★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100383
 
g検索 koaQ7Jey   g検索 3bF/xW6Ehzs4I
 前へ
中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100383
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100383.html
[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
114. 中川隆[-14449] koaQ7Jey 2020年1月16日 09:53:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1368]
1644 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Fri Jan 1 00:00:00 JST 2016
謹賀新年 2016

 皆様、新年明けましておめでとうございます。昨年はハイブリッド化および高スルーレート化のアップグレードを実施し、多くの方にご好評を頂きまして「新しいWRアンプは革命的である!」

と言う名誉あるお言葉まで頂戴する事ができました。

 長年の懸案事項でありましたピアノの異常音は殆ど姿を消し、ほぼ完璧にピアノ再生ができるようになりました。再生の一番難しい楽器はピアノである言っても過言ではないと思いますので、他の楽器の再生も全く問題なく再生できるようになったはずです。WRアンプはほぼ完遂されたと言っても過言ではないかも知れません。

 基礎的研究は半世紀も前にスタートしておりましたが、WR アンプと言う商品を初めて開発したのは多分1997年頃だと思います。

大学時代の友人であった平野紘一氏に頼んだのがその切っ掛けでした。
私は大学に残って学問的にオーディオを研究し、彼は一流のオーディオ会社に就職して実践的にオーディオを研究したのです。その間は、浅からず深からずと言うお付き合いを続けていました。

 1998年にベンチャー甲子園に出場した時にも彼のサポートのお陰で優勝でき、WRアンプが世に出る第一歩になりました。その後、WRアンプはラジオ技術の編集部の扱いで細々とご希望の方に頒布させて頂いておりましたが、彼がマスターズとして独立してアンプ製作を行うようになってからは、マスターズを通じて WR アンプは皆様の手に亘る事になったのです。

 一時は基板製作から出荷まで、全てをマスターズに託していた時期もありましたが、私が定年になりなるべく私自身が製作に関与すべきだと考えて、手始めに基板製作を私が行うようになりました。この期間が一番長く続き、つい最近までこのスタイルで WR アンプは運営されて来ました。

 しかし、何事にも始めと終わりがあるように、2016年から殆ど全てを私が行う事となりました。

デザインシャーシの供給だけは従来通り行われますので、お振込み口座を除いて皆様には特段の変化はありませんので、引き続きどうぞよろしくお願いします。
従いまして WR アンプに関する事は修理を含めてまして全ての窓口がウエストリバーになりますので、ご承知置き下さいますようにお願い致します。

 お互いそれ相応の歳になり、他人の事に気を遣いまた責任を負うのが辛くなってきたと言うのが正直なところだと思います。今後ともウエストリバー、マスターズを共にお引き立て頂きますように、心よりよろしくお願い申し上げます。
http://west.wramp.jp/datawr35.html


1646 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Mon Jan 11 11:00:00 JST 2016
WRアンプをお使いのユーザーのみなさまへ

 新春独立製作第1弾は WR アンプとして初めて Ε-5H をお求めになる方で、目出度く9日に納入されました。

その際、お買い上げの御礼を兼ねて、以下のような WR アンプを使うに当たって目を通して頂きたい事をまとめた文書を添付させて頂きましたので、既知の事ばかりですがユーザーの皆様にも一応ご披露しようと思います。今更ですが、ユーザーの皆様に置かれましてもどうか初心に帰ってお読み頂ければ幸いです。

WRアンプをお使いになる前に

  この度は WR アンプをお買い上げ頂き大変ありがとうございました。
WRアンプを有意義にお使い頂く為に、以下の事に目を通りして頂き、なるべく励行して頂ければと思います。

 1.付属の WR 推奨の電源ケーブルのプラグの極性は、確定していないようなので、こちらで1本1本テスターで調べてアース側に青のマーカー線を入れてありますので、これを壁コンセントの長い切れ目(地中アース側)に入れてお使い下さい。

 2.アナログ系とデジタル系は、なるべく別のコンセントから取るようにして下さい。
 テーブルタップを使う場合は、プラグとタップはパナソニック電工製が無難です。
 電源ケーブルには、MITSUBOSHIスターソフトかM-ONAMBAソフトをお使い下さい。
 決してOFC 系のケーブルやタップなどを使わないようにして下さい。

 3.電源電圧は東京電力の誤差範囲内(95V〜107V)であれば問題はありませんが、絶縁トランスなどをお使いの場合は、それを逸脱する可能性がありますので十分にご注意下さい。適正電圧を越えた使用による故障は保証対象外になる事があります。

 4.信号用ケーブルにはOFC 系でない極普通のものを使うようにして下さい。
 またRCA ピンプラグの内部構造にも注意して下さい。ピンの先(上方)から内部を覗き込んだ時に見える、外側(アース側)とピンの間の誘電体が丸々見えるものが良いようです。

 外側の金属がピンの方の張り出しているものは、プラグのインピーダンスが低くなりミスマッチングを起こす度合いが大きくなると考えられます。

 5.WR パワーアンプは原則的に WR プリアンプとセットでお使い下さい。
他社製のプリ又はパワーアンプと組合わせた場合は、最高のパフォーマンスは望めませんので、WR アンプ入門時点では仕方ないですが、将来的にはなるべく揃えるようにお願い致します。

 パワーアンプのボリウムは全開とし、プリのマスターボリウムで音量を調節するようにお願いします。マルチの場合はこの限りではありません。

 6.スピーカーケーブルにもマッチング抵抗付きのWR推奨のケーブル(作り方はHP参照)を使うようにし、OFC系のものは絶対に使わないようにして下さい。パワーアンプのスピーカー端子にもマッチング抵抗は付けてありますが、アンプ側とスピーカー側の両端でマッチングを取るとより効果的です。
                                     以上

 1については、過去に掲示板でもお知らせしてありますが、WR推奨のSHINAGAWA のケーブルはプラグの向きが一定ではありません。その為、極性が逆になる事も考えられますので、アース側に青ペンで印を付けて発送するようにしました。過去に受け取った方は、テスターで確かめるか検電器で調べて、プラグを正しい向きにコンセントに差すようにして下さい。

 2につてはオーディオの基本だと思いますが、アナログ機器もデジタル機器も同じコンセントから取ると、電源を介してデジタル機器のノイズがアナログ機器に混入し易くなります。ご注意頂きたくお願いします。テーブルタップは自作に限ります。MITSUBOSHI か M-ONANBA のケーブルとパナソニック電工の普通のテーブルタップでお作りになると良いと思います。PC用は使わない方が無難です。

 3については、これまで殆ど言及して来ませんでしたが、絶縁トランスなどの中には出力電圧に無頓着なものが存在しています。パワーが出るとか迫力が増すとか、そんな理由で出力電圧を上げてお使いになるのは絶対にお止め下さい。WR アンプは例外(ΕC-1H等)を除いて安定化電源で供給されていますから、出力電圧を上げてもパワーアップにはなりません。安定化電源に余計なストレスが掛かるだけです。

 我が家の商用電源電圧を測って見ると、かなり 100Vに近い事が多いです。低くても 98V 以上はありますし、高くなっても 102Vを越える事は滅多にありません。一度、ご自分の家の電圧を測定して置くのも悪くないと思います。一般のテスターはデジタルテスターを含めてもそう高額ではありませんし、オーディオをやる以上1台くらい持っていたいものです。

 もう一つ、危険防止と言う観点から申し添えたい事があります。それは夏季の室温です。概略 28℃以下で快適に音楽をお楽しみ頂ければと幸いです。WRアンプは安定化電源を積んでいる関係で、非安定化電源式のアンプに比べて平均で 1.5倍以上の発熱がありますので、なるべく涼しい環境でお使い頂きたくお願い申し上げます。

 4については、これまで口を酸っぱくして申し上げて来た事ですが、音を整える為のOFC 系のケーブルは必要がないばかりか、折角の生きた音を殺す事になり兼ねません。使用を控えて頂きたくお願いします。また RCA ピンケーブルも音を弄ったものが多いようですので、十分にご注意下さい。それだったら、寧ろ安価な赤白ケーブルの方がまだマシです。

 ピンプラグの内部形状ですが、WRアンプの入出力インピーダンスは高周波で75Ωに近付くようになっています。アース側の金属がピンの方に張り出しているものはプラグのインピーダンスが75Ωより低くなる可能性が高く、大きなミスマッチングを起こす可能性があります。ケーブルの理屈は、先ず伝送線路理論に依るべきであると私は考えています。75Ω同軸ケーブルは何処でも容易に入手可能です。
 5については掲示板でも「プリ効果」と言う事で何回も言及してきました。特に最新の ΕC-1H はその効果が高く、百万円オーダーもする著名なプリよりも、良い音になると言う評価を頂いております。

高々 12,3万円程度のプリだと見くびらないで頂ければ幸いです。
そこまでは出せないと言う方には WRP-α9 があります。

 6については、RCA ピンケーブルと共通した問題があります。MITSUBOSHI などの特性インピーダンスをほぼ120Ω として、WR アンプはスタート時点から出力端子に120Ω を付けて来ましたが、コストダウンした新型アンプからは省略していました。しかし高スルーレート化アップグレード作業にこの点検を含め、無いものには必ず付加しています。勿論、新規アンプにも付けるようにしています。ご心配の方は高スルーレート化アップグレード作業を受けて頂ければと思います。
 以上、WR アンプを使うに当たっての肝の部分を改めて書き記して見ました。
今一度、点検して頂ければ幸いです。
http://west.wramp.jp/datawr35.html

2015年 01月 04日
ウエストリバー・アンプの設計者は元電気通信大で教鞭をとっていた、川西哲夫 先生で基本設計と基板の製作を行います。

その後 かつて川西氏と電気通信大で同期だったサンスイで幾多の機器の設計製作に関わった現イシノラボの平野紘一氏が全体の製作と調整を行う、分業体制をとっています。

重要なのはこの設計者(川西氏)が完璧なオーディオマニア(良い意味での)でなお且つ尋常では無い程の音楽マニアと言う事です。

そしてWEST RIVER のアンプが いかにしてリアリティーを持ちつつ音楽を楽しく聴けるかに重点を置き、設計しているという点にあります。
まさに「音楽的快楽とオーディオ的悦楽の融合」を目指して設計されたアンプなのです。
http://flashdaiyo.exblog.jp/23513802/


536 平野紘一さん(マスターズ代表) Wed Nov 22 13:56:48 JST 2006

 川西さんとは大学1年からのお付き合いで、私は
タムラ〜学校戻り〜山水入社〜会社設立〜・・・
と言った人生をたどっておりますが、川西さんは会社勤めは経験していないはずです。
川西さんとの連携は1990年以降、川西さんが何とかWRアンプを世に出して問いたい!、製品のかたちにしたい!と考えていた頃からです。
 サンスイはご存知のように、日本マーケットでは製品の供給がない、悲しい状況が続いております。サンスイアンプの最後の部分では短期間お手伝いをしたのですが、既に日本資本ではなく、現状に至っております。
 
 サンスイのサウンドポリシーはサンスイからこのようにしたいと言って、出来たものではなく、AU−9500で、結果的にそうなったからだと思います。
一時、タンノイのSPをモニターにして、主としてクラシックソースで、サウンドチューンをしていた時期があり、この時期のアンプ売上は落ちました。特に評論家の皆様の支持が得られませんでした。
私が4chとか新型SPの開発をやっていた1975〜76年頃の昔の話です。
 AU−607/707から、ガッツ路線に変えようと努力しましたが、今から思うと、やや不充分だったと思います。しかし、現在、聴いてみると、瑞々しいサウンドで悪くはなかったと思っております。
ダイアモンド差動回路のシリーズから、かなりガッツ路線が明確になりましたが、クラシックに向かないとの評価は当らないと思います。
 今後のオーディ史で触れますが、クラシック音源での評価に厳しいアドバイザーの方がいて、必ず、最終チェックで修正しつつ、ガッツなサウンドにしたつもりです。
私見ですが、今度のバランス入力対応の新型WRパワーアンプはサンスイの明るい、切れ味のあるサウンドに一脈通じるところがあると感じています。
 
 私のつたない掲示板はこれから、スーパーフィードフォワード、Xバランス回路と進んでいきますが、最終的に1982年頃に開発したXバランス回路が改良されながらサンスイアンプの最後を飾ったことは感慨深いです。
 WRアンプはバランス対応が整いつつあります。是非期待して欲しいです。バランス対応は、従来の負性抵抗キャンセル効果だけでなく、バランス増幅にその真髄があります。アキュフェーズさんはじめ、メーカーの皆さん、その効果にそれ程、気がついていないようですが、WRアンプをバランス方式にして聴くと、そのメリットがよく分かります。
 WRアンプでは今後、そのあたりを充分、理論で、サウンドで、発揮していきたいと思います。バランスアンプ方式は従来のWRアンプをアップグレードすることによって実現出来ますので、WRアンプユーザーの方を困らせたり、裏切ることは絶対ありません。
http://west.wramp.jp/datawr13.html

______

West−River AMP WRP−α1MKU
音が生きている!これが WRアンプです!
基本から考え直した音楽のためのパワーアンプ誕生。
デジタル時代に最適な1台。
”WRP−α1”は AudioSpice ブランドでお馴染みのクエスト・アメリカ社とのコラボレーションによって、なお、一層すばらしい音質となりました!(2004.01改良型)
WRP−α1MKU(2004.01改良型)
《価格(税込み)》
  完成品(ボンネットなし):  ¥231,000(税抜き:¥220,000)
  完成品(ボンネット付):  ¥252,000(税抜き:¥240,000)
これ聴いた
相当よかった。
クラフトメードらしい音。疲れない、の一言に尽きる。
数ワットしか入力できないスピーカーをはじめ繋いだ。
2Wでけっこうでかい音量になる。そのスピーカーは弱いところがあって音もビンテージな鳴り方するけど聴きやすかった。
僕が使ってるのがウイアコS-1 なので 2WAY をつないでくれた。
ロジャーズ LS5/9classic(定価50万円⇒中古25万円)
これはスペンドールと区別つきにくかった。あのように、メリハリのない自然な弦楽の存在感、雰囲気をもっているタイプ。ブリティッシュスピーカー。ウイーンアコースティックは甘い音色で、輪郭をまとめたい意識があるような現代SPなのでタイプが違う。このLS5/9には、東京文化会館に前々日に行っていたというのもあるけどホールがスピーカーにフラクタルになって出てくるような心地を受けた。雲全体は大きいけど一部をもぎ取ってきても雲の形をしている。
今やBBCモニターシリーズの貴重な遺産だろう。というかこれを店の人は聞かせたかったんだろう。
次はVictorのSX-WD8(定価10万円)[URL]
木の振動板で響きに温かみはあるけどウエストリバーがもともとふんわかしているのでスケールダウンしただけのように感じた。解像度はそれほどでもない感じ。ウエストリバーはメタルコーンより、顕微鏡でみたらニューロンの繋がりみたいなパルプコーンとか、繊細で暖かい音をかもすユニットのほうがいいかもね。
WRP-α1MkII は目を引くところがないけどとてもそのままというか、狙いがないというか、素な音だった。ずっと聴いていて疲れない。粒子は細やかではなく滑らかではなく画素数でいったら131万画素ぐらい。でもそれぞれの画素が自然精神で生きている。
パーツは最高にいいものを使っているらしく外装にはお金をかけてないけど質がいい。
およそ個性というものがないけど。プリなしで鳴らせるというのもすごかった。
プリ使えばもっと色気出せるね。
値引きはしない。
高い定価で安くするのではなくこれがもとの値段なので引かれないとのこと。
注文を受けてから2週間から一カ月ぐらいで手元に届く。出荷数は少ないみたい。プリメインの WRI-β3 はわりと出るけど月に一桁のよう。
WRP-α1 パワーアンプは 25万だけど、これもいい。
グリーグのピアノ協奏曲を最後まで聴き終えたのだけどホールで演奏し終えたあとみたいな感覚でいた。ノニジュースやヤシの実ジュースを飲んだあとのように、自然に体があったまっていた。
LS5/9 と同様、生々しいというわけでなく、ホールのフラクタルとしてのものだった。
ROTEL は最高にうまくチューニングした感性に効く音だけど、ウエストリバーは企業的ではなくクラフトメードで、作られていない感が自然にある。素材で出してる。

帰りの電車でも響いていた自然な音。機械離れした音。
言葉はいつでもあからさますぎて、大切な光をすべて消してしまう。言葉にならないものは、「言葉にならないもの」と書くだけで言葉になってしまう気がする・・

それは本当にやりたいことか
それが本当に欲しいのか
本当にそれでなければだめなのか。
本当にそれを聴きたいのか
それを本当に撮りたいのか
本当にそれを食べたいのか
本当に吸いたいのか。
本当にそれが言いたいことなのか
本当に好きなのか、それは本当に忌むべきことなのか。
そう自問自答するとなにもなくなっていくときがある。
ROTEL はそんな哲学を感じさせる側で、実際なにも残ってないのはウエストリバーだった。
ROTEL はオーディオとしての本質を穿つサウンド。全体的に理念的で、徹底したシンプルな回路でピュア。ミッドファイながら解像は比較的しっかりしている。
ウエストリバーはここの部分をはっきりと聞き取りたいという種類の欲求には多くは応えないが、どんなスピーカーでも同じように体裁ない音で鳴る。地味に鳴る。
本当に魅了させるものがない。音場が広いわけでもないし値段の割に解像度も低いかな。
解像度とは原音をインフィニティとした場合のゲージ(目やす)だけど。
ウエストリバーはインフィニティをフラクタルとしている音なので、解像度というものは(低いが)気にする問題ではなくなる。
プレーヤーは Accuphase の DP67 か何かだった。自分は長時間リスニングで疲れるんだけど、デジタルの再生機だからというわけではなく、アンプのほうが原因の多くを占めるのかなと聞いたら「たぶんそう」だと答えた。
ウエストリバーは解像度は高くない(感じない)けど現代のハイレゾアンプのようにハイあがりなところもない。自分の使ってるものは AU-α907XR でそれは反対に海洋深層水のような自分好みの音色なんだけど疲れる音なんだ。
プリメイン WRP-β3 のほうはほどよい減り張りがあって音の輪郭もつややかだった。
やや結晶的サウンドで中低域などスカスカした感はあるが企業のプリメインのような楽しさがある。低域などにおけるふんわりしたものの厚みは WRP-α1 のほうがかなりある。ウエストリバーらしさがあると思う。
http://www.hikinik.net/camera/MINOLTA_DiMAGEX31_sampleimg3.htm

193 北条さん(会社経営) Thu Dec 30 20:28:58 JST 2004
確かに、ゼロ(WR)はクラシックというか生演奏に適性があるようです。
雅楽、和太鼓等も同様でした。
アルファ1 もそうでしたが、ゼロに比べるとリアルさに欠けます。

195 ミラージュさん(プログラマー・作曲家) Sat Jan 1 13:51:36 JST 2005
 同じ趣味を持つ友人何人かに聞き比べをしてもらいましたが、全く先入観無しで聞かせてみると、例外なく
刺激あるいは挑発する感じが少なくなった
という感想を口にします。 それと、
このアンプなら JBL よりタンノイの方が相性が良い筈だ、
という感想を別々の2人に言われたので、それがちょっと気になってます。

196 北条さん(会社経営) Sat Jan 1 18:49:58 JST 2005
仰るとおり、クラシック向きですから、JBL では合わないと思います。
使用しているスピーカーで、ユーザーの大体の趣向がわかるものです。
ジャズは JBL、クラシックはタンノイ、B&W でホールオンリーならタンノイ愛好者が多いですね。(事実、そのような傾向の音です)
なんでも聴く場合は、ヤマハの1000Mの使用者が多いです(私もそうです)。
アンプでモチーフとなる音は決まっているのですが、SP が変わると、その背景というか環境が変わりますので、モチーフ自体の印象もかなり異なってきます。
映像にたとえると被写体は同じでも、昼か夜か、晴天か雨天か曇天か霧がかかっているのか雪が降っているのかによってのようなもので、そのよさが最大限引き出せるものがベストと思います。
アンプの音を人と考えたら、SP の音は服のようなものでして、それぞれ似合うものか TPO を考慮したものを選ばなければいけないということでしょう。
その意味からみて、私もタンノイがよいと思います。
http://west.wramp.jp/datawr6.html

1666 O.M.さん(アマチュアコントラバス奏者) Thu Apr 7 04:07:48 JST 2016
▪ 古典的なユニットは、WRアンプとは合わない
WRアンプと組み合わせるスピーカーについて当方が経験したことを投稿いたします。
当方は後述のように川西先生がリファレンスにしておられる B&W 805 MATRIX を導入し、JBL D130、LE175を処分することを決断しました。
当方はオーケストラ等でコントラバスを弾いいておりまして、JBL D130、LE175は「コントラバスの音を再現するのに此れに勝るユニットはない」というオーディオとコントラバスの大先輩の主張を受け入れて揃えたものでありました。
導入直後は確かに、分厚い中低音に、ホーンの厚い中高音にしびれました。
しかしすぐにどうしても「耳につく不快な音」に気がつき悩むことになります。
またヴィオラやピアノの左手がどうも落ち込んでいます。
サイン波を入れても音圧がガタガタで特に 1,000Hz〜2,000Hzに凹みがあります。
結果的にこれは過制動による歪んだ音だとわかりましたが、それがわかるまでに数カ月かかりました。
過制動だと判明するまでの道のりが本当に長く苦しかったです。
ネットワークが悪いかと思って高価な素子を買い求めたり、ホーンドライバを買い換えようか、高域用のツイータを導入しようかと悩んだりと落ち着かない日々でした。
川西先生に相談しようにも何が不満なのかうまく表現できません。
とうとう当方のイライラが爆発してWRアンプが悪い!と川西先生に怒りをぶち撒けました。
しかし、このことで結果的に正しい解決の道が開けました。

川西先生より3台のアンプを送って頂きまして解決策を探っていきました。
比較試聴していきますと、JBL は高出力になるにつれて解像度が上がるのですが歪みは決して消えません。
その後一般的な管球アンプを入手してみると、あんなに悩んでいた歪みはすっと消え去り素直な鳴り方です。
しかし音の粒が大雑把です。
なんというか「古い音」とでもいうのでしょうか、
これがスタンダードなJBLの音なんだと納得いたしました。
これらのいわゆる古典的なユニットは管球アンプの特性に合わせた設計である、
という結論に達しました。
録音されたものを適切に再生させようと思うならば現代的な設計のスピーカーを用いて WRアンプで鳴らすのが最善であると分かりました。

▪805matrixと WRアンプはやはり最高であった!
そうなるとしても、当方はしっかりした低音が欲しい。
大型のスピーカーが必要ではないかと考えました。
川西先生がリファレンスとされているスピーカーはブックシェルフ型です。
いくらこのスピーカーで低音も十分出ていると言われてもにわかには信じられません。
しかし B&W の MATRIX で 805 より大型の 802、801 という選択肢も難しい。
802 は川西先生もおっしゃるように中途半端な感がします。
801 は巨大過ぎて躊躇します。
丁度良品が市場に出ていたので思い切って 805 MATRIX を導入することといたしました。
80 5MATRIX 導入当初はウーハーが熟れていないのか低音がすかすかでこれは大失敗だったかと思ったものの、急速に音が変わっていきました。
数日鳴らし込んだ 805MATRIX の音は、当方が今まで聴いてきたブックシェルフ型スピーカーのイメージを覆します。
和音の響きという縦のラインと、音と音の繋がり、進行感という横のラインがこれまで聞いたことがないくらいに自然です。
フルオーケストラの5弦コントラバスの響きさえも十分再現されています。
この低音の再現性の高さは正に川西先生が掲示板で何度も書いておられることです、やはり川西先生は正しかったのです!
クラシック、ジャズ、タンゴ、ロック、ポップス等々全てにおいてコントラバス、
エレキベースの音がくっきり聞こえ全く問題を感じません。
ピアノの低い音の金属巻きの弦を叩いたズンとした響きもあります。
グランドハープも所有しておりますが、その生音と比べても遜色ありません。
目の前で吉野直子さんが演奏している感じです。
ホーンじゃないと分厚い中高音は得られないと思っていましたが全くホーン以上です。
歪みなく繊細でしっかりとした音圧です。
バイアンプで駆動しツイータの音量を相対的に大きくするとJBL のホーンで頑張って出そうともがいていた音が出てきました。奏者の息遣い、細やかな指の動きがはっきり見えます。
定位感もびっくりします。スピーカーがすっかり消えています。
実際のところ JBL も B&W も音の方向性は違いがありません。
世の中では前者は音が前に出る、ジャズ向きだ、後者は音が後ろに広がる、クラシック向きだなどと言われたりしており当方もそう思い込んでいました。
実際に使ってみると当方が JBL のユニットを使って鳴らした音の延長上に B&W の音がありました。JBL も B&W も当時の技術の制約の中で生の音を再現するために
ユニットを開発していたわけで、JBL も真空管アンプを使えば B&W と音のベクトルは全く同一です。

またタンノイのスターリング(TW)も試しましたが、スピーカーの癖のようなものは感じますが、特にクラシック向きという印象はありませんでした。
ただ WR アンプでは 805 程には上手く鳴っている感じは致しません。
JBL のように何か鳴らしにくい要素があるのかもしれません。

805 MATRIX ですと、出力の違う WRアンプで聞いても音は全く同じです(もちろん個体差による極僅かな音の違いはあるような気がしますが誤差の範囲内でしょう)。
5W でも 100W でも再生された音のクオリティは同じく高いです。
JBL の古典ユニットのように W数で解像度が変化するということはありません。
最も安価な E-5H でも何ら問題ないわけです。
どんなジャンルの音楽を聴こうとも、アンプもスピーカーも正しい方向に向かって適切に作られたものを選べば良いだけであって、その一つの方向が WRアンプであり、B&W MATRIX シリーズであるということでしょう。
ジャズ向きだとか、オーケストラ向き、室内楽向きなどというスピーカーはなく、またスピーカーのグレードアップなどというのもなく、WR アンプを基軸におけば、あとはつないだスピーカーの音が生と比べて適切かどうかを基準にすれば良いのではないでしょうか。
川西先生は出力の違うアンプを貸し出してくださいます。
もし比較試聴して音が違った場合はスピーカーに問題があるのかもしれません。
805MATRIX にサイン波を入れてみて驚きました。なんと50Hzまでも音圧が落ちずに
出ているではないですか! サイン波で性能が図れる訳ではありませんがこの数値だけでも805MATRIX は少なくともコントラバスの再生には問題がないように思われます。
そもそもコントラバスは低音楽器というよりは倍音楽器と認識したほうが
しっくりくるかもしれません。弦の振動で震えた駒が表板を叩くことで発生する
豊かな倍音が重要です。基音の周波数を基準に考える必要はないかもしれません。
この小さな805MATRIX でここまで再現されるのであれば、ウーハーの追加された801、802 もどれだけの再現性があるのか興味があるところです。
しかし、これらはユニット数が増えるのでどうしてもチェロが下に、ヴァイオリンが上にくるような定位における違和感が生じるだろうと想像出来てしまいます。
店頭で聞いた最新の B&W の大型スピーカーをそこにあるメーカーのアンプで鳴らしたのを聞いた時にはそういう違和感が大きかったのです。
805 は 805 なりに大変バランスのよい完成されたスピーカーだと思います。
805 MATRIX と WRアンプを組み合わせて音楽を楽しんでいると、スピーカーの B&W の開発者とアンプの川西先生の、生の音を再現したいという熱い思い、熱い執念が出会って見事に実を結んでいるのだと深く実感いたします。
オーディオで求めるものは人それぞれですが、もし生を基準にした再生音を求めるならば、第一候補は川西先生がリファレンスに用いている 805 MATRIX が最良の選択であり、さもなくば現代において素直に設計されたスピーカーを使用するのが良いだろうと思われます。
オーディオ装置などは単なる道具ですので、当方の経験したように懐古的なものや
根拠がはっきりしないのに高額なものなどに惑わされないようにして正しい方向のものを選べば良いでしょう。WRアンプは間違いなくそういうものです。

____

1669川西 哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Thu Apr 14 2016
O.M.さん、詳細で単刀直入なご投稿ありがとうございます。
 O.M.さんが使用されていたスピーカーは、ずっと B&W の CDM1 だとばかり思っていました。そして暫く音信が途絶えておりました。
 去年の文化の日の頃でしたか、久し振りにお便りがありました。それは、お持ちの ΕC-1 と Ε-10 のアップグレードのお話でした。2年ほど前にΕ-10 のプロトタイプをお貸し出しし、WR アンプを気に入って頂きご購入頂いたのを思い出しました。
 しかしよくお話を伺うとどうもチャンデバを使ってマルチ駆動をされているようで、ローチャンに Ε-10、ハイチャンにはもっと以前にご購入頂いた WRP-α9/A をお使いになっている事が分かり、結局、WRP-α9/A の安定化電源化も含めてアップグレードをして頂く事になったのでした。
 ところが「どうせアップグレードするならΕC-1 に EQ 基板を載せて LP も聴けるようにしたい」とご希望が脹らみ、結果的に大手術となりました。そのご報告はWR掲示板の 163 6と 1642 に詳述されていますので、改めてお読み頂ければ幸いです。
この時に「WRアンプの音は革命的だ!」と言う名誉あるご感想を頂いたのです。

 実はこの頃に既にヘッドアンプのご注文も賜っており、それは年末ギリギリに納入させて頂いたのでした。この絡みで純粋MCカートリッジが見直されています。また、MMの再生音にも劣るCDの音を改善すべく、プレーヤーも32bitDACを積んだものに買い換えられています。
 このように短期間で O.M.さんは急速な坂道を登られたのです。それが何処かに歪となって皺寄せが来るとは夢にも思っていませんでした。詰まり音が良くなったら、又それだけ粗が目立って来る事になり易いのだと思います。今まで隠れていた欠点が表に出てくる可能性があるのです。
 11月の末頃には、ローチャンとハイチャンの繋がりが悪い、と言うようなお話をチラホラされています。この時に初めて私は O.M.さんが D130+LE175+D91 をお使いになっていると認識したのです。
12月に入ってからこの問題が大きくクローズアップされて来ています。
既に、チャンデバは止めて LE175 の方をコンデンサーでカットする方法に変わっていましたが、そのコンデンサーの質で音がコロコロ変ると仰っています。そこで、私が ASC を推奨して

> ツイータのハイパスのコンデンサーですが、川西先生ご推奨の ASC がやっと届きまして、
> この違和感がすっきりと解決できました!
と一度は満足されています。
 この後、ヘッドアンプ導入によるMCカートリッジの音について色々感想を寄せて頂いたのですが鉄心入り MCカートリッジの音が
> ジャズベースが鉄芯だと一旦PAを通した音に聞こえてきました。
と仰っていたので、最初は誇張かと思っていたのですが、今思えばスピーカーの問題が顔を出していたのかも知れません。
確かに、鉄心入りMCは純粋 MC に比べてそう言う傾向が多少はあるのですが、その時「PAを通した音」と言う表現に多少違和感はありました。
 2月に入ってハイパスのコンデンサーで随分悩まれたようです。エージングの問題、耐圧の問題等で音がかなり変ると言うのがご不満のようでした。今思えばそう言う事で音に大きな変化がある場合は、別に本質的な問題が隠されている事が多いのです。
 中高域に違和感があるとカットオフ周波数を下げたくなるものです。その為にはコンデンサーの容量を増やさなくてなりませんが、そうそう思い通りの容量のコンデンサーが手に入る訳ではありません。勢い、コンデンサーの並列接続になります。
 コンデンサーはそれぞれ直列にインダクタンス分を持っていますので、不用意に並列接続すると高周波領域に共振峰ができ、システムに何らかの問題があると、それが音質に微妙に影響してくるのです。WR アンプのパスコンにも昔から1Ωの抵抗を直列に入れています。
 O.M.さんもこれで暫く悩まれたようですが、並列にされた2つのコンデンサーそれぞれに直列に0.5Ωから2Ω位を入れるようにアドバイスさせて頂いたのです。その結果、
> この音を聞けば、昨日までの音は奇妙奇天烈であったのは一目瞭然です。
> バイオリンのパワーに負けず、ビオラやチェロの粘っこい音が難なく聞き取れます。
> 当然ピアノの左手もしっかりしており、低音の太い金属弦の粘っこい感じ、
> 高音はキンキンせずにカンカンなる感じが出ています!
> これはすごい。正にこの方向の音が欲しくて右往左往しておったのです。
と言うレポートを頂き私は一安心したのです。それから3月の半ば頃までは便りがなく満足されているのかなと思っていたのですが、また問題が発覚したようでした。
それはウーハーとツイターを別々のアンプで鳴らすと、本来はもっと良くなるはずなのに耳に着く違和感があって改悪になると言う問題でした。
音楽がちぐはぐに聴こえると言う事でした。
 ウーハーを鳴らしている Ε-10H の音と、ツイターを鳴らしている WRP-α9/A (Ε-5H 相当)の音がかなり違うと言うご不満でした。
WRP-α9/A の方が膜が掛かったようになると言う事でした。
私は5W以下で鳴らすなら、Ε-5H とΕ-50H の音はそんなに変わらないと常々申し上げていますし、今回のアップグレードの時もそれを確認して発送していますから、これは何かあるなと薄々思い始めていました。しかし、未だスピーカーのダンピングの問題だとは気付いていませんでした。

 それ以降、こちらのΕ-10Hプロト、WRP-ΔZERO(Ε-50H相当)、100W機(Ε-100H相当)を次から次とお貸し出しし様子を見させて頂きました。
それに依ると、Ε-10HよりΔZERO、ΔZEROより 100機とドンドン分解能が上がると言う事でした。
この時に、音の表現を形容詞などで表現すると誤解の元になると痛感し、なるべく具体的に表現するように努めるべきであると悟ったのです。こちらで鳴っている音と余りに違うレポートを頂くと、何を頼りにそれを判断すれば良いか分からなくなるのです。
 この頃に頂いたご感想の一片を記しますと

> 届いたアンプでは、音の次元が違います。これはすごい。
> 当方のアンプもつなぐスピーカーが805matrix だとこのような素晴らしい音で鳴るのでしょうか。
> まったく信じられません!

と言うように、ハイパワーアンプなら結構良く鳴るものの、ご所有の α9/A やΕ-10H では、とても上手く鳴らせないと言う内容です。
この頃は他に何かあると思いつつも、まだネットワークの問題も気になっていて、スピーカーのインピーダンス上昇の問題も考慮し、打ち消しの為の直列素子を入れるように進言したりしましたが、少し効果はあったものの本質的な解決には至りませんでした。
 この頃になると O.M.さんもアンプの問題もさる事ながら、真空管時代に開発された JBL の問題点に気付き始めて居られたのでしょう。
真空管アンプと高帰還アンプ、又大きな箱に入れないと低音が出ない昔のスピーカーと小型エンクロージャーに入れてハイパワーで鳴らす現代のスピーカーの違い等々について、色々調査されたようです。
 D130+LE175 を聴いて衝撃を受けた時、鳴らしていたのは真空管アンプだった事も思い出されたのでしょう。
一度は真空管アンプで鳴らす必要性と、既に JBL を諦めて 805 MATRIX を探す気にもなられていたのだと思います。それから5日程音信が途絶えていました。
 真空管アンプを入手し、805 MATRIX も注文したと言うメールが突然ありました。
真空管アンプは3結シングルのミニパワーアンプでしたが、次のようなレポートが添えられていました。

> JBL とWRアンプでは高出力に比例して解像度は上がります。100Wの解像度はαZEROをはるかに
> 凌ぎます。しかし、しぶとく残り続ける「うまく鳴っていない感じ」があります。
 しかし、3結で鳴らすと
> これが管球アンプだとこの鳴らない感じがすっと消えているのです。
> 解像度は一気に落ちているのに、耳触りはとても自然です。
と言う風に仰っています。
真空管アンプだとずっと付き纏っていた違和感がスッと消えるようです。
どうも、WRアンプだと無理に JBL の穴を叩いているようです。しかし、次のようにも仰っています。
> 管球アンプの解像度はMMとMCのような違いがあります。いや、もっとあるかもしれません。
> WRアンプの解像度を聞いてしまうと全く笑ってしまう大雑把さなんです。
> しかし管球アンプですとユニットの発音の様子が全く異なり、総体的にこれが
> 当時のスタンダードな再生音であると納得できるような質感です。
 生の音を求めて近代的なスピーカーを高帰還アンプで鳴らすのと、昔ながらのゆったりした音を楽しむのと両極端を経験された事になります。
この音の違いの要因はアンプの出力インピーダンスの違いだと思います。
昔ながらのスピーカーはやはり当時想定された目的で使うべきなのでしょう。
無理に定電圧駆動するとコーン紙の振動が制動され過ぎてしまう為に、一部に耳障りな音が残ると考えられます。
D130 がアルニコを使っているのも裏目に出た感じです。
察するに昔の真空管アンプでも、それなりにダンピングが効いた音が出るように図られていたのだと思います。
 振動学的には、臨界粘性減衰係数に、系の粘性減衰係数が近付くと減衰振動は振動的でなくなり、単調減衰になってしまいますが、このような系は反応が鈍くなりますので、切れのある軽い音にはならないのです。
電気振動でも言えて、方形波特性を余り鈍らせるとアンプの音は硬直して来ます。
制動不足でリンキング状態になると音は荒れますが、少しアンダー気味で低い山が1つ見える程度が良いとされています。
 しかし、805 MATRIX が到着すると、
> 805MATRIX 届きまして、衝撃です!
> JBL と合わせて、もう必要のないものとなりました。
O.M.さんは生楽器の音を再現する為のオーディオを目指して居られますので、当然の結果となったのです。どのように衝撃だったかは次に示す文章から見て取れます。
> E-10H で駆動していますが、805 を慣らしきってやろうという先生の熱い思いがビシビシと
> 伝わってきます!第一印象だと低音が薄いかな?と思いやはり失敗だったかなあと思ったものの、
> しばらく聞いていると音がこなれてきたのか、バランスがよく感じてきました。
 ハイパワーアンプに比べてご自分のものは大きく見劣りがするとお感じになっていたはずですが、805 MATRIX ならものの見事に鳴ったようです。
音のバランスが聴くうちに良くなったのは、やはり長い間眠っていたスピーカーのエージングが進んだ為ですが、耳が小型スピーカーに慣れたこともあると思います。さらに、
> この小さな筐体SPでピアノがこんなに満遍なく聞こえるのは奇跡ですね!
> 掲示板や先生のメールに書いてある左手の最低音が聞こえるという記述はさすがに
> 言い過ぎだろう、聞こえていても蚊の泣くような微かな響きでしょうと思っていたのですが、
> まさかまさかこんなに聞こえるとは!

と仰っていて、私が Feastrex で体感した時と似たような衝撃を受けられたようです。この音が認識できると本当に幸せな気分になるから不思議です。
そして、やっとO.M.さんは納得の行く音を手に入れられたのです。
> 全体の音楽性は明らかに805 です。時間軸に沿って響きが繋がっていく感じに破綻がありません。
> 定位感もすごいです。よそ様のところでのJBL で相当大音量で試聴距離も離れて聞いた時にSPが
> 消えている感覚がありましたが、自宅では近接で歪みが多く耳につくのかいまいちです。
> それに比べればこの805はとても素晴らしい!スピーカーを意識することが全くない!
> やっと色々な呪縛から解放されました。
 この成功は B&W805 MATRIX でなければ得られないのではありません。
又 B&W805 MATRIX に WR アンプを無理に合わせている訳でもありません。
その証拠にサトウさんの追試でもっと小型で安価な DENON の USC-M3E を繋いでも「これだけでも十分立派な鳴りです。」と仰っています。
D130では過制動になり違和感が残りましたがその理由ははっきりしています。
現代のスピーカー、特にヨーロッパ系のものなら全く問題はないと思います。
どうぞ安心して、WRアンプをお求めになって下さい。
http://west.wramp.jp/datawr35.html

2ちゃんねる ウエストリバーアンプ
49 : 名無しさん@お腹いっぱい。2015/10/18(日) 20:38:35.07 ID:iTYpjxTB
川西という元サンスイの技術者で大学教授が設計しているね。

50 : 名無しさん@お腹いっぱい。2015/10/18(日) 21:08:54.87 ID:EZAHLq9m
?????
専門は電気じゃなくて機械系なんですのん。
でもって色々微妙に違うのだが ま、いいか。UEC。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/07(月) 17:45:26.99 ID:cuJxFQrl.net
イシノラボとどっちがいいの?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:25:34.70 ID:E7h/HSgc.net
>>70
作ってる人はどっちもイシノ爺ちゃんだけど、電源周りに気合入れてるウエストリバーの方が音いい事が多い
爺ちゃんがたまに作る電源別仕様とかバッテリー仕様だとウエストリバーより大抵音いいと WRP−α4MOS (赤ツマミのテスト機の石を日立製 MOS に交換した物) を持っている俺が言ってみる

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 07:49:22.42 ID:1fA150G3.net
>>77
ウエストリバーは、現在はイシノラボ製ではないと思うけど。
開発者が直接作っているばず。
イシノラボの別電源仕様とかもイシノラボの音であって、ウエストリバーより良い訳ではないよ。
イシノラボ爺は単にアンプ作りが好きな人で、ウエストリバーは生音の再現に執念を燃やしている人だから、ものづくりの方向性が違うよ。
ボリューム、低音ブースト、電源フィルターとかまとめて全部やったけど、凄いよ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 22:51:20.34 ID:z76HMGFV.net
両方持ってるが甲乙付難い
どっちも大手からみたら破格の高音質

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/16(火) 00:00:52.60 ID:t8FEF5eM.net
ここのアンプはボリュームのパーツが悪すぎなんだよなー
摺動式の安価なので全体が歪みっぽい音になる。高音にいたっては細かな音が消える。
お金貯めてマランツとか選んだほうがいいよ。
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/pav/1436608366/
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1436608366/

2ちゃんねる 単独スレは難しいアンプについて語ろう
271 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/25 13:08 ID:ZwSCUH5E
Westriver の名が一度だけここにでてきたみたいですが、買っちゃいました。
Westriver のアンプ先月視聴なしで注文しました。
一ヵ月半待ってようやく火曜か水曜に届くはず。
年末製作会社(といっても幕張のマンションの一室でしたが)で売価14万円の安いほうを視聴しました。
今まで Ayre AX-7 を使っていましたが、とんでもない実力を見せ付けられた。
再生空間が桁違いに広く、音色の自然さでいったら過去視聴した中で最強でした。
アンプの値段について大いに考えさせられたひと時でした。
100万のアンプ持ってきてもかなわないでしょう。
あくまで主観ですが。意匠がいまいちなのがちょっと所有欲を満たすまでにはいきませんが、まあ架体にかねかけると販価があがるのそこまでやりたくないというのが、 開発者の回答でした。

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/18 04:38:14 ID:VBmnUj/9
>> 271
14万円の WRアンプ(Westriverアンプ)というと「WRP-α3」のことでしょうかね。
このアンプずっと気になっていたのですが、評価らしい評価を初めて眼にしました。
お尻を押してもらった気分です。さらに欲しくなりました。
新しく発売された約13万円の「WRI-β2」も気になります。
ところで、川西さんの“音・耳の良さ”は信頼してよいものでしょうか。
WRケーブルはもひとつとのことですが…。
同価格帯で評価の高いドットラボの「PrimaLuna プロローグ・ワン」を加えた上記三機種のアンプからどれを選んだものか迷っております。
いずれも自宅試聴はできないアンプなので賭けになりますが、音を知っている方がいらっしゃればアドバイスなどよろしくお願いします。

331 :272:04/09/22 19:50:13 ID:pehxvbLp
>>324
漏れの書いたインプレは低下20マソ程度の初期モデルの奴な。
14マソのアンプの音は知らんのよ。
で、20マソアンプの音は普通?のアンプの音とはチョトタイプが異なる。
まず一聴して高域があまり出てないのが分かり、更に音に潤いというかエコー成分が少ない感じで、コレが乾燥気味の音という印象に繋がる。
オーディオ的演出がほとんど無い音ってかんじ。
音の表現力も単調ぎみに聞こえるかも。
乾燥肌な感じが、漏れが所有する エレクトロコンパニエのアンプとは対照的だとオモタ。
一般的なオーディオで再生される音が、生の音に比べて妙に透明だと気が付いているなら WRアンプに価値を見いだせる鴨ね。
「音色の自然さ」とかいうのが、自分にとってはどういうものかと言うところが評価の分かれ目かな?

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/26 00:52 ID:iotk1NHd
>>271
オーディオ的には ツマラナイ音だった記憶がある。
華が無いって言うか、高域が大人しい感じ。
漏れ聞いたのは SP に B&W M805 を使ったデモだったが、乾燥系な音がしてあまりパッとしなかったような。
>音色の自然さでいったら過去視聴した中で最強
自然な音って、第一印象が大人しいモンだから、自分が実際使用する場合果たしてこれで満足できるのかな?
なーんていうふうに思っちゃうんだよね。オーディオテクネの音もそうだった。
広めの部屋でデモしたところで、死んだ音にしか聞こえないからね、こういう音は。
でも、自分の部屋で聞いたらどんな印象なんだろう?

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/26 01:02 ID:iotk1NH
川西さんは、WR アンプは全くの無個性だから SP の特徴を引き出すだけだとかなんとか言ってたけど、そりゃ違う。
SP を変えても、ドライで高域が萎んだ音は変わらず出てた。
この音の特徴は聞いてすぐに分かるようなハッキリしたものだったよ。
気に入った人にはいい音なんだろうな。漏れも気に入るアンプがほしいよ。

332 :324:04/09/23 20:38:02 ID:EQX7v8O5
>>272
それは「WRP-α1」ですね。
そのような方向性は正に私が目指しているものです。
オーディオの音を、自然音のリアルさに近づけていくこと。
これは「WRP-α3」や「WRI-β2」を聴いた人の意見が聞いてみたいですね。
奇遇ながら私もエレクトロコンパニエの「ECI-1」持ってました。
ウェットで叙情的でありながらスピードの速い音を聴かせる素晴らしいアンプでしたね。
電源部が超強力で、うちの低能率スピーカーをちゃんと手なずけてくれてました。
WRアンプも電源部には相当こだわっているようですね。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/27 22:34:17 ID:QpYgcDEf
>>272,>>273
>>ドライで高域が萎んだ音は変わらず出てた。
それってオーディオテクネも一緒ですか?
オーディオ的にはツマラナイ音、という意味でオーディオテクネと似ているのか、
出ている音そのものがオーディオテクネと似ているのか?
その辺が詳しく知りたいです。

336 :272=攻撃的人格者:04/10/27 23:17:22 ID:xQ5VQD4A>>335
あー、もう記憶が薄れてるよ(ワラ
記憶にある限りのことを書くと、
聴感上の高域をロールオフさせてるのはどちらも同じ。
低域もガッツがない。っていうかマッキンとか山水のパワーみたいな音とは逆方向。
ツマンネって意味で同じ。音的にはね。躍動しないしハッタリが全くないし。
心臓の弱いジジイ向けだな(ワラ
音が向こうからやってくるってより、自分から聞き込みに逝って初めて良さが分るタイプかな。
つーか、WR は広い部屋でのデモだから、エネルギーバランスとか基本的な音調しかつかめんかった。
普通の部屋で聴くなら空間表現なんかもよく分るだろうが。
でも、あの高域萎んだ音はいただけんなって思った。
音楽の表現力をどう感じるかは個人差が激しすぎるからノーコメント。
あ、これだ。思い出した。SPの飲酒にカーボン製の使ってみ。
この方向の音の変化は音がスッキリした感じがするが・・・似てる方向性の音かなぁ?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/pav/1055167476/

9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/24(火) 16:42:30 ID:YyzsVzlF
WRP-α1 Mark2(プリ&パワー)の保有者の私がやってきましたよ。
なんか質問あります?

15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/24(火) 23:30:27 ID:u+88x3J6
>>9
何のスピーカー使ってる?
30Wのアンプで力不足にならない?
プリは必要?

21 名前:9 :2006/01/25(水) 10:40:56 ID:9sfnKQJ1
>>15
スピーカーはマラプロの NM-01 とパストラルシンフォニーのAP103です。
何れも能率的には慣らしやすいスピーカーなので 30w でもパワー不足を感じたことはありません。
プリが必要かの件ですが、WR パワーアンプ単体でもノイズが少ないウェストリバーアンプの音は楽しめると思いますが、WR プリを導入すればノイズ感がさらに激減して音に深みが出るので、間違いなく導入するべきですね。
プリ無しでは多少つまらない音に聞こえると思います。

22 名前:14 :2006/01/25(水) 11:12:56 ID:EL0Mnaix
>WRパワーアンプ単体でもノイズが少ない・・・
とありますが、プリメインとしても使えるのですか?

23 名前:9 :2006/01/25(水) 15:34:05 ID:9sfnKQJ1
>>22
ボリュームもあるのでプリメインとしても使用は可能です。
確か RCA 入力が3系統だったかな?
入力がセレクタで切り替え可能ですので、最初にパワーアンプだけ購入してのちにプリを買うのが良いと思いますが、パワーアンプのみだと実力の半分程度しかWRアンプの良さが出ないと思います。
予算が少ないなら WRプリメインも選択枝に入れてみてはどうでしょう?

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/10(金) 14:32:57 ID:AzW+qnQ4
山水アンプが正常進化した音がウェストリバー。
そんな感じの音です。

37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/11(土) 12:06:13 ID:2WVc7ZyZ
>>35
おいおい、スゲー耳してるな?オーディオ止めたら?
ちなみに漏れは山水のパワーと直截聞き比べた事がある。
山水は川西に比べ作為的な音作り(特に低域)をしていて音色が濃い。
そして音に躍動感がある。作られた音だという事が分かっても漏れは山水を取る。
聞いていて楽しいのは山水だったからね。踊らない音は川西。
http://hifi.denpark.net/1138024363.html

530 平野紘一さん(マスターズ代表) Thu Nov 16 11:38:27 JST 2006
エンジョイオーディオ!その行く道は!?
 WRアンプの製作・販売を始めて、数年経った。
おかげ様でその製作台数は3桁になっている。
わたしのようにオーディオ黎明期から、繁忙期にオーディオで飯を食ってきた者には現状及び近未来が楽しみであり、心配である。
 長年、オーディオ業界にいるので(1965年から)、内外からいろいろ情報が入ってくる。 
皆さんの参考になるかどうか分からないが、ここに書いてみることにする。 
 まず、アメリカではオーディオ、とりわけ、ハイエンド・オーディオは非常にシュリンクしてしまっている。
振りかぶって言うと、共和党の金持ち優遇によって、金持ちしか、ハイエンド・オーディオを買えなくなったからである。
従って、アメリカのハイエンド・コンポは非常に高額である。
また、アメリカのオーディオメーカーの設立・廃業・転売が著しい。
 あの、有名なオーディオ誌”ステレオファイル”もあまり、みるべきものが無くなってきた。
マッキントッシュはクラリオンに支えられてきたのは故存知の方も多いと思うが、クラリオンが傾いてきて、マッキントッシュはリップルウッドの傘下に入ることになった。今後、どのような方向になるのか?
今年、創業60年になるJBLの新商品開発のエネルギーは素晴らしい。
 アメリカの友人に聞くと、JBLをアメリカの東海岸ではあまり見かけないと言う。
JBLを率いるハーマンさんはユダヤ人だけにクレバーであるから、JBLをうまく導いていくと思う。そうなると、JBLの商売はアジア、それも、日本、中国、台湾、それに韓国あたりのオーディオファイルの方々が買うのではなかろうか?
特に、最近の中国の富裕層の購買意欲がすごいらしい。
 金持ちではないオーディオ好きのアメリカ人は AVレシーバーを買って、スピーカーを自分できれいにセットして、SPケーブルは壁に入れてきれいに処理するらしい。
重点はやはりVであり、それからがAであると言う。
AVレシーバーは日本勢(DENON、パイオニア、ケンウッド、ヤマハなどなど)が強いと言う。
 ハイエンドオーディオではなかなか日本勢はむずかしそうである。
まず、スピーカーではサウンドバランスの点で、イエローがやったのは認めたがらないようだ。
スピーカーユニットでは日本の技術は世界一であったのだから、サウンドバランスは早く、彼等に任せれば良かったのだ。近年、パイオニアがそのようなシステムを取り入れて、かなり良いサウンドバランスになったと言う。
(つい、最近、CEATECでパイオニアのこの種のSPシステムは聴いた。かなり、聴かせる!)
 アンプでは、近年デジタルアンプが登場しているが、高周波を取り扱うので、もう、普通のオーディオメーカーでは他におえないところまできている。
すなわち、デバイスはIC製造ノウハウが必要だし、プリント基板は多層構造が必要である。こうなると、初期投資が大変で数が出る平面TV、5.1chサラウンド、カーオーディオ用アンプ、それこそipodのようなアイテムにデジタルアンプは皆さんの気がつかない分野にどんどん採用されている。
最近のTV、音質が違うとは、皆さん気がつかないかな?
 アメリカのハイエンド・オーディオは一握りのお金持ちが買えるものになってしまったから、日本での価格は¥100万を超えるものが多くなったのはそのせいでもある。
 それでは、ヨーロッパはどうかと言うと、まだ、かなり、健全である。
まだまだ、SACDはこれからだし、アナログレコードも健在で、アナログレコードプレーヤー、フォノアンプ、カートリッジなどもある。スピーカーが苦手だったドイツからエラックのような小型でありながら、優れた音質のSPが出てきたし、B&Wに至っては技術的にも、サウンドバランス的にも非常に評価が高い。アメリカでもB&Wはアメリカ勢を圧倒していると言う。
 価格も特に金持ちでなくとも、買えるようなリーゾナブルな製品が多い。
残念なのは、BBC出身のSPブランドに元気がややないことだ。BBC出身のエンジニアから、後継者への橋渡しが難しいのかも知れない。
 さて、日本の現状はどう見たらよいであろうか?
特にアンプに絞ると、アキュフェーズ、DENON、マランツ、LUXとブランドも限られてきた。そして、真空管アンプは中国製も多くなってきた。
そして、オークションを眺めると、懐かしいアンプが沢山、売りに出ている。
どう、考えたらよいのだろうか?
 
 医学的には聴覚・味覚は発生学的に皮膚感覚の一部である。そして、オーディオはエンジョイするものである。そこから、WRアンプのような、NFBアンプの問題点を解決したアンプもあるし、ノンNFB真空管アンプもあるし、小型・高効率(言わばオーディオのファーストフード)のデジタルアンプもある。
それぞれの主張があり、これぞオーディオは面白いと思う。
 最後に話が少しそれるが、NFBの発明者ハロルド・ステファン・ブラック氏に生前お会いしたS社のTS氏の話によると、NFBはMASTER &SLAVE システムであると言う。誤解されそうであるが、悪い意味ではないことを次回書かせていただこうと思っている。
 
 ”皆さん、一度きりの人生!楽しんでください。それには、広告も充分ではなく、地道にやっているところも尋ねてみると、新しい発見、喜びを得ることありますよ!”
http://west.wramp.jp/datawr13.html

528 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Sun Nov 12 15:23:58 JST 2006
最近考えていること−WR アンプのキットは如何?
 真空管の根強い人気とクラフトの面白さからか、真空管アンプキットが流行っていると言う。
真空管の魅力は、ヒーターやフィラメントが赤く灯りムードがある事、そこそこの音が出る事、そして作り易い事などが挙げられる。
 日本のメーカーが真空管の製造を止めて久しいが、上記の理由からか未だに真空管の人気は衰えていないし、寧ろ拡大する気配さえ感じられる。私は日本のメーカーが真空管から撤退し始めた頃に、将来性を考え思い切って見切りをつけたので、もう真空管には微塵の未練もないが、一時は真空管のアンプで真剣にいい音を求めていた。
 最近、WR アンプがほぼ完成の領域に入って、自分の決断が間違っていなかったと思うし、真空管に拘っていたら、今現在得られている音質のグレードには、到底到達出来なかったと思う。
真空管とトランジスタの違いは煎じ詰めれば、後者の方にのみコンプリメンタリー素子があると言えるのではないかと思う。
 例えば、プッシュプルを構成する場合の事を考えてみると、真空管の場合は必ず位相反転回路が必要になるのに対して、コンプリメンタリー素子が使えるトランジスタでは、その基本性質から、位相反転回路を使わないでプッシュプルが構成できる。勿論、純コンはその代表的なものであるが、準コンもその恩恵に浴している。
 この事は真空管がどんなに逆立ちしても真似のできない技術的優位性である。
最近、銅シャーシの準コンアンプを発売してご好評を頂いたが、真空管でこれと似た様な事をしようとすると、多くの低内部抵抗の真空管を並列に接続した OTL アンプになるが、それでも、位相反転回路とそのドライブに関する大きな技術的問題を抱え、今回得られた音のレベルにすら到達できない場合が多いのである。
 これは一例であるが、真空管とトランジスタの違いを如実に示す縮図である。従って、真空管の場合は余り欲張らずにほどほどにして置くのが正解であろう。
即ち、裸の特性が良いと言う、逆にトランジスタには無い特長を生かした、シンプルな構成のアンプが生きる道であろう。
だから、クラフトに向いているし、アマチュアでもそこそこの物が出来上がる。
 ラジオ技術、MJ誌などの製作記事が殆ど真空管になってしまったのも、頷けることではあるのだが、それは裏を返せばやさしいトランジスタアンプの製作記事を書くライターが居なくなったと言う事でもあるのだ。
 トランジスタの欠点は素子の直線性が悪い事であるが、それ故に真空管のような無帰還シングルアンプは最も不得意とする分野である。音は出てもトランジスタラジオ並である。到底ハイエンドに耐える音は出ないだろう。トランジスタの直線性の悪さを補正するには、どうしても大掛かりな帰還技術が必要になる。
 しかし、これまでの帰還技術は少なくてもハイエンドオーディオでは本領を発揮できなかったと言ってもよいだろう。それは、真空管が第一線を退いてから、数え切れない程のソリッドステート式アンプがメーカー各社から発売されたが、その殆どは短い生命で終わってしまったし、それが原因となって多くのメーカーがオーディオからの撤退を余儀なくされた事は周知の事実である。
 それは帰還技術を 100%信じて真っ向勝負したメーカーの責任であり、もう少しハイエンドオーディオの観点に立って考えるべきであったろう。我田引水で申し訳ないが、私は帰還技術をオーディオにアプライする場合のマナーを心得ていたので、100%は信用していなかったのである。元来、帰還技術はハイエンドオーディオ用に考えられたものではないからである。
 帰還技術をハイエンドオーディオにアプライする適当な方法を独自に見つける事ができた私はラッキーだったと思う。それには普段からの幅広い経験が役に立ったと思う。オーディオが好きな割りには、アマチュア無線のような無線通信にも非常に興味を持ち、短波送信機も自作した事があるので、自然に高周波的センスが身に付いていたのである。
 それでオーディオを高周波的な見地から見直したのであるが、当時は誰も私の言う事を信用しなかったのである。しかし、それが功を奏して高帰還アンプに内包される負性抵抗の存在に気が付き、長い年月をかけて2つの特許NRL 回路に行き着いたのである。誰も信用しようとしなかった技術が今WRアンプとして花を咲かせ、WRアンプユーザーの方達に、それが正しかったと言う事を証明して頂いていると思っている。
 しかし、WR アンプは高価であり、誰にでもお求め頂ける価格ではない事も事実である。もう少し裾野を広げて、なるべく多くの方に気楽に WR アンプの音を楽しんで頂きたいと思うのだが、音を良くしたいと言う欲求と、価格を下げると言う事は相反するのでなかなか難しい。
 そこで製作を担当して頂いている平野紘一氏とも相談し、一つの方法としてクラフトブームでもあるので、WR アンプのキットを売り出したら良いのではないかと言う事になったのである。
平野氏の調査によれば、現在の日本には本格的なトランジスタアンプのキットは無いと言う事だし、オンリーワンを目指して是非実現したいと構想を練っている。
 何故、今現在トランジスタアンプのキットが無いかと言えば、技術的に面倒な事が多く、キットにし難い事と、上述の理由で簡単にいい音のアンプが出来ないからであろう。幸い WR アンプの NRL 回路を用いた高域補償は非常に安定なので、細かな調整が不要であるし、音質は太鼓判が押されている。キットの条件は満たしているのである。
 勿論、価格は少なくても銅シャーシ準コンアンプ並にして、普通の人が手の届く範囲に設定し、誰が作っても失敗の無いアンプにしたいと思っている。その為には基板は調整済みにして、機構部品をねじ止めし、必要な線材を半田付けすれば完成できるように考えている。間違いなく完成できれば、高音質の WR サウンドが聴けると言う寸法である。自分で作れば尚一層いい音に聴こえるだろう。
 日頃買いたいと思うけど手が出ないと諦めて居られる方は、是非 WR アンプのキットに期待して頂きたいと思う。準備万端整えて、来年の初めには何とか発売に漕ぎ着けたいと考えている。
クラフトに趣味のある方は勿論の事、少し半田付けくらいは出来ると言う方でも完成できるように、キットの構成をなるべくシンプルにしたいと計画している。WR アンプユーザーの方にも面白い遊びとして受け入れられたら最高である。
 真空管アンプキットは山ほど在るが、トランジスタアンプキットは希少価値だし、出来上がりの音はメーカー製高級アンプに引けを取らない自信がある。安易に真空管アンプに決めないで、是非、WRアンプのキット発売を待って欲しい。
http://west.wramp.jp/datawr13.html

529 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Wed Nov 15 18:52:00 JST 2006
ものの考え方−オーディオに対する考え方
 私はかなり純粋な理工系人間である。「正しいか正しくないか」を何時も考える。
生まれ付き親から受け継いだDNA のせいもあるし、若い頃経験した勉強のせいでもあるだろう。兎に角何かにぶつかった時は常に、それが優先されて頭に浮かぶ。
 難関な理工系大学を突破するには、その位の徹底した考えをもたないと、到底あの難しい数学の問題は解けないだろう。特に私のように能力に余裕の無いものはそうだ。冗長な考え方をしていれば、時間内に難問を解く事はできない。それを高校3年間と浪人生活で徹底的に鍛えられた。
 だから今の自分があるのだし、それを今更後悔もしていないが、明らかにその延長線上に私の人格が形成された事は確かだ。良く言えば常に正しい路を選ぼうとする善良な人間だし、悪く言えば融通の利かない堅物に映る。
 WR アンプもそうした「正しいか、間違っているか」と言う、長来にわたる自問自答の末に到達した結果であるので、それを大事にして得られた結果もそれを基盤に考えるようになる。
しかし、大学以来長い間の付き合いである平野紘一氏は私とは若干考え方が違う。
 勿論、彼も基本的には理工系人間であるが、彼はオーディオは食事と同じで味覚に通じるものがあると捉え「正しいか、正しくないか」より「美味いか、美味くないか」なのだと言う。だから、オーディオアンプに対する考え方も微妙に違う。
 私は WRアンプ一筋であるが、彼はもっとフレキシブルであり、真空管アンプもデジタルアンプも手がけていて、彼の頭の中でそれらは決して矛盾しない。
私にそれが出来ないのは、一つの原理に忠実であろうとする為に、それと融合しない理屈を受け入れられないからである。
 誤解を避ける為に言って置きたいが、私と平野氏の生き方がどちらが正しいか、等と言う低次元の比較をしているのでは決してないので、興味本位で読まないで欲しい。あくまで、事例として身近に居る平野氏の事を書かせて貰ったに過ぎない。
 だから、これは平野氏の悪口では決してなく、世の中にはいろいろな考え方がある、と言う事を示したかっただけである。このように、人間の考え方は人それぞれで、右から左までいろいろな考え方がある。その意味に置いて、私は最右翼かも知れない。少なくてもオーディオに関してはハト派ではないだろう。
 具体的な例を挙げよう。
私の研究に依れば、高帰還アンプの安定度を自動制御理論で決定してきた従来の設計法では、十分な安定度が確保できない為、音質に何らかの問題が出る可能性が大きいと私は考えている。
その根拠は、特許NRL 回路によって負性抵抗が無くなるまで補償を行うと、自動制御理論でよく使われる安定度の指標である位相余裕が、設計目標とされる値より遥かに大きくなるからである。
 こういう場合、従来の設計法による帰還アンプは理論的に不備があるから、得られた音は評価できないと私は考える。
一方で理屈は兎も角、出てきた音がその人にとって好ましい音だと感じれば、それはそれで良いとする考え方が明らかに存在する。どちらにもそれなりの言い分がある。
 私は帰還アンプが不安定になった場合に発生する音を極端に嫌うので、出来れば皆さんにもその音の洗礼を受けて欲しくないと考えている。
しかし、仮に不安定な音だとしても、それで低音が出ていると感じるなら、あるいはそれで歯切れが良いと思うなら、それも価値はあると考える人もいる。
 それがずっと続けば良いが、私はその錯覚は長くは続かないと思うし、人は必ず何時かは気が付くものであり、その時又新しい別の物を求めようとする。そして、また伝統的な帰還アンプか気分を変えて真空管アンプを新しく求めても、結局は同じ事の繰り返しになり、何時かは諦めて、オーディオを趣味から外す人が出てくる事になる。それが、過去の日本のオーディオの歴史ではなかったか。
 確かに、アンプの買い替えがあれば、アンプの売れ行きを確保できるメリットはあるが、それは製造側の言い分であって、買う側の論理ではない。
先日も書いたが、数年以上も前に WR アンプを買って頂いた方が未だに愛用されている現状は、ビジネス的には失敗かも知れないが、私はそれを間違っているとは考えない。ビジネスチャンスは買い替え需要に頼るのではなく、新規に開拓すべきだろう。WR アンプのキットはそれを目指している。
 このように歯に衣着せぬ発言も私の性格から来るもので、最近はこのような発言をする人は少なくなっている。それは社会から嫌われるからであろう。今の社会は目立つ者を許容しない。皆等しく幸せを望む。それが日本の民主主義なのだろう。そして誰も本心を言わなくなる。評論家もズバリ本音を言わなくなる。それが住み易い社会を造ったのだろうか。
 最近の虐め及び自殺、幼児虐待及び殺人、談合汚職、酒酔い運転などなどニュースで報じられる事は嫌な事ばかりである。しかし、これが日本の民主主義の現実だ。私は、もう少し識者がその専門の立場を生かした、攻撃を恐れない、自分の信じる本当の事を言うべきだと思うし、周りもそれを謙虚に聞くべきだと思う。皆一人前面して、人の話しに敬意を払わないのも最近の傾向だ。
 結局は、社会にしろオーディオにしろ、国民または消費者が何が正しいかを識別する目を養う事、そして言うべき時は正々堂々と発言するべきだと思う。そうでないと世の中は一向に良くならないだろう。
やはり、私には「正しいか、正しくないか」が人間の基本にあるべき事だと思えてならないのである。
http://west.wramp.jp/datawr13.html

43 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Thu May 13 17:59:03 JST 2004
私のアンプ理論は、最終的な結論まで学会で認められたわけではなく、寧ろ世の中からは冷たい目で見られて来ました。
 「オーディオアンプは可聴帯域を扱うのだから、高周波領域の問題が関与するわけがない」
というのが、当初の世の中の反応でした。
そして帰還アンプの設計と言えば、自動制御論が唯一の理論的よりどころだったのです。
そして、大メーカーを含む各アンプメーカーはそれをよりどころに、一体何種類の帰還アンプを発売してきたでしょうか?
 そこへ、
「制御理論だけでは不足であり、帰還アンプが必然的に内包する負性抵抗を考慮しなければ、正しく動作する帰還アンプは作り得ない」
と唱えたわけですから、社会の力関係から言っても、それが素直に認められるわけがなかったのです。
 それ以来、大学に席を置く研究者でありながら、学会での活動を打ち切り、特許取得に力を注ぎました。審査に異例の時間が掛かったりはしましたが、2つの特許が取得でき、小生の考えがお国から認められたのです。
 それに勇気付けられて、
「実際にアンプを作って第3者に聴いてもらう」、
「そして実際に聴いてくれた人の評価で自分の考えが正しいかどうかを判断しよう」
と思い、大学時代の友人、平野紘一氏にアンプの製造を依頼したのです。
 それが1998年の夏頃でした。
当初はα1のみの販売で、公的機関で唯一の理解者だったラジオ技術のサービス部を通じて販売を始めました。以来、少しづつですが WRアンプを理解してくれる方が増えてきたのです。
 正直言って、アンプの利益率は極小であり、特許料や無くなりつつあるトランジスタの購入費を考えると、決して楽な道ではありません。会社組織ならとっくに倒産しているでしょう。
人件費ゼロ、平野さんには手弁当、というような事で切り抜けています。
 それでも、これが自分の使命だと考えて、命ある限り頑張って行こうと思います。そして「WRアンプを買って良かった!」という人が1人でも多くなるように努力を重ねて行こうと考えています。
 どうか、アンプに疑問を感じた方は是非 WRアンプを試してみて下さい。
WRアンプはそういうあなたを決して裏切らないでしょう。
http://west.wramp.jp/datawr4.html

803 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Tue Dec 4 17:23:00 JST 2007
Tomさん、WRP-α100のお買い上げと試聴レポートありがとうございます。
 WRアンプが曲がりなりにも製品化されたのは1998年の秋でした。
折りしも三多摩の有力大学によって組織された、多摩起業家育成フォーラムが主催する「ベンチャー甲子園大会」が電通大で開催され、恩師の勧めもあって「WRアンプ」を引っ提げてエントリーしました。
 私が「NRL 回路」の理論的な発表を行い、別会場では平野紘一氏によって製作されたWRアンプ第1号が、ワーグナーの「タンホイザー序曲」などを奏でてデモを行っていました。
既に特許が成立していた事とその理論が実用化されていた強みから、幸いにも「大賞」を受賞する事ができ、楯と賞状を頂きました。
 その模様は読売新聞やテレビ朝日によって取材されていました。新聞にはその模様が写真入りで報道され、テレビでは翌年の1月30日に「ザ・スクープ」という鳥越俊太郎氏が司会する番組の中で「ベンチャーに賭ける男たち」と題して放映されました。新聞やテレビの影響力は凄いもので、全国から問い合わせが殺到しましたが、残念ながらまだビジネスに対する準備が全くなく、具体的な進展はありませんでした。
 最初にビジネスらしい事が始まったのは、私がよく執筆していた「ラジオ技術」の編集部とのタイアップで、現在の WRP-α1MK2 に相当するアンプを半完成キットとして、売り出した時に遡ります。
当時 18万円でした。機種はそのパワーアンプ1台のみで、今から考えるとWRアンプの本領は本当の意味では発揮されないスタートとなりました。
 当時は 30W もあれば十分だと考えていましたし、事実当時の8Ωスピーカーなら何とか鳴らす事ができていました。その後プリアンプWRC-α1 が開発され、次第にネット販売に移行して行きました。30W の時代はかなり長い間続いたと思います。世の中は次第にコーン紙を重くし、強力なマグネットを搭載したスピーカーが開発されて、小さなエンクロージャでも十分な低音が得られるようになって来ました。その結果スピーカーの能率は低くなり、アンプには高出力が求められてきたのです。
 そこで、WRP-αZERO なる 50W アンプが開発されたのです。
50W という値は近代的スピーカーを駆動する最低ラインのようで、私が使用している B&W の MATRIXシリーズは確か 50W 以上のアンプを使うように指定されていたと思います。WRアンプの50W は全段安定化電源駆動である為、普通の 50W アンプより駆動能力は高く、これで大方のスピーカーに対応できると思っていました。
 しかし、Tom さんが所有されているディナウディオを始めとした、ローインピーダンス化されたスピーカーが開発され始め、8Ω以下でのアンプ駆動問題が浮上してきました。実はこの話は今に始まった事ではなく、インフィニティの2Ω問題は既に存在していて、メーカーはその対処を済ませていたのですが、その解決に不可欠なパワートランジスタの並列接続による音の濁りを嫌って、WRではインフィニティは例外問題として考えていたのです。
 そんな折、Tom さんが昔憧れた YAMAHAの旧型スピーカーからディナウディオに乗り換えられたのです。そして、偶々Tom さん宅に納められたWRP-αZEROのプロテクションが、過敏に動作する問題にぶつかったのです。
これは後から分った事ですが、まさか個体問題であるとは夢にも思わなかったので、新たな高出力アンプが必要ではないかと思ってしまったのです。
 そんな折、Tom さんが1年前の秋の試聴会でお披露目した X-100(100Wアンプ)に注目されて、これを何とか都合つけて貰えないだろうか、と言われたのです。このアンプは確かに8Ωで 100W出るようにはなっていましたが、私の悪い癖でローインピーダンススピーカーへの対応は面倒な事もあって考えておりませんでしたので、パワートランジスタの並列接続もしていませんでした。
 即ち、ローインピーダンス(4Ω)スピーカーを接続すると、単純に考えて電流が2倍流れる事になります。この事はアンプ部分のパワートランジスタは勿論の事、安定化電源のパワートランジスタにも摘要される話です。
極端な場合はパワートランジスタがぶっ飛びます。
それが原因でスピーカーを破壊する事も考えられます。
非常にアンプ製作側からは厳しい条件になるのです。
 従って、このままX-100 をお渡しする事はできません。それから急遽、背に腹は代えられないので、パワートランジスタの並列接続工事を行い、業界で行われる厳しい4Ω連続負荷テストや激しい音楽をフルボリュームで再生して、放熱器の温度上昇が限度内に納まるかどうか等、種々の過酷なテストを繰り返し、これならばディナウディオに接続しても安全である、と評価できるように改造したのです。
 こうして完成した新生 X-100 と代替えの αZERO をもって、平野氏と共にTom さん邸を訪れた事は既にご報告した通りです。
今回もある意味厳しいTom さんのご要望があったからこそ、ローインピーダンス・スピーカーを駆動できる、WRアンプが完成できたのだと思っております。

 我が家のX-100 も、α100 がドック入りしている最中に、α100 の良さをフィードバックして出来る得る限り同じように改造しました。
かなり音質は近づいたと思っています。
B&W 805 MATRIX と組み合わせて聴いても、その改造の利点がよく分ります。
並列接続による音の濁りも殆ど気になりません。メーカー製によくあるパワー感はあるけど大味だ、という印象も全くありません。
 ゴールドムント等の海外製高級アンプもお聴きになっている Tom さんが α100 の良さを色々と書いて下さいました。
価格差から考えても、α100 は凄いハイC/P パワーアンプです。
そろそろ外国崇拝から脱却して、実質的にはより優れている α100 をお使いになって見ては如何でしょうか。
大切なのは、他人に対する見栄ではなく、自分自身が如何に満足して音楽を楽しむかどうかだと思うのですが。
 このように自信をもってお勧めできるのは、帰還アンプに不可避的に発生する負性抵抗を特許 NRL 回路で消失させているのは、世界広しと言えども多分 WRアンプだけだからです。
負性抵抗がアンプ内に包含されている限り、どんな超高額・高級アンプと言えども絶対いい音のアンプにはならない、
これが私のオーディオ上の信念であり、根拠もなくお勧めしている訳では決してないのです。
http://west.wramp.jp/datawr17.html

804 川西哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Thu Dec 6 18:38:59 JST 2007
ベストバイ・プリアンプのブロックダイアグラムについて
 先日HPにアップした、ベストバイ・プリアンプのブロック図について補足説明させて頂きます。
このブロックダイアグラムの特徴は
1.バランス入力された4つの独立した信号は、完全バランス増幅器及び4連音量調節VRを使って独立に処理されている事。
2.A1及びA2はオペアンプを使わずに、特許NRL回路を生かしたディスクリート回路で構成されている事。
3.アンバランス信号は、−6dBのA1増幅器でホット・コールドの両信号を可能な限り均質にバランス信号に変換している事。
4.A1とA2のゲイン配分を適当に設定し、バランスプリとしては10dB、
  アンバランスプリとしては4dBのゲインが得られるようにして、両立を図っている事。
5.RCAピン端子のバランス出力を利用して、2台のパワーアンプをブリッジ接続したりバイアンプ駆動したりできる事。
6.イコライザーをオプションする事により、LPの信号もバランス化する事が可能になり、アナログレコードをこれまでにないパフォーマンスで再生できる事。
7.100V用トランスを2つ直列に接続して使用する事により、電源部がセパレート型で安定化電源を採用しているフラグシップ機と、同等の高S/N比を得ている事。
以上のようになっています。項番毎に解説を加えさせて頂きます。
 1に関して: 昔のトランス結合のように一度アンバランス信号に変換し内部でアンバランス増幅してから、最後にバランス変換して出力すれば増幅器の数が半分で済むとか4連VRの必要がないなどのメリットがありますが、その変換の際に音質を損なう可能性があり、WR では完全バランス増幅方式を採用しています。
 2に関して: 増幅器に LF357 のようなICオペアンプを使って構成すれば、比較的簡単にこのブロック図を実現できますが、音質は月と鼈くらい違う結果になるでしょう。特に-6dBのゲインに設定するには、過度な帰還が必要になりオペアンプの動作上に大きな問題が生じてくることが考えられます。-6dBという特殊なゲインでも、何ら音質に問題を起こす事なく信号を増幅できるのは、特許 NRL 回路の大きな特長です。
 3に関して: 簡易にバランス信号化する事は可能でもホットとコールドの信号が均質でない場合には、真の意味でバランス信号にはならないので、バランス伝送の音質上のメリットは余りなく、最悪の場合は、余計なひずみ感が生じてくる危険性があります。A1は高域補償の問題も含めて、かなり神経を使って均質性を保つように設計・製作されています。
 その結果バランス出力を有するCDプレーヤーなどは必須ではなくなり、アンバランス出力しかないプレーヤーでも、バランス伝送の効果を大いに享受する事が可能です。私はこれまでアキュフェーズの高級 DAC(DC-91)を原則的に使って来ましたが、WRのアンバランス−バランス変換回路が完成してからは、TEAC DV-15でも十分なパフォーマンスが得られており、最近は、殆どアキュフェーズを使わなくなりました。
 この事をもう少し言えば、プレーヤーやDAC に入っているバランス増幅器の性能が完璧でない可能性もあり、場合によってはWRプリのアンバランス−バランス変換回路を使った方が結果的に音が良い場合が有り得る事になります。バランスとアンバランス両方の出力端子を有した機器の場合は、両者をWRプリの隣り合わせの入力端子に同時に接続して、瞬時切替によって音質の違いを見極める事も必要になると思います。
 4に関して: まだまだ世の中の趨勢はアンバランス伝送なので、アンバランスプリとしても使用可能なように、ゲイン配分を考えてあります。私の経験ではWRパワーアンプのゲインは 26dBと高いので、0dB のプリでもVRの位置を右に大きく回せば実用上使えない事はなく、事実かなり長い間0dB プリを愛用していた事があります。従って普段余り大きな音で聴く事がない方は 4dBのゲインが有れば、十分使えるものと思います。
 5に関して: ブリッジ接続には逆相の、バイアンプには同相の2つの信号が必要ですがこの為にバランス出力端子を使う事ができます。普通のパワーアンプの、左右の入力端子はRCA 端子ですからRCA ピン接続ケーブルを用いる必要がありますが、仮にパワーアンプの左右の入力端子がキャノンコネクタの2、3番に用意されているならば、バランス接続用のキャノンケーブルを用いてブリッジ接続が可能です。一部のWRバランス入力対応パワーアンプはそのように加工されています。
尚、バイアンプに使う場合は2つのアンプの位相が逆になりますから、どちらかのSP端子の極性を変えて位相を揃える必要があります。
 6に関して: WRのイコライザーはオーディオ誌の評価も高く定評がありますが、これをバランス化して、さらに高品質な音でアナログディスクを楽しむ事ができるようになります。
9月の試聴会で平野紘一氏がデモった音に多くの方が度肝を抜かれたのではないでしょうか。
アナログディスクからあのような凄いピアノの音が出るなんて、昔では考えられなかったでしょう。我々の常識を完全に覆したあの音は、昔作られたレコード盤から再生されたのです。カートリッジの性能もそんなに変っていないのですから、これはイコライザーを含む WRアンプの勝利だと言っても良いでしょう。LP再生に今後の楽しみを託す方には特にお勧めです。
 7に関して: 電磁及び静電シールドの施されていないトランスの漏洩磁束は、プリアンプに使うには余りに多く不用意に電源トランス内蔵型に使うとS/N 比が悪化し、音質を大きく損なう事があります。従って、WRのフラグシップ機は、安全を見込んでシールドを施した上に別筐体に収納しています。しかし、これはコスト高になる事は自明であり、ベストバイプリに採用する事はできませんでした。
そこでトランスの設計経験のある平野氏のアイデアで、100V 用トランスを 50V で使う事にしたのです。
 即ち、2個直列にして使うとトランスの漏洩磁束および唸りは激減するので、トランス内蔵型プリに使っても何ら問題がなくなるのです。
こうして、上記特長を生かしたプリアンプの製作に成功したのです。
平野氏の実測によれば、WRプリの残留ノイズはフラグシップ機で平均10μV であり、ベストバイプリでは平均15μV であったと報告されています。
 このように、WRのベストバイプリアンプは優れた回路構成と、スチコン、MALLORY のフィルムコン、ニッケミSME コンなどの優良部品を使用して、非常にハイ C/Pのプリに仕上がっています。
東山さんが掲示板で仰っているWRプリの効果を、気楽にお試し頂きたいと思います。10万円位でこれだけの機能及び性能を満載したプリは他にないでしょう。メーカー製パワーアンプ等と組み合わせても、それなりの効果があると言うご報告を別のユーザーの方から頂いています。
 今回掲載したブロック図はベストバイ型でしたが、フラグシップ機も電源部を除いて同じ構成になっています。αZERO などには当然フラグシップ機が良い訳ですが、ベストバイ型プリアンプと組み合わせてもランク違いで聴けないと言う事はなく、それなりに聴けることを確認してあります。
注) フラグシップ機のA2ゲインは6dBですが、ご希望により10dBに設定する事は可能です。
http://west.wramp.jp/datawr17.html

ウエストリバーのアンプを聞く 2014年12月28日
だいぶ昔余所で聞いたことがあるのだがよい印象を持っていたので借りてみた。
パワーは WRP-ΔZERO(50W)、プリは WRC-α1/FBAL である。
推奨バランスケーブル、スピーカーケーブルも付けて頂いた。
結論から言えば 802SD を駆動できなかった。
低域の量が少なく抑えた表現になっていた。伸びやかさが不足している。
中高域が立った音が好きな人からすればナローに聞こえるだろう。
しかし、音の動きは良くわかるし、奥にきれいに広がる。定位も安定している。
音が整理された感じだ。この中高域で好き嫌いが分かれると思う。
ちょっとゴソゴソした雰囲気があり、S/N が悪い感じはある。
適切なスピーカーを用いて試聴すればだいぶ印象も変わるでしょう。
うちはパワーがある意味ちょんまげ純正のクラッセだったから相手が悪かったかもしれない。

余所で聞いて印象が良くても自宅に入れると印象が変わるところが難しい。
http://otogawarui.seesaa.net/article/411354745.html
 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c114

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
115. 中川隆[-14448] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:10:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1367]
サウンドパーツ 300B プッシュプル・アンプ

サウンドパーツ HP
http://www.soundparts.server-shared.com/index.html


サウンドパーツ/SOUND & PARTS

390-1702 長野県松本市梓川梓856-7

TEL 0263(78)5206

定休日 不定期
営業時間 AM10:00〜PM7:00

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84/@36.227369,137.872773,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x47da8d108760cb99!8m2!3d36.227369!4d137.872773?hl=ja


サウンドパーツの真空管アンプ
http://www.soundparts.server-shared.com/prodct.html

サウンドパーツ WE300B シングルアンプ回路設計と製作
http://www.soundparts.server-shared.com/make300bse.html

サウンドパーツ製作アンプの回路図、サウンドパーツがアンプ設計や専用部品開発のヒントを得た回路図と背景
http://www.soundparts.server-shared.com/filebox.html


▲△▽▼


私は、プリアンプもパワーアンプも真空管アンプを使用している。
大手メーカー製ではなく、サウンドパーツというガレージメーカーのものだ。

簡単にいえば腕のある職人が一つ一つ手作りしたものである。

トランスも、特注の完全手巻きによるもの。

配線は見事な手配線によるもので、回路も完全オリジナルである。
本当に良いモノは大量生産できないのである。

現在使用している真空管はプリアンプが6本(4本がフォノイコライザー部で、2本がプリ部)、パワーアンプが4本(2本が電圧増幅管、2本が出力管)である。
パワーアンプの真空管の少なさは驚きだろう。これ以上シンプルに出来ない2段構成なのである。

しかも完全プッシュプルで完全バランス回路である。
出力25wのアンプに100wクラスのアモルファス出力トランスを使用した大変贅沢なものである。

しかも、このトランスが完全手巻きによるものだ。
https://omsound.exblog.jp/15803511/

私の使用しているサウンドパーツ製プリアンプ LIVE5 に内蔵されているフォノイコライザーはプリアンプ部と含めて40万円である。

私はFMアコースティックの「FM222MKII」400万円弱のものと比較したが、気配の再現性でこのLIVE5に軍配を上げた。

これは衝撃としか言いようが無い。しかしこれが、会社と屋号の違いである。
http://omsound.exblog.jp/17980826/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c115

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
116. 中川隆[-14447] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:13:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1366]
真空管の差し替え タヌキ親父の部屋 2012-07-20
https://omsound.exblog.jp/15803511/

私は、プリアンプもパワーアンプも真空管アンプを使用している。
大手メーカー製ではなく、サウンドパーツというガレージメーカーのものだ。

簡単にいえば腕のある職人が一つ一つ手作りしたものである。
トランスも、特注の完全手巻きによるもの。
配線は見事な手配線によるもので、回路も完全オリジナルである。
本当に良いモノは大量生産できないのである。

現在使用している真空管はプリアンプが6本(4本がフォノイコライザー部で、2本がプリ部)、パワーアンプが4本(2本が電圧増幅管、2本が出力管)である。
パワーアンプの真空管の少なさは驚きだろう。これ以上シンプルに出来ない2段構成なのである。

しかも完全プッシュプルで完全バランス回路である。
出力25wのアンプに100wクラスのアモルファス出力トランスを使用した大変贅沢なものである。

しかも、このトランスが完全手巻きによるものだ。詳しくはパワーアンプの項を参照願いたい。

 さて、今日は真空管のお話。

一部のオーディオファイルならお分かりかと思うが、真空管は規格が同じものと差し替えが出来て、音の変化を楽しむことが出来るのだ。私も、その例にもれず差し替えを楽しんでいる。プリアンプはお金の都合でまだ差し替えていないが、パワーアンプの出力増幅管を差し替えている。
https://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=15803511&i=201207%2F20%2F79%2Fa0277279_143946.jpg

もともと付いていたのは、真ん中のKB/FD製13D3である。KB/FDは聞きなれないと思うが、ロチェスター工場でBRIMARによって製造されたものである。音質の方向は、良く言うピラミッド構造で、どっしりとした低音に支えられた安定感のある音。深い音場とトルクのある音質は実在感のあるものである。一番右のCV1068は本家BRIMARのもので、さすがにこの2本の違いは認められなかった。差し替えるのではなく、サブとして購入したのである。CVナンバーは通常、軍用の真空管となっている。耐震性や耐久性に優れていると言われているが、値段は民生用と変わりが無い。もっとも音の違いが認められたのは、外見も違うE80CCとの差し替えであった。このタングスラム(TUNGSRAM)製のE80CCは@8,000円もする高価なものである。13D3の倍以上である。音はその分良いのか、と言われると自信を持って良いとは言い難い。E80CCの特徴は、抜けの良い音だろう。反対に、力強さという面では13D3には劣る。ではどちらがより“らしい”か、と言われるとどちらも“らしい”のである。これは好き嫌いである。私は、どちらも好きであるので、しばらく使用しては差し替えて変化を楽しんでいる。いわゆる、真空管アンプの楽しみの一つである。今度、お金に余裕が出来たらプリの方もやってみたい。
https://omsound.exblog.jp/15803511/


プリアンプ タヌキ親父の部屋 2012-05-17

あまり古い話から始めても意味が無いので15年くらい前から。PRIMARE 928というアンプをご存じだろうか。

これは、PRIMARE 設立の第一弾として928シリーズとして販売されたプリアンプである(写真左下)。
http://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=15329300&i=201205%2F17%2F79%2Fa0277279_12545796.jpg

おおよそアンプらしからぬ素晴らしいデザインと、抵抗式アッテネーターの重厚な感触のボリュームはまさに持つ喜びを与えてくれるアンプであった。B & O の技術者のアドバイスを受け製作されたこのプリアンプは、色付けの無いとても精緻な音がした。これ以上何を求めようかとと思っていた。
ところがである!

人は、「知らなければ良かった」と思うことがしばしばある。まさにそれである。
現在まで約10年使い続けているのがこの PRIMARE 928 の牙城を崩したサウンドパーツの「LIVE5」(写真下)である。
http://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=15329300&i=201205%2F17%2F79%2Fa0277279_12532712.jpg
http://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=15338905&i=201205%2F18%2F79%2Fa0277279_13155182.jpg

オーディオファイルがやれ高音だの低音だのと講釈を述べるが(私も)、そんなことはどこ吹く風。そこには、ただ自然な音楽が存在するのみであった。
その帰り、奥さんと相談の上即購入を決めてしまった。待つこと1週間(完全受注生産のため)、ぴたりとおさまった外観はお世辞にも良いデザインとは言えず何ともさびしい限りだが、出てきた音は。。。

なんと芳醇な良い音だぁ・・・・。
初めはエコーでもかかっているかと思ってしまった。
それほど PRIMARE 928 は微細な音が出ていなかったのだった。
これは PRIMARE 928 に限ったことではない。私はこれまで様々なアンプをオーディオ店に足を運び聞いてきたが、こんな経験は初めてであった。これ以来わたしは LIVE5 を超えるものに出会っていない。

このアンプは、サウンドパーツオリジナルの回路で構成されていて、過去の回路の焼き直しではない。ここが重要である。

現代の真空管アンプは、そのほとんどが過去の回路の焼き直しである。
さらに重要なトランスがある。このトランスが素晴らしい。
その当時、日本に数人と言われた技術者による完全手巻きのものだ。
さらに、このプリにはフォノイコライザーも付いている。実はこれがこのプリの一番の要なのであった。
http://omsound.exblog.jp/15329300/

プリアンプ 2 タヌキ親父の部屋 2012-05-18

このサウンドパーツ製プリ LIVE5 に使用されている出力トランスは5Hz〜50000Hzまでフラットな極めて優秀なトランスである。通常トランスは奇数次歪率を嫌ってカットするが、これはカットしていないらしい。なぜなら、自然界には存在するから。もちろんこれによって耳につくようなことは無い。これを手巻きによって作っているのである。当時、御歳80歳を超える賢人である。あれから10年近くたっているのでご健在かどうか心配である。

さらにもう一つ、極めて優秀なフォノイコライザーを内蔵しているのである。
もちろんMCトランスも内蔵している。パーマロイコア78%の1インチタイプのもので、メーカー品ならこれだけで数十万円はするだろう。
さらに、驚くなかれこのクオリティーのインダクターを使用した LCR型なのである。

メーカー品なら数百万円もするコニサーのアンプくらいしか知らない。
市販品の多くのCR型プリなら数個の抵抗で済むところを、数万円の原価がかかるコイルを、ステレオで4個も使用しているのである。

さらにコンデンサーはデンマークのJENSEN(ヤンセン)製の銅箔/オイルコンデンサーをふんだんに使用している。なんと贅沢な。。。

このフォノイコライザーから紡ぎだされるアナログ音楽は言いようもなく自然で、奥行き、広がりが石のアンプとは比べようがありません。

ここもPRIMARE 928のヘッドアンプを使用した音とは雲泥の差でした。
ということで、プリもスピーカーに続きこれを超えるものが見当たらないので、現在落ち着いています。
http://omsound.exblog.jp/15338905/


フォノイコライザー タヌキ親父の部屋 2013-06-22

私の使用しているフォノイコライザーはサウンドパーツ製プリアンプ LIVE5 に内蔵されている。下記画像は以前プリアンプ2でも紹介したLIVE5の内部である。
http://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=17980826&i=201306%2F22%2F79%2Fa0277279_11382130.jpg

 白ラインで囲まれた部分、上部4本の真空管(茶色の真空管ラジエターが付いている)と、左に見える4つの銀色円筒形と、その右上の2つの円筒形部分がフォノイコライザー部分である。回路はLCR型である。

 ここでLCR型の説明をば・・・。
一般的に市販のフォノイコライザーはNF型もしくはCR型である。中でもNF型がほとんどで、おそらく99%以上であろう。NF型とはNFつまり、ネガティブフィードバックのことで、パワーアンプで言われるNFBのことである。つまり、よく言われる通り、ノイズが出にくく、容易にカーブ特性が出せるなどの如何にも市販に向いた回路なのである。しかし、私はどうしてもネガティブフィードバックが掛ったものは綺麗な音になりすぎるきらいがありやはり好きになれない。

 ではCR型はというと、C(コンデンサ)とR(抵抗)でカーブ特性を作る非常にシンプルな回路である。非常にシンプルゆえ使う部品のクオリティがとても重要になってくるのである。つまり、部品の選別が肝である。NF型とは違い電気信号が一度しか通らないので各パーツ選びが重要なのである。一般的に自作派やガレージメーカーの製品に多く見られる回路である。私としてはNF型より好きである。
 さて、最後にLCR型であるが、LCR型はCR型にプラスしてコイルを使用する回路である。LCR型は定インピーダンス回路となるためノイズにとって有利となり最も自然な増幅を可能とする。では、なぜメーカーはLCR型を採用しないのか。理由は簡単である。製造コストに難があるのである。

1.イコライザーの前後段増幅において非常に小レベルなノズの増幅器が必要となる。

2.L素子(インダクター)のクオリティが重要となる。

3.電磁シールドが必要となる。

特に、良いインダクターを作れるところが無いのである。

まあ、全体がNF型やCR型に比べコストが掛るうえに技術(ノウハウ)が必要となってくるので、頭が良いだけでは出来ないのである。
私が知る限るで、一般市販品でこのLCR型を採用しているものがあるのはコニサーだけだ。

コニサー製品のすべてが採用しているかは定かでないが、LCR型を採用している型番は失念した。たしか数100万円はした。しかし、コニサーは確か半導体とハイブリッドだったと思う。

コニサーに関してはネットでも情報が極めて少ないので、聞いたことがあるオーディオファイルもすくないに違い無い。私は聞いたことがあるが、確かに良い音だった記憶がある。しかし、いかんせん価格が高すぎるのである。その試聴時は、アンプとフォノイコライザーだけで1千万円を軽〜く超えていた。これでは、頭の片隅にも置けない。

 私の使用しているフォノイコライザーはプリアンプ部と含めて40万円である。
一般的なハイエンドフォノイコライザーとしてはプリも含まれるので破格の値段だ。

しかし、単純に値段で判断しないでもらいたい。職人の技(わざ)は値段だけでは判断できないものである。

聞いて、耳で判断してもらいたい。
数100万円のフォノイコライザーが霞むであろう。

私はFMアコースティックの「FM222MKII」400万円弱のものと比較したが、気配の再現性でこのLIVE5に軍配を上げた。

これは衝撃としか言いようが無い。しかしこれが、会社と屋号の違いである。
職人の技なのである。これは作品である。

 本当に良いものは大量生産できない。改めて感じるLCR型フォノイコライザーの驚異である。
http://omsound.exblog.jp/17980826/


プリアンプ 3 “ボリューム” タヌキ親父の部屋 2012-07-25

 プリアンプとは音量を調整するアンプである。まさか、プリアンプのボリュームを最大にして、CDプレーヤーのデジタルボリュームで音量調整している方はいるまい。

もしかしているのだろうか・・・。はっきり言ってこれはやめた方が良い。
入力の微小信号をカットするというのは極めて非効率的で、音質劣化は免れない。この話は後日ということにして、今日はプリアンプのボリュームについて。

 プリアンプのボリュームは以前書いたとおり、そのほとんどが Aカーブの可変抵抗を利用している。中にはデジタルアンプのデジタルボリュームや、抵抗式アッテネーター、巻き線型トランスによるボリュームが付いている機器もある。

ここでは一般的な150度開度のAカーブボリュームを使用しているプリアンプのお話。プリアンプを見るとき、ボリュームはかなり重要である。なぜなら、私達が音楽を聴くとき、そのほとんどの音がボリュームによって失われているからである。
例えば100KΩのボリュームの場合、時計の針12時の位置でアンプ出力の15〜25%程度の抵抗値、残り85〜75KΩのボリュームを通ることになる。言ってみれば、85〜75%がボリュームによって失われているのだ。

いかにここの部分が大事かお分かりかと思う。

だから、抵抗式アッテネーターを作る場合、良い抵抗を奢るのはこのためである。川上に当たるCDプレーヤーやBDプレーヤー、TVなどいくら高価なものを揃えても、このボリュームがプアならすべて良い音が失われることになる。
100万円のCDプレーヤーを購入するなら、良いボリュームを入れた方が良いのである。

私が使用しているサウンドパーツ製プリアンプ“LIVE5”はアルプス製の RK-50 を使用している。
http://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=15842087&i=201207%2F25%2F79%2Fa0277279_14264422.jpg

(写真右のもの)真鍮の削り出しによる精密加工だ。直径は50mm、厚みは40mm近くある。価格は1個36,750円もする。ボリュームだけの値段である。

このボリュームは適度なトルクと、回した時の感触が何とも言えない高級感がある。もちろん高級なのは感触だけでは無い。これを使用したことによる音質の差となって表れる。まさしくベールを取ったようなクリアさと、聴感上のSN比の向上である。音の前後左右、上下の広がりに差が出る。

写真左側のボリュームはアルプスのミニデテントボリュームだ、これは左右のバランスに用いている。音楽信号では無いので、ここではこれで十分である。
価格は1,000円程度だ。もし、出来ることならご自分のアンプをちょっと覗いてみてほしい。どの程度のボリュームを使用しているかで、そのアンプの真価が分かるものである。
http://omsound.exblog.jp/15842087/

真空管 タヌキ親父の部屋 2012-05-21

今、私のシステムは、プリアンプ、パワーアンプ共に真空管アンプである。
様々なアンプを聴き比べた結果である。

値段も、数万円から一千万円以上もするアンプまで聞き比べた。
その種類は、大手メーカー製からガレージメーカーと呼ばれる自作に近いものまで。

そして最後に行き着いたのが、真空管のガレージメーカー製アンプである。
求めた音は、どこまで自然か。また、実際のコンサート等で体験するような自然な音楽鑑賞に浸れるかということ。

これは、自然音、人の会話等などを捉えた音の出方も同様なことがいえる。
科学的に真空管より石のアンプがすぐれているといったことより、聞いて自然な音かということの方が私にとっては重要である。

自然とは、言うまでも無く“らしい”かである。どこまで“らしく”再現されているかである。

その結果行き着いたところが大手メーカー品には無い、ガレージメーカーの真空管アンプだったのである。

そして、CDプレーヤーもアナログ部に真空管を使用した良いものは無いかと探してみたが、残念ながら現在発売中のものでは良いものが無かった。やはり、真空管という素子の問題ではなく、その他の部分も重要なのである。当たり前だが・・・。
もうひとつ、このサウンドパーツのアンプの優れたところにトランスがある。
もちろん完全特注品であるが、技術と人の職人技が詰まっているものなのだそうだ。

私が購入した10年以上も前にすでに78歳ということだったので、今は御存命かどうか。。。その方の手巻きによるこのトランスが音を決めている一つの要因であることも、また間違いが無いのである。

「本当に良いものは大量生産できない。」というのが私の持論であるが、このトランスも1日1個程度だそうだ。

日本にもいまや数名程度というトランス巻の最高の職人だそうだ。このトランスがあってこそ、真空管が生きるということだ。
逆に言うと、トランスは真空管の要であるということ(OTLアンプは除く)。
https://omsound.exblog.jp/iv/detail/?s=15365970&i=201205%2F21%2F79%2Fa0277279_1503899.jpg

上の写真はパワーアンプである。詳細はまた別の機会にするとして、トランスである。

とくに右側の縦に並んでいる2つのトランスは出力トランスである。125mm四方で高さが150mmもある。

出力25wのアンプにこの大きさの78%アモルファス手巻きトランスを奢っている。さらに職人の手巻きと聞くと、何とも感慨深いものである。まさに出会ってよかったと思える逸品である。
https://omsound.exblog.jp/15365970/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c116

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
117. 中川隆[-14446] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:14:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1365]
「サウンドパーツ社」の真空管プリアンプ 2015年03月16日
https://ameblo.jp/toyovax/entry-11996124266.html

もうオーディオ装置は買わない!と家内にタンカを切っていた
にも拘らず、また真空管のプリアンプを買ってしまった。
実は数ヶ月前にはこっそり入手し、隠してあった。

長野県の「サウンドパーツ社」のプリアンプだ。

このラボのアンプ類はオーナーの水谷氏が設計・製作して作られている。
私はもう30年以上の付き合いになるし何台か設計製作して貰った。

特に300Bppのパワーアンプは音は勿論、アンプに取り付けてあるトランスなどの部品と真空管の姿も大変気に入っていて、今も大切に使っている。
私の感想だがもう氏の製品は作品の部類に入っていると思える。

数年前に「Love Five」と言う名の渾身の一台、プリアンプが仕上がったとの評判を聞き、欲しくなってしまった。
それがこの写真の物だ。
https://ameblo.jp/toyovax/image-11996124266-13232433826.html

洋間で鳴っているもう一組のシステムはどちらかと言うと大きな編成が得意だ。
機器の個性を活かして私好みにチューニングしている。
しかし和室には自慢のタンノイのヴィンテージスピーカー「コーナーランカスターin Red15」が鎮座している。

以前はコーナーヨークの完全オリジナル「コーナーヨークin Black」を所有していたが不意と売ってしまい大変後悔していた。
縁あってこのランカスターが来てくれたので再びイブシ銀のヴァイオリンの音を奏でたい。

1960頃イギリスで作られた物だとは思うが当時日本には輸入されていなかった。
15インチのモニターレッド入りのこの5角形の箱を良い音で鳴らしたいものだ。

水谷氏製作のWE300Bをプッシュプルで使ったトランス結合パワーアンプとこのプリが絶妙のハーモニーを聞かせてくれるのは間違いないだろう。

何度見ても美形だ。球は色々と紆余曲折を経て色々なメーカーも差し替えたりしているしCDプレーヤーとの統一感が無いのは仕方ない。

マニヤチックな話をするとユニットに合わせてトランスは15Ω出しにしている。
https://ameblo.jp/toyovax/image-11996124266-13232433829.html

このプリのバージョンも色々とある。フォノや昇圧トランスなども内蔵したフルバージョンなどもあったりマニヤックだ。

分厚いアルミのケース、木製のオリジナルツマミ、シャンパンゴールドの高級感溢れる色、ウムムム・・・、マタマタ時間が直ぐに過ぎて行く。
この装置のセットでは諸般の事情からCDのみを聞く事にしている。

しかもモーツァルトとバッハが殆ど、と言う変則的な聞き方。
CDプレヤーにはどうも力が入らないのは何時もの事として此方のシステムのチューニングも今から楽しみ一杯だ。
https://ameblo.jp/toyovax/entry-11996124266.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c117

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
118. 中川隆[-14445] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:31:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1364]

サウンドパーツの詳細は

サウンドパーツ 300B プッシュプル・アンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/114.html


しかし、サウンドパーツも Aitlabo も WestRiver も原音再生一辺倒で、無味無臭、無色透明な音ですね。

日本の優秀な技術者がつくるオーディオ製品の特徴です。

聴く音楽が流行歌だけの技術者には
チェロ、ゴールドムント、ブルメスターや EAR みたいな心を震わせるアンプは絶対に作れないのですね。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c118

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
119. 中川隆[-14444] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:38:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1363]

日本人は色付けがなくフラットな音が大好き

PRO CABLE社 推薦ケーブル 「フラット」という名の音の個性(笑)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-469.html


Der Klang vom Theater(ドイツ〜劇場の音と音楽)

ひと昔前のことです

当時、ケーブルの交換や真空管を取り替えて楽しんでいた知人(そんなことをする必要の全くない素晴らしい装置を揃えていたが、着せ替え遊びに飽きて現在はオーディオ休火山)から中部地区のとあるショップが運営するHPを紹介された

「プロケーブル」と書けば知っている人も多いだろう

思い込みの激しい文章で世間を騒がせていたらしいが、僕が知ったのは騒動が少し収まった頃だったろうか

HP自体は、同じことを何度も繰り返しているだけなので断片を読んだらもうゲップが出てやめたけれど、一つのワードに大変に心惹かれた

それはおそらく、こんな感じで使われていた

店「◯Xのケーブルを使うと、フラットな音を実現できます」 とか

客「おたくの◯Xケーブルを使ったら、フラットな音になりました、ありがとうございました!!」

てな感じ


ここのお客さんは比較的若い人が多いらしく、幾つかの関係するブログやHPがあったのでそちらも確認してみると

やはり「フラット」の大合唱じゃないか


素直な僕は

すごいなー「プロケーブル」の関係者諸氏は測定器を駆使してフラット・レスポンスを獲得されているんだなあ(憧れ)皆さんレベルが高いなあ、と

ちょと考えてみれば突っ込み所満載なのですが、その当時は本当にそうなのか?と思っていましたよ


しかし、店のHPを見てもお客さんの書き込みを見てもどこにも測定の「そ」の字もでてこない

それに、使っている機器や部屋の様子が映っている写真を見ても「フラット・レスポンス」の音が出ているようには到底思えない

不思議に思ったのでそれまで斜め読みしていたのを、内容を咀嚼しながら読んでみた
そうしたら、一つの重大な事実に到達してしまったのだ


http://blog-imgs-88.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20160213132448f90.jpg


このグラフは本文とは関係ありません、Yさん宅の実測値 勝手に出してごめんなさいね

彼らは、オーディオで音楽(まあ音ですね)を聞いた感想の新しいボキャブラリーの一つとして

「フラットに聞こえる音」という new word を開発していたのですね(きっと、想像です。質問したのではない)

・音数が多い音
・音楽性のある音
・スピードが速い音
・生々しい音

云々カンヌン

そして、期待の新人登場!

・フラットな音

上の先輩ワードたちと同じように、オーディオを通じて聞いた音の感想を第三者と交流するためのコニュニケーション・ツールとしての「形容詞」だったのです

F特性をフラットにした時の音なんかでなく、音の特徴の一つ、つまり音のカラーの表現ですね、無色も色の一つだというような哲学的な深遠な意味を含むかもしれません・・・

 よくわかりませんがきっと違うと思います、その証拠にプロケーブル・グループの一員でなかった私には「フラットな音」のテイストが全く想像もつきません・・・のでコミュニケーション・ツールとしての汎用性、普遍性はありません


まあ、僕自身も無音にも種類があるなんて奇特な記事を以前に書いていますから気持ちがわからないことはないんです

その際にコメントを頂いた方が北海道にお住まいだったので、雪が降る夜の「しんしん」とした静けさという表現を使いましたけれど、雪国でないところにお住いの方には分からないことですよね

もちろん、我が家のお隣に住んでいる人だからといって同じイメージを共有できるはずだなんて思い込みは、傲慢で独りよがりな実に鼻持ちならない幻想です


もとより、音を言葉遊びしても仕方ないですよ、ワードのベースとなる共通認識や前提が皆無なのですから

「赤いりんご下さい」と言われたら日本人なら緑のメロンを持ってきちゃいかんのです
そんなことは当たり前だと思われるかもしれませんが、当事者間に「赤色」とはこんな色で「リンゴ」とは青森とか信州名産のあんな果物だという共通認識があるからこそ「言葉というコミュニケーションツール」が機能するのです

でも、オーディオの世界じゃそんな簡単な前提を無視する会話が堂々とまかり通っている


だからね「フラットな音」や「音数が多い」なんて表現のイメージはそのワードを発した人の数だけ異なるイメージがあるんだと思わなきゃだめなんですよ

プロケーブル店主やお客さんのHPやブログに現れる表現を読んでいると10人寄れば、10通りの「フラットな音」があるように感じます

まあ、俯瞰して考えるとそれでいいんです
むしろそれこそが尊いことなんです、同じアンプ、スピーカー、プレーヤーを使っても出てくる音は使う人によって違うんです。感覚が異なる人間が使うのだから

PCで再生する時代が来たって「音は人なり」だよなあ、やっぱり間違いないです


コメント

一度、天誅をとまでは申しませんが、思うところがありました。
ご本人以上に何かに憑かれたかの様な崇拝者の存在に驚きました。

何十万も掛ける前に、ケーブルの基本的な性能を確かめようと言う話であれば、やぶさかでない所もあるのですが、そこに留まる話ではない様でした。
2016/02/22(月) 14:08 | URL | kawa


Re: 期待してます
私的には、いかなるメーカー、販売店、個人がどのような思想を持っていても個々に違うのは当然と思うので。お好きにどうぞ、と申し上げるしかありません

今回の話題は「フラット」という単語が続出しているのにもかかわらず測定結果が出ていないのは不思議だ!

ということで、こちらがどうのと言うよりもオーディオ界全体の音よりも言葉が先行する滑稽さに着目しました

よって、ここの販売店さんがどのようなご活躍をされているかは興味の外ですが、読み物としては同じことが何度も繰り返されるので読みきれなかったなあ
・・・が個人的感想ですね
2016/02/23(火) 00:00 | URL | kaorin27
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-469.html


Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)
色付けのない音・・・という悪い冗談
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-470.html

http://blog-imgs-88.fc2.com/k/a/o/kaorin27/PICT4285.jpg

この六つの簡略化したグラフの要旨を説明すると

ある時評論家の傅さんと欧州で活躍する外国人のオーディオ評論家の方との対談の機会があった

ひとしきりオーディオ評論やジャーナリズムについての意見交換があったのち、ではランチでもと言う運びになってビールなどが入っていよいよ個人的で本音の(仕事抜きの趣味人同士でのという意味)オーディオ談義に入っていく

その中で、大人同士の余興というノリであったと思うが、スピーカーを聴いた印象とスピーカーのお国柄(スピーカー生産国毎の音色イメージと言えばいいか)との関連性をイメージしたグラフが上の図になる

右側 @、B、D が傅さんの見解
左側 A、C、E がドイツ人評論家の方の見解   
各図の下にどの国のスピーカーの印象についてか書いてある

ここに少し加えると

ドイツ人は自国のスピーカーをフラットだと感じるが傅さんはドンチャリと聞こえると・・・

またイギリスのものはドイツ人にはこんもりと聞こえるが傅さんには高音に特徴がある・・・

そして奇しくもお二人に共通するのが、日本のスピーカーは「ハイ上がりである」と一致した


前回は音を言葉遊びしても中々思うように伝わらないよねという記事でした

それでも、今聴いた音の印象を何らかの形で伝える努力はわかります、傅さんを挙げるまでもなく、オーディオに限らずジャーナリズムの存在、もっと風呂敷を広げれば政治だって言葉の発信がなければ成り立たないでしょう


そこで、今日のテーマですが

自分の中で最も「オーディオの深い闇」を感じる事柄(ワード)についてです


「私は色付けのないオーディオが目標だ」

「このアンプはニュートラルな音色なので好みだ」

「オーディオで色付けすべきではない」

・・・・・・まだまだこのベクトルの発言は多数あるが、全く意味が、と言うか正解がわかりません

冒頭に前提を挙げましたので、多くは語りません

想像するに、オーディオという趣味を続ける上で多くの人が一度は通過する儀礼とでもいうのかな

魅力的に映る「ワード」なのでしょうね

昭和の頃に流行った「原音再生」が形を変えて、今の流行りかもしれませんが根っこは一緒ですね

私にとっては

・我が家のオーディオ装置はスピーカーを含めたトータルで歪率 0.000000000000% を達成している

・俺は昨日、鉄で真球のタマを作った

・10年後には月まで歩いていける

これと同じくらい滑稽な話です


****こう書けば云いたいことは伝わるだろうと思っていたのだけれど言葉は怖いので少々加筆****

私が何をわからないかと申しますと

「みなさんご存知の」みたいなノリで「色付けがない」とか「ニュートラル」って言ってますけどのような状態ならばニュートラルなのか、どなたからも具体的な指針をお聞きした試しがないんですね

「お前のニュートラルなんて、あたしゃ知らないよ」と思うから、正解がわからない

それで、実際に音を聞かせていただくとですよ
ハイ上がりに聞こえる御宅もあれば、腰の太い音に聞こえる御宅もあるが、みんな「ニュートラルな色付けのない音」を目指していると仰る

結局のところ「俺の好みの(それぞれの)音」を皆さん出されているだけなのに、なぜそれが「ニュートラル」なのか???
実は全員まだ達成できていないだけで、達成した暁には全員同じ音になるのだろうか? それにしてはクセが強い!

それともオーディオをしていると、いつしか自分が世界の中心にいると思えるのか? (まずは中心の座標をおくれ)

本当に意味がわかりません


********ここまで読んだら、もう一度冒頭に戻って六つのグラフをご覧ください********


鋭い方はもう分かりましたね

遠い異国で生を受け、異なる文化で育ってきた人たちとの間には、当然のことですが異なる音の受け止め方があるでしょう

もちろん同じ日本人だとしても音の受け止め方は十人十色ですよ
DNAも育った環境も違うのだから


あるお宅で音を聞かせていただいている時の私は私の「耳のくせ」と「脳の感性の個性」を避けて音は聴けないんです

私の癖を通じてしか自分は聞けないし、100人寄れば100通りの癖という耳のフィルターを通じて聞くのだから100通りの「音の感想」があるはずなのに

「ニュートラルな音のアンプ」

「オーディオでは色付けすべきでない」

こんなタワゴトは、人間の耳で音を聞き、人間の脳で音を感じる、という圧倒的な大前提を無視しています

さらに人間の創造物には全て個性=クセ=歪と言ってもいい、があるという大前提も無視している、たかだか300万や500万で買ってきた機器に何の幻想を抱いているんだキミ達は!と思う

それらを全部入れ込んだ上で

「色付けのない音」というワードは特に日本人の男子=お刺身を始めとする和食のように素材を活かした新鮮なものを善として育った=にとっては心をくすぐる麻薬のような単語なのでしょう

これを販売店やオーディオ先輩にささやかれたらイチコロでしょうね

だから深い闇だというのです

さらにタチの悪いことに、「このような根拠でニュートラルである」と誰も証明してくれません

広大で漆黒の誰もいない宇宙空間で「ここが宇宙の中心だ」と叫んでいるだけなのです

おじさんたちにこんなことを言ってももう手遅れですけどね、

若い人たちは、一人前の男になるには元服を過ぎたらこんな神経系のワードから卒業しなければ遺憾と思うのです


私は、心を許せるオーディオの友人とは測定値抜きで音の話をしません

慣れるのに時間がかかりますが、分かってしまえば確度の高い意思疎通が可能ですし
機械に癖があっても(測定器だって機械だからクセはある)毎回同じ癖を出しますからね、それ込みで(逆特性という)評価できます


なので、今日からは

「私の家の音は、私が聞く限り色付けのないニュートラルに聞こえる音という特徴を持った個性ある音色を目指しています」

と、言ってもらえないでしょうか?

それならば、こちらもスッキリと感想を言えます

「僕がイメージする色付けのない音と比べるとかなりハイ上がりに聞こえますが、これは僕の耳のクセですからご容赦を」


しかし現実は

「我輩の音は色付けを徹底的に排したニュートラルな音である故、そちも心して聞くように」 って言われちゃうので

「はは〜、御意に。さすがに鮮度感のある生々しい音(つまり、ハイ上がりでうるせーぞの意)ですねえ、ご立派なりー」
てな感じに答えざるを得ませんがな

なんだか平安貴族の雅な遊びのようです


コメント

あはは、なんか脱輪させられてますねえ!

ご隠居、フラット、ニュートラルに、「生々しい」だの「ビビッド」だの足しておいておくんなまし。

一体どこの誰に陥れられて、そんな哲学書10冊もかけそうなネタにありつかれたんざんしょ?

百人百音、それぞれ耳骨の形状が違い、鼓膜の感度も違い、聴こえの同一化は無理難題!

絶対音感を授けられた人は、この耳骨が黄金形状(黄金比の真似ですよん! 突っ込まないでね〜)になってるはず、、、、(黄金形状ってどんな形? 知らん!)
で、旦那、オチは何処へくくるおつもり?
それ一番楽しみ!
2016/03/09(水) 02:10 | URL | mambo #n9Bk/wZI


Re: あはは、なんか脱輪させられてますねえ!

やあやあ くまさんじゃねえか(爆)久しぶりだな。こっちへへえんなよ

どこの誰って、16、7歳の頃に初めてステサン誌の裏表紙の日本コロムビア(当時)の広告を見て以来ですよ

当時の日コロさんは「原音回帰」みたいなコピーを長いこと前面に打ち出して広告していました

あれから幾星霜、振り返れば(たまたまですが)日コロさんの機械は一度も手にしたことがないです、どこかで引っかかっていたのですかねえ

オチなんて何もねえですよ、文字のまんま

共通認識のないアヤカシの言葉を使うんじゃねえ!そんなものに心揺らいでんじゃねえ!ってだけです

絶対音感てのは音の高さの基準を記憶して持っている人の能力ことでオーディオをするときに特には関係ねえっす

街歩いていて、クラクションの音を「これBだ」とか音程で表現できる人がいます、訓練で身につきます

でも、音楽を聞いているときに色々気になって楽しめない人もいるみたいですよ(こっちにツッコんだ)

そういえばブラームスがある演奏会のときに、半音だか一音下で調律されていたピアノを前にして、咄嗟に鍵盤をずらして一曲弾き終えたそうです
その逸話からブラームスには絶対音感がなかったと言われていますが、単純に機転の利く人だったのかもしれません
2016/03/09(水) 12:51 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-470.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c119

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
120. 中川隆[-14443] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:42:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1362]

伝説の名機はすべて原音とは全く違う音を出している


プリアンプ 伝説の名機 まとめ

オールド マランツ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/635.html

マッキントッシュ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/627.html

オールド QUAD の安物アンプは名機なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/840.html

ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLーSG520
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html

チェロ AUDIO SUITE + Performance
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1032.html

CR Electronic Design _ Pre-Amplifier Kaster Pro (イギリス)
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/119.html

カウンターポイント SA-5000 + SA4
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1033.html

ゴールドムンド _ その奇跡の音色の秘密
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/948.html

コニサー (Lyra Connoisseur )
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/651.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c120

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
121. 中川隆[-14442] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:47:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1361]

名機はすべて原音とは全く違う音を出している


プリアンプ 現行の名機

EAR の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html

ボッタクリ アンプ _ FM Acoustics の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/754.html

Burmester _ プレーヤー、アンプ、スピーカーはもちろん、、オーディオラックまで作ってしまう超高級セット・コンポーネント
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1028.html

ドイツ OCTAVE社の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/946.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c121

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
122. 中川隆[-14441] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:57:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1360]
原音再生 なんて 幻想 だ!
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-16.html
 
さて、ピアノに JBL サブシステムを乗っ取られたので(陰の声:それが目的でピアノを買ったんじゃないの?)、当然ながら、サブシステム用のスピーカー購入が急務となった。 手持ちは、QUAD, JBL なので、当然、それ以外のメーカーからの選択が妥当だ。

スピーカーが、そのシステムの音質を、おおよそ方向づけるのはよく知られたことだ。
 
私は、原音再生なんて、幻想だと思っているので、いろいろな傾向をもつシステムがあった方がよいと考えているからだ。

原音再生とは何なのか? そもそも原音とは存在し得るのか?

とあるサイトで、ホールの場所によって音が変わるので、原音再生なんて幻想だという論に対して、それならホールの中央前列の音を原音と定義すれば良いと、原音再生派が強弁されておられた。
 
原音再生派の幻想も、ここまでくると、私にはただの滑稽な喜劇である。
 
私自身は、同じホールでも、演奏の種類によって、異なる席を選ぶのを常にしている。 例えば、オーケストラであれば、ホールのほぼ中央よりやや後方。 室内楽ならほぼ中央よりやや前方。 ピアノであれば、中央は避けて、少し側方にずれる。 ピアノの反響版からの直射音は単調で、つまらなく聞こえるからである。 
このように席を選ばないと、心地よい音が得られないのである。 

こんなことは、クラシック音楽聴きには常識なのだが、オーディオ評論家にはわかっていないらしい。

ホールの中央前列の音をオーディオ再生の目標にされたら、どんな音が聞こえるのであろうか? 

もちろん、そんなデリカシーの欠けた音を聞くのはごめんこうむりたい。

『原音を横に用意して、その都度比較しながら再生音を評価すると、記憶の曖昧さがなくなって飛躍的に精度は向上する。これが「原音比較法」である。その例を挙げてみよう。

 一番簡単なのは直流の掛かっていない場所の結合コンデンサーである。短い銅線でショートした時の音を原音として、コンデンサーを通した音を「そのコンデンサーの音」と評価すれば良い。小生が何度か実施したコンデンサーの音質評価はこの方法である。』

とあるサイトより引用

これは、一見正しい論法のように見えて、実は、何の意味もない方法である。 
ちょっと電気に詳しい方なら、すぐにおわかりいただけると思うが、直流がかかっていないところに、何故に結合コンデンサーをいれる必要があるのか? 
そんなところにコンデンサをいれて、音質の評価になるのか? 

結合コンデンサは、そもそも直流電圧がかかっているところにおかれるものであり、直流がかかっているときと、かかっていないときでは、そのコンデンサの音質が異なるというのは、良く知られた話である。 OS コンなんかは、そういう状況でないと、正常に動作できないことが良く知られている。 そもそも直流がかかっていたら、導線でショートしたら、電気的に回路が正しく動作しなくなってしまう。

 この意味で、上記の「原音比較法」というのは、ただのまやかしに過ぎないように私には思える。 

文句があるなら、私を論破して欲しいし、加えて、トランジスタなどの増幅素子の「原音比較法」をどうやって実現するのかも説明して欲しいものだ。 

上記の原音再生論は、MJ「無線の実験」にも執筆なさっている方のページにからの引用であるが、よりよい音楽を聴きたい、一介のオーディオファンの私から見てさえも、論点があやふやで、議論に耐えないレベルに思える。

かくいう私自身も、20 年前は、原音再生という錦の旗をふりかざしていたものであるが・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-16.html  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c122

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
123. 中川隆[-14440] koaQ7Jey 2020年1月16日 10:59:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1359]

2012.12.13
やはり、ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

アメリカ製品を使い始めて、濃厚な感じにどっぷりと嵌ってきたので、久々にこういう音を聴くと、こっちも必要だと思うようになった。

最初はちょっと物足りない感じがしたが、次第にこの方が正しいのじゃないか?と思い始めた。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。

ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。

どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。

オーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。

じゃー、アメリカの音響製品は、ウソっぽいのか?ということになる。
デフォルメされた音、メリハリのきいた音は、面白くないかというと、ものすごく面白く感じるわけで、実際の音に迫る必要がないというところに立てば、全くのエンターテイメントであっていいわけで。

そこらへんは、マッキンアンプは実に上手いと思う。

家庭での音楽の楽しみ方というものを、実に上手く提示してくれる。
それは全くのウソっぱちの音だとしても。
http://blogs.yahoo.co.jp/gonta4350a/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c123

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
124. 中川隆[-14439] koaQ7Jey 2020年1月16日 11:01:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1358]
こういう音楽再生こそが理想


どうしたら あの音を体験できるか?


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
/:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_                 _、-、_
;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、  ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ.   /"´ ̄~''ヽ. ,.. ‐"`'ー-''`''-、
;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::
  ヽ

音楽に魔法をかけよう 美しい天使の響きを手に入れよう
http://metamor1.zouri.jp/musicmagician0.html

リバーブとディレイを駆使して作る極上のサウンド
昔から憧れた天使の響きを自分で作ることに成功!

貴方は、感じたことはありませんか?
ボーカルがはいっているCDを聴いていてたまに「シュワ〜ン」という余韻が残るのを....

私はこれを天使の響きと命名し、長い間憧れてきました。どうせ高価な機材を買わなきゃ手に入れられる訳がないと思っていました。しかし、今は昔とは違い高価な機材とスタジオでしか作れないサウンドが、PCを使えば近いものを得ることができます。

天使の響きの作り方!まさにミュージック・マジシャンの魔法と呼ぶにふさわしい術ですよ。

大きなポイントは、これでもかというくらい高音を強調してリバーブとディレイをかけることによって天使の響きを作ることが出来ます。まずは、天使の響きを体験してみてください。
http://metamor1.zouri.jp/musicmagician0.html


左図が天使の響きを得るための仕組みの概要を示したものです。

点線で囲まれた部分が従来の設定であると仮定します。具体的には天使の響き用にトラックをもう1つ追加して響きのみを発生させ、最後に従来の音と新たに作った響きの音をミックスすることで実現することが出来ます。原理はこういうことです。

さて、具体的な説明をする前にまずは、準備が必要です。以下のエフェクタが、貴方の音楽ソフトに含まれるか確認してください。ちなみにMetamor1はMMS(MusicStudioStandard)というシーケンサに付属のソフトを使っています。今時の音楽ソフトなら多分付属していると思います。ない場合は、揃えるしかありません。ご自分のソフトにあったプラグインがひょっとするとフリーで供給されているサイトがあるかも知れません。こりゃ買うしかないと揃えてしまうのも一つの方法ですが、一応調べてみたほうが良いと思います。無駄なお金はかけないほうが良いに決まっています。

 1)コンプレッサ
 2)イコライザ
 3)リバーブ
 4)3TAPディレイ

 前提条件としてエフェクタが付属しているシーケンサで実現するものとして説明します。録音したボーカルのトラックと、天使の響きを作るトラックを2つ用意します。上の2トラックを同時に再生することで天使の響きを持つボーカルを手に入れることができます。録音したボーカルのトラックは特に変更する必要はありません。では、天使のトラックのエフェクト設定を試して見ましょう。
ソースは、録音したボーカルと同じソースに設定します。

1)コンプレッサの設定
左図が、コンプレッサの設定例です。
 録音したボーカルのコンプレッサの設定と同じぐらいにします。
 従来側も、天使の響き側も基本的に同じ設定でかまいません。

2)イコライザ
 左図を一応、従来設定していたイコライザの設定とします。天使の響き側の設定はこの従来の設定に対して相対的にさらに高音をブースト、低音をカットした設定にします。この設定の加減で天使の響きの聴こえ具合が大きく変わります。要するに天使の響き側は高音だらけの設定にすればするほど良いわけです。設定例を示すと下図のようになります。

3)リバーブ
自分の好きなリバーブの設定を選びます。ここは、あまりいじらなくても従来用意されている規定の設定で構わないと思います。できれば、この設定例にあるような豊かなリバーブを得られるエフェクタを使うと天使の響きが一層引き立ちます。単純なリバーブを使う場合、とにかくHIGHパラメータだけは100%近くにして高音を強調した設定を心がけることです。単純なリバーブでも設定さえちゃんとすれば天使の響きを得られると思います。高音が強調されない場合は、残響というより原音を繰り返すような粒々感が感じられます。そう聴こえる場合は設定が悪いはずなのでもう一度設定を見直してみることです。

4)3TAPディレイ

 左図にディレイの設定を示しますが、ここが一番の勘所です。

Highは、100%近くにして高音が強調されるように設定することが1つ。
もう1つは、ドライレベルを50〜80%ぐらいに設定して粒々感ををなくしホワ〜ンという感じの余韻がでるように設定値を決めることです。

 もうご存知とは思いますが、各TAPのディレイタイムは、その曲の速度の4分音符、8分音符、16分音符と同期するように設定します。えっ、どうすれば良いか判らないって?

えーと、速度が、80(4分音符)の場合だと、4分音符に同期させたい場合は、60000÷80=750mSに設定します。8分音符ならその半分の375mSです。16分音符ならさらに半分の188mSに設定します。んっ、187.5mSじゃないとだめじゃないかって?

0.5mSの誤差など人間には感知できないからこれでいいですよ。貴方のディレイが小数点以下まで設定できるなら187.5mSにしてもいいです。でもPCではそこまで正確なカウントはできないかも?

【あとがき】
 さて、これで設定は全て完了です。天使の響きを体験できるよう期待しています。

 それから、注意事項をひとつ。この天使の響きは、「サシスセソ」の歌詞だけにのみ通用するということを理解しておいてください。例えば、「やさしさわすれない〜でって」の「さしさ」の部分で「シュワ〜ン」と響きますが、「ねがいをこめ〜た」とかでは響きません。

 天使の響きで貴方の音楽が少しレベルアップできたら良いですね。
http://metamor1.zouri.jp/magician1_6.html


★超初心者・MIDI-DTM入門講座★
http://roundsquaretriangle.web.fc2.com/dtm/index_01.html

MIDIなにかいいことないかな
http://www2.odn.ne.jp/~cbu69490/MIDI_index.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c124

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
60. 中川隆[-14438] koaQ7Jey 2020年1月16日 17:59:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1357]
2020年01月16日
反安保闘争は中国の操り人形 学生はいつも馬鹿だった


オツムが足りない人に武器と権力を与えると暴動を起こす。
レーニン以来の共産主義の伝統

引用:http://static.blogos.com/media/image/12090/1/ref_l.jpg


安保闘争をした60年代の学生達と、反政府デモをする現代の学生達には共通点がある。

学生は社会の実体験が無いので、騙しやすく利用しやすいのを付け込まれているのです。


学生という騙しやすい人達

反安倍政権や反辺野古、反原発、日本ではいつも学生と老人が反対運動をしている。

「学生と老人」の組み合わせには重大な意味があり、1970年頃に学生だった老人が、現代の学生を騙して煽ってます。

学生運動の歴史は長く、幕末に騒動を起こした若者の多くが職を持たない、今で言う学生でした。


明治・昭和には民権運動的や愛国主義などがあったものの、それほど活発ではなかった。

戦前の学生を考えれば分かるが、学生運動しても生活できないし、学業をサボれば卒業できず、大学を追い出されるだけです。

学生運動が盛んになったのは、戦後の混乱期を抜け出して高度成長が始まった1960年代でした。


この頃から学生は、遊んでいても親の仕送りで生活できたり、バイトで暮らしていけるようになった。

大学も学生には甘く、一日も大学に来なくても卒業させていたそうです。

有名な文化人や政治家にも、まったく大学に行かず火炎瓶を投げたり棒を振り回したのを自慢する人たちが居る。


1960年代に学生運動が盛んになった大きな理由は、学生が裕福になり暇を持て余し、社会が甘かったからで、若者が急に信念を持った訳ではない。

火炎瓶をオモチャ代わりに遊んだ、昭和の学生達が引きつけられたのは、毛沢東やレーニンといった共産主義の英雄達でした。

これには伏線があり、共産主義者を日本で英雄にしたのはアメリカ政府とGHQでした。

日本で共産主義を広めたのは

第二次大戦で日本、ドイツ、イタリアなどは共産主義ソ連を最大の敵としており、特にドイツはソ連を敵視していました。

日本もロシア革命で皇帝を倒した事から、共産主義は反天皇であるとして、国内で厳しく弾圧した。

一方アメリカやイギリスは日独に(最初)負けそうだったので、ソ連に助けを求め、共産主義を利用しました。


第二次大戦が終わり、GHQ(米軍)が日本を占領すると、日本政府が投獄していた共産主義者を全員釈放した。

そればかりではなく大企業や新聞社、マスコミには共産主義者を雇用する義務を課しました。

世界一の発行部数を持つ日本の某新聞で、戦前逮捕歴があった共産主義者が権力を握ったのは、こういう理由です。


NHKなどのメディアも、共産主義は平和主義者で、悪い日本を倒しましたのような放送を盛んにしていました。

NHKに多くの逮捕者や共産主義者がもぐりこんで、今日の「反日放送局」を作り上げていった。

GHQとアメリカ政府がこんな事をした理由は、日本には右翼に対抗する勢力は共産主義しかなかったからです。


戦前からある大企業には必ず、こうした黒歴史みたいなのが存在しています。

ネットを騒がせるいわゆる「反日企業」の大半は戦前からある古い企業か、その系列会社です。

まったくの新興企業が「尖閣諸島は中国の領土です」のような事を言う例は少ない。


毛沢東は、頭は良いが判断力が弱い学生を集めて、「社会を変えよう」と煽った。
そうして政敵を倒したのが学生運動の始まりです。

引用:http://images.takungpao.com/2013/0814/20130814080651108.jpg

知らないのは学生本人だけ

歴史のある古い企業ほど「反日」な理由はGHQの命令によって、共産主義者が役員や社長やオーナーになり、その後継者も共産主義者だからです。

この状況に上手くつけこんで来たのは中国の指導者毛沢東で、日本赤化計画というものを開始しました。

毛沢東は第二次大戦に勝った(と勝手に主張した)がその後の国内運営に失敗し、1960年までには失脚していました。


1965年頃から毛沢東は権力を奪還するため、バカ学生を利用し過激闘争を開始しました。

悪名高い「文化大革命」がそれで、まず騙しやすい学生を集めて集会を開き「君たちが社会を変えるのだ」と吹き込みました。

社会の実体験の無い若者を集めて洗脳し、暴動を起こさせる手口はフランス革命でも、ロシア革命でも、オウム真理教でも使用されていました。


学生に武器と権力を与えていきなり社会のトップの地位につかせ、それを毛沢東が操った訳です。

「紅衛兵」という学生の軍隊および警察みたいな組織をつくり、権力者を襲撃させ、ついに権力を奪還した。

毛沢東は再び共産中国の最高権力者になると、同じように「バカな学生」を操れば日本を共産化できると考えた。


折りしも日本ではGHQの指導によって、共産主義は崇高な理念で、共産主義者は皆良い人だと宣伝していた。

何の苦労も無く中国共産党は日本の学生や教授を通じて侵入し、60年代から70年代の学生運動を指導しました。

学生達は中国に操られているのに最後まで気づかず、おそらく老人になった現在も気づいていません。


老人になった元学生達は現在の学生を騙しては、知ってか知らずか中国の為に働いているのです。
http://www.thutmosev.com/archives/43183870.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c60

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
23. 中川隆[-14437] koaQ7Jey 2020年1月16日 18:01:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1356]
2020年01月16日
反安保闘争は中国の操り人形 学生はいつも馬鹿だった

オツムが足りない人に武器と権力を与えると暴動を起こす。
レーニン以来の共産主義の伝統
引用:http://static.blogos.com/media/image/12090/1/ref_l.jpg

安保闘争をした60年代の学生達と、反政府デモをする現代の学生達には共通点がある。
学生は社会の実体験が無いので、騙しやすく利用しやすいのを付け込まれているのです。

学生という騙しやすい人達
反安倍政権や反辺野古、反原発、日本ではいつも学生と老人が反対運動をしている。
「学生と老人」の組み合わせには重大な意味があり、1970年頃に学生だった老人が、現代の学生を騙して煽ってます。
学生運動の歴史は長く、幕末に騒動を起こした若者の多くが職を持たない、今で言う学生でした。


明治・昭和には民権運動的や愛国主義などがあったものの、それほど活発ではなかった。
戦前の学生を考えれば分かるが、学生運動しても生活できないし、学業をサボれば卒業できず、大学を追い出されるだけです。
学生運動が盛んになったのは、戦後の混乱期を抜け出して高度成長が始まった1960年代でした。

この頃から学生は、遊んでいても親の仕送りで生活できたり、バイトで暮らしていけるようになった。
大学も学生には甘く、一日も大学に来なくても卒業させていたそうです。
有名な文化人や政治家にも、まったく大学に行かず火炎瓶を投げたり棒を振り回したのを自慢する人たちが居る。

1960年代に学生運動が盛んになった大きな理由は、学生が裕福になり暇を持て余し、社会が甘かったからで、若者が急に信念を持った訳ではない。
火炎瓶をオモチャ代わりに遊んだ、昭和の学生達が引きつけられたのは、毛沢東やレーニンといった共産主義の英雄達でした。
これには伏線があり、共産主義者を日本で英雄にしたのはアメリカ政府とGHQでした。

日本で共産主義を広めたのは
第二次大戦で日本、ドイツ、イタリアなどは共産主義ソ連を最大の敵としており、特にドイツはソ連を敵視していました。
日本もロシア革命で皇帝を倒した事から、共産主義は反天皇であるとして、国内で厳しく弾圧した。
一方アメリカやイギリスは日独に(最初)負けそうだったので、ソ連に助けを求め、共産主義を利用しました。

第二次大戦が終わり、GHQ(米軍)が日本を占領すると、日本政府が投獄していた共産主義者を全員釈放した。
そればかりではなく大企業や新聞社、マスコミには共産主義者を雇用する義務を課しました。
世界一の発行部数を持つ日本の某新聞で、戦前逮捕歴があった共産主義者が権力を握ったのは、こういう理由です。

NHKなどのメディアも、共産主義は平和主義者で、悪い日本を倒しましたのような放送を盛んにしていました。
NHKに多くの逮捕者や共産主義者がもぐりこんで、今日の「反日放送局」を作り上げていった。
GHQとアメリカ政府がこんな事をした理由は、日本には右翼に対抗する勢力は共産主義しかなかったからです。

戦前からある大企業には必ず、こうした黒歴史みたいなのが存在しています。
ネットを騒がせるいわゆる「反日企業」の大半は戦前からある古い企業か、その系列会社です。
まったくの新興企業が「尖閣諸島は中国の領土です」のような事を言う例は少ない。

毛沢東は、頭は良いが判断力が弱い学生を集めて、「社会を変えよう」と煽った。
そうして政敵を倒したのが学生運動の始まりです。
引用:http://images.takungpao.com/2013/0814/20130814080651108.jpg

知らないのは学生本人だけ
歴史のある古い企業ほど「反日」な理由はGHQの命令によって、共産主義者が役員や社長やオーナーになり、その後継者も共産主義者だからです。
この状況に上手くつけこんで来たのは中国の指導者毛沢東で、日本赤化計画というものを開始しました。
毛沢東は第二次大戦に勝った(と勝手に主張した)がその後の国内運営に失敗し、1960年までには失脚していました。

1965年頃から毛沢東は権力を奪還するため、バカ学生を利用し過激闘争を開始しました。
悪名高い「文化大革命」がそれで、まず騙しやすい学生を集めて集会を開き「君たちが社会を変えるのだ」と吹き込みました。
社会の実体験の無い若者を集めて洗脳し、暴動を起こさせる手口はフランス革命でも、ロシア革命でも、オウム真理教でも使用されていました。

学生に武器と権力を与えていきなり社会のトップの地位につかせ、それを毛沢東が操った訳です。
「紅衛兵」という学生の軍隊および警察みたいな組織をつくり、権力者を襲撃させ、ついに権力を奪還した。
毛沢東は再び共産中国の最高権力者になると、同じように「バカな学生」を操れば日本を共産化できると考えた。

折りしも日本ではGHQの指導によって、共産主義は崇高な理念で、共産主義者は皆良い人だと宣伝していた。
何の苦労も無く中国共産党は日本の学生や教授を通じて侵入し、60年代から70年代の学生運動を指導しました。
学生達は中国に操られているのに最後まで気づかず、おそらく老人になった現在も気づいていません。

老人になった元学生達は現在の学生を騙しては、知ってか知らずか中国の為に働いているのです。
http://www.thutmosev.com/archives/43183870.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c23

[近代史3] 欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
2020年01月16日
欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上


EUは財政規律を損なうとして貧困者対策を禁止している
その結果すべてのEU加盟国で貧困者が急増している

画像引用:https://pbs.twimg.com/media/DnCXF_QXgAAoG3X.jpg

イギリスのフードバンク難民

日本を除く先進各国では貧困者向けのフードバンクが普及しており、貧困者は食料を貰う。

フードバンクはスーパーから廃棄予定の食品を貰ったり、企業や個人からの寄付、自治体などの補助でなりたっている。

イギリスではフードバンク利用者が激増し、2016年のニュースには7年前と比べて利用者が44倍に増えたと書かれている。


フードバンク団体のトラッセル・トラストでは、2009年に約2.5万人だった利用者が2016年に約110万人に増えた。

トラッセル・トラストのフードバンクを利用するは医師やソーシャルワーカーの診断書が必要で、誰でも貰えるわけではない。

他のフードバンクも少なくとも公的な身分証明書が必要であり、身分証が無いホームレスは受け取れない。


トラッセル・トラストだけで全土に424拠点あり、約4万人の専門家と4万人のボランティアが運営している。

こうした状況はイギリスだけでなくEUの全ての国とアメリカなど先進国に共通だが、日本では広がっていない。

日本では生活保護制度があり、認定されると公的費用と医療費全てが無料になり、家賃などが支給され食費も支給される。


ただし日本で生活保護を受給できるのは貧困世帯の2割以下とされ、8割の貧困世帯は支援を受けられない。

イギリスや欧米の生活保護を検索すると「数百万円受け取れる」のような情報があふれているが、事実ではない。

イギリスをはじめとするほとんどの先進国に生活保護制度はなく、生活者支援制度があるだけです。

日本にも50万人以上のホームレスが居る

例えばイギリスでは離婚女性が子供数人育てていると、国から年間500万円以上を支給されるが、これは「子供を産んだ報酬」のようなものです。

もっと困っている貧困男性だと何の支援も受けられず、フードバンクに頼るしかありません。

欧米には日本の生活保護のように一生涯全て無料で国が全て面倒を見る」ような制度は存在しません。


複数の子供を育てているシングルマザーは年数百万円貰えるが、本当に困っている人は支援を受けていません。

アメリカでも同様で、もし欧米の貧困支援が日本より手厚いのなら、欧米に日本の数十倍のホームレスが存在するのを説明出来ません。

イギリスのホームレスは約30万人でドイツ120万人、フランス70万人でアメリカ60万人、日本は5000人でした。


欧米のホームレスの定義は「定住する住居が無い人」で施設に入居した人や、間借りしている人、ネットカフェ居住者も含んでいます。

日本は路上や公園で寝起きしている人だけを対象とし、ネカフェや簡易宿舎居住者を含めません。

もし簡易宿舎やネカフェ居住者などを含めると、日本全国では数十万人かも知れません


欧米流の計算方法だと日本にも50万人以上のホームレスが存在している可能性が高いが、国はホームレスではないとして何の支援もしていません。

イギリスで貧困者が増えたのはEU離脱とは関係なく、離脱が決まる遥か以前から深刻化していました。

むしろイギリスはEU加盟で貧困化したので、EU離脱を支持する人が増えました。


ドイツの路上生活者は5万5000人

EUは厳格な財政規律を加盟国に課していて、財政赤字を単年度で国内総生産(GDP)比3%以内にしなくてはならない。

このルールだと日本のGDPは550兆円なので、約16兆円までしか税収以上の支出が出来ない。

しかも過去の借金の利払いもあるので実質使えるのは税収と同じ程度に制限されます。


先進国の財政赤字のほとんどは高齢者福祉や貧困対策なので、EU加盟国の貧困予算は意図的に減らされています。

これを回避するためドイツやフランスは移民を増やし、若者に対する高齢者の比率を低く抑えようとしています。

少子高齢化を抑えるためにアフリカら中東から若者を輸入している事になります。


それでも高齢者割合は増え続けているので高齢者予算は切り詰められ、貧困高齢者が増加しています。

日本は少子高齢化を財政赤字拡大で乗り切ろうとしているが、欧州は高齢貧困者を切り捨てることで乗り切ろうとしている。

欧州では与党政治家になれるのは日本語で言う特権階級や上級国民だけで、決して「市民の代表」が首相になったりしない。


日本では土建屋の中卒総理や、ガスの点検員から総理になったり、市民団体上がりの首相や段ボール工場出身の政府首脳など色々いる。

イギリスでは旧貴族や王族の家系、富裕層や特権階級が重要ポストを占めていて、中流以下が首相や重要閣僚になったりしない。

政治家が富裕層ばかりなので富裕層減税や富裕層福祉は充実しているが、貧困対策は絶対にしない。


こうして困っていない人には年数百万円の給付金を出し、その日の食べ物が無い人は放置する国になった。

日本の知識人が福祉のお手本のように言うドイツには120万人のホームレスが存在し、2016年の路上生活者は約55,000人だった。

統計の取り方が違うとしても日本の野外生活者は5500人、ドイツは5万5000人で10倍も多いので「お手本」ではあり得ない。

http://www.thutmosev.com/archives/81957458.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
130. 中川隆[-14436] koaQ7Jey 2020年1月16日 18:12:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1354]
欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c130
[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
44. 中川隆[-14435] koaQ7Jey 2020年1月16日 19:29:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1353]
トランプが選んだ「キリスト教福音派と極端な選択肢」
海野素央 (明治大学教授、心理学博士)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18409


 今回のテーマは、「キリスト教福音派と極端な選択肢」です。米メディアによれば、ドナルド・トランプ米大統領がイランのカセム・ソレイマニ司令官殺害を選択したとき、国防総省の職員は驚きを隠せなかったといいます。

 トランプ大統領はどのような状況下で「極端な選択肢」を選ぶのかが、ソレイマニ司令官殺害で、はっきり見えてきました。そこで本稿では、トランプ氏が極端な選択肢を受け入れる状況を分析します。

「支持基盤崩壊」の回避

 トランプ大統領の支持基盤であるキリスト教福音派から、昨年12月「トランプ罷免発言」が飛び出しました。ウクライナ疑惑におけるトランプ大統領の言動は、不道徳であると言うのです。この発言にトランプ氏は、敏感に反応しました。

 再選の選挙において、キリスト教福音派の影響力を無視することは不可能だからです。

 2006年2月に南部テキサス州サンアントニオで設立された福音派団体「イスラエルを支持するキリスト教徒連合(CUFI:Christians United for Israel)」には、800万人のメンバーが所属しています。同団体は、オバマ政権の「イランとの核合意」反対及び「エルサレム大使館移転」賛成の立場をとっており、反イラン色を強く打ち出しています。

 米メディアによれば、同団体の創設者でテレビ伝道師のジョン・ハギー氏は、イランのマフムード・アフマディネジャド前大統領をヒトラーと比較して、同国への軍事攻撃を求めたことがありました。

 今回のソレイマニ司令官殺害を推したといわれているマイク・ペンス副大統領及びマイク・ポンぺオ国務長官は共にキリスト教福音派で、彼らの宗教色が外交に色濃く反映されています。そもそもトランプ大統領は2016年米大統領選挙で、キリスト教福音派の票獲得を狙って、ペンス氏を副大統領に指名しました。

 しかし、そのキリスト教福音派がウクライナ疑惑におけるトランプ氏の言動を国益よりも個人的利益を優先したとみて非難しました。そこで、「反イラン」のキリスト教福音派の「トランプ離れ」を食い止めたい大統領の強い想いが、ソレイマニ司令官殺害の動機の1つになりました。

 トランプ政権は1月2日(現地時間)、司令官殺害を発表しました。翌3日にはトランプ大統領自ら、南部フロリダ州で開催されたキリスト教福音派の集会に参加して、ソレイマニ司令官殺害について報告しました。

 以前説明しましたが、トランプ大統領の支持基盤は白人中心の「単一文化連合軍」です。主として白人労働者、退役軍人、キリスト教福音派及び白人至上主義者から構成されています。トランプ大統領は、キリスト教福音派の罷免発言で信徒が離れ、「支持基盤崩壊」になりかねないほど危機的状況に直面していました。

「極端な選択肢」

 今回の「イラン危機」から、トランプ大統領のある言動が明白になりました。トランプ氏は支持基盤崩壊を阻止するためなら、ソレイマニ司令官殺害といった「極端な選択肢」を選ぶことも辞さないということです。

 となると、仮に支持基盤の一角を成す白人労働者の「トランプ離れ」が起きそうになった場合、おそらく対中貿易交渉で何らかの「極端な選択肢」をとる可能性が高いでしょう。

 実際、民主党候補指名争いを戦っているジョー・バイデン前副大統領がトランプ大統領の支持基盤である中西部の白人労働者票を奪おうとすると、ウクライナに対する軍事支援の保留及びバイデン親子の調査要請という「極端な選択肢」を選びました。今思えば、それは充分納得がいく言動だったのです。

 結局、トランプ大統領の地震の震源地は、常に支持基盤です。それはどのような意味かと言いますと、支持基盤が揺れ動いて離脱の危機にさらされたとき、極端な選択肢を選び、支持者離れを防ぎます。従って、支持基盤と極端な選択肢は密接な関係にあります。

 2020年米大統領選挙の投票日は11月3日です。それまでにトランプ大統領は、他の政権がとってこなかった極端な選択肢を選び、自ら導火線に火をつけ、ギリギリのタイミングで消すというパターンを繰り返して、世界を振り回す可能性は否定できません。

司令官殺害後の支持率

 ロイター通信とグローバル調査会社イプソスが行った共同世論調査(2020年1月6−7日実施)によれば、トランプ大統領の支持率は41%です。ソレイマニ司令官殺害前後で支持率に大幅な変化はみられませんでした。

 ちなみに、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の指導者アブバクル・バグダディ容疑者殺害を昨年10月に発表したときも、米ワシントン・ポスト紙とABCニュースの共同世論調査では、支持率が39%で殆ど影響がありませんでした。

 上で紹介したロイター通信とイプソスの共同世論調査にでは、トランプ大統領の最近の対イラン政策に対して、38%が支持、53%が不支持で、後者が15ポイントも上回っています。米ABCニュースとイプソスによる最新の共同世論調査(2020年1月10−11日実施)においても、同様の結果が出ています。同調査によれば、支持が43%であるのに対して、不支持が56%で、後者が13ポイントリードしています。

 しかも、52%がソレイマニ司令官殺害によって、米国が「より安全でなくなった」と回答しており、「より安全になった」の25%を27ポイント差をつけています。さらに、73%が「イランとの全面戦争の可能性を懸念している」と答えました。

 一方、「イランとの全面戦争の可能性を懸念していない」は27%で、この数字はトランプ支持率の41%を大きく下回りました。つまり、トランプ支持者の中にもイランとの全面戦争の可能性に不安を抱いている者が存在するという意味です。
 トランプ大統領はソレイマニ司令官殺害によって、確かにキリスト教福音派を喜ばせ、米大使館が「第2のベンガジ」になるのを防ぎました。従って、これらの点ではトランプ氏の思惑通りだったのかもしれません。

 しかし、トランプ氏が選んだ「極端な選択肢」は、米国民のみならず全世界に強い懸念を与えたことは間違いありません。今年は、「トランプリスク」が具体的に目に見える形になって現れるでしょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c44

[番外地7] トランプ大統領のキリスト教原理主義を許すな 中川隆
19. 中川隆[-14434] koaQ7Jey 2020年1月16日 19:35:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1352]
トランプが選んだ「キリスト教福音派と極端な選択肢」
海野素央 (明治大学教授、心理学博士)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18409

米メディアによれば、ドナルド・トランプ米大統領がイランのカセム・ソレイマニ司令官殺害を選択したとき、国防総省の職員は驚きを隠せなかったといいます。

 トランプ大統領はどのような状況下で「極端な選択肢」を選ぶのかが、ソレイマニ司令官殺害で、はっきり見えてきました。


「支持基盤崩壊」の回避

 トランプ大統領の支持基盤であるキリスト教福音派から、昨年12月「トランプ罷免発言」が飛び出しました。ウクライナ疑惑におけるトランプ大統領の言動は、不道徳であると言うのです。この発言にトランプ氏は、敏感に反応しました。

 再選の選挙において、キリスト教福音派の影響力を無視することは不可能だからです。

 2006年2月に南部テキサス州サンアントニオで設立された福音派団体「イスラエルを支持するキリスト教徒連合(CUFI:Christians United for Israel)」には、800万人のメンバーが所属しています。同団体は、オバマ政権の「イランとの核合意」反対及び「エルサレム大使館移転」賛成の立場をとっており、反イラン色を強く打ち出しています。

 米メディアによれば、同団体の創設者でテレビ伝道師のジョン・ハギー氏は、イランのマフムード・アフマディネジャド前大統領をヒトラーと比較して、同国への軍事攻撃を求めたことがありました。

 今回のソレイマニ司令官殺害を推したといわれているマイク・ペンス副大統領及びマイク・ポンぺオ国務長官は共にキリスト教福音派で、彼らの宗教色が外交に色濃く反映されています。そもそもトランプ大統領は2016年米大統領選挙で、キリスト教福音派の票獲得を狙って、ペンス氏を副大統領に指名しました。

 しかし、そのキリスト教福音派がウクライナ疑惑におけるトランプ氏の言動を国益よりも個人的利益を優先したとみて非難しました。そこで、「反イラン」のキリスト教福音派の「トランプ離れ」を食い止めたい大統領の強い想いが、ソレイマニ司令官殺害の動機の1つになりました。

 トランプ政権は1月2日(現地時間)、司令官殺害を発表しました。翌3日にはトランプ大統領自ら、南部フロリダ州で開催されたキリスト教福音派の集会に参加して、ソレイマニ司令官殺害について報告しました。

 以前説明しましたが、トランプ大統領の支持基盤は白人中心の「単一文化連合軍」です。主として白人労働者、退役軍人、キリスト教福音派及び白人至上主義者から構成されています。トランプ大統領は、キリスト教福音派の罷免発言で信徒が離れ、「支持基盤崩壊」になりかねないほど危機的状況に直面していました。

「極端な選択肢」

 今回の「イラン危機」から、トランプ大統領のある言動が明白になりました。トランプ氏は支持基盤崩壊を阻止するためなら、ソレイマニ司令官殺害といった「極端な選択肢」を選ぶことも辞さないということです。


 実際、民主党候補指名争いを戦っているジョー・バイデン前副大統領がトランプ大統領の支持基盤である中西部の白人労働者票を奪おうとすると、ウクライナに対する軍事支援の保留及びバイデン親子の調査要請という「極端な選択肢」を選びました。今思えば、それは充分納得がいく言動だったのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/424.html#c19

[番外地7] メモ帳 _ アイヌ 中川隆
5. 中川隆[-14433] koaQ7Jey 2020年1月16日 20:14:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1351]
江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大26800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
2006年の北海道庁の調査によると、北海道内のアイヌ民族は23,782人となっており、支庁(現在の振興局)別にみた場合、胆振・日高支庁に多い。
なお、この調査における北海道庁による「アイヌ」の定義は、
「アイヌの血を受け継いでいると思われる」人か、
または「婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる」人
というように定義している。

また、相手がアイヌであることを否定している場合は調査の対象とはしていない。
1971年調査で道内に77,000人という調査結果もある。
日本全国に住むアイヌは総計20万人に上るという調査もある。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/340.html#c5

[リバイバル3] カウンターポイント SA-5000 + SA4 中川隆
11. 中川隆[-14432] koaQ7Jey 2020年1月16日 20:32:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1350]

何となく気になるオークション - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2014年02月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c09cf900d1894cfc492550ccfaf9adc


クラシック音楽を少しでも“いい音”で聴きたいと、熱心に取り組んできたオーディオだが、周知のとおりこの世界は天井知らずなのでどの辺のレベルに留めるか、こればかりはまったく本人の意思次第。

「欲を言えばきりがないし、ボチボチこの辺で終わりにしようかな〜」という昨今だが、何となく気になるのがオーディオ機器のオークション。

「昔、欲しくて欲しくてたまらなかったのにどうしても手が出なかった憧れの機器がもしかして手に入るかもしれない」という期待と欲望はいくつになっても無くならない。もうこればかりは執念というか怨念と言おうか(笑)。

実は現在でも大いに気になっている機器がある。それはカウンター・ポイントのプリアンプ「SAー5000」で、落札日は明日24日(月)の22時38分。

            

オークションの説明では「本体までは通電しますがメインのシステムには通電していないようで、パネルのランプが点かず、また入出力が出来ません。」とのことで「ジャンク品」扱い。

そういうハンディはあるものの、むしろ修理先の心当たりさえあればとんでもない掘り出し物(安価で性能が飛びっきりいい製品)に化ける可能性を大いに秘めている状況ともいえる。

このプリアンプは電源部が別筐体となっており、トランジスターと真空管(6DJ8)の“いいとこ取り”をしたハイブリッドアンプである。発売当時軽く100万円を超えていた逸品で音が良かったことでも有名で、当時「いつかは手に入れたい」と胸を躍らせた方もさぞや多かったことだろう。もちろん自分もその一人だった。

実はこのアンプ、先々週あたりにも出品(中古品専門店)されていて、たしか高値(20万円前後)でどなたかが落札されたはずだが、またもや再出品されているのが不思議の巻。

その経緯を知りたいと思ったので該当オークションの質問欄で「この製品は先日オークションに出品の上、どなたかに落札されたように記憶してますが、今回、再度の出品となっております。よろしかったら、その間の事情をお知らせ願いたいのですが。」と投げかけてみた。

即座に次の回答が寄せられた。
「お問い合わせ頂き有り難うございます。前落札者様のキャンセルにより再度出品させて頂いております。再度ご検討の方宜しくお願い致します。」

落札者のキャンセルなんてのは分かりきっている!
知りたかったのは落札者がキャンセルした理由だったが、そんなことを訊く方がむしろアホなのかもしれない(笑)。出品者側として営業上、不利なことは答えないほうがいいに決まっているのでこれ以上深追いしないことにした。

何といってもお互いに顔の見えない人間同士の取引だから、当たりもハズレも両方覚悟しておかねばならないのがオークションで、まあ、半分は博打だと割り切っておいた方がいい。「ハイリスク ハイリターン」。

実は第1回目のオークションのときに本気で落札しようといろいろ調べてみた。先ずネットでググってみると次のようなヤフーの質疑応答があった。

「質問」

カウンターポイントSA5000を知人から不動品を購入しました。知り合いのアンプ修理店に修理して貰いましたが、回路図がないので手に追えずほとほと困ってます。助けてください。
近所に修理を出したのですが残留ノイズが気になるので、ノアに出しましたが純正品と違うモノを交換してるので修理受付さえしてくれません。かといって回路図は提供してくれないので、こちらでは手に追えず、宙ぶらりんの状況です。
カウンターポイントのアンプに詳しく助言を頂けると助かります。またこのような状態でも修理を受付て貰える所があれば教えてください。

「ベストアンサーに選ばれた回答」

SA5000は何台か整備しましたが、不動の場合の原因は、電源部のケミコンが真空管の隣にあり、熱による劣化で容量抜け、が早く起こっているとおもいます。それとノイズの原因は、ヴォリュームの劣化が原因だと思います。

純正部品での整備が行われていないとの事ですが、私感ですが、電源部のケミコンでもオーディオ用は使われていませんし、内部のカップリングコンデンサーも音質的には?と思います。どうして、あんな値段がするのか、不思議でした。

音質的にもっと伸びる要素は何点かありますので、オーナー様の要望で、交換しましたが満足を頂いています。よほどの変な回路のアンプでない限り、回路図が無いと整備出来ないと言うのはスキルが不足していると思います。ノイズの原因はヴォリュームに有ると思います、又ロータリーSWの清掃で直る場合もありますね!」

以上のとおりだが、「回路図がないと整備できないというのはスキルが不足している」との指摘は、身の回りにはそういう該当者はいっさい居ないことを申し添えておくが、さぞや耳の痛い“ご仁”もおられるかも(笑)。
さて、ネット以外にもオーディオ仲間にいろいろ相談させてもらった。そのうち、真空管に関することなら何でも知っているKさん(福岡)によると、

「音がいいので有名なプリアンプですが、電源部の故障が非常に多いみたいです。あるベテランの方から聞いた話ですが、分解して調べてみたところ、目に見えるところには立派な部品が使ってありますが、隠れた部分には秋葉原で二束三文で売っているような部品が使ってあったそうです。そんな部品を使ってどうしてあんなにいい音がするのか不思議でたまらないとのことでした。現在、カウンターポイントのプリはSA3.1を持ってますが、ボリュームを交換したらメチャ音が良くなりましたよ。」

第1回目のオークションのときは散々迷った挙句、入札価格が折り合わなかったので見送る結果になったわけだが、2回目となる今回の「出戻り」さんのアンプ、はたしてどう始末をつけようか?

2月23日(日)午前4時現在の入札価格は81,700円。

タイムリミットは前述したように明日24日(月)の22時38分!

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c09cf900d1894cfc492550ccfaf9adc
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1033.html#c11

[リバイバル3] カウンターポイント SA-5000 + SA4 中川隆
12. 中川隆[-14431] koaQ7Jey 2020年1月16日 20:43:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1349]
カウンターポイント/SA-5000の真空管交換
https://e-staff-net.com/yomoyama/counterpoint_sa5000/counterpoint_sa5000.html

1990年に発売され、音質の良さで長くベストバイに選出されたカウンターポイントのコントロールアンプのSA-5000。2018年春にユーザー様の御依頼で中の真空管を交換してみたところ、好結果が出ましたので御紹介致します。

アンプ内部の様子です。「A」の部分がフォノイコライザー部。「B」の部分はラインアンプ部。「C」の部分が電源部となります。基板の約半分をフォノイコに使用しています。半導体と真空管のハイブリッド回路構成となっており、基板は振動対策のため、フロートされています。

真空管の構成はフォノイコ部、ラインアンプ部、電源部共に6DJ8をそれぞれ2本づつ、合計6本、電源部の1本のみ12AX7が使用されています。このアンプを使用される方はほとんどレコード再生に重点を置いているはずですので、V1、V2に良い球を奢り、次に良い球をV3、V4に使用する事にしました。


フォノ部にテレフンケン/ECC88を使用しました。ECC88は6DJ8のヨーロッパ表記で同じ物です。この球はてっぺんの部分(Tip)に色がついており、フォノグレードを表しています。1960年代の貴重なNOS(New Old Stock)球です。

テレフンケンの証、底部のダイヤマークです。この球には2、7、7の数字が見えます。

ラインアンプ部にはテスラ(当時のチェコスロバキア)のE88CCを使用しました。現在のJJテスラではありません。有名な剣のマーク(Crossed Swords)が見えます。E88CCはECC88の高信頼管ですので6DJ8と互換があります。

そして、電源部にはフィリップスECGの6922を使用しました。6922はアメリカでの6DJ8の軍用管(JAN規格)です。価格的には使用した6DJ8系の球のなかでは最もリーズナブルでした。

最後に電源部に使用されていた12AX7ですが、ここが意外と音質に影響大でした。当初、電源部は何でもいいだろうと思って松下とか現行管を使ってみたのですが、変化が大きいので、思い切ってシーメンスのECC83を奢りました。ECC83は12AX7のヨーロッパ表記です。

試聴の様子。実際には天板を外した状態で何度も何日も沢山の球を交換しては試聴の繰り返しの結果が上記のような内容となりました。交換前の音は、解像度が低く、SN比が悪く、レンジも狭いごくごく普通の古いアンプの音でした。しかし、ある時、電源部の12AX7を交換してから、球を交換した際の変化がはっきり出るようになって驚きました。

最終的に落ち着いた上記内容での音質は音楽性では現在でも十分通用するものと思います。真空管を変えて音が変化するのは、基本設計が優れている証拠だと思います。

当時のマイケル・エリオットの設計は間違っていなかったという訳です。

そこで、改めてSA-5000について調べてみると、ステレオサウンドNo.97(1991、Winter)で長島達夫氏が詳しく書かれており、「真の意味でのハイブリッドアンプ」と表現されていました。元々百万円のアンプですが、良質の真空管で更にグレードアップできるなんて素晴らしい事だと思います。尚、真空管選びは自己責任ですので悪しからず。
https://e-staff-net.com/yomoyama/counterpoint_sa5000/counterpoint_sa5000.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1033.html#c12

[リバイバル3] ゴールドムンド _ その奇跡の音色の秘密 中川隆
3. 中川隆[-14430] koaQ7Jey 2020年1月16日 20:46:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1348]
第十八話「黄金の口が語る美意識」
https://www.dynamicaudio.jp/5555-7F/oto/oto18.html


  第一章『回想』

 毎月世界のハイエンド・オーディオ・コンポーネントを集めて行っている試聴会も今
月で30回を数えるまでになった。この間に聴いてきたオーディオ・コンポーネントの
数々も既に数えきれないほどになった。その中でも、とりわけ鮮明に記憶に残っている
ものがある。ちょうど昨年の今頃(1993年9月27日)に、『生涯の記憶・ゴール
ドムンドの哲学を聴く試み』と題して開催したもので、試聴会というよりはセミナー的
な雰囲気のものであった。1981年スイスのジュネーブに発足したゴールドムンド社
は、まずアナログ分野でその評価を世界的なものとしてきた。1983年にはリファレ
ンス・ターンテーブルが米国のアブソリュートサウンド誌で五つ星(芸術の領域)の評
価を得て、世界のハイエンドシーンに彗星のごとく、その航跡を印したのだった。19
87年ミメーシス2プリアンプとミメーシス3パワーアンプを発表しエレクトロニクス
の分野でも、その英知を世界中のエンドユーザーのために披露し始めたのである。19
88年にはアポローグ・スピーカーシステムを発表し、クラウディオ・ロタ・ロリア氏
によるデザインのこの作品は、ニューヨーク近代美術館に展示されることとなった。1
990年ミメーシス10デジタル/アナログコンバーターを発表し、昨年のCDトラン
スポートミメーシス36と、大変計画的な製品開発を行ってきた。価格が1400万円
というアポローグとゴールドムンド全製品を一堂に集め、しかも世界中を飛び回ってい
ながらエンドユーザーを前にして話をするのは初めてという同社社長ミッシェル・レバ
ション氏が来訪するということで、一段とテンションが高まってしまったのは無理もな
いことであった。

 一般の方々へは配布されていないが、私の手元には「ザ・ゴールドムンド・ライン」
と題されたオリジナルのパンフレットがある。過去の製品が分野別、発表年代順に紹介
されている内容だが、非常に興味をひくのは表紙の表裏両面に渡って、スイスにある同
社のヘッド・クォーターの建物の写真が使われていることだ。この近代的な建築デザイ
ンから、同社がいわゆるガレージメーカーではなく芸術的なレベルでオーディオを捉え
ようとしている企業であることが感じられる。その建物の写真のかたわらに次のような
文章が掲げられている。
 
「Ich lerne viel von dir,Goldmund.
            Ich beginne zu verstehen was Kunst ist.」
 
ご想像の通りドイツ語の一節で、訳してみると。「ゴールドムンド、きみのおかげで芸
術とは何かということが私にも少しわかってきたようだ。」こんな感じになるであろう
と思われる。今世紀最大の文学者と称されるヘルマン・ヘッセの一節である。彼は人類
史上初めてエジソンが機械式録音に成功した年、一八七七年に南ドイツに生まれたわけ
だが、後世のオーディオマニュファクチャラーの社名に、彼の作品の登場人物の名が使
われようとは思いもよらなかったにちがいない。そして、スイスで青春を過ごしたヘッ
セの壮年期1930年に、長編「知と愛(NARZISS UND GOLDMUND)」は刊行された。真の
美を追求する彫刻家ゴールドムンドと神に奉仕する哲学者ナルチス。肉と霊を象徴する
二つの魂の反発と友情を、ゴールドムンドの精神の道程を通して描いた3部構成全20
章からなる大作である。みずからの芸術を極めるため愛と放浪に生きたゴールドムンド
。その熱い魂への限りない共感から、オーディオブランド「ゴールドムンド」は誕生し
たのである。

 そして、この一節を紹介している同社の日本語版カタログのセンスには、ハイエンド
・オーディオを紹介するという情熱と誇りが強く感じとることが出来る。数多くの製品
を販売してきた私から見ても販売促進ツールであるカタログに、これだけの思い入れを
施してくれた輸入元に敬意を表したい。同社の製品を所有するユーザーにとって、将来
的には同社の新製品に買い替えたとしても人生の一時期を当時のゴールドムンドのコン
ポーネントで音楽を聴きながら生きてきたという、まさに記念アルバムとして保存する
に値する出来栄えである。さて、話は当日の模様に戻るが何といっても圧巻だったのは
アポローグの3時間にも及ぶ組立てとセッティングであった。5つのエンクロージャー
に分割され、一台の総重量約三二五 に達するアポローグの中心荷重が、親指よりも太
いスパイク・シャフトによって床に設置されるメカニカル・グランディングの構造は見
るだけでその存在感を訴えてくるものがある。そして、司会役の私が当日投げかけた質
問とその答えの中で大変印象に残っていることがある。「御社の製品で共通の構造とな
っている、メカニカル・グランディングを開発したきっかけは何か。」これに対してレ
バション氏の反応は早かった。「ゴールドムンドを設立して間もないころ、ある目的か
ら研究所に重さが2トンもあるコンクリートの塊を運び入れた。その塊の上にアナログ
プレーヤーを乗せLPに針を乗せるが、アンプやスピーカーは接続しない。そして、聴
診器の様な器具を2トンのコンクリートに押し当てると、なんと回っているLPの音が
聴こえてくるではないか。我々は、この実験から振動エネルギーを制動するためには物
体の質量に頼り過ぎてはいけないということを教えられた。質量を大きくしていくだけ
ではなく機械的な支持点を明確にしていくことで、より制振構造を完璧なものにしてい
く手段として、このメカニカルグランディングを開発したのである。」単純であるが、
凄い事をやったものだと関心してしまった。商品化のための開発ではなく、何を追求し
ていくのかという基礎研究に情熱を注いだ一時代があったということにゴールドムンド
の素晴らしさがあり、今日の同社の製品の奥の深さを窺い知ることが出来る興味深いエ
ピソードだと思う。

  第二章『スパイク性ピンポイント症候群』

 私のフロアーには全国から熱心なユーザーが数多く訪れる。同時に、来日した海外オ
ーディオメーカーのトップが数多く訪れる場所でもある。その中でも、私が共通の質問
を発した二者から同様な答えが返ってきて、大変印象に残ったメーカーがある。クレル
のダニエル・ダゴスティーノ氏と、カウンターポイントのマイケル・エリオット氏、両
氏に放った質問は単純であった。「一部のメーカーで採用している、アンプにスパイク
を取り付けてピンポイントの支点によって設置するという方法をどの様にお考えか。ま
た、御社でそれをやらない理由は何か。」クレルのダゴスティーノ氏は、「アメリカで
は純正のオプションとして本来の足と交換可能なスパイクは販売している。ただ日本向
けには装備していないだけの事だ。だからスパイクの効用は知っているが、結局はユー
ザーの判断で選択すればよいことだと思う。」同様にカウンターポイントのマイケル・
エリオット氏は、「アメリカでは、購入後に我々のアンプに対してスパイクを使ってい
る人はたくさんいる。アンプの剛性については何ら問題ないので、ユーザーの好みによ
って選択すればよいことだ。」強い語調ではなく、やんわりとした物腰での回答からア
ンプ設計者としてはさほど重要視していない傾向が見受けられ、このスパイクについて
はユーザーに選択を任せるという結論を出した。でも、あのガルネリ・オマージュを作
り出したフランコ・セルブリン氏の一言。「響きのよいスパイクはない。」といった感
性の方向にアンプの作り手も同類項の選択をしてきたのであろうか。この様にハイエン
ドオーディオ界の「スパイク性ピンポイント症候群」とも言うべき事例が数多く出回り
、今では入り口から出口まで見渡してもスパイクを採用していない製品の方が珍しいく
らいである。

 しかし、「響きの良い」という魅惑的な形容詞には「程好い」という但し書きが必要
になることを忘れてはならないと思う。この「程好い」という言葉を具現化するならば
、数多くのコンポーネントを聴いてきた立場から一つの指標を提案することが出来る。
それは入り口から出口までの全てのコンポーネントに共通して、その構造と素材からの
見方である。その製品に設計者が与えた剛性が、その素材と構造から柔構造(高剛性と
自他共に認める製品群と対比しての表現で、他意はない)となっているものにはスパイ
クの使用はあまりお勧め出来ない。(というよりも効果が薄いというべきだろうか)例
を挙げれば、ステューダーのCDプレーヤーやマッキントッシュのアンプ、スピーカー
ではタンノイやボーズなどがそれに当たるかもしれない。ゴールドムンドのミメーシス
9に見られるように厚さ六ミリもある鉄板を溶接によって箱に仕上げているようなもの
は、どの様に判断すべきかはもうおわかりの事と思う。

  第三章『未知による誤解、経験による認識』

 「引き締まった低音」「繊細な切れ込み」「ワイドレンジで鋭敏な反応」「端正で涼
しい響き」「硬質な輪郭線」「精緻なディティール」「シャープなフォーカス」「無駄
な膨らみは激しく削り落す傾向」「鋭く瞬発的に立ち上がる見事さ」五年前からのオー
ディオ誌をひもとくとゴールドムンドを表現する言葉として、この様な表現が多用され
ている。まだまだ書ききれないほどの紹介事例があるのだが、ニュアンスの共通点とし
ては十分であり、同様なベクトルを指し示す表現としてうまく言い当てていると思う。
そして、これらの言葉のニュアンスを対象比較するとこんな感じになるのではないだろ
うか。「鈍角よりも鋭角」「ソフトよのもハード」「ホットよりもクール」「曖昧より
も正確」「ルーズよりもタイト」「軟質より硬質」決して間違いではないのだが、この
様な印象をもたれている方は多いと思う。

 しかし、私はこれらの表現について一つの条件を付加した上で理解している。D/A
コンバーターを含むアンプ等エレクトロニクス分野では、少なくともこれらの形容で間
違ってはいないと思う。つまり電気信号が入力され、電気信号が出力される機器群とい
うことだ。それでは、ゴールドムンドというブランドの音は、これら片方の器の底をほ
じくり返しただけの、一方に偏った傾向で終わってしまう味わいの薄いメーカーなのだ
ろうか。我々は前述のエレクトロニクス分野の機器群を聴いただけでゴールドムンドを
理解したつもりでいたのではないだろうか。また、これらの個性はどんな目的のために
生み出されたものなのか、ゴールドムンドと同じ視点に立って考えたことがあっただろ
うか。私は、これらの答えを昨年のアポローグとの出会いと、今年のCDトランスポー
ト・ミメーシス36との出会いの中で発見することが出来た。この『音の細道』第四話
「究極の音を知る価値」の中で述べたとおり、私は、ゴールドムンドのアンプが有する
傾向の延長線上で、アポローグとCDトランスポート・ミメーシス36の音をイメージ
していたことが誤りであったと考えている。「ハードの中にソフトな一面があり」「正
確さの中に許容されるべき曖昧さがあり」「クールな中に「硬質ばかりと思っていた表
情に軟質な笑みがある」前述のニュアンスをこんな風に改めなくてはならないという気
がしている。電気信号を機械振動に変換するスピーカー、光信号を電気信号に変換する
CDトランスポート。いわゆるトランスデューサーといわれる機器を含めて、すべてゴ
ールドムンドの思想で統一して聴くことによって初めて体験出来る絶妙な質感のバラン
スが存在するものと実感された。世の中でアンプだけ、スピーカーだけ、と特定ジャン
ルの製品群を製造して評価を得たブランドも数多くあるが、ハイエンドというステータ
スを大切に真の意味で自らの思想で入り口から出口までを作り上げた例は少ない。同社
の統一システムを聴くことが出来た数少ない人間の一人として、ゴールドムンドの正し
い認知と理解を日本の愛好家諸氏にお伝えていく使命感を感じずにはいられないのであ
る。

  第四章『責任の領域』

 先に紹介したゴールドムンドで行われた二トンのコンクリートによる実験の話につい
ては、それを誘導したもう一つの質問があった。「確かにメカニカルグランディングの
効用はわかるのだが、メカニカルなアースを取る場合に、その相手となる置き台なり床
はどう考えればいいのか。私のフロアーに置いているラックは一台七〇 の重量がある
が、これで十分か。床は木のフローリングが良いのか、コンクリートが良いのか。機械
的なアースを受けさせるものによって音が変わってしまうわけで、メカニカル・グラン
ディングの効果を考える時、どこまでそれを追究していけば良いのか。」住宅事情とリ
スニングルームの広さ、日本ならではの建築材料の選択など、欧米との違いを理解して
同社の製品をどう使いこなすかの質問であった。つまり、この質問の答えの一つとして
、台になる部分の重量があれば良い、というわけではないというのが二トンのコンクリ
ートの話になって返ってきたわけである。従って、二トンのコンクリートの塊でも不完
全なわけだから、大きさと重量を現実レベルで考え、私なりにまとめてみるとこう思わ
れる。床に関しては数十 もの重量があるパワーアンプを置くからといって、畳やフロ
ーリングをはがしてコンクリートの基礎を地面から立ちあげるのも現実離れしている。
2階にリスニングルームがあったり、マンションなどでは出来ぬ相談になってしまう。
フローリングの場合はゴルフボールを落して良く弾み、しかも高さを持って数回バウン
ドするような、そしてボーンとかコーンという音ではなく、小さくコッという音だけで
終わるような状態であればそのまま設置して良いと思う。逆にバウンドもせずに、ボー
ルの落下した位置エネルギーが、ボーンとかゴーンという板の振動によって音になって
しまうようであれば、タオックやラスクのような重量と固さのある板、あるいは大理石
などを敷いてからスピーカーやパワーアンプを置かれると良いと思う。

 畳の場合も同様にお考え頂きたい。それでは、アナログとデジタルの両プレーヤーや
プリアンプはどうしたら良いのか。使い勝手の上からも、同様な床置きでは現実的では
ない。従って、市販のオーディオラックの世話になるわけだが、基本的にはゴルフボー
ルの落下実験で得た結論で取りまとめていくのが間違いないと思う。おりもおり、ステ
レオサウンド誌の112号313頁に「オーディオラックの現在形」と題した特集が取
り上げられているので是非ご参照願いたい。少なくとも、木製ラックに見受けられる4
本の金属またはプラスチックのピンに乗せられているだけの可動式棚板に、ゴルフボー
ルを落してみてどうなるかは想像に難しくないと思う。だからといって、インテリア的
に妥協点を探した上での選択に異論を差し挟むつもりは毛頭ない。この段階で、前述の
「スパイク性ピンポイント症候群」を思い出して頂き、ご自分の選択に納得して頂けれ
ば良いのだ。さて、まだ試してはいないがゴルフボールを落せばコツンではなくコッと
いう音だけで、大変高く跳ね返ってくるであろうラックが登場した。ゴールドムンドの
手になる、その名もミメーシス・ラックがそれである。重量は約50kgでラックの中
では超ヘビー級というほどでもないが、その構造にはメカニカル・グランディングその
ものが生かされている。3cm×6cmの太さで、高さが53・5cmのスチール製の
黒く塗装された脚柱四本で各コーナーが固められている。ドライバーの握りで叩いてみ
てもコッと音にもならない。もちろん、この脚柱から床にはスパイクがしっかりと打ち
降ろされるこ とになる。いま私のフロアーに置いてある実物は、床から天板まで 約5
7cmの高さがある。

棚板の素材をきいて驚いた。同社のCDトランスポート・ミメーシス36に採用され、
アメリカのウィルソンオーディオがWATTのエンクロージャー素材として採用し注目
されているメタクリレートなのである。最上部の天板のサイズは幅565mm、奥行き
435mm、厚さ20mm。その下に三枚の同質の棚板が装備されており、サイズは幅
490mm、奥行き413mm、厚さ18mmである。高速道路を下から支える高架か
ら延びている腕のような突出し部分が、鋼鉄製の脚柱から各棚板の下に向かって張り出
している。この腕のような突出し部分に対して、棚板は厚いメタクリレートを貫通する
太いボルトによって強固に取り付けられている。天板の各コーナーには上から脚柱に接
差し込まれたボルトが四本あり、合計20本のボルトが使用されており水平方向に対し
てもガタが発生することはありえない。従って、棚板の上下動は出来ないが、この構造
を見ていると今までのラックに対する問題意識がわき上がってしまうのはやむを得ない
事だと思う。何故かといえば、従来からある他の多くのラックは、オーディオコンポー
ネントの設計方針と切り離されたところで考えられ作られていたように思えてならない
からだ。このミメーシス・ラックは、メタクリレートという贅沢な素材を棚板に使って
いるのに、その棚板にCDプレーヤーやアンプ等の荷重を負わせようとしていない。良
く見ると各棚板の四角に直径2cm程の穴があけられており、のぞくと脚柱から突き出
している鋼鉄の腕が見えている。コマのような形にステンレスを削り出したスパイクが
付属しており、この穴に落とし込み使用するのだという。更にゴールドムンド・コーン
ズという別売のスパイクをコンポーネントの下部に取付け、その先端がコマの様なスパ
イクの上部に合うようにセッティングする。これがミメーシス・ラックのセッティング
の基本形となり、コンポーネントのメカニカル・グランディングは棚板を介さず、直接
脚柱から床にアースされることになる。同社のスピーカー、アポローグと同様の構造で
あり、システムのフロントエンド各機器に完全なメカニカル・グランディングを実現し
ている。そして、ゴールドムンドの製品は勿論のこと、他社の製品についても寸法さえ
許せば収納が可能である。

 さて、同社のCDトランスポート・ミメーシス36は何度も聴いているが、それらは
全て木製のラックに乗せた状態の音であった。木製といっても貧弱なものではなく、使
用しているのはハミレックスのBKシリーズで、厚さが50 の高圧縮パーチクルボー
ドを天地と側面に使ったもので七五 の重量がある。そこからミメーシス36をミメー
シス・ラックのトップに乗せ、その下にミメーシス2aプリアンプ、ミメーシス10C
プラスD/Aコンバーターを収納し、パワーアンプはミメーシス9・5でアンサンブル
社のスピーカーであるプリマドンナ・ゴールドに接続した。ごたいそうなラックに納ま
ったものだが、ゴールドムンドの音は知っているという自負心があり、冷静そのものに
大変聴きなれているイタリア合奏団のロッシーニをかけた。ボリュームを上げた瞬間に
思わず出た言葉は、「ちょっと待ってよ!」別に音を止めろと言ったわけではない。目
の前に出現した現実が受け入れがたかったのである。音の鮮度が桁違いに高い。困っ、
これまでに聴いてきたゴールドムンドの音は一体なんだったのだろうか。この段階でミ
メーシス36はそれ自身のスパイクによってセッティングしたが、ミメーシス2aとミ
メーシス10Cプラスは標準のゴム足で棚板に置かれているだけであった。ということ
は、この両者にゴールドムンド・コーンズを取り付けてメカニカル・グランディングを
施すと、今聴かされた音の輝きが更に増すというのだろうか。翌日ステラヴォックスジ
ャパンの西川氏が来訪され、いよいよゴールドムンド・コーンズを取り付けた。昨日と
同じ曲をかけて思わず唸ってしまった。まばゆいばかりの輝きがより一層強さを増すも
のと想像していたが、ゴールドムンドはそれほど単純ではなかった。太陽を見上げて思
わず目を細めてしまうような刺激は取り去られて、サングラスをかけると強い日差しの
中でも状況判断がしやすくなるように落ち着くのである。演奏している音場のコントラ
ストが、より細かさを増し余韻のグラデーションが生き生きとしてくる。金属のスパイ
クをより多用していくと音も硬くなる。そんな先入観を見事に払拭してしまう説得力が
ある。まったく予想を裏切られ更に透明な空間表現へと、うれしい誤算の音の変化ぶり
である。メカニカル・グランディングを構成する機械的アースの伝達経路の中に余分な
物が有ってはだめだ。要は中途半端はいけないよ、というゴールドムンドからの啓示な
のであろうか。昨年投げかけた、「機械的アースを受けさせるものを、どこまで追究し
ていけば良いのか」という問いかけに対して、この様な製品としてズバリ答えを出して
しまうことがゴールドムンドの大胆さを物語っている。近い将来にはゴールドムンドブ
ランドのスピーカーケーブルも発表するという。自分が生み出した音を、どの様なコン
ディションで味わってもらうか。そこまでゴールドムンドは自らの責任の領域として考
え、実現するための手段を提供していく姿勢に素晴らしさを感じる。ゴールドムンドと
はドイツ語で「黄金の口」を意味する言葉である。ヘルマンヘッセの作品「知と愛」に
登場する彼は彫刻家であるのだから「黄金の腕」という意味の言葉の方が良かったはず
だが。しかし、哲学者ナルチスから見ればゴールドムンドの口から語られる言葉は、彼
にとって黄金にも等しい価値があったのかもしれない。いま我々がゴールドムンドで聴
く音楽のように。
         
https://www.dynamicaudio.jp/5555-7F/oto/oto18.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/948.html#c3

[近代史3] 「半島から見た日本人」西尾幹二が語る日本人と中国・韓国人を画す“ある特性”とは?
【歴史】「半島から見た日本人」西尾幹二が語る日本人と中国・韓国人を画す“ある特性”とは? 〜日本再興戦略 現代日本論「日本通史」編|藤井厳喜×西尾幹二


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/804.html
[リバイバル3] 中川隆 _ 朝鮮関係投稿リンク 中川隆
31. 中川隆[-14429] koaQ7Jey 2020年1月16日 21:13:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1346]
「半島から見た日本人」西尾幹二が語る日本人と中国・韓国人を画す“ある特性”とは?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/804.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/973.html#c31
[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
32. 中川隆[-14428] koaQ7Jey 2020年1月16日 21:27:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1345]
【財務省】政治家も恐れる「財務省の暴力装置」 - “政界のドン”金丸信が消された本当の理由 〜日本再興戦略 現代日本論「経済と官僚」編|藤井厳喜×高橋洋一


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c32
[近代史3] 縄文時代の大型住居の企画には、35pを基準とする「縄文尺」が用いられていた
縄文時代の大型住居の企画には、35pを基準とする「縄文尺」が用いられていた


縄文人と「数字」認識

a.大型住居と縄文尺

北陸から東北の縄文時代前期後半から中期にかけて、大型の住居が築かれており、東日本の縄文時代の一つの特色となっています。それは、とりわけ青森県や秋田県、山形県の多雪地帯と重なる日本海沿岸地域で目立っています。

かかる大型住居は、昭和48(1973)年の朝日町の不動堂遺跡の発掘調査によって、日本で初めて発見されました。不動堂遺跡では、一般的な直径4から5m位の円形竪穴に混じって長径17m、短径8mの小判形をした大型の住居跡(第2号住居跡)が営まれていました。長径方向に石組炉が4基、間隔を置いて設けられています。

大型住居跡【不動堂遺跡】
出典:藤田富士夫 『縄文再発見』 大巧社 199年

不動堂遺跡第2号住居跡の柱穴は、全部で16個発見されました。直径約30pの堂々たる柱痕跡を有し、通常よりも太い柱が建っていたことを示しています。柱の間隔を測ると35pで割り切れる個所が多く認められました。このことから大型住居の企画には、35pを基準とする「縄文尺」が用いられていた可能性を推定することができます。

岐阜県飛騨市(旧・河合村)の下田遺跡での縄文中期の住居を分析したところ、より大型を示す住居の柱間隔が35pを単位とした数値で割り切れる比率が多くみられました。この傾向は、青森県の三内丸山遺跡でもみられます。このことは、家族単位で構築が可能な個人住居ほど企画が緩やかで、共同で構築し使用する大型の住居ほど企画が厳密であることを示しています。

長さの単位が決まっていれば、共同作業をする際に便利です。“「縄文尺」個分の柱を本切って運んでくる”といった、取り決めがあれば効率的な作業が可能となります。長さが決まっていれば、雪の荷重にも耐え得る丈夫な建物の構築も可能となる。これらの理由によって、縄文尺が登場したものと思われます。


b.縄文人の数字認識能力

 ここに、「個分の柱を本」としました。個、本というからには、縄文人に確かな数字認識能力のあることが前提となります。青森県三内丸山遺跡の縄文時代中期中葉(約5,000年前)の土偶や富山県早月上野遺跡の後期後葉の顔面土製品、秋田県大湯環状列石の後期の土版には、円形の刺突文であたかもサイコロの目やマージャン牌のピンズの配置のように、1に始まり最大で12までの自然数列が確認できます。これまで、土偶体部の円形刺突文は単なる文様としか認識されてきませんでしたが、意識して見ると、それが自然数列を成していることが明らかです。

青森県三内丸山遺跡の土偶

富山県早月上野遺跡の顔面土製品


出典 「縄文時代の自然数列に関わる「数字」認識について」『考古学論究』第11号 立正大学考古学会 2006年 (一部改変)

数学者である伊達宗行大阪大学名誉教授に、このことをお伝えしたところ「頭の中に数処理がすでにあって」、それが呪術具に投影されたものらしいとご教示をいただきました。1から12までが、自然数列として確認できるのは、伊達氏が説く「縄文人の十二進法」による数字認識の可能性を示唆します。

人類最古の数字認識の獲得は、約5,500年前のメソポタミヤのシュメール人にあったと言われています。縄文人においても、5,000年前に確実に数字認識の証拠を、ここに提示することができました。そのような数字認識を獲得した縄文人にとって、「縄文尺」の案出も容易であったことと思われます。35p長の単位で柱間隔が割り切れる現象は、決して偶然や、はたまた人体尺による産物ではなかったであろうと思われます。きわめて文化的な所産であったとすることができます。

北代遺跡の住居や炉跡、高床建物の柱間隔、呪術具についても、このような縄文人の数字認識の視点から意識的に検討すれば、必ずや新しい発見があるものと思われます。
(藤田)

参考文献
伊達宗行
『「数」の日本史』 日本経済新聞社 2002年
藤田富士夫
「雪国の大型住居に三五pの「物差し」」『朝日グラフ 完全記録三内丸山遺跡』 臨時増刊号 朝日新聞社 1994年

「縄文時代の類モノサシについて―下田遺跡をテーマとして―」 『飛騨と考古学』 飛騨考古学会 1995年

『縄文再発見』 大巧社 1998年

「縄文時代の自然数列に関わる「数字」認識について」『考古学論究』第11号 立正大学考古学会 2006
https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/kitadai/j_kouza/kouza-17.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/805.html

[番外地7] 縄文人は日本人の先祖ではない
縄文人は日本人の先祖ではない

縄文人は日本人の先祖ではありません。
弥生人は縄文人と大して変わらないのですが、古墳時代以降に渡来人が大量に入って来て
縄文時代の文化と古墳時代以降の文化は断絶しています:

日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明
弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(後半) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H1GFzg882d8

大阪市が地理的に誕生したのは1000年ほど前で、その前は海であり陸地は一部分だけでした。

大和川と淀川から上流の土砂が流れ込んで堆積し、数百年かけて海が埋まって現在の大阪市の土地が出現した。

陸地は自然に生まれただけではなく、労働者を大量に動員して人力で埋め立てて、労働者たちは定住して現在の大阪市民になった。

西暦300年代中期以降に神功皇后の三韓征伐があり、半島南部を支配下に置き、中部と北部の国を臣従させた。

神功皇后の孫にあたる仁徳天皇の時代に渡来人が急激に増え、大阪湾の埋め立て工事に従事した。

記紀によれば仁徳天皇自ら大阪に住居を構えて渡来人を視察するほど熱心で、当時の国を挙げた大事業だった。

自発的に渡来したのか連れてきたのかは不明だが、大阪湾を埋め立てた渡来人はそのまま大阪の大地に住み着き大阪市民になった。

その後も663年に白村江の戦いで敗れて百済が滅亡し、天智天皇は百済の王族や亡命百済人を大阪に受け入れた。


このように西暦300年代から断続的にハントウから渡来があり、渡来人がもっとも多く定住したのが大坂でした。

大阪は最初未開の地であり、仁徳天皇、天智天皇、秀吉や家康、明治政府などが居住を奨励した。

これには他の日本人と対立しないよう、渡来人を大阪に集めるという思惑もあったようです。

大阪市の中でも渡来系住人が多いのは昔海だった西側の区と、島だった中心部、海岸だった東側と言われている。

生野区は住民の半数あるいは3分の2が渡来系の子孫と言われていて、百済時代には百済の亡命士族が住んでいました。

天智天皇が受け入れた亡命士族は平安時代まで日本で栄え、その後武士や豪族として日本に同化した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/428.html

[番外地7] メモ帳 _ 相場情報 中川隆
6. 中川隆[-14427] koaQ7Jey 2020年1月17日 08:59:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1343]
名目GDPに対する米国株の時価総額の倍率(バフェット指数)が、過去最高を超えました。

それに合わせてバフェット氏が率いるバークシャー・ハサウェイの資産の現金比率が過去最高になり、株安に備えていると言われています。

バフェット指数は米国1.6倍に対し日本は1.23倍(東証1部661兆円、2部8兆円、JQ10兆円、マザーズ6兆円、名目GDP 557兆円)で、割安です。

ここにも、2020年相場は「米国株より日本株」が見えます。


相場はキリスト教原理主義者のトランプの手のひらの上

2019年の相場は、年間を通じてトランプ大統領の発言に右往左往させられることになりました。

その1つがFRBへの利下げ圧力です。クリスマス・ショックを受けて、景気後退を避けるためにと、TwitterでFRBに利下げを迫る圧力をかけ続けました。これを受け、利下げに対する市場の期待感が高まり、年前半の上昇が起こります。

しかし、元はと言えば昨年までトランプ大統領自らが仕掛けた米中貿易戦争により中国経済が減速し、株価が急落したのです。大統領としては自らの手腕で株価を上げたように発言していますが、見れば見るほど自作自演、マッチポンプなのです。

市場が利下げを織り込むと、夏頃には再び勢いがなくなってきます。そこで大統領は米中貿易戦争の和解をちらつかせ、投資家の心をくすぐったのです。すると、秋頃から年末にかけて、株価は見事に上昇しました。

米国株は史上最高値を更新し続け、大統領はご満悦です。Twitterを使った「株価操作」に関して彼の右に出る人はいないように思えます。

なぜトランプ大統領がここまで株価にこだわるのかと言えば、2020年11月3日には2期目をかけた大統領選挙が行われるからです。米国では大多数の国民が何かしらの形で株式を持っていますから、株価の上げ下げは支持率に直結します。

これから大統領選挙にかけてトランプ大統領の思い通りになるとすれば、株価はもう下がりようがないという気さえします。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/360.html#c6

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
227. 中川隆[-14426] koaQ7Jey 2020年1月17日 09:03:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1342]
2020/1/17
ダウ3万ドル目前?・・・事実上のQE4を実施するFRB  時事/金融危機
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/2450/comment#comment

■ 資産買い入れを再開していたFRB ■

FRBの利下げ報道の影に隠れていまうが、実はFRBは2019年9月から資産買い入れを再開しています。上のグラフはFRBのバランスシート推移ですが、右端で跳ね上がっている事が分かります。

1年未満の短期の国債購入を行っている様ですが、これって「QE4(量的緩和)」じゃね?と思うのは私だけではありあません。

「それがアヒルのように見え、アヒルのように歩き、アヒルのように鳴くなら、それはアヒルだ。」と発言したのは経済評論家のピーター・シフですが、資産買い入れ再開を量的緩和では無いと言い張るパウエルFRB議長を皮肉った。

■ 資金供給量が増えればバブルは膨らむ ■

FRBの利下げ以降顕著な市場の上昇ですが、QE4の効果もそれなりに出ているはずです。焚火に燃料を追加すれば、炎は一層激しく燃え上がります。

トランプの要求に渋々対応するふりをしながらも、FRBはしっかりと市場に燃料をくべて、大統領選まで相場を上昇させる気満々です。

■ 様々な事件にに敏感に反応する市場 ■

FRBの年長追加で市場のファンダメンタルは上層ですが、先日のイランと米国の緊張の高まりで大きく値を下げた様に、様々な出来事に過敏に反応しています。

現在は米中貿易協定の第一ラウンドが、どうにか丸く収まると見て、市場は相当強気になっていますが、直ぐに調整に入り、ダウが一気に3万ドルに達する事は無いでしょう。

ただ、大統領選まではトランプ政権は相場を上昇させたいので、あの手、この手を使うでしょう。FRBに強引に利下げも要求する。

■ 株式はリスクが少なく、債券はリスクが高い? ■

FRBの利下げによって債券の金利が下がってしまったので、債券市場の金利はリスクに見合わなくなっています。結果的にリスクに対して債権よりもマシな金利(利益)が確保できる株式市場に資金が流れ込み、株価を押し上げています。

日本と同様に、アメリカの株価は実体経済と乖離しています。特にIT系企業でその傾向は顕著ですが、アップルの業績が振るわなかったり、WeWorkのIPOが延期されるなど、昨年辺りから不安材料は増えています。

現在の株高は、緩和マネーの生み出した過剰流動性が行き場をを無くして、株式市場に流入しているだけかも知れません。

■ 市場との対話って・・・■

FRBは市場を焦らしたり、エサを与えたりが上手です。これを市場との対話と表現します。しかし、昨今の隠れQE4や利下げの経緯を見ると、ご主人様は市場で、FRBはその要求に屈服している様にも見えます。

結果的には相場は持ち直し、一時は凍り付いた債権市場にも再び活気が戻りつつあります。これを良しとするか、それともバブルの総仕上げと見るかは、個人の主観に任せるしかありません。

ただ、市場は今後、益々ピーキーな動きになるでしょうから、個人は振り落とされ無い様にしがみ付くか、或いは列車を降りるか判断すべき時期に来ていると思います。


・・・・正直な気持ちを言ってしまえば・・・市場って意外にタフだなと思う今日この頃。
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/2450/comment#comment
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c227

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
168. 中川隆[-14425] koaQ7Jey 2020年1月17日 09:09:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1341]
2020.01.16
露首相の辞任を切っ掛けにして欧米巨大資本とつながる勢力の粛清を願う露国民


 ロシアのドミトリー・メドベージェフ首相が辞任した。ウラジミル・プーチン大統領が年頭の演説を行った直後のことだ。メドベージェフはロシア国民からの人気がなく、プーチン政権のマイナス要因と見られているので、辞任自体は大統領にとってダメージではない。

 メドベージェフは西側の巨大資本と結びついているグループに属すと見られている。ロシアでは1990年代のボリス・エリツィン時代に西側と結びついたクレムリンの腐敗勢力が国民の富を盗み、オリガルヒと呼ばれる富豪が出現する一方、大多数の人びとは貧困化した。その経験によって西側に抱いていた幻想から抜け出したロシア人は少なくない。メドベージェフがロシアで嫌われている理由のひとつはそこにある。

 現在でもロシアの経済分野では西側人脈が大きな影響力を保持していると言われている。経済が動かなくなると体制は維持できない。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトと似た問題を抱えていると言える。

 ルーズベルトはJPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちと対立、そのウォール街の住人たちは1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していた。

 そのクーデターを成功させるため、軍に大きな影響力を持っていたスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとして失敗し、クーデターも実行されなかった。ただ、その計画内容はバトラーが得た情報や彼と親しいジャーナリストの取材内容が議会の証言という形で記録されている。

 その際、JPモルガンはバトラーが民主主義的な考え方をする人物だということを懸念、JPモルガンと関係の深いダグラス・マッカーサーをクーデターの指導者として考えていたという。ちなみに、1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこがJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻である。

 エリツィン時代、ロシアの経済政策を決めていたハーバード大学教授のジェフリー・サックスはジョージ・ソロスと親しい新自由主義派。サックスの下で働いていたのがソロスの知り合と言われるエゴール・ガイダルだ。

 アナトリー・チュバイスなる人物もロシア経済に君臨してきた。この人物もサックスに近く、エリツィンの娘で腐敗勢力の中心とも言われるタチアナ・ドゥヤチェンコの利権仲間としても知られている。

 このガイダルとチュバイスを動かしていたひとりにラリー・サマーズがいる。ハーバード大学教授、世界銀行主任エコノミスト、財務次官、財務副長官、財務長官を務め、その後ハーバード大学の学長に就任した人物。サックスとはハーバード大学仲間だ。

 この新自由主義派がロシアを完全に制圧したのは1993年3月だろう。ロシア国民の資産を略奪する政策を進め、国家緊急事態を宣言したエリツィン大統領に議会が抗議、議会ビルに立てこもるのだが、エリツィン大統領は戦車にビルを砲撃させた。その時に殺された人の数は100名以上とも1500名とも言われている。こうした虐殺に対し、西側の人びとは寛大だ。

 そうした過去をロシアの人びとはメドベージェフの背後に見ているだろう。彼が首相を辞任した後に何が起こるかは不明だが、多くのロシア国民は西側の巨大資本と結びついた勢力の粛清を望んでいるはずだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001160000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c168

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
131. 中川隆[-14424] koaQ7Jey 2020年1月17日 09:31:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1340]
251名無しさん@ゲレンデいっぱい。2020/01/17(金) 07:56:54.04

元かぐらスタッフだけど
そりゃGWはゲレンデのどこかしらでいざこざが起きてる

1番多いのがロープウェイ、リフト乗り場でのトラブル
板踏んだだの横入りしただの些細な事から殴り合いに発展する

大体若者グループは皆で寄って集って袋打たきにしてる
相手がスキヤーでストックで応戦しようもんならボーダーがボードでバッチバチに全身殴打しているのを毎週のように見た

喧嘩になった時は絶対にヘルメット被ってる奴が有利、ストレート出す奴は少く、大体大振りのフックから始まってメット被ってる奴にはあまり効かない
取っ組み合いになった時にメット被って相手にヘッドバット喰らわすとかなり効いてて顔面血まみれになってた奴が居た
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1579062998/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c131

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
125. 中川隆[-14423] koaQ7Jey 2020年1月17日 09:53:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1339]
推奨製品まとめ


スピーカー 推奨品

Western Electric 20cm フィックスドエッジ・フィールド型フルレンジスピーカーユニット TA-4189
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/971.html

魔性の歌姫 Lowther
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/685.html

Lowther ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html

天才 E.J.JORDAN のメタルコーン ユニットを引き継いだスウェーデン EAD社のドライバー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1000.html


▲△▽▼


真空管パワーアンプ 推奨品

Western electric 124 amplifier _ すべてのアンプの中で最も艶やかな音の WE350B プッシュプルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/133.html

英国の気品 PX4 シングルアンプ 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/443.html

一番音が良いパワーアンプは VT-52 シングルアンプ?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/440.html

EAR の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html

新潟県 南魚沼市 チューブ・オーディオ・ラボ _ マイナー出力管を使った廉価な真空管アンプ製作
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/459.html

山中湖 ペンション すももの木 真空管アンプ「カトレア」_ 三極管名管を使った交流点火シングルアンプ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/461.html


▲△▽▼


トランジスター パワーアンプ 推奨品

3万円のドイツ製プロ用パワーアンプ thomann S-75mk2 と数百万円のハイエンドアンプとでは電源ケーブルを変えた位の差しか出ない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/983.html


▲△▽▼


プリアンプ機能付き DAC 推奨品

>>69
超高性能 DAC Topping【 D70 】55,000円
TOPPING社の新型DACでプリアンプ機能も持つ

Topping DAC D70
https://dp00000116.shop-pro.jp/?pid=143303697

____


>>12
CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic
メーカー希望小売価格 890,000円(クロム仕上げ・税別)・798,000円(ブラック仕上げ・税別)
https://www.yoshinotrading.jp/products/ear/cd-player-1/

CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic _ ティム・デ・パラヴィチーニの世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/853.html

▲△▽▼


パッシブプリアンプ 推奨品

>>44, >>45
MASTERSブランド - オーディオのイシノラボどっとこむ
トランス式パッシブプリアンプ
https://www.ishinolab.com/modules/doc_merchandise/original/masters/index.html

超お買い得 イシノラボのトランス式パッシブ・プリアンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/689.html


▲△▽▼


プリアンプ 推奨品


>>9
EAR 912 Professional Tube Control Centre
https://www.yoshinotrading.jp/ear-yoshino-page/912/

____


>>15, >>73, >>74
FM Acoustics FM155MKUR
定価(税込) ¥2732400 販売価格 (税込)
https://blog.goo.ne.jp/audiospacecore/e/79ed8cfc02d002ead920b1c98ba1f454

FM ACOUSTICS|禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/theme-10078694024.html

FM Acoustics FM155 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12118358341.html

FM ACOUSTICS FM255 FM155比較 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12251147114.html

FMは超高精度な音と圧倒的な確かさで楽音のリアリティを訴求する。
他社のアンプとは余りの違いで、聴いた瞬間に「これは別次元だ」ナンバーワンだとなる。

現行ハイエンドと比べると鮮度感やS/N比や透明度ではやや弱い。


FM はハイエンドアンプだと思われがちですが、現代の一般的な無色透明なハイエンドアンプとは違い、真空管のような音色を持っている

情緒や官能なら球アンプを突き詰めた方が良く、低価格でも FM は越えられる。




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c125

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
126. 中川隆[-14422] koaQ7Jey 2020年1月17日 10:10:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1338]

プリアンプ 伝説の名機 まとめ


オールド マランツ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/635.html

マランツ#7 については
>>85, >>24, >>25, >>26, >>27, >>28

___


オールド QUAD の安物アンプは名機なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/840.html

QUAD については
>>55, >>56, >>57, >>58, >>59, >>60, >>61, >>62, >>64, >>65

______


ゴールドムンド _ その奇跡の音色の秘密
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/948.html

ゴールドムンドについては
>>32, >>33, >>34, >>35, >>36

______


マッキントッシュ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/627.html

ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLーSG520
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html

チェロ AUDIO SUITE + Performance
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1032.html

CR Electronic Design _ Pre-Amplifier Kaster Pro (イギリス)
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/119.html

カウンターポイント SA-5000 + SA4
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1033.html

コニサー (Lyra Connoisseur )
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/651.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c126

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
127. 中川隆[-14421] koaQ7Jey 2020年1月17日 10:16:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1337]
プリアンプ 現行の名機

EAR の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html

EAR については
>>9, >>12

______


ボッタクリ アンプ _ FM Acoustics の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/754.html

FM Acoustics については
>>15, >>73, >>74

______

Burmester _ プレーヤー、アンプ、スピーカーはもちろん、、オーディオラックまで作ってしまう超高級セット・コンポーネント
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1028.html

Burmester については
本文, >>1, >>2, >>3, >>4, >>5, >>6, >>7, >>8

____


ドイツ OCTAVE社の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/946.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c127

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
128. 中川隆[-14420] koaQ7Jey 2020年1月17日 10:37:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1336]

日本のプリアンプ

世評が高い順に並べました。
オーディオテクネが最高で、ウエスギ・アンプが最低です。


オーディオテクネ _ オールトランス結合 無帰還 300B プッシュプル・アンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/123.html

オーディオテクネのプリアンプについては
>>38

____


サウンドパーツ 300B プッシュプル・アンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/114.html

サウンドパーツのプリアンプについては
>>18, >>115, >>116, >>117, >>118

______


AIR TIGHT 300B シングル ステレオ アンプ _ オーディオ販売店の評価は最高なんだけど…
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/134.html

AIR TIGHT のプリアンプについては
>>20, >>21, >>22, >>23

______


真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html

カトレアのプリアンプについては
>>52, >>53, >>54

_______


AIT LABO
>>109, >>110, >>111, >>112

_______


ウエストリバーアンプ
>>113, >>114


___


上杉研究所 交流点火 無帰還 300B シングルアンプ U・BROS-300AH
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/121.html

ウエスギ・アンプのプリアンプについては
>>30, >>31



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c128

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
129. 中川隆[-14419] koaQ7Jey 2020年1月17日 11:43:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1335]

スピーカー 推奨品に追記


QUAD ESL57 復刻新品

Q: 最高に音の良いスピーカー教えて下さい。 2012/2/15 rollingcyukunさん
最高に音の良いスピーカー教えて下さい。
音の良し悪しは個人差があると思いますがあなた様が良いと思うスピーカーを教えて下さい


A: papageno_eulenspiegelさん

クラシックを聴く場合に限定すれば、QUADのコンデンサー型を超えるものはまだ存在しないと思っています。

数ミクロンという極薄の振動膜に数千ボルトの高電圧をかけたうえ、それを挟む形の電極板に+と―の音楽信号を与えて振動膜を震わせ音を発生させる仕組みで、一般的な、ラッパを箱に取り付ける形式と違って、音楽信号に固有音の色付けがされる要素を極限まで排除したスピーカーです。

拙宅では現在、旧いタンノイのGRF(モニターゴールド)、最近導入したハーベスのHL-P3ESRを含めて3種類をおいていますが、結局、ほとんどQUADのESL57しか使わなくなってしまいました。

ESL57は1957年頃に発売され、’80年代半ばごろに生産終了となったいわば骨董品ですが、世界中に根強いファンがいて、リストアして使い続けている人たちが大勢います。

ドイツの QUAD代理店では、振動膜を枠に張る機械を英国のQUADから買取って、「新品」を供給しているので(金属製のグリルだけは中古品を塗りなおしたものですが)、ドイツに住んでいたころにわざわざコブレンツに近いQUAD代理店まで行って買ってきました。外観のデザインも大変気が利いていますので、グリルをくすんだ緑色に塗装してもらった我が家のセットは私の最も愛するオーディオ・コンポーネントです。

ドイツQUADでは、ESL57 の改良型である ESL63 の新品も、さらに現在も QUAD本社が量産している ESL2805/2905 も販売していましたが、じっくり聴き比べたところ、音そのものの魅力ではやはり原点である ESL57を超えられていないと思います。改良型では音像の定位や空間表現を改善する措置が加えられているのですが、やはりそのために音質への影響が避けられなかったのでしょう。

QUAD のコンデンサー・スピーカーの唯一の問題点は、その発音方式に必然的に起因する低音の不足と言われてきました(私自身は、主に聴く音楽の種類からあまりそう感じていませんでしたが)。ところがドイツ QUAD では最近、ESL63、ESL57 向けにそれぞれ専用のサブウーファーを独自に開発したとのこと。従来は、既存のサブウーファーをQUADのコンデンサー・スピーカーとうまくマッチさせる事は不可能と言われてきましたが、このESL57専用サブウーファーをドイツに注文してみようかと、近頃悩ましい日々を送っております(きっと近々注文しちゃうんだろうなァ〜〜)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1181575751


▲△▽▼


ESL57は普通のSPのような音場は出していないのです。前にも後ろにも拡がりはしません。振動膜が音源となってその部屋に音が浸透していくのです。当然その音は、会場の残響も含んでいますから、コンサートホールのような響きはするのですが、部屋の中に音場は浮かび上がらないのです。それでも極めて美しい音質なので、音楽は充分以上楽しめます。


 そのことは、音を聴きながらESL57の間を通り過ぎるとよく分かります。音が出ているのは平面上の二次元空間なのです。この感覚は、どこかで聴いたことがあります。位相の良く合ったSPで聴くモノラルの音と同じです。SPが一つなのに、会場の残響を忠実に再現しますから、ホールの音は聞こえるのです。しかし、その空間の中には入れません。

SPが音源となりステージ上に並んでいるのです。しかし再現されている音は極めて質の高いいい音なのです。同じ事が、ほかの平面型SPでもいえます。アポジーもステージの被り付きで聴いているような臨場感があります。


ESL57はステージは出ません。厚みが無いのです。でも音は前にも後ろにも放射され、音楽が鳴り響きます。不思議です。ステージや舞台は出現しないのですが、臨場感はあるからです。

このユニークな、それでも凄く音の良いSPがもっと普及しないのは不思議です。ESL57は時代を先取りしすぎていたのです。真価が出始めたのは、CD時代に入ってからだと思います。でもその時は、ESL63に変わっていたのです。
http://tannoy.exblog.jp/15534923/



▲△▽▼

Electrostatics - QUAD Musikwiedergabe
http://www.quad-musik-shop.com/epages/62919310.sf/en_GB/?ObjectPath=/Shops/62919310/Categories/Elektrostaten

ドイツQUAD Musikviedergab GmbH 社QUAD ESL57 復刻新品(受注生産品)
* QUAD ESL57QA ¥1,300,000 ペア(税別)
2 つの違ったスタイル、前面メタル・グリル色は3色から選択してください。
https://www.soundbox.co.jp/QUAD_ESL57QA_Cata_a.pdf

ドイツQUAD Musikviedergab GmbH 社QUAD ESL63 復刻新品(受注生産品)
* QUAD ESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
フレーム木の材質、色を指定してください
https://www.soundbox.co.jp/QUAD_ESL63QA_Cata_a.pdf


ドイツ QUAD ESL 専用サブウーファ QUAD Musikwiedergabe
http://www.quad-musik-shop.com/epages/62919310.sf/en_GB/?ObjectPath=/Shops/62919310/Products/%22Sub%20QA%22


復刻品 QUAD-II 真空管モノラル・アンプ 
(ドイツ QUAD MusikWiedergabe GmbH) 製 ¥500.000/ペア
オプション KT66/GEC、EF86/Mullard、GZ32/Mulalrd +\120,000より
https://www.soundbox.co.jp/QUAD/QD-II.htm

復刻品 QUAD 33/2プリアンプ  QUAD 303QR パワーアンプ 
(オランダ QUADREVISIE社製)
https://www.soundbox.co.jp/QUAD/QD_33_2_303QR.htm
https://www.soundbox.co.jp/QUAD/Quad%20Revisie_JP_left.pdf

____


サウンドボックス
https://www.soundbox.co.jp/

東京都調布市仙川町2−13−32
Tel: (03) 5577-5227 
サウンドボックスへの地図
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=10SwyUNIYBG0FdAFxBfQZSf_iNdw&ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=35.66216900000003%2C139.58260799999994&spn=0.004184%2C0.006866&z=17&source=embed

営業時間:月曜日−土曜日11:00−19:00/日曜・祝日休み

QUAD ESL の詳細は


伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c129

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
275. 中川隆[-14418] koaQ7Jey 2020年1月17日 11:54:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1334]

2020年01月17日
古墳時代の出雲人のDNA解析

 古墳時代の出雲人のDNA解析について報道されました。まだ報道でしか確認していませんが、たいへん興味深い研究だと思います。出雲市の猪目洞窟遺跡では1948年に3〜7世紀頃の古墳時代のものと考えられる人類遺骸が発見されています。このうち6人で母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、「縄文系」と「渡来系」がそれぞれ3人ずつだった、とのことです。さらに、この6人のうちDNAの保存状態が良好だった「縄文系」と「渡来系」それぞれ1人ずつの核DNAが解析され、ともに東京都の古墳時代の人類や現代日本人よりも遺伝的に「縄文人」に近縁であることが明らかになったそうです。

 日本列島の本州・四国・九州(およびそれぞれのごく近隣 の島々)から構成される「本土」集団が、遺伝的には「縄文人」と弥生時代以降の「渡来系」集団との混合で、後者の影響の方がずっと大きい、ということはほぼ通説になっています。しかし、「本土」集団の形成過程は一様ではなく、時代・地域による違いが大きかったのではないか、と予想されます。西日本は東日本と比較して、弥生時代以降の「渡来系」集団の影響が早期に大きくなったのでしょうが、西日本でも地域差があり、出雲はその進行が遅れた地域だったのかもしれません。ただ、出雲とはいっても1遺跡での調査だけに、より広くDNA解析が進まないと、一般化できないと思います。
https://sicambre.at.webry.info/202001/article_24.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c275

[近代史3] 被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した 中川隆
14. 中川隆[-14417] koaQ7Jey 2020年1月17日 11:57:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1333]

2020年01月17日
古墳時代の出雲人のDNA解析

 古墳時代の出雲人のDNA解析について報道されました。まだ報道でしか確認していませんが、たいへん興味深い研究だと思います。出雲市の猪目洞窟遺跡では1948年に3〜7世紀頃の古墳時代のものと考えられる人類遺骸が発見されています。このうち6人で母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、「縄文系」と「渡来系」がそれぞれ3人ずつだった、とのことです。さらに、この6人のうちDNAの保存状態が良好だった「縄文系」と「渡来系」それぞれ1人ずつの核DNAが解析され、ともに東京都の古墳時代の人類や現代日本人よりも遺伝的に「縄文人」に近縁であることが明らかになったそうです。

 日本列島の本州・四国・九州(およびそれぞれのごく近隣 の島々)から構成される「本土」集団が、遺伝的には「縄文人」と弥生時代以降の「渡来系」集団との混合で、後者の影響の方がずっと大きい、ということはほぼ通説になっています。しかし、「本土」集団の形成過程は一様ではなく、時代・地域による違いが大きかったのではないか、と予想されます。西日本は東日本と比較して、弥生時代以降の「渡来系」集団の影響が早期に大きくなったのでしょうが、西日本でも地域差があり、出雲はその進行が遅れた地域だったのかもしれません。ただ、出雲とはいっても1遺跡での調査だけに、より広くDNA解析が進まないと、一般化できないと思います。
https://sicambre.at.webry.info/202001/article_24.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/113.html#c14

[番外地7] アメリカは「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう この国を破壊し尽くそう」と考えた。
アメリカは「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう この国を破壊し尽くそう」と考えた。


アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらい いだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。  しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなこ とは考えない。

これは当然、「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改 革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西 側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業 は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5 %。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど 無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政 権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

_____

金融の自由化はISOによってではなく、グローバル化なる経済用語あるいは新自由主義なる政治用語によって露骨に国家間の争いとして実現されてきた。

ここにおける戦いが逆にISOを規定してきたといえるのである。

 それは98年8月27日、史上3番目の米欧での株の大暴落という劇的な形で始まった。

米12%、英13%、独18%の暴落だった。翌日アジアに波及する。
日本19%香港33% マレーシア59%。仕掛けはニューヨーク株式市場だった。この点に注目しておいていただきたい

ロシア売りである。直撃を受けてロシアの株価は実に84%も下落する。

一夜にして価値が6分の1に下落してしまったのである。

 この資金は「Hot Money」と称せられ、公式的には短期資金とされHedge Fund とされる。資金の源は「ソ連邦崩壊により軍需に回されていた資金が民間に回り、金融市場にあふれた」からとされているが、鵜呑みにするわけにはいかない。

軍需に回されていた資金の源は?民間に回される?馬脚が出ているのである。

公的資金が隠匿された回路を通って市場に投入されていることを自ら暴露してしまっている。隠匿されているので分からないが、ヘッジファンドの資金のかなりの部分が米では政府筋から出ている可能性がある。

1990年代初頭の旧ソ連と東欧の民主化は、西側諸国にとってあらたな潜在的脅威を生んだ。それまで共産圏内に閉じ込められていた高い技術力、技術開発力、先端科学が開放され、西側先端産業を脅かすことになるからだ。民主化の過程で、これら先端科学や先端技術を破壊する必要があった。旧ソ連と東欧の民主化、自由主義経済への移行過程に、IMFと世界銀行が深く関わることになる。

両機関の政策により、旧共産圏の経済生産は半分に落ち込んだとも言われる。また、経済の全域が商業マフィアに乗っ取られ、正常な経済活動が営まれなくなった。先端産業は発展の道を封鎖され、科学者や技術者は失業するか西側企業に格安で雇われることになった。IMFと世界銀行は、旧共産圏の経済を見事なまでに破壊し、国民生活を世界最低レベルにまで落とした。

かつての旧ソ連、東欧での生活水準はけっして高くはなかった。しかし、教育や医療など中心的な社会サービスは無料で提供され、完全雇用が約束されていた。しかし、IMFと世界銀行の指針により、社会保障制度は自ら財源を確保しなければならなくなった。教育、医療は有料化され、多くの人々が教育と医療を受ける権利を剥奪された。かつて西側先進国をしのぐほどの高い教育・医療レベルも維持できなくなった。

旧共産圏は、経済や産業だけでなく、教育、医療、福祉、文化、芸術、スポーツなどあらゆる分野が瓦解し、第三世界化してしまった。かくして、旧ソ連は西側先端産業にとって何の脅威でもなくなった。ヨーロッパ産業にとっては、すぐ隣に低賃金の労働市場が誕生したことを意味する。以降、東欧諸国は、西側ヨーロッパ産業に低賃金労働を提供するだけの存在となってしまった。

IMFによる「改革」によってロシア経済は混乱を増幅させ、IMFが決めた追加支援の実行を求めるロシアのキリエンコ首相に米は拒否を通告、2日後のルーブルの大幅切り下げ、そしてついには外為取引停止へと突き進んでいった。ロシア経済が立ち直るのはエリツィン政権が終わり、IMFの言うことを聞かないプーチン政権が誕生してからのことである。

 とすると、IMFで意図的にロシア経済を米欧に都合のいい状態に置き、その締めくくりとしてロシア売りを仕掛け、世界的株価暴落を実現したと考えることも出来る。

全てを「政府の手を離れた」「国境を越えた」ヘッジファンドのせいにする論調ばかりが見受けられるが、よく考えてみる必要がありそうだ。そもそもIMFは米が中心になって「社会主義諸国圏」を包囲し、帝国主義諸国間の金融を安定させるために作られた組織である。そのIMFのロシア資本主義化計画に基づいてロシアは経済を運営したのだが、計画をしてその実行段階に入ってしまった後に米国が資金提供を拒否するというシナリオは、非人為的なものだろうか。意図的であれ意図的でないにせよ、人為的所為であることは確かである。

ロシアで何が為されたかを検討してみよう。91年の国有企業就労人口は78%程度であったものが5年後の96年には38%となり、民間企業と逆転する。この間、外資企業は1000から15000近くとなる。国営企業は株式化され株式売却益を国家財政に返納するという方式すら採ることが出来ず、安値で個人に売却されるという形しか採れなかった。国家財の収奪である。収奪された富は民営化された企業の初期赤字という形で移転されていく。どこに移転したのかといえば、赤字にならざるをえない環境=すなわち国際環境に吸収されていったのである。

要するに外国資本が入り組んだ形で少量ずつの分け前にあずかるという形式でロシア国外に移転されたのである。

他方、民営化は外資が入り込むという形で急速に進展したのである。外資が入り込みやすくするために国営・公営企業が急速に解体させられていったのである。

そしてこれこそがIMFの方針の確固とした部分だったのである。

 瞬時に国境を越える資金による恫喝とその実行を背景に、米国資本の利害に連邦政府がその手先として地ならしをするというのがその実態だったのである。

日本もそうであり、ISOやIMFはその国家形態をとった手段だったのである。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/429.html

[番外地7] アメリカは「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう この国を破壊し尽くそう」と考えた。 中川隆
1. 中川隆[-14416] koaQ7Jey 2020年1月17日 12:33:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1332]
露首相の辞任を切っ掛けにして欧米巨大資本とつながる勢力の粛清を願う露国民
 ロシアのドミトリー・メドベージェフ首相が辞任した。ウラジミル・プーチン大統領が年頭の演説を行った直後のことだ。メドベージェフはロシア国民からの人気がなく、プーチン政権のマイナス要因と見られているので、辞任自体は大統領にとってダメージではない。

 メドベージェフは西側の巨大資本と結びついているグループに属すと見られている。ロシアでは1990年代のボリス・エリツィン時代に西側と結びついたクレムリンの腐敗勢力が国民の富を盗み、オリガルヒと呼ばれる富豪が出現する一方、大多数の人びとは貧困化した。その経験によって西側に抱いていた幻想から抜け出したロシア人は少なくない。メドベージェフがロシアで嫌われている理由のひとつはそこにある。

 現在でもロシアの経済分野では西側人脈が大きな影響力を保持していると言われている。経済が動かなくなると体制は維持できない。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトと似た問題を抱えていると言える。

 ルーズベルトはJPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちと対立、そのウォール街の住人たちは1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していた。

 そのクーデターを成功させるため、軍に大きな影響力を持っていたスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとして失敗し、クーデターも実行されなかった。ただ、その計画内容はバトラーが得た情報や彼と親しいジャーナリストの取材内容が議会の証言という形で記録されている。

 その際、JPモルガンはバトラーが民主主義的な考え方をする人物だということを懸念、JPモルガンと関係の深いダグラス・マッカーサーをクーデターの指導者として考えていたという。ちなみに、1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこがJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻である。

 エリツィン時代、ロシアの経済政策を決めていたハーバード大学教授のジェフリー・サックスはジョージ・ソロスと親しい新自由主義派。サックスの下で働いていたのがソロスの知り合と言われるエゴール・ガイダルだ。

 アナトリー・チュバイスなる人物もロシア経済に君臨してきた。この人物もサックスに近く、エリツィンの娘で腐敗勢力の中心とも言われるタチアナ・ドゥヤチェンコの利権仲間としても知られている。

 このガイダルとチュバイスを動かしていたひとりにラリー・サマーズがいる。ハーバード大学教授、世界銀行主任エコノミスト、財務次官、財務副長官、財務長官を務め、その後ハーバード大学の学長に就任した人物。サックスとはハーバード大学仲間だ。

 この新自由主義派がロシアを完全に制圧したのは1993年3月だろう。ロシア国民の資産を略奪する政策を進め、国家緊急事態を宣言したエリツィン大統領に議会が抗議、議会ビルに立てこもるのだが、エリツィン大統領は戦車にビルを砲撃させた。その時に殺された人の数は100名以上とも1500名とも言われている。こうした虐殺に対し、西側の人びとは寛大だ。

 そうした過去をロシアの人びとはメドベージェフの背後に見ているだろう。彼が首相を辞任した後に何が起こるかは不明だが、多くのロシア国民は西側の巨大資本と結びついた勢力の粛清を望んでいるはずだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/429.html#c1

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
563. 中川隆[-14415] koaQ7Jey 2020年1月17日 16:16:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1331]
2020年01月17日
GS閉店で給油困難地域が増加 1台給油して利益50円


過疎地のGSは一度閉店すると、出店することは2度と無い

引用:http://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/028/354/614/28354614/p1.jpg?ct=361ddc0250ff


ガソリンスタンドの閉店が続き、ついに最盛期の半分近くにまで数が減ってしまいました。

ガソリンスタンドが少ない「GS過疎地」や給油不可能な地域まで出来ようとしている。


ガソリンスタンドの大量閉店

ガソリンスタンドの数がついに最盛期の半分に減少し、給油困難地域が深刻な問題になろうとしています。

1994年には6万ヶ所存在したが、2018年には3万70ヶ所に減少し、さらに減少を続けています。

年間消費量は2004年の6147万キロリットルから、2018年は5063万キロリットルに減少しました。


燃料消費量は毎年1%から2%減少していて、減っていく客をGS同士で奪い合っている。

車で遠出をする人が減り、若い男性の月間走行距離は、1990年代の半分に減ったというデータもある。

ハイブリッド車や軽自動車など、燃費の良い車が普及し、ガソリンを道路に撒くような大型車が売れなくなった。


追い討ちを掛けたのが政府の失策で、2013年までに老朽化したタンクの改修を義務付けました。

地下タンクの改修には1基100万円掛かり、灯油と軽油タンクも必要なので、最低500万円から1000万円は掛かる。

大手や繁盛店はコストを負担できたが、ギリギリで運営しているスタンドには、借金して営業を続ける意味は無かった。


ガソリンを売るだけでは利益を得られなくなり、大手は洗車機やカフェ、点検整備の充実で補っている。

設備を拡大できない小規模店や、そもそも人口が少ない地域では、淘汰されて大量閉店しました。

利益率が低いので増税による減収も響き、2012年の温暖化対策税や、2014年の消費増税で閉店が相次いだ。


経済産業省はガソリンスタンドが3ヶ所以下の自治体を「GS過疎地」と呼び2017年に312市町村に増え、全体の17%以上になった。

ガソリンスタンドは灯油販売所も兼ねているので、灯油の入手が難しくなり、寒冷地では深刻な問題になる。

ガソリン需要が少ない地域では24時間営業する意味がないので、給油できるのは朝8時から夜8時までに限られる。


給油計画を建てておかないと、どこかで燃料切れという事になりかねません。

また農家の農機具に給油出来ないといった事例も出て来ています。

ガソリン需要は減っていない

総務省や経産省はようやく間違いに気づいたのか、少ない費用で運営できるスタンドを検討しています。

コンビニにスタンドを併設し、コンビニ店員が給油する「駆けつけ型GS」などが考えられている。

大量閉店の原因を作った地下貯蔵タンクについては、地上に設置して費用を抑える事も検討している。


国土交通省によれば、高速道路で100キロ以上もGSがない「空白区間」が83ヶ所存在している。

燃費がリッター10キロとして、燃料計が残り10リッターを指してから、スタンドを探しても間に合わない計算になる。

高速道路上での停止は重大事故に繋がりかねないが、営業に応募する石油会社がなければ手の打ちようが無い。


最終手段として自治体や役所、公的事業者などが高速GSを営業する手段もあるが、現在は検討されていません。

奇妙な事にガソリン需要は毎年減少しているのに、自動車の保有台数は毎年増え続けています。

低燃費化と走行距離減少が、ガソリン需要減少の主な原因になっているのが分かります。


ガソリン需要は最盛期の6147万Kリットルから、5063Kリットルに減少したと最初に書きました。

減少率は17%に過ぎず、ガソリンスタンドが半減するほど消費量は減っていなかったのです。

GSが半減した理由としては、80年代頃のブームで増えすぎていたのが最大の要因とされています。


場所によっては100mの間に3軒以上もGSが並んでいたのは、どう考えても多すぎました。

第2の理由は過当競争と増税、安全設備でガソリン1リッター当たりの利益率が減少した。

1990年代には1Lあたり10円以上の利益が在ったそうですが、現在は2円以下だそうで、なるほどやってられません。


軽自動車に30L給油して利益は30円か60円で、100円ショップで駄菓子を売ったほうが儲かる。

今後の見通しですが、ガソリンそのものの需要減少はゆっくりとしたものであり、今後も急速には進みません。

従って過当競争が収まって、ガソリンの利益率が回復したら、GS閉店ラッシュも収まるのではないでしょうか。


GSと反対に増えているのがEVの急速充電所で、2009年はほぼゼロだったのが2019年に7600か所になりました。

ただ2016年まで充電所は急激に増えていたが17年以降はゆっくりとしたものであり、今後急速には増えない。
http://www.thutmosev.com/archives/43917925.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c563

[近代史3] 外国人犯罪は増えていた 警察庁が偽グラフで減少に見せかけた
2020年01月17日
外国人犯罪は増えていた 警察庁が偽グラフで減少に見せかけた


警察庁が発表したグラフでは外国人犯罪は減少したが・・・

引用:http://www.sankei.com/images/news/150917/afr1509170001-p1.jpg


外国人による凶悪犯罪が増加しているが、警察庁は逆に「外国人犯罪は毎年減少している」と発表しました。

警察庁によると外国人犯罪は平成17年(2007年)でピークに達し、近年は1万5千人ほどで推移しています。

ところがこのグラフの中身を調べてみると、減少しているように、グラフの書き方を変えただけでした。


外国人犯罪は4倍に「激増」している

外国人観光客は年間3000万人を超え、外国人による犯罪報道も増加しているが、奇妙な事に警察は外国人犯罪が減少していると発表している。

またいつものように視聴率を稼ぎたいマスコミが、実際には減少した外国人犯罪を「激増した」と煽っているのでしょうか?

これには複雑な利害関係がからみ、政府は外国人の犯罪を少なく見せようとしていて、実際この2、3年は減少している。


だが安倍政権下の訪日外国人増加前と比較すれば、やはり現在は激増していました。

まず警察発表で注意を要するのは在留外国人263万人を調べるのか、在日韓国人を除くのか、訪日外国人(短期滞在)だけを調べるかで違ってきます。

いわゆる在日外国人永住者の犯罪は日本人と同じように減少していて、これを含めるとかなり良い数字になる。


長期滞在者ほど犯罪率が少なく、短期滞在者ほど犯罪率が高いので、犯罪率を少なく見せかけるのも可能です。

永住者を除く来日外国人犯罪の急増は平成元年から始まり、平成11年(1999年)にピークがあった後、平成13年(2001年)には減少している。(増加前より大幅増なのは同じ)

平成16年から17年(2004年から2005年)に2度目のピークがあり、刑法犯検挙件数は3万3千件でした。


平成27年は9417件で、平成29年は17,006件だがこれは検挙総数であり、平成27年の検挙総数は約1万4000件でした。

平成元年以前の一般刑法犯外国人検挙件数は2500人程度なので、現在は4倍ほどに増加しています。

一般刑法犯検挙人数では平成元年以前は2000人ほどで、平成16年は8000人程、現在は7000人ほどと考えられます。


政府は外国人犯罪が減ったように見せかけたい

警察や政府発表では「外国人犯罪は減少」となっている場合があるが、それは平成16年と比べた場合で、平成元年との比較では4倍増でした。

政府は観光立国を目指していて、年間訪日外国人を今の3000万人から6000万人に増やそうとしていて、日本人が外国人に反発を持つ数字を発表したくないのです。

悪く言えば外国人犯罪の隠蔽であり、国民の知る権利を侵害し愚弄するものです。


外国人犯罪件数がピークだった2005年は韓国人の入国が多く、韓国武装スリ団が大活躍していました。

また中国人による強盗や凶悪犯罪も次々に発生して、外国人といえば犯罪者のイメージが強まりました。

その後中韓系の粗暴犯は、入国検査の強化や取り締まり強化で減少し、総数が減少したと考えられます。


警察庁のグラフは外国人犯罪は平成17年(2007年)でピークに達し、近年は減少しているように見せているが、起点がおかしいのです。

警察庁の「平成24年度の犯罪」(グラフ2)では、この時は「来日外国人」とその他外国人を分けて発表しました。

「その他」とは在日外国人や、定住している外国人を指しているとの説明が書かれていました。


グラフを見ると1993年と2004年に大きなピークがあり、「一般刑法犯の検挙者数」と書かれています。

一般刑法犯とは刑法犯から交通事故と過失を除いた人数で、2007年には7528人でした。

続いて2015年9月に警察庁から発表された「外国人犯罪の検挙件数」はかなり統計ルールが変更されました。


まず「在日」と「来日」外国人の区別を止めてしまい、全員一緒にしてしまいました。

そのうえで「一般刑法犯の検挙者数」も止めてしまい、全ての検挙件数の合計に変わっています。

同じ2007年の検挙数は、なんと7528人から4万7865人に変わってしまっています。

グラフ2、交通事故と過失を除くと、来日外国人犯罪は、あまり減っては居ない
このグラフの赤い線が、多くの人の実感と一致している。

引用:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/2794a.gif

グラフ3、「検挙人員」では横ばいなのに「検挙件数」だけを発表した

引用:http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/61/nfm/images/full/h4-2-2-01.jpg

「偽グラフ」で犯罪を減らした警察庁

最近のグラフでは2007年を頂点として、外国人犯罪は減っているように見えています。

しかし以前の「来日外国人の、一般刑法犯」のグラフではあまり減っていないのです。

よく見るとグラフには「検挙件数」と書かれているものと、「検挙人員」と書かれているものがあります。


検挙件数は2007年をピークに減少しているが、検挙人員は増えたまま、あまり減っていません。

こんな風に発表方法を変えた理由は一つしか考えられず、外国人犯罪が減っているように見せかけたいのでしょう。

日本には176万人の定住外国人が居て、約35万人が在日外国人で在留外国人総数は212万でした。(平成26年末)


近年日本人による犯罪発生率は減少しており、在日外国人も、特別に犯罪率が高い訳ではありません。

警察庁では外国人犯罪が減少しているように見せるため、在日外国人で「薄めてしまった」と考えられます。

警察庁はさらに不自然な統計としてグラフ3も発表しているが、この資料では「検挙件数」が減ったのに「検挙人員」が増えました。

「検挙件数」は警察が自慢する通り減少しているが、「検挙人員」はまったく減少していないのです。
http://www.thutmosev.com/archives/43298872.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/806.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 凶悪犯罪 関係投稿リンク 中川隆
25. 中川隆[-14414] koaQ7Jey 2020年1月17日 16:24:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1329]
外国人犯罪は増えていた 警察庁が偽グラフで減少に見せかけた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/806.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/595.html#c25
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す
バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す


バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56
2019 MAR 20 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/03/20/バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」sz-56/



バルトークの家系と出自に関心を持ったのは理由があります。彼の音楽の多面性、つかみどころのなさは彼の血のせいではないか?と思ったのです。同じことはラヴェルにもあって、彼の母親はバスク人ですが、スペイン情緒への傾斜(ボレロ、スペイン狂詩曲など)がその影響であろうことは定説になっています。母親の出自に関心と愛情をいだくのは人間として自然でしょう。


僕自身、出身は?と問われれば東京と答えますが、祖父母の出身地は母方が長野県、長崎県、父方が石川県、東京都とばらつきがあります。さらにその先祖は京都、山梨県です。場所だけでなく身分も農民、漁民、戦国武将、公家と雑多です。自分はそのどれかではないがどれでもある。アイデンティティというものを意識すると不安定です。60になって、自分の社会的人格は捨てよう、我に忠実に生きようと努力してますが、では我はどこにいるのかとなる。知らなければよかったと思うこともあります。原住民以外は全員が移民であるアメリカという国家はルーツを話題にしない不文律がある。姓で見当はつくので口にしてしまうと会話は止まります。止まらなかったのはピルグリム・ファーザーズの子孫という女の子だけでした。


バルトークの精神の深層におそらくあったアイデンティティの複雑さの投影が気になってしまう理由はそこにあります。


父方はハンガリー下級貴族ですがその母(彼の祖母)はセルビア地区の南スラヴ少数民族です。


お母さんはドイツ系ですがスロヴァキア出身。そして彼が生まれ落ちたのは当時ハンガリー王国の一部ですが現在はルーマ二アの土地だった。


国民国家である日本で育つと理解しづらいですが、国家と民族はちがいます。歴史的にはそれが普通であり、バルトークを単純にハンガリーの作曲家と見るのはほとんど適切でないでしょう。


出身県DNAや血液型占いは信じてませんが、僕はイメージとして仕事は九州人の気宇壮大さを大事に、学習は細かく根気よく北陸人的、趣味はどっちでもなく京都人ということで生きてきた気がします。何々人と言っても多様で、詰まるところその先祖の個性という味気ない結論になりそうですが、例えば証券業という仕事を選んでみると、そこでうまく生存するには自分の中に九州っぽい部分があって、それが自然に優位に働いた。そういうことだと思います。


バルトークも作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出し、地域を征服・支配したオスマン・トルコが混ざっていておかしくない、だから数学者だったり残忍、野蛮だったりするのだろうと考えるのです。


子どもの頃に聞きなじんだ音楽の記憶は消えません。僕にとっては赤子の頃に四六時中、耳元で鳴っていた親父のSPレコードがそれで、チゴイネルワイゼンは3才で諳んじてました。バルトークが幼少にそういう風に諳んじてしまった音楽がどういうものか、起源をたどるのも一興です。


曲は「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56です。この曲に僕は並々ならぬ愛着を持っています。まず、バルトーク自身のピアノでお聴き下さい。


Béla Bartók at the piano Rumanian Folk Dances


次にハンガリー出身のリリー・クラウス女史で。


次にフランス出身のエレーヌ・グリモー女史で。


いかがでしょう?バルトーク、クラウスはフレーズが伸縮し音価どおりではないです(後者の方が振幅が大きい)。グリモーは楽譜から読んだという感じがする(非常に洗練されて魅力的ですが)。バルトークは古老たちの歌を耳で聞いてそれを音符に置き換えたわけですが、当然、記号化には限界があります。例えば日本民謡や演歌のこぶしを五線譜に書けるか?ということです。


この6つの小品の元ネタの故郷が「ルーマニア」だと作曲者が断じているかのような命名ですが、そうではなく、ヴァイオリンと羊飼いのフルートによるトランシルバニア地方の民謡です。発表時のタイトルは Romanian Folk Dances from Hungary という妙なものでした。1914年に隣国でサラエボ事件が勃発しこの曲は動乱のさなか1915年に書かれたからですが、それを契機に始まった第1次世界大戦でハンガリーとルーマニアは敵国同士になったのです。ハンガリー平原がオーストリア、オスマン両帝国のぶつかりあう最前線であった歴史が事情を複雑にしています。


トランシルヴァニアは11世紀にハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、後にハプスブルク家領となりました。ところが1526年にオスマン帝国の属国となり、トランシルヴァニア公国として現代ハンガリーの国民的英雄であるラーコーツィ・フェレンツ2世が君主を務めた。だからハンガリーには大事なところなのです。ついに大トルコ戦争でオスマンを追い出し、18世紀には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となったのに、第1次世界大戦で今度はルーマニア領になってしまった(1918年)。そこで from Hungary が削られたのです。


バルトークの生地は広域のトランシルヴァニアに含まれますので、彼にとっても重要な地、心の故郷でした。支配者オスマン・トルコがこの地へ残したものとバルトークは関りがあったのか?大いにありました。彼はトルコで多くの民謡を録音、採譜しています。これがそのひとつです。


On the road she set up her spinning wheel -Erotic song


「ルーマニア民俗舞曲」の第3、4曲のメロディーにあるアラブ音楽の影は明白です。これはロシア人のリムスキー・コルサコフやフランス人のラヴェルが異国(東洋)情緒を出す目的で入れたようなものではなく、バルトークにおいては「おふくろの味」であった、それは想像の域を出ませんが、僕はそう信じております。


バルトークが聴いた「ルーマニア民俗舞曲」はこんなものだったかもしれません。フィドル2丁とコントラバス、濃いですねえ。縦笛の妖しい調べ・・・何とも言えません。それをオーケストラに落とすとなんて近代的な音になることか。終曲のノリはまるでロック・コンサート、聴衆も体をゆすって目はエクスタシーだ、弦チェレやオケコンの終曲のルーツを感じませんか?


Muzsikás - Bota and Invertita / Bartók - Romanian Folk Dances with Danubia Orchestra


それだけじゃない、僕はこの曲にいつもリムスキー・コルサコフ「シェラザード」を思い出すのです。西洋人がイメージしたオリエンタルはこういうものか。特に第4曲(Bucsumí tánc)の和声がそうですね(ボロディン風でもある)、この曲はそのままシェラザードに入れて違和感はありません。そして終曲の強烈なアッチェレランド、これ、そのものです。


次はシナゴーグ(ユダヤ教会)でのジプシー楽団(ライコ・オーケストラ)による民族色たっぷり、むんむんの演奏です。ジプシーの子供のオーケストラで16才までにチゴイネルワイゼン級のヴィルティオーゾの技を身につけた子だけが残れるそうです。お立ち台の子はまるでヨハン・シュトラウスと思いませんか。彼の一家はユダヤ系ハンガリー人の血を引いているといわれますが、なるほどと思わせられる写真です。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/03/20/バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」sz-56/rajkozenekar1-1/


このオーケストラでは楽譜を使わず、先生が指を見せて覚えせさせるそうです。そうすればもちろん暗譜になって、音楽が目と頭ではなく体にしみこむという考えのメソッドです。そのメソッド、僕は音楽の正道と思います。


Béla Bartók Rumanian folk Dances(The Rajko orchestra)


次に、このヴァージョンを是非ご覧ください。クラシック音楽って何なんだっけ???皆さんの頭に革命が起きます。


渡米後のバルトークは「ハンガリーの納屋のワラ一本」に彼は「一つのよい薫り――それは音に成ろうとしているのだ」と語っています。


Taraf de Haïdouks - "Romanian Folk Dances"


最後に、バルトークがフィールド・スタディでエジソン・シリンダーに録音にしたもの(Musicology of the Research Centre for the Humanities of the Hungarian Academy of Science)。


Bartók field recordings Romanian Folk Dances



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/03/20/バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」sz-56/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
1. 中川隆[-14413] koaQ7Jey 2020年1月17日 17:46:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1327]
空気が全然読めないオカルト趣味の変人だったベラ・バルトーク


吉松隆 バルトークに関するバトルトーク
(1995年6月 レコード芸術 バルトーク特集号)
http://yoshim.music.coocan.jp/~data/BOOKS/Thesis/bartok01.html


Bartok - Bluebeard's Castle - Boulez - Norman - Fried - Paris 2006



Bartok Der wunderbare Mandarin - Boulez Wiener Philharmoniker (1992 Movie Live)




Bartok Concerto for Piano no. 2, Sz. 95 (Anda, Fricsay, RSO)





◆PART1:バルトーク、理知的に思考するオカルト世界

 ◆吉松隆の左脳(談)「バルトークの音楽について考えると、いつも右脳と左脳とのバトル・トークになるんですよね。

 どうしてかと言うと、この人の音楽って多面体なんですよ。知的で晦渋だと思ってると結構明るくて脳天気だし、真面目一辺倒かと思ってると意外に皮肉屋で遊び心がある。根底にあるのは祖国ハンガリーの土着の民族音楽なんですけど、それにR=シュトラウスやドビュッシーの近代和声とストラヴィンスキーの原始主義的リズムの味付けが加わり、さらにシェーンベルクの十二音に対抗するかのような知的作曲法がその上にかぶさってる。

 この、まるっきり異質で本来は混じり合いっこない素材3つに固執した挙げ句の個性こそが、バルトークの面白さであり、わけの分からなさなんですよね。

 それに、この人、語法が民族的と純粋思考的との間を揺れているわりには、文学的には結構オカルト趣味なんじゃないかなあ。え?理工系知性を振りかざしながら意外にオカルト趣味なのは、何か最近話題の某宗教団体を思わせる?。あ、そういえばそうですね。あれって、根底に日本の土着の仏教的な修業を置きながら、キリスト教的な終末思想の味付けを施し、その上に一見科学的な軍事思考をかぶせていますもんね。しかも、その基本はオカルト趣味。あらら、なんかソックりですね。うーん。もしかしたらバルトークって意外と世紀末なのかも知れないな。

 でも、人工的なハルマゲドン作り出そうとした挙げ句テレビや新聞でクソミソに叩かれるよりは、難解な現代音楽作曲して自滅した挙げ句死後50年たって音楽雑誌で小さな特集記事にされるほうがナンボかマシですよね。え?そうでもないって?
 で、空中浮遊するわけでも終末予言をするわけでもないバルトークのどこがオカルトなのか、というと、まずは「不思議なマンダリン」(中国の不思議な役人...という誤訳で知られているが...)がいい例ですね。これなんか、完全に世紀末的オカルト。サイバーパンク的な汚い都市の片隅で売春をやっている少女がいて、その少女とヒモをやってるチンピラたちの前にわけの分からない東洋人が客として現れるっていう設定がまず大友克洋してる。しかもこの東洋人、チンピラたちにナイフで刺されても死なないで少女に抱きつき、挙げ句に天上から吊るされると青白く光り出すっていうんだから凄い。

 それに、唯一のオペラである「青ヒゲ公の城」だって、陰惨なく暗い城に住んでて妻を次から次へと殺してしまう男が主人公でしょ。基本的には「愛」の話だけれど、舞台はどう見てもベル・ルゴシ主演の「ドラキュラ」を思わせるようなゴシック・ホラーの世界。それもそのはず、ドラキュラ伯爵の住むトランシルバニアは彼の生家の近くなんですよね。

それから、そうそう、「シャイニング」って映画見ました?。ええ、ジャック・ニコルソンが雪で外界から隔絶された冬山のホテルで狂ってゆくホラー映画。もっとも、彼の顔は最初から怖いですけど。それはともかく、あれにバルトーク先生の「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」のアダージョ楽章が使われてて、これが結構怖い。
 
  ほかにも、狼男的なバーバリズムが出てくるアレグロ・バルバロ部分もバルトークの魅力ですね。「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」とか「ピアノ協奏曲第2番」なんかでピアノを打楽器として荒々しく扱う力学的なところとか。そう。「不思議なマンダリン」にもありますよね。

つまり、オカルトにも神秘的で静的なオカルトと攻撃的で動的なオカルトがあるわけですよ。それを共生させているのがバルトークの音楽っていうわけなんですけど、え?それも某宗教団体と似てるって?。うーん。    
 

 ◆吉松隆の右脳(記)「ともすると悪名高い難解な現代音楽の一種だと考えられがちなバルトークの音楽だが、実はここだけの話、本当に難解なのである。(おいおい)

 知ってる人は知ってても知らない人は知らないだろうが、傑作と呼び声の高い「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」や「2台のピアノと打楽器のための音楽」などは、なんと主題や変奏や展開の長さが黄金分割やフィボナッチ数列に基づいて構成されているのだ、まいったか。(ちょっと、ちょっと)

 ちなみにこの黄金分割とは、1本の線を長・短2つに分割した時、その長と短の比率が、全体と長の比率と一致するような分割比。式にすると、1:X=X:(1-X)で、具体的には1:0.618。もひとつのフィボナッチ数列とは、各項が先行する2つの数字の和に等しいような数列。例えば、2、3、5、8、13、21、34、55...なわけである、驚いたか。(こらこら。しちめんどくさい数式はやめなさいって!)

 しかも、メロディやハーモニーあるいはリズムを生み出すシステムも、この黄金分割やフィボナッチ数列を元に組み立てられた音列や旋法に基づいているのだから凄い。例えば前記の2、3、5、8、13というフィボナッチ数列からは、2半音(長2度)、3半音(短3度)、5半音(完全4度)、8半音(短6度)、13半音(増8度)という音列と和音が得られ、これを♪単位でリズムに応用すれば、2拍(♪)、3拍(♪)、5拍(♪♪)、8拍(♪)13拍(♪♪♪)と言うリズムが得られる。これをヴァイオリン協奏曲だの弦楽四重奏曲だので駆使しているわけである。さあ、頭痛くなったでしょ?。(なった。なった)

 つまり、このバルトーク先生、調性を完全に壊してしまうシェーンベルクの十二音主義に対して、和声感(ドミナント機能)を温存する「中心軸システムによる十二音主義」とでも呼ぶべき独自の語法を打ち立て、後のウェーベルンらによる全面セリー音楽(音の高さ、長さ、強さをすべて数的処理で決定する作曲法)と呼応すらしているのだ。いやはや、困ったものだよ本屋のネズミ、知識はあるけど食うものない、ときた。(ちょっと、ちょっと。あんた、酒飲んでこの原稿書いてません?)

しかし!。しかしである。にもかかわらず、バルトークのサウンドは凡百の頭デッカチの数字コネクリ型ゲンダイオンガクとは決定的に違うのである。(ほお...)
 それは、バルトークが若いころ祖国ハンガリーからルーマニアに至る東欧の民謡を採譜収集し、ヨーロッパの中にあって東洋的な風味を持ついわゆる5音音階の音楽を体に染み込ませていることが最大の原因だったりする。

 この人間の音楽の素朴にして原初的な基盤と言うべき5音音階の熟知ゆえに、機能和声の臨界に達すると同時にそれを根底から解体することしか頭に浮かばなかったオーストリア=ドイツ系の作曲家に対して、バルトークは「人間の聴覚上の性質から生まれた旋法=5音音階」と「音の物理学上の性質(自然倍音)から生まれた旋法=全音音階・半音階」の両面に新しい知的処理を施す可能性を見い出し、それを実践しえたのである。

 バルトークの音楽が、シェーンベルク一派のような純粋知性思考の偏重による袋小路に陥らなかったのは、そんな理由があったりするのである。

 (ま、要するに、「体で感じる音楽」と「頭で考える音楽」とを一応両方持ってたってわけでしょ?。でも、それって音楽やる人間ならあたりまえのことじゃないの?)

 うーん。そう言われるとそうだなあ。 


◆PART2:私はどうやってバルトークになったか?

「第1部:ハンガリー(疾風怒涛)篇」

 ◆吉松隆の左脳(記)「東欧ハンガリーが生んだ最大の作曲家の一人であるベラ・バルトークが生まれた1881年という年は、同じくハンガリー出身のリストが70歳でヨーロッパ楽壇にまだ君臨していて、ワグナー68歳、ブルックナー57歳、ブラームス48歳でまだ現役という時代。

 当時は、オーストリア皇帝がハンガリーの君主を共有するという「オーストリア=ハンガリー二重帝国」だったころ。この奇妙な形態の国家は、1848年にハンガリー独立運動が失敗した後の1867年に誕生し、二重帝国の皇太子がサラエボで暗殺されて第一次世界大戦が勃発するまで続いている。

 18歳でブダペスト音楽院のピアノ科と作曲科に入学したバルトークは、まずピアノで頭角を表わし、当時最先鋭のR=シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」や「英雄の生涯」などの交響詩をバンバン弾きまくっていたようで、これらを規範にしてオーケストラ作品を書き始める。

 その結果生まれた最初のオーケストラ作品が、前記のハンガリー独立運動の英雄コシュートを描いた交響詩「コシュート」。1903年22歳の時に発表されたこの扇動的なテーマの作品は、バルトークの民族主義者としての原点と言える。(このあたりはフィンランドのシベリウスが「クレルヴォ交響曲」や「フィンランディア」を書いた背景によく似ている)
 
  その後、自作の「ラプソディ」を引っ提げてパリのルビンシュタイン・コンクールに参加するが、選外。しかし、この時に知ったドビュッシーやラヴェルの音楽がバルトークに新たな和声感覚と色彩を与えることになる。

帰国後は同年代のコダーイ(組曲「ハーリ・ヤーノシュ」などで有名)と共に民謡収集の旅に出て、ハンガリーからルーマニア(あのドラキュラで有名なトランシルバニアも)を経て北アフリカまで回り、ロシアからブルガリアさらにはトルコやアラブの音楽までをも体系化するライフ・ワークともいえる民謡研究に没頭することになる。 
 
  1914年に第一次世界大戦が起こったころバルトークは、ブダペストのリスト音楽院の教授で33歳。オーストリア=ドイツ系音楽への嫌悪からフランス近代音楽風の作風を取り込んだ彼は、さらにパリで爆発的大ヒットとなったストラヴィンスキーの影響を受け、神秘的な寓話オペラとでもいうべき「青ひげ公の城」、木彫りの人形の王子が主人公の伽話的バレエ「木彫りの王子」、そして世紀末オカルト的ですらある問題作「不思議なマンダリン」という舞台作3部作を書き上げる。(ちなみに「青ひげ」「木彫り王子」「マンダリン」は、そのまま「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」に対応する)。

 そして1918年に二重帝国側は敗戦し、ハンガリーは共和国として独立する。30代後半にさしかかったバルトークの名は国際的に知られるようになっていて、この1920年代から30年代には「舞踏組曲」や「ピアノ協奏曲第1〜2番」、名作「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」や「2台のピアノと打楽器のための音楽」「弦楽四重奏曲第3〜4番」など多くの名作が生まれ、ピアニストとして世界各地へ演奏旅行に出かけるなど充実した音楽活動を展開している。

 ただしこの時期のハンガリーは、戦後の共和国時代にソヴィエトが介入し、1920年代には摂政ホルティによる反共産主義体制、30年代には右翼急進派のゲムベシュによるナチス・ドイツ寄りのファシズム政権と、音楽的自由人であるバルトークをイライラさせる政治状況だったようで、彼は何度となく政府と摩擦を起こしている。

 そして、1939年9月、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まると、バルトークはついにプッツンして亡命を決意。翌1940年10月にピアニストである妻ディッダと共にお別れコンサートを開き、最期の地となるアメリカに亡命することになるのである。


「第2部:アメリカ(七転八倒)篇」

 ◆吉松隆の右脳(談)「で、アメリカに渡ってからのバルトークの生活はというと、これがなかなか怖いんですよね。

 この時期に第二次世界大戦の戦禍を恐れてアメリカに亡命してきている作曲家としては、ハリウッドの豪邸住まいのストラヴィンスキーや、ロサンジェルスで作曲の教授を始めたシェーンベルクなどがいるわけですけど、バルトークはストラヴィンスキーほどヒット曲メイカーではなく、シェーンベルクほど理論家に徹することも出来ない。有名ではあるけどその作品がそんなに上演されるわけでもない、という中途半端な位置に放り出されてしまったわけです。
 
 有名な現代の作曲家であることは知っているが、その音楽は難解で分かりにくく聞きやすいわけでもない、という評価はそのころのアメリカの聴衆の大多数の意見だったようで(それは今でもあまり変わっていないかも知れませんけど)、そういう反応についてもバルトークも結構落ち込んだようですね。「私がアメリカで名を成すには何十代も後までかかりそうだ」と、彼はそのころつぶやいています。

 で、ニューヨークの狭いアパート暮らしを余儀なくされ、自作のコンサートもなければ作品の委嘱もなく、祖国ハンガリーからの年金もヨーロッパからの出版印税や演奏使用料なんかの入金も途絶え、しかも体調を崩して(それは後に彼の生命を奪う白血病だったのですが)しまうという泥沼に陥ってしまうわけです。

 古くはカーネギー・ホールのこけら落としを飾ったチャイコフスキーとか、新設の音楽院の学長として異例の好条件で招聘されたドヴォルザーク、メトロポリタン歌劇場やニューヨーク・フィルの指揮者として腕を振るったマーラー、などといった作曲家たちに比べると、まあ、戦争中だったから仕方ないといえば仕方ないんですが、不遇だったとしかいいようがないですね。
 
   そんな中で、1943年にクーセヴィツキー財団からオーケストラ曲の作曲依頼を受けます。頼んだ方としては作曲依頼にかこつけた金銭援助だったようですが、異国の地でようやく受けた作曲依頼に喜んだバルトークは、その夏に一気に全5楽章からなる「管弦楽のための協奏曲」という名作を書き下ろすわけです。
 この曲の中に前年7月に全米で放送されたショスタコーヴィチの「レニングラード交響曲」のパロディが出てくるのがケッサクなんですが、自分を受け入れてくれないアメリカでまだ30代のソヴィエトのチンピラ作曲家(とバルトークには見えたことでありましょう)の書いた陳腐な戦争交響曲がもてはやされることに、よっぽど悪い印象を持ったんでしょうね。

 この曲、初演したクーセヴィツキが「この50年で書かれた最高の作品」と絶賛したという話が有名ですが、「彼はショスタコーヴィチの曲を演奏した後でも同じことを言っていたから、割り引いて聞かないとね」とバルトークは皮肉ってます。

  で、1944年11月にメニューインが委嘱した「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」が初演され、12月に「管弦楽のための協奏曲」が大好評のうちに初演されて、ようやくバルトークにも運が向いてくるわけです。

 そしてその後、いくつかの大作を構想し作曲に没頭し始めるんですが、アメリカに渡って以来一進一退を繰り返してきた病状の方も悪くなり、日米戦争が終わってこれからという1945年9月26日に死んでしまい、後には妻のディッダによせる「ピアノ協奏曲第3番」と、スケッチのみの「ヴィオラ協奏曲」が残されました。
 これってなんか、地味ながら感動的な映画になりそうな気がしません?

◆Part3:モダンとエスノ/音楽史の中のバルトーク

◇モダンとしてのバルトーク

◆吉松隆の左脳(記) 「バルトークは現代音楽なんですか?」と聞かれたら、「とんでもない!」と答えて正解である。しかし、「じゃあクラシックなんですか?」と聞かれて、「はい!」と即答は出来そうにない。さて、バルトークはモダンなのだろうか?それともクラシックなのだろうか?

 ここで「どちらでもいいじゃないの!」と言い切れる人がいたら羨ましい。そういう方ばかりなら、こんな原稿書いてクドクドとバルトーク先生の音楽を解説しなくてもいいわけだし、私の中の振り切れてしまっている右と左の脳をバトルさせなくてもいいのである。しかし、例えばこれからお付き合いするBさんの宗教が「カトリック」なのか「真言宗」なのか「オウム真理教」なのか、あなた気になりません?本当に「どちらでもいい」と言い切れます?(あのう、ちょっと強引な誘導尋問のような気が....)

 なにしろ西欧クラシック音楽は、20世紀に入ってモダンの時代に突入し、様々な画期的語法を開発し表現手段を著しく拡大したものの、残念ながらそれとともに聴衆の支持を失ってしまった。しかも、20世紀初頭にデビューして第2次大戦の終戦直後(1945年)に亡くなったバルトークは、まずいことにまさにその時代の人。まさに「音楽」なのか「現代音楽」なのかよく分からない境界線にいるのだから困ってしまうのである。

     *

 ところでこの時期、私の独断の持論でいうと西欧音楽は3つの分岐点を持っていたことになっている。1つは19世紀末にドビュッシーが開拓した近代和声という名の非機能和声。2つめは1910年代にストラヴィンスキーが偶然手にしたリズムの素材化。そして3つめが1920年代にシェーンベルクが開発した12音主義という名の調性の解体である。

 そして、1つめはコード進行という発想に転化されてジャズ理論の基礎となり、2つめはビートが最優先になる現代のロックの始祖となり、3つめはいわゆる現代音楽や前衛音楽の元祖となったわけである。(しっかし、もの凄い独断の持論ですね....)

 現代音楽の不幸はこの3つがバラバラ死体となって進行したことによるのだが、実を言うとバルトークはなんとこの3者の合体を試みていたのである。

 1つめは、民謡の5音音階と西欧の全音音階を組み合わせた新しい旋法と和声の開発。2つめは東欧の民族音楽の舞曲などから導きだされたリズムの素材化。そして3つめはそれらの素材の黄金分割やフィボナッチ数列などによる数学的処理。

 つまり、これが完璧に実現されれば、20世紀の音楽は「感性と知性」および「ナショナルとインターナショナル」を兼備した理想的なものになる。....はずだったのだが、このバルトークの音楽的統一場理論は結局孤立した存在として終わってしまう。

 それが理論の欠陥のせいなのか時代のせいなのか、あるいは彼の性格のせいなのか、それは何とも言えないが、シベリウスの後期の音楽などと並んで、モダンの時代に生まれた非モダニズムによる孤高の音楽として屹立することになったことだけは確かである。

  そんなわけで、幸か不幸かバルトークのモダンは、孤立したゆえに異化された「折衷的なモダン」として捉えられることになった。つまり、知性だけで音楽を制御できずに感性がはみ出してしまう中途半端なモダンという捉え方である。

 しかし、逆に言えばそれこそが音楽そのものの形なのである。純音楽である交響曲の中に田舎舞曲が聞こえ、厳格な楽曲構成の向こうに女性の顔がちらつく、それこそがモーツァルトやベートーヴェン以来伝統のクラシックではないか!

 つまり、モダンとしては甘すぎ、クラシックとしては苦すぎる、これこそがバルトークの音楽の魅力なのである。(うーん。ほめてるんだか、けなしてるんだか....)


◇エスノとしてのバルトーク

◆吉松隆の右脳(談)ぼくはバルトークの音楽の基本的性格は「エスノ」だと思ってるんですよ。

 19世紀から20世紀初めにかけては、音楽でもいわゆる「民族主義」が多々出てきた時代でしょ。で、民族臭がプンプンしている連中の音楽がこの時期に続々出て来た。

 もちろん、この時期の民族独立運動の気運ともシンクロしてるんですけど、これが異国趣味として中央でもてはやされたことも否定できない。それは逆にいえば、ドイツ・フランスの中央楽壇が西欧クラシックの王道ヅラしていたゆえの歪んだ嗜好ともいえるんですけどね。

ま、その辺の解釈はともかく、にもかかわらずバルトークは残念ながらその流行には遅れてきた世代。しかも彼の祖国ハンガリーは、残念ながら素直に民族の独立を訴え祖国愛を歌い上げられない複雑な政治背景があると言うオマケ付き。
 で、どうなったかと言うと、彼の音楽は「民族主義」じゃなくて「エスノ」になるんです。

  ちなみに「民族主義」と「エスノ」とどう違うかというと、前者が民族の失われた歴史的脈絡の復権を指向するのに対して、後者はもはや素材としてしか民族の記憶の生き残りは不可能だと覚めている点が決定的に違うわけですけどね。
 なにしろ、バルトークは若いころから晩年まで民族音楽や民謡の研究をずっと続けているんですが、それを民族意識をあおるような文学的素材には利用していない。オーケストラ曲で民族舞曲的な響きをちらつかせるにしろ、そこには民族の血を騒がせる熱っぽさはなく、愛してはいてもあくまでも素材としての興味に徹している冷たさがあるんですよ。

 で、その結果として、彼の音楽はそれらを素材とした無国籍な音楽に至る。これって、民族音楽のリズムやメロディあるいは民族楽器の音を素材としてサンプリングしてビートに組み込む現代の「エスノ」の方法論にソックリじゃないですか。
 しかも、バルトークが考えていたエスノが、ハンガリー、ルーマニア、チェコ・スロバキア、ブルガリアあたりの東欧文化圏というのも面白い。つまり、日本でいうと「アジア」みたいな視点なんですから、中央楽壇の作曲家たちは逆立ちしても出来ないわけですしね。
 
  そんな彼の方法論は3つ。1つは民謡のリズムやメロディの原物使用。「ルーマニア民族舞曲」や「ハンガリー農民歌」、教育用の「子供のために」あたりに見られるような、採譜した民謡を編曲した作品なんかがそうです。

 2つめは民謡のリズムやメロディを分解して、その断片をコラージュする方法。旋法だけを抽出することもあります。聞こえるのは断片なのに、独特の色合いは残っているという不思議な音楽になるんですよね。「舞踏組曲」を初めとして「ミクロコスモス」や「弦楽四重奏曲」なんかに顕著です。

 そして3つめは、民謡のリズムやメロディをすべて解体して、それを作っている数学的な要素(旋法とかリズム細胞あるいは楽曲の構造とかですね)として再構築する方法。「弦チェレ」以後のいわゆる後期の作品はこれです。

  ただ、こう言葉で説明すると難しそうですけど、現代では10代の子がサンプリング・マシン使ってやってることなんですよ。音楽の一部分をスッと抜き取って、加工したり変形したりして別の脈絡の中にモザイクみたいにはめ込む。で、その素材が民族的ならエスノ、流行ものならハウス、言語ならラップというわけでしょ。つまり、20世紀末の現代ではもはやエスノとモダンの境界線も曖昧になってしまったわけですけど。

 でも、英知を傾けて行った作業が子供の玩具と化している実態を知ったら、バルトーク先生、草葉の陰で何とおっしゃることでしょうね?

◆Part 4:顔のある時代とない時代

◇第1部「顔のある時代」

◆吉松隆の左脳(記) バルトークの作品をざっと見ていると面白いことに気付く。ハンガリー時代の前半生を見ると、デビュー曲の交響詩「コシュート」にしろ、オペラ「青ひげ公の城」、バレエ「木彫りの王子」、パントマイム「不思議なマンダリン」の舞台三部作にしろ、主人公にはみんな顔があるのだ。

 ところが、中盤からこれが一変する。「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」、「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」、そしてトドメの「管弦楽のための協奏曲」。いずれも、顔のない無愛想なタイトルになるのである。

 この「顔のある時代」から「顔のない時代」への変化は、バルトークの純粋に音楽的な作風の変化とともに、彼を取り巻く環境の決定的な変化を感じさせ、面白うてやがて悲しき作曲家人生を感じさせてならない。

 バルトークの最初の「顔」は、ピアニストであり、作曲家であり、コダーイの友人であり、最初の妻マルタの夫であり、ブダペストのリスト音楽院の教授、というものだ。

 1901年のリスト生誕90周年で、まだ音楽院の学生だったバルトークはリストの「ロ短調ソナタ」を弾き、作品番号1を付けたピアノ曲「ラプソディ」をリストに捧げて作曲家としてのスタートを切っている。そして続く卒業作品「コシュート交響曲」で、ハンガリー独立運動の英雄コシュートを題材にして民族主義者の顔を垣間見せている。

 しかし、この時期のバルトークはまだ霧の向こうの自分の「顔」を探す旅の途上だ。彼の音楽の理想は終始一貫「東欧文化圏の音楽を西欧近代音楽の語法と融合させたもの」であることは間違いないのだが、リヒャルト=シュトラウスの豪華絢爛趣味やドビュッシーの神秘的曖昧趣味、ストラヴィンスキーの原始的怪奇趣味などへの横目使いも続いているのだから。

  それでも、このころのバルトークはまだ東欧人としての自分のアイデンティティを民族の血の中に捜し求めている。ハンガリーの英雄コシュート、伝説の殺人者青ひげ公、童話の中の木彫りの王子、貧民窟に迷い込んだ不思議なマンダリン、という奇妙な人物たちとの関わりは、そんな彼の魂の遍歴を苦く縁取っている。

 とは言えこの主人公たち、後に行くにしたがってだんだん名前と顔を失って行くのは興味深い。最初はハンガリー土着の名前がはっきりあったもの(コシュート)が、単なる呼び名(青ひげ公)になり、俗称(木彫りの王子)になり、やがてすっかり名前も顔もない異邦人(マンダリン)になってゆくのだ。

 つまりは、この時期バルトークも既に、だんだん国籍を失い希薄になってゆく自分自身の「顔」を、うすうす感じていたということなのだろう。

 そして、ピアノの弟子であり後に彼の死を看取ることになる二番目の妻ディッダと出会い、最初の妻と別れて再婚したころから、彼の「顔」は緩やかに変貌して行く。
 1920年代後半に書かれたピアノ・ソナタ、ピアノ協奏曲第1番、弦楽四重奏曲第3番と第4番、カンタータ・プロファーナという過渡期の作品群を見ると、そこには既に顔(文学的なタイトル)を失いつつあるバルトークの純音楽への指向が伺えるのである。

 このあたりの原因を、当時のハンガリーの政治状況への失望と単純に言いきってしまうのは安易にすぎるが、かといって純粋に音楽的な理由による作風の変化とも言いきれない。しかし、何にしろそれ以後のバルトークは、よく言えば国際的、悪く言えば無国籍な音楽を指向し始めるのである。



◇第2部「顔のない時代」

◆吉松隆の右脳(談)確かにバルトークは1930年代になって聴衆に「顔」を見せなくなりましたね。でも、ここからがバルトークの真骨頂、傑作の森なんですよ。

 まずピアノ協奏曲第2番(1931)でしょ。それから、弦楽四重奏曲第5番(1934)、弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(1936)、2台のピアノと打楽器のためのソナタ(1937)。ヴァイオリン協奏曲(1938)。それに弦楽のためのディベルティメント(1939)。そうそう、シゲティとベニー・グッドマンのために書いた「コントラスツ」(1938)なんていうのもありましたっけ。

  こう並べてみると、もはやバルトークは聴衆が文学的イマジネーションをかき立てられるような「顔」を拒否し始めているのがタイトルでもう分かります。音楽的にも、東欧の民謡のメロディやリズムを生で使うことはなくなり、分解して組み立て直して使うようになってますんで、その意味でもこういう機能優先のタイトルはダテじゃない。

 中でも凄いのが、なんといっても「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」でしょうね。弦楽器(ストリング・アンサンブル)と打楽器(パーカション)とチェレスタという編成で書かれた作品ですって言うだけで、もう取り付くシマもない。それに、ハープが弦楽器でピアノが打楽器として数えられているんですから。何を考えてるんでしょうね。それならいっそのこと、「弦楽器と打楽器とピアノとハープとチェレスタのための音楽」ってすればよかったのに。え、それじゃいくらなんでもくどすぎる?そうですかね。

  ただ、この種のタイトルの付け方って難解さの証明なわけじゃなくて、逆に皮肉っぽい遊び心がありますよね。なんか、理工科系の教授がニコリともせずに「結局は薬局なんだよ、きみ!」なんて冗談を言うのに似た、倒錯したおかしさというか。私は「管弦楽のための協奏曲」なんて、冗談と真面目を飛び越した凄い名タイトルだと思いますしね。

 でも、その名作を仕上げた最後のアメリカ時代は、バルトークにとってはまさにトドメの「顔のない時代」になってしまったわけです。ハンガリーでは国民的有名人だった彼も、ニューヨークに渡れば十把ヒトカラゲの無名の音楽家。彼は本当に「顔」と自身を失ってしまって、気疲れから病気になっちゃうわけですから。

 もっとも、そのころのアメリカは太平洋戦争で大変だったわけですし、バルトーク本人も不遇で貧乏なうちに4年ほどで早死にしちゃったもんですから、少し割り引いて考えないとまずいかも知れませんけど。だって、「管弦楽のための協奏曲」の成功以後、メニューインの委嘱による「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」だの、妻ディッダに捧げた「ピアノ協奏曲第3番」だの、プリムローズから委嘱された「ヴィオラ協奏曲」だの、成功する余地は充分あったわけなんですから。なにしろ、ほとんど同い年で同じ亡命組のストラヴィンスキーなんか、この後26年も生きて駄作を書き続けながら巨匠扱いされてノウノウ暮らしていたくらいですし。あ、今のところカットね。

 で、彼が64歳で異国の地に歿してから今年でもう50年ですか。自分の没後50周年企画をする雑誌が日本に出来るなんて、太平洋戦争中の敵国アメリカにいたバルトーク先生は想像もしなかったでしょうね。まったく人の世は分からんもんです。私も心して今後の不遇の人生を楽しみたいと思います。

 では最後に一言。
 バルトーク先生、私たちはみんなあなたの音楽を愛していますよ。
 ショスタコーヴィチなんかとんでもありません。
 本当です。ほ、本当ですよ!
http://yoshim.music.coocan.jp/~data/BOOKS/Thesis/bartok01.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c1
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
2. 中川隆[-14412] koaQ7Jey 2020年1月17日 17:52:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1326]
バルトーク・ベーラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A9


バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor János, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)は、ハンガリー王国の バーンシャーグ地方のナジセントミクローシュに生まれ、ニューヨークで没したクラシック音楽の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家。

作曲以外にも、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行った。

またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(英語版)(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から教えを受けた、ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師として活動した。
ドメニコ・スカルラッティ、J・S・バッハらの作品の校訂なども行っている。


年譜

1881年 3月25日、ナジセントミクローシュに生まれる。母によれば、子供のころから音楽への才能を見せていたという。

1885年(4歳) 7月11日に妹、エルザ(- 1955年9月11日)が生まれる。

1888年(7歳) 8月4日に父が死亡。

1894年(13歳) ポジョニへ引っ越し、当地でギムナジウムに通う。

1899年(18歳) ブダペスト王立音楽院に入学。

1902年(21歳) 交響詩《コシュート》を作曲。世論を騒がせる。

1903年(22歳) 4月13日に故郷ナジセントミクローシュで初の公開リサイタルを行う。プログラムはシューマンのピアノソナタ第3番や自作など。12月にベルリンでデビューリサイタルを行い、ブゾーニやゴドフスキーから称賛される。

1904年(23歳) 初めてマジャール民謡に触れる。11月に妹が結婚。

1905年(24歳) 妹夫婦の住んでいたヴェーステーで民謡採集を行う。ルビンシュタイン音楽コンクールにピアノ部門と作曲部門で出場、ピアノ部門2位。秋にコダーイ・ゾルターンと知り合う。

1906年(25歳) コダーイと連名で組織的民謡研究の必要性を説くアピールを発表。夏から彼や他の研究者と共にハンガリー各地の農民音楽を採集し始める。

1907年(26歳) トマーンの後任としてブダペスト音楽院ピアノ科教授に就任。教育者として働く傍ら、長期休暇時に民謡の採集を進める。

1908年(27歳) ピアノ曲『14のバガテル』や弦楽四重奏曲第1番を作曲。前者は自筆譜を見せに行ったブゾーニから高い評価を受ける。

1909年(28歳) ツィーグレル・マールタ(Ziegler Mártá 1893年 - 1967年5月14日)と結婚。

1910年(29歳) 8月22日、長男ベーラJr(- 1994年6月17日)誕生。

1911年(30歳) ハンガリー芸術委員会賞のために《青ひげ公の城》を作曲するも演奏を拒否される。公的な立場から身を引き、民謡の収集と整理に集中。

1913年(32歳)ハンガリー以外に、6月にはアルジェリアにて民謡採集。

1914年(33歳) 第1次世界大戦勃発。作曲活動に戻り、《かかし王子》の作曲にとりかかる。

1917年(36歳)ユニテリアン教会の信徒となる。5月12日にバレエ《かかし王子》がブダペスト歌劇場で初演され大成功。

1918年(37歳)オーストリアのウニヴェルザール出版社と楽譜出版契約を結ぶ。《青ひげ公の城》初演。《中国の不思議な役人》作曲開始。

1919年(38歳)クン・ベーラらによるハンガリー革命に際し音楽監理委員会に参加。その後のホルティ・ミクローシュによる反革命によりハンガリーは混乱する。

1920年(39歳)ハンガリーの混乱から移住を検討、2月から5月まで音楽院から休暇をもらい比較音楽学の盛んだったベルリンに赴くが断念する。アメリカからハンガリー民謡についての論文の依頼を受け執筆し、これを書籍にまとめることを企図する。

1921年-1922年 (40歳-41歳)古い知り合いだったイェリー・ダラーニと再会。彼女と共演するために《ヴァイオリンソナタ第1番》を書きあげ、イギリスやフランスで演奏旅行を行う。

1923年(42歳) 6月にマールタと離婚。遅くとも8月には生徒のパーストリ・ディッタ(Pásztory Ditta 1903年10月31日-1982年11月21日)と結婚。《ヴァイオリンソナタ第2番》《舞踏組曲》。

1924年(43歳) 2月に国際現代音楽協会のチューリヒの音楽祭に審査員として参加。7月31日に次男ペーテル誕生。「ハンガリー民謡」がハンガリーで出版。翌年にドイツ語版出版。10月24日にブカレストでヴァイオリニスト・作曲家のジョルジェ・エネスクと自作の『ヴァイオリンソナタ第2番』で共演。

1925年(44歳) 作曲家としては作品を発表せず、ピアニストとしてイタリアやオランダで演奏会を行う。

1926年(45歳) 夏から作曲活動を再開。ピアノソナタ、ピアノ協奏曲第1番などを手がける。中国の不思議な役人のケルンでの世界初演に立ち会うが、大スキャンダルになる。

1927年(46歳) ピアノ協奏曲第1番をフルトヴェングラーの指揮で初演。弦楽四重奏曲第3番を作曲。

1928年(47歳)前年末から2月末まで演奏旅行で初めてアメリカを訪れる。弦楽四重奏曲第4番、2曲の《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ》作曲。

1929年-1930年(48歳-49歳) ソヴィエトへ演奏旅行。ヨゼフ・シゲティやパブロ・カザルスらと共演。帰国後ピアノ協奏曲第2番を作曲。

1931年(50歳) 1月にスペイン旅行。夏は国際連盟の国際知的協力委員会の委員に選ばれてジュネーブの会議に参加し、モントゼーで行われた夏期講習会でピアノ講師を行うかたわら旧作ピアノ曲のオーケストラ編曲を行う。ヴァイオリン教育家エーリヒ・ドフレインの求めに応じて44のヴァイオリン二重奏曲を作曲。「ハンガリー民謡」英語版出版。

1932年(51歳)パウル・ヒンデミットらと共にカイロで行われたアラビア音楽会議に参加。後に>となるピアノ練習曲集の構想を初めて公に語る。

1933年(52歳)1月23日にピアノ協奏曲第2番の初演をフランクフルトで行う。これがドイツでの最後の公開演奏だった。

1934年(53歳) 4月にストックホルムに演奏旅行。夏に《弦楽四重奏曲第5番》作曲。9月から音楽院を去り、科学アカデミーの民俗音楽研究員就任。

1936年(55歳) 5月2日にヴァイオリニストのザトゥレツキー・エデと共に故郷に近いティミショアラで演奏会を行うが、生前最後の帰郷となった。《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》作曲。11月にはトルコへの演奏旅行と講演、民俗音楽採集を行う。

1937年(56歳) 1月に『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』の初演に立ち会うためスイス旅行。

1938年(57歳) オーストリア併合に際し、ウニヴェルザール出版社との契約をあきらめ、同社のロンドン代理店業務を担当していたイギリスのブージー・アンド・ホークスと契約を結ぶ。

1939年(58歳) アフメト・アドナン・サイグンを通してトルコのアンカラへ移住する可能性を探るが、思うような返事は得られず。《弦楽のためのディヴェルティメント》《弦楽四重奏曲第6番》作曲。母没。

1940年(59歳) 5月から6月にかけてアメリカ合衆国で演奏会。10月には夫妻でリスボン経由で同国へ移住。コロンビア大学から民俗音楽研究についての名誉博士号を授与され、客員教授として民俗音楽の研究を開始。

1943年(62歳) ハーバード大学での連続講演期間中に白血病により入院。《管弦楽のための協奏曲》を完成。《無伴奏ヴァイオリンソナタ》にも着手。

1944年(63歳) 《無伴奏ヴァイオリンソナタ》・《管弦楽のための協奏曲》初演。

1945年(64歳) 9月26日、ニューヨークにて没。完成寸前のピアノ協奏曲第3番、スケッチのみのヴィオラ協奏曲を遺す(いずれもシェルイ・ティボールにより補筆完成)

1967年 アメリカまで持ち込んで死の直前に完成させた『ルーマニア民俗音楽』の刊行開始(1975年に完結。全5巻)。

1988年7月7日 ハンガリー国葬。ゲオルク・ショルティにより遺骨が母国へ持ち帰られる。


幼少期

1881年、ナジセントミクローシュ(現在のルーマニア、ティミシュ県のスンニコラウ・マレ(英語版))に農学校校長で同名の父バルトーク・ベーラ(1855年-1888年)とピアノ教師でドイツ系の母パウラ・ヴォイト(1857年 - 1939年。スロヴァキアのマルチン出身)の間に生まれる。父は町に音楽協会を設立するほどの熱心な音楽愛好家でもあり、自身でもピアノやチェロをたしなむ人物であった。母のパウラによれば、バルトークは病弱だったが、きちんと言葉をしゃべる前から母のピアノ演奏のダンスのリズムを区別し、3歳くらいから母のピアノ演奏に合わせて太鼓を叩き、4歳では自己流で40曲のピアノ曲を弾くなど音楽的素養を見せていた。そこで彼女は娘を出産した後の5歳頃から息子に正式なピアノ教育を始める。

7歳の時に父が病気(アジソン病だったと言われている)のため32歳で急死、ピアノ教師として一家を支えることとなった母の仕事の都合でナージセレーシュ(現在のウクライナ、ヴィノフラージウ(英語版))に転居、その後各地を転々とする。9歳前後から習作的なピアノ曲も書き始め、10歳の時にはピアニストとしての初舞台を踏むが、彼女は息子を天才少年ピアニストとして売り出す気はなく、まずは普通に教育を受けることになる。1893年に音楽活動の活発だったポジョニに母と赴いた際、作曲家エルケル・ラスローに指導してもらう機会を得る。翌年、母がポジョニに仕事を得たため同地へ引っ越し、当地のギムナジウムに入学。エルンスト・フォン・ドホナーニと知り合い友人となる。

音楽家への道と民謡との出会い

学内でもピアニストやオルガニストとして活動し、ヨハネス・ブラームスの影響を受けた作曲活動にも取り組んでいたバルトークは、1898年にはウィーン音楽院に入学を許可される。しかし国際色豊かなウィーンよりもハンガリーの作曲家としての自分を意識すべきだというドホナーニの薦めに従い、翌年ブダペシュト王立音楽院(後のリスト音楽院)に入学。作曲をハンス・ケスラー、ピアノをトマーン・イシュトヴァーンに指導を受ける。ここではワグネリアンの学長からリヒャルト・ワーグナーの洗礼を受けるが、既にブラームスの影響を脱して先に進もうとしていた彼に、ワーグナーは答えをくれなかったと回想している。

1902年、21歳の時にリヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはこう語った》に強烈な衝撃を受け、交響詩《コシュート》を作曲。1848年のハンガリー独立運動の英雄コシュート・ラヨシュへの賛歌であった為、当時ハプスブルク帝政の支配下にあったブダペシュトの世論を騒がせた。1904年にはゲルリーツェプスタ(現在スロヴァキア領)で初めてトランシルヴァニア出身者の歌うマジャル民謡に触れる。

1905年、パリのルビンシュタイン音楽コンクールにピアノ部門と作曲部門で出場。作曲部門では入賞せず奨励賞の第2席、ピアノ部門では2位であった(優勝者はヴィルヘルム・バックハウス)。自分の人生をピアニストとして描いていたため、優勝を果たせずかなり落胆したようであるが、それ以上に作曲部門での結果の方がショックだったようである。しかし、ハンガリーでは知られていなかったクロード・ドビュッシーの音楽を知るという収穫を得た。また民謡について科学的アプローチを始めていたコダーイ・ゾルターンと出会い、多大な影響を受ける。

1906年からコダーイやその他の研究者達と共にハンガリー各地の農民音楽の採集を始める。1913年にアルジェリアへ赴いた他は、専ら当時のハンガリー国内で民族音楽を採集していた。

1907年、26歳でブダペシュト音楽院ピアノ科教授となる[1]。ピアニストとして各地を旅するのではなく、ハンガリーに留まったことで、更なる民謡の採集が進み、民謡の編曲なども行う。この時点でも、彼の大規模な管弦楽作品はまだブラームスやリヒャルト・シュトラウス、さらにはドビュッシーの影響を感じさせるものであるが、ピアノ小品や親しかった女性ヴァイオリン奏者シュテフィ・ゲイエルに贈ったヴァイオリン協奏曲第1番(ゲイエルの死後発表)の2楽章などでははっきりと民謡採集の影響が表れている。1908年の弦楽四重奏曲第1番にも民謡風要素が含まれている。またトマーンの紹介で知己を得ていたレオポルド・ゴドフスキー、バルトークの作品を評価したフェルッチョ・ブゾーニの推挙も得て、ピアニストとしてだけではなく作曲家としての名も次第に浸透し始める。

スタイル確立と第一次世界大戦

1909年、ツィーグレル・マールタ(Ziegler Márta)と結婚。翌1910年には長男ベーラ(バルトーク・ジュニア)が生まれる。この年、フレデリック・ディーリアスと知り合い、彼の作品の影響も受ける。

1911年、ただ1つのオペラとなった《青ひげ公の城》を書き、ハンガリー芸術委員会賞のために提出したが、演奏不可能という事で拒絶された。結局この曲は1918年まで演奏されなかった。当時バルトークは、政治的見解から台本の作家バラージュ・ベーラの名を伏せるように政府より圧力をかけられていたが、これを拒否し、同時に自身の作品がなかなか顧みられない現状に疲れてしまい、ピアノ科教授以外の公的な立場から身を引いた。その後の人生でバルトークは民謡への愛着は別として、ハンガリー政府や組織とは深く関わらないようにしている。芸術委員会賞に失望した後2、3年の間、作曲をせず、民謡の収集と整理に集中していた。

1914年、第一次世界大戦の勃発により、民謡の収集活動が難しくなったため作曲活動に戻り、1914年から16年にかけてバレエ音楽《かかし王子》、1915年から17年には《弦楽四重奏曲第2番》を書いている(採集活動自体は1918年まで行っている)。1918年には《かかし王子》の初演が成功し、ある程度国際的な名声を得た。引き続き《青ひげ公の城》が初演される。同年、レンジェル・メニヘールトの台本によるパントマイム《中国の不思議な役人》の作曲を開始する。しかし第1次世界大戦で敗戦国となったハンガリーはトリアノン条約による国土の大幅な縮小とその前後の政治の混乱に巻き込まれ、ピアニストや民俗音楽の研究家としての名声が高まるのとは裏腹に、本人としては不本意な時期が続く。

1921年から22年にかけてヴァイオリンのためのソナタを2つ書き、イェリー・ダラーニのヴァイオリンと自らのピアノで初演。更に彼女に同行してイギリスやフランスで演奏旅行を行う(この際、モーリス・ラヴェルやストラヴィンスキーと会っている)。これはそれまでに作曲した中で和声上、構成上最も複雑な作品である。また民謡的要素を自分の作品の中で生かすということに自信を深めたのか、それまで編曲作品と自作を区別するために付けていた作品番号を、ソナタ第1番の出版譜からは付けなくなった。

様々な活躍と、第二次世界大戦

1923年、ツィーグレル・マールタと離婚し、ピアノの生徒であったパーストリ・ディッタ(Pásztory Ditta)と結婚。翌1924年には次男ペーテル(バルトーク・ペーテル、Bartók Péter)が誕生している(ペーテルは後年アメリカで録音技師として活躍し、父親の作品を中心に優秀な録音を世に出した。また楽譜の校訂にも大きな功績がある。)。

同じ1923年には、政府からの委嘱により、ブダペシュト市政50年祭のために《舞踏組曲》を提出。この後、1926年にピアノ・ソナタやピアノ協奏曲第1番などを発表するまで3年ほど作品を発表せず、民俗音楽の研究や演奏会活動にやや力を入れるが、1927年から翌年にかけて、彼の弦楽四重奏曲としてもっとも高い評価を受けている第3番と第4番を作曲した。またピアノ協奏曲第1番をヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮と自らのピアノで初演する。その後も演奏家として1929年から30年にはアメリカやソヴィエトへの演奏旅行を行い、ヨゼフ・シゲティやパブロ・カザルスらと共演している。

1934年には音楽院ピアノ科教授の任から離れ、科学アカデミーの民俗音楽研究員となった。彼は長年作曲とピアニストとしての活動以外の時間を、自分や後進の研究者達が収集したコレクションの整理に取り組める環境を求めていたが[注釈 1]、遂にそれを得て研究活動に没頭するようになった。作曲家としても1936年には、バーゼル室内管弦楽団を率いていたパウル・ザッハーの委嘱で彼の代表作として知られる《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》を作曲。翌年ザッハーの手で初演が行われた。

注釈 1
息子ペーテルはまだ年端もいかない頃の自身が、父親がピアノ教授としての仕事にうんざりしていることを人前でうっかり明かしてしまい、父親を困らせたエピソードを回想録で語っている。

1939年には《弦楽四重奏曲第6番》を作曲したが、第二次世界大戦が勃発し、民俗音楽の研究を出来る環境を求めており、またその文化政策などからナチス嫌いでもあったバルトークは、同年の母の死を機にヨーロッパを去ることを考え始めていたことをうかがわせる作品となった。この頃、反ユダヤ主義者との対話の中で、自らの祖父ヤーノシュがユダヤ人だったことを示唆しているが、ヤーノシュはマジャル人の父とクロアチア人の母の間に生まれ、ユダヤ人ではなかった(ただし、ディッタ夫人はユダヤ系の血をひいている)。

アメリカ移住と死

母親の死以前から、バルトークは政治的に硬化していくハンガリーを去り、自身のライフワークである民俗音楽の研究に打ち込める環境を求めて他国へ移住することも検討し始めていた。はじめはトルコのアンカラへの移住を検討するが環境が整わないことから断念した。最終的には1940年春にアメリカ合衆国への演奏旅行の際、友人達にアメリカへ移住の可能性を打診、彼らの協力でコロンビア大学の客員研究員として南スラブの民俗音楽の研究に取り組む手はずを整えると一旦帰国。10月8日にブダペストのリスト音楽院の大ホールで告別コンサートを開き、ハンガリー国鉄の技術者になっていた長男、そしてコダーイに後を託し、ザッハーやかつての恋人・ゲイエルなど友人達の助力を受け、妻と膨大な研究資料や自作資料と共にアメリカ合衆国へ移住した。なお、次男ペーテルは全寮制の学校に在学中のためハンガリーに残ったが1年後単身アメリカに渡り、その後アメリカ海軍の招集に応じた。

少々自己中心的でなかなか他人と打ち解けないタイプであったバルトークにとって、アメリカは決して居心地は良くなかったし、研究や講演以外はピアニストとして生計を立てるつもりだったとはいえ、作曲する気にもならなかったようで、演奏会活動を行う以外は、先のコロンビア大学での研究の他、ヨーロッパから持ち込んだ民俗音楽の研究に没頭していた。しかし1940年ごろから右肩周辺に痛みを感じるなどの不調があった健康状態は次第に悪化、1942年になると断続的に発熱を繰り返すようになった。1943年初頭にはついに入院してそれまでの活動を全て中断する。

フリッツ・ライナーなどアメリカ在住のバルトークの友人たちは、戦争で印税収入が滞るなど収入源の無くなってしまった彼を支援するため「作曲者・著作者・出版者の為のアメリカ協会 (the American Society for Composers, Authors, and Publishers) 」に医療費を負担させるよう働きかけ、更に当時ボストン交響楽団を率いていた指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーに、彼の財団と夫人の思い出のための作品をバルトークに依頼させる。すると驚異的なスピードで《管弦楽のための協奏曲》を完成。この依頼があって作曲への意欲が引き起こされたようで、ヴァイオリン・ソナタを演奏会で取り上げる際にアドヴァイスを求めに来て親しくなったユーディ・メニューインの依頼で《無伴奏ヴァイオリンソナタ》にも着手し、1944年には両曲の初演にそれぞれ立ち会う。出版社との新しい契約で収入面の不安もやや改善され、健康状態も小康を取り戻して民俗音楽の研究も再開した。しかし、その病は白血病だった。

1945年、《子供のために》や《管弦楽のための協奏曲》の改訂をする傍ら、妻の誕生日プレゼントにしようと軽やかで新古典派的な《ピアノ協奏曲第3番》、ウィリアム・プリムローズから依頼された《ヴィオラ協奏曲》に着手するが、ともに完成させることができずに、9月26日、ニューヨークのブルックリン病院で死去(満64歳没)。前者はほとんどできあがっており(オーケストレーションが17小節残された)、草稿段階にとどまった後者とともに、友人でハンガリー系の作曲家シェルイ・ティボール(Sérly Tibór)によって補筆完成された。

遺体は「ナチスドイツや共産主義ソ連の名前が残っている内は祖国に埋葬しない」との遺言に基づき、ニューヨーク州ハーツデイル(英語版)のファーンクリフ墓地(英語版)に埋葬されたが[1]、ハンガリー社会主義労働者党が一党独裁放棄を決めるなど民主化が進んだことから、バルトークの二人の子息と指揮者ゲオルク・ショルティらの尽力で亡骸が1988年7月7日ハンガリーに移送され、国葬によりブダペシュトのファルカシュレーティ墓地(英語版)に埋葬された[2]。現在ファーンクリフには記念碑が残されている。

作風

本人が「若い頃の私にとって、美の理想はベートーヴェンだった」と回想しているようにドイツ・オーストリア音楽の強い影響から出発したが、ハンガリー民族やハンガリー王国内の少数民族の民謡をはじめとした民俗音楽の収集とそれらについての科学的分析から、その語法を自分のものにしていった(同様の活動を行った先人にチェコのヤナーチェクがいる)側面と、同時期の音楽の影響を受けた側面のバランスの中で作品を生み出す、という独自の道を歩んだ。ただし、彼の楽曲は民俗音楽の旋律やリズムだけではなく構造面も分析したうえで、なおかつソナタ形式など西洋の音楽技法の発展系を同時に取り入れて成立していることや、過去の音楽に目を向けて新しい音楽を生み出そうとした点など、音楽史的には新古典主義の流れの1人と位置付けても間違いではないだろう。

作品の変遷は大まかに以下のように区分できる。

〜1905年 ヨハネス・ブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響が強い、後期ロマン主義的な作風。ハンガリー民族としての意識を曲で表現しようとする作品もあったが、まだ先人達同様にジプシー音楽的な要素を取り入れる形であった。

1906年〜1923年頃 盟友のコダーイ・ゾルターンと共に、当時のハンガリー王国の各地から民謡収集を行い、一方では民謡を編曲したピアノ曲などを作り、他方では民謡の語法を科学的に分析した形で自身の作品に活かし出した時期。また自身の作品には、民謡以外にもクロード・ドビュッシーやイーゴリ・ストラヴィンスキー、新ウィーン楽派など当時の最先端の音楽の影響も強く反映されている。この末期には民謡の語法を消化し、独自のスタイルをほぼ確立する。

1926年〜1930年頃 特に室内楽作品において尖鋭的な和声と荒々しいまでの強烈な推進力を持ちながら、緻密な構造を持つ数々の作品を生み出した。「無調的」ともいわれるが、本人は無調音楽は存在しないとの立場をとっており、この時期の作品でも調的中心は存在している。またバロック音楽や古典派の影響を如実に感じさせるなど、新古典主義の流れに乗っている面も見られる。

1930年〜1940年 その前の時代と同様に緻密な楽曲構造を持ちながら、もう少し和声的にも明快で、より新古典的なスタイルを打ち出した時期。数々の傑作を発表している。

1943年〜1945年 アメリカ時代。傾向としてはその前の時代の末期の延長線上にあり、細かい動機よりも旋律的な要素を重視する傾向がある。より明快、明朗に大衆に受ける方向へ変化したとも言われるが、曲によってはそれ以前の厳しい顔をのぞかせる。

なお彼はアメリカ移住前に手紙で吐露しているように「作曲は教えるものではないし、私には不可能です」という考えの持ち主で、その生涯で作曲を教える立場に立ったことがない(先述のシェルイを「弟子」とする記述も多いが、それは正しくない)。作曲の理論的な面についても自身ではほとんど明らかにしておらず、手紙で自身の音楽語法がハンガリー、ルーマニア、スロヴァキアの民俗音楽に強く影響をされていると書いている程度である。

そのため、彼の理論については様々な音楽学者たちが研究を行っており、ハンガリーの音楽学者レンドヴァイ・エルネーは、バルトークは機能和声の代理和音を拡張することで12半音階を等質に扱う「中心軸システム」(ジャズの「コルトレーン・チェンジズ」と背景の理論はほとんど同じである)や、作品の構成(楽式)から和音の構成に至るまで黄金分割を基礎に置き、そのためにフィボナッチ数列を活用したとの論文を発表している。ただし、前者はともかく後者については当てはまらない作品がかなりあり、この説の妥当性を支持するスケッチの書き込みや計算メモ等が見当たらない[注釈 2]ため、現在ではハンガリー国内・国外いずれにおいても、専門の研究者でこの説を支持する人はあまり多くない。

注釈 2
バルトークは周囲が語るように規則正しく几帳面な人物で、自作曲のスケッチなども破棄せず残していた。

ピアニストとして

身長165センチ程度と体格的には決して大柄ではなかったが、手はかなり大きかった。そしてヴィルトゥオーゾとして自身の未来を思い描くほどの実力を持つリスト直系の弟子であり、晩年までピアニストとしての活動も行った。手紙などでは伴奏家としての腕前も自負していたようで、多くのソリストとの共演歴もある。自作自演やシゲティとの共演などの録音も残しているため、彼の演奏はCDなどで聴くことが出来る。

ドイツ・オーストリア音楽をレパートリーとしていたが、スカルラッティの編纂を行って自ら演奏したり、自らに多大な影響を与えたドビュッシーの作品も多く取り上げていた。自作のピアノ曲も自身が演奏会に取り上げるために書かれたものが少なくない。

また作曲は教えなかったが、ピアノ教育には熱心だった。自作でも教育のための作品は重要な位置を占めており、リスト音楽院ではピアノの教授として多くの弟子を育てた。シャーンドル・ジェルジやリリー・クラウス、ゲザ・アンダなどのピアニストを直接指導したほか、指揮者のアンタル・ドラティや、作曲家でバルトークの民俗音楽研究の助手も務めたヴェレッシュ・シャーンドルなどがピアノの弟子である。また、指揮者ゲオルク・ショルティは直接の弟子ではなかったが、指導教授の代役として一時バルトークのピアノのレッスンを受けたことがあったことを回想している。

作品

バルトークは「作品番号」を習作の時点からつけており、「Op.1」と付記されている作品は3つある。その3つめである1904年の『ピアノのためのラプソディ』以降はオリジナルの作品には作品番号を付け、民謡からの編曲作品には付けないというルール付けを行った。しかし前述のようにヴァイオリン・ソナタ第1番の出版の際からこれを止める。このような事情から後年学者達が習作なども含めて分類した番号が付けられることも多く、少なくとも3種類の体系がある。ここではハンガリーの作曲家セールレーシ・アンドラーシュ が作成した「バルトークの音楽作品と音楽学論文の目録」での付番「Sz.」を付記する。

詳細は「バルトークの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


交響曲

交響曲変ホ長調 1902年-1903年 Sz.16 ※未完で楽譜自体紛失。スケルツォ楽章のみ現存(Sz.17)

管弦楽曲

交響詩『コシュート』 (1903年) Sz.21
管弦楽のための組曲第1番 (1905年、1920年改訂) Op.3 Sz.31
小管弦楽のための組曲第2番 (1905年-1907年、1943年改訂) Op.4 Sz.34
管弦楽のための2つの肖像 (1907年-1911年) Op.5 Sz.37 第1曲はヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章を流用。第2曲はピアノ曲『14のバガテル』最終曲の編曲
管弦楽のための2つの映像 (1910年) Op.10 Sz.46
ルーマニア舞曲 (1910年) Sz.47a 『2つのルーマニア舞曲』の第1曲を編曲
4つの小品 (作曲1912年、管弦楽化1921年) Op.12 Sz.51
ルーマニア民俗舞曲 (1917年) Sz.68 ピアノ版(Sz.56)の編曲
舞踏組曲 (1923年) Sz.77
トランシルヴァニア舞曲 (1931年) Sz.96 ピアノ曲『ソナチネ』の編曲
ハンガリーの風景 (1931年) Sz.97 ピアノ曲集の『10のやさしい小品』『3つのブルレスク』『4つの挽歌』『子供のために』より5曲を抜粋して編曲
9つのハンガリーの農民歌 ( 1933年) Sz.100 ピアノ曲『15のハンガリー農民歌』の後半9曲を編曲
弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 (1936年) Sz.106
弦楽のためのディヴェルティメント (1939年) Sz.113
管弦楽のための協奏曲 (1943年) Sz.116

協奏曲

協奏曲に類するものも含む。
ピアノと管弦楽のためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.27 『ピアノのためのラプソディー』の編曲
ピアノと管弦楽のためのスケルツォ(ブルレスク)(1904年) Op.2 Sz.28
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1907年-1908年) Sz.36
ピアノ協奏曲第1番 (1926年) Sz.83
ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.87 『ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番』の編曲
ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.90 『ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番』の編曲
ピアノ協奏曲第2番 (1930年-1931年) Sz.95
ヴァイオリン協奏曲第2番 (1937年-1938年) Sz.112
2台のピアノと打楽器のための協奏曲1940年 Sz.115 『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』の編曲
ピアノ協奏曲第3番 (1945年) Sz.119 残り17小節の管弦楽についてのみティボール・シェルイが補筆
ヴィオラ協奏曲 (1945年) Sz.120 未完。ティボール・シェルイによって完成。他にも複数のバージョンがある。


舞台作品

オペラ『青ひげ公の城』 (1911年) Op.11 Sz.48
バレエ『かかし王子』 (1914年-1916年、1931年改訂) Op.13 Sz.60 改訂時に一部を抜粋した演奏会版を作成している
パントマイム『中国の不思議な役人』(1918年-1924年、1931年改訂) Op.19 Sz.73 一部をカットした演奏会版がある。


室内楽曲

弦楽四重奏曲第1番 (1908年-1909年) Op.7 Sz.40
弦楽四重奏曲第2番 (1915年-1917年) Op.17 Sz.67
ヴァイオリン・ソナタ第1番 (Vn.&Pf) (1921年) Sz.75 初演時のプログラムにはOp.21とあったが、出版時に削除。
ヴァイオリン・ソナタ第2番 (Vn.&Pf) (1922年) Sz.76
弦楽四重奏曲第3番 (1927年) Sz.85
ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.86 ヨゼフ・シゲティに献呈
チェロとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.88 演奏会で共演したパブロ・カザルスのためにヴァイオリンからチェロ用に編曲
ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.89 ゾルターン・セーケイに献呈
弦楽四重奏曲第4番 (1928年) Sz.91
44のヴァイオリン二重奏曲 1931年 Sz.98
弦楽四重奏曲第5番 (1934年) Sz.102
2台のピアノと打楽器のためのソナタ (1937年) Sz.110
ヴァイオリンとクラリネットとピアノの為のコントラスツ 1938年 Sz.111 シゲティとベニー・グッドマンに献呈
弦楽四重奏曲第6番 1939年 Sz.114
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 1944年 Sz.117 ユーディ・メニューインに献呈

ピアノ曲

ピアニストで教育者でもあったバルトークは、ここに挙げた以外にも多数の作品(教則本含む)がある
ピアノのためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.26
14のバガテル (1908年) Op.6 Sz.38
10のやさしい小品 (1908年) Sz.39
2つのエレジー (1908年) Sz.41
子供のために (1908年-1909年) Sz.42 民謡の影響が濃厚な子供の教育用教本。死の1945年まで何度も改訂している。
2つのルーマニア舞曲 (1910年) Op.8a Sz.43
4つの挽歌 (1910年) Op.9a Sz.45
3つのブルレスク (1911年) Op.8c Sz.47
アレグロ・バルバロ (1911年) Sz.49 題名はフランスの新聞にバルトークとコダーイの作品の演奏会時に「ハンガリーの若き2人の野蛮人」と書かれたことに対する皮肉。
ピアノの初歩 (1913年) Sz.53
ソナチネ (1915年) Sz.55
ルーマニア民俗舞曲 (1914年) Sz.56
ルーマニアのクリスマス・キャロル (1915年) Sz.57
ピアノのための組曲 (1916年) Op.14 Sz.62
15のハンガリーの農民の歌 (1918年) Sz.71
ハンガリー民謡による8つの即興曲 (1920年) Op.20 Sz.74
ピアノ・ソナタ (1926年) Sz.80
組曲『戸外にて』 (1926年) Sz.81
9つのピアノ小品 (1926年) Sz.82 8曲目に「タンバリン」という曲があるが、バルトークがスペインを訪れた際の印象を元にしたものとも言われている。
ミクロコスモス (1926年-1939年) Sz.107

声楽曲

ここに挙げた以外にも多数。
民謡様式による3つの歌 (1904年) Sz.24
ハンガリー民謡 (1906年-1907年) Sz.33
5つの歌曲 (1915年) Sz.61
エンドレ・アディの詞による5つの歌曲 (1915年) Sz.62
8つのハンガリー民謡 (1908年-1916年) Sz.64
村の情景 (1924年) Sz.78
室内管弦楽と女声合唱のための『3つの村の情景』 (1926年) Sz.79 『村の情景』より3曲を抜粋し、伴奏を管弦楽化したもの
4つのハンガリー民謡 (1930年) Sz.93
カンタータ・プロファーナ 1930年 Sz.94
声とオーケストラのための5つのハンガリー民謡 (1933年) Sz.101
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A9

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c2

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
3. 中川隆[-14411] koaQ7Jey 2020年1月17日 18:24:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1325]
ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》がバルトークを激怒させた理由

Bartók Concerto For Orchestra, Sz. 116 - 4.
Intermezzo interrotto (Allegretto)
Chicago Symphony Orchestra · Pierre Boulez






____

Shostakovich Symphony No 7 Yevgeny Mravinsky
1. Allegretto
2. Moderato (poco allegretto)
3. Adagio
4. Allegro non troppo
Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky, Conductor




▲△▽▼

バルトーク (1881〜1945) 《管弦楽のための協奏曲》
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/bartok-concerto-for-orchestra/page-3

幸福な時代の記憶として

5楽章形式。それまでのバルトークの音楽と同じく極めて抽象的なもので、直接的には他の何かをイメージさせるものはない。それでも、アメリカ合衆国の聴衆に配慮したのか、それともバルトーク自身の作風自体が変わったのか、聞く者に対して極度の緊張を強いるようなヨーロッパ時代の音楽と比べると、音楽は明るく親しみやすいものとなっている。特に5楽章にはハンガリーの農村でバルトークが耳にした豚飼いの笛の音が再現されており、それはバルトークの幸せだった時代の追憶なのではという指摘がある。

この《管弦楽のための協奏曲》は依頼を受けて一から作曲したものではなく、他の曲の為に準備していた構想などを転用したものも少なくないことが明らかになっている。

また第4楽章の「中断された間奏曲」では、悲しげな歌をショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》の第1楽章で聞こえるメロディがわざとらしく妨害し、歌を中断させている。

バルトークが指揮者ドラティに語ったところによると、これは明確にショスタコーヴィチを引用したものであり、しかも当時、あまりにも盛んに演奏された《レニングラード》を揶揄する意図が込められたものであったという。
(以上、バルトークや東欧の音楽に詳しい音楽学者の伊東信宏氏による。)

ドイツ軍に包囲されたレニングラード市に捧げられたショスタコーヴィチの交響曲第7番は、反ドイツを象徴し連合国の結束を高める為のものとしてアメリカ合衆国でも盛んに演奏されたのだが、自分がここまで周到に避けてきた交響曲という形式をあっさりと使用するショスタコーヴィチに対して、バルトークは相当な苛立ちを持っていたようである。

これは、ショスタコーヴィチにはショスタコーヴィチの事情があったのだが、バルトークにもそんなことを忖度する必要は無かったということか。

そんな背景を持ったちょっとおかしな間奏曲を経ての第5楽章。バルトークにしては珍しく明るい、光の満ちた音楽である。不思議な疾走感と勢いのまま曲は終わる。この終結部は当初はもっと短いあっさりとしたものだったのだが、あまりにも聞き映えがしない為か、初演の後にバルトークによって改訂されている。(この初稿の終結部はクーゼヴィツキーの初演ライブの録音などで聞くことが出来る。)こういったサービス精神溢れる?改訂もバルトークにしては珍しい。

しかしこの音楽に、バルトークの音楽は堕落したとかバルトークが聴衆が媚びたのだとかという声がある。果たしてそうか?難しいものを難しい形のまま提供することと、難しいものを分かりやすく親しみやすい形で提供することのどちらがより高度な技を必要とするか。

無論、後者である。バルトークの創作は人生の最後において、さらにより高い次元に突入したのだと筆者には感じられるのだ。音楽はやはり極めて抽象的であるが、そこにバルトークの見た景色や聞いた音を重ね合わせる想像も、また可能であろう。その向こうにうっすらと見えてくるバルトーク。その顔は和らいだ表情を見せているかもしれない。バルトークの独特な個性と親しみやすさが幸せな一致点をみることが出来た幸せな作品が、この《管弦楽のための協奏曲》である。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/bartok-concerto-for-orchestra/page-3


▲△▽▼

2006.08.09
ショスタコ第7交響曲を語る——「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」上級編
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/08/7_2344.html

脳内宇宙艦隊戦シーンに使われているショスタコービッチ「交響曲第7番」第1楽章に存在する宇宙的恐怖にして深淵のような因縁について以下つらつらと述べていこうというわけ。

 ショスタコーヴィチのマニアの間では有名な話であるし、色々突っ込みを入れたいところもあるだろう。そのあたりはコメント欄で指摘してもらえるとうれしい。

 「射手座の日」に使われた第7交響曲(1941〜1942)は通称「レニングラード」とも呼ばれる。作曲年代で分かるように、この曲は第二次世界大戦最大級の激戦地であったレニングラード、現在のサンクトペテルブルグと密接な関連を持っている。
 独ソ戦開始時、作曲者ショスタコーヴィチは、レニングラード音楽院で作曲を教えていた。第7交響曲はドイツ軍が迫るレニングラードで、1941年7月から作曲が始まった。ドイツ軍がレニングラードを完全に包囲する前に、ショスタコーヴィチは、当時モスクワの首都機能が移転していたクイビシェフに避難し、そこで全曲は完成した。作曲者によるスケッチのメモによると、最後の第4楽章が完成したのは1941年12月27日。

 レニングラードは1941年8月末からドイツ軍に完全に包囲されており、作曲が終了したこの時、冬将軍が到来した市内は、物資の不足によりまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 作曲者は、この曲を「レニングラード市」に捧げた。
 初演は1942年3月5日、クイビシェフで行われた。ソ連政府は、世界的に有名な作曲家であるショスタコーヴィチが完成させたこの一見壮大な交響曲を戦意高揚に利用する。複製された楽譜は空輸によってレニングラードに運ばれ、1942年8月9日、包囲下のレニングラードにおいて、レニングラード放送管弦楽団により演奏された。

 オケのメンバーはほとんどが、徴兵され最前線で戦っていた。皆、演奏のために市内に戻ることが許され、1日だけ銃を楽器を持ち替えて、演奏に参加し、そしてまた戦場へと戻っていった。

 彼らのほとんどが、そのまま帰ってこなかった。

 ソ連政府の手により、楽譜はマイクロフィルム化され連合国各国へと渡った。アメリカでは、1942年7月19日、トスカニーニの指揮、NBC交響楽団によって初演が行われた。アメリカはその演奏を、全世界にラジオ中継した。戦意高揚と連合国各国の連帯の強化のために、この曲を利用したのである。


————————————————

 と、いうような曲の来歴を頭に入れて、一度ハルヒの「射手座の日」に戻ろう。
 「射手座の日」で使用されるのは第1楽章。まず、コンピ研との戦闘開始にあたってハルヒが演説するシーンで、楽章冒頭の弦とファゴットのユニゾンによる雄大な印象の第一主題が使用される。

 この第1楽章は、非常に変則的なソナタ形式をしている。通常のソナタ形式では中間部は、2つの主題の展開部になる。ところがこの楽章では、展開部の代わりに、そこに全く別のメロディによる「ボレロまがい」が挟まっているのだ。
 この変ホ長調の主題は「戦争の主題」と呼ばれている。

 このメロディが14回ほど繰り返され、繰り返すたびに盛り上がり、最終的に暴力的なまでの音量ですべてを圧倒する。レニングラード市が戦争に巻き込まれる過程というわけだ。

 「射手座の日」では、この繰り返しの部分が使用される
「1600開戦」の部分では、弦楽器が並行和音でメロディを演奏する7回目と8回目の繰り返しが使われる。

 キョンの「どうにもならないんだ」からはオーケストラの全楽器が咆哮する12回目、続いてメロディが大きく変形されて短調で出現する13回目の部分が使われる。いきなり曲調が悲壮な雰囲気に変わる部分に、みくるの「みなさんどこにいっちゃったんですか〜」という悲鳴が重なるあたり、演出効果満点だ。


————————————————

 と、まあここまでは、ショスタコーヴィチが生きていた頃の解釈である。
 ところでここで、メロディを覚えている人は、「戦争の主題」を口ずさんでみて欲しい。

 なんだか間抜けな気はしないだろうか。メロディだけ取り出すと、およそ戦争とは思えないぐらいのどかで間抜けで、しかもどこか茶番じみてもいる。これならば、ジョン・ウィリアムズが「スターウォーズ」で書いた戦闘の音楽のほうが、ずっと戦争と言うには似つかわしい。

 そういえば、このメロディ、かつてCMでシュワルツネッガーが、「ちちんぷいぷい」という歌詞を付けて歌っていたではないか。それぐらい、メロディとしては間抜けなのだ。

 この間抜けなメロディが「戦争の主題」とはどういうことなのだろうか。
 実は間抜けなのは主題だけではない。この「ボレロまがい」は、ボレロのように厳格にオーケストレーションだけを変化させるのではなく、繰り返しごとに異なる装飾的な対旋律を伴っている。早い話が「合いの手」が付いているわけ。その合いの手もまた、どこかサーカスじみた茶番っぽい雰囲気を持っているのである。
 はて?


————————————————

閑話休題

 1942年に全米にラジオ放送された、第7交響曲の演奏を、アメリカに亡命した一人のハンガリー人の作曲家が聴いていた。

 その名は、バルトーク・ベーラ。ハンガリー人は、「姓・名」の順番で書くので、バルトークが姓である。

 彼は母国ではハンガリー民謡の研究で名前を上げ、民謡と近代的作曲技法とを統合した独自の作風を確立した作曲家として尊敬されていた。

 ところが彼の音楽は、アメリカが受け入れるには晦渋に過ぎた。そしてまた彼の性格もまた、アメリカでうまく立ち回るには実直に過ぎた。ナチスから逃れたアメリカに渡ったものの、ハリウッドを手玉に取ったストラヴィンスキーや、カリフォルニアに作曲の教師の職を見つけたシェーンベルグのようにうまくやることができず、この時期彼は貧乏のどん底にいた。

 しかも彼は、亡命による環境の激変によってか体調を崩しており、あまつさえ精神的には作曲すらできなくなっていた。

 何人かの音楽関係者が、彼を援助しようとしたが、援助を受けるにはバルトークは誇りが高すぎた。難儀な人である。

 そのバルトークは、このショスタコーヴィチの第7交響曲を聴いて怒り狂った。「なんという不真面目な曲だ」と。このことは、彼の息子のピーターが記録している。

 さあ、バルトークはこの曲の何を「不真面目だ」と怒ったのだろうか?


————————————————

 この時、指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキーが、なんとかしてバルトークに生活費を渡そうとしていた。裕福な女性と結婚していた彼は、妻の財産を使ってクーセヴィツキー財団を設立し、様々な作曲家に新作を依頼し、自ら初演していた。
 誇り高いバルトークが生活費を受け取らないであろうことを知ったクーセヴィツキーは、代わってバルトークに「自分のためにオーケストラのための曲を書いて欲しい」と依頼した。それが、渡米以来萎えていたバルトークの創作意欲に火を付けた。

 かくしてバルトーク晩年の傑作、オーケストラの各楽器が縦横無尽に活躍する「管弦楽のための協奏曲」が生まれた。

 全5楽章からなる「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章は「中断された間奏曲」という題名を持つ。ここで、ショスタコーヴィチの第7交響曲第1楽章の、あの「戦争の主題」後半が引用される。上から下へと音符が下がってくる部分だ。

 引用されたメロディの繰り返しが、木管楽器による人間の笑いを模擬したようなフレーズで3回中断される。「中断された間奏曲」という題名の由来だ。
 同時にバルトークのショスタコーヴィチに対する「不真面目だ!」という意思表示でもあるのだろう。


————————————————

 では、ショスタコーヴィチは、何が不真面目だったのか。私の記憶ではこれを指摘したのは日本の作曲家、柴田南雄だった。

 実は、「戦争の主題」の後半には元ネタがあった。ウィーンのオペレッタ作曲家フランツ・レハールの代表作「メリー・ウィドウ」(1905)だ。

 「メリー・ウィドウ」は、「会議は踊れど進まず」で有名な1814年のウィーン会議を舞台にした恋のさやあての物語だ。ご存知、ナポレオン後のヨーロッパの勢力図を確定しようと各国が角突き合いをしたあげく、ナポレオンのエルバ島脱出でお流れになった会議である。

 ショスタコーヴィチが引用したのは、登場人物の一人、ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵が酒場に繰り出すところで歌う歌。そして、ショスタコーヴィチが引用したまさにその部分の歌詞は「彼女ら(松浦注:酒場の女達)は祖国を忘れさせてくれるのさ」というものだったのである!

 おいおい、これはどういうことか。レニングラード市に捧げられた交響曲の「戦争の主題」が、「女で祖国を忘れよう」というのは一体何なのだろうか。バルトークが不真面目と怒った理由も分かろうというものだ。

 皮肉なことに、ショスタコーヴィチが第7交響曲を書き、バルトークがそれに怒って「管弦楽のための協奏曲」を書いたその時期、老いたレハールはナチスの庇護を受けていた。しかもユダヤ人の妻と共に。

 ヒトラーが「メリー・ウィドウ」が大好きだったという理由からだった。それ故、戦争終結後、レハール自体は一切政治的な動きをしていなかったにもかかわらず「戦争協力者」と非難されることになる。


————————————————

 ここで最大の問題は、なぜショスタコーヴィチは、本当に「メリー・ウィドウ」を引用したのか。そして、引用するとしたらその意図は何だったのかということだろう。

 実はショスタコーヴィチには、そのような引用を行う動機が十分にあった。彼は向かうところ敵なしの天才児としてスタートしたが、芸術をも統制しようとするソ連共産党によって1936年、プラウダ紙面で非難されたことがあった。

 スターリンが密告を奨励し、派手に粛正を繰り広げた時期、彼はこともあろうに共産党の機関紙の紙面で批判されたのだ。その恐怖はいかばかりだったろうか。彼は、彼の庇護者でもあった陸軍のトハチェフスキイ元帥に相談したのだが、翌1937年には、そのトハチェフスキイが、スターリンによって粛正されてしまうのである。

 プラウダによる批判以降、ショスタコーヴィチの音楽は変化した。生き延びるために「明るく健全で分かりやすい」という社会主義リアリズム方針に従った。
 彼の巨大な才能を持ってすれば、その路線ですら傑作を書くことが可能だった。そうして有名な第5交響曲が生み出された。

 彼は第二次世界大戦後、もう一度批判されるが、そのときはスターリンへのおべんちゃらに満ちたカンタータ「森の歌」を書いて生き延びた。歌詞はどうしようもないが、音楽は間違いなく傑作だった。

 その一方で、自由に作曲できない環境の中、彼は鬱屈し、屈折していった。彼は自分の音楽に謎めいた仕掛けをするようになる。奇妙に音楽の流れを断ち切るような音名象徴、それとは分からないような引用など。

 音楽は言葉と異なり、それ自身で確定した意味を持たない。いかようにでも解釈できる。有名なロッシーニの「ウィリアムテル」序曲は、アメリカ西部の騎兵隊の映像にもマッチするし、蒸気機関車の疾走にも、あるいは「スターウォーズ」のクライマックスで共和国軍を助けに駆けつけるハン・ソロとミレニアム・ファルコン号の映像にもぴったりだろう。

 その音楽の特質を生かし、ショスタコーヴィチは音楽の中に自分の真意をひそかに埋め込むようになっていった。


————————————————

 そう、ショスタコーヴィチが「戦争の主題」に込めたのは、反祖国的なもの、即ちスターリンによる粛正ではなかったのか。そう考えるとすべてが符合する。どこかおちゃらけた旋律が、サーカスのような対旋律を伴ってどんどん威圧的になっていく過程は、まさにスターリンの治世そのものでないか。

 すなわち、ショスタコーヴィチは、ナチスと戦う祖国の英雄を称える交響曲を書くと見せかけて、実はスターリンに対してあかんべえをかませていたということになるのだ!


————————————————

 ショスタコーヴィチの「音楽の暗号」は、彼の死後の1982年、西側で出版された衝撃的な「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ編)で一躍表に飛び出た。回想録にはそれまで公式発言で形成されたいた西側のショスタコーヴィチ像とは全く異なる、彼があった。公式発言とは異なる、人間的に納得できるショスタコーヴィチがそこにいた。

 これで、めでたしめでたし。謎は解けたぜ、で終わればいいのだが…

 音楽の暗号は、数理的な暗号と異なり読み手がある意図を持っていなければ読み出せない。その意味では、ノストラダムスの予言とよく似ている。

 ということは、常に「それはショスタコーヴィチの真意か。深読みしすぎじゃないか」という問題がつきまとうことになる。戦争の主題が「メリー・ウィドウ」の引用って本当か?他人のそら似で、深読みしすぎじゃないか、というように。

 実際、現在では「証言」は「編者」ヴォルコフが、ショスタコーヴィチ周辺でプライベートに話されていたことや、ショスタコーヴィチが書いた文章を適当につなぎ合わせたものじゃないかという意見が優勢になっている。その証拠に、「証言」には、ショスタコーヴィチが死後に残した最大の爆弾が記載されていない。

 彼はスターリン時代に、スターリンをはじめとしたソ連政治を思い切り皮肉ったカンタータ「反形式主義的ラヨーク」を密かに書いていた。「証言」にはこの曲についての記述が一切ない。「反形式主義的ラヨーク」の存在を、本当に親しい人は皆知っていたが決して口には出さなかった。これが出てこないということは、「証言」は大して親しいわけでもないヴォルコフのでっちあげということだ、というわけである。


————————————————

 だが、私には、そういった混乱すら、実はショスタコーヴィチが意図したものじゃないかという気がする。

 ヴォルコフが西側の出版社に持ち込んだタイプ原稿にはショスタコーヴィチ自身のサインがしてあったという。

 私は想像してしまう。ソ連からの亡命を企てた若きヴォルコフが、西側へのみやげとして、ショスタコーヴィチの回想録をでっちあげるべく取材を開始する。それに気が付いたショスタコーヴィチは、ヴォルコフを呼びつける。おびえるヴォルコフに対して、老いたショスタコーヴィチは何も言わずに、彼の原稿にサインをいれる、というような鬼気迫る光景を。

 さて、長々とした話はこれでおしまい。「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まって、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。

 まあ、「射手座の日」でなにげなく使われた、そして、かつてシュワルツネッガーがCMで「ちちんぷいぷい」と歌ったメロディには、これだけの因縁がまとわりついていて、暗い暗い深淵が口をぽっかりと開けているのだ、ということで。


————————————————



 バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、色々な録音を聴いたけれど、このライナー指揮シカゴフィルの古い演奏が、やはり一番いい。歴史的名演だ。

 オーケストラの各楽器が、あたかもソリストのように縦横無尽に活躍する、エネルギッシュかつスタイリッシュな曲だ。第1楽章の途中、3本のトランペットと3本のトロンボーンがいきなり6声のカノンを演奏するあたりなど、背筋にぞくっと来るぐらい格好良い。


.

 酸鼻を極めたレニングラード攻防戦の概要を知るには、このソールズベリーによるノンフィクションをお薦めする。長らく入手不可能だったが、最近再刊された。高いとかいわずに、買うべし。

 レニングラードの指導者だったジダーノフは、スターリンにとって目の上のタンコブ的存在だった。スターリンは、ジダーノフを消すために半ば意図的にレニングラードを見捨てたのである。その結果、市民は地獄を見ることになった。

 スターリンの意図に反し、ジダーノフは包囲戦を生き抜き、ナチス・ドイツを打ち破って、ソ連共産党における地位を固める。そして、戦後ジダーノフは、ショスタコーヴィチに対してさらなる個人攻撃を仕掛けることになるのだ。




 偽書だという説が優勢になっているものの、この「証言」が西側に出てきたときのショックは巨大だった。今後ともショスタコーヴィチの受容史を語るには欠かせない文献といえるのではないだろうか。

 最近はかなりショスタコーヴィチの研究も進んでいるようだが、私がフォローできていない。なにか良い本が出ているようならば、是非とも教えてほしい。




 ショスタコーヴィチ趣味の行き着く果て、ということで遺作の「ヴィオラソナタ」をリンクしておく。間違っても素人はこれを買ってはいけない。

 晩年に向かうにつれ、ショスタコーヴィチの音楽は鬱屈し、内省的で暗いものになっていった。その到達点が、死の直前に完成したこのヴィオラソナタだ。

 マーラーの後期交響曲を暗いと感じる人は多いだろうが、これはそれどころじゃない。おそらく、人類が手にした最も暗い、ブラックホールのような音楽である。
 にもかかわらず、この曲は、あたかもホーキング輻射のように光を放っている。恐ろしいまでに高貴で、気高く、そして真っ黒な絶望に彩られている。この曲と比べることができるのは、ゴヤが晩年に描いた一連の「黒の絵画」だけだろう。
 ショスタコ19歳のはつらつとした第1交響曲を考え合わせると、社会主義というのはいったい何だったんだろうかと考えざるを得ない。


Comments
ハルヒでかかってた曲はショスタコビッチだったんですね。ショスタコビッチについてはいろいろいわれていたのは知っていましたが改めて彼が生きていた1984年的世界に思いをはせてしまいました。
Posted by: winter_mute | 2006.08.10 06:10 PM

どうも、松浦さんには申し訳ないですが、ショスタコは、20世紀音楽全体から眺めたとき、大きく視界に入るような作曲家ではないです。この人の音楽、確かに面白い曲もいくつかありますが、音楽の発想が「24のプレリュードとフーガ」のように一見いろいろやってるように見えて、実は内容が貧しかったり、構成より技術に頼っていたり。

バルトークは、ひょっとしてそう言った音楽の本質的な部分から、まず許せなかったのではないか、と思っております。

「ちちんぷいぷい」藤家がアレンジしてたですね。あの子はあれで茶目っ気あるからなぁ(あの子、なんて言っちゃいけないですな)。
Posted by: 大澤徹訓 | 2006.08.11 10:41 PM



 ああ、やっぱり、大澤さんはきびしいなあ。

 あえて書かなかったのですが、「レニングラード」交響曲は、ショスタコーヴィチとしてはあまり良い曲ではないですね。「24のプレリュードとフーガ」もそうです。

 傑作とされる交響曲5番も、どこか「お前、全力を出していないだろ」という部分があります。難しいのはそれがショスタコーヴィチ自身の問題なのか、彼が巻き込まれた政治状況の問題なのか、なかなか判然としないところです。

 交響曲9番とか10番も、曲そのものだけではすべてを語り切っていない。当時のソビエトの状況を考えないと曲が完結しないというところがありますよね。

 逆に言うと異常な状況の中で、作曲家がどう生き延びたかという興味はありますね。音楽を楽しむという点では不純な興味ですけれど。

 私の体験を振り返るなら、まず、交響曲8番があります。指揮活動に乗り出したばかりのロストロポーヴィチが振った演奏を、高校の頃ラジオで聞いたのが始まりでした。

 深い深い1楽章と、続く2つのスケルツォの軽薄さ、そして陰鬱なアダージョと、ちょっと鬱から回復したかという印象の第5楽章、という奇妙さが深く心に残りました。

 それと弦楽四重奏曲、特に7番と12番です。7番ラストの破滅に向けて疾走するような感覚と、悪夢から覚めたという風情のコーダは、夢に見るほど魅せられました。

 そして最後の交響曲15番ですね。もう向こう側に行ってしまったとしか言いようのない曲です。その後に弦楽四重奏曲の15番があって、ヴィオラソナタがあって、このあたりはもう人類が書いた曲とは思えない部分があります。

 若い時に力任せで書いた曲も好きなんですけどね。交響曲2番のポリフォニーとか。あれは多分、教科書的にはやっちゃいけないことのオンパレードじゃないかと思うのですが。

 ああ、多分私は、ショスタコーヴィチの、音楽だけでは語りきれない、絶対音楽として捉えると不完全に見える部分が好きなのかも知れません。

Posted by: 松浦晋也 | 2006.08.12 12:20 AM

 訂正、弦楽四重奏曲は12番ではなく13番です。確かヴィオラのものすごく広い音程にアーチを描く旋律で始まる奴。

 途中で出てくる狭い音程をいったり来たりするフレーズが印象的な曲でした。
 12番は冒頭12音列が出たと思ったら、ドレドレレミレミという単純な全音階のフレーズで受けるという人を食ったやりかたで始まる曲でしたね。

 こんなことを書いていたら、あらためて交響曲と弦楽四重奏曲をひとつずつ聴き直したくなってきました(いやまあ、個人的記憶と色々結びついていたり)。

 それが愛かと問われれば、私はショスタコーヴィチの音楽を愛しているのでしょう。正当なる愛かと言われれば、多分違うのでしょうけれど。
Posted by: 松浦晋也 | 2006.08.12 10:46 PM

ときどきコメントさせていただいている、いしどう です。

えーと、オーケストラ・ダスビダーニャなる、ショスタキスト…じゃなくって(笑)ショスタコーヴィチの音楽が大好きなプレーヤが寄り集まって作ったアマオケでヴィオラを弾かせていただいたりしてます。

「レニングラード」交響曲(というより、単に「7番」といったほうがわたしにはしっくりくるんですが(^^;;)は3年ほど前に演奏しました(去年が1番で今年が8番。次は来年3月4日に池袋の芸術劇場で15番とバイオリン協奏曲第1番を演奏します。もしよろしければお越しください(^^))。とても楽しかったです。

『チチンプイプイ』ですが(笑)、あれはソビエト侵攻したナチスドイツ軍を表現しているもので、それをおちゃらかしているのですから、別段体制にたいしてあっかんべぇをしているわけでもないと考えています。また、「メリー・ウィドウ」が流行った時期のウィーンはナチスドイツ支配下にあったわけで、それも示しているんだということも聞きました。

いずれにしても、われわれにとってはソビエト連邦の存在はまだ近すぎます。どうしても、その社会体制とあわせてショスタコーヴィチの音楽を考えてしまいがちです。

ショスタコービィチの音楽が、20世紀を代表する音楽のひとつになるかどうかは、あと2〜3世紀たって、ソ連の存在が本当に歴史になったときにわかるのかもしれません(まぁ、そのときにまだ人類が存在していて、西洋古典音楽という音楽ジャンルが残っていれば、の話ですが(笑))

…えーと、なんか素人がえらそうなことを書いてしまいました。すみません。

Posted by: いしどう | 2006.08.14 02:13 AM

 あ、15番やりますか。あれは凄い曲ですよねえ。彼岸に渡り切っちゃって、向こう側で石を積んで遊んでいるような印象です。

>別段体制にたいしてあっかんべぇをしているわけでもない

 そういう、あいまいさを残しているところがショスタコーヴィチの立ち位置を象徴しているんだろうと思っています。

 誰が聞いたって第5のフィナーレは空疎です。まして直前の第4ではピアニッシモの主和音引き延ばしをやっていますしね(こっちの演奏効果は素晴らしい)。しかも、同じことを15番のフィナーレでもやっています。

 となると、一体5番のラストに込められたものはなにか、と考えたくなってくる。多分、それこそがショスタコーヴィチが仕組んだことなんでしょう。
Posted by: 松浦晋也 | 2006.08.17 07:42 PM


ハルヒと同じスタッフが、違うアニメで今度はブルックナーを使ったことで、只今話題を呼んでおります。

是非この件についてもそのうち取り上げてみてください。どういうご感想をお持ちになるか、興味があります。

「かんなぎ」という作品の第11話ですが、ブルックナーの交響曲第7番の第一楽章の冒頭を使用しています。

かんなぎはヒロインが神を自称すると言う設定の作品です。
そのヒロインが自らの自己分析を行うシーンで神性を確認するかのように曲は使われいます。そして途中でノイズによって意図的にかき消されると言う演出を行っています。
Posted by: すみのやきとり | 2008.12.15 02:25 AM
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/08/7_2344.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c3
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
4. 中川隆[-14410] koaQ7Jey 2020年1月17日 18:29:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1324]

石川清隆コラム
Testimony −ショスタコーヴィチの証言−
https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/10.html

『ショスタコーヴィチの証言』(注1)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3-%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95/dp/4122038529

という本があります。

刊行後、33年が経過しますが、スターリンやその取り巻き、その全体主義、プロコフィエフなどの音楽関係者、演出家のメイエルホリドなど様々な有名人に対する率直なコメントが書かれているばかりか、彼自身の曲についてそれまで聞いたこともないような面白い記述に溢れています。それはショスタコーヴィチの曲の解釈に多大な影響を与えただけでなく、その後のショスタコーヴィチ論の隠れたネタ本となってきました。

あまり程度がよいとは思えない"偽書論"については後日述べるとして・・。

本書にある、「ユダヤの民族音楽…それは非常に多様性を帯びていて、一見陽気だが実際は悲劇的なものである。それは殆ど常に泣き笑いにほかならない。ユダヤの民族音楽のこの特性は、音楽がいかにあるべきかという私の観念に近い。音楽には常に2つの層がなければならない。」という記述は、ショスタコーヴィチの曲の中で"勝利"だ"歓喜"だと言われていた楽章の中にある外声部,内声部の不可解な音の響きや基底部にあるリズムの意味を初めて説明していたものです(注2)。

例えば、ソ連体制下での"公式"な見解による「勝利の行進」とされていた有名な交響曲第5番の最終楽章について、「あそこにどんな歓喜があるのだ」「あれはボリスゴドノフの場面同様、強制された歓喜なのだ」と書かれています。

更に、公式には、「第7交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」と作曲者によって表明されたとされる「レニングラード」という通称を持つ交響曲第7番については、この「証言」では「私はダビデの詩篇に深い感銘を受けてあの曲を書き始めた」、「神は血のために報復し、犠牲者の号泣を忘れない、など」とあります。他にも引用したらきりがないほど面白い本です。

この本は、編者ヴォルコフが言うように、「ショスタコ-ヴィチと聴衆を隔てる最後の扉が彼の背後で閉められたら、誰が彼の音楽を聞こうとしただろうか。」(注3)という危惧感の元、「表向きの仮面が彼の顔にぴったり貼り付けられていた。それ故仮面の下から、用心深く、疑り深そうに彼の素顔が覗いた時、私は非常に驚いた」という、そのとおりの構成になっています。

ショスタコーヴィチは、音楽はそれ自体を聴いてその意味を感じるものであるが、ソビエト体制の下で、作品への批判を避けるため「公式」に表明したり、させられたり、勝手に代筆された言葉が、聴衆に彼の作品を理解してもらう為の妨げになっているということを強く感じて、こういう構成になったのでしょう。

その衝撃的な内容はショスタコーヴィチの時代背景や、彼の作品について、何度読んでも飽きない不思議な含蓄ある言葉に満ちたものです。一つの例としてダビデの詩篇との関係で語られた第7交響曲を挙げてみましょう。


交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」

この曲は、それまで第二次大戦中にナチスドイツがレニングラードを包囲したその最中に作曲され、その後ソ連は反撃に出てその包囲を解きソ連を勝利に導いた様子を曲にした"戦争交響曲"というような解釈がなされてきました。

実際にこの"公式見解"に沿った、第1主題提示 「この曲の主人公であるソヴェト国民の持つ勇気と自信」(「ボレロ的」展開)、「ファシスト侵略の醜鼻の印象を描き出す」「戦争の主題」 第1主題の短縮再現 「われわれの英雄たちのための(中略)この鎮魂曲をきいて我々は泣かない。こぶしを固めるのだ」…というような解説が、真顔で書かれていました(注4)。

『証言』では、「この曲は戦争の始まる前に構想されていた為、ヒトラーの攻撃に対する反応としてみるのは完全に不可能であり、冒頭の楽章で執拗に繰返される「侵略の主題」は実際の侵略とは全く関係がない」とし、「ヒトラーによって殺された人々に対して、私は果てしない心の痛みを覚えるが、スターリンの命令で非業の死を遂げた人々に対しては、それにも増して心の痛みを覚えずにはいられない。」

この交響曲などが、ナチスドイツとの攻防をテーマとする"戦争交響曲"と捉えられていることについて、「(戦後30年もたって彼らは)何故自分の頭で考えようとしないのだろうか…」「私の多くの交響曲は墓碑である」「(これは)第4番に始まり第7番第8番を含む私の全ての交響曲の主題であった…」と記されています。

戦争前には、スターリンは国内では人民の敵だとして粛清で多数の無辜の人々を殺していました。ヒトラーと独ソ不可侵条約を結び、他方では赤軍の機械化近代化を推し進めていたトゥハチェフスキー元帥(注5)を拷問にかけナチスのスパイだとして銃殺し、これに関係していたとして数百人の将校を処刑しています。他にも粛清で殺された人は多数いました。これらの人々に対しても捧げられた曲だというのです。

これでは、「あれは"戦争交響曲"だ」「侵略者の醜鼻を描きソビエト人民の勝利を輝かしく描いているのだ」などと、上から目線で言っていた人たちはナチスと戦ったのだから社会主義は正義だと思っていたのですから、「同類だ」と言われて立場がなくなりますね。

この曲に関し、初演当時からハンガリーの作曲家べラ・バルトークがショスタコーヴィチに対して「不真面目である」と怒りを表し、「管弦楽のための協奏曲」の中にショスタコーヴィチを皮肉っている部分があるという話がありました。

しかし、何にバルトークが怒っていたのかはよく分からないままでした。

これについては、「管弦楽のための協奏曲」の中だけでなく、ショスタコーヴィチの交響曲第一楽章にもまた、レハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」のパロディが含まれていたという事実から、バルトークの意図が分かります。

この第1楽章の「戦争の主題」とレハールの旋律との関係は、『証言』の編者のヴォルコフが、1979年の英語版『概説(未邦訳)』の注釈ではじめて説明しました。それによると「戦争の主題」の後半はウィーンのオペレッタ作曲家フランツ・レハールの有名な「メリー・ウィドウ」の引用であり、その部分の歌詞は「(キャバレー)マキシムへ行こう〜」だったというのです。(注6)

続く歌詞は「そこの女達は祖国を忘れさせてくれるのさ・・」というものです。
指揮者ムラヴィンスキーは、この初演をラジオで聴いて、このマーチはナチスの侵略ではなく「作曲者が既に創作しておいた愚劣さや、甚だしい下品さの普遍的イメージだ」と思ったと追想していたそうです。(注7)

また、上から目線の人たちは、この曲の最終楽章(第4楽章)については、「(「人間の主題」)が全楽器の絶叫によって打ち立てられ、序奏の同音連打が勝利の宣言となる。」とか言っていました。終わりのコーダ部分が何かしら敵に鉄槌をくらわせているように聞こえるのでしょう。

そのように聞こえなくもありません。『証言』が述べているのはこの「敵」はナチスだけでなくスターリンの殺戮マシーンのような体制でもあるということでしょう。するとここでは「勝利」でなく「鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする」(注8)という「裁き」ないし、「報復」を表現しているのかもしれません。

あえてイメージで語るとすれば・・・、全楽器の絶叫によってそそりたつように打ち立てられるのは、「雷を伴った大きな雲の柱、火の柱」(注9)のようです。
旧約聖書では、「民のため敵に復讐する神は雲の柱の中にいます」、

詩篇では、「雷鳴は車の轟きのよう。・・稲妻は世界を照らし出し地は慄き、震えた。」(注10)

「(主は)、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らへの「裁き」(の杯への分け前)となろう」(注11)

という記述があります。

『証言』で「神は血の為に報復し、犠牲者の号泣を忘れない、などとある」と言及しているのは、言葉で解説するとしたらこのようなことかもしれません。そしてこの「人間性に対する敵」に鉄槌を下すのが、神ではなく、戦争や暴政の中で虐殺されていった人々の無念、かなしみ、慟哭の果ての激しい怒りなのでしょう。

なお、第4楽章の後半は、フレイシュマンのオペラ「ロスチャイルドのヴァイオリン」の終曲の旋律、展開が基調にあるように聴こえるのですが・・・(注12)。

「反形式主義的ラヨーク」(作品番号なし)の登場

『証言』の中で、ジダーノフ批判に触れて「私にはこの主題を描いた作品があり、全てはそこで語られている」と言う記述があります(注13)。

この本の出版後10年たった1989年には、これに符合する、誰も知らない謎の作品が「反形式主義的ラヨーク」として、初演されました。

これは、戦後のジダーノフ批判の時の、スターリンや取り巻きを茶化した声楽曲(世俗カンタータ)で、ヴォルコフの初版『概説』にもこの部分について触れた記述があり、『証言』本文の中でも、この作品の存在を示唆した辺りの記述内容と視点、取り上げ方は一致していました。作風はゴーゴリの原作に基づくオペラ「鼻」を思い出します。

ある偽書説論者は、このソビエト当局を揶揄した「ラヨーク」 が見つかった時に「なぜ『証言』にはラヨークの存在が書かれていないのだろう」 と得意満面に発言したそうです。その後『証言』の翻訳者が、『証言』中にラヨークの存在についての記述があることを指摘しましたが、前言を訂正することはなかったようです(きっとこの論者は邦訳も英語版も読んだことがなかったのでしょうね)。

未だにこの『証言』の内容の中には偽書であることを疑わせる「事実誤認」は確認されていないどころか、この『証言』の内容を裏付ける事実がどんどん出てきました。ソビエト崩壊後、埋葬された場所すらわからない演出家メイエルホリドが拷問され銃殺されたことは、判決文や、取り調べ過程の資料が出てきました(注14)。
まだまだ、おもしろい発見や埋もれている事実があるように思われます。
(つづく)


(注1):『ショスタコーヴィチの証言』(原書:Testimony : The Memorries of Dmitori Shostakovich)1979年10月ソロモーン・ヴォルコフ(ロシア人音楽学者)の編。N.Yにて出版。英訳はAntonia W. Bouisによる。英訳では編者序(Preface)、編者の概説(Introduction)、本文からなる。
邦訳「ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳, 中央公論社, 1980)はロシア語タイプ原稿によっているが、編者序、本文のみで編者ヴォルコフの概説(Introduction)は未訳。

(注2):『証言』、出版後25年たって、この「証言」に「ユダヤ音楽の二層」「泣き笑い」というあたりにかかれていたことを、たとえば「二重言語・・ショスタコーヴィチの音楽に含まれた両義性」などと著者の新見解のように書かれている本まで出てきました。総じて、「証言」の結論見方に極めて近い、ないし事実上引用している箇所がかなりあるに出典を明らかにしていません。おもしろいことです。

(注3):邦訳編者(ヴォルコフ)序P.5

(注4):井上頼豊「ショスタコーヴィッチ」(音楽之友社)(P.117以降)
なお、これとは別に、清透な深い悲しみに満ちた第3楽章 Adagioについて「(「祖国の大地」)」とか表題をつけて、「比較的叙情的で明るい内容を持つ。」「陽気で息の長い旋律が現れる。」「祖国愛を表現している。」とか真顔で書いてあるのをどこかで読みましが、これも同類の方なのかもしれません。

(注5):ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー ソ連邦元帥。赤軍の機械化,ロケット兵器開発などを推進。数々の戦術理論を編みだした。スターリンの赤軍大粛清の犠牲者の1人。1937年5月逮捕され、トハチェフスキーは拷問にかけられ、自白を強要させられた。トゥハチェフスキーの調書にはその時の血痕が残されているという。『証言』第三章の後半は、トゥハチェフスキーに関する記述である。

(注6):1979年英語版 概説[Introduction] xxxiv脚注 に明記されている。
この点について我が国では、柴田南雄氏がはじめて指摘したという理解がなされている。しかし、同氏の指摘は、1980年刊の「海」所収のエッセイの中で述べられているので『証言』の邦訳の発刊前であるが、ヴォルコフの指摘はその前年である。
同氏の指摘のみを前提で議論している人は、きっと『証言』の英語版は読んだことがなかったのでしょう。

このマーチとはTVのCMで「シュワちゃん、リエちゃん、チチンプイプイ〜♪」とやっていたあの旋律です。

(注7):概説[Introduction] xxxiii〜xxxiv 原文は"the composer had created universalized image of stupidity and crass tastelessness"

(注8):旧約聖書詩篇第章9節
(注9):同出エジプト記13章
(注10):同詩篇第11章6節

(注11):同77章19節 なお、筆者は特定の宗教への信仰はありません。

(注12):ヴェニアミン・フレイシュマンはソ連邦の夭折したユダヤ系の作曲家。『証言』において、弟子であったフレイシュマンを高く評価する記述がある。チェーホフの短編によるオペラ「ロスチャイルドのヴァイオリン」に着手したが、最前線に志願し、28歳で戦死した。ショスタコーヴィチはフレイシュマンの自筆譜にオーケストレーションを施し、1944年2月完成させた。1968年初演されたが、ソ連体制下では二度と演奏されなかった。

(注13):邦訳初版P.215、上段、英語版初版本文P.147,7〜9行目、同ページ脚注
英語版 概説[Introduction] xxxiv脚注、 に明記されている。

(注14):『証言』第三章の前半は、メイエルホリドに関する記述である。
名越健郎『クレムリン秘密文書は語る』中公新書、1994年などがある。
https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/10.html


▲△▽▼

石川清隆コラム
俗物根性(Пошлость)と芸術に対する「冷笑」
https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/27.html

1.注解のほうが交響曲そのものよりも重要だと考えている人々 (注1)

最近話題の佐村河内という被爆2世で聴覚障害がある人物の作とされていた曲には、実はゴースト・ライターがいたという。

何曲か聞いたことがあるが「広島」と題された曲はマーラーの交響曲第2番第5楽章をベースにした習作的作品かと思っていた。「佐村河内の作品」群は、新垣という人の作品だという。音楽まがいの「音楽」というのは数あるが、これらの作品群は音楽的に優れたものと思う。なんでこのように作者をたがえて「お出まし」にならなければいけなかったのだろうか…。

世の中にはアイドル歌手やタレントが自伝や本を出すとき、ゴースト・ライターに書いてもらうことは良くあるといわれ、ゴースト・ライター「専門家」もいる。
今回のは、質的によいものであっても、被爆二世が作曲した「HIROSHIMA」とか「耳が聞こえないハンディを乗り越えて努力の末に作品を完成させた」、東日本大震災をテーマにした「レクイエム」とかいうふれこみで売ろうとしたのだろう。

音楽作品の内容、完成度でなく、何か話題性、逸話を造り上げて、良い物でも、まがい物でも「売らんかな」の音楽業界の商業主義的体質、話題性を『付加価値』とする芸術とその鑑賞者に対する「冷笑的」な傾向が見え隠れします。

作曲家ショスタコーヴィチが「生活の為なのだとそっと言われるところに、すべての悲劇が発生する。」として知人から聞いた面白い話を紹介している。

「それこそドストエフスキーの小説に出てくるような素晴らしい光景であった。二人の「共作者」が便所で落ち会う。一人は相手に金をつかませ、もう一人は相手に高潔さを主題としたいつもの歌を手渡す。そして陰謀を隠すために、便器に勢いよく水を流す。このように崇高で詩的な状況のもとでいわば国民の道徳水準の向上を訴える価値のある新しい作品が生まれるのである。」

それを咎めると「わたしの相棒はきちんとかなりの金を支払ってくれている。ほかの人たちからの注文も受けなければならないのだ。だがそのおかげで生きてゆけるのだから、彼に感謝している。だからきみを中傷好きな人だと吹聴してやる。」 (注2)
と言われたそうです。

2.「革命」という"勇ましい"副題(交響曲第5番)

このショスタコーヴィチの作品で有名な交響曲第5番 (注3) がありますが、これに「革命」とかいう副題をレコード会社が勝手につけて売り出していたのは我が国だけ。

この曲は、現在では、感情的な諸相がかなり複雑な内容を含んでいる曲であることは広く理解されていますが、初演当時「フィナーレでショスタコーヴィッチは新しい創造的手段を見つけ出し、音の壮大さ、雄大さを生み出している。満場が立ちあがる。満場は喜びと幸福感にとらわれる」 (注4) とか褒められて、社会主義リアリズムを代表する交響曲とされて世界中に喧伝されていました。

この曲の最終部分、速度指定はかなりゆったりとしているのですが、アメリカの指揮者バーンスタインは1959年、ソ連に演奏旅行に行った時、この交響曲第5番の演奏で第4楽章のコーダのテンポ(開始部も早い)を倍以上の4分音符=200ほどの超快速で演奏しました。するとかなり軽い諧謔的なおちょくった演奏になるのですが、当時のソ連共産党関係者は、よく分からずにこれを明るい"勝利の凱歌"のように感じてひどく喜んでいたそうです。またバーンスタインが1979年に来日した時の演奏も第4楽章のコーダのテンポも同じくらい速く (注4) 、この曲LPレコードに「革命」とかいう副題が勝手につけられたのはこの前後でしょうか。

当時、ショスタコーヴィチの曲のレコードを買う人の多くは、この曲の最後に「「勝利の行進」を聴くのだ」とか確信を持った人が多かったのかもしれません。このような人たちを満足させるために「革命」とかいう副題をレコードジャケットの帯に付けて売ろうとしたのだと思います。

まあ聞く方も、今ではどう聞いても軽薄で諧謔的な演奏に対し、「気迫溢れる、逞しく勇ましい「革命」を聴かせてくれた」とか「光り輝く圧倒的な勝利を告げるフィナーレまで熱く激しく聴かせてくれた」とか感激しちゃったり。 一部の音楽評論家などが、「うわっすべり的なから騒ぎ」とか書かないまでも速度指定の問題などを書くと、「これだけ演奏が燃えているのに、この批評からはこの凄い演奏に対する熱が感じられない!」とか非難される始末でした…。 (注5)

どうしてこのような「冷笑的態度」で「革命」とかいう副題 (注6) をつけて付加価値を付けられるのでしょうか。

亡命ロシア人の作家ウラジミール・ナボコフは「俗物は感動させること感動させられることを好み、その結果として欺瞞の世界、騙し合いの世界が彼によって彼の周囲に形成されるのである。」 (注7) という。

ショスタコーヴィチは革命後、困窮して「食うためならどんないまわしい行為でも、わたしはしてみせる」と書いたチニャコフという詩人を例に挙げ、「重要なのは食べることであり生きている間はできるだけ甘い生活を送りたいというのである。これは冷笑的な心理と呼ぶだけでは不十分で刑事犯の心理である。わたしの周囲には無数のチニャコフたちがいた。才能のある者もいればさほど才能のない者もいたが。しかし彼らは協力して仕事に励んでいた。彼らはわが国の芸術を冷笑的なものに変えようと努めその仕事を上首尾に成しとげたのであった。」 (注8) と述べています。
チニャコフは、街に立ち「詩人」と書いたボール箱を首から胸に吊るし、通行人から金を恵んでもらいその金で、高級レストランで飲食し、翌日はまた街角に立っていたという。

3.ゴーゴリ『外套』、冷笑的なまなざしでない「不条理」なもの

「貧しい下級官吏がなんとか外套を新調する。外套は生涯の夢になる。ところが、その外套を最初に着た夜に、暗い街区で外套を剥ぎとられて、悲嘆のあまりに死んでしまう。

夜な夜な街区をうろつく外套を着た幽霊が出る。そして幽霊が高慢ちきな上司の外套を剥ぎとってしまう…。」

この作品を、ゴーゴリが単に精神異常をきたして「冷笑して」いるとか、いや、「虐げられる弱者との主題を設定し、ゴーゴリが読者に「人道的な同情を求めている」と読むべきとかいろいろな議論があります。

ナボコフは「ロシアには気取った俗物根性を指す特殊な名詞ポーシュロスチというのがある。屑であることが誰の目にも明らかな対象を指すだけではなく、むしろ偽りの重要性、偽りの美、偽りの知恵、偽りの魅力を指す。何かにポーシュロスチというのは、美学的判断であるばかりか、道徳的弾劾でもある。真なるもの、善なるものは、決してポーシュロスチにはなり得ない。ポーシュロスチは文明の虚飾を前提とするからである。」という (注9) 。

ナボコフはこの主人公の下級役人は「不条理」な現実の精神を体現している「亡霊」だと指摘し、「何かがひどく間違っていて、すべての人間は軽度の狂人であり、自分たちの目には非常に重要と見える仕事に従事している一方、不条理なほど論理的な一つの力が人間たちを空しい仕事に縛り付けている――これがこの物語の本当の"メッセージ"である」 (注10) と結論付けている。

 このように『外套』の主題をとらえて、「身にそぐわない衣」といえば、ゴーゴリは、シェイクスピアの一節を読んでいたのかもしれませんね。王位を奪い暴君と化したマクベスに対し、シェイクスピアは貴族ケイスネスにこう語らしている。 「いまこそ彼はその王という称号がだぶだぶで身体(み)にそぐわくことを感じているのだ。あたかも巨人の衣を盗んだ侏儒(小人)のこそ泥のように…」 (注11)

4.ゴーゴリの『鼻』は?

では、『鼻』は…。

「正気の沙汰とは思えない奇妙きてれつな出来事、グロテスクな人物、爆発する哄笑、瑣末な細部への執拗なこだわりと幻想的ヴィジョンのごったまぜ」 (注12) という解釈もあるのはゴーゴリの『鼻』です。

ナブコフは小説『鼻』について多くを語りませんが、「ゴーゴリにとってのローマは北国に拒まれた良好な健康状態を暫のあいだは保っていられた場所だった。イタリアの花々(それについて彼は言った「墓の上におのずと咲き出る花々をわたしは尊敬する」)は 一個の「鼻」に変身したいという激しい欲望で彼を満たした。目や腕や足など他のものは一切要らない。ただ一個の巨大な鼻「ありとあらゆる春の香りを吸いこめるような二つの手桶ほどの大きさの鼻孔をもつ」鼻になりたい。イタリアにいた間ゴーゴリは特に鼻意識が強かった。」 (注13) という。しかしそれ以前にロシアでゴーゴリの書いた『鼻』の不条理は怖いほどです。

ショスタコーヴィチは言う。

「『鼻』は滑稽ではなく恐ろしい物語である。」「鼻のイメージにもなんら滑稽なものはない。鼻がなければその人は人間ではないが鼻のほうはその人がいなくとも人間になれるし、権力者にもなれる。これはけっして誇張ではなくて歴史の証明する真実である。もしもゴーゴリが今日まで生き続けていたならそれ以上のものを目撃したことだろう。今日では、このような鼻が幽霊のように徘徊していて、たとえばわが国の共和国で起こっていることもその意味ではまったく滑稽ではないのである。」 (注14) ショスタコーヴィチは、ゴーゴリのこの小説をヒントに弱冠20歳でオペラ『鼻』作品15を作曲しました。この作品は、このオペラの中で『鼻』が大衆に囲まれてボコボコにされるように批判され40年余、1974年までロシアでは上演されませんでした。

この作品への批判は、まさに"気取った下司"によるものです。
ナブコフはいう。

「俗物は順応主義者つまり自分の仲間に順応する人物であり、そのほかにもう一つの特徴をもつ。すなわち、ニセ理想主義者であり、ニセ慈善家であり、ニセ学者である。欺瞞は真の俗物の最も親しい友人なのだ。「美」「愛」「自然」「真実」といった偉大な言葉は気取った下司に用いられるときすべて仮面になり"囮おとり"になる。」 (注15)
どんな批判であったのか、は当時の批評家 (注16) の批評をそのまま引用したロシア・ソヴィエト音楽研究に従事した井上頼豊の『古典的名著』 (注17) があります。どんなことを言っているかというと…。

この研究者は、「彼は…歌劇『鼻』で形式主義的傾向の頂点に達した」と結論付け、「『鼻』の抽象的な奇抜さはソヴェトの音楽劇になんの足跡も残さなかった。同様の原理に基づいた他の諸作品も同時期にあらわれたが、ショスタコーヴィッチの歌劇のような自然主義の極端まではいっていなかった。」と評しています。"形式主義的傾向"か"自然主義の極端"とかどういう意味か未だに分かりません。書いているご本人もわかっていたのでしょうかね。

そして、「西欧音楽の革新の影響は…彼らは…知らず知らずのうちにロシア楽派の健康な基礎から次第に遠く迷い出て行った。」とプロレタリア音楽の理想を踏み外したんだそうですが、その理由として「新しい作品が現代音楽界を喜ばせたいという事実が、ショスタコーヴィッチの発展を形式主義の方向へ押しやったことは疑いない。」という。

そしてこの偉大な作品を「歌劇はエヌ・ゴーゴリの同名の名高い物語によっているが、そのユーモラスなリアリズムを失って小話の領分におちている。」とまで断言してしまうのです。

もう一つ面白いことは、井上頼豊はこの「ショスタコーヴィッチ」(1957年)でこの作品をこのように、ケチョンケチョンに批判しているのですが、この批評がこのオペラの録音を聴いたり、楽譜、台本を見て書かれた形跡が全くないのです。 楽譜がウイーンで出版されたのが1962年(戦前に海外での演奏の権利を譲渡していた)、ロジェストヴェンスキーがボリショイ劇場地下壕で筆耕本スコアを発見したのが1950年代終わり(ショスタコーヴィチの手元にはスコアは全くなかった)、1970年に演出家がボリショイ劇場で学生たちと試演したときは録音すらなかった…。井上頼豊センセは台本も楽譜も録音も聞かないで「形式主義!」とか書いていたようですね。
そしてその分析がまたブラックジョークのように面白いのです。
ア 台本について

「こんなきちがいじみた寄せ集めの台本が'作曲家に本当の劇的な基礎を与えないのは明らかであろう」と断じています。

「性格の異なった様々の作品を結びあわせることを原則とした台本の構成そのものにもあらわれていた。古典を"編集する"という破壊的な方法」で「台本の構成…そのものが形式主義的でテキストはゴーゴリのいろいろな物語から編集され 『鼻』の話の他に『昔気質の地主たち』『死せる魂』『狂人日記』『タラス・ブリーバ』および『結婚』の抜粋を含み、おまけにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からとったスメルシャコフの小歌まで入っている。古典文学のこのような扱い方は論外である。」そうです。

『オペラ鼻』のコワリョーフ(注;鼻のなくなる八等官)の下男の歌は、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフ(注:カラマーゾフ家の使用人(コック)。私生児で無神論者)の歌「不屈の強さで、・・・私は愛に至った。神は彼女と私を祝福している」から引用したもので原作にはない下男イワンがバラライカを持って歌うシーンのことですね。これをゴーゴリの作品の中にあるドストエフスキー的要素の抽出・演繹で素晴らしいと思うか、つぎはぎと思うかですが…。
イ 音楽については

井上は、「『鼻』を書いているとき、作曲者が歌劇の設計をまるで忘れていたことは明らかである」とし、「彼の注意は、明らかに新しいポリフォニー効果の追求に奪われていたのである。急速な歌と踊りの形は、もっぱら"仮面" だけで仕上げられ、どれもが誇張されて馬鹿らしいものになっている。」

「これは第一にアリアの配列で証明できる。ふつうの意味での旋律の原則はここにはない」「レシタティーフは、時には縮まってふつうの会話になっている。その上ショスタコーヴィッチのレシタティーフは奇妙な、言葉を摸した誇張した抑揚で書かれている。」

「声楽の配置(したがってまた全歌劇の様式)は故意の不自然さと露骨なおどけとがめだっている。」…とか。

ダニール・ジトミルスキーは「不条理な効果は登場人物のまさにイントネーションで表現されている。しかしながら、それらはゴーゴリの実際の音声の原型を風刺的に解釈したものではありません。」「それらはゴーゴリの小説に存在した主要な風刺を排除している。」という。

「ゴーゴリの皮肉を構成するものは、まさに異様な状況とこれに対する普通の対応を並置していることです。小説の語彙は、日常生活で使用される語彙に極めて近い。オペラの語彙については、それがほぼ完全にパロディです。このパロディは特徴として、ゴーゴリが使用したかなり正確な本来の標準(の語彙の意味)とのすべての関係を失うほどラジカルである。不条理な効果は登場人物のまさにイントネーションで表現されている。しかし、それらはゴーゴリの実際の音声の原型を風刺的に解釈したものではありません。多くの場合、これらは作曲家自身によって発明された音楽的「知的障害」だったのではなく、彼の思考の中で、最良の方法で、登場人物の不条理を表現することを意図したものだ。」

「音楽を通じて愚かさ、不条理と下品を表現しようとして、彼はパロディ化した元となる主要な情報源との接続を失うことなく、彼はこれらの心理的な形象の音楽的に同等な表現を発見した…。」 (注18)

というが、こちらの方がゴーゴリの「小説」とオペラ「鼻」との関係を的確に分析しているように思います。

井上の評論は、まさにナブコフの言う「俗物性」そのものです。
「俗物根性は単にありふれた思想の寄せ集めというだけではなくていわゆるクリシェすなわち決り文句、色褪せたせた言葉による凡庸な表現を用いることも特徴の1つである。真の俗物はそのような瑣末な通念以外の何ものも所有しない」 (注19)

そして、「科学的社会主義的唯物論」と称する「疑似科学的全体主義的俗物論」から芸術とその鑑賞者を冷笑していたと思います。


(注1):「ショスタコーヴィチの証言」 邦訳初版p.282
(注2):「ショスタコーヴィチの証言」 邦訳初版p.253

(注3):交響曲第5番 ニ短調 作品47は、ショスタコーヴィチの作品の中でも、特に著名なものの一つ、コーダの楽譜の指定テンポは4分音符=92なのにバーシュタインは4分音符=188〜200ほどのスピードで演奏している。

(注4):アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ1883年- 1945年)など。有名なレフ・トルストイとは別人。この交響曲第5番は当時ソ連作家同盟議長アレクセイ・トルストイの論文(ショスタコーヴィチの第5交響曲、1937年、イズべスチァ紙)で絶賛されました。

(注5):日本における西洋音楽受容に関する社会学的分析のための一試論
−− D.Shostakovichの場合−−由谷 裕哉"例えば、『証言』以前の第5交響曲の解説で、典型的な一つに、「プラウダ」に批判(=教育?)されたことによってはじめて、ショスタコーヴィチは第5交響曲のような「真の名作」−−この表現には、もちろん、人民大衆のための、という含意が含まれている−−を作りえた、というレトリックによって、ショスタコーヴィチの創作環境を外的に制約(あるいは抑圧)した党による文化政策が、臆面もなく正統化されていた

(注19)※ちなみに、この頃<1970年代初頭頃>の筆者は、時代的な潮流もあって、新左翼的な運動にある程度のシンパシーを抱いていたが、この議論だけは、その頃からとうてい納得出来ないものであった。
この(注19)はバーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックによる一度目のレコード(1959年録音)の日本版ライナーノーツ(CBSソニー)で、執筆者は門馬直美。

(注6):フェイ、邦訳「ある生涯」p.136
「彼は自らの交響曲第五番に'何ら副題をつけたり裏書きしたこともないし'出版された楽譜に副題が記されていたこともない」
「私の創造的回答」(掲載誌不祥)には'作曲家の署名付きで発表され「最終楽章で、最初の3楽章までの悲劇的なまでに緊張した瞬間を人生肯定的で楽観的な構想に溶かし込んでいます」と書かれたりしたが…。

(注7):ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフ(Владимир Владимирович Набоков Vladimir Vladimirovich Nabokov,(1899年- 1977年)は、帝政ロシアで生まれ、ケンブリッジ大学へ入学、ロシア革命のために帰国を断念フランスやドイツで亡命者として転々とした生活を送り、1940年にアメリカへ渡ります。アメリカではコーネル大学で教職に就き、ロシア文学を教えました。 『ロシア文学講義』"Lectures on Russian Literature" (1981年)

小笠原豊樹訳、TBSブリタニカ 1982年、「俗物と俗物根性」("Philistines and Philistinism"p.376)

(注8):「ショスタコーヴィチの証言」 邦訳初版p.257
(注9):ナボコフ『ロシア文学講義』p.376
(注10):ナボコフ『ロシア文学講義』p.72〜73
(注11):マクベス 第5幕第2場  スコットランドの貴族ケイネスが暴君「マクベス」を指して言う言葉、(訳は拙訳)
(注12): 光文社新訳文庫: 解説
(注13):ナボコフ『ロシア文学講義』p.57
(注14):「ショスタコーヴィチの証言」 邦訳初版p.300
(注15):「ショスタコーヴィチの証言」 邦訳初版p.257
(注16):マルトゥィノフ「ショスタコーヴィチ・人と作品」 (注17):井上頼豊「ショスタコーヴィチ」1957年 音楽之友社p.30〜
(注18):ジトミルスキー「Shostakovich Reconsidered, ed. Ho&Feofanov1998」(p.438〜439) (注19):ナボコフ『ロシア文学講義』p.376
https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/27.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c4

[番外地7] メモ帳 _ アイヌ 中川隆
6. 中川隆[-14409] koaQ7Jey 2020年1月17日 19:45:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1323]
北海道は日本じゃないよ、日本人が勝手に占拠してるだけだ
明治以前は北海道には日本人は住んでいなかった
日本人はアイヌの住んでいた北海道を勝手に日本人に分割したんだ
中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前にアイヌに対して行った
アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位迫害されてきたかを思い出せ:
千島アイヌは日本政府の民族ジョウカ政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた
それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化完了だ中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ

千島アイヌの強制移住による民族絶滅 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。

17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。

それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/340.html#c6

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
5. 中川隆[-14408] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:20:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1322]
エフゲニー・ムラヴィンスキー
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
Bartók - Music for strings, percussion & celesta - Mravinsky Leningrad 1965


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c5
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
6. 中川隆[-14407] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:23:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1321]

チョン・キョンファ
Kyung-Wha Chung plays Bartók "Violin Concerto #2" - (Boston, 1975)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c6
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
7. 中川隆[-14406] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:25:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1320]
アルゲリッチ
Béla Bartók - Concerto for Two Pianos, Percussion, Orchestra


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c7
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
8. 中川隆[-14405] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:31:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1319]
ゲザ・アンダ
Bartók: Piano Concerto No.3, BB 127, Sz. 119 - 1
https://www.youtube.com/watch?v=hdV3Cl_6wLg
https://www.youtube.com/watch?v=KrU4nyGac2U
https://www.youtube.com/watch?v=kZKR4AGSUCg

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c8
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
9. 中川隆[-14404] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:33:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1318]
バシュメット
Yuri Bashmet plays Bartok Viola Concerto - video 1985


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c9
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
10. 中川隆[-14403] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:36:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1317]
バルトーク・シゲティ・グッドマン
Bartok:Contrasts For Violin,Clarinet&Piano-Szigeti,Goodman&Bartok


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c10
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
11. 中川隆[-14402] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:41:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1316]
タカーチ四重奏団
Bartók: String Quartet No.3, BB 93 (Sz.85)
https://www.youtube.com/watch?v=QhPv_2-VG1Y
https://www.youtube.com/watch?v=KY_OAfN0Y7k
https://www.youtube.com/watch?v=AjZNLUeGoOw

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c11
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
12. 中川隆[-14401] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:45:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1315]
タカーチ四重奏団
Bartók: String Quartet No.4, BB 95 (Sz.91)
https://www.youtube.com/watch?v=F_hoMKGbalY
https://www.youtube.com/watch?v=0Ga15wRGYGk
https://www.youtube.com/watch?v=TP74FhypOB0
https://www.youtube.com/watch?v=InwUCs3htBg
https://www.youtube.com/watch?v=NcJxDfrPDns
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c12
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
13. 中川隆[-14400] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:49:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1314]

タカーチ四重奏団
Bartók: String Quartet No.5, BB 110 (Sz.102)
https://www.youtube.com/watch?v=7f29-B2XVDA
https://www.youtube.com/watch?v=jdJfpkcZgoU
https://www.youtube.com/watch?v=sS2x98GyxlA
https://www.youtube.com/watch?v=juHYWX28_jw
https://www.youtube.com/watch?v=7f29-B2XVDA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c13
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
14. 中川隆[-14399] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:52:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1313]
タカーチ四重奏団
Bartók: String Quartet No.6, BB 119 (Sz.114)
https://www.youtube.com/watch?v=Vtz7S5FTDaE
https://www.youtube.com/watch?v=Y9WEc_HtrxM
https://www.youtube.com/watch?v=sY6TYlwSeQo
https://www.youtube.com/watch?v=09efiLibS88
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c14
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
15. 中川隆[-14398] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:54:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1312]
バルトーク自作自演
Allegro Barbaro by Bela Bartok


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c15
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
16. 中川隆[-14397] koaQ7Jey 2020年1月17日 21:58:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1311]

バルトーク自作自演
Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c16
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
17. 中川隆[-14396] koaQ7Jey 2020年1月17日 22:01:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1310]
バルトーク・シゲティ
Bela Bartok and Joseph Szigeti play Beethoven Kreutzer Sonata


https://www.youtube.com/watch?v=AZG2iKESTLk
https://www.youtube.com/watch?v=QSflm15fKPs
https://www.youtube.com/watch?v=u3adLvwIm8Y
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c17

[番外地7] 伏見宮で男系維持は不可能
伏見宮で男系維持は不可能

 (旧宮家再興で)男系維持による皇位継承を実現しよう、という見解がある。しかしそれは不可能だ。そこで得られるY染色体は、天皇家のY染色体ではなく、間男のY染色体である。

 男系維持による皇位継承を実現しよう、という見解がある。たとえば、安倍首相がそうだ。

 《 「女性宮家」白紙に=安倍首相 》

 安倍晋三首相は8日夜のBSフジの番組で、野田前政権が検討した「女性宮家」構想について、「皇統の継承は男系でつないでいくと皇室典範に書いてあり、女性宮家はそういう役割を担うことができない」と指摘した。その上で「もう一度じっくりと見直しをしていかなければならない」と述べ、白紙に戻す考えを示した。

( → 時事通信 2013/02/09 )

 ここで、男系維持というのは、具体的には、旧宮家再興、つまり、伏見宮の系統を復活させることを意味する。

 では、伏見宮の系統とは、何か? 具体的には、次の系統だ。

  → 伏見宮系図

http://www.eonet.ne.jp/~yanaken/miyasama/keizu2.htm

 この系図を見ると、興味深いことに気づく。

  ・ 現存する男子は、非常にたくさんいる。

  ・ 現存する男子は、すべて邦家親王の子孫である。

  ・ 邦家親王は、息子の数が多かった。

  ・ 邦家親王の子孫も、代々、男子が多かった。

  ・ 邦家親王の父である貞敬親王は、女子が多かった。 女子も男子も多かった。

  ・ 貞敬親王以前 よりも前は、代々、男子が少なかった。


・ 現在の天皇の系統は、代々、男子の数が少ない。

  ・ 貞敬親王以前 よりも前の伏見宮も、代々、男子の数が少ない。

  ・ 邦家 貞敬親王以後の伏見宮は、代々、男子の数が多い。

 このことから、次のように推定できる。

 「邦家 貞敬親王の時点で、Y染色体に、大規模な変化が起こった。それはほとんど突然変異といっても良いくらいの、大規模な変化であった」

 一方、生物学的に、次の事実がある。

 「突然変異というものは、ほとんどが、不利な形質を帯びる。有利な突然変異というものは、百万回に1回、または、それ以下である。ごく稀な例外を除いて、有利な突然変異というものは起こらない」

 この二つを合わせて考えると、次の結論となる。

 「邦家 貞敬親王の時点で、Y染色体に、大規模な変化が起こった。それはほとんど突然変異といっても良いくらいの、大規模な変化であった。しかるに、それは突然変異ではなかった」

 このことから得られる結論は、一つだけだ。

 「邦家 貞敬親王のY染色体は、天皇家の代々続くY染色体ではなくて、外部からもたらされたものである」

 要するに、そのY染色体は、邦家 貞敬親王の親のY染色体ではなく、邦家 貞敬親王の親の間男のY染色体なのだ。(推定)

 そして、そのY染色体が、現在の伏見宮家に広範にひろがっている。つまり、伏見宮家のY染色体はすべて、邦家 貞敬親王の親(貞敬 邦ョ親王)の間男のY染色体なのだ。

 そして、安倍首相の言うように、伏見宮家から天皇を出すとしたら、それは、天皇の血筋を引き継ぐ男子が天皇になるということではなくて、間男の血筋を引き継ぐ男子が天皇になるということなのである。

 つまり、日本の天皇は、間男の子孫に乗っ取られてしまうわけだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/430.html

[近代史3] 新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか? 中川隆
5. 中川隆[-14395] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1309]
2020年01月18日
ボノボとチンパンジーの集団内および集団間の雄同士の血縁度の比較
https://sicambre.at.webry.info/202001/article_28.html

 互いに最近縁の現生種である、ボノボ(Pan paniscus)とチンパンジー(Pan troglodytes)の集団内および集団間の雄同士の血縁度の比較に関する研究(Ishizuka et al., 2020)が公表されました。血縁関係は動物の理解にたいへん重要ですが、異なる集団における個体間の血縁パターンは、とくに大型哺乳類ではほとんど調査されておらず、それは野生での調査が困難だからです。ボノボとチンパンジーは、父系で複雄複雌集団を構成し、集団は分裂と融合を繰り返すといった点で、共通の社会システムを有しており、集団間の相互作用と異なる集団の個体間の血縁度を調査するのに効果的です。なお、最近の研究では、ボノボの雌はしばしば近隣集団に移動する、と示されています。

 しかし、集団間の関係は、チンパンジーでは基本的に敵対的で、雄がしばしば群れで攻撃し、異なる集団の雄を殺すこともあるのに対して、ボノボではより穏やかな集団間関係が見られます。ボノボでも集団間の雄同士の関係は敵対的ですが、雄のボノボは異なる集団の雄を攻撃して殺すようなことは滅多にありません。またボノボでは、雌が主導しての集団間の非敵対的な遭遇も起きることがあり、集団間の交尾さえしばしば観察されます。したがって、隣接集団間の繁殖は、チンパンジーよりもボノボの方が高頻度と予想されます。これは遺伝的研究でも示唆されており、集団外の雄の子かもしれない個体が、チンパンジーでは4ヶ所の生息地のうち1ヶ所でしか見つかっていないのに、ボノボでは3ヶ所全てで見つかっています。

 さらに、集団間の雄の移動は、チンパンジーよりもボノボの方で多く観察されています。これらの違いから、集団間での雄の遺伝子流動はチンパンジーよりもボノボの方が高頻度であり、チンパンジーよりもボノボの方が雄の血縁関係では集団間の差異は小さい、と予想されます。以前のいくつかの研究では、集団内の雄間の血縁度は、ボノボとチンパンジーでは近隣集団の雄間よりも高い傾向にある、と部分的に示されています。しかし本論文は、まだデータが不足している、と指摘します。本論文は、常染色体とY染色体のデータを用いて、ボノボとチンパンジーの雄の、集団内と集団間の血縁度の違いを検証しました。

 チンパンジーでは調査対象の5集団のうち3集団で、ボノボでは3集団すべてで、雄の平均血縁度は近隣集団間よりも集団内部の方が高い、と示されました。これは、両種が父系社会であることからの予想と矛盾しません。また、ボノボの方がチンパンジーよりも集団内の雄の平均血縁度が高いことも明らかになりました。しかし、全集団を対象とすると、集団内の雄と集団間の雄との平均的血縁度の違いは、ボノボのみで有意な差が示されました。チンパンジーで有意な差が見られないのは、5集団のうち2集団の特異な理由に起因するかもしれません。この2集団のうちの一方では雄は2頭のみで、血縁関係にない可能性があります。この集団は1982〜1996年にかけて規模が劇的に減少しました。もう一方の集団には15頭の雄がいました。以前の研究では、集団内の雄の数が少ない場合のみ、雄の平均的血縁度が高いと予想されています。一方の集団は雄が15頭と比較的多いため、平均血縁度は、集団内の雄間で低く、近隣集団とさほど変わらない可能性があります。そのため、集団内の雄と集団間の雄との平均的血縁度が、チンパンジーでは有意な差として示されなかったかもしれません。

 これまでの研究では、雄の繁殖の偏りはチンパンジーよりもボノボの方で高い、と示唆されてきました。これは、ボノボでは雄の繁殖成功がその母親の影響を大きく受けるのに対して、チンパンジーではそうではないからです(関連記事)。そのため、ボノボの集団内においてはチンパンジーの集団内よりも雄間の血縁度は増加する、と予想されます。一方、ボノボの方が頻繁に発生するかもしれませんが、ボノボでもチンパンジーでも、集団間の雄の遺伝子流動は稀です。ボノボやチンパンジーのような父系的社会の種で集団間の雄の遺伝子流動が稀である場合、異なる集団の雄間の平均血縁度は低いと予想されます。じっさい、ボノボとチンパンジーの両種で、隣接集団の雄間の平均血縁度は集団内の雄間の平均血縁度よりも低い、と示されています。したがって、集団内の雄間の血縁度はチンパンジーよりもボノボの方で高くなり、近隣集団の雄間の血縁度は両種ともに集団内よりも低くなります。そのため、集団内でも近隣集団間でも、雄間の平均血縁度はチンパンジーよりもボノボの方で顕著に大きい、と予想されました。

 ボノボとチンパンジーとの比較では、集団間の雄の遺伝的距離は、常染色体でもY染色体でも有意な違いがありませんでした。そのため、雄の血縁度における集団間の違いがボノボとチンパンジーのどちらでより大きいのか、不明なままです。ただ、集団間の雄の遺伝的距離では、ボノボの方がチンパンジーよりも平均値は高く、ボノボにおいて集団内の雄間の平均血縁度と近隣集団の雄間の平均血縁度とで大きな違いがある、という観察結果と矛盾しません。また、ボノボの1集団では雄間のY染色体の遺伝的距離の値がひじょうに低く、これは集団の雄の低い遺伝的多様性の影響を受けているかもしれません。

 本論文の結果は、ボノボではチンパンジーよりも集団間の雄の攻撃が少ない、という観察からの、ボノボでは集団間の雄の血縁度がチンパンジーよりも有意に高い、という予想とは一致していません。これまでの研究では、雄間の同盟形成や協調的相互作用のパターンは、父系社会の種の集団における血縁度では説明されない、と提案されていました。父系社会の種では、血縁度は基本的に、同じ集団でも異なる集団でも、雄間の社会的相互作用のパターンを説明しないかもしれません。

 ボノボとチンパンジーで異なる集団の雄への攻撃性の説明としては、ボノボにおける発情期間の延長があります。チンパンジーが隣接集団から交尾相手の雌を略奪するために攻撃するのに対して、ボノボの雄にはそうした必要性が低いのではないか、というわけです。また、ボノボが異なる集団の雄とも採集できる、という事実との関連も指摘されています。ボノボはチンパンジーよりも地上の草本に依存しており、果実への依存度が低いと考えられることから、縄張りを守る必要性がチンパンジーよりも低いのではないか、というわけです。また、チンパンジーはボノボよりも採集に出かける構成員の数のバラツキが大きく、遭遇した集団同士の数が大きく違っている可能性を高めるので、激しい攻撃を誘発しているかもしれない、とも指摘されています。

 本論文は、大型哺乳類の精細な遺伝的構造がほとんど明かされていない中で、これらのデータは貴重である、とその意義を指摘します。本論文は、集団間の雄の血縁関係に関して、ボノボはチンパンジーと同等か、あるいはもっと異なっている、と示しました。上述のように、これは両種の行動からの予想とは異なります。ボノボとチンパンジーにおける、集団間の相互作用と集団間の雄の血縁度のパターンとの関連に関しては、さらなる研究が必要になる、と本論文は指摘します。


参考文献:
Ishizuka S. et al.(2020): Comparisons of between-group differentiation in male kinship between bonobos and chimpanzees. Scientific Reports, 10, 177.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-57133-z

https://sicambre.at.webry.info/202001/article_28.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/635.html#c5

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
18. 中川隆[-14394] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:46:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1308]

バルトークはベーゼンドルファーを弾いていた

スタインウェイとベーゼンドルファーの弾き比べ



久元祐子ピアノリサイタル『ベーゼンドルファー いま 昔』



★ベーゼンドルファーにつきましては、意外に思われるかもしれませんが、私は、バルトークをベーゼンドルファーで弾くことで、理解することができました。

現在は、もうそのようなことはございませんが、一昔前は、バルトークのピアノ作品は、ピアノを打楽器のように扱い、“荒々しい民俗音楽風の作品だ”と思っている頭の固い先生方が、結構いらっしゃいました。

私は、高校生の時、バルトークのオーケストラ作品を聴き、彼を大好きになり、ピアノ曲も8分の7拍子などの変拍子をつかった、踊りだしたくなるような曲が大好きでした。



★バルトークは、ベーゼンドルファーのグランドピアノを持っていました。

ベーゼンドルファーで、彼の曲を弾きますと、ベーゼンのもっている豊かな倍音、意識的に聴くことはできなくても、確かに鳴っているその倍音が、限りなく音の広がりを感じさせ、安らぎを与えるのです。

まるで、ベッチャー先生のチェロのような音の響きです。

バルトークが求めていた音は、ぶっきらぼうで、乾燥した非人間的な音ではなく、このような音だった、と実感できました。



★「ミクロコスモス」を弾いても、なんて優しい愛情に満ちた曲なのだろう、と感動します。

同じことは、シューマンの作品をベーゼンで弾いてもよく分かります。

シューマンの天才的な耳は、ピアノ作品の和音の中に、倍音による限りない広がりを求め、また、聴いていたのです。

「謝肉祭」の冒頭の和音は、ルービンシュタインが弾くスタインウェイの剛毅で豊かな響きも素敵ですが、ベーゼンで弾きますと、もしやシューマンは、この豪華で、そして、どこか夢の中の世界のような、現実を超越したプラトンの言うところの「イデアの世界」を聴いていたのかもしれません。



★間違っても、現代の電子楽器では、決して聴くことのできない、体験することのできない「芸術としての音の世界」です。

この音の世界を作り出せるピアノ「ベーゼンドルファー」が、商業主義の犠牲にされず、人類の美しい英知の一つの結晶として、設計変更されることなく、同じ質を保ちつつ、作り続けられることを、心より願ってやみません。
http://blogs.yahoo.co.jp/nybach321/53495740.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c18
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
19. 中川隆[-14393] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:48:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1307]

バルトークの家(ブダペスト旅行記1) 2012-09-11


先週、ブダペストに4泊5日、賞味、丸3日の、小旅行に行ってきました。

電車だったので、片道、1日、かかったのでありました。。。。

もちろん、飛行機も考えたけど、乗り換え、待ち時間などいれると、結局1日かかるだろうし、窓から見える景色も楽しいかな、と期待したのでした。。。。

ドレスデンから、プラハに行き、スロバキアを通って、ハンガリーに到着、
その間、全くパスポート検査なし、
シェンゲン条約により、一度、EUに入ってしまえば、中は自由に行き来できるのですね。

そして、電車の切符の安かったこと、
ユーロ・スペシャル・ハンガリーという切符があって、往復で約1万円、、バスより安かった


私は、バルトークを、まだ深く勉強したことがないのですが、そのうち、夢中になるだろうな、と思っていたので、まず、家を見ておこう、という気持ちで行ったのですが、

バルトーク、、、

好きになった、、、ドキドキ

なぜかというと、家の近所が、私の実家の近所と、そっくりだったからです。
これが、ハンガリーだという気がしなかったなー、、、、、、

実家に帰ったような気がした

バルトークの家は、ブダペストの中心、ドナウ川から、ちょっと離れた、住宅街の、丘の上にあります。
まず、バスで丘のふもとまで行きます。

左の教会が、ふもとの目印

そして、丘を上がります、それでは

ここで、右の道を行っても着くけど、左の方が近い^^
(ykは、カンが当たって、間違えなかったのだ!!!)


途中、こんなにモダンな家が一戸ありました。

ココです、この車庫が、バルトークのお家


ドアが開いているのは、私が、ベルを鳴らしたからですが、、

このドア、実は、自動でしか開かず、ものすごくゆっくり開くのです。
私がどんなに力を込めて押しても、ゆっくり、じわりじわりとしか、動かなかった。。。。。

(少し、待ってください、なーんて、アナウンスが、かかっているし。。。。)


これ、恨みのドア

ドアを開けて、すぐ、またちっちゃい階段を上がって、家はさらに丘の上に


バルトークがいるよ

こんなお家

バルトークが、アメリカに行くまで住んでいたお家です。

一階は、受付と、おトイレ

2階は、サロンホール


今は新しい大きなスタインウェイが置いてありますが、バルトークは、ベーゼンドルファーを3台所有していました。

3階が、バルトークの部屋

この椅子が、ものすごく大きいのだ
お相撲さんのお尻でも、余裕で座れるよ

普通の大きさの椅子もあるけど

ハンガリーの白地に赤の模様のカーテン、すてきです

これが、バルトークのベーゼンドルファー、ですが、なんと、数年前に、このピアノの中から、バルトークの煙草の吸殻、がでて来たのです、
(4階に展示があります、のちほど)

ベーゼンドルファーに、煙草を落とすなんて、あー、信じられない
バルトークの性格が、思いやられます

奥にある机は、コダーイの家の書斎にある、コダーイの仕事机を作った家具職人と同じ人が、作ったもの。
(コダーイの書斎が、また、立派だった、、、、バルトークは、羨ましかったのかな)

このピアノの部屋は、小さいです。こんな風だったら、日本でも可能。
私の将来の日本のピアノの部屋、こんなふうにしたいなー、、、と思った、、、
ひひひニコニコ

そして、さらに屋根裏部屋があって、そこには、バルトークの収集品が展示されています。

綺麗な階段を上がると


バルトークのサンダル

バルトークがピアノの中に落とした、煙草

ハンガリーの服と陶器

バルトークが集めた、貝殻

お金

生涯にわたって、いろんな場所で集めた昆虫

針にブスッと刺さって、かわいそうな、虫の死骸でした、、
そして、葉っぱ

そして、眼鏡、
右端のサングラスと、左端の老眼鏡が一番最後に使われていたものですが、相当、レンズの度は、きつい

真ん中の眼鏡は、耳にかける部分がない、
どうやって、鼻の上にのっていたのだろうか

そして、この鉛筆の中にフォークが混じっている、、、と思ったら、フォークではなく、インクをつけて五線を書くためのものだったらしい。。。。
良いアイディアですね^^

旅行に持ち歩いたメトロノーム、、
私は、時計かと思ったんだけどナー


椅子と箪笥

民謡のための楽器

お風呂用のタオルなどを入れて置く、箱らしい、、
そして、スキー用の靴下、

この辺り、そんなに雪は積もらないと、説明して下さったお姉さん、おっしゃっていたけどナ、、

窓から見える、山の景色

というわけで、

私の実家の近所と、大して、違いが分からなかったので、親近感が非常に湧いてきて、バルトークが好きになってしまったのでした。

世界は遠かれど近しですね。

マゼッパが一段落ついたら、今度は、バルトーク、始めようかな、
何の曲、やろうかな

ドキドキ

コメント


バルトークの住い、見せて頂いてありがとうございました。彼の秘密のいくばくかがチラッと分かるような気もします−−

たとえばあの収集品ですけど、民謡を収集しただけでなく何でも収集する癖があったかのようで、そういう性格だったんですね、なるほど。

それにその住いはとても快適で心なごむ感じがします。彼がアメリカで不適応を起したのも当然、という気がします。アメリカの環境はとてもガサガサした生きつらいものだったこと、感覚的によく理解できました。(ちなみにその五線を描くペン、バッハもそんなの使っていませんでした?)

その環境がykさんの日本のお宅の辺りに似てるとは、横浜近くでそんなとこと言えば・・・ 山手? それとも子供の国? どこでしょう? もしかしたら偶然ではないのかもしれませんね。
tomato-pia 2012-09-13 19:08:34

10. Re:無題

ハンガリー人って、身体が太短くて、丸顔でブス、(アジア系のせい?)、ヨーロッパ人の顔ですが、、、、、

長距離国際電車に乗っていて、おもしろかったのは、プラハに着いてから、急に色白、長身で、顔もビーナスやダビデ像みたいな美男美女がドタドタっといっぱい乗ってきて、ブラスチラバ(スロバキアですね)で、みんな降りて、かわりに、ものすごいブス族(お腹出てるし、日焼けして褐色)が、ドタドタっと、いっぱい乗ってきて、ブダペストで降りた。。。。
(^@@^)


ヨーロッパ内、言葉も違うけど、人種もちょっと違うんだなーと思いました。

ブダペストでは、英語とドイツ語が同じくらい重要視されていて、どちらかといえば、ドイツ語の方が、みんな得意だよ。。。。そんな歴史だったっけ、、、、
?、、でした^^

ドナウ川近辺の中央は、重厚で規模の大きなヨーロッパ建築、まさにドナウの真珠でしたが、バルトークの家の辺りは、日本と同じような、、、、
この辺に、日本大使館もあるよう^^、、

ykは、京都の伏見で生まれて、今も、亡き祖父母の古い家が伏見にありますが、両親は横浜に住んでいるんです。さすがに、バルトークの家の近所に、5重の塔はなかったけど、山の形とか、道路や木の感じが、日本と全く同じ。空気が、ぬる〜っと温かいし(暑い)、、日本にも、洋風の家はポツリポツリと建ってるのだからネ、、、、ここにお寺建てても良さそうです^^、お坊さん、いるかな(0?0)
yk 2012-09-13 19:47:44

http://ameblo.jp/727yk/entry-11352039575.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c19

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
20. 中川隆[-14392] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:50:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1306]
Bartók - Piano Concerto No.2 - Géza Anda
Radio-Symphonie-Orchester Berlin Ferenc Fricsay 1959
http://www.youtube.com/watch?v=cJeAv-CWOzo
http://www.youtube.com/watch?v=fkfXJzFciNk
http://www.youtube.com/watch?v=4Tjy6deUDSI


Great Piano Concertos - Geza Anda plays Bartók Concerto 2
Recorded: Royal Festival Hall, London, 5 December 1973
BBC Symphony Orchestra, Pierre Boulez



 演奏家には、作曲家のスコアを再現する義務がある。もちろん、音楽の内容をより高めるためのスコアの改変は禁忌というわけではなく、伝統的になされたきた経緯がある。しかし、作曲家が「この楽器で演奏しなさい」という指定がある場合は、もし可能であればそれに従うのが筋であろう。

 しかし、さまざまな事情でそれができない場合がある。今回取り上げるのは、1931年に完成したバルトークによるピアノ協奏曲第二番である。第一次大戦の後に作曲され、フルトベングラーと作曲者本人のソロによって初演された本作品の再現が、なぜ不可能なのか。

 本作品の録音はいくつかある。筆者は入手可能な演奏はほとんど聴いたが、唯一合格点を与えられる演奏は、古典となったゲザ・アンダ&フレンツ・フリッチャイのものくらいで、あとは感心しない演奏ばかりだ。なぜこのようなことが起きるのか考えてみよう。

 本作品のスコア上いわれていることは、この作品はベーゼンドルファー・インペリアルのために書かれている、ということである。スタインウェイでは弾けない音符が存在する。ほとんどのピアニストはスタインウェイで本作を弾くため、オクターブ移調されるのがふつうである。しかし、それでいいのだろうか。

 バルトーク本人による自作の録音はこんにちでも聴くことができる。彼はルービンシュタイン・コンクールでウィルヘルム・バックハウスに次ぐ二位入賞を果たしたほどのピアニストであったから、彼のピアノ独奏作品は自分の演奏能力の枠内で書かれているはずである。そして、録音の技術的なもののせいもあるかもしれないが、たとえば有名な「アレグロ・バルバロ」の演奏にしても、バーバリズムと縁遠い、優雅なタッチで弾かれていることがわかる。

 すると、この協奏曲の演奏がことごとく失敗している(ように筆者には思われる)のは、根本的にピアニストが弾き方を間違えていることが一因なのではないかと考えられるのだ。実は、この曲に、唯一ベーゼンドルファーで弾かれた録音がある。ゾルタン・コチシュ/イヴァン・フィッシャーによるフィリップスの全集の中の録音である。しかしこの演奏は失敗だ。なぜなら、コチシュはベーゼンドルファーをあたかもスタインウェイのように弾いているからである。まったくベーゼンドルファーの楽器としての性格を活かしていない。

 もうひとつの理由は、この曲の舞曲としての性格を指揮者が掴みきれていないところにある。アンダ/フリッチャイが成功しているのは、ピアニストが打楽器的な奏法に徹していないこと、指揮者がリズムを的確に把握していることによる。

 この曲の理想的な再現は、おもうに、「ベーゼンドルファーの特質を活かした柔らかい演奏」だと筆者は思っているが、もはやそれは現代では不可能になってしまった。なぜなら、ベーゼンドルファー社から指輪を贈られたバックハウスが理想的な弾き手であったはずだが、彼はすでに亡く、バックハウスの次にベーゼンドルファーを弾きこなせたフリードリヒ・グルダも鬼籍に入り、現存のピアニストで彼らに匹敵するベーゼンドルファー弾きはいなくなってしまったからである。

 おそらく、この曲は、これからも筆者的には「間違って」演奏されつづけてゆくことであろう。コチシュの試みが失敗に終わった今、誰もこの曲をバルトーク本人のタッチで弾いてみようとは思わないからだ。こうして、作曲家の意図は失われてゆく。「オリジナル楽器による演奏」など、所詮は幻想なのではないだろうか。


バロック・チェロの鈴木秀美氏に「バルトークにとっては(バイオリンの)スチール弦の響きはオリジナルでない」という一文があるのを知った。戦前のオーケストラではガット(羊腸)弦が一般的であったらしい。「ガット弦のオーケストラ+ベーゼンドルファーのピアノ+本曲の舞曲としての性格を把握した指揮者」というのが、この曲の筆者が考える理想的な再現、ということになる。
http://out-of-date.info/blog/archives/entry/2011/001523.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c20
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
21. 中川隆[-14391] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:51:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1305]

私の好きなベーゼンドルファーについて書きます。


Model 290 インペリアル 

170年以上に及ぶ歳月の中で数々の名器を作りつづけてきたベーゼンドルファー、そのステイタスモデルとして誰もが思い浮かべるのが゛290Imperial"ではないでしょうか。このピアノを中心に歴史の紐を解くとともに、現在のベーゼンドルファーの魅力を探ってみたいと思います。

この“インペリアル”と言う称号がピアノに与えられたのは1880年に遡ります。当時,オーストリアは国交の際、相手国の国王に対する贈物のひとつとして、ベーゼンドルファーピアノを献上していました。

現在、ウィーン本社に残されているデッサンを見ますと、ドイツ、フランス、イギリス,スペイン,ベルギー,ロシア等々、それぞれ一台一台が全て異なったデザインで彫刻,装飾の贅が尽くされた逸品です。日本にも1869年に日墺両国の国交が開かれた折に,1台のベーゼンドルファーが皇室に納められています。

つまり、そのような経緯からオーストリア皇室御用達の製作会社であったベーゼンドルファーの最上級モデルが,皇帝(Imperial)と呼ばれるようになったのです。


モデル290は、長さが290cm、鍵盤数が,97鍵と大きく、その堂々たる風格は正にピアノの皇帝と呼ぶにふさわしいものですが,御覧になればそれと同時に、まるで美術工芸品のような細部に至る仕上げの美しさと、全体を包む気品と優雅さに気づかれる事と思います。例えば,250本に及ぶ弦の一端は全て、手間暇を惜しまぬ熟練工によって小さなループ状に巻かれ、1本ずつ独立してフレームのヒッチピンに掛けられます。

そのフレームは,他に類を見ない独特な深みを持つ金銅色に光り(これは例えば、ピアノコンチェルトの際に、弦楽器群のニスの色とマッチするようにも考えられています)、また、漆黒のボディーの横に埋め込まれたBosendorferの花文字も、ただ社名を誇示するのではなく、見事なバランスとコントラストに支えられています。

これらは、ほんの一例ですが、現代のピアノがその機能を追及するあまりに忘れかけている、楽器本来の美しさと趣味性を保ちつづけているベーゼンドルファーのポリシーのひとつの現れだと思います。


鉄骨(フレーム)の組み込み作業

ベーゼンドルファーの持つ低音は、そのボリューム、深々とした音色,オルガンのような響き、どれをとっても他のピアノでは得られない充実感が有ります。

これは西洋音楽の土台である通奏低音と言う概念を、我々に認識させてくれます。

特に、290,275のサイズになると、そのエクストラ・ベースの共鳴効果、響板とフレームの余裕から圧倒的なものとなります。

では、いったいいつ頃からこの8オクターブのピアノが存在したのか調べてみますと、歴史は古く、既に1907年にはその1台が作られています。これは、当時活躍していたイタリアのピアニスト兼作曲家であるブゾーニの要望が取り入れられたとのことです。かれは、J.S.バッハのc-mollのパッサカリアをピアノ版に編曲しましたが、以前は果たせなかったパイプオルガンの16フィートのCを、このピアノがかのうにしたわけです。

この他にも,バルトーク,ラヴェル等の曲の中にも何曲か有りますが、1965年までの間、年に2〜3台の割でしか作られなかったことから考えても、実際にベーゼンドルファーの97鍵をフルに使った演奏は少なかったことと思います。

むしろ、現在の演奏家や作曲家の方々にその可能性を探ってほしいと思います。


インナー・リム(外装内部・・スプルース材です)

大きな体格ににあわず、薄いボディー(親板)をしています。これは,親板にも響板と同じドイツ唐桧(とうひ)をムク材のまま使用するという贅沢の現われなのです。

ピアノ全体を鳴らすという設計思想は、ベーゼンドルファーの特徴である減衰の長い歌うような音゛シンギング・トーン"をもたらしますが、チェンバロやハンマーフリュ−ゲルの時代から、作曲家達の要望とともに歩んできた考え方であり、打楽器的な奏法や効果のみ強調されがちな他の現代のピアノとは、一線を画するものです。

といって、ベーゼンドルファーは、決して保守的では有りません。常に一流のアーティストとの交流からその意見を積極的に取り入れ、より明解なレスポンスが得られるアクションを開発するなど、伝統的な手法を重んじながらも、随所に革新的な改良を積み重ねています。

また、小さな調整ネジ1本に至るまでその機能と使い易さを考え,アフターケア−する技術者に対する心配りも忘れていません。


スタインウェイ物語よりの抜粋ですが・・

高城 氏曰く・・

「属啓成さんのヨーロッパの楽壇(音友)という本を読んだことがある。その中にベーゼンドルファーにまつわる忘れ難いエピソードが載っていた。・・

彼が、ハンブルグのスタインウェイ社を訪れた後、ウィーンのベーゼンドルファー社の工場を参観した。

古色蒼然とした工場に入り、写真をとらせてもらおうとしたら、どうしても承知してくれない。そこで、スタインウェイは写真をとらせてくれた、日本に帰って本を書くとき、スタインウェイの写真がでて、ベーゼンドルファーの写真が出なかったら、スタインウェイの宣伝しかならないではないか、と再び頼んだら、その返事が面白い。

そのほうが良い、わが社はいくら宣伝されても一ヶ月に12台(当時)しかできないのだから、と答えたそうである。 

名ピアニストの演奏旅行に無料サービスの調律師まで同行させて、宣伝につとめている会社とはわけが違うのだ。

また、属さんがピアニストのエリ・ナイに会った時、彼女の家には、三つの部屋にそれぞれ1台づつグランドピアノを置いてあったそうだが・・

それは、スタインウェイ、ベッヒシュタイン、ブリュートナーだった。

どのピアノが一番好きですか、との問いに対し、一番好きなのはスタインウェイだけれど、一番優秀なピアノはベーゼンドルファーで、高音部はメロディーを弾くように、低音部は伴奏を弾くようにできている、スタインウェイは微妙さに欠けていて、伴奏を弾くのに苦労する、と答えたそうです。

彼女は残念ながらベーゼンドルファーが買えなかったのであろう。」

ベーゼンドルファーがいかに貴重視されているかは、私(高城氏)が最近ヨーロッパ旅行をした時にも見せつけられた。

ミュンヘンのヘラクレスザールを訪れたとき、案内してくれた係りの人が、このホール用に備えたスタインウェイ、ベッヒシュタイン、ベーゼンドルファーの3台の中、特にベーゼンドルファーを指して、これはドイツにたった3台しかない(当時)、と誇らしげに説明した。それは、ベーゼンドルファーの最大型97鍵をもつインペリアルだった。

やはり、彼らもベーゼンドルファーは他のピアノとは格が違うと考えているように見えた。
http://www5.ocn.ne.jp/~ss-piano/C13_1.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c21

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
22. 中川隆[-14390] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:53:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1304]
スタインウェイとベーゼンドルファー 2013年03月08日


たとえば、ワルター・クリーンとかイェルク・デームスとかヴィルヘルム・バックハウスとか、ベーゼンドルファーをメインに弾いているピアニストがいる。

そういう人たちの録音はよく「音質がいまいち」「紙臭い」やら散々な表現でケナされることがよくある。いやいや、それはベーゼンドルファーの音なんですが…と思うんですが。

こうどうして、「音が悪い」と判断されるのだろう。どうして、元の音が違うという発想まで至らないのだろう。考察してみた。

録音、というものが発明されて、100年近くたとうとしている。その技術を発展させるために、いろんな音が基準となっただろう。ピアノの録音も、何のピアノを基準にしたかが結構大事になってくる。

そこで、スタインウェイのピアノが一つの基準とされたのではないかと思った。

スタインウェイのピアノがきれいに録れている、つまり高音部がキラキラしてるような音、それが「いい音」という価値観の刷り込みを私たちは無意識のうちにされてしまっているのかもしれない。「Hi-Fi」という言葉自体「High」という言葉が入り「高音域」が強調されているではないか。その反対の低音質が「Low-Fi」というのも解せない。

そういう録音法でベーゼンドルファーを録ったり編集されていたら、やはり歪曲した音になるだろうし、きれいにとても、「Hi-Fi」に慣らされている私たちは「音が悪い」と判断されてしまう。

こうして、文化というのは淘汰されて行ってしまう。何かでっかいものが「反対」を表明しない限り。
http://ryotaito.doorblog.jp/archives/51992150.html

うわ!ちがう。

 これが私たちの店で、ピアノを弾き比べた方のほとんどの方が発する第一声です。国産から輸入品までいろんなメーカーの商品が並ぶ店内では、同じメーカーのものだけを並べた店と比べると、音やタッチのよしあしよりも1台1台の違いがまづ強烈に印象づけらるようです。それでは、なぜそんなに違うのでしょうか、というよりもどのようにしてピアノの音色は決められるのでしょうか。
 
政治的な概念としての国家とは別に、世界は多様な民族、またはそれによって育まれてきた文化圏によって彩られており、それぞれが永い歴史によって培われてきた文化や価値観によって特徴付けられます。
 
私は、食いしん坊なので、ものを考えるときにいつも食べ物に置き換えて考える癖があります。食べ物も同じで、自然によって条件付けられながらも、1つ1つの民族が互いに影響されながらも、長い歴史の中で培って、引き継いできた食べ物は、それぞれに代えがたい味わいがあります。したがって、それらに甲乙をつけることはできず、それぞれが真実そのものなのです。

フランス料理も中国料理も美味いし、イタリア料理もロシア料理も美味いのです。もちろん日本料理が美味いのはご存知の通りです。ただ、アメリカ料理というものがあるのかどうか、それが美味いかどうかは私にはわかりませんが、これはまた、別に論じなければならない問題です。
 
音や音楽に対する感覚もまた同じで、それぞれの民族の美意識は、互いに影響されながらも独特のものが形成され引き継がれてゆきます。

 ピアニストがピアノを選ぶ場合、自分の音楽性にあった、もっと砕いていうと自分が表現したいものを、確実に表現してくれるピアノを選ぶのです。その選択の根幹にあるのは、やはりそのピアニストの美意識です。

その美意識は、根底において自分を育て培ってきた民族や文化圏に深く根ざしており、他からの文化的影響を受けながらその人独特のものとなってゆくのです。その美意識が演奏を聞く聴衆の持つ美意識と共鳴しあうとき最大の賛辞がおくられるのだと思います。そこにまさに大地にしっかりと根をおろした大樹のような文化的な真実があるからではないでしょうか。

その真実が、また違う文化圏の聴衆をも感動させ、魅了するのではないでしょうか。

 ピアノメーカーは、どんな世界的名器であろうと、自らを育んできた文化的なエリアを一番主要なマーケットと考えているはずです。したがって、そこの聴衆、ピアノ愛好家しいては個々のピアニストや作曲家の美意識にかなうピアノづくり、音づくりに励むのです。STEINWAYのピアノが、ニューヨークとハンブルグであれだけ違うのはそのためではないでしょうか。同じヨーロッパでも、フランスのピアノとドイツのピアノも明らかに違います。ドイツのピアノでもメーカーやその製作された時代によってかなり違います。
 
結論を言えば、美しさとか、真実は一つではなく、その文化圏やまた時代によって変化し、多様なものだということでしょうか。この世に、ピアノメーカーが一つしかなく、世界中のピアノが全部同じ音がしていたのでは、多様な美を奏でることはできず、音楽は成り立ちません。

確かめてください。1台1台違うことを。見つけ出して下さい、あなたと一番響き合えるピアノを。
http://www.imported-piano.com/?gclid=CIPrzYHr8rcCFQxepQodpxwArg


輸入ピアノ.com
♪スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー,グロトリアン、ペトロフ等のあこがれの輸入ピアノに出会えるサイトです。
http://www.imported-piano.com/column.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c22

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
23. 中川隆[-14389] koaQ7Jey 2020年1月18日 09:55:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1303]

タンノイはいぶし銀か(その4)

なぜだか、タンノイの音こそがいぶし銀のように語られる。

それに、タンノイといえば、ある年代以上のオーディオマニアにとって、
五味先生と強く結びつくわけだが、
その五味先生はどういう音をいぶし銀と表現されているのかというと、
タンノイの音のことではなく、ベーゼンドルファーのピアノの音である。

ステレオサウンド 52号のオーディオ巡礼で
《拙宅のベーゼンドルファーは購入して二十年になる。今以ていぶし銀の美音を響かせてくれている》
と書かれている。

ベーゼンドルファーはいうまでもなくスピーカーではなく、ピアノのこと。
スピーカーだったら、わかりにくい。

A社の○○というスピーカーがいぶし銀の美音を響かせてくれる──、
そんなふうに書いてあっても、スピーカーはどんな部屋で聴くのか、
どんなセッティングがなされているのか、組み合わされるアンプやその他の機器は……、
そういった諸々のことで、音は大きく変ってくるのだから、
スピーカーの型番を持ち出されても、何の参考にもならないが、
ピアノであれば、そうではない。

スタインウェイほど聴く機会は多くはないかもしれないが、
ベーゼンドルファーは名の通ったピアノであるから、聴く機会は少なくないはずだ。

ただベーゼンドルファーのピアノであっても、必ずしもいぶし銀の美音を響かせてくれるわけでもない。
そのことも52号には書かれている。

五味先生はベーゼンドルファーのピアノを、
ベーゼンドルファーの調律師ではない人に調律してもらわれている。
そのことを書かれている。

同じことを「西方の音」におさめられている「大阪のバイロイト祭り」でも書かれている。

     *

 大阪のバイロイト・フェスティバルを聴きに行く十日ほど前、朝日のY君に頼んであった調律師が拙宅のベーゼンドルファーを調律に来てくれた。この人は日本でも有数の調律師で、来日するピアニストのリサイタルには、しばしば各地の演奏会場に同行を命ぜられている人である。K氏という。

 K氏はよもやま話のあと、調律にかかる前にうちのピアノをポン、ポンと単音で三度ばかり敲いて、いけませんね、と言う。どういけないのか、音程が狂っているんですかと聞いたら、そうではなく、大へん失礼な言い方だが「ヤマハの人に調律させられてますね」と言われた。

 その通りだ。しかし、我が家のはベーゼンドルファーであってヤマハ・ピアノではない。紛れもなくベーゼンドルファーの音で鳴っている。それでもヤマハの音がするのか、それがお分りになるのか? 私は驚いて問い返した。一体どう違うのかと。

 K氏は、私のようにズケズケものを言う人ではないから、あいまいに笑って答えられなかったが、とにかく、うちのピアノがヤマハの調律師に一度いじられているのだけは、ポンと敲いて看破された。音とはそういうものらしい。

(中略)

 ピアノの調律がおわってK氏が帰ったあと(念のため言っておくと、調律というのは一日で済むものかと思ったらK氏は四日間通われた。ベーゼンドルファーの音にもどすのに、この努力は当然のように思う。くるった音色を──音程ではない──元へ戻すには新しい音をつくり出すほどの苦心がいるだろう)私は大へん満足して、やっぱり違うものだと女房に言ったら、あなたと同じですね、と言う。以前、ヤマハが調律して帰ったあとに、私は十歳の娘がひいている音を聞いて、きたなくなったと言ったそうである。「ヤマハの音にしよった」と。自分で忘れているから世話はないが、そう言われて思い出した。四度の不協和音を敲いたときに、音がちがう。ヤマハに限るまい、日本の音は──その調律は──不協和音に、どこやら馴染み合う響きがある。腰が弱く、やさしすぎる。

 ベーゼンドルファーはそうではなかった。和音は余韻の消え残るまで実に美しいが、不協和音では、ぜったい音と音は妥協しない。その反撥のつよさには一本一本、芯がとおっていた。不協和音とは本来そうあるべきものだろう。さもなくて不協が──つまりは和音が──われわれに感動を与えるわけがない。そういう不協和音の聴きわけ方を私はバルトークに教えられたが、音を人間にかえてもさして違いはあるまいと思う。

     *

そういうベーゼンドルファーの音を、いぶし銀の美音と表現されている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26956

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c23

[お知らせ・管理21] 2020年01月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
55. 中川隆[-14388] koaQ7Jey 2020年1月18日 10:13:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1302]
中川隆です
お世話になります

最近、阿修羅掲示板を見ていると

Internet Explorer に致命的な欠陥が見つかりました

とか

使われているウイルス防御用ソフトに問題があります

というフィッシングのポップアップが出る様になりました。

何とかならないでしょうか。


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/579.html#c55

[近代史3] 5G電波の危険性 _ 5G導入をベルギーが見送り決定! 中川隆
2. 中川隆[-14387] koaQ7Jey 2020年1月18日 10:22:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1301]
2019年08月13日
次世代通信技術5Gのもつ危険性に目をつむる日本政府
国際政治経済学者 浜田 和幸 氏


次世代通信規格「5G」を日本でも導入するというが、心配の種が尽きない。2020年春からの本格導入を目指し、総務省はNTTドコモ、KDDI(au)、ソフトバンク、楽天モバイルへ電波(周波数帯)を割り当てた。去る4月10日のことだった。


日本も他人事ではない

 メディアでの報道も加熱しており、現行の4Gと比べ、「通信速度や容量が100倍以上になる」といったメリットが強調されている。たとえば、「スマートフォンに2時間の映画をたった3秒でダウンロードできるようになる」といった具合だ。

 はたまた、将来的には自動車の自動運転や医師による遠隔診断や手術にも応用できるとのこと。とはいえ、現行モデルのスマホでは5Gサービスは利用できない。新たな端末を購入する必要もあるし、データ量が増えるので通信料金も上がるだろう。通信機器メーカーや通信業者にとってはおいしい話に違いない。

 しかし、日本では5Gが人体におよぼす健康被害の危険性が無視されているのが気がかりだ。なぜなら、本年4月2日、ベルギーの首都ブリュッセルでは5Gの導入を禁止する措置が発表されたからだ。ほかの欧州諸国でも追随する動きが出始めており、イタリア政府はすでに5Gの使用を制限する裁判所の決定を告知しているほどである。

 実は、これらの国でも欧米諸国では5Gに対する規制を強化する動きが加速している。不思議なのは、こういった動きが日本ではまったくと言っていいほど報道されないということだ。海外では、前述のベルギーやイタリア以外の、スイスのボード市やアメリカのサンフランシスコ市でも同様の決定が相次いでなされている。日本だけが能天気に構えていて大丈夫なのか。そもそも欧米諸国が5Gを警戒しているのはなぜなのか。その理由を検証する必要があるだろう。

 答えは簡単で、5Gの基地局がスマホに送信する電磁波が人体に悪影響を与えることが各国の医療関係者の研究によって次々と明らかになってきたからだ。5Gにともなって発生する電磁波は「新たな環境と人体に対する汚染」との受け止め方が広がりつつあることは、日本にとっても他人事ではないはずだ。

欧米各国は危険視

 2019年から2020年にかけて、5G用の衛星がアメリカと中国を中心に2万機以上も打ち上げられる予定である。現在軌道上を周回する通信衛星の数が10倍以上に増えることになる。そして地上には200mおきに基地局が設置される。そうした膨大な数の基地局から出される電磁波がスマホを通じて利用者の肉体に接触、侵入し、健康被害をもたらす可能性が指摘されているのである。

 欧州各国では遺伝子組み換え作物(GMO)の人体への悪影響に鑑み、その使用を厳しく制限してきたが、新たに5Gに関しても人体への悪影響を防ぐために使用禁止や制限措置を取り始めたわけだ。

 その根拠に挙げられているのは、2005年から始まった欧米各地の医療・研究機関での「マウスを使った電磁波の人体への影響」に関する研究結果だ。

 この研究結果により人の皮膚や目、そして生殖能力への悪影響が懸念されている。実際に、すでに5Gの基地局が設置された周辺では相次いで住民の健康被害が報告されている。

 最もよく聞かれる問題は不眠症や偏頭痛である。たとえば、スイスのジュネーブで暮らすヨハン氏は11年間ニューヨークで芸術活動を続けた後、故郷のジュネーブに帰ってきた。そして半年後に住居のそばに5Gのアンテナが設置され、それ以来、夜眠れなくなったという。曰く「生まれてこの方、電子機器に囲まれてきたが、眠れないということはなかった。ところが、今では自宅にいるとオーブンのなかに閉じ込められたような気持ちになる。安心できず、幽霊に囲まれているような気分に襲われる」。

 そうした体験をフェイスブックで紹介すると、近隣の住民からも「最近、この近所に5G用のアンテナが3本立てられた。それ以来、頭痛や疲労感がひどい」といった悩みが殺到するようになったという。ヨハン氏自身も静脈洞炎に苦しむ毎日だ。その原因が5Gの電磁波との診断は出されていないが、何らかの関連があることは疑いようがない。

 そこで彼らは市役所や電磁波被害者の救済活動を行うNGOに連絡を取り、改善に向けての問題提起を行うようになった。こうした人的被害を受け、ヨーロッパでは「緑の党」や「人間の絶滅に対抗する市民」と銘打った環境保護団体などが、5Gの実態調査や被害救済活動を始めている。

 すでに紹介したが、ベルギーのブリュッセルでは5Gの実験、導入が全面的に禁止されることになった。また、同じ時期、スイスでは放射線のもたらす健康被害を調査するシステムが完成するまで、新たな5Gの設置は延期する方針が決定された。

2019年08月14日 07:15

https://www.data-max.co.jp/article/30923
無視できない5Gの影響

 アメリカでも同様の動きが見られるようになった。ハーバード大学を退官した応用物理学のロナルド・パウエル博士は「環境保全トラスト」のウェブサイト上に論文を発表し、「5Gの人体への悪影響を防ぐには地域コミュニティから5Gを排除するしかない。被害を軽減する方法はない。5Gの導入を中止するのがベストの選択だ」と主張する。

 米「フォーブス」誌の報道によると、「ニューハンプシャー州では州議会において5Gの健康への影響を調査する委員会の設置が決まった。また、カルフォルニア州のサンフランシスコ市近郊のミル・バレーでは昨年、新たな5G基地局の設置が禁止された」。ニューヨーク州のシラキュース市では住民の訴えに応じて、5Gアンテナの安全性を検証するため、現場での立ち合い検査の実施が認められた。

 もちろん、5Gを推進する側のAT&Tやベライゾン・コミュニケーションズなど通信事業者は連邦通信委員会(FCC)に働きかけ、5Gの安全性を盛んにアピールしている。通信事業者団体のCTIAの運営する「携帯電話に関する健康相談」サイトでは「5Gには健康上のリスクはない」と断言。とはいえ、その根拠に挙げられているデータは1996年の実験結果に基づくもの。しかも、人体への影響を試験すると称して使われたのは、大人サイズのプラスティック製のマネキンであった。

 さらにいえば、1996年当時の通信アンテナや携帯から出る放射性電波であれば、現在導入が進む5Gとは比較にならないほどの低周波である。4Gの場合、周波数は6GHzであるが、5Gとなれば30〜100GHzになる。一般の市民がこれほど高い周波数に晒されるのは前代未聞のこと。

 また、5Gが発するミリメーター波(MMW)も懸念材料になっている。なぜなら、この種のMMWはアメリカの国防総省が開発したもので、空港での危険物監視モニターに使われているのみならず、暴徒の鎮圧に際しても警察が使っている電子銃(ADS)そのものであるからだ。要は、もともと5Gは武器として開発が始まった技術なのである。実は、WiFiも同様で、その起源は1950年代に遡る。秘密裡に開発が始まった電磁波兵器に欠かせないのがWiFiであった。

 そうした背景もあるせいか、通信機器や電波がもたらす危険性について、ヨーロッパでもアメリカでもさまざまな検証や研究が繰り返されている。当たり前といえば、当たり前のことである。現実に、5Gが原因と思われる健康被害が発生しており、医学関係者の間でも「無視できない」との見方が広がっていることは承知の事実にほかならない。

ロシアも健康被害に理解を示す

 しかも、興味深いことにロシアでも似たような動きが出てきている。旧ソ連時代からアメリカとの間で冷戦を通じて電磁波兵器の開発ではしのぎを削ってきたロシアである。プーチン大統領の出身母体であるkgBでも、狙った相手をピンポイントで殺傷する強力な電磁波兵器開発はお手のもの。そうした技術的蓄積があるためか、5Gに至らなくとも通信機器を介した電磁波のもたらす健康被害については十分な理解を示している。

 そのせいか、2011年の時点でロシア政府の放射線防御委員会は「18歳以下は携帯電話の使用を禁止する」との勧告を発布したほどだ。もちろん、大半の若者たちは政府のお達しなど馬耳東風であろう。しかし、表向きは、電磁波のもたらす健康被害に対してロシア政府も関心を寄せていることを明らかにしているのである。

https://www.data-max.co.jp/article/30924
人体におよぼす影響

 残念ながら、日本ではこうした視点からの研究も対策もまったくと言っていいほど講じられていない。「後の祭り」にならないことを祈るばかりだ。便利さだけを売り込むのではなく、それにともなうリスクをきちんと開示することが求められる。

 そこで、欧米の研究者の間で進められている5Gの健康への影響に関する調査の一部を紹介してみたい。日本での議論の呼び水になれば幸いである。

 まずはイスラエルのアリエル大学で物理学を教えるベン・イシャイ博士による5Gが人体の発汗作用におよぼす影響に関する実験である。それによれば、「5Gネットワークが使用する周波数は人体内の汗が流れる管に徐々にではあるが破壊的な影響を与える」とのこと。ということは、人間の皮膚や臓器にも悪影響をおよぼすことは避けられないだろう。汗が皮膚を通じて流れ出る管はらせん状になっているが、5Gの発する30〜100GHzの周波数はこうした管に影響をもたらすため、発汗作用が異常をきたし、体温調整のための発汗作用が機能しなくなる恐れが出てくるというわけだ。

 より注目すべき研究はワシントン州立大学の名誉教授で生化学の専門家マーティン・パル博士による「5Gのもたらす電磁波が人体におよぼす影響」である。無線放射線や電磁波の専門家でもある同博士によれば、「5Gの電磁波は人間の生殖能力、脳、心臓機能に影響をもたらし、最終的には遺伝子(DNA)にも作用を与える」とのこと。

 同博士の実験によると、妊娠中の牛が電磁波を発する基地局の近くにいると、生まれた子牛が白内障に罹る可能性が高くなることが判明した。253頭の子牛のうち、32%に当たる79頭が白内障に罹患。基地局からの距離にも影響はあるのだが、100mから199mの範囲内にいたメス牛から生まれた子牛にはそれ以上の距離にいた場合よりも高い確率で重度の白内障が見つかったという。

 もともと5Gはアメリカの国防総省が冷戦時代に旧ソ連との電子戦争を想定して開発した。いわば、「誘導性の電磁波兵器」なのである。自立型の装甲車を走らせる際に必要とされる電磁波用のレンズとして開発が進められたもの。その意味では通信用ではなく、あくまで兵器としての使用を前提としたものであった。

 当然、非殺傷兵器としても応用が期待されていた。警察が暴徒化したデモ参加者や群衆を排除する目的で開発されたもので、ミリ単位の電磁波を発する。照射されても死に至ることはないが、照射された瞬間には火炎に包まれたような衝撃を受けることになる。

 もちろん、こうした電磁波を恒常的に浴びていると、人体は突然変異を起こす可能性が高まる。すぐには変化が起きないにしても、次世代になってから細胞内に異常が見られるようになり、最終的に突然変異に見舞われることになるとの指摘もあるほどだ。

 加えて、発がん性の恐れも指摘されている。世界保健機関(WHO)では携帯電話用の電波塔の発する電波は発がん性のレベルは「2b」としている。しかし、研究者のなかには5Gの電磁波は発がん性のレベルは「1」と、最も高いリスクがあると判定している。問題は、現在広く普及している2G、3G、4Gの使用している電磁波でも脳への悪影響は確認されているわけで、今後5Gがどのような健康被害をもたらすものか。早急な調査と研究が必要とされるということは論を待たないはずだ。

 従来の4Gと比較すれば、5Gの電波の浸透力は格段に強化されることになる。その結果、外部から発せられる電磁波は簡単に住居やビルの壁をすり抜けるため、頑丈な防御壁でもないかぎり、我々は知らない間に1日24時間、人体をむしばむ電磁波を被爆することになりかねない。レンガやコンクリートの壁などは防御の役目を果たさないといわれる。

5Gは本当に必要か?

 国際機関でも5Gの危険性については対策を求める声が出始めている。国連職員であったクレア・エドワーズさんによれば、「過去20年間で地球上から昆虫の80%が死滅した。もし5Gが本格稼働すれば100%が死に絶えるだろう。昆虫の次は動物、そして人間も同じ運命をたどる」。彼女は在職中に国連のアントニオ・グレーテス事務総長に繰り返し進言をしたという。しかし、巨大な組織は簡単には動かない。そのため、彼女は職を辞し、民間の立場で5Gのリスクについて講演をし、一般市民に警鐘を鳴らす道を選び、各地で啓蒙活動に取り組んでいる。

 すでに述べたが、アメリカも中国も5Gの普及と覇権を賭けて通信衛星の打ち上げに余念がない。計画されているだけで、2万機を超える衛星が打ち上げられる。500万Wの電磁波が地上の基地局目がけて降り注ぐ。しかも、基地局だけに限らず、地上の動物や人間にも容赦なく降り注ぐことにもなるだろう。

 そのような宇宙空間から大量に降り注ぐ電磁波が人体に影響をもたらさないわけがない。ここで思い起こされるのはアスベストやヒ素公害である。今でこそ、アスベスト訴訟を通じて人体への発がん作用など悪影響が認知されるようになったが、当初、建築に使われ始めたころには「人体には無害」と説明されていた。

 その点、2010年、英国の保険会社ロイズ社が驚くべき報告書をまとめた。それは無線通信技術とアスベストを比較したもの。今から9年も前に出されたものだが、さすが世界最大の保険会社である。同社のリスク分析チームは5Gのもたらす危険性について当時から注目していたというわけだ。

 その結果、ロイズは大手の通信事業会社から5G導入に関連する保険の引き受けを要請されたのだが、すべて拒否したのである。5Gのもたらす健康被害額が膨大になり、とても保険事業としては採算が合わないとの判断を下している。実に冷静な対応であったと思われる。

 とはいえ、日本でも世界各地でも5Gの普及に向けての基地局の整備は着々と進んでいる。また来年になれば、スマホの買い替えも一気に進むに違いない。しかし、5Gの電磁波が人体や自然環境におよぼす影響については、残念ながら日本においてはまったく問題視されていない。

 今では、子どもから大人までスマホ中毒症に陥っている日本人。健康や命を犠牲にしてまで大容量、超高速の通信サービスが必要かどうか、改めて立ち止まって熟考する時ではないだろうか。
https://www.data-max.co.jp/article/30922
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/340.html#c2

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
10. 中川隆[-14386] koaQ7Jey 2020年1月18日 12:00:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1300]
8 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/09/14(木) 01:12

ハーベス HL-Compact の初代は、フランスのAUDAXのユニットだった。

AUDAX がHarmanの傘下にはいって、Harbeth用のユニットを供給してくれなくなってから、ユニットの選択がかわったね。

100 名前: ちさと 投稿日: 2001/08/16(木) 17:27

ハ-べスはHLモニターが一番いいのさ。
2代目より初代設計者のが一番色艶があった。2代目も最初のころの製品は頑張ってるが、最近は魅力半減です。設計者として、独り立ちできなかったのだなあ。残念。

ショウの作品とハーウッドのとを聞き比べればよくわかるはずだが。

128 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/09/15 23:17

HL-Compactが生産中止になったのはツィーターが生産中止になったため
作りたくても作れなくなったから、

後継機のCompact7ではあの魅力的な中高域が変わってしまっていた、そのあたりからあの会社の名前は聞かなくなったな

子供のころ店で聞いた、ハーベスの異彩を放った美音に感激したときから、いつかは買ってやろうと思って、高校生でバイト代をためて買ったのが、HL−4でした。ですから、はじめに聞いたのは、Mk3以前のモデルだと思います。

私が特異体質なせいか、素晴らしい音からは、本当ににおいが感じられるんです。いや素晴らしくなくても、感じることがあるのですが、ハーベスを聞いて、初めてそのことに気づいたのでした。素晴らしく良い花の香り、それもちょっときつめのゆり系の花粉のにおいも混じった、薫風が、このスピーカーの音から初めて感じられた時は、正直びっくりしました。

ただ、他では全く感じられなかった経験だったので、感激するとともに、「これだ!」と、文句なく、心に決めていました。
https://www.logsoku.com/r/2ch.net/pav/1185054185/  

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 07:16:24 ID:gbNp/kwW

初代の HLコンパクトをショップできいたことがあります。

ほんとにいいセッティングでじっくりと。もう15年くらい前なのかな・・・
お金もないのにアポジー、K2、タンノイ、トーレンス、レビンソン、クレル、球アンプ、スチューダー・・・

雑誌でしか見たことがないものを半日かけて聞かせてもらった良い思い出があります。

100万とかのSPも聞きましたが、なぜか一番気に入ったのはHLコンパクトでした。
50年代のジャズボーカルもののレコードを聞きました。トーレンスのプレーヤーとアンプは・・・なんだったんだろう?

目の前に3Dのようにステージが出来上がり感動しました。 私の安システム PM-80、DP-7010、自作スワンでこんなホログラムのような立体感は聞いたことがなく・・・・

買うならこれが良いなと思いながらも、学生の私に手は出ませんでした。
現在生産品で当時のHLコンパクトに近い雰囲気のSP(ハーベスに限らず)ないでしょうか?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 16:41:11 ID:C/CNK8uI

ハーベスにはないね残念ながら...。

126 :123:2007/09/30(日) 06:33:49 ID:jovtb4bj
>124
そうですか・・・ 現行品は初代とは別物って言うのは本当なんですね。

オーディオは一切やめていました。初代HLコンパクトで聞いた音が再現できず、中途半端な音を聞くとひどくガッカリしてしまったからです。 当時、ショップで聞いたシステムがあまりに高額だったため(SP以外で100万を軽く越えていました。)

とてもこんなシステムは組めないと諦めたのです。 部屋も6畳一間のアパートなんかではとてもあの豊かな音場は鳴らせないと・・・
ここにいる皆さんなら気持ちがわかっていただけるのではないかと思いますが、一度、すばらしい音を聞いてしまうと、もうそれ以下では満足できないんですよね。

だから中途半端なものを持つのはやめて、スッパリ、オーディオを忘れていました。 それから時は流れて、自分も家を持つ余裕ができ、HLコンパクトのことを思い出したというわけです。

でもそれはもう手に入らないようですね。綺麗な思い出としてとっておきます。


________

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 11:57:53 ID:MzZVE+sQ

厳選木材を十分枯れさせた板を使えば、綺麗に箱を鳴らすことができると思いますがそれも簡単な事ではないでしょう。コストもかかります。 また温度湿度や個体差等のクオリティー・コントロール上も問題がのこります。

それが、箱を鳴らすスピーカーが昔に比べ減ってきた原因だと思います。 宣伝文句も都合に合わせ「忠実なトランスデューサー」を前面に「正確な音」を売り物に今までの「楽器のようなSP」はソースにない音が出ますが、それを「ノイズ」扱いしたり

初期のハーベスは薄い合板を使用し箱を鳴らしていますが適度にダンプしています。

この「適度のダンプ」がハーベスの命。私はHL-Compact、HL-5が傑作だと思っています。(多くの人に受け入れられるの意)
それ以前は鳴らしすぎで古いジャズ位は聞けたがロックやフュージョンは無理。
構造も前面バッフルがネジ止めに変更されTWもハードドームに。(アランの提案でしょうか?)

でも「適度のダンプ」は伝統の延長でした。
それ以降はアラン独自の「適度のダンプ」で低迷期を迎えた。

音だけに限ると、HL-Compact と HL-Compact7 は全く共通点のない別物にしか聞こえません。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 16:39:52 ID:aYjXzOHm

HL-Compact7が悪いと言ってるわけじゃないよ。 普通のスピーカーだよ

皆が期待していた音と大きく違った。

何の理由で路線変更???
案の定売れなかった 初代の10分の1も売れてないだろう

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 17:24:49 ID:yKnU0z8N

無印から7と使ってるけど、7もいいよ。
無印の方が味わい深く何にも変えられない魅力があるけど(癖強い)、聞けるジャンル結構限定されません?
7だとより幅広いジャンル聞けるようになるよ。

どっちがいいって言われてたら、個性豊かな無印、味わい弱まったけど幅広く聞ける7。


どっちもどっちで箱を鳴らして心地いいの両方変わらない。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 17:45:11 ID:aYjXzOHm

HL-Compact はある意味麻薬みたいなもの、長年こればっかり聴いてると他のスピーカーの音が味気なく感じてしまう恐れがある。

HL-Compact7 よりもHL-K6のほうが HL-Compact との共通点を感じられると思う。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 19:13:43 ID:V5EJC0ER

どこのメーカーも、新型になるほど味が薄くなる。
変換器としては、それでよいけど、、。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 19:35:46 ID:D6QoF4jN

初代以外も良いとは思うんだが
いかんせん。 俺は初代コンパクトが好きだ。 この「好き」というのは 説明しにくいし どうしようもない。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 14:50:04 ID:qZCPxzGj

現行品のES3 ってそんなにひどいの?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 16:53:23 ID:4aa8xlwQ

初代のイメージとはかけ離れているだけ
「悪い」とか「ひどい」ではなく、確実に性能的には優れているが...。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 18:28:04 ID:2LL6Zllr

古えのブリティッシュサウンドを期待すると裏切られるという意味でしょ。
ダドリー・ハーウッド引退後のHLコンパクトES以降レスポンスのよさという点では格段に進歩してきている。

そのぶんある種のノスタルジックな味わいは失われた。

267 名前: MONMON 投稿日: 01/11/04 01:12

私はそれなりに調整されたHLコンパクトとHL5、同時試聴したことがありますが、その時は「勝負あった」という感じでした。今考えれば、HL5の方が調整に面倒があるので その分の差が出たということもあるのでしょうが、HLコンパクトの方がずっと「濃い」音色でなっていました。

調整云々という問題を抜きにして今までに耳にした両者の音の体験だけを比較すればHLコンパクトの方が強烈でした。

8 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/09/14(木) 01:12

昔は、フランスのAUDAXのユニットだった。

AUDAXがHarmanの傘下にはいって、Harbeth用のユニットを供給してくれなくなってから、ユニットの選択がかわったね。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c10

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
11. 中川隆[-14385] koaQ7Jey 2020年1月18日 12:02:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1299]
550 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:04
雲丹音のページ見たら、5やコムパクトはケフのユニット採用って
書いて歩けど、ホント?


552 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:15

HLコンパクトのツイーターはオーダックス製だったのでは?

ステサンの工場訪問でアラン・ショーが「バラツキが多いけど音はイイ」と書いてあったと記憶しています。
ハーベスでツイーターを測定して、特性の揃ったユニットをペアにして出荷している。


553 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:58

じゃあ、下がケフ製という事かな?
それにしても、わざわざケフ製と注記するという事は、ケフにステータスを認めているのか?>雲丹音


560 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/07 11:39

以前、Harbeth用のユニットを供給していたAUDAXが、Harman傘下にはいり、Harbeth用の特注ユニットの供給がストップになった。

それ以後、あのメーカーの迷走が始まったような気がする…

最近の3WAYモニターなんて、代理店のノアの人すら、顔をしかめていたからな。
素性が良かっただけに残念。


572 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/17 19:58

>Harbeth用の特注ユニットの
>供給がストップになった。

ということは、今出ている、HL-COMPACT7SE2は、以前のHL-COMPACT7とは、別の音がするのでしょうか?


573 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/17 20:30

オーダックスが作っていたのはコンパクト用のユニット
コンパクト7用ではないよ
http://hifi.denpark.net/967994722.html

逸品館は日本国内で、Herbeth HL-Compact と HL-5 を最も多く販売した販売店の一つです。

価格で上回る他メーカーの上級モデルを圧倒するほどの HARBETH の開放的で楽しい鳴り方をとても魅力的に感じたからです。

当時の国産代表 HiFi スピーカー DIATONE では「静的に躍動しない音」が特徴の HiFi 的なテイストでした。それと対照的な HARBETH HL-5 と HL-Compact の動的で明るいテイストで音楽を聞くと「心がワクワクしたこと」を今もハッキリ覚えています。

「オーディオは価格じゃない」と気づかせてくれたスピーカー、そして当時まだ本格的にオーディオの良さに目覚めていなかった私の目を開き、逸品館を「セレクト・オーディオショップ」としてスタートさせる決心をさせてくれたのが HARABETH なのです。

しかし、HARBETH の創設者であり初代からの設計者であった「ハーウッド氏」がお亡くなりになり、設計が後継者の「アラン・ショウ」に完全に移行して発売された HL-Compact の後継機、HL-Compact7 の音を聞いたとき私は愕然としました。

あの明るく楽しい HARABETH が全く違うテイストの暗く重い音に変わっていたからです。

明るい音から暗い音へ180度の変身を遂げた HL-Compact7 を前にして、私は途方に暮れました。

逸品館が大セールスを記録した HL-Compact の後継として当然注目が集まり、当然注文も殺到する HL-Compact7 ですが、私はそれを HL-Compact の後継モデルに相応しいテイストと認めたくなかったからです。

その判断が正しいのかどうかは今も分かりませんが、カラリと明るく元気な音が HARBETH のテイストだと決めていた私はビジネスチャンスを捨てても HARBETH HL Compact7 とそれ以降の HARBETH 製品を販売することはありませんでした。

それから 20年近くの年月が流れ、久しぶりに試聴した HARBETH の最新モデル「Monitor20.1」を聞いた時、私は再び大きな驚きを感じました。20.1から出た音は、私が切望していたHARBETHの音だったからです。

しかし、同時に聞いた Monitor30.1(チェリー仕上げ)は、私が受け入れられない暗いテイストの音だったのです。どっちが本当の HARBETH なのか?

あるいは、HARBETH は 2重人格なのか?

未だに途方に暮れています。ジキルとハイドと言っても言い過ぎではないほど、モデルによってまったく異なるテイストを持つのが今の HARBETH です。

テイストの異なるモデルをお聞きになると戸惑いを感じられるかも知れません。同じ音楽を表と裏のように描き分ける HARABETH をお選びになるときは必ず、ご自身の耳でそのテイストをしっかりと確認して欲しいと願います。
http://www.ippinkan.com/SP/herbath_page1.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c11

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
12. 中川隆[-14384] koaQ7Jey 2020年1月18日 12:05:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1298]

ハーベス (Harbeth)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/harbeth.html

Harbeth Monitor HL 1980
Audax HD12D25-8 tweeter

 ツイーターがまた素晴らしく、色々な1インチドーム型を聞いたなか、適度な湿り気と透明さがあったメリネックス製のKEF−T27(LS3/5aに使われたもの)も良かったですが、倍音が繊細で自然な艶が美しいHD12は今もって最高のユニットだと思いま す。


 BBC Monitor LS3/7 オーダックスの優れたツイータ、HD12が用いられた BBC のスタジオ・モニター。ハーベス・モニターHLは一般市場に 売り出されたものだが、BBC に納入されたものとして、モニターHLのルーツの一つだと言えるかもしれない。

1977年、BBCモニタースピーカーの開発技術者だったダッドリー・ハーウッドが引退後に立ち上げたブランドで、日本には モニターHLがタイプV以降のモデルになって入ってきました。

タイプW はウィーン・アコース ティックにも使われた透明のXPPと同じ系統の材料TPX材を着色した黒いコーンのウーファーで、ポリプロピレ ンに材料が移行したときの仕掛け人であるダッドリーがやはり開発に関わっていたものです。私が持っているのは最初に入ってきたタイプVの方で、 これはBBCモニターのLS5/8や5/9と同じく、ベクストレンに代わって導入された乳白色のポリプロピレン です。

エッジはゴム製のものが使われています。ツイーターはフランスのオーダックス HD12D25−8(手元の個体はHD12×9D25と印字)という1インチのシルクドームでした。他にも ハーベスはより小型のモニターである MLも出していました が、日本には恐らく入ってないのではないでしょうか。

 ハーベスモニターHLは私が聞いたイギリスのダイナミック型スピーカーシステムの中では最も気に入ったものです。

BBCの似たような構造のモニタースピーカー とは違い、のびのびした躍動感がありながらナチュラルな響きで、高域も繊細に伸びています。やや中域の張った独 特のバランスで明るく感じますが、特定周波数に音圧の凹凸があるわけではなさそうです。

一方で耳に痛いキンキンした帯域とその上のチンチラしたところ(4KHz以上7KHz以下)はフラットで嫌な癖がなく、さらにその上の 倍音成分を再現する帯域、細かな音の輪郭に影響する帯域はしっかりと出ています。BBCは伝統的に男性アナウンサーの声で音合わ せをしてきたのだそうですが、このスピーカーの音は生の弦楽器やその合奏の音色を知っている人の微妙な調節 によるのだと思えてきます。色づけを感じさせないながら、これほど音色の整えられたものはあまり聞いたことがあ りません。


BBC Monitor LS5/5

ハーベス社のダットリー・ ハーウッドが BBC 在籍時代に完成させたスタジオ・モニタースピーカー。紙に代わって樹脂のベ クストレンが振動板材料として用いられた。ツイーターは初代のモ ニタースピーカーである LS5/1と同じで、セレッションの HF1300。

 音色の善し悪しは各部の材質よりも作 り方に起因するのだと思いますが、とり あえずウーファーのコーン材料であるポリプロピレンは良いもののようです。

ポリプロピレンはダッドリー・ハーウッドと、彼 の下で働いていて後にチャートウェル社を興したデイヴィッド・ステッビングスがベクストレンに代わって着目した材料です。

同じマグネットで同じフレーム・バスケットに入ったベクストレンと比べてみたこともあるのですが、紙やベクストレンのコーンに比べて適度に歯切れがよくて透明な明るさを感じさせます。

LF8MKVというこのユニットのフレームはアル ミダイキャスト製で、 メイド・イン・イングランドながらロジャースの制作メーカーであるスイストーンのロゴが見えます。

ここではその 20センチのウーファーが十分な大きさのバスレフの箱に入れられていますが、実際、20セ ンチ・ウーファーに1インチ・ドームという組合せは2ウェイのシステムで最もバランスが良いのではないでしょうか。

重低音とは行きませんが、50ヘルツまでは フラットに出ているようで、スケール感も十分です。ポリプロピレンはその後チャート ウェルがパテントを譲り渡し、ロジャースを経て日本のメーカーが買ったらしいという話を聞いた後、スピーカー材 料としてはあまり見かけなくなってしまいました。残念なことです。

 
Audax HD12D25-8 tweeter


 ツイーターがまた素晴らしく、色々な1インチドーム型を聞いたなか、適度な湿り気と透明さがあったメリネックス製のKEF−T27(LS3/5aに使われたもの)も良かったですが、倍音が繊細で自然な艶が美しいHD12は今もって最高のユニットだと思いま す。


 BBC Monitor LS3/7 オーダックスの優れたツイータ、HD12が用いられた BBC のスタジオ・モニター。ハーベス・モニターHLは一般市場に 売り出されたものだが、BBC に納入されたものとして、モニターHLのルーツの一つだと言えるかもしれない。

Harbeth monitor HL crossover network


ネットワークもまた良くできてい るようで、調べた人によると、ツイーター側のコイルのコア剤にテープレコーダーのヘッドなどにも使われる大変 お金のかかった材料が用いられているのだそうで、 材料試験に出してそれがわかったという話です。私は確認してないので材料名は伏せておきます が、バラして見るとフェライトのように黒くはないメ タリック・シルバーの薄板をラ ミネートしたコアであり、目に見えないところに色々とこだわりがあるスピーカーのようです。

             schematic diagram

 回路はツイーター側18dB/oct、ウーファ側12dB/oct の組み合わせスロープ逆相接続で、ツイーター側にはレベル調整の抵抗が入っておらず、ウーファ側は極細の線で巻かれた鉄芯入りコイル(写真右上の青いもの ですが、私の測定器ではインダクタンス値が計れませんでした。)を加えた変則のインピーダ ンス上昇補正回路が用いられています。同時期のBBCモニターに用いられたネットワークよりも若干シンプルな回路に見えますが、面白いのはBBC系統には比較的珍しくウーファー側のコイルが空芯であること、また、ツ イーター側の フィルターを構成するコンデンサー3個にそれぞれ別の銘柄が使われていることです。とくに4.4uFの部分は 2.2uFのものが二つ、緑とベージュのITT製フィルムコンデンサーがパラッてあります。こういうことは新生 ハーベスの回路がメタライズド・ポリエステル・タイプによく見かける茶色いキャンディーのようなコンデンサーに すべて統一してあったりするのからすると、なんとも不思議な光景です。音色合わせのためにこうしたのでしょうか。

 キャビネットは薄めの合板で一見安物 に見えるながら、内部に黒いダンプ材が貼付けてあります。東急ハンズなどで売っているオトナシー トに似た外見のベタッとした薄いものです。吸音材はスポンジで、ユニットと端子はハンダ付けされています。音を 聞いて作ったと思われる職人の技が随所に見て取れ ます。

   
  HARBETH HLCompact 7ES-3 2006

 さて、このハーベスですが、HLで言 えばタイプWまで出たところでハーウッド氏は辞めてしまい、弟子のアラン・ショーに引き継がれました。それが現在商売的に成功している新生ハーベスです。その交代直後 のHLコンパクトはツイーターがアルミ系のハードドームに変わったものの、今でも人気があるようです。

ただ、私はこのハードドームに変わって以降のものは音色が好みではなくなってしまいました。

振動板を硬い金属で作ることのメリットは、周波数が高くなったときに分割振動が出ることが防げるということです。不規則 に振動板がたわんで部分的に違う周波数を再生するとな ると、歪みが生じて特定の音色を生み出しやすいですし、球面波の形も崩れてしまいます。

ただ、理論的にはそうであっても、うまく作らないと 金属の振動板は特定の金属的な鳴きの音を混じらせる場合が多いと思います。それを積極的に音として利用する場合と理論通りに排除する場合とがあると思いますが、 布を成形して弾性剤などを塗ったり靱性のあるプラスチックで作ったりするソフトドームは初めから分割振動を利用しつつも鳴きが耳につきにくい性質があり、耳で聞いてナチュラルな音を追求する場合はソフトドームの方 が作りやすいのかもしれません。

振動させないためにアルミ以外にもチタンやベリリウムなどの軽くて強い材料も ハードドームとして作られてきましたが、生楽器の 音を自然にやわらかく伝えるものは少なかった ように思います。それでも現在のモニター 7ES3 はなかなか艶めかしい音を出しているようで、モニター HLと並べて聞いてはいないですが、分割振動を可聴帯域外の高い周波数まで追いやった B&W805S と聞き比べてもよりしっとりしていながら色付けは同様に少なく、評価が高いわけがわかるような気がしました。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/harbeth.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c12

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
13. 中川隆[-14383] koaQ7Jey 2020年1月18日 12:06:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1297]
My vintage audio 2015年 Audio miniature garden
http://my-vintage.music.coocan.jp/2015.html


今年の抱負は「音の雰囲気を良くすること」にでも置いておくことにしよう。

TANNOY IIILZ のクラシックシステムは、シングルアンプ SV-501SE のコンデンサー交換によって不満のない音色を提供してくれるようになった。今年度は組み合せるトランスと USB-DAC などを吟味して、音のニュアンスを改善させて行きたい。

Harbeth HL-4 は断線したトゥイーターを新品に交換することによって今後の使用に対する不安が払拭されたが、これまでと同等の美音を聴かせてくれるかが問題である。

システムの要となる Marantz7R は既に大半のカップリングを SPRAGUE-BB に交換済みで、バイアス用整流器もセレンに換装している。交換後はまったく音質に不満はなくなったが、残すところはヒーター用セレンの交換ぐらいであろうか。忘れた頃に現れるポップノイズは真空管とソケットの接触あたりが怪しいが、はっきりとした原因がつかめていない。

Harbeth HL-4 の故障によって生き返ったのが HL-COMPACT である。

フットワークの良いキレのある音質はヴォーカルや室内楽などの曲種に良くマッチしているので、以前のオーディオルームで使わなくなった ELEKIT の 300B シングルアンプと組み合せて、新たなシステムを構築しようかとも考えている。そんなこんなで音楽を楽しむために改善する余地が、まだまだ残されているのである。    1/1

■ カムバック


やっと Harbeth HL-4 のトゥイーターが手元に届いた。

フランスのオーダックス社製シルクドームトゥイーターは、なぜかアメリカから海を渡ってやって来た。どちらにしろ注文してから僅か10日ほどでマエストロ・オーディオに着荷するという早業であるが、年末年始の休みの関係で本日やっと取りに行くことが出来た。


左は AUDAX の箱に入ったトゥイーターの画像。

真ん中と右側の画像の左側が元々付いていたオリジナルのトゥイーターで、右側が今回購入した新品である。前面から見るとほとんど違いはないが、背面を見ると接続端子の位置が異なっている。

付け替え作業に入って気が付いたが、この接続端子が異なるせいでうまく装着できないのである。オリジナルのトゥイーターは左右に端子がありバッフルにはこの位置にざぐりが入れてあるが、新品を装着する為には片方のざぐりをノコギリで大きくする必要があった。そんな訳で少し手こずったが、2時間ほどで装着も完了し楽しみにしていた試聴に入る。


見た目は少し塗料の色目が違うようだが、オリジナルと同じ寸法だから違和感なく収まった。なぜか片方の個体のつらがあわずほんの僅かに出っ張りがあるが、細かいことはあまり気にしないことにしよう。

さて肝心の音質の方は当然のことながら聴き始めは新品の硬さが感じられるが、しばらく鳴らしているうちに明るさと美しい輝きが加味されまったく素晴らしい美音に生まれ変わったようである。

交換前はきめ細かく繊細で落ち着いた音質であったが、交換後はその持ち味にフレッシュで生き生きとした生命力が加わったようである。

この音楽性豊かな響きに耳を傾けると、1990年代にベストバイの評価を得て人気を博したアラン・ショーの HL-COMPACT も敵わないのではと感じられる。

ハーウッドが改良に改良を重ねた HL-Mk4 から生み出される音楽性の高さを忘れられずに、発売以来永年に渡って使用されている音楽ファンが日本にどれぐらいいるかは見当もつかないが、トゥイーターが断線故障しても諦めずにオーダックスの新品に交換すれば僅かな出費で再びフレッシュに生き返りますよ。そんな訳で今年の出だしは順風満帆なものとなった。      1/7


オリジナルのオーダックス・シルクドーム・トゥイーターのボイスコイルである。

両側の接続端子から中央のボイスコイルまでリード線が伸びているが、このコイルの根元のところで断線するパターンが多いようである。しかしこのトィーターに関しては根元の部分に問題はなく、結局どこが断線しているのかは分からなかった。また外してみてから疑問に思ったのが接続コードの極性である。ユニットの赤の塗料が縫ってある端子側が+の筈だが、コードは赤ではなくブルーが接続してあったので、逆相接続かもしれない。また画像には残していないがボイスコイル中央ドーム部分の内側にウレタンが挟んであったが、サランネット同様経年変化でボロボロになってどんどん小さくなっていた。

最近鼻づまりが頻繁に起きるようになって、その影響か難聴気味で耳の調子があまりよろしくない。

アナログのリード線の試聴をしていても、以前のように音質の違いがはっきり把握できなくなっている。SPU GOLD と MEISTER の違いがはっきり分からないのはまだましなほうで、古い SPU-GE まで同じように聴こえるのは困りものである。最近音質に不満を感じることが少なくなって来たのはこういったことも影響しているのかもしれない。まあ良い音に聴こえる分にはよろしいのではないでしょうか。  1/10

■ お年玉の真空管

 6BM8/ECL82

今年のお年玉は SV-501SE の初段管である。

オリジナルはロシア製 Svetlana であったが、やはり高域にヒリつきがあったので昨年9月にハンガリー製 TUNGSRAM を調達して聴いていた。その後もオークションなどで音質の良いと言われている MULLARD/TELEFUNKEN などの出品がないかウォッチしていたが、待った甲斐があってやっと年始に待望の英 MULLARD を落札することができた。

オークションでは珍しく競合することもなく出品価格で落札できたので品質に不安があったが、出品者の説明通りともにエッチングコードはブラックバーン工場製造のオリジナルであった。


落ち着いた音質のタングスラムでも特に不満があるわけではなかったが、差し替えるとまさしくムラードならではのふくよかな低音と繊細な高域に満足させられる。プリントは黄色と白で印字内容も若干異なるが、内部構造もッじでまったくお値打ち品を落札することが出来たと満足している。このアンプもコンデンサー交換後50時間超が経過し、増々音質に磨きがかかっている。

Harbeth HL-4 は交換したトゥイーターのエージングも進み、高域がキラリと輝くいぶし銀的な美しい音色に変身している。

交換前のくすんだような音質を考えると、やはり長年の使用で品質が劣化していたのかもしれない。

PCTオーディオのトランスは Kanno に替わり DUKANE/3A55 で落ち着きを見せている。Kanno のナチュラルな抜けの良さも美しいが、中低域重視の厚みと馬力のある DUKANE の音色が気に入ってる。

そんな PCTオーディオの音色は、それぞれのパーツが馴染んで来た効果により無機質なデジタル臭が抜けて、温度感の高い温もりを持った音色に変わって来たように思う。これまでは味気のない理性的に力強く迫力のある音質であったが、その説得力のある音色に感性的な色気が加わって「良い音だなぁ」と感じることも多く、アナログとの差異が更に縮まったような気がする。   1/14

 圧着端子

Harbeth HL-4 のトゥイーターへの接続は、マエストロ・オーディオの谷口さんが揃えてくれた高品位金メッキタイプのファストン端子を使用している。

ファストン端子とは聞いたこともなかったが、主にカー用品などで使用する圧着金具のことである。新規に調達したトゥイーターの+とーの接続端子の大きさが異なるため、今回は中と小の金具を使用している。元々のオリジナルでも金メッキではないが同じような圧着端子を使用しており、今回の端子交換でも特に音色に問題がなかったので、念のためにハンダ付けで仕上げることにした。

もともとハーベスはあらゆる接点をハンダ処理することによって音質の向上を目指しているようだが、実際にこんな端子のハンダ付け一つで音色が変わって来たので、まったく音質を改善するのはこういうことかと納得させられた。

圧着端子を使用しないで直接ハンダ付けを行っても音質が変わりそうだが、今回はオリジナル通りの圧着端子とハンダの使用で万全を期すことにした。    1/21

■ トランス

PCT(パソコン・トランス)オーディオのトランスを Kanno に戻し、ケーブルも QUAD22 用の特注品に交換することにした。

Harbeth HL-4 のトゥイーターを新品に交換してまだまだエージングが足りないのか、少し中高域の音質がもたついて嫌らしい響きを感じ始めた。

トゥイーターが断線する前から新たに調達した DUKANE のトランスに古い SME アーム用ケーブルを使用していたが、理由は分からないが数日前にトゥイーターの圧着端子にハンダ処理を行ってから更にこの傾向が強まったように感じる。

そんな訳でいろいろと組み合せ試聴を行った結果、トランスを以前の Kanno に戻してケーブルも細めのケーブルに交換することにした。

このケーブルは 20年ほど前に RCA端子の短い QUAD22用にオーディオ専門店で特注で作ってもらったものだが、こちらの組み合わせの方が中高域がクリアに広がっていやらしさのない聴きやすいものとなった。DUKANE は帯域を変に欲張らずに中域重視の密度の高い迫力のある音質が利点となるが、今回は高域方向に自然な伸びを見せる Kanno のナチュラルな音質で違和感を払拭することが出来た。   1/23

■ サブシステム

Harbeth HL-COMPACT を使わずに眠らしておくのはもったいないので、以前使っていた6畳間にサブシステムを構築した。

ソースはアナログの EMPIRE598 と光学系固定方式メカの SONY CDP-XA5ES、アンプはELEKIT TU-875 と TU-873LE を組み合わせることにした。

また CDP には DUKANE のトランスをかませて音質の改善を図っている。

最初にCDを掛けて慣らし運転を行いながら音質を確認するが、プリアンプの TU-875の調子が悪くしばらくするとまともに音が鳴らなくなった。これまでEMPIRE598のフォノイコとして使っていた時にもフォノ段の真空管が点いたり消えたりするという同じ症状で、昨年ハンダ修正などの修理を行ったがやはり完全に直った訳ではなかったようだ。

再度分解してハンダなどの点検を行うが、今度は真空管の明滅はなくなったが音が出なくなった。そんな訳で少し音質には潤いに欠けるが、CDP から直接 TU-873LE に接続してCDだけを楽しむことにしている。


メインのシステムには約40年前の学生時代に購入した Pioneerのチューナーを復活させた。

各部屋に分配されているケーブルTVの信号にはFM放送の信号も一緒に流れているのでそちらを活用することにしたが、直づけでは受信状態が悪くノイズが混じるのでTV用のブースターをかませて信号を増幅している。久しぶりに聴くFM放送の音質は、チューナーが何十年も使用されていなかったせいなのか元々の性能なのかは判断できないが、やはり潤いがなく少し痩せ気味の音質である。焦らないでしばらく通電しながら気長に使ってみることにしよう。   2/6


■ 早春の候

以前のように音楽を聴いていてしっくり来ない違和感を感じ、真空管やケーブルの組み合わせをあれやこれや変更してバランスを取り直すなどと言うことはとんと少なくなった。

そんな中でも年始にトゥイーターを交換した Harbeth HL-4 のシステムは、エージングが進んだ最近になってアナログ・プレーヤーのカートリッジを SPU GOLD から Keis さんお手製のハイブリッド・リード線を装着した MEISTER に交換後、アーム・ケーブルをテクニカ AT-1503 の純正タイプからノイマンのケーブルに変更している。

昨年末にカップリング・コンデンサーを交換して年始に初段管をムラードに入れ替えた SV-501SEは、エージングが進んで落ち着いた音色を提供してくれているが、僅かに高域のヒリつきが感じられるので初段管をタングスラムに戻すか思案している。

どちらにしろ学生時代に聴いたあこがれの音色を再現するまで散々に苦労した TANNOY III LZ を、これほどまでに生き生きと駆動してくれるアンプはお目に掛かれるものではないとその音質には満足している。

アナログは増々熟成を深めるが、PCTオーディオの方は DACとトランスの質の改善を検討中である。トランスを組み合せることによって、煮詰め過ぎたような濃い音質をもう少し伸びやかなものに改善して行きたいと考えている。DAC はサンバレーなどの真空管式可変サンプリングタイプが良さそうだが、トランスの方は手頃な価格のものをもう少し試してみたいと思っている。    3/6

■ ライントランス  


今度はPCTオーディオ用に ALTEC のライントランスを調達した。
昨年購入した DUKANE のインプットトランスと同じく、US8Pソケットを用いたプラグイン式トランスなのでこのケースを流用することにする。回路には疎く内部配線で少し悩んだが、配線用のウエスタン単線を購入してなんとか音が出るようになった。


このライントランス 15335A は 15K:15K のリピートトランスで、これまで使用していたカートリッジ昇圧用のインプットトランスと違ってボリュームを絞る必要がない。僅かばかりの試聴をしただけだが、これまでの低域の圧倒的な迫力を持ったインプットトランスと違って、高域方向に良く伸びてフラットな音質に聴こえる。その分低域が薄くなったような気もするが、こちらの方が元の自然なバランスなのであろう。もう少しじっくり試聴を続けて見ることにしよう。

ALTEC PEERLESS 4722 は MCH-II の昇圧トランスとして定着しているが、DUKANE の方は最近出番が少なくなっている。アメリカものはこれぐらいにして、今度はゼンハイザーやHaufeなどドイツのトランスを試してみたいと考えている。   3/18


アナログの方はどちらのシステムもほとんど不満なく音楽を楽しむことが出来ている。

TANNOY IIILZのクラシックシステムは、昨年カップリングを換装した SV-501SE が100時間ほどのエージングも終えて落ち着いた音色となって来た。年始に初段管をムラードに交換した後、少しレーベルによっては高域のヒリつきが感じられたが最近はそれほど気にならなくなった。トゥイーターを交換した HARBETH HL-4 の方も、高域が適度に落ち着いて来たように感じる。

PCTオーディオの方は新たに入手したHIインピーダンスのライントランス ALTEC 15335A を試しているが、これまでの昇圧トランスに比べて使い勝手は良いのだが、音色が落ち着き過ぎて今一歩のような気がしている。MCカートリッジ用 LOWインピーダンスのステップアップトランスは昇圧比も高いため、再生ソフトの AudioGate のマスターボリュームを75%に絞ってもプリアンプの Marantz7 のボリュームの位置は時計の短針の9時あたりに絞らないといけない。これがライントランスだとAudioGateのマスターボリューム100%でプリアンプのボリューム位置は1時あたりまで上げることができるのである。

Kanno などのステップアップトランスを使用すると低域の量感が大幅に増加し、迫力ある音質がロックなどの曲種ではスピーカーを大型化したような利点となるが、音の密度が濃過ぎて伸びやかな音場の広がりを感じることができない。これがライントランスだと低域から高域まで自然なバランスの伸びやかな音色を得られるのだが迫力の方が後退するのである。インピーダンスと昇圧比が程よいバランスの物を探せば良いのかもしれないが、高インピーダンスで昇圧比を高める方が良いのか、低インピーダンスで昇圧比が低い物が良いのかは想像がつかない。もう少しいろいろなトランスを試して見ることにしよう。   3/25

トランスを付け替えてPCTオーディオの試聴を続けている。

趣向を変えて旧型スイングアームの Marantz CD-16 にライントランスを用いると、当時良く言われていたデジタル臭が抜けて聴きやすくなると言った評判を実感することができるのだが、アップコンバートされた USB-DAC のPCTオーディオの音質には敵わないようである。

LOWインピーダンスの KannoステップアップトランスもHIインピーダンスのライントランス ALTEC 15335A も基本的な音質は似通っていて、端的に言うと中低域に重心を置いた Kannoと上下に音域の広い ALTECという感じである。音質を聴いていると中域には迫力もあるし低域もどっしりとした重心で特に不満なく聴こえるが、音楽を聴いているとなんとなく・・・・・なのである。

アナログで音楽を聴いていると、所々で「良い音だな〜」と思わせる箇所があるが、PCTオーディオではその感動が少ないような気がする。どうやらこの辺の響きの薄さ、余韻の少ないすっきりとした音質傾向は、トランスにあるのではなく簡素なUSB-DACにあるのではないだろうか? やはりもう少し質の高い真空管式DACを加えないと、アナログと同等の音楽の味わいを得るのは難しいのかもと思うようになってきた。アナログへの投資額に比べれば一桁違う金額でこれほどの音質を得られるのだから、特に不満のある理由はないのだが、もう少し音質の良いDACを聴いてみたいと考えている。    3/31

■ 音の雰囲気

アナログの方は HARBETH HL-4 のシステムでもクラシックが美しく聴けるようになってきた。

カートリッジをKeisさん製作のウエスタン・リード線を装着した SPU Gold-GE から、これもまた Keisさんお手製のハイブリッド・リード線に付け替えて生き返ったSPU MEISTER-GE に交換したのが良かったのかもしれない。

ひょっとして QUADII の音質に円熟味が増して来たのかと思って、300Bシングルと交換して TANNOY IIILZ を聴いてみたがこちらはこれまで通りやはり今一歩の音質だった。

HARBETH HL-4 の方に 300Bの SV-501SEを組み合せると、少し音質傾向が細身となるがこちらはそれなりに楽しむことができる音色となる。

PCTオーディオの方は結局ライントランスの ALTEC 15335A が定着している。

しばらく聴いて行くうちに、抜けの良さに加えて中低域の馬力も加わって来た。また USB-DACを192kHzまでアップコンバートすることによって、響きが豊かになって魅力的な美しい音色となることが分かった。

「音質を左右するのは低域である」とは故五味康祐氏の名言であるが、美しい音色の決めては余韻と響きではないだろうか?   4/12


最近は以前のようにあれやこれや真空管やケーブルを替えたりして音質調整することがめっきり少なくなった。

もちろん音質を気にすることなく音楽を楽しめるところまでシステムのレベルが向上したことも要因だろうが、老化により聴覚が衰えてまともに音質を捉えることができなくなってきたためかとやや悲観的に考えることもある。しかしTANNOY IIILZに QUADII を組み合せた時などは、これまでと同様に音質の違和感を感じる訳だから、ボケた耳もどうしようもないというほどでもなさそうだ。

昨日の休日も最近不満の少なくなったアナログシステムでビートルズのアルバムを数枚じっくり聴いていると、中には音質に引っかかる部分を感じるアルバムがあって、久しぶりにカートリッジを色々付け替えてみて試聴を繰り返している。   4/21

■ スラストパッド


Garrard401 のスラストパッドを調達した。(画像左、右はこれまで使用して来たもの)

出品者によると1970年代英国 Garrard社の純正品で、オイルレスメタル製とのことである。オーディオ専門店などで販売されている最近の純正パーツと比較すると、メタル部分の盛り上がりがほんの僅かに違うようで素材も異なるとのことである。外見からはもともと付いていたパーツ(右)とほぼ同じもののようである。

このプレーヤーを購入後8年ほど使用して来たが、最近レコードに針を落とすと少しゴロを感じるようになって来た。スラストパッドがそろそろ寿命かと思って購入したが、これまでのものがまだ使えそうな感じなので取りあえずそのまま交換せずに、半年振りに軸受けクリーニングを行い再度 EMTオイルを使って仕上げたところ、ゴロは気にならない程度に改善され音質も明瞭度がアップしたように感じられた。どの程度まで摩耗すると寿命となるのか、Garrard に詳しい方がいらっしゃったらご教授いただきたいものである。
  
アナログは音質の良い好みのレコードを聴くことが多いので安心して音楽を楽しむことが出来るが、ALTECのライントランスを使用したPCTオーディオの方も、トランスのエージングが進んで来たのか低音の量感が増加して響きの良い音質を楽しませてくれるようになって来た。

引き続きドイツのトランスを探しているが、プリアンプの故障によりせっかく別室に設置したサブシステムがほとんど楽しめないので、適当なプリアンプまたはフォノイコがないものかとオークションを中心にウォッチしている。   4/29


■ Northern Electric


アメリカからヨーロッパに移ってドイツのトランスを調達するつもりが、カナダで途中下車してオまった。

名古屋のY下さんは泣く子も黙る WE618B で美音を楽しんでおられるようだが、我が家では到底手に入らない高嶺の花である。そんな時オークションをウォッチしていると、WE のカナダの子会社である Northern Electric(NE)の MCトランスが出品されていたので調達することにした。

出品者によると1990年代後半に大阪日本橋で真空管オーディオを中心に品揃えしている専門店で購入したとのことである。これも出品者に頂いた STEREO SOUND誌に掲載されているこの商品広告のコピーによると、SPUの音楽性を更に高次元で再現することを目指してNEの業務用トランスをケーシングしたと言うこだわりを感じさせるMCトランスである。最近は人気のあるトランスの価格が増々高くなって来ているが、手持ちの英パートリッジなどの最近の取引価格と比較すると、比較的安価に調達することができた。


現在Garrard401とともにSPUシリーズで愛用しているトランスは、左側の1980年代のPARTRIDGE TK-2220である。

このトランスを一世代前のTH-7559(右側)と比較試聴すると、新しいためかレンジも広くなって分解能も向上したように感じ轤黷驕Bさらに今回購入したNEを続けて試聴すると、弾力感のある低域の臨場感やふところの深いプレゼンスが素晴らしく感じられた。パートリッジの2機種と比較するとゲインは少し低いが、音場も広くパートリッジの硬質感の美しい響きとは好みの別れるところであろう。今後はしばらくアナログを中心に試聴を続け、PCTオーディオにも組み合せてみようと考えている。


NE のトランスはケースが小型で可愛らしいサイズだが、ALTEC PEERLESS 4722と似通った浮遊感のある音場を形成するのが特徴だ。高域の解像度もパートリッジより優れているようで、まだワだじっくり聴き込んでいる訳ではないが、音質的な魅力を感じさせるトランスのようである。

右側は我が家のトランス群であるが、これにあと DENON DL-103C1用の純正トランスがある。これからも音質の要となるインプットやライントランスなどを、更に拡充させていきたいと考えている。       5/3


試聴の末、Northern Electricはまたまた残念な結果となった。

聴き始めは音の出方が PARTRIDGE とまったく異なるため、「色気のある高域だな〜」「低域の量感も十分で問題ない」などと喜んでいたが、いろいろなアルバムを聴き込むうちに、中域に張りのないバランス感や透明度の薄いエコーでかぶったような音場が耳につき始めた。それに比べると聴き馴染んだパートリッジは、持ち味の硬質感が音の鮮度を際立たせたような見通しの良い奥行きのある音質である。たとえて言うとNEの方は鮮度の薄れた食材を調味料で味付けしたような音質に聴こえて来る。

アナログでは期待通りの結果を得られなかったNEだが、PCTオーディオでは如何であろうか。

現在PCTオーディオはALTECのライントランスで大きな不満もなく落ち着いている。KannoのMCトランスを使用すると、低域の量感は圧倒的なのだが目に見えないダークマターで満たされたように音場がだんご状態となり、響きの良さを打ち消したような重苦しい音質となってしまう。その点アルテック/HIインピーダンスのライントランスは、低域の量感もそこそこに奥行き感のある抜けの良い音場を形成している。
さてNE/ミドルインピーダンスのインプットトランスをそのライントランスと交換すると、Kannoと同様に低域の量感は増すのだが抜けの悪い糞詰まり感が顕著となってこちらもNG。そんな訳でWE-618Bに迫るどころか所詮は子会社のNEインプットトランスは、残念ながらパートリッジやカンノの優秀性を再認識させてくれただけで、当分は日の目を見ることのない結果に終わってしまった。      5/8


■ オーディオ熟成


現在もポップス&ロック用のシステムで稼働を続けている QUADIIを、QUAD22 とセットで購入したのが1989年だった。

その時に一緒に購入した EMPIRE598 は現在サブシステム用に別室に移しているが、フォノイコが故障中なので残念ながら休眠状態である。クラシック用の TANNOY IIILZ は2001年に購入し、Thorens TD126 Centennialや Marantz7R も同じ年に我が家にやって来た。

HARBETH HL-4 が2005年で Garrard401 が2008年だから経年による老朽化が進んでいるように思われるが、メンテナンスによってそれぞれの機器の熟成が進んでいるのが名器と呼ばれるヴィンテージ機器の強みである。

これまでのメンテナンス内容をご覧になっていただければお分かりいただけるように、それぞれの愛機が中古購入時よりオリジナルを意識したメンテナンスによって高音質化を実現している。最も顕著なのが Marantz7 のレプリカで、カップリングコンデンサーの交換などによってオリジナル販売当時の音質に近づいたのではないだろうか。TANNOY IIILZもネットワークコンデンサの交換によって、それまでにはョくことの出来なかった美音を提供してくれるようになった。

老いによる聴力の衰えも手伝って、最近は神経質に音の出方に拘らずに音楽を楽しむことができている。

定年も近づいて今後はオーディオ環境の変化も少ないだろうから、大型のSPなどを購入して方向性の転換を計ることもないだろう。音質に大きく影響するトランスやコンデンサーなどの修正は続けるだろうが、我が家の「箱庭的オーディオ」ライフは到達点にかなり近づいて来ているようだ。

その着地点を更に改善してくれるのは、挑戦し始めたばかりのPCTオーディオなのかもしれない。こちらの方はまだまだ熟成感もなく、ややもすると若々しくアクの強い音質を醸し出しているのが現状だが、新たな音楽的感動の獲得を目指して頑張って行きたいと思っている。  5/12

■ オーディオ巡礼「Y下さん邸訪問記」


名古屋のY下さん宅を2年振りに訪問させて頂いた。

今回の主たる目的は、英国が誇るヴァイタボックス DU-120 コアキシャル SPを、WE VT-52(刻印)とWE-300B(復刻)を差し替えて使えると言うY下さんお手製の夢のようなアンプで聴かせて頂くことである。

初めて現物を間近に見たDU-120は、このユニット用に特注で製作されたフィンランドバーチ製コーナー型エンクロージャーに収められている。

これまで VITAVOX のユニットをじっくり聴かせてもらう経験は無かったが、アルミのパンチングで保護されているツィーター部は TANNOY のようなホーンではなく、特殊なポリエステルフィルムの振動板を使っているとのことである。

音を聴く前にまずじっくり今回の主役となる自作アンプやPCTオーディオ用にケーシングされたトランス類を眺めさせて頂く。

回路などについては説明いただいてもまったくその良さが理解できないが、音質と同様にオーディオ機器の重要なファクターとなる大手メーカー顔負けの視覚的な佇まいが、一目見ただけで高い完成度を伺わせてくれている。


今回の主役の真空管がこちら。出力管の WE VT-52(刻印)/WE-300B(復刻)と整流管の WE-274(刻印)のお宝シリーズ。

前段の方もこれ以上の選択肢が無いと思われるテレフンケン 802S(金足)を組み合せておられるので、まったくもって最強のアンプとなっているのではないだろうか。たぶん内部配線も音質の良いオイルコンデンサーなどを惜しげも無くお使いのことだろうと想像できるが、数々の高音質アンプを製作されているY下さんは「もうアンプ作りも最後にしたい」とおっしゃっていた。それだけこのアンプに対する思い入れが強いものだとも想像できる。


今回お聴かせいただいたソースは大半がデジタル音源である。

PC音楽再生プレーヤーは音質評価の高いfoobar2000、DAコンバーターには今は亡きラステームのUSB-DACをお使いである。CDの再生は CECの CDPが故障中とのことで、アンプの横にあるポータブルなCDトランスポートを利用されていた。


こちらはPCT(トランス)オーディオ用のトランス。WE-618B は○ッ○屋さんに貸し出し中とのことで、最近ネットを通じて調達されたトランスの2機種を聴かせて頂いた。右側の AWA(オーストラリア)のトランスは WE-618B と比較しても遜色の無い高音質のトランスとのことであるが、これらのケーシングも自作で済ませておられるということで、見た目の完成度もまったくもって申し分のないものである。

さて肝心の音質の方はと言うと、ヴァイタボックス DU-120 コアキシャルSPは前回訪問時に聴かせて頂いたロンドンウェスタン直系の3WAYシステムが醸し出していた美音より、TANNOY と構造的に等しい同軸ユニットのメリットを発揮しているためか音質的には当方の耳にはより好ましく聴こえるものであった。

アンプの出力管も最初は背面に設置されているスウィッチを切り替えて VT-52 で聴かせて頂いたが、帯域バランス上高域と低域が中域に集まったややナローな音質傾向ながら、弦楽器が刺激的な音質に一切落ち入らない優しくて渋い音色であった。最初はこれがこのアンプとこのSPの音色傾向なのかと思ったが、整流管をWE-274Bからナショナルユニオンに交換するとその高域の表情が一変してやや刺々しさが現れたことを考えると、ウエスタンの真空管が音質に与える影響度の高さを物語っているよ、である。

さらに出力管を WE-300B に交換すると、帯域バランスが上下に広がると同時に音に艶感や躍動感を感じさせるハイファイ的な音質に一変した。

オケのようなダイナミックな表現を要求される曲種などには、真空管の王者と呼ばれる WE-300B がその実力を遺憾なく発揮しそうな音色であったが、ソナタや小編成などの楽曲では VT-52 の水墨画のような色の付かない高貴な美しさが生きるような気もする。

PCTオーディオのトランスもスタンコアのトランスはこの組み合わせでは音場が狭まり、やや不自然な響きが楽器に乗るようで実力を発揮できていない感じがする。一方AWAの方はインピーダンスの低いインプットトランスを組み合せた時に感じるような詰め込み過ぎた圧縮感がなく、伸び伸びと音場が広がってとても好感の持てる美音であった。

とにかくY下さんのお話からも伺えるように、WE-300Bより希少価値の高い VT-52 をこのような完成度の高いオーディオシステムで聴かせて頂いたのは、大変貴重な経験をさせていただいたのは間違いないニ感じた。


今回は聴かせていただけなかった、スタンコアのトランスを使用した KT-66 アンプと交流点火に改造された SV-91B アンプ。

トランスが大きいのか GECの KT-66がスリムに見える。また別の機会にこのアンプでヴァイタボックスを聴いてみたい。

初期型のGOODMANS AXIOM 80ユニット。こちらも貴重品。

裸のユニットのままでSPコードを接続して聴かせてもらったが、箱もないのに高域のバランスが自然で美しい音色なのは驚きだった。

こちらは新たなキャビネットの製作を予定されているプレーヤーシステム。右側のカートリッジはスプリング配線の Ortofon SL-15。

少しだけ奥のグレースアームとMMカートリッジでケルンコンサートを聴かせてもらったが、CDとは別世界のアナログ独特の芯のある音質はとても魅力的なもので好感を持った。

久しぶりの訪問記であったが、今回もとても良い体験をさせていただいた。自閉気味に閉じこもってばかりいないで、たまには素晴らしいオーディオ愛好家の音を聴かせてもらうのはとても良い刺激となる。

今回特に我が家では一生縁のなさそうな、ウエスタン製刻印真空管の実力を肌で(耳で)感じることが出来たのは収穫であった。また日本では愛好家の多いTANNOYより、希少価値の高いヴァイタボックスのSPをじっくり聴かせて頂けたのはとても良い経験となった。   5/18


■ 私も買ってしまいました


このStereo Sound 保存版を早速本屋で購入した。

90年代中頃まではステサンの発刊を待ちこがれて毎季購入していたが、ヴィンテージ指向がはっきりして来るとその行事もピタリと止んだ。その後は管球王国やanalogなどで内容の気に入ったものや、ステサンの特集号の一部だけを購入している。
今回の「MCカートリッジ徹底研究」はオーディオ全盛時より永らく頑張っておられる評論家柳沢功力氏の「最新MC型カートリッジ25モデルの試聴リポート」と、故長島達夫氏著『図説・MCカートリッジの研究』(1978)が掲載されている。まったく最近のオーディオ機器はとんでもない値段だなあと感じているのは私だけであろうか? 

「最新MC型カートリッジリポート」ではデンオンDL-103がお付き合い程度に載っているが、蜚シが30〜50万もする高級品?ばかりで、いくら音質評価で美辞麗句を並べられても新品で購入する気持ちは更々湧いて来ないものばかりである。


我が家も最近まではアナログ主体で音楽を楽しんでおり、未だにお気に入りのカートリッジがMC型を中心に10個ほど生き残っているが、全部足しても現在の高級品の価格には及ばないのではないだろうか。昨年 Thorens MCH-II の修理を荻窪のマエストロ・ガレージにお願いした時に、35万ほどするマイソニックラボのカートリッジを聴かせて頂いたが、しばらく聴いていてレコード盤のノイズを拾わない静寂性の高い音質には驚いた。しかし我が家にある旧世代のものと比べて、まったく別世界の美音と言う訳でもない。オーディオは値段でもないのである。

最近になってPCTオーディオのトランスは PARTRIDGE TH-7559 を使うようになった。
Y下さん邸にお邪魔した後、我が家に帰ってからいろいろ試聴を続けている。最近定着していた ALTEC 15335A のライントランスはロックなどの曲種では問題はないが、クラシックの弦楽器がいやに刺ンIで自然に響かないことが分かった。それで昇圧トランスのパートリッジに交換したところ、Kannoを使用した時よりも高域もナチュラルで特に違和感もなく、低域の方も床を振動させるほどの重低音が圧倒的でなかなかに好ましい。しばらくこの組み合わせで楽しむことにしよう。   5/30


■ アナログ通信


北海道のKeisさんから新作のリード線が届いた。

今回の素材はCreationと言うメーカーが販売しているPC-Triple Cと呼ばれる新しい線材とのことである。ラインケーブルやSPケーブルに加工して製品化しているメーカーならなんとなく分かるが、素材の詳細となると Keisさんの詳しい説明を読んでもまったくぴんと来ない。

昨年の年末にはTUNAMI TERZO V2ケーブルの102-SSC線材から作成したリード線を送って頂いたが、これがとても我が家の機榿は相性の良いもので、このリード線と組み合せたSPU MEISTER-GEを常用カートリッジに復活させてくれた。今回の線材の試聴結果は前回の素材ほどの可能性を見いだすことができなかったが、線材の本数、組み合わせやその方向性だけでなく撚り方の強さまで独自に考慮して製作されているのはまったく驚嘆すべき技術である。アンプ作りのY下さんやKeisさんなど技術者としての能力をお持ちのオーディオ愛好家が、自分の力で音を変えられると言うのは本当に素晴らしいことだと感心させられる。         6/3


■ サブシステム

Harbeth HL-COMPACT のサブシステムを最近良く聴いている。

プリアンプが故障中なので音源は旧世代 CDPの2台となるが、なかなかフレッシュな音色でヴォーカルなどの肉声がとても自然に響く。CDPからライントランスを介してダイレクトにパワーアンプ(TU-873LE)へ繋いでいるのだが、エレクトロハーモニクス300Bとの相性もまずまず良いようだ。

しかしヴォーカルや小編成の曲種には相性が良いが、もう少し音質にコクと音数の増加が欲しいような気がする。

やはりこの辺はプリアンプの必要性を感じるところなので、手頃なフォノイコ付プリアンプを物色中である。

以前使用していたラックス CL-32クラスのアンプがあれば丁度よいが、調達できても発売後40年近くが経過しており流石にコンデンサーなどの耐久年数が切れているのが不安要素である。こんな時に自分でメンテできれば問題はないのだが、まだまだ技量が追いつかないのが悩ましい。

90年代に発売された中堅 CDPの音質も、ALTEC のライントランスを使用することでバランス良く音楽を楽しませてくれている。

当初はスイングアームを使用した Marantz CD-16 の音楽性の高さが予想されたが、独自の光学系固定方式メカニズムを採用したSONY CDP-XA5ESのパワフルな音質も、POPSなどではマランツに遜色の無い音色を聴かせてくれている。EMPIRE598を久しく聴いていないが、そろそろかまってやらないと使い物にならなくならないかが心配である。   6/10


やはりゴロが気になるのでスラストパッドを交換することにした。

裏側から良く眺めてみるとモーターを固定するプレートに少しサビが出ているが、これは購入当初よりあったのかはっきり覚えていない。まあスラストパッド同様に純正のサービスパーツが手に入るから問題はないだろう。さていつも通り軸受け部を本体より取り外して分解するが、軸側中心のパッド接触部分にも円形の摩耗の後が残っているので、サンドペーパーで磨いて元に戻すことにした。400番から1200番目までのサンドペーパーを使って磨くのだが、手作業の為に平面が出ているのかが心配だった。まあパッドの平面ではなく円の接点で接触する訳だから大丈夫だろうと素人判断でメンテナンスを行う。

ところが新しいパッドに取り替えオイルを補充して元に戻すが、スイッチをオンにして駆動するとゴーッと軸がパットに擦り合わされる音が盛大に聞こえて来る。「ありゃー!またやってしもうた。」と動揺するが、馴染むのに時間が掛かるのかもしれないと廻しっぱなしでしばらく放置することにした。幸いにも1時間ほどすると異音も治まり、レコードを聴いてもゴロもなく一件落着となった。

ここのところ常用カートリッジの地位を維持してきた SPU MEISTER-GEの調子が少し悪い。

実は半年くらい前のことだが、いつも通りレコードを聴こうと思ってプレーヤーに被せている布を取ろうとして、うっかりカートリッジのカンチレバーに引っ掛けて大きく曲げてしまった 。なんとかペンチを使って自力で修復する(したつもり?)が、そのころからなんとなく右chの音が小さくなったような気がしていた。最近その傾向が顕著になって来ておりMCH-IIの時のようなラインコンタクト針の摩耗も考えられるので、マエストロ・オーディオさんから専門業者の方に送って診断をお願いすることにした。はてさてどれくらいの見積もり額となるかが心配の種である。
そんな訳で再びGold-GEに出番が廻って来たが、付け替えた当初はヘソを曲げたのか低域がまともに出て来ない。LPを2枚ほど掛けて愛情を注いでやるとやっと音場も広がって本領を発揮し始めるが、この辺が Vintage の難しいところなのであろう。    6/17


■ マエストロ・ガレージ訪問


年始に Harbeth のトゥイーターを受け取りに言って以来、半年振りにお邪魔させていただいた。

今回の目的は調子の悪くなった SPU MEISTER-GE の修理依頼だったのだが、土曜日の午後一番といった時間帯のせいか既に先客が2組も来店されており、フェーズテックのカートリッジとトランスの試聴会開催されていた。


しばらくご一緒させていただいてベートーベンのチェロソナタに耳を傾けるが、奥行き感を伴った豊潤な音質で刺激的な響きをまったく感じさせない心地良さが印象的であった。

初めて聴いたこのスペンドールの現行スピーカーは、我が家の Harbeth とはエンクロージャーのサイズもほぼ同じでウーハーのサイズは 20cmと小振りながら、中高域に2種類のソフトドームを使用した分だけ中域の響きが充実しているように感じた。

流石に同じ英国 BBC の血統を受け継ぐスピーカーではあるが、明るく抜けの良い Harbeth と比較すると昔の BC-II の血筋を感じさせる渋い趣である。

昨年聴かせて頂いたスペンドールのトールボーイシリーズはやや淡白な音質で少し違和感を覚えたが、こちらのタイプがより BBC の音色を色濃く受け継いでいる音楽性の高い気品のある響きではないだろうか。


カートリッジはフェーズテックのP-1Gという、最近まで製造されていた価格30万ほどのモデルである。

昨年聴かせて頂いたマイソニック・ラボの時も感じたことだが、開発年代の新しい新世代カートリッジ群はノイズの少なさが共通した利点なのであろうか。このカートリッジを使用して現行2種類のトランスを聴き比べると、4万ほどの低価格のタイプでも十分とも言える音楽性の高さで楽しませてくれたのは驚きであった。
今回お邪魔した折にも30年以上昔のオラクルのプレーヤーの修理品が持ち込まれており、店主の谷口さんのお話ではまだまだVintage機種を大切に使用されているオーディオ愛好家が多いとのことであった。

1週間ほどで修理の見積もりが上がるとのことであったが、果たして結果はいかばかりであろうか。    6/20


SPU MEISTER-GEの針の状態は予想通り芳しくなかった。

針先は最も摩耗した状態らしく、カンチレバーの曲がりも新規取り付け(外径接合)が必要だとのことであった。結局10年ほど前に今はなき○○オンの展示品を購入した時と同じくらいの投資となったが、またこれでしばらくは完全な状態でレコードを楽しめると思えば納得せざるを得ない。

しかし前回のMCH-IIの時も疑問に思ったのはラインコンタクト針の摩耗が早いとのことだが、昔は針の寿命(ダイヤモンド針)は半永久的であると言われていたものとは別物なのであろうか。そんな風に少々せこく考えてしまうのだが、GoldやClassicなどでは得られない豊かな表情が持ち味のこのカートリッジの音質はPOPSやROCKにはやはり必要なものなので、しっかり直していただくことにした。

そんなことを言われると、2010年に針交換後使用時間の少ない状態で購入したGoldや2000年頃に針交換で戻って来てからほとんど使用していないClassicはまだまだ使えるような気がするが、1990年頃に購入したSPU-GEの中古品はとうに寿命を迎えているのかもしれない。

MEISTERやGoldを導入後はとんと活用する機会が少なくなったオリジナルのSPU-GEではあるが、やはりこの機種は今後も手放すことはせず、カートリッジのベクトルとして完全な状態で所有していきたいと考えている。またしばらくして余裕ができたら修理に出すことにしよう。 6/28


■ スピーカーのセッティング

最近は「ウーファーとツィーターの間がほぼ耳の高さになるように設置する」というのがセッティングの基本らしい。

昔は「ツィーターが耳の高さの少し下あたり」が基本で、Harbethの純正スタンドも少し高さが低くなっている。TANNOY は同軸コアキシャル構造だからツィーターの位置が少し低過ぎるのかもしれないと思い、アイアン・ウッドと呼ばれる素材でできたキューブを挿んで7cmほど高さを上げてみた。

Harbeth 同様、3点支持でテクニカ製ハイブリッド・インシュレーターの上にセッティングするが、ツィーターが耳の高さに近づいた影響で、以前より音域バランスが高域に寄ってくっきりと聴こえる。

低音の広がりが薄くなるのは不満だが弦楽器が特に刺激的に響く訳でもないので、しばらくインシュレーターの組み合わせを替えながら試聴を続けて行くつもりである。     7/1


■ Thorens TD126mkIII Centennialのメンテナンス


スピーカーのセッティングを変えてから、音場がはっきりと見渡せるようになった。

その反面、低音の広がりが少し薄くなったように感じるので、Marantz7R のトーン・コントロールのBassを+1補正してョいている。しかしなんとなく高域が混濁していて透明度も低く感じるようになったので、300Bシングルアンプの初段管を再び重心の低いタングスラムに交換してみる。

しばらく聴いているとピアノのピアニッシモで微妙にワウフラッターを感じ、ひょっとすると高域の濁りの原因はプレーヤーにあるのかもと思ってThorensのメンテナンスに着手することにした。同様の症状は昨年末に伸びたベルトを交換するまでは顕著であったが、ベルト交換後はあまり気にならなくなっていた。ベルト交換直後はストロボスコープに前後の軽い揺れがあるのが気になっていてベルトが馴染んだら安定するだろうと楽観視していたが、このあたりが音質に影響しているのかもしれない。

このプレーヤーはスイスのトーレンス社100周年を記念して開発されたリミテッドモデルで、当時の輸入元だったノアとSME輸入元のハーマンが共同企画した日本特別バージョンである。1985年に発売されたものを2000年頃に中古で購入したものであるが、当時の売価が38万円だから現在作ろうとすると倍くらいの価格になっているのではないか。クラシックなどの曲種に向いたゆったりした音質が気に入っているので、今後も末永く活躍して欲しい機種の一つである。まず左の画像のようにインナープラッターのベルト接触面に付着している汚れをサンドペーパーで磨き上げ、スピンドルも古いオイルを拭き取って純正オイルを補充する。念のためにカートリッジのオーバーハングや針圧バランスなどを再調整してメンテナンス終了。メンテナンス後はストロボのふらつきも治まり、高域のワウフラッターも感じなくなった。   7/4

■ ノスタルジー

Y下先輩と学生時代のオーディオへの憧れのお話をしていて、昔のオーディオ雑誌を引っ張り出して来た。

1981年 FMfan臨時増刊号のアナログ専門誌「'82カートリッジとレコードとプレーヤーの本」である。学生時代はFMレコパルやFMfanなどの雑誌を購読して夢を膨らませ、小遣いのゆとりのあるときだけSTEREO SOUNDや月刊STEREOなどの専門誌を購入していた。

我が家にあるステサンで一番古いのが、1973年28号「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(上)」である。この特集で我が愛機TANNOY IIILZを始め、学生時代に使用経験のあるKLH-Model32やDYNACO A-25XSなどが準特選/特選の評価を受けている。

このアナログ特集号を眺めていたのは大学生時代で、既に自分のコンポーネントステレオを所有していた頃である。

高校の入学祝いに購入した初めてのコンポーネントは1970'sに記されているが、大学時代になって初めてスピーカーを TANNOYの HPD295にグレードアップするとともにアンプも真空管の Dynacoに移り変わっている。カートリッジは高校時代から変わらず、シュアー M75EDだったと記憶している。


このアナログ特集を眺め倒して Ortofon SPU-G や ELAC 555E/DECCA MarkV-EE/EMPIRE 4000DIII/TSD-15 などを購入することになる訳だが、この頃には嗜好が海外製品に移っているようだ。


高校生時代に購入した1975年「評論家・読者の選ぶ'75ベストバイ・コンポーネント」の頃には海外製品に憧れを持ちつつも、国産のグレースなどのお手頃価格のカートリッジをターゲットとしていたが、最終的には国産品は音楽性が低いといった理由でアメリカのシュアーを選んだ記憶がある。

こうやっていろいろ昔憧れていた Vintage アイテムを眺めていると、いまだに使用してみたいという願望を抱かせるような完成度の高い機種も多いような気がする。       7/11 


■ 最近のオーディオあれこれ


この前仕事の関係で東京駅に行ったので、百貨店に出店したという中古オーディオショップに立ち寄ってみた。

4セットほどアナログからスピーカーまでの組み合わせがセッティングされており、その中央にどんと構える超弩級の組み合わせから音楽が流れていた。

JBL のエベレストとマークレビンソンを組み合せた中古でもそれぞれが数百万もするようなシステムだが、その女性ヴォーカルはなんとなく寝ぼけたような冴えの無い音質で、これがジャズなどでは最高にキレの良かった JBL の最近の音質かと耳を疑った。

見た目の迫力だけならお金持ち愛好家の所蔵するターゲットにはなり得るかもしれないが、果たして音楽愛好家がこの味気ない音色を聴いて高い(?)購入金額を支払うだけの魅力があると感じるのだろうか。

そうは言っても他に古いケンウッドやパイオニアのプレーヤーに加え、美しいデザインに昔憧れていたヤマハのアナログプレーヤーまで品揃えされていて、今後も頑張っていただきたいショップではあると感じた。

上の2枚のアルバムは同じ音源を使った、大好きなクレンペラーのEMIワーグナーアルバムである。

左が仏マルコーニの1963年オリジナルアルバムで、右は1985年頃に再発された独EMIデジタルリマスター盤である。カッティングされた国(エンジニア)の違いとデジタル処理されたリマスター盤の音質の違いが体験できる訳だが、ともに美しい音色で我が家の宝物となっている。右側の独でカッティングされたDmm(デジタル・メタル・マスター)盤は昨年近所のハードオフで未開封の新品を安く手に入れたものだが、ドイツ盤特有の低音の豊かな響きとデジタル処理されノイズ感が少なくなった音場がとても美しい。

オリジナルのフランス盤は気品のある高域の瑞々しさが特徴ながら、決して刺激的な響きにならないのがこちらもとても好ましい。こんなプレスされた国(音質)の違いに拘るのは、レコードの古き良き時代を経験したことのある物好きなアナログマニアだけだろうが、確かに音質に違いがあるのだから享受される演奏家の感動は同じかも知れないが、そのレベルが違って来るというものだ。

最近は我が家のオーディオ機器も熟成を重ね、音の良いと言われる輸入盤だけでなく国内盤でも違和感無く音楽を楽しめるよ、になってきたが、やはり国内盤と輸入盤の音質の差は確かにある。若気フ至りで学生時代に「輸入盤は音が良い」という言葉を鵜呑みにして結構な数の韓国プレス輸入盤を購入していたが、物を知らないと言うのは本当に恐ろしいことである。最近になってやっとその名演と言われるアルバムの英国やドイツの本国盤を手に入れるようになり、やっぱり音が、音楽が違うと再確認している。      7/18

■ DENONさんもなかなかのモノですね

我が家は昔からオルトフォン党である。

クラシックにはMCH-IIを愛用しているが、それ以外の曲種では4種類のSPUとMC-30の2種類を使うことが多い。その中で一番のお気に入りだった MEISTER-GEが修理中なので、SPU GOLDを中心にいろいろなカートリッジの音色を楽しんでいる。

オルトフォン以外では EMPIRE598プレーヤー純正の4000DIIIとDECCA Mark-V EE、それにDENON DL103C1がある。オルトフォン党と同様にデンオン党を支持するオーディオ愛好家が多いことも良く知っているが、なぜかオーディオ初心者の時に馴染んだのがSPUシリーズだったので、その伝説的なDL-103を購入する機会を逸していた。我が家の派生モデルDL103C1はSTEREO SOUNDの91年度ベストバイで1位に選ばれたから購入したものと記憶しているが、音がこじんまりとまとまり過ぎていてこれまではあまり聴く機会はなかった。前回聴いたのは2年ほど前にKeisさんが製作したオーグライン+プラチナリード線の試聴をした頃であろうか。

今回久しぶりにそのDENONさんを引っ張り出して聴いてみたのだが、ROCK系との相性がバッチリで特に低音のドラムの音が最も迫力を持って聴こえるのでまったく驚いた。ゆったり感があり響きの豊かなSPUシリーズと比較して、全体的に音が良く締まっていて中域の密度感が非常に濃く聴こえるのである。

あまりにも音が良いのでメタル教の嫁殿を呼んで聴かせたが、中低域の音色は当方の耳と同じでスピード感のある音色がとても良いとの評価である。しかし高域が少しキンキン響く傾向があり、ZEPPのロバート・プラントの声がもう少し潤いを持って響く方が良いとのご指摘であった。なるほど〜、この辺はプラチナ素材リード線の音質傾向が出ているかもしれないのでリード線の交換で音質向上が計れるかもしれないなと考えていたところに、タイミング良く北海道のKeisさんから新作リード線が届いた。時を同じくしてMEISTER-GEの修理が上がって来たので、ここのところアナログ三昧で試聴を繰り返している。     7/29


■ 修理完了

やっとGarrardの主が帰って来た。

昔からオーディオ雑誌などに広告を載せている専門業者の方に、昨年のMCH-IIに続いて修理をお願いすることにした。

修理内容は 針入れ: ラインコンタクト針 カンチレバー: 新規取り付け(外径接合) ダンパー: 交換、または調整 ゴムシートカバー交換 端子ピン: 調整、接着補強との見積もり時の内容だったが、修理結果についてはマエストロ・オーディオの金額領収証のみでまったくあっさりした物である。前回のMCH-IIの針先交換と断線修理では、オリジナル時の華やかさが薄れて若干大人びた音質に変貌を遂げたが今回はどうだろう。

持ち帰って早速アームに装着してレコードに針を落とす。最低針圧の3gでいつも通り慎重に針を落としたつもりだったが、いきなり2cmほど針滑りを起こしてしまう。もう一度針圧を確認して少し針圧を重くするが、少しの振動で盤面を滑ってしまう。針先をルーペなどで確認してみると、少し片方にねじれが起きていて真下に向いていなかったので、慎重にピンセットなどで修復を図ってみた。カンチレバーの新規取り付けは難易度が高いのかトラッカビリティーに大きな問題が発生しているが、肝心の音質の方は修理前のバランスの崩れも修正されて音場も左右一杯に広く取られている。しかしなんとなくこのカートリッジ持ち前の馬力の良さと鮮烈とも言える切れ込みの良さが影を潜めてしまったようなのだが、エージングによって改善されて行くものなのかまったく判断が付かない。

その後リード線もオリジナルに戻してしばらく試聴を続けているが、果たして控えのSPU GoldやDENONさんを超えて再び主役の座に戻ることがかなうのであろうか。       8/2


■ シングルアンプの初段管

 SIEMENS 6BM8

300Bシングルアンプ(SV-501)の初段管を購入した。

TANNOY IIILZ のセッティングを変更したところ、ムラードでは少し高域に違和感を覚えたので現在はタングスラムに戻して聴いている。継続してテレフンケンなどの出物を探していたが、同じドイツのシーメンスを見つけたので調達することにした。ドイツ製オリジナルかどうかははっきりしないが、肝心の音質は落ち着きがあってまずまず楽しめそうなのである。

SPU-MEISTERはリード線にウエスタン線を加えてマルチブリッドにしたところ筋肉質でパワフルな音質に復活したが、トラッカビリティーが最悪でカッティングの良いレコードや少しソリのあるレコードですぐに針飛びを起こすのがまったく困りものである。針先をルーペなどで良く観察してみたところ、オリジナルの物よりかなり小さめのラインコンタクト針が付いているが、この辺に問題があるのだろうか。    8/7


このHPを見たマエストロ・オーディオの谷口さんが、SPUカートリッジ修理の件で助け舟を出してくれた。

修理元に症状を説明して実際の修理内容を確認してもらったのだが、針先チップのラインコンタクト針は元々着いていた純正と同じ大きさで、実際にortofon に針先チップを供給している製造会社から仕入れたものを使っているとのことであった。手持ちのGoldやClassicなどと比較すると明らかに小さめなのだが、専門の方がおっしゃるのだから間違いはないのであろう。原因として考えられるのは、ダンパーを交換したため馴染むのに若干時間を要するとのことなので、エージングが必要なだけなら少し不安な気持ちが払拭されたような感じである。

我が家にあるような少し古くなった機器は、愛情を持ってじっくり良い音楽を聴いてあげないと、機嫌の良い状態にならないのかもしれません。あせらずにじっくりと取り組まないといけませんね。谷口さま、アフターサービス有り難うございました。      8/11


■ 新規チューナー購入

 SONY ST-SA50ES

還暦定年まであと数年を残すのみとなった今月の初旬に、急遽配置転換となった。
入社から既に30年以上が過ぎ、これまで北陸から北海道まで度重なる転勤を重ねて来たが、今度は別会社への出向でこれまでの異動とは職務内容もちょっと違って来ている。勤務形態もこれまでの平日主体の休みから、一般サラリーマンのように土日に替わっている。転勤を伴わなかったのは喜ばしいことだが、職務内容がまったく異なったものなので、心身ともにボロボロの日々を耐え忍んでいる。残業を含め連日12時間を超える労働時間は辛いが、なんとか週休2日は維持しているので、体力的な問題よりも精神的な問題の方が大きい。そんな訳で、これまでは毎日大好きな音楽と向き合う時間が少なからず取れていたが、最近はその楽しい一時を土日でしか取ることができなくなってしまった。

修理後調子の悪かったオルトフォンのSPU MEISTERは、マエストロ・オーディオのプレーヤーで試してみても針滑りが起きることが判明して、修理もとに再度点検をお願いすることにした。

さて、この土日にリフレッシュを兼ねて近所のハードオフに偵察に出かけた時、このSONY製チューナーをゲットした。最近になって倉庫から引っ張り出して来たパイオニア製のチューナーは、しばらく使っているうちに音が出なくなって故障してしまった。メンテナンス情報をいろいろ調べてみたところではトランジスタの劣化と推測されるが、修理をするには難易度が高いので少し前から手頃なものを探していた。

このチューナーは1997年に発売されたESシリーズのFM/AMステレオチューナーで、当時の定価はそれなりの40,000円。前機種のST-SA5ESなどと性能を比べると、コストダウンされた分だけ中身もスカスカのようである。しかし流石に音質に定評のあったソニーのDNAは受け継がれているのか、故障前のパイオニアと比較すると受信性能も高く、数段ハイレベルの音質に仕上がっているようである。お安い分、取説もAMアンテナのどの付属品もなかったので使用方法をネットなどで検索中だが、AMステレオ放送なるものを聴いてみたいと思っている。    8/23


■ SPU MEISTER


再修理をお願いしていたMEISTERが戻って来た。

針飛び+横滑りを起こすレコードと一緒に修理元に送ったところ、原因については交換した部分(針先,カンチレバー、ダンパー等)と既存の振動系との微妙なバランスで、このような症状が出ているのではないかとのことであった。特にカンチレバーを後ろから引っ張って支えるテンションワイヤーに原因があるとも考えられ、このワイヤーを含めた振動系一式の交換を予定しているとの報告を受けていた。
昨日、マエストロ・オーディオの谷口さんから再修理が完了して症状が改善したようだとの連絡が入り、早速取りに伺った。谷口さんのお話では、振動系を交換した結果、マエストロ・オーディオの機器でも以前のような針飛び+横滑りが起きなくなったとのことであった。

しかしテストしたようなソリのあるレコードでは、ボディが盤面に擦れることによって針飛びを起こすので、軽めの針圧(3g強)での使用が無難とのことであった。確かにお伺いして YAMAHA GT-2000で聴かせて頂いたところ、症状は改善されており音質も特に気になるところはなかった。

家に持ち帰って我が家の機器で試聴したところ、修理前と比べてボディと盤面の間隔がとても狭くなっている(1mm弱)のが分かった。これでは当然振幅の大きいレコードではボディが盤面に擦れる危険性があるようだ。右側の画像は手持ちのSPU Goldとの針先部分の比較画像だが、カンチレバーがかなり短くなったような気がする。当然のことながらこのカンチレバーの長さと取り付け角度によって、最低針圧での使用でもレコードとボディの接触を引き起こすのではないだろうか。

また音質についても修理前から少し気になっていた、導入口などの無音部分で「カリカリ、カリカリ」とスプリングが擦れるような音がするのが少し気になっているが、こちらもエージングで緩和される症状なのであろうか? などなど若干辛口の修理感想となったが、難易度の高いと思われる修理にも関わらず無償で再修理を行った修理元の対応や、窓口となった谷口さんのアフターサービス体制は、同じサービス業を生業とする当方にも感心させられる部分が多かった。谷口さん、お世話になりました。

修理品を取りに行った時に、愛聴盤のレスピーギのローマ三部作(小澤/ボストン)を持ち込んで聴かせて頂いた。フォノイコがEARの真空管タイプからPhasemation製のコンパクトタイプに替わっていたが、パワーアンプが馬力を優先したトライオード製6L6のプッシュプルにも関わらず、弦楽器に刺激的な音色が伴わない響きなのが驚きであった。

我が家に帰ってまずマエストロ・オーディオの組み合わせと共通性の多い、Harbeth HL-4 を使ったシステムで同じレコードを聴き、次に TANNOY IIILZ のクラシックシステムに針を落とすが、流石にクラシックに関して言えばこの組み合わせが聴かせてくれる極めて自然な音色と音場は、別格の感動を提供してくれることを再確認させてくれた。

最近は仕事の関係でオーディオに接する時間が週末しか取れず、そのせいか音楽を聴いたときの喜びがとても大きく感じている。これからも疲れ果てた心身を癒してくれる、良質な音楽と向かい合って行きたい。    9/5


※追記 色々な資料で調べた結果、MEISTER のカンチレバーの長さはオリジナルから短めで、我が家の個体も特に短くないことは確認できたが、取り付け角度が浅過ぎることが判明した。修理が上がったばかりであまり手荒なことはしたくなかったが、カンチレバーに少し角度を持たせることによってボディの接触は改善の見込みがありそうだ。あとは「カリカリ、カリカリ」の異音だけが問題となる。


週末の今日はじっくり音楽を楽しんだ。

昨日は修理から上がって来たMEISTERが、浅いカンチレバーの取り付け角度を少し起こしたりして、針飛びなど起こさないか不安を持ちながら聴いていたが、何枚かアルバムを聴き続けているうちに今日になってやっと音の輝きが戻って来たようだ。カートリッジに不安を持ちながら聴いていたのが、安心して音楽を楽しむ精神状態に戻って来て、やっと心地よい時間を過ごすことができるようになった。

しかしこの SPU MEISTER-GE の音は心に沁み入るような説得力のある音色である。
最近まで聴いていた DENON DL-103C1 も中々の物だと思ったが、やはり音の潤いを持った質感がまったく違うのが良く分かる。ジャズなどにはタイトに引き締まったDL-103C1の方が相性の良さを見せるのかも知れないが、乾燥したマットな音色はプレーヤーの色気や円熟味が伝わって来ない恨みがあるようだ。まあ1992年当時の定価が5倍ほどの開きがあるのだから、差があって当然の事とも思えるが・・・・。

音質はほとんど問題の無い状態まで戻ったが、昨日よりは緩和したもののやはり僅かに昔のゼンマイ式目覚まし時計のネジを巻いた時のような「カリカリ」といった異音が聴こえることがある。この辺りがエージングによって緩和すればまったく嬉しい限りである。   9/6


■ アクセスカウンター


この大した事も無いHP「Comfortable Space」も来訪者件数が5万件を超えた。
もう作り始めて10年を超えているから特に人気のあるものでもないだろうが、なんと言っても長年お付き合いいただいて、関西から北海道までオーディオ仲間が増えたのはとても心強いものである。ありがとうございました。

さて、相変わらず音楽を楽しむ時間は少なくなっているが、修理したアナログのSPU MEISTERもなんとか本領を発揮し始めたのが嬉しい。針圧を低めの3gに設定することによってほとんど針飛びも起こらなくなったし、購入当初に聴いた迫力のある音質が蘇って来た。修理前はSPU-Goldと聴き比べてみても音質の差があまりなかったが、現在はまったくの別物となっている。特に1970年代の古いレコードでも、高音質で楽しませてくれるのが有り難い。テンションワイヤーあたりからの「カリカリ」音は依然として発生しているが、まあそれほど気にならなくなって来た。
さて、最近は別室のHL-Compactを使ったサブシステムのプリアンプを物色中である。昔使っていたフォノイコを搭載したラックスのCL-32あたりが値段も手頃なのではないだろうか。      9/26


■ トライオードのプリアンプ

猛烈に忙しい1ヶ月だった。
このHPの更新もままならず音楽を楽しむ時間もほとんどなかったが、少し落ち着いたここ2〜3日でこちらのプリアンプを速攻で調達した。初めてのトライオードのアンプなのだが、今月の初旬まで発売されていた我が家では珍しい現行品である。TRIODE のアンプはマエストロ・ガレージでも度々聴かせていただいているが、国産で真空管アンプを製造しているメーカーではサンバレーとともにリーズナブルな価格ながらユーザーの熱い支持を得ている会社である。使用している真空管はフォノ段に12AX7×2本(右側のシールドキャップの2本)、ライン段に同じく12AX7×4本と整流管が5AR4×2本と言った構成で生産国はすべて中国モノのようである。

最初は昔使用していたLuxman CL-32あたりを狙っていたが、製造年代が古過ぎてしっかりメンテナンスされた個体に出会う事が叶わなかったため、思い切って現行品を試してみることにした。使用している整流管などの真空管を差し替える事によって、音質の変化を楽しむ事ができると考えたのである。ヤフーオークションで2年ほど前に購入された完動品を定価の6割ぐらいで落札したが、綺麗な元箱も揃っており新品同様といってもおかしくないほど程度の良いものだった。これでやっとサブシステムでアナログを楽しむことができる。おっと、型番はTRV-4SEである。


組み合せるパワーアンプは300Bシングルの ELEKIT TU-873LE である。出力管はいろいろあるが、エレハモやGD4300などが第一候補となっている。プリの初段管はさまざまなヴィンテージ管があるし、整流管もQUAD用GZ-32が数種類あるのでいろいろと試して行くのが楽しみだ。


■ THE EMPIRE STRIKES BACK


4ヶ月ほどほったらかしにしておいたEMPIRE598は、逆襲を遂げられるのであろうか?

まずは純正のMI型4000DIIIをセッティング。さすがに接触不良が頻繁に起こり、しっかりベースの接点やリード線のクリーニングなどのメンテナンス行って、ご機嫌を取らないと本調子とまでは行かないようだ。新しいプリアンプを加えて聴くこのサブシステムの音色は、低域の量感は豊かながら中高域のキレがまったくなく、かなり寝ぼけた音質である。1970年代に人気を博したこのカートリッジは、高域も繊細で良く伸びている筈だからまだまだ本領を発揮していないのだろう。

「モスキート音とは・・・・・」

通常、人間が聴くことができる音の周波数は20Hzから20KHzといわれている。
この音を聴き分ける能力は年齢と共に変化し、30代になると17KHz程度の音は聴こえなくなるといわれており、モスキート音はこの17KHzの周波数を持つ音のことである。

だいたい13歳〜17歳で19kHz、 18歳〜24歳で17kHz、25歳〜30歳で15kHz、31歳〜40歳で13kHzといったように、加齢とともに耳の性能も劣化して聴こえる周波数が低くなって行くのが通常のようだ。20歳代でうるさく感じた高域のきつさを最近は感じなくなったのは、オーディオの音質が良くなったのではなく、ただ単に歳をくったためかもしれないのである。まあ気持ち良く大好きな音楽を楽しめるようになったのだから、当然文句がある訳ではない。    10/22

久しぶりに真空管の交換試聴を行う。

整流管の5AR4を英 BRIMAR-GZ34に替えて、フォノ段の12AX7×2本をLUXMANロゴの松下製に交換してみる。

CDPからダイレクトにパワーアンプに繋いでいたときはとてもスッキリとした高域よりの音質だったが、プリアンプを使用する事によって中低域にバランスされた音質に打って変わった。また整流管を交換することによって滲み気味だった音質が少し締まった感じになる。オリジナルの真空管は中国曙光電子製と思われるが、12AX7の方はMarantz7Rに使用されている物とまったく同じであった。やはり現行の中国管からヴィンテージの優良管に交換すると、ガラッと音質描写が変わって来て好みの音質に近づけて行くのがとても楽しい。Mullardなんかを使ってみるのも少し高域の繊細感が出て面白いかもしれないが、ちょっともったいない気もする。まあ気長にいろいろ試してみる事にしましょう。

プレーヤーの方はカートリッジのEMPIRE 4000DIIIのピンの腐食がひどく、まともに鳴らないので早くも主役のOrtofon MC-30Sに変更している。ステップアップ・トランスはNorthern Electricを使用しているが、アナログの音質は響きはそれほどでもないが低域の量感が大変豊かである。

HARBETH HL-Compact はエンクロージャーのサイズが小さいので、箱鳴りで低域もある程度は出て来るが響きは少しタイトになるのはしょうがない。

今回のこの組み合わせでも、ライブハウスの前席で聴くようなリアル感で楽しめる。そんな訳で当初の予想通り、アコースティックやヴォーカルなどの曲種と相性が良さそうだと感じている。

EMPIRE598とTRIODE TRV-4SEのフォノイコの組み合わせはかなり音質に厚みが出て来るので、ネかなか説得力のある音色を楽しむことができそうだ。     10/24

昨日に続いて真空管の交換試聴を継続。久しぶりの週末連休はとても嬉しい。

整流管と出力管(300B)の交換試聴を、今日は嫁殿と一緒に進めて行く。ソフトは嫁殿好みのメタル・ロックを使用するが、嫁殿の音質評価はまずまずよろしいようである。ベースは弱いがドラムにキレがあり、高域が少しおとなしい分だけギターが弱いといった評価である。

さて、整流管をオリジナルの5AR4(中国製)からGZ34(BRIMAR)に変更し、更にGZ32(Mullard?)に取り替えるが、最も音に勢いが出て好ましかったのがGZ34であった。一番期待したのはGZ32であったが、低域の量感も減少して少し淡白になり過ぎて、クラシックなどには良い相性をみせるのかもしれないが、POPS&ROCKには物足りない結果となる。音質に最も影響を与える出力管の方は、エレハモ→GD4300B→桂光→曙光と短時間での切り替え試聴を行うが、最も評価の高かったのが以外にもロシア・エレハモブランドであった。低域の量感も十分で音に厚みもあり、中高域のキレも良くてなかなかのバランスで響く。

アナログはEMPIREの軸受けクリーニングを実施し、モーターにオイルを補充するなどしてボケた音色にやっと抜けの良さが出て来た。CDPの方は光学系固定方式メカを採用したSONY CDP-XA5ESにピアレスのライントランスをかませているが、嫁殿の評価でも定位の良さでCDPはアナログに敵わず、音が少し団子状態になってプレーヤーの存在感が分かりにくいとのことであった。厳しい〜。
大分煮詰まって来たが、来週の休みにはライン段とフォノ段の12AX7をいろいろと試してみようと考えている。    10/25


■ 米 UTC-2080


メインのPOPS&ROCKシステムの方はOrtofon MEISTER-GEが修理の紆余曲折後に復調したことから、最近はまたアナログ三昧である。

ドイツ製トランスで思い通りのものが手に入らない中、米UTCのトランスを調達した。WEやTRIADとともに米製トランスの御三家のひとつで人気のある機種なのだが、PARTRIDGEのトランスなどと比べて比較的安価に手に入れることが出来た。

早速、これまで長期に渡りメイントランスとして愛用して来たPARTRIDGE TK2220との比較試聴を実施する。

結論から申し上げると、POPS&ROCKのような曲種では僅差でUTC-2080の音質が上回ったと言うかより好みにあった結果となった。そんな訳で長年SPUとの組み合わせをサポートして来たPARTRIDGEが、いよいよお役御免となってしまった。中低域の重量感はゆったり響くPARTRIDGEが勝っているのだが、高域に独自のクセというかキラキラ感がありこれがこのトランスの美点でもあるが、ややもするとキンキンとした響きに聴こえることがある。

UTCの音質傾向は全体的にシャープで締まりがあり、プレーヤーの実在感をはっきりさせる音場形成が一番の利点となっていると感じた。前に迫ってくる音質が奥行き感の醸成にも結びついており、音楽性といった点でも評判通りの高音質である。そんな訳でPARTRIDGEは今後サブシステムのOrtofon MC-30Sと組み合せることにした。


さて、サブ・システムのTRIODEプリアンプ真空管の続・交換試聴である。

今度はいよいよライン段とフォノ段の12AX7編である。オリジナルは中国の曙光電子製であるが、何か風呂場で聴いているような独自の低音の膨らみと湿気を帯びたような音色で、カビが生えているような感じである。(そんなひどい訳ありません)
ライン段は4本使用されており、どれがどれだか判断できないので、4本の同一ブランド管(GE高信頼管5751/LUXロゴ松下12AX7)で試聴してみる。全盛期のヴィンテージ管に交換してやっと湿気が抜け、見晴らしの良いはっきりとしたバランスに戻ってほっと一息つかせていただく。GE高信頼感の方は今一歩キレが無いので、こちらは古いLUX選別管で落ち着きを見せる。

さてフォノ段の2本だが、こちらは選択肢がかなり多い。12AX7では英BRIMAR/Mullard/米GEなどに加え、MullardCV4004/CV492などが候補となる。ドイツ管(TELEFUNKEN/SIEMENS)がないのは少し寂しいが、結果として少しもったいない気もするがCV4004で着地した。


プリアンプを導入して真空管も各種取り替えた結果、こちらのサブシステムもかなり図太くて暖かみのある音質を聴かせるようになった。

今後、整流管(5AR4/GZ34)などはまだまだ選択肢があるようだから、機会があったら増やして行こうと考えている。

さて、今度はGarrard401のロングアーム増設にいよいよ取りかかろうと考えてる。SPUと相性の良いロングアームを組み合せるつもりだが、アームブラケットを装着して増設するとなると、アームが限られて来るような感じである。さてさて決着は如何に!   10/30


■ 放送局仕様トーンアーム

いよいよダブルアーム計画を実行に移す時期を迎えた。

もともとこのGarrard401プレーヤーシステムには audio-technica AT1503IIがセットアップされていたが、このキャビネットにもう一本アームを増設しようというものである。一度はロングアームを使ってみたいと思っていたが、オルトフォンやSMEは予算的に手が届かない。そんな訳で放送局仕様として開発されたこのテクニカのロングタイプAT1501IIを使ってみることにした。それほどお高い物ではなかったので、この機会にショートアームの方もAT1503IIIにバージョンアップすることにした。


このショートアームはAT1503IIIになって、インサイドフォースキャンセラーの設置や内部配線を純銀線に変更するなどの仕様変更が計られている。ロングアームは別注のアームブラケットによって後方に取り付ける予定であるが、このロングアームを主にSPU用として使い、ショートアームの方はDENONやOrtofon MC30シリーズなどを使用する予定である。

ロングアーム用のブラケットが完成するのは12月になりそうだが、それまでにフォノイコライザーを調達することにしよう。EARのフォノイコを一度は使用してみたいと思っているのだが、今回は予算的に難し「かもしれない。

サブシステムの方はSPコードをBELDENからORTOFONのバイワイヤータイプに交換したりしているが、依然音に広がりが出ず少し重苦しい音質となっている。やらかくフワッと浮かぶような音質が好みなのだが、音場がどちらかというと低く中央に集まりがちである。アナログでもCDPでも基本的には変わらないから、やはりアンプの音質傾向なのであろうか。CDPを300Bパワーアンプにダイレクトに繋いで聴いていた時はそれほど気にならなかったので、これはTRIODEプリアンプの影響が強いのではないだろうか。どう料理いたしましょうか・・・・。    11/11


 audio-technica AT1503III

3型に進化して軸受けも大型化されているが、音質は今一歩気に入らない。
内部配線を純銀線に変更した影響により音場が豊かにひろがるのは良いが、高域がシャリ付いて低域の密度が薄くなる傾向にあるのが面白くない。どちらかと言うと内部配線が銅線と思われる2型の方が重心も低くて良いのかもしれない。こちらのショートアームではDENONやMC-30シリーズを使用する予定なので、トランスの組み合わせを替えながら好みの音質に持って行こうと考えている。上手くいかないようなら残念だが古い2型に戻すことにしましょう。より新しい方が良いとは限らないのがヴィンテージの世界の通例なのである。   11/14


■ フォノイコライザー


メインシステムの中核を成すプリアンプ Marantz#7 のフォノイコライザーは、2系統の接続が可能である。

これまではクラシックシステムの Thorensと POPS&ROCKシステムの Garrard に1系統ずつ使用していたが、アームを増設した為に新たなフォノイコライザーが必要となった。一度はEARのフォノイコを使ってみたいと常々考えていたが、今回は予算が足りないためお手頃な物がないか探していた。当然真空管式からの選択となる訳だが、プリアンプに続きTRIODEが最近まで販売していた現行品を選択する。

現在アームブラケットを製作中でまだロングアームが使用できないが、事前プランでは Marantz#7のフォノイコにロングアーム+SPU、TRIODEのフォノイコにショートアーム+その他カートリッジを組み合わせようと思いを馳せている。

3本の使用真空管はプリアンプと同じく曙光電子製の12AX7なので、当然ヴィンテージ高音質管に交換予定である。

 TRIODE TRV-EQ4SE

先日購入したサブシステムのプリアンプ同様、Marantz#7と比較するのは可哀想な話だが、このフォノイコに見合うカートリッジの組み合わせなどを探り出すのに年内一杯は掛かりそうだ。まずはじっくりと試聴を繰り返そうと考えている。

サブシステムの方は、TRIODEプリアンプの真空管やSPケーブルを交換したりして少しずつ音質が改善して来たが、今一歩これだと思える音質に到っていなかった。そんな時、電源ケーブルを少し古いS/A Labのケーブルに交換してみたところ、やっと満足の行く音質に近づいたようだ。低音が依然湿気を帯びているなどの不満はあるが、音楽を聴いていて楽しく気持ち良い気分になれるようになったのがとても嬉しい。オリジナルのケーブルはノンブランド(韓国製?)のものだが、このケーブルが良くも悪くも音質に大きな影響を与えているようだ。新たに調達したフォノイコにも同じケーブルが付属しているので、こちらも当然交換が必要となるだろう。      11/18


■ DECCA MarkV-EE


新しいショートアームのAT1503IIIは、ワイドレンジで落ち着いたクラシック向きの音質である。

これまで大切に保管していたDECCAのカートリッジがひょっとしたら生き返るかも知れないと思って、北海道のKeisさんにお願いして新たなリード線を製作してもらった。40年前のオーディオ雑誌で良く眺めていたSMEヘッドシャルとの組み合せを再現して試聴してみるが、残念ながらビビリ音が出てまともに鳴らない。同じ頃のEMPIRE 4000DIIIの方はこれまたKeisさん新作のリード線でなかなかふくよかな音質を提供してくれているが、VL型のDECCAは寿命となってしまったのだろうか。今度またマエストロ・ガレージの谷口さんに相談してみようかな〜。

DECCA/EMPIREの試聴で初めてTRIODEのフォノイコTRV-EQ4SEを使用してみたが、最初はなぜか右chからノイズが出る。いろいろ原因を探ってみたが判明せず、3本の真空管の位置を差し替えたら治まった。このフォノイコの真空管は右側が初段入力の左右chA中央が2段目の左右ch、左が出力の左右chを受け持っているとのことなので、片chだけノイズが出ることは無い筈だがどこか接触不良が起こっていたのであろうか。まあ結局はヴィンテージ管に交換するのだから、音質などについてはこれからじっくり検証していこうと思っている。    11/25

いよいよフォノイコの本格的な試聴に入る。

まず真空管をオリジナルの曙光電子製から、初段(テレフンケン/_マーク)、2段目(ムラード/ロングプレート)、出力(ムラード/ロングプレート)に交換する。デッカやエンパイヤなどMC型以外の古いカートリッジを試してみたが、さすがにまともな音が出て来ないのでDENONを使用することにする。このフォノイコは昇圧用にヘッドアンプを内蔵していてLOWインピーダンス用とHighインピーダンス用を切り替えて使用できるが、やはり音質の良いトランスを組み合せたいと考えていた。

カンノ/ノーザンエレクトリック/Js/パートリッジなど手持ちのトランスを次々と組み合せてみるが、ノーザンとJsは低音がまったく出ずに即アウト。期待していたパートリッジは、ハム音が出てこちらも相性が悪いようだ。カンノでは一番まともな音質を得られたが、低音がブーミーに膨らみ過ぎてこちらも理想の音にはほど遠い状態である。しかたなくトランスではなくヘッドアンプを使用すると、全体バランスは改善されて聴きやすくなるが、今一歩迫力の足りない音質となってしまう。


そんな訳でショートアームを元のAT-1503IIに戻すことにした。

3型に比べ音場は狭まるが、低域が締まって密度の高い音質に変わるので、POPS&ROCKなどではこちらの旧型の方が良いようだ。

いろいろ組み合わせを替えて試聴を続けるが、ここで初歩的な疑問にぶつかってしまう。これまでフォノイコだけを組み合せた接続経路は、ガラード→フォノイコ→マランツ7ライン段で問題はないと思われるが、MCトランスを使用する時にフォノイコの前後のどちらに入れるのかが分からなくなって来た。試聴した時はフォノイコとプリの間にMCトランスを挿入したが、フォノイコの前で使用することによってまともな音に変わるのではないだろうか。もう一度試してみることノしよう。   

まったくお恥ずかしい話で、フォノイコの前にトランスを挿入すると打って変わって潤いのある音が出て来た。予想通り内蔵のヘッドアンプと比べても、音の品位や生々しさなどが一歩も二歩も改善される。特にSPUとの組み合わせでは演出過剰気味だったノーザンエレクトリックが、少し色付けの薄いDL-103シリーズとの相性も良いのか、Marantz7のフォノイコと比較しても大きな音質の差を感じさせることもないようだ。しばらくこの組み合わせで楽しむことにしよう。 そろそろアームブラケットが完成する頃合いだな〜。      11/28  


■ 新たな美音体験


あれこれ試していたら、体験したことの無い美音に巡り合えた。

これまでクラシックについては Thorens126+MCH-II が最も安心して楽しめるものだった。今回、Garrard に搭載するショートアームの試聴を繰り返しているうちに、新たに導入したAT-1503IIIとDENON DL-103C1+ノーザンエレクトリックの組み合わせが、クラシックでも大変魅力的な音質で響くのを発見することができた。オルトフォン同様、ゆったりと響くMCH-IIに比べ、DENONは奥行きを伴ったよりリアルな響きが眼前に展開される。特に入力段にテレフンケン/_マークを使用した時に味わえる、ざっくりとした質感はこれまで体験したことの無い音質である。

このTRIODEのフォノイコは、初段、2段目、出力とそれぞれの真空管が左右chに対応しているため、3本とも別々の真空管を使用することが可能である。贅沢にも_マークに加え、ムラードCV4004やECC83ロングプレートなどの我が家にあるVintage高音質管を組み合せることによって、新たな世界を楽しむことが出来そうである。現在電源ケーブルについては適当なものがないため、shima2372さんにリーズナブルで使いやすいオリジナルケーブルを注文したところである。


昨今のウン十万もするような高額なカートリッジと比較して恐ろしく安価なのだが、それでもオリジナルDENON DL-103を購入しようか以前から悩んでいる。音質の良い派生モデルのC1で十分に楽しむことが出来る訳だが、やはりチャンスがあったら購入したい。   12/2

サブシステムの構築などもあってケーブル類が足りなくなって来たので、BELDENの8412と電源ケーブルを調達した。

最近新たに購入したサブシステムのプリアンプや、こちらのフォノイコ用真空管の取り替え試聴をする機会が増えて、とても楽しい時間を過ごしている。このフォノイコも電源ケーブルを交換した影響が大きいのか、全体的な音質のクオリティが向上したような感じである。いよいよ本格的な試聴を始めるが、音がクリアなジャーマントリオで統一することにした。初段は3枚マイカSIEMENS E83CC、2段目がSIEMENS ECC83(中身はテレフンケン◇マーク/スムースプレート)、出力段にTELEFUNKEN(◇マーク/スムースプレート)に決定した。

シーメンスは学生時代に秋葉原の太平洋で購入して以来一度も活用する機会がなかったが、今回の試聴では3枚マイカの音質の透明度が際立っていた。この組み合わせで聴く声楽やヴォーカルは、これまで経験の無い立体的な定位感で響き、思わず笑みが漏れて来るような幸せな気分にさせてくれる。

ロングアーム用ブラケットが未だ到着しない。

注文した製作会社は納期に3週間ほどかかるとのことだったが、前回アームウエイトを注文した時も1ヶ月を過ぎても送って来なかったので、文句をいった覚えがある。今年も早いもので残すところ1ヶ月を切ったが、最善な状態で年末を迎えたいものである。       12/5


■ ダブルアーム仕様


やっとアームブラケットが到着して念願のダブルアームが完成した。

ロングのaudio-technica AT1501IIとショートのAT1503IIIを組み合せて、シンプルな放送局仕様で仕上げることができた。久しぶりに聴くSPU MEISTER-GEは、重量感のある低音が豊かに響き渡ってまったく安心できる音質である。アームの違いのせいかAT1503IIIと比較すると音場が狭いように感じるが、以前使っていたショートのAT1503IIと同様中低域に重心を置いた聴き馴染んだ音質である。少し離れた位置から油絵の全景を眺めるようなSPUと、視線を近づけて精緻な水墨画を眺めているようなDENONの音質を曲種によって楽しむことが出来るようになった。


奥のロングアームではSPUのバリエーションを、手前のショートアームではDENONやMC-30シリーズをじっくり楽しんで行こうと考えている。お次は原器DL-103の調達を目指すことにしよう。

DENON DL-103C1用に、北海道のKeisさんから送られて来た新作のリード線を試している。

Ortofonの線材を使用したリード線を組み合せると、このカートリッジ特有のタイトな音質が更にパワフルに変身するが、少し緊張感を強いる音色となるのはエージングが足りないのかもしれない。理想から言えばリアルな音質を生かしながらもう一歩豊かな低域バランスとなるように、年末に向けていろいろなリード線を試して行こうと考えている。    12/9


■ 師走のメンテナンス

フォノイコの試聴などを繰り返していると、真空管アンプ特有のゴソゴソノイズや音が途切れるなどの症状が出始めた。

年末に差し掛かって丁度メンテナンスの時期でもあるので、アンプを中心に真空管のピンやソケットなどのクリーニングを念入りに実施する。左前にあるのはオヤイデのスパイクとインシュレーターだ。Garrard401を使って音楽を聴いていると、前を静かに歩いただけで振動を拾うために購入してみた。こんなに小さいもので効果があるのか疑問だったが、設置してみると以外としっかりしていた。

今年もいよいよあと半月ほどを残すのみとなったが、来週あたりには年末恒例の第九演奏会を独り寂しく開く予定である。昨年はベーム盤だったが、今年はシューリヒトの国内盤を既に購入済みである。 なんとなくあっと言う間の一年だったような気がする。    12/12


久しぶりに取得した週末の連休は、どっぷりオーディオ三昧で過ごした。
Garrard401で使うようになった新たなショートアームAT1503-IIIにDENON DL-103C1を組み合わせると、これまで弦楽器の質感が好みに合わずにあまり聴くことが無かった Harbeth HL-4 でも、クラシックをまずまずの音質で楽しむことができるようになった。

しかしやはり TANNOY IIILZ と MCH-IIの組み合わせを聴くと、クラシックに関してはやはりこの音質が我が家では最上のものと納得させられる。ロングアームを加えたダブルアーム仕様にして2種類のカートリッジを瞬時に聴き比べられるというのは便利だが、今のところショートアームとロングアームの音質の違いはそれほど感じられない。同じテクニカ製で長さが違うだけだから、そんなものなのかもしれない。

サブシステムの方はCDを中心にPOPSやヴォーカルなどを楽しんでいるが、ケーブルや真空管の交換などによってかなり満足の行く音質になって来たようだ。しかし依然として低域のこもったような音質の原因が特定できず、じっくり聴いているとドラムやベースなどの音質に不満が出て来る。CDPでもアナログを聴いてもこの音質傾向は変わらないから、パワーアンプ300Bシングルの限界なのかTRIODEのプリアンプの音質影響なのかがはっきりしない。

やはり細かいところは気にせずに、雰囲気で聴かせるような音質傾向のELEKITパワーアンプが原因ではないだろうか。来週はもう一度、現在使用しているエレハモの出力管を他の物と入れ替えて試してみようとも思うが、それほど大きな音質の変化は期待できずこれで駄目ならお手上げとなる。流石にメインシステムと同様の質感を求めるフは無理があるのかもしれない。    12/13

サブシステムの音質が今一歩の件だが、まったくお馬鹿な話である。

Harbeth HL-Compact のリアバッフルは、ご覧のようにバイワイヤリング端子となっている。こちらの画像ではシングルワイヤ接続となっているが、低域の音質が不自然だと感じたのは、なんのことはないバイワイヤリング接続をしていて高域側の端子のひとつが外れていたのである。

まったく我ながらお恥ずかしい話で、なんでこんなに注意力がなくなってしまったのだろうか。 エレキットよ疑って悪かった!!  安価な国産キットでありながらも、直熱3極管 300Bの音質の良さを気付かせてくれたのに本当にごめんなさい。頭に来たのでシングルワイヤの BELDENケーブルに交換したところ、嘘のように見通しの良い音色に生まれ変わったのである。(当たり前か!)

ちなみにこのジャンパーケーブルは Harbeth HL-4純正のものだが、HL-Compact に付いていたのはチープな金属の線材だったので、使わずに仕舞って置いたらどこかにいってしまった。

気を取り直して聴いてみたこのサブシステムの音質は音離れが良くキビキビとしたもので、メインシステムと比較すると流石にスケール感には乏しい恨みはあるが、これはこれで楽しく音楽を楽しめるシステムに仕上がったと喜んでいる。   12/15


■ アナログ復興


先日見たTVのニュース番組で、最近再ブームを迎えているアナログレコードについての話題があった。

国内で唯一レコード生産を続けていた会社もここ数年フル稼働を続けているとのことで、まことに喜ばしいことである。番組の中でこれまでレコードに縁がなかったCD世代の方々も、店員がレコードに針を落とす儀式を興味津々に眺めながら、流れて来る音楽に耳を傾けていた。

そんな内容に背中を押された訳でもないが、アナログ盤を調達するために初めて嫁殿と連れ立って神保町まで出かけることにした。有名どころの3軒の中古レコード店をハシゴして、久しぶりに10数枚のアナログ盤を購入する。中には発売されたばかりのビートルズのアルバム「ザ・ビートルズ1」も調達できたし、調子の上がって来たオーディオシステムで楽しみな年末を迎えられそうである。     12/19


いよいよ2015年の年末も押し迫って来たが、今年も何のことは無いアナログ三昧で終わろうとしている。

ロングアームに MC-30 SuperIIを装着して聴いてみるが、SPUと比較して腰高の音質が今一歩しっくり来ない。

昇圧トランスの方もいよいよこの年末に悪魔の囁きY下さんから WE-618B をお借りすることになっているので、事前に手持ちのパートリッジやカンノなどをいろいろ試してみている。やはり POPS&ROCK などの曲種では、奥行き感があり押し出しの強い音場を形成する UTC-2080が一番好みに合うことを確認した。高いから嫌いだが、圧倒的な評価の WE-618B とは一体どんな音なのだろうか。    12/25

■ 例のブツが・・・・!


年末、Y下さんから恐ろしい音楽の媚薬が届いた。

一度手にするとコカイン、ヘロイン、覚醒剤などの薬物と同様に依存症に陥りやすく、また依存症状が深刻になりやすい機器と言われている。そんな危ないブツに手を出すとは、オーディオ人生を滅ぼすことにならないであろうか。
http://my-vintage.music.coocan.jp/2015.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c13

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
45. 中川隆[-14382] koaQ7Jey 2020年1月18日 12:58:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1296]
2020年01月18日11:30
ソレイマニ司令官攻撃に使われたMQ−9リーパーはF-35よりずっと安い

画像引用:https://s.aolcdn.com/hss/storage/midas/259905e5b4d02debcb457f05a88e000a/206521082/reaper.jpg

世界史が一変した日

2020年1月3日に米軍の無人機がバグダッド国際空港を攻撃し、ソレイマニ司令官がなくなりました。

攻撃に使用されたのは無人航空機・MQ−9リーパーで、ヘルファイヤR9Xを2発発射し正確に命中させた。

米軍とCIAは攻撃に至るまで古典的工作員やネットや電話網の監視、偵察衛星や電子航空機などで司令官の位置を追跡した。


例えばアメリカが協力した南米マフィアの逮捕では、携帯電話の通話内容や位置から特定した様子がテレビ放送されている。

米軍はもっと高度な探知システムを持っている筈で、ある国の電話で特定のキーワードを通話した人物の所在地を特定することも出来るとされている。

アルカイダのオサマビンラディンやIS討伐作戦の多くで、このように狙った人物の所在地を特定し攻撃した。


もっと専門家を驚かせたのは攻撃に用いられたのがドローンから発射された小型ミサイルだった点でした。

全長約160cmで周辺への被害がほとんどなく、特定の人物だけを目標にし、同乗者や隣にいる人物の巻き添えを避ける事も可能だという。

実際には車両に命中した場合は同乗者の被害は避けられないが、爆発するのではなく1mほどの狭い範囲に破片が留まる。


これに遡ること3か月半の2019年9月14日、サウジアラビアの石油施設が謎のドローン空軍に攻撃されました。

実際の主力は巡航ミサイルやロケット弾だったようですが、「史上初のドローン空爆」は大きなインパクトを与えた。

犯人は謎とされているが実際にはイラン革命防衛隊で、指揮したのは1月3日になくなったソレイマニ司令官でした。
http://www.thutmosev.com/archives/81972830.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c45

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
46. 中川隆[-14381] koaQ7Jey 2020年1月18日 13:03:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1295]
野蛮人連中に運営されている欧米
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-584f45.html
2020年1月17日 マスコミに載らない海外記事


2020年1月11日
ピーター・ケーニッヒ
New Eastern Outlook

 我々は一体いつまで、アメリカ支配者連中の暴君的命令を受け入れるのだろう? 状況は日ごとに益々悪化しているが、欧米世界の「指導者連中」(病んでいる、実に病んでいる!)が、益々、アメリカ殺害機構に屈服しており、欧州連合の全加盟諸国の指導者や、全てのシオニスト-アングロサクソンと日本の誰も立ち上がって「いいえ!」あなた方の覇権的残虐行為はもう沢山だ!と大声で言う勇気がないのだ。彼ら全員、野蛮人連中のように運営する犯罪帝国に、全力で屈している。

 想像願いたい。いわゆる世界的指導者が、異なる派閥間の調停を支援するため、あなたを外国に招待し、あなたは受け入れ、あなたが空港に到着すると、彼があなたを殺すのだ。それから彼は微笑み、大満足で、自分がリモコンで、無人機で殺害し、死なせる命令を出したと自慢するのだ。ウソ以外、あなたに対して、いかなる告発も決して何もなかったのだから、超法規的殺人より遥かに悪質だ。

 それが、愛され、才知に長けたカリスマ的なイランのガーセム・ソレイマーニー司令官に、まさに起きたことだ。マイク・ポンペオ国務長官とマーク・エスパー戦争長官のようなトランプの惨めな手先が、恥知らずに拒否しているものだ。ホワイトハウス報道関係者に対するブリーフィングの前に、ポンペオは皮肉っぽく笑い、ジャーナリストに尋ねた。「君たちはこのようなたわごとを信じるのか?」そしてもちろん主流マスコミ・ジャーナリストの誰も、たとえ彼らがそれを信じているにせよ、あえて「はい」とは言うまい。その代わり、彼らは目の前の、ぞっとするような「殺人共犯者」野蛮人国家最高外交官への彼らの同意を表明するため愛想よく笑ったのだ。主流マスコミのジャーナリストは、連中の仕事やホワイトハウスの記者会見場への出入りを危うくする覚悟がない臆病者だ。

 だがそれはまさにイラクのアーディル・アブドゥルマフディー首相が不信感と畏怖をこめて語ったことだ。「トランプは私にイランと調停するよう依頼した。彼は私の招待客を殺したのだ。」アーディル・アブドゥルマフディー首相は、トランプや彼の取り巻き連中の誰よりも、特に少し前にRTにこう語ったマイク・ポンペオ国務長官よりも確実に高い信頼性がある:

「私がCIA長官だった頃、我々はウソをつき、だまし、盗みをはたらいた。我々にはあらゆる研修コースがあった。それは人にアメリカの実験の栄光を思い出させる。」

* **

 ソレイマーニー司令官はバグダッド空港で、イラク軍人民動員隊副司令官アブ・マハディ・アル・ムハンディスに車で迎えられた。彼らがSUVを運転して去った際、アメリカ-無人機ミサイルが、両国の10人の他の高位軍人たちに命中し、粉砕した。

 ソレイマーニーは外交特権を持っていた。アメリカはそれを承知していた。だが規則や法律や倫理基準をワシントンは尊重しない。野蛮人と非常によく似た行動だ。ソレイマーニー司令官は将官を超える人物で、素晴らしい外交官でもあり、トランプがアブドゥル-マハディ首相に先導するよう依頼した調停プロセスの一環として、アメリカとイラン間同様、イランとサウジアラビア間の緊張を緩和するため、トランプのため、アブドゥル-マハディ首相により、バグダッド訪問を依頼されていた。これはガーセム・ソレイマーニーを暗殺する、卑屈で臆病な策略だった。人はどこまで酷く落ちることができるのだろう?この恐ろしい罪を表現する言葉もない。

 ウソで身を飾るポンペオは、直ぐさま、ソレイマーニーはテロリストで(アメリカ)の国家的安全保障の脅威だったというワシントンで、うんざりするほど使われる万能の文句を考え出した。読者の皆様はご承知だろう。イラン人の誰も、ソレイマーニー司令官も他の誰も、今まで武器であれ、言葉であれ、アメリカを脅迫したことなどないのだ。

 それから「野蛮人最高司令官」は、イランがあえて報復した場合に備え、52箇所の(彼らの文化遺産を攻撃すると、イランを恫喝する厚顔さを持っていた。だが報復するイランは、昨夜、約22発のミサイルを二つのアメリカ-イラク軍事基地に打ち込んでそうした。犠牲者はいたが、明確な数字は不明だ。トランプは「全て順調」とTwitterでつぶやいた。彼が約束した報復について質問されると、トランプは史跡を破壊するのは法律違反だと言われたので、法律に従いたいと言って撤回した。あなたは想像できるたろうか?

 すぐ次の法律違反行動で、トランプはイランのモハンマド・ジャバード・ザリーフ外務大臣へのアメリカ入国ビザを拒否して、週末、安全保障理事会で演説するため、ニューヨークの国連に来るのを禁じた。これは、1947年に、アメリカが署名した外国の代表者は、常にニューヨークの国連領域への出入りを認められるという(ジュネーブの国連にも同じことが適用される)国連憲章違反だ。

 我々が彼を必要とする時、アントニオ・グテーレス国連事務総長はどこにいるのだろう? 彼は何を言わねばならないのだろう。巨大なつまらない人間。彼はソレイマーニー司令官殺害を非難さえしなかった。国連はそういう代物になったのだ。野蛮人帝国の命令を実行する無価値な骨を抜かれた組織。なんと悲しい遺産だろう。

 大多数の国連加盟諸国が、国際連合から、アメリカを追放する投票を要求し、ゼロからやり直し、新たに改革された、ぜい肉を落とした、より能率的な、世界中の平和のために調停する国連の元々の憲章に従って行動する瞬間は来ないのだろうか? ベネズエラや、キューバ、イラン、アフガニスタン、シリアや朝鮮民主主義人民共和国のように、アメリカにいやがらせされ、弾圧され、制裁されている国々を支持する120カ国以上の非同盟諸国がある。なぜ一斉に立ち上がって、憲章が国連はそうあるべきだとが言っているものにしないのだろう。野蛮な専制君主がいないものに。

 ドローンと高度な目標精度技術を持つ多数の国があり、全てが野蛮国の友人というわけではない。想像願いたい。誰かが、どこかの国が、ポンペオを抹殺するため無人機を飛ばすのを。あるいは、とんでもないことだが、野蛮人の親玉自身を。それで極端な騒動になり、核によるホロコーストになるかも知れず、我々が知っている世界の壊滅だ。文明の終わり。おそらく、良い厄介払い。

 我々はそれに値するのかもしれない。一部の人々がまさに「大魔王」と呼ぶもの、あるいは簡単に、より現実的に「野蛮人連中」に我々は影響力を及ぼすことができないように思われるので。我々は数百年もの間彼らを見なかった。だが彼ら、破廉恥で、無情で、非合法な野蛮人連中は、アメリカという姿で戻って来たのだ。連中の出血し、弱まりつつある触手で文明を締め付ける最後の試みで。

 この世界で、一体に誰が、まだ野蛮人帝国と関係を持ちたいと望むだろう。アメリカとの(儲かる)商売などどうでも良い。そういう商売は止めても、新しい関係、ロシアと中国を含むユーラシア大陸との自然な関係を再構築することで置き換えることが可能だ。それは当然、遅かれ早かれ起きるだろう。野蛮人連中を孤立させ、連中を自身の腐敗した沼で朽ち果てさせるのだ。彼らは回復し、再びまともな国になるかも知れない。パートナーになり、尊敬され得る国に。それは明日には起きないかもしれないが、近い将来には、そうなるかもしれない。たとえ大半の西洋文化では、ごく小さな炎や、わずかにちらつくおきになっていても、誰にも良心はある。それは目覚めさせることは可能だ。

 野蛮な帝国の行動に関する手短な更新

 イラクは、全ての外国軍隊に国を去るように求めて、国家主権の再確立を望んでいる。イラク議会は過半数で、イラク主権を取り戻すことに決めており、アメリカや外国軍隊は国から撤退しなければならない。結果的に、1月6日、イラク国防省のイラク合同作戦司令官アブドゥル-アミール氏宛に、アメリカが軍撤退の準備ができていると言う、対ISISアメリカ連合(原文のまま)を指揮する海兵隊士官ウィリアム・シーリ陸軍准将の、どうやら無署名の書簡が送られた。これは即座に、ホワイトハウスも国防総省も混乱、ミスと呼び否定し、アメリカは軍隊を撤退する意志はないと述べた。「我々は駐留する」。

 アメリカは現在イラクに約5,200人の兵隊を配備している。イギリスは約400人。それが同盟国の国家主権回復の願望が、どれだけを重んじられているかの目安だ。野蛮人連中は敬意、倫理、法律を知らない。野蛮人連中は残酷なのだ。

 いくつかのヨーロッパ諸国が、イラクの決定を尊重し、彼らの軍隊を撤退させ、イラクと地域から去ると決めた。最も親密な野蛮人同盟国イギリスだけがまだ決定しておらず、アメリカ部隊と共に、イラクに400人の部隊を残すのだ。なんと典型的なことか!

 東京の夏季オリンピックで、もう一つの蛮行として、アメリカは、ロシアは今年東京での夏季オリンピックに参加できないと決定した。世界の他の国々は、アメリカをボイコットし、ロシアに参加させる代わりに、沈黙している。臆病者! 惨めな臆病者。

 2020年2月のプエルトリコでのカリビアン・シリーズで、野球プロ選手同盟のカリビアンシリーズへのキューバ参加阻止を、野蛮人連中は試みてのり、おそらく成功しつつある。何の理由説明も無し。ただビザの複雑な問題だけ。

 再び世界は黙って傍観している。この欧米世界は崩壊すべきだ。人類を救いたいのならば、既にファシズムに向かいつつある新自由主義は迅速に絶滅せねばならない。

 Peter Koenigは経済学者で、地政学専門家。彼は世界銀行で30年間働いた経験に基づいた経済スリラー「Implosion - An Economic Thriller about War、Environmental Destruction and Corporate Greed」の著者。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c46

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
47. 中川隆[-14380] koaQ7Jey 2020年1月18日 13:04:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1294]
ソレイマニ司令官は米国の軍事ビジネスのために殺された トランプvsイラン 狂気の泥仕合
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/267597
2020/01/16 日刊ゲンダイ


ソレイマニ司令官は国民的英雄だった(C)ロイター/WANA (West Asia News Agency) 

 イランの国民的英雄・ソレイマニ司令官は1957年3月11日生まれ。貧しい農家の出身である。父親は借金を重ね農業を営んでいたが、借金の返済が追い付かず、破綻。ソレイマニ氏は家計を助けるため13歳から建設現場で働いた。

 彼が生まれる4年前の1953年、アメリカはCIAの工作で当時のイラン政府を転覆させ傀儡政権を樹立している。反米活動家や労働者、知識人の多くが投獄された。

 当時のアメリカの中東政策はイスラエルとサウジアラビアを軸にイランもコントロールするという「ニクソン・ドクトリン」。そのため、イランとサウジには膨大な武器が輸出された。1977年、カーター大統領は「世界で混乱が広まる中、イランは最も安定した国」と宣言している。ソレイマニ少年はそうした情勢下で育った。

 しかし1978年、アメリカの傀儡であったパーレビ政権の圧制に国民がついに怒りののろしを上げた。労働者のストライキが大規模化し、イラン経済の屋台骨の原油施設も稼働しなくなった。大混乱の末、ホメイニ師が革命政権を樹立したのが1979年2月11日のこと。

 当時、21歳のソレイマニ青年は革命防衛隊に加わり、最前線で戦った。ソレイマニ司令官は、8年間つづいたイラン・イラク戦でも大きな役割を果たしている。

 トランプ大統領はソレイマニ司令官をテロリストと断罪するが、正規軍の最高幹部である。貧しい生い立ちから政治の腐敗やアメリカの横暴を目の当たりにし、祖国の再建に邁進する宗教心のあつい指導者であった。

 彼の葬儀に際し、最高指導者のハメネイ師が涙を流したのも当然であろう。

 ではソレイマニ司令官がイラクのバグダッドの飛行場でアメリカのドローン攻撃で殺害されたのはなぜなのか? バグダッドを訪問した目的は何だったのか?

 実はイラク政府がイランとサウジとの対立を解消するための仲介役を担っていたのである。長年、対立をつづけてきたイランとサウジが和解すれば、中東の地図は大きく変わる。

 ソレイマニ司令官は、イラン政府としての調停案への回答文書を携えていた。イラクのアブドルマハディ首相に手渡すためだった。水面下でサウジとイランの交渉が始まっていたと推察される。

 残念ながら、こうした動きはアメリカの望むものではなかった。なぜなら、イランとの対立があるからこそ、サウジはアメリカの武器を大量に買ってくれるからだ。イランとサウジの間で和解が成立すれば、トランプ大統領を支えるアメリカの軍需産業は大きなビジネスを失うことになる。アメリカのモットーは「戦争ほど儲かるビジネスはない」というわけだ。(つづく)

(国際政治経済学者・浜田和幸)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c47

[近代史3] イランの歴史 中川隆
2. 中川隆[-14379] koaQ7Jey 2020年1月18日 13:11:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1293]
白色革命


右のサングラスの人物が国王パフラヴィー2世(日本での通称・パーレビ国王)

白色革命(はくしょくかくめい、英: White Revolution、波: انقلاب سفید‎)は、イランの第2代国王(シャーハンシャー)モハンマド・レザー・パフラヴィー(パフラヴィー2世)が、1963年にイランの近代化、西欧化を提唱して発動した広範囲にわたる改革の総称である。白色革命は上(つまり王の命令)からの革命を意味するが、その強引な手法は、旧来の伝統を色濃く残していた当時のイラン社会に大混乱をもたらした。


概要

国王モハンマド・レザーは、米国民主党ケネディー政権による継続的なイランに対する改革要求により、上からの近代化による経済成長を計画。アメリカの支援のもと、農地改革を実施して農民の不満解消に努めると共に、工業化、労働者の待遇改善、女性参政権、教育の向上などの西欧化を推進した。また、イラン国内の資本と支持基盤を地方の地主層から中央のブルジョワジーに移し、近代的な産業社会の現出を試みた。

また、国家の西欧化や、イスラームといった宗教よりもアーリア人に起源をもとめる西洋的ナショナリズムを改革の柱とするなど、世俗的な政策を実施する一方、石油歳入にからんだ利益供与や協調組合制度の導入にも尽力、自らの権力を確固たるものにしようとした。それら1974年に起きたオイルショック後の急速な原油価格の値上げで得た収入をこれらの政策に注ぎ込んだ。

しかし産業基盤の実情を計算に入れず工業化などの近代化政策ばかり先行したため外国から商品を輸入したはいいが港の荷揚げ設備が不備なため船は長い間待機させられた。インフレも急ピッチで進み庶民を苦しめ失業者が増大し貧富の格差が増大した。大規模な汚職も横行しオイルダラーを狙った商社から王室周辺や政府高官へ賄賂攻勢がおこなわれた。文盲率の高かった当時のイランはそもそも近代化の基礎構造を欠いていて改革の恩恵は一部の市民がこうむるにとどまった。石油価格の暴騰で政府には金が有り余り、投資ばかりが先行した。こうした状況で国王はイラン軍の整備を進めアメリカから大量の兵器を購入する。

そしてオイルショック後の急速な原油価格の安定化もあり、1970年代後半に入ると白色革命は破綻した。それに伴い国民の間での経済格差が急速に拡大し、政治への不満も高まりを見せ、皇帝の求心力も急激に低下した。貧富の差が増大し革命の影響は上流中産階級と下層階級との対立、特にリベラルなテクノクラートと厳格で保守的なシーア派宗教指導者との対立を激化させ、これが後に起こるイラン革命の下地となった。

なお、シーア派の宗教学者でありイラン革命の指導者となるホメイニーは、これら一連の諸改革自体には直接反対しなかったものの、これら諸改革に潜むその国王独裁的な性格を熾烈に非難し、結果逮捕され、その後国外追放を余儀なくされている。

改革の成果

国民の識字率の向上 - モハンマド・レザーの即位前は国民の文盲率は95%だったが退位後は50%まで減少した。

農地改革 - 国土の60%を埋める荒野を外国から技師を招いて緑化しようとした。また大地主の土地を買い上げて農民に分け与えたが農民たちは灌漑に必要な資力を持っていなかったため有効に活用できずやむなく都市部に流れ込みスラムを形成した。そのため農業生産高はかえって減少し食糧は輸入するようになった。
教育の振興 - 富裕層の子弟に海外留学を勧めたが、その一部は留学先で反王制派になった。

世俗化 - 女性に選挙権、被選挙権を認めヒジャーブ着用の禁止し一夫一妻制を導入したことから、宗教学者層を中心に非難された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%89%B2%E9%9D%A9%E5%91%BD
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/798.html#c2

[近代史3] ほとんど禁酒に成功しなかった「禁酒法」が残した教訓とは?
2020年01月17日
ほとんど禁酒に成功しなかった「禁酒法」が残した教訓とは?
https://gigazine.net/news/20200117-prohibition-changed-americans-drink/

2020年1月16日は、酒の提供や販売が違法とされた「禁酒法」が1920年にアメリカで制定されてからちょうど100周年の節目にあたる日でした。1920年に制定されてから1933年に廃止されるまでの間に、禁酒法がアメリカの社会にどんな影響をもたらしたのかを、ボストン大学の経済学者ジェイ・ザゴルスキー氏が経済学者ならではの視点からまとめています。

How Prohibition changed the way Americans drink, 100 years ago
https://theconversation.com/how-prohibition-changed-the-way-americans-drink-100-years-ago-129854



◆禁酒法のあらまし

アメリカで禁酒法が制定されたのは、1800年代に節酒の取り組みが始まったことに端を発しています。19世紀初頭のアメリカでは、近年の3倍と推測される量のアルコールが消費されており、健康被害や家庭内暴力などさまざまな社会問題が表面化していました。そこで、敬虔けいけんなキリスト教徒や婦人運動に参加していた女性らが主導し、アメリカの各地で禁酒制度が制定されるようになりました。

こうした禁酒運動は、酒税による税収入を必要とした南北戦争で一度中断されましたが、逆に1914年〜1918年の第一次世界大戦では、酒の原料となる穀物を節約するためにさらなる禁酒が進められました。

以下がアメリカ人の年間平均アルコール摂取量の推移を表したグラフで、黄色がビール、赤がワイン、青が蒸留酒を表しており、赤枠の部分が禁酒法が施行されていた時期です。禁酒法が制定される直前の1916年には、アメリカ人が消費した酒は年間2ガロン(約7.5リットル)ほどだったとのこと。


こうした流れの中、アルコール飲料の製造・販売・輸送を全面的に禁止にするアメリカ合衆国憲法修正第18条、いわゆる禁酒法が制定され、酒の取り扱いが全国的に禁じられることになりました。禁酒法が言及される際には、よく「好きなだけ飲めた酒が一晩で一滴も飲めなくなった」と強調されますが、実際にはアメリカ各地で飲酒が禁止されていた当時の情勢の延長線上にあるものだといえます。

◆禁酒法は飲酒を減らさなかった
禁酒法が制定されてからは、当然ながら飲酒量の統計調査は行われていません。そこで、研究者らは飲酒量との関係が深い「飲酒・肝硬変・アルコール依存症による死亡者数や、アルコールに起因する精神疾患による入院者数」を元に、飲酒法制定直後の飲酒量を推測しました。その結果、禁酒法が制定された1920年のアルコール消費量は前年の3分の1ほどに減ったことが分かったとのこと。

しかし、アルコール消費量はすぐに回復し、翌年の1921年には制定前の3分の2になりました。これについて、ザゴルスキー氏は「アルコールの消費が落ち込んだ理由として、1920年と1921年の深刻な経済不況が考えられます。アメリカ経済はその後、1922年には回復したので、人々は密造酒を買うだけの余裕を持つことができました」と述べて、飲酒量の減少は禁酒法よりもむしろ不況の影響が強いことを示唆しました。

禁酒法が1933年に廃止されてからは、アメリカ人の飲酒量は徐々に増加していき、1960年代〜70年代ごろには1900年代とほぼ同じ飲酒量にまで回復しました。


◆禁酒法の教訓
期待されたほどにはアルコール消費量を低下させなかった禁酒法ですが、アメリカ社会に多くの影響を残したのも事実です。例えば、飲み屋などに集まって飲酒する習慣は下火になり、家で飲むことが多くなりました。さらには、暴力的な犯罪の増加や、密造酒を扱うマフィアの台頭を招いたこともよく指摘されています。

また、ザゴルスキー氏は「経済学者の立場から見ると、人々に健康に悪いことをやめさせたいなら、禁止するより価格を上げたほうが効果的だと考えられます。1970年代には40%だったアメリカの喫煙者の割合が、2018年には16%に減少したのと同様です」と指摘。「禁酒法は、ものごとを禁止しても成功することはめったにないということを思い起こさせてくれます」と締めくくりました。
https://gigazine.net/news/20200117-prohibition-changed-americans-drink/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/808.html

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
14. 中川隆[-14378] koaQ7Jey 2020年1月18日 14:57:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1291]
・AUDAX 13LB25AL(13センチ)・・・ここからスタート。フランスの伝説のブランド。黒ペーパーコーンで、音色はまさに古色蒼然、カラヤンのフィルハーモニア時代、モノラル録音のよさがはじめてわかった。能率も極めて高く、真空管があればもっとよかった。一方で、新しい録音への対応はやや違和感が。
ある段階から、妙に違和感が出たので、下記のE100HDに取り換えることを繰り返した。
ユニット取り付け穴の都合で、キャビへの取付を2つのネジでやる等、試行錯誤していたので、かわいそうな条件だった。108Solからまったく音が変わってオオと思った、コスパはすごく高いユニット。

コメント

mixiユーザー2019年09月15日 22:04
思い出しました確かに退院直後に読ませて頂きました。面白そう!古風というのが気に入りました! 17cmと合わせて手に入れたいです!!(笑)。

mixiユーザー2019年09月16日 00:26
> mixiユーザー 
AUDAXはおもしろいです。キャラがあります。年がら年中フルトヴェングラーとかワルターとかオールドジャズを聴いている人には至福じゃないか。ハイ落ちなのでツィーターもコンデンサーのみでつながります。ここまできたら真空管使うしかないという音です。やっぱり時代ですね。

mixiユーザー2019年09月16日 00:5295dB
以下はスピーカーユニットじゃねえ!!みたいな(笑)。こう言うの好きです!!。今時96dBでぶちのめす!!いいんじゃない的な(笑)。割り切ってるところがすごい!!。ハイ落ちでますます今風じゃないなんて!!。本当時代が来てますね!!(笑)。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1972716104


AUDAXが復活。デジタルプリのイコライザー調整で、サブウーファーとも-24デシベル/octの80Hzクロス設定でも、まあまともになることが判明。意外なことに、低音足りな過ぎ問題は深刻ではなくなった。

中低域の量は谷になって少ないはずなのだが、音色としてはそこにアクセントがあり、ペーパーのあいまいさ、あたたかみというか、古風な艶消しの美音を聴かせる。タンノイに似ている。

3万円台のAUDAXが刺客になったが、クールなジャズとポップ系、弦独奏中心ならメタルコーン系だろう。現代ハイエンド調の音色で追い込むならEikona。今回は、フルトヴェングラー以降の古典クラシック再生を好み、LP時代の雰囲気を疑似的に再現したい、黒大好きという、個人的な嗜好が強い。

値段ではなく、いろいろ鳴らしてみてよかった。
古風で高能率で黒いコーンの方向に進めばいいとわかった。
パワーアンプもファーストワット(疑似真空管?)だし。

重量路線でAudioNirvanaのClassic5と、高級路線でEMS社のLB5とLB6を試す。
その前にユニット処分しないと・・・ FE108solは大人気なので心配ないのだが、日本にほとんど存在しないユニットは、価値がわかる人がいるかどうか。。
新鮮味に欠けるので、今日また、E100HDにつけかえて、売れるまではそれで行こうかなと思いたった。それだけ思い入れのあるユニットなのだ。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971417544?org_id=1971402262
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c14

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
15. 中川隆[-14377] koaQ7Jey 2020年1月18日 15:08:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1289]
EMSの LB6 は AUDAX みたいに1940から1970年代みたいな感じでもなく、ハイエンド、ハイレゾの鮮明カラフルというのでもない。

メーカーは、リッチで分析的と謳っているが、確かにタンノイや AUDAX のようにリッチではあるが、溺れる感じではなく現代的な性能も感じる。

静かというのは、余計な音が出ていないというか、スピーカー周りのドロドロ感がなくて、空間にスッと音像ができている感じで、これはトランジェントのよさだろう。

性別でいうと、108Solは、長岡先生と連携してつくってきた「やんちゃな男の子」という感じ。Solは大人になったが、昔やんちゃだった男性。

AUDAX は野人の男性という感じ。昔ベルリンフィルやウィーンフィルに女性楽員がいなかったような。

E100HDはどちらともいえる。

LB5は気品があるが、機敏なので、育ちのいい少年少女か。

LB6は、高貴な女性を思わせる。いざとなれば芯の強さを見せるが、やたら主張してくる音ではない。やはりヴァイオリンソナタが綺麗。静かに花開くよう。

ただ、LB5の印象と違い、振動板のドライな感触が、FEほどではないが残るようだ。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1972720173?org_id=1972716661
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c15

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
16. 中川隆[-14379] koaQ7Jey 2020年1月18日 15:17:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1291]

そして宴の後 2019年05月06日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971422117?org_id=1971417544

AUDAX しっかり調整して、悪くないが、もうわかってしまった音で、ワクワクしない。これからフルトヴェングラーばかり聴くならこれでいいが。
E100HDmk2を再登場させた。

以前は、ユニット交換・調整なんか1か月がかりのイメージだったが、繰り返しなので、1時間でできる。
ファストン端子は、金メッキのは抜き差しはそんなに手間ではないが、ケーブルとの圧着がけっこう大変で、抜けてしまったのを再装着で手間取る。
イコライザーは、部屋の特性として、50Hzをとにかく落とす、左チャンネルの315Hzを落とす、というのが絶対で、あとは微調整なので暇なときにやればよい。
今回、サブウーファーのみで50Hzを落とす方法を初めて発見した。何をやってたんだというところだが、まあ、実際は聴感的に愕然とするほどの差はなく、精神衛生上の感じだが。

CLASSEのデジタルプリCP800の機能に頼りきりで、CLASSEはB&W社と関係切られた?とか社長が亡くなった?とか、読んだ気がして、気が気ではない。

音は、やはりたちまち金属の感じになる。
それが潔いというか、楽しい。ずっと聴かねばならないなら改善策を必死で考えるが、個性を楽しむ状況にあるのだ。
オークションは取り下げで、最低2週間ぐらいは聴いてみよう。これがGWの結論の音。
ツィーターの調整やリアがやや大きいなどもあるが、オーディオはやや未完成ぐらいのときがいちばん楽しい。

それにしても、工作と調整で疲れた。
GWを楽しみにして、いろんな工具を買っていた。モノタロウという業者さん向けのネットショップに目を付けられ、分厚いカタログが2冊オマケでついてきたりした。

頭を悩ませたのが、画像のリング裏部分のところで、もともと木工業者さんがつけてくれていた鬼目ナットのサポートみたいなやつが3か所壊れたため(AUDAXの無理な仮留めのせいか)、精神衛生的にも裏側から締め付ける方法を考えた。
しかし、窪みにあるので難しい。
で、六角レンチと長ナットを組み合わせ、歯付き座金ワッシャをかませて対応。
まあまあうまくいったが、ユニットをつけてしまうと、当然裏からの締め付けは不可。AUDAXは結局リングに2か所留めとなっていてよくはない。また送り返して穴のない位置に開けてもらうか・・・
他人にはどうでもいい話だが、1週間ぐらい通勤電車のスマホで案を練り続けた。

使わなかった材料もたくさん。数百円だが、重なるとそこそこ。
そもそもユニット自体が、すぐに処分なのだから無駄が多い。
でもまあ、いちどこういうのをやってみたかったし、こういう無駄が豊かさなのだと思う。
コスパのために生きているのではない。
今回、思いがけないネジやコンデンサーを採用する結果になることが本当に多かった。
Yラグ(1個10円以下)工作がうまくハマると楽しい。マトリックスサラウンドのつけ外しが実に気軽になった。

よくないパターンとしては、いちばん高いEikonaだけ買う、それに合わせて自分を変える、みたいな。
いくつか候補を試して、合うものを残すのが合理的でもある。

旅行も、計画を立てているときがいちばん楽しい。
最中は必死で落ち着かず、無限と思っていたら、あれもう終わりかと。
GWは、やりたいことの3分の1もした感じがない。

しばらくは、ボルトもナットもレンチもファストン端子もみたくはない。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971422117?org_id=1971417544


2019年04月23日 JX92Sの亡霊
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971235422?org_id=1971150041

アルミリングが届いた。

AUDAXが再調整で見違える音と測定結果になったが、黄金のバランスは一日でさようなら。メタルコーン系が使えるのだかどうだか、GWを前に、どうにも気になる。

E.J.Jordanの伝説フルレンジJX92Sを、スウェーデンのメーカーとScanSpeakが共同で再設計した、2017年あたり発売の最新ハイエンドフルレンジ。
とはいえ、MG130HRはもちろん、FE138ESRより安い。。

とりあえず鳴らして測定したらこの結果。
FOSTEXのFE限定フルレンジや、AUDAXでは考えられない結果。
とはいえ、低音の質には期待できないため、デジタルプリで潔くカットしてサブウーファーとつなげてしまう。

工作と設定で疲れた。
感想はおいおい。

コメント

mixiユーザー2019年04月24日 02:09

このユニットはポチの夢さん宅で聴いたことがありますが、エンクロージャーが違うので全く鳴り方は違うのだろうと思います。それにしてもフルレンジ1発でこのF特は驚異的ですね。
低域カットしてサブウーファにつなぐのも良いですが、フルレンジのまま置き場所を変えることで低域のクセを解消させるという方向も面白いと思います。

mixiユーザー2019年04月25日 01:44

> mixiユーザー 
AUDAXのカマボコ型とまったく違うのでビックリしました。
音場の追求だけでいうと、フルレンジだけでメリットのあるユニットですね。
ヤンセンのブリテン、デッカの新しい録音で、フルレンジ+サブウーファーのみで、サラウンドとツィーターなしで新鮮な感覚がありました。
とはいえ、寂しくなっていろいろ追加注文してしまいます。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971235422?org_id=1971150041
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c16

[番外地7] サブウーファー考


2018年01月04日 サブウーファー考
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1964508644?org_id=1966383397


正月早々だが、サブウーファーが壊れた。
なので、後釜を考えているところ。

まあ、プリからの信号がおかしい可能性もあるが、もう梱包してしまった。
FOSTEXのCW250Aで、スワンとの相性はいいはずだが、修理したり、CW250Bを買うほど年老いてはいない。もう少し実験してみたいものだ。

サブウーファーは、ハンディ測定器を買ってから劇的に調整しやすくなった。
というか、測定器なしでサブウーファー使うとか、私レベルでは自殺行為だった。
だいたい出しすぎか超低音寄りになっている。

・一台だと位置がわかる問題

これは、確かにそうだが、クロスオーバー50とか60とかのレベルで、高音が切れていればけっこういけるかも。高音のカットはけっこう難しいので、消せない高音は、当然耳につく。ウーファーの向きを正面とかリスナーに向けるのも危険そうだ。
ウーファー二つとか、上方、下方に向けた設計はよさそうだ。


・遅れる問題

スワンとかだと深刻だ。CW250Aは気を使っているほうだが、25センチウーファーはいまいちだろう。30センチにあこがれたこともあったが、もっと小さいほうがいいかも。


・帯域

CW250Aは、測定すると20Hzも軽々と出てくる。困ったことはないが、部屋の特性か、スワンとのクロスオーバーの80Hzとか100Hzが凹む。
スワンは40ヘルツまでは測定上出ている。
ただ、これらは測定値の話で、質の悪い部屋の反射音とかを測定しているのかも。
30〜70Hzぐらいが良質なサブウーファーで、スワンの70Hz以下を減衰させるのがよさそうだ。


・スワンの負担

測定を続けるうちに、サブウーファーが必要ない音量や音楽に気づいた。
夜帰ってテレビ音声を聴くときの音量では、サブウーファーは働いていない。
また、厳密に高音を切っていくと、サブウーファーが鳴る機会は限られる。
それも寂しい話だ。

クラッセのデジタルプリは、スワンの低域カット機能がついている。
これを使うと、50Hzクロスで6デシベル/オクターブカットでも、大音量時のコーン振幅が完全に抑えられる。これはかなり有益なのではないか。
逆に言えば、しっかりしたパワーアンプでほどほどの音量までなら、スワンにサブウーファーは不要という、先人の結論に従わざるを得ない。

上記の状況で、久々にいろいろ調べていると、イクリプスが考え方が近い感じがした。
さすが、スワンっぽいメインスピーカーを売っているところだ。

サブウーファーは一時撤去してしまったが、聴けるものはたくさんある。
しばらく、クレーメルのバッハ無伴奏ヴァイオリンとか、各種ピアノソナタでも聴こう。

コメント

mixiユーザー2018年01月04日 08:21
クレーメルですか。お好きそうですね! 何が書きたかったのかと言うと、正月からクレーメルの無伴奏ですか、、、

mixiユーザー2018年01月04日 09:22
私も以前長岡式バックロードD-5にサブウーファDRW-1をつないで鳴らしていました。サブウーファにはメインスピーカーとは別のパワーアンプをつないでレベル調整が行えるようにしていました。

ところが、サブウーファを効かせると同じアパートの別の住人から「何か地震のように部屋がガタガタ震える」などのいうクレームが出るのです。段々サブウーファのレベルを絞っていくようになって、最終的にはメインSPだけで聴くようになりました。
それでもほとんどの音楽は特に文句なく楽しめました。低域は40Hzくらいまでだったと思います。

超低域を実音で出すと前述のような同居人からのクレームが出たり、メインスピーカーとのクロスの問題が出たり(帯域により打ち消し、増強などクセがつきやすい)、部屋の定在波の影響が強く出たりします。メインSPだけで超低域の倍音をきちんと出すとその下の超低域を頭で感じられるようになりますが、その場合実際の超低域は出ていないので他人の迷惑やクロス設定や定在波の問題は起こりません。

スワンを使っている時はサブウーファは使用していませんでした。またトゥイーターもつけずにいました。スワン単独でほとんどの音楽が楽しめたからです。

ごくたまに倍音成分のほとんどないシンセサイザーで作られた超低域の場合、倍音整列からは超低域を感じることができないので、実音を出さないと超低域が聴こえないものもありましたが、割りきりが必要でしょう。

また、別の方法としてスーパートゥイーターをつけることで超低域を出すことができます。スワンの10cmフルレンジは超低域にも反応して振動していますが、部屋全体にその振動の影響が伝わりきれないために聴こえないのです。そこでその振動を部屋全体の空気にうまく伝えてやれば良いのです。スーパートゥイーターで超高域を出してやると部屋の空気の分子が励起された状態になって部屋の中にある小さなユニットからのちょっとした振動でも効率的に伝わるようになります。

うちに余っているKITHITの製品を試しに使ってみられると面白いかと思います。

mixiユーザー2018年01月04日 09:55
こんにちはわーい(嬉しい顔)新自作スピーカーの夢にサブウーハーの選択肢があります。
構想について日記にしてみたいと思います。


mixiユーザー2018年01月05日 02:20
> mixiユーザー
 
クレーメルくんはアバドをバカにしてるのが良くないと思います。
元旦にギレリスのハンマークラヴィアを聴きましたが何か?


mixiユーザー2018年01月05日 02:25
> mixiユーザー 

正直、サブウーファーは意地になっている面もあり、だいたいの音楽と音量はスワンでOK、サブウーファーのデメリットもありです。
クラッセの超低音カット機能がなければ、もうサブウーファー買い足さないかもしれません。
KITHITとか、超高音のアプローチもおもしろいでしょうね。


mixiユーザー2018年01月05日 02:27
> mixiユーザー 

ぜひ。一般家庭での限界はともかく、超低音は一つの夢ですね。

mixiユーザー2018年01月05日 23:19
こんなものが出ていますね。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s509395210

mixiユーザー2018年01月07日 02:01
> mixiユーザー
 
理想ですね。しかしでかい。。
1年前なら買ったかもしれませんが、箱もでかいし、もっと小さいのでよいかと。
鉄男が軽薄になってきました。

mixiユーザー2018年01月07日 19:10
でかいですか・・・。長岡氏設計のネットワークなしDRW-1などはとんでもないでしょう。そう考えるとCW-250などはコンパクトで良かったかもしれませんね。 何しろ通常のユニットを使って自作しようとしても性能を保ったまま小型におさめるのは相当困難です。ウーファ用専用アンプを使うならともかく、パッシブでは不可能だろうと思います。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1964508644?org_id=1966383397

サブウーファー遍歴 2018年07月29日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1967682770?org_id=1968036464


半年以上前に、FOSTEXのCW250Aというサブウーファーが壊れた話題をしていた。
まだ13センチネッシーの時代、京都人さんのすすめで入れてみて、ネッシーには必須だなと感じたものだ。

その後、KEFのR400bというサブウーファーに換えていたのだった。中古だが、新品の買値だと15万を超える高級機である。

結果は、25センチ1発から22センチ2発に変わり、20Hzや25Hzが明らかに測定値上減った。
しかし、これは特に問題がないどころか、変な部屋の振動ノイズが減ってよいのではないか。こちらは10畳木造である。
向かい合わせで2発というのは、センターに置けない状況からすると、いろんな場所に音が出るのはよいことだと感じる。また、揺れが前後方向同士でキャンセルされるという。実際、ウェルフロートがいるかなと思うぐらいに触ってみての振動感がない。

また、内蔵アンプが高級になったようで、CW250Aは測定値と調整の間に謎の因果関係があったが、KEFのものは、コントロール通りに測定値が変わる印象がある。
なんにせよ、逆相設定含め、測定器なしでサブウーファーを使うのはほとんど不可能と感じる。

スピード感は、スワンの超軽量と揃えるのは至難の業のはずだが、25センチより22センチのほうがよいのは明らかな感じがする。

いろいろやった結果、レンジ拡張というのはあまり求めていなくて、スワンの出しっぱなしホーンでは望めない良質な低音のコントロール感と、なにより、クラッセのデジタルプリでスワンの超低音を切ることができるので、コーンの振幅がおさまるのがうれしい。これを知るとやめられなくなる。
逆に言えば、クラッセとスワンの組み合わせでなければ、サブウーファーはもういいかなという気がなくもない。

そのほかの感想として、オートパワーオンオフという機能があるのだが、小音量だと案外オンにならない。
また、測定値でも、40Hzや50Hzはスワンでも出るし、むしろ、部屋の特性か50Hzがモリモリ出まくってクラッセのデジタルプリでおさえなくてはいけない。
こうなると、本腰入れて大音量の時以外はサブウーファーオフが正解な気がしてくる。
適材適所なんだなと思うとともに、ちょっともったいない感じがする。

トータルで、ピアノブラックがスワンのピアノブラックとも合うので、満足していたが、1か月ほど前に、「ピー」というような高音ノイズが気になった。セミとか虫の鳴き声に近いが、α波でなくデジタルノイズっぽい不快な高周波である。アンプ部に耳を近づけると、盛大に出ているとわかる。

調べると、250Wのデジタルアンプが2台組み込まれ、消費電力もなぜか600W?。規模の大きいアンプなので多少のノイズはやむをえないのかもしれない。
まあ、しょせんビジュアル系の機器なので、基準がおおらかなのかも。よくクーリングファンとかついてるしね。

神経質な気もするが、中古保証期間ギリギリなので、販売店に検査を依頼し、このまま下取りに出そうかと思う。
戻してもらってヤフオクのほうが金銭的に有利だが、面倒くさいし、販売店にもマニアのこだわりで手間をかけて申し訳ないので、それでよいかなと。

で、ECLIPSEの16センチ×2のサブウーファーを検討中。
スワンのスピードに合うのはこれぐらいではないだろうか。
われわれ音の仲間(?)としては、半年使用ぐらいでそこそこの差額発生にせよ、新しい機器を試してみたいものであろう。

コメント


mixiユーザー2018年07月30日 09:53
フルレンジとサブウーファーの口径が違いすぎるとスピード感も異なり、良くない感じです。わが家はF120AにFF165WKを10mHでつなげていますが、Lが介在してもつながり良好です。口径が近いからでしょう。

mixiユーザー2018年07月31日 00:14

こんなものが出ていますね。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s509395210

mixiユーザー2018年07月31日 02:05
> mixiユーザー 

かなり小口径サブウーファーですね。私も影響を受け、やってみようかと。

mixiユーザー2018年07月31日 02:0
8> mixiユーザー 

昔は大きなものに憧れがあり、いまでも、環境が許せば大きいウーファーの低音に包まれたいのですが、いまの環境では小さいことや軽いことのメリットに年々であうようです。

mixiユーザー2018年07月31日 09:25
> mixiユーザー 
昔、エレボイやフォステクスに口径80cm程度の超大口径ウーファーがありましたね。今では入手困難だし、使う人も限られています。聴いたことはないのですが、振動板の重さとか、エッジ・ダンパーの経年変化が気になります。私なら20cmくらいの強力フルレンジを複数個使って大型ASWを作ります。わが家は6畳なのでそんなもの入りませんが。

mixiユーザー2018年08月01日 02:23
> mixiユーザー 

測定器を使うと、サブウーファーの活躍帯域はさほどないとわかります。あったとして、ソフトに入っているか。音がほとんど出ない場合は、切ったほうが中高域に有利なのではないか。また、内蔵アンプノイズは大空間で映像機器であふれていれば問題ないでしょうが・・・ まあ、ただの故障の可能性もまだあります。


mixiユーザー2018年08月01日 02:25
身の丈に合ったことがいちばんと、年を経るとわかります。若いうちは酔って吐いたりも楽しいのですが。


mixiユーザー2018年08月01日 07:43
オーディオは狭い部屋にでかいスピーカーではダメですね。昔はそれがマニアの証とされたものです。6畳程度で、バッフルが大きいとサウンドステージが出ない。小型SPに小型サブウーファーで十分大型SPは凌駕できると思います。


mixiユーザー2018年08月01日 16:47
Eclipseの小型サブウーファはKEFの考え方と共通している部分が多いですね。昔、江川三郎氏が提唱していたミラードアクロポリス方式というもので、江川氏とは別に京都のSatinも同様の製品を発表していました。

スワンをサテライトとして使用して3D方式とされるようですが、実際にやってみるとウーファの設置が結構クリティカルであることが分かると思います。高さを5mmくらい変化させただけで良くなったり悪くなったりしますし、勿論サブウーファが左右のサテライトスピーカーと厳密に等距離になく少しでもどちらかに偏っているとサブウーファの調整による音の変化がリニアにならずに不連続な変化を示したりして余計な苦労が増えます。これは通常の測定ではなかなか差として表れにくいので最終的には聴覚で合わせる以外にありません。

Eclipseの小型のものでしたら、3D方式ではなく、左右に独立して置いてみるのも良いかもしれません。3D方式よりセッティングは楽になりますし、うまくいくとホールでのうねりのような響きの感じも出てくる可能性があります。

mixiユーザー2018年08月02日 10:10
こんにちはわーい(嬉しい顔) bswanさん。 個人的にはサブウーハー左右2台必要派でづ。モニターオーディオの時に散々やりましたが、真ん中以外置くところがなかったです。それでも違和感がありました。超低音といえど、方向性がでてしまうんでづね。30Hz以上を完全カット出来るようなタイプなら別ですけど。。。

mixiユーザー2018年08月03日 02:46
> mixiユーザー 

ネッシーはSW不可欠でしたが、メインでいけるならSWは面倒ですね。うちでは、大音量時の全体のバランス調整になっている感じがします。

mixiユーザー2018年08月03日 02:53
> mixiユーザー 

視覚もあるでしょうが、方向性をいっさい感じなくなったことはないですね。発生源を意識してしまいます。この程度の音量しか出ていないものを、大きなコストをかけて2台に分割するのはどうかと。しかし夢ではありますね。
大きなスピーカーを置けないから小型にしたのであって、サブウーファー左右に置くと大型になってしまう、みたいなことを長岡先生が書いてました。コスパの人ですからね。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1967682770?org_id=1968036464
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/431.html

[番外地7] サブウーファー考 中川隆
1. 中川隆[-14378] koaQ7Jey 2020年1月18日 15:43:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1290]



2017年04月24日 私の新システム
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1960001059?org_id=1960216869

先日、パワーアンプのマークレヴィンソン334Lを測定すると、左右チャンネルに音量差あり。これをきっかけに、パワーアンプだけでなくシステム全部入れ替えることになった。

プリのマランツSC-7S1は、10年ぐらい使ってると思う。安定したクセのないアンプだが、逆に言えばキャラクターに魅了されているわけでもなく、飽きている。
換えたいなとは常々思っていた。ただ、なぜかあったはずの純正箱が見当たらないため、処分がむつかしい。

達人の方々含め、買い換え候補をご提案いただいたのは、ここまでくると、システム変更はここまでとこれからの、自分の価値観を問うようなものになるなと感じたからだ。
大げさではない。
日本がいいのか海外か、オールド真空管か省エネデジタルパワーか、などなど。

で、どうなったかというと、
デジタルプリ:クラッセCP−800
パワー:ソウルノートA1

この組み合わせ。

今までは、
DAC:エソテリック D70VU
プリ:SC−7S1
パワー:マークレヴィンソン 334L
リア用パワー:DENON PMA390RE

4台が2台になった。
サラウンドはA1一台でいけるし、リアの音質だけで聴くとずっとよい。
100kgが20kgになった。

いろいろないきさつがあるのだが、アキュフェーズのDG58を貸してくれたオーディオ店の店員さんに、引き続きよくしていただきA1がおすすめ、グライコ内蔵のCP−800を中古で発見し、こうなった。
ほんとは、大金投入してもと思っていたのだが、処分額で儲けが出た。最近はCPとか言わんのだが・・・

特徴は、CP-800のイコライザー機能。
測定器のPAA3を買ったので、調べて、ピークの160ヘルツや1.6キロヘルツあたりを叩く。1ヘルツ単位で調整でき、狭く落とすか広く落とすかも選べる。すごい。
細かくいうと、左の155を6デシベル落とし(Qは1)、1550の左右も6落としている(Qは10)。

これ以上に有用なのが、サブウーファーとのクロスを設定できるバスマネジメント。−6・12・24とフィルターを選べるが、うちではあきらかに−6が谷が浅くなる。
50Hzまでが出すぎ、60〜125Hzが落ちていたが、このあたりがだいぶマシになった。
そのことより、スワンのローカットがありがたい。
大音量で低域が豊富なソースだと、コーンが露骨にフラフラするが、これが抑えられる。悪いはずはない。
床鳴り等部屋の破たんもへったようだ。

ツィーターとウーファーの位相は、切り替えて測定すると、明らかに数値の良いほうがある。これも耳では私にはできないので、目安となり有難い。

音作りはしてないし、フラットでもないが、今までひどかったので、悪くない測定値になったと思う。

長岡先生の影響で、イコライザーを使っていなかった。
また、御影石をウェルフロートにしたりで、重量の呪縛から解かれたと思っていたが、さらに5分の1にできた。
箱も処分できるので、家が広くなった。
気持ちもすっきりする。

脱長岡、やたらと重く高価で故障すると処分や移動が厄介なものはもういらん。一般家庭に持ち込むべきじゃなかった。
これが私の新しい価値観。

しかし、測定器は長岡的であり、デジタルプリ絶賛はDC300やC-AX10などがあり、ソウルノートでハイCPは鈴木哲系で長岡派っぽい。LHH-A200やA700は最初期に使っていた。

15年かけて同じ箱からまともな音が出る。
グレて異様にツッパッた音だったのが、バランスに気を遣うようになった。
成長したともいえるが、測定器は、前身のPAA2の存在を知った時点で入手すべきだった。遅すぎる。
客観的とかいうことは、難しいのだなとかみしめる。

自作系は、環境と好みに合わせて変えられるポイントが多いのがメリット。それ以外のメリットは思い入れぐらい。処分と良質な塗装を考えると高価な趣味だ。

得心がいったので、また違うシステムをつくりたくなった(笑)

コメント


mixiユーザー2017年04月24日 22:09
30Hz以下が中高域と同レベル以上で伸びているのはすごいですね。もし可能なら200Hzあたりを少し落として300から400Hzあたりを少し上げ、2から3kHzあたりを抑え気味にすると良いバランスになりそうです。まあこれは好みの範疇になりますから逆にした方が良いという意見があっても不思議ではないのですが・・・。

mixiユーザー2017年04月26日 02:25
> mixiユーザー 

うちは測定上、50ヘルツ以下は軽く出る感じです。柳沢先生のグライコ使用値が手元にありますが、やはり200ヘルツと3キロヘルツを抑えています。またやってみます。

以前のMG130HRのネッシーとサブウーファーの測定値をあらためてみると、完璧に近いワイドでフラットですが、音はいまのスワンに比べてよいとはいえませんでした。それもおもしろいですね。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1960001059?org_id=1960216869


2019年04月30日 赤兵衛との再会
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971322549?org_id=1971235422


ポチの夢宅フルレンジ鑑賞会、今回は、ホストは忙しく、こちらで、新しく届いたマランツのM−CR612を勝手に調整したり、103Solと赤兵衛(MG130HRを搭載したFOSTEXの赤塗装スピーカー)を切り替えて論評したりしていた。

私はといえば、このフォスの限定品ユニット、純マグネシウム振動板に巨大アルニコマグネットのMG130HRを3年か3年半ぐらいは使ったものだ。
そのあとで、FE108Solの軽快さに一驚し、また3年か3年半ぐらい使って、いまはAUDAXやTED JORDAN由来のメタルコーン13センチフルレンジを、MG130HRをつけていた共鳴管キャビネットに付け替えて調整中だ。

そんなわけで、今回の2ユニットは、構成は違うが知り尽くしているといってよい。
違う環境だとこうなるのか、という関心で聴いていた。

勝ち負けみたいな話があるが、別に赤兵衛の勝ちでもよいのではないか。
品位もあるし、パワーを入れて大音量にするとスッキリしてくる。
長岡先生ならどういうだろうか。
最新技術を詰め込み、嫌な音を出さない高性能フルレンジだが、CPは低い。
とかいいそうな。

私自身は、マークレヴィンソンのパワーアンプ334Lでドライブ。左右のレベル差があって壊れてた可能性もあるが、恐ろしい重量でハイパワー。
また、ネッシーMIDで空気たっぷり。
高音の抜けが悪いが、同じ純マグネシウムのホーンツィーターがうまくつながっている。
大音量で吠えさせていた。
合っていたと思う。
しかし、それでもFE108SOLをつけたスワンを一聴して、軽やかさが新鮮で、退場を即断した。

いまなら、デジタルプリで超低音をカットしてサブウーファーに任せ、もっと軽やかさを演出できるだろう。
それでも・・・

いま聴いている13センチ前後、JORDANのJX92Sを改良し続けた最新型メタルコーン、こいつは、セールで4万台、重量1キロちょっと、たぶんフェライトマグネット。
MG130HRはアルニコマグネット1.5キロ、総重量3キロで、価格は10万越えだ。
(AUDAXにいたっては、セールで買値3万強)。
メインスピーカーにこの程度ケチることはないが、2倍の働きを期待するのが人情。

音色はというと、どちらも金属の癖は抑えてあるが、アルミ?のJORDANのほうが魅力はあるように感じるのだ。
MG130HRは、純マグネうんぬんというより、コーティングフィルムとか、形状に由来するのかな?、というような、あまいというか、能面のような無機的な感じ。
私はヤマハの7センチマグネシウム振動板も持っていたが、艶やか華やかだった。

私の歴史では、FE108ES2がガサガサの紙の音で、高音の張り出しもきつく、アルニコ等重装備のFE138ESRにした当初は、おお高品位だ、と思った。
しかし、これも4キロヘルツがキーンと張り出しており、中低音は共鳴管で出ず、サブウーファーで超低音のみ盛り上げる、というようなことをやっていた。今思えば。
ここでMG130HRは、品位は保って紙の粗さは当然消え去り、帯域バランスがまともになった。
しかし、気づけばずいぶん重くなっていて、小音量でも音場が空間に浮かび上がるみたいなことでいうと、高能率スワンのほうが驚くほど差をつけていて、108Solで10センチに回帰。

FOSTEXの2000年から15年以上の歴史は、私のスピーカー格闘史で、徐々によくなってきたのだ。
solの時代あたりからは、方向性が定まり完成度が高いと思うのだが、長岡先生最晩年からの限定ユニットは、迷走期だった気がしていて、私も迷走していた。
赤兵衛と出会って、苦しい時代の友人と再会したような、なんともいえない気分になったのだ。

盟友ポチの夢さんには、『不毛地帯』最終話で大門社長が言った?「壱岐君、撤退や」という言葉をかけたい。

今回は、sol系も3年以上聴いていまは関心を失っているので、マランツ最新のCR612のCPに驚愕した。買値5万ほどのようだ。
前回は、これだけオーディオに熱を入れている人が、この重要部になぜこのコスト配分だ、と思ったが、これはなかなかに痛快な機械なのである。

長岡先生なら、ダイナミック大賞特別賞で「オーディオ入門者や関心のある人に絶対の自信をもって薦める。ウルトラハイCPだ。しかし、これでオーディオは十分となりそうで心配になった」とか書きそうだ。
清く精緻でやや明るい、まったくのマランツサウンド。

今回の目玉は、パラレルBTL接続機能。
これは初期状態では設定されておらず、4つのパワーアンプのうち2つしか使わず壊れるまで使う人が続出しそうだ。
驚いたのはSA12のクロックを使用。ということは、SA7S1やSA10といった60〜70万のトップ機種を超える。

見逃せないのが、サブウーファー出力があり、メインスピーカーの超低音カット機能があるということだ。
100Hzからのカットから始まり、10Hzごとに設定できる。
これは、私がクラッセのデジタルプリで最高に重宝している超マニア機能である。壊れたらどうしようかと悩んでいるほど。

小口径フルレンジと、プアな一般家庭の泣き所は、低音が出すぎたり出なかったりで、大音量時はコーンが盛大に揺れて中高域に影響し、キャビネットは余計な音を出し、床や壁が鳴く。
これが、100Hz以下はサブウーファーで部屋に必要な分だけ出し、そこはメインスピーカーはカットする前提だと、アンプ・ケーブル含めずいぶん楽になる。
メインスピーカーから低音が出たところで、サブウーファーと干渉して打ち消しあったりするのだ。

こんな機能までついているとは!
ポチの夢さんには是非、たとえば栗スピーカーと余っているサブウーファーを組み合わせ、超コンパクトシステム、大音量で痛快な音を出してほしいものだ。
最近はスマホで測定もできるらしいし・・・


コメント


mixiユーザー2019年04月30日 09:05
赤兵衛は突き抜けたクォリティで鳴らそうとすると、とんでもないコストがかかりそうで、ポチの夢さんにはきついと判断して早期の撤退を勧めました。
確かにMarantzの超複合アンプのBTLには驚かされました。20万円の単体プリメインを凌駕していましたね。刺客になり損ねました。


mixiユーザー2019年05月02日 18:48

C612調べてみたら面白そうな機械ですね。何処か使えそうな場所を見つけて使ってみたいですw


mixiユーザー2019年05月03日 01:11
> mixiユーザー 

限定品はロマンを感じますが、逆に言えば実験ということですね。環境や好みに合わなければ撤退というのを覚えました。


mixiユーザー2019年05月03日 01:15
> mixiユーザー 

超高級ラジカセみたいな使い方もありでしょうね。いつも高級な大型システムというのも疲れますよ。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971322549?org_id=1971235422
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/431.html#c1

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
130. 中川隆[-14377] koaQ7Jey 2020年1月18日 15:47:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1289]

最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c130
[リバイバル3] 3万円のドイツ製プロ用パワーアンプ thomann S-75mk2 と数百万円のハイエンドアンプとでは電源ケーブルを変えた位の差しか出ない 中川隆
28. 中川隆[-14376] koaQ7Jey 2020年1月18日 15:48:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1288]

最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/983.html#c28
[番外地7] アイヌの民族浄化政策
アイヌの民族浄化政策

中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前からアイヌに対して行ってきた。 今はもうアイヌ語を話せるアイヌ人すらいなくなった
千島アイヌは日本政府のミンゾク ジョウカ政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた
それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化完了だ中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ

千島アイヌの強制移住による民族絶滅 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。

17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。

それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、

「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/432.html

[番外地7] サブウーファー考 中川隆
2. 中川隆[-14375] koaQ7Jey 2020年1月18日 15:59:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1287]

2018年08月24日 分相応
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1968036464?org_id=1968079461

サブウーファーは、FOSTEXのCW250Aが壊れ、KEFのR400bを中古購入したが、アンプ部分から高音のノイズがする。静まった部屋だとリスニングポジションでもきこえる。良質な残留ノイズとかでなく、不快なパソコン系のノイズだ。

販売店にチェックをお願いしたら、店員たちのチェックでは高音は気にならないが、低音に異音ありで、いちおうメーカーにチェックに出すということ。
これの結果はまだ出ていないが、イクリプスの316SWMK2を新品で購入、KEFは検査結果にもよるが下取りしてもらうことにした。

で、316SWをいじっていたのが画像の特性図である。

デジタルプリのCLASSEにて、スワンの低音を落としている。部屋は50Hzがモリモリ出る特徴があるようで、なんとか落としていかねばならない。
そこに、50HzピークのSWの音を加えて合成したものだが、実際はもう少し50Hzが出すぎ、80Hzが引っ込みすぎる。

そこの数値がマシになるように、何十回も測定して数値をメモして決めた。

CLASSEでは70Hzクロスオーバーで-12デシベル/oct、サブウーファー側は60Hzカットとした。
サブウーファーは、メーカーは、アンプ側にフィルターがあれば、ローパスフィルターを切るのをスピードの面から推奨しているが、CLASSEのみのフィルターでは、かなり高音が残り、KEFほどではないがノイズがある。
フィルターをかけると、感動的に無音になる。フォスでも残留ノイズはあった。
サブウーファーは、クラシックでは鳴っていない時間もかなりあるので、無音であるべきだと思う。

いつもの繰り返しだが、サブウーファー設置には測定器は必要だ。
位相逆転すると、音の大きいほうが瞬時にわかる。
測定器がない時代、サブウーファーを一度は投げ出し、フォスの初期も40〜50Hzが異様に高い状態で使っていた。
上記のように数十回測定したのではあるが、初日にだいたいのセッティングは10分ぐらいでできた。

フォスは25センチウーファー1発でMFB技術でスピード感を追求、KEFは22センチウーファーを背中合わせ2発、イクリプスのは16センチウーファーを背中合わせ2発、という感じ。
価格は、KEFが新品16万近く、イクリプスが10万5000、フォスは忘れたが、当時は結構安くて8万ぐらいのクラスだったと思う。
スワンの10センチ軽量コーンに合うのはどれだ?

特性は、フォスがいちばんよくて、20Hzや25Hzがフラット。
MG130HRとネッシーの時代に、グライコもなかったのに、右肩下がりで見事にフラットな組み合わせが実現した。ただし、音は現在のほうがずっと軽快でよい感じがする。
KEFは、20Hzや25Hzがあきらかに落ちた。まあ、アンプの馬力と口径を考えると、追い込めば出せそうだが、意味を感じなかったのでそのままにした。

イクリプスの16センチになると、さらに20Hzや25Hzは寂しい感じで、30Hzも怪しい。
サブウーファーの意味があるのか??

しかし、ポップ系のソフトをかけると、サブウーファー単体だと、KEFはパワフルに後方の扉を鳴らしていることがある。これはまずい。
フォスも20Hzの測定値は凄いが、意味のあるソフトや状況はどれぐらいあるのか? また、部屋を鳴らしてしまっている値なのかもしれない。

16センチのサブウーファーというのはいかにも頼りないが、超低音がそんなに無理という感じでもない。
10センチのスワンのスピードに合うのはこれだろう。

音を聴いていると、実はサブウーファーの違いというのはそれほどわかるわけでもない。
また、スワン単体の測定値の低音もけっこういいのだ。
なら不要か?、というと、大音量時のスワンのコーンの振れが相当におさまる、というか、ほとんどなくなるというメリットがある。
また、床鳴りが結構あるのだが、サブウーファーは床を鳴らしていないので、スワン側の低音を抑えてやることはトータルでメリットになる。

逆に言えば、CLASSEのグライコとスワンを使うのでなければ、サブウーファーは不要派になりそうだ。
中音量ぐらいでは、ポップ系以外ではあまり鳴っていないので、オートパワーオフ機能など使っていると勝手に切れてしまったりするのだ。

思ったのが、10畳木造で、音量はそこそこ出せて恵まれているが、やはりオーディオ的に大した部屋ではないということ。
サブウーファーは夢が膨らむが、20Hzを計測してもどうってことないし、38センチウーファーを置いてもどうってことない、というか、有害だろう。
雑誌を読んで妄想を膨らませるが、環境をわかって無理のないシステムを組むのが大人だろう。

長岡鉄男先生がよく「分相応」と言って安いハイCP機器を使っていた。
モノであふれた今読むと、貧乏くさいというか、人生一度なのだから、買えるのに、お買い得ばかり考えて選択するのもどうかというふうにも思える。

当時は、アンチ・ステサンの海外輸入品グランプリ、みたいな金持ち打倒みたいな構図で読んだりもしたが、今思うと、ごく自然な感情もあったのではないか。
戦前生まれで、モノのない時代に育ち、ただ、いなかで空間はあるので、それを確保して、手作りの箱にユニットを入れてのびのび鳴らす。それに向いたコンポを集めると、そんな高価なものにこだわることもない。
逆に、妙に高価なものを入れるとバランスが崩れる。

日本の住宅街でやるオーディオも、制約は多い。
その中でどうやるか。安物にこだわる必要もないが、自分を知り、身の丈に合ったことをやるべきだ。
測定器やサブウーファーが教えてくれる。


6 3

ツイート

>

コメント


mixiユーザー
mixiユーザー2018年08月24日 09:59ハイエンド装置の意味があるかないかは部屋で決まると思います。10畳なら上出来でしょう。うちなんかは6畳プラスクロゼット。ハイエンド装置を持ち込んでもさして意味がないと思います。

mixiユーザー
mixiユーザー2018年08月24日 10:01昨年末、一関のベイシーに行ってきましたが、かなり低音過多の再生音でした。当方もピラミッドバランスですので、大いに共感できました。これに比べるとBHの再生音はストイックです。ストイックな音をよしとするならサブウーファーは不要と思います。このあたり人によってかなり違う感じですね。

mixiユーザー
mixiユーザー2018年08月25日 02:10> mixiユーザー 
私はショルティとシカゴ響が好きと言って、真のクラシックファンに眉を顰められそうですが、低音が多くて部屋が破綻するのを昔から避けてきたのかも。ホールも、シンフォニーホールよりフェスティバルホール。
ただ、ヘッドフォンはAudezeのLCD3で見事なピラミッドです。


2018年08月24日03:25

222 view

分相応

台風で仕事が休みだった(笑)

サブウーファーは、FOSTEXのCW250Aが壊れ、KEFのR400bを中古購入したが、アンプ部分から高音のノイズがする。静まった部屋だとリスニングポジションでもきこえる。良質な残留ノイズとかでなく、不快なパソコン系のノイズだ。
販売店にチェックをお願いしたら、店員たちのチェックでは高音は気にならないが、低音に異音ありで、いちおうメーカーにチェックに出すということ。
これの結果はまだ出ていないが、イクリプスの316SWMK2を新品で購入、KEFは検査結果にもよるが下取りしてもらうことにした。

で、316SWをいじっていたのが画像の特性図である。
デジタルプリのCLASSEにて、スワンの低音を落としている。部屋は50Hzがモリモリ出る特徴があるようで、なんとか落としていかねばならない。
そこに、50HzピークのSWの音を加えて合成したものだが、実際はもう少し50Hzが出すぎ、80Hzが引っ込みすぎる。
そこの数値がマシになるように、何十回も測定して数値をメモして決めた。

CLASSEでは70Hzクロスオーバーで-12デシベル/oct、サブウーファー側は60Hzカットとした。
サブウーファーは、メーカーは、アンプ側にフィルターがあれば、ローパスフィルターを切るのをスピードの面から推奨しているが、CLASSEのみのフィルターでは、かなり高音が残り、KEFほどではないがノイズがある。
フィルターをかけると、感動的に無音になる。フォスでも残留ノイズはあった。
サブウーファーは、クラシックでは鳴っていない時間もかなりあるので、無音であるべきだと思う。

いつもの繰り返しだが、サブウーファー設置には測定器は必要だ。
位相逆転すると、音の大きいほうが瞬時にわかる。
測定器がない時代、サブウーファーを一度は投げ出し、フォスの初期も40〜50Hzが異様に高い状態で使っていた。
上記のように数十回測定したのではあるが、初日にだいたいのセッティングは10分ぐらいでできた。

フォスは25センチウーファー1発でMFB技術でスピード感を追求、KEFは22センチウーファーを背中合わせ2発、イクリプスのは16センチウーファーを背中合わせ2発、という感じ。
価格は、KEFが新品16万近く、イクリプスが10万5000、フォスは忘れたが、当時は結構安くて8万ぐらいのクラスだったと思う。
スワンの10センチ軽量コーンに合うのはどれだ?

特性は、フォスがいちばんよくて、20Hzや25Hzがフラット。
MG130HRとネッシーの時代に、グライコもなかったのに、右肩下がりで見事にフラットな組み合わせが実現した。ただし、音は現在のほうがずっと軽快でよい感じがする。
KEFは、20Hzや25Hzがあきらかに落ちた。まあ、アンプの馬力と口径を考えると、追い込めば出せそうだが、意味を感じなかったのでそのままにした。

イクリプスの16センチになると、さらに20Hzや25Hzは寂しい感じで、30Hzも怪しい。
サブウーファーの意味があるのか??

しかし、ポップ系のソフトをかけると、サブウーファー単体だと、KEFはパワフルに後方の扉を鳴らしていることがある。これはまずい。
フォスも20Hzの測定値は凄いが、意味のあるソフトや状況はどれぐらいあるのか? また、部屋を鳴らしてしまっている値なのかもしれない。

16センチのサブウーファーというのはいかにも頼りないが、超低音がそんなに無理という感じでもない。
10センチのスワンのスピードに合うのはこれだろう。

音を聴いていると、実はサブウーファーの違いというのはそれほどわかるわけでもない。
また、スワン単体の測定値の低音もけっこういいのだ。
なら不要か?、というと、大音量時のスワンのコーンの振れが相当におさまる、というか、ほとんどなくなるというメリットがある。
また、床鳴りが結構あるのだが、サブウーファーは床を鳴らしていないので、スワン側の低音を抑えてやることはトータルでメリットになる。

逆に言えば、CLASSEのグライコとスワンを使うのでなければ、サブウーファーは不要派になりそうだ。
中音量ぐらいでは、ポップ系以外ではあまり鳴っていないので、オートパワーオフ機能など使っていると勝手に切れてしまったりするのだ。

思ったのが、10畳木造で、音量はそこそこ出せて恵まれているが、やはりオーディオ的に大した部屋ではないということ。
サブウーファーは夢が膨らむが、20Hzを計測してもどうってことないし、38センチウーファーを置いてもどうってことない、というか、有害だろう。
雑誌を読んで妄想を膨らませるが、環境をわかって無理のないシステムを組むのが大人だろう。

長岡鉄男先生がよく「分相応」と言って安いハイCP機器を使っていた。
モノであふれた今読むと、貧乏くさいというか、人生一度なのだから、買えるのに、お買い得ばかり考えて選択するのもどうかというふうにも思える。

当時は、アンチ・ステサンの海外輸入品グランプリ、みたいな金持ち打倒みたいな構図で読んだりもしたが、今思うと、ごく自然な感情もあったのではないか。
戦前生まれで、モノのない時代に育ち、ただ、いなかで空間はあるので、それを確保して、手作りの箱にユニットを入れてのびのび鳴らす。それに向いたコンポを集めると、そんな高価なものにこだわることもない。
逆に、妙に高価なものを入れるとバランスが崩れる。

日本の住宅街でやるオーディオも、制約は多い。
その中でどうやるか。安物にこだわる必要もないが、自分を知り、身の丈に合ったことをやるべきだ。
測定器やサブウーファーが教えてくれる。


コメント


mixiユーザー2018年08月24日 09:59
ハイエンド装置の意味があるかないかは部屋で決まると思います。10畳なら上出来でしょう。うちなんかは6畳プラスクロゼット。ハイエンド装置を持ち込んでもさして意味がないと思います。

mixiユーザー2018年08月24日 10:01
昨年末、一関のベイシーに行ってきましたが、かなり低音過多の再生音でした。当方もピラミッドバランスですので、大いに共感できました。これに比べるとBHの再生音はストイックです。ストイックな音をよしとするならサブウーファーは不要と思います。このあたり人によってかなり違う感じですね。


mixiユーザー2018年08月25日 02:10
> mixiユーザー 

私はショルティとシカゴ響が好きと言って、真のクラシックファンに眉を顰められそうですが、低音が多くて部屋が破綻するのを昔から避けてきたのかも。ホールも、シンフォニーホールよりフェスティバルホール。
ただ、ヘッドフォンはAudezeのLCD3で見事なピラミッドです。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1968036464?org_id=1968079461
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/431.html#c2

[リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
30. 中川隆[-14374] koaQ7Jey 2020年1月18日 16:19:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1286]
現役医師に聞く。食品の「焦げ」部分はやっぱり身体に悪かった
ライフ2017.03.27 123 by ドクター徳田安春『ドクター徳田安春の最新健康医学』
https://www.mag2.com/p/news/244139


食べ物の「焦げ」には発がん物質が含まれていると以前から言われていますが、最近ではバケツ一杯分ほど毎日焦げを食べなければ問題ない、とされていました。しかし、メルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』の著者で現役医師の徳田先生は、焦げから発生するアクリルアミドの摂りすぎは「すべての年齢層におけるがんのリスク」になることがわかっているので、なるべく避けたほうが良いと警告。さらに、焦げと同様に気をつけたほうがよい食べ物についても紹介しています。

アクリルアミドとは

高温でのパンの焼きすぎ、ポテトの揚げすぎ、などの焼きすぎで黒焦げを作ることがありますね。これらは発がん物質であるアクリルアミドを発生させる原因となります。メイラード反応と呼ばれている化学反応で起こります。具体的にはブドウ糖とアスパラギン(アミノ酸の一種)の反応で生成します。

デンプンを主体とする食物を高温で強く焼いたりあげたりすると発生するのがアクリルアミドです。真っ黒に焦げたトーストや黒焦げの焼きおにぎりなどもそうですね。メイラード反応でできた物質は香ばしい香りを発生させるので料理人はうまくそれを利用して料理を作っていることもあります。

アクリルアミドがこのように生成されて我々の体内に取り入れている可能性については2000年初頭にスウェーデンから報告されていました。お菓子として人気のあるポテトチップスの中にもアクリルアミドが含まれていることで世界的に問題となりました。

アクリルアミドは発がん物質

2015年にはヨーロッパの食品安全機関が、アクリルアミドの摂りすぎは、すべての年齢層の人々における、ほとんどすべての種類のがんのリスクになると言う発表をしました。この食品安全機関が最近、「金色でいきましょう」(Go for Gold)というキャンペーンをスタートしました。

金色というのは焼きすぎない料理での色という意味です。黒色ではありません。ジャガイモやパン、あるいは玉ねぎなどの根っこの野菜類等も含めて、デンプンを多く含む食品を焼いたりあげたり炙ったりするときには金色かそれより薄い位の黄色くらいまでが安全ということです。茹でたり蒸したりする場合にはアクリルアミドは発生しません。

アクリルアミドによる初発がん作用は動物実験で証明されています。疫学研究などで人間ではまだ証明されていませんが、生物学的な機序から見て人間でも同様であるといえるでしょう。毎日大量のポテトチップスを人々に食べさせるようなランダム化比較試験は不可能だと思います。

でも大量のポテトチップスを毎日食べているような人たちはたくさんいますので、その方々は要注意です。カウチポテト族の人々は運動不足とカロリーの取りすぎが問題視されています。しかし、ポテトチップスを多く摂ることによってアクリルアミドも多く摂るので発がんのリスクも高めているのです。

アクリルアミドの摂取を減らす工夫

ある食品に偏った食生活はアクリルアミドの摂取を増やすリスクとなります。できるだけ多くの種類の食品を摂るような分散型の食生活を心がけましょう。生のイモ類を冷蔵庫に入れておくとアクリルアミドが増えると言うこともわかっています。イモ類の摂りすぎには注意しましょう。

アクリルアミドの量は高温での調理であればあるほど増えていきます。オーブンを使った料理ですと、225度20分間では、195度24分間のときに比べて、アクリルアミドの量が約3倍にも増えてしまうことがわかっています。

焼いたり、揚げたり、炙ったりの料理を絶対に食べてはいけない、というほどのアクリルアミドの量ではありません。大量に長期間食べていると発がんのリスクとなるということです。また、食べる際に、黒こげになった部分を避けるのも賢いやり方だと思います。

最近では遺伝子工学の技術を用いた芋類を開発している企業もあります。そのような技術によってアクリルアミドができにくくすることを目標としています。しかしながらそのような技術が実際に成功するかどうかはまだ時間がかかるようです。今、勧められるのは、賢い食品の選び方と賢い料理法と思います。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c30

[近代史3] 長生きしたけりゃパンは食べるな 中川隆
32. 中川隆[-14373] koaQ7Jey 2020年1月18日 16:20:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1285]
現役医師に聞く。食品の「焦げ」部分はやっぱり身体に悪かった
ライフ2017.03.27 123 by ドクター徳田安春『ドクター徳田安春の最新健康医学』
https://www.mag2.com/p/news/244139


食べ物の「焦げ」には発がん物質が含まれていると以前から言われていますが、最近ではバケツ一杯分ほど毎日焦げを食べなければ問題ない、とされていました。しかし、メルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』の著者で現役医師の徳田先生は、焦げから発生するアクリルアミドの摂りすぎは「すべての年齢層におけるがんのリスク」になることがわかっているので、なるべく避けたほうが良いと警告。さらに、焦げと同様に気をつけたほうがよい食べ物についても紹介しています。

アクリルアミドとは

高温でのパンの焼きすぎ、ポテトの揚げすぎ、などの焼きすぎで黒焦げを作ることがありますね。これらは発がん物質であるアクリルアミドを発生させる原因となります。メイラード反応と呼ばれている化学反応で起こります。具体的にはブドウ糖とアスパラギン(アミノ酸の一種)の反応で生成します。

デンプンを主体とする食物を高温で強く焼いたりあげたりすると発生するのがアクリルアミドです。真っ黒に焦げたトーストや黒焦げの焼きおにぎりなどもそうですね。メイラード反応でできた物質は香ばしい香りを発生させるので料理人はうまくそれを利用して料理を作っていることもあります。

アクリルアミドがこのように生成されて我々の体内に取り入れている可能性については2000年初頭にスウェーデンから報告されていました。お菓子として人気のあるポテトチップスの中にもアクリルアミドが含まれていることで世界的に問題となりました。

アクリルアミドは発がん物質

2015年にはヨーロッパの食品安全機関が、アクリルアミドの摂りすぎは、すべての年齢層の人々における、ほとんどすべての種類のがんのリスクになると言う発表をしました。この食品安全機関が最近、「金色でいきましょう」(Go for Gold)というキャンペーンをスタートしました。

金色というのは焼きすぎない料理での色という意味です。黒色ではありません。ジャガイモやパン、あるいは玉ねぎなどの根っこの野菜類等も含めて、デンプンを多く含む食品を焼いたりあげたり炙ったりするときには金色かそれより薄い位の黄色くらいまでが安全ということです。茹でたり蒸したりする場合にはアクリルアミドは発生しません。

アクリルアミドによる初発がん作用は動物実験で証明されています。疫学研究などで人間ではまだ証明されていませんが、生物学的な機序から見て人間でも同様であるといえるでしょう。毎日大量のポテトチップスを人々に食べさせるようなランダム化比較試験は不可能だと思います。

でも大量のポテトチップスを毎日食べているような人たちはたくさんいますので、その方々は要注意です。カウチポテト族の人々は運動不足とカロリーの取りすぎが問題視されています。しかし、ポテトチップスを多く摂ることによってアクリルアミドも多く摂るので発がんのリスクも高めているのです。

アクリルアミドの摂取を減らす工夫

ある食品に偏った食生活はアクリルアミドの摂取を増やすリスクとなります。できるだけ多くの種類の食品を摂るような分散型の食生活を心がけましょう。生のイモ類を冷蔵庫に入れておくとアクリルアミドが増えると言うこともわかっています。イモ類の摂りすぎには注意しましょう。

アクリルアミドの量は高温での調理であればあるほど増えていきます。オーブンを使った料理ですと、225度20分間では、195度24分間のときに比べて、アクリルアミドの量が約3倍にも増えてしまうことがわかっています。

焼いたり、揚げたり、炙ったりの料理を絶対に食べてはいけない、というほどのアクリルアミドの量ではありません。大量に長期間食べていると発がんのリスクとなるということです。また、食べる際に、黒こげになった部分を避けるのも賢いやり方だと思います。

最近では遺伝子工学の技術を用いた芋類を開発している企業もあります。そのような技術によってアクリルアミドができにくくすることを目標としています。しかしながらそのような技術が実際に成功するかどうかはまだ時間がかかるようです。今、勧められるのは、賢い食品の選び方と賢い料理法と思います。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html#c32

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している
アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している

ここにきて力を入れているのが台湾。ここには吾爾開希など1989年に中国で展開された新自由主義派の活動家が入り込んでいる。 

1989年1月、アメリカではジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。元CIA長官だが、この人物はエール大学の学生だった当時、CIAにリクルートされたと見られている。ブッシュの父親はウォール街の出身で、巨大資本の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった人物だ。ダレスはCIAの最高権力者だった。 そのブッシュとエール大学からの友人で、やはりCIAにリクルートされたと言われているジェームズ・リリーが1989年4月に中国駐在大使に就任している。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。 

リリーが大使に就任する5日前に新自由主義派の胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦と組んで新自由主義を推進していたのが趙紫陽である。活動の指揮者と見られているのはジーン・シャープ。 

学生の間では新自由主義の支持者が少なくなかったようだが、労働者の間では逆。貧富の差が拡大していることへの不満が高まり、社会は不安定化していた。そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、それに激怒したのがアメリカということだ。

その年の5月に戒厳令が敷かれた。抗議活動が沈静化した後、方励之、柴玲、吾爾開希などの指導グループはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。香港へ逃れた活動家は約400名と言われている。

吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡った。この逃走ルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6で、今でも機能しているという。 

台湾では1月11日の総統選挙があり、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得している蔡英文が再選された。

東アジアでもアメリカの影響力は低下しているが、それをNATOが補充するとも言われている。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
1. 中川隆[-14372] koaQ7Jey 2020年1月18日 18:04:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1284]
アメリカ議会は香港の反中国派を支援する目的で「香港人権・民主主義法」という反中国人法を通した。

 反中国派の活動は香港で広がらず、過激化。建造物を破壊、交通機関を止め、石や火炎瓶を投げるだけでなく活動を批判する市民に可燃性の液体をかけて燃やして大やけどを負わせ、洋弓で矢を射るということも行うようになったのだが、その一方で孤立していった。ここにきて活動は封じ込められたようだ。次の一手としてアメリカは反中国人法を成立させようとしている。ロシアに対して行った手口と同じだ。

 香港の反中国派はアメリカのネオコンと連携している。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出てくるが、そうした若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6がその背後で暗躍していることも秘密ではない。

 反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されている。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。

 この団体は反コミュニズムでも有名で、アメリカの支配層はその点を評価。アメリカの政府機関であるUSAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c1

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
2. 中川隆[-14371] koaQ7Jey 2020年1月18日 18:14:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1283]
ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c2

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
24. 中川隆[-14370] koaQ7Jey 2020年1月18日 18:33:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1282]
アルゲリッチ
Argerich plays Bartók - Piano Sonata, Sz. 80 Audio + Sheet music




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c24
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
25. 中川隆[-14369] koaQ7Jey 2020年1月18日 18:36:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1281]
アルゲリッチ
Kremer & Argerich Bartok violin sonata No.1 1989


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c25
[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
26. 中川隆[-14368] koaQ7Jey 2020年1月18日 18:38:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1280]
アルゲリッチ
Béla BARTOK Sonata for 2 Pianos & Percussion


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c26
[お知らせ・管理21] 2020年01月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
62. 中川隆[-14367] koaQ7Jey 2020年1月18日 18:49:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1279]
中川隆です
お世話になります

最近、阿修羅掲示板を見ていると

Internet Explorer に致命的な欠陥が見つかりました

とか

使われているウイルス対処用ソフトに問題があります

というフィッシングのポップアップが出る様になりました。
何とかならないでしょうか。

まさか僕一人を標的にしている訳じゃないですよね。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/579.html#c62

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
3. 中川隆[-14369] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:28:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1281]
アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c3

[番外地7] ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し

ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/434.html

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
46. 中川隆[-14368] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:34:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1280]

2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退

レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。

ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。



中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg

負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。

中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。

土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。

ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c46

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
4. 中川隆[-14367] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:35:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1279]

2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退

レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。

ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。



中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg

負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。

中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。

土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。

ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c4

[番外地7] ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し 中川隆
1. 中川隆[-14366] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:38:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1278]
アメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/434.html#c1

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
4. 中川隆[-14365] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:44:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1277]
アメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c4

[近代史3] ロシア革命とは何だったのか? 中川隆
5. 中川隆[-14364] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:50:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1276]
2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退


レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html#c5

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
41. 中川隆[-14363] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:51:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1275]
2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退


レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c41

[近代史3] 馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国 中川隆
24. 中川隆[-14362] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:53:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1274]
2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退


レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html#c24

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
61. 中川隆[-14361] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:54:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1273]
2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退


レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c61

[経世済民72] 脳動脈硬化症で晩節を汚した(?)レーニン _ 実際は若い時から… 中川隆
12. 中川隆[-14360] koaQ7Jey 2020年1月18日 19:55:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1272]
2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退


レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html#c12

[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった


Debussy - Prélude à l'après-midi d'un faune - Leningrad / Mravinsky


Debussy Prélude à l'après-midi d'un faune Inghelbrecht


DUTOIT, Debussy Prelude a l'apres-midi d' un faune


▲△▽▼


ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」2014 NOV 25 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/11/25/ドビッシー-「牧神の午後への前奏曲」/



ピエール・ブーレーズは「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まったと評価している。


パーヴォ・ヤルヴィが98年にロンドンのロイヤル・フェスティバルでこれをやった時のことは忘れない。比較的前の方で聴いていたら、オーケストラのいる舞台空間を「音が明滅しながら移動する」のがあたかも点描画を観るように目に見えた気がしてびっくりした。70年の大阪万博のドイツ館でシュトックハウゼンの電子音楽をやっていて、ドーム状の高い天井に設置した多くのスピーカー間を音がすばやく移動していく。それを思い出してしまった。


もしかして牧神のスコアには楽器の物理的な位置(位相)というものが設計されていて、ヤルヴィがそれをシアター・ピース化して表現することを意図したのではないかとさえ思う。印象派的な音のポエムと見なされている音楽が、この日以来がぜん僕の中では現代音楽になった。


ドビュッシーは半音階、そして全音ばかりを重ねた音階を使用して、どこの民族風でもない旋法を生んだ。国籍、アイデンティティのない音のブロックに機能和声のルールは適合しないという形で、ワーグナーのトリスタンとは違う形で彼は自由を手に入れたように思う。30歳より着手し、出世作となった。


「詩人 マラルメ の『牧神の午後』(『半獣神の午後』)に感銘を受けて書かれた作品である。” 夏の昼下がり、好色な牧神が昼寝のまどろみの中で官能的な夢想に耽る”という内容で、牧神の象徴である「パンの笛」をイメージする楽器としてフルートが重要な役割を担っている」


故意に楽器が機能的に鳴りにくいcis音のpで始める。その不安定でおぼろげな感じが牧神のまどろみをイメージさせる。このcisによる印象的な開始が、ストラヴィンスキーによって楽器をファゴットに替え、やはり鳴りにくい楽器の限界に近い高いc音で意図的に開始する革命的な音楽(春の祭典)を生んだとすれば、まさにブーレーズの指摘通り、この曲をもって現代音楽は始まっている。


この開始は5年前に作曲された交響組曲「春」のそれに似たムードを持っているが音楽の密度と成熟度は格段に差がある。cisから半音階をたどってなめらかに下降した音が最も遠い増4度のgで止まる。その間の5つの音は1小節で全部使っている。伴奏のないこの旋律、調性もうつろにまどろんで聞こえる。なんとも挑発的な開始だ。


このcis-gの増4度(augmented fourth)、主調のホ長調と変ロ長調の増4度について、vagueness(あいまいさ)ということでバーンスタインが講義している。確かにこの曲はTritone(悪魔の音程、増4度)が支配している。


Bernstein discusses how Debussy creates musical ambiguity


おっしゃるようにホ長調で開始した曲が変ロ長調を経由して、ホルンがbの増4度eを通って上昇しfisに至り、11小節目で音楽はニ長調!になる。そこで f から半音だけそおっと上がるホルンのブレンドがうまくいったゾクゾクする効果 ! セクシーと書くしかなく僕はこれがたまらない。しかもこのホルンはすぐ消えて、同じfisはクラリネットに引き継がれているのだが、ほとんどの人は気づかないだろう(いや、気づかないように演奏されるのが一流の証なのだが)。


そこで微妙に色彩が変化している!
もうため息をつくしかない。ヤルヴィの教えてくれたシアター・ピース的な位相変化、そしてそのfisの管弦楽法による絶妙な色彩変化。これはストラヴィンスキーが春の祭典の各所にもちこんだし、特に後者はメシアン、シェーンベルクを通じてブーレーズに引き継がれていくのである。冒頭の彼の言葉が包含するのはそういうことなのだと僕は解釈している。


さらに、大好きなのはここだ。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2014/11/debussy1.png


オーボエの旋律が入るAnimato、次々と調を変えて音楽が大きなうねりを迎える部分だ。ここは僕の中ではギリシャだ(本当にマラルメの詩がそうかどうかは知らないが)、ダフニスとクロエの世界!もう最高である。

この先、音楽は変ニ長調で交響詩「海」を思わせる雄大で広々とした歌となる。冒頭のフルートにハープで和声がつき、調性はホ長調、ハ長調、変ホ長調、ロ長調と変化し冒頭のcisで始まるホ長調に回帰する。しかし牧神の心はまだ休まらず、三連符の旋律がかき乱す。もう一度冒頭旋律が今度は嬰ハ長調の7度和音で現れ、徐々に心は落ち着いて音楽は遅くなる。
すると突然にテンポを戻してオーボエが何かを告知するかのようなハ長調の旋律を奏でる(下のa tempo)。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2014/11/debussy2.png


そこからの2小節でホ長調に戻す和声のもの凄さには絶句するしかない。ここにくるといつも時が止まったようであり、この音楽の魔法の呪文にかかって動けなくなる。最後のすずやかなアンティーク・シンバルで我に返るまでの金縛りを味わうことになるのだ。本当に美しい。


何という素晴らしい音楽だろう!ドビュッシーはこれを書いたころバイロイトでパルシファルやマイスタージンガーを聴いて、のちにはその限界を感じてアンチワグネリアンとなる。しかしこの牧神のスコアを見ると、和声やチェロの走句など様々な部分にトリスタンやマイスタージンガーを見る。
お示ししたピアノスコアはKun版。僕はBorwick版を買ってしまい三段譜になる部分はお手上げだったが、こちらはより簡明で弾きやすい(petrucciから無料でダウンロードできる)。できればご自分で弾いて、この曲の奇跡のような和声を味わっていただきたい。

ジャン・マルティノン/ フランス国立放送管弦楽団


冒頭の模糊とした情緒、フランス的な管の味わい。オケの各パートからこれはこういう曲だという確信をこめた音が鳴っている。フルートのフレージングと絶妙なテンポの揺れはなまめかしく、オーボエ、イングリッシュホルンのアシ笛のような音色は最高だ。この音楽の雰囲気がダフニスとクロエにつながるフランス音楽の系譜を感じる。それを教えてくれる稀有の名演である。



ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団


スコアを一切デフォルメすることなくさらっと自然体で鳴らしているのにこんなに楽器のバランスが素晴らしい演奏はない。最高の気品がある分、エロティックな雰囲気はやや後退するが、耳がくぎづけになるほど各パートのニュアンスが精妙であり、演奏芸術の奥義ここに極まれりという感がある。マルティノン盤とは甲乙つけがたい。両方をぜひお聴きいただきたい。
モントゥー/BSOのライブがあったのでのせておく。デリカシーがすばらしい。



ポール・パレー / デトロイト交響楽団


旋律が動的でバレエのように表情がある。この音楽の各所の意味するものを熟知した者だけがなしえる至芸であり、デトロイトのオーケストラからフランス的な感性の音を引き出すことに成功している。楽譜をお示ししたコーダの和声変化をテンポを落してじっくりと聴かせるのを聴くとパレーさんがわかってらっしゃるのがうれしくなる。パレーはラヴェルも一級品である。

ピエール/ブーレーズ/ ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


「海」と一緒に入っており僕はこの演奏で曲を覚えた。懐かしいものであり精妙なテクスチャーに今も感銘は覚えるが精度はストラヴィンスキー録音にやや劣り、オーボエがフランス風の色香を欠いているのはこの曲の場合マイナスである。DGの新盤は精度やニュアンスがさらに落ちておりブーレーズを聴くならこっちだが、上記の3つを聴いた上で比較してみるのがお薦めである。ただし上述の「11小節目の fis」 を最もうまくやっているのはブーレーズであり、そういうものが演奏の与える感動の本質とは別種の関心であることを認めつつも、やはりブーレーズの微視的なアナリーゼ能力と聴覚の鋭さが群を抜いていることには言及せざるを得ない。


音楽鑑賞とは、知った道を演奏者という案内人と連れ立って歩くようなものだ。ここは元GHQの本営で、ここに鹿鳴館があって・・・と皇居前を散策したって、そんなことは知ってるよでおしまいだ。マッカーサーはなぜここを選んだか?鹿鳴館はこの敷地のどの辺に建っていたか?そんなことを聞かれると、ちょっとじっくりつき合ってみようかと思う。良い演奏者とはそんなものだ。
このハオ・アン・ヘンリー・チェンの指揮はなかなかだ。インディアナ大学の管弦楽団だがこのレベルにもってくるのは見事である。アマチュアなのにうまいじゃないかではなく、プロだってもうあんまりない「最後までじっくりつき合おう」という次第になった。指揮の力が大きい。弦のユニゾンだけもっとピッチを鍛え上げればへたなプロより聴けるかもしれない。



George Copeland plays Debussy Prélude à L'après-midi d'un Faune
>


ジョージ・コープランド(George Copeland、April 3, 1882 – June 16, 1971)はパリでドビュッシーに4か月私淑して ”I never dreamed that I would hear my music played like that in my lifetime” と言わしめたとされ、ドビッシーの曲の一部を世界初演、多くを米国初演した米国のピアニストである。この「牧神」をドビッシーは聴いたに違いなく感慨深い。まるでオーケストラを聴くようで2手版とは思えない色彩に驚く。



ユージン・オーマンディー / サンフランシスコ交響楽団 (ライブ)


これは留学中の1984年に、亡くなる前年のオーマンディーがSFSOに客演した際のライブをカセットに録音しておいたものです。いまとなっては貴重な記録になってしまいました。この後に「海」と後半がブラームスの第2交響曲というプログラムで、その2曲も録音してあります。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/11/25/ドビッシー-「牧神の午後への前奏曲」/



▲△▽▼



プリアンプに金をかけなさい 2020 JAN 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/07/プリアンプに金をかけなさい/

きのう2か月ぶりにプリアンプ(ブルメスター808)が修理から帰ってきた。たまたまテーブルにあった牧神の午後への前奏曲をかけてみる。まったくすばらしい。オーディオの存在が消える。10分身動きできず、終了。まだ動けず。


きいたのは50年も前に買ったブーレーズ / ニュー・フィルハーモニア管のLPだ。


ピエール/ブーレーズ/ ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


これをレファレンス的ニュアンスで挙げているのはフランス的な音色、エロティシズムがプライオリティーだったからだ。しかしブルメスター808が新品のように蘇って、「微視的なアナリーゼ能力と聴覚の鋭さが群を抜いている」のはドビュッシーにおいては不可欠の美質であり、マルティノンやモントゥーよりもっとエロティックじゃないかと思えてきた。俺がいままで聴いてた音は何だったんだというほど。


デジタル時代になってプリアンプ不要論が語られた。音量調節などコントロール機能はCDプレーヤーで足りフォノイコライジング機能もいらないなら介在回路は少ないほうが良い。理屈はそうだ。僕もいらないと思っていたが、ドイツ人はそう考えていなかったということだ。ブルメスターのパワーアンプをドイツで買って惚れこんでいたからひょっとしてと思い808を試聴してびっくりした。音質、音場感、空気感、定位が比較にならず軽自動車が一気にベンツの600に化けたかの激変。人生でいろんな機械を買ったが、あらゆるジャンルで満足度において808は圧倒的にNo1だ。


フラッグシップだから20年顔も変えない。この頑固さもドイツだ。車もそうだが、売らんかなでころころモデルチェンジする日本製はいかにも薄っぺらい。日独の技術の差はないだろうが、こういうアンプは日本にないのはひとえに哲学の差と思う。ハイエンドのスピーカー、パワーアンプに凝る人は多いがプリアンプに金をかける人は少ないらしい。808が高いかどうかは音楽に何を求めるかだろう。これ1台で牧神の午後への前奏曲の評価が違ってしまうなんてマジックは僕にとってほかの手段でおきようもないから妥当と思うが。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/07/プリアンプに金をかけなさい/


▲△▽▼


クロード・ドビュッシー
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー


クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)は、フランスの作曲家。
長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれることのない自由な和声法などを用いて独自の作曲を実行し、その伝統から外れた音階と和声の用い方から19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も影響力を持った作曲家である。


ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。しかし、本人は印象主義音楽という概念に対して否定的であり、テクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃い。


なお、名前は生後1890年(28歳)まで「アシル=クロード」、1890年(28歳)から「クロード=アシル」である。


1862年8月22日午前4時半、イヴリーヌ県サン=ジェルマン=アン=レーのパン通り38番地に「アシル=クロード・ドビュッシー」として生まれた(この建物は現在ドビュッシー博物館となっている)。
父親のマニュエル・アシル・ドビュッシーは陶器店を経営し、母親のヴィクトリーヌ・マヌリ・ドビュッシーは裁縫師であった。
5人兄弟の長男として生まれているが、彼が2歳(1864年7月31日)になってから洗礼を受けている。その年に一家は経営難のためサン=ジェルマン=アン=レーを離れ、母方の実家(クリシー)に同居する。


1870年、カンヌに住む伯母クレメンティーヌ(父の姉にあたる)のもと、彼女の肝煎りでイタリアのヴァイオリニスト、ジャン・チェルッティ(Jean Cerutti)にピアノを習う(期間は不明)。このカンヌでの滞在は1回だけであったが、後年ドビュッシーは鮮烈な印象を残したと手紙の中で語っている。


1871年、詩人ヴェルレーヌの義母アントワネット・モテ・ド・フルールヴィル夫人に基礎的な音楽の手ほどきを受ける。これは、偶然にも父親の知人であったヴェルレーヌの義兄でオペレッタ作曲家のシャルル・ド・シヴリー(Charles de Sivry)と出会い、シヴリーが少年のドビュッシーを自分の母親のフルールヴィル夫人に引き合わせたとされる。夫人はドビュッシーの才能を見抜き、親身に彼を教えたという。


幼少期のドビュッシーについては、後年本人が語ろうとしなかったため、どのように過ごしたのかは不明である。ただしこの時期からピアノの手ほどきを受けていたことは確かである。


音楽院入学とローマ賞
1872年10月22日、10歳でパリ音楽院に入学する。この時の合格者はドビュッシーを含むわずか33名であった。1年後、エルネスト・ギロー(作曲)、オーギュスト・バジュ(ピアノ伴奏法)、アントワーヌ・マルモンテル(ピアノ)、エミール・デュラン(作曲)、アルベール・ラヴィニャック(ソルフェージュ)らに学ぶ。元々ピアニストになるつもりで、1873年の1月29日にJ.S.バッハの『トッカータ』(BWV915)を弾いた際、「魅力的な素質」と評価されて自信を持ち、ピアニストへの道に進むことを決めたという。1874年に学内のコンクールにおいてショパンのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を弾いて第2次席賞を獲得。翌1875年にショパンの『バラード第1番』で第1次席賞を得るが、1876年には獲得できなかった[4]。 1877年にはシューマンの『ピアノソナタ第2番』(第1楽章)で再び第2次席賞を獲るが、1878年と1879年は2年続けて賞が取れずに失敗し、これによってピアニストになることを諦める決心をした。 そして結局ピアノで賞を得ることができず(1位入賞を目標にしていたため)、その年にピアノ科を去り、10月にバジュ(バズィーユ)のピアノ伴奏法のクラスに入る。


一方でドビュッシーは作曲にも挑戦している。1878年にピアノ曲『フーガ』(L番号なし)を作曲し、これは現存するドビュッシーの最古の作品とされている。1879年に歌曲『月に寄せるバラード』(L.1、紛失)と『マドリード』(L.2、近年発見[5])を作曲する。


1880年7月、18歳のドビュッシーはチャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴し、『ピアノ三重奏曲』(L.3)や『交響曲 ロ短調』(L.10)の断片を作曲した。また、『ボヘミア舞曲』(L.9)という小品を夫人の計らいでチャイコフスキーへ送るが、酷評を受けた(出版はドビュッシーの死後)。メック夫人を通して、チャイコフスキーの当時の最新作であった交響曲第4番(1877年)などのロシアの作品も勉強しており、この経験が元でチャイコフスキーやロシア5人組に影響を受ける。また貴族趣味も芽生えた。

パリに戻ったのち、この年の12月24日にギローのクラスに入る(当初マスネに師事するつもりでいた)。またセザール・フランクのオルガンのクラスに顔を出しているが、オルガンにおける「執拗な灰色の色調」に嫌気が差したため、わずか半年でクラスから逃げるように立ち去っている[6]。


1882年に歌曲『星の輝く夜』(L.4)を出版する。また10作以上の歌曲を作曲する。この年の5月にローマ賞に挑戦するも、予選落ちに終わる。

1883年5月、2回目となるローマ賞に挑戦し、『祈り』(L.40)で予選を通過。カンタータ『剣闘士』(L.41)本選の第2等賞を獲得する。
1884年に3回目となるローマ賞に挑戦し、カンタータ『春』(L.56)で予選を通過、カンタータ『放蕩息子』(L.57)でローマ大賞を受賞する[7]。審査員の中にはグノーやサン=サーンスもいた。翌1885年から1887年にかけてイタリアのローマへと留学したものの、あまりイタリアの雰囲気には馴染めず、ローマ大賞受賞者に与えられる期間を繰り上げてパリに戻った。これにはヴァニエ夫人という意中の人がいたためとも言われる。このヴァニエ夫人のために書かれたいくつかの歌曲のうちポール・ヴェルレーヌの「艶なる宴」に基づくものは後に『艶なる宴』(全2集)としてまとめられた。またローマに留学していた頃に生み出された作品は、いくつかの歌曲や交響組曲『春』、合唱と管弦楽のための『ツライマ(ズレイマ)』(L.59、後に破棄されて現存しない)である(なおローマからパリへ帰郷してから作られた作品はカンタータ『選ばれた乙女』や『ピアノと管弦楽のための幻想曲』)。


1888年の夏、銀行家のエティエンヌ・デュパンの支援によって念願であったバイロイトへ初めて行き、同地で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』と『パルジファル』を聴く。


中期
1889年は27歳のドビュッシーにとって大きな転機の年となる。1月には国民音楽協会に入会してエルネスト・ショーソンらと知り合い、新たな人脈と発表の場を得た。6月にパリ万国博覧会でジャワ音楽(ガムラン)を耳にしたことは、その後の彼の音楽に大きな影響を与えた。その後2度目に訪れたバイロイト音楽祭ではワグネリズムの限界を感じ、これを境にアンチ・ワグネリアンを標榜することになる。またこの頃、詩人ステファヌ・マラルメの自宅サロン「火曜会」に唯一の音楽家として出席するようになり、この時の体験はのちにマラルメの詩による歌曲(『ステファヌ・マラルメによる3つの詩』)や、『牧神の午後への前奏曲』への作曲へとつながっていく。


1890年の28歳のとき、名前を「アシル=クロード」から「クロード=アシル」に変えた。
1893年4月、『選ばれし乙女』が国民音楽協会の演奏会で初演され、その後同協会の運営委員にも選出された。また12月29日に『弦楽四重奏曲』がイザイ弦楽四重奏団によって初演されている。


1894年3月、テレーズ・ロジェ(Thérèse Roger)と婚約するが、ドビュッシーの恋人だったガブリエル・デュポン(愛称ギャビー)の知るところとなり破談。この出来事でショーソンと疎遠になり、ショーソンが1899年6月に事故で没したときにも葬儀に参列しなかった。12月22日に『牧神の午後への前奏曲』が初演。リリー・テクシエと最初の結婚をする。


1900年代に入ると、『ビリティスの歌』(1900年)、『夜想曲』(1900年)、『版画』(1904年)などが初演された。また、オペラ『ペレアスとメリザンド』が完成し、1902年に初演され大きな成功を収めた。これらの一連の作品で成功したドビュッシーは、作曲家としてのキャリアを確実なものとした。1903年にはレジオン・ドヌール五等勲章を受勲している。


1905年には交響詩『海』、ピアノ曲集『映像 第1集』を発表し、新たな境地を見せる。同時にこの年、エンマ・バルダックと同棲する。のちにリリーと正式に離婚し、エンマと2度目の結婚をした。エンマとの間には娘クロード=エンマ(愛称シュシュ)が誕生する。


1910年には『前奏曲集 第1巻』を発表し、ピアノ曲において作曲家のキャリアを不動のものとした。一方、この時期にエドガー・アラン・ポーの小説『アッシャー家の崩壊』に基づくオペラを作曲していたが、完成せず放棄された。もう一つの大作劇音楽『聖セバスティアンの殉教』(1911年)は、長すぎる原作戯曲の上演の失敗などがあって顧みられず、弟子のアンドレ・カプレによる『交響的断章』としての演奏会形式の編曲によりかろうじてレパートリーとして生き延びているに過ぎない。


1913年、バレエ音楽『遊戯』が完成し、同年にピエール・モントゥーによって初演され、これはバレエ・リュスの上演によって成功を収めた。しかしその2週間後に同じ演奏陣によってストラヴィンスキーの『春の祭典』が上演され、そのスキャンダルの陰に隠れてしまう。夏に『おもちゃ箱』の作曲に着手する(管弦楽化はアンドレ・カプレと協力)。12月、モスクワとペテルブルクに演奏旅行に行く(クーセヴィツキーとジロティの要請による)。


晩年
1914年、第一次世界大戦が勃発してエンマの息子(ドビュッシーにとっては連れ子)のウラルが兵士として動員されたことなどを受けて、戦争を恐れるようになっていたドビュッシーは、9月に家族とともにアンジェに避難したが、1か月後にパリへと戻る。この時すでにドビュッシーの身体は病に侵されており、大腸癌を発病していた。この頃から「様々な楽器のための6つのソナタ」に着手するも、完成したのは3曲のみであった。


1915年、『12の練習曲』や『6つの古代碑銘』などを生み出す。3月23日に母が死去、同じ頃にエンマの母もこの世を去っている。


1916年は『ヴァイオリンソナタ』の構想や、未完に終わったオペラ『アッシャー家の崩壊』の台本(決定稿)の作成に取りかかる。またこの年には2台ピアノのための『白と黒で』や『チェロソナタ』などを含む4つの作品が初演されている。私生活では、離婚した元妻のリリー(マリ・ロザリー・テクシエ)に対する月手当ての支払いが1910年以来ため、裁判所から3万フランの供託金の支払いを命令されている。

1917年7月、一家はスペイン国境付近のサン=ジャン=ド=リュズに3か月滞在する。この地は保養地として有名であったため、多くの著名人が訪れている。ドビュッシーは同地で自作の『ヴァイオリンソナタ』を演奏しているが、これが生涯最後の公開演奏となった。この時期に計画していた残りのソナタとピアノ協奏曲の作曲を想起していたが、これらの作品はいずれも実現せずに終わっている。


1918年初旬、直腸癌により床から離れなくなり、3月25日の夕方に息を引き取った。55歳。1905年から死去する1918年にかけて居住したパリ16区スクアール・ド・ラヴニュ=フォッシュ (Square de l'Avenue-Foch) 24番地の自宅だった。葬儀は29日に行われ、遺体はパッシー墓地に埋葬された(埋葬は翌年のことで、前年は仮に安置されていた)。またドビュッシーが没した翌年の1919年に娘クロード=エマがジフテリアによる髄膜炎によって夭逝、妻エンマは16年後の1934年に世を去った。


年譜


1862年 - 8月22日 誕生。
1871年 - この年から3年ほど、モーテ・ド・フルールヴィル夫人にピアノのレッスンを受ける。
1872年 - パリ音楽院入学。以後12年在籍。ピアノをマルモンテル、ソルフェージュをラヴィニャック、和声学をデュラン、作曲法をギローに師事。
1880年 - チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴。
1884年 - ローマ大賞を受賞。
1885年 - ローマに滞在。
1887年 - パリに戻る。
1888年 - 1度目のバイロイト行き。
1889年 - パリ万国博覧会で東洋芸術に接触、2度目のバイロイト行き。
1890年 - 名前を「アシル=クロード」から「クロード=アシル」に変える。『ベルガマスク組曲』。
1891年 -『2つのアラベスク』。この頃、初期のピアノ小品や歌曲を多く手がける。
1893年 - メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」に出会う。
1894年 - 『牧神の午後への前奏曲』。
1899年 - リリー・テクシエと最初の結婚。
1902年 - 『ペレアスとメリザンド』初演。
1905年 - 『海』、エンマ・バルダックと同棲。長女クロード=エンマ(シュウシュウ)誕生。
1910年 - 『前奏曲集 第1集』。
1911年 - 舞台音楽劇『聖セバスティアンの殉教』。
1913年 - バレエ音楽『遊戯』。バレエ・リュスのために作曲。
1914年 - 第一次世界大戦勃発、大腸癌を発病。「様々な楽器のための6つのソナタ」着手(完成は3曲)。
1918年 - 3月25日夕方 死去。
1919年 - 娘クロード=エマ死去。


家族
父親:マニュエル=アシル・ドビュッシー(Manuel-Achille Debussy, 1836年 - 1910年)
モンルージュ(パリの南郊)で生まれ、陶器商を経営していた。
母親:ヴィクトリーヌ・マヌリ・ドビュッシー(Victorine Manoury Debussy, 1836年 - 1915年)
車大工の父親と料理人の母親との間に生まれる。
伯母:クレマンティーヌ・ドビュッシー(Clémentine Debussy, 1835年 - 1874年)
マニュエル=アシルの姉。クロードが洗礼の際、代母として名付けを担当した。
第1弟:エマニュエル・ドビュッシー(Emmanuel Debussy, 1867年 - 1937年)
第2弟:アルフレッド・ドビュッシー(Alfred Debussy, 1870年 - ?)
第3弟:ウジェーヌ=オクターヴ・ドビュッシー(Eugène-Octave Debussy, 1873年 - 1877年)
末弟だが髄膜炎のため4歳で夭逝。
第1妹:アデール・ドビュッシー(Adèle Debussy, 1863年 - 1952年)
弟妹の中では長く生きた人物。
1番目の妻:リリー・テクシエ(Lily Texier)
2番目の妻:エンマ・バルダック(Emma Baldac, 1862年 - 1934年)
元々は銀行家バルダックの妻だった。息子のラウル、娘のエレーヌ(愛称ドリー)がいる。エレーヌはフォーレに溺愛され、一説にはフォーレとエンマの子であるとも言われた。フォーレは『ドリー組曲』を作曲している。
娘:クロード=エンマ・ドビュッシー(Claude-Emma Debussy, 1905年 - 1919年)
愛称シュシュ。父親の死の翌年に14歳で夭折。クロード=エンマが父親の死に際して異父の兄ラウルに宛てた手紙がドビュッシー博物館に展示されている。
3人の弟については資料の少なさゆえに詳細は不明であるが、妹アデールは2つの世界大戦を生き抜いた唯一の人物である。
サンジェルマン=アン=レーのドビュッシー博物館には、現代に至るまでのドビュッシー家の家系図が展示されている。


人物
気難しい性格で、内向的かつ非社交的であった。音楽院に入学してからは伝統を破壊しかねない言動(不平不満や文句)をしていたため、ギローなど担当教師らを困らせていた。また、女性関係においてのトラブルも絶えなかった。


元々18歳より弁護士の人妻マリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人(Marie-Blanche Vasnier)と8年間の情事のあと別れ、1889年から(Rue Gustave Doré)にて同棲を続けていたガブリエル・デュポン(愛称ギャビー)とは、自殺未遂騒動の末に1898年に破局を迎えた。同じ頃、ソプラノ歌手のテレーズ・ロジェ(Thérèse Roger)とも情通している。翌年にはギャビーの友人であるマリ・ロザリー・テクシエ(愛称リリー)と結婚するが、1904年頃から、教え子の母親、銀行家の人妻であるエンマ・バルダックと不倫関係になり、リリーはコンコルド広場で胸を銃で撃ち自殺未遂となり、離婚する(1905年)。この事件がもとで、ドビュッシーはすでに彼の子を身ごもっていたエンマとともに一時イギリスに逃避行することとなり、友人の多くを失うこととなる。長女クロード=エンマ(愛称シュシュ)の出産に際しパリに戻り、エンマと同棲した(1908年に結婚)。シュシュはドビュッシーに溺愛され、『子供の領分』を献呈された。


同じ印象派の作曲家とされることが多いモーリス・ラヴェルは、父親がドビュッシーとかつて交友関係にあった[8]。1898年にラヴェルが2台ピアノのための『耳で聞く風景』で作曲家としてのデビューを果たした時には、ドビュッシーはその中の1曲「ハバネラ」(1895年作曲。後に『スペイン狂詩曲』第3曲に編入)に関心を持ち、ラヴェルに自筆譜の写しを貸してくれるよう頼み、ラヴェルの方でも『ペレアスとメリザンド』に対して、自らが所属するグループ「アパッシュ」のメンバーとともに積極的に支持するなど、両者は互いの作品を評価しあい、親密な交友が続いた。だが1904年初演の『版画』の第2曲「グラナダの夕暮れ」を聴いたラヴェルは、前述の自作「ハバネラ」と類似しているとしてドビュッシーに反発。以後両者の関係は疎遠となった。しかし、20世紀初頭の作品である『水の戯れ』や弦楽四重奏曲などの作品ではドビュッシーの影響が見受けられ[9]、本人もドビュッシーの管弦楽曲をピアノ曲へと編曲し、またはピアノ曲を管弦楽曲へと編曲している。


作品と表現
初期の作品であるカンタータ『選ばれし乙女』(1888年)や『ボードレールの5つの詩』(1889年)まではワーグナーの影響を見ることができる。しかしこの辺りの作品、特にヴェルレーヌと出会って以降の3つの歌曲、『忘れられた小歌』、『華やかな饗宴』第1集などでは、より明確に独自の書法へと変化していった。


弦楽四重奏曲ト短調(1893年)においてはフリギア旋法だけではなく、様々な教会旋法を使用している。なかでも『牧神の午後への前奏曲』(1894年)、メーテルリンクの戯曲によるオペラ『ペレアスとメリザンド』(1893年頃着手、完成は1902年)など同時代の作品から現れた全音音階の使用は、その後の独特のハーモニーの基盤ともなっている。また、これらの作品は規則的な律動にとらわれない書法の先駆けでもあり、それまでの西洋音楽の概念からは異色ともいえるものだった。


印象主義音楽
ドビュッシーの音楽は印象主義音楽と俗に呼ばれている。印象派(ないし印象主義)という表現はもともと、1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ、ドガ、セザンヌら)に共通していた表現様式に対する揶揄表現が定着したものであり、音楽における《印象主義》も、若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて用いられた表現である。ドビュッシー自身も、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で、この用語に対して否定的な見解を示した。


後世への影響
ドビュッシーは20世紀で最も影響力のある作曲家の一人としてしばし見なされており、西洋音楽からジャズ、ミニマル・ミュージック、ポップスに至るまで幅広く多様多種な音楽の部類に影響を与えている。


西洋音楽においては、バルトーク・ベーラ、イーゴリ・ストラヴィンスキー[10]、初期作品の時期のラヴェル[11]、フランシス・プーランク、ダリウス・ミヨー、アルベール・ルーセル、ジョージ・ガーシュウィン[12]、ピエール・ブーレーズ[13]、オリヴィエ・メシアン[14]、アンリ・デュティーユ[15]、レオ・オーンスタイン[16]、アレクサンドル・スクリャービン、カロル・シマノフスキ、ミニマル・ミュージックに於いてはスティーブ・ライヒ[17]に対して影響力を有している。
日本の作曲家では武満徹がドビュッシーからの影響を公言している。


ジャズに於いては、ガーシュウィン、ジャンゴ・ラインハルト、デューク・エリントン[18]、バド・パウエル、マイルス・デイヴィス(彼の盟友であるギル・エヴァンスによると、マイルスの自作曲であるSo Whatはドビュッシーの前奏曲集第一巻に収録されているヴェールVoilesを下敷きにして作曲されたとの事である)[19]、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、アントニオ・カルロス・ジョビン、アンドリュー・ヒル、ビックス・バイダーベックなど。またビバップの和声法はドビュッシーとアルノルト・シェーンベルクからの影響が大きい[20]。


ポップスではプログレッシブ・ロックの括りで語られるバンドは従来の和声進行から外れたドビュッシーの音楽に影響を受けており[21]、その他にはポップ・グループ、ビョーク[22]、Anna Calviもドビュッシーからの影響を被っている。日本においてはパスピエがドビュッシーの影響を受けている(バンド名もドビュッシーの曲名を引用している)。


電子音楽では冨田勲がドビュッシーの作品を多数取り上げ、編曲したことによって影響がもたらされている。


主な作品


詳細は「ドビュッシーの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/ドビュッシーの楽曲一覧


ピアノ曲


フーガ(16歳の時に作曲された現存する最初の作品。1999年ウィーンの国立図書館で発見) - 1878年


ボヘミア舞曲 (Danse bohémienne)(18歳の時の作品。フォン・メック夫人のはからいでチャイコフスキーに送ったが、未熟だと酷評された。死後発見) - 1880年


2つのアラベスク (2 Arabesques) - 1888年~1891年


舞曲(スティリー風タランテラ)(Danse, Tarantelle styrienne)(後にラヴェルが管弦楽に編曲)- 1890年


夢想 (Rêverie) - 1890年


ロマンティックなワルツ (Valse romantique) - 1890年


マズルカ (Mazurka) - 1890年


バラード (Ballade) - 1890年


ベルガマスク組曲 (Suite Bergamasque) - 1890年
前奏曲 (Préludes)
メヌエット (Menuet)
月の光 (Clair de lune)(ドビュッシーの曲の中で最もポピュラーな曲の1つ)
パスピエ (Passepied)


忘れられた映像 (Images oubliées)(死後発見、標題はドビュッシーが付けたものではない) - 1894年
レント(憂うつに、そしてやさしく) (Lent (mélancolique et doux))
ルーヴルの思い出 (Souvenir du Louvre)(後に『ピアノのために』第2曲「サラバンド」に改作)
「もう森には行かない」の諸相 (Quelques aspects de "Nous n'irons plus au bois") (『版画』第3曲「雨の庭」の前身。「(いやな天気だから)もう森へは行かない」はフランスの童謡。ドビュッシーはこの「諸相」、「雨の庭」、歌曲「眠りの森の美女」、「管弦楽のための映像・第3曲『春のロンド』」の合計4曲でこの童謡を用いている)


ピアノのために (Pour le piano) - 1896年、1896年 - 1901年
前奏曲 (Prélude)
サラバンド (Sarabande)
トッカータ (Toccata)


版画 (Estampes) - 1903年
塔 (Pagodes)(「パゴダ」は仏教の宝塔を指す)
グラナダの夕暮れ (La soirée dans Grenade)
雨の庭 (Jardins sous la pluie)


喜びの島 (L'Isle Joyeuse) (作曲者監修のもと、イタリアの指揮者ベルナルディーノ・モリナーリ(Bernardino Molinari)により管弦楽用に編曲されている) -


仮面 (Masques) - 1904年


映像 第1集 (Images) - 1905年
水の反映(水に映る影) (Reflets dans l'eau)
ラモー礼讃(「ラモーをたたえて」とも) (Hommage à Rameau)
運動 (Mouvement)


映像 第2集 - 1907年
葉ずえを渡る鐘 (Cloches à travers les feuilles)
荒れた寺にかかる月 (Et la lune descend sur le temple qui fut)
金色の魚 (Poissons d'or)


子供の領分 (Children's Corner - Petite suite pour piano seul)(娘のクロード・エマのために作曲されたもの) - 1906年 - 1908年
グラドゥス・アド・パルナッスム博士 (Doctor Gradus ad Parnassum)
象の子守唄 (Jimbo's lullaby)
人形へのセレナード (Serenade of the doll)
雪が踊っている (The snow is dancing)
小さな羊飼い (The little shepherd)
ゴリウォーグのケークウォーク (Golliwogg's Cake-Walk)


小さな黒ん坊 (Le petit Nègre) - 1909年


レントより遅く (La plus que lente (Valse)) - 1910年


2つの前奏曲集


前奏曲集 第1巻 (Préludes 1) - 1909年 - 1910年
以下の曲名は一般の曲の曲名とは違い、各曲の最後に小さく記されている。
デルフィの舞姫 (...Danseuses de Delphes)
ヴェール (...Voiles) (「帆」とも訳される)
野を渡る風 (...Le vent dans la plaine)
音と香りは夕暮れの大気に漂う (...Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir)
アナカプリの丘 (...Les collines d'Anacapri)
雪の上の足跡 (...Des pas sur la neige)
西風の見たもの (...Ce qu'a vu le vent d'ouest)
亜麻色の髪の乙女 (...La fille aux cheveux de lin)
とだえたセレナード (...La sérénade interrompue)
沈める寺 (...La cathédrale engloutie)
パックの踊り (...La danse de Puck)
ミンストレルズ (...Minstrels)


前奏曲集 第2巻 (Préludes 2) - 1910年 - 1913年
霧 (...Brouillards)
枯葉 (...Feuilles mortes)
ヴィーノの門 (...La Puerta del Vino)
妖精たちはあでやかな踊り子 (...Les fées sont d'exquises danseuses)
ヒースの荒野 (...Bruyères)
風変わりなラヴィーヌ将軍 (...Général Lavine - excentric)
月の光が降り注ぐテラス (...La terrasse des audiences du clair de lune)
水の精 (...Ondine)
ピクウィック殿をたたえて (...Hommage à S. Pickwwick Esq. P.P.M.P.C.)
カノープ (...Canope)
交代する三度 (...Les tierces alternées)
花火 (...Feux d'artifice)


英雄的な子守歌 (Berceuse heroïque pour rendre hommage à S.M. le Roi Albert Ier de Belgique et à ses soldats) - 1914年(同年12月に管弦楽曲に編曲)
第一次世界大戦時、侵攻したドイツ軍に対して抵抗したベルギーの国王アルベール1世に献呈。


12の練習曲 (12 Études) 作曲者による運指がないことで知られる - 1913年 - 1915年
五本の指のための、ツェルニー氏による (Pour les cinq doigts, après M. Czerny)
三度のための (Pour les tièrces)
四度のための (Pour les quartes)
六度のための (Pour les sixtes)
オクターブのための (Pour les octaves)
八本の指のための (Pour les huit doigts)
半音階のための (Pour les degrés chromatiques)
装飾音のための (Pour les agréments)
反復音のための (Pour les notes répétées)
対比的な響きのための (Pour les sonorités opposées)
組み合わされたアルペジオのための (Pour les arpeges composés)
別版あり。
和音のための (Pour les accords)


負傷者の服のための小品 (Pièce pour le vêtement du blessé) - 1915年
1933年、「アルバムのページ (Page d'album)」の名で出版。


エレジー (Élégie) - 1915年


燃える炭火に照らされた夕べ (Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon) - 1917年
遺作。表題はボードレールの『悪の華』の「露台」 (Le Balcon) の一節。第一次世界大戦による物資不足の中で石炭を送ってくれた石炭商に頼まれて作曲。2001年に発見。


2台ピアノ・4手連弾のための曲
交響曲 ロ短調 (少年期の習作。第1楽章の4手連弾のみ現存) - 1880年 - 1881年


小組曲 (Petite suite) 4手連弾。ビュッセルによる管弦楽編曲版で有名。 - 1886年 - 1889年
小舟にて (En Bateau)
行列 (Cortège)
メヌエット (Menuet)
バレエ (Ballet)


スコットランド風行進曲 (Marche écossaise sur un thème populaire) - 1891年(1908年に管弦楽版に編曲)


6つの古代の墓碑銘 (6 Epigraphes antiques) 4手連弾。『ビリティスの歌』の1、7、3、10、8、12曲目より編曲。独奏版もあり。アンセルメによる管弦楽編曲版もある。 - 1914年
夏の風の神、パンに祈るために (Pour invoquer Pan, dieu du vent d'été)
無名の墓のために (Pour un tombeau sans nom)
夜が幸いであるために (Pour que la nuit soit propice)
カスタネットを持つ舞姫のために (Pour la danseuse aux crotales)
エジプト女のために (Pour l'Égyptienne)
朝の雨に感謝するために (Pour remercier la pluie au matin)


リンダラハ (Lindaraja) 2台ピアノ。 - 1901年


白と黒で (En blanc et noir) 2台ピアノ。 - 1915年
情熱に駆られて (Avec emportement)
緩やかにそして控えめに (Lent et sombre)
スケルツァンド (Scherzando)


管弦楽曲・協奏曲
交響組曲『春』 (Suite symphonique 'Printemps') - 1886年 - 1887年
最初の版には女声合唱があったが火事で焼失した。1913年にビュッセルによって再度オーケストレーション(管弦楽のみ)が行われる。


ピアノと管弦楽のための幻想曲 (Fantaisie pour piano et orchestre) - 1889年 - 1891年
作曲者がリハーサルの段階で楽譜を差し止めたため、死後初演。


神聖な舞曲と世俗的な舞曲 (Danse sacrée et danse profane) - 1904年
独奏ハープと弦楽合奏のための曲。


クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 (Ier Rhapsodie pour orchestre avec clarinette principale) - 1909年 - 1910年
「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」を編曲。


サクソフォーンと管弦楽のための狂詩曲 (Rhapsodie pour orchestre et saxophone) - 1901年 - 1908年
作曲者の死後の1919年にロジェ=デュカスによって管弦楽編曲が行われた。


牧神の午後への前奏曲 (Prélude à l'Après-midi d'un faune) - 1892年 - 1894年


夜想曲 (Nocturnes) - 1897年 - 1899年
雲 (Nuages)
祭 (Fêtes)
シレーヌ (Sirènes)
:第3曲には女性コーラス(歌詞なし)が入る


交響詩『海』 (La Mer) - 1903年 - 1905年
海上の夜明けから正午まで (De l'aube à midi sur la mer)
波の戯れ (Jeux de vagues)
風と海との対話 (Dialogue du vent et de la mer)


管弦楽のための映像 (Images pour orchestre) - 1905年 - 1912年
ジーグ (Gigues)
イベリア (Ibéria)
街の道から田舎の道から (Par les rues et par les chemins)
夜の薫り (Les parfums de la nuit)
祭りの日の朝 (Le matin d'un jour de fête)
春のロンド (Rondes de printemps)


室内楽曲


ピアノ三重奏曲(英語版)(18歳の時、フォン・メック夫人の元で書かれた曲) - 1879年 - 1880年


弦楽四重奏曲 - 1893年
活気をもって、決然と (Animé et très décidé)
十分生き生きと、きわめてリズミカルに (Assez vif et bien rythmé)
アンダンティーノ、おだやかに、表情豊かに (Andantino, doucement expressif)
非常にゆっくりと (Très modéré - Très mouvementé - Très animé)


クラリネットとピアノのための小品 (Petite pièce pour clarinette et piano) - 1910年


ビリティスの歌 (Chansons de Bilitis) - 1900年 - 1901年
パントマイムと詩の朗読のための付随音楽。編成は2フルート、2ハープ、チェレスタ。


フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (Sonate pour flûte, alto et harpe) - 1915年


チェロ・ソナタ (Sonate pour violoncelle et piano) - 1915年


ヴァイオリン・ソナタ (Sonate pour violon et piano) - 1916年 - 1917年


バレエ音楽


遊戯 (Jeux) - 1912年 - 1913年
1幕。ニジンスキー台本。


カンマ (Khamma) - 1912年
3幕。ピアノ譜のみ。オーケストレーションはシャルル・ケクランによる。


おもちゃ箱 (La boîte à joujoux) - 1913年
4場の子供用バレエ。ピアノ譜のみ。オーケストレーションはアンドレ・カプレによる。
プロローグ - おもちゃ箱 - 戦場 - 売られる羊小屋 - お金持ちになってから - エピローグ


沈黙の宮殿 (Le palais du silence) - 1914年
1幕。前奏曲と第1場の初めの草稿のみ現存。のちに「ノ・ジャ・リ」と変更した。ドビュッシーはこの作品を期日までに仕上げる事ができなかった。


歌曲
(カッコ内は詩人)


麦の花(Fleur des blés アンドレ・ジロー) - 1878年
美しい夕暮れ(英語版)(Beau soir ポール・ブルジェ(フランス語版)) - 1880年
星の夜(Nuits d'étoiles テオドール・ド・バンヴィル) - 1880年
中国風のロンデル(Rondel chinois 作者不詳) - 1880年
西風(Zéphyr テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
ピエロ(Pierrot テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
愛し合い、そして眠ろう(Aimons-nous et dormons テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
ジャヌ(ジェイン)(Jane ルコント・ド・リール) - 1881年
マンドリン(Mandoline ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年
華やかな宴(Fête galante テオドール・ド・バンヴィル) - 1882年(メロディは後に『小組曲』の「メヌエット」に流用)
ロンドー(Rondeau アルフレッド・ド・ミュッセ) - 1882年
パントマイム(Pantomime ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年
月の光(Clair de lune ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年。「艶なる宴 第1集」第3曲の初稿。
今はもう春(Voici que le printemps ポール・ブルジェ) - 1883年
感傷的な風景(Paysage sentimental ポール・ブルジェ) - 1883年
スペインの歌 (Chanson espagnole) - 1883年。失われたとされてきたが、近年自筆譜が発見された。
顕現(Apparition ステファヌ・マラルメ) - 1884年
声をひそめて(En sourdine ポール・ヴェルレーヌ) - 「艶なる宴 第1集」第1曲の初稿。


ボードレールの5つの詩(英語版) (5 Poèmes de Charles Baudelaire) - 1887年 - 1889年
バルコニー (Le balcon)
夕暮れの調べ (Harmonie du soir)
噴水 (Le jet d'eau)
黙想 (Recueillement)
恋人たちの死 (La mort des amants)


眠りの森の美女(La belle au bois dormant ヴァンサン・イスパ) - 1890年


2つのロマンス(2 Romances ポール・ブルジェ) - 1891年
そぞろな悩める心 (L'âme évaporée et souffrante)
鐘 (Les cloches)


3つの歌曲(3 Mélodies ポール・ヴェルレーヌ) - 1891年
海は美しい (La mer est plus belle)
角笛の音は (Le son du cor s'affige)
羊の群れと立ち並ぶ生垣は(L'échelonnement des haies)


艶なる宴(フランス語版) 第1集(Fêtes galantes 1 ポール・ヴェルレーヌ) - 1891年
声をひそめて(En sourdine)
操り人形 (Fantoches)
月の光 (Clair de lune)


庭の中(Dans le jardin ポール・グラフォレ) - 1891年


お告げの鐘 (Les Angélus)(グレゴワール・ル・ロワ) - 1892年


叙情的散文(Proses lyriques 作曲者自身) - 1892 - 1893年
夢 (De rêve)
砂浜 (De grève)
花 (De fleurs)
夕暮れ (De soir)


忘れられたアリエッタ(フランス語版)(Ariettes oubiées ポール・ヴェルレーヌ) - 1886年 - 1888年
忘れられた小歌 という場合もあり
やるせなく夢見る思い (Ariettes oubiées I 'C'est l'extase langoureuse')
われの心に涙降る(Ariettes oubiées II 'Il pleure dans mon cœur' 巷に雨の降るごとく)
露包む川面の木々の影 (Ariettes oubiées III 'L'ombre des arbres')
ベルギーの風景「木馬」 (Paysages belges 'Chevaux de bois')
水彩画1「グリーン」 (Aquarelles I 'Green')
水彩画2「スプリーン(憂鬱)」 (Aquarelles II 'Spleen')


ビリティスの3つの歌(3 Chansons de Bilitis ピエール・ルイス) - 1897年 - 1898年
パンの笛 (La flûte de Pan)
髪 (La chevelure)
水の精の墓 (Le tombeau des naïades)


眠れぬ夜 (Nuits blanches 作曲家自身) - 1899年 - 1902年。全5曲を構想していたが未完に終わった。
終わりなき夜 (Nuit sans fin)
彼女がいる時に (Lorsqu'elle est entrée)


艶なる宴(フランス語版) 第2集(Fêtes galantes 2 ポール・ヴェルレーヌ) - 1904年
無邪気な人たち (Les ingénus)
半獣神 (Le faune)
感傷的な対話 (Colloque sentimental)


3つのフランスの歌(Chansons de France シャルル・ドルレアン、トリスタン・レルミット) - 1904年
ロンデル - 時は脱いだよ、そのマント(Rondel – Le temps a laissié son manteau)
洞窟 (La Grotte) - 「二人の恋人の散歩道」第1曲に再収録。
ロンデル - 喜びが死んでしまったから(Rondel – Pour ce que plaisance est morte)


二人の恋人の散歩道(フランス語版)(Le promenoir des deux amants トリスタン・レルミット) - 1904,1910年
この暗い洞窟のほとり (Auprès de cette grotte sombre)
愛するクリメーヌよ、私の言うとおりにしておくれ (Crois mon conseil,chère Climène)
私は震える (Je tremble en voyant ton visage)


フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード(フランス語版) (3 Ballades de François Villon) - 1910年
恋人に与えるバラード (Ballade de Villon à s'amye)
聖母に祈るために母の要請で作られたヴィヨンのバラード (Ballade que feit Villon à la requeste de sa mère pour prier Nostre-Dame)
パリジェンヌのバラード (Ballade des femmes de Paris)


ステファヌ・マラルメの3つの詩(フランス語版) (3 Poèmes de Stèphane Mallarmé) - 1913年
ため息 (Soupir)
取るに足らない願い (Placet futile)
扇 (Éventail)


もう家がない子供たちのクリスマス(フランス語版)(Noël des enfants qui n'ont plus de maison 作曲者自身) - 1915年


オペラ、カンタータ、劇付随音楽


『ペレアスとメリザンド』 (Pelléas et Mélisande) - 1893年 - 1895年、1901年 - 1902年
5幕15場のオペラ。メーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』をそのまま台本にしたもの。ワグネリズムの対極にある作品。完成したオペラはこの1作品のみ。


音楽劇『聖セバスティアンの殉教』 (Le martyr de St. Sébastien ガブリエーレ・ダンヌンツィオ) - 1911年
全曲は5幕の神秘劇。非常に大きなもので、編曲したものが演奏されることが多い。オーケストレーションにアンドレ・カプレの協力を得て完成。


『拳闘士』 (Cantate 'Le gladiateur') - 1883年
カンタータ。ローマ大賞二席受賞曲。


『放蕩息子』 (L'Enfant Prodigue) - 1884年、1906年 - 1908年改訂
カンタータ。ローマ大賞受賞曲。


『リア王』 (King Lear) - 1904年
劇付随音楽。本来は7部からなるものであったが、作曲されたものは2曲のみである。
ファンファーレ (Fanfare)
リア王の眠り (Le sommeil de Lear)


『森のディアヌ』 (Diane au bois) - 1884年 - 1886年
カンタータ。破棄され、一部のみ現存。ローマ大賞応募曲。


『ロドリーグとシメーヌ(英語版)(Rodrigue et Chimène)』 - 1890年 - 1893年
未完のオペラ。エル・シッド伝説を題材としたカチュール・マンデスの4幕5場の台本による。作曲は第1幕・第3幕のショート・スコアと第2幕のピアノ伴奏譜が残る[23]。リチャード・ランハム・スミス(Richard Langham Smith)による補筆をエディソン・デニソフが管弦楽化、1993年にリヨン歌劇場で初演。


『鐘楼の悪魔(英語版)』(Le diable dans le beffroi) - 1902年 - 1903年
未完のオペラ。エドガー・アラン・ポーの同名小説により作曲者が2幕3場の台本を作成したが、作曲は1幕分のスケッチのみ。一部が『ムジカ』誌の作曲者当ての匿名コンクールに掲載された『コンクールのための小品』に転用。


『アッシャー家の崩壊(英語版)』 (La chute de la maison Usher) - 1908年 - 1918年
未完のオペラ。エドガー・アラン・ポーの同名小説をもとにしたもの。作者自身による2幕の台本は完成したが、作曲は全曲の半分ほどに終わる(楽譜は作曲者の死後、妻が関係者に配ったため散逸)。フアン・アジェンデ=ブリン (Juan Allende-Blin) が補完して、1977年に上演。その後、散逸していたスケッチを元にロバート・オーリッジ(Robert Orledge)が復元・補筆し、2006年にブレゲンツ音楽祭で上演。


その他の楽曲


シャルル・ドルレアンの3つの歌 (Trois chansons de Charles d'Orléans) - 1898年および1908年
唯一の無伴奏混声合唱曲。2曲目はアルト独唱を伴う(後述の録音では、独唱パートは合唱で歌われている)。
神よ、なんと彼女を美しく見せ給うことか (Dieu! qu'il la fait bon regarder!)
タンバリンが鳴り渡る時 (Quant j'ai ouy le tambourin)
冬よ、お前は嫌なやつだ (Yver, vous n'estes qu'un villain)


シランクス (Syrinx) - 1912年
無伴奏フルート独奏曲。ムーレイの戯曲「プシュケ」のために作られたもの)


サティ:「ジムノペディ」第1番、第3番(管弦楽用の編曲) - 1897年


https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html

[番外地7] ハンス・クナッパーツブッシュ 名演集 中川隆
1. 中川隆[-14362] koaQ7Jey 2020年1月19日 10:52:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1273]
エロイカ 英雄交響楽 [DVD]
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ウィーン国立歌劇場合唱団/ヘルマン・ノルトバーグ(ピアノ)/ウィーン交響楽団/ウィーン少年合唱団 (出演), ヴァルター・コルム=フェルテー/アロイス・メリハル (監督) 形式: DVD
5つ星のうち5.0
2個の評価

DVD
¥2,499 より
仕様
価格

新品
中古品

DVD
1枚組

¥9,800
¥2,499

Amazonビデオ
Amazonビデオは新作映画や話題のTV番組、アニメなどをいつでも気軽に楽しめるデジタルビデオ配信サービスです。 パソコンやFireのほかiPhoneやiPadでも観ることができます。詳細はこちら

キャンペーンおよび追加情報
予約商品を通常商品と同時にご注文の場合、通常商品も予約商品の発売日にまとめて発送される場合がございます。通常商品の配送をお急ぎの方は別々にご注文されることをおすすめします。予約注文・限定版/初回版・特典に関する注意は こちらをご覧ください。

注記:Amazon.co.jpが販売・発送する一部の商品は、お一人様あたりのご注文数量を限定させていただいております。お一人様あたりのご注文上限数量を超えるご注文(同一のお名前及びご住所で複数のアカウントを作成・使用されてご注文された場合を含みます。)その他Amazon.co.jpにおいて不正なご注文とみなす場合には、予告なくご注文をキャンセルさせていただくことがあります。

【AmazonDVDコレクション】 人気のタイトルが、いつでもお得なAmazon価格でご購入いただけるシリーズです。DVDは1枚1,000円、ブルーレイは1枚1,500円。 対象商品はこちら。
Amazonクラシックカード 新規ご入会で、2,000円分 の Amazonポイントプレゼント。 今すぐチェック


この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
このショッピング機能は、Enterキーを押すと商品を読み込み続けます。このカルーセルから移動するには、見出しのショートカットキーを使用して、次の見出しまたは前の見出しに移動してください。

クナッパーツブッシュ エロイカ 英雄交響楽 [DVD]
https://www.amazon.co.jp/クナッパーツブッシュ-エロイカ-英雄交響楽-ハンス・クナッパーツブッシュ-ウィーン・フィル他/dp/B000FHIZQO/ref=pd_sbs_74_t_0/352-7461627-1491510?_encoding=UTF8&pd_rd_i=B000FHIZQO&pd_rd_r=85f0a746-46e2-40e6-bb4e-bd204719e09f&pd_rd_w=4Wu08&pd_rd_wg=3U92l&pf_rd_p=ca22fd73-0f1e-4b39-9917-c84a20b3f3a8&pf_rd_r=RZ48YG6S22JHH5NB8APJ&psc=1&refRID=RZ48YG6S22JHH5NB8APJ


出演: ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ウィーン国立歌劇場合唱団, ヘルマン・ノルトバーグ(ピアノ), ウィーン交響楽団

監督: ヴァルター・コルム=フェルテー, アロイス・メリハル

形式: ブラック&ホワイト, DVD-ROM

ディスク枚数: 1

販売元: ニホンモニター・ドリームライフ
発売日 2002/09/25
時間: 97 分

曲目リスト

1. ●ベートーヴェン:交響曲第2番
2. 第3番「英雄」
3. 第5番「運命」
4. 第6番「田園」
5. 第7番
6. 第9番「合唱」
7. ピアノ・ソナタ「月光」
8. 「悲愴」
9. ヴァイオリン協奏曲
10. 序曲「コリオラン」
11. 「エグモント」
12. 「レオノーレ第3番」
13. メヌエット(木管七重奏曲)
14. ウィーン舞曲
15. 神の御威
16. フィデリオ(囚人の合唱)
17. 荘厳ミサ(サンクトゥス)

内容紹介
全編クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィル演奏のサウンドトラックの上に、往年の名優たちがベートーヴェンの生涯を描く幻の映像が発掘、初パッケージ化。
交響曲第2番・第3番「エロイカ」、第5番「運命」、第6番「田園」、第9番「合唱」他収録。


内容(「キネマ旬報社」データベースより)
全編クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィル演奏のサウンドトラックの上に、往年の名優たちがベートーヴェンの生涯を描く幻の映像が発掘、初パッケージ化。交響曲第2番・第3番「エロイカ」、第5番「運命」、第6番「田園」、第9番「合唱」他収録。

レビュー
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場合唱団/ウィーン少年合唱団

ヘルマン・ノルトバーグ(p)監督: ヴァルター・コルム・フェルテー 音楽監督: アロイス・メリハル

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/160.html#c1

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
131. 中川隆[-14361] koaQ7Jey 2020年1月19日 11:11:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1272]


プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42


「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。

とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c131

[リバイバル4] (300B 参考アンプ) ラックスマン 直流点火 無帰還シングルアンプ LUXMAN MQ-300 中川隆
1. 中川隆[-14360] koaQ7Jey 2020年1月19日 11:13:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1271]
プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。


とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/115.html#c1

[リバイバル4] LUXMAN MB-300 中川隆
9. 中川隆[-14359] koaQ7Jey 2020年1月19日 11:14:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1270]
プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。


とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/108.html#c9

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ

オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ

プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。


とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42


▲△▽▼


安井式40WパワーアンプとAccuphaseのP-6100の対決
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/

 パワーアンプの製作で、安井式の選択の成功だった。

 あるイベントで、パワーアンプのみ安井式にしてデモンストレーションを行った。多くがオーディオに興味がある人しか来なかったそのイベントでは、おおむね好評というレベルではなく、足を運んでくれた人は皆一様に予想以上のクオリティーに驚いていた。

 あるマニアが「そのアンプ、貸してくれませんか」というお話。その方のお宅で、アキュフェーズのアンプとタンノイの高級スピーカと組み合わせると言う機会を得た。

 ラインナップはパワーアンプがP-6100、プリアンプがC-2420。スピーカーはタンノイのカンタベリー。

 基本的にバランス伝送で接続されていて、スピーカーはバイワイヤリングで接続されている。

 今はハイエンドはバランス伝送が常識的な流行と言うことになっている。(実はバランス伝送というのは家庭用のケーブルが長くても数メートルというオーディオシステムでは、デメリットの方が大きいと言うことをあまり知られていないのは、ものを作る側で、しかも高いものを売りたい方としてはありがたいことだと思う)

 始めに聴いた印象で、このシステムのスケール感は快感を感じさせる。

 伸びやかなきめの細かい音も色気を感じたし、ピアノの共鳴による基音より低い音も雄大に響いていて、それでいて立ち上がりがよかった。でもハイエンドによくありがちな1枚ベールをかぶった印象はやはりここでもあった。

 そんなシステムのおよそ100万円のパワーアンプとの対決なのだけど、安井式のパワーアンプはアンバランス伝送なので、アキュフェーズのプリアンプのC-2420はアンバランスの出力も装備されているのでいるので、こちらを使って接続。

 カンタベリーは能率が8Ωで96dBもあるので、スピーカーから2〜3mのリスニングポジションで40Wの出力でもダイナミックレンジとしては生のオーケストラ以上の音が出せるので、全く出力としては問題なし。

 重さも大きさも全然違うこの対決は大変楽しみだったけど、結果は惨憺たるものだった。

 自宅ではスピーカーの外まで拡がっていた音場が全く拡がらないどころか奥にくすんでしまっていて、しかも詰まった印象。

 アキュフェーズできこえていたピアノのハンマーが弦を叩くその感じが全くしない。

 よくハイエンドにありがちな、スケール感はあるのだけど1枚ベールをかぶったそんな感じが更にひどくなったような印象だった。ホールトーンが自然に引かないどころか、きこえるべきホールトーンがない。

 明らかに自宅で鳴らすのとは、出張デモで鳴らすのとなり方が違う。

 実験用に用意していったコモンモードフィルターをプリとパワーの間に挿入したところ、大きな改善があったものの、それでもアキュフェーズの足下に及んだとは到底言いがたいのは変わらない。自宅で聴いたときのようなホールに包まれるような感じが全くしない。

 アンプを自宅に持ち帰りいつもの環境で試してみると、さすがにカンタベリーのスケール感にはかなわないのだけど、透明感と立ち上がりでは明らかに我が家の環境の方が勝っていると思う。

 安井先生にそのことを話してみたところ、「プリアンプも対応していないと、音は拡がりませんよ」とのこと。

 この経験は大きかった。音をよくする秘密が一つ解った気がした。

 なぜたった数メートルのケーブルに大金を投資しなければいけないのか、なぜ試聴したときと買ったときでは音が違うのか、その原因の大きなものを見つけた気がした。
 そして、それは後の実証実験でたぶん正しかった。
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
1. 中川隆[-14358] koaQ7Jey 2020年1月19日 11:48:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1269]
プリアンプの製作 その1
https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

 先日、あるマニアが我が工房にお越しになり、安井式アンプと安井式のネットワークによるシステムを試聴された。

 「これは凄いっ!!」、その音が出た瞬間の表情が嬉しかった。

 聴き進むうちに「今まで聴いていた音は何なんだって感じ」ともおっしゃっていただいた。安井式アンプの雄大なスケール感と奥行きを感じる透明感、そして実在感を体験していただけたのはよかった。

 実は、パワーアンプの後プリアンプの安井式で組み上げている。

 パワーアンプの成功からすれば当然その延長でと言うことだし、安井先生の「プリアンプが対応していなければ音は拡がりませんよ」というお話もあり、更にその先を聴きたくなったというわけで、先だってのAccuphaseのP-6100の対決での収穫もあり、記事のオリジナルを更にブラッシュアップしたくなり、本格的プリアンプに先立ち、検証実験用にOP-AMPを使った実験機をバラックで組み立ててみた。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15373971.jpg

 カップリングコンデンサは1.5µFのよくOP-AMPのデータシートに載っている極々当たり前のOP-AMPのフラット増幅回路に安井式電源を組み合わせ、(とは言ってもオペアンプ周りのデカップリングは100µFの電解コンデンサを入れてあった)パーツは手持ちを使った関係で定数も手持ちのものになっている。トランスはジャンクのよくある青い小さなトロイダルを使った。この手のトランスは多くの場合恐ろしくレギュレーションが悪い。このトランスもご多分に漏れず、出力電圧が定格で35Vなんだけど、開放状態では67Vもある。不良品かと思ったけど、データシートを見てみたらそういうものだった。それだけ巻き線の直流抵抗が大きく、つまりレギュレーションが悪い。

 はさておき、先ずはそのまま誰でもやる、つまり安井式のフィルターなしの回路での実験。OP-AMPは手持ちであったもの幾つか差し替えたけど、個人的に好みだったバーブラウンのOPA2604で実験機とした。

 この時点での音は、OP-AMPによくありがちな、カチッとした堅めの音で、そしてこのOPA2604らしく活き活きとしたパンチのある音がしている。それでいて手応えを感じる中音域の厚みも、たとえば優等生的なナショナルセミコンダクタのLME49860よりもワイルドで、音楽的なリアリティーではこちらの方が好みではあるのです。そんなわけで、これはこれで悪くはないとも思う、アナログのトランジスタアンプ的な音と言いますか、色気のある音であった。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15491372.jpg

 いよいよ安井式の検証。まず、回路図で目につく安井式の特徴のコイルによるフィルターを挿入すると音は一変する。奥行きを感じて低音の力強さが増す。

 次にカップリングコンデンサに10µFの電解コンデンサを並列に接続。これは効果が確認できるまで時間がかかった、音が曇るような印象を感じなくもない。エージング待ち。

 そしてデカップリングを安井式のオリジナル通り0.033µFに変更。これが素晴らしかった。前後感の再現力が格段に上がった。但し低音の力強さが後退したような気がしなくもない。

 そこで、整流後、電源回路以前の平滑コンデンサの容量を手持ちの関係で1500µFだったものを更に2000µF重ねて合計3500µFとしてみたところ、低音の力強さが改善された。

 そんな試行錯誤をしているうちにカップリングに並列した電解コンデンサもエージングが進み、並列した直後とは全く違う響きを聞かせてくれている。

 この響きはもはやOP-AMPとは思えないスケール感に柔らかさ、しなやかさ。

 この時点ではまだパーツ類のシールドはしていなかったのだけど、簡易のシールドを施してみたところやはり音のスケール感と決めの細やかさは更に増してきた。

 ここで、OP-AMPを新日本無線のMUSE-01に差し替えてみた。この非常識に高価なOP-AMPの実力はというと、スピーカーから流れてくる音の浪々をしたスケールにはOP-AMPの私の固定概念が全くの言いがかりのようなものだったと言うことを身をもって体験をした。このふくよかさ、艶やかさ、ダイナミックな力強さは真空管と言っても誰も不思議がらないと思う。でも実はマニアは敬遠するOP-AMP。

 回路図は、どこにコイルを挿入し、デカップリングの値などがわかるように添付しておく。これは安井先生御自身が記事にしたものとほぼ同じ。

 と言うことで、ここまでが安井式のオリジナル通りの構成でアンプを組んで、安井先生のノウハウがどういう効果があるのかを一つずつ検証してみた。

 コイルや抵抗のシールド、デカンプリングコンデンサにカップリングコンデンサ、それぞれに大きな効果があったのは事実と同時に、そうたいした出費にならないところがポイントで、大胆な回路に見えないので地味な印象ではあるのだけど、こう進めていくうちに音の善し悪しは、パーツやら回路やらで決まるのはもちろんだけど、なぜそれらが音の善し悪しに聴感上影響するのかはパーツや回路が良い悪いと言うことよりもそういう影響を出させる要因は何か別にあるような気がするのです。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15183947.jpg

https://yurikamome.exblog.jp/24305490/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c1

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
2. 中川隆[-14357] koaQ7Jey 2020年1月19日 11:54:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1268]
プリアンプの製作 その2 使用する抵抗とボリュームコントロールに関して
https://yurikamome.exblog.jp/24309454/

 プリアンプの実験として、使用するパーツに関して、先ずは抵抗と次にボリューム。

ボリュームコントロールをアッテネーターにするか可変抵抗にするかは全く何の躊躇もなくアッテネータとしたい。可変抵抗は構造上理由だろうと思うけども、スイッチ式のアッテネーターに比べると透明感に劣る。これは仕方がないと言われている。これも先ずは実験。


 そこで、いくつか個人的にめぼしいと思う抵抗を選んで試してみる。

 1.TAKMAN REY50 金属皮膜抵抗
    堅めの聴いていてめざましい新鮮みはあるのだけどどちらかというと、
    金属的な肌触り。分解能が高めで定位感も良い。
    2週間エージング後にはそれらがすっかり印象を変えて、柔らかで、か
    つ分解能の高い、透明度のある音になった。

 2.理研電具 RMG 炭素皮膜抵抗
    生産は完了してしまっていて、流通している分だけしかもう手に入らな
    い。カーボン抵抗らしく、当初の音出しでは率直ではあるのだけど高域
    が詰まった感じのする音。やや定位が甘いのに加え、押し出しが弱い。
    2週間のエージング後ではその詰まった感じがとれて、高域のパンチも出
    てきた。とはいえ、金属皮膜のように輝かしい高域ではなく、まるで石
    膏の板の表面のように真っ白に輝くきめ細やかなもの。定位感がハッキ
    リしないのは相変わらずと思っていたら、そうではなく、上下左右前後
    の3次元の空間の再現力が良いせいで、録音会場の反射音がよくきこえる
    ために、アンビエンスの豊かさに包まれて定位を忘れがちになるだけだっ
    た。

 3.アムトランス AMRG 炭素皮膜抵抗
    0.75Wで試した。当初は中低域の張り出しが大きく、力強さは感じるが
    やや鈍い感じがしなくもない。定位感は良いのだけど、特定の楽器が前
    に出る感じ。

    2週間エージング後は滑らかで率直、そして高域のきめ細やかさには大
    変な魅力を感じる。リケノームのRMGの後継としてアムトランス独自
    に開発と言っていたけど、感じとしてはリケノームよりも繊細で力強い
    ように感じる。アンビエンスの再現力はRMGを超える。間違えなくイ
    チオシなのだけどサイズが大きいのでアッテネーターに使えないのは残
    念。

 4.タイヨーム FTR33S 炭素皮膜抵抗
    音出し当初はなかなか悪くないのだけど、2週間エージング後の音の変
    化が少なく、RMGやAMRGに比べると魅力は劣る。スピーカーの奥に
    ズラリと奏者が並ぶ感じ。但し、魅力に劣るというのは前のその3者に
    比べるとという話。悪くはない。

 5.アルファ FLCX アルミ箔抵抗
    値段は高い。無誘導の巻いていない、L分の少ない抵抗として大いに期
    待した。

    音出し当初、意外なことに濁って曇っていた。定位感は甘め。
    2週間のエージング後、スッキリとした繊細な感じになったが、やや押
    しが甘い気がしないでもない。定位感はハッキリしているがシャープで
    はない。空気感が豊か。やはり3次元に拡がるが線が細い。でもこれは
    これで魅力的と思う。

 6.ビシェイ VRS 金属箔抵抗
    アルファの倍くらい。音出し当初、繊細で高分解能で率直な印象で控え
    めな印象なので物足りなく感じるけども、よく聴くときこえるべき音が
    ちゃんと鳴っている。

    エージング後には空気感が更に増して、そして線が細いというか、押し
    出しが弱いと感じていたが、そうではなく立ち上がりの良さと、スパー
    ンと抜けるときの見事さはさすが。だけどいくら何でもアッテネーター
    に使うには現実的ではないのが残念。

 7.進工業 RE35Y プレート抵抗
    現在生産完了品。以前からこれも音が良いと評判のもの。たぶん無誘導。
    がしかし当初から曇った印象で、どうもそれはエージング後もさほど変
    わらず。評判ほどではなかった。

 8.ニッコーム RP-24C プレート抵抗
    これもたぶん無誘導。進よりは良かった。音足し直後の濁り感はやはりこ
    れもあり、そして空気感も定位感も今ひとつ。

    エージング後にはだいぶ改善されてきた。価格からするとお買い得の抵抗
    とは思う。空気感もあるし、音像の率直さも魅力ではある。が他のもっと
    良い抵抗と比べるといかにも魅力に乏しい。

 9.DALE NS-2B 巻き線抵抗
    これも定評のあるもの。音出し直後に「こ、これは、この音は・・・・・」
    まさにその音でした。調べてみるとその通り。私が個人的にこの抵抗を使
    うことはないでしょう。


 これらの結果は絶対とも言いがたいと思うのは、同様の実験で他の人は全然正反対の結果のものをネット上では見つけることができるから。

 そして、抵抗のエージングによりどの抵抗も一様に音の鮮度が増して、程度に差こそあれたった2週間で空間の再現力が見違えるように変化したものもある。

 よく言われるように、金属皮膜は音がシャープで堅め、炭素皮膜は音が厚く柔らかめで金属皮膜に比べるとややエッジが甘めという傾向はなくはないけども、エージングによってそれらの差はだんだんと埋まっていくような気がしなくもない。但しビシェイは別格。このクオリティーは値段に恥じない、というか値段以上の価値かも知れない。

 実験結果を踏まえ、プリアンプに使う抵抗はアムトランスのAMRGに決定。アッテネータに使うのはこの選択肢からだと音質と価格とサイズを考慮するとTAKMANのREY50と、アムトランスのAMRGなんだけど、アンプ基板がAMRGなので揃えたいけどもサイズの関係で無理なので、次善の策として同じような音の傾向で値さえそろえば理研電具のRMGとしたい。

 先達の方のご厚意もあり、なんとか希望通りRMGを揃え、そして完成。

音質比較と言うことで、次の3種類を実験してみた。

 1.アルプスのデテントボリューム
    たぶん実売価格2000円以下

 2.おそらくは中国製の格安ラダー型アッテネーター。
    よく6000円くらい方売っているもの。
    デールの抵抗を使っているというのがウリだそうです。
    写真は販売店の売り上げに影響するといけないので自粛。

 3.セイデン製のロータリースイッチを使った自作
    抵抗は理研電具のリケノームRMG1/2W使用
    スイッチも含め、材料費だけで30000万円超え

 大変期待したのは2番のもの、この値段で良い結果なら大変にコスパの良い話。

 基準としては、一般的というか、自分でもよく使っていたデテントとして聴き比べてみる。デールの抵抗を使ったラダー型は、なぜかスッキリせず、何かどうも聴いていて痒いところに手が届かないもどかしさというか、そしてメタリックな色付けも気になった。一聴してこれは明らかに鉄の音。実際磁石を付けてみたところ、やはり磁性体であった。

 デールというメーカーは、最近売っている抵抗で非磁性体のものあるのだろうか。

 セイデンのロータリースイッチを使ったアッテネーターは抵抗にも全てシールドを施した手間とお金をかけたもの。これは別格、比較すること自体もう意味がない。これほどまで音量調整で音が劣化していたわけだ。

 音場の拡がりも立ち上がりも粒立ちも、アンプそのものが1ランクも2ランクも上がったような印象を受けた。

 それにしても、アルプスのデテントはこの値段では大変にコスパの高い製品だと思った。3倍以上の値段のアッテネーターよりも断然音が良い。セイデン製のスイッチを使ったアッテネーターには当然かなわないのだけど、音の率直さ、そして透明感でも満足できるものだと思う。

 2のアッテネーターをなんとか良い結果が出ないものかと、たとえアッテネーター本体をシールドしてみたり、あるいは紐のような細い線を太いものに交換したり試してみたけども、磁性体は磁性体、何をやってもダメだった。

 今後、私はこのアッテネーターを使うことはないだろうと思う。そしてデールの抵抗も。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24309454&i=201506%2F25%2F59%2Fc0021859_1362461.jpg


https://yurikamome.exblog.jp/24309454/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c2

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
3. 中川隆[-14356] koaQ7Jey 2020年1月19日 11:56:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1267]
プリアンプの製作 その4 その他のチャレンジ
https://yurikamome.exblog.jp/24439209/

 OP-AMPによる試作アンプで様々試していて、電源周りの整流回路、安定化電源回路については、基本的に安井先生の回路がよかった。3端子レギュレターという便利なものもあるのだけど、音は安井先生が多用している単なるリップルフィルターの方が断然音の鮮度では勝っている。但しその際は電源の出力に付けるコンデンサの容量は注意が必要。

 そして整流回路から電源回路に至る所に入れるコイルと抵抗も、入れた事による効果も十分に検証できた。拡がりと低音域の力強さが一段と向上。

 あとは、ノイズ対策の一環として大胆な気がしたけども、試作プリアンプの入力端子にカットオフを50kHz位にしたCRによるハイカットフィルターを挿入。あわせてアースにはフェライトビースを入れてみた。これは大いに効果があった。音の堅さが取れてしなやかさが増してくる。

 それからアンプの出力にコモン・モード・ノイズフィルターを挿入し見たがこれも一定の効果が認められた。

 それから、整流用のダイオードのシールド、能動素子なので当然多くの電磁波を出すはずという理由で試みたところ、これもやはり変化が認められた。ノイズ感が減っている。

 と言うことは、電磁波を出すパーツといえばトランス。トロイダルトランスを手持ちの関係で使っていたんだけど、元々漏れ時速が少ないというトロイダルトランスをこれもシールドしてみたらやはり効果がある。
 
 この時点でたかがOP-AMPのバラックで組んだこのアンプはOP-AMPとは思えないスケール感と力強さを持った、それでいて高分解能のその録音場所の部屋のスケール感までおも再現できるものとなった。メンデルスゾーンの「スコッチ交響曲」の弦のしっとり水がしたたるような透明なウエット感、オーケストラのパースペクティヴはなかなかの再現力だと思う。

 ということで、安井式オリジナルにはないのだけども、プリアンプ部のハイカットフィルター、出力のコモンモードフィルター、それからダイオード等の能動素子のシールド、それからトロイダルといえども漏れ磁束対策は必要と言うこと、これらを盛り込むことにした。

 ケースは以前はよく使っていた鈴蘭堂はもうこの世にはなく、タカチが普通なんだけども、好みがなく、しかも値段も高くはないが安くもない。ということで、オリジナルに挑戦。オリジナルのサイズでアルミケースをタカチに発注して、それに合わせて前面のパネルを発注。それぞれ穴開け加工込みで依頼した。

 アンプの構成は、やはりイコライザーはどうしても入れたいので、プリアンプ部がMJ2015年03,04月号掲載のもの、イコライザーがMJ2011年03,04月号掲載のもので考えていて、それらの基板は安井先生のお世話になった。

 それらの基板のサイズとトランス、アッテネーターなどを配置する計画をして、しかも後々改造することを前提としているので、大きめのケースで45p×46p、高さが7.5pというもの。合計で1万5千円かからなかったように記憶している。

 これで大体揃うものが揃ったので組み立てをすると言うことになり、その際にトランスの結線とアースの引き回しにはまた頭を悩ませることになる。
https://yurikamome.exblog.jp/24439209/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c3

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
4. 中川隆[-14355] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:00:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1266]
プリアンプの制作 その5 電源トランスの結線とアースラインの引き回し
https://yurikamome.exblog.jp/24468993/

 安井先生のアンプの回路では、というか基板のパターン制作の段階での話だけど、アースラインを信号ラインの流れに合わせてあるのはきちんと配慮されてのことなのはもちろんのことなのだけど、ということで、トランスを2台使い、左右両チャンネル独立させるというよくありがちなものではなく、安井先生提唱の1台のトランスの巻き線をそれぞれ左右両チャンネルに振り分けるという結線方法を先ずは試してみた。それが一つ目の図(Fig.1)。もちろんなんの問題もなく動作している。


https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24468993&i=201507%2F30%2F59%2Fc0021859_1438228.jpg


 安井先生の回路での一つの特色であるアースの取り方なのだけど、外部からのアースもケースのアースも高周波ノイズ遮断のコイルが入れてある。これの効果が絶大なのは先に実験したとおり。

 ところで、トランスを2台使うのが高級品での一つのステータスのように感じる向きもあるのだけども、実は1970年代から80年代のオーディオ・ブームの頃、メーカー各社もこのような方法を採用して、左右独立のモノーラル構成の2in1としてクロストークと混変調歪みを改善し、音質の向上を目指すというのはよく聞く話だったし、現在でも時折採用されているやの話はよく見るのだけど、私自身、いくつかのアンプを作成した中で左右独立が単独電源に勝った例はない。

 今回、そこで一つの実験として以下を試してみた。

@ 安井先生の結線(Fig.1)ちょっと変わった結線方法で、これだと巻き線は左右独立しているが、トランスの1次側は共通となってしまい、厳密には左右独立にはならない。

A 2台のトランスを各々1個ずつ左右に振り分けた、完全な左右独立型。

B 2台のトランスのうち、1台の結線を外し1台のみで両チャンネルへの供給としてみた。

C 2台のトランスを並列にして容量を増やしたのと同等にしてみた

D 2台のトランスを直列にしてトランスにかかる電圧を半分にして、両チャンネルへ供給としてみた。

 結論から言うとDのトランス直列が一番結果がよかった。一番劣ったのは予想されるとおりBで、その次に劣ったのがA。

 つまり結果はよい順にD>@>C>A>Bと言う結果。

 但し@とCに関しては僅差というか、音の傾向が違うというか、パンチと繊細さでは@、力強さではCと言った印象。

 なんだ、安井先生のトランスの使い方がまり意味はないではないかと言うことではない。2台のトランスを使い、完全に1台ずつで左右両チャンネルにわけるよりも、安井先生の結線方法の方が結果としては全然よい。その理由は先生ご自身で記事にされている。ただトランス2台を搭載する余地があって、経済的にもそれを許すなら、可能な限り大きなものを1台にした方が、右左を独立にするよりも結果がよいということはあるのではないか。

 実はこれ、プリアンプよりもパワーアンプの方がこの差は大きかったりするのは、経験上確かなことだと思う。

 トランスを左右独立にするというのは、実はレギュレーションという意味では実はデメリットの方が多いのではないのか?。

 ところで、Dが音がいい理由はリケージが減るからとかなんとか様々な理由を聞くけども、実際ノイズの量は明らかに減っているようだった。

 ということで、トランスの結線はDの方法に変更。となると、アースラインの引き回しに関しては若干の変更が必要になる。

 トランスの結線方法とアースの取り方を変更した結線図はもう一つの方。
 回路アースへはトランスの中点からに変更せざるを得ない。

 但し、ここでの音は深みのある低音と生々しいフレッシュな音楽が力強く響くようになった。
 
 その他、若干の補足も図上に記しておく。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24468993&i=201507%2F30%2F59%2Fc0021859_14392963.jpg

 これでプリアンプも一応完成。


https://yurikamome.exblog.jp/24468993/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c4

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
5. 中川隆[-14354] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:08:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1265]
安井式アンプの試聴が横浜ベイサイドネットでできるとMJ誌9月号にあったので聴いてみる。 2015-08
https://yurikamome.exblog.jp/24577743/

横浜ベイサイドネット
http://www.baysidenet.jp/

 安井式の最新のアンプは7月から連載しているMOS-FETを使ったバイアスを除くとたった4石のパワーアンプ。出力は20Wと小ぶりのものを発表しておいでだった。

 それが横浜ベイサイドネットで視聴可能とのこと、MJ誌9月号の安井先生の記事中にあった。

 横浜の関内駅からも桜木町駅からもどちらからでも徒歩5分ほど。サリュートビルのエレベーターに乗りビルの7階に着いてエレベーターを降り静かな廊下に出ると、すぐのお店は、静かに音楽が鳴っている。

 お店では店長の西川さんがいつものように迎えてくれて、窓の向こうのみなとみらいの景色を眺めながらのオーディオ談義をしながら、お店は自作の好きな人にはお菓子のおうち的な面白そうなものがたくさんあって、その奥にはシステムが陳列してある。

 そこには、確かに製作記事にあったそのものが鎮座ましましていて、いくつかのスピーカーで視聴できる。

 プリアンプはベイサイドネット・オリジナルのキット化予定のプリアンプに接続されていて、聴けばこのアンプも安井テイストがたっぷりとのこと。

 純正ではないけどもかなり安井式のオリジナルに近い状態で視聴できる。

 スピーカーには、ユニットだけで10万円近くするAudio Technologyの20pウーハーに、これまた1本20万もするScan-speak Illuminatorのベリリウムツィーターのシステムや近々にキット化予定の小型スピーカー。

 それに加えて、Wavecorの11.8cmグラスファイバーコーン ウーファーにDayton AudioのAMT3-4という「エア・モーション ツィーター」と言っているけど、昔ESS出だしていた「ハイルドライバー」と同じツイーターを使い、安井式ネットワークを搭載したスピーカーでも試聴ができる。

 印象は記事中にあるとおりに3次元的な拡がりと響きの充実感は出色。20Wの出力のパワー不足は全く感じさせないどころか、力強さは20Wと言う印象から受ける以上の低音の力強さにパンチ力。

 安井式ネットワークを採用したスピーカーとの組み合わせでは、静寂の中から立ち上がる音の反応の早さと残響の豊かさ、まるでその場にいるみたい。

 演奏に加えたれた微妙なビブラートやタッチも結構感じられる。ピアノを聴くと、目の前でピアノの弦を叩くハンマーが目に見えるよう。それでいて空間のスケール感が凄いし、とにかくスピーカーを意識させないし音楽がうねっている。

 音のキレと透明感、録音会場の壁反射による会場のボリューム感がリアリティーあった。

 とにかくリアリティーが凄い。

 西川店長曰く、聴き疲れがしない音とのこと。たしかに聴き疲れしないリアリティー、プロの演奏者にこそ聴いてほしい演奏の微妙なニュアンスが聴き取れる。

 スピーカーは横浜ベイサイドネットオリジナル製品は、西川店長のアドバイス込みでオーダーメイドが可能。また、このパワーアンプ、横浜ベイサイドネットでキット化を検討中。でもそれまで待てない人は製作依頼もできるとのこと。

 写真のラックの最下段が記事中にあった安井式20Wパワーアンプ、そしてスピーカーの内側が安井式ネットワーク内蔵のスピーカー。その外側がユニットだけで方チャンネル30万のシステム。ラックのすぐ傍が小型スピーカー。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24577743&i=201508%2F20%2F59%2Fc0021859_1761552.jpg

https://yurikamome.exblog.jp/24577743/


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c5

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
6. 中川隆[-14353] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:13:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1264]
パワーアンプの製作 2015/06/03
https://yurikamome.exblog.jp/24204795/

 パワーアンプの製作を先ずは始めることにする。

 先の考察で、いにしえの回路であるクロスシャントを基にしたと思われる金田式アンプの回路がどうも私には対称とは思えず、しかも思ったよりも歪み率が低くない。アンプで歪み率を0.数パーセント下げることにこだわるつもりは全くないのだけど(そんなこと言えば、スピーカーの歪みやフォノ・カートリッジの桁違いの歪みなどどうするのかと)ただ、対称を謳っているのであれば通常の回路よりも歪みが低くなってよいはずなのになっていないことに若干の疑問の余地を個人的には残すわけだ。


https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24204795&i=201506%2F03%2F59%2Fc0021859_17511316.jpg
https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24204795&i=201506%2F03%2F59%2Fc0021859_1754836.jpg

 私は個人的見解として、斬新で独創的のように見えて、実はいにしえの回路をアンバランスでの転送に対応させるため、結果的に不完全になってしまったように感じなくもない。

 対して、構造上、全く完全なコンプリメンタリーの素子を造るのは不可能と言うことは承知の上で、動作点での特性を厳選したコンプリメンタリー素子を採用し、上下対称で全く無理のない中で、幾つかのノウハウがさり気なく盛り込まれている安井式に私としては惹かれる。(音でも、私が聴く限り安井式の方が立ち上がりが鋭く新鮮で、遙かに豪快で率直で透明なリアリティーを持って鳴っていた。金田式は豪快に鳴っていて、それはそれで説得力があったのだけど、ただ何か作為的なものがあるように感じた)

 そして、安井先生の回路がもうかれこれ数十年前から開回路特性の向上による音質に着目されていて、現在、それだけではなく、可聴帯域内の位相特性の向上に着目しておいでで、アンプの裸特性で20kHzでも位相のずれが十数度から数十度以内で収まっている。これの聴感上に及ぼす影響も体験してみたかったし、また電源まで含めてNON-NFBであることも興味があった。歪み率が若干なりとも金田式より劣って見えるのは、このNON-NFBであるが故というのはもちろん想像に難くないし、それでいてこの歪み率であれば、アンプそのものの素性は大変によく、NFBをかけて見れば見かけの諸特性はとても良くなることは明らかだと推察される。

 あとは出力がどれだけあれば良いかなのだけど、1m離れたピアノの演奏の音量が大体70〜100㏈と言われているので、リスニングポジションとスピーカーの距離が約2mくらいが普通ですか?。

 とすると家のスピーカーの能率が約1Wで90㏈/mということは、0.3W〜4W位と言うことになって、例えばクラシックのオーケストラの場合、最大で120㏈位ですか、ということは60W位必要で、実際のダイナミックレンジはもっと大きいでしょうからピークで100Wほしいと言うのもあながち闇雲な話ではないのだけど、市販のソースを聴く限りそんなものは存在しない。

 第一、都会のど真ん中の共同住宅の自分の部屋でそんな大音量はあり得ないので、20Wもあれば全く充分という計算になる。

 と言うわけで、安井式の制作に取りかかる事に決定。MJ2012年11月号、12月号掲載の40Wパワーアンプに決定。

 パーツや基盤などは安井先生のオリジナルでは、既に手に入りにくいものもあり、安井先生のご協力をいただき完成。

 中でも安井先生のアイディアで、パーツの方向性に言及するところがあり、その原因に抵抗のL分と電磁波の関係があり、その点の対策として抵抗などのパーツのシールドを勧めておいでで、正直言って、これにはシビれた。

 安井式アンプは理研電具のリケノームを使っておいでで、(炭素皮膜抵抗を発明したのが理研を作った大河内博士と言うことはあまり有名ではないけど、炭素皮膜抵抗の本家本元が理研であって、その理研電具がこの抵抗を作らなくなったというのが残念なことだと思う。)それを1本1本銅箔で巻き、それにアルミ箔を被せてまき、更に熱収縮チューブで被覆する。銅箔にはアース用の線を半田付けしておく。

 後で後悔するとイヤなので、一応信号が流れるだろうとおぼしきパーツは全てこのようにシールドし、しかも全部アースを落とした。確かにこれをやるとやらないでは大きな違いがあって、苦労は報われたのだけど、あまり楽しい作業ではなかった。

オリジナルと違うところは以下

1.電源トランスをオリジナルではEIコアであったのを、手持ちのトロイダルとカットコアに変更。
2.オリジナルで省略されていた電源フィルターを復活
3.信号系抵抗を全てシールド、アースに落とす
4.コンデンサを出力段を10000µFから手持ち全てを投入して22000µF×2=44000µFに増量
5.電源ケーブルをインレット使用
6.電源スイッチにサーキットブレーカを採用し、電源ヒューズを省略


 と言うわけで、とりあえず完成にこぎ着けて、音出し。
 こういう場合、直後の評価は全く当てにならないのだけど、低域は豊かになり伸びがある。

 これから2週間のエージングを経て大きく変化をしたのは当然なのだけど、それまでメインだったナショナルセミコンダクタのLM3886のBTLアンプに比較する。

 これは、音質の定評のあるこの素子を、できるだけ軽めの負帰還で動作させているもので、どうもこの3886は負帰還量によって大きく音が変化するようで、軽ければ軽いほど軽快かつ自然な、フレッシュな感じになる。通常の扱いやすいゲインにするための負帰還量では大人しめ活気のない音になってしまう。

 そんなわけで、このアンプの負帰還量はゲインをパワーアンプとしては大きめ(大きすぎ?)の30㏈以上に設定してある。

 このアンプと比較すると、音像のカチッとした感じは3886の方が感じるのだけど、いや、30分も聴いているとこの安井式アンプの方が音楽以外の(例えばホールトーンとか、会場のアンビエンスとか)がたくさんきこえるので、その中から音像をシャープに結ぶために控えめにきこえただけだった。

 そして力強い拍手のリアリティーは見事、各会場のボリューム感を出しつつ拍手に包まれる感じが会場のライヴ感を感じさせる。この音が不自然だったりホワイトノイズのようだったり、子供の手のようだったりしてはいけない。個人的には再生音の評価ではこの拍手の音にはこだわりたい。

 今回の安井式アンプは音像は確かに感じつつ、奥行きが全然違う。位相のずれを最小限にとどめた結果か。

 更にこちらは正真正銘完全対称の回路である(と言っても、金田式とは全然音が違いますけど)YAMAHAのA-S1000と比べると、YAMAHAの方が更にハイスピードではあるのだけど、自然さでは圧倒的に安井式。NON-NFBの効果も大きいのではないか。

 その音の違いの原因を探る事を、そして更にブラッシュアップをやってみたい。
https://yurikamome.exblog.jp/24204795/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c6

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
7. 中川隆[-14352] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:19:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1263]
横浜 ベイサイドスクエア 2016.09.09
8月6日に安井章先生のアンプを使用した試聴会を行いました!
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


 先月の8月6日(土曜日)に、『MJ無線と実験』誌でおなじみの安井章先生にご来店いただき、先生のアンプを使用したミニ試聴会を行いました。
 
 真夏の暑さの中なので心配しましたが、80歳を超えるご高齢にもかかわらず、オーディオにかける情熱は未だに衰えることなく持ち続けておられるようで、いろいろと、貴重なお話を聴かせていただきました。

 当ショップには『ラジオ技術』誌で有名な高橋和正先生にも、時々、ご来店いただき、オーディオ(スピーカー制作)に関するお話を聴かせていただいていますが、我々若いもん(?)も、先生たちのオーディオにかける『いきざま』に負けずに、まだまだ、頑張らなければならないと、改めて自覚させられます。

 上の画像は、その安井先生のアンプに魅せられ、長い間、先生の愛弟子(?)としてお付き合いを続けている 佐藤さんで、先生に替わって、プレゼンター役を務めていただきました。ちなみに、右端に座っておられるのが安井先生です。

 当ショップの『YBAプレミアクラブ』会員でもある佐藤さんは、数年前に、一大決心をして、本業である一級建築士の仕事を辞めて、小さなオーディオ工房を始め、当ショップとコラボレーションをしながら、アンプ製作などに頑張っておられる方で、オーディオにかける情熱は、先生方に負けないものが有りますね。

 現在、当ショップとのコラボレーションで、先生のアンプのキット化を検討していますので、そのうち『安井式アンプキット』が発売されるかもしれませんよ。
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c7

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
8. 中川隆[-14351] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:22:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1262]
プリアンプの製作 その3 使用するコンデンサに関して
https://yurikamome.exblog.jp/24361076/

 コンデンサの選定については、容量の大きいものに関しては電解コンデンサを使わざるを得ないのだけど、ブロック形の大容量のものは選定の自由度がないので、基板上の縦型の電解コンデンサで、いくつか聴いた感触でニチコンのMUSE-KZとしたのは一番シャープな感じがするからで、MUSE-FGは中域の押し出しがよいという話もあり、聴いてみたところ、低域の量感もなかなかよろしく、滑らかでシルキーな中高域はそれはそれで魅力的。あと、シルミックも好かったけども透明感と奥行き感の再現性など個人的好みでKZとした。

 ただ、正直言って電解コンデンサのエージングは半月くらいではまだまだのようで、これからその後にどう音が変わるかは、実際に搭載したMUSE-KZ以外はよくわからない。

でも現在MUSE-KZは低音の締まりと高域の透明感、パンチ力と空間再現力では大変に満足をしているのは事実です。

 それからフィルムコンデンサは、特にカップリング用の10µFは売っているものだとASCとか、WIMAのMKS位しか手に入りにくく、あとは安井式純正のシーメンスのMKMを絹糸で締めたヤツ。

以下、聴き比べの結果。シーメンスのMKMは現在手に入るのが6.8µFが最高なので、これで試してみる。


ASC X335 200V 10µF
 雰囲気もよくでていてカチッとした音、エージング後には透明感が向上。

WIMA MKS 63V 10µF
 こちらの方がASCよりも更にスッキリした印象で、音が前後に拡がる。音像もシャープで好感が持てる。
 エージング後は更に空気感を感じるようになった。

糸締めシーメンスMKM 250V 6.8µF
 これがもう大変で、何がって作るのが。電極の大きさよりもやや小さく切り抜いたグラスエポキシ樹脂でコンデンサを挟み込み、プライヤーで握りしめながら絹糸を200回巻く。プライヤーを握る左手がだんだん感覚が麻痺してくるほど大変。

 記事中にどれくらい巻いたらいいのか、どれくらいの聴力で巻いたらいいのかハッキリなかったので、とにかく力任せでガンガンやって、できあがったコンデンサは、写真で判るとおり真ん中が多少凹むくらいになったが、これをエポキシ樹脂で固める。

 1日2個作ったらもうたくさん。
で。その結果はといえば、中域の実在感がないというか、ピアノタッチのアタックや弦のピチカート、シンバルやドラムのパンチはやたらと強く感じるのだけど高域も中域も何か前に出る力強さがない、かといって低域もドスンと来ない。

 が、10分も聴いているうちにそうではなく、全体に歪み感がなくなったせいで、分解能が格段に上がり、そして音域の強調がなくなったせいで今まで張り出していた中域がナチュラルになっただけ。なんと言っても音場感の出方は目覚ましい。低域は締まりがあって、バスドラムの張り具合やダブルベースのピチカートなんかもピシャリと決まる。量感がないのではなく今まで聴いていて「ドスン」は何か余計なものがあったような気がする。音の決めの細やかさとしなやかさ、そして柔らかさは断然こっち。

 これを聴いてしまうとWIMAのMKSはずいぶん荒っぽく音が濁ってきこえる。ASCは更に詰まった雰囲気。

 ただ、あくまで糸締めシーメンスMKMに比較しての話。

 ていうことで、もうこれに決定。容量の不足分は2パラにし13.6µFにすることで解決。

 それにしても、このコンデンサを作るのは大変。でもそれは報われる。

 ちなみに値に関しては、安井式オリジナルが10µFなのだけど、値を変えたらどうなのかと言うことで、徐々に2µFまで減らしてみた。これで大体カットオフが安井式の470kΩとすると0.18Hzなので全然問題ない。

 が、しかし音の様相はずいぶん変化してくる。糸締めシーメンスMKMで可能な6.8µFにすると、身体に感じる音圧感が全然変わってしまう。2µFにしたら、これはもう店先でよく聞くようなあの音場。カチッとしているけど臨場感では6.8µFに全然劣る。10µFでは包み込まれるような雰囲気が素晴らしい。

 今度はどんどん増やしたらどうなるかと言うことで、50µFまで大体10µFづつWIMAのMKSで試してみたその感じの改善は大体30µF位までは改善の変化が認められたけども、それ以上になるとあまり感じられなかった。

 カップリングコンデンサはやはりない方がよい、DCアンプ(つまり直流まで増幅できるアンプという意味で、たとえばサーボをかけるなどと言った手法でカップリングコンデンサを排除するとか言う意味ではないし、金田式という意味では全くない)の優位性はここにあったワケなんだと再認識。

 ちなみに、信号ラインというものを勘違いしている話をよく聞くので、ちょっとここでの考え方をハッキリさせておくと、負荷に並列になった部分に関しては、その並列部分の先はたとえばアースに落ちるので、音としては影響はないと思っている話をよく聞くのだけどそうではない。並列分の差分として直列分にはその歪みが影響するので、結局は直列部分に挿入したのと同じ影響があると言うこと。たとえばサーボをかけるとドリフトを初段に戻すの事になるのだけども、そのドリフト分はローパスフィルターによる。そのローパスフィルターは音質に影響すると言うことを認識しておく必要がある。
https://yurikamome.exblog.jp/24361076/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c8

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
9. 中川隆[-14350] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:26:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1261]
趣味の自作半導体アンプ
http://myaudio.sakura.ne.jp/


2008年11月、昔から愛用していたメーカー製アンプの衰えが見え始めた為、30年(四半世紀!以上)ぶりにオーディオ雑誌「MJ 無線と実験」の2008年12月号を購入。落合萠氏のMOS−FETパワーアンプの作製を手始めに、金田氏のDCアンプ、安井氏のアンプの作成と継続してアンプ作りに取り組んでいる。

最新レポート

■電流伝送プリアンプへのMixing IVCの追加(2020年1月13日更新)←PDF
「MJ 無線と実験」誌の2017年2月号、3月号に掲載された金田氏発表のDCアンプNo.251超多機能プリアンプを作成しましたが、Mixing IVCを搭載していなかったので対応します。(2020年1月12日)

■コネクタVICの改良(2020年1月2日掲載)←(PDF)
2014年にカートリッジVICに変わるVICとしてコネクターVICを作成しましたが、断線が発生して使用できなくなったので、新たに欠点を改善するコネクターVICを作成しました。(2020年1月2日)

■電流伝送プリアンプの端子追加(2020年1月2日掲載)←(PDF)
「MJ 無線と実験」誌の2017年2月号、3月号に掲載された金田氏発表のDCアンプNo.251超多機能プリアンプを作成しましたが、DAC入力用の端子を付けていなかったので追加しました。(2020年1月1日)

■パワーアンプ⇔スピーカー切替器(2019年11月29日掲載)←(PDF)
1台のスピーカーと複数台のパワーアンプの切替器を作成しました。
3,500円ほどかかりましたが、ネットで調べたら、数万円から高いものは10万円台のものも。

■スミマセン。真空管アンプ作っちゃいました(2019年11月23日更新)←(PDF)
 タイトルに反して、MJ無線と実験の2018年9月号に掲載された岩村氏発表のC3gドライブ300Bシングルパワーアンプを作っちゃいました。

■Mixing IVC 搭載、プリアンプ、パワーアンプ切替IVC(2019年10月26日更新)←(PDF)
 電圧伝送と電流伝送のプリアンプの入力切替、電圧伝送と電流伝送のパワーアンプ、ヘッドフォンへの出力の切替を行うMixing IVCを搭載したIVCの製作を行います。(2019年6月20日)

■NutubeバッテリードライブハイブリッドパワーIVC MK2(2019年9月29日更新)←(PDF)
 「MJ 無線と実験」誌の2018年12月号、2019年1月号に掲載された金田氏発表のDCアンプNo.262 NutubeバッテリードライブハイブリッドパワーIVC MK2 ミドルパワー版をメインシステム用に作成します。
2019年9月までに一通り検討し、主要部品の入手までを完了させる事を第一目標とします。
(2019年6月20日)
 一通り検討が終わり、部品も揃ったので製作に入ります。(2019,年8月11日)

■NutubeバッテリードライブハイブリッドパワーIVC(2019年6月17日更新)←(PDF)
 「MJ 無線と実験」誌の2017年6月号、7月号に掲載された金田氏発表のDCアンプNo.253 NutubeバッテリードライブハイブリッドパワーIVCを作成します。(2019年2月3日)

■電流伝送プリアンプ(2019年1月25日更新)←(PDF)
 「MJ 無線と実験」誌の2017年2月号、3月号に掲載された金田氏発表のDCアンプNo.251超多機能プリアンプを作成します。(2018年12月12日)

■15W無帰還パワーアンプ(2018年12月2日更新)←(PDF)
 「MJ 無線と実験」誌の2016年4月、5月、6月に掲載された安井章氏発表の15W無帰還パワーアンプの作成を開始しました。(2018年6月23日)

  40年以上前のタンゴのトランジスタ用トランスのカタログ←(PDF)

■バッテリー電源BOX(2018年10月28日更新)←(PDF)
 バッテリードライブ用の電源BOXと充電器の作成レポートをします。(2018年9月8日)

■NuTube電流伝送D/Aコンバーター(2019年11月3日更新)←(PDF)

 XMOS XU208 D/Dコンバータ ←(PDF)

  D/Aコンバータ、D/Dコンバータとも完成しました。(2018年6 月16日)
  2017年12月と2018年1月の「MJ 無線と実験」誌に掲載されたDACの作成を開始しました。
  (2018年1月20日)

■USBクリーン給電器(2017年4月15日) ← (PDF)
アクセサリーの作製
■パススルー用バッテリーアダプターの作製レポート(2016年1月9日更新) ← (PDF)
※バッテリー電源の何パターンかの電圧仕様に応じて電池ボックスを作成しなくてよいように、単三電池の形状のパススルー・アダプターを作製しました。(2016年1月9日)
1.D/Aコンバータの作製←クリック
■金田氏設計DCアンプNo.213 超多機能デジタル再生システムの作製レポート(2011年10月4日更新) ← (PDF)
※ミューティングを改良しました。「ボツ!」が「プチ!」になりました。(2011年11月12日)←(PDF)
※電源ON/OFF時のショックノイズを回避するためにPhoto MOSSリレーを使ったミューティング回路を組み込んで完成としました。ただ、OFF時のノイズ除去がまだ完璧ではありません。(2011年10月4日)
■金田氏設計DCアンプNo.196 D/AコンバーターへのBGA&CM回路の組み込みレポート(2011年8月7日更新)←(PDF)
※BGA&CMの組み込み成功です!(2011年8月7日)。大幅に音質が向上しました。

■金田氏設計DCアンプNo.196 D/AコンバーターへのNo.199真空管D/AコンバータおよびみNo.206多機能デジタル再生システムのBZC回路の組み込みレポート(2011年5月8日更新) ← (PDF)
※完成しました。素晴らしい迫力と分解能です。(2011年5月8日) 現在は、MJ無線と実験2011年4月号と5月号で発表されたDCアンプシリーズNo.213「超多機能アナログ&デジタル再生システム」で採用されたBGA&CM回路の組み込みを検討しています。
■金田氏設計DCアンプNo.206「D/Aコンバータ+ヘッドフォン兼用ラインアンプ内蔵,バッテリードライブ 多機能デジタル再生システム」の作成レポート(2011年2月28日更新) ← (掲載終了)
昨今、テレビがデジタル化され一般の人でもデジタルの恩恵を受ける時代になった。CDでなくとも、DVDやTV放送からそれられのソースが多量に供給されている。この音をいい音で聴きたい。こう思い立ち、D/Aコンバータを作製することにしました。(2010/10)
2.プリアンプ/ラインアンプの作成
■安井氏設計無帰還CR型イコライザー搭載ブリアンプの作製(2018/1/1)←(PDF)
MJ無線と実験の2017年6月号、7月号に掲載された安井章氏発表のCR型イコライザーの作製レポートです。(作製開始2017年6月25日 完成2018年1月1日)。
■安井氏設計無帰還CR型イコライザー搭載ブリアンプの作製(2010年)
MJ無線と実験の2009年3月号に掲載された安井章氏発表のプリアンプの作製レポートです。(作製開始2010年6月5日 完成2010年10月3日)。イコライザーのゲインアップ対応(2014年1月11日)

3.パワーアンプの作成
■落合氏設計 全段定電圧電源対応MOS-FETの作成(2013年10月26日)←(PDF)
現システムの主力のパワーアンプはMJ無線と実験の2008 年12 月号及び2009 年1 月号に掲載された落合萠氏のMOS−FETパワーアンプだ。金田氏のアンプもいいが、このアンプ、素晴らしいクオリティであるし、愛着がある。ただ、保護回路が付いていない。このアンプにこれから保護回路を組み込むのも大変なので、MJ無線と実験の2011年2月号から2012年4月号まで計9回の連載(第1回2011年2月号、第2回3月号、第3回4月号、第4回5月号、第5回11月号、第6回2012年1月号、第7回年2月号、第8回2012年3月号、第9回2012年4月号)で掲載された落合 萠氏のMOS-FETアンプをベースに新たに作成することにした。また、1年以上かかるかな。(2012年9月9日)
■バッテリードライブDCアンプ用AC電源−(2013年5月4日)←(掲載終20140502)
電源供給部分+No.209パワーアンプの組み込みを計画していましたが電源供給部分のみ完成しました。本機は、No.209パワーアンプとの電源連動を実現しています。なお、この筐体へのNo.209パワーアンプの組み込みは後回しにすることにしました。これからは、手がつけられなかった落合氏のMOS-FETの作製に注力しようと思います。
■金田氏設計DCアンプNo.209バッテリードライブDCパワーアンプの作成−トランス式−(2012年12月5日)←(PDF)
レタリングを入れ完成としました。(2012年9月30日) サーミスタ回路の定数変更しました(2012/12/5)

金田氏設計DCアンプNo.209バッテリードライブDCパワーアンプ:修理 (2017年6月3日更新)←(PDF)

問題は解決しました。サーミスタの回路の調整を行い完成としました。(2012年10月8日)
Ioの測定をしました。筐体フロントの加工も終わり、ヒューズをはずして配線を整え完成と思ったのですが、問題発生です。(2012年9月9日)
古い高価な石を集めても特性がなかなか揃わない。それより、なるべく新しい安価な石を選別して特性を揃えて作成した方が良いアンプができるのではないかと思うようになってきた(2012年5月6日)
遅ればせながら、MJ無線と実験2010年8月号、9月号に連載されたNo.209 バッテリードライブDCパワーアンプの作成検討を開始しました。(2011年11月12日)
■落合氏設計MOS-FETパワーアンプの作成(2010年5月24日) 電源のCRDの向きの訂正を反映(2012/3/25)
※本アンプは、2009年4月より作成開始。MJ無線と実験の購入時から1年半後の2010年5月に完成しました。30年ぶりのアンプづくりでしたが、無事完成させることができました。(2010年5月24日)

----- ◇ ----- ◇ ----- ◇ -----

■システム構成(2019/11/4掲載)←PDF

----- ◇ ----- ◇ ----- ◇ -----
☆金田アンプ作成に多用されているアラルダイトが販売中止になっていました。
 こちら→ニチバン企業ニュースリリース 2018年6月27l
      エポキシ系接着剤 アラルダイト® 販売中止のお知らせ(PDF:193KB
   (2019年1月)

☆息子がiPhoneを機種変更したといって古いiPhone6Sをくれた。といっても私が買い与えたものだが。新しいiPhoneに刺さっているSIMカードを一時借用してiPne6Sに挿し、SIMカードを挿した状態で端末を初期化すると、電話系の機能は利用できない、SIMコードがありませんと表示されるなどの制約があるものの、Wi-fi含めたその他のすべての機能が利用できる。電話会社のメールや電話回線経由のインターネットが利用できないので、外出先でいつでもどこでもというわけにはいかないが、PCのインターネットプロバイダーのメールが設定・利用できるので、Wi-Fiで自宅利用に限定すれば全く問題ない。DACの入力がPCだと空冷ファンの音が気になるのでこのiPhoneを使ってみたが、なぜだろう、PCで再生した方が音が良い。ちょっと期待外れ。
下記のミニバナナプラグは、秋葉原で売られているところを見つけた。とても分かりづらい場所に陳列されている。おそらく在庫限りだろう。φ2.5mmだとスカスカで頼りない。φ3mmの方がきつめに装着できてよい。皆が購入できるように大人買いせず、必要数だけ購入。
(2018年9月)
☆金田アンプのリチウムイオン電池に使用するプラグが秋葉原で探していたのだが長い間見つからずにいた。ネットで「φ2.5mm ミニミニバナナプラグ」としたら、検索出来た。台湾製で、取り扱っているのは関西の販売店1社だけのよう。どおりで秋葉原で見つからないはずだ。
この他にサトーパーツでTJ-22G,TJ-33Gという製品が存在していたようだが、現在はカタログに載っていないので既に廃止されたようだ。こういった少し売れ筋から外れた製品が製造されず、出回らなくなるというのは、国力が衰えている証拠かな〜。
(2018年7月)
☆下の息子が大学に行きはじめ、やっと、落ち着いてオーディオに専念できるようになってきた。今まで、暫くポチポチとアンプ作りを行ってきたがやっと本腰入れてできそう。そう思って、ここの所、ネットばかりで買い物をしていたが、ゴールデンウイークでもあり「秋葉原に部品のの買い出しに行くか!」そう思い立ち、秋葉原の外れ、地下鉄末広町前のいつもネットで部品購入していたとあるお店へ。
あれっ?。シャッターが閉まっている?。連休中お休みだっけ?。仕方なく、ちょっとあまり行きたくないが、フィギアのお店ばかりになってしまった駅前のラジオ会館の店舗の方へ。「こっちも休みかな?」大丈夫。営業していた。部品をいくつか購入して帰宅。
ネットで調べたら、なんと、末広町のお店は2016年1月末で閉店!。え〜うそでしょ。通販のホームページには何も書かれていなかったので気づかなかったけど。既に廃止になったトランジスタなどがいつでも購入できるお店はここぐらいしかない。少し前は、「電子立国日本」なんて番組をNHKで放送していたこともあったが、三洋はパナソニックに買収されるは、シャープは外国の企業の傘下に入るはで、電子立国は衰退の一途。「半導体は産業のコメ」なんて言われていた時もあったが、今では、ほとんどの企業が撤退してしまっている。どうなっちゃう日本。どうなっちゃう半導体の自作アンプ。(2016年4月末)
☆2014年6月にPCの外付けで付けていたハードディスクが壊れ、データが殆ど全てなくなってしまいました。復旧ソフトでも救えず、僅かに残っていた印刷物やPDFから再度、元のファイルをボチボチ再作成し、1年が過ぎてしまいました。同じメーカのTV用ディスクも8月に壊れました。もう絶対、このメーカのディスクは買わないぞ。(2015年9月)
☆Fostexのスピーカーを購入しました(2013年7月17日)
う〜ん。ティンパニーが聞こえない。ボリュームを上げると中高域ばかり大きくなる。スピーカーでこうも違うのか。そこで、試しにパソコンから接続してiTuneのイコライザー機能で低域を持ち上げたら大変身。全く大型スピーカと遜色ない音になった。スピーカにネットワーク回路を付けるか今まで省略してきたトーンコントロール回路(アンプ)作るかどうするかな〜。(2013/10/26)

ISO(TANGO)の廃業をMJの2013年8月号で知った。注文は6月28日までとの事で、時既に遅し・・・。
☆今週(2012年11月20日)会社が残業するなというので、久しぶりに秋葉原駅前のラジオ会館の2Fにある販売店に行ったら、お店が半分に縮小しており、フィギアのお店の準備が進んでいた。また、先月40年ぶりに長野県の上諏訪に行く用事があったので行ってみたら、駅前のデパートが閉店していて全く活気のない街になっていた。どこもかしこも景気が衰退しているのを肌身に感じる。海外のギリシャやスペインだけではない。日本も経済がおしくなっているのが目に見えてわかる。あー。サンハヤトのレタリングシートももう在庫が無いみたい。

☆私が真空管アンプを作らないのは、部品の単品価格が高いから。真空管、トランスと1つ数万円もする部品をおいそれとは買えない。トータル金額は同じでも、1回の買い物は数千円まで。トランジスタは、数十円から数百円で買える。毎週、毎月、部品を買いながら集めてゆくのが楽しい。毎回、最後に値が張るケースとトランスを買って、作製を開始する。

http://myaudio.sakura.ne.jp/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c9

[番外地7] オーディオ専門誌「無線と実験」に掲載されていた「安井章」先生創案のアンプ 中川隆
10. 中川隆[-14349] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:31:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1260]
2008年11月08日
金田式 VS 安井式、雑感(13年前の書込)
https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html

真空管アンプ
ネットサーフィンをしていて、古い知人に巡り会いました。彼は、昔、流行ったパケット通信の書込み内容を保存していてWebに公開しています。その中に私が13年前に書き込んだ記事がありましたので以下に再掲します。

---------------------------------------------------------------
To: AUDIO @JPN
Subject: 金田式 VS 安井式、雑感
From: JA2DHC
Date: 15-Aug 95 11:01:00
Message-Type: B
---------------------------------------------------------------
金田式DCアンプの話題で盛り上がっていますが、私は同じ頃、雑誌によく書いていた安井章氏の記事の方が好きでした。 この二人は意見が衝突し、誌上討論会なども行なわれました。 私としては回路理論では圧倒的に安井氏が優れていたと今でも思っております。 ただ、安井式は、基板製作から行なう必要があるため蛇の目基板を使う金田式の方が自作する人が多く、評判は良かったようです。

私は安井式A級15Wx2アンプを始めて鳴らしたとき、これで真空管アンプの時代も終わりだなと思いました。 ただし、この時は211のアンプを持っていなかったのです。 その後211のアンプを作り、辛うじて真空管アンプの優位性を保ったのでした。

安井式もDCアンプ構成ですが、金田氏が「DCアンプ」の名前を使うのにクレームをつけたので使わなくなったのが実情です。 当時のMJを全部読んでみればわかります。

安井氏が提唱したTP歪み(Transient Phase歪み)理論はそれまでにないユニークなものでした。 氏は言及していませんでしたが、私がこれを読んだ時、真空管アンプが音がいいと言われるのはTP歪みが少ないせいだと、直感しました。 最近このフィールドで真空管と半導体の違いは電流が真空中と個体中を流れる違いだけと言う意見がありました。 私はそれだけとは思いません。 半導体は電極電圧の変化に伴って電極間容量が変化しますが、真空管はほぼ一定です。 この特性によりTP歪みが出にくくなります。

以上、25年くらい前を思い出しながら書いていますが、最後に印象に残っている記事のライタを以下に示します。 皆さんそれぞれ思い入れがあることでしょう。

真空管の部
武末数馬 : 言わずもがなの真空管アンプの大御所

辰口 肇 : 本当のアマチュアらしく、原稿料かせぎでなく、自分のための最良のアンプを追及した人

落合 萌 : シンプルな回路でFBな音のアンプを数多く発表した

森川忠勇 : 膨大な数の記事を残した。 駄作も多かったが有効な記事も多かった。 日本で真空管アンプがこれほど生き延びたのは 氏の記事の影響が大きいと思う

藤本伸一 : 数年前にパケットに出てこられたようです

半導体の部
前記 2名(安井氏、金田氏)
窪田氏(名前を忘れました): 終段無帰還アンプなどメーカー製にない 独自の回路を研究
桝谷氏(名前を忘れました): 論評を控えます

’73 de JA2DHC/1 大橋、(JL1ZNDシスオペ)

[End of Message #63308 - from JA2DHC]

https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/435.html#c10

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
132. 中川隆[-14348] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:38:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1259]
横浜 ベイサイドスクエア 2016.09.09
8月6日に安井章先生のアンプを使用した試聴会を行いました!
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249

 先月の8月6日(土曜日)に、『MJ無線と実験』誌でおなじみの安井章先生にご来店いただき、先生のアンプを使用したミニ試聴会を行いました。
 
 真夏の暑さの中なので心配しましたが、80歳を超えるご高齢にもかかわらず、オーディオにかける情熱は未だに衰えることなく持ち続けておられるようで、いろいろと、貴重なお話を聴かせていただきました。

 当ショップには『ラジオ技術』誌で有名な高橋和正先生にも、時々、ご来店いただき、オーディオ(スピーカー制作)に関するお話を聴かせていただいていますが、我々若いもん(?)も、先生たちのオーディオにかける『いきざま』に負けずに、まだまだ、頑張らなければならないと、改めて自覚させられます。

 上の画像は、その安井先生のアンプに魅せられ、長い間、先生の愛弟子(?)としてお付き合いを続けている 佐藤さんで、先生に替わって、プレゼンター役を務めていただきました。ちなみに、右端に座っておられるのが安井先生です。

 当ショップの『YBAプレミアクラブ』会員でもある佐藤さんは、数年前に、一大決心をして、本業である一級建築士の仕事を辞めて、小さなオーディオ工房を始め、当ショップとコラボレーションをしながら、アンプ製作などに頑張っておられる方で、オーディオにかける情熱は、先生方に負けないものが有りますね。

 現在、当ショップとのコラボレーションで、先生のアンプのキット化を検討していますので、そのうち『安井式アンプキット』が発売されるかもしれませんよ。
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


▲△▽▼


2008年11月08日
金田式 VS 安井式、雑感(13年前の書込)
https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


真空管アンプ
ネットサーフィンをしていて、古い知人に巡り会いました。彼は、昔、流行ったパケット通信の書込み内容を保存していてWebに公開しています。その中に私が13年前に書き込んだ記事がありましたので以下に再掲します。

---------------------------------------------------------------
To: AUDIO @JPN
Subject: 金田式 VS 安井式、雑感
From: JA2DHC
Date: 15-Aug 95 11:01:00
Message-Type: B
---------------------------------------------------------------
金田式DCアンプの話題で盛り上がっていますが、私は同じ頃、雑誌によく書いていた安井章氏の記事の方が好きでした。 この二人は意見が衝突し、誌上討論会なども行なわれました。 私としては回路理論では圧倒的に安井氏が優れていたと今でも思っております。 ただ、安井式は、基板製作から行なう必要があるため蛇の目基板を使う金田式の方が自作する人が多く、評判は良かったようです。

私は安井式A級15Wx2アンプを始めて鳴らしたとき、これで真空管アンプの時代も終わりだなと思いました。 ただし、この時は211のアンプを持っていなかったのです。 その後211のアンプを作り、辛うじて真空管アンプの優位性を保ったのでした。

安井式もDCアンプ構成ですが、金田氏が「DCアンプ」の名前を使うのにクレームをつけたので使わなくなったのが実情です。 当時のMJを全部読んでみればわかります。

安井氏が提唱したTP歪み(Transient Phase歪み)理論はそれまでにないユニークなものでした。 氏は言及していませんでしたが、私がこれを読んだ時、真空管アンプが音がいいと言われるのはTP歪みが少ないせいだと、直感しました。 最近このフィールドで真空管と半導体の違いは電流が真空中と個体中を流れる違いだけと言う意見がありました。 私はそれだけとは思いません。 半導体は電極電圧の変化に伴って電極間容量が変化しますが、真空管はほぼ一定です。 この特性によりTP歪みが出にくくなります。

以上、25年くらい前を思い出しながら書いていますが、最後に印象に残っている記事のライタを以下に示します。 皆さんそれぞれ思い入れがあることでしょう。

真空管の部
武末数馬 : 言わずもがなの真空管アンプの大御所

辰口 肇 : 本当のアマチュアらしく、原稿料かせぎでなく、自分のための最良のアンプを追及した人

落合 萌 : シンプルな回路でFBな音のアンプを数多く発表した

森川忠勇 : 膨大な数の記事を残した。 駄作も多かったが有効な記事も多かった。 日本で真空管アンプがこれほど生き延びたのは 氏の記事の影響が大きいと思う

藤本伸一 : 数年前にパケットに出てこられたようです

半導体の部
前記 2名(安井氏、金田氏)
窪田氏(名前を忘れました): 終段無帰還アンプなどメーカー製にない 独自の回路を研究
桝谷氏(名前を忘れました): 論評を控えます

’73 de JA2DHC/1 大橋、(JL1ZNDシスオペ)

[End of Message #63308 - from JA2DHC]

https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html

▲△▽▼


プリアンプの製作 その1 2015/06/24
https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

 先日、あるマニアが我が工房にお越しになり、安井式アンプと安井式のネットワークによるシステムを試聴された。

 「これは凄いっ!!」、その音が出た瞬間の表情が嬉しかった。

 聴き進むうちに「今まで聴いていた音は何なんだって感じ」ともおっしゃっていただいた。安井式アンプの雄大なスケール感と奥行きを感じる透明感、そして実在感を体験していただけたのはよかった。

 実は、パワーアンプの後プリアンプの安井式で組み上げている。

 パワーアンプの成功からすれば当然その延長でと言うことだし、安井先生の「プリアンプが対応していなければ音は拡がりませんよ」というお話もあり、更にその先を聴きたくなったというわけで、先だってのAccuphaseのP-6100の対決での収穫もあり、記事のオリジナルを更にブラッシュアップしたくなり、本格的プリアンプに先立ち、検証実験用にOP-AMPを使った実験機をバラックで組み立ててみた。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15373971.jpg

 カップリングコンデンサは1.5µFのよくOP-AMPのデータシートに載っている極々当たり前のOP-AMPのフラット増幅回路に安井式電源を組み合わせ、(とは言ってもオペアンプ周りのデカップリングは100µFの電解コンデンサを入れてあった)パーツは手持ちを使った関係で定数も手持ちのものになっている。トランスはジャンクのよくある青い小さなトロイダルを使った。この手のトランスは多くの場合恐ろしくレギュレーションが悪い。このトランスもご多分に漏れず、出力電圧が定格で35Vなんだけど、開放状態では67Vもある。不良品かと思ったけど、データシートを見てみたらそういうものだった。それだけ巻き線の直流抵抗が大きく、つまりレギュレーションが悪い。

 はさておき、先ずはそのまま誰でもやる、つまり安井式のフィルターなしの回路での実験。OP-AMPは手持ちであったもの幾つか差し替えたけど、個人的に好みだったバーブラウンのOPA2604で実験機とした。

 この時点での音は、OP-AMPによくありがちな、カチッとした堅めの音で、そしてこのOPA2604らしく活き活きとしたパンチのある音がしている。それでいて手応えを感じる中音域の厚みも、たとえば優等生的なナショナルセミコンダクタのLME49860よりもワイルドで、音楽的なリアリティーではこちらの方が好みではあるのです。そんなわけで、これはこれで悪くはないとも思う、アナログのトランジスタアンプ的な音と言いますか、色気のある音であった。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15491372.jpg

 いよいよ安井式の検証。まず、回路図で目につく安井式の特徴のコイルによるフィルターを挿入すると音は一変する。奥行きを感じて低音の力強さが増す。

 次にカップリングコンデンサに10µFの電解コンデンサを並列に接続。これは効果が確認できるまで時間がかかった、音が曇るような印象を感じなくもない。エージング待ち。

 そしてデカップリングを安井式のオリジナル通り0.033µFに変更。これが素晴らしかった。前後感の再現力が格段に上がった。但し低音の力強さが後退したような気がしなくもない。

 そこで、整流後、電源回路以前の平滑コンデンサの容量を手持ちの関係で1500µFだったものを更に2000µF重ねて合計3500µFとしてみたところ、低音の力強さが改善された。

 そんな試行錯誤をしているうちにカップリングに並列した電解コンデンサもエージングが進み、並列した直後とは全く違う響きを聞かせてくれている。

 この響きはもはやOP-AMPとは思えないスケール感に柔らかさ、しなやかさ。

 この時点ではまだパーツ類のシールドはしていなかったのだけど、簡易のシールドを施してみたところやはり音のスケール感と決めの細やかさは更に増してきた。

 ここで、OP-AMPを新日本無線のMUSE-01に差し替えてみた。この非常識に高価なOP-AMPの実力はというと、スピーカーから流れてくる音の浪々をしたスケールにはOP-AMPの私の固定概念が全くの言いがかりのようなものだったと言うことを身をもって体験をした。このふくよかさ、艶やかさ、ダイナミックな力強さは真空管と言っても誰も不思議がらないと思う。でも実はマニアは敬遠するOP-AMP。

 回路図は、どこにコイルを挿入し、デカップリングの値などがわかるように添付しておく。これは安井先生御自身が記事にしたものとほぼ同じ。

 と言うことで、ここまでが安井式のオリジナル通りの構成でアンプを組んで、安井先生のノウハウがどういう効果があるのかを一つずつ検証してみた。

 コイルや抵抗のシールド、デカンプリングコンデンサにカップリングコンデンサ、それぞれに大きな効果があったのは事実と同時に、そうたいした出費にならないところがポイントで、大胆な回路に見えないので地味な印象ではあるのだけど、こう進めていくうちに音の善し悪しは、パーツやら回路やらで決まるのはもちろんだけど、なぜそれらが音の善し悪しに聴感上影響するのかはパーツや回路が良い悪いと言うことよりもそういう影響を出させる要因は何か別にあるような気がするのです。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15183947.jpg

https://yurikamome.exblog.jp/24305490/


▲△▽▼


安井式40WパワーアンプとAccuphaseのP-6100の対決 2015-06-16
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/

 パワーアンプの製作で、安井式の選択の成功だった。

 あるイベントで、パワーアンプのみ安井式にしてデモンストレーションを行った。多くがオーディオに興味がある人しか来なかったそのイベントでは、おおむね好評というレベルではなく、足を運んでくれた人は皆一様に予想以上のクオリティーに驚いていた。

 あるマニアが「そのアンプ、貸してくれませんか」というお話。その方のお宅で、アキュフェーズのアンプとタンノイの高級スピーカと組み合わせると言う機会を得た。

 ラインナップはパワーアンプがP-6100、プリアンプがC-2420。スピーカーはタンノイのカンタベリー。

 基本的にバランス伝送で接続されていて、スピーカーはバイワイヤリングで接続されている。

 今はハイエンドはバランス伝送が常識的な流行と言うことになっている。(実はバランス伝送というのは家庭用のケーブルが長くても数メートルというオーディオシステムでは、デメリットの方が大きいと言うことをあまり知られていないのは、ものを作る側で、しかも高いものを売りたい方としてはありがたいことだと思う)

 始めに聴いた印象で、このシステムのスケール感は快感を感じさせる。

 伸びやかなきめの細かい音も色気を感じたし、ピアノの共鳴による基音より低い音も雄大に響いていて、それでいて立ち上がりがよかった。でもハイエンドによくありがちな1枚ベールをかぶった印象はやはりここでもあった。

 そんなシステムのおよそ100万円のパワーアンプとの対決なのだけど、安井式のパワーアンプはアンバランス伝送なので、アキュフェーズのプリアンプのC-2420はアンバランスの出力も装備されているのでいるので、こちらを使って接続。

 カンタベリーは能率が8Ωで96dBもあるので、スピーカーから2〜3mのリスニングポジションで40Wの出力でもダイナミックレンジとしては生のオーケストラ以上の音が出せるので、全く出力としては問題なし。

 重さも大きさも全然違うこの対決は大変楽しみだったけど、結果は惨憺たるものだった。

 自宅ではスピーカーの外まで拡がっていた音場が全く拡がらないどころか奥にくすんでしまっていて、しかも詰まった印象。

 アキュフェーズできこえていたピアノのハンマーが弦を叩くその感じが全くしない。

 よくハイエンドにありがちな、スケール感はあるのだけど1枚ベールをかぶったそんな感じが更にひどくなったような印象だった。ホールトーンが自然に引かないどころか、きこえるべきホールトーンがない。

 明らかに自宅で鳴らすのとは、出張デモで鳴らすのとなり方が違う。

 実験用に用意していったコモンモードフィルターをプリとパワーの間に挿入したところ、大きな改善があったものの、それでもアキュフェーズの足下に及んだとは到底言いがたいのは変わらない。自宅で聴いたときのようなホールに包まれるような感じが全くしない。

 アンプを自宅に持ち帰りいつもの環境で試してみると、さすがにカンタベリーのスケール感にはかなわないのだけど、透明感と立ち上がりでは明らかに我が家の環境の方が勝っていると思う。

 安井先生にそのことを話してみたところ、「プリアンプも対応していないと、音は拡がりませんよ」とのこと。

 この経験は大きかった。音をよくする秘密が一つ解った気がした。

 なぜたった数メートルのケーブルに大金を投資しなければいけないのか、なぜ試聴したときと買ったときでは音が違うのか、その原因の大きなものを見つけた気がした。
 そして、それは後の実証実験でたぶん正しかった。
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c132

[リバイバル3] 超お買い得 イシノラボのトランス式パッシブ・プリアンプ 中川隆
47. 中川隆[-14347] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:56:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1258]

プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。


とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42


▲△▽▼

横浜 ベイサイドスクエア 2016.09.09
8月6日に安井章先生のアンプを使用した試聴会を行いました!
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


 先月の8月6日(土曜日)に、『MJ無線と実験』誌でおなじみの安井章先生にご来店いただき、先生のアンプを使用したミニ試聴会を行いました。
 
 真夏の暑さの中なので心配しましたが、80歳を超えるご高齢にもかかわらず、オーディオにかける情熱は未だに衰えることなく持ち続けておられるようで、いろいろと、貴重なお話を聴かせていただきました。

 当ショップには『ラジオ技術』誌で有名な高橋和正先生にも、時々、ご来店いただき、オーディオ(スピーカー制作)に関するお話を聴かせていただいていますが、我々若いもん(?)も、先生たちのオーディオにかける『いきざま』に負けずに、まだまだ、頑張らなければならないと、改めて自覚させられます。

 上の画像は、その安井先生のアンプに魅せられ、長い間、先生の愛弟子(?)としてお付き合いを続けている 佐藤さんで、先生に替わって、プレゼンター役を務めていただきました。ちなみに、右端に座っておられるのが安井先生です。

 当ショップの『YBAプレミアクラブ』会員でもある佐藤さんは、数年前に、一大決心をして、本業である一級建築士の仕事を辞めて、小さなオーディオ工房を始め、当ショップとコラボレーションをしながら、アンプ製作などに頑張っておられる方で、オーディオにかける情熱は、先生方に負けないものが有りますね。

 現在、当ショップとのコラボレーションで、先生のアンプのキット化を検討していますので、そのうち『安井式アンプキット』が発売されるかもしれませんよ。
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


▲△▽▼


2008年11月08日
金田式 VS 安井式、雑感(13年前の書込)
https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


真空管アンプ
ネットサーフィンをしていて、古い知人に巡り会いました。彼は、昔、流行ったパケット通信の書込み内容を保存していてWebに公開しています。その中に私が13年前に書き込んだ記事がありましたので以下に再掲します。

---------------------------------------------------------------
To: AUDIO @JPN
Subject: 金田式 VS 安井式、雑感
From: JA2DHC
Date: 15-Aug 95 11:01:00
Message-Type: B
---------------------------------------------------------------
金田式DCアンプの話題で盛り上がっていますが、私は同じ頃、雑誌によく書いていた安井章氏の記事の方が好きでした。 この二人は意見が衝突し、誌上討論会なども行なわれました。 私としては回路理論では圧倒的に安井氏が優れていたと今でも思っております。 ただ、安井式は、基板製作から行なう必要があるため蛇の目基板を使う金田式の方が自作する人が多く、評判は良かったようです。

私は安井式A級15Wx2アンプを始めて鳴らしたとき、これで真空管アンプの時代も終わりだなと思いました。 ただし、この時は211のアンプを持っていなかったのです。 その後211のアンプを作り、辛うじて真空管アンプの優位性を保ったのでした。

安井式もDCアンプ構成ですが、金田氏が「DCアンプ」の名前を使うのにクレームをつけたので使わなくなったのが実情です。 当時のMJを全部読んでみればわかります。

安井氏が提唱したTP歪み(Transient Phase歪み)理論はそれまでにないユニークなものでした。 氏は言及していませんでしたが、私がこれを読んだ時、真空管アンプが音がいいと言われるのはTP歪みが少ないせいだと、直感しました。 最近このフィールドで真空管と半導体の違いは電流が真空中と個体中を流れる違いだけと言う意見がありました。 私はそれだけとは思いません。 半導体は電極電圧の変化に伴って電極間容量が変化しますが、真空管はほぼ一定です。 この特性によりTP歪みが出にくくなります。

以上、25年くらい前を思い出しながら書いていますが、最後に印象に残っている記事のライタを以下に示します。 皆さんそれぞれ思い入れがあることでしょう。

真空管の部
武末数馬 : 言わずもがなの真空管アンプの大御所

辰口 肇 : 本当のアマチュアらしく、原稿料かせぎでなく、自分のための最良のアンプを追及した人

落合 萌 : シンプルな回路でFBな音のアンプを数多く発表した

森川忠勇 : 膨大な数の記事を残した。 駄作も多かったが有効な記事も多かった。 日本で真空管アンプがこれほど生き延びたのは 氏の記事の影響が大きいと思う

藤本伸一 : 数年前にパケットに出てこられたようです

半導体の部
前記 2名(安井氏、金田氏)
窪田氏(名前を忘れました): 終段無帰還アンプなどメーカー製にない 独自の回路を研究
桝谷氏(名前を忘れました): 論評を控えます

’73 de JA2DHC/1 大橋、(JL1ZNDシスオペ)

[End of Message #63308 - from JA2DHC]

https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


▲△▽▼


プリアンプの製作 その1 2015/06/24
https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

 先日、あるマニアが我が工房にお越しになり、安井式アンプと安井式のネットワークによるシステムを試聴された。

 「これは凄いっ!!」、その音が出た瞬間の表情が嬉しかった。

 聴き進むうちに「今まで聴いていた音は何なんだって感じ」ともおっしゃっていただいた。安井式アンプの雄大なスケール感と奥行きを感じる透明感、そして実在感を体験していただけたのはよかった。

 実は、パワーアンプの後プリアンプの安井式で組み上げている。

 パワーアンプの成功からすれば当然その延長でと言うことだし、安井先生の「プリアンプが対応していなければ音は拡がりませんよ」というお話もあり、更にその先を聴きたくなったというわけで、先だってのAccuphaseのP-6100の対決での収穫もあり、記事のオリジナルを更にブラッシュアップしたくなり、本格的プリアンプに先立ち、検証実験用にOP-AMPを使った実験機をバラックで組み立ててみた。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15373971.jpg

 カップリングコンデンサは1.5µFのよくOP-AMPのデータシートに載っている極々当たり前のOP-AMPのフラット増幅回路に安井式電源を組み合わせ、(とは言ってもオペアンプ周りのデカップリングは100µFの電解コンデンサを入れてあった)パーツは手持ちを使った関係で定数も手持ちのものになっている。トランスはジャンクのよくある青い小さなトロイダルを使った。この手のトランスは多くの場合恐ろしくレギュレーションが悪い。このトランスもご多分に漏れず、出力電圧が定格で35Vなんだけど、開放状態では67Vもある。不良品かと思ったけど、データシートを見てみたらそういうものだった。それだけ巻き線の直流抵抗が大きく、つまりレギュレーションが悪い。

 はさておき、先ずはそのまま誰でもやる、つまり安井式のフィルターなしの回路での実験。OP-AMPは手持ちであったもの幾つか差し替えたけど、個人的に好みだったバーブラウンのOPA2604で実験機とした。

 この時点での音は、OP-AMPによくありがちな、カチッとした堅めの音で、そしてこのOPA2604らしく活き活きとしたパンチのある音がしている。それでいて手応えを感じる中音域の厚みも、たとえば優等生的なナショナルセミコンダクタのLME49860よりもワイルドで、音楽的なリアリティーではこちらの方が好みではあるのです。そんなわけで、これはこれで悪くはないとも思う、アナログのトランジスタアンプ的な音と言いますか、色気のある音であった。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15491372.jpg

 いよいよ安井式の検証。まず、回路図で目につく安井式の特徴のコイルによるフィルターを挿入すると音は一変する。奥行きを感じて低音の力強さが増す。

 次にカップリングコンデンサに10µFの電解コンデンサを並列に接続。これは効果が確認できるまで時間がかかった、音が曇るような印象を感じなくもない。エージング待ち。

 そしてデカップリングを安井式のオリジナル通り0.033µFに変更。これが素晴らしかった。前後感の再現力が格段に上がった。但し低音の力強さが後退したような気がしなくもない。

 そこで、整流後、電源回路以前の平滑コンデンサの容量を手持ちの関係で1500µFだったものを更に2000µF重ねて合計3500µFとしてみたところ、低音の力強さが改善された。

 そんな試行錯誤をしているうちにカップリングに並列した電解コンデンサもエージングが進み、並列した直後とは全く違う響きを聞かせてくれている。

 この響きはもはやOP-AMPとは思えないスケール感に柔らかさ、しなやかさ。

 この時点ではまだパーツ類のシールドはしていなかったのだけど、簡易のシールドを施してみたところやはり音のスケール感と決めの細やかさは更に増してきた。

 ここで、OP-AMPを新日本無線のMUSE-01に差し替えてみた。この非常識に高価なOP-AMPの実力はというと、スピーカーから流れてくる音の浪々をしたスケールにはOP-AMPの私の固定概念が全くの言いがかりのようなものだったと言うことを身をもって体験をした。このふくよかさ、艶やかさ、ダイナミックな力強さは真空管と言っても誰も不思議がらないと思う。でも実はマニアは敬遠するOP-AMP。

 回路図は、どこにコイルを挿入し、デカップリングの値などがわかるように添付しておく。これは安井先生御自身が記事にしたものとほぼ同じ。

 と言うことで、ここまでが安井式のオリジナル通りの構成でアンプを組んで、安井先生のノウハウがどういう効果があるのかを一つずつ検証してみた。

 コイルや抵抗のシールド、デカンプリングコンデンサにカップリングコンデンサ、それぞれに大きな効果があったのは事実と同時に、そうたいした出費にならないところがポイントで、大胆な回路に見えないので地味な印象ではあるのだけど、こう進めていくうちに音の善し悪しは、パーツやら回路やらで決まるのはもちろんだけど、なぜそれらが音の善し悪しに聴感上影響するのかはパーツや回路が良い悪いと言うことよりもそういう影響を出させる要因は何か別にあるような気がするのです。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15183947.jpg

https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

▲△▽▼


安井式40WパワーアンプとAccuphaseのP-6100の対決 2015-06-16
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/

 パワーアンプの製作で、安井式の選択の成功だった。

 あるイベントで、パワーアンプのみ安井式にしてデモンストレーションを行った。多くがオーディオに興味がある人しか来なかったそのイベントでは、おおむね好評というレベルではなく、足を運んでくれた人は皆一様に予想以上のクオリティーに驚いていた。

 あるマニアが「そのアンプ、貸してくれませんか」というお話。その方のお宅で、アキュフェーズのアンプとタンノイの高級スピーカと組み合わせると言う機会を得た。

 ラインナップはパワーアンプがP-6100、プリアンプがC-2420。スピーカーはタンノイのカンタベリー。

 基本的にバランス伝送で接続されていて、スピーカーはバイワイヤリングで接続されている。

 今はハイエンドはバランス伝送が常識的な流行と言うことになっている。(実はバランス伝送というのは家庭用のケーブルが長くても数メートルというオーディオシステムでは、デメリットの方が大きいと言うことをあまり知られていないのは、ものを作る側で、しかも高いものを売りたい方としてはありがたいことだと思う)

 始めに聴いた印象で、このシステムのスケール感は快感を感じさせる。

 伸びやかなきめの細かい音も色気を感じたし、ピアノの共鳴による基音より低い音も雄大に響いていて、それでいて立ち上がりがよかった。でもハイエンドによくありがちな1枚ベールをかぶった印象はやはりここでもあった。

 そんなシステムのおよそ100万円のパワーアンプとの対決なのだけど、安井式のパワーアンプはアンバランス伝送なので、アキュフェーズのプリアンプのC-2420はアンバランスの出力も装備されているのでいるので、こちらを使って接続。

 カンタベリーは能率が8Ωで96dBもあるので、スピーカーから2〜3mのリスニングポジションで40Wの出力でもダイナミックレンジとしては生のオーケストラ以上の音が出せるので、全く出力としては問題なし。

 重さも大きさも全然違うこの対決は大変楽しみだったけど、結果は惨憺たるものだった。

 自宅ではスピーカーの外まで拡がっていた音場が全く拡がらないどころか奥にくすんでしまっていて、しかも詰まった印象。

 アキュフェーズできこえていたピアノのハンマーが弦を叩くその感じが全くしない。

 よくハイエンドにありがちな、スケール感はあるのだけど1枚ベールをかぶったそんな感じが更にひどくなったような印象だった。ホールトーンが自然に引かないどころか、きこえるべきホールトーンがない。

 明らかに自宅で鳴らすのとは、出張デモで鳴らすのとなり方が違う。

 実験用に用意していったコモンモードフィルターをプリとパワーの間に挿入したところ、大きな改善があったものの、それでもアキュフェーズの足下に及んだとは到底言いがたいのは変わらない。自宅で聴いたときのようなホールに包まれるような感じが全くしない。

 アンプを自宅に持ち帰りいつもの環境で試してみると、さすがにカンタベリーのスケール感にはかなわないのだけど、透明感と立ち上がりでは明らかに我が家の環境の方が勝っていると思う。

 安井先生にそのことを話してみたところ、「プリアンプも対応していないと、音は拡がりませんよ」とのこと。

 この経験は大きかった。音をよくする秘密が一つ解った気がした。

 なぜたった数メートルのケーブルに大金を投資しなければいけないのか、なぜ試聴したときと買ったときでは音が違うのか、その原因の大きなものを見つけた気がした。
 そして、それは後の実証実験でたぶん正しかった。
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/689.html#c47

[近代史3] 日本のガレージメーカーは欧米有名ブランドの1/10以下の値段で同レベル製品を作っている 中川隆
8. 中川隆[-14346] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:57:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1257]

プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。


とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42


▲△▽▼

横浜 ベイサイドスクエア 2016.09.09
8月6日に安井章先生のアンプを使用した試聴会を行いました!
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


 先月の8月6日(土曜日)に、『MJ無線と実験』誌でおなじみの安井章先生にご来店いただき、先生のアンプを使用したミニ試聴会を行いました。
 
 真夏の暑さの中なので心配しましたが、80歳を超えるご高齢にもかかわらず、オーディオにかける情熱は未だに衰えることなく持ち続けておられるようで、いろいろと、貴重なお話を聴かせていただきました。

 当ショップには『ラジオ技術』誌で有名な高橋和正先生にも、時々、ご来店いただき、オーディオ(スピーカー制作)に関するお話を聴かせていただいていますが、我々若いもん(?)も、先生たちのオーディオにかける『いきざま』に負けずに、まだまだ、頑張らなければならないと、改めて自覚させられます。

 上の画像は、その安井先生のアンプに魅せられ、長い間、先生の愛弟子(?)としてお付き合いを続けている 佐藤さんで、先生に替わって、プレゼンター役を務めていただきました。ちなみに、右端に座っておられるのが安井先生です。

 当ショップの『YBAプレミアクラブ』会員でもある佐藤さんは、数年前に、一大決心をして、本業である一級建築士の仕事を辞めて、小さなオーディオ工房を始め、当ショップとコラボレーションをしながら、アンプ製作などに頑張っておられる方で、オーディオにかける情熱は、先生方に負けないものが有りますね。

 現在、当ショップとのコラボレーションで、先生のアンプのキット化を検討していますので、そのうち『安井式アンプキット』が発売されるかもしれませんよ。
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


▲△▽▼


2008年11月08日
金田式 VS 安井式、雑感(13年前の書込)
https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


真空管アンプ
ネットサーフィンをしていて、古い知人に巡り会いました。彼は、昔、流行ったパケット通信の書込み内容を保存していてWebに公開しています。その中に私が13年前に書き込んだ記事がありましたので以下に再掲します。

---------------------------------------------------------------
To: AUDIO @JPN
Subject: 金田式 VS 安井式、雑感
From: JA2DHC
Date: 15-Aug 95 11:01:00
Message-Type: B
---------------------------------------------------------------
金田式DCアンプの話題で盛り上がっていますが、私は同じ頃、雑誌によく書いていた安井章氏の記事の方が好きでした。 この二人は意見が衝突し、誌上討論会なども行なわれました。 私としては回路理論では圧倒的に安井氏が優れていたと今でも思っております。 ただ、安井式は、基板製作から行なう必要があるため蛇の目基板を使う金田式の方が自作する人が多く、評判は良かったようです。

私は安井式A級15Wx2アンプを始めて鳴らしたとき、これで真空管アンプの時代も終わりだなと思いました。 ただし、この時は211のアンプを持っていなかったのです。 その後211のアンプを作り、辛うじて真空管アンプの優位性を保ったのでした。

安井式もDCアンプ構成ですが、金田氏が「DCアンプ」の名前を使うのにクレームをつけたので使わなくなったのが実情です。 当時のMJを全部読んでみればわかります。

安井氏が提唱したTP歪み(Transient Phase歪み)理論はそれまでにないユニークなものでした。 氏は言及していませんでしたが、私がこれを読んだ時、真空管アンプが音がいいと言われるのはTP歪みが少ないせいだと、直感しました。 最近このフィールドで真空管と半導体の違いは電流が真空中と個体中を流れる違いだけと言う意見がありました。 私はそれだけとは思いません。 半導体は電極電圧の変化に伴って電極間容量が変化しますが、真空管はほぼ一定です。 この特性によりTP歪みが出にくくなります。

以上、25年くらい前を思い出しながら書いていますが、最後に印象に残っている記事のライタを以下に示します。 皆さんそれぞれ思い入れがあることでしょう。

真空管の部
武末数馬 : 言わずもがなの真空管アンプの大御所

辰口 肇 : 本当のアマチュアらしく、原稿料かせぎでなく、自分のための最良のアンプを追及した人

落合 萌 : シンプルな回路でFBな音のアンプを数多く発表した

森川忠勇 : 膨大な数の記事を残した。 駄作も多かったが有効な記事も多かった。 日本で真空管アンプがこれほど生き延びたのは 氏の記事の影響が大きいと思う

藤本伸一 : 数年前にパケットに出てこられたようです

半導体の部
前記 2名(安井氏、金田氏)
窪田氏(名前を忘れました): 終段無帰還アンプなどメーカー製にない 独自の回路を研究
桝谷氏(名前を忘れました): 論評を控えます

’73 de JA2DHC/1 大橋、(JL1ZNDシスオペ)

[End of Message #63308 - from JA2DHC]

https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


▲△▽▼


プリアンプの製作 その1 2015/06/24
https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

 先日、あるマニアが我が工房にお越しになり、安井式アンプと安井式のネットワークによるシステムを試聴された。

 「これは凄いっ!!」、その音が出た瞬間の表情が嬉しかった。

 聴き進むうちに「今まで聴いていた音は何なんだって感じ」ともおっしゃっていただいた。安井式アンプの雄大なスケール感と奥行きを感じる透明感、そして実在感を体験していただけたのはよかった。

 実は、パワーアンプの後プリアンプの安井式で組み上げている。

 パワーアンプの成功からすれば当然その延長でと言うことだし、安井先生の「プリアンプが対応していなければ音は拡がりませんよ」というお話もあり、更にその先を聴きたくなったというわけで、先だってのAccuphaseのP-6100の対決での収穫もあり、記事のオリジナルを更にブラッシュアップしたくなり、本格的プリアンプに先立ち、検証実験用にOP-AMPを使った実験機をバラックで組み立ててみた。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15373971.jpg

 カップリングコンデンサは1.5µFのよくOP-AMPのデータシートに載っている極々当たり前のOP-AMPのフラット増幅回路に安井式電源を組み合わせ、(とは言ってもオペアンプ周りのデカップリングは100µFの電解コンデンサを入れてあった)パーツは手持ちを使った関係で定数も手持ちのものになっている。トランスはジャンクのよくある青い小さなトロイダルを使った。この手のトランスは多くの場合恐ろしくレギュレーションが悪い。このトランスもご多分に漏れず、出力電圧が定格で35Vなんだけど、開放状態では67Vもある。不良品かと思ったけど、データシートを見てみたらそういうものだった。それだけ巻き線の直流抵抗が大きく、つまりレギュレーションが悪い。

 はさておき、先ずはそのまま誰でもやる、つまり安井式のフィルターなしの回路での実験。OP-AMPは手持ちであったもの幾つか差し替えたけど、個人的に好みだったバーブラウンのOPA2604で実験機とした。

 この時点での音は、OP-AMPによくありがちな、カチッとした堅めの音で、そしてこのOPA2604らしく活き活きとしたパンチのある音がしている。それでいて手応えを感じる中音域の厚みも、たとえば優等生的なナショナルセミコンダクタのLME49860よりもワイルドで、音楽的なリアリティーではこちらの方が好みではあるのです。そんなわけで、これはこれで悪くはないとも思う、アナログのトランジスタアンプ的な音と言いますか、色気のある音であった。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15491372.jpg

 いよいよ安井式の検証。まず、回路図で目につく安井式の特徴のコイルによるフィルターを挿入すると音は一変する。奥行きを感じて低音の力強さが増す。

 次にカップリングコンデンサに10µFの電解コンデンサを並列に接続。これは効果が確認できるまで時間がかかった、音が曇るような印象を感じなくもない。エージング待ち。

 そしてデカップリングを安井式のオリジナル通り0.033µFに変更。これが素晴らしかった。前後感の再現力が格段に上がった。但し低音の力強さが後退したような気がしなくもない。

 そこで、整流後、電源回路以前の平滑コンデンサの容量を手持ちの関係で1500µFだったものを更に2000µF重ねて合計3500µFとしてみたところ、低音の力強さが改善された。

 そんな試行錯誤をしているうちにカップリングに並列した電解コンデンサもエージングが進み、並列した直後とは全く違う響きを聞かせてくれている。

 この響きはもはやOP-AMPとは思えないスケール感に柔らかさ、しなやかさ。

 この時点ではまだパーツ類のシールドはしていなかったのだけど、簡易のシールドを施してみたところやはり音のスケール感と決めの細やかさは更に増してきた。

 ここで、OP-AMPを新日本無線のMUSE-01に差し替えてみた。この非常識に高価なOP-AMPの実力はというと、スピーカーから流れてくる音の浪々をしたスケールにはOP-AMPの私の固定概念が全くの言いがかりのようなものだったと言うことを身をもって体験をした。このふくよかさ、艶やかさ、ダイナミックな力強さは真空管と言っても誰も不思議がらないと思う。でも実はマニアは敬遠するOP-AMP。

 回路図は、どこにコイルを挿入し、デカップリングの値などがわかるように添付しておく。これは安井先生御自身が記事にしたものとほぼ同じ。

 と言うことで、ここまでが安井式のオリジナル通りの構成でアンプを組んで、安井先生のノウハウがどういう効果があるのかを一つずつ検証してみた。

 コイルや抵抗のシールド、デカンプリングコンデンサにカップリングコンデンサ、それぞれに大きな効果があったのは事実と同時に、そうたいした出費にならないところがポイントで、大胆な回路に見えないので地味な印象ではあるのだけど、こう進めていくうちに音の善し悪しは、パーツやら回路やらで決まるのはもちろんだけど、なぜそれらが音の善し悪しに聴感上影響するのかはパーツや回路が良い悪いと言うことよりもそういう影響を出させる要因は何か別にあるような気がするのです。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15183947.jpg

https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

▲△▽▼


安井式40WパワーアンプとAccuphaseのP-6100の対決 2015-06-16
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/

 パワーアンプの製作で、安井式の選択の成功だった。

 あるイベントで、パワーアンプのみ安井式にしてデモンストレーションを行った。多くがオーディオに興味がある人しか来なかったそのイベントでは、おおむね好評というレベルではなく、足を運んでくれた人は皆一様に予想以上のクオリティーに驚いていた。

 あるマニアが「そのアンプ、貸してくれませんか」というお話。その方のお宅で、アキュフェーズのアンプとタンノイの高級スピーカと組み合わせると言う機会を得た。

 ラインナップはパワーアンプがP-6100、プリアンプがC-2420。スピーカーはタンノイのカンタベリー。

 基本的にバランス伝送で接続されていて、スピーカーはバイワイヤリングで接続されている。

 今はハイエンドはバランス伝送が常識的な流行と言うことになっている。(実はバランス伝送というのは家庭用のケーブルが長くても数メートルというオーディオシステムでは、デメリットの方が大きいと言うことをあまり知られていないのは、ものを作る側で、しかも高いものを売りたい方としてはありがたいことだと思う)

 始めに聴いた印象で、このシステムのスケール感は快感を感じさせる。

 伸びやかなきめの細かい音も色気を感じたし、ピアノの共鳴による基音より低い音も雄大に響いていて、それでいて立ち上がりがよかった。でもハイエンドによくありがちな1枚ベールをかぶった印象はやはりここでもあった。

 そんなシステムのおよそ100万円のパワーアンプとの対決なのだけど、安井式のパワーアンプはアンバランス伝送なので、アキュフェーズのプリアンプのC-2420はアンバランスの出力も装備されているのでいるので、こちらを使って接続。

 カンタベリーは能率が8Ωで96dBもあるので、スピーカーから2〜3mのリスニングポジションで40Wの出力でもダイナミックレンジとしては生のオーケストラ以上の音が出せるので、全く出力としては問題なし。

 重さも大きさも全然違うこの対決は大変楽しみだったけど、結果は惨憺たるものだった。

 自宅ではスピーカーの外まで拡がっていた音場が全く拡がらないどころか奥にくすんでしまっていて、しかも詰まった印象。

 アキュフェーズできこえていたピアノのハンマーが弦を叩くその感じが全くしない。

 よくハイエンドにありがちな、スケール感はあるのだけど1枚ベールをかぶったそんな感じが更にひどくなったような印象だった。ホールトーンが自然に引かないどころか、きこえるべきホールトーンがない。

 明らかに自宅で鳴らすのとは、出張デモで鳴らすのとなり方が違う。

 実験用に用意していったコモンモードフィルターをプリとパワーの間に挿入したところ、大きな改善があったものの、それでもアキュフェーズの足下に及んだとは到底言いがたいのは変わらない。自宅で聴いたときのようなホールに包まれるような感じが全くしない。

 アンプを自宅に持ち帰りいつもの環境で試してみると、さすがにカンタベリーのスケール感にはかなわないのだけど、透明感と立ち上がりでは明らかに我が家の環境の方が勝っていると思う。

 安井先生にそのことを話してみたところ、「プリアンプも対応していないと、音は拡がりませんよ」とのこと。

 この経験は大きかった。音をよくする秘密が一つ解った気がした。

 なぜたった数メートルのケーブルに大金を投資しなければいけないのか、なぜ試聴したときと買ったときでは音が違うのか、その原因の大きなものを見つけた気がした。
 そして、それは後の実証実験でたぶん正しかった。
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/462.html#c8

[近代史3] ステレオサウンド誌の高名なオーディオ評論家が日本の優れたオーディオ製品を潰した 中川隆
16. 中川隆[-14345] koaQ7Jey 2020年1月19日 12:58:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1256]

プリアンプ騒動記 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42

「ラックスのプリアンプをオークションで落札したんですけど、お宅のアンプとスピーカーで試聴させてもらえませんか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があったのは1週間ほど前のことだった。

「ハイ、もちろんいいですよ」と一つ返事。

何しろ「リチウムイオン電池」と、「200ボルト電源からの降圧トランス」という、オーディオの根源に関わる「電源対策」はYさん抜きでは語れないし、うかつに足を向けては寝られない存在だ(笑)。

さて、実はこの度Yさんが落札されたラックスのプリアンプ「CL35」についてはかねがね「どうしようか?」とご相談を受けていた。

ラックスには何の憾みもないが、ありのままに言わせてもらうと「ラックスのアンプはとかく評判が悪いですよ。ベテランの真空管アンプ工房さんによると使ってある部品の質が悪いそうです。音も総じて生ぬるい傾向だし、止めといた方がいいですよ」と反対してきた。

ところが、肝心のYさんはどうやら「見かけ」に幻惑されたご様子で(笑)、「実は自宅用ではなくて運営している老健施設の食堂のアンプ用です。パワーアンプが6550プッシュプルなので、セットで置くと見栄えが良さそうなので・・・。」

結局「即決」で落札されたアンプを、3連休の最後の13日(月)の午後になって、いそいそと持参されたので音出しを含めて「プリアンプの実験」となった。

「パワーアンプ転がし」や「球転がし」はこのブログの読者ならご存知のとおり数限りなくやってきたが「プリアンプ転がし」は、たしか初めてではないかな。

そもそも、デジタルの時代になって「プリアンプ不要論」が横行しているくらいその存在感は薄れるばかりである。

今のところ「質のいいプリアンプならあった方がいいし、そうでなければ無い方がいいしでケースバイケース」というのが結論だ。

そして、Yさんは部屋に入ってこられるなり開口一番「テスト機器のパワーアンプは「2A3シングル」を、スピーカーは「AXIOM80」でお願いします。」

「はい、わかりました」(笑)。

「AXIOM80」をテスト用のスピーカーに選ぶなんて、(アンプの)欠点を容赦なく暴き出すのでアンプが可哀そうだなあ・・・。


とりあえず用意したプリアンプは我が家の分が3台とラックスの「CL35」との計4台の勝負となった。

ちなみにその3台とは、

1 マッキントッシュ「C-22」型プリアンプ

2 マランツ「7」型プリアンプ

3 オーディオ専門誌「無線と実験」(2001.1月号)に掲載されていた「安井 章」先生創案のプリアンプ

まずは「ラックス」を鳴らしてみた。ちゃんと音が出てくれるかどうかが先決だ。

いきなり「どでかい音」が出てきて「AXIOM80」が破損すると「もう死んだほうがまし(笑)」なので、内心ヒヤヒヤしたが真空管が多いせいか、温まるまで時間がかかったもののようやく音が出てきてくれてホット一息。

相変わらずラックスらしいボンヤリした音だと内心思ったが「なかなかいいじゃないですか!長時間聴いても疲れそうにない音ですよ。」と、積極的に応援(?)してみたものの肝心のYさんはどうもご不満げな様子。

それから我が家のプリアンプを1,2,3と次々に試聴していった。

その結果を白日の下にさらすと、

「プリアンプで音があまりにも大きく変化するので驚きました。パワーアンプ以上の差が出てきますね。

ベスト1は3のプリアンプです。まったく非の打ち所がない音で感心しました。2と3はその次のレベルになりますが、ほぼ互角で実力伯仲といったところでしょう。ラックスとなると、もう最低最悪です。

音が生ぬるくて情報量がまったく不足しています。このままでは聴きたくないので3を製作したMさんに改造を頼めないですかね。」と、Yさん。

「それは頼んでみてもいいのですが、(ラックスは)ちゃんと鳴っているのにもったいないですね・・・」

さて、今回のテストで見事に栄冠に輝いた「安井型」アンプの特徴を製作者に伺ってみると、安井先生はその道ではたいへんな権威で信奉者が多く、このアンプは「定電圧回路」にこだわり電源部分に特に注力したとのこと。

プリもパワーもそうだけど、最後は「電源」部分の充実度がものをいうみたいですよ。そんなことは、とうの昔に分かっとるわいという方が多いでしょうが(笑)。

実は、このアンプは去る12月に来たばかりのまだ借り受け状態のままで、購入と決めたわけではなくどうしようかと迷っている真っ最中だった。使用されている真空管はありふれた「12AU7×4本」。

「購入する気になれば原材料費だけでいいよ」と、相変わらず「儲け心」が皆無な製作者だが、ビンボー人にとってはそれでも結構なお値段だしねえ(笑)。

しかし、自他ともに認める「NO.1」となれば買わずばなるまいなあ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ecaf2d03bd4a6a73eabf5cf0fc5a8a42


▲△▽▼

横浜 ベイサイドスクエア 2016.09.09
8月6日に安井章先生のアンプを使用した試聴会を行いました!
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


 先月の8月6日(土曜日)に、『MJ無線と実験』誌でおなじみの安井章先生にご来店いただき、先生のアンプを使用したミニ試聴会を行いました。
 
 真夏の暑さの中なので心配しましたが、80歳を超えるご高齢にもかかわらず、オーディオにかける情熱は未だに衰えることなく持ち続けておられるようで、いろいろと、貴重なお話を聴かせていただきました。

 当ショップには『ラジオ技術』誌で有名な高橋和正先生にも、時々、ご来店いただき、オーディオ(スピーカー制作)に関するお話を聴かせていただいていますが、我々若いもん(?)も、先生たちのオーディオにかける『いきざま』に負けずに、まだまだ、頑張らなければならないと、改めて自覚させられます。

 上の画像は、その安井先生のアンプに魅せられ、長い間、先生の愛弟子(?)としてお付き合いを続けている 佐藤さんで、先生に替わって、プレゼンター役を務めていただきました。ちなみに、右端に座っておられるのが安井先生です。

 当ショップの『YBAプレミアクラブ』会員でもある佐藤さんは、数年前に、一大決心をして、本業である一級建築士の仕事を辞めて、小さなオーディオ工房を始め、当ショップとコラボレーションをしながら、アンプ製作などに頑張っておられる方で、オーディオにかける情熱は、先生方に負けないものが有りますね。

 現在、当ショップとのコラボレーションで、先生のアンプのキット化を検討していますので、そのうち『安井式アンプキット』が発売されるかもしれませんよ。
http://baysidenet.jugem.jp/?eid=249


▲△▽▼


2008年11月08日
金田式 VS 安井式、雑感(13年前の書込)
https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


真空管アンプ
ネットサーフィンをしていて、古い知人に巡り会いました。彼は、昔、流行ったパケット通信の書込み内容を保存していてWebに公開しています。その中に私が13年前に書き込んだ記事がありましたので以下に再掲します。

---------------------------------------------------------------
To: AUDIO @JPN
Subject: 金田式 VS 安井式、雑感
From: JA2DHC
Date: 15-Aug 95 11:01:00
Message-Type: B
---------------------------------------------------------------
金田式DCアンプの話題で盛り上がっていますが、私は同じ頃、雑誌によく書いていた安井章氏の記事の方が好きでした。 この二人は意見が衝突し、誌上討論会なども行なわれました。 私としては回路理論では圧倒的に安井氏が優れていたと今でも思っております。 ただ、安井式は、基板製作から行なう必要があるため蛇の目基板を使う金田式の方が自作する人が多く、評判は良かったようです。

私は安井式A級15Wx2アンプを始めて鳴らしたとき、これで真空管アンプの時代も終わりだなと思いました。 ただし、この時は211のアンプを持っていなかったのです。 その後211のアンプを作り、辛うじて真空管アンプの優位性を保ったのでした。

安井式もDCアンプ構成ですが、金田氏が「DCアンプ」の名前を使うのにクレームをつけたので使わなくなったのが実情です。 当時のMJを全部読んでみればわかります。

安井氏が提唱したTP歪み(Transient Phase歪み)理論はそれまでにないユニークなものでした。 氏は言及していませんでしたが、私がこれを読んだ時、真空管アンプが音がいいと言われるのはTP歪みが少ないせいだと、直感しました。 最近このフィールドで真空管と半導体の違いは電流が真空中と個体中を流れる違いだけと言う意見がありました。 私はそれだけとは思いません。 半導体は電極電圧の変化に伴って電極間容量が変化しますが、真空管はほぼ一定です。 この特性によりTP歪みが出にくくなります。

以上、25年くらい前を思い出しながら書いていますが、最後に印象に残っている記事のライタを以下に示します。 皆さんそれぞれ思い入れがあることでしょう。

真空管の部
武末数馬 : 言わずもがなの真空管アンプの大御所

辰口 肇 : 本当のアマチュアらしく、原稿料かせぎでなく、自分のための最良のアンプを追及した人

落合 萌 : シンプルな回路でFBな音のアンプを数多く発表した

森川忠勇 : 膨大な数の記事を残した。 駄作も多かったが有効な記事も多かった。 日本で真空管アンプがこれほど生き延びたのは 氏の記事の影響が大きいと思う

藤本伸一 : 数年前にパケットに出てこられたようです

半導体の部
前記 2名(安井氏、金田氏)
窪田氏(名前を忘れました): 終段無帰還アンプなどメーカー製にない 独自の回路を研究
桝谷氏(名前を忘れました): 論評を控えます

’73 de JA2DHC/1 大橋、(JL1ZNDシスオペ)

[End of Message #63308 - from JA2DHC]

https://ja1cty.at.webry.info/200811/article_3.html


▲△▽▼


プリアンプの製作 その1 2015/06/24
https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

 先日、あるマニアが我が工房にお越しになり、安井式アンプと安井式のネットワークによるシステムを試聴された。

 「これは凄いっ!!」、その音が出た瞬間の表情が嬉しかった。

 聴き進むうちに「今まで聴いていた音は何なんだって感じ」ともおっしゃっていただいた。安井式アンプの雄大なスケール感と奥行きを感じる透明感、そして実在感を体験していただけたのはよかった。

 実は、パワーアンプの後プリアンプの安井式で組み上げている。

 パワーアンプの成功からすれば当然その延長でと言うことだし、安井先生の「プリアンプが対応していなければ音は拡がりませんよ」というお話もあり、更にその先を聴きたくなったというわけで、先だってのAccuphaseのP-6100の対決での収穫もあり、記事のオリジナルを更にブラッシュアップしたくなり、本格的プリアンプに先立ち、検証実験用にOP-AMPを使った実験機をバラックで組み立ててみた。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15373971.jpg

 カップリングコンデンサは1.5µFのよくOP-AMPのデータシートに載っている極々当たり前のOP-AMPのフラット増幅回路に安井式電源を組み合わせ、(とは言ってもオペアンプ周りのデカップリングは100µFの電解コンデンサを入れてあった)パーツは手持ちを使った関係で定数も手持ちのものになっている。トランスはジャンクのよくある青い小さなトロイダルを使った。この手のトランスは多くの場合恐ろしくレギュレーションが悪い。このトランスもご多分に漏れず、出力電圧が定格で35Vなんだけど、開放状態では67Vもある。不良品かと思ったけど、データシートを見てみたらそういうものだった。それだけ巻き線の直流抵抗が大きく、つまりレギュレーションが悪い。

 はさておき、先ずはそのまま誰でもやる、つまり安井式のフィルターなしの回路での実験。OP-AMPは手持ちであったもの幾つか差し替えたけど、個人的に好みだったバーブラウンのOPA2604で実験機とした。

 この時点での音は、OP-AMPによくありがちな、カチッとした堅めの音で、そしてこのOPA2604らしく活き活きとしたパンチのある音がしている。それでいて手応えを感じる中音域の厚みも、たとえば優等生的なナショナルセミコンダクタのLME49860よりもワイルドで、音楽的なリアリティーではこちらの方が好みではあるのです。そんなわけで、これはこれで悪くはないとも思う、アナログのトランジスタアンプ的な音と言いますか、色気のある音であった。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15491372.jpg

 いよいよ安井式の検証。まず、回路図で目につく安井式の特徴のコイルによるフィルターを挿入すると音は一変する。奥行きを感じて低音の力強さが増す。

 次にカップリングコンデンサに10µFの電解コンデンサを並列に接続。これは効果が確認できるまで時間がかかった、音が曇るような印象を感じなくもない。エージング待ち。

 そしてデカップリングを安井式のオリジナル通り0.033µFに変更。これが素晴らしかった。前後感の再現力が格段に上がった。但し低音の力強さが後退したような気がしなくもない。

 そこで、整流後、電源回路以前の平滑コンデンサの容量を手持ちの関係で1500µFだったものを更に2000µF重ねて合計3500µFとしてみたところ、低音の力強さが改善された。

 そんな試行錯誤をしているうちにカップリングに並列した電解コンデンサもエージングが進み、並列した直後とは全く違う響きを聞かせてくれている。

 この響きはもはやOP-AMPとは思えないスケール感に柔らかさ、しなやかさ。

 この時点ではまだパーツ類のシールドはしていなかったのだけど、簡易のシールドを施してみたところやはり音のスケール感と決めの細やかさは更に増してきた。

 ここで、OP-AMPを新日本無線のMUSE-01に差し替えてみた。この非常識に高価なOP-AMPの実力はというと、スピーカーから流れてくる音の浪々をしたスケールにはOP-AMPの私の固定概念が全くの言いがかりのようなものだったと言うことを身をもって体験をした。このふくよかさ、艶やかさ、ダイナミックな力強さは真空管と言っても誰も不思議がらないと思う。でも実はマニアは敬遠するOP-AMP。

 回路図は、どこにコイルを挿入し、デカップリングの値などがわかるように添付しておく。これは安井先生御自身が記事にしたものとほぼ同じ。

 と言うことで、ここまでが安井式のオリジナル通りの構成でアンプを組んで、安井先生のノウハウがどういう効果があるのかを一つずつ検証してみた。

 コイルや抵抗のシールド、デカンプリングコンデンサにカップリングコンデンサ、それぞれに大きな効果があったのは事実と同時に、そうたいした出費にならないところがポイントで、大胆な回路に見えないので地味な印象ではあるのだけど、こう進めていくうちに音の善し悪しは、パーツやら回路やらで決まるのはもちろんだけど、なぜそれらが音の善し悪しに聴感上影響するのかはパーツや回路が良い悪いと言うことよりもそういう影響を出させる要因は何か別にあるような気がするのです。

https://yurikamome.exblog.jp/iv/detail/?s=24305490&i=201506%2F24%2F59%2Fc0021859_15183947.jpg

https://yurikamome.exblog.jp/24305490/

▲△▽▼


安井式40WパワーアンプとAccuphaseのP-6100の対決 2015-06-16
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/

 パワーアンプの製作で、安井式の選択の成功だった。

 あるイベントで、パワーアンプのみ安井式にしてデモンストレーションを行った。多くがオーディオに興味がある人しか来なかったそのイベントでは、おおむね好評というレベルではなく、足を運んでくれた人は皆一様に予想以上のクオリティーに驚いていた。

 あるマニアが「そのアンプ、貸してくれませんか」というお話。その方のお宅で、アキュフェーズのアンプとタンノイの高級スピーカと組み合わせると言う機会を得た。

 ラインナップはパワーアンプがP-6100、プリアンプがC-2420。スピーカーはタンノイのカンタベリー。

 基本的にバランス伝送で接続されていて、スピーカーはバイワイヤリングで接続されている。

 今はハイエンドはバランス伝送が常識的な流行と言うことになっている。(実はバランス伝送というのは家庭用のケーブルが長くても数メートルというオーディオシステムでは、デメリットの方が大きいと言うことをあまり知られていないのは、ものを作る側で、しかも高いものを売りたい方としてはありがたいことだと思う)

 始めに聴いた印象で、このシステムのスケール感は快感を感じさせる。

 伸びやかなきめの細かい音も色気を感じたし、ピアノの共鳴による基音より低い音も雄大に響いていて、それでいて立ち上がりがよかった。でもハイエンドによくありがちな1枚ベールをかぶった印象はやはりここでもあった。

 そんなシステムのおよそ100万円のパワーアンプとの対決なのだけど、安井式のパワーアンプはアンバランス伝送なので、アキュフェーズのプリアンプのC-2420はアンバランスの出力も装備されているのでいるので、こちらを使って接続。

 カンタベリーは能率が8Ωで96dBもあるので、スピーカーから2〜3mのリスニングポジションで40Wの出力でもダイナミックレンジとしては生のオーケストラ以上の音が出せるので、全く出力としては問題なし。

 重さも大きさも全然違うこの対決は大変楽しみだったけど、結果は惨憺たるものだった。

 自宅ではスピーカーの外まで拡がっていた音場が全く拡がらないどころか奥にくすんでしまっていて、しかも詰まった印象。

 アキュフェーズできこえていたピアノのハンマーが弦を叩くその感じが全くしない。

 よくハイエンドにありがちな、スケール感はあるのだけど1枚ベールをかぶったそんな感じが更にひどくなったような印象だった。ホールトーンが自然に引かないどころか、きこえるべきホールトーンがない。

 明らかに自宅で鳴らすのとは、出張デモで鳴らすのとなり方が違う。

 実験用に用意していったコモンモードフィルターをプリとパワーの間に挿入したところ、大きな改善があったものの、それでもアキュフェーズの足下に及んだとは到底言いがたいのは変わらない。自宅で聴いたときのようなホールに包まれるような感じが全くしない。

 アンプを自宅に持ち帰りいつもの環境で試してみると、さすがにカンタベリーのスケール感にはかなわないのだけど、透明感と立ち上がりでは明らかに我が家の環境の方が勝っていると思う。

 安井先生にそのことを話してみたところ、「プリアンプも対応していないと、音は拡がりませんよ」とのこと。

 この経験は大きかった。音をよくする秘密が一つ解った気がした。

 なぜたった数メートルのケーブルに大金を投資しなければいけないのか、なぜ試聴したときと買ったときでは音が違うのか、その原因の大きなものを見つけた気がした。
 そして、それは後の実証実験でたぶん正しかった。
https://yurikamome.exblog.jp/24265944/


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/454.html#c16

[リバイバル3] 世界的にも美食の街として知られるようになった東京 _ こんなに食の多様性に優れた都市は世界にはありません

世界的にも美食の街として知られるようになった東京 _ こんなに食の多様性に優れた都市は世界にはありません


海外で10万円以上が当たり前の鮨が日本だと半額 外国人観光客が予約困難店を目指す理由 2020/01/19



© AERA dot. 提供 浅草ホッピー通り/台東区。「浅草寺」の西側にある飲食店街。大衆酒場が軒を連ね、昼から酒好きが集まる。かつては「おじさんの聖地」だったが、いまや若年層や海外からの旅行客でごった返している(撮影/写真部・馬場岳人)

 近年、世界的にも美食の街として知られるようになった東京。観光客増加の影響もあり、ミシュランの星付き飲食店では予約争奪戦が繰り広げられている。さらに最近では、意外な場所にも観光客が出没しているという。

AERA 2020年1月20日号では、インバウンドの影響を受ける東京の飲食店を取材した。

*  *  *

 予約困難店の増加は外国人観光客の増加と密接な関係がある。日本政府観光局の発表によると19年の訪日外客(インバウンド)の総数はおよそ2935万人(1〜11月)と過去最大を記録した。東京五輪が開催される今年は、さらにその数は増加すると言われている。彼らの訪日の目的の上位を占めているのが「飲食」だ。

 東京・銀座に店を構える「てんぷら近藤」は訪日外国人憧れの飲食店だ。店主の近藤文夫さん(72)は昨年、現代の名工にも選出されたてんぷら界の先駆者。魚介中心だった江戸前てんぷらの世界にいち早く野菜を取り入れ、てんぷらという食べ物を和食のスタンダードとして世界に認知させた功労者だ。今では客のおよそ半分をインバウンドが占める。かつててんぷらは、油っぽく、胃にもたれるという理由で、同じ東京を代表する鮨(すし)と比べると日本人の料理評論家でさえ敬遠していた時代があった。しかし、近藤さんは近年、ある変化を感じ取っていた。

「あるフランス人のお客様が、きすという魚を食べて、なんて香りのある魚だとおっしゃいました。日本人は美味しいけど、淡白だね、で終わりなんですが、外国人のお客様は確実に魚の微妙な香りを感知している。これは、私たちが本当の意味で伝えたかったこと。彼らが情報ではなく、自分の舌で料理を味わっている証拠です」

 そうした東京を訪れる外国人が、予約困難店以上に出没する場所がある。

 東京・浅草にある「ホッピー通り」。通称「煮込み通り」だ。浅草六区や場外馬券売り場にほど近いこの通りは、昼から酒が安く飲める「センベロ」の聖地として有名だ。かつて昭和の大衆酒場だった通りは一時、閑散としたこともあったが、今では外国人観光客で昼からにぎわっている。

 欧米に限らず世界各地から来日する外国人旅行者のアテンドをするコーディネーターの女性によれば、彼らにとって海外で10万円以上が当たり前の鮨が、その半額で、かつ数倍のクオリティーで食べられる日本の予約困難店は確かに魅力的だという。加えて、気軽な雰囲気と手頃な値段で本物の美味しさに出合える酒場や居酒屋が充実しているのも東京の懐の広さだと彼らは感じていると語る。

「例えば、スペインのバスク地方は美食の街として名高い。けれども、そこで食べられる料理のジャンルは限定されている。東京は都市としてのスケールも、料理のジャンルも、店の数も比べものにならない。こんなに食の多様性に優れた都市は世界にはありません」

 東京オリンピック開催を契機に日本の飲食シーンがどう進化するのか、今から楽しみで仕方ない。(編集部・中原一歩)
※AERA 2020年1月20日号より抜粋
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/海外で10万円以上が当たり前の鮨が日本だと半額-外国人観光客が予約困難店を目指す理由/ar-BBZ6fGI?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1034.html

[近代史3] 欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上 中川隆
1. 中川隆[-14344] koaQ7Jey 2020年1月19日 13:50:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1254]

2020年01月19日
ドイツ福祉国家の実態 ホームレス120万、路上生活者5万2千人


ドイツに路上生活者は居ない事になっているが、実際には5万人も存在する


画像引用:http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/6/c/6cb9100c.jpg


ドイツのどこが福祉大国か

ドイツは福祉大国で日本より遥かに充実している、いつの頃からか日本では常識になっているが、そうではないという一面もあります。

連邦研究会ホームレス支援協会(BAGW)の調査によると2018年にドイツでは約120万人のホームレスが存在した。

ドイツはホームレスや路上生活者のように、国家ににとって不都合な調査をしない事が多い。




BAGWは民間の支援団体で、約120万人というのは全国一斉に調査したのではなく推定値となっている。

ドイツ政府は「ホームレスは存在しない」という建前を取っており、存在しないから支援もしない方針を取っている。

日本でもそうだがドイツでは「ホームレスになるような人間は怠け者で本人に問題がある」という考えを持つ人が多い。


路上生活者の調査も行っておらず、支援団体の調査ではハンブルグだけで約2000人、全土では数万人が存在している。

2014年にドイツ全土のホームレスは3万9000人だったが18年は5万2000人に増加し、2020年は5万5000人程度になっている可能性がある。

ドイツ政府の統計ではホームレスは約86万人で、そのうち44万人は難民認定されて仮施設などに入居している人でした。


ドイツのホームレスの大半がドイツ以外から移住してきた人で、EU外から入国したが就職に失敗した人が多い。

ドイツ政府は日本のように支援するのではなく、職業を用意して賃金を払うという方法を取っている。

職業は公園のゴミ拾いや草刈り、低賃金の単純労働で、体のいい低賃金労働者になっているという批判もある。

欧州を福祉大国という間違い

ドイツは緊縮財政によって財政規律を守ろうとしているが、違う言葉で言うと福祉切り捨てで、ホームレス支援は行っていない。

ドイツの福祉政策は裕福な人には手厚く貧しい人には薄く、税金や年金を収めていない人には何もしない。

欧州のホームレス人口はイギリス30万人、フランス70万人でドイツは120万人と飛びぬけて多い。


ホームレスの定義はネットカフェや簡易ホテル、シェルターや知人宅で寝起きする人も含むので、日本とは比較できない。

日本の路上生活者数は約5500人でドイツは5万2000人以上、イギリスは統計が無いが1万人以上、フランスはパリだけで3000人以上が路上生活をしている。

イギリスは1年間で500人以上の路上生活者がなくなっていて、英仏独3か国ともに、全土での路上生活者は数万人と考えられます。


ネットで調べると3か国とも、いかに福祉が手厚いか書かれており、主に子供を産んだ日本人駐在員の妻が情報源になっている。

上場企業の海外駐在員のような「富裕層」への福祉は不必要なまでに手厚いが、税金を払えない貧困層への福祉はしません。

これが欧州流の社会福祉で、納税しない者に人権などないというのが一般的な考え方です。


日本のように生まれてから一度も納税せず年金も払ったことが無いのに、一生涯生活保護で面倒見てくれる国はEUには存在しません。

欧州でも格差問題が深刻化し、富裕層と貧困階層に社会が二分し、政治家は全員が富裕層出身なので貧困対策をしません。

「貧困者は怠け者だから貧困になった」のような考えが主流で、今後も欧州のホームレスは増える傾向にある。
http://www.thutmosev.com/archives/81976423.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html#c1

[近代史3] 日本、米軍の特権見直しを要望 米側はほとんど拒否 60年前の地位協定締結時 
日本、米軍の特権見直しを要望 米側はほとんど拒否 60年前の地位協定締結時  
1/19(日) 5:10配信


日章旗(左)と星条旗 (資料写真)
 日米両政府が1960年に日米地位協定に調印する交渉過程で、米軍の特権的な地位を見直す57項目の要求を日本の外務省が文書にまとめ、米側に提示していたことが18日までに分かった。秘密指定が解除された外交文書に含まれており、当時は極秘扱いされていた。日本側は実質的な主権回復を目指して在日米軍基地の運用への関与や、基地返還時に米側が原状回復する義務などを求めたが、米側が大部分を拒否。受け入れられた項目は少なく、不平等性が指摘される現在の地位協定につながった。

この記事の他の写真・図を見る

 地位協定は調印から、19日で60年を迎える。

 文書は57項目のうち、米軍施設・区域の管理権を定める3条を巡り「両政府の合意により定める条件で使用する権利と改めるべし」と要望。施設・区域外の管理権を「米軍の権利としない」などと具体的に言及し、基地の運用に日本政府が関与できるよう地位協定への明記を求めた。

 4条関連では米軍施設や区域を返還する際の原状回復と補償の義務を米軍が負うこと、5条関連では民間の港や空港の使用には入港料、着陸料を課すことなどを求めていた。

 前身の日米行政協定が、占領時代と変わらないほど米軍優位の内容だったことから、国内で高まっていた抜本的な改定を求める声を反映しているといえる。ただ、これらの要求は、いずれも実現しなかった。

 日本側が文書作成に踏み切った理由は、行政協定の改定交渉で、米側の担当者だったマッカーサー在日米大使が日本側の考えを全て示すよう求めたため。外務省が59年1月から2月初旬にかけて各省庁から聞き取り「行政協定改定問題点」として整理した。

 同年3月に藤山愛一郎外相がマッカーサー氏に手交。外務省の資料では、米側は「極めて消極的かつ強硬な反応」を示した。

 日本政府が「主権回復」に取り組んだ一端がうかがえる一方、米軍の既得権益を維持したい米側が難色を示し、結果的に不平等な状態が残った。その後60年間、地位協定改定は実現していない。

 地位協定の問題を調査、分析してきたジャーナリストの吉田敏浩さん(62)は「各省庁から、米軍優位の不平等な関係を改めるべし、との声が挙がっていた史実は重要だ。この歴史に学び、現政府は真の主権回復に向けた問題意識と気概を奮い起こしてほしい」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00523784-okinawat-oki
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/810.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
132. 中川隆[-14343] koaQ7Jey 2020年1月19日 13:58:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1253]
日本、米軍の特権見直しを要望 米側はほとんど拒否 60年前の地位協定締結時 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/810.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c132
[近代史3] 伊藤貫氏に聞く _ 日本人は何故アメリカの犬になりたがるのか 中川隆
23. 中川隆[-14342] koaQ7Jey 2020年1月19日 14:01:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1252]
日本、米軍の特権見直しを要望 米側はほとんど拒否 60年前の地位協定締結時 
1/19(日) 5:10配信

日章旗(左)と星条旗 (資料写真)

 日米両政府が1960年に日米地位協定に調印する交渉過程で、米軍の特権的な地位を見直す57項目の要求を日本の外務省が文書にまとめ、米側に提示していたことが18日までに分かった。秘密指定が解除された外交文書に含まれており、当時は極秘扱いされていた。日本側は実質的な主権回復を目指して在日米軍基地の運用への関与や、基地返還時に米側が原状回復する義務などを求めたが、米側が大部分を拒否。受け入れられた項目は少なく、不平等性が指摘される現在の地位協定につながった。

 地位協定は調印から、19日で60年を迎える。

 文書は57項目のうち、米軍施設・区域の管理権を定める3条を巡り「両政府の合意により定める条件で使用する権利と改めるべし」と要望。施設・区域外の管理権を「米軍の権利としない」などと具体的に言及し、基地の運用に日本政府が関与できるよう地位協定への明記を求めた。

 4条関連では米軍施設や区域を返還する際の原状回復と補償の義務を米軍が負うこと、5条関連では民間の港や空港の使用には入港料、着陸料を課すことなどを求めていた。

 前身の日米行政協定が、占領時代と変わらないほど米軍優位の内容だったことから、国内で高まっていた抜本的な改定を求める声を反映しているといえる。ただ、これらの要求は、いずれも実現しなかった。

 日本側が文書作成に踏み切った理由は、行政協定の改定交渉で、米側の担当者だったマッカーサー在日米大使が日本側の考えを全て示すよう求めたため。外務省が59年1月から2月初旬にかけて各省庁から聞き取り「行政協定改定問題点」として整理した。

 同年3月に藤山愛一郎外相がマッカーサー氏に手交。外務省の資料では、米側は「極めて消極的かつ強硬な反応」を示した。

 日本政府が「主権回復」に取り組んだ一端がうかがえる一方、米軍の既得権益を維持したい米側が難色を示し、結果的に不平等な状態が残った。その後60年間、地位協定改定は実現していない。

 地位協定の問題を調査、分析してきたジャーナリストの吉田敏浩さん(62)は「各省庁から、米軍優位の不平等な関係を改めるべし、との声が挙がっていた史実は重要だ。この歴史に学び、現政府は真の主権回復に向けた問題意識と気概を奮い起こしてほしい」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00523784-okinawat-oki  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/125.html#c23

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
23. 中川隆[-14341] koaQ7Jey 2020年1月19日 14:59:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1251]
8 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/09/14(木) 01:12
ハーベス HL-Compact の初代は、フランスのAUDAXのユニットだった。

AUDAX がHarmanの傘下にはいって、Harbeth用のユニットを供給してくれなくなってから、ユニットの選択がかわったね。


100 名前: ちさと 投稿日: 2001/08/16(木) 17:27

ハ-べスはHLモニターが一番いいのさ。
2代目より初代設計者のが一番色艶があった。2代目も最初のころの製品は頑張ってるが、最近は魅力半減です。設計者として、独り立ちできなかったのだなあ。残念。

ショウの作品とハーウッドのとを聞き比べればよくわかるはずだが。


128 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/09/15 23:17

HL-Compactが生産中止になったのはツィーターが生産中止になったため
作りたくても作れなくなったから、

後継機のCompact7ではあの魅力的な中高域が変わってしまっていた、そのあたりからあの会社の名前は聞かなくなったな

子供のころ店で聞いた、ハーベスの異彩を放った美音に感激したときから、いつかは買ってやろうと思って、高校生でバイト代をためて買ったのが、HL−4でした。ですから、はじめに聞いたのは、Mk3以前のモデルだと思います。

私が特異体質なせいか、素晴らしい音からは、本当ににおいが感じられるんです。いや素晴らしくなくても、感じることがあるのですが、ハーベスを聞いて、初めてそのことに気づいたのでした。素晴らしく良い花の香り、それもちょっときつめのゆり系の花粉のにおいも混じった、薫風が、このスピーカーの音から初めて感じられた時は、正直びっくりしました。

ただ、他では全く感じられなかった経験だったので、感激するとともに、「これだ!」と、文句なく、心に決めていました。


111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 19:35:46 ID:D6QoF4jN

初代以外も良いとは思うんだが
いかんせん。 俺は初代コンパクトが好きだ。 この「好き」というのは 説明しにくいし どうしようもない。


132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 14:50:04 ID:qZCPxzGj

現行品のES3 ってそんなにひどいの?


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 16:53:23 ID:4aa8xlwQ

初代のイメージとはかけ離れているだけ
「悪い」とか「ひどい」ではなく、確実に性能的には優れているが...。


134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 18:28:04 ID:2LL6Zllr

古えのブリティッシュサウンドを期待すると裏切られるという意味でしょ。
ダドリー・ハーウッド引退後のHLコンパクトES以降レスポンスのよさという点では格段に進歩してきている。

そのぶんある種のノスタルジックな味わいは失われた。


267 名前: MONMON 投稿日: 01/11/04 01:12

私はそれなりに調整されたHLコンパクトとHL5、同時試聴したことがありますが、その時は「勝負あった」という感じでした。今考えれば、HL5の方が調整に面倒があるので その分の差が出たということもあるのでしょうが、HLコンパクトの方がずっと「濃い」音色でなっていました。

調整云々という問題を抜きにして今までに耳にした両者の音の体験だけを比較すればHLコンパクトの方が強烈でした。


8 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/09/14(木) 01:12

昔は、フランスのAUDAXのユニットだった。

AUDAXがHarmanの傘下にはいって、Harbeth用のユニットを供給してくれなくなってから、ユニットの選択がかわったね。
https://www.logsoku.com/r/2ch.net/pav/1185054185/  


552 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:15

HLコンパクトのツイーターはオーダックス製だったのでは?

ステサンの工場訪問でアラン・ショーが「バラツキが多いけど音はイイ」と書いてあったと記憶しています。
ハーベスでツイーターを測定して、特性の揃ったユニットをペアにして出荷している。


553 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:58

じゃあ、下がケフ製という事かな?
それにしても、わざわざケフ製と注記するという事は、ケフにステータスを認めているのか?>雲丹音


560 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/07 11:39

以前、Harbeth用のユニットを供給していたAUDAXが、Harman傘下にはいり、Harbeth用の特注ユニットの供給がストップになった。

それ以後、あのメーカーの迷走が始まったような気がする…

最近の3WAYモニターなんて、代理店のノアの人すら、顔をしかめていたからな。
素性が良かっただけに残念。


572 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/17 19:58

>Harbeth用の特注ユニットの
>供給がストップになった。

ということは、今出ている、HL-COMPACT7SE2は、以前のHL-COMPACT7とは、別の音がするのでしょうか?


573 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/17 20:30

オーダックスが作っていたのはコンパクト用のユニット
コンパクト7用ではないよ
http://hifi.denpark.net/967994722.html


BBC Monitor LS5/5

ハーベス社のダットリー・ ハーウッドが BBC 在籍時代に完成させたスタジオ・モニタースピーカー。紙に代わって樹脂のベ クストレンが振動板材料として用いられた。ツイーターは初代のモ ニタースピーカーである LS5/1と同じで、セレッションの HF1300。

 音色の善し悪しは各部の材質よりも作 り方に起因するのだと思いますが、とり あえずウーファーのコーン材料であるポリプロピレンは良いもののようです。

ポリプロピレンはダッドリー・ハーウッドと、彼 の下で働いていて後にチャートウェル社を興したデイヴィッド・ステッビングスがベクストレンに代わって着目した材料です。

同じマグネットで同じフレーム・バスケットに入ったベクストレンと比べてみたこともあるのですが、紙やベクストレンのコーンに比べて適度に歯切れがよくて透明な明るさを感じさせます。

LF8MKVというこのユニットのフレームはアル ミダイキャスト製で、 メイド・イン・イングランドながらロジャースの制作メーカーであるスイストーンのロゴが見えます。

ここではその 20センチのウーファーが十分な大きさのバスレフの箱に入れられていますが、実際、20セ ンチ・ウーファーに1インチ・ドームという組合せは2ウェイのシステムで最もバランスが良いのではないでしょうか。

重低音とは行きませんが、50ヘルツまでは フラットに出ているようで、スケール感も十分です。ポリプロピレンはその後チャート ウェルがパテントを譲り渡し、ロジャースを経て日本のメーカーが買ったらしいという話を聞いた後、スピーカー材 料としてはあまり見かけなくなってしまいました。残念なことです。

 
Audax HD12D25-8 tweeter


 ツイーターがまた素晴らしく、色々な1インチドーム型を聞いたなか、適度な湿り気と透明さがあったメリネックス製のKEF−T27(LS3/5aに使われたもの)も良かったですが、倍音が繊細で自然な艶が美しいHD12は今もって最高のユニットだと思いま す。


 BBC Monitor LS3/7 オーダックスの優れたツイータ、HD12が用いられた BBC のスタジオ・モニター。ハーベス・モニターHLは一般市場に 売り出されたものだが、BBC に納入されたものとして、モニターHLのルーツの一つだと言えるかもしれない。


Harbeth monitor HL crossover network


ネットワークもまた良くできてい るようで、調べた人によると、ツイーター側のコイルのコア剤にテープレコーダーのヘッドなどにも使われる大変 お金のかかった材料が用いられているのだそうで、 材料試験に出してそれがわかったという話です。私は確認してないので材料名は伏せておきます が、バラして見るとフェライトのように黒くはないメ タリック・シルバーの薄板をラ ミネートしたコアであり、目に見えないところに色々とこだわりがあるスピーカーのようです。

             schematic diagram

 回路はツイーター側18dB/oct、ウーファ側12dB/oct の組み合わせスロープ逆相接続で、ツイーター側にはレベル調整の抵抗が入っておらず、ウーファ側は極細の線で巻かれた鉄芯入りコイル(写真右上の青いもの ですが、私の測定器ではインダクタンス値が計れませんでした。)を加えた変則のインピーダ ンス上昇補正回路が用いられています。同時期のBBCモニターに用いられたネットワークよりも若干シンプルな回路に見えますが、面白いのはBBC系統には比較的珍しくウーファー側のコイルが空芯であること、また、ツ イーター側の フィルターを構成するコンデンサー3個にそれぞれ別の銘柄が使われていることです。とくに4.4uFの部分は 2.2uFのものが二つ、緑とベージュのITT製フィルムコンデンサーがパラッてあります。こういうことは新生 ハーベスの回路がメタライズド・ポリエステル・タイプによく見かける茶色いキャンディーのようなコンデンサーに すべて統一してあったりするのからすると、なんとも不思議な光景です。音色合わせのためにこうしたのでしょうか。

 キャビネットは薄めの合板で一見安物 に見えるながら、内部に黒いダンプ材が貼付けてあります。東急ハンズなどで売っているオトナシー トに似た外見のベタッとした薄いものです。吸音材はスポンジで、ユニットと端子はハンダ付けされています。音を 聞いて作ったと思われる職人の技が随所に見て取れ ます。

   
  HARBETH HLCompact 7ES-3 2006

 さて、このハーベスですが、HLで言 えばタイプWまで出たところでハーウッド氏は辞めてしまい、弟子のアラン・ショーに引き継がれました。それが現在商売的に成功している新生ハーベスです。その交代直後 のHLコンパクトはツイーターがアルミ系のハードドームに変わったものの、今でも人気があるようです。

ただ、私はこのハードドームに変わって以降のものは音色が好みではなくなってしまいました。

振動板を硬い金属で作ることのメリットは、周波数が高くなったときに分割振動が出ることが防げるということです。不規則 に振動板がたわんで部分的に違う周波数を再生するとな ると、歪みが生じて特定の音色を生み出しやすいですし、球面波の形も崩れてしまいます。

ただ、理論的にはそうであっても、うまく作らないと 金属の振動板は特定の金属的な鳴きの音を混じらせる場合が多いと思います。それを積極的に音として利用する場合と理論通りに排除する場合とがあると思いますが、 布を成形して弾性剤などを塗ったり靱性のあるプラスチックで作ったりするソフトドームは初めから分割振動を利用しつつも鳴きが耳につきにくい性質があり、耳で聞いてナチュラルな音を追求する場合はソフトドームの方 が作りやすいのかもしれません。

振動させないためにアルミ以外にもチタンやベリリウムなどの軽くて強い材料も ハードドームとして作られてきましたが、生楽器の 音を自然にやわらかく伝えるものは少なかった ように思います。それでも現在のモニター 7ES3 はなかなか艶めかしい音を出しているようで、モニター HLと並べて聞いてはいないですが、分割振動を可聴帯域外の高い周波数まで追いやった B&W805S と聞き比べてもよりしっとりしていながら色付けは同様に少なく、評価が高いわけがわかるような気がしました。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/harbeth.html


My vintage audio 2015年 Audio miniature garden
http://my-vintage.music.coocan.jp/2015.html


今年の抱負は「音の雰囲気を良くすること」にでも置いておくことにしよう。

TANNOY IIILZ のクラシックシステムは、シングルアンプ SV-501SE のコンデンサー交換によって不満のない音色を提供してくれるようになった。今年度は組み合せるトランスと USB-DAC などを吟味して、音のニュアンスを改善させて行きたい。

Harbeth HL-4 は断線したトゥイーターを新品に交換することによって今後の使用に対する不安が払拭されたが、これまでと同等の美音を聴かせてくれるかが問題である。

システムの要となる Marantz7R は既に大半のカップリングを SPRAGUE-BB に交換済みで、バイアス用整流器もセレンに換装している。交換後はまったく音質に不満はなくなったが、残すところはヒーター用セレンの交換ぐらいであろうか。忘れた頃に現れるポップノイズは真空管とソケットの接触あたりが怪しいが、はっきりとした原因がつかめていない。

Harbeth HL-4 の故障によって生き返ったのが HL-COMPACT である。

フットワークの良いキレのある音質はヴォーカルや室内楽などの曲種に良くマッチしているので、以前のオーディオルームで使わなくなった ELEKIT の 300B シングルアンプと組み合せて、新たなシステムを構築しようかとも考えている。そんなこんなで音楽を楽しむために改善する余地が、まだまだ残されているのである。    1/1

■ カムバック


やっと Harbeth HL-4 のトゥイーターが手元に届いた。

フランスのオーダックス社製シルクドームトゥイーターは、なぜかアメリカから海を渡ってやって来た。どちらにしろ注文してから僅か10日ほどでマエストロ・オーディオに着荷するという早業であるが、年末年始の休みの関係で本日やっと取りに行くことが出来た。

左は AUDAX の箱に入ったトゥイーターの画像。

真ん中と右側の画像の左側が元々付いていたオリジナルのトゥイーターで、右側が今回購入した新品である。前面から見るとほとんど違いはないが、背面を見ると接続端子の位置が異なっている。

付け替え作業に入って気が付いたが、この接続端子が異なるせいでうまく装着できないのである。オリジナルのトゥイーターは左右に端子がありバッフルにはこの位置にざぐりが入れてあるが、新品を装着する為には片方のざぐりをノコギリで大きくする必要があった。そんな訳で少し手こずったが、2時間ほどで装着も完了し楽しみにしていた試聴に入る。

見た目は少し塗料の色目が違うようだが、オリジナルと同じ寸法だから違和感なく収まった。なぜか片方の個体のつらがあわずほんの僅かに出っ張りがあるが、細かいことはあまり気にしないことにしよう。

さて肝心の音質の方は当然のことながら聴き始めは新品の硬さが感じられるが、しばらく鳴らしているうちに明るさと美しい輝きが加味されまったく素晴らしい美音に生まれ変わったようである。

交換前はきめ細かく繊細で落ち着いた音質であったが、交換後はその持ち味にフレッシュで生き生きとした生命力が加わったようである。

この音楽性豊かな響きに耳を傾けると、1990年代にベストバイの評価を得て人気を博したアラン・ショーの HL-COMPACT も敵わないのではと感じられる。

ハーウッドが改良に改良を重ねた HL-Mk4 から生み出される音楽性の高さを忘れられずに、発売以来永年に渡って使用されている音楽ファンが日本にどれぐらいいるかは見当もつかないが、トゥイーターが断線故障しても諦めずにオーダックスの新品に交換すれば僅かな出費で再びフレッシュに生き返りますよ。そんな訳で今年の出だしは順風満帆なものとなった。      1/7

オリジナルのオーダックス・シルクドーム・トゥイーターのボイスコイルである。

両側の接続端子から中央のボイスコイルまでリード線が伸びているが、このコイルの根元のところで断線するパターンが多いようである。しかしこのトィーターに関しては根元の部分に問題はなく、結局どこが断線しているのかは分からなかった。また外してみてから疑問に思ったのが接続コードの極性である。ユニットの赤の塗料が縫ってある端子側が+の筈だが、コードは赤ではなくブルーが接続してあったので、逆相接続かもしれない。また画像には残していないがボイスコイル中央ドーム部分の内側にウレタンが挟んであったが、サランネット同様経年変化でボロボロになってどんどん小さくなっていた。

最近鼻づまりが頻繁に起きるようになって、その影響か難聴気味で耳の調子があまりよろしくない。

アナログのリード線の試聴をしていても、以前のように音質の違いがはっきり把握できなくなっている。SPU GOLD と MEISTER の違いがはっきり分からないのはまだましなほうで、古い SPU-GE まで同じように聴こえるのは困りものである。最近音質に不満を感じることが少なくなって来たのはこういったことも影響しているのかもしれない。まあ良い音に聴こえる分にはよろしいのではないでしょうか。  1/10


■ お年玉の真空管


 6BM8/ECL82

今年のお年玉は SV-501SE の初段管である。

オリジナルはロシア製 Svetlana であったが、やはり高域にヒリつきがあったので昨年9月にハンガリー製 TUNGSRAM を調達して聴いていた。その後もオークションなどで音質の良いと言われている MULLARD/TELEFUNKEN などの出品がないかウォッチしていたが、待った甲斐があってやっと年始に待望の英 MULLARD を落札することができた。

オークションでは珍しく競合することもなく出品価格で落札できたので品質に不安があったが、出品者の説明通りともにエッチングコードはブラックバーン工場製造のオリジナルであった。


落ち着いた音質のタングスラムでも特に不満があるわけではなかったが、差し替えるとまさしくムラードならではのふくよかな低音と繊細な高域に満足させられる。プリントは黄色と白で印字内容も若干異なるが、内部構造もッじでまったくお値打ち品を落札することが出来たと満足している。このアンプもコンデンサー交換後50時間超が経過し、増々音質に磨きがかかっている。

Harbeth HL-4 は交換したトゥイーターのエージングも進み、高域がキラリと輝くいぶし銀的な美しい音色に変身している。

交換前のくすんだような音質を考えると、やはり長年の使用で品質が劣化していたのかもしれない。

PCTオーディオのトランスは Kanno に替わり DUKANE/3A55 で落ち着きを見せている。Kanno のナチュラルな抜けの良さも美しいが、中低域重視の厚みと馬力のある DUKANE の音色が気に入ってる。

そんな PCTオーディオの音色は、それぞれのパーツが馴染んで来た効果により無機質なデジタル臭が抜けて、温度感の高い温もりを持った音色に変わって来たように思う。これまでは味気のない理性的に力強く迫力のある音質であったが、その説得力のある音色に感性的な色気が加わって「良い音だなぁ」と感じることも多く、アナログとの差異が更に縮まったような気がする。   1/14

 圧着端子

Harbeth HL-4 のトゥイーターへの接続は、マエストロ・オーディオの谷口さんが揃えてくれた高品位金メッキタイプのファストン端子を使用している。

ファストン端子とは聞いたこともなかったが、主にカー用品などで使用する圧着金具のことである。新規に調達したトゥイーターの+とーの接続端子の大きさが異なるため、今回は中と小の金具を使用している。元々のオリジナルでも金メッキではないが同じような圧着端子を使用しており、今回の端子交換でも特に音色に問題がなかったので、念のためにハンダ付けで仕上げることにした。

もともとハーベスはあらゆる接点をハンダ処理することによって音質の向上を目指しているようだが、実際にこんな端子のハンダ付け一つで音色が変わって来たので、まったく音質を改善するのはこういうことかと納得させられた。

圧着端子を使用しないで直接ハンダ付けを行っても音質が変わりそうだが、今回はオリジナル通りの圧着端子とハンダの使用で万全を期すことにした。    1/21


■ トランス

PCT(パソコン・トランス)オーディオのトランスを Kanno に戻し、ケーブルも QUAD22 用の特注品に交換することにした。

Harbeth HL-4 のトゥイーターを新品に交換してまだまだエージングが足りないのか、少し中高域の音質がもたついて嫌らしい響きを感じ始めた。

トゥイーターが断線する前から新たに調達した DUKANE のトランスに古い SME アーム用ケーブルを使用していたが、理由は分からないが数日前にトゥイーターの圧着端子にハンダ処理を行ってから更にこの傾向が強まったように感じる。

そんな訳でいろいろと組み合せ試聴を行った結果、トランスを以前の Kanno に戻してケーブルも細めのケーブルに交換することにした。

このケーブルは 20年ほど前に RCA端子の短い QUAD22用にオーディオ専門店で特注で作ってもらったものだが、こちらの組み合わせの方が中高域がクリアに広がっていやらしさのない聴きやすいものとなった。DUKANE は帯域を変に欲張らずに中域重視の密度の高い迫力のある音質が利点となるが、今回は高域方向に自然な伸びを見せる Kanno のナチュラルな音質で違和感を払拭することが出来た。   1/23
http://my-vintage.music.coocan.jp/2015.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c23

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
24. 中川隆[-14340] koaQ7Jey 2020年1月19日 15:01:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1250]
・AUDAX 13LB25AL(13センチ)・・・ここからスタート。

フランスの伝説のブランド。
黒ペーパーコーンで、音色はまさに古色蒼然、カラヤンのフィルハーモニア時代、モノラル録音のよさがはじめてわかった。

能率も極めて高く、真空管があればもっとよかった。一方で、新しい録音への対応はやや違和感が。
ある段階から、妙に違和感が出たので、下記のE100HDに取り換えることを繰り返した。

ユニット取り付け穴の都合で、キャビへの取付を2つのネジでやる等、試行錯誤していたので、かわいそうな条件だった。108Solからまったく音が変わってオオと思った、コスパはすごく高いユニット。
コメント

mixiユーザー2019年09月15日 22:04
思い出しました確かに退院直後に読ませて頂きました。面白そう!古風というのが気に入りました! 17cmと合わせて手に入れたいです!!(笑)。


mixiユーザー2019年09月16日 00:26
> mixiユーザー
 
AUDAXはおもしろいです。キャラがあります。年がら年中フルトヴェングラーとかワルターとかオールドジャズを聴いている人には至福じゃないか。ハイ落ちなのでツィーターもコンデンサーのみでつながります。ここまできたら真空管使うしかないという音です。やっぱり時代ですね。

mixiユーザー2019年09月16日 00:5295dB
以下はスピーカーユニットじゃねえ!!みたいな(笑)。こう言うの好きです!!。今時96dBでぶちのめす!!いいんじゃない的な(笑)。割り切ってるところがすごい!!。ハイ落ちでますます今風じゃないなんて!!。本当時代が来てますね!!(笑)。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1972716104


AUDAXが復活。デジタルプリのイコライザー調整で、サブウーファーとも-24デシベル/octの80Hzクロス設定でも、まあまともになることが判明。意外なことに、低音足りな過ぎ問題は深刻ではなくなった。

中低域の量は谷になって少ないはずなのだが、音色としてはそこにアクセントがあり、ペーパーのあいまいさ、あたたかみというか、古風な艶消しの美音を聴かせる。タンノイに似ている。

3万円台のAUDAXが刺客になったが、クールなジャズとポップ系、弦独奏中心ならメタルコーン系だろう。現代ハイエンド調の音色で追い込むならEikona。今回は、フルトヴェングラー以降の古典クラシック再生を好み、LP時代の雰囲気を疑似的に再現したい、黒大好きという、個人的な嗜好が強い。

値段ではなく、いろいろ鳴らしてみてよかった。
古風で高能率で黒いコーンの方向に進めばいいとわかった。
パワーアンプもファーストワット(疑似真空管?)だし。

重量路線でAudioNirvanaのClassic5と、高級路線でEMS社のLB5とLB6を試す。
その前にユニット処分しないと・・・ FE108solは大人気なので心配ないのだが、日本にほとんど存在しないユニットは、価値がわかる人がいるかどうか。。
新鮮味に欠けるので、今日また、E100HDにつけかえて、売れるまではそれで行こうかなと思いたった。それだけ思い入れのあるユニットなのだ。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971417544?org_id=1971402262

▲△▽▼

EMSの LB6 は AUDAX みたいに1940から1970年代みたいな感じでもなく、ハイエンド、ハイレゾの鮮明カラフルというのでもない。

メーカーは、リッチで分析的と謳っているが、確かにタンノイや AUDAX のようにリッチではあるが、溺れる感じではなく現代的な性能も感じる。

静かというのは、余計な音が出ていないというか、スピーカー周りのドロドロ感がなくて、空間にスッと音像ができている感じで、これはトランジェントのよさだろう。

性別でいうと、108Solは、長岡先生と連携してつくってきた「やんちゃな男の子」という感じ。Solは大人になったが、昔やんちゃだった男性。

AUDAX は野人の男性という感じ。昔ベルリンフィルやウィーンフィルに女性楽員がいなかったような。

E100HDはどちらともいえる。

LB5は気品があるが、機敏なので、育ちのいい少年少女か。

LB6は、高貴な女性を思わせる。いざとなれば芯の強さを見せるが、やたら主張してくる音ではない。やはりヴァイオリンソナタが綺麗。静かに花開くよう。

ただ、LB5の印象と違い、振動板のドライな感触が、FEほどではないが残るようだ。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1972720173?org_id=1972716661

▲△▽▼

そして宴の後 2019年05月06日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971422117?org_id=1971417544


AUDAX しっかり調整して、悪くないが、もうわかってしまった音で、ワクワクしない。これからフルトヴェングラーばかり聴くならこれでいいが。
E100HDmk2を再登場させた。

以前は、ユニット交換・調整なんか1か月がかりのイメージだったが、繰り返しなので、1時間でできる。

ファストン端子は、金メッキのは抜き差しはそんなに手間ではないが、ケーブルとの圧着がけっこう大変で、抜けてしまったのを再装着で手間取る。

イコライザーは、部屋の特性として、50Hzをとにかく落とす、左チャンネルの315Hzを落とす、というのが絶対で、あとは微調整なので暇なときにやればよい。
今回、サブウーファーのみで50Hzを落とす方法を初めて発見した。何をやってたんだというところだが、まあ、実際は聴感的に愕然とするほどの差はなく、精神衛生上の感じだが。

CLASSEのデジタルプリCP800の機能に頼りきりで、CLASSEはB&W社と関係切られた?とか社長が亡くなった?とか、読んだ気がして、気が気ではない。

音は、やはりたちまち金属の感じになる。
それが潔いというか、楽しい。ずっと聴かねばならないなら改善策を必死で考えるが、個性を楽しむ状況にあるのだ。

オークションは取り下げで、最低2週間ぐらいは聴いてみよう。これがGWの結論の音。
ツィーターの調整やリアがやや大きいなどもあるが、オーディオはやや未完成ぐらいのときがいちばん楽しい。

それにしても、工作と調整で疲れた。
GWを楽しみにして、いろんな工具を買っていた。モノタロウという業者さん向けのネットショップに目を付けられ、分厚いカタログが2冊オマケでついてきたりした。

頭を悩ませたのが、画像のリング裏部分のところで、もともと木工業者さんがつけてくれていた鬼目ナットのサポートみたいなやつが3か所壊れたため(AUDAXの無理な仮留めのせいか)、精神衛生的にも裏側から締め付ける方法を考えた。
しかし、窪みにあるので難しい。

で、六角レンチと長ナットを組み合わせ、歯付き座金ワッシャをかませて対応。
まあまあうまくいったが、ユニットをつけてしまうと、当然裏からの締め付けは不可。AUDAXは結局リングに2か所留めとなっていてよくはない。また送り返して穴のない位置に開けてもらうか・・・
他人にはどうでもいい話だが、1週間ぐらい通勤電車のスマホで案を練り続けた。

使わなかった材料もたくさん。数百円だが、重なるとそこそこ。
そもそもユニット自体が、すぐに処分なのだから無駄が多い。
でもまあ、いちどこういうのをやってみたかったし、こういう無駄が豊かさなのだと思う。
コスパのために生きているのではない。
今回、思いがけないネジやコンデンサーを採用する結果になることが本当に多かった。
Yラグ(1個10円以下)工作がうまくハマると楽しい。マトリックスサラウンドのつけ外しが実に気軽になった。

よくないパターンとしては、いちばん高いEikonaだけ買う、それに合わせて自分を変える、みたいな。
いくつか候補を試して、合うものを残すのが合理的でもある。

旅行も、計画を立てているときがいちばん楽しい。
最中は必死で落ち着かず、無限と思っていたら、あれもう終わりかと。
GWは、やりたいことの3分の1もした感じがない。

しばらくは、ボルトもナットもレンチもファストン端子もみたくはない。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971422117?org_id=1971417544

2019年04月23日 JX92Sの亡霊
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971235422?org_id=1971150041

アルミリングが届いた。

AUDAXが再調整で見違える音と測定結果になったが、黄金のバランスは一日でさようなら。メタルコーン系が使えるのだかどうだか、GWを前に、どうにも気になる。

E.J.Jordanの伝説フルレンジJX92Sを、スウェーデンのメーカーとScanSpeakが共同で再設計した、2017年あたり発売の最新ハイエンドフルレンジ。
とはいえ、MG130HRはもちろん、FE138ESRより安い。。

とりあえず鳴らして測定したらこの結果。
FOSTEXのFE限定フルレンジや、AUDAXでは考えられない結果。
とはいえ、低音の質には期待できないため、デジタルプリで潔くカットしてサブウーファーとつなげてしまう。

工作と設定で疲れた。
感想はおいおい。


コメント


mixiユーザー2019年04月24日 02:09

このユニットはポチの夢さん宅で聴いたことがありますが、エンクロージャーが違うので全く鳴り方は違うのだろうと思います。それにしてもフルレンジ1発でこのF特は驚異的ですね。
低域カットしてサブウーファにつなぐのも良いですが、フルレンジのまま置き場所を変えることで低域のクセを解消させるという方向も面白いと思います。


mixiユーザー2019年04月25日 01:44

> mixiユーザー 
AUDAXのカマボコ型とまったく違うのでビックリしました。
音場の追求だけでいうと、フルレンジだけでメリットのあるユニットですね。
ヤンセンのブリテン、デッカの新しい録音で、フルレンジ+サブウーファーのみで、サラウンドとツィーターなしで新鮮な感覚がありました。
とはいえ、寂しくなっていろいろ追加注文してしまいます。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1971235422?org_id=1971150041


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c24

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100383  g検索 koaQ7Jey

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。