もう一つのより深刻な原因は少子化と人口減で、2020年の出生数は1000万人で2016年の半分に減った。

少子化が急激に経済を停滞させるのは日本で実証済みで、たとえ老人が増えて人口が同じでも経済はマイナス成長になる。


農民工の給与の伸びも鈍化し、年6%以上だったのが2020年は2%台の伸びにとどまった

2020年12月の物価は前年同月比0.2%だったので、1年間で0.2%しか物価が上昇しなかった。

日本の2020年物価上昇率はマイナス0.2%だったので、日本より少し高いだけに留まりました。


日本の2020年GDPはマイナス3.3%、中国はプラス2.3%だというのだが信ぴょう性に乏しい。

農民工の平均年齢は40.8歳と若くなく工場作業員の平均給は493ドル(約5万3000円)だがこれでも農民よりはるかに高い。

中国の農民収入はやっと年収10万円に達した程度なので、月給5万円なら都会で働く人が多いのです。

中国人の年収の実態

国家統計局によると月収1090元(1万6350円)以下の層が中国には6億人存在し、多くが農民と言われている。

中国は以前は農村の平均年収を発表していたが、10万円ぐらいで発表をやめてしまった。

北京師範大学中国収入分配研究院の課題研究チームという長い名前のチームが2019年に中国の年収分析をしている。


月収1090元(約1万6510円)以下の人口は6億人で、総人口の42.86%も存在していた。

月収2000元(約3万300円)以下の人口は9.64億人、総人口の68.9%を占めていました。

14億人の7割が月収3万円以下という事で、7割の人の平均月収が2万円とすると年間合計約230兆円になります。


先進国では全国民の年収を合計するとGDPの5割以上になるが、中国がそうなるには3割の高収入層が520兆円の収入がなくてはならない。

月収2000元(約3万300円)以上の人口は4.36億人で総人口の31.1%なので高収入層の平均年収は約119万円になる。

高収入層の中でも格差が大きく、共産党幹部は数兆円の資産を蓄えているとされている。


大雑把に言って人口の4割は年収20万円以下、3割は20万円から36万円、3割は年収36万円以上というのが中国のGDP1500兆円が正しかった場合です。

もしGDPが1000兆円でGDPに対する国民の年収(所得)が少なかったら、実態はこの半分かも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/85412733.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/714.html#c17

[近代史3] 欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録 中川隆
5. 2021年3月25日 10:44:31 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[26]

2021.03.25
COVID-19騒動を煽り、ワクチン接種を推進している人口削減論者
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/

 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチンの接種で深刻な副反応が現れる人や死亡する人がいると報告されている。ワクチンに限らず、薬害でも公害でも全ての被害がすぐに現れるとは限らない。中期や長期で症状が出てくる。急性の症状がこれだけ現れていることから類推すると、中長期でも想定外の被害が出てくるだろう。

 西側で接種されているワクチンの多くは、mRNA(メッセンジャーRNA)技術を使ったBioNTech/ファイザーの製品とモデルナの製品。繰り返し書いてきたが、このワクチンが行うのは「遺伝子治療」、あるいは遺伝子操作だ。

 モデルナの説明によると、彼らが作ろうとしているmRNA技術プラットフォームはコンピュータのオペレーティング・システムと同じようなものだという。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスは2017年12月にTEDXで行った講演の中で、​この技術によって「生命のソフトウェアをハッキングする」​と語っている。

 こうしたウイルスを推進してきたひとりがマイクロソフトの創設者としてしられているビル・ゲーツ。妻とビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団を創設、活動している。この財団はWHO(世界保健機関)に多額の資金を寄付していることでも有名。2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、この財団を上回る寄付者はアメリカだけだ。

 WHOに対する第4位の寄付者はワクチンのロビー団体であるGAVI。2000年に開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。WHOがパンデミック宣言やワクチン接種に前のめりになっている理由は想像できるだろう。

 ビル・ゲーツは人口を削減するべきだとも発言している。2010年2月には​TEDでの講演​で、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10〜15%減らせると語っている。ワクチンで人の命が救われるなら人口は増えそうだが、そうならないと言っている。

 人口削減でゲーツより過激な意見を口にしているのがCNNのテッド・ターナー。彼が1996年に「理想的」だとした数値は95%削減した2億2500万人から3億人。2008年にはテンプル大学で、世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っていた。

 ゲーツにしろ、ターナーにしろ、人口削減論の根底にはトーマス・マルサスの人口論がある。人口の増加は等比級数的であり、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になるという主張だが、強者が弱者を虐殺し、富を独占して飢饉、貧困、悪徳が広がっていることを気にしていないようだ。

 この人口論とセットになっているのが優生学。1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。

 人口の削減は人間の大量殺戮につながっているが、「新約聖書」の「黙示録」を信奉している人にとっては当たり前のことだろう。例えば、第9章第15節に「四人の天使が、人類の三分の一を殺すために、解き放たれた」(田川健三訳、作品社、2018年)と書かれている。

 黙示録では多くの人間が殺されるとされているが、額の上に印をつけられた者は救われることになっている。第7章第4節によると、「私は、印をつけられた者の数が十四万四千人である、と聞いた。これはイスラエルの各支族の中から印をつけられた者である。」(前掲書)

 つまり、助かるのはユダヤ人の一部(12を12倍し、さらに1000倍した14万4000)ということ。第3節に印をつけられた者は「神の僕」だと書かれているので、黙示録のこの部分を書いた人物にとって、キリスト教徒はユダヤ人ということになる。

 本ブログでは以前にも書いたが、田川健三は「黙示録」には原著者が書いた部分と何者かによって書き加えられた部分があり、それは思想的な違いと語学力の違いから明白に判別できるとしている。

 つまり、原著者は全ての人間の救済を念頭に置き、「まずまずまともなギリシャ語」を書いているのに対し、書き加えた人物は「極端に偏狭なユダヤ主義者」で、「嘘みたいに幼稚なギリシャ語の間違いが次々と最初から最後まで頻発する」という。

 本来なら原著者の主張に耳を傾けるべきなのだが、キリスト教世界では破壊と殺戮を正当化する書き加えられた部分が影響を及ぼしている。その部分が「聞きたい話」だったのだろう。神が殺戮と破壊に「お墨付き」を与えていると解釈できるからだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html#c5

[近代史3] ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係… 中川隆
21. 中川隆[-6366] koaQ7Jey 2021年3月25日 10:45:11 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[27]

2021.03.25
COVID-19騒動を煽り、ワクチン接種を推進している人口削減論者
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/

 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチンの接種で深刻な副反応が現れる人や死亡する人がいると報告されている。ワクチンに限らず、薬害でも公害でも全ての被害がすぐに現れるとは限らない。中期や長期で症状が出てくる。急性の症状がこれだけ現れていることから類推すると、中長期でも想定外の被害が出てくるだろう。

 西側で接種されているワクチンの多くは、mRNA(メッセンジャーRNA)技術を使ったBioNTech/ファイザーの製品とモデルナの製品。繰り返し書いてきたが、このワクチンが行うのは「遺伝子治療」、あるいは遺伝子操作だ。

 モデルナの説明によると、彼らが作ろうとしているmRNA技術プラットフォームはコンピュータのオペレーティング・システムと同じようなものだという。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスは2017年12月にTEDXで行った講演の中で、​この技術によって「生命のソフトウェアをハッキングする」​と語っている。

 こうしたウイルスを推進してきたひとりがマイクロソフトの創設者としてしられているビル・ゲーツ。妻とビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団を創設、活動している。この財団はWHO(世界保健機関)に多額の資金を寄付していることでも有名。2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、この財団を上回る寄付者はアメリカだけだ。

 WHOに対する第4位の寄付者はワクチンのロビー団体であるGAVI。2000年に開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。WHOがパンデミック宣言やワクチン接種に前のめりになっている理由は想像できるだろう。

 ビル・ゲーツは人口を削減するべきだとも発言している。2010年2月には​TEDでの講演​で、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10〜15%減らせると語っている。ワクチンで人の命が救われるなら人口は増えそうだが、そうならないと言っている。

 人口削減でゲーツより過激な意見を口にしているのがCNNのテッド・ターナー。彼が1996年に「理想的」だとした数値は95%削減した2億2500万人から3億人。2008年にはテンプル大学で、世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っていた。

 ゲーツにしろ、ターナーにしろ、人口削減論の根底にはトーマス・マルサスの人口論がある。人口の増加は等比級数的であり、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になるという主張だが、強者が弱者を虐殺し、富を独占して飢饉、貧困、悪徳が広がっていることを気にしていないようだ。

 この人口論とセットになっているのが優生学。1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。

 人口の削減は人間の大量殺戮につながっているが、「新約聖書」の「黙示録」を信奉している人にとっては当たり前のことだろう。例えば、第9章第15節に「四人の天使が、人類の三分の一を殺すために、解き放たれた」(田川健三訳、作品社、2018年)と書かれている。

 黙示録では多くの人間が殺されるとされているが、額の上に印をつけられた者は救われることになっている。第7章第4節によると、「私は、印をつけられた者の数が十四万四千人である、と聞いた。これはイスラエルの各支族の中から印をつけられた者である。」(前掲書)

 つまり、助かるのはユダヤ人の一部(12を12倍し、さらに1000倍した14万4000)ということ。第3節に印をつけられた者は「神の僕」だと書かれているので、黙示録のこの部分を書いた人物にとって、キリスト教徒はユダヤ人ということになる。

 本ブログでは以前にも書いたが、田川健三は「黙示録」には原著者が書いた部分と何者かによって書き加えられた部分があり、それは思想的な違いと語学力の違いから明白に判別できるとしている。

 つまり、原著者は全ての人間の救済を念頭に置き、「まずまずまともなギリシャ語」を書いているのに対し、書き加えた人物は「極端に偏狭なユダヤ主義者」で、「嘘みたいに幼稚なギリシャ語の間違いが次々と最初から最後まで頻発する」という。

 本来なら原著者の主張に耳を傾けるべきなのだが、キリスト教世界では破壊と殺戮を正当化する書き加えられた部分が影響を及ぼしている。その部分が「聞きたい話」だったのだろう。神が殺戮と破壊に「お墨付き」を与えていると解釈できるからだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html#c21

[近代史5] グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの 中川隆
20. 中川隆[-6365] koaQ7Jey 2021年3月25日 10:45:53 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[28]

2021.03.25
COVID-19騒動を煽り、ワクチン接種を推進している人口削減論者
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/

 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチンの接種で深刻な副反応が現れる人や死亡する人がいると報告されている。ワクチンに限らず、薬害でも公害でも全ての被害がすぐに現れるとは限らない。中期や長期で症状が出てくる。急性の症状がこれだけ現れていることから類推すると、中長期でも想定外の被害が出てくるだろう。

 西側で接種されているワクチンの多くは、mRNA(メッセンジャーRNA)技術を使ったBioNTech/ファイザーの製品とモデルナの製品。繰り返し書いてきたが、このワクチンが行うのは「遺伝子治療」、あるいは遺伝子操作だ。

 モデルナの説明によると、彼らが作ろうとしているmRNA技術プラットフォームはコンピュータのオペレーティング・システムと同じようなものだという。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスは2017年12月にTEDXで行った講演の中で、​この技術によって「生命のソフトウェアをハッキングする」​と語っている。

 こうしたウイルスを推進してきたひとりがマイクロソフトの創設者としてしられているビル・ゲーツ。妻とビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団を創設、活動している。この財団はWHO(世界保健機関)に多額の資金を寄付していることでも有名。2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、この財団を上回る寄付者はアメリカだけだ。

 WHOに対する第4位の寄付者はワクチンのロビー団体であるGAVI。2000年に開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。WHOがパンデミック宣言やワクチン接種に前のめりになっている理由は想像できるだろう。

 ビル・ゲーツは人口を削減するべきだとも発言している。2010年2月には​TEDでの講演​で、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10〜15%減らせると語っている。ワクチンで人の命が救われるなら人口は増えそうだが、そうならないと言っている。

 人口削減でゲーツより過激な意見を口にしているのがCNNのテッド・ターナー。彼が1996年に「理想的」だとした数値は95%削減した2億2500万人から3億人。2008年にはテンプル大学で、世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っていた。

 ゲーツにしろ、ターナーにしろ、人口削減論の根底にはトーマス・マルサスの人口論がある。人口の増加は等比級数的であり、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になるという主張だが、強者が弱者を虐殺し、富を独占して飢饉、貧困、悪徳が広がっていることを気にしていないようだ。

 この人口論とセットになっているのが優生学。1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。

 人口の削減は人間の大量殺戮につながっているが、「新約聖書」の「黙示録」を信奉している人にとっては当たり前のことだろう。例えば、第9章第15節に「四人の天使が、人類の三分の一を殺すために、解き放たれた」(田川健三訳、作品社、2018年)と書かれている。

 黙示録では多くの人間が殺されるとされているが、額の上に印をつけられた者は救われることになっている。第7章第4節によると、「私は、印をつけられた者の数が十四万四千人である、と聞いた。これはイスラエルの各支族の中から印をつけられた者である。」(前掲書)

 つまり、助かるのはユダヤ人の一部(12を12倍し、さらに1000倍した14万4000)ということ。第3節に印をつけられた者は「神の僕」だと書かれているので、黙示録のこの部分を書いた人物にとって、キリスト教徒はユダヤ人ということになる。

 本ブログでは以前にも書いたが、田川健三は「黙示録」には原著者が書いた部分と何者かによって書き加えられた部分があり、それは思想的な違いと語学力の違いから明白に判別できるとしている。

 つまり、原著者は全ての人間の救済を念頭に置き、「まずまずまともなギリシャ語」を書いているのに対し、書き加えた人物は「極端に偏狭なユダヤ主義者」で、「嘘みたいに幼稚なギリシャ語の間違いが次々と最初から最後まで頻発する」という。

 本来なら原著者の主張に耳を傾けるべきなのだが、キリスト教世界では破壊と殺戮を正当化する書き加えられた部分が影響を及ぼしている。その部分が「聞きたい話」だったのだろう。神が殺戮と破壊に「お墨付き」を与えていると解釈できるからだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html#c20

[近代史5] ロシア料理の作り方 中川隆
4. 2021年3月25日 11:27:21 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[29]
チャホフビリの作り方 [ ジョージア料理 ]
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1586.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/495.html#c4
[番外地9] 日本人による極悪非道の世界侵略の歴史 中川隆
4. 中川隆[-6364] koaQ7Jey 2021年3月25日 13:05:55 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[30]
チャンネル桜や正論、WILL はフェイクニュースを流して、日本人が過去にやって来た悪行を隠すのが天才的に上手い
日本人による極悪非道の世界侵略の歴史
尖閣・沖縄・北海道・千島は日本の領土ではない

・chousen で長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる

・chousen の無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作って朝鮮と交易する

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド

・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた台湾先住民をジェノサイド

・文禄・慶長の役 → chousen で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の chousen 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・chousen の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、chousen 女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・1971年 本多勝一のルポ 「中国の旅」が朝日新聞に連載される → 南京大虐殺や戦時中の中国での日本支配の実態をルポ、文春や新潮は昭和天皇の戦争犯罪を隠蔽する為に渡部昇一や鈴木明に本多勝一批判をさせ、それ以降右翼は現在に至る迄、南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定する悪質なデマを流し続けている。

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償金請求を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから 売り攻勢をかけ7000円台まで暴落させるのに成功した。 外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

・尖閣乗っ取り → 尖閣を漁場にしていた台湾人を追い出す。中華民国(台湾)は尖閣は宜蘭県に属す島嶼だ、と昔から主張している。宜蘭は台湾原住民平埔族の中の一群であるクヴァラン族が広く住んでいた地域で、1632年にはクヴァラン族が歴史資料に登場している。

が、大まかな流れです。

▲△▽▼

日本の支配者は今も昔も chousen 人なので残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのですね

今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

天皇家は漢民族で百済語を話していた、
弥生人(chousenの無土器文化人)は日本語を話していた、
縄文人はアイヌ語を話していた。

ヤマトの英雄 ヤマトタケル(=関西チョx) 坂上田村麻呂(=百済出自の在コリ)
ヤマトの神 スサノオ(=韓神)
ヤマトの姫 卑弥呼(=chousen系シャーマン)
ヤマトの王 桓武天皇(=母ちゃんが百済人)
ヤマトの信仰 稲荷神(=渡来系の秦氏が広める) 仏教(=百済から伝来)
ヤマトの食 水稲・米(=chousen半島から伝来)
ヤマトの家 寺・神社(=渡来人の建築)
ヤマトの墓 支石墓(=chousen半島から伝来)
ヤマトの美人 飛鳥美人(=高句麗婦人)
ヤマトの名字 佐藤(=O1b2の藤原氏由来)
ヤマトの国史 日本書紀(=百済人の編纂)
ヤマトの天 高天原(=chousen半島)

半島出身のスメラ尊の和風諡号にはかならず「天」がつく。
書紀で「天」は chousen 半島を指すのだ。

________

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【重要・証拠アリ】安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」!
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html

菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/218.html#c4

[近代史5] バブル崩壊の歴史と これから起きる超円高によるバブル崩壊 中川隆
16. 2021年3月25日 13:52:52 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[31]

2021年01月05日
世界のコロナ対策1400兆円、金融市場に向かいバブル経済に
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html


バブル崩壊で打撃を受けたは間違いで、バブルがあったから日本は先進国に成れた。
バブル前の日本は汲み取り便所とデコボコ道の国でしかなかった

画像引用:https://nightwalker.cocolog-nifty.com/money/images/2016/09/09/201609101.png

世界大戦以来最大の支出

日本政府は2020年だけで57兆円、アメリカは200兆円を使い21年も既にこの半額の支出を決めている。

ここから想像して全世界のコロナ対策で使った金額は約500兆円くらいかなと想像していました。

2021年も同規模とすると約1000兆円になるが、現実はこれを上回る1400兆円に達しようとしていた。

米ロイター通信によると国際通貨基金や各国政府への取材で、財政支出や金融支援の合計は1400兆円規模に達するのが分かったという。

日銀は20年春ごろからコロナ対策として企業への金融支援をしていて、総額はすでに140兆円を超えている。(20年11月)

日銀の支援は上限約20兆円のCP・社債等.買入れと上限約120兆円規模の「新型コロナ対応特別オペ」となっています。


特別オペ120兆円は上限で実際には20年10月に約48兆円で、現在はもっと増えていると考えられる。

特別オペの中身は金融機関に無利子でお金を貸すことで、金融機関を通じて企業に緊急支援を行いました。

日銀が資金供給することで増えるお金の量をマネタリーベースと言い、今までは年間80兆円を上限としていた。


だがコロナ支援によって20年9月以降は年80兆円を上回るペースで推移している。

日本政府と日銀のコロナ支援を合計すると2020年は100兆円を上回り、21年も同程度になるでしょう。

すると全世界のコロナ支援1400兆円のうち1割以上を日本が占め、アメリカが2割以上を占めるでしょう。


第二次大戦と比較すると日本の支出は当時のGDP(GNP)の33倍、国家予算の280倍も使っている。

アメリカはGDP比3.2倍しか使っていないので、日米の経済力が10倍は違っていたことになる。

日本政府が2020年と同じコロナ支出を4年間続けたとしてもGDP比0.8倍、それでも大戦後では最大の支出になる。


日本が大戦の4年間で支出したGDP比33倍は「無駄な支出」とされるが、この無限の支出は数年後に高度経済成長を引き起こしました。

日本の自動車産業は航空機や軍用車両から、電機や機械産業も軍事産業から発達しました。

日産のGTRもトヨタ2000GTも、元をたどると戦時中に戦闘機開発していた技術からきています。

日本が先進国になったのはバブルの2年間のおかげ

経済とは結局のところ「政府が使った金額」で決まるところがあり、たくさんお金を使う日米経済が有利になる。

経済界では早くも、2021年は第二のバブル経済になるとか日本経済大復活の年になるという予想がされている。

少なくとも計算上は世界平均より日本は株価上昇率が高い筈で、GDP成長率も30数年ぶりに世界平均を上回るかも知れません。


2020年は世界でコロナが拡大したのに株価が上昇したが、これは100%各国政府のコロナ対策費のせいでした。

コロナが拡大する限り日米政府は巨額支出を続けるが、コロナが終息したらばら撒いた金を回収し始めます。

日銀はコロナで企業に10兆円以上も貸し付けたが、コロナが収まると「貸した金返せよ」と言い始めます。


財務省も麻生大臣が「財政悪化したから消費増税だ」と言い始め、2009年の再現になりかねません。

もし政府が大増税や金融引き締めに走ったら、デフレ不況や大恐慌レベルの不況になりかねない。

逆説的だが経済の専門家は「なるべく長くコロナに続いて欲しい」と考えていて、コロナが続けば日経バブル更新もあり得ると見ている。


日経平均株価の最高値は1989年12月29日の38,957円だが、この数字は突出していて日本株の実態と乖離していた。

日経平均の最高値は1980年にはたった7100円で1985年も1万3千円、1987年でも2万1000円でした。

それが1988年に3万円、1989年は3万8000円で急上昇したのは僅か2年弱でした。


バブル崩壊というが崩壊の2年前は日経平均2万円だったので、たった2年ほどで株価2倍になっていました。

これを例外とすると日本の実力はせいぜい日経1万円から2万円だったので、その当時の水準は超えています。

では日経最高値更新に意味が無いかというと、日本が「先進国」になったのはこの2年間の超高度成長のおかげでした。


それまでの日本はせいぜい2流の先進国でしかなくサミットでも数合わせのような存在でした。

1985年のプラザ合意では他の4か国は先に会合を済ませ、後から竹下蔵相が呼びつけられて「超円高」を命令されました。

日本は発言すら許されず一方的に命令されるだけというのが、当時の先進国首脳会議の実態でした。


だが超バブルの2年間で日本はアメリカに匹敵する富裕国になり、イギリスやフランスより格上の国になった。

その後30年かけて落ちぶれたが、まだ主要先進国の地位に留まっている。

もうそろそろ場外ホームランでも打たない事には、本当にサミットのメンバーから外されてしまう
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/388.html#c16

[近代史4] バブル崩壊の歴史 中川隆
22. 中川隆[-6363] koaQ7Jey 2021年3月25日 13:53:30 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[32]

2021年01月05日
世界のコロナ対策1400兆円、金融市場に向かいバブル経済に
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html


バブル崩壊で打撃を受けたは間違いで、バブルがあったから日本は先進国に成れた。
バブル前の日本は汲み取り便所とデコボコ道の国でしかなかった

画像引用:https://nightwalker.cocolog-nifty.com/money/images/2016/09/09/201609101.png

世界大戦以来最大の支出

日本政府は2020年だけで57兆円、アメリカは200兆円を使い21年も既にこの半額の支出を決めている。

ここから想像して全世界のコロナ対策で使った金額は約500兆円くらいかなと想像していました。

2021年も同規模とすると約1000兆円になるが、現実はこれを上回る1400兆円に達しようとしていた。

米ロイター通信によると国際通貨基金や各国政府への取材で、財政支出や金融支援の合計は1400兆円規模に達するのが分かったという。

日銀は20年春ごろからコロナ対策として企業への金融支援をしていて、総額はすでに140兆円を超えている。(20年11月)

日銀の支援は上限約20兆円のCP・社債等.買入れと上限約120兆円規模の「新型コロナ対応特別オペ」となっています。


特別オペ120兆円は上限で実際には20年10月に約48兆円で、現在はもっと増えていると考えられる。

特別オペの中身は金融機関に無利子でお金を貸すことで、金融機関を通じて企業に緊急支援を行いました。

日銀が資金供給することで増えるお金の量をマネタリーベースと言い、今までは年間80兆円を上限としていた。


だがコロナ支援によって20年9月以降は年80兆円を上回るペースで推移している。

日本政府と日銀のコロナ支援を合計すると2020年は100兆円を上回り、21年も同程度になるでしょう。

すると全世界のコロナ支援1400兆円のうち1割以上を日本が占め、アメリカが2割以上を占めるでしょう。


第二次大戦と比較すると日本の支出は当時のGDP(GNP)の33倍、国家予算の280倍も使っている。

アメリカはGDP比3.2倍しか使っていないので、日米の経済力が10倍は違っていたことになる。

日本政府が2020年と同じコロナ支出を4年間続けたとしてもGDP比0.8倍、それでも大戦後では最大の支出になる。


日本が大戦の4年間で支出したGDP比33倍は「無駄な支出」とされるが、この無限の支出は数年後に高度経済成長を引き起こしました。

日本の自動車産業は航空機や軍用車両から、電機や機械産業も軍事産業から発達しました。

日産のGTRもトヨタ2000GTも、元をたどると戦時中に戦闘機開発していた技術からきています。

日本が先進国になったのはバブルの2年間のおかげ

経済とは結局のところ「政府が使った金額」で決まるところがあり、たくさんお金を使う日米経済が有利になる。

経済界では早くも、2021年は第二のバブル経済になるとか日本経済大復活の年になるという予想がされている。

少なくとも計算上は世界平均より日本は株価上昇率が高い筈で、GDP成長率も30数年ぶりに世界平均を上回るかも知れません。


2020年は世界でコロナが拡大したのに株価が上昇したが、これは100%各国政府のコロナ対策費のせいでした。

コロナが拡大する限り日米政府は巨額支出を続けるが、コロナが終息したらばら撒いた金を回収し始めます。

日銀はコロナで企業に10兆円以上も貸し付けたが、コロナが収まると「貸した金返せよ」と言い始めます。


財務省も麻生大臣が「財政悪化したから消費増税だ」と言い始め、2009年の再現になりかねません。

もし政府が大増税や金融引き締めに走ったら、デフレ不況や大恐慌レベルの不況になりかねない。

逆説的だが経済の専門家は「なるべく長くコロナに続いて欲しい」と考えていて、コロナが続けば日経バブル更新もあり得ると見ている。


日経平均株価の最高値は1989年12月29日の38,957円だが、この数字は突出していて日本株の実態と乖離していた。

日経平均の最高値は1980年にはたった7100円で1985年も1万3千円、1987年でも2万1000円でした。

それが1988年に3万円、1989年は3万8000円で急上昇したのは僅か2年弱でした。


バブル崩壊というが崩壊の2年前は日経平均2万円だったので、たった2年ほどで株価2倍になっていました。

これを例外とすると日本の実力はせいぜい日経1万円から2万円だったので、その当時の水準は超えています。

では日経最高値更新に意味が無いかというと、日本が「先進国」になったのはこの2年間の超高度成長のおかげでした。


それまでの日本はせいぜい2流の先進国でしかなくサミットでも数合わせのような存在でした。

1985年のプラザ合意では他の4か国は先に会合を済ませ、後から竹下蔵相が呼びつけられて「超円高」を命令されました。

日本は発言すら許されず一方的に命令されるだけというのが、当時の先進国首脳会議の実態でした。


だが超バブルの2年間で日本はアメリカに匹敵する富裕国になり、イギリスやフランスより格上の国になった。

その後30年かけて落ちぶれたが、まだ主要先進国の地位に留まっている。

もうそろそろ場外ホームランでも打たない事には、本当にサミットのメンバーから外されてしまう
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/128.html#c22

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
66. 中川隆[-6362] koaQ7Jey 2021年3月25日 13:54:08 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[33]

2021年01月05日
世界のコロナ対策1400兆円、金融市場に向かいバブル経済に
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html


バブル崩壊で打撃を受けたは間違いで、バブルがあったから日本は先進国に成れた。
バブル前の日本は汲み取り便所とデコボコ道の国でしかなかった

画像引用:https://nightwalker.cocolog-nifty.com/money/images/2016/09/09/201609101.png

世界大戦以来最大の支出

日本政府は2020年だけで57兆円、アメリカは200兆円を使い21年も既にこの半額の支出を決めている。

ここから想像して全世界のコロナ対策で使った金額は約500兆円くらいかなと想像していました。

2021年も同規模とすると約1000兆円になるが、現実はこれを上回る1400兆円に達しようとしていた。

米ロイター通信によると国際通貨基金や各国政府への取材で、財政支出や金融支援の合計は1400兆円規模に達するのが分かったという。

日銀は20年春ごろからコロナ対策として企業への金融支援をしていて、総額はすでに140兆円を超えている。(20年11月)

日銀の支援は上限約20兆円のCP・社債等.買入れと上限約120兆円規模の「新型コロナ対応特別オペ」となっています。


特別オペ120兆円は上限で実際には20年10月に約48兆円で、現在はもっと増えていると考えられる。

特別オペの中身は金融機関に無利子でお金を貸すことで、金融機関を通じて企業に緊急支援を行いました。

日銀が資金供給することで増えるお金の量をマネタリーベースと言い、今までは年間80兆円を上限としていた。


だがコロナ支援によって20年9月以降は年80兆円を上回るペースで推移している。

日本政府と日銀のコロナ支援を合計すると2020年は100兆円を上回り、21年も同程度になるでしょう。

すると全世界のコロナ支援1400兆円のうち1割以上を日本が占め、アメリカが2割以上を占めるでしょう。


第二次大戦と比較すると日本の支出は当時のGDP(GNP)の33倍、国家予算の280倍も使っている。

アメリカはGDP比3.2倍しか使っていないので、日米の経済力が10倍は違っていたことになる。

日本政府が2020年と同じコロナ支出を4年間続けたとしてもGDP比0.8倍、それでも大戦後では最大の支出になる。


日本が大戦の4年間で支出したGDP比33倍は「無駄な支出」とされるが、この無限の支出は数年後に高度経済成長を引き起こしました。

日本の自動車産業は航空機や軍用車両から、電機や機械産業も軍事産業から発達しました。

日産のGTRもトヨタ2000GTも、元をたどると戦時中に戦闘機開発していた技術からきています。

日本が先進国になったのはバブルの2年間のおかげ

経済とは結局のところ「政府が使った金額」で決まるところがあり、たくさんお金を使う日米経済が有利になる。

経済界では早くも、2021年は第二のバブル経済になるとか日本経済大復活の年になるという予想がされている。

少なくとも計算上は世界平均より日本は株価上昇率が高い筈で、GDP成長率も30数年ぶりに世界平均を上回るかも知れません。


2020年は世界でコロナが拡大したのに株価が上昇したが、これは100%各国政府のコロナ対策費のせいでした。

コロナが拡大する限り日米政府は巨額支出を続けるが、コロナが終息したらばら撒いた金を回収し始めます。

日銀はコロナで企業に10兆円以上も貸し付けたが、コロナが収まると「貸した金返せよ」と言い始めます。


財務省も麻生大臣が「財政悪化したから消費増税だ」と言い始め、2009年の再現になりかねません。

もし政府が大増税や金融引き締めに走ったら、デフレ不況や大恐慌レベルの不況になりかねない。

逆説的だが経済の専門家は「なるべく長くコロナに続いて欲しい」と考えていて、コロナが続けば日経バブル更新もあり得ると見ている。


日経平均株価の最高値は1989年12月29日の38,957円だが、この数字は突出していて日本株の実態と乖離していた。

日経平均の最高値は1980年にはたった7100円で1985年も1万3千円、1987年でも2万1000円でした。

それが1988年に3万円、1989年は3万8000円で急上昇したのは僅か2年弱でした。


バブル崩壊というが崩壊の2年前は日経平均2万円だったので、たった2年ほどで株価2倍になっていました。

これを例外とすると日本の実力はせいぜい日経1万円から2万円だったので、その当時の水準は超えています。

では日経最高値更新に意味が無いかというと、日本が「先進国」になったのはこの2年間の超高度成長のおかげでした。


それまでの日本はせいぜい2流の先進国でしかなくサミットでも数合わせのような存在でした。

1985年のプラザ合意では他の4か国は先に会合を済ませ、後から竹下蔵相が呼びつけられて「超円高」を命令されました。

日本は発言すら許されず一方的に命令されるだけというのが、当時の先進国首脳会議の実態でした。


だが超バブルの2年間で日本はアメリカに匹敵する富裕国になり、イギリスやフランスより格上の国になった。

その後30年かけて落ちぶれたが、まだ主要先進国の地位に留まっている。

もうそろそろ場外ホームランでも打たない事には、本当にサミットのメンバーから外されてしまう
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c66

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
18. 中川隆[-6361] koaQ7Jey 2021年3月25日 13:54:28 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[34]

2021年01月05日
世界のコロナ対策1400兆円、金融市場に向かいバブル経済に
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html


バブル崩壊で打撃を受けたは間違いで、バブルがあったから日本は先進国に成れた。
バブル前の日本は汲み取り便所とデコボコ道の国でしかなかった

画像引用:https://nightwalker.cocolog-nifty.com/money/images/2016/09/09/201609101.png

世界大戦以来最大の支出

日本政府は2020年だけで57兆円、アメリカは200兆円を使い21年も既にこの半額の支出を決めている。

ここから想像して全世界のコロナ対策で使った金額は約500兆円くらいかなと想像していました。

2021年も同規模とすると約1000兆円になるが、現実はこれを上回る1400兆円に達しようとしていた。

米ロイター通信によると国際通貨基金や各国政府への取材で、財政支出や金融支援の合計は1400兆円規模に達するのが分かったという。

日銀は20年春ごろからコロナ対策として企業への金融支援をしていて、総額はすでに140兆円を超えている。(20年11月)

日銀の支援は上限約20兆円のCP・社債等.買入れと上限約120兆円規模の「新型コロナ対応特別オペ」となっています。


特別オペ120兆円は上限で実際には20年10月に約48兆円で、現在はもっと増えていると考えられる。

特別オペの中身は金融機関に無利子でお金を貸すことで、金融機関を通じて企業に緊急支援を行いました。

日銀が資金供給することで増えるお金の量をマネタリーベースと言い、今までは年間80兆円を上限としていた。


だがコロナ支援によって20年9月以降は年80兆円を上回るペースで推移している。

日本政府と日銀のコロナ支援を合計すると2020年は100兆円を上回り、21年も同程度になるでしょう。

すると全世界のコロナ支援1400兆円のうち1割以上を日本が占め、アメリカが2割以上を占めるでしょう。


第二次大戦と比較すると日本の支出は当時のGDP(GNP)の33倍、国家予算の280倍も使っている。

アメリカはGDP比3.2倍しか使っていないので、日米の経済力が10倍は違っていたことになる。

日本政府が2020年と同じコロナ支出を4年間続けたとしてもGDP比0.8倍、それでも大戦後では最大の支出になる。


日本が大戦の4年間で支出したGDP比33倍は「無駄な支出」とされるが、この無限の支出は数年後に高度経済成長を引き起こしました。

日本の自動車産業は航空機や軍用車両から、電機や機械産業も軍事産業から発達しました。

日産のGTRもトヨタ2000GTも、元をたどると戦時中に戦闘機開発していた技術からきています。

日本が先進国になったのはバブルの2年間のおかげ

経済とは結局のところ「政府が使った金額」で決まるところがあり、たくさんお金を使う日米経済が有利になる。

経済界では早くも、2021年は第二のバブル経済になるとか日本経済大復活の年になるという予想がされている。

少なくとも計算上は世界平均より日本は株価上昇率が高い筈で、GDP成長率も30数年ぶりに世界平均を上回るかも知れません。


2020年は世界でコロナが拡大したのに株価が上昇したが、これは100%各国政府のコロナ対策費のせいでした。

コロナが拡大する限り日米政府は巨額支出を続けるが、コロナが終息したらばら撒いた金を回収し始めます。

日銀はコロナで企業に10兆円以上も貸し付けたが、コロナが収まると「貸した金返せよ」と言い始めます。


財務省も麻生大臣が「財政悪化したから消費増税だ」と言い始め、2009年の再現になりかねません。

もし政府が大増税や金融引き締めに走ったら、デフレ不況や大恐慌レベルの不況になりかねない。

逆説的だが経済の専門家は「なるべく長くコロナに続いて欲しい」と考えていて、コロナが続けば日経バブル更新もあり得ると見ている。


日経平均株価の最高値は1989年12月29日の38,957円だが、この数字は突出していて日本株の実態と乖離していた。

日経平均の最高値は1980年にはたった7100円で1985年も1万3千円、1987年でも2万1000円でした。

それが1988年に3万円、1989年は3万8000円で急上昇したのは僅か2年弱でした。


バブル崩壊というが崩壊の2年前は日経平均2万円だったので、たった2年ほどで株価2倍になっていました。

これを例外とすると日本の実力はせいぜい日経1万円から2万円だったので、その当時の水準は超えています。

では日経最高値更新に意味が無いかというと、日本が「先進国」になったのはこの2年間の超高度成長のおかげでした。


それまでの日本はせいぜい2流の先進国でしかなくサミットでも数合わせのような存在でした。

1985年のプラザ合意では他の4か国は先に会合を済ませ、後から竹下蔵相が呼びつけられて「超円高」を命令されました。

日本は発言すら許されず一方的に命令されるだけというのが、当時の先進国首脳会議の実態でした。


だが超バブルの2年間で日本はアメリカに匹敵する富裕国になり、イギリスやフランスより格上の国になった。

その後30年かけて落ちぶれたが、まだ主要先進国の地位に留まっている。

もうそろそろ場外ホームランでも打たない事には、本当にサミットのメンバーから外されてしまう
http://www.thutmosev.com/archives/84799035.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c18

[近代史4] 貨幣論の基礎は貸借対照表 中川隆
6. 2021年3月25日 14:57:01 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[35]
>>5
この人は変な事を言っているね。

貸した金を返して貰わないと銀行が損するんだよ:
資金を融資した人の預金は貸した銀行の日銀当座預金に預けられる。
資金を融資した人が預金を使ったら、その時点でその銀行の日銀当座預金が減り、資金を融資した人が金を支払った別の人が銀行預金を預けている別の銀行の日銀当座預金が増える。
従って、貸した金を返して貰わないと、その銀行の日銀当座預金が減って、別の銀行の日銀当座預金に変わってしまう。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1043.html#c6

[近代史4] 貨幣論の基礎は貸借対照表 中川隆
7. 中川隆[-6360] koaQ7Jey 2021年3月25日 15:13:47 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[36]
>>5
また変な事言ってるね。
民間に流れるお金=マネーストック M2 は毎年毎年増え続けているよ。
単に資本家の資産が増えて、資本家は海外投資するから国内での商品の購買に回らなくなっただけだよ。
政府がいくら財政支出しても、その金は最終的には資本家の所へ行くので、デフレからは脱却できない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1043.html#c7
[近代史4] 貨幣論の基礎は貸借対照表 中川隆
8. 2021年3月25日 15:20:58 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[37]
「預金又貸し説」を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
2021/01/25




「銀行はみなさんから集めたお金を企業に貸している」は本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。

■簿記の基本、仕訳の基本は、コチラの動画で解説しています。
┗MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
https://youtu.be/_koJ5PDpJz4​

■参考図書
┗財政破綻論の誤り
https://www.amazon.co.jp/dp/4862281117​

┗図解MMT現代貨幣理論の基盤 Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B082DGGVXH​

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1043.html#c8
[近代史5] ウーマナイザー 12種吸引及び振動モード、欧米の女性たちを虜《とりこ》にするアダルト・トイ 中川隆
15. 2021年3月25日 15:52:52 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[38]
外国人女性が驚いたニッポンの「パパ活」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1587.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/540.html#c15
[リバイバル3] 自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか 中川隆
113. 2021年3月25日 17:26:20 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[39]

英才教育より回り道教育が成功の近道?
http://www.thutmosev.com/archives/84792304.html


英才教育は平凡な一流を量産するが、超一流は生まれない


超一流は英才教育ではない

世の中には英才教育を勧める本やサイトが多く、なるべく早くから子供への専門教育を勧めている。

確かに成功したスポーツ選手やビジネスマンには子供の頃から専門教育を受けた人が居るが、そうでない人たちも居る。

特に『超一流』とされ偉人伝に載るようなレベルだと、ほとんどの人は英才教育を受けていない。

偉人伝に載る人の典型的パターンは子供の頃は落ちこぼれか不良、孤児だったり学校を退学になった人も居る。

色々な職業を転々とするうち偶然ある分野で才能を発揮し、人類史に残るような偉業を達成する。

スポーツ選手でも超一流は最初別な事をしていたが、転向後に成功したというパターンが多い。


芸術やエンターティナー、クリエイターではさらにそうで、子供の頃から音楽の英才教育を受けて歌手で成功した人はあまりいない。

そういう人は楽団メンバーやバックバンドにはなれるが、成功者にまでは辿り着けない事が多い。

本当に革新的なものをゼロから生み出すような人は、何度も失敗して転向し回り道をした挙句、何かで成功するパターンがとても多い。


最高の科学者と言えばアインシュタインだが、言葉を発するのが他の子どもより遅く特に学校生活に適応できなかった。

頭は良かったが学校を中退し、直接大学受験をして補欠入学のような形で入学させてもらった。

大学でも反抗的で教授と折り合いが悪く、卒業後は暇で楽そうだからという理由でスイス特許庁に就職した。


ここまでの人生は数学の理解力だけ飛びぬけていたものの、ほぼ何の取り柄もない怠け者の青年でした。

この後立て続けに論文を発表するが審査する大学側が理解できなかったため取り上げられず、しつこく発表し一般相対性理論が認められた。

もしアインシュタインが幼少期からエリート教育を受け優秀な学生だったら、どう考えても社会の主流からはみ出さなかったでしょう。

エリートは革命を起こさない

ここが成功に至る道の難しさで、あるレーサーは「間違ったラインで走行しないと前の車両を抜けない」と表現しました。

レース中に前の車両を抜くとき、先行する車両は必ずベストラインを走行しているので、そのラインは走行できません。

ベストラインを走行する車両を抜くにはわざと間違ったラインを走行し、前車の前を塞いでブロックします。


もし前を塞がれた車両が速度を落とさなければ衝突するが、2台の性能が同じなら他に方法はありません。

人生の成功に至る道も、前の人と同じベストな人生を歩んだら、決して前の人を抜くことは出来ないという矛盾がある。

最高の画家といえばゴッホ、起業家の理想のように言われるアップル創業者のジョブズも回り道人生でした。


ゴッホは生涯評価されることが無く成功した人生とは言えないが、彼の没後に作品は最高の評価を受けた。

ジョブズは典型的な不良で違法な電話通信機を作って販売したりインドを放浪したり、自分の仕事を友人にやらせて報酬をピンハネしていた。

そのピンハネで作らせたのが「アップルコンピューター」で、結局会社を独り占めして友人は追い出した。


世界最初のフランチャイズはKFCのカーネルサンダースが始めたが、レストランを倒産させ「チキンの作り方」を販売する商売を思いついた。

誰にも相手にされなかったが数百人目で最初の契約を交わし、それが全世界のKFCやフランチャイズの起源になった。

こうした世界初の偉業を成し遂げる多くは「挫折組」つまり負け組で、エリートは革命を起こしたりしません。


挫折組の特徴は無数の失敗を繰り返す事で、成功した事の何百倍も失敗の経験を重ねています。

これらの例からは英才教育を受けて成功したエリートは結局「ある壁」を超えられず、壁を超えるのは挫折組だったと言える。

スポーツ選手の全盛期は20代前半で挫折していると選手生命が燃え尽きてしまう。


そのため英才教育がある程度有効で、他の分野より「少年野球→高校野球→プロ野球→メジャー」のような直線的成功が多い。

だがそうして直線的に成功したスポーツ選手は他の経験が乏しい為、引退後に破産する確率が非常に高いそうです。

http://www.thutmosev.com/archives/84792304.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/564.html#c113

[番外地9] 徳仁と雅子の結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。 中川隆
1. 中川隆[-6359] koaQ7Jey 2021年3月25日 18:59:46 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[40]
小和田恒・雅子妃、今上天皇は創価学会員で中国のエージェントなんだよ:
小和田家は三代前は遡れない家系。本当に日本人なのかも分からない。
徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早く、雅子さんというハニートラップを仕掛けられていた。

ドス子Wikiコルマール
その結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。

ドス子wikiさんより
2004年4月佐賀県吉野ヶ里公務にて徳仁が泣き出す事件目撃情報(他スレからの転載)

Part44-535 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:43 ID:E3sMe2/9
昨日佐賀に皇太子が来たんだよ
吉野ヶ里ってとこがあるんだけど、そこで式典があって、その最中に鼻をすすりだし、突然涙をぬぐい出した。
理由はもちろんわかんね。鼻炎とかかもしれないけど、突然泣き出したから、まわりは驚いてた。


660 :名無しさん@4周年 :04/04/25 11:34 ID:GHTsS4cY
いまさら学生時代や外務省時代のデキなんてどうでもいいだろ。

そんなことよりよ、おまいら知らねえと思うけど、昨日の公務ですごいことがあったぞ。
なんと、皇太子が突然泣き出すハプニングがあったんだよww
泣き出したと言っても軽くだけどな。でもびっくりしたよ。
俺はそばで見てたんだけどさ。さすがにまわりがどよめいたよ。


2004年4月は、雅子が愛子を連れて軽井沢小和田家別荘に立て篭もっていた時期。その頃両陛下との夕食会後にも徳仁が母美智子さまの手をとり涙を流したという事件が発生したともマスコミ記事になっている。


参考:『週刊新潮』2005/5/4号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>
参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事

徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件

Part373-374 名前:可愛い奥様 :2006/02/17(金) 23:38:34 ID:Ac69Mvpj
彼が「もういやだ」と泣いたのは本当

   「離婚したい」と言ったのも事実

その後の流れは全てここから始まっている
泥酔状態での発言だが


創価学会の信者  
雅子さんが元々信者だったことから改宗させられたのか、韓国に「歴史を学ぶ人として、過去を反省した上で良い関係が築かれることを願う」(2018年3月19日) https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=239728&servcode=A00§code=A10&cloc=jp

などと、皇族でありながら、政治に口出し、日本を売る発言をしてしまう。赤い皇族である。

中共、創価の操り人形のようです。
こんな黒い人物は、天皇に相応しくありませんね。日本国民の力で、次代に代わって頂きましょう。

皇民の力はめっちゃ大きいんやで

(徳仁さん事件)
・泌尿器疾患で、プチエンジェル事件の小児性愛顧客名簿に名前があって、ヤフオク事件の犯人疑惑(ほぼ確定)で、創価信者の徳仁さんは、天皇をご辞退ください。菅総理応援しています。
https://nipponwomamoru.at.webry.info/201901/article_4.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/242.html#c1

[番外地9] 徳仁と雅子の結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。 中川隆
2. 中川隆[-6358] koaQ7Jey 2021年3月25日 19:13:47 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[41]
小和田恒・雅子妃、今上天皇は創価学会員で中国のエージェントなんだよ:
小和田家は三代前は遡れない家系。本当に日本人なのかも分からない。
徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早く、雅子さんというハニートラップを仕掛けられていた。

ドス子Wikiコルマール
その結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。

ドス子wikiさんより
2004年4月佐賀県吉野ヶ里公務にて徳仁が泣き出す事件目撃情報(他スレからの転載)

Part44-535 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:43 ID:E3sMe2/9
昨日佐賀に皇太子が来たんだよ
吉野ヶ里ってとこがあるんだけど、そこで式典があって、その最中に鼻をすすりだし、突然涙をぬぐい出した。
理由はもちろんわかんね。鼻炎とかかもしれないけど、突然泣き出したから、まわりは驚いてた。


660 :名無しさん@4周年 :04/04/25 11:34 ID:GHTsS4cY
いまさら学生時代や外務省時代のデキなんてどうでもいいだろ。

そんなことよりよ、おまいら知らねえと思うけど、昨日の公務ですごいことがあったぞ。
なんと、皇太子が突然泣き出すハプニングがあったんだよww
泣き出したと言っても軽くだけどな。でもびっくりしたよ。
俺はそばで見てたんだけどさ。さすがにまわりがどよめいたよ。


2004年4月は、雅子が愛子を連れて軽井沢小和田家別荘に立て篭もっていた時期。その頃両陛下との夕食会後にも徳仁が母美智子さまの手をとり涙を流したという事件が発生したともマスコミ記事になっている。


参考:『週刊新潮』2005/5/4号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>
参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事

徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件

Part373-374 名前:可愛い奥様 :2006/02/17(金) 23:38:34 ID:Ac69Mvpj
彼が「もういやだ」と泣いたのは本当

   「離婚したい」と言ったのも事実

その後の流れは全てここから始まっている
泥酔状態での発言だが


創価学会の信者  
雅子さんが元々信者だったことから改宗させられたのか、韓国に「歴史を学ぶ人として、過去を反省した上で良い関係が築かれることを願う」(2018年3月19日) https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=239728&servcode=A00§code=A10&cloc=jp

などと、皇族でありながら、政治に口出し、日本を売る発言をしてしまう。赤い皇族である。

中共、創価の操り人形のようです。
こんな黒い人物は、天皇に相応しくありませんね。日本国民の力で、次代に代わって頂きましょう。

皇民の力はめっちゃ大きいんやで

(徳仁さん事件)
・泌尿器疾患で、プチエンジェル事件の小児性愛顧客名簿に名前があって、ヤフオク事件の犯人疑惑(ほぼ確定)で、創価信者の徳仁さんは、天皇をご辞退ください。菅総理応援しています。
https://nipponwomamoru.at.webry.info/201901/article_4.html

▲△▽▼

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html


http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/242.html#c2

[近代史4] 貨幣論の基礎は貸借対照表 中川隆
9. 中川隆[-6357] koaQ7Jey 2021年3月25日 21:36:37 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[42]
>>8
ちょっとおかしいですね。

銀行が資金を持っていない時に顧客に融資する場合なら正しいですが、銀行が既に日銀当座預金に多額の当座預金を持っているとすると、顧客への融資は又貸しするのと変わらなくなります:


顧客Aが預金した金は銀行の日銀当座預金に預けられる。

資金を融資した顧客B がその金を別の人 C の銀行口座へ振り込んだら、その時点でその銀行の日銀当座預金が減り、C が金を預けている銀行の日銀当座預金が増える。
従って、顧客Aが預金した銀行の日銀当座預金が減って、その減少分は C が金を預けている銀行の日銀当座預金に変わってしまう。

つまり、日銀当座預金でお金の流れを見れば、お金のプール説が成り立っています。
顧客への融資は銀行に預金している人の金を又貸しするのと変わりません。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1043.html#c9

[近代史4] 信用貨幣論に基づく信用創造 中川隆
8. 中川隆[-6356] koaQ7Jey 2021年3月25日 21:42:15 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[43]
MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
2020/07/10





▲△▽▼


「預金又貸し説」を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
2021/01/25




「銀行はみなさんから集めたお金を企業に貸している」は本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。

■簿記の基本、仕訳の基本は、コチラの動画で解説しています。
┗MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
https://youtu.be/_koJ5PDpJz4​

■参考図書
┗財政破綻論の誤り
https://www.amazon.co.jp/dp/4862281117​

┗図解MMT現代貨幣理論の基盤 Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B082DGGVXH​

_____


ちょっとおかしいですね。

銀行が資金を持っていない時に顧客に融資する場合なら正しいですが、銀行が既に日銀当座預金に多額の当座預金を持っているとすると、顧客への融資は又貸しするのと変わらなくなります:


顧客Aが預金した金は銀行の日銀当座預金に預けられる。

資金を融資した顧客B がその金を別の人 C の銀行口座へ振り込んだら、その時点でその銀行の日銀当座預金が減り、C が金を預けている銀行の日銀当座預金が増える。
従って、顧客Aが預金した銀行の日銀当座預金が減って、その減少分は C が金を預けている銀行の日銀当座預金に変わってしまう。

つまり、日銀当座預金でお金の流れを見れば、お金のプール説が成り立っています。
顧客への融資は銀行に預金している人の金を又貸しするのと変わりません。



▲△▽▼


信用創造は、本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。
2021/02/04





「預金」は何もないところから湧き出てくる説(信用創造)は、本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。ついでに政府の財政支出(国の資金繰り)についても簡単に解説しました。



簿記の基本、仕訳の基本は、コチラの動画で解説しています。

■MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
https://youtu.be/_koJ5PDpJz4​

■参考図書
┗財政破綻論の誤り
https://www.amazon.co.jp/dp/4862281117​

┗図解MMT現代貨幣理論の基盤 Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B082DGGVXH​


↓↓↓MMT関連の動画↓↓↓

■国債金利が国庫納付金として日銀から政府に返金されているという事実を「簿記(仕訳)」で検証してみたら勘違いしていることに気付いた!
https://youtu.be/8rzLHQlctCg​

■国債元本は返済不要?「簿記(仕訳)」と日銀ホームページで検証してみた!
https://youtu.be/VtGs-SO5_lA​

■池上彰氏の国債・国の借金・増税の話は嘘なの?コロナ増税の必要性を国の資金繰りから図解で読み解く!
https://youtu.be/x2xBwwt4k64​

■コロナ増税はかなりヤバい!国の資金繰り「プライマリーバランス」黒字化をわかりやすく図解で解説!
https://youtu.be/nwsW0yFZ58A​

■国の決算書とMMT理論!日本はいつ財政破綻するのか?国の貸借対照表を紐解く!
https://youtu.be/mFfwWM4VGWs​


↓↓↓中小企業の資金繰り関連の動画↓↓↓

■【新・コロナ融資情報】民間金融機関で無利子、無担保、無保証料、据置5年で3000万円を借りよう!
https://youtu.be/U-r5XVYRQi8​

■図解【コロナ融資】追加融資と借換えを比較シミュレーション!どちらが有利なの?
https://youtu.be/hoGDrMsNs34​

■【コロナ融資】一本化で返済額が半分になる方法を図解でわかりやすく解説!
https://youtu.be/1UbJ9b8kuX8​

■急げ!【コロナ借入】資金繰りで大きなチャンスを掴もう!
https://youtu.be/TXUvDT1FzEE​

■コロナ対策【納税猶予】要点だけをわかりやすく解説!資金繰りが確実に楽になる(法人編)
https://youtu.be/o4QItZS_KDc​

■コロナ対策!合法的に税金を取り戻す方法【繰戻し還付】(法人編)
https://youtu.be/Zv60SJWhniQ​

●コロナ【納税猶予】【繰戻し還付】どちらを選べばいいの?(法人編)
https://youtu.be/lI7-eBRibSU​

●コロナ対策【持続化給付金】の要点だけをわかりやすく解説!(個人事業主編)一日も早く100万円を貰おう!
https://youtu.be/V0wxcF11LPM​

●コロナ対策【持続化給付金】要点だけをわかりやすく解説!(法人編)一日も早く200万円を貰おう!(法人編)
https://youtu.be/Sx_gr_8ZSco​

●コロナ対策【続・持続化給付金】申告書が作成中でまだ手元にない場合の取り扱い!
https://youtu.be/cGz6ATPmeWE​

______


この人は変な事を言っているね。

貸した金を返して貰わないと銀行が損するんだよ:

資金を融資した人の預金は貸した銀行の日銀当座預金に預けられる。
資金を融資した人が預金を使ったら、その時点でその銀行の日銀当座預金が減り、資金を融資した人が金を支払った別の人が銀行預金を預けている別の銀行の日銀当座預金が増える。
従って、貸した金を返して貰わないと、その銀行の日銀当座預金が減って、別の銀行の日銀当座預金に変わってしまう。

____


変な事言ってるね_ 2

民間に流れるお金=マネーストック M2 は毎年毎年増え続けているよ。

単に資本家の資産が増えて、資本家は海外投資するから国内での商品の購買に回らなくなっただけだよ。
政府がいくら財政支出しても、その金は最終的には資本家の所へ行くので、デフレからは脱却できない。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/919.html#c8
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき 中川隆
16. 中川隆[-6355] koaQ7Jey 2021年3月25日 21:43:47 : vl7F87MneD : REttWUlNMENXZG8=[44]
MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
2020/07/10





▲△▽▼


「預金又貸し説」を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
2021/01/25




「銀行はみなさんから集めたお金を企業に貸している」は本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。

■簿記の基本、仕訳の基本は、コチラの動画で解説しています。
┗MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
https://youtu.be/_koJ5PDpJz4​

■参考図書
┗財政破綻論の誤り
https://www.amazon.co.jp/dp/4862281117​

┗図解MMT現代貨幣理論の基盤 Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B082DGGVXH​

_____


ちょっとおかしいですね。

銀行が資金を持っていない時に顧客に融資する場合なら正しいですが、銀行が既に日銀当座預金に多額の当座預金を持っているとすると、顧客への融資は又貸しするのと変わらなくなります:


顧客Aが預金した金は銀行の日銀当座預金に預けられる。

資金を融資した顧客B がその金を別の人 C の銀行口座へ振り込んだら、その時点でその銀行の日銀当座預金が減り、C が金を預けている銀行の日銀当座預金が増える。
従って、顧客Aが預金した銀行の日銀当座預金が減って、その減少分は C が金を預けている銀行の日銀当座預金に変わってしまう。

つまり、日銀当座預金でお金の流れを見れば、お金のプール説が成り立っています。
顧客への融資は銀行に預金している人の金を又貸しするのと変わりません。



▲△▽▼


信用創造は、本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。
2021/02/04





「預金」は何もないところから湧き出てくる説(信用創造)は、本当か?ウソか?簿記(仕訳)で検証してみました。ついでに政府の財政支出(国の資金繰り)についても簡単に解説しました。



簿記の基本、仕訳の基本は、コチラの動画で解説しています。

■MMT(現代貨幣理論)を「簿記(仕訳)」で検証してみた!
https://youtu.be/_koJ5PDpJz4​

■参考図書
┗財政破綻論の誤り
https://www.amazon.co.jp/dp/4862281117​

┗図解MMT現代貨幣理論の基盤 Kindle版
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https://youtu.be/8rzLHQlctCg​

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https://youtu.be/VtGs-SO5_lA​

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https://youtu.be/x2xBwwt4k64​

■コロナ増税はかなりヤバい!国の資金繰り「プライマリーバランス」黒字化をわかりやすく図解で解説!
https://youtu.be/nwsW0yFZ58A​

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https://youtu.be/mFfwWM4VGWs​


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■【新・コロナ融資情報】民間金融機関で無利子、無担保、無保証料、据置5年で3000万円を借りよう!
https://youtu.be/U-r5XVYRQi8​

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https://youtu.be/hoGDrMsNs34​

■【コロナ融資】一本化で返済額が半分になる方法を図解でわかりやすく解説!
https://youtu.be/1UbJ9b8kuX8​

■急げ!【コロナ借入】資金繰りで大きなチャンスを掴もう!
https://youtu.be/TXUvDT1FzEE​

■コロナ対策【納税猶予】要点だけをわかりやすく解説!資金繰りが確実に楽になる(法人編)
https://youtu.be/o4QItZS_KDc​

■コロナ対策!合法的に税金を取り戻す方法【繰戻し還付】(法人編)
https://youtu.be/Zv60SJWhniQ​

●コロナ【納税猶予】【繰戻し還付】どちらを選べばいいの?(法人編)
https://youtu.be/lI7-eBRibSU​

●コロナ対策【持続化給付金】の要点だけをわかりやすく解説!(個人事業主編)一日も早く100万円を貰おう!
https://youtu.be/V0wxcF11LPM​

●コロナ対策【持続化給付金】要点だけをわかりやすく解説!(法人編)一日も早く200万円を貰おう!(法人編)
https://youtu.be/Sx_gr_8ZSco​

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https://youtu.be/cGz6ATPmeWE​

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この人は変な事を言っているね。

貸した金を返して貰わないと銀行が損するんだよ:

資金を融資した人の預金は貸した銀行の日銀当座預金に預けられる。
資金を融資した人が預金を使ったら、その時点でその銀行の日銀当座預金が減り、資金を融資した人が金を支払った別の人が銀行預金を預けている別の銀行の日銀当座預金が増える。
従って、貸した金を返して貰わないと、その銀行の日銀当座預金が減って、別の銀行の日銀当座預金に変わってしまう。

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変な事言ってるね_ 2

民間に流れるお金=マネーストック M2 は毎年毎年増え続けているよ。

単に資本家の資産が増えて、資本家は海外投資するから国内での商品の購買に回らなくなっただけだよ。
政府がいくら財政支出しても、その金は最終的には資本家の所へ行くので、デフレからは脱却できない。


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