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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100384
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[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
25. 中川隆[-14339] koaQ7Jey 2020年1月19日 15:13:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1249]
旧フランスからの刺客 AUDAX(1) mixiユーザー(id5343821)の日記 2019年04月01日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1970959293?org_id=1971047789

私のオーディオは、弱い部屋との戦いであった。
ただただ翻弄されるばかりで、高音の強い小口径フルレンジに走ったのは、部屋を揺らすほどの低音が出にくいということがあったかもしれない。

年がたち、ベテランのアドヴァイスを受けたりもして、スペアナ、デジタルグライコ付きプリアンプ、サブウーファーで低音分散、といったところで、部屋を制圧。
ある日、ステサンを読んでいると、柳沢先生が、-96デシベル/octでのクロスを推奨しておられ、真似して限界値の-24を試すと、サブウーファーではこれはよかった。ますます部屋の影響と思われる低音の雑味が減った。

リフォームで床もやや良くなっており、FE108Solによるスワンのマトリックスサラウンドで、ほとんど不満のない状況が得られた。

ひどい状況を年を重ねて克服するというのは、ハンデが少ない人・頭のいい人なら1週間でできた程度のことかもしれないが、それでも立派なことだと自分に言ってやりたい。

スタートのひどい状況は自分の責任ではないし、失敗を経験し、なんとかしようと考察し、先達の意見を受け止めないと、なかなか変えることはできない。

これでめでたしめでたしというところだが、ちょうど、この音に関心がなくなってしまった。
音楽ファンでもあるが、やはりオーディオマニア。

おもいついたのがポチの夢プラン。

いろんなフルレンジユニットを集めて、対決させ、気に入ったもの、部屋やキャビネットと相性のいいものを残す。

かつて2年で10種類以上の高級ヘッドフォンを購入し、Audezeを残したことがあった。

そのときの経験で、どのメーカーも「原音・音楽に寄り添う」的なことを言っており、「ヒップホップだけを聴いてくれYO!」「クラシックに適しておりますがロックの低音は薄い可能性がございます」などと言ってはいない。しかしながら、音はまったく違うものなのである。

それぞれの人や文化によって、「原音」と感じて聞こえているものが違うのだとよくわかった。オーディオは、高価なもの1機種に縛られるのではなく、自分と相性のいいものを複数から選ぶべきだ。スピーカーではなかなかできないのだが。。。

ただただ向上というのではなく、個性を楽しむという面もある。

久々にネッシーMIDのキャビネットをメインに据え、5インチとか13センチフルレンジと呼ばれる(呼び方に幅あり)もので取り付けられるものを調べまくり、最終的に5つのユニットが採用されそうだ。
既に3つ手元にある。

ダークホース(バード)として、スワン用の高級ユニットも発見している。

苦労しているのがアダプターバッフル(リング)で、かつてお世話になった業者さんと連絡つかず、木工業者さんには断られ、見積もりを出すといったまま音沙汰なしのところ、等。

個人の趣味で他人様を細かく動かそうと思ってもこんなものだなと嘆息し、撤退せざるを得ないのかとすら思った。
しかし、ネット検索で金属加工は意外とあるもので、ヘタな手書き図面でなんとか伝達。砲金がいいのだが、高いし、過去に経験もあるので、最近ハイエンドスピーカではやりのアルミニウム、アルマイト黒色加工というものにした。
高い位置なので、やたら重くしたくないというのもある。
真鍮と違い、モダンなデザインになるのも期待。
インターネットに乾杯。

それはGWまでに届くので、そこまでは、無理やり2つのねじで取り付けた、フランスはオーダックスの13LB25ALというフルレンジ。
ペア3万6000円定価ぐらいのものだ。
しかし紙面と時間が尽きた・・・

コメント


mixiユーザー2019年04月01日 08:08

なるほど、アルミ板をサブパッフルとして数種類のユニットを取り付けておき、メインパッフルに対してサブパッフルごと入れ替えるという訳ですね。
ユニバーサルトーンアームに対してヘッドシェル付きのカートリッジをいろいろ入れ替えるのと似ていますね。

ただ、新しいユニットを手に入れるたびにアルミ板に穴を開けたりネジ穴を切らなくてはならないという手間がかかりますが・・・。

mixiユーザー2019年04月02日 01:34

> mixiユーザー 

ご心配なく。ネジ穴を2タイプあけていて、これで今回の5種はとりつくはずなんです。ほかも聴きたいですが・・・、足るを知らないといけないのかもしれません。

mixiユーザー2019年04月07日 13:38

そういえば、28日日曜にポチの夢宅の恒例フルレンジ大会がありますね。どうされますか。

mixiユーザー2019年04月07日 20:07

> mixiユーザー 
参加したいです。ユニットをもっていけるほどですが・・・
時間等お知らせお願いいたします。

mixiユーザー2019年04月08日 06:15

> mixiユーザー 

恐らく前と同じように11時頃に集まって例の大盛りそばを食べてから始まると思います。

詳しくはポチの夢さんにメッセージをいれて確かめてください。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970603718&owner_id=17399344

私も聞いてみます。

mixiユーザー2019年04月08日 12:38

> mixiユーザー
 
ありがとうございます。今回は、10~13センチフルレンジの世界にそうとう詳しくなったので、意義が大きそうです。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1970959293?org_id=1971047789


旧フランスからの刺客 AUDAX(2) mixiユーザー(id5343821)の日記 2019年04月07日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971047789

Audaxはまったく知らなかったが、ハーベスの初号機のツィーターがオーダックスだという。

ハーベスは長年のあこがれで、使う日も来ないだろうと思っていたが、軽い縁ができたのには驚いた。

もう廃業しているようだが、今回入手できたのは、ダイヤトーン的になにか復刻の動きがあるのだろうか。


13LB25AL
能率 96デシベル
Q0 0.24
m0 3.90
1.5キロ
ペーパーコーン
国籍:フランス
価格 ペア3万〜3万8000円


とにかくオールドタイプの設計。低出力真空管アンプ用に能率は猛烈に高い。
アルテックなども含め、業務用の拡声器としての使用が想定された時代の影響か、中音重視が潔い。

測定データは、サブウーファーとスーパーツィーターをつけたもの。
共鳴管のせいもあり、あまりにも低音が出ないので、125Hzまでサブウーファーに頼り切っている。さすがにこれはよくない。

高域も、3.15キロあたりから右肩下がり。しかし、これに関しては、スーパーツィーターが1μで取り付けられ、干渉少なくつながるので好都合。
谷はできているが。

スーパーツィーターはFOSTEXのT90A-EXで7万5000円ぐらいする。Audaxの2倍を超えるのである。ただ通常では、高域が喧嘩して真価を発揮しないことが多い。

音はどうか。

最初は「壊れかけのラジオ」、レンジの狭い音で、高音も割れる。
1940年代かという音。

しかしこれは、アンプの設定もスワン仕様だったり、セッティングや鳴らしこみや取り付けなどの問題があるのだ。

アルミリングが届くまでは、ネジ穴二つの仮留めに近いので、完成ではないが、それ以外は調整した。

スピーカーケーブルは、プロケーブル推奨のベルデン黒白ケーブルで4mペアで2千円台。これで、京都人さんがかつて強く推奨されたユニット直結を実現。安全性は意外とまったく問題なし。

ファストン端子で取り外しを重視。

マトリックスサラウンドがしばらくなしの状況だったので、この機会にモノラルソースを積極的にかける。

カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン全集。ハイレゾで2000円ぐらいだった?ので興味本位で持っていたが、なんのとりえもない無残な音質で、ベルリンフィルの全集があればゴミかと思っていた。
が、なんとこれがイキイキと鳴ったので驚いた。

若きカラヤンがフルトヴェングラーの死の前後あたりに録音しており、なぜ帝王交代できたかがわかるような、新しい時代の演奏だ。
スタイリッシュでバランスが良くて、スムーズに流れていく。後年のクセっぽさも少ない。
これを聴くとフルトヴェングラーの録音はぶきっちょで音も悪く、レコードとしては完成度が低いと感じられてもおかしくはない。

他には、ビートルズモノ。これもそれらしく鳴る。
おそらく、現代ハイエンドスピーカーより合っている。
リヒターのマタイ受難曲は、モノではないが、いつになく胸に迫る。
こうなると、パワーアンプはファーストワットのJ2で、真空管アンプに最も近いものといえるが、しょせん真空管アンプではないので、真空管で鳴らしたくなる。
オリタアンプは残念ながら壊れてしまったが、手元にあれば使っていただろう。

タンノイにも似ているが、ペーパーコーンの質が近いのだろう。
ラバープラグの影響か、中低域に独特の渋い艶があって、懐かしいような古典的な味を出している。
10センチと較べると、空気を動かす量が多いというか、クラシックコンサートに近づく気がする。フルレンジは、このあたりがよいバランスなのでは。

スペックだけ見るとフォスのFEという感じだが、音は全然違い、高域の張り出しはない。クラッセプリのイコライザー機能が不要になってしまった。
かつて税抜きペア8万円の138ES-Rとか10万円のMG130HRとかを鳴らしていたキャビネットだが、まさに、ハイエンド8Nの極太ケーブルと、ウエスタンエレクトリックの素朴なケーブルとの違いといえるだろう。
また、長岡系の音というより海外の音になった。

トップバッターでもっとも安価だが、高域の落ち方(スーパーツィーターの活躍)と、古いクラシックが胸に迫る感じでいうと、最後に残すのはこれになる可能性も十分に感じる。

欠点は、中低域がホワッとするというか、湿った感じになる。
これはユニットではなく、のっぺりした長身キャビネットの音というのと、取り付けが甘いということがある。
アルミリングをガッチリ取り付けるようナットやレンチを準備しているが、これでキャビとどれぐらい絶縁できるかが死活問題になる。


5 3

コメント


mixiユーザー2019年04月08日 19:41

オーダックスというと、SpendorのSA-1を思い出します。
当時、SpendorのBCUに憧れて、BBCモニター系の製品をいろいろ聴き比べていました。

さすがにBCUともなると価格も一流で学生にはなかなか手が出ません。
その点、SA-1は小型2ウェイで価格も安く、音が良ければ候補の一つとなりえます。
小型では、有名なLS3/5Aをはじめ、Jim RogersのJR-149、B&WのDM-4Uなどがライバルでした。

それらのライバルがKEFやCelestionのユニットを使っていたのに対し、SA-1はオーダックスのユニットを使っていました。

音を聴くと、SA-1だけがBBCモニター系とは違う感触の少し張り出してくる音に聴こえたために私の選択から外れました。これがオーダックスの特徴だったのかもしれません。

結局コストなどを考えてDM-4Uを買い込むことになりましたが、音だけでいうとLS3/5Aが最も気に入りました。

mixiユーザー2019年04月08日 20:15

> mixiユーザー 

なるほど、ブリティッシュな格調高い節度とは違う感じがしますね。
帯域バランスは違いますが、長岡系の軽く飛び出してくるところはあるかなと。スワンのマトリックスサラウンドを付け加えましたが、キャラクター的に違和感ありませんでした。


mixiユーザー2019年04月09日 01:00
> mixiユーザー 

安い、速い、と、フランスの長岡鉄男だったのかもしれません。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971047789

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c25

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
26. 中川隆[-14338] koaQ7Jey 2020年1月19日 15:16:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1248]
AUDAX|マロニエオーディオ
http://www.maronieaudio.com/item/spdrv/audax.html


保証期間 1年間(メーカー規定範囲のみ)


AUDAXウーハは種類は少ないのですがとても優秀なウーハー群です。

 

使ったことがないから使わない方が多いようですが、

とても音質も良く、音の正確さ、切れの良い低音、レンジも充分です。

 

とにかく価格が安いです。

 

鈍い低音が苦手な人には向いています。


能率が良いので、有名高価低能率ユニットとは違う面白さがあるウーハです。

こういうユニットはもっと評価されるべきです。

 

Tweeterも種類は少ないのですが価格も安く良い製品です。

 

どうしても高域が30KHzでないから・・とスペックで使わない方が多いのですが、音も良く優秀な製品です。

 

お勧めです。

AM21LB25ALBC 8インチ Paper Cone Full Range
http://www.audax.com/archives/AM21LB25ALBC.pdf

17LB25ALBC 6.5インチ Paper Cone Full Range
http://www.audax.com/archives/17LB25ALBC.pdf


13LB25AL
(5inch FullRange PaperCone withPhase Plug)

The onepiece coneand surroundhas a livelysound withhighsensitivity. •One piece paper cone and corrugated surround
•Rubber phase plug
•Ventilated raised nomex spider
•Copper Clad Aluminum voice coil wire CCAW
•Zomak die cast chassis
•High 96 dB sensitivity
•8 ohm nominal impedance
•Made in France


フレームは堅固、高能率、高情報量、音は柔らかく、温かい、女性ボーカルはとても良いです。

クラッシック、ジャズに良いドライバーです。

バスレフ、ダブルバスレフ、バックロードホーンスピーカーなどにお薦めです。

EMS LB6に音質は似ています。

高域はスペック以上に伸びています。

AUDAX 3inchフルレンジドラスバーは秀逸でしたが、この5inchも低音をあまり欲張らず中域から高域の音質がとても良いです。

低出力真空管アンプにお薦めです。

価格も安くお薦め5インチフルレンジドライバーです。


PR240Z0 Aerogel ConeProfessional 10inch Woofer

PR240Z0

1、Zamak die cast chassis
2、Aerogel coated paper cone
3、Rubber suspension
4、Vented pole piece
5、Edge wound flat copperwire
6、Fiberglass reinforcedKapton voice coil former(48mm)
7、Gold plated terminals
8、90dB efficiency
9、Made in France

PR240Z0data

4" Aerogel Midrange Driver

High density aerogel cone with impregnated Carbon / kevlarfibers for a light and stiff cone. Precise and detailed butretaining a neutral tonal balance.

Exceptional midrange driver.

HM130Z10
AAC Aerogel5.25" Mid/Bass

PR125T1
Horn Tweeter

RW034X0 Replacement Voice Coil for Audax TW034X0 tweeter.

PR240M0

Professional Line 10" Woofer

• Zamak die cast chassis
• Ribbed paper cone
• Foam suspension
• Flat copper wire
• Kapton voice coil former (48mm)
• Gold plated terminals

 

HM210Z10

8" Aerogel Coated Paper Cone Midrange

• Aerogel Coated Paper Cone
• Cast Frame
• Phase Plug
• Ventilated Spider
• Cloth Accordian Surround
• 97.5 dB Sensitivity

PR330M0

13" Professional Woofer

Audax PR330M0 13" Professional Woofer

https://www.madisound.com/store/images/Image/PR330M0-front.jpg

https://www.madisound.com/store/images/Image/PR330M0-side.jpg

https://www.madisound.com/store/images/Image/PR330M0-Mech1.jpg

https://www.madisound.com/store/images/Image/PR330M0-Mech2.jpg

https://www.madisound.com/store/images/Image/PR330M0-specs.jpg

• 98dB Efficiency
• Heat sink design
• Vented pole piece
• Zamak die cast chassis
• Ribbed paper cone
• Foam suspension
• Flat copper wire
• Kapton voice coil former (48mm)
• Gold plated binding posts

 


This 13" woofer offers Hi-Fi quality along with Professionalcharacteristics. High efficiency (98dB). Large magnet with avented pole piece. High heat dissipation. Heatsink designedZamak chassis. The flat copper copper wire voice coil is woundonto a fiberglass reinforced Kapton former for exceptional powerhandling (150W). Idally suited for strong bass response down to40Hz using a C4 alignment.

HM210C0

8" Carbon Fiber Woofer

Designed for highend systems, thesedrivers utilize avery stiff andlightweight wovencarbon fiber cone.The use of thismaterial results indynamic bassresponse, superbmidrange clarity andan extremely naturaltop end roll off.Unobstructed ventingof the Zamak diecast chassis, plusthe use of a ventedpole piece,contributes to thedramatic transientresponse. Otherfeatures include ahigh compliancerubber suspension,soft polymer dustcap, edgewoundcopper voice coil ona fiberglassreinforced Kaptonformer, and goldplated terminals.This 8" unit takesfull advantage ofthe carbon fibermaterial providingflat response, anddeep, tight bass.

• Powerhandling: 70wattsRMS/100watts max
• Voice coildiameter:1-1/2"
• Voice coilinductance:.42 mH
• Impedance: 8ohms
• DCresistance:6.5 ohms
• Frequencyresponse:31-5,500 Hz
• Magnetweight: 20oz.
• Fs: 31 Hz
• SPL: 90 dB1W/1m
• Vas: 2.93cu. ft.
• Qms: 5.17
• Qes: .42
• Qts: .39
• Xmax: 4.15mm
• Net weight:4.6 lbs.
• Dimensions:OverallDiameter:8-1/4",CutoutDiameter:7-5/16",MountingDepth:3-7/8",MagnetDiameter:3-7/8",MagnetHeight:1-3/8".


HM170C0
6.5" CarbonFiber Woofer

Designed forhigh endsystems, thisdriver utilizesa very stiff andlightweightwoven carbonfiber cone. Theuse of thismaterial resultsin dynamic bassresponse, superbmidrange clarityand an extremelynatural top endroll off.Unobstructedventing of theZamak die castchassis, plusthe use of avented polepiece,contributes tothe dramatictransientresponse. Otherfeatures includea highcompliancerubbersuspension, softpolymer dustcap, edgewoundcopper voicecoil on afiberglassreinforcedKapton former,and gold platedterminals. TheHM170CO providesa very naturalmidrange qualityand excellentoff-axisperformance.


Specifications:

• Powerhandling: 60watts RMS/85watts max
• Voice coildiameter:1-1/8"
• Voice coilinductance:.24 mH
• Impedance: 8ohms
• DCresistance:6.3 ohms
• Frequencyresponse:42-6,500 Hz
• Magnetweight: 20oz.
• Fs: 42 Hz
• SPL: 90 dB1W/1m
• Vas: 1.08cu. ft.
• Qms: 4.16
• Qes: .35
• Qts: .32
• Xmax:.3.0mm
• Net weight:3.75 lbs.
• Dimensions:OverallDiameter:6-1/2",CutoutDiameter:5-3/4",MountingDepth:3-1/4",MagnetDiameter:3-7/8",MagnetHeight:1-1/8".

 

HM170Z18
6.5"Aerogel Coated PaperCone Woofer


§ AerogelCoatedPaperCone

§ Phaseplug

§ Diecastchassis

§ Highlossrubbersurround

§ Hightemperaturevoicecoil

§ Frequencyresponse40Hzto3kHz

Nominalimpedance8ohm
Resonancefrequency38.9Hz
PowerHandling60W
Sensitivity(2.83V/1m)89.3dB

Re5.7ohm
Le0.72mH
X-max3.25mmpeak
Qms4.07
Qes0.38
Qts0.34
Vas35.39liters
VCdiameter30mm
VClength12.5mm
VCformerKapton
VClayers1
ForceFactor6.58NA
MovingMass11.71g
TotalMass1.3kg

SuggestedBox:
0.5cubicfootventedboxwith2"portby5.25"longforanF3of60Hz.

 


HM100C0

4" Carbon Fiber Cone Woofer


Woven Carbon Fiber cone
Non resonant die castchassis
Ventilated spider and largevented pole piece
High loss, high complianceinverted rubber surround
Edgewound voice coil, flatcopper wire


Frequency range 115Hz to8kHz
Nominal Impedance 8 ohm
Fs 54Hz
Power 40 Watts
Sensitivity 89dB
VC diameter 25mm
Re 7.7 ohm
BL 6.96
X-max 1.8mm
Cms 1.74 mm/N
Qms 3.27
Qes 0.22
Qts 0.21
Mms 5.1g
Vas 6.4 liters


110mm square with roundedcorners (126.2mm diameter)
Cutout diamter 94mm
Depth 57mm
Bolt hole circle diameter113.6mm with 5.5mm holes (4holes)
Flange thickness 6mm
Magnet diameter 85.8mm
Positive terminal 2.8mm
Negative terminal 4.8mm


TW025A28

Gold Dome Tweeter

§ 25 mm Gold Plated Dome Tweeter

§ Neodymium magnet with heat sinks

§ Solid aluminum face plate

§ Curve 2.83V @ 0.5 m

§ F0: 1017.24 Hz

§ DCR: 5.69 ohm

§ Znom: 6.56 ohm

§ @ Fnom: 5000 Hz

§ Qm: 2.97

§ Qe: 0.73

§ Qt: 0.59

§ Zmax: 28.93 ohm

Flange 100 mm
Cut-out 76 mm
Depth 32 mm


PR170M0
6.5" Midrange

6.5" High Efficiency Paper Cone Midrangewith treated flat foam surround
100dB efficiency
Ultra stiff die cast chassis
40mm voice coil diameter
Flat aluminum wire on fiberglass former
100 Watt power handling
Recommended frequency 500Hz to 8kHz

This midrange driver has been specificallydesigned for high quality professional soundreinforcement systems.

Its efficiency and power handling capacityare exceptional for a direct radiationtransducer in its category.

The flat foam suspension is coated with acisco-elastic compund in order to minimizethe standing waves and cone break up.

It is ideally suited to cover the frequencyrange from 500Hz to 8kHz.

This driver is recognized worldwide as thereference in prestigous professionalapplications.


Impedance 8 ohm
Resonance 117Hz
Power 100W
Sensitivity 100dB
Re 6.2 ohm
Le 0.73mH
BL 8.24
X-max 0.5mm
Cms 0.2 mm/N
Qms 3.16
Qes 0.61
Qts 0.51
Mms 9.17g
Sd 139 cm2
Vas 5.52 liters
Magnet weight 31 oz
Speaker weight 5.5 lbs

Outside diameter 190mm
Cutout diameter 145mm
Depth 76mm
Flange thickness 8mm
Bolt hole circle diameter 171.8mm (4 holes @5.2mm)
Magnet diameter 124.6mm
Positive terminal 2.8mm
Negative terminal 4.8mm


100dBプロ用のミッドレンジ

AUDAXが廃業した時このドライバーだけは製造継続し残してほしい!
スタジオエンジニアからの依頼が多くよせられた傑作ミッドです。 

 

日本ではマニアしか知らないのが残念です。 

価格も安いし多くの人に使ってほしいミッドレンジウーハーです。


5.25インチ Carbon Fiber Cone Woofer

ハイグレードシリーズ(カーボンコーン)ウーファーの

復刻版として製造販売されました。
Specifications

端子 24金メッキ
Zamak die cast frame
Sensitivity 90dB
Nominal Impedance 8 ohm
Resonance Frequency (Fs) 46 Hz
Nominal Power 50W
Voice Coil Diameter 25mm
X-Max (peak) 3mm

Re 6.2 ohm

Le 0.39 mH

Cms 1.78 mm/N

Qms 3.60

Qes 0.34

Qts 0.31

Mms 6.9 g

Sd 85 cm2

Vas 18.1 liters

BL 5.97 N/A
Magnet weight 0.345 kg
Frame 136mm square Frame
152mm diameter at rounded corners
Cut out 116mm Depth 65mm


ユニット保障期間 1年(製造上が原因のトラブルのみ)

made in France
 


TW025A20

1"Titanium dome tweeter 


Titanium dome tweeter

Neodymium magnet with heat sink

Textured and contoured metal face plate

Soft roll surround


Resonance frequency: 1137 Hz ~20kHz
Impedance: 8 ohm
Re: 5.5 ohm
Sensitivity: 93dB

Dimensions:

Flange diameter: 100mm (3.93")
Cut out diamter: 72mm (2.83")
Depth: 30mm (1.18")


TW034X0
34mm (1.3") textile dome tweeter


Aluminum face plate
Replaceable voice coil (RW034X0)
High power handling
High Efficiency


8 ohm
93 dB
Fs 800Hz
Re 5.3 ohm
34mm diamter voice coil
70 Watt

Flange diameter 132mm (5.2")
Cut out diameter 106mm (4.17")
Depth 29mm (1.14")


Made by AAC of France
 

隠れた名機です。

クロスを1.5KHzくらいで使ってみてください。

テキスタイルドームのイメージが変わると思います。


クラシックより、ジャズ向きのTweeterです。

AUDAX のTweeterではTW025A281 inch Gold Dome Tweeter

がオールマイティーです。

 


購入されたS様からのメールです。


私がAUDAX社「TW034X0」にこだわるのは、その音質です。 


あまり知られてはいない様ですが、Rey Audio (キノシタ・モニ
ター)のKM−1V(添付写真)のトゥイーターがこれを使用していま
す。
KM−1Vでは、黒いフランジの上に、木目の化粧板を施してあります
が、この化粧板を取り除くとまったく同じ物です。

私はすでにTW034X0を一組持っていて、サブの小型システムに使用しています。


K M−1Vと同様にクロスオーバー1500Hzで使用していますが、私
のメイン・システムのTAD 4001 ホーンシステムに匹敵するクォ
リティを「1.3 inch シルク・ドーム」で実現しているのは驚くべきです。


世界中の数あるユニットの中から、音質にこだわってキノシタ・モニ
ターに採用された理由が分かります。


これを聴く以前は、私は「シルク・ドーム」など全くバカにしていまし
たが、チタンとかベリリウムなどの材料スペックだけに踊らされて満足
していたことを反省しました。

以上、何かの参考になれば幸いです。

ScanSpeak ベリリウムドームツゥイターはAUDAX TW0340より情報量も多く音質は滑らかで遥かに良いです。上記の文章には該当しないと思います。

TADのベリリウムツゥイターはとても音がきついです。

TW025A26

1" Textile Dome Tweeter


1" Textile dome
Optimized metal face plate for linearfrequency response Doubleneodymium magnet for higher efficiency
Rear heat sink/chamber on magnet forimproved power handling and reduced domereflections

Impedance 8 ohm
Resonance frequency (fs) 1126 Hz
Sensitivity (1W/1m) 94dB
Power handling 100W

Re 6.11 ohm
Qms 1.52
Qes 0.54
Qts 0.40

Flange diameter 100mm (3.93")
Cut out diameter 72mm (2.85") (plusnotches for terminals)
Depth 31.2mm (1.25")

販売価格はお問い合わせてください。

http://www.maronieaudio.com/item/spdrv/audax.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c26

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
27. 中川隆[-14337] koaQ7Jey 2020年1月19日 15:17:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1247]
Audax - スピーカー自作・フルレンジ・キット・パーツのミクセルインターネットショップ
http://mx-spk.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1298325

Audax TW025A0 ソフトドームツィーター
5,080円(税込)
カテナリー曲線を採用したAudaxのソフトドームツィーターです。

Audax PR125T1 ホーンドームツィーター
8,400円(税込)
ショートホーンを装備した96dBの高能率設計のソフトドームツィーターです。

Audax 13LB25AL 13cmフルレンジ
18,300円(税込)


Audax 17LB25ALBC 17cmフルレンジ
21,700円(税込)


Audax PR240M0 高能率25cmプロフェッショナルウーファー
25,700円(税込)
高能率95dBの25cmウーファー

Audax TW034X0 ソフトドームツィーター(ペア)
27,960円(税込)
34mmの大きなボイスコイルを採用したソフトドームツィーターです。

Audax TW025A28 ゴールドプレート・ドームツィーター(ペア)
37,300円(税込)
ゴールドプレート・チタニウム製のドーム

Audax AM21LB25ALBC 20cmフルレンジ
45,700円(税込)

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ヤフオク! -「audax」(スピーカー) (オーディオ機器)の落札相場・落札価格
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c27

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
47. 中川隆[-14336] koaQ7Jey 2020年1月19日 16:04:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1246]
リーマンショック時に米国株投資を始めていたら、怠け者でも「資産が3倍」になっていた件
1/19(日) 12:00配信

■好調な米国株、でも株価が上がっている時に買うとどうなる? 

 はい! どうもこんにちは! 上本(20代怠け者)です! 

 2020年現在は株高状態が続いており、景気としてはとても良い状態であると言えます。

 株価がゆるやかに上昇していることは投資家にとってはもちろん良い流れであり、米国株は長期間で見て右肩上がりを続けている市場であるため、本来期待している通りの動きでもあります。

 しかしながら、株高状態であるということは、配当利回りが下がるということでもあります。配当利回りは「年間の配当金額÷購入金額」で計算されるため、購入時の金額が高くなればなるほど、利回りは低くなっていきます。

 そのため理想的には株価が安いときに買うことができれば、その後の株価上昇によるキャピタルゲインと、その後の配当増によるインカムゲインの両方を得て、大きく儲けることができるわけです。

■暴落時は「買い」なのか? 

 米国株は「長期的に見て右肩上がり」とはいえ、過去には何度も下落する局面に見舞われたことがあります。過去50年間の米国株ではこれまでに6回の景気後退、リセッションと呼ばれる下落があったとされています。

 特に大きかったものが2000?2001年頃のドットコムバブルの崩壊によるリセッションと、2008?2009年のリーマンショックと呼ばれるリセッションです。

1970年以降の米国株の株価推移 こうしたリセッション時は株価の市場全体が値下がりします。運良くこうしたタイミングでまとまった金額を投資していれば、大きなキャピタルゲインとインカムゲインの両方を得られたことになります。

 米国株の界隈では「リーマンショックはバーゲンセールでもあった」とよく言われます。暴落時はチャンスでもある……というわけですね。

■米国の全銘柄に投資する「VTI」をあの時に買っていたら…

 ひとつ、モデルケースを出してみましょう。米国株のほぼ100%、3,600銘柄以上に分散投資するETF「VTI(バンガード・トータル・ストック・マーケットETF(VTI)」を、10年前のリーマンショック時に購入していた場合、その後、得られたキャピタルゲインとインカムゲインはどうなったのかを試算してみました。

 2009年12月時点でのVTIの価格は56.4ドル。そして、この記事を書いている2019年12月時点では160ドルちょうどまで伸びています。これは、10年前と比べて米国全体の株価が2.8倍にもなったということになります。

2009年以降の「VTI」の価格推移 当時、仮に100万円でVTIを購入していた場合、キャピタルゲインとインカムゲインはどうなったでしょうか? 当時のドルレートで100万円分のVTIを買おうとした場合、189口買えたことになります(当時と売買手数料や税金などの条件が異なるため、単純化するためにこれらの計算は度外視しています)。

 このVTIを10年間保有していた場合、現在の日本円での価値はこのようになります。

 2009年での価値:100万円
 2019年での価値:324万円

 ドルレートの円高→円安の効果もあり、最終的にキャピタルゲイン、株価上昇による利益は224万円となりました。

 配当金収入の方はどうでしょう? 2009年12月?2019年9月までの配当金収入合計は19.09ドルでした。購入した189口の10年間のインカムゲイン、トータル配当金額は3,603ドル、日本円換算で39万円相当ということになります。

 キャピタルゲイン:224万円
 インカムゲイン:39万円

 こうしてみると、配当金収入よりもはるかにキャピタルゲインの方が大きいと感じると思います。事実、株価が大きく下落した2009年頃のタイミングで購入したものが現在過去最高値をつけているわけなので、キャピタルゲインが大きくなることは自然なことです。

 また、VTIは米国株全体へ分散投資するETFですので、配当金は個別株よりどうしても小さくなってしまいます。しかしながら、当時56.4ドルで購入したETF1口が、現在直近で2.74ドルの配当金を生み出していますので、現在の配当利回りは年4.9%にもなります。市場平均を購入してこの利回りは、配当金目当ての投資としてもとても優秀です。

 VTIを現在の価格で買ったところ、配当利回りは1.8%しかありませんから、ここでもかなりの差があると言えますね。

 このように、景気後退時は市場の平均をかなり割安で購入できるチャンスでもあるということです。とはいえ、当時の総悲観的な雰囲気の中で、大きな資金を投じるのは覚悟が必要だと思いますし、いつが「景気の底」なのかを見極めるのは至難の業です。

 景気後退を乗り越え、株価が上昇に転じ始めた時期にも株を購入していくことができれば、このような割の良い投資をすることも可能なのだ、ということですね。

■いずれくる「景気後退」、投資家はどうしたらいい? 

 さて、繰り返しになりますが2019年末時点では米国の株価は最高値を更新しており、それに伴って日経平均を含む世界各国の株価指数も上昇を続けています。いま明確な景気後退の火種はありませんが、いずれは潮目が変わって景気後退のフェーズに入ることは大いにありえます。

 できることならば避けたい「暴落」ではありますが、これまで定期的に十数年おきの間隔で発生してきたものであり、またいずれこうした次の景気後退……リセッションが起きる可能性は十分あります。

 そのときのために、どのような備えをしておくべきでしょうか? 

 ひとつ可能なのは、その局面のために余裕資金としてのキャッシュも貯めておくことです。バーゲンセール状態になったときに株式を購入するとして、必要となるのは購入するためのキャッシュです。せっかくのチャンスに投資できる余裕資金がないのでは、そのチャンスを拾うことは当然できません。

 そのため、株高の状態になるにつれて、毎月の投資額を少しずつ「株式の購入」と「余裕資金の確保」に分けていくことを考えていくのが良いと思います。比率としては8:2でも7:3でも良いので、少しずつでも確実に現金として、銀行口座に貯金をしていきましょう。

■怠け者でもできる暴落時の投資手法は「ドルコスト平均法」

 僕も含めて、投資初心者の場合、

「暴落時に底をねらって一気に買うのが良いのでは? 」

と考えてしまいがちですが、どのタイミングが景気の底なのかを予想して、そのタイミングで大量のキャッシュを投じることは非常に困難です。それこそ、投資ではなく投機的なやり方です。

 株安となった市場平均をさらっていく……という考え方をするならば、毎月一定額、株高時でも暴落時でも市場平均へと投資していくべきだと考えています。

 どのような株価のときでも一定額を投資していく……すなわち「ドルコスト平均法」を実践するということですが、これに合わせて事前に貯金しておいた余裕資金を加えて、株価が割安なタイミングで気持ち多く買う、というやり方を考えるのが良いでしょう。

 まとめると、

ということですね。

 投資をするうえでは、どんな局面になったらどんな対応を取る、ということを事前に計画、シミュレーションしておくことが重要だと考えています。そのためにも、長期的な値動きに対して説明がついて、そして過去にリセッションから何度も回復してきた米国株こそ、やはり信頼が置けるマーケットなのです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000001-sh_mon-bus_all
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c47

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
69. 中川隆[-14335] koaQ7Jey 2020年1月19日 16:05:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1245]
リーマンショック時に米国株投資を始めていたら、怠け者でも「資産が3倍」になっていた件
1/19(日) 12:00配信

■好調な米国株、でも株価が上がっている時に買うとどうなる? 

 はい! どうもこんにちは! 上本(20代怠け者)です! 

 2020年現在は株高状態が続いており、景気としてはとても良い状態であると言えます。

 株価がゆるやかに上昇していることは投資家にとってはもちろん良い流れであり、米国株は長期間で見て右肩上がりを続けている市場であるため、本来期待している通りの動きでもあります。

 しかしながら、株高状態であるということは、配当利回りが下がるということでもあります。配当利回りは「年間の配当金額÷購入金額」で計算されるため、購入時の金額が高くなればなるほど、利回りは低くなっていきます。

 そのため理想的には株価が安いときに買うことができれば、その後の株価上昇によるキャピタルゲインと、その後の配当増によるインカムゲインの両方を得て、大きく儲けることができるわけです。

■暴落時は「買い」なのか? 

 米国株は「長期的に見て右肩上がり」とはいえ、過去には何度も下落する局面に見舞われたことがあります。過去50年間の米国株ではこれまでに6回の景気後退、リセッションと呼ばれる下落があったとされています。

 特に大きかったものが2000?2001年頃のドットコムバブルの崩壊によるリセッションと、2008?2009年のリーマンショックと呼ばれるリセッションです。

1970年以降の米国株の株価推移 こうしたリセッション時は株価の市場全体が値下がりします。運良くこうしたタイミングでまとまった金額を投資していれば、大きなキャピタルゲインとインカムゲインの両方を得られたことになります。

 米国株の界隈では「リーマンショックはバーゲンセールでもあった」とよく言われます。暴落時はチャンスでもある……というわけですね。

■米国の全銘柄に投資する「VTI」をあの時に買っていたら…

 ひとつ、モデルケースを出してみましょう。米国株のほぼ100%、3,600銘柄以上に分散投資するETF「VTI(バンガード・トータル・ストック・マーケットETF(VTI)」を、10年前のリーマンショック時に購入していた場合、その後、得られたキャピタルゲインとインカムゲインはどうなったのかを試算してみました。

 2009年12月時点でのVTIの価格は56.4ドル。そして、この記事を書いている2019年12月時点では160ドルちょうどまで伸びています。これは、10年前と比べて米国全体の株価が2.8倍にもなったということになります。

2009年以降の「VTI」の価格推移 当時、仮に100万円でVTIを購入していた場合、キャピタルゲインとインカムゲインはどうなったでしょうか? 当時のドルレートで100万円分のVTIを買おうとした場合、189口買えたことになります(当時と売買手数料や税金などの条件が異なるため、単純化するためにこれらの計算は度外視しています)。

 このVTIを10年間保有していた場合、現在の日本円での価値はこのようになります。

 2009年での価値:100万円
 2019年での価値:324万円

 ドルレートの円高→円安の効果もあり、最終的にキャピタルゲイン、株価上昇による利益は224万円となりました。

 配当金収入の方はどうでしょう? 2009年12月?2019年9月までの配当金収入合計は19.09ドルでした。購入した189口の10年間のインカムゲイン、トータル配当金額は3,603ドル、日本円換算で39万円相当ということになります。

 キャピタルゲイン:224万円
 インカムゲイン:39万円

 こうしてみると、配当金収入よりもはるかにキャピタルゲインの方が大きいと感じると思います。事実、株価が大きく下落した2009年頃のタイミングで購入したものが現在過去最高値をつけているわけなので、キャピタルゲインが大きくなることは自然なことです。

 また、VTIは米国株全体へ分散投資するETFですので、配当金は個別株よりどうしても小さくなってしまいます。しかしながら、当時56.4ドルで購入したETF1口が、現在直近で2.74ドルの配当金を生み出していますので、現在の配当利回りは年4.9%にもなります。市場平均を購入してこの利回りは、配当金目当ての投資としてもとても優秀です。

 VTIを現在の価格で買ったところ、配当利回りは1.8%しかありませんから、ここでもかなりの差があると言えますね。

 このように、景気後退時は市場の平均をかなり割安で購入できるチャンスでもあるということです。とはいえ、当時の総悲観的な雰囲気の中で、大きな資金を投じるのは覚悟が必要だと思いますし、いつが「景気の底」なのかを見極めるのは至難の業です。

 景気後退を乗り越え、株価が上昇に転じ始めた時期にも株を購入していくことができれば、このような割の良い投資をすることも可能なのだ、ということですね。

■いずれくる「景気後退」、投資家はどうしたらいい? 

 さて、繰り返しになりますが2019年末時点では米国の株価は最高値を更新しており、それに伴って日経平均を含む世界各国の株価指数も上昇を続けています。いま明確な景気後退の火種はありませんが、いずれは潮目が変わって景気後退のフェーズに入ることは大いにありえます。

 できることならば避けたい「暴落」ではありますが、これまで定期的に十数年おきの間隔で発生してきたものであり、またいずれこうした次の景気後退……リセッションが起きる可能性は十分あります。

 そのときのために、どのような備えをしておくべきでしょうか? 

 ひとつ可能なのは、その局面のために余裕資金としてのキャッシュも貯めておくことです。バーゲンセール状態になったときに株式を購入するとして、必要となるのは購入するためのキャッシュです。せっかくのチャンスに投資できる余裕資金がないのでは、そのチャンスを拾うことは当然できません。

 そのため、株高の状態になるにつれて、毎月の投資額を少しずつ「株式の購入」と「余裕資金の確保」に分けていくことを考えていくのが良いと思います。比率としては8:2でも7:3でも良いので、少しずつでも確実に現金として、銀行口座に貯金をしていきましょう。

■怠け者でもできる暴落時の投資手法は「ドルコスト平均法」

 僕も含めて、投資初心者の場合、

「暴落時に底をねらって一気に買うのが良いのでは? 」

と考えてしまいがちですが、どのタイミングが景気の底なのかを予想して、そのタイミングで大量のキャッシュを投じることは非常に困難です。それこそ、投資ではなく投機的なやり方です。

 株安となった市場平均をさらっていく……という考え方をするならば、毎月一定額、株高時でも暴落時でも市場平均へと投資していくべきだと考えています。

 どのような株価のときでも一定額を投資していく……すなわち「ドルコスト平均法」を実践するということですが、これに合わせて事前に貯金しておいた余裕資金を加えて、株価が割安なタイミングで気持ち多く買う、というやり方を考えるのが良いでしょう。

 まとめると、

ということですね。

 投資をするうえでは、どんな局面になったらどんな対応を取る、ということを事前に計画、シミュレーションしておくことが重要だと考えています。そのためにも、長期的な値動きに対して説明がついて、そして過去にリセッションから何度も回復してきた米国株こそ、やはり信頼が置けるマーケットなのです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000001-sh_mon-bus_all
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c69

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
12. 中川隆[-14334] koaQ7Jey 2020年1月19日 16:06:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1244]
リーマンショック時に米国株投資を始めていたら、怠け者でも「資産が3倍」になっていた件
1/19(日) 12:00配信

■好調な米国株、でも株価が上がっている時に買うとどうなる? 

 はい! どうもこんにちは! 上本(20代怠け者)です! 

 2020年現在は株高状態が続いており、景気としてはとても良い状態であると言えます。

 株価がゆるやかに上昇していることは投資家にとってはもちろん良い流れであり、米国株は長期間で見て右肩上がりを続けている市場であるため、本来期待している通りの動きでもあります。

 しかしながら、株高状態であるということは、配当利回りが下がるということでもあります。配当利回りは「年間の配当金額÷購入金額」で計算されるため、購入時の金額が高くなればなるほど、利回りは低くなっていきます。

 そのため理想的には株価が安いときに買うことができれば、その後の株価上昇によるキャピタルゲインと、その後の配当増によるインカムゲインの両方を得て、大きく儲けることができるわけです。

■暴落時は「買い」なのか? 

 米国株は「長期的に見て右肩上がり」とはいえ、過去には何度も下落する局面に見舞われたことがあります。過去50年間の米国株ではこれまでに6回の景気後退、リセッションと呼ばれる下落があったとされています。

 特に大きかったものが2000?2001年頃のドットコムバブルの崩壊によるリセッションと、2008?2009年のリーマンショックと呼ばれるリセッションです。

1970年以降の米国株の株価推移 こうしたリセッション時は株価の市場全体が値下がりします。運良くこうしたタイミングでまとまった金額を投資していれば、大きなキャピタルゲインとインカムゲインの両方を得られたことになります。

 米国株の界隈では「リーマンショックはバーゲンセールでもあった」とよく言われます。暴落時はチャンスでもある……というわけですね。

■米国の全銘柄に投資する「VTI」をあの時に買っていたら…

 ひとつ、モデルケースを出してみましょう。米国株のほぼ100%、3,600銘柄以上に分散投資するETF「VTI(バンガード・トータル・ストック・マーケットETF(VTI)」を、10年前のリーマンショック時に購入していた場合、その後、得られたキャピタルゲインとインカムゲインはどうなったのかを試算してみました。

 2009年12月時点でのVTIの価格は56.4ドル。そして、この記事を書いている2019年12月時点では160ドルちょうどまで伸びています。これは、10年前と比べて米国全体の株価が2.8倍にもなったということになります。

2009年以降の「VTI」の価格推移 当時、仮に100万円でVTIを購入していた場合、キャピタルゲインとインカムゲインはどうなったでしょうか? 当時のドルレートで100万円分のVTIを買おうとした場合、189口買えたことになります(当時と売買手数料や税金などの条件が異なるため、単純化するためにこれらの計算は度外視しています)。

 このVTIを10年間保有していた場合、現在の日本円での価値はこのようになります。

 2009年での価値:100万円
 2019年での価値:324万円

 ドルレートの円高→円安の効果もあり、最終的にキャピタルゲイン、株価上昇による利益は224万円となりました。

 配当金収入の方はどうでしょう? 2009年12月?2019年9月までの配当金収入合計は19.09ドルでした。購入した189口の10年間のインカムゲイン、トータル配当金額は3,603ドル、日本円換算で39万円相当ということになります。

 キャピタルゲイン:224万円
 インカムゲイン:39万円

 こうしてみると、配当金収入よりもはるかにキャピタルゲインの方が大きいと感じると思います。事実、株価が大きく下落した2009年頃のタイミングで購入したものが現在過去最高値をつけているわけなので、キャピタルゲインが大きくなることは自然なことです。

 また、VTIは米国株全体へ分散投資するETFですので、配当金は個別株よりどうしても小さくなってしまいます。しかしながら、当時56.4ドルで購入したETF1口が、現在直近で2.74ドルの配当金を生み出していますので、現在の配当利回りは年4.9%にもなります。市場平均を購入してこの利回りは、配当金目当ての投資としてもとても優秀です。

 VTIを現在の価格で買ったところ、配当利回りは1.8%しかありませんから、ここでもかなりの差があると言えますね。

 このように、景気後退時は市場の平均をかなり割安で購入できるチャンスでもあるということです。とはいえ、当時の総悲観的な雰囲気の中で、大きな資金を投じるのは覚悟が必要だと思いますし、いつが「景気の底」なのかを見極めるのは至難の業です。

 景気後退を乗り越え、株価が上昇に転じ始めた時期にも株を購入していくことができれば、このような割の良い投資をすることも可能なのだ、ということですね。

■いずれくる「景気後退」、投資家はどうしたらいい? 

 さて、繰り返しになりますが2019年末時点では米国の株価は最高値を更新しており、それに伴って日経平均を含む世界各国の株価指数も上昇を続けています。いま明確な景気後退の火種はありませんが、いずれは潮目が変わって景気後退のフェーズに入ることは大いにありえます。

 できることならば避けたい「暴落」ではありますが、これまで定期的に十数年おきの間隔で発生してきたものであり、またいずれこうした次の景気後退……リセッションが起きる可能性は十分あります。

 そのときのために、どのような備えをしておくべきでしょうか? 

 ひとつ可能なのは、その局面のために余裕資金としてのキャッシュも貯めておくことです。バーゲンセール状態になったときに株式を購入するとして、必要となるのは購入するためのキャッシュです。せっかくのチャンスに投資できる余裕資金がないのでは、そのチャンスを拾うことは当然できません。

 そのため、株高の状態になるにつれて、毎月の投資額を少しずつ「株式の購入」と「余裕資金の確保」に分けていくことを考えていくのが良いと思います。比率としては8:2でも7:3でも良いので、少しずつでも確実に現金として、銀行口座に貯金をしていきましょう。

■怠け者でもできる暴落時の投資手法は「ドルコスト平均法」

 僕も含めて、投資初心者の場合、

「暴落時に底をねらって一気に買うのが良いのでは? 」

と考えてしまいがちですが、どのタイミングが景気の底なのかを予想して、そのタイミングで大量のキャッシュを投じることは非常に困難です。それこそ、投資ではなく投機的なやり方です。

 株安となった市場平均をさらっていく……という考え方をするならば、毎月一定額、株高時でも暴落時でも市場平均へと投資していくべきだと考えています。

 どのような株価のときでも一定額を投資していく……すなわち「ドルコスト平均法」を実践するということですが、これに合わせて事前に貯金しておいた余裕資金を加えて、株価が割安なタイミングで気持ち多く買う、というやり方を考えるのが良いでしょう。

 まとめると、

ということですね。

 投資をするうえでは、どんな局面になったらどんな対応を取る、ということを事前に計画、シミュレーションしておくことが重要だと考えています。そのためにも、長期的な値動きに対して説明がついて、そして過去にリセッションから何度も回復してきた米国株こそ、やはり信頼が置けるマーケットなのです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000001-sh_mon-bus_all
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c12

[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
1. 中川隆[-14333] koaQ7Jey 2020年1月19日 18:02:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1243]

Debussy "La Mer" Yevgeny Mravinsky



Debussy: La Mer, Inghelbrecht & ONRTF (1964) ドビュッシー「海」アンゲルブレシュト



ドビュッシー:《海》3つの交響的スケッチ デュトワ 1989



▲△▽▼

ドビッシー 交響詩 「海」2012 NOV 1 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/11/01/ドビッシー%E3%80%80交響詩-「海」/


1905年にドビッシーが作曲した交響詩「海」(La Mer)は20世紀音楽史上、最高峰のひとつとなる名品である。そしてこのピエール・ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、同曲の演奏史に燦然と輝く不滅の金字塔である。

ドビッシーが葛飾北斎の冨嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」(右)にインスピレーションを得てこの曲を作曲したことは有名である。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/11/01/ドビッシー%e3%80%80交響詩-「海」/debussy_-_la_mer_-_the_great_wave_of_kanaga_from_hokusai2-230x300/

これが初版スコアの表紙である。そのエピソードが真実であることを証明している。よく見ると富士山と小舟が省かれており、ドビッシーがこの音楽で描きたかったものがこの「波」であったことが推察できる。

この曲は、「海の夜明けから真昼まで」「波の戯れ」「風と海との対話」というタイトルの付いた3つの楽章からなる。この音楽は一般に印象派の代表作とされ、第2楽章がこの「波」を髣髴とさせるとよく言われるが、事はそう単純ではない。版画から得た印象をベタに絵画的、アニメ的に音楽化したという意味なら全く稚拙な誤解である。

ドビッシーは版画から複数の短いフレーズ(ほぼ1−3小節の)を着想している。それを要素として、いわば物質の構成要素である分子として全曲が有機的に緻密に組み立てられている点は、印象派よりもベートーベンの交響曲にずっと近い(拙稿「ベートーベン交響曲第5番ハ短調」参照)。さらに、この曲の特筆すべき点は、「各要素そのもの」が「あたかも時計が進むように」楽章を追って微細に変化、変形されていくことにある。そんな音楽を書いた人は、彼以前に一人も存在しない。

つまりこれはオーケストラの中に「生々流転」する「4次元空間」が展開するという驚くべき試みであり、ブーレーズの作曲の先生であるメシアンなど後世に大きな影響を与えた。その「空間」を時間という変数で微分したのが北斎の版画だという着想こそ、僕はドビッシーが得たインスピレーションに違いないと思う。初演を聴いたエリック・サティは「11時45分ごろが一番良かった」と揶揄している。描写的側面を皮肉ったものと思われるが、時間という要素を指摘した点においては、逆に彼にとって皮肉なことに、正しい。

ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールという決して上等ではない音響の演奏会場でパーヴォ・イエルビがロンドン交響楽団を振った「牧神の午後への前奏曲」を聴いたとき、音響が点描のようにオケの中を移動する不思議な様を体験した。オケが3次元空間になっていた。それに「ニンフを眺めて欲情する牧神」という時間軸が加って「4次元空間」とする実験がすでになされている。ここからバレエと言うストーリー性を除却して、純音楽的に構造的にそれを達成させた、宝石のような結晶が「海」である。

僕はこの音楽が3度の飯より好きである。上記のタイトルのような詩的なものにはぜんぜん関心はなく(ドビッシーさんすみません)、物理的な音響をシンフォニーとして愛好している。好きが昂じて第1楽章をシンセでMIDI録音した「アズケン指揮」盤が存在し、自分ではカラヤン盤よりいい演奏だと思っている。演奏はキーボード(ヤマハのクラビノーバ)で全楽器の全パートを弾く。減速してゆっくりのテンポで録音できるが、それでもこの曲は非常に難しく、第2,3楽章にチャレンジする勇気と時間は、まだない。余生の楽しみとしたい。

さて、冒頭のレコードに戻る。これを買ったのは、かたや朝・昼・晩と野球に明け暮れていた高校2年の時。野球とクラシック音楽にここまで没入していたので、勉強などもちろん2の次、3の次。3年生になってもサイン、コサインが良くわかっていない冷や汗もの状態だったのを思い出す。

この演奏、「春の祭典」の稿に書いたブーレーズさんのレントゲン写真的、高精度解析的アプローチ全開で、ロマン主義的、詩的な方向性への志向はかけらもない。「春の祭典」より「海」のほうがそういうアプローチを許容するので、それをやらない指揮者の冷徹さがさらに際立つ結果となっている。両曲においてそれがピタリとはまっていることから、ストラビンスキーの初期の曲に「海」の投影があることが炙り出されるという発見すらある(併録の「牧神の午後への前奏曲」ではピタリ感が今一つである)。

BOULEZ, Debussy La Mer Trois esquisses symphoniques



何十回この演奏を聴いたかわからないが、「海」という音楽にとどまらず僕の根本的な音楽嗜好を決定的にした、つまり「耳を作った」のはまさにこのレコードである。まず楽器のピッチは完璧に合っていないといけない。リズムもフレージングも、楽器の遠近感や倍音ブレンドが最適解に至るまで磨き上げなければいけない。フランス語のClarté(クラルテ、明晰さ)こそ、この種の曲においてはもっとも美しい音楽を作るという哲学である。

写真が僕にとって神に等しいピエール・ブーレーズさん。指揮者というより作曲家がご本業である。現代における世界最高の知性。ドビッシーの「海」は38種類の音源を所有しているが、もはや彼以外のものは聴く気にもならないし、聴いても漫画か銭湯にある富士山のペンキ絵みたいにしか聴こえない。
ちなみに何か難しい問題を考えるときに僕はこのブーレーズの「海」を必ず聴きたくなる。ながら聴きなど許さないこれに耳を澄ますと、バラバラだった脳ミソの細胞が整然と直列に並ぶ気がする。のちに受験勉強で数学が強くなったのはこれとバルトークのおかげと固く信じている。

(補遺・2月16日)
永井幸枝 / ダグ・アシャツ(pf)
https://www.youtube.com/results?search_query=La+Mer++for+Two+Pianos

この曲をよく知りたい方は2台ピアノ版をお薦めする。第1楽章のポリリズムに近いリズムの複合はシンセ録音で弾くときに細心の注意を強いられたし、驚嘆するしかない独創的な和声のケミストリーや第2楽章のミニマル的エレメントは管弦楽の色彩を除去してピュアなピアノの音響で確認した方がよくわかる。このCDは録音も良く、スコアにあるすべての要素、特にオケだと聴こえない伴奏音型の形まで見事なテクニックで再現されている。ぜひ一度、科学的な眼と耳で解析してみていただきたい。

ポール・パレー / デトロイト交響楽団


第1楽章はやけに暗い。いや、出だしはどれも暗いが暗いままだ。しかし考えれば陽光が煌めくのはコーダに至ってからだ。音楽に光がさすのはチェロの分奏の部分から。時間で微分された光の増量。なるほどそういう解釈があるのか。第2楽章の精密なリズムの縁取り!波と風の乾いた肌ざわりだ。終楽章、風雨ではなく見通しが良い。管弦楽は野放図に鳴る音は皆無でコントロールされるが自発性は尊重されている。知的だが香りがある。米国の当時メジャーでもないオケからこれだけのアンサンブルを引出し、ラテン的な感性で描ききった演奏のレベルの高さは並みではない。こういう芸の重みというのは僕がブーレーズに見出す価値観とは違う、いってみれば、玉三郎の演じた阿古屋に近い。

フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団


このスコアが描いたのがそれかどうかはわからない。しかし僕が時折ここから欲しくなるのは、数千年の神話時代まで見通すようなぱりっと乾いた空気、そして水色の淡い光が透過する澄んだ海だ。PM2.5が舞う世界なんてまっぴら御免。エーゲ海クルーズで出会った真昼のクレタ島やミコノス島の世界だ。SACDで買い直したライナー盤。そんなものだ。一皮むけた音がなんとも、いい。素晴らしいピッチ!完璧なフレージング!濁りのないピュアな音響は奇跡的な均衡でスコアに秘められた音楽を純化し聴き手を陶酔させる。


ロジェ・デゾルミエール / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


音楽にはなんと多様な作用があるんだろう。ライナーの明晰、そしてデゾルミエールのアトモスフィア!これは音のケミストリーが生む奇跡のような演奏だ。ブーレーズやライナーにはない香りがここにある。音が我々の目に映るなにかのものでなく、エーテルのように漂って、すこし灰色がかった青の地中海の雰囲気を伝えてくる。これを聴くのはブーレーズとは別の海を眺めるということだ。第2楽章の後半には参る。こういう霊感をオーケストラにどうやって伝えたんだろう?

この曲のライブというと目がありません。誰のであれそそられるものがあります。これは珍しいオーマンディーが最晩年にとサンフランシスコ響を振ったもので希少品です。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/11/01/ドビッシー%E3%80%80交響詩-「海」/



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ドビッシー 交響詩「海」再考 2015 MAY by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/05/23/ドビッシー-交響詩「海」再考%EF%BC%88今月のテーマ%E3%80%80海/


自然の風景というと我々日本人には山、川、海は定番でしょう。なかでも海は、「海は広いな大きいな」「我は海の子」なんて懐かしい唱歌もあれば(僕は嫌いでしたが)、我が世代には加山雄三やサザンもありました。男のロマンをかきたてるものを感じるという文化ですね。

ところがクラシック音楽は川(ライン、ドナウ、モルダウ、ヴォルガetc)の音楽はあっても意外に海は少ないですね。ユーラシア大陸の北辺は氷結した海であり、南辺の地中海はカルタゴやイスラムと闘う辺境だった。ロマンをかきたてる存在ではなかったのではないでしょうか。海岸線の長さランキングで日本は世界第6位なのに対し、イタリア15位、フランス33位、ドイツ51位というのも関係あるかもしれません。

ドビッシーが「海」を書いたのは、ですから西洋音楽の視点からはやや特異と思います。彼は8才の頃にカンヌに住んで海を見たはずですが、この交響詩は単にその印象を描写したものではありません。彼は「音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ」という哲学をもっていました。この曲における海は変化する時空に色とリズムを与える画材であり、それはあたかもクロード・モネが時々刻々と光彩の変化する様をルーアン大聖堂を画材に33点の絵画として描いたのを想起させます。この連作が発表されたのは1895年、海の作曲が1905年。ドビッシーはこれを見たのではないでしょうか。左が朝、左下が昼、右下が夕です。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2015/05/MONET1_thumb.jpg

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これをご覧になった上でこのブログをぜひご覧ください。2年半前のものですが特に加えることはありません。

ドビッシー 「3つの夜想曲」(Trois Nocturnes)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/07/08/ドビッシー-夜想曲/

「色とリズムを持った時間」!モネの絵画というメディアが33の静止画像だったのに比べ、ドビッシーの音楽は25分の動画です。それも情景の変化を印象派風に描くのではなく、音楽の主題を時々刻々変転させて時間を造形していく。それによりほんの25分に朝から夕までの時間が凝縮されます。第1楽章コーダの旋律が第3楽章コーダで再起し、音楽の時間は円環系に閉じていますが、それはモネの絵のように同じ情景を見ているという感情をも生起させるのです。

交響詩「海」はどの1音をとっても信じ難い感性と完成度で選び置かれた奇跡の名品です。全クラシック音楽の中でも好きなものトップ10にはいる曲であり、これが完成された英国のイースト・ボーンの海岸にいつか行ってみたいと望んでいる者であります。

ブログに書きました、僕のアイドルであり当曲の原点であるピエール・ブーレーズの旧盤(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)です。



ウォルター・ピストン著「管弦楽法」にはこの曲からの引用が14カ所もあり、その幾つかはドビッシーのオーケストレーションの革新性を理解させてくれます。たとえば、第1楽章、イングリッシュホルンとチェロ・ソロのユニゾン(ブーレーズの6分52秒から)が「1つのもののように混り合い、どの瞬間においてもいずれか一方の方が目立つということがない」(同著)ことをMIDI録音した際に確認(シンセの音でも!)しましたが、その効果は驚くべきものでした。

これまた予想外に溶け合うイングリッシュホルンと弱音器付トランペットのユニゾンもあり、不思議な色彩を生み出している。まさに「時間に色をつけている」のです。第2楽章のリズムの緻密な分化と変化、それに加わる微細な色彩の変化と調和!音楽史上の事件といっていいこの革命的な筆致の楽章に「色とリズム」が時間関数の「変数」としていかに有効に機能しているか、僕はこのブーレーズ盤で学んだのです。

ブーレーズはyoutubeにあるニューヨーク・フィルのライブ映像で細かい指揮はしてないように見えるのですが鳴っている音は実に精密に彫琢され、それでいて生命力も感じる。そして魔法のような管弦楽法による色とリズムの調合がいかに音楽の欠くべからざる要素として存立しているか。オケのプレーヤー全員が指揮から学習した結果なのでしょう。極上の音楽性と集中力を引き出している指揮者の存在感。凄いの一言です。

他のものは譜読みが甘くほとんど心に響くものを感じませんが、これはいいですね。ポール・パレー/ デトロイト交響楽団の演奏です。指揮者の常識とセンスと耳の良さを如実に表しております


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/05/23/ドビッシー-交響詩「海」再考%EF%BC%88今月のテーマ%E3%80%80海/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c1
[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
2. 中川隆[-14332] koaQ7Jey 2020年1月19日 18:12:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1242]

Debussy: La Mer, Toscanini & PhiladelphiaO (1942) ドビュッシー「海」トスカニーニ



Debussy: "La mer" Toscanini (1935, Live, restored) / BBC S.O., London



Debussy: "La Mer", (Restored) Toscanini 1950, NBC


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c2
[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
3. 中川隆[-14331] koaQ7Jey 2020年1月19日 18:22:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1241]

トスカニーニ

Debussy Prélude à l'après midi d'un faune - Toscanini NBC 1943



Debussy: "Prélude à l'après-midi d'un faune", Toscanini, NBC 1953, Live Restored



Toscanini All-Debussy Concert 14 Feb 1953


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c3
[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
4. 中川隆[-14330] koaQ7Jey 2020年1月19日 19:13:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1240]

Debussy "Nocturnes No 1 & 2" Yevgeny Mravinsky




Inghelbrecht dirige Debussy: Trois Nocturnes, L. 91 "Tryptique symphonique pour orchestre et chœurs"
https://www.youtube.com/watch?v=koeFU-xpxrw&list=OLAK5uy_mdOSa79a4WDR8m70XSpSklBBZO98ze8to&index=7
https://www.youtube.com/watch?v=_JHuJ2cneFw&list=OLAK5uy_mdOSa79a4WDR8m70XSpSklBBZO98ze8to&index=8
https://www.youtube.com/watch?v=j0PPgBcSiek&list=OLAK5uy_mdOSa79a4WDR8m70XSpSklBBZO98ze8to&index=9



Claude Debussy ‒ Trois Nocturnes Performed by Montreal Symphony Orchestra, Charles Dutoit conductor



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ドビッシー 「3つの夜想曲」(Trois Nocturnes)2015 JUL 8 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/07/08/ドビッシー-夜想曲/

僕は70年代のブーレーズのLPでいろんな曲を初めて知り、耳を鍛えられた者なので良くも悪くも影響を受けていますが、その後者の方がこれです。この曲が好きな方は多いでしょう。クラウディオ・アバドはこれが振りたくて指揮者になったとききます。

しかし、僕はだめなのです。どうも真剣になれない。「海」(第1楽章)と「牧神」はシンセでMIDI録音するほどはまりましたが、これはまったくその気なしです。随所に好きな、というか好きになっていておかしくない和声や音響はあるんですが。

それはおそらくブーレーズの演奏(右がLP)がつまらなかったせいと思います。彼も万能ではなくて、牧神もポエジーに乏しくていまひとつですが「夜想曲」はさらにそのマイナスが出ていて、音に色気、霊感がないのです。

ちなみに「遊戯」の冒頭部分などお聴きなってください、春の祭典の最初の数ページに匹敵する素晴らしさです。倍音まで完璧に調和するピッチ、精巧な楽器のバランス、神経の研ぎ澄まされたフレージング、聴く側まで息をひそめるしかない緊張感!

こんなに「そそる」音楽が出てくる録音はそうあるものではなく、これを今どき多くなっているライブ録音CDと比べるならプロ写真家の式典写真と素人のスマホ写真ぐらいの差があります。それと比較してこの「夜想曲」は同じ指揮者とオケ(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)とは信じがたい。

録音プロデューサーが海、牧神、祭典とは別人でテクニカルな理由もあるかもしれません。とにかくブーレーズを神と崇め、LPはどれも微細なノイズまで耳を凝らして聴かされてしまっていた当時の僕が何回聴いてもそういうことだったので、そこには何か峻厳たる理由が横たわっていたに違いなく、本稿はその関心から書いています。

「夜想曲」の着想はペレアスを書いている1893−4年ごろと考えられています。第3曲シレーヌ (Sirènes)にヴォカリース(母音唱法)の女声合唱があるなどその一端を伺えます。これはラヴェル(ダフニス)、ホルスト(惑星の海王星)などに影響したでしょう。

最も驚くべきは第2曲祭 (Fêtes)の中間部でppのトランペット3本を導入する低弦のピッチカート、ハープとティンパニがpppでおごそかな行進のリズムを刻む部分です。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2015/07/nocturn.png

これは春の祭典の「祖先の儀式」(楽譜下)になったに違いないと僕は思います。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2015/07/rite.png


こういう想像を喚起するだけでも「夜想曲」に秘められた作曲者の天才の刻印とその影響ははかりしれませんが、同時期の作曲でそれが最も認められるペレアスのスコアと比べるとこれは若書きの観が否めません。ぺレアスと同次元に達している管弦楽曲は「海」であると僕は確信します。

ということですが、全部ブーレーズに責任があるわけではなく僕自身が夜想曲のスコアからマジカルなものを見いだせていないということでもあります。いいと思うのはシレーヌの最期の数小節ぐらいです。主だった録音は持っていますし実演も聴いていますが、どうしても自分の中からは冷淡な反応しか得られない。

こちらはラヴェルによる二台ピアノ編曲で、僕はこっちの方が好奇心をそそられ満足感が高いです。

Debussy-Ravel - Trois Nocturnes for Two Pianos (1897-99)
https://www.youtube.com/results?search_query=Debussy++Ravel++Nocturnes++for+Two+Pianos

(補遺、15 June17)
そのブーレーズCBS盤です。これも発売当時の世評は高かった。僕の趣味の問題かもしれず、皆様のお耳でご検証を。



音響的にゴージャスで耳にやさしいのはシャルル・デュトワ/モントリオール響の録音でしょう。これが世に出た80年代初期、ちょうどLPからCDに切り替わる時期でクラシックのリスナーにとっては革命期でした。CD+デジタル録音というメディアにまだ一部は懐疑的だった世評も、このデュトワの見事な音彩とDeccaの技術によるアナログ的感触は批判しきれなかったと記憶します。



ドビッシーというのはラヴェルに比べてフランスの管と親和性が希薄で、ロシアはさすがに抵抗があるがドイツ、中欧のオケでもいいものがあります。クリュイタンス/パリ音楽院管やミュンシュ/パリ管の艶っぽい管に彩られたラヴェルを信奉する人たちからもドビッシーでそういう主張はあまりききません。

ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管(ACO)のこれはその好例で、名ホールの絶妙のアコースティックが見事にとらえられ、ほの暗い音彩で最高にデリケートで詩的な管弦楽演奏が楽しめます。ノクターンの夜の質感はフレンチの管でなくACOの方に分があると僕は感じます。技術的にも音楽性も最高水準にあり、ハイティンクという指揮者の資質には瞠目するばかりです。ちなみにこれの発売当初(1979年ごろ)、日本の音楽評論家は彼を手堅いだけの凡庸な中堅指揮者と半ば無視していたのでした。



(補遺、17 June17)
ヨーゼフ&ロジーナ・レヴィーン(pf)
モスクワ音楽院ピアノ科の金メダリストはアントン・ルービンシュタインからの伝統の系譜、ロシア・ピアニズムの真の後継者です。このご夫妻は両者がそれであり、僕にとってレジーナのショパンP協1番はあらゆる録音でベストです。これはラヴェル編曲の「祭り」で黄金のデュオの音彩は見事の一言に尽きます。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/07/08/ドビッシー-夜想曲/


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c4
[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
5. 中川隆[-14329] koaQ7Jey 2020年1月19日 20:45:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1239]

Claude Debussy “Pelléas et Mélisande” (Colette Alliot-Lugaz & Charles Dutoit)



"Pelléas et Mélisande" - Paris, 1955 under the direction of Désiré-Émile Inghelbrecht




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ドビッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」2014 MAR 3 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/


大学の第2外国語はドイツ語だったが深い理由はない。なんとなくだ。フランス語にすればよかったと思う時が今でもある。パリのレストランでフランス語だけのメニューがでてきた時と、フランスオペラを聴くときだ。まてよ、女性のフランス語が京都弁と似て色っぽくていいという下世話な動機もあったりするかな。

フランス語のオペラというと、なんといってもドビッシーの「ペレアスとメリザンド」、そしてけっこう忘れてるが、ビゼーの「カルメン」「真珠とり」、グノーの「ファウスト」、オッフェンバックの「ホフマン物語」、マスネの「ウェルテル」と「マノン」と「タイス」、サン・サーンスの「サムソンとデリラ」、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」、ラヴェルの「子どもと呪文」「スペインの時」ぐらいは聴いたんじゃないだろうか。

カルメンをイタリア語や日本語でやれば、変ではあるが慣れれば聴けるだろう。しかし「ペレアスとメリザンド」はそれができない。なぜなら管弦楽にフランス語が「縫い込まれている」(woven)からだ。オーケストラに声楽が「乗っかる」のが普通のオペラである。独り舞台になるアリアというのがその典型的場面であって、そこだけは「カラヤンとベルリンフィル」でも「ダン池田とニューブリード」でもおんなじ。ズンチャチャの伴奏楽団になり下がる場面でもあるのだ。モーツァルト作品をのぞくとこれは僕には耐えがたい。

そのアリアとレチタティーヴォの安っぽさに気づいてくれたのがワーグナーだ。
どういうことか?
アリアは管弦楽の生地の上に声がステッチ(stitch)された、いわゆる「アップリケ」だ。それだけが目立つ。
「うわー、*子ちゃんのスカート、キレイなお花だね」なんて。キレイなのはお花だけなの?ってスカートを縫ったお母さんは思わないのだろうか。そう思ったのがワーグナーなのだ。ええいっ、布の生地にお花も縫い込んでしてしまえ、ということにだんだんなってきて、それが最も成功したのが「トリスタンとイゾルデ」である。

トリスタンというのはリングみたいな大管弦楽は使わない。彼としては古典的な方だ。もちろんアップリケなし。生地もけばけばしい柄ではなくしっとりした布地の質感で仕上がった逸品である。その質感を紡いでいるのは「解決しない和声」であり、最も特徴的である「トリスタン和声」と呼ばれる4音は、彼を師と仰ぐブルックナーが第9交響曲のスケルツォ開始に使い、トリスタンを全曲記憶していたドビッシーはメリザンドが死んだあとオペラをその構成音のアルペジオを嬰ハ長調に解決して見せて締めくくった。

ドビッシーが「反ワーグナー」でトリスタンに対立するオペラとしてペレアスを書いたというのが通説だが僕はそうは思わない。ペレアスはトリスタンを強く意識して、その強い影響のもとに書かれ、しかしドビッシーの強い和声の個性とフランス語特有のディクションの故にトリスタンとは違うものになったオペラなのである。
ワーグナーはアリア(歌)をオーケストラに縫い込む(weave)ことに成功したが、そこまでだ。ドビッシーはもう一歩すすめて、歌だけでなく「フランス語の語感」までweaveすることに成功した、その意味でペレアスとメリザンドは革新的なオペラであり、ストラヴィンスキーの「結婚」、シェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」への道を開いた作品でもある。

ついでだが、この路線を最もストレートにいったのがヤナーチェックである。僕がチェコ語やフランス語をわかるわけではないが、音として認識でできる両言語の発音、アクセント、抑揚、ニュアンスが音楽にweaveされているオペラという点において彼とドビッシーは双璧だと思う。どちらもヴィオラやフルートのちょっとした断片のようなフレーズがフランス語やチェコ語に聞こえてくる。それは協奏曲の独奏楽器がヴァイオリンかトランペットかによって曲想まで変わってくるだろうというのと同じ意味において、リブレットがフランス語やチェコ語だから作曲家はこのメロディーを書いただろうという推定に何度も心の中でうなずきながら聴くオペラに仕上がっているということを言っている。

僕は「フィガロの結婚」や「後宮からの誘拐」を日本語で聴いたことがあるが、どうしてもいやだということもなかった。台本がイタリア語の前者とドイツ語の後者で、言語と音楽が抜き差しならぬ関係にあってぜんぜん違うタイプの音楽に出来上がっているという感じはない。何語であってもモーツァルトはモーツァルトの音楽を書くことができ、それが日本語で聴こえてきても、やっぱりモーツァルトになるという性質の音楽なのだ。ところがここでのドビッシーはフランス語の質感、もっといえば、そういうしゃべり方、歌い方をする女性のタイプまで限定して音を書いている。

僕はカルメンはもちろん、ミミや蝶々さんあたりまでは声量重視、リアリティ無視のキャスティング、ズバリ言えば体格の立派なソプラノであってもOKである。子供であるヘンゼルやグレーテルですらぎりぎりセーフだからストライクゾーンは広めだ。しかしメリザンドだけは無理だ。これはどうしようもない。舞台設定や化粧の具合でどうなるものでもなく、音楽が拒絶してしまうからだ。ここがイゾルデと決定的に違う、つまりドビッシーが意図してワーグナーと袂を分かった点だ。

僕はドイツで何回も、スカラ座でも、トリスタンを観たがイゾルデに色っぽさを感じたことがない。というよりも、感じるようなタイプの人が歌えない性質の音楽をワーグナーはこの役に書いているのだ。ではメリザンド。こっちはどうだろう?

「ペレアスとメリザンド」はドビッシーが「青い鳥」で有名なメーテルリンクの戯曲を台本として1893年に第1稿を完成した彼の唯一のオペラである。「牧神の午後への前奏曲」とほぼ同時期に着想し完成は少しあと、交響詩「海」を作曲するよりは少し前の作品だ。戯曲の筋は一見なんということもない王族の不倫物語なのだが、細かくたどっていくと不思議の国のアリスなみにファジーである。肝心なところがぼかされているのだが、詩的というのも違う。おとぎ話かと思いきや血のにおいや死臭が漂い、人間の残忍さ、欲望や嘘に満ちている。それでいて、いよいよリアリズムに向かうかなという瞬間になって、いいところで画面にさっと「擦りガラス」のボカシが入る。そんな感じなのである。

筋はこうだ。
中世の国アルモンド王国皇子のゴローが森の中で泣いている女を見つけ城に連れ帰って妻にする。メリザンドという素性も得体も知れぬ若い女であった。ところが女はゴローの異父弟ペレアスといい仲になってしまい、嫉妬した兄は弟を刺し殺してしまう。傷を負った女も子供を生み落して静かに死んでいく。

このメリザンドという女が何を考えているのかさっぱりわかないネコ科の不思議娘 なのである。それでいてペレアスが「嘘ついてない?」ときくと「嘘はあなたのお兄さんにだけよ」なんて機転のきいた嘘をついたりもする。兄弟はかわいそうなぐらいにメロメロになってしまうのである。

娘が泉の精かなにかで音楽がメルヘン仕立てかというとそうではない。女の醸し出すえもいえぬフェロモンの虜になる弟、密会を知って殺意を抱く兄。メリザンドは妖精ではなく生身の女であることは、塔の上から長い髪を垂らして弟が陶然として触れる艶めかしいシーンで実感させられる。

しかし音楽はロマンティックになることは一切ない。すべてが薄明の霧の中での出来事であったかのようにうっすらと幻想のベールをかぶっている。

「見かけはそう」という図式が次々と意味深長に裏切られる。恋でも憎悪でも死でもなく、時々刻々と万華鏡のように移ろうアルモンド王国の情景とはかない運命にドビュッシーは音楽をつけているのである。

武闘派で肉食系の兄ゴロー、草食アイドル系の弟ペレアス。メリザンドが選ぶのは弟であり、一見お似合いのカップルだ。これは「ダフニスとクロエ」対「醜いドルコン」の構図であり、美男美女カップルの勝利でハッピーエンドというのが定石だ。

ところがここでは美男のダフニスがあっさりとドルコンに刺し殺されてしまう。おとぎ話ではないのだ。

では何か?
「トリスタンとイゾルデ」というのがその答えだろう。
ゴローがマルケ王(叔父)、ペレアスがトリスタン(甥)ではないか。
不倫カップルが死んでしまうのも同じだがお騒がせ女が王族の運命を滅茶苦茶にしてしまう顛末はこれも同じである。

「X(男)とY(女)」のタイトルにもいろいろあるが、実生活でもマティルデ・ヴェーゼンドンクと不倫中だったワーグナー、やはり不倫で前妻が自殺未遂するドビッシー。ワーグナーは延々と女に歌わせドビュッシーは女を死の床に横たえてオペラを閉じている。ご両人とも眼中にあったのは女だったのだ。

メリザンドの死のシーンはラ・ボエームに影響を感じるが、ボエームの主人公がミミであったように「ペレアスとメリザンド」とはいいつつもペレアスは添え物であり、やはり主役はメリザンドなのである。

メリザンドを誰が歌っているかこそこの曲の鑑賞の要になることはご理解いただけるだろうか。

「ペレアスとメリザンド」を「王族(ゴロー)の悲劇」と解釈するか「不思議娘の幻想 物語」と解釈するか。これは趣味の問題だがご両人の作曲当時ののっぴきならぬ私生活状況を鑑みるに、僕はどうしても後者として聴いてしまう。

例えば初めて買った演奏はやはりピエール・ブーレーズのロイヤル・オペラハウスとのLP(右)だが、これは王族悲劇でも幻想 物語でもなく中性的なものだ。
エリーザベト・ゼーダーシュトレームのメリザンドはまじめ娘でフェロモン不足。これじゃあ兄弟は狂わないわな。はっきり書いてしまおう、あまり面白くない。

Debussy Pelleas et Melisande Pierre Boulez


このクールな演奏に僕が負うのは、ぜんぜん別なことだ。ペレアスの音楽史上の影響についてである。多くの人がそれに言及しているがどこまで具体的証拠に基づいてそう言っているのだろう。僕は自分で確認したことしか信用しないので、この演奏から自分の耳で気付いたことだけ列挙してみよう。

第4幕のイニョルデのシーンはほぼ直前に作曲されたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の音がする。
第1幕は「ラインの黄金」「ローマの泉」、ラヴェル「ソナチネ」、
同第3場と第3幕には「ペトルーシュカ」、
第5幕は「弦チェレ」「パルシファル」、「中央アジアの草原にて」、
第2幕で指輪を泉に落とした後に「パリのアメリカ人」

など書けばきりがない。
自作は「聖セバスチャンの殉教」、「ピアノのために第2曲サラバンド」、「牧神」「海」などたくさん。
作曲時期が近いせいだろうか「海」と似ていると言っている人がけっこういるが、どう聴いてもそこまでは似ていない。オーボエに似たフレーズがあったりはするが、海はリアリズムに接近している音楽でありペレアスはそれとは遠い。

次に買ったのはこのCDだ。フランスのディスク・モンターニュ盤でデジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏である。メリザンドのミシェリーヌ・グランシェはちょっと上品なはすっぱだが悪くはない。ペレアスを十八番にしていたジャック・ジャンセンも若気のうぶな感じが出ている。オーケストラの合奏も初演の頃はこんなだったかというムードにあふれていて、これはお薦めできる。どっちかといわれれば「王族の悲劇」型だろう。普通にこのオペラをやればそうなるのがふつうだ。台本がそうなのだから。

Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1


ところが、その後、ついに普通ではない演奏に出会うこととなった。アルモンド王国を、このオペラを、指揮者もオーケストラをも振り回す不思議娘がとうとう現れたのである。食わず嫌いしていたそのカラヤン盤をある時に聴いて、まさに脳天に衝撃を受けたのを昨日のように思い出す。

Debussy / Pelléas et Mélisande - Karajan in Vienna (1962) Artificial Stereo & Pitch-Corrected
https://www.youtube.com/watch?v=Ex3onUVOUpA
https://www.youtube.com/watch?v=dNRztf10Tys
https://www.youtube.com/watch?v=5lSVmCT6Oa4
https://www.youtube.com/watch?v=--hni29DN5I
https://www.youtube.com/watch?v=EUilr2L6Axk

カラヤンのペレアス?何だそれは、というのが第一印象。ところが一聴してこれはペレアスの最高の名盤であり、カラヤンの数多あるディスクの中でも1,2を争う出来であり、20世紀のオペラ録音のうちでもトップ10には間違いなく入る名品であると確信。どこへ行ってもそう断言するようになってしまった。

何をおいてもフレデリカ・フォン・シュターデのメリザンドに尽きる。カラヤンは「ついに理想のメリザンドにめぐりあった」と語ったそうだが、不肖、不遜を顧みずまったく同じセリフをフレデリカさんに捧げたい。

降参!参りました。この色香とフェロモンで遊びごころいっぱいのくせに手を出すと不思議なまじめさでさっと逃げる。なんだこいつは?男は迷う。メッツォだから可愛いばかりでもない。急にオトナになってみたりもする。なんだこいつは?またまた男は迷う。

リチャード・スティルウェルは、なんでカラヤンがこんな草食系のペレアスを起用したんだと思うほど頼りないが、見事にメリザンドに食われて籠絡されているのを聴くとそういう配役だったかと納得する。
ゴローのホセ・ファン・ダムは当たり役だ。このオペラほぼ唯一のTuttiである恋の語らいとキスの場面、そこに背後から闖入して弟を刺し殺すシーンは圧巻であり、そんな罪を負ってしまうことになるメリザンドという不思議娘への愛憎の表現がリアルである。

年甲斐なくやはりメリザンドの色香に迷う親父アルケル役はルッジェロ・ライモンディだ。その貫録はメリザンドの死、メーテルリンクの戯曲の主題である静かな死の場面で舞台を圧する。ここをこんなに深みを持って歌った人を他に知らない。

そして忘れてはいけないのがカラヤンとベルリン・フィルの演奏だ。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは本名をカラヤノプーロスというギリシャ人の血筋でゲルマン人ではない。オーストリア出身のドイツ系指揮者としてレパートリーを築いてきたが、ラテン系の音楽に対する思いは強かったのではないか。僕は彼のラヴェル、ドビュッシーは評価しないが、歌の入った場合は違う。彼はやはりオペラハウスで育った人だ。声を縫い込んだ特異なオーケストラ曲であるペレアスでこそ彼は自分の究極の美意識を実現できたのではないか。

そうとしか考えようのない空前絶後といっていい絶美の管弦楽演奏はドラマの抑揚をなまめかしい生き物のように歌い上げ、シュターデの声といっしょにフェロモンを発している!
こんなオーケストラ演奏を僕は後にも先にも人生一度も耳にしたことはない。
それはカラヤンの解釈なのだが、数多ある彼の指揮でもベルリン・フィルがこれほど敬服して真摯に録音に残したということ自体が驚嘆に値する事実であり、これが聴けないとなったら僕は余生に不安になるしかない。それほどのものなのである、これは。

しかしである。やっぱり、この演奏の魅力はメリザンドなのだ。これに抵抗するのはとても困難である。僕はこのカラヤン盤を「不思議ちゃん幻想 物語」の最右翼として永遠に座右に置くことになるだろう。

(補遺)
アンセルメ/ スイス・ロマンド管弦楽団、ジュネーヴ大劇場合唱団による1964年録音は悪くない。メリザンドのエルナ・スポーレンバーグはバーンスタイン / LSOおよびクーベリック/ BRSOのマーラー8番にも起用されており、アンゲルブレシュトがPOを振った録音のペレアスであるカミーユ・モラーヌと純情そうなお似合いのコンビを演じている。オケのフランス的な香りをDeccaの録音陣が良くとらえているのを評価したい。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c5
[番外地7] サブウーファー考 中川隆
3. 中川隆[-14328] koaQ7Jey 2020年1月19日 21:20:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1238]

2019年04月30日 赤兵衛との再会
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971322549?org_id=1971235422


ポチの夢宅フルレンジ鑑賞会、今回は、ホストは忙しく、こちらで、新しく届いたマランツのM−CR612を勝手に調整したり、103Solと赤兵衛(MG130HRを搭載したFOSTEXの赤塗装スピーカー)を切り替えて論評したりしていた。

私はといえば、このフォスの限定品ユニット、純マグネシウム振動板に巨大アルニコマグネットのMG130HRを3年か3年半ぐらいは使ったものだ。
そのあとで、FE108Solの軽快さに一驚し、また3年か3年半ぐらい使って、いまはAUDAXやTED JORDAN由来のメタルコーン13センチフルレンジを、MG130HRをつけていた共鳴管キャビネットに付け替えて調整中だ。

そんなわけで、今回の2ユニットは、構成は違うが知り尽くしているといってよい。
違う環境だとこうなるのか、という関心で聴いていた。

勝ち負けみたいな話があるが、別に赤兵衛の勝ちでもよいのではないか。
品位もあるし、パワーを入れて大音量にするとスッキリしてくる。
長岡先生ならどういうだろうか。
最新技術を詰め込み、嫌な音を出さない高性能フルレンジだが、CPは低い。
とかいいそうな。

私自身は、マークレヴィンソンのパワーアンプ334Lでドライブ。左右のレベル差があって壊れてた可能性もあるが、恐ろしい重量でハイパワー。
また、ネッシーMIDで空気たっぷり。
高音の抜けが悪いが、同じ純マグネシウムのホーンツィーターがうまくつながっている。
大音量で吠えさせていた。
合っていたと思う。
しかし、それでもFE108SOLをつけたスワンを一聴して、軽やかさが新鮮で、退場を即断した。

いまなら、デジタルプリで超低音をカットしてサブウーファーに任せ、もっと軽やかさを演出できるだろう。
それでも・・・

いま聴いている13センチ前後、JORDANのJX92Sを改良し続けた最新型メタルコーン、こいつは、セールで4万台、重量1キロちょっと、たぶんフェライトマグネット。
MG130HRはアルニコマグネット1.5キロ、総重量3キロで、価格は10万越えだ。
(AUDAXにいたっては、セールで買値3万強)。
メインスピーカーにこの程度ケチることはないが、2倍の働きを期待するのが人情。

音色はというと、どちらも金属の癖は抑えてあるが、アルミ?のJORDANのほうが魅力はあるように感じるのだ。
MG130HRは、純マグネうんぬんというより、コーティングフィルムとか、形状に由来するのかな?、というような、あまいというか、能面のような無機的な感じ。
私はヤマハの7センチマグネシウム振動板も持っていたが、艶やか華やかだった。

私の歴史では、FE108ES2がガサガサの紙の音で、高音の張り出しもきつく、アルニコ等重装備のFE138ESRにした当初は、おお高品位だ、と思った。
しかし、これも4キロヘルツがキーンと張り出しており、中低音は共鳴管で出ず、サブウーファーで超低音のみ盛り上げる、というようなことをやっていた。今思えば。
ここでMG130HRは、品位は保って紙の粗さは当然消え去り、帯域バランスがまともになった。
しかし、気づけばずいぶん重くなっていて、小音量でも音場が空間に浮かび上がるみたいなことでいうと、高能率スワンのほうが驚くほど差をつけていて、108Solで10センチに回帰。

FOSTEXの2000年から15年以上の歴史は、私のスピーカー格闘史で、徐々によくなってきたのだ。
solの時代あたりからは、方向性が定まり完成度が高いと思うのだが、長岡先生最晩年からの限定ユニットは、迷走期だった気がしていて、私も迷走していた。
赤兵衛と出会って、苦しい時代の友人と再会したような、なんともいえない気分になったのだ。

盟友ポチの夢さんには、『不毛地帯』最終話で大門社長が言った?「壱岐君、撤退や」という言葉をかけたい。

今回は、sol系も3年以上聴いていまは関心を失っているので、マランツ最新のCR612のCPに驚愕した。買値5万ほどのようだ。
前回は、これだけオーディオに熱を入れている人が、この重要部になぜこのコスト配分だ、と思ったが、これはなかなかに痛快な機械なのである。

長岡先生なら、ダイナミック大賞特別賞で「オーディオ入門者や関心のある人に絶対の自信をもって薦める。ウルトラハイCPだ。しかし、これでオーディオは十分となりそうで心配になった」とか書きそうだ。
清く精緻でやや明るい、まったくのマランツサウンド。

今回の目玉は、パラレルBTL接続機能。
これは初期状態では設定されておらず、4つのパワーアンプのうち2つしか使わず壊れるまで使う人が続出しそうだ。
驚いたのはSA12のクロックを使用。ということは、SA7S1やSA10といった60〜70万のトップ機種を超える。

見逃せないのが、サブウーファー出力があり、メインスピーカーの超低音カット機能があるということだ。
100Hzからのカットから始まり、10Hzごとに設定できる。
これは、私がクラッセのデジタルプリで最高に重宝している超マニア機能である。壊れたらどうしようかと悩んでいるほど。

小口径フルレンジと、プアな一般家庭の泣き所は、低音が出すぎたり出なかったりで、大音量時はコーンが盛大に揺れて中高域に影響し、キャビネットは余計な音を出し、床や壁が鳴く。
これが、100Hz以下はサブウーファーで部屋に必要な分だけ出し、そこはメインスピーカーはカットする前提だと、アンプ・ケーブル含めずいぶん楽になる。
メインスピーカーから低音が出たところで、サブウーファーと干渉して打ち消しあったりするのだ。

こんな機能までついているとは!
ポチの夢さんには是非、たとえば栗スピーカーと余っているサブウーファーを組み合わせ、超コンパクトシステム、大音量で痛快な音を出してほしいものだ。
最近はスマホで測定もできるらしいし・・・

コメント


mixiユーザー2019年04月30日 09:05
赤兵衛は突き抜けたクォリティで鳴らそうとすると、とんでもないコストがかかりそうで、ポチの夢さんにはきついと判断して早期の撤退を勧めました。
確かにMarantzの超複合アンプのBTLには驚かされました。20万円の単体プリメインを凌駕していましたね。刺客になり損ねました。

mixiユーザー2019年05月02日 18:48
C612調べてみたら面白そうな機械ですね。何処か使えそうな場所を見つけて使ってみたいですw


mixiユーザー2019年05月03日 01:11
> mixiユーザー 

限定品はロマンを感じますが、逆に言えば実験ということですね。環境や好みに合わなければ撤退というのを覚えました。


mixiユーザー2019年05月03日 01:15
> mixiユーザー 

超高級ラジカセみたいな使い方もありでしょうね。いつも高級な大型システムというのも疲れますよ。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971322549?org_id=1971235422
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/431.html#c3

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」


Tristan und Isolde Braun Treptow Klose Knappertsbusch Munich 1950 LIVE


Wagner - Tristan und Isolde Opera (Flagstad,Suthaus - recording of the Century : W.Furtwängler)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
1. 中川隆[-14327] koaQ7Jey 2020年1月19日 21:56:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1237]



ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」2017 JAN 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/ワーグナー-楽劇「トリスタンとイゾルデ」/

ロンドンで日々東洋の若僧を感化してくれたお客さまがたの平均像は年のころでふた回りうえ、オックスブリッジ卒のアッパー、保守でした。シティは決してそんな人ばかりではないですが、僕が6年間担当して自宅に呼んだり呼ばれたりの深いおつきあいしたのはそういう方々が多かったようです。人生を処世術をずいぶん教わりました。なんたって大英帝国の精神を継ぐ保守本流の人達だから影響は受けました。

そのせいか、最近コンサーバティズム、トラディショナリズムでかたまった英国のおっさんみたいになってきたな、まずいなと自分で思うこともあります。夏目漱石はロンドンに2年半いて神経衰弱になって帰ってきましたが、それでも彼も影響を受けたのだろう、英国経験者だなあというのは猫に語らせた日本を見る冷めた視線なんかに感じます。ひょんな処で共感を覚えるのは面白いものです。

中でも親しくしていただいた大人の趣味人Cさん。「英国のゴルフクラブは女人禁制だ、なんでかわかるか?」「は?」「女には教えない方がいいものがあるんだ」。クラシック通の彼とは共に夫人同伴でロイヤル・フェスティバルホールに何度も行きましたが「オーケストラに女が多いと台所に見える」と言った指揮者の支持者であることを奥方の前で開陳することは禁じられていました。

女には教えない方がいいもの。今は何事も女性の方が知っていたりしてそんな言葉は化石になりましたが、ワーグナーの音楽、とりわけトリスタンはどうなのか?そう自問すると、これはまだ難しいだろう、やれやれ男の砦が残っていたわいと安心などするのです。この楽劇への僕の見解はCさんも、もうひとりケンブリッジ首席卒業のPさんも「そうだそうだ」とオトナの男納得のものがあったのです。

ワーグナーで好きなものというと、規格対象外のリングは置くとして、トリスタンなのかなあという気がします。解決しない和声は基音なしという意味でドデカフォニー(12音技法)と同じ思想で、それをあの時代に想起したというのも驚きですが、そのグランドデザインで全曲を一貫してしまおうという発想はさらに凄すぎます。

この音楽を聞いてどう感じるかは人それぞれでしょう。僕にとって基音(トニック)回帰なしというのは主なき王国、あてのない旅であります。あるべきものがない、来るべきものが来ない。道すがらどんな美しい景色や人間ドラマがあろうが、それに至らないと満ち足りず、そこまでの道のりが長ければ長いほど渇望はいや増しに増して、どうしようもなく満ち足りません。

そう、この音楽はワーグナーが聴き手に課す4時間にわたる過酷な「おあずけ」のドラマです。西洋音楽のカデンツになれ親しんだ者にほど、つまり教会で日課のようにそれを聞いたり歌ったりして育った当時の歌劇場の聴衆のような人々にとってこれは未知なる彷徨であり、伝統を知っている者ほどつらい。つらい分だけ最後にそれから解放される天国の花園ような光景は忘れ難く、また訪れたくなる。今日的にいうなら、耳の肥えた人にほど常習性があるのです。

あたかも曲全体がトリスタンが飲んだ媚薬であって、この無間地獄に曳きずりこまれようものなら永遠にぬけられません。

ワーグナーがこれを、ジークフリートを中断してまで書きたくなったのはマティルデ・ヴェーゼンドンクとの関係があったからとされますが、W不倫という今なら格好の文春ネタをやらかしたワーグナーにとって「愛」は追っても逃げる幻であり、こう書いてます。

「憧れるものを一度手に入れたとしても、それは再び新たな憧れを呼び起こす」(R・ワーグナー、ヴェーゼンドンクへの手紙より)
正に彼は憑りつかれたようにそういう音楽、無限旋律を延々と書きつらね、
「愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しない」 (同上)
と、音楽の最後の最後に至って、その通りにトリスタンを死なせておいて和声を初めて解決するのです。G#m、Em、Em6、Bと静かにそれはやってきて、楽譜Aのuna cordaからのg#、a、a#、b、c#のオーボエが旋律線として聞こえますが、

楽譜(A)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2017/01/tristan2.png

この旋律は前奏曲冒頭(楽譜B)のトリスタン和音のソプラノ声部であって、音名まで合致させているのですね(青枠内)。頑として溶けまいと拒んでいたこの4小節がついに陥落して究極の安寧のなかに溶け入る様は何度聴いても僕を陶酔させてくれます。

楽譜(B)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2017/01/tristan11.png

そしてここが重要です。エンディングがあまりに素晴らしいので「初めて解決」と書いてしまいましたが、実はuna cordaの7小節前に、つまりイゾルデの「愛の死」の歌の最後にE、Em、Em6、Bという楽譜(A)の疑似的和声連結が出てきています。

つまり解決はイゾルデという女性によってなされている。

楽譜(A)でたどり着いたロ長調。トリスタンの死によって彼の追い求めた愛は憧憬でも欲求でもなくなり、天空に姿を結ぶのです。

この筆舌に尽くし難いほど感動的なエンディングは不倫がバレてチューリヒを追われ行き着いたヴェネチアのフラーリ聖堂の祭壇画、「アスンタは聖母ではない。愛の清めを受けたイゾルデだ」と言ったティツィアーノの『聖母被昇天』(左)のイメージだったのではないでしょうか。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2017/01/800px-Tizian_041.jpg

ロ長調の終結について、僕は以前ブログにしており、ご覧いただいた方もおられると思います。

バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」再論
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/11/15/バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」/

そこに書きましたようにハ長調は自然、ロ長調は人間界をあらわし、ウエストサイドとツァラトストゥラにその隠喩があることを指摘しましたが、実はその元祖は第1幕がハ長調、第3幕がロ長調で終わるトリスタンなのです(注)。この2つの終結は、彼の言葉通り、天界の聖母を人間界のイゾルデに引き下ろしたのだと解しております。
(注)ちなみに第2幕終結は傷を負ったトリスタンの死を暗示するニ短調

さて、この楽劇がなぜ男の牙城なのか。それは男なら言葉は不要、しかし女性に教えようとすると言葉で表わすしかなく、お下品なポルノまがいになってしまうからなのです。

それは前奏曲のエンディングから29小節前で何がおきているか?から始まる長い長い物語(時間)で、ワーグナー自身が媚薬にうなされマティルデとの逢瀬のうちに見た白昼夢だったのではないか?そこには船に乗ってやってくるイゾルデを待つワーグナーがいたのではないか??「愛の二重唱」はクライマックス寸前で待ったがかかり、運命の「おあずけ」にあって苦悶する彼をとうとう解き放ってくれたのはイゾルデだった、そこで何がおきたのか?

男性諸賢はわかっていただけると信じますが、これは只の悲しい男のさがの描写ではない(かなり写実的ではあるが)、後に現実に他人の妻を寝取ってしまった男の書いたものなのだということです。トリスタンを初演したのがコジマを寝取られたハンス・フォン・ビューローであり、ワーグナー自身が昇天したのがかつて『聖母被昇天』に心を吸い寄せられたヴェネチアであったというのも因縁を感じさせますね。

女には教えない方がいいものは僕にはありませんが、しかれども、この楽劇の男の体感目線をエレガントに女性に説明する筆力は僕にはございません。イゾルデはプリマではなく女神、観音様に見えるのであって、トリスタンは多少へぼでもよし、イゾルデがどうか?で僕のこの楽劇への評価は決まるのです。

私はあなたに、このオペラがこれまでの音楽全般の頂点に位置しているということを断言いたします。(ハンス・フォン・ビューロー、雑誌編集長あて書簡)

Tristan was the “central work of all music history”.(Leonard Bernstein)

まったく同感であります。これを聴いて、ドビッシーのペレアスがどうこの世に生を受けたかがわかるのです。そこで男たちの、王国の運命をひきずりまわすメリザンドはイゾルデの末裔とうつります。
イゾルデ歌手の好みですが、これは趣味の問題なので自分で選ぶしかありません。代表的なところで個人的には、フルトヴェングラー盤のフラグスタートは可、カラヤン盤のデルネシュは重くて不可、ベーム盤、ショルティ盤の二ルソンは霊長類最強は認めるが剛腕すぎ、クライバー盤のM・プライスは好みなんですがこの役にはきれい・かわいいすぎ、ですね。


結論です。バーンスタイン盤のヒルデガルト・ベーレンス。僕のイゾルデはこの人をおいてありません。どこといって抜群ではないのですが、まず立ち姿がいいんでね、そのままの声が出てます。ドラマティコにはどうも感じない知性と品格がありますね、この人、その世界でまったくきいたことない法学部卒ですから親近感も覚えてしまいますね。そしてなにより声ですね、高音が澄んで強いけれどもピュアで伸びがいい。オケとぴたっと音程が合う瞬間は恍惚感を覚えるほどだ。

Tristan und Isolde Bernstein Munchen 1981 LP


バーンスタイン盤は日本では不人気の部類でしょう。テンポが遅くてついていけないという。僕も始めは驚き、そう思っていたのですがだんだんわかってきました。この音楽に絶対のテンポはないのです。なにせ白昼夢ですからね、解決しない和音は移行への磁力がないですし、歌手陣、劇場、オケージョンという上演現場の条件によって可変的と思います。これとペレアスだけは音楽全般において異例の存在なのです。

これは1981年にミュンヘンで演奏会形式で3幕を別々の晩に上演した記録で、そこにバーンスタインの深い思い入れを感じます。トリスタンは全ての音楽の中心にあると看破し、ハ長調ーロ長調の対立をウエストサイド・ストーリーに持ち込んだ作曲家の眼からの指揮であり、だからこそ、この作品への全身全霊をかけた敬意と愛情を感じずにはいられません。同じものを共有する僕として、ひょんな処で共感を覚え、そうか、なるほど、だからこのテンポなのかと膝を打つことしきりです。

このトシになってわかったことですね。ベーレンスの絶対の女神、観音様ぶりにバーンスタインも心服した感動の「愛の死」は必聴です。遅いのではなく、これは時が止まっているのです。死をもって愛が成就する、それを感じることがトリスタンを心に取り込むことで、ビデオを見ると最後の「解決」で指揮台で小さくジャンプまでしているバーンスタインの発するオーラがそれを容易に感じさせてくれます。




https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/ワーグナー-楽劇「トリスタンとイゾルデ」/



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ワーグナーは音楽を麻薬にした男である 2019 APR 28 by 東 賢太郎

ワーグナーは信じ難いエネルギーで膨大な量の楽譜を残したが、あれだけ多産ということは種をたくさん撒いたということで、まあきれいに書くなら自己顕示欲の塊だった。彼はそこに真の意味における精力絶倫までくっついているのだからきわめてわかりやすい。押しも押されぬ音楽界の大王である。注意しなくてはいけないが、中途半端だとセクハラおやじになってしまう。ところが不思議なもので、あの域までやって大王になってしまうとオッケーどころか崇拝者まであらわれるのである。その世界、過ぎたるは及ぶが如しである。

古来、大王の崇拝者をワグネリアン(Wagnerian)と呼ぶ。英語だから男女はないが、ドイツ語だとヴァグネリアナー(Wagnerianer)で男性名詞である。すると、女性である場合は法則に則って in を語尾につけ、ヴァグネリアネリン(Wagnerianerin)ということに相なる。舌を噛みそうなのでどうでもいいが、男女のリスナーに共通していることが一つある。大王の人としての評価が低いことだ。立派な男だという声は聞いたことがない。唯我独尊、誇大妄想、ホラ吹き、借金まみれ、夜逃げ、踏み倒し、壮大なる浪費癖、王様をカモにして国家財政が危ないほどむしりまくる、女はかたっぱしから寝取る。彼に罪はないがヒットラーがワグネリアンになったから危険な音楽にもなってしまった。救いようもない。しかし、それでも彼は大王なのだ。

僕の評価を言おう。ワーグナーは音楽を麻薬にした最初の男だ。トリスタンとイゾルデに媚薬が出てくる。敵同士の二人はそれを飲んで惚れあってしまう。あのシーンはワーグナーの音楽の全部の象徴ともいえる。媚薬なんてもんじゃない、麻薬である。彼は富も名声も女も、すべて自らの指が生み出す麻薬で得たのだ。中毒になったバイエルン国王ルートヴィヒ2世は湖で変死した。音楽に狂って暗殺説まである王様はいない。若きヒットラーは食費を切り詰めてまでワーグナーを観に劇場に通った。中毒と戦ってやがて離反したニーチェ。トーマス・マンの中毒はセックスと死のどろどろとして三島由紀夫に伝染した。みんなそれなりに熱くてはまり症のある一癖二癖ある男だ。やっぱり男性名詞であることに意味があるんだろうか。

では作曲家は?サウンドをまねた者は数多いる。しかし中毒症状を発して病膏肓に入ったのはブルックナーでもマーラーでもR・シュトラウスでもない。ドビッシーだ。トリスタンなくしてドビッシーはないと断言する。他の者はすべて、それに比べればなんちゃってワグネリアンに過ぎない。ペレアス、海、遊戯のスコアを見ればわかる。僕はそれを、海をシンセで演奏して発見したのだ。ドビッシーがカネの亡者とは聞いたことがないが、女にはやはりめちゃくちゃだった。オカマ系ではない、ワーグナーと同系の、男性、オスそのものである。そうでなくてトリスタンなど書けるはずもないではないか、第一幕前奏曲は男のセックスすばりの克明極まりない描写であり、なぜフェミニストの先生がセクハラ告発しないのか不可解である。解決しない和声とは男の欲求が満たされないそのものずばりなのである。それに感応したドビッシーは、和声連結をまねたりワグナーチューバを使ってみたりの薄っぺらな表層ではない、音楽の根幹、本質で深く深くワグネリアンとなり、やはり男を迷わせ破滅させるメリザンドを解決しない和声で描く。そう、はっきり書こう、両者にとって同じことは、女は客体だということなのである。主体である女性にはわからない所があると思う。

ではヴァグネリアネリンはいないのだろうか?いやいや、いるではないか。しかも、大王に負けない女王である。コジマ・ワーグナーだ。最初の夫、大指揮者ハンス・フォン・ビューローからワーグナーが寝取ったことになってるがどうだろう。僕はコジマが自分からのイニシアチブで乗りかえたような気がしてならない。ビューローには申し訳ないが、音楽家として格が違いすぎた。もしそうならコジマは大王を食った大女王ではないか。ワーグナーの大言壮語はとどまることなく「俺のような世紀の天才にカネを出し惜しむような奴は馬鹿だ、後で後悔するぞ」といっている。ところが、コジマはそんな男を「謙虚で慎ましい」といっている。どういうことだろう?

彼女は本気でそう思っていたのだ。夫の没後も毀誉褒貶から名声を守り、バイロイト音楽祭を今の形に興隆させたワグネリアンの女神である。「慎ましい」、何に対して?もちろん夫の音楽のもっている本源的価値(intrinsic value)に対してだ、それ以外に何があろう。コジマはあのフランツ・リストの娘である。父リストは、誰も弾けず、価値は棚ざらしだったハンマークラヴィール・ソナタを弾いて世に認めさせた。ベートーベンの音楽は発見されるのに時間を要したが、娘はワーグナーの音楽にそれを嗅ぎ取った「違いの分かるオンナ」だったに違いない。「あなた、このスコア、百年後にはン億円で売れるわよ、間違いないわよ、それにしちゃちょっと謙虚すぎない?」と言ったかどうか知らないが、世間では大王様である夫の尻を叩いて、勇気を与え、安心も与えたのは彼女だ。男女の「創造的分業」の鏡である。本当に賢い女性は活動家になる必要はない、こういうことができてしまうし、それは絶対に女性しかできないのだ。

ワーグナーをバイロイト音楽祭やウィーン国立歌劇場やベルリン国立歌劇場やヘッセン州立歌劇場に観に行く。あれは「観に」という感じが近い。細部にまで耳を澄まして「聴きに行く」というよりも、「メタ」に五感が反応するものであって、僕的にはお正月に神社に昇殿参拝してドドドドンと太鼓がたたかれ、ご祈祷が始まり神職が祝詞(のりと)を読み、大麻でササ−ササーっとお祓いを受けてまたドドドドンで終わる、ああよかったねえというあの福々しい感じにトータルには近い。タンホイザーのヴェヌスのエロティックな場面とか、ラインの黄金の水中の乙女の場面とか、まずはヴィジュアルにおお〜!となって忘れられないのもあるが、音楽は8割がた僕には祝詞みたいなものだ。しかし2割があまりに良すぎて麻薬であって、それを待つ苦行に耐えているからこそ「来た来た来た!!」となって薬効が倍加するのだから始末が悪い。

ちなみにモーツァルトに祝詞はなくて、徹頭徹尾、終始美しい。それはそれで難しいものだが、しかしドイツの田舎の歌劇場でモーツァルトは何とか聞けても、ワーグナーは無理だ。なぜかというと、人間、体のサイズというものだけはどうしようもない。ワーグナーにはアスリートの側面があるのだ。甲子園クラスのチームと当たってホームベースに整列すると、まずつぶやいたのは「おい、でかいな」だった。広島カープにミコライオという2メートルの投手がいたが、横浜の試合後にJRに乗って、隣にやけにでかいやつが立ってるなと思ったら彼だった。ヒゲが僕の頭の上にあった。あんなのが投げて打てっこないや。じゃあ音楽家はどうか?そんなことはないと思いきや、ワーグナーのオペラだけは別ジャンルだった。ソプラノが舞台にしずしずと出てくる。普通なら顔に目が行くが、しかし、違うのだワーグナーだけは。女性に失礼なので名前は書かないが、まず感じるのはやっぱり「おい、でかいな」だ。中肉中背だけのキャスティングなどあり得ない、東京ドームで少年野球を観るみたいになってしまう。

ブルックナー、マーラーに劣らぬオケのサイズだ。その大音量に負けず5時間も声を張りあげるとなると、ソプラノは巨山が聳えるようなマツコ・デラックスみたいな体格が必須であって、世界中探したってそうはいない。僕はコロラトゥーラの澄んだきれいでかわいい声のソプラノが好みだが、彼女らはワーグナーではお呼びでないのである。おおざっぱに言うならばモーツァルトで大事だといわれるものは聴く側には不要であって、委細構わず常人離れの大音声で客席を圧倒し、大向こうをうならせ、伴奏オーケストラもフルスロットルのアクとケレン味たっぷりでよろしい。そうでないワーグナーなど、僕はなに勘違いしてるの?としか思えないのだ。

レコードならショルティとカラヤンのリングがやっぱりすごい、こりゃあ500グラムのステーキを平らげるようなもんだ。4番バッター軍団はギャラも高いし大物はスケジュールも合わないから舞台上演は難しい、どうしても録音がベストということになるが、もし「リングを舞台で聴かせてやるよ指揮は誰がいいかね」なんて夢がかなうなら僕はロリン・マゼールを指名したい。彼は指揮界のアクとケレン味の大王である。そのせいだろう、日本では甚だ人気がないが彼の音楽力のファンダメンタルは破格だ。ヴァイオリニストでもあり、同業者の間で「ベートーベンの交響曲のスコアを記憶で書けるか?」と話題になった時、俺は無理だ、でもひょっとしてあいつならとマゼールで意見が一致したという逸話がある。

彼は歌なしのリングもやっているが、抜群に面白いのが1978年のこの録音だ。マゼールは脂ののった48才。カラヤンやクレンペラーが振ったフィルハーモニア管弦楽団はプライドが高く、ボケナスの指揮者など上から目線でコケにするつわものオケだが、完全に御してやりたい放題である。痛快この上なし。昭和のむかし、男ならなりたい三大職業が連合艦隊司令長官、プロ野球監督、オーケストラ指揮者だった。で、 指揮者なら?僕はワーグナーの麻薬を撒き散らして思いっきりあざとくやりたい。この「リエンツィ序曲」みたいに。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/04/28/ワーグナーは音楽を麻薬にした男である/




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c1
[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
2. 中川隆[-14326] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:16:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1236]
僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)2017 JAN 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/僕が聴いた名演奏家たち%ef%bc%88ヒルデガルト・ベーレ/


2009年8月に草津音楽祭でベーレンスが来日して倒れ、そのまま日本で亡くなってしまったショックは忘れません。バーンスタインのイゾルデでぞっこんになってしまい、一度だけ目にした彼女の歌姫姿が目に焼きついて離れず、それから時をみては数々のオペラCDで偲んでいただけに・・・。


女神であるベーレンスを聴く幸運はドイツ時代のフランクフルトで訪れました。1995年5月13日土曜日、アルテ・オーパーのプロアルテ・コンツェルトで、フランス人のミシェル・プラッソンの指揮、ドレスデン・フィルハーモニーで「ヴェーゼンドンク歌曲集」、「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」です。これにどれだけ興奮してのぞんだかは前稿からご想像いただけましょうか。


この5月に会社から辞令が出て僕は野村スイスの社長就任が決まっていました。チューリヒに赴任する寸前だったのです。欧州でロンドンに次ぐ大店ですから当時の社内的な客観的風景でいうとまあご栄転です。サラリーマンの出世は運が半分ですが、この時「なんて俺はついてるんだ」と思ったのはそっちではなくて引越しまでにこの演奏会がぎりぎり間に合ったほうでした。

ベーレンスのイゾルデ!!男の本懐ですね(なんのこっちゃ)、ドイツ赴任を感謝するベスト5にはいります。声は軽い発声なのによくとおってました。バーンスタイン盤のあの高音の輝きとデリカシーが思ったより暖かみある声という印象も残っていて、前稿で姿勢と書きましたが、彼女の表情や人となりの良さが音楽的なんだとしか表現が見当たりません。

イゾルデだけでないのはもちろんでサロメ(カラヤン盤)、エレクトラ(小澤盤)が有名ですが、あまり知られていないサヴァリッシュ/バイエルン放送Oとのリング(ブリュンヒルデ、下のビデオ)は絶品です。そしてアバド/VPOのヴォツェックも大変に素晴らしい。この人が歌うとマリーのあばずれ感やおどろおどろしさが薄いのが好みを分かつでしょうが、オケを評価しているブーレーズ盤のイザベル・シュトラウスより好みで愛聴盤です。


もうひとつ、これも忘れられている感がありますがドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」も素晴らしい。54才の録音ですが声の輝きも強さも健在で、ボーイソプラノ的でもある彼女の高音が生きてます。ビルギット・二ルソンのワーグナーが好きな方には評価されないでしょうが、ゼンタはやはりこの声でしょう、引き締まって筋肉質のドホナーニとVPOの美音もDECCの腕でよく録れておりおすすめです。
ゼンタ、待ってくれ!ちょっとだけ、待ってくれ!

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c2

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
3. 中川隆[-14325] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:18:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1235]


ドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c3
[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
4. 中川隆[-14324] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:23:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1234]
特別なトリスタン体験 2019 JAN 20 by 西村 淳

新交響楽団第244回演奏会
指揮 飯守泰次郎
二塚直紀(トリスタン)、池田香織(イゾルデ)他
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」抜粋(演奏会形式)
第1幕 前奏曲
第2幕 全曲
第3幕 第3場

2019年1月20日(日)2:00PM
東京芸術劇場コンサートホール

「トリスタンとイゾルデ」は1991年10月、サンフランシスコの戦争メモリアルオペラハウスでの公演を見て、そして聴いたのが最初で最後だ。

その頃働いていた横河電機でのアプリケーション・シンポジウムで一等になったご褒美にアナハイムでのISA(Instrumets Society of America)への視察旅行があった。帰国する前にサンフランシスコまでその足を伸ばしたわけだが、緊張感に満ちたアメリカ社会の中でこの街の安全と開放的な空気がいっぺんに好きになってしまった。昼は観光、夜はコンサートと短いながら充実した日々だったし、とうとうオペラまで観てしまったわけだ。

それまで「トリスタン」は「前奏曲と愛の死」くらいしか知らなく粗筋をつまんだ程度の知識しかなかったが、この時の公演は第3幕でイゾルデの「愛の死」で涙が溢れ、止まらなくなってしまった。カーテンコールが終わっても呆然として人前を憚らず泣けた空前絶後の音楽体験だった。

ワーグナーに媚薬を盛られてしまったわけだ。それ以来この曲は特別なものとして常に心のどこかにあり出来れば演奏体験もと思っていたが、アマオケの雄たる新響が取り上げてくれた。自分がその場にいない残念さもあったが、私にとっての音楽は聴く楽しみ半分でもあるので弾く楽しみは先に残しておこう。

ライヴ・イマジンで度々お世話になっている新響のU夫妻からチケットをプレゼントされ、勇躍会場に。アマチュアのコンサートはいいところを聴くことが鉄則である。しかしながらワーグナーのスコアは易しくなくちょっと不安もあった。

ところが前奏曲が鳴り始めてすぐにワーグナーの特別な世界が拡がり、それが杞憂であったことをすぐさま思い知らされた。そう、音楽そのものに入れたし最後にはやっぱり泣いてしまった。素晴らしい。本当に素晴らしい体験だった。

この公演を聴けたことは一生の思い出となるに違いない。指揮の飯守さんはじめ新響の面々、そして何よりもトリスタンの物語を真摯に伝えてくれた歌手の皆さんに心から拍手を贈りたい。ブラーヴォ!


吉田 康子
1/21/2019 | 12:31 AM Permalink
ワーグナーは私にとってあまりご縁も無く、ワグネリアンという言葉に恐れを抱いてわざわざ近づく事も無い遠い世界の人でした。たまたま新響の練習後にお目にかかったUご夫妻が、今回の歌の素晴らしさを語っていたのが印象的で、ご招待に便乗させて頂きました。

人の声ってこんなにも力強く心を揺さぶるものなんだと感動。そしてワーグナーの音楽の大きさ、深さに魂を奪われたような気分です。それにしてもオケの皆さんは、アマチュアという立場でどうやってここまで素晴らしい音楽を作り上げたんだろう?と素直な驚きの思いも。本当に心に残る演奏を聴かせて頂き,ありがとうございました。



西村 淳
1/21/2019 | 4:16 AM Permalink
歌の世界は器楽とまた別のものですね。オペラ、リートあたりになると私もまだほとんど知らない世界がそこにあります。モーツァルトならオペラ、シューベルトならリート、ヴェルディもプッチーニも、そしてワーグナーさえよく知らない。言葉の壁を言ってしまうとそれまでですが、歌は感動をよりストレートに伝えてくれるもののようです。



東 賢太郎
1/28/2019 | 5:49 PM Permalink
トリスタンは異形の作品であの年代にこれを書いたワーグナーは好き嫌いはともかくけた外れの巨人ですね。しかも同時に名歌手もリングも構想して台本まで書いてるまぎれもないお化けです。ドレスデン蜂起でゲバ棒を振って指名手配となったり、小説や評論を書いたり、借金が返せず英国に逃げたり、数々の浮名を流したりしてますがどこにそんな時間があったのか不思議です。

西村 淳
1/29/2019 | 6:11 PM Permalink
トリスタンは自筆譜ファクシミリも最近刊行されていますね。ほしいなあ、ですが所謂宝の持ち腐れの可能性が高いし・・こんな悩みがまだあるうちがいいのかもしれません。
飛んで飛んでのワーグナー、友人にはしたくない人物ですね。でもどこかで惹かれているみたいな。凡人はみんなきっとそう。
いずれにせよ、私にとってはまだまだ大きな未知の世界です。

東 賢太郎
1/29/2019 | 10:16 PM Permalink
スコアは持ってますがまるで百科事典か電話帳です(どっちも見かけなくなりましたが)。怖くてじっくり付きあおうとは思いません、それだけで人生尽きそうなんで。リングは通して聞かれましたか?これ、味をしめると病みつきになります。もう魔性の音楽です。15時間のうち大半が禅問答に耐えるみたいなものですが、あまりに素晴らしい部分が要所要所に出てきて忘れられず、あれを味わうには我慢しようとなってまた聴くという感じでしょうか。一種の麻薬ですね。

西村 淳
1/30/2019 | 7:11 PM Permalink
リングは断片でしか知りません。昔々FM放送で柴田南雄さんがライトモチーフの説明をしていたバイロイト音楽祭の中継がありましたが、このモンスターを知るにはまだ若すぎました。
ショルティの有名な録音もトリスタンのスコアと同じ命運を辿りそうで、手が出ないでいるのが正直なところです。それにしてもこれを味わっているとは流石ですね。


東 賢太郎
2/2/2019 | 12:32 AM Permalink
いえ、そんな大したことはないですよ。リングは攻略法があるんです。まずライトモチーフを全部暗記する、これだけはマスト。でもそれで8割は終わりです。僕は最初、ジョージ・セルのニーベルングの指環 (ハイライト) で覚えてから広げました。

西村 淳
2/2/2019 | 7:34 AM Permalink
やはりワーグナーはライトモチーフに尽きるわけですね。逆にわかってしまうと存外簡単なわけですか。それにしてもリブレットだけでは何も生まれないのに、これに音楽が付くとストレートに心に働きかけてくる。まさに麻薬ですね。
ワーグナーはクナッパーツブッシュ、録音でもこの陶酔感は格別でした。

https://sonarmc.com/wordpress/site31/2019/01/20/特別なトリスタン体験/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c4

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
5. 中川隆[-14323] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:27:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1233]
見事なトリスタンとイゾルデ!(読響定期)2015 SEP 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/09/07/見事なトリスタンとイゾルデ%ef%bc%81%ef%bc%88読響定期%ef%bc%89/


1か月もクラシックを聴いていないと禁断症状が出るかと思いきやそうでもありません。5月に5日間断食した時に意外に平気でしたが、クラシックも物心ついてからそんなに「抜いた」ことがないので精神状態に何が起こるかわからないのです。
今日は6時からU-18の野球があって、3時開演のサントリーホールは微妙だなと思ってでかけました。出し物は例によって知らず。それがワーグナーのトリスタン全曲であったのです。まずい、こりゃ5時間かかるぞ、これが初動。野球の方が気にかかっていたのでした。それに、絶食中の胃袋にいきなりステーキみたいで重いなあ・・・。

僕はワグネリアンというほどではないですがドイツ時代の3年間はどっぷり浸かっていて、トリスタンはC・クライバーのCDを聴きこみ(マーガレット・プライスが好きなんで)、舞台はマインツ、ヴィースバーデン、それからバレンボイム(ベルリン国立歌劇場)も東京とミラノ・スカラ座で2回きいたりしています。

「トリスタンとイゾルデ」は男女が死のうと毒薬を飲んだつもりが媚薬にすり替わっていたという、そこだけクローズアップすると非常にばかばかしい話です。喜劇みたいですが大真面目な悲劇になっているばかりか、愛とは何か、死とは何かと哲学問答みたいにもなってくる。

二人は不倫で昼は会えない。だから夜がいい闇が好きだ夜が明けないでくれとなり、昼の光は欺瞞だ幻影だ消してしまいたいとなる。でも光はちゃんとやってくるんで、それならいっそあの世の闇の中で、誰にも邪魔されずに永遠に愛しあっていようよとなってホントに死んでしまうのです(ただ、イゾルデの死因が何か、未だもって僕にはわからない)。

我が国のほこる曽根崎心中も、悪い奴にカネを貸して騙されちゃった、汚名を死でそそぎたいんで一緒に死のうなんて(訴訟せんかい)究極の情けない男が出てきて今や現実離れしてますが、トリスタンのこの現実感のなさはさらに上手といえ、これで傑作を書いてしまうなどワーグナーの独壇場であります。

しかも、そうなった原因が二人が元から愛し合っていたわけでも格別に淫乱だというわけでもなく、薬の効き目なのであって、彼らは運命の被害者だ、だから大真面目に悲劇なのだというスケルトンなんですが、媚薬という存在がおとぎ話っぽいのでどうも心中の動機に迫真性がない。「イゾルデの媚薬」をダシにしたドニゼッティの「愛の妙薬」の喜劇のほうがまだ多少はホントらしい。

希薄な迫真性の上にきわめてマジで迫真性に富んだ音楽がのっかるもんですから、そのミスマッチを一歩引いて見ているとどこか喜劇に思えてくる。この複雑骨折の相貌はモーツァルトの魔笛と双璧でしょう。オペラ狂のイタリア人のお客さんにそう言ったら、彼の見解は媚薬はバイアグラだった(笑)というもので、やはりこれは悲劇である。しかしこんな曲を書くワーグナーの淫乱ぶりはもっと悲劇だったけどね、でした。

たしかに、この曲の「愛のパワー」は全開です。前奏曲のffは男性の、愛の死のは女性の「頂点」を生々しく描写したもの(後者は筆者想像)。第2幕で有名な「愛の二重唱」の後者の「絶頂の和音」がクルヴェナールの闖入でかき消されてしまう所など、聴いている方までおいおいちょっと待ってよとなるのがニクいばかり。お客さん説に賛成!

曲頭に意味深に鳴る「トリスタン和音」。あれに二人の愛の謎が、悲劇の予兆が、隠避にひっそりと横たわっている。全曲が前奏曲と愛の死にエッセンスとなって凝集してストーリーと絡み合っている。まったくもってもの凄い音楽であって、これに憑りつかれると生活に支障が出るほど頭の中で鳴り続ける。媚薬みたいに危険な音楽です。

余談ですが、トリスタン和音は解決しない。専門家によるとそういうことになってる。素人ですからナポリ6度が半音下がる解決を連想します(それを解決と言っちゃだめよなんですが)。愛の死も短3度ずつ上がってお尻はその連続だ。ナポリがキーですね。でもクラシックの勝利の方程式みたいなD⇒Tが出てこないですね。期待は次々にはぐらかされて、絶頂に至れない愛ですね。

その5時間にもわたる満ち足りない悶々もやもやが、愛の死の最後の最後に至ってC⇒Fm6⇒Cとカンペキに、荘厳な夕陽が地平線に落ちるみたいな絶対的な静寂と安定感をもって、ついについに「解決」する。全曲に仕掛けられた和声のトリック!ラストの空前絶後のどんでん返し!!(安物のミステリーのキャッチコピーになっちゃいました)。

ワーグナーは長い、退屈だ。たしかにそうかもしれませんが、この曲は5時間も我慢(休憩1時間ありますけど)した甲斐が絶大な感動で報われるという10倍返しの稀有な作品であります。そのことはクラシック音楽を楽しむ共通原理みたいなものでもあり、他の作曲家でも、そうか、つまんないところも寝ないで我慢してみようってきっとなります。

さらに凄いと思うのは、この1回しかない和声解決という大どんでん返しの終結で「とうとう愛まで成就したんだ」というメッセージがそっと客席に天から届くのです、二人の死をもって。そう、散々ケチをつけた「現実感のないお話」なんですが、そうか、そうだったのかとカンペキに納得に至って茫然としている自分がいる(しかしあそこで間髪いれないブラボーはやめて欲しいなあ)。

こうやって僕は毎回ワーグナーめにしてやられるのです。悔しいけど。

今日の歌手はお見事でした。水で喉を潤しながらの「完投勝利」。最初はセーブして、第2幕で全開になって。なんとなくわかります、先発投手が9回投げるぞっていう感じ。イゾルデは緊急登板だったレイチェル・ニコルズですが健闘しました。みんな良しですがアッティラ・ユン、容貌で日本人と思ったが韓国人でした。すばらしい。久々に本物のワーグナーのバスを聴きました。

マルケ王は弱い人だと女房取られてそれかよって、二人のダシ扱いですからワーグナーは、まったく様にならなくて話の迫真性がますます失せるんですね。このキャスティングは大正解です。

そして最後に、しかし特筆大書で、カンブルラン、読響。ブラボー、最高でした。演奏会形式は初めてでしたが、オーケストラパートがこんなに絶妙な響きに書いてあったのかと目からうろこの気づきがたくさんありました。ありがとうございます。

この曲をききながらずっとドビッシーの「ペレアスとメリザンド」が耳にこだまするなんて初めて起きたことです。ドビッシーはまずワーグナーにはまり、トリスタンを否定して独自の和声の道に進みましたが、降参したんでしょうね。

だからメリザンドは不思議娘のまま子供を残して死にますしもうオペラ書かなかったし。なにせこの和声トリックは空前絶後、やればパクリになるんで。これぞ弁証法的発展。

帰ってきて、U-18の負けをさっと見届け、そこからずっとトリスタン前奏曲でピアノと格闘するはめになってしまいました。カンブルランの指揮は明晰、知的ですね、ブーレーズ並みの理性を感じますがそれでいてツボの盛り上げもうまい。彼の曲への敬意、愛情、情熱が全員を高みに引っぱり上げましたね、これぞ指揮者であります。そういうときのワーグナーはインパクトがあります。読響はここまで磨くのに集中したセッション組んだんでしょうね、実に良い音でありました。おかげ様で、これでまたクラシックにつつがなく戻れそうです。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/09/07/見事なトリスタンとイゾルデ%ef%bc%81%ef%bc%88読響定期%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c5

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
6. 中川隆[-14322] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:52:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1232]
数学とトリスタン前奏曲 2019 JUN 29 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/06/29/数学とトリスタン前奏曲/


今週の忙しさは尋常でなく、岐阜県庁でのプレゼン、中国投資家5名の来社、重要な戦略会議3つが重なった。すべてはご縁とご自分のアイデアから出たもの。表面的に関連はないが全部に僕の頭の中では各々相互のリンクが貼ってある。

この感じは連立方程式の問題を解くのとそっくりだ。それが今週は5元方程式になったということ。でも基本はおんなじだ。美しい景色だが世界で僕しか見えている者はない。このオンリーワン感覚はビジネスをする快感である。

数学が好きだったのは、所与の雑多猥雑にみえる条件がうまく解くときれいに収束して堂々たる一本道にいたり、嫌が応にも唯一つのゴールに到達してしまう。その一本道に出た瞬間に地平が天国のようにぱーっと開け、やった!という快感が走るからだ。

ここまで書いてきて思い出した。それが「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲にあることをお示ししよう。このyoutubeの6分47秒からだ。


Wagner - Prelude and Liebestod from 'Tristan Und Isolde' (Karajan-BPO)


これが何を生々しく描いているかは別稿に書いた。それと数学はいっしょ。連立方程式の解き方だ。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/06/29/数学とトリスタン前奏曲/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c6
[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
7. 中川隆[-14321] koaQ7Jey 2020年1月19日 23:13:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1231]
楽劇「トリスタンとイゾルデ」(R. ワーグナー作曲)
Wagner - Tristan und Isolde Vorspiel - Berlin - Furtwängler 1930 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4o142b5plHc


Kirsten Flagstad and Ludwig Suthaus - Liebesduett - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=B-ImojzMOAs


蓄音機で フルトヴェングラー  トリスタンとイゾルデから「愛の死」- YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JS0GA_0vIFc

Kirsten Flagstad and Furtwangler - Liebestod - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4tgn511ceNQ


 下の楽譜は、総演奏時間三時間以上にわたるこの楽劇の最初の部分(左:「前奏曲」より)と、最後の部分(右:「イゾルデの愛の死」より)です[Edition Peters Nr. 3407より改変]。このほんの数小節の中にも「トリスタンとイゾルデ」の魅力は満載されていますので、これを使って私なりの解説を試みます。

 
 まず矢印で示した小節の和音。これは、この楽劇が始まって最も初めに聴衆の耳に入る和音です。そして、この和音は、極めて絶妙なバランスの上に成り立っています。

和音はFを基音にH、Dis、Gisと4つの音から構成されています。一見単純に見えますが、実はこれは従来の機能和声法では解釈できない非常に特殊な音の並びなのです。不協和度は少ないものの、非常にストレスの大きな響きで、解決を待たねばならない不安定な音の固まりです。

これが、次の小節になるとE majorの和音に帰属し解決され、ここに至って聴衆は安堵を覚えます。逆にいえば、従来の理論では、一見、解決策のない不安定な音に聞こえた和声は、極めて単純な和声に落ち着きうることを、ここで初めて知ることができるのです。

この複雑怪奇な「トリスタン和声」は、機能和声法をきりぎりの所まで拡大解釈して見せたワーグナーの偉大なる手腕の発露です。

この和声は後にドビュッシーやスクリャービンらによってさらに拡張されていくことになります。実際、この和音の発見をもって、クラシック音楽全史を「トリスタン以前」と「トリスタン以降」に分類することさえできるのです。

 さて、我々は、ここでもう一つ重要なことに気づかねばなりません。それはトリスタン和声が解決したその和音に、Dの音が含まれていることです。トリスタン和声があまりにも怪奇であったために、我々は次の小節で完全に和声が解決されたような錯覚を覚えるのですが、じつはその和音は属7を伴った「未解決」な和音にすぎません。

こうした語法は曲全体にわたって使用されています。和音の解決が再び次の不協を生み、このストレスの解決もまた・・・といった具合に、問題は次々と提起され、解決されないまま引き継がれていくことになります。この延々と続く和声のうねりは、トリスタンとイゾルデ二人の永遠に解決されることのないであろう愛を意味していることは言うまでもありません。

 そして、なにより我々が注意しなければならないのは、トリスタン和声の持つ独特な生理的効果です。この絶妙な和声は、なぜか官能的に響きます。まさにこれこそがこの楽劇の最大の魅力です。

この音楽以前に、これほど官能美をたたえた音が鳴り響いたことはなかったでしょう。この法悦感を喚起する原理は、「四度音程」の累積に基づいたF、H、Dis、Gisという音の選択にあるようです。

実際、この原理は楽劇を隅ずみまで支配しています。結果として麻薬的効果が聴衆を陶酔の世界へと誘い、音楽的快感の虜とさせるのです。我々はこの和声のもつ圧倒的な煽情効果の前になすすべもありません。楽理を超越した仮想界。その抗い難いメフィスト的求心効果。幻影への陶酔。カタルシス的な憧憬。情動の浄化。「音楽」というものの魅力を余すところなく表現しつくした芸術中の芸術。それが「トリスタンとイゾルデ」なのです。

 さて、トリスタンの魅力はなにも和声だけではありません。上の楽譜(左)に赤色でしめしたメロディーライン(モティーフ)に注目して下さい。Gis、A、Ais、Hという、単純な上行性の半音階進行です。

しかし、トリスタン和声に乗ったこの音の動きは、上へ上へ、高いところへ高いところへ、という至高なものへの憧憬を思わせます。もちろん、トリスタンとイゾルデ二人の至上な愛への憧れを示しているのでしょう。しかし、彼らの羨望もHの音で未解決のままに終わっています。

実ることのない愛。切なくも悲痛な終焉を想像させるに十分の旋律です。

この4つの音からなるモティーフもまた、楽劇中で何度も繰り返し現れます。しかも、その度に、解決を見ることなく音の渦へと消えていくのです。そして、二人の理想世界への憧れは望蜀として膨張し、最後には二人の死という形で結実します。

その瞬間、憧れのモチーフは、上の楽譜(右)の様に、Gis、A、Ais、H、Cis、Disと、Disの音まで到達し、これと同時に和声も極めて純粋なB majorの主和音に解決されるのです。このモティーフが不安に満ちたトリスタン和声と共に初めて聴衆の前に提示されてから、じつに3時間以上たった終結部で、ようやく死(浄化)による解決を迎えるわけです。

この楽劇は、最後の協和音「救済」に向かう葛藤を描いた壮大なドラマであると言えます。大河のうねりは聴くものの心を毟裂き、そして清らかに透きとおった高次の解決を迎えるその瞬間、我々は鳥肌の立つ思いを覚えます。
http://gaya.jp/myprofile/tristan.htm


<愛>は空虚な記号です。ただ、その空虚さ、あるいは無根拠性を隠蔽し、<愛>を実体化する道具として媚薬があります。

『トリスタンとイズー』の媚薬が有名ですが、古典的恋愛物語に登場する愛する若者たちはみな、あたかも媚薬が効いているかのように強い持続的な情熱にかられています。

実は媚薬こそがこうした若者の不条理な情熱のメタファーなのかもしれません。
実際、<愛>は麻薬のように心身に大きな変化をもたらすことがあります。<愛>の炎は身も心も焼き尽くすと言いますが、恋愛物語では全身にあらわれる症状が描かれることがあります。

「トリスタンの心臓の血の中には、鋭いとげをつけ、かぐわしい花を咲かせた、一本のいばらが根をはりひろげて、肉体も、心も、欲求も、そのすべてが、イズーの美しい体に、なにかこう強いきずなでもって巻き付けられているように、思われるのだった。」 『トリスタンとイズー』

「あなたを垣間見ただけで、私の声はうちふるえ、舌はこわばり、全身が微細な炎にちりちりと焼かれる」サッフォー

フィッシャーは『愛はなぜ終わるのか』のなかで次のK・ユングのことばを引用していますが、今日の大脳生理学の知見からすればこれもすでにレトリックではなく、字義通り科学的にある程度説明がつく内容です。

「ふたりの人間の出会いは、ふたつの化学物質の接触のようなものだ。何らかの反応が起こると、両方とも変質する。」

それでは愛する人の大脳ではどんな化学反応(情報操作)が起こっているのでしょうか?(以下、『愛はなぜ終わるのか』による)


人間の脳は主に三つの部分からできています。

最も原初的な本能を調整する脳幹(爬虫類脳とも呼ばれる)。
情動を司る大脳辺縁系(同じく哺乳類脳)。
感覚、言語機能をはじめ、各機能の統合をおこなう大脳新皮質。

<愛>は情動の一種ですから、それが活躍する舞台は大脳辺縁系ということになります。そして、中心となる作用素は、興奮、歓喜、恍惚などを引き起こす興奮性伝達物質フェニルエチルアミン(PEA)であると考えられています。

「ロマンス中毒患者」と呼ばれる人たちがいまして、彼らは実を結ぶはずのない恋を病的に求め、高揚と陰鬱の状態を交互に味わい続けるのですが、彼らにはPEAの分泌が多いことがわかっています。

ロマンス中毒患者にMAO抑制剤を投与しますと、数週間で「相手を選ぶのに前よりも慎重になって、さらには恋人なしでも快適に暮らせるようにさえなった」といいますから、恋愛を病ととらえた12世紀以前の西洋人の考え方には根拠があったことになります。

トリスタンとイズーが飲んだ媚薬というのは今風に解釈すれば、PEAの分泌を高める興奮剤だったのかもしれません。

ただし、PEAと<愛>の病が一義的に関係しているわけではないことは付け加えておくべきでしょう。

「PEAは高揚と不安を引き起こすだけで、そんな化学的状態になる経験はたくさんあり、恋の情熱はそのひとつでしかない。」
<愛>がPEAに依るとしても、PEAによる高揚感、不安感は愛以外の様々な形をとりうるということです。

PEA効果には時間的に限りがありますから、ロマンティックな恋愛の期間はずっと続くわけではありません。18ヶ月〜3年もすれば、恋に落ちた人も再び相手に対し中立的な感情を抱くようになるといわれています。

つまり、その間は相手を、そしてさらには世界全体を高揚と不安を通じて情動的にみる態度が維持されうるわけです。結晶作用という知覚的な麻痺ももちろん伴うことでしょう。

PEA効果が切れると同時に愛もお終いになるというわけではありません。激しいロマンチック・ラブのあとには落ち着いた愛着による新しい愛の可能性もあるからです。この愛を司る物質はエンドルフィンで、心を落ち着かせ、苦痛をやわらげ、不安をしずめるといった、まさにPEAと反対の作用があります。

小さい頃に下垂体不全をおこした人の中にはPEA分泌不良による「愛の不感症」という症例もあるようですが、エンドルフィンによる静かな愛はこれとは別で、これこそ永続的な、現実的な人間関係の源でしょう。しかし、恋愛物語が対象とするのはやはり、PEA効果による病に苦悩する激しい愛ということになります。

「意識はある対象についての意識である」というのが現象学の出発点です。人はある対象を憎むべきものと捉えることにより、はじめてそれを憎むのであり、形をもたない憎しみエネルギーみたいなものが予めあり、それがたまたま見つけた対象に向けて発散されるのではない、というのが現象学的なとらえ方です。

しかし、これと反対の考え方もあります。人の情動とは無定形のマグマみたいなもので、それが外界の対象にそそがれるのは偶然であり、そのマグマが仮の形を得て持続するためのアリバイを外界の対象が与えるにすぎない、という考え方です。
このような考え方をとるならば、PEA効果が自己を持続させるために、高揚と不安状態を創出するアリバイが必要となり、それを外界にもとめる。情熱恋愛とはPEAの自己保持のアリバイであり、恋愛(物語)における障害とは、まさに保持時間をできるだけ延長するための仕組みに他ならない。要するに、恋愛物語の主体はPEAだという逆説です。

外在的障害がない場合、あるいは解決されたあとになおも内在的障害が待ち受けているのは、PEAの麻薬効果が自己を維持するためにあらゆるアリバイを捏造するせいなのかもしれません。  
http://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Culture/love/lovemac.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c7

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
8. 中川隆[-14320] koaQ7Jey 2020年1月19日 23:15:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1230]

フルトヴェングラー ワーグナー トリスタンとイゾルデより愛の死
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・・フィルハーモニー管弦楽団
録音1942年11月8日(9日)ベルリンライヴ



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c8
[近代史3] ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」


ワーグナー《ワルキューレ》第1幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮 - YouTube


Wagner: Wotan's Farewell - George London; Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1958)


Wagner "Siegfried" -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Hotter -- Varnay -- Stolze 1958


Wagner "Götterdämmerung" -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Varnay -- Grümmer 1958


Wagner - Götterdämmerung, Knappertsbusch, Bayreuth '51


ニーベルングの指環A クナッパーツブッシュ 1956バイロイト


▲△▽▼


ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」2016 APR 18 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/04/18/ワーグナー-舞台祝典劇-「ニーベルングの指輪」/

この作品をいちブログにするのは日本書紀や三国志をいちページに書く愚挙で、思ったこともない。ところがきのう、あることからその気になった。


4作をまとめて約15時間かかる人類最長の曲の一つだ。これを4晩かけて踏破するわけだが、聞くというよりやるという感じだ。クラシック好きにとって四国八十八ヶ所巡礼みたいなものだろう。まだ1度しかできていないがそれが94年7月、ヘッセン州立ヴィースバーデン歌劇場(右がそのフォイヤー)でオレグ・カエタニ指揮だった。これは「体験experience」だ、英国でそうのたまう人がいてガガーリンの地球は青かったみたいに響いた。悔しいが演奏日が週末だけというセッティングはなく職業柄むりだ。そうしたら92年にドイツ勤務になった。つくづくこれは僕の人生にとって天の恵みだった。


ドイツを去る時、もうしばらくはできないな、隠居したらまたやろうと誓った。それがまだ二度目の機会すらない。CDじゃだめなのだ、これは舞台の空気まで含めた一大ページェントであって、三人の乙女といっしょにラインの川底に潜らないと始まらない。あの時の4つのプログラム(左)、まだ手に質感が残っていてなんともうらめしい。神々のたそがれ、あの最後の和音が消えた時のどっしりと重たい感動というのはやはり4日の聴体験による。そう思ってあきらめ、家ではもっぱらダイジェストCDでサワリだけつまみ食いする習慣になった。これがまたおいしいが満腹に至らない。かえって欲求不満で体に悪いんじゃないかと思いだす始末だった。


きのうTVで児玉 宏指揮大阪交響楽団をきいて驚いた。それが冒頭の「あること」だ。4作を80分にまとめて交響詩のようにしてしまう。そういう試みは珍しくないが、児玉版はかつて聴いたなかでまぎれもなく最高、神々の最後で4日がんばったヴィースバーデンのあの日を思いだしたなんてことはかつてない。この編曲は脈絡に添っていてストーリーを追えるし選んだ箇所のセンスもいい。歌はないが管弦楽だけで原曲なみの満腹感をいただくというのは想像もしなかった。


オケも非常に真摯に音を紡ぎだしており、こんな感動的な演奏はそうそう聴けるもんじゃない。児玉氏はこれが大阪交響楽団最後の定期だったそうで惜しい。本物の音楽家だ。ミュンヘンにお住まいだそうでこれからどうされるのか、このリングを録音して残してほしいものだ、時間のない僕にはかけがえないイコンとなるのに。

読者でリングにおなじみでない方もおられると思われます。「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々のたそがれ」の楽劇4つ、計15時間をじっとがまんできる方以外は順番に聴くのはおすすめいたしません。さりとてワーグナー芸術の最高峰ですからクラシック通としては素通りすることもできません。


誰でも簡単にできるアンチョコ・マスター法をお教えします。ダイジェスト版(オイシイところを抜粋したセレクションCD)を何度も聴いて、覚えてしまうことです。歌はあってもなくても良し。「名所」は決まっていて、実にわかりやすく覚えやすいのです。そしてそれらは動機となって全曲の各所に出てきますから、実演を聞いてもなんとか4−5時間もちます。


ワーグナーは余程のワグネリアンでない限り8割は退屈な部分で、それでも2割があまりに魅力あるのできいてしまう。そう割り切っておられればいい。2割で3時間ですね、つまりその半分ぐらいがいろんな選曲法で(上掲の児玉宏版みたいに)ダイジェストになってCD1枚に入っているというわけですから、その3時間分を記憶してしまえばほぼマスターしたも同然なのです。それが聴くたびに5割、8割になっていきますから。


僕がまず2割を覚えるのに使ったCDをご紹介しましょう。


ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団


最もスタンダードな選曲であり、これを知らなきゃ話にならんというのが全部はいってます。オケは最高にうまく録音も明快。ということで「教科書」には最適であります。ジョージ・セルに楽劇の全曲正規録音がないのは彼が米国亡命したユダヤ系であるのと無縁でないと想像しますが惜しいことです(「魔の炎の音楽」など歌が恋しくなります)。セルが冷たいと思われる方は「ジークフリートのラインの旅」をお聴きになれば印象は変わるのでは。このストレートな音楽性は彼の方法論であって決してドライではなく、ブーレーズに比べればその背景に19世紀的な感性を豊かに感じます。

ズビン・メータ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団


セル盤とほぼ同じ選曲であり、「魔の炎の音楽」のバリトンが入っています。メータは音楽をわかりやすく聴かせるのがうまい人で、セルの筋肉質とはちがいますがもってまわったところがなくオーケストラを魅力たっぷりに鳴らしてくれます。ワーグナーを聞いたという満足感が高いのです。全部が名曲なのですが、ここはこうやってほしいよねという最大公約数的なものをちゃんと抑えているという意味で、これも教科書に好適です。セルと聞き比べると曲のイメージがより鮮明に焼きつくでしょう。

ダニエル・バレンボイム / バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団


91年のバイロイト音楽祭からの2枚組の抜粋で、ここに至っていよいよリングの全貌に近づくのですが、「教科書」で学ばれたみなさんはもう怖いものはありません。アンチョコ・マスター法の威力を実感していただけるはずです。これが3時間分と思われればいいのであって、これは管弦楽版でない「生リング」のダイジェスト版ですからオペラハウスへ行かれればこれを耳にするのです。ちょっと抜粋に無理はあるが妥協案としてはほぼ満足。バレンボイムは当代としては随一のワーグナー指揮者であり、僕は彼のトリスタンは感動して東京とミラノ・スカラ座で2度聴きました。これを覚えてしまえばリング征服は目前。がんばってください!
どなたも聞き覚えがあるでしょう(ワルキューレの騎行)



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/04/18/ワーグナー-舞台祝典劇-「ニーベルングの指輪」/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html

[近代史3] ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」 中川隆
1. 中川隆[-14319] koaQ7Jey 2020年1月19日 23:48:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1228]
クラシック徒然草ーワーグナー大好き(1)− 2013 JAN 10by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/10/ワーグナー%E3%80%80大好き%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89/


僕にとって「毒」になっているものをご紹介します。

「神々の黄昏(たそがれ)第一幕への間奏曲」の一部、「夜明けとジークフリートのラインへの旅立ち」です.

夜が明けていきます。ジークフリートは「指環」をブリュンヒルデに愛の証として預け、ブリュンヒルデに贈られた愛馬グラーネにまたがり新たな勲を求めてライン川に向けて旅立っていく場面の音楽です。ピアノスコアですが下の楽譜をご覧ください。1段目のTagesgrauen とあるところからが「夜明け」です。

青い部分、ヘ長調でクラリネットが、緑の部分、変ロ長調で弦が神のように素晴らしい動機の誕生をひっそりと告げます。もう全身が金縛りになるしかないポエティック、マジカルな瞬間です。ここからこの動機が発展していく神々しいさまは僕などの下郎はひれ伏して拝むしかございません!ワーグナー様のしもべにでも何にでもしてください!!こうして毒が回ってワグネリアンになっていくのですね。


この音楽は、恐れを知らない若者の、とてつもなく大きい希望と夢に充ちた旅立ちの気分です。それ以外の何物でもありません。苦しみから立ち直って運命に勝利したり、愛や自然を賛美したりという感動をくれる音楽はクラシックのいわばメインストリートですが、こんな音楽はほかに知りません。

突然ですが、吉永小百合と橋幸雄のデュエット「いつでも夢を」という曲が僕は大好きです。小学生のころ、よく母と買い物した幸花堂という和泉多摩川のパン屋さんで流れていたこの曲。今でも聴くと明るい陽だまりとパンを焼くいい香りまで思い出します。小さかった僕に明るい夢をくれたこれは僕の「多摩川への旅立ち」でした(スケール小さいっすね・・・・)。

初めてリングを4日間かけてチクルス(全曲通して)で聴いたのはドイツ滞在中のこと、ヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場(右)です。まさにジークフリートが旅立って行ったライン川のほとりの街でのことでした。会社で初めて拠点長をまかされ、まさに意気揚々だった39歳のあの頃。今もときどきこれを聴いては気持ちだけ若返り、その勢いでジョギングしては筋肉痛で後悔しております。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2013/01/tagesgrauen3.png


花崎 洋 / 花崎 朋子
1/11/2013 | 8:42 AM Permalink
この曲、先日、東さんが推薦されたクナッパーツブッシュ指揮のCD持っています。ただし楽団はウィーンフィルだったと思います。確か、高校生の頃、本格的にワーグナーを聴こうと思って購入したLPで初めて聴きました。ワーグナー霊峰登山の麓の音楽として、また毒を初めて味わうには、大正解だったのですね。

それにしても、この日本製のCD、音が良くないと感じます。当時のアナログレコード(輸入版)で感じた、上記曲の特に冒頭部分のチェロを初めとする弦楽器の「コクのある」味わいが、CDでは全く感じられません。今度、お目にかかりましたら、クナッパーツブッシュについて、色々と伺いたく思っております。 花崎 洋

東 賢太郎
1/11/2013 | 11:20 AM Permalink
花崎さん、そうなんです。気になったのでブログの推薦欄にも書きましたが、あのミュンヘンフィルのほうもCDは僕の装置でも弦の音が良くありません。仕方なくLPを自分でCDRに落として聴いています(多少ましです)。なんでフルトヴェングラーじゃないんだとお叱りの声もあるかもしれませんが、激情型の彼はワーグナー、ブルックナーのように一点集中で盛り上がらない音楽はいまひとつです。ところがクナはベートーベン、ブラームスよりこういう音楽の方が合っています。両者とも波長の合った音楽とシチュエーションではライブですごい演奏を残していますが、今はああいう指揮者がいなくなってしまいましたね。シベリウス2番のトスカニーニのところに書きましたが・・・。次回はクナを中心にこの辺のお話をぜひ!

花崎 洋 / 花崎 朋子
1/11/2013 | 11:58 AM Permalink
東さん、早速に有り難うございます。フルトヴェングラーのワーグナー、ブルックナーがあまり良くないとのご見解、私も全面的に賛成です。テンポや強弱を、いじり過ぎてますね。

松本康子
1/11/2013 | 7:52 PM Permalink
ワーグナーの毒は、壮大でいて美しい…
キャラクターの動機が執拗に繰り返され重なり、もう来るかなと予想する音楽の頂点は、なかなか到達点を見せず、身も心ももうダメ~っていうくらい我慢できなくなる頃(ちょっと大袈裟かな?(笑)ようやくクライマックスがきてくれる…そうなんです、大人の皆様だから御許し頂けると思いますが、とってもセクシーなのです。しかもスケールがデカイときてる。これこそワーグナーの毒なのです…て、言い過ぎでしたかしら、東さん?(^O^☆♪

東 賢太郎
1/12/2013 | 9:46 AM Permalink
はい康子さん、もうみごとなオトナのおことばでございまして、小心ものの僕などたじたじでならべることばもございません。仰せのとおりでございます。私どもは男の子でございますのでトリスタン第1幕前奏曲などもうまさしくたいへんでございまして85小節目で急に静かになっちゃうけどどうしたの?ってこんどこども電話相談室にきいてみようかななんておもってます。バッハさんもこどもがたくさんいたし、音符の物量も半端じゃないし、ふたりの巨人はやっぱり作曲界を代表する巨人だったんでしょう。音楽おパワーがお強いわけでございます。


松本康子
1/18/2013 | 6:34 PM Permalink
東さん、急に純情僕ちゃんコトバで、噴き出してしまいました(笑)かわゆいヾ(@⌒ー⌒@)ノ

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/10/ワーグナー%E3%80%80大好き%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html#c1

[近代史3] ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」 中川隆
2. 中川隆[-14318] koaQ7Jey 2020年1月19日 23:54:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1227]






























0:03 / 5:02






Die Walküre, Ride of The Valkyries




Wagner: Siegfried's Journey to the Rhine, Knappertsbusch (1957)
ワーグナー ジークフリートのラインへの旅 クナッパーツブッシュ




Hans Knappertsbusch: Wagner - Götterdämmerung, 'Siegfried's Death & Funeral March'





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html#c2
[近代史3] ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」 中川隆
3. 中川隆[-14317] koaQ7Jey 2020年1月20日 00:00:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1226]

フルトヴェングラー

Furtwangler: Siegfried's Funeral March from Gotterdammerung
Vienna Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, March 2, 1954





Flagstad, Furtwangler: Brunnhilde's Immolation
https://www.youtube.com/watch?v=zP6b4F1cG_k
https://www.youtube.com/watch?v=s5Bo3jdpp48
https://www.youtube.com/watch?v=RpIOwK895VU

Excerpt from Richard Wagner's Gotterdammerung
Kirsten Flagstad, soprano
Philharmonia Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, 1952

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html#c3
[近代史3] ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」 中川隆
4. 中川隆[-14316] koaQ7Jey 2020年1月20日 00:11:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1225]
トスカニーニ
Die Götterdãmmerung: Brünnhilde's Immolation
The NBC Symphony Orchestra and Arturo Toscanini


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html#c4
[近代史3] ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」 中川隆
5. 中川隆[-14315] koaQ7Jey 2020年1月20日 00:14:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1224]
ブルーノ・ワルター

Lotte Lehmann - Lauritz Melchior - Emanuel List
Die Walküre acte 1 Walter 1935


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html#c5
[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
6. 中川隆[-14320] koaQ7Jey 2020年1月20日 12:38:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1223]

『ペレアスとメリザンド』全曲 
カラヤン」&ベルリン・フィル、シュターデ、スティルウェル、他(1978 ステレオ)(3CD)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3/dp/B00005GJV2
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%EF%BC%881862-1918%EF%BC%89_000000000034577/item_%E3%80%8E%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%80%8D%EF%BC%86%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%80%81%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%98-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666107


・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲
 
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム
 アルケル:ルッジェーロ・ライモンディ
 ジュヌヴィエーヴ:ナディーヌ・ドゥニーズ
 イニョルデ:クリスティーヌ・バルボー
 羊飼い、医者、他:パスカル・トーマ
 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団(コーラス・マスター:ヴァルター・ハーゲン=グロル)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音時期:1978年12月
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
  録音方式:ステレオ(セッション)
 1999年デジタル・リマスタリング


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カラヤンのペレアスとメリザンド 2012-asyuracom-22

$ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求-ペレアスとメリザンド

カラヤンのドビュッシー「ペレアスとメリザンド」。
「サロメ」ではベーレンスを見出し、「ペレアス」ではシュターデが一躍世界の檜舞台に立つこととなりました。

このシュターデは、まず容姿と、もって生まれた気品。当盤の解説には

「楽譜が読めず、聴き覚えだ」
「大部分の時代をパリでセールスガールやパートタイムの秘書をつとめナンニーと呼ばれていた」。

それは美しい映像の残る現代のシンデレラ(チェネレントゥラ)にも似た伝説でした。広範なレパートリー、とりわけモーツァルトの諸役です。

「ペレアスとメリザンド」は最初、ワーグナーに耽溺したドビュッシーがそこから離れ、とりわけ「トリスタンとイゾルデ」のアンチテーゼがあります。

「ものごとを半ばまで言って、その夢にぼくの夢を接ぎ木させてくれるような詩人。時はいつ、所はどこと設定されない登場人物を構想し、《山場》を頭から押し付けたりせずに、ぼくが思い通りにそこここで彼以上の腕前を発揮したり、彼の作品を完成させたりするようまかせてくれる詩人」。

その詩人をついにメーテルランクに見出したドビュッシーは、その戯曲をほとんど改編せずにそのまま用いた上、音楽を豊穣に散りばめ、まさに夢が接ぎ木されています。

一方、フランス語の抑揚をそのままに、そのリズムに音楽が即応するような書き方は劇的な進行をさまたげずに、音楽と劇が一体になっているという利点の一方、事件らしい事件がおきないというフランス的なオペラの一つの特質そのもので、退屈を覚える向きもあるでしょう。

ある意味、20世紀オペラはペレアスにはじまり、かなりなハイブロウな作品です。しかし、本作は映像が少ないとはいえ、音盤が多くつくられ、そのどれもが特徴的な演奏史を刻み、そして知識人以上に大衆に支持されたオペラ。

そこにはアリアらしいものはなく、続くシュプレヒゲザングにつながる言葉そのものが魅力。ここに清浄を見出すと、まさに肌合いにぴったりと寄りそうな心地よさに包まれるのです。

シンボリズムに彩られわかりにくいのですが「不倫」がストーリーの一環です。
それはアンチテーゼとされた「トリスタンとイゾルデ」と同様の物語。

「恋はかけひきというが、かけひきのない恋とは何か?」というなぞなぞに対し、答えは「幼い(押さない)恋」。

ここでペレアスとメリザンドの間にかわされる交歓は、無自覚である一方、純粋です。

そこには「水」の暗喩があり、井戸をめぐる指輪、メリザンドが見出される場に見出せます。出産し、母となり、そして死んでもその幼さ、少女性は減殺されません。

 こうした言葉によって牽引される作品にかかわらず、当盤が有名なのはカラヤンのディスクだからですが、通常の意味でアンゲルブレシュト、アンセルメの新旧、クリュイタンス、フルネといった往年のフランス勢、もっと現代的知性を盛り込んだブーレーズなどの盤とも違う。そこには、イタリア、ドイツの二つのオペラで成功したカラヤンが手兵のベルリン・フィルを振っています。

若い頃から得意として、演目としていたカラヤン。そして、シュターデを見出し、スティルウェル、ファン・ダム、ライモンディ、カラヤン好みのキャスト、ここにドビュッシーが紡いだ音の糸にカラヤンの接ぎ木が添えられたのでした。

作品の長さ、今は収録時間の長さから2枚に収まりますが、通常3枚のディスクになる「ペレアス」はほとんど事件らしい事件もないままにかなり長い。

このカラヤン盤が心地いいのは、この精妙な音の中にほのめかしの中に官能性があるから。それが演出巧者のうちに運ばれ、音盤では肌合いのよい音響が続くことになるのです。

吉田秀和氏
「これをレコードだけで知っていたころは、どこもここもあまり変わらないのに、二時間もつづくなんて、どうみても長すぎると思っていた。しかし、劇場にすわってきいていれば、そんなことはない。その間の一瞬一瞬が充実して流れ、しかも、あんなに音楽は寡黙なのだ!

メリザンドなんか、まるで溜息をつくだけで、まったく歌わないみたいではないか!
これほど猥雑さか遠いオペラが、プッチーニ、シュトラウス、マスネーの十九世紀に可能であったとは、まったく奇蹟だ、と私は思う」。

ウィーン・フィルとベルリン・フィルの使い分け、カラヤン美学とは何かを知るために、このディスクは欠かせません。心地いい肌合いのうちに搦めとられる官能。

78年録音。
https://ameblo.jp/fairchild670/entry-11172052269.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c6

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
9. 中川隆[-14319] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:39:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1221]
2009年9月12日
リヒャルト・ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 名盤 〜禁断の恋〜 
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-55f2.html


ヴェルディの傑作オペラ「ドン・カルロ」は、王子がかつての恋人である姫を自分の父親である国王に王妃として横取りされてしまうという悲恋の物語でした。一方ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は、国王の王妃となる予定の姫を迎えに行った騎士が、飲んでしまった媚薬のおかげで姫と恋に落ちてしまい、最後は命を落とすという悲恋の話です。やはりクスリにはノ〇ピーでなくても弱いようですな。(笑) 悪いクスリは絶対にやめましょうね。

という訳で、この話は「禁断の恋」がテーマなのです。実はワーグナーは作曲当時、恩人ヴェーゼンドンクの夫人マティルダと不倫の恋をしていました。ですので、この作品の騎士トリスタンこそはワーグナー自身で、イゾルデ姫はマティルダだというのがもっぱらの定説です。但し当の本人はそれを認めてはいなかったらしいのですが。

それにしても、ワーグナーのオペラはどの作品も長大です。四夜にわたり上演される、楽劇「ニーベルンクの指輪」は別格としても、どのオペラも上演に4〜5時間はかかる大作ばかりです。しかし、それらの作品の中で、僕が最も愛して止まないのは、楽劇「トリスタンとイゾルデ」です。他の作品の場合には生の公演でならいざしらず、家でCDを全曲聴き通すなんてのは中々出来ないのですが、「トリスタン」だけは例外です。

この作品は、さすがにワーグナーが禁断の恋の真っ只中にあって作曲しただけあって、全編が愛欲と官能の香りに満ち溢れています。これほどまでに「エロス」を感じさせる音楽芸術が一体他に有るでしょうか。ですので、この作品は非常に解り易いです。最初の「前奏曲」と最後の「愛の死」を続けて、「前奏曲と愛の死」としてオーケストラ・コンサートでよく演奏されますが、それはこのオペラの集約であって、全体は「前奏曲」と「愛の死」に挟まれた一つの巨大な作品になっているのです。なので、「前奏曲と愛の死」が好きになれば、楽劇「トリスタンとイゾルデ」を理解するのは全く難しくありません。まったくもって、この作品は何度聴いても本当に官能的で素適な音楽です。直江兼続ではありませんが、やっぱり人間一番大切なのは「愛」ですよね。

ここで、あらすじをおさらいしておきます。

時代:伝説上の中世

場所:イングランド西南部のコーンウォール

主要登場人物

トリスタン(T):マルケ王の甥であり忠臣
イゾルデ(S):アイルランドの王女
マルケ王(Bs):コーンウォールの王
ブランゲーネ(Ms):イゾルデの侍女
クルヴェナール(Br):トリスタンの従者
メロート(T):マルケ王の忠臣

第1幕

アイルランドの王女イゾルデは、コーンウォールを治めるマルケ王に嫁ぐため、王の甥であり忠臣のトリスタンに護衛されて航海していた。かつてトリスタンは、戦場でイゾルデの婚約者を討ち、その戦いで自らも傷を負ったが、名前を偽ってイゾルデに介抱をしてもらったことが有った。イゾルデはトリスタンが婚約者の仇だと気付いたが、既にそのときトリスタンに恋に落ちていた。

イゾルデは、自分をマルケ王の妻とするために連れてゆくトリスタンに対して、激しい憤りを感じていた。彼女は一緒に毒薬を飲むことをトリスタンに迫ったが、毒薬の用意をイゾルデに命じられた侍女ブランゲーネが、代わりに用意したのは「愛の薬」だった。その為、船がコーンウォールの港に到着する頃には、トリスタンとイゾルデは強烈な愛に陥ってしまった。

第2幕

イゾルデがマルケ王に嫁いだ後、マルケ王が狩に出掛けたすきに、トリスタンがイゾルデのもとを訪れ、二人は愛を語う。ところがマルケ王が突然戻ってきた。実はこれはイゾルデに横恋慕していた王の忠臣メロートの策略だった。マルケ王はトリスタンと妃の裏切りに深く嘆く。王の問いかけにトリスタンは言い訳をしようとしないので忠臣メロートが斬りかかるが、トリスタンは自ら剣を落とし、その刃に倒れた。

第3幕

フランスのブルターニュにあるトリスタンの城。トリスタンの従者クルヴェナールは、深手を負ったトリスタンのために、イゾルデを呼びよせた。けれども、イゾルデが駆けつけたその時、トリスタンは息絶えた。

そこへ、全ては愛の薬のせいだと知ったマルケ王がやって来るが、イゾルデは至上の愛を感じながらトリスタンの後を追った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これまで自分が生で接した最上の「トリスタン」の舞台は2007年10月のベルリン国立歌劇場の日本公演です。指揮はダニエル・バレンボイム、会場はNHKホールでしたが、ワルトラウト・マイヤーが円熟の極みの大変素晴らしいイゾルデを聞かせてくれました。

この作品のディスクは、高校生のときにフルトヴェングラーのLP盤5枚組を購入したのが最初ですが、それ以降、幾つか演奏を聴いて来ましたのでご紹介してみたいと思います。

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイエルン歌劇場(1950年録音/オルフェオ盤)



古今のワーグナー指揮者の中で最も偉大なるクナのライブ録音です。何しろクナがウイーン・フィルとDECCAに録音を残した「前奏曲と愛の死」「第2幕抜粋」は神々しいほどの名演中の名演でした。ですので、この全曲盤にも大いに期待したいのは当然です。ところが残念なことにあのDECCA録音と比べると余り魅力を感じられません。録音は年代的には標準レベルですが、肝心の演奏がクナ本来の実力には程遠い出来栄えだと思うからです。これは記録としての価値に留まると思います。

ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管他(1952年録音/EMI盤)



これはもう歴史的な録音です。モノラル録音としては優秀なので鑑賞に支障は有りません。有名な「第九」と同様に音質を越えた不滅の演奏です。べームやクライバーの造形と比べれば随分と甘いですが、この深く深く沈滞してゆく味わいは他の誰とも違います。元々不健康な雰囲気の表現には比類が有りませんが、この作品の場合に音楽と見事に一体化しているのです。フルトヴェングラーを聴かずして「トリスタンとイゾルデ」は絶対に語れません。イゾルデのフラグスタートは確かに既にオバさん声なのですが、逆に非現実的な雰囲気に感じられて良いと思います。なお、「前奏曲と愛の死」の管弦楽の演奏としては、1954年のベルリン・フィルとのライブ録音(グラモフォン盤)が全曲盤を凌駕する名演です。官能と絶頂という点ではこれ以上の演奏を聴いたことがありません。

カール・ベーム指揮バイロイト祝祭歌劇場(1966年録音/グラモフォン盤)




ベームのオペラがどんなに素晴らしいか、実演でどんなに燃え上がるかを証明したワーグナーの聖地バイロイトでのゲネプロライブ録音です。ベームが観客無しのセッション録音を嫌って招待客を前にして行った演奏なので精緻でいてかつ劇的なまでに迫力が有ります。沈滞する部分がややあっさり感じられますが、逆に全曲を一気に聴き通すには向いています。主役の二人、ビルギット・ニルソンとヴォルフガング・ヴィントガッセンの歌にも全く文句のつけようが有りません。全3幕がぴったりと各CD毎に収まっているのも鑑賞には便利です。


レジナルド・グッドオール指揮ウエールズナショナルオペラ(1981年録音/DECCA盤)



評論家の山崎浩太郎氏が熱烈に推薦したために知る人ぞ知るディスクとなりました。それは「動かざること山の如し」、クナッパーツブッシュ顔負けのスケールの巨大さです。それはそれで良いのですが、クナのようにテンポの流動性が無く常にインテンポの印象を与える為に、全曲を聴いているとどうも長く感じられてしまいます。オーケストラと歌手も最高レベルとはいいかねます。ですので、これはあくまでマニア向けの演奏でしょう。以前はDECCAでしたが現在はタワーレコードがライセンス販売しています。


レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送響(1981年録音/フィリップス盤)



バーンスタインも非常にテンポが遅くスケールの大きな演奏です。そのセッション録音の現場に現れたベーム翁が絶賛したそうですが、ベームとは対照的な演奏なのが面白いです。優秀なオケを使って精緻な演奏を行っているのは良いのですが、やはり少々テンポが遅過ぎてもたれます。ですがこのマーラーのようにドロドロ粘る、いかにも後期ロマン派風の演奏には確かに説得力が有りますし、緊迫感の有る部分では非常に高揚して聴き応えが有ります。最近亡くなったベーレンスの全盛期のイゾルデが聴けるのも貴重ですし、ペーター・ホフマンのトリスタンもとても素晴らしいです。


カルロス・クライバー指揮ドレスデン歌劇場(1982年録音/グラモフォン盤)



クライバーの「トリスタン」は、本当はバイロイト音楽祭での生演奏が非常に素晴らしかったです。ですがそれらが音質の良い正規録音盤で出ていない以上は、セッション録音のドレスデン盤を聴くしか有りません。僕はクライバーの才能は認めますが、あの体育会系の健康的な音楽には感心しない場合が良く有ります。ベートーヴェンやブラームス、シューベルトあたりでは往々にです。この「トリスタン」は不健康では有りませんがロマンティックな雰囲気が良く出ているので決して嫌いではありません。ただマーガレット・プライスのイゾルデは声がリリック過ぎて現実世界の人に感じられてしまうのが難点です。


以上はどれも素晴らしいもですが、特に愛聴しているのはベーム盤とフルトヴェングラー盤の二つ、それに次点としてバーンスタイン盤です。但し、もしもクナッパーツブッシュがウイーン・フィルとDECCAに全曲録音を残してくれていたら史上最高の「トリスタン」になったことでしょう。大変残念です。

その後に聴いた、クリスティアン・ティーレマンのウイーン国立歌劇場ライブはいかにも放送局の録音という自然な感じで好印象でした。



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[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
10. 中川隆[-14318] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:45:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1220]
リヒャルト・ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 名盤 〜禁断の恋〜 

コメント

こんにちは。ハルくんさん。
久しぶりにコメントします。。。
実は私はオペラはまったく聴かなくてですね、でもこのトリスタン・イゾルデは聴きたいなと思っていたんです。

ガッコに通っているとき(何年前の話だ!)、岩波文庫で「トリスタン・イズー物語」を読んでやたら感動しました!!!
先日も読みかえしたんですけれど、やはり感動というか、無意味に感動というと聞こえが悪いんですが、理屈抜きで感動するんですよね。自分でもわけわかりません。

オペラの方もそうなんでしょうか。。。
でも何を買っていいかわからなくて〜〜。
フルヴェンかベームか・・・
二者択一のところまで絞り込むことができました。。。

でも、まだ悩んでいることにはかわりません。
ガツンと決めの後押しが欲しいです〜〜〜。
ここはぜひ、皆さんのお力を拝借したいです!!!
投稿: はるりん | 2009年9月13日 (日) 18時01分

はるりんさん、こんにちは!
こちらこそコメント差し上げずに失礼しています。でももうじきあの彼(!)の特集開始しますからね。楽しみにしててね〜。

「トリスタン」で最初に買うべきCDとしてはですね、ここは迷うことなくベームでしょうね。@演奏に勢いが有るので長さを感じにくい(でもワーグナーは長いゾ〜)A歌手が最高 B各幕が1枚づつのCDに収まっている B録音も良い という理由からです。ガツンと後押しします。
投稿: ハルくん | 2009年9月13日 (日) 19時17分

私が持っているCDは、かろうじて
フルトヴェングラーの「前奏曲」と「愛の死」だけです。
このオペラも見たいし、
楽劇「ニーベルンクの指輪」も絶対に
全部見てやろうと思っています。
実現するのは、いつのことかわかりませんが。
ワーグナーってすごいですよね。
投稿: 四季歩 | 2009年9月13日 (日) 19時50分

おおう!!!ハルくんさん。
さっそくの決めのガツンをありがとうございます。
ベームを買うことにします。

ワーグナーのトリスタン・イゾルデとっても楽しみです。
やはりトリスタンが情けない男なのでしょうか。。。
文庫のトリスタンはそれはもうしょ〜もないほど情けない男なんですよ〜。
でも、ほら〜、私はそういう男が好きなので。。。

お妃さま。トリスタンはもうお妃さまのことは思い切りまして、二度とお目にかかることはありますまい

とか言って涙ながらに別れをイゾルデに告げておきながら、せめてもうひと目と言って何回もイゾルデのところに帰ってくるんですよね。

トリスタンって馬鹿じゃないの!!!と思いつつ、
しっかりしろ〜〜!!!とその度に感動するはるりんでした。
トリスタンってまるでどこかの誰かさんのようでして。。。
ところで、彼の特集、楽しみです。
投稿: はるりん | 2009年9月13日 (日) 20時55分

四季歩さん、こんにちは。
「前奏曲と愛の死」がお好きでしたら全曲も間違いなく気に入りますよ。
生公演は滅多に有りませんが是非ともですね。ワーグナーのオペラは元々動きが少ないのでCDでも結構楽しめます。

それにしてもワーグナーは凄いです。どうしてこんなに長くしなければならないのかなぁといつも思いますよ。(笑)
投稿: ハルくん | 2009年9月13日 (日) 21時39分

はるりんさん、ベームはCD3枚組なので対訳付きの国内盤でもそれほど高くありません。僕のは例によって中古品ですのでもっと安かったですけど。

トリスタン君は仕方がないですよ。媚薬がよほど効いてしまったのでしょう。おかげで身を滅ぼすとはね。クスリは一度くせになるとやめられないのですね〜(笑)
はい次回からは、はるりんさんの「彼」の特集です。(笑)お楽しみに!
投稿: ハルくん | 2009年9月13日 (日) 21時48分

ハルくんさん、saraiです。
遂にトリスタンですね。
まさに愛と官能のオペラ、しびれますね!!

夢のようなオペラですが、決して眠くならない、稀有なオペラです。saraiは生で3回見ましたが、2001年にミュンヘンと東京でほぼ同じキャストで見たバイエルン国立歌劇場の2回の公演が最高でした。初演したオペラハウスってこともありますが、ハルくんさんと同じく、ワルトラウト・マイヤーが素晴らしかったのが一番です。マイヤーはやはりワーグナーオペラにつきますが、なかでも、イゾルデが最高です。タンホイザーのヴェーヌスも官能的ですが、あまりに官能的過ぎて・・・!
映像作品では、何といっても、バイロイトのバレンボイム指揮で、ルネ・コロのトリスタン、ヨハンネ・マイヤーのイゾルデ、ハンナ・シュヴァルツのブランゲーネ、マッティ・サルミネンのマルケ王は感動ものです。見ていると、こっちの頭までおかしくなって、熱が出そうになります。ここまでいくと、ビョウキですね。
実はCDでは聴いたことがありません。アナログディスクでは、バーンスタインのトリスタンが素晴らしかった。saraiとしては、やはりこれは映像が欲しいところです。したがって、イゾルテ役はそれなりの容貌が要求されます(笑)。
投稿: sarai | 2009年9月14日 (月) 09時28分

私の宝と言うべきベームの全曲盤を推してくださり本当にありがとうございます。「トリスタンとイゾルデ」への想いを私のブログでも取り上げていますが寄り道が多く、なかなか前へ進みませんがベーム盤への想いはきちんとコメントするつもりです。

さて情報ですが来月10月11日午後8時よりNHKハイビジョンでメトロポリタン歌劇場での「トリスタンとイゾルデ」公演が放送予定です。デボラ・ヴォイトのイゾルデ、演出はディーター・ドルン。

(なお翌日はゲオルギュがミミ役の「ラ・ボエーム」です)
機会があればご覧ください。
投稿: オペラファン | 2009年9月14日 (月) 09時38分

嗚呼、ハルくんさんはやはりこの曲がお好きなのですね(やはり、とは???)
皆さんの入れ込みようを見ると気が引けるのですが、オペラはあまり聴かない(見ない)上に、ワーグナーは苦手なんです。でも文庫で「トリスタンとイズー」を読むのは好きですけど。

ワーグナーの曲って、fffとか書いてある割に大きな音が鳴らないのですよ。だからクライマックスをfffにしようと思うととても疲れるのです。

大きな音を出さずに効果的にfffにするコツは、弱音との対比とか、アーティキュレーション(スラーやスタカートの使い方)だと思うのですが、そのあたりに芸がなくて、ただレガートで強奏を要求されると奏者は死んでしまいます。
でも、その強奏を突き抜けて歌うことを要求される歌手はもっとかわいそうかもしれません。
投稿: かげっち | 2009年9月14日 (月) 21時37分

saraiさん、こんにちは。
バイエルン歌劇場では僕も「神々の黄昏」を観ることが出来ました。やはりバイロイトと並ぶワーグナーの聖地ですからね。素晴らしい体験でした
僕はこの作品はむしろ音楽だけの方が集中できるように思います。ですので生公演についても、舞台よりも音の記憶の方が鮮明なのです。
投稿: ハルくん | 2009年9月14日 (月) 23時29分

オペラファンさん、こんにちは。
いつも貴重なトラックバックを頂戴して有り難うございます。ベームの全曲盤は聖地バイロイトの比類ない演奏記録ですね。全てのワグネリアンの宝なのではないでしょうか。

ゲオルギューがミミの「ラ・ボエーム」もイイですね。飛び切り美人の彼女も最近はネトレプコの勢いに隠れた感が有りますが、まだまだ魅力的です。ああ、ワタクシは美人にはホントに弱い!(笑)
投稿: ハルくん | 2009年9月14日 (月) 23時37分

かげっちさん、こんにちは。
はい、やはりこの曲は好きですよ〜。
なんと言いましてもこのほとばしる情熱!めくるめく愛と官能の世界!僕はまだまだヴェーヌスべルクの住人です。魂が救済されるまでにはまだまだ当分時間がかかりそうです。(笑)

それにしてもこの重厚な管弦楽の響きを突き抜けて歌わなければならないワーグナー歌手は大変です。ホントに気の毒ですね。
投稿: ハルくん | 2009年9月14日 (月) 23時50分

ネトレプコとゲオルギュー。どちらがいいか夜、寝られないくらい悩むところですが、私は自分自身、齢を取ってきたせいかゲオルギューのように熟女ぽい方にぐらつきそうです。しかしネトレプコの「ラ・ボエーム」や「愛の妙薬」の映像を見ると・・・しかしゲオルギューのアディーナも、うっとりします。

困った!困った!この節操の無さのみワーグナーに似ているのでしょうか?
なお「ラ・ボエーム」の放送の翌日はプッチーニの歌劇「マノン・レスコー」が放送予定で、マノン役はカリタ・マッティラらしい。

彼女の声がプッチーニに合っているかどうかよくわかりませんが、北欧美人のマノンを楽しめそうです。

「トリスタンとイゾルデ」の話題から見事に脱線してしまい、本当に失礼しました。
投稿: オペラファン | 2009年9月16日 (水) 00時09分

「ネトレプコとゲオルギュー。どちらがいいか夜、寝られないくらい悩むところです」
いや〜オペラファンさんならではのコメントです!ご冗談ではなく本当に悩んでおられるようなご様子には感服します。(笑)
もう一人、ストラータスも綺麗でしたよね、って「トリスタン」からどんどん脱線しているのは僕の方です。

あ〜美人にはホントに弱い弱い・・・(笑)
投稿: ハルくん | 2009年9月16日 (水) 00時31分

はじめまして。
ワーグナーを好きになりたいが、なかなか好きになれない者です。
理由は作品が歌手、指揮者ばかりでなく、聴き手にも、とてつもない負担を強いるところがあるからだと思います。

私のように人生に疲れ切り、癒しを求めている人間にはワーグナーは止めておいた良いのでしょうか…。
しかし、ワーグナーを聴きたい…。

そこで質問ですが、《トリスタン》で、オーケストラをたっぷり鳴らすエネルギッシュな演奏ではなく、穏やかで、角の取れた、聴いていて癒されるような演奏はないでしょうか?

《トリスタン》に癒しを求めるのは無理かもしれませんが…。
例えばヤノフスキの《指環》はスケールは小さいものの、木目細やかで、疲れることなく聴けます。

まだ途中ですが。
そのような演奏を《トリスタン》にも求めています。
もしあれば、教えて下さい。
宜しくお願い致します。
投稿: ロフラーノ | 2010年5月29日 (土) 12時19分

ロフラーノさん、はじめまして。
ようこそお立ち寄りくださいました。ありがとうございます。
なかなか難しいご質問ですね。

穏やかで癒されるような「トリスタン」ですか。フランス人がフランスの歌劇場で演奏すると、そんな感じになりそうですが・・・どうもCDは見当たりませんね。
ひたすら美しい演奏ということであれば、ハイライト盤ですが、クナッパーツブッシュがウイーンフィルとDECCAに録音した「前奏曲」「2幕の抜粋」「愛の死」という最高の演奏が有ります。50年代のウイーンフィルの柔らかく最美の音が味わえますし、フォルテの音も決して柔らかさを失いません。2幕も夢を見ているような心地良さです。聴かれたことは有りますか?
投稿: ハルくん | 2010年5月29日 (土) 13時44分


ハルさん、お答えありがとうございます!
やはり《トリスタン》からスケールの大きさや力強さを取ったら《トリスタン》の魅力は無くなるのでしょうね(笑)。

クナッパーブッシュ盤は聴いたことがないので、購入してみようかと思います。HMVにありましたので。

フラグスタートやニルソン等ビックネームが名を連ね、正統派演奏の極致といったところでしょうか。

あと、気になる演奏がひとつあります。
グッドオールです。

クナッパーブッシュの再来とも評された彼の演奏も聴き手を圧倒するような力強い演奏なのでしょうか?
もし力強さには欠けるものの、細部にまで細心の配慮が行き届いた素晴らしい演奏なら購入するのですが…。
ヤノフスキの《指環》はそうでした!
投稿: ロフラーノ | 2010年5月29日 (土) 15時06分

ロフラーノさん、こんにちは。
お返事が遅くなってしまいました。
グッドオール盤は「力強い演奏」というよりも「スケールの大きい演奏」という感想です。何しろ遅いテンポをずっと保つので、僕には長丁場を乗り切って鑑賞を続けるのは少々厳しいです。

演奏に指揮者の意図、配慮は感じますが、やはりオーケストラの質の問題で、繊細な表情を描くには限界が有るとも思っています。
でも、ご興味をお持ちでしたら、やはりご自分の耳で確かめられる事をお勧めします。
投稿: ハルくん | 2010年5月30日 (日) 17時20分

こんにちは。
先日したURL、発言者が誰か記載がなく判り辛くて御免なさい。
昨日みたく朝〜体調な日の夜はいつも、フリッチャイ/モーツァルト♪ミサ/DG、ヘレヴェッヘ/フォーレ♪レクイエム、そしてトリスタン。

といっても1枚目だけ。フルトヴェングラー/EMIの前奏曲で満足し過ぎて、2枚目〜未聴のままなので昨夜1枚目だけ他盤の扉を。

クライバー/バイロイト'74/Hypnos→録音が異常にイイ。イゾルデも。ただ、前奏曲にもっと怪しさ、暗さが欲しい。クライバーの煌びやかさが前奏曲には...かと。同/SKD/DG→意外に残念な録音なので、大好きなSKDさを余り感じず、イゾルデも'74に比べると...。フルトヴェングラー/EMI→前奏曲の怪しさ、只ならぬ雰囲気。録音もクライバー/DGより遥かにイイ。ベーム/バイロイト/DGは最後の楽しみに、まだ寝かせておきマス。
投稿: source man | 2010年9月28日 (火) 11時00分

source manさん、こんにちは。
Cクライバーには不健康な音楽は余り似合わないと思いますね。南米生まれのせいかも?

それはともかくトリスタンならばバイロイトの演奏のほうが良いと思います。録音についても東西ドイツの共同制作ですし、デジタル録音ということもあって、アナログ期のSKドレスデンの音とはだいぶ違う印象なのでしょう。とても同じルカ教会の音とは思えません。
ベーム盤は全曲通して聴いて真価が分かる演奏だと思います。じっくり聴かれてください。
投稿: ハルくん | 2010年9月28日 (火) 22時49分

ハルくん様
デルネッシュ、ヴィッカース、カラヤン&BPOのEMI、今はワーナーのスタジオ録音は、如何思われますか。
投稿: リゴレットさん | 2018年3月19日 (月) 11時34分

リゴレットさん
私はカラヤンがベルリンフィルを指揮した演奏は大抵のものが苦手なので、「トリスタン―」も聴いていません。ただ最近はディスカヴァーカラヤンのつもりで少しづつ聴くようにはしています。

これもその中の候補の一つではあり、中古で見つければ購入すると思います。
などというコメントで誠に申し訳ありません。
投稿: ハルくん | 2018年3月19日 (月) 12時53分


ハルくん様
この楽劇、ニルソン、ウール、ヴァン・ミル、レズニックが顔を揃えた、ショルティ指揮のDecca盤は、絶対と言って良いほど名盤候補には、上がって参りませんね。
クナの指揮でイゾルデの物語りと呪い&前奏曲と愛の死を録音していたプリマが、是非全曲をやらせて貰えるよう切望して、実現したスタジオ録音らしいです。
リゴレットさんよりか
投稿: リゴレットさん | 2018年4月15日 (日) 07時57分


リゴレットさん
ショルティ盤は記事の後に購入しましたがまだ追記できていません(こんなのばかりですが・・・)
さすがに当時のウイーンフィルの音が魅力ですし、ニルソンは当然素晴らしいです。

もしもクナッパーツブッシュが全曲録音できれば遥かに素晴らしいでしょうが、それは無い物ねだりですね。
投稿: ハルくん | 2018年4月16日 (月) 13時09分

ハルくん様
C・クライバー盤、まだ途中で放り出さなかっただけでも、ヨシとしなければならないのでは(笑)?

DGのラ・ボエームも例の調子で、後拭い的にアバドが残された歌手とスカラ座のオケで、ヴェルディのレクイエムを録音しましたし、EMIのヴォツェックも同様に投げ出した為、ヤノフスキが呼ばれてR・シュトラウスの沈黙の女に演目を替えて、全曲盤を収録する羽目になりましたからねぇ…。
投稿: リゴレットさん | 2018年4月17日 (火) 19時53分

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[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
11. 中川隆[-14317] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:50:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1219]
2012年5月 1日
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 クリスティアン・ティーレマン/ウイーン国立歌劇場盤

クリスティアン・ティーレマン指揮ウイーン国立歌劇場(2003年録音/グラモフォン盤) 



ゴールデン・ウイークには、普段中々聴けないCDをじっくりと聴くのも大きな楽しみです。最近は、家でオペラを聴くことが少なくなっています。昔はCD(LP?)やビデオでも良く鑑賞していたのですが、この頃は余り取り出すことが有りません。もちろん鑑賞に長時間が必要だということもありますが、ならばバッハの大作の鑑賞をしているのですから、余り理由にはなりません。たぶん自分の中で、オペラは家でCD、DVDを鑑賞するよりも、劇場で生の舞台を鑑賞する方が愉しいという感覚が強くなっているのかもしれません。ただ、その割には、生の舞台で期待外れになることも少なく無いので、結局のところは良くわかりません。
ワーグナーのオペラのディスクは一通り持っていますが、頻繁に取り出して聴くのは「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」の二つだけです。それ以外は「指輪」も含めて、滅多に聴きません。

「トリスタン」については、以前、「トリスタンとイゾルデ 名盤 〜禁断の恋〜」という記事で愛聴盤のご紹介をしました。その後、クリスティアン・ティーレマンが2003年にウイーン国立歌劇場で演奏したライブ盤を購入したのですが、きちんとは聴いていませんでした。今回、それを、ようやくじっくりと聴いてみました。

オーストリア放送協会による放送用録音ですので、スタジオ録音と比べると、どうしても緻密さや分離、ダイナミック・レンジの点で劣るかもしれません。但し、昔から放送録音を聴き慣れてきた耳には、スタジオ録音の人工的な音造りよりも、舞台が目の前に浮かぶ自然な音像がむしろ好ましく感じられます。

今からもう10年も前の演奏なのですが、カぺルマイスターとして地道にキャリアを積んできたティーレマンのオペラ指揮だけあって、実に堂に入ったものです。ワーグナーの傑作オペラだからといって妙に肩に力の入リ過ぎていない、のびのびとした指揮ぶりの印象です。テンポが特に遅いわけでも無いのに、何かゆったりと聞こえるのは、フレージングの良さでしょうか。カール・ベームの、あの極度の緊張感に包まれた壮絶な演奏とは異なります。と言っても、何も緩んだ演奏だということでは全く無く、1幕の結びや、3幕での緊迫した部分における迫力は中々のものです。けれども、最も印象に残るのは、オーケストラ、すなわちウイーン・フィルのしなやかで美しい演奏です。

僕がこれまで愛聴してきた、ベーム盤はバイロイト管、フルトヴェングラーはフィルハーモニア管、バーンスタインはバイエルン放送響ですので、ウイーン・フィルの全曲盤は持っていませんでした。かのクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルの抜粋盤などを聴くと、「ああ、これが全曲盤であったらさぞや・・・」と思わずにいられなかったのです。

もちろん、ティーレマンはクナッパーツブッシュではありませんが、このしなやかで艶の有る美しい響きは、やはりウイーン・フィルならではです。それに、表現力の素晴らしさも、最高の機能を持った歌劇場オーケストラならではの実力を、余すところなく示しています。トリスタンを歌うトーマス・モーザーは決して超人的なヘルデン・テナーではありません。けれども、恋に落ちてしまい、悲劇的な結末を迎える人間的な弱さを持ったトリスタンとして、魅力は充分です。イゾルデを歌うデボラ・ヴォイトも、若々しく美しい声が、恋に落ちる美女を想像させてとても良いです。これが、もしもDVDだと、彼女の恰幅の良い姿がアップで見えてしまうので、むしろ興ざめ??になりかねません。現実よりも、想像の世界の方が良いことは世の中によく有ることです。(笑)

全体として、ベームの迫力には及ばず、フルトヴェングラーの沈滞の深さにも及ばず、バーンスタインの濃厚なロマンティシズムにも及びませんが、ワーグナーの書いた管弦楽の美しさを、これほどまでに生かし切って、しかも愛と悲劇のドラマを充分に感じさせる演奏はこれまで無かったかもしれません。オリンピックであれば、種目別では他の選手にメダルを譲っても、団体総合で金メダルというところです。

補足ですが、このCDも各3幕が、1枚毎にぴったり収まっているので、鑑賞には便利です。

大好きな「トリスタンとイゾルデ」に、またまた愛聴盤が加わりました。やっぱり人生は愛だわなぁ〜(笑)




コメント

ハルくん、こんにちは
ううん、私の場合、LPやCDは結構、「ジャケット買い」をしますが、上記のCDはシャケットの絵が私の趣味ではないので、演奏者達が気に入っても、多分、入手しないで終わりそうです。

さて、「トリスタンとイゾルデ」ですが、これ、主人公達の年齢設定って、確か、10代後半か、20〜22歳なのですね。ですから、声的に若々しく感じなんければならない筈なのですが、ドラマティックソプラノが歌うことが多いので、大人の女性と言うイメージの録音がほとんどだと思っています。その中で、唯一、「青春」を感じさせてくれたのは「グッドオール指揮ウェールズナショナルオペラO.」の録音でした。

後は、「ベーム指揮バイロイト祝祭歌劇場O.」は素晴らしいとは思いますが、録音を度外視すれば、フラグスタートとメルヒオールの輝かしい歌が聴ける「ラインスドルフ指揮メトロポリタン歌劇場O.」が最も好きです。
投稿: matsumo | 2012年5月 3日 (木) 11時17分



matsumoさん、こんにちは。
このCDジャケットの絵は、デイヴィッド・ホックニーという、ピカソに影響された現代画家の作品ですからね。ジャケットとしては奇抜ですが、僕は中々新鮮で良いかなぁとは思っています。

この人は「トリスタン」や「春の祭典」などの舞台装置のデザインもやっているそうです。

この音楽の持っている濃厚で官能的な曲想からは、どうも青春の恋愛の印象は受けません。「ロミオとジュリエット」の世界からは遠く感じますね。むしろ、円熟した大人の恋愛に感じてしまいます。
フラグスタートもフルトヴェングラー盤では、すっかりオバハン声になりましたが、かつては素晴らしい声を聞かせていましたね。
投稿: ハルくん | 2012年5月 3日 (木) 12時50分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-7587.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c11
[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
12. 中川隆[-14316] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:55:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1218]

クリスティアン・ティーレマン
Tristan und isolde bayreuth 2019 thielemann - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6GbBs1PFv-8


Stephen Gould tristan
Georg Zeppenfeld marke
Petra Lang isolde
Greer Grimsley kurwenal
Armin Kolarczyk melot
Christa Mayer brangane
Tansel Akzeybek junger seemann,ein hirt
Kay Stiefermann ein steuermann

regie Katharina Wagner

Bayreuth Festival Orchestra
Christian Thielemann
1 august 2019
Stereo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c12

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
13. 中川隆[-14315] koaQ7Jey 2020年1月20日 14:07:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1217]

【DVD】Wagner: Tristan und Isolde 2015年
クリスティアン・ティーレマン 、 バイロイト祝祭管弦楽団

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲)

シュテファン・グールド(トリスタン)
ゲオルク・ツェッペンフェルト(マルケ)
エヴェリン・ヘルリツィウス(イゾルデ)
イアン・パターソン(クルヴェルナル)
ライムント・ノルテ(メーロト)
クリスタ・マイヤー(ブランゲーネ)
タンゼル・アクゼイベック(牧人,水夫)
カイ・シュティーファーマン(舵手)
バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
クリスティアン・ティーレマン(指揮)
【演出】カタリーナ・ワーグナー

【収録】
2015年7〜8月、バイロイト祝祭劇場でのライヴ


近代的で謎めいた舞台と、ティーレマンの重厚な音楽によるライヴ

ワーグナーのひ孫で、何かと話題を巻き起こすカタリーナ・ワーグナーの新演出による「トリスタンとイゾルデ」のこの映像。

最近のバイロイトにおける「新演出」についての賛否両論の激しさは知る人ぞ知る、と言った様相を呈していますが、この「トリスタン」は比較的穏健な場面で幕を開けます。とは言っても、装置はなかなか不可解。近代的で謎めいた器具類が示唆するものは一体何なのでしょう?

そんな疑問は最後まで解けず、第3幕での幻想的な雰囲気も相俟って、一度見終わっても「もう一度」と繰り返し観賞したくなること間違いなし。また特筆すべきはやはりティーレマンが紡ぎ出す上質のペルシャ絨毯のような音の織物で、歌手たちの歌を巻き込みながら、陶酔の頂点を目指すところは、さすが、当代随一の「ワーグナー指揮者」たる所以でしょう。

レビュー

2015年のバイロイトの"トリスタン"が映像化。常にその斬新な発想が物議を呼び、今回の上演時も話題を呼んだカタリーナ・ワーグナーの演出によるもの。ポイントの場面場面で「えっ、そう動く?」と言いたくなってしまう演出が続出。観ていて驚きはありますが、キャラクターにより象徴的に色分けがなされた衣装、ユニークな舞台装置と共に全編に渡るスケール感のある舞台作りは見応えがあります。そしてティーレマンの下、グールドの惜しげもなく響かせる朗々とした美声、ヘルリツィウスの細身の身体からわきあがるような魂のこもった歌唱、主役2人の熱演、名演ぶりが実に素晴らしい。
intoxicate (C)古川陽子
タワーレコード (vol.123(2016年8月10日発行号)掲載)
https://tower.jp/item/4283865/Wagner%EF%BC%9A-Tristan-und-Isolde


【DVD】Wagner: Tristan und Isolde
クリスティアン・ティーレマン 、 バイロイト祝祭管弦楽団

(いまさら、分かりきったことながら…)凋落の現代バイロイト。その末期的歌唱水準の現状を知るのに最適。加えて演出も指揮も実に凡庸
2018年8月15日


黄金期の名演だけを崇めて依怙地に他を一切認めない、別にそういう狂信的な保守派ヴァグネリアンなんかでなくても、洋の東西を問わず、「Poor Tristan」と評価するのがコレに対する世界スタンダードの常識。何にせよ、大問題は〈イゾルデ〉の「悪声ヘタクソ・ソプラノ」=エヴェリン・ヘルリツィウスの歌唱で、『激甚災害級』と表現するしかない。第一印象で「うぇっ! なんじゃこりゃぁ?!」「お願いだから勘弁して…」というリアクションがフツー。そう感じないとしたら、オペラリスナーとしてはかなり問題がある。

戦後再開バイロイトにおいては、カラヤンが指揮した1952年度から2018年までに計14人のソプラノが〈イゾルデ〉としてステージに立ったそうで、私の手元にはその全員の録音があるし、うち何人か生声に接した人もいるのだけど、歌と声に関して黄金期の「Great Wagner Singing」の系譜に名を連ねて恥ずかしくないのは、ここ30年ではニーナ・ステンメだけだ。演技力と美貌が武器のヴァルトラウト・マイアーは若い頃から声が良くないし、イレーネ・テオリン※(2008-2012シーズン)、本盤のヘルリツィウス(2015)、ペトラ・ラング(2016-2018)の3人に至っては酷いなんてもんじゃない。断言するが、その中でもヘルリツィウスは度し難く劣悪だ。BR-KLASSIKで音声ライヴストリーミングされた初日公演[確か第1幕で来賓のメルケル首相が昏倒して退席するハプニングがあったりした]も本盤の映像収録公演もどっちも聞くに堪えない。衰退した現代バイロイトであっても、歌手陣が激しいブーイングを受けることは稀だが、ヘルリツィウスは例外だった。但し、彼女の場合には止むを得ない裏事情があったのも事実で、ハナから歌唱力に目をつぶっての起用だった点はちゃんと書いておかないとフェアではない。本盤収録の新プロ初年度2015年の〈イゾルデ〉は、同シーズン〈ジークリンデ〉も兼任するアニャ・カンペ(上記3人よりはマシなソプラノ)が当初予告されていたのだけど、プレミエまで一か月の土壇場で造反。〈イゾルデ〉をキャンセルする一方で、BPO新シェフに内定していた《リング》担当のキリル・ペトレンコ陣営には義理立てして〈ジークリンデ〉は予定通り契約を履行、という「バイロイト陣営(カタリーナ・ヴァグナー+ティーレマン)に対するベルリン派の計画的クーデタ」と書き立てられたスキャンダル降板劇が発生。窮余の策として、歌唱力こそ悪名轟きお世辞にも美形とは言えないが、ダンス能力も備えた"舞台女優"として経験豊富、その演技力で「カタリーナ治世下バイロイト新時代の注目プロダクション」《トリスタン2015》を崩壊の危機から救ってくれそうなヴェテラン、キャリア最終盤で失う物も無いヘルリツィウスに代役を受けて貰った、というスッタモンダの経緯があった。

[※広瀬ナントカいうライターがあるライナーノーツで『テオリンは全盛期のギネス・ジョーンズに匹敵する』と書いてた。デタラメもいいとこ。欧米なら蔑視され業界から干される類いの実に不誠実な誇大表現]

音楽ジャーナリズムが言葉を濁す「不都合な真実」だが、世界中の全てのオペラハウスで歌手が著しく実力低下した現在、オペラ黄金期であった約半世紀前には中堅クラスでも当たり前に上演出来た「歌手とオケの高次の一体化あっての"楽劇"」は目下の"豪華な顔触れ"と形容されるキャストを揃えても夢物語。それが今日のオペラ業界が直面している悲しい現実だ。バイロイトであれ、ニューヨーク、ミラノ、パリ、ウィーン、ミュンヘン、主要劇場でもローカルのカンパニーでも、どこでも、現在の80歳前後、ドミンゴ世代を最後に、実力を伴った名歌手は久しく人材難で焦土化の一途、とりわけ歌手陣に過酷なスタミナとパワーを要求するヴァグナー作品、中でも殺人的負荷と難度で声帯が深刻に損耗することから多くの歌手が忌避する《リング》や《トリスタン》の場合、災害レベルの歌唱水準に落ち込んでしまうのが日常茶飯事となっている。

では、ティーレマンは? 現代を代表する卓越したヴァグナー解釈者ならではの、先行レビュアーが云うところの「完璧な指揮」とやらで、そうした困難な現状に立ち向かい、評判に相応しい成果を収めることに成功しているのか? その問いには即答できる。「Nein」だ。大不評であっという間に廃盤になったティーレマンの「黒歴史」2003年ウィーン・ライヴDG全曲盤[=タイトルロールのトマス・モーザー/デボラ・ヴォイトは本盤のスティーヴン・グールド/ヘルリツィウスより"若干不快指数が低い"という点でまだマシ]もそうだったし、本盤を含むバイロイト・ライヴ2015-18もそうだが、全体への洞察より精度と細部のポリッシュアップを優先するティーレマンの《トリスタン》は、決まって劇的緊張感と推進力が弱くて盛り上がらずクライマックスで不発、非力でダレる。耳心地よく流れるばかりで、"イージーリスニング版トリスタン"とでも呼びたくなる趣。一言で言って、生ぬるい。メジャーレーベルに冷遇されたが、ホルスト・シュタイン以後で最も貢献度の高かった「バイロイトの大番頭」で、凄みを滲ませた重厚な《トリスタン2006-12》を聴かせたペーター・シュナイダーにすら、ティーレマンは及ばない。確かに、恥も外聞もかなぐり捨てて「遂に来るとこまで来てしまった」現代バイロイトの客寄せパンダ興行《ヴァルキューレ2018》の「指揮者としてのバイロイト・デビュー」のバカ騒ぎがむしろ痛々しさを強調する結果となった"老害アマチュア指揮者"プラシド・ドミンゴとの比較なら、ティーレマンは当然"プロ中のプロ"と言って差し支えないが…。いずれにせよ、これは「完璧な指揮の《トリスタン》」なんかでは全然ない。「完璧な指揮」という賛辞は、例えば、二線級のオケと歌手を率いて尚偉大な成果を収めたレジナルド・グッドールのような人の《トリスタン》や、敗色濃くなった戦時下ベルリン1943年に第三帝国が意地になって総力を挙げて制作したロベルト・ヘーガーの全曲録音、そして、黄金期1950s-70sバイロイトの年度別放送音源(今ではネット上で無料・格安で幾らでも入手できる)、そういうものを聴いたときに感嘆と共に自然に心から沸き起こる、そんな局面で使うべき言葉のはずだ。可哀想なことにリアルな世界の広大さを露ほども知らず、メジャーレーベルが自己都合で築き上げた旧態依然の偏狭な枠組みだけを眺めては、未だにそれを「世界の総て」と信じて疑わない都合の良い消費者でしかない、そういうタイプのクラヲタと思しき先行レビュアーはそれらを耳にしたこともなければ、存在すらよく知らないのだろう。

歌手も指揮者も"終わった"時代にあって、視覚要素の創造性は「オペラの"最後のフロンティア"」なわけだけど、「名義貸し」の丸投げっぽくて、実際どこまで携わっていたのか疑問な"曾孫"カタリーナ・ヴァグナーの演出コンセプトは、行き当たりばったりの思い付きのハッタリが目立ち、劇的求心力を欠き機能不全。ドラマとして全然面白くない。

奇を衒って、第2幕で、ミシェル・フーコーが近代社会の見えざる管理統制システムの比喩として語った「パノプティコン(一望監視型刑務所)」と思しきセットを組んでみたり、ジョージ・オーウェル《1984》的全体主義への警鐘、或いは、2015年当時の時事ネタを踏まえてスノーデン事件以後の文脈における「グローバル規模のプライバシーなきサイバー監視ネットワーク」批判まで強引に射程に収めたかったのかも知れないが、要は、「街中に監視カメラが溢れ死角は無く、全てが可視化されるSNS時代には権力への抵抗はおろか、不倫すら統制され"丸見え"で成就は難しい…」という程度のネタで欲張って大風呂敷を広げただけのように見える。

曖昧で婉曲な言い回しに終始したこんな中途半端な舞台より、例えば、当事者として目撃してきたリアルな体験であればこそ語り得る「ヴァグナー家の家督相続と音楽祭権益を巡って延々と繰り広げられる骨肉の争い、謀略と裏切りに満ち、足を引っ張り合う醜い内ゲバだらけの音楽祭の内幕」を赤裸々に描いて、その渦中で宿命を背負わされているカタリーナ自身を率直にそこに投影してみせれば、よほど説得力があってスリリング、現実世界に災いをもたらしオペラ以上に狂気とカオスに満ちたヴァグナー一族の壮大な愛憎劇を展開できただろうに…
https://www.amazon.co.jp/Tristan-Isolde-Blu-ray-Bayreuth-Festival/dp/B01E7ZORYS
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c13

[近代史3] ワーグナー 楽劇「パルジファル」
ワーグナー 楽劇「パルジファル」


Wagner - Parsifal Opera (recording of the Century : Hans Knappertsbusch 1962)



Wilhelm Furtwängler: Wagner Parsifal (2004 Remastered Version) : Prelude to Act I
℗ 1938 Warner Classics, Warner Music UK Ltd
Berliner Philharmoniker
Orchestra: Berliner Philharmoniker
Conductor: Wilhelm Furtwaengler



Richard Wagner - PARSIFAL - Karfreitagzauber (Good Friday Spell) - Wilhelm Furtwängler
Conductor: Wilhelm Furtwängler
Berliner Philharmoniker
Berlin, 1938



Wagner's Parsifal: Good Friday Music -- Furtwängler
Parsifal: Good Friday Music (Karfreitagsmusik, from Act 3)
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler (1886-1954)
Live recording, 1951


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html

[近代史3] ワーグナー 楽劇「パルジファル」 中川隆
1. 中川隆[-14314] koaQ7Jey 2020年1月20日 18:03:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1216]
2012年5月 4日
リヒャルト・ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」 名盤
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6f17.html



「パルジファル」はワーグナーの書いた最後の作品ですが、彼はこの作品を「歌劇」とも「楽劇」とも呼ばずに、「舞台神聖祝祭劇」と名付けました。それはこの作品が非常に宗教的な色合いが濃かったからです。更に、この作品の上演の際には、観客に拍手を行なわないように指示をしています。

ワーグナーは自分の作品を理想的な環境条件で上演するために、バイロイトに専用の劇場を建てました。有名なバイロイト祝祭歌劇場です。「パルジファル」は、この劇場で初演されました。この劇場は、オーケストラの演奏するピットが舞台の下に隠れていて客席からは見えないことが最大の特徴です。そのために観客は舞台に集中できるわけですが、オーケストラの音はこもって柔らく聞こえるようになります。

―劇の概要―

物語背景 キリストが十字架で処刑されたときに流れた血を受けた聖杯と、処刑に使われた槍(すなわち聖槍)をまつるために聖杯守護の騎士団を抱えることになったティトゥレル王が年老いたために、二代目のアンフォルタスに譲位をした。アンフォルタス王は、魔法を使って騎士たちを誘惑して信仰の王国を破滅させようとする魔法城の主クリングゾルを倒そうとする。ところが、クリングゾルの魔法にかかって妖女に変身したクンドリへの愛欲に迷わされ、聖槍を奪われたあげくに重傷を負わされてしまう。

第1幕 アンフォルタスは、負った傷を毎日のように湖の水で流すが、いつまでも癒されずにいる。王の傷が治るには、「同情により知を得る、清らかなる愚か者」が現れることが必要であった。

王に使える騎士グルネマンツは、森で育った愚直な若者パルジファルを見つけて、「この者か!」と思い、聖杯城の儀式を見せるが、何の興味も示さないので失望して、彼を城から追い出してしまう。

第2幕 パルジファルが森をさまよっているのを、魔法城のクリングゾルが見つけるが、同時に彼の使命を察知して、抹殺しようとする。魔法の園の美女たちがパルジファルに近づいて誘惑をしようとするが、彼はそれに全く反応しない。そこで妖女に変身したクンドリが「パルジファル待て!」と呼び止めると、彼は自分の名前を思い出す。クンドリが彼の母親の生涯について語り、母のように接吻をすると、パルジファルは自分の使命を思い出した。クンドリは一度だけでも彼と結ばれたいと哀願するが、パルジファルはそれを拒絶するので、激昂する。そこにクリングゾルが現れて聖槍をパルジファルに向かって投げつけるが奇跡が起こり、槍はパルジファルの頭の上で止まってしまう。パルジファルがその槍で十字を切ると、魔法の城と園は跡形もなく消え去ってしまい、クリングゾルも姿を消す。

第3幕 さまよい続けたパルジファルは鎧を身にまとい、聖金曜日の朝に、聖杯の森に足を踏み入れる。既に老騎士となったグルネマンツが彼と出会うが、その聖槍を持つ騎士が、かつて自分が聖城に連れて行った若者であることに気が付いて驚き、再び聖城に連れて行く。聖城に入るとパルジファルは聖槍でアンフォルタス王の傷を治して、王の後継者となる。

「トリスタンとイゾルデ」が、官能の愛とエロスの世界だとすれば、「パルジファル」は、愛欲に打ち勝つ聖なる信仰の世界です。この二つのテーマこそは、およそ古代からの人間にとって最も重要なものではないでしょうか。はたしてワーグナーは、それぞれのテーマに最高の作品を残したわけです。

この最後の作品は、それまでの作品のような派手で豪華な音楽では無く、非常に地味で控えめな印象です。けれども、動機(ライトモティーフ)を使った音楽が物語の進行に有機的にかかわり合ったり、曲ごとの番号オペラでは無く、音楽が切れ目なく無限旋律的に続いてゆく技法が実に精妙に駆使されていて、ワーグナーの音楽の完成形と言えるでしょう。もちろん物量的には、上演に4日間を必要とする「ニーベルングの指輪」のスケールが群を抜いていますが、作品の凝縮された質の高さとしては、僕はやはり「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」が双璧であると考えています。

そこで、僕の愛聴盤です。


ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭歌劇場(1962年録音/フィリップス盤)



Wagner: "Parsifal" - Knappertsbusch; Vickers, Stewart, Hotter, Ericson - Bayreuth, 1964



Wagner - Parsifal Opera / New Mastering + Presentation (Century's rec. : Hans Knappertsbusch 1951)




第二次大戦終結後にバイロイト音楽祭が再開された1951年から1964年まで、53年を除いて毎年、クナッパーツブッシュはこの曲の指揮台に立ちました。この巨人指揮者(実際の身長は高くはありません)が、ワーグナーの聖地で、どれほどカリスマであったかが良く分ります。音楽の精妙さだとか緻密さに於いては、これ以上の演奏はいくらでも有ります。けれども、これほど厳粛な雰囲気を感じさせる演奏は聴いたことが有りません。「前奏曲」や「聖金曜日の音楽」の敬虔な響きと表情は神々しいほどですし、「場面転換の音楽」から続く「騎士たちの合唱」での呼吸の深さと、怖ろしくなるほどの巨大さは如何ばかりでしょう。何よりも、聴衆に「聴かせよう」という演出効果に目もくれず、ただ我が道を行く素朴な指揮ぶりが、禁欲的なこの曲に実に良く似合います。

録音は、他のスタジオ盤のクリアーな音と比べると、大分こもったような音に感じますが、実はこれが本来のバイロイトの音なのです。実際に生で聴いたことのない自分がこのようなことを書くのもおこがましいですが、30年前にバイロイトでこの曲を聴いたという信頼できる友人に聞いた話では、このクナ盤の音は、当時の実際のバイロイト歌劇場の音そのものであるそうです。24ビット化されたリマスター盤ではアナログLP盤と比べても遜色の無い優れた音質で聴くことが出来ます。正にワーグナー・ファンの最高の宝と呼べる演奏録音だと思います。

クナの毎年の演奏のCDは、正規盤、海賊盤を含めると、数多く出回っていますので、マニアの間では、何年の演奏が良いとか、どの歌手が良いとか、色々と語られるでしょうが、バイロイトの音を忠実に鑑賞できるのは、このフィリップス盤のみですので、一般的には文句なく決定盤だと言えます。演奏中も聴衆の咳ばらいが頻繁に聞こえるのが欠点ですが、これも臨場感あふれるライブ録音だと思えば、気にならなくなります。


ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭歌劇場(2004年録音/グラモフォン盤)



前述のクナ盤が有れば他は要らない、と言っても構わないのですが、それでは余りに偏ってしまうので、もう一つ愛聴している演奏が有ります。それが1970年のピエール・ブーレーズのバイロイトでのライブ盤です。これも昔、アナログ盤で聴いていましたが、しばらく聴かずにいました。それをCDで買い直して聴き直してみると、やはり素晴らしい演奏でした。クナッパーツブッシュに比べればテンポは相当速いですが、せせこましい印象は受けません。むしろ聴き易い良いテンポです。オケの響きはとても透明感があり、クナ時代の重厚な響きとはかなり異なります。ワーグナーの書いた精緻な音は、実はこのようであったのかと改めて認識させられます。ライト・モティーフの精妙、複雑なからみ合いが非常に聴きとりやすいので、音によるドラマが手に取るように理解できます。歌手陣も、クナ時代の歌手たちよりも、ずっと軽みの有る声で精妙に歌っています。これも歴史に残る名演奏だと思います。

この他では、クーベリック盤の評判が良いので以前から興味が有りますが、未聴です。

Kubelik conducting Wagner's Parsifal



自分は、どう考えても「パルジファル」では無く「トリスタンとイゾルデ」の世界の側の人間??だと思いますが、この二つの作品には心の底から共感を覚えます。







コメント



ハルくん、こんにちは

ワーグナーの楽劇の話で、舞台を観ている人があまりの退屈さに眠ってしまったが、起きて舞台を観ると、歌手達が眠る前と同じ姿勢で歌っていたと言うのがありますね。多分、このパルジファルのことではと思っています。

さて、この曲の録音ですが、私が持っているのはクナの1960年盤のみですが、多分、持っているのに満足して一度も聴いていないのではと思います(苦笑)。この曲は、私にとってはオケのみの抜粋で十分で、NAXOSから出ているカール・ムック指揮の古い録音は何回聴いても感動します。

投稿: matsumo | 2012年5月 4日 (金) 17時37分



matsumoさん、いつもコメントありがとうございます。

しばらく眠って、目を開けても舞台の様子が変わっていないというのは、なにも「パルジファル」だけではなくて、ほとんどのワーグナー作品について言えるでしょう。むしろセコセコと動き回られると音楽に集中できません。そういう意味では生公演もCDで鑑賞しても同じと言えないこともないのですねぇ。

とても長く感じる曲ですが、長さと睡魔と戦うのが、ワーグナー鑑賞の醍醐味です。是非一度戦われてみてはいかがでしょうか。

投稿: ハルくん | 2012年5月 4日 (金) 18時53分



ハルくん、今日5月22日(あっ、もう5月23日か)はリヒャルト・ワーグナー様のお誕生日ですね。 生誕200年記念すべき日を迎えました。
この曲、昨年バレエのテレビ放送で送らばせながら知りました。
肌色のタイツの男性とやはり肌色の衣装の女性が密着して踊る姿は、かなりエロチックで刺激的でしたね。ベジャールの振り付けだったと思います。踊りが強烈で曲をよく覚えてませ〜ん(笑)

投稿: from Seiko | 2013年5月23日 (木) 02時02分



Seikoさん、こんにちは。

そのテレビ放送は見逃してしまったのですが、世界バレエフェスティバルのものなのかな?
内容のお話からすると、魔法の園の美女たちに誘惑されるシーンかもですね。
エロチックで刺激的なダンス、見たかったで〜す(笑)

投稿: ハルくん | 2013年5月23日 (木) 12時52分



ハルくん様
この舞台神聖祭典劇(笑)、愚生は第2幕のクリングゾルの魔法の園と花の乙女の情景が、好きです。聴ききれないほど発売されているこの作曲家の管弦楽曲集の録音で、何故これが取り上げられないのか…と、いつも思っております。

投稿: リゴレットさん | 2018年3月25日 (日) 10時54分



リゴレットさん

管弦楽曲集というとどうしても序曲、前奏曲集という傾向になりますね。
といってパルジファルの管弦楽曲集なんてのも無いでしょうし。不運と言えば不運ですがこれは全曲で楽しめば良いということでしょう。

投稿: ハルくん | 2018年3月26日 (月) 11時12分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6f17.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html#c1
[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
35. 中川隆[-14313] koaQ7Jey 2020年1月20日 18:12:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1215]
麻生太郎の“単一民族”発言への擁護とアイヌヘイトが跋扈するなか、アイヌのアイデンティティを描いた『熱源』が直木賞を受賞!
https://lite-ra.com/2020/01/post-5215.html
2020.01.20 麻生太郎“単一民族”発言もアイヌを描いた『熱源』が直木賞受賞 リテラ

       
       アイヌを描いた直木賞受賞作『熱源』


 麻生太郎財務相が13日、「日本は2000年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない」と発言し、大きな批判の声があがっている。言うまでもなく、日本は単一民族国家ではない。沖縄はかつて琉球王国だったし、日本列島にもたとえばアイヌなどの先住民族がいた。アイヌが先住民族であることは学術的に議論の余地のない事実であり、政府も昨年5月に施行した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(いわゆる「アイヌ新法」)で明確に認定している。

 ところが、SNSではネトウヨたちが麻生太郎の「単一民族」発言に同調している。昨日19日放送の『サンデーモーニング』(TBS)で青木理氏が麻生氏の発言の間違いと差別性を指摘したところ、ネットは青木氏への攻撃で溢れ返った。

 さらにネトウヨたちは「アイヌは先住民族ではない」「アイヌは存在しない」「アイヌへの差別はなかった」「アイヌは嘘をついて特権を享受している」なるデマまで盛んに吹聴している。この“アイヌヘイト”とも呼ぶべき状況は、とりわけ、アイヌが先住民族であることを明記した「アイヌ新法」成立後に加速している。北海道新聞1月18日付によれば、政府が昨夏おこなったアイヌ新法施行に伴う基本方針案のパブリックコメントに寄せられた6305件のうち大半がアイヌ民族を否定するなどの差別的な表現で占められていたという。

 こうしたゆゆしき状況のなか、アイヌを否定するレイシズムと歴史修正主義に真っ向から対峙した小説が注目を浴びている。今月15日、半期恒例の芥川賞と直木賞の受賞作品が発表され、樺太のアイヌたちを中心に描いた『熱源』(川越宗一/文藝春秋)が直木賞に輝いたのだ。

 作者の川越宗一にとって第二作目にあたる『熱源』は、日本発の南極探検隊に参加したアイヌの一人として知られるヤヨマネクフ(和名・山辺安之助)と、ポーランド共和国の初代国家元首の兄で文化人類学者のブロニスワフ・ピウスツキという、実在した二人の人物が主人公。純粋なノンフィクションではないが、巻末の主要参考文献には様々な史料が並べられており、読後感は重厚な歴史小説のそれだ。

 ヤヨマネクフとブロニスワフという同世代の二人を中心として、物語は明治初期から第二次世界大戦までの極東とヨーロッパを股にかける。ロシアから独立を果たしたポーランド共和国“建国の父”ユゼフ・ピウスツキや、大隈重信、二葉亭四迷、金田一京助らが絡んで織りなすスケールは圧巻。導入だけでも紹介しておこう。

 物語は西暦1880年代後半、明治初期から始まる。ヤヨマネクフは樺太(サハリン)生まれのアイヌ。日本とロシアが1875年に締結した樺太千島交換条約で、樺太はロシア領となっている。ヤヨマネクフは9歳のときに北海道へ渡らされ、同じ樺太アイヌの親友・シシラトカ(和名・花守信吉。のちに南極探検隊に参加)や、和人とアイヌの血を引く千徳太郎治(のちに『樺太アイヌ叢話』などを著す教育者)ら仲間とともに、対雁の開拓地で青年期を過ごす。だが、その対雁と来札のアイヌ集落を疫病が襲う。ヤヨマネクフは、ある思いを胸に故郷である樺太へ帰還する。

 一方のブロニスワフは現在のリトアニア生まれ。リトアニアは中世に隣国・ポーランドと連合したが、戦争によって18世紀末にポーランド・リトアニア共和国は解体。大部分がロシア帝国の領土となっている。ポーランドの独立・革命志向を持つ大学生のブロニスワフは、アレクサンドル・ウリヤノフ(レーニンの兄)らとロシア皇帝暗殺を計画した罪で樺太へ流刑となる。入植囚として労役するなか、現地のニヴフ(ギリヤークとも。少数民族)の人々との交流を始めるブロニスワフ。あるきっかけから、樺太アイヌら少数民族を研究する学者となる。

 この“故郷”を求める二人が、20世紀始めの樺太で邂逅する。そこから、大国ロシアと新興国日本に翻弄されるアイヌたち少数民族の人々の生活を中心に、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と年月を重ねながら、まるで運命の歯車とでも呼ぶべき物語が本格的に始動していくことになる──。

■『熱源』が描く、帝国主義、優生思想、レイシズム、そして少数民族のアイデンティティ

 詳しくはぜひ『熱源』の小説世界を体験してほしいが、とりわけ、読む者の胸を打つのは、世界的な近代化の流れのなか、日本やロシアという“文明”や“帝国主義”に押しつぶされそうになるマイノリティが、葛藤しながら、自分たちの「アイデンティティ」を取り戻そうとする姿だ。

 そもそも、現在の北海道や千島、樺太などで狩猟採集生活を営んでいたアイヌは、日本語とは異なる独自の言語や信仰、文化、生活様式を持つ少数民族である。ところが明治維新以降、日本政府は「蝦夷地」と呼んでいた地域を北海道と改称し、本州の和人による移住・開拓が強行される。政府は同化政策を強行し、富国強兵の「臣民化」の流れで、アイヌは住む場所や文化・生活を奪われていった。和人はアイヌら北方の少数民族を「土人」などと呼び、差別的に扱っていた(そのことは、1899年制定の「北海道旧土人保護法」の名称にも表れている)。

 世界的な帝国主義の潮流に遅れを取るまいとする明治維新後の日本政府は、アイヌたち少数民族を怠惰で非文明的な「土人」と捉えて、日本語を教え、日本式の風習を叩き込み、「立派な日本人」に同化させようとした。それは、「先進国」であるヨーロッパの大国が、非ヨーロッパの人々を「野蛮人」とみなし、「啓蒙」によって支配下に置こうとする構図の再生産だった。

 作中では、ヤヨマネクフとブロニスワフが樺太で初対面するシーンで、こんなやりとりがなされる。ロシア領の樺太で、少数民族のための識字教室を開きたいと言うブロニスワフ。「ロシア語なんか覚えてどうする。俺たちに、ロシア人になれってのか」と訊くヤヨマネクフ。通訳をする太郎治が、和人はアイヌの窮乏と減少に「アイヌは劣っているから滅びる定めの人種」などという「優勝劣敗」の道理を持ち出すと説明する。ブロニスワフはこう語る。

〈「外国人や異民族を蔑む風習は古今東西を問わずにありますが、優劣のある人種というグループ間で生存競争が続いているというのは、欧州で生まれた学説です」
「あんたも欧州の学者だろう。そう思っているのかい」
 対雁・来札の光景を思い起こした。あれが道理だとすると、やりきれない。
「学者だから言うのですが、その学説は誤解されています。私はその誤解を解くために、学問をしているようなものです」
「どうして誤解と言える」
「劣っている人など、見たことがないからです」
 学者の表情は微笑んだままだが、声には強い確信があった。
「私が生まれた育った国はロシア帝国に呑み込まれ、ロシア語以外は禁じられています。国の盛衰はともかく言葉を奪われた私たちはいつか、自分が誰であったかということすら忘れてしまうかもしれません。そうなってからでは、遅いのです」〉(『熱源』)

 当時、最新の学説だった進化論は、”優秀な種が劣等な種を滅ぼす弱肉強食の原理”と曲解され、ナチスの優生思想へと結びついた。こうしたレイシズム(人種主義)あるいはエスノセントリズム(自民族優越主義)のモチーフは、作中で繰り返し描かれる「強者が弱者を支配する」という帝国主義の論理と重なり合う。『熱源』は、日本やロシアという帝国の都合で故郷・文化を奪われつつある樺太アイヌを描くことを通じ、娯楽時代小説の枠を超えた「アイデンティティ」という文学的主題を浮かび上がらせているのだ。

■麻生批判は切り取りではない。異なる民族、文化、アイデンティの同化強制だ

 今回、「日本は単一民族国家」発言で問題になった麻生太郎財務相は、批判を受け、「誤解が生じているなら訂正してお詫びする」などと述べたが、2005年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言している。反省しているとは到底思えない。

 しかも、麻生発言が強く批判されて当然なのは、単に明治新政府による“神話”を鵜呑みにしたデマであるからということではない。この発言が、明らかに日本民族の優位性を喧伝し、外国人や少数民族の同化を肯定する文脈で出てきたものだからだ。

 あらためて確認しておくが、発言が飛び出したのは今月13日、麻生が地元の福岡県直方市で開いた国政報告会でのことだ。「発言の全容」を報じたFNNは、〈去年のW杯での日本代表の活躍を契機としたラグビー人気向上に触れた上で、「インターナショナル化する中での日本」について、聴衆に語った〉として、このように伝えている。

「インターナショナルになっていることは間違いない。そして、それが力を生んでいるんだから。我々はそこが大事なんだから。純血守って何も進展もしないんじゃなくて、インターナショナルになりながら、きちんと日本は日本を大事にし、日本の文化を大事にし、日本語をしゃべる。そしてお互いにがんばろう、ワンチーム。日本はすげーというのでやって、それで世界のベスト8に残った。いいことですよ。私はそういった意味では、ぜひ日本という国がこれからもインターナショナルな世界の中で、堂々と存在感を発揮して、やっぱり日本という国は偉え……。だから2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありませんから。いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてくれと。ヨーロッパ人の人に言って誰一人反論する人はいません。そんな国は他にない」

 ネトウヨたちは、「やっぱり悪意ある切り取られ方をしていた」とか「全文を読めば何も間違ってない」などと嘯いているが、なにを言っているのだろうか。麻生財務相が得意げに語っているのは、ダイバーシティの尊重でもなんでもない。むしろ真逆だ。

 麻生の「日本は単一民族国家」発言は、「日本はすげーというのでやって」「やっぱり日本という国は偉え」という“日本礼賛”に続いて出てきたものだ。多様性を「偉い日本」に無理やり収斂させて、異なる国籍や民族、文化、アイデンティの同化を肯定しているとしか言いようがない。そのうえで、アイヌら少数民族の存在を完全に無視して、「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝」は「ここしかありません」「いい国なんだ」と宣うのは、戦中の「天皇を中心とした神国日本」「万邦無比の神の国」なる虚妄と同根である。

 敗戦までの大日本帝国は、台湾や朝鮮の人々を天皇の「臣民」として同化することで、戦争に動員した。アイヌたち少数民族もそうだ。「インターナショナル化」でも「ワンチーム」でもなんでもなく、実際には差別し、文化や言語を収奪し、強制的に「日本人」に組み込んだのである。しかも、麻生の発言からは、「優れた民族が劣った民族をとりこんで当然」という優生思想的な感覚すら漂っている。それこそまともな民主主義先進国であれば一発で首が飛ぶ問題発言だ。

 麻生太郎はこれまでも問題発言を何度も繰り返してきた。だが、いつのまにかそれが「当たり前」かのように受け取られるようになり、本人も安倍首相も平然としている。こうした剥き出しの差別思想がスルーされる状況が、ネトウヨたちにお墨付きを与え、レイシズムと歴史修正主義を増長させてきたのではないか。

 「アイヌは存在しない」などというヘイトがはびこり、政治家がそれを増幅させているいまだからこそ、多くの人に『熱源』という作品を読んでもらいたい。そして、この差別と抑圧の根源がどこにあるのかをあらためて考えてほしい。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c35

[番外地7] アイヌの民族浄化政策 中川隆
1. 中川隆[-14312] koaQ7Jey 2020年1月20日 18:16:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1214]
現在の北海道や千島、樺太などで狩猟採集生活を営んでいたアイヌは、日本語とは異なる独自の言語や信仰、文化、生活様式を持つ少数民族である。ところが明治維新以降、日本政府は「蝦夷地」と呼んでいた地域を北海道と改称し、本州の和人による移住・開拓が強行される。政府は同化政策を強行し、富国強兵の「臣民化」の流れで、アイヌは住む場所や文化・生活を奪われていった。和人はアイヌら北方の少数民族を「土人」などと呼び、差別的に扱っていた(そのことは、1899年制定の「北海道旧土人保護法」の名称にも表れている)。

 世界的な帝国主義の潮流に遅れを取るまいとする明治維新後の日本政府は、アイヌたち少数民族を怠惰で非文明的な「土人」と捉えて、日本語を教え、日本式の風習を叩き込み、「立派な日本人」に同化させようとした。それは、「先進国」であるヨーロッパの大国が、非ヨーロッパの人々を「野蛮人」とみなし、「啓蒙」によって支配下に置こうとする構図の再生産だった。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/432.html#c1

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
48. 中川隆[-14311] koaQ7Jey 2020年1月20日 18:23:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1213]
米国を中東から追い出すイラン中露(田中宇)中東覇権の喪失
http://tanakanews.com/200119iraq.htm

1月3日にトランプ大統領の米国がイランの英雄だった革命防衛隊のスレイマニ
司令官をイラクで殺害した裏の経緯について、1月5日にイラクのアブドルマハ
ディ首相(代行)がイラク議会で語っている。アブドルマハディの証言と、その
他の関連事態を総合して考えると、米国は、中国がユーラシア覇権戦略である
「一帯一路」の一環としてイラクやイラン、シリアでのインフラ整備事業と引き
換えに、これらの国々の石油ガス利権を得ようとしている動きを阻止するために、
スレイマニを殺害したことが見えてくる。

http://www.zerohedge.com/geopolitical/deeper-story-behind-assassination-soleimani
The Deeper Story Behind The Assassination Of Soleimani

スレイマニは、イラン革命防衛隊(国軍より強い事実上のイラン軍)の中の「関
東軍」とも言うべき外国展開軍であるコッズ軍を率いており、コッズ軍はパキス
タンからシリア・レバノンまでの広範な中東諸国でシーア派など親イランの民兵
団を支援・訓練し、軍事・外交的な影響力を持っていた。米欧に核兵器開発の濡
れ衣をかけられて経済制裁されているイランにとって、中国は非常に重要な経済
・安保両面の助っ人だ。イランが中国に支援してもらう見返りに、スレイマニの
コッズ軍は、パキスタンからレバノンまでの中東地域で、米国の軍産複合体が育
成支援してきたISアルカイダなどと戦い、ロシアとも協力してこれらの地域を
安定させ、中国が一帯一路の投資をやりやすい状況を作ろうとしてきた。これま
で何年も続いてきたシリアやレバノン、アフガニスタンなどの内戦や混乱が近年、
米軍の撤退傾向と露中イランの努力により、安定に向かいそうな流れになっている。

http://nationalinterest.org/print/blog/middle-east-watch/will-china-strengthen-iran%E2%80%99s-military-machine-2020-114681
Will China Strengthen Iran’s Military Machine in 2020?

http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2020/01/iran-mobilize-allies-turkey-russia-end-us-troops-iraq.html
Can Iran mobilize allies to end US Mideast presence?

とくにイランからイラクを通ってシリアやレバノンの地中海岸に至る地域では、
シリア内戦の終結によって、中国がインフラ整備を手掛けやすい状況になってい
る。イランのスレイマニ傘下の軍勢が事態を安定させ、中国がインフラ整備をし
て、その代金として石油ガス利権を得るという流れが確定しそうになっていた。
その流れを壊すための一つの策がトランプのスレイマニ殺害だった。トランプは、
中国の下請けをしていたスレイマニを殺害した。トランプは、軍産のふりをした
「隠れ多極主義」で、隠れ親イラン・隠れ親中国なので、殺害は逆効果になる
ように仕組まれているのだが。

http://tanakanews.com/200107iran.htm
イランを健闘させたトランプ

http://news.antiwar.com/2020/01/13/pompeo-killing-soleimani-part-of-a-broader-strategy-applying-to-china-russia/
Pompeo: Killing Soleimani Part of a ‘Broader Strategy’ Applying to China, Russia

イラクのアブドルマハディ首相が1月5日にイラク議会で語った概要は以下のと
おりだ。昨春にシリア内戦が終結(イドリブ以外)したあと、中国がイランから
イラク経由でシリアの地中海岸に至る鉄道道路パイプラインなどインフラの建設
計画を具体化し始めた。アブドルマハディのイラク政府は、中国の計画に賛成し、
昨年8月にはシリアとイラクの国境を再開した。するとその後、トランプ(もし
くは側近)が電話してきて、中国に建設させるなと言い「もし中国にインフラを
建設させるなら、これまで米国が手がけてきたイラクのインフラ建設工事を途中
でやめるぞ」とか「これまで米国が作ったイラクのインフラ建設の代金として、
毎月イラクに入る石油輸出収入の半分をよこせ」と要求してきた。アブドルマハ
ディはトランプ側からの要求を断り、中国にこの件を相談したところ、米国が途
中で放棄した分のインフラ建設の継続も中国が手がけ、全部コミコミでイラクの
毎月の石油輸出収入の2割を20年間くれれば良いと中国が言ってきた。

http://www.mintpressnews.com/hidden-parliamentary-session-revealed-trump-motives-iraq-china-oil/264155/
How a Hidden Parliamentary Session Revealed Trump’s True Motives in Iraq

石油収入の半分を要求する米国より、2割でいいと言う中国の方が安値なので、
アブドルマハディは中国にイラクのインフラ整備全般をやってもらうことを決め
た。すると再びトランプ側から電話がかかってきて「中国とつきあうな、さもな
いと反政府デモを扇動してお前の政権を転覆してやるぞ」と脅された。アブドル
マハディは脅しに乗らず、9月下旬に中国を訪問し、インフラ整備の契約を締結
した。すると10月1日からイラク各地でアブドルマハディらに辞任を求める反
政府デモが巻き起こった。デモが延々と続いた後、再びトランプ側が電話してき
て「中国との契約を解除しろ。さもないと米軍の特殊部隊がデモ隊を狙撃して反
政府運動を激昂させ、おまえの政権を潰してやる」と脅した。

http://www.globalresearch.ca/deeper-story-behind-assassination-soleimani/5700117
The Deeper Story Behind the Assassination of Soleimani. Washington Threats to Engage in False flag Sniper Shootings. Iraq Prime Minister

http://tanakanews.com/191107multipol.htm
イランと中国への両属を好むイラク

アブドルマハディが要求を断ると、間もなく何者かが反政府デモ隊を狙撃する事
件が起きた。「イラク政府の治安部隊がデモ隊を撃った」と米英マスコミが報じ
る中で、イラクの防衛相が「撃ったのはイラク当局でなく第3の勢力だ」と米軍
の関与を示唆する表明をしたところ、すぐにトランプ側からアブドルマハディに
電話が来て「お前と国防相を暗殺するぞ。早く中国と縁を切れ」と脅された。う
んざりしたアブドルマハディは、中国との契約を保持したまま11月末に辞表を
提出した。しかし、イラク政府がトランプから脅され続けている状況下で、ほか
に首相をやりたい者はおらず、アブドルマハディは今も暫定首相をやっている。

http://www.zerohedge.com/geopolitical/iraq-about-become-chinese-client-state
Is Iraq About To Become A Chinese Client State?

http://news.antiwar.com/2019/12/26/iraq-president-threatens-to-resign-protesters-reject-iran-backed-pm-candidate/
Iraq President Threatens to Resign, Protesters Reject Iran-Backed PM Candidate

米国は、中東時間の1月3日未明にイラクにやってきた直後スレイマニを殺した
が、この時スレイマニはイラン政府の代表としてサウジアラビア国王にあてた手
紙を持ち、この日の午前8時にアブドルマハディと会う予定だった。昨秋来、サ
ウジアラビアはイラク政府の仲裁でイランと和解したがっており、サウジがイラ
ク経由でイランに親書をわたし、それに対するイランの返信をスレイマニが持っ
てイランを訪問した時に米軍に爆殺された。トランプは、スレイマニを殺すこと
で、中国とイランが組んで中東を安定させてインフラ整備して中国が石油利権を
得る流れを壊そうとしただけでなく、サウジとイランの和解を妨害しようとした。
アブドルマハディは首相としての自分の経験を軸に、そのようなことをイラク
議会で語った。

http://www.presstv.com/Detail/2020/01/17/616396/Iran-Leader-Khamenei-Friday-prayers-worshippers
Ayatollah Khamenei: US disgraced after assassination of Gen. Soleimani

(サウジはトランプのイラン敵視に賛同しているように報じられているが、実の
ところ、スレイマニ殺害後すぐにサウジは特使を米国に派遣し、トランプに対し、
イランと戦争しないでくれ、米イラン戦争はサウジや湾岸諸国を不安定にするの
でやめてくれと懇願している。この件も、ほとんど報じられていない。マスコミ
は、米サウジイスラエルが一枚岩的にイランと対峙していると歪曲報道したがる)

http://www.zerohedge.com/geopolitical/did-trump-just-blow-his-goal-isolating-iran
Did Trump Just Blow Up His Goal Of Isolating Iran?

アブドルマハディは1月5日のイラク議会での自分の真相暴露・トランプ非難の
演説をイラクのテレビに中継させて放映しようとした。だが、演説を聞いたイラ
ク議会のハルボウシ議長がテレビ中継を途中でやめさせ、アブドルマハディの演
説を非公開にしてしまった。ハルボウシ議長はスンニ派で、スンニ派自身から嫌
われている米国の傀儡だ。米国がイラクの反政府デモを扇動していることをトラ
ンプが認めてしまったのは国際的に巨大なスキャンダルになりうる。米国はウク
ライナからベネズエラまでの世界各地で、政権転覆の試みとして反政府デモを扇
動してきたが、そのやり口を米高官自身が間接的に認めたのはこれが初めてだ。
この件は、議員のスタッフが速記録を作ってアブドルマハディの演説をマスコミ
に伝え、イラクでは報じられたが、米欧などの国際マスコミは全く報じていない。
マスコミ自身が政権転覆の試みに協力してきた一味だ。この件はオルタナティブ
メディアだけが伝えている。

http://en.mehrnews.com/news/154686/Iraq-s-al-Halbousi-rejects-any-plan-to-divide-country
Iraq’s al-Halbousi rejects any plan to divide country

http://tanakanews.com/190326venezuela.htm
失敗するためにやるベネズエラの政権転覆の策謀

アブドルマハディが暴露演説をした1月5日の議会では同時に、米軍にイラクか
らの総撤退を求める決議も採決されている(スンニ派とクルド人の議員団のほと
んどが欠席・棄権し、シーア派中心で可決された)。これに対してトランプ政権
は、イラクが米軍撤退を求め続けるなら、イラクの石油輸出収入の資金350億
ドルが預金されている米ニューヨーク連銀の口座を凍結する経済制裁を発動する
ぞと脅してきた。03年のイラク戦争で政権転覆された後のイラク政府は、石油
輸出収入のすべてをNY連銀の口座に預け、そこからイラク政府が毎月の国家運
営に必要な10億−20億ドルずつを引き出す仕組みを米国から義務づけられ、
米国がいつでもイラク政府の財布を凍結できる傀儡化のシステムになっていた。

http://www.wsj.com/articles/u-s-warns-iraq-it-risks-losing-access-to-key-bank-account-if-troops-told-to-leave-11578759629
U.S. Warns Iraq It Risks Losing Access to Key Bank Account if Troops Told to Leave

その翌日、アブドルマハディのイラク政府は、中国への石油輸出を従来の3倍に
増やすと発表した。これは9月末に結んだ中国との協定に沿ったものだが、イラ
クから中国への石油輸出の代金は人民元建てで入るのでNY連銀を経由しない。
イラク政府は米国から経済制裁されても、中国からの資金で何とかやっていける。
アブドルマハディは、中国への石油輸出の急増を発表することで、トランプに対
して「制裁したいならやればいい。イラクが石油利権とともに中国側に寄ってい
くだけだ。米軍撤退要求は取り下げないぞ」と言い返したことになる。

http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2020/01/senate-inhofe-endorse-iraq-sanctions-trump.html
Senate Armed Services Chairman Inhofe endorses Iraq sanctions

http://www.zerohedge.com/geopolitical/iraqi-pm-pompeo-us-must-establish-mechanism-troop-withdrawal
Iraqi PM To Pompeo: US Must Establish Mechanism For Troop Withdrawal

米国が戦後、世界のほとんど(ソ連側以外)の諸国の石油輸出をドル建てにして、
ドルの国際決済が必ずNY連銀を経由するシステムにすることで、石油を売る側
と買う側の諸国に対米従属を強いて米国の覇権を維持したのがペトロダラーの
仕掛けだ。トランプは今回、アブドルマハディのイラクに対し、中国と付き合う
という逃げ道を与えつつ過剰に脅すことで、世界最大級の石油埋蔵国であるイラ
クがペトロダラーのシステムを離脱してペトロユアン(石油の人民元建て決済)
の方に押しやっている。ずっと前から米国に制裁されているイランは、すでにペ
トロユアンだし、ロシアと石油や兵器の取引している諸国はルーブル建てだ。イ
ンドとイランの貿易はルピーなどで決済している。トランプら米国のネオコン系
勢力が経済制裁を使いたがるほど、ペトロダラーなどドルの基軸通貨システムが
自滅していく。今回の件はその象徴だ。

http://www.zerohedge.com/geopolitical/if-us-does-itll-lose-iraq-forever-trump-threatened-cut-baghdads-access-its-ny-fed-cash
"If The US Does That, It'll Lose Iraq Forever" - Trump Threatened To Cut Off Baghdad's Access To Its NY Fed Cash

http://www.wsj.com/articles/u-s-looks-at-cuts-to-military-aid-to-iraq-if-troops-are-asked-to-leave-11579046148
U.S. Looks at Cuts to Military Aid to Iraq if Troops Are Asked to Leave

米国は、イラクに対するドル決済凍結の経済制裁だけでなく、イラクに対する軍
事支援も減額すると言っている。しかし、これも見事に逆効果だ。イラク議会が
米軍撤退要求を可決した翌日、中国の駐イラク大使がイラク政府に「米国から兵
器を買えなくなったら、それより安く中国製の兵器を売りますよ」と売り込んで
きた。ロシアも、昨秋からイラク政府が買う気を起こしている地対空迎撃ミサイ
ルS300やS400の販売交渉を再開したいと言っている。通貨も兵器も、米
国製を使わなくても良い世界になっている。それに知らんぷりしているのは日本
ぐらいだ。

http://www.zerohedge.com/geopolitical/us-prepares-cut-all-military-aid-if-iraq-asks-troops-leave
US Prepares To Cut All Military Aid If Iraq Asks Troops To Leave

http://www.zerohedge.com/geopolitical/iraq-reopens-negotiations-purchase-russian-s-300-air-defense-systems
Iraq Reopens Negotiations For Purchase Of Russian S-300 Air Defense Systems

http://www.middleeasteye.net/news/russia-suggests-selling-s-400-iraq
Russia suggests selling S-400 missile system to Iraq amid row over US troops

イラクが米軍を追い出したら、とたんに以前のようにISアルカイダが勃興して
バグダッドに進軍してくるぞ、と喧伝されている。それはありうる。なぜならIS
アルカイダは軍産が育成支援してきた勢力であり、以前にもオバマが2011年
に軍産の反対を押し切って米軍をイラクから撤退させたら、とたんにISカイダ
がイラクで勃興した。だが今回が2011年と異なる点は、その後ISカイダが
起こしたシリア内戦を平定したロシアとイラン系の軍勢がISカイダを退治する
技能を身に着けていることだ。中東のどこであれ、ISカイダが再勃興したら、
地元のイラン系の民兵団が地上軍として戦い、それをロシア軍が空軍支援する
ことでISカイダを潰していける。米軍が撤退させられ、その腹いせに軍産が再
勃興させたISカイダを露イラン軍が潰すと、中東全域における露イランの威信
が急拡大するとともに、米国や米軍が中東からいなくなった方が事態が安定する
と、スンニ派やクルド人すらが思うようになる。

http://nationalinterest.org/print/blog/buzz/what%E2%80%99s-next-us-security-relationship-iraqi-kurds-114656
What’s Next in the U.S. Security Relationship with the Iraqi Kurds? 分析のふりをした軍産プロパガンダ・共和党系

http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2020/01/iraq-kurdistan-adel-abdul-mahdi-us-troops-isis.html
Abdul Mahdi urges Kurds to help rid Iraq of US troops

イラクの人口の2割を占めるクルド人は、イラク議会の米軍撤退決議でおおむね
棄権した。だがその後、イラクのクルド自治区のバルザニ大統領は「イラクが米
イラン戦争の戦場になるのはごめんだ。むしろ米軍が撤退した方ほうがましかも」
と示唆して、米軍撤退に賛成する姿勢を見せ始めている。この転換も、もしかす
ると中国の差し金があったかもしれない。中国は昨秋、イラク中央政府とクルド
自治政府の長い仲たがいを仲裁し、中央政府からクルド政府への未払金を中国が
肩代わりする代わりに、クルド地域の油田開発を中国が手がけることで話をまと
めている。イラクのクルド人は、かつて米イスラエルの傀儡だったが、近年は
中国とイランの言うことを良く聞くようになっている。中国とイランが圧力をか
ければ、クルドは米軍撤退に賛成する。

http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2020/01/iraq-kurdistan-region-president-nechirvan-barzani-iran.html
Iraqi Kurdistan president: 'We are not scared of Iran, but we respect Iran'

http://tanakanews.com/191107multipol.htm
イランと中国への両属を好むイラク

スレイマン殺害後、コッズ軍の後任の司令官に、副官だったイスマイル・ガアニ
が昇格した。ガアニは、アフガニスタンでの活動が長い。アフガニスタンには、
イランと同じペルシャ語を話す民族がいるし、西部のイラン国境沿いなどにシー
ア派もいる。長いアフガン内戦の中で、コッズ軍はこれらの系統の親イランの武
装勢力を育成支援してきた。アフガニスタンの人々を大別すると、パキスタン寄
りのパシュトン人と、イラン寄りのペルシャ語(ダリ語)系の人々になる。長い
アフガン内戦の歴史の中で、イランは、スンニ派でパシュトン人のタリバンと敵
対してきたが、今後の米軍撤退後のアフガニスタンの安定には、両者の和解が不
可欠だ。イランはすでに、タリバンの背後にいるパキスタン政府と仲が良い。パ
キスタンのさらに背後には中国がいる。中国とイランは仲が良い。ロシアも中国
イランと親密だ。米軍撤退後のアフガニスタンにおいて、イランは中露と肩を並
べる大国として振る舞える。その基盤に、コッズ軍によるアフガニスタンでの活
動があり、それを担当してきたのがガアニだった。

http://www.rferl.org/a/iran-s-new-quds-force-leader-has-a-long-history-with-afghanistan/30379354.html
Iran's New Quds Force Leader Has A Long, Shadowy History With Afghanistan

http://www.tanakanews.com/190708eurasia.htm
ユーラシアの非米化

アフガニスタンからレバノンまで、コッズ軍の活動範囲は、中国の一帯一路の戦
略範囲と重なっている。中国から見ると、コッズ軍は一帯一路の尖兵になってい
る。米国によるスレイマニ殺害は一見、そんなコッズ軍を潰して米国の中東覇権
を守る軍産的な策略のように見えて、実のところ、コッズ軍が米国を中東から追
い出す策にイラクや中国、ロシアなどが結束していくという正反対の流れを生み、
イランと中国の中東戦略を強化する結果になっている。石油ガス取引における
人民元など非ドル決済を拡大し、ドルの覇権が低下していく流れも生んでいる。
トランプがスレイマニを殺さなかったら、中国やイランは、米国の退潮を待ちつ
つ中東覇権の拡大をゆっくりやり続けていたかもしれない。スレイマニの殺害は、
中国やイランが中東の支配権を米国から奪う流れを加速させている。スレイマニ
は、殉教することで見事にイラン国家の強化に貢献している。これはトランプの
意図だろう。

http://www.middleeasteye.net/opinion/surprise-was-not-soleimanis-death-unity-it-fostered
The surprise was not Soleimani's death, but the unity it fostered

http://outline.com/q6vUhk
The Middle East Is More Stable When the United States Stays Away

WSJに最近「中東で米国が守るべきものがなくなってきている。石油ガスは米
国内のシェール石油ガス田でまかなえるし、イスラエルも長年の米国からの軍事
支援で十分に強い。中東は米国が支配する価値のない地域になっている。トラン
プの中東撤兵策は支持されるべきだ」という趣旨の論文が載った。米国のマスコ
ミも、詭弁とともに少しずつ中東覇権の喪失を正当化していく。これまで米マス
コミを牛耳っていたイスラエルの力も低下している。

http://www.wsj.com/articles/the-middle-east-isnt-worth-it-anymore-11579277317
The Middle East Isn’t Worth It Anymore

米国は中東覇権だけでなく、アジアから中東にいたるインド洋地域の覇権も喪失
していきそうだ。これは米国の「スエズ以東からの撤退」になる(前覇権国の英
国は1968年にスエズ以東からの撤退を発表した)。日本や韓国などアジア諸
国は、アジアから中東、欧州へのインド洋航路の安全を米国に頼れなくなり、自
衛が必要になっていく。そのため日本も最近、インド洋航路の自衛のために自衛
隊を中東に派遣するようになった。自衛隊の中東派遣は、米国の覇権が低下した
結果、必要になっている。非難すべきものではない。いずれ日中韓で航路を共同
防衛するようになる。今後、米国覇権の低下とともに、この手の話が増えていく。
米国の覇権に依存してきた日本(など同盟諸国)の政府は、米国の覇権低下を
公式に指摘できない。指摘すると米国の覇権低下に拍車をかけてしまう。

http://uk.reuters.com/article/uk-iran-security-japan/japan-orders-self-defense-forces-to-guard-ships-in-middle-east-idUKKBN1Z90QW
Japan orders Self Defense Forces to guard ships in Middle East

http://www.zerohedge.com/geopolitical/escobar-exposes-americas-existential-battle-stop-eurasian-integration
Escobar Exposes America's Existential Battle To Stop Eurasian Integration


この記事はウェブサイトにも載せました。
http://tanakanews.com/200119iraq.htm


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◆中央銀行の弾切れ
http://tanakanews.com/200114banks.php
【2020年1月14日】米欧の中央銀行家たちの間から「中央銀行群は、次に金融
危機(バブル崩壊)が起きたとき、危機を十分に緩和できるだけの金融資源を
持っていない」という「弾切れ」宣言が出されている。カーニー英中銀総裁は、
きたるべきバブル大崩壊との戦いに中銀群が自力で勝てないことを認めて白旗
を掲げ、政府群に救援を要請した。だがカーニーの警告は、バーナンキ米連銀
元議長のバブリーな主張と相殺され、静かに無視されている。

◆イランを健闘させたトランプ
http://tanakanews.com/200109iran.php
【2020年1月9日】イラン上層部が勇気を出してやってみた米軍への報復攻撃は、
トランプに黙認され、大成功に終わった。イラン政府は事前にイラク政府経由
で、米政府にどこを攻撃するか伝えてきていたので、米軍はイランから飛んで
くるミサイルを迎撃できたはずだ。しかし迎撃も行われていない。トランプが
迎撃を命じなかったため、イランのミサイルは米軍基地の格納庫などの標的に
うまく命中し、イランの強さを中東全域に知らしめることになった。「力こそ
正義」と思われる傾向がある中東において、このイランの成功は非常に重要だ。
トランプがイランの健闘を引き起こし、イランに力をもたせた。

◆異常なバブル膨張、でもまだ崩壊しない
http://tanakanews.com/200102bubble.php
【2020年1月2日】米国中心の金融システムの不健全なバブル膨張がひどくなり、
再び健全な状態に戻る可能性が減り、逆に、株や債券の再起不能な大幅下落な
ど、史上最大のバブル崩壊によって金融システムが破綻する可能性の方が高ま
っている。しかし今後、米日欧の中銀群が思惑通りのQEを続けられる限り、
株価の高値が続き、債券の金利も上がらない。ときおり相場が崩れても、QE
の資金注入によって短期間に元に戻る。構造的には異常なバブル膨張なので、
オルトメディアに「間もなく金融が大崩壊する」と予測する記事がたくさん出
ているが、その「間もなく」は来月や再来月でなく、来年や再来年だ。  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c48

[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」
音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」


L'Incoronazione di Poppea. Claudio Monteverdi (1567 - 1643)


Claudio Monteverdi (1567 - 1643)
L'Incoronazione di Poppea, ópera en un prólogo y 3 actos.


Poppea: Danielle Borst
Nerone: Guillemette Laurens
Ottavia: Jennifer Larmore
Ottone: Axel Köhler
Seneca: Michael Schopper
Drusilla: Lena Lootens
Nutrice: Dominique Visse
Arnalta: Christoph Homberger
Lucano: Guy de Mey
Amore: Martina Bovet


Concerto Vocale
René Jacobs


__________


『ポッペーアの戴冠』(L'Incoronazione di Poppea)は、モンテヴェルディが作曲したオペラ・セリア[1]。『ポッペアの戴冠』とも言う。


台本


ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブセネッロの台本による。古代ローマ帝国の皇帝ネローネ(ネロ)が、周囲の反対者を排除して、寵愛するポッペーア(ポッパエア・サビナ)を皇后とする物語。1642年にヴェネツィアで初演された。


現存する筆写者不明のナポリ稿、ヴェネツィア稿[2]の2種類の手稿本には、歌と低音部しか書かれていない。そのためこの作品は、演奏者によって楽器・演奏が様々に異なっている。



登場人物


ネローネ(ソプラノカストラート、現在では女性のソプラノ或いはメゾソプラノかテノールで歌われる):ローマ皇帝。
ポッペーア(ソプラノ):オットーネ将軍の妻。ネローネと結婚し皇后となる。
オットーネ(メゾソプラノカストラート、現代ではカウンターテノールで歌われる):ポッペーアの夫。後に皇帝となるオト。
オッターヴィア(メゾソプラノ):ネローネの皇后オクタウィア。
セネカ(バス):哲学者でネローネの補佐役
ドゥルジッラ(ソプラノ):宮殿内侍女。オットーネを愛している。
アルナルタ(男声あるいは女性のコントラルトまたはテノール):ポッペーアの乳母
ルカーノ(テノール):ネローネの友人で詩人
フォルトゥーナ(ソプラノ):幸運の擬人化
ヴィルトゥ(ソプラノ):美徳の擬人化
アモーレ(ボーイソプラノ):愛の神キューピッド
第1の兵士、第2の兵士(テノール)
乳母(コントラルト):オッターヴィアの乳母
パッラーデ(ソプラノ):知恵の神
メルクーリオ(バス):伝令神
リベルト(テノール):解放奴隷
ヴァレット(ソプラノ):オッターヴィアの小姓
ダミジェッラ(ソプラノ):オッターヴィアの侍女
リットーレ(バス):警士
ヴェネレ(ソプラノ):ヴィーナス



すじがき


プロローグ


幸運、美徳のどちらが偉大か争っているところに愛の神が割って入り、自分より偉大な神はいない、私が少し動くと世の中が変わるのだという。


第1幕


オットーネが戦地から家に帰ってくると、皇帝ネローネの兵がいる。そこで妻の浮気に気付く。


一方、オッターヴィアも夫の浮気に悩まされている。セネカは彼女を慰め、皇帝には浮気をやめるようにと忠告する。
ネローネは離婚して、ポッペーアを皇后にするとポッペーアに告げる。ポッペーアは喜んで邪魔なセネカを消すためにある事ない事をネローネに言う。



第2幕


兵が自害の命令をセネカに伝える。セネカは家族や友人に引き止められるが、命令に従って風呂桶の中で手首を切って静かに死ぬ。
オッターヴィアはオットーネを脅してポッペーア殺害を命じる。オットーネはドルジッラから服を借りて女装し、昼寝中のポッペアを殺そうとする。しかし、愛の神がポッペーアを目覚めさせて事無きを得る。気付かれたオットーネは逃げ去る。アルナルタはオットーネをドルジッラと間違え、ドルジッラが殺そうとしたと告発する。



第3幕


ポッペーア殺害未遂の罪で皇帝の前に引かれたドルジッラは、愛するオットーネのために自分がやったと言う。そこにオットーネがかけ付け、自分が真犯人であること、オッターヴィアに命じられたことを皇帝に言う。ネローネは離縁の口実を得て喜び、死一等減じてオットーネを国外追放に処する。ドルジッラは同行を願い出、ネローネはこれを許し、彼女を徳婦と讃える。オッターヴィアは離縁され、小舟で流されて追放される。
めでたくポッペアは新皇后となり、臣下たちや神々の祝福を受ける。



オーケストレーション


Hugo Goldschmidt (Leipzig, 1904 in Studien zur Geschichte der Italienischen Oper im 17. Jahrhundert)
Vincent d’Indy (Paris, 1908)
Gian Francesco Malipiero (Wien, 1931; in Claudio Monteverdi: Tutte le opere)
Ernst Krenek (Wien, 1935)
Giacomo Benvenuti (Mailand, 1937)
Giorgio Federico Ghedini (Mailand, 1953)
Hans Redlich (Kassel, 1958)
Walter Goehr (Wien und London, 1960)
Raymond Leppard (London, 1966)
Alan Curtis (London, 1989)
René Jacobs (Köln, 1990); Versuch einer Urfassung („Versione originale“); unter Verwendung der Ausgabe Malipiero 1931 als Grundgerüst, im Auftrag des WDR


https://ja.wikipedia.org/wiki/ポッペーアの戴冠



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html

[近代史3] モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ
モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ


W. A. モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ (フルトヴェングラー, 1954年)【全曲・日本語字幕】


Don Giovanni: 1953 Salzburg Festival - Wilhelm Furtwängler - Siepi, Schwarzkopf, Grümmer



DON GIOVANNI - Ezio Pinza, dir Bruno Walter, Met 1942 (Complete Opera Mozart)


______


『ドン・ジョヴァンニ』(Il dissoluto punito, ossia il Don Giovanni(罰せられた放蕩者またはドン・ジョヴァンニ), K.527)は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1787年に作曲したオペラ・ブッファ(あるいはドラマ・ジョコーソ)である。


初演は、作曲を依頼したプラハのエステート劇場(スタヴォフスケー劇場)で同年10月29日にモーツァルト自身の指揮で行われた。また、ウィーンでの初演は1788年5月7日であった。


『フィガロの結婚』はウィーンではそれほど評判にならなかったが、プラハでは大ヒットし、作曲家が招かれることになった。モーツァルトは街行く人々が鼻歌にフィガロの一節を歌うのに接して大いに感激し、父親への手紙にその評判を書き送っている。その結果、翌シーズンのために新しい作品を依頼された結果できたのがこの作品である。
初演に先立ち、書き掛けの原稿を持ってプラハにやってきたモーツァルトは、友人のドゥシェク夫妻の別荘に滞在して最終仕上げを急いだが、前夜になっても序曲だけは未完成であった。彼は眠気を押さえるために妻コンスタンツェの話を聞いたり飲み物を作ってもらったりしながらほぼ徹夜で総譜を書き上げ、ようやく朝には写譜屋に草稿を渡せたのだという。


台本は『フィガロ』に引き続きロレンツォ・ダ・ポンテによった。ドン・ジョヴァンニはスペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語の主人公である。もっとも古い作品はティルソ・デ・モリナ(1630年)といわれるが、ダ・ポンテはオペラ化するにあたり、同時代のベルターティの先行作『ドン・ジョヴァンニまたは石の客』(1787年)やモリエールの『ドン・ジュアン』(1665年)を参考にしたものと思われる。特に、ドンナ・エルヴィーラはモリエールの創作と思われ、この作品からの影響は明らかである。


モーツァルトは、この作品を「ドラマ・ジョコーソ」と呼んだ。ドラマが正調の悲劇を表すのに対しジョコーソは喜劇的の意味であり、作曲者がこの作品に悲喜劇両方の要素を込めたと解釈する研究者もいる一方、単に喜劇の意味であるとする解釈もある。このような議論が生ずる理由の一つは、第2幕の最後に置かれたドン・ジョヴァンニの地獄落ちに至る場面の強烈な音楽や、執拗に彼を追いかけるエルヴィーラの行動と彼女に与えられた音楽に、通常のオペラ・ブッファらしからぬ悲劇性を感じ取ることができるからであろう。
ウィーンでの初演にあたり、当地の聴衆の好みや歌手の希望に応じて一部改訂して上演したが、今日ではプラハ版を元にした上で、ウィーン版で追加されたナンバーのいくつかを追加して上演することが多い。



登場人物


ドン・ジョヴァンニ Don Giovanni(バリトン)
女たらしの貴族。従者のレポレッロの記録によると、各国でおよそ2000人、うちスペインですでに1003人の女性と関係を持ったという。老若、身分、容姿を問わぬ、自称「愛の運び手」。剣の腕もたち、騎士団長と決闘して勝つほど。


レポレッロ Leporello(バス)
ジョヴァンニの従者。ドン・ジョヴァンニにはついていけないと思っているが、金や脅しでずるずるついていってしまっている。ドン・ジョヴァンニから見ても美人の妻を持つ妻帯者だが、ドン・ジョヴァンニの「おこぼれ」にあずかり楽しむこともあるようだ。


ドンナ・アンナ Donna Anna(ソプラノ)
騎士長の娘でオッターヴィオの許嫁。ドン・ジョヴァンニに夜這いをかけられ、抵抗したところに駆けつけた父親を殺される。


騎士団管区長 Il Commendatore(バス)
アンナの父。娘を救おうとしてジョヴァンニに殺されるが、石像として彼に悔い改めるよう迫る。


ドン・オッターヴィオ Don Ottavio(テノール)
アンナの許婚。復讐は忘れて結婚するようドンナ・アンナを説得しようとするが、果たせない。


ドンナ・エルヴィーラ Donna Elvira(ソプラノ)
かつてジョヴァンニに誘惑され、婚約するもその後捨てられたブルゴスの女性。始終ジョヴァンニを追い回し、彼を改心させようと試みる。元は身分ある女性だったようで、ドンナ・アンナたちも圧倒されるほど気品に溢れている。ドン・ジョヴァンニが食指を動かすほど美しい召使を連れている。


ツェルリーナ Zerlina(イタリア語の発音ではヅェルリーナ)(ソプラノ)
村娘でマゼットの新婦。田舎娘に似合わずコケティッシュでしたたかな娘。結婚式の最中にドン・ジョヴァンニに口説かれ、その気になる。


マゼット Masetto(バス)
農夫。ツェルリーナの新郎。嫉妬深く、ツェルリーナの浮気な行動にやきもきするが、結局のところ、尻に敷かれている。村の若者のリーダー的存在。


楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、マンドリン、弦楽合奏
レチタティーヴォでチェンバロとチェロ


第1幕フィナーレで舞台上に
オーケストラ1:オーボエ2、ホルン2、チェロを欠いた弦楽
オーケストラ2:ヴァイオリン(複数)、コントラバス
オーケストラ3:ヴァイオリン(複数)、コントラバス


第2幕フィナーレで舞台上にオーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、チェロ



あらすじ


序曲はわずか一晩で書かれたが、円熟した曲に仕上がっており、演奏会で独立して演奏されることもしばしばである。騎士長の亡霊の場面の序と軽快なアレグロからなるソナタ形式。なお、この序曲ははっきりした終結部を持たず、そのままオペラの導入曲につながるので、モーツァルト自身が、演奏会用の華々しい終結部を別に作曲している。


第1幕


幕が開く。時間は明け方。場面はセビーリャ市内、騎士長の邸宅の前で、従者レポレッロはこんな主人に仕える仕事はいやだとぼやいている。ドン・ジョヴァンニは騎士長の娘であるドンナ・アンナの部屋に忍び込んだが、彼女に騒がれ逃げようとした。そこへ騎士長が登場し、ジョヴァンニに斬りかかるが逆に殺される。アンナは悲嘆に暮れ、許嫁のオッターヴィオに復讐を果たしてほしいと求める。

騎士長宅から逃れたジョヴァンニがレポレッロを見つけたところで、昔棄てた女のドンナ・エルヴィーラに見つかってしまう。しかしジョヴァンニはその場をレポレッロに任せて去る。残されたレポレッロはエルヴィーラに「旦那に泣かされたのはあんただけじゃないよ。イタリアでは640人、ドイツでは231人、しかしここスペインでは何と1003人だ。」と有名な「恋人のカタログの歌」を歌って慰めたつもりになっている。あきれてエルヴィーラは去る。


場面が変わり、マゼットとツェルリーナの新郎新婦が村の若者とともに登場し、結婚の喜びを歌っているところにジョヴァンニが現れる。早速、新婦ツェルリーナに目をつけた彼は、彼女と二人きりになろうとして、皆を自宅に招待して喜ばせる。彼がツェルリーナを自らエスコートしようとするので、マゼットは拒むが、ツェルリーナ自身が大丈夫だと言い、ジョヴァンニが剣をちらつかせるので、マゼットは「わかりましたよ旦那」としぶしぶ引き、ツェルリーナに皮肉を言って去る。思わぬ展開に半べその彼女を早速ジョヴァンニが口説く「お手をどうぞ」のデュオ。ツェルリーナはあっけなく彼に手を取られて屋敷に向かおうとするが、そこに再び現れたエルヴィーラが、ジョヴァンニの本性を警告して彼女をジョヴァンニから逃す。


「今日はついてないな」とぼやくジョヴァンニの前に、騎士長の仇への復讐を誓っているオッターヴィオとアンナが登場する。しかしアンナは今朝忍び込んで父親を殺した者が目の前のジョヴァンニだとは気づいていない。ジョヴァンニは適当にごまかしてその場を去るが、彼の別れ際のひとことを聞いて、アンナはジョヴァンニが今朝の男だったと気づく。オッターヴィオはまだ半信半疑である。ここで許嫁のアンナを慰めるアリアを歌うが、これはウィーン初演のための追加ナンバーである。

場面は変わってジョヴァンニの屋敷。彼は招待客に酒や料理を振る舞い、「皆で元気に酒を飲め、おれはその間にカタログの名前を増やすのだ」という「シャンパンの歌」を豪快に歌う。



この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。
再びマゼットとツェルリーナが登場。マゼットは新婦ツェルリーナが軽薄で浮気者だと怒っている。しかし新婦は「ぶってよ私のマゼット」と下手に出て機嫌を取るので、単純なマゼットはすぐに機嫌を直す。


そこにエルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオが、ジョヴァンニの罪を暴くため、仮面をつけてやってきて、祝宴に紛れ込む。みんなでダンスをしているとジョヴァンニはツェルリーナを別室に連れて行く。襲われて悲鳴をあげる彼女。それをきっかけに3人は仮面を脱ぎ捨て、ジョヴァンニを告発する。彼は、レポレッロを、ツェルリーナを襲った犯人に仕立ててごまかそうとするが、もはや誰もだまされない。ジョヴァンニは窮地に陥るが、大混乱の内に隙をみてレポレッロととも逃げ出し、第1の幕が降りる。


第2幕


夕方。レポレッロが主人にぼやいている。「もうこんな仕事はいやだ、お暇をもらいたい」というのだが、最終的には金で慰留されてしまう。さて今夜のジョヴァンニはエルヴィーラの女中を狙っており、女中に近づくためにレポレッロと衣服を取り替える。ちょうどその時、エルヴィーラが家の窓辺に現れたので、ジョヴァンニはレポレッロをエルヴィーラの家の前に立たせて自分のふりをさせ、自分は隠れた所から、いかにも反省したような嘘をつく。エルヴィーラは、ジョヴァンニが自分への愛を取り戻してくれたものと信じきって、ジョヴァンニに扮したレポレッロに連れ出される。一方、レポレッロに扮したジョヴァンニは、エルヴィーラの部屋の窓の下で、女中のためにセレナードを歌う(「窓辺に出でよ」)。


そこにマゼットが村の若い衆とともに登場する。皆、棍棒や銃を持ち、これからジョヴァンニを殺すのだという。これを聞いたジョヴァンニは、レポレッロの振りをして皆をあちこちに分散させ、自分とマゼットだけになると、剣の峰でマゼットを打ち据えて去る。
痛がるマゼットのもとにツェルリーナがやってきて、「そんな痛みはこの私が治してあげるわ」といって慰め、マゼットの手をとって自分の胸に当てる。すっかりその気になって痛みも忘れた新郎と、いそいそとその場を去る。

一方、エルヴィーラと思わぬデートをする羽目になったレポレッロは、何とかごまかして彼女から離れようとするものの、運悪くアンナとオッターヴィオに出くわしてしまう。逃げようとすると、マゼットとツェルリーナにも鉢合わせしまう。彼がジョヴァンニだと思っている4人は彼を殺そうとするが、エルヴィーラが現れてジョヴァンニのために命乞いをする。4人は、ジョヴァンニを恨んでいたはずのエルヴィーラが彼の命乞いをすることに驚くが、ジョヴァンニ(実はレポレッロ)のことを許そうとはしない。命の危険を感じたレポレッロはついに正体を白状し、一同は呆れる。レポレッロは平謝りしつつ隙をみて逃げ出す。


オッターヴィオは恋人のアンナを慰めるアリアを歌うが、ウィーン初演版ではこれはカットされた(代わりが第1のアリア)。続いてウィーン版の追加ナンバーで、ツェルリーナがレポレッロを捕らえてひどい目に合わせる二重唱と、エルヴィーラのアリア(ジョヴァンニの裏切りへの恨みと、彼を忘れられない自分の本心との矛盾に心を乱す内容)があるが、前者は通常省略される。


真夜中の2時、墓場でレポレッロと落ち合ったジョヴァンニに対し、騎士長の石像が突如口を利く。恐れおののくレポレッロと対照的に、ジョヴァンニは戯れに石像を晩餐に招待すると言い出し、石像はそれを承諾する。

オッターヴィオはアンナに結婚を迫るが、アンナは父親が亡くなったすぐ後なので今は適当な時期ではないという。オッターヴィオは非礼を詫びるが、これはアンナにオッターヴィオの真実の愛と誠実さを確信させアンナのアリアへとつながる。

ジョヴァンニは早速屋敷で食事の支度を始める。楽士が流行の音楽を演奏している。ビセンテ・マルティーン・イ・ソレルの『椿事("Una cosa rara")』やジュゼッペ・サルティの『2人が争えば3人目が得をする(鳶に油揚・漁夫の利、"Fra i due litiganti il terzo gode")』といった他の作曲家のオペラの一節に続いて、モーツァルト自身の『フィガロの結婚』中のアリア『もう飛ぶまいぞこの蝶々』が演奏されると、レポレッロが『これは有名なやつだ』とコメントして観客を笑わせる。前年ヒットしたこの作品に託した、作曲者からプラハの聴衆へのサービスである。


晩餐が始まり、ジョヴァンニは旺盛な食欲を示してレポレッロに呆れられる(この部分はイ・ソレルの上記の曲の一部からの引用)。つまみ食いしたレポレッロをジョヴァンニがからかっているところにエルヴィーラが登場し、生き方を変えるべきだと忠告する。ジョヴァンニがまともに相手をしないので、エルヴィラは諦めて去ろうとするが、玄関で突然悲鳴を上げて別の出口から逃げ去る。何事かと見に行ったレポレッロもやはり悲鳴を上げて戻ってくる。約束どおりに騎士長の石像がやってきたのである。石像はジョヴァンニの手を捕まえ、「悔い改めよ、生き方を変えろ」と迫る。ジョヴァンニは恐怖におののきながらも頑なにこれを拒否する。押し問答の後、「もう時間切れだ」といって石像が姿を消すと地獄の戸が開き、ジョヴァンニは地獄へ引きずり込まれる。


そこへエルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオにマゼットとツェルリーナが登場する。レポレッロの説明を聞き、一同は彼が地獄に落ちたことを知る。以下プラハ版では、アンナは亡き父親のためにもう1年は喪に服したいといい、オッターヴィオも同意する。エルヴィーラは愛するジョヴァンニのために修道院で余生を送るという。マゼットとツェルリーナは家にもどってようやく落ち着いて新婚生活を始めようとする。レポレッロはもっといい主人を見つけようという(ウィーン版ではこれらの部分がカットされている)。一同、悪漢のなれの果てはこのようになると歌い、幕が下りる。



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html

[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」
モーツァルト 歌劇「魔笛」


Die Zauberflöte 3/3/1956 English MetOpera (Sullivan, Uppman, Amara, Peters, Hines - Walter)


Die Zauberflöte - Mozart
(In English)


Metropolitan Opera
Matinée Broadcast
3rd March, 1956


Tamino......................Brian Sullivan
Pamina......................Lucine Amara
Königin der Nacht.....Roberta Peters
Sarastro....................Jerome Hines
Papageno..................Theodor Uppman
Papagena..................Laurel Hurley
Monostatos...............Paul Franke
Speaker.....................George London
Erste Dame...............Heidi Krall
Zweite Dame ............Madelaine Chambers
Dritte Dame...............Sandra Warfield
Genie.........................Emilia Cundari
Genie.........................Rosalind Elias
Genie.........................Margaret Roggero
Priest........................James McCracken
Priest.........................Osie Hawkins
Guard........................Albert Da Costa
Guard.........................Louis Sgarro
Slave..........................Henry Arthur
Slave..........................John Frydel
Slave..........................Hal Roberts


Conductor.................Bruno Walter


__________



『魔笛』(独: Die Zauberflöte)K. 620は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1791年に作曲したジングシュピール(歌芝居、現在では一般にオペラの一種として分類される)。モーツァルトが生涯の最後に完成させたオペラである。


台本は興行主・俳優・歌手のエマヌエル・シカネーダーが自分の一座のために書いた。


現在もモーツァルトのオペラの中で筆頭の人気を持つ(「Opernwelt」誌の毎年の作品別上演回数統計、「音楽の友」誌の定期的な人気作品投票など)。


作曲の経緯と初演


シカネーダーは当時ヨーロッパ各地を巡業していた旅一座のオーナーで、モーツァルトとはザルツブルク時代の知り合いであり、モーツァルトが所属したフリーメイソンの会員でもあった。シカネーダーはウィーンの郊外にあるフライハウス(免税館)内のヴィーデン劇場(Theater auf der Wieden、フライハウス劇場とも呼ばれる。フライハウスは劇場も含む建物群。1000人以上収容の集合住宅、市場、礼拝堂、菜園、工房、厩舎までを含む巨大な複合施設)を管理し、一座の上演を行っていた。


シカネーダーは、当時仕事がなく生活に困っていたモーツァルトに大作を依頼した。モーツァルトは1791年の3月から9月にかけて作曲を進め、プラハでの『皇帝ティートの慈悲』の上演のため中断を経て、9月28日に完成させた。当時妻コンスタンツェがバーデンへ湯治に出ており、モーツァルトは一人暮しをしていたため、シカネーダーは彼にフライハウス内のあずまやを提供した(このあずまやはザルツブルクの国際モーツァルテウム財団の中庭に移設され現存する)。


『魔笛』の台本は、次の作品からアイデアを流用したものである。
パウル・ヴラニツキー作曲のオペラ『オーベロン』 - シカネーダー一座のための台本は、一座の一員カール・ルートヴィヒ・ギーゼケによる。


トービアス・フィーリップ・フォン・ゲーブラーの戯曲『エジプト王ターモス』 - モーツァルトは以前にこの戯曲のための音楽(K.345)を書いている。
クリストフ・マルティン・ヴィーラントの童話劇集『ジンニスタン』から『ルル、またの名、魔笛』


ギーゼケはのちに『魔笛』の台本は自分が書いたと主張したが、真偽は定かでない。音楽コラムニストのジェイミー・ジェイムズは、「魔笛」の物語はフリーメイソン団員のアッベ・ジャン・テラッソンが書いた古代エジプトの応じセトスをめぐる寓意小説『セトス』に基づいている、と述べている[1]。


初演は1791年9月30日、ヴィーデン劇場で行なわれ、大好評を博した。モーツァルトはバーデンの妻に「アントニオ・サリエリが愛人カヴァリエリとともに公演を聴きに来て大いに賞賛した」と手紙を書いている(10月14日)。


同じ年の12月、死の床にあったモーツァルトは時計をみながら当日の上演の進行を気にしていたという(フリードリヒ・ロホリッツのモーツァルト逸話集:1798年)。



オペラの内容


シカネーダーの興行は一般市民を対象としており、演目もそれにふさわしく、形式ばらずにわかりやすい物を中心とした。魔笛の各所には聴衆を楽しませる大掛かりな見せ場が盛り込まれている。歌や会話の言語もドイツ語で、レチタティーヴォに代えて台詞で筋を進行する、ジングシュピールの形式を用いた。


物語は王子によるお姫様の救出劇の形で始まるが、途中で善玉と悪玉が入れ替わる。シカネーダーが台本作成中に他の作品で似た筋書きが発表されたため急いで変更したためであるという説もあるが、単なる意外性を求めたストーリー上の工夫とみなすこともある。これまでの各種の解釈に対して、夜の女王の国と、ザラストロの国とでは善悪見方が相反するもので、全て相対的な世界であるとすれば筋について問題はないと考えられる。


本作にはフリーメイソンのさまざまなシンボルや教義に基づく歌詞や設定が用いられていることも特徴で、とりわけ各所に「3」を象徴的に使っているのが目立つ。序曲の最初や中間部で鳴り響く和音(同じフレーズが3回演奏される)は、フリーメイソンの儀式で使われるもので、劇中ザラストロの神殿内の場面でも再現されている。2人の作者がメンバーとしてフリーメイソンの精神をオペラ化したとも、当時皇帝から圧迫を受けつつあったフリーメイソンの宣伝であったなど、教団との関わりを重視する指摘があり、今日の演出にも影響を与えている。現在では否定されているが、モーツァルトの急死はフリーメイソンの教義を漏らしたため、フリーメイソンのメンバーが暗殺したという説さえ見られたほどである。


いずれにせよ、第2幕ではそれまでの救出劇から登場人物の(フリーメイソン的な)修行と試練の内容に変わる。これと対照的なのがブッファ的・道化的なキャラクターのパパゲーノである。シカネーダー自身が演じる役なので当然だが、要所要所に登場し、場をもりあげる役割を果たしている。モーツァルトもこの役に親しみやすく魅力的な音楽を与えており、魔笛を代表するキャラクターとなった。


途中から善悪交代する夜の女王とザラストロはオペラ・セリア的な役柄である。このオペラの中の最高音と最低音をそれぞれ歌う歌い手でもある。特に夜の女王の2つのアリア(No4, No,14)は至難なコロラトゥーラの技巧を要求する難曲であり、才能あるソプラノが若いころに歌って注目をあつめることがよくある。ドイツ圏のソプラノには、若年期に夜の女王を演じた後、娘のパミーナへ役を転じる例も多い。その一人であるルチア・ポップに至っては、夜の女王の後で三人の童子の一人を演じた記録が残っている。ザラストロの2曲(No10, No,15)も、低音が豊かなバッソ・プロフォンド歌手にとって重要なレパートリーのひとつでもある。


なお、文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、「魔笛」を愛し、その第2部を執筆しようとしたが、多神教的性格を好まなかったためか断念した。



登場人物


神官ザラストロ(B)
夜の女王(S) - 初演ではモーツァルトの義理の姉ヨゼーファ・ホーファーが歌った。
王子タミーノ(スペイン語版)(T)
夜の女王の娘パミーナ(S)
鳥刺しパパゲーノ(BまたはBr) - 初演ではシカネーダー自身が歌った。
老女/パパゲーナ(S)
夜の女王の3人の侍女(S,S,S)
3人の童子(S,S,S)- 以前はおおむね成人女性歌手が演じたが、近年は少年(ボーイソプラノ)が演じるケースが多い。
弁者(B)
3人の神官(T,B,Sp)
2人の武者(T,B)
奴隷頭の黒人モノスタトス(T)
S:ソプラノ、T:テノール、B:バス、Br:バリトン、Sp:語り役
3人1組の役が多いのはフリーメイソンの象徴的数字だといわれる。



あらすじ


時と場所:時代不詳のエジプト(正確には、漠然と「ラムセスの時代」と書かれている)


第1幕


日本の狩衣を着た[2]王子タミーノが大蛇(初演前の原案ではライオン)に襲われ、「神々よ助けて!」と叫ぶ。そこに3人の侍女があらわれ彼を救出する。3人はタミーノのことを夜の女王に報告に行くが、そこへ鳥を女王に献上して暮らす鳥刺しのパパゲーノがやってくる。大蛇(ライオン)のことを聞かれ、成り行きから自分でやっつけたとパパゲーノは嘘をつくが、戻ってきた3人の侍女に見つかり口に鍵をかけられてしまう。侍女たちがタミーノに女王の娘パミーナの絵姿を見せると彼は彼女に一目惚れする。そこに夜の女王が登場し、悪魔ザラストロにさらわれて娘を失った悲しみを語り、彼に救出を依頼し、タミーノは意気込んで引き受け、ようやくしゃべることを許されたパパゲーノとともに姫の救出に向かう。2人にはお供の3人の童子が付き添い、タミーノには魔法の笛(魔笛)、パパゲーノには魔法の鈴が渡される。


ザラストロの神殿内。逃げ出そうとしたパミーナを捕らえようとする奴隷頭モノスタトスと部下の奴隷の前に、偵察に来たパパゲーノが突然現れる。彼らは互いに初めて見る姿に驚き、双方ともパミーナを置き去りにして逃げ出す。しかしパパゲーノはすぐに引き返し、パミーナに救出にきたことを告げる。

ザラストロの神殿前にタミーノが案内役の童子につれられてやってくる。3つの扉を順に試すと、最後の扉が開いて弁者(神官の一人)が登場する。2人の長い問答が始まり、ザラストロは悪人ではなく夜の女王のほうが悪人であると告げる。一人になったタミーノが笛を吹くと、神殿から逃げようとしていたパパゲーノとパミーナが聞きつけやってくる。そこにモノスタトスが登場し、2人を捕らえるが、パパゲーノの鳴らす魔法の鈴の音に動物たちも、奴隷たちも皆浮かれて踊ってどこかに去ってしまう。そこへザラストロと神官たちが登場する。彼は逃げようとしたパミーナにやさしく語り掛けるが、そこにモノスタトスがタミーノを捕らえてやってくる。初対面にも関わらず、パミーナとタミーノは互いに惹かれて走り寄り、抱き合う。怒ったモノスタトスが2人を引き離すが、ザラストロに足を77回叩きの仕置きを受ける。一同ザラストロの裁きを受け容れて讃える合唱で幕となる。



第2幕


ザラストロは神殿で神官たちにタミーノに試練の儀式を受けさせることを説明し、賛同を得る。一同イシス神とオシリス神を称える。
神官がタミーノとパパゲーノのもとへやってきて、試練について説明する。試練に挑むというタミーノとは対照的に、パパゲーノはそんな面倒なことは御免こうむるという。神官はパパゲーノに試練に打ち勝ったら似合いの娘を世話するといい、ようやくパパゲーノはその気になる。


そこに3人の侍女がやってくる。彼女たちはタミーノがザラストロの言うなりになっているのに驚き、翻意させようとするがタミーノは取り合わない。一方パパゲーノは侍女たちの話に釣られそうになるが、そこに雷鳴とともに神官が現れ彼女らは去る。
場面が変わり、庭でパミーナが眠っている。そこにモノスタトスがやってきてパミーナを我が物にしたいと狂わしい思いを歌うが、そこに夜の女王が登場し、彼は隠れる。女王は復讐の思いを強烈に歌い、パミーナに剣を渡しこれでザラストロを刺すように命じて去る。


隠れていたモノスタトスが出てきてパミーナに迫るが、ザラストロが登場し、彼を叱責して去らせる。モノスタトスは今後は夜の女王に寝返るか、とつぶやく。
パミーナが母の命令のことを話すと、ザラストロは「この神聖な殿堂には復讐などない」、と教団の理想を歌い上げる。


場面転換。2人の神官がタミーノとパパゲーノに沈黙の修行を課して去る。しかしパパゲーノは黙っていることができず、しきりに喋ってはタミーノに制止される。そこへ黒いフードで顔を隠した老女がやってくる。彼女に歳を尋ねると自分は18歳だと言うので、パパゲーノは涙を流して大笑いする。そんなに若いなら彼女には年頃の恋人がいるはずだと思い、パパゲーノが聞いてみると案の定、恋人はいるという。しかもその名はパパゲーノだというので驚いてお前は誰だ?と尋ねる、それと同時に雷鳴が轟き、名前を告げずして彼女はどこかに消えてしまった。


そこへ3人の童子が登場し、2人を励まし酒や食べ物を差し入れる。パパゲーノが喜んで飲み食いしていると、パミーナが現れる。彼女はタミーノを見つけて喜び話しかけるが彼は修行中なので口を利かない。パパゲーノもまた口いっぱいに頬張っているので喋れない(自省して喋れないとする演出もある)。相手にしてもらえないパミーナは、もう自分が愛想をつかされたと勘違いし、大変悲しんでその場を去る。


次の場面で、神官たちとともにザラストロが登場し、タミーノに新たな試練を課すと告げる。パミーナも出てきて試練を受けに出発するタミーノと互いに別れを告げる。
沈黙の業に落第したパパゲーノが神殿に近寄れずうろついていると、神官がやってきて、お前の望みは何かと尋ねる。パパゲーノは恋人か女房がいればいいのに、というと先程の老女がやってきて、私と一緒になると誓わないと地獄に落ちると脅かす。パパゲーノがとりあえず一緒になると約束すると、老女は若い娘に変身する。「パパゲーナ!」と呼びかけ、パパゲーノは彼女に抱擁をしようとするが、神官がパパゲーノにはまだ早いと彼女を連れ去る。


場面が変る。パミーナはタミーノに捨てられたと思い込み、母のくれた剣で自殺しようとしている。3人の童子が現れてそれを止め、彼女をタミーノのもとに連れて行く。タミーノが試練に立ち向かっているところにパミーナが合流し、魔法の笛を使って火と水の試練を通過する。


さらに場面が変り、パパゲーナを失ったパパゲーノが絶望して首を吊ろうとしている。そこに再び童子たちが登場して魔法の鈴を使うように勧める。パパゲーノが鈴を振ると不思議なことにパパゲーナがあらわれ、2人は喜んで子どもを大勢作るんだ、とおおはしゃぎする。


場面が変り、夜の女王と侍女たちを案内してモノスタトスが神殿を襲撃しようとやってくる。しかし光に打ち勝つことはできない。
ザラストロが太陽を讃え、一同イシスとオシリスを讃える合唱のうちにタミーノとパミーナを祝福して幕となる。



音楽


序曲 Ouverture


全曲を通じて大きな役割を果たす「フリーメイソンの三和音」が登場する。なお、主部の第1主題はクレメンティの『ピアノソナタ 変ロ長調』(作品24-2)の第1楽章主題に酷似しており、モーツァルトがこの曲でクレメンティをからかったという見方がある。序奏・アダージョ→アレグロ・ソナタ形式、変ホ長調。序曲の編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦5部。



第1幕


No.1: 導入「助けてくれ! 助けてくれ!」 Introduktion - Zu Hilfe! zu Hilfe!(タミーノ、3人の侍女)
No.2: アリア「私は鳥刺し」 Arie - Der Vogelfänger bin ich ja(パパゲーノ)
パパゲーノがパンフルートを吹きながら愉快に歌う。(なお、3番目の歌詞は台本、自筆譜ともに記載されていない)
No.3: アリア「なんと美しい絵姿(英語版)」 Arie - Dies Bildnis ist bezaubernd schön(タミーノ)
タミーノの歌うパミーナへの愛の歌である。
No.4: レシタティーヴォとアリア「ああ、怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!(英語版)」 Rezitativ und Arie - O zitt're nicht, mein lieber Sohn!(夜の女王)
有名な2つの「夜の女王のアリア」の1曲目。レチタティーヴォの後、アンダンテが続き、その後極めて技巧的なコロラトゥーラが出現する。コロラトゥーラ・ソプラノのための曲で、極めて高い演奏技術を要する。
No.5: 五重唱「ウ! ウ! ウ! ウ!」 Quintett - Hm! hm! hm! hm!(パパゲーノ、タミーノ、3人の侍女)
口に鍵を付けられたパパゲーノがしゃべれないまま錠を取ってくれと歌うユーモラスな歌。侍女たちは、世の嘘つきたちにこのような罰を与えればよいのに、と歌う。
No.6: 三重唱「可愛い子よ、お入りなさい」 Terzett - Du feines Täubchen, nur herein!(モノスタートス、パミーナ、パパゲーノ)
No.7: 二重唱「愛を感じる男の人達には(スペイン語版)」 Duett - Bei Männern, welche Liebe fühlen(パミーナ、パパゲーノ)
愛することの喜びを歌った美しい二重唱。(なお冒頭の4つの音に続くクラリネットとホルンのアッコードは、自筆譜には記載されていない)
No.8: フィナーレ「この道はあなたを目的へと導いていく」 Finale - Zum Ziele fuhrt dich diese Bahn


第2幕


No.9: 神官の行進 Marsch der Priester
No.10: 合唱つきアリア「おおイシスとオシリスの神よ(フランス語版)」 Arie und Chor - O Isis und Osiris(ザラストロ、合唱)
No.11: 二重唱「女の奸計から身を守れ」 Duett - Bewahret euch vor Weibertücken
No.12: 五重唱「どうしたの? どうしたの? どうしたの?」 Quintett - Wie? Wie? Wie?
No.13: アリア「誰でも恋の喜びを知っている(フランス語版)」 Arie - Alles fühlt der Liebe Freuden(モノスタートス)
No.14: アリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」 Arie - Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen(夜の女王)
「夜の女王のアリア」の2曲目。超絶技巧を要する。
No.15: アリア「この聖なる殿堂では」 Arie - In diesen heil'gen Hallen(ザラストロ)
No.16: 三重唱「再びようこそ」 Terzett - Seid uns zum zweitenmal willkommen
No.17: アリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが(フランス語版)」 Arie - Ach, ich fühl's, es ist verschwunden(パミーナ)
No.18: 神官たちの合唱「おおイシスとオシリスの神よ、なんという喜び!」 Chor der Priester - O, Isis und Osiris, welche Wonne!
No.19: 三重唱「愛しい人よ、もうあなたにお会いできないのですか?」 Terzett - Soll ich dich, Teurer, nicht mehr seh'n?
No.20: アリア「娘か可愛い女房が一人(フランス語版)」 Arie - Ein Mädchen oder Weibchen wünscht Papageno sich!(パパゲーノ)
パパゲーノが、可愛い女の子か奥さんがいたら、この世は実に素晴らしい、と歌う楽天的なアリア。グロッケンシュピールの音が美しく響く。モーツァルトは、2つのパパゲーノのアリアを、当時の流行歌から取ったという。
No.21: フィナーレ「やがて朝を告げるために輝きわたるのは」 Finale - Bald prangt, den Morgen zu verkünden


https://ja.wikipedia.org/wiki/魔笛

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html

[近代史3] モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」


W. A. モーツァルト:フィガロの結婚 (ベーム, 1976年)【全曲・日本語字幕】



Le Nozze di Figaro 29/1/1944 MetOpera (Pinza, Sayão, Brownlee, Steber, Novotna, Baccaloni - Walter)


Bruno Walter: Mozart: Le Nozze Di Figaro: (R.Live Salzburg Festival 08-1937)



Mozart - Le nozze di Figaro - Vienna / Kleiber


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『フィガロの結婚』(伊: Le nozze di Figaro、仏: Les noces de Figaro、英: The Marriage of Figaro、独: Die Hochzeit des Figaro)は、フランスの劇作家ボーマルシェが1778年に書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲をもとにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1786年に作曲したオペラ(Le Nozze di Figaro, K.492)である。


オペラのリブレット(台本)は、ボーマルシェの戯曲に基づき、イタリア人台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテがイタリア語で書いた。本項では、このイタリア語の台本によるオペラ作品について主に扱う。


ボーマルシェの戯曲は喜劇『セビリアの理髪師』(第1部 1775年 / パイジエッロ(1782年)、ロッシーニ(1816年)がオペラ化した)、正劇『罪ある母(英語版)』(第3部 1792年 / ミヨー(1964年)がオペラ化)とともに「フィガロ三部作」[1]と呼ばれている。『フィガロの結婚』は前作『セビリアの理髪師』の好評を受けての続編で、正式な題名は『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚』(La Folle journée, ou le Mariage de Figaro)。この戯曲は1784年にパリで初演され、前作以上の評判を得た。

封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて、貴族を痛烈に批判しており[2]、たびたび上演禁止に遭った。特にルイ16世は「これの上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂したという。このような危険な作品をオペラ化し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお膝元ウィーンで上演できた理由は不明だが、ダ・ポンテの自伝によれば、彼がうまく皇帝を懐柔して許可を得たことになっている。


ウィーンのブルク劇場で1786年5月1日、モーツァルトが30歳の時に初演された。ある程度の好評を得たが、原作の貴族批判はおおむね薄められているとはいえ危険視する向きもあり、早々にマルティン・イ・ソレールの『椿事』(Una cosa rara)に差しかえられてしまった。モーツァルトが次に書いたオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の後半で、『椿事』の一節に続き『フィガロ』の「もう飛ぶまいぞこの蝶々」の一部を演奏している。

こうしてウィーンでは期待したほど人気を得られなかったものの、当時オーストリア領だったボヘミア(現在のチェコ)の首都プラハの歌劇場で大ヒットした。作曲者も招かれて有意義な時を過ごし(この時に交響曲第38番『プラハ』K.504を初演している)、新作オペラの注文までもらえた。これが翌年初演した『ドン・ジョヴァンニ』K.527である(同じくダ・ポンテの台本による)。



構成について


作品構成


序曲と全4幕からなるオペラ・ブッファ形式となっており、歌詞はイタリア語。また、第1幕と第3幕は本格的なフィナーレを持たない。


オーケストラの楽器編成
フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン・トランペット各2、ティンパニ、弦五部
レチタティーヴォでチェンバロとチェロまたはピアノ



登場人物


フィガロ
タイトルロール。前作「セビリアの理髪師」では、床屋兼何でも屋として、ロジーナと伯爵の仲を取り持った。その功績を認められて伯爵の家来となる。バスの役柄。
スザンナ
これからフィガロと結婚式をあげようという小間使い。伯爵夫人に仕えている。初夜権復活をもくろむ伯爵の誘いをうけている。ソプラノの役柄。
アルマヴィーヴァ伯爵
前作「セビリアの理髪師」では、フィガロの活躍により現夫人と結婚。浮気者。以前廃止した初夜権を復活させ、近い内にスザンナと楽しもうと企んでいる。バリトン。
伯爵夫人ロジーナ
伯爵と結婚した後、浮気者の伯爵の行動に悩み、ケルビーノに横恋慕される。ソプラノ。
ケルビーノ
伯爵の小姓。どんな女にでも恋してしまう思春期の少年。メゾソプラノが歌う(いわゆるズボン役)。
ドン・バルトロ
医者。セビリアの理髪師ではロジーナの後見人として登場。ロジーナと結婚したがっていたが、フィガロの計画で伯爵に奪われたためフィガロに恨みがある。バス。
ドン・バジーリオ
音楽教師。今作では伯爵の手下として伯爵の情事を取り持ち、前作ではバルトロに使えていた。余談だが、前作「噂はそよ風のように」や今作四幕の「長いものには巻かれろ」の様に教訓的なアリアを歌うテノール。
マルチェリーナ
女中頭。教養もあり美人。ただし、少しお年を召している。フィガロに金を貸した時に書かせた「借金を返せなかったら結婚する」という証文を利用してフィガロと結婚しようと企む。メゾソプラノ(スコアではソプラノ)。
バルバリーナ
庭師アントニオの娘。スザンナとは従姉妹の関係。ケルビーノと仲が良い。ソプラノ。
ドン・クルツィオ
裁判官。伯爵の言いなりの判決を出す。テノール。
アントニオ
庭師。バルバリーナの父親。スザンナのおじ。バス。



あらすじ


舞台は、18世紀半ばのスペイン・セビリア近郊のアルマヴィーヴァ伯爵邸。



第1幕


フィガロは伯爵が下さるというベッドが部屋に入るかどうかをみるため部屋の寸法を測っている。伯爵がこの部屋をフィガロ達にくださるというのだ。スザンナがそれを聞いて伯爵の下心に気づく。

フィガロは最近伯爵が奥方に飽きて、スザンナに色気を示しているばかりか、夫人との結婚を機に廃止を宣言した初夜権を復活させたいと画策していることを聞き大いに憤慨する。それならこちらにも手があるぞと計略をめぐらすフィガロ(原作はこのあたりで貴族階級を批判する有名なモノローグがあるが、ダ・ポンテの台本では、自分の婚約者を狙う伯爵個人への対抗心に置き換えている)。


マルチェリーナとバルトロ登場。フィガロに一泡吹かせようと相談する。彼女はかつてフィガロから「借金を返せなければ結婚する」という証文を取っている。それを見たバルトロは「俺の結婚を妨害した奴に俺の昔の女を押し付けるのは面白いぞ。フィガロ(「セビリアの理髪師」で伯爵夫人ロジーナとの結婚を妨害した)に復讐する良いチャンスではないか」とほくそ笑む。


スザンナが登場し、マルチェリーナと口論したあと一人になると、小姓のケルビーノ登場。せんだって庭師アントニオの娘バルバリーナと一緒にいたところを伯爵に見つかって追放されそうなので、伯爵夫人にとりなしてほしいと懇願する。「あら最近彼女に恋しているの」とスザンナがからかう。彼は目下女性なら誰でもときめいてしまう年頃なのである。ここでケルビーノが「自分で自分が分からない」を歌う。

ところが、そこへ伯爵がスザンナを口説きにやって来る。慌ててケルビーノは椅子の後ろに隠れる。伯爵が口説き始めるとすぐに、今度は音楽教師のバジリオがやってくるので伯爵はあわてて椅子の後ろに隠れ、ケルビーノはすかさず椅子の前に回り込み、布をまとい隠れる。バジリオはケルビーノと伯爵が隠れているとは夢にも思わず、ケルビーノと伯爵夫人の間の話題を持ち出す。


「ケルビーノが奥様に使う色目をみたかい?」これを聴いた伯爵は思わす姿を現し、「今のは何のことだ?」と迫る。慌てたバジリオは打ち消すが、伯爵は続けて「昨日庭師アントニオの所にいったら、娘のバルバリーナの様子が何となくおかしい。そこでそばにあった布をふと持ち上げると...(と、さきほどケルビーノが隠れた椅子の上の布をはがす)おお、これは何としたこと」。「最悪だわ」とスザンナ。バジリオは「おお、重ね重ねお見事な」。


ここで三人がそれぞれの気持ちを歌うが、バジリオの歌う「女はみなこうしたもの(Cosi fan tutte le belle)。何も珍しいことではありません」という一節はモーツァルトの後のオペラ・ブッファ「コジ・ファン・トゥッテ」の主題となる。


さて、ケルビーノは伯爵夫人を通じてのとりなしを頼みにきていたのだという事実を何とか納得した伯爵ではあるが、「自分の連隊に空きポストがあるから配属する、直ちに任地に向かえ」と命令する。


そこへフィガロが村の娘たちを連れて登場。「私たちは殿様が廃止なさった、忌まわしい習慣(初夜権)から逃れられる初めてのカップルです。村の皆の衆と一緒にお礼を言わせてください」という。大勢の証人を頼んで初夜権廃止を再確認させようというフィガロ。「図ったな」と困惑する伯爵。しかし、ここは慌てず騒がす「皆の者、あのような人権侵害行為はわしの領地内では二度と行われないであろう」と廃止を改めて宣言した。

万歳!と叫ぶ村人。しかし、「盛大に式を挙げさせてやりたいからもう少し時間が欲しい」と村人を帰してしまう。がっかりするフィガロたち。ケルビーノが浮かない顔をしているのに気づいたフィガロは事情を聞くと「あとで話がある」とこっそり耳打ちし、ケルビーノの出征を励ますための豪快なアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」を歌ったところで幕。



第2幕


この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。
伯爵夫人ロジーナの部屋。夫人はひとりで夫の愛情が薄れたことを悲しんでいる。そこへスザンナ、ケルビーノと相次いでやってくる。伯爵夫人とスザンナは伯爵の行状を暴くために囮捜査をしようというのである。つまり、伯爵をスザンナの名前でおびき出し、女装させたケルビーノと会っているところを見つけて動かぬ証拠を突きつけようという計画である。ここでケルビーノが有名な「恋とはどんなものかしら」を伯爵夫人に歌う。

スザンナが化粧道具を取りに行ったところにドアをたたく音と伯爵の声がする。夫人はあわててケルビーノを隣の部屋に隠す。部屋に入ってきた伯爵、妻が落ち着きの無いのをみて詮索する。するとケルビーノが隣で音を立ててしまう。「あれは何だ?」と問う伯爵に「スザンナが結婚式の衣装に着替えているのです」と言い訳する夫人。伯爵は納得せず、部屋を開けて見せろと言う。伯爵夫人は何と言う失礼なことを、と怒って見せるが気が気ではない。いらついた伯爵はついに鍵を壊してでも入ると言って、夫人の部屋を施錠して夫人とともに道具を取りにいく。


そのすきに部屋の陰に隠れていたスザンナが出てきて、ケルビーノを2階の窓から逃がし、自分は先ほどの部屋に入ってまちうける。戻ってきた伯爵夫妻が戸を開けると出てきたのは当然スザンナである。必死に非礼を詫びる伯爵。夫人も初めは事情がわからないが、しかし、スザンナの耳打ちでさとったあとは彼女と一緒に夫をやり込め、最後は寛大に許す。


フィガロがやってくる。そこへ庭師アントニオ登場。彼は夫人の部屋の窓から何物かが飛び降りて植木を壊したと苦情を訴える。怪しむ伯爵に、フィガロは「飛び降りたのは自分だ。スザンナを待っていたのだが、伯爵の声がしたので慌てて逃げたのだ」と強弁する。アントニオと伯爵は怪しむがフィガロはうまく言いこめる。そこにバルトロとマルチェリーナとバジリオの3人がやってきて例の証文で訴訟を起こすという。伯爵はこれで勝ったと思い、結婚式の前に裁判を行うことにする。各人の思いをそれぞれが歌うフィナーレで第2幕が閉じる。



第3幕


スザンナはマルチェリーナの引き起こした混乱から逃れるため、奥方と相談して2人だけで伯爵を罠にかけようと考えた。まずは、伯爵に今夜の結婚式のあと2人で会う約束を承諾する。伯爵とスザンナの駆け引きを歌う二重唱が終わると伯爵は去る。そこへ裁判に出るフィガロが登場。フィガロに「裁判に勝たなくても結婚できるわよ」と耳打ちするのを聞いた伯爵は一人でそれを怪しみ、さらに「わしがため息をついて嘆いている間に家来が幸せになるのか」と憤慨しつつ、自分の意地を通そうと決意し、法廷に入っていく。


ついに裁判が終わって、一同退廷してくる。伯爵の言いなりの裁判官は当然マルチェリーナの訴えを認める判決を下したのだ。さあ、借金を払うか私と結婚するかだとせまるマルチェリーナに対し、フィガロは「俺は貴族の出だから親の許しがないと結婚はできない」と食い下がる。いいかげんなほら話だと思った伯爵たちが、「では証拠を見せろ」と言うとフィガロは「幼いときにさらわれたので親はわからないが、かくかくしかじかの服を着ていて腕には紋章がある」、などという。これを聞いたマルチェリーナはなぜか真っ青になり、フィガロに右腕を見せろという。何故右腕だと知っているんだと思いながらフィガロが腕を見せると、マルチェリーナは慌てる。それもそのはず、フィガロは盗賊に盗まれたマルチェリーナの赤ん坊だったのだ。しかも父親はバルトロだという。つまり、昔、フィガロはバルトロ家の女中をしていたマルチェリーナにバルトロが生ませた子だったのである。「親子か?それでは結婚は成立しない」と判事が判決を取り消す。親子とわかった3人は抱き合って喜ぶ。ここで有名な六重唱「この抱擁は母のしるし」(スザンナ・フィガロ・マルチェリーナ・バルトロ・伯爵・ドン・クルツィオ)が始まる。

そこにスザンナが走りこんでくる。「奥様からお金を借りたので、フィガロの借金を返します」といってそこを見ると、なんとフィガロがマルチェリーナと抱き合っている。早くも心変わりしたのかとカッとなったスザンナ、「違うんだ実は訳があるんだ」と近寄るフィガロの横っ面をいきなり張り倒す。マルチェリーナがスザンナに向かって、「さあさあ、お義母さんを抱いておくれ」というのを聞いて何のことかわからないスザンナが皆に「彼の母親ですって?」と聞くと皆口々に「彼の母親なんだ」と答える。おまけにフィガロがバルトロを、お義父さんだというので、ますます混乱したスザンナが同様に聞き返し、皆が肯定する。最後はどうにか納得したスザンナとフィガロたち親子が幸福に歌い交わし、作戦に失敗した伯爵と判事(どもりつつ)が失望して歌うが、これをひとつの曲に見事に納めているわけである。この曲はモーツァルト自身もお気に入りだったという。バルトロとマルチェリーナは、この際だからということでフィガロたちと同時に結婚式をあげることになった。

場面変わって奥方の部屋である。ロジーナは伯爵と結婚した当時の幸せな日々を回想し、今の身の上を嘆いている(レチタティーヴォとアリア「あの楽しい思い出はどこに」)。
注:このアリアは本来は裁判の場面の前に置かれていた。しかし、初演時にアントニオとバルトロが一人で演じられていたため、着替えの時間を確保するために現行版の曲順になったという説が最も有力である。現在は本来あるべき曲順で演奏されることが多い。
そこにスザンナが登場し、さきほどの急展開を報告する。あとは伯爵を懲らしめるだけであり、これはフィガロにも内緒の作戦となった。スザンナが伯爵に今夜会う場所を知らせる手紙を書く(手紙の二重唱「Sull'aria...che soave zeffiretto そよ風によせて…」)。

再び場面が変わって、屋敷の広間に皆が揃い、結婚式が始まろうとしている。村娘が大勢登場し伯爵夫人に感謝を捧げて花束を贈る。ひとりひとりから花束を受け取って頬にキスしていると、一人だけ顔を紅潮させてもじもじしている少女がいる。夫人がスザンナに「どこかで見た人と似ているわね」「ええ、そっくりですわ」などと話していると、そこに庭師アントニオが登場。その少女のヴェールを剥ぎ取るとそれはケルビーノだった。「おまえは連隊に行ったはずだが」と怒る伯爵に、庭師の娘バルバリーナが「殿様、いつも私に親切にして、キスをしながら、愛してくれたら何でも欲しいものをやるぞと約束してくださいますね。それならば、是非ケルビーノを私のお婿さんにください」と伯爵夫人の目前でいうので、自分に矛先が回ってきた伯爵は仕方なく望みをかなえることにする。
フィガロとスザンナ、バルトロとマルチェリーナの結婚式がいよいよ始まった。結婚式で結婚のしるしに花嫁の頭に花冠をのせるのは伯爵だが、スザンナの時に彼女は先ほど伯爵夫人の部屋で書いた手紙をそっと渡す。式が進んで皆が踊っているときに、伯爵は手紙を開こうとするが、手紙に封をしていたピンが指に刺さって驚く。その様子を見ていたフィガロが「誰か伯爵に恋文を出したらしいぜ」とスザンナにいう。宴も盛り上がり、一同で伯爵夫妻を称える合唱で幕となる。


第4幕


伯爵邸の庭、もう日はとっぷり暮れた後である。バルバリーナがカンテラを手に何かを必死で探している。それを見つけたフィガロは何をしているのかと上機嫌で声をかける。バルバリーナは「伯爵からピンを探してスザンナに届けるよう頼まれた」と言う。フィガロは先ほどの伯爵の行動を思い出し、手紙を渡したのがスザンナであることに気づく。思わずカッとなるフィガロ。いっしょにいたマルチェリーナからピンをもらい、それをバルバリーナに手渡す。マルチェリーナは「まさかあの子がそんなことはしないだろう」となだめるがフィガロは聞かないで去る。残ったマルチェリーナは何か事情があるのだろうと察し、女同士助け合わないと、といってその場を去る。


フィガロはスザンナの浮気を暴いてやろうと人を連れてやってくる。庭に潜んで現場を押さえようというわけだ。事情を聞いたバジリオは、殿様は自分抜きで話を進めたのだなと思い、世の中を行きぬくための処世訓を歌う。


フィガロは仲間の配置を確認し、自分も隠れる。待っている間スザンナに裏切られたという思いと、彼女を愛する気持ちの板ばさみになって心を乱し、「男ども目を見開け」と女性の本性の浅ましさや嫌らしさを歌う。


スザンナと伯爵夫人が衣装を交換してやってくる。スザンナはマルチェリーナからフィガロが来ていることを知らされる。そしてレチタティーヴォとアリア「とうとう嬉しい時が来た〜恋人よここに」を歌う。


(フィナーレ)


さてそこにケルビーノがやってくる。彼はバルバリーナを探しに来たのだが、皆にとっては思わぬ邪魔者になりかねない。 まず、スザンナに扮する伯爵夫人を見つけると、スザンナだと思い込み、早速軽口をたたいてまとわりつく。夫人は伯爵が来たら計画がぶち壊しなので何とかやりすごそうとする。フィガロは気が気ではなくそばに近寄る。そこへ伯爵が登場し、スザンナのそばに誰かいることに気づく。近寄って邪魔者に平手打ちを食わすと、機敏に身をかわしたケルビーノと入れ替わりに寄ってきたフィガロの頬に命中し、驚いたフィガロはケルビーノと反対方向に逃げ出す。

伯爵はスザンナだと思い込んだ自分の妻を口説き始める。夫人は複雑な思いだがスザンナの振りをして彼に従ってついていく。二人が去ったのを見てフィガロが出てくると、スザンナも現れる。彼女は伯爵夫人を装うが、夫が彼女の「不実」を訴えるのを聞いて思わず地声を出すので、フィガロに気づかれる。状況を悟ったフィガロはスザンナにからかわれたお返しとばかり、伯爵夫人に「私の妻は奥様のご主人と浮気をしていますが、実は私も奥様をお慕いしております」などと口説きにかかる。変装を見破られたとは知らないスザンナは「この裏切り者」とフィガロを張り倒す。殴られたフィガロが笑いながらスザンナを抱擁しその声でわかったと打ち明けると、ようやく彼女もこのややこしい化かし合いに気づき、喜んで抱き合う。

そこに伯爵がスザンナに変装した妻を見失ってやってくるので、フィガロは再び「夫人」を大げさに口説き始める。これに気づいた伯爵はカンカンになり、皆を呼び集める。衆人環視の中、隠れ場所から人が次々でてくる。ケルビーノ、バルバリーナ、マルチェリーナらに続いてスザンナ扮する伯爵夫人が出てくるので一同驚き、伯爵は浮気の現場を捕らえたと勝ち誇る。「許してください」や「夫人」と皆が口々に懇願するのに対し、断固「いや駄目だ」と応じない伯爵。しかし、そこへスザンナの服を着た夫人が現れ、「私からお願いしたら許してくれますか」と聞くと伯爵を始め一同驚く。すべてを理解した伯爵は、伯爵夫人に心から謝る。夫人は「私はあなたより素直なので…ハイと答えましょう」とこたえる。一同が伯爵夫妻を祝福して歌い、幕となる。



音楽


序曲は流麗かつ華麗な曲調で、現代ではモーツァルトの序曲の中で一・二を争うほどの人気があり、コンサートでは序曲単独で演奏されることも多い。2006年のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートではモーツァルト生誕250周年記念の特例として演奏された。


ウィーンでは1789年に再上演が行われた。初演と配役が違い、特にスザンナ役のソプラノのために異稿アリアKV577とKV579が書き下ろされた(第4幕の代替曲であるKV577は、旧全集版では伯爵夫人のためのアリアとされていた)。他の場面でもレチタティーヴォがアコンパニャートからセッコに変更されたり、短縮や拡張により新しいパッセージが付け加えられた(第3幕伯爵夫人のアリア)など改作が随所で行われている。筆写スコアで伝えられ自筆と確認出来ないものであるが、新モーツァルト全集[5]やアラン・タイソン校訂の「6つの異稿集」(oxford, 1989年)で紹介されている。CDもチャールズ・マッケラス盤で異稿が何曲も取り上げられたほか、KV577、579を出演歌手に歌わせた全曲録音も複数存在する。


20世紀末には声楽・器楽ともに楽譜に無い装飾をアドリヴで行う18世紀当時の様式が見直され、装飾を記した同時代の楽譜も再確認されるようになった。「恋とはどんなものか」(第2幕)は特にイギリスで活躍したローマ生まれの作曲家ドメニコ・コッリ(1746年 - 1825年)による装飾が残っており、マッケラス盤のフォチーレ、コジェナーのアリア集で用いられている。


第4幕のフィナーレ直前のケルビーノの登場について、楽譜では「歌いながら(cantando)」と指示があるだけで、具体的な旋律の指定はない。「ケルビーノはドン・ジョヴァンニである」というキェルケゴールの発言をヒントに『ドン・ジョヴァンニ』の「シャンパンの歌」の旋律を歌わせる演出が行われることがある。珍しいところでは、ニコラウス・アーノンクール指揮の全曲版CDで、本作の前年に書かれた歌曲「すみれ」が歌われた例がある。1789年再上演用とみられる筆写スコアでは「恋とはどんなものか」が歌われている。


実演では第4幕のマルチェリーナとバジリオのアリアはその難易度の高さからカットされる傾向がある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/フィガロの結婚

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/817.html

[近代史3] 伊藤貫氏に聞く _ 日本人は何故アメリカの犬になりたがるのか 中川隆
24. 中川隆[-14310] koaQ7Jey 2020年1月20日 20:55:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1208]
2020.01.20
日米安保の目的は日本を支配し、ユーラシア大陸に対する軍事的拠点にすること

 今から60年前の1月19日、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が日米地位協定とともに締結された。日本側で文書に署名したのは岸信介(総理大臣)、藤山愛一郎(外務大臣)、石井光次郎(法務大臣)、足立正(日本商工会議所会頭)、朝海浩一郎(駐米特命全権大使)だ。

 1951年9月にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で署名された日米安保条約を失効させて、新たな条約として批准されたもの。1951年のものを旧安保条約、1960年のものを新安保条約とも呼ぶ。旧安保条約が署名されたその日、同じサンフランシスコのオペラハウスで「対日平和条約」が結ばれている。

 日本に限らず、アメリカが結ぶ軍事同盟の大きな理由はふたつある。相手国を侵略の拠点にすること、そして相手国を支配し続けることだ。

 イギリスやハリー・トルーマン以降のアメリカはソ連/ロシアを侵略する動きを見せているが、これは本ブログで繰り返し書いてきた長期戦略に基づいている。その最終目標は世界支配だ。

 これは制海権を握っていたイギリスが考えた戦略で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して物流をコントロール、内陸国を締め上げていくというもの。

 これをまとめ、1904年に公表したのが地政学の父とも呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダー。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もこの戦略に基づいているが、その後、この戦略が放棄された兆候は見られない。

 それに対抗してロシアはシベリア横断鉄道を建設した。ロシアが建設しているパイプライン、中国が推進している一帯一路もそうした対抗策だと言えるだろう。

 NATOの場合、加盟国には秘密工作部隊が設置されている。中でも有名な組織がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を続けた。狙いは左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することにあり、「緊張戦略」とも呼ばれている。

 そうした秘密工作部隊は各国の情報機関が管理、その上にはアメリカやイギリスの情報機関が存在している。手先として右翼団体が利用された。

 イタリアでグラディオの存在が浮上したのは1972年のこと。イタリア北東部の森にあった兵器庫を子供が発見し、カラビニエッリと呼ばれる準軍事警察が捜査を開始するものの、途中で止まってしまう。

 再開されたのは1984年。事件は右翼団体ONがイタリアの情報機関SIDと共同で実施していたことが判明する。SIDは1977年に国内を担当するSISDEと国外を担当するSISMIに分割され、情報の分析を担当するCESISが創設されていた。

 ジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月、SISMIの公文書保管庫の捜査を許可せざるをえなくなり、同年10月に首相は「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表した。グラディをの存在と活動を公式に認めたのである。

 グラディオの創設に関わっていたフランチェスコ・コッシガは大統領を辞任するが、2007年に興味深いことを話している。2001年9月11日に引き起こされた世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃はCIAとモサドがアラブ諸国を非難するために計画、実行したことを欧米の民主勢力は知っていると書いたのである。(“Osama-Berlusconi? «Trappola giornalistica»,” Corriere, 30 novembre 2007)

 アメリカと軍事同盟を結んでいる日本にも秘密工作部隊が存在しているのかどうかは不明だが、あっても驚かない。

 1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツが降伏たが、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はソ連への奇襲攻撃を目論んでいる。そして作成されたのがアンシンカブル作戦。これは参謀本部の反対で実現せず、アメリカでの原爆実験の成功で核攻撃へ彼の気持ちは移っていく。

 アメリカでも好戦派がソ連に対する核攻撃計画を作成しはじめるが、そうした流れの中、1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだ。沖縄を先制核攻撃の出撃拠点にしようとしたわけである。

 沖縄で基地化が推進されていた1955年から57年にかけて時期に琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行した軍人で、1960年に統合参謀本部議長となった。

 1954年にソ連を攻撃するための作戦を作成したSAC(戦略空軍総司令部)を指揮していたカーティス・ルメイもダレスやレムニッツァーの仲間で、1961年に大統領となったジョン・F・ケネディと対立する。

 ダレスたち好戦派は1957年初頭にソ連を核攻撃する目的で「ドロップショット作戦」を作成。​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると​、攻撃は1963年後半に実行されることになっていた。

 しかし、その前にはケネディ大統領という大きな障害があった。この障害が排除されたのは1963年11月22日。テキサス州ダラスで大統領は暗殺されたのである。

 NATOにしろ日米安保条約にしろ、その目的は侵略と支配であり、防衛の要素があるとしても、侵略と支配を前提にしての話だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/125.html#c24

[近代史3] 日本、米軍の特権見直しを要望 米側はほとんど拒否 60年前の地位協定締結時  中川隆
1. 中川隆[-14309] koaQ7Jey 2020年1月20日 20:59:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1207]
2020.01.20
日米安保の目的は日本を支配し、ユーラシア大陸に対する軍事的拠点にすること

 今から60年前の1月19日、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が日米地位協定とともに締結された。日本側で文書に署名したのは岸信介(総理大臣)、藤山愛一郎(外務大臣)、石井光次郎(法務大臣)、足立正(日本商工会議所会頭)、朝海浩一郎(駐米特命全権大使)だ。

 1951年9月にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で署名された日米安保条約を失効させて、新たな条約として批准されたもの。1951年のものを旧安保条約、1960年のものを新安保条約とも呼ぶ。旧安保条約が署名されたその日、同じサンフランシスコのオペラハウスで「対日平和条約」が結ばれている。

 日本に限らず、アメリカが結ぶ軍事同盟の大きな理由はふたつある。相手国を侵略の拠点にすること、そして相手国を支配し続けることだ。

 イギリスやハリー・トルーマン以降のアメリカはソ連/ロシアを侵略する動きを見せているが、これは本ブログで繰り返し書いてきた長期戦略に基づいている。その最終目標は世界支配だ。

 これは制海権を握っていたイギリスが考えた戦略で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して物流をコントロール、内陸国を締め上げていくというもの。

 これをまとめ、1904年に公表したのが地政学の父とも呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダー。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もこの戦略に基づいているが、その後、この戦略が放棄された兆候は見られない。

 それに対抗してロシアはシベリア横断鉄道を建設した。ロシアが建設しているパイプライン、中国が推進している一帯一路もそうした対抗策だと言えるだろう。

 NATOの場合、加盟国には秘密工作部隊が設置されている。中でも有名な組織がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を続けた。狙いは左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することにあり、「緊張戦略」とも呼ばれている。

 そうした秘密工作部隊は各国の情報機関が管理、その上にはアメリカやイギリスの情報機関が存在している。手先として右翼団体が利用された。

 イタリアでグラディオの存在が浮上したのは1972年のこと。イタリア北東部の森にあった兵器庫を子供が発見し、カラビニエッリと呼ばれる準軍事警察が捜査を開始するものの、途中で止まってしまう。

 再開されたのは1984年。事件は右翼団体ONがイタリアの情報機関SIDと共同で実施していたことが判明する。SIDは1977年に国内を担当するSISDEと国外を担当するSISMIに分割され、情報の分析を担当するCESISが創設されていた。

 ジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月、SISMIの公文書保管庫の捜査を許可せざるをえなくなり、同年10月に首相は「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表した。グラディをの存在と活動を公式に認めたのである。

 グラディオの創設に関わっていたフランチェスコ・コッシガは大統領を辞任するが、2007年に興味深いことを話している。2001年9月11日に引き起こされた世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃はCIAとモサドがアラブ諸国を非難するために計画、実行したことを欧米の民主勢力は知っていると書いたのである。(“Osama-Berlusconi? «Trappola giornalistica»,” Corriere, 30 novembre 2007)

 アメリカと軍事同盟を結んでいる日本にも秘密工作部隊が存在しているのかどうかは不明だが、あっても驚かない。

 1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツが降伏たが、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はソ連への奇襲攻撃を目論んでいる。そして作成されたのがアンシンカブル作戦。これは参謀本部の反対で実現せず、アメリカでの原爆実験の成功で核攻撃へ彼の気持ちは移っていく。

 アメリカでも好戦派がソ連に対する核攻撃計画を作成しはじめるが、そうした流れの中、1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだ。沖縄を先制核攻撃の出撃拠点にしようとしたわけである。

 沖縄で基地化が推進されていた1955年から57年にかけて時期に琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行した軍人で、1960年に統合参謀本部議長となった。

 1954年にソ連を攻撃するための作戦を作成したSAC(戦略空軍総司令部)を指揮していたカーティス・ルメイもダレスやレムニッツァーの仲間で、1961年に大統領となったジョン・F・ケネディと対立する。

 ダレスたち好戦派は1957年初頭にソ連を核攻撃する目的で「ドロップショット作戦」を作成。​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると​、攻撃は1963年後半に実行されることになっていた。

 しかし、その前にはケネディ大統領という大きな障害があった。この障害が排除されたのは1963年11月22日。テキサス州ダラスで大統領は暗殺されたのである。

 NATOにしろ日米安保条約にしろ、その目的は侵略と支配であり、防衛の要素があるとしても、侵略と支配を前提にしての話だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/810.html#c1

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
62. 中川隆[-14308] koaQ7Jey 2020年1月20日 21:04:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1206]

 NATOの場合、加盟国には秘密工作部隊が設置されている。中でも有名な組織がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を続けた。狙いは左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することにあり、「緊張戦略」とも呼ばれている。

 そうした秘密工作部隊は各国の情報機関が管理、その上にはアメリカやイギリスの情報機関が存在している。手先として右翼団体が利用された。

 イタリアでグラディオの存在が浮上したのは1972年のこと。イタリア北東部の森にあった兵器庫を子供が発見し、カラビニエッリと呼ばれる準軍事警察が捜査を開始するものの、途中で止まってしまう。

 再開されたのは1984年。事件は右翼団体ONがイタリアの情報機関SIDと共同で実施していたことが判明する。SIDは1977年に国内を担当するSISDEと国外を担当するSISMIに分割され、情報の分析を担当するCESISが創設されていた。

 ジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月、SISMIの公文書保管庫の捜査を許可せざるをえなくなり、同年10月に首相は「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表した。グラディをの存在と活動を公式に認めたのである。

 グラディオの創設に関わっていたフランチェスコ・コッシガは大統領を辞任するが、2007年に興味深いことを話している。2001年9月11日に引き起こされた世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃はCIAとモサドがアラブ諸国を非難するために計画、実行したことを欧米の民主勢力は知っていると書いたのである。(“Osama-Berlusconi? «Trappola giornalistica»,” Corriere, 30 novembre 2007)

 アメリカと軍事同盟を結んでいる日本にも秘密工作部隊が存在しているのかどうかは不明だが、あっても驚かない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c62

[近代史3] 重信房子、北朝鮮、オウム真理教の深い関係 中川隆
17. 中川隆[-14307] koaQ7Jey 2020年1月20日 21:06:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1205]

 NATOの場合、加盟国には秘密工作部隊が設置されている。中でも有名な組織がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を続けた。狙いは左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することにあり、「緊張戦略」とも呼ばれている。

 そうした秘密工作部隊は各国の情報機関が管理、その上にはアメリカやイギリスの情報機関が存在している。手先として右翼団体が利用された。

 イタリアでグラディオの存在が浮上したのは1972年のこと。イタリア北東部の森にあった兵器庫を子供が発見し、カラビニエッリと呼ばれる準軍事警察が捜査を開始するものの、途中で止まってしまう。

 再開されたのは1984年。事件は右翼団体ONがイタリアの情報機関SIDと共同で実施していたことが判明する。SIDは1977年に国内を担当するSISDEと国外を担当するSISMIに分割され、情報の分析を担当するCESISが創設されていた。

 ジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月、SISMIの公文書保管庫の捜査を許可せざるをえなくなり、同年10月に首相は「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表した。グラディをの存在と活動を公式に認めたのである。

 グラディオの創設に関わっていたフランチェスコ・コッシガは大統領を辞任するが、2007年に興味深いことを話している。2001年9月11日に引き起こされた世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃はCIAとモサドがアラブ諸国を非難するために計画、実行したことを欧米の民主勢力は知っていると書いたのである。(“Osama-Berlusconi? «Trappola giornalistica»,” Corriere, 30 novembre 2007)

 アメリカと軍事同盟を結んでいる日本にも秘密工作部隊が存在しているのかどうかは不明だが、あっても驚かない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html#c17

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
32. 中川隆[-14306] koaQ7Jey 2020年1月20日 21:14:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1204]
2020年01月20日
統計が示す中国経済低迷 90年代水準に逆戻り


中国は人口や出生数もノルマなので、前の年に決めている

画像引用:https://pic4.zhimg.com/v2-516dc7b67b7ee6956658838543612909_b.jpg

世界最速でGDP発表できる仕組み

中国は2020年に入ってから相次いで、20数年ぶりとなる統計を発表したが、その多くは悪い意味でした。

1月17日に中国国家統計局が発表した2019年GDPは、実質6.1%増で29年ぶりの低水準だった。

29年前は天安門事件で欧米から経済制裁を受けており、その時に匹敵する経済状況という意味になる。


中国のGDPは世界最速の17日後に発表されていて、人口が中国の1%に満たない国よりも早い。

この仕組みは中国はGDP調査をしていないからで、共産国家中国は計画経済なので「前年に翌年のGDPを」発表しています。

前年に経済目標「6〜6.5%」を発表しているので、目標に合わせた計画経済を実行し、目標は100%達成されます。


なぜなら「目標」は省や市などに伝えられ、もし目標を達成できないと更迭は当然として犯罪者として処罰されます。

共産主義では生産目標を達成しないのは重罪で、例えば「100万台生産」のノルマを達成しなかったら、工場長か社長を逮捕します、

市場経済を導入した中国ではぬるくなっているが、北朝鮮は今もこのままの制度であり、旧ソ連は厳格に実行していました。


このような計画経済なので地方自治体は達成していなくても「達成した」と報告し、統計を取る前から結果が分かっています。

全ての自治体が「目標を達成した」と報告するのが1年前から分かっているので、改めて調査しても同じ結果になります。

だから中国のGDPは年が明けてわずか17日目で発表可能です。

出生数は58年ぶり低水準

次の統計は国家統計局が17日に発表した2019年の出生数で、58万人減の1465万人となり3年連続減少だった。

もう気づいたでしょうがこれもわずか17日後に発表されているので、実際の調査はしていません。

たった16日間で中国のすべての市や村々をまわって人口調査など、誰が考えても不可能な事です。


中国では1人っ子政策が長い間続き最近は2人っ子政策に緩和されたが、本当の名称は「計画生育政策」と言います。

計画経済に対して計画生育で、前の年に翌年の出生数を決めて計画通りに出産し人口を調整します。

多くの国のように「自然にまかせる」のではなく、政府が国全体の出生数を決め、自治体は割り当てられた出生数を各村や各家庭に振り分けます。


それでうまく行くのかですが、「出産させない」ためには有効で出生数を抑えることができました。

今は逆に少子化になり出生数を増やしたいのに、政府が計画して命令しても女性たちは子供を産みません。

ここでも「計画を実行できないと処罰される」制度の為、自治体は実際より水増しした出生数を報告します。


中国が経済にしろ出生数にしろ目標より悪い数字を発表した時は、発表した数字よりかなり悪いのです。

国家統計局は1月17日、2019年末の中国の総人口を14億5万人(前年比467万人増)と発表したが、これも調査せず報告した数字を足しただけです。

中国の生産年齢人口(16〜59歳)は既に減少していて、最良の場合でも10年後には人口減が始まっている。


もっとも各自治体がノルマ達成のために実際より多く出生数を発表した疑いが強く、その場合は既に人口減少しているかも知れない。

輝かしい発表とボロボロの実態

お次は不動産市場の低迷で、29年ぶりのGDP低水準の主な原因が不動産市場の低迷でした。

中国共産党は2015年チャイナショック(人民元と株価と不動産が暴落した)後の16年12月の中央経済工作会議で、不動産を投機の対象から外す決定をした。

マンションの売買を制限し、住宅ローン審査を厳しくし、政府や自治体による不動産買い支えも徐々に減らした。


中国の不動産業者やデベロッパーのほとんどは共産党幹部が所有するか経営に関与していて、自作自演で価格を釣り上げて儲けていた。

住宅ローン世帯では返済額が収入の4割を占めていて、家計破産の原因にもなっている。

中国の債務制度は恐怖そのもので、債務の時効や自己破産制度がなく、保証人でなくとも親族一同の連帯責任になる。


融資業者から見ると絶対にとりっぱぐれが無いので、学生や無職にもお金を貸し、親せきから回収したりする。

学生の時に借りた少額の借金が膨らんで一生返済し続けなくてはならないなど、100%貸し手有利になっている。

この制度があるから金融機関は無制限に融資し消費拡大に貢献したが、こんな制度が続く筈がありません。


中国ではローンで新築マンションを購入し、賃貸で貸したり転売して儲ける個人投資家が多かった。

政府の政策で不動産価格が上昇し続け、土地神話が産まれ庶民が借金して不動産投機に走りました。

当然の結果として土地バブルは崩壊し、湯沢のリゾートマンションのように無人の新築マンションが林立しました。


このままでは経済崩壊するので政府は公共投資で景気対策しているが、その資金がまた公共事業や不動産買い支えに使われている。

こんな事を繰り返しているうちに中国の実態はどんどん悪化しているが、計画経済なので政府発表では輝かしい数字だけを発表します。
http://www.thutmosev.com/archives/81989974.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c32

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃
20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃


Stravinsky- Rite of Spring
Coreografie di Pina Bausch al Wuppertal Dance Theater


ディズニー 『ファンタジア』(原題: Fantasia)
1940年のアメリカ映画。アニメーション映画。
全編にわたっての音楽演奏は、レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団が担当した。


「春の祭典」- ストラヴィンスキー(22:28)
舞台を人類時代の原始時代から、地球創世期〜恐竜の時代に変更している。また、原曲の一部がカットされた上、順番が一部入れ替えられている。


The Rite of Spring · Igor Stravinsky · Leopold Stokowski · The Philadelphia Orchestra


The first part of Igor Stravinsky's "The Rite of Spring" performed by the Cleveland Orchestra conducted by Pierre Boulez


The second part of Igor Stravinsky's "The Rite of Spring" performed by the Cleveland Orchestra conducted by Pierre Boulez.


___________


『春の祭典』(ロシア語: Весна священная、フランス語: Le Sacre du printemps、英語: The Rite of Spring )は、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが、セルゲイ・ディアギレフが率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために作曲したバレエ音楽。1913年に完成し、同年5月29日に初演された。20世紀の近代音楽の傑作に挙げられる作品であり、複雑なリズムのクラスター、ポリフォニー、不協和音に満ちていて、初演当時怪我人も出る大騒動となったことで知られる。


題名
フランス語とロシア語の題名はかなり異なっている。フランス語の題名は1912年3月にレオン・バクストによってつけられたもので、「春の戴冠式」を意味する(後にストラヴィンスキーは「The Coronation of Spring」の方が本来の意味に近いと言っている[1])。ストラヴィンスキーは生涯にわたってフランス語の題名を使い続けた[2]。ロシア語の題名は文字通りには「聖なる春」を意味し、少し遅れて1912年9月のストラヴィンスキーのインタビューの中に現れる[3]。英語の題はフランス語を翻訳したものであり、日本語の題名は英語にもとづく。


作曲中の『春の祭典』について伝える初期の記事では『大いなる犠牲』(Великая жертва)と呼ばれていた[4]。


作曲の経緯


1910年、ストラヴィンスキーは、ペテルブルクで『火の鳥』の仕上げを行っていた際に見た幻影(“輪になって座った長老たちが死ぬまで踊る若い娘を見守る異教の儀式”)から新しいバレエを着想し、美術家ニコライ・レーリヒに協力を求めた[5]。


『火の鳥』の成功後、バレエ・リュスのための新しい音楽を注文されたストラヴィンスキーがこのアイデアを披露したところ、ディアギレフやレオン・バクストもこのテーマに興味を示し[6]、ディアギレフの手帳には、1911年度の上演予定作品として『牧神の午後』と『生贄(『春の祭典』)』が併記された[7][8]。


ところが、同年9月末にローザンヌのストラヴィンスキーを訪問したディアギレフは、そこで聞いた作曲途中の『ペトルーシュカ』を気に入り、これを発展させてバレエにすることにしたため[9]、『春の祭典』は一時棚上げとなった。


1911年6月に『ペトルーシュカ』が上演された後、『春の祭典』の創作が本格的に開始された。ロシアに帰国していたストラヴィンスキーはレーリヒを訪ねて具体的な筋書きを決定し[10]、レーリヒはロシア美術のパトロンであったテーニシェヴァ公爵夫人のコレクションから古い衣裳を借り受けてデザインの参考にした[11]。同じ頃に「春のきざし」から始められた作曲は[12]、同年冬、スイスのクレーランスで集中的に作曲が進められた結果、1912年1月にはオーケストレーションを除き曲が完成した。ストラヴィンスキーはこの年の春に演目として上演されることを希望したが、ディアギレフはこれを翌年に延期するとともに、大規模な管弦楽のための作品にするよう要望した。その後、モントルーでオーケストレーションが進められ、1913年に完成した。


初演までの経緯


1912年春頃、ディアギレフはそれまでのバレエ・リュスの振付を担当していたミハイル・フォーキンにかわり、天才ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーをメインの振付師にする決意を固めた。すでにニジンスキーは『牧神の午後』の振付を担当していたが、作品が公開されていない段階であり、その能力は未知数であった。

ニジンスキーのダンサーとしての才能は賞賛しながらも、振付師としての能力には不安を抱いていたストラヴィンスキーは、実はニジンスキーが音楽に関して全く知識を持ち合わせていないことに愕然とし、リズム、小節、音符の長さといった、ごく初歩的な音楽の基礎を教えることから始め[13]、毎回音楽と振付を同調させるのに苦労した。


不安になったディアギレフはダルクローズの弟子ミリアム・ランベルク(マリー・ランベール)を振付助手として雇い入れ、ダルクローズのリトミックを『春の祭典』の振付に活かそうとしたが、ダンサーは疲労困憊しており、彼女のレッスンに参加するものはほとんどいなかった[14]。


ニジンスキーは1913年の公演でドビュッシーの『遊戯』と『春の祭典』の2作品の振付を担当したが、ストラヴィンスキーによれば、それはニジンスキーにとって「能力以上の重荷」[15]であった。振付及び指導の経験がほとんど無く、自分の意図を伝えることが不得手なニジンスキーはしょっちゅう癇癪を起こし、稽古は120回にも及んだ。しかも、主役である生贄の乙女に予定されていたニジンスキーの妹ブロニスラヴァ・ニジンスカが妊娠してしまったため、急遽マリヤ・ピルツ(Maria Piltz)が代役となった[16]。ランベルクによれば、ピルツに対し、ニジンスキー自らが踊って見せた生贄の乙女の見本は実にすばらしく、それに比べて初演でのピルツの踊りは、ニジンスキーの「みすぼらしいコピー」に過ぎなかったという[17]。


このような苦難の結果できあがった舞台は、レーリヒによる地味な衣装のダンサーの一群が、ニジンスキーの振付によって舞台を走り回り、内股で腰を曲げ、首をかしげたまま回ったり飛び上がるという、従来のバレエとは全く違うものであった。


初演
1913年、ディアギレフと付き合いのあった興行師ガブリエル・アストゥリュクのシャンゼリゼ劇場が完成し、『遊戯』、『春の祭典』初演を含むバレエ・リュスの公演は、その杮落としの目玉とされた。この時、ディアギレフはアストゥリュクの足元を見てオペラ座の2倍、2万5000フランもの出演料を要求した[18][19]。

『遊戯』初演の2週間後、1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮により『春の祭典』の初演が行われた。客席にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどの錚々たる顔ぶれが揃っていた。初演に先立って行われた公開のゲネプロは平穏無事に終わったが[20]、本番は大混乱となった。


曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合い、野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。ディアギレフは照明の点滅を指示し、劇場オーナーのアストゥリュクが観客に対して「とにかく最後まで聴いて下さい」と叫んだほどだった。サン=サーンスは冒頭のファゴットのフレーズを聴いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」[要出典]といって席を立ったと伝えられる[21]。ストラヴィンスキーは自伝の中で「不愉快極まる示威は次第に高くなり、やがて恐るべき喧騒に発展した」と回顧している。『春の祭典』初演の混乱は、1830年の『エルナーニ』(ヴィクトル・ユーゴー)や1896年の『ユビュ王』(アルフレッド・ジャリ)の初演時に匹敵する大スキャンダルとなり、当時の新聞には《Le "massacre" du Printemps》(春の"災"典)という見出しまでが躍った。

有名なこの初演時のエピソードだが、西洋クラシック音楽において、初演時に騒動が起きたのは特にこの作品に限ったことではない。他に近代ではシェーンベルクの弦楽四重奏曲2番以降やウェーベルンの無調作品、作曲者も音楽では無いと告白したラヴェルのボレロ、バルトークの『マンダリン』、ジョン・ケージの音楽でも、初演時に大騒動になった記録が残っている。こう言う騒動の発端は元々ワーグナーの『さまよえるオランダ人』・パリの『タンホイザー』やR・シュトラウスの『サロメ』にも見られる。指揮者の岩城宏之は、ヨーロッパで聴きにいった現代音楽の演奏会で何度か、聴衆間で怒声が飛び交う事態になったことがあるとエッセイに記している。現在でもドナウエッシンゲン音楽祭やダルムシュタット夏季現代音楽講習会などに行けばこういう騒ぎに巻き込まれることがある。またこの『春の祭典』初演時の騒動は、主にバレエの衣装と振り付けが革新的だったことによるとの説もある。


演奏史・上演史


1913年には、前述の初演を含めパリで4回、ロンドンで4回上演されたが、大混乱となったのは最初の1回のみで、2回目の公演以降は大きな騒乱が起こることはなかった[22]。翌1914年4月にシャンゼリゼ劇場で行われた演奏会形式での再演(指揮:モントゥー)の大成功により、『春の祭典』は楽曲としての評価を確立した[23]。その後、ロンドンやニューヨークでも高い評価を得てオーケストラのレパートリーとして定着した。


一方、初演の4ヶ月後に南米で電撃結婚をしたニジンスキーがディアギレフから解雇されたため、『春の祭典』は8回(ゲネプロを含めれば9回)上演されただけでバレエ・リュスのレパートリーから外された。その後、バレエ・リュスでは1920年に『春の祭典』の再演が行われることになったが[24]、誰一人としてニジンスキーの複雑な振付を覚えている者がいなかったため、新たにレオニード・マシーンが振付を担当した。マシーンは古いイコンや木版画を研究し、ストラヴィンスキーによるアドヴァイスを受け、単純な農民の輪舞をもとにして振付けた[25]。エルネスト・アンセルメの指揮によるバレエ再演は、生贄の乙女を当時24歳のリディヤ・ソコローヴァ(英語版)が演じ、大喝采を浴びた[26]。この頃のディアギレフは財政難に苦しんでおり、オーケストラに莫大な人件費がかかる『春の祭典』の再演が可能だったのは、この年の夏に知り合ったばかりのココ・シャネルから30万フランもの援助を受けたおかげであった。


この「マシーン版」は1930年にフィラデルフィアでマーサ・グレアム主演によって上演されたほか、ミラノ・スカラ座(1948年)、スウェーデン・ロイヤル・バレエ(1956年)などで再演が繰り返された[27]。


ニジンスキー、マシーンの後、『春の祭典』は多くの振付師によって取り上げられ、ボリス・ロマノフ(Boris Romanov)版(1932年)、レスター・ホートン(lester horton)版(1937年)、マリー・ヴィグマン版(1957年)、モーリス・ベジャール版(1959年)、ケネス・マクミラン版(1962年)、ピナ・バウシュ版(1975年)、マーサ・グレアム版(1984年)など、多くの版が作られて現在に至っている[28]。中でもベジャールによるものは傑作として知られている[29]。


一方、完全に忘れられたニジンスキーによる初演の振付は、1979年から8年かけて舞踏史学者のミリセント・ホドソン(Millicent Hodson)と美術史家ケネス・アーチャー(Kenneth Archer)の夫妻によって、現存していた資料(特にヴァランティーヌ・グロス(英語版)によるスケッチ)やランベールなど関係者の証言などから復元され、1987年にジョフリー・バレエ団(英語版)によって復活上演された。現在ではオペラ座の定番となっている[30]。


1953年にピエール・ブーレーズは、論文『ストラヴィンスキーは生きている』[31]において、この作品の斬新な作曲技法を解明するとともに、自ら演奏・録音を行い、この曲の解釈に一石を投じた。


ただオーケストラ付きのバレエ版の上演は5管編成の版しかないので、非常に予算がかかりオーケストラピットもそんなに入れないのでめったに生で上演されることはない。日本ではほとんどが録音による上演である。


改訂
『火の鳥』や『ペトルーシュカ』のように大規模ではないが、この作品でも何度もヴァージョン・アップを図り改訂が行われ、次のものが存在する[32]。


1913年版
自筆譜。初演に用いられた。
1913年版(4手ピアノ版)
1913年5月、初演に先立ちロシア音楽出版社より出版。1952年にブージー・アンド・ホークス社よりリプリントが出版された。
1921年版
管弦楽版初の出版譜。初演版から一部改訂されている。1922年2月にロシア音楽出版社より出版。
1929年版
1921年版の誤りを修正したほか、『祖先の召還』と『生贄の踊り』を大きく変更。ロシア音楽出版社より出版。
1943年版
『生贄の踊り』をさらに大きく改訂。『生贄の踊り』の部分のみを1945年にAMP社より出版。
1947年版
1929年版の誤りを修正。1943年版での変更は戻されている。1948年にブージー・アンド・ホークス社より出版。
1965年版
1947年版の誤りを修正。ブージー・アンド・ホークス社より出版。
1967年版
一部修正したうえで新たに印刷版を作成。ブージー・アンド・ホークス社より出版。
1968年版(4手ピアノ版)
主に『祖先の召還』と『生贄の踊り』を改訂。ブージー・アンド・ホークス社より出版。


現在主に使用されるのは1967年版であるが、指揮者によって好みが分かれる。また複数の版を折衷することもあり、例えばロバート・クラフトは1967年版に対して1913年版に基づく変更を加えて演奏している[33]。


「リハーサル中でさえ直す」というストラヴィンスキーの改訂癖は有名だが、初演指揮者のモントゥーはこの改訂癖について「最初の版が一番良い」と苦言を呈した。ゲオルク・ショルティが何故改訂したのか=どの版を使えば良いのかロバート・クラフトに質問した際「(終曲に代表される)変拍子をストラヴィンスキー自身が指揮出来なかったため」という返答があった。事実、ストラヴィンスキーが振り間違えている録音も初期に存在する。また最後の生贄の場面は作曲者が振れなかったのでめんどくさくて全部4分の4拍子で振ったと言う指揮者の間の逸話が今でも残っている。


小澤征爾によれば、彼が1968年7月にシカゴ交響楽団を指揮してこの曲をレコーディングする直前、ストラヴィンスキーがこの曲特有の複雑な変拍子を、ごく簡明な、単純な拍子構造に書き変えたヴァージョンを作り、小澤はストラヴィンスキーの要請に応じて、それをコンサートで指揮したのち、小澤がレコーディングにあたって準備していた旧来のヴァージョンとともに、並行して録音したという。しかし小澤はオーケストラのプレイヤーたちともども、その芸術的価値を疑問視し、結果この新ヴァージョンはレコードとして発売されず、ヴァージョン自体も陽の目をみることなく今日に至っているとのことである。このヴァージョンが作られた理由としては、すでに触れた「ストラヴィンスキーが変拍子を上手に振れなかったから」ということのほかに、経験の浅い学生のオーケストラなどでも演奏できるように、ということがあったらしいが、小澤とともにこれに触れたレナード・バーンスタインは、楽曲の著作権保護期間を延長したいがための行為だと、不快感をあらわにしていたという[34]。


ストラヴィンスキーは、『火の鳥』と『ペトルーシュカ』では楽器編成を縮小して改訂したが、『春の祭典』だけはそれがない。なお、頻繁にピアノデュオのレパートリーとして演奏されるピアノ連弾版[35]の春の祭典はもっとも自筆稿に近く、書き直しはほとんど無かった。


編成


5管編成で、ワグナーチューバやバストランペットなどの金管楽器で増強した超大編成の管弦楽ではあるものの、ストラヴィンスキーの三大バレエの中では唯一、ハープ、チェレスタ、ピアノといった楽器が含まれていない点は特筆に値する。打楽器に関しても、他の二作では活用されていたグロッケンシュピールやシロフォンといった鍵盤打楽器が含まれていない。


1967年版の楽器編成
木管楽器
フルート3(3番はピッコロ2番に持ち替え)
ピッコロ1
アルトフルート1
オーボエ4(4番はコーラングレ2番に持ち替え)
コーラングレ1
クラリネット3(A管とB♭管を持ち替える。3番はバスクラリネット2番に持ち替え)
小クラリネット1(D管とE♭管を持ち替える)
バスクラリネット1
ファゴット4(4番はコントラファゴット2番に持ち替え)
コントラファゴット1
金管楽器
ホルン8(7番・8番はワグナーチューバ持ち替え)
ピッコロトランペット(D管)1
トランペット(C管)4(4番はバストランペット持ち替え[36])
トロンボーン3
チューバ2
打楽器
ティンパニ7個(ハイBが出るピッコロ・ティンパニ1と普通のティンパニ6):奏者2人が必要
大太鼓
トライアングル
タンブリン
タムタム
シンバル
ギロ
アンティークシンバル2 : 変イ(A♭)と変ロ(B♭)
弦五部(普通は16型を当てるが、バレエのピットの上演は12型が精一杯である)
第1ヴァイオリン
第2ヴァイオリン
ヴィオラ
チェロ
コントラバス


構成


2部構成で、演奏時間は約34分(各16、18分)。
春を迎えたある2つの村同士の対立とその終息、大地の礼賛と太陽神イアリロの怒り、そしてイアリロへの生贄として一人の乙女が選ばれて生贄の踊りを踊った末に息絶え、長老たちによって捧げられる、という筋である。場所などの具体的な設定は無く、名前があるのは太陽神イアリロのみである。キリスト教化される以前のロシアの原始宗教の世界が根底にあるといわれる。


この筋は友人の画家ニコライ・リョーリフ(レーリッヒ)が1910年4月28日付(ユリウス暦)の『ペテルブルク新聞』に発表したバレエの草案が元になっており、彼は台本と共に美術を担当した。この曲はリョーリフに献呈されている。ちなみに、ストラヴィンスキーの自伝には、彼自身が原案を思いついたと書かれているが、このことからわかる通り事実ではない。


各部の表題は1967年版スコアでは英語とフランス語のみ記載されているが、古い版にはロシア語でも記載がある。それぞれ意味は同じではないので注意が必要である。下記の表題は英語版に従っている。


第1部 大地の礼賛


序奏
リトアニア民謡 "Tu mano seserėle(私の妹よ)" をベースにしたファゴットの非常に高音域のイ調独奏で始まる(C2)。古典的な楽器法に精通したサン=サーンスが酷評したこの部分は演奏が大変困難であり、田村和紀夫はドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』冒頭のフルート独奏と共に、楽器の得意でない音域を敢えて使用するという作曲家の意思を読み取っている[37]。既に変拍子の幕開けとなり、様々な管楽器が異なる調性で全く違うニュアンスのメロディーを激しく演奏する。高潮しきった所で曲は途絶え、ファゴットが再び最初の旋律を嬰ト調で演奏する。ブーレーズは論文『ストラヴィンスキーは生きている』において「最も異様、かつ興味深い語法」と評した。


春のきざし(乙女達の踊り)
ホ長調主和音(E, G♯, B)と変イ長調属和音第1転回形(G, B♭, D♭, E♭)が複調で弦楽器を中心に同時に力強く鳴らされる同じ和音の連続とアクセントの変化による音楽。この和音構成は平均律上の異名同音で捉えると変イ短調和声短音階(A♭, B♭, C♭, D♭, E♭, F♭, G)と同じであるが、初めて聴くものには強烈な不協和音の印象を与える。また木管楽器によって対旋律として現れる(E, G, C, E, G, E, C, G)というスタッカートのアルペジオはハ長調を示し、これによって五度圏上で正三角形を成し長三度ずつの移調関係にあるハ長調、ホ長調、変イ長調が結ばれる。これはベートーヴェンの後期三大ピアノソナタ(あるいはもっと前の『ヴァルトシュタイン・ソナタ』や『ハンマークラヴィーアソナタ』なども)においても転調の過程で順次提示されるように既に援用が見られる調関係だが、同時に鳴らすのは音楽史上この曲が初めてであろう。


誘拐
春の輪舞
敵の部族の遊戯
長老の行進
長老の大地への口づけ
極めて短い。激しい不協和音が弦楽器のフラジオレットで奏される。
大地の踊り
音楽は絶頂の中、終結句を伴わず突然終止する。
第2部 生贄の儀式[編集]
序奏
乙女の神秘的な踊り
選ばれし生贄への賛美
祖先の召還
祖先の儀式
生贄の踊り(選ばれし生贄の乙女)


最も難曲かつ作曲学上システマティックに書かれた部分。5/8, 7/8などの変拍子が組み合わされて徹底的に複雑なリズムのポリフォニーを作り上げる。オリヴィエ・メシアンはこの部分を「ペルソナージュ・リトミック(リズムの登場人物)」[38]、ピエール・ブーレーズは「リズムの細胞」と、クラウス・フーバーは「リズムのクラスター」と呼んでそれぞれ分析結果を発表している。メシアンによればこの曲は、複雑な変拍子の中でそれぞれ提示されたリズム動機について、拡大する動機、縮小する動機、発展せず静的な動機の3つの類型のリズムから成り立つという。


引用曲


『ペトルーシュカ』と同様、ストラヴィンスキーは多くの民謡を引用しているが、大部分は原型をとどめないほど変形されているため、実際にどの曲が引用されているかを知るのは難しい[39]。ローレンス・モートンの研究によると、第1部のいくつかの旋律はポーランドのアントン・ユシケヴィチによって集められたリトアニア民謡集の中の曲に由来するという[40]。また、イストミン(Ф. М. Истомин)とリャプノフによる民謡集やリムスキー=コルサコフの集めたロシア民謡などからもいくつかの素材を借りているらしい[41]。


エピソード
ウォルト・ディズニー制作のアニメ映画『ファンタジア』(1940年11月13日アメリカ公開)中の1エピソードにも使われ、地球の誕生から生命の発生、恐竜とその絶滅までのドラマがこの曲に合わせて繰り広げられる。なお、『ファンタジア』の音楽で作曲家が生存していたのはストラヴィンスキーのみであり、彼は後に映画本編を見た際、内容が自分のイメージと大きく異なっていたことに衝撃を受けたと言われている。


ボイジャーのゴールデンレコードにはストラヴィンスキー本人の指揮、コロンビア交響楽団による「生贄の踊り」が含まれる[42]。


また演奏困難な曲に数えられ、数々の逸話が残っている。日本初演(1950年9月21,22日の日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)第319回定期演奏会、指揮は山田一雄(当時は和男))の際にも指揮者が曲の進行を見失い、もう少しで終わらなくなりそうだったと言う。また、岩城宏之もこの曲の暗譜指揮に挑戦して失敗し、オーストラリアのTVの生中継で中断したことがあり、その顚末について著書『楽譜の風景』に記述している。別の著書では、カラヤンが現代曲を得意にしていた岩城に対して、「どのように『春の祭典』の変拍子を振ればいいのだろうか?」と相談しに来たことがあったと述べている。この曲を完全に暗譜で楽々と指揮したのはロリン・マゼールで、バイエルン放送交響楽団とのビデオが残されている。


映画
初演の騒動を描いた様子は、以下の映画で描写されている。
『ニジンスキー』(ハーバート・ロス監督、1980年、アメリカ)
『シャネル&ストラヴィンスキー』(ヤン・クーネン監督、2009年、フランス)


https://ja.wikipedia.org/wiki/春の祭典

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
1. 中川隆[-14305] koaQ7Jey 2020年1月20日 23:26:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1203]



ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」2012 SEP 29 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/09/29/ストラヴィンスキー%E3%80%80春の祭典/

高1のとき、これに出会った。

Igor Stravinky - Rite Of Spring - Part I - Introduction
Performed By Pierre Boulez & The Cleveland Orchestra (1969)


Igor Stravinky - Rite Of Spring - Part I - Harbingers Of Spring
Performed By Pierre Boulez & The Cleveland Orchestra (1969)


ピエール・ブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団のLPレコードである。1969年録音。この曲だけにかかわらず、クラシック音楽の演奏史に永遠に名を刻まれる名盤中の名盤である。
この曲は1913年パリのシャンゼリゼ劇場で初演のおり、その前衛性に反対派などから怒号や口笛が飛びかって会場が大騒ぎとなり、20世紀音楽史上のスキャンダルとして記録されている。

この演奏はそういう人間界の俗臭さとは完璧に無縁である。不細工かつ膨大な計算量を伴う解き方しかなかった数学の難問を、わずか数行で美しく解いてしまった答案用紙を見る気分だ。E=mc²のように。ブーレーズ自身、本当に数学を学んでいたが。この美しいジャケットも見事に曲の雰囲気を描写している。

ブージー・アンド・ホークスのスコア(右)は表紙がボロボロになってしまった。 アルトフルート、ピッコロクラリネット、ピッコロトランペット、バストランペット、ピッコロティンパ二など耳慣れない楽器が出てくる。僕はそれらを耳を凝らしてマニアックに聴いていたが、この演奏はそれがちゃんと聴こえる。聴こえるように演奏され、録音されている感じだ。そんなニッチな所に焦点を当てて商売になるだろうかなどという下世話な頭は微塵もない指揮者にオケも録音技師も全身全霊で奉仕している奇跡的な録音なのである。

「いけにえの踊り」のティンパニでこんなに短3度音程が明確にわかる演奏はない。ティンパニと大太鼓の音色をこれほど差別化した例もない。第1部冒頭部分での木管楽器の倍音までとらえた録音センスの良さは本当に本当にすごい。第2部冒頭(序奏)練習番号80でp(ピアノ)で入る大太鼓(皮はゆるめに張られている感じ)の意味深さは筆舌に尽くしがたい。音楽的にどうでもいいと言われそうだが、このスコアにストラヴィンスキーが封じ込めた信じがたい美の一部であることは誰も否定できまい。

テンポはやや遅めであり、すべての音は完璧に磨かれた、正確極まりないピッチの楽器音でじっくりと丹念に刻み込まれていく。スコアが30段ある室内楽と言って過言ではない(1か所だけトランペットがミスしているが)。では生気に欠けるかというとそうではない。第2部の最後に向けて鉄の塊が徐々に熱していくようにじわじわと過熱してくる。そう演奏しているのではなく、スコアがそう書かれており、それを忠実に抉り出してそうなっているという絶対の説得力を感じる唯一の演奏である。

リズムに関しては鉄槌を打ち込むかのような強靭な理性によるコントロールを知覚する。音や和音の鳴り始めと終結(つまり音価)が厳格な意志で統率され、いい加減に放置された音は最初から最後まで皆無といっていい。練習番号139、pで22発打ち鳴らされるシンバルの最後から4発目がやや野放図に鳴りすぎたのが玉に傷で耳に残ってしまうほど全曲にわたって精密なのであって驚くばかりだ。だからこそ「生贄の踊り」同144の直前の16分の3拍子が16分の2に近いのが昔から気になっていて、生前にお尋ねしたかったことの一つだった。

録音は楽器に近接したマイクの多重録音と思われ練習番号38のドとシのティンパニは位置が左と中央に離れて聞こえる。同22−23ではイングリッシュホルンの裏でティンパニストがシ♭の音合わせをしているのが聞こえる。それをマイクが拾っているのを放置しておりミキシングが徹底した精度であるとはいえない。ティンパニの音程と皮の質感をここまで拾う録音が木管の倍音までも拾うのは納得であり、こういうことは指揮者と録音技師のセンスが合致した幸福な結果だろう。最後の方でブーレーズのオケを追い込むような声が聞こえる部分がありびっくりするが、そこはリハーサルの方を採用したかもしれない。

発売当時「スコアにレントゲンをかけたような」という形容があった。実演では聴こえない音まで聴こえることの比喩だ。そう、これはレコード芸術そのものだ。全音符をこれで刷り込まれた僕には、実演はすべて「いい加減」な演奏に聴こえるので困る。必ず欲求不満になる。だからなるべく聴かない。聴くならティンパニの後ろの席で「ピッコロTim」の高いB(シ)が聴き分けられるかどうか実験の目的だ。何故かこれだけはブーレーズ盤でもわからない。他盤もだめだ。入りにくいのか僕の耳の問題なのか。だから近くで実物を聴きたいのだ。

これは1970年に買った、まさに僕にとって神であるLPから録音したもの。そのあとに出たフォーマットもすべて聴いてみたが、この初出のヴィニールレコードが最も倍音が豊富でありベストで、再発を重ねるほどそれが消えて行っている。SACDになれば音がいいという単純なものでは全くない。第1部の春のロンドまでの木管合奏など、この倍音が演奏の特性を決しているのである。

ブーレーズの春の祭典は実演を2度聴いた。最初は1974年9月5日にNHKホールでニューヨーク・フィルハーモニーと。次は1993年にフランクフルトのアルテ・オーパーでロンドン交響楽団と。当たり前だがレコードと同じ音楽、同じフレージングだったが情報量はプア。前者はベートーベンの2番が前半プロだったが意外に普通だった。面白かったのはむしろエーリヒ・ラインスドルフが1984年にファイラデルフィア管弦楽団を振ったもの。ぎくしゃくした棒でいがらっぽかったが、骨太の演奏で説得力があった。香港で聴いたフェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団はティンパニが間違えて一瞬オケがバラバラになりこっちも心臓に悪かったが香港の聴衆は気がついてない感じだった。

この曲は一般にハルサイと呼ばれる。春祭だ。夏祭りみたいなので僕は絶対に使わない。ブーレーズの前衛性などどこ吹く風で、最近は若手指揮者が暗譜で振るとカッコいい「のだめ」流ミーハー曲に堕落してしまった観がある。若い子はラプソディ・イン・ブルーの姉妹曲ぐらいに思っているのだろうか。オジサンたちは若い頃こういうのを大真面目にピリピリ緊張してやっていたんだ。

当時クラスメートと「ブーレーズがブルックナーなんかやったら世も末だね」とジョークを言っていた。そしたら10年ぐらい前に本当にやられてしまった。DGの商売にのせられたのか。ともあれ、これはカラヤンが越後獅子を振ったのと同じぐらいのマグニチュードがある事件だ。センセイどうしちゃったんですか?いや、これも堕落と言ったら失礼だ。世も末ということにしておこう。

最後に、僕の69種類ある春の祭典音源集から:
マイケル・ティルソン・トーマス/ボストン交響楽団

Stravinsky 'Rite of Spring' - Tilson Thomas conducts



とにかく音がいい。僕はオーディオチェックに使っている。ボストン・シンフォニーホールのいい席はまさにこの音と残響のブレンドである。演奏も凛々しい。若々しい。管楽器がうまい。ティンパニも健闘している。MTトーマスはピアノ連弾でも録音している(これも悪くない)。好きなんだろう。新録音もあるが断然これ。見つけたら即買いです。

Stravinsky The Rite of Spring - Bernstein and Tilson Thomas, piano four hands (1981)




小沢征爾/シカゴ交響楽団

Seiji Ozawa Conductor /Le Sacre du Printemps



リズム感の良さとオケのやる気満々なノリが素晴らしい。ロック、ジャズの感覚。若造の分際で大シカゴSOをここまでドライブしたオザワの青春譜。やっぱり只者じゃなかったんだ。ただし第2部は定番のブージー67年版ではなくアンセルメ盤と同じ部分があり、初めてこれを覚える人には薦められない。通におススメ。

アンタール・ドラティ/ミネアポリス交響楽団


The rite of spring; Antal Doráti & Detroit Symphony Orchestra; 1981


速い。とにかく速い。疾風のごとし。軽い。とにかく軽い。このお茶漬け風味は捨て難い。ハイドン風ストラヴィンスキーの逸品である。買い。デトロイト交響楽団との新盤はフツーのテンポになっている。初めての人はこっちのほうがいい。

イーゴル・マルケヴィッチ/フィルハーモニア管弦楽団


セラフィム盤。一つのスタンダードを作った演奏。もしブーレーズ盤がなければ似たような位置づけに鎮座しただろう。おっかない切れ者指揮者のドライブ力は圧倒的。聴くと疲れるが曲の本質をワシづかみにしている。音もまあまあ。おススメできる。

コリン・デービス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団


コンセルトヘボウの正面特等席の音響がする。うれしい。そのまま理想的なベートーベンができる音による春の祭典というバリューは絶大。オケは非常にうまい。デービスにしては意外なほど燃えてもいる。出た時に「いけにえの踊りで」妙な繰り返しがありのけぞったが修正された。誰でも安心して聴ける。


クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団
76年大学時代にLP新譜発表プロモーション会場で抽選に当たりもらった。懐かしい。しかし演奏も録音も平板で実につまらない。アバドの名前にだまされて買わないこと。

ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団
ウサイン・ボルトが予選でテキトーに流して10秒09という感じのお仕事。大味で細部はええ加減である。ショルティの名前にだまされて買わないこと。

ズビン・メータ/ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団


インドの星だった若きメータ。春の兆しのスピード感に「ほほう、これは速い」と柴田南雄さんがラジオでつぶやいたのを覚えている。最期まで勢いがありオケがのっている。打楽器のリズム感、とてもいい。おじさんも若返る快感あり。おススメ。

ピエール・ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団


63年録音。音が古い。 オケの精度は高くない。勢いで押す部分があり熱さもあるのはまだ若い感じ。69年盤があれば不要。

ピエール・ブーレーズ/クリーブランド管弦楽団


DGの91年録音盤。これだけ聴けば名演。音は69年盤よりまったりして角が取れている。しかしあれを知ってしまうと指揮は好々爺にしか聞こえない。ブルックナー路線はこの辺から引かれていたかもしれない。69年盤があれば不要。

エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団


ストラビンスキーの1歳下だったアンセルメは1883年生まれ。ローザンヌ大学数学科の教授から転身した。彼らが生まれた頃に亡くなったボロディンは有機窒素の定量法を発見した化学者で、作曲は余技だった。この時代の音楽家は音大卒の専門家ではない。そういう時代の息吹を感じるオケ。とても下手である。アンセルメの録音は2種類あるが、どちらもトモダチだった作曲家に意見してスコアを直させたものが聴ける。作曲家はそれをまた直して現行版になった。火の鳥組曲1919年版のように著作権料狙いだったかどうかは知らない。これはフォロ・ロマーノだ。遺跡として訪問価値がある。

ストラヴィンスキー / コロンビア交響楽団


60年録音。先ほどじっくり聴いて、ブーレーズ69年盤はこれを下敷きにしたと聴こえた。ほぼ間違いないと思う。当たり前だが秀でたスコアリーディングであり、このスコアを音にすればこうなり、ブーレーズのようになるのだ(練習番号144の直前の16分の3拍子が16分の2に近い!)。違いはオケの運動神経ということになるが、アマチュアの指揮なのだから仕方ない。大変耳をそばだてるものを含む演奏であり、なるほどそうなのかと目から鱗の部分が続出するが、それらを圧倒的高みで洗練させ厚みを増しストリームラインしたのがブーレーズ/ クリーブランド盤の実体であるといっていい。これをつまらないと思う人は要するにこの曲がよくわかっていないのであり、よりわかりやすいブーレーズ盤をじっくり聴くことをお薦めする。

ヴァレリー・ゲルギエフ / ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

Valery Gergiev conducts Stravinsky Rite of Spring – video 1992


96年録音。この曲がポップ化し始めた頃を象徴する演奏で、指揮者は人口に膾炙する部分の誇張、拡大解釈につとめ、それがあたかも何か新時代の息吹を革新的な感性で表現したかのようにふるまう。その感性がじっとりとロマン的なものだから曲の神秘的な本質を逸脱していくばかりなのは悲劇的ですらある。聴きとおすのに苦労した。

エヴゲニ・スヴェトラーノフ/ ソビエト国立交響楽団


66年録音。録音はクラリティが高く木管の色気は好感が持てる。「ブーレーズ以前」にしてこのスコアリーディングはレベルが高く、オケの運動能力もすぐれている。ただ金管の咆哮があまりにうるさい。ロシアを去りパリで初演を目論んだ時点で作曲家の頭にこのロシアの下品極まる金管があったとは思わない。練習番号84のミュート・トランペットはまるでジャズの音色で笑ってしまう。第2部前半の神秘感はまるでないが生贄の踊りのリズムは録音当時としては見事である。

ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団
55年モノラル録音。最も早い時期であり、オーマンディーの読譜力の凄さを見る。作曲家は貶したらしいがディズニーが使ったストコフスキー盤の印税はどうだったのだろう。彼は火の鳥1919年盤をそれで作ったくらいカネにうるさかった。まあ「春のロンド」はなんぼなんでも速すぎるし純粋に解釈が気に食わなかった可能性もある。味もそっけもないがこの演奏能力は文句なし。こんな国と戦争してはいけない。

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


77年録音(2回目)。冒頭のファゴットとホルンのリズムからいい加減。バスが効き木管は歌いまくり、総じて和声的、歌謡的要素に感応度が高い。速い部分のメカニックは高度ながらBPOのホルンが音を外す珍しい場面も。第2部序奏は異様にロマン的だ。87−88は和音が異質に聞こえ気持ちが悪く、11連打の減速はマゼールに近い。生贄の踊りの固めのティンパニはなかなか良い。174以降でピッコロ・ティンパニのパートをこれほど強く叩くのも珍しい。僕の耳にはレア物として面白いが一般には色モノの部類だろう。

(補遺)
シェーンベルク: 5つの管弦楽曲 作品16 (1912年版) ラトル, バーミンガム 1987, 88


この音楽は1909年に作曲され1912年9月3日(春の祭典の初演前年)にロンドンで初演された。アーノルド・シェーンベルクの「管弦楽のための5つの小品」(作品16)である。ストラヴィンスキーがこれを聴いていた可能性はないだろうか。

第3曲「色彩」を特徴づける要素を祭典のスコアから引き出したのがブーレーズだ。

(演奏・補遺 2月15日〜)
ウィリアム・ファン・オッテルロー / シドニー交響楽団
youtubeで一聴して惹きつけられた。オケの性能はA+クラスだが何よりオッテルローのスコアリーディングが深い。指揮者の耳の良さは音楽に聴き捨てならぬオーラを与えるのである。この曲の野性的側面を充足する運動神経の良さと多彩な楽器の倍音を含むカラリングがうまく調合された魅力的な演奏だ。ティンパニひとつとってもそれが明確。78年録音。彼は同年にメルボルンで事故死したが、シドニーオペラで振った最後の作品が春の祭典だった。

ハンス・シュミット・イッセルシュテット / 北ドイツ放送交響楽団
69年ハンブルグでのライブ(ステレオ)。ブーレーズ前の演奏だが、ティンパニ11連打が遅いぐらいでほとんど全曲違和感がない。ドイツもののイメージのイッセルシュテットだがストラヴィンスキーとは友人で得意としていたらしい。生贄の踊りで一ヵ所バスドラにミスか覚え違いがあるが、これだけできれば当時としては立派としかいえない。彼の手によると三楽章の交響曲(名演だ)が春の祭典と同質の音楽に聞こえるのが面白い。

ネーメ・ヤルヴィ / スイス・ロマンド管弦楽団

Stravinsky , The rite of spring (Le sacre du printemps) Conductor : Paavo Järvi


SROの管による第1部序奏の木管の協奏は良し。春の兆し、なんぼなんでも遅すぎ減点。ロンドのクラの装飾音符が全音低い。バスドラは全然聞こえず減点。第2部の序奏は速めであっさり進行、クラリネットの上昇アルペジオにフルート和音が乗る部分は印象派風で美しい。11連打になんとアッチェレランドがかかり唖然とすると選ばれた乙女は快速でぶっ飛ばす。いけにえはティンパニがいきなり妙な所に鳴り驚くが、大いに暴れまくり大迫力だ。バスドラが欠落したりするが追い込みは盛り上がる。このCDはこれより次のカンティクム・サクルムがききものだ。第2曲はストラヴィンスキーが初めて音列作法で作った楽章で抜群に面白い。ヤルヴィの強烈なオケの統率力がわかる。

ズデニェック・コシュラー / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


これは僕の知る音源でトップ5入に入る名演である。まずCPOがCPOの音で鳴っている。冒頭のファゴットをはじめ歌う木管、金管は強力だがブラッシーにすぎず節度があり弦はくすんで木質であり、プラハの芸術家の家であたかもベートーベンをやるかのような美しいマストーンと残響で録音されている。そうかと思えば、細部に耳を凝らすとティンパニの音程にこんなに神経を使ったのはブーレーズCBSと双璧であり、春のロンドと第2部序奏のグランカッサの扱いもブーレーズCBSのコンセプトに似る。演奏は概して速めでドラティ旧盤に近く、慣れてない金管がやや危ない(第1部終結)が、この胃にもたれないアレグロの軽さは好ましい。練習番号114のティンパニがこんなに聞こえるのはなく、生贄の踊りの明瞭な短3度などもはや感涙ものだ。繰り返しで半音下がるが、明らかに違う太鼓を叩いておりもちろん音質も違うわけで、eの太鼓の皮の質感が微妙にやわらかいところなどマニア垂涎のご馳走である。この演奏の唯一のリザベーションは練習番号121が遅いことだが良しとしたい。生贄の踊りのリズムが最近の物に比べると弦楽器奏者一人ひとりレベルでまだぎこちないが、1979年時点のチェコ・フィルでここまでの整然としたアンサンブルを構築したコシュラーの指揮技術は高い。これをヘッドホンでじっと聴くのは最高の楽しみだ。

(補遺、10 June17)
エーリヒ・ラインスドルフ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


ラインスドルフがフィラデルフィア管弦楽団を振ったのは1983年だった。音楽よりも彼の両肘を張ったぎくしゃくしたロボットのような指揮姿の方が印象に残っている。LPOとのレコードは「20chマルチ録音を4トラックに収録するフェイズ4ステレオ録音」というふれこみであり、期待して買ったが音としては別に大したことはなかった。それがこれだ。


ルドルフ・アルベルト / チェント・ソリ管弦楽団
この1956年、パリのサレ・ワグラムで行われた録音を聴きなおして、やはりブーレーズCBS盤のコンセプトに非常に近似していることに気づいた。全曲の演奏時間は50秒しか違わない。アルベルトはフランクフルト生まれのドイツ人だがイヴォンヌ・ロリオ、ドメーヌ・ムジークと録音を多くしておりメシアン、ブーレーズのフレンチ・スクールと近かった。チェント・ソリ管はパリ管などパリの首席級の録音用オケであり、バレエ・ルッスの本拠地でストラヴィンスキーも交えて直伝の解釈をベースに共有された当曲の楽曲解釈が1956年には既に整えられており、そこから現れたのが上掲のレイボヴィッツ盤であり、集大成としてのブーレーズCBS盤であったと推測する。当曲のフランスの管による色彩は異色で興味深く、演奏のインパクトも強烈だ。アルベルトは古典派、ロマン派と録音を残したがどれも一聴に値する解釈であり、当盤も春の祭典マニアたる者必携であろう。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/09/29/ストラヴィンスキー%E3%80%80春の祭典/




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c1
[近代史3] ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
ドビュッシー ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」歌劇「ペレアスとメリザンド」


Claude Debussy “Pelléas et Mélisande” (Colette Alliot-Lugaz & Charles Dutoit)


Colette Alliot-Lugaz [Mélisande]
Didier Henry [Pelléas]
Gilles Cachemaille (bass) [Golaud]
Pierre Thau [Arkel]
Claudine Carlson [Geneviève]
Françoise Golfier [Yniold]
Phillip Ens [Un berger, Un médecin]


Chours de l'Orchestre symphonique de Montréal [Marins en coulisse, servantes mendiants] Orchestre symphonique de Montréal


Charles Dutoit, conductor


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Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1


1962, live
Désiré-Émile Inghelbrecht
Orchestre National de la Radiodiffusion Française


PELLEAS Jacques JANSEN
MELISANDE Micheline GRANCHER
GENEVIEVE Solange MICHEL
YNIOLD François OGEAS
GOLAUD Michel ROUX
ARKEL André VESSIÈRES
LE MEDECIN Marcel VIGNERON


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"Pelléas et Mélisande" - Paris, 1955 under the direction of Désiré-Émile Inghelbrecht


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Debussy / Pelléas et Mélisande - Karajan in Vienna (1962) Artificial Stereo & Pitch-Corrected





Karajan in Vienna 1962, Live


Hilde Güden – Mélisande
Henri Gui – Pelléas
Eberhard Waechter – Golaud
Nicola Zaccaria – King Arkel
Elisabeth Höngen – Genevieve
Adriana Martino – Yniold


Chorus and Orchestra of the Vienna State Opera
Cond.: Herbert von Karajan


Vienna State Opera, 6 January 1962, Premiere


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5幕の抒情劇『ペレアスとメリザンド』(仏語:Pelléas et Mélisande)は、クロード・ドビュッシーが完成させた唯一のオペラである(初期や晩年のその他のオペラの遺稿は、後世に補筆されている)。


台本には、著名な象徴派の詩人モーリス・メーテルリンクの同名の戯曲『ペレアスとメリザンド』が、ほぼそのままの形で用いられている。


1893年に着手され、1895年に一時中断されたものの、1901年に作曲を終え、1902年にオーケストレーションと最終的な改訂を済ませた。1902年4月30日にパリのオペラ=コミック座でアンドレ・メサジェの指揮により初演された。日本初演は1958年(昭和33年)11月28日、東京・産経ホールにおいて古沢淑子ほかのソロ、ジャック・ジャンセンの演出、ジャン・フルネ指揮日本フィルハーモニー交響楽団によって実現した[1]。


『ペレアスとメリザンド』は、王太子ゴローの弟ペレアスと王太子妃メリザンドによる禁断の恋の物語である。本作の録音は数多く、定期的に上演されているが、オペラ愛好家の間でも、必ずしもすぐに理解できるような作品であるとは見なされていない。しばしば印象主義音楽のオペラと呼ばれるが、しかしこのような皮相な見方は、ドビュッシー自身が遺した解題に楯突くものである。


旋律法はムソルグスキーの影響を受け、伝統的なアリアとレチタティーヴォの分離が避けられ、両者が融合されている。つまりフランス語の抑揚の変化がそのままピッチとリズムの変化に置き換えられているため、歌うというより語るような旋律となっており、伝統的な意味での旋律的な要素は目立たなくなっている。しかしこのようなドビュッシーの旋律概念の再発見(もしくは革新)は、その後のシェーンベルクのシュプレッヒゲザングや、ヤナーチェクやバルトークの旋律法(パルランド様式)にも明瞭な影響を与えている。
なお、第3幕第1場でメリザンドが歌う唯一のアリア的部分(ただし管弦楽は沈黙しア・カペラ独唱)は、このオペラでは「私は日曜の正午の生まれ」という歌詞が付いているが、これはメーテルリンクの戯曲では初版にのみ載っていたものであり、次版以降は「3人の盲目の姉妹」という歌詞に改訂されている。フォーレとシベリウスの劇音楽はこの改訂版に基づいている。


メシアンは自著で、このオペラの第1幕第1場12小節に現れる、I度長調の主和音上にVII度長調の主和音を重ねた和音を『ペレアスの和音』と呼び、自身の楽曲分析に応用している。


登場人物


主役


王太子ゴロー Golaud - バリトン
メリザンド(ゴローの后) Mélisande - ソプラノ
ペレアス(ゴローの異父弟) Pelléas - テノール または バリトン


脇役


老王アルケル(ゴローとペレアスの祖父) Arkël - バス
ジュヌヴィエーヴ(ゴローとペレアスの母) Geneviève - メゾソプラノ
ゴローの息子イニョルド(先妻との子) Yniold - メゾソプラノ(ボーイソプラノが演ずることもある)
端役
医師 - バス
牧童 - バリトン
侍女 - 無言
3人の物乞い - 無言
舞台袖の水兵たち - 合唱


楽器編成
通常の3管編成


評価


ドビュッシーにとって10年越しのオペラであり、しかもそれがワーグナーへのアンチテーゼであることはそれ以前の音楽雑誌などでたびたび語られており、パリ楽壇は満を持してこのオペラに注目していた。1896年にメーテルリンクの原作戯曲を元にロンドン公演を行うパトリック・キャンベルは、既に作曲された断片による付随音楽式の上演をドビュッシーに打診したが、ドビュッシーは完成されたオペラとしての上演にこだわりこれを拒否、代わりにフォーレがこのときの劇音楽を担当している。


オペラ・コミックでないにもかかわらずこのオペラが国立オペラ座(ガルニエ宮)ではなくオペラ=コミック座で初演されたのは、古い伝統様式であるグランド・オペラへのこだわりを初めとする国立オペラ座の悪しき旧体制をドビュッシーが避けたためである。

しかし、音楽とはまったく別の意味でのスキャンダルは発生した。それはオペラ=コミック座での上演決定後、原作者であるメーテルリンクが、歌手である愛人のジョルジェット・ルブラン(モーリス・ルブランの妹)をメリザンド役に推薦したことによるものだった。ドビュッシーはその提案に賛同できなかったものの、原作者に対して明確な拒否を伝えないまま、イギリス人歌手であるメアリー・ガーデンを主役に起用した。これに憤慨したメーテルリンクは上演に反対すると脅しをかけ、さらに著作家協会の調停に持ち込み、以前メーテルリンクがドビュッシー宛に送った改変許可の手紙(1895年10月19日付)は白紙委任状ではないと主張した。だが結局メーテルリンク側の主張は協会によって退けられた。収まりのつかないメーテルリンクは、その後もドビュッシー家に乗り込んで作曲家に暴行を加えようと企んだり、また『フィガロ』紙上でオペラを弾劾し、「即座で派手な失敗を望む」と書いた公開状を掲載(1902年4月13日)した[2]。


初演に先立つゲネプロ当日(4月28日)には、劇場入り口でからかい半分の説明が書かれたプログラムが配られ、第2幕第2場でメリザンドの「ああ、私は幸せではない」と歌うガーデンの英語なまりのフランス語に嘲笑や野次が浴びせられるなど、騒然としたものとなった。だが、音楽的な評価においてはその新しい作曲語法にもかかわらず極めて好評で、2日後の初演時には聴衆の音楽的拒否は全く発生しなかった[3]。

ワーグナーからの脱却を試みたオペラであると言われるが、一方である旋律が登場人物やその心情などを表すライトモティーフ的使用や、明確なアリアなどを持たず1幕を交響曲の一つの楽章のように流動的なものとして扱うなど、作曲語法的な面ではワーグナーの影響は大きい。しかし大仰な節回しやライトモティーフの乱用による過度に説明的な音楽は極力避けられ(例えばペレアスが愛の告白をする場面では管弦楽は沈黙し、レ・シ♭でJe t'aimeとたったの2音のみである。ドビュッシーは「もしワーグナーだったらここで長大なアリアが出てくるだろう」と述べており、特に『トリスタンとイゾルデ』へのアンチテーゼが見て取れる)、美学的見地においては明らかに新境地の開拓に成功している。

この『ペレアス』によってドビュッシーの「印象主義音楽」的評価が確立したと言っても良い。しかしこのオペラの筋書きはむしろ始まりと終わりの明確な印象を持たない象徴主義的なテクストであり、またドビュッシー自身は印象主義という言葉を必ずしも好まなかった。ドビュッシーの美学は同時代の絵画的印象よりもむしろ彼と交友のあったピエール・ルイスやステファヌ・マラルメといった文学にこそ近いものであった。


これ以降ドビュッシーの作風はあきらかに変化し、例えばピアノ曲や歌曲においてもそれまでの前世紀末的印象が強いサロン用小品から、より芸術的に思慮深い作品群へと成長していく。

『ペレアス』初演からわずか3年後の1905年、ドビュッシーは交響詩『海』を発表するが、『ペレアス』とのあまりの作風の違いとまたもや私的スキャンダル(エンマ・バルダックとの再婚と前妻リリー・テクジェの自殺未遂)によって不評を買う。このとき既にドビュッシーにとっては『ペレアス』の作曲を始めた1893年から作風の変化を遂げているのはむしろ当然であった。

オリヴィエ・メシアンは少年時代のクリスマス・プレゼントに『ペレアス』の楽譜を貰って以来この曲に夢中になり、その作風に多大な影響を与えた。後年パリ音楽院で受け持った楽曲分析のクラスでは、ペレアスの詳細な分析を取り上げた。この授業に関する文書はアルフォンス・ルデュック(Alphonce Leduc)社から全7巻で出版されているメシアン遺稿集に収録されている。旋法構成などごく一部は「わが音楽語法」にも掲載されている。


その他


ポール・デュカスのオペラ『アリアーヌと青髭』(台本は同じくメーテルリンク、ペローの童話『青ひげ』に基づく)では、青髭公に幽閉された5人の妾のうちメリザンドと名乗る女性が登場し、主役の女性アリアーヌがメリザンドの髪を誉めるという台詞がある。これはもちろん『ペレアスとメリザンド』第3幕においてメリザンドが塔から長い髪を垂らすシーンを意識した言わばパロディであり、そして『ペレアス』冒頭においてメリザンドが「遠いところから逃げてきた、途中で冠を落としてしまった」という台詞に繋がり、アリアーヌと同様メリザンドも青髭公の城から逃げてきたと思わせるようになっている。デュカスにとってこれは直接のメーテルリンクの戯曲への賛辞ではなく、むしろデュカスの少年時代からの親友であるドビュッシーへの賛辞と言える。なお『アリアーヌ』の初演は『ペレアス』でドビュッシーとメーテルリンクとの対立の原因となったその妻ジョルジェット・ルブラン=メーテルランクが主役を担当した。


演奏会用作品(管弦楽のみで声楽なし)として、「『ペレアスとメリザンド』による交響曲」と題する複数の編曲作品がある。アンドレ・メサジェによるものは3楽章構成、マリウス・コンスタンによるものは単一楽章である。ともにいくつかのCDが市販されている。
ドビュッシーは娘の夭折により直接の子孫は途絶えているが、親類の家系のうち4世代後(従兄弟の曾孫に当たる)は「ペレアス・ドビュッシー」と名付けられている(サン=ジェルマン=アン=レーにあるドビュッシー博物館に展示された家系図で確認できる)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペレアスとメリザンド_(ドビュッシー)



『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande )は、ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲。フランス語で書かれ、1892年にブリュッセルで出版された後、翌1893年にパリで初演[1]された。


登場人物


主役

メリザンド(ゴローの后) Mélisande
ペレアス(ゴローの異父弟) Pelléas
王太子ゴロー Golaud


脇役

老王アルケル(ゴローとペレアスの祖父) Arkël
ジュヌヴィエーヴ(ゴローとペレアスの母) Geneviève
ゴローの息子イニョルド(先妻との子) Yniold
端役
医師
牧童
侍女
3人の物乞い
舞台袖の水兵たち



舞台設定
時代:中世ヨーロッパ
場所:アルモンド王国(ドイツを意味する仏語「アルマーニュ」+世界を意味する仏語「モンド」の合成語)


第1幕


男寡でもう若くないアルモンド王国の王太子ゴローは、日の暮れた森の中で道に迷ううちに、長い髪の若く美しい女性が泣いているのを見つける。素性を尋ねるがメリザンドという名前、遠くから来たこと、冠をつけていてそれを水の中に落としたこと以外ははっきりしたことは判らずただ泣くのみである。ゴローはメリザンドを連れ帰る。数日後ゴローはメリザンドを妻にし、許しを得られたら塔の光で知らせるよう、もし願いが適わなければメリザンドを連れて王国を去ることを祖父の老王アルケルに手紙で告げ、目の衰えたアルケルに代わってジュヌヴィエーヴが代読する。やがて王国の城に来たメリザンドはジュヌヴィエーヴに連れられて暗い城の中を案内され、ゴローの弟で若き王子ペレアスと知り合う。城の塔の外から不吉な水兵の歌が聞こえる。



第2幕


打ち解けたペレアスとメリザンドの二人は城の庭にある「盲の泉」でじゃれて遊ぶ。「この泉はかつて盲人の目を開いた奇跡の泉と言われたが、老王アルケルが盲目同然となってからは訪れる人もほとんどいない」とペレアスは言う。メリザンドはゴローからもらった結婚指輪をもてあそぶ内にそれを泉の底へ落としてしまう。ペレアスは「落とした時に正午の鐘が鳴っていたのでもう遅くなるから帰ろう」とメリザンドを諭す。その晩ゴローは狩で落馬し負傷して担ぎ込まれる。メリザンドが指輪をしていないことに気づいたゴローは激怒するが、メリザンドは「海辺で落とした」と嘘をついてしまう。ゴローはメリザンドにペレアスを同伴させて海辺を探すことを命じる。夜の海辺でペレアスとメリザンドは乞食たちを見つけ、ペレアスは「この国に飢餓が迫っている」ことをメリザンドに説明する。



第3幕


夜に城の塔の上でメリザンドが「三人の盲いた王女」(初版では「私は日曜の正午の生まれ」、ドビュッシーはこちらを採用。フォーレとシベリウスは前者)を歌いながら髪を梳かしているとペレアスがやってくる。ペレアスとメリザンドはお互い手を伸ばし触れようとするが、メリザンドの手が届かない代わりに彼女の背丈よりも長い髪が塔を伝って落ちてくる。ペレアスはそれを掻き抱き狂喜する。しかしその場をゴローに見つかりたしなめられる。翌日ゴローはペレアスを深い洞窟に連れて行き、底なしの沼を見せる。外に出た後でゴローはペレアスにメリザンドの妊娠を告げ、刺激を与えぬようあまり彼女に近づかないようにと警告する。しかしまたその晩ゴローが先妻の子イニョルドを連れてメリザンドの寝室の中を肩車で見せると、イニョルドはペレアスが彼女と一緒にいる事をゴローに告げるのだった。


第4幕


ペレアスは明日遠くへ旅立つつもりで、その前に今晩泉で夜会いたいとメリザンドに告げる。老王アルケルがメリザンドと話しているとゴローがやってきてメリザンドをなじり、その髪を引きずり回して呪いの言葉をかける。アルケルが制止してゴローは部屋を出て行くが、メリザンドはもうゴローを愛していないことをアルケルに話す。夕方イニョルドが遊んでいると羊飼いが遠くへ去るのを見かける。夜になり、泉で待つペレアスの元にメリザンドが現れる。愛の告白をするペレアス、私も好きだと答えるメリザンド。木陰の闇で抱き合う二人、その束の間ゴローが現れ剣を抜く。ペレアスは剣を持っておらず抵抗できない。斬られる寸前までキスを求める二人を無言で襲うゴロー。ペレアスは死に、メリザンドも傷を負い逃げ惑う。



第5幕


召使によってメリザンドが「小鳥でも死なない小さな傷」によって瀕死の状態にあること、そのショックで小さな赤子を産み落としたことを噂し合う(ドビュッシーのオペラではこの部分を過剰な説明として削除している)。医者に看取られ死を待つのみで横たわるメリザンドに、ゴローは悔恨にくれつつも、ペレアスとの不義理の有無を問い続ける。しかしすでにメリザンドは黄泉の国へ旅立つ際であり、「許さなければないようなことは、思い浮かばない」などと受け答えは要領を得ない。別室へ下がったゴローをアルケルが慰め諭している最中、メリザンドは誰にも看取られず、一人静かに息を引き取る。泣き崩れるゴローにアルケルは「今度はあれが生きる番だ」と小さな赤子を見せ、静かに幕が下りる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペレアスとメリザンド




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

[近代史3] ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」 中川隆
1. 中川隆[-14304] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:18:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1201]
ドビッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」2014 MAR 3 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/


大学の第2外国語はドイツ語だったが深い理由はない。なんとなくだ。フランス語にすればよかったと思う時が今でもある。パリのレストランでフランス語だけのメニューがでてきた時と、フランスオペラを聴くときだ。まてよ、女性のフランス語が京都弁と似て色っぽくていいという下世話な動機もあったりするかな。

フランス語のオペラというと、なんといってもドビッシーの「ペレアスとメリザンド」、そしてけっこう忘れてるが、ビゼーの「カルメン」「真珠とり」、グノーの「ファウスト」、オッフェンバックの「ホフマン物語」、マスネの「ウェルテル」と「マノン」と「タイス」、サン・サーンスの「サムソンとデリラ」、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」、ラヴェルの「子どもと呪文」「スペインの時」ぐらいは聴いたんじゃないだろうか。

カルメンをイタリア語や日本語でやれば、変ではあるが慣れれば聴けるだろう。しかし「ペレアスとメリザンド」はそれができない。なぜなら管弦楽にフランス語が「縫い込まれている」(woven)からだ。オーケストラに声楽が「乗っかる」のが普通のオペラである。独り舞台になるアリアというのがその典型的場面であって、そこだけは「カラヤンとベルリンフィル」でも「ダン池田とニューブリード」でもおんなじ。ズンチャチャの伴奏楽団になり下がる場面でもあるのだ。モーツァルト作品をのぞくとこれは僕には耐えがたい。

そのアリアとレチタティーヴォの安っぽさに気づいてくれたのがワーグナーだ。
どういうことか?

アリアは管弦楽の生地の上に声がステッチ(stitch)された、いわゆる「アップリケ」だ。それだけが目立つ。

「うわー、*子ちゃんのスカート、キレイなお花だね」なんて。キレイなのはお花だけなの?ってスカートを縫ったお母さんは思わないのだろうか。そう思ったのがワーグナーなのだ。ええいっ、布の生地にお花も縫い込んでしてしまえ、ということにだんだんなってきて、それが最も成功したのが「トリスタンとイゾルデ」である。

トリスタンというのはリングみたいな大管弦楽は使わない。彼としては古典的な方だ。もちろんアップリケなし。生地もけばけばしい柄ではなくしっとりした布地の質感で仕上がった逸品である。その質感を紡いでいるのは「解決しない和声」であり、最も特徴的である「トリスタン和声」と呼ばれる4音は、彼を師と仰ぐブルックナーが第9交響曲のスケルツォ開始に使い、トリスタンを全曲記憶していたドビッシーはメリザンドが死んだあとオペラをその構成音のアルペジオを嬰ハ長調に解決して見せて締めくくった。

ドビッシーが「反ワーグナー」でトリスタンに対立するオペラとしてペレアスを書いたというのが通説だが僕はそうは思わない。ペレアスはトリスタンを強く意識して、その強い影響のもとに書かれ、しかしドビッシーの強い和声の個性とフランス語特有のディクションの故にトリスタンとは違うものになったオペラなのである。
ワーグナーはアリア(歌)をオーケストラに縫い込む(weave)ことに成功したが、そこまでだ。ドビッシーはもう一歩すすめて、歌だけでなく「フランス語の語感」までweaveすることに成功した、その意味でペレアスとメリザンドは革新的なオペラであり、ストラヴィンスキーの「結婚」、シェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」への道を開いた作品でもある。

ついでだが、この路線を最もストレートにいったのがヤナーチェックである。僕がチェコ語やフランス語をわかるわけではないが、音として認識でできる両言語の発音、アクセント、抑揚、ニュアンスが音楽にweaveされているオペラという点において彼とドビッシーは双璧だと思う。どちらもヴィオラやフルートのちょっとした断片のようなフレーズがフランス語やチェコ語に聞こえてくる。それは協奏曲の独奏楽器がヴァイオリンかトランペットかによって曲想まで変わってくるだろうというのと同じ意味において、リブレットがフランス語やチェコ語だから作曲家はこのメロディーを書いただろうという推定に何度も心の中でうなずきながら聴くオペラに仕上がっているということを言っている。

僕は「フィガロの結婚」や「後宮からの誘拐」を日本語で聴いたことがあるが、どうしてもいやだということもなかった。台本がイタリア語の前者とドイツ語の後者で、言語と音楽が抜き差しならぬ関係にあってぜんぜん違うタイプの音楽に出来上がっているという感じはない。何語であってもモーツァルトはモーツァルトの音楽を書くことができ、それが日本語で聴こえてきても、やっぱりモーツァルトになるという性質の音楽なのだ。ところがここでのドビッシーはフランス語の質感、もっといえば、そういうしゃべり方、歌い方をする女性のタイプまで限定して音を書いている。

僕はカルメンはもちろん、ミミや蝶々さんあたりまでは声量重視、リアリティ無視のキャスティング、ズバリ言えば体格の立派なソプラノであってもOKである。子供であるヘンゼルやグレーテルですらぎりぎりセーフだからストライクゾーンは広めだ。しかしメリザンドだけは無理だ。これはどうしようもない。舞台設定や化粧の具合でどうなるものでもなく、音楽が拒絶してしまうからだ。ここがイゾルデと決定的に違う、つまりドビッシーが意図してワーグナーと袂を分かった点だ。

僕はドイツで何回も、スカラ座でも、トリスタンを観たがイゾルデに色っぽさを感じたことがない。というよりも、感じるようなタイプの人が歌えない性質の音楽をワーグナーはこの役に書いているのだ。ではメリザンド。こっちはどうだろう?

「ペレアスとメリザンド」はドビッシーが「青い鳥」で有名なメーテルリンクの戯曲を台本として1893年に第1稿を完成した彼の唯一のオペラである。「牧神の午後への前奏曲」とほぼ同時期に着想し完成は少しあと、交響詩「海」を作曲するよりは少し前の作品だ。戯曲の筋は一見なんということもない王族の不倫物語なのだが、細かくたどっていくと不思議の国のアリスなみにファジーである。肝心なところがぼかされているのだが、詩的というのも違う。おとぎ話かと思いきや血のにおいや死臭が漂い、人間の残忍さ、欲望や嘘に満ちている。それでいて、いよいよリアリズムに向かうかなという瞬間になって、いいところで画面にさっと「擦りガラス」のボカシが入る。そんな感じなのである。

筋はこうだ。

中世の国アルモンド王国皇子のゴローが森の中で泣いている女を見つけ城に連れ帰って妻にする。メリザンドという素性も得体も知れぬ若い女であった。ところが女はゴローの異父弟ペレアスといい仲になってしまい、嫉妬した兄は弟を刺し殺してしまう。傷を負った女も子供を生み落して静かに死んでいく。

このメリザンドという女が何を考えているのかさっぱりわかないネコ科の不思議娘 なのである。それでいてペレアスが「嘘ついてない?」ときくと「嘘はあなたのお兄さんにだけよ」なんて機転のきいた嘘をついたりもする。兄弟はかわいそうなぐらいにメロメロになってしまうのである。

娘が泉の精かなにかで音楽がメルヘン仕立てかというとそうではない。女の醸し出すえもいえぬフェロモンの虜になる弟、密会を知って殺意を抱く兄。メリザンドは妖精ではなく生身の女であることは、塔の上から長い髪を垂らして弟が陶然として触れる艶めかしいシーンで実感させられる。

しかし音楽はロマンティックになることは一切ない。すべてが薄明の霧の中での出来事であったかのようにうっすらと幻想のベールをかぶっている。

「見かけはそう」という図式が次々と意味深長に裏切られる。恋でも憎悪でも死でもなく、時々刻々と万華鏡のように移ろうアルモンド王国の情景とはかない運命にドビュッシーは音楽をつけているのである。

武闘派で肉食系の兄ゴロー、草食アイドル系の弟ペレアス。メリザンドが選ぶのは弟であり、一見お似合いのカップルだ。これは「ダフニスとクロエ」対「醜いドルコン」の構図であり、美男美女カップルの勝利でハッピーエンドというのが定石だ。

ところがここでは美男のダフニスがあっさりとドルコンに刺し殺されてしまう。おとぎ話ではないのだ。

では何か?

「トリスタンとイゾルデ」というのがその答えだろう。
ゴローがマルケ王(叔父)、ペレアスがトリスタン(甥)ではないか。
不倫カップルが死んでしまうのも同じだがお騒がせ女が王族の運命を滅茶苦茶にしてしまう顛末はこれも同じである。

「X(男)とY(女)」のタイトルにもいろいろあるが、実生活でもマティルデ・ヴェーゼンドンクと不倫中だったワーグナー、やはり不倫で前妻が自殺未遂するドビッシー。ワーグナーは延々と女に歌わせドビュッシーは女を死の床に横たえてオペラを閉じている。ご両人とも眼中にあったのは女だったのだ。

メリザンドの死のシーンはラ・ボエームに影響を感じるが、ボエームの主人公がミミであったように「ペレアスとメリザンド」とはいいつつもペレアスは添え物であり、やはり主役はメリザンドなのである。

メリザンドを誰が歌っているかこそこの曲の鑑賞の要になることはご理解いただけるだろうか。

「ペレアスとメリザンド」を「王族(ゴロー)の悲劇」と解釈するか「不思議娘の幻想 物語」と解釈するか。これは趣味の問題だがご両人の作曲当時ののっぴきならぬ私生活状況を鑑みるに、僕はどうしても後者として聴いてしまう。

例えば初めて買った演奏はやはりピエール・ブーレーズのロイヤル・オペラハウスとのLP(右)だが、これは王族悲劇でも幻想 物語でもなく中性的なものだ。
エリーザベト・ゼーダーシュトレームのメリザンドはまじめ娘でフェロモン不足。これじゃあ兄弟は狂わないわな。はっきり書いてしまおう、あまり面白くない。


Debussy Pelleas et Melisande Pierre Boulez



このクールな演奏に僕が負うのは、ぜんぜん別なことだ。ペレアスの音楽史上の影響についてである。多くの人がそれに言及しているがどこまで具体的証拠に基づいてそう言っているのだろう。僕は自分で確認したことしか信用しないので、この演奏から自分の耳で気付いたことだけ列挙してみよう。

第4幕のイニョルデのシーンはほぼ直前に作曲されたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の音がする。

第1幕は「ラインの黄金」「ローマの泉」、ラヴェル「ソナチネ」、
同第3場と第3幕には「ペトルーシュカ」、
第5幕は「弦チェレ」「パルシファル」、「中央アジアの草原にて」、
第2幕で指輪を泉に落とした後に「パリのアメリカ人」

など書けばきりがない。

自作は「聖セバスチャンの殉教」、「ピアノのために第2曲サラバンド」、「牧神」「海」などたくさん。

作曲時期が近いせいだろうか「海」と似ていると言っている人がけっこういるが、どう聴いてもそこまでは似ていない。オーボエに似たフレーズがあったりはするが、海はリアリズムに接近している音楽でありペレアスはそれとは遠い。

次に買ったのはこのCDだ。フランスのディスク・モンターニュ盤でデジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏である。メリザンドのミシェリーヌ・グランシェはちょっと上品なはすっぱだが悪くはない。ペレアスを十八番にしていたジャック・ジャンセンも若気のうぶな感じが出ている。オーケストラの合奏も初演の頃はこんなだったかというムードにあふれていて、これはお薦めできる。どっちかといわれれば「王族の悲劇」型だろう。普通にこのオペラをやればそうなるのがふつうだ。台本がそうなのだから。


Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1




ところが、その後、ついに普通ではない演奏に出会うこととなった。アルモンド王国を、このオペラを、指揮者もオーケストラをも振り回す不思議娘がとうとう現れたのである。食わず嫌いしていたそのカラヤン盤をある時に聴いて、まさに脳天に衝撃を受けたのを昨日のように思い出す。


Debussy / Pelléas et Mélisande - Karajan in Vienna (1962) Artificial Stereo & Pitch-Corrected
https://www.youtube.com/watch?v=Ex3onUVOUpA
https://www.youtube.com/watch?v=dNRztf10Tys
https://www.youtube.com/watch?v=5lSVmCT6Oa4
https://www.youtube.com/watch?v=--hni29DN5I
https://www.youtube.com/watch?v=EUilr2L6Axk


カラヤンのペレアス?何だそれは、というのが第一印象。ところが一聴してこれはペレアスの最高の名盤であり、カラヤンの数多あるディスクの中でも1,2を争う出来であり、20世紀のオペラ録音のうちでもトップ10には間違いなく入る名品であると確信。どこへ行ってもそう断言するようになってしまった。

何をおいてもフレデリカ・フォン・シュターデのメリザンドに尽きる。カラヤンは「ついに理想のメリザンドにめぐりあった」と語ったそうだが、不肖、不遜を顧みずまったく同じセリフをフレデリカさんに捧げたい。

降参!参りました。この色香とフェロモンで遊びごころいっぱいのくせに手を出すと不思議なまじめさでさっと逃げる。なんだこいつは?男は迷う。メッツォだから可愛いばかりでもない。急にオトナになってみたりもする。なんだこいつは?またまた男は迷う。

リチャード・スティルウェルは、なんでカラヤンがこんな草食系のペレアスを起用したんだと思うほど頼りないが、見事にメリザンドに食われて籠絡されているのを聴くとそういう配役だったかと納得する。
ゴローのホセ・ファン・ダムは当たり役だ。このオペラほぼ唯一のTuttiである恋の語らいとキスの場面、そこに背後から闖入して弟を刺し殺すシーンは圧巻であり、そんな罪を負ってしまうことになるメリザンドという不思議娘への愛憎の表現がリアルである。

年甲斐なくやはりメリザンドの色香に迷う親父アルケル役はルッジェロ・ライモンディだ。その貫録はメリザンドの死、メーテルリンクの戯曲の主題である静かな死の場面で舞台を圧する。ここをこんなに深みを持って歌った人を他に知らない。

そして忘れてはいけないのがカラヤンとベルリン・フィルの演奏だ。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは本名をカラヤノプーロスというギリシャ人の血筋でゲルマン人ではない。オーストリア出身のドイツ系指揮者としてレパートリーを築いてきたが、ラテン系の音楽に対する思いは強かったのではないか。僕は彼のラヴェル、ドビュッシーは評価しないが、歌の入った場合は違う。彼はやはりオペラハウスで育った人だ。声を縫い込んだ特異なオーケストラ曲であるペレアスでこそ彼は自分の究極の美意識を実現できたのではないか。

そうとしか考えようのない空前絶後といっていい絶美の管弦楽演奏はドラマの抑揚をなまめかしい生き物のように歌い上げ、シュターデの声といっしょにフェロモンを発している!

こんなオーケストラ演奏を僕は後にも先にも人生一度も耳にしたことはない。
それはカラヤンの解釈なのだが、数多ある彼の指揮でもベルリン・フィルがこれほど敬服して真摯に録音に残したということ自体が驚嘆に値する事実であり、これが聴けないとなったら僕は余生に不安になるしかない。それほどのものなのである、これは。

しかしである。やっぱり、この演奏の魅力はメリザンドなのだ。これに抵抗するのはとても困難である。僕はこのカラヤン盤を「不思議ちゃん幻想 物語」の最右翼として永遠に座右に置くことになるだろう。

(補遺)
アンセルメ/ スイス・ロマンド管弦楽団、ジュネーヴ大劇場合唱団による1964年録音は悪くない。




メリザンドのエルナ・スポーレンバーグはバーンスタイン / LSOおよびクーベリック/ BRSOのマーラー8番にも起用されており、アンゲルブレシュトがPOを振った録音のペレアスであるカミーユ・モラーヌと純情そうなお似合いのコンビを演じている。オケのフランス的な香りをDeccaの録音陣が良くとらえているのを評価したい。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html#c1
[近代史3] ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」 中川隆
2. 中川隆[-14303] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:21:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1200]
『ペレアスとメリザンド』全曲 
カラヤン」&ベルリン・フィル、シュターデ、スティルウェル、他(1978 ステレオ)(3CD)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3/dp/B00005GJV2

https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%EF%BC%881862-1918%EF%BC%89_000000000034577/item_%E3%80%8E%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%80%8D%EF%BC%86%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%80%81%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%98-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666107

・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲
 
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム
 アルケル:ルッジェーロ・ライモンディ
 ジュヌヴィエーヴ:ナディーヌ・ドゥニーズ
 イニョルデ:クリスティーヌ・バルボー
 羊飼い、医者、他:パスカル・トーマ
 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団(コーラス・マスター:ヴァルター・ハーゲン=グロル)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 録音時期:1978年12月
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
  録音方式:ステレオ(セッション)
 1999年デジタル・リマスタリング

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カラヤンのペレアスとメリザンド 2012-asyuracom-22
$ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求-ペレアスとメリザンド
カラヤンのドビュッシー「ペレアスとメリザンド」。
「サロメ」ではベーレンスを見出し、「ペレアス」ではシュターデが一躍世界の檜舞台に立つこととなりました。
このシュターデは、まず容姿と、もって生まれた気品。当盤の解説には
「楽譜が読めず、聴き覚えだ」
「大部分の時代をパリでセールスガールやパートタイムの秘書をつとめナンニーと呼ばれていた」。
それは美しい映像の残る現代のシンデレラ(チェネレントゥラ)にも似た伝説でした。広範なレパートリー、とりわけモーツァルトの諸役です。
「ペレアスとメリザンド」は最初、ワーグナーに耽溺したドビュッシーがそこから離れ、とりわけ「トリスタンとイゾルデ」のアンチテーゼがあります。
「ものごとを半ばまで言って、その夢にぼくの夢を接ぎ木させてくれるような詩人。時はいつ、所はどこと設定されない登場人物を構想し、《山場》を頭から押し付けたりせずに、ぼくが思い通りにそこここで彼以上の腕前を発揮したり、彼の作品を完成させたりするようまかせてくれる詩人」。
その詩人をついにメーテルランクに見出したドビュッシーは、その戯曲をほとんど改編せずにそのまま用いた上、音楽を豊穣に散りばめ、まさに夢が接ぎ木されています。
一方、フランス語の抑揚をそのままに、そのリズムに音楽が即応するような書き方は劇的な進行をさまたげずに、音楽と劇が一体になっているという利点の一方、事件らしい事件がおきないというフランス的なオペラの一つの特質そのもので、退屈を覚える向きもあるでしょう。
ある意味、20世紀オペラはペレアスにはじまり、かなりなハイブロウな作品です。しかし、本作は映像が少ないとはいえ、音盤が多くつくられ、そのどれもが特徴的な演奏史を刻み、そして知識人以上に大衆に支持されたオペラ。
そこにはアリアらしいものはなく、続くシュプレヒゲザングにつながる言葉そのものが魅力。ここに清浄を見出すと、まさに肌合いにぴったりと寄りそうな心地よさに包まれるのです。
シンボリズムに彩られわかりにくいのですが「不倫」がストーリーの一環です。
それはアンチテーゼとされた「トリスタンとイゾルデ」と同様の物語。
「恋はかけひきというが、かけひきのない恋とは何か?」というなぞなぞに対し、答えは「幼い(押さない)恋」。
ここでペレアスとメリザンドの間にかわされる交歓は、無自覚である一方、純粋です。
そこには「水」の暗喩があり、井戸をめぐる指輪、メリザンドが見出される場に見出せます。出産し、母となり、そして死んでもその幼さ、少女性は減殺されません。
 こうした言葉によって牽引される作品にかかわらず、当盤が有名なのはカラヤンのディスクだからですが、通常の意味でアンゲルブレシュト、アンセルメの新旧、クリュイタンス、フルネといった往年のフランス勢、もっと現代的知性を盛り込んだブーレーズなどの盤とも違う。そこには、イタリア、ドイツの二つのオペラで成功したカラヤンが手兵のベルリン・フィルを振っています。
若い頃から得意として、演目としていたカラヤン。そして、シュターデを見出し、スティルウェル、ファン・ダム、ライモンディ、カラヤン好みのキャスト、ここにドビュッシーが紡いだ音の糸にカラヤンの接ぎ木が添えられたのでした。
作品の長さ、今は収録時間の長さから2枚に収まりますが、通常3枚のディスクになる「ペレアス」はほとんど事件らしい事件もないままにかなり長い。
このカラヤン盤が心地いいのは、この精妙な音の中にほのめかしの中に官能性があるから。それが演出巧者のうちに運ばれ、音盤では肌合いのよい音響が続くことになるのです。
吉田秀和氏
「これをレコードだけで知っていたころは、どこもここもあまり変わらないのに、二時間もつづくなんて、どうみても長すぎると思っていた。しかし、劇場にすわってきいていれば、そんなことはない。その間の一瞬一瞬が充実して流れ、しかも、あんなに音楽は寡黙なのだ!
メリザンドなんか、まるで溜息をつくだけで、まったく歌わないみたいではないか!
これほど猥雑さか遠いオペラが、プッチーニ、シュトラウス、マスネーの十九世紀に可能であったとは、まったく奇蹟だ、と私は思う」。
ウィーン・フィルとベルリン・フィルの使い分け、カラヤン美学とは何かを知るために、このディスクは欠かせません。心地いい肌合いのうちに搦めとられる官能。
78年録音。
https://ameblo.jp/fairchild670/entry-11172052269.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html#c2

[近代史3] ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」 中川隆
3. 中川隆[-14302] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:22:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1199]
▲△▽▼

ペレアスとメリザンドのCD〜ドビュッシー 2012-04-25
https://ameblo.jp/kbbnef/entry-11232964252.html

 昔、苦手だったフランス音楽・・・・好きになったのは、十数年前。ドビュッシーなどはCD再生しているだけでぼけっとして聴いていてとっても良い音楽に感じた。それからはフランス音楽にのめり込む。が、ほんの一部である。ドビュッシーやラヴェルの有名どころしかわからない。

 ドビュッシーの唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」を聴くようになったのはいつごろだったろうか? カラヤンの全盛期だったころ、そのカラヤンがドビュッシーのこれを録音発売したころじゃないかな? それまでは未知の世界の音楽だった。 頭の上から足の指先まで「アロマセラピー」受けたような、または「マッサージ」受けたような・・・そんな不思議な感覚になった音楽だった。下記の@のCD。 私が最初に買ったころは当然LPレコード時代。BGM的だった。それが魅力だった。フランス語がわけわからない私だったが、その語感に憧れた。 また、このカラヤン指揮ベルリンフィルのドビュッシーは、私にとっては数あるカラヤン盤、ベルリンフィルの膨大な演奏の中で、とびきり上等な一枚だと今でも思う。ベルリンフィルの機能美、現代的人工的エロス的美しさ・・・・(言葉が不適切なのだが、ある意味「白痴美的美しさ」・・・・カラヤンってこういう音を究極的に目指したのでは?と考える。

 次に購入したのは、発売当時話題になったEのアバド盤。当然カラヤン盤と比較した。巷ではすこぶる評判がいいアバド盤。でも、どうもアバドって若いときから音楽が「軽く」「薄い」印象ある私。この盤でも、綺麗なのだがウィーンのあの濃さが半滅。いや、ある人は言う。ドビュッシーだからウィーン的濃さが出ては困ると・・・・確かにそうだが・・・。

 そして、「ブーレーズ」ってどうだ? と思った。私はブーレーズに陶酔していた人間なので、絶対裏切らないはず!と思い、これまた東京にいるころにLPで手に入れた。BのCDである。 いやぁ〜〜〜〜 すごい音の重なりには驚く。どの「音」も完璧なところで出すので、その重なりの「美」ときたらこれに並ぶものなし。 ブーレーズの耳って、そしてブーレーズに振られたオケの音階って「純正律」も「平均律」も関係ないのか? 音階の矛盾が全くなし。限界なし。あまりにも美しく割り切る音。音の層に・・・・・この世のものとは思えなくなる反面。ブーレーズが引き出す「音」というのはきわめて「自然界」の音に近いような感じさえする。

 ただ、当時の録音技術と再生技術がこのブーレーズの世界を再現し切れてないのが惜しいような・・・・。 音の方程式とでもいいたいブーレーズの指揮。

 そして、私のドビュッシー感を打ち砕く録音に出会ったのが十数年前、全く名前も知らなかったエミール・アンゲルブレシュトというフランスの指揮者が振ったライブだった。それも「初演から50周年記念」というライブ。Cである。これは録音は古いのだが、この演奏流していたら今までのドビュッシーはいったい何だったの? ドビュッシーってこういう音楽だったのか?と思った。素晴らしい音の肌さわり・・・これが「フランスの音」? と思った。そしてそして、歌手のうまさ、フランス語のあの感じ・・・惚れた。惚れた。 歌手名見ると、モラーヌ、ダンコと主演がある。知らなかった。でも、調べたらとてつもなく著名な声楽家であること知った。夢中になった。しかし、悲しいかな、ほとんどの録音が廃盤になっていた。エミール・アンゲルブレシュトの指揮も同じく・・・・・。

 数年前、今度はエミール・アンゲルブレシュト指揮の別音源がCDで出た。飛びついた。それがDのCD。これもまたライブで、この演奏の雰囲気も超感動的。一気にエミール・アンゲルブレシュト熱が出てきた時代だった。

 ここのところ、CDのデフレで、HMVなど見ていたら今度はダンコが歌うもう一枚の「ペリアスとメリザンド」発見。なんとなんと名指揮者アンセルメ盤だ。これがF・・・・・・。やっぱりいい〜〜 シュザンヌ・ダンコのフランス物はいい。

 そしてそして、驚いたことになんとなんと、あのハイティンクがパリでこの曲を振ってライブで録音した!!!! 嬉しかった。 ハイティンク命の私は当然のごとく発売と当時にゲット。聴いた。感動した。これこれこれ!!!! ハイティンクのドビュッシーって欧州ではすこぶる高評価なのがよくわかる。歌がオッターなのも魅力的。

 それから、デュトワ盤がある。だいぶ前に廃盤になっていたが、ここにきて再リリースとは嬉しい。GのCD。デュトワ的なドビュッシーもまた魅力的。
 番外なのだが、例の昔の歌手であるパンゼラが歌った音源CDがある。抜粋盤なのだが、それが下記

http://www.hmv.co.jp/product/detail/142518   パンゼラの歌唱

 かなり古い録音で針音すごいが・・・・これまた私にはとっても良く感じる。 youtubeに音源のサワリがある。

http://www.youtube.com/watch?v=QH9yxZNHEkc&feature=player_embedded

 この雰囲気〜〜 いいよなぁ。 最近の私はこういったレトロ的な音に夢中かも?

 それからYoutubeに、ブーレーズが指揮したライブ映像がある。それも全曲観ること出来る。 貴重。

http://www.youtube.com/watch?v=z7kodUT_sJs&feature=player_embedded

ただ音楽流しているだけでも私は大好きな音楽だ。不思議。

【手持ちCD】

@カラヤン/ベルリン・フィル
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム

1978年EMI
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3666107

Aハイティンク/フランス国立管弦楽団
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メリザンド),
ヴォルフガンク・ホルツマイヤー(ペレアス),ロラン・ナウリ(ゴロー),他
ベルナルト・ハイティンク(指)フランス国立管弦楽団
2000年 シャンゼリゼ劇場のライブ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/407121

Bブーレーズ/コヴェントガーデン
 ジョージ・シャーリー
 エリーザベト・ゼーダーシュトレーム
 イヴォンヌ・ミントン
 ドナルド・マッキンタイア、他
 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
 ピエール・ブーレーズ(指揮)
 
 録音時期:1970年
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3629025

Cエミール・アンゲルブレシュト/フランス国立放送
カミーユ・モラーヌ(Br、ペレアス)
 シュザンヌ・ダンコ(S、メリザンド)
 クリスティアーヌ・ゲイロー(Ms、ジュヌヴィエーヴ)
 アンドレ・ヴェシェール(Bs、アルケル王)
 マルセル・ヴィニュロン(Br、羊飼い、医者)、他
 フランス国立放送合唱団(合唱指揮:マルセル・ブリクロ)
 フランス国立放送管弦楽団
 デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(指揮)
 録音時期:1952年4月29日
 録音場所:パリ、シャンゼリゼ劇場
 録音方式:モノラル(ライヴ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4973041

Dエミール・アンゲルブレシュト/フランス国立放送
ジャック・ジャンセン(ペレアス)
ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド)
ソランジュ・ミシェル(ジュヌヴィエーヴ)
フランソワーズ・オジュア(イニョンド)
ミシェル・ルー(ゴロー)
アンドレ・ヴェシェール(アルケル)
マルセル・ヴィニュロン(医者)
1962年 パリ ライブ
現在廃盤

Eアバド/ウィーン・フィルハーモニー
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」
マリア・ユーイング(ソプラノ)
フランソワ・ル・ルー(バリトン)
ホセ・ヴァン・ダム(バス)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)ほか
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1991年ドイツグラモフォン原盤
http://www.hmv.co.jp/product/detail/46697

Fアンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団
シュザンヌ・ダンコ(ソプラノ:メリサンド)
 ピエール・モレ(バリトン:ペレアス)
 ハインツ・レーフス(バリトン:ゴロー)
 アンドレ・ヴェシエール(バス:アルケル)
 エレーヌ・ブヴィエ(メゾ・ソプラノ:ジュヌヴィエーヴ)
 フローラ・ヴェンド(ソプラノ:イニョルド)
 デリック・オルセン(バリトン:羊飼い&医者)
 スイス・ロマンド管弦楽団
 エルネスト・アンセルメ(指揮)
 録音時期:1952年4月
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3712037

Gデュトワ/モントリオール響
 ディディエ・アンリ(テノール)
 コレット・アリオット・ルガズ(ソプラノ)
 ジル・カシュマイユ(バリトン)
 フランソワ・ゴルフィエ(ソプラノ)
 ピエール・トー(バス)
 フィリップ・アン(バス)
 クローディーヌ・カールソン(アルト)、他
 モントリオール交響楽団&合唱団
 シャルル・デュトワ(指揮)
 録音時期:1990年5月
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4202551

https://ameblo.jp/kbbnef/entry-11232964252.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html#c3

[近代史3] モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ 中川隆
1. 中川隆[-14301] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1197]
「ドン・ジョヴァンニ」_ モーツアルトが本当に言いたかった事

ドン・ジョヴァンニが改悛を迫る騎士長(石像)を拒み、「NO!NO!」と叫び続ける。

急に涙があふれ、目の前が見えなくなった。

いつの世も時代を切り拓くのは、若者達のエネルギーだ。

今私達は、「NO!NO!」と信念を貫くことができるだろうか。

ふと問うてみたくなった。
http://www.opera-sai.jp/message/index.html

Don Giovanni - Commendatore scene (Furtwängler)
http://www.youtube.com/watch?v=jATcM8X29zc

Don Giovanni Ópera completa subtitulada .Siepi Salzburgo 1954
http://www.youtube.com/watch?v=mrMNai2skVY
http://www.youtube.com/watch?v=XPYjqz7nToY

ジョヴァンニが、つまみ食いしているレポレッロをからかっているところにエルヴィーラが登場し、生き方を変えてと懇願する。しかしジョヴァンニがまともに相手にしないので、彼女は諦めて去ろうとする。突然、玄関で悲鳴を上げた彼女は別な出口から逃げ去る。何事かとレポレッロが見に行くとやはり悲鳴を上げて戻ってきた。騎士長の石像が約束どおりやってきたのである。

石像はジョヴァンニの手を捕まえ、「悔い改めよ、生き方を変えろ」と迫る。初めて恐怖を感じながらも執拗に拒否するジョヴァンニ。ついに「もう時間が無い」といって石像が消えると地獄の戸が開き、ジョヴァンニを引きずり込む。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B


第十四場/エルヴィラが来る。彼女は「私の愛の」最後の証しとして、ドン・ジョヴァンニに意見をし、生活を変えて欲しいと言うが、ジョヴァンニは取り合わない。退室しようとしたエルヴィラの悲鳴が聞こえ、見に行かされたレポレルロも悲鳴を上げて戻る。

第十五場/石像が
お前と晩餐をともにするよう」に招待されてやって来た。石像は現世の食物は食べないのだ、しかしお前を食事に招待しようとやって来た
という。石像の手を取ると、冷たい。

石像は「悔い改めよ」と忠告するが、ジョヴァンニは受けつけない。
火が燃え上がり、主人公は地下に呑み込まれていく。

ドン・ジョヴァンニが英雄になるのは、最後の死との対決においてである。・・・
この地獄落ちは「天罰」ではない。
それはなぜかといえば、ここで石像は四度にわたって、
「これまでの生き方を悔い改めるか?」
と主人公に尋ねているからである。
つまりドン・ジョヴァンニには、改心して許される可能性が、まだ残されているのである!・・・

しかし、ドン・ジョヴァンニは、まさに自分自身の意志によって、こうした延命措置を拒絶する。・・・

クライマクスのあの凄まじい音楽は、神学的な業火の恐怖などではなく、神と対峙することを恐れぬドン・ジョヴァンニの巨人的な意志としとて解釈されるべきだろう。

 モーツァルトのドン。ジョヴァンニは、「今ここの快楽以外の何ごとも信じない」という無節操のエロティシズムを、命を賭して貫徹することによって、理念に殉じる精神の貴族としての身の証を立てる。
無理念と見えたものが、死の瞬間に英雄的な理念へと転じるのだ。
この地獄落ちのフィナーレにおいて、「わしは卑怯者との咎だけは受けぬ!」と言い放つ主人公の生き様の、巨大な逆説の弁証法が完遂されるのである。
http://homepage3.nifty.com/akiraikeda/music/donjovan.htm

モーツアルト《ドン・ジョヴァンニ》

作曲年 1787年
舞台  西班牙のある町
原作  ジョヴァンニ・ベルターティ「石の客」、ティルソ・デ・モリーナ「セビリアの女たらしと石の客」、モリエール「ドン・ジュアン」等を参考にしている 。  
台本  ロレンツォ・ダ・ポンテに依る伊太利亜語


登場人物
 ドン・ジョヴァンニ  好色家の貴族
 ドンナ・アンナ    騎士長の娘
 騎士長        ドン・ジョバンニに刺殺される
 ドン・オッターヴィオ ドンナ・アンナの恋人
 ドンナ・エルヴィラ  以前ドン・ジョヴァンニに捨てられた女
 レポレロ       ドン・ジョヴァンニの従者
 ツェルリーナ     結婚間近の村娘
 マゼット       ツェルリーナの婚約者
http://www.d1.dion.ne.jp/~t_imac/giovanni.htm

▼モーツアルトの新作《ドン・ジョヴァンニ》は1787年、まずはプラハで初演され、また大喝采を浴びます。
  この作品を“読む”にはオペラで描かれた時代背景を抜きにしては語れません。
  舞台は、大航海時代を経た17世紀のスペイン。その時代、スペインの男女の人口比率は他のヨーロッパ諸国とは甚だしく異なっていて、男が圧倒的に少なかったのです。大航海時代、スペインから新大陸やアジアを目指すことは、いわば結婚適齢期にある男だけの仕事に限られました。すなわち、男の人口の一方的な激減による男女比のアンバランスが生じていたという事情があるのです。ちなみに、プロテスタント系の移民では、必ずパートナーとして女性を伴っていたので、アンバランスはほとんど起こりませんでした。
 ここに登場するのが、ドン・ジョヴァンニという貴族。彼は女ばかりが目立つ社会に出てきたわけです。カトリックの意識が高いスペインですが、伴侶を求める女性たちにとっては一種の“男日照り”です。ここにドン・ジョヴァンニ、スペイン語で「ドン・ファン」と言えば文字通り色事師の代名詞が現われたのです。言換えれば、そのような時代のまさしく「結婚詐欺師」。

  元ネタとの大いなる違いは、その“色事哲学”にあると言いました。たとえばレポレッロのアリアのなかで、ベルターティのほうでは「女なら誰でもいいが、老女はだめ」と言っています。逆に、ダ=ポンテは「女なら13歳から老女まですべていい」と言い切っています。すなわち、性欲のある限り、いやむしろ「本能のしもべ」となって感情を捨て、すべての女性を対象にするといった哲学的変化が明らかなのです。ベルターティとダ=ポンテの差異は、この点で際立ちます。

  モーツアルト作のこのオペラで描出されたドン・ジョヴァンニは快楽の象徴だと私は見ています。すなわち、デモーニッシュな(悪魔的な)存在そのもの。それが証拠に、いかに彼が女性といたしたとしても女性は妊娠しません。あれだけの回数をこなしても、まるで“実りなし”。

  ここでも、モーツアルトが意図したキリスト教のドグマへの反逆が見てとれるのです。とはいうものの、オペラではそれこそ悪魔のように細心に、舞台上では誘惑は失敗に終ったかのように糊塗されています。ここが、“オペラ読み巧者”かどうかの分かれ目。登場人物たちの表情、ならびに性格描写にちなむ音楽を“読み込めば”、裏では誘惑が成功裏に推移したことがわかるのです。そう読まないとむしろつじつまが合わないとまで私は思います。

  最近、私はドン・ジョヴァンニ物語の元祖とも言うべき《セビリヤの女たらし、または石造の客》(1603年)という芝居を観てきました。ここではドン・ジョヴァンニがアンナを誘惑し、ちゃんとコトに及んでいるのです。しかし、モーツアルトのオペラでは宮廷の手前、舞台上でやるわけにはいかなかった。もっとも観客はその逆をしっかり読んでいたのです。

  もう一つ見落としてはならない点があります。それは、ドン・ジョヴァンニに捨てられた貞淑なエルヴィーラが第2幕で、それでも未練断ちがたく再び彼とおぼしき男とコトに及んだと見られるシーン。その実、その男はドン・ジョヴァンニに扮した下男、レポレッロだったのです。

愛する夫が下男に妻を抱かせた!

悪事極まる。ひどい諦観にあえぐエルヴィーラですが、ラストになって食事中のドン・ジョヴァンニのところに来て、「生活を改めて下さい」と言う。この場面で、彼女はドン・ジョヴァンニとの仲を本当にあきらめたと読むべきです。そして、最後の最後、彼女は修道院に入ることになる。そう深読みすると、彼女の純愛が知れ、万感の思いにとらわれるはずです。

  ラスト、ドン・ジョヴァンニと関係した女たちは、三者三様。
片や身を許したドンナ・アンナは婚約者との結婚を一年間延期。
これは未亡人として喪に服す期間なのです。
もう一人、ツェルリーナだけはすぐさま結婚を望む。
ドン・ジョヴァンニの子を妊娠していたら困るからです。
《ドン・ジョヴァンニ》とはキリスト教では認めない「一夫多妻」の表徴と言われますが、同時に女の愛の“三面鏡”でもあると言えます。(永竹由幸p70-71)

 序曲:悲劇を予感させるような序曲である。

■“冒頭のニ短調の轟音からして「陽気な芝居」とされたオペラの序曲としては、あまりにも異様な始まりである。音程を正確に保つという点ではかなり不安定で、とりわけ音量を大きくするとピッチが狂いやすかった当時の楽器を使って、金菅やティンパニを含む全オーケストラが、目一杯のフォルティッシモを鳴らす。しかも長調と比べて響きが濁りやすい短調の和音だ。

恐らくそれは、現代楽器で演奏したときのような、すぐそれと分かる短三和音ではなくて、耳を聾する割れた大音響のように響いたのではないか。これは一八世紀におけるクラスターであって、当時の聴衆にはそれは、近現代の聴衆にとってのマーラーの第六交響曲やベルクの《管弦楽のための三つの小品》のような響きに聞えたに違いない。

 それに続く、あてどもなく上へ下へとさまよい続ける音階の連続についても、思わずニ〇世紀音楽を持ち出したくなる。私の耳にはそれは、一九世紀を飛び越えて、ほとんど無調の概念を先取りしているように聞えるのだ。”(岡田,2008,p.117より)


 第一幕   
Jovanni and AnnaKill 第一場/ドンナ・アンナの庭園。夜である。
見張り役のレポレルロが、第1曲導入曲「夜も昼も苦労してるのは」とボヤいている。そこへ、屋敷の中から、ドンナ・アンナに騒がれつつ、顔を隠したドン・ジョヴァンニが登場。
悲鳴を聞いて駆けつけたアンナの父親の騎士長がジョヴァンニに決闘を申し込み、剣を交えた後、ジョヴァンニに刺されて倒れ、絶命する。
静寂の瞬間が訪れる。この事態にジョヴァンニさえも動揺している。


■“河上徹太郎によれば、モーツァルトの優美な官能劇は「終始『死』ぼ背景に描かれた歌劇」であって、「幕あきに騎士長がドン・ジョヴァンニに殺され、最後にその復讐が完成されてジョヴァンニが死ぬまで、一貫して劇を曳きずってゆくものは、主人公の絢爛たる背徳であるよりは、死の不可避な招請、否もっと正確に言えば、死の絶対的な背景の上に端的に現われた、生命力の諸相である」。

そして「放蕩」と「死」という二つの観念が、「それぞれ競って互いにどぎすまされていった揚句、ドン・ジョヴァンニの『死』という一点で大きく合体して、劇は終わる。この『死』と最初の『死』とが照応して、このオペラを包んでいる」。私の知る限り、「死との対決」という視点から、ドン・ジョヴァンニを論じているのは、この河上の論考だけである。”(岡田,2008,p.111より)


 第二場/ジョヴァンニとレポレルロは逃走する。 

■“オペラという「歌われる」世界のオーラが完全に消滅し、乾いた散文(レチタティーヴォ)という現実が裸でむき出しになった地点で、ドラマの最初の場面は終わる。寒々しいこの「ディス=イリュージョン(幻滅=幻影の崩壊)」は、ドン。ジョヴァンニのドラマを貫く力学の一つである”(岡田,2008,p.121より)

 第三場/アンナとその婚約者ドン・オッターヴィオが出て来て、騎士長の死骸を発見する。アンナは気を失う。オッターヴィオは騎士長の亡骸を片づけさせる。意識を取り戻したアンナ、第2曲レチタティーヴォと二重唱「なんという痛ましい光景」(ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオ)、復讐を誓う二人。

 第四場/夜である。場面は路上に変わる。レポレルロは主人の生活を批判するが、ジョヴァンニは聞き入れず、「女の匂いがしてきた」と言う。 

Elvira 第五場/旅姿のドンナ・エルヴィラ登場。
第3曲アリアと三重唱「ああ!いったい誰が私に言ってくれるの」、エルヴィラは愛情と憎しみが一緒になった劇的なアリアを歌う。早速、声をかけるジョヴァンニだが、自分が捨てたエルヴィラと分かって困る。ジョヴァンニが隙を見て逃走した後、エルヴィラにレポレルロはこれまでに主人がものにした女の名前のカタログを示す。catalogue第4曲アリア「可愛い奥様、これが目録です」、レポレルロの「カタログの歌」である。ご主人さまは女なら誰でもいいのだ、と。


■“要するにドン・ジョヴァンニは、すべての女性に美を贈る霊なのだ。
これをキルケゴール流にいうと、ドン・ジョヴァンニは関係を結んだ女性を汚すのではなく、浄化するのだ、ということになる。『あれかこれか』におけるキルケゴールのみごとなドン・ジョヴァンニ論−彼にとって、ドン・ジョヴァンニを論ずることは音楽の本質を論ずることにつながる−によれば、
女性はドン・ジョヴァンニの巨人的な情熱によって、「高められた美の中で燃え立つ」。そして、ドン・ジョヴァンニは、「老いた女を若返らせて女性的なものの美しい中心に移し、子供をほとんど一瞬のうちに成熟させる」という。


■“(カタログの歌で)主人の偉大な業績を読み上げていくうちに、自分もつい昂奮して声が上ずってくる。・・・(女の身分が上がるにつれ)、旋律も二度ずつ上がる。(主人が女をたらす時の手口を紹介するとき)自分の潜在願望を主人の実績に重ね映しにしているのだ。・・・「大きな女は堂々として」というところにさしかかると、音楽も一緒になって、ぐうっとふくらんで壮大になる。一転して「小さい女は可愛らしくて」というところになると、音楽も小刻みの猫撫で声で、こちょこちょと可愛がる。・・・ラストは完全に酔っ払いの鼻歌のようになってしまう。”(石井宏p65)


 第六場/エルヴィラは復讐の気持ちを自分に再確認して、去る。 

 第七場/農民たちが登場。陽気に歌う。第5曲二重唱と合唱「若い娘さんたち、恋をするなら」(ツエルリーナ、合唱、マゼット)。
 第八場/エルヴィラから逃げた二人が来る。レポレルロにマゼットをひきつけておくように命じ、ジョヴァンニはツェルリーナを誘惑にかかる。座を外すように脅されたマゼットは仕方なく、第6曲アリア「分かりましたよ、お殿様」(マゼット)と言い捨てて、レポレルロと去る。 

第九場/ツェルリーナを口説くドン・ジョヴァンニ。第7曲小二重唱「あそこで手に手をとりあい」(ジョヴァンニ、ツェルリーナ)。最後には、とうとう抱き合いながら傍にある別荘に歩き始める二人。

■“誘惑に最初は躊躇していたツェルリーナも、曲の最後では同衾することに同意してしまった。音楽の進行につれて登場人物の心境が刻々と変化していくのが、モーツアルトのアリアの(より一般的に言うならば、モーツアルトに代表される古典派のアリアの)特徴である。”(笠原潔)。

  第十場/エルヴィラが二人を押しとどめる。
第8曲アリア「ああ、裏切り者を避け」、エルヴィラはツェルリーナを救出する。 

  第十一場/ひとりで残ったジョヴァンニのところへ、アンナとオッターヴィオがやって来て、助けを求める。 

  第十ニ場/そこへエルヴィラが戻り、アンナたちに第9曲四重唱「信用してはいけません、おお、不幸な御方よ」(エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ、ジョヴァンニ)。ジョヴァンニはエルヴィラを気狂い女と批難するが、アンナたちはエルヴィラの真剣な様子に心を打たれる。ジョヴァンニはいったん退出する。 

第十三場/アンナは声で思い出す。
第10曲レチタティーヴォとアリア「もうお分かりでしょう」(アンナ)。
あの男が父親を殺したのだ、と。


■“モーツアルトの研究家として有名なアインシュタインは、先ほどのアンナの告白を偽りだとしている。彼女は実はその忍び込んできた黒いマントの男を許婚者のドン・オッタヴィオだと思い、抱かれてしまったのだ。・・・

彼女は許婚者の手前、「抱かれました」とは言いにくい。そこで「身をよじって逃げた」という。だが実際に逃げたのではないということは「十八世紀」の観客にはわかっていた。そこで、許婚の彼が「ああ良かった、それを聞いてホッとした」というと、当時のわかっている観客にはおかしいような、哀れなような「悲喜劇的な効果を与えた」とアインシュタインは言う。そしてこの研究家の卓見は次のポイントにある。

 「以上のことがわかれば、あとはすべて説明がつく。
つまり、何故ドン・ジョヴァンニはアンナに興味を示さないのか。
それは彼がエルヴィラ同様、彼女をすでにものにしてしまったからだ。
なぜドン・オッタヴィオにあれほど復讐を誓わせるのか、なぜ彼女は愛しているのに彼のものになるのを拒むのか、なぜフィナーレでは、すでに自分を誘惑した男は死んだのに、彼女は彼との結婚を一年延ばしてくれというのか」”(石井宏)


■“ドンナ・アンナは、このオペラの間じゅうほとんどヒステリックにわめき続けている。そのため、彼女は十九世紀にあって、心の冷たい石女として扱われていた。しかし、真相はそうではなく、彼女は愛する許婚とまちがえてドン・ジョヴァンニに抱かれてしまうという屈辱的な大失敗をやらかしてしまった。

その心に負った深い傷手が、彼女をしてかくもヒステリックな状態にさせているのだ。そこがわかると、ドラマは自然にほぐれてくる。彼女こそはこのドラマの中の主要な鍵であり、最も複雑な人物である。”(石井宏p56) 

第十四場/オッターヴィオがアンナへの忠誠を誓う、第10曲アリア「私の心の安らぎは」がウィーン稿で挿入された。 

  第十五場/レポレルロがマゼットを騙したときの首尾を主人に説明するが、エルヴィラが現れて計画は水泡に帰した。ジョヴァンニは宴会を開こうという。第11曲アリア「酒で頭がかっとなるまで」を歌っていったん退場。

▼森園みるく作画・河原廣之監修『マンガで楽しむ傑作オペラ ドン・ジョヴァンニ』(自由国民社,2006)では、ドン・ジョヴァンニは幕開き前、ドンナ・アンナと昼食時に面会していることになっており、夜陰に乗じて忍んで行ったときには、アンナの「結婚を」望む言動に白けて情事の途中で止めているという解釈をしている。

既に本作のプロローグで、エルヴィラと誤って結婚して、三日でこりているジョヴァンニは、それ以降もアンナを避け続け、自由奔放な性的な村娘ツェルリーナを求めるという展開になる。そして、ツェルリーナを舞踏会のときに、自分の離れに誘ってとうとう思いを遂げるという解釈をしている。

 しかし、ツェルリーナには言い含めてわざと「誘惑された」と芝居をさせるという展開である。この辺りの解釈はかなり大胆であるが、考えられない展開ではない。
 最後にツェルリーナとマゼットはフランス革命を象徴するドラクロワの絵画の自由の女神とその従者となって出現する。


■“《ドン・ジョヴァンニ》を特徴づけるのは、人間関係の寒々とした希薄さだ。・・・
このうすら寒い世界を、たとえ一瞬であっても燦然と輝かせるのが、ドン・ジョヴァンニである。・・・
彼は、世界を「照らす」だけでなく、本来出会うはずがなかった人々を「結びつける」。希薄な人間関係の中にかろうじて共同体を作るのである。・・・
身分の違いや社会的制約にはお構いなしに、ドン・ジョヴァンニが片っ端から手をつけることでもって初めて、彼らの間には関係が生じたのだ。
「楽しんでくれるなら、楽しませてくれるなら、相手は誰でもいい」という官能の無限抱擁によるかりそめの調和の中心、それがドン・ジョヴァンニに他ならない。”(岡田,2008,p.122より)

第十六場/庭園。農夫たち。マゼットは不実なツェルリーナに怒っているが、ツェルリーナは第12曲アリア「ぶってよ、マゼット」と謝ってしまう。そこへ宴会の準備でジョヴァンニが来る。第13曲フィナーレ「早く早く、あの男が来る前に」(マゼット、ツエルリーナ、ジョヴァンニ、合唱)。 

  第十七場/召使たちに命令する主人。
  第十八場/三重唱「この木々の間に隠れていれば」とツェルリーナは樹の陰に隠れるが、ジョヴァンニにつかまる。しかし、マゼットがいるので驚いて女を返す。

 第十九場/仮面を付けたエルヴィラたち、エルヴィラは「勇気を出すことが必要です」、あの男の不正を暴きましょう。レポレルロが舞踏会への招待を告げる。アンナとオッターヴィオは「正義の天よお守り下さい」。

  第二十場/大広間である。ジョヴァンニは「休憩してください、きれいな娘さんたち」、「ずっと前にお進み下さい」。「皆さん、さあ踊って下さい」。
ツェルリーナを犯そうとするが、マゼットが見張っているし、ツェルリーナも抵抗する。大騒ぎになり、エルヴィラたちも駆けつける。
ジョヴァンニはレポレルロを捕まえて、「こいつが君を犯そうとした悪漢だ」と成敗するふりをするが、エルヴィラは騙されない。「おののけ悪党よ」と全員に批難されても、レポレルロとジョヴァンニは動じない。

■“この踊りの場面にモーツァルトは驚愕するほかないような音楽を書いた。・・・
専ら舞台上に配置された三つの楽団が伴奏をつとめるのだが、何と彼らは、拍子も違えば楽想も関係ない三つの舞曲を同時に奏でる。
第一の楽団は最初に踊り始めるドンナ・アンナとオッターヴィオのためにメヌエット(四分の三拍子)を、第二の楽団はドン・ジョヴァンニとツェルリーナのためにコントルダンス(四分のニ拍子)を、そして第三の楽団は男同士の「カップル」であるレポレロとマゼットのためにドイツ舞曲(八分の三拍子)を。・・・

喩えていうならこれは、日舞と社交ダンスと盆踊りが同じ場所で繰り広げられているようなものであり、異様な意味論的コラージュが作り出されているのである。・・・
メヌエットが宮殿の正式な儀礼、コントルダンスがギャラントな自由人たちが集う田園の奏楽だとすれば、ドイツ舞曲はチロルあたりの農民舞踏である。・・・
ここで意図されているのは恐らくカオスの表現であって、ほとんどニ〇世紀音楽におけるコラージュ技法の予告だと言ってもいい。”(岡田,2008,p.124より)


 第二幕 
  第一場/路上。ドン・ジョヴァンニはもう召使いを辞めるというレポレルロを説得している。第14曲二重唱「おい道化者、わしを困らせるものじゃない」、金貨を与えて思いとどまらせる。食べ物よりも女が必要だという主人にあきれる召使い。
エルヴィラの侍女に惚れたジョヴァンニはレポレルロと服を替えて口説くという。

 第二場/夕刻。窓辺のエルヴィラを口説くジョヴァンニだが、その実は服を交換したレポレルロを立てる。
 第三場 /第15曲三重唱「ああ、お黙り、悪い心よ」。エルヴィラは服を替えたレポレルロをジョヴァンニだと思い込んでしまう。よりを戻そうと降りてくるエルヴィラ。嫉妬したジョヴァンニが声をかけると、二人は逃げ去る。

 ジョヴァンニはエルヴィラの侍女を口説くために、窓辺で愛の歌を歌う。ジョヴァンニの第16曲カンツオネッタ「窓辺においで」。

  第四場/マスケット銃とピストルで身をかためたマゼットと農夫たち。レポレルロに化けたジョヴァンニは第17曲アリア「君たちの半分はこっちに行くんだ」。

  第五場/マゼットから銃を取り上げ、殴り倒すジョヴァンニ。 
第六場/ツェルリーナが怪我をしたマゼットをいたわる、第18曲アリア「見ていらっしゃい、いとしい人」(薬屋の歌)。
一番の薬はここにあるとツェルリーナは胸をさわらせる。

 第七場/松明の列を見て、エルヴィラから逃げ出そうとするレポレルロに、エルヴィラは第19曲六重唱「暗い場所にたったひとり」で残さないでと頼むが、レポレルロは門の蔭に隠れる。ドンナ・アンナとオッターヴィオが登場し、さらに第八場/マゼットとツェルリーナも加わる。主人の服を着たレポレルロの正体が分かって一同、驚愕する。

第九場/ツェルリーナはマゼットを打ったのがレポレルロだと思っている。エルヴィラは、だまされたことが分かってショックを受けている。レポレルロは第20曲アリア「お許しを、皆様」と必死に弁解する。隙を見て逃げ出すレポレルロ。


■“レポレッロはト短調で命乞いをする。他の五人は「ややっ、レポレッロじゃないか。一杯食わされた。こりゃ一体どうしたわけだ」と叫ぶ。この瞬間、音楽はト短調から変イ長調に転調する。この絶妙な転調に、観客は一瞬、自分がその場にいるかのように感じさせられるのだ。

 続いてレポレッロが、変ホ長調で「いろんな思いが混ざりあって」と唱い出すと、ほかの五人もそれを受けて、「いろんな思いが混ざり合って、なにがなんだかわからない」と唱う。さらにレポレッロが、「こんな嵐を抜け出せたら、本当に奇蹟というもんだ」と独白を唱うと。ほかの五人は、「ああ、今日はなんという日だ。思いもかけない奇抜さだ」と、重唱を唱い始める。

 このようにドキッとするほどリアルな転調に続いて始まる、敵味方同士が一体となった重唱は、無個性な声によるコーラスとは全く違うのだ。それぞれがリアルな個性を持ち、自らを主張する人間のからみあいであり、その主張の声がハーモニーを作り出すという非現実性が、一つの劇的空間の中に全て組み込まれるところに、独特のリアリティが生まれてくるのである。

 これについて河上徹太郎は「これこそ他の如何なる歌劇の天才もなし得なかった、モオツアルト独自のものである」とする。そしてさらに「モオツアルトが人物を一刷毛で描き分ける音調なるものは、だから、何等かの音楽上の単位ではない。楽譜の上を探しても無駄だ。それは一つの音の現前である。しかも紛ふことなく、各人物に個性的なものである」とし、最後に「モオツアルトの音楽は、最も純粋な音の実存である」とする。

 これを結論と読むこともできるが、河上はさらにキェルケゴールの『人生行路の諸段階』からの「欺かれるものは欺かれぬものよりも賢く、欺くものは欺かないものよりも善い」という逆説的な言葉を引用し、「これこそモオツアルトがその天才を尽くして《ドン・ジョヴァンニ》で実現した奇跡の真髄であり、借りて以って私の結論にする」と結んでいる。”(井上太郎『モーツアルトと日本人』より131〜133頁)

■“大六重唱は、このオペラの中の、最も素晴らしい曲の一つである。この長くてしかも複雑な一連の音楽の途中、舞台の上ではさまざまな出来事が繰り広げられる。音楽的にも、コミックなものから悲劇的なものまで、驚くような楽想がふんだんに使われれている。”(デント,p.199より)

■“憔悴しきっているドンナ・アンナがオッターヴィオに伴われて舞台に現われると、一瞬だがトランペットとティンパニが微かに鳴り響く。・・・弱音というひどく例外的な用法だ。そのためにこの箇所は、まるでオペラ・ブッファの中にミサ曲が混じりこんだかのように、非常に印象的に響くことになる。・・・

だが、何よりこの六重唱を一種異様なものにしているのは、この厳粛な楽想に続くレポレロが捕まる場面である。ブッファ的な快活さは微塵もない。これは不吉な半音階で下降する動機が執拗に繰り返される、グロステクで哀れっぽいお通夜のような音楽だ。・・・
音楽が短調から長調に転じ、レポレロが早口で言い訳をまくしたてながら、隙をついて逃げ出す場面に至って、この六重唱はさらに奇怪さを増す。・・・
宗教音楽の神々しさ、気が滅入るような不吉さ、そしてブッファのドタバタが、ここでは互いに何のつながりもなく、ただ放置されている。ここに至って、《ドン・ジョヴァンニ》の世界は、ほとんど精神分裂的な様相を示し始めるのである。”(岡田,2008,p.131より)

  第十場/ドン・オッターヴィオは、第21曲アリア「今こそ、私のいとしい人を」、慰めてほしい、自分は復讐を果たすと決意の表明する。
 第十場(ウィーン版では次のエルヴィラのアリアが付加されている)第21曲レシタティーヴォとアリア「あの恩知らずの心は私を裏切った」、復讐の思いと尽くす気持ちで揺れる。


 第十一場/墓地の近く。陽気なジョヴァンニとほうほうの態で逃げ出したレポレルロが再会する。道端で出会って抱いた娘が「いとしいレポレルロ」と叫んだので、それはレポレルロの愛人の一人だったと自慢気に話す主人に、あきれかえるレポレルロ。

そのとき、騎士長の石像が「夜明け前にはお前の笑いも止まる」と予言する。
ジョヴァンニは石像を晩餐に招待しようと提案する。第22曲ニ重唱「とても親切な」石像さま、とおそるおそる晩餐に誘うレポレルロ。石像はわかったと答える。

第十二場/ドンナ・アンナに求愛するドン・オッターヴィオに、アンナは、第23曲レシタティーヴォとロンド「いとしい人よ」、父親の喪に服していなければならないと求婚の受け入れを延ばす。


 第十三場/晩餐の用意がしてある大広間。主人と従者の二人は第24曲フィナーレ「食卓の用意はできた」と食事を始める。『フィガロの結婚』の「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」のメロディーも流れる。

第十四場/エルヴィラが来る。彼女は「私の愛の」最後の証しとして、ドン・ジョヴァンニに意見をし、生活を変えて欲しいと言うが、ジョヴァンニは取り合わない。退室しようとしたエルヴィラの悲鳴が聞こえ、見に行かされたレポレルロも悲鳴を上げて戻る。

第十五場/石像が「お前と晩餐をともにするよう」に招待されてやって来た。石像は現世の食物は食べないのだ、しかしお前を食事に招待しようとやって来たという。石像の手を取ると、冷たい。
石像は「悔い改めよ」と忠告するが、ジョヴァンニは受けつけない。火が燃え上がり、主人公は地下に呑み込まれていく。

■“ドン・ジョヴァンニが再び英雄になるのは、最後の死との対決においてである。・・・
この地獄落ちが単なる「天罰」ではないという点を確認しておくことだ。
それはなぜかといえば、ここで石像は四度にわたって、「これまでの生き方を悔い改めるか?」と主人公に尋ねているからである。
つまりドン・ジョヴァンニには、改心して許される可能性が、まだ残されているのである!・・・
しかし、ドン・ジョヴァンニは、まさに自分自身の意志によって、こうした延命措置を拒絶する。・・・クライマクスのあの凄まじい音楽は、神学的な業火の恐怖などではなく、神と対峙することを恐れぬドン・ジョヴァンニの巨人的な意志としとて解釈されるべきだろう。

 モーツァルトのドン。ジョヴァンニは、「今ここの快楽以外の何ごとも信じない」という無節操のエロティシズムを、命を賭して貫徹することによって、理念に殉じる精神の貴族としての身の証を立てる。無理念と見えたものが、死の瞬間に英雄的な理念へと転じるのだ。この地獄落ちのフィナーレにおいて、「わしは卑怯者との咎だけは受けぬ!」と言い放つ主人公の生き様の、巨大な逆説の弁証法が完遂されるのである。”(岡田,2008,p.132より)

 最後の場/アンナたち全員が裁判官を伴って登場。「非道な男はどこ」。
レポレルロにジョヴァンニの最期の様子を聞いて、驚く人々。
オッターヴィオは「いとしい人よ今はもう」、天が裁きを与えてくれたのだからとアンナに求愛するが、やはりアンナは一年待ってくれと言う。
エルヴィラは修道院に入る、ツェルリーナとマゼットは一緒に食事をするために家に帰る、レポレルロは新しい主人を見つけると言う。

 全員で、「これが悪人の最期だ」、そして非道な者たちの死はいつでも生とは同じものなのだと歌う。

 この最後の場面は省略されて上演されることがあったが、最近では省略されることはない。

■“十八世紀においても地獄落ちで終わるドン・ジョヴァンニの方が多かったのであって、つまりモーツァルトは単に同時代の習慣に倣ってハッピーエンドを書いたわけではないのだ。
 モーツァルトのオリジナルな意志は、凄まじい地獄落ちの後に味気ないハッピーエンドがやってくるようにドラマを組み立てたという、まさにこの事実の中にこそ、読み取られなければならない。それはつまりこういうことだ。地獄落ちの轟音とともに、ドン・ジョヴァンニやサド侯爵ヤラクロの『危険な関係』のヴァルモンおよびメルトイユ夫人らが跳梁する、革命直前の貴族たちの官能の夜は終わる。そして道徳的な小市民たちの、あまり面白くもないが安定した近代社会という朝が予感されるところで、このドラマは閉じられるのである。”(岡田,2008,p.137より)

■“六重唱を歌う人々は、要するにすべて他人任せ/神頼みである。諸悪の根源も、それを退治してくれるのも、どちらも絶対的権威(絶対善ないし絶対悪)なのだ。騎士長からの地獄への招待に、毅然として手を差し出すドン・ジョヴァンニの英雄的な姿と、これはあまりに対照的である。

 それにひきかえ、次作《コシ・ファン・トゥッテ》の恋人達は、もはや絶対的権威が存在しない世界を生きなければいけない。”(岡田,2008,p.143より)
http://homepage3.nifty.com/akiraikeda/music/donjovan.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html#c1

[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」 中川隆
1. 中川隆[-14300] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:40:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1196]
イングマール・ベルイマン 魔笛


MOZART_ BERGMANS_ TROLLFLÖJTEN, 1975 [The Magic Flute/ E. subtitles]



監督:イングマール・ベルイマン
脚本:エマヌエル・シカネーダー、イングマール・ベルイマン
音楽 作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
指揮:エリック・エリクソン
演奏:スウェーデン放送交響楽団、合唱団


キャスト
タミーノ:ヨゼフ・コストリンガー
パミーナ:イルマ・ウルリラ
パパゲーノ:ホーカン・ハーゲゴール
パパゲーナ:エリザベト・エリクソン
夜の女王:ビルギット・ノルディーン
ザラストロ:ウルリック・コールド
モノスタトス:ラグナール・ウルフンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9B_(1975%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)


映画の巨匠ベルイマンの魔笛です。通常の魔笛の舞台の映画ではなく長い準備期間と何ヶ月も撮影期間をかけた映像作品です。スウェーデンの国営放送のための番組として作られたので画面サイズは4:3のスタンダードサイズ、言葉もドイツ語でなくスウェーデン語です。子供も楽しめるように随所にスェーデン語の歌詞カードが出ます。

 この魔笛の特徴はものすごく官能的だということです。

3人の侍女の登場シーン(タミーノやパパゲーノ)のからみやモノスタトスのストレートな愛情表現、パパゲーノとパパゲーナのお互いの服を脱がしあうアリアなどすごくエロチックです。

 またザラストロよ夜の女王が国の覇権を争う分かれた夫婦という設定となっています。

1幕では子供を奪われた哀れな母親であった塊??の女王が2幕ではザラストを暗殺しようとする暗殺集団の長へと様変わりするのがわかりやすくなっています。
普通の魔笛はこのへん説明がないので見ていて頭がこんがらがるのですがなんとか合理性をもたせています。

 配役もよくできています。ものすごく人の良さそうなお兄さんのパパゲーノ、むちゃくちゃチャーミングなパパゲーナ、清楚なパミーノ、出だしは頼りないが少しずつ成長していくタミーノ。
本当に賢そうな賢者ザラストロ、前半と後半でドラマチックに変身する夜の女王。

ものすごく官能的な3人の侍女。

ものすごくきれいなメロディを歌う3人の童子だって服ぬいじゃいます。
いやらしさたっぷりでちょっと寂しいモノスタトス。ロールプレイングにも使えそうな設定です。

 さていろいろ書きましたが、この魔笛はなんと言ってもわかりやすいです。うちの奥さんも初めて筋が理解できたと言ってます。
色ぽいだけでなく歌もりっぱです。登場人物が多いので通常どこか配役に不満が出るのですがよくできています。録音もすごくいい。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B000091LEO/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending




ベルイマンが元旦の子供のための特別番組として演出・撮影した「魔笛」。

彼が子供の頃から愛好した数少ないオペラ。 演奏のテンポは遅め。

女性はみな美人で、特に三人の侍女はチャーミング!

沈黙の行の二人に侍女達が来る場面で、侍女たちは二人を熱く誘惑する。

弁者は書物に囲まれた学者。

パパゲーナは老婆ではなく醜女で登場。

雪の降る場面が特に美しい(パミーナの絶望の場面と、それに続いてパパゲーノの嘆きの場面)。

魔法のベルが鳴って、パパパの二重唱が始まると、雪解けで花が開き始め、二人はぶ厚い毛皮のコートを脱ぎ始める。

タミーノとパミーナの試練の場を、この二重唱の後に移動していた。

試練の火の世界では、半裸体の群像がうごめく。

水の世界も同様。夜の女王の軍隊は四十人規模で黒い鎧を着ている。

吉田秀和『僕のオペラ』(海竜社、2010年)でも、観客の少女の映像には「つまらないことをする」と閉口していました。しかし、天下のベルイマンだからと最後まで映画館のひどい客席に我慢して座り、見つづけて良かった、

ベルイマンが性的なもの、肉欲的なものを罪悪と感じ、そのけがれにまどわされぬものこそ真の勝利者だと考えていることが判った

と屈折した批評を書いています。 同感です。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/rR2OJVHK9P9EOF4




私が初めて『魔笛』に親しんだのは、LPや放送ではなく、スウェーデンの映画監督のイングマール・ベルイマンの映画『魔笛』(1974年制作のテレビ映画)によってだった。

この映画はイントロダクションとして観客少女の視点が描かれる以外はほとんどこのオペラの舞台での歌唱・演技・演奏の全曲を映像化したもので、特にパミーナを演じた歌手(女優?)の美しさが印象に残っている。

そして、夜の女王とザラストロの関係についてはこの映画は非常に独特な個性的な解釈をしている。善が悪に、悪が善にという初歩的な破綻というほどのストーリーの不整合をどう考えるかがこのオペラの鑑賞の眼目の一つであり、ストーリーの破綻を棚上げして音楽だけを楽しもうという立場もあれば、それに合理的な説明をしながら全体を調和したものとみる立場もあり、その他にもいろいろな解釈がある(その一つに下記のフリーメーソン的な解釈があるあるようだ。)これについて、自分の中で解決がついたわけではないが、よくある神話的な不整合とみてもいいのではと思っている。
http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2006/11/post_cd91.html




特徴的なのは、ザラストロと夜の女王が、憎みあって別れた夫婦になっていることでしょうか。そう見えました。親権を争う父母というところ。

パミーナが、ひどく暗い陰険な表情を見せることもあり、これはちょっと印象的というか、迫るものがあります。じっくり眺めていると、なんというか、奇妙に暗い不思議な雰囲気が迫ってきます。ほとんど画面いっぱいの顔の大写しが、ある意味効果的なのかも・・・

ちらっと意味不明の場面も入ります。舞台裏を映しているのかしらとも思いますが、パルジファルという題の本を読んでいるザラストロに対して、だらしない格好でお付きたちに化粧を直させている女王とか。女王も侍女たちもなぜかたばこをふかしています。タミーノとパミーナは楽しそうにチェスをやってます。

場面の順序、多少入れ替え、カットも? があるようです。歌の繰り返し、台詞など、かなり省かれたり、短縮されているようで、演奏時間はおよそ2時間になっています。

パパゲーノとパパゲーナの年齢会話は、大笑いしながら、

「年は?」
「18歳と2分よ」
「ずいぶん若いんだね」
「恋人もいたりして・・」
「もちろんよ」
「若いの?」
「う〜〜ん、10歳ぐらい上」

と続きます。字幕情報です。この映画はスウェーデン語です。そして、フィナーレに、子沢山で登場します。
http://euridiceneeds.blog.so-net.ne.jp/2005-09-02




映画中には隠されたメッセージがいろいろあるように思われる。
例えば、第2幕でパパゲーノの持つ魔法の鈴がクローズアップされると、男女の艶めかしい姿(?)が描かれていたり

繰り返し何度も観て、ベルイマン監督の「魔笛」に刷り込んだ真意をより研究したいと思っているところ
http://classic.opus-3.net/blog/?p=10272



就寝中の姫を襲おうとする奴隷頭モノスタトスの歌にこめられた、女ができないのは自分の黒い肌のせいという嘆き。彼女にふられるのは、肌の色でなく貴方の心のありようだと伝えたいではないか。そこへ「夜の女王」がやってきて復讐を誓う有名なアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」 がははじまる。玉がころがるような難技巧コロラトゥーラを披露して盛り上がる女王の歌は、娘への威嚇でもある。姫にとっては父であり、自分にとっては夫であるザラストロを刺すようにと命じて剣をおしつける「夜の女王」の豹変ぶりに驚きおびえる姫。おびえるのは姫だけではない。

悪魔とののしられたザラストロが、思慮深く娘思いのパパだったと理解するにつれ、ママ「夜の女王」の憎い夫謀殺案の手口には、夫婦の深い溝と憎しみに笑えるくらいに戦慄する。悪と善が完全に入れ替わる意外性は、このオペラに大衆をあきさせないおもしろみと、社会のシステムへの不満のガスぬきをも与えている。これは、現代でも充分に通用する。またこのあたりの母と娘の関係は、妊娠中の安達祐実さんと、ヌード写真集を出すというママのあり方を彷彿させる。

軽率で野卑だが本音を炸裂するパパゲーノと、真面目でいいつけをきちんと守る王子の対比。一度は、王子の心変わりを疑い、絶望のあまり剣で自殺しようとまで思いつめた姫の純粋さと底の浅さ。未来の婿殿の肝試しをする父としてのザラストロの威厳と絶対性の息の詰まる迫力、復讐のためだったら娘さえも道具とする女の凄みを感じさせる夜の女王。
あくまでも格調高く芸術作品に撮ったイングマル・ベルイマンの映画をきっかけに、モーツァルトを再発見し、オペラの魅力にめざめつつある、かもしれない。やっぱりオペラは、CDで聴くだけではね・・・。
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/5280ad0a4760e364c229874fd294a921




オペラ「魔笛」を超えたベルイマンの「魔笛」

12歳にして既にワグネリアン(ワーグナー信者)だったという。そんなベルイマンがフランス・オペラの作曲家アンブロワーズ・トマの「ミニョン」と共に無二受け入れたオペラがモーツァルトのオペラ「魔笛」。

本作「魔笛」は演劇と映画を知り尽くしている人だから撮りえた映像、演出方法だと思う。
オペラ「魔笛」を愛し、自らの血肉ともなっているからこそ描きえた作品だと思う。
そして子供も楽しめる楽しさ、分かりやすさ。
本作をみて私も改めて「魔笛」の魅力を教えてもらった。

「われわれの職業はエンタテイメントです。楽しさといっても陽気なのも深刻なのもありますが、重要なのはそれは皆観客のためのものだということです。観客なんかどうでもいいという人がいますが、ぼくには理解できませんね、われわれを認めてくれるのは観客なんですからね」(「ヴェッコ・レヴィーン」誌・1956年第九号) 

「魔笛」の序曲が流れる。
オペラ「魔笛」が上演されているストックホルム市郊外の小島にあるドロットニングホルム王立劇場の外観から始まる映像。

この劇場は1760年に建てられ、国王グスタフ3世の暗殺現場で彼の死後閉鎖されたままであったが、20世紀に入ってから封印が解かれ、夏の間だけオペラ上演がされるようになった劇場。200席ほどのこの劇場は、ロココ調の内装と18世紀当時の舞台機能がsんまま残されている稀有な劇場で、この映画で一躍世界的に脚光を浴びたそうです。長時間のライトの持込は危険なため、ほとんどのシーンをスタジオで再現して撮影とのこと。


そして舞台正面。
世界各国のあらゆる世代の人々の、舞台を見ている表情がクローズアップで次々と映し出されれていく。この中にはベルイマン作品の常連のエルランド・ヨセフソン、撮影のスヴェン・ニイクヴィストの貌も見える。そしてベルイマンとリブ・ウルマンの娘の顔も映されているとのこと。途中幾度か舞台をじっと見入る少女の顔が映し出されているけれど彼女かしら。二人によく似ている。利発そうな目をした子。

これも演出の一つなのでしょう。途中何度か舞台をみている少女の映像が挿入されるが、目障りでなく、むしろ見る側としてほっと一息つくそのタイミングで挿入されており、この辺りにも観客の呼吸に視線をおいたベルイマンの演出の巧みさというか、鋭い感性を感じる。見るものに舞台劇を印象付ける。

拍手と共に第一幕の幕が開く。
みるからに張りぼてのユーモラスな恐竜が現われ王子タミーノを襲う。3人の侍女が恐竜を退治し、夜の女王に報告に行く。舞台で演じられている劇であることを感じさせる。

画面が変わり、
ここから一挙に映画とオペラの「魔笛」の世界に誘い込まれる。
道化役パパゲーノが寝過ごして大慌てで舞台に登場する。

あくまでも額縁の中で演じられる舞台劇という印象を見せながら、スタジオ撮影の映像がなんの違和感なく舞台と繋がる。

また歌の場面では歌詞の一部がパネルで現われたり、幕間があり楽屋裏を映すという大胆な演出も行っている。けれど、この幕間がさらに登場人物たちをより強く印象付ける効果をもたらしている。それが次の第2幕に自然に引き継がれていく。
大胆奇抜ともいえるこれらの演出が、物語の世界を損なうことなく、むしろ見るものにより分かりやすく、その印象を深くしている。
オペラ「魔笛」も見ていて、舞台を現代に置き換えて映画化されたケネス・プラナーの「魔笛」も見た私は、そして見ている私が更に誘い込まれる、ベルイマンのこの演出は見事というしかない。知り尽くしたからこその演出方法。

舞台美術も素晴らしい。
撮影はベルイマンとコンビを組んでいるスヴェン・ニクヴィスト。彼の撮影する光は素晴らしい。

本作も冒頭の映像が素晴らしい。時刻は夕暮れでしょうか。茜色に染まる水の揺らぎ、そして夕日で茜色の中の木立、その向こうに見える劇場。「叫びとささやき」では北欧のしんと冷えたく冴え渡る空気すら感じる木立に差し込む光。好きな映像です。


本作は、スウェーデン放送協会が創立50周年の記念番組として1975年の元旦放送用に「魔笛」のテレビ版をベルイマンに依頼した作品とのこと。子供たちもわかるようにとオリジナルのドイツ語による歌唱ではなくてスウェーデン語による翻訳だったそうです。

出来上がった作品は世界が放っておく訳がなく、カンヌ映画祭では特別上映され、絶賛を浴び、その後各国で上映され、数数の賞を受賞し、全米批評家協会賞では「オペラをいいかに満足に映画化することへの実践」という特別賞を受賞しています。

台本はベルイマン自身によって改編され、原作のフリーメーソンの秘儀的な部分は大幅に削られ、また話の流れの順序も一部変更をしたそうです。登場する役者は全てオペラ歌手を起用していますが、美声よりも自然な声の持ち主のほうを採用したとのこと。
 


ベルイマンが「魔笛」で高らかに謳いあげているのは「愛」

愛はあらゆる試練を甘美にする
愛こそ毎日の暮らしの生気を与え、自然に生きる存在
何より尊いのは男女の愛。愛が人間を神性に導く。
二人の人間の真実の愛は叡智の始まりだ。 

パパゲーノとパパゲーナの生命力あふれる愛
タミーノとパミーナが煉獄の炎を越えて成就させる神聖なる愛

その一方で男と女の深い愛憎、確執も描いている。
深い淵を見るような夜の女王のザラストロに対する燃え滾る憎しみの炎
パミーナはザラストロと夜の女王との間の一人娘。二人の間にある確執は深い。
あの女に聖なる心が破壊されるというザラストロ。ザラストロに添う娘に「殺せ」と命ずる夜の女王。「ある結婚の風景」で分かれるときに内面生活を話す夫婦の凍りつくような溝と重なる。
ザラストロの家臣モノスタトスのパミーナに対する愛欲

彼は生きる意味を見つけたいと望んでいる。
二人が試練に耐え、それを示してくれるなら、私はこの領土を二人に譲ってもいいと思っている。 


「人間はどう生きるべきか」作品を通して常に問い続け、「人間の精神の冬を視つめる人」と言われるベルイマンの姿が、この「魔笛」でも、はっきりと存在している。

歌い上げる部分とセリフの部分が内面描写に、とても効果的に使い分けされており、子供たちにも登場人物の心の内が充分に伝わるだろうと思う。

これはもう、モーツァルトのオペラ「魔笛」の映画化というよりも、すでにベルイマンの「魔笛」という名の作品といえるほど、ベルイマンの他の作品に重なり、通じる。

本作は舞台で演じられるオペラ仕立てという設定だけれど、歌唱部分はあるけれど、それ以外は音楽というものが映像の前に出てこない。これはベルイマン作品全体についていえるのではないかしら。それだけ映像の引力が強いというより、音楽は流れているけれど、決して映像の前に出ることなく、音楽がさらに映像への集中力を高めている。以前ベルイマン特集を見たとき、重いから3本はきついかなって思ったけれど、見終わった後はなぜか心地よく、頭がしっかり冴えている。何故かなって思って、注意してみると、こんな風な音楽の使い方かなって気がしました。それに加えて作品の映像の素晴らしさにひきつけられる魅力もある。とても重いテーマなのだけれど疲れない。人の動きも自然な緩やかさのリズムをもっている。
映像と音楽と緩やかなリズムそして全体に流れる品位。

そして、タミーノ王子もパミーナもけっして美男美女ではないけれど、観ているうちに美しく魅力的に感じてくる。三人の童子たちも宗教画に出てくる天使のよう。


「ファニーとアレクサンデル」で少年アレクサンデルが卓上劇場で遊ぶ姿と、ベルイマンが重なる。「魔笛」をみて、改めてイングマール・ベルイマンという人の大きさと豊かさと深さを思い知った。
http://yorimichim.exblog.jp/5917972/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html#c1
[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」 中川隆
2. 中川隆[-14299] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:42:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1195]
ベルイマン監督の「魔笛」

「魔笛」の楽しさを味わうのに最適なのは、筋がどんどん進む演出ではないか、と思います(特に余り慣れていない場合)。即ちモーツアルトに多いレシタティーヴォ・セッコの早口で喋る箇所を、本当に早口で喋らせてしまうのです。その方が時間も短くなって退屈せずに済む(本当はレシタティーヴォ・セッコにはそれなりの良さがあるのですが、それはオペラに慣れてからにしましょう)。特に子供達にオペラを観せるなら、レシタティーヴォ・セッコの省略はテです!

スウエーデンのベルイマン監督の映画「魔笛」がありますが、あれがイチオシでは無いでしょうか。よく考えられた劇進行と、演出です。昔私がニューヨークに行った時、Alからベルイマン監督の「魔笛」を観るように勧められたのですが、当時はまだ持っていませんでした

(「音楽のすすめ」第2章 第29話「ウオルドーフ・アストリア・ホテル」を参照)。
http://www.kit-ya.jp/etc/club/column-002/2nd/2nd-029.html

後で買って観たらナカナカのシロモノでした。そこで使われる言語はスウエーデン語です。基本的にドイツ語もスウエーデン語も同じ言語から進化した従兄弟同士ですが、Nein, nein(ナイン、ナイン)となっている所をネイン、ネインと発音するので、時々そうだった、これはスウエーデン語だったんだ、と苦笑しています。

ベルイマン監督の映画では序曲が遅く、どうしたんだろうと思いますが、いざ開始した時、舞台を右に左にと逃げ回るのは、ぬいぐるみになった(漫画チックな姿ですが)竜と、それに追いかけられて逃げ回るタミーノ。まずはこの演出で子供達の目が開きます!そして3人の侍女たちの満面笑みを浮かべた合唱と、それに続く夜の女王の登場。この場面では背後にあるウズ状の星空は夜の表現にピッタリ合います。そして見るからに楽しそうなパパゲーノの登場と、総勢が舞台から客席に向かって並んで歌う歌の場面!これにはやられた、と思いました。オペラでは堂々と歌手が客席を見ることは滅多に無いので。タミーノは歌わなければならない義務感が少し見えましたが、あとのメンバーは歌うことが楽しくて仕方がない、という風情。

そして天から気球が降りて来ますが、その中に3人の童子に扮した少年達が乗っています。童子を演じる子供達の思いっきりの笑顔を見て、これは相当な訓練をしたな、と思いました。あのシーンは大好きです。まだ小学校にも行っていないような年齢と判断しました。大きく口を開けているし、本当に歌っているんだろうな、と思った次第。

この後は、音楽は素晴らしいのですが、ザラストロの仲間に引き入れようとする一方的なお節介に、イライラします。まるで秘密結社に引き込もうとする拉致騒ぎみたい、というのが私の本音です。でも童子達が出て来てパミーナを説得しようとする場面とか、夜の女王が再度登場してタミーノを叱る場面は素晴らしい。特に夜の女王はこの第2幕のアリアで、スタッカートを強調して歌っているのに気がつきました。そうでなければイケナイのです!

第1幕はレガートに、そして第2幕は激しいスタッカートで、と使い分けなければいけません。ここの処理は全くの正解でした(但し、あの歌の味付けにはチョッと抵抗がありました)。純声楽的に見たとき、ビルギット・ノーデンというソプラノが本当にあの音色になるのかどうかは分かりません。私の耳には、高音部になるとエコーが聴こえましたし、弱い声なのかもしれません。夜の女王だけでなく、他のキャストも本当にああいう声が出ていたかどうかは疑問です。でもコレは子供でも楽しめる「魔笛」、しかし決して子供相手だからと言って手抜きの無い「魔笛」。その場合、トリックは許されるのでは無いでしょうか。

それにザラストロを除く全キャストは生き生きとしていますし、観ていても楽しい。あのバイキンマンを思わせるような帽子を被ったモノスタトスだって楽しい。パパゲーノの言うような、そんな説教は聞きたくない、それよりも食べたいし、寝たいし、女房が欲しいよ、という主張は実は勝手にプロットを変更されたモーツアルトの抗議だったのではないでしょうか。だから最終場面で幕が降りる時、パパゲーノとパパゲーナはドウしたんだろう、とフト湧く疑問に答えるべく、カーテンが着地する直前に、そのカーテンの前に両人が現れ、それも多くの生まれた子供達を引き連れて、舞台を食っていました。ああこれは楽しい世の中だなあ、と言うところ。これが「魔笛」。キャスト達の見せる極上の笑顔と最後のシーン、これですね。ザラストロは姿格好からして力がありません。モノスタトスのことを「あの嫌らしいムーア人」などと言っているのは今日的ではないし。

途中で出て来る多くの歌、例えばパミーナが歌う「恋する男は」とかタミーノの「おお永遠の夜よ」、「多分彼はパミーナに逢えたな」とか、あるいはグロッケンシュピールを鳴らしてモノスタトス一同を骨抜きにしてしまう箇所等(その一部にシューベルト「童は見たり」と聴こえて来る)は、本当にモーツアルトが天才だという証明です。

最後に気がついた箇所を2つ。それは第1幕でザラストロがモノスタトスに77回のムチを与えようと言う場面がありますね(翻訳の付いているものとして、ショルティ盤とフリッチャイ盤で確認)。映画の画面上に出る翻訳は確実に555回のムチと出ていました。あれは間違いではありませんか。同様に、第2幕で夜の女王が登場したあと、ザラストロはパミーナと対話するのですが、そこでパミーナはザラストロのことを父上と呼ぶ対話プロットが出ていますが、原文では単にHerrと呼びかけているだけですから、額面通り受け取ると間違います。尤も修道院等では長老のことを皆、父上と呼ぶのかも知れません。このレーザーディスクは、間違いが見つかれば書き直してくれるそうなので、それに期待しましょう。

ベルイマンの映画でパパゲーノを歌っているホーケン・ハーゲゴートの顔を見ていると、私は米国YYY機構のC君を思い出して懐かしく思います。30年前に初めて逢った当時のCの顔に似ているからです。その後30年の間に、Cはすっかり体脂肪がたまり、体の外観も変ってしまいましたが、初めからああだったのではなく、もう少し締まっていた(太めだとしても)のです。Cがモーツアルトが一番好きと言っていましたが、それはオペラ「魔笛」を含むものだったのでしょうか。それでは最後に、バイエルン歌劇場で録画したウオルフガング・ザヴァリッシュの指揮したものを通して聴いて(観て)みましょう。


それにしてもパパゲーノ達は、そのあと、どこに行ってしまったのでしょう?
パパゲーノがザラストロの集団の中で暮らすなんて考えられないし、最後のシーンにも特に登場しなくても可だろうと思うのです。解説を読むと、パパゲーノとパパゲーナはサアーッと森の中に消えて行った、とあります。それで良いのです。野生児パパゲーノの生き方です。

一つ心配なのは、パパゲーノは鳥刺しですが、今まで夜の女王が買ってくれましたが、女王がいなくなって(本当?)毎日の生活のカテをどこで得たのでしょうか。また3人の童子達のMentor(導師)は誰だったのでしょう。そして魔法の笛も、グロッケンシュピールの効力は誰が持ち主でも(ザラストロ側でも夜の女王側でも)続くのでしょうか。最後に私が得た印象は、このオペラ「魔笛」の主人公は間違いなくパパゲーノです。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/column-002/appendix/appendix_037.html

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[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」 中川隆
3. 中川隆[-14298] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:43:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1194]
モーツァルトとフリーメーソン

モーツァルトは1784年にフリーメーソンに加入したようです。 理由についてはわかりません。しかし貧しくなってしまった晩年のモーツァルトにとって仕事の面でフリーメーソンに助けられたそうで すごくたすかったことでしょう。

そして「魔笛」には、 そのフリーメーソンの影響というか内部というかそういったものが見られ、 モーツァルトの同志への恩義への感謝といったものがあったそうです。 しかしこれは同志の秘密を公開したというひんしゅくを買ってしまい、 その後わずかな収入もなくなってしまうことになってしまいました。

では、「魔笛」のどういったところがフリーメーソンを表しているのかを 述べてみましょう。

序曲にはフリーメーソンの名の由来の石工の、石材を刻む音と取れる ところがあったりします。 第一幕で、ザラストロの神殿に、「自然の神殿」、「知恵の神殿」、「理性の神殿」と書かれてあり、 この三つはフリーメーソンの思想に通じるものです。

そしてその後主人公タミーノは「女を信じてはいけない」と忠告を受けますが、 これは女人禁制を示すものだそうです。

第二幕での歌「この神聖な殿堂には」では、 愛、友情、義務といったフリーメーソンの守るべきことが歌われ、 フリーメーソン賛歌と言われているそうです。
http://www.asyura2.com/sora/bd3/msg/617.html

《魔笛》に秘められた象徴

心理学者エーリッヒ・ノイマン(1905-1960)と、象徴学者アルフォンス・ローゼンベルグ(1902- 199?)の観点から《魔笛》を見てみます。

象徴としての数字
 まず始めに、2元性、2という数字の象徴について考えてみます。たとえば、上と下、右と左、天と地。これが転じて、日本語では、上手、下手、ドイツ語ではrecht(右、正しい)、link(左、間違った)といような対比的な意味に使われます。このような対比では、2つのものが一つになって完全なものになります。たとえば、光りと闇があってこの世は完全になります。光りが良い、闇が悪いと、一概には決めつけられないのです。

 《魔笛》には、この2元性の問題がたくさん出てきます。男性と女性、長調と短調、火と水、太陽と月、陽と陰。陽はエネルギーで、陰はそのエネルギーを受けています。具体的には、パパゲーノとパパゲーナ、タミーノ とパミーナ、ザラストロと夜の女王、といった対比です。
 3という数字は「時間」を象徴しています。過去、現在、未来。新月、三日月、満月。すなわち、3は時間とお月さまに関係しています。キリスト教の三位一体や、フリーメースンでも3は重要です。《魔笛》では、3人の童子、3人の侍女、タミーノが入ろうとした3つの神殿などが出てきて、随所に、3和音が3回現れる場面があります。

 一方、4という数字は場所を示します。部屋は四角いですよね。一年は春夏秋冬に別れます。すなわち、太陽と関係しています。東西南北も太陽の動きに関係した場所です。


フリーメースン
 《魔笛》の中には、フリーメースンの思想が入っています。フリーメースンとは何でしょうか。中世に大きな教会を造る時、建築家、大工さん、石工職人、彫刻家をヨーロッパ中から集めた。これらの職人達の集まりがフリーメースンです。彼らはとても優秀でした。彼らは政治や宗教の世界には直接は所属していませんでしたので、教会の枠を越えた科学技術の知識が豊かでした。その為、職業団体であったフリーメースンが、徐々に、知識階層のエリートクラブに代わっていったのです。知識を交換し、秘密を守り、通過儀礼として人間を鍛える。教会にとって、フリーメースンは聖 堂を建てるために必要だったけれども、その思想とは相容れない場合もあり、時代によってはフリーメースンを禁止しました。

フリーメースン思想でも、神が世界を造ったのですが、その後人間に世界を任せるところがキリスト教と異なります。フリーメースンによれば、神もコンパスを使って世界を設計した。フリーメースンの歌では神という言葉は避けていますが、一応、聖書を信じています。フリーメースンの儀式では、今も聖書、分度器、水準器、コンパスなどを使います。

 フリーメースンに入るためには入信会があり、そこで人間として鍛えられます。裸で自分の持ち物なしに、暗い部屋に入れられ、自分と対面する。タミーノが蛇に追われているときに気絶するのも、その象徴であるかもしれません。蛇というのが自分の一部で、それと始めて対面して気絶する。

 この入信会を経て、職人として弟子入りして、やがて親方(Meister)になる。これが、ドイツのマイスター制度で、原則として男性社会です。オペラの中でもザラストロとその僧侶達はフリーメースンの世界であり、女性の悪口ばかり言っています。しかし、不思議なことに、最後にはパミーナを仲間として受け入れる。

イシスとオシリス
 大昔の社会は女性社会でした。日本でも、天照大神がいます。《魔笛》にはイシスとオシリスというエジプトの神が出てきます。エーリッヒ・ノイマンは様々な文化での女神をとり上げて、die grosse Mutter という本を書いています。

 イシス・オシリス信仰によれば、母は海のようなもので、人間は生まれる時だけでなく、死ぬときも母に帰る。お母さんから生まれ、お母さんに戻る。女神イシスは男神オシリスより主導権を握っています。イシスは双子の兄弟のオシリスと結婚しますが、オシリスは殺されて、粉々にされてしまいます。イシスはその破片を集めて、もう一度命を吹き込んで、子供をもうけます。母性的なものが命の源泉になっている。これが、エジプト人のミイラ信仰となり、キリスト教では、復活思想として受け継がれます。

 グリム童話などでは、魔法使いとか悪いお母さんが出てきます。これは、母性の中に、そういう二つの面があるからです。子供は親がいなくても育つけど、親は子供が可愛くて手放したがらない。これは、夜の女王の心理に出てきます。ですから、タミーノがパミーナと結婚する条件は、パミーナを夜の女王の所に連れ戻すことです。夜の女王の心理は女神のようだといえるでしょう。


フルートの原型
 フルートと笛は、形は男性的ですが、音は女性的です。一方、太鼓は形は女性的ですが、音は男性的です。多くの古代文化では女性は笛を吹くことが許されなかった。戦争などで精神を鼓舞するために使う男性の楽器だったからです。
お祭りの笛でも男性的迫力がありますね。ギリシャ神話ではフルートはディオニソスという神の楽器でした。ディオニソス(バッカス)は踊り、お酒、そして女性に陶酔してしまう本能的な神です。それに対して、弦楽器はアポロンの楽器でした。アポロンは技術とか数学のような文化的な神様です。弦楽器の手入れは調律など大変で知識のいる楽器ですが、それに対してフルートは原始的です。弦楽器はそのあとの時代に生まれた文化的な所産です。


ジングシュピール
 《魔笛》はジングシュピールの形態をとっており、会話が多く取り入れられています。この形態は《魔笛》の前では《後宮からの逃走》にもみられます。フランス革命の時代ですから、このような庶民的な形態に人気がでてきました。

しかし《魔笛》にはせりふと同時にイタリアのオペラ・セリアから取り入れたレチタティーヴォ・アコンパニャートといった、音楽を伴った語りがあります。3人の童子は喋らないで歌うだけです。多分、モーツァルトにとってこの童子たちは人間ではなく、違う世界から来た天使なのでしょう。ウェーバーの《魔弾の射手》、ベートーヴェンの《フィデリオ》もジングシュピール的要素がありますね。

 《魔笛》の構成は2幕になっています。しかし、エーリッヒ・ノイマンは《魔笛》の台本をみて、これは実質的には3幕の構成とも考えられる、と言っています。2幕でタミーノとパミーナが二人で火と水の試練に耐え抜いた後の、フィナーレからが3幕ではないかというのです。

 この3幕説は、調性から考えても裏付けることができます。

 《魔笛》の調の構成は以下のようになっています。


第1幕
 Es [ c-C -Es-B-B-G-Es-C ]
第2幕(フィナーレの前まで)
 F- [ F-C-G-C-d-E-A-g-D-B-F ]
第3幕(フィナーレ)
 Es-c-F-C-G(g)-C-G-c-Es

この構成を見ると、音楽的にも第2幕フィナーレが第3幕といってもいいような構成になっていることが判ります。…
…(登場人物の主な調、調の特性についてピアノ演奏による実演説明)。

舞台装置、登場人物の類型
 舞台について見てみます。タミーノは「日本から来た」王子です。この時代の人はギリシャ神話に飽きて、東洋趣味がありました。タミーノがザラストロの寺院にくると、三つの入り口があります。Natur (自然、天性)、Vernunft(分別、理性)、Weisheit(知恵、知性)です。

 なぜ、ザラストロがパミーナを夜の女王から奪って彼の寺院に連れてきたか。
これにはいろいろな説があります。

通常の説は、パミーナの父親とザラストロが友人で、父親が死ぬときにパミーナをザラストロに託した、というものです。

もう一つの説は、本当はザラストロは夜の女王の旦那さんで、今は離婚した、というものです。

 エジプト風の寺院にパミーナは捕らわれています。そして、見張りの黒人モノスタトスに狙われています。モノスタトスの取り扱いには人種差別にならないように気を付けなければなりません。モノスタトスがこの寺にいる理由としては、彼が違う寺からここに見習いに来たという説と、アフリカからの留学生であったという説があります。なぜザラストロがモノスタトスのような邪心を抱く人間を自分の側に置きパミーナを見張らせているのか、は面白い問題で、次のようなノイマンの説があります。

ザラストロのような聖職者は、建前上、禁欲的な生活を送り奔放なことができない。

そのザラストロが押さえている邪心、すなわちザラストロの影としてモノスタトスが登場している、というものです。

ザラストロは立場上、パミーナが好き、とは絶対に言えない。モノスタトスを通して、その邪悪な心の一面を具現させている、というわけです。ここにも、《魔笛》の2元性が出ている、とエーリッヒ・ノイマンが言っています。

ですから、ザラストロがモノスタトスを罰するのは、自分の影を罰しているマゾヒズムでもあるわけです。

 このザラストロの人格を見るために、ベルイマンの映画の一幕のフィナーレを観てみましょう。……(鑑賞)……。 皆さんは、ザラストロの2元性についてどう感じましたか?

 パパゲーノは羽の付いた鳥人で、鳥を捕って夜の女王に捧げて暮らしている。
羽の付いた人間というのは、人間離れして少し天使に近いという象徴でもあります。


音楽的特徴 (一部省略)

拍子について 
 2拍子と3拍子について検討してみます。2拍子と4拍子は歩くリズムですが、3拍子は踊りのリズムです。昔は、3拍子は三位一体を象徴する神のリズムとして、完璧なリズム tempus perfectus と呼ばれていました。4拍子は(神からすると不完全な)人間が歩くのに自然なリズムなので、tempus imperfectusと呼ばれていました。4拍子を表す楽譜記号に現在、アルファベットの C を使いますが、これは、もともとは、不完全なリズムという意味で、半円を表していたのです。

 《魔笛》では3拍子は全体的には少なく、ここぞという箇所で効果的に使われています。……(一部省略、ピアノによる実演)。

6/8拍子が使われる場所
(1)第1番 中間部 G-dur allegretto 3人の侍女
(2)第7番 Es-dur andantino
            パミーナとパパゲーノ
(3)第16番 A-dur allegretto 3人の童子
(4)第17番 g-moll andante パミーナのアリア
(5)第20番 中間部 F-dur allegro パパゲーノ
(6)第21番 後半 G-dur allegro  パパゲーノ
        (g-moll andante)  
3/4拍子が使われる場所
(1)第4番 前半 g-moll largo
             夜の女王のアリア
(2)第10番 F-dur adagio ザラストロのアリア
(3)第21番 前半 Es-dur allegro 3人の童子
(4)第21番 中間部 F-dur andante パミーナ

何れも、神の助けと関連して、神への祈りのリズムとして使われていることがわかります。


ゲーテの《魔笛》続編
 ゲーテは、未完ですが《魔笛》の続編のジングシュピールを書いています。
《魔笛》と対比してみると興味深いので、粗筋をご紹介しましょう。

 ゲーテの話では、まず、パパゲーノとパパゲーナは結婚して、結婚のプレゼントとしてタミーノから魔笛を鳥あつめのためにもらいました。ところが、あれ程子供を望んだのに、子供ができない。

 パミーナとタミーノの間には子供が生まれますが、生まれたばかりの男の子は、夜の女王の依頼により3人の侍女とモノスタトスに盗まれてしまいます。夜の女王はモノスタトスと結婚の約束をしています。

 盗んだ子供は箱の中に入れられてしまいます。子供の居なくなったパミーナとタミーノは夫婦仲が悪くなってしまいます。タミーノはザラストロの後継者になっているので、ザラストロは、新しい道を求めて巡礼に出る。そして、パパゲーノとパパゲーナに会い、パパゲーノ達の魔笛でタミーノ達を助けようとする。ザラストロはパパゲーノ達に子供ができるように3つの大きな卵を与えます。その卵がかえって、パパゲーノ達は子供を 連れて宮殿に行き、魔笛を吹く。

そうするとパミーナとタミーノの間の愛情が戻ってくる。そして最終的に魔笛のお陰で、箱に入れられた子供も外に出ることができる。しかし、その子供はその時、天使のように羽が生えており、空に飛び去ってしまう。ここで、この物語は終わっています。

 ゲーテの物語では、《魔笛》では或る意味で不真面目とみられたパパゲーノがタミーノ達を救います。パパゲーノの自然のエネルギーが知恵のあるタミーノ達を助ける。知恵だけでは人生は旨く行かない、というゲーテの教訓です。また、権力のあったザラストロも新しいものを求めて出直している。すなわち、これらを通してゲーテが訴えようとしているのは、《魔笛》で出てくる Natur (自然)、Vernunft(分別)、Weisheit(知恵) の3つのバランスの大事さのようです。  
http://www.asyura2.com/sora/bd3/msg/617.html


モノローグ「魔笛」について

様々な工夫
このオペラ、鳥の羽根に覆われたパパゲーノが出て来たり、3人の童子が雲にのって現れたりするので、幼児でも楽しめるところがあります。WEBには、オーストリアでは「人生で最初に接するオペラ」、と「魔笛」を紹介する記事があります。目で観ても楽しめる上に、ワクワクするような旋律や、鳥や蛇などの動物も登場するので楽しい。しかし、「魔笛」はそれだけではないのです。

先に述べた「夜の女王」の最初のアリアはどんなイタリア・オペラより高い声を要する難曲ですし、技術的にも難しく、大変な曲です。大変親しみ易く、そして物凄く難しい曲。ああいう音の階段は滑らかにレガートで歌うのも良いし、逆に階段のエッジを立ててキリキリと歌うのも良いと思います。私自身はどちらかと言えば後者が好き。その方が、「魔笛」全体としての夜の女王のイメージと一致します。

もしこれを歌い分けて、2ツあるアリアのうち最初の方で滑らかさ、切なさ、哀しく訴えるさまを強調し、後のアリアの方では復讐や、怒り狂った心をキリキリと歌うのなら、本当に驚異的な夜の女王になりますが、実演でも録音でも、そういう歌い分けはまだ聴いたことがありません。

初期にTVで観たのは畑中良輔氏のパパゲーノ。ただし畑中氏は当時から少し中年太りだった(失礼)し、一般にパパゲーノ歌いと言われる人は殆どが中年太りです。まずい! ここで鑑賞に堪えるような体形をしたクヌート・スクラムとかチェーザレ・シェピのような人が演じたら良いのに、と考える次第。

3人の童子役は大概は大人の女声に頼っていますが、あれだって本来のボーイ・ソプラノ(ベルイマン監督の映画や、ショルティ盤はボーイ・ソプラノです)だったら良いのに、と思います(実際には、歌う勤務時間が深夜に及ぶので、不可能)。それでも第1幕第1場でパパゲーノとタミーノ、そして3名の侍女と夜の女王、と次々と現れるところは圧巻ですね。そして第1幕第2場に至ると黒人モノスタトスが登場し、舞台はエジプトっぽくなります。

これらはしっかりした演出があれば、確実に観衆の目を釘付けにできます。演出計画が肝要! めまぐるしい程の変化と、それぞれに珍しい人間の姿、これで子供の目を引きつけられないはずがありません。手練手管を尽くし、子供達でも退屈しないように工夫してあるのが「魔笛」。

これが第2幕に入るや否や全体がザラストロの支配に屈してしまう。
これは返す返すも残念です。音楽は良いのですが、あのプロットの醸し出す教訓臭さに、私はうんざりしてしまいます。

音楽の作曲が進んでいるのに、途中で劇の進行プロットが変更されたからですね。という訳で、私が楽しんで聴くのは主として第1幕です。
第2幕でも2人の武士が歌う壮大な2重唱とか、夜の女王の怒り狂う歌とか、素晴らしい音楽が次々と飛び出して来ます。でも、基本的にそこはザラストロの世界。尤もらしいが、しつこく、重厚壮大な一方、面白くもへったくれも無い結末になってしまう(これは全く私の独断です)。
第2幕で初登場するモノスタトスって、英語で言えばモンスター(化け物)ですし、ザラストロとは拝火教徒のゾロアスターでしょう? と書くと色々物議をかもし出すかも。


「魔笛」の筋立て
第1幕の時代は大昔。世の中は夜を支配する夜の女王と、昼を支配する昼の王がいました。両者の間にはパミーナという娘がいました。やがて昼の王が亡くなり、その後を継ぐのがザラストロ(プロットが混乱して、まるでザラストロがパミーナの父親のように思っている方は御注意)。

ストーリーの始め、ある国の王子タミーノは大蛇に追いかけられ、逃げ回っています。恐怖のあまり失神してしまったところ、夜の女王に仕える3人の侍女が現れ、大蛇を殺してタミーノを救います。そこにやって来たのがパパゲーノ。彼は自然児で、自由に鳥を捕らえては夜の女王に献上し、その代償としてパンやワインを貰って生計を立てています。彼が、目を覚ましたタミーノに問われ、大蛇もパパゲーノ自身が殺した、と説明します。

このウソに怒る3人の侍女達は、パパゲーノに罰を加えますが、そこに現れたのが夜の女王その人。娘を拉致された悲しみを歌い上げます。タミーノとパパゲーノはザラストロの宮殿に押し入る約束をして、一緒に救出に出掛けることにします。侍女達は魔法の笛と、危機から救い出してくれるグロッケンシュピール(チェレスタみたいな楽器)をタミーノ、パパゲーノに渡し、さらに3人の童子の乗った「空飛ぶ雲」の後をついて行くように申し渡します。

(ここまでは別段不思議でも無いのですが、それはプロット作者が最初はそのように書き、モーツアルトはそれを忠実にオペラ化したからです。ところがプロット作者はここで別の考えに基づき、悪玉だったザラストロを善玉の修道者にしてしまい、逆に善玉だった夜の女王はヒステリーを起こした哀れな女として悪玉にしてしまいました)

第2幕でパミーナはザラストロの集団の中にいますが、パミーナにはまだなぜ自分が此処に、という疑問が解けません(解けるはずが無い。ザラストロのやり方は拉致ですから)。タミーノは修道士たちから試練の大切さ、その難しさを刻み込まれ、もうすっかりザラストロの手中です。

夜の女王の侍女達が現れ、なぜそこに居るのですか、と聴きますがもう手遅れ。パミーナの目の前には夜の女王本人が現れ、父親手製の短剣を与え、あのザラストロを仕留めるように、と命じて消えます。パミーナは躊躇いを見せますが、そこに現れたザラストロから静かに時を待て、と言われます。

試練は続き、タミーノとパパゲーノは沈黙を守るよう教え込まれます。じっと我慢すれば、タミーノはパミーナを伴侶として得られ、またパパゲーノはパパゲーナを伴侶として得られることを告げられます。タミーノはそうしようとしますが、パパゲーノの口を塞ぐのは大変なこと。おまけにパパゲーノの目の前にはパパゲーナが変装して現れたりして、撹乱します。一方パミーナは沈黙を強いられたタミーノに何も聴いて貰えないので絶望しており、手にした短剣で自らの命を断とうとしますが、あの雲に乗った童子達によって止められます。ついにパミーナはタミーノと共に修練を積むことを許され、これから一緒に行くようにと言われます。多くの悪霊達のいる炎の中に入って行きますが、両人は修練に耐えました。

また夜の女王とその一群は最後の勝負に出ますが、あたわず、地面の割れ目に落ちて行きます。一方パパゲーノはそういうことに関心無く、パパゲーナと一緒に森の中に走って行って子沢山になったというストーリー。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/column-002/appendix/appendix_036.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html#c3

[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」 中川隆
4. 中川隆[-14297] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:45:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1193]
「ドイツオペラの魅力」(中島悠爾著、日本放送出版協会、1981/9)
http://books.rakuten.co.jp/rb/66039/


というちょっと古い本ですが、『状況設定への配慮こそいささか不手際があるとはいえ〜(中略)〜筋は逆転していない、少なくともシカネーダーは、しっかりつじつまを合わせている。

ここで描かれているのは、「善」と「悪」の世界の対立というよりは、

二つの世界、

「昼」と「夜」

「太陽」と「星辰」

あるいは「男の世界」と「女の世界」

せいぜい「二つの異なる価値観」の対立なのだ。』


という趣旨を述べられています。
http://d.hatena.ne.jp/wagnerianchan/comment?date=20100127§ion=1264603319


魔笛談義〜魔笛の由来〜


モーツァルトのオペラ魔笛のあらすじや台本の不備については今日までいろいろと数多くの非難、論評がなされている。あの美しい音楽と台本とのアンバランスがついつい目立ってしまうのだろう。

いわく「善玉と悪玉が途中で逆転してしまう」「筋書きが途中から変更された」とか、「信じ難い展開ばかりが続く支離滅裂な台本だ」という類の話である。

しかし、「このオペラの台本をよく読めばそういうことはない」とその辺の疑問を明快に解いているのが「ドイツオペラの魅力」(著者:中島悠爾氏)だ。


まず、「このオペラは何故「魔笛」と名付けられているのか」への答えを要約してみよう。

このオペラの中で魔法の笛はたしかに重要な小道具になっているが、この笛をめぐって話が展開するほどには重要な存在ではない、それなのに何故、標題が魔笛となっているのだろうか。魔笛に親しむ人なら誰もが抱く疑問だろう。

ところが、この問いを台本の中に探ってみると、このオペラ全体の構成が実にくっきりと浮かび上がって見えてくるのだ。段階的に追ってみよう。

第一ステップ(魔法の笛の由来)
第二幕第二十八場「火と水の試練」でパミーナ(王女役)はタミーノ(王子役)に向かって言う。「この笛こそ私の父が・・・千古のカシワの樹の幹の奥の奥から刻んだ笛・・」。実はここに出てくる「私の父」を解明することこそが魔笛の台本の矛盾を解く鍵になるのである。

第二ステップ(「パミーナの父」であり「夜の女王の夫」とは一体何者なのか)
この父であり夫である人物は、このオペラに姿を現すことはないが、第二幕第八場で夜の女王が娘のパミーナに短剣を渡すときの十数行の科白の中にその死の前後の経緯が語られる。しかし、その肝心の部分がかなり長い台詞で語られるためか、ほとんどの上演でカットされてしまうのが筋が分からないという大きな混乱のもとになっている。

第三ステップ(そのカットされた十数行の科白の全容)
「かって太陽世界を支配していた偉大な王は、妻(というよりはむしろ女性)を信頼せず、死ぬ間際に太陽の世界とそれに伴う力とを神々に仕えるザラストロ達に譲ってしまう。(ただし、それ以外の宝物は形見となる魔法の笛を含めて母娘に与えた。)

しかし、妻たる夜の女王は王の真意を解せず不当な辱めを受けたとして怒りに燃える。ザラストロは無垢な少女パミーナ姫をこの母のもとに置くことに危惧の念を抱き彼女を己のもとへ連れ去ってしまう。

自分の無力を知る夜の女王は、そこで王子タミーノの力で娘を、ひいては太陽世界を奪い返そうと計る」

たしかに、以上の科白の全容で台本や筋書きに関するいろんな矛盾が大筋で氷解する。少なくとも「善玉と悪玉の逆転説」はありえないのである。

このように魔法の笛の由来をたどっていくと全体のつじつまが合う仕組みになっているので、結局、魔笛という題名は伊達ではなかった。

ただし、余談だがこのおとぎ話のようなオペラに魔笛という堅苦しい題名は似つかわしくないという意見も一部にはあるようだ。

以上、縷々魔笛という題名の由来をたどったが私の本音を言うと台本の辻褄が合わなくても少しも構わないと思っている。むしろ、破天荒さ、支離滅裂さがあったほうが、いかようにも解釈できて夢や幻のような世界にマッチしており、そのメリットの方が大きいのではないかとさえ思っている。要は音楽が美しければそれで十分。

また、台本の解釈によってさまざまな魅力が存在する魔笛はまるで指揮者の力量を示す見本市の観があって面白い。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/12089603190e8d2aec77e7b9cee5d15b

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html#c4

[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」 中川隆
5. 中川隆[-14296] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:46:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1192]

モーツァルト 魔笛
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、ウィーン・・フィルハーモニー管弦楽団

ウィーン国立歌劇場合唱団、演出ヘルベルト・グラーフ

ザラストロ(アレグザンダー・キプニス)
夜の女王(ユリア・オスヴァート)
パミーナ(ヤルミラ・ノヴォトナ)
タミーノ(ヘルゲ・ロスヴェンゲ)
パパゲーノ(ヴィリー・ドムグラーフ・ファスベンダー)
パパゲーナ(ドーラ・コマレク)

第一の侍女(ヒルデ・コネツニ)、第二の侍女(ステファニア・フラトニコヴァ)、第三の侍女(ケルスティン・トルボルク)

三人の童子(クルト・ペッヒ、アルバート・フュエル、フリッツ・マーシャ)

弁者(アルフレート・イェルガー)、モノスタトス(ウィリアム・ウェルニク)、司祭(リヒャルト・サラバ)、二人の武装した男(アントン・デルモータ、カール・ビッスティ)


1937年7月30日、ザルツブルグ音楽祭。NAXOSのHistorical。


▼付録のライナー・ノーツの音源の記録(英語)から:1937年にザルツブルグ音楽祭で制作された6つのオペラは8mmセレノフォン・フィルムで録音された。

6作とは、トスカニーニの『フィデリオ』『ファルスタッフ』『マイスタージンガー』『魔笛』とワルターの『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』である。

NBCはコピーを申請したが、事務員のタイプ・ミスで『フィデリオ』が落ちてしまったため、それは送られず、結局戦争で消失してしまった。他の録音はディスクに移された。この『魔笛』のテープはガードナー・コレクション(彼はトスカニーニが好んだ録音技師の一人)にあったもので、彼のトスカニーニの録音は1965年と1983年にリチャード・カニエルに遺贈された。


▼リチャード・カニエルのライナー・ノーツ"A full measure of magic" Toscanini and The Magic Flute(英語)から:ロンドンの「タイムズ」の音楽時評は1937年8月14日のコラムでこう述べていた。

「トスカニーニの『魔笛』の再創造はヘルベルト・グラーフの舞台と共に、“魔法でいっぱい”であった。

トスカニーニ師はモーツアルトには水晶の明晰さがあるという見方を取った。

彼は『魔笛』のフリーメーソンの詩句のすべては厳粛に、序曲の冒頭から終幕の合唱まで、印象的な幅と威厳をもたらしただけでなく、すべてにおいてクリアであった。

明晰なテクスチュアが最も音楽的な効果を生み出した。

特にパパゲーノの歌はもちろん、モノスタトスの“誰でも恋をする”でさえ、想像力豊かな音楽となった。

夜の女王の第2のアリアは凄い速さで、人間の声の美しさと音楽的な能力の拡充の成果となった。・・・その効果は驚くべき美しさだった」


▼宇野功芳の評価

 「史上最悪の《魔笛》だな。こんなの聴いたことないよ。

 まず序曲ですね。癇癪もちのモーツアルト。速くて、せっかちで、モーツアルトではなくて完全にトスカニーニの音楽になっているね。

 序曲が終わって、大蛇に追われながらタミーノが登場します。このタミーノが大時代的なんだよ。「俺は英雄だ」っていっているようだね。

三人の侍女がそろいもそろってみんなずり上げ専門。

ぼくにはとうていモーツアルトとは思えない。ひどいよ。フォルテも強くてベートーヴェンのようだしね。


 第三曲、タミーノのアリアも表情をつけすぎ、語りすぎ、歌いすぎです。

 第五曲、五重唱、「フム、フム、フム・・・」は元気がよすぎる。音楽を汚しちゃているんだよね。

元気良く歌えばモーツアルトになるという、ひとつのパターンがあって、不必要に元気のいい表情をつけてしまう。だからしゃべりすぎてメロディーがわからないんですよ。五人全員が表情をつけすぎ、活発すぎ、そしてずり上げる。それから変なところで音がはずむ。それがモーツアルトだと思っているからね。

 第六曲ではモノスタトスが出てくるんだけれど。どういう音楽だかさっぱりわからないですよ。メロディーを崩してしまっているから。

パパゲーノと「フー」「フー」といい合うところは、ふざけすぎ。音程をなくしちゃってるんだ。ただ奇声をあげているだけ。

音程をなくしてどうします。ハーモニーになるところもあるんだからね。
しかも、最後にアッチェレランドまでかけるんだ。


 第七曲の『愛を知るものは』というパミーナとパパゲーノの二重唱ですが、音楽の美しさがまるでわからないですね。

奴隷たちが出てきてパパゲーノが鈴を振る。この鈴の音がひどい。

チンドン屋です。音を硬くし、しかも音程を狂わせているんだな。

これはほんとうにひどいです。
トスカニーニは音楽を破壊するためにやっているようなものですよ。


 三人の童子はウィーン少年合唱団が歌っています。これが出て来るとホッとするんだ。さすがに少年はずり上げないですよ。そこだけまともな音楽という感じがする。


 第ニ幕に入ってきて、第十四曲、夜の女王のアリアは細かい音程がいい加減ですね。

 第十五曲、ザラストロはいかにも偉そう。
「俺は偉いんだぞ」といっているようです。タミーノと同じで大時代的。

 第十七曲、パミーナのアリアは、悲しみによよと泣き崩れるようですな。まあそれはそれでいいと思いましたよ。


 許せないのは第二十曲、パパゲーノのアリアの合間に聞かれる鍵盤付きグロッケンシュピールだ(鍵盤付きの鉄琴)。

歌と音程が違うんですよね。半音くらい低いんですよ。違う調がなるんだ。

ほんと、腹立たしくなって、CDを叩き壊したくなったよ。

パパゲーノが「恋人が欲しい」と哀れっぽく歌うんだけれど。
これが泣いているんだか、笑っているんだかわからないんですよ。
表情をたくさんつければいいと思っているんですよねえ。


 面白いと思ったのは、超一流の指揮者で、しかもオペラの悪しき慣習を改革していったトスカニーニと、天下のウィーンフィルが、こういう音程のずれた音楽をわざわざ求めているということですね。

ぼくだったら怒りますよ。ぼくが聴衆だったらブーイングだし、指揮者だったらそんなことはさせない。

ということはぼくが日本人だからかな、とも思った。

本場の人はそういうのは超越しちゃうのかな、

トスカニーニやウィーンフィルみたいに、あんな耳のいい連中が怒らないでやっているわけでしょ。こっちは気持ち悪くてCDを叩き壊してやりたいと思っているのに、これは面白い現象だと思った。

 とにかく、このパパゲーノのアリアをみんなに聞いて欲しいな。

日本人はみんな癪にさわると思うよ。

今のウィーンの人たちにもこれを聴かせたいね。それでどう思うのか聞いてみたい。とても耐えられないというかもしれないしね。


 第二幕の最後に大合唱があるでしょう。コーラスが全員ずり上げるんですよ。

馬鹿じゃないかと思うね。だいたいモーツアルトの演奏というのは、基本が清潔でないと駄目なんですよ。その清潔さの中で気持ちをこめていかないと。みんなでずり上げたんじゃぶち壊しですよ」
http://homepage3.nifty.com/akiraikeda/music/magiccd.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html#c5

[近代史3] モーツァルト 歌劇「魔笛」 中川隆
6. 中川隆[-14295] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:47:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1191]
モーツァルト 魔笛
ブルーノ・ワルター指揮、メトロポリタン歌劇場、マチネー興業(昼興業)の放送

ザラストロ(ジェローム・ハインズ)
夜の女王(ロバータ・ピータース)
パミーナ(ルシーネ・アマーラ)
タミーノ(ブライアン・サリヴァン)
パパゲーノ(テオドール・ウップマン)
パパゲーナ(ローレル・ハーレイ)、弁者(ジョージ・ロンドン)
モノスタトス(ポール・フランク)

第一の侍女(ハイディ・クラル)、第二の侍女(マデレーン・チェンバーズ)、第三の侍女(サンドラ・ウォーフィールド)

童子(エミリア・クンダリ、ロザリンド・エリアス、マーガレット・ロッジェーロ)
司祭(ジェイムズ・マックラケン、オシー・ホーキンス)、護衛(アルベルト・ダ・コスタ、ルイス・スガッロ)、奴隷(ヘンリー・アーサー、ジョン・フライデル、ハル・ロバーツ)

1956年3月3日

2006年のWest Hill Radio ArchivesのCD


▼リフレッシュ盤である。

ライナーノーツの宇野功方氏の評価、

 “歌手全員がワルター・チームの一員として機能し、雄弁なドラマを展開しており、タミーノ、パミーナ、夜の女王などは本当に満足できる。

でも、真の主役はもちろんブルーノ・ワルターだ。

録音日は3月3日、例のニューヨーク・フィルとの「ジュピター」をスタジオ録音する2日前であり(ちなみに同曲のライヴは1日と2日)。あの男性的な迫力と豊麗な歌に満ちた演奏をそのままオペラに移し替えたものということができよう。いや、ここにはもっと激しい、切羽つまったものがある。


 たとえば、「序曲」の導入部。まるでベートーヴェンのようなぶ厚い響きと金管の競奏。主部に入ってからのアクセントの強調やアッチレランドによる追いこみ、そして途中のアダージョの菅合奏で、三小節目にフルートが加わると金管を押さえるという芸の細かさ、ニュアンスの多彩さ、それらがオペラ全曲に及ぶのである。

 第一幕があく。ワルターは曲の終わりまでのすべてを見通している。全体を大きくつかんで、その上に立って細部を組み立ててゆく。したがって、全体が網の目のように有機的につながっており、部分的に聞くとワルターの表現に入り込めず、大きな感銘を得ることができない。”

 “歌手の表情に大時代的なずり上げなどが目立ったり、三人の童子に女声歌手を使っているのは良いとしても、ヴィヴラートなどの人間味が出すぎていたり、パパゲーノの声質に問題があったり。さらにはいくらライヴとはいえ、歌手とオケとのずれや、プレイヤーのミスが多すぎるなど、技術面では現今の水準には達していない。また、50年代は世界中が訳詞上演全盛であり、英語で歌っていることも多少の抵抗はある。”

 “ワルターの『魔笛』ほどオーケストラがものを言っている演奏は他にはあるまい。弦も菅もあらゆる声部が歌いぬく。モーツァルトが散りばめたすべての旋律が人間の声のように歌い尽くされる。それは立体的で豊麗なハーモニーがつけられ、一方においては威厳に満ちた厳しいダイナミズムが対比される。フレーズも余韻とともに消えるかと思えば、スタッカートできっぱりと立ち切られる。このように柔と剛、女性的なるものと男性的なるものが少しも反発し合うことなく、見事に溶け合っていて、表現をいよいよ多彩なものにしているのである。

 例えば、第二幕のパパゲーノのアリア「恋人か女房か」において、弱く引き始められるチェレスタが、曲の進むにつれて鉄琴を加え、パパゲーノの夢をふくらませてゆく。「二人の武士」の金管強奏、恋人を探し求めるパパゲーノの歌のスピード感、「パ、パ、パの二重唱」の加速、終幕の最後の遅めのテンポの妙、実に素晴らしさの限りである。

 ワルターは『魔笛』をモーツァルトの遺言と考えていた。そしてモーツァルトの音楽につけられたロココの衣装を剥ぎ取り、ベートーヴェンにも匹敵するシンフォニックな迫力と楽器の抉り(えぐり=意表をつく表現をする)を優先させた。それは典雅、優美なモーツァルト演奏への挑戦であった。ワルターのおかげで、モーツァルトは真の偉大さを獲得したのである。

 もちろんノリントン、クリスティのような古楽演奏による純粋音楽美を聴き慣れた今日、ワルターの表現は、ベートーヴェンに近づけようとする意志の強すぎるというのか、あまりにスケール雄大、あまりに堂々とした威容を誇りすぎているいるかもしれない。しかし、第一幕の三人の侍女の三重唱や、その後のタミーノとパミーナを加えた五重唱を始めとして、最近流行の妙なデリカシーや弱音過多gたなく、モーツァルトの音楽がどこまでの豊かにあふれ出ている点を、僕は何よりも高く評価したい。

久しぶりに耳にしたワルターの『魔笛』は、ここに旧スタイルによるベストCDとして見事に蘇ったのである。”(2006年)
http://homepage3.nifty.com/akiraikeda/music/magiccd.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html#c6

[近代史3] クールな音楽家モーツァルト
クールな音楽家モーツァルト
---モーツァルト:ピアノ協奏曲 Nos. 11 & 14 坂崎 紀
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html


Mozart, Piano Concerto No 11 , Uchida


Mitsuko Uchida - Mozart: Piano Concerto No.14 in E flat, K.449 (Rec. 1987)


 ヒットする曲の条件は何だろう。必ずしも音楽の質だけで決まるとはいえないが、誰でもわかりやすく、多くの人が共感できる曲はヒットするといえるだろう。逆に一部の専門家しかわからないような凝った音楽、聴き手に一定水準の音楽的能力や音楽経験を要求するような曲はヒットしにくいといえる。


 この問題について、モーツァルトが1782年12月28日付の手紙の中で興味深いことを書いている。


 「予約演奏会用の協奏曲が2曲必要です。これらの協奏曲は、非常に易しいものと非常に難しいものとの中間を正確に狙ったもので、とても華やかで聴いて楽しく、シンプルで自然ですが無内容に響くことはありません。専門家のみが真に楽しめる個所もここかしこにありますが、素人でも満足を感じるはずです、たとえその理由がわからなくても。」


 ここには作曲家の職業上の秘密、あるいはモーツァルトのプロ作曲家としてのドライな面が感じられる。予約演奏会というのは前売り券を売り、演奏会を行う方式。およそ18世紀頃から公開演奏会が一般化するにつれて採用されるようになった。不特定多数の人が安価にチケットを入手できるようにするかわりに聴衆の数が多くなるように演奏会を企画して利益を上げようというものだ。いわば薄利多売。これは現在の各種演奏会の方式と本質的には同じだ。


 チケットが売れなければ話にならないから、幅広い層にアピールしなければならない。しかしモーツァルトは決して「わかりやすければいい」とか「素人にはわかりやすいものを」といってはいないし、もちろん「理解できる人だけが聴けばいい」ともいっていない。その中間を正確に狙う、というところがミソ。


 「華やかで楽しく、シンプルで自然」というはこの時代の古典主義の理念で、技巧を凝らしたり複雑さを追求した難解な音楽は好まれなかった。これはひとつには啓蒙思想による人間の自然な感覚を尊重する風潮に由来し、社会的には音楽を享受する階層がそれまでの王侯貴族から中産市民階級に拡大したためだ。


 晩年のバッハは、当時の音楽評論家から「技巧が過度、もっと自然であるべきだ」と批判されているが、これは古典主義的な音楽観からなされたものと解釈できる。「一部の音楽通の貴族にしかわからないような音楽はこれからは時代遅れ」ということなのだ。だからハイドンやモーツァルトの音楽は、ある意味ではバッハよりも単純素朴といえるが、これは音楽がより広い層に受け入れられることにつながる。


 さてウィーンといえども、音楽通の数は限られるだろう。チケット金額が同じなら、演奏会に音楽通がひとり来てくれるよりも、平均的一般人(素人)が3人来てくれた方が営業面では有利なのだ。しかしモーツァルトはもっと計算して「音楽通も満足するし、一般人も楽しめる」と書いている。つまり4人来ることを狙っているのだ。これは作るテクニックとしてはむずかしい。凝った和声や繊細な表現といったものは音楽通には受けるが、一般人にはわからない。逆に派手で明快な音楽は一般人にはわかりやすいが、そればかりだと、音楽通には内容空疎な印象を与える。


 ただ音楽というのは時間経過の中で変化していくものなので、わかりやすい部分と、やや凝った部分をうまく混ぜ合わせれば、音楽通も一般人もある程度まで満足させることは可能だろう。モーツァルトはそういう曲を書こうとしていたのだ。


 ではモーツァルトはこの手紙を書いた後、どんな協奏曲を書いたのだろうか。この手紙の直後に書かれたのはピアノ協奏曲第11番ヘ長調 K.413(387a)と第14番ハ長調 K. 415(387b)だったと考えられている。インマゼールがフォルテピアノで演奏したCDを聴いてみよう*。


 これらの曲は大局的にはウィーン古典派の音楽で、現在の基準からすると明快でわかりやすい音楽。しかし作曲された18世紀末の時点では斬新で新しい面もあったと思われる。特に第1楽章ではさまざまな音楽的要素が出てきて、感傷的なフレーズもあれば、大げさな身振りでハデなところもあるが、これらの要素のうちのいくつかは当時としては新しくユニークで音楽通向けであり、いくつかはより一般的で大衆的だったのだろう。


 モーツァルトはしばしば「神童」、「天才」といわれるから、人によってはインスピレーションに駆られて神がかり状態で一気に曲を書き上げる「ゲイジュツカ」というイメージを抱くかもしれない。しかしそれはいささかロマン主義的な幻想というべきだ。


 前掲の手紙からすると、彼は自分の音楽に対してかなりメタ認識ができており、ある意味では冷静かつ客観的に「どうすればウケるか」を考えながら作曲し、演奏していた。そう、モーツァルトは「冷静」、「カッコいい」、という2つの意味でクール cool なミュージシャンだったのだ。


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*W. A. Mozart: Clavier-Concerte 11, 13 & 14.
Orchestra Anima Erterna/ J. v. Immerseel
(Channel Classics CCS 0990)
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html


▲△▽▼



モーツァルト(1756−1791)
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html


 モーツァルトは、かつては「神童」と呼ばれ、どちらかと言えば神に祝福された、幸福な幼児のイメージで語られていた。「モーツァルトはそんな幼稚な音楽じゃない」と反論しても、かえって「何をこいつは。そういうお前自身が幼稚なんだ」という目で見られてしまう傾向があった。ベートーヴェン風の苦悩と闘争、それを経て達する歓喜の歌、あるいはブラームス流の諦観、そうしたものが「高度な音楽」であり、すばらしいものだ。ベートーヴェン以前には、真に偉大な作曲家はいない。そう思っている人が少なくなかった。


 だが苦悩と闘争というのは、いわば文学的イメージである。ホッブスは原始状態を「万人の万人に対する闘争」と考えた。その闘争を緩和するのが法による秩序であり、国家という存在なのだ。


 しかし、原始人も群れて暮らしていた。群れから離れると、生存していく上での脅威は高いものになった。誰かが大きな獲物を仕留めると、それを巡って殺し合い奪い合うのではなく、群れで分かち合うのがむしろ普通だったらしい。群れの安定性を保つために、分かち合いが義務とされ、人に分けない者は群れの成員としての資格がないとされる。また殺し合いは、群れを不安定にし、成員の生存を脅かすものとして、排除された。またその頃にはリーダーという存在も現れた。多分リーダーがまず現れ、そのリーダーが群れを統率する上で「殺すな」「分かち合え」といったことを説いたのだと思う。もちろん、そうした群れでは、獲物を最初に食べるのはリーダーだっただろう。しかし比較的に公平な分配が行われていたようだ。


 闘争がわれわれの日常の現実になるのは、「競争社会」といったものが成立したからである。闘い勝つことが美徳であり、だめなヤツは敗れ去る。そのだめなヤツの悲哀を歌うのもいい。だが単にだめで終わらず、あくまで積極的に挑戦する。それが正しい道だと誰もが思っている。「夢を追う」という言い方もある。「夢」とは、要するに他人に勝つことである。


 もちろん、勝つことだけが目的で、他人の失敗を願うといったことは卑怯だとされるが、戦争や格闘競技で相手のミスを誘うことは、正当な戦術である。相手を実力が出し切れない状況に追い込む、あるいは相手のミスに乗じて勝ちを取る、といったことが賞賛されるのだ。


 皆さんも「宋襄の仁」という言葉を聞いたことがおありだろう。宋の国の襄公は、敵軍が川を渡るのを見て、自軍の参謀が「今こそ攻撃のチャンスです」と言うのを聞かず、「今攻撃するのは卑怯である」と、そのまま見ていた。また川を渡り終えた敵軍がへとへとに疲れて、陣形を立て直すこともできないのを見て、また参謀が「今が最後のチャンスです」と言ったのに、やはり「今攻撃するのは卑怯である」と見逃し、敵軍が十分に戦闘準備するまで待っていた。


 それからやっと攻撃しかけたのだが、宋はあっけなく敗れてしまった。そこでこのように「敵に無用の情けをかける」ことを「宋襄の仁」と呼んで、中国では笑いものにする(ただし宋の国では「襄公は正々堂々としていた」というので、賞賛されたそうだ)。


 他にも井戸に落ちて「助けてくれ」と叫んでいる敵兵を憐れんで助けた兵士が、その敵兵にいきなり殺されてしまった、という話もある。このように、戦争は情け無用であって、卑怯と言われようと何と言われようと、勝つことが最大の目的だとされている。多くのスポーツは、そういう考え方で行われているだろう。


 しかし、たとえばフィギュアスケートの場合を考えてもらいたい。ある時、トップ争いをしていた女子選手がジャンプの失敗で転倒した。次に荒川静香が完璧な演技を披露して優勝した。彼女が前の選手の演技の時に「転んでくれますように」と思っていたり、転倒の瞬間に「やった、これで私のもの」と喜んでいたとすると、その後完璧な演技ができただろうか。そういうマイナスの演技イメージを思い浮かべたのでは、自分の演技にも乱れが出たことだろう。やはり「相手は完璧だった」と仮定して、全力を尽くしたのだと思う。


 芸術で「競争する」というのは、フィギュアスケート・タイプの競争である。モーツァルトは自分が完璧な作品を書けると確信していた。他人のまずい作品を嘲笑したが、それによって勝とうとしたわけではない。他の選手の転倒という事実を許せなかったのだ。相手も完璧な演技をしてもらいたい、それでこそ競技全体のレベルが高くなる。


 モーツァルトは、今日で言うADHDだったと思われる。ヒルデスハイマーの皮肉に満ちた評伝で、モーツァルトの落ち着きのない性格について、ある人が「いつもピアノに向かったときのように落ち着いていてくれればいいのに」とぼやいたという話が出てくる。音楽についてだけ、驚くべき集中力を発揮したということである。


 しかしまた、彼はバッハと並ぶ完璧な耳を持っていた。よくモーツァルトの天才を証明する逸話として、システィナ礼拝堂で歌われていた門外不出の秘曲、アレグリの『ミゼレーレ』を一度聴いただけで、その夜、宿で完全な楽譜に書いたという話が取り上げられる。だが絶対音感を持つ人は、聴いた音に対する記憶力が優れているのが普通らしい。『ミゼレーレ』は、主要声部がいささか単調な繰り返しであり、高音部に即興的なメロディを付け加えて演奏された。モーツァルトには容易に聞き取れただろうし、繰り返しも多いので、記憶することも簡単だったのだろう。



<モーツァルトの耳>


 モーツァルトの耳には軽微な奇形があった。耳殻に襞が全くなく、皿のように平板だったのだ。このページにはWikipediaからもらった肖像を掲げたが、それは生前の画像であると伝えられること、耳を髪で覆ってその現在では「モーツァルト耳」と呼ばれる奇形を隠していることに、信憑性を感じたからである。


 この『ミゼレーレ』は、タリス・スコラーズの非常に美しい演奏のCDが出ている。2005年の再録音盤は、まだ日本語解説付きで手に入るだろう。ト短調で始まり、ハ短調の装飾旋律がからむ。ここで聴くノン・ビブラートのハイCは、実に美しい。装飾音型を変えた二種類の演奏が入っていて興味深いし、解説も大いに参考になる。


 モーツァルトの天才性は、そうした『曲技団的』能力にあるのではない。そういう能力では、グラズノフの方が優っている。彼は、一度聴いた曲なら、どんな駄作でも憶えていたそうだ。だがその中で、人類史上最高の作品を書いたかというと、そうでもない。私には、むしろ絶対音感がなかったといわれるチャイコフスキーの方が、はるかに面白いと感じる。


 ロビンズ・ランドンの「モーツァルト」に次のような話が紹介されている。まだモーツァルトがさほど有名でなかった頃、ある人がアマチュアの弦楽四重奏団を作っていたが、知人からモーツァルトの楽譜を見せられ、「一度これを演奏して見給え」と言われた。しかし、彼らの技量では難しくて弾けなかった。そこで、知り合いの老作曲家にその楽譜を見せに行った。どの程度の作品か、判断してもらおうというわけである。老作曲家は、ぱらぱらとページをめくって、「かなり熟達した作曲家だな、40歳代だろう」と言った(実は20歳代の作品)。それから譜面を読み始めた。ところがそのまま黙ってしまったので、「先生、どうなんですか?」と尋ねたところ、老先生は顔を上げたが、その目はうっとりと夢見るような眼差しだった。「なんてすばらしい音楽なんだ!」と老大家は叫んだ。


 天才とは、ナニカの技術において人より優れているだけのものではない。楽譜を読むだけで頭の中に音として響くとか、逆に音を聴いただけで楽譜になるという人は多いのである。ベートーヴェンも、聴覚を失ってからでも作曲していたし、シューベルトの歌曲の楽譜を読んで感心したという。


 要するに、モーツァルトの天才性とは「なんてすばらしい音楽なんだ!」という一言に尽きる。彼はこの世で最美の音楽を書いた。ある時、イタリアの大作曲家が死んだ。人から「後継者は誰がいいでしょう?」と尋ねられたパイジェルロは、言下に「それはモーツァルトだ」と答えたそうである。「彼の音楽には少し難しいところがあるが、非常に優れている」(ランドン「モーツァルト」より)。


 モーツァルトが難しいと思う人は、今日では一人もいないだろう。だが実際、当時の人には難しく聞こえた。テンポが速く、次から次へと新しい楽想が湧いて出るので(多動性)、当時はすべてを味わい尽くすことができなかったらしい。



<モーツァルトのテンポ>


 ヒルデスハイマーの著書に、次のようなエピソードが出ている。ある裕福な市民(ブルジョア)が、娘を連れて評判の歌劇「フィガロの結婚」を見に行った。ところが、第一幕が終わっても、一つもアリアが出て来ない。「どういうことだろうね」と娘に言うと、彼女は「何を言ってるの、お父さん、もういくつもきれいなアリアが出て来たじゃないの!」と返事した。父親は、どれもレシタティーヴォだと思い込んでいたのである。なぜか。テンポが速過ぎたのだ。当時の音楽愛好家の心に染みついていたのは、グルックのオペラであった。そのテンポは、現代では当時よりやや速く演奏されているが、実はかなり遅く、変化も少ない。要するにメロディは聴き取りやすい。


 話し相手より少し遅いテンポで話せば、相手をリラックスさせ、説得力が増すという実験結果があるそうだ。最近は、私には聞き取れないほど早口にしゃべる人がいて、就職面接で「頭の回転が速い、雄弁だ」と思わせることがあるらしい。ところが、そういう人に営業を担当させたらさっぱりだったということが多い。顧客から見ると、相手の思惑に関係なく、言いたいことをぺらぺらとしゃべりまくっただけで、営業になっていない。組織のリーダーや営業マンは、しゃべる能力より聴く能力の方が重要なものらしい。


 アメリカン・ジョークの一つに、こういう話がある。鉄鋼王カーネギーのところに、一人の客が尋ねてきた。秘書が部屋の外で聴いていると、その客はのべつ幕なしに何かをしゃべり続けている。カーネギーは時折「ふむふむ」、「ほう」と相槌を打つだけである。やがて用件が終わって部屋から出て来た客は、感嘆して叫んだ。「なんて話し上手な人なんだ!」


 よく「話し上手は聞き上手」と言うが、上記のエピソードは、本当にあった話かも知れない。「王者」たるものは、聞き上手でなければならないのである。たとえば戦国を制した徳川家康は、家臣の意見をよく聞いたそうだ。時には疑問があっても家臣の言う通りに動く。結局彼が覇者になった一番の理由が、そこにあると言う人もある。


 モーツァルトの音楽は、当時の人々にとっては早口で一方的にしゃべりまくる営業マンのようだっただろう。だが、すでに次の世代(娘の世代)は、モーツァルトのテンポを聞き取ることができるようになっていた。モーツァルトが死んでから、ウィーンは空前のモーツァルト・ブームに沸いたが、それは偶然ではないのだ。


 音楽のテンポは、ある程度社会性を帯びている。江戸時代の日本は、すべてのテンポが緩やかだった。オランダ人が江戸の町を歩いていたら、向こうから誰かが歩いて来る。「いずれは道を譲り合うことになる」と思いながら歩いて行くと、薄ら笑いを浮かべながら、どこまでもまっすぐ進んでくる。ぶつかる寸前になって「あぶない」と、とっさに身をかわしたが、見ていると日本人は何事もなかったかのように、なおもそのまままっすぐ歩いて行く。


 実際、町人同士がぶつかり合うまでまっすぐ歩き、ぶつかった後に初めて「これはどうも失礼しました」と互いにペコペコお辞儀する場面がよく見られたという。かといって歩くのが速いわけではない。むしろオランダ人が世界のどこで見たよりも遅い。そのため、彼らは「日本人はおそろしく動作の鈍い人種である」と報告した。だが逆に日本人は、オランダ人の素早い動きが信じられなかったそうだ。普通ならぶつかり合うところなのに、突然目の前から消えてしまったのである。「オランダ人はおそろしく素早いぞ」「バテレンの妖術か?」というのが当時の印象だったらしい。


 昭和30年代の日本は、新しい建築が相次ぎ、都市の景観はめまぐるしく変化した。日本人は忙しく動くようになった。後年、日本人(特に大阪人)は、世界一速く歩いているという測定結果が出た。だからぶつかることが多くなったわけではない。通行量が多く、しかも非常に速く歩いているなら、ぶつかり合いは江戸時代より多くても不思議はないのだが、事実は逆だった。みんながすばしこく、ちょこまか動いているのであって、おそらく江戸時代人から見ると、全員忍者のように見えるだろう。


 江戸時代は変化の少ない社会だった。あまり歴史を知ることのない庶民は、宇宙が始まって以来、江戸は徳川が治めていたと思いこんでいることも少なくなかった。「変化が激しい」「人口密度が高い」というのは、動作を敏捷にさせる要因なのである。絶えず周囲の状況に注意を払い、危険には機敏に反応する必要があるからだ。


 その意味で、モーツァルトのテンポを見直すのも悪くない。現在はせかせかした演奏が多いが、本当に昔はそうだったろうか。ある時テレビを見ていると、戦後復興期に登場した美空ひばりの「りんご追分(52年)」が出て来たのだが、桂三枝がそのオリジナル録音に付いて歌おうとすると、あまりにも遅いテンポなので、全く間が持たない。私もこの歌は記憶にあり、美空ひばりの声で流れてくると。「ああ、この歌はこうこうで、次の音符はこう」と、すぐ分かるのだが、それは桂三枝の憶えているテンポと同じだった。2割ないし3割も速いタイミングだ。


 52年(昭和27年)と言えば、朝鮮戦争の特需でやっと一息ついた日本が独立を果たした年だ。敗戦後の日本は、アメリカ領土になっていた。その間、日本という国家は、名目上、世界地図から消滅していたことになる。もちろん49年には国旗(日の丸)の掲揚が許されるなど、徐々に国家としての体面が回復しつつあったらしいが、戦争の傷跡は随所に見られた。たとえば私の生まれた家の近くには、空襲で破壊された大阪砲兵工廠の焼け跡が57年頃まで存在していた。


 記憶の中のテンポと、実際のテンポの違い。それは社会状況の違いである。昭和27年はまだほとんどの日本人がやせ細っていて、物産も貧しく、夏にはラジオの高校野球中継でも聴きながら昼寝をし、夕涼みに屋外の縁台に腰をかけることができれば最高だった時代だ。すだれが風にそよぎ、風鈴がチリンと鳴って、時には「さおーだけー」という声が聞こえてくる。当時はみんなが貧しかったというのは大げさだが、敢えて言えばみんながホームレスだった。欲を持つと言っても、せいぜい毎日白米のご飯を食べたい、という程度のことだった。ちなみに、私は白米1:麦2のご飯を食べて育った。冷えると臭いニオイがあるが、それに醤油をかけ、お湯で薄めて食べた。おかずなど何もない時代である。味噌汁をかけて食べることができれば、贅沢な方であった。卵かけご飯など、夢のようなごちそうだったが、それさえも冷えた麦ご飯の臭いニオイを覆い隠すものではなかった。



<モーツァルト晩年の困窮>


 モーツァルトは、死んだときほとんど破産状態だった。未亡人(コンスタンツェ)が皇帝に謁見すると、皇帝は破産報道を知っていて、彼女に厳しい目を向けた。当時は、破産というのは犯罪のようなものだったからだ。その時、コンスタンツェは夫の遺作演奏会、楽譜出版など、2,3の試みを提示して、破産を免れることが可能だと弁術した。事実、彼女はすべての負債を完済したばかりか、亡夫の遺した作品で大もうけしたという。


 だが晩年の収入が少なかったわけではないらしい。それどころか、当時としては相当な高収入だったようだ。彼はハイドンやサリエリのような高い地位にはなれなかったが、一応宮廷作曲家の称号を得て、給与ももらっていたし、ピアノ教師と楽譜出版、オペラでの収入もあった。夫婦共に浪費癖があったことが、困窮の理由かも知れないが、それだけでは説明できない。人気にかげりが見えた死の年だけでも、現在の日本円にして5000万円以上の収入があったのである。


 浪費癖は、「神童」時代に王侯貴族の生活を垣間見たこと、ザルツブルグに戻ってからは召使い同然に扱われて、憤懣のあまり大司教の下を飛び出したことを考え合わせれば、つまりは貴族のように暮らしたかったということだ。ある意味では父親にも責任があったと言える。


 またある人によると、フリーメーソンの支部を作ろうとしていたのではないかという。そのための費用が必要だったというのである。


 そういう可能性もあるだろうが、秘密結社だというので、フリーメーソンの影響を過度に考えるのも正しくないそうだ。当時の知識階級には、フリーメーソンの会員だった人物が多い。ハイドン、サリエリもフリーメーソンの会員だったと言われ、皇帝ヨーゼフ2世も寛容であり、実際はかなりオープンなものだったらしいのである。


 結局、モーツァルト晩年の経済的困窮の理由は分からない。ただ死の年には、収入が全盛期の半分ぐらいに減ってしまっており、実際以上に困窮した感じがあっただろう。現代でも莫大な収入のあった人気アーティストが、人気にかげりが見えて収入が減ると詐欺を働いたり、かつては高額の年棒をもらっていたプロ野球選手が、退団後に落ちぶれて強盗になった例がある。「あの金はどこに消えたの?」と聞いても、本人にも分からない。



<モーツァルトが愛した女性>


 モーツァルトが生涯愛したのはコンスタンツェの姉、アロイージアであった。美人だというだけでなく、音楽的才能がすばらしかったらしい。彼が結局コンスタンツェと結婚したのも、そうすればアロイージアの側にいられると思ったからだろう。だが、コンスタンツェを愛していなかったとは思えない。


 しかし彼がADHDだったとすると、コンスタンツェにとってもかなり扱いにくい夫だった可能性がある。


 彼が死んだとき、コンスタンツェにしてみれば、「バカな男と結婚して、まだ芽が出ないうちに死なれてしまった」と、嘆かわしいことおびただしい。ところが、ある弔問客が「あなたの夫は天才だった」と言ったので、「あのバカが天才?」と、彼女は心底驚いたという。それまで、夫の作品などただのクズだと思っていたのだ。しかしその後、散逸していた夫の作品をかき集めて演奏や出版を行い、事業家としての能力を発揮している。


 コンスタンツェは、しかし、やはりモーツァルトを愛していたのだろう。彼らの結婚生活はひどいものだったが、それなりに楽しい一面もあった。われわれは現在、モーツァルトのほぼすべての作品を耳にすることができる。それはコンスタンツェが、散逸していた楽譜を精力的に集めたことが大きく寄与している。それは、作品によほどの愛情を注いでいなければできないことだ。


 彼女自身はヘンデルなどの古い音楽を好み、夫が在世中は、全く彼の音楽を理解しなかった。しかしニッセンと再婚して共同で伝記を執筆したりするうち、やはり音楽への理解や、前夫への愛が甦る瞬間はあったに違いないと思う。「私より姉を愛していた」と思い知ることもあっただろうが、姉に劣らず彼女自身を愛していたことも分かったと思う。



<モーツァルトの死>


 あまりにも急な死だったので、モーツァルトの死は、音楽史上のミステリーとされることが多い。死後に訪れたモーツァルト・ブームの中で、サリエリが突然「私がモーツァルトを殺した」と叫んで自殺を図ったという史実もある(映画『アマデウス』の冒頭場面である)。オーストリア官憲が彼を精神病院に閉じ込めたので、真相は分からなくなってしまったが、モーツァルト自身も「誰かに毒を盛られた」と思い込んでいたらしい。


 「サリエリがモーツァルトに一服盛った」という噂は、モーツァルトが死んだ直後からあった。サリエリ自身は、モーツァルトが死んだと聞くと「死んだって?それは助かった。あんな天才にいつまでも生きていられたんじゃ、われわれ凡才は仕事を失ってしまうからね」と語ったそうだ。後にサリエリが「私が殺した」と言って自殺しかけたとき、ベートーヴェンは「やっぱりあいつか。初めからそうだと思っていたよ」と言った。実はベートーヴェンもシューベルトもサリエリに学び、そのタチの悪い妨害や陰謀に悩まされた経験があるそうである。


 ただし、サリエリが築いていた宮廷作曲家という地位は、有力な競争相手が出現したら突然失ってしまうような不安定なものではなかったらしい。たとえ解任されても、年金を受け取ることができたのではないだろうか。モーツァルトも晩年には宮廷作曲家に任命されたが、特に妨害は受けていないようだ。サリエリが地位を守るためにモーツァルトを殺すという可能性は小さい。


 単純な病死だったという説がある。モーツァルトは幼い頃から病弱で、その病歴からリューマチ熱だったのではないかというのである。モーツァルトの遺骨が出れば検証できるかも知れないが、現在のところ、モーツァルトの墓は見つかっていない。当時の医師の診断は「粟粒熱(ぞくりゅうねつ)」という訳の分からない病名で、現代の医学では「そのような病気は存在しない」とされる。


 食中毒説もある。ディスカバリー・チャンネルで紹介された、豚肉の寄生虫による中毒で、1860年頃、彼とよく似た症状で死んだ農家の娘は、遺体の検証で、食中毒だったことが確認されたそうだ。


 一番有力なのが毒殺説で、当時は毒と言えばヒ素と決まっていた。モーツァルト最後の病状は、ヒ素中毒によく似ているという。トファナ水というのはヒ素の溶液で、濃度を注意深く調整すれば、飲ませてから何日後に死ぬかを正確に決定できるという話まであった。ただこれは、人によって致死量が違うことも分かっているので、かなり誇張されたおとぎ話である。


『元素の百科事典』に出ているエムズレー博士の説は、アンチモン中毒である。モーツァルトの頃はアンチモンが発見されて間もない時代で、あまり正体がよく分からないまま、胃腸薬などとして処方されていたそうだ。だがアンチモンは毒性があり、飲み過ぎるとヒ素中毒に似通った症状が出る(周期表でもヒ素と同族である)。モーツァルトにもアンチモン製剤が処方されていたので、誤って飲み過ぎたのではないかという。なお現在では、医薬として用いられることはない。



<モーツァルトの姉>


 もう一つ、モーツァルトの生涯で特徴的なのは、姉ナンネルとの関係である。それはメンデルスゾーンの姉ファニーとの関係にも似ている。この姉たちは、弟たちの先生でもあった。たとえばモーツァルトは当時ヨーロッパ一のピアノの名手と言われたが、クレメンティとの競争演奏では、客観的に見ると引き分けだった。そのクレメンティを、モーツァルトは「達者な腕前だが機械的で情感に欠ける」として否定している。また、何人かいた弟子について、「それにしても女の子の方が音楽的に弾くのはどうしたことでしょう」と言っている。彼の感想では、女性のピアノの方が情感があり、音楽的なのだった。男が弾くと、無機的になりがちだ。それは音楽ではない。


 この話は、彼の幼児期のピアノの先生が、実はナンネルだったということを明かしているのだろう。ナンネルの作品は残っていないが、作曲を行っていたことは分かっている。だがヴォルフガングが「お姉ちゃん」の真似をして作曲し始めると、父レオポルトは、もうそれ以上姉には教えず、弟を神童として売り出すことに熱中した。


 ナンネルも神童だったらしいことは、当時の人たちの記録に残っている。あるとき、宿に足止めを食らった客の中に、まだ幼かったモーツァルト姉弟がいた。彼らは退屈しのぎに連弾だったか二重奏だったかを披露したそうだ。「この二人の神童のピアノは、われわれを大いに愉しませた」という。


 父親レオポルトが、弟の方を特に熱心に育てたのは、当時の男女差別的な社会情勢が原因であっただろう。女性はピアノの名手であっても、それは身持ちのいいお嬢様の趣味の芸事を時たま披露するだけであって、職業的音楽家の道などはどこにもなかった。貴族の奥様になる、といった目標の方が、はるかに重視された。ましてや作曲家などとんでもない。


 実際のナンネルの才能は、現在知られているよりはるかに優れていたと思われる。彼女はしばしば弟の協奏曲のソロを努めた。彼女のピアノこそモーツァルトの音楽の原点にあったのではないだろうか。


 それはさておき、私の好きな作品について述べたい。



『グラン・パルティータ』〜第3楽章「アダージョ」


 モーツァルトには傑作が多いが、「グラン・パルティータ(大組曲)」は、その中でも最高の一つである。正式な名称は「13管楽器のためのセレナード」といい、木管のアンサンブル曲だ。セレナードとしては第10番(変ロ長調)とされる。


Mozart: Serenade In B Flat, K.361 "Gran partita" - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Bohm+Mozart%3A+Serenade+In+B+Flat%2C+K.361+%22Gran+partita%22+


 モーツァルトの時代、まだ現在のように「交響曲が最高のジャンル」といった考え方はなかった。交響曲、セレナード、ディヴェルティメントの区別は「演奏機会」の区別なのだろう。内容で分けられているわけではない。もちろん演奏機会は内容に結びついている。たとえばベートーヴェンの七重奏曲などは同じ性格を持ち、やはりリラックスした気分の曲である。ここに「苦悩と闘争」のベートーヴェン像を見出すのは、深読みに過ぎる。こういった作品は、リラックスした気分を作り出すためのものであり、食事時のBGMとして演奏されたりしていたのだ。


 本題の「グラン・パルティータ」について言うと、私は80年頃、エド・デ・ワールト指揮のオランダ管楽合奏団(?)のLPをオーディオ的な興味で買って聴いた。最初は「まあ、いい音はするがモーツァルトらしい能天気な曲だなあ」と思っただけだった。


 グラン・パルティータの本当の良さが分かったのは、父の死の直後だった。長い間、寝たきりの父の存在は重荷だったし、愛情の薄い人だったので、「早く死んでくれればいい」とさえ思っていた。だが、死んだとき、重荷だろうと厄介だろうと、父と母と私しかいなかったその年月、良くも悪くも、父が家族の中心にいた。いささか子供っぽいが、「ボクたちは明日からどう生きていけばいいの」というのが、当時の心境だった。


 それは暑い8月のことで、当時は父の家の屋根裏部屋に住んでいたのだが、夏には50度以上にもなり、30分もいれば半狂乱になるような部屋だった。そこに私のオーディオ・システムを置いていた。葬儀まではレコードを聴くこともなく、屋根裏部屋には立ち入らずにいたのである。だが葬儀の後、世間が「盆休み」に入り、親戚一同も去って、静かになった。母と仲が良かった伯母だけがしばらく家に留まっていたが、その日は二人でどこかに出かけ、私は一人で家にいた。


 久しぶりに音楽を聴こうと屋根裏部屋にこもったが、哀しかった。なぜもっと父に優しくできなかったのだろう。父がまた歩けるようになり、一緒に笑うことができるようになる。それが父と私の共通の夢だったではないか。なのに何もできないまま死なせてしまう。後追い自殺したいほど、非常な罪悪感があった。自殺の動機の中には、肉親が死んで、遺族が後追い自殺したケースが多いそうだ。当時の私もそういう状態だったのだ。


 だが私は、音楽を聴けば多少は慰めになるかも知れないと思った。


 最初にかけたレコードは、ハイティンク指揮のブラームス『ドイツ・レクィエム』である。名曲・名演で、録音もいいのだが、その時の私には、むしろブラームスの傲慢さが耳障りだった。「どうせお前らの悲しみというのは、この程度だろう」と下品に口を歪めて笑っているようだった。要するに嫌みな訳知り顔をした、人生などてんで分かってないオッサンがでっち上げた曲なのだ。


 レコードを代えて、ベーム指揮のベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」にした。ブラームスほど嫌な感じはないが、「お前らの個人的な悲しみは関係ないよ」というような音楽だった。


 次はリヒターの「マタイ受難曲」。史上最高の名曲と思う「憐れみたまえ、わが神」のくだりを聴いたが、やはりどこか客観的な音楽だった。ベートーヴェンほど突き放した感じではなく、戸口に立っている友人のようである。「分かる。分かるよ。大丈夫か。しっかりしたまえ」と言っているようだが、それ以上気持ちの側にやってくることはない。


 他にもいくつか聴いたと思うが、あまり記憶にない。とにかく最後に聴いたのは、『グラン・パルティータ』である。なぜそんなものを取り出して聴いたのかも分からないが、私にとっては最高の救いの音楽だった。年若い友人が耳元で一生懸命慰めてくれているような、「世界は美しいし、人生はもっともっと生きる価値があるんだよ」と話してくれているような音楽なのだ。


 よく晴れた日で、陽がやや夕暮れの色彩を帯び、青空の下に黄金の光が満ちた。隣家の壁や屋根が、すべて美しい光に照らされた。第3楽章のアダージョに差し掛かったときのことだ。いつもは貧しく汚らしく感じていた風景なのだが、柔らかい木管の響きの中で、突然この上なく美しい風景に変容した。それはまるで魔法の眼鏡を通して見ているようだった。


 モーツァルトは魔法の眼鏡である。その眼鏡をかければ、この世のことはすべてが美しく見える。


 その日から、モーツァルトの大ファンになった。実を言うと、その時までモーツァルトと言えば、交響曲第40番やピアノ協奏曲第20番といった短調作品以外は、退屈な曲が多いと思っていた。一部の曲はいろいろな機会に耳にタコができるほど聴いていたし、知らない曲でも、どれも同じようなワンパターンの節回しで、聞き慣れた響きがする。だから「ああ、またあのパターンか」と最初から飽きてしまい、しっかり聴くことがほとんどなかった。


 しかしそれ以後、彼の作品を注意して聴くようになった。楽器の音色を活かした音響の美しさ、ありきたりなようだが情感あふれるメロディ。「フルートとハープのための協奏曲」などは、依頼があったので、やむを得ずこの取り合わせで作曲した(彼はフルートが好きではなかった)のだが、後の作曲家にはもうこの他の組み合わせを考えられなくなったほどの調和がある。もっとも、ドビュッシー晩年の美しい「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」やラヴェルの「序奏とアレグロ」では、それぞれヴィオラ、クラリネットを加えることで、新たな音響美を模索している。


 なお「十三管楽器」という編成をユニークだと思う人は多いだろうが、当時は木管アンサンブルが流行していたので、そんなに珍しいわけではないようだ。セレナード第11番変ホ長調、同第12番ハ短調も管楽アンサンブルである。ちなみに、木管をウィンド(Wind=風?)と呼び、金管はブラス(Brass=真鍮)と呼ぶ。他にリード楽器(Reed=舌、簧)という分類もある。


 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィル管楽アンサンブルの演奏が一番納得できる。やや古い録音なので、音響面では最上とは言い難い。少し艶が不足しているようである。だが、第3楽章はやはり美しい。私の耳には、北に大きな窓がある部屋で、その窓から見える緑が室内に照り映えている中で演奏しているように聞こえる。


 小学館版のモーツァルト全集に採られたマリナー=アカデミーの演奏はディジタル録音でもあり、音質は万全である。第1楽章の開始部分は、ばら色の光が差すような美しい音である。第3楽章はトリラーがやや耳障りに聞こえるのが残念だ。他の楽章は優れたアンサンブルが展開されている。


 コレギウム・アウレウムの2回目の録音(ディジタル)は、音も表情も美しく、楽しめる。全体に青白い音が立ち並ぶ。アンサンブルに清潔感があり、他の演奏に比べるとこぢんまりして、いかにも室内楽風である。この曲の交響楽的壮麗さを愛する人には、物足りないかも知れない。



『ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノーム」』


Mitsuko Uchida - W.A. Mozart Piano Concerto No.9 in E flat Major K. 271 "Jeunehomme"


 モーツァルトが21才で書いた大傑作で、当時ウィーンに滞在したジュノームという未婚の女性ピアニストのために書いたと伝えられる。第1楽章の開始はあまりスケール感がなく、むしろ「可愛い」と言いたいようなシンプルな始まりだが、音楽が進行するにつれて実は壮大な曲であることが分かってくる。第2楽章はハ短調の透明な悲しみに満ちた音楽。ロマンティックな味わいと、バラード風の展開が魅力である。第3楽章もユニークだ。ロンドなのだが、中間部で大きくテンポを落とし、突然別の楽章が始まったかのような変化を見せる。


 なおジュノームというピアニストは記録に残っていないので、どんな女性だったかはよく分かっていない。最近の研究では、モーツァルトの知人の娘でジュナミという女性が(既婚婦人?)がその正体だと言われる。だが「ジュノーム」というニックネームがいかにも若きモーツァルトの憧れを表したロマンティックな響きを持っているので、今後もそう呼ばれ続けるだろう。


 この曲を初めて知ったのは、ルドルフ・ゼルキンのピアノ、アバド=ロンドン響のCDである。第2楽章で、ゼルキンは心の打ち震えるようなみずみずしい表情を聴かせていて、すばらしい演奏だ。オーケストラも透明感と色彩感があり、万全と言える。


 シフのピアノ、ヴェーグ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム。ゼルキン盤よりさっそうとした切れ味の良さがあり、なかなかの名演である。ただ私の耳には、音が全体に青みがかって単色に近いように聞こえる。


 内田のピアノ、テイト=イギリス室内管のオケ。2006年に発売されたポリドール版『モーツァルト全集』の中の1枚で、内田光子のピアノには濃やかな表情があり、オケの響きも悪くない。日本では、実力の割に内田の人気が低いような気がするのは、私だけだろうか。


 ピリス/グシュルバウアー盤は、録音のせいか、オケが少し透明感を欠く。ハスキル盤もモノラルなので、ここでは番外とする。


 なお、ゼルキン盤など、多くのCDでなぜか『ピアノ協奏曲第17番』ト長調と組み合わされていることが多い。これもしっとりした味わいのある傑作で、モーツァルト自身、大いに気に入っていたそうだ。未聴の人にはお奨めする。



『交響曲第36番ハ長調「リンツ」』


 私の偏愛する曲だが、実は第1楽章の短い序奏が気に入っていて、その遅いテンポに引きずられたかのように、主部も遅く演奏されるのが面白いのである。雨は止んだが、まだすっかり晴れ上がったわけでなく、道端の木々には薄暗い蔭が残っている。しかし、息を潜めていた虫たちがやっと鳴き始めた、という雨上がりの気分である。もし序奏がなく、いきなり主部が始まっていたとすれば、現代の演奏家なら、もっと速く演奏するだろう。


 このことが、モーツァルト演奏の正しいテンポを疑わせるのである。この主部は、現代の常識的なテンポから見れば、半分近くも遅く演奏されているのが普通なのだ。だからといってモーツァルトの味がしないわけではなく、むしろかえって面白い。彼の在世当時は、こういうテンポだったのかなと思わせるのである。


 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィルが一番いい。いかにも壮大な曲のように響き、序奏部分も単なる序奏に終わっていない。


 レヴァイン=ウィーン・フィル盤やバーンスタイン=ウィーン・フィル盤も、序奏は単に主部を導入する経過句のように演奏していて、やや不満である。


 昔コンサートホール・ソサエティで出ていたシューリヒトのLPは、すばらしかったように記憶する(現在手元にはない)が、CDへの復刻は、発売が予告されながら実現しなかった。



『フィガロの結婚』


 モーツァルトの典型ともいうべき美しいメロディが続々と現れる、すばらしいオペラである。私はバッハの『マタイ』とこの『フィガロ』を西洋音楽が到達した二大高峰と思う。もちろん彼はこの後にも『ドン・ジョヴァンニ』、『コシ・ファン・トゥッテ』、『魔笛』といった名作を書き、人によっては『フィガロ』より上だと言う。たとえばキエルケゴールは、『ドン・ジョヴァンニ』こそ最高傑作だと思っていた。なるほど音楽は美しいが、私には、『フィガロ』ほどの緊密なドラマにならず、少し弛緩が見られるような気がする。モーツァルトは、やや落ち目に差し掛かっていたのではなかろうか。上り調子だった時期の『イドメネオ』、『後宮からの誘拐』などの張り詰めた清冽感に比べて、少し物足りないものを感じるのである。


『フィガロ』を頂点と考えるなら、彼が落ち目になったのは、やはりこの作品が思うほどの成功を収めなかったことにあるだろう。初演は大成功で、「アンコール、アンコール」が続き、上演は深夜に及んだ。あまり極端なので、政府は過度のアンコールを禁止する政令まで出したという。ところが、それほどの大成功なのに、劇場では早々と演目からおろしてしまった。当時は、まだモーツァルトは前座扱いで、興業主はソレールというスペインの作曲家のオペラで大もうけを企んでいた。そのため、「駆け出し作曲家」、モーツァルトのスペインを舞台とした『フィガロ』がアペリティフとして用いられたというのである。事実ソレールのオペラ『椿事(珍事)』は、『フィガロ』以上の大当たりだったそうだ。


 当時はフランス革命騒ぎの最中であり、ヨーロッパではいわゆる「革命の輸出」に神経を尖らせていた。ところが台本の原作となったボーマルシェの戯曲は革命思想に親近感のあるものだったので、ウィーンでは上演が禁止されていた。こうした事情があるので、政治的な理由から葬り去られたという説もある。


 今となっては真相は分からないが、その頃からモーツァルトの予約演奏会のチケットが売れなくなり、かつて彼をもてはやした知人たちが、何となく距離を置くようになったのは事実らしい。彼の収入は少ないものではなかった(事実は相当な高収入だった)が、しきりに困窮を訴えるようになったのもこの頃からだ。


 それはそうと、私が一番いいと思うのは、やはりベーム指揮、プライ他のDVD(ポネル演出のオペラ映画)である。F=ディースカウ演ずる伯爵が、夫人の部屋にやって来る。ちょうどケルビーノを匿おうとしていたところなので、夫人とスザンナは大慌て。この場面が手に汗握る緊迫感で描かれる。このDVDでは、伯爵夫人をキリ・テ・カナワが演じているが、同じベームのCDでは、伯爵夫人をヤノヴィッツが歌っており、彼女の透き通るような美声を好む人には、CDの方がいいかも知れない。あの美しい『手紙の二重唱』では、ヤノヴィッツの声がうっとりするようなハーモニーを形作る。


 世界文化社から出ている「オペラ名作鑑賞」の第四巻にはバレンボイム=ベルリン国立歌劇場の上演と、コンピエーニュ帝国劇場の上演が収められ、かなり興味深い。コンピエーニュ版は歌劇のエロス的な側面を強調したというが、ケルビーノはテノールが演じており、普通の演出の性倒錯的な魅力はかなり減じている。第四幕の女たちの演技は、なるほどやや官能性を表に出しているが、驚くほどでもない。ここでスザンナは不倫の予感に身を震わせ、イケナイ感覚に酔っているように見える。台本にはそういう要素が内在しており、変わった演出というには当たらない。


 バレンボイムは、日本ではジャクリーヌ・デュ・プレとの不幸ないきさつがあってあまり人気が出ないが、実力はやはり大したものである。欲を言うと、このDVDではケルビーノの『恋とはどんなものかしら』が、大人の女性が歌っているように聞こえてしまう。


 メータ指揮=フィレンツェ歌劇場の公演。伯爵夫人のグヴァザーヴァがとても美人で愛らしく、魅力的だ。『恋とはどんなものかしら』は少年っぽくストレートに歌われている。スザンナは実力の高い歌手らしく、悪くはないが、いささか魔女風の顔立ちであり、色気では伯爵夫人に負けている。


 このように見ると、歌手という存在は生まれついての容貌や体つき、声質に多くを負っているのであって、努力だけではどうにもならない部分があると思う。バレエやフィギュアスケートもそうだろう。浅田真央のビールマン・スピンは世界一美しいと思うが、もっと短足に生まれついた人が同じことをやっても、感銘を与えることは難しい。かなり難易度の高い(つまり難しい)技らしいが、彼女はあまりにも楽々とやってのけるので、素人目には普通の技のように見える。結局、ああきれいだなと思うのは、彼女の肉体を賞賛しているのだ。


 そう言えば、私は映画が好きだが、特定の俳優のファンではなく、どちらかと言えば映画を監督で選ぶ方である。一番好きな映画監督はフェデリコ・フェリーニであり、中でも『魂のジュリエッタ』は最高に美しい映画だと思っている。私小説的な『8・1/2』や『アマルコルド』はイマイチである。もちろん他にもいる。詩的イメージに満ちたウッディ・アレンは、映画というジャンルに限定されない天才だと思う。少々古いが、巧妙な映画造りのヒチコック、ゲーム的映画というべき一つの典型を作り上げた黒澤明、フェリーニの衣鉢を継いだような寺山修司(ただし「田園に死す」以外はそれほどでもない)、一時期熱心に見ていたタルコフスキーなど数多い。


 しかし、絶対的に好きな俳優もいる。それはオードリー・ヘプバーンで、「マイ・フェア・レディ」や「シャレード」など、物語そっちのけで彼女の映像に見入ってしまう。ちょっと見ただけでは大して美人にも見えないし、特別私好みのタイプとも思わないのだが、なぜあれほど魅力を感じるのか、自分でも分からない。彼女が出演した映画なら、すべて見たいと思うのは、「着せ替え人形」のイメージだろう。いろいろな衣装を着せて、そのあらゆる美質を味わいたい。それは好きな曲をいろいろな演奏で聴いてみたいのに少し似ている。いわば彼女自身が芸術品で、彼女を見ることが喜びだというわけだ。彼女自身は容姿に劣等感を持っていたそうだが、「ローマの休日」を見たマリア・カラスは彼女のようになろうと、猛烈な減量をした。その結果、歌手生命を縮めることになったようだが、少なくとも当時のカラスは美人だった。


 話は逸れるが、カラスはもちろん天才的なプリマ・ドンナで、オペラの歴史を変えたと言われるほどのすばらしい歌手である。そのカラスのエピソードには、興味深い話がいくつもある。


 カラスがまだある教室でレッスンを受けていた頃、普通の生徒は、自分のレッスンが済むとさっさと帰ってしまうのに、カラスはいつまでも残っていて、全然関係ないはずのバス歌手のレッスンなどを興味津々で聴いていたというのである。後年、彼女が配役に加わるとなぜかアンサンブルが引き締まり、「みんなが上手になった」という。彼女が何か指示したわけではない。他の配役の分まで知っていて、みんなが上手に歌えるような演技、そういう刺激を与える演技をしたということである。


 また彼女が端役しかもらえなっかた駆け出しの頃、フィデリオ役を歌うことになっていたある歌手が、急な病気で出られなくなった。「誰か代役のできる者はいるか?」と聞くと、カラスが手を挙げた。「フィデリオなら以前からスコアを研究していたし、デビューするなら最高の役で、と決めていたの」というのだ。この志の高さと研究心は、やはり最高の芸術家にのみ見出されるものであろう。


 もちろん歌手には恵まれた天分が必要なわけだが、それだけでは間に合わないものがある。「志が高い」と言うと「野心的だ」と思う人もいるだろうが、それは違うと思うのである。目の前に願ってもない大役のチャンスがあるのに、首をすくめてやり過ごすのでは、プリマ・ドンナになれるはずがないし、「彼女がメンバーに加わると、全体のレベルが上がった」というのは、音楽全体を見通す力があったからだ。


 われわれの日常の仕事でもそういう面がある。向上心を出世欲と見なして嫌う人はいるが、少しでも会社を伸ばそうと思うなら、同僚に遠慮して力を発揮しないのは、間違っている。私はいつももう一歩上をと考えてきた。同僚には上昇志向に見えただろうが、私には反対に、同僚が適当なところで手を打って、力を出し尽くさないのがもどかしく思えた。出世などは関係ない。全体のレベルが上がれば、自然に自分の収入も増えるはずだと思っていたからである。現に会社は成長した。私の功績だけとは言わないが、少しずつ周囲の人たちの考え方もそういう方向に変わってきたと思う。


 とにかく、モーツァルトにはそうした意味での「天才」もあった。時には突飛な言動に見えても、音楽に関する限り、彼は正しかっただろうと思うのである。


http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html

[近代史3] モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 中川隆
1. 中川隆[-14294] koaQ7Jey 2020年1月21日 01:13:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1189]

『フィガロの結婚』


 モーツァルトの典型ともいうべき美しいメロディが続々と現れる、すばらしいオペラである。私はバッハの『マタイ』とこの『フィガロ』を西洋音楽が到達した二大高峰と思う。もちろん彼はこの後にも『ドン・ジョヴァンニ』、『コシ・ファン・トゥッテ』、『魔笛』といった名作を書き、人によっては『フィガロ』より上だと言う。たとえばキエルケゴールは、『ドン・ジョヴァンニ』こそ最高傑作だと思っていた。なるほど音楽は美しいが、私には、『フィガロ』ほどの緊密なドラマにならず、少し弛緩が見られるような気がする。モーツァルトは、やや落ち目に差し掛かっていたのではなかろうか。上り調子だった時期の『イドメネオ』、『後宮からの誘拐』などの張り詰めた清冽感に比べて、少し物足りないものを感じるのである。


『フィガロ』を頂点と考えるなら、彼が落ち目になったのは、やはりこの作品が思うほどの成功を収めなかったことにあるだろう。初演は大成功で、「アンコール、アンコール」が続き、上演は深夜に及んだ。あまり極端なので、政府は過度のアンコールを禁止する政令まで出したという。ところが、それほどの大成功なのに、劇場では早々と演目からおろしてしまった。当時は、まだモーツァルトは前座扱いで、興業主はソレールというスペインの作曲家のオペラで大もうけを企んでいた。そのため、「駆け出し作曲家」、モーツァルトのスペインを舞台とした『フィガロ』がアペリティフとして用いられたというのである。事実ソレールのオペラ『椿事(珍事)』は、『フィガロ』以上の大当たりだったそうだ。


 当時はフランス革命騒ぎの最中であり、ヨーロッパではいわゆる「革命の輸出」に神経を尖らせていた。ところが台本の原作となったボーマルシェの戯曲は革命思想に親近感のあるものだったので、ウィーンでは上演が禁止されていた。こうした事情があるので、政治的な理由から葬り去られたという説もある。


 今となっては真相は分からないが、その頃からモーツァルトの予約演奏会のチケットが売れなくなり、かつて彼をもてはやした知人たちが、何となく距離を置くようになったのは事実らしい。彼の収入は少ないものではなかった(事実は相当な高収入だった)が、しきりに困窮を訴えるようになったのもこの頃からだ。


 それはそうと、私が一番いいと思うのは、やはりベーム指揮、プライ他のDVD(ポネル演出のオペラ映画)である。F=ディースカウ演ずる伯爵が、夫人の部屋にやって来る。ちょうどケルビーノを匿おうとしていたところなので、夫人とスザンナは大慌て。この場面が手に汗握る緊迫感で描かれる。このDVDでは、伯爵夫人をキリ・テ・カナワが演じているが、同じベームのCDでは、伯爵夫人をヤノヴィッツが歌っており、彼女の透き通るような美声を好む人には、CDの方がいいかも知れない。あの美しい『手紙の二重唱』では、ヤノヴィッツの声がうっとりするようなハーモニーを形作る。


 世界文化社から出ている「オペラ名作鑑賞」の第四巻にはバレンボイム=ベルリン国立歌劇場の上演と、コンピエーニュ帝国劇場の上演が収められ、かなり興味深い。コンピエーニュ版は歌劇のエロス的な側面を強調したというが、ケルビーノはテノールが演じており、普通の演出の性倒錯的な魅力はかなり減じている。第四幕の女たちの演技は、なるほどやや官能性を表に出しているが、驚くほどでもない。ここでスザンナは不倫の予感に身を震わせ、イケナイ感覚に酔っているように見える。台本にはそういう要素が内在しており、変わった演出というには当たらない。


 バレンボイムは、日本ではジャクリーヌ・デュ・プレとの不幸ないきさつがあってあまり人気が出ないが、実力はやはり大したものである。欲を言うと、このDVDではケルビーノの『恋とはどんなものかしら』が、大人の女性が歌っているように聞こえてしまう。


 メータ指揮=フィレンツェ歌劇場の公演。伯爵夫人のグヴァザーヴァがとても美人で愛らしく、魅力的だ。『恋とはどんなものかしら』は少年っぽくストレートに歌われている。スザンナは実力の高い歌手らしく、悪くはないが、いささか魔女風の顔立ちであり、色気では伯爵夫人に負けている。


 このように見ると、歌手という存在は生まれついての容貌や体つき、声質に多くを負っているのであって、努力だけではどうにもならない部分があると思う。バレエやフィギュアスケートもそうだろう。浅田真央のビールマン・スピンは世界一美しいと思うが、もっと短足に生まれついた人が同じことをやっても、感銘を与えることは難しい。かなり難易度の高い(つまり難しい)技らしいが、彼女はあまりにも楽々とやってのけるので、素人目には普通の技のように見える。結局、ああきれいだなと思うのは、彼女の肉体を賞賛しているのだ。

 とにかく、モーツァルトにはそうした意味での「天才」もあった。時には突飛な言動に見えても、音楽に関する限り、彼は正しかっただろうと思うのである。


http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/817.html#c1

[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
1. 中川隆[-14293] koaQ7Jey 2020年1月21日 01:21:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1188]
Study Finds No Evidence for Cognitive Benefits of Music Ed - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=oqSY3INIxAs


2013年12月16日
モーツァルトを聴かせても子どもの知能は上がらないことが研究で判明
https://gigazine.net/news/20131216-doesnt-work-mozart-effect/

幼い頃から音楽を聞かせたり、ピアノを習わせることで子どもの知能に良い影響が出る、という考えのことを「モーツァルト効果」と呼び、10人のアメリカ人のうち8人はこの効果を信じているという統計結果が出ています。この「モーツァルト効果」についてハーバード大学教育学研究科の学生であるサミュエル・メヘルさんが研究を行い、「音楽を聞かせることは子どもの知能に影響を与えない」ということが判明しています。

PLOS ONE: Two Randomized Trials Provide No Consistent Evidence for Nonmusical Cognitive Benefits of Brief Preschool Music Enrichment
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0082007

サミュエル・メヘルさんの研究結果を報告するムービーは以下から確認できます。

Study Finds No Evidence for Cognitive Benefits of Music Ed - YouTube


音楽教育の子どもの知能に対する影響を研究したサミュエル・メヘルさん。1993年のネイチャーの論文からも「モーツァルト効果」という言葉は使用されており、10年ほど前から「音楽が知能に良い影響を与える」という説が存在しているとのこと。

長年の経験からメヘルさんは、「音楽教育が子どもの認識能力を強化するか?」ということに対して疑問を持っていました。

メヘルさんによると、成人したアメリカ人の内の80%は音楽教育が認識能力に良い影響を及ぼすと考えているとのこと。

そこでメヘルさんは2つの実験の実施しました。1つ目の実験は、もともとの特性(ボキャブラリー・感受性・家族の所得など)に差が出ないように4歳の子どもを29人集め、ランダムに音楽または視覚芸術のクラスに割り当て、週に45分のレッスンを6週間受けさせるというもの。そして6週間後に子どもたちの4つの特定分野をテストして結果を見るというもの。この時IQテストが使用されなかったのは子どもの認識能力をより正確に判断するためです。

4つの特定分野のテストとは「ボキャブラリー」「数字識別」「視覚分析」「空間把握」に関するもの。29人の子どもたちのテストの結果では、音楽クラスの子どもたちには地図を使った「空間把握」のテストで他に比べて上昇が見られましたが、全体的には認識能力に著しい影響を与えているという相関性は表れませんでした。

2つ目の実験では、1つ目の実験と同様に特性や性能に差が出ないように集めた子どもたちを7〜8人ずつ、「音楽」「視覚芸術」クラスに加えて「クラス無し」の3グループに割当てました。

6週間のクラスの後に、子どもたちに同じ4つのテストを受けさせたところ、どの分野においても1つ目の実験と同様に、6週間の音楽レッスンが認識能力に対して影響を及ぼしているという結果は表れませんでした。

この実験の結果から、メヘルさんは、「モーツァルト効果」の知能への影響に対する1つ目の結論として、「実証された証拠に基づいた説ではない」と話しており……

2つ目の結論として、「知能への影響はない」と断言。少なくとも、子どもの知能を伸ばしたいと希望する親は、無理に音楽教育を受けさせても、知能が磨かれることはないとのこと。

しかし、メヘルさんは3つ目の結論として、「音楽教育が、本質的かつ外面的に正当化される」と話しています。音楽教育を受けさせることは、人間の感情や、異文化を学ぶ良いツールであり、感性を伸ばすことは間違いないようです。
https://gigazine.net/news/20131216-doesnt-work-mozart-effect/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c1

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
2. 中川隆[-14310] koaQ7Jey 2020年1月21日 09:23:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1187]

ストラヴィンスキーはカメレオンといわれる。長年そう思っていましたが、あの3大バレエ流儀の曲がもう出てこなかった聴き手の欲求不満がこもった揶揄とすればもっともです。それほどあの3曲は劇的に素晴らしい。いや、路線変更なかりせば10大バレエができたかもしれないが、どんな形式にせよあれは彼の才能が20代でスパークした瞬間を記録したブロマイドのようなもので残りの7つは30代の顔を映したもの、つまり結婚、プルチネルラ、きつね、兵士、ミューズ風のものが続いたに違いない。我々はそれを手にしているのだからそれがストラヴィンスキーなのであって、最近はむしろ変転できたことが彼の才能だったと信じるようになりました。

彼の家系はポーランドの貴族でリトアニアに領地がありましたが没落しています。マリインスキー劇場で歌う高名なバス歌手の3男としてペテルブルグ近郊で生まれ、サンクトペテルブルク大学法学部の学友の父リムスキー=コルサコフの個人授業を受けたことが音楽的基盤となりましたが、火の鳥に師の残照はあっても春の祭典に至るともう見えません。その20代の10年間の音楽のプログレスは驚異的で、並行して法学部で学位も得ているように、創造力ばかりが強調して伝わりますがそれ以前に格別の学習能力があったと思われます。彼の父の蔵書は図書館並みの20万冊であり、その血をひいてその家に育ったわけです。

作風変化の”カメレオン”には2つの世界大戦の影響を看過できません。バレエ・リュスの公演は第1次大戦で妨げられて収入が途切れ、終戦後はフランスを転々としますが1945年にアメリカに移住して市民権を得ます。ナチズムゆえ居所をアメリカに移した音楽家は多いですが、彼は土地も作品の版権も失いフランスでの人気も失せた経済的動機が大きく伝記を読む限りあまり悲愴感がない。宗教もカソリックに改宗したし、蜜月だったディアギレフは不仲になったがお墓は一緒でベニスのサン・ミケーレ島にあるという、まさに変転の人生であったわけで作風だけのという話ではありません。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2018/09/20/ストラヴィンスキー「%EF%BC%93楽章の交響曲」/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c2

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
3. 中川隆[-14309] koaQ7Jey 2020年1月21日 09:32:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1186]
ニジンスキー復元版バレエ《春の祭典》


5/23(月)、NHK-BS〈プレミアムシアター〉で「サンクトペテルブルク白夜祭2008」公演の収録が放送された。

この公演はイゴール・ストラヴィンスキー(1882-1971)作曲のバレエ《火の鳥》《春の祭典》と《結婚》で構成されている。

特に《春の祭典》が、幻であったニジンスキー振付の復元によっている事、その映像記録の価値から、NHKでは幾度か放送している。再放送を希望する視聴者の声も多かったのだろう。

調べた範囲では、今回以前に、2009年3月と12月、2011年7月の3回放送されている。前者は白夜祭の公演日と近い事から、これが日本で紹介された初の機会だったのではないか、と推測する。

《春の祭典》バレエ初演時(1913)の騒動については、今や音楽史の重要な1ページとして誰もが知るところとなった。
その騒動に迄触れようとすると、紙面が際限なく膨れてしまうので、それは割愛。週刊誌的な記述も多いので、静岡文化芸術大学〈文化と芸術C〉(2015.10/上山典子)の聴講記録を参照するに留める。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947395692&owner_id=3341406

ともかく、その振付をしたのがヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)で、公演はディアギレフ率いるバレエ・リュスだった。

時代が時代だけに、彼が振付をした《春の祭典》の映像も記譜も残されていない。ニジンスキーはダンサー,コレオグラファーとしてはともかく、指導者としての資質を問う人もいて、しっかりした記譜など起こさなかったのだろう。

時代の波の中で完全に忘れ去られてしまったそれの復元に尽力したのは、舞踏史学者のミリセント・ホドソンと、その妻で美術史学者のケネス・アーチャ―である。
2人は、1979年から8年の歳月をかけて、この作業を行い、復活させた。

その間、多くのコレオグラファーが《春の祭典》の振付を行った。
レオニード・マシーン(1920)、モーリス・ベジャール(1959)、ピナ・パウシュ(1975)等々。

残念ながら、ニジンスキー〜ホドソン/アーチャ―版を観る機会はあまりない。
私は、ベジャールとパウシュはハイライト版ながら観た事があるが、これは観ていない。

前掲の聴講授業で復元版の映像を紹介され、驚くと共に震えた記憶がある。

今回の放送はその時紹介してもらったもので、2009年も11年も見逃している私には、大変にラッキーな賜物であった。

映像も極めてクリアーなもので、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮の演奏も、これ迄何度も聴いた他の指揮者達によるものと全く違っていた。

それはパリのシャンゼリゼ劇場で初演されたという性格よりも、太古のロシアをより強く感じさせる土俗的で呪術的な迫力に富むものだった。

ちなみに「サンクトぺテルブルク白夜祭」はゲルギエフが創設した芸術祭である。
ストラヴィンスキーもサンクトペテルブルク近郊で生まれ、同大学で学んでいる。父親は同地マリインスキー劇場のバス歌手だった。

ニジンスキーも、バリエリュスに呼ばれる前は同劇場のダンサーだった。
サンクトペテルブルクとマリインスキー劇場は、このバレエを演ずる上では、根源的な縁のある場所である。

さて、今回の公演のデータである。重複もあるが、整理しておこう。
人名の表記はTVのクレジットに合わせた。

作曲・台本 イーゴリ・ストラヴィンスキー
台本・美術 ニコライ・レーリヒ
原振付 ワツラフ・ニジンスキー
振付復元 ミリセント・ホドソン

指揮 ワレリー・ゲルギエフ
演奏 マリインスキー劇場管弦楽団

〈出演〉
生贄の処女 アレクサンドラ・イオシフィディ
長老 エレナ・バジェーノワ
賢人 ウラディーミル・ポノマレフ
マリインスキー劇場バレエ団

2008年6月/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場公演ライヴ収録

伝統的なヨーロッパスタイルのバレエとこれは、求める世界が全然違う。洗練や典雅とは縁がない。

トウシューズもチュチュも着けない。着ているのは、ロシアの古い民俗衣装。
全員の顔に派手な原色の刺青が施され、上で出演者の名前を記したものの、見た目ではそれが誰か判らない。

ダンサー達の身振りには、アラベスクもピルエットも型名を付ける事は不可能。
バレエの基本中の基本である両足の外側への開き(アン・ドゥオール)は一切なく、内股で立ち首を傾げ、奇妙なぎこちない動きが続くと、思いも寄らぬストップモーション。

曲は2部構成で、序奏の後、第1部「大地礼賛」、第2部「いけにえ」。

物語は到って簡単。
春の訪れに歓び沸き立つ村。
人々は、大地の恵みに感謝して踊る。
しかし、賢人は、大地への祝福が太陽神の怒りに触れるのではないかと怖れる。

太陽神に花嫁を捧げる為、処女を1人選び出す事とする。
生贄に決まった娘は、一心不乱に踊る。
それは次第に激しさを増し、狂ったように踊り続けると、遂に息絶えてしまう。
村人は彼女の亡骸を太陽に向け高く掲げる。

今回の鑑賞に沿ってもう少し詳しく話すと、
・・・・・・
春の訪れを感知する一部の若者達は、大地への感謝として、ポリリズムの外れた強拍に合わせ足の踊りを始める。

長老は腰と指の曲がった皺深い老婆だが、まだ目覚めぬ男女の間を走り回り、早く起きて踊れと喚き、飛び跳ねる。

踊りの輪は次第に拡がり、盛り上がり、不協和音が雷のように落ちると、男達の中には木偶のように争う者もいる。

日本の地方に残る古い民俗的なそれを想わせるような踊りも、時にある。

踊りの人数が増え、激しくなると、奥から、若者達を杖代わりにした白髪白髭の賢人が天を仰ぎつつ、硬直した棒のような足取りで現れる。
彼の開き切って瞬きひとつせぬ目には、太陽神の大地への嫉妬が見えるらしい。
村人の踊りはたずなを失い乱れていく。
賢人は怖れ、地面にひれ伏す。
村は遂に混乱の極み。

若い乙女達が輪になり静かに哀しげな舞を舞う。
恐らくはこの中から1人、太陽神に捧げる花嫁が選ばれるのだろう。
それが長く続くうちに、輪からこけ転び出る者が1人現れる。
彼女は、他の娘達から押し出され押し出され、遂に輪の真ん中に呆然と立つ。
大太鼓とティンパニの両手4手が強く連打される。
決まったのだ。

他の娘達は狂喜し、金管と打楽器群の喚きの中で、トーテムポールのように硬直して動かない花嫁候補の周囲を乱れ踊る。
シンクロナイズを必須とする伝統的バレエの群舞からは、全くかけ離れている。
凶暴なファンファーレ。
有無を言わさぬ集団の暴力。

1913年、まさに第1次世界大戦前夜、ヨーロッパ帝国主義の弱肉強食と一触即発の危機的感覚が、ストラヴィンスキーの胸中にも潜んでいたとして何らおかしくない。
または原始宗教の死と再生。再生の為には破壊が必要だ。

急に静かになり、獣のなりをした村人が不安な音楽と伴に処女の回りを足を引き摺って歩く。
泣き喚くグループもいるが、輪は次第に大きく膨らんでいく。

とうとう乙女が覚醒する。
激しく乱れたリズムと不協和音の連続、彼女は飛び跳ね全身で踊る。
村人たちは顔を隠し(名もない衆愚となって)、背中を丸め、生贄の周囲を金管のくさびのようなリズムで1列に歩く。
乙女は動揺し、震え、自らの体を打ち、輪を打ち破ろうとするが、獣をまとった男達に押し留められる。
輪は緊縛の度を増す。

乙女は痙攣のように乱暴に腕と脚を振り回し、首と上半身旋回させ今や狂気に至る。
怖ろしい踊りだ。
村人は地面に坐し、静けさの中に彼女の聖なる踊りを見上げている。
乙女は踊りに踊り、遂には大地に倒れ込み、息絶える。
獣皮を着た男達が、彼女の亡骸を太陽に向けて高々と持ち上げると、打楽器の強打1つで異教の長い祭典はばっさりと終わる。

初演の客席では、このバレエの早々から、許容する者達と許容できない者達との言い争いが起き、乱闘騒ぎに迄発展した。公演を続けるのは大変な様相だった。
その原因の半分以上は、ストラヴィンスキーの音楽にも益して、ニジンスキーの振付にあった。

ニジンスキーは、騒ぎで音楽が聞こえなくなったダンサー達に、舞台袖からポリリズムを数えて合図を送っていたそうだ。
生贄の処女はニジンスキーであったのかもしれない。
現代でこそ舞踊は何でもありで観客も慣れているが、20世紀初頭の西欧の一般的な人々には、《春の祭典》は全く異様な世界の展開であった事だろう。

イオシフィディとマリインスキー劇場バレエ団のダンサー達も凄いが、ゲルギエフの音楽も凄い。
この日、マリインスキー劇場に居合わせた観客は、心底から突き上げるバレエと音楽に対する震えで歓声を上げた。


同じ時間に放送された《火の鳥》はミハイル・フォーキンの、《結婚》はニジンスキーの妹ブロニスラワ・ニジンスカの振付によるものだった。
これらについては、またの日に。
 
https://open.mixi.jp/user/3341406/diary/1953260396


▲△▽▼


文芸大聴講〈文化と芸術C〉第5回〜リズムの解放
10/29(木)、静岡文化芸術大学の授業〈文化と芸術C〉の聴講第5回。

テーマ;リズムの解放、または打楽器の解放
講師;上山典子

1908年、シェーンベルクによって無調音楽作品が発表され、これを「不協和音の解放」と呼んだ。
それに対し、数年の後、「リズムの解放」と呼ばれる改革があった。
それはバレエ音楽として作られた。公演の主体はバレエ・リュスである。

◆バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)

・ロシアの興行師セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)が率いたバレエ団。…彼の仕事は、現代で言えばプロモーターというより、コンサートプロデューサーと呼ぶべきもの。
・パリを拠点にして活動。20世紀に最も影響力のあったバレエ団と言ってよい。
・1909〜29の20年間に70のバレエ演目を上演した。終了年1929年は、つまりディアギレフの没年。彼の死によってバレエ・リュスは実質終焉を迎えた。
・ディアギレフは、当時最も高い評価を得ていた前衛芸術家達を終結させた。またはそうなるであろう新人を発掘した。

◆イゴール・ストラヴィンスキー(1882-1971)

・リズムの解放と呼ばれる革命的バレエ曲『春の祭典』を作曲した。
・長生きした為、現在も著作権問題が尾を引く。
・おしゃれで、いつも正装していた。

1907年 サンクト・ペテルブルクで初めての作品発表。
1908年 ディアギレフにより新作バレエ『火の鳥』の作曲を委嘱される。…ディアギレフは全く新進の作曲家のストラヴィンスキーに目を付けた。新しい逸材を見出す力があった。
1910年 『火の鳥』初演の為、パリへ。結果、ヨーロッパに長く定住する事になる。

1913年 『春の祭典』初演。
…伝統的音楽とバレエを大胆に破壊し、初演は大きなスキャンダルとなった。
ニジンスキーによる革新的振付の為、バレエ・リュスのダンサーには120回もの稽古を強いた。

初演は5/29、完成したばかりのパリ・シャンゼリゼ劇場にて。
客席には、超保守派のサン=サーンスや、新しい時代の印象派(または象徴主義)作曲家ラヴェル,ドビュッシーもいた。

この公演は同劇場の杮落し公演の第2回の位置付け。ちなみに第1回はドビュッシーだった。

音楽とバレエ両面の前衛的性格に反撥した客からは、ヤジや罵倒の声が上がり、劇場は大混乱となった。

1914年 スイス(仏語圏)に定住。
1934年 フランス市民権を獲得、帰化。しかし、その前年にナチスが政権奪取している。
1940年 米カリフォルニアに定住。戦後シェーンベルクもカリフォルニアに。…但し、ストラヴィンスキーはユダヤ人ではない、音楽創作の自由を求めて移住を繰り返した。
1945年 米市民権を取得、帰化。
1969年 ニューヨークに定住。


◆『春の祭典』の特徴

・物語;

キリスト教以前の太古のロシアが舞台。スラブ民族の信仰に基く春の祭。(仏語タイトル「ル・サクレ・デュ・プランタン」は祭の意味だが、ロシア語タイトルには聖なる儀式的な意味が濃厚だった。)
春を迎えて、人々は愛に、争いに、活発になる。
神への生贄として、1人の乙女が選ばれる事となる。
彼女が踊りながら息絶えると、長老達によって太陽神に捧げられる。

・曲は2部構成。更にシーンに分かれる。下記参。演奏時間は約35分。
・超巨大な5管編成オーケストラ。特に金管の増強。スコアは30段にもなる。
・変拍子(5拍子,7拍子,11拍子etc.)を多用。
・可変拍子;数小節で拍子が変化する。
・原始的、根源的迫力を生み出す多様なリズム。
・複調;異なる調を同時に使用する。

    ex.2部序奏、嬰ニ長調とハ短調、同「生贄の踊り」、ト長調と変イ長調。当然不協和音が発生する。


・構成;

第1部「大地への礼賛」

 序奏…初演ではここで聴衆が既に騒ぎ始める。バレエでなく音楽に対しての非難だった事が判る。
 春の兆し(乙女達の踊り)…内股の女達の脚。バレエ伝統の否定。
 誘拐の儀式…男女の群集。対の衣装。
 春の輪舞…民謡旋律。
 敵対する部族の儀式…2つの旋律の対立。
 長老の入場…白髪の老人。クライマックス。
 長老の大地への礼拝
 大地の踊り…地鳴りのような大太鼓。打楽器フルに活躍。

第2部「生贄の儀式」

 序奏…背景も衣装担当が描いた。不吉な空。
 乙女達の神秘な集い…珍しいva6重奏。13人の乙女。1人はみ出す事になる→生贄決定。ホルン強奏。1人中央で動かない乙女。
 生贄の賛美…11回の大太鼓連打。変拍子は生贄の鼓動の乱れ。
 祖先達ま呼び出し…秘儀的な低音楽器。
 先祖達の儀式…静寂。
 生贄の踊り…1人中央で踊る乙女。変拍子のアクセント。斜めにジャンプの繰り返し。疲労していき、痙攣、ついに息絶える。

◆ヴァレリー・ゲルギエフ

2008年、モントゥー/ニジンスキーの初演(1913)を再現したマリインスキーバレエ公演を実現。→同DVD視聴。
原始主義的性格のバレエ、大地をとどろかす音楽を見事に再現した名演。

指揮 ヴァレリー・ゲルギエフ
演奏 マリインスキー劇場管弦楽団指揮。
バレエ マリインスキー・バレエ団
生贄ソロ アレクサンドラ・イオシフィデー
振付 ヴァーツラフ・ニジンスキー(ミリセント・ホドソンによる再構築)
舞台・衣装 ニコラ・レーリヒ(ケネス・アーチャ―監修)
 


コメント

mixiユーザー2015年10月30日 15:48

聴講後、個人的に比較試聴した、手持ちCD。

指揮 シャルル・デュトワ
演奏 モントリオール・交響楽団
録音 1984年

デュトワ版は、複雑な音楽をしっかり整理し、洗練され、色彩豊かなものに仕上げている。
ゲルギエフ版は、土俗的で、呪術的な迫力に富む。
両者は行き方が全く反対。これはどちらが良い悪いというものではない。

https://open.mixi.jp/user/3341406/diary/1947395692
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c3

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
4. 中川隆[-14308] koaQ7Jey 2020年1月21日 09:35:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1185]
2014年5月 6日
バレエ「春の祭典」 マリインスキー劇場 ニジンスキー振付(ホドソン復元)版
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-72c2.html


バレエ「春の祭典」が20世紀の初頭にパリで初演されて大事件となったことは多くのクラシックファン、バレエ・ファンの知るところだと思います。ストラヴィンスキーの作曲による革新的であった音楽も、現在ではすっかり”古典”となり、コンサートで頻繁に取り上げられています。

但し、バレエ上演に関しては、海外では定番ですが、日本では上演されることがほとんど有りません。原因として考えられるのは、我が国のバレエ・ファンがまだまだ保守的な嗜好で、バレエ団がどうしても興業収益を考えるあまり、一定の人気作品にばかり演目が偏ってしまうからではないでしょうか。

助成金の少ない我が国では、それを批判するのは酷というものですが、手堅い保守路線を守るだけでは発展は有りませんし、逆に将来衰退の道をたどることにもなりかねません。せっかく日本人の若手ダンサーが国際コンクールで多く入賞しても、日本のバレエが芸術として進化、発展しなければ意味が有りません。もちろん頑張って挑戦している団体も存在しているのですが。

演目だけをとっても、ストラヴィンスキーの「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」「マ・メール・ロワ」、ファリャの「恋は魔術師」「三角帽子」、プーランクの「牝鹿」、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」「シンデレラ」、グラズノフの「四季」「ライモンダ」などの演目がもっと多く取り上げられると良いのになぁと思います。

それはそれとして、話を「春の祭典」に戻しますが、GW中に或るお宅でニジンスキーの初演振り付けを再現したブルーレイ・ディスクを見せて頂く機会が有りました。2008年にマリインスキー劇場でワレリー・ゲルギエフが指揮をして行われた公演の収録盤です。それをとても大きな画面と優れた音響装置でじっくりと鑑賞出来たので、非常に良い体験が出来ました。

バレエ「春の祭典」の振り付けについて、一応経緯をまとめてみますと、20世紀初頭、ロシア・バレエ団(バレエ・リュス)を引き連れてパリで興行していたディアギレフは、それまで振付を担当していたミハイル・フォーキンに代えて、天才ダンサーのニジンスキーを振付師にすることを決めます。但し、ニジンスキーは振付の経験はほとんど無く、その能力は未知数でした。

ニジンスキーの振付師としての能力に不安を抱えていたストラヴィンスキーは、ニジンスキーが音楽の知識を全く持っていないことに驚き、リズム、小節、音符の長さといった音楽の初歩的な知識を教えることから始めなければならず、毎回音楽と振付を合わせるのに苦労をしました。

ニジンスキーは「春の祭典」とドビュッシーの「遊戯」の2作品の振付を担当しましたが、他のダンサーを指導した経験がほとんど無く、自分の意図を伝えることが出来ずに、しょっちゅう癇癪を起こしてしまい、稽古は120回にも及びました。
しかも運悪く、主役である生贄の乙女に予定されていたニジンスキーの妹が妊娠してしまったために、急遽代役が踊ることになり、この重要な役をこなすにはかなり能力不足だったようです。

こうしてパリに完成したシャンゼリゼ劇場のこけら落としの一つとして、1913年5月29日に「春の祭典」の初演がピエール・モントゥーの指揮で行われました。

苦労の末に出来上がった舞台は、曲が始まると、地味な衣装のダンサーの一群が舞台を走り回り、内股で腰を曲げ、首をかしげたまま回ったり飛び上がるという、従来のバレエとは全く違うものでした。

嘲笑の声が上がり、野次が酷くなるにつれて、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、あげくに乱闘となってしまい、音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンスキーが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならなくなりました。劇場主は観客に対して「とにかく最後まで聴いて下さい」と必死に呼びかけました。

この日の観客の一人だったサン=サーンスは途中で「楽器の使い方を知らない者の曲は聴きたくない」といって席を立ったと伝えられます。
翌日のフランス中の新聞の一面には、この事件が大きく取り上げられたそうです。
もっとも、この年に初演を含めパリで4回、ロンドンで4回上演されましたが、大混乱となったのは最初の1回だけで、2回目以降は大きな騒乱が起こることは有りませんでした。

一方、初演の4ヶ月後に南米で電撃結婚をしたニジンスキーがディアギレフから解雇されたため、「春の祭典」はロシア・バレエ団のレパートリーから外されました。

その後、1920年に再演が行われることになりましたが、ニジンスキーの複雑な振付を覚えている者がいなかったため、新たにマシーンという振付師が、ストラヴィンスキーによるアドヴァイスを受けながら、単純な農民の輪舞を元にして振付けをしました。この「マシーン版」以降は、多くの振付師によって様々な振り付け版が作られました。

こうして、完全に忘れ去られてしまったニジンスキーの振付でしたが、1987年に舞踏史学者のホドソンと美術史家アーチャー夫妻によって、残された舞台スケッチの資料や関係者の証言などから復元が行われて、シカゴのジョフリー・バレエ団によって上演されました。

このマリインスキー劇場の舞台演出は、そのジョフリー・バレエ団の振り付けが元になっています。

なるほど、古代民族のような衣装を着たダンサーが内股で腰を曲げて、首をかしげたまま回ったり飛び上るという、伝えられている通りの初演時の特徴的な踊りです。舞台背景も極めてシンプルで、”銭湯の大きな富士山の絵”でも連想してしまいそうです(自分だけ??)。

現代の演出家の手による、革新的で刺激的な舞台を観てしまった後だと、踊りそのものも舞台デザインもとても地味に感じます。けれども、これを初演時の舞台を想像しながら観ていると、当時としては非常に斬新な舞台だったのだろうなぁと、とても感慨深いものが有ります。衝撃的な舞台も、100年経った現代では既に”古典”です。もしも、これから「春の祭典」の舞台を観ようと思う方は、先にこの映像を見てから、現代的な演出版を観るのが良いと思います、もちろん既に現代的な演出版を観た方が、改めて原点を知るのも非常に有意義なことです。

この映像は撮影カットが多少細切れに過ぎたり、舞台真上から撮ったカットが余計なように感じないことも有りませんが、映像は鮮明ですし、なにしろオーケストラ演奏が素晴らしいです。ゲルギエフの指揮するキーロフ管弦楽団の上手さと迫力は既存のCD盤以上ではないかと思えます。音質もレンジが広く大迫力で素晴らしいです。「春の祭典」ファンは一度はご覧になるべきです。

なお、このディスクには「火の鳥」も収録されていますが、そちらはミハイル・フォーキンによる振り付け版で、ずっとオーソドックスなクラシカル・バレエです。それでも舞台演出が非常に面白く愉しめるのは間違いありません。

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-72c2.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c4

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
5. 中川隆[-14307] koaQ7Jey 2020年1月21日 09:42:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1184]
2013年4月28日
アンジュラン・プレルジョカージュ振付によるバレエ「春の祭典」


Stravinskij 1 3 La Sagra della Primavera Angelin Preljocaj



Stravinskij 2 3 La Sagra della Primavera Angelin Preljocaj



Stravinskij 3 3 La Sagra della Primavera Angelin Preljocaj YouTube





自分はクラシック・バレエは結構好きなのですが、残念ながらコンテンポラリー・ダンスには詳しくありません。ですので恥ずかしながら、アンジュラン・プレルジョカージュさんという、フランスのコンテンポラリー・ダンス振付家が居るのも最近知りました。この人は自ら創設したバレエ・カンパニー「バレエ・プレルジョカージュ」として活動をしていますが、パリ・オペラ座バレエ団にも作品を提供していて、クラシック・バレエの伝統を踏まえつつも様々な分野のコンテンポラリー・アーティストと共同制作を行って、独自の様式を追求した作品を生み出しています。

YouTubeに2001年にパリ・オペラ座で公演された「春の祭典」の映像が有りましたが、この公演はヨーロッパで活躍する日本人のダンサー白井渚さんがいけにえの乙女を踊って絶賛されたそうです。演出が過激なので驚かされますが、クライマックス・シーンの舞踏が余りに鬼気迫る内容で圧倒されてしまいました。いけにえにされる恐怖の表情や演技が見事なのですが、これは正に全身全霊を舞踏の神様に捧げ尽くしたダンス・パフォーマンスだと思います。

彼女は舞台で裸になってしまうので、裸を喜ぶエロじじいと誤解されかねませんが(いや、実際はそれも好きですけど)(苦笑)、この舞踏をもしもご覧になっていなければ、絶対に一見の価値が有ります。

但し、閲覧には年齢確認が求められるかもしれませんので、その場合にはユーザー登録を済ませてからご覧ください。

あー未成年の人は・・・成人してから見て下さいね。




コメント

すごい動画をありがとうございます。youtubeニコ動どちらも観ました。ニコ動の冒頭の振り付けはちょっとよくわからなかっですけど(笑)、突っ込み入れながら見てました。

白井さん、体力的にも精神的にも超人です(驚)。
投稿: いぞるで | 2013年5月 5日 (日) 16時19分



いぞるでさん、こんにちは。お元気そうで何よりです。
冒頭の演出には中年オヤジとしては、一体どうなることやらとドキドキでした。(笑)

でも、この曲の演出でも有名なベジャールは、鹿の交尾からインスピレーションを受けたそうですし、「自然の営み」「生命の誕生」という、このバレエの元々のテーマを突きつめて行くと、動物のオスとメス、人類の男と女の生殖行為の表現を避けては通れないのでしょうね。プレルジョカージュさんの演出はそれを大胆に表現しているのだと思います。
投稿: ハルくん | 2013年5月 6日 (月) 10時53分



ハルさん
動画情報ありがとうございました。
芸術は全裸でもいいんですね。(当然とおもいますが)
さて春の祭典初演100周年で私もハルさん情報でバーンスタインの旧盤を購入しました。

昔の録音だけど音はいいし。(リマスター盤)
ド迫力でいいですね。バチの聞いたティンパニーが最高ですね。金管も大響奏で若いバーンスタインが飛び跳ねてる様が想像できます。
ハルさんのおかげでCDを聞く機会が増えました。ありがとうございました。それではまた。。
投稿: DICK | 2013年5月11日 (土) 00時00分



DICKさん、こんにちは。
全裸が猥褻さと際どいのも事実でしょうが、芸術性の有るものに制限を加えるのは時代遅れですよね。そもそも人間の肉体そのものが古代ギリシアの時代から芸術ですから。

バーンスタインの旧盤が嬉しいことにリマスターされたのですね。本当に若々しい生命力に溢れた良い演奏だと思います。お気に入られて良かったです。
投稿: ハルくん | 2013年5月11日 (土) 11時01分



ハルくん、真夜中にお邪魔します。
今しがた、NHK Eテレで「バレエの饗宴2013」を見終わったところです。
春の祭典はやはり刺激的です! タイツを身に付けているとは言え、一瞬全裸に見える男女が絡む場面にはドキドキしましたよ(汗)
他にも素敵な演目で、その中でも特にプリマドンナの吉田都さんが素晴らしい踊りを見せてくださいました。

何故、あんなに体重を感じさせないふわりとした跳躍がダンサーの皆さんは出来るのかしらん?
投稿: from Seiko | 2013年12月29日 (日) 02時56分



Seikoさん、こんばんは。
NHKの「バレエの饗宴2013」は観そこなってしまたのですが、「春の祭典」はベジャール版だったでしょうか?それなら東京バレエ団の公演を観たことが有ります。

元々生きものの交尾を表現しているので、どうしてもエロティックにはなりますよね。キライではありません。(笑)
>何故、あんなに体重を感じさせないふわりとした跳躍がダンサーの皆さんは出来るのかしらん

バレエダンサーは細いですよ〜。「感じさせない」のではなくて、本当に体重が無いのですよ。そのためには食生活を随分と犠牲にしているのでしょうね。僕には出来ないなぁ。今更ダンサーも無いですけどね。パパイヤ鈴木の親父なんとか、あれでもムリそうです。(笑)
投稿: ハルくん | 2013年12月29日 (日) 09時48分



白井さんの全裸でバレエ素晴らしいです。
裸のように見える薄いスーツを着ているのでは無く、
本当に素っ裸で、足は裸足、文字通り一糸纏わぬ姿での
バレエは美しく、勇気と潔さを感じました
最後に寝転んでしまうところは、本当に全力を尽くした
という様子で感動ものです。
投稿: パリコレ | 2014年3月29日 (土) 20時28分



パリコレさん
コメントを頂きまして誠にありがとうございます。
「春の祭典」が現代の舞踏演出家にとってもどれほど重要な題材なのかよく理解できます。新しい演出が次々と登場しますからね。やはり一度は自らの手で挑戦したくなるのでしょう。

この生贄の役は、ダンサーにとっても挑戦するに相応しい最高の役だと思います。裸体をさらけだすことも少しも気に成らないのではないでしょうか。全身全霊をかけて踊る白井さん、本当に素晴らしいですね。
投稿: ハルくん | 2014年3月30日 (日) 09時47分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-2024.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c5
[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
6. 中川隆[-14306] koaQ7Jey 2020年1月21日 09:52:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1183]
2012年10月 4日
ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」 名盤 〜ハルの採点〜
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-f5e6.html


ストラヴィンスキーの書いた三大バレエ音楽は、各曲それぞれの個性的な書法や性格の違いが楽しめるので大好きです。複雑な管弦楽法の面白さだけではなく、音楽の内容が真に素晴らしいです。そのうちの「火の鳥」「ペトルーシュカ」も大変な傑作ですが、やはり頂点に位置するのは「春の祭典」ですね。ストラヴィンスキーの最高傑作、そして20世紀の屈指の名曲、それが「春の祭典」です。

この曲は、作曲者本人の空想が基に成りました。それは「一人の乙女をいけにえとして、ハルの神(じゃなかった”春の神”)に捧げる、異教徒の儀式」です。この話をパリでロシアバレエ団のディアギレフにしたところ、彼はすっかり夢中になり、ストラヴィンスキーにバレエ音楽の作曲を頼んだそうです。

曲は第1部と第2部に分かれていて、第1部「大地への賛歌」では、若い男女や、春の祭りのために競う諸部族の踊りが大地への祈りのために捧げられます。第2部「いけにえ」では、若者たちによっていけにえになる乙女が選ばれ、長老たちが円座になって見守る中で踊り狂い、ついには息絶えたその乙女を長老たちが神様に捧げます。

三大バレエに共通しているのは、非常に革新的、斬新な書法で書かれているにもかかわらず、聴いていて少しも難しい気がしないことです。特に「春の祭典」は粗暴なまでのリズムと迫力を持つ一方で、大地の神秘的な美しさと抒情を曲一杯に湛えています。この曲はよく、変拍子のリズムの複雑さや音楽の持つ迫力が語られますが、決してそれだけではありません。それが真の名曲たる所以です。ですので、演奏を鑑賞する場合も、それらをどれだけ表現出来ているかという点を評価のポイントとしたいです。

この曲は、以前ライプチッヒ・バレエ団のDVDをご紹介した時に、CDの愛聴盤についても一部を紹介しましたが、なにしろこの曲には名盤が目白押しです。そこで、今回は改めて愛聴盤をご紹介し直したいと思います。前回ご紹介のディスクについては、おおよそ同じ内容ですが、採点は改めて付け直しました。
それでは順にご紹介してゆきます。推薦CD「ハルの採点」です。

レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1958年録音/SONY盤) 
ヤング・レニーのかつてのベストセラーですが、何故かCDは後年のロンドン響との再録音のほうばかりが販売されていてニューヨーク盤は廃盤状態が続いています(僕のはレニーのエッセンシャル盤です)。なんでやろね?NYP音楽監督就任直後の演奏は荒削りではあっても、若々しい情熱に溢れていて実に魅力的です。彼こそは本物の「青春の巨匠」ですよ。この演奏も始めのうちは安全運転ですが、「春のロンド」あたりから突然アクセルがかかってノッてきます。そういえば、このあたりは曲が「ウエストサイドストーリー」みたいですものね。いや、影響を受けたのは作曲家レニーのほうなのでした。これはやっぱり時々聴きたくなる演奏です。75点。

ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィル(1967年録音/DECCA盤) 
当時30歳そこそこのメータの才能が光り輝いています。「春のきざし」は超快速で飛ばして爽快この上ありません。速い部分が際立つので、遅い部分が実際以上に遅く感じます。ロス・フィルの音はキレが有りますが、フォルテでも音の柔らかさを失わず、騒々しく刺激的にならないのは素晴らしいです。第2部も非常に美しい響きですが、神秘感と終結部の迫力はいま一つかもしれません。全体を通して、楽しいことこの上なく非常に素晴らしい演奏です。90点。

ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管(1969年録音/Sony盤) 
セルがまだ現役時代の名器クリーヴランド管を使って録音を行った、一世を風靡した歴史的名盤です。よく言われる、各楽器の音がレントゲン写真のように聞こえる演奏は、録音技術の功績も大であって、生のステージではちょっと有り得ないでしょう。切れ味の鋭い演奏ですが、それだけでは無いある種の「落ち着き」や「風格」を感じさせます。

ブーレーズはずっと後にベルリン・フィルと再録音をしていますが、聴いていて面白いのは断然このクリーヴランド盤のほうです。前半は文句無しですが、後半の迫力がいま一つなので85点。

レナード・バーンスタイン指揮ロンドン響(1972年録音/SONY盤) 
旧盤から14年後の再録音盤ですが、旧盤の若々しさに比べて、ずっと大人の印象に変わりました。テンポは遅めでスケールが大きく重量感が増しています。その分、旧盤の切れの良さは失われた感じです。前半よりも後半が良く、深みが有ります。管楽器のソロはNYPのほうが上に思いますが、全体のまとまりは新盤のほうが上です。どちらを好むかは人によって分れそうです。75点。

コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1976年録音/Philips盤) 
このCDはアナログ録音でありながら非常に音が良いです。というか逆に優秀なアナログ録音だからこそコンセルトへボウの分厚い音の響きを充分に捉えられたのかもしれません。まさに圧倒されるようなパワーなのですが少しもうるささを感じません。これはデイヴィスの指揮と楽団の優秀さのせいでしょう。弦楽や管楽の各パートの上手なことはまさに特筆ものです。ただし前半はややおとなしめ。「春のロンド」あたりから音の厚味を増して本領発揮は後半です。100点。


リッカルド・シャイー指揮クリーヴランド管(1985年録音/DECCA盤) 
当然オケは優秀ですし、リズムの切れも良く、現代的な演奏と言えます。迫力は充分に有りますが、非常に健康的でスタイリッシュ、オケの響きは明るく、土俗感や神秘感を余り感じさせません。そのあたりが聴き手の好みの分かれるところではないでしょうか。評論家筋には評価の高い演奏なのですが、自分としては、この曲にしては楽天的過ぎるので、もっと原始的な荒々しさや神秘感が欲しいと思えてしまいます。80点

ズービン・メータ指揮ウイーン・フィル(1985年録音/ORFEO盤) 
ザルツブルク音楽祭のライブ録音で、一夜の演奏会でのシューベルトの「グレート」と共に2枚組に収められています。それだけでも興味の湧くところですが、80年代に入ってのウイーン・フィルには既にヴィルトゥオーゾ・オケの片鱗が伺えます。この曲を得意とするメータの棒に熱く反応していて手に汗を握ります。弦楽が非常に表情艶やかなのもユニークです。録音は細部の明瞭さはともかくも重心のしっかりした迫力ある音質で楽しめます。これは単に記録としてでなく、非常に素晴らしい演奏だと思います。90点

マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ響(1996年録音/RCA盤) 
トーマスはロシア系の血筋を持ちます。また若いころにストラヴィンスキー本人からこの作品について詳しく伝授されました。ですので曲への思い入れは相当強いと思います。この曲の二度目の録音であり完成度が非常に高いです。第一部から集中力の高いアンサンブルを聴かせますが、第二部に入ると更に集中力と熱気を増してゆきます。非常にダイナミックですが雑な部分が無く各楽器のソロもアンサンブルも非常に優秀です。録音も優秀で分離の良さが見事ですが、演奏そのものが熱いので分析的には聞こえません。100点。


ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(1999年録音/Philips盤)
 もう10年近く前ですがこのコンビの「春の祭典」は東京で生演奏を聴いています。その時はどちらかいうとスマートな印象(席が遠かったせいかも)だったのですが、その頃に録音されたCDでは随分と荒々しさを加えて素晴らしい出来栄えです。精緻さとバーバリズムの共存というこの曲の理想的な演奏となりました。いたるところでロシアの大地の雰囲気を感じさせるのもやはり自国の楽団ならではです。現在も非常に気に入った演奏です。100点

ロバート・クラフト指揮フィルハーモニア管(2007年録音/NAXOS盤) 
ストラヴィンスキーと親交が深く、長くアシスタント指揮者を務めてロシアツアーなどにも同行したロバート・クラフトは、作曲者の意図を恐らく最も理解した指揮者だと思います。この前にもロンドン響との録音を残していますが、僕は新盤のほうで聴いています。複雑な楽譜を目の前に示されるような演奏ですが、最近の指揮者のように、曲を無理やり味付けて料理してやろうというようには感じません。ハッタリや演出が無いので一聴すると面白みに欠けるようですが、実は非常に風格の有る演奏です。ストラヴィンスキーの生誕125周年を記念したこの録音は、やはり聴いておきたいと思います。85点


リッカルド・シャイー指揮ルツェルン祝祭管(2017年録音/DECCA盤) 
シャイーの新盤は何とライヴ録音でした。この曲をライブでリリースするのは勇気が要るでしょうが、そこは言わずと知れたヴィルトゥオーゾ集団のオケで難なくこなします。旧盤に比べてシャープさでは幾らか劣でるものの、緩急の幅がとても広く、各楽器の表情付けがかなり濃密です。シャイーが基本的に健康的なことは変わりませんが、これだけドラマティックに演奏されると非常に聴きごたえが有ります。DECCAの最新盤だけありライブでも録音は極めて優秀です。総合的にもトップグループに堂々と割って入る新しい名盤だと言えます。100点

これ以外の演奏では、ストラヴィンスキー本人の指揮でコロムビア響盤を聴きましたが、正直面白く無かったです。作曲者の演奏ということで過剰な期待は禁物です。イーゴリ・マルケヴィチ/フィルハーモニア管も古くから評判が良かったですが、さほど気に入りませんでした。アンタール・ドラティ/デトロイト響は一時期よく聴いたのですが、オケの響きがドライでキンキンすることもあって現在は余り好んでいません。

というわけで、以前はゲルギエフ盤を一番に上げましたが、現在はコリン・ディヴィス盤、ティルソン・トーマス盤、ゲルギエフ盤、そして新たにシャイー/ルツェルン盤が加わりトップ集団となりました。

二位グループとしてはメータのロス・フィル盤およびウイーン・フィル盤、ブーレーズ/クリーヴランド盤、ロバート・クラフト盤が追いかけます。



コメント

ハルくん様
morokomanです。
おお〜今回は『春の祭典』ですね。
(^o^)
いつもいつもブログを拝見していて思うのですが、ハルくん様は今までの生涯で、何万枚のレコードやCDをお聴きになったのでしょうか? 取り上げる演奏の種類の多さに、いつも圧倒されています。
また、これほどのCDを所有できるとは、きっと大変なお金持ちなのだと推察致します。

貧乏なmorokomanは、入手できるCDなど限られているので、シベリウスに集中せざるを得ません。

なので、ハルくん様が挙げられた演奏の中で、所有しているのはドラティ盤のみです。
しかし、そんなmorokomanが「ぜひお聴きになってください」と紹介したいCDが……。
それは

シクスティン・エーリンク指揮スウェーデン放送交響楽団(BIS)

によるもの。

世界初のシベリウス交響曲全集を出した、あのエーリンクです。
だいぶ年齢をお召しになった時の演奏ですが、北欧のオーケストラを使っての演奏で、音楽がものすごく冴えざえとしています。

冷たい音色と全体的に音の切れ込みが鋭いのが特徴で、いわゆるスタンダードな演奏ではありません。まさに「北欧の祭典」。ちょっとない演奏です。私の大のお気に入りで、私にとってはまさに極北の『春の祭典』で、これで満足しきっています。

一風変わった演奏をお求めの方は、ぜひどうぞ。BISはとても良い仕事をしていますよ〜。(^o^)
投稿: morokoman | 2012年10月 5日 (金) 00時49分

ハルくん様
morokomanです。続きです。大事なことを忘れていました。記事に関するコメントを付けていませんでした。
我ながら何をやってるんだ。(^_^;)A

>アンタール・ドラティ/デトロイト響は一時期よく聴いたのですが、オケの響きがドライでキンキンすることもあって現在は余り好んでいません。(ハルくん様)

これわかります。でもmorokomanは初めて聴いたとき、「おおっなんという乾いた響き!これが現代人が求める演奏なんだろうな」と脳天気に捉えていました。お金がないこともあり、先程のエーリンク盤を買うまで、これで満足していました。
エーリンク盤は、たまたま入手したBISのサンプラーCDにその一部が収録されており、耳にしたとき「ドラティよりも良いのでは……」と思ったのがきっかけです。
購入して大満足でした。ドラティ盤はレコ芸などでさんざん宣伝されていたり、評論家の評価が高かったりするのに煽られて購入したのです。それはそれで良いのですが、こうした「サンプラー」を通じて自分の耳で確認したうえで「購入か否か」を決められたらなお良いでしょうね。エーリンク盤を褒め称えるような評論は、商業誌ではまずありえないでしょうし。morokomanの耳の好みも、一般の愛好家の方とはかなり変わっているかもしれませんので。

ハルくん様が100点をお付けになったディヴィス盤とゲルギエフ盤。いずれ聴いてみないなぁ。地元の図書館にあれば良いのですが。もしなかったなら、いつになったら聴けるのやら……(涙)

でもハルくん様のブログで、「世の中には沢山の名演があるのだなぁ」と思いました。考えて見れば当たり前のことなのですが、いくつも並べられたジャケットの写真など見ると、改めて実感しますね。

それから、クラフトと言う方も初めて知りました。さすがナクソス。morokomanにとっては、メジャーなレーベルよりも、こうした「知られざる名手」を紹介してくれるナクソスやBISの方がありがたい存在です。機会があればこの方の演奏も聴いてみたいです。

>推薦CD「ハルの採点」です。
うまい! 座布団1枚!! (^^)
投稿: morokoman | 2012年10月 5日 (金) 09時34分


morokomanさん、こんばんは。
>これほどのCDを所有できるとは、きっと大変なお金持ちなのだと推察致します


いえいえ、それは間違いです。購入するのはもっぱらディスカウントや中古店のバーゲンです。それにCDの数が多くなると、1枚を聴ける回数が減るという弊害が有りますので良し悪しだと思っています。昔は1枚を擦り減るほど(アナログ盤でしたので)聴き返したものです。

morokomanさんも、乾いた音を好まれなくなったのでしたら、特にお薦めはCディヴィス/ACOです。なんと言ってもオーケストラの響きに潤いが有って美しく、他のオケの音とは一線を画しています。

シクスティン・エーリンクはシベリウス全集が余り気に入らなかったので、興味が有りませんでしたが、「春の祭典」は晩年の録音なのですか。それでしたら印象が変わるかもしれませんね。

商業誌の推薦盤と言うのは往々にして、大手レコード会社に贔屓目の記事が多いので、余り信用はしていません。むしろ熱心な音楽ファンのレヴューのほうが参考に成ることがありますね。
投稿: ハルくん | 2012年10月 5日 (金) 22時18分

私はLPレコードの時代、ドラティ指揮デトロイト響の録音がお気に入りでした。その前はショルティ指揮シカゴ響の録音をよく聴いていましたが、ドラティ盤の方が、力ずくなショルティ盤よりも落ち着いた演奏で好きでした。

そしてCDの時代になって、やはり「火の鳥」と同様、コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管の録音が一番!
やはりオケの底力のある響きが最高です。

ところで昨年、NHK・BSでゲルギエフ指揮でマリインスキー劇場でのバレエの公演の放送があり、今も録画をよく見ています。バレエ公演としての「春の祭典」の映像(「火の鳥」もあり)を見ていると、やはり、この作品はバレエ音楽であるということを実感できるものがあります。
投稿: オペラファン | 2012年10月 5日 (金) 22時49分

オペラファンさん、こんばんは。
ドラティをLPでは聴いていませんが、CDで聴くとどうも乾いた響きでいただけません。アナログ盤の方が良いかもしれないですね。

それにしてもCディヴィス指揮コンセルトへボウの演奏は素晴らしいですね。オケの音楽的な上手さと、潤いのあるヨーロッパサウンドには惚れ惚れします。第二部での底知れない重量感も圧巻です。

ゲルギエフのバレエの公演の映像は観ていませんが、やはりバレエ音楽は舞台の映像つきで観ると一味も二味も変わりますね。
投稿: ハルくん | 2012年10月 5日 (金) 23時03分

おはようございます。ハル採、いいですね!
曲の演奏録音は、最初アンセルメ、次にブーレーズのものを聴いていました。
CDや中古LPが割と安く入手できるので、いろいろ聴けますね。モントゥーやカラヤン等も聴きました。コリン・デイヴィスも、いいですね。ゲルギエフは、TV放送で聴きました。

誰の演奏が特別好き、と言うことではないのですが、最近は、マルケヴィチ/フィルハーモニアのLPを聴くことが多いです。この指揮者のちょっと独特の響きがしますが、リズムやテンポの感じが面白く聴いています。
バーンスタインのを聴いていなかったので、中古LPの入手手配をしました。NPOの方です。
投稿: HABABI | 2012年10月 6日 (土) 11時14分

HABABIさん。こんにちは。
中古LPは(かさ張るので)滅多に買いませんが、ショップには意外に多くの掘り出し物が有って、見ているだけでも楽しいです。
最近の演奏はスマートで洗練されているか、ダイナミズムの明確なものが多いように感じますが、一昔前の演奏が案外と味が有って面白かったりもします。
バーンスタイン旧盤なんかも、そのひとつだと思います。好みの問題なので、新盤とどちらが良いと言うことではありませんが。
投稿: ハルくん | 2012年10月 6日 (土) 16時34分

ハルくんさん、こんばんは。 「春の祭典」は LPで コリン・ディヴィス盤を聴いていましたが、CDになって なかなか ディヴィス盤を越える演奏は出てこなかったのですが、数年前に スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立響のCDを聴いて以来、この演奏を聴くようになりました。 素晴らしいです。 やはり この曲は「ロシアの大地」から沸き上がって来るエネルギーを感じたいですからね。これに比べれば ドラティ盤は なんだか コンクリートや アスファルトの上で踊っているように聴こえるのですけど・・・(笑)。いかがでしょうか?
投稿: ヨシツグカ | 2012年10月 8日 (月) 20時51分

ヨシツグカさん、こんばんは。
スヴェトラーノフのロシアものは素晴らしいですからね。正に「ミスターロシア」という雰囲気です。

”ロシアの大地”いいですねぇ。

実は「春の祭典」の演奏は気にはなっていましたが未聴です。次に購入するとすればこのディスクかなと思ってはいます。
ありがとうございました。
投稿: ハルくん | 2012年10月 8日 (月) 23時16分

ハルくん様
morokomanです。
図書館のHPを検索してみたら……な、なんと……ありました!!

ゲルギエフ盤が……。(^0^)

残念なことにディヴィス盤はありませんでしたが、それでも嬉しい奇跡! HPに手配して、家近くの公民館に配送してもらいました。今日CDが公民館に届き、借りる手続きをして持ち帰って聴いて見ました。
感想ですが……

ハルくん様の目は(耳は)実に高い!!!

と言うのが率直なところです。(^^)

本当に素晴らしい! 「ハルの採点」100点がうなずける内容です。どこがどう……と並べると枚挙にいとまがないので端折りますが、ナタや斧で一刀両断するかのようにつんざく強奏。地の底からエネルギーが吹き上げるようなオーケストラ全体の響き……。ちょっと今まで聴いた演奏とは
「次元が違う」
と思わざるを得ませんでした。

特に第二部「いけにえ」の「いけにえの讃美」を告げるティンパニの連打からは鳥肌が立ちっぱなしで、時に息を飲み、時に気が高揚し、静かな緊張と興奮をずっと保ちながら最後まで一気に聴き惚れてしまいました。
素晴らしい演奏を紹介して下さってありがとうございました。お陰様でとても良い演奏に巡り会うことができました。

いずれ、ディヴィス盤を聴きたいものです。「ハルの採点100点」への期待は大きいですね。(^_^)
投稿: morokoman | 2012年10月 9日 (火) 21時54分

morokomanさん、こんばんは。
ゲルギエフ盤聴かれたのですね。
とても気に入られたとのことで嬉しいです。
中々これだけ、荒々しさとデリカシーの両方を絶妙なバランスを保って両立させている演奏は珍しいでしょうね。そこにロシアの民族的な味わいが加わるのが大きな魅力です。

デイヴィス/ACO盤は熟し切ったオーケストラの音の魅力が最高です。オーケストラの音楽的な上手さではキーロフ以上だと思います。
こちらのほうも是非聴かれてみてください。
投稿: ハルくん | 2012年10月 9日 (火) 23時49分

 ハルくんさん、こんばんは。
 数か月前に突然現代音楽の魅力に目覚め、それから主に近代〜現代の音楽を主に勉強しています。以前は徹底的に毛嫌いしていたのに、不思議なものです。
 以前の僕が現代音楽に戸惑っていたように、「春の祭典」を初めて聴いた当時の人々も戸惑いを隠せなかっただろうと思います(初演時のエピソードはあまりにも有名)。それでも、今では20世紀最高の傑作の1つと認められています。新しいものを理解し受け入れようとする当時の聴衆の力は凄いです。僕たちももっと同時代の音楽に目(耳)を向けなければならないな、と最近痛切に思い始めました。

 ただし、「春の祭典」に関しては聴いていると妄想の世界に飲み込まれてしまいそうになるので、自分から進んで聴くことはまずありません。1回聴くと、もう1年くらいは聴かなくてもいいかな、と思ってしまいます(笑)。なのでCDを買う必要性をあまり感じず、そのまま現在に至ります。実は1枚も持っていないんです。それほど強烈かつ優れた書法を駆使できたストラヴィンスキーは、やっぱり天才です。
投稿: ぴあの・ぴあの | 2013年8月14日 (水) 01時51分

 連続で失礼します。
 そういえば、僕が初めて聴いた春の祭典はコリン・ディヴィス&コンセルトヘボウ管だった気がします。あれは衝撃でした。こんな物凄い音楽があったのか、と。それで、ほとんど聴かなくなってしまったんですよね…。
 ブーレーズ&クリ―ヴランド管なら、正気を保ったままでいられるでしょうか…(笑)。
投稿: ぴあの・ぴあの | 2013年8月14日 (水) 02時06分

ぴあの・ぴあのさん、こんにちは。
初演当時の聴衆にすれば「春の祭典」は衝撃だったのでしょうが、いまでは現代音楽というよりは近代音楽といっても良いのではないでしょうか。事実、CDで何度でも聴ける我々には非常にメロディアスな名曲に聞こえます。ただ、確かにコリン・ディヴィス/コンセルトヘボウ管の演奏は衝撃的な名演奏で日常的に聴くのには向かないかもしれません。そういう点ではブーレーズ盤も良いですが、メータ/ロスフィル盤なんかはとても良いのではないでしょうか。爽快、快感この上ありません。
投稿: ハルくん | 2013年8月14日 (水) 08時52分


 ハルくんさん、再び失礼します。
 おっしゃる通り、ストラヴィンスキーや新ウィーン楽派(シェーンベルクなど)は「近代音楽」ですね。現代と当時とのスタイルの違いは、今を生きる作曲家の作品をいくつか聴くとよく分かります。以前はケージ以降(厳密には「4分33秒」以降)の音楽は大まかに「現代音楽」と言っても良いと考えていたのですが、今となってはケージも古典の仲間入りを果たしています。

 メータ&ロス・フィルは爽快ですか。この曲の魅力は何と言ってもリズムなので、あまりさらさらと進まれるのも困るのですが、和声や音進行に潜む異常性を排除して上手くリズムの面白さのみを抽出してくれていたら、僕にも聴くことができそうです(この聴き方のほうが異常と言われそう?)。図書館にあるかどうか、探してみたいと思います。
投稿: ぴあの・ぴあの | 2013年8月17日 (土) 00時02分


ぴあの・ぴあのさん、こんにちは。
ひと頃の「現代音楽」は、単に聴衆を驚かせるだけのようないわば冗談のようなものが多かったように思います。いかに「普通でないもの」に仕立て上げるかに注力して、「音を楽しませる」という音楽の原点を捨て去っていたようにしか思えません。もちろんそうでないものも多く有るとは思いますが、大半のものがそういう印象だったので、どうしても近代までの音楽を聴くのがほとんどになってしまいます。近代までの音楽を聴き飽きたら、新しいものに向かうかもしれませんが、いつのことになるやら、ならないやら、予測がつきません。

メータの演奏は、さらさらということもありませんが、ドロドロでは無いのは確かです。実際に聴いていただくしかないですね。
投稿: ハルくん | 2013年8月17日 (土) 09時28分

ハルくんさん、こんばんは。
私はこの曲が大好きで何種も聴いています。

録音でいえば、テラーク・レーベルの
マゼール&クリーヴランド管がベストではないでしょうか?
ただ、演奏は「フツー」ですが…
バーンスタイン(ニューヨーク)
メータ、デイヴィス…
いずれも大好きです。

作曲家バーンスタインは確かにストラヴィンスキーの影響を受けていますね。
映画音楽「波止場」あたりは「春の祭典」に似ています。
個人的には、作曲家バーンスタインも好きなので
もっと演奏されてほしいと願っています。
投稿: 影の王子 | 2014年2月27日 (木) 22時54分

影の王子さん、こんにちは。
テラークの録音は非常に優秀ですよね。マゼール/クリーヴランド盤は聴いていませんが、演奏は”普通”ですか。

「波止場」確かに「春の祭典」に似ているところが随所にありますね。
クラシックを聴き出す前に「ウエストサイドストーリー」の映画を観て、なんて素晴らしい音楽だろうと感動したことがありました。あとからバーンスタインの作曲だと知ってまた驚きました。クラシカルな曲も良いですが、ポップな音楽も素晴らしいという正に天才でしたね。

指揮者としてはマーラーなどの演奏で聴かせる凄さは言うまでも有りませんが。
投稿: ハルくん | 2014年2月28日 (金) 17時32分

こんにちは。
バーンスタイン盤は

1958年ニューヨーク・フィル
1972年ロンドン響
1982年イスラエル・フィル

の3種がありますが
ダントツでニューヨーク・フィル盤が素晴らしいです。

あらためて聴きましたが、力ずくではないのに
自然に盛り上がる迫力があります。
録音も拡がりの良さ・分離の良さがあり
演奏の素晴らしさを伝えてくれます。
これは今後も愛聴盤になりそうです。
投稿: 影の王子 | 2015年1月 1日 (木) 15時30分
影の王子さん、こんにちは。
記事にも書いてはいますが、自分は若々しいNYP盤と重厚感のあるLSO盤の両方を好んでいます。中々甲乙は付け難いところです。
ちなみにイスラエルPO盤は聴いていません(確か記憶では)。
投稿: ハルくん | 2015年1月 1日 (木) 23時31分

こんにちは。
メータ&ロス・フィル盤を久しぶりに聴きました。
第1部終結の「大地の踊り」
まさしく大地が揺れているかのようです!
この部分を聴くだけでも価値のある名盤ですね。
しかしDECCAの録音は本当に良いです。
若きメータとオケ、優秀録音の勝利といえ、聴いて幸せになります。
なお、録音は正しくは1969年です。
投稿: 影の王子 | 2017年1月 2日 (月) 10時40分

影の王子さん、こんにちは。
メータ/ロスフィル盤は良いですね。聴いていて本当に楽しいです。録音も優秀ですし、このディスクが世の中から忘れられては非常に勿体ないです。
1969年録音ですね。訂正します。
ペトルーシュカの録音と間違えたようです。ありがとうございました。
投稿: ハルくん | 2017年1月 2日 (月) 18時06分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-f5e6.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c6

[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』
ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』


Stravinsky- Petrushka (Bolshoi Ballet Russe Film)- Segment from Return of the Firebird


PETROUCHKA - Igor Stravinsky - Ballets russes - Opéra de Paris 1976 [v2]



Stravinsky - Petrushka, Boulez / New York Philharmonic 1975
Pierre Boulez / New York Philharmonic
8 September, 1975. Belrin


ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団 1991年3月


ARCHIVIO IEM Stravinsky's Petrushka (London Symphony Orchestra / Valery Gergiev)


_____


『ペトルーシュカ』 (露語:Петрушка, 仏語:Pétrouchka)は、ストラヴィンスキーが、1911年にバレエ・リュスのために作曲したバレエ音楽。


おがくずの体を持つわら人形の物語で、主人公のパペットは命を吹き込まれて恋を知る。


ペトルーシュカ(ピョートルの愛称)は、いわばロシア版のピノキオであり、悲劇的なことに、正真正銘の人間ではないにもかかわらず真の情熱を感じており、そのために(決して実現しないにもかかわらず)人間に憧れている。ペトルーシュカは時おり引き攣ったようにぎこちなく動き、人形の体の中に閉じ込められた苦しみの感情を伝えている。「ペトルウシュカ」とも表記される。


作品


ディアギレフのバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために、1910年から1911年にかけて冬に作曲され、1911年6月13日にパリのシャトレ座で初演された。公演はおおむね成功したが、少なからぬ聴衆は、ドライで痛烈で、時にグロテスクでさえあるこの音楽に面喰らった。ある評論家は、本稽古の後でディアギレフに詰め寄って、「招待されてこんなものを聴かされるとはね」と言ったところ、ディアギレフはすぐさま「御愁傷様」と言い返した。1913年にディアギレフとロシア・バレエ団がウィーンを訪れた際、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、当初『ペトルーシュカ』を上演することを渋って、この楽曲を「いかがわしい音楽」(“schmutzige Musik”)と呼んだ。


音楽は、ハ長調と嬰ヘ長調を組み合わせた、いわゆる「ペトルーシュカ和音」が特徴的であり、複調性によってタイトルロールの登場を予告する。



作曲の経緯


『ペトルーシュカ』作曲の経緯は『自伝』ほかに書かれていてよく知られる。それによれば、『火の鳥』の次の作品として、ストラヴィンスキーは後に『春の祭典』として知られることになる作品を予定していたが、作曲の難航が予測されたため、その前にピアノと管弦楽による一種のコンツェルトシュテュックのような曲を書きはじめた。最初に思いついたのはピアノの悪魔的なアルペッジォと管弦楽の反撃による騒音であり、ストラヴィンスキーはこの曲の題を『ペトルーシュカ』と名づけた[1][2]。この初期の版は1910年の8月から作曲された[3]。


当時、ストラヴィンスキーは夫人が妊娠中であったためにブルターニュのラ・ボールに滞在していた。9月にスリマが生まれた後はスイスのヴォー州クラランスに移った[4]。『春の祭典』の進行具合を知るために10月にディアギレフがスイスを訪れたとき、ストラヴィンスキーは「ペトルーシュカの叫び」(後の第2場)と「ロシアの踊り」の2曲を弾いて聞かせた。ディアギレフは驚いたが、すぐに新しい曲を気に入り、この曲を翌年のバレエ・リュスのためのバレエ曲とするように説得した[2]。ディアギレフはすぐにサンクト・ペテルブルクのアレクサンドル・ベノワに台本を依頼する手紙を書いた。当時ベノワは『火の鳥』と同時に公演された『シェヘラザード』に関してディアギレフと喧嘩になり、二度とディアギレフの元では働かないと宣言していたが、子供の頃からの人形劇のファンであったため、その魅力的な申し出を断ることはできなかった[5]。

ベノワとストラヴィンスキーは共同で話を作っていった。ベノワの貢献は非常に大きく、『ペトルーシュカ』の楽譜にはベノワの名前が共著者として上がっている。タラスキンによれば、謝肉祭と人形達の劇という二重構造を考えたのはベノワであり、またペトルーシュカ・バレリーナ・ムーア人という3人組を考えたのもベノワであって、これはベノワが子供のころに観たコンメディア・デッラルテのピエロ(ペドロリーノ)・コロンビーナ・アルレッキーノが元になっている。本来ロシアのペトルーシュカはピエロではなくむしろプルチネッラに由来する部分が大きかったが、この変更によってペトルーシュカは哀れなピエロに変化した。また、魔術師もベノワの考えによる[6]。ストラヴィンスキー本人の証言ではベノワの役割が過小評価されているが、これはずっと後の1929年に、演奏会形式で『ペトルーシュカ』を演奏したときにベノワに著作料を払わずに済むようにストラヴィンスキーが裁判を起こしたことと関係する(結果は敗訴)[7]。


1911年2月にストラヴィンスキーはニコチン中毒で倒れ、大幅に作曲の予定がくるった。「仮装した人々」から後の部分は4月になってバレエ・リュスが公演中のローマで作曲された。初演の数週間前になってようやく完成した[5][8]。


初演


『ペトルーシュカ』のバレエは1911年6月26日にパリのシャトレ座で初演された。この時のスタッフと配役は以下の通り[9]。

振付:ミハイル・フォーキン
美術・衣装:アレクサンドル・ベノワ
指揮:ピエール・モントゥー


ペトルーシュカ:ヴァーツラフ・ニジンスキー
バレリーナ:タマーラ・カルサヴィナ
ムーア人:アレクサンドル・オルロフ
魔術師:エンリコ・チェケッティ



楽器編成


1911年版


4管編成と大きい編成だが、ティンパニが単純に書かれ、トランペットも少し活躍が少なく、地味な印象がある。
フルート4(ピッコロ2持ち替え)、オーボエ4(コーラングレ1持ち替え)、クラリネット4(バス・クラリネット1持ち替え)、ファゴット4(コントラファゴット1持ち替え)、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、ハープ2、ピアノ、チェレスタ、大太鼓、シンバル、グロッケンシュピール、小太鼓、タンブリン、トライアングル、木琴、タムタム、弦五部、および舞台袖の小太鼓とタンブリン



1947年版


オーケストラを3管編成に縮小した改訂版。新古典主義に転じてからの編曲であるため、1911年版に比べてドライな印象を与えるがカラフルに聞こえる。
フルート3(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2、コーラングレ1、クラリネット3(バスクラリネット1持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、ハープ1、ピアノ、チェレスタ、バスドラム、シンバル、スネアドラム、タンブリン、トライアングル、木琴、タムタム、弦五部
当初はピアノ協奏曲として着想されたため、とりわけ前半部分でピアノの活躍が目立っており、「ロシアの踊り」は特に有名である。

演奏会やバレエの伴奏は予算の関係や華やかさもあって3管編成版が良く取り上げられる。初演の時と同じように今日でも劇的なインパクトは新鮮さを失わず、聴衆にとっては非常に刺激的でわくわくさせられる作品である。




場面構成
以下の4場に分けられる。


第1部:謝肉祭の市 Fête populaire de semaine grasse
導入 - 群集 Début - Les foules
人形使いの見世物小屋 La baraque du charlatan
ロシアの踊り Danse russe


第2部:ペトルーシュカの部屋
ペトルーシュカの部屋 Chez Pétrouchka


第3部:ムーア人の部屋 Chez le Maure
ムーア人の部屋 Chez le Maure
バレリーナの踊り Danse de la Ballerine
ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り) Valse: La Ballerine et le Maure


第4部:謝肉祭の市(夕景) Fête populaire de semaine grasse (vers le soir)


乳母の踊り Danse de nournous
熊を連れた農夫の踊り Danse du paysan et de l'ours
行商人と二人のジプシー娘 Un marchand fêtard avec deux tziganes
馭者と馬丁たちの踊り Danse des cochers et des palefreniers
仮装した人々 Les déguisés
格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩) La rixe: Le Maure et Pétrouchka
終景:ペトルーシュカの死 ― Fin : La mort de Pétrouchka -
警官と人形使い ― La police et le chartatan
ペトルーシュカの亡霊 Apparition du double de Pétrouchka


補足


この作品は不気味な静寂で終結することから、「仮装した人々」から「格闘」に入るところで終了する演奏会用エンディングも用意されているが、演奏会形式でも「ペトルーシュカの亡霊」まで演奏されることも多い。


各場面は場面転換の雑音を打ち消すためにけたたましい太鼓連打で転換する。これに関しても、演奏会では第2部の冒頭の太鼓連打がカットされるなどの変更がある。
47年版スコアにおいてはパフォーマンス用のフィナーレが最後に追加されており、華々しく終わることも出来るようになっている。



あらすじ


第1場


1830年代のサンクト・ペテルブルク海軍広場。謝肉祭後半(Широкая масленица)の市場によって舞台が始まる[12]。

オーケストレーションと頻繁なリズムの変更は、祭日の喧騒とざわめきを描写している。手回しオルガン奏者と踊り子が群衆を楽しませている。ドラムは老魔術師のお出ましを告げ、魔術師が観衆に魔法をかける。突然に幕が開いて小劇場が現われ、魔術師が動かない、命のない3つのパペット――ペトルーシュカ、バレリーナ、荒くれ者のムーア人)――を取り出す。魔術師は横笛を吹いて魔法をかける。命を与えられたパペットたちは、小さな舞台から飛び出して、ぎょっとしている市場の通行人の中で踊り出す。今や生きた人形たちは、激しいロシア舞曲を踊る。


第2場


ペトルーシュカの部屋《1911年、アレクサンドル・ベノワ画》
ペトルーシュカの部屋になる。一面暗い色をした壁は、黒い星印や半月、老魔術師の肖像が飾られている。ペトルーシュカは、自分の小部屋に音を立ててぶつかり、魔術師に蹴飛ばされて暗い部屋の中に入る。


ペトルーシュカは見世物小屋の幕の陰で気の滅入るような生活を送りながら、バレリーナ人形に思いを寄せている。むっつりとした表情の魔術師の肖像画が、ぼんやりと浮き上がって見える。まるで、ペトルーシュカはただの人形で、人間と同じでないのだから、従順で謙抑であるべきだとでも言いたげに。だがペトルーシュカは腹を立て、魔術師のにらみ顔に拳を食らわす。

ペトルーシュカは人形だが、人間的な感情があり、老魔術師に対しては囚人のような気持ちを、美人のバレリーナには恋心を抱いている。ペトルーシュカは自分の小部屋から逃げ出そうとするが果たせない。

バレリーナが入って来る。ペトルーシュカは思いを告げようとするが、バレリーナはペトルーシュカの哀れっぽい口説き文句をはねつける。ペトルーシュカは魔術師につれなく扱われると、バレリーナはムーア人といちゃつき始め、哀れなペトルーシュカの感じやすい心を打ちのめす。


第3場


派手に飾り立てられたムーア人の部屋。一瞥するだにムーア人が快適な暮らしを送っていると容易に察せられる。ムーア人は寝そべるためのソファを持ち、そこでココナッツを玩んでいる。ムーア人の部屋ははるかに広々としており、明るい色調は愉快で豪奢な気分を盛り立てる。主な色使いは赤、緑、青で、ウサギやヤシ林、異国の花々が壁を飾り、床は赤い。ムーア人は、ペトルーシュカと違って、贅沢三昧の部屋で楽しくヴァカンスを過ごしている。


すると、ムーア人のスマートな見た目に惹かれたバレリーナが登場し、魔術師によってムーア人の部屋の中に入れられる。バレリーナが小粋なふしを奏でると、ムーア人が踊り出す。


ペトルーシュカは、とうとう小部屋を破り抜け、ムーア人の部屋に向かって行く。魔術師はペトルーシュカに、バレリーナの誘惑を邪魔させる。ペトルーシュカはムーア人に体当たりするが、自分が小柄で弱いことを思い知らされるだけだった。ムーア人はペトルーシュカを打ち負かしただけでは満足せずに、ペトルーシュカを追い廻し、ペトルーシュカは命からがらその部屋から逃げ出して行く。


第4場(終幕)


再び市場の場面、行き交う人々。オーケストラは巨大なアコーディオンと化し、色とりどりの舞曲を導き出す。中でも最も有名なのは、ロシア民謡「ピーテル街道に沿って (Вдоль по Питерской)」に基づく最初の舞曲、《乳母たちの舞曲》である。そして熊と熊使い、遊び人の商人とジプシー娘たち、馭者と馬丁たち、そして仮装した人々が交互に現われる。


お祭り騒ぎが頂点に達し(かなり時間が経ってから)、人形劇場から叫び声が上がる。突然ペトルーシュカが、刃物を手にしたムーア人に追い立てられて、舞台を走りぬける。ムーア人がペトルーシュカに追いついて斬殺すると、人だかりが凍りつく(ここでムーア人は、人の心の苦しみに無常で冷淡な世間の暗喩となる)。


市場の警官は老魔術師を尋問し、ペトルーシュカの遺体のおがくずを振って取り出し、ペトルーシュカがただのパペットであるとみんなを納得させ、平静を取り戻してはどうかともちかける。


夜の帳が降りて群集も掻き消え、魔術師はぐにゃぐにゃしたペトルーシュカのむくろを担ぎながら去ろうとすると、ペトルーシュカの死霊が人形劇場の屋根の上に現われ、ペトルーシュカの雄叫びは、いまや怒りに満ちた抗議となる。ただ独り取り残された老魔術師は、ペトルーシュカの亡霊を目の当たりにして、恐れをなす。魔術師は慌てて逃げ出し、わが身の不安を感じて怯えた表情を浮かべる。場内は静まり返り、聴衆に謎を残したまま閉幕となる。


引用曲


『ペトルーシュカ』は民謡その他からの引用が非常に多いことで知られる。タラスキンは15曲をあげている[13]。その多くはロシア民謡だが、ほかにヨーゼフ・ランナーのワルツが2曲と、サラ・ベルナールの足について歌ったエミール・スペンサーの「彼女の足は木製」(La jambe en bois)が含まれる。最後の曲は著作権が切れておらず、『ペトルーシュカ』の演奏のたびに著作料をスペンサーに払うはめになった[14]。


編曲


ストラヴィンスキーによる4手ピアノ用のピアノ・リダクションが存在する。

1921年にアルトゥール・ルービンシュタインの依頼により、ストラヴィンスキーは「ロシアの踊り」を含むピアノ曲《ペトルーシュカからの3楽章》に編曲した。このピアノ編曲は極めて演奏困難なことで知られ、非常に癖のあるテクニックを多用することで有名。コンクールでもしばしばとりあげられる。

1932年に「ロシアの踊り」がヴァイオリンとピアノ用に編曲された(サミュエル・ドゥシュキンと共同で編曲)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペトルーシュカ

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html

[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』 中川隆
1. 中川隆[-14305] koaQ7Jey 2020年1月21日 10:44:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1181]
ストラヴィンスキー好き 2013 JAN 30 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/


中学の頃からラジオで聴いたある甘いメロディーが気に入っており、あるとき母に歌ってこれ何?と聞きました。「火の鳥かしら・・・」ということで、すぐ新宿のコタニへ行き、「火の鳥を下さい」と言いました。ストラヴィンスキーの名前も知らなかったのです。そこで店員さんが出してきたのがこれ(写真)です。後に知ったのですが、僕の気に入っていたそのメロディーはケテルビーの「ペルシャの市場にて」でした。でもドレミーレドシ・・・は火の鳥の「ホロヴォード(王女たちのロンド)」に確かに似ている。それにしても、母はストラヴィンスキーなんか知らなかったはずなのに、なんで火の鳥の名前がでてきたんだろう・・・。

その時は大変でした。このレコードを大事に抱きかかえるようにして新宿から家に帰り、わくわくして針を落としました。すると、甘いメロディーどころか、低音で弦楽器がゴワゴワと妙な音をたて、バイオリンがヒューヒューと人魂の飛ぶみたいな不気味な騒音を出すではないですか。「なんじゃこりゃ」といきなり仰天。その後も奇天烈な音がさく裂しまくり、今か今かと待っていた「あのメロディー」はついに登場しないまま僕のレコードは決然と終わっていったのでした。この失望感といったらありません。大枚2000円の小遣いが藻屑と消えた瞬間でした。これが何をかくそう僕のストラヴィンスキー初体験なのです。

Stravinsky "The Firebird" (Original 1910 Version) - Ernest Ansermet (1968)



母に文句はいっさい言いませんでした。きっと名曲に違いない。持ち前の前向き思考でそう信じ、そのレコードを何度もかけてみました。そして、このエルネスト・アンセルメの最後の録音は結局僕の人生の宝物になってしまったのです。「組曲より全曲版がいいよ」と教えてくれたコタニの店員さん。少年はドレミーレドシ・・・だけ買えればいいんだけどなあと意味がぜんぜん分かってなかったんですが、そう、まさに全曲版だったからなのです。高校に入って、小遣いはたいて1万2千円もした大型スコアを買うほど火の鳥に魅せられてしまったのは。ちなみにケテルビーはつまらない曲と後にわかり、いまだに持ってもいません。母の圧勝でした。
                                    「春の祭典」との出会いはブログに書きました。それがあったのも、まずわかりやすい「火の鳥」で耳がトレーニングされていたからです。そして残るはもちろん「ペトルーシュカ」です(右の写真)。


Stravinsky - Petrushka, Boulez / New York Philharmonic 1975



このレコード、曲の出だしの5秒?で好きになりました。一目(一聴)惚れ最短記録です。わー、ストラヴィンスキーってマジすっげえ、チョーめっちゃカッコイーじゃん!今どきなら大声でこういう歓声をあげたことでしょう。

火の鳥とも春の祭典とも違うこの乾いた色気とゾクゾク感。宝石箱をぶちまけたような、まばゆいばかりにキラキラする光彩に頭がふらつきました。クラシックの魔の道に引きずりこまれた瞬間でした。この一撃があまりに強烈だったために、当時の僕はモーツァルトやベートーベンを聴いても退屈で仕方なく、王道に入るのにずいぶん時間を要することになってしまったのです。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html#c1
[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』 中川隆
2. 中川隆[-14304] koaQ7Jey 2020年1月21日 10:49:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1180]

2012年10月 9日
ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」 名盤


ストラヴィンスキーの三大バレエの第一作「火の鳥」に続く第二作は「ペトルーシュカ」です。彼は気分転換のためにピアノ協奏曲(正確には”ピアノ協奏曲風の管弦楽曲”)を書いていたときに、頭にある幻影が浮かびました。それは、『糸を解かれて自由になったあやつり人形が、悪魔的なアルペジオを響かせると、オーケストラが激怒して、脅かすようなトランペットのファンファーレがやり返し、ひどい騒ぎが頂点に達したときに、哀れなあやつり人形が崩れるように倒れて騒ぎが終わる』というものでした。

ロシアバレエ団のディアギレフは、その話を聞いて気に入り、ストラヴィンスキーにそれをバレエ音楽にするように依頼します。そこでストラヴィンスキーは、例のピアノ協奏曲を途中からバレエ曲に書き替えました。そのため、この曲にはピアノの独奏があちらこちらに登場して、とても重要な役割を果たします。

”ペトルーシュカ”というのはロシア文学に出てくるペーターの縮小名で、他の国では”ピエロ”に当たります。いわゆる、お人好しで間抜けな悲喜劇的人物ですね。

このバレエに登場する主要な人物は、人形のペトルーシュカ、ムーア人、踊り子と、見世物小屋の老手品師です。


―主なあらすじ―

第1場(謝肉祭の市) サンクトペテルブルクの広場を群衆が行き交います。見世物小屋の前では太鼓が鳴り響き、小屋の老手品師が笛を吹くと、ペトルーシュカ、ムーア人、踊り子の3つの人形が現れて、ぎこちない動きでロシア舞曲を踊り始めます。


第2場(ペトルーシュカの部屋) 劇中劇になり、ペトルーシュカは見世物師に蹴飛ばされて部屋に放り込まれます。そこへ現れた踊り子にペトルーシュカは思いを寄せますが、踊り子は全く相手にしてくれません。


第3場(ムーア人の部屋) 色黒のムーア人がグロテスクな踊りをおどっています。そこへ踊り子が現れて二人は仲良くワルツを踊ります。それを見たペトルーシュカは怒ってムーア人につかみかかりますが、逆に部屋から追い出されてしまいます。


第4場(謝肉祭の市の夕方) 広場の雑踏にペトルーシュカが飛び出してきますが、それを追いかけてきたムーア人に切り殺されてしまいます。見世物師は、ざわつく群衆に向ってペトルーシュカが人形であることを説明しますが、その時突如、見世物小屋の屋根の上にペトルーシュカの幽霊が現れて終わります。

前作「火の鳥」の場合、オリジナルの1910年版は、途中にやや緩慢な部分が見られ、バレエ公演では良いとしても、コンサート曲としては少々長く感じられます。その為に簡略化した1919年版が存在しますが、今度は短くし過ぎた感が有りました。

その点、「ペトルーシュカ」には無駄な部分が全く無く、最初から最後まで飽きさせません。オリジナルの1911年版は4管編成で大規模なので、コンサート用に演奏のしやすい3管編成に書き替えられたのが1947年版です。1947年版には終曲にコーダが付け加えられましたが、それ以外には両者の構成や長さにはほとんど違いは無く、むしろ演奏そのものによる違いの方が大きいと思います。

それにしても「ペトルーシュカ」は素晴らしい作品です。「春の祭典」が最高傑作とはいえども、この曲の魅力はそれに優るとも劣りません。打楽器や管楽器が大いに活躍したり、リズムの面白さが際立ちますが、随所に出てくるメルヘンチックな旋律の魅惑的なことや、漂う詩情が何とも言えません。

恋をしても実らず、哀しい思いをする主人公のペトルーシュカは自分の青春時代と重なり合います。僕もしばしば恋に破れたピエロになったからです。
恋をする者は詩人になり、やがてピエロになる (ハルくん作)
それでは僕の愛聴盤をご紹介します。


レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1969年録音/SONY盤) 
自分でも劇音楽を作曲するバーンスタインらしい、テンポの緩急とメリハリがよく効いた解りやすい演奏です。多少ドタバタした印象も有りますが、聴いていて楽しいことではこの上ありません。アンサンブルの緻密さはそれほどでは無いのですが、各管楽器の独奏に非常に味わいがあるのは流石に名人揃いのNYPです。1947年版による演奏です。


ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィル(1969年録音/DECCA盤) 
30代でショルティと並ぶDECCAの看板スターになったメータの当時の演奏には確かに魅力を感じます。アメリカ西海岸の楽団とインド出身のマエストロのコンビのせいか、音楽も響きもとても温かく、クールさやドライさを少しも感じません。心の優しいペトルーシュカを想わせるような演奏です。反面。グロテスクさは弱い気がします。アンサンブルもクリーヴランドOのような完璧さは無くとも非常によくコントロールされていて申し分ありません。1947年版による演奏です。

ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル(1971年録音/Sony盤) 
現在は「春の祭典」のCDにカップリングされていますが、LP盤時代に愛聴したせいか、写真のジャケットに愛着が有ります。よく言われるように、ややアバウトなアンサンブルのバーンスタイン時代のNYPとは段違いの完璧さを持っています。

バーンスタイン、メータの温かい音楽とは異なり、とてもクールな印象ですが、面白くないわけでは全く無く、この曲の持つ美しさを十全に引き出しています。極めて高い次元の演奏として風格さえ漂わせます。出来栄えとしては1969年のクリーヴランドとの「春の祭典」以上に優れていると思います。これは1911年版による演奏です。

コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1977年録音/Philips盤) 
つくづくコンセルトへボウは優れたオケだと思います。むろん古典派、ロマン派の音楽には定評が有りますが、近代曲を演奏しても実に素晴らしいです。機能的に上手いだけでなく、厚く美しい響きにはしっとりとした潤いが有ります。デイヴィスの指揮は音楽性に溢れたもので、器用なだけの若手指揮者とはまるで違った貫禄と風格を感じます。何度でも聴きかえしたくなる音であり演奏です。1947年版による演奏です。

リッカルド・シャイー指揮クリーヴランド管(1993年録音/DECCA盤) 
クリーヴランド管は優秀ですし、リズムの切れの良い、非常にスタイリッシュな演奏です。但し「春の祭典」でも感じたことですが、どうもオケの音が明るく健康的に過ぎて、この曲のグロテスクな面が感じられません。楽しいばかりでは無く、暗く哀しい部分にもっと注目しなければいけない曲だと思うのです。まとまりの良い演奏ではありますが、特に強く惹かれるということはありません。1947年版による演奏です。

ロバート・クラフト指揮フィルハーモニア管(1997年録音/NAXOS盤) 
ロバート・クラフトはストラヴィンスキーと親交が深かったので、作曲者の意図を最も理解した指揮者でしょう。この演奏は演出の過剰さを少しも感じさせない、どっしりと構えたオーソドックスなものです。従って若手指揮者のような派手さは有りません。良くも悪くも、ある種の緩さを感じさせます。神経質な演奏が苦手の人には奨められることでしょう。と言っても、昔のモントゥー時代のような大雑把な演奏ではありません。1947年版による演奏です。


ということで、この名曲をどの演奏も楽しめますが、厳選するとブーレーズ/NYP盤とCデイヴィス/コンセルトへボウ盤が双璧です。


コメント

ハルくんさん、こんばんは。 「ペトルーシュカ」は「春の祭典」に比べ、どこかメルヘンチックですよね。 この曲も なかなか魅力的な作品だと思います。 この曲も C・ディヴィスが "永遠のスタンダード "と呼ぶべき名演奏をしていますね。 残念ながら 廃盤らしいので 再発売してもらいたいものです。 私自身は 「ハルサイ」とカップリングされている スヴェトラーノフの かなり個性的な(笑)演奏を聴いていますが 何故かロシアのオケでの演奏のCDが少ないので このCDは貴重だと思います。
投稿: ヨシツグカ | 2012年10月10日 (水) 21時19分

ヨシツグカさん、こんばんは。
壮大な大地を想わせる「春祭」に対して都会的な「ペトルーシュカ」ですが、どちらも大好きです。
Cディヴィスは現在のCDだと「春祭」に組み合わされていますね。最高の組み合わせです。
ブーレーズ/NYPも大好きなのですが。
スヴェトラーノフも興味ありますが、やはりゲルギエフの指揮で、サンクトペテルブルクのキーロフ管の演奏が聴きたいものです。録音してくれないかなぁ。
投稿: ハルくん | 2012年10月10日 (水) 22時49分

私が大学生時代ですから、たいへんな大昔。
テレビで森下愛子さんの踊り子、清水哲太郎さんのペトルーシュカによるバレエ上演のNHKの放送を見て、深い感銘を受けたことが、今も忘れられません。指揮は井上道義さんだったはず。
考えてみたらバレエ公演としての「ペトルーシュカ」の映像は、お目にかかったことがありません。
捜さなくては・・・。
投稿: オペラファン | 2012年10月11日 (木) 00時19分

ハルくんさん、こんにちは
いつもながら、楽曲についての詳しい説明がなされていて、感心致します。
さて、ペトルーシュカの録音は、あまり多くは持っていないのですが、それらを聴いてみて、一番ピッタリ来るというか、存在感を覚えるのが、アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団のもので、1957年録音です。明瞭で透明感のある録音になっており、過度にならない程度のメリハリと少しクールさのある演奏と相俟って、独特の音空間になっています。あぁ、これがアンセルメの音だなぁと、懐かしさも覚えます。

ところで、バーンスタイン/NPOの「春の祭典」の(中古)LPが届きました。1958年、バーンスタインがNPOの首席指揮者に就任した年の録音ですね。吹っ切れた中で、大事なところが聴こえて来る、この指揮者の良いところが現れたいい演奏だと思います。
投稿: HABABI | 2012年10月11日 (木) 13時19分

オペラファンさん、こんばんは。
実は僕もペトルーシュカの舞台も映像作品も観たことが有りません。そこでDVDを探してみましたが、これがまた少ないのです。一応ボリショイバレエの比較的新しい作品がありましたので現在取り寄せ中です。観てみて良かったらご紹介したいと思っています。
投稿: ハルくん | 2012年10月11日 (木) 22時10分

HABABIさん、こんばんは。
お褒めのお言葉をありがとうございます。自分でも勉強のつもりで調べ直して書いてはいます。

アンセルメのストラヴィンスキーも昔は結構人気が有りましたね。改めて聴いてみたい気がします。ありがとうございます。

バーンスタインの晩年には遅く粘リ過ぎる演奏も多くみられましたが、1960年前後の演奏は若々しくアクティブで良いですよね。大雑把な面もありましたが、音楽をわしづかみにする大胆さが大いに魅力でした。この「春祭」も中々に良い演奏ですよね。
投稿: ハルくん | 2012年10月11日 (木) 22時19分


タイトルの話とそれてしまうかもしれませんが、私のペトルーシュカの曲との出会いは、ピアノリサイタルででした。リズムが強烈で、とても難曲そうで、エキサイティングでドキドキしながら聴いていたことを覚えています。紹介していただいたオーケストラ版を是非聴いてみたいと思いました。
投稿: オンディーヌ | 2012年10月17日 (水) 16時34分

オンディーヌさん、こんにちは。

「ペトルーシュカ」のピアノ版は、ずっと以前にマウリツィオ・ポリーニというピアニストの演奏を録音して聴いていました。この曲は元々がピアノ曲ですから、違和感なく楽しめますね。今回の記事では、あえて触れませんでしたが、そのうちにピアノ版の記事も書きたいと思っています。

この曲はかなりの難曲らしいので、お聴きになられたピアニストの技術は相当優れていたのではないでしょうか。

オーケストラ版でもピアノは活躍しますが、大オーケストラで聴く楽しみは格別ですよ。
是非お聴きになられてみてください。ご感想を楽しみにしています。
投稿: ハルくん | 2012年10月17日 (水) 18時59分


作曲家と親交のあったモントゥの演奏はやはり外せません。この曲の原点だと思います。
投稿: k | 2014年9月11日 (木) 19時10分

Kさん
モントゥー/パリ音楽院盤は昔LPで聴いて微温湯的な印象を受けました。20世紀後半に台頭を現してきた新世代の指揮者達と比べると時代の違いを感じます。もっともそこがまた魅力だと言えばそうなのでしょうけれど。
投稿: ハルくん | 2014年9月11日 (木) 22時23分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-81ad.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html#c2

[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』
ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』



Return of the Firebird. - I. Stravinsky FIREBIRD


Stravinsky - Ballet "L'Oiseau de feu" - Diana Vishneva



ストラヴィンスキー: バレエ組曲《火の鳥》1910年版 ブーレーズ, BBC 1967


Stravinsky - The Firebird Chicago Symphony Orchestra, Pierre Boulez 1993


Stravinsky: The Firebird / Gergiev · Vienna Philarmonic · Salzburg Festival 2000


Stravinsky, L'Oiseau de Feu, Gergiev/Kirov Orchestra


_________



『火の鳥』(仏: L'Oiseau de feu、露: Жар-птица) は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したロシアの民話に基づく1幕2場のバレエ音楽、およびそれに基づくバレエ作品。音楽はアンドレイ・リムスキー=コルサコフ(ニコライ・リムスキー=コルサコフの息子)に献呈された。

オリジナルのバレエ音楽と3種類の組曲があり、オーケストレーションが大幅に異なる。組曲版では一部曲名が異なる部分もある。


セルゲイ・ディアギレフは1910年のシーズン向けの新作として、この題材によるバレエの上演を思いついた。最初ニコライ・チェレプニンが作曲を担当することになっていたが、不明な理由によって手を引いた。『魔法にかけられた王国』作品39(1912年出版)の一部に、この時にチェレプニンが作曲した音楽が含まれる[1]。ついで1909年9月にアナトーリ・リャードフに作曲を依頼したが、これはうまくいかなかった。リャードフの怠け癖によって作品が出来上がらなかったという逸話が有名だが、実際にリャードフがディアギレフの依頼を引き受けたという証拠は残っていない[2]。ディアギレフはほかにグラズノフや、ニコライ・ソコロフにも依頼したかしれない[3]。しかしいずれもうまくいかなかったので、1909年の公演で『レ・シルフィード』の編曲を依頼した若手作曲家のストラヴィンスキーに作曲を依頼し、ミハイル・フォーキンにストラヴィンスキーと相談しながら台本を作成するよう指示した。フォーキンは指示通りストラヴィンスキーと相談しつつ台本を仕上げた。ほどなく並行して作曲していたストラヴィンスキーも脱稿した。依頼を受けてから半年あまりであった。


初演は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて、ガブリエル・ピエルネの指揮により行われた。



あらすじ


フォーキンによる『火の鳥』の台本はロシアの2つの民話の組み合わせによる。ひとつは「イワン王子と火の鳥と灰色狼」で、ツァーリの庭に生える黄金のリンゴの木の実を食べに来る火の鳥をイワン王子が捕まえようとする冒険譚、もうひとつは「ひとりでに鳴るグースリ」で、不死身のカスチェイにさらわれた王女のもとを王子が訪れ、王女がカスチェイをだまして魂が卵の中にあることを聞き出す話である。本来は子供向けの話だが、大人の鑑賞にたえるように大幅に手が加えられている[4]。なお、ストラヴィンスキーの師であったニコライ・リムスキー=コルサコフも共通の題材による歌劇『不死身のカシチェイ』を書いている。


イワン王子は、火の鳥を追っているうちに夜になり、カスチェイの魔法の庭に迷いこむ。黄金のリンゴの木のところに火の鳥がいるのを王子は見つけて捕らえる。火の鳥が懇願するので解放するが、そのときに火の鳥の魔法の羽を手に入れる。次に王子は13人の乙女にあい、そのひとりと恋に落ちるが、彼女はカスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女(ツァレヴナ)だった。夜が明けるとともにカスチェイたちが戻ってきて、イワン王子はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられようとする。絶体絶命の王子が魔法の羽を振ると、火の鳥が再び現れて、カスチェイの命が卵の中にあることを王子につげる。王子が卵を破壊したためにカスチェイは滅び、石にされた人々は元に戻り、王子と王女は結ばれる[5]。


初演


1910年6月25日のパリ・オペラ座での初演時のスタッフと配役は以下のとおり[6]。


振付:ミハイル・フォーキン
美術:アレクサンドル・ゴロヴィン
衣装:アレクサンドル・ゴロヴィン、レオン・バクスト
火の鳥:タマーラ・カルサヴィナ
イワン王子(ツァレヴィチ):ミハイル・フォーキン
王女(ツァレヴナ):ヴェーラ・フォーキナ
カスチェイ:アレクセイ・ブルガコフ



その他の著名な上演


バレエ・リュスの元ダンサーだったアドルフ・ボルム(英語版)の振付により、1945年にアメリカン・バレエ・シアターによる上演が行われた。音楽は1945年の組曲版による。このときの舞台装置はマルク・シャガールによる豪華なものであり、アリシア・マルコワが火の鳥を踊ったが、成功しなかった[7]。ボルムはハリウッドに住むようになったストラヴィンスキーの友人であり、1940年にすでにハリウッド・ボウルで『火の鳥』(1919年の組曲版)をバレエとして上演するためにストラヴィンスキー本人に指揮を依頼している[8]。


1949年、ニューヨーク・シティ・バレエ団はボルム版のためにシャガールが作った舞台装置を再利用し、ジョージ・バランシンとジェローム・ロビンズの振付によって『火の鳥』を上演した(やはり1945年の組曲版による)。マリア・トールチーフが火の鳥を踊り、大変な成功をおさめた[9][10]。



編成


フルート4(ピッコロ持ち替え 2)、オーボエ3、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット3、バス・クラリネット1、ファゴット3(コントラファゴット持ち替え 1)、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、タンバリン、タムタム、グロッケンシュピール、シロフォン、チェレスタ、ピアノ、ハープ3、弦五部(16-16-14-8-6)
バンダ:トランペット3、テナー・ワーグナー・チューバ2、バス・ワーグナー・チューバ2、鐘


演奏時間は約48分。『春の祭典』や『ペトルーシュカ』に比べると1.5倍近い長さである。



構成


1 導入部
2 カスチェイの魔法の庭園
3 イワンに追われた火の鳥の出現
4 火の鳥の踊り
5 イワンに捕らえられた火の鳥
6 火の鳥の嘆願
7 魔法にかけられた13人の王女たちの出現
8 金のリンゴと戯れる王女たち
9 イワン王子の突然の出現
10 王女たちのロンド
11 夜明け
12 魔法のカリヨン、カスチェイの番兵の怪物たちの登場、イワンの捕獲
13 不死の魔王カスチェイの登場
14 カスチェイとイワンの対話
15 王女たちのとりなし
16 火の鳥の出現
17 火の鳥の魔法にかかったカスチェイの手下たちの踊り
18 カスチェイ一党の凶悪な踊り
19 火の鳥の子守歌
20 カスチェイの目覚め
21 カスチェイの死、深い闇
22 カスチェイの城と魔法の消滅、石にされていた騎士たちの復活、大団円



引用曲


この作品では民謡を2曲引用している。「王女たちのロンド」の旋律はウクライナの結婚の音楽「как по садику」(庭のまわりで)から取られている。この曲は師のリムスキー=コルサコフが「ロシアの主題によるシンフォニエッタ」作品31の第2楽章の主題として使用している。終曲の旋律は「У ворот сосна раскачалася」(門の所で松の木が揺れる)から取られている[11]。



組曲(1911年版)


最初の管弦楽組曲は1911年に作曲され、1912年にユルゲンソンから出版された。もとのバレエ曲との違いは少ない。この版は最も演奏の機会が少ない。他の組曲と異なり「カスチェイ一党の凶悪な踊り」で組曲が閉じられる(そのため、演奏者独自の判断により、他の版と合成して「子守歌」「終曲」を付け加えて演奏する指揮者もいる)。
編成は1910年版と基本的には同じだが、バンダが省かれている。


構成


数字は全曲版での該当部分を表す。


1〜4 導入部〜火の鳥の踊り
1 導入部
2 カスチェイの魔法の庭園
3 イワンに追われた火の鳥の出現
4 火の鳥の踊り
6 火の鳥の嘆願
8 金のリンゴと戯れる王女たち
10 王女たちのロンド
18 カスチェイ一党の凶悪な踊り


組曲(1919年版)


手ごろな管弦楽の編成と規模から、実演では最も演奏機会の多い版である。「魔王カスチェイの凶悪な踊り」での有名なトロンボーンのグリッサンドはこのバージョンで導入された。



編成


一般的な二管編成になり、打楽器が減らされている。チェレスタは必須ではなく、「子守歌」のピアノパートに「またはチェレスタ」の注釈が添えられている。
フルート2(ピッコロ持ち替え1)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン持ち替え1)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、バスドラム、タンバリン、シンバル、トライアングル、シロフォン、ハープ、ピアノ、チェレスタ、弦五部



構成


数字は全曲版での該当部分を表すが、曲の長さが違う部分もある。

1・2 序奏
3 火の鳥の踊り
4 火の鳥のヴァリアシオン
10 王女たちのロンド(ホロヴォード)
18 魔王カスチェイの凶悪な踊り
19 子守歌
22 終曲


「序奏」から「火の鳥のヴァリアシオン」までは切れ目なく演奏されるが、それ以降の曲もアタッカで演奏する指揮者が多い。「魔王カスチェイの凶悪な踊り」と「子守歌」の間は、切れ目なく演奏する方法と、「魔王カスチェイの凶悪な踊り」で一旦終止させる方法とがあり、どちらの方法もスコアに印刷されている。一般的には切れ目なく演奏する事例が多いが、有名な指揮者ではレナード・バーンスタイン指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏(ドイツ・グラモフォン録音)が、一旦終止させる方法をとっている。「子守歌」と「終曲」の間は切れ目なく演奏される。


組曲(1945年版)


指揮者によってはこの版を非常に好むが、全曲版や1919年版組曲に比べると、演奏機会が多いとは言えない。その原因の一つは、ストラヴィンスキーが後年大きく変えた作風が如実に反映されている版となっていることにある。顕著な特徴の一つが、「終曲の賛歌」の最後 Maestoso の部分に見られる。全管弦楽が終曲の主題を繰り返す箇所で、全曲版・1919年版組曲では4分音符の動きで朗々と旋律を奏でるが、この1945年版では「8分音符(または16分音符2つ)+8分休符」という、とぎれとぎれのドライな響きで旋律が奏でられる。組曲全体の後味を大きく変える相違点であり、この版の評価を分ける一つの要因になっていると思われる。1945年版を用いながらも、「終曲の賛歌」のみ1919年版の「終曲」に差し替えて演奏する指揮者もいる。



編成


現在出版されているスコアでは1919年版とほぼ同一である。相違点は、スネアドラムが追加されていることと、イングリッシュ・ホルンのソロをオーボエに置き換えていること、そしてピアノパートの一部の「またはチェレスタ」の注釈がない点だけである。ストラヴィンスキー自身が1959年にNHK交響楽団を指揮してこの版を演奏した際にはチェレスタを加えていた(この時のチェレスタは特別参加の黛敏郎が演奏した)。編成は1919年版とほぼ同一とは言え、オーケストレーションが異なる箇所が散見される。特に「凶悪な踊り」は、1919年版の「魔王カスチェイの凶悪な踊り」に比べると金管楽器や打楽器が分厚くなっている部分が多い。



構成


数字は全曲版での該当部分を表すが、曲の長さが違う部分もある(特に「パントマイムI」「パントマイムII」は極端に短い)。「パ・ド・ドゥ」「スケルツォ」とパントマイム3曲以外は1919年版と同じ部分に該当するが、スコア上の各曲の題名は違っている。

1・2 序奏
3 火の鳥の前奏と踊り
4 ヴァリアシオン(火の鳥)
5 パントマイムI
6 パ・ド・ドゥ(火の鳥とイワン・ツァーレヴィチ)
7 パントマイムII
8 スケルツォ(王女の踊り)
9 パントマイムIII
10 ロンド(ホロヴォード)
18 凶悪な踊り
19 子守歌(火の鳥)
22 終曲の賛歌


「序奏」から「ヴァリアシオン」までは切れ目なく演奏される。「ヴァリアシオン」から「ロンド」までは、切れ目なく演奏する方法と、「パントマイムI」「パントマイムII」「パントマイムIII」を省略し「ヴァリアシオン」「パ・ド・ドゥ」「スケルツォ」「ロンド」と区切りながら演奏する方法とがある。どちらの方法もスコアに印刷されている。 「凶悪な踊り」から「終曲の賛歌」までは、切れ目なく演奏する方法と、1曲ずつ区切って演奏する方法とがあり、どちらの方法もスコアに印刷されている。終曲の金管軍の和音の切れが印象的である。


https://ja.wikipedia.org/wiki/火の鳥_(ストラヴィンスキー)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html

[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』 中川隆
1. 中川隆[-14303] koaQ7Jey 2020年1月21日 11:31:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1178]

ストラヴィンスキー好き 2013 JAN 30 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/


中学の頃からラジオで聴いたある甘いメロディーが気に入っており、あるとき母に歌ってこれ何?と聞きました。「火の鳥かしら・・・」ということで、すぐ新宿のコタニへ行き、「火の鳥を下さい」と言いました。ストラヴィンスキーの名前も知らなかったのです。そこで店員さんが出してきたのがこれ(写真)です。後に知ったのですが、僕の気に入っていたそのメロディーはケテルビーの「ペルシャの市場にて」でした。でもドレミーレドシ・・・は火の鳥の「ホロヴォード(王女たちのロンド)」に確かに似ている。それにしても、母はストラヴィンスキーなんか知らなかったはずなのに、なんで火の鳥の名前がでてきたんだろう・・・。

その時は大変でした。このレコードを大事に抱きかかえるようにして新宿から家に帰り、わくわくして針を落としました。すると、甘いメロディーどころか、低音で弦楽器がゴワゴワと妙な音をたて、バイオリンがヒューヒューと人魂の飛ぶみたいな不気味な騒音を出すではないですか。「なんじゃこりゃ」といきなり仰天。その後も奇天烈な音がさく裂しまくり、今か今かと待っていた「あのメロディー」はついに登場しないまま僕のレコードは決然と終わっていったのでした。この失望感といったらありません。大枚2000円の小遣いが藻屑と消えた瞬間でした。これが何をかくそう僕のストラヴィンスキー初体験なのです。

Stravinsky "The Firebird" (Original 1910 Version) - Ernest Ansermet (1968)



母に文句はいっさい言いませんでした。きっと名曲に違いない。持ち前の前向き思考でそう信じ、そのレコードを何度もかけてみました。そして、このエルネスト・アンセルメの最後の録音は結局僕の人生の宝物になってしまったのです。「組曲より全曲版がいいよ」と教えてくれたコタニの店員さん。少年はドレミーレドシ・・・だけ買えればいいんだけどなあと意味がぜんぜん分かってなかったんですが、そう、まさに全曲版だったからなのです。高校に入って、小遣いはたいて1万2千円もした大型スコアを買うほど火の鳥に魅せられてしまったのは。ちなみにケテルビーはつまらない曲と後にわかり、いまだに持ってもいません。母の圧勝でした。
                                    「春の祭典」との出会いはブログに書きました。それがあったのも、まずわかりやすい「火の鳥」で耳がトレーニングされていたからです。そして残るはもちろん「ペトルーシュカ」です(右の写真)。


Stravinsky - Petrushka, Boulez / New York Philharmonic 1975




このレコード、曲の出だしの5秒?で好きになりました。一目(一聴)惚れ最短記録です。わー、ストラヴィンスキーってマジすっげえ、チョーめっちゃカッコイーじゃん!今どきなら大声でこういう歓声をあげたことでしょう。

火の鳥とも春の祭典とも違うこの乾いた色気とゾクゾク感。宝石箱をぶちまけたような、まばゆいばかりにキラキラする光彩に頭がふらつきました。クラシックの魔の道に引きずりこまれた瞬間でした。この一撃があまりに強烈だったために、当時の僕はモーツァルトやベートーベンを聴いても退屈で仕方なく、王道に入るのにずいぶん時間を要することになってしまったのです。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html#c1
[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』 中川隆
2. 中川隆[-14302] koaQ7Jey 2020年1月21日 11:39:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1177]
2011年2月18日
〜名曲シリーズ〜 ストラヴィンスキー バレエ音楽「火の鳥」 愛聴盤
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-eff5.html


今回の名曲シリーズは、 ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」です。クラシック音楽ファンで、このタイトルを聴いて「ああ、手塚治虫のマンガね。」などという方はおられないでしょうが、20世紀初頭に書かれたバレエ音楽です。当時のパリで一大旋風を巻き起こしていたディアギレフのロシア・バレエ団(いわゆるバレエ・リュス)の依頼によって作曲をしました。新進作曲家のストラヴィンスキーに仕事を頼むあたりは、ディアギレフの音楽への造詣は相当深かったのでしょうね。ですが、余り知られてはいませんが、ディアギレフはこのバレエの為の音楽を先にリャードフに依頼していました。リャードフが一向に着手する気配が見られなかったので、しびれを切らせてストラヴィンスキーに依頼したのです。時間は差し迫っていましたが、ストラヴィンスキーは短期間で作曲に取り組み、無事完成させました。初演されたパリのオペラ座での公演は大成功となりました。一躍名の売れたストラヴィンスキーは、「ペトルーシュカ」「春の祭典」の三大バレエを作曲するチャンスを得て大変に有名となり、とうとうココ・シャネルと恋に落ちて不倫にまで至ることになります(というもっぱらの話です)。

もしもリャードフが作曲を行なっていたら、 ストラヴィンスキーの「火の鳥」は世に存在しませんでした。そうなれば「ペトルーシュカ」「春の祭典」」も存在したかどうか分かりません。運命の悪戯というのは実に面白いものです。

「火の鳥」はロシアの民族童話に基づいて台本が書かれています。登場人物は、自分の庭園に入ってきた乙女達を魔法の力で捕えてしまい、男達を石に変えてしまう魔王カスチェイ、妖精の火の鳥、勇敢な王子イワン、カスチェイに捕えられた王女13人です。ストーリーは簡単で、火の鳥を捕えた王子が、逃がしてやる代りに魔法の羽をもらい、その後自分が魔王の庭園に入って捕えられそうになった時に魔法の羽の力でカスチェイを倒し、捕えられていた乙女達を全員解き放してやるという話です。めでたしめでたし・・・だけど、石にされた男たちは本当に元に戻してもらったのかしらん?今度は王子が乙女たちを傍に囲うなんてことは無かったのでしょうね。男はスケベだから信用できん!(苦笑)

音楽については、斬新な書法を用いながらも、ロシアの民謡を基にしたような旋律が出てきたり、夢のように美しく繊細であったり、激しい部分があったりと飽きさせません。とても分かりやすい音楽だと思います。初演の際のオリジナル版が通称「1910年原典版」です。4管編成の完全版で演奏には40分以上かかりますので、家で聴くには少々長く感じるかもしれませんが、これはやはり必聴です。のちにストラヴィンスキーが自分でコンサート用に編集した2管編成の組曲「1919年版」は7曲の抜粋で、原典版のおよそ半分の長さです。「王女達のロンド」、「カスチェイの凶暴な踊り」などの聴きどころがてっとり早く聴けて便利なのですが、短過ぎて少々物足りなく感じられます。同じ組曲版でも「1945年版」は、編成は2管編成で12曲の抜粋ですので、原典版では長過ぎる、1919年版では短過ぎるという人には丁度良いと思います。

もちろんストラヴィンスキーの最高傑作と言えば「春の祭典」ですが、僕はこの「火の鳥」をとても好んでいます。

僕は大学4年の時に母校のオーケストラで1919年組曲版を演奏したことがあります。就活中だったために余り練習が出来なかったので、本番では難しい箇所はほとんど弾けなかった記憶が有ります。バレエ音楽といえども一切の手抜きをしなかったからこそ、ストラヴィンスキーは音楽家として大成功したのでしょう。
この作品を実際にバレエとして観たのは、3年くらい前に東京バレエ団のモーリス・ベジャール追悼公演で観た一度だけです。その時の音楽は録音だったので、今度は生のオーケストラ付きでぜひ観たいと思っています。でも滅多にやらないのですよね。「春の祭典」や「ペトルーシュカ」と一緒にもっと公演が行われれば良いと思います。


それでは愛聴盤をご紹介します。

<1910年原典版>


ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル(1975年録音/SONY盤) 
現代作曲家ブーレーズが指揮活動を盛んに行っていた頃の演奏です。当時の「運命」「幻想交響曲」それにストラヴィンスキーの三大バレエなど、毎回リリースされる度に話題となりました。CBSの録音の分離の良さが演奏を余計に引き立てていたと思います。個々の楽器の動きがとても明確で聴き易いです。後年グラモフォンに再録音を行いますが、この頃の演奏と録音のほうがブーレーズとしては個性がはっきりと際立っていると思います。


コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1978年録音/フィリップス盤) 
ブログお友達のオペラ・ファンさんご推薦の演奏です。ややもすると冷たい管弦楽の響きになるストラヴィンスキーですが、その点ACOは音に人肌のぬくもりを感じさせます。そのオーケストラの響きの美しさは正に極上です。アンサンブルも優秀なのですが、「カスチェイの凶暴な踊り」あたりは、ブーレーズやゲルギエフたちの切れの良さと迫力には一歩譲る印象です。

ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ管(1995年録音/フィリップス盤) 
非常に繊細で美しい演奏です。弱音部の音をとても抑えるので、うっかりすると聴き逃しかねませんが、ある程度ボリュームを上げて真剣に耳を傾けると、素晴らしさが良く分かります。あの美しい「王女のロンド」は震えるほどの美しさですし、「カスチェイの凶暴な踊り」は凄みが有りますし、「終曲」での音のつながりと高揚感も見事です。それにちょっとした節回しに、ロシアの作曲家の手による作品であることを思い出させてくれます。やはり現在では一番の愛聴盤です。

マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ響(1998年録音/RCA盤) 
トーマスはロシア系の血筋を持ちます。また若いころにストラヴィンスキーと親交が有りましたので曲への思い入れは強いと思います。各楽器のソロもアンサンブルも優れていますが、肌触りは温かく、クールな印象は受けません。当然アメリカのオケですので音そのものや民謡的なメロディの歌い回しにロシア臭さは感じられません。また「カスチェイの凶暴な踊り」の迫力がいま一つなのは残念です。録音は優秀で分離の良さが見事です。

<組曲1919年版>


レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1957年録音/SONY盤) 
バーンスタインの「火の鳥」は1974年のニューヨーク・フィルの来日公演で聴きましたので、とても思い出深いです。あの広いNHKホールでしたが、3階席までずしりとした音が響き渡りました。このCDは初期のステレオ録音というのが信じられないほどに音が優秀です。演奏も非常に新鮮です。ただ「カスチェイの凶暴な踊り」は非常に躍動的ですが、健康的なので凄みに欠ける印象も有ります。「ウエストサイド」みたい?そうかもしれません。この演奏は1919年版では古典的な名盤と言えると思います。

<組曲1945年版>

リッカルド・シャイー指揮(1995年録音/DECCA盤) 
1945年版の演奏は珍しいですが、シャイーが素晴らしい演奏を聴かせてくれます。あのいぶし銀のコンセルトへボウから、非常に透明感の有る美しい音を引き出しています。機能的にも極めて優秀なのですが、それでいて音楽の温かさを失うことがありません。組曲でも1919年盤では物足りないと思う時に取り出すには最高だと思います。

コメント

私は組曲形式より、やはりオリジナル版で聴くのが大好きです。
残念ながら現在のお気に入りはコリン・デイヴィス指揮ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団の1978年のPHILIPSでの録音。私はこの作品の最高の演奏と思っていたのですが・・・

またオリジナル版に目覚めさせてくれたのは小澤征爾指揮パリ管弦楽団との1970年代のEMI盤。

これらを喜んで聴いているのは私しかいないのかな?
ゲルギエフ盤はまだ聴いていません。いろいろと聴いてみるつもりです。
投稿: オペラファン | 2011年2月18日 (金) 01時58分


春の祭典は大好きなのに、火の鳥は色々CDを買いましたが、どのCDも前半が退屈してしまいます。読響の実演も聞きに行ったのですが変わりませんでした。
投稿: わんわん2号 | 2011年2月18日 (金) 09時59分

追伸
私は手塚治虫の「火の鳥」は全巻読んで深い感銘を受けた者ですが、この作品は実際に作者が「火の鳥」のバレエのステージを見て、「火の鳥」を狂言回しにして生命の生と死を見つめた大作を書こうと思いついたと何かの本で読んだことがあります。その為か、どうしても私は「春の祭典」より「火の鳥」(あくまでもオリジナル版)が好きです。

さて昨晩の私のコメントは、かなり酔っての支離滅裂なコメントでお恥ずかしい限りです。

ただ私のお気に入りのC・デイヴィス盤はロイヤル・コンセルトへボウの緻密ながら底力のある見事な演奏、そして録音当時のPHILIPSのたいへん優れたアナログ録音であると言う事を補足しておきます。
投稿: オペラファン | 2011年2月18日 (金) 11時08分

バーンスタインもデイヴィスも懐かしい録音です、学生時代には買うお金がなかったので友人のディスクをカセットテープにダビングしてもらったものです。
三大バレエの中でいちばん叙情的で、親しみやすい旋律が多い、チャイコフスキーまでの古典的なバレエに近いスタイルを感じます。

だいたいオペラやバレエというのは筋書きを言葉で書くとたわいないものが多いので、実際に舞台を見て聴いて、どっぷり浸ってなんぼ、というのが楽しみ方なのでしょうね。その意味では、バレエライブで見たことがないので残念です。
スラブ的ではなく中央アジア(北アジア)的な旋律が多いのが、わたしの趣味に合っています。
投稿: かげっち | 2011年2月18日 (金) 12時17分

ハルくん、こんにちわ
ディアギレフはロシア・バレエ団の創設者として有名ですが、法科大学に在学中はリムスキー・コルサコフに作曲を学び、また、オペラ上演に通っていたそうですので、音楽の造詣は深かったようですね。また、絵画にも造詣が深かったようですので、いわゆる芸術一般をよく知っており、それがバレエ団結成に生かされたのだと思います。このため、音楽に関しては、先物買いみたいなこともでき、それがストラビンスキーを産んだのだと思っています。ストラビンスキーも三大バレエの頃が最も良くて、その前の「花火」も、それ以降の作品も滅多に演奏されない曲ばかりだと思います。

それにしても、バレエの場合、昔の公演(演出)はすぐに忘れ去られ、音楽だけが残りますね。この点、まだ、歌劇の方が実況録音として残るだけ、良いような気がしています。

ストラビンスキー自作自演の録音ではコロンビア交響楽団を指揮したものが有名ですが、あれは、弟子?のクラフトが指揮したとの噂もありますので、まともに指揮した録音ではNHK交響楽団を指揮した録画のみでしょうか。
なお、この曲で、私が持っている録音はモントゥー指揮のもののみです。
投稿: matsumo | 2011年2月18日 (金) 17時38分

オペラファンさん、こんばんは。
小澤征爾/パリ管は僕も昔聴きました。懐かしいですね。記憶では少々綺麗すぎて荒々しさに欠ける印象でしたが、久しぶりに聴いてみたくなりました。
デイヴィスは「春の祭典」がとても気に入っていますが、「火の鳥」は未聴です。是非一度聴いてみたいです。
投稿: ハルくん | 2011年2月19日 (土) 00時37分

わんわん2号さん、コメント頂きましてどうもありがとうございました。
確かに「火の鳥」の前半は幾らか充実度に欠ける気がしないでもありません。でも通して聴き終えると、やはり良い曲だなぁと思います。「春の祭典」とは性格が違うので、それぞれの曲の良さを楽しんでいます。
どうぞまたお気軽にコメントください。今後ともよろしくお願いします。
投稿: ハルくん | 2011年2月19日 (土) 00時45分

かげっちさん、こんばんは。
三大バレエの中で比較すれば革新性は乏しいと思います。けれどもあの時代の作品としては、やはり書法は非常に革新的です。それに純粋に音楽的に魅力が有りますよね。

バレエもオペラと同じで、生の舞台は本当に素晴らしいですよ。是非とも一度ご体験なさることをお勧めします。
投稿: ハルくん | 2011年2月19日 (土) 00時51分

matsumoさん、こんばんは。
ディアギレフが音楽を勉強していたことは知りませんでした。なるほど造詣が深くて当然ですね。「春の祭典」でパリに騒動を巻き起こしたのも確信犯だったそうですし、それだけ芸術に真摯だったわけですね。

ストラヴィンスキー自身の演奏は昔LP盤時代に聴いたことがありますが、なんとも生ぬるい印象でした。それはモントゥー/パリ音楽院についても同じような印象を受けました。これはやはり時代のせいなのでしょうね。
投稿: ハルくん | 2011年2月19日 (土) 01時01分

こんにちはハルさま。ストラヴィンスキー『火の鳥』大好きな曲です。ですが、この記事から外れたコメントで申し訳ないのですが ’70年代にブルースロックとか言われたと記憶してるのですが『マハヴィシュヌ・オーケストラ』というグループのアルバムに『火の鳥』ってありましたよね。ロックに詳しいハルさまならご存知ではと思いお聞きしました。クラスメイトの男子が「これ、イイゼー!」って言ってたんだったかな?その時1回聞いたきりなんですけど、結構インパクトあったなぁ。曲もよく覚えていないし、グループ名も曖昧なんですけど。知っていらしたら教えてください。アルバム入手しようかしらん…
投稿: From Seiko | 2011年2月19日 (土) 12時32分

Seikoさん、こんにちは。
マハヴィシュヌ・オーケストラのリーダーのジョン・マクラグリンは超絶テクのギタリストでギターフリークのカリスマでしたね。カルロス・サンタナもこの人とセッションをしてからテクが上がったというもっぱらの話です。
残念ながら「火の鳥」のアルバムは持っていませんが、バリバリのフュージョンでストラヴィンスキーとは何ら関係無かったように記憶しています。この辺りの話は恐らくHABABIさんかsource manさんが詳しいと思うのですが。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」の終曲をオープニングに使用したのがイエスのライブ「Yessongs」でした。キース・エマーソンと並ぶクラオタのリック・ウェイクマンのアイディアだと思います。但しバンド演奏では無くテープ演奏なのがショボイなぁ。エマーソンならバンドで演奏しただろうに。
なんてことを書いていたら急にイエスが聴きたくなって今流しています。Oh,Jesus!
投稿: ハルくん | 2011年2月19日 (土) 12時57分

ハルくんさん、こんばんは
お呼びが掛かったようなので、出て来ました。
マハヴィシュヌ・オーケストラのLPは何枚か持っていますが、あまり聴いていませんでした。「火の鳥」(但し、標記はFirebird ではなくBirds of Fire)も持っていたので、先ほど聴いてみましたが、ストラヴィンスキーのものを連想するところはありませんでした(個別のフレーズがどうだったのかまでは、私には分かりませんが)。このLPは1973年頃の発売で、ネットで調べたところ、CDが今も販売されているようです。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」は、最近ではラインスドルフ指揮ボストン交響楽団の演奏録音(組曲)で聴いています。
それから、昨夜は店で焼き鳥を食べました。これも火の鳥みたいなものです(すみません、くだらないことを言って)。HABABI
投稿: HABABI | 2011年2月20日 (日) 00時33分

HABABIさん、こんにちは。
さっそくのご確認ありがとうございます!
マハヴィシュヌ・オーケストラの「火の鳥」はそのように記憶はしていたのですが、なにせディスクを持っていませんでしたので。一度購入しようかなあと思いつつそのままでした。

ラインスドルフの演奏録音とは珍しいですね。興味があります。
焼き鳥いいですね!いや確かにこれも火の鳥です。
投稿: ハルくん | 2011年2月20日 (日) 09時21分

HABABI様。情報提供ありがとうございます。
ハルさまの一声で、呼ばれて飛び出たジャジャジャジャーン!ハクション大魔王の如く、すぐさま登場して下さるお仲間、素晴らし〜!ですねぇ。おー!じーざす。
検索したらAmazonに出ておりましたよ。でも先ずは中古CD探しに行ってきま〜す。
ついでに焼き鳥と滅多に買わない缶チューハイを求めようかな。
投稿: From Seiko | 2011年2月20日 (日) 14時07分

ハクション大魔王の如く、すぐさま登場して下さったHABABIさん。そう言いながら同じように登場して下さるSeikoさんもさすがです。
今夜は焼き鳥と缶チューハイでストラヴィンスキーですね!余りお飲み過ぎになりませぬように!(笑)
投稿: ハルくん | 2011年2月20日 (日) 17時02分

先週友人がスイスの作曲から聴いた話・・・実は春の祭典の冒頭はクラリネットのためdに書いていたのだが、初演に向けた練習の直前にふざけてファゴットが真似して吹いていたのを作曲者が聞いて、それ面白い、ファゴットにしよう、と急遽変更したとのこと。

ストラヴィンスキーってけっこういい加減というか大らかというか何というか(笑)こんどから肩の力をぬいて聴かなきゃいけないと思いました。
投稿: かげっち | 2011年2月20日 (日) 19時48分

かげっちさん、こんばんは。
やはり、あれだけ斬新な音楽を生み出したわけですから、新しいアイディアに対する適応力が有ったのでしょう。いい加減というよりは柔軟性だと思いますよ。当時としては物議をかもし出した音楽も現在では定番名曲ですものね。気楽に楽しみたいですね。
投稿: ハルくん | 2011年2月20日 (日) 21時44分

毎日暑いですね。暑い日に火の話もなんですが、火の鳥というとリャードフを思い出します。残念ながらリャードフは過小評価されていますが、私は大ファンなのです。ピアノ曲の水準は非常に高く、後世に残るべき作品も多いです。最近は全集の試みもあるので、ようやく真価が認められてきたのかなあと思ってます。劇場型の音楽はリャードフには向かないので委嘱するほうが見当違いですね。ストラヴィンスキーとはおそらく性格も正反対だったのではないかと思います。
投稿: NY | 2012年7月11日 (水) 05時05分

NYさん、こんばんは。
リャードフのファンでいらしたのですね。
実は自分はこれまでリャードフを聴いた覚えがありません。ピアノ曲が良いとのことですが、管弦楽作品なども色々と書いているようですね。
聴いてみたくなりましたが、一番のお勧めと言うと何の曲でしょう?
投稿: ハルくん | 2012年7月11日 (水) 23時07分
私はこれが好きですよ。たぶん一番有名だと思います。

リャードフ 「三つの小品」 作品11からロ短調
http://www.youtube.com/watch?v=eKTb07oYO74&feature=related

ポエジーですね。泣けますね。
その他、上記のCDに入っているのですが、舟歌、ルーマニア民謡変奏曲、グリンカ変奏曲等は演奏効果も高いので、これからのピアニストにも注目してほしいなと思ってます。
投稿: NY | 2012年7月12日 (木) 00時05分

NYさん、こんばんは。
ご紹介ありがとうございます。
確かに、これは一遍の詩ですね。心に染み入ってくるようです。
他の曲も幾つか聴いてみましたが、管弦楽曲にもロシアの情緒を感じさせる良いものが有りそうですね。
ピアノ曲以外にも興味が湧いてきました。じっくりと聴いてみたいです。
どうもありがとうございました。
投稿: ハルくん | 2012年7月12日 (木) 21時09分


マイナー曲にお付き合い頂いてありがとうございます。
ロシア音楽のほの暗さは日本人好みだと思います。そこぬけに明るい作風の人はあまりいない。いつもなにか重いものを感じます。管弦楽にはなぜか魔女ものが多いのですね。

リャードフの後輩にあたるスクリャービンも正真正銘の芸術家体質だったように思われます。いい意味で暗いです。二人とも天才肌で、あんまり勤勉でなさそうなところがいいです。そういう意味ではストラヴィンスキーは系譜的にちょっと特異な感じがしますね。
投稿: NY | 2012年7月14日 (土) 05時25分


NYさん、こんにちは。
スクリャービンは昔から演奏される機会が多かったですね。
日本人には暗さや哀愁を感じさせるロシア民謡や音楽は、受け入れやすいのでしょうね。(国家としては付き合いづらいですが)

19世紀から20世紀にかけて、音楽家だけでなく、美術分野でもシャガールやカンディンスキーなどの色々と異なるタイプの才人が多数現れました。凄い国(旧ソヴィエト連邦地域として)だったと思います。
投稿: ハルくん | 2012年7月14日 (土) 10時37分


カンディンスキーですか。抽象画ですね。だいぶ前のことですが、作曲家の原博さんの本を読んで非常に興味深く感じたことがあります。

原さんはもう亡くなられましたが、現代音楽と現代美術の泰斗とされるシェーンベルクとカンディンスキーをほとんど評価していなかった方ですね。彼らの活動は天才の業というよりはむしろ意志の力であると指摘されています。多くの人が新しい技法に追随した時代に勇気ある発言ですね。異論もあることでしょうが、原さんの論旨は明快で、文章が非常に上手なので説得力がありました。原さんは決して古典に帰れと言っているわけではなく、あんまり技法のための技法が進化してもダメだよと言いたかったのだと思います。

私も残念ながら現代音楽は一部を除いてほとんど理解しておりませんし、無調になると果たしてそれでいいのかと思ってしまう一人です。アドルノら、シェーンベルク擁護派の論文も読んでみましたが、現代音楽の理解はやはり意志の問題であることがなんとなくわかりかけてきました。理解しようと意志して努力すればわかるものはわかるという感じですかね。
投稿: NY | 2012年7月22日 (日) 00時37分


NYさん、こんにちは。
原博さんの本は読んでいませんが、「あんまり技法のための技法が進化してもダメだよ」という考えには共感できますね。
感動できない現代音楽と、感動できる古典以前の音楽とどちらが好きかと言われれば後者です。

但し、「技法のための技法」を聴いて楽しめる方はそれで良いのだとも思います。価値観の違いですからね。

シェーンベルクは嫌いと言うことでも無いのですが、これまで「意志」を持って理解しようと思ったことはありません。
カンディンスキーのほうが、なんとなく良さが分かるような気はします。同時代のパウル・クレーのほうは更にですね。
投稿: ハルくん | 2012年7月22日 (日) 10時32分


このところバレエのDVD観て勉強しております。動画にあったゲルギエフ指揮マリインスキー劇場バレエの火の鳥&春の祭典のDVD買いましたよ。春祭は衣裳がダサくて期待外れでしたが、火の鳥はエカテリーナ・コンダウーロワの魅力もあって楽しめました。コンダウーロワは今度マリインスキーの来日でオデットやりますけどハル様お薦めですよ。ロパートキナとヴシニョーワが格上みたいですが、美貌ならソーモワかコンダウーロワですね、ザハロワには及びませんけど(笑)。
ハル様お薦めのセクシーなライプチッヒ・バレエの春の祭典、懐に余裕があれば早く観たいですね。
投稿: シーバード | 2012年7月26日 (木) 19時59分


シーバードさん、こんばんは。
ゲルギエフ/マリインスキーのDVDは残念ながらまだ観ていません。いずれとは思っていますが。

マリインスキーの「白鳥」は大好きなので、今秋の来日公演は見に行く予定です。実は、そのコンダウーロワがオデットを演じる日なのです。美系に弱い邪道バレエファンなものでして・・・(笑)
投稿: ハルくん | 2012年7月26日 (木) 21時59分

ああ羨ましいな。
小生は地方在住なので、残念ながら平日は無理ですね。年に何度か上京しますけど。

ハル様はクラシック音楽以上に女性対する審美眼が優れていますよ。それにしても色っぽくてアダルトなオデットだろうな(笑)。
投稿: シーバード | 2012年7月27日 (金) 13時34分


リャードフに名前が似てますけど、リャプノフも魅力ある作曲家だと思います。お兄さんはリャプノフ(リアプノフ)安定性で有名な数学者で、微分方程式の教科書に載るほど偉い人です。私は理科系なのでそういうところも歴史的に興味深いと思ってます。後期ロマンの流れをくんだピアノ曲は書法が緻密で、しかも恐ろしく難しい曲が多い。並みのピアニストでは手が出ないでしょう。これからまだ評価が上がる作曲家だと思います。最近はミャスコフスキーにも興味があるのですが、意外に作品が多くてまだよくわからないです。残念ながらじっくり聴く暇がないですね。もっと前から研究しておくべきだったなあと思います。
投稿: NY | 2012年7月28日 (土) 08時35分


シーバードさん、こんにちは。
上京されるときに、良い公演をご覧になられる機会が有ると良いですね。
秋のマリインスキー、コンダウーロワのオデットについては、その時に詳しくレポートしたいと思います。
投稿: ハルくん | 2012年7月28日 (土) 10時48分

NYさん、こんにちは。
リャプノフという人は名前も知りませんでした。文系の自分は「有名」というお兄さんのほうも知らないです。

ロシアの作曲家、演奏家には一般には知られていない凄い人が相当居るのでしょうね。

色々と聴いてみたい気はしますが、じっくりと聴く時間は中々とれなさそうです。
でも、ご紹介を頂きまして、どうもありがとうございました。
投稿: ハルくん | 2012年7月28日 (土) 10時59分


春の祭典や火の鳥を聴いたのは云十年前ですけど、指揮者やオケは忘れてしまいました。ドラティだったかなあ。LPの時代で1300円だったような。レコードは昔から値段があまり変わらなかった製品だったのに、あるときを境に安くなったりCDにとって替わられたりして、時代の栄枯盛衰を感じます。

ストラヴィンスキーの作品には神話的なものもあれば、子供が聴いてもよくわからんというのもありますね。兵士の物語なんかは現代劇として今上演しても面白いと思いますが、なんとなく暗いので好き嫌いはあるでしょうね。
投稿: NY | 2012年7月29日 (日) 09時15分


NYさん、こんにちは。
昔のLP時代の廉価盤と言うと、録音の古いものや無名のものが多かったですね。
現在の廉価盤は古いといっても1970〜80年代の名演奏家のものが大半ですので、どうかすると最新盤よりも優れているくらいです。価格と内容が比例しないというのは、喜んで良いのでしょうかねぇ。

ストラヴィンスキーの傑作と言うと、やはり三大バレエなのでしょうね。一般的にも個人的にも、そうだと思います。

でも後期の作品にも熱烈なファンが居るでしょうし、自分は余り聴き込んでいないので、時間があればじっくり聴いてみたいです。
投稿: ハルくん | 2012年7月29日 (日) 13時01分

ハルくん様
アンセルメ&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、如何でしょうか。
自身がレコードに興味を持ち始めた頃、KINGレコードからロンドン・デラックス・アルバムと言う¥2300の価格で、SLA-1014と言うリハ突きの盤で、当時住んでいたN市の星電社レコード・コーナーに、鎮座ましまして居りました。襷に、挑戦する事三度、ついに頂点を極めた楽聖アンセルメ生涯最後の録音!と言う、物々しいキャッチ・コピーがあった事まで、覚えております(笑)。

で、KICC-9277と言う限定千円CDで、手元にあるわけですがやはりブーレーズ&NYフィル、ドホナーニ&VPOと比べると、リズムの切れ味やダイナミックスの幅広さに於いて、やはり及ばないなぁ…と言う印象でございます。データを拝見すると、1968年11月収録でお亡くなりになる、3カ月前のセッションです。この事実を知る我々後世の者は、勝手な色眼鏡で見て正しい評価を成し得ていないかも、分かりませんが。ただ、末梢事ながら、少年の日(笑)に見て興味をそそられたLPと同じ、アンセルメの横顔のイラストが、ブックレットのデザインに採用されていたのは、嬉しかったです。
投稿: リゴレットさん | 2018年4月14日 (土) 08時39分

リゴレットさん
そのアンセルメ盤は聴いたことが有りません。
昔定評が有った演奏を現在の演奏と聴き比べてそん色ない場合も有りますが、聴き劣りしてしまうことが有りますね。モントゥーのストラヴィンスキーなども一例です。逆にバーンスタインの幾つもの旧録音が現在でも光り輝いているのは前者の例です。

そしてアンセルメですが、スイスロマンドの質も含めて失望することが少なくは有りません。
でも決して嫌いということでも無いのですが。
投稿: ハルくん | 2018年4月16日 (月) 12時40分


ハルくん様
まぁ、英国Deccaは往年のアンセルメのレパートリーを、デュトワ&モントリオール交響楽団で、ほぼ録り直して現在のファンにアピールするディスクを、造り上げましたからね。

アンセルメ翁の録音も、当時の現代作品・近代音楽をこぞって取り上げ、それらの音楽のファンを増やし、聴き手の視野を拡げて下さった功績は、讃えられて然るべきでございます。

輸入盤取扱店に、イタリア・ユニヴァーサル制作の約30枚組の伊仏音楽アンソロジー物を見かけましたので、現在の購入層にもある程度の関心は持たれているんだと、一抹の安心感(笑)も覚えました次第です。
投稿: リゴレットさん | 2018年4月18日 (水) 14時15分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-eff5.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html#c2

[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲
ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲


Balanchine's "Orpheus"


Stravinsky: Orpheus - Szegedi Kortárs Balett


Igor Stravinsky - Orpheus
Performed by the Deutsches Symphonie Orchester, conducted by Vladimir Ashkenazy



Igor Stravinsky (1882-1971): Orpheus, balletto (1948) -- Moscow State Philharmonic diretta da Igor Stravinsky (dal vivo: Mosca 1962)


_____


『オルフェウス』(Orpheus)は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが1947年に作曲した3場からなるバレエ音楽。


作曲の経緯


リンカーン・カースティンの依頼により、ニューヨーク・シティ・バレエ団の前身であるバレエ協会のために作曲され、1947年9月23日に完成した[1]。ストラヴィンスキーは振付のジョージ・バランシンと緊密に連絡しながら作曲した[2]。



初演


1948年4月28日、ニューヨークの音楽・演劇センターにおいて、バレエ協会によって初演された。


振付:ジョージ・バランシン
美術・衣裳:イサム・ノグチ
オルフェウス:ニコラス・マガリャネス(英語版)
エウリュディケー:マリア・トールチーフ


初演はセルゲイ・ディアギレフの没後ではまれな成功をおさめ、振付や美術も高く評価された[3]。


このバレエの成功をきっかけにして、バレエ協会は常設のバレエ団に変わり、名前をニューヨーク・シティ・バレエ団に改めた。新生ニューヨーク・シティ・バレエ団の第1回公演は1948年11月11日に行われ、その出し物は『オルフェウス』、『交響曲ハ長調』(ビゼー)、『コンチェルト・バロッコ』(バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043)であった[4]。その後もバランシンとストラヴィンスキーは生涯にわたって協力を続けた。



編成


フルート2、ピッコロ、オーボエ2(コーラングレ持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ、ハープ、弦5部[5]。



曲の構成


第1場
Lento sostenuto
エール・ド・ダンス(Air de Danse)
死の天使の踊り(Dance of the Angel of Death)
間奏曲


第2場
復讐の女神たちのパ(Pas des Furies)
エール・ド・ダンス(Air de Danse)
パ・ダクシオン(Pas d'Action)
パ・ド・ドゥ(Pas de deux)
間奏曲
パ・ダクシオン(Pas d'Action)


第3場
オルフェウスのアポテオーズ(Orpheus's Apotheosis)



内容


第1場冒頭、弦楽器によるコラールの上をハープがフリギア旋法の下降音階を奏で、エウリュディケーを失ったオルフェウスの嘆きを表す。ヴァイオリン独奏による軽快なエール・ド・ダンスについで、金管の旋律が聞こえ、死の天使がオルフェウスを地下世界へと導く。無気味な間奏曲が続く。


第2場、グルック『オルフェオとエウリディーチェ』にも登場する復讐の女神たちの踊りにはじまり、2台のオーボエとハープによるオルフェウスのエール・ド・ダンスが続く。地下世界はオルフェウスの音楽に感じいり、復讐の女神たちはオルフェウスに目隠しをした後にエウリュディケーを返す。


パ・ド・ドゥは弦楽を主体とするもっとも長い曲で、目隠しをしたオルフェウスがエウリュディケーと踊るが、結局目隠しを取ってしまい、エウリュディケーは再び倒れる。
金管による重苦しい間奏曲が流れた後、暴力的なリズムを持つパ・ダクシオンに入り、バッカンテス(マイナデス)によってオルフェウスは八つ裂きにされる。


第3場、ふたたび冒頭のハープが戻ってくるが、今度はドーリア旋法の上昇音階を奏で、それに2台のホルンによるフーガが加わる。ホルンの主題は冒頭の弦楽器の主題の逆行形になっている[6]。アポローン神はオルフェウスの竪琴と音楽を天にあげる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/オルフェウス_(ストラヴィンスキー)



▲△▽▼


Symphony in Three Movements


ストラヴィンスキー: 3楽章の交響曲 (1945) ブーレーズ 1996
ピエール・ブーレーズ指揮 Pierre Boulez 1996年2月
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Berliner Philharmoniker



_______


3楽章の交響曲(Symphony in Three Movements )は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した交響曲。


3つの楽章からなる交響曲は古今に数多く存在するが、楽曲の題名としてはもっぱらこのストラヴィンスキーの作品を指す。


ストラヴィンスキーが1945年12月にアメリカ合衆国の国籍と市民権を得て以降最初に演奏された作品であり、その後に書かれた『オルフェウス』や『ミサ曲』とともに、新古典主義時代を締めくくる作品のひとつでもある。


本作はニューヨーク・フィルハーモニック・シンフォニー協会との親交20年を記念して作曲されたもので、1942年に着手、1945年に完成された。初演は翌1946年1月24日にストラヴィンスキー自身の指揮とニューヨーク・フィルハーモニックによって行われた。


当初ストラヴィンスキーはピアノを独奏楽器とする一種の「管弦楽のための協奏曲」として構想しており、これが現在の第1楽章のもとになっている[1]。一方第2楽章は別の由来を持ち、フランツ・ヴェルフェル『ベルナデットの歌』を元にした1943年の映画『聖処女』のための音楽として作曲したが採用されなかった曲を再利用している[1](ストラヴィンスキーはこの時期にハリウッド映画のための音楽をいくつか作曲しているが、実際の映画に使われたものはなかった)。この曲ではハープが独奏楽器として活躍する。このため、最後の第3楽章ではピアノとハープの双方に活躍の場を与えている。

音楽の表す内容について、初演時のプログラムでストラヴィンスキーは本作を(特定の標題を表現したものでない)「絶対音楽」であるが、その一方で第二次世界大戦の真っ只中の世界で起こった様々な事件を扱ったドキュメンタリー映画で観て、それらの要素が作品に投影しているとも言っている[2]。


楽器編成


木管楽器:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット3(3番はバス・クラリネット持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット
金管楽器:ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ
その他:ティンパニ(4台)、大太鼓、ハープ、ピアノ、弦5部。


構成


第1楽章 4分音符=160
一種のロンド形式で、管弦楽とピアノによる強烈なトゥッティで始まる。多様なリズムが駆使され、オスティナート、保続音、音の跳躍などが見られる。またジャズの影響をうかがわせる部分もある。


第2楽章 アンダンテ - インターリュード(Andante - Interlude (L'istesso tempo) )
8分音符=76。弦楽とハープ、そしてフルートを中心に演奏される緩徐楽章。7小節の短いインターリュードは次の楽章への橋渡し的な部分であり、切れ目なく続けて突入する。


第3楽章 コン・モート(Con moto)
4分音符=108。スケルツォとフィナーレの性格を併せ持ち、力強いトゥッティで始まる5つの部分で構成されている。印象主義的、原始主義時代を思わせるリズムを経て、アラ・ブレーヴェのフーガとなり、次第に盛り上がって全管弦楽の咆哮を響かせて終わる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/3楽章の交響曲

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
72. 中川隆[-14301] koaQ7Jey 2020年1月21日 12:32:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1176]
ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c72
[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲 中川隆
1. 中川隆[-14300] koaQ7Jey 2020年1月21日 12:57:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1175]
ストラヴィンスキー「3楽章の交響曲」2018 SEP 20 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2018/09/20/ストラヴィンスキー「%EF%BC%93楽章の交響曲」/


ストラヴィンスキーはカメレオンといわれる。長年そう思っていましたが、あの3大バレエ流儀の曲がもう出てこなかった聴き手の欲求不満がこもった揶揄とすればもっともです。それほどあの3曲は劇的に素晴らしい。いや、路線変更なかりせば10大バレエができたかもしれないが、どんな形式にせよあれは彼の才能が20代でスパークした瞬間を記録したブロマイドのようなもので残りの7つは30代の顔を映したもの、つまり結婚、プルチネルラ、きつね、兵士、ミューズ風のものが続いたに違いない。我々はそれを手にしているのだからそれがストラヴィンスキーなのであって、最近はむしろ変転できたことが彼の才能だったと信じるようになりました。

彼の家系はポーランドの貴族でリトアニアに領地がありましたが没落しています。マリインスキー劇場で歌う高名なバス歌手の3男としてペテルブルグ近郊で生まれ、サンクトペテルブルク大学法学部の学友の父リムスキー=コルサコフの個人授業を受けたことが音楽的基盤となりましたが、火の鳥に師の残照はあっても春の祭典に至るともう見えません。その20代の10年間の音楽のプログレスは驚異的で、並行して法学部で学位も得ているように、創造力ばかりが強調して伝わりますがそれ以前に格別の学習能力があったと思われます。彼の父の蔵書は図書館並みの20万冊であり、その血をひいてその家に育ったわけです。

作風変化の”カメレオン”には2つの世界大戦の影響を看過できません。バレエ・リュスの公演は第1次大戦で妨げられて収入が途切れ、終戦後はフランスを転々としますが1945年にアメリカに移住して市民権を得ます。ナチズムゆえ居所をアメリカに移した音楽家は多いですが、彼は土地も作品の版権も失いフランスでの人気も失せた経済的動機が大きく伝記を読む限りあまり悲愴感がない。宗教もカソリックに改宗したし、蜜月だったディアギレフは不仲になったがお墓は一緒でベニスのサン・ミケーレ島にあるという、まさに変転の人生であったわけで作風だけのという話ではありません。

米国人になって書いた最初の作品が『3楽章の交響曲』でした。新天地を賛美するわけでも希望に燃えて見せたわけでもなく、まず書いたのが戦争交響曲だったことは作風変化にそれがもたらした影響を物語ります。第1楽章は日本軍の中国での焦土作戦、第3楽章はドイツ軍のガチョウ足行進と連合軍の破竹の成功というドキュメンタリー・フィルムを見たことにインスピレーションを得たとストラヴィンスキーが語っており、第2楽章は映画音楽として構想された(実現せず)楽想が使われています。戦争と映画。時代の影を色濃く宿している作品ということで彼自身がこれを「戦争交響曲」と呼んだのです。

冒頭、ト長調音階を駆け上りますがオクターヴを半音通り越した短9度(a♭)で着地します。音程としてはブルックナー9番の終楽章冒頭の短9度跳躍を想起させますが、急速な主題のいきなりのパンチはモーツァルトのパリ交響曲冒頭ばりでもあり不安定な印象は倍加しています。非常に面白いスコアで作曲時が63才。いま僕がその年です。30才の作品を思い出せとなっても難しいと思うのですが、彼はここで有難くも春の祭典ばりの短3度ティンパニ、複調、変拍子を復活させてくれています。

新古典主義と評される枠内に留まり、祭典にはないピアノとハープが主役にはなりますが、この作品は僕にとってそのDNAを継いだ曲として稀有の価値を持っており、記憶してしまってからはその代用品としてワークしております。外を歩いていると時に歩調に合わせて不意に元祖の「生贄の踊り」のコーダのティンパニの変拍子が頭に響いてきて、それが始まってしまうと終わりの強烈な一発まで心中でエア演奏しないと気が済まないのですが、それが『3楽章の交響曲』第1楽章のこの部分であることもままあります。

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ここのカッコよさ!ピアノの閃光がまるで弦チェレ第2楽章中間部ですが、ピッチカートとアルコ応対する弦セクションは4分音符を3223、3223、322、3223、3322・・・と分割する変拍子で祭典と同様リズム細胞の組み合わせになっていきます。このリズムはストラヴィンスキー以外の何物でもない。リズム、リズム!彼の本質はリズムです。「生贄の踊り」の悪辣な興奮はあの極限までエロティックな変拍子にこれしかないという短3度音程がまるで神が配剤した麻薬のようにふりかけてあるからに違いなく、それと同じものがこの曲のスコアの随所に潜んでいます。

短3度、複調、変拍子(変アクセント)への偏愛。彼は89才まで生きましたが、たしかに古典に帰ったと思うと12音にはまったり、僕も一時そう思っていたように節操なく見えるのです。しかし今はこう感じます。彼の根幹(本能的音楽嗜好)は揺ぎ無く一定であった。ただし常人離れした好奇心、猜疑心そして学習能力が常にその場の行動を駆り立ててしまう。ココ・シャネルら複数の女性にふらふらしたようにですね。しかしその性向こそが、お互いに似ていない3大バレエを同時に着想させた。彼自身が「複調」的な人物であり変拍子のように人生を歩んだと。それを後世の我々がどう評価しようと書いたスコアの前には微塵もなく吹き飛んでしまうのです。

このビデオはエーリヒ・ラインスドルフがクリーヴランド管弦楽団に客演した際の1984年のライブ録音で、フィラデルフィアの自宅でFM放送をカセットテープに録音したものです。



Stravinsky "Symphony in Three Movements" - Erich Leinsdorf (Live, from my tape)




ラインスドルフはフィラデルフィア管弦楽団で春の祭典をやりましたが非常に面白かった。楽譜の読み方、パーセプションがオンリーワンのラインスドルフ節であり、ぎくしゃくした腕の振りで明確に振り分ける。リズムに明敏。凄いプロです。彼は火の鳥でもペトルーシュカでもなく、祭典と3楽章です。ここでもそれが目に浮かびます。

(ついでながら、これが彼の春の祭典)






これはyoutubeから。

Stravinsky Symphony In Three Movements -Victoria Symphony -Tania Miller, conductor



この演奏は支持できますね、指揮者オケも存じませんが女性が戦争交響曲を振ろうという心意気がいいですね。奏者も良くついて行ってます。



ハンス・ウエルナー・ヘンツェ / ローマ放送交響楽団



これもyoutubeで拾いました。作曲家ヘンツェの指揮によるライブであり、イタリアの放送オケはへたくそな演奏が多いものだから何ら期待せず聴きましたが、意に反し、なんだこれは?という素晴らしい演奏です。完全にヘンツェの手の内に入っておりリズムへの反応が見事なうえに音色は非常にカラフル。これだけピアノが聞こえる録音はなくスコアリーディングに最適で何度でも聴きたい。これは入手したいですねえ。


ピエール・ブーレーズ / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団



BPOの技量に拠るところ大とはいえ、これだけ整ったアンサンブルを他に求めるのは難しいというレベルの演奏。このコンビのダフニスと管楽器のための交響曲を94年にベルリンで聴きましたが、ライブであれほどの完璧な音響というものは経験がなく、この演奏にもそれを思い出します。

ただDGの春の祭典にも言えますが、隙のない絶世の美女の肖像画という印象で悪辣さや危なさに欠け、ニューヨークフィルとCBSでやっておいて欲しかった。野球のたとえで申しわけありませんが、これは単にスピードが160kmでる投手という感じであって、140kmなのにもっと凄みある球を放ってぜんぜん打てない投手はいるよということです。

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html#c1
[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲 中川隆
2. 中川隆[-14299] koaQ7Jey 2020年1月21日 13:06:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1174]

イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(ロシア語: И́горь Фёдорович Страви́нский[1]、1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシアの作曲家。

同じくロシアの芸術プロデューサーであるディアギレフから委嘱を受け作曲した初期の3作品(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)で知られるほか、指揮者、ピアニストとしても活動した。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人である。


人物・来歴

第一次世界大戦まで

1882年6月17日(当時ロシアで使用されていたユリウス暦では6月5日)[2]、サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生まれ、首都のサンクトペテルブルクで育った[3]。

ストラヴィンスキー家は16世紀末にさかのぼるポーランド系小貴族で、伝統的にその領地はリトアニア大公国の中にあったが、徐々に没落していった[4]。父のフョードルは三男だったために財産を受け継ぐことはなかったが[5]、マリインスキー劇場づきの、当時のロシアを代表するバス歌手として有名だった[6]。

1901年、イーゴリは現在のサンクトペテルブルク大学法学部に入学したが[7]、その一方で週に一度音楽理論を学んだ[8]。法学部で知りあったリムスキー=コルサコフの末子であるウラディーミルの勧めによって、1902年夏にリムスキー=コルサコフと会い、個人授業が受けられることになった[9]。同年11月に父が没した。

リムスキー=コルサコフの授業は最初は不定期だったようだが、1905年秋ごろから定期的なレッスンを受けるようになった[10]。大学は1906年4月に学位を取得した(1905年に卒業したが、血の日曜日事件以降の大学の混乱で学位取得が1年遅れた[11])。

初期の管弦楽作品としては『幻想的スケルツォ』(1908)と『花火』(1909)が優れているが、リムスキー=コルサコフは1908年6月に没し、これらの曲の初演を聞くことはできなかった。自伝によればバレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフはこの2曲を聞いてからストラヴィンスキーと親密な関係を持つようになったというが[12]、実際のところはよくわからない[13]。ディアギレフから最初に頼まれた仕事はバレエ『レ・シルフィード』のためにショパンのピアノ曲を管弦楽用に編曲することだった。

1910年にはバレエ・リュスのために作曲した『火の鳥』がパリのオペラ座で初演され、大成功を収める。翌1911年には、第2作『ペトルーシュカ』が初演され、これも成功を収める。さらに1913年、第3作『春の祭典』がパリで初演された。この上演は楽壇をセンセーショナルな賛否両論の渦に巻き込み、初演においては観客の怒号が演奏をかき消すほどであったと伝えられているが、その後すぐに評価は急上昇し、これも大成功を収めることとなった[14]。これら3作によってストラヴィンスキーは若手の革命児として名を刻まれる事になった。

ストラヴィンスキーはそれまでも夏をウスティルーフ(現ウクライナ)、冬をスイスで過ごしていたが、1914年、第一次世界大戦が勃発するとウスティルーフには帰れなくなり、スイスに居を定めた[15]。1917年に起きたロシア十月革命により故国の土地は革命政府に没収され、ロシアからの収入も得られなくなり、またバレエ・リュスの公演も戦争に妨げられて思うにまかせず、ストラヴィンスキーの生活は苦境に陥った[16]。このころ作曲された曲はロシアの民衆詩や寓話による土俗的な『きつね』、『結婚』、『兵士の物語』などがあり、ストラヴィンスキーの新しい局面を示すが、ほとんどの曲は戦時中には上演する機会がなかった。

両大戦間

戦後の1920年にパリで初演された『プルチネルラ』はまだスイスに住んでいた時に作曲された曲だが、18世紀の音楽の旋律と形式をそのまま使いながら、新しい管弦楽法で音楽に新しい命を吹き込んだもので、1921年以降フランスに落ち着いてから作られるようになる新古典主義音楽のはしりだった。ストラヴィンスキーの新古典主義時代は1951年のオペラ『放蕩者のなりゆき』まで続く。

1920年からフランスに住んだが、住所はカランテック(ブルターニュ地方)、ギャルシュ(パリ近郊)、アングレットおよびビアリッツ(南西フランス、1921-1924)、ニース(1924-1931)、ヴォレップ(英語版)(グルノーブル近郊、1931-1934)と、一定しなかった。

ディアギレフとの関係は続いたが、戦前よりも疎遠になり、1923年に初演された『結婚』がバレエ・リュスのために書いた最後の曲になった。ストラヴィンスキーはまたキリスト教に傾倒するようになり、1926年にはロシア正教会に回帰した。1920年代に作曲された主要な曲には『八重奏曲』『エディプス王』『ミューズを率いるアポロ』などがある。この時代、ストラヴィンスキーはピアニストとしてもデビューし、ピアノ用に『ピアノと管楽器のための協奏曲』『カプリッチョ』『ピアノソナタ』『イ調のセレナーデ』などを作曲している。

1929年にディアギレフが没した後は、ヴァイオリニストのサミュエル・ドゥシュキンのために書いた曲や、アメリカ合衆国からの注文で書いた曲が主になる。『詩篇交響曲』『カルタ遊び』『ダンバートン・オークス協奏曲』はいずれもアメリカからの依頼で書いたものである。

1934年にフランス市民権を得て[17]パリに住むが、1938年に長女を結核で失い、翌年には妻と母を失う[18]。当時ナチス政府は前衛的なストラヴィンスキーを快く思っておらず、1938年には退廃音楽として誹謗された。またフランス人はストラヴィンスキーの新作に興味を持たなくなっていた。

アメリカ時代

ストラヴィンスキーは1925年にはじめてアメリカ合衆国を訪れ、1935年と1937年にも渡米している。第二次世界大戦開戦直後の1939年9月にハーバード大学からの依頼によって渡米して音楽に関する6回の講義(のちに『音楽の詩学』の題で出版)を行うが、そのまま米国にとどまり、ハリウッドに住んだ[19]。フランスで書きはじめられた『交響曲ハ調』はアメリカで完成することになった。1945年にはアメリカ合衆国の市民権を得た[20]。『3楽章の交響曲』、バレエ『オルフェウス』、『ミサ曲』、オペラ『放蕩者のなりゆき』などがこの時代の代表作である。

アルノルト・シェーンベルクが没した1951年頃より、これまで否定的だった十二音技法を少しずつ採用して新たな創作の可能性を開く。70歳近くになってからの作風の変貌は世間を驚かせた[21]。その後も1966年までの約15年に20曲ほどを作曲している。この時代の作品には『七重奏曲』、『カンティクム・サクルム』『アゴン』『トレニ』『アブラハムとイサク』『J.F.ケネディへの哀歌』などがある。

1959年、来日し、日比谷公会堂、フェスティバルホールで演奏会を行う。また日本の若手作曲家の武満徹を見出して世界に紹介する。これはのちにバーンスタインが、ニューヨーク・フィル125周年記念の曲を武満に委嘱するきっかけになった。

1962年、キューバ危機のさなかに80歳のストラヴィンスキーはソ連を訪問する[22]。1914年に祖国を離れて以来、最初にして最後の帰郷であった。

長期にわたって作曲を続けてきたストラヴィンスキーも、やがて健康上の理由によって音楽活動の中止を余儀なくされるようになった。1966年、84歳を最後として新しい曲は作曲されず[23]、1967年以降は指揮も行わなくなった[24]。1968年には最後の編曲を完成させたが、それ以後も完成こそしなかったもののいくつかの曲の編曲には手を付けていた[25]。1967年後半は胃潰瘍と血栓症で長期間入院した。最晩年はロバート・クラフトの勧めでレコードを聞いて過ごした。作曲家から鑑賞者への立場の変化に不満を持ちつつも、とくにベートーヴェンを好んだ[26]。


1969年、ニューヨークのエセックスハウスに転居し、1971年4月6日に88歳で没した[27]。ディアギレフの眠るヴェネツィアのサン・ミケーレ島に埋葬された。のちに、妻ヴェラもイーゴリの隣に埋葬されている。

死後、革命により失われたと思われていた『ピアノソナタ嬰ヘ短調』などの初期作品がレニングラード州立図書館から発見され、刊行された。2015年にはリムスキー=コルサコフ追悼のために書いた『葬送の歌』作品5が発見されている[28] 。本作はストラヴィンスキーが生前に『火の鳥』以前に書かれた作品では最高の作品だと述べており、紛失を悔やんでいたものだった[29]。

妻子と女性関係

ストラヴィンスキーは大学を卒業した翌年の1906年に、幼なじみで従姉のエカテリーナ・ノセンコ(カーチャ)と結婚した。翌年には息子テオドール、翌々年に娘リュドミラを授かった。1910年には後に作曲家・ピアニストになったスリマが生まれた。1914年には娘のマリア・ミレナが生まれている[30]。しかし夫人は長く結核を患い、1938年に長女リュドミラが感染して死亡、翌1939年はじめに夫人自身も死亡した[31]。

一方、ストラヴィンスキーはしばしば他の女性と不倫関係を持ったことが知られている。1916年にアメリカ公演から帰ったバレエ・リュスがマドリードにいる時、バレエ・リュスの踊り手であるリディア・ロポコワと恋愛関係を結んだのが知られるかぎり最初の浮気である[32]。

ココ・シャネルとも一時恋愛関係にあったことが知られている。1920年にパリで家を探すのに困っていたストラヴィンスキーにココ・シャネルは自分の家を提供したり、マシーンによる『春の祭典』復活上演のために莫大な資金を提供したりしているが、恋愛関係にあったのは短い間に過ぎなかったようだ[33]。2009年の映画『シャネル&ストラヴィンスキー』は『春の祭典』初演後から再演前までにおける両者の不倫を題材にしているが、これはあくまで創作である。

1921年には蝙蝠劇場というロシア系のキャバレーでジェーナ・ニキティナと一時的に恋愛関係を持った。ほかにも不倫の対象はいたかもしれない[34]。

セルゲイ・スデイキンとその妻のヴェラにはじめて会ったのはおそらく1920年にパリでプルチネルラを公演したときで[35]、おそらく翌年夏にストラヴィンスキーはヴェラと恋仲になり、バレエ・リュスではふたりの関係は公然と語られた。スデイキンとストラヴィンスキーは険悪な関係になり、1922年にヴェラはスデイキンと離婚している[36]。その後ストラヴィンスキーは南フランスで家族と、パリでヴェラとの二重生活を送った。夫人の没後、1939年にアメリカに移ると、ヴェラを呼び寄せて1940年に再婚している[37]。

作風

生涯に、原始主義、新古典主義、セリー主義と、作風を次々に変え続けたことで知られ、「カメレオン」[38]と形容されたこともあった。さまざまな分野で多くの作品を残しているが、その中でも初期に作曲された3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)は知名度が高く、特に原始主義時代の代表作『春の祭典』は、しばしば20世紀音楽の最高傑作と言われることもある[39]。 また、オーケストラ作品ではリムスキー=コルサコフ仕込みの管弦楽法が遺憾なく発揮され、さらにそこから一歩踏み込んだ表現力を実現することに成功している。これらの作品によって、ベルリオーズやラヴェル、師のリムスキー=コルサコフなどと並び称される色彩派のオーケストレーションの巨匠としても知られる。

松平頼暁は著書『現代音楽のパサージュ』の中で「20世紀音楽のほとんどのイディオムはすべて彼の発案」と述べている。

原始主義時代

ストラヴィンスキーはデビュー当初は原始主義を標榜していないが、有名な作品を残し始めた頃から原始主義の傾向が見られる。主な作品として、3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)が挙げられる[40]。複調、変拍子、リズム主題の援用などが特徴である。『結婚』を最後にこの傾向は終息する。


新古典主義時代

バレエ音楽『プルチネルラ』の発表は新古典主義音楽の開幕を告げるものであり[41]、これ以降はストラヴィンスキーの新古典主義の時代とよばれる。この時期はバロック音楽や古典派のような簡素な作風に傾倒した。和声の響きは初期に比べてかなり簡明になった。1939年から1940年に行われた講義の内容を基にした著作『音楽の詩学』がこの時代の音楽観をよく表している。その一方で、新古典主義時代ながら『詩篇交響曲』ではセリー的操作を用いていることが後の研究で明らかにされた。ストラヴィンスキーが他の楽派の音楽語法も常に見張っていたことが良くわかる。

セリー主義(十二音技法)時代

第二次世界大戦後は、それまで敵対関係であったシェーンベルクらの十二音技法を取り入れ、またヴェーベルンの音楽を「音楽における真正なるもの」などと賞賛するようになった。これには同じくアメリカに亡命していたクシェネクの教科書からの影響もある。ストラヴィンスキー自身は、「私のセリーの音程は調性によって導かれており、ある意味、調性的に作曲している」と語っている。各楽器をソロイスティックに用いる傾向が一段と強まり、室内楽的な響きが多くのセクションで優先されている。


主要作品

詳細は「ストラヴィンスキーの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


バレエ音楽

『火の鳥』(1910年; 初演 1910年6月末 オペラ座)
『ペトルーシュカ』(1911年; 初演1911年オペラ座)
『春の祭典』(1913年; 初演 1913年5月29日 シャンゼリゼ劇場)
『プルチネルラ』(1920年; 初演 1920年)
『結婚』(1923年; 初演1923年)
『ミューズを率いるアポロ』(1928年; 初演1928年、改訂1947年)
『妖精の接吻』(1928年; 初演1928年、改訂1950年)
『カルタ遊び』(1936年; 初演1937年)
『オルフェウス』(1947年; 初演1948年)
『アゴン』(1957年; 初演1957年)

バレエ以外の舞台作品

『夜鳴きうぐいす』(1907年-1914年; 初演1914年オペラ座) - 後の1917年に同作の主題を用いた交響詩が書かれている。
『兵士の物語』(1918年; 初演1918年)
『エディプス王』(1927年; 初演1927年、改訂1948年) - ジャン・コクトーの台本によるオペラ・オラトリオ。
『放蕩者のなりゆき』(1951年; 初演1951年)

交響曲

交響曲第1番変ホ長調 Op.1(1905年-1907年)
詩篇交響曲(1930年)
交響曲ハ調(1938年-1940年)
3楽章の交響曲(1942年-1945年)

協奏曲

ピアノと管楽器のための協奏曲(1923年-1924年)
カプリッチョ - ピアノと管弦楽のための (1928年-1929年)
ヴァイオリン協奏曲ニ調
協奏曲『ダンバートン・オークス』(1937年-1938年)
エボニー協奏曲(1945年)
弦楽のための協奏曲ニ調(バーゼル協奏曲)(1946年)
ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ(1958年-1959年)

管弦楽曲

幻想的スケルツォ Op.3(1907年-1908年)
交響的幻想曲『花火』Op.4(1908年)
交響詩『ナイチンゲールの歌』(初演1919年) - オペラ「夜鳴きうぐいす」の交響詩への編曲
管楽器のための交響曲(1920年)
サーカス・ポルカ(1942年)
ロシア風スケルツォ(1944年)
バレエの情景(1944年)
4つのノルウェーの情緒(1942年)

ピアノ曲

ピアノソナタ 嬰ヘ短調(1903年-1904年)
『ペトルーシュカ』からの3楽章
ピアノ・ラグ・ミュージック(1919年)
5本の指で(1920年-1921年)
ピアノソナタ ハ調(1924年)
イ調のセレナーデ(1925年)
タンゴ(1940年)

室内楽曲

11楽器のためのラグタイム(1918年)
八重奏曲(1922年-1923年)
七重奏曲(1952年-1953年)
弦楽四重奏のための3つの小品(1914年)
弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ(1920年)
弦楽四重奏のための二重カノン (ラウル・デュフィ追悼のための)(1959年)
ヴァイオリンとピアノのための協奏的二重奏曲(1931年-1932年)


合唱曲

カンタータ『星の王』(1911年-1912年)
4つのロシア農民の歌(1914年-1917年)
ミサ曲(1944年-1947年)
トレニ−預言者エレミアの哀歌(1957年-1958年)
説教、説話、祈り(1960年-1961年)
イントロイトゥス

歌曲

パストラール(1907年)
日本の3つの抒情詩(1912年-1913年)
プリバウトキ(1914年)
猫の子守唄(1915年-1916年)
ふくろうと猫(1965年-1966年)

著作

ストラヴィンスキー 『音楽とは何か』(佐藤浩訳、ダヴィッド社、1955年)  『音楽の詩学』(笠羽映子訳、転換期を読む:未來社、2012年8月刊)
※大学での講義をまとめたもので、原題はPoétique musicale(音楽の詩学)。

『ストラヴィンスキー自伝』(塚谷晃弘訳、全音楽譜出版社、1981年) 『私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝』(笠羽映子訳、転換期を読む:未來社、2013年3月刊)

ストラヴィンスキー談 『118の質問に答える』(ロバート・クラフト編、吉田秀和訳、音楽之友社、1960年)

演奏家としてのストラヴィンスキー

ストラヴィンスキーは作曲家であるとともに、指揮者、ピアニストとしても知られていた。彼が初めて指揮者として舞台に立ったのは、1915年のジュネーブとパリにおける公演とされている[42]。また、ピアニストとして初めて舞台に立ったのは1924年のピアノと管楽器のための協奏曲である[43]。特に、1950年代から60年代にかけて、コロンビア交響楽団やカナダのCBC交響楽団を指揮して主要な自作のほとんどを録音している(CDにして22枚分)。こうした演奏旅行は、1967年に彼が病に倒れるまで続いた[44]。「自作自演」の録音を、彼ほど大量に残した作曲家は絶無である。彼の自作自演盤は、指揮の精度やオーケストラの技術については専門の指揮者による録音に一歩譲るものの、作者自身が想定していた自作のイメージを伝える貴重な遺産となっている。

ストラヴィンスキーは、かつてのドイツやロシアの管弦楽に見られるような不明瞭なアーティキュレーションによる残響を毛嫌いした。『火の鳥』1945年版組曲の最終部の自身の演奏に、その特徴が顕著に現れている。


日本訪問

ストラヴィンスキー夫妻は、ロバート・クラフトとともに、1959年の4月から翌月にかけて日本を訪問した。本来は文化自由会議(CIAがひそかに後援する反共音楽団体)のニコラス・ナボコフの立案による東京世界音楽祭に参加するのが目的だったが、音楽祭は1961年に延期された[45]。

4月5日:来日(同行:ロバート・クラフト他)
4月6日:鎌倉で大仏を見物
4月8日:歌舞伎座で「勧進帳」を鑑賞
4月9日:箱根へ
4月10日:ホテルのテレビにて皇太子御成婚パレードを見る
4月12日:京都に移動
4月13日:三十三間堂見学。ついで大阪国際フェスティバルでの「ドン・ジョヴァンニ」上演(出演:ウィーン国立歌劇場メンバー他)鑑賞
4月14日:龍安寺と石山寺へ
4月15日:修学院離宮と高山寺へ
4月16日:桂離宮、三宝院、平等院へ
4月17日:二条城と南禅寺へ
4月19日:大阪で能を鑑賞
4月20日:大阪で文楽を鑑賞
4月21日:神戸へ
4月22日:奈良へ
4月23日:東京に戻り、N響とリハーサル開始
5月1日:大阪国際フェスティバル公演。演奏曲目は『夜鶯の歌』・『ペトルーシュカ』抜粋、(休憩を挟んで)『花火』・『火の鳥』(1945年版)
5月3日:東京公演(於・日比谷公会堂)
5月4日:皇居で雅楽を鑑賞
5月7日:東京公演
5月8日:離日


この来日の際、NHKで武満徹の「弦楽のためのレクイエム」(武満の作品は、過去に評論家の山根銀二らに「音楽以前」などと酷評されていた)のテープを聴き、武満を絶賛する。

ストラヴィンスキーに認められたことで、武満の評価は国内外で上昇の一途を辿る。

一方、日本の様々な伝統芸術に触れると同時に、特に興味を示したのが、様々な大衆音楽の猥雑な混合である「チンドン屋」であったと伝えられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html#c2

[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
33. 中川隆[-14298] koaQ7Jey 2020年1月21日 13:36:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1173]
2020年01月21日
日本に財政赤字はない EU基準でも超優良財政だった


日本の財政赤字は年9兆円でGDP比1.6%、EU規律の3%以下を軽々と達成している

令和元年度一般会計歳出・歳入の構成 : 財務省より

世界各国の財政は日本より悪い

日本の財政赤字は1100兆円というのが財務省が吹聴しているウソの数字だが、実際は500兆円以下しかない。

この仕組みは世界各国で「財政赤字」の計算方法がばらばらだからで、多く計算しても少なく計算しても良い。

たとえば韓国の政府債務残高は2000年代からGDP比30%前後の超優良財政でした。

ところが2014年にIMFは「韓国政府は年金や社会保障などを債務に含めず過小に申告している」と指摘しました。

韓国政府は「政府債務は今払う金額で、社会保障費は将来払うものだから今の政府債務ではない」と強弁していました。

だが韓国の優良財政がウソなのは全世界に知れ渡り、韓国人の経済専門家ですら庇いきれなくなった。


この結果韓国の政府債務はわずか数年で、582兆ウォン(約64兆円)から約1700兆ウォン(170兆円)に増加しました。

GDP比では30%から約100%に増加したが、これもまだIMFから指摘された是正をしていない。

2013年基準の政府関連(公共部門+軍人・公務員の年金充当+金融公企業)の負債は最大1958兆9000億ウォン、家計負債962兆9000億ウォン、社債1913兆5000億ウォンでした。


このうち政府関連の負債1958兆9000億ウォン(216兆円)が政府債務になります。

IMFが指摘した2013年度から7年経っているので、少子高齢化が表面化した現在は300兆円を超えているでしょう。

すると韓国の本当の公的債務はGDP比170%以上というのが、公正な数字です。

税収不足9兆円はEU基準で超優良

優良財政で知られるドイツ、アメリカ、中国は連邦制や合衆制なので、中央政府の借金だけを公的債務としています。

3か国とも「中央政府」の財政赤字はGDP比で少ないが、地方政府と民間公的機関を含めるとGDP比100%を大きく超えていると考えられます。

各国の公的債務や政府債務の計算はこれほどいい加減で、気分次第で300%にも30%にも操作できる数字です。


日本の財政状況ですが財務省が最近非常に興味深い予測を発表していました。

2020年1月17日に内閣府の経済財政諮問会議は、基礎的財政収支(PB)が2025年度に3.6兆円程度の赤字になるという予測を発表しました。

内閣府に限らず各省庁で財政や経済関係の統計は、すべて財務省や財務省から出向した財務官僚が行っています。


内閣府の経済財政諮問会議も「隠れ財務省」で、目標の2025年財政均衡は絶望的と悲観しています。

ところがこれをGDP比に直すとGDPがゼロ成長と仮定しても、単年度0.65%の赤字に過ぎません。

全世界のどの国と比較しても年0.65%の財政赤字は、飛びぬけた優良財政です


令和元年(2019年)予算を見ると歳入は68兆7966億円(公債除く)、歳出は77兆9,489億円(国債費除く)でした。

差額は9兆1523億円なので、税収不足は約9兆円強だったと分かります。

日本に財政赤字はない

歳入の公債費が32兆6,605億円で歳出の公債費は23兆5,082億円で差額は約9兆円、足りない9兆円を借金で賄っていました。

日本のGDPは約550兆円なので単年度財政赤字はGDP比率で約1.6%でした。

EUでは加盟国の財政赤字を単年度でGDP比率3%以内としているので、日本は実はEU基準を満たしています。


イタリアのGDP比財政赤字は2019年で2.5%、フランスは3%程度、イギリスは1.5%程度でした。

ドイツは財政黒字だがこれは「中央政府」だけの話でドイツ全体の財政状況は公表していません。

GDP比の公的債務で日本は飛びぬけて多いが、全世界で日本だけが政府の借金ではない民間高速道路の借金まで「政府債務」に含めている。


ドイツ基準で計算すると日本の政府債務は500兆円以下、GDP比率で100%以下に過ぎません。

「日本はこんなに財政赤字なのになぜ破綻しないのか?」と毎年経済学者が議論しているが、その理由は日本に借金など無いからです。

存在しない借金をあるように見せかけているのが日本の財務省、存在する借金を無いかのように見せかけているのが世界各国です。

財務官僚は「日本はこんなに酷いから、我々が指導する必要がある」と言って権力を独占したいのです。
http://www.thutmosev.com/archives/81997975.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c33

[番外地7] メモ帳 _ アイヌ 中川隆
11. 中川隆[-14297] koaQ7Jey 2020年1月21日 14:39:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1167]
小野寺まさるさんは隠していますが、イザベラ・バードの評価では

ヨーロッパ人 >> アイヌ人 >> 日本人

でした:

イザベラ・バードの日本紀行 _ 不潔で苦難に満ちた動物以下の日本人の生活https://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/08/113701

当時アイヌ人は日本人から搾取されていて餓死すれすれだったので、そんないい物を食べられる訳がないのですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/340.html#c11

[番外地7] メモ帳 _ アイヌ 中川隆
12. 中川隆[-14296] koaQ7Jey 2020年1月21日 14:45:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1166]
小野寺まさるさんは隠していますが、イザベラ・バードの評価では

ヨーロッパ人 >> アイヌ人 >> 日本人

でした:

イザベラ・バードの日本紀行 _ 不潔で苦難に満ちた動物以下の日本人の生活https://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/08/113701

当時アイヌ人は日本人から搾取・迫害されていて食うや食わずだったので、そんないい物を食べられる訳がないのですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/340.html#c12

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
7. 中川隆[-14295] koaQ7Jey 2020年1月21日 15:18:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1165]
クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典― 2016 OCT 5 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/10/05/クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典―/


故ネヴィル・マリナーのバッハ、モーツァルトが「おふくろの味」と書いたが、もっとひろく、クラシック音楽全体のそれはというとやっぱりこれ、ピエール・ブーレーズの春の祭典CBS盤であり、お固く言うならこの曲の「イデア」である。

それがストラヴィンスキーのイデアかどうかは不明なので「完璧」という言葉は使えないが、この1929年の自演を聴くと彼はやりたかったこと(つまりこの演奏)をほぼ正確にスコアに記号として書いている(細かく言えば大太鼓がティンパニだったりはあるが)。






とするとブーレーズCBS盤はそのスコア情報のテンポやダイナミクスをより「彼なりの高次元」にリファインしたものとは言えるように思う。

この「彼なりの高次元にリファイン」するという行為は、すべての解釈者(演奏家)が直面する難題だ。バイエルを弾く子供でも音にする以上は自分のテンポや強弱で「解釈」はしていることになる。かように演奏家は常にフィルターとなっているのである。

ピアニストのホルヘ・ボレが「自己流解釈者」との自分への批判に対して「作曲家の創造行為への敬意を払いつつ、彼の全作品を深く学んだうえで、自分のフィルターを通じて咀嚼し演奏する表現者」を是としているが、僕はこの意見に賛成だ。

問題は「彼の全作品を深く学んだうえで」が欠落するケースが甚だ多いというだけのことだ。彼の交響曲やカルテットをまだ知らないA子ちゃんが発表会で弾いた月光ソナタが至高の名演と評されることは、音楽は好みに過ぎないというリベラルな立場からは別に構わないことだろうが、そう評価する人の音楽的素養の問題としては議論されうるだろう。

音楽を語るという行為に商業的価値があると僕は思わないが、ソムリエや口うるさいグルメの存在がワインや料理人の質を高めるような作用を演奏行為に及ぼすのだという意見には賛成である。そして、ときにワインや料理の方が一歩進んで客の舌にチャレンジしてくることだってある。

ブーレーズの感性でリファインされた春の祭典はその一例であり、驚いた客の方が百万もの言語を費やしてその味の新しさを評価、論考したものだ。その末席に高校生の僕もいたのであり、味を言葉に置換する方法を覚えた。あらゆる文化や芸術はこうして言語によっても伝承される。それを包括した次元で演奏は評価されるが、その言葉は評価する人間の評価として吟味され、言語の伝承のほうのクオリティも担保されていくのである。

ではリファインをストラヴィンスキー自身が強くNOと評価したら、そのことはどう評価されるべきなのだろう?カラヤンの64年盤でそれがおきたのは有名だ。この手慣れた如くに滑らかな展開は現代では違和感がないと感じられる方が多いのではないかと思うが、作曲家は気に入らなかった。それがバイアスとなってこの演奏を評価しない人が多いが、そんなことはないこれはうまく弾けた演奏のひとつだ。生贄の踊りの金管に耳慣れない和音があるが、カラヤンでない人が現代のコンサートホールでこれを聞かせれば大層な名演と喝采されることは想像に難くない。





この曲の創造主に音楽的素養の議論をふっかけるのは粗暴というものだ。版権、印税の問題でもめた影響を指摘する人もいるが、きのうソナーHPに書いた広島カープ球団の内幕みたいに表舞台には見えないものはどんな世界にもある。演奏頻度は高くなかった64年当時(ブーレーズ盤の5年前)に演奏者が手慣れていることは考え難く、カラヤンの譜読み力とベルリンPOの技術がいかに高次元にあったかに驚いた方が妥当な態度だろう。ストラヴィンスキーは想定もしていなかった「手慣れ感」「美しすぎ」に抵抗を覚えたのではなかろうか。いまはこのレベルが当たり前とするなら、演奏解釈というものはそれ自体が「進化」するという命題の勝利と考えるのがいいのだろうか。

ブーレーズの演奏解釈がどこから進化してきたか?CBS盤にはお手本があると書いたら天下のブーレーズを冒涜したことになるだろうか?

僕の憶測にすぎないが、彼の師匠であるルネ・レイボヴィッツが1960年にロンドン・フェスティバル管弦楽団という実態不明のオケを振ってCheskyレーベルに録音したものを聴いて、僕はそう結論せざるを得ない気持ちになった。これは、驚くほど、コンセプトがブーレーズ盤に似ているのである。

以下、CDを聞き直しながら書き取ったメモをそのままのせる(青字、比較対象は記憶にあるブーレーズCBS盤である)。

序奏、ホルンのdがシンクロしてしまっている。心もちブーレーズより遅いが演奏のコンセプトはそっくりである。木管合奏としてミクロに視点を当てながら全体は嵐の前の静かさと緊張があり倍音に富む。

若い娘たちの踊りのテンポはほぼ同じだ。そっくり。

誘拐はやや遅いが管弦のバランスはこれまたそっくりだ。春のロンドは極少し遅いがバスドラの活かし方が同じ。シンバル、銅鑼はかなりおとなしい。

敵対遊戯 ごく少し遅いがティンパニの出し方が似ている。ホルンの和音による旋律的部分もそっくり。大地の踊りはテンポほぼ同じ。

第2部序奏、心もち遅いがシェーンベルグっぽい、似ている。トランペット交差、音が半音高い、アクセントがつくところは全く違う。これはスコアからは変だ。
アルトフルート奏者はいつも遊びが過ぎて気になる。生贄の踊り、ティンパニが違う。オケが乱れる、かなりへた。最後のティンパニが一発余計に鳴る。

ブーレーズより速い部分は一つもない。

祭典フリークの方はじっくりお聴きいただきたい。






この解釈をさらにリファインして高性能のクリーブランド管に教え込んだのがCBS盤だというのが僕の仮説だ。レイボヴィッツはクールで通している生贄の踊りが終結に向けて一糸乱れぬまま加熱するなど、アンサンブルの精度へのこだわりはブーレーズの専売特許ではある。祭典フリークの方しかご関心はわかないかもしれないが・・・。


(追補)1963年6月5日、カナダ放送交響楽団を振ったもの。第2部序奏のあと現れる2本のトランペットによる主題提示で第2トランペットの第2音が半音高いのを除くとCBS盤のテンポ、コンセプトに近い(ほぼ同じ)。ここからそれまで変化がなくレイボヴィッツ盤の3年後に解釈が確立していたことがわかる。


Pierre Boulez dirige l'Orchestre de Radio-Canada dans Le Sacre du Printemps d'Igor Stravinsky, le 5 juin 1963.



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/10/05/クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典―/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c7
[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』 中川隆
3. 中川隆[-14294] koaQ7Jey 2020年1月21日 15:40:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1164]
ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」2014 FEB 5 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/02/05/ストラヴィンスキー-バレエ音楽「ペトルーシュカ/


日露戦争終結(1905年9月5日)
ロシア第1次革命終結(1907年6月19日)
火の鳥(1910年6月25日、パリで初演)
ペトルーシュカ(1911年6月13日、パリで初演)
春の祭典(1913年5月29日、パリで初演)
第1次世界大戦勃発(1914年6月28日、サラエボ)


世界はロシアが大きく突き動かしていました。日露戦争敗戦により南下政策を断念して汎スラブ主義へ舵を切ったロシアの矛先がバルカンへ向かいます。それが汎ゲルマンのドイツや、やはりバルカン侵略をもくろむオーストリア・ハンガリー帝国との対立を生んで第1次世界大戦の引き金となったのは言うまでもありません。そんな激動の中で、当のロシアのバレエ団であるバレエ・リュスが夏季にパリ公演を行うために作曲依頼してできたのが上記の「ストラヴィンスキー3大バレエ」です。そしてこの3曲がその後の音楽史を大きく突き動かすことにもなったのです。

バレエ・リュス(1909−1929年)はマリンスキー劇場、ボリショイ劇場の夏季休暇中の海外引っ越し公演だけを主催する団体でロシアでの活動はありません。人類初の世界大戦勃発直前という緊迫した時勢なのに、ベル・エポックのパリにはそんな需要があったというのには驚きます。花のパリは伊達ではない。フランス人の異国好きもうかがえ、現在はそれがさらに東の日本のアニメに来ているという歴史的脈絡も透けて見えますね。バレエ・リュスはセルゲイ・ディアギレフ(1872−1929、左)というロシア人の辣腕プロモーターの求心力でのみ成り立っていた「ツアー劇団」で彼の死とともに消えました。フォーキン、ニジンスキー、バランシンという伝説的ダンサーが舞い、ピカソ、ルオー、ブラック、ユトリロ、キリコ、マティス、ミロというキラ星のような画家が舞台や衣装を飾るという豪華さです。音楽はドビッシー、ラヴェル、サティ、プロコフィエフ、ファリャ、レスピーギ、グラズノフ、F・シュミットなどが担当し、ここに無名の若手ストラヴィンスキーも名を連ね、委嘱されてできたのが3大バレエです。ちなみにココ・シャネルも活躍した一人です。ディアギレフ自身もリムスキー・コルサコフに弟子入りして作曲家をめざしたのですが挫折して経営の道に入りました。彼に作曲の才能がなかったことを後世の我々は感謝しなくてはなりません。

「火の鳥」は19世紀ロシアのロマン主義を色濃く残した音楽で、革新的な音も聞こえますが大半がリムスキー・コルサコフの引力圏内に留まっています。それが1年後のペトルーシュカになるとドビッシーに近接し、オーケストレーションは「夜想曲」、管弦楽のための映像の「イベリア」など、ピアノは前奏曲第1、2集を思わせる書法を感じさせます。しかしそれでもメロディーに依存した音楽という性格は火の鳥をひきずっていて、リズムより和声と旋法で新奇さを出す方向性には19世紀の残像があります。

それがさらに1年後の「春の祭典」になると音楽の主要言語としてのメロディーはほぼ姿を消して無機的なイディオムと化し、それに代わってリズムとクラスター化した不協和音による新しい音楽言語によって前作までとは別世界の音楽へと進化します。ドビッシーがペトルーシュカに好意的で「パルシファル以来の作品」とまで持ち上げていながら、春の祭典にいたると一転して「非音楽的な手段によって音楽を作ろうとしている」と批判したのはその2曲の間に横たわる断層の大きさを物語ります。

昨日59歳になった僕が、41年前、18歳だった1973年に初めて買ったペトルーシュカのLPはピエール・モントゥー指揮ボストン交響楽団(右)でした。ブーレーズ盤は74年発売だからまだ出ていなかったのです。その時点でアンセルメの火の鳥、ブーレーズの春の祭典をすでに持っていて、この曲も何かで耳にはしていたと思いますがその2曲ほど魅かれていなかったかもしれません。人形とはいえペトルーシュカが殺される残酷なストーリー、耳をつんざくトランペット、無機的なドラム、あからさまな複調なんかがあまりピンとこなかったと記憶しています。

この曲の神髄に触れるにはやはり翌年にこれ(左)の洗礼を浴びる必要がありました。待ちに待ったブーレーズ盤。わくわくしながらこれに針を落とすといきなり光のシャワーのように部屋にあふれ出た「謝肉祭の市場」!直撃のKOパンチを食らい、一気にこの曲のとりこになるしかありませんでした。つやつやと磨き抜かれた完璧なピッチの音が見事な音響バランスと透明感で鳴る。広い音場にドーンと響く締まりある低音、虹の色が見えるような木管、金管の倍音。確信をこめた縁取りで躍動するリズム。祭典がクリーヴランドOだったのに対しこちらはニューヨーク・フィルで、禁欲的な凝縮感は一歩譲る感じがあるものの、これも歴史的名盤であることは間違いないでしょう。これを聴いて以来ペトルーシュカというとまずこれが頭に浮かんでしまい、以後は常にこれと比べて聴くという運命に陥ることになりました。


Stravinsky, Petrushka, SIDE 1, Pierre Boulez,cond



3管編成の1947年版と4管編成の1911年版がありますが、火の鳥ほど決定的な差はありません。オリジナルの11年版をお薦めしますが、演奏さえ良ければあまりこだわる必要はないと思います。バレエ音楽なのでストーリーがあり、それなりに有名ですが僕はあんまり興味も知識もありません。ネットで調べられればいくらも出てきますので悪しからず。今回、本稿を書くために35種類あるペトルーシュカから好きだったものを片端から聴きました。そして、今は3大バレエのうちでこのピアノ付ラプソディのような音楽が一番楽しめるかもしれないなと気がつきました。

若いころのクリストフ・フォン・ドホナーニがハンブルグ国立管弦楽団に稽古をつけてる録画がありました。これは面白い(ドイツ語ですが)。ストラヴィンスキーのスコアがよくわかります。初めての方も、指揮者がただ棒を振っているのではないことが分かりますよ。本番の全曲が続くのでぜひ全部お聴きください(1911年版ではなくコンサートバージョンですが)。79年当時はこの曲にドイツのオケがあまり慣れてない感じがするのが興味深いです。


Stravinsky Petrushka - Phil. Hamburg, Dohnanyi (1979)



ドホナーニはハンガリーの高名な作曲家兼ピアニスト兼教師であるエルンスト・フォン・ドホナーニの息子です。指揮者としては当たり前のことをしていますが彼なりの頭の切れ、記憶力、運動神経を感じますね。

しかしながら、この演奏は筋肉質で決して悪くはありませんが、ブーレーズほどの図抜けた煌めきはありません。このレベルの人であっても上には上があるということです。ブーレーズの耳の良さは常人の域でなく、練習は一切の妥協や手抜きなしでオケとは緊張関係に終始したそうです。来日してN響とトリスタンを練習した時には一触即発だったと伝えられます。そうでなければあんな音は出ないと思います。

僕のCD棚は7000枚ぐらいが作曲家別に整理されていて、作曲家は出身国別に分類されています。ドイツ人、ロシア人、チェコ人、フランス人…というように。出身国だからヘンデルはドイツ区画に在ります。決してそう意識したわけではないのですが、そのルールに一つだけ例外があって、ストラヴィンスキーはロシアではなくフランス区画の、ラヴェル、ドビッシーの下に位置していることを ”発見” しました。なんと、僕の潜在意識下ではフランス音楽だったわけです。

3大バレエの内で今の僕がフランス音楽的感性がいいなと思うのは断然ペトルーシュカです。冒頭にドビッシーの影響が濃いと書きましたが、ペトルーシュカの部屋、乳母の踊りのオーケストレーションのソノリティなどとてもフランス的であって、後者の木管の書法がラヴェルに影響してダフニスとクロエ(1912年6月8日、パリで初演)の「夜明け」になったのではと想像してしまうほどです。火の鳥では個々の音に旋律、和声として機能的な意味がありましたが、ここではそれを喪失してもはやコラージュの素材、部品という存在になっており、総体としてタペストリーになっているという性質の音に変容しているのです。

そういう音楽はワーグナーのトリスタン、パルシファルに発した書法をドビッシーが牧神午後への前奏曲にて試行し、夜想曲、海、遊戯へと至りますが、他人の手で顕著に記譜された例こそがこのペトルーシュカであり、フランスではフローラン・シュミット、オリヴィエ・メシアン、イタリアでオットリーノ・レスピーギ、アメリカでアーロン・コープランドに伝わっていきます。興味深いことにストラヴィンスキー自身は次作の春の祭典に一見コラージュ手法と見える楽譜を書きますが、それはタペストリーというよりは「和音とリズム」を複合単位としたクラスター手法において連続する和音の各音を別楽器に非連続的に分散した結果としてのコラージュという、上記の脈絡とは違った方向に進化しています。この方向の帰結に「三楽章の交響曲」、「結婚」という傑作が現れるのです。

3大バレエの中でも特にペトルーシュカという作品が音楽史に残したDNAがいかに独特で偉大なものであることがおわかりいただけるでしょうか。フランス系の大指揮者クリュイタンス、ミュンシュ、パレー、マルティノンに録音があるのかどうかよく知りませんがモントゥー、アンセルメ、ブーレーズがフランス的感性、知性にあふれる解釈を残してくれたのが幸いです。特に今回の聴きなおしでは初演者ピエール・モントゥーの3種類の演奏が印象に残りました。ファースト・チョイスとしては冒頭のボストンSO盤がオケの性能が高く録音も優秀でお薦めです。

ピエール・モントゥー / パリ音楽院管弦楽団
Pierre Monteux, Paris Conservatoire Orchestra



初演のときオケがこう鳴ったのではと想像させる音が聴けます。タペストリーでのフランス風木管の華奢でエッジのある音色は、作曲者がこれをイメージしたと思える色彩にあふれています。ロシア人によるロシア的な楽想の音楽なのにパリでフランス人によって演奏されることを予定していた音楽史上でも異色の作品が3部作であり、これらをロシアの無骨なオケでやるのはお門違いということもわかります。


ピエール・モントゥー / フランス国立管弦楽団


オケの勘違いミスもご愛嬌のライブ録音。「ペトルーシュカの亡霊」のホルンはよれよれでトランペットのソロも危なっかしく、春の祭典なら真っ先にボツの演奏なのですが、そういうことが許せてしまうのがペトルーシュカです。この曲が現代音楽であった息吹を感じることができるという意味でこれは時々じっくりと聴いています。



アンタール・ドラティ / ミネアポリス交響楽団



知的興奮をそそる名演です。並録の春の祭典を同曲の稿で絶賛しましたが、同じ路線の快速で音響の重心の高いハイドン的なストラヴィンスキーです。因習的な解釈は歯牙にもかけていませんが、なるほどそうも解釈できるのかと感服する説得力があり、ドラティの眼力の凄さに圧倒される思いです。オケは心服して自信を持ってついて行っている感じがスピーカーからうかがえます。こんな指揮者は絶えて久しいですね。


コリン・デイヴィス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

デイヴィスの同オケによる3部作はスタンダードとしてどなたにでもお薦めできる名演奏です。とにかくオケの技術、音色、ホール音響の3拍子が最高水準でそろっている上に指揮者の解釈もきわめて穏当で模範的であり、非難する部分が全く見当たりません。ブーレーズが冷たくて肌に合わない方でもこれは人肌を感じることができるでしょう。サー・コリンの最高傑作と思います。


追加いたします(16年1月13日〜)

マウリツィオ・ポリーニ(p)
アルトゥール・ルービンシュタインの委嘱で書かれたピアノ版(ペトルーシュカより3章)です。

第1楽章:第1場より「ロシアの踊り」
第2楽章:第2場より「ペトルーシュカの部屋」
第3楽章:第3場より「謝肉祭」

大学のころこれが出て、凄いピアニストが出てきたといささかびっくりしたものです。以来ポリーニというとこれとショパンのエチュードとブーレーズのソナタというイメージが定着しました。






ルドルフ・アルベルト / セント・ソリ管弦楽団

大変素晴らしい。聴くたびに興奮を禁じ得ない。このオケはパリ音楽院O、コンセールラムルーO等の楽員による録音用臨時編成らしいが技術は問題なく上級である。ピアノはイヴォンヌ・ロリオでこれもうまく、木管がこれほど細部までカラフルな音色をふりまく録音もそうはない。メシアンの「異国の鳥たち」の初演を指揮したアルベルトはフランクフルト生まれのドイツ人で指揮ぶりは明晰でリズムのエッジも立っているのがペトルーシュカにまことにふさわしい。録音がこれまた明晰で透明。楽器の質感、色彩感いっぱいにクリアに再現され、オーケストラピットを間近で覗き込みながら聴くような心ときめく音楽。i-tunesにあるのでお薦めしたい。


Yvonne Loriod, piano
Rudolf Alberth / Orchestre des Cento Soli







Hachiro
5/20/2014 | 10:03 AM Permalink

いつも楽しませていただいています。私は引退者でジョージ・セルの来日公演(1970)を大学新入学のときに聴きに行った年齢です。

そのようなわけで東様の「春の祭典」の記事のところの、ブーレーズ&クリーブランド管弦楽団(1969)、この何百回と聴いた演奏にトランペットのミスがある? これは全く気がつきませんでした。今聞いてみてなるほど練習番号37番の前のソソドドがソソララになっていました、ここはホルンのグリッサンドばかりに気が向いてしまっていました。楽しい発見をしましたありがとうございました。



東 賢太郎
5/20/2014 | 1:58 PM Permalink

Hachiro様、こちらこそコメントありがとうございます。練習番号37番の前、そのとおりです。ずっとこれが気になっていてつい書いてしまいましたが、よくお気づきになられましたね。これは正確には二調のピッコロトランペットなので全音上げて読みます。ブーレーズほどの聴覚の持ち主がどうしてこれを放置したのか非常に不思議ですが、この演奏には一発取り的な勢いで押した部分もあって、この箇所はそうだったかもしれませんね。僕は70年に高校に入ったので先輩でいらっしゃいますがセルを聴かれたのはうらやましいです。この祭典を何百回も聴かれたというのは敬意を表します。そういう方がたくさんおられるのだろうとは思っておりましたがとても親近感を覚えます。気が向かれたらまたコメントや感想をいただければ光栄に存じます。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/02/05/ストラヴィンスキー-バレエ音楽「ペトルーシュカ/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html#c3
[近代史3] ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』 中川隆
3. 中川隆[-14293] koaQ7Jey 2020年1月21日 15:53:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1163]
ストラヴィンスキー バレエ音楽 「火の鳥」2015 MAR 5 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/05/ストラヴィンスキー-バレエ音楽-「火の鳥」/


僕がこの曲を母の一言で知ったひょんな経緯はこれに書きました。

ストラヴィンスキー好き
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/


このアンセルメ盤「火の鳥」とブーレーズ盤「春の祭典」を買った高校1年が自分の音楽史の真の元年といってよく、のちに肩の故障で思うようにいかなくなった野球をあきらめようという契機になり、それならついでに受験も頑張ってみようかなという気にもなったという、ひとえに人生の導師のような存在です。

コタニの売り場のお兄さんに言われた「組曲より全曲版がいいよ」という教えを順守してアンセルメ盤を全部覚えてしまい、しばらく組曲版の方を知りませんでした。それを初めて耳にした時の衝撃は忘れません。なんじゃこりゃ?もう全然別な曲であり、オーケストラが妙でフィーナーレに変なホルンのグリッサンドが鳴るに至ってはディズニーの漫画かよという感じです。

しかしもっとも怒りを覚えたのは、大好きなところである「火の鳥の嘆願」がばっさりと切り捨てられていることでした。これです。

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ここのゾクゾクするエロティックな和声はどうだろう!ドビッシー風なんだけども火の鳥にしかないたまらない色香!寝ても覚めても四六時中これが頭の中で鳴るほど惚れ込んでしまい、以来ずっとストラヴィンスキーはもちろん、誰のであれこういう音のする音楽を探し求めてきましたが、ひとつもありません。弾ける方はこの楽譜だけでも鳴らして3小節目の「火の鳥和声」を味わってみて下さい。

これはもう音の魔法なんです。僕はバレエには皆目無関心で観たことがなく、火の鳥がなにをどう嘆願しているか知りませんが、この音の動きを目をつぶって追っているだけで恍惚として法悦の境地をさまよっており、たのむから舞台でドタバタと余計な雑音やほこりをたてんでほしいと願ってしまうのです(バレリーナのかた、すみません・・・)。

これを書いたストラヴィンスキー、そして組曲でこれを捨てたストラヴィンスキー、どっちが本物なんだろうとさんざん迷うことになりました。

魔法はいくらでもあります。まず、冒頭の「導入部」は低弦の不気味なユニゾンで幕をあけます。それにファゴットの低音の和音がからむ部分の雰囲気は一気に我々を魔法の園に引き入れますが、これは森の洞窟を暗示するワーグナーの楽劇ニーベルンゲンの指輪の第2日(3曲目)である「ジークフリート」の幕あけの「序奏」そっくりです。「カッチェイの死」の2小節も「ジークフリート」の第2幕序奏にホルンの重奏で出てくる音型、和声にそっくりです。

感心するのは「王女たちのロンド」のバスのピッチカートの後です。3小節目でアルトがd♮になる、こんな簡素な譜面でたったそれだけなのに、ほのかにサブドミナントのあの希望の灯りがさしこむところ!彼がやたら音の洪水みたいな騒然たる曲で有名と思ったら大間違い、こんな繊細な和声感覚があるからああいうものでも人を魅了できるのです。


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ところがです。これは作曲者によるピアノ版なのですが、8小節目のf#は全曲版にはなく、ここはファゴットとヴィオラがeを鳴らしています。音まで変えているというのはどうかと思います。あんな素晴らしいスコアを書いておきながらこんないい加減なことがどうしてできるのか神経を疑う。またしてもわからなくなります。

この後に出てくる「魔法のカリヨン」、ここのスコアは春の祭典の先駆けであり、幻想交響曲の第5楽章の妖気を孕んだ傑出した部分です。アンセルメ盤のここの異界の音響のおどろおどろしさはききものです。ところがこれも組曲版はあえなくカット、ひどいものです。ひとことで言ってしまえば、組曲版はいくつか種類がありますが、全曲版の版権が認められない米国で印税稼ぎするためにあえて差異を作りだした改悪版なのです。

特に最も演奏頻度の高い1919年版というのは魔王カッチェイの宮殿にたちこめていた邪悪な霧や火の鳥の魔法の痺れるようなオーラは消し飛び、ディズニーランドのBGMみたいにド派手で子供受けするショーピースになってしまった無残なカリカチュアです。これがプログラムにのっているコンサートは昭和の食堂にあった日の丸が立ってる「お子様ランチ」を思い出し、足を運ぶ意欲が一気に萎えます。正直のところ、なくてもいい楽譜と思います。

むかし音楽誌に「全曲版は冗長なので1919年版が良い」などと書いている人がいて、評論家のあまりのレベルに低さに絶句しました。しかしそういう輩が出かねないぐらい作曲者本人が米国での版権目当てに、要は金儲けのために混乱を生んでいる部分もあるのです。やっぱりこれはドビッシーだなと思う和声は多いし、「魔王カッチェイの踊り」は師匠リムスキー・コルサコフの歌劇「ムラダ」の「悪魔のロンド」とムソルグスキーの「禿山の一夜」の影響が明白なことは禿山のピアノバージョンを聴けばすぐわかります。彼自身、習作に近いと認識していたかもしれず、この曲に深い愛情があったかというとやや疑問のようにも思います。

友人であり作品へのアドバイザーでもあったアンセルメはスコアにあれこれ意見していました。その結果、やがて解釈のちがいから喧嘩して口をきかない中になりました。N響に来演したビデオがありますが、フィナーレの4分の7拍子をザクザク切って全曲版のスコアと程遠いものになっています。この辺にも愛情不足を感じてしまいます。かたや、やはりN響を振ったアンセルメはずっと自然です。喧嘩の影響だったんでしょうか。

さて、この曲の魔法の極点はフィナーレにやってきます。

カッチェイが死ぬと15パートに分割した嬰ニ短調の弱音器付の弦の和音が上昇、そしてトレモロで徐々に霧が晴れるように下降して、ラファエロの絵のような神々しい空気を作ります。ホルンが牧歌的なロ長調の主題を歌う。悪の消滅、そして感謝。ここは田園交響曲の終楽章、嵐の後の神への感謝のムードそのものです。

天使の導きのようなハープのグリッサンドがその歌をヴァイオリンに渡すと、コントラバスがそっと基音のシを添え、ハープのハーモニクスが天への階段を一歩一歩登るようにやさしく歌を支えていきます。そして空からの一条の光のようなフルートがさしこむと、音楽はゆっくりと大団円に向います。

スコアのこの1頁のこの世のものとも思えぬ神々しい響きはあらゆるクラシック音楽のうちでも絶美のものというしかなく、いかなる言葉も無力、無価値です。それをここにお示しして皆さんで味わっていただくしかございません。

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そしてここから 4分の7拍子の歓喜の円舞がロ長調からハ長調へと高潮し、もういちどロ長調に半音下に戻すところのティンパニとチューバの f# の一発!これをアンセルメは渾身の力でズーンとやりますが、これに何度しびれたことか。半音ずれるだけの転調がこの1発で正当化されてしまう天才の一撃!そして2コーラス目に入るところの h の一撃!

この半音下にずれる転調は、僕のブログを読んでいただいている方は思い出されるでしょう。そう、ボロディンの交響曲第2番の第2楽章トリオに稀有な例があるのです。ストラヴィンスキーがそこから発想したかどうかわかりませんがあれを知らなかったということは考えられません。ただ火の鳥の方は背景の和声の事後的な正当化は何もなくf#のドスンでいわば暴力的にロ長調におさまってしまう。とてもストラヴィンスキー的ではありますが。

この曲の演奏は何回、何種類きいたか記憶にもありませんが、実演で感動したのはゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが東京芸術劇場で読響とやったものです。拍手が延々と鳴りやまず、指揮者が指揮台のスコアを手に取って高く掲げ、聴衆と一緒にそれを讃えたのも感動的でした。

もうひとつは95年3月30日にフランクフルトのアルテ・オーパーできいたヴァレリー・ゲルギエフ / キロフ管弦楽団で、ドイツの家に遊びに来ていた母と行った演奏会でした。フィラデルフィア、ロンドン、フランクフルト、チューリヒと言葉もわからないのによく一人で何度も訪ねて来てくれたものです。そのたびに好きな音楽会にたくさん連れて行きましたが、母の一言で知ることになった火の鳥をいっしょにきけたというのも幸せでした。実は今日、母が手術をして、うまくいって先ほど家に戻ったところで、だいぶ前に書き溜めていた縁のある火の鳥を投稿させていただこうということに致しました。


全曲をそのゲルギエフの演奏で。





この曲を知っている方も知らない方も、僕が母とコタニのお兄さんのおかげで買うことになったエルネスト・アンセルメの最後の録音(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振ったDecca盤)をお聴きになられることを心よりお薦めします。作曲者とひと時代を共有したアンセルメが丹精をこめ、いっさい性急なテンポをとらずにスコアの隅々にまで光を当ててすべての美を描ききった演奏であり、オーケストラが見事にそれを具現しているという文化遺産級の録音であります。

Stravinsky "The Firebird" (Original 1910 Version) - Ernest Ansermet (1968)



唯一の対抗馬としてピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団のCBS盤をあげますが、こちらも指揮者の眼光紙背に徹する空前絶後の名演です。オーケストラのつややかな音響とそれのブレンドによる光彩陸離たる音色美はいまだに並ぶものはなく、当時のブーレーズの音のテクスチュアを分解整理する高度に知的な能力に圧倒されるしかありません。自分もそうでしたが、アンセルメ盤で耳を作ってからこれを聴かれるという順番が理想的かと存じます。


ブーレーズのフィナーレです。





(補遺)
下のビデオを聴くと「f#のドスンでいわば暴力的にロ長調におさまってしまう」部分からをストラヴィンスキーは一音一音をスタッカートで演奏している。来日した折のN響とのビデオも同じであって、それが作曲家の意図だったことは明白だ。現代の指揮者でそうやる人がいないのはどういう経緯があったのか不思議である。


Stravinsky Conducts Firebird



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/05/ストラヴィンスキー-バレエ音楽-「火の鳥」/

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[近代史3] ヘンデル オペラ 『アグリッピナ』 _ ヘンデルのオペラ・オラトリオはどんな曲でもモーツァルトのオペラより上
ヘンデル オペラ『アグリッピナ』_ヘンデルのオペラ・オラトリオはどんな曲でもモーツァルトのオペラより上


Händel - Opera Agrippina, HWV6 | René Jacobs Akademie für Alte Musik Berlin


George Frideric Händel (1685 - 1759)
Opera Agrippina, HWV6


Personaggi:


Agrippina: Alexandrina Pendatchanska, soprano
Nerone: Jennifer Rivera, mezzo-soprano
Poppea: Sunhae Im, soprano
Ottone: Bejun Mehta, countertenor
Claudio: Marcos Fink, bass-baritone
Pallante: Neal Davies, bass-baritone
Narciso: Dominique Visse, countertenor
Lesbo: Daniel Schmutzhard, bass


Performers:


Violins I: Bernhard Forck, Erik Dorset, Kerstin Erben, Julita Forck, Barbara Halfter, Uta Peters, Verena Sommer
Violins II: Dörte Wetzel, Daniel Deuter, Thomas Graewe, Heinrich Kubitschek, Gabriele Steinfeld, Tokio Takeuchi
Violas: Anja-Regine Graewel, Annette Geiger, Clemens-Maria Nuszbaumer, Stephan Sieben
Violoncellos: Jan Freiheit, Barbara Kernig, Kathrin Sutor
Double-basses: Walter Rumer, Burgi Pichler, Mirjam Wittulski
Flute: Andrea Theinert
Oboes: Xenia Löffler, Michael Bosch
Bassoons: Christian Beuse, Eckhart Lenzing
Trumpets: Ute Hartwich, Sebastian Kuhn
Timpani: Heiner Herzog
Harpischords: Raphael Alpermann, Wiebke Weidanz
Organ: Raphael Alpermann
Lute: Shizuko Noiri
Guitar: Dolores Costoyas


René Jacobs, conductor
Akademie für Alte Musik Berlin


[on period instruments]


________


アグリッピナ (ヘンデル)


『アグリッピナ』(Agrippina)HWV 6は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲による3幕のオペラ・セリア。


台本は枢機卿ヴィンチェンツォ・グリマーニ。

1709年から1710年のヴェネツィア・カーニバル・シーズン用に作曲され、ネロの母アグリッピナがローマ皇帝クラウディウスを没落させ、息子を皇帝に即位させる話をあつかう。


グリマーニの台本はヘンデル作品では最高傑作とされ、反英雄的な風刺喜劇であり、時事的・政治的当てつけにあふれており、グリマーニのライバルの教皇クレメンス11世を風刺したとする者もいる。


ヘンデルはイタリアへの3年間の滞在の終わりに同作を作曲した。ヴェネツィアのサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場で1709年12月26日に初演され、すぐに成功を収めた。オープニングの夜から27回連続公演と当時前例のない成功で、多くの批評家の称賛を受けた。


音楽は賞賛されたが、当時の慣習に沿い、その多くは旧作や他の作曲家の作品からの借用であった。


初演以降も本作はたまに再演されていたが、ヘンデルのオペラが18世紀半ばに流行の枠外に落ちると、作品は民衆に忘れられた。20世紀にヘンデルのオペラはドイツで復活し、『アグリッピナ』は英国とアメリカで初演された。本作は近年は革新的な演出で上演され、2007年にはニューヨーク・シティー・オペラとロンドン・コロシアムで上演され、普及した。


現代の批評家の合意は、「『アグリッピナ』は新鮮さと音楽的発明を持ち、ヘンデルのオペラの最初の傑作であり、ヘンデルのリバイバルの中で最も人気のあるオペラの一つ」というものである[1]。


現代リバイバル


2002年に超現代的ステージングでリリアン・グローグがニューヨーク・オペラにおいて上演した。この演出は2007年に改訂され、『ニューヨーク・タイムズ』紙は「変だ。『この私、クラウディウス』の『プロデューサーズ』バージョンみたいなサタイアだ」とし、歌唱・演奏については褒めた。


イギリスでは、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)が2007年2月に英語版をデイヴィッド・マクヴィカー演出で上演し、好評だった。これらの最近の上演は、1997年のガーディナーの録音のように、初演時のカストラートの代わりにカウンター・テナーを使用している[2][3][4][2][5]。



役柄と初演時の声部


アグリッピナ:ソプラノ - ローマ皇帝クラウディオの妻。
ネローネ(ネロ):ソプラノ・カストラート - アグリッピナの前夫との子。
パッランテ(パッラス):バス - 解放奴隷。
ナルチーゾ(ナルキッスス):アルト・カストラート - 解放奴隷。
レズボ(レスブス):バス - クラウディオの奴隷。
オットーネ(オト):コントラルト - 軍人。
ポッペア:ソプラノ - オットーネの恋人。
クラウディオ(クラウディウス):バス - ローマ皇帝。
ジュノーネ(ユーノー):コントラルト - 女神。


CD発売


1992年 リサ・サッファー、カペラ・サヴァ、サリー·ブラッドショー、ウェンディ·ヒル、ドリュー・ミンター、ニコラス・マゲガン、カペラ・サヴァリア


1997年 アラステア・マイルズ、デラ・ジョーンズ、デレク・リー・レイギン、ドナ・ブラウン、マイケル・チャンス、ジョン・エリオット・ガーディナー、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1991年の演奏)


2000年 ギュンター・フォン・カネン、マルガリータ・ジマーマン、クリストファー・ホグウッド(1983年の演奏)


2004年 ナイジェル・スミス、ティエリー・グレゴワール、ジャン=クロード・マルゴワール、ラシャンブル・デュ・ロワ


2006年 アンヌ・マリー・クレーメル、マイケル・ハート・デイヴィス、レナーテ・アレンズ、クイリン・デ・ラング、コンソート・アムステルダム(2枚組DVD:チャレンジ・レコード:2004年の演奏)


2011年 ジェニファー・リベラ、メータ、マルコス・フィンク、ニール・デイヴィス


https://ja.wikipedia.org/wiki/アグリッピナ_(ヘンデル)

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[近代史3] ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』
ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』


Israel in Egypt - Handel
Will Quadflieg, Eduard Müller, English Chamber Orchestra,
Sir Charles Mackerras, Leeds Festival Chorus


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『エジプトのイスラエル人』(Israel in Egypt)HWV54 は、ヘンデルが作曲した英語のオラトリオ。
旧約聖書の出エジプト記と詩篇を元にしている。
初演は失敗に終わったが、合唱曲の比率が非常に高く、合唱の世界で19世紀に非常に人気があった[1]。


作曲の経緯
ヘンデルは、ロンドンのヘイマーケットにあるキングズ劇場でイタリア・オペラを上演していたが、1739年のオペラ・シーズンに出資者が付かなかったため[2]、かわりにオラトリオによるシーズンを開催することにした。このために新作のオラトリオである『サウル』とともに『エジプトのイスラエル人』を作曲した。


台本作者は不明である[3]。
ヘンデルはまず初演時の第3幕にあたる部分(モーセの歌)から書きはじめたが、前年に作曲したキャロライン王妃の葬送アンセムを再利用することを思いつき、この曲に新しい歌詞をつけたものを第1幕とした。最後に出エジプトにあたる第2幕を作曲した[4]。『サウル』完成後の1738年10月1日に作曲をはじめ、11月1日に完成した。


初演


1739年4月4日、ヘイマーケットのキングズ劇場で初演された。このバージョンは3幕物で、第1幕は「シオンの嘆くさま/キャロライン女王のための葬儀アンセム」「イスラエルの息子らが嘆く」として知られる。このセクションは『出エジプト記』よりも前にある。


なお、「カッコウとナイチンゲール」の通称で有名なオルガン協奏曲ヘ長調(HWV 295)は初演の2日前に完成しており、おそらく『エジプトのイスラエル人』第2幕の前に演奏されたと考えられる[5]。


初演について、ロンドンの新聞『デイリー・ポスト』紙は称賛したが、観客は喜ばず[6]、2回目の公演では第1幕を除いた短縮版になり、コラールはイタリア風のアリアで装飾された。古いスコアはこの第1幕を省いた形で出版されていた。


今日の演奏・録音の多くはヘンデルのオリジナル3幕物バージョンを使用している。



背景
ヘイマーケットのキングズ劇場
ヘンデルは長い間ロンドンに居住し、そこでイタリア語オペラの作曲家として大きな成功を収めていた。しかし1733年にヘンデルのライバル「オペラ・カンパニー」が現れ、ロンドンのイタリア・オペラ・ファンの奪い合いが始まった[7]。ヘンデルは英語のオラトリオや合唱作品に活路を見た[8]。


音楽


『エジプトのイスラエル人』は、ヘンデルが毎年オラトリオ演奏会を開くようになるより前の作品であり、ヘンデルはさまざまな試行錯誤を行っていた。


曲の特徴としては、まず合唱の比重が非常に高いことがあげられる[9]。しかし、合唱が多すぎること、独唱の名人芸が少ないことは、この作品が初演時に失敗したひとつの原因になった[10]。

もう一つの特徴は管弦楽による絵画的な描写であり、とくにエジプトにふりかかる災禍の描写が優れている[11]。


一方、ヘンデルはしばしば他人の曲を剽窃する悪癖があり、『エジプトのイスラエル人』でもストラデッラのセレナータ、ウリオ(英語版)の『テ・デウム』、ディオニージ・エルバの『マニフィカト』を借用している[12][13]。


なお、「主よ汝に感謝す」(Dank sei Dir, Herr)という曲が『エジプトのイスラエル人』中の曲と言われることがあるが、実際にはヘンデルの作品ではない。おそらく19世紀にジークフリート・オックスによって作られたと考えられている[14]。この曲は日本では中田羽後の歌詞による「ああ感謝せん」として知られ[15]、ほかに英語「Thanks Be to Thee」、イタリア語「Solo con te」などのさまざまな歌詞と編曲で知られる。


楽器編成
トロンボーン3、トランペット2、ティンパニ1対、オーボエ2、ファゴット2、弦5部、二重合唱、ソリスト(ソプラノ2、アルト、テノール)、オルガン


あらすじ


第1部
イスラエル人はイスラエル人の首領ヨセフと、親切な助言者エジプト王ファラオの死を悼んでいる。


第2部


新しいファラオはイスラエル人をきらう人種差別主義者であるとの知らせが入る。神は、イスラエル人を隷従から救うリーダーとして、口下手なモーゼを選ぶ。
疫病がエジプトにやってくる。川が血に染まった。カエルのペストは大地に影響を与えた。しみや水ぶくれが牛や人の皮膚にあらわれる。どこでもハエやシラミの群れが見られ、イナゴの大群がすべての作物を台無しにした。雹が降り、闇が深まる。そしてすべてのエジプト人の長男たちが死んでいく。
エジプトの支配者はイスラエル人の離脱を認めたが、あとで気が変わり、追及してくる。
紅海は奇跡的に割れ、モーゼとイスラエル人は安全に横断するが、追ってきたエジプト人が横断しようとすると、水が彼らを巻き込み、溺れさせる。


第3部
イスラエル人は脱出を祝う。


ごく初期のワックス・シリンダー録音
長い間、世界最古の録音とされた、このオラトリオからの抜粋「モーセとイスラエルの子供たち」は1888年のクリスタル・パレス・ヘンデル・フェスティバルでジョージ・グロー大佐がエジソンのパラフィン・シリンダーで録音した。当時の録音技術の限界で、クリスタル・パレスでの歌手から録音装置までの距離は、音響をひどく劣化させた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/エジプトのイスラエル人

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[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
74. 中川隆[-14295] koaQ7Jey 2020年1月21日 17:29:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1163]
ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/825.html
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[近代史3] ヘンデル オペラ 『エジプトのジュリアス・シーザー』
ヘンデル オペラ『エジプトのジュリアス・シーザー』


Giulio Cesare. George Frideric Händel (1685 - 1759)


George Frideric Händel. Giulio Cesare, ópera en 3 actos.


Giulio Cesare: Jennifer Larmore, contrralto
Cleopatra: Barbara Schlick, soprano
Cornelia: Bernarda Fink, mezzosoprano
Tolomeo: Derek Lee Ragin, contratenor
Sesto: Marianne Rorholm, soprano
Achilla: Furio Zanasi, bajo
Curio: Olivier Lallouette, bajo
Nireno: Dominique Visse, contratenor


Concerto Köln
René Jacobs


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《エジプトのジュリアス・シーザー》(《エジプトのジューリオ・チェーザレ》Giulio Cesare in Egitto, HWV17)は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1723年から1724年にかけて作曲したオペラ。
単に《ジュリアス・シーザー》(あるいは《ジューリオ・チェーザレ》)ともいう。


ローマの将軍シーザー(チェーザレ)が紀元前47年にエジプト遠征を行った際の、エジプト女王クレオパトラや国王プトレマイオス13世(トロメーオ)とのかかわりをめぐる物語。
華やかで勇壮な音楽が多く、現在でも欧米での上演の頻度はヘンデルのオペラの中で最も高い。


台本はニコラ・フランチェスコ・ハイムによる。
初演は1724年2月20日、ロンドンのヘイマーキット国王劇場で行われた。


配役


ジューリオ・チェーザレ(アルトカストラート)- ローマの将軍、ジュリアス・シーザー。
クーリオ(バス)‐ シーザーの副官。ガイウス・スクリボニウス・クリオ。
クレオパトラ(ソプラノ)- エジプト女王。
コルネーリア(コントラルト)- シーザーの政敵、ポンペイウス(ポンペーオ)の妻。
セスト(ソプラノ)- ポンペイウスの息子、セクストゥス・ポンペイウス。
トロメーオ(アルトカストラート)- エジプト王。クレオパトラの弟。
アキッラ(バリトン)- エジプトの将軍。トロメーオ王に仕える。
ニレーノ(アルトカストラート)- クレオパトラの従者。


楽器編成


リコーダー、オーボエ2、ホルン4、弦5部、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ、ハープ、通奏低音(チェンバロ、ファゴット)



あらすじ


第1幕


アレクサンドリア近郊ナイル川に架かる橋
ローマの将軍シーザーは、政敵のポンペイウスとの戦闘に勝利すると、逃走したポンペイウス追ってエジプトにやって来た。エジプト人たちが合唱でそれを迎える。ポンペイウスの妻コルネーリアとその息子セストがシーザーのもとに現れ和平を申し出たので、シーザーはそれを承諾する。そこにエジプトの将軍アキッラがエジプト国王トロメーオからの貢物としてポンペイウスの首を差し出した。シーザーは嫌悪を覚えてアキッラを追い返す。コルネーリアはセストの剣を奪い夫の後を追おうとするが、シーザーの副官クーリオに止められ深く嘆く。悲嘆する母の姿を見てセストは父を殺したトロメーオへの復讐を誓う。


エジプト王宮内のクレオパトラの私室
トロメーオの姉でエジプトの共同統治者であるクレオパトラは真の女王になることを夢見ている。そこに従者のニレーノが現れ、シーザーとアキッラのやりとりを報告する。クレオパトラは自らの魅力でシーザーを籠絡し、その助けでエジプトの女王になろうと画策する。トロメーオが現れクレオパトラを牽制するが、反対に彼女から嘲弄される。残されたトロメーオのもとにアキッラが現れ、シーザーがトロメーオを非難していたと告げ、シーザー暗殺を提案し、成功の報酬にコルネーリアとの結婚を持ち出す。


ローマ軍の陣地
シーザーはポンペイウスの死を悼み、人生の無常に思いを馳せる。そこにクレオパトラが侍女リディアと偽って現れ、トロメーオへの不満を訴える。彼女の美貌に魅了されたシーザーは助力を約束する。コルネーリアが剣で自害しようとするが、セストに止められる。その様子を見たクレオパトラは2人の前に出てトロメーオを倒す協力を求め、ニレーノが手引きすると申し出る。


トロメーオの宮殿
トロメーオに招かれたシーザーは、暗にポンペイウス殺害を非難する。トロメーオはシーザー暗殺を心に誓いつつも、表面上は穏やかに接し、シーザーたちを王宮に案内する。アキッラがコルネーリアとセストをトロメーオの前に連れて来る。トロメーオはコルネーリアの美しさに見惚れるが、母子は彼を痛烈に非難する。アキッラはコルネーリアに自分の妻になれば母子とも自由にすると告げるが、コルネーリアは頑として受け入れない。衛兵たちが母子2人を引き離し、母子は嘆き合う。


第2幕


パルナッソス山の美しい森
シーザーがリディアとの逢い引きにやって来ると、美しい調べが響きわたる。徳の女神に扮したクレオパトラが現れ、甘く美しい歌を歌う。クレオパトラの思惑通り、シーザーはリディアへの愛をいっそう募らせる。


後宮の庭
アキッラが泣いているコルネーリアに愛を語るが、コルネーリアは再度拒絶する。トロメーオが現れアキッラを下がらせると、彼もコルネーリアを口説きにかかるが、コルネーリアに求愛を撥ね付けられ、怒りと欲望を募らせる。コルネーリアは自害を試みるが、ニレーノの導きで後宮に入って来たセストに止められる。ニレーノはトロメーオが後宮で無防備の時をねらって殺してしまいなさいと言う。セストは復讐を誓い、トロメーオの元へと向かう。


喜びの庭
寝室でシーザーはクレオパトラと愛を語らう。そこにクーリオが駆け込み、エジプト人たちの襲撃を報告する。クレオパトラは自分の正体を明かし、襲撃者たちを鎮めに向かうが暴動を抑えられない。彼女はシーザーたちに逃げ道を教えるが、シーザーは武器を持って戦いに赴く。残されたクレオパトラはシーザーを案じて天に祈る。


後宮の一室
トロメーオが妾に囲まれながら、コルネーリアに夜の白衣を与える。セストがトロメーオに襲いかかるが、アキッラが現れ彼の剣を奪い取る。アキッラはシーザーが逃げる途中で海に飛び込み、クレオパトラもローマ軍のもとに逃げていったと報告し、約束の褒美としてコルネーリアを望む。しかしトロメーオは約束を拒否してローマ軍との戦いに向かう。セストは絶望して自殺を試みるが、コルネーリアはそれを止め、ローマ軍に加わって戦うようにと諭す。


第3幕


港に近い森
トロメーオの態度に怒ったアキッラはクレオパトラに寝返る決心をする。クレオパトラの軍勢がトロメーオの軍勢に敗れ、クレオパトラは捕らえられる。クレオパトラが連行された後、海を泳いできたシーザーが現れる。セストとニレーノが通りがかり、瀕死のアキッラを見つける。アキッラは王に裏切られ死ぬ身であるからと言って、将軍の印をセストに渡し、軍を率いて王に復讐して欲しいと言い残して死ぬ。シーザーは2人の前に現れ、セストの手から印章を受け取ると再度戦いに赴く。セストも希望を取り戻し奮い立つ。


クレオパトラの部屋
兵士に取り囲まれたクレオパトラは死を覚悟している。そこへシーザーが兵を率いて彼女を救いに現れ、クレオパトラは喜ぶ。


王宮
トロメーオがコルネーリアに言い寄っていると、セストが現れてトロメーオを殺し復讐を成し遂げる。コルネーリアは息子の勇敢さを称える。


アレクサンドリアの港
勝利を収めたシーザーはクレオパトラとともに人々の前に姿を現す。セストがトロメーオの死を報告し、シーザーへの忠誠を誓う。クレオパトラはトロメーオの王冠をシーザーに渡す。しかしシーザーはクレオパトラこそエジプトの女王であると言って王冠をクレオパトラに返す。一同の歓喜の声で幕となる。



録音


フェルディナント・ライトナー指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1965年)- ドイツ語訳による上演


マルチェッロ・パンニ指揮プロ・アルテ・バッサーノ管弦楽団(1989年)


ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ケルン(1991年)


ウィリアム・クリスティ指揮エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団(2005年)- グラインドボーン音楽祭でのライブ映像


https://ja.wikipedia.org/wiki/エジプトのジュリアス・シーザー

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/826.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
75. 中川隆[-14294] koaQ7Jey 2020年1月21日 17:43:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1162]
ヘンデル オペラ 『エジプトのジュリアス・シーザー』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/826.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c75
[近代史3] ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』 中川隆
1. 中川隆[-14293] koaQ7Jey 2020年1月21日 17:56:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1161]

ガーディナー
Händel: Israel in Egypt - Gardiner - with score
https://www.youtube.com/watch?v=H67RY06mNPY&list=PL2k8ekJXk4nVQLU75EAz7bEJD2pKh19He


Händel: Israel in Egypt - Gardiner. The whole oratorio:
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/825.html#c1
[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
1. 中川隆[-14292] koaQ7Jey 2020年1月21日 18:03:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1160]

カラヤン
Monteverdi L'incoronazione di Poppea" Herbert von Karajan



L'incoronazione di Poppea
by Claudio Monteverdi

Sena Jurinac (Poppea)
Gerhard Stolze (Nerone)
Margarita Lilowa (Ottavia)
Otto Wiener (Ottone)
Carlo Cava (Seneca)
Hildegard Rössel-Majdan (Arnalta)
Gundula Janowitz (Drusilla)

Orchester der Wiener Staatsoper
Herbert von Karajan, conductor
Wien, 01.IV.1963

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html#c1
[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
2. 中川隆[-14291] koaQ7Jey 2020年1月21日 18:08:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1159]

ガーディナー
Monteverdi, L'Incoronazione di Poppea
English Baroque Soloists · John Eliot Gardiner
https://www.youtube.com/watch?v=Ru_pFbrT8Qs&list=PLKq64tL0GeMEkK7d1D-ZtM4pOhZClx746&index=1


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html#c2

[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
3. 中川隆[-14290] koaQ7Jey 2020年1月21日 18:09:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1158]
ガーディナー


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html#c3
[近代史3] バッハ 『マタイ受難曲』
バッハ『マタイ受難曲』


J. S. Bach - Matthäus-Passion - W. Mengelberg (1939)


J. S. Bach
Matthäus-Passion
BWV 244


GRABACIÓN HISTÓRICA EN VIVO
02 ABRIL DE 1939


Tenor (Evangelista): Karl Erb
Bajo (Jesús): Willem Ravelli
Soprano: Jo Vincent
Contralto: Ilona Durigo
Tenor (Arias): Louis van Tulder
Bajo (Arias): Hermann Schey
Amsterdam Toonkunstoor y "Zanglust" Jongenskoor
Maestro de Coro: Willem Hespe
Concertgebouw Orchestra Amsterdam


Director: Willem Mengelberg


_____


J.S.Bach St Matthew Passion BWV 244 (first part) - Walter - NYP (1944)


New York Philharmonic Orchestra / Bruno Walter conductor.
Live rec. April 9, 1944 (only the recording of the first part...)
William Hain (ten) Evangelist / Lorenzo Alvary (bass) Jesus / Nadine Conner (sop) / Jean Watson (alt) / Mack Harrell (bass)  Nerbert Janseb (bass) / Ralph Kirkpatrick (harpsichord) / Edouard Nies Berger (organ) / Janos Sholz (viola da gamba) / John Corigliano and Michael Rosenker (violins) / John Wummer (flute) / Harold Gomberg (oboe) / The Westminster Choir (J.F. Williamson)


_______


J.S. Bach "Matthäus-Passion" Furtwängler Wien 1954


BeschreibungMatthäus-Passion BWV 244 by Johann Sebastian Bach
Elisabeth Grümmer, soprano
Marga Höffgen, contralto
Anton Dermota, Evangelist & tenor arias
Dietrich Fischer-Dieskau, Jesus
Otto Edelmann, bass
Chor der Wiener Singakademie
Wiener Sängerknaben
Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler, conductor
Wien, 15.IV.1954


______


Bach, Matthäus-Passion BWV 244. Karl Richter (1971)

Munchener Bach Chor,
Munchener Bach Orchester,
[Orquesta y Coro Bach de Munich]
Karl Ritcher, director.


_______


[Karl Richter] Bach: St. Matthew Passion, 1959


Münchener Bach-Chor & Münchener Chorknaben
Münchener Bach-Orchester
Karl Richter (dirigent)
Recording Date: 1958.June-August
(Except 48-Weissage uns: 1979)


▲△▽▼


バッハのマタイ受難曲 (Matthäus-Passion) は新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にし、聖句、伴奏付きレチタティーヴォ、アリア、コラールによって構成された音楽作品である。BWV244。台本はピカンダー(Picanderは「かささぎ男」という意味の筆名であり、本名クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ、あるいはヘンリーキ)による。正式なタイトルは「福音史家聖マタイによる我らの主イェス・キリストの受難Passion unseres herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthäus」となる。


バッハが作曲したとされる受難曲は、マタイ受難曲(2作あったとされるが、「2作目は合唱が2組に分けて配置される」という記述の目録があるので、現在伝わっているのは2作目あるいは何らかの改作後の方であることがわかる)のほか、ヨハネ受難曲(BWV245、1724年)、ルカ受難曲(BWV246)、マルコ受難曲(BWV247、1731年)の計4つが数えられるが、ルカ受難曲は真作と見なされておらず、マルコ受難曲は台本のみが現存し、他は消失している。


初演および復活上演


初演


1727年4月11日、ライプツィヒの聖トーマス教会において初演。その後改訂が加えられ、1736年に最終的な自筆稿が浄書されている。かつては1729年4月11日の初演と伝えられ、未だ支持する者もいるが、完全に否定されている。この誤解は、メンデルスゾーンの初演に用いた楽譜が1729年稿であったこと、初演の広告が「100年ぶりの復活演奏」と銘打ったこと、1728年に没したケーテン侯レオポルトに捧げた追悼カンタータがマタイ受難曲のパロディだったこと(教会音楽を世俗音楽に書き換えることはありえないと信じられていた)などによるものである。


復活上演


バッハの死後、長く忘れられていたが、1829年3月11日、フェリックス・メンデルスゾーンによって歴史的な復活上演がなされ、バッハの再評価につながった。


この復活上演は2時間ぐらいにいくつかのカットが伴われ、また古楽管楽器オーボエ・ダ・カッチャを、同じ音域のオーボエ属楽器であるイングリッシュホルンではなくバスクラリネットで代用し、オーボエ・ダモーレの代わりにA管クラリネットを、オルガンやチェンバロの代わりにピアノを使用するなど、メンデルスゾーンの時代により一般的であった、より現代に近いオーケストラの編成によって演奏された。この編成の演奏を再現した録音CDも存在する。当時の新聞評は芳しいものではなく、無理解な批評家によって「遁走曲(フーガ)とはひとつの声部が他の声部から逃げていくものであるが、この場合第一に逃げ出すのは聴衆である」と批判された。しかしこれを期に、当時は一部の鍵盤楽器練習曲などを除いて忘れ去られていたバッハの中・大規模作品をはじめとする音楽が再評価されることになったのである。近年、メンデルスゾーン版での復元演奏(鈴木雅明やパークマンなど)が試みられることがあり、そのため上記のCDも誕生した。



編成


オーケストラ


以下の編成を2組


フラウト・トラヴェルソT/U、オーボエT/U(オーボエ・ダモーレ持ち替え)、ヴァイオリンT/U、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ(独奏用)、オルガンと通奏低音
第1オーケストラは更にブロックフレーテT/U、オーボエはオーボエ・ダ・カッチャにも持ち替える。


通奏低音の低音楽器には、チェロ、ヴィオローネ(またはコントラバス)、ファゴットが、編成にあわせて適宜用いられる。オルガンが2台使用されるが、オルガンの右手は通奏低音の和声充填の他、第1曲等でソプラノ・リピエーノとユニゾンでコラール定旋律を演奏する。


第1オーケストラのヴィオラ・ダ・ガンバは、第56,57曲に用いられるが、初期稿ではリュートが想定されていた[1]。


再演時、第2オルガンの代りにチェンバロが用いられた。これにより弱くなるコラール定旋律を補強するため、ソプラノ・リピエーノの人数が増やされた。また第2オーケストラのヴィオラ・ダ・ガンバが第34,35曲に追加された[1]。


合唱


四声部合唱2組
ソプラノ・リピエーノ(Soprano ripieno または、ソプラノ・イン・リピエーノ Soprano in ripieno)
ソリスト群:テノール(福音史家)、バス(イエス)、及びアリアと福音書中の登場人物を、ソプラノ、アルト、テノール、バスが適宜分担する。
バッハの時代、女性が教会内で歌唱することはなく、すべての声部はボーイソプラノをはじめとする男性によって歌われた。近現代の演奏で、女声を使用する場合、ソプラノ・リピエーノのみをボーイソプラノとして、劇的な演奏効果を狙うことが多い。


編成規模(再演時の記録による)[2]


各オーケストラ:17人の奏者
各合唱隊:12人(各声部3人)
ソプラノ・リピエーノ:3〜6人


マタイ受難曲の構成


マタイ受難曲は大きく二部(通常68曲)からなる。第一部は29曲、イエスの捕縛までを扱う。第二部は39曲、イエスの捕縛、ピラトのもとでの裁判、十字架への磔、刑死した後、その墓の封印までを扱う。物語でありながら、一方で精緻な音楽的構造を持った作品でもある。


聖句


聖句(聖書からの引用)のうち、エヴァンゲリスト(福音史家)はテノール、イエスやピラト、ペテロ、ユダと大祭司カイアファなどはバリトンあるいはバスで、集団は合唱で歌われる。マタイ受難曲中では、全体的に、真実は単純に、悪意や混乱は複雑な対位法で歌われる傾向がある。弟子達や一般の民衆等は四声部の合唱で、イエスに敵意を抱く祭司や長老をはじめとする群衆は八声部の二重合唱で歌われるが、群衆がイエスの言葉として Ich bin Gottes Sohn(私は神の子である)を引用する瞬間、全声部がユニゾンとなる。また「二人の偽証者」を表現するのに、二声部のカノンが用いられている。


イエスが発言する際には常に弦楽器の長い和音の伴奏が伴われるが、これはキリスト教美術によく見られる後光を音楽的に表現したものとされる。しかし最後の言葉Eli, eli, lama sabachthani(わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか)という神への疑いを示す部分だけは弦楽器の後光が伴わない。


アリア、伴奏付きレチタティーヴォ


アリアは合計14曲あり、これらのうち10曲は伴奏付きレチタティーヴォとアリアの組み合わせである。他のアリアはソロで4曲ある。


コラール


有名な「受難のコラール」(おお、血と涙にまみれし御頭、O Haupt voll Blut und Wunden)など。


受難のコラール
15.(21) コラール「われを知り給え、わが守り手よ」(合唱)
17.(23) コラール「われはここなる汝の身許に留まらん」(合唱)
54.(63) コラール「おお、血と涙にまみれし御頭」
62.(72) コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱)


第一部
カッコ内の番号は旧全集の番号[3]


導入の合唱


「シオンの娘たち」と「信じる者たち」との対話形式により、これから起こるイエスの受難が歌われる。Iが、「見よ」と呼びかけ、IIが「どこを」と問い、Iが「その忍耐を」と答える中で、オルガンとソプラノ・リピエーノのコラールが加わる。
1.(1) 「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け (Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen)」(合唱)


十字架の死の予告
イエスが弟子たちの前で自らの受難を預言する。

2.(2) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
3.(3) コラール「心より慕いまつるイエスよ」(合唱)


祭司長たちの合議


祭司長や律法学者らがイエスの捕縛を謀る。

4. (4-5)レチタティーヴォ(福音史家、合唱)
香油を注ぐベタニアの女[編集]
ベタニアで罪の女の香油をたらした行為を咎める弟子たちをイエスが咎める。
4.(6-8) の後半部分
5.(9) レチタティーヴォ(アルト)
6.(10) アリア「悔いの悲しみは」(アルト独唱)


ユダの裏切り
ユダが登場し、祭司長らにイエスの売り渡しを密約する。
7.(11) レチタティーヴォ(福音史家、ユダ)
8.(12) アリア「血を流せ、わが心よ!」(ソプラノ独唱)


晩餐
最後の晩餐。イエスは弟子たちの前でユダの企てを暴露する。
9.(13-15) レチタティーヴォ(福音史家、合唱、イエス)
10.(16) コラール「われなり、われこそ償いに」(合唱)
11.(17) レチタティーヴォ(福音史家、イエス、ユダ)
12.(18) レチタティーヴォ(ソプラノ)
13.(19) アリア「われは汝に心を捧げん」(ソプラノ独唱)


オリーブ山にて
イエスが自らの今後の運命と、ペテロと弟子たちが自分を否認し離反することを預言する。
14.(20) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
15.(21) コラール「われを知り給え、わが守り手よ」(合唱)
16.(22) レチタティーヴォ(福音史家、ペテロ、イエス)
17.(23) コラール「われはここなる汝の身許に留まらん」(合唱)


ゲッセマネの苦しみ
ゲッセマネの園で、イエスは自らの今後に苦悩。それをよそに弟子たちは眠りこけてしまう。
18.(24) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
19.(25) レチタティーヴォ(テノール)とコラール(合唱)
20.(26) アリア「われしわがイエスのもとに目覚めおらん」(テノール独唱と合唱)
21.(27) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
22.(28) バスによるレチタティーヴォ
23.(29) アリア「われは悦びて身をかがめ」(バス独唱)
24.(30) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
25.(31) コラール「わが神の御心のままに、常に成らせ給え」(合唱)


捕縛
ユダが再び登場しイエスが捕縛される。
26.(32) レチタティーヴォ(福音史家、イエス、ユダ)
27.(33) 二重唱「かくてわがイエスはいまや捕らわれたり」(ソプラノ、アルト、合唱)
28.(34) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
29.(35) コラール「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ」(合唱)


第二部
カッコ内の番号は旧全集の番号[3]


人気なき園に花婿を探すシオンの娘とエルサレムの娘たちの同情
30.(36) アリア「ああ、いまやわがイエスは連れ去られぬ!」(アルト独唱、合唱)


大祭司の審問
イエスの裁判が始まる。偽証人が現われ民衆も煽動される。 イエス自身が神の子であることを認めたことにより、民衆の騒ぎは頂点に達し、イエスは暴行を受ける。
31.(37) レチタティーヴォ(福音史家)
32.(38) コラール「世はわれに欺き仕掛けぬ」(合唱)
33.(39) レチタティーヴォ(福音史家、証人)
34.(40) レチタティーヴォ(テノール)
35.(41) アリア「忍べよ! 忍べよ!」(テノール独唱)
36.(42-43) レチタティーヴォ(福音史家、大祭司)と合唱
37.(44) コラール「たれぞ汝をかく打ちたるか」(合唱)


ペテロの否認
下女たちにイエスと共にいたと告げられ、ペテロはこれを三度否認する (Ich kenne des Menschen nicht.[4])。にわとりが鳴いてイエスの預言の言葉を思い出したペテロは泣き出す。有名な「憐れみ給え、わが神よ」(Erbarme dich) のアリアが歌われる。
38.(45-46) レチタティーヴォ(福音史家、第1の下女、第2の下女、ペテロ)と合唱
39.(47) アリア「憐れみ給え、わが神よ」(アルト独唱)
40.(48) コラール「たとえわれ汝より離れいずるとも」(合唱)


ユダの後悔と末路
ユダがイエスを裏切ったことを悔いて自殺する。
41.(49-50) レチタティーヴォ(福音史家、ユダ、第1と第2の祭司長)と合唱
42.(51) アリア「われに返せ、わがイエスを!」
43.(52) レチタティーヴォ(福音史家)


判決
総督ピラトはイエスを訊問するが、イエスが自分を弁護しないのを怪しむ。ピラトは民衆にイエスの運命を託し、赦免するべきは極悪人バラバかイエスか、との選択を民衆に問う。民衆は赦免すべきは「バラバ!」と叫び、イエスには「十字架に架けるべし!」と叫び、ここにイエスの死刑が決定される。
43. のつづき(福音史家、ピラト)
44.(53) コラール「汝の行くべき道と」(合唱)
45.(54) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト、ピラトの妻、合唱)、合唱
46.(55) コラール「さても驚くべしこの刑罰!」(合唱)
47.(56) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト)
48.(57) レチタティーヴォ(ソプラノ)
49.(58) アリア「愛によりわが救い主は死に給わんとす」(ソプラノ独唱)
50.(59) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト)、合唱


鞭打ち
イエスは鞭打たれ、茨の冠を被らされる。
50. のつづき
51.(60) レチタティーヴォ(アルト)
52.(61) アリア「わが頬の涙」(アルト独唱)
53.(62) レチタティーヴォ(福音史家)、合唱
54.(63) コラール「おお、血と涙にまみれし御頭」


十字架の道
イエスは、民衆の罵声を浴びゴルゴタへと連行される。
55.(64) レチタティーヴォ(福音史家)
56.(65) レチタティーヴォ(バス)
57.(66) アリア「来たれ、甘き十字架」(バス独唱)


十字架上のイエス
ゴルゴタの丘に到着したイエスは強盗とともに十字架につけられる。
58.(67-68) レチタティーヴォ(福音史家)、合唱
59.(69) レチタティーヴォ(アルト)
60.(70) アリア「見よ、イエスはわれらを」(アルト独唱と合唱)


イエスの死
イエスがEli, eli, lama sabachthaniの言葉とともに息絶える。すると天幕が裂け、地震が起きるなどの奇跡が現われ、民衆は「やはりイエスは神の子であったのだ」と思う。
61.(71) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)、合唱
62.(72) コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱)
63.(73) レチタティーヴォ(福音史家)、合唱


降架と埋葬
イエスの遺体が下げ渡される。イエスの復活を恐れて墓が封印される。
63. のつづき
64.(74) レチタティーヴォ(バス)
65.(75) アリア「わが心よ、おのれを浄めよ」(バス独唱)
66.(76) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト)、合唱


哀悼
67.(77) レチタティーヴォ(バス、アルト、ソプラノ、合唱)
68.(78) 終結合唱「われらは涙流してひざまずき」


https://ja.wikipedia.org/wiki/マタイ受難曲

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
76. 中川隆[-14289] koaQ7Jey 2020年1月21日 18:45:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1157]
バッハ 『マタイ受難曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c76
[近代史3] バッハ 『マタイ受難曲』 中川隆
1. 中川隆[-14288] koaQ7Jey 2020年1月21日 18:56:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1156]

メンゲルベルクのマタイ受難曲


バッハ マタイ受難曲  メンゲルベルク
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%881685-1750%EF%BC%89_000000000002339/item_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%9A%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8F%97%E9%9B%A3%E6%9B%B2%E3%80%81%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E6%82%B2%E6%84%B4%E3%80%8F%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF_1371954

Willem Mengelberg [Matthäus-Passion]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9021434
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9138508
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9139225

http://www.youtube.com/watch?v=ipwV_F27v2M
http://www.youtube.com/watch?v=BjWxmD2uKy0


ウィレム・メンゲルベルク ディスコグラフィ
http://www.nmt.ne.jp/~toksbw/wai/symphny/mengelberg.htm
http://www.mengelberg.net/mengel.html

メンゲルベルク 動画
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF&oq=%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF&gs_l=youtube-reduced.3..0l3j0i5.8061.8061.0.8324.1.1.0.0.0.0.190.190.0j1.1.0...0.0...1ac.Bt6jrO73rY4
http://www.youtube.com/results?search_query=Mengelberg&oq=Mengelberg&gs_l=youtube-reduced.12..0l4.13074.13074.0.14286.1.1.0.0.0.0.82.82.1.1.0...0.0...1ac.ZH0EiDCQsDs

マタイ受難曲はメンゲルベルクが毎年復活祭に演奏してきたもので、1939年の演奏がフィルムを使った録音で残されました。LPから復刻した音はとても67年前のものとは思えないものです。2枚に納めるためのカットはせずに3枚組としました。メンゲルベルク最高の遺産が味わえます。合わせてこれも貴重な41年録音の‘悲愴’(37年録音とは別)を組み合わせました。(オーパス蔵)


バッハ:マタイ受難曲(1939年4月2日ライブ PhilipsLPA00150-53)

カール・エルプ(福音史家)
ウィレム・ラヴェリ(イエス)
ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)
イローナ・ドゥリゴ(アルト)
ルイス・ヴァン・トゥルダー(テノール)
ヘルマン・シャイ(バス)
ツァングルスト少年合唱団
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指)

_________


宇野功芳
「こんばんは!とうとう最終回になりましたけど。今日はどんなお話しましょうかね?」

横原さん
「そうですね…。前回言いました、合唱での体験でバッハのマタイ受難曲がすごく印象深いという風に話しましたけれど。」

宇野功芳
「マタイは感動的だなぁ。」

横原さん
「長い音楽の歴史の中でも究極の作品という…。」

宇野功芳
「まったくその通りだなぁ。僕はバッハ嫌いなんだけどね。
バッハとかねブラームスとかね、Bのつくのは嫌いなの。
Bのつくので良いのはバッファローズとかね、ブルックナーとかね(笑)。
ハハハ!重くって暗いのは苦手なんですが、でもマタイはそんなもの飛び越えちゃってるよね!」


宇野功芳

「一生に一度は聴いて欲しいマタイ受難曲です。

しかし長い!!3時間はたっぷりかかる。実演だとカットすべきだと思います。

 マタイ受難曲の中で、素晴らしいのはメンゲルベルクの1939年のライブ録音です。

メンゲルベルクはとてもロマンティストなので、バッハのスタイルを逸脱してロマン派の曲のようになっている。だから誉める人はスゴく誉めるし、貶す人はメチャクチャ貶します。僕はスゴく誉めます!

 対抗はヘレヴェッヘ。とてもあっさりしている。

メンゲルベルクはまさに受難です。物語性がスゴい!」

バッハ マタイ受難曲第2部第62曲コラール「いつか私が世を去るとき」

ヘレヴェッヘ(指揮) コレギウム・ヴォカーレ
メンゲルベルク(指揮) コンセルトヘボウ管弦楽団


宇野功芳

「マタイ受難曲の中にはコラールが沢山あって、その中で有名なのが最後のコラールです。キリストが十字架に架けられて死んで、その時民衆が

「自分が死ぬときに、そばに居てください。」と歌う。

 その時のメンゲルベルクの演奏が本当に弱いんです。遅いテンポで祈るように・・・。バッハのスタイルを超えていますね。

 片やヘレヴェッヘは普通の演奏です。今、21世紀のクラシックファンは様々な音楽を知っている。バッハ時代が『こうだった』からと当時の演奏をされても感動しない。」
http://blog.fmosaka.net/kurakore/blog/night/


先日渋谷のHMVをうろうろしていたら、通常は5,000円〜6,000円のメンゲルベルクの「マタイ」3枚組(1939年4月ライヴ)が1,050円(税込み)で出ていたので思わず目を疑ってしまった。しかも、余白にはチャイコフスキーの「悲愴」まで入っている。ついに購入!

これは昔からフィリップスから出ているものとは異なり、オーパス蔵のLP復刻盤である。本CDには宇野功芳の解説が付いていた。

−−我々の宝、メンゲルベルクの「マタイ」がいよいよオーパス蔵のCDで聴けることになった。オーパス蔵の復刻盤は、とくに声楽パートの音の抜けが良くなった。久しぶりに「マタイ」全曲にじっくりと耳を傾けることが出来た至福のひとときに感謝したい。(宇野功芳)

このメンゲルベルクの「マタイ」第1曲の合唱「来なさい、娘たち、ともに嘆きましょう」には筆舌に尽くしがたい感動を覚える。今では聴くことができない、大変なアゴーギク、テンポ・ルバートが時代を超えて迫ってくる。ここにはアナクロニズムでは済まない、 真の感動がある。
http://blog.goo.ne.jp/katsura1125/e/be02ece9ea269402e8884b7fe0edb65a


宇野功芳 V S礒山雅?

 たまたまバッハ学者、礒山雅氏の『マタイ受難曲』(東京書籍)を読んでいたのである。あの傑作に含まれる1曲1曲についてあれこれ解説を加えた本だ。とはいえ、一般読者を想定して、語り口は平易。『マタイ』好きなら、持っていてよい1冊だ。特にバッハがキリスト教をどう自分のものにしていたかということが詳しく触れられているのが私には興味深い。

 この本の最後のほうでは、約40種類の録音について著者の意見が記されている。これがなかなかおもしろい。

高く評価されているのは、たとえばレオンハルトやショルティ。この組み合わせには、えっと思う人もいるかもしれない。その反面、かねてより名演奏と誉れ高かったクレンペラー、カラヤン、そしてメンゲルベルクには冷たい。そして、古楽系でもコープマンには否定的。

氏の判断基準ははっきりしている。彼らが個性的な指揮者だとは認めたうえで、作品そのものの表現や力や性格を無視しているのがダメだと言うのだ。
クレンペラーについては、かつて若き日に愛聴したものと記したうえで、問題点が指摘されている。

メンゲルベルクに対してはことのほか厳しい。

「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」

「聴いていて途方に暮れる」

「うんざりする」

のだそう。もっとも、その理由はきちんと記されているし、もし自分が聴衆のひとりだったら、圧倒されるだろうとも記されているが、何だか大人の配慮というか、言い訳っぽい。

 ちょうどこの本を読んでいたら、そのメンゲルベルクの新たな復刻(オーパス蔵)が送られてきた。開いてみると、解説書の中で宇野功芳氏が大絶賛している。

「われらの宝」

「バッハ時代のスタイルを金科玉条のものとし、この演奏に感動できない人の、なんと哀れなことか」。

礒山氏の意見とはあまりにも見事に正反対なので、笑ってしまった。
はいはい、礒山氏は哀れなわけね。

 この場合、どちらの意見もそれなりに正しいというしかないだろう。メンゲルベルクならではの演奏様式が平気な人にとっては、一回限りの燃えるライヴの魅力が味わえようし(特に合唱の没入ぶりはすさまじい)、生理的に我慢できないという人には、論外な演奏だろう。ただし聴いているうちに慣れてきて、抵抗感が薄まる可能性は高い。音質のほうも聴いているうちに徐々に慣れてくる。手元にあるフィリップスのCDと比べたら、ノイズをカットしていない分、音質は明瞭。この演奏が好きなら、買い換えてもいいだろう。

 とはいえ、初めてこの曲を聴くなら、まずはもっと新しい音で聴いたほうがいい。古楽ならレオンハルトの演奏がよいけれど、オランダ系古楽の常でドラマ性が薄く、残忍、残酷、血の匂い、要するに生々しさが足りない。古楽系は、最後まで聴いてもカタルシスがなく、。あの終曲があまりにもあっさりしてしまうのだ。
私が一番好きなのは、リヒターの最後の録音である。昔から褒められている最初の演奏より、いっそうドラマティックで濃厚である。

 バッハと言えば、今年のラ・フォル・ジュルネはバッハ関係である。例によって小さなホールの公演はあっという間に完売になるのが困ったものだ。それに、せっかくコルボが「マタイ」をやるのに、とてもクラシック向けとは言えない巨大ホールが会場というのも困る。コルボ自身はPAを気にしないというが、聴くほうはそうではない。せっかくの催しだけれど、毎年あのホールだけは何とかならないかと思う。幸いコルボは、「ロ短調ミサ」のほうはまだしもまともなほうのホールで演奏してくれる。

ちなみに、礒山氏はコルボの「マタイ受難曲」は「厚化粧の美女」みたいと言っている。いいじゃん、厚化粧の美女。嫌いですか。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 
http://www.hmv.co.jp/news/article/902250082/


音楽を語るのに、音楽以外のあれこれを持ち出して論議するのを嫌う人がいます。それでも、時にはそういう「あれこれ」にふれずにはおれない演奏というものがあります。 このメンゲルベルグ指揮のあまりにも有名な「マタイ受難曲」も、その、「ふれずにはおれない演奏」の一つです。

 今の趨勢から見れば「論外」と切って捨てる人もいます。

 まずもって、大編成のオーケストラと合唱団を使った演奏スタイルが許せないと言う人もいるでしょう。至るところに見られるカットも我慢できないと言う人もいるでしょう。解釈に関わる問題でも勘違いと間違いだらけだと憤慨する人もいるかもしれません。(例えば、フェルマータの処理をそのままフェルマータとして処理している、等々。今ではバッハのフェルマータは息継ぎの指示程度にしか受け止められていません。)

 しかし、どのような批判をあびたとしても、やはりこの演奏は素晴らしく、20世紀の演奏史における一つの金字塔であることは確かです。

 この演奏の数ヶ月後、ナチスドイツはポーランド国境になだれ込んで第2時世界大戦が始まりました。一年後には、中立国だから戦争とは無縁だとの幻想にしがみついていたオランダ自身もまた、ナチスに蹂躙される運命をむかえます。

 メンゲルベルグによるこの演奏会は、その様な戦争前夜の緊張感と焦燥感のもとで行われたものでした。

 特にオランダのおかれた立場は微妙なものでした。

 侵略の意図を隠そうともしないナチスドイツの振る舞いを前にして、自らの悲劇的な行き末に大きな不安を感じつつも、日々の生活では中立的な立場ゆえに戦争とは無縁だという幻想にしがみついて暮らしていたのです。

 悲劇というものは、それがおこってしまえば、道は二つしかありません。

 踏みつぶされるか、抵抗するかであり、選択肢が明確になるがゆえにとらえどころのない焦燥感にさいなまれると言うことは少なくなります。しんどいのは、悲劇の手前です。

 人間というものは、その悲劇的な未来が避け得ないものだと腹をくくりながらも、あれこれの要因をあげつらってはあるはずのない奇跡に望みを託します。この、「もしかしたら、悲劇を回避できるかもしれない」という思いが抑えようのない焦燥感を生み出し、人の心を病み疲れさせます。

 この演奏会に足を運んだ人たちは、その様な「病みつかれた」人たちでした。そして、疑いもなく、自らを受難に向かうキリストに、もしくはそのキリストを裏切ったペテロになぞらえていたことでしょう。

 冒頭の暗さと重さは尋常ではありません。そして、最後のフーガの合唱へとなだれ込んでいく部分の激烈な表現は一度聴けば絶対に忘れることのできないものです。

 そして、マタイ受難曲、第47曲「憐れみたまえ、わが神よ」
 独奏ヴァイオリンのメロディにのってアルトが

「憐れみたまえわが神よ、したたりおつるわが涙のゆえに!」

と歌い出すと、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきます。
 ポルタメントを多用してこの悲劇を濃厚に歌いあげるヴァイオリンの素晴らしさは、今の時代には決して聴くことので着ないものです。

 まさに、この演奏は第2時世界大戦前という時代の証言者です。

 ちなみに、この4年後、1943年にローゼンストックによる指揮でマタイ受難曲が東京で演奏されています。記録によると、その時も会場のあちこちからすすり泣きの声が聞こえたと言われています。

 逆から見れば、バッハのマタイは時代を証言するだけの力を持っていると言うことです。

ノンフィクション作家として有名な柳田邦夫氏は、この演奏に関わって傾聴に値するいくつかのエッセイを書かれています。

 ピリオド演奏を標榜する一部の人たちは、このメンゲルベルグの演奏を酷評し、それだけでは飽きたらず、この演奏を聞いて感動する多くの人々を冷笑しています。(例えば、国立音楽大学のバッハ研究者〜と自分で思っている人;ちなみに柳田氏はこの人物を磯山雅と実名をあげていますが・・・))

 柳田氏の一文は、このようなイデオロギーによって押し進められているピリオド演奏という潮流が、いかに音楽の本質から外れたものかを鋭くついています。
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=19


「1,600万円のオーディオ装置」 2008.3.28

先日のブログにも書いたことだが、とある友人の紹介でオーディオ輸入業を仕事とされている方のご自宅を訪問させていただき、ご自慢の装置でいくつか音盤を聴かせていただいた。

何とスピーカーや高性能アンプ、CDプレーヤーなどで正味1,600万円ほどだという。地下1階の防音の効いた30畳ほどのリスニング・ルームにどっしりと鎮座している様は誠に神々しい。

あらゆるジャンルの音楽(J-Popから民族音楽風のもの、Jazz Vocal、クラシック音楽など)を耳にしたが、どうやらこのマシーンはオーケストラを聴くために調整してあるらしく、やはりクラシックのしかも管弦楽曲が抜群の音色で鳴っていた。レヴァイン指揮するサン=サーンスの「オルガン」交響曲第 2楽章冒頭やアバド&ルツェルン祝祭のマーラー「復活」冒頭、ドビュッシーの「海」第3楽章終結などなど、まるで目の前で実際に演奏されているかのごとくめくるめく錯覚をおこすほどの見事さであった。その彼曰く、

「世間の人は生演奏で聴くのが一番いいというじゃないですか。

確かに「実演」がベストです。でも、実演が必ずしも良い演奏とは限りません。先日などは3万円も払ってベルリン・フィルを聴きに行ったところ金管の何某がとちったものだからアンサンブルがガタガタになり、最低だったんですよ。
だから、名演を聴くならしっかり調整された最高のオーディオ装置で聴く方が良い場合が多いんです」と。

なるほど、確かにそう言われればそうかもしれない。ついでに彼が言っていたのは

「それまで名演だと思っていた演奏がこの装置で聴くと、特にオーケストラの良し悪しが手にとるようにわかるようになり、がっかりさせられることも多々ある」

ということ。ゲルギエフの「ハルサイ」などはその典型らしい。
へぇ、そうなんだと感心しながらもちょっと腑に落ちないなと感じる。

僕はSP復刻盤といわれる戦前録音された録音レンジの狭いCDを時折聴く。音質が悪いとはいえ感動させられてしまうのだから音の良し悪しを超越するエネルギーがあるのだろう。メンゲルベルクのチャイコフスキー「悲愴」やフルトヴェングラーのベートーヴェンなどはその際たるもので、今の時代に聴いてもその音楽の素晴らしさは最新録音盤を超える何かが確かにある。

「音」を聴きたいのではなく「音楽」を楽しみたいのである。音がいかに完璧に再生されるかに興味があるのではなく、心が震える感動体験がしたいのである。
確かにCD ラジカセじゃ限界があろう。でも、僕は今もっているオーディオ装置で充分だなと正直思ってしまった。そこそこ優秀な装置があれば音楽は「愉悦」を運んでくれる。そして何といっても、多少の瑕があろうと実演・生演奏のもつ波動が一番だ。

こう書くうちに以前柳田邦男氏が、「人生の1枚のレコード」と題するエッセーでメンゲルベルクの指揮するバッハの「マタイ受難曲」に言及し、その感動的な演奏に対する深い想いを書いておられることを思い出した。その中で「追記」された文章があり、それがとても印象的で、僕の今回の体験と何となく同じようなニュアンスを感じたので、その部分を抜粋させていただく。
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メンゲルベルク指揮のマタイ受難曲は、心を病んでいた私の次男・洋二郎も何度となく聴いていたレコードだった。1993年夏、自ら命を絶った洋二郎の遺体を病院から引き取って家に帰った時、偶然にもマタイ受難曲のアリア「主よ憐れみたまえ」がテレビから流れた。

「憐れみたまえ、わが神よ」をテーマ曲にしたアンドレイ・タルコフスキーの映画『サクリファイス』が、まさに終わろうとしていたのだった。私は、立ちすくんだ。それ以後、マタイ受難曲は、私にとって人生全体をゆさぶられるような重い曲となっている。

なお、音楽美学やドイツ音楽史の専門家で国立音楽大学教授の礒山雅氏は、詳細な作品研究の著書『マタイ受難曲』(東京書籍)のなかで、メンゲルベルク指揮のこの演奏を、バッハの基本からはずれていて、とくにテンポの伸び縮みがあまりにも恣意的だと、きびしく批判し、

「聴いていて途方に暮れ」
「うんざりする」

とまで書いている。批判は演奏に対してだけでなく、聴き手に対しても向けられ、
「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」

と冷笑している。どうやら楽譜を読みこなす力のない私や息子は、マタイ受難曲を聴くには失格らしいのだが、音楽とは人生の状況のなかでの魂の響き合いではないかと考えている私は、「それでもメンゲルベルク指揮のあの演奏は私の魂をゆさぶる」という感覚をいまも抱いている。

「かけがえのない日々」(柳田邦男著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410124913X/250-8550177-4320268?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=410124913X
より
http://classic.opus-3.net/column/16002008328/


『私達が一日一日を平穏に暮らしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからだ。』     
タルコフスキー

タルコフスキー サクリファイス(1986年)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026762
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025583
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025880
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026086
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026399
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2027422
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2029092
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2031292

柳田邦男 『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の十一日』
http://www.amazon.co.jp/%E7%8A%A0%E7%89%B2-%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9-%E2%80%95%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%83%BB%E8%84%B3%E6%AD%BB%E3%81%AE11%E6%97%A5-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9F%B3%E7%94%B0/dp/4167240157

 を読んだのは、もうずいぶん昔の話になりますが、自ら死を選んだ洋二郎さんの、その自死の試みから死に至るまでを看取った記録の中で、私が忘れられない文章があります。

生前、洋二郎さんは、「僕の村は戦場だった」で知られる、旧ソ連の映画監督タルコフスキーの作品「サクリファイス」に深く傾倒していらしたそうです。

深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を作り続けたタルコフスキーの遺作であるこの作品の冒頭と最後に流れるのが、バッハのマタイ受難曲の『憐れんでください、私の神よ』という美しいアルトのアリアです。
キリストに最も近かった弟子のひとりであり、キリストから愛された弟子であったペテロは、自らの死の恐怖ゆえに、捕らえられ、これから死に渡されるという主イエスを拒みました。

有名な「ペテロの否認」の場面です。

ペテロが裏切りを悔いて号泣したあとに響く美しいアリア『憐れんでください、私の神よ』はこのように歌われます。

     憐れんでください、私の神よ、
    私の涙ゆえに。
    ご覧下さい、心も目も
    御前に激しく泣いているのを。
    憐れんでください、
    憐れんでください! 
    
洋二郎さんの遺体が自宅に迎えられた、まさにその時、一体なんという偶然だったのか、たまたまNHKで放送されていたのがタルコフスキーの「サクリファイス」でした。

そしてテレビから流れていた曲がこのアリアだったというのです。
私は立ちすくんだ。洋二郎は神に祈ったことはなかった。かたくななまでに祈らなかった。

私も目に見えない大きなもの、全てを超越したものとしての神の存在への畏怖の念を抱きつつも、全身全霊を投げ出して祈るという行為をしたことがなかった。
だが、このとき私は神が洋二郎に憐れみかけ給うてほしいと心底から祈る気持ちになった。

どういう神なのかと考えることもせずに。
アリアの旋律はいつまでもいつまでも私の胸に響き続けた。
                    
柳田邦男 『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の十一日』


ここに見る柳田氏の祈りには、だれの神でもない、全てを超越した、ただ大いなる存在への究極の祈りがあります。

バッハの音楽という深遠な祈りから流れ出した、存在としての神への想いだと思います。。
http://follia.at.webry.info/200704/article_4.html


【至宝】マタイ受難曲【孤高】

30 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 01:12:55 ID:HTT21VMr
メンゲルベルグに勝るのはないけどあれは別格だから比較してやるのは酷だよな

31 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 09:32:44 ID:NsakSB43
コーホーキター

32 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 11:38:51 ID:SpwrheL0
>>31
それは言わない約束...

33 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 12:07:57 ID:R0pHYM6a
いまだにメンゲルベルク聞いてる化石みたいな人がいるのか…

104 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:10:10 ID:ZQbqNsb1
メンゲルブルクのマタイがいいと思うんだけど、もう古すぎで人気はあまりないのかな?

105 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:25:27 ID:NMcArXh1
歴史上メンゲルブルクのマタイが人気あった時代なんてあるのか

106 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:27:21 ID:2ODLQTtp
>>104
人気というと微妙だけど、何度も再販されてる(Naxosなんかからも出てる)し、需要は意外とあるんじゃないの?
ランドフスカやヴァルヒャのモダンチェンバロ演奏みたいなもんだろう。

157 :名無しの笛の踊り:2010/03/27(土) 12:10:03 ID:PBoDjzzB
メンゲルベルクの演奏は、カッコいい第51曲が無いんだね。残念。
意外と音質が良いのは光学録音の所為かな?

255 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 07:16:46 ID:WxgCQUsO
メンゲルベルク指揮のライブ盤には、すすり泣く聴衆が聞こえる。
でも泣く、泣かないはさして問題にする事ではないと思う。
むしろクリスチャンなら、マタイを聴いて深く内省し己れの罪深さを悔い改め、新たな歩みをはじめるということでは。
その表れとして泣く人もいるだろうし、そうでない人もいて構わないと思うが。

256 :モーフィアス:2010/07/04(日) 13:48:50 ID:QGmDeOF9
メンゲルベルクのマタイ受難曲、ドイツの侵略前の異常な雰囲気の中で行われた歴史的名演でしょうね〜
翌年オランダは侵略されメンゲルベルクはナチに協力させられる!
ユダヤ人は収容所に送られ、人々は正に受難の時代を迎える訳です〜
咽び泣くようなバイオリンを聴いたら二度と忘れられない筈だ〜
メンゲルベルクでの一番のお勧めは〜チャイコフスキーの「悲愴」なんだが〜
マーラーの交響曲4番もメンゲルベルク的 天上の世界を堪能できる演奏で〜大い〜好き〜!

257 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 17:40:42 ID:WxgCQUsO
現在では、メンゲルベルクのようなロマンチックな情感あふれる演奏スタイルは受け入れられないと思う。しかし、当然のことながら演奏スタイルは時代と共に変化するものだ。
だから今のピリオド・スタイルもやがては古くさいと言われるようになるだろう。
それよりも現在は、小手先の技術にはたけているが、真に心打たれ、心の心底に響く演奏者がいない方が嘆かわしい。

258 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 17:44:31 ID:TREkPtmj
>>257
>>それよりも現在は、小手先の技術にはたけているが、真に心打たれ、心の心底に響く演奏者がいない方が嘆かわしい。
現在の演奏家をいったいどれだけ聴いてその台詞言ってるんだ?

261 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 19:39:24 ID:WxgCQUsO
>>258
ナマ、CD、DVDを含め数え切れないほど聞いてだ。

529 :名無しの笛の踊り:2011/04/10(日) 08:52:11.20 ID:H+IudkUT
イエス入滅の後、神殿の幕が裂け、地が唸る・・・
このあたりの凄みは
フルトヴェングラー/VPO
カラヤン/BPO
メンゲルベルク/ACO ですね。
古楽器では太刀打ち出来ません。

577 :名無しの笛の踊り:2011/05/20(金) 22:25:15.36 ID:+wRTeaKf
「どんな演奏を好きなろうと自由だが、こんな演奏(メンゲルベルクのマタイ)に『感動した』などど言う人の感性を疑う」
と磯山センセ―は酷評してるけど
すげー好きなんだよなメンゲルベルクのマタイ。

581 :名無しの笛の踊り:2011/05/21(土) 21:13:01.54 ID:MyqNfgHp
メンゲルベルク盤しか持ってないけど、音質良いな。
これだけでも聴き応えあるな

820 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 06:50:55.55 ID:cKfTewFX
メンゲルベルクのマタイは一度は聴いておくほうがいいですか。
聴衆のすすり泣く声が聞こえるという有名な売り文句の録音です。
磯山雅氏は「すすり泣くどころか、笑える」とこき下ろしていますが。

831 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:41:17.01 ID:0naC49N4

| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ここですすり泣いてて |
|_________|
    ∧∧ ||
    ( ゚д゚)||
    / づΦ

821 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 07:16:49.19 ID:NUZdPbgd
話の種に聴いておいても損はないよ。
磯山雅は音楽学者であって評論家じゃないから、一個人の意見として聞いておけばいいよ。
そしてどちらを笑うのかは、あなたが判断して下さい。

822 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 10:21:38.66 ID:bOAx3/Ux
一言多すぎるんだよなI教授は

823 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 15:28:41.48 ID:gu7NGkmZ
メンゲルベルクのは1曲目を数分聞けばこの後延々何が続くかは容易に想像できる

824 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 19:17:02.91 ID:ateoKotK
音楽学者だからって時代考証の専門家だからバカにできない
歴史ドラマとクラシック音楽って遠いようで近い

825 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 20:15:20.97 ID:aLr5i5L3
文学芸術系の学者・インテリってのは、
自分なりの人類史を持っていることが前提だからな

828 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:13:56.07 ID:4Xcb05hA
まあでも、マタイの演奏史を語る上で、ポルタメントを多用したメンゲルベルクの濃厚なロマンチック演奏は避けて通れないと思う

829 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:19:50.43 ID:Cqzr8xqE
あくまでも演奏史上の価値な
もっともリヒターの様式で受難曲を演奏する奇特な人も日本にいるようだよ
メンゲルベルクもそこまで復権するかな?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1261008362/


メンゲルベルクの…
投稿者:Frau 投稿日:2007年 4月26日(木)23時58分47秒
 
メンゲルベルクの「マタイ」のエヴァンゲリストはカール・エルプでしたっけ!?
実は私が初めて聴いた「マタイ」はメンゲルベルクのものでした。とにかくメンゲルベルクなら何でも買う(聴く)といった頃でして、宇野功芳氏が絶賛してるのを未だ知らない状態で聴きました。フィリップスの国内盤で宇野氏が絶賛してるのを読み、また実際に自分でも素晴らしい演奏と感動致しました。
「マタイ」はメンゲルベルクで充分との思いもあり、一般に名演とされるリヒターの旧盤なぞ購入したのはその後随分と年月が経ってからでした。
今でもメンゲルベルクの「マタイ」は好きなのですが、随分と後になって遅ればせながら聴いたリヒターの「マタイ」のヘフリガーの素晴らしさはカール・エルプに匹敵するとの思い、そしてこれが決定的なのですが、第二部のイエスが息を引き取った後にでてくる
Warlich,dieser ist Gottes Sohn gewessen
「まさにこの方は神の子であった…」
という部分の合唱の表現がメンゲルベルクよりもリヒターのものの方が好みで、それ以来メンゲルベルクには申し訳無いのですが、リヒターの旧盤が私にとってのベスト「マタイ」になってしまいました。
ついでに言えば、「マタイ」には幾つも聴き所があると思いますが、私がもっとも好きな場面(箇所)は前述の合唱の部分なのです。
正直に申せば初めてメンゲルベルクの「マタイ」を聴いたときに最初から感動した訳ではなく(やはり、カットしてるとはいえ長いですし)、有名なアルトやソプラノのアリアや度々挿入されるコラールの旋律以外は少々退屈な思いで聴いていた様な記憶があります。
ところが、前述の合唱のところで「この世にこんなにも綺麗な音楽(旋律)があるのか!!」との強い衝撃を受けました。本当に短い部分ですが、この合唱の演奏表現が今のところリヒター旧盤(と日本ライブ盤)が私の一番のお気に入りとなっております。
メンゲルベルクは今でも好きですが、「マタイ」の牙城が崩れた今では、メンゲルベルクの演奏で最も好きなのは第九(勿論、ベートーヴェンの)でしょうか…。此方は「第九はフルトヴェングラーとメンゲルベルク以外は不要」というくらい好きです。
http://6502.teacup.com/mengelberg/bbs/290


 蘇る伝説の巨匠 ウィレム・メンゲルベルク 
「彼のヴァイタリティ、オーケストラ養成についての知識、霊感あふれる情熱、それらは独自の高みに達していた。音楽の分野において、これほどの巨人は稀である」( レオポルド・ストコフスキー )
 マグマの底から全人類の祈りが、絶望的な悲しみを超えて沸き上がって来るかのような、壮絶を極める曲冒頭の合唱の渦・・・・そして第四十七曲。エヴァンゲリストの悲痛な訴えに続き、静やかに奏されるヴァイオリン・ソロの、何と優しく、また哀しいことだろう。よく耳を澄ますと、聴衆の嗚咽すら聞こえて来る。音楽というのはこれ程までに、人の心に訴えかける力を持っていたのか!
伝説の指揮者・メンゲルベルクによる、一九三九年四月の棕櫚 (しゅろ ) の日曜日におこなわれた演奏会の実況録音のバッハ「マタイ受難曲」。私はこのレコードを学生時代に初めて耳にした時、ひざがガクガクと震え、わけもなく涙が溢れてきて仕方がなかった。そして、このバッハの音楽、それにこの指揮者の演奏が、これからの自分自身の人生に、決して欠かせないものになるだろうという、確信のようなものを抱いたのである。
 早いものだ。あれからもう三十年になる。案の定、バッハの音楽は私の心の糧として今も大活躍してくれているし、一方、指揮者メンゲルベルクに対する愛着の念も、日増しに強まるばかりだ。
 ヴィレム・メンゲルベルクは、一八七一年に生まれ、一九五一年に没したオランダの名指揮者である。彼は一八九五年、わずか二十四歳の若さで名門アムステルダム・コンツェルトゲボウ管弦楽団 (現・ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 )の第二代常任指揮者となり、一九四五年第二次世界大戦の終結と共に、ナチス・ドイツに協力したかどで、その地位を追われるまで、実に五十年の長きにわたって、このオーケストラを世界一流のアンサンブルに鍛え上げた。
 彼と同世代の指揮者フルトヴェングラー、トスカニーニらが戦後も活躍し、急速に発達した録音技術によって、現在でもかなり明晰な音質でその芸術が堪能出来、現在でも多くのファンを持っているのに対し、メンゲルベルクは先に述べたたように、その活動時期が第二次世界大戦集結までのSPの全盛期に限られているため、残された録音の音質面でのハンディは覆うべくもない。
 メンゲルベルクの名は戦後の一時期、我が国はおろか本国オランダでさえも、急速に忘れ去られていった。フルトヴェングラー、トスカニーニ亡きあとも、ワルター、クレンペラーら後期ロマン派スタイルの指揮者がステレオ期まで生き延びて活躍し、その後はカラヤン、バーンスタインといった時代の寵児ともいうべきスターたちの活躍が、クラッシック界の話題の中心となった。一方メンゲルベルクの録音はまったくの過去のものとして、まるで「なつかしのメロディ」のごとくに、時折思い出したように断片的に発売されるのみだったのである。
 ところが一九八〇年代以降、レコードがCDに取って変わってから、状況は一変する。スターの時代は終わり、指揮者の名前だけではCDが売れない時代になったのだ。世界的にオーケストラの演奏技術や指揮者の棒振りのテクニックは高まった反面、強烈な個性を発散する指揮者は影をひそめ、またオーケストラのカラーもは世界的に均一化の傾向を見せるに至り、それに飽き足らない現代の多くのファンたちは、いきおい過去の巨匠たちの録音を求めるようになって来た。
 また、レコード時代とは比べ物にならない位の低コストで制作できるCDというメディアが普及したことにより、従来はメジャーのレコード会社主流で、スタンダードなレパートリーしか流通し得なかったレコード市場に、個性的な企画を売り物とするマイナー・レーベルが数多く参入するようになった。そして最新のデジタル・リマスタリング技術により、古い録音でもノイズを軽減するなどして、比較的良好な音質で過去の巨匠たちの演奏を楽しめるようになって来たのである。
 このような状況の変化により、メンゲルベルクの録音も見違えるような良い音質で続々と復刻され、これまでの単なる「なつメロ」としてではなく、現代人にとってまったく新鮮なスタイルの演奏として、抵抗なく受け入れられつつある。
 一時期、時代に迎合することが得意な一部評論家たちから、メンゲルベルクの演奏が「十九世紀の遺物」「時代遅れのロマンティシズム」と決め付けられていたのが、いかに誤りであったかということが、多くのファンに認識される日も近いのではないだろうか。なぜならばたとえ時代は変遷しても、人間の「感動する心」は、いつまでも不変なのだから。
 では次に、メンゲルベルクの芸術に具体的に触れてみることとしよう。

        2

 メンゲルベルクの使用したフル・スコアの写真を見ると、実に様々な書き込みがなされているのに、まず驚かされる。彼は演奏に先だって事前に徹底的にスコアを研究し、テンポ、強弱・バランス、アーティキレーション等すべてにわたって、念入りにスコアに書き込んだ。また必要と思われる場合は、オーケストレーションの改変も積極的に行なっている。そしてそれをオーケストラの各パートに伝達し、厳しいパート練習をへて、初めてオーケストラ全体の練習を行なった。オーケストラ練習の際でも、メンゲルベルクはその曲の解釈について、楽員たちに長々と講釈をするのが常だったという。
また、練習前のチューニング ( 音合わせ )も非常に厳しく、チューニングだけでリハーサルが終了してしまったというのも、有名なエピソードである。
 メンゲルベルクのこうした演奏に対する姿勢から伺われるのは、その徹底した職人気質である。例えばフルトヴェングラーは、聴衆を前にした演奏会における「即興性」を重視した指揮者だった。そのため、指揮者・オーケストラ・聴衆の三者が一体化した時には、素晴しい名演となるが、反面出来不出来も多い。それに比してメンゲルベルクの場合はたとえ何百回演奏しても、その演奏レベルは常に全く同じであった。かといって「作り物」くささは微塵もなく、実際に聴いた人々の証言によると「たった今生まれて来たばかりのような、霊感に満ちた演奏だった」という。徹底的に事前の作業をやり尽くし、しかも本番の時に、そのことをすこしも聴衆に感じ取らせない。職人冥利につきるというのは、こうした演奏のことを言うのだろう。
 こうした彼の演奏の特質は、名盤の誉れ高いチャイコフスキーの「悲愴交響曲」( 一九三七年十二月二十一日録音/テレフンケン原盤 )を聴くと一目瞭然だ。自由自在なテンポの変化、まるで一人で奏いているかのようなヴァイオリンの甘美な音色、録音年月を思わず忘れてしまいそうになる絶妙なバランスなど、一流レストランのシェフの味にも通ずる、まさに職人芸の極致である。
 ところでメンゲルベルクの演奏を語る上で、よく取り上げられるのが弦楽器のポルタメント奏法 ( 音をずり上げ・下げする奏法 ) である。メンゲルベルクの演奏を「時代遅れ」呼ばわりする人々の多くが真っ先に問題にするのが、このポルタメント奏法であるが、実は今世紀半ば頃までは、この奏法は弦楽器奏者にとっては全く自然で、当り前のものだった。それが今世紀の中頃から、次第に新古典主義的・即物主義的音楽感が演奏スタイルの主流を占めるようになり、ポルタメント奏法は「時代おくれ」の烙印を押され、次第に姿を消して行くこととなる。
しかしながら、後期ロマン派の音楽を語る上で、このポルタメント奏法は決して無視することは出来ないのである。たとえば後期ロマン派の偉大なシンフォニスト、グスタフ・マーラー ( 1860〜1911 ) の交響曲のフル・スコアには、このポルタメント奏法をわざわざ指定してあるところが何箇所もある。
メンゲルベルクによるマーラーの交響曲の録音は、第四番のライブ録音 (1939年11月9日 ) と、第五番の有名なアダージェット (1926年5月 ) のみであるが、特に後者など、むせび泣くようなポルタメントが、この音楽の本質を語るうえに、いかに欠かせないものであるか、ということを実感させる貴重な証拠である。
マーラー自身も、彼の交響曲の演奏では今日一般に最も評価の高い直弟子のワルターよりも、メンゲルベルクの演奏の方をより高く評価していたと伝えられている。そのことは、マーラーがのちに「第五」「第八」の二曲をメンゲルベルクに献呈したことからも充分に伺い知ることが出来るし、メンゲルベルクもそれに対して、マーラーの交響曲・全曲演奏シリーズという史上初の取り組みで答えた。
 また、ノルウェーの生んだ大作曲家エドゥアルト・グリーク (1843〜1907 ) は、メンゲルベルクが指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団の演奏を聴き、感動のあまり椅子の上に立ち上がり、その指揮ぶりを絶賛して、「諸君、我々はこのような芸術家の存在を誇りに思うべきである」と演説したと伝えられている。
メンゲルベルクはグリークの作品では「ペール・ギュント」の第一組曲 ( 1943年4月15日 ) と、「二つの悲しき旋律」( 1931年6月3日 ) の二つの録音を残しているが、特に後者では、甘くやるせないポルタメントにより、過ぎ去った春の日々と自らの青春の日々とを重ね合わせて涙するグリークの心が、切々と聴き手に伝わってくる、まことに素晴しい演奏である。近年この曲は、特に第一曲目の「胸の傷み」など、やたら深刻ぶった「北風」のような演奏が蔓延しているが、グリークが真に望んでいたのは、メンゲルベルクのように心の底から優しく暖めてくれる「太陽」のような演奏だったのだ。
 今日、特にバロック音楽の世界ではオリジナル楽器で演奏される事が当り前のようになり、楽曲が作曲された当時の演奏スタイルについて、実に様々な研究がなされている。しかし反面、今まで取り上げてきたマーラーやグリークなど後期ロマン派時代の音楽については、それが今日でも広い人気を持ち数多く演奏されているにも拘わらず、ポルタメント奏法をはじめとする作曲当時の演奏スタイルが、現在まったくと言ってよいほど顧みられていないのは、私にはとても不思議な気がするし、また残念である。なぜならば、マーラーもグリークも彼等が生きていた頃のオーケストラの音〜 例えばメンゲルベルク指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団のような響き 〜を念頭において作曲していたはずなのだから。
 いまメンゲルベルクの録音が貴重なのは、これまで述べてきたように、「今日ナマの演奏会では絶対に聴くことのできない音と演奏スタイル」を持っているからに他ならない。現代のような音楽状況が、もしこれからも続くとすれば、メンゲルベルクの録音はますます存在価値を持って、その輝きを増すことだろう。
「人類の至宝」とも言うべきメンゲルベルクの貴重な録音の数々が、今後一枚でも多く復刻され、一人でも多くの方々に聴いていただけることを、私は心から願ってやまない。

ヴィレム・メンゲルベルク/略歴
〔1871・3・28〕
オランダ・ユトレヒト市に生まれる。
両親共ドイツ人で、先祖はドイツの名家の出。
〔1888〕
ユトレヒト昔楽学校に学び、のちにケル
ン音楽院に入学。同音楽院のピアノ料、指揮科、作曲科をそれぞれ首席で卒業・ケルンのギュルツェニッヒ管弦楽団を指揮して、指揮者としてデビュー。
〔1893〕
八十名の候補者の中から選出されて、ルツェルン市音楽監督に就任。
〔1895・10・24〕
アムステルダム・コンツェルトゲボウ管弦楽団の第二代常任指揮者に就任。グリーク、マーラー、R・シユトラウス、ハンス・リヒターに認められる。
〔1898〕
アムステルダム・トーンキュンスト合唱団指揮者に就任。コンツェルトゲボウを率いて、ロシア、ノルウェー、イタリアに演嚢旅行
〔1899〕
パルム日曜演奏会で、バッハの「マタイ受難曲」を演奏。その後毎年の恒例となる。
〔1903〕
初のオランダ音楽祭開催。
〔1904〕
マーラーをコンツェルトゲボウに招く。
その後マーラーは、メンゲルペルクに「第五」「第八」を献呈した。
〔1905〕
アメリカに渡り、ニューヨーク・フィルを指揮。
〔1922〜1930〕
新編成ニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任。
〔1928〕
二ューヨーク・コロンビア大学名誉博士号を受ける。
〔1933)
ユトレヒト大学音楽教授に任命される。
〔1938・1・27〕
ロイヤル・フィル協会の招きにより、ロンドン・フィルを指揮。
〔1945〕
第二次大戦終了後、戦特中に政治的に無知だったメンゲルベルクが、両親や先祖と同国人のドイツ人に協力して、国内及びドイツで指揮を取ったかどで迫放され、スイスに亡命。
〔1951・3・21〕
追放解除の噂がチラホラ聞こえ出した頃、スイスの別荘で淋しくこの世を去る。
  
     ( 管 一著・「ウィレム・メンゲルベルク」ディスコグラフィー
      〔音楽の友社刊行「レコード芸術」誌〕による )
http://www.medias.ne.jp/~pas/mengelberg.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html#c1

[番外地7] メモ帳 _ 相場情報 中川隆
7. 中川隆[-14287] koaQ7Jey 2020年1月21日 19:08:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1155]
2020/1/21 12:01
投稿者:777
パウエル議長の職務放棄 _ 市場の事前予想にただ追従するアメリカ中央銀行

米国時間12月10日から11日までアメリカの中央銀行Fed(連邦準備制度)は金融政策決定会合であるFOMC会合を行い、政策金利を1.50%から1.75%の範囲に維持することを決定した。政策金利の維持は事前の市場予想と一致している。つまり市場の想定通りである。

パウエル議長の職務放棄

いつも通り発表された資料を見てゆくが、まず発表された声明文ではほとんど意味のあることを言っていない。「われわれは現在の政策スタンスが経済活動の持続的拡大や強い労働市場、そして2%のインフレ目標を支えるために適切だと考えている」とのことである。

会合に参加している委員による将来の政策金利の予想値を示したドットプロットでは13人が2020年内の政策金利の現状維持、4人が1回の利上げを予想している。

これまでのFedの動きをフォローしている投資家にとっては、こうしたメッセージが何の意味も持たないことは明らかだろう。Fedは今年3回の利下げを行ったが、彼らが言っているような労働市場やインフレ率がその根拠になったのではなく、単に金利先物市場における今後の金利の予想がそうなっていたからFedはそれに従ったのである。

パウエル議長は明らかに市場の予想に反して市場の逆鱗に触れることを恐れている。彼は表立っては認めていないが、2018年の世界同時株安の原因となったのがFedの金融引き締めだからである。

そしてパウエル議長はそれがトラウマになっているのである。

ということで、Fedの発表にまともに耳を傾けることにほとんど意味はない。逆に実質的に政策金利を決めている金融市場の今後の予想がどうなっているかと言えば、2020年中に政策金利に変更なしがメインシナリオ、1回の利下げが次点のシナリオということになっている。つまり、今回Fedが何もしなかったのも市場がそれで良いというお墨付きを与えていたからなのである。

2020/1/21 10:14
投稿者:人力
一ブログ読者 さん

FRBの金融政策は一見エレガントですが、ある意味においては対症療法的とも言えます。一種のフィードバック型のシーケンス制御とも言えますが、「空気を読む」センサーの性能が高い。

FRBに対する「市場の信頼」というのが何かいつも不思議に思うのですが、「期待に応えてくれる」「期待を裏切らない」という事が目下の所、信頼を支えている様に思えます。

「ちょっと市場に資金が足りないな・・・」と市場が感じた時、きちんと蛇口を開いてくれる信頼。

FRBは自体経済の様々な指数や失業率を金融政策の指標にしている「振り」をしていますが、実際には「市場の空気」により敏感に、そして先行して反応しています。そこまでのアナウンスも上手い。

一方、黒田日銀の政策発表はいつも唐突に見えますが、きっと裏での根回しは完璧なのでしょう。

いずれにしても主要通貨の為替の安定が現在の「ぬるま湯」相場を維持していますが、風呂の水が上から少し溢れる程度なら問題は在りませんが、底が抜けると浴び驚嘆の世界となります。過熱感の無い「ぬるま湯」ですが、リスクの総量が増えている・・・。

2020/1/21 10:00
投稿者:人力
777 さん

「税金は取りやすい所から取る」は鉄則ですが、選挙で消費税増税に国民が反対を示さない限り、消費税が増税され、法人税が減税される・・・。

消費税は消費の量に比例して自動的に課税されるので、ある意味「公平な税」ですが、低所得層の税負担が重くなるという「逆進性」も顕著です。

公平な税制は基本的に実現不可能ですが、少なくとも消費税を上げるのならば、「負の所得税」の様な逆進性を緩和する税制とセットであるべき。補助だとか、控除といった小手先の変更は恣意的であり、政治家の点稼ぎと使われる一方で継続性が無く、税収を不安定にする要因です。

「負の所得税」という形で年金制度や生活保護を一体化すれば行政コストは大幅に削減され、「口利き」などの利権を防ぐ事も出来ますが、これには公明党が反対しそうですね。「口利き」は彼らのビジネスになっていますから。

基本的には税制の全体のビジョンを語らず、増税や減税を政治の道具とする現在の国会の在り方に問題が有るのですが、財務省も政治家への影響力を維持する為に税制を利用している節があります。

2020/1/21 9:50
投稿者:人力
777 さん

高くなり過ぎった米株より日本株は魅力的ですが、海外勢が大量買いするのは、一度値が大きく落ちた後ですかね。それまではチョロチョロと吊り上げてはストンと落とし、日銀なGPIFが下値を支える展開が続くのでしょう。

ドル、株ともに大統領選がピークと見る投資家は多いでしょう。トランプが変な気を起こさない限り、この予測通りだと思いますが・・・何せトランプ・・・。

しかし、裏で誰が筋書を書いているのかは知りませんが、面白い役者に仕立て上げたものですね。大統領のTwitterって本当に本人が書いているのか疑問です。絶妙なタイミングで相場を手玉に取る。実はウォール街のメインフレームで稼働するAIだったりして・・・。

2020/1/20 14:48
投稿者:777

>長期のドルインデックスのチャートを見ると、2015年からドルの水準をほぼ一定にキープできており、妙に崩れないままだらだら続く適温相場の正体かもしれません。

米ドル指数
https://jp.investing.com/currencies/us-dollar-index-streaming-chart

長期のドルインデックスのチャートは米国株と同じ経過をしているだけですね:


S&P500 は 09 年安値(666)以来、サイクル第T波の上昇局面にあるとみている。第T波はプライマリー級の 5 波構成─(1)-(2)-(3)-(4)-(5)─となる。18 年 12 月 26 日安値(2346)以来プライマリー第(5)波が進行中。

NY ダウは 6 月 3 日安値(24680 ドル)以来、プライマリー第(5)波における第(iii)波の上昇トレンドが進行中である。

長期のドルインデックスのチャートも
プライマリー第(5)波における第(iii)波の上昇トレンドが進行中

米国選挙が終わったらプライマリー第(5)波も終了して長期下降トレンドに入るのですね。

2020/1/20 3:11
投稿者:一ブログ読者
長期のドルインデックスのチャートを見ると、イエレン
前議長、パウエル現議長の金融政策の舵取りは極めてエ
レガントという感じがします。
幸か不幸か2015年からドルの水準をほぼ一定にキープで
きており、妙に崩れないままだらだら続く適温相場の正
体かもしれません。明確にわかるのは、原因がなんであ
れこれが動いたらやばそうということくらい。


2020/1/19 13:24
投稿者:777
消費税10%のディープインパクト 藤井聡さん 2020.01.15 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=4tkcoC0mgmU

2020/1/17 8:58
投稿者:777
名目GDPに対する米国株の時価総額の倍率(バフェット指数)が、過去最高を超えました。

それに合わせてバフェット氏が率いるバークシャー・ハサウェイの資産の現金比率が過去最高になり、株安に備えていると言われています。

バフェット指数は米国1.6倍に対し日本は1.23倍(東証1部661兆円、2部8兆円、JQ10兆円、マザーズ6兆円、名目GDP 557兆円)で、割安です。

ここにも、2020年相場は「米国株より日本株」が見えます。


相場はキリスト教原理主義者のトランプの手のひらの上

2019年の相場は、年間を通じてトランプ大統領の発言に右往左往させられることになりました。

その1つがFRBへの利下げ圧力です。クリスマス・ショックを受けて、景気後退を避けるためにと、TwitterでFRBに利下げを迫る圧力をかけ続けました。これを受け、利下げに対する市場の期待感が高まり、年前半の上昇が起こります。

しかし、元はと言えば昨年までトランプ大統領自らが仕掛けた米中貿易戦争により中国経済が減速し、株価が急落したのです。大統領としては自らの手腕で株価を上げたように発言していますが、見れば見るほど自作自演、マッチポンプなのです。

市場が利下げを織り込むと、夏頃には再び勢いがなくなってきます。そこで大統領は米中貿易戦争の和解をちらつかせ、投資家の心をくすぐったのです。すると、秋頃から年末にかけて、株価は見事に上昇しました。

米国株は史上最高値を更新し続け、大統領はご満悦です。Twitterを使った「株価操作」に関して彼の右に出る人はいないように思えます。

なぜトランプ大統領がここまで株価にこだわるのかと言えば、2020年11月3日には2期目をかけた大統領選挙が行われるからです。米国では大多数の国民が何かしらの形で株式を持っていますから、株価の上げ下げは支持率に直結します。

これから大統領選挙にかけてトランプ大統領の思い通りになるとすれば、株価はもう下がりようがないという気さえします。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/360.html#c7

[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
2. 中川隆[-14286] koaQ7Jey 2020年1月21日 19:50:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1154]

マッケラス

Mozart / Serenade for 13 Winds in B-flat major, K. 361 "Gran Partita" (Mackerras)



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Serenade No. 10 for 13 Winds in B-flat major, K 361/370a "Gran Partita" (1781-82)

00:00 - Largo. Allegro molto
09:14 - Menuetto - Trio I - Trio II
19:31 - Adagio
25:02 - Menuetto. Allegretto - Trio I - Trio II
30:24 - Romanze. Adagio - Allegretto - Adagio
37:45 - Thema mit Variationen
47:18 - Rondo. Allegro molto

List of Performers:
Oboe - Stephen Taylor (principal) & Melanie Field
Clarinet - William Blount (principal) & Daniel Olsen
Bassett Horn - Gary Koch (principal) & Mitchell Weiss
Horn - Stewart Rose (principal), Scott Temple, William Purvis, and Russell Rizner
Bassoon - Dennis Godburn (principal) & Marc Goldberg
String Bass - John Feeney

Performed by members of the Orchestra of St. Luke's under the direction of Sir Charles Mackerras. Recorded by Telarc in 1994.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c2
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
3. 中川隆[-14285] koaQ7Jey 2020年1月21日 19:58:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1153]

マッケラス

Mozart / Serenade in D major, K. 320 "Posthorn" (Mackerras)



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Serenade No. 9 in D major, K. 320 "Posthorn" (1779)

00:00 - Adagio maestoso - Allegro con spirito
08:01 - Menuetto: Allegretto
12:10 - Concertante: Andante grazioso
19:24 - Rondeau: Allegro ma non troppo
25:06 - Andantino
34:54 - Menuetto. Trio I. Trio II
39:31 - Finale: Presto

Posthorn Solo: Zdeněk Tylšar

Performed by Sir Charles Mackerras and the Prague Chamber Orchestra (Telarc: 1985).

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c3
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
4. 中川隆[-14284] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:08:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1152]
ウィーン八重奏団・メンバー/英DECCA

Mozart, Divertimento No 17 K 334, Members Of The Vienna Octet


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c4
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
5. 中川隆[-14283] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:11:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1151]
Walter VPO Mozart Eine kleine Nacht Musik
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ブルーノ・ワルター

Wolfgang Amadeus Mozart, Eine kleine Nacht Musik in G major K.525



Bruno Walter, Vienna Philharmonic Orchestra
December 17, 1936, Musikverein Saal
RCA Victor DM364-1 - 4
Genaral Electric RPX-046 3-mil Diamond stylus.
SME 3010R
Vacuum tube type phono equalizer Tuen over : 250Hz, Roll off : flat

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c5
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
6. 中川隆[-14282] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:15:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1150]
ブルーノ・ワルター

Bruno Walter / VPO - Mozart ; 3 Deutsche Tanze K.605 (1937)



Bruno Walter (Cond.), Vienna Philharmonic Orch.
recorded 4 May,1937
transfer from Jpn Columbia 78s /S-60(OVH-277/8)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c6
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
7. 中川隆[-14281] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:18:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1149]

ブルーノ・ワルター

Mozart - La Clemenza di Tito - Vienna / Walter



Wolfgang Amadeus Mozart
La Clemenza di Tito K.621 - Overtura

Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Studio recording, Vienna, 15.I.1938

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c7
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
8. 中川隆[-14280] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:19:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1148]

ブルーノ・ワルター

Mozart - Symphony n°38 - Vienna / Walter 1936



Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°38 K.504 "Prague"

I. Adagio - Allegro
II. Andante
III. Presto

Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Studio recording, Vienna, 1936

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c8
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
9. 中川隆[-14279] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:22:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1147]
ブルーノ・ワルター

Mozart - Symphony n°41 - Vienna / Walter



Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°41 K.551 "Jupiter"

I. Allegro vivace 0:00
II. Andante cantabile 7:59
III. Menuetto & Trio 16:06
IV. Finale. Molto allegro 20:35

Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Studio recording, Vienna, 1938

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c9
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
10. 中川隆[-14278] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:26:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1146]

ブルーノ・ワルター

Bruno Walter /VPO - Mozart : La Finta Giardinera 偽の花作り女 - Overture K.196 (1938)



Vienna Philharmonic Orch.
recorded 15 January, 1938
transfer from JPN Columbia 78s /JS-22(2VH-7048)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c10
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
11. 中川隆[-14277] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:28:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1145]

ブルーノ・ワルター

W. A. Mozart: Requiem, K. 626 / Bruno Walter (1937)



Elisabeth Schumann, soprano
Kerstin Thorborg, mezzo-soprano
Anton Dermota, tenor
Alexander Kipnis, bass
Chor der Wiener Staatsoper
Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Paris, 1937

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c11
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
12. 中川隆[-14276] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:30:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1144]

ブルーノ・ワルター

Mozart conc. k. 466 Bruno Walter Wiener Philarmoniker

W. A. Mozart : Concerto n. 20 K. 466

Wiener Philarmoniker
Bruno Walter ( piano and cond.)
(rec. 1936)
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[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
13. 中川隆[-14275] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:30:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1143]
ブルーノ・ワルター



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14. 中川隆[-14274] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:35:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1142]

ブルーノ・ワルター

Mozart - Symphony n°40 - Vienna / Walter 1956



Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°40 K.550

I. Molto allegro 0:00
II. Andante
III. Menuetto. Allegretto
IV. Allegro assai

Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Live recording, Vienna, 24.VI.1956


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15. 中川隆[-14273] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:36:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1141]

ブルーノ・ワルター

W. A. Mozart: Requiem, K. 626 / Bruno Walter (1956)




Lisa della Casa, soprano
Ira Malaniuk, contralto
Anton Dermota, tenor
Cesare Siepi, bass
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Salzburg, 1956

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16. 中川隆[-14272] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:49:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1140]
ブルーノ・ワルター

Symphony No. 25 in G Minor, K. 183: I. Allegro con brio (Live)



Conductor: Bruno Walter
Orchestra: Wiener Philharmoniker


_____


Mozart - Symphony n°25 K.183 - Columbia / Walter




Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°25 K.183

I. Allegro con brio 0:00
II. Andante 4:47
III. Menuetto - Trio 9:16
IV. Allegro 12:58

Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter
Studio recording, New York, 10.XII.1954


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17. 中川隆[-14271] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:51:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1139]

ブルーノ・ワルター

Mozart - Symphony n°35 "Haffner" - NYP / Walter





Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°35 K.385 "Haffner"

I. Allegro con spirito 0:00
II. Andante
III. Menuetto. Trio
IV. Presto

New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 1953

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18. 中川隆[-14270] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:54:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1138]

Mozart: Symphony No. 36 `Linz`, Walter & ColumbiaSO (1955)
モーツァルト 交響曲第36番 ワルター



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Symphony No. 36 in C major, K. 425 (Linz Symphony)

(00:05) 1. Adagio - Allegro spiritoso
(08:01) 2. Andante
(16:50) 3. Menuetto
(21:16) 4. Finale: Presto

Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 26, 28 April 1955

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19. 中川隆[-14269] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:55:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1137]

Mozart: Symphony No. 39, Walter & NYP (1953)
モーツァルト 交響曲第39番 ワルター



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Symphony No. 39 in E-flat major, K. 543

(00:05) 1. Adagio; Allegro
(08:37) 2. Andante con moto
(17:06) 3. Menuetto
(20:50) 4. Allegro

Bruno Walter (1876-1962), Conductor
New York Philharmonic Orchestra

Rec. 21 December 1953 & 5 March 1956

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20. 中川隆[-14268] koaQ7Jey 2020年1月21日 20:58:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1136]
ブルーノ・ワルター

Mozart - Symphony n°41 - NYP / Walter



Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°41 K.551 "Jupiter"

I. Allegro vivace 0:00
II. Andante cantabile 8:33
III. Menuetto. Allegretto - Trio 17:27
IV. Molto allegro 22:19

New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 5.III.1956

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21. 中川隆[-14267] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:01:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1135]
ブルーノ・ワルター

Mozart - Symphony n°38 "Prague" - Columbia / Walter




Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°38 K.504 "Prague"

I. Adagio - Allegro 0:00
II. Andante 10:55
III. Presto 20:00

Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter
Studio recording, Hollywood, 2.II.1959

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22. 中川隆[-14266] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:03:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1134]
Mozart - Symphony n°39 - Columbia / Walter



Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony n°39 K.543

I. Adagio - Allegro 0:00
II. Andante con moto 9:21
III. Menuetto. Allegretto - Trio 18:35
IV. Finale. Allegro 22:37

Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter
Studio recording, Hollywood, 20 & 23.II.1960

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c22
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23. 中川隆[-14265] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:05:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1133]
Mozart: Symphony No. 40, Walter & ColumbiaSO (1959)
モーツァルト 交響曲第40番 ワルター



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Symphony No. 40 in G minor, KV. 550

(00:05) 1. Molto allegro
(06:44) 2. Andante in E-flat major
(15:35) 3. Menuetto. Allegretto - Trio
(20:45) 4. Finale. Allegro assai

Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 13, 16 January 1959, at American Legion Hall, in Hollywood

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24. 中川隆[-14264] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:08:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1132]
Mozart: Masonic Funeral Music, Walter & ColumbiaSO (1961)
モーツァルト フリーメイソンのための葬送音楽 ワルター



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Masonic Funeral Music in C minor, K. 477(479a) (Maurerische Trauermusik)

Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 8 March 1961, at American Legion Hall, in Hollywood

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25. 中川隆[-14263] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:29:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1131]

Mozart: Clarinet Quintet, Wlach & Vienna KonzerthausQ (1951)
モーツァルト クラリネット五重奏曲 ウラッハ



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Clarinet Quintet in A major, K. 581

(00:05) 1. Allegro
(09:49) 2. Larghetto
(18:27) 3. Menuetto - Trio I - Trio II
(26:33) 4. Allegretto con Variazioni

Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Vienna Konzerthaus Quartet (Wiener Konzerthaus streicherquartett)
 Anton Kamper, 1st Violin
 Karl Maria Titze, 2nd Violin
 Erich Weiss, Viola
 Franz Kwarda, Cello

Rec. 25 April 1951, at Mozart Hall (Mozart-Saal), Konzerthaus, in Vienna

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26. 中川隆[-14262] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:31:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1130]

ウラッハ


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27. 中川隆[-14261] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:33:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1129]

Mozart: Clarinet concerto, Wlach & Rodziński (1954)
モーツァルト クラリネット協奏曲 ウラッハ&ロジンスキ



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Clarinet Concerto in A major, K. 622

(00:05) 1. Allegro
(12:58) 2. Adagio
(21:02) 3. Rondo: Allegro

Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Artur Rodziński (1892-1958), Conductor
Vienna State Opera Orchestra

Rec. 1954

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[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
28. 中川隆[-14260] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:35:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1128]
エティエンヌ
François Etienne Mozart Concerto pour clarinette KV 622 Orchestre Maurice Hewitt



Concerto pour clarinette en la majeur KV 622 de Wolfgang Amadeus Mozart

François Etienne, clarinette
Orchestre Hewitt
Direction: Maurice Hewitt

Pathé Marconi 2C051-73.051 MA (1954)

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29. 中川隆[-14259] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:39:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1127]
シュミードル

Mozart: Clarinet Concerto K.622 / Schmidl Bernstein Wiener Philharmoniker (1987 Movie Live)



Peter Schmidl
Leonard Bernstein
Wiener Philharmoniker

1987 Live

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[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
30. 中川隆[-14258] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:45:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1126]

シフリン

Wolfgang Amadeus Mozart - Clarinet Concerto in A major, K. 622



- Orchestra: Mostly Mozart Orchestra
- Conductor: Gerard Schwarz
- Soloist: David Shifrin
- Year of recording: 1984

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c30
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
31. 中川隆[-14257] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:54:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1125]
カール・ミュンヒンガー ウイーン・フィル

Mozart: Concerto for Flute, Harp, and Orchestra in C Major, K. 299
Werner Tripp · Hubert Jellinek
Wiener Philharmoniker · Karl Münchinger







http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c31
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
32. 中川隆[-14256] koaQ7Jey 2020年1月21日 21:58:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1124]
モーツァルト ≪フルートとハープのための協奏曲≫ ハ長調 K 299
ランパル/ラスキーヌ



Mozart Concerto for Flute, Harp, and Orchestra
(Fl)ジャン=ピエール・ランパル Jean-Pierre Rampal,
(Harp)リリー・ラスキーヌ Lily Laskine
(cond)ジャン=フランソワ・パイヤール Jean-François Paillard
パイヤール室内管弦楽団 Orchestre de chambre Jean-François Paillard
1963年録音

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c32
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
33. 中川隆[-14255] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:02:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1123]
Mozart: Flute Concerto No. 1, Moyse & Bigot (1936)
モーツァルト フルート協奏曲第1番 モイーズ




Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Flute Concerto No. 1 in G major, K. 313

(00:05) 1. Allegro maestoso
(08:54) 2. Adagio ma non troppo
(17:25) 3. Rondo: Tempo di Menuetto

Marcel Moyse (1889-1984), Flute
Eugène Bigot (1888-1965), Conductor
Orchestra (Unique name unknown)

Rec. 1936, in Paris

_____


Mozart: Flute Concerto No. 2, Moyse & Coppola (1930) モーツァルト フルート協奏曲第2番 モイーズ



Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Flute Concerto No. 2 in D major, K. 314

(00:05) 1. Allegro aperto
(08:46) 2. Adagio ma non troppo
(13:12) 3. Rondo: Allegretto

Marcel Moyse (1889-1984), Flute
Piero Coppola (1888-1971), Conductor
Orchestra (Unique name unknown)

Rec. 1930, in Paris

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c33
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
34. 中川隆[-14254] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:08:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1122]
ハイドシェック 協奏曲第20番、第23番 モーツァルト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLxO5vnkcu1DfkFFhgwFCt1GydzPsPtpNe





- Eric Heidsieck
- Andre Vandernoot
- Orchestre De La Societe Des Concerts Du Conservatoire

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c34
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
35. 中川隆[-14253] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:12:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1121]

内田光子

Mozart - Piano Concerto No. 24 in C minor, K. 491 (Mitsuko Uchida)



00:00 - Allegro
14:13 - Larghetto
22:30 - Allegretto

Mitsuko Uchida
Jeffrey Tate
English Chamber Orchestra

1988

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c35
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
36. 中川隆[-14252] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:16:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1120]
ペライア

Mozart - Piano Concerto No. 26 in D major, K. 537, 'Coronation' (Murray Perahia)



00:00 - Allegro
14:13 - Larghetto
21:29 - Allegretto

Murray Perahia
English Chamber Orchestra

1983

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c36
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
37. 中川隆[-14251] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:20:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1119]

バックハウス ベーム ウイーン・フィル ライブ

Mozart / Wilhelm Backhaus, August 2, 1960 (Live): Piano Concerto No. 27 in B-flat major, K. 595



Karl Bohm leads the Vienna Philharmonic orchestra.

Allegro (0:08)
Larghetto (13:01)
Allegro (19:47)
"David Hertzberg"

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c37
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
38. 中川隆[-14250] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:30:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1118]

Mozart: Piano Sonata No.8 K.310, Lili Kraus 1956 MONO
モーツァルト ピアノソナタ 第8番 イ短調




モーツァルト作曲 ピアノソナタ 第8番 イ短調 K.310
ピアノ:リリー・クラウス 1956年録音(モノラル)
W.A.Mozart : Piano Sonata No.8, A minor, K.310, LiLi Kraus (Piano), recorded in 1956 (MONO).

I. Allegro Maestoso(第1楽章 アレグロ・マエストーソ) 6:01
II. Andante cantabile(第2楽章 アンダンテ・カンタービレ) 9:42
III. Presto(第3楽章 プレスト) 2:54

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c38
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
39. 中川隆[-14249] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:32:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1117]
リリー・クラウス


Mozart “Piano Sonata No 12, K 332” Lili Kraus, 1954



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c39
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
40. 中川隆[-14248] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:37:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1116]
リリー・クラウス

Mozart - Adagio in B minor, K. 540 - Lili Kraus



Lili Kraus (1903-1986), piano
Rec. 1954

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c40
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
41. 中川隆[-14247] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:38:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1115]
リリー・クラウス

Mozart - Rondo in A minor, K. 511 - Lili Kraus



Lili Kraus (1903-1986), piano
Rec. 1954

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c41
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
42. 中川隆[-14246] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:44:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1114]
ウィーン弦楽四重奏団

String Quartet No. 16 in E-Flat Major, K. 428









http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c42
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43. 中川隆[-14245] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:47:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1113]
カペー四重奏団

Capet Quartet - Mozart : String Quartet #19 K.465 "Dissonanzen" (1928)





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c43
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
44. 中川隆[-14244] koaQ7Jey 2020年1月21日 22:54:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1112]
ブタペスト四重奏団

String Quartet No. 18 in A Major, K. 464











Budapest String Quartet
Josef Roisman, Jac Gorodetzky, Boris Kroyt, Mischa Schneider
Released on: 1956-01-01

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c44
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
45. 中川隆[-14243] koaQ7Jey 2020年1月21日 23:02:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1111]
レナー四重奏団

Lener String Quartet - Mozart : Quintet g-moll K.516 - 1st & 2nd Mvt (1930)







L.D'OLIVEIRA (2nd Viola)
recorded March 2, 1930
transfer from Jpn Columbia 78s / J-7763/4(AX-5424/6)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html#c45
[近代史3] クールな音楽家モーツァルト 中川隆
46. 中川隆[-14242] koaQ7Jey 2020年1月21日 23:10:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1110]
ランパル

Mozart: Complete Flute Quartets (1986: Rampal/Stern/Accardo/Rostropovich)



WOLFGANG AMADEUS MOZART (1756-1791)
COMPLETE FLUTE QUARTETS


1. Quartet in D major K. 285

I. Allegro (at 0:10)
II. Adagio (at 6:58)
III. Rondeau: Allegro (at 9:21)


2. Quartet in G major K. 285a

I. Andante (at 13:49)
II. Tempo di Menuetto (at 21:39)


3. Quartet in C major K. 285b

I. Allegro (at 24:59)
II. Andantino (Theme & 6 Variations) (at 30:25)


4. Quartet in A major K. 298

I. Andantino (Theme & 4 Variations) (at 41:01)
II. [Menuetto]; Trio (at 46:53)
III. Rondieaoux: Allegretto (at 49:11)


JEAN-PIERRE RAMPAL, flute
ISAAC STERN, violin
SALVATORE ACCARDO, viola
MSTISLAV ROSTROPOVICH, cello

Recorded at Studio Clé d' Ut, Paris, 1986
Vinyl LP released in 1987
"CBS" Label - Catalogue number M 42320

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