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DbsSfawrpEw コメント履歴 No: 100241
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[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
4. 中川隆[-12130] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:26:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018年08月24日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ
【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html


のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。

記事の最後に、今回のベスト10、ワースト3を決めるから、最後まで見ていってくださいね。



(動画のリンクを貼るけど、削除されている場合があります)


"世にも奇妙な物語 #133 バイパスの夜 寺田稔"
https://t.co/THwz1dzCZ3
「バイパスの夜」見た。
──タクシーの客が銀行強盗と殺人をしてきたといえば、運転手は学生と浮気した女房を殺したという。ふたりの話はゆっくりと交わっていく。──

どちらもいい役者だけど、無口な運転手がとくにいい味だしている。いい演技。ほとんど台詞だけで成り立っている。
コメント欄はへんなのがわいている。

ニュースおじさん 戦争はなかった 開かずの踏切 40年 赤い雲 耳鳴り 真夜中のディスクジョッキー 聞こえる 死にたくない ボクの好きな先生
動画がみつからなかった。



"世にも奇妙な物語 「超短編集2」"
https://t.co/ZqeRGhU9eU

「still」見た。
──主人公が朝起きると家族が止まっている。外に出ると人々が止まっている。だが時間は動いている。動いている人を探すが誰もいない。そんなとき、車の音がする。車に乗っていた男二人は主人公を「回収」しようとする。──

これ、えらく面白かった記憶があり、いま見てもなかなか良かった。怖がるようなものではないが、動かない人をたくさん見ていると妙に不安になる。回収の人たちは「業者」って感じだったな。「センターに連絡」って言ってたな。背後に組織がありそう。
人が交換されてたな。連続した時間のなかを生きているつもりでいるが、こんなことだったらわけわからないな。

わからなさが解明されるわけじゃなくて、別のわからなさに切り替わるっていうのがいいな。最後だってそうでしょう。

しかし「超短編集2」じゃないよ。12分あるんだから。タイトルがおかしい。



"【 何回見ても 面白い 】 世にも奇妙な物語【死神】【隣の声】怖い話 恐怖"
https://t.co/8V22QASVlw

「死神」見た。
──主人公(そのまんま東)は恋人との結婚に踏みきれないでいる。そんなある日、死神があらわれる。死神は足元にいればいいが枕元にいるとその人は死ぬという。ある日彼女が崖から転落し、搬送先の病院のベッドの枕元に死神があらわれる。主人公は彼女をすくうためベッドを動かす。──

最後のろうそくの場面がとても印象的だ。
あらためて見ると筋の通った話だ。崖では落ちたふりをしたり、病院では死神をあざむこうとする。その報いを受けたとはいえるが、動機はちょっとしたことなんだし、同情する。

主人公には弱いずるい心と、彼女を守ろうとする心の両方があり、好感をもった。オレが「人間らしさ」を感じるのはこういう男だ。



"世にも奇妙な物語 未来の思い出"
https://t.co/q40hJ5fE9X
「未来の思い出」見た。
──林家こぶ平と石田ゆり子が演じる二人が撮った写真には老夫婦が写っている。未来が写った写真。彼は仕事をがんばるようになり、未来の写真の背景がきれいになる。だが仕事のしすぎから二人の仲が悪くなっていき、ついには写真の女性が別の女性に変わってしまう。──

なんだかんだで普通にいい話だ。男は極端になったりぐらぐらするけど、石田ゆり子のほうは安定してていい。
こういう写真があったらもっと頑張れたりするんだろうか。



"911107Aボールペン /世にも奇妙な物語"
https://t.co/KWr1TnA1t7

「ボールペン」見た。
──緑のボールペンで毎日願い事を千回書くと願いが叶うという噂がある。スポーツで勝ったり、欲しいチケットを手に入れたり、続々と願いを叶える者があらわれる。主人公の高校生ふたりは、ひそかに想っている互いの名前を毎日千回緑のボールペンで書き続けた。すると……──

これは覚えてた。万葉集の授業があるけど、こういう願掛けは古くからあったかもしれないね。「とりかへばや」だったら伏線になってたな。
「幸せなら手をたたこう」を歌いながら自転車こいでるお巡りさんはなんなんだ。幸せそうだなあ。
入れ替わってからが本番でしょうに

あと「ギュイギュイーン!」みたいな音はなんなんだ。はりつめた意識、みたいなのを表現しているのか。昔のドラマっぽさがある。



"911107Bみどり紙 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/Z9qNh9KILw
「みどり紙」見た。動画に音声がなかった。

記憶で書く。──自然のなくなった未来が舞台。植物がないせいで、酸素がない。人間を植物にする技術があって、国から「みどり紙」が届いたら植物にならなければならない。主人公たちはみどり紙から隠れ逃げ回っている。──

スケールの大きな傑作と記憶している。ぜひともまた見たかったので、音声がないのは残念。
今だったら「みどり紙」が「みどりメール」だったりするのだろう。



"無人艦隊 世にも奇妙な物語"
https://t.co/AeGZ2Nu7eU

「無人艦隊」見た。
──船から人が突然消えてしまう原因不明の現象がおこる。それを調査している主人公たちの船からも、つぎつぎに人が消えてしまう。そんななかで、戻ってきた者がいた。彼は「思い出した」のだという。──

なかなかモヤモヤする話だ。原因不明の怪現象に、なぜ効果があるのかわからないような解決策。目がかすむとか、白い空間とか、ごく断片的なことしかわからない。謎が濃い。
演技が下手なのが気になる。こういう場所が舞台というのはめずらしい。

動画が四つもあった。動画がひとつもない話も多いのに。
軍事的なことに興味ある人たちが見るのかなあ。



"怪しい鏡 世にも奇妙な物語" https://t.co/kr90m6POW6
「あやしい鏡」見た。
──金と地位だけを信じる汚い父と、それを憎む娘の物語。娘は別荘で父への憎しみを語り、殺そうとする。
あやしい鏡がある。人を殺した者がその前に立つと殺した者の影が映るという。──

娘(南野陽子)が雰囲気のある役をしている。「よくてよ」みたいな言葉づかい、ひさしぷりに聞いた。
これって父が勝ったっていうことなんじゃないの。そこが不満。



"911114B驚異の降霊術"
https://t.co/BiK9OK6GIN
「驚異の降霊術」見た。がちゃがちゃした話だ。
──テレビ番組で降霊術師がシャーロック・ホームズの霊を呼び出すという。架空の人物の霊を呼び出せるはずがない、と男がその場にたちあう。──

本物と偽者のあいだを行ったり来たりして、どっちなんだと揺さぶられるが、降霊術師のおばちゃんのキャラが濃すぎていかん。
ニセモノであることを暴こうとするというだけでも、オカルトに対してはだいぶ優しい態度だと思う。

消えた「こわ こわ」という動画チャンネルが動画をあげなおしていた。見てないのがあるから、明日からはすこしさかのぼる予定。



"910411@呪いの紙人形"
https://t.co/ze3twMFf9u
「呪いの紙人形」見た。
──誰もかれもが嫌いになっていた子どもが、魔術師に出会い、呪いの紙人形を手にする。人形に名前を書けば人形に起きたのと同じ目に合わせることができる。新しい父親、先生、医者、男友達を呪うと、15年後に効果があらわれはじめた。──

すっかり状況がかわってから呪いの効果があらわれる。呪いをかけた人に跳ね返ってくるわけで、意地悪な道具だなあ。
急に大人になったり、また子供に戻ったりするところに少し無理がある。魔術師のヒゲよ。

無いと思ってた動画が見つかったので、少しさかのぼっている。



"910502B目覚まし時計"
https://t.co/FeKiP6vk96
「目覚まし時計」見た。
──玉の輿を望むドジなOLの主人公(南果歩)は不幸をとりのぞく不思議な目覚まし時計を手にする。災難が起こると目覚まし時計が鳴って、翌日の朝のベッドにワープする。
交際中の彼の「大事な話」を聞こうとすると目覚まし時計が鳴って聞きそびれてしまう。──

南果歩、好きなんだよねえ。彼の名前が「工藤」なのでドキドキした。
玉の輿をねらってるドジなOLという設定が、いかにもドラマっぽい。こういう人ってほんとにいるのかと思ってしまう。

番組が番組なので、ハッピーエンドになろうとすると何か起こるんじゃないかと警戒する。



"910613Bベビーシッター"
https://t.co/yrf48Dj39y
「ベビーシッター」見た。
──主人公(浅香唯)がベビーシッターにむかった先は小説家の家だった。ここにきたことを誰にも言ってないことを確認される。動いているような気がする絵がある。窓が閉まっているのに入ってくる風、とつぜんの停電。子供ふたりは「悪魔」だった。──

すぐ雷が鳴ったりガラスが割れたりして、ガチャガチャした話。「エクソシスト」とかそういうのを見てつくったような内容。
浅香唯がかわいい。



"910829A告白パーティー"
https://t.co/etVa936hot
「告白パーティー」見た。
──女性四人があつまり、秘密を告白しあう。エスパー、殺人鬼、宇宙人、そして……──

「廃校七番目の不思議」みたいな話だ。典型的なやつをいくつかつめこんで、ほんとか嘘かわからなくする。
ガニメデ星人ってこんなんなのかと思ったのを覚えている。あの宇宙人もほんとに「典型的」だ。耳がとがってて羽がはえたら宇宙人って。予想を超えていかない。



"91秋C開かずの踏切"
https://t.co/L8tAY8UZeU

「開かずの踏切」見た。
──主人公(石田純一)がバイクで田舎道を走っていると踏切の遮断機が降りていて足止めされる。しかし電車はこない。そこへ奇妙な人たちがあらわれる。作業員ふうの男が息子に買ってやったミドリガメの話をしたり、女が100円をねだってきたりする。──

これは面白かったな。好きだよ。
開かずの踏み切りは都会にあるものだけど、田舎にひっくり返されたことでシュールな風景になる。
すぐ死ぬミドリガメを売る商売の話、老人の「故障したら直すものだ、故障したら捨てるという人間がいるが、その人間こそ故障している」という話。
それから野球少年もだけど、踏切の住人たちは現代社会からやや距離をおいている。興味深い人たちだ

最後ちょっとよくわかんなくなるけど、踏切があの世とこの世を隔てていたんだろう。ってことはみんな死者なわけで、ちょっとさみしいな。

似てる話をあげるなら「峠の茶屋」とか「我が家はどこだ」かな。閉じ込められてるわけじゃないんだけど、同じ道ばかりグルグルして進めなくなって、そんななかで出会いや気づきがある。
この「開かずの踏切」は、住人のキャラが立っていたし、のどかで良かった。

この番組は都会の若者〜中年の話が多いんで、たまに田舎とか昔っぽいの話があると印象にのこる。こどもや老人の存在感もドラマを豊かにする。

のどかと言ったけど、血液や鋭利な刃物のようなものの映像が瞬間的に挿入される。サブリミナルかと思ってしらべたけど、一度見てわかるのだからそうではないだろう。これらはラストシーンへの伏線になっている。



"91正月B帰れない"
https://t.co/JHq3jEbgZ8
「帰れない」見た。
──主人公(片岡鶴太郎)は家族とうまくいっていない。おでん屋で電話をかりて、もう帰らないと宣言する。それから自分の家を見つけられず、帰れなくなる。待ち合わせをしても会えない。──

二回つづけてループものだ。「我が家はどこだ」とかなり似ているが、オチは180度ちがう。
飲み物の入れ物でループを悟るのが「開かずの踏切」と同じだ。



"911121@前世の恐怖 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/QIR060uOBw
「前世の恐怖」みた。
──主人公(近藤正臣)は殺人の妄想がとまらない。自分は殺人鬼の生まれ変わりではないかと思い込む。──

それ以上、なんともまとめようがない。
わけもない殺意におそわれているけど、そんなになんの理由もなく人を殺したくなるものだろうか。殺人鬼ってそういうことじゃないんじゃないか。毎日の満員電車が罪ほろぼしというわけか。
ただの思い込みの激しい男かと思っているところに、妻のこころの声というかたちでオチがつく。

女性ばかりを狙うっていうのけど、酒場では男性客を刺そうとしていたなあ。



"911121A三日間だけのエース /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ONf4ckSK7z

「三日間だけのエース」みた。
──幼馴染みだが喧嘩も多い二人の男子高校生が、トラックにはねられる。一人は軽傷だが一人は即死。即死の彼は野球の大会のためどうしてもあきらめきれず、三日間だけもう一人の体を借りて生きることになる。──

出演者に「森且行」の文字を見て、なんか心動いた。このころはそういう時代だったのか。
神様がいい味出している。
勝ったからいいけど、あの試合で負けるっていうケースもありうるんだよなあ。



"911121Bそこではお静かに /世にも奇妙な物語"
https://t.co/4rJOEBQuUT

「そこではお静かに」みた。
──騒音で困っている作家の主人公が、しずけさを求めて人里離れたホテルにやってくる。そこは本当にしずかな場所で、誰も物音をたてない。主人公がたてる音が響きわたる。──

よかった。音がないところで人は祈り、音楽を奏でる。野原で人がうねり狂うような一瞬の場面がすばらしい。しずけさを映像にすることに成功していて、詩的だ。

運転しながら携帯電話で通話している場面があって、それは法律で禁止されていると字幕がでていた。



"911128@シガレットボム /世にも奇妙な物語"
https://t.co/vL6GHNiWL5
「シガレット・ボム!」見た。
──主人公(保阪尚輝)は恋のライバルをやっつけるために実験室の火薬をつかい、タバコの爆弾をつくる。それをライバルに吸わせようとする。しかしタバコは人から人にわたってゆく。──

タバコの強い時代だったんだなと思った。普通に歩きタバコもするし、吸い殻のポイ捨てもしている。
いきなり刺してくるヤーさんがでてきた。
主人公の嘘の下手くそさよ。こっちがひやひやする。
話はおもしろい。いつ爆発するか、ハラハラした。



"世にも奇妙な物語 「チャネリング」 佐藤B作"
https://t.co/Be7S8LZTzE

「チャネリング」見た。
──インチキ霊媒師三人組のリーダー格の男をほかの二人が担ぎ上げ、襲ってきたところを反撃して殺してしまう。二人は金を持って逃げようとするが、殺したはずのリーダーは生きていて、また襲ってくる。それを霊の力でまた殺す。──

このあいだ見た「驚異の降霊術」もこういう題材だったなあ。どうも古くさく感じる。ドタバタしている。

「悲鳴」「行列」は動画が見つからず。「行列」はおもしろい話だったと記憶している。



"911205A毛皮が脱げない /世にも奇妙な物語"
https://t.co/FCYeMIAwr6
「毛皮が脱げない」見た。
──毛皮好きな二人の友人にあきれ、主人公は「そんなに毛皮が好きなら犬か猫にでもなればいいのに」と言って五円玉の入ったサイフを放り投げる。五円は神社の賽銭箱に入り、これが本当のことになる。──

言ったらほんとになっちゃう系の話。毛皮が脱げなくなって犬や猫になっちゃうのが怖いと感じられれば怖い話。まあ、オレはべつに。

山下達郎とか恋人はサンタクロースとかがクリスマスソングとして流れていた。このころから変わってないのかー



"911205B海亀のスープ /世にも奇妙な物語" https://t.co/qHhCuyilJj

「海亀のスープ」見た。
──世界的に有名な画家・柴山が、海亀のスープを飲んだ直後、謎の自殺をする。その謎を追う記者は、事情を知っていそうな男(いかりや長介)から話を聞き出す。
柴山と彼はかつて船乗りで、難破して無人島にたどり着いた。衰弱していた柴山のため、彼はスープをつくった。──


「ニュースの海」って番組がでてきた。TBSの「ニュースの森」ってあったなあ。
これ、たしか有名な話だよね。ネット掲示板で流行らなかったっけ? 完全に忘れていて、ドキドキしながら見た。

あと、1991年当時って携帯電話が普及してないと思い込んでたけど、けっこう出てくる。大きいけど、そんなに違和感ない。



"911219Aハネムーン /世にも奇妙な物語"
https://t.co/HTiCwavzJh

「ハネムーン」見た。
──新婚のふたりが別荘を訪れる。夫は仕事のトラブルですぐに出ていき、妻(高木美保)と使用人(野際陽子)が残される。別荘では次々に奇妙なことがおこる。以前この近くでなくなった「前の奥さん」の仕業らしい。──


わりと、こういうときのテンプレートに添って話が動いているように見える。似たようなのを見たことある。なんだろう。「マイホーム」かな。
ヴァイオリンが雰囲気を出している。話がよくある感じなので、雰囲気での味付けが大事になってくる。

ホーム・ドラマ、まだ恋ははじまらない、佐藤・求む、神様、は動画みつからず。
「ホーム・ドラマ」はきつい話だったと記憶している。



"世にも奇妙な物語 もうひとり (風間杜夫)" https://t.co/Y3yiACuXkg

「もうひとり」見た。
──やったはずのない仕事がほめられる。もらっていない見積もりがもらったことになっている。知らないあいだに昇進している。主人公は、もうひとりの自分に翻弄される。家に帰ると、そこにもうひとりの自分の靴がある。──


このころは公衆電話がこみあっているんだなあ。タバコもたくさん吸っている。
ドストエフスキーの「分身」みたいな話。この展開はおもしろいなあ。ありそうな話だけど、うまく動かしている。



"世にも奇妙な物語 「王将」 丹波哲郎"
https://t.co/ycVIkoXAw2
「王将」見た。
──将棋の世界の若き天才の挑戦を、大名人が七年の沈黙を破ってついに受けることになった。若き天才・龍ヶ崎は驚異的な記憶力をもっていて、パソコンを使い相手の過去の勝負をすべて把握する。だが大名人の手を読むことは困難だった。棋風が見えないのだ。──


変な将棋で勝負が決まるあっけない話のように記憶していたが、いやいやとんでもない、迫力のあるすばらしい話だ。
二十数年ぶりに「世にも奇妙な物語」を見直しているわけだが、評価の上がり方がもっとも大きい話だった。

若い天才の野心や苦悩がよく描かれているし、老いた名人の底知れないところもよく描かれている。ひとつの勝負に七年かけるなんて、さすが、人間の大きさがちがう。見事でした。
短歌の世界に通じるかもと思いながら見た。あんな老人になってみたい。いいもの見せてもらったなあ。



"91冬A午前3時のノック /世にも奇妙な物語"
https://t.co/9svrAnWp1m

「午前3時のノック」見た。
──主人公(工藤静香)は言いたいことが言い出せないタイプで、クリスマスシーズンだというのに楽しく過ごせずにいる。
そんなある日、毎晩3時に部屋をノックする音がする。警察を呼ぶなどするが解決しない。──

途中で動画の音声がおかしくなるので、いいところで意味がわからなくなってしまった。
まあつまり、ノックしてきたのは意外な相手だったというお話。
工藤静香ってモノマネのイメージがつよいなあ。本物なのにモノマネっぽく感じる。



"世にも奇妙な物語"
https://t.co/MpVCWXjwVt
「犬の穴」見た。
──主人公(三浦友和)は部下と不倫していたが別れる。相手が自殺する。その犬をあずかることになる。主人公は犬を捨てようとするが、犬は家にもどってきてしまう。何度やっても同じ。
犬は、人には見えない「犬の穴」を通って戻ってくるのだともいう。──

時間をかけてゆっくり進む話だなと思った。内容のわりには長いような。沼へのはまりかたがなんか不自然な気がした。離れられないはずだったのにエリーはどうして男を見殺しにしたのか。男ではなく家になついていたのか?



"世にも奇妙な物語 23分間の奇跡"
https://t.co/xQVzON6swK

「23分間の奇跡」見た。
──小学校の新任教師(賀来千香子)は生徒たちを前もって調査して把握している。ほめたりお菓子を配って子供の心を掌握する。反抗的な生徒をクラス委員にし、前の教師がかけた額を捨てさせる。──

なんかいつもの「世にも奇妙な物語」じゃないみたいで、あれ? と思いながら見た。ぐいぐいくる先生だなあと思って見ていたが、じわじわとこわくなってくる。途中で終わったような印象もあるが、あの時点ですでに「(将棋でいえば)詰み」だ。

教室の外側で大きなことが起こったはずなんだが、それがトシユキくんのもってる新聞の切れはしでしかわからなくて気になった。はっきりわからないから普遍性のある話になったんだろう。

これを「奇跡」と呼ぶところにセンスを感じた。完成されたマニュアルを正確におこなった結果だ。トシユキくんをまるめこむやりかたも実にスムーズだった。

■■■


今回おもしろかった話10
1 23分間の奇跡
2 王将
3 開かずの踏切
4 ヴァーチャル・リアリティ
5 still
6 そこではお静かに
7 死神
8 海亀のスープ
9 シガレット・ボム!
10 みどり紙
「みどり紙」はもっと上のはずなんだけど、音声が聞けなかったので残念だった。
「ヴァーチャル・リアリティ」はこの記事で感想を書いてないけど、三ヶ月くらい前にYouTubeで見た。


今回つまんなかった話3
1 告白パーティ
2 驚異の降霊術
3 毛皮が脱げない


んじゃまた。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c4

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
5. 中川隆[-12129] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:28:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【5】1992年4-12月
http://mk7911.blog74.fc2.com/blog-entry-3990.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベスト7を決めるから、最後まで見ていってくださいね。


"世にも奇妙な物語 シャドウ・ボクサー"
https://t.co/ROjCVMquK6

「シャドウ・ボクサー」見た。
──主人公のボクサー(柳葉敏郎)は、試合に負けてから再起をはかり練習にはげむが、スピードが出ない。はやく、はやく、はやくと心に唱えながら練習を繰り返しているうちに、周囲がゆっくり動いているように感じはじめた。試合には勝つが、彼はどんどん加速していく。──

うん。こういうのが「世にも奇妙な物語」なんだよな。ひとつの変なことがほかのすべてに影響してくる。
奇妙なだけでなく、悲しさがある。恋人が見えなくなるつらさがよく描かれている。

ハッピーバースデー・ツー・マイホームは動画が見つからず。これで1991年おわり。第2シリーズおわり。



"「笑いの天才」 菊池桃子"
https://t.co/EW2dzYjFyu

「笑いの天才」見た。
──売れないお笑いコンビ「ツインピークス」のこはる(菊池桃子)は笑いがとれずに悩んでいる。神でも悪魔でもいいからお願い、わたしに笑いを取らせて! と叫ぶと、何を言っても大爆笑されるようになる。仕事の外でも、何か言うたび常に大爆笑され、生活に支障をきたしはじめる。──

これって、「シャドウ・ボクサー」と同じ流れだ。遅くて勝てない→速くなろうとする→速すぎる、というのが「シャドウ・ボクサー」。
笑いがとれない→とろうとする→笑われすぎる、というのが「笑いの天才」

その後のながれは違うけど、なんとなく「世にも奇妙な物語」の典型になっていると感じる。こわいことになる→夢だった→やっぱり夢じゃなかった、のながれ。
でも常に爆笑だから、こわくならないし、こっちもちょっとつられて笑ってしまう。



"世にも奇妙な物語 常識酒場 【今井雅之】"
https://t.co/f9pGMOQBtt
「常識酒場」見た。
──超能力をもった兄弟が酒場に入る。居合わせた客たちが超能力をバカにするのを見かねて、能力をつぎつぎにつかって酒場をめちゃめちゃにしてしまう。──

不自然なところが気になる。客の注文を無関係な客がバカにしたりするだろうか。超能力のテレビ番組がでてくるところも唐突だった。その場面の以前も以後もテレビは無いし。

奇遇、震える愛、気づかれない男、けむり男、デンデラ野、血も涙もない
は動画がみつからない。



"世にも 瞬"
https://t.co/RNe1DUe8PK

「瞬」見た。
──主人公は、ふつうに生活しているつもりなのだが時間に間に合わない。気がつくと時間がとんでいる。そんなことがエスカレートしていき、毎日行っているつもりの会社に無断欠勤してしまう。──

ひとりだけ速くなってしまう「シャドウ・ボクサー」の逆バージョンだ。時間がとぶのは「通勤電車」にも似ているが、いつ飛ぶのかがわからない恐怖がある。

あんまり見たことないタイプの回転寿司だ。皿が回っているけど目の前に握っている人がいる。
イカをとろうとしたらサバをとってしまいキレるくだりはおもしろい。

「いたれりつくせり」「精神力」動画みつからず。



"世にも すてきな休日"
https://t.co/8sckW0zQIQ

「すてきな休日」みた。
──主人公(高木美保)はいたずら電話に悩まされている。部屋のなかを見ているような内容の電話が留守電に入っている。警察を呼ぶがたよりにならない。ずけずけ入ってくる隣人、注文してないのに届くピザ、なれなれしい水道屋、水をかけてきた男。災難がつづく。──

動画に低評価が多いのが意外。気持ち悪い話だけど、それを見せているんでしょう。
女性であるというだけで受ける被害だし、ハラスメントに満ちている。

ボイスチェンジャーが今と同じだ。ツイキャスのマイキーさんという人がボイチェンして放送してるけど同じ声だ。4分の1世紀経っているのに。



"世にも 顔"
https://t.co/waBi7qSzMm

「顔」見た。
──主人公(きたろう)は、まわりの人々の顔がだんだん区別できなくなってくる。見るたびに顔がかわってゆくように思えてならない。変わったね変わったねと言って不審がられる。──

誰も死なないしひどい目にも合わない、大きな山もひねりもない。それが逆にめずらしい話だ。

顔のかわりかたが微妙でよくわからなかったが、OLがかわいくなったのだけはわかった。あれ、なってるっけ? オレまで不安になってきた……。



"【 何回見ても 面白い 】 世にも奇妙な物語 【食べ過ぎた男】 【 迷路】 怖い話 恐怖"
https://t.co/EP6Xplwhd7

「食べ過ぎた男」見た。
──主人公(草刈正雄)は食欲がとまらない。家族といても、大事な商談のときにも、狂ったように食べつづけてしまう。彼は病院に連れていかれる。医師が見たのは、胃袋で瞬く間に消えてゆく食べ物だった。──

これ、当時テレビで見てすごく怖かったのを覚えていて、今回覚悟しながら見た。雪山がでてくる話は怖いのが多い。

序盤から雪山の伏線がびっしり貼ってあることに気づいた。手のふるえかたが尋常でなくて、それもこわい。



"920514B青い鳥 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/K8uLNr0tVs

「青い鳥」見た。
──主人公(藤田朋子)の前に不思議な男の子があらわれる。いたと思うといつのまにか消えている。主人公はそれが小さい頃に一緒に遊んだ子だと思い出す。──

地味だし大きな展開はないんだけど、しみじみしたところがある。ざしきわらし的な話。「青い鳥」があんまり関係ないような。



"世にも奇妙な物語 もれパス係長"
https://t.co/M8Sj4I4796

「もれパス係長」見た。
──主人公(小野寺昭)は心のなかが周りに漏れてしまう。テレパシーならぬ「もれパシー」がある。そんな彼が大事な会議で発表することになった。──

コメディーですね。ドタバタした話。どんどん漏れて、それをつくろっていこうとして、どうにもならなくなっていく。
見かけによらず毒舌なことを考えているものだ。

「タガタガの島」「声が聞こえる」動画みつからず



"世にも奇妙な物語 ハイ・ヌーン 玉置浩二"
https://t.co/U5U5fkeIki

「ハイ・ヌーン」見た。
──主人公(玉置浩二)は店のメニューをはじから順番に注文してゆく。近所の人が見物にきて店はにぎわい、応援ムードがたかまってゆく。──

これはよく覚えている。筋は覚えているので、細部を見た。
うだるような夏、クーラーが故障している店、高校野球、商店街。丸眼鏡、背広、少ない口数。ひとつの世界が完成している。
母と子、青年、おじさん、店の主人に奥さん、それぞれキャラがある。

電機じかけの幽霊、人形、お前が悪い、リフレクション、は動画みつからず



"世にも奇妙な物語 38′25″"
https://t.co/LNp2hRyRNO

「38分25秒」見た。
──主人公(勝俣州和)の買った携帯電話は38分未来につながる。普通につながる家の電話を組み合わせて、競馬で金もうけをたくらむ。──

これ、うちにはじめてビデオデッキがきたときに録画した回だ。なつかしい。何回も見たはずなんだが、今見たら新鮮だった。

携帯電話が鍵になる話。BGMはアレンジがきいている。カメラワークというか見せ方がうまい。うまく作ってあるなあ。
「いいかげん」動画みつからず



"箱の中 世にも奇妙な物語"
https://t.co/W8mQeswwet

「箱の中」見た
──深夜、エレベーターに男女ふたりが閉じ込められてしまう。男が変な気を起こしかけたころに女が豹変する。女は男をシマダという人物と決めつけて責めてくる。凶器をつきつけたり、かと思うと歌いだしたりする。──

これも録画したから何度も見たはずで、エレベーターの話なのは知っていた。でも緊迫感がすごい。女のかわりようがおそろしい。



"920625B不幸の伝説 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/6a5YsItTuo

「不幸の伝説」見た。
──酒を飲みながら話している二人のサラリーマン。そのひとりが言うには、12時間以内に10人に話さないと不幸になる「不幸の伝説」という話があるそうだ。これを話さなかったために不幸になった田中くんという男がいて、──

これもよく覚えてる。一時流行った「不幸の手紙」を口頭で伝える形にしたわけだが、そうなると伝えるのが難しくなっていておもしろい。
不幸の伝説のなかに不幸の伝説がでてくるという、剥いても剥いても中身がない仕組みになっている。
この回は三話ともおもしろいな。


"920702B言葉のない部屋 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/wwKq7VidRp

「言葉のない部屋」見た。
──1970年を舞台にした話。青森から東京に出てきて工場で働いてる主人公(木村拓哉)は、なにをしてもパッとしない内気な青年。職場の理解あるおじさんが辞めていき、孤独が深まる。そんなある日、青年は録音機を手に入れる。──

キムタクの東北弁がうまい。1970年を再現することに力が入っている。終盤までなかなか奇妙なことが起こらないが、青年のやりきれない日々がずっしりと重い。

あと、タイトルいいね。この内容にこのタイトルをつけるのはたいしたもんだ。

景気のいい時代にもこういう人はいる。っていうか、景気のいい時代に設定してあるからこそ、この暗さが活きているんだろう。

「水を飲む男」「ラッキー小泉」は動画みつからず。たぶんこの週は見てない。



"920709@似顔絵の女 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/IlhlTmPPVN

「似顔絵の女」見た。
──女性と別れて意気消沈している主人公(錦織一清)のまえに、謎の似顔絵描きがあらわれる。またたく間に顔を描いてよこすが、知らない女の顔だ。それからすぐに、会社にその顔の女が配属されてくる。──

よくわからない終わり方だったけど、女が空からふってきたということなのか。だとすると雑だなあ。なんとなく、絵描きに金を払わなかったことが関係しているような気がする。
最初の似顔絵にでてきた橘っていう女の子がかわいかったな。



"世にも奇妙な物語 DOOR"
https://t.co/CRpoayTUIi

「DOOR」見た。
──交際している女性が暴力団の組長の娘で、男は組の者に捕まって二つのドアのある部屋に監禁される。赤いドアと青いドア。どちらかに爆薬が仕掛けられている。「赤いドアを」のメモが落ちている。男は二つのドアの前に苦悩する。──

印象のある話で、ドキドキしたのを覚えている。
今はそれより、序盤の無理矢理な展開が気になる。すぐ気絶するスプレーとか。
でも男の決断はこれでいいと思う。バッドエンドにも見えるが、きもちのいい最後だと思う。

「顔色」「完全犯罪」は動画みつからず。



"920806@待ちぶせ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/oakT06c5Ol

「待ちぶせ」見た。
──主人公(小堺一機)は小学校のころに年上の三人組にいじめられた記憶がある。会社のなかで、通勤の道で、あらゆる場所で三人組に待ち伏せされているような恐怖を感じ、生活に支障をきたすまでになる。主人公は彼らが現在どうしているか突き止めようとする。──

小堺さんがいじめられっ子っぽく見えてくる。キャスティングの妙だ...
http://mk7911.blog74.fc2.com/blog-entry-3990.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c5

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
6. 中川隆[-12128] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:30:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年10月23日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベスト10を決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"隣の声 世にも奇妙な物語"
https://t.co/BXKCs1KKxK
「隣の声」見た。

──主人公(松下由樹)は一緒にユーミンを聴く恋人がいたが、別れる。悲しみながら部屋でユーミンのレコードを聴いていると隣から音がする。レコードに傷が付き聴けなくなる。レコードを捨てるが、捨てたはずのレコードの音が隣から聞こえてくる。──


ここから1993年。当時レコードはもう珍しいものになっていたと記憶している。

うるさいはずの隣が空室だったとか、壁から手がでてひっぱられるとか、ありがちではあるが、それでもけっこう怖いよ。歪んだユーミンもだけど、ヴァイオリンの音もこわい。
「翳りゆく部屋」っていい歌だな。

「非常識宴会」動画見つからず

"世にも奇妙な物語 心の声が聞こえる"
https://t.co/9B1TJZQLfS

「心の声が聞こえる」見た。
──主人公の女子高生(内田有紀)が買った石には、人の心を読む不思議な力がある。
そんなある日、乗ったエレベーターが故障して男と二人で閉じ込められる。男の心のなかには殺意が感じられた。ニュースで話題になっていた、女子高生ばかり狙う連続殺人鬼が頭をよぎる──

ここから1994年。
この話、この番組の第一回の最初の話「恐怖の手触り」に似ている。オチまで同じだ。エレベーターではなく、車の中だったが。
援交やブルセラの話がでてくるが、この頃だったか。女子高生を特別視する風潮もこの頃からなのか?

ガード下の出来事、ラブチェアー、いじめられる女、は動画見つからず。1993年のぶんがあっという間に終わった。

"世にも奇妙な物語「ルナティク・ラヴ"
https://t.co/WhwLpE2vk0

「ルナティック・ラヴ」見た。
──主人公(豊川悦司)は一人の女性を一方的に愛していて、公衆電話からかけたり、家に近づいたり、彼氏の車のフロントガラスを割ったりしている。また、女性と彼氏について情報を集めている。──

うっかりコメント欄を先に見てしまって、岩井俊二によるストーカーを題材にした作品だと知ってしまった。当時はまだストーカーという言葉も広まってなかったと記憶している。
あらすじにすると消えてしまうが、電話の間だとか雨だとかが効果的だ。演技力がある。

なんでユミを殺す必要があったんだろ。
まあ必要はなくても、そうすることで主人公が一途でアブナイ奴だという感じはでる。
ああそうか、本命の彼女を忘れさせようとしてきたんだよな、ユミは。それが主人公には許せなかったのか。暴力でしか表現ができない男なんだな。

それより「言葉の戦争」の動画がなかったのが残念だ。見たかったなあ。カタカナ語が使えなくなって、漢字まで使えなくなる世界が描かれるんだよな、たしか。

"世にも奇妙な物語 にぎやかな食卓  (いしだ壱成)"
https://t.co/OiTDUd0Poq

「にぎやかな食卓」見た。
──大学受験をひかえた主人公(いしだ壱成)にはにぎやかな家族がいた。大学合格祝いのあと、家族がだんだんいなくなっていく。お姉ちゃんは留学で、おじいちゃんが入院で、お父さんは出張で。不安なそのころ、主人公は衝撃の事実を知らされる。──

これ覚えてた。見終わってから振り返ってみると、いろいろ腑に落ちる。タモリの前置きも響いてくるし、合格祝いの大げさだったこと、外国に行ったお姉ちゃんに会いにいこうとするとうまくいかず手紙を書くのも強く止められた理由もわかる。入院のベッドがからっぽなあたりでオチがわかった。

ほんとに絵に描いたような仲良し家族で、見ていて気持ちいいくらいだった。

考えてみればオレは高校に入りたてのころに家族が危うい時期があり、その思い出が重なって、なかなか心に響いてくる話だった。
せつないが明るい終わりかたもいいなあ。

"世にも奇妙な物語 罰ゲーム"
https://t.co/kgYxwNr6kU

「罰ゲーム」見た。
──友人の姉貴(永作博美)から、ゲームをやろうと言われて一緒にやる。それは、サイコロを振って、出た目の少ないほうがあらかじめ紙に書いた罰ゲームをするというものだった。姉貴が書いた「罰」とは。──

たぶんこれはテレビで当時見た。
永作博美の、サディスティックで無邪気ですこしセクシーなキャラがすごくて、それを見る回だな。逆立ちみたいな間抜けな罰ゲームをしてるのも見てみたかったけど。

ふたり、転校生、時間よ戻れ、ある朝パニック、指名手配の男、かげふみ、は動画なし。
「ふたり」は中学二年のころに見て刺激を受けた。当時書かされていた「生活ノート」にこの作品のことを書いて先生に提出したのを覚えている。

"096 1994 기묘한 이야기 94 칠석 특별편 시간의 여신「時の女神」"
https://t.co/NVVkV28cwB

「時の女神」見た。
──主人公の男(柳葉敏郎)が小学生のときにあらわれた白い服のすてきな女性(水野真紀)は、同じ姿でその何年も後にもあらわれる。ふたりは結婚する。彼女は、過去や未来に行くことができるという。──

水野真紀の「女神」っぽさがまぶしい。服の白さのせいもあるだろう。これの前の「罰ゲーム」の永作博美とは対照的だ。
七夕の笹があまり効いてないようだが、七夕に放送されたものだから、その意味ではあっていいものなのだな。
最後に再会したのはいいけど、このあと人生の目標を見失ってしまわないか心配してしまった。娘が生き甲斐になるのかな。

"世にも奇妙な物語 出られない"
https://t.co/LvLmVDzw79

「出られない」見た。
──主人公(斎藤由貴)は田舎の彼の家に行く途中で電話ボックスに入るが、そのままドアが開かなくなり出られなくなる。カードは使えず小銭がない。炎天下の田舎道、人通りも少ない。緊急ボタンは反応しない。──

たまにある、田舎の話がなかなかいいんだよな。いつか見た「開かずの踏切」もよかったし。
閉じ込められる話ってけっこうあるけど、これはコミカルにつくられている。
汗だくの斎藤由貴がいい。
あと、動画のコメント欄よかった。みんな勝手なこと言ってて。

「恐竜はどこへ行ったのか?」動画なし。

"世にも奇妙な物語 思い出を売る男"
https://t.co/9b60B3RvN2

「思い出を売る男」見た。
──主人公(小堺一機)はリストラされ、借金の催促に追われている。思い出を買い取る研究所があると知り、そこで初恋や甲子園の記憶など次々に売り払い、やっと借金を完済する。そんなある日、離婚した妻から子供が重病だと知らされる。さらに多額の費用が必要になる──

これは覚えてる。生活がつらそうだったから、つらい話として覚えてた。いい友達がいるんだし、あたらしい仕事についてもよかったんじゃないかなあ。そこで歯止めになったんじゃないか。
主人公も借金とりも封筒のお金をちゃんと確認しないのが気になる。
絶望のふちから立ち直る結末は感動的だが、このあとちゃんとやっていけたのかは心配になる。

小堺さんは、「モルモット」「待ちぶせ」「思い出を売る男」と三話でている(もっと出てるかも)。「待ちぶせ」は忘れられない記憶や思い出してしまった記憶に苦しむ話だから、かなり対照的だ。
思い出を売ったから忘れてるんだ、と他人には絶対言わないよね。手術費用もそうだけど、自分ひとりで抱え込むタイプなんだろうな。そこが見ていてかわいそうなつらいところだ。

「君だけに愛を」動画なし。
1994年ぶんおわり。次から1995年。

"95冬@ブルギさん /世にも奇妙な物語"
https://t.co/X2o1bbhlB7

「ブルギさん」見た。
──主人公(田原俊彦)は、ゆずってもらったバッジをつけて「ブルギさん」になる。それから多くの人にもてなしを受けるようになる。祈る人、泣く人、もてなすことで救われたという人があらわれる。ブルギさんとはなんなのか、考えるのをやめたころに、ある招待を受ける──

これは覚えてた。途中でエッチなところがあるから特に覚えていた。
「ブルギさん」がなんなのかわからない「ズンドコベロンチョ」的なところから、一生ぶんの幸福を前借りする「銀行振込」っぽさに移る、このドラマらしさのある話だった。

こういう宗教はちょっとありそう。多くの人が知ってたんだから、でかい宗教なんだね。
月への生け贄って言ってたけど、白くて丸いバッジは満月を意味していたというわけか。

"鍵 世にも奇妙な物語"
https://t.co/ULcyO3uldL
「鍵」見た。
──主人公(江口洋介)は毎晩うなされる。医者によると、忘れている過去があるらしい。鍵を拾い、鍵を開けた先でまた鍵を拾う。鍵を通して、秘められた過去が明らかになってゆく。──

1995年の「鍵」を見たはずが、2003年の「鍵」を見てしまっていた。同じタイトルで中身は違う。
なんかあたらしい感じがしたんだよなー。特に女の子が90年代っぽくないというか。
でもこれはこれですごく面白かった。どきどきした。
あしたこそ「鍵」をみる。

"95冬A鍵 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/VnCUf3GJo4

「鍵」見た。
──主人公(松雪泰子)は一人で夜道を帰る。途中で鍵をなくしたことに気づき、交番に寄る。交番の引き出しに自分の鍵があるように見えるんだが、邪魔されて確認できない。不動産屋で鍵をもらって帰って留守電を聞いているときにそれは起こる。──


前半は音がおかしい動画だ。

何が起こるというわけでもないのに、しずかに気味が悪い。
でもこういうことはちょっとありそう。なくしたものを、あるはずのない場所で見つけてしまうことは。

あまり話がまとまっているように見えないのがかえって不気味だったな。わかりやすい異変がない。なにを見せられているのかという気にもなる。
どこから始まっていたんだろう。警官が悪だとしたら、交番に来るのを見越してわざと鍵を奪ったのか。
出てくる男性みんなが悪者に見えてくるのは「すてきな休日」に似ているが、これはもっと抽象的だ。

こういうもやもやした話、いいね。

"そのボタン押すな 世にも奇妙な物語"
https://t.co/GB32LTpBMq

「そのボタンを押すな」見た。
──主人公(西村雅彦)が連れてこられたせまい部屋。何もないが、「押すな」と書かれたボタンだけがある。彼はボタンを押したくなるが、我慢する、だがやはり押したくなる。彼はついにボタンを押す。すると──

7分くらいの短い話。西村雅彦の怪演。部屋に入る前から様子がおかしいが、どういう設定なんだろう? コントみたいなオチだ。

博士のあごひげがおかしい。もっともらしく見せようとしてつけたヒゲなのだとしたらセンスがない。
とぼけた男の質問が真実を言い当てているのがおもしろい。真実の解明には、厳密な実験だけではなくて、エラーみたいなものも必要なのかもしれない。

"友子の長い朝"
https://t.co/QAFjXn0VoM
「友子の長い朝」見た。

──主人公の友子(ともさかりえ)は、朝礼に遅刻してしまう。朝礼にまぎれこむ方法を考え、遅刻の言い訳を考える。考えに考えた、友子の言い訳はなんと、──

完全にひょうきんな、たのしい明るい作品。この想像力はなにかの分野では役に立ちそうだなあ。
たしかに高校生のころって、ちょっとしたことですごく想像力をはたらかせたりしたもんだ。だから、大袈裟だとは思うけど、たのしく見れました。

「夢のつづき」動画なし

"トイレの落書き 世にも奇妙な物語" https://t.co/zcvdlmu0MH

「トイレの落書き」見た。
──主人公(木村拓哉)は深夜の駅のトイレに閉じ込められてしまう。出られない。トイレには気味の悪い落書きがたくさんある。そして、落書きの内容が本当に起こる。──

けっこう怖い話だ。「溺れて苦しめ」も怖いし、「この壁に死んだ女が眠っている」も怖い。
トイレがきたない。閉じ込められる系の話のなかでも、この状況になりたくないと思わせる力は強い。

"笑う頭脳 世にも奇妙な物語"
https://t.co/o4EDG8LYbz

「笑う頭脳」見た。
──パソコンを使った凶悪犯罪を犯していた男(佐野史郎)が自殺しているのが見つかった。刑事(橋爪功)がしらべていくと、脳を移植する女医(鷲尾いさ子)が捜査線上に浮かび上がる。パソコンで病院患者を人質をとり五億円を要求する卑劣な犯罪がおきる──

刑事ドラマだな。橋爪功はこういうのが似合う。脳を移すってことは、移される側の人がもっていた脳はどうなっちゃうんだ。死ぬのか。
ドジを踏んで捕まるような内容だったら気持ち良かっただろう。未解決でおわるから刑事ドラマではなく世にも奇妙な物語の枠なんだろう。解決するかしないかがドラマのジャンルを分けている、とみた。

"世にも奇妙な物語「友子の長い夜」ともさかりえ" https://t.co/JjDQTJmAK5

「友子の長い夜」見た。
──友子(ともさかりえ)はテストのために一夜漬けをこころみる。計画表をつくると、部屋が汚いことが気になり、掃除をする。片付けて家具の位置を変える。出てきた漫画に読みふけり、うどんをつくる。時間は刻々と過ぎてゆく。──

「友子の長い朝」と同じシリーズだ。こういうシリーズものは珍しい。勉強しようとするとほかのことしちゃうのはありがちなところだが、徹底させることで「あるある」が「ないない」まで突き抜けることができる。

「地図にない町」「23歳の老人」動画なし。
「世にも奇妙な物語 23歳の老人」というタイトルの全く無関係な動画があった。

"地獄のタクシー(佐野史郎)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/Og8yIdbDcl

「地獄のタクシー」みた。
──主人公の医師(佐野史郎)は、患者を実験のための道具とみなし、命をないがしろにしていた。ある夜タクシーを呼ぶと、不気味なタクシーがくる。財布を忘れて病院へ戻ると、そこは誰もいない。かつて亡くなった患者があらわれ苦しみを訴えてくる。──

始まりかたを見ると、なにかホラー映画が下敷きになっているようだ。
足を切断されるおばあさんの叫びは覚えてた。手術のくだりは痛そう。なかなかの怖さ。

佐野史郎は「笑う頭脳」で出てきたばっかりだ。といっても半年たってるんだな。オレには二日だけれども。

"95秋C殺人者の高橋さん /世にも奇妙な物語" https://t.co/Lc2NmxLmQv

「殺人者の高橋さん」見た。
──主人公の夫婦(布施博と石田えり)は借金取りを殺してしまう。その翌日から「殺人者の高橋さん」と呼ばれるようになる。ぎょっとするが、ほかのひともみんな同じように汚点が肩書きになっていて、それを気にしていない。──

「心から楽しんでいただけているか心配です」とタモリが前置きしてたのはなんだったんだろう。「殺人者」と心になくても言ってしまう世界への伏線ととらえればいいのか。

「どーなってるの!?」って古いなあ。これが、いいタイミングで使われている。
こういう世界はおもしろいなあ。オレはなにを名前の上に乗せられてしまうんだろうなあ。


今回おもしろかった話10

1 にぎやかな食卓
2 隣の声
3 鍵
4 地獄のタクシー
5 トイレの落書き
6 思い出を売る男
7 ブルギさん
8 罰ゲーム
9 出られない
10 友子の長い夜

つまらなかった話
1 心の声が聞こえる


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【こっちもおすすめ】
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。


角川「短歌」2018年9月号の荻原裕幸さんの歌壇時評の感想すこし
https://t.co/CzRqDYixti

「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
https://t.co/9LDZrsWmr0

【2】
https://t.co/lcoeLM1kt6

【3】
https://t.co/f993MV2JHS

【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a

【5】選考座談会・後編
https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f6

2018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。


などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c6

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
7. 中川隆[-12127] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:31:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年11月09日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベスト10を決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"96冬C先生の「あんなこと」 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/H7Nqv835nO

「先生の「あんなこと」」見た。
──教師である主人公(西村雅彦)は悪事がおこると生徒にカマをかけて謝らせる。叩いてホコリのでない生徒などいないからだ。
万引きをした女子生徒が、主人公の「あんなこと」を知ってると言い出す。主人公はパニックにおちいる。──

いやな先生がだんだん弱い滑稽なものに変わっていく様子がおもしろい。誰だかわかんなかったけど西村雅彦だったのか。演技うまいよなあ。
財布を蹴って拾うやつは意味わからなかった。

マエストロ、追っかけ、赤ちゃん教育ソフト、ザ・ニュースキャスターは動画がない。
1996年にはいった。

"96春@ミッドナイトDJ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/64IivAWy0a

──主人公のラジオDJ(石黒賢)は番組でリスナーと電話をつないで過激なトークをしている。17歳の不登校の少女に、お前はもう手遅れだと言い放つと、少女は主人公に感謝し、会いたがる。あるとき、主人公のことが見えるという男と電話がつながる。男の言うことはつぎつぎに的中する。──

とても面白かった。ラジオ局ってよく知らないから興味ある。こんな毒舌の番組も聴いたことない。あったら聴くかも。それだけですでに面白い。

菅野美穂がいい役をやっている。ラジオを聴いて自殺したってことだよな。そりゃ化けて出て番組を下ろされてもしょうがないわけだが、
そこですっきり終わらないのがこの番組らしいところだ。番組を下ろされたから、番組を荒らす電話をするようになるわけだが、だったらそのまえにかけてきた男は何者だったのかという謎がのこる。その前のDJだったりするのか?

「熊の木本線」動画なし。

"受験生(工藤正貴)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/Z5Cee7Fyof

「受験生」見た。
──成績不振になやむ主人公が、「エジソンバンド」を手に入れる。頭に巻くと、頭がよくなる。ただし、ほかの願いごとをしてはいけない。主人公はエジソンバンドで好成績を連発する。だが試験当日、鉛筆が折れたり気が散っておもうようにいかない。──

BGMがエレベーターアクションだ。エレベーターを上がったり下がったりするのが、受かるか落ちるかの受験生に重なってくる。
それはいいんだけど、ほかのBGMも主張してきてどうも話に入りづらい。
なーんか安っぽいんだよな。
しょうもないオチだけど、呆然としている描写はなかなかいい。

これはけっこう初期の話だ。古い見逃したやつの動画が上がってきているので、そちらを見始めた。あとまわしにすると、いつ消えるかわからない。
動画がなくて見逃している話が110話くらいある。多い。それらがアップされているのを見かけたら、古いほうから優先的に見るようにする。

"ボロボロ(三田村邦彦)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/Bzq2u8JVMA

「ボロボロ」見た。
──主人公(三田村邦彦)はうだつのあがらないサラリーマン。五百万を着服した疑いをかけられ、誰かにつけ狙われ、主人公はノイローゼになる。愛想をつかし妻はでてゆく。彼の慟哭は、やがて哄笑に変わる。──

最後のほうがよくわからなくてあらすじサイトを見てしまった。
電話線をちぎるとかゴミ捨て場を荒らすとか、なかなか迫力あった。

"柵(小林克也)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/GfGfynXZoE

「柵」見た。
──部下と上司のはざまで仕事に苦労している主人公(小林克也)は帰り道に柵に顔がはさまって抜けなくなってしまう。たちの悪い通行人の男(間寛平)に財布をとられ、工務店の男(佐野史郎)にチェーンソーで襲われる。柵に顔をはさまれながら、主人公は人生に思いをはせる。──

伊東四朗が主演だと記憶していたが違った。記憶ってあてにならないなあ。佐野史郎がまた出ていた。なんか多くない?「笑う頭脳」「地獄のタクシー」「バカばっかりだ!」まだあったかな。

これも出られなくなる系の話だ。出られない話にもいろいろバリエーションがあるもんだなあ。
解決してるのかしてないのか、妙な決着なのがおもしろい。

「社会にがんじがらめにされている」という読みができるんだな。となると、「こんなところで死にたくない」と火事場の馬鹿力で脱出することにも、なにかの意味がくわわってくる。

"ビデオドラッグ(古村比呂)【世にも奇妙な物語】" https://t.co/UhRd3BB42e

「ビデオドラッグ」見た。
──心理学の無意識の領域について研究し教えている主人公(古村比呂)。学生たちのあいだで「ビデオドラッグ」というビデオがやりとりされている。それを見た学生たちが次々に事件を起こす。ダビングされたビデオドラッグには「コロセ」という信号が含まれていた──

特徴的な音と映像だったし、目を切るのがイヤで覚えていた。この刑事は車だん吉?
YouTubeでビデオドラッグみたいなのあるなあ。気持ちよくなれるとかっていうの。オレは特になにも感じないけど。

なにかに関わった人がつぎつぎ死んだり不幸になる系の話ってあるな。「心霊写真」も見た人が死んでいく話だった。「テレフォンカード」も。「サブリミナル」も。

"行列(世良公則)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/BY1iw9odXv

「行列」見た。
──主人公(世良公則)は長い行列を見かける。最後尾の人に、なんの行列かをきくと「例の」という。後ろからすぐ人がきてならぶ。行列が伸びてゆき、ちょっと電話しているあいだに最後尾が見つからなくなる。最後尾へ行くためのタクシーがあらわれる。──

かなり「奇妙」度が高いと感じる。「ズンドコベロンチョ」とか「ブルギさん」とか、不可解なものに巻き込まれてゆく話は好きだな。
行列の前後の男女がくっついてはなれなくなること、謎のタクシー、蕎麦屋にかわっている男。行列とはなんなのか、考える余地がおおいにある。

「例の」ではなく「霊の」なのかと思った。人生は死を待つ行列なのだ、みたいな意味があるのかと思った。

"逆探知(橋爪功)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/wRszASxcsY

「逆探知」見た。
──刑事(橋爪功)らは、奇妙な誘拐事件の捜査をする。亡くなっているはずの子供が誘拐され、2000万を要求される。子が亡くなったのを信じない母だけでなく、父親までがその声を電話ごしに聞く。逆探知に成功し、捜査員が犯人の家に行くと、そこにいたのは、──

「笑う頭脳」と同じく、解決しない事件に橋爪功が演じる刑事が巻き込まれる話。
骸骨をゆさぶる老婆のところだけは怖くて覚えていた。こわいだけじゃなく、「もうひとつの現実」ということを考えさせられる。

"ラッキー小泉(山下真司)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/2PDUX9tAvS

「ラッキー小泉」見た。
──ラッキー小泉と言われるほど運の強い小泉(山下真司)の会社へ、運の悪い「万年勝造」がやってくる。それからというもの、小泉には不運なことが続けざまに起こる。万年が茶柱がたったと大喜びした日、小泉は「消えちまってください」と頭を下げる。──

コメディータッチの軽い作品だ。運と不運のぶつかりあい。
紙をやぶる場面が三回あり、それが気になった。

"赤と黒(岸本加代子)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/lEiEBg27ek

「赤と黒」見た。
──町を走っている男、時限爆弾のしかけられた部屋に囚われている女。──

三分しかない、珍しい作品。これが短くて、つぎの「マジシャンのポケット」が長かったのは覚えてる。
これだけではよくわかんないんだけど、男と女が関係なかったってことなのか。

ネタバレのサイトを見てきた。「赤と黒」が服の色なのは分かってたけど、「チコク」が赤い文字っていう指摘はなるほど。

"なんなのォ!?(泉ピン子)【世にも奇妙な物語】" https://t.co/niR5hz1bfS

「なんなのォ!?」見た。
──主人公(泉ピン子)は、どんくさい夫と息子に嫌気がさしている。となりのかっこいい旦那さんと秀才の息子と入れ替わってしまえばいいのにと、言いながらうっかり階段から落ちてしまう。すると、となりの息子さんがただいまと言って入ってくる。──

願ったら叶ってしまったけど、叶わない方がよかったという話。「シャドウボクサー」「笑いの天才」とかの系統。
どんくさい夫が蛭子さんだ。泉ピン子もさすがのいい演技をしている。
オチが読めてしまった。そこからもう一回なにかあるかと思ったら、なにもなかった。

"トラブル・カフェ(今井雅之)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/BkZNN5yrGr

「トラブル・カフェ」見た。
──超能力がつかえる兄弟は、その能力をコントロールできないために苦しんでいる。喫茶店にくるが、さわれば人の過去が見えるし、コーヒーが豆に戻ったりする。そこへテレパシーで話しかけてくる男がいる。強大な能力をもった男だ。──

これは録画して何度か見たと思うんだけど、部分的にしか覚えてない。コーヒーが豆に戻ったり、アイスコーヒーが沸騰するのは覚えていたけど、あとは覚えてない。
「常識酒場」の続編だな。ほかの能力者がでてきて面白くなった。

動画のサムネイルがタモリなのがめずらしい。YouTubeでこのドラマを長く見てきたけど、初めてかも。
この冒頭のタモリのトークも覚えてた。正義はしちゃいけないことばかりだが悪はそれがない。それで正義はほんとうに悪に勝てるのか。

"ニュースおじさん(大竹しのぶ)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/IL96g4nTEt

「ニュースおじさん」見た。
──主人公(大竹しのぶ)はテレビのニュースの現場にいつもいるおじさんに気づく。カメラマンに看板がおちてくるニュースの現場でおじさんとニアミスし、それからニュースおじさんを街で見かけるようになる。夫とドライブすると、後ろの車におじさんが乗っていた──

まず「ミス吊り橋」ってなんだよ。
テレビの隅にいた人が無言でどんどん近づいてくるところに怖さがある。存在に気づいたからニュースにして消されたのだと考えてみるのもいいな。
無名のころの篠原涼子がでているとコメント欄で話題になっていた。

"蟹缶(高田純次)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/dtt9VKfJSq
「蟹缶」見た。

──主人公(高田純次)の店に強盗が入る。強盗は蟹缶ひとつを盗んでいく。いい加減な態度の警察に対し、主人公は150万盗まれたと話す。大事になり、主人公の運命は悪いほうに転がっていく。商工会とトラブルになり、移転予定先がなくなる。ある夜、犯人が蟹缶をもってくる──

岩井俊二作品なんだね。高田純次の演技がとてもいい。強気ではねっかえりな店の主人を見事に演じている。
途中できれていたのであらすじサイトで結末を確認した。床屋の感じ、商工会の人々、警察。脇役もいい。

"96春B怪我 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/gtMrYHgNTo

「怪我」見た。
──夫(今井雅之)が帰宅すると妻(鷲尾いさ子)は全身に怪我をしている。階段から落ちたという。その後、妻の妊娠がわかり、夫は喜ぶ。交通事故の被害者が消えるという事件が起こり、警察がくる。その話のあいだに妻の体に傷があらわれたり消えたりする。──

怪我が出たり消えたりする不思議な体の女の話。感動的な台詞のあたりで動画の音声がおかしくなる。一番いいところなのになー。そこが聞けないので良いとも悪いともいえない。
今井雅之、けっこう出てくるなあ。「トラブル・カフェ」で見たばっかりだ。

「年功不序列」動画なし

"世にも奇妙な物語 不定期バスの客 【 中居正広】"
https://t.co/WoTRj8iRCS

「不定期バスの客」見た。
──コンビニで店員を刺してしまった主人公(中居正広)はバスをさえぎって停めて、乗る。乗員乗客に刃物をつきつけてバスジャックするが、乗客の様子がおかしい。妙にみんな落ち着いている。みんな名札をつけている。彼らは何者でこのバスはなんなのか。──

いつものよりちょっと長め。見ごたえあった。中居くんが窮地に追いやられる様子がなかなかよかった。演技が下手とは思わなかったな。
宇宙塵の人、この人だけでもストーリーができそう。

"(怖い)世にも奇妙な物語" https://t.co/jWHpECBL8J

「壁の小説」見た。
──連続殺人事件の捜査をしている刑事(大塚寧々)は、事件そっくりの内容の小説が壁に書かれた閉鎖病棟に閉じ込められる。壁いっぱいに書かれたことは現実となる。小説を書いたのは院長としてここへ案内した男だとわかる。──

このへんから全然おぼえてない。見てない話ばかりだ。番組を見るのをやめたんだろう。ドラマの方向性もなんかオレの知ってる「世にも奇妙な物語」から変わっていってる。いまどきのドラマっぽく感じるが、それでもまだ1996年かー。

興味深い内容だったが、殺人鬼のくだりで変だと思い、男が草原で抱かれるあたりでバカバカしくなって目をそむけてしまった。
書かれたことが現実になるのは、キムタクの出てた「トイレの落書き」もそうだった。

「のどが渇く」動画なし

"世界奇妙物語 - 1996秋 - 公園初登場"
https://t.co/BVaI49ZJiQ

「公園デビュー」見た。
──引っ越してきた主人公(鈴木保奈美)は娘といっしょに公園にいくが、様子がおかしい。服装は決められていて、場所も決められていて、オモチャの持ち込みは厳禁。戸惑っていた主人公だったが、徐々に公園のルールに溶け込んでゆく。──

そこそこ面白いけど、23分もかけるほどの内容かなあ。15分でピリッとした話をやってきたのを見てるから、間延びしてるように見える。
素通りする男性が、結局べつになんでもなかったのがいい。モニュメントも馬鹿馬鹿しさに拍車をかけていて良かった。それにしても音楽で感動させようとしすぎだろう。

"世にも奇妙な物語 ゴリラ (勝俣州和)"
https://t.co/ov4b8v1I6I

「ゴリラ」見た。
──日中友好のしるしに来日した幻の白ゴリラのオスとメス。そのオスが危険な状態にあり、影武者として主人公(勝俣州和)が政府に選ばれた。着ぐるみのバイトの感覚でゴリラとして仕事する主人公。だが本物のゴリラが亡くなる。皮膚を移植され、主人公はゴリラとして中国へ──

特殊な内容で、展開が読めなかった。オレはてっきり、メスのゴリラも人間だったというオチになると思ってた。抱き合うところはギャグみたいだったが、最後きっちりしめたね。なかなかの傑作。

"恐怖のカラオケ歌合戦 世にも奇妙な物語"
https://t.co/EpAqAnxvaP

「恐怖のカラオケ歌合戦」見た。
──カラオケが下手でさんざんバカにされた男が、同じメンバーを研究室に監禁してカラオケ大会をおこなう。研究室の巨大植物は音楽が大好きで、歌の下手な者を呑み込んでしまう。──

しょうもなかったな。つまらない。見てられなくて途中で本を読みはじめた。
みんなで媚びて命乞いをするけど、オレは怒りたくなった。そんなことして楽しいかと。同情はするけど、やられた以上のことをやりかえす、それも自分以外の力でそれをやるのはいきすぎだろう。
それに植物の判断基準もわからんよ。けっこううまい人も食べちゃってるし。

どうしちゃったんだ、世にも奇妙な物語。持ち直してくれ。

"世にも奇妙な物語 テレパシー・ラブ"
https://t.co/mGWKTpOMzt

「テレパシー・ラブ」見た。
──主人公(水野真紀)と会社の上司の松下(生瀬勝久)はテレパシーがつかえる。松下は家庭を持つ身でありながら主人公にテレパシーで言い寄る。迷惑をかけない割りきりの関係ということで松下を受け入れるが、ある夜、主人公は松下がほかの女といるところに出くわす──

最後のほう、なんかごちゃごちゃしてよくわかんなかったよ。妻、主人公につづく第三の女が家を燃やそうとしていて、それを回避するために刺したってこと? なにも刺さなくてもよくない? 結局燃えちゃったわけだし。

男もテレパシーがつかえるなら、自分のフロッピーの場所はなんでわからなかったのか。
弁当ってなに? 気持ちわるい。あんな男いる?
「テレパシー」がなんなのか、わからなかった。声に出さずに会話する力なのか、未来予知なのか。予知するわりには不幸になるし。

それにしても水野真紀はよかった。超能力者っぽかった。

っていうか、テレパシーあんまり関係ない気がする。
男がひどい奴だったっていう話じゃないかなあ。妻にもきっと猛アタックして飽きたんでしょ。主人公にも猛アタックして飽きたんでしょ。それで三人目に猛アタックしたんでしょ。

"世界奇妙物語 - 1996冬 - 2040年的耶誕夜"
https://t.co/P4gWK2Zp1n

「2040年のメリークリスマス」見た。
──漫画家を目指しながら警備員をしている主人公に、たびたび「おじいちゃん」と呼びかけてくる電話がかかってくる。イタズラだと思っていたが、火事を言い当てたことから話をするようになり、孫が2040年からかけている電話であることを知る。──

これはいい話だったなあ。未来がないと思っていた主人公を孫が励ます。あきらめかけていた漫画、あこがれの女性。ふさがっていた状況が電話でひらけてゆく。せつなくも前向きなラスト。

"97春@完全治療法 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/fGzAjGAWwm

「完全治療法」見た。
──主人公(武田真治)が目覚めると、2020年の病院だった。末期ガンの治療法が見つかると信じて20年の冷凍睡眠をしていたのだ。だが2020年になっても治療法は見つかっていない。だが臓器移植が発達していて、クローンからの臓器移植という方法がある。──

ここから1997年の放送分。
いま2018年だけどたしかにガンの治療法はないなあ。患者である主人公が疑って病院内を歩き回る話、どっかで見たなあ。「ロンドンは作られていない」だったかなあ。

なかなか面白かった。自分がクローン側だったっていうことだよな。記憶が戻ってこない点はそれで納得できる。
看護婦さんがきれいなようだったが画質も悪いしカメラが近くにいかないから残念。

音声が終盤おかしくなるのが残念。タモリの言うとおり、たしかに三人は「いかさま師」だ。いかさま師というのは、一枚しかないはずのカードを複数枚もっているものだが、クローンもそういうところがある。

"世にも奇妙な物語 管理人"
https://t.co/ahLKGsXzYY

「管理人」見た。
──主人公(松嶋菜々子)が引っ越してきたマンションは決まりがきびしい。ごみの分別、騒音にたいして、隣人がたずねてくるばかりでなく、電話が鳴りやまず、ファックスも止まらない。主人公は管理人に会おうとするが、どうしても会うことができない。──

松嶋菜々子がきれい。このころ井上陽水奥田民生の「ありがとう」流行ってたんだな。ファックスがでてくる話は初めて。

途中まで不可解でなかなかよかったが、最後の豹変は納得いかない。それに、あの黒電話はなに? 階段で人が死んでただで済むだろうか?
「ゴミが捨てられない」という話が初期のころあって、それをもっとちゃんと怖くした感じだな。あれは冗談みたいなしょうもないラストだった。
しかしこっちだって、ラストはそうとう無理矢理なところがある。

取り決めといえば「公園デビュー」も取り決めの厳しい話だった。あれも、支配される側から支配する側になる話だった。でもあれは子供がいたし、同じように追い出された人がいたから解決できた。
「管理人」の場合は孤立無援なのがつらいところだ。

"世にも奇妙な物語「扉の先」椎名桔平"
https://t.co/kz8N77P0Um

「扉の先」見た。
──死刑囚の男(椎名桔平)が別の死刑囚の男(今井雅之)に、死刑になるときどうなるかの話をする。普段は引きずるような足音で来る看守が、かかとからこつこつと足音をさせて近づき「移送」と声をかけて……──

また今井雅之が出ていた。
かなり面白い。歴代でもトップ10は固いんじゃないか。こわがらせてもらった。演技のうまさもあるんだろう。
しかし粗末な食事だなあ。せめてこぼれないように出してほしい。
異様に再生数が多いんだけど、それも納得できる。

"懐かしのTV 1997.03.31 世にも奇妙な物語 私に似た人 西村雅彦 タモリ"
https://t.co/HcrDUhoY9c

「私に似た人」見た。
──主人公(西村雅彦)は仕事で忙しい毎日を過ごしている。身に覚えのないことを言われることが増えて、自分そっくりの人を見かけるようになる。そっくりな男を追いかけていくと、音楽スタジオに入る。そういえば学生のころに自分はジャズをやっていたのだった──

西村雅彦もけっこう出てくるなあ。
「もぬけの殻」って感じのヒョロロロ〜♪ っていう音が印象的。
「忙」という漢字は心を亡くすと書くっていう、金八先生みたいなことを言うサックス奏者。

学生時代に音楽やってたこと、大人になって忘れたりするかなあ。覚えてるけどなあ。
あと、書斎が立派だった。どんな本を読むのか気になった。岩波文庫があったようだが。
途中まで、どっちに転ぶかわからないのがハラハラした。怖い方向にいきそうで。だから最後は安心した。よかったね。

"世にも奇妙な物語 ウィルス" https://t.co/hb4HOeIagG

「ウィルス」見た。
──主人公(広末涼子)は留学から帰る飛行機のなかにいた。とつぜん防護服を着た何者かが入ってきてガスを放ち、みんな意識を失う。主人公が意識をとりもどすとなにもない部屋のなかにいた。出られない。まだやりたいことはいっぱいあるのに。脱出をこころみる。──

広末涼子は初登場。広末好きなんだよねえ。うれしい。
説明がすくないので、そういうストレスはある。水がないのが一番気になった。

部屋にあるわずかなものから脱出のため・生きるためのアイデアを出して実行するところが良かった。

で、これはこれからどうなるのだろう。部屋にもどるの?

"97秋B女は死んでいない /世にも奇妙な物語"
https://t.co/vINEkvqi2D

「女は死んでいない」見た。
──銀行強盗のひとりである主人公(杉本哲太)は、目撃者の女を刺し、女を助けるふりをする。刑事に問い詰められる。刑事は女が生きていることを告げる。そこへポケベルのメッセージがくる。0310-345。これが状況を変える。──

ポケベルの数字でやり取りするっていうのがおもしろい。さかさまにするとアルファベットになるというのは考えたね。携帯電話が出てきているけどポケベルもかろうじてある、という時代かな。
女を刺す場面を官能的だと思った。
タイトルが最後に出るのが新鮮。良かった。

「無実の男」動画なし。

"世にも奇妙な物語 望みの夢" https://t.co/76pKHYfrX9

「望みの夢」見た。
──主人公(菅野美穂)は好きな男を望遠鏡で覗いてそれを日記に書いている内気な女の子。だが彼が親友のトモコと付き合っていると知る。叶わぬ恋に苦しむ主人公は、望みの夢が見られる「夢ディスク」に溺れてゆく。──

菅野美穂かわいい。っていうか、だんだん主役がかわいいとかそういう魅力の比重が高まっている気がする。
夢と現実がごちゃごちゃになる話なのは見当つくわけだけど、どうすり替えていくかが大事なところだ。

妄想が楽しそうだ。都合のいい妄想ができたら楽しいだろうな。夢でも遠慮しちゃうよオレは。

そういえば以前「夢を買う男」っていう話があったな。それと比較すると、この番組の中身の変化が見えるようにおもう。
どうやって見たい夢を見たか、どんな夢だったか、夢から覚めるとどうやっていたか。

「夢を買う男」の場合は、大金をはたいて夢を見たのだった。夢のなかでは平凡な家庭を営んでいて、現実には世界が核でほとんどやられていたのだった。
「望みの夢」は、夢は睡眠薬とディスクで手軽にどこでも見れるし、夢のなかでは都合のいい恋愛が見れて、現実は自分の性格がちがう。

夢をコントロールするにしても、夢を入手する敷居の高さがまるでちがうし。家庭や戦争の話と、恋愛の三角関係なのも、だいぶちがう。もしかするとウォークマンやCDプレーヤーの登場が関係してるのか。
同じフィクションでも、どんな話が作られるかというのはその時代を写しているとおもう。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1997秋SP 自殺悲願 (山崎努)"
https://t.co/fWLEBd8UEr

「自殺悲願」見た。
──世の中では、自殺した作家の本が売れている。作家の主人公(山崎努)は、本を増刷しても全く売れない。責任をとれと出版社側に言われ、自殺を試みるがことごとく失敗する。そんなある日、作家の自殺についてどう考えるか、雑誌から取材がくる。──

この主人公みたいなのがオレのイメージする作家だよ。古いイメージのような気がするけど、本がぎっしりたくさんある部屋で、丸めた原稿用紙が散らばっていて、風貌もしゃべり方もこんなんで。まさにこれ! って感じ。

運命は意地悪なものだよっていう話と見れば、まあいつも通りの話だ。
一種の風刺にも見えたけどね。つまり、本が売れるには分かりやすいレッテルというか、キャラ立ちが必要だという。中身じゃなくて話題ですよと。本の中身のことは全く出てこないじゃないですか。純文学であるということだけ。

売れ方も奇妙だけど、まあありそうな話だ。自分の本を踏み台にして首くくる最初の自殺が回収された、というのが特に奇妙なポイントだな。

"98春@サムライ化する男 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/YJUDoecFXB

「サムライ化する男」見た。
──主人公(香取慎吾)はだらだらした男で、いい加減な仕事をしている。会社の屋上で寝ていたら急に何かがきて、サムライのような性格になる。真っ直ぐで不正をゆるさない。会社と折り合いがつかなくなる。ひょんなことから政治家になる。──

ここから1998年。サムライの世界に迷いこんでしまう「切腹都市」の逆だな。
なんか香取慎吾っぽいと思うよ。無理のある話で。フジテレビっぽいというか。越後屋とか坂本龍馬とか「こういうのなら皆さんにもお馴染みでしょう?」というところをつまんでくる。

時代に詳しくないから、越後屋と坂本龍馬とエレキテルが同時に出てくるのがありうることなのかどうかもわからないけど、たぶん無茶なんだろうなと想像はつく。

無茶だなあと思いながらもけっこうおもしろく見て、予想のつかなかったオチだ。といっても夢オチだ。

"トラウマ 世にも奇妙な物語"
https://t.co/FB9NZjKKvF

「トラウマ」見た。
──主人公(稲森いずみ)は、自分以外の顔が認識できない。これはトラウマによるものだ。大学で教授が自殺しているところを見たからだ。精神科医は「まきもどし法」でトラウマの克服をはかる。そのときの記憶をまきもどしてゆくと、あらたな記憶がよみがえった。──

小堺さんが出ていた「まちぶせ」に似た話だ。いじめられた記憶が殺した記憶になる話だった。

「トラウマ」という言葉ってこの頃に出てきたのかな。そんなに古い言葉ではない気がするけど。

プロコフィエフが鳴りっぱなしだ。使い勝手のいい曲のようで、深刻であればわりとどんな場面でも合う。

顔が見えなくなるような分かりやすいものじゃないから精神医学ってむずかしいんだよな。
解決はしないが真実は分かったわけで、夫は悪人じゃないわけで、よかったんじゃないですか。


YouTubeで「世にも奇妙な物語」で「一週間以内・長め」で検索したら、見つからなかった話の動画が上がっているのを見つけた。この方法はつかえる。
すぐ消されてもすぐアップするわけで、それならば、アップされたタイミングで見れればいい。
今回の「トラウマ」は、二時間前にアップされたものを見た。

"98春Dそして、くりかえす /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ZW2XYukpSo

「そして、くりかえす」見た。
──主人公(内村光良)は最悪な一日を過ごす。車に水をかけられ、会社が倒産の危機におちいる。夜の12時になると朝になり、再び同じ日がはじまる。運命を変えて新しい日を歩むべく、主人公は様々に行動する。──

松崎しげるの出てた「リフレイン」みたいな話だ。あれは暴力団や殺しや冷えきった家族が出てきてつらい話だったが、こちらはもうすこしのどかだ。楽しむ余裕がある。いいと思うけどね。永遠の生を手に入れたのと同じことでしょう。

途中で音声がなくなる部分があり、彼女とのくだりがよくわからないのが惜しい。

「くしゃみ」「5分後の女」動画みつからず。


今回おもしろかった話10

1 扉の先
2 ミッドナイトDJ
3 行列
4 ゴリラ
5 柵
6 不定期バスの客
7 2040年のメリークリスマス
8 完全治療法
9 自殺悲願
10 ウイルス

つまらなかった話3
1 恐怖のカラオケ歌合戦
2 サムライ化する男
3 テレパシー・ラブ


以上です。つづく。

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【こっちもおすすめ】
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。


角川「短歌」2018年9月号の荻原裕幸さんの歌壇時評の感想すこし
https://t.co/CzRqDYixti

「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
https://t.co/9LDZrsWmr0

【2】
https://t.co/lcoeLM1kt6

【3】
https://t.co/f993MV2JHS

【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a

【5】選考座談会・後編
https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f6
2018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。


などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c7

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
8. 中川隆[-12126] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:32:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018年11月28日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。


今まで動画が見つからなかった作品がいくつもアップされていたので、今回はそれを見た。


"髪 世にも奇妙な物語"
https://t.co/azX2azF47X

「髪」みた。
──主人公(五十嵐いづみ)は失恋して「失恋美容室」という店で髪を切る。注射を出してくる奇妙な店だった。主人公は髪とともに彼の記憶をなくす。それから相手だった男は髪にたたられる。長い髪が部屋にあるせいで新しい女とうまくいかなくなり、悪夢を見て、階段から落ちる。──

1992年に戻ったわけだが、古く感じる。画質もだけど、こわがらせ方も古い。髪が首にまきつくとか、浴槽に髪が浮かぶとか。

復讐の話としてみればいいのかな。失恋を完全に癒して相手を不幸にできたんだから、完璧だ。
怖いところがあるから不幸な話として見たくなるが、考えてみれば不幸になった男はろくでもないわけだし、主人公の女性は立ち直ったんだから、ハッピーエンドだ。

お互いに記憶を亡くしたわけだけど、お互いにニコニコしてて、ここからワンチャンあるのかねっていう終わりかただ。

髪がズルッて落ちる夢、こわいね。
あと、オレは首になにかが巻き付くのを見るのがつらいので、そこは苦しい話だった。

"人形 世にも奇妙な物語"
https://t.co/CwfOye6Suz

「人形」見た。
──暴力団員である主人公(杉本哲太)はわら人形を手に入れる。人形の無事を保てば不死身になれるという幸福のわら人形。人を殺して追われる身となった主人公。人形の安全を確保するのは難しく、なかなかうまくいかない。人形を金庫の中に入れることを考え付く。──

最後は一本とられた。なるほどという面白さがあった。
杉本哲太って、笑っていいともでは無口なキャラクターだけど、ドラマではちがうね。「女は死んでいない」でも人を殺していた。


"整理癖 世にも奇妙な物語"
https://t.co/TH0lyOwE1P

「整理癖」見た。
──医師である主人公(渡辺裕之)は几帳面で整理癖がある。院内のすこしの乱れも許せない。カルテを整理するための棚をつくり、あいうえお順に並べた。しかしアで始まる名前の患者が多すぎて入りきらなくなる。主人公にはこれがなんとしても許せず、悩みの種となる。──

これは覚えてた。眼がギョロついててなかなかよかったな。

"震える愛 世にも奇妙な物語"
https://t.co/hObF9Um0Rf

「震える愛」見た。
──主人公(南果歩)には、不思議な力がある。男が自分を裏切る様子が見えて苦しくなって、感情がたかまってくると、相手の男が変死する。それを事件として捜査している刑事(西岡徳馬)は主人公が原因らしいとつきとめ、接触する。─

南果歩が好きなので、楽しみに見た。奇妙だが、悲しさと美しさがあった。
わざとらしいのは気になる。写真をばらまいてその上で寝るとか、誰が見ても刑事だとわかるような格好の刑事とその帽子とか、コンパの席の「彼女は最近悲しいことがあって落ち込んでるわ。男性軍、チャンスよ」とか。

あとは、死ぬところをもうすこし映してもよかったかも。かなり抽象的な死にかたになっている。
それにしてもこの番組にでてくる刑事は、事件を解決できない可能性が高い。解決できたら奇妙じゃないけども。

"ボタン 世にも奇妙な物語"
https://t.co/kjMIBBwu9b

「ボタン」見た。
──主人公(伊武雅刀)は、コンドルと呼ばれる殺し屋。大金を積まれ、依頼を受ける。主人公が歩いているとスーツのボタンが脚立にひっかかる。これがきっかけで連鎖が起こる。果物がころがり、ベビーカーが走りだす。──

ピタゴラスイッチみたいな作品。サムネイルの赤ちゃんがかわいい。とにかくいろんなことが起こる。人が多い。美しい姫もいれば、がめつい奥さんたちもいて、なかにはあまりドラマで見ないタイプの顔の人もいる。
どうなっていくのかハラハラした。オレはこういうの好き。

"電気じかけの幽霊 世にも奇妙な物語"
https://t.co/lZqC7LnybY

「電気じかけの幽霊」見た。
──主人公(坂上忍)の恋人レイコは感電死してしまう。それから半年、主人公にあたらしい恋人ムツミができると異変が起こる。電気系統でのトラブルが続出。亡くなったレイコがテレビにあらわれ、電気の力でムツミを呪い殺そうとしてくる。──

若くてさわやかな坂上忍が活躍する話。CGとか、なんか特撮っぽいところがあるんだけど、こういうのは技術が不足しているというか、チャチで弱いと感じる。

"お前が悪い! 世にも奇妙な物語"
https://t.co/bFI2QDVX2n

「お前が悪い!」見た。
──主人公(石橋保)は突然二人組に言いがかりをつけられる。逃げて喫茶店に入ると、飲み物がこぼれたのを自分のせいにされる。会社では部長のギャンブルが当たらないのも自分のせいにされる。どこへ行っても自分のせいにされ、警察や人々から逃げ回る。──

序盤から起こっていることが最後まで手をかえ品をかえ繰り返される。変化もないしオチも見え見えだ。主人公に演技力があるのですくわれる。

"つまらない男 世にも奇妙な物語"
https://t.co/6T6D2yCY9G

「つまらない男」見た。
──主人公(中山仁)は生真面目でつまらない男だが、陽気な係長を見習ってウケを狙うようになる。ことわざをもじったシャレを連発するがまったくウケない。トイレでネタを考える試行錯誤の日々。──

たぶん小説版で読んだのを覚えてた。石橋を叩いて渡る木梨とか、溺れる者は体育が2とか。
すべって死にそうになって、ウケたら生き返ったってこと? それは普通におもしろい。
「粉末転倒」を言うために会社のデスクにあれを入れてあるのか。
たしかにつまんないけど、あまり見たこと無いつまらなさで、ちょっと気になる。
脚本が北川悦吏子さんだ。「半分、青い」の。

"妄想特急 世にも奇妙な物語"
https://t.co/RY1Y6UrTWZ

「妄想特急」見た。
──主人公(中井貴一)は妄想癖がある。大事な面接に行く途中でも次々に妄想してしまう。女性の定期券を拾い、電車のなかで妄想。いかんいかんと面接のことを考えていると、今度は、面接で女性の定期券から妄想をしたことを話すところを妄想する。──

これは覚えてる。なかなか込み入ったつくりになっていて面白いな。枠のなかに枠、枠のなかに枠。
まあたしかに、ご都合主義の妄想で、創造性って感じではないよ。女の妄想ばっかりで。
現実にこういうひとがいたら、精神科への受診をすすめる。

"夢のつづき 世にも奇妙な物語"
https://t.co/CDJpxIWjiU

「夢のつづき」見た。
──会社社長である主人公(片岡鶴太郎)はいい夢を見るが現実はうまくいかない。悪夢を見ることで現実に運を呼び寄せる呪術があると聞き、術を受ける。すると連日悪夢にうなされるが会社の業績は急激に上がる。だが寝不足がたたり体を悪くする。──

これ覚えてた。スパゲティがミミズになる場面とラストだけ覚えてた。
どう転んでも人生はつらいなあ。それだけですよ。平凡が一番だよ。
死刑執行の周辺、たぶんほんとのやつとはだいぶ違うんだろうなと思いながら見た。

昨日の「妄想特急」も現実があやふやになる話だったが、そっちはコミカルでたのしかったな。命が危険にさらされるかどうか、生活が大きく左右されるか否か、のちがいだな。

"ふたり 世にも奇妙な物語"
https://t.co/PJioNLMgwA

「ふたり」見た。
──主人公(西田ひかる)は思っていることを言えない性格の大学生。主人公に、高校のころの同級生のミシマ君という男が憑依する。ミシマ君は言いたい放題の性格で、主人公はふたつの心に左右される。──

これはテレビで見ていて、中学二年のころに心を動かされたのを覚えている。西田ひかるが好きだったんだよ。このドラマでは西田ひかるがずっとメガネかけてる。一人二役を演じていてなかなかよかった。
さわやかな話だったな。NHKみたい。

オレも言いたいこと言えない生徒だったからかな。なんかはげまされたんだよ。
今はそういうふうには見れないけども。

"ラブチェアー 世にも奇妙な物語"
https://t.co/0w4fUyPcIJ

「ラブチェアー」見た。
──男(石橋保)が買ったラブチェアーをほしがっていた女(南果歩)。ふたりは同じ部屋に住むようになるが女のこだわりが激しく、男の妹を始末しようとしたり、部屋中のものを同じ柄に合わせたり、男の辞表を勝手に出したりする。男は女からの脱走をこころみる。──

南果歩、けっこう出てくるなあ。ここでは危ない女を演じている。思い込むとそればっかりになっちゃうんだな。ここまで極端ではないけどこういう人はいそう、というところを突いてくる。

"赤ちゃん養育ソフト 世にも奇妙な物語"
https://t.co/o1rWcKKP4k

「赤ちゃん養育ソフト」見た。
──夫(野村宏伸)は買ってきた「赤ちゃん養育ソフト」を使い、妻(永作博美)と一緒に育てはじめる。生まれてきた男の子に名前をつけて、言葉を教えたりミルクをあげたりした。だがうまくいかなくなり、ロッカーに赤ちゃんを捨ててしまう。──

永作博美が好きだから見ていられるけど、どうにもおもしろくない。無理矢理感動させようとしてくる。この感動のさせかたはどこかで見た。「私の赤ちゃん」のときと同じだ。いなくなったはずの赤ちゃんがあらわれるという筋書きも同じだ。

ロッカーからどうやって出てきたのか、そこが納得いかない。
捨てられてから異変となって登場したんだから、化けて復讐しにきたんだと思ったら、ぜんぜん違った。夫婦もべつに捨てたことを謝りもしないよね。

電気をいじってどうにかするのは、どれくらい意味があったのかなあ。その部分は「サマー・ウォーズ」っぽかった。

"熊の木本線 世にも奇妙な物語"
https://t.co/hWwfx9R7U4

「熊の木本線」見た。
──作家の主人公(石田純一)は休暇に田舎へ蕎麦を食べにいった。電車のなかで出会った村人に言われるまま寄り道し、ひょんなことから通夜に出ることになる。通夜では村人たちが「熊の木節」を歌い踊り、おおいに盛り上がった。主人公も歌ってみろとすすめられる。──

作家だというけど手書きで書いてたな。最後に「完」て書いて○で囲んでた。「ラブチェアー」の男性主人公はワープロで書いてたな。

特に大きなオチもないのが珍しいパターンだし、それがいい味になっている。ふつうなら事故が起こって「ギャーッ」で終わるところだが、そこをおさえている。
村人たちがリアルだったな。まるでほんとの宴会だよ。

"ガード下の出来事 世にも奇妙な物語" https://t.co/EgQWpFZveD

「ガード下の出来事」見た。
──主人公(菅原文太)がガード下の屋台の飲み屋で飲んでいると、客がきておもしろい話をする。だが肝心なところで邪魔が入り、オチを聞き逃してしまう。──

覚えてたけど、最後こんなんだったのは忘れていた。不運な主人公だと思っていたけど、助かったのを考えると幸福だったわけだ。不運と幸運は繋がっているという、そういう話として見た。

ほとんどしゃべらない役が菅原文太に似合っている。
オチを考えずに済むんだから、話をつくるほうは楽なのかと考えてみたが、んなこたあないか。

"闇の精霊たち 世にも奇妙な物語"
https://t.co/GuLRD7jq8M

「闇の精霊たち」見た。
──駄菓子屋をいとなむ主人公(岸田今日子)は子供たちに精霊の話をする。立ち退きをせまる三人組も居合わせる。主人公によれば、人間にうらみをもつ精霊がいまも壁の向こうにいて、その壁はこの店にあるという。──

かなり初期の話で、タモリが目立つ役で出ている。三人組がひどいやつらだなあ。ベルリンの壁崩壊がまだ新しい出来事だったころだ。

"くせ 世にも奇妙な物語"
https://t.co/bMH123Z1aZ

「くせ」見た。
──主人公(菊池桃子)は容姿をほめられるとうれしくなってものを盗んでしまう「くせ」がある。それでもいいという男性(宮川一朗太)と結婚するが、主人公の盗癖によるトラブルがつづく。──

これもかなり初期の話。そんなに男は女の容姿をほめるものなのか、容姿をほめられると女はそんなにうれしいものなのか。まあいいけどさ。
コミカルな話。タモリがサングラスを残して消えるのがよかった。あとタコ。

"留守番電話 世にも奇妙な物語"
https://t.co/70mYM2294m

「留守番電話」見た。
──主人公(仙道敦子)はビンゴ大会で留守番電話が当たる。毎日留守電に知らない男の声が入るようになる。自分を見ているようなことを言う。男性と交際するようになると、留守電の男は怒りをあらわにする。──

留守番電話が最新のものであること、店で「愛は勝つ」が流れているところに時代を感じる。
ドラマは覚えてないけど小説版で読んでいるので筋書きは目新しくない。女性にあんな声出せるのか。

テレクラで待ち合わせしようとしてるタモリがいちばん不審だったな。目印のものを目立たせようとしていたのだろう。

"ザ・ニュースキャスター 世にも奇妙な物語"
https://t.co/u1p0Qg5TYs

「ザ・ニュースキャスター」見た。
──ニュースキャスターである主人公(飯島直子)は降板を言い渡される。動揺して原稿を読み間違えるが、読み間違えたとおりのことが実現する。味をしめた主人公は原稿を自分でつくるようになる。読むことがみんな真実になり、番組は視聴率一位をとるが……。──

飯島直子、見かけなくなったなあ。うつくしいなあ。役に合ってるし、ニュース読むのがうまい。まさに「麗子」だよなあ。男の影がないが、いらないからいないって感じなのか。
テレビ番組の裏側ってせわしないなあ。
言ったらほんとになる系。「噂のマキオ」をはじめとしてそういう話がときどきある。

"君だけに愛を 世にも奇妙な物語"
https://t.co/rlkVfxovJl

「君だけに愛を」見た。
──主人公(財前直見)が失恋してバーで飲んでいると男に誘われる。そのままついていくと屋敷のなかで男が変貌する。危険を感じてやっとのことで逃げだす。五年後、夫がじょじょにおかしくなって、五年前の男のように主人公を襲う。──

覚えてた。人形がぶら下がっているところとか、服がやぶけるところとか。
台詞がキザすぎて引くけど、けっこう怖いな。音楽が効果的。病院のくだりがこわいよ。
っていうか、わざわざ怖い方にいきすぎているくらいだ。丸めた紙は広げるし、ヘッドホンの音楽は聴くし、病院にも山荘にも必要ないのに行くし。

"ライバル 世にも奇妙な物語"
https://t.co/x3EeK64Whb

「ライバル」見た。
──主人公(佐藤浩市)は息子が野球をするのをゆるさない。それにはわけがあった。子供の頃、ライバルのケンジにボールを当てて、いまだ意識が戻らないのだ。 主人公の前にケンジがあらわれ、野球の勝負をいどむ。ほんもののケンジなのか? ──

「三日間だけのエース」に似てるし「息子帰る」にも似てる。世にも奇妙な物語でスポーツを扱うとこうなりやすいようだ。
筋には変わったところがないが、清々しい作品。

"いいかげん 世にも奇妙な物語"
https://t.co/XIDRuOtd6n

「いいかげん」見た。
──主人公(篠田三郎)は几帳面な性格で、いいかげんな人間がゆるせない。酒場でドアをあけたら、世界が変わってしまう。そこでは、いいかげんなことをした人間はただちに射殺されてしまう。──

極端な性格の人が、性格のせいで奇妙なことになる話はときどきある。「切腹都市」の世界観みたいだな。
すっかりいいかげんになった主人公は、現実の世界で処分されてしまいそうな気がする。

今回おもしろかった作品七つ
1 ボタン
2 ラブチェアー
3 ガード下の出来事
4 妄想特急
5 ふたり
6 人形
7 熊の木本線


つまらなかった作品三つ
1 赤ちゃん養育ソフト
2 電気じかけの幽霊
3 くせ

それではまた次回。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c8

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
9. 中川隆[-12125] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:33:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年12月24日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【9】1990-2000年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html


のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"世にも奇妙な物語 中学教師"
https://t.co/AiRoBPKezN

「中学教師」見た。
──新任教師の主人公(稲垣吾郎)は緊張していた。はじめての教室にいき、間違えないように気をつけながら出席をとる。立ち合うという教頭を待たず授業を始めようとすると生徒から反対の声があがる。自習室へ連れて行かれますよと。──

ポイントをしぼらせずにさまざまな奇妙さがおそいかかってくる。自習室の噂、勝手にひらくロッカー、人数の合わないクラス、瓶の花、ゲームをとりあげられた生徒、……。
かわいい女子が多い気がした。

しばらく古いのを見てたけど、また1998年から続けていく。またなにか見逃してたのがアップされたら戻る。

"世にも奇妙な物語 黄色が恐い"
https://t.co/V6F6xA9NnV

「黄色が怖い」見た。
──乙女座の主人公(鶴田真由)は朝のテレビの星占いで12位。黄色いものに気をつけなければならない。黄色いものによって次々にトラブルがおこり、主人公は黄色を過度に恐れるようになる。──

朝のテレビの占いって、20年前にはあったんだな。さいごに最下位がでるのも同じ。
小さいころよく見てたズームイン朝にはなかった気がする。
この番組ってけっこう時代を反映しているから、このころ定着してきたものだったのかも。

占いって当たらないものだけど、よく当たるようになったら困るね。
星占いってことは12人に1人がこんなトラブルになってたのか。
財布をおとして小銭がちらばるの、ドラマといえども見るといやな気分になる。

"98秋Bダジャレ禁止令 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/VYvw8tCwiu

「ダジャレ禁止令」見た。
──ダジャレが違法となり、ダジャレ大好きの主人公(小野武彦)は苦しい日々を過ごす。摘発が相次ぎ、同僚は会社を去る。ある夜、「ダジャレ言えます」の貼り紙を見つける。たどっていくと、そこは地下組織だった。──

ダジャレがひどくて、ところどころ見ていられなかった。ほんとに禁止されたらいいのにと思ってしまった。

禁止すれば、地下組織ができて、主人公のようにダジャレに殉じて死ぬ者もでてくる。

禁止事項ができて、やぶるとたちまち危ないことになるのは「いいかげん」で見たばっかりだ。地下組織に入ってそのタイミングで摘発されて主人公がなんとか逃げるところまでまったく同じだ。

"世界奇妙物語1998 懲役30天"
https://t.co/JZHcxsGKDD

「懲役30日」見た。
──七人を殺害した主人公(三上博史)に課せられたのは、なんと懲役30日。炎暑のなかで屋上に立たされる懲役を29日、やっとのことでつとめあげた主人公に30日目に待っていたのは、なんと電気椅子。だが彼は死ななかった。──

死刑制度が撤廃された世界というのがひとつの世界観だ。死刑がないから囚人を収容しきれないという論理はきびしいなあ。
っていうか、五分ごとに注射を打ってるのか? 

でも刑務所ものは面白いよ。しらない世界だし。「扉の先」も良かった。
浦島太郎の逆と考えればいいのか。良いものが圧縮されるのが浦島太郎で、苦しいものが引き伸ばされるのが懲役30日。でも結局はおじいさんになる。

"長い一日 世にも奇妙な物語"
https://t.co/lQEnT65TYx

「長い一日」見た。
──主人公(根津甚八)は15年前に人を殺していて、今日がついに時効の日。夜12時までおとなしくすごそうとしていたが、そうはいかない。窓からボールが飛び込んできて、隣の夫婦喧嘩に巻き込まれる。──

時計がぐにゃぐにゃする描写がいい。
平泉成さんもこの番組にけっこう出てくる俳優さんだ。ボールをとるところ、ハラハラした。
いつも思うけど、けっこうすぐに人の家に上がり込むドラマだ。

一日くらい山荘にこもればいいというコメント欄の指摘は、もっともだ。
オチが昨日見た「懲役30日」と同じだ。

「ホーム、スィートホーム」動画見つからず。

"世にも奇妙な物語 パパラッチ"
https://t.co/XJMXZqJ3Sh

「パパラッチ」見た。
──パパラッチをやっているカメラマン(木村拓哉)は、 自分が撮られている気がしはじめて、こそこそ暮らすようになる。部屋のなかにカメラが仕掛けられていることに気づく。それが二度もつづき、気がおかしくなる。──

音声が小さくてよく聞こえなかった。
途中までよかったけど、銃撃戦のあたりからおかしくなった。それから未来のテレビ番組がでてくるし。無茶している。
やっぱり20分は長くて15分くらいでまとめるのがいいんだよ。そんな気がする。

ここから1999年。

"世界奇妙物語1999春 親切成金"
https://t.co/v6hGq01vp8

「親切成金」見た。
──主人公(萩原聖人)が親切をすると、そのあと必ずいいことがありお金に恵まれる。それをくりかえてついには億単位の金を手に入れる。欲に目がくらんで、さらなる大金ほしさに財産を老人ホームに寄付するが、見返りはない。──

萩原聖人って親切な人が似合うなあ。「2040年のメリークリスマス」では夢を追うひたむきな役だったな。
親切→金のくりかえしが単調で、そんなに面白いわけではない。感じはわるくないけど。

"99春Bのぞみ、西へ /世にも奇妙な物語" https://t.co/PTopVQXzyl

「のぞみ、西へ」見た。
──主人公(中嶋朋子)は大阪弁が苦手で、聞くとじんましんがでる。しかし彼の父が大阪弁以外をきくと死んでしまう病気であるため、努力して大阪弁を練習し、言葉が変化する薬を飲む。そしていよいよ彼の父にあいさつすることとなる。──

どこまで嘘につきあうか、ということを考えてしまう。まず主人公の体質が嘘くさいし、それをのりこえると彼の父の奇病がたちはだかる。これは完全にデタラメだ。そのうえ、飲むと言葉が変化する薬がでてくる。また嘘だ。
最初のほうで嫌になって、ほかのことをしながら見た。

主人公の名前と新幹線の名前がかかっているシャレを最後まで直接は明かさない、よく食べるおばあさん、そしてオチ。こまかいところはおもしろい。

「関西弁以外を聞くと死んでしまう」がぶちこわしなんだよな。そんなわけないもん。それならとっくに死んでるはずだ。ここがもっと現実的であれば耐えられたかも。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1999春SP 協力者"
https://t.co/zVkrlw6d3G

「協力者」見た。
──主人公(永作博美)は触ったものの持ち主の過去を見ることができる。警察から「協力者」としてたよりにされている。しかし主人公は、見たくないものが見えるその能力をつらく思っていて、使いたくない。警察は事件解決のため説得をこころみる。──

モノから過去がみえるのは「恐怖の手触り」からある、昔ながらのものだ。犬がポイントで、犬のおかげで話が前にすすむ。何度も通ったり、マメなのも大事だね。
とにかく永作さんがかわいい。

"世にも奇妙な物語 時間のない街 1999"
https://t.co/57FPZKHlEY

「時間のない街」見た。
──主人公(渡辺謙)は大きな企業の社長をしていて、冷酷な性格だ。ふとなつかしい街に立ち寄るが、そこは25年前と変わっていない。ほんとうにタイムスリップしてしまったのか。自分の住んでいた部屋に行くと、友人から電話がかかってくる。──

たまにこういう「なつかし系」みたいな話がある。キムタクの「言葉のない部屋」もなつかし系だけど、タイトルまで似ている。
雰囲気がいい。実際の70年代はこんなにいい雰囲気ではなかったんだろうけど。

街をまるごと買うとか記憶がごっそり消えるとか、なかなか無茶だけど、雰囲気がいいし余韻もあるしで楽しんだ。

"99秋@モザイク /世にも奇妙な物語"
https://t.co/vF1zK3KpiO

「モザイク」見た。
──主人公(江角マキコ)は報道番組の制作にたずさわっている。国がクローンの技術を使っておこなっていることを告発する番組をつくるが圧力がかかる。モザイクを使ってマネキンを証言者として出演させたときから、主人公の視界にモザイクがかかるようになった。──

タモリが、奇妙な世界に迷いこんでしまったら、奇妙な世界の決定にしたがうだけだと言っていた。
前回はルーレットで今回はスロットマシンだけど、ギャンブルが好きなのかな。

素朴な番組づくりで賞をとったことが主人公の考え方のもとになっている。しかし気がつくと初心からずいぶん離れている。そういうことはあるよね。
江角マキコは初めて出たな。

ところどころ音声がなくて、特に最後の方はよくわからなかった。
でも緊迫感があっていい話だった。

"世界奇妙物語·準則警察"
https://t.co/hq17hXsjh6

「マニュアル警察」見た。
──主人公(玉置浩二)は妻を殺して警察に自首しに行った。しかし手続きが煩雑で、なかなか自首できない。そうこうするうちに、被害者の夫としての役割をこなさなければいけないくなってしまう。──

誇張されてはいるものの、こういうことはありそうだ。リアリティが感じられた。
ハンバーガー屋までマニュアル化されていて、この世界全体がそうなってしまったようだ。
加害者とわかっていながら被害者として扱われるというところが一番の見どころかな。

"世界奇妙物語 - 1999秋 - 選擇錯誤的男人"
https://t.co/KMlGv5Jh1W

「逆男」見た。
──主人公(田中直樹)は運が悪く、ことごとく選択を誤る。恋人にアドバイスされ、自分が思ったほうの逆を選ぶようにしたらたちまちうまくいくようになる。昇進をかさね出世した主人公は恋人と疎遠になってゆく。──

最初にタモリが出てきた場面に終盤でつながるんだけど、その瞬間が気持ちいい。
突き出た棒グラフがすばらしい。
お笑いコンビの片方がでるというのはわりと珍しい。エレベーターでの一連の動きが芸人だ。
途中ででてくる太った女性、愛嬌があってオレはわりと好き。これっきりだったのかな。
このあと地位も恋人も失うと考えると、見事すぎる結末だ。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1999秋SP 和服少女"

https://t.co/W37xqYRLyt

「和服の少女」見た。
──主人公(保阪尚輝)には和服の少女が見える。誰かが亡くなるとき、そこには和服の少女がいる。和服の少女が頻繁に見えるとともに身の回りで人の死が相次ぎ、ついには主人公の恋人も亡くなってしまう。感極まった主人公は和服の少女を追う。──

コメント欄では主人公への同情が集まっていた。たしかに、なんにも悪くないのに次々にまわりの人が死ぬし主人公も不幸になる。
ところどころ怖い。ヌッとあらわれるところとか。
「ニュースおじさん」とか「黄色が怖い」に似た話だ。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1999秋SP 我是女演員 菅野美穗"
https://t.co/GV83mgWhLm

「私は、女優」見た。
──主人公(菅野美穂)は女優で、撮影をしていた。ナイフを取りだし、男に近づくと、男が振り向き、主人公は悲鳴をあげる。主人公は我にかえる。男を刺さなきゃいけなかったのだ。……彼氏は、主人公が一人でいるのを見た、撮影隊なんていなかったという。──

動画見つからないと思っていたが見つけた。おすすめに出てきた。
菅野美穂、不安定な役が多い。「真夜中のDJ」も精神的にあぶなかったし、「望みの夢」では現実と夢を行き来しまくっていた。

一つずつ嘘がはがれていって、なにも残らなくなる、不思議な後味の作品。
彼は最初からきらきらしてて妄想っぽかったが、噴水で濡れてハンカチを出すっていう出会い方も妄想っぽい。

"기묘한 이야기 총 든 남자 銃男"
https://t.co/2MSl3g4AVd

「銃男」見た。
──自信がなくて、なにをやってもダメな主人公(草なぎ剛)に、ある日、銃がとどく。隠し場所が思いつかず銃をふところにいれて生活しはじめると、みるみる自信がわいてきて、会社での業績が上がる。自信満々の主人公は、倒産間近といわれる企業に多額の融資をもちかける。──

電車のなかの男が「志村、お前逆ばっかりいくよな」と話していた。これはココリコ田中演じる「逆男」のことだな。あれは志村という役名だった。
「逆男」も失敗ばかりの男が突然うまくいくようになる話で、棒グラフがでてきた。

銃ってそんなに自信をもたらすものなのか。みんなが銃をもつようになると、銃のためのアクセサリーも出てくるというわけだ。
調子にのってる草なぎくんもいいね。オチに驚いた。しかも伏線が利いている。

ここから2000年。どんどんいきましょう。

"奇数 世にも奇妙な物語"
https://t.co/xVgkeK0ql5

「奇数」見た。
──主人公(柳葉敏郎)がバスに乗る。二人がけの席があるのに、二人連れもみんな一人がけの席に縦一列に座っている。バス停のたびに前から一人ずつ降りていく。11丁目で降りたい主人公は、自分が七番目に座っていることに気づく。──

まとめられないよこれは。いままでないタイプの話じゃない? カメラと音楽の効果で、むやみにドキドキする。
樅の木は棺や卒塔婆に使われたという話が伏線になっているようでなってないのがいい。

「記憶リセット」動画みつからず。もしかしたら中国語のタイトルでアップされているかも。

"冷やす女 (世にも奇妙な物語)"
https://t.co/nhJsxVpfDf

「冷やす女」見た。
──主人公(水野美紀)は彼(辻仁成)のために部屋を寒くしている。温度計を部屋にたくさんぶら下げて、氷を買い込み、冷房をつけている。彼はなにも言わず座っている。──

かなしいまでにうつくしい話だった。
映像や音楽がいつもの感じと違っている。センスいい。話はあんまり動かないんだけど、愛情を尽くす様子がじっくり描かれている。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 2000春SP 死亡的瞬間"
https://t.co/LsrrwGfF6w

「最後の瞬間」見た。
──主人公(伊東四朗)は生命保険の勧誘を仕事にしている。主人公には人の死が見える。どんなふうに死ぬのかが見えてしまう。病院にいる主人公の妻は、自分の死が近いのを予感していて、自宅で死にたいという。仕事を理由にそれをしりぞける主人公だったが……──

伊東四朗っていい演技するなあ。ちょっと感動する。
みんな生命保険に入ってないものなのだなあ。マジか。

「世界奇幻物語」のタイトルでけっこういろいろアップされているようだ。見逃したものがあったら見ておこうと思う。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1998春SP 5分鍾後的女人"
https://t.co/eGKplJnzyp

「5分後の女」
──主人公(安田成美)はいつも五分遅れる。どうやら自分そっくりのもう一人の誰かがいて、五分前に同じ行動をしている。彼のところへ行けば五分前まで会っていたというし、コートを買おうとすれば五分前に売れている。主人公はついに五分前の女においつく。──

彼氏が裸なのが謎なんだが、事後だからってこと? うっとりした男で、こいつも謎だ。
砂時計が出てきすぎる。わざとらしさが気になる。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1997秋SP 容易被冤枉的男人"
https://t.co/RBn8KiMljR

「無実の男」見た。
──主人公(草剪剛)は、なぜか悪いことを自分のせいにされる。自分そっくりの指名手配のポスターが貼り出され、警察や人々に追いかけ回される。ただひとり信じてくれるのは恋人だった。用意していた指輪を恋人に差し出そうとしたそのとき、──

一ヶ月前に見た「お前が悪い!」に似た話。あれは自殺に追い込まれるのだった。こっちは射殺されている。恋人の有無は大きい要素だ。それと「殺人犯」で固定されているか、あらゆることを押しつけられるかの違い。

"大注目の男 世にも奇妙な物語"
https://t.co/MJ6wMWOJd6

「大注目の男」見た。
──主人公(柳沢慎吾)が目覚めると、家族がジロジロ見てくる。通勤の途中で会う人たちも、会社の人たちも、見てくる。タクシーに乗ると運転手が後部座席の主人公を見ながら運転する。たまらず運転手を下ろして運転を代わる。──

初期の作品。
こういう話なのは覚えてたけど、あらためて見ると短くまとまってて面白い。無言で見ているのがシュールだ。こっちを見ながら別の話をする同僚たちとか、車に人が集まってくるところとか、エレベーターの中で全員が見てくるとか、場面場面が異様で面白い。
どさくさに紛れてフジテレビの目玉マークがでてくるのがちょっとふざけている。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1992春SP 奇遇"
https://t.co/Ld6MveGAtJ

「奇遇」見た。
──主人公(片岡鶴太郎)のとなりに、同姓同名の男(仲本工事)が住んでいる。妻の名前も同じ、職場は同じビル。同じタイミングで同じことをしていて、会うたび「奇遇ですなあ」と声をかけてくる。主人公は、男からどうにか逃れようとする。──

仲本工事ってこういうの合うよねえ。正体不明な感じがする人だ。
鶴太郎は奇妙な世界でなにかと苦しんでいる。「帰れない」は解決しないままだったし、「夢のつづき」では死んでいた。今回は、まあまあ良い終わりかただった。
解決はしないんだけど、自分の側が変わることで落ち着く。という意味では「帰れない」と同じではあるな。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1991 家庭電視劇"
https://t.co/t5qxmAxXTg

「ホーム・ドラマ」見た。
──念願のマイホームをてにいれた主人公(松原千明)とその家族。主人公は家が傷ついたり汚れたりすることに我慢ならない。しかし二人の子供は散らかすし汚すし犬を拾ってくる。主人公は犬を箱に入れて川へ棄てる。──

1991年だから、初期のほうの作品。これは覚えているし、当時ちょっと怖かった。家が真っ黒に汚れる場面が。
夢に食い殺されないようにね、と冒頭のタモリが言っている。

いま見ても気味悪い嫌な話だよ。タバコも油もどんどん禁止していくのとか、家具をなくすとか、女の子がいなくなるとか。
当時は汚れるのが怖いと思ってたけど、いまは過剰反応がこわい。

1991といえばちょうどウチも引っ越したばかりだったなあ。
それと、初期のこの番組ってあたらしい場所に引っ越してくる話が妙に多い。環境の変化が奇妙な世界につながっている。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1991 要死三個人"
https://t.co/ThiqYFYD8s

「三人死ぬ」見た。
──弁護士の主人公(露口茂)はテレビ局で占い師の水晶球を割ってしまう。時間が数年前に巻き戻り、過去の銀行の人質事件に巻き込まれる。三人が亡くなる事件だと報道で分かっている。主人公はどうにか生き残ろうとし、犯人に加担する。──

傑作。伏線がしっかりしていて、心理描写に緊張感がある。射殺の描き方がうまく、悲鳴が自然だ。「四年前はまだ有名じゃなかったんです」というギリギリのユーモア。
身元不明というのは忘れていた。ただ死ぬよりも悲惨な終わり方だ。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1990 倒時計"
https://t.co/YJqvRb81Lf

「カウントダウン」見た。
──主人公(宍戸開)が引っ越してきた部屋には、前の住人であるロシア人の物が残っていた。そこに自衛隊の機密文書を見つけてぎょっとする。宅配便がきて前の住人あての荷物がとどく。興味本位でみてみると銀色の機械だった。さわったらカウントダウンが始まった。──

前に阿部サダヲ主演の「カウントダウン」という話をみたけど、それは2007年の作品だった。
宍戸開のものは、緊張感がありながらも主人公がひょうきんでたのしい。ちょっとオチが見えてたけどね。


今回おもしろかった話10

1 冷やす女
2 三人死ぬ
3 大注目の男
4 ホーム・ドラマ
5 懲役30日
6 モザイク
7 マニュアル警察
8 逆男
9 銃男
10 中学教師

今回つまんなかった話1
1 のぞみ、西へ


以上です

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c9

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
10. 中川隆[-12124] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:35:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年01月20日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【10】1992-2001年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52229619.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html

【9】1990-2000年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、古いのから順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"世界奇妙物語 - 2000秋 - 斷定男"
https://t.co/KalpE10tak

「断定男」見た。
──主人公(ユースケ・サンタマリア)は態度が曖昧で、上司にあきれられている。不倫相手が妻のもとへ来ると聞き、仕事を抜け出すが、外へ出ると周りがなにもかも曖昧になっている。曖昧なタクシー、曖昧な電車。帰ると不倫相手と妻が刃物を向けあっている。──

おもしろいよ。曖昧な世界と断定の世界。一見反対の世界のようだが、変わらないものもある。
着メロが爆笑問題の「でたらめなひと」だ。ケータイの着メロとか、曖昧なしゃべり方とか、そのあたりが2000年だ。

18年前ってそんなに今と変わらないな。古さがない。
断定的なタクシーや電車がおもしろい。
職場の上司の人、ほかの話でも上司の役で出てた人だな。飯島直子の「ザ・ニュースキャスター」だったか。

中国語のアカウントがアップしてた古いものを見終わったので、また2000年秋から進めていく。古いのが見つかったらまた戻る。

"世界奇妙物語2000秋 發電課長"
https://t.co/cAdeq11dR7

「発電課長」見た。
──深刻な電力不足に陥った日本では、自転車での発電が日常となっている。主人公(角野卓造)は会社の発電課で毎日自転車をこぎ、家庭でもまた自転車をこぐ日々を過ごしている。──

よかった。
特殊な設定に見えるが、それと同時に現実味もある。よくみつけたものだ。
発電からうまれる仲間のつながり、家族の信頼。角野卓造っていい役者だなあ。

"世にも奇妙な物語 よう、鈴木! (陣内孝則)"
https://t.co/JORAMgkJGO

「よう、鈴木!」見た。
──主人公の鈴木(陣内孝則)はありふれた名字のおかげで、パーティーで重要人物と間違えられ高価な土産をもらう。味を占めてそれを何度も繰り返す。同窓会の案内がきて出席すると、どうも様子がおかしい。「鈴木」が珍名ということになっているのだ。──

陣内孝則の演技がよくて楽しく見れるんだけど、考えてみれば無理な話だ。
ああいうパーティー荒らしって犯罪なんだろうか。それを捕まえるためだけにパーティーをひらく必要あるんだろうか。チョウソガベさんのアタックはなんなんだ。いらないだろう。


"雪山 世にも奇妙な物語"
https://t.co/KqX1oIQhsH

「雪山」見た。
──雪山で遭難した五人。歩けなくなった一人を埋めて四人は小屋にたどりつく。あたたかくない炎にあたり、味のしない食料をとり、死ぬのを恐れながら交代で睡眠をとる。──

傑作といわれていたのでおそるおそる見た。「歩く死体」に「食べすぎた男」を掛け合わせたような話。

コメント欄をみるとさらに面白かった。タモリと駅のくだりも合わせて見るというのは気づかなかったな。駅の人々も遭難して幻を見ているのだとすると、携帯の通話がむなしく響く。

こういう、考えるともっと怖くなるような話がネットでは喜ばれるね。論争になって盛り上がるんだろう。

雪から血があふれだすのがこわいよ。ああいうのは今までなかったよ。しかし、掘り起こそうとして突き刺すなんて、お笑いみたいだ。

毛布を取り合ったりしてギスギスしてるのが嫌だったな。
人の思い込みってすごい。小屋だって、かすかに見えたと思ったら中に入ってたもんね。

「バーゲンハンター」「さとるの化け物」は音声がなかったから見なかった。早回ししてるようなゴニョゴニョした音がかすかに聞こえるだけだ。高評価もあるところからすると、聞こえてる人もいるのか。

"世にも奇妙な物語 携帯忠臣蔵"
https://t.co/3eHs5S4QA8

「携帯忠臣蔵」見た。
──主人公・大石内蔵助(中井貴一)は親の仇をとるつもりもなく、のらりくらりと女と遊んでばかりいた。ある日、主人公は携帯電話を見つける。現代日本から、歴史の調査の電話がかかってきている。とまどう主人公だったが、徐々に携帯電話を使いこなせるようになる。──

布団をかぶってはだかにならずにエッチしてるのが印象的だった。そしてよく邪魔される。
親の敵討ちってそんなに大事なんだな。主人公以外みんな真面目だ。

"世にも奇妙な物語 チェス"
https://t.co/Mnh8Fw9zty

「チェス」見た。
──チェスのチャンピオン(武田真治)はコンピューターと戦い、負ける。それ以来チェスから遠ざかっていた。そんなある日、彼を招きチェスをさせようとする老人がいた。そこで駒を取ると、外でチェスのように配置されていた人間がひとり刺されて死ぬ。──

なんかもう、きのうの「携帯忠臣蔵」もだけど、このあたりからオレの知ってる「世にも奇妙な物語」じゃないというか、別の番組だよ。つくりが違う。映像がきれいになったなあ。

なんのリアルな感じもないよ。新聞がちらかってるのは何? ホームレスっていうこと?
杖をついてる老人が歩きながらしゃべるわけないよ。
音のしない拍手が上品でいやらしい。
最後のネタばらしも納得いかない。医師が目の前で痙攣して死ぬショック療法なんてあるか。
感動のさせかたが安っぽいんだよ。勝負より家族をとったから偉いっていうのは。
あれで勝ったとはいわないでしょ。機械を壊して勝ちになるなら、最初からチェスする必要がない。

映像がきれいだから余計に残念さがある。外側ばっかり立派で中身のおもしろさがない。作ってるひとたちがみんな入れ替わったのか?

"世にも奇妙な物語 結婚シミュレーター"
https://t.co/6EdHgCZUeJ

「結婚シミュレーター」見た。
──主人公(稲森いずみ)は映画館で出会った男性と結婚することになる。「結婚シミュレーター」でふたりが結婚するとどうなるかを見る。シミュレーターのなかでは、仕事でいそがしい夫と家事を負担する妻のあいだで関係が悪化し、離婚する。──

シミュレーターで結婚をやめちゃうことなんてあるのか。だったらそのサービスって提供する側が損だ。必ず幸せになるシミュレーターにしたほうが、喜ばれるしもうかりそう。
便器の蓋とか、寝るとき灯りを消すかとか、目玉焼きに何をかけるかとか、そういうところから溝が広がっていくんだなあ。

空撮っていうの? 高いところから撮影する場面が多い。
悪魔のパンプキンマン、よかったな。

とてもいい話だった。
「携帯忠臣蔵」「チェス」でこの番組の行方が心配になっていたんだけど、こっちで盛り返した。

"世界奇妙物语·2000 秋季特別篇b 标清"
https://t.co/dKQF8nb5DD

「バーゲンハンター」見た。
──ガオファイガーというロボットのおもちゃが人気で、これをもっていないことで子供が仲間はずれにされる。それを知った母(松下由樹)たちは怪我人が続出するというドラゴンデパートのバーゲンに出かける。だがそこには強敵がいた──

「世にも奇妙な物語」で検索しても「バーゲンハンター」で検索しても出てこない動画を、探し当てた。「世界奇幻物語 2000」で検索した。

熱い話のような、馬鹿馬鹿しいような話だ。ドラゴンデパートっていうのは、ありそうで無いおもしろい設定だ。悪役がいたり、ライバル関係があったりして、バトル漫画みたいだ。おばさんのやることを少年漫画っぽくつくるのは、ひとつのアイデアだな。
しょうもないことに真剣になるというのは「公園デビュー」の系列だな。

でも、苦労して手にいれたガオファイガーが「仲間に入れてもらうため」のものだと思うと微妙だ。あんなやつらの仲間に入って楽しいかねえ。あんなやつらのためにそこまでするなんて。

猫を抱いて外出して、デパートにまで行くっていうのが一番わかんないよ。

"世界奇妙物语·2000 秋季特別篇b 标清"
https://t.co/dKQF8nb5DD

「さとるの化物」見た。
──静かに酒を飲む紳士(林隆三)のそばで、男(沢村一樹)は女性たちにトランプの手品をやっている。男は波長が合う者の心が読めるのだという。女性たちが帰ると男は紳士にからむ。トランプを完全に当てて、人間の心を読む「さとるの化物」の話をする。──

どんでん返しが見事だった。まんまとやられて気持ちよかった。
泡を吹く描写にゾッとする。
自分の思っていることが、送りつけられた意識にすぎないというのは怖いね。
「飛行機が落ちるぞ」は回収しなかったな。こういう予言はきっちり実現させるのがこの番組のパターンなんだけど。

っていうか、マスターが本を読みながらイメージしていることを、紳士の意識として男に送り込んだわけでしょ。アクロバティックだ。たいしたもんだ。

2000年放送ぶんは「記憶リセット」という話だけ見つかってない。見つからなければ2001年にすすむ。

"主婦さち子の秘かな愉しみ (世にも奇妙な物語)"
https://t.co/5dyOL2kBSs

「主婦さち子の秘かな愉しみ」見た。
──主人公(野際陽子)は家事とパートにいそがしい。ひそかな楽しみは、恋愛小説を読むことだった。生活に疲れたある夕方、恋愛小説に出てくるリチャードが目の前にあらわれる。リチャードとの恋の日々が始まる。──

惣菜の仕事が大変そうで、ネチネチ注意する年下の上司がいやらしくて、こちらまで参ってしまいそうだった。家庭でも大事にされてないし。リチャードがあらわれてくれて良かった。これからのさち子の幸せを願いたくなる。いい話で、ちょっとせつない。

BLACK ROOM
https://t.co/nxw3u6IAHT

「BLACK ROOM」見た。
──主人公(木村拓哉)が留学先から帰ってくると、家が辺鄙なところにあり、奇妙に広くなっている。両親にそれをきいてもよくわからない。しかもマサコという妹ができたらしい。それについてもよくわからない。押し問答をしているうちに、それは起こる。──

かなりコメディー寄りの作品。母親が樹木希林さんだね。しょうもないけど、終わってから思い出すとぶっとび具合がちょっと楽しい。問答がおもしろくないけど、これをやりたかったんだなと。

パンドラTVというサイトで見た。YouTubeのコメント欄にURLが貼られていたから。
ちょっと見づらいがしょうがない。
そのサイトで探したら、ほかの見れなかったやつもいろいろアップされていた。これからしばらくパンドラTVで見るかも。

よく探すと、古いやつは二本くらいしか未視聴のやつがない。「のどが渇く」「逆転」が見つかった。うーん。なかなか埋まらないなあ。

一人のユーザーが、とんでもない量のアニメやドラマをアップしてるんだよ。このサイトだと削除されないんだね。

逆転
https://t.co/nINbk1470E
「逆転」見た。

──主人公(片岡鶴太郎)は飛び降り自殺の現場に遭遇し、気絶する。それからというもの、世の中の人々は悲しいときに笑い、たのしいときに泣いている。主人公は無表情で暮らすようになるが、どうにもこの世界に慣れることができない。──

同じ片岡鶴太郎主演の「帰れない」と似たつくりだ。おかしな世界に迷いこむ→同志をみつける→解決はできない。
表情がないのが離婚の原因になるかねえ。しかもあんなに悲しんで。
ポスターの表情がかわるのがおもしろい。

のどが渇く
https://t.co/6VqNwvZeZd

「のどが渇く」見た。
──主人公(椎名桔平)は三日も砂漠をさまよっている。飲み水がなくなり絶望しかけたときにオアシスを発見し、奇跡の生還を遂げる。普段の生活に戻った主人公だが、のどが渇いてたまらない。また、水が砂のように感じられる。──

「食べすぎた男」の砂漠バージョンだ。はじめからそんな気はしていた。
ラストシーンが幻想的だ。怖がらせる方向の「食べすぎた男」とはそこがおおきく違う。

エキストラ
https://t.co/nuTBsUMsCe

「エキストラ」見た。
──主人公(香取慎吾)は役者を目指していて、エキストラの仕事をする。だがドラマでも映画でもなくカメラもない。台詞を言うと翌日給料が振り込まれている。彼は知ってしまう。誰もがどこかで決められた台詞をしゃべっているエキストラなのだと。──

カップルもおじさんも、精神科医も台詞を読んでいる。台詞を間違えると世界が止まってしまう。知り合ったおじさんは自殺する役を与えられ、台詞を言いながら死んでいった。こんなのはおかしいと主人公は台詞を拒絶するが、それ以来、部屋がなくなり食事もままならない。
もう一度エキストラをするために出向いた仕事先でわたされたのは、一生ぶんの台本だった。

──というところでオチになりそうだが、まだ先がある。

かなり奇妙で、見たことない感じの話だ。ひとつのバイトのつもりが、そこから世界が歪みだしていく。

実際の世界は逆で、言ったことが事実になり歴史になっていく。でも自由にしてるつもりでも神様がつくった台詞を言っているんだよ、と考えることもできそうだ。

台本が厚いと思った。オレの一生ぶんの台本は、かなり薄いと思う。無口だから。昨日なんて500文字くらいしかしゃべってないと思う。

13番目の客
https://t.co/1xLdxsQaR2

「13番目の客」見た。
──主人公(草なぎ剛)は仕事でいそがしい。大事な結婚式に出るために理髪店に寄ると、たくさんの従業員がいた。終わって出ようとすると出られず、理髪店で訓練をすることになる。はじめは抵抗したが、徐々によろこびと清らかな心を得る。──

これもなんかすごい話だ。初期は一話15分だったから倍くらいの長さになってるわけだが、それだけの内容になっている。
不思議な「秩序」にまきこまれていくのは「エキストラ」も同じだが、ここではただの思考停止ではなく、よろこびを感じるものになっている。
「エキストラ」は苦々しい秩序から抜けられない話だが、「13番目の客」はよろこばしい秩序から抜けてしまう苦しみが描かれている。

食事のパンの場面でどうしてもキリストと12人の使徒を思う。宗教的な色合いがある。宗教の平安は死後までつづきうるものだが、抜けるシステムがある。
この話がなにを意味するのか考察の動画がYouTubeにあがっていたが、答えを他人に求めるよりも、自分のなかに謎としてそっと置いておきたくなる。
宗教は最後まで面倒をみるから宗教なんだな。宗教が死後のことまで言う意味がわかった。
入ったら出られなくなって、出たら入れなくなる。完全に遊ばれている。神にも悪魔にも思えるなにかに遊ばれている。

僕は旅をする
https://t.co/fNu25Z1d0M

「僕は旅をする」見た。
──主人公(稲垣吾郎)の姉は旅行に行くと言い出ていったが、急行列車と接触し、首のない遺体で発見された。主人公は姉の死が受け入れられない。主人公が姉の旅行するはずだった場所をまわると、姉と電話した人や姉と会ったという人がいた。──

亡くなる人が別の場所で目撃されるというのは、よく聞く話だ。
主人公と姉の関係に特殊なものがあってどきどきする。
ゆったりとした旅の雰囲気がある。海の場面。
似た顔の人物が物語に陰影をあたえている。

有と無、生と死のはざまに姉はいる。主人公が旅することで、姉は安心して行くべき場所に行けたんじゃないか。変なオチだし、引きずられたにしては顔がきれいすぎるが、これは「いい話」なんだろう。

"世にも奇妙な物語 恐竜はどこへ行ったのか【佐野史郎】"
https://t.co/oUsFvYZnio

「恐竜はどこへ行ったのか」見た。
──自分の体を傷つける精神の病で入院している元教授(佐野史郎)に、研究者(松下由樹)が面会する。元教授は恐竜の絶滅の理由を、危険を察知して異次元に移動したからだとする。彼は脳のR領域と呼ばれる部分が異次元移動と関係していることを突き止め、それを活性化する薬を開発した。──

あらすじがうまくまとまらないなあ。
最初の叫びが最後につながるのは良かった。

佐野史郎の演技がすごい。
佐野史郎、結構出てくるなあ。「地獄のタクシー」では医師で、「笑う頭脳」ではコンピューターを使った連続殺人犯で、「バカばっかりだ!」は大人っぽい子供で、「柵」では工務店だった。
そのどれよりも今回はぶっとんだ役だった。知性と狂気を兼ね備えている。
脳みそとワープの関係はわかんないよ。

オトナ受験
https://t.co/CNyYw557cH

「オトナ受験」見た。
──主人公(中居正広)は、大人免許不所持で捕まり、訓練を受けることになる。電車でのマナー、説得の仕方などを学び、順調に課題をクリアしてゆく。一緒に訓練していたタカハシが脱走する。主人公の最後の試験は、タカハシへの裁きを言い渡すことだった。──

恋人役が広末涼子だ。いいなあ。広末好きなんだよ。
突然世の中が変わるというのは「銃男」みたいだし、拍手で無理矢理いい話にするのは「チェス」みたいだ。BGMが前に出すぎだし、ちょっとどうかと思っていたが、最後のオチが面白かった。

あの赤い制服、どういう服なんだろう。後ろの首のあたりに紐があるけども。
分厚いマニュアルがあって、親が死んだときの悲しみ方までその通りにしなければいけないのは、狂ってる。狂ったマニュアルに反発したら合格するというのも、なんかいやだなあ。

でもマジで、「じつはみんなであなたを騙してました」って感じでパラパラ拍手する展開は嫌い。

あと、すぐに免許がだせないと人が駆けつけてきて逮捕するのもおかしい。逮捕の手続きが簡略すぎるし、お爺さんお婆さんなんて、バッグからすぐになにか取り出すのは困難なんだよ。
老人の視点がないよね。いないことになっている。

これでSMAPの特別編はおわり。全体的におもしろかったな。傑作を揃えてきたな。YouTubeには一本も上がってなくて、しかし代わりに「パンドラTV」という動画サイトになじんできた。

"友達登録 世にも奇妙な物語"
https://t.co/3PGi48qjED

「友達登録」見た。
──主人公(深田恭子)には友達がいない。ケータイに「友達登録」のメールがくる。登録するとすぐに友達があらわれた。明るい子、おとなしい子。次々に登録しては消していく。消去すると、その子はもうどこにもあらわれなくなる。──

31万回再生されていて、やたらコメントが多かった。規約をよく読めということですね、というコメントが正論だ。
時代を反映している。携帯サイトの感じが。「うざい」という言葉が初めて出てきた。

一種の「どくさいスイッチ」だ。
便利なものがでてきて、それに復讐されるという形は藤子不二雄的といえる。Fの「ドラえもん」もそうだし、Aの「笑ゥせぇるすまん」もそうだ。

"世にも奇妙な物語 株式男" https://t.co/pkHPGaiCNK

「株式男」見た。
──主人公(市川染五郎)はうだつのあがらないサラリーマンだったが、自分と同じ名前の株があることを知る。たまたま人助けをすると、その株が上がる。仕事がうまくいくようになり、株も急上昇。自分の株で大もうけする。しかしちょっとしたことで転落することになる。──

「逆男」のパターンかと思った。冴えないサラリーマン→大逆転→転落。
でももっと気味の悪い話だ。

大事な話はなぜかいつも海の近くでして、終わると汽笛が鳴る。

社長から娘との結婚話をもちかけられるのも「逆男」と同じなんだよ。

"世にも奇妙な物語 太平洋は燃えているか?"
https://t.co/XJ0P57RIYH

「大平洋は燃えているか?」見た。
──主人公(川岡大次郎)は自宅から突然連れていかれる。そこは司令室のような場所だ。聞けば、1945年に消息を絶ったはずの爆撃機「雷神」がアメリカへ向けて飛んでいるという。雷神には主人公の祖父が乗っている。雷神を止められるか。──

なかなかいい話だったし、世にも奇妙な物語らしいオチだ。

案の定、コメント欄に当時のことに詳しい人たちがあらわれて言い争っている。テレビもビデオカメラも、携帯できる通信機も当時の日本にはあったというコメントが印象的だった。

知らない俳優さんだったな。目が特徴的だ。
軍事ジャーナリストだという人が、若いころの田原総一朗みたいだった。

"世にも奇妙な物語 心臓の想い出"
https://t.co/zpkin0WwSk

「心臓の想い出」見た。
──心臓の移植が成功し一命をとりとめた主人公(羽田美智子)は、謎の男の声が聞こえるようになり、また、見えるようにもなる。男と知り合い、彼が臓器の提供者の女性の恋人だったとわかる。臓器提供者の家を訪れた主人公は、その死の真相を知る。──

移植された臓器といえば「笑う頭脳」があったな。男が襲ってくるのは「君だけに愛を」を思い出す。
沢村一樹って前にも「さとるの化物」でやばい役をやってたな。

いい話になりかけると逆転して怖いことが起こる。昨日の「大平洋は燃えているか」もそうだった。一難去ってまた一難、というのがこの番組らしい。
取り出された心臓がつらいし、柵が刺さって死ぬのもつらいなあ。

ドラマチック・シンドローム
https://t.co/jJ4hjM9Ttv

「ドラマティック・シンドローム」見た。
──主人公(優香)は平凡な男性と付き合っているが、ドラマを楽しみにしていて、ドラマチックな恋愛にあこがれている。憧れていた胸板の厚い男性と出会い、ドラマみたいな恋が始まりそうだったが、思わぬ方向へそれてゆく。──

タカユキの「愛してるよ」の言い方が良かった。ドラマのために仮病をつかうが、わざとらしくてかわいい。主人公がひょうきんなのがいいよ。

っていうか、女を殺したのは誰なんだ。マコトさんはあくまで否定していたが……。

「厭な子供」動画みつからず。最初の3分の1だけがニコニコにあったようだった。

"世にも奇妙な物語 「おばあちゃん」 柊瑠美"
https://t.co/10yjfk7iBd

「おばあちゃん」見た。
──主人公(柊瑠美)は両親と、病院にいるおばあちゃんに会いにいく。管につながれ動かないおばあちゃん。しゃべれないはずのおばあちゃんの声が主人公には聞こえる。おばあちゃんは、会いたい人がいるので体を一日貸してほしいと主人公に頼む。──

最後にけっこう驚いた。それに尽きる。
コメント見ると、この柊瑠美さんという人は、「千と千尋〜」の声を担当したことで注目されたんだそうだ。言われてみると同じ声だが、気づかなかった。演技がうまいほうではないけど、子役だとこんなものかと思って見ていた。財布を投げる動き、どうですこれ。

千と千尋は、豚になった両親のところへ戻ってきて救うけど、こっちはそうならなかった。つい、物語を重ねてみたくなる。

後味悪い話として解説してる動画があったけど、嫌な感じはしなかったな。
入れ替わってめでたしめでたしになるのはなぜかスポーツがらみの話が多い。「ライバル」「三日間だけのエース」「覆面」。

「仇討ちショー」動画みつからず。YouTubeで探して、パンドラTVで探して、Googleで探すようにしている。
あとで「世界奇幻物語 2001」でも検索してみることにする。中国語で別タイトルになっていることがあるから。

世にも奇妙な物語 奇跡の女
https://t.co/mPtRrumNFl

「奇跡の女」見た。
──主人公(観月ありさ)は飛行機事故にあうが一人だけ助かる。それ以来、死の恐怖にとらわれながら病院で過ごしている。階段で後ろから押してくる者がいる、水に沈めようとしてくる者がいる。それは被害者のひとりの母である看護婦だった。──

最後の方はいい話になるんだけど、そんなもんかねえと思いながら見た。
お芝居の稽古でいきなり首をしめられるところが印象的だった。

世にも奇妙な物語 ママ新発売!
https://t.co/s1Av5Q08If

「ママ新発売!」見た。
──主人公(ともさかりえ)の母は母親参観にきてくれないし、母親の自覚もない。主人公はともだちと一緒に何でも売っているデパートのママ売り場で、あたらしいママを買う。しかし新しいママは主人公を捨てる。主人公たちはいらないもの売り場の10円の商品となる。──

なんだこりゃと思ったし、これが「世にも奇妙な物語」であることをしばらく信じられなかった。ディズニーとかそういう映画みたい。でもまあ、これはこれで面白いよ。主人公がおかしな脱出計画を練るところは「友子」のシリーズみたいだった。
あと、新しいママがたまらん。

うさぎのジャックの場面はよかった。
自分が捨ててきたすべてのものと再会することができたら、けっこう感情をゆさぶられると思う。

世界奇妙物語2001秋 復仇秀
https://t.co/Tqs9RlhwBJ

「仇討ちショー」見た。
──父を殺された主人公(中谷美紀)は法律により仇討ちが認められる。さだめられた場所や方法により仇討ちが開始され、テレビ中継が入る。主人公はなかなか犯人を撃つことができない。うかうかしている間に、犯人がさだめられたエリアから逃走してしまう。──

架空のテレビ番組ということだが、さすがフジテレビだけあり、うまく番組をつくっている。法律もそれっぽいし。今でいうと「逃走中」に近いかな。番組としてのクオリティの高さに感心した。
国民がテレビの前で熱狂するというのは、テレビの見る夢なんだろうな。

なんともしょうもないオチで、頭に刺さっているところがちょっと笑えた。

途中で飲料水のCMの撮影をするところなんて、なかなかふざけている。テレビの軽薄さを描いている。
真面目なのは仇討ちさんと犯人と、それから役人だけだ。「ショー」とはそういうことだ。

■今回おもしろかった作品
1 13番目の客
2 エキストラ
3 雪山
4 さとるの化物
5 結婚シミュレーター
6 発電課長
7 おばあちゃん
8 仇討ちショー
9 僕は旅をする
10 恐竜はどこへ行ったのか


■今回つまらなかった作品
1 チェス
2 株式男
3 逆転


んじゃまた。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52229619.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c10

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
11. 中川隆[-12123] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:36:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年02月16日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位つけるぞ【11】 〜2003年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52231187.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html

【9】1990-2000年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html

【10】1992-2001年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52229619.html


のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、古いのから順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。

世にも奇妙な物語 無視ゲーム
https://t.co/LFZKfdOME2

「無視ゲーム」見た。
──主人公(内山理名)は、ルームメイトを軽く扱っていて、彼を連れ込んで三人で住む。だが突然立場がかわる。彼がルームメイトと一緒になって、主人公を無視するようになる。大学でも存在感が薄くなっていると言われる。──

ルームメイトっていうのが今まで見られなかった設定。
コメント欄では不評だったが高評価600の低評価150くらいの割合。
まあ登場人物が似てるし、オチは途中でわかっちゃうし、階段ですべって死ぬのもアレだし、なんで無視されて相手にさわらないんだろうと思う。

誰にも見えなくなったら、さびしいかもしれないが、しばらくは気楽だろうなと思うよ。そういう立場になりたいと思っちゃった。

ここから2002年。2001年のぶんは「厭な子供」の動画だけどうしても見つけられなかった。

おかしなまち 世にも奇妙な物語
https://t.co/TXXrQfM1Qq

「おかしなまち」見た。
──主人公(柳葉敏郎)は、リストラの増えた職場で鼻をグズグズさせながら真面目に働いている。「岡科町(おかしなまち)」へ行き仕事をすることになる。そこでは誰もがシャレを言いギャグをかましている。主人公は徐々に馴染んでいく。──

コメント欄の「おかしいけどおもしろくはない」「受付の女くそわろた」に同意する。
おもしろそうだけど、おもしろくはないんだよね。楽しそうな町だけど、住むのはきつそう。
ギャグよりも、切符を犬の形にしてくれるみたいなことが心あたたまるなあ。

世にも奇妙な物語 トカゲのしっぽ
https://t.co/vcZvSuhJaz

「トカゲのしっぽ」見た。
──主人公(柏原崇)はピアニストで、事故で右腕を失った。教授が開発したトカゲの再生能力を利用した治療法を受け、右手が再生する。しかし右手はトカゲのようで、思うようにならない。教授のもとをたずねると、人間離れした何かの力により教授は死んでいた。──

ついこのあいだの「心臓の想い出」みたいな話だ。からだのパーツをつけかえるがうまくいかない話。医療ミスっていうのはこわいよ。

トカゲとショパンのワルツの取り合わせがふしぎだ。
楽譜のおたまじゃくしがトカゲになるところが怖いというかイヤだ。
しかしまあ、右手から体ののこり全部を再生させるとか、やばいな。その発想はなかった。

"夜汽車の男"
https://t.co/xRvFWiSYUM

「夜汽車の男」見た。
──主人公(大杉漣)は汽車で弁当を食べる。どんな順番で食べるか、それぞれの味はどうか、慎重に考えながら食べ進めてゆく。──

コメント欄を見たら、すごく好評でおどろいた。大杉漣さんの訃報を聞いてこの動画を見に来たという人がいた。

弁当のなかにもドラマがある。なるほどね。弁当にかぎらず、ドラマの種はいたるところにありそうだね。

"マンホール 世にも奇妙な物語"
https://t.co/GCQBLHi4uz

「マンホール」見た。
──主人公(香川照之)は妻とうまくいかず、会社でもリストラにあいそうだ。出社するとマンホールにはまってしまう。深くて出られない。なかには事務局長のネズミがいて、出るためには手続きが必要だという。そのあいだ、ネズミ人間が代わりに出社する。──

よりによってこれがサムネイルか。
おもしろいけど、終わってみると印象がないなあ。
ああそうだ。リストラを切り出せない部長がよかった。

ホテルの場面が強烈すぎてほかの印象がぶっとんだ。動物の行為を人間に置き換えるとあんなふうなのかなあ。

コミカルだけど、カフカ的な話なのかと思えてきた。入ったらなかなか出られなくなるところ、未知の手続きに振り回されるところ、動物の姿になってしまい家族に苦しめられるところ。

"採用試験 世にも奇妙な物語"
https://t.co/Cz7fMJu7JR

「採用試験」見た。
──主人公(深田恭子)ら五人が受けている採用試験は奇妙なものだった。「さいたさいたさくらがさいた」とひたすら紙に書かされる試験。手の上に皿と水の入ったグラスを置かれ一時間そのままでいる試験。そして最後の試験は、棄権者の続出する内容だった。──

へーなるほどと思った。終わってから考えてみると、たしかにそういうことを試す試験だったと納得する。

「ロンドンは作られていない」に近いアイデア。
不景気っていうのはこの番組にも及んでいて、リストラとか就職難が出てくる。深田恭子のロボットっぽさが存分に発揮されている。

知らなすぎた男
https://t.co/abIaWTO9TU

「知らなすぎた男」見た。
──消防士の主人公(佐藤浩市)は、妻との関係にうんざりしていて、別れたいと思っている。同僚は、自分が変わればものの見方も変わる、ポジティブシンキングだと励ます。それから、主人公には妻が別人のように美しく見える。主人公は妻とやりなおすことを決意する。──

叶姉妹みたいな巨乳の奥さんが気になってしょうがない話だった。なかなかの棒読みだけども。
妻との関係を取り戻そうとしたが、ザリガニを殺したことの復讐を受けたように思える。いや、ザリガニこそ真実を知っていて主人公を止めようとしたのか。
ホースで水をかけられながらも「良かったな」と言ってくれる同僚がいいね。

世にも奇妙な物語 連載小説
https://t.co/70M8iaEqhI

「連載小説」見た。
──小説家の主人公(木村佳乃)は、ネタがなくて困っている。飛び降り自殺を考えていると、むかいの部屋に飛び降り自殺しようとしている男がいる。そこから小説を考えつく。それからというもの、むかいの部屋を覗き見ながら連載が書かれる。──

途中までけっこう怖い。向かいの部屋に勝手に上がり込んでいくのがマイナス。地球滅亡までのカウントダウンが機能しなくてマイナス。部屋から死体が出てきてマイナス。小説の内容が露骨でマイナス。テロリストが世直しでバイクに発砲するか? マイナス。
テロリストとか、小説家のファンがいかにもそれっぽいのはプラス。

"世にも奇妙な物語 声を聞かせて" https://t.co/Rf9kpqcXA3

「声を聞かせて」見た。
──主人公(加藤晴彦)に、知らない女性から電話がかかってくる。合コンで一度会ったことがあるという。それからよく電話するようになるが、決してすがたはあらわさず、主人公のことがなにもかも見えている。──

「電気じかけの幽霊」に「テレフォンカード」と何かを足したような話。
林原めぐみの声がたまらない。気味の悪い役を見事に演じている。
思えば最初は控えめだったのになあ。地獄へのカーナビがこわい。

"昨日の君は別の君 明日の私は別の私 (世にも奇妙な物語)" https://t.co/wdlq6Zj7UJ

「昨日の君は別の君 明日の私は別の私」見た。
──主人公(藤原紀香)は子育てに追われる毎日を過ごしている。夫は仕事で帰ってこない。そんなある日、パソコンの画面に自分があらわれる。プロポーズを断り雑誌編集の仕事を続けている、もうひとりの自分。──

スマホを新しくしたら、再生速度が変えられるようになったので1.5倍速で見た。台詞は聞き取れるし問題ない。

「幸福の選択」みたいな話だけど、子役がよく演技してるし、感動的だ。もう一人の旦那が現れるのがいい。最後もちょっと含みをもたせているし。
お互いにとってプラスになってるのがいいよね。親子の関係がよくなるし、雑誌編集の仕事も良い方向にいく。

"世にも奇妙な物語 顔を盗まれた"
https://t.co/hZ6UiJlpMT

「顔を盗まれた」見た。
──主人公(稲垣吾郎)は取り調べを受けている。暴行も盗みも主人公はかたくなに否定する。証拠の映像を見せられても主人公はちがうと言い張る。主人公は顔を盗まれたと話し出す。少し前からさまざまなあらぬ疑いをかけられるようになり、記憶が途切れるなどしていた。──

「急患」に似たところがある。悪の実体は見えず、緑色のなにかを通して描かれる。また、それは広がってゆく。

りんごをかじって放りだすのと、CDをばらまくのは同じように人間ばなれしている。

すぐに胸ぐらをつかむような取り調べのやりかたを見ていると、おいおいまたか……と思う。
電話がかかってきて出たけど、一言も発してなかったのもおかしい。

ここから2003年。

世にも奇妙な物語 『レンタル・ラブ』"
https://t.co/s4sjXrdWaA

「レンタル・ラブ」見た。
──家庭から父親がいなくなった時代の物語。母(飯島直子)の子供が、「お父さん」に興味をもち、父親ロボットを欲しがる。レンタルした父親のロボット(仲村トオル)は徐々に言葉を覚え、家族に馴染んでいく。海で溺れた子供を父は助けるが──

飯島直子いいなあ。前に「ザ・ニュースキャスター」で出てきたときは一人暮らしで男の影もなかったが、今度は家族の話だ。母と子でどうやって生計を立てているのかわからない。

レンタルで、しかもロボットでオンとオフができたら家族って気楽だろうなあ。飯島直子のロボットだったらほしい。置く場所があればなあ……。

顔をひらくのはどういう機能?
BGMがやすっぽい。

あ、そっか。ロボットだから働かなくていいんだ。
読み聞かせているのが「ピノキオ」、という伏線の張り方。

"追いかけたい 世にも奇妙な物語"
https://t.co/tfgkyO3Ibo

「追いかけたい」見た。
──主人公(京野ことみ)は追いかけて勝手に撮影してくる男に迷惑している。その一方で、一度接触したピザ屋の従業員に片想いして、電話したりメールしたりマフラーを編んだりしている。主人公は彼にマフラーをわたすために彼を追いかけて、部屋を突き止めるが……。──

京野ことみいいなあ。「飯島直子いいなあ」と書いたばかりだけども。
メガネの男がやるとストーカーになることが、京野ことみがやると嫌な感じがしない。最後、きれいに一周した。

「わたしメールやらないんだ」に時代を感じる。

"世にも奇妙な物語 超税金対策殺人事件"
https://t.co/Vow2Bq0gFo

「超税金対策殺人事件」見た。
──小説家の主人公(西村雅彦)は連載小説の締め切りに追われている。そこへ、多額の税金の知らせが届く。数々の贅沢をなんとか必要経費とするため、税理士である友と妻と協力し、小説のなかにむりやりハワイやスーツや骨董品を登場させる。──

旭川からハワイへの転換がじつに鮮やかだ。案の定……なオチも含めて、たのしい作品。
バタバタした奥さんだなあ。

最近見た「顔を盗まれた」も「連載小説」も作家が主人公だった。そりゃあ自分のことは描きやすいだろうねえ。

"世にも 影の国"
https://t.co/JmDJha0lyA

「影の国」見た。
──カウンセラーの主人公(桜井幸子)がパソコンのクライアントのデータを整理していると、記憶にない男のデータがある。再生してみると、男(大杉漣)は、影たちはそこに存在している、自分は影の国からきて影の国へ帰らなければいけない、等々と奇妙なことを語る。──

理解が追い付かないが、相当こわい話だ。
記憶から消えたり、居るのに見えなかったり、人が突然消えるのがこわい。156あるコメントを見たが、結局わからない。

カウンセラーが動揺することに批判的なコメントがある。病気を分類する几帳面さが、そこからあふれ出すものに過剰に反応するのか。

パソコンで動画を見てるのがあたらしかったな。だんだん携帯とかネットとかパソコンとかが頻繁に出てくるようになったな。

2003年の春のぶんが終わった。古いものがいくつか見つかったので明日からそれを見る。こういうのは、うかうかしてると消されるやつだから。

"世にも奇妙な物語 【人間国宝】"
https://t.co/XpuGP9EyqM

「人間国宝」見た。
──主人公(松村雄基)は幻の掘り師から背中に入れ墨を入れてもらう。まもなく掘り師が亡くなり、背中の入れ墨が国宝に認定される。作品の保護のため監視されるようになる。監視の目から逃れようとするが、懸賞金をかけられ、ついに捕まってしまう。──

1992年9月放送。結局入れ墨はどんなものかわかんないんだね。ぎりぎりで映らない。
背中に爪をたてたら捕まる場面は覚えてた。
おもしろい設定の話だ。

"世にも奇妙な物語 【ゲームセンターの奇跡】"
https://t.co/PiohWQHMkZ

「ゲームセンターの奇跡」見た。
──塾と家庭に疲れてゲームセンターに入り浸る少年が、10万点とると奇跡が起こるゲームをプレイする。10万点とったそのとき、少年はゲームセンターのおじさん(谷啓)と入れ替わる。いじめっこや親に仕返しをして再び元の姿に戻るが……。──

1990年8月の、かなり初期の作品。
いやーしかし古くさいゲーセンだ。ピンボールみたいなゲームだ。おじさんが声をかけてくるところも古い。
いきなりビンタしたりスカートめくりするところがおかしかった。おどるポンポコリンを口ずさんでいた。

"世にも奇妙な物語 【ど忘れ】"
https://t.co/pCvYSSKgw3
「ど忘れ」見た。
──主人公(坂上香織)は母のど忘れにあきれていたが、自分も円周率を忘れる。ど忘れはエスカレートしていき、人の名前も自分の家も名前も忘れていく。──

1991年3月。
ひたすらど忘れが進行していく話。治ったとみせかけて治ってない点だけがひねりがある。
こういう病気はありそう。奇妙というのとはちがう気がする。

「夢をあきらめないで」がケンタッキーで流れている場面があった。ヘアースタイルも古く感じる。

"世にも奇妙な物語 【あの世への伝言サービス】"
https://t.co/N50C36kCRZ

「あの世への伝言サービス」見た。
──主人公(吉村明宏)は亡くなった人へのメッセージを伝えるとして老人から金を巻き上げていた。そこへ若い女性があらわれ、亡くなった婚約者に指輪を返しメッセージを伝えたいという。婚約者は死ぬ間際に、彼女に手を出すやつは殺すと言い残した。──

91年6月。これちょっと覚えてた。
吉村明宏っていうとアッコにおまかせのイメージが強い。しかしなんだよあのメガネ。
デブの演技がいまいちだ。殺すといってもあまり怖くない。

詐欺師で、呪い殺されそうになって土下座して、そのうえでさらに女に近づこうとしてるわけでしょう。殺されてもあんまり同情できない。死ぬときの顔がちょっとインパクトあった。

"世にも奇妙な物語 【もう一人の花嫁】"
https://t.co/xerIdvylk9

「もう一人の花嫁」見た。
──二階から飛び降りた主人公(沢口靖子)はタイムスリップする。亡くなったはずの母が今まさに結婚しようとしていた。親が決めた相手と、自分が好きな相手のあいだで揺れる母。主人公は母を説得する。──

1991年4月。テンポが悪いような気がして1.5倍速で見た。
二階から飛ぶ意味がわからなかったが、タイムスリップのためなのだろう。昔の日本がでてくる話はわりと好き。古い結婚式だと思った。
親のしたことを忠実に子が受け継いでゆくという話で、こういうのはいまは流行らんだろうね。
親子の情の部分が、ちょっと感動的だった。死んだお母さんに会うとか、感動するよ。

"世にも奇妙な物語 【時間よ止まれ】"
https://t.co/CgXvOofcC5

「時間よ止まれ」見た。
──主人公(山本淳一)は、くしゃみをするとしばらく時間を止められることに気づいた。学校でくしゃみをして女性教師の胸をさわろうとすると、もう一人動ける女子生徒がいて止められる。二人は、宝くじの抽選会場に行き、時間を止めて結果を変えようと企む。──

男子のバカなところにとても共感する。
交通事故の多いドラマだと思ってたけど、二回でてくる。
BGMがうるさいのはなんだろう。動画編集のアレなんだろうか。
91年1月。

マネキンの使い方がおもしろい。
交差点でボール遊びなんかするかなあ。

"世にも奇妙な物語 【穴】" https://t.co/1QJCH5KBLL

「穴」見た。
──ゴミ処理場の建設をめぐり、主人公(いかりや長介)の会社と近隣住民は対立していた。建設予定地に大きな穴が見つかった。調査するが底がわからないほど深い。穴はゴミ処理に使われるようになり、あらゆるものが捨てられた。会社は発展したが、7年後のある日……。──

92年12月。ビデオに撮って見てたのを思い出した。星新一の作品。
いやあ、うまくできた話だなあ。
このシタールふうのBGM、何回か出てきている。

バケツをくくりつけた紐がどこで切れたのか気になる。
屋上から穴へ再び運ばなきゃいけないね。会社のビルの屋上なのが救いでしょう。死体とか、また隠せるから。

"パーフェクトカップル 世にも奇妙な物語" https://t.co/jAoqVR3tQY

「パーフェクトカップル」見た。
──主人公(矢田亜希子)のところに突然知らない男性から花束が届く。会いにいくと、相手の男性はすでに亡くなっていて、その母が送ったのだという。男性は主人公を電車で見かけて片想いしていたという。──

古いのを見終わったので2003年秋のつづきから。
なんとも皮肉なタイトルだ。まったく関わりのない二人を完璧なカップルだというのだから。
この調子だと、男性も母に殺られたんじゃないのか。

自分勝手で思い込みが激しいといえば、南果歩の出てた「ラブチェアー」を思い出したが、あれは恋人同士だった。知らない人の親というのは、それとはまた違った気味の悪さだな。
男がまったく出てこなくてどんな人かもわからないのが謎めいている。

"기묘한 이야기 2003 가을 특별편 #01"
https://t.co/A7wiC8gOeF

「遠すぎた男」見た。
──主人公(中村獅童)のまわりには、なぜか人が寄り付かない。医者にかかってもわからない。そのせいで夫婦の仲は悪くなり、会社はクビになってしまう。だが、彼に向いているあたらしい仕事がみつかった。──

意外なオチだったな。良かった。
それにしても不思議なことだ。もっともっと無理に近づくとどうなるんだろう。

"世にも奇妙な物語 迷路"
https://t.co/Vt05Imqeh1

「迷路」見た。
──主人公(谷原章介)ら三人は、廃墟と化したテーマパークの迷路に入る。かつて、迷路の中にある金塊を求めた14名の参加者たちはみんな行方不明になったという。主人公が道しるべのためにつかんでいた紐は、途中で切れていた。一人がパニック状態になる。──

古代の伝説を下敷きにした、厚みのある話。
「アイテム」という単語がゲームっぽくしているし、奇声を発する男がちょっとギャグみたいだ。
おもしろかった。薬液には驚いた。
GPSってこのころからあったんだな。
金塊ひとつで、ずいぶん殺伐とするものだ。

"기묘한 이야기 2003 가을 특별편 #02"
https://t.co/yihnP5sAJ2

「影が重なる時」見た。
─主人公(八嶋智人)の周囲で、自分の影を目撃する人が急増している。本人にしか見えず、みんな空を見ている。調べた結果、時間が影響していることがわかった。影のつけている時計はどれも4時39分をさしている。──

2003年の最後の話。
久しぶりに世界が滅んで終わる話を見た気がする。いつ以来かは思い出せないけど。
子役がかわいい。八嶋さんはトリビアの泉のイメージが強いなあ。
でも実際は世界が滅びることのほうが重要すぎて、幽霊どころじゃなくなるとおもう。
滅びるけどちょっとハッピーエンドみたいになってる。よくわからん幸せだ。

■今回おもしろかった話
1 穴
2 影の国
3 超税金対策殺人事件
4 迷路
5 夜汽車の男
6 昨日の君は別の君、明日の私は別の私
7 遠すぎた男
8 採用試験
9 パーフェクト・カップル
10 マンホール

■今回つまらなかった話
1 ど忘れ
2 連載小説
3 おかしなまち

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52231187.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c11

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ あけてくれ (2004年9月20日) 中川隆
1. 中川隆[-12122] koaQ7Jey 2019年2月17日 09:31:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語では「あけてくれ」、やりすぎコージーでは「運命の帰り道」で放映されていた内容ですが、2つとも細部は違うものの同一の物語

原作 - 松山ひろし「開けてくれ」(「3本足のリカちゃん人形」所収 / イースト・プレス)

やりすぎコージー「運命の帰り道」 - YouTube 動画
https://www.dailymotion.com/video/x6bsgj
https://www.youtube.com/watch?v=OR1H6T60NmY
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%8E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC+++%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%B8%B0%E3%82%8A%E9%81%93&sp=mAEB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/248.html#c1

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
152. 中川隆[-12121] koaQ7Jey 2019年2月17日 10:10:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年2月17日
【三橋貴明】手じまいに入った日本銀行


近況といえば、日本銀行の
マネタリーベース(以下、MB)が増えていません。

【日本のマネタリーベースと
マネーストック(左軸、億円)と貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_62.html#kaheijousuu

月ベースの末日MB残高増加率を
各年平均で見ると、

13年が3.29%、14年が2.75%、
15年が2.19%、16年が1.76%、
17年が0.9%、18年が0.4%。

最近は、MB残高を前月末よりも
減らす月が増えて参りました。

日本銀行は明らかに量的緩和の
「手じまい」に入っていますが、
理由はもちろん、

「購入可能な国債が金融市場から消える」

わたくしが以前から警告していた
「日銀のXデイ」が近づいているためです。

さすがの日銀も、
黒田東彦元・財務官が日銀総裁に就任して以降、

すでに370兆円(!)
ものMBを増やしてさえ、

我が国がデフレから脱却できないとは
想像だにしていなかったのでしょう。

もちろん、
我々は日銀がインフレ目標を設定し、
MBを拡大したところで、

政府が緊縮財政を維持する限り、
インフレにはならないと主張し続けてきましたが、
自分たちの予測が当たったところで、
別に嬉しくはありません。

マネーストックをMBで割った「貨幣乗数」も、
何と2倍という前代未聞の水準に落ち込んでいます。

貨幣乗数は昨年4月以降、
2倍で「固定」されています。

日銀は、貨幣乗数について
2倍を割り込ませないことを
決意しているように見えます。

別に、貨幣乗数が
2倍を割り込んだところで、
現状に変化(良い変化も、悪い変化も)
があるわけではないですが、

とりあえずの「閾値」のつもりなのかも知れません。

ちなみに、
直近の長期金利(十年物国債金利)は
▲0.021%と、マイナスの領域に舞い戻っています。

このままでは、
最終的に日銀が量的緩和の
「継続不可能」を宣言せざるを得ない、
日銀Xデイがやってくることになります。
(間違いなく、超円高、株価暴落になるでしょう)

解決策は簡単で、
政府が国債を発行すればいいのです。
ところが、安倍政権は相変わらずの緊縮財政。

政府が緊縮路線を改め、
国債を増発し、有効需要(GDPになる支出)を拡大する。
そうすることで、量的緩和が担保できます。

正しい道は、あまりにも明らかなのです。

それにも関わらず、
政府は国債増発に乗り出そうともしない。

ほとんどの野党にしても、財政拡大は口にしない。
新しい政党が必要です。
https://38news.jp/default/13207
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c152

[昼休み53] 多文化共生とは移民がレイプしまくるのを放任する事 中川隆
23. 中川隆[-12120] koaQ7Jey 2019年2月17日 10:16:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

フィンランド:移民によるレイプ多発に付き、移民が学校や保育所を訪問する「統合プロジェクト」を中止 2019年02月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12440163209.html

昨年12月にフィンランドで前代未聞の難民による少女レイプ事件をブログで紹介しました。

クリップフィンランド:少女への性犯罪で難民大量逮捕。SNSを利用した手口に警察が注意喚起!
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html

その後の様子をお伝えします。

新年の挨拶でフィンランドのSauli Niinistö大統領(写真下)が、ヨーロッパの民主主義の将来について深刻な懸念を表明しました。

その挨拶の中で、論争となっている性犯罪の増加と治安悪化について触れています。

そして、ヨーロッパは自分たちの価値観について破壊的な戦いに陥ってしまったとして、特にフランスのイエローベスト運動に注目しました。

ヨーロッパの価値観を広めるどころか、自国でそれを守らなくてはいけなくなっています。

大統領は、フィンランドは世界で最も民主的で平等で自由な国だと述べました。

「私たちの強さは常に信頼されてきました。教育から社会福祉、警察から医療まで、当局への信頼も強みです。」

私たちの国の安全を作り出している人たちが評価される習慣があることが、フィンランドの安全保障となっている、と大統領は続けました。

しかし、最近とりわけ警察に対する否定的な姿勢がこの国で注目されています。

「警察に対する不適切で攻撃的ともいえる行動がますます常態化してきています。公共サービスを提供する人たちが、その対象者を恐れなくてはいけない状況は何かが非常に間違えています。」

大統領は最近国内で起きた女性や少女に対する集団レイプにも触れました。

メディアは、アフガニスタンとイラクの男たちがフィンランドの性犯罪統計上でいかに圧倒しているかを報じており、論争が国民の間で怒りを呼んでいます。

「私たちは助けを必要とする人達を守るための国際条約に署名し、その合意内容に従うことになっています。しかし、私たちはそのシステムは他の目的で入国する人たちが悪用できるものであることを学びました。」

「更に付け加えると、私達からの保護を求めた人達の中で、保護を受けながら自ら非人間的な行いで治安悪化を作り出している人達の有様を見ているのです。」このように大統領は結論付けたのです。

https://voiceofeurope.com/2019/01/finnish-president-some-who-have-sought-protection-in-our-country-have-created-insecurity-through-inhuman-deeds/

四角02

自警団「Soldiers of Odin (SOO)=オーディンの戦士」が、移民たちによるフィンランド人の子供へのレイプ事件への対策として Ouluの町の巡回を始めました。

Soldiers of Odin (SOO)は2015年10月欧州難民危機の時に自国への難民が10倍にもなったことに危機感をもって設立された団体で、スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、イギリス、ベルギー、エストニア、カナダ、オーストラリア、アメリカにも加盟団体があります。

警察と安全保障担当当局は困惑しており、内務大臣が「フィンランドでは社会秩序維持は公務である。これはシンプルなことであり、我々はこれに拘る」と述べています。

https://voiceofeurope.com/2019/01/the-finns-fight-back-after-multiple-cases-of-child-rape-soldiers-of-odin-patrol-the-streets-of-oulu/

四角02

フィンランドの Oulu(オウル)では、今後移民たちは学校や保育園への訪問を禁止されます。

何件もの移民による少女へのレイプ事件で、保護者達が「(人種や宗教の)統合プロジェクト」への不満を表明したからです。

警察によると犯人は最近フィンランドに入国した移民の男たち、被害者は全員15歳未満の少女です。

レイプ‐ウェーブ(レイプの波)としてメディアに取り上げられた有名な場所の1つがオウルでした。

ESIKOTOと呼ばれる統合プロジェクトは、移民が学校や保育所を訪れて授業や研究グループから社会について学ぶもので、多文化主義を促進することにもなっていました。

しかし自治体の責任者は保護者の意見を受け入れてプロジェクトを終了することにしました。

警察によると2017年から2018年の1年間で性犯罪が20%増加していたということです。

https://voiceofeurope.com/2019/02/migrants-banned-from-finnish-schools-and-daycare-centers-after-multiple-child-rape-cases/

四角02

日本政府は全く勉強をすることなく、いや、日本をグローバリストに捧げるつもりなら勉強したからこそ、急ピッチで日本でも多文化共生主義を推し進めているのでしょう。

労働力が足りないなら、その場所にだけその時期だけ外国人労働者を割り当てる方法もあり、そのためなら外国人用の健康保険制度を作ったりすることも可能です。でもしません。

あくまでも私たちのシステムに彼らを潜り込ませて一緒にすることしかやりません。

だから、これは移民政策なのです。

外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策 平成 30 年 12 月 25 日(官邸HP)

政府としては、条約難民や第三国定住難民を含め、在留資格を有する全ての外国人を孤立させることなく、社会を構成する一員として受け入れていくという視点に立ち、外国人が日本人と同様に公共サービスを享受し安心して生活することができる環境を全力で整備していく。

という多文化共生への意気込みが最初のところに書かれています。ゲッソリ

フジテレビ

いつの間にこのようなネパール人不良グループが形成されたのか、さすが世界のゴミ箱だけあって変なのが日本に集結しています。どうして不良グループとわかっていながら在留許可を取り消して国外退去にしていないのか、日本政府の対応が酷いですね。

これが中東ならネパール人はこんなことできなかったのです。はこ怒る

カタールのワールドカップ建設現場で働いてたネパール人は毎年200人ほど死んでいると大使館が述べていたほどです。

こういうところから、間抜けで腑抜けな日本にシフトしてきてしまったのです。

ネパール人を純朴で素直で良い人だと思っていたら大間違いです。

これが彼らの故郷での真の姿です。下矢印(ロイヤル蒲田ボーイズと同じ顔しているでしょ!)

これから何の罪もない動物を大量殺戮するお祭りに行く前です。これが本当の姿です。

殺し方が酷くて本当の大虐殺なんですが、こういうことに慣れた社会の構成員です。

こちらにも記事があります。


「ガディマイ祭」にはインドやネパールから大勢の巡礼者が訪れ、女神ガディマイのために多くの動物のいけにえが捧げられる。2009年の祭りでは推定50万の水牛や山羊、鶏などの動物が犠牲となった。2014年の祭りでは、インド最高裁がネパールへの動物持ち出し禁止令を出したため、殺される動物の数は大幅に減った。(ロイター)

多文化共生主義は必ず日本人を不幸にします
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12440163209.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html#c23

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
124. 中川隆[-12119] koaQ7Jey 2019年2月17日 11:09:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html

タルコフスキー 鏡 (1975年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html

世にも奇妙な物語 _ あけてくれ (2004年9月20日)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/248.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c124

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
1. 中川隆[-12118] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:44:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。

『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
http://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c1

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
2. 中川隆[-12117] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:47:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「魂の映像詩人〜タルコフスキー」


「僕のみる夢は、いつも同じだ。

僕が40数年前に生れた祖父の家、それが必ず再現される。懐かしい場所だ。

そして白いテーブル・クロスの食卓がある。

家に入ろうとして入れない・・・、そんな夢を何度か見た。

薄汚れた丸太の壁やよく閉まらない扉などを見て、夢だなと思うことがある。

そういう時には妙に物悲しく、目覚めたくないと思ったりする。

時に何事か起きて、あの家も、周囲の林も夢に見なくなる

夢に現れないと、僕は淋しくなる。夢を待ち焦がれるようになる。

夢の中で僕は子供にかえり、幸せを感じるのだ。まだ若いからだろうか?」

『鏡』は、タルコフスキーの作品のなかで最も難解な作品かもしれない。

なぜなら、この作品に貫かれているのは監督の内省的な自伝的要素の強い作品になっているからだ。自分の内面を見つめることさえ難しいのに、人の内面に入るのは困難なことである。

物語は父と別れた母への思いと、同じように妻と子供たちと別れてしまった『私』の回想と夢で綴られる。


母が印刷工場で誤植かもしれないと大騒ぎした日に、同僚のエリザヴェータから身勝手だと責められる。

そして、主人公も妻から「あなたは自信過剰よ。自分が存在するだけで、家族は幸せになると思っている」と母に似たような非難をされる。

自己の存在があっての世界。自己の存在があっての他者。

そうした人と人の繋がりの感情の襞が、この作品では鏡を通して語られる。


作品の冒頭近く、風に揺らぐ草原の中を通りすがりの医者が母に語りかける。

「・・・ごらんなさい。自然も素晴らしい。草も木も感じたり、認識したり、理解するのです。・・・

われわれは走り回り、くだらんおしゃべりをする。自分の中にある自然を信じないからですよ。

世俗のことばかり忙しくて・・・」と。


内なる自然、それは『神』と同義語ではなかろうか。

人間としての良心。善悪や恥に対する認識。

『惑星ソラリス』でもそれらは同じように語られる。そして、スナウトに「人間に必要なのは鏡だ」と語らせている。

自己を見つめるための『鏡』、
自己の内面を時間と空間を飛び越えて映し出す『鏡』。

鏡に映った自己は虚像ではあっても、その内面の多くを物語ってくれる。そして、それは実像なのである。


スターリン政権下、誤植は命とりだったのである。

そのため奔走した母。それを攻める同僚。
観ているものには理不尽さを感じないではいられない。

それは、時代のゆがみの現れ、タルコフスキーのソ連政権に対する不信感の現われだったにちがいない。


ともあれ、この作品は言葉で表し難い。それは冒頭述べたとおりである。

しかし、タルコフスキー特有の映像。この映像を見ているだけで至福のひと時を感じてしまう。

また、感情の奥襞を言葉のやり取りでさらけ出していく手法はベルイマンを、夢のシーン、特に母がベッドから浮き上がるシーンや家の壁が崩れ落ちるシーンにはブニュエルの影響が認められる。


そして、作品の随所に現れる『水』と『火』のイメージは、次作 『ストーカー』を経て『ノスタルジア』で頂点に達する。


≪父の詩≫

「私は予感を信じない 

前兆を認めない 

中傷も毒も恐れない 

この世に死は存在しないのだ 

すべては不死だ 

すべては不滅で17歳でも70歳でも死を恐れる必要はない 

ただ現実と光あるのみ 

この世に闇もなく、死もない 

我々はみな海辺に出る 

不滅の海の広がり
 
我々は力をあわせて綱を引く
 
家というものも永遠だ 

私は好きなときに呼び戻し 

その時代に生き 家を建てる・・・

それゆえに今 我々は妻や子と祖父や孫と一つテーブルにいる 

もし私が手を挙げれば 未来もここに現れる 

光も永久に残るだろう
 
過ぎ去った日々を私は肩に積み重ねて 深い時の森を抜けてきた 

私は自らこの世紀を選ぶ・・・」

鏡《ストーリー》


私の夢に現われる母・マリア。

それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。

うっそうと茂る立木に囲まれた家の前で、母・マリア(マルガリータ・テレホワ)はいつものようにもの思いに耽つていた。

一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者が声をかけるが、彼女は相手にしない。


母は、たらいに水を入れ髪を洗っている。
鏡に映った、水にしたたる母の長い髪が揺れている。


息子≪私の少年時代≫・イグナートが家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。

1935年のことだった。その年、父は家を出ていった。


私は突然の母からの電話で夢から覚め、エリザヴェータが死んだ事を知らされた。
彼女は、母がセルポフカ印刷所で働いていた頃の同僚だった。

私は母に、母の夢をみていたことを知らせる。


両親と同様、私も妻ナタリアと別れた。

妻は、私が自信過剰で人と折り合いが悪いと非難し、息子イグナートも渡さないと頑張っている。

妻のもとにいるイグナートのことは、同じような境遇にあった自らの幼い日を思い出させる。

赤毛の、唇がいつも乾いて荒れていた初恋の女の子のこと。

同級生達と受けた軍事教練のこと。それは戦争と、そして戦後の苦難の時代でもあった。


そして、哀れだった母のこと。

大戦中、疎開先のユリヴェツにいた時、母に連れられて遠方の祖父の知人を訪ねて、宝石を売りに行き、肩身のせまい想いをした時のことなど、彼にとって脳裏に鮮かに焼きついている幼い頃のことが思い出される。


母の負担になったかもしれない自分の少年の日々のことを思うと、私の胸は疾く。

イグナートが同じ境遇をたどっているのかも知れないと思うと、さらに私を苦しめる…


そして、夕暮時、母が遠くで見守るなか、広い草原を子供たちが年老いた母につれられて歩いて行く。
http://acusco.cocolog-nifty.com/higurasi/2008/07/post_20eb.html

アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー


―1985年3月、ストックホルム― 『鏡』に関して


Q. 『鏡』であなたはご自身の生い立ちを提示されました。どのような鏡をあなたは使われたのですか。


その鏡は、スタンダールの鏡のように、道中をたどる鏡ですか。それとも、その中に自分自身を発見し、それまで知らなかった自分自身について何かを学ぶことになった鏡ですか。

言い換えますと、この作品はリアリスティックな作品ですか、それとも、主観的な自動創造なのですか。あるいはもしかすると、壊れた鏡の破片を集めて、映画的なイメージの枠内に収めて、完全な総体を構成する試みなのでしょうか。

映画というものは、部分を集めて一個の総体にする可能性をいつも創造してくれます。

映画は結局、モザイクのように、切り離されたショットから構成されています。

色彩とテクスチャーの異なる個々の断片で構成されています。

ですから、断片の一つ一つはそれ自体では、無意味かもしれません。またそう見えることでしょう。

しかしその総体の中に収まると、断片が絶対に必要なエレメントになるのです。

個々の断片はその総体の枠内でしか存在しません。だから映画は、私にとって最終的な結果を見る目で考えぬかれていない、いかなる断片もフィルムに存在しない、存在し得ないという意味で、重要なのです。

個々の断片のひとつひとつは、まったき総体によって共通の意味にいわば彩色されているのです。

言い換えると、断片は自立した象徴として機能せず、ある独自の、唯一無二の世界の一部としてだけ存在するのです。

そういうわけで、『鏡』はある意味で私の理論的な映画観に最も近いものです。


ご質問は、どのような種類の鏡なのか、でしたね。

ええ、まず第一に、この映画は創作されたエピソードをまったく含まない私自身の脚本に基づいています。

エピソードのすべてが実際に私の家族の歴史のものです。そのすべてです。例外はありません。

唯一創作されたエピソードは、ナレーター、作者の病気です。

作者はスクリーンに映りません。


ところで、この非常に興味深いエピソードは、作者の精神的な危機、彼の魂の状態を伝えるために、必要だったのです。


ひょっとすると、彼は命に関わる病気なのです。

ひょっとするとそれが映画を作り上げるさまざまな回想を生み出す理由なのです。
死ぬ間際に人生の最も重要な瞬間の数々を思い出す人のようにです。

ですから、これは作者が自分の記憶に加えた単純な暴力ではありませんー私は私が欲するものだけを覚えているのですーそんなものではありません、これらは臨終の時の男の回想なのです。

自分の思い出すエピソードを良心の秤にかけているのです。

このように、唯一創作されたエピソードは、他の完全に真実である回想に必要な先行条件になったのです。


この種の創造、このように自分自身の世界を創造することがこの真実かどうか、そうお訊ねなのですね。

ええ、もちろん真実ですが、私の記憶に反射したものとしての真実です。

例えば、撮影に使われた私の子ども時代の家を考えてみましょう。

映画であなたが目にする家です。あれはセットです。

つまり、あの家は昔、私の家が建っていた全く同じ場所にもう一度建てられたのです。

あそこに残っていたものは、基礎すらなかった、かつてそこにあった穴ひとつでした。

まさにその場所に家がもう一度建てられたのです。写真から再建したのです。

これは私にはきわめて大切なことでした。

私が何らかの自然主義者になりたかったからではありません。

そうではなく、映画の内実に対する私の個人的な姿勢の総体がそれにかかっていたからです。

もし家が別物に見えたなら、それは私にとって個人的なドラマになったことでしょう。

もちろんこの場所で樹木はずいぶん生い茂りました。すべてが生え放題で、ずいぶん切り倒さねばなりませんでした。

しかし、私がママをあそこに連れて行くと、ママはいくつかのシークェンスに出ていますから、彼女はあの風景にひどく心を動かされたので、私は正しい印象が創造されたのだとすぐに分かりました。


こう思うでしょうね。なぜまた、過去を念入りに再構築することが必要だったのか、と。

それもまた、ただの過去でなく、私が覚えていること、そしてそれを私がどのように覚えているか、それを再現することが必要だったのか。

私は、いわば、内的で主観的な記憶のために特定の形式を探求しようとしたのではありません。

私は昔のままにすべてを復元しようと努めました。

つまり、私の記憶に固定されたものを文字どおり繰り返そうと努めました。
その結果は非常に不思議なものでした。私には何とも奇妙な経験でした。

観客の興味を引くために、関心を引きつけるために、観客に何かを説明するために、構成されたり創作されたエピソードは何ひとつない映画を私は作りました。


エピソードのすべてが、まさしく私の家族に関する、私の生い立ちの、私の人生の回想だったのです。

そして、それが実は非常にプライベートな物語であるという事実にもかかわらずーもしかすると、まさにそのためにー私は後でたくさんの手紙を受け取りました。

映画を見た人たちは「どうやってあなたは私の人生で起きたことが分かったのか」と訊いてきたのです。

これは非常に重要です、ある内的な意味で、非常に重要です。

これはどういう意味なのでしょう。

これは、道徳的で精神的な意味で非常に重要な事実であると私は言いたいのです。

なぜなら誰かが自分の真実の感情を芸術作品で表出するなら、それは他者にとって秘密のままであることはありえないからです。

もし監督や作家が嘘をついているなら、ものごとを人工的に作り上げているなら、彼の作品は完全に-


Q. 「洗練の極み」


そう。イタリアでは、cervellotico, troppo cervellotico と言う。

「人工的に、よく工夫されている」という意味です。

そんな仕事は誰の心も動かさない。

だから、作家と聴衆の間の相互理解は、それがなければ芸術作品は存在しないのですが、創造する者が誠実であるときにのみ可能なのです。

しかし誠実な作家が自動的に傑出した作品を生むという意味ではないですよ。

能力と才能が基本的な予備条件なのは確かです。

ただし、芸術家の誠実さが欠けていたら、真の芸術的創造は不可能です。

本当のことを言えば、何らかの内的な真実を言えば、必ず理解が得られると私は信じています。

お分かりになりますか。提示された問題がきわめて複雑でも、イメージのシークェンスが、作品の形式構造がきわめて複雑でも、創造者にとって根本的な問題はいつも誠実さなのです。

構造の点で、『鏡』は私の映画で全般的にもっとも複雑なものです?構造としてです。

個々に考えられた断片としてではなく、まさしく一つの構造としてです。
そのドラマツルギーはなみはずれて複雑で、内転したものです。

Q. 夢や追憶の構造に似ていますね。結局これは普通の省察ではありませんね。

ええ、これは普通の省察ではありません。そこには、そういう込み入ったものがたくさんあります。

自分でもよく理解できないものもあります。

例えば、母に出演してもらうというのが私にはとても重要でした

映画にイグナーツ少年が座っているエピソードがあります-イグナーツじゃない-何て名前だったけ?

 作者の息子、彼がだれもいない父親の部屋で座っている。これは現在です、今現在です。

この少年は語り手の息子です。その少年は作者の息子と、少年時代の作者自身の両方を演じています。

で、彼がそこにいるとき、ドアベルが鳴ります。

彼がドアを開けると、女の人が入って来て、「あら、家を間違えたようね」と言います。

家を間違えたのです。これが私の母です。

で、彼女はドアを開けるこの少年の祖母です。

しかしなぜ彼女は彼が孫だと分からないのでしょう。なぜ孫は祖母が分からないのでしょう。


さっぱり分かりません。つまり?

第一にこれはプロットで、台本で説明されていません。

第二に、私にもこれは明確でないのです。


Q. 人生のすべてが理解出来るわけでも、明確なわけでもありません。


そうですね、私にとって、それは?どう言えばいいのかな?

さまざまな感情の絆と折り合いをつけることなのです。

私にとって、母の顔を見ることがきわめて大切なことでした。

この映画は結局彼女についての物語なのです。

彼女は玄関を不安げに、何かおずおずと、入って来ます。

ドストエフスキーの流儀で、マルメラードフの流儀でね。
それから彼女は孫に言う。

「家を間違えたようね」

あなたはこの心理状態を想像出来ますか。

私にとって、このような状況に落ちた母を目にすることが大切だったのです。

混乱した時の、気後れした時の、恥ずかしがっている母の顔を見ることが重要だったのです。

しかしちゃんとしたサブプロットを作るには遅すぎると私は分かっていました。

なぜ孫を認知できないのか、明らかにしてくれるように脚本を書くにはすでに手後れでした。

目が悪かったからとか何とか、ね。それを説明するのは非常に簡単なことだったでしょう。

しかし私は自分に言い聞かせました。


何もでっちあげないぞ。


母にドアを開けさせて、家に入り、息子[原文のママ]を認知できないようにしよう。

少年は彼女がだれか分からない。

この状態で彼女は外に出てドアを閉めることになります。

それは、私にとりわけ身近な人間の魂の状態です。

何か不如意の状態。精神的に縛られた状態です。

これを目にすることが私には大切だったのです。

一種、辱められた状態の人間の肖像です。

おとしめられたという感じです。


これを、彼女の若き日のシーンと並べてみると、そうすると、このエピソードは私に別のエピソードを想起させます。

つまり、若いころにイヤリングを売りにあの医者のところに行きます。

彼女は雨の中で立っています。何か説明しています、何かについて話しています、なぜ雨の中でなのでしょう。何のためなのでしょう。

もしかすると、このような謎が何もなければずっと良いのでしょうね。

しかし全く説明のない、理解不可能なこのようなエピソードがいくつかあります。
で、私たちにはその意味を探る手がかりがないのです。


例えば、人々はこう言うでしょう。

「向こうに座っていて、少年にプーシキンがチャーダーエフにあてた書簡を読むように言うこの年配の女性はだれなのか?」

この女性はだれなのでしょう? アフマートワか??

だれもがそう言います。彼女は実際アフマートワに少し似ています。

横顔が同じなので、彼女を思い出させるのです。

あの女性を演じたのは、タマーラ・オゴロードゥニコワです。私たちの製作マネージャーです。

実際すでに『ルブリョフ』の製作マネージャーでもありました。

彼女は私たちの大の友だちで、彼女の姿は私の映画のほぼすべてに映っています。
彼女は私にとって護符のようなものでした。

この女性がアフマートワだと私は思いませんでした。

私にとって、彼女はある種の文化的な伝統の継続を表象する「彼方」からの人物でした。

彼女はこの少年を何としても、そうした文化的な伝統と結び付けようと努力しています。

文化的な伝統を、まだ若く、今この時代に生きている人間と結び付けようと努力しています。

これはとても大切なことです。

簡潔に言うと?それは、ある種の傾向、ある種の文化的な根っこなのです。


ここに家があります。

ここには、そこに住んでいる男がいます。作者です。

そしてここには、この雰囲気に、こうした文化的な根っこに影響を受ける彼の息子がいます。

結局、この女性がだれであるのかは、明確に指示されてはいません。

なぜアフマートワなのでしょう? 

ちょっと衒いすぎです。この女性はアフマートワではありません。

簡単に言うと、この女性はまさしく、時の、切れた糸を繕うのです。

シェークスピアの『ハムレット』の場合と同じです。

彼女はそれを文化的、精神的な意味で回復させるのです。

それというのは、近代と過去の時代との絆です。プーシキンの時代と、です。

もしかするともっと後の時代と、かもしれませんーそれは重要ではありません。

私がこの映画で獲得した非常に重要な、きわめて重要な経験は、私にとって同様に観客にとってもこの映画が重要であると判明したことでした。

私たちの家族だけの物語であって、それ以外ではありえないということはどうでもいいことです。

この経験のおかげで私は多くのことが見えるようになり理解したのでした。

この映画は、監督としての、こういってもいいなら芸術家としての私と、私の仕事が奉仕する人々との間に絆があるということを証したのでした。

そのためにこの映画は私にとってとても重要だと分かったのです。

なぜなら、私がそれを理解したとき、私が大衆のために映画を作っていないと誰も私に不服をならすことができないからです。

まあ後になってもいろいろな人がぐずぐず言いましたがね。

しかしそれ以来、私はそういう不服を自分に申し立てることができなくなりました。


芸術と実人生ーロシアの伝統


Q. あなたとご家族の人生はリアリズムが典型的に必要とするものに従って形成されていません。
あまり典型的な家族とは言えません。
おっしゃったように、観客は自分の人生が反映された映像をそこに見いだしたのですが。
あなたのご家族、あなたの家、最も身近な家族はあなたに何を与えてきたのでしょうか。
そして後になって、何があなたの芸術的で文化的な霊感の源になったのでしょうか。
この質問をするのは、ポーランドの観客はロシアの芸術家の生い立ちや背景を何も知らないからです。これは大きな特徴です。一方、西側の芸術家はしばしば生い立ちしか知らされていません。

それは正確ですが、不正確でもあります。ある意味で、正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくないですね。

生い立ちを何も知らないという意味で、ロシアの芸術家に関するあなたのご意見は正しくありません。もちろん、現代の芸術家と比較するなら、もしかすると正しいのでしょう。

しかし、私は自分自身と現在の芸術家との比較を考えたことは一度もありません。

私はいつも、19世紀の芸術家と自分が結びついていると感じてきました。

例えば、トルストイ、ドストエフスキー、この流れの作家たち、チェーホフ、ツルゲーネフ、レールモントフ、やブーニンを挙げるなら、彼らの生がどれほど唯一無二のものであり、彼らの作品が人生と、彼らの運命とどれほど密接に結びついていたかがお分かりになるでしょう。

もちろん、私が述べたことは、私が自分をソ連の60年、70年、80年代の、いわば、文化の流れから完全に除外しているという意味ではありません。そうではありません。

しかし私は革命後に突然巨大なギャップが出来たという意見には、原則的に反対です。

この深い溝は、ロシア文化の発達に新段階をもたらすために、意図的に創造されたものです。

しかし私は文化が真空状態で発達できるとは信じません。

貴重な植物を移植しようと努力することは出来ます。

その根を掘り起こして植え替えるのです。

しかし、枯れてしまうでしょう。何も生長しないでしょう。

だから、転換期の作家は自分の運命を非常に悲劇的に経験したのです。

革命前に作家活動をはじめて、その後も仕事を続けた作家たちです。

アレクセイ・トルストイ、ゴーリキー、マヤコフスキー、ブローク。
文字どおりのドラマでした。ブーニンも-。

これは何もかもがもう恐ろしいドラマです。アフマートワも-。他にどんな人がいたか、神のみぞ知るです。悲劇です。ツヴェターエワ-。何も得るものはなかった。

移植は不可能だった。移植はすべきではなかったのです。

文化にこんな恐ろしい実験をするのを許すべきではなかったのです。

こういう生体解剖は、精神を幽閉してしまうので、人体に暴行を加えるよりもさらに酷いことなのです。


プラトーノフを例に取りましょう。

彼は、言うなれば、ロシアにおけるソ連期の発達時代に完全に帰属しています。
また彼は典型的なロシアの作家です。

彼の人生もまた典型的なもので、彼の作品にくっきりと反映しています。
だからあなたのご意見は全面的に正しいと言うことは出来ません。

このような文脈で私のことを言うならば、古典ロシア文化と私との絆は私にとって非常に大切です。

この文化は当然連綿と続いて、今日に至っています。古典ロシア文化が死んだと私は思いません。

私は、人生と作品を通じてーもしかすると無意識のうちにーロシアの過去と未来の間をつなぐこの絆を現実化しようと試みる芸術家のひとりでした。

この絆をなくすことは私にとって致命的でしょう。それなしに私は生き続けることは出来ないでしょう。

過去を未来と結びつけるのはいつも芸術家なのです。

芸術家は或る瞬間に生きているだけではありません。

芸術家は媒体なのです、いわば、過去から未来への渡し守なのです。


ここで私の家族について何が言えるでしょうか。

父は詩人です。

彼は革命が起きたときまだ小さな子どもでした。

革命前に彼が大人であったと言うことは実際出来ません。それは全く正確ではありません。

彼はソ連時代に成長しました。1906年生まれですから、1917年の革命時には11歳でした。

まだ未熟な子どもです。しかし彼は文化的伝統をよく知っていました、教養がありました。

ブリューソフ文学研究所を卒業し、多くの、主導的ロシア詩人のほぼ全員を知っていました。

言うまでもなく、彼をロシアの詩の伝統から切り離して想像することは出来ません。

ブローク、アフマートワ、マンデリシュターム、パステルナーク、ザボロツキーの系譜から切り離して想像することは出来ません。

これは私にとってとても重要な事でした。或る意味で私はこのすべてを父から受け継いだのです。


私を育てたのは、私の両親、特に母です。

なぜなら父は私が3歳の時に母の元を去ったからです。

そういうわけで、私は実は母に育てられたのです。

詩人として父が私にどのように影響したのか、はっきりとしたことを言うのは難しいでしょう。

もっと生物学的な意味で、無意識のレベルで、私に影響しました。

もっとも私はフロイトの信奉者ではありませんが。フロイトにはちっとも感心しません。

ユングも又私の趣味ではありません。

フロイトは俗悪な唯物論者です。切り口が違うだけで、パブロフと同じです。

彼の理論は人間の心理を説明するひとつの可能な唯物論的異稿にすぎません。


父は私に何ら影響しなかった、内的な影響力を持たなかったと思います。

何もかもが概ね母のおかげによっています。

私が自分自身を見いだすのを助けてくれたのは母です。

映画でも私たちの生活状態がとても厳しかった、とても困難であったことがはっきりと分かります。

そういう時代でもありました。

まさにその時に、母は独り残されたのです。

私は3歳、妹は1歳半、母は私たちをずっと育ててくれました。

再婚もせず、いつも私たちと一緒にいました。

母は2度と結婚しなかった。

彼女は夫を、私の父を、一生愛していました。

彼女は並外れた女性でした。実際聖女でした。

最初母は生活に対して全く準備が出来ていなかった、全くです。

そして、この無防備な女性をとりまく全世界が崩壊したのです。

つまり、まず第一に2人の子連れだというのに手に職が何もなかったのです。

私の両親はブリューソフ文学研究所で勉強をしていましたが、そのとき母は妹を妊娠しました。

それで母は免状を何も持っていないのです。

教育を受けた女性として準備する時間が全くなかった。

彼女は文学で自分の才能を試しました。

私は彼女の文章をいくつか見たことがあります。

彼女を襲ったあのカタストロフィが起きなければ、母は全然違った形で自己実現が出来たでしょうね。

だから本当に家に資産がまったくなかったのです。

母は印刷所の校正の仕事をしました。そこで最後まで働いていました。

つまり、戦後も、ずっとです、退職するまでです。

どうやって母がやりくりできたのか、どうやってがんばり抜いたのか、どうやって身体がもったのか、私にはまったく理解できません-分かりません。

どうやって私たちに教育を受けさせることができたのでしょうか。

私はモスクワの美術造形学校を出ましたが、そのためには金がかかる。
どこからその金を捻出したのでしょうか。

私は音楽学校も出ましたし、先生からレッスンも受けましたが、それも母が払ってくれました。


Q. それは戦前ですね?


戦前と戦中と戦後です。

誰もが音楽家になるものだと思っていましたが、私はなりたくなかった。

とにかく、どうしてこんなことが可能だったのか、私には理解できません。

まあ、こう言う人もいるでしょう、何か財産があったんだ、教育のある一家の子どもだから、当たり前でしょう。

ーしかし、ここには当たり前のことは何もなかった。

私たちは文字どおり裸足で歩いていましたからね。

夏には全然靴を履かなかった。靴がなかったんです。

冬になると私はフェルトのブーツを履きました。

それで、母が外出しなければならないときには-私たちは-貧乏なんてもんじゃなかった。

赤貧でもまだ言い表せない。

まったく分かりません、母は-分かりません。

母がいなければ、私はこんなふうにはならなかったでしょう、言うまでもないことですが。

私が今あるのはすべて、母のお陰なのです。


そのために、母は私に非常に強い影響を及ぼしましたー影響という言葉でも足りないー世界のすべてが私にとって母と結びついているのです。

ただし、私は、母が生きているときには、そのことに本当には気づかなかった。

母が死んでから、母の死後に、私は突然そのことに気づいたのです。

それに、あの映画を作っているときでも、もちろん当時母はまだ生きていましたー私は映画のテーマを十分には理解していなかった。

私は自分自身を語る映画を作っていると思っていました。

自分の幼年時代、少年時代、青年時代を書いたオデッサ時代のトルストイのように。

映画を撮り終えたとき、この映画が私ではなく、母についての映画だと分かりました。

これはー私の見方から言うとー本来の理念よりもこのようにして相当高貴な精神のものになりました。この理念をかくも完璧に高貴なものにした変化は、映画の製作中に生じました。

つまり、映画は私と共に始まりました。

私があれらの回想の、いわば、眼なのですから。

しかしそれから、まったく異なることが生じました。

この映画に携わる期間が長くなるほど、この映画が何をテーマとするのか、私にははっきりしてきたのです。


Q. 映画館を出たとき、私はこの映画が一編の詩として作られたのだと思いました。
つまり、映画では不可能なものに思えたのですー親密な抒情的な独白であると。


そうかもしれません、私には分かりません。

私は当時形式について何も考えていませんでした。特別なものを考案するつもりはなかったのです。

私が追求していたのは、記憶における復活です。

いや正確に言うと、記憶ではなく、スクリーンに私にとって重要であるものたちが復活することでした。

一般に、最も重要なことはこの道をたどるということで、例えば、自分の想い出を構築するアラン・レネの道をたどることではなかった。

あるいは、現代文学から例を引くなら、ロブーグリエの道を採ることでなかった。
ロシアの芸術家にとって芸術創造の非常に重要な側面は、必ずしも、より美しいものを創造することではなく、道徳的な責任感であったのです。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー


映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。

例を挙げましょう。

『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。

彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。

そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。

だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。

「解決のマニュアル」に触れることはありません。


与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。


映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。

つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。

別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。


俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。

出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。
http://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c2

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
3. 中川隆[-12116] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:50:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・タルコフスキー 鏡

使われた音楽 バッハ「ヨハネ受難曲」
使われた意図 語ることによる受難


さて、今回取り上げる作品は前回に引き続きソ連の映画作家アンドレイ・タルコフスキー監督作品。

今回は「鏡」です。何でもタルコフスキー監督の中で一番「難解」な作品なんだそう。ただでさえ、「難解」と定評のある監督さんなのに・・・その中でも一番難解って・・・

この「鏡」という作品の最後のシーンで、バッハの「ヨハネ受難曲」が使われています。

実はマタイ受難曲も使われています。

タルコフスキー監督がマタイ受難曲を使った作品としては、彼にとっての最後の作品である「サクリファイス」や「ストーカー」もあり、これらについては以前に取り上げております。彼にとっても、色々と思い入れがあるんでしょうね。

しかし、この「鏡」では、マタイではなく、ヨハネ受難曲の方が目立つ使い方。だって最後のシーンでヨハネ受難曲が使われるわけですので、否応なしに注目することになる。

では何故に、この「鏡」ではタルコフスキー監督は、作品の最後という重要なシーンにおいて、お気に入りの「マタイ」ではなく、「ヨハネ」を使ったのでしょうか?


ちなみに、ここでこの「鏡」という作品のあらすじを・・・
と、行きたいところですが、ストーリーも何もあったものではありません。ダテに「タルコフスキーの中で一番に難解。」というレッテルを貼られているわけではないんですね。

タルコフスキーの記憶の中から様々なシーンが浮かび上がってくる・・・そのような構成です。


映画の中の様々なシーンの中で、作品の最後のシーンは、キリストの受難のイメージが特に顕著ですよね?

ご丁寧に十字架までかかっている。

おまけに主人公の母親(ご丁寧にマリーアという名前)が、2人の子供の手をつないで歩く。

映画での2人の子供は主人公とその妹のようです。


しかし、このとき観客はマリアとキリストとパプテスマのヨハネの組み合わせを連想します。

パプテスマのヨハネとイエス・キリストは親戚にあたります。

ヨハネのお母さんのエリザベツはイエスのお母さんのマリアと親戚で、お互いの妊娠中も一緒に暮らしていた間柄。よくいう言い方ですと、「生まれる前からの友達」ってヤツです。

だからマリアさんにしてみても、「親戚のヨハネちゃん」くらいの感じなんでしょう。

このマリアとキリストとパプテスマのヨハネの関係は、作品中ではレオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子の絵で予告されています。

将来において、わが子に降りかかる受難をわかっているマリアが、赤子のキリストを抱きしめようとするシーンを描いた有名な絵です。

そこにはパプテスマのヨハネも描かれています。絵画を使うことによってラストシーンを予告し説明しているわけです。


あるいは、雪の中で主人公の少年に小鳥がとまるシーン。

このようなシーンは、キリストがヨハネから洗礼を受けた際に、鳩がキリストにとまったエピソードを思い出しますよね?

タルコフスキー監督の映画「鏡」において、母親マリアが自分の子供の手をつないで歩くラストシーンは、まさに「キリストとマリア」の「鏡」になっているわけです。


この「鏡」という作品は、実に多くの「鏡」となっている。

作品中では、主人公とその父親の間の共通性を強調しています。

主人公とその父親は「鏡」を挟んで向かい合っている状態。

似た容姿の妻。

本人は同じように芸術家。

同じように妻とは不和。


あるいは、レオナルド・ダ・ヴィンチだって、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士という「鏡」をはさんだ状態。いわば、同族意識ですね。

また、ダ・ヴィンチとタルコフスキーも母親の愛への渇望を共通して持っているといえるのでは?

そして、「始めに言葉ありき」の福音書のヨハネに対する同族意識もあるようです。

芸術家として「語る」こと。

そして「受難」。


「語ること」からの受難は、何も、ソ連の問題だけではありません。
いかなる政治体制でも起こっていることです。
だって本当の問題は為政者ではなく大衆なんですから。

それこそ、旧約聖書の時代から、「語った」人は、受難になったでしょ?

にもかかわらず芸術家は「語らないといけない。」存在である。つまり受難は不可避なんですね。


「語る」ことの難しさで、政治に関わることは、最初の方のシーンで出てきます。
主人公の母親が、「検閲に引っかかりそうな言葉を削除しそこなったかも?」と大慌てするシーンですね。


しかし、誰でもわかるシーンは映画の冒頭。

催眠術によって治った吃音者が「私は話すことができます!!」と喜ぶ冒頭。

そのシーンからは、「困難の中」から話すことの喜び・・・つまり芸術家として表現することの喜びが感じられますよね。


しかし、冒頭は「表現する喜び」ですが、ラストは受難のシーン。

「初めに言葉ありき。」のヨハネであり、芸術家肌のヨハネ。

この福音書のヨハネも、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士の同族と言えるわけです。


ヨハネ受難曲の流れる中、十字架を背景にマリアに手を引かれ進んでいく。
2000年前のキリストの受難も、タルコフスキーの受難の鏡といえそうです。

この「鏡」という作品。タルコフスキー監督の様々な自画像が展開されている作品といえそうです。

つまり様々な「鏡」に彩られているわけですね。タルコフスキー監督個人の「鏡」であるとともに、芸術家全般の「鏡」となっているわけです。


「語る」芸術家は「受難」は避けることができない。

神の意思は本人とは無関係にやってくる。


映画の中で数多く登場する草原の草が揺れるシーン・・・これは神がやってくる意味でしょう。


映画における主人公の父親は、神を意味している。

父親に抱かれること、それは神に召し上げられること。

これこそが芸術家誕生の瞬間であり、受難の始まりとなる。


小屋の炎上、原子爆弾、文化大革命、そしてマタイ受難曲の「そのとき大地が割れて・・・」というフレーズ・・・現在の世俗的安定の崩壊のイメージが顕著です。


だからこそ世界には芸術家の聖なるものが必要であり、芸術家は「語らなければならない」。


しかし、それは芸術家の受難につながっていくわけです。

「初めに言葉ありき」のヨハネで終了するこの映画、そのラストのシーンは「言葉ありき」ということで、最初のシーンの「私は話すことができます!」のシーンに回帰して行く・・・

芸術家の受難はかくも終わりなきものと言えそうです。
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/04-06/04-06-29.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c3

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
4. 中川隆[-12115] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:58:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

1982年9月9日にチェントロ・パラティーノで開催された「映画泥棒ー国際的陰謀」会議で、タルコフスキーは自らの理念を披露した。

彼は『七人の侍』『少女ムシェット』『ナサリン』『夜』のクリップを映した。

彼に影響を及ぼしたのではなく、彼に最も決定的な印象を刻印した映画である。

以下は彼の話のあらましである。


アンドレイ・タルコフスキー:

「影響、何か流れ込んできたもの、すなわち相互活動の問題は複雑です。

映画は真空では存在しません。

つまり共に働く仲間がいて、その影響は避けられない。

それでは影響、流れ込んできたものとは何でしょうか。

自分の働く環境や共同する人々の選択は、芸術家にとって、レストランで料理を選ぶようなものです。

黒澤、溝口、ブレッソン、ブニュエル、ベルイマンそしてアントニオーニが私の仕事に与えた影響について申し上げますと、『模倣』という意味では何ら影響はありません。

つまり私の観点からは、そんなことは不可能です。

何故なら、模倣は映画の目指すものとは何ら関係ないからです。

自己を表現する自分の言語は自分で発見しなければならないのです。

ですから、私にとって、流れ込んできたものというのは、私が賛嘆し高く評価する人々と共にいるという意味なのです。」


「もしフレーミングやシークェンスに他の監督の反響があると気付いたら、そのシーンは避け修正するように努めています。

こんなことはめったに起きないのですが、『鏡』から例を引きましょう。

私は主人公が室内にいてその母が隣の部屋にいるフレームを採りました。

二女性のクロースアップです。

パノラマショットで、女が鏡を見ながらイヤリングをつけてみて、母もまた鏡を覗き込んでいます。

実際シーン全体は鏡に映ったかのように撮られています。

ところが、実は鏡は存在せずに、女性はキャメラを直に見ているだけなのです。

つまり鏡がある錯覚がある。

この類いのシーンはベルイマンにそっくりのものがありうると気が付きました。

けれども、やはり、そのままで、私の同僚ベルイマンに謝意を表明し、肯定する証として撮ることに決めました。


「このリストにドブジェンコも追加しなければなりませんが、これまでに挙げた監督がいなければ、映画は存在していないことでしょう。

誰もが自分のオリジナルの様式を当然探していますが、もしこれらの監督がコンテクストや背景を与えてくれなかったなら、映画はいわゆる同じ映画にはならないでしょう。

現在多くの映画作家が非常に厳しい時代を経験しているようです。

イタリアの映画は窮地に落ちています。

私のイタリアの同僚たちは、私は映画で最も名声のある監督の幾人かについて語っているわけですが、イタリア映画はもはや存在しないと言いました。

もちろん、映画の観客がこの主な原因です。

久しく映画は大衆の趣味を追ってきましたが、今や大衆はあるタイプの映画は見たくないのです。

実際なかなか良いものなのに、敬遠するのです。


「映画監督の範疇には基本的に二つあります。

一つは、自分が生きている世界の模倣を求める人々で出来ています。

もう一つは自己の世界の創造を求める人々で出来ています。

第2の範疇には幾多の映画詩人が含まれます。ブレッソン、ドブジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤という映画史上最も大切な人たちです。

これらの映画作家の作品の配給は難しい。

その作品は作家の内的霊感を反映しているので、これが必ず大衆の趣味とぶつかるのです。

映画作家が観客に理解されたくないという意味ではありません。

そうではなくむしろ作家自身が観客の、観客も気付いていないような内的感情を捕らえ理解しようとしていると言った方がよいでしょう。


「映画の直面している現在の苦境にもかかわらず、映画は芸術形態であり続けます。

芸術形態の一つ一つが個別のもので、他の芸術形態の本質に含まれない内実を担っています。

例えば、写真は、カルティエ=ブレッソンの天才が実証しているように、芸術形態になれますが、写真は絵画になぞらえることは出来ません。

何故ならば絵画と競合しているわけではないからです。

映画作家が自問しなければならない問いは、何が映画を他の芸術と区別するのか、ということです。

私にとって映画は時間の領域を包括する点で、他に見られない独創的なものです。

音楽や芝居やバレエのように、時間の中で生起するという意味ではありません。

文字どおりの意味での時間です。

フレームとか、「アクション」と「カット」の間のインターヴァルは一体何でしょうか。

映画は時間の観点で実在を固定します。

フィルムは時間を保持する手段なのです。

これほど時間を固定し停められる芸術形態は他にありません。

フィルムは時間で出来たモザイクです。

そのためにはもろもろの要素を集約する必要があります。

3、4人の監督やカメラマンが1時間同じものを撮影したと想像して下さい。

一人一人独自の映像になるはずです。

結局出来上がるのは、3つか4つ全く異なるタイプのフィルムです。

なぜなら、一人一人がこれは捨て、あれは残してと選択して自分のフィルムを作るからです。

そうして、映画に関わる時間を固定する作業をしているにもかかわらず、監督は必ず自分のマテリアルを磨いて、それを通して自己の創造力を表現出来るのです。


「美意識の観点から言いますと、映画は今ひどい時代にあります。

カラーで撮影するのが、可能な限り実在に迫る手段だと考えられているのですから。

私はカラーは袋小路だと思っています。

あらゆる芸術形態は真理に到達して、一般化した形態を得るために苦闘しています。

色彩を使うのは人が実在世界をどのように知覚するのかと関係しています。

カラーであるシーンを撮影するのは、必然的に、フレームを有機的に構成し、このフレームに囲まれた世界の総ては色彩の中にあり、しかも観客にこの事実を自覚させねばならないという事なのです。

モノクロの利点は、その表現力が強烈で、観客の関心を脇にそらさないということです。


「カラー映画にもすぐれた表現様式の例があります。
でも今述べた問題に気付いている監督のたいていは、必ず白黒で撮影する努力をしています。

誰も、カラーフィルムで新しいパースペクティブを創造したり、白黒ほど効果的パースペクティブを作り出すのに成功したためしはないんです。

イタリア・ネオリアリズムが重要なのは、日常生活を掘り下げることによって映画に新境地を開いたという事実からだけではなくて、本質的に言うと、モノクロームでその探求がされたからでもあるのです。

人生の真理は必ずしも芸術の真理に照応していません。

だから今やカラーフィルムは純粋に商業的現象になりさがったのです。

映画は色彩を通して新たなヴィジョンを創造しようとする時代を通って来ましたが、結果は不毛です。

映画は体裁ばかり飾るものになってしまいました。

つまり、私が今見ているような映画は全然立場の違う人には全く違ったものになっているのです。


今ご覧に入れている映画のクリップは、私の心に一番近しいものを表象しています。

ある思考形態の実例であり、この思考がどのようにフィルムを通して表現されるかの実例です。


ブレッソンの『少女ムシェット』で少女が自殺を図るその様子は特に驚異的です。


『七人の侍』の一番若い侍が怖じけづくシークェンスで、黒澤がこの恐怖感をどうやって伝えているでしょう。

若者は草むらで震えていますが、身震いしている姿は目に見えません。

草むらと花々が震えている、揺れているんです。

ここは雨中の決戦です。

三船敏郎演ずる菊千代が死ぬとき、倒れた彼のその脚は泥に埋もれてします。

こうして私たちの目の真ん前で菊千代は死んでしまいます。


ブニュエルの『ナサリン』の、傷付いた娼婦がナサリンに助けられて、椀から水を飲む姿です。

アントニオーニの『夜』の最後のシークェンスは映画史上、ラブシーンが必然となり精神的行為の似姿を取った唯一のエピソードかもしれません。

肉体が相手の近くにあるのが大きな意味を秘めた独創的なシークェンスです。

2人ともお互いに対する感情は涸れ果てているのに、それでも相手の身近にいるのです。

ある友人が昔こう言いました。

夫と5年以上もいるなんてまるで近親相姦よ。

2人がお互いの近くから逃れる出口はありません。

お互いがまるで死に瀕しているかのように、死に物狂いで相手を救おうとしている姿です。


「撮影を始めるときは必ず、『私の仲間』と思っている監督のフィルムを見ます。

模倣するためではなく、彼らの醸し出す雰囲気を味わうためにです。

今お見せしているクリップがみんなモノクロームなのも偶然ではありません。

監督が自分に身近なものを何か掛け替えのないものに変容しているからこそ、これらは重要なのです。

しかもこれらのシーンは日常生活の出来事とは似ていないという点で独創的です。

ここには偉大な芸術家の刻印があり、私たちに彼らの内世界を垣間見せてくれるのです。

これらのシーンの総てが、娯楽を与えるよりはむしろ美を保持することによって、観客の欲求に応じるのです。

今日この種の主題を扱うのは困難を極めています。

そんな話をするのすらほとんど馬鹿げていると言えます。

誰もそんなものにはびた一文払わないでしょう。

でも映画が存在し続けているのは、これらの詩人たちのお陰なのです。


「映画を作るには金が必要です。

詩を書くのに必要なのはペンと紙だけです。

これが映画の不利なところです。

でも映画は屈さないと私は思います。

万難を排して自己の映画を実現する努力をする監督全員に、私は頭を垂れます。

実例としてクリップをご覧戴いた映画は皆、固有のリズムを持っています

(最近は、たいていの監督が快速で短いシーンを使い、カッティングとスピードのある監督こそ本当のプロだと思われています)。

真の監督なら誰でもその目的は、真理を表現することなのですが、そんなのはプロデューサーの知ったことでしょうか。

1940年代にアメリカでストレスのかかる職業をランク付けする調査がありました。

広島に原爆が投下された時代ですから、パイロットが1位を占めました。

2位が映画監督です。監督になるのはほとんど自殺行為というわけです。


「私はヴェネチアから帰ったばかりです。

そこの映画祭の審査員をしたので、現在の映画の完全な退廃を証言出来ます。

ヴェネチア映画祭は悲惨この上ないものだった。

ファスビンダーの『ケレル』のような映画を理解し是認するには、まるっきり異なる類いの精神性が必要だと、私は信じます。

明らかに、マルセル・カルネは私よりずっとそれを是認していましたが。

私は、それは反芸術的現象の現れだと思います。

その関心は、社会学的で性的な問題にすぎない。

ただファスビンダーの最後の作品だというだけで、あの映画が受賞するのは恐ろしく不当なことではないでしょうか。

ファスビンダーは『ケレル』よりずっと良い映画を作っているはずです。

けれども、映画の現在の危機は重要ではありません。

なぜなら芸術は絶えず危機の時代を通り過ぎてはそこで復活するからです。
ただ映画が作れないからと言って、映画が死んだということにはならないのです。


「最良の映画は、音楽と詩のはざまにあります。

映画はどんな芸術形態にも比肩する高いレベルに到達しています。

芸術形態として自らの姿を具体化しています。

アントニオーニの『情事』は随分昔の映画ですが、今日作られたばかりという印象を与えます。

本当に奇跡的な映画で、ちっとも古ぼけていません。

まあ今日作られるような類いの映画ではないかもしれませんが、それでもとても新鮮です。

イタリア人の同僚たちはとても悪い時代にいます。

ネオリアリズムも偉大な監督たちも去ってしまったように見えるし、プロデューサーはドラッグの売人みたいなもんですから。

金儲けだけを考えているんですが、長続きはしないでしょう。

イタリアで上映されている『ソラリス』は私の映画ではないと言いたいです。

でもその配給会社はもう潰れてしまいました。たいていの配給会社の運命じゃないですか。」
http://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c4

[近代史3] タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年) 中川隆
1. 中川隆[-12114] koaQ7Jey 2019年2月17日 15:00:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

タルコフスキー、ソラリスを語る


スタニスワフ・レムの『ソラリス』の映画脚本をつくろうと決めたのは、SFに興味があったからではなかった。

一番大切な理由は、『ソラリス』でレムは、私が身近に感じることが出来る道徳的な問題を取り上げたということだった。

レムの小説のより深い意味は、SFの限界内に収まっていない。

文学形式だけを論じるなら、問題を制限することになる。

この小説は、人間理性と知られざる者との衝突を扱っているだけでなく、新しい科学の発見によって生み出された道徳的葛藤をも扱っている。

『進歩の代償』と呼ばれる痛々しい経験の結果として生じる新しい道徳性を扱っている。

ケルヴィンにとってその代価は、物質形態で自分自身の良心の呵責に直接対面せざるをえないということだ。

ケルヴィンは自分の行動原理を変えない。自分自身にとどまる。
それこそ彼の悲劇的なジレンマの根本であるのだが。


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一体全体なぜ、私が見たSF映画のすべてで、監督は観客に未来の物質的な細部をじっくり見せようとするのか? 

なぜ彼らはースタンレー・キューブリックがそう称したようにー自作を予言的と称するのか?
 
専門家にとって『2001年』が多くの事例で食わせ物だ、芸術作品とはとても言えないと言うつもりはない。

私は、『ソラリス』を観客に異国情緒を味わわせることがないように、撮影したいと思う。

当然、テクノロジーの領域での異国情緒という意味だ。

例えば、電車に乗る乗客を撮影して、私たちが電車について何も知らないとしたらーそう仮定しましょうー以前電車を見たことがなかったからです、そのとき私たちは月に着陸する宇宙船のシーンでキューブリックがやったのと類似の効果を獲得するでしょう。
言い換えると、停車場で普通に撮影するやり方で宇宙のシーンを撮影する限り、何もかも上手く行くでしょう。

このように私たちは登場人物を、異国趣味のシーンではなく、リアルなシーンに置く必要があります。

なぜなら映画の登場人物が現実を知覚することによってのみ、観客が理解できるようになるからです。

だから、未来の科学技術を細々と見せると、映画の情緒的な基礎が壊れてしまいます。


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肝心なのは、その「科学技術」の、と言っておきましょう、その発達の各段階で人間は、霊的なエントロピーのようなものと、道徳的価値の拡散と、戦わねばならないということだと思います。

一方で、人間性は自らをあらゆる道徳から解放しようとします。

その一方で、道徳を創造しようとする。

このジレンマが、個人の生においても一般社会の生においても、並はずれて劇的な緊張に満ちた状況を生み出すものになります。

この劇的な解放と、それと同時に、精神的理想の探求は、人間が自らをもっぱら道徳的な問題に捧げることが出来る発達段階に到達するまで続くことでしょう。

人間が絶対的な外的な自由を獲得する段階、それを社会的な自由と呼びましょう、そこで人間は日々の糧に、雨露をしのぐ場所に、子どもの未来を確保することに、いちいち心を惑わす必要はないことでしょう。

そこで、人間はかつて外的自由に捧げた同じエネルギーで、自己の内部深くに降りていくことが出来るでしょう。

私にとってハリーとケルヴィンの間で宇宙ステーションで生じたことは、人間の自分の良心に対する関係が問題なのです。

[…]

映画は奴隷のように本に忠実に従うことは出来ない。

レムの足跡をたどることは、作家と本に対する背信行為になるでしょう。

私は、『ソラリス』の私の個人的な読み方を映像にしようとしました。

作者に忠実であるために、私は時々、ある種のテーマに対する視覚的等価物を探して、小説から逸脱しなければならなかった。

私には対比として地球が必要だった、もっともそれだけのためではありませんが…
私は、地球を観客の心の何か美しいものと等価のものにしたかった。

人の憧憬を表すものです。

だから、ソラリスの神秘的な幻想的な雰囲気に飛び込んだ後、突然地球を一瞥したときに、彼は再び正常に、くつろいで、感じる。

その結果彼はこの平凡さへの憧憬を感じ始める。

言い換えると、彼はノスタルギアの有益な影響を感じる。

結局、ケルヴィンは人間としての自分の義務であると見なす実験をするために、ソラリスに残る決心をする。

このように私は、観客がさらに十全に、さらに鋭敏に、彼の決心の劇的な意義のすべてを実感できるように、地球を必要としたのでした。

私たちの根源的な故郷であった、今も故郷である惑星に帰ることをこのように断念する、そのことの意義が実感できるように、です。


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スタンレー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を最近見ました。
人工的なものの印象が残りました。

最新科学技術の業績を見せる博物館にいるかのようでした。

キューブリックはそういうことに酔いしれて、人間のことを、人間の道徳の問題を忘れています。

それがなければ、真の芸術は存在できません。


映画の描写の最大限の直接性に私は信頼をおいています。

この映画でも私はギミックなしで、最も素朴な手段を用います。

今日流行の「スペクタクル」の類は避けています。

確かに、映画はカラーになりますが。
最近まで私はカラー映画に絶対反対でした、しかしどうすればいいのでしょうか、今日ではカラーを避けるのは不可能です。

何とかこの技術を最善のかたちで利用しようと苦心しています。
リアリズムの領域の中でしっくりしたものになるようにです。

SF映画のリアリズム?
 
ええ、可能だと思います。

私たちはこの想像世界を出来るだけ具体的なものにしています。

特にその純粋に外的な現れで、です。

『ソラリス』で示されるリアリティは物質的に経験可能なもの、ほとんど手で掴むことが出来るものになるはずです。

装飾のテクスチャーによって、ワディム・ユーソフの映画スタイルによって、それを実現します。

私たちの映画には、本にない地球上のシーンがあります。

対比のために地球が必要なんですが、それだけではありません。

私は観客に私たちの惑星の美に気づいてもらいたいと思います。

そうすればー調べようもない、神秘的な事柄をはらんだ雰囲気に包まれていたのでーもっと気持ちを込めて、地球に帰ってくるでしょう、その平凡さを自由に喜ばしく呼吸することでしょう。

この映画を見る方にホームシックの苦さを理解してもらいたいと思います。

結局クリスはソラリスにとどまる決心をします。

なぜならそれは科学者としての彼の使命が要求することだからです。

プロジェクトの監督を彼に託した人々に彼が負う責務が求めるからです。

この状況で、地球のイメージは観客の心理的な反応の触媒として作用し、クリスの決定に隠された意味を十分に、明確に見て取ることができるはずです。


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私はSFは好きじゃない。

いやSFが基づくジャンルが好きでない。

テクノロジー、いろいろな未来論的なトリックや工夫が凝らされたああいうゲームが好きでない。

いつでも人工的だ。

でもファンタジーから引き出せる問題には興味がある。

人間と彼が抱える問題、人間の世界、人間の不安。

平凡な生もまたファンタジーにあふれている。

人生そのものがファンタスティックな現象です。

フョードル・ドストエフスキーはそのことをよく知っていた。

だから生そのものに、毎日の生、平凡な生そのものに焦点を定めたいのです。

その中では何だってあり得るのですから。


私の『ソラリス』は結局、サイエンスフィクションではありません。

その文学的な先駆者もそうではない。

ここで大切なのは、人間だ。その人格だ。

惑星地球と結んだ彼の非常に執拗な絆だ。
彼が生きる時代に対する責任感だ。

典型的なSFは好みでない。
私には分からないし、信じてもいない。

実際、『ソラリス』に取り組んでいるとき、私は『ルブリョフ』と同じテーマと取り組んでいた。

人間存在だ。

この2作はアクションが生じる時によって切り離されているにすぎない。


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『ソラリス』は私の映画で一番成功しないものになった。

なぜならSFの要素を避けることが出来なかったからです。

スタニスワフ・レムは脚本を読んで、私がSF要素を排除しようとしているのに気づいて、不愉快になった。

脚色許可を取り消すと脅しました。

私たちは新しい脚本を用意しましたが、そこからは撮影中にこっそり逸脱することが可能だったのです。

そのつもりでした。しかしこの意図は十分には果たせなかったのです。


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スタニスワフ・レムの証言


私にはこの脚本に根本的な留保点がいくつかある。

まず第一に、惑星ソラリスをこの眼で見たかったと思うのだが、監督は不幸なことに、作品が映画的に静かな作品になるべきであるとして、私を拒否した。

第2に、私たちのごたごたの1つでタルコフスキーに言ったことだが、彼は『惑星ソラリス』をまったく製作しなかった。

彼は『罪と罰』を創ったのだ。

フィルムになったのは、この忌まわしいケルヴィンが可哀想なハリーを自殺に追い込んで、それから良心の呵責にさいなまれたが、彼女の出現、奇妙な理解不能な出現によって、ますますひどく苦しむことになる様子だ。

ハリーの出現のこの現象は私には、カントその人から得られる概念を規範とするものだ。

なぜなら物自体、到達不可能なもの、もの自体、浸透不可能な彼岸が存在するからだ。

しかし私の小説でこれは別のやり方で、明白にされ、構成されている…

しかし、第2部の20分を除けば、映画の全編を私は見たことがないことを明らかにしておかねばならない。

脚本はとてもよく分かっているのだが。

なぜならロシア人は原作者に特別に1部を作成する習慣があるからだ。

どうしようもなくひどいことがある。

タルコフスキーは映画にケルヴィンの両親を登場させている。

叔母すら出てくる。

しかし一番ひどいのは母親だ。

なぜなら母親はmat' である、mat' は Rossiya, Rodina, Zemlya [ロシア、母国、大地] であるからだ。

これだけで私は怒り心頭だ。

この瞬間に私たちは馬車を反対方向に引っぱろうとする2頭の馬のようなものだった。
[…]

私のケルヴィンは何の希望もなく惑星にとどまる決心をする。

一方タルコフスキーは島のようなものを出現させ、その島に小屋があるイメージを創造した。

小屋と島のことを聞いたとき、私はいらだちで気も狂わんばかりだった…

こんなものは情緒的なソースにすぎない。

そこにタルコフスキーは彼のヒーローたちをどっぷり浸けたのだ。

科学的な景色を彼は完全に切断して、その代わりに私には我慢ならない奇妙なものをたっぷり導入したことは言うまでもあるまい。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/solaris.html


タルコフスキーのストックホルム・インタビュー


Q:なぜスタニスワフ・レムの『ソラリス』に基づいてなぜ映画を創られたのか、話してもらえますか? 何があなたをあの小説に引きつけたのですか?


私はスタニスワフ・レムを非常に高く評価していて、彼の作品は非常に好きです。

いつでも読めるときに読みます、読めるものは何でも読みます。

彼の散文も好きですが、たまたまーこんなことを言うのは残念なのですがー彼は映画というものをあまり好きじゃない、分からない。

それで、一緒に仕事をしているとき、私たちは不平等なパートナーでした。

私は彼の本をどうしようもなく愛していましたが、彼のほうは私の映画にまったく無関心でした。

彼はいつも作家として考えていました、まず文学だと-。

Q:文学が一番大切なものだった。


さあ、どうでしょう?
 
一番大切じゃなくーとにかく文学が存在していた、事実として。音楽、詩、絵画が存在しているように。

しかし彼は映画を理解できなかった。

今でもそうですよ。彼は、映画とは何であるのか、分かっていない。

たくさんいますよ、非常に頭のいい人たちで、文学、詩、音楽は熟知しているのに、映画は芸術だと思わない人がね。

映画はまだ誕生していないと考えるか、映画を感じられないのです。

森の木を見ることは出来ない、本物の映画と商業映画を区別できないという意味です。

明らかにレムは映画を芸術として真剣に扱わない。

だから、脚本でも自分の小説に忠実であるべきだったと彼は信じているのです、それを絵にするだけで良かったと。

私にはそんなことは出来ない。

その場合、彼は私ではなく、「イラストレーター」である監督に近づくべきだった。


Q:そういう監督なら「動く絵」が作れる。


ええ、よくいるタイプです。


Q:たいてい、死んだ絵しかつくらない。


そんな監督がいます、作家に綿密に従って、作品を例示する人たちです。

このタイプの映画はたくさんありますが、たいてい同じように見えます。

単なるイラストだから、みんな死んでいる、生命が何もない。

それ自体、そして当然ながら、芸術的な価値は全くない。

単なる写し絵です。

文学の原典に従属する副次的なものです。

そういうのをレムは期待していた。

もし本当に彼がそう期待していたなら。私には理解できないことです。

彼がこの手の期待をしていたと考えるのは非常に奇妙なことですが、映画芸術に対する彼の姿勢こそ、まさにこの結果、イラストを期待する人間の位置に彼を置いたのです。
もしかするとそんなことは全然望んではいなかったのでしょうが。

しかし、私たちの脚本が小説の正確な描写からはずれる部分があれば、彼は必ず反対したものでした。新たな道筋を工夫したらいつでも彼は憤然としていました。

あの時私にはとても気に入った脚本の異稿がありました。

その場合、アクションのほぼすべてが地上で起きるのです、その半分以上が、つまり、ハリーをめぐる過去のすべてでした。

なぜ彼女がはるか宇宙の彼方のソラリスで「生まれた」のか。

『罪と罰』を想い出させるものでした。

もちろんレムのオリジナルの理念とは真っ向から衝突しました。

なぜなら私は内面生活の問題、いわば精神的な問題に興味があったからです。

一方彼のほうは人間と宇宙の衝突に興味があった。

括弧付きの「未知なるもの」に興味があった。

これこそ彼の興味を惹くものだった。

言葉の存在論的な意味において、認識の問題とこの認識の限界という意味でーそういうものに興味があった。

人間性が危機にさらされているとすら言ってました、人間が感じないときに認識の危機があると。

この危機は増加している、雪だるまのように、それがさまざまな人間の悲劇のかたちをつくり出している、科学者が経験する悲劇も、です。

そのすべてが熟して一種の爆発を起こす、前進をもたらす、すべてが未来に向かって行進する、などなど。

爆発ーそれはいいでしょう、私も否定しない、しかし私はそんなことにまったく興味がない。

この小説に惹かれたのは、生まれて初めて私がこう言える作品と出会ったから、それに尽きるのです。

つまり、贖い、それは贖いの物語なのです。

贖いとは何か?ー

良心の呵責。言葉の直接的な古典的な意味でー過去の過ち、罪、の記憶が実在になるとき、にです。

私にとってこれこそあの映画を作った理由なのです。


一方、未知との遭遇の問題を語るべきならーその場合も、存在論的な側面は私には重要でなかった。

そうではなく、ある人間の心理状況の再創造だった。

その魂に何が起きているのかを示すことこそ重要だった。

もしその人間が人間であり続けるならー私にはそれが最もかけがえのないことだった。


私の映画の主人公が心理学者であることは偶然ではありません。

レムの小説の主人公も心理学者ですが。

彼は平凡な都市生活者です、俗物です、そう見えます。

私には、彼がそんなふうであることが重要でした。

彼は精神的な幅のかなり限られた人間であるべきです、月並みな人間ですーこの精神的な闘いを、恐怖を経験できるためにです。

苦痛に捕らえられて、自分に何が起きているのか理解できない動物のようにではなく、この精神的な闘いを経験できるためにです。

私に重要であったのは、人間は無意識に自分自身に人間的であることを強制するということです。

無意識に、そしてその精神的な能力が許す限り、人間は野蛮さに反抗します。

人間的であり続ける限り人間は非人間的なものすべてに抵抗します。

そして結局、彼はー少なくともそう見えるでしょうー徹底的に月並みな奴であるにもかかわらず、彼は精神的に高いレベルに立ちます。

まるで自分を断罪するかのようです。

この問題の内側に入り込み、自分を鏡の中に見たかのようです。


結局、彼は精神的に豊かな人間ですー

先に見たように、見かけは知的に限界があるにもかかわらずです。


父親と話すとき彼はどうしようもない俗物です。

バートンと話すとき、月並みな凡庸さで、知識について、道徳について語ります。
凡庸な話をします。

自分の思念を形成し始めると途端に彼は凡庸になる。

しかし何かを感じ始めると、あるいは苦しみ始めると、途端に人間になる。

で、レムはこのことにまったく無感動だった。まるっきり無感動だった。

私はこのことに深く心動かされた。


カンヌで映画が賞を受けて、誰かが彼におめでとうと言ったとき、レムは訊いた。

「で、私はどうしたらいいんだ?」

彼は恨みを込めてそう言ったー

しかし別の見方をしてこう訊けるでしょう。

「確かに。彼はどうしたらいいのだろう?」

もし彼が映画を芸術として扱ったなら、映画というものは、スクリーンに合わせたものは、いつも、いわば作品の廃墟から生じるのだと分かったでしょうに。

しかし彼はそんな風には映画を見なかった。

しかし私は、共に過ごし語り合ったあの日々のことを彼に限りなく感謝しています-
彼はきわめて興味深い人物です。とても楽しい人です。

だから、私が少し苦い思いをしたなら、それは、彼が私と私の映画をあんな風に扱ったからではなかったー映画を一般にあんな風に扱ったからなのです。

ところで、彼によろしくと、私の心からの感謝と敬意を彼に伝えるようにお願いできますか?


 私はいつまでも感謝と共に一緒に仕事をして過ごした時を想い出すでしょう。

しかし、私が先に述べたことは、少なくとも、客観性のために述べておく必要があったのです。


Q:2つの別の問題ですね。


そうです。

ここで私たちはある争点に触れています。

これは、いつも私に問題を提起する。

ええ、こんなことが以前ありました。

誰かに会う。とても知的な人です。

読書家で、詩、絵画、音楽などを知っていて。知識人です。

で、彼は私の新しい映画が好きだと言う。偉大な映画だと言う。

そして「おお、私はうれしい、ありがとう、ありがとう」と言う。
で、彼に話し始めると私は彼が何も理解していないことに気づく。

これはひどい。これはまったくひどい。

これは私がさっき話していたことの逆です。

まあ似たようなーその人は言う

「そうです、そうです、映画、私には分かります」ー

しかし実は映画を理解していない。

映画が何であるか、映画をどのように扱うべきか、映画から何が期待できるかー
映画から何を期待してはいけないか、何を期待すべきか、分かっていない。


これは一体どういうことか? 

詩、絵画、文学、音楽に関しては水の中の魚のように、自由自在なのに、映画のことになると全くの素人だ。

映画に関する議論も話し合いも全然出来ないー自分はその気になっているのに、ですよ! 

これは非常に奇妙なことだ。

私にはこちらのほうが、誰かにこう言われるよりずっと辛いことです。

「ええ、私にはあなたの映画が分からない。

私の意見ではそれは戯言だ。馬鹿馬鹿しい、もったいぶった戯言だ。

政府の金がこんな映画に費やされるのは理解できない。」


こういう手紙を受け取ったこともありますよ。

『ルブリョフ』で大騒ぎしている頃、KGBに直接手紙を送った奴がいた。

「タタールの国家に反対する映画を作るためにタルコフスキーが政府の金を使えないように、タルコフスキーをまっとうに更正させなきゃいかん」
と書いてよこした。


Q:タタール人?!


信じられますか? 

私はただ-

「戦争中タタール人はロシアの兄弟と一緒に、共通の理想のために血を流したのだ。
それなのにタルコフスキーは反タタール映画を作っている。」


分かりますか? 

「反タタール映画を作る気なら、タルコフスキーには二度と何も撮らせるな。」

それだけじゃない。こういう人たちは実は自分たちの歴史を知らなかった。

このタタールの人たちは、自分が『ルブリョフ』で描かれたタタール=モンゴル人とはまったく別であることを確かに知らなかったのです。

2つのまるっきり違うことなんです。

彼らは自分の歴史すら知らない。

カザンにいたときそこで私は同じ話をしました。

私はその手紙を読んで、言いました。

あなたがたはタタール人としての国家の尊厳を言われるが、そういうあなたがたの誰ひとり、知らないー自分が何者であるのかまるっきり分かっていない。

あなたの父祖が誰なのか、覚えてもいない。

あなた方は他の国家と混じり合っている。

ええ。こんなふうにいろんな手紙をたくさん受け取りましたよ、時には侮辱的なものも。

そういう手紙を受け取っても、何とも感じないものですよ。

なぜなら一般にどうしようもない無知な手紙ばかりですからね。

しかし突然誰かに出くわしたら、例えば誰か以前なら文化的な動向に立派な意見を持っていたとしましょう。

その彼が突然、あなたがやったことについてナンセンスなことを話し始めたらー
彼がまったく無理解であることを暴露するならーこれはさらにつらいものですよ。

賛成されるかどうか分かりませんが、例えば1冊の本を読むなら、例えば、何か文学作品を読むなら、読んでいる人と同じ数だけ本もあるんです。

読者のひとりひとりが自分で創造したイメージを見ています。
自分の体験に基づいて作りあげたイメージです。

文学は描写が中心で、映画は例証が中心だから、余計そうです。

でも、映画も個人のヴィジョンを受け容れます。

このことを私はとびきり貴いものだと考えています。

もしそれが文学で可能なら、なぜ映画ではそれと戦わなければいけないのですか?
 
その逆のー一般に当てはまることだけを考慮する、すべての特徴にあてはまるだけを考える、普遍的に受容されことだけ考える?
 
私にはこういうことはまったく理解できない。

これは差別だと思います。

芸術作品は観客、聴衆、読者によって創られると私は信じます。

個人の知覚の可能性を許さないなら、芸術は芸術ではないでしょう。

もちろん、或る程度準備をしておかなければならない。

しかし、一番大切なのは、準備、教育ではなく、むしろ精神的なレベルです。

これが受容なのです。理解というよりむしろ受容です。

もしあなたが受け容れる、受けとめるなら、あなたには理解できるでしょう。

あなたが理解できる日が来るでしょう。

だから、文学作品がその性質固有のやり方で状況を示し、解釈できるなら、なぜ、他のジャンルが、例えば映画作品が、自分のやり方でそれを出来てはいけないのでしょうか? 

そうでしょう? そうであるべきだと私は思いますよ。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

タルコフスキー『惑星ソラリス』


 映画の中の恋愛というのは、往々にして世界との関係の隠喩でもある。

多くの映画の主人公は、ラストで抱えていた問題が一掃されると同時に、パートナーを手に入れる。

まあこれだけだと、単なるそこらの色と出世のサクセスストーリーだが、もうちょっと気取った映画となると、何らかの理由で世界から孤立して暮らしている人物がいて、その人の前にふとした偶然で相手があらわれる。

それが、世界の差し出してくれた関係修復のための蜘蛛の糸になる――そんな映画はたくさん思いつく。

たとえば『ブレードランナー』なんかを考えてもらえばいい。

もちろんこれも一歩間違えると、自分では何もしない怠惰なおたくのところに、労せずして美少女が勝手に宅配されてなついてくれるという、ただの卑しい願望充足話になってしまうので、それを避ける工夫は必要なのだけれど。

 その一つのやり方は、そこで登場する蜘蛛の糸たる相手を、何か受け入れがたい変なものに仕立てることだ。

『ブレードランナー』はそれを、自分の倒すべきネクサス6型アンドロイドにしたことで実現した。
あの映画の長期的な価値は、その仕掛けがきわめて上手に構築されたことからもきている。


 そしてタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』では、その相手はかつて自殺した妻の複製品だ。

 知性を持つらしき惑星ソラリスの海は、近くにやってきた人間が内心に抱いている世界との断絶の根本にあるものを探り出しては再現するという性質を持っている。


主人公の場合、それは自殺した妻だった。


 そうやって世界が、考えもしなかったような形で差し出してきた存在に対して、主人公はどう振る舞っていいかわからない。

いまでも奥さんのことは忘れられないけれど、でも一方で彼女の自殺の原因は自分にあるので、彼女の姿は傷口に塩をすりこまれるような苦痛だ。

耐えきれずに一度はそれを殺してみるし、またどうも自分が変な存在でうとましがられているのに気がついた当の複製奥さんも、自殺を試みるけれど、生き返ってしまう。


 『惑星ソラリス』は、そんな変な生き物とゆっくりと折り合いをつける過程の話となっている。

そこにある逡巡やとまどい、葛藤――それはまさに恋愛で、『惑星ソラリス』はそこにあまりロマンチックな要素を持ち込まないことで、逆に精神的な深みを出し仰せていた。


 いたんだが……『惑星ソラリス』はその最後の最後のところで、あさっての方向を向いてしまう。

主人公の脳内情報を投射されたソラリスの海は、奥さんもどきをあっさり消してくれて、かわりに昔の家とお父さんを復活させ、再会ごっこまで演じさせてくれる。

この時点ですでにソラリスの海は、おたくのビデオデッキまがいの都合のいい妄想再生実現マシーンになってしまっている。

その奥さんもどきをどうするか? 

そこにこそ、その恋愛――そしてそれまで映画が積み重ねてきた問いかけ――の意味があったはずだったのに。


 それはまた、タルコフスキーが常にやってきたごまかしでもある。


NHKがタルコフスキーについてのドキュメンタリーを放送したことがあって、そこにかれの妹が登場した。

そして、お兄さんの映画についてどう思うかと尋ねられたとき、彼女は吐き捨てるようにこんなことを述べたのだ。


 「大嫌いです。 冷たくて人工的で。

だいたい兄は映画で、家族への思慕を繰り返し描きますが、

実際には実家にも全然帰らず、まったく家族に会おうとすらしなかったんです。

あんなの全部、口先だけのインチキです」


 ぼくはこれを聞いて、タルコフスキー映画を見る目が一気に変わってしまった。

かれの描いていた家族への郷愁がまがいものなら、かれが晩年になってますますしつこく押しつけがましく描くようになってきた神だの世界の救済だのといったものも、やっぱりまがいものでしかないんじゃないか。

それはかれが現実の家族をまったく顧みずに脳内家族に萌えていたのと同様、本当の神様でも本当の世界でもない、脳内の物欲しげな妄想でしかないんじゃないか。


 そしてそれはかれの恋愛の描き方にも出ている。

『ノスタルジア』でもそうだ。

主人公は世界のさしのべてくれた実物の愛を無視して、世界を救うとかいう妄想への耽溺を選ぶ。

それはたぶん、世界の頭でっかちたちの間でのタルコフスキーの評価を高めた選択でもあるんだろう。


でもそれは、結局かれが各種の愛や、世界との和解を手に入れられなかった原因でもあるんじゃないか。

だがそもそも、かれは現実にそれを求めていたんだろうか。
http://cruel.org/other/esquiresolaris.html


Marina Tarkovskaïa raconte Andreï Tarkovski
http://www.youtube.com/watch?v=Y4VZ-keEdfY&feature=related

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タルコフスキーの評価は厳しかったが、それでも映画の場合は、実に数多くの作品を彼は見たのだった。

彼がもっともよく話題にした創造的な精神は、ブレッソン、アントニオーニ、フェリーニ、黒澤、ワイダ、ザヌーシ、ベルイマンだった。

これと関連して、私は1985年11月の出来事を思い出す。

アンドレイと私はストックホルムの映画博物館で映画ポスター展を見ていた。

私はベルイマンの姿を見つけた。

ベルイマンとタルコフスキーはお互い会いたがっていたが、一度も会ったことがなかったのだ。

ベルイマンは博物館の中の劇場のひとつから出てきたところだった。

このチャンスに、出会いは実に自然で、ほとんど避けがたいと思われた。

2人はおよそ15メートルの距離でお互いを認めることが出来た。

次の瞬間、私は仰天した。

2人ともくるっと踵を返した。

まるで厳しい軍事演習に加わっているかのように。

そして別々の方向に歩いていった。

2人は二度と会わなかった。

こうしてこの世界の2人の偉人は触れあうことなくすれ違ったのである。
http://homepage.mac.com/satokk/mihal/mihal.html


「惑星ソラリス」 原作はスタニスラフ・レム。


その「惑星ソラリス」というと最近リメイクされたようですね。
リメイク版の監督さんは、確か賞味期限切れとして名高い?ソダーバーグさん。

ソダーバーグのデビュー作「セックスと嘘とヴィデオテープ」は確かに見事な作品でした。

現代における宗教的なマターを、あるいは、芸術家としてのあり方を、現代的に扱って「大したモンだ!スゴイ!!」と思ったものです。

今でも様々な俳優や映画スタッフは「セックスと嘘とヴィデオテープ」について、「ソダーバーグ監督はデビュー作であの力量なんて・・・スゴイ!!」と言っているようです。

まあ、逆に言うと、その賛辞こそがソダーバーグの現状を語っていると言えるわけですね?

デビュー作の「セックスと嘘とヴィデオテープ」以降の作品は「語られない」わけ。

本来なら、俳優とか同じ映画業界の人間なら、最新作について語るものでしょ?
いつまで経っても、「デビュー作はスゴかった!!」ではねぇ・・・

このように賛辞を語ることによって、否定的な見解を表明する。

意図的にやっているかはわかりませんが、よくある話です。ホメ殺しみたいなものでしょうか?


さて、さて今回の本題であるタルコフスキーによる本家の「惑星ソラリス」。

私はソダーバーグのリメイク版は見ていませんが、リメイクを作りたくなる、プロデューサーの、心境は理解できなくもありません。

タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」は、

1.セリフがロシア語である。
・・・・この点は、当然のこととして、アメリカの観客には不利ですよね?


2 通常のSF映画の「売り」であるはずの未来風景がショボイ。
・・・最新技術を使えばもっとハデな未来風景が作れるはずです。

ということで、リメイク版を作ろうと思ったのでしょう。
しかし、どのみちねぇ・・・

確かにアメリカ人は字幕がキライでしょう。
しかし、スタニスラフ・レム原作の「惑星ソラリス」を見るような観客は、いくらアメリカ人だってそれなりの水準の人でしょうから、本来は字幕には抵抗がないはずです。

「字幕は絶対にイヤ!!」という観客は、そもそも「惑星ソラリス」なんて理解不能でしょ?

あと、「未来風景がショボイ」・・・これだってねぇ・・・

「惑星ソラリス」は未来世界がテーマである作品ではないのだから、未来風景なんてどうでもいいことですからね?

ハデハデな未来風景を楽しみにするような人には、どのみち「惑星ソラリス」なんて無関係の作品ですよ。

というわけで、「惑星ソラリス」のリメイク版を製作することは理解できなくもないけど
・・・無意味なことは確実ですよ。


大体、リメイクって・・・

タルコフスキー監督の作品を手直しする・・・という発想自体ぶっ飛んでいますよ。

まあ、ソダーバーグもよく引き受けたものだと感心いたします。


さて、この「惑星ソラリス」ではバッハのコラール・プレリュードが使われています。

というか一般的な呼び名では「オルガン小曲集」の中のBWV639「われ汝に呼びかけん、主イエス・キリストよ」です。

まあ、そのコラールのタイトルは映画そのものには、登場しません。

この「惑星ソラリス」はソ連映画なので、SFであれば共産党政府も問題にはしなかったでしょうが、「キリスト」を連想させるような宗教的なものは「慎重」に扱う必要があったはずです。

当時のソ連では、あまりおおっぴらにキリストなんて扱えませんよ。

ちなみに、バッハのオルガン小曲集ですが、これらのオルガン曲は、コラール(プロテスタントにおける会衆歌)の伴奏として使われた曲なんだと思いますが・・・

ということで、タイトルだけでなく歌詞もあるわけです。

大体の大意は下記のようなものらしい。


「わたしはあなたに呼びかけます、イエス・キリストよ!

私の嘆きに耳を傾け、この時に恩寵をおあたえください。

どうか私がひるまぬようにしてください。」


バッハの音楽になじんでいる人だったら、ここで言われる「恩寵」が、「死」を意味しているのは簡単に読み取れるでしょう。

「死による救済を憧れる。」

バッハの音楽にはよく出てくる感情です。


有名な82番のカンタータの「我は満ちたれり。」なんて、そのものズバリの曲ですし。

しかし、タルコフスキーでこの曲を使った意図は、死を求めるというよりも、
「自分の嘆きに耳を傾け・・・恩寵を与えて欲しい。」ということなんでしょう。

この「惑星ソラリス」では、映画の中でも「嘆き」や「恩寵を求める渇望」が顕著です。

そもそも、バッハのオルガン音楽だって、この曲以外にも、他にいくらでもあるわけです。

例えばBWV605は「かくも喜びに溢れる日は」とおめでたいタイトルがついています。

BWV645は有名な「目覚めよと呼ぶ声あり」ですよね?

タルコフスキーは多くのバッハの音楽から、「深い嘆き」と「恩寵への渇望」の音楽を「選択」しているわけです。


では、タルコフスキーの抱える「嘆き」とは?

タルコフスキーの渇望する「恩寵」とは?

イタリアの監督パゾリーニは「映画作家はどの作品でも、同じことを言っているだけ。」と言っています。

作品によって、多少スタイルが違っていても、「言わんとする」ことはいつも同じというわけ。

映画作家の代表例のタルコフスキーも「いつも同じこと」を言っているわけです。


タルコフスキーはルネッサンスに懐疑のまなざしを向けていたのは確実でしょう。

「ノスタルジア」では反ルネッサンスの修道士サヴォナローラを連想させる人間を登場させているでしょ?

「サクリファイス」だって、昔の世界への憧れがでてきます。
昔に製作された地図などを喜んで見たりして。地図というのは一種の世界観ですからね。

他にも、アンドレイ・ルビリョフのイコンがルネッサンスの人間中心主義から遠いのは自明ですし。

その他の作品だっていわずもがな。


神から人類を解放したはずのルネッサンスが、本当に人類を解放したのか?

神を放逐した後の、人類のみの世界の代表例が、ソビエトの共産社会でしょ?

現実の共産社会が、人類の解放からもっとも遠かったのは言うまでもないことでしょう。


ちなみに、ヨーロッパの美術において、ルネッサンス以前と以降で随分違います。
単に表現技法の問題だけではありません。

ルネッサンス以降、画家は自画像を製作し、絵にサインを入れるようになりました。
絵画における遠近法だって、ある意味において、神の視点から人間の視点への変更です。

つまり芸術は芸術家のものになったわけです。
それ以前は「神」のものだったわけです。

だからこそ、自画像は作らなかったし、サインも入れなかった。
芸術家はただ神の代理にすぎなかったわけです。

ルネッサンス以降、芸術は芸術家の創造物ということになった。

それが本当にいいことなのか?

創造という神の領域に人間が踏み込んでしまって・・・
人間はそれに値する存在なのか?

あるいは人間の創造した芸術など、神の創造したものに比べれば、取るに足らぬものではないのか?

人間タルコフスキー、別の言い方をすると芸術家タルコフスキーが創造した映画は、このような人間の「創造」に対する懐疑の念が付きまとっています。
逆説的な存在なんですね。

神を放逐した後で、創造を行う人類・・・
そして映画を創造しているタルコフスキー本人。

タルコフスキーの映画は「人類の創造への懐疑に満ちた創造物」という逆説的存在と言えるように思います。


だからこそ、タルコフスキーとしては、創造することへの「嘆き」は、まさに「汝に呼びかけん!!」と言いたいところでしょう。

人間の創造のむなしさを知り抜いていながら、自らの創造意欲から創造せざるを得ない。
そしてその嘆きから解放されるには、神の恩寵が必要となる。

・・・だから「イエス・キリストよ!」というわけですね。


別にタルコフスキーがキリスト教的な救済を意図していたわけではなく、もっと普遍的な絶対的な存在としての神を考えているわけです。

人類にとってルネッサンスとは?

それは人類の歴史の上では脇道に過ぎず、単なる放蕩ではなかったのか?


20世紀にもなって、そして、よりにもよって当時のソ連で「主イエス・キリストよ!」と呼びかけることは、ルネッサンスの否定に繋がっていくわけです。


この世界を人類のものから、神のものへ返上すること。

それこそが、「放蕩息子の帰還」のラストシーンに繋がるわけです。


御丁寧に犬までがんばっている。
放蕩息子の帰還のシーンに犬はお約束ですからね。

自らの願いがすべてかなうソラリスという場にあって、人間が望むことは、父なる神への帰郷なんだ。


ルネッサンスという人類の放蕩を反省し、父なる神に帰還する。

最後のシーンやバッハのオルガン曲は、父なる神の世界への帰郷への渇望を意図しているんだろうと思います。

ちなみに、私はこの「惑星ソラリス」のヴィデオを持っています。
このヴィデオでの解説は・・・・なかなか・・・何と言うかぁ・・・

まあ、タルコフスキーの作品を解説するというドン・キホーテ的な行為は賞賛に値するかも・・・その点は、私も人のこと言えませんし・・・そういえば、「惑星ソラリス」では、ドン・キホーテも引用されていたっけ・・

そのヴィデオでの「解説」で、タルコフスキーがバッハの曲を使ったのは、バッハの宗教性がタルコフスキーになじみがあったから・・・と「解説」されております。

まあ・・・ただ・・・タルコフスキーが育った共産主義社会において、宗教がなじみとは言えないことは、多少知識がある人は御存知のはず。

またバッハのコラールというのは基本的にプロテスタントのものですよね。
ロシア正教では使わないんじゃないの?

まあ、昔のソ連の音楽家によるバッハの録音なんて、ヴァイオリンとかの器楽曲ばかりでしたものね。ソ連の音楽家による宗教曲のレコードなんて聴いたことないなぁ・・・

それにバッハの曲といっても、器楽曲から宗教曲まで色々とあるでしょ?

それに宗教性ということを言いたいのなら、別の作曲家でもいいのでは?
ハインリッヒ・シュッツとか、あるいはもっと地味な宗教音楽家の作品の方が、そのシーンの宗教性を表現できますよ。

その「選択」からタルコフスキーの意図も見えてくるわけ。

タルコフスキーが持っていたパレットを想定した上で、その選択の意図も見えてくるわけです。
タルコフスキーはバッハの曲というと、この曲しか知らない・・・というわけではないし、宗教音楽というと、この曲しか知らないというわけでもない。

ロシア人はヨーロッパ人だから、バッハの宗教性となじんでいるはず・・・というのは、日本人の主食がキムチというくらいトンチンカンな話。

多分DVDだと、その解説も直っているとは思うんですが・・・

まあ、ルネッサンス的英知であるDVDという媒体で、「ルネッサンス否定」の作品を見るのもオツなものですね。
http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/03-12/03-12-23.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html#c1

[近代史3] タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年) 中川隆
2. 中川隆[-12113] koaQ7Jey 2019年2月17日 15:00:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

放蕩息子の帰還 ルカ傳福音書 第15章


15:1取税人、罪人ども、みな御言を聽かんとて近寄りたれば、

15:2パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎へて食を共にす』

15:3イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、

15:4『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、
九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。

15:5遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、

15:6家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん

「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」


15:7われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のためには、
悔改の必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歡喜あるべし。

15:8又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、
家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。

15:9遂に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、

「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」


15:10われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前に歡喜あるべし』

15:11また言ひたまふ

『或人に二人の息子あり、

15:12弟、父に言ふ

「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」

父その身代を二人に分けあたふ。

15:13幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠國にゆき、
其處にて放蕩にその財産を散せり。

15:14ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、
自ら乏しくなり始めたれば、

15:15往きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。

15:16かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど、
何をも與ふる人なかりき。

15:17此のとき我に反りて言ふ

『わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢ゑて
この處に死なんとす。


15:18起ちて我が父にゆき

「父よ、われは天に對し、また汝の前に罪を犯したり。


15:19今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』
と言はん」

15:20乃ち起ちて其の父のもとに往く。なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、
走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。

15:21子、父にいふ

「父よ、我は天に對し又なんぢの前に罪を犯したり。
今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」

15:22されど父、僕どもに言ふ

「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、
其の足に鞋をはかせよ。

15:23また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して樂しまん。

15:24この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」かくて彼ら樂しみ始む。

15:25然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近づきたるとき、
音樂と舞踏との音を聞き、

15:26僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。

15:27答へて言ふ

「なんぢの兄弟歸りたり、その恙なきを迎へたれば、
汝の父肥えたる犢を屠れるなり」


15:28兄怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勸めしに、

15:29答へて父に言ふ

「視よ、我は幾歳もなんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、
我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。


15:30然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子歸り來れば、
之がために肥えたる犢を屠れり」


15:31父いふ

「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。


15:32されど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、
我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』
http://bible.salterrae.net/taisho/html/luke.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html#c2

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
238. 中川隆[-12112] koaQ7Jey 2019年2月17日 15:26:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「助けて」と言えなくて。子ども虐待と、もうひとつの暴力のこと
2/17(日) 8:04配信 BuzzFeed Japan
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190217-00010001-bfj-soci


信田さよ子さん(右)に話を聞く眞鍋かをりさん


千葉県野田市で10歳の女の子が亡くなり、両親が逮捕された事件の背景には、夫婦間のDVがあった。家族の問題に詳しい臨床心理士の信田さよ子さんは、「同じような条件がそろった虐待はたくさん起きている」と指摘する。【BuzzFeed Japan / 小林明子】

【保存版】虐待から子どもを救うため、大人が知っておきたいこと

千葉県野田市の自宅で10歳の栗原心愛さんが亡くなり、父親(41)が傷害の疑いで逮捕された事件。母親(31)も、暴行を止めなかったのは共謀だとして同じ疑いで逮捕された。

母親は、夫からDV(ドメスティック・バイオレンス)を受けていたという。一家が転居前に住んでいた沖縄県糸満市や、心愛さんが一時保護されていた柏児童相談所も、DVがあることを把握していた。

虐待とDV。家庭内の暴力はなぜ何度も見過ごされ、最悪のケースを招いたのか。

虐待をなくすための活動を続け、「#こどものいのちはこどものもの」のハッシュタグで発信しているタレントの犬山紙子さんと眞鍋かをりさんが、家族の問題に詳しい臨床心理士の信田さよ子さんに話を聞いた。
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妻が思い通りにならないと犬を殴る夫

眞鍋 夫からDVを受けていたとされる母親が、娘への虐待を止めなかったとして逮捕されました。母親の関与の解明はこれからでしょうが、信田さんはどう受け止めていますか?

信田 DVと虐待は通底していると認識されていないことが逮捕につながったのでは、と感じています。

DV(ドメスティック・バイオレンス)は、配偶者や恋人など親密な関係にある人(あった人)から振るわれる暴力とされています。殴る、蹴るなどの身体的な暴力だと思われがちですが、このカウンセリングセンターを訪れる被害女性の3分の2は、身体的な暴力を受けていません。

その代わりに、生活費を渡さないなど経済的に抑圧する、行動を監視する、しょっちゅう罵声を浴びせるなどの精神的な暴力や、性的な暴力の被害に遭っています。「お前はバカだ」「子どもなんか育てられない」と罵られ続け、すべての自信をなくして支配下に入り、マインドコントロールされた状態になることもあります。

妻が思い通りにならないと、そのたびにゴルフクラブでペットの犬を殴る夫もいます。相手が大切にしているものを傷つける行為もDVにあたります。妻を苦しめるために子どもを虐待する、特に女の子の場合は、妻の身代わりとして虐待される場合もあります。

DVから虐待の通告につながる

信田 2004年に児童虐待防止法が改正された後、子どもが同居する家庭内での配偶者に対する暴力も、子どもに著しい心理的外傷を与える言動だという文言が付け加えられました。

2012年から警察庁は「面前DV」という言葉を使い、DVで110番通報を受けた警察が駆け付けたときにそこに子どもがいれば、「心理的虐待(面前DV)」として児童相談所に通告するようになりました。

2018年上半期には、警察が児童相談所に通告した子どものうち45.5%が面前DVによるものでした。児童虐待の通告人数が右肩上がりに増えている主な要因は、面前DVの通告の増加なのです。

「面前DV」の通告がこれだけ多い時代にも関わらず、DVの被害者である母親が、虐待の行為に加担したということで加害者として逮捕されたのです。

犬山 確かにDVに関しての検証や報道は少ないように感じますね。

信田 心愛さんの母親は児童相談所などにDV被害を訴えていたと報じられていますが、母親がDVの被害者支援員や支援団体につながったという情報は現時点ではありません。

東京都目黒区で、両親から虐待を受けていた船戸結愛ちゃんが亡くなった事件を思い出してください。父親が虐待をする。母親が従う。一時保護と保護解除がされている。転居する。女の子が亡くなるーー。

このような条件がそろった虐待は、実はたくさん起きています。目黒も千葉も、そこにいくつかの偶然が重なったために最悪のケースになったわけです。再発を防ぐには、DVという視点を持って、母子を保護することが急務です。
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家庭内の問題に関知しない

眞鍋 政府は、目黒の事件を受けて2018年7月に策定した「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」を、千葉の事件を受けてさらに徹底するよう呼びかけています。児童虐待に関しては、児童福祉司の増員や専門性の強化、関係機関との情報共有などが対策に盛り込まれ、すべての虐待ケースの安全確認をすることにもなりました。一方、DVに関してはどうなのでしょうか。

信田 日本では、家庭内の問題には関知しないという前提で法制度ができており、虐待の対策でさえ不十分です。残念ながら、DV対策のほうはさらに輪をかけて不十分といえます。

児童虐待の相談先は児童相談所ですが、DVの相談先は、都道府県などが設置している女性相談センターや男女共同参画センター、福祉事務所などが「配偶者暴力相談支援センター」の機能を果たしています。ただ、支援員の多くは週2日勤務だったり、フルタイムではなかったり。待遇改善が必要だと感じています。

児童虐待については児童福祉司による一定の介入が認められており、警察との連携も進んでいます。一方DVについては、被害者支援と警察の連携が取れているとは言いがたいです。

なぜDV対策が不十分なのか

信田 被害者が子どもではなく大人だというのが大きいです。虐待の対策をすると多くの人に支持されるけれど、DVの対策は当事者以外から「よくやった」という声が上がりにくい。なぜなら「子どもの命を救う」というような、いわばヒューマニスティックな満足感や感動が、DVにはないからです。

眞鍋 子どもなら一時保護という形で、強制的に加害者(親)と引き離すことができるけれど、大人の場合、「大丈夫です」と言われてしまうとそれ以上は介入ができないという事情もあるのでしょうか。自らSOSを出してくれない限りは助けられないという。

信田 母親が「大丈夫です」と言ってしまうのは、子どもの問題は母親の問題だと母親を責める論調があるからでしょう。

なぜ逃げないのか。なぜ助けを求めなかったのか。なぜ命をかけてまで子どもを守らないのか。そんな問いは、母親本人にしてみれば最も残酷です。

DVを受け続けていると、今日をなんとか生き延びたい、この瞬間をどうにかやり過ごしたいという思考になり、助けを求めることなんて考えられないような心理状態に追い込まれるわけですから。

皮肉にも、昨年から今年にかけて父親による虐待が明るみになったことで、ようやく母親だけの問題ではないのだということが認識されるようになってきました。
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「助けて」と言えなくて。子ども虐待と、もうひとつの暴力のこと


のぶた・さよこ / 1995年に原宿カウンセリングセンターを設立。親子・夫婦関係、アディクション(嗜癖)、暴力、ハラスメントなどの問題に関するカウンセリングを行っている。著書に『母が重くてたまらない』、『加害者は変われるか?』など


すぐに逃げろと言われても......

犬山 夫に殴られているという子育て中の母親のツイートを見かけたので、DMで配偶者暴力相談支援センターなどの相談先を伝えたことがあります。その方はすでにセンターに相談をしていましたが、行政や警察の対応に不信感を持っていました。どうやら、誰かに通報されて警察が介入したとき、火に油をそそぐような対応をされたらしいのです。

信田 いったん不信感を持ってしまうと、二度と行政や警察に頼れなくなってしまうケースはあります。相談機関に電話すると「すぐに家を出るように」と言われるけれど、子どもが受験生だったりペットがいたり、さまざまな事情があってすぐに逃げられない人はたくさんいます。

逃げる以外に選択肢がないなら自分はどうすればいいんだ、どうせ誰も助けてくれない、と相談することを諦め、心を閉ざしてしまう人もいます。

眞鍋 子どものために自分さえ我慢すればいい、と考える人もいるでしょうね......どうすればいいんでしょうか。

信田 DVから逃れようとするとき、多くの人は必ず戻ることを考えるんですね。逃げた後に加害者が逮捕されるのでなければ、戻ってから報復されたり、次はもっと巧妙な形で自宅から出られないようにされるかもしれません。戻った時のことを考えると、怖くて逃げられない、と。

それでも、一晩でいいから家を出たほうがいいとアドバイスしています。

1泊できるくらいのお金を常に財布に入れておき、すぐに逃げ込めるビジネスホテルの目星をつけておく。そしていざ家を出るときには、相手に手紙を残したりLINEで送ったりできるように、文章のフォーマットを作っておくのです。

「あなたの暴力に耐えられないので外で一晩、過ごします。必ず帰るので、その間にあなたも自分がした行為について考えてください」といった文面です。

なぜそれが効果的なのかというと、DV加害者が怖がるのは警察ではなく、パートナーがいなくなることなんです。愛していないわけではなくて、むしろ自分のことを最もよくわかってくれ、最も支配できる相手だからこそ、暴力をふるうのです。加害者なのに自分こそが被害者だと思い込んでいることさえあるので、いったん距離を置き、ひどいことをしたのだと気づかせる必要があります。


このままでは子どもも親も救われない

犬山 DVをなくすことが子どもへの虐待をなくすためにまず大事だと感じるのですが、具体的にはどういう支援が必要なのでしょうか。

信田 被害者に逃げろというだけでは限界があるので、加害者へのアプローチが必要です。DV加害者には再発防止プログラムを受けてもらい、あなたがやった行為は100%あなたの責任であり、いかなる理由であろうと暴言、暴力の手段を使ってはならない、と伝え続けるのです。

また、命に関わることなので、警察とDV被害者支援団体の連携も必要です。

そして最も効果があるのは、一般の人たちの感覚による発信です。こうした事件があるたびに、「このままでは子どもも親も救われない、手を差し伸べたなければ」と声をあげることが、DVをなくし、子どもを守れる社会に近づく一歩だと思います。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c238

[リバイバル3] 2015年 かぐらスキー場スノボ遭難 雪洞に2晩ビバークして奇跡の帰還 _ 練子広寿は只者ではない 中川隆
7. 中川隆[-12111] koaQ7Jey 2019年2月18日 05:34:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語 雪山 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9jFnGeIJDLQ
https://www.youtube.com/watch?v=Uzbumv7rrqU
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++%E9%9B%AA%E5%B1%B1

監督 落合正幸
脚本 鈴木勝秀 落合正幸
配給 東宝
公開 2000年11月3日

キャスト

木原美佐 - 矢田亜希子
結城拓郎 - 鈴木一真
真辺春臣 - 宝田明
山内義明 - 大杉漣
近藤麻里 - 中村麻美
救助隊員 - 石橋祐、小西崇之、藤田正則
真辺の妻 - 浅川綾
乗客 - 河合杏奈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%B7%A8

第205話 雪山


ある日起こった飛行機事故。その飛行機は雪山に墜落し、生き残ったのは美佐(矢田亜希子)とその友人・麻里(中村麻美)、カメラマンの結城(鈴木一真)、医師の真辺(宝田明)、そして中年の男・山内(大杉漣)だった。
麻里が事故のせいで足を怪我し、どうにかして山小屋まで運ぼうとするが力つき、仕方なく彼女を埋めていってしまう。

そしてついに山小屋を見つけ、喜ぶ四人だったが,美佐が友達を助けなければと結城とともに行く。しかし結城は誤ってスコップで麻里の首を突き殺してしまう。怖くなって二人は山小屋に駆け戻った。

その山小屋で救助隊を待つ四人は、それぞれ持っていた食料を皆で分け始める。山小屋の中にもいくつか食料があった。何と毛布まで揃っていた。

やがて四人は寒さで眠くなってくるが、全員が一度に眠り込んでしまったら凍え死んでしまう。一人見張り番を置き、残り三人は眠るというルールで全員仮眠を取る。そして見張り番だった人は次の人を起こしに行き、番を交代してその場所で眠るというルールだ。
山内→結城、結城→真辺、真辺→美佐・・と一人ずつ順番に起こす役が交代して行くが、それからしばらく経った後、不意に目覚まし時計が鳴り山内が目を覚ました。何故か全員が自分の寝場所でそれぞれ眠っている。「俺を起こしたのは一体誰なんだ?」
順番が来るたびに最初に見張り番をしていた者を起こした人間が誰だか分からない。それが何回か繰り返された後、美佐がある事に気づく。

山内→結城、結城→真辺、真辺→美佐、ここまではいい。だがこの後、美佐が山内を起こしに行こうとしても山内は結城を起こすため次の場所に居て、元の場所に居ないのだ。それなのに美佐は山内の場所で誰かを起こし、誰かと交代した事になる・・。
思わず悲鳴を上げる美佐。「私達以外の誰かが居る!」

美佐は、まさか麻里が復讐のために蘇り、自分達を殺しに来たんだと思いこむ。そして謎の人影が彼女の目の前をよぎった・・。

やがて暗闇の中で真辺が何者かに殺され、そして山内まで死んでしまう。
残ったのは美佐と結城だけとなる。

「俺達の事をビデオに残すんだ!これが俺達が生きた証だ!」
そう言いながらビデオを自分達の前に設置し、二人は眠りに落ちていく。

ふと目が覚めた美佐。隣りで眠っていたはずの結城を見ると、彼の背中には斧が突き刺さっていた。半狂乱になりながらも、誰が結城を殺したのか確かめるため震えながらビデオを見る美佐。

そこに写っていたのは、白い服の女。麻里の服だった。

(やっぱり麻里が・・)

カメラの中の女は結城にオノを振り下ろす。
そしてカメラは女の顔を映し出した。
それは麻里では無く・・美佐だった。

(どういう事?まさか・・私が殺したの?)

美佐は叫んだ。

救助隊の声で我に帰る美佐。自分がいたはずの山小屋はどこかへ消えていて、死体だけが自分の周りにゴロゴロと転がっている。放心状態の美佐に「君の名前は?」と尋ねる救助隊。

「私の…私の名前は…?」

麻里の服を着ている美佐。それとも・・
(私が麻里?)
雪の中に埋もれて絶命している友人が着ていたのは、美佐のスキーウェアだった。


キャスト: 矢田亜希子
放送日: 2000年 映画の特別編
http://yonikimo.com/205.html

この劇中で語られる「戻ってくる死体」の話は、ドラマ版エピソード「歩く死体」として放映されたもの:

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/718.html#c7

[リバイバル3] 2015年 かぐらスキー場スノボ遭難 雪洞に2晩ビバークして奇跡の帰還 _ 練子広寿は只者ではない 中川隆
8. 中川隆[-12110] koaQ7Jey 2019年2月18日 05:35:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語 歩く死体 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3Q1iYvTAItU
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++%E6%AD%A9%E3%81%8F%E6%AD%BB%E4%BD%93

第67話 歩く死体

主人公は風景専門のビデオマン。
撮影のために別れようとしていた愛人とともに雪山に登るが事故が起こり、遭難する。

愛人は重傷を負い、主人公も足を痛める。
怪我と悪化した天候のため下山できないまま
なんとかビバークしたテントの中で妻は亡くなる。

直後、天候は回復するが、
怪我の具合から下山は不可能と判断した主人公は
雪の中に愛人の亡骸を埋め、ビバークを続けることにする。

翌朝、埋めた筈の愛人の亡骸が傍らに横たわっているのに驚く主人公。
再び埋葬するが、次の日もその次の日も
やはり傍らに横たわる愛人の亡骸。

「まさか死体が歩いているのか?」
恐怖に駆られる主人公は、自分が眠っている間に何が起こっているか
確認するため、入り口にビデオカメラを設置する。

翌朝。やはり傍らに横たわる愛人。
主人公が恐る恐るビデオを確認しようとしたその時、
救助隊がテントに入って救助され、そのまま入院する主人公。
愛人の亡骸も霊安室に安置される。

その夜、救助隊詰所。
主人公が撮影していたビデオを確認する一同。
そこに映っていたのは、夢遊状態でテントから出て行き、
雪まみれの愛人の亡骸を連れ帰る主人公の姿だった。

病院。
非常灯だけが灯る廊下。「←病室 →霊安室」の表示の下、
主人公が病室に向かっている。愛人の亡骸を引きずりながら……。


キャスト: 渡辺裕之
放送日: 1991.3.14
原作・脚本: 小野沢美暁
http://yonikimo.com/67.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/718.html#c8

[リバイバル3] 2015年 かぐらスキー場スノボ遭難 雪洞に2晩ビバークして奇跡の帰還 _ 練子広寿は只者ではない 中川隆
9. 中川隆[-12109] koaQ7Jey 2019年2月18日 05:44:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語 冷やす女 (2000年3月27日)


世にも奇妙な物語 冷やす女 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=TMKgLH1Yi6U
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++++%E5%86%B7%E3%82%84%E3%81%99%E5%A5%B3&sp=mAEB


脚本・監督 - 豊川悦司
放送日: 2000年 春の特別編


キャスト

キョウコ - 水野美紀
ケンジ - 辻仁成
コンビニ店員 - 高田宏太郎
魚屋 - 高月忠
友人 - 山本恵美子

第333話 冷やす女


アパートの一室。主人公は(水野美紀)はエアコンを使い、部屋を冷やしていた。
氷を大量に買い込み、ひたすら部屋の中を冷やしている主人公。
部屋の隅には静かにうずくまっている主人公の彼(辻仁成)がいる。
「もっともっと冷やさなきゃ」と部屋を冷やし続ける主人公。
魚屋の氷まで集めてくる。
暖冬と言われている冬の日、ひたすら氷で部屋を冷やし続ける主人公。
とうとう巨大な業務用の冷凍庫を買う。

気温が下がったある日、
「神様が許してくれた。彼を引き止めてしまった私を許してくれた。これからはずっと一緒にいられるね。」と安堵する主人公。

しかし高熱がでて倒れてしまう。
「もういいから。」彼がエアコンを切り暖房をつける。
「こっちにおいでよ。」とコタツに誘う彼。
「一緒にいられなくなっちゃうよ。」と主人公。
コタツの中で寄り添う二人に降り積もる雪。

溶けてしまう彼…。
http://yonikimo.com/333.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/718.html#c9

[リバイバル3] 2015年 かぐらスキー場スノボ遭難 雪洞に2晩ビバークして奇跡の帰還 _ 練子広寿は只者ではない 中川隆
10. 中川隆[-12108] koaQ7Jey 2019年2月18日 05:54:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語 冷やす女 に使われた音楽

1曲目:
John Lennon『Happy Christmas(War Is Over)』
https://www.youtube.com/results?search_query=John+Lennon+++Happy+Christmas&sp=mAEB


2曲目:
John Lennon:『Love』
https://www.youtube.com/results?search_query=John+Lennon+Love



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/718.html#c10

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
19. 中川隆[-12107] koaQ7Jey 2019年2月18日 06:46:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

投資知識ない若者がターゲット 「サブリース」悪用の勧誘広がる
2/17(日) 18:03配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190217-00000027-mai-soci

「二重契約」による資金の流れのイメージ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190217-00000027-mai-soci.view-000



 不動産の転貸契約「サブリース」(借り上げ家賃保証)を悪用した投資の勧誘が広がっている。新たな顧客層を取り込むために投資知識のない若者がターゲットになっており、知らぬ間に不正な契約を結ばされた顧客が住宅ローンの一括返金を求められる恐れも出ている。【山本有紀、松本惇】

 「年収250万円台から大家さんになれます」。あるサブリース業者のホームページには魅力的な言葉が並ぶ。全国展開する不動産会社の営業担当の社員だった男(49)はこの業者と連携して顧客にマンションを販売し、そのマンションを第三者である入居者に貸すサブリース契約を結ばせていた。顧客は金融機関から住宅ローンを借り、入居者からの賃料収入をローンの返済に充てる仕組みだ。

 ところが、この売買には不正な二重契約があった。この不動産会社によると、元社員は正式な契約書とは別に、偽造印を使って契約額を多く見せかける偽の契約書を作成。これを使って顧客に住宅ローンを借りさせた。この行為は、有印私文書偽造などに問われる可能性が高い。不動産会社は「顧客も二重契約を知っていた可能性があるのではないか」とみているが、複数の顧客によると、二重契約については知らされなかったという。

 元社員らへの取材によると、二重契約で得た差額は架空会社に入金された後、入居者がいなくても家賃を支払う保証金としてサブリース業者に渡ったほか、顧客を紹介したブローカーにも支払われた。顧客には「必要な手続き」として明確な説明はせず、複数の書類にサインさせていた。元社員らが関わった同様の契約は約150件。毎日新聞が入手した資料では少なくとも十数件について、1件当たり200万〜700万円が架空会社に渡っていた。

 不正はもうひとつあった。融資に利用させた固定金利型住宅ローン「フラット35」は本来、投資用物件には使えない。元社員は契約者に理由を告げず、住民票を購入物件の住所に移すよう指示して自己居住用に購入したように見せかけていた。

 元社員は2015年ごろからこうした手法で20〜30代を中心に中古マンションを売り、歩合給を増やした。毎日新聞の取材に「客の年収は平均300万〜400万円。営業成績を上げるため、(収入)ピラミッドの底辺の客も囲い込みたかった。我々からすれば売れてしまえばそれでいい」と語った。外部からの通報により社内で不正が発覚し、昨年7月に解雇された。

 元社員がいた不動産会社は第三者の弁護士などによる調査委員会を設置し、不正行為は元社員が単独で行ったとする報告書をまとめた。その上で、宅地建物取引業法を所管する国土交通省関東地方整備局と、フラット35を提供する住宅金融支援機構に報告した。また、二重契約の可能性を通知する文書を顧客に郵送したという。

 同整備局は「報告があったかは答えられないが、一般論として二重契約は宅建業法で行政処分の対象となる『取引の公正を害する行為』に該当する可能性がある」と説明。同機構は「そうした事案について調査はしている。事実が確認できれば、顧客には融資金の一括返金を求める」としている。

 ◇元社員が顧客に契約させたサブリース業者の主な宣伝内容

▽年収250万円台から大家になれる

▽元手不要

▽保証人不要

▽借金があってもできる

▽家賃120%保証

▽定額20年保証

 ◇27歳男性「自己資金必要なく、20年間の家賃保証が購入の決め手」

 大手電機メーカーに勤める男性(27)は昨年4月、元社員が勤めていた不動産会社から東京都足立区にある中古マンションの一室を購入した。取材に対して「二重契約の説明は受けておらず、知らなかった」と驚いた様子で語った。

 SNS(会員制交流サイト)で知り合った女性から、投資物件を所有しているという人物を紹介され、勧誘を受けた。「直接物件を見ずにフィーリングで決めた。自己資金を出す必要がないうえ、20年間の家賃保証が購入の決め手になった」

 金融機関から受けた融資は約4100万円。毎日新聞が入手した資料に書かれた正式な売買契約額は約3400万円で約700万円が架空会社に渡っていた。男性は内容をよく確認せず、求められるまま複数の書類にサインしたという。現在は家賃が振り込まれているものの「家賃保証もいつまで続くのか」と不安な表情を見せる。

 国民生活センターは「『何も手間がかかりません』と言われ、業者にお任せになっている人が多い。ローンによる不動産投資は自己資産による投資とリスクが異なることを知ってほしい」と注意を呼びかけている。

 ◇サブリース

 業者が物件を所有者から借り上げ、入居者の有無にかかわらず一定の賃料を保証して支払う仕組み。所有者が入居者と直接契約する賃貸借契約より賃料は少なくなるが、安定した収入が見込めることや管理の手間がかからないとされる。昨年以降、サブリースでシェアハウスを購入した人へのスルガ銀行による不正融資が発覚したり、サブリースで事業を展開していたレオパレス21で施工不良が明らかになったりするなどトラブルが頻発している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190217-00000027-mai-soci
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c19

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
4. 中川隆[-12106] koaQ7Jey 2019年2月18日 07:31:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

準備期間は30年――中国のネット検閲が迎える試練の年
2019.02.17 Sun posted at 18:43 JST
https://www.cnn.co.jp/tech/35132540.html




(CNN) 中国北西部の新疆ウイグル自治区に住む英語教師のジェシーさんは、2009年に自治区の首府ウルムチ市で騒乱事件が発生した時、朝まで事件に関する記事を読んだり、友人に自分の無事を知らせるメールを書いたりしていた。

翌朝、メールをチェックすると、驚いたことに受信メールが1通もなかった。ジェシーさんは、データが全くロードされていないことに気付いた。

ウルムチ市で1日かそこらの騒乱が起きただけで、当時2000万人もの人々が暮らしていた新疆ウイグル自治区全体でインターネットが使えない状態が10カ月も続いた。

インターネットカフェや旅行代理店など、インターネットに依存する企業はすぐに立ち行かなくなり、その他の企業もインターネットを求めて1000キロ離れた隣の甘粛(かんしゅく)省に従業員を派遣する羽目になった。中には、顧客への連絡や、大学で使用するアプリケーションのアップデート、家族への近況報告のために24時間の車の運転を毎週続けた人もいたという。

それから約10年が経過した今、09年は中国による新疆ウイグル自治区に対する抑圧的政策だけでなく、インターネット統制の強化も明確化した年と考えられている。

09年は、中国のネット検閲システム「グレートファイアウォール」の設計者らが当時直面した最大の試練であり、彼らは検閲システムに対する批判者らが衝撃を受けるほどの激しい攻撃で問題に対処した。

しかし、19年は09年よりもさらに大きな試練となる可能性がある。

「インターネット・メンテナンス・デー」

今や中国は、グレートファイアウォールの中で、世界最新鋭のトップダウン検閲装置を構築したが、これは主に海外からの情報を対象としている。日々の管理の大半は、中国国内のウェブを支配する名目上は民間の企業に勤務する検閲官らの手に委ねられている。

中国政府が検察官らに明確な指針を与えることはめったにない。彼らは、不適切とみなされる情報を自ら予測し、先読みしなければならず、失敗すれば本来遮断すべき情報を通過させたとして処罰される。

特に1989年に天安門事件が発生した6月4日は、最も慎重な対応が求められる日であり、過剰な監視が一層強化される。

香港で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼する集会=2018年6月4日/Anthony Kwan/Getty Images AsiaPac/Getty Images
香港で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼する集会=2018年6月4日/Anthony Kwan/Getty Images AsiaPac/Getty Images

19年は、中国政府による新疆ウイグル自治区に対する弾圧への反発がかつてないほど高まっている中で、首府ウルムチ市の騒乱事件から10年を迎えるが、今年は天安門事件から30年でもある。検閲官らは、これまで何とか中国国民の意識から天安門事件をほぼ消し去ることに成功してきたが、今年は彼らにとって最後にして最大の試練となるかもしれない。

中国国内の活動家らは間違いなく、検閲官らを試そうとするだろう。また天安門事件が起きた30年前に生存し、当時、希望を打ち砕かれたことを覚えている多くの人々は、検閲官らに報いを受けさせようとするだろう。しかし、フェイスブックやツイッターなど、多くの海外のネットサービスが遮断され、多くの中国サイトが一時的に閉鎖される中、09年当時よりもさらに強化されたグレートファイアウォールが彼らの前に立ちはだかる。中国のネットユーザーの間では、彼らが遭遇した多くのエラーメッセージに対する皮肉を込めた「インターネット・メンテナンス・デー」という言葉も生まれている。

2019年はさらに、宗教団体「法輪功(ほうりんこう)」の弾圧(中国のネット上では現在もこの件への言及が固く禁じられている)から20年、ダライ・ラマ14世のインドへの亡命から60年にも当たる。

世界中に拡散

米政府が出資して設立されたNGO組織フリーダム・ハウスがまとめたインターネット検閲に関する最新の報告書によると、中国は依然として「世界で最もインターネットの自由を侵害している国」のひとつだという。

中国政府は、世界中の独裁政権や名ばかりの民主政権に対して、独自のインターネット検閲モデルの輸出を増やしており、訓練や、技術的、思想的な支援を提供することにより、各国が中国のインターネットシステムを導入するのを後押ししている。

中国は、中国式のインターネット監視システムを世界各地に輸出している/Kevin Frayer/Getty Images AsiaPac/Getty Images
中国は、中国式のインターネット監視システムを世界各地に輸出している/Kevin Frayer/Getty Images AsiaPac/Getty Images

その取り組みを監督する検閲官らにとって、今年節目を迎えるウルムチ市での騒乱事件や天安門事件から10月の中華人民共和国建国70周年を祝う華やかな祭典まで、中国政府に対するいかなる批判も封じ込められることを証明することによって、今年は1年を通じてインターネット管理の有効性を実証する絶好の機会となるかもしれない。

中国の活動家や反体制派は、間違いなく、検閲者らがこの最新鋭のインターネット検閲技術の性能を誇示するのを邪魔しようとするだろうが、彼らの試みが失敗に終わる可能性は極めて高い。中国で数年にわたり検索の検閲を行った後、09年に中国からの撤退の準備をしていた米グーグルでさえ、今や中国政府に協力し、中国市場専用の自主検閲アプリを開発している。

仮に検閲官らが思うように議論を抑え込めなかったら、10年前に新疆で行い、その後も中国各地で行ってきたように、インターネットを完全に遮断するだけだ。そして中国のネットユーザーは、これは検閲官たちのウェブであり、自分たちはその上に投稿しているにすぎないことを思い知らされるだろう。
https://www.cnn.co.jp/tech/35132540.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c4

[昼休み54] 中国 _ 悪夢の監視社会 中川隆
21. 中川隆[-12105] koaQ7Jey 2019年2月18日 07:33:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

準備期間は30年――中国のネット検閲が迎える試練の年
2019.02.17 Sun posted at 18:43 JST
https://www.cnn.co.jp/tech/35132540.html




(CNN) 中国北西部の新疆ウイグル自治区に住む英語教師のジェシーさんは、2009年に自治区の首府ウルムチ市で騒乱事件が発生した時、朝まで事件に関する記事を読んだり、友人に自分の無事を知らせるメールを書いたりしていた。

翌朝、メールをチェックすると、驚いたことに受信メールが1通もなかった。ジェシーさんは、データが全くロードされていないことに気付いた。

ウルムチ市で1日かそこらの騒乱が起きただけで、当時2000万人もの人々が暮らしていた新疆ウイグル自治区全体でインターネットが使えない状態が10カ月も続いた。

インターネットカフェや旅行代理店など、インターネットに依存する企業はすぐに立ち行かなくなり、その他の企業もインターネットを求めて1000キロ離れた隣の甘粛(かんしゅく)省に従業員を派遣する羽目になった。中には、顧客への連絡や、大学で使用するアプリケーションのアップデート、家族への近況報告のために24時間の車の運転を毎週続けた人もいたという。

それから約10年が経過した今、09年は中国による新疆ウイグル自治区に対する抑圧的政策だけでなく、インターネット統制の強化も明確化した年と考えられている。

09年は、中国のネット検閲システム「グレートファイアウォール」の設計者らが当時直面した最大の試練であり、彼らは検閲システムに対する批判者らが衝撃を受けるほどの激しい攻撃で問題に対処した。

しかし、19年は09年よりもさらに大きな試練となる可能性がある。

「インターネット・メンテナンス・デー」

今や中国は、グレートファイアウォールの中で、世界最新鋭のトップダウン検閲装置を構築したが、これは主に海外からの情報を対象としている。日々の管理の大半は、中国国内のウェブを支配する名目上は民間の企業に勤務する検閲官らの手に委ねられている。

中国政府が検察官らに明確な指針を与えることはめったにない。彼らは、不適切とみなされる情報を自ら予測し、先読みしなければならず、失敗すれば本来遮断すべき情報を通過させたとして処罰される。

特に1989年に天安門事件が発生した6月4日は、最も慎重な対応が求められる日であり、過剰な監視が一層強化される。

香港で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼する集会=2018年6月4日/Anthony Kwan/Getty Images AsiaPac/Getty Images
香港で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼する集会=2018年6月4日/Anthony Kwan/Getty Images AsiaPac/Getty Images

19年は、中国政府による新疆ウイグル自治区に対する弾圧への反発がかつてないほど高まっている中で、首府ウルムチ市の騒乱事件から10年を迎えるが、今年は天安門事件から30年でもある。検閲官らは、これまで何とか中国国民の意識から天安門事件をほぼ消し去ることに成功してきたが、今年は彼らにとって最後にして最大の試練となるかもしれない。

中国国内の活動家らは間違いなく、検閲官らを試そうとするだろう。また天安門事件が起きた30年前に生存し、当時、希望を打ち砕かれたことを覚えている多くの人々は、検閲官らに報いを受けさせようとするだろう。しかし、フェイスブックやツイッターなど、多くの海外のネットサービスが遮断され、多くの中国サイトが一時的に閉鎖される中、09年当時よりもさらに強化されたグレートファイアウォールが彼らの前に立ちはだかる。中国のネットユーザーの間では、彼らが遭遇した多くのエラーメッセージに対する皮肉を込めた「インターネット・メンテナンス・デー」という言葉も生まれている。

2019年はさらに、宗教団体「法輪功(ほうりんこう)」の弾圧(中国のネット上では現在もこの件への言及が固く禁じられている)から20年、ダライ・ラマ14世のインドへの亡命から60年にも当たる。

世界中に拡散

米政府が出資して設立されたNGO組織フリーダム・ハウスがまとめたインターネット検閲に関する最新の報告書によると、中国は依然として「世界で最もインターネットの自由を侵害している国」のひとつだという。

中国政府は、世界中の独裁政権や名ばかりの民主政権に対して、独自のインターネット検閲モデルの輸出を増やしており、訓練や、技術的、思想的な支援を提供することにより、各国が中国のインターネットシステムを導入するのを後押ししている。

中国は、中国式のインターネット監視システムを世界各地に輸出している/Kevin Frayer/Getty Images AsiaPac/Getty Images
中国は、中国式のインターネット監視システムを世界各地に輸出している/Kevin Frayer/Getty Images AsiaPac/Getty Images

その取り組みを監督する検閲官らにとって、今年節目を迎えるウルムチ市での騒乱事件や天安門事件から10月の中華人民共和国建国70周年を祝う華やかな祭典まで、中国政府に対するいかなる批判も封じ込められることを証明することによって、今年は1年を通じてインターネット管理の有効性を実証する絶好の機会となるかもしれない。

中国の活動家や反体制派は、間違いなく、検閲者らがこの最新鋭のインターネット検閲技術の性能を誇示するのを邪魔しようとするだろうが、彼らの試みが失敗に終わる可能性は極めて高い。中国で数年にわたり検索の検閲を行った後、09年に中国からの撤退の準備をしていた米グーグルでさえ、今や中国政府に協力し、中国市場専用の自主検閲アプリを開発している。

仮に検閲官らが思うように議論を抑え込めなかったら、10年前に新疆で行い、その後も中国各地で行ってきたように、インターネットを完全に遮断するだけだ。そして中国のネットユーザーは、これは検閲官たちのウェブであり、自分たちはその上に投稿しているにすぎないことを思い知らされるだろう。
https://www.cnn.co.jp/tech/35132540.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c21

[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
247. 中川隆[-12104] koaQ7Jey 2019年2月18日 07:33:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

準備期間は30年――中国のネット検閲が迎える試練の年
2019.02.17 Sun posted at 18:43 JST
https://www.cnn.co.jp/tech/35132540.html




(CNN) 中国北西部の新疆ウイグル自治区に住む英語教師のジェシーさんは、2009年に自治区の首府ウルムチ市で騒乱事件が発生した時、朝まで事件に関する記事を読んだり、友人に自分の無事を知らせるメールを書いたりしていた。

翌朝、メールをチェックすると、驚いたことに受信メールが1通もなかった。ジェシーさんは、データが全くロードされていないことに気付いた。

ウルムチ市で1日かそこらの騒乱が起きただけで、当時2000万人もの人々が暮らしていた新疆ウイグル自治区全体でインターネットが使えない状態が10カ月も続いた。

インターネットカフェや旅行代理店など、インターネットに依存する企業はすぐに立ち行かなくなり、その他の企業もインターネットを求めて1000キロ離れた隣の甘粛(かんしゅく)省に従業員を派遣する羽目になった。中には、顧客への連絡や、大学で使用するアプリケーションのアップデート、家族への近況報告のために24時間の車の運転を毎週続けた人もいたという。

それから約10年が経過した今、09年は中国による新疆ウイグル自治区に対する抑圧的政策だけでなく、インターネット統制の強化も明確化した年と考えられている。

09年は、中国のネット検閲システム「グレートファイアウォール」の設計者らが当時直面した最大の試練であり、彼らは検閲システムに対する批判者らが衝撃を受けるほどの激しい攻撃で問題に対処した。

しかし、19年は09年よりもさらに大きな試練となる可能性がある。

「インターネット・メンテナンス・デー」

今や中国は、グレートファイアウォールの中で、世界最新鋭のトップダウン検閲装置を構築したが、これは主に海外からの情報を対象としている。日々の管理の大半は、中国国内のウェブを支配する名目上は民間の企業に勤務する検閲官らの手に委ねられている。

中国政府が検察官らに明確な指針を与えることはめったにない。彼らは、不適切とみなされる情報を自ら予測し、先読みしなければならず、失敗すれば本来遮断すべき情報を通過させたとして処罰される。

特に1989年に天安門事件が発生した6月4日は、最も慎重な対応が求められる日であり、過剰な監視が一層強化される。

香港で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼する集会=2018年6月4日/Anthony Kwan/Getty Images AsiaPac/Getty Images
香港で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼する集会=2018年6月4日/Anthony Kwan/Getty Images AsiaPac/Getty Images

19年は、中国政府による新疆ウイグル自治区に対する弾圧への反発がかつてないほど高まっている中で、首府ウルムチ市の騒乱事件から10年を迎えるが、今年は天安門事件から30年でもある。検閲官らは、これまで何とか中国国民の意識から天安門事件をほぼ消し去ることに成功してきたが、今年は彼らにとって最後にして最大の試練となるかもしれない。

中国国内の活動家らは間違いなく、検閲官らを試そうとするだろう。また天安門事件が起きた30年前に生存し、当時、希望を打ち砕かれたことを覚えている多くの人々は、検閲官らに報いを受けさせようとするだろう。しかし、フェイスブックやツイッターなど、多くの海外のネットサービスが遮断され、多くの中国サイトが一時的に閉鎖される中、09年当時よりもさらに強化されたグレートファイアウォールが彼らの前に立ちはだかる。中国のネットユーザーの間では、彼らが遭遇した多くのエラーメッセージに対する皮肉を込めた「インターネット・メンテナンス・デー」という言葉も生まれている。

2019年はさらに、宗教団体「法輪功(ほうりんこう)」の弾圧(中国のネット上では現在もこの件への言及が固く禁じられている)から20年、ダライ・ラマ14世のインドへの亡命から60年にも当たる。

世界中に拡散

米政府が出資して設立されたNGO組織フリーダム・ハウスがまとめたインターネット検閲に関する最新の報告書によると、中国は依然として「世界で最もインターネットの自由を侵害している国」のひとつだという。

中国政府は、世界中の独裁政権や名ばかりの民主政権に対して、独自のインターネット検閲モデルの輸出を増やしており、訓練や、技術的、思想的な支援を提供することにより、各国が中国のインターネットシステムを導入するのを後押ししている。

中国は、中国式のインターネット監視システムを世界各地に輸出している/Kevin Frayer/Getty Images AsiaPac/Getty Images
中国は、中国式のインターネット監視システムを世界各地に輸出している/Kevin Frayer/Getty Images AsiaPac/Getty Images

その取り組みを監督する検閲官らにとって、今年節目を迎えるウルムチ市での騒乱事件や天安門事件から10月の中華人民共和国建国70周年を祝う華やかな祭典まで、中国政府に対するいかなる批判も封じ込められることを証明することによって、今年は1年を通じてインターネット管理の有効性を実証する絶好の機会となるかもしれない。

中国の活動家や反体制派は、間違いなく、検閲者らがこの最新鋭のインターネット検閲技術の性能を誇示するのを邪魔しようとするだろうが、彼らの試みが失敗に終わる可能性は極めて高い。中国で数年にわたり検索の検閲を行った後、09年に中国からの撤退の準備をしていた米グーグルでさえ、今や中国政府に協力し、中国市場専用の自主検閲アプリを開発している。

仮に検閲官らが思うように議論を抑え込めなかったら、10年前に新疆で行い、その後も中国各地で行ってきたように、インターネットを完全に遮断するだけだ。そして中国のネットユーザーは、これは検閲官たちのウェブであり、自分たちはその上に投稿しているにすぎないことを思い知らされるだろう。
https://www.cnn.co.jp/tech/35132540.html
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c247

[番外地7] 中川隆投稿集 中川隆
2. 中川隆[-12103] koaQ7Jey 2019年2月18日 07:53:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

イングマール・ベルイマン 第七の封印 (1957年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/252.html

イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html

世にも奇妙な物語 _ 冷やす女 (2000年3月27日)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/251.html


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/319.html#c2

[近代史02] イリーナ・スルツカヤ _ Let it be 中川隆
14. 中川隆[-12102] koaQ7Jey 2019年2月18日 08:03:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語 冷やす女 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=TMKgLH1Yi6U
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++++%E5%86%B7%E3%82%84%E3%81%99%E5%A5%B3&sp=mAEB


音楽

1曲目:
John Lennon『Happy Christmas(War Is Over)』
https://www.youtube.com/results?search_query=John+Lennon+++Happy+Christmas&sp=mAEB


2曲目:
John Lennon:『Love』
https://www.youtube.com/results?search_query=John+Lennon+Love


脚本・監督 - 豊川悦司
放送日: 2000年 春の特別編


キャスト

キョウコ - 水野美紀
ケンジ - 辻仁成
コンビニ店員 - 高田宏太郎
魚屋 - 高月忠
友人 - 山本恵美子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E6%98%A5%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%B7%A8_(2000%E5%B9%B4)

▲△▽▼

第333話 冷やす女


アパートの一室。主人公は(水野美紀)はエアコンを使い、部屋を冷やしていた。
氷を大量に買い込み、ひたすら部屋の中を冷やしている主人公。
部屋の隅には静かにうずくまっている主人公の彼(辻仁成)がいる。
「もっともっと冷やさなきゃ」と部屋を冷やし続ける主人公。
魚屋の氷まで集めてくる。
暖冬と言われている冬の日、ひたすら氷で部屋を冷やし続ける主人公。
とうとう巨大な業務用の冷凍庫を買う。

気温が下がったある日、
「神様が許してくれた。彼を引き止めてしまった私を許してくれた。これからはずっと一緒にいられるね。」と安堵する主人公。

しかし高熱がでて倒れてしまう。
「もういいから。」彼がエアコンを切り暖房をつける。
「こっちにおいでよ。」とコタツに誘う彼。
「一緒にいられなくなっちゃうよ。」と主人公。
コタツの中で寄り添う二人に降り積もる雪。

溶けてしまう彼…。
http://yonikimo.com/333.html
 

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/551.html#c14

[昼休み54] 安倍政権20の愚策 中川隆
12. 中川隆[-12101] koaQ7Jey 2019年2月18日 11:01:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年2月18日【三橋貴明】安倍デフレ


安倍政権は、「デフレ脱却」を
標榜して誕生した政権だったわけですが、

実際には消費税増税を初めとする
緊縮財政路線を継続し、
日本を「再デフレ化」しました。

GDPデフレータが17年、18年と
対前年比で二年連続マイナスとなったため、

安倍政権は教科書的に
日本を再デフレ化したことになります。

すなわち、安倍デフレ。

資金過不足で見ると、
安倍政権は財政赤字(政府の資金不足)の額を、
09年−12年の年平均43兆円から、
13年−18年は年平均18兆円と、
大きく削減しました。

つまりは、安倍政権期の財政赤字は、
麻生政権+民主党政権期と比較すると、
毎年「25兆円」減らしたことになります。

逆に言えば、安倍政権が
13年にPB黒字化を閣議決定せず、
野田政権までの財政赤字幅を維持したとしたならば、

少なくとも日本経済は
「毎年5%以上」の経済成長を遂げたことになります。

実際には、乗数効果があるため、
5%以上のGDP拡大があったはずです。

というわけで、日本の名目GDPが、
13年から18年まで、
毎年5%の成長を遂げた場合の
名目GDPをシミュレートしてみました。

名目GDPの目標600兆円は
2016年にクリアされ、

2018年の名目GDPは
約670兆円にまで拡大したはずです。

我々の所得が、
三割以上も増えたことになります。

ところが、現実には安倍政権は
緊縮財政という「デフレ化路線」を貫き、
結果は「安倍デフレ」。

「安倍デフレ(後編)」で、
安倍政権期の各指標の状況をグラフで表現してみました。
こう言っては何ですが、壮観です。圧巻です。

・日本の実質消費(年平均)の推移(対前年比%)
http://mtdata.jp/data_62.html#JCheikin

・日本の半期で見た名目賃金・実質賃金の推移(対前年比%)
http://mtdata.jp/data_62.html#JMChingin

・日本の実質賃金指数の推移(2015年=100)
http://mtdata.jp/data_62.html#Choki

・【修正後】日本の実質賃金指数の推移(対前年比%)
http://mtdata.jp/data_62.html#syuusei

・日本の名目GDP・実質GDP成長率及びGDPデフレータ(対前年比%)
http://mtdata.jp/data_62.html#deflator

・日本の需給ギャップの推移(対GDP比%)
http://mtdata.jp/data_62.html#GAP

・日本のインフレ率(消費者物価指数の対前年比%)
http://mtdata.jp/data_62.html#CPINov18

・日本のヒストリカルDI(一致指数)の推移
http://mtdata.jp/data_62.html#keiki

ここまで各指標が見事なまでに
「再デフレ化」を示すとは・・・。
数字は嘘をつきません(不正統計がある場合は別ですが)。

もっとも、安倍政権や「親アベ派」は、
雇用改善を理由に「安倍政権の経済政策は
巧くいっている」と妄想を叫んでいます。

・日本の有効求人倍率の推移
http://mtdata.jp/data_62.html#bairitu

・日本の完全失業率の推移(%)
http://mtdata.jp/data_62.html#kanzen

失業率低下も有効求人倍率上昇も、
始まったのは民主党政権「初期」です。

雇用改善を理由に安倍政権を称える連中は、
民主党政権期の経済政策も称賛しなければなりませんね。
わたくしに言わせれば、どっちも「悪夢」ですが。

現在の日本は、
単にリーマンショックの衝撃からの回復と、
人口構造の変化により人手不足

(厳密には、生産性向上無しで、
安い賃金で働く労働集約型の労働者不足)に陥っているに過ぎません。

・日本の総人口(左軸、千人)と生産年齢人口比率(右軸)
http://mtdata.jp/data_62.html#jinko

先のシミュレーションではないですが、
安倍征政権は日本国をデフレから脱却させ、

国民の所得を三割以上増やすことは「可能」だったのです。
ただ、緊縮財政を否定すればよかった。

それにも関わらず、現実には再デフレ化。

この現実を認めた上で、「どうするか」を
具体的に考えなければならない時期がやってきたわけでございます。
https://38news.jp/economy/13210

賃金統計サンプル変更の真実 2019-02-18
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12440988849.html


 18年1月に厚生労働省が賃金統計(毎月勤労統計調査)のサンプルを変更した(これは別に構わない)。その上で、

「給料が低い企業が残った一年前のサンプルと、給料が高い企業に入れ替えられた今年(18年)のサンプルを比較し、実質賃金21年ぶり上昇!」

 などとやっていたのは「統計詐欺」である、と批判したわけです。何しろ、厚生労働省はサンプル変更に伴う補正すら「拒否」したわけでございます。明らかに、国民を騙す気満々でしょ。


 すると、なぜか「三橋はサンプル変更を批判している」と、藁人形が作られ、三橋攻撃が繰り返されることになったわけですが、まあ、増税サポーターズ共でございますから、それはいいとして(超ムカついたけど)。

 問題は、なぜ日本政府がここまで稚拙な統計詐欺に手を染めたのか、です。


 朝日新聞が明らかにしました。


『閣僚や日銀総裁から批判→見直し開始 賃金の統計調査
https://digital.asahi.com/articles/ASM2J02V1M2HUTFK037.html?iref=comtop_8_02


 賃金の動向を示す「毎月勤労統計」の調査手法について、2015年11月の経済財政諮問会議で閣僚らが変更を促していたことがわかった。「統計の司令塔」である統計委員会も指摘を重視し、見直し議論を翌月開始。調査手法はその後、賃金指数の下ぶれを防ぐ方向に変えられた。(後略)』


 朝日の記事は実に分かりにくいのですが、要するにこういうことです。(注:分かると思いますが、東京都の500人以上の従業員の企業の全数調査を、三分の一しかしていなかったのは別の問題です)


 まずは、厚生労働省は毎月勤労統計調査のサンプルについて、従業員30〜499人の「中規模」事業所について、15年までは総入れ替えを実施していました。


 理由は、調査対象の企業から「倒産企業」が抜け落ち、競争力のある企業だけが残るという問題があるためです。敗者が退出した後のサンプル調査となると、当然ながら賃金は上振れします。


 というわけで、厚労省は中規模事業所のサンプルについて総入れ替えを実施し、過去三年間について補正をかけていました。すると、賃金は大抵は下振れしてしまいます。「敗者がいなくなったサンプル」と「敗者候補がいるサンプル」との比較なので、補正をかけると普通は下方修正です。


 15年1月のサンプル変更の結果、12年、13年、14年の賃金が下方修正となりました。結果、14年の賃金が、民主党政権期の11年を下回ってしまった。


 これが槍玉に上がったのです。


 まずは、15年3月に首相秘書官だった財務省の中江元哉関税局長が、問題を提起。


 同年10月には、麻生財務大臣が、
「統計委で具体的な改善策を早急に検討してほしい」
 と要求。



 さらに、同年11月4日の経済財政諮問会議 で、黒田日銀総裁が、
「直近の名目賃金のマイナスは統計上のサンプル要因が影響。実勢は緩やかに上昇していると考える」
 と、統計データを否定。


 伊藤元重(経済財政諮問会議のメンバー。財務省の「飼い犬」の一人)も、
「課題のある個別統計を見直すことは非常に大事。サンプル替えの際、足元の基調が変わったり過去のデータがさかのぼって大きく改定されたりする。経済社会の現状をより客観的に映し出すよう、改善を進めてほしい」
 と、呼応。


 高市早苗総務大臣(当時)が、
「実体経済を反映した統計の検討を進める」
 と、議論を引き取り、統計委員会を所管していた甘利明経済再生相(当時)が、
「指摘された課題について来春までに方針を整理するよう統計委にお願いしたい」
 と、指示。


 諮問会議を受け、統計委員会の西村清彦委員長が、12月11日に、
「11月の諮問会議の議論を非常に重く受け止める」
 として、厚労省の担当課長が勤労統計について「全数入れ替え」から「部分入れ替え」に変更し、さらに、
「過去の増減率が変わるのは望ましくない。各方面から意見を頂いた」 
 と、修正を行わないことを表明。


 他の統計委員が、
「(数値が低く出る)新サンプルの方が真の値に近い。入れ替えのたびに(真の値と)乖離(かいり)する」
 と指摘し、統計課長もそれは認めたものの、
「注釈で注意喚起する」
 として、18年1月のサンプル変更と、補正無しの詐欺統計発表が始まった、というわけです。


 本当に情けない話ですが、メルマガにも書きましたが、安倍政権は緊縮財政路線に背を向けさえすれば、名目GDP5%の成長を続けることは普通に可能でした。当然ながら、国民の賃金も同水準で増えたはずです。GDPは所得の合計でもあるのです。


 そうなれば、この種の統計詐欺に手を染めることもなく、堂々と「安倍政権は国民を豊かにしている」と宣言することができました。


 とはいえ、14年度以降の緊縮財政により、国民の所得は低迷。結果、「財務官僚」「財務大臣」が統計のサンプルを問題視し始め、統計詐欺に至ったというわけです。


 繰り返しますが、本当に情けない。


 結局のところ、緊縮財政という縛りがある以上、安倍政権はまともに国民の所得を(名目でも、実質でも)増やしていくことは不可能であり、誤魔化しのために統計詐欺に手を染めざるを得なかった、という話でございます。


 反・緊縮財政の政党が必要です。わたくしは、元々政治的な人間ではありませんが、それでも、ここまで「政治」が国民を追い詰めている以上、一人の日本国民、一人の主権者としての「義務」について考えざるを得ないのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12440988849.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/221.html#c12

[リバイバル3] ダメダメ家庭の目次録 中川隆
1. 中川隆[-12100] koaQ7Jey 2019年2月18日 11:56:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

映画とクラシック音楽の周囲集
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/schejule.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/895.html#c1
[リバイバル3] ダメダメ家庭の目次録 中川隆
2. 中川隆[-12099] koaQ7Jey 2019年2月18日 12:03:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「映画の中のクラシック音楽」
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/top-page.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/895.html#c2
[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
1. 中川隆[-12098] koaQ7Jey 2019年2月18日 12:25:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
2016年8月25日
後世に多大な影響を与えた映画〜イングマール・ベルイマン「仮面/ペルソナ」からミュージカル「エリザベート」へ
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-93aa.html


後世に多大な影響を与えた(追随者/信奉者を産んだ)映画がある。

例えば1932年にアカデミー作品賞を受賞した映画から名付けられた「グランド・ホテル」形式は後の「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「大空港」「有頂天ホテル」「さよなら歌舞伎町」を産んだし、

オーソン・ウェルズ「市民ケーン」(デヴィッド・フィンチャー「ソーシャル・ネットワーク」は21世紀の「市民ケーン」だ)、ウォルト・ディズニー「ピノキオ」(→スティーブン・スピルバーグ「未知との遭遇」「A.I.」)、

ウォルト・ディズニー「ファンタジア」(スティーブン・スピルバーグ「ジュラシック・パーク」、コリン・トレボロウ「ジュラシック・ワールド」、ティム・バートン「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」)、

黒澤明「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」(ジョン・スタージェス「荒野の七人」、ジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ」、セルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」、ジョン・ミリアス「風とライオン」、ウォルター・ヒル「ラスト・マン・スタンディング」、ピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング/2つの塔」)、

黒澤明「天国と地獄」のパートカラー(スティーヴン・スピルバーグ「シンドラーのリスト」、アカデミー短編アニメーション映画賞を受賞したディズニーの「紙ひこうき」)、ビリー・ワイルダー「サンセット大通り」(デヴィッド・リンチ「マルホランド・ドライブ」、サム・メンデス「アメリカン・ビューティ」)、

ビリー・ワイルダー「アパートの鍵貸します」(三谷幸喜脚本「今夜、宇宙の片隅で」、マーティン・スコセッシ「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、ディズニー短編アニメ「紙ひこうき」)、

スタンリー・ドーネン「恋愛準決勝戦」(スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」、デヴィッド・クローネンバーグ「ザ・フライ」、スティーヴン・スピルバーグ製作・原作・脚本「ポルターガイスト」)、

アルフレッド・ヒッチコック「めまい」(ブライアン・デ・パルマ「愛のメモリー」、デヴィッド・フィンチャー「ゴーン・ガール」、大林宣彦「はるか、ノスタルジィ」)、

スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」(庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」、ピクサー・アニメ「ウォーリー」、クリストファー・ノーラン「インターステラー」ほか多数)、

ジョン・ランディス「サボテン・ブラザース」(三谷幸喜脚本「合い言葉は勇気」、本広克行「踊る大捜査線」シリーズ)、

大林宣彦「時をかける少女」(本広克行「幕が上がる」、細田守「時をかける少女」)、

大林宣彦「HOUSE ハウス」(三木孝浩「陽だまりの彼女」、高橋栄樹【AKB48 MV】「永遠プレッシャー」)

等が代表例だろう。


スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督「仮面/ペルソナ」(1966)もそんな映画だ。長らく観ることが難しい作品だったが昨年HDリマスター版DVDが発売され、現在はTSUTAYA DISCASで借りることも可能となった。


仮面/ペルソナ [DVD]
https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%AE%E9%9D%A2-%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A-DVD-%E3%83%93%E3%83%93%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/dp/B00006GJEP

Persona

舞台(古代ギリシャの仮面劇「エレクトラ」)出演中に失語症に陥った女優と、海に臨む島の別荘(サマーハウス)で彼女の治療のために共同生活を送る看護師の物語である。やがてふたりの人格は融合し始める。これは片方がもう一方のドッペルゲンガー(分身/二重身/自己像幻視)であるという解釈も可能だ。では女優と看護師のどちらが本体でどちらが分身かというのが問題になってくるが、看護師の名前がアルマであることから正解が判る。"alma"とは「魂」の意味で、ラテン語ではアニマ(女性名詞)/アニムス(男性名詞)となる。

キリスト教的価値観/倫理観(蜘蛛の糸=神が支配する手)に絡め取られ、失語症に陥った女優は自分の性的願望を抑制し、欲しくもない子供を堕胎することすら叶わなかった。一方、彼女の心の深層に形成された影(=生きられなかった反面)であるアルマは奔放な女で、堕胎も厭わない。そして最終的に両者は同一化することに成功し、新たな自己を形成する。因みにベルイマンの父親は牧師であり、その厳格で冷たい人間性に反発した彼は「神の沈黙」三部作を撮った。

実はアニマ、アニムスはユング心理学の用語である。ペルソナ(仮面)もユングが用いた言葉で、私達は1人の人間でも実に様々な「顔」を持っている。会社での「顔」、家族と接するときの「顔」、幼なじみと酒を飲み交わす時の「顔」。その場その場に応じて別の「仮面」を付け、「役割を演じている」のである。僕が強く印象に残っているのは、上方落語の「爆笑王」こと故・桂枝雀が、よく「本来私は陰気な性格で、舞台では”笑いの仮面”を付けているのです」と語っていたことだ。

「難解」と言われるベルイマン映画だが、ユング心理学を抑えておくと理解し易い。興味がある方には臨床心理学者・河合隼雄の著書「無意識の構造(影/ペルソナ/アニマ/アニムスについての解説あり)」「コンプレックス(ドッペルゲンガーについて言及あり)」「昔話の深層」などを読まれることをお勧めしたい。平易な文章で書かれており、すらすら読める。

またシナリオ段階でベルイマンは「映画」というタイトルを考えていたという。全篇喋り通しのアルマは自己を語るベルイマン=映画であり、黙ってそれを聴く舞台女優=スクリーンを見つめる観客、と見立てることも可能だろう。つまり映画を観るという行為は、新たな仮面を得ることに等しいというわけだ。

本作はブラッド・ピット主演、デヴィッド・フィンチャー監督「ファイトクラブ」(1999)に多大な影響を与えた。物語の構造自体もそうだし、「ファイトクラブ」のラストシーンで勃起したペニスの映像がサブリミナル効果として挿入されるのは「仮面/ペルソナ」冒頭部の再現である。

また、デヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」(2001)は明らかに「サンセット大通り」と「仮面/ペルソナ」を足して2で割ったようなものだ。ちなみにマルホランド・ドライブもサンセット・ブルーバードもロサンゼルスを並走する道路の名称である。

ウディ・アレン「私の中のもうひとりの私」(1988)はベルイマンに私淑する彼なりの「仮面/ペルソナ」であり、ご丁寧に同作の撮影監督スヴェン・ニクヴィストをスウェーデンから呼び寄せている。ダーレン・アロノフスキー「ブラック・スワン」(2010)にも本作が濃い影を落としている。

「仮面/ペルソナ」最初の6分間は非常にアヴァンギャルド(前衛的)なモンタージュが続く。1960年代はポップ・カルチャー、アンダーグラウンド映画が花盛りで、その気分を見事に反映している。フィルムが燃えるショットなどは後の大林映画「HOUSE ハウス」等に影響を与えたのではないかと推察される。

また本作の舞台女優と息子の、絆が「切れた」関係はウィーン・ミュージカル「エリザベート」のシシィとルドルフそっくりだなと想った。オマケに女優の名前はエリザベートだし。そこでハッとした。ミュージカルの作詞・台本を手掛けたミヒャエル・クンツェが「仮面/ペルソナ」を強く意識しているのは間違いない。やはりクンツェが台本を書いたミュージカル「モーツァルト!」には主人公ヴォルフガングとその分身アマデが登場する。アマデはドッペルゲンガーであり、「影を逃れて」というナンバーもある。アマデがヴォルフガングの腕にペン先を刺して、その血で譜面を書く場面が第1幕フィナーレだが、これも「仮面/ペルソナ」でエリザベートがアルマの腕から流れる血に吸い付く場面(女吸血鬼を描くロジェ・バディム「血とバラ」を彷彿とさせる)に呼応する。

「仮面/ペルソナ」ほど影響力を持った映画は滅多にない。未見の方は是非一度、ご覧になることをお勧めしたい。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-93aa.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c1

[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
2. 中川隆[-12097] koaQ7Jey 2019年2月18日 12:47:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

自己と演技。人は常に自己を演じているのか?2008年12月7日

ペルソナとはユングが考え出した心理学の概念で、
自分の外的側面を言います。
人間関係に適応しようと、ペルソナを被るわけです。
普通の人であれば何らかのペルソナを被っていると
言わざるおえませんが、
それが度を越すと、自分は二重人格ではないかとか、
人と接する時の自分と、一人で居るときの自分のギャップに悩み、
病気になってしまいます。
また、一方であまりに自分に正直で周囲との摩擦を生み、
周りの人間や自分自身をも苦しめることがありますが、
これもペルソナと言います。
男性は男性らしさ、女性は女性らしさということで
一般的にはペルソナが表現されます。
女性の場合ペルソナが女性らしさであれば、
内面的側面は男性的で、
これはアニムスと呼ばれています。
また、ペルソナは自分の夢の中では起こらず、
一般的には、衣服などの
自分の外的側面で表現されることが多いと言われています。
さて、心理学の勉強はここまでにして、

この映画は舞台女優ウルマンの映画デビュー作で、
ベルイマン自ら彼女を見出し、
彼女とアンデルソン二人のために
ベルイマンが自ら脚本を書きました。

ウルマン演じる舞台女優のエリザベートは、
失語症になり、入院をします。
入院をしても一向に言葉が戻らないエリザベートを見て、
医者は自然の中での静養を進めます。
エリザベートは、アンデルソン演じる看護婦と一緒に、
別荘に行って静養をすることになります。
そこで、明らかになっていくのが、
エリザベートは舞台の上だけではなく、
人生の全てを演じていたと言うこと、、
妻であり母であることの幸せを演じていたと言うことです。
これがエリザベートのペルソナです。

本当の自分は、母性も愛情もない、
全く違う人格であるにもかかわらず。
これがエリザベートのアニムスです。

失語症で全く喋れないエリザベートと、
喋り捲る看護婦、「沈黙」と「喋り続ける」という対比を使い、
二人きりの閉鎖的な長い共同生活の中で、
精神的なカオスが生れ、自己と他者の区別が無くなり、
「沈黙」を「喋り続ける」が代弁することで、
ペルソナとアニムスの解明がされていきます。

物事の表裏、鏡像といった、
ドッペンヘルガー現象を上手く使い、
エリザベートと看護婦が同一人物の表裏であるかのごとく、
モンタージュされていきます。
事実、エリザベートと看護婦は、
外見的には、それ程似ているわけではないのですが、、
顔半分がモンタージュされた時には、
目鼻口眉の位置が全く同じでびっくりしました。。
同一人物になってしまったのではないか?
と思えるほどです。

冒頭に現れる子供が母を求め
母の映像が次第に鮮明になっていく、
一方で最後に現れる子供が母を求めているにもかかわらず、
母の映像が次第に希薄になっていく。
これは、ある意味女優が自己を見つけることが出来た
という象徴なのかもしれません。。
うがった見方をすれば、、
ベルイマンとであったことで、
本当の自分が見つかったという
ウルマンの姿なのかもしれません。

カメラワーク、構図、ライティングが素晴らしく、
無論秀逸な脚本もあり、他に類を見ない傑作になりました。
設定は超リアルですが、お話がメタファーで、
とても不思議な映画です。

タルコフスキーっぽいなと思う方もいると思います。
事実、タルコフスキーはこの映画から
多大なる影響を受けているのです。

そして、ウルトラセブン世代だったわたしは、
監督の実相寺昭雄さんは、
ベルイマンが好きだったと確信を持ちました。
現実味を含んだ夢幻なのか、
幻想のような現実なのかカオス的な世界を舞台にした話が多く、
構図やライティングが似ているからなのです。
https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%AE%E9%9D%A2-%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A-DVD-%E3%83%93%E3%83%93%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/dp/B00006GJEP
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c2

[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
3. 中川隆[-12096] koaQ7Jey 2019年2月18日 13:26:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

ペルソナと分身。『複製された男』に至る創作の歴史を紐解く
2018.02.20高森郁哉
https://cinemore.jp/jp/erudition/189/article_200_p1.html


「ペルソナ」とユングの概念


 ほとんどすべての映画がそうであるように、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『複製された男』(2014年)も過去の創作物から影響を受けている。前回の記事では考えられる4通りの解釈を示したが、本稿ではそれを引き継いで、「ペルソナ」や「分身」を扱った映画を中心にその歴史を紐解いていこう。


 重要な作品の1つとしてイングマール・ベルイマン監督の『仮面/ペルソナ』を取り上げるが、その前に、「ペルソナ」という用語に関する予備知識を簡単に示しておきたい。


 時代は紀元前1世紀のギリシャにまでさかのぼる。当時の演劇では、大きな野外劇場でも観客が登場人物を識別できるよう、さかんに仮面が用いられた。この仮面をギリシャ語で「ペルソナ(persona)」と呼んだ。役者が舞台に出てくるたびに別のキャラクターを演じる場合は、そのつど別の仮面をかぶって登場したという(ここに多重人格との類似がみられる点も興味深い)。

 スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングは20世紀半ば、こうした古代ギリシャ演劇における仮面の役割を踏まえ、「人間の本来的な内面に対する外的側面」を表す概念として「ペルソナ」という言葉を用いた。

ベルイマンの『仮面/ペルソナ』

 ユングが提唱したこの概念を作劇に活かしたのが、スウェーデンの名匠イングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』(原題Persona、1966年)だ。映画は冒頭、強烈だが一見脈絡のなさそうな複数のイメージをモンタージュで示した後、有名な舞台女優エリザベート(リヴ・ウルマン)が失語症になるところからストーリーを紡ぎ始める。入院した女優の世話を任されたのが看護婦アルマ(ビビ・アンデショーン)。転地療養先の別荘にも付き添ったアルマは、沈黙するエリザベートに向かって一方的に語り続け、堕胎を含む過去の身の上を打ち明ける。


 エリザベートとアルマの関係性を示唆する重要な場面がある。エリザベートの夫が見舞いに訪れ、最初に出てきたアルマをエリザベートと認識して話し始める。アルマが人違いだと言っても夫は聞き入れず、さらにはすぐ近くに姿を見せたエリザベートに気づかないのだ。この出来事から、エリザベートとアルマは実は同じ人物の二面性を示しているという解釈が可能になる。役割に照らして考えると、舞台で役を演じる女優は外的側面=ペルソナであり、心にしまっていた過去の秘密を打ち明ける看護婦は「内面」だろう。


 ジョゼ・サラマーゴの小説『複製された男』(2002年)でも、瓜二つの男のうち1人の職業は俳優だった。もう1人は歴史の教員であり、過去に起きたことを語るという点では『仮面/ペルソナ』の看護婦アルマに対応すると言えよう。


 原作小説に見いだされる『仮面/ペルソナ』的要素を、さらに補強したのがヴィルヌーヴ監督と脚本家ハビエル・グヨンのコンビだ。先述した『仮面/ペルソナ』冒頭のモンタージュは、明示的ではないがエリザベートの心象と解釈することが可能であり、映し出される映像には蜘蛛も含まれている。蜘蛛=懐胎=母性の象徴として、映画化に際して蜘蛛のイメージを追加し、繰り返し強調したことがまず一点。また、俳優のアンソニーがフルフェイスのバイクヘルメット――これも素顔を隠す仮面だ――をたびたびかぶるのも、アンソニーが外的側面=ペルソナであることを示唆しているのではないか?

『分身』から『ふたりのベロニカ』へ

 分身あるいはドッペルゲンガーを扱った創作の歴史もたどってみよう。後世の作品に影響を与えた有名な古典として、ロシアの文豪ドストエフスキーの小説『分身』(1846年)を挙げないわけにはいかない。下級官吏のゴリャートキンが、上級官吏の娘との結婚と出世の夢に破れ、自らの分身である“新ゴリャートキン”との対面と対立を経て狂気を募らせていくというストーリーだ。ロシア語原題の『Двойник』(ドゥヴォイニク)はドイツ語の「ドッペルゲンガー」と同じ意味で、英訳版では『The Double』と題された。


 ベルナルド・ベルトルッチ監督は1968年の『ベルトルッチの分身』で、ドストエフスキーの小説を換骨奪胎し、主人公が融通のきかない真面目な青年と破壊的な殺人者という二つの人格に引き裂かれていくさまを描いた。

 一方、リチャード・アイオアディ監督、ジェシー・アイゼンバーグ主演(二役)の『嗤う分身』(2013年)は、舞台を近未来的世界に置き換えながらも、ドストエフスキーの『分身』に比較的忠実な筋となっている。ちなみに、本作の原題は原作小説の英題と同じ『The Double』。従って2013年から2014年の英語圏では、ドストエフスキーの小説を映画化した『The Double』と、サラマーゴの小説『The Double』(『複製された男』の英題)を映画化した『Enemy』(映画のオリジナルタイトル)が相次いで公開されるという紛らわしい状況になっていた。分身と対面するという内容を共有し、いわば双子のように似通った2本の映画が時を同じくして世に送り出された点に、奇妙なシンクロニシティーを感じずにはいられない。


 『複製された男』との接点がうかがえるもう一本は、クシシュトフ・キェシロフスキ監督、イレーヌ・ジャコブ主演(二役)によるフランス・ポーランド合作映画『ふたりのベロニカ』(1991年)。ポーランドで生まれ育ち、ステージデビューを間近に控えた歌手のベロニカは、外出先の広場で自分そっくりの女性を目撃する。その女性は、フランスで小学校の音楽教師をしているベロニカ。たまたま観光でポーランドを訪れたのだ。同じ名前、同じ容姿、同じ才能を持つ2人のベロニカは数奇な運命をたどることになる……。歌唱を通じて(本来の内面ではない)歌詞の世界を表現する歌手も、「舞台に立つ演者」という点で役者と共通する。演者と教師という役割が、『ふたりのベロニカ』のドッペルゲンガーにも振り分けられているのだ。ストーリーにはほかにも『複製された男』との共通点があるのだが、どちらの作品にとってもネタバレになるので言及は控えよう。


 『仮面/ペルソナ』の女優と看護婦。『ふたりのベロニカ』の歌手と音楽教師。これらの卓越したキャラクターの対置が、2002年にサラマーゴが発表した『複製された男』にインスピレーションを与えたことは想像に難くない。


傑作揃いの“関連作品”

 解離性同一性障害(多重人格)を扱った作品についても取り上げたかったのだが、長くなるのでまたの機会に改めたい。いずれにせよ、ペルソナ、分身、あるいは多重人格を扱う(またはそのように解釈できる)映画は、そうした要素をミステリーの仕掛けに使っていることも多く、具体的に言及するとネタバレの危険が増す。その一方で、こうしたカテゴリーに収まる映画に紹介したい傑作が目白押しなのもまた事実だ。映画ファンなら観賞済みであろうメジャーな作品がほとんどだが、未見の方に配慮した苦肉の策として、大雑把に“関連作品”というくくりでリストアップするのみにて今回の締めくくりとしよう。


アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958年)、『サイコ』(1960年)

ブライアン・デ・パルマ監督『レイジング・ケイン』(1992年)、『ファム・ファタール』(2002年)

デヴィッド・フィンチャー監督『ファイト・クラブ』(1999年)

デヴィッド・リンチ監督『マルホランド・ドライブ』(2001年)

ジェームズ・マンゴールド監督『アイデンティティー』(2003年)

黒沢清監督『ドッペルゲンガー』(2003年)

ダーレン・アロノフスキー監督『ブラック・スワン』(2010年)

クァク・ジェヨン監督『風の色』(公開中)

文: 高森郁哉(たかもり いくや)

フリーランスのライター、英日翻訳者。主にウェブ媒体で映画評やコラムの寄稿、ニュース記事の翻訳を行う。訳書に『「スター・ウォーズ」を科学する―徹底検証! フォースの正体から銀河間旅行まで』(マーク・ブレイク&ジョン・チェイス著、化学同人刊)ほか。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c3

[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
4. 中川隆[-12095] koaQ7Jey 2019年2月18日 13:29:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019-01-07
イングマール・ベルイマンの映画『 仮面 / ペルソナ 』( 1967 )を哲学的に考える〈 1 〉
http://mythink.hatenablog.com/entry/2019/01/07/055734

監督 : イングマール・ベルイマン

公開 : 1967年

撮影 : スヴェン・ニクヴィスト

出演 : ビビ・アンデション       ( アルマ )

   : リヴ・ウルマン         ( エリザベート・フォグラー )

   : マルガレータ・クルーク     ( ドクター )

   : グンナール・ビヨルンストランド ( エリザベートの夫 )

この記事は、よくある味気ないストーリー解説とその感想ではなく、『 仮面 / ペルソナ 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という個人的欲求に基づいたものです。なので映画のストーリーのみを知りたい ( または深く考える事をしたくない ) という方は他の場所で確認されるのがよいでしょう。


【 1 】 仮面とは何か?


a. この映画を哲学的に考える上で、避けて通れないのは "仮面" について解釈でしょう。その時、まず気になるのは映画のタイトル『 ペルソナ 』の邦題表記の『 仮面 / ペルソナ 』が果たして正しいのだろうかという意見がたまに見受けられる事です。その意見は、看護師のアルマと女優のエリザベートの2人の人格が入れ替わる、あるいは融合するかのような内容を見て、ペルソナの別の表現である "人格" の方がふさわしいのではないかという疑念から来ている訳です。


b. もちろん、ここで "ペルソナ=仮面" という表現が心理学者ユングのものである事を知っている人ならば、"仮面=人格" であると理解して『 仮面 / ペルソナ 』というタイトルに疑問を抱く事はないでしょう。ところが、ここで注意しなければならないのは、ユングはこのペルソナを人間の外的側面だというのですが、これをそう実感する人がいるのだろうかという事です。外的側面という表現が意味するのは、ペルソナが他人との人間関係、つまり社会的なものへの適応機能を担うという事になるのですが、そのように理解した人でもペルソナが自分の外部にあると言われピンと来るのでしょうか。

c. 何が言いたいかというと、心理学の概念に反して、実際の私達は "人格" が仮面として外側にあるのではなく、自分の "内部" にあると漠然と感じているという事です。つまり、ここにあるのは "仮面と人格の解離" なのです。1−a. で示した『 仮面 / ペルソナ 』というタイトルに疑問を抱いて "人格" を持ち出す人はユングの概念に反しているように見えるがあながち的外れではありません。

d. そんな "仮面と人格の解離" から読み取れるのは、社会へ適応する機能を担うものは "人格" という表現よりは "仮面" という表現の方がしっくり来るだろうという事です。仮面はあくまでも外側に対して演じられるから仮面なのであって、人格はやはり内部にあるものだという訳です。

e. そのような事態の深刻さについて考えるには、仮面の裏に抑圧された "本当の自己" があるという危険な考えにどれほど多くの人がとりつかれているか ( セラピストや心理学者でさえ ) を思い起こす必要があるでしょう。何が危険かというと、 "本当の自己" という擬似人格的なものが、実は表現を変えた "仮面" に過ぎないからです。仮面の裏に "本当の自己" があるのなら、人々は人生の様々な場面においてもっと自分に自信を持てるはずでしょう、自分の内奥の揺るぎない自己を確信しながら。しかし自信を持てずに抑圧されていると感じるのは、"本当の自己" などない、つまり実は人格が内部的なものではない、からなのです。

f. にも関わらず、"本当の自己" という考えに頼るのは "表現を変えた仮面" を人格的なものと錯覚して自分の中にさらに押し込む事になる、つまり、それこそユングが危険視した "仮面との同一化" に他ならないという訳です ( 皮肉を込めて言うなら、本当の自己とは仮面との同一化が最も成功した例だといえるでしょう )。そして、そのような "人格" が自分の内部にあると漠然と感じるのは、もうそこには抑圧ではなく、仮面によって人々の内部が既に浸食されている事を示しているといえるのです。という事は仮面=人格 ( ペルソナ ) であるというユングの考え方は間違っていないのであり、問題なのは、仮面と人格が解離していると感じる ( 本当の自己があると思い込む ) 私達自身の方だという事なのです。


g. では仮面の裏側はどうなっていると考えるべきなのか。そこが仮面によって浸食されているのなら、なおさら・・・。それについてはこの映画の解釈を進めると共に明らかにしていきましょう。

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【 2 】 仮面から顔へ・・・

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a. 映画の冒頭で流れる様々なカットの連続・・・、陰茎 ( ほんの一瞬なので気付かないかも )、映写機とフィルム、蜘蛛、血抜きされる羊、釘を打ち込まれる手。一体これをどう理解すべきでしょうか。シュールレアリスム的であり、ゴダール的でもあるこの前衛性は、理解せずにそのまま放置しておくべきベルイマンの遊びだとすべきでしょうか。

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b. しかし、多くの人がこれらの映像に対して解答する事が出来ていないという事実が、 ここで哲学的に解釈する事に価値を与えると考えられるでしょう。そのためのヒントをベルイマンは与えてくれています。シーン 1~6. に続く以下のシーン 7~8. について考えていきます。

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c. 女優エリザベートの息子が目の前のスクリーンに大きく写しだされた母親らしき人物の顔を確かめるように触る。皮肉なのは、視力の悪い息子が眼鏡をかけても母親の顔がはっきりと見えない事。母親であるエリザベートの顔は一瞬くっきりとする ( シーン 9. ) がすぐにぼやけて、エリザベートと似たアルマの顔が浮かび上がり、やがて2人の顔が重なっていく。


d. これについては、息子が母親の "顔" を認識出来ないという事態からエリザベートが母親としての役割を止めている事を示していると解釈出来ますね。そしてこの後、エリザベートがアルマと同一化していくような流れがある事を予告しているともいえるでしょう。これが普通の人の解釈だと思います。しかし、この後のシーン13. によってさらに解釈を哲学的に深めていく事が可能になるのです。

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e. エリザベートとアルマが二重写しになったスクリーンが真っ白になり、そのままタイトルである『 PERSONA 』が現れる ( シーン 13. )。この白い画面をタイトルを示すための背景だと思っていてはそれ以上解釈を拡げる事は出来ない。この白い画面をシーン 7~12. から意味が続く一連のものと考えるならば、ベルイマンは "仮面" という言葉に "顔" のイマージュを与えて、無意識的に解釈の拡がりを狙ったといえるのです。


f. ここで上で述べた、仮面と人格の解離という現象を思い起こすならば、ベルイマンの無意識的試みは、分離した仮面の状態を、"顔" のイマージュで説明しようとしていると言い換える事が出来るのです。普通の人は、顔とは特定の個人を識別するための重要な要素と考えるでしょう。極端に言うなら、顔それ自体が、個人そのものだと言えます。しかし・・・それは仮に人格が同じでも顔が違えば、その個人は誰だか特定されなくなってしまう事態が起きるという事でもあるのです。それこそが、この映画のストーリーにも繋がっていく話なのですが、もはや"顔" は人格を表すものではなく、たんなる "イマージュ" に過ぎない事をベルイマンは無意識的に示唆していると考えられるのです。


g. そのイマージュこそが、シーン 1~6. で示された脈絡のないカットなのですが、私達がそれを見て無意味なものの寄せ集めだと思う時、それは実は、人間主体をイマージュの視点から捉えた時の、真実の姿に他ならないのです。"顔" はまさにその真実を示すイマージュなのであり、その時、"顔" とは私達が通常考えるような顔では全くなくなっている。人間主体を構成する幾つもの人間的ではないようなイマージュが、その "顔" の元に集合していると理解しなければならない訳です。そう考えなければシーン 1~6. を解釈する事は到底出来ないでしょう。


h. そして次に大切な事は、顔の元に様々なイマージュが集まる様子を、ベルイマンは顔を白い画面に変移させる、つまり映画のスクリーンそのものに準える事によって示そうとしている。なので正確に言うなら、顔とはイマージュである事に留まらずに、自らをスクリーンそれ自体であるホワイトウォールとしながらも、あたかも顔のパーツを構成するかのごとく抽象的かつ非人間的なイマージュを引き寄せるブラックホールにもなるという事になるのです。

i. このホワイトウォールとブラックホールの組合せに言及した哲学者こそドゥルーズ=ガタリに他なりません。『 ペルソナ 』が公開された1967年から約13年後の1980年、ドゥルーズ=ガタリは『 千のプラトー 』の7章、"零年ー顔貌性" においてホワイトウォールとブラックホールの組合せ概念を示します ( 言うまでもなくこの概念は映画通の哲学者であるドゥルーズのアイデア )。

" 顔は、少なくとも具体的な顔は、ホワイトウォールの上にぼんやりと描かれ始める。ブラックホールの中にぼんやりと現れ始める。" p194.【 ※1 】

" 顔はまさに抽象機械に依存しているからこそ、頭部を覆うことにはとどまらず、身体の他の部分や、必要に応じて、いかなる相似点もない事物にまでも働きかける。" p196. 

" 粗雑に誇張されたクローズアップ、突飛な表現、等々。人間の中にある非人間的なものとして、顔とは最初から非人間的で、生気のない白い表面と輝くブラックホール、虚ろさと倦怠をともない、そもそもクローズアップである。" p196.

" 顔、何とおぞましいものだろう。それは本来的に月面の風景に似ており、数々の毛孔、面と面、くすんだ部分、輝く部分、白い広がりと穴をともなう。クローズアップにするまでもなく顔は本来的に非人間的である。もともと顔はクローズアップであり、もともと非人間的でグロテスクな頭巾なのだ。" p216.

イングマール・ベルイマンの映画『 仮面 / ペルソナ 』( 1967 )を哲学的に考える〈 2 〉へ続く。

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【 ※1 】
これらの引用は、邦訳『 千のプラトー 』河出書房新社ハードカバー版 ( 1994年初版 ) からのもの。現在では河出文庫版『 千のプラトー ( 上・下 ) 』の入手が容易になっています。
http://mythink.hatenablog.com/entry/2019/01/07/055734
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c4

[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
5. 中川隆[-12094] koaQ7Jey 2019年2月18日 13:32:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
2019-01-07
イングマール・ベルイマンの映画『 仮面 / ペルソナ 』( 1967 )を哲学的に考える〈 2 〉
http://mythink.hatenablog.com/entry/2019/01/07/060728

【 3 】 演技の虚構性

a. このへんで映画のストーリーの方に立ち戻ってみましょう。女優のエリザベートは舞台で突然沈黙してしまう。その理由は笑いそうになったからという。ほとんどの人は、この理由は見過ごしてしまうでしょうが、シーン14~17. に続く失語症に陥った彼女が入院先のシーン18~23. においても彼女はラジオから流れる女優の芝居に対して笑っているのです。つまり、この笑いは見過ごすべきものではなく、何かしら解釈の必要があるという事ですね。


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b. アルマとのやり取りの後、こちらをじっと見つめるエリザベートの顔のクローズアップが続きます ( シーン24. )。これによって彼女の沈黙の理由となった笑いの原因について推察する事が出来るでしょう。つまり彼女は舞台での自分の客観的姿に笑いそうになったのです。舞台での演技は共演者とのやり取りによって進んでいくのですが、実際は彼女の演技は共演者に向けられたものではなく、観客に向けられたものなのです。

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c. これを演技とはそういうものだろうと常識的にしか考えられない人は、それ以上解釈を深める事は出来ないでしょう。ここから読み取るべきなのは、共演者と交わす直接的コミュニケーションがその相手ではなく、関係のない第三者に向かってしまっているという演技の虚構性に彼女が気付いてしまったという事なのです。つまり彼女は、自分は誰と一体しゃべっているのか、目の前の相手に自分は話しかけているのに本当はそうではないのだから自分は何をやっているのだろうという具合に、奇妙な "現実" に気付いて笑ってしまうという訳です。

d. ここでベルイマンは、演技の本当の対象である観客には "間接的行為" しか提示できない ( 言い換えれば舞台上の共演者としか直接的にはやり取りするのが出来ないという事 ) 演技の必然的虚構性を、エリザベートがクローズアップであたかも "直接的に" こちら ( つまり観客に対して ) を見ているかのようなシーン24. に重ね合わせるという演出をしているのですね。だからこのシーンによって観客はあたかも彼女と "直接的にやりとりしている" かのような錯覚を覚えて不安定な印象を受けるのです ( 演技者と観客を媒介するはずの "間接的行為" が欠如しているのに無意識的に気付くから )。


e. エリザベートは、この演技の虚構性を日常にまで持ち込んでしまうが故に、しゃべれなくなってしまう。看護師であるアルマはエリザベートと話をしようとする。しかしエリザベートはアルマと向き合って話そうにも、そのコミュニケーションがアルマをすり抜けて別の第三者に向かってしまう演技になってしまうのではないかという思い込みに囚われて話す事が出来ないのです ( 言い方を変えれば、何をしようと彼女は常に誰かを演じていることになるのを自覚している )。

f. ここでエリザベートの中では、"現実" とは一体何かという不安が湧き上がります。その事を示すのがシーン25~30. 。僧侶が政治的抗議として焼身自殺する映像を見てエリザベートは驚くのですが、これは単に彼女がショックを受けているなどと単純に思うべきではないでしょう。彼女は焼身自殺した僧侶と自分を重ね合わせているのです。僧侶も自分と同様に演技しているのなら、自殺してしまう程の演技とは一体何か、そして自分の演技も僧侶と同じく自らを死のような "現実" へと至らせるようなものなのか、という思いがこの驚きには込められていると解釈出来る訳です。

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g. このシーンの前後あたりから舞台的な要素が強くなっていきます。看護師のアルマ、女医、らが正面に向かって語りかけるシーンが多くなるのですが、それは時に顔のクローズアップと共に私達の視線をそこに固定させ、私達との擬似直接感を引き起こし距離感を撹乱させるものになっている。
http://mythink.hatenablog.com/entry/2019/01/07/060728
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c5

[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
6. 中川隆[-12093] koaQ7Jey 2019年2月18日 13:34:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019-01-07
イングマール・ベルイマンの映画『 仮面 / ペルソナ 』( 1967 )を哲学的に考える〈 3 〉
http://mythink.hatenablog.com/entry/2019/01/07/061615


【 4 】 顔からの解放

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a. おそらく、この映画でのベルイマンの狙いとは、舞台における演技者同士のやり取りの本当の対象が第三者の観客であるならば、そのやり取りがどのようなものであれ第三者に届くという舞台あるいは映画における鑑賞の必然的形式に揺さぶりをかけるというものでしょう。そして、この実験的試みに賭けられたものが "仮面=顔" という事なのです。


* エリザベートが女医への手紙の中で自分の秘密話 ( かつて少年達と乱交した時の生々しい話 ) を暴露したことにアルマは怒りを覚える。エリザベートを尊敬の眼差しで見ていたアルマの中で何かが壊れることを表すシーン。ガラスが割れるかのようなシーン43~45. から彼女の顔に穴が開くという実験的なシーン46~47. が続き、白い画面へと至る。

* このシークエンスの細かい解釈。憧れのエリザベートに興味を持ってもらおうと昔の乱交話までしたアルマが、もはやエリザベートの対象になろうとはせず怒りで彼女を逆に非難するという攻撃的主体になった事が示されている。アルマがエリザベートの退屈を紛らわす都合のいい対象であるのを拒否した事が、顔がないという事で現されてる訳ですね。ここから人格的な顔は常に誰かの "対象" であるのが分かるわけですが、逆にいうと、人格的であるのを止めた顔は、誰かの思い通りにはならない自由を手に入れる事になるのです。これこそが人格的な顔からの解放なのです。


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b. さて4−a. からの続きですが、ベルイマンは観客である私達に自分は一体誰を、いや何を見ているのかと撹乱させる事によって、顔=人格という無意識的思い込みによる同一性を解体しようというのです。注意しなければならないのは、"顔" それ自体が悪いわけではありません。まずいのは、顔にその人間の人格を含めたあらゆるものを統合するかのような象徴的機能を付与する事なのです。顔がその人間の全てを統合してしまう事は、その人間自身が違う要素の方へと向かう事を封じてしまう、それは自分のキャラには似つかわしくないという具合に。

c. 母親である事、女優である事、その狭間で悩むエリザベートは顔にこだわりすぎていたのです。顔に人格を込めすぎていたのです。そのような人格的な顔に固執して、母親の顔であり、同時に女優の顔を持とうとするのは自分に無理強いする事にしかならない。必要なのは、自分ではない別の誰かになるというような幾つかの顔を持つ事 ( 別の誰かに方に逃げるというアリバイ作りでしかない ) でもなければ、仮面の裏に隠された本当の自分をさらす ( そのようなものはないのだから ) というような事ではありません。そうではなく、"【 3 】演技の虚構性 " で述べたように "顔" を映画のスクリーンであるかのようにホワイトウォール、ブラックホールという抽象機械と化して、あらゆる要素 ( シーン1~6. のような非人間的なものを含めて ) が混ざった "風景" を自分の中から映し出していく事が重要なのです。あらゆる経験、あらゆるイマージュ、あらゆる感情、が詰まった人生の風景・・・、その風景が織り重なって作られる自由な世界を見せていく事こそが大切なのであって、それは少なくとも "顔" の上では可能になるのです。

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【 5 】 仮面の裏側・・・

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a. さて最後に "【 1 】仮面とは何か " で残した問題、仮面の裏側について考えておくべきでしょう。仮面の裏側に、本当の自己などないのならば、そこには何があるのか。答えは、何も無い。言い換えると、"無" があるのです。こう言うと、元も子もないように聞こえるかもしれませんが、それは絶望でも何でもありません。無であるからこそ、人はそこに、本当の自己、想像的自我、小人などという擬似人格的な表現で示されるものを押し込む事が出来るのです。

b. そして注意すべきなのは、私達がそのような擬似人格的なものを自分の内側に定立しようとするのも、そこに主体による定立化の行為の自由があるからこそなのです。その主体行為の自由を可能にしてくれているものこそ、"無" に他ならない。もし "無" がなく、人格的なものが本当に私達の内部の玉座に固定されていたら、私達は日常生活において出会う咄嗟の場面 ( ゆっくりと考えることの出来ない ) において主体的な行為が出来なくなってしまうでしょう。まず主体の自由に動ける "無" があるからこそ、その結果、擬人化の作業も可能になるという訳です。

c. この映画においても、ベルイマンは、仮面との同一化に悩むエリザベートをアルマに諭させる形で人間の内奥の "無" について最後に語らせていますね。
http://mythink.hatenablog.com/entry/2019/01/07/061615
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c6

[近代史3] イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年) 中川隆
7. 中川隆[-12092] koaQ7Jey 2019年2月18日 13:39:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
仮面 / ペルソナ 怪奇!恐怖の深層心理学 2017/04/01
http://2015omanjuuumai.blog.fc2.com/blog-entry-176.html


『キングコング: 髑髏島の巨神』('16)に『ブレイブハート』('95)…。
脳が溶けそうな小学生映画のレビューばかり続いた本ブログですが、たまにはお文芸な作品を。

今回は、難解映画としても名高い『仮面 / ペルソナ』のレビューを。

難しい難しいと聞いていましたがこの映画、マジで難しい。
アヴァンギャルドな映像に、脳天から?マークが連発する奇作でした。


監督はスウェーデンが世界に誇る大巨匠、イングマール・ベルイマン。
神や宗教を扱って鬼難解な作品を作ってきたベルイマンなのですから、シンプルな訳ゃありません。

で、神を論じてきた大作家ベルイマンが本作で語るのは何か?
タイトルからお察しの通り、見えて来たのはユングの深層心理学!
分かるかそんなもん!

…いや、待てよ…。
この映画、実はもっと怖いお話だったりして…。


あらすじ

一人の女優が失語症に陥った。

女優の名前はエリーサベット(リヴ・ウルマン)。
舞台女優である彼女は、公演中に突然セリフが喋れなくなったという。
その後、日常生活でも言葉を失った彼女は、病院へと送られて来たのだった。

彼女を見守るのは、看護士のアルマ(ビビ・アンデショーン)。
彼女は、エリーサベットの看護を続けていくうちに、訳もなく胸騒ぎを覚えていく。


ある日、エリーサベットの主治医が決断を下す。
このまま入院していても、病状は改善しないだろう。
主治医は、彼女の気分転換も兼ねて、別荘での保養を勧める。
同行するのはアルマだ。


かくして、別荘での2人の共同生活が始まることとなる。

暮らしは順調。
女優であるエリーサベットに憧れるアルマは、自らの胸の中を彼女に明け透けに話す様になる。
エリーサベットは相変わらず言葉は発しないものの、彼女との暮らしに満足そうだ。

「まるで姉妹みたい…。」
次第に、アルマはエリーサベットに強い親近感を抱くようになっていく。


しかし、そんな暮らしに波風が立ち始める。
不意にアルマは、エリーサベットの書いた手紙を盗み見てしまうのだった。


世紀の名画は謎だらけ

アヴァンギャルドな演出!斬新な映像!実力派女優の熱い演技合戦!
…とか書けば映画ブログっぽいんでしょうが、ここは正直にいきましょう。
この映画、サッパリ意味が分かりません。


監督はスウェーデンが誇る名匠イングマール・ベルイマン。
監督作品では、本ブログでは『第七の封印』('57)などの作品を扱っています。
『第七の〜』は超オススメ!筆者のオールタイムベストの一つです。

本作で主演を張るのは、ビビ・アンデショーンとリヴ・ウルマンの2人。
物語は、実質この2人だけで進んでいくこととなります。


さて、映画についです。
ただでさえ難解といわれるベルイマン映画。本作は、のっけから訳が分かりません。

ファーストカットはカラカラと回るフィルム。
奇怪な金属音とともに、カトゥーンアニメとカウントダウンが入れ替わりに映ります。
回る映写機、屠殺される羊、天を這う蜘蛛。
様々なイメージが現れては消えていきます。

そして、かの有名なサブリミナルのポコ○ン。
冒頭シークエンスで男の魚肉ソーセージが一瞬だけ映し出されるのです。
この演出は、『ファイトクラブ』('99)に影響を与えたと言われています。

その後映し出されるのは1人の少年。
少年は、真っ白なスクリーンに映し出される2人の女の顔に手をかざしています。
そして、ようやくタイトルの『仮面』の文字が映し出されます。

ぎえ〜ちょ〜アヴァンギャルドぉ〜!


さて、ここからは(一応)劇映画が始まります。

主人公は2人の女。
リヴ・ウルマン扮する失語症に陥った女優エリーサベットと、ビビ・アンデショーン扮する看護婦のアルマです。

『第七の〜』では旅芸人の肝っ玉母さんを演じていたアンデショーンですが、本作で演じるのは天真爛漫な看護婦。
天真爛漫が故に、アルマからは脆さも感じさせます。

一方のエリーサベットは、貝の様に心を固く閉ざした女。
リヴ・ウルマンのクールな出で立ちが、彼女の心の壁の厚さを物語っています。


劇中前半では、エリーサベットの入院生活が描かれます。
頑なに口を開かないエリーサベット。
アルマはそんな彼女への看護に不安を感じています。
何故か、エリーサベットの存在自体がアルマの不安を掻き立てるのです。

この病院での一連のシークエンスも、どこか不気味です。
病院のセットは不自然なほどシンプル。女優2人の顔が極端なアップに、息が詰まりそうになります。

特に、死体の様に身じろぎしないリヴ・ウルマンの不気味さ!
全く瞬きをしないウルマンを長回しで映し出すシークエンスなんかは震え上がります。


さて、物語は前半で早くも核心に迫ります。
エリーサベットの主治医の女医が、彼女の失語症の原因を看破するのです。

「本当のあなたは、全てさらけ出したいと激しく願っている。でもそんなことは出来ないから、演技をするより他はない。
あなたが本当に安心できるのは、黙っている時だけなのよ。」

ここで、早くもエリーサベットの失語症の原因が明らかになります。
自らの本心をひた隠しに生きていたエリーサベット。
自分と他人を偽って生きて来た彼女の心は遂に限界を迎え、そのために彼女は沈黙を始めたのでした。


ありゃ?なんだか早くも物語にオチがついてしまったかの様です。
いやいやとんでもない。ここからが本番です。

舞台は主治医の別荘へ。
エリーサベットは保養のためにこの別荘へ移ることとなります。同行するのはアルマ1人。
ここから、2人の奇妙な共同生活が始まります。
日々を重ねるうちに、アルマはエリーサベットに心酔していくのです。


この別荘のシークエンスは、前半とは違った意味でまた前衛的です。

閉ざされた別荘で、1人猛然と喋り続けるアルマ。その様子はまるで一人芝居の舞台劇。
舞台演出でも名を馳せることとなるベルイマン監督の手腕が光ります。

エリーサベットは相変わらず貝のごとく押し黙るばかり。しかし、微笑を浮かべアルマを見つめる姿は超然としていて、やはり不気味さを感じます。


そして劇中中盤、アルマはエリーサベットに過去の恥部を明かしてしまいます。

彼女はかつて少年達と行きずりに乱行し妊娠、その末に堕胎した経験があったのでした。

自らの恥部を自ら暴露したアルマ。
夢かうつつか、明くる朝に肌を重ねる2人。
うほほ〜いエロい!!
…のですが、これまたどこか怖さを感じるシークエンスです。


この辺りからでしょうか、物語は急速におかしくなっていきます。

ある日アルマは不意に、エリーサベットの手紙を盗み見てしまいます。
手紙の中でエリーサベットはアルマの過去を主治医に密告し、さらには「彼女は私を崇拝している。」と書いていたのでした。

怒り心頭のアルマ。
次第に彼女はエリーサベットに辛く当たるようになっていきます。
反発と仲直りを繰り返すうちに、次第に2人の心が共鳴していきます。
画面をよく観ていくと、着ている服まで同じ。2人はひどく混乱していきます。


さて、ここからが急転直下。
以下は、本作の重大な核心に触れていきます。
未見の方は、本ブログを読むのをやめ、実際に作品をご覧になることを強くお勧めします。

劇中後半、ついに別荘にエリーサベットの夫がやってきます。
彼女の身を案じる夫。
「僕が悪かった…。
君が思う様に暮らしていこう、エリーサベット!」
そう語る先に居るのは、エリーサベットではなくアルマでした。

抱き締め合うアルマと夫。
その姿を、エリーサベットは身じろぎもせず見つめています。

2人は同一人物だったのか!?


ビビる僕らをよそに、アルマとエリーサベットはついに対決します。
エリーサベットを責め立てるアルマ。
彼女は、エリーサベットしか知り得ない"息子を愛せないトラウマ"を非難します。
そして、2人の顔が映し出されると…!


2人は一体なんなのか?
様々な謎を抱え、映画はラストに向けて疾走していくこととなります。

伝説の名画と言われるだけのことはあります。
同一人物とおぼしきアルマとエリーサベット。現れては消えていく謎。アヴァンギャルドに過ぎる演出。
名匠ベルイマン監督の手によって、僕らの脳ミソはぐわんぐわんに揺さぶられます。


そんな難解映画である本作は、いくらでも解釈の仕様があります。
さて、次の章では筆者の解釈を書いていこうと思います。

長くなるけどついてきて!


恐怖!深層心理おじさん

本作は、長きに渡って映画ファンの間で議論が交わされてきた作品です。
前述してきた様に作品は超難解。筆者もサッパリ意味が分かりません。

そんな『仮面』論争にオレみたいなニワカが参加するのもおこがましいですが、これから筆者の本作の考察を書いていこうと思います。

結論から書くと、本作は「ベルイマンが恐怖を語った映画」である様に思います。


その"恐怖"を語る前にまず、本作がユングの深層心理学に着想を得た作品であることを押さえておく必要があると思います。

これは、"ペルソナ"と読ませるタイトルやエリーサベットが失語症を発症することから明らかです。
言うまでもなくペルソナとは深層心理学の大家、カール・グスタフ・ユングが提唱した概念。
人間が外界に向けて装う顔・性格・人格を意味しています。


女優という職業から明らかな様に、エリーサベットは【ペルソナ】を象徴しています。

劇中前半での主治医のセリフによれば、エリーサベットは自分と社会とのギャップに深く悩んでいました。
「外界から自分を守るために演技をせずにいられない。」と主治医から指摘されたエリーサベットの人格は、ユングの提唱するペルソナを感じさせます。

では、一方のアルマは何を象徴しているのか?
彼女は、ユングの深層心理学でいうところの【影】を象徴している様に思います。
影とは、その人にとって"認めたくない本当の自分""本当はこうありたかった・あったかもしれない自分"を指す概念です。

仮面(ペルソナ)を被り社会に素顔を明かしてこなかったエリーサベットと違い、アルマは天真爛漫に全てを喋ってしまいます。
さらには、自分で自分を性的に抑圧してきたエリーサベットと違い、アルマは少年達との放埓なセックスを経験していました。
まさにアルマはエリーサベットにとって"認めたくない影"なのです。

つまり、エリーサベットとアルマは、同一人物の人格に宿った【ペルソナ】と【影】なのではないでしょうか。


こうして考えると、冒頭の前衛的なシークエンスもいくつか説明が付きます。

映し出されるペニスはエリーサベットの潜在的な性欲を現し、磔のイメージはペルソナが抑圧する本音とも受け取れます。
そして2人の女を見つめる少年は、エリーサベットが忌み嫌う彼女の息子であり、アルマが堕胎した子どもである様に思います。


この様に、本作にはユングの深層心理学との深い結びつきを感じさせます。
この辺りは世評とも一致しているところではないでしょうか。

…が、本稿ではここからもう一歩踏み込んで考えたいと思います。
本作のストーリーは確かにユング的です。
しかし、ストーリーが語る映画のテーマは、もっと違ったものなのではないでしょうか。

筆者が感じる本作のテーマ、それこそが"恐怖"です。
本作は、ベルイマンが語る"オレの恐怖映画"なのではないでしょうか。


1965年、ベルイマンは大型企画『人喰いたち』の製作に向けて動いていました。
しかしその年の夏、企画は頓挫します。
ベルイマン監督が病を得て入院してしまったのです。

およそ二ヶ月の入院生活で暇を持て余していた監督は、降って湧くイメージを常にノートに書き記していました。
こうしてノートに記されたイメージを見直した監督は、はたと気が付きます。
「これ、映画になるぞ!」

そして監督は、『人喰い〜』のために契約していたビビ・アンデショーンとリヴ・ウルマンをそのまま起用することを思い立ちます。
2人の顔が似ていることが、監督に新たなインスピレーションを与えたのです。
("似ているけれど確実に異なる顔"という奇妙な違和感は、本作のクライマックスでまさに再現されることとなります。)

かくして、本作『仮面 / ペルソナ』は産声を上げるのでした。


そして、本作の公開の後、監督は『狼の時間』('66)を発表。
主演は、本作から引き続きリヴ・ウルマンが勤めることとなります。
リヴが演じる女主人公の名前は、アルマ・ヴォグレル。

ん…アルマ…?
そう、『仮面』で"エリーサベット"を演じたリヴは、直後の作品でアルマと名付けられた女を演じているのです。
そして、エリーサベットのラストネームもまた"ヴォグレル"でした。

後のインタビューで、ベルイマン監督はこう語っています。
「役名から分かる通り、『仮面』と『狼の〜』は二つで一つの作品だ。」


おう!『仮面』を紐解く鍵が見えて来ました。

監督の解説によれば、『狼の〜』役名のヴォグレルとは"鳥"を現しています。
そして、"鳥"は、監督にとって恐怖の象徴である様です。
さらには、『狼の〜』ではマックス・フォン・シドウ扮する画家の男が悪魔に付きまとわれます。
悪魔の名前は"人喰い男"。

ついにピースが繋がりました。
『仮面』の前に監督が撮るはずだった『人喰いたち』。
"人喰い"とは恐怖の象徴でした。
そして、"人喰い"の現れる『狼たち〜』と『仮面』はヴォグレル(鳥)というこれまた恐怖を示す記号で繋がっています。

従って、『仮面』もまた恐怖をテーマにした作品であると考えるのは、決して強引ではない様に思います。


作品内にもそれを裏付ける描写がある様に思います。
例えばエリーサベットは、焼身自殺するはベトナムの僧侶の映像や、ナチに追われるユダヤ人少年の写真に対して、明らかに怯えた反応を示します。
これは、外界への恐怖を現しているのではないでしょうか。

そういえば、宗教映画であるはずの『第七の封印』でさえ、監督は核兵器や朝鮮戦争への拒否感を露わにしていました。

風雲急を告げるベトナムや、ホロコーストの影に怯えるユダヤ人少年。
世界歴史の暗部に怯えるエリーサベットは、そのままベルイマン監督の恐怖を代弁しているとも取れます。


『狼の〜』のインタビューで、ベルイマン監督はこう語っています。
「長い間、私自身も"狼の時間"に実際に付きまとわれてきた。
それ以来私はこのテーマに取り憑かれていたのだ。」

監督がここで語る"狼の時間"とは、不安や恐怖のことである様に思います。


本作は、当時の監督が取り憑かれていた恐怖を、深層心理学をモチーフに描いた作品なのではないでしょうか。


難解映画は止まらない。

長々と本作の考察を書いてきました。
本作は、ベルイマンが考える恐怖の物語であると筆者は考えています。

…考えているのですが、やっぱりこの映画訳わからん!


物語のテーマは恐怖である!と大上段に語ったところで、まだまだ説明出来ない演出が数多くあります。

冒頭のシュールな映像群の真意とは?
ラストで映し出されたカメラの意味とは?
そもそも、本当にアルマとエリーサベットは同一人格なのか?
謎はまだまだ未解決です。


本作のインタビューで、ベルイマン監督はこんなことを言っています。
「この映画について解説するのは、オレにはマジ無理。」
ズコココーッ!作ったのアンタだぜ!

こうして謎は残されるばかり。
映画史きっての謎解きは、きっと今後も続いていくのです。
http://2015omanjuuumai.blog.fc2.com/blog-entry-176.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html#c7

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
108. 中川隆[-12091] koaQ7Jey 2019年2月18日 14:14:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2012/4/21(土) かぐらスキー場(新潟)
http://banyan2.blog.fc2.com/blog-entry-171.html


@第五ロマンスリフト終点から、山岳エリアへ、間もなく中ノ芝へ。夏は池塘(ちとう)と呼ばれる湿原の泥炭層にできる池沼地帯。(10:30)
 

A中尾根登頂を止めて、神楽ヶ峰本峰2029mを目指します。正面は偽ピークと云われていて本峰ではありません。(10:40)
 

B偽ピークの頂上部へ到達しました。向うに3名がいる本峰頂上が見えます。(11:20)


C神楽ヶ峰本峰2029mで、苗場山をバックに記念撮影をお願いしました。(11:30)
 

D頂上から危険と言われる"棒沢"を望む。(11:30)

 ++++ちなみに"棒沢"の危険性とは。+++++

 棒沢上部はわりとなだらかだが途中から雪の着かない急斜面になる。
 地形はすり鉢状で沢の底まで滑落する。急斜面のため、這い上がる事はまず不可能。
 沢の下部には滝があり行き止まりとなる。しかも常に雪崩の危険性が高い。
 非常に危険な沢であり、遭難もこの沢に集中している。
 神楽ヶ峰の先には絶対行ってはいけない。
 

E神楽TOPより、少し先で休憩している人がいました。苗場山を望み気持ち良さそうですが、
 上がって来た、山岳パトロールに注意されていました。つまり、「神楽ヶ峰の先には絶対行ってはいけない。」
 という警告を犯しているからだと思います。つまり"棒沢の"一部分に入り込んでいるということですね。
 

F反射板コースを目指します。山岳ガイドにも確認しましたが、向うのピークの先だそうです。実は右側が前述の "棒沢"なんですが、引き込まれたら大変です。私はこの時は別の方向を"棒沢"と勘違いしていました。後日間違いに気付いた次第。(11:50)
 

Gこの林を過ぎると、反射板がみえるはず。(11:55)
 

H反射板に到着!実はこれがどういう役割をになっているのか知りません。(12:01)
 

I反射板正面斜面から、反射板を望む。(12:02)
 

J更に広いスロープが続いています。気温が高く雪が悪いのでコントロールが辛いです。。(12:03)
 

Kスロープボトム急斜面出口で、初めて樹に衝突してしまい偶然近くにいた人に救出してもらいました。
 一瞬、腰が折れたと思いました。内臓にも衝撃が来て、実はまだ少し痛いです。樹が細かったので、逆に
 衝撃を吸収したのだと思います。この位でよかった。今後のあり方を反省。(12:27)
 

Lやっと田代第8ロマンスリフト降り場に到着しました。(12:39)
 

M今日は夜7時に、高校の同期の飲み会があるので、温泉にも入らず早々に撤収しました。谷川岳手前で、
 太平洋側から、溢れてくる雲が滝の様になっていました。関越トンネルを抜けると曇りです。冬と逆ですね。(14:51)

http://banyan2.blog.fc2.com/blog-entry-171.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c108

[近代史3] イングマール・ベルイマン 第七の封印 (1957年) 中川隆
1. 中川隆[-12090] koaQ7Jey 2019年2月18日 15:25:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017年02月02日
ベルイマン監督『第7の封印』キリスト教難解映画/解説・意味・あらすじ・ネタバレ・ラスト感想
http://www.reviewanrose.tokyo/article/446542020.html

信じる人は救われる?映画

評価:★★    2.0点

『第7の封印』とは、ヨハネ黙示録の” 第7の封印が解かれるとき 人類は滅びる 天使のラッパとともに”という一説から取ったものかと思われます。

映画の個人的評価は―

マックス・フォン・シドーが若いで0.5点。
監督がベルイマンなので敬意を評して0.5点。
キリスト教の光と闇が垣間見えた気がしたので0.5点。
ワケが解らないというのもマイナスばかりではなさそうなので0.5点。

というわけで私が感じた良い所は、これだけでした。
あとは、絵にしても、カット割にしても、脚本にしても、さほど優れているとは感じられませんでした。

<第7の封印あらすじ>

騎士アントニウス(マックス・フォン・シドー)は十字軍の遠征を終え、従者ヨンス(グンナール・ビエンストランド)と共に、十年の戦いと長い旅に疲労困憊しながら、ペストの蔓延する中世ヨーロッパに帰ってきた。海岸で休んでいる彼の前に、死神があらわれ連れ去ろうとする。騎士アントニウス死期が迫っていると知るが、死神にチェスの試合を願い、勝負がつくまで生命の猶予を得る。故郷への道を急ぐ二人は馬車を止めて休んでいる旅芸人の一座を見る。役者のヨフは、目の前を通り過ぎる聖母マリアとイエスの姿を見る。妻のミアはいつもの幻だと言って信用しない。

教会を訪れたアントーニウスは、懺悔で神への疑念と苦悩を語るが、懺悔の相手は死神で、さらに騙されてチェスの作戦を教えてしまう。教会の外には女が鎖につながれ、彼女は魔女で火刑に処されるという。従者ヨンスは、農家で盗人に襲われている村娘を助ける。その盗人は、騎士たちを十字軍に参加させた神学者ラヴァルだった。

旅芸人の一座は、喜劇舞台を始めるが、自らを鞭打って歩く異様なカルト教団に邪魔される。宿屋では大勢の客たちが、疫病の蔓延を噂しあっていた。役者のヨフは宿の酒場で鍛冶屋とラヴァルにからまれている所を、ヨンスに助けられる。
その時騎士アントーニウスは、夫ヨフを待つミアと愛らしい子供ミーカエルと言葉を交わし、ひと時の憩いを持つ。そこにヨフ、ヨンスも戻り、野いちごとミルクを分けあい平和な団欒を過ごす。騎士アントーニウスはこの情景を永遠留めたいと願ったが、その光景を死神はじっと見ていた。

そして、騎士の一行は、旅芸人たちや身寄りのない女、それに街道で出会った鍛冶屋の夫婦などが加わり、旅を続ける。そして森に差し掛かったとき、騎士アントーニウスは旅芸人夫婦と別れた。その森にまたも死神が現れ、死の鎌を光らせる・・・・・


(英語題:The Seventh Seal/製作国スウェーデン/製作年1957/96分/監督・脚本イングマール・ベルイマン)

<第7の封印受賞歴>
1957年カンヌ映画祭で「審査員特別賞」

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第7の封印 感想・解説
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この映画は、イングマル・ベルイマンの傑作と言われています。
dainana-deth.jpgしかし正直言って、冒頭に述べたように、あまり惹かれる部分はありませんでした。


きっと映画で思弁的な内容を語った作品の走りなのでしょうか?
そういう意味では、歴史的な価値を持つのかもしれませんが・・・

この映画はキリスト教的な教義を語った作品だと、書かれていました。

そこら辺を掘り下げてみれば、「第七の封印」自体キリスト教の聖書の最後の審判にいたる直前の伝に基づく劇であるようです。

「ヨハネ黙示録」第6章 7つの封印

第一の封印
小羊(イエス)がその七つの封印の一つを解いた時、わたし(ヨハネ)が見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。

第二の封印
小羊が第二の封印を解くと、今度は、赤い馬が出てきた。人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、大きな剣(つるぎ)を与えられた。

第三の封印
第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、黒い馬が出てきた。乗っている者は、はかりを手に持っていた。

第四の封印
第四の封印が解かれると、青白い馬が出てきた。乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、剣、飢饉、死、そして地の獣らと人を殺す権威が与えられた。

第五の封印
小羊が第五の封印を解いた時、祭壇の下にいる殺された人々の霊魂が叫んだ。
「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられた。

第六の封印
小羊が第六の封印を解いた時、大地震が起り、太陽は毛織の荒布のように黒くなった。月は血の海となり、天の星は地に落ちた。天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。

第七の封印
小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかりの静けさの後、神の御前に立っている七人の御使いに七つのラッパが与えられた。七人の天使によるラッパは次々と天変地異を引き起こした。

その後、七人の天使が神の怒りの満ちた七つの鉢を受け取ると、七つの鉢は地上にぶち撒かれ、多くの禍がもたらされた。
そして最後の審判が始まる。


主人公はキリストの敵と闘うため十字軍に加わった騎士です。
dainana-max.jpgその騎士が数十年の闘いを終えて、帰途を辿る途中で死神と会います。


その死を前にした主人公とその同行者が、神にたいする不信、無関心、破戒、懐疑、強い信仰心と、様々な信仰の形を持つにしても、結局、ラストで描かれるようにその行き着く先は同じ場所でした。


たぶん、この監督の他の映画からの印象で言えば、神の実在を信じつつも明確に姿を表さない現実に、苦悩しているのだろうと思うのです。

イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家。スウェーデンを代表する世界的な映画監督として知られる。

イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、ウプサラ(ストックホルムから60km)で生まれた。ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師であった。兄のダーグは外交官、姉のマルガレータは小説家である。(wikipediaより引用)


神の実在を前提にすれば、信じようと、信じまいと、嫌おうと、反抗しようと、そして敬虔に振舞ってみても、結局そんな人間の信仰心などは超越して、神は遍くあるということになるのでしょう。


神が存在する以上、予言された第七の封印が解かれた後には、神の審判が待っていることになります。

不可避的に受けるべき審判を考えれば、意識的に信仰として崇めるという、どこか無理が生じる祈りは、むしろ懐疑を生むと語っているように感じました。


つまりは騎士、従者、農家の娘など旅を最後まで続けた人々が表わしたのは、そんな無理な信仰の姿だったように思います。

そして、その対極にあるのが、折に触れ神と共に今あるという実感を感じることこそが、人の平安の在りようだと語られているのかもしれません。


旅役者のヨフは、目の前を通り過ぎる聖母マリアとイエスの姿を見るように、日常的に神と共に生きているのです。

(左:彼は優しくイエス・キリストを歌っている。)

つまりは神の実在に疑いを持たずに、神が在ることを当たり前のこととして生きるべきなのに、「神の実存」に対し懐疑的になった現代人であるがゆえに、神の恩寵を感じられなくなっていると語っているのかとも思います。

しかしこう書いては見たものの、実際は哲学一本で押してくるわけでもなく、笑いという娯楽映画のカラも付けてたりと、割りきりがどこか不十分に感じます。
たとえばタルコフスキー監督ぐらい突っ走ってくれれば、理解できないなりに満点を付けさせる迫力がありますが・・・・・・

やはり、絵にハッとするような鮮烈さや、心打たれる美しさを、個人的には感じられなかったのが致命的でした・・・・・・・例えばベルイマン監督『野いちご』に較べても、映像に美しさを感じませんでした。

これが同じキリスト教的世界観でも、『ツリー・オブ・ライフ』位に鮮烈なビジュアルを見せてくれれば、やはり高得点を付けざるを得ないんですが・・・・・

ハッキリしなくてすいません・・・・・
けっきょくマックス・フォン・シドーとベルイマンに興味がある人が見ればいいんじゃないだろうかと思いました。
あと、映画の歴史を知りたい人には、避けて通れない映画のようです。


あ・・・・・・大事なことを忘れてました・・・・・・キリスト教信者にとっては、救いが描かれた映画なのかも知れません・・・・・・


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一行はアントニウスの家にたどりつき、食卓を囲んで祈りを始める。
そのとき、音もなく死神が現れた。


彼らは思い思いに死の意味を悟り、その訪れを敬虔に迎え入れた。


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第7の封印・ラストシーン
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死神に導かれて手をつなぎ踊りながら昇っていく騎士達の姿をヨフは眼のあたりにみた。


Dance of Death- The Seventh Seal - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=abusPM-9mqQ

【意訳】
ヨフ:ミア(妻の名)見える、見える。暗い空、嵐の空に向かってる、彼ら全員が。鍛冶屋、リサ、騎士、従者、ヨンス、そしてスカート。

死神、苛烈な支配者が、彼等をダンスに誘っている。
彼は皆に手をつなげと言って、そして彼らは長い列を作って踊らされてる。

そして一番前が大鎌と砂時計を持った死神、しかしスカートは竪琴を持って最後だ。彼らは夜明けから遠ざかるように踊って、雨が彼らの顔を洗って、頬の涙の塩を流すまでの、暗い大地に向けた厳粛なダンスだ。

もはや何を言っているのか意味不明ですが、このヨフの顔に微笑が浮かんでいるのを見ると、神と共に生きていれば、死をも含めて全ては神の思し召しと平静に暮らせるということでしょうか・・・・・・

アーメン!
http://www.reviewanrose.tokyo/article/446542020.html


イングマール・ベルイマンは金が欲しくて作ってるだけだからともかく、この映画を傑作だと言ってるアホは救われないですね。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/252.html#c1

[近代史3] イングマール・ベルイマン 第七の封印 (1957年) 中川隆
2. 中川隆[-12089] koaQ7Jey 2019年2月18日 15:44:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
ヨハネの默示録


第1章

1:1これイエス・キリストの默示なり。即ち、かならず速かに起るべき事を、その僕どもに顯させんとて、神の彼に與へしものなるを、彼その使を僕ヨハネに遣して示し給へるなり。 1:2ヨハネは神の言とイエス・キリストの證とに就きて、その見しところを悉とく證せり。 1:3此の預言の言を讀む者と之を聽きて其の中に録されたることを守る者どもとは幸福なり、時近ければなり。

1:4ヨハネ書をアジヤに在る七つの教會に贈る。願はくは今在し、昔在し、後來りたまふ者、および其の御座の前にある七つの靈、 1:5また忠實なる證人、死人の中より最先に生れ給ひしもの、地の諸王の君なるイエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。願はくは我らを愛し、その血をもて我らを罪より解放ち、 1:6われらを其の父なる神のために國民となし祭司となし給へる者に、世々限りなく榮光と權力とあらんことを、アァメン。 1:7視よ、彼は雲の中にありて來りたまふ、諸衆の目、殊に彼を刺したる者これを見ん、かつ地上の諸族みな彼の故に歎かん、然り、アァメン。

1:8今いまし、昔いまし、後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ『我はアルパなり、オメガなり』

1:9汝らの兄弟にして汝らと共にイエスの艱難と國と忍耐とに與る我ヨハネ、神の言とイエスの證との爲にパトモスといふ島に在りき。 1:10われ主日に御靈に感じゐたるに、我が後にラッパのごとき大なる聲を聞けり。 1:11曰く『なんぢの見る所のことを書に録して、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤに在る七つの教會に贈れ』 1:12われ振反りて我に語る聲を見んとし、振反り見れば七つの金の燈臺あり。 1:13また燈臺の間に人の子のごとき者ありて、足まで垂るる衣を著、胸に金の帶を束ね、 1:14その頭と頭髮とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は焔のごとく、 1:15その足は爐にて燒きたる輝ける眞鍮のごとく、その聲は衆の水の聲のごとし。 1:16その右の手に七つの星を持ち、その口より兩刃の利き劍いで、その顏は烈しく照る日のごとし。 1:17我これを見しとき其の足下に倒れて死にたる者の如くなれり。彼その右の手を我に按きて言ひたまふ『懼るな、我は最先なり、最後なり、 1:18活ける者なり、われ曾て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。また死と陰府との鍵を有てり。 1:19されば汝が見しことと今あることと、後に成らんとする事とを録せ、 1:20即ち汝が見しところの我が右の手にある七つの星と七つの金の燈臺との奧義なり。七つの星は七つの教會の使にして、七つの燈臺は七つの教會なり。


第2章

2:1エペソに在る教會の使に書きおくれ。「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燈臺の間に歩むもの斯く言ふ、 2:2われ汝の行爲と勞と忍耐とを知る。また汝が惡しき者を忍び得ざることと、自ら使徒と稱へて使徒にあらぬ者どもを試みて、その虚僞なるを見あらはししこととを知る。 2:3なんぢは忍耐を保ち、我が名のために忍びて倦まざりき。 2:4されど我なんぢに責むべき所あり、なんぢは初の愛を離れたり。 2:5さればなんぢ何處より墜ちしかを思へ、悔改めて初の行爲をなせ、然らずして若し悔改めずば、我なんぢに到り汝の燈臺を、その處より取除かん。 2:6されど汝に取るべき所あり、汝はニコライ宗の行爲を憎む、我も之を憎むなり。 2:7耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし、勝を得る者には、われ神のパラダイスに在る生命の樹の實を食ふことを許さん」

2:8スミルナに在る教會の使に書きおくれ。

「最先にして最後なる者、死人となりて復生きし者かく言ふ。 2:9われ汝の艱難と貧窮とを知る――されど汝は富める者なり。我はまた自らユダヤ人と稱へてユダヤ人にあらず、サタンの會に屬く者より汝が譏を受くるを知る。 2:10なんぢ受けんとする苦難を懼るな、視よ、惡魔なんぢらを試みんとて、汝らの中の或者を獄に入れんとす。汝ら十日のあひだ患難を受けん、なんぢ死に至るまで忠實なれ、然らば我なんぢに生命の冠冕を與へん。 2:11耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし。勝を得るものは第二の死に害はるることなし」

2:12ペルガモに在る教會の使に書きおくれ。

「兩刃の利き劍を持つもの斯く言ふ、 2:13われ汝の住むところを知る、彼處にはサタンの座位あり、汝わが名を保ち、わが忠實なる證人アンテパスが、汝等のうち即ちサタンの住む所にて殺されし時も、なほ我を信ずる信仰を棄てざりき。 2:14されど我なんぢに責むべき一二の事あり、汝の中にバラムの教を保つ者どもあり、バラムはバラクに教へ、彼をしてイスラエルの子孫の前に躓物を置かしめ、偶像に献げし物を食はせ、かつ淫行をなさしめたり。 2:15斯くのごとく汝らの中にもニコライ宗の教を保つ者あり。 2:16さらば悔改めよ、然らずば我すみやかに汝に到り、わが口の劍にて彼らと戰はん。 2:17耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし、勝を得る者には我かくれたるマナを與へん、また受くる者の外たれも知らざる新しき名を録したる白き石を與へん」

2:18テアテラに在る教會の使に書きおくれ。

「目は焔のごとく、足は輝ける眞鍮の如くなる神の子かく言ふ、 2:19われ汝の行爲および汝の愛と信仰と職と忍耐とを知る、又なんぢの初の行爲よりは後の行爲の多きことを知る。 2:20されど我なんぢに責むべき所あり、汝はかの自ら預言者と稱へて我が僕を教へ惑し、淫行をなさしめ、偶像に献げし物を食はしむる女イゼベルを容れおけり。 2:21我かれに悔改むる機を與ふれど、その淫行を悔改むることを欲せず。 2:22視よ、我かれを牀に投げ入れん、又かれと共に姦淫を行ふ者も、その行爲を悔改めずば、大なる患難に投げ入れん。 2:23又かれの子供を打ち殺さん、斯くてもろもろの教會は、わが人の腎と心とを究むる者なるを知るべし、我は汝等おのおのの行爲に隨ひて報いん。 2:24我この他のテアテラの人にして未だかの教を受けず、所謂サタンの深きところを知らぬ汝らに斯くいふ、我ほかの重を汝らに負はせじ。 2:25ただ汝等はその有つところを我が到らん時まで保て。 2:26勝を得て終に至るまで我が命ぜしことを守る者には、諸國の民を治むる權威を與へん。 2:27彼は鐵の杖をもて之を治め、土の器を碎くが如くならん、我が父より我が受けたる權威のごとし。 2:28我また彼に曙の明星を與へん。 2:29耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」


第3章

3:1サルデスに在る教會の使に書きおくれ。

「神の七つの靈と七つの星とを持つ者かく言ふ、われ汝の行爲を知る、汝は生くる名あれど死にたる者なり。 3:2なんぢ目を覺し、殆ど死なんとする殘のものを堅うせよ、我なんぢの行爲のわが神の前に全からぬを見とめたり。 3:3されば汝の如何に受けしか、如何に聽きしかを思ひいで、之を守りて悔改めよ。もし目を覺さずば、盜人のごとく我きたらん、汝わが何れの時きたるかを知らざるべし。 3:4されどサルデスにて衣を汚さぬもの數名あり、彼らは白き衣を著て我とともに歩まん、斯くするに相應しき者なればなり。 3:5勝を得る者は斯くのごとく白き衣を著せられん、我その名を生命の書より消し落さず、我が父のまへと御使の前とにてその名を言ひあらはさん。 3:6耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」

3:7ヒラデルヒヤにある教會の使に書きおくれ。

「聖なるもの眞なる者、ダビデの鍵を持ちて、開けば閉づる者なく、閉づれば開く者なき者かく言ふ、 3:8われ汝の行爲を知る、視よ、我なんぢの前に開けたる門を置く、これを閉ぢ得る者なし。汝すこしの力ありて、我が言を守り、我が名を否まざりき。 3:9視よ、我サタンの會、すなはち自らユダヤ人と稱へてユダヤ人にあらず、ただ虚僞をいふ者の中より、或者をして汝の足下に來り拜せしめ、わが汝を愛せしことを知らしめん。 3:10汝わが忍耐の言を守りし故に、我なんぢを守りて、地に住む者どもを試むるために全世界に來らんとする試錬のときに免れしめん。 3:11われ速かに來らん、汝の有つものを守りて、汝の冠冕を人に奪はれざれ。 3:12われ勝を得る者を我が神の聖所の柱とせん、彼は再び外に出でざるべし、又かれの上に、わが神の名および我が神の都、すなはち天より我が神より降る新しきエルサレムの名と、我が新しき名とを書き記さん。 3:13耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」

3:14ラオデキヤに在る教會の使に書きおくれ。

「アァメンたる者、忠實なる眞なる證人、神の造り給ふものの本源たる者かく言ふ、 3:15われ汝の行爲を知る、なんぢは冷かにもあらず熱きにもあらず、我はむしろ汝が冷かならんか、熱からんかを願ふ。 3:16かく熱きにもあらず、冷かにもあらず、ただ微温きが故に、我なんぢを我が口より吐き出さん。 3:17なんぢ、我は富めり、豐なり、乏しき所なしと言ひて、己が惱める者・憐むべき者・貧しき者・盲目なる者・裸なる者たるを知らざれば、 3:18我なんぢに勸む、なんぢ我より火にて煉りたる金を買ひて富め、白き衣を買ひて身に纏ひ、なんぢの裸體の恥を露さざれ、眼藥を買ひて汝の目に塗り、見ることを得よ。 3:19凡てわが愛する者は、我これを戒め之を懲す。この故に、なんぢ勵みて悔改めよ。 3:20視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が聲を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん。 3:21勝を得る者には我とともに我が座位に坐することを許さん、我の勝を得しとき、我が父とともに其の御座に坐したるが如し。 3:22耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」』


第4章

4:1この後われ見しに、視よ、天に開けたる門あり。初に我に語るを聞きしラッパのごとき聲いふ『ここに登れ、我この後おこるべき事を汝に示さん』 4:2直ちに、われ御靈に感ぜしが、視よ、天に御座設けあり。 4:3その御座に坐したまふ者あり、その坐し給ふものの状は碧玉・赤瑪瑙のごとく、かつ御座の周圍には緑玉のごとき虹ありき。 4:4また御座のまはりに二十四の座位ありて、二十四人の長老、白き衣を纏ひ、首に金の冠冕を戴きて、その座位に坐せり。 4:5御座より數多の電光と聲と雷霆と出づ。また御座の前に燃えたる七つの燈火あり、これ神の七つの靈なり。 4:6御座のまへに水晶に似たる玻璃の海あり。御座の中央と御座の周圍とに四つの活物ありて、前も後も數々の目にて滿ちたり。 4:7第一の活物は獅子のごとく、第二の活物は牛のごとく、第三の活物は面のかたち人のごとく、第四の活物は飛ぶ鷲のごとし。 4:8この四つの活物おのおの六つの翼あり、翼の内も外も數々の目にて滿ちたり、日も夜も絶間なく言ふ、
『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
昔いまし、今いまし、のち來りたまふ
主たる全能の神』
4:9この活物ら御座に坐し、世々限りなく活きたまふ者に榮光と尊崇とを歸し、感謝する時、 4:10二十四人の長老、御座に坐したまふ者のまへに伏し、世々限りなく活きたまふ者を拜し、おのれの冠冕を御座のまへに投げ出して言ふ、
4:11『我らの主なる神よ、榮光と尊崇と能力とを
受け給ふは宜なり。汝は萬物を造りたまひ、
萬物は御意によりて存し、かつ造られたり』


第5章

5:1我また御座に坐し給ふ者の右の手に、卷物のあるを見たり、その裏表に文字あり、七つの印をもて封ぜらる。 5:2また大聲に『卷物を開きてその封印を解くに相應しき者は誰ぞ』と呼はる強き御使を見たり。 5:3然るに天にも地にも、地の下にも、卷物を開きて之を見得る者なかりき。 5:4卷物を開き、これを見るに相應しき者の見えざりしに因りて、我いたく泣きゐたりしに、 5:5長老の一人われに言ふ『泣くな、視よ、ユダの族の獅子・ダビデの萠蘗、すでに勝を得て卷物とその七つの封印とを開き得るなり』 5:6我また御座および四つの活物と長老たちとの間に、屠られたるが如き羔羊の立てるを見たり、之に七つの角と七つの目とあり、この目は全世界に遣されたる神の七つの靈なり。 5:7かれ來りて御座に坐したまふ者の右の手より卷物を受けたり。 5:8卷物を受けたるとき、四つの活物および二十四人の長老、おのおの立琴と香の滿ちたる金の鉢とをもちて、羔羊の前に平伏せり、此の香は聖徒の祈祷なり。 5:9かくて新しき歌を謳ひて言ふ
『なんぢは卷物を受け、その封印を解くに相應しきなり、汝は屠られ、その血をもて諸種の族・國語・民・國の中より人々を神のために買ひ、 5:10之を我らの神のために國民となし、祭司となし給へばなり。彼らは地の上に王となるべし』

5:11我また見しに、御座と活物と長老たちとの周圍にをる多くの御使の聲を聞けり。その數、千々萬々にして、 5:12大聲にいふ
『屠られ給ひし羔羊こそ、能力と富と知慧と、勢威と尊崇と、榮光と讃美とを受くるに相應しけれ』
5:13我また天に、地に、地の下に、海にある萬の造られたる物、また凡てその中にある物の云へるを聞けり。曰く
『願はくは御座に坐し給ふものと羔羊とに、讃美と尊崇と榮光と權力と世々限りなくあらん事を』
5:14四つの活物はアァメンと言ひ、長老たちは平伏して拜せり。

第6章

6:1羔羊その七つの封印の一つを解き給ひし時、われ見しに、四つの活物の一つが雷霆のごとき聲して『來れ』と言ふを聞けり。 6:2また見しに、視よ、白き馬あり、之に乘るもの弓を持ち、かつ冠冕を與へられ、勝ちて復勝たんとて出でゆけり。

6:3第二の封印を解き給ひたれば、第二の活物の『來れ』と言ふを聞けり。 6:4かくて赤き馬いで來り、これに乘るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大なる劍を與へられたり。

6:5第三の封印を解き給ひたれば、第三の活物の『來れ』と言ふを聞けり。われ見しに、視よ、黒き馬あり、之に乘るもの手に權衝を持てり。 6:6かくてわれ四つの活物の間より出づるごとき聲を聞けり。曰く『小麥五合は一デナリ、大麥一升五合は一デナリなり、油と葡萄酒とを害ふな』

6:7第四の封印を解き給ひたれば、第四の活物の『來れ』と言ふを聞けり。 6:8われ見しに、視よ、青ざめたる馬あり、之に乘る者の名を死といひ、陰府これに隨ふ。かれらは地の四分の一を支配し、劍と饑饉と死と地の獸とをもて人を殺すことを許されたり。

6:9第五の封印を解き給ひたれば、曾て神の言のため、又その立てし證のために殺されし者の靈魂の祭壇の下に在るを見たり。 6:10彼ら大聲に呼はりて言ふ『聖にして眞なる主よ、何時まで審かずして地に住む者に我らの血の復讐をなし給はぬか』 6:11ここにおのおの白き衣を與へられ、かつ己等のごとく殺されんとする同じ僕たる者と兄弟との數の滿つるまで、なほ暫く安んじて待つべきを言ひ聞けられたり。

6:12第六の封印を解き給ひし時、われ見しに、大なる地震ありて日は荒き毛布のごとく黒く、月は全面血の如くなり、 6:13天の星は無花果の樹の大風に搖られて、生り後の果の落つるごとく地におち、 6:14天は卷物を卷くごとく去りゆき、山と島とは悉とくその處を移されたり。 6:15地の王たち・大臣・將校・富める者・強き者・奴隷・自主の人、みな洞と山の巖間とに匿れ、 6:16山と巖とに對ひて言ふ『請ふ、我らの上に墜ちて御座に坐したまふ者の御顏より、羔羊の怒より、我らを隱せ。 6:17そは御怒の大なる日既に來ればなり。誰か立つことを得ん』


第7章

7:1この後、われ四人の御使の地の四隅に立つを見たり、彼らは地の四方の風を引止めて、地にも海にも諸種の樹にも風を吹かせざりき。 7:2また他の一人の御使の、活ける神の印を持ちて日の出づる方より登るを見たり、かれ地と海とを害ふ權を與へられたる四人の御使にむかひ、大聲に呼はりて言ふ、 7:3『われらが我らの神の僕の額に印するまでは、地をも海をも樹をも害ふな』 7:4われ印せられたる者の數を聽きしに、イスラエルの子等のもろもろの族の中にて印せられたるもの合せて十四萬四千あり。
7:5ユダの族の中にて一萬二千印せられ、
ルベンの族の中にて一萬二千、
ガドの族の中にて一萬二千、
7:6アセルの族の中にて一萬二千、
ナフタリの族の中にて一萬二千、
マナセの族の中にて一萬二千、
7:7シメオンの族の中にて一萬二千、
レビの族の中にて一萬二千、
イサカルの族の中にて一萬二千、
7:8ゼブルンの族の中にて一萬二千、
ヨセフの族の中にて一萬二千、
ベニヤミンの族の中にて一萬二千印せられたり。
7:9この後われ見しに、視よ、もろもろの國・族・民・國語の中より、誰も數へつくすこと能はぬ大なる群衆、しろき衣を纏ひて手に棕梠の葉をもち、御座と羔羊との前に立ち、 7:10大聲に呼はりて言ふ
『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』
7:11御使みな御座および長老たちと四つの活物との周圍に立ちて、御座の前に平伏し神を拜して言ふ、
7:12『アァメン、讃美・榮光・知慧・感謝・尊貴・能力・勢威、世々限りなく我らの神にあれ、アァメン』
7:13長老たちの一人われに向ひて言ふ『この白き衣を著たるは如何なる者にして何處より來りしか』 7:14我いふ『わが主よ、なんぢ知れり』かれ言ふ『かれらは大なる患難より出できたり、羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。 7:15この故に神の御座の前にありて、晝も夜もその聖所にて神に事ふ。御座に坐したまふ者は彼らの上に幕屋を張り給ふべし。 7:16彼らは重ねて飢ゑず、重ねて渇かず、日も熱も彼らを侵すことなし。 7:17御座の前にいます羔羊は、彼らを牧して生命の水の泉にみちびき、神は彼らの目より凡ての涙を拭ひ給ふべければなり』

第8章

8:1第七の封印を解き給ひたれば、凡そ半時のあひだ天靜なりき。 8:2われ神の前に立てる七人の御使を見たり、彼らは七つのラッパを與へられたり。

8:3また他の一人の御使、金の香爐を持ちきたりて祭壇の前に立ち、多くの香を與へられたり。これは凡ての聖徒の祈に加へて、御座の前なる金の香壇の上に献げんためなり。 8:4而して香の煙、御使の手より聖徒たちの祈とともに神の前に上れり。 8:5御使その香爐をとり、之に祭壇の火を盛りて地に投げたれば、數多の雷霆と聲と電光と、また地震おこれり。

8:6ここに七つのラッパをもてる七人の御使これを吹く備をなせり。

8:7第一の御使ラッパを吹きしに、血の混りたる雹と火とありて、地にふりくだり、地の三分の一燒け失せ、樹の三分の一燒け失せ、もろもろの青草燒け失せたり。

8:8第二の御使ラッパを吹きしに、火にて燃ゆる大なる山の如きもの海に投げ入れられ、海の三分の一血に變じ、 8:9海の中の造られたる生命あるものの三分の一死に、船の三分の一滅びたり。

8:10第三の御使ラッパを吹きしに、燈火のごとく燃ゆる大なる星、天より隕ちきたり、川の三分の一と水の源泉との上におちたり。 8:11この星の名は苦艾といふ。水の三分の一は苦艾となり、水の苦くなりしに因りて多くの人死にたり。

8:12第四の御使ラッパを吹きしに、日の三分の一と月の三分の一と星の三分の一と撃たれて、その三分の一は暗くなり、晝も三分の一は光なく、夜も亦おなじ。

8:13また見しに、一つの鷲の中空を飛び、大なる聲して言ふを聞けり。曰く『地に住める者どもは禍害なるかな、禍害なるかな、禍害なるかな、尚ほかに三人の御使の吹かんとするラッパの聲あるに因りてなり』


第9章

9:1第五の御使ラッパを吹きしに、われ一つの星の天より地に隕ちたるを見たり。この星は底なき坑の鍵を與へられたり。 9:2かくて底なき坑を開きたれば、大なる爐の煙のごとき煙、坑より立ちのぼり、日も空も坑の煙にて暗くなれり。 9:3煙の中より蝗地上に出でて、地の蝎のもてる力のごとき力を與へられ、 9:4地の草すべての青きもの又すべての樹を害ふことなく、ただ額に神の印なき人をのみ害ふことを命ぜられたり。 9:5されど彼らを殺すことを許されず、五月のあひだ苦しむることを許さる、その苦痛は、蝎に刺されたる苦痛のごとし。 9:6このとき人々、死を求むとも見出さず、死なんと欲すとも死は逃げ去るべし。 9:7かの蝗の形は戰爭の爲に具へたる馬のごとく、頭には金に似たる冠冕の如きものあり、顏は人の顏のごとく、 9:8之に女の頭髮のごとき頭髮あり、齒は獅子の齒のごとし。 9:9また鐵の胸當のごとき胸當あり、その翼の音は軍車の轟くごとく、多くの馬の戰鬪に馳せゆくが如し。 9:10また蝎のごとき尾ありて之に刺あり、この尾に五月のあひだ人を害ふ力あり。 9:11この蝗に王あり。底なき所の使にして、名をヘブル語にてアバドンと云ひ、ギリシヤ語にてアポルオンと云ふ。

9:12第一の禍害すぎ去れり、視よ、此の後なほ二つの禍害きたらん。

9:13第六の御使ラッパを吹きしに、神の前なる金の香壇の四つの角より聲ありて、 9:14ラッパを持てる第六の御使に『大なるユウフラテ川の邊に繋がれをる四人の御使を解放て』と言ふを聞けり。 9:15かくてその時その日その月その年に至りて、人の三分の一を殺さん爲に備へられたる四人の御使は解放たれたり。 9:16騎兵の數は二億なり、我その數を聞けり。 9:17われ幻影にてその馬と之に乘る者とを見しに、彼らは火・煙・硫黄の色したる胸當を著く。馬の頭は獅子の頭のごとくにて、その口よりは火と煙と硫黄と出づ。 9:18この三つの苦痛、すなはち其の口より出づる火と煙と硫黄とに因りて、人の三分の一殺されたり。 9:19馬の力はその口とその尾とにあり、その尾は蛇の如くにして頭あり、之をもて人を害ふなり。 9:20これらの苦痛にて殺されざりし殘の人々は、おのが手の業を悔改めずして、なほ惡鬼を拜し、見ること聞くこと歩むこと能はぬ、金・銀・銅・石・木の偶像を拜せり、 9:21又その殺人・咒術・淫行・竊盜を悔改めざりき。


第10章

10:1我また一人の強き御使の、雲を著て天より降るを見たり。その頭の上に虹あり、その顏は日の如く、その足は火の柱のごとし。 10:2その手には展きたる小き卷物をもち、右の足を海の上におき、左の足を地の上におき、 10:3獅子の吼ゆる如く大聲に呼はれり、呼はりたるとき七つの雷霆おのおの聲を出せり。 10:4七つの雷霆の語りし時、われ書き記さんとせしに、天より聲ありて『七つの雷霆の語りしことは封じて書き記すな』といふを聞けり。 10:5かくて我が見しところの海と地とに跨り立てる御使は、天にむかひて右の手を擧げ、 10:6天および其の中に在るもの、地および其の中にあるもの、海および其の中にある物を造り給ひし、世々限りなく生きたまふ者を指し、誓ひて言ふ『この後、時は延ぶることなし。 10:7第七の御使の吹かんとするラッパの聲の出づる時に至りて、神の僕なる預言者たちに示し給ひし如く、その奧義は成就せらるべし』 10:8かくて我が前に天より聞きし聲のまた我に語りて『なんぢ往きて、海と地とに跨り立てる御使の手にある展きたる卷物を取れ』と言ふを聞けり。 10:9われ御使のもとに往きて、小き卷物を我に與へんことを請ひたれば、彼いふ『これを取りて食ひ盡せ、さらば汝の腹苦くならん、然れど其の口には蜜のごとく甘からん』 10:10われ御使の手より小き卷物をとりて食ひ盡したれば、口には蜜のごとく甘かりしが、食ひし後わが腹は苦くなれり。 10:11また或物われに言ふ『なんぢ再び多くの民・國・國語・王たちに就きて預言すべし』


第11章

11:1ここにわれ杖のごとき間竿を與へられたり、かくて或者いふ『立ちて神の聖所と香壇と其處に拜する者どもとを度れ、 11:2聖所の外の庭は差措きて度るな、これは異邦人に委ねられたり、彼らは四十二个月のあひだ聖なる都を蹂躙らん。 11:3我わが二人の證人に權を與へん、彼らは荒布を著て千二百六十日のあひだ預言すべし。 11:4彼らは地の主の御前に立てる二つのオリブの樹、二つの燈臺なり。 11:5もし彼らを害はんとする者あらば、火その口より出でてその敵を焚き盡さん。もし彼らを害はんとする者あらば、必ず斯くのごとく殺さるべし。 11:6彼らは預言するあひだ雨を降らせぬやうに天を閉づる權力あり、また水を血に變らせ、思ふままに幾度にても諸種の苦難をもて地を撃つ權力あり。 11:7彼等がその證を終へんとき、底なき所より上る獸ありて之と戰鬪をなし、勝ちて之を殺さん。 11:8その屍體は大なる都の衢に遺らん。この都を譬へてソドムと云ひ、エジプトの云ふ、即ち彼らの主もまた十字架に釘けられ給ひし所なり。 11:9もろもろの民・族・國語・國のもの、三日半の間その屍體を見、かつ其の屍體を墓に葬ることを許さざるべし。 11:10地に住む者どもは彼らに就きて喜び樂しみ互に禮物を贈らん、此の二人の預言者は地に住む者を苦しめたればなり』 11:11三日半ののち生命の息、神より出でて彼らに入り、かれら足にて起ちたれば、之を見るもの大に懼れたり。 11:12天より大なる聲して『ここに昇れ』と言ふを彼ら聞きたれば、雲に乘りて天に昇れり、その敵も之を見たり、 11:13このとき大なる地震ありて、都の十分の一は倒れ、地震のために死にしもの七千人にして、遺れる者は懼をいだき天の神に榮光を歸したり。

11:14第二の禍害すぎ去れり、視よ、第三の禍害すみやかに來るなり。

11:15第七の御使ラッパを吹きしに、天に數多の大なる聲ありて
『この世の國は我らの主および其のキリストの國となれり。彼は世々限りなく王たらん』
と言ふ。 11:16かくて神の前にて座位に坐する二十四人の長老ひれふし神を拜して言ふ、
11:17『今いまし、昔います主たる全能の神よ、なんぢの大なる能力を執りて王と成り給ひしことを感謝す。 11:18諸國の民怒をいだけり、なんぢの怒も亦いたれり、死にたる者を審き、なんぢの僕なる預言者および聖徒、また小なるも大なるも汝の名を畏るる者に報賞をあたへ、地を亡す者を亡したまふ時いたれり』
11:19斯くて天にある神の聖所ひらけ、聖所のうちに契約の櫃見え、數多の電光と聲と雷霆と、また地震と大なる雹とありき。

第12章

12:1また天に大なる徴見えたり。日を著たる女ありて、其の足の下に月あり、其の頭に十二の星の冠冕あり。 12:2かれは孕りをりしが、子を産まんとして産みの苦痛と惱とのために叫べり、 12:3また天に他の徴見えたり。視よ、大なる赤き龍あり、これに七つの頭と十の角とありて、頭には七つの冠冕あり。 12:4その尾は天の星の三分の一を引きて之を地に落せり。龍は子を産まんとする女の前に立ち、産むを待ちて其の子を食ひ盡さんと構へたり。 12:5女は男子を産めり、この子は鐵の杖もて諸種の國人を治めん。かれは神の許に、その御座の下に擧げられたり。 12:6女は荒野に逃げゆけり。彼處に千二百六十日の間かれが養はるる爲に神の備へ給へる所あり。

12:7かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、 12:8勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。 12:9かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。 12:10我また天に大なる聲ありて
『われらの神の救と能力と國と神のキリストの權威とは、今すでに來れり。我らの兄弟を訴へ夜晝われらの神の前に訴ふるもの落されたり。
12:11而して兄弟たちは羔羊の血と己が證の言とによりて勝ち、死に至るまで己が生命を惜まざりき。 12:12この故に天および天に住める者よ、よろこべ、地と海とは禍害なるかな、惡魔おのが時の暫時なるを知り、大なる憤恚をいだきて汝等のもとに下りたればなり』
と云ふを聞けり。
12:13かくて龍はおのが地に落されしを見て、男子を生みし女を責めたりしが、 12:14女は荒野なる己が處に飛ぶために、大なる鷲の兩の翼を與へられたれば、其處にいたり、一年、二年、また半年のあひだ蛇のまへを離れて養はれたり。 12:15蛇はその口より水を川のごとく、女の背後に吐きて之を流さんとしたれど、 12:16地は女を助け、その口を開きて龍の口より吐きたる川を呑み盡せり。 12:17龍は女を怒りてその裔の殘れるもの、即ち神の誡命を守りイエスの證を有てる者に、戰鬪を挑まんとて出でゆき、 12:18海邊の砂の上に立てり。


第13章

13:1我また一つの獸の海より上るを見たり。之に十の角と七つの頭とあり、その角に十の冠冕あり、頭の上には神を涜す名あり。 13:2わが見し獸は豹に似て、その足は熊のごとく、その口は獅子の口のごとし。龍はこれに己が能力と己が座位と大なる權威とを與へたり。 13:3我その頭の一つ傷つけられて死ぬばかりなるを見しが、その死ぬべき傷いやされたれば、全地の者これを怪しみて獸に從へり。 13:4また龍おのが權威を獸に與へしによりて、彼ら龍を拜し、且その獸を拜して言ふ『たれか此の獸に等しき者あらん、誰か之と戰ふことを得ん』 13:5獸また大言と涜言とを語る口を與へられ、四十二个月のあひだ働く權威を與へらる。 13:6彼は口をひらきて神を涜し、又その御名とその幕屋すなはち天に住む者どもとを涜し、 13:7また聖徒に戰鬪を挑みて、之に勝つことを許され、且もろもろの族・民・國語・國を掌どる權威を與へらる。 13:8凡て地に住む者にて、其の名を屠られ給ひし羔羊の生命の書に、世の創より記されざる者は、これを拜せん。 13:9人もし耳あらば聽くべし。 13:10虜にせらるべき者は虜にせられん、劍にて殺す者はおのれも劍にて殺さるべし、聖徒たちの忍耐と信仰とは茲にあり。

13:11我また他の獸の地より上るを見たり。これに羔羊のごとき角二つありて龍のごとく語り、 13:12先の獸の凡ての權威を彼の前にて行ひ、地と地に住む者とをして死ぬべき傷の醫されたる先の獸を拜せしむ。 13:13また大なる徴をおこなひ、人々の前にて火を天より地に降らせ、 13:14かの獸の前にて行ふことを許されし徴をもて地に住む者どもを惑し、劍にうたれてなほ生ける獸の像を造ることを地に住む者どもに命じたり。 13:15而してその獸の像に息を與へて物言はしめ、且その獸の像を拜せぬ者をことごとく殺さしむる事を許され、 13:16また凡ての人をして、大小・貧富・自主・奴隷の別なく、或はその右の手、あるいは其の額に徽章を受けしむ。 13:17この徽章を有たぬ凡ての者に賣買することを得ざらしめたり。その徽章は獸の名、もしくは其の名の數字なり。 13:18智慧は茲にあり、心ある者は獸の數字を算へよ。獸の數字は人の數字にして、その數字は六百六十六なり。


第14章

14:1われ見しに、視よ、羔羊シオンの山に立ちたまふ。十四萬四千の人これと偕に居り、その額には羔羊の名および羔羊の父の名記しあり。 14:2われ天よりの聲を聞けり、多くの水の音のごとく、大なる雷霆の聲のごとし。わが聞きし此の聲は彈琴者の立琴を彈く音のごとし。 14:3かれら新しき歌を御座の前および四つの活物と長老たちとの前にて歌ふ。この歌は地より贖はれたる十四萬四千人の他は誰も學びうる者なかりき。 14:4彼らは女に汚されぬ者なり、潔き者なり、何處にまれ羔羊の往き給ふところに隨ふ。彼らは人の中より贖はれて神と羔羊とのために初穗となれり。 14:5その口に虚僞なし、彼らは瑕なき者なり。

14:6我また他の御使の中空を飛ぶを見たり。かれは地に住むもの、即ちもろもろの國・族・國語・民に宣傳へんとて、永遠の福音を携へ、 14:7大聲にて言ふ『なんぢら神を畏れ、神に榮光を歸せよ。その審判のとき既に至りたればなり。汝ら天と地と海と水の源泉とを造り給ひし者を拜せよ』

14:8ほかの第二の御使、かれに從ひて言ふ『倒れたり、倒れたり。大なるバビロン、己が淫行より出づる憤恚の葡萄酒をもろもろの國人に飮ませし者』

14:9ほかの第三の御使、かれらに從ひ大聲にて言ふ『もし獸とその像とを拜し、且その額あるいは手に徽章を受くる者あらば、 14:10必ず神の怒の酒杯に盛りたる混りなき憤恚の葡萄酒を飮み、かつ聖なる御使たち及び羔羊の前にて、火と硫黄とにて苦しめらるべし。 14:11その苦痛の煙は世々限りなく立ち昇りて、獸とその像とを拜する者、また其の名の徽章を受けし者は、夜も晝も休息を得ざらん。 14:12神の誡命とイエスを信ずる信仰とを守る聖徒の忍耐は茲にあり』

14:13我また天より聲ありて『書き記せ「今よりのち主にありて死ぬる死人は幸福なり」御靈も言ひたまふ「然り、彼等はその勞役を止めて息まん。その業これに隨ふなり」』と言ふを聞けり。

14:14また見しに、視よ、白き雲あり、その雲の上に人の子の如きもの坐して、首には金の冠冕をいただき、手には利き鎌を持ちたまふ。 14:15又ほかの御使、聖所より出で、雲のうへに坐したまふ者にむかひ、大聲に呼はりて『なんぢの鎌を入れて刈れ、地の穀物は全く熟し、既に刈り取るべき時至ればなり』と言ふ。 14:16かくて雲の上に坐したまふ者その鎌を地に入れたれば、地の穀物は刈り取られたり。

14:17又ほかの御使、天の聖所より出で、同じく利き鎌を持てり。 14:18又ほかの火を掌どる御使、祭壇より出で、利き鎌を持つ者にむかひ大聲に呼はりて『なんぢの利き鎌を入れて地の葡萄の樹の房を刈り收めよ、葡萄は既に熟したり』と言ふ。 14:19御使その鎌を地に入れて地の葡萄を刈りをさめ、神の憤恚の大なる酒槽に投げ入れたり。 14:20かくて都の外にて酒槽を踐みしに、血酒槽より流れ出でて馬の轡に達くほどになり、一千六百町に廣がれり。


第15章

15:1我また天に他の大なる怪しむべき徴を見たり。即ち七人の御使ありて最後の七つの苦難を持てり、神の憤恚は之にて全うせらるるなり。

15:2我また火の混りたる玻璃の海を見しに、獸とその像とその名の數字とに勝ちたる者ども、神の立琴を持ちて玻璃の海の邊に立てり。 15:3彼ら神の僕モーセの歌と羔羊の歌とを歌ひて言ふ
『主なる全能の神よ、なんぢの御業は大なるかな、妙なるかな、萬國の王よ、なんぢの道は義なるかな、眞なるかな。 15:4主よ、たれか汝を畏れざる、誰か御名を尊ばざる、汝のみ聖なり、諸種の國人きたりて御前に拜せん。なんぢの審判は既に現れたればなり』

15:5この後われ見しに、天にある證の幕屋の聖所ひらけて、 15:6かの七つの苦難を持てる七人の御使、きよき輝ける亞麻布を著、金の帶を胸に束ねて聖所より出づ。 15:7四つの活物の一つ、その七人の御使に、世々限りなく生きたまふ神の憤恚の滿ちたる七つの金の鉢を與へしかば、 15:8聖所は神の榮光とその權力とより出づる煙にて滿ち、七人の御使の七つの苦難の終るまでは、誰も聖所に入ること能はざりき。


第16章

16:1我また聖所より大なる聲ありて、七人の御使に『往きて神の憤恚の七つの鉢を地の上に傾けよ』と言ふを聞けり。

16:2かくて第一の者ゆきて其の鉢を地の上に傾けたれば、獸の徽章を有てる人々とその像を拜する人々との身に、惡しき苦しき腫物生じたり。

16:3第二の者その鉢を海の上に傾けたれば、海は死人の血の如くなりて、海にある生物ことごとく死にたり。

16:4第三の者その鉢をもろもろの河と、もろもろの水の源泉との上に傾けたれば、みな血となれり。 16:5われ水を掌どる御使の『いま在し昔います聖なる者よ、なんぢの斯く定め給ひしは正しき事なり。 16:6彼らは聖徒と預言者との血を流したれば、之に血を飮ませ給ひしは相應しきなり』と云へるを聞けり。 16:7我また祭壇の物言ふを聞けり『然り、主なる全能の神よ、なんぢの審判は眞なるかな、義なるかな』と。

16:8第四の者その鉢を太陽の上に傾けたれば、太陽は火をもて人を燒くことを許さる。 16:9かくて人々烈しき熱に燒かれて、此等の苦難を掌どる權威を有たちまふ神の名を涜し、かつ悔改めずして神に榮光を歸せざりき。

16:10第五の者その鉢を獸の座位の上に傾けたれば、獸の國暗くなり、その國人痛によりて己の舌を齧み、 16:11その痛と腫物とによりて天の神を涜し、かつ己が行爲を悔改めざりき。

16:12第六の者その鉢を大なる河ユウフラテの上に傾けたれば、河の水涸れたり。これ日の出づる方より來る王たちの途を備へん爲なり。 16:13我また龍の口より、獸の口より、僞預言者の口より、蛙のごとき三つの穢れし靈の出づるを見たり。 16:14これは徴をおこなふ惡鬼の靈にして、全能の神の大なる日の戰鬪のために全世界の王たちを集めんとて、その許に出でゆくなり。 16:15(視よ、われ盜人のごとく來らん、裸にて歩み羞所を見らるることなからん爲に、目を覺してその衣を守る者は幸福なり) 16:16かの三つの靈、王たちをヘブル語にてハルマゲドンと稱ふる處に集めたり。

16:17第七の者その鉢を空中に傾けたれば、聖所より御座より大なる聲いでて『事すでに成れり』と言ふ。 16:18かくて數多の電光と聲と雷霆とあり、また大なる地震おこれり、人の地の上に在りし以來かかる大なる地震なかりき。 16:19大なる都は三つに裂かれ、諸國の町々は倒れ、大なるバビロンは神の前におもひ出されて、劇しき御怒の葡萄酒を盛りたる酒杯を與へられたり。 16:20凡ての島は逃げさり、山は見えずなれり。 16:21また天より百斤ほどの大なる雹、人々の上に降りしかば、人々雹の苦難によりて神を涜せり。是その苦難甚だしく大なればなり。


第17章

17:1七つの鉢を持てる七人の御使の一人きたり、我に語りて言ふ『來れ、われ多くの水の上に坐する大淫婦の審判を汝に示さん。 17:2地の王たちは之と淫をおこなひ、地に住む者らは其の淫行の葡萄酒に醉ひたり』 17:3かくてわれ御靈に感じ、御使に携へられて荒野にゆき、緋色の獸に乘れる女を見たり、この獸の體は神を涜す名にて覆はれ、また七つの頭と十の角とあり。 17:4女は紫色と緋とを著、金・寶石・眞珠にて身を飾り、手には憎むべきものと己が淫行の汚とにて滿ちたる金の酒杯を持ち、 17:5額には記されたる名あり。曰く『奧義大なるバビロン、地の淫婦らと憎むべき者との母』 17:6我この女を見るに、聖徒の血とイエスの證人の血とに醉ひたり。我これを見て大に怪しみたれば、 17:7御使われに言ふ『なにゆゑ怪しむか、我この女と之を乘せたる七つの頭、十の角ある獸との奧義を汝に告げん。 17:8なんぢの見し獸は前に有りしも今あらず、後に底なき所より上りて滅亡に往かん、地に住む者にて世の創より其の名を生命の書に記されざる者は、獸の前にありて今あらず、後に來るを見て怪しまん。 17:9智慧の心は茲にあり。七つの頭は女の坐する七つの山なり、また七人の王なり。 17:10五人は既に倒れて一人は今あり、他の一人は未だ來らず、來らば暫時のほど止るべきなり。 17:11前にありて今あらぬ獸は第八なり、前の七人より出でたる者にして滅亡に往くなり。 17:12汝の見し十の角は十人の王にして未だ國を受けざれども、一時のあひだ獸と共に王のごとき權威を受くべし。 17:13彼らは心を一つにして己が能力と權威とを獸にあたふ。 17:14彼らは羔羊と戰はん。而して羔羊かれらに勝ち給ふべし、彼は主の主、王の王なればなり。これと偕なる召されたるもの、選ばれたるもの、忠實なる者も勝を得べし』 17:15御使また我に言ふ『なんぢの見し水、すなわち淫婦の坐する處は、もろもろの民・群衆・國・國語なり。 17:16なんぢの見し十の角と獸とは、かの淫婦を憎み、之をして荒涼ばしめ、裸ならしめ、且その肉を喰ひ、火をもて之を燒き盡さん。 17:17神は彼らに御旨を行ふことと、心を一つにすることと、神の御言の成就するまで國を獸に與ふることとを思はしめ給ひたればなり。 17:18なんぢの見し女は地の王たちを宰どる大なる都なり』


第18章

18:1この後また他の一人の御使の大なる權威を有ちて天より降るを見しに、地はその榮光によりて照されたり。 18:2かれ強き聲にて呼はりて言ふ『大なるバビロンは倒れたり、倒れたり、かつ惡魔の住家、もろもろの穢れたる靈の檻、もろもろの穢れたる憎むべき鳥の檻となれり。 18:3もろもろの國人はその淫行の憤恚の葡萄酒を飮み、地の王たちは彼と淫をおこなひ、地の商人らは彼の奢の勢力によりて富みたればなり』

18:4また天より他の聲あるを聞けり。曰く『わが民よ、かれの罪に干らず、彼の苦難を共に受けざらんため、その中を出でよ。 18:5かれの罪は積りて天にいたり、神その不義を憶え給ひたればなり。 18:6彼が爲しし如く彼に爲し、その行爲に應じ倍して之を報い、かれが酌み與へし酒杯に倍して之に酌み與へよ。 18:7かれが自ら尊びみづから奢りしと同じほどの苦難と悲歎とを之に與へよ。彼は心のうちに「われは女王の位に坐する者にして寡婦にあらず、決して悲歎を見ざるべし」と言ふ。 18:8この故に、さまざまの苦難、一日のうちに彼の身にきたらん、即ち死と悲歎と饑饉となり。彼また火にて燒き盡されん、彼を審きたまふ主なる神は強ければなり。 18:9彼と淫をおこなひ、彼とともに奢りたる地の王たちは、其の燒かるる煙を見て泣きかつ歎き、 18:10その苦難を懼れ、遙に立ちて「禍害なるかな、禍害なるかな、大なる都、堅固なる都バビロンよ、汝の審判は時の間に來れり」と言はん。 18:11地の商人かれが爲に泣き悲しまん。今より後その商品を買ふ者なければなり。 18:12その商品は金・銀・寶石・眞珠・細布・紫色・絹・緋色および各樣の香木、また象牙のさまざまの器、價貴き木、眞鍮・鐵・蝋石などの各樣の器、 18:13また肉桂・香料・香・香油・乳香・葡萄酒・オリブ油・麥粉・麥・牛・羊・馬・車・奴隷および人の靈魂なり。 18:14なんぢの靈魂の嗜みたる果物は汝を去り、すべての美味、華美なる物は亡びて汝を離れん、今より後これを見ること無かるべし。 18:15これらの物を商ひ、バビロンに由りて富を得たる商人らは、其の苦難を懼れて遙に立ち、泣き悲しみて言はん、 18:16「禍害なるかな、禍害なるかな、細布と紫色と緋とを著、金・寶石・眞珠をもて身を飾りたる大なる都、 18:17斯ばかり大なる富の時の間に荒涼ばんとは」而して凡ての船長、すべて海をわたる人々、舟子および海によりて生活を爲すもの遙かに立ち、 18:18バビロンの燒かるる煙を見て叫び「いづれの都か、この大なる都に比ぶべき」と言はん。 18:19彼等また塵をおのが首に被りて泣き悲しみ叫びて「禍害なるかな、禍害なるかな、此の大なる都、その奢によりて海に船を有てる人々の富を得たる都、かく時の間に荒涼ばんとは」と言はん。 18:20天よ、聖徒・使徒・預言者よ、この都につきて喜べ、神なんぢらの爲に之を審き給ひたればなり』

18:21ここに一人の強き御使、大なる碾臼のごとき石を擡げ海に投げて言ふ『おほいなる都バビロンは斯くのごとく烈しく撃ち倒されて、今より後見えざるべし。 18:22今よりのち立琴を彈くもの、樂を奏するもの、笛を吹く者、ラッパを鳴す者の聲なんぢの中に聞えず、今より後さまざまの細工をなす細工人なんぢの中に見えず、碾臼の音なんぢの中に聞えず、 18:23今よりのち燈火の光なんぢの中に輝かず、今よりのち新郎・新婦の聲なんぢの中に聞えざるべし。そは汝の商人は地の大臣となり、諸種の國人はなんぢの咒術に惑され、 18:24また預言者・聖徒および凡て地の上に殺されし者の血は、この都の中に見出されたればなり』


第19章

19:1この後われ天に大なる群衆の大聲のごとき者ありて、かく言ふを聞けり。曰く
『ハレルヤ、救と榮光と權力とは、我らの神のものなり。 19:2その御審は眞にして義なるなり、己が淫行をもて地を汚したる大淫婦を審き、神の僕らの血の復讐を彼になし給ひしなり』

19:3また再び言ふ『ハレルヤ、彼の燒かるる煙は世々限りなく立ち昇るなり』 19:4ここに二十四人の長老と四つの活物と平伏して御座に坐したまふ神を拜し『アァメン、ハレルヤ』と言へり。 19:5また御座より聲出でて言ふ
『すべて神の僕たるもの、神を畏るる者よ、小なるも大なるも、我らの神を讃め奉れ』
19:6われ大なる群衆の聲おほくの水の音のごとく、烈しき雷霆の聲の如きものを聞けり。曰く
『ハレルヤ全能の主、われらの神は統治らすなり。 19:7われら喜び樂しみて之に榮光を歸し奉らん。そは羔羊の婚姻の時いたり、既にその新婦みづから準備したればなり。 19:8彼は輝ける潔き細布を著ることを許されたり、此の細布は聖徒たちの正しき行爲なり』

19:9御使また我に言ふ『なんぢ書き記せ、羔羊の婚姻の宴席に招かれたる者は幸福なり』と。また我に言ふ『これ神の眞の言なり』 19:10我その足下に平伏して拜せんとしたれば、彼われに言ふ『愼みて然すな、我は汝およびイエスの證を保つ汝の兄弟とともに僕たるなり。なんぢ神を拜せよ、イエスの證は即ち預言の靈なり』

19:11我また天の開けたるを見しに、視よ、白き馬あり、之に乘りたまふ者は「忠實また眞」と稱へられ、義をもて審きかつ戰ひたまふ。 19:12彼の目は焔のごとく、その頭には多くの冠冕あり、また記せる名あり、之を知る者は彼の他になし。 19:13彼は血に染みたる衣を纏へり、その名は「神の言」と稱ふ。 19:14天に在る軍勢は白く潔き細布を著、白き馬に乘りて彼にしたがふ。 19:15彼の口より利き劍いづ、之をもて諸國の民をうち、鐵の杖をもて之を治め給はん。また自ら全能の神の烈しき怒の酒槽を踐みたまふ。 19:16その衣と股とに『王の王、主の主』と記せる名あり。

19:17我また一人の御使の太陽のなかに立てるを見たり。大聲に呼はりて、中空を飛ぶ凡ての鳥に言ふ『いざ、神の大なる宴席に集ひきたりて、 19:18王たちの肉、將校の肉、強き者の肉、馬と之に乘る者との肉、すべての自主および奴隷、小なるもの大なる者の肉を食へ』

19:19我また獸と地の王たちと彼らの軍勢とが相集りて、馬に乘りたまふ者および其の軍勢に對ひて戰鬪を挑むを見たり。 19:20かくて獸は捕へられ、又その前に不思議を行ひて獸の徽章を受けたる者と、その像を拜する者とを惑したる僞預言者も、之とともに捕へられ、二つながら生きたるまま硫黄の燃ゆる火の池に投げ入れられたり。 19:21その他の者は馬に乘りたまふ者の口より出づる劍にて殺され、凡ての鳥その肉を食ひて飽きたり。


第20章

20:1我また一人の御使の底なき所の鍵と大なる鎖とを手に持ちて、天より降るを見たり。 20:2彼は龍、すなわち惡魔たりサタンたる古き蛇を捕へて、之を千年のあひだ繋ぎおき、 20:3底なき所に投げ入れ閉ぢ込めて、その上に封印し、千年の終るまでは諸國の民を惑すことなからしむ。その後、暫時のあひだ解放さるべし。

20:4我また多くの座位を見しに、之に座する者あり、審判する權威を與へられたり。我またイエスの證および神の御言のために馘られし者の靈魂、また獸をもその像をも拜せず、己が額あるいは手にその徽章を受けざりし者どもを見たり。彼らは生きかへりて千年の間キリストと共に王となれり。 20:5(その他の死人は千年の終るまで生きかへらざりき)これは第一の復活なり。 20:6幸福なるかな、聖なるかな、第一の復活に干る人。この人々に對して第二の死は權威を有たず、彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年のあひだ王たるべし。

20:7千年終りて後サタンは其の檻より解放たれ、 20:8出でて地の四方の國の民、ゴグとマゴグとを惑し戰鬪のために之を集めん、その數は海の砂のごとし。 20:9かくて彼らは地の全面に上りて、聖徒たちの陣營と愛せられたる都とを圍みしが、天より火くだりて彼等を燒き盡し、 20:10彼らを惑したる惡魔は、火と硫黄との池に投げ入れられたり。ここは獸も僞預言者もまた居る所にして、彼らは世々限りなく晝も夜も苦しめらるべし。

20:11我また大なる白き御座および之に座し給ふものを見たり。天も地もその御顏の前を遁れて跡だに見えずなりき。 20:12我また死にたる者の大なるも小なるも御座の前に立てるを見たり。而して數々の書展かれ、他にまた一つの書ありて展かる、即ち生命の書なり、死人は此等の書に記されたる所の、その行爲に隨ひて審かれたり。 20:13海はその中にある死人を出し、死も陰府もその中にある死人を出したれば、各自その行爲に隨ひて審かれたり。 20:14かくて死も陰府も火の池に投げ入れられたり、此の火の池は第二の死なり。 20:15すべて生命の書に記されぬ者はみな火の池に投げ入れられたり。


第21章

21:1我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。 21:2我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり。 21:3また大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、 21:4かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』 21:5かくて御座に坐し給ふもの言ひたまふ『視よ、われ一切のものを新にするなり』また言ひたまふ『書き記せ、これらの言は信ずべきなり、眞なり』 21:6また我に言ひたまふ『事すでに成れり、我はアルパなり、オメガなり、始なり、終なり、渇く者には價なくして生命の水の泉より飮むことを許さん。 21:7勝を得る者は此等のものを嗣がん、我はその神となり、彼は我が子とならん。 21:8されど臆するもの、信ぜぬもの、憎むべきもの、人を殺すもの、淫行のもの、咒術をなすもの、偶像を拜する者および凡て僞る者は、火と硫黄との燃ゆる池にて其の報を受くべし、これ第二の死なり』

21:9最後の七つの苦難の滿ちたる七つの鉢を持てる七人の御使の一人きたり、我に語りて言ふ『來れ、われ羔羊の妻なる新婦を汝に見せん』 21:10御使、御靈に感じたる我を携へて大なる高き山にゆき、聖なる都エルサレムの、神の榮光をもて神の許を出でて天より降るを見せたり。 21:11その都の光輝はいと貴き玉のごとく、透徹る碧玉のごとし。 21:12此處に大なる高き石垣ありて十二の門あり、門の側らに一人づつ十二の御使あり、門の上に一つづつイスラエルの子孫の十二の族の名を記せり。 21:13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門あり。 21:14都の石垣には十二の基あり、これに羔羊の十二の使徒の十二の名を記せり。 21:15我と語る者は都と門と石垣とを測らん爲に金の間竿を持てり。 21:16都は方形にして、その長さ廣さ相均し。彼は間竿にて都を測りしに一千二百町あり、長さ廣さ高さみな相均し。 21:17また石垣を測りしに、人の度すなはち御使の度に據れば百四十四尺あり。 21:18石垣は碧玉にて築き、都は清らかなる玻璃のごとき純金にて造れり。 21:19都の石垣の基はさまざまの寶石にて飾れり。第一の基は碧玉、第二は瑠璃、第三は玉髓、第四は緑玉、 21:20第五は紅縞瑪瑙、第六は赤瑪瑙、第七は貴橄欖石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十は緑玉髓、第十一は青玉、第十二は紫水晶なり。 21:21十二の門は十二の眞珠なり、おのおのの門は一つの眞珠より成り、都の大路は透徹る玻璃のごとき純金なり。 21:22われ都の内にて宮を見ざりき、主なる全能の神および羔羊はその宮なり。 21:23都は日月の照すを要せず、神の榮光これを照し、羔羊はその燈火なり。 21:24諸國の民は都の光のなかを歩み、地の王たちは己が光榮を此處にたづさへきたる。 21:25都の門は終日閉ぢず(此處に夜あることなし) 21:26人々は諸國の民の光榮と尊貴とを此處にたづさえ來らん。 21:27凡て穢れたる者また憎むべき事と虚僞とを行ふ者は、此處に入らず、羔羊の生命の書に記されたる者のみ此處に入るなり。


第22章

22:1御使また水晶のごとく透徹れる生命の水の河を我に見せたり。この河は神と羔羊との御座より出でて都の大路の眞中を流る。 22:2河の左右に生命の樹ありて十二種の實を結び、その實は月毎に生じ、その樹の葉は諸國の民を醫すなり。 22:3今よりのち詛はるべき者は一つもなかるべし。神と羔羊との御座は都の中にあり。その僕らは之に事へ、 22:4且その御顏を見ん、その御名は彼らの額にあるべし。 22:5今よりのち夜ある事なし、燈火の光をも日の光をも要せず、主なる神かれらを照し給へばなり。彼らは世々限りなく王たるべし。

22:6彼また我に言ふ『これらの言は信ずべきなり、眞なり、預言者たちの靈魂の神たる主は、速かに起るべき事をその僕どもに示さんとて、御使を遣し給へるなり。 22:7視よ、われ速かに到らん、この書の預言の言を守る者は幸福なり』

22:8これらの事を聞き、かつ見し者は我ヨハネなり。かくて見聞せしとき我これらの事を示したる御使の足下に平伏して拜せんとせしに、 22:9かれ言ふ『つつしみて然すな、われは汝および汝の兄弟たる預言者、また此の書の言を守る者と等しく僕たるなり、なんじ神を拜せよ』

22:10また我に言ふ『この書の預言の言を封ずな、時近ければなり。 22:11不義をなす者はいよいよ不義をなし不淨なる者はいよいよ不淨をなし、義なる者はいよいよ義をおこなひ、清き者はいよいよ清くすべし。 22:12視よ、われ報をもて速かに到らん、各人の行爲に隨ひて之を與ふべし。 22:13我はアルパなり、オメガなり、最先なり、最後なり、始なり、終なり、 22:14おのが衣を洗ふ者は幸福なり、彼らは生命の樹にゆく權威を與へられ、門を通りて都に入ることを得るなり。 22:15犬および咒術をなすもの、淫行のもの、人を殺すもの、偶像を拜する者、また凡て虚僞を愛して之を行ふ者は外にあり。

22:16われイエスは我が使を遣して諸教會のために此等のことを汝らに證せり。我はダビデの萠蘗また其の裔なり、輝ける曙の明星なり』

22:17御靈も新婦もいふ『來りたまへ』聞く者も言へ『きたり給へ』と、渇く者はきたれ、望む者は價なくして生命の水を受けよ。

22:18われ凡てこの書の預言の言を聞く者に證す。もし之に加ふる者あらば、神はこの書に記されたる苦難を彼に加へ給はん。 22:19若しこの預言の書の言を省く者あらば、神はこの書に記されたる生命の樹、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。

22:20これらの事を證する者いひ給ふ『然り、われ速かに到らん』アァメン、主イエスよ、來りたまへ。

22:21願はくは主イエスの恩惠なんぢら凡ての者と偕に在らんことを。


http://bible.salterrae.net/taisho/html/revelation.html
http://bible.salterrae.net/taisho/html/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/252.html#c2

[近代史3] イングマール・ベルイマン 第七の封印 (1957年) 中川隆
3. 中川隆[-12088] koaQ7Jey 2019年2月18日 15:53:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

因みに、難解と言われるヨハネの黙示録の意味は C・G・ユングが『ヨブへの答え』で解明しています。

ヨハネの黙示録はヨハネの実際に体験した白昼夢(幻視)をそのまま正確に文章化したものなので、深層心理学の専門家でないとその意味はわからないのですね。

ヨハネの黙示録は周囲から聖者とされている禁欲者のルサンチマンを表現しているというのがユングの解釈です。

マザー・テレサが典型ですが、ずっと聖者でいる事を強いられると性格が悪くなるのですね:


C.G.ユングの『ヨブへの答え』(原書1952)は非常に面白い。
邦訳は二種類(野村美紀子訳/ヨルダン社、林道義訳/みすず書房)。

ユングは、神を「集合的無意識」として、すなわち、ある時代の民衆の心の無意識的な働きの対象として捉える。

神は物理的事実としては存在しないが、心理的事実としては、十分に実在的である。つまり、神を一種の社会心理学的対象と見るわけである。すると、「神」は決して不変の対象ではなく、歴史的に変容する心理的事実の問題になる。


そのように見た場合、『ヨブ記』は、ユダヤ−キリスト教における神概念の転換を予告する決定的な位置にある。つまり、無意識のレベルに根ざす荒々しい怒りの神であったヤハウェ神は、人間の意識が高まるにつれて、普遍的な愛の神であるキリスト教の神に変容を余儀なくされる。

その転換点を象徴するのが『ヨブ記』におけるヨブとヤハウェの対決であり、『ヨブ記』は、ヤハウェがヨブを力ずくで屈服させたように見えるけれど、実際は、ヤハウェはヨブに敗北したというのがユングの見解である。ユングは言う、「ヨブはヤハウェより道徳的に上に立った。この点では、被造物が創造主を追い越したのである」(みすず版、p68)。


「被造物が創造主を追い越す」などということが、なぜ起きたのであろうか。

ヤハウェは世界の宗教でも珍しい、「無から世界を創造した」神である。これほどの神であれば、その全能の力と知恵は絶大だと思われるかもしれないが、ユングによれば、そうではない。

「世界創造主が意識的な存在であるという素朴な仮定はゆゆしい偏見と言わざるをえない。なぜならその仮定は後に信じがたいほどの論理的な矛盾を生み出したからである。

・・・それに対して神が無意識であり無反省であると仮定すれば、神の行為を道徳的判断の対象とせず、善なる面と恐ろしい面とを矛盾とは見ない見方が可能になる」(p38)。

これはなかなか面白い指摘だ。「無からの創造」を行ったヤハウェは、我々の予想とは違って、無意識で、無反省で、知恵を欠いた神なのである。


ユングによれば、『旧約』におけるヤハウェの「予想もつかない気紛れや破壊的な怒りの発作は昔から有名であった。彼は嫉妬深い道徳の番人として知られ、・・・彼の独特の人格は古代の王にそっくりで・・・、人間の不実な心と密かな思いとを不信の目で探り出そうとする」(p18)。

たしかに疑い深いヤハウェは、サタンにヨブを「試させ」た。精神分析家としてのユングの判定によれば、

「このようなヤハウェの性格を判断すると、それは客体によってしか自分の存在感をもてない人格に相当することが分かる。主体が自己反省せず、したがって自分自身への洞察を持たないときには、客体への依存は絶対である」(p21)。

「無からの創造」を行った神は、それが取り柄だとすれば、「客体によってしか自分の存在感をもてない」神であるともいえる。

ヨブの前に現れたヤハウェは、自分が創造した客体をいちいち列挙して創造主であることを自慢することしかできなかったが、これによってヤハウェは、自分が「客体によってしか自分の存在感をもてない」人格であることを証明してしまった。


圧倒的に強い力を持つ創造主ヤハウェも、反省的意識を欠いている点で、大きな弱点をもっている。それを明らかにしたのが、弱い人間であるヨブである。

なぜ被造物ヨブが、創造主ヤハウェを追い越すことができたのか。それはヤハウェにない自己反省の意識をヨブが持つからである。

「力ある者に対して小さく弱く頼りないために、人間は、すでに示唆したように、自己反省に基づいて意識がその者よりは少しばかり鋭くなっている。つまり人間は生きていくためには、乱暴な神に対する自らの無力をつねに意識していなければならない。神の方はこうした用心を必要としない。神は自分が障害に出会うことがないからである。」(p26)


では、『ヨブ記』で「被造物に追い越された」創造主ヤハウェは、そのまま敗退したのだろうか。

そうではない。人間に追い越された神は、反省して、「人間にならなければならない」と考えた。つまり「神が人間になる」というイエスの誕生である。

ユングは、『ヨブ記』から『新約』までの数百年間に位置する、『ソロモンの箴言』『シラクの息子イエスの知恵』『エノク書』などの文書を通じて、「神の息子イエス」の先駆的形態が生まれつつあることに注目する。

「神の息子」が生まれるためには、「母」がいなくてはならない。男性神ヤハウェだけでは、「神が人間になる」ことはできない。ヤハウェに子が生まれるためには、女性性が準備されなくてはならないが、『ソロモンの箴言』に登場する「ソフィア(=知恵)」という女性名こそ、実はヤハウェの妻であるべき女性性の神話的形象であるというのが、ユングの説である。


だが、男性性が過剰であったヤハウェ神をもとにしたユダヤ―キリスト教には、実際にはヤハウェの妻が登場することはできなかった。それを代償するのが、「イエスの母である人間マリア」であるが、マリアは「聖母マリア」でもある。ユングによれば、1950年にローマ法王が出した「マリア被昇天」の教義によって、父なる神の妻がついに天上にその位置を占めたという。

『ヨブ記』に始まった神の変容は、2500年かけて完成した。

また、無意識の神ヤハウェがキリスト教の愛の神に変容したあとも、無意識そのものはなくならないので、そのような無意識における荒々しい暗黒の神が噴出したのが、『ヨハネの黙示録』であるとする。

このあたりのユング説は、あまりに面白すぎるので、慎重な吟味が必要かもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/charis/20060823



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/252.html#c3

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
109. 中川隆[-12087] koaQ7Jey 2019年2月18日 16:23:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
25年神楽峰スキー三拝 2013. 04. 08
http://snowdrop724.blog118.fc2.com/blog-entry-174.html


先週末は、4月1日から新人社会人になる次男の入社式、さらに研修1カ月の準備のため、
買い物などのお付き合いをしてしまいました。そのあと、私ごとで友人と都内散歩をしたり、
一人でお気に入りのお店を覗いたりで、水曜日まで船橋暮らしをしていました。その間も、
トレーニングを続けるために、一応、スポーツウェアも持参していたのですが、忙しくて…。

帰宅するなり、夫が「金曜日、神楽峰に行くぞ!」。土曜日は大荒れになるけど金曜は
晴天になるのだと言います。私は腰を痛めてしまい、夫一人で行って貰うことにしました。

以下は、4月5日「夫の一人BCスキー」のレポートです。

・平日だと言うのに、駐車場には200台くらいは車が到着していました。
若者が多く、華やいでいます。30年前のイメージとは、大分違います。
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・「みつまた」ゴンドラとリフトを乗り継いで、「かぐら」ゴンドラに向かいます。
一番高いのが「霧の塔」。スキー場から続いているのが、「神楽峰」です。
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・「かぐら」ゴンドラからの、「神楽峰」。ロープの少し左、最奥のピークです。
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・ゴンドラから見る、右手の山々。「雁ガ峰」から降りてくるルートは、雪崩のない尾根が良さそうです。
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・やっと、とても長いゴンドラが終わり、「和田小屋」のある終点到着。
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・かぐら第一高速リフトから、「雁ケ峰」の稜線と、間の「中尾根」を観察します。
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@「神楽峰」〜棒平〜田代分れ手前(三の沢右岸尾根)〜田代湖コース〜第5ロマンス周回
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第5ロマンスリフトは9時30分からの運行とのことで、一旦、和田小屋まで滑降します。
「おもいっきり山スキー」を目指しているので、疲れたくはないのですが、滑りまくりたいし。
歩いて登った者もいるらしく、二番にリフトに乗ったのに、ゲートにはもう5、6人いました。
シールをつけたり、登山届けを書いている脇を、「下で出してきました」とゲートを押します。

・すでに暑いくらいの陽射しですが、昨日までの荒れた天気の名残りがあります。
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・今日も、ブルーモリスのステップカット。表面の氷が邪魔をしますが、
スノーシューのボーダーは喘ぎ、すぐにシール登高者にも追いつきます。
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・天気の良さに、カメラのモニターが見えません。「谷川岳」に勘頼りで、シャッターを押しました。
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・25分くらいで「神楽峰」に着きました。横に走る白い尾根を、田代スキー場に向かって滑ります。
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・広い尾根を左手にたどると、正面には「苗場山」が、ドーンと迫力ある巨体を現します。
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・滑り出してまもなく、圧倒的な雪の大斜面。一人の寂しさをあらわす写真。
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・「カッサダム」。今は「田代湖」などと呼ぶそうですが右手の斜面にスキー場があります。
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・これから滑る、「田代分れ」への尾根。前日のシュプールが残っています。
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・前日までの天候を想像させる氷の衣が、ガシャンガシャンと崩れていきます。
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・尾根が少し右に曲がるあたりは急斜面です。左手は、のどかな春の山稜が連なります。。
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・最低コルから振り返る「棒沢」からの「神楽峰」方面。厳しさと、たおやかさ。
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・木の間越しに、リフトトップが見えますが、尾根は裏山のようです。
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・三の沢右岸尾根。地図では狭そうですが、こんなに緩やかな尾根です。
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・スキー場に合流してすぐ、案内に従って田代第6リフトで、かぐらに向かいます。
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・もう一本、短い第8リフトに乗ってから下っていくと、歓迎の標識です。
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・かぐら第4ロマンスから、「神楽峰」に続く「どこでも滑れそうな」斜面を見ていきます。
第5ロマンスに乗り継げるのかと思いきや、高度差5〜6m、距離100mくらい手前で終わって
しまい、歩きを嫌って、またもや「和田小屋」までいったん滑降して、第1高速で登り返しました。
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A「神楽峰」〜中尾根〜和田小屋〜第5ロマンスリフト周回
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「神楽峰」に「ニ拝目」です。「一拝目」が二時間弱と、予定通りだったので、今日は「三拝」
を狙にいきいます。ひとまず、「中尾根」をできるだけ短時間で滑って、最後の仕上げを一番
長い「雁ケ峰コース」とし、体力と相談して途中エスケープをする作戦で行くこととしました。


・このゲートをくぐった者は、「自己責任です」。ウェスタン調にゲートを押します。
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・ひとり先行者がいます。気温が上がって、ステップカットが益々快調です。
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・休んでいる皆さんを次々と追い越し、聞かれる度にステップカットの
自慢話をして、これ見よがしに滑って、便利さを見せつけてしまいました。
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・「田代コース」と同様、「中尾根」には誰れも入ってきません。右手は雪庇が大きく
張り出していますが、広い尾根の真ん中から左斜面をを滑れば、全く危険はありません。
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・真ん中の白い建屋は「ゴンドラ」黒い建物が「和田小屋」。重い雪にもルンルンです。
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B「神楽峰」〜霧の塔〜黒岩の平〜雁ケ峰〜ゴンドラコース周回
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「二拝目」は完璧なコースでした。「神楽峰」の少し西側ピークからは、「和田小屋」に向けて、
一直線に、ほとんど一定の傾斜のまま続いている、とても安全で、とても楽しい尾根でした。
9時30分のスターとからここまでで、約3時間ほど。「神楽峰」に13時前には戻れそうです。

・「三拝目」。これが大物です。「霧の塔」への急登のほかにも、いくつかアップダウンがあり、
距離も長い。リフトの中で食事をしながらの偵察。手前が「中尾根」奥が「これから」のコース。
このコースは、見た目で2時間超くらい。3時過ぎには下山できるように、頑張ってみましょう。
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・「神楽峰」からの稜線には、何グループかが休憩をしていますが、一気呵成に通過します。
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・「霧の塔」とのコルに滑り込みました。「中尾根西側の沢」「これから行く尾根」
「神楽峰の振り返り」と、時間があれば、ゆっくりしたいところですが、私は急ぐ。
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・雪の大斜面が広がります。「霧の塔」手前、2,000m峰への急登でなければ感激一杯なのですが。
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・急登は、大汗をかいてクリアしましたが、「霧の塔」へは行かず、ここから「黒岩平」に滑ります。
「湿原でもあるのじゃ?」と思うくらい平です。「霧の塔」からのトレール。スノーモビルの痕跡です。
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・傾斜が緩くて、雪も重くてベッタリと張り付き、軽くステップを踏みながらの滑降。
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・ゆるやかな、ゆるやかな残雪たっぷりの稜線。昔なら、雪洞で一泊のはずです。
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・「雁ケ峰」に登り出す少し手前。「霧の塔」が谷に落ちていく末端の斜面。無数のシュプールがウザイ?
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・「落書き帳」みたいな左手の光景に対して、右手は雪崩が出そうですが、自然の美しさが溢れています。
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無数のシュプールの主が、「雁ケ峰」からゲレンデを目指して滑降しています。いままで、ほとんど
「赤布」さえ無かったのに、迷いようが無いほどベタベタ括り付けてあります。ここから先、下山を
間違えた事故でも多発したのだろうか?すごく広い尾根ですが、ここまでツアーをしてきた者にとって
必要は無いだろう。と言いつつ、ついつい頼ってしまう私です。
最後の最後で「赤布」が消えてしまったときには、「最後でミスった?」と不安になってしまいました。

・ピッタリとゴンドラコースのゲレンデに飛び出すことが出来ました。
「みつまたゴンドラ」山頂エリア食堂に、2時半に到着。遅い昼飯です。
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リフトトップを9時半過ぎ、「三拝」済んでゲレンデゴールまで5時間のBCスキーでした。

「神楽峰三拝」は大成功でした。猫魔ケ岳も素晴らしいものでしたが、もうチョットスケール
を大きくしたのが、今回のルートです。私的には、ツアーのクラシカルルート「雁ケ峰」は
妻を連れて行く気にはなれません。「田代」とか「中尾根コース」が「年寄りにピッタリ」な
コースだと思います。絶対!お勧めコース!。何度でも行きたくなるコースでした。

http://snowdrop724.blog118.fc2.com/blog-entry-174.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c109

[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
23. 中川隆[-12086] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:33:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

遭難寸前! accidents in the snow mountains大雪警報でスキー場内で孤立!
【神立高原スキー場】20180126 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1KAPY_f65eo
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c23
[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
77. 中川隆[-12085] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:33:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

遭難寸前! 大雪警報でスキー場内で孤立!
【神立高原スキー場】20180126 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1KAPY_f65eo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c77

[リバイバル3] スキー場で遭難した時の対処方法 中川隆
7. 中川隆[-12084] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:34:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

遭難寸前! 大雪警報でスキー場内で孤立!
【神立高原スキー場】20180126 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1KAPY_f65eo
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/797.html#c7
[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
11. 中川隆[-12083] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:36:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

遭難寸前! 大雪警報でスキー場内で孤立!
【神立高原スキー場】20180126 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1KAPY_f65eo
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c11
[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
2. 中川隆[-12082] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:56:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
【事故調査】2019.02.02白馬乗鞍岳雪崩事故・速報
https://www.nadare.jp/news/190202hakunori-report/


2019年2月2日に白馬乗鞍岳(長野県)で発生した雪崩事故について現場状況の聞き取りを行いましたので速報としてお知らせします。
 
●事故データ●

日付: 2019年2月2日
時刻: 11時25分頃

場所: 白馬乗鞍岳

(地形図)
https://maps.gsi.go.jp/#15/36.782157/137.814285/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


概略: 
白馬乗鞍岳にて山スキーをするため登行中に雪崩を誘発、2名が巻き込まれ、共に完全埋没した。

1名はごく浅い埋没であったため、自力で脱出し、雪崩ビーコンとプローブにより、仲間の位置を特定した。

掘り出し作業にかかる頃、事故を覚知した近傍の山スキーヤー(3名)が応援に加わり、発生から25分で呼吸を確保した。埋没深は150cm。その後、近傍にいた2グループ(5名)と1名も加わり、遭難対策協議会の救助隊の到着(16時頃)まで、掘り出し後の要救助者の保温等に力を尽くした。

上空は強風が吹いており、長野県警のヘリコプターは飛来したものの搬出はできなかった。

要救助者は、その後、松本市内の病院に搬送され、大腿骨骨折等の重症であったが一命をとりとめた。

 (2/9追記)なお、山スキーのビンディングにおいて、スキーブレーキではなく、リーシュコード(流れ止め)を使用していたことが、深い埋没と怪我の誘因であることがわかった。
  
●雪崩データ●
種 類: 面発生乾雪表層雪崩(ウインドスラブ・推定)
規 模: サイズ2.5(流下距離 450m以上)
標 高: 2400m
方 位: 東
  
破断面: 幅 300m・厚み 30 – 50cm(推定)
弱 層: 不明
滑り面: 不明
  
190202_hakuba-norikura_map
図1 白馬乗鞍岳(地形図)
   赤丸=誘発点、×=埋没点、両側の赤点は走路の境界
  
190202_hakuba-norikura_site
図2 事故現場の全景
   形成間もないウインドスラブの雪崩のため、表層のデブリは風でかなり移動している
 
190202_hakuba-norikura_runout
図3 堆積区
   地上からの救助隊を待つ現場
  
=====================
特定非営利活動法人日本雪崩ネットワーク
TEL.045-430-5736
=====================
https://www.nadare.jp/news/190202hakunori-report/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c2

[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
3. 中川隆[-12081] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:57:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

日本雪崩ネットワーク
https://www.nadare.jp/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c3
[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
4. 中川隆[-12080] koaQ7Jey 2019年2月19日 08:58:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

The Fourth Phase How Travis Rice Survived a HEAVY Avalanche - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MasvoDXQe3U


巨大すぎる雪崩に飲み込まれたトラビス・ライスが語る真実 2016.12.13


世界中で話題をさらった超大作映画『THE FOURTH PHASE』より、トラビス・ライスが絶望的な巨大雪崩に飲み込まれてしまうも九死に一生を得た、衝撃のシーンが公開された。


2016年10月、同作のプレミア上映会のためにトラビスが来日した際、この雪崩について彼と話すことができた。その内容を綴るので、映像と併せてご一読いただきたい。

「あの雪崩は完全にオレの判断ミスだよ。

その日はすでに何度か判断を誤っていたこともあって、その結果が雪崩を引き起こしたと言ってもいい。

表層の積雪量を完全に甘く見ていたし、雪崩の兆候が見えてもおかしくないラインを選んでしまった。

表層はすでに不安定にも見えていたしね。

それに加え、降雪があってから24時間以内に山へ入ってしまっていた。
それは、本当に危険なことだからね。
バックカントリーとリスクは切っても切り離せない。

山が持つ真の力をオレたちは常にリスペクトしなければならない。それは日本でも同じだ。

日本は信じられない量の雪が降り、風も強い。
テレイントラップも至るところにあり、谷や沢も深く、出口も狭い。

ライディングと雪崩の危険性は常に隣り合わせなんだ。
しかし自分がスマートであれば、そして正しく向き合えば、人生最高のラインを描くこともできる。

責任感をもって山に入ることが大切なんだ」
http://backside.jp/movie-156/


▲△▽▼


雪崩に追われるスノーボーダーは逃げ切れるのか? 2018.01.10

Avalanche in the Heart of the Pyrenees ViralHog - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZAbIPnjVb2c


スノーボーダーにとってはスキー場だけでなく自然の雪山も格好の遊び場。自然の中のパウダースノーは格別だろう。

しかしそこは自然との戦い。思わぬトラブルに見舞われることもある。

こちらの動画では、なんと雪山を滑り降りている最中になんと雪崩が発生!

アクションゲームや映画のような事態。果たして逃げ切れるか!?


Avalanche in the Heart of the Pyrenees ViralHog - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZAbIPnjVb2c

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c4

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
101. 中川隆[-12079] koaQ7Jey 2019年2月19日 09:11:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

ウルトラハイエンドの世界 2019年 02月 07日
https://tubeaudio.exblog.jp/29243524/

いまは大阪。今日はFさんのお宅にお邪魔してきました。

https://tubeaudio.exblog.jp/iv/detail/?s=29243524&i=201902%2F07%2F85%2Fb0350085_16274498.jpg

このスピーカーをパッと見て直ぐ分かる方はかなりの通。YGアコースティックのSonja XV Jr。驚くなかれ価格は2,700万(ペア)だそうです(驚愕!)。

https://tubeaudio.exblog.jp/iv/detail/?s=29243524&i=201902%2F07%2F85%2Fb0350085_16274750.jpg

日本上陸は3ペア。Fさんのが初号機のようです。

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そして時々気分を変えて聴くのは、これも凄いMagico M6。

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Fさんによれば、これも日本には3ペアのみという貴重品。上のYGとMagicoあわせてちょうど5,000万…ってなんだか金銭感覚がおかしくなりそうですね。

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そのYGとMagicoを迎え撃つ今日の布陣…以前大放談でも聴かせて頂いたフェーズメーションの300BシングルMA-1500。そしてSV-8800SE/KT150です。音を聴かせて頂きましたがフェーズメーションMA-1500は瑞々しく繊細にして流麗。素晴らしい音でした。ただYGの能率が88dB/w/m(4Ω)ということで拙著にも書いた通り、パワーとしてはギリギリ。ましてやこの大空間ですので僅かに力感や厚みという部分において違う表現を狙いたいとお考えになったのは無理からぬことでしょう。そんなFさんが当社ショールームをお訪ね頂いたのはまだ最近のことでした。

ご存じの通りSV-8800SEはKT88,KT120,KT150が選択頂ける訳ですが、スピード感と豊潤さの両立したKT150がFさんには最適と判断しました。音を聴くと眼前からスピーカーが消えて音だけが空間に浮かぶイリュージョンが出来(しゅったい)。これぞオーディオのマジックです。

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フロントエンドはデジタル回りがdCS。フォノEQはフェーズメーション EA-1000。ターンテーブルはSL-1000R。そのほかハイレゾ再生用のNASや電源コンディショナーなどが整然と並んでいます。

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プリはフェーズメーションのCA-1000。Fさんの狙う音にピッタリのプリです。

そういえば本の対談でオーディオ評論家の鈴木裕さんのリスニングルームを初訪問させて頂いた時のこと。鈴木さんがこんなことを仰っていました…半導体アンプでこの音を出そうとすると恐ろしい金額になるけど真空管アンプだと選択さえ間違わければあるレベルまではパッと行っちゃうんだよね。そして良い真空管アンプはオーディオアクサセリーなどの細かい対策にも敏感に反応するんです、と。

Fさんのリスニングルームは多くのオーディオファンにとって夢のような空間でしたが、単に値段の高いものを寄せ集めた訳では決してなく、Fさんが出したい音、聴きたい音のために集められた必然の組合せのように感じました。SV-8800SEも頑張ってくれていたと思います。
https://tubeaudio.exblog.jp/29243524/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c101

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
1. 中川隆[-12078] koaQ7Jey 2019年2月19日 09:19:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

難解と言われるヨハネの黙示録の意味は C・G・ユングが『ヨブへの答え』で解明しています。

ヨブへの答え – 1988/3/11
C.G. ユング (著), 林 道義 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A8%E3%83%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AD%94%E3%81%88-C-G-%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/4622012189

ヨハネの黙示録はヨハネの実際に体験した白昼夢(幻視)をそのまま正確に文章化したものなので、深層心理学の専門家でないとその意味はわからないのですね。

ヨハネの黙示録は周囲から聖者とされている禁欲者のルサンチマンを表現しているというのがユングの解釈です。

マザー・テレサが典型ですが、ずっと聖者でいる事を強いられると性格が悪くなるのですね:


C.G.ユングの『ヨブへの答え』(原書1952)は非常に面白い。
邦訳は二種類(野村美紀子訳/ヨルダン社、林道義訳/みすず書房)。

ユングは、神を「集合的無意識」として、すなわち、ある時代の民衆の心の無意識的な働きの対象として捉える。

神は物理的事実としては存在しないが、心理的事実としては、十分に実在的である。つまり、神を一種の社会心理学的対象と見るわけである。すると、「神」は決して不変の対象ではなく、歴史的に変容する心理的事実の問題になる。


そのように見た場合、『ヨブ記』は、ユダヤ−キリスト教における神概念の転換を予告する決定的な位置にある。つまり、無意識のレベルに根ざす荒々しい怒りの神であったヤハウェ神は、人間の意識が高まるにつれて、普遍的な愛の神であるキリスト教の神に変容を余儀なくされる。

その転換点を象徴するのが『ヨブ記』におけるヨブとヤハウェの対決であり、『ヨブ記』は、ヤハウェがヨブを力ずくで屈服させたように見えるけれど、実際は、ヤハウェはヨブに敗北したというのがユングの見解である。ユングは言う、「ヨブはヤハウェより道徳的に上に立った。この点では、被造物が創造主を追い越したのである」(みすず版、p68)。


「被造物が創造主を追い越す」などということが、なぜ起きたのであろうか。

ヤハウェは世界の宗教でも珍しい、「無から世界を創造した」神である。これほどの神であれば、その全能の力と知恵は絶大だと思われるかもしれないが、ユングによれば、そうではない。

「世界創造主が意識的な存在であるという素朴な仮定はゆゆしい偏見と言わざるをえない。なぜならその仮定は後に信じがたいほどの論理的な矛盾を生み出したからである。

・・・それに対して神が無意識であり無反省であると仮定すれば、神の行為を道徳的判断の対象とせず、善なる面と恐ろしい面とを矛盾とは見ない見方が可能になる」(p38)。

これはなかなか面白い指摘だ。「無からの創造」を行ったヤハウェは、我々の予想とは違って、無意識で、無反省で、知恵を欠いた神なのである。


ユングによれば、『旧約』におけるヤハウェの「予想もつかない気紛れや破壊的な怒りの発作は昔から有名であった。彼は嫉妬深い道徳の番人として知られ、・・・彼の独特の人格は古代の王にそっくりで・・・、人間の不実な心と密かな思いとを不信の目で探り出そうとする」(p18)。

たしかに疑い深いヤハウェは、サタンにヨブを「試させ」た。精神分析家としてのユングの判定によれば、

「このようなヤハウェの性格を判断すると、それは客体によってしか自分の存在感をもてない人格に相当することが分かる。主体が自己反省せず、したがって自分自身への洞察を持たないときには、客体への依存は絶対である」(p21)。

「無からの創造」を行った神は、それが取り柄だとすれば、「客体によってしか自分の存在感をもてない」神であるともいえる。

ヨブの前に現れたヤハウェは、自分が創造した客体をいちいち列挙して創造主であることを自慢することしかできなかったが、これによってヤハウェは、自分が「客体によってしか自分の存在感をもてない」人格であることを証明してしまった。


圧倒的に強い力を持つ創造主ヤハウェも、反省的意識を欠いている点で、大きな弱点をもっている。それを明らかにしたのが、弱い人間であるヨブである。

なぜ被造物ヨブが、創造主ヤハウェを追い越すことができたのか。それはヤハウェにない自己反省の意識をヨブが持つからである。

「力ある者に対して小さく弱く頼りないために、人間は、すでに示唆したように、自己反省に基づいて意識がその者よりは少しばかり鋭くなっている。つまり人間は生きていくためには、乱暴な神に対する自らの無力をつねに意識していなければならない。神の方はこうした用心を必要としない。神は自分が障害に出会うことがないからである。」(p26)


では、『ヨブ記』で「被造物に追い越された」創造主ヤハウェは、そのまま敗退したのだろうか。

そうではない。人間に追い越された神は、反省して、「人間にならなければならない」と考えた。つまり「神が人間になる」というイエスの誕生である。

ユングは、『ヨブ記』から『新約』までの数百年間に位置する、『ソロモンの箴言』『シラクの息子イエスの知恵』『エノク書』などの文書を通じて、「神の息子イエス」の先駆的形態が生まれつつあることに注目する。

「神の息子」が生まれるためには、「母」がいなくてはならない。男性神ヤハウェだけでは、「神が人間になる」ことはできない。ヤハウェに子が生まれるためには、女性性が準備されなくてはならないが、『ソロモンの箴言』に登場する「ソフィア(=知恵)」という女性名こそ、実はヤハウェの妻であるべき女性性の神話的形象であるというのが、ユングの説である。


だが、男性性が過剰であったヤハウェ神をもとにしたユダヤ―キリスト教には、実際にはヤハウェの妻が登場することはできなかった。それを代償するのが、「イエスの母である人間マリア」であるが、マリアは「聖母マリア」でもある。ユングによれば、1950年にローマ法王が出した「マリア被昇天」の教義によって、父なる神の妻がついに天上にその位置を占めたという。

『ヨブ記』に始まった神の変容は、2500年かけて完成した。

また、無意識の神ヤハウェがキリスト教の愛の神に変容したあとも、無意識そのものはなくならないので、そのような無意識における荒々しい暗黒の神が噴出したのが、『ヨハネの黙示録』であるとする。

このあたりのユング説は、あまりに面白すぎるので、慎重な吟味が必要かもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/charis/20060823

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 宗教関係投稿リンク 中川隆
40. 2019年2月19日 09:20:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/459.html#c40
[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
68. 2019年2月19日 09:37:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
アメリカの医療費は何故常識では考えられない程高額なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/254.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c68
[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
125. 2019年2月19日 09:56:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
フェデリコ・フェリーニ 道 La Strada (1954年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/255.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c125
[近代史3] フェデリコ・フェリーニ 道 La Strada (1954年) 中川隆
1. 中川隆[-12077] koaQ7Jey 2019年2月19日 09:57:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

ヴェネチア映画祭に顔を出していたフェデリコ・フェリーニという新人監督は、「羅生門」観賞後 しばらく興奮が収まらなかった。

「ブラーヴォ! すごいものを見たぞ!」
「クロサワという日本人が作った凄い映画を この目で見たんだ!」

と 辺り構わず大声で話し続け、周囲にたしなめられた。 彼にとって 「羅生門」 の衝撃は大き過ぎたのだ。この映画祭で見た奇跡について話すとき、この純情な男の眼から涙があふれ 流れ落ちた。 その後も、イタリーフィルムの ストラミジョリ女史が日本から帰国するたび 頻繁に彼女のもとを訪れたフェリーニ青年は、質問攻めにすることがたびたびだった。

「クロサワとはどんな男? どんな顔をしてる?」

その質問は 子供のそれと変わらなかった。ストラミジョリには、そんなフェリーニが可愛らしくも思えた。 彼女は、クロサワの他作品も観たいと熱望する彼のために、1本の映画を日本から直送し、“個人上映会” を開いた。映画のタイトルを 「白痴」といった。

映画鑑賞後のフェリーニの様子は、またしても尋常ではなかった。泣きはらして充血したその目は、異様な光を帯びていた。映画は、彼にとって 「羅生門」 以上の衝撃だったのだ。

1954年、フェリーニの最初の傑作 「ラ・ストラーダ」(邦題 「道」)が公開され、世界に大きな衝撃を与えた。

「白痴」のムイシュキンは ジェルソミーナ となって、このイタリアの地に甦ったのだ。

http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01

「白痴」についてはここに纏めました :

西洋の達人が悟れない理由 _ ロシアのキリスト教
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html


一九五四年のイタリア映画。 現在、「道」について理解のタシになるような資料や文章は皆無である。せいぜい映画史関係のやたらに分厚い本の一ページ、市販ビデオ目録の半ページに、同じ人が書いたみたいな通り一遍の紹介記事が載っている程度である。

 そういった単なる紹介記事を幾つも読んでいて、どうしても納得できない部分が共通してひとつだけあった。ヒロインのジェルソミーナが「白痴に近い」とか「頭が少し弱い」などと書かれている部分である。紹介記事など読む前に十回以上は「道」を見たが、ジェルソミーナがそのように設定された人物だとは思いも寄らなかった。普通ではない気はしたが、「白痴に近い」などとは少しも思えない。どう見てもジェルソミーナはなかなか鋭いのだよ。

 例えば、主人公ザンパノの訛りを聞き分けて指摘する場面がある。「あたしとは訛りが違う」ジェルソミーナはそう言って、ザンパノの生まれ故郷を聞き出そうとするのだ。これはかなり高度な能力であろう。またこれより前、ザンパノがジェルソミーナを連れて旅回りを始めた恐らく最初の夜のこと。ジェルソミーナは努めてザンパノから離れて夜を過ごそうと苦心惨憺、心を砕く場面がある。結局ザンパノの暴行凌辱を受けることになるのだが、少なくともザンパノの凶暴性・危険性を察知して離れて居ようとするんだから、ジェルソミーナは女として普通のセンスを持っている。

さらにまた別の場面では、トマトを植えるのだ。すぐに移動する旅芸人、「何を考えているんだ」とザンパノに一蹴されて終わりになってしまう。それはそうだが、トマトを植えて増やそうという考えのどこに「白痴に近い」気配があるのか。こうした例はほかにも多々あり、総じてもてジェルソミーナが「白痴に近い」「頭が少し弱い」とはどうしても思えないのだ。

 たぶん脚本にはそんなことが書いてあるのだろう。「ジェルソミーナ 少し頭が弱い」とかなんとか、性格設定なんてぇのが書いてあるんだろう。それがそのまま宣伝文に使われたのかも知れない。日本に輸入して翻訳つけた段階で、その後の基調となるような共通した「道」理解が完成した。しかし「道」を初めて見てから六年経った今でも、ジェルソミーナが普通のセンスの持ち主だとの私の考えは変わっていない。


 先にも書いた旅芸人暮らしの最初の夜、ジェルソミーナは焚き火のそばで歌を歌う。全体のストーリー中ではさしたる意味を持たないようだが、とても印象に残る場面である。ザンパノから極力離れるように位置しつつ、火の周りでこう歌って、手足をばたばたさせるのだ。「火燃えろ、火の粉飛べ、夜ひびけ」これが即興だとしたら、素晴らしい出来ではないか。即興ではなくイタリアでは知られた古詩の一節を吟じているのならなお素晴らしい。あるいはジェルソミーナの故郷、海辺の寒村にまで知れ渡った当時の流行歌か。いずれにせよ、きわめて魅力に富んだ一節であり、こういうのを歌える者をつかまえて「白痴に近い」なんて誰が言い出したんだ。

 この吟詠の直後に、いきなり言うのである。「あさっては雨」──これは一体何のことだろう。ザンパノも面喰って「え?何?」と聞き返すほど、唐突なのだ。

 さて「あさっては雨」である。実際、その後この二人は旅の途中で雨に降り込められ、その雨夜の出来事が映画「道」の分水嶺となるのだから、「あさっては雨」といういきなりなセリフは、やがて来る将来を暗示したセリフには違いない。 そうして、まだ見つけ出してはいないが、「火燃えろ、…」にしろ「あさっては雨」にしろ、もしかしたら聖書中のどこかの詩句かも知れないのだ。

 「道」という映画が、キリスト教の聖書の詩句を引用したり、聖書の一場面をなぞらえたり、教義そのものを暗示してみせるなど、聖書世界と重層構造にあることは確かなのである。それも、密接不可分という程度のつくりではなく、重なり合う劇中劇として。この映画の類い稀れな魅力の秘密はここにあるような気がする。


 二重性。これは初めから終わりまでジェルソミーナの奇妙な表情に付いて回る。しぼんでいるかと思えばパッと華やぐ。充実してると思えばうつろに目を走らせる。そういうふうに指図された演技なのか、ジュリエッタ・マシーナという女優の特徴なのか。

 旅芸人になると決まったときの悲しくて不安げな表情のすぐあとで、「してやったり」とニンマリする。映画やビデオの紹介記事には十中十、ジェルソミーナを「純真な」「純心無垢の魂をもつ」などと書いてあるが、もっとちゃんと見てほしい。何の予備知識もなく初めてこの場面を見たとき、「コイツは相当な女だな」って思っちゃいました。この感想は正しいと、今でも考えている。

 ジェルソミーナは純真でも純心無垢でもない。汚い心の動きも自分勝手なところもちゃんとある。ジェルソミーナの心性を一言で表すなら、「順直」というのが適切であろう。この言葉はたぶん辞書にはない。ジェルソミーナのために私が作った…つもりでいる。置かれた環境に付き従い、たちどころに愉しみを見出す。

 そういうジェルソミーナの、これが順直ということだよという場面をひとつ。ザンパノを忌み嫌って逃亡を試みたジェルソミーナが、道端で一休みする場面である。実にきわどくまずい顔をしながら座ったその途端、座った所で虫穴を見つけ、ほじくり出して虫を手の甲に乗せては空に飛ばして愉しむ。その表情は解き放たれて明るい。十秒にも満たない場面だが、「自分が居るところにある」モノに順応して愉しみを見出すジェルソミーナの特徴が、よく出ていると思うのだ。

 虫を空に飛ばした直後の、これまたまずい顔ったらない。瞬時に表情が変わるのは、感情が順々に移ろっていくのではなく、感情が並存しているからであろう。この世ではやむを得ず順々に変わるけど、そうしなくて済む世なら、ジェルソミーナはきっと幾つもの顔を平然と曝して生きるに違いない。十一面観音を見よ。菩薩面三、嗔怒面三、狗牙上出面三、大笑面一、本面一。こうやって一度に生きろ、これでいいのだと、観音さまは言うのだ。決して「心にはこんなに醜いバグがある、神妙にいたせ」とつまらぬ訓戒を垂れてるわけではない。

 ジェルソミーナは家族と別れ旅芸人としての旅を始めるにあたって、土手の途上で振り向きざま「出発!」と宣言した。単純ではあるが名場面のひとつだ。このときのジェルソミーナは、まことに明るく充実した表情である。しかし直後に「ジェルソミーナ、ショールをお忘れだよ」と母親が気分ぶち壊しのひと言を言った途端、夢から醒めたようにまずい渋面に変わるのだ。瞬時に変わる。そしてショール(肩掛け)を取りにも帰らず、そのままザンパノの荷車にもぐり込んでしまう。それでいて荷車が動き出すと、家族や故郷に向かって泣きながら手を振る。いくら西洋式別れの儀式だからって、こんなに都合よくクルクル表情が変わろうか。私はついていけなかった。嬉しいんだな、悲しいんだな、感激なんだな、母親のひと言にがっかりしてるんだな、そういう時追い型の理解の仕方では、表情の唐突な変遷にはついていかれない。

 ジェルソミーナは、幾つもの感情を同時並存させて生きたのだ。そうすることでのみ、十分に生き得たのだ。恐ろしい殺人事件の立会人になるまでは。


 映画「道」のどこにもついに姿を現さない人物。それでいてこの映画の真の主役かも知れない人物。ジェルソミーナの姉ローザである。

姿を現さないのは、ジェルソミーナのドラマが始まる以前に、既に旅の途上で死んでいるからである。大道芸人ザンパノに連れて行かれたのは、実はジェルソミーナではなくローザの方だった。どんな事情かはわからないが、そのローザが死んだ。ザンパノはローザの死を知らせるとともに、ジェルソミーナを買い取るために、再び海辺の寒村にやって来たのだ。スクリーンの「道」はここから始まるが、はるか以前のローザの存在と死こそが、これがどういう映画であるかを決定づけている。

 ジェルソミーナは、ローザの身代わりとして芸人になるのだ。あとで泣きながら訴えることになるが、ジェルソミーナは歌と踊りは「少し」できるけど、そのほかは「料理も何にも」できない。母親はザンパノにこう言って売り込むしかなかった。「この子はローザとはだいぶ違う。でも気立てがいいから使いやすいよ」ローザの方が旅芸人としてはずっと素質があるというわけで、ローザが死ななければ、ジェルソミーナは生涯をこの海辺で過ごした筈なのだ。

 「道」の骨組みは単純だ。ローザは死に、その身代わりとしてジェルソミーナが選ばれ、連れて行かれる。そうしてやがて見捨てられて結局ジェルソミーナも死ぬ。さらに時を経て最後にザンパノが畏怖と悔いに号泣する。映画「道」の基本構造はただこれだけである。これだけだが、これはキリスト教の最も重要な教義になぞらえた仕組みであることは明らかである。

 キリスト教の聖書には、神が造った完全な人アダムが、まず存在する。アダムが罪を犯したために、神は完全な人を再度この世に送り込む。それがイエス・キリストである。イエスはアダムの身代わりとして、その一切の罪を背負って神への取り成しをする役割を担ったのである。アダムの身代わりとは、もちろん我々人間の身代わりということである。

 イエスはまた、最後にすべての弟子から見捨てられる。知らんふりをされ、無関係を装われる。イエスを裏切ったのはユダばかりが有名だが、ほかの弟子だって、利敵行為こそしなかったろうけれど、イエスを見捨てたことに変わりはないのだ。見捨てたことで激しく悔い、その結果まことの意味での後継者になったと言うべきである。キリスト教で「復活」は多種多様な場合に用いられる重要な言葉だが、弟子たちもまたイエスの死後、性根を入れ替えて再びイエスの名のもとに復活するのである。

 ローザの身代わりとして召し出されたジェルソミーナが、厄介者として見捨てられて死んだ後、ザンパノの悔い改めを呼び起こす。ザンパノの浄化の端緒には、ジェルソミーナの順直と狂気と死がどうしても必要だったのだ。ジェルソミーナは、あたかもイエスのアダムに対するがごとく、ローザの身代わりで召し出され、ザンパノの罪を背負って死んでいったわけである。

映画「道」を一枚の銅版画とすると、その裏面には聖書世界の最重要人物と筋書きが、このように打刻されているのである。

 姉ローザが、脚本上そもそも何故必要だったのか。仮りにローザに触れなくとも、「道」は寸分違わぬストーリーで寸分違わぬ感銘をもたらすであろう。ストーリー上では無用なのだ。それを考えれば、姉ローザはこの映画の隠れた主役だとさえ言えるのである。


 大道芸人ザンパノは、ほかの人の気持ちを考えない、むごく手荒い男のように描かれている。実際ジェルソミーナが逃げ出したのも、人の言うことに耳を傾けないザンパノに、心底嫌気がさしたからだ。 しかしザンパノはそんなに非道な人間なのだろうか。この疑問の根拠は、「ジェルソミーナのテーマ」として高名な、哀愁を帯びたメロディーにある。

 ストーリーの中でこれが最初に現れるのは、賑やかなというよりも騒々しい婚礼の場面の後だ。押しかけたか招かれたかはわからないが、農家の婚礼の場で芸を披露したり食事をご馳走になるなど、まずまず順調な旅を続けているかに見えた。その晩はそこの農具小屋か飼料小屋のような所で過ごすのだが、そこでジェルソミーナが「ターリラリラー、リーリリリリー」と、ふいに口ずさみ始めるのである。ここもまた唐突で、直前までザンパノの女癖の悪さに壁の方を向いてしくしく泣いていたのだ。ふいに振り返って「ターリラリラー」とやり始めたときは、いい表情になって、歌の世界に浸り込んでいる。
 
問題はそのアトだ。ジェルソミーナはこう言った。

「ねえ、この曲覚えてる?雨の日に歌ってた」──


この映画中、最もわからないセリフである。いったい誰が歌ってたんだ。ジェルソミーナでないことはたしかだ。死ぬまでラッパでそれを吹き続けることになるのだが、「雨の日に歌ってた」のはジェルソミーナではないはずである。ジェルソミーナは、たまたまそのメロディーを耳にして、そうしてそれが大好きになったに過ぎない。

とすると、歌っていたのはザンパノか。まさかネ。氷のように冷たく凝り固まっているザンパノが、歌を口ずさむのだろうか。順当に考えれば、ラジオが歌ってたのだろう。仕事にならない雨の日、つれづれにラジオを聞いていたら、このメロディーが流れてきた。そう見なすのが自然だ。ジェルソミーナに温かい声を掛け続ける若い綱渡り道化師が、ヴァイオリンで弾いていたのもやはりこのメロディーだった。広く流布していたのかも知れない。

しかしラジオで流れていたにせよ、ザンパノもまたそれを歌ったのであると、私としては勝手にどうしても決めつけたい気がする。

 その理由。ザンパノはジェルソミーナにせがまれて、ラッパを教えるハメになる。つまりザンパノはラッパを吹けるのである。ラッパを吹ける人間が歌を歌っても、不思議なことは何もない。いくら力まかせの鎖切り芸が売り物とはいえ、ザンパノだって辛酸を舐めたであろう大道芸人である。やれ歌を歌え、踊ってみせろ、などと不得意芸をもこなさなくては生きてこられなかったとみるのが自然ではないか。ザンパノは歌を歌えるのだ。ザンパノは歌を歌うのだ。ジェルソミーナの耳に届いた最初の「ジェルソミーナのテーマ」は、実はザンパノが歌ったものに違いない。

 のちに修道尼の前でこのメロディーを吹いたとき、吹き終わった直後に何だかとても切ない表情に変わるところがある。修道尼はそのメロディーに感激するのだが、ジェルソミーナはどうしてか、つらそうな顔を見せるのだ。この美しいメロディーを教えてくれたザンパノが、普段はどうしてあんなにむごいのか。ごろ石のように手応えが悪く、自分をはねつけるのか。「何という曲?」との修道尼の問いかけにも、「さあ」と言ったきり、それで話は続かなくなってしまったほど、ジェルソミーナは唐突に屈託を見せる。

 この修道尼が住む修道院の納屋で、その夜ジェルソミーナは自分に対するザンパノの気持ちを聞き出そうと懸命になる。すべてむなしく受け流されてしまった後、ジェルソミーナは涙を流しながらラッパを吹き始める。昼間修道尼に聞かせたあのメロディーである。

 さて、ザンパノはジェルソミーナに芸を仕込んだだけではない。知らない人の前でむやみに遠慮がちなジェルソミーナに、人前ではこのようにするのだと、それとなく教えるところがある。

ローマでサーカス一座に加わる場面。ザンパノと座長が契約のことなどを話している横で、座長の妻と思われる女性がジェルソミーナに飲み物を勧める。手の仕草で「いらない」と気持ちを表すジェルソミーナに向かって、ザンパノは「いただけ」とただひと言、ぶっきらぼうに言う。ジェルソミーナはその言葉に従って、飲み物を貰うのである。もちろんジェルソミーナは初めから飲み物が欲しかったに違いない。それをスッと言えないもどかしさを、ジェルソミーナはもっている。

 先に述べた修道院の庭でも、同じようなところがある。食事のおかわりを持ってきた修道尼に、ジェルソミーナはやはり「いらない」と意思表示をする。横からザンパノが「いただけ」と言う。それに従ってジェルソミーナはおかわりをよそってもらい、そしてそれを食べ始めるのである。

ザンパノは決して冷たいだけの男ではない。不器用ではあるが、ジェルソミーナに対して、よかれと思うしつけをしているのだ。勝手にしろと思うならば、「いただけ」などとは言わないだろう。

  他人のくれる飲み物や食べ物を、ジェルソミーナが素直に受け取らないのは、この場面だけではない。ザンパノと売春婦らしき女が自分を置いて何処かへ行ってしまった翌朝。道端に座り込んでいるジェルソミーナの脇には、気の毒に思った近所の人が運んでくれた食事が、手をつけられないままになっていた。見咎めた人に向かってジェルソミーナは何と言ったか。「いらないよっ、こんなものっ」意固地になって地べたを蹴っ飛ばしたりするんだから、これはずいぶん素直じゃあない。ザンパノと女のことを考えれば、腹が立つのは当然だが、腹が減るのも自然であろう。

ジェルソミーナは欲求に抵抗して意固地になる癖がある。欲求に全然抵抗しない苦労人ザンパノは、ジェルソミーナのそんなところを時々は軌道修正してやっていたのだ。

 ジェルソミーナのまわりにはいつも火がある。先にも書いた「火燃えろ、火の粉とべ、夜ひびけ」の場面。また、心のよりどころを示唆してくれた綱渡り道化師に応えて、小石を手にしながら「今にみんな燃やしてやる」と詩のように語り始める場面。そして泊めてもらった修道院の枕辺にともっていた小さなろうそくの炎。この炎を吹き消してからジェルソミーナの運命が暗転するのだが、ほかにも火は終始スクリーンに現れ、あるいはセリフにも現れる。

 ジェルソミーナが見捨てられた場所は、雪の廃村であった。狂気におちて旅芸どころではなくなり、それまで何日も荷車の中でうずくまっていただけのジェルソミーナが、この廃村では不思議に生気を取り戻す。映画全編の中で、ジェルソミーナの表情や仕草が気高さをみせるのは、唯一この場面だけである。

久し振りに荷車から降りたジェルソミーナの表情は、落ち着いた明るさを取り戻し、私には神々しささえ感じられた。「ここはいい所」そう言ってジェルソミーナは雪の残る静かな廃村を眺めわたすのである。そうして食事の仕度をしているザンパノの方にゆっくりと歩み寄る。今度はいったい何が起こるのか、気がかりで様子をうかがっていたザンパノだが、ジェルソミーナが落ち着いているのを見て取ると「ここで陽に当たっていろ」と、煉瓦壁の一角を指し示す。ジェルソミーナの最も美しい仕草がここから始まる。指示に従って座った後、柔らかに降り注ぐ太陽と冷たい大気を静かに受けて、頭や衣服を軽く叩くのである。それはホンの数秒の場面。何ひとつ音も声もない静謐。映画「道」のクライマックスである。

 ここでジェルソミーナとザンパノは火を囲んで食事をする。出会った最初の頃に「めしもつくれねえのか」とザンパノに罵られたジェルソミーナが、ここでは自分から味付けの調整を買って出るのだ。飯盒から掬い取ったスパゲティを味見したザンパノが「なんか足んねえな」と呟くと、陽に当たっていたジェルソミーナが「あたしがやるわ」と身を乗り出してくる。そしてジェルソミーナが二人の配膳をするのである。

ここにも、先に述べた聖書世界との重層構造がある。最後の晩餐として名高い場面である。

イエス・キリストは自分を見捨てるすべての弟子に対して、自分の手でパンと葡萄酒を配った。イエスは、ユダが裏切ると承知しており、いずれ自分が捕まればほかのすべての弟子たちも自分との関わりを否定することも承知していた。聖書にはペテロの否定場面しか描写がないが、ほかの弟子たちもペテロ同様イエスを見捨てるのである。

ジェルソミーナは正気を得た最後の機会に、間もなく自分を見捨てるザンパノに対し食事を調え渡すのだ。イエス・キリストが裏切られ見捨てられていくときに、儀式のようにひとつひとつ旧約預言を成就していったのと、明らかに重なるのである。ジェルソミーナは捨てられる予感を抱き、ひそかにその時と場所に辿り着くのを待っていた気配があるのだ。

この穏やかな風光の中で落ち着きを取り戻したジェルソミーナが、再び狂気の影を見せたのは食事のさなかであった。「また一緒にやろうな」ザンパノはこう切り出し、近くで祭りがあること、そこへ行けばまた儲けられることなどを話し出した。実際ザンパノは、狂気のジェルソミーナに手を焼きながら旅をしていたため、仕事にならなかったのである。ところがジェルソミーナの耳は途中から──また儲けられるとのセリフを聞いたあたりから──ザンパノの言葉を捉えることができなくなってしまった。 カネの話になった途端この世の言葉がわからなくなるのである。食器を置き、ジェルソミーナ最後のつぶやき、とりとめのない独吟が始まる。

 「あんたがやった」──これはザンパノが綱渡り道化師を殺したことを指している。その一部始終を目撃してから、ジェルソミーナは正気を失ってしまったのだ。

 「あの人が、あんたといるように言ったの」──あの人とは、綱渡り道化師のことである。ジェルソミーナには、手荒くむごいザンパノと手を切るチャンスが、少なくとも二度あった。そのたびにザンパノを選び直してついてきたのだ。それは、この綱渡り道化師が、からかいながらもいつしかジェルソミーナを可愛がるようになり、寄る辺ないジェルソミーナに道しるべのようなものを与えたからである。軽はずみなことを言ったりしたりする男の気まぐれな、他愛もない説諭ではあるが、この人の言葉をジェルソミーナはついに生涯守り通したのだ。

 「ここはいい所」──先程と同じ言葉。二度も繰り返すのは、ここは自分に合っている、ここが自分の場所だ、自分はこの清浄な土地に居たいということである。しかし実際には荒れ果てた廃村なのだ。何もない。エジプトからカナンの地に戻ってきたユダヤ人も、実際に目にしたのは荒れた故郷であったはずだ。

 「木をくべなきゃ、火は消える」──火である。ジェルソミーナがスクリーン上で言った最後の言葉が、火なのである。旧約聖書・箴言二十六のニ十に、「たきぎがなければ火は消え、…」という詩句が見える。旧約のこの部分を含む前後は、争いの火種がなければ争いは生じない、という趣旨で書かれてあるが、ジェルソミーナはそういうことを言いたかったわけではないだろう。生きるのにはたきぎが必要、ということだ。たきぎを言葉と言い換えてもいいだろう。心を柔らかくして人から言葉を受け、人に渡そうという気持ち。それがなければ干からびてしまう。自分を捨てていくザンパノへのはなむけに、正気から遠ざかりながらジェルソミーナはそんなことを言ってのけたのである。

 まだ元気に旅芸を続けていた頃に、ジェルソミーナはザンパノに向かってこう言ったことがある。「もっと頭を使うようになったらねっ」ここで頭と言っているのは、心のことである。心を使うようになったら結婚してもいいヨ!人をはねつけること石のようで、自分の言葉が殆ど通じないことに業を煮やしたジェルソミーナが、たった一度叩きつけた挑戦状であった。ジェルソミーナにとっていちばんの問題は、自分の発する言葉が悉くザンパノの革ジャンを擦過するだけで、傷ひとつ負わせられないことであった。スクリーンからジェルソミーナが消えた後、もう二度と火は登場しない。
http://www.interq.or.jp/aries/jeldie/kotoba/yokogakimiti.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/255.html#c1

[近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
144. 中川隆[-12076] koaQ7Jey 2019年2月19日 10:09:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年02月18日
日本の田舎は変われるか 移住者を追い出すから人口が減る


限界集落では住人自身に問題があり人が離れていくことが多い


画像引用:https://d3numabb4btu5o.cloudfront.net/assets/images/reading/posts/9594/1603bb23-f642-47ad-97d2-8b0b88446f56.jpg

移住者いじめという田舎文化

都会から田舎に移住するUターンやIターンが増えているが、問題点も明らかになった。

人口減少になやむ過疎地域ほど、移住者への反発が強く、公然といじめや村八分を行っている。

しかも「移住者募集します」とネットで公募しているような過疎地ほど、移住するといじめに遭うので始末が悪い。



住民たちは人口を増やしたいと思っているが、同時に既得権を手放す気はまったくない。

今まで人口10人だった集落に3人家族が移住してきたら13人になり、それだけ先住者の権利は失われてしまう。

町内会でもゴミ出しルールでも神社や寺の運営でも、なんでも自分たちだけで決めていたのに、ある日よそ者が来て「それはダメだ」と言い出すのが耐えられない。


こうした過疎の村は家長である数人の実力者が代表になり、その中でも力のある1人の人物が全権力を握っていることが多い。

移住者がその大ボスに従順な態度を見せないと村八分になり、受け入れられても新参者は住民の最底辺になる。

山口県周南市の「かつを事件」やその後発生したトラブルの多くは、このように発生していました。


奈良県のある山間地では町内会費を払わないという理由で電気の供給を拒否され、隣の市から電線を引いた。

他の複数の過疎地でも、町内会をめぐってトラブルがあり、ゴミ出し場を使用させないなどの村八分が発生している。

ある程度の都会では町内会に入ろうが入るまいがゴミ出しは市民の当然の権利だから、町内会費を払っていない人が多い。

田舎が変わらないと人口は減るばかり

過疎地では町内会は強制で会費を払わなかったり活動しないのは非国民のような存在になってしまう。

田舎では集団で草刈りしたり神社などの行事をしていて、都会の人はそれを見て「のどかな風景だ」と思うが多くが強制です。

消防団とかも強制だしPTAも強制、過疎地では民間サービスも行政サービスもないので、住民にボランティアを強制することでやっと村を維持している。


ところが人口が残り100人を切るような過疎の集落ほど、先住者は既得権を守るために「よそ者いじめ」に精を出すから益々人口が減ってしまう。

移住してきた人も数年で出ていき(追い出され)、子供が生まれても街に引っ越すので住民は老人だけになる。

老人だけになった集落はさらに頭が固くなり、自分たちのルールに固執しさらによそ者いじめを過激化させる。


こんな事が全国の過疎地で起きていて、名指しすると長野県や奈良県、秋田県、山梨県の山間部などが評判が悪い。

移住者を募集しておいて移住したら追い出そうとするのは、募集しているのは役所の職員で住民ではないからです。

役所の職員は移住者を騙して連れてくれば自分の成果になるが、後の面倒は一切見てくれません。


役人は募集時の説明では良いことだけを話すが、実際に移住したら移住者を放置します。

「人口減に悩む過疎の村」はまるで被害者のような言い分だが、人が出ていくような事ばかりしたから人口が減った面もある。
http://www.thutmosev.com/archives/79048819.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c144

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
512. 中川隆[-12075] koaQ7Jey 2019年2月19日 10:09:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年02月18日
日本の田舎は変われるか 移住者を追い出すから人口が減る


限界集落では住人自身に問題があり人が離れていくことが多い


画像引用:https://d3numabb4btu5o.cloudfront.net/assets/images/reading/posts/9594/1603bb23-f642-47ad-97d2-8b0b88446f56.jpg

移住者いじめという田舎文化

都会から田舎に移住するUターンやIターンが増えているが、問題点も明らかになった。

人口減少になやむ過疎地域ほど、移住者への反発が強く、公然といじめや村八分を行っている。

しかも「移住者募集します」とネットで公募しているような過疎地ほど、移住するといじめに遭うので始末が悪い。



住民たちは人口を増やしたいと思っているが、同時に既得権を手放す気はまったくない。

今まで人口10人だった集落に3人家族が移住してきたら13人になり、それだけ先住者の権利は失われてしまう。

町内会でもゴミ出しルールでも神社や寺の運営でも、なんでも自分たちだけで決めていたのに、ある日よそ者が来て「それはダメだ」と言い出すのが耐えられない。


こうした過疎の村は家長である数人の実力者が代表になり、その中でも力のある1人の人物が全権力を握っていることが多い。

移住者がその大ボスに従順な態度を見せないと村八分になり、受け入れられても新参者は住民の最底辺になる。

山口県周南市の「かつを事件」やその後発生したトラブルの多くは、このように発生していました。


奈良県のある山間地では町内会費を払わないという理由で電気の供給を拒否され、隣の市から電線を引いた。

他の複数の過疎地でも、町内会をめぐってトラブルがあり、ゴミ出し場を使用させないなどの村八分が発生している。

ある程度の都会では町内会に入ろうが入るまいがゴミ出しは市民の当然の権利だから、町内会費を払っていない人が多い。

田舎が変わらないと人口は減るばかり

過疎地では町内会は強制で会費を払わなかったり活動しないのは非国民のような存在になってしまう。

田舎では集団で草刈りしたり神社などの行事をしていて、都会の人はそれを見て「のどかな風景だ」と思うが多くが強制です。

消防団とかも強制だしPTAも強制、過疎地では民間サービスも行政サービスもないので、住民にボランティアを強制することでやっと村を維持している。


ところが人口が残り100人を切るような過疎の集落ほど、先住者は既得権を守るために「よそ者いじめ」に精を出すから益々人口が減ってしまう。

移住してきた人も数年で出ていき(追い出され)、子供が生まれても街に引っ越すので住民は老人だけになる。

老人だけになった集落はさらに頭が固くなり、自分たちのルールに固執しさらによそ者いじめを過激化させる。


こんな事が全国の過疎地で起きていて、名指しすると長野県や奈良県、秋田県、山梨県の山間部などが評判が悪い。

移住者を募集しておいて移住したら追い出そうとするのは、募集しているのは役所の職員で住民ではないからです。

役所の職員は移住者を騙して連れてくれば自分の成果になるが、後の面倒は一切見てくれません。


役人は募集時の説明では良いことだけを話すが、実際に移住したら移住者を放置します。

「人口減に悩む過疎の村」はまるで被害者のような言い分だが、人が出ていくような事ばかりしたから人口が減った面もある。
http://www.thutmosev.com/archives/79048819.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c512

[リバイバル3] チェ・ゲバラ  世界を変えようとした男 中川隆
3. 中川隆[-12074] koaQ7Jey 2019年2月19日 12:21:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「スリルに生き、スリルに死ぬ」ことを求める人はチェ・ゲバラになれる

アルゼンチンに生まれ、カストロと共にキューバ革命を成功させた筋金入りの革命家、チェ・ゲバラは幼児の頃から喘息に苦しむ少年だったが、異様なまで激しいスポーツを好む性格があった。じっとしていられない子供だった。

大学は医学部に入学したのだが、この頃にオートバイでラテンアメリカを放浪して回り、医学部を卒業してからも、再びラテンアメリカを放浪して回った。その後、メキシコでカストロ兄弟と出会うと、危険な革命に身を投じるようになり、死の危険の中でキューバ革命を成し遂げている。

ところで、こんなことを思わないだろうか。

戦場は非常に過酷な場所であり、飲み物、食べ物もゆっくりと取れず、深刻なケガをする確率も高く、神経が休まる暇もない。しかも場合によっては敵と向かい合って撃ち合い、殺したり殺されたりする。

だから、誰もこんな「仕事」に自分から就きたいと思わない。まして、ゲリラ部隊は正規軍と違って装備される武器も限界があり、死の危険はことさら大きい。もし、「ゲリラ」も職業であるとしたら、そんな仕事は誰も就きたいと思わないはずだ。

しかし、そんな「誰も就きたがらない仕事」なのに、チェ・ゲバラのように、少なからずの人間が過酷な現場に浸りきり、のめり込むのである。なぜ、そんなところに行きたいのだろうか?(鈴木傾城)


過酷で、危険で、悲惨で、極限的

チェ・ゲバラだけではない。一度、戦場に送り込まれた人間の中には、ある一定数の「戦争中毒者」が生まれるというのはよく知られている。彼らは過酷な戦場で戦うことを欲して、身体も、考え方も、常識も、すべてが「戦場」という場所に合うようにチューニングされていく。

だから、戦場から外されて平和な世界に戻っても、まったく馴染めなくて、またもや危険な戦場に戻り、それで満足する。チェ・ゲバラもそうだった。

根っからの「革命家」だったゲバラは安定した環境にはまったく関心がなく、次々と「戦場」を求めてさまよっていた。1966年にはアフリカのコンゴにいた。コンゴ動乱に参加していたのである。

1960年代は東南アジアのベトナムで共産主義者ホー・チミンが強大なアメリカを相手に戦争を続けていた。ゲバラは「二つ、三つ、さらに多くのベトナムを作れ!」と1967年4月16日、三大陸人民連帯機構から世界に向けて叫んだ。


『どこで死がやってこようと我々の戦いの雄叫びが誰かの耳に届き、我々の武器を取るために別の手が差し出され、他の人たちが立ち上がるなら、喜んで死を受け入れよう』

結局、革命を追い続けてきたチェ・ゲバラは、ボリビアで「反体制ゲリラ」として捉えられて銃殺された。39歳だった。

チェ・ゲバラは医者の免許を持っている。だから革命家にならなくても医者として平穏な人生を送ることもできた。しかし、そうしなかった。チェ・ゲバラはキューバ革命を成功させた。だからキューバでカストロと共に政権の座に座っても生きていけた。しかし、そうしなかった。

戦場は、誰が考えても、過酷で、危険で、悲惨で、極限的な場所である。そんなところに誰も行きたくないと思う。しかし、チェ・ゲバラはそうではなかった。まさにその極限(エクストリーム)を求めていたのだ。

自ら身を投じて突き進んでいく人間がいる

過酷であればあるほど、中毒のようになるケースはチェ・ゲバラのような戦場の兵士だけではない。たとえば、スポーツの世界でも、ボクシングや格闘技は誰が見ても危険なスポーツに見える。

ボクシングは、人間のもっとも重要な器官である「脳」を互いに殴り合うゲームである。顔面を殴り合い、脳にダメージを与え、相手が立てなくなるまで痛めつけるゲームだ。もちろん、自分が痛めつけるだけならばいいが、往々にして自分もまた痛めつけられる。

試合中はもちろんのこと、練習中も殴られ、叩かれ、しかもロードワークから減量まで、人間の身体をこれでもか、これでもかと痛めつける。トップに立って大金を儲けることができるプロはほんのわずかだ。

それで、こんな割の合わない野蛮なスポーツは廃れているだろうか。

いや、廃れるどころか、大勢の男たちがボクジング・ジムの門を叩いている。過酷で、危険で、悲惨で、極限的なスポーツに自ら身を投じて突き進んでいく人間がいるとは思えないが、それが「いる」のである。

彼らはまるで中毒になったかのように、過酷な世界から抜け出さない。ハマったら、抜けられない。カネのためだろうか。もちろん、カネも重要な要素であるのは間違いない。

しかし、彼らはそれだけではない「何か」を求めている。それは何か。極限的な環境だ。殺すか殺されるか。生き残れるか死ぬか。その極限(エクストリーム)こそが彼らの原動力になっている。

チェ・ゲバラと同じだ。


『戦いに行くために、快適な生活を捨てる覚悟のある者だけが、革命家の名に値する』

新奇性とスリルを求める人々

生き残れるかどうか分からないような極限(エクストリーム)の極地に立って、自分の生死をその瞬間に賭けたいという人間はいる。中東に突如として誕生した超暴力武装集団「ISIS」は、世界中からそうした志願者を集めていた。

このような人間がいることを、普通の人は理解できない。しかし、彼らは「地獄に行きたい」と叫ぶ。こうした人間を「戦争の犬」と言うのは、よく知られている。戦場で犬のように嬉々として走り回るのである。

アメリカのCIA(中央情報局)も、こうした戦争の犬を使って、途上国や戦乱国家でアメリカの正規軍が表立って動けない時に、ひとつの駒として使っているのは有名だ。途上国のクーデターや暴力デモの背景には、こうした戦争の犬が暗躍している。

極限(エクストリーム)に取り憑かれる人間は、いったい何に取り憑かれているのか。

言うまでもない。「スリル」である。

そのスリルは常に「死」と隣り合わせとなっている。テンプル大学のフランク・ファレイ教授は、危険なスポーツにのめりこみ、新奇性とスリルを求める人々をスリル(thrill)の頭文字を取って「T型人格」と定義した。

「T型人格」はスリルに大きな快楽を持つ。その快楽は危険であればあるほど強い。そのため、常に死を試すようなスリルを求める。つまり、こういうことになる。戦争中毒になった職業軍人は、戦場に「スリル=快楽」を感じている。

過酷であればあるほど、スリルが身体を痺れさせ、強烈な快楽を覚えてしまう。もうそこから離れたいとは思わないし、離れるどころか他人が止めても突き進んでいく。「危ないから行くな」と言われても、スリルの中毒になってしまっているので本人も止められない。

かくして、ボクサーはパンチドランカーになっても引退せず、ゲリラは撃たれて死ぬまで戦場を巡る。そして、最後はスリルによって散っていくのである。世の中は、一定数「T型人格」の人間が存在する。チェ・ゲバラもそうだった。ゲバラはこのようにも言っている。


『先のこと? 正直言って、自分の骨をどこに埋めることになるのかも分からない』

ゲバラの生き方を理解できるだろうか。そして、そこに心酔し、その生き方をなぞることができるだろうか。できる人とできない人がいる。できる人は間違いなく「T型人格」、すなわち「スリルに生き、スリルに死ぬ」人である。

逆の言い方をすれば、「スリルに生き、スリルに死ぬ」ことを求める人は、チェ・ゲバラになれる。(written by 鈴木傾城)

ゲバラの生き方を理解できるだろうか。そして、そこに心酔し、その生き方をなぞることができるだろうか。できる人とできない人がいる。できる人は間違いなく「T型人格」、すなわち「スリルに生き、スリルに死ぬ」人である。

https://blackasia.net/?p=11690
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/715.html#c3

[近代史02] 知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる 中川隆
26. 中川隆[-12073] koaQ7Jey 2019年2月19日 14:23:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年2月19日
焦点:豪中銀が1月円急騰を分析、フラッシュクラッシュが日本早朝の訳
https://jp.reuters.com/article/interview-taiyo-life-idJPKCN1Q80BY


[東京 18日 ロイター] - オーストラリア準備銀行(中央銀行、RBA)が今年1月の円急騰を分析し、話題になっている。グローバルな金融市場で取引が少なくなる日本時間の早朝に「フラッシュクラッシュ」が起きやすいと指摘。日本の個人投資家のポジションにも一因があるという。今年のゴールデン・ウィークは異例の10連休であり、再び急激な円高が進む可能性があると警戒されている。

<危険な時間帯は日本時間午前7─8時>

2016年の英ポンドGBP=D3や18年の南アフリカランドZAR=D3、19年の豪ドルAUD=D3など主要通貨の急変動、いわゆるフラッシュクラッシュは、いずれも日本時間の午前8時前後に発生している。

今年1月3日の円急騰も日本時間早朝の午前7時過ぎに起きた。ドル/円JPY=は、それまで推移していた108円後半から突然急伸し、数分後には電子取引のEBSで104.10円を付けるなど4円以上の円高が一気に進んだ。

RBAは今月5日に公表したリポート[here]で今年1月3日の円急騰について考えられる3つの要因を指摘した。その1つが取引量の薄さだ。外為市場は24時間取引だが、株式市場や債券市場はそうではない。各国で取引時間が決まっており、外為市場もそれに伴い取引量が増減しやすい。

NYの取引終了後、東京市場が開くまでの間、世界で開いている主な市場は、ニュージーランドのオークランドとオーストラリアのシドニーのみ。今年1月は日本が正月休みだったという特殊事情があったが、日本時間の早朝は、外為市場でも売りと買いのスプレッドが開きやすく、値が飛びやすくなることが多いという。

今回RBAが自分たちの通貨ではない円の急騰をわざわざ分析したのは、「自分たちのマーケットが開いている時間に何が起きているのかを知りたかったのだろう」(岡三オンライン証券の投資戦略部部長、武部力也氏)との見方が市場ではもっぱらだ。

<個人投資家のキャリートレード>

日本の個人投資家の動きも、1月3日早朝の円高を加速させた要因の1つとRBAは分析している。

高金利の外貨に投資するために、日本の個人投資家は円を調達通貨として、豪ドルや南アランド、トルコリラに投資するキャリートレードを行っており、そのポジションが積み上がっていたと指摘。それが当日のロスカットで一気に巻き戻され、円買い・高金利通貨売りが進んだとみている。

金融先物取引業協会によると、1月の店頭FX業者間で発生した未収金(ロスカットにより損失を出した個人からFX会社が回収できなかった資金)は9億4300万円。15年1月のスイスフラン急変時、11年3月の東日本大震災発生時に次ぐ、過去3番目の高水準となった。

今月11日の日本時間午前7時過ぎにも、特段の手掛かりがない中でスイスフランが突然急落。直後に0.99フラン後半へ値を戻す場面があった。対円でも108─109円台を乱高下した。今回はマイナス金利のスイスフランは個人にあまり人気がなく「大きな影響はなかった」(FX会社幹部)が、日本の個人投資家のポジションには、今後も注視が必要になりそうだ。

<アルゴリズム取引による流動性枯渇>

RBAが指摘する3つめの理由は、一部のアルゴリズム業者が相場急変時に取引を自動停止するよう設定しており、流動性がさらに失われたことだ。「相場急変の動きに乗る業者もいるが、反動を警戒して取引を『スイッチオフ』する業者もいる」(国内証券)という。

FX業者の未収金が膨らんだ要因はまさに、RBAの指摘と合致する。発生から1時間後には107円後半へ値を戻したため、損失を確定させなかった業者は評価上の巨額損失が「幻」となったが、金先協会の集計は一部業者がセオリー通り、速やかに損失を確定させてしまった可能性が浮かび上がる。

幸運にも損失を確定させなかったFX業者も恐怖を感じている。相場が急変して予想と逆行した際は「素早く損失を確定させるのがセオリー」(外銀幹部)だが、パニック的な薄商いの下で「売買注文がほとんど消えてしまい、眺めることしかできなかった」(あるFX業者)ためだ。

これまではフラッシュクラッシュが発生しても、薄商い下の一時的な異常値として扱われ、取引量が増えるに従って元の水準へ戻ることが多かった。しかし市場では、最近の環境変化を受けて、暴騰した円があまり戻らず、フラッシュクラッシュが超円高局面への導火線となってしまう可能性を警戒する声が上がり始めている。

景気減速懸念の高まりや米中通商摩擦の長期化、それに伴う各国金融政策のハト派転向は、主要通貨の下落圧力を強める一方、リスク回避の買いが集まりやすい円に従来以上の上昇圧力が加わる可能性を高めることになる。

トランプ米大統領は15日、中国との通商協議を60日延長する考えがあるかとの質問に「可能性はある」と述べた。現在の期限である3月1日の60日後は、日本が10連休中の真っただ中だ。日本勢が長期不在で朝方の取引が枯渇するなかでの、フラッシュクラッシュの再来を恐れる声は少なくない。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html#c26

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
110. 中川隆[-12072] koaQ7Jey 2019年2月19日 15:01:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

『神楽ヶ峰ゲート』について |かぐらスキー場|プリンススノーリゾート 2019年02月10日
http://www2.princehotels.co.jp/page.jsp?id=227020

神楽ヶ峰山域・雪山の注意事項PDF
http://www2.princehotels.co.jp/ski/kagura/files/pdf/2018yukiyamaattention.pdf


危険区域マップPDF
http://www2.princehotels.co.jp/ski/kagura/files/pdf/2018yukiyamamap.pdf


冬登山計画書(日本語)PDF
http://www2.princehotels.co.jp/ski/kagura/files/pdf/2018winter_routeplan_jpn.pdf
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c110

[昼休み54] セックスドールに中国男性は夢中 中川隆
20. 中川隆[-12071] koaQ7Jey 2019年2月19日 15:07:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

中国へ「売られる花嫁」被害相次ぐ 北朝鮮やベトナム 背景に一人っ子政策
2/19(火) 10:01配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00010003-nishinpc-int

中国と北朝鮮の国境に流れる豆満江。川が凍り付く冬は北朝鮮(奥)から歩いて中国(手前)に渡る密入国者も多い=2018年1月撮影、中国吉林省琿春市


 中国の農村部へ近隣諸国の女性が花嫁として売られる被害が相次いでいる。人身売買組織から言葉巧みに中国へ連れ出され、見知らぬ現地の男性と結婚を強いられる北朝鮮やベトナムの女性が目立つ。中国では長年続いた「一人っ子政策」の影響で男性の数が女性を大きく上回っており、深刻化する花嫁不足が人身売買を生む素地となっている。

【地図】中国に花嫁として売られた女性の逃亡ルート

 1月下旬、ソウル近郊。「ちょっと中国に出稼ぎに行こうと思っただけなのに、こんな所まで来てしまった…」。北朝鮮出身の30代女性、李さん=仮名=は独り暮らしの1DKマンションでため息を漏らした。

 北朝鮮北部の両江道で軍人の夫と長女の3人で暮らしていた。比較的余裕のある生活が暗転したのは2012年だった。中朝国境の警備に当たっていた夫が中国へ密入国した労働者に便宜を図った疑いで軍に逮捕された。「釈放するには賄賂がいると言われ、家も家具も全部売るしかなかった」。軍を辞めた夫は酒におぼれ、家計は一気に苦しくなった。

 「中国に出稼ぎに行くけど一緒に行かない?」。15年4月、友人の女性に誘われ、最初は迷った。しかし「2カ月稼いで戻ってくれば大丈夫。朝鮮族経営のレストランだから言葉も通じる」と言われ決意した。

 深夜、山間部で朝鮮族の中国人と待ち合わせし、雨が降る中、国境を流れる豆満江(中国名、図們江)を歩いて渡った。中国側に着くと「すぐに追いつくから先に行ってて」と言う友人を残し、トラックに乗り込んだ。到着したのは黒竜江省ハルビン郊外の集落。「おまえはここで結婚するんだ」。朝鮮族の男に告げられ、初めてだまされたと気付いた。泣きながら抗議したが「国境まで戻るのに7万元(約114万円)かかる。その金があるのか」「ここは中国だ。殺して埋めても誰も分からない」とすごまれた。

 その日の未明、トイレに行くふりをして逃亡を試みた。しかし、外に通じるドアを開けた途端、大きな音が鳴り、追ってきた男に連れ戻された。激しく殴られ「もう結婚するしかないと諦めた」。


「集落全体が見張っている感じだった」

 結婚相手は10歳以上年上の農家の中国人。片目を失明していた。一緒に暮らす男性の両親も朝鮮語は話せず、身ぶり手ぶりで意思疎通するしかなかった。常に監視され、1人で外出すると周辺住民から連絡を受けた夫が追いかけてきた。「集落全体が私を見張っている感じだった」

 夫からは「おまえを買うのに5万2千元払った」と告げられた。自由に遣える金はもちろん、当初は服も満足に与えられなかった。「せめて北朝鮮の家族に送金したい」と訴えても無視され、逆に逃亡を警戒して監視が厳しくなった。集落には同じようにだまされて中国人と結婚した北朝鮮の女性がいたが、自由に会うことは許されなかった。

 密入国した李さんは中国の身分証がなく、病院も受診できなかった。中国人の夫との間に生まれた女児も中国の戸籍がもらえなかった。「中国で暮らしていても私は存在しないのと同じ。将来を考えると不安でいっぱいになった」

 逃げ出すきっかけは夫の友人の結婚式だった。北朝鮮出身の女性と知り合い、通信アプリ「微信」で連絡を取り合おうと誘われた。夫に連絡用のスマートフォンが欲しいと頼んでも相手にされなかったが、子どもが生まれてもう逃げないと判断したのか、夫の母が買ってくれた。

 李さんは微信で北朝鮮出身者のグループチャットに登録。韓国への密入国を手配するブローカーと連絡を取り、脱出計画を練った。逃亡に必要な200万ウォン(約20万円)は韓国の脱北者支援団体が用意してくれた。

 昨年6月、こっそりためていた金でタクシーに乗り、遼寧省瀋陽市まで移動。ブローカーから受け取った偽の身分証で鉄道の切符を買い、約3千キロ離れた中国南部の雲南省昆明市を目指した。その後、現地のブローカーとともにトラックで国境を越え、ラオスとタイを経由して7月に韓国へたどり着いた。

 韓国政府の教育施設で過ごした後、昨年12月に独り暮らしを始めた。気掛かりなのは中国に残してきた3歳の娘だ。スマホの写真を眺めない日はない。「見ていると涙があふれてくる。迎えに行きたいけど中国に行けば捕まるかもしれない。どうしたらいいか分からない」と声を詰まらせる。「北朝鮮で食べていければ、ここまで逃げて来ることはなかった。金正恩(キムジョンウン)(朝鮮労働党委員長)のせいだ」と言葉を絞り出した。

中国へ人身売買された脱北女性の救出を続ける北朝鮮人権市民連合の金英子事務局長


「売られてきた花嫁」中国当局に保護求めることもできず

 李さんの逃亡を支援した韓国の脱北者支援団体「北朝鮮人権市民連合」の金英子(キムヨンジャ)事務局長によると、昨年1年間で中国へ人身売買された北朝鮮の女性や子ども計230人を救出した。1996年以降に救い出した脱北女性らは累計千人超に上るが、あくまでも「氷山の一角」という。

 中国当局は脱北者を見つけた場合、北朝鮮へ強制送還する措置をとっている。送還された脱北者は凄惨(せいさん)な拷問や強制労働が待っているため「売られてきた花嫁」は中国当局に保護を求めることもできず、被害は表に出づらいのが実態だ。

 中国吉林省の農村へ花嫁として売られた咸鏡北道明川(ミョンチョン)出身の崔今淑(チェクムスク)さん(44)は2003年、中国当局に捕まり、北朝鮮の収容施設に送られた。「食事はおかゆだけ。看守の機嫌が悪ければそれも与えられず、1週間水も飲ませてもらえなかった」。看守にレイプされた脱北女性が堕胎した赤ん坊の処理を手伝ったこともあるという。「売られた先の中国での生活は苦しいけど、北朝鮮に送還されるよりずっとましだ」

 それでも中国に売られる脱北女性の話を聞くと「あの頃の自分と重ねて胸が締め付けられる」。韓国で暮らす今、一人でも多くの女性が救出されるよう毎月1万ウォンを脱北者支援団体に寄付しているという。
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「一人っ子政策」背景に 男性人口が女性上回る

 「売られる花嫁」は北朝鮮出身者に限らない。中国メディアは1月下旬、河北省〓(〓は「刑」の「りっとう」部分が「おおざと」)台市の男性に売られたベトナム人女性2人が救出されたと報じた。2018年2月には中国当局がベトナムと国境を接する雲南省の集落で33人のベトナム人女性を救出、人身売買組織の78人を逮捕したと発表した。

 ベトナム国営メディアによると、同国内では2011年から17年までの約7年間に子どもも含め人身売買の被害者は6千人近くに上った。被害者の多くは貧困層で山岳地帯に住む少数民族の女性も多いとされる。他にもラオスやミャンマー、モンゴルの国境周辺に住む女性が狙われるなど被害は後を絶たない。

 背景にあるのは中国の男女数の格差だ。人口統計によると、18年末時点で男性が女性を3164万人上回った。1979年から2015年まで続いた「一人っ子政策」の影響で、女児より男児が好まれた結果だ。

 「結婚適齢期」の中国人女性は快適な生活と高所得の男性を求めて都市部に集中するため、農村部は花嫁不足が深刻化。中国人女性を花嫁に迎える準備金より近隣諸国の女性を買い求めた方が割安なこともあり、人身売買が横行している。

 こうした状況について、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部・米ニューヨーク)中国担当調査員の王松蓮さんは「中国政府も人身売買の取り締まりに力を入れているが、対応は十分ではない。脱北女性を北朝鮮に強制送還するなど保護の視点に欠けている。拷問が懸念される場合は難民として受け入れるべきだ」と指摘する。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/284.html#c20

[近代史3] 中国の お見合いは人身売買の事 中川隆
5. 中川隆[-12070] koaQ7Jey 2019年2月19日 16:41:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

中国へ「売られる花嫁」被害相次ぐ 北朝鮮やベトナム 背景に一人っ子政策
2/19(火) 10:01配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00010003-nishinpc-int

中国と北朝鮮の国境に流れる豆満江。川が凍り付く冬は北朝鮮(奥)から歩いて中国(手前)に渡る密入国者も多い=2018年1月撮影、中国吉林省琿春市


 中国の農村部へ近隣諸国の女性が花嫁として売られる被害が相次いでいる。人身売買組織から言葉巧みに中国へ連れ出され、見知らぬ現地の男性と結婚を強いられる北朝鮮やベトナムの女性が目立つ。中国では長年続いた「一人っ子政策」の影響で男性の数が女性を大きく上回っており、深刻化する花嫁不足が人身売買を生む素地となっている。

【地図】中国に花嫁として売られた女性の逃亡ルート

 1月下旬、ソウル近郊。「ちょっと中国に出稼ぎに行こうと思っただけなのに、こんな所まで来てしまった…」。北朝鮮出身の30代女性、李さん=仮名=は独り暮らしの1DKマンションでため息を漏らした。

 北朝鮮北部の両江道で軍人の夫と長女の3人で暮らしていた。比較的余裕のある生活が暗転したのは2012年だった。中朝国境の警備に当たっていた夫が中国へ密入国した労働者に便宜を図った疑いで軍に逮捕された。「釈放するには賄賂がいると言われ、家も家具も全部売るしかなかった」。軍を辞めた夫は酒におぼれ、家計は一気に苦しくなった。

 「中国に出稼ぎに行くけど一緒に行かない?」。15年4月、友人の女性に誘われ、最初は迷った。しかし「2カ月稼いで戻ってくれば大丈夫。朝鮮族経営のレストランだから言葉も通じる」と言われ決意した。

 深夜、山間部で朝鮮族の中国人と待ち合わせし、雨が降る中、国境を流れる豆満江(中国名、図們江)を歩いて渡った。中国側に着くと「すぐに追いつくから先に行ってて」と言う友人を残し、トラックに乗り込んだ。到着したのは黒竜江省ハルビン郊外の集落。「おまえはここで結婚するんだ」。朝鮮族の男に告げられ、初めてだまされたと気付いた。泣きながら抗議したが「国境まで戻るのに7万元(約114万円)かかる。その金があるのか」「ここは中国だ。殺して埋めても誰も分からない」とすごまれた。

 その日の未明、トイレに行くふりをして逃亡を試みた。しかし、外に通じるドアを開けた途端、大きな音が鳴り、追ってきた男に連れ戻された。激しく殴られ「もう結婚するしかないと諦めた」。


「集落全体が見張っている感じだった」

 結婚相手は10歳以上年上の農家の中国人。片目を失明していた。一緒に暮らす男性の両親も朝鮮語は話せず、身ぶり手ぶりで意思疎通するしかなかった。常に監視され、1人で外出すると周辺住民から連絡を受けた夫が追いかけてきた。「集落全体が私を見張っている感じだった」

 夫からは「おまえを買うのに5万2千元払った」と告げられた。自由に遣える金はもちろん、当初は服も満足に与えられなかった。「せめて北朝鮮の家族に送金したい」と訴えても無視され、逆に逃亡を警戒して監視が厳しくなった。集落には同じようにだまされて中国人と結婚した北朝鮮の女性がいたが、自由に会うことは許されなかった。

 密入国した李さんは中国の身分証がなく、病院も受診できなかった。中国人の夫との間に生まれた女児も中国の戸籍がもらえなかった。「中国で暮らしていても私は存在しないのと同じ。将来を考えると不安でいっぱいになった」

 逃げ出すきっかけは夫の友人の結婚式だった。北朝鮮出身の女性と知り合い、通信アプリ「微信」で連絡を取り合おうと誘われた。夫に連絡用のスマートフォンが欲しいと頼んでも相手にされなかったが、子どもが生まれてもう逃げないと判断したのか、夫の母が買ってくれた。

 李さんは微信で北朝鮮出身者のグループチャットに登録。韓国への密入国を手配するブローカーと連絡を取り、脱出計画を練った。逃亡に必要な200万ウォン(約20万円)は韓国の脱北者支援団体が用意してくれた。

 昨年6月、こっそりためていた金でタクシーに乗り、遼寧省瀋陽市まで移動。ブローカーから受け取った偽の身分証で鉄道の切符を買い、約3千キロ離れた中国南部の雲南省昆明市を目指した。その後、現地のブローカーとともにトラックで国境を越え、ラオスとタイを経由して7月に韓国へたどり着いた。

 韓国政府の教育施設で過ごした後、昨年12月に独り暮らしを始めた。気掛かりなのは中国に残してきた3歳の娘だ。スマホの写真を眺めない日はない。「見ていると涙があふれてくる。迎えに行きたいけど中国に行けば捕まるかもしれない。どうしたらいいか分からない」と声を詰まらせる。「北朝鮮で食べていければ、ここまで逃げて来ることはなかった。金正恩(キムジョンウン)(朝鮮労働党委員長)のせいだ」と言葉を絞り出した。

中国へ人身売買された脱北女性の救出を続ける北朝鮮人権市民連合の金英子事務局長


「売られてきた花嫁」中国当局に保護求めることもできず

 李さんの逃亡を支援した韓国の脱北者支援団体「北朝鮮人権市民連合」の金英子(キムヨンジャ)事務局長によると、昨年1年間で中国へ人身売買された北朝鮮の女性や子ども計230人を救出した。1996年以降に救い出した脱北女性らは累計千人超に上るが、あくまでも「氷山の一角」という。

 中国当局は脱北者を見つけた場合、北朝鮮へ強制送還する措置をとっている。送還された脱北者は凄惨(せいさん)な拷問や強制労働が待っているため「売られてきた花嫁」は中国当局に保護を求めることもできず、被害は表に出づらいのが実態だ。

 中国吉林省の農村へ花嫁として売られた咸鏡北道明川(ミョンチョン)出身の崔今淑(チェクムスク)さん(44)は2003年、中国当局に捕まり、北朝鮮の収容施設に送られた。「食事はおかゆだけ。看守の機嫌が悪ければそれも与えられず、1週間水も飲ませてもらえなかった」。看守にレイプされた脱北女性が堕胎した赤ん坊の処理を手伝ったこともあるという。「売られた先の中国での生活は苦しいけど、北朝鮮に送還されるよりずっとましだ」

 それでも中国に売られる脱北女性の話を聞くと「あの頃の自分と重ねて胸が締め付けられる」。韓国で暮らす今、一人でも多くの女性が救出されるよう毎月1万ウォンを脱北者支援団体に寄付しているという。
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「一人っ子政策」背景に 男性人口が女性上回る

 「売られる花嫁」は北朝鮮出身者に限らない。中国メディアは1月下旬、河北省〓(〓は「刑」の「りっとう」部分が「おおざと」)台市の男性に売られたベトナム人女性2人が救出されたと報じた。2018年2月には中国当局がベトナムと国境を接する雲南省の集落で33人のベトナム人女性を救出、人身売買組織の78人を逮捕したと発表した。

 ベトナム国営メディアによると、同国内では2011年から17年までの約7年間に子どもも含め人身売買の被害者は6千人近くに上った。被害者の多くは貧困層で山岳地帯に住む少数民族の女性も多いとされる。他にもラオスやミャンマー、モンゴルの国境周辺に住む女性が狙われるなど被害は後を絶たない。

 背景にあるのは中国の男女数の格差だ。人口統計によると、18年末時点で男性が女性を3164万人上回った。1979年から2015年まで続いた「一人っ子政策」の影響で、女児より男児が好まれた結果だ。

 「結婚適齢期」の中国人女性は快適な生活と高所得の男性を求めて都市部に集中するため、農村部は花嫁不足が深刻化。中国人女性を花嫁に迎える準備金より近隣諸国の女性を買い求めた方が割安なこともあり、人身売買が横行している。

 こうした状況について、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部・米ニューヨーク)中国担当調査員の王松蓮さんは「中国政府も人身売買の取り締まりに力を入れているが、対応は十分ではない。脱北女性を北朝鮮に強制送還するなど保護の視点に欠けている。拷問が懸念される場合は難民として受け入れるべきだ」と指摘する。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/107.html#c5

[近代史3] 中国の お見合いは人身売買の事 中川隆
6. 中川隆[-12069] koaQ7Jey 2019年2月19日 16:41:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

中国で児童婚の花嫁に、行方不明の娘を必死に捜す母親たち ベトナム 2018年12月29日
ベトナム・メオバックで、行方不明になった娘ズアさんの写真を持つブ・ティ・ディンさん(2018年10月27日撮影)。(c)Nhac NGUYEN / AFP


【12月29日 AFP】ベトナムの中国との国境地域で2月、16歳の少女ズアさんと親友のディさんの行方が分からなくなった。2人をめぐっては、児童婚の花嫁として中国に売られたのではとの懸念がささやかれている。

 ズアさんの母親のブ・ティ・ディン(Vu Thi Dinh)さんは、国境地帯で2人を捜し続けている。会う人すべてに、ズアさんとディさんが紅白のベルベットのドレスを着ている写真を見せているのだという。フォトショップ(Photoshop)で加工した写真には「Falling Into You(あなたに落ちていく)」と言う言葉が印刷されている。

 少女らは2月、中国から目と鼻の先にある国境の町メオバック(Meo Vac)へと向かい、その後の行方が分からなくなった。母親らも、2人が中国に売られてしまったのではとの考えに不安を隠せない様子だ。中国は、世界で最も花嫁の人身売買が行われている国の一つとされている。

 ディンさんはAFPの取材に「娘が電話をかけてきて、『どうか心配しないで。失踪したけど安全に暮らしている』と言ってくれるだけでいい」と涙ながらに話した。

 ベトナムにはディンさんのように、娘の行方が分からなくなっている母親が大勢いる。こうした少女の多くは中国にいると考えられているのだ。中国は一人っ子政策が長く続いたことで男女のバランスが崩れており、男性の数が女性を330万人上回っている。これは跡取りとして息子を望む人が多かった結果で、こうしたことを背景に、同国では花嫁の人身売買が横行してしまっている。

 中国との国境付近では、花嫁の人身売買は身近な話題だ。高校生らは誘拐されたいとこについて話し、夫たちは、夜の間にいなくなった妻たちについて語る。そして、母親たちは、娘に二度と会えないのではとの考えに苦しめられている。

「ズア(娘)にはバイクの後部座席に乗ったり、市場で知らない男性と会ったりしないように注意していたのに…」とディンさんは語る。また、娘が帰ってくること信じて、彼女の洋服ダンスはそのままの状態で放置してあることを明かした。

 2月に行方が分からなくなってから、ズアさんとは一切連絡が取れていない。行方不明になる数週間前に買った携帯電話に電話しても、つながらないのだという。
http://www.afpbb.com/articles/-/3203884?cx_part=top_topstory&cx_position=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/107.html#c6

[リバイバル3] 輸入肉を食べると癌になる 中川隆
9. 中川隆[-12068] koaQ7Jey 2019年2月19日 18:25:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「ハムやソーセージは体に悪い」は本当なのか
ハム1切れでがんリスクが4%高まるとも 2019/02/08
https://toyokeizai.net/articles/-/264828


ハムやソーセージなどの加工肉を頻繁に摂取すると大腸がんのリスクを高めるという。その根拠とは?(写真:monticelllo/iStock)

Q:ハムやソーセージといった加工肉は本当に体に悪いのか? 「有機」や「硝酸塩(発色剤)不使用」「無塩せき」をうたっている場合とどう違うのか?

A:豚肉や鶏肉にはタンパク質やビタミンB群、ある種のミネラルが豊富に含まれている。だが加工肉について言えば、例え少量でも摂取すると大腸がんのリスクを高める。

加工肉は乳がんリスクを高めるとの研究も

「1日に15グラムの加工肉を食べるだけで、がんのリスクは4%高まる。これはサンドイッチに入っているハム1切れに相当する」と語るのは、アメリカ国立がん研究所のナイジェル・ブロックトン研究主任だ。ちなみに2011年のレビュー論文によれば、加工肉を1日に50グラム食べた場合、大腸がんのリスクは18%高まるという。

一方、加工肉でない牛肉や羊肉について見ると、1日に100グラム以上食べない限りがんのリスクを高める心配はないし、こうした肉の摂取とがん発症の関係を示す証拠はそれほど多くないとブロックトンは言う。ちなみに同研究所では消費者に対し、牛肉や羊肉については「食べすぎない」ように、そして加工肉は「食べない」よう呼びかけている。

加工肉と胃がんの関係を示す証拠も複数見つかっているほか、 最近では女性が加工肉を多く食べると、乳がんのリスクが高まるとする研究もある。

さて、ここで言う加工肉とは、保存や風味付けを目的に塩漬けや燻製、発酵その他の方法で加工した、豚肉や鶏肉、ラム肉、ヤギ肉などさまざまな種類の肉を指す。具体的にはソーセージやハム、ベーコンにコーンビーフ、ペパロニにサラミ、燻製ターキーにボローニャソーセージ、ビーフジャーキーなどの干し肉、缶詰肉などのほか、肉を主原料にした調整品やソースも含まれる。

低脂肪や減塩をうたった製品もあるものの、こうした加工肉の多くには塩分や飽和脂肪酸が多く含まれる。

またアメリカの食肉検査官協議会によれば、加工肉にはきれいなピンクを出すことなどを目的に亜硝酸ナトリウムが添加されることや、酸味料として乳酸が添加されることが多い。

硝酸カリウムなどの硝酸塩や亜硝酸ナトリウムなどの亜硝酸塩はボツリヌス菌の成長を阻害する効果があり、いずれも人体内で発がん性物質の生成に関与しているのではと疑われている(野菜にも硝酸塩や亜硝酸塩は含まれるが、野菜を食べてもがんのリスクが上昇することはないとされている)。

「天然」や「有機」をうたう食品の中には、加工の際に硝酸鉛や亜硝酸塩を添加していないと明記している商品もあるかもしれないし、「人工保存料不使用」とか「無塩せき」といったラベルがついたものもあるかもしれない。

だが栄養の専門家によれば、食品メーカーは天然由来の硝酸塩を含む野菜の粉やジュース(例えばセロリジュースやビーツの根のジュース)を使っている可能性がある。この硝酸塩は食品内で、もしくは体内で細菌と出会って亜硝酸塩へと変化する。

食品のパッケージに「硝酸塩や亜硝酸塩は添加していません」と書かれていたとしても、その後に小さな活字で、「(海塩や野菜ジュースや)セロリジュース粉の天然由来のものを除く」と注釈がついているケースも少なくない。

「天然」だとか「有機」をうたったローストビーフやターキーブレストなどの加工肉で、海塩や濃縮サトウキビ汁、ジャガイモデンプンや天然の香料・調味料を使って加工したものも、結局は亜硝酸ナトリウムを添加した製品と同じくらい高濃度の亜硝酸塩を含んでいる可能性がある。

消費者にとってさらにわかりづらいことに、アメリカ農務省はそうした加工肉に「無塩せき」と表示するよう義務づけている。加工の工程で硝酸塩や亜硝酸塩を添加していないという意味だ。

一般の消費者にはわかりにくくなっている

「店頭で『有機』とか『天然』とか『硝酸塩や亜硝酸塩を添加していません』といった表示の加工肉を見たら、普通の人は安全な製品なのだろうと思うはずだ。実際にはそうではないのに」と、食品の安全性向上を求める団体「公益科学センター」のボニー・リーブマンは言う。

要するに、がんのリスクを減らす目的で加工肉の摂取を控えようとしている人にとって、「天然」とか「有機」とか「無塩せき」といった表示だけで安心して食べられる製品かどうかを見分けるのは難しいということだ。

公益科学センターは農務省に対し、加工肉製品について、これが「加工肉」に該当し、頻繁に摂取すると大腸がんのリスクが高まるかもしれない点を周知させるための表示の義務化を働きかけている。この請願は2016年12月に提出されたが、農務省の広報担当者によれば今も「検討中」だという。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html#c9

[番外地7] アマゾンのジェフ・ベゾスCEOの個人資産が人類史上最大になった 中川隆
7. 中川隆[-12067] koaQ7Jey 2019年2月19日 18:27:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アマゾン、2年連続税金ゼロのからくり
2/19(火) 16:56配信 ニューズウィーク日本版

巨大企業が税金を払わない現実がまた明らかに Mike Segar/REUTERS


<本来は利益のざっと半分を国と州に法人税を納めるはずが、あの手この手で実効税率はマイナス1%!>

世界最大のeコマースサイトでクラウドコンピューティング企業のアマゾン・ドットコムは、2年連続で米連邦税を1セントも払わないことがわかった。

絶対的に不平等な「税金逃れ」と「税金取り立て」の実態

アマゾンは、2018年の売上額は2392億ドル、課税対象の純利益は112億ドルだったと発表した。2017年の56億ドルと比べてざっと2倍の儲けだ。

これほど巨額の利益を上げておきながら、連邦税をまったく払わずに済むのは、税法上の抜け穴を巧みに利用しているからだ。加えて、トランプ米大統領が2017年に成立させた税制改革法(TCJA)による巨額減税の恩恵も受けている。税制・経済政策研究所(ITEP)の報告書によると、トランプ減税のおかげで、アマゾンが2018年に支払うべき連邦法人税率は35%から21%に下がった。

アマゾンは2017年度も、56億ドルの利益を上げながら払った税金はゼロだった。

ITEPの連邦税政策部門ディレクター、スティーブ・ワムホフは、「アマゾンがどんな手を使っているのか、正確に知ることは難しい」と述べた。

「アマゾンは税務戦略を公表していないので、どのような抜け穴を利用しているのかはわからない。同社は漠然と税控除を利用したと言っているだけだ。トランプ減税で拡充された事業用固定資産の即時償却など、企業が取り得る方策はいくらでも考えられる」

ITEPの説明によると、トランプ減税によって、法定法人税の税率は35%から21%へと大幅に引き下げられた。法人税率が下がったことに加え、トランプ減税には「おびただしい数の抜け道がある。それによって、利益のほぼ半分に課税される連邦と州の法人税を、当たり前のように回避している」と、ITEPのシニアフェロー、マシュー・ガードナーは指摘する。
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税還付も2年連続

アマゾンは2011年から2016年まで、11%を超える税率で連邦法人税を払ってきたが、トランプ減税に乗じることで、その税率が今年はマイナス1%になる。それに税控除などを加えた結果、アマゾンは1億2900万ドルもの還付金を連邦政府から受け取るというから呆れる。昨年の還付金はさらに多く1億3700万ドルだった。

IT調査会社のガードナーによると、アマゾンの税逃れをさらに助けているのは、従業員の持ち株と幹部に与えたストックオプションだ。その総額を控除することができる。

アマゾン創業者で最高経営責任者(CEO)のジェフ・ベゾスは、推定1362憶ドルの資産を持つ、世界一裕福な人間であることは言うまでもない。


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/310.html#c7

[リバイバル3] 中川隆 _ 売国政治家・御用学者 関係投稿リンク 中川隆
48. 中川隆[-12066] koaQ7Jey 2019年2月20日 09:50:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
日銀副総裁を止めてやっと真実を言える様になった岩田規久男
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/258.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/461.html#c48
[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
126. 2019年2月20日 09:53:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

パゾリーニ 王女メディア (1969年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/257.html


フェデリコ・フェリーニ 世にも怪奇な物語 第3話「悪魔の首飾り」 (1968年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/256.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c126

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
2. 中川隆[-12065] koaQ7Jey 2019年2月20日 11:43:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

ドストエーフスキイ全作品を読む会 『読書会通信』No.164(2017)
チホンvsスタヴローギン 二つの疑問 下原 康子
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/akuryoumeta.html


ドストエフスキーの『悪霊』(1871)の「スタヴローギンの告白−チホンのもとで」の章はそれこそ様々な議論の的になっているが、ここでは、チホンとスタヴローギンの会話の中で、私自身、気になった二箇所について想像を交えて触れてみたい。

1.トルストイへのオマージュ?

気づまりな雰囲気で始まったばかりの二人の会話を、スタヴローギンが唐突に打ち切って、(壁に貼られていたと思われる)地図について訊ねる場面がある。

「ふむ・・・・ところであの地図はなんの地図です?おや、この前の戦争の地図だ!なんのためにこんなものを?」

「地図と本文を対照しておるのです。たいへんおもしろい記録でしてな」

「見せてください。なるほど、文章は悪くない。それにしても、あなたにしては奇妙な読み物ですね」

彼は本を引き寄せて、ちらとそれをのぞいた。それは、この前の戦争の状況の膨大な、才能ゆたかな記録であったが、軍事的というより、むしろ純文学的な見地から見てそう言えるものだった。しばらく本をひねくりまわしていてから、急に彼はもどかしげにそれを突き返した。(江川卓訳)

これだけの記述だが、リュドミラ・サラスキナさんの「ドストエフスキーの創作原理からすれば、偶然のディテールはない」という主張に賛同している者としては、<この純文学的見地から見て才能豊かな本>について気にしないわけにはいかない。

まず浮かんだのはトルストイの『戦争と平和』(1869)だが、ロシアのナポレオン戦争(1812)を「この前の戦争」とは言わないだろう。トルストイの年譜を見たら1853年のクリミア戦争で将校として従軍し、セヴァストーポリで激戦に参加し、その体験を『セヴァストーポリ』(1855-56年) という作品に結実させたとあった。

手元にあった米川正夫訳「トルストイ全集2」にこの作品が収録されていた。100頁を超える中編である。(この全集は49歳で早世した親友の伊東佐紀子さんの遺品である)

これがチホンが読んでいた本だと思われる。

それにしても、ドストエフスキーは何のためにこの挿話を入れたのだろうか。
チホンの複雑な性格に何か付け加えるためだろうか、それとも、ドストエフスキーからトルストイに向けたオマージュであろうか。

ドストエフスキー(1821-1881)とトルストイ(1828-1910)はまさしく同時代を生きたロシアの二大文豪である。しかし、直接あいまみえたことはなかったようだ。


「スタヴローギンの告白ーチホンのもとにて」の章は、当初第2部第8章の「イワン皇子」のすぐあとに続く章として書かれたが雑誌掲載を断られた。

その後「告白」の存在は知られることなく、半世紀近くが過ぎた1921年(ドストエフスキー没後40年かつ生誕100年)に原稿が発見されるまで陽の目を見なかった。

したがって、トルストイが「告白」を読んだ可能性はない。だが、もし、読んでいたとしたら『セヴァストーポリ』の挿話をドストエフスキーからのなんらかのメッセージと感じたろうか。


2.『悪霊』第三のメタファ 「熱い・冷たい・ぬるい」

スタヴローギンとチホンは無心論について以下の会話を交わす。


「でも、神を信じないで、悪霊だけを信じることができますかね?」

「おお、できますとも、どこでもそんなものです」

「あなたはそういう信仰でも、完全な無信仰よりはまだしもと認めてくださるでしょうね・・・」

「それどころか、完全なる無神論でさえ、世俗的な無関心よりはましです」(江川卓訳)


このやり取りのあとで、スタヴローギンはなぜか奇妙にそわそわとうろたえ気味になり、

「では、覚えておられますか、『ラオデキヤにある教会に書き送れ』とか?」

と尋ねる。チホンは即座に「ヨハネの黙示禄第8章」の該当箇所を暗唱する。

「ラオデキヤに在る教会の使いに書き送れ。

アーメンたる者、忠実なる真なる証人、神の造りたもうものの本源たる者かく言う、われ汝のおこないを知る。

汝は冷やかにもあらず熱きにもあらず、われはむしろ汝が冷やかならんか、熱からんかを願う。

かく熱きにもあらず、冷やかにもあらず、ただぬるきゆえに、われ汝をわが口より吐き出さん。

汝、われは富めり、豊かなり、乏しきところなしと言いて、己が悩める者、憐れむべき者、貧しき者、盲目なる者、裸なる者たるを知らざれば・・・」
(ヨハネの黙示録 章3) 

「たくさんです」スタヴローギンが口を入れた。

「実はですね、ぼくあなたが大好きなんです」

「私もあなたが好きですな」

チホンが小声で答える。(江川卓 訳)


チホンはスタヴローギンの心理に深く入り込み、読む前から「告白」の意味するところを予感していたかのように見える。チホンは言う。

「あなたはただぬるきものでありたくないと思われた。
あなたは異常な意図に、おそらくは、おそろしい企画に押しひしがれておられるように思いますぞ」


この同じヨハネの黙示録の一節が、『悪霊』3部第7章のステパン氏臨終の場面で、福音書売りのソフィアによって朗読される。

ステパンの頼みに応じて、ソフィアがあてずっぽ開いて読み上げたのが偶然にもこの一節だった。ステパンは目をきらきらさせ、枕から頭を起こしながら

「ぼくはそんな偉大な箇所があろうとは、ついぞ知らなかった!」

と叫ぶ。それから急激に衰弱していく中で、

「もう一か所、読んでもらえますか・・・豚のところを」

と頼み込む。朗読を聞いたステパン氏は興奮しうわごとを言いはじめ意識を失いやがて死ぬ。

ここからは私の想像だ。「告白」の発表が不可能になったことを受けて、ドストエフスキーは、この「ヨハネの黙示禄の一節」を、エピグラムに掲げた二つのメタファ(「豚の群れに入って溺れる悪霊ども」と「プーシキンの詩の悪鬼」)に加えるべく、第三のメタファとして物語の最後に提示したのではないだろうか。

「冷たい・熱い・ぬるい」から想起されるのは、『マクベス』の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」である。

ドストエフスキーの小説には、『悪霊』に限らず、このオクシモロン(矛盾撞着技法)的な登場人物が少なからずみうけられる。

『悪霊』における「冷たい・熱い・ぬるい」から見た人物像 (逡巡しつつ・・・)

熱い 冷たい ぬるい
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/akuryoumeta.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c2

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
3. 中川隆[-12064] koaQ7Jey 2019年2月20日 11:47:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


(スラヴ圏)スラヴのコスモロジー
 〈「生命の水の泉」と「大地」のイデア〉
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長編小説『白痴』の時代は、ドストエフスキーにとって「ローマ帝国」の強力な軍事力でユダヤの反乱が鎮圧され、さらにキリスト教徒が弾圧された時代に書かれた『ヨハネの黙示録』の世界と重なるところが多く、「世界の終わり」への恐れとそれを救う「本当に美しい人」への熱烈な願いが記されていたといえます。

11月18日の新聞に「イラン攻撃現実に」という題で、イスラエルがイランの原発開発に強い危機感を抱いているという気になる記事があったので持ってきました。この記事は原爆と原発が結びついていることを物語っているでしょう。つまり、イランの原発開発はアメリカと仲がよかったときは認められていたのです。しかし革命後に政策が変わると、原発の開発は、いつ攻撃の対象になるかもしれないのです。つまり現代という「核の時代」では、原発が世界中の国で広まっていくということは、その国が政策を変えたときに核戦争のきっかけになりうるという危険性を持っているのです。

その意味で注目したいのは、『白痴』ではマルサスの人口論だけでなく、生存闘争の理論や、西欧近代の投機的な自由主義経済、さらに新しい科学技術の危険性が登場人物たちの会話をとおして批判されており、ことに近代文明を象徴する鉄道は『ヨハネ黙示録』の地上に落ちて「生命の水の泉」を混濁させる「苦よもぎ(チェルノブイリニク)の星」の話と結び付けられて解釈されていました。

それゆえ、チェルノブィリ原発事故が起きると『白痴』の予言性が話題となりましたが、それはチェルノブィリという地名が、「苦よもぎ」を意味する単語と非常に似ていたために、ロシアやウクライナ、ベラルーシなどでは原発がそういうのろわれたものであり、それを作ったソ連の政権が神の罰を受けたという批判が強く出たのです。そして、このような『黙示録』の解釈も影響して、この原発事故は神による共産党政権に対する罰だという解釈が広がったことや、原発事故による莫大な経済的損失は、ソ連政権が崩壊する一因となったのです。

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はじめに――投げかけられた問い

 お手元にレジュメは届いていますでしょうか?

2枚目のところにスラヴの神話や民話に出てくる森の精や水の精などの絵があります。

私の専門はドストエフスキーなのですが、『罪と罰』とか『白痴』という世界がそういうロシアの民衆的な民話的な世界や宇宙観とも深く結びついており、それが普遍性をおびているために世界中で読まれて深い感動を与えているという話を今回はしたいと思いました。ただ、レジュメにも書きましたけれども、3月に起きた原発事故のために私のふるさとの福島県の二本松でも祖先の墓の上に放射能が降り注ぐなど、日本の大地、大気、川が汚されるという大変な事態がおきました。

さらに私は25年前にチェルノブイリで起きた原発事故の際にモスクワに滞在していましたが、そのときに留学生を引率していたので事故の情報の問題、当時のソ連から情報が流れてこないというのはわかるのですが、日本大使館からも流れてこない。それでヨーロッパの留学生たちがそれぞれの大使館から持ってくる情報を集めてどう対応すべきかなどを考えざるを得なかったということがありました。

実は司馬遼太郎の作品に入っていくきっかけも情報の問題からです。司馬さんは大地震の問題についてもたびたび書いています。たとえば、『竜馬がゆく』の中でも竜馬が大地震に際して深く感じることのできる詩人のような心を持っていたと冒頭近くで説明されています。原発は「国益」という形で進められてきましたが、果たして一部の人たちが握っている情報が我々にちゃんと伝えられているのか、その問題が明治以降もいまだに続いていると思えます。

一方、『坂の上の雲』の第3巻において司馬さんは、東京裁判におけるインド代表判事のパル氏の言葉を引用しつつ、「白人国家の都市に落とすことはためらわれたであろう」と原爆投下を厳しく批判しておりました。実はこの原爆の投下の問題は、原発の問題と結びついており、司馬さんはチェルノブイリ事故の後で「この事件は大気というものは地球を漂流していて人類は一つである、一つの大気を共有している、さらにいえばその生命は他の生命と同様もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていました。

実際にチェルノブイリについてはヨーロッパ各国が大変な危機感を持ちました。私の場合は、幸い住んでいたモスクワの方には風の向きが違っていたので流れてこなかったのですが、風の向きが変わればどのような被害が及ぶかはわからなかったのです。それゆえ、今回はスラヴやロシアのコスモロジーを視野に入れることで民話的なレベルから見ても原発がおかしいということを明らかにしていきたいと思います。

*   *   *

先ほど見ていただいたのはギランの『ロシアの神話』という本に掲載されている絵ですが、スラヴでは自然崇拝が強く、ことに大地は「母なる湿潤の大地」というふうに讃えられており、このような世界観はドストエフスキーが『罪と罰』の後半で描いていますが、それよりも前にプーシキンがおとぎ話のような形で書いていました。

時間がないので、ごく一部を紹介します。「入り江には緑の樫の木があった。その樫の木には猫が繋がれていた。そして右に歩いては歌を歌い、左へ行ってはおとぎ話を語る。そこには不思議なことがある。森の精が徘徊し、水の妖精ルサールカが枝に座る」。こういう形で民話の主人公を紹介したプーシキンは、「そこにはロシアの精神がある、ロシアの匂いがする」と続け、物知りの猫が私に語った物語のひとつをこれからお話しましょうという形で『ルスランとリュドミーラ』というおとぎ話が始まります。

『罪と罰』のあらすじについては、ほとんどの方がご存知のことと思いますが、「人間は自然を修正している、悪い人間だって修正したてもかまわない、あいつは要らないやつだというなら排除してもかまわない」という考え方を持っていた主人公が、高利貸しの老婆を殺害するにいたる過程とその後の苦悩が描かれています。ここで重要なのは、この時期のドストエフスキーが「大地主義」という理念を唱えていたことであり、ソーニャをとおしてロシアの知識人というのはロシアの大地から切り離された人たちだと、民衆の感覚を失ってしまったという批判をしていることです。

たとえば、ソーニャは「血で汚した大地に接吻しなさい、あなたは殺したことで大地を汚してしまった」と諭し、それを受け入れた主人公は自首をしてシベリアに流されますが、最初のうちは「ただ一条の太陽の光、うっそうたる森、どこともしれぬ奥まった場所に湧き出る冷たい泉」が、どうして囚人たちによってそんなに大事なのかが彼にはわからなかったのです。しかし彼はシベリアの大自然の中で生活するうちに「森」や「泉」の意味を認識して復活することになるのです。

このような展開は一見、小説を読んでいるだけですとわかりにくいのですが、しかしロシアの民話を集めてロシアのグリムとも言われているアファナーシエフの『スラヴ民族の詩的自然観』の第一巻が既に『罪と罰』が書かれている時期に出版されていました。そのことを指摘した井桁貞義氏は、ウクライナやセルヴィアを初めスラヴには古くから聖なる大地という表現があり、さらに古い叙事詩の伝説によって育った庶民たちは、大地とは決して魂を持たない存在ではなく、つまり汚されたら怒ると考えていたことを指摘しています。つまり、富士山が大噴火するように、汚された大地も怒るのです。

さらにソーニャという存在が囚人たちから、「お前さんは私らのやさしい慈悲深いお母さんだ」と語られていることに注目して、ソーニャという女性が大地の神格であると同時に聖母の意味も背負っているという重要な指摘をしています。

 このようなロシアの自然観や宇宙観は民話などでやさしく語られており、日本でも知られているものがあるので幾つか紹介して、それが文学作品にどうかかわっているかを少し見てみます。

 まず、『イワンと仔馬』という作品は、これは永遠の生命を持つ火の鳥が出てくる作品で、手塚治虫の『火の鳥』にも影響を与えています。次に『森は生きている』もあちこちで上演されることもありますしアニメーションにもなっているので、知っている人も多くおられると思いますが、これは月の精の兄弟たちとみなしごの少女、そしてわがままな女王との物語です。

 わがままな若い女王の命令で少女は、大晦日に雪深い森の奥に春の花の待雪草を探しに行かされるのですが、たまたま焚き火を囲んでいた12人の兄弟(十二ヵ月の精)たちと出会い、少女が森を大切にして一生懸命に生きているのを知っていた彼らから待雪草を贈られるのです。

一方、人間関係のみで成立している「城」の世界しか知らなかったやはり孤児だった女王は、自分でも待雪草を摘みたいと願って、私も森に行くから案内しなさいと命令して森に行く。つまり、「支配する者」と「支配される者」からなる「城」において絶対的な権力者となった女王は、「自然」や「季節」をも「支配」しようとしたのです。つまり「城」というのは、ここでは現代の日本に言い換えれば「原子力村」と考えればわかりやすいでしょう。「原子力村」の論理だけで生きている人は、「自然」のことを理解できないために、「自然」や「季節」をも支配しようとする。しかし実際には、そういうことはあり得ないのです。そのために女王も「森」に行くと、一瞬にして再び冬の季節に戻って彼女は自分の無力さを感じるのですが、やさしい少女に救われるというストーリーです。

ここで注目したいのはやさしい少女を『罪と罰』のソーニャに、それから自然をも支配できると考えている女王をラスコーリニコフに置き換えると、骨格としては『罪と罰』と同じような自然観が浮かび上がってくるということになることです。

 それから『雪娘』というおとぎ話では「桃太郎」などと同じように、子供に恵まれなかった老夫婦が雪を丸めて雪だるまをつくるとその雪だるまの女の子は、老夫婦の気持ちを理解したかのように動き出して、その家の娘になります。しかし、「かぐや姫」が時間がたって、月に戻っていくように、その「雪娘」も春になると一筋の雲になって、天に昇ってしまうのです。

このおとぎ話について先ほどのアファナーシエフはこういうふうに解釈しています。「雨雲が雪雲に変わる冬、美しい雪の娘が大地に、人間が住むこの世に降りてきて、その白さで人々を感動させる。夏が訪れると娘は大気の新たな姿をとり、地上から天に昇って軽やかな翼を持つほかのニンフたちと共に天を飛翔する」。

 すなわち、雪娘は溶けて「亡くなる」のではなく、別な形を取って生き続け、さらにまた季節が巡れば、「復活」するという考え方が、ロシアの民話を通して語られているということになります。

一方、『罪と罰』のエピローグでは、知力と意志を授けられた旋毛虫に侵されて、自分だけが真理を知っていると思い込んだ人々が、互いに自分の真理を主張して殺し合いを始め、ついには地上に数名のものしか残っていないという主人公が見る「人類滅亡の悪夢」が描かれています。

実際、この作品が書かれた当時は、オーストリアとの戦いに勝ったプロシアが軍事力をつけたために、フランスとの間での戦争がおき、さらにロシアもまたそういう大戦争に巻き込まれるかもしれないという恐怖感が、欧州の世界で広まっていたのです。そして、軍事力の必要を各国が認識したために戦争に近代兵器が持ち込まれるのです。日露戦争では機関銃が登場し、第一次世界大戦でも用いられ、さらに第二次世界大戦では原子爆弾が用いられるということになります。

つまり長編小説『白痴』の時代は、ドストエフスキーにとって「ローマ帝国」の強力な軍事力でユダヤの反乱が鎮圧され、さらにキリスト教徒が弾圧された時代に書かれた『ヨハネの黙示録』の世界と重なるところが多く、「世界の終わり」への恐れとそれを救う「本当に美しい人」への熱烈な願いが記されていたといえます。

11月18日の新聞に「イラン攻撃現実に」という題で、イスラエルがイランの原発開発に強い危機感を抱いているという気になる記事があったので持ってきました。この記事は原爆と原発が結びついていることを物語っているでしょう。つまり、イランの原発開発はアメリカと仲がよかったときは認められていたのです。しかし革命後に政策が変わると、原発の開発は、いつ攻撃の対象になるかもしれないのです。つまり現代という「核の時代」では、原発が世界中の国で広まっていくということは、その国が政策を変えたときに核戦争のきっかけになりうるという危険性を持っているのです。

その意味で注目したいのは、『白痴』ではマルサスの人口論だけでなく、生存闘争の理論や、西欧近代の投機的な自由主義経済、さらに新しい科学技術の危険性が登場人物たちの会話をとおして批判されており、ことに近代文明を象徴する鉄道は『ヨハネ黙示録』の地上に落ちて「生命の水の泉」を混濁させる「苦よもぎ(チェルノブイリニク)の星」の話と結び付けられて解釈されていました。

それゆえ、チェルノブィリ原発事故が起きると『白痴』の予言性が話題となりましたが、それはチェルノブィリという地名が、「苦よもぎ」を意味する単語と非常に似ていたために、ロシアやウクライナ、ベラルーシなどでは原発がそういうのろわれたものであり、それを作ったソ連の政権が神の罰を受けたという批判が強く出たのです。そして、このような『黙示録』の解釈も影響して、この原発事故は神による共産党政権に対する罰だという解釈が広がったことや、原発事故による莫大な経済的損失は、ソ連政権が崩壊する一因となったのです。

 一方、非常に自然環境に恵まれている日本から見ると旧約聖書などで描かれている神の罰という考えは、非情に見えます。しかし古代からのことを考えると、神や天というのは、人智を超えた存在であって、富士山も単に美しくて高い存在であっただけではなくて、大噴火を起こして、我々日本人を深く畏怖させたのです。これについては明日のシンポジウムでも論じられると思います。

 こうして、大自然に対する畏怖というものは、これからの時代にも重要だと思えますが、放射能は水に流しても消えるものではなく「循環の思想」に反しており、大自然を汚すものだといえるでしょう。その意味でも早期の「脱原発」が求められており、そのためにはこの学会も含めて全力を尽くしていくべきではないかというのが、私の考えです。
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[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
4. 中川隆[-12063] koaQ7Jey 2019年2月20日 11:58:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「黙示録」の獣 2016-06-21
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テーマ:ドストエフスキー『罪と罰』の世界


ドストエフスキーは、プロメテウス神話のほかにも『罪と罰』と神話との結合を試みていました。それは、「ヨハネの黙示録」との結合です。ドストエフスキーは「黙示録」的な世界観を持つ作家でした。

「ヨハネ黙示録」13章には、二匹の獣が現れます。この二匹の獣は、いわば終末神話のプロローグを演じています。この二匹の獣が押させた「666」の刻印の意味は、聖書の用語解説に次のように記されています。

ヨハネの黙示録13:8で、ある人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく、アルファベットの文字がそれぞれ数を表す。数を用いた暗号は、逆に文字に戻して解読することができる。666について最も有力な説は、ヘブライ語でネロ皇帝と読む解釈である。

初期キリスト教の迫害者ネロ皇帝の名、ネロン・カエサルをヘブライ文字で表記し、その文字に対応する数字を合計すると「666」になるのです。

  ヌン レーシュ ワウ ヌン コフ サメク レーシュ

  50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666

こうして、「666」という数字は、キリスト教の迫害者、アンチ・キリスト、悪魔を指す数とされました。「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法は次第に各国に広まり、それぞれの国のアルファベットを数値に代入してアンチ・キリストを割り出すことが、19世紀にも流行していました。20世紀になってもおとろえてはいません。

たとえば、ロシアの分離派は、宗教改革で自分たちを迫害したニーコン総主教の本名を「NIKON NIKITOS」とギリシア文字で表記し、

  N I K O N N I K I T O S

  50+10+20+70+50+50+10+20+10+300+70+6=666

また、ナチス・ドイツの独裁者は、ラテン文字表記で

  H I T L E R

  107+108+119+111+104+117=666

ドストエフスキーの時代において、ロシア人にとって最も脅威となった人物はナポレオンでした。1812年に「祖国戦争」を戦い、その後も長く、ナポレオンのセント・ヘレナ島脱出説などにおびえてきたロシア人にとって、ナポレオンはまさにロシアを迫害する者でした。

さて、ナポレオンをフランス語で綴り「Le Empereur Napoleon」とすると、

  L e E m p e r e u r N a p o l e o n

  20+5+5+30+60+5+80+5+110+80+40+1+60+50+20+5+50+40=666

そして、ラスコーリニコフですが、彼のフルネーム、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフをロシア語で表記すると、次のようになります。

  РОЛИОН РОМАНЫЧ РАСКОЛЬНИКОВ

そして、イニシャルは「PPP」となります。

「PPP」というイニシャルは、ロシアではほとんどみられないイニシャルで、明らかに作為的なものです。

この「PPP」を上下に反転させると、「666」の数字が現れるのです。
『罪と罰』の創作において、創作の初期段階では、主人公はワシーリィ(ギリシア語のバシリオス〈王者〉から派生)・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフと命名され、中篇小説になる予定でした。しかし、ドストエフスキーは、ワシーリィからロジオンに改名することによる「666」の数字を発見しました。この発見はドストエフスキーの創造力を大いに刺激したと思います。彼は中編小説から、神話との結合をなす長編小説に構想を改めるのです。

そして、ラスコーリニコフは、アンチ・キリスト、悪魔という名前をもつ人物となるのです。

また、ドストエフスキーは、ニヒリズムの行く末と神話的終末思想との結合を試みていました。それは、ラスコーリニコフが見た疫病の夢として表現されています。
ついに、人々は、「目的もなく意味もない」憎悪に駆られて殺し合いをはじめます。軍隊と軍隊が衝突するだけでなく、その軍隊の内部でも殺し合いがはじまり、それが「互いに相手の肉を食い合う」人肉嗜食にまでになります。荒廃と飢えが世界を覆い、疫病だけがますます猛威を振るいます。

「ヨハネの黙示録」は「ノアの洪水」や「ソドム」、「ゴモラ」のように、人間の傲慢をいましめようとする「神の怒り」による終末神話ですが、ラスコーリニコフの疫病の夢は、あくまで人間が主体です。人間の集団的な狂気、そして人間自身の傲慢さこそが、人間を終末に駆り立てる最大の根源であるとみなしています。
ラスコーリニコフの疫病の夢は、「神亡き時代の終末神話」であり「ドストエフスキーの黙示録」といえます。

このラスコーリニコフの疫病の夢と、ナチスのユダヤ人虐殺、資本主義各国の赤狩りと反ソ・ヒステリー、ソ連の大粛清、中国の文化大革命、カンボジアの内戦、南米での虐殺、さらには、パレスチナ内戦、アフガン出兵、イラン・イラク戦争など現代に至るあらゆる流血との類似性を指摘する声もあります。

また、余談ですが、『悪霊』のシガリョフ主義、『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフの「大審問官」がソ連のスターリン体制の予言であるとみる学説があります。

ドストエフスキーは、「666」のイニシャルを持つラスコーリニコフの夢と「ヨハネの黙示録」とを結合させ、ニヒリズムによる人類の終末の危機を警告しているのだと読むことができます。それはドストエフスキーが、ニヒリズムに見た退屈さと孤立主義、非道徳性と愛の喪失を、微生物に感染した人間たちの症状に見立てていることからも分かります。つまり、「ラスコーリニコフ=666」と彼の思想〈非凡人の法〉自体が終末のプロローグを演じることになるのです。

しかし、「ラスコーリニコフ=666=アンチ・キリスト=悪魔」の構図だけが、「ヨハネの黙示録」との結合ではありません。ラスコーリニコフは悪魔にしては、あまりにも人間的です。そして、悪魔性に徹して平然と死を選ぶことのできる『悪霊』のニコライ・スタヴローギンとは対照的に、生への執着が強いのです。

生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい。

   生きてさえいられたら!……何という真実だろう!……これこそ、たしかに真実の叫びだ!

この生への執着心が、ラスコーリニコフにとって、更正への原動力となるのです。
そこで、小説の構成を見てみると、一つの事実が浮かび上がります。

『罪と罰』は、第一部(7章構成)、第二部(7章構成)、第三部(6章構成)、第四部(6章構成)、第五部(5章構成)、第六部(8章構成)とエピローグ(2章構成)から成っています。

この数に注目すると、「全6部+1部=7部」という構成は、「ヨハネの黙示録」の「7」を意識したものです。「7」という数字は、過去・現在・未来に存在する神を指す「3」と自然界(地水火風あるいは東西南北)を指す「4」との和である完全数とされています。また、『罪と罰』の「7」は、完全な「7」ではなく、不完全数「6」に短いエピローグのついた構成で、ラスコーリニコフの更正がまだ始まったばかりで、完全には成就されていないことを暗示しているのです。

そして、各部の章の合計は、「7+7+6+6+5+8+2=41」です。この数は、「黙示録」の獣の活動期間「四十二か月」から「1」だけ足りない数です。ラスコーリニコフは、小説にはない最後の「1」で、ソフィアの愛により信仰を取り戻し、「666」+「1」の変身が期待されているのです。

また、「PPP」を左右に反転させると「999」の数字が現れるとして、一人の青年「1」ラスコーリニコフ「999」が「七月はじめの酷暑のころ」に行動するということから、「一九九九の年、七の月」のノストラダムスの人類滅亡の予言詩との結合を示唆する学説もあります。ラスコーリニコフのニヒリズムが「恐怖の大王」となり、〈新しいエルサレム〉という「幸福の名」のもとに〈非凡人〉による支配に乗り出すという読み方です。
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[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
5. 中川隆[-12062] koaQ7Jey 2019年2月20日 12:04:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018-05-10
動物で読み解く『罪と罰』の深層 連載3  〈獣〉(зверь) 清水正
https://shimizumasashi.hatenablog.com/entry/20180510/1525931141

■〈獣〉(зверь)

 マルメラードフは告白の最後に、万人を裁き、万人を赦される唯一人の神について語る。親鸞の悪人正機説を彷彿とさせるマルメラードフ神学のお披露目である。彼は語る

「『酒のみも出い、いくじなしも出い、恥知らずも出い!』

そこで、われわれが臆面もなく出て行っておん前に立つと、神さまは仰せられる。

『なんじ豚ども! そちたちは獣の相をその面に印しておるが、しかしそちたちも来るがよい!』

すると知者や賢者がいうことに、

『神さま、何ゆえ彼らをお迎えになりまする?』

するとこういう仰せじゃ。

『知恵ある者よ。わしは彼らを迎えるぞ。賢なる者よ、わしは彼らを迎えるぞ。
それは彼らの中のひとりとして、みずからそれに値すると思う者がないからじゃ……』

こういって、われわれに手を伸ばされる。
そこで、われわれはそのみ手に口づけして……泣きだす……そして、何もかも合点がゆくのだ」(米川正夫訳)と。

 ここで、喉の渇きを癒そうと思って酒場に寄り、マルメラードフの神学を聞く羽目になった青年に注目しよう。この青年は瀬踏みに行ったアリョーナ婆さんにラスコーリニコフと名乗っている。ロシア人の名前は洗礼名、父称、姓からなる。酒場の時点で読者は青年の姓がラスコーリニコフであることは分かっているが、未だに洗礼名と父称は報告されていない。マルメラードフは初対面の青年に自分の姓と身分(九等官)を名乗るが、青年は「勉強中です」としか答えず、マルメラードフは青年を〈元学生さん〉と見なして一方的に告白話を展開した。

 青年のフルネームはロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフである。洗礼名〈ロジオン〉(Родион)は〈薔薇〉を、父称〈ロマーノヴィチ〉(Романович)はロジオンの父親の名が〈ロマン〉(Роман)であったことを意味し、姓〈ラスコーリニコフ〉(Раскольников)は〈分離派〉(Раскольники)に由来する。イニシャルРРРを下から上にひっくり返すと666になり、悪魔の数字となる

(РРР=666説を初めて発表したのは『謎とき「罪と罰」』の著者・江川卓である)。

つまり『罪と罰』の主人公である〈一人の青年〉(один молодои человек)の額には悪魔の数字666が刻印されていたことになる。

ところで、マルメラードフが告白の最後に神学を披露した時点で青年のフルネームは報告されておらず、従って青年の額に悪魔の数字が刻印されていたなどという認識を得ていた読者はいない。そこで改めてマルメラードフの言葉に照明を当てる必要がある。

「獣の相をその面に印しておる」(образа звериного и печати его)〈豚ども〉(Свиньи)の中に〈酒のみ〉〈いくじなし〉〈恥知らず〉が想定されている。もちろんマルメラードフ自身も含まれている。が、誰よりも明白に〈獣の相をその面に印しておる〉のは、マルメラードフの面前で話に耳を傾けていた勉強中の元学生ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(РРР=666)であったことになる。因みにマルメラードフがここで言う〈獣〉(зверь)はヨハネ黙示録13章に出てくるそれを意識している。


「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった」
(ヨハネの黙示録13章1節)
「И стал я на песке морском и увидел выходящего из моря зверя с семью головами и десятью рогами: на рогах его было десять диадим, а на головах его имена богохульные.」(ロシア語訳聖書より)

「また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った」(ヨハネの黙示録13章11節)
「И увидел я другого зверя, выходящего из земли; и говорил как дракон.」(ロシア語訳聖書より)
 
「ここに知恵がある。思慮のある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である」
(ヨハネの黙示録13章18節)

「Здесь мудрость. Кто имеет ум, тот сочти число зверя, ибо это число человеческое; число его шестьсот шестьдесят шесть.」(ロシア語訳聖書より)

 海から上ってきた第一の獣は豹に似ており、足は熊、口は獅子のようであり、〈竜〉(дракон)から大きな権威を与えられていた。七つの頭のうちの一つが打ち殺されたかと思われたが、その致命傷もなおった。この獣は傲慢なことを言う口を与えられ、〈神に対するけがしごと〉を言い始めた。地から上ってきた第二の獣は、地に住む人々に第一の獣の像を造らせて礼拝させ、従わない者を皆殺しにした。そしてすべての人々の右手か額に獣の名、または獣の名の数字を刻印した。

 ここで、様々な隠喩と象徴に満ちた「ヨハネ黙示録」を十全に解釈することはできない。ここでは黙示録の獣と『罪と罰』の主人公の関係についてだけ言及するにとどめる。第一の獣には角が〈十本〉、頭が〈七つ〉、冠が〈十〉とある。これら七、十という数字は竜から与えられた絶対的な力と位と権威を意味している。ラスコーリニコフは自分を絶対者、選ばれた唯一者と考え、非凡人の代表格であるナポレオンと自身とを同一視する傾向があった。第一の獣の頭には〈神をけがす名〉があったが、ラスコーリニコフの額には〈ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ=РРР=666〉という悪魔の数字が刻印されていた。

 ラスコーリニコフはソーニャに「ラザロの復活」の場面の朗読を要請するが、その前に数々の〈神に対するけがしごと〉を口にしている。一つだけ引用しておこう。

「ポーレチカもきっと同じ運命になるんだろうな」

と彼は出しぬけにこういった。

「いいえ! いいえ、そんなことのあろうはずがありません、違います!」

とソーニャは死にもの狂いの様子で、まるでだれかふいに、刀で切りつけでもしたかのように叫んだ。

「神さまが、神さまがそんな恐ろしい目にはおあわせにはなりません!」

「だって、ほかの人にはあわせてるじゃありませんか」

「いいえ、いいえ! あの子は、神さまが守っていてくださいます、神さまが!……」

と彼女はわれを忘れてくりかえした。

「だが、もしかすると、その神さまさえまるでないのかもしれませんよ」

一種のいじわるい快感を覚えながら、ラスコーリニコフはそういって笑いながら、相手の顔を見やった。(米川正夫訳)

 狂信者ソーニャは神さまは「なんでもしてくださいます!」と言う。哲学的思弁家でもあるラスコーリニコフは、現実を冷静に見ればむしろ神は何にもしてくれないじゃないかと言う。何にもしてくれない神を盲目的に信じるよりも、現実を冷静に見て判断する分別こそが必要なんだ、とまで挑発する。 

 ラスコーリニコフはソーニャの前では〈不信心者〉(безбожник)、〈神の冒瀆者〉(богохульник)を装って〈神に対するけがしごと〉を口にするが、それをもって彼を反キリスト者と決めつけることはできない。

彼はポルフィーリイ予審判事の前では〈新しきエルサレム〉を、〈神〉を、〈ラザロの復活〉を文字通り信じていると断言している。ラスコーリニコフの分裂は深く、彼を一義的に判断することぐらい危険なことはない。彼は誰よりも激しく執拗に〈神に対するけがしごと〉を口にしながら、同時に誰よりも〈神〉を求めている〈悪魔=666〉なのである。

この悪魔はとつぜん淫売婦ソーニャの前にひれ伏し、彼女の足に接吻する。そしてすぐに身を起こすと、驚愕したソーニャに向かって「わたしはあなたの前にひざまずいたのではない。わたしは全人類の苦悩の前にひざまずいたのです」と答える。一家の犠牲になって身売りしている〈大いなる罪人〉(великая грешница)ソーニャは、言わばすべての人間の罪を背負って十字架上で息を引き取ったイエスその人を思わせる。

 ラスコーリニコフという〈悪魔〉は人間の〈苦悩〉に関してきわめて敏感である。マルメラードフは「ものに感じる、学問のある人」とラスコーリニコフを見なして告白話を披露したことを忘れてはならない。全人類の〈苦悩〉(страдание)の前にひれ伏すことのできる〈悪魔〉は限りなく〈神〉に近づいた存在とも言える。ラザロの復活を読み終えたソーニャはラスコーリニコフを「限りなく不幸だ」と思う。この不幸な人間(殺人者・分裂者)に向かって、苦しみという十字架を背負って生きよ、と強く指示したのが大いなる罪人ソーニャ(淫売婦・キリスト者)であった。

 ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフを666(獣)と見なすことはできるが、ドストエフスキーの場合、名前においても多義的な象徴的意味が込められている。ロジオン(Родион)は〈薔薇〉(美・愛・聖)を意味するが、同じくギリシャ語起源のイロジオン(Иродион)と見なせばヘーロース=геройつまり〈英雄〉となる。

ロジオンは、ゼウス神に反逆して天界の火を盗みカウカソス山に鎖でつながれ鷲に肝を食われるという罰を受けた、ギリシャ神話の英雄プロメテウスにもたとえられている。またロジオンはポルフィーリイ予審判事によって

「太陽におなりなさい、そうすれば、みんながあなたを仰ぎ見ますよ! 太陽は、まず第一に太陽でなければなりません」
(Станьте солнцем, вас все и увидят. Солнцу прежде всего нада быть солнцем.)と言われている。

ポルフィーリイは現実的な役割としては予審判事であるが、実質的には優秀な心理分析官であり批評家であり、そして予言者でもある。彼が、二人の女を斧で殺害した殺人者ロジオンを〈太陽〉と見なしていることを、単なる皮肉のきいた冗談とのみ受け取ることはできない。いずれにせよ、ロジオンという名は美・愛・聖の統合としての〈薔薇〉(Роза)であり、世界を変革する使命を帯びた〈英雄〉(Герой)であり、万人に仰ぎ見られる〈太陽〉(Солнца)といった多義的な意味を込められている。

 父称のロマーノヴィチ(Романович)はロマーヌィチ(Романыч)とも表記されている。前者をロマノフの息子と見れば〈ロマノフ王朝〉、後者をロマンの息子と見れば〈ローマの、ローマ人の、ローマ帝国の、長編小説の〉などと解釈できる。

 姓のラスコーリニコフ(Раскольников)は〈分離派〉(раскольники)、〈分離派教徒〉(раскольник)、〈分裂・分離派〉(раскол)、〈打ち割る〉(расколоть)などが考えられる。

因みにロマノフ王朝第二代皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチはロシア正教会の権威強化のためニコンを総主教に任命したが、ニコンの奉神礼改革によって教会は分裂した。ニコンの改革案は一六六六年にギリシャ正教会で承認されたが、傲慢な態度で皇帝の反感を買っていたニコンは総主教の座を剥奪された。改革案に断固反対した信徒は一六六六年以来分離派と見なされ弾圧迫害の試練を受けることになる。

『罪と罰』はニコンの改革から二百年後の一八六五年七月のペテルブルクを舞台として展開されている。ロジオンの母親プリヘーリヤはこの二百年を十分に意識してラスコーリニコフ家を由緒ある家柄とし、〈一家の柱であり杖である〉一人息子に没落したラスコーリニコフ家の再建という使命を託すのである。この母親の過剰な期待が、ロジオンを〈高利貸しアリョーナ殺し〉という第一の〈踏み越え〉(преступление)に追い込んで行ったとも言える。〈666〉という悪魔の数字を刻印されていたのは決してロジオンだけではない。ラスコーリニコフ家の人々全員にこの数字は深く関わっているのである。
https://shimizumasashi.hatenablog.com/entry/20180510/1525931141
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c5

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
6. 中川隆[-12061] koaQ7Jey 2019年2月20日 12:09:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

 2017.10.06
ドフトエフスキー『罪と罰』宗教的解釈
http://hikki-c.hateblo.jp/entry/2017/10/06/%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E8%A7%A3%E9%87%88

前回の記事では、『罪と罰』の物語について述べましたが、今回は本作が現代の予言の書と言われる所以となったキリスト教との関連を紐解いていきます。


ナンバー666

ドストエフスキーは、『罪と罰』と神話「ヨハネの黙示録」との結合を試みていた。


「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。

この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」
(新約聖書 ヨハネの黙示録13章16-18節より)



「ヨハネ黙示録」13章には、二匹の獣が現れます。この二匹の獣は、いわば終末神話のプロローグを演じている。

そして、666という数字は聖書の用語解説に次のように記されています。

ヨハネの黙示録13:8で、人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく、アルファベットの文字がそれぞれ数を表す。数を用いた暗号は、逆に文字に戻して解読することができる。

666について最も有力なのは、ヘブライ語でローマ皇帝ネロと読む説である。
初期キリスト教の迫害者ネロ皇帝の名、ネロン・カエサルをヘブライ文字で表記し、その文字に対応する数字を合計すると「666」になる。

  ヌン レーシュ ワウ ヌン コフ サメク レーシュ


  50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666

こうして「666=キリスト教の迫害者、アンチ・キリスト、悪魔を指す数」とされた。これは「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法である。それぞれの国のアルファベットを数値に代入し、アンチ・キリストを割り出すことができるとされている。

例えば、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーは、ラテン文字表記で

  H I T L E R

  107+108+119+111+104+117=666

また、「罪と罰」が執筆された当時のロシア人にとって最も脅威となった人物は、ドイツの英雄ナポレオンだった。1812年に「祖国戦争」を戦い、その後も長く、ナポレオンのセント・ヘレナ島脱出説などにおびえてきたロシア人にとって、ナポレオンはロシアの迫害者であった。

そして、ナポレオンをフランス語で綴り「Le Empereur Napoleon」とすると、

  L e E m p e r e u r N a p o l e o n

  20+5+5+30+60+5+80+5+110+80+40+1+60+50+20+5+50+40=666

そして、ラスコーリニコフですが、彼のフルネーム、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフをロシア語(キリル文字)で表記すると

  РОЛИОН РОМАНЫЧ РАСКОЛЬНИКОВ

そしてイニシャルは「PPP」となり、これを上下に反転させると、「666」の数字が現れる。 「PPP」というイニシャルは、ロシアではほとんどみられないイニシャルで、明らかに作為的なものであり、当初予定されていたワシーリィという名前を直前に変更したということからも意図的なものであると推測される。


謎とき『罪と罰』 (新潮選書)
作者: 江川卓
発売日: 1986/02/01
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106003031/umineko08-22/


人類の終末

本作において、ドフトエフスキーは十九世紀に蔓延しはじめた、神を否定し、人間は自らの意志、自らの欲望に基づいて行動するべきだという「ニヒリズム」(虚無主義)の思想に警笛を鳴らしている。


感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことのないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。(中略)誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみでお互いに殺し合った。

このように彼は、来たるべき世界大戦と宗教戦争・飢饉・天災・疫病などで発狂した人間の精神の乱れにより引き起こされる世界の終末を予言している。

神とは何か

本作における「神」とは、なんなのか。それは「絶対的真理」である。永久不変の正義であり、法則である。

常識や価値観は、時代によって絶えず変化する。

しかし、放火・殺人・窃盗・詐欺などは、いつの時代も罪悪とされており、これからも許されることはないだろう。

ノアの箱舟

「罪と罰」の舞台であるペテルブルグは、初代皇帝ピョートル大帝の時代に都市計画として建設された人工都市である。当時のペテルブルグは、人口の急激な増加や、貧困と不正の蔓延で地獄のような場所であった。

ペテルブルグには、ペトロパヴロフスという要塞があり、スウェーデンの脅威が低下した19世紀には政治犯収容所としても利用され、ドストエフスキーもその一人として収容されていた。

1849年に官憲に逮捕され、死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられシベリア流刑となる。四年間に渡る獄中生活の記録は『死の家の記録』に記されている。

ペテルブルグ水の都、つまり水に浮かんだ船にたとえられる。同様にラスコーリニコフの部屋も「船室」と呼ばれる。これらは「ノアの箱舟」を連想させる。ロシアの民話には、ノアの妻をそそのかして箱舟に乗船する悪魔の話がある。悪魔は鼠に化けて船倉に穴を開けようとしたが、英雄は猫になって鼠を退治した。ラスコーリニコフは猫になるはずの鼠。マルメラードフも鼠であるが彼は箱舟から自殺によって下船したが、ラスコーリニコフは生に執着するあまり箱舟にとどまろうとする。


生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい。   生きてさえいられたら!……何という真実だろう!……これこそ、たしかに真実の叫びだ!


罰とは何か

まず、罰にあたることとして古い法律解説書にある「汚辱刑」というのがある。自尊心の高い犯人には狂信をあざけり恥をかかせることが必要という理論がある。それに照応するのが、ソーニャに宣告された大地への接吻と全世界への告白である。


「立ち、ひざまずいて、あなたがけがした大地に接吻しなさい。それから世界中の人々に対して、四方に向かっておじぎをして、大声で『わたしが殺しました!』というのです。そしたら神さまがまたあなたに生命を授けてくださるでしょう」

そこには周囲の人のあざけりと笑いがあった。

また、ラスコーリニコフはさまざま機会で世界との断絶を実感する。そのような人物にとって愛は不可能である。これは、「カラマーゾフの兄弟」ゾシマ長老の言葉と照応する。


「地獄とはなにか?それは、もはや愛することができない、という苦しみである。」

このように、ラスコーリニコフは愛のない地獄で、生に執着するという矛盾の中で絶望に暮れることになる。これが「罰」の総体である。

ナンバー13と復活祭

「罪と罰」は1865年7月8日から同年7月20日までの13日間の物語である。7月20日は聖イリヤの祝日。

そして一年半後、シベリア流刑にあるラスコーリニコフの復活が訪れる。復活祭の週の朝、ソーニャと会い不意にラスコーリニコフはソーニャへの愛を自覚する(このシーンは聖書のイエス復活を下敷きにしている)。「殺人者」と「娼婦」という呪われた者が愛し合うことでユートピアへの入場資格を得た瞬間である。


どうしてそうなったのか、彼は自分でもわからなかったが、不意に何ものかにつかまれて、彼女の足下へ突き飛ばされた気がした。彼は泣きながら、彼女の膝を抱きしめていた。最初の瞬間、彼女はびっくりしてしまって、顔が真っ青になった。(中略)だがすぐに、一瞬にして、彼女はさとった。彼女の両眼にははかりしれぬ幸福が輝き始めた。彼が愛していることを、無限に彼女を愛していることを、そして、ついに、その時が来たことを、彼女はさとった、もう疑う余地はなかった。

また、ラスコーリニコフが過ごした屋根裏部屋も復活と大きく関係している。この場所は「戸棚」「トランク」、「船室」と比喩され、上京した母には「棺桶」とも言われる。中でも、「戸棚」や「棺桶」は聖書の「ラザロの復活」や、ホルバインの絵画『死せるキリスト』を象徴させる表現と捉えることができる。


最後に

「罪と罰」は、物語を楽しむ通俗小説としても、キリスト教的背景を持った予言書としても楽しめる作品です。日本人は仏教徒ではあるけれど、無神論者が多いのでキリスト教的な読み方をする人はごく少数だと思います。(私はそうでした)聖書は小説だけでなく、エヴァンゲリオンやその他の漫画等のストーリーにも大きく影響しているので、物語の認識を深めるのに一度読んでみようかな。


http://hikki-c.hateblo.jp/entry/2017/10/06/%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E8%A7%A3%E9%87%88
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c6

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
7. 中川隆[-12060] koaQ7Jey 2019年2月20日 12:31:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンチキリスト―悪に魅せられた人類の二千年史 – 1998/12/1
バーナード マッギン (著)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309223346/isisnejp-22/ref=nosim

333夜『アンチキリスト』パーナード・マッギン松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0333.html


 ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』の主題はアンチキリストの母親とは誰かという、ヨーロッパ2000年の謎を継承したシナリオにもとづいた映画だった。ミア・ファローはその途方もない苦悩をよく演じた。

 これにくらべると『オーメン』はアンチキリスト思想が20世紀末の世の中にはびこっていることを訴えるにはもってこいだったものの、ダミアンの頭髪の中の666の数字といい、犬狼的獣性の暗示といい、いささかハリウッド的すぎてもいた。

 現代においてアンチキリストの存在を信じているのは、世界中に数百万はいるといわれるキリスト教根本主義派(ファンダメンタリスト)たちである。かれらはちょっと信じがたい推理によって、現代においてもなおアンチキリストがいることを指摘する。たとえばヘンリー・キッシンジャー、たとえばミハイル・ゴルバチョフ、たとえばテレビ伝道師のパット・ロバートソン、たとえばサダム・フセイン……。

 アンチキリストが現代社会にひそんでいるという考え方は、現代文学にも露出している。

 T・S・エリオットが「本当の世界にわれわれを導くために綴られた超常的な作品」と絶賛したチャールズ・ウィリアムズの『万霊節の夜』は、大戦がやっと終わった1945年に発表された作品だが、主人公のクラーク・サイモンを魔術師シモンの再来として描いた。この作品はロンドンの日常性に隣接するらしい「シティ」というヴァーチャルな分身都市に迷いこんだ二人の男女をサイモンが支配するという筋書きだが、ウィリアムズはこうした奇怪なアナザーワールドを設定して、現代社会に巣食う「悪の本質」をアンチキリストとして象徴化した。この主題はウィリアムズの友人のC・S・ルイスも得意としたし、コリン・ウィルソンから荒俣宏におよぶ多くの批評家を虜にした。

 これより前の作品ではウラジーミル・ソロヴィヨフの『戦争・平和・終末に関する三つの会話』の中の「アンチキリストの短い物語」が目立つほか、それに影響をうけたアンドレイ・ベリの『ペテルブルク』、メレシコフスキーの『キリストとアンチキリスト』、ロバート・ヒュー・ベンソンの『世界の主』が際立った。アンチキリストは20世紀文学の主題のひとつでもあったのだ。

 現代文学が「悪」を描こうとすると、その作家やその作家が育った風土にキリスト教やギリシア正教があるばあい、多くのばあいにその主題はアンチキリスト観念と交差したのであった。

 これらの文学作品がアンチキリストを描いた源泉は、おそらくはドストエフスキーの『作家の日記』、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』の中の「大審問官」に起因しているとおもわれる。ドストエフスキーをはじめとするロシア文学がなぜに黙示的な傾向をもっていたかということは、すこぶる興味深い問題ではあるが、ここでは省いておきたい。

 では、いったいアンチキリストとは誰なのかということだ。
 どのように発生したキャラクターなのか。

 アンチキリストの存在を確信する異様な歴史は、しつこいほどにヨーロッパを襲ってきた。

 むろん恐怖が原因である。その恐怖は「あらゆる神性に刃向かう最終的人間の登場」に対する恐怖であって、それは究極の人間悪というものへの憎悪によっていた。神ももちろん畏怖の対象である。神こそは全知全能であり、最大の力の持ち主である。けれども、その神に救われるべき魂に「悪」が宿っていたらどうするか。神の善は人間の悪を必ず打倒してくれるのか。

 古代このかた、悪が誇ってきた例は枚挙にいとまがない。暴君や暴帝はいくらでもいたし、家族や共同体を破壊する悪人は数かぎりなく輩出していた。むしろ悪こそが力の象徴だったのだ。そうだとすれば、そのような人間悪は、憎悪の対象ではありながら、ひょっとすると神をも凌ぐ力をもつのではないか。

 恐怖とは、その恐怖なのである。ミルチャ・エリアーデが「歴史の恐怖」とさえよんだ恐怖であった。

 このような恐怖あるいは憎悪がどこから生まれたかというと、紀元前3世紀以降のユダヤ教第二神殿時代にまでさかのぼる。

 そこに黙示的なメシアの思想が芽生えたとき、そのメシアの存在こそが、同時にそのメシアに反旗をひるがえす集団にとっての憎悪の対象となったのである。

 ということは、アンチキリスト像の真の登場は、そのメシアがナザレのイエスとして登場したときだったということになる。意外なことに、イエスそのものの存在がアンチキリストの存在の原型なのである。なぜ、このような見方が成立するかということは、ちょっと考えてみればすぐ理解できる。イエスはメシアとして待望されたのであるが、そのイエス像が絶対化されたとたん、そのような絶対像に対極する絶対像が想定できるからである。

 もともとこういう見方の先駆的な温床となったのは、いわゆる黙示文学だった。
 黙示文学は神の啓示を伝える内容をもつが、大別すると二つの流れに分かれる。ひとつは天上界の秘密の解明を語るもので、これは各種の天界の物語となっていった。もうひとつは、その啓示の内容に時の神秘や時の流れが含まれるもので、ここに世界の年代やその終焉が語られ、歴史の終わりと新たな神の時代の始まりが予告された。時の終わりが綴られたのだ。

 なかで有名なのが『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』である。これらは悪の軍勢に対して神の裁きが下されるという内容だった。とくにその『ダニエル書』7−12章の黙示録はその歴史の終末の年代を暗示した。

 こうして黙示的終末論がはびこったのである。

 二つの気になる問題が蟠っていた。第1には、いったいその「神の裁き」はいつ下されるのかということだ。この算定は長期間にわたってキリスト教徒を悩ませる。3世紀にはヒッポリュトスが紀元500年が終末の日だとしたし、別の者たちは1000年とか1050年代を算定した。この算定合戦はひきもきらず、かのアイザック・ニュートンさえもがアンチキリストの出現の日時を『ダニエル書』と『ヨハネの黙示録』によって算定しようとしていたほどなのだ。

 第2には、おぞましくも強烈な新しいキャラクターが登場しそうなことである。悪魔(サタン)だった。その原型は第二神殿時代のユダヤ教や『ダニエル書』に「小さな角」と揶揄されたアンティオコス4世エピファネスにも見られるが、エッセネ派の分派クムラン宗団の"義の教師"に対する"偽りの教師"や"邪悪な司祭"や、ユダヤ教徒を迫害したヘロデ王にも見られた。

 ともかくも、終末がいつかくるはずだということと、悪魔が神に対抗するという発想とが車の両輪となって、以降、アンチキリスト像は加速的に強化されていく。

 本書は読むのにちょっと疲れる大著である。著者はシカゴ大学の神学部の研究者だが、黙示的信仰論と至福千年論の権威であるせいで、真面目すぎるし、詳しすぎるのだ。

 しかし、詳細な研究だけがアンチキリスト像を正確に浮上させるといってもよい。なにしろアンチキリストについてはあまりにもオカルト趣味が蔓延(はびこ)っている。つい『オーメン』や『エクソシスト』や、そうでなければルシフェロやダースベイダーの肩をもちたくなりかねない。ぼくもずいぶんいいかげんな議論にふりまわされてきた。

 しかし、本書でかなりのことが歴史的にはっきりした。ざっと次のようなことである。

 ひとつ、アンチキリストには6つの特性がある。

@ユダヤ人の血統をもっている、
A使徒を派遣する、
B世界中から民人を集める、
C追随者に徴(しるし)をつけたがる、
D人の姿をとってあらわれる、
E神殿をつくる。


 ひとつ、アンチキリストは「二重のアンチキリスト」としてあらわれる。奇蹟を与え、そして人類をことごとく滅亡させるという二重性である。

 ひとつ、アンチキリスト像がほぼ完全に確立したのは中世であるが、その背景にはアンチキリストを異教徒たちを改宗させる反面教師としてつかったことが大きかった。大グレゴリウスがその筆頭に立っている。

 ひとつ、背教者をアンチキリストにしたてることが流行した。ユスティニアヌスはその一人である。

 ひとつ、アンチキリスト像は6世紀前後に登場した『ヨハネの黙示録』の図版に大きく依存した。

 ひとつ、意外なことには、教皇こそが実はアンチキリストという言葉を普及させた張本人であり(十字軍の派遣のために教皇がアンチキリスト概念を拡張してしまった)、それが昂じて教皇権力の反対者からは教皇こそがアンチキリストであるという発想を出させてしまった。後世、教皇をアンチキリストとして弾劾した最も有名な男はマルティン・ルターだった。

 ひとつ、結局、アンチキリストを民衆に広めたのはユオン・ド・メリーの『中世騎士物語』である。

 このほか、アゾとビンゲンのヒルデガルトとフィオーレのヨアキムのヴィジョンがアンチキリストのイメージを引っ張ったということもわかった。

 しかし、ここまでは迷信深い中世までの出来事である。どんな説が出ようともおかしくはない。問題はそのようなアンチキリスト像がその後も生き延びて、20世紀の社会にもかぶさってきたということだ。

 理由はいくつかある。まず宗教改革とプロテスタンティズムがカトリック批判や教皇批判のためにアンチキリストのレッテルを活用した。これはエリザベス女王以降のイングランドでは決定的なものとなっている。ついで、ロシアがアンチキリスト・イメージの舞台になった。

 もともとロシアは17世紀には自分たちの国が"第3のローマ"であろうという自覚をもとうとしていた。モスクワ大公国に実現された教会=国家こそは『ダニエル書』2章の"第四の帝国"を任ずる最後の国であるという思想である。

 これがピョートル大帝の時期に潜在的に拡張し、ピョートル大帝の人格と悪政こそがアンチキリストの象徴であるというふうにみなされた。悪政とは私生活の乱脈とロシア社会の西欧化ということをさす(メレシコフスキーの『キリストとアンチキリスト』はピョートル大帝をアンチキリストとして徹底的に描いている)。ドストエフスキーやソロヴィヨフが"ロシア的黙示文学"ともいうべきを深化させた背景には、以上のような事情もあったのである。

 さらにナポレオンやナポレオン3世がアンチキリストに見立てられたことも大きかった。これは新大陸アメリカにわたったピューリタンたちの喧伝も手伝った。この風潮はアナキストをアンチキリスト呼ばわりする傾向にまで流れこんでいる。

 こういうぐあいで、アンチキリストは宗教の問題から社会の問題に横すべりしていった。

 ところが、こうした社会化したアンチキリストに対して、むしろ心理化したアンチキリストの存在の重要性を指摘した者があらわれた。カール・グスタフ・ユングである。ユングはキリスト教にはそもそもキリストとアンチキリストという二重性があると分析して、そのような二重性は「自我の影」としての人間の心の暗部を象徴する必然性なのだと説いた。

 ありうることである。ただし、そうなると誰の心にもアンチキリストが棲んでいるということになる。はたして、そこまで言えるのか。本書の著者はこのようなユングの見方に反対している。神学者であるマッギンはあくまで信仰における偏向の役割としてのアンチキリストを捉えたいからだ。

 しかし、ぼくが本書を読んだかぎりの感想では、アンチキリストの力はそもそもの歴史の当初から信仰の問題よりも心理の問題よりも、むしろ社会の問題として浮上してきたのではないかとおもわれる。いつかじっくり考えたい。

 意外なことに、アンチキリストという用語は、『ヨハネの第一の手紙』と『ヨハネの第二の手紙』だけにしか出てこない。

 それにもかかわらずアンチキリストという言葉が流布してしまったのは、さまざまな文書に「キリストに代わる者」とか「偽のキリスト」とか「キリストに対立する者」という言葉が頻繁にみられ、それらがやがて"一人のアンチキリスト"に集約されていったからである。

 とくに『ダニエル書』、パウロがテサロニケ人に送った二つの手紙、『ヨハネ黙示録』がアンチキリストの"原典"として何百回、何千回と読み替えられてきた。そこにエドム人ドエグ、ゴグとマゴグ、レビヤタン(リヴァイアサン)とベヘモート、魔術師シモン、七頭の龍の伝説、淫婦バビロンなどのキャラクターがアンチキリスト像に習合された。

 しかし、当時も今も、アンチキリストは複数者のことであって、世の中にはいくらでもアンチキリストがいるという見方がとられてきたのである。

参考¶著者のバーナード・マッギンには『黙示論的霊性』『終末のヴィジョン』『神秘主義の起源』『ヨーロッパの伝統における黙示的終末』など多くがあるようだが、翻訳書は『フィオーレのヨアキム』(平凡社)くらい。1937年の生まれで、最初は中世思想史を専攻していた。

https://1000ya.isis.ne.jp/0333.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c7

[近代史3] パゾリーニ 王女メディア (1969年) 中川隆
1. 中川隆[-12059] koaQ7Jey 2019年2月20日 12:41:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
the one and only PIER PAOLO PASOLINI !!
パゾリーニ映画鑑賞の試み〜王女メディア
http://www005.upp.so-net.ne.jp/guillo/pppstudy/ppp/esmedia.htm


−支えのないこの大地は沈むであろう!
 お前たちは、祈っていない!


イントロ・・・

さて「王女メディア」について見てみましょう。

そもそもメディアの物語はギリシャ数々の伝説のなかでも悲劇性の際だつもので、エウリピデス、セネカの劇作をはじめ、ドラクロアの絵画、ケルビーニのオペラなど幾多の芸術家たちにインスピレーションを与えてきました。映画としてはカールドライエルが計画したことがありますが実現せず、パゾリーニが初めて本格的に取り組んだことになります。

例によってパゾリーニ自身のこの作品に関する言葉からご紹介しましょう。

「王女メディアは、私が<アポロンの地獄>の時にもやろうとしていたことをギリギリにまで押し進めた作品である。<奇跡の丘>の時と同じように、ここでも砂漠が主役だ。だが<奇跡の丘>のとき、砂漠は地理的・肉体的なものとして扱われていたが、ここではむしろ人間にとっての内的な砂漠という意味で出ている点が違う」

「この映画は宗教(信仰)の生誕についての物語だ。エウリピデスのギリシャ悲劇とはほとんど関係ない。ふたつの並行的な宗教教育がある。裏返しの意味でのメディアのそれとケンタウロスによるイアソンへのそれだ」

この作品は<アポロンの地獄>同様に、ギリシャ悲劇を題材としたものですが、<アポロンの地獄>がかなりパゾリーニの個人史的・自伝的な思考に枠取られていたのに対して、こちらは相当直裁に、彼の文明史観を創造しあげたという点で、ギリシャ悲劇であることをすっかり忘れてしまうほどに独特の世界を構築しています。


物語・・田舎女の復讐、おそるべし!

ではその物語についてかいつまんでご紹介しますと・・。

ギリシャの英雄イアソンという人物がおりまして、彼は、元来自分のものとなるはずだった王国を返還してもらう条件として、全能を約束する「金毛羊皮」を求め、人類最初の船といわれるアルゴー船に乗って東方世界へ旅することになる。仲間にはあのヘラクレスやオルフェウスがおりまして、因みに映画では馬に飛び乗ろうとするのがヘラクレス、竪琴をつま弾くのがオルフェウスであります。途中いろいろと冒険などしながら(映画では割愛)やっと彼はコルキス国でその宝物を手に入れる。

そもそも「金毛羊皮」というのは中部ギリシャを治めていたプリクソスが継母に殺されそうになったところを助けたという人間の言葉を話し空を飛ぶ羊でありますが、それはともかくこれをイアソンが手に入れることが出来たのはコルキスの国の王女メディアが彼に入れ込んでしまったからで、彼女メディアは弟を殺し父に背き、イアソンの帰還の旅路に同行した。

ところがイアソンは王国返還の約束を破られギリシャ国内を放浪することとなり、コリント国で手厚く庇護を受けて王女グラウケの婿となります。自分は全てを捨て去ってイアソンについて来たのに彼に裏切られたメディアは、逆上して、グラウケとコリント国王を呪い殺し、またイアソンとの間にもうけた子供たちを殺す・・・。

復讐を遂げたメディアは魔法の竜の車に乗ってアテネへ逃亡する。概略これが「伝説・伝承」のなかのメディアの物語といえましょう。

これをベースに紀元前5世紀にはエウリピデスが「悲劇」を書き、以後、定番となったのであります。なんというか、テーマとして非常にモダンというか、現代にも通用する筋書きですね。田舎の旧家の娘が、都会からやってきた男に出会い、一切を捨てて駆け落ちした。ところがこの男は別の女と浮気して離婚話を口にする。頭にきた女は復讐のため浮気相手とその父親を殺し、自分たちの子供を殺して焼身自殺する、とまあ、今夜の夕刊にでも載りそうなメロドラマでもあります。


コルキスの人々


さてパゾリーニは当然に、こんなメロドラマを映画化したわけではありません。
これは実はこの作品を観賞するうえで重要なことです。つまり、メディアという物語は今述べたような現代のメロドラマにもなりうるという意味で、非常にドラマツルギーが緻密かつ普遍的な悲劇です。

一説によれば、古代ギリシャには小麦が採れないので、イアソンの東方遠征は小麦輸入ルートの開拓であった、というような歴史学的解釈も成り立ち得るこの物語は、同時に、夫の浮気に逆上した田舎女の復讐恐るべしという解釈をも許す、幅広く厚みのある世界を内包しています。つまり私たちはこの物語世界をどのようにも解釈出来るし、どのように観賞してもそれに耐え得る作品だ、と言えましょう。

ところがパゾリーニはこの物語世界を映画化するにあたり、まず、そういう豊かなドラマツルギーの一切を排除しております。彼の映画は寓意的なものが多く、ある一定の物語を語ってそれ以上でもそれ以下でもないというようないわゆるストーリー映画を作ることはしませんでしたが、この作品は特にそれが顕著であります。

徐々に物語に入り込むようなことを最初から拒絶ないしは黙殺して、いきなり古代世界の再創造を行ってみせる。それがこの映画の第一部すなわち古代かつ未開の国コルキスにおける五穀豊穣の呪術的祭りのシーン、延々と見せるサイレントシーンです。そして次に、先に述べた物語の筋書きを追って第二部が展開するのですが、第一部を充分に理解した後でないと第二部の中にはなかなか入り込むことが出来ない。入り込むというか、物語の展開に流されてしまいかねない。

従って、この作品はそもそもメディア悲劇をタイトルに借りただけ、とさえ言い得る印象を持っています。例えば白井佳夫氏もこのように書いています。

「彼はおそらく、この(第一部の祭りの)シーン一つに賭けて、無機質の大地の上に生きる人間の営為の意味を探るチャレンジを、どこかで一点突破させることが出来ればそれでいい、作品総重量の約五分の一のロケットの本体を未分明の新しい次元に打ち込むことが出来れば、残る五分の四の部分の犠牲としての切り離しも、またやむを得ない、というところまでやって来たのである」

誇大妄想的、古代??

確かにこの作品に見るべきは、まず古代世界の独特の造型であります。
わたしたちが空想する古代ギリシャとは明らかに異なる、剥き出しの荒々しい砂漠世界が<アポロンの地獄>の時のように登場します。

それは、この地上に、おそらくかつてあった試しのない世界であり、まったくパゾリーニの主観により再構成された世界です。というのも、ロケ地はトルコ、シリア、北イタリア、におよび、それらが実に齟齬無く繋がれている。またそこから聞こえて来る音楽は、日本の三味線から地唄、チベットの密教音楽、アラブ音楽に至るまで、幅広い趣向を備えており、世界の隅々、辺境の情景を呼び起こす力に満ちています。さらに特筆すべきは衣装や装飾でありまして、アフリカやジャワ、南米あたりの未開部族の装飾品といった感じのものをごちゃまぜにして<奇跡の丘>で見たようなざらついた毛織りの装束をまとった身に付けている。こうした人々が鮮やかなカラー映像で、荒々しい風景の中に定着されています。パゾリーニ自身はこれを次のように語っています。

「<アポロンの地獄>と同じく、この映画の時代も先史時代に設定したが、私には古典的な歴史映画を撮ろうという意思など全くなかった。だから時代考証などに神経を使わず、アフリカやアジア、ヨーロッパの衣装などをミックスしたものを使い、日本の音楽などを流したのだった」

例えばロケ地にしても、未開で呪術が支配しているメディアの故郷コルキスはトルコのカッパドキア地方であり、父親が娘の苦悩を心配するほどに理性的な国コリントはピサの、さすがに斜塔は登場しませんがその斜塔の近くのカンポサントでロケされている、といった具合です。

かつてあった試しはないが、こうであるべき世界を再創造すること。これは芸術家に与えられた使命とも言えるでしょうが、パゾリーニはこの作品においてまさにこの困難な仕事をやり遂げていると言えるのではないでしょうか。その時、「こうであるべき」とは、芸術家の主観、もっと言えば彼の世界観、思想を開示することであり、この独特の古代の造型にこそ、まずパゾリーニの思想を読み取ることが重要なのであります。

で、文明論之概略・・

その思想について検討する前に、もう少し、文化人類学的なアプローチ、アニミズムに「関する」知識(savoir)の豊富な彼がいかに古代世界を創造したか、細部を見てみましょう。

例えば神殿に祈りを捧げに行くメディアが炎の禊をするあたりには、日本にも同様の習俗が見出せます。わたしなどは、すこし合理的に描き過ぎているような気もしましたが、いかがでしょうか。

あるいは白井氏が、パゾリーニはこのシーン一つに賭けた、と言う第一部のコルキス国の五穀豊穣祈願の様子は、どうでしょう。生け贄の男が殺されてその血を作物のまだ若く青く輝いている葉に塗り付けるといったシーンですが、これもまた例えば中南米あたりの実際の古代の習俗を踏襲したものではあります。

蛇足になりますが、この祈願の最中に、おそらく農民たちと思われる多くの人々が、支配者たちに向かって唾を吐きかけるという面白い場面がありましたが、このブリューゲル的に「逆立ち」した年に一度の無礼講的な行為は、どこかに引用元があるのでしょうか、わたしは知りません。

とはいえ……しかし、だからといってオリジナリティが問われる筋合いのものではありません。これらの各部分がどことなく世界各地の呪術的習慣の寄せ集めのように思われるとしても、それらはいわばわたしたちにおけるユング的な集合的無意識を喚起させるものであり、それ以上に重きをなしているのは、それらを寄せ集めたところの総合的造型であります。重要と思われるのはこれらのシーンがあたかも完全にドキュメンタリーの形式で私たち観客の前に提示されているということなのです。


生け贄の男


今、それらを寄せ集めたところの総合的造型、と言いましたが、まさに彼の造型力は、これらのシーンの現実感について、あたかもリアリズム映画であるかのようにまでその迫真性を高めています。ふと我に返ると、これは詩人のイマジネーションの産物なのだと思い出すわけですが、私たちはまるでそのイマジネーション世界に実際に立ち会っているかのような印象を受けます。それがガタガタした手持ちカメラによる映像でわたしたちの前に提示されると、わたしたちは彼らコルキスの人々と同じ風に吹かれているような錯覚すらおぼえます。極端な比較ですが、例えばヤコペッテイ監督のモンド映画における覗き趣味、観客であるわたしたちには絶対に及ばない保証付きの似非ドキュメンタリーと比較すると、この王女メディアのリアリティには風の匂いさえ感じられます。

全体になんといいますか……、久米明のもったりしたナレーションで紹介されたとしても違和感のないほどに、これらのシーンは「素晴らしき世界旅行」の趣きを湛えています。それはつまり、人間の営みというものを、極めて冷静に私たちに伝えようとする手法・意図であり、あの文化この文明、といった差異は差異として、総じて人間の営みの根源にあるものをそのままに提示しようとしています。
そこで、ではその営みとは、なにか?  


祈り・・沈黙と、はかりあえるほどに・・

それは、冒頭に掲げた言葉に読み取れましょう。

−支えのないこの大地は沈むであろう! お前たちは、祈っていない!

これは、故国コルキスからギリシャの地に上陸したメディアが発する叫びです。

コルキスのシーン、特に「全体重量の五分の一」を占めるほどに克明かつ直裁に描かれ、私たち観客をそこに立ち会わせた五穀豊穣のシーンの中心にあったものは、すなわち「祈り」でありました。祈りは、同時に「恐れ」であり、沈黙ですらあります。長い長い台詞なしのコルキス。ショウミョウのように歌うか、あるいは泣き叫ぶかするだけのコルキスは、この祈りの国であり、祈りを支えとして大地に生け贄の血を吸い込ませ、またその遺灰を風に巻く赤裸々の土地でありました。コルキスにおいて、パゾリーニは、人間の営み、例えば生命を育むことのその根源に「祈り」があることを私たちに「見せて」います。それは教義や体系といった雄弁を生む以前の、きわめて素朴な沈黙における信心であり、同時に生命、豊穣、生存への希求と畏怖に貫かれた荒々しい信仰でもあります。

わたしは先にパゾリーニの次なる言葉を引用しました

「<奇跡の丘>のとき、砂漠は地理的・肉体的なものとして扱われていたが、ここではむしろ人間にとっての内的な砂漠という意味で出ている点が違う・・」と。

彼の言葉は相変わらず直感的ですけれど、例えば<奇跡の丘>と比較して、この映画における砂漠は、人間存在を極限にまで磨き上げ、まるで風土としての紙ヤスリと言いたいほどにもざらざらした質感をもっています。キリスト教義を主軸に展開されていった<奇跡の丘>においては、砂漠は、教義の納得性を高めるうえでの効果的な「背景」でありました。けれどもこのメディアにおいては、このような大地に生きる人間にとっての祈りの持つ意味を際だたせるための「主役」であり、それはつまり彼らの精神生活における風土なのであります。

これは<テオレマ>に登場する火山灰大地とも、おそらく質的に異なるでしょう。<テオレマ>における砂漠が、ブルジョワ家庭の、衣食住満たされてもなお潤いを欠いた、例えばアントニオーニ監督流の「砂漠」すなわち荒廃した内面生活の象徴であるのに対し、この王女メディアにおける砂漠は、文字通り彼らの厳しい生存状態を裏書きする生活環境であると同時に彼らの荒々しく力強い祈りと恐れを育む精神基盤としての風土でもあるのです。それが彼の言う「内的な砂漠」ということであります。


コルキスからの逃走と追跡


さて、祈り、とは論理にはなりにくいものです。論理になりえたら、それは祈りではないでしょう。祈りとは、非論理であり、それは合理主義的な理性の前ではもしかしたら野蛮な営みとさえ言いうるかもしれません。

洗練された都会人であるコリントの人々は、祈りとともに生きるメディアを恐れています。コリント国王は、娘グラウケがイアソンと結婚するに際しメディアのことを恐れている、とメディアに伝えに来ます。この国王の、娘を思う気持ちは、きわめて人間的であり理性的です。

けれども既にメディアの心中には復讐のための呪いが宿っています。呪いもまた、祈りと同じであります。第二部は、メディアの幻想のなかのシーンと、実際に起きたシーンと、二回もほとんど同じ映像が登場しますが、これは一体なぜなのか?
悲劇メディアの物語を字面通り描くだけでは上映時間に満たないからか? そうではないでしょう。呪い通りの運命を着実に辿っていくことの悲劇性を強調したいからか。それはあまりにギリシャ悲劇に即した見方ではありますが、納得性はあります。

しかしわたしは、この第二部は、白井氏の書くように第一部を際だたせるための「犠牲としての切り離し」を強いられたものというふうには考えません。

第二部には、パゾリーニが時として見せる、人間性への信頼、慈愛とも言うべき、ややアンビバレンツな情感が込められているように思えてならないのです。これが第一部の荒々しさ、悲愴なまでの厳格な風土との対比において滋味に似た味わいを、作品に与えていると言えるのではないでしょうか。

例えば上述のとおりコリント国王の娘に対する愛情。その国王であり父親でもある深刻な悩みは、例えば第一部に登場したイオルコス国王のような尊大な態度とは異なり、マッシモジロッティの荘重な好演もあって心情的に実に奥深く揺り動かされるものがあります。

それに、イアソンと結婚するにあたりメディアのことを悩むグラウケという存在は、マルガレーテクレメンティのオリエンタルな容貌ともあいまって、きわめてリリカルに描かれています。

また、最後に子供たちを風呂に入れる場面での、メディアの母親としての慈愛の深さはどうでしょうか。これを心中を前にした最後の慈愛ないし偽りの愛情と解釈するとしても、このような愛情深い感情表現はメディアの故国コルキスではおそらくありえようがないでしょう。

また、イアソンの、ソフィスティケートされたコリント生活における享楽ぶりや、古い連れ合いメディアを重荷と思う気持ち、またメディアがグラウケとの結婚を許した瞬間に見せる照れくさそうな微笑などは、人情味というものをとてもよく描いていると思えます。



こどもたち


つまるところこれら第二部の各シーンには、第一部における根源的な祈りと比較して、より人間的、ヒューマンなものへのパゾリーニ自身の愛着、後に続く<生の三部作>を予見させるような人間性の情緒的なものへの肯定的な眼差しが見受けられる、と言ったら、それは後知恵に過ぎるでしょうか? けれど生の三部作を捨象したとしても虚心坦懐にこのメディアを見ると、この第二部には、人間が人間を想うこと、が比較的情感豊かに描かれており、それは第一部の厳粛な沈黙の祈りと対置されてこそ、その豊かさが伝わるような作りとなっていると思います。

ただし、実際のところ第二部はもはやドキュメンタリーではありませんでした。そこがこの映画の難解な点でもあります。第二部は悲劇メディアの「復讐劇」という筋書きに忠実なドラマとなり、沈黙のかわりにセリフは増し、明らかに「見せる」第一部でなく「語る」第二部となっています。

本来的には、第二部は、第一部と同様に生態学的な眼差しをもって鑑賞すると、細部が理解されやすいのかも知れません。

けれども第一部に入り込み、そこに抜き差しならぬ驚異の世界を発見し、それだけで有頂天になってしまうと、この第二部は付け足しにしか思えなくなるかもしれません。或いはこの作品が悲劇メディアを映画化したものだという先入観から逃れられない人は、第一部の意味合いが理解できず、従って第二部の「悲劇物語」においてもその一般的な意味でのドラマツルギーすなわち葛藤の深まりのなさ、に失望するかも知れません。

この映画が唐突に終わるのは、すでにパゾリーニとしては語り終えてしまっているからでしょう。<豚小屋>と同様に、突然にエンドマークの出るこの作品は、その断ち切りによって、いわゆる「物語」を捨象する効果を高めていると思われます。女の復讐劇、という物語は、少しもこの映画に寄与していないと言えるのではないでしょうか。

寄与しているとすれば、未開未明ではあったが祈りの王国であった故郷を捨て去り、遠い異国にて今、漂泊する魂に揺さぶられている巫女の、依然として神々しく気高く、その存在自体が悲劇である様子をあますところなく演じきったマリアカラス一世一代の名演によるものが大きいでしょう。

例によっての蛇足を、しばし・・

さて、あまりに長くなりすぎましたので、その他あれこれの雑感について、足早に思い巡らしてみましょう。

ケンタウロスがしきりに現代、現代、と語る時、わたしたちはどきりとします。わたしたち観客に対して直接に語りかけてくるこの語り口は、例えば<アポロンの地獄>や<豚小屋>の時のような「古代編・現代編」のシンメトリックないしパラレルな構造よりも余程にさりげなく、かつショッキングでもあります。

パゾリーニは「私が描いたのは現代の反映である」と語って憚りませんが、穿った見方をして、例えば現代劇<テオレマ>を、この王女メディア風の発想で捕らえた場合、どうでしょうか。女中だけがブルジョワ一家の面々とは異なる結末を迎えること。それはすなわち彼女に、恐れがあり、祈りがあることではなかったでしょうか。「けれども我々は何を祈ったらいいのでしょうか?」<テオレマ>に登場するジャーナリストたちは、このような、答えのない問いを発していたのではないでしょうか。

パゾリーニの発言を見ますと、この映画は、いわゆる第三世界が「西洋化」(すでに「ノスタルジック」な言葉にも思われますね)に直面して、その聖なる世界が瓦解し、もはや元には戻れない、という悲劇的な状況を描いたものである、とのことです。その意図は果たして、今もなおこの映画から伝わるでしょうか? 

おそらく「解説」として聞かされなくては、もはや気がつかないのではないでしょうか。メディアが、聖性を失う第三世界のアナロジーであり、イアソンはその聖性を発見していくプラグマチックな西洋文明のアナロジーであるという、そうした理屈ばった解釈ないし企画意図の考察については、「聖なるものと政治なるもの」のふたつの土手の間を奔流となって流れた彼の思想の検討概説の方に譲りたいと思います。

谷川俊太郎氏は、パゾリーニは猿が人間になろうとしている、その瞬間に生じているような根元的な事柄をそのままに定着しようとしているのではないか、といった所感を述べておられますが、まさに同感です。

例えば<2001年宇宙の旅>で、猿が道具となった骨を投げると空中で宇宙船に切り替わるという有名なシーンがあります。キューブリックとクラークは、このシーンで数万年にもわたる歴史を飛び越えようとしたのでしょうが、それはいささか物質文明と科学技術中心の一面的な発想と言わざるを得ません。

わたしはこの王女メディアを見るたびに、先の谷川俊太郎氏の所感もあいまって、キューブリックとクラークが単純に飛び越えようとした部分にこそパゾリーニが切り込んでいこうとしたのではないか、と思います。特に、<2001年宇宙の旅>における類人猿たちの生活環境とほとんど違わぬ荒野に生きるコルキスの人々と、その空気を共に吸い、共に風に吹かれると、ついそのように考えてしまいます・・
http://www005.upp.so-net.ne.jp/guillo/pppstudy/ppp/esmedia.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/257.html#c1

[近代史3] アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔 中川隆
13. 中川隆[-12058] koaQ7Jey 2019年2月20日 13:08:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

薬物に溺れたヒトラーの秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9y68Yndc5SU
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html#c13
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
153. 中川隆[-12057] koaQ7Jey 2019年2月20日 13:35:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

1月の貿易赤字、1兆4千億円 中国向け輸出が大幅減
2/20(水) 9:21配信 共同通信


 財務省が20日発表した1月の貿易統計(速報、通関ベース)によると、輸出から輸入を差し引いた貿易収支は1兆4152億円の赤字だった。赤字は4カ月連続。中国向けの輸出が前年同月比17.4%減の9581億円と大幅に落ち込んだ。

 全体の輸出は船舶や半導体製造装置などが大幅に減少し、8.4%減の5兆5742億円。輸入は液化天然ガス(LNG)が押し上げた一方、原油などが減り0.6%減の6兆9895億円となった。

 国・地域別では、米国に対する貿易収支が3674億円の黒字で、7カ月ぶりに増加した。対中国は8797億円の赤字だった。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c153

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
20. 中川隆[-12056] koaQ7Jey 2019年2月20日 14:44:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019.02.20
秋篠宮殿下、10億円「仮住まい」、33億円「大豪邸」に批判の声——「大嘗祭を質素に」とのダブスタ
https://rondan.net/16228

Contents

1 新秋篠宮邸
2 大豪邸に批判の声
3 大嘗祭を質素にの真意は?
4 旧御仮寓所と新御仮寓所
5 【アンケート】総額43億円の“新”秋篠宮邸に納得できますか?


新秋篠宮邸

秋篠宮殿下の役割が、御代替わりとともに大きくなります。そのため、秋篠宮殿下の邸宅が大増築されることになりました。

『週刊女性』(2019.3.5号)が伝えるところによれば、“新”秋篠宮邸に約33億円、改築が終わるまでの仮住まいとして新築される御仮寓所が約10億円と、合計43億円にも上る大豪邸です。

質素だった旧御仮寓所から着々と巨大化しているのが解りますね…。

2022年には延べ面積にして55倍+13倍=68倍にも!。



大豪邸に批判の声

従来の施設を転用することもなく、あらたに43億円も使い大増築することに疑問の声が上がっています。


「秋篠宮邸が3年間の改修工事となるため、その『仮住まい』となるのがこの御仮寓所。なんと建設費等で10億円もの『要塞』だそうです。あくまでも『仮住まい』にもかかわらず新築、しかも10億円というのが衝撃的で、世間的にはあり得ないということで、戸惑いの声も多く聞こえてきます。さらに宮邸改築に33億円ですからね……。

ここまで小室さんの騒動を大きくした一端が秋篠宮家にもあるのでは、という声もあるだけに、今回の御仮寓所に関しては批判的な見方も強くなっています。無論、建築概要書まで開示した『女性自身』にはやりすぎの声もありますが……」(記者)
Business Journal



「今回の御仮寓所はわかりやすい話だけに、小室さんに集中した批判の矛先が移ってもおかしくはないでしょう。世間として50億円近い『家絡み』の予算に共感できるわけもなく……。

国民の税金が絡むだけに、やはりデリケートな問題。小室さんの件を解決するどころではなくなるかも……」(同)
Business Journal

小室圭さんの金銭トラブルについては「まだ、婚約前ですので、人の家のことについて、私が何か言うのは、はばかられますけれども」などといって自分の責任を放棄して、責任を小室さんだけに丸投げしてにしてしまっていました。この秋篠宮殿下の言動には「逃げているだけで、不適切に問題を混迷させているだけ」と、保守論客・八幡和郎氏から批判されています。

大嘗祭を質素にの真意は?

この様に自宅に43億円投資される秋篠宮殿下なのですが、一方で新天皇が執り行う大嘗祭については規模を縮小すべしと主張されていました。


秋篠宮殿下 ……例えば即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。

その宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか。これは平成の時の大嘗祭の時にも、そうするべきではないという立場だったわけですが、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですが。今回も結局その時を踏襲してすることになったわけです。……

ただ、宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、私は、やはり内廷会計で行うべきだと思っています。ただそれをするためには相当な費用がかかりますが、大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。

ただそのできる範囲で、言ってみれば身の丈に合った儀式にすれば、少なくとも皇室の行事と言っていますし、そういう形で行うのが、本来の姿ではないかと思いますし、宮内庁長官などにはかなり私も言っているんです。ただ残念ながらそこを考えること、言ってみれば、話を聞く耳を持たなかった。そのことは、私は非常に残念なことだったと思っています。


秋篠宮殿下2018年お誕生日会見

確かに大嘗祭は明治になって国威発揚で大規模になったという歴史背景があるそうです。柳田國男も「大嘗祭ニ関スル所感」のなかで、大規模になった大嘗祭は本来の姿ではないと批判的に記しています。確かにこれには一理あるでしょう。

しかしそれならば、秋篠宮殿下も、旧御仮寓所の頃の質素な精神を思い起こされて、国民の理解を得られにくい“新”秋篠宮邸の大豪邸化を控えられるべきではなかったのでしょうか? 婚約内定者の400万円の金銭トラブルすら見捨てるというのに……。

小室圭さんの問題と併せて、秋篠宮殿下の資質に疑義が生じるのも致し方のないことでしょう。

旧御仮寓所と新御仮寓所

↑旧御仮寓所


↑新御仮寓所


https://rondan.net/16228
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c20

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
2. 中川隆[-12055] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:01:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

美智子様|美智子様の真実 2017.12.18

美智子皇后の真実@@
愛と慈しみの美智子皇后、出自と育ちと学歴、聖心女学院時代、皇太子妃候補時代、
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=836

「皇后」美智子様。

国民からの敬愛を一身にあつめる慈愛の皇后・美智子様には不思議が一杯。

ご成婚前後では、明仁皇太子よりかなり低かった身長が、、、

第二子ご流産のあと半年の御静養のあと、突然、明仁皇太子より高くなり、

平成になると明仁天皇と同じ背丈になるという不思議。

生涯かかわらないはずの耳の位置も形も違うし、、、

ご成婚時にはハート形の大きな耳が、第二子ご流産後小さく「く」の字になって、位置も高くなり、平成になると耳が長くなって低い位置に移動する不思議な耳。もちろん、額のカーブや顎の形も違う。

同じ時期に複数の美智子さんがいるみたいだし。

※掲示板よりおかりしています。

複数の美智子様の謎に関する検証は「美智子様の影武者」で取り上げることにして、今回は、美智子様伝説の検証をしたいと思います。

皇后美智子のwikiを読んでて、あまりに、その内容のひどさに腹がたったので書いてみました。いままでの、まとめ的なものになります。


皇后美智子 – Wikipedia

少女時代 wiki

1934年(昭和9年)10月20日、日清製粉勤務の正田英三郎・冨美(1981年(昭和56年)に富美子と改名した)夫妻の長女として東京府東京市本郷区(現:東京都文京区東部)・東京帝国大学医学部附属病院で誕生。

大和郷(やまとむら)幼稚園、雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園を経て、1941年(昭和16年)に雙葉学園雙葉小学校に入学するが、1944年(昭和19年)、疎開のため、神奈川県の乃木高等女学校附属小学校(現・湘南白百合学園小学校)、群馬県の館林南国民学校(現在の館林市立第二小学校)、長野県の軽井沢東国民学校と転校を繰り返し、軽井沢にて終戦を迎えた。雙葉学園を受験する際、本郷区大和郷の俵孝太郎旧居に、一時在住したこともある。

小学生時代の性格は、担任の回想では真面目な女の子・活発で勝ち気だった・神経質な性格だったとされていて、スポーツが得意な女の子だった。また、ピアノ・絵画・料理、香道も習っていた。1947年(昭和22年)3月、雙葉学園雙葉小学校を卒業するが、当時は五反田に在住しており通学に不便なことから聖心女子学院中等科へ入学する。

wiki

1953年(昭和28年)3月、聖心女子学院高等科を卒業。

中高時代も成績はトップクラスで、当時の愛称は米国の人気子役であったシャーリー・テンプルのような天然パーマだった事から「テンプルちゃん」や「ミッチ」「ミチ」と呼ばれていた。

雅子様大好きさまより転載です。

http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-330.html

1951年 日付は不明 従姉とテニスコートで16才の美智子様

美智子様すてき☆健康的☆
世間はマダマダ配給制で食糧難だったんだけどね☆

正田さんチはイロイロいっぱいあったんだろうね☆

だからひたすら
「少女の頃の疎開の思い出が…つらかったのつらかったの…」
って言い続けるの♡

だって言えないじゃん、
まさか、フツーの国民が飢餓状態にあるのに
正田サンちは軽井沢でテニスコートして子供たちは健康優良児でしたアーなんて。

(ここまで)

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15歳の頃から、親の公認で、竹山パーティーなるエリート対象の婚活パーティーで、ダンスを踊ってた美智子さま。名門女子高に通いながら、アルコールも入るだろう大人のパーティーで大活躍。

当時は女性は16歳で婚姻が可能でした。「婚活するなら若い方が有利」という、その発想は、妓生か、水商売の世界でのお話のはず。母親の出自がわかる、娘の売り込み方でした。

第一ボタンをはずして、メンチを切ってガンをとばす美智子さま。

耳には球形のピアス。この次代の女学生がピアス。この当時としては異様ですね。

この時代、ピアスをしている女性は、中華系かあるいはパンパンといわれた進駐軍相手の女性だけだそうです。

テニスでの、口癖は「やばい」。

皇太子と結婚した後、新聞記者が、美智子さまが、タバコの火をつけてくれた、と回想しているとこみると、本人が喫煙していたか、大人の男性の接待していた可能性が大木ですね。

ことばの乱れに、服装の乱れに、性のみだれ。

それを、世間ではヤンキーといいます。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm

… 無題 Name 名無し 15/10/15(木)20:22 id:feDM8vdk No.1435572

「御徒町が恋しい。」
…御成婚の後、皇居の《籠の鳥》となられた、お可哀想な
美智子妃殿下が そう、おっしゃったそうな…。
「アメ横」に、自由の身であった頃は通っていたそうな。

「アメ横」→戦前は「しょうべん横町」と呼ばれた。
戦後は、闇市の場となり
愚連隊の温床となった。
その中の最大の集団「血桜団」は、朝鮮人連盟と結託して、
賭博、かっぱらい、恐喝、女衒、街娼のショバ代を
稼ぎの源とした。

…今尚、中国人.韓国人であふれ、風俗の多い場所です。

(ここまで)

当時、アメ横なる場所は、パンパンといわれる進駐軍さん目当ての商売されている女性が多かったみたい。美智子さまの英語は、ここで鍛えられたのかもしれません。


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1957年(昭和32年)聖心女子大学文学部外国語外国文学科(英文学)を首席で卒業。

首席にしては、寂しい成績。

Aが46
Bが26
Cが4

http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/cat_802250.html?p=8


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在学中はクラスの福祉委員(ウェルフェア・メンバー)委員長、プレジデント(全学自治会会長)としても活動していた。卒業式では、総代として答辞を読んだ。

美智子自身は大学院進学も希望していたが、両親の意向もあり家庭に入る。クラブ活動では合唱部・英語劇クラブ・テニス部に所属していた。テニスでは在学中に新進トーナメントに優勝して、関東学生ランキングの第4位にランクンインした。

昭和29年度の成人の日記念の読売新聞社主催の感想文では2位に入選した。大学の卒業論文は『ゴーズワージーのフォーサイト・クロニエル』で大学卒業後にフランス語の勉強をしながら19世紀の児童文学の研究を続けていた。



お顔の変容は、整形したから?と思っていたのですが、実は別人だったことの可能性が高いようです。

「美智子さまの影武者」で検証しています。

見合いは惨敗 25連敗の末波多野という青年と婚約

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf
<15/22>ページ

菊池委員
まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。 そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが 流布されております。

週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員
非常にご立派な方で、従前にもいろいろ結婚のお申込みがあったように伺いますけれども 、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf

(ここまで)

三島由紀夫「つまらない女」
三島由紀夫とも「観劇でたまたま顔を合わせて、席がちかくなった」風お見合いもした。

三島「つまらない女」

三島祖母「母親がダメ」

お断りされてしまう。26人目が、明仁皇太子殿下。

お見合いが、ことごとく玉砕したころ、GHQから、皇室破壊工作員にならないかという、お誘いがあったのは、このころではないでしょうか。

皇太子妃に化けて皇室にもぐりこみ、「新しい皇室」をつくるため、破壊活動をおこなうという簡単なミッションです。見返りは、怪しげな家系図をもっている正田家を名家にすること、日清製粉を大企業にすること。パパもママも大張り切りでしょうぶにかけます。


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同年8月、軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会にて当時皇太子だった明仁親王と出会う。

お妃候補となった時期、不思議なことに2人の美智子様がいるのです。

左:正田美智子 顔のパーツが中心によっている。額の生え際がまばら、面長な顔立ち。

右:ご成婚した美智子 横に張った丸顔、富士額、極端な猫背

正田美智子

ご成婚した美智子

テニスコートに送られ、皇太子とご成婚したのは、オカメ顔のミッチーでした。

察するに、「続・美智子様の真実」で取り上げていますが、最初から正田家から皇太子妃を出すといことは数年前から決定していたようです。

ただ、肝心の正田家の美智子が、いかがわしい街に入り浸るヤンキーだったので、皇太子妃は無理とされ、代わりに別の女性が正田美智子としてテニスコートへ送られたとみていいと思います。それが、オカメ顔ミッチ―だったのではないでしょうか。


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テニスコートの誓いにちなんだ「テニスコートの出会い」として知られる。

その後もテニスを通して交際を深めたといわれる。明仁親王は美智子の写真を「女ともだち」と題して宮内庁職員の文化祭に出品したが、皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然と考えられていた時代であり、誰も彼女をお妃候補とは思わなかったようである。

美智子ありきのお妃選びと母親の出自が不明

しかしながら、最初から美智子さまありきの、お妃選びだったのね。

松平女史が、旧華族からお妃に推薦する方のお名前を挙げても、職員はスルーして、一切動こうとしませんでした。

そして、お妃選びに携わった小泉氏と正田家とは、お妃選びよりもっと前からの関係だったようです。

美智子様の母の富美の父が副島網雄氏です。この方がめっぽうあやしいのです。

※伏見氏のブログよりお借りしてます。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/cba5252fd36c9a982081f6e77b3b9719

投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。
ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。
副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。
武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。
美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

(ここまで)

コメント欄より

美智子さんのWikiにある「中支那振興常務理事 副島綱雄の長女」 で、中支那振興が、富美さんが上海で生まれた頃には出てこないので、色々と調べてみました。
ブログに(正田家の闇だったかな)中支那振興が出てたので、クリックしてみますと、「見つかりません」ではなく「削除されました」となっておりました。
とっても臭ったのですよ。

(略)

私は何故戸籍のない綱雄さんが、中支振興常務理事になれのか不思議でした。

その戸籍のない綱雄さんの娘さんの為に、当時トップの為替銀行(横浜正金銀行)の頭取がお仲人までしてるのも不思議でした。
そしてそのトップの為替銀行の中に、富美さんの娘・美智子さんの陰謀めいた入内を決行した小泉信三さんのお父上・小泉信吉さんが、銀行の運営をしていたことも不思議でした。

伏見様のブログに依る新事実:

かつて佐賀県多久に網雄さんと言う男性がいて、若い頃上海で仕事をしてました。
1923年に、娘富美を連れて帰国。
1959年の皇太子妃婚約前に、副島家に戸籍を売って下さいと頼みに来たが、断られたので、勝手に副島を名乗った。

本当に不思議なことだらけです。

(以上)


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1958年(昭和33年)、ベルギーにて開催された「聖心世界同窓会」第1回世界会議の日本代表として出席し、欧米各国に訪問旅行。

そして、美智子さんのママは、条件を吊り上げるために「嫌だ嫌だ」「皇室に嫁にやるのは嫌だ」を連呼してます。演技です。

正田富美(美智子の母)

「縁談には、どうしても一種のストラッグル(闘争)という面が出てきますものね」
「いいたいことをいわしていただいた。よくあちらさまが我慢なさったと思うくらい」

娘を高く売る交渉はがんばってたみたいね。


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同年11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。

海外マスコミが第一報のお妃決定 皇室会議を得ていない貴賤婚

1959年

11月17日 ニューズウイークが皇太子妃決定の配信

「テニスコートの恋」「明仁皇太子妃に正田美智子」

11月24日 宮内庁公電をもって館林=正田家に通知

11月27日 皇室会議

1960年

02月06日 国会 昭和34年内閣委員会議事録より

「国会も何ら御結婚について知らされておりません。」

皇室会議が開かれたのは(昭和34年 注33年の誤記か?)十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。

(岸信介元総理大臣)

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

(ここまで)

異教徒の皇太子妃

美智子さんが、カトリック教徒でないのかどうか、念を押されましたが、

「ちがいます。洗礼は受けていません」

カトリック系聖心女学院の総代になるには、カトリック教徒でないと無理なのに、総代になった美智子さま。小中高大とカトリック系の学校に一貫して通い、親戚縁者みなカトリック教徒。ご本人が、洗礼を受けていないなんてありえませんが、、、、。

さらに、皇室会議で審議されたわけではありません。

ようは、明仁皇太子が勝手に私的に妻にした女性であり、卑賎結婚であるということです。

そのため、美智子さんは正妃としてみなされず、明仁皇太子、明仁天皇のツマ、正田美智子という扱いです。

そもそもお妃決定は海外のマスコミのリークから始まり、ずるずると印象操作で事実化し、事実婚になってしまった結婚です。

皇室典範の範外であり、かつ、家系、信仰などの偽証があるため、この結婚は無効となるべき結婚です。少なくとも、美智子さんは、妃、親王妃、皇后ではありません。

このお写真をとったのは、朝日新聞記者の佐伯さん。

フリーパスで、正田家に出入りできたただ一人の方。多くの正田邸内での美智子さまの御写真を撮りのこしておられます。嫁入り前の娘の部屋に記者とはいえ男性を好きに出入りさせ、たくさんのお写真を撮らせる。この当時の名家とは思えないあり方です。

佐伯氏の回想より

応接間で美智子さんと母の冨美(後に富美子に改名)さんに号外を見せると、突然美智子さんが、わっと泣き崩れた。美智子さんは両手で顔を押さえていたように思う。冨美さんは「こんな格好をするのは礼拝のときのカトリックを連想させるの」

以上

あれ???

ご縁談に不満があるんじゃなかったのでは??


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同日記者会見にて、記者から明仁親王の魅力について問われ「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました」と回答。これは流行語にもなった。

また第一印象について「ご清潔な方」とした。
f:id:e-vis:20151208204151j:plain
youtubeなどで当時の会見をみることができますが、日本語がおかしいんですね。

記憶する能力はあるものの、日本語の会話になれていない方のようにみえます。


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清楚で知的な美貌を持った美智子の姿は絶大な人気を集め、明仁親王と美智子の巨大な写真がデパートに飾られる・「美智子さまぬりえ」が発売される等のミッチー・ブームが起こる。テレビの受信台数も急増した。

嫌だ嫌だといいながらも、でも、ママさん嬉しそう。

通説

正田家は、美智子さんの入内のために、会社が傾くほどの勢いでお金をかけたといわれています。

旧華族には、お金がない。

新興資産家の正田家には御金がある。

だから、皇太子妃の入内に相応しい費用を負担できた正田美智子さん以外は皇太子妃はありえなかった。という論調で統一されていましたが、、、、

入内のための準備

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/1.htm?

昭和34年03月23日 参 – 予算委員会第一分科会

Name 名無し 15/11/24(火)22:33ID:.gMkV5Aw No.1460398

高田なほ子君

今度の御婚儀で妃殿下になられる正田美智子さんの費用は
大体百五十万円という御説明がございました。

無題 Name 名無し 15/11/24(火)22:37 ID:.gMkV5Aw No.1460399
政府委員(瓜生順良君) われわれの方といたしましては、むだなものはお作りにならないように、必要なものだけにとどめていただくようにしております。

しかも、この式の前後に必要なものだけを今調製して、御成婚後に必要なものは、
こちらへおいでになってからお作りになればよろしいからというふうに申し上げておる次第であります。

無題 Name 名無し 15/11/24(火)22:38 ID:.gMkV5Aw No.1460400
なお、いろいろお作りになっておるもののうちで、公式の儀式に要るようなものは、
先ほど申しましたように、宮廷費という国の予算の方で作りまするが、
私的な、たとえば今の振袖なんかの中でそういう部分もあるかと思いまするが、

それからいろいろ御旅行のためにお出かけになるときの服装とか、
御参拝になるときの服装ですとか、そういうようなものにつきましては、
これはいずれにしてもこちらへ持って、おいでになりまするので、
しかもこちらへおいでになってから必要なものでございますので、
実を申し上げますと、皇室の内廷費でお作りしておるわけであります。

以上

常陸宮華子様も、紀子様も、雅子さんも、準備するための費用は国からでているのに、川嶋家だけが、国から支給されたという風にデマを流した犯人は、正田以外にありえません。

結婚後も、正田家から、援助金が振り込まれていたといううわさは聞いたことありましたが、それは、とほうもない浪費をごまかすために、流した噂でしょう。お金を入れてたとしたら、贈与税がかかるのだけど、証明できるのかしら。

かくて、嘘に嘘を重ねて、雪だるまみたいに膨れ上がっっていく、正田美智子のタレント人生が、はじまります。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=836
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c2

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
3. 中川隆[-12054] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:05:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017.12.18
美智子皇后の真実A@皇太子妃時代、いじめにあう「可哀想な」美智子様
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=839



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皇太子妃時代

1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と結婚、明治以降初めての民間出身の皇太子妃となる。同日の成婚パレードには、沿道に53万人もの市民が集まり、皇太子および同妃を熱烈に祝福した。

第二次世界大戦が終わったあと、 新たな「目に見えない」戦争が始まりました。

アメリカとの戦いのように、倒すか倒されるか、ではなく、日本というアイデンティティを持ちこたえるか、内部から溶解され食いつぶされるかの戦いでした。

病に似ています。

体内に入り込んだビールスが、中枢を狙って進み寄生し支配し違う波動で人間の体を違うものにしてしまうのを防ぐ守りの戦いに似ています。

日本の中心部の皇室には、戦前から、すでに多数のカトリック、左翼、解放同盟とかかわる人たち、また、かつてのGHQにつながる人たちが跋扈して、美智子さんをバックアップしていました。

入江侍従長、明仁さんの教育責任者の小泉信三、北白川女官長はもとより、徳仁親王の侍従であった浜尾さんもカトリックでした。

やり方は朝鮮が中国の王朝を食いつぶしたのと同じ方法ですね。

・中国皇帝の後宮に宦官をまず送り込んで、宮中で勢力を確保する。

・その後、貢女を送りこみ、全力でバックアップして后妃に押し上げる。

・ライバルはつぶす。

・真に中国帝国のことを思う国士は、皇帝の権力でもって獄死させ潰す。

中国という巨大な帝国を支配し、乗っ取り私物化するためには、皇帝一人をおさえれば、いいだけの話。

なんども、同じパターンで中国の帝国は弱体化し、白蟻みたいに食い尽くされた家屋のように倒れました。

日本も、いま、おんなじことされていますね。

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晴れがましいご成婚のパレード・民間での祝福ムードとは対照的に、貴賤結婚であることや選に漏れた他の候補者に北白川肇子など元皇族の“お嬢様”がいたことなどの理由から、一部の皇族・女官に受け入れられず、元皇族・元華族の婦人らからも一挙手一投足に至るまで非難され続けたが、一切の反論をしなかった。

「本人の口からは公表しなった」

が、週刊誌、マスコミを使って被害者と加害者をすりかえて、気に入らない相手をバッシングするのが、一貫した美智子さまの方法です。

松平女史や牧野女官長が、

「美智子さんが、皇太子さまの負担になってはいけない」

ということで、宮中のしきたりや作法を、お教えするも反抗する美智子さん。

松平女史

「わかったわよ。すべてが。母親の冨美さん、上海育ちだったので、彼女は大陸夫人です。だからよ。」

宮妃が、美智子さまの御帽子のゆがみを直して差し上げても、すぐにもとに戻してしまう。衣装の約束事が一切守れない。自己中心的な美意識とこだわりがあるらしく、それにそって行動するのでマナー違反が続き、海外王族とのお付き合いにも障りが出始めるのね。

サッシュが素肌にかかるのはルール違反なのに、もろたすき掛け。

ティアラに着物

英国王太子の結婚式に、白いドレスに白いベール付き帽子をつけての参列。

「めだってよかった」とデザイナーをねぎらう。

皇室に泥を塗り恥をぬりつづけた「お美しい美智子様」でした。


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一方、もと内親王であり、美智子妃の義理の姉にあたる、東久邇成子より自宅のホームパーティーに招かれるなど、好意的な旧皇族も存在した。

成子さまが、5人の御子さまをのこして病を得て崩御されたのは36歳。

戦後、宮家や華族が零落て経済的な困難がきわまり、お庭に御芋をうえても、うまくいかない、とかたられてた成子さま。

49日もしないうちに、明仁皇太子一家は、笑顔で軽井沢へ出発。

※雅子様大好き様よりお借りしてます。

http://masakosamalove.blog.fc2.com/

さらには、入江侍従長の記録によると、第一皇女を喪って悲しみに沈んていたご静養中の両陛下を、「つまらないことで」文句を言うために、押しかけてきて、がみがみ文句を言ったのは美智子さま。

昭和天皇は「わかった」とだけおおせになり、皇后は沈黙したままだったという。

上のお写真は、経済的に困窮してた長姉をよそに、贅沢三昧にくらしているさまが、よくわかるお写真ですね。

そして、成子さまの三回忌。

一人だけ和装で参加。

週刊誌に「肩を落とされた美智子さまが印象的だった」とかかせています。

演技、カメラの前で演技すること、タレント化した皇族です。


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またパレードの際にも暴漢が馬車を襲撃して取り押さえられる事件が起こるなどもあって苦難の日々が続いたが、皇太子および同妃は努めて献身的に公務をこなした。

これも不思議な事件ですね。お酒を飲んでよっぱらった男性がパレードに闖入したのですが、警備が機能していなかったのが謎です。


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このような状況にあって、皇太子明仁親王の弟宮にあたる常陸宮正仁親王は常に美智子妃を庇い、よき相談相手だった。

30 Sep 1964, Tokyo, Japan — Tokyo, Japan: Royal Newlyweds. Newlywed Prince and Princess Hitachi pose at the doorway of the imperial Palace September 30th, following a ceremony which included their receiving a new family name from the emperor. The Prince, formerly known as Prince Yoshi, (the emperor’s younger son), married Hanako Tsugaru, a Tokyo society girl, in the ancient rites of the Shinto Religion. — Image by © Bettmann/CORBIS

弟宮の妃には平民からむかえるべきって、明仁皇太子を使って、昭和陛下に言わせたのは、美智子さまでした。

候補には味の素の社長の娘があがっていたとか。粉屋の次は味の素かと、反対派は罵倒したそうな。


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そして、1960年(昭和35年)2月23日に第一男子浩宮徳仁親王が誕生した。

出産後、昭和天皇、香淳皇后より「ごくろうさまでした。しっかり、静養するように」とねぎらいの言葉をかけられた。





宮内庁病院で、午後4時15分に男児を出産。

・予定日より8日早い。
・2540グラム、身長47センチ。
・標準より少し小さい。

・ 徳仁さまは、促進剤を入れて御誕生。

たいてい、こういう処置がとられるのは、予定日を過ぎても出産の気配がないから、という理由が多いと思うのだけど、もしかして、本当の出産予定日は、とっくにすぎてたので、無理やり出したのではありませんでしょうか。

きになるのは、美智子さまの、御里帰りは頻繁で最初の年で10回を超えること。

5月の初旬が最初の御里帰りの日ですね。

2月23日から、受精日は逆算すると5月の半ば。でももっと早い段階で受精した場合は、2月23日だと育ちすぎてい時期なのかも?

お忍びで、お出かけになったことも、しょっちゅうらしいですね。

そのなかでのご懐妊です。

正田家は美智子以外の人はみな長身が多いのですが、実物の徳仁親王を見たかたによると、徳仁親王は150pそこそこの身長で、高く見積もっても155センチくらいだそうです。

そして、成人した親王はなぜか朝鮮人に似てます。

釣り目を整形

整形前です。成人したあともワシ鼻ではありません。

整形後。不自然な垂れ方ですよね。

本来の顔、は天皇家の誰にも似ていない徳仁親王。

でも、美智子さまと親しかった新聞記者に似ているのが不思議です。

佐伯氏の歯並びを治すと、徳仁さんと似た顔になりますね。

下の画像の左側の徳仁さんは耳が低い位置にある徳仁さんです。佐伯氏の歯並びをきちんとすると15歳の皇太子に似ています。

複数の徳仁さんがおり、ダブルを含めて、御成人まえは3人、御成人後は新たに2人確認されています。

「皇太子の影武者」で検証しています。

同じ時期に2人のナルちゃん。2人の美智子。

上)徳仁1号・佐伯徳仁、下)徳仁2号・入江徳仁


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また、浩宮徳仁の命名は昭和天皇が行った。

祖父・昭和天皇が浩宮徳仁(ひろのみや なるひと)と命名した。「浩宮」の称号は四書五経のうちの『中庸』第32章にある「浩々たる天」、「徳仁」の名は同じく「聡明聖知にして天徳に達する者」を典拠とする。

疑問に思いますよね。

なぜ、将来の天皇になる親王に「徳」という漢字を与えたんだろうと、普通はありえない感じなのですが。

皇室において「徳」という名前は「怨」を封じる「呪」に値します。

猪瀬氏の逆転の日本史に詳しいのだけど、「徳」と言う字がついた天皇、上皇というのは、祟り神になりかねないくらい、無念のうちに亡くなった方たちばかりです。

そして、子孫も絶えます。

徳のつく皇族天皇たち

聖徳太子

推古天皇の皇太子及び摂政。

622年に斑鳩宮で倒れて2月22日に薨去。

諡号が聖徳太子。生前時は厩戸皇子と呼ばれていた。

太子の死後、その皇子である山背大兄王は一族もろとも蘇我入鹿によって滅ぼされた。

孝徳天皇

大化の改新後に即位した天皇。

皇太子を中大兄皇子に定めてた。

遷都をめぐって、皇太子と対立が深く、皇太子をはじめ、皇族たちは、勝手に倭京へ遷都してしまう。皇后も兄の中大兄皇子についていってしまい、置いてけぼりにされてしまう。

失意の中、白雉5年10月10日(654年11月24日)に崩御。

孝徳天皇の皇子である有馬皇子は、658年、中大兄皇子によって謀反の疑いで絞首刑に処された。

称徳天皇

聖武天皇の内親王。
即位後、退位して孝謙上皇を称するが、淳仁天皇を廃して重祚。

769年、寵愛する僧侶の道鏡に皇位を譲ろうとしたが、和気清麻呂に阻まれて失敗した(宇佐八幡宮神託事件)
770年8月4日に病気で崩御。

病気回復を願う祈祷が行われた記録がないことから、医療行為を施されず見殺しにされた可能性が高い。独身であったので、お子様はない。

文徳天皇

842年、承和の変で皇太子恒貞親王が廃されると、変の解決に功のあった伯父藤原良房にも推され代わりに立太子。

850年、仁明天皇の譲位により即位。

寵姫の生んだ第一皇子・惟喬親王を皇太子にしたかったが、即位するにあたって功績のあった藤原良房の娘の生んだ惟仁親王を皇太子にする。

藤原良房との葛藤が続き、嵯峨上皇の離宮だった冷然院などに居住し、以後、引きこもる。寵愛する惟喬親王を皇太子にする条件で、皇太子に譲位する運動をするも、858年、突然に崩御。暗殺説の噂が高い。

崇徳天皇

鳥羽上皇は藤原得子(美福門院)を寵愛して、崇徳に譲位を迫り、体仁親王を即位させた(近衛天皇)。

その後、1156年の保元の乱に破れ、讃岐に配流。

同行したのは寵妃の兵衛佐局と僅かな女房のみ。

舌を噛み切って写本に

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

「この経を魔道に回向(えこう)す」

と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉ような姿になり、後に生きながら天狗になったとされている。

配流8年後の1164年8月26日、46歳で崩御。

安徳天皇

父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)。

祖父は、平清盛。

生後まもなく立太子。2歳で即位。

政治の実権は清盛が握った。

1185年の壇ノ浦の戦いで平氏の滅亡と共に入水。短い生涯を閉じた。

順徳天皇

1200年4月に立太子。

1210年11月土御門天皇の譲位を受けて即位。

後鳥羽上皇の討幕計画に参画。

1221年5月に承久の乱を引き起こしたものの倒幕は失敗。

乱後の7月21日、佐渡へ配流。

在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御。

以上

死後、祟りが強いものだから、恐れて諡号擦る問う感じが普通だったようです。

「徳」という諡号は、無念になくなった天皇、上皇、たちが祟り神になり、その怨念を封じるための、懐柔するための、呪の字としてつかわれいたはず。天皇である、昭和天皇が知らないはずないわけで、あえて、選んだのはナゼ??


wiki

親王の存在は美智子妃の心の支えとなった。

美智子妃は当時、側近である黒木従達東宮侍従に「どのような時でも皇太子としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの」との言葉を語っている。

語っただけで実行していないません。

皇太子の姉が亡くなっても、ご静養。

飛行機が落ちても、火山が噴火しても、ご静養。

何があっても御静養。


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同年9月22日 – 10月7日、幕末より数えての日米修好百周年を記念し、アメリカ合衆国より招待され訪米。ホワイトハウスにも招待された。この折、浩宮は出生後7か月となっていたが伴わず、側近に躾の方針を示したメモ・通称「ナルちゃん憲法」を与えて養育を委ねる。


wiki

1963年(昭和38年)に前後し、週刊誌を中心に虚偽・報道協定違反の報道が相次いだ。

1963年3月4日に第二子懐妊が報じられたが、同月中旬の美智子妃の生い立ちを書いた女性週刊誌連載の小説に絡む小説問題が起こった直後の3月22日に宮内庁病院に緊急入院、翌23日の午後に流産の処置手術が行われた。

初夜の秘儀のことなど、皇室の人でないと知らない内容が書かれていたため、大問題になりました。だれかが、伝統や秘儀をリークしないと書けない小説だったそうです。

流すのは、美智子さん以外になくて、非難ごうごう。窮地にたたされた美智子さん。

生涯に置いて、美智子さんを助けてくれたのは、いつも、ご病気。

ときには仮病を使うんだけど、このときは、第二子をご懐妊したものの、胎児に奇形がみつかり掻把の手術をすることになりました。

手術で人工的に胎児を掻把したのだけど、バッシングによるストレスによる流産という印象を定着させるのに成功した美智子さん。

奇形とストレスは関係ないのに、大衆の同情をあつめて、まんまと被害者になり切り静養に逃避成功。

もちろん、週刊誌に情報を流したこともチャラ。


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その後も心身の疲労から体調が回復せず、同年4月より葉山御用邸にて約3か月間ひとりで静養する事態となった。

7月上旬から皇太子・浩宮とともに軽井沢で過ごした後、9月1日に帰京し、9月13日の山口国体から、段階的に公務に復帰した。

なお、根拠のない中傷に対して一切非難することなく沈黙を守り、その気品ある態度に多くの国民が感銘を受け、週刊誌等の誹謗記事も終熄に向かった。

根拠のない中傷ではなかったから、反論のしようもなかったわけです。

結局、まっとうな記者さんが処分されて、美智子さまマンセーな記者だけがのこっていゆきます。

美智子さまがマスコミの寵児だったときと、マスコミと週刊誌が神託だった時代とが、ちょうど重なりますね。向うところ、 怖いものなしになった美智子さまでした。

週刊誌は、なんでも好きなことを書かせれば、それが事実として世間が信じるという魔法のタブレットだったみたいですね。

美智子の背景にはGHQと、そのながれをくむCIAおよびアメリカが控えていました。美智子の周りには不審死した人間が多いのです。

564 名前:朝まで名無しさん投稿日:2011/07/31(日) 15:00:47.56 ID:0IJywSMz
(略)

喜久子妃殿下の件は他に言える方がいなかったし、わざわざ言う気もなかった。

御生家も、勢津子様百合子様よりはるかに高く、終戦直後もキーナン相手に丁々発止。
鎌倉節長官も喜久子妃殿下を頼りにして、天皇家の孤立を何とかしようと橋渡しをお願いした。
紀宮御婚儀の件も、「どうしておあげにならないの」と何度も陛下を詰問された。
他の宮家はだんまり。

難癖付けられ書きかてられるのは御免だったから。

(ここまで)

平民の美智子さんの、やりたい放題が始まるのよ。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=839
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c3

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
4. 中川隆[-12053] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:08:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017.12.18
美智子皇后の真実B@母としての美智子様「新しい皇室をつくる」子育て
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=843



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1965年(昭和40年)11月30日、第二男子礼宮文仁親王誕生。


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1969年(昭和44年)4月18日、第一女子紀宮清子内親王誕生。


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苦労の多い美智子妃にとって、唯一の娘である紀宮の存在は大きな心の支えとなったとされる。1977年(昭和52年)から10年間は、毎年2人で陵墓・史跡訪問を含む小旅行を行なっていた。

旅行中は、母子別の部屋に宿泊 一緒にいるのは撮影時のみ

無題 Name 名無し 15/11/28(土)23:14 id:Fya8fBek No.1462966
週に2回だったけ?
ケチの美智子がお金がかかるって、毎日風呂にも入れてくれなかったんだよ。
体操があった後の日は悲惨だったそうだね。
サーヤを語ると、必ずコメに書かれていたのが、耳垢と臭い髪の毛と近視と、
消しゴムもめったに買ってくれなかったという事と、
幼稚園児が持つような籐のカゴしか持っていなかった(買ってくれなかった)ので、
小学校の高学年時代も其れを使っていた。

美智子が内廷皇族の皇族費を一人で、衣装代として使いきっていたということ。
秋さんの新居がアレだったのも、サーヤの結婚式が延期されたのも、
ふくら雀が結べない、美智子のお古の着物と帯しか準備してもらえなかったのも、
美智子と今上が欧州旅行の準備で、散財したからみたいだね。時期が合致するんだよ。。。

無題 Name 名無し 15/11/29(日)04:50 id:qERIqwPs No.1463039
たった八日間の欧州旅行に、
美智子の衣装代が三千万円だったとか。
一回袖を通したものは、二度と着たくない、
生地も仕立ても織も最上級でないと我慢が出来ないんでしょう。
子どもの為に母親は我慢出来るもんですがね、
美智子は違う、鬼母、鬼姑だ。

(ここまで)

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清子さまが、時代遅れで、みすぼらしい身なりをさせられていたという証言は、結構たくさんありますね。

お兄様の御下がりのシャツをきせられている清子さま。

美智子様の「暖かい」ご家庭

※皇室の写真様よりお借りしています。

http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/1044999797.html

美智子様

「家族で演奏会をしましょう。サーヤは楽譜をめくる係ね。アーヤは聴衆係よ」

(ここまで)



長男教の美智子さまの、子育て。

・徳仁さま=愛玩用

・文仁さま=搾取用

・清子さま=放置子のちに女官あつかい

皇室の「ご家庭が」一般市民化し、一般市民の機能不全の家庭のテンプレ通りになりました。

これが、明仁天皇が、皇太子時代にあこがれていた「暖かい家庭」でしょうか。

伝統をつぶしてまでも、手に入れる価値にあるものだったのでしょうか。


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これら子女の出産にあたり、皇室の慣習である宮中御産殿での出産や、乳母制度、傅育官制度を廃止した。

1984年(昭和59年)、銀婚式となる結婚25周年の会見で「夫婦としてお互いに何点を付けるか」との問いに対し、皇太子が「点数を付けることは出来ないが努力賞ということで」と答えたのを聞いて、美智子妃は「私も差し上げるのなら、お点ではなく感謝状を」と答え、同席していた記者たちからも感嘆の声があがった。

外国報道機関(10社)を代表して南ドイツ新聞のヒールシャー記者の質問

「ローマ法王との会見について、神道を家系とする天皇陛下はどんなご感想をお持ちか。また、カトリック系大学を卒業されている皇后陛下のご感想もお聞きしたい」

⇒「ごめんあそばせ」を連呼。智子は回答を断固として拒否。

居合わせた日本人記者「やっぱり美智子さんってこわいなあ」

家庭内実力者は美智子

さらに、明仁天皇は、皇太子時代より、何かきめるときは

「あちら(ミチコ)の人のいいように」

「あちら(ミチコ)の人は、どうおもっているの」

というので、美智子さまに聞かなければならないらしい。


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1986年(昭和61年)3月、子宮筋腫の手術を受ける。

このため同時期に予定されていた訪米は翌年に延期、訪韓は中止になった。手術の際も皇太子の公務の妨げとなることを好まず、中止の判断はぎりぎりまで下されなかった。退院の際、宮内庁病院玄関前で皇太子の胸に顔をうずめる姿がみられた。

カメラが回っていないところでは、、、

美智子様の韓国への愛

美智子さまの、 韓国に対する愛は留まるところを知らない。

生母の富美は、朝鮮系の大陸夫人ではと疑ってしまうくらいに深い。

油断すると、ファッションも、所作も、発言も、すべて韓国に帰一するのは不思議な話。


2015年09月15日

韓国への届かぬ思い25年!
本誌の取材にフィージンは、興奮気味に語った。
「美智子さまが握手してくださったのですが、ずっとずっと私の手を放そうとなさらなくて・・・。驚きましたが、とても光栄でした。手からは穏やかな、お母さんのようなぬくもりを感じました。」

’08年に共同通信が両陛下の側近に取材しています。
その側近は「(両陛下は)機会があれば(訪韓を)と思っておられるが・・・。
(韓国は)地図より遠い隣国になってしまった。
(訪韓を)夢のままで終わらせたくないが」と、語っています。

’05年6月に両陛下は太平洋戦争激戦地のサイパンを訪問された。
外務省関係者は明かす。
「サイパンご訪問で、両陛下は韓国人犠牲者の慰霊碑にも拝礼されました。
“突然ご訪問された”と公表されましたが、実は、
もともと両陛下は韓国人慰霊碑の拝礼を望んでいらしたのです。
しかし、騒ぎが大きくなることが懸念されて、事前には発表できなかったのです。」



ほんとうに、変わったお方。


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晩年の昭和天皇一家の写真にて、美智子妃が腰を悪くしていた香淳皇后の体を支えている写真が複数公表されている。秩父宮妃とは共にマラソンを観戦した姿も目撃、報道された。また文仁親王・清子内親王は高松宮妃と関係が深く、孫のように可愛がられていたといわれる。

昭和天皇がお倒れになっていらい、国中が慎んでいたのに、明仁皇太子と美智子夫人は、軽井沢の知人の別荘で、大さわぎで遊んでいた証言があるのね。

美智子さんのピアノにあわせて、左翼の友達がダンスを踊って楽しんでたらしい。

この知人というのが、社会党の方で、左翼繋がり。

嬉々として、まってたのね。

昭和天皇が崩御されるのを。

実父、義父が、崩御されるのを。

左翼と一緒に、日本の敵といっしょになって、嬉々として。

無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:28 id:l6AqxPMM No.1711034
>テニスコートでの恋を成就されただけに、天皇、皇后陛下のテニスの腕前はなかなかのものである。
だが、衆人環境の中でわざわざプレーされる必要があるのか、との疑問もわいてくる。

「国民と共にある皇室」を実践されていらっしゃるおつもりなのだろうが、
皇后陛下がショートスカートの裾をなびかせてラケットを振られるお姿を見守る人々の目は、必ずしも暖かいものではない。
… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:29 id:l6AqxPMM No.1711035
>テニスといえば、御所内のコートでは毎日のようにお楽しみになられているが
先帝陛下が崩御され、さらに、皇后陛下のお妹様の大谷智子さまがお亡くなりになったときだった。

テニスは、宮内庁では遊びではなく表芸扱いなのだが、
このときばかりは庁内に服喪のためテニスを当分、控えるようにお達しが出された。

ところが、お三方だけが気になさられることなく、ふだん通りのテニスをされたことがある。
両陛下と皇太子殿下である。

(ここまで)

皇后時代


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1989年(昭和64年)1月7日、明仁親王の即位に伴い皇后になる。

即位後の記者会見においては、皇太子となり東宮仮御所にて独立する徳仁親王について「時たまでよろしいから、ヴィオラを聴かせにいらしてくださると、うれしいと思います」とのコメントを発している。

夫が天皇になって、真っ先にしたこと

1 皇太后への苛め

香淳皇太后つきの信頼あつい女官長を解雇したこと。さらに、皇太后が寂しくて、外部に電話をかけていたら、入江に電話を取り上げさせ、孤立させたこと。皇太后が、骨折したのにも関わらず放置。それが原因で、歩行不能になり、認知症が進んだこと。

明仁天皇、美智子皇后、ともに、見舞いにもいかず吹上御所に放置したこと。

さらに、認知症のすすんだお姿のお写真を、マスコミに掲載させたこと。

美智子さんが、入内いらい、美智子さんからの、数多くの暴言、暴走、無礼に耐え続けた皇太后にたいするしうちは、まさに鬼ですね。

無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:43 id:sl3pxlSw No.2028474
>「皇太后は十分なお世話をされていないのではないかって声に反論してみせなきゃならなかったんですもの」

実際世話なんて全部女官任せだし、その女官だって熱心にお世話した人はミテコの逆鱗にふれて首よ。
良子様が下で失敗するとみんなで手を叩いて笑いものにしたそうじゃないの。
そんな人間だけを周囲に就けて、風呂にもろくにいれずおむつもろくに変えず、
冷暖房も効いていない部屋に一人でほうりだしていたのよ。
美智子はそんな女だよ、悪魔なんだよ。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:47 id:FUlSzL5Q No.2028483
>良子様が下で失敗するとみんなで手を叩いて笑いものにしたそうじゃないの

それどこの情報なんですか?

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:51 id:sl3pxlSw No.2028504
ネットです。

トイレットペーパーをお尻に挟んだまま2メートルぐらい引きずって歩いていたのを
女官らが取り囲んで指さして大笑いした、と。
あまりにも具体的だったので嘘ではないとおもいました。

同じところだったと思うけど、豆におむつを替えていた看護師かだれかが「そんなに変える必要はない」と言われていたので首になったとか
あと、ミテコが日当たりの強い部屋に車いすで連れて行って冷蔵を入れずに放置していたとか。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:55 id:MXIe1Tfg No.2028512
それが本当なら
もはや人間じゃないね…
悪魔だ
ひどすぎる

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:55 id:sl3pxlSw No.2028514
私は全部信じます。内容が具体的なので。

皇族からいじめられたとミテコが騒ぎまくったことには具体性が全くない。
1・飛行場で無視された

2・割烹着としらずエプロンだった

3・手袋が短かった

具体的虐めの内容はたったこれだけです。
これだけを延々と繰り返している。
比較してミテコの良子様いじめの噂はバリエーションに富んでいてリアルです。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:59 id:EABGt.RY No.2028522
酷い。
美智子は悪魔だ。
地獄の業火で美智子そっくりの鬼に焼かれるんだ。何万年もね。
神様はずっと観ている。
絶対に逃げられない。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:59 id:XErIixrE No.2028523
虐待やん…

… 無題 Name 名無し 17/06/09(金)00:01 id:mIA.Q1bo No.2028530
93年の時点で、明仁がいくら慰問しても母親への冷たさで、
心打たれないと週刊誌の読者の声があった

当時からみんな気づいていたのに、美智子の演技で批判を封じたんだ

… 無題 Name 名無し 17/06/09(金)00:04 id:hSpV7MVI No.2028545
あの猫なで声も演技?
そういえば、この前の園遊会では地声で喋ってたよね

… 無題 Name 名無し 17/06/09(金)00:08 id:bhs.vgbc No.2028551
美智子さんの偽善は自意識過剰の写真で分かりますよね。
昔から多くの人が気が付いていたと思いますよ。

以上

コメント欄より

でれでれ草様 連続投稿失礼します。

掲載中の、香淳皇后さまのお写真ですが、掲示板で、「なんだか貼り付けたような写真ね」とのコメントがあり、改めて見ると、どうも不自然な気もしました。

拡大すると、佳子さまたちの捏造写真と同じで、お顔の周りがモヤッとしています。

※顎にある不思議な型は、栄養チューブの跡ではないかというご指摘もいただいてます。



当時の技術でもこのような加工が出来るのか、古い時代の写真だからの見え方なのかなど、理由が分かりませんが・・・。

実際には、このような服は着せてもらえずに、別人で似た体格の人の身体の写真に顔だけ貼り付けたものなのでしょうか。

画像発表だったのか、映像発表だったのか・・真相が分かりませんが、ミッチーたちのすることは全てが嘘だし、気持ち悪くて、何一つ信用できなくなりました。

最悪な人間性、ミッチーが大嫌いです。 どこの神を信じているのか知りませんが、キリスト教では、このように人を苛めることを神は教えているのでしょうか。 隠れてまで教会に通って、夫や子供までもキリスト様の前に連れていってるような、信仰深い人がこのようないじめをするんですね。滅茶苦茶です。

香淳様の御魂がどうぞ天で、安らかでいらっしゃいますように。 昭和天皇の輸血の話も驚きましたし、体調を崩されるきっかけの時、そばに居たのもミッチーだったと掲示板で話題を見かけます。

ェ仁親王が癌になったりなども、今になって気になります。 癌に成らせることは、簡単に出来るとネット情報で見た記憶があります。 男子を悉く潰してきたのも彼女の指図なのか。 秋篠宮様もですが、皇室内で男児が生まれないよう、増えないように、ミッチーやミッチーの背後の勢力が糸を引いていたのでしょうか。

不信感で一杯です。 正体がばれて、国民から嫌われたらいいのにと思います。

以上

※(管理人)1992年に祖母が亡くなった時、業者さんに祖母のスナップ写真の顔を切り抜き位牌を作ってもらいました。これもそうかもしれません。血色がいいようにみえるように、お顔を着色したあとがあるようにみえます。鼻筋も不自然です。

2 皇室財産の横領

歴代の皇后が受け継いできた三連のダイアモンドのネックレスが、なぜか一連に。

これだけではないはず。

ティアラをしなくなってから年月が経ちます。皇后が代々受け継いできたティアラや宝飾品はどうしたのでしょう。

最近は、サッシュすらしなくなりました。偽物だとばれているからかもしれません。

頸椎が、、といいながらテニスをする美智子様。大粒のネックレスは重いでしょう。しかもベルトもギラギラしたバックル。腕時計もしています。

ついに、ネックレスもなくなりました。

2017年ルクセンブルク大公来日 宮中晩さん会

ティアラなし、サッシュなし、ダイアモンドのティアラもネックレスも無し、、、。

そして、カツラ、、、。

美智子さまのカツラ

本当は若いのよ。

3 自分のための56億円の宮殿を建設

自分のための、56億円をかけて宮殿をつくらせたこと。

映画館付き、さらには、地下道でつながれた部屋もあり、職員に気づかれることなく接触ができるという、仕掛け付きの部屋。カトリックの礼拝室もあるのではと、推察される。

美智子さま一人のための、無駄な宮殿の建設ために、貴重な原生林を伐採し、生き物植物を殲滅させたこと。

原生林の森は、貴重な動植物が生息することもあり、また、昭和天皇が、被災した市民を受け入れたときテントがはれるようにと、残しておいたもの。

当然、抗議があがります。週刊誌が取り上げたのだけど、いつもの仮病で逃げた美智子。


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1993年(平成5年)10月20日、満59歳の誕生日に赤坂御所にて倒れる。

この時期は週刊誌等により、皇后への根拠のないバッシング・中傷報道がまた復活し、精神的な苦痛から失声症となった。



・宵っ張りまで騒いで女官をこきつかう。

・飛行機が落ちても、火山が噴火しても、関係なく軽井沢でご静養。

・高価な服をつくりすぎる。浪費がひどい

無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:28 id:l6AqxPMM No.1711034
>テニスコートでの恋を成就されただけに、天皇、皇后陛下のテニスの腕前はなかなかのものである。
だが、衆人環境の中でわざわざプレーされる必要があるのか、との疑問もわいてくる。

「国民と共にある皇室」を実践されていらっしゃるおつもりなのだろうが、
皇后陛下がショートスカートの裾をなびかせてラケットを振られるお姿を見守る人々の目は、必ずしも暖かいものではない。

… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:29 id:l6AqxPMM No.1711035
>テニスといえば、御所内のコートでは毎日のようにお楽しみになられているが
先帝陛下が崩御され、さらに、皇后陛下のお妹様の大谷智子さまがお亡くなりになったときだった。

テニスは、宮内庁では遊びではなく表芸扱いなのだが、
このときばかりは庁内に服喪のためテニスを当分、控えるようにお達しが出された。

ところが、お三方だけが気になさられることなく、ふだん通りのテニスをされたことがある。
両陛下と皇太子殿下である。

無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:37 id:l6AqxPMM No.1711041
>天皇、皇后両陛下の御暮らしぶりには、いろいろと疑問や不安を感じさせられることが多いと言ったが
その原因の最たるものは、皇后陛下のお力が増大してしまったことだと感じられてならないのである。

とにかく、行幸啓にしろ、パーティの計画にしろ、皇后陛下が
「ウン」とおっしゃらなければことがすすまないのである。
天皇陛下だけの内諾を得て、関係方面と調整しても、
最後に皇后陛下が「ダメ」とおっしゃれば、それですべてが覆されてしまう。

最近では、だれもがそれを承知しているから、起案したらまず皇后陛下にお伺いを立てる。
それでご承知いただけたとなれば、最後まで問題は生じない。
天皇陛下ご自身がこうした力関係を十分に承知されているから
ご了承を頂きに参上すると、「アチラはどういっているの?」と皇后陛下のこと気遣われたりされている。

… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:45 id:l6AqxPMM No.1711047
>本来、ご皇室にとって皇后陛下は、あまり意味のある存在ではない。
ご公務はもちろん、大抵の儀式も天皇陛下がおいでになれば事足りる。

にもかかわらず、皇后陛下が登場する機会が多くなってきたのは、
主として国際親善の場面で、なにごとも夫婦で社会に出ることが一般的とされている欧米風に倣ったためといってよい。

それなのに、最近では国際親善の場面にとどまらず、
あらゆるところにご夫妻として参加されるようになってきているのである。

面白かったのは、皇太子殿下のご結婚の儀式で、「ご結婚の儀」の期日を小和田家に伝える「告期の儀」でのことである。
小和田家を訪問した侍従長は本来、天皇陛下のお遣いとして出掛けたのだが
テレビの説明は「天皇、皇后陛下のお遣いとして」と解説していた。

… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:49 id:l6AqxPMM No.1711049
>後で調べてみると、記者クラブでのレクチャーで担当者が、そう説明したようなのである。
ご皇室の公式儀式は、すべて天皇陛下お一人でまかなわれることになっているのに
担当者たちが協議して、お二人のお遣いということにした方が良いと判断したらしいのである。

男女同権の時代にあった解釈といえば結構なのだが、周りの者がこんなに細かいことまで
「アチラ」に気を遣って決めるようになっていることはおかしくてならない。

… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)22:55 id:l6AqxPMM No.1711054
>しかし、側近たちの話を聞くと、侍従たちが次第に余計な事はするまいと考えるようになるのも、無理からぬところがあるようである。

それというのも、皇后陛下のご気性に激しい側面がおありのためである。
普段は慈愛に満ちたお顔からも分かるようにお優しいお方なのだが、
癇性な面もお持ちで、御所の中では時折、甲高い声を上げられたりすることがある。
女嬬というお側のお世話係の女性が仕事を失敗したりすると、こっぴどくお叱りを受けたりしている。

侍従たちにはもっと手厳しく、お気に召さないことをすると「どうしてわかっていただけないの」
などとおっしゃって延々とお小言を賜る。
つい先日も、ある侍従は一時間も叱られ続けたと言われているのである。

… 無題 Name 名無し 16/08/02(火)23:03 id:l6AqxPMM No.1711058
>首を傾げたくなることはまだある。
両陛下はよく、オリンピックのメダリストや有名音楽家などを御所に招いてご歓談されている。
これも結構な話だが、国民としては光が当たっている人よりも、
むしろ光が当たらない人にこそ、お心をかけていただきたいと思うものではあるまいか。

福祉施設にいらしたときに、あれほどまでに頬擦りをされたり、
お優しく声を掛けられいらっしゃるのだから、御所でも恵まれない人々と接していらっしゃると考えるのは当然だろう。

無題 Name 名無し 16/08/02(火)23:13 id:l6AqxPMM No.1711067
>正直申し上げて、バイニング夫人の教育を受けた今の陛下と、
クリスチャンの聖心女子学院出身の皇后陛下に、真に国民が望む天皇、皇后を体現されることを
期待するのは、いささか無理があるように思われる。
先帝亡き後、私どもが一心に期待をお寄せ申し上げていたのは皇太子殿下に他ならなかった。

今、宮内庁の人間たちは危機感を抱き始めている。期待の皇太子殿下にも肩透かしを食わされ、
このままではご皇室の将来がどうなるのか、心配でならないからである。
スキャンダルにまみれた英国王室の現状は決して対岸の火事とは思えない。
このままの状態が続けば、ご皇室もまた、厳しい世論の攻撃を受けるのではないか。
現にご皇族のあり方などに、批判が起き始めている。私たちは気が気でならないのである。

ご皇室は無私、公平で、質素なお暮しを通じて、国民に尊敬されなければならない。
宗教と切り離された象徴天皇制を存立させるものは、結局、天皇陛下をはじめご皇族方のお人柄、
お暮らしぶりであることを、恐れながら申し上げたいのである。

(ここまで)

美智子さんは非難されると、病を装いマスコミをあおらせて大衆から同情を買い、印象操作で被害者を装い逃げ切ります。そして、ヤクザを使い出版社を襲撃したり、実弾をうちこみ脅迫しました。御自ら受話器を取り女性ジャーナリストを恫喝したという話も聞いたことがあります。


wiki

声が出ない間は、清子内親王が皇后の言葉を代弁したりと、常に寄り添っていた。翌年に回復し「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」とのコメントを発表している。

スタッフの証言によると、普通に声はでていて、清子さまと話しているのを聞いているのね。それに、失語症になったご家族がいるかたによると、失語症の方の顔ではなかったらしいですね。


wiki

また回復時の第一声は「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」であり、周囲を気遣う節度と威厳ある態度に、病状回復後の国民の支持は不動のものとなった。

1994年(平成6年)10月20日、還暦を迎える。

1995年(平成7年)1月31日、天皇と共に阪神・淡路大震災後の神戸を見舞い、神戸市長田区の菅原市場にその日皇居から自ら切って持参した黄色と白の水仙を供えた。この水仙は関係者によって永久保存処置が取られ、同市布引ハーブ園内で展示されている。被災地の避難所を訪問し、被災者一人一人に声をかけ、時には手を握り、時には抱きしめて被災者を労る様子が大きな反響を呼ぶ。また、一人の病身の被災者のために自ら布団を敷いた。

実は被災地に無関心な皇室

ニュース画像をとるときだけやってくる平成皇族たち

阪神大震災が発生したのにもかかわらず、皇太子夫妻が中東へ出発。

あいさつに来た皇太子夫妻を叱りもせず、責めもせず、止めもせずいかせたのは、だれもない天皇陛下と美智子様。海外の王族たちからも非難されたようだけど、天皇皇后も、同罪ですよ。

・訪問先の王妃に、「帰国したほうがいい」といわれ、むくれている雅子さん。

・ラクダレースでバカ笑いする雅子さん。

・紅白のめでたい祝いのドレスで現れる雅子さん。

そして、後年、皇太子が予定を切り上げて帰国したので、「死海が見れなかったの残念でした」と発言。


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1998年(平成10年)、インドで開催された「国際児童図書評議会 (IBBY)」に際してビデオによる講演を行い、日本武尊の妃弟橘比売の吾妻における入水の物語などを引いて、成婚以来の胸中を語った。

日本の犠牲は怖い。カトリックの教祖の犠牲は尊い、、のかしら。


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2002年(平成14年)、スイスで開催されたIBBY50周年記念大会に、IBBY名誉総裁として出席し祝辞を述べた。これが唯一の単独での海外公務となっている。

何しに行ったか不明。スイス銀行へなにか預けたのかしら。そういえば、最近つけていない、ティアラがありますね。


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2002年(平成14年)10月20日、皇后の誕生日に際し宮内記者会の質問に対する文書ご回答で次のように北朝鮮による拉致問題についてコメントした。

「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入(ひとしお)の淋しさを思います」。

拉致被害の発端は、よど号事件からはじまってるのね。そして、美智子皇后の正田家の発祥の地でる群馬ともかかわりが深いです。


正田家(群馬の豪商)
正田貞一郎 – Wikipedia

群馬県館林はにおいて「米文」の名で米問屋を営み、明治に入って醤油醸造に従事した。

正田家は代々「米文」の暖簾もとに米問屋を家業とし、上州館林および近郊きっての富商であった。「米文」の名声は江戸はいうまでもなく大阪方面まで聞こえていた。

弘化のころには名主の職にあり、名字帯刀を許されていた。

(ここまで)

別の視点からの正田家の検証

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-194.html

下記の部落問題・人権事典ー群馬県のサイトによると、正田家の祖先が仕えた新田家のあった場所は部落であったとあります。

それは別に問題ではないと思いますが、家系がまるまる反日工作員とおもわる節があること、そして、犯罪性が高いことが問題です。

正田と群馬の関係


http://www.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%B7%B2%C7%CF%B8%A9

上原善広というノンフィクション記者が「実話ナックルズ」という雑誌で下記のように指摘したように、部落出身である可能性は高いと思います。

雑誌『実話ナックルズ』にて『JDT 日本の路地を歩く』という連載を執筆しており、2004年7月号に発表した「群馬県T部落」で群馬県の未指定地区を取り上げ、「ここから女性が一人、皇族に嫁いでいる」「ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。 指定を受けると部落とわかってしまうからである」「皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味している」と書いた。

(ここまで)

群馬と福田の関係


福田 赳夫首相(群馬県出身)
福田赳夫 – Wikipedia

福田家は江戸時代は名主を務めた地元の名門であった。

(略)

1977年(昭和52年)

同年に起きたダッカ日航機ハイジャック事件では「人命は地球より重い」として犯人側の人質解放の条件を飲み、身代金の支払いおよび、諜報的措置として6人の刑事被告人や囚人の引き渡しを行ったことで、テロリスト脅迫に屈したと国際的な批判を浴びることとなった。

この後北朝鮮よる拉致が急増した。

(略)

1978年(昭和53年)10月23日、ケ小平副総理を日本に迎え、「日中平和友好条約」に調印。

福田康夫(群馬県)

1976年1月に会社を退社し、衆議院議員秘書となり、1977年12月から1年間、父・赳夫の内閣総理大臣秘書を務める。

事務担当秘書官には、保田博、棚橋祐治、小和田恒らがいた。このことで、議員になる前より外務省にパイプができた。

秘書官として、日中平和友好条約へ向けた中国、アメリカとの舞台裏交渉に関与した。1990年2月に第39回衆議院議員選挙で、群馬4区から出馬して当選。

名門でもなんでもなく、どうも部落の出身みたいですね。

それは問題ないのですが、代々、筋金入りの中国工作員というのが問題です。

福田と小和田の関係


小和田(新潟出身・福田の秘書・雅子の父)

1932年(昭和7年)、新潟県新発田市に生まれた。小和田毅夫、静夫妻の次男で、八人兄弟の四番目にあたる。本籍地は新潟県村上市。

(略)

外務省官房長だった1988年に創価学会からの要請に応じて、池田大作名誉会長らの外国訪問旅行に便宜供与を図ったとして、国会で追及されている。評論家の渡辺昇一は、中曽根内閣の時に小和田が「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁したことを、「国賊と言ってもいいでしょう」と強い調子で非難している。

(ここまで)

小和田家は、三代前から遡れない不思議な家系です。

小和田家とよど号犯人の関係

よど号ハイジャック犯(新潟出身・小和田の近所に住んでいた)

小和田家とは隣どおしの関係。

よど号ハイジャック事件の後から、北朝鮮による日本人拉致が頻繁に起こります。

よその国の人間が勝手に乗り込んできて、市民をさらっていく。

でも、政府は現在まで、やる気なさげで、スルーを続けます。

加害者側は、恐喝、ゆすり、麻薬密売と人身売買しか能のない、世界貧困国家で、人権弾圧国家。日本は、世界第二位、アジア随一の経済大国。しかし、言いなりです。北朝鮮の下座にいるかのようです。北朝鮮は日本にとって、アメリカにおけるイスラエルになったのでしょうか。

横田さん「政府は弱みを握られているのではないでしょうか」

なんの弱みでしょうか。

よど号ハイジャック犯と、自民党の実力のある議員がグルになってて、キックバックをもらってたとか、、自民議員で山分けしたとか、、、、??。

そういえば、金丸という爺さんの金庫からは、北朝鮮の金塊がでてきたましたね。

一時期、朝鮮系キリスト教団の統一教会が、自民党に秘書を無料で派遣してましたね。

いっぱい、北朝鮮から貰い物があったみたいね。

福田と小和田雅子のつながり

福田「雅子ちゃんを、皇太子妃にするよ」

有名な話で、まだ、雅子さんが、おてんばなお子様だったころ、福田がそういったらしいですね。

当時、比類ない霊能者だった藤田女史が、「雅子さんは皇太子妃になれる」預言したとか。藤田女史は、安保闘争の結果や、岸首相の引退、周恩来の死など、数多くの予言を的中させた霊能者でした。

しかし、預言には「皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史の予言をあてにして、福田は、評判の悪い小和田恒を出世させ続け、小和田雅子を皇太子妃候補に相応しい釣書造りに協力します。

小和田優美子は、ご婚約会見では、「福」という字をあしらった帯でいどみました。帯は借り物だったのか、あるいはおそろいだったのかは不明ですが、福田家との関係の深さと忠誠心が現れています。

雅子さんの家系調査が入ると、なぜか、部落解放団体からクレームがきたそうです。つまり、そういうことでしょう。

美智子さまと、福田さん、小和田さんつながりは、たまたま、皇室で嫁姑になった、という以前から始まっていないようですね。

ミッチ―と雅子さんは、隠されたところでつながっている「お仲間」にみえます。仲間なので、ミッチ―は、雅子さんを、無条件でかばい続けるのではないでしょうか。


wiki

2005年(平成17年)10月20日、清子内親王降嫁前の記者会見では子供たちに対する思いを語り、徳仁親王が優しく、よく励ましの言葉をかけてくれたこと、文仁親王が細心な心配りを忘れない一方で自分が真実を見失わないようにも注意していたということ、清子内親王誕生の折には曇りなき晴天に朝から吉兆を感じたこと、清子内親王のおおらかでのどかな性格などを回想しつつ語った。婚礼の朝には、民間へ降嫁する愛娘を気遣い、抱きしめて励ましたという。

564 名前:朝まで名無しさん投稿日:2011/07/31(日) 15:00:47.56 ID:0IJywSMz
(略)

喜久子妃殿下の件は他に言える方がいなかったし、わざわざ言う気もなかった。

御生家も、勢津子様百合子様よりはるかに高く、終戦直後もキーナン相手に丁々発止。
鎌倉節長官も喜久子妃殿下を頼りにして、天皇家の孤立を何とかしようと橋渡しをお願いした。
紀宮御婚儀の件も、「どうしておあげにならないの」と何度も陛下を詰問された。
他の宮家はだんまり。

難癖付けられ書きかてられるのは御免だったから。

(ここまで)

雅子さんをつかって嫌がらせをしてたところを見ると、気に入らなかったみたいですね。雅子さん一人軽い洋装、バックストラップのサンダル。

美智子さまと、福田さん、小和田さんつながりは、たまたま、皇室で嫁姑になった、という以前から始まっていないようですね。

ミッチ―と雅子さんは、隠されたところでつながっている「お仲間」にみえます。仲間なので、ミッチ―は、雅子さんを、無条件でかばい続けるのではないでしょうか。


wiki

2005年(平成17年)10月20日、清子内親王降嫁前の記者会見では子供たちに対する思いを語り、徳仁親王が優しく、よく励ましの言葉をかけてくれたこと、文仁親王が細心な心配りを忘れない一方で自分が真実を見失わないようにも注意していたということ、清子内親王誕生の折には曇りなき晴天に朝から吉兆を感じたこと、清子内親王のおおらかでのどかな性格などを回想しつつ語った。婚礼の朝には、民間へ降嫁する愛娘を気遣い、抱きしめて励ましたという。

564 名前:朝まで名無しさん投稿日:2011/07/31(日) 15:00:47.56 ID:0IJywSMz
(略)

喜久子妃殿下の件は他に言える方がいなかったし、わざわざ言う気もなかった。

御生家も、勢津子様百合子様よりはるかに高く、終戦直後もキーナン相手に丁々発止。
鎌倉節長官も喜久子妃殿下を頼りにして、天皇家の孤立を何とかしようと橋渡しをお願いした。
紀宮御婚儀の件も、「どうしておあげにならないの」と何度も陛下を詰問された。
他の宮家はだんまり。

難癖付けられ書きかてられるのは御免だったから。

(ここまで)

雅子さんをつかって嫌がらせをしてたところを見ると、気に入らなかったみたいですね。

雅子さん一人軽い洋装、バックストラップのサンダル。

雅子さん、花嫁に衣装ストーカー。

こういった無礼も、絶対権力者である美智子さまの意向にそうからできること。

雅子さんが、叱責されていることは一度もなし。同じ出自の嫁がかわいいのでしょう。

清子さまの帯

極め付けが、ふくら雀に結んだ帯。総柄でないで、残念なことに、、、。

清子さまの披露宴なのに、公開用の写真は、美智子さま中心のお写真。もちろん報道していい写真を選ぶのは、「おやさしい」美智子さま。

無題 Name 名無し 15/11/29(日)21:09 id:zyB9AmcI No.1463355
この帯を見て笑っていられるくそ婆。
幾度となく不自然に結婚を延期したことといい、自分の手元から逃げていく紀宮にいやがらせしたんだね。
最低。

… 無題 Name 名無し 15/11/29(日)22:53 ID:Z.VWUOwg No.1463401
内親王の結婚式ならせめて高円宮典子さんのような
装束にするべき。黒田さんはモーニング着用でいい。
結婚式のドレスも披露宴の着物も他の皇族と区別が
つかない。
花嫁ならせめて他の皇族女性と違う格好をさせて
あげるべきです。

… 無題 Name 名無し 15/11/29(日)22:55 ID:Z.VWUOwg No.1463403
秋篠宮の結婚では住む所が粗末過ぎ

清子さんの結婚では披露宴が粗末過ぎ

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)01:53 ID:Wg..fP9A No.1463459
で質素アピールと・・・

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)11:43 id:Obk1q9Mw No.1463627
ふくら雀は誰のアイディアなんだろう

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)11:49 id:lbrDE3qU No.1463634
確か「清子様ご自身が」お母様の着物をきせていただきたいと希望された、と記事があったように思います。女帝の言い訳かどうかはわかりませんが、自分の思うようになるお相手を探していたのに、秋篠宮殿下のご親友と婚姻のご縁になったことに、女帝は気に入らないんでは?

旧皇族・華族関係のご縁は、女帝の不徳で紹介してもらえなかったでしょうし。

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)14:10 id:Ej17QjCY No.1463740
喜久子さまに頭を下げれば、いいところへ早くに縁づいたでしょうに。

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)21:58 ID:.aBoWOoE No.1463969
清子様は披露宴ですらこんな地味な格好だったんだ。
一般人だと主役は誰よりも派手だけどね。
なんか母親の影に隠れたような人生に見える。

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)22:03 ID:9xTl2hhM No.1463972
出席者からは予算の割にはショボいと悪評紛々だった。
帝国でヒドいなんてこと普通、有り得ないから。
美智子が披露宴の予算を相当ガメたと確信している。

… 無題 Name 名無し 15/11/30(月)23:11 ID:0eqntKQs No.1464015
>出席者からは予算の割にはショボいと悪評紛々だった。

料理もフルコースではなかったし何だか中途半端な
結婚式でしたね。地味にやるのなら皇族だけ特別
席ではなく黒田さんのお母様や親族と同じテーブル
にされればよかったのに。
これでは新郎新婦が主役じゃないわ!

無題 Name 名無し 15/11/28(土)23:14 id:Fya8fBek No.1462966
週に2回だったけ?
ケチの美智子がお金がかかるって、毎日風呂にも入れてくれなかったんだよ。
体操があった後の日は悲惨だったそうだね。
サーヤを語ると、必ずコメに書かれていたのが、耳垢と臭い髪の毛と近視と、
消しゴムもめったに買ってくれなかったという事と、
幼稚園児が持つような籐のカゴしか持っていなかった(買ってくれなかった)ので、
小学校の高学年時代も其れを使っていた。

美智子が内廷皇族の皇族費を一人で、衣装代として使いきっていたということ。
秋さんの新居がアレだったのも、サーヤの結婚式が延期されたのも、
ふくら雀が結べない、美智子のお古の着物と帯しか準備してもらえなかったのも、
美智子と今上が欧州旅行の準備で、散財したからみたいだね。時期が合致するんだよ。。。

無題 Name 名無し 15/11/29(日)04:50 id:qERIqwPs No.1463039
たった八日間の欧州旅行に、
美智子の衣装代が三千万円だったとか。
一回袖を通したものは、二度と着たくない、
生地も仕立ても織も最上級でないと我慢が出来ないんでしょう。
子どもの為に母親は我慢出来るもんですがね、
美智子は違う、鬼母、鬼姑だ。

美智子さまがいけた薔薇

プリンセスミチコ

左 エンペレス美智子

右 プリンセス清子

一輪だけガラスに投げるように生けられている。わびしすぎる、、、。

良家の子女の必須の素養だったはずの華道は、こんな感じ。同じく茶道の素養がある話もきかない。

武山パーティーで、エリートとダンスを踊り、英会話にテニス、、でも、良家の子女がたしなむはずの花嫁修行を一切してないのがわかるわ。


wiki

2007年(平成19年)、体調を崩し腸壁から出血。ストレス性のものと診断された。通常の公務と並行して療養した結果、病状は回復したと発表された。同年5月21日からは、天皇とともに欧州訪問の途についている。

意味のない海外訪問。私的なフルムーン旅行だったらしい。

経費は3億円。皇后の衣装が3500万。もちろん使い捨て。しかも、壊滅的なセンス。

しかも、天皇の前に割り込んででてきている。エディンバラ公と英国女王のよう。

なぜか、避暑地にいるローマ訪欧を無理やりおしかけて訪問する天皇皇后。

枢機卿にむかって拝礼。

法皇=天皇=>英国王>国王・国家元首>貴族

天皇=法皇>枢機卿>司祭なのに、、、


wiki

8月8日には須崎御用邸での静養を中止し、天皇とともに新潟県中越沖地震の被災地を訪問。

新潟に行くなら、新潟水俣の慰問と慰霊に行くべきです。

新潟水俣は、美智子さまの実妹恵美子さんが嫁いだ安西家が引き起こしたものでした。

水俣が、雅子さまの実母の父が引き起こしたものと同じく、4大公害にあげられている、企業による虐殺と環境破壊の犯罪です。

水俣の画像は拾えても、新潟水俣の画像は、今、拾うのが難しいです。大掛かりな情報統制がしかれています。

九州の水俣のお写真。同じ悲劇が新潟でもあったはず。

テレビによって売り出された美智子。なので、テレビに映ることしかやりません。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=843
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c4

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
5. 中川隆[-12052] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:09:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017.12.18
美智子皇后の真実C@伝統への取り組み方と、あつい信仰
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=848


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国民に開かれた皇室の想起者という評価もされるが、一方で数々の発言・行動に見られるように伝統を守ることも大切にしている。


踏みにじる続ける伝統と儀礼
護地赤の着物
週間朝日2012年10月5日号  平成皇室12の証言

「愛子内親王の御地赤をつくってほしい」

美智子さまが女官を通じ、こんな連絡をくださったのは2004年夏のことでした。愛子さまが数えで5歳の元日を超える半年ほど前のことです。

御地赤とは、天皇陛下の直系の女性皇族である内親王方が成人になるまで、元日など節目となる日に身につける宮中の伝統的な着物です。上品な朱赤の絹地に、松や梅などおめでたい柄の刺繍が金糸で施されています。

美智子さまは、図案の段階から目を通し、「この刺繍の色数を減らしてシンプルに」といったふうに、女官を通してご要望を何度か伝えてこられました。意匠には鳳凰を望まれ、お印についても、「(愛子さまの)お印のゴヨウツツジに松竹梅を絡める意匠で、背中に刺繍を入れてください」と細部にまで気を配っておられました。


634 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 02:30:27 id:ypqlB/iH

(中略)

御地赤も、現皇后陛下のもとで公家の御縫御召の伝統は断ち切られた。
あの刺繍は位置と意匠に護符の意味があり、恣意的に変えてはいけないものだった。
「もう元には戻らんでしょう」と専門家の嘆くこと。
民間から入った個人の「センス」で伝統がつぎつぎ断ち切られていく。
それも時代の流れなのだろうか。

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また訪問相手・周囲で仕える者に対する気遣いを常に怠らず、慈悲深い姿は多くの人々に感銘を与えている。


宝島30 1993/8

皇室の危機「菊のカーテン」の内側からの証言 大内糺 より引用

皇后陛下のご気性に激しい側面がおありのためである。
(略)癇症な面もお持ちで、御所の中では時折、甲高いお声を・・・・。
女嬬というお側のお世話係の女性が仕事を失敗したりすると、こっぴどくお叱りを受けたりしている。
侍従たちにはもっと手厳しく、お気に召さないことをすると「どうして分かっていただけないの」などとおっしゃって、 延々とお小言を賜る。
つい先日も、ある侍従は一時間も叱られ続けたと言われているのである。

「心因性」(要するにヒス)で倒れること、しばしば。

『天皇家の宿題』 (朝日新書)作岩井 克己著 心因性失声でお倒れになった美智子皇后 を心配する岩井記者にむかって、 主治医が「お倒れになることはこれまでも時々あっ たよ」とあっさり答える。

(ここまで)

浜尾氏「宵っ張りまで女官をこきつかう」

ローマ教皇訪問 いきなり意味のない拝礼

法皇=天皇=>英国王>国王・国家元首>王族>貴族

なのに、、、。枢機卿に拝礼って、、、。

さらに、押しかけたのは、 カステル・ガンドルフォというローマ郊外の離宮で、ここは歴代法王が避暑を過ごす場所。秘書中の教皇を、報道陣を連れて押しかけた天皇・皇后ご夫妻。30分ほどの会談をしてもらった、らしい。しかも、ここでも、ルール違反が爆裂。


ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantillas)が決まり。

(中略)

Le privilège du blanc(「白の特権」)は、特定のカトリックの女王と王女がローマ教皇に謁見する際、白いドレスと白いマンティージャ(ベール)を着用することを許される、というしきたりを指すフランス語。
イタリア語では、Il privilegio del bianco。

http://lux-arazzi.blogspot.jp/2013/03/luxarazzi-101-privilege-du-blanc.html

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantilla)が基本マナーです。

エリザベス女王

こちらは、ラベンダー色の服をお召しですが、でも白色はお召しにはなりません。

カミラ夫人

f:id:e-vis:20151210092240j:plain

(ここまで)

ノルウエイ訪問

また、ここでもケープ付きジャケット。変な帽子。

www.youtube.com

美智子さまの美談になっている一つに、ノルウエイを訪問したときのエピソード。

降雪がひどい天候で、雪が(日本人の感覚では)猛烈に降る中、当時懐妊中だったノルウエイ王太子妃のメッテ・マリット妃を気遣ったエピソード。

今にして思えば、ノルウエイ王太子妃にとって、意味不明で、実は迷惑だったのでは?

ノルウエイ皇太子妃さまも、平民出身で、王太子と結婚することで、プリンセスになった方。過去、薬物の経験があること、連れ子さんがいて、連れ子さんのお父さんが刑務所に服役しているという、超ロックなお妃さま。反対が多かったみたいね。

反対を超えて、プリンセスになったからには、周囲の期待や恩に応えたい、頑張って認められたい、過去も挽回したい、って思うじゃないですか。

王太子妃さまが、初めて監督したのが、天皇皇后両陛下の訪問だったはず。

王太子妃として、立派に努めて見せる覚悟で挑んだのに、責任者として準備も万端、覚悟もきめてたのに、美智子さまの貴族的とは程遠い、陳腐な「お気遣い」によって、国賓を迎えての国の威信をかけての儀礼もなにもかも、「お優しい美智子さま劇場」になってしまったのね。

美智子さまの「お優しさ」は、ノルウエイのネットなんかでは好評で評判になったらしいけど、王太子妃さんの覚悟も意気込みも努力はかすんでしまう。

この日のために、ものすごく準備して、努力して、頑張ってたたとおもうの。

女性として皇后さまにかばわれるより、王太子妃として立派に努めたことを、国民さんに見てもらいたかったんじゃないかな。北欧の女性がそうであるように、独立心の強い、心身共にタフな女性だと思うのよ。プレッシャーと悪天候で挫けるような方ではないと思うの。美智子さまの「お気遣い」は、カメラの回ってないところ、式典が終わった時に、示すべきだったと思うのよね。

ほかに、式典中、とつぜん、隣に立つ夫の天皇様の肩につもる雪を払いだした、というのもあったとおもう。カメラが回ると、自分ひとりが目立とうとするように動くの。

女優としてはいいと思う。でも、皇族のすることではないわ。

エリザベス女王の在位60周年

ものすごいメンバーがそろいました。

問題は、王位継承者さまと配偶者さまの、距離の開け方。

お手本は華子様とエジンバラ公。

モナコ大公妃も、ほかの配偶者様たちも、きちんと、距離を保っておられます。

王位継承者同士でご挨拶が終わってから、女王様から配偶者様へお言葉を賜るのが普通のようです。それまでは、距離を置いて控えているのがルールみたいね。

なのに、美智子さま、いきなり、この距離です。動画を見ると、女王陛下が天皇陛下に語り掛けているのに、美智子様が割り込み、天皇陛下のかわりに答えているのがわかります。

自分は天皇と同等。家庭内の秩序をまるまる持ち出しているのね。

女王さま、陛下とは感無量な感じ。

お互い、次々と王朝が倒れていった激動の20世紀において、家を守り抜いた同志みたいなもの。陛下とご挨拶を交わしているのに、横からなにか話しかけているみたいですね。

女王陛下がうんざ利した表情で振り返っています。

マナー違反もさることながら、感慨に水を差されたのが御嫌だったのでは。

海外の王族を、俗物臭いホームドラマの小道具につかうのがね、、、。

ウイリアム王子来日

ウイリアム王子が来日されたとき、英国王室側は、ウイリアム王子と、悠仁さまとの対面を強く望んでいて、その意を事前に伝えてたのにかかわらず、時間があったのにもかかわらず、実現させませんでした。

愛子様に皇統をつなげたい美智子さまとしては、悠仁さまとウイリアム王子との対面はマイナスになるもの。世界のマスコミに、その写真が後悔されると、ただでさえ、秋篠宮ご夫妻の評価が高いうえに、悠仁さまが将来の天皇として印象付けられるのは痛手。

スケジュールは空いていたのに、秋篠宮さまを美智子さまの親類のイベントに参加させたりして、王子と悠仁さまの、ご対面の邪魔をしたのね。英国のマスコミも、王室側も、非難ごうごうみたいよ。

皇太子家を訪問したけど、話題にならなかったみたい。というか、いないものとして、無視されているのではないのかしら。

ウイリアム王子の来日以来、ぴた、っと、皇室と海外王室との交流が止まってる気がします。 スケジュールの関係もあるとは思うけど、もしかして、完全に皇室は無視されて、ロイヤルの中では、鎖国状態になってるのではないのかしら、と、軽く想像。

そのあとから、両陛下のフィリピン訪問とか、東宮夫妻のトンガ国王戴冠式とか、失礼だけど各段格下の海外公務が決定しています。しかも、こちらから押しかけていっているものばかり。

東宮夫妻の、トンガ国王戴冠式も、欧米のロイヤルは誰も参加していません。中国からは軍人らしき人が数名参加したらしいけど、日本の皇太子とは釣り合いがとれませんね。

36億の援助をしたらしく、トンガ側も嫌とも言えないでしょうね。そこしか、受け入れ先がないとしたら納得いくわ。

海外では平民として表記される美智子さま

どんなに、平民出身の美智子さんが無礼をはたらいても、欧州の王侯貴族は世界第一位の皇室にはクレームがだせないのですね。

変な人を天皇や皇太子妃の妻にし、さらには、監督ができないっていうのは、皇室の責任であり、日本の責任とみなされて当然でしょう。

クールジャパンの波が来るまでは、やたらと日本にたいする蔑視が気になってたけど、原因は、このへんにあるのではないでしょうか。

こんな感じなので、美智子さまの海外での評価は、皇后、正妃ではなく、ただの妻。側室、妾、あつかい。出自も実は平民以下とされてた部落の出身だったということもあるけど、その所業が、どうしようもなく、ルーツに添ったものだからではないかしら。

テロップの表記「日本の明仁天皇と、妻の正田美智子」

※伏見氏のブログよりおかりしています。

http://blog.goo.ne.jp/duque21

★イギリスに訪問したときに、【エリザベス女王が、美智子と一緒に並ぶのを生理的に嫌がる】事は、有名な話です。英国王室は、【日本の部落制度】や【在日朝鮮人問題】についても、正確な知識を持っています。

可能性としては有り得ませんが、雅子肥が英国訪問したら、エリザベス女王は、間違いなく【手袋をしたまま握手】するでしょう。

海外での現在の正しい処遇

今上;Emperor Akihito and  Michiko Syouda

東宮;Prince Naruhito and Masako Owada

秋篠宮;Prince Akisino and Princess Kiko

★上の二人の女、については、【妾扱い】です。卑賤の出だという事をイギリスを始め、主に欧州王室は全て、知悉しています。TVの報道も正式名称はこの通りです。

お気づきですか?唯一、正妻扱いされているのが紀子妃殿下だけです。紀子妃はれっきとした、会津藩士の血を引いていることが認知され、尊敬されているのでしょう。

【正田美智子は妾】の呼称の意味と妥当性について、外務省儀典室イギリス科に問い合わせてみました。担当のキャリア官僚は、その事実は知らなかったとしながらも「少なくとも正妻と言う意味ではない」と回答し、根拠について聞くと「英国王室の独自の判断です」という事で、「こちらから抗議することは無い」という事でした。Masako Owada も同じだそうです。

(ここまで)

※伏見氏のブログよりお借りしてます。2016年1月の天皇陛下と美智子様の、フィリピン訪問の折の話題です。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/67256663873062c840afd277dbda69ee

動画にempressと言う表現が有ったので、在日フィリピン大使館に抗議の電話を入れました。

「美智子は国際法上は、皇后でも、皇族でもなく、天皇と同居しているだけの日本の最下層出身の女ですから、Michiko syoudaと呼称を改めてください。」

大使館職員「それは、良く知っています。こちらもわかっていてああしたのです。ご理解ください」との見解でした。フィリピンもちゃんと事実を理解してくれていてよかったです。

以上

大使館職員「それは、良く知っています」

世界の方は知っているみたい。

もしかして、欧州訪問のおりの経費の中で、訪問先の方たちへの贈り物が大きなウエイトを占めていたけど、それは、向うの方たちに、美智子を妃として扱ってもらうための贈賄だったのかもしれませんね。


wiki

しかしながら、2008年(平成20年)で皇后も74歳の高齢となり、健康上の理由から公務軽減が検討されている。

特に膝を痛めることが多く、2009年(平成21年)春の園遊会では、本来ならば洋装のところ和服を着用し、足を隠した。

テニスはできるみたいよ。

スロージョギングもしているし。

「頸椎をいためてティアラがつけれないのでつけない」(フィリピン大統領宮中晩餐会)でも、ピアノは弾けるのね。

微妙な表情。

なぜ、主役でないといけないのかしら。ヨレヨレだし、ピアノも上手じゃないし、公衆のまえで披露して、さらには、主催の方たちを押しのけて、前にでて、さらには、マスコミを通じて国民に公表する必要があるのかしら。よく演奏に合わせて外人の歌手さんが歌ったり、合奏したりしているけど、小道具として白人さんを置くのがすきよね。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=848
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c5

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
6. 中川隆[-12051] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:11:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018.01.07
続・美智子様の真実D@(後)最下層から皇后へ
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=919

続きです。


正皇后

wiki

奇后は以前から、政治に身を入れず酒色に耽る順帝に愛想を尽かし、皇位を息子の皇太子アユルシリダラに譲位させたがっていた。

1365年には偽勅を発してココ・テムルの軍を動員し、順帝に迫ろうとしたが、ココ・テムルに気付かれて巧くいかなかった。それでも后妃の地位を廃されなかったのだから、皇太子生母の立場は強いものであった。

2016年天皇の生前退位問題

陛下は退位するとは一言も言ってませんが、勝手にマスコミが「生前退位」という奇妙な造語をつくりだし、クーデターをしかけました。


wiki

まもなく正皇后バヤン・クトゥクが死去したことにより、次皇后の地位にあった奇氏は正皇后に昇格した。

奇氏がバヤン・クトゥク皇后の死後、その宮室に行ってみると、慎ましく暮らしていた前皇后の衣服は破れを繕ったようなものばかりで、奇氏は「正皇后がこんな服ばかり着ていたのか」と大笑いしたという。

次皇后とはいえ、皇太子生母として相当な権勢を振るっていたとみなければならない。

皇后が質素に暮らしていた理由は、モンゴル内の財政が悪化しており内部からの収奪横領が進んでいたのでしょうか。

皇室でも資産、財宝の横領が続いています。

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天皇家の財宝の横領

現在行方不明のティアラ、ネックレスなどの宝飾品

現在行方不明のジュエリーのまとめ : 皇室の写真

皇后の第一ティアラ

皇后の第2ティアラと3連のダイアモンドのネックレス

平成になっていらい、ネックレスが3連から1連に。

故秩父宮妃のティアラ

本来なら、格下の妃のアクセサリーはつけないのですが、嬉々として着用しているところに、美智子の正体がわかります。

故高松宮妃のティアラ

清子さまのティアラ

皇太子妃の第一ティアラ

皇太子妃の第2ティアラ

雅子がオランダ王晩餐会など、昨今の晩餐会につけてくるのは明らかに偽物。

ジョギングをし、テニスをする美智子。

頸椎や腰が痛いからティアラも勲章もつけないといいつつ、重いネックレス、ギラギラのバックルをつけている美智子。

スイスのバーゼル

美智子は何度も不自然にスイスのバーゼルに行っています。

秘密口座をつくり、天皇家の資産を自分の口座に移そうとしたのでしょう。

そして、一部の資産の横領は成功したと思われます。

なぜなら、小和田が後年、真似をしたからです。

2002年 美智子

2002年(平成14年)9月28日 – 10月3日、スイス旅行。

国際児童図書評議会 (IBBY)、スイス・バーゼル=シュタット準州州政府からの招待により、同準州州都バーゼルで開催される「国際児童図書評議会創立50周年記念大会」に出席のため。(皇后美智子wikiより)

2016年 小和田

小和田恒 スイス軟禁 皇室財産横領 カテゴリーの記事一覧 – 伏見顕正の政経塾

一週間ほど前から、ちらほら「噂」を耳にしていましたが、まさか事実だったとは思いませんでした。
「ある相当な筋」から得た情報ですから、「裏取り」する必要のない「現在進行形の事実」です。某国家の主要地位にいた方です。

★以下、「リーク」を許可された部分のみ公開します。
≪皇太子妃雅子の父、小和田恒は今、現在、スイスのバーゼルのホテルに「軟禁」されている≫
嫌疑は、スイスの銀行に有る「天皇家のお金」に手を付けたからだそうです。
驚くなかれ、日清戦争の、清国の賠償金以来蓄積されたもので、天皇家名義のお金は8兆円も蓄積があるそうです。
★「政府」(総務省らしい)が救出に向かったが埒が明かないそうです。

(以上)

ヤフオク事件

皇太子夫妻による、皇室財産の横領です。

真似をするしか能のない小和田家の人間と雅子。おそらくこれも、美智子のマネでしょう。美智子や皇太子夫妻がベルギーやオランダと関係が深いのは、こうした秘密裏に流れてくる美術品のバイヤーがあのあたりにいるのかもしれません。

※ヤフオク事件の詳細はこちら

どんどん貧困化している皇室

昭和時代

平成時代

ショボイ、、、

国宝級の盆栽、屏風、巨匠の絵画、、、今は何もありません。公民館のよう。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=919
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c6

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
7. 中川隆[-12050] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:13:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.01.07
続・美智子様の真実E(前)奇皇后の最後と美智子の最後
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=1243

続きです。



wiki 北元

だが、1368年朱元璋の明軍が大都郊外の通州に迫ると、順帝は奇皇后や皇太子を引き連れて大都を去り、元朝の中国支配はあっけなく終わりを告げる。

史上最強のモンゴル軍が戦わず敗走し解体しました。貢女の息子の漢の武帝が司馬遷を粛清したように、忠臣も国士も粛清されたのでしょうか。あるいは愛想をつかして草原に帰ってしまったのでしょうか。

奇皇后たちは、帝国を乗っ取ったけれど、同時に帝国は奇氏たちに食いつぶされて死体同然だったのではないのでしょうか。

ちなみに、今も日本は帝国だそうです。天皇=皇帝がいるからです。

中国の方が「日帝」「日帝」とうるさく言いますが、間違ってはいないんですね。

しかし天皇制が廃止されるか、皇統が断絶すると帝国でなくなります。

偽王にすり替わったり、女帝になり皇統が変わった場合や、新王朝が立ったとしたら帝国でなくなり、海外からの扱いが普通の一アジア諸国の王に変わります。

いかに日本が経済大国だったとしても、新しい王朝ですからランクは、世界の王室のネットワークの中でも最下位となるでしょう。

昨今の天皇夫妻や皇太子夫妻の扱いを見るに、海外の要人の方々は美智子や徳仁がダブルだとわかってるみたいですねー。

美智子は、フィリピン訪問時も、美智子は皇后としては扱われていませんでした。

欧米との付き合いも絶たれ、どこからも旅行の引受先はありません。

皇太子夫妻も天皇夫妻も行先は、フィリピンやトンガなど日本のODAをもらっている小さな国ばかり。押しかけていっているという感があります。

トンガ王の戴冠式。体育館のような小さな教会で、だれも先進国からは参列者がいないつつましい戴冠式でした。



トンガ川としては、36億円をもらったので無下にもできませんしね。

雅子はいつものとおり衣装ストーカーをしでかしています。マゼンダ色のドレスの女性の冷笑が徳仁夫妻への評価を表しているように見えます。

たまに、王族が来日して天皇を訪問したりしますが自国のWEBでは無視されていたり、



国家間の友好◯◯年記念など、自国のために王族が来日したりはしますが、ベルギー王のための宮中晩餐会では美智子はサッシュを許されず平民の装いでの出席をみるに、

世界の王室ネットワークからは無視され、いないものとみなされているとみて良さげです。

皇太子徳仁さんも、随分前からいないものとみなされているようですね。

※Remikkiさんの記事から一部お借りしています。

「皇太子」が公式に訪問した皇太子は副首席が迎えましたが、、、、

2009年



2012年

研究のために私的に訪問した秋篠宮様は首席と会見しています。

閣僚を従えての会見でしたね。

そして、ローマ法王との会談。

徳仁さんは浩宮時代に一度会っていますが、皇太子になってからは、欧州に行く機会があったにもかかわらず一度もローマ法王とあっていません。

中米での秋篠宮様は皇太子の待遇でした。

南米を訪問した眞子様の待遇も、天皇の孫の一人ではなく、皇女として迎えられていると思います。

秋篠宮さまの待遇は、皇太子の待遇を超えていると思います。世界最高位にある王家の当主としての扱いではないのでしょうか。

美智子は皇室をのっとったものの、美智子と雅子の数多くの無礼と多くのウソのせいで、とっくの昔に世界第一の天皇家が持つ権威を失っているのです。

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wiki

順帝は内モンゴルの応昌に逃れて再起を期していたが、1370年にこの地で没し、皇太子のアユルシリダラが後を継いだ。

これが北元の昭宗である。奇后は北元の皇太后になったことになる。

今ここの段階で美智子は足踏みしているのよね。

順当に行くと、美智子が産んだナルちゃんが天皇になるのだけど、まずナルちゃんは健康上問題があるのよね。

尿漏れ徳仁1号

オムツにアセンション。

さらには尿パックに格上げ。

そして、最近徳仁1号は見かけなくなりました。


wiki

遼東方面には20万の大軍を擁する元太尉ナガチュの勢力が残存しており、北元は高麗にも圧力を加えた。
やがて北元の昭宗アユルシリダラは明軍に追われてカラコルムに逃れ、1378年にこの地で没した。

奇皇后の息子は逃走の末に亡くなったけど、美智子の「息子」徳仁1号(上段)も2号(下段)も、最近見ないのよね。

そういえば、2号の手相に、運命線と頭脳線の交わる場所に「島」があったのね。精神を病んでたのかも??

今、「徳仁」として、でてきているのは3号だとおもうのだけど、

そして、似ているだけの労働者ナルに変りました。

※詳細はこちらから 皇太子の影武者

三笠宮百日墓祭

・秋篠宮様 皇族総代

・徳仁さん 百日墓祭は欠席。かわりに、小学生の読書感想文コンクール授賞式。

皇族の間でも皇族扱いされてないみたい、、、、

もしかして、こいつは、代理の職員あつかい??


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=1243
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c7

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
8. 中川隆[-12049] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:15:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017.12.19
皇后美智子の真実E-2@22年目の阪神大震災と「雅子さまの涙」
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=1342


本日1月17日は、22年前に阪神大震災があった日でもあります。

関東大震災における皇族・皇室の対応と、朝鮮人を妻とした天皇、皇太子を戴く平成の皇族、皇室との差が歴然としていますね。

※そのまんま転載させていただいてます。読みやすいように、一部太字にしてます。

Dosuko Wiki

死海 | Dosuko Wiki | Fandom powered by Wikia

平成7年(1995年)1月17日 

阪神淡路大震災発生

平成7年(1995年)1月18日 

ご挨拶(皇太子同妃両殿下(中東3か国ご訪問につき))(御所)

『女性セブン1998年6月28日号別冊 皇太子さま雅子さまご結婚5周年記念 素顔のプリンセス』小学館1998年6月発行 p.128より引用

’94年の11月5日から15日までの日程で皇太子さまと雅子さまは、サウジアラビア、オマーン、カタール、バーレーンの中東各国を歴訪された。

・・中略・・

さらに、おふたりは翌95年1月20日か1月30日までの予定でクウェート、アラブ首長国連邦(UAE)、ヨルダンの3か国をご訪問。各地で熱烈な歓迎を受けられた。
しかし、ご出発の3日前、全世界が悲しみに暮れた大惨事が起きる。阪神・淡路大震災である。
淡路島付近を震源とするマグニチュード7.2のこの直下型大地震が発生したのは、’95年1月17日午前5時46分ごろ。とくに兵庫県南部や淡路島は、各地で建物の倒壊や火災が相次ぎ、死者約5500人、負傷者約3万7000人、倒壊家屋約21万戸、焼損面積約65万ヘクタール。戦後最大の被害(当時)を受けたのだった。
テレビなどを通じて伝えらえる震災の状況をご覧になるにつけ、このようなときに、日本を離れてもいいものか――おふたりはこの2度目の中東ご訪問を予定通り進めることに、ためらいを見せられたという。

ある皇室記者はこう話す。
「とくに、皇太子さまは、東宮侍従たちに、“スケジュールを変更したほうがいいのでは”と何度も確認されたようです。しかし、クウェートとアラブ首長国連邦への訪問をイラクのクウェート侵攻とそれに続く湾岸戦争、イラク情勢の緊迫などによって過去2回延期していることなどを理由に、外務省が予定通りの訪問に固執し、それに宮内庁も押し切られる形で強行されたと聞いています」

大震災の3年後に発行されたムック本で語られている東宮夫妻の「ためらい」は果たして真実だったのか、それは当該訪問光景画像やその後来日したダイアナ妃との対面、現地慰問等々とを総合して考えるべきであろう。

平成7年(1995年)1月20日〜28日 皇太子夫妻中東3ヶ国(クウェート・アラブ首長国連邦、ヨルダン)訪問
阪神淡路大震災発生3日後に予定が立てられていたからと外国訪問決行、

ヨルダン側の好意のもと同国での行事日程をキャンセルしてしぶしぶ日程を2日間短縮して28日帰国。

各国首脳主催晩餐会では、阪神大震災へのあたたかい見舞いスピーチが毎回述べられた。

・参考その1:『女性自身』1995年2月7日号表紙

ああ夫よ!母よ子よ!!関西大震災総力特別取材特

別号
雅子様中東へ! 被災者に“後ろ髪”ひかれて

・参考その2:『女性自身』2001年2月6日号カラーグラビア記事
この2回目の中東ご歴訪の旅のご出発日は(’95年)1月20日。ちょうどその3日前に、阪神大震災が発生した。

…中略…

ヨルダンの故・フセイン国王のお勧めもあって、予定を2日早めて帰国なさったのだった。

1995/01/21

阪神大震災後4日後、祝福の色紅白に身を包みクェート訪問

1995/01/21 

クウェートジャピル首長を表敬訪問

1995/01/22

クウェート国立博物館でもてなしの菓子を口にする薄ピンク色スーツの雅子。

グラビア記事末尾に当中東訪問について「ヨルダンの故・フセイン国王のお勧めもあって、予定を2日早めて帰国なさったのだった。」と記載

1995/01/22

クウェートサアド皇太子兼首相主催の晩餐会

1995/01/23

アラブ首長国連邦訪問ムシュリフ宮殿で移動中

1995/01/23

同上アラブ首長国連邦迎賓館にて、

ピンク色ドレス姿でだらしない座り姿

1995/01/24

アラブ首長国連邦にて遺跡見学、

鼻の下をみよーんと伸ばした変表情雅子:2007/01/07放送の「皇室日記」から

1995/01/24 

遺跡見学中、落ち着きなくカメラをいじりながら鼻の下を伸ばした変顔雅子連結画像

1995/01/24

アラブ首長国連邦のアル・アインにてラクダレースを観戦

1995/01/24

ラクダレース見物中、

貴賓席で雅子に話しかける徳仁とあまり熱心に相手をする様子のない雅子:2007/01/07放送の「皇室日記」から

1995/01/24

同上ラクダレース観戦、

雅子の顔色をずっとうかがっている徳仁と、それを一貫して無視し、下品に笑っている雅子連結画像

1995/01/24?

アラブ首長国連邦訪問ハリファ皇太子とサッカー観戦

1995/01/25 

アラブの伝統的木造船(ダウ船)でドバイ・クリークを見学

1995/01/25 

同上ドバイ・クリーク見学での指差し姿 【指差し】

1995/01/25

同上アラブ首長国のムハマド皇太子との会食・会談、

果物いっぱいのゴージャスなもてなしを受ける皇太子夫妻。砂漠の国では最上級の歓待

1995/01/26

阪神淡路大震災から9日後、ヨルダンで満面の笑みを浮かべる雅子


26 Jan 1995 — JAPANESE PRINCE HEIR APPARENT VISITING JORDAN — Image by © ATTAR MAHER/CORBIS SYGMA

1995/01/26

ヨルダン王国訪問、晩餐会前にサルワット妃と談笑

1995/01/26-27

ヨルダン王国バスマン宮殿のハッサン皇太子・サルワット妃主催晩餐会にて、

皇太子ヨルダンの援助に感謝の言葉を英語でスピーチ/ヨルダン北部の遺跡「ウンム・ケイス」を見学

1995/01/27

ハッサン皇太子ご一家とヨルダン・ペトラ近郊の古代遺跡を見学

「阪神大震災への配慮からヨルダンでの日程は2日間短縮」と説明あり

1995/01/27 

ヨルダンからの帰国前、

クイーン・マリア空港にてサルワット妃とムッとした表情の雅子。パンプスから甲の肉がはみだしている【甲の肉】

※無題 Name 名無し 14/12/18(木)15:58 ID:4NmWSn76 No.1204666
そのうえ、「お国が災害で大変な時ですからお帰りになったほうが・・」
と心配し助言して下さったヨルダン王妃に
不貞腐れてブンムクレ顔しちゃうサイテーな女!
一緒にはしゃいでた無能な徳仁も同罪

1995/01/31

阪神淡路大震災から2週間後に被災地に向かわれた天皇・皇后両陛下

1995/02/08 

ダイアナ妃が単身震災見舞いに来日。

雅子はダイアナ妃とバッティングしている、瓜二つそっくりスーツ姿で出迎える(『女性自身』2/28号「あっ!同じコーディネート!」とキャプションが添えられたグラビア)【雅子のお召し物当たり屋シリーズ】

ダイアナ妃は震災現地視察慰問を希望していたが、この時点で東宮夫妻は未訪問。他国皇太子妃に先を越されるわけにはいかないので彼女の希望を断ることに。

ダイアナ妃「阪神淡路大震災被災地か日本赤十字を訪問したい」→近衛が断る。

参考

2012年5月18日 テレビ朝日「やじうまテレビ」にて、阪神大震災直後に来日したダイアナ妃と皇后陛下の秘話として『女性自身』2012/3/20号記事を紹介

阪神淡路大震災被災地か日本赤十字を訪問したいと打診したダイアナ妃側に対して、日赤の近衛社長からは丁重にお断り。

松崎敏哉氏の説明では、日本の皇室からまだ誰も行っていないからなのが理由ではないか。

そのことを知った美智子さまが近衛社長に電話。自分のことは心配せず、ダイアナ妃を迎えてあげて下さいと。

結果、ダイアナ妃の日赤訪問が実現。その様子が世界中に配信された。

雅子の「順序が違うのではありませんか」の対極。

※こちらは、東北大震災のときの近衛。3600億の義援金はどこへ消えたのか?

※野盗のように、救援物資をよこどりした辻元とピースボート。消えた義援金は赤十字へ??


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皇太子「阪神大震災が起こり途中で日本に戻ったため、死海は見られなかったので、また行きたいです」


http://www.47news.jp/CN/200508/CN2005082601003570.html
皇太子さま、万博から帰京 死海の水のプールを見学
皇太子さまは26日、愛知万博(愛・地球博)の長久手会場を訪問、ポルトガルやモロッコなど7つの外国パビリオンを見学、夕方に新幹線で帰京された。  今回の訪問で、各国政府や国際機関、企業などが出展した80以上のパビリオンのすべてを天皇、皇后両陛下と皇族方が訪れたことになる。

万博の名誉総裁を務める皇太子さまは、9月25日の閉会式にも出席する。

午後に訪れたヨルダン館では、塩分濃度が高く人が入っても沈まない「死海」の水のプールを見学。

1995年の同国訪問に触れ、案内役の関係者に

「阪神大震災が起こり途中で日本に戻ったため、死海は見られなかったので、また行きたいです」と話した。
2005/08/26 09:55 【共同通信】

(以上)



撮影がおわったら、ヘラヘラヘラ

平成7年(1995年)1月18日

ご挨拶(皇太子同妃両殿下(中東3か国ご訪問につき))(御所)

この時点で、なぜ、美智子は徳仁夫妻の中東域を止めなかったか、なのよね。

それは、美智子もまた雅子と同種の人間だったから。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=1342
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c8

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
9. 中川隆[-12048] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:17:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017.12.19
皇后美智子の真実E-3@美智子様の「愛の」被災地訪問と水仙の花と「美談」の数々
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=1339


関東大震災と皇室

・国庫から支出される皇室費は年450万円の時代に、御内帑金(天皇のお手元金)が一千万円、下賜。

・社会事業、司法保護事業、盲唖教育事業に関わる諸団体に対して、応急資金3万9千余円が前後2回にわたって下賜されました。

・皇室財政は裕福といえるものではなく、被災者救済のための御内帑金1千万円は株式の一部を売却して捻出。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.php?res=1608941

一方、日光で天皇のおそばにある(貞明)皇后は、罹災地の食糧が欠乏していることを知ると、毎日の供御の数を減らすよう、担当の大膳職に指示されました。

また、「両親と死別した孤児、扶養者を失った老人はどれほどの数になるか」と、侍臣たちに問われ、その身の上を気遣われました。

9月25日に後藤新平内相が伺候して、被災状況をお話申し上げたとき、
皇后は、

「自分らはたとい一汁一菜でも凌ぐから、役人たちは徹底的に罹災民を救い、帝都復興に尽くしてもらいたい」

と述べられました。

さらに、国民の不安を取り除くため、天皇が一日も早く帝都に還御されるべきだ、とお考えになり、29日に皇后は混乱の続く焼け野原の東京にもどられます。

お召し列車が上野駅に到着されるや、皇后は直ちに上野公園自治会館や都内の病院に被災者や入院患者を見舞われ、翌日も、その翌日も、そのまた翌日も、都内数カ所の病院を慰問され、負傷者たちをいたわられました。

… 無題 Name 名無し 16/04/21(木)21:17 id:xJrq6N2. No.1609188

震災当日、父帝のお見舞いのため日光に滞在されていた秩父宮親王は直ちに帰京され、
第一師団の戒厳勤務となり、都内を巡視、皇族の総代として被災者を慰問されました。

9月4日、被災した街の辻々に、活字のほかにガリ版、手書きを含む新聞の号外が張り出されました。
地震発生当日から東京の新聞は発行不能に陥っていましたから、号外とはいえ久しぶりの新聞です。

そこには、被災者を思いやって御内帑金(天皇のお手元金)が一千万円、下賜されたことが記され、左記の「摂政宮の御沙汰書」が掲載されていました。

「今回、希有の大地震、東京および近県を襲い、これに加うるに大火をもってして、その惨害はなはだ大なるはじつに国家生民の不幸なり。
予はその実情を見聞して、日夜憂戚し、ことに罹災者の境遇に対して心深くこれを傷む。ここに内帑をわかちてその苦痛の情を慰めんと欲す。
官民それ協力して適宜応急の処置をなし、もって遺憾なきを期せよ」

無題 Name 名無し 16/04/21(木)21:19 id:xJrq6N2. No.1609189

また先述したように、御内帑金1千万円が下賜されたほか、皇太子の御成婚予算の大部分が罹災社会事業の奨励下賜金に流用されました。

救恤金は閣議を経て、内外人を問わず、死亡者・行方不明者は1人16円、
全焼住宅は1世帯12円というように、各被災者・罹災世帯に配分されました。さらに、社会事業、司法保護事業、盲唖教育事業に関わる諸団体に対して、

応急資金3万9千余円が前後2回にわたって下賜されました。

紀元節(いまの建国記念の日)に奨励金を下賜されるのが毎年の恒例でしたが、
震災で被災した団体も少なくなかったことから、事業が滞ることがあってはならないというお考えからでした。

救世軍社会事業部、二葉保育園、浄土宗労働共済会、聖路加病院など、
キリスト教や仏教関係の社会事業団体も含まれています。

無題 Name 名無し 16/04/21(木)21:24 id:xJrq6N2. No.1609191
国庫から支出される皇室費は年450万円にすぎません。

15宮家の生活費などは所有される林野からの収入約1千万円と日本銀行その他の株券・公債からの収益でまかなわれ、その収益は例年下賜される社会事業奨励金や自然災害の救恤費にも当てられていました。

皇室財政は裕福といえるものではなく、被災者救済のための御内帑金1千万円は株式の一部を売却して捻出されました。

また帝室林野の用材は被災者たちの建築用材に下賜されたため、皇室は無収入に近い状態に立ち至ったといわれます。

このほか、一部宮邸が焼失した外国公館に貸与され、高輪の竹田宮邸はアメリカ大使館に、北白川宮邸はフランス大使館に当てられたばかりでなく、各宮家は賑恤金50万円を交付され、各妃殿下は職員やその家族にも督励して被災者に下賜される被服の裁縫に努められました。

公正無私のお立場で、つねに国と民のため、さらに世界の平和のために祈られる皇室本来の姿がここにうかがえます。

(ここまで)

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阪神大震災と平成皇室

「皇后」美智子夫人が、御所に自生する水仙を17本、御自らお摘みになり献花される。



自生してた水仙17本。

それだけ。

東北大震災と皇室

「皇后」美智子夫人が古本を14冊寄付、しかも震災とは関係のないキリスト系の施設へ

水仙をささげた場所は在日朝鮮人の町


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コメント欄より

怒涛の更新ありがとうございます。いつも勉強させていただいております。

ずっとROMでしたが、今回初めてコメントを書きます。

以前は御慈愛仮面にころっと騙されていた一人ですが、皆様のご尽力で仮面が剝がされた今、常に静かな憤りで一杯です。

水仙の花言葉はナルキッソスの神話に由来しており、「自惚れ」「自己愛」だそうです。 その他に神秘や尊重もあるようですが、美智子夫人には「自己愛」という巨大なブーメランが見事に突き刺さっています。

また、水仙には全種類、「毒」があるそうで、見事に実際の美智子夫人を表現していて驚きました。 国民を見殺しにした村山富市、貝原兵庫県知事に怒りを新たにしています。

コメント欄より

いつも、記事をありがとうございます。
掲示板で、水仙の花を手向けた場所についての、内容を見つけました。

>無題 Name 名無し
このスイセンを手向けた場所ご存知?
周辺一帯は在日が大勢住んでいた地区です。
この菅原通は長田区役所襲撃事件のあった区役所のすぐ近く。
〇〇青年同盟の事務所もすぐ近く。
他にも犠牲者が出た場所はたくさんあったのに、わざわざここ。

これは同胞にのみ、追悼してると言うことなんでしょうか。
17本というのも、震災が起こった日の17日にちなんでの本数ってことなのかと今気づきました。
17本の意味がわかって、あの日の、計算されつくした、自己満足な演出に嫌悪感が増します。

ベターニア様が書かれている、「アテクシは大丈夫」の話といい、最初に呆然とするあの間といい、全てが芝居じみてて、ご慈愛ミッチーPRの場所に使われたんだなと思いました。
災害だらけの平成が終わり、秋篠宮様の代になることだけを願います。
平成は、全てを崩壊させる時代でした。

(以上です)

・『おおきなかぶ』
・『白いお姫さま』
・『スーホの白い馬』
・『くるみ割り人形』
・『新美南吉全集』1〜4
・『ガラスのうさぎ』
・『ともしびをかかげて』
・『三月ひなのつき』
・『しんせつなともだち』
・『でんでんむしのかなしみ』
・『龍の子太郎』
・『わたしとあそんで』
・『わすれられないおくりもの』
・『しずかに!ここはどうぶつのとしょかんです』

古本14冊、これだけ。

※皇室掲示板より

「無題 Name 名無し 16/04/21(木)21:19 id:xJrq6N2. No.1609189

また先述したように、御内帑金1千万円が下賜されたほか、皇太子の御成婚予算の大部分が罹災社会事業の奨励下賜金に流用されました。

救恤金は閣議を経て、内外人を問わず、死亡者・行方不明者は1人16円、
全焼住宅は1世帯12円というように、各被災者・罹災世帯に配分されました。

さらに、社会事業、司法保護事業、盲唖教育事業に関わる諸団体に対して、
応急資金3万9千余円が前後2回にわたって下賜されました。」

(以上)

コメント欄より

私も震災での美智子の偽善に腹が立っている一人です。

絵本を送った相手は、被災地の市役所でも図書館でもない、同じカトリック仲間の活動に対してです。これって、ようは仲間内のお話ってこと。それを美談に仕立てて、本当に偽善者だと思います。

水仙の訪問の動画をyoutubeで見たことがあります。

体育館内を回っているときに、誰かが「美智子様、お体大丈夫ですか」というニュアンスの声があり、それに対して「アテクシは大丈夫」と美智子が振り向き言うんです。

人が大勢いる広い体育館で、こんな映像と音声は事前に準備、打合せでもしてないと絶対撮れない、ヤラセだと確信しました。

また、この訪問で着る服のオーダーを受けた当時のお抱えデザーナーの雑誌インタビューに、体育館で子どもを抱きしめたとき温もりが伝わるようにと美智子からの注文で、最高級のウールで服をつくったとありましたよね。 被災地を自己PRの場所に思っている証拠です。

(以上)

ありがとうございました。

【朝鮮族中国女工作員の商売】テレビに出るのが生きがい

天皇皇后の被災地お見舞いDVD 1500円

公益財団法人菊葉文化協会−頒布品(DVD)−

【北朝鮮女の哄笑】ぐはっはっはっはー

貞明皇后の関東大震災の慰問
f:id:e-vis:20170117180823j:plain
雅子と美智子。

皇室に入れてはならない女2代にわたって皇太子の妻にしてしまいました。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=1339
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c9

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
10. 中川隆[-12047] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:20:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2017.12.19
美智子皇后の真実F@大切な家族たち、娘、嫁、孫
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=857


他の妃・皇孫に対するもの


wiki

他の妃・皇孫に対するもの
紀子妃は同じく旧皇族・旧華族以外の出身であり、彼女に対してそれまでの自分の経験を話し、助言をしていると言われている。彼女の婚約が内定した際には、「またひとつ宝物が増えました」との感想を発表している。



秋篠宮妃への対応

※伏見氏のブログよりお借りしています。

情報によると、女帝の紀子様に対する、苛めは半端ないそうです。

どうでもよいことで、頻繁に呼びつけて、高く大きな声で、長時間厳しく叱責し続けるらしいです。

その回数も、日に一度や二度なんて程度じゃないそうです。それでも、不貞腐れたり、口答えもせずに、神妙に耐えて聞き続ける紀子様に、「良くこらえてらっしゃる」と他の宮様や、宮内庁の職員の中から徐々に紀子様に同情する人々が増えているそうですが。

※つづきはこちらから

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/eedd1018202f90032788a1c2c1e8a3f3

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655 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 01:31:43 id:JxAcrms1
紀子妃いじめは入内前から川嶋家訪問の折、皇后が紀子妃を怒鳴りつけた。
和代さんに茶を入れさせたのは宮内庁の支持だったが、紀子妃を標的にして宮中の慣例を壊していった。

紀子妃は皇后と宮内庁の板挟みにあって苦しかった。

皇后のビデオを見て所作を真似たのも、なにをやっても叱責されたための自衛策。

紀子妃先祖は戦前に学習院初等科科長を務めるなど、皇室との距離の近さは正田家とは比較にならない。しかし皇后からすれば、金も地位もない、戦後の皇室に何も貢献していない家だった。何をやっても抗議もなく、皇后はやりたい放題だった。

オクの人間は会見時のアツアツぶりに眉をひそめ、最初は皇后に同調していたが、そのうち皇后の常軌を逸した態度に腰が引けはじめ、紀子妃が一言も愚痴をこぼさなかったことに驚嘆し、『若いのによく御勤めになる』とだんだん認めるようになっていった。決定的だったのは前代未聞の子作り禁止。

※つづきはこちらから

http://ariesgirl.exblog.jp/25061567/

秋篠宮邸

独立した秋篠宮様に、秋篠宮邸として、与えられたのは、築30年の平屋の職員宿舎。

※皇室の写真様よりお借りしています。

http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/1042824590.html

これが、筆頭宮家の宮邸、、、。

池にナマズを飼い、お子様が、おひとり生まれるごとに、増築し、つつましく暮らしておられた秋篠宮家。

秩父宮妃がなくなるとき、邸宅を秋篠宮家に譲るよう遺言をしたため、今は、筆頭宮家らしいお住まいで暮らしておられる。

末端宮家の高円宮邸

東宮御所

東宮御所は、改築のおり、バリアフリーにしリフトを付けたのは、小和田雅子の祖父の為。小和田雅子の祖父。つまりは、水俣病の公害企業主の責任者。





ヤクザを使い、被害者の方たちや、写真家ユージンスミスを襲わせたのが、この人。

小和田家のホテル化した東宮御所

東宮御所は、けがらわしい小和田家の年寄りのための老人ホーム件、小和田一族のためのホテルになりました。

改築費用・建築費用

・御所 56億円

・東宮御所 改築費用累計23億円

・高円宮邸 3億6千万円

・秋篠宮邸 1680万円


wiki

皇太子徳仁親王の結婚の際には、雅子妃にルビーの指輪を贈った。この指輪は自身の結婚の際、香淳皇后から贈られたものであった。また、秋篠宮文仁親王の結婚の際には、紀子妃に真珠の指輪を贈った。

指輪を、値踏みする母子。 お約束のように、行方不明。


wiki

2006年(平成18年)2月、紀子妃の第三子懐妊時には、友人に秋篠宮および同妃が、一人で悩んでいる天皇の胸中を思って懐妊を決断したのだろうという、天皇への思いを語ったとされる。また、紀子妃が前置胎盤で帝王切開が必要なことがわかると、それを心配する言葉を寄せた。

秋篠宮家、高円宮家への産児制限を命じる

高円宮さま(TVのインタビューで)

「男の子が欲しかったけど、宮内庁から、産児制限をかけられた」

第三子の絢子女王が1990年生まれ。高円宮家にも、第三子(絢子女王・1990年生)宮内庁からお達しがあったらしい。

秋篠宮家

「ようやくお許しが得たので、第三子を、、、、」

明仁天皇

「皇后は、秋篠宮家に親王がうまれたことを喜んでいますが、皇統は皇太子の系統に継がせたいと考えているのですよ」

「もう片方の靴は棺に入れてあげるわ」ですか?

愛子様を女性天皇にするために、邪魔になっている悠仁さまへの、殺人予告でしょうか?


wiki

無事に悠仁親王が誕生すると、皇后は白いベビーシューズを携えて見舞いに訪れた。このベビーシューズは秋篠宮家で大切に保管されていたとみられ、悠仁親王の1歳の誕生日写真においてソファ脇の机に飾られていた。



同じものを取り寄せられたんでしょうね。秋篠宮家も、ご苦労が多いです。


wiki

また、同年の誕生日においては、敬宮愛子内親王との面会や彼女の着袴の儀を楽しみにしている旨を発表。なお、この年を境に、コメント・会見の際に「敬宮」と呼ばずに「愛子」と呼んでいる。

だってー、内廷皇族は、朝鮮王朝だもの。日本皇室ではないもの。敬宮はそぐわないわよねー。

愛子様の着裳の儀

これも、変なことが多かった。

リハーサルと撮影用には、天皇から送られた伝統的な赤い装束。

本番は、朝鮮センス炸裂の色合いの衣装。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm

無題 Name 名無し 15/11/29(日)23:40 id:ywfodvj6 No.1463421
これでいいと 思います
元々、穢れの子だから…
守り刀の件もそうですが、きちんと儀式を踏んで
守りがつく方が恐ろしいと思います

馬鹿な両親でよかったです

無題 Name 名無し 15/11/29(日)23:56 id:shPBcIhs No.1463429
そうですね。
失敗してよかったです♪
無題 Name 名無し 15/11/30(月)00:56 id:m91P0iXA No.1463447
皇室の血が流れていないから、
失敗したのでは?

無題 Name 名無し 15/11/30(月)20:28 ID:9UP1Ak0Q No.1463937
>池田犬作からの贈り物の生地で作ったそうよ。陛下からの赤い着物はリハーサルで着ただけ。
陛下<犬作?
皇太子、呑気に笑ってんじゃね〜わ。ここまで貶められてよく平気だね。本当に陛下の息子なの?

無題 Name 名無し 15/11/30(月)22:59 id:svtQNdak No.1464007
徳仁も雅子も徳仁の本当の出自を知ってるかもね。
だから(他人の先祖の)祭祀を行うのは合理的でない。
という前提であれば雅子祭祀サボリと徳仁がそれを容認するのもよ〜く理解できる。
無題 Name 名無し 15/11/30(月)23:16 id:gwJO1Yj. No.1464017
なんでこのピンクと黄色?
まさこさんはなんでスーツ?
なんでだす?
なんでこないにおかしいんだす?

(ここまで)

ミッチーも、ピンクがお好きみたい。天皇も白とピンク。

莫迦みたい。


wiki

その他

皇太子妃時代、庶民からの羨望の気持ちを込めて「同じ服は二度と着ない」等ともいわれていたが、実際には丁寧に管理され、時には仕立て直しなどリフォームをして繰り返し着用しているという。

※伏見氏よりお借りしてます。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/c/bf5f3e00c56c4cd4c7b394286758cb86/1

超高額の着物を買って、一度袖を通すと、二度と着ずに放り出すそうです。それを皇后になって以来、27年間続けているものだから、今上陛下が「物置を作ってほしい」と言ったら、山のように積まれている、御着物を全部収納する建物が体育館並みになったそうです。平民皇后としては、これは明らかに、【皇室利権】ですよ(怒)

以上

リフォームをして、清子さまに着せているのは確認できる。

清子さまのドレスが酷い。虐待に近いセンスの悪さ。


wiki

公務の際は、洋装に日本独自のもの(佐賀錦等)をあしらったり、訪問先の国花・都道府県花等を身につけたり、国旗を意識した配色の衣服を着用する等の気配りを見せている。

気配り以前に、雅子さんに衣装ストーカーをさせて、海外の王室や国内の皇族に嫌がらせをする美智子さん。

雅子さんが叱責されている気配はない。絶対権力者の意に添うことしかできないはず。


wiki

そのファッションセンスは、日本のみならず世界的にも高く評価されており、1985年・1988年・1990年の三度、国際ベストドレッサー賞を受賞している。植田いつ子らがデザイナーとして知られる。

・小皿のような帽子は、髪飾りとされルール違反。

・ケープ付きスーツも、ルール違反。

・それに加えて、正気を疑うセンス。

ヒラヒラ、ひらひら、おまけに、サッシュに注目。

60年代、70年代の万博のコンパニオンでも、無理があるデザイン。

アタマに乗せているものが、韓服の頭飾りににているのよね。

こういうゴミ箱、100均で売ってたヨ。

使い捨て衣装3500万の中の一つがこれ。

だんだん、ファッションとかいうカテゴリーから外れてきたみたい。






wiki

1992年(平成4年)に、山形県において開催された秋の国体(べにばな国体)の開会式臨席の際、暴漢が発煙筒を投じたところ、とっさに片手を挙げ身を挺して天皇をかばうなど、常に天皇を気遣っている。

725 名前:可愛い奥様 [sage] 投稿日:2010/10/13(水) 22:32:46 id:mSq4hpHa0
皇后陛下の不定愁訴の激しさは、医者の間では有名。
テレビでみる慈母のごときお姿からは想像ができないだろうが、
プライベートな場での皇后陛下は、触れただけで血が噴き出そうなほど
ぴーんと張りつめた糸で囲われているような人。
対照的に、天皇陛下はいつでもどんなときでも穏やか。
だからこそ、皇后陛下とうまくいくのだろう。
並の人間には皇后陛下のそばに居続けることはできない。
そういう意味では、紀子様もすごい人。
当然ながら、雅子さんには無理だった。

(以上)

常に天皇より前を歩こうとする。天皇を覆い隠して自分が前に出ようとする。

かばっているからなのカナ??

※雅子様大好き様よりお借りしてます。

かばっている??

かばっている??


wiki

宮内庁職員組合文化祭には白木華子(=白樺子→シラカバ)の名前でひそかに手芸作品を出品したことがある。その時、紀宮清子内親王も「川瀬美子(かわせ・みこ→カワセミ)」の名前で出品した。

義妹の常陸宮妃のお名前が華子様なのに、、、、。


wiki

音楽に造詣が深く、学生時代よりピアノが得意とされる。バチカン訪問の際の音楽会では、即興でグノーの『アヴェ・マリア』の伴奏を弾いた。

だれも、望みもしないのに、報道陣の前でピアノを弾きたがる御方。しかも、御上手でない。


wiki

自宅でじかに演奏に接したピアニストの中村紘子は、あれだけ想いの深い演奏をするピアニストは日本にはいない、もしピアニストになっていたら自分には出番がなかっただろう、と最大級の讃辞を送っている。

またピアニスト・田中希代子の演奏を愛し、1996年(平成8年)に田中が急逝したときには深い悲しみを表している。

左翼仲間のピアニストや友人のための追悼式などには、税金使って御静養先から、交通規制させてやってくるのに、散々世話になった、ナルちゃんつきの侍従さんの浜尾さんが亡くなった時は、無視。ナルちゃんが、一番安い花かごを送っただけ。

週刊誌を通じて換言をしたことが、気に入らなかったらしく、冷淡になったらしい。


wiki

このほかハープも得意とする。ハープを演奏する写真も撮影されている。

だれも、美智子さまの、ハープ演奏を聞いたことがないのよね。もし弾けるなら、ここぞとばかりに、披露してくれるだろうに。

金ぴかハープは、「セレブなわたくし」を撮影するための小道具なのね。

なにもかも、最高の金額をかけているのだろうけど、、、、なんで、こう、成金臭いのだろう。


wiki

2009年(平成21年)のカナダ訪問時に訪れたトロントの小児病院では子供たちを前に、子育てのとき子供たちに歌って聞かせた「揺籃のうた」(北原白秋作詞、草川信作曲)を歌唱した。



掲示板より

>カナダでも即興で歌ったんでした?
>すごい下手だったとの書き込みを見たことがあります

カナダの子供病院を訪問されて時間がなかったのか
病気の子供達と面会が出来ないので代わりに
「アテクシのハミングの子守唄」を館内放送で
流して子供達に聞かせてという皇后の希望で行われたそうです。

この時に私は美智子さまは相当の自信家だと思いました。
日本の子供達でも?と思うかもわからないのに外国に来て
婆のハミングを館内放送して果たして病気の子供達が感激するのでしょうか???

「ゆりかごの唄」ですね

下手とまで言いきるのとはちょっと可哀そうだけれど、人前で披露すべきレベルでは無いわ
かぼそい「ひぃぇひぇー」ハミングよ
取材されてるのにあれは日本人として恥ずかしかったわ
ゆ〜り〜かご〜のうたを♪
子供達ギョッとする
ね〜んねこ〜ねんねこ〜♪
子供達ひきつってる、関係者身の置き場ない表情w
動画あるかも知れない探してね

(ここまで)

読者の方より情報をいただきました(19分からスタートです)

ありがとうございます☆

天皇皇后両陛下外国訪問 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=e_etx1VcydQ

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=857
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c10

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
11. 中川隆[-12046] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:22:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2017.12.20
美智子皇后の真実G@「名門」正田家と正田家の「ご立派な」人々(上)
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=860


正田家


wiki

『正田貞一郎小伝』
「徳川家の菩提所である群馬県新田郡世良田長楽寺の伝えるところによれば、正田家の祖先は新田義重の家臣生田隼人となっている。天正年間、生田義豊は徳川家康に謁し、新田、徳川の郷土に関する旧記由緒を上申して知行を受け、命により生田を正田と改めた。

後世、世良田にいた正田家の人が館林に移って商人となり、これが館林における正田家の始まりである。それは、延享、寛政の頃といわれ、四代を経て正田文右衛門と称し、以後累代これを襲名した。

正田家は代々「米文」の暖簾のもとに米問屋を家業とし、上州館林および近郊きっての富商であった。「米文」の名声は江戸はいうまでもなく、大阪方面まで聞こえていた。弘化の頃(1844年 – 1847年)には名主の職にあり、名字帯刀を許されていた。
文政元年(1818年)7月に生まれた文右衛門(3代目)は正田家“中興の祖”といわれている。文右衛門は明治6年(1873年)米穀商を辞め、醤油醸造業を始めた。」という。

神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』(角川書店、2002年)385-386頁によると、
「そもそも正田家のルーツは群馬県館林の在。“開かれた皇室”を実現すべく、皇太子妃を選ぶにあたって尽力した小泉信三は、正田家を三百年前までさかのぼって調べたという。

郷土史家によれば“正田家の祖先は源義家の孫、新田義重の重臣、生田隼人[注釈 7]までいきあたる”というが、入手した文献で確認できるのは、300年前の庄田六三郎(天和2年没)からである。
この六三郎が館林における正田家の始祖である。四代を経て正田文右衛門という人物が登場し、庄田を正田にあらため以後代々、正田家の当主は文右衛門を襲名するに至っている。

江戸時代は“米文”の屋号で代々米問屋を営んでいたようで、江戸深川や大阪堂島の米相場をうごかす、近郊きっての豪商だったと伝えられる。大繁盛した米問屋であったが、明治6年、正田英三郎の曾祖父にあたる三代目文右衛門は、突然家業をやめ、“亀甲正”という商号で新しく醤油醸造業を始めた。」という。
(三代)

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正田家の家系図

以下、伏見氏のブログよりお借りしています。

【正田家再家系調査】(前)驚愕、正田富美(皇后実母)は家系図に母の名前無し(笑)転載フリー

皆さんお元気ですか?

知ってる方もいるかもしれませんが、皇后様の実母、正田富美(旧姓)副島(そえじま)富美は、家系図で父は、副島綱雄となっていますが、横線だけ引いて妻の欄は空欄で、その横線に、寂しげな縦線が下りて、娘、富美となっています。


f:id:e-vis:20151213150041p:plain
この系図の画像は、先日紹介しました「皇室画像全般掲示板」様で見ましたが、さっき見たら、見つけられませんでした。

当該ブログは、「嵐」も多いので、家系図の画像が消されないうちに、お手数ですが、探して、見ておいてください。

私は、仕事柄、家系図も良く見ます。

嘘、捏造の家系図も良く見ますが、この家系図は「嘘」をつきながらも、ある意味【馬鹿正直】で嗤えました。

副島綱雄は、実態は、独身主義者(時代的に有り得ない)か、性的不能者か男色化のいずれかだったと推測します。一番妥当性のあるのは、「無精子症」かな。

これなら、富美が誕生したとされる1909年(明治42年)日韓併合の1年前に、当時、いくら、上海イギリス疎開で、女遊びしても子供は出来なかっただろうと思います。
どうどうと偽造したのならば、妻の欄に、「キヌ」とか「ヤス」とか記入すれば出来上がりです。敢えてしなかった???
★実質は【養女】だったのだと推測します。

私は、綱雄が、上海英国疎開の【孤児院】から、見目麗しい【英中ハーフの幼い孤児】を貰い受けたか?禁断を侵して中国人の女との間に子を作ってしまった不良英国人神父から、直接貰い受けた可能性が高いと思います。

同じような事は、「掲示板」の方々もおっしゃっていました。

2011年に、あのデヴィ夫人が、美智子皇后を差して「あのかたのお母さんはシナ人でしょう」と言う発言をしていました。

何とか、「美智子皇后のサークル」に入ろうとしたら、皇后から、「あの方、メカケでしょ(怒)」と侮辱され、遺恨を持ったそうです。

色々と毀誉褒貶(きよほうへん)の多いデヴィ夫人ですが、「メカケ」は正しくありません。正式には、インドネシア大統領、スカルノの第五夫人ですから。インドネシアはイスラム教なので、一夫多妻は戒律上認められています。

しかも、スカルノ失脚(1965年)後、50年間、パリの社交界で生き残ってきた人です。世界の上流階級の情報網や人脈を持っています。生前の正田富美は中国語ペラペラだったそうです。
「メカケ」と侮辱された、恨みが、後の彼女が率先して始めた「廃太子廃妃署名活動」の一因ともなっています。

さて、この正田富美と言う女、多くの写真を注視すると、色白で長身の美人、白人の血が入っていますね。

もし、10代後半の頃、現代の平成日本にタイムトリップしたら、美人ハーフモデルのトリンドル玲奈級でしょうね。傲慢さもピッタリです。

この人が生まれた翌年、1910年、日韓併合が有りましたが、その当時の、日本男児の平均身長が147cmでした。

富美の正式身長はわかりませんが、写真で見る限り、若い頃の皇后より高そうです。

皇后が入内時に両親と3人で、立っている写真を見ると、皇后よりかは高い。


14 Jan 1959, Tokyo, Honshu, Japan — Akihito’s Fiancee and Her Parents. Tokyo, Japan: Wearing a traditional kimono, Miss Michiko Shoda (center) leaves the Tokiwamatsu Palace here Janury 14 after having called on her fiance, Crown Prince Akihito of Japan. She is flanked by her mother, Fumi (left), and her father, Hidesaburo. Miss Shoda formally became the Crown Prince’s fiancee by accepting betrothal gifts he gave her earlier in the day. January 14, 1959. — Image by © Bettmann/CORBIS

私には、少なくとも、頭半分は高く見えます。皇后の伸長が何cmかは知りませんが、今上様よりかは高そうです。私の推測するところ、163cmあたりだと見ますが、皆さんは、どれくらいだと見ますか?

仮に、私の見立ての163cmを基礎に推測すると、頭半分として、168cm〜170cmぐらいでしょうか?

明治生まれの日本女性としては、異常な高身長です。

そして、この人の産んだ子は、皇后を除けば、皆、足が長く高身長で、スタイルが良いです。皇后だけ、足が太く短いです(笑)

妹の恵美子さんも背が高いし、私が、注目しているのは、皇后の弟で、日清製粉名誉会長の、正田修氏です。

中学の頃のカラー写真は、【色白のイギリス少年】で、クラレの大原総一郎の娘、泰子と結婚したときの顔は、明らかに【イギリスの血の入ったモデル】です。

今のモデルタレントのJOY(日英フーフ)を更にアジアっぽくした感じです。それに異常な高身長、財界の会合で飲んでいる時の写真を見ると、190Cm以上ありそうです。巨人病とも考えられますが、皇后の兄の巌も相当な高身長です。

但し、顔は、父親似のアジアンですが・・・恐らく女帝が、一番背が低く、足が短く太いでしょう(笑)

この富美と言う女、資産家や上流階級の家庭なら、適齢期になった娘に必ずやらせる【花嫁修業】を一切やらせていません。お茶、お花、お料理等々・・・代わりにやらせたのが、15歳からの【婚活ダンスパーティー】、腹筋が崩壊しそうです。

正田美智子が入内した後の、さる、週刊誌の、生け花をする画像、見る人が見たら大笑いして、顰蹙ものです。茎や葉を、ばさばさ切って、ぶすぶす突き刺す(笑)小学生の体験学習じゃないんだから。見栄張ってやるなって(笑)

週刊誌記者の手前上「私、生け花、知らないんです」とは言えなかったんでしょうね。そんなこと言ったら、記者は「正田家って資産家じゃなかったんですか?」と驚愕するところだったでしょう。

★正田富美と言う女は【日本人の血が一滴も入ってない英中ハーフ】であることは、確実だと思います。
だからこそ、あれだけ、昭和天皇と香淳皇后に対して、【非国民まがい】の言動が取れたのでしょう。天皇家のことを【あちら呼ばわり】

★韓国人達が、天皇陛下のことを【日王】と蔑んでいうのと同じです。
ちなみに、日本国の、世界での正式な呼び名は、未だに【ジャパン エンパイア】です。理由は天皇がいるからです。日米開戦の時にルーズベルト大統領の対日開戦宣言の議会演説の「ジャパン エンパイア」と同じです。

掲載した、旧正田邸の応接間の写真にきずいたでしょうか?

★土足なんです。何で日本人の家なのに、土足なの?これは、妻、富美の強い要望なんでしょう。イギリス上海租界式です。

今上夫婦と同様、正田家も夫、英三郎は富美に逆らえなかったらしいですから(笑)



昨晩の記事のバックアップデータとして、皇后の母、正田富美の中国版Wikiを下記にコピペしました。中国語の得意な方は、是非読んで翻訳して頂けると有り難いです。

中国語は高校の時に習った「漢文」と構造は同じですから、私でも確認できる箇所があります。

@最も重要だと思われるのは、本人のWikiにもかかわらず、父親の、副島綱雄の記載しかないことです。中国人も調査した結果、母親の情報が取得できなかったのだと思います。

A兄弟の記載もありません。不自然だと思いますが、やはり、兄弟の情報が得られなかったのだと推測します。

B佐賀名門は、佐賀下級武士の間違いです。多久藩という2万石の小藩で、しかも家老でも何でもない家が、名門というのは笑止です。中国人が調査しに来た時に、富美本人が大ぼら吹いて名門ということにしたのでしょう。

C>出生於中國上海,在滬生活十六年・・・は上海で生まれて、16歳まで中国にいたということだと思います。

D>通中文・・・は中国語ペラペラと言うことでしょう。

E>在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。

・・・は、双葉高等女学校の「礼拝」で正田英三郎の母と知り合い、19歳で結婚したと言うことでしょう。帰国後3年でよく卒業できたなと思います。卒業したとは、書いてありませんが。


正田富美子[编辑]

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副島富美子

副島

富美子

出生

明治四十二年 1909年

逝世

昭和六十三年 1988年(78–79歲)

親屬

夫 正田英三郎

子 正田巌

正田修

女 皇后美智子

安西恵美子

其他親屬 女婿:明仁

外孫子:梵m親王、秋篠宮文仁親王

外孫女:田清子

外曾孫子:悠仁親王

外曾孫女:愛子內親王、真子內親王、佳子內親王

正田富美子(舊名副島富美子,1909年〜1988年),日本今上天皇明仁的皇后美智子的母親,出身佐賀名門副島氏。丈夫是前日清製粉集團的名譽會長正田英三郎。

早年生活[编辑]

出生於中國上海,在滬生活十六年,通中文。父親副島纲雄是日本「國策會社」理事,也是「江商」上海支店店長。1923年9月歸國,居東京,就讀麴町雙葉女子高等學校。在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。

婚姻生活[编辑]

富美子與英三郎婚後曾旅居椢兩年,在柏林生下長子,返日後又陸續添了一男兩女。美智子皇后是她的長女。她曾被社交圈譽為「有明治時代古雅端莊氣質的貴夫人」,但卻因為女兒美智子入宮而飽受精神折磨。在美智子婚事發佈後,就有旁系皇族與舊

華族群起攻擊她在上海生活的經歷,又不斷有消息傳來美智子在宮中受到欺壓,身心重創。為了杜絕莫須有的抹,富美子幾乎未再涉足社交圈。

參考資料[编辑]

• 齊濤。《美智子與雅子》。台北:台灣商務印書館,2006年。

取自“https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=正田富美子&oldid=33452404”
分类:
• 佐賀縣出身人物


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=860

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c11

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
12. 中川隆[-12045] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:31:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2017.12.20
美智子皇后の真実H@子女と家系(下)兄弟と家系
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=9986

続きです。

兄・巌(元日本銀行監事)

1927年 – 東京商科大学(現・一橋大学)を卒業(上田貞次郎ゼミ)し、三菱商事に入社。
1929年 – 日清製粉に転じる。
1935年 – 取締役に就任。
1945年6月 – 社長に就任。
1959年4月10日 – 長女美智子が当時の皇太子明仁親王(1989年即位し天皇となる)と結婚。
1973年11月 – 社長を退き会長に就任。
1981年6月 – 会長を退き名誉会長に就任。
1986年6月 – 次男・修が日清製粉の社長に就任。
1999年6月18日 – 逝去。

日清製粉

国内産の小麦は一切あつかっていないとのこと。つまりは、遺伝子組み換えの小麦を扱っているということ。さらに、環境汚染の深刻な中国で、工場を建設するとかキチガイじみています。

正田会長メッセージ 一般社団法人 日中経済交流協会

http://www.jc-eea.com/?page_id=2250

一般社団法人 日中経済交流協会 会長 正田 紘

ソニー(株)入社後ソニーアメリカに赴任、世界60カ国を回る。1993年ソニー(株)北京事務所に赴任。

1998年ソニーチャイナを立ち上げ、董事長、東アジアエリア代表他を歴任し2004年退任。2012年より現職。


正田建次郎 – Wikipedia

正田建次郎は日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎の次男として生まれた。建次郎は天文学者・平山信の次女・多美と結婚し、長男・彬(法学者・慶應義塾大学名誉教授)、長女・絢子、次女・さだ子の1男2女をもうけた[1]。多美の死後、建次郎は元九州大学教授・伊藤栄三郎の娘・禎子と結婚し次男・紘(元ソニーチャイナ(中国)董事長(会長))をもうけた。

(ここまで)

【ご注意】小麦が人間の脳と体を完全に狂わせる。|生き抜くために

日本で皆さんが食べている小麦は、ほとんどが輸入小麦で、その大半がアメリカ産です。現在アメリカで収穫されている小麦は、遺伝子研究によって形質転換されたもので、昔ながらの天然の小麦とは明らかに異なります。
また、長い日数をかけて日本まで運ぶため、防かび剤が大量に使われています。そしてそれらが原因で健康被害が出ているという情報です。

朝食でパンを食べることが、人間の脳と体を完全に狂わせる。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=302690&g=131208

米国の医師ウィリアム・デイビス氏は、

「現在の小麦が本物の小麦なら、チンパンジーは人間だと言うようなもの」

だと指摘し、この形質転換された小麦が肥満、高血圧、糖尿病、そして心臓疾患の原因になっており、患者2000人に独自の「小麦抜き」の食生活を実践してもらったところ、病気や疾患が見事なまでに回復する結果になったと同医師は述べています。

(中略)

乳ガンはもともと欧米に多い病気ですが、ここ最近では日本でも乳ガン患者が急激に増えており、料理評論家の幕内秀夫さんによれば、乳ガンの患者さんで、朝にパンを食べている方の割合は、40歳以上で7割、20代、30代では8割に上ると言われています。

小麦は脳にも大きな影響を与え、小麦を取り続けることで脳が、

「もっとカロリーを摂取しろ。」

と指令を出したり、活力や気分、そして睡眠の作用にも障害をもたらします。
(略)
コロンビア大学の研究によれば、小麦を断つことによって一年以内に肥満の患者が半分に減り、太り過ぎだった被験者の50%以上が平均で12キロ減量しました。

小麦が人体に与える影響として、

血糖値の大幅な上昇、病気や老化の原因となる糖化反応、神経障害、そして糖尿病など、体への悪影響を与えればきりがありませんが、ウィリアム博士は小麦を食べない分、野菜やナッツ、肉、卵、オリーブ、アボカド、チーズといった「本物の食品」でお腹を満たすことで、栄養不足になるどころかもっと健康になり、よく眠れるようになると述べています。

(ここまで)


ほかにも、事例として、移植がひつようだた心臓病の患者さんが、小麦の摂取を止めたとたん、健常になったそうです。

鬱、過食症、なども、小麦の影響があるといわれており、害毒のある遺伝子組み換えの作物を、防かび剤・殺虫剤などの猛毒に混ぜて輸入している、独占企業が、日清製粉といえますね。



≪笹川一郎、日清製粉株買い占め事件≫

昭和51年、山崎製パンで御家騒動が有りました。オーナー一族の兄弟喧嘩です。兄の社長を追い落とすべく、弟が正田英三郎に頼み、山崎製パン株の買い増しを頼みました。日清製粉をバックに、兄を追い落とそうとしました。兄は驚いて、大株主

で、競艇のドン、笹川一郎に助けを求めました。笹川はあっという間に日清製粉株430万株を買い占め、筆頭株主となり、英三郎に社長退陣を要求します。

さすがに、皇太子妃の実家が乗っ取られたら、まずかろうという事で、大蔵省が動き、富士銀行(現ミズホ銀行)のドンで頭取の、岩佐凱実(よしざね)を仲介に立てて、笹川に英三郎に日清製粉株を返すように話を付けました。

英三郎は、自社の自己資金か、銀行の融資かで,買い戻したのでしょう。社長から追い出されるのは逃れましたが、右翼で競艇のドンの笹川がただで株を戻したと思いますか?それでは【子供のお使い】です。

私は巨額の裏金を要求したと思います。日清製粉株を例えば5年もって、買値の3倍になれば、時価で売ってやれば、普通にもうかりますが、430万株もの株を買ってすぐ返すわけです。一週間やそこらで株価は上がりません。

田中角栄のロッキード事件が5億円でしたから、恐らく笹川は2億円は要求したと思います。富士銀行1行がそんなお金出せませんよ。私は大蔵省が税金から笹川に払ったと思います。【裏公的資金】=国民の血税です。

ただ、長女が皇太子妃と言うだけで、無能な社長は乗っ取られずに済んだんです。国民の生活に何の影響もない一粉屋を救うために血税が払われたであろうことは想像に難くありません。

これを【皇室利権】と言うのです。富士銀行の岩佐は長く権勢を振るいましたが、ダーティーな仕事が多く、創価学会の池田大作と親しすぎた故に、岩佐没後の頭取は学会の無理な融資を断れなくなったそうです。

転載ここまで


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妹・恵美子(元昭和電工専務・日本体育協会会長安西孝之夫人)



安西家


2015年11月05日
昭和63年 7月13日号  週刊文春
東京ガスで一族がトップ独占  安西浩会長が 「私物化どこが悪い!」

http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/1044281049.html

昭和63年 8月11・18日号  週刊新潮
美智子妃を悩ます 「正田家」 婿の金銭トラブル

平成元年 4月7日号  週刊朝日
東京ガスをまんまと世襲  安西家の高笑い  社員ガックリ

平成元年年 4月7日号  FOCUS
「安西家の世襲」 になった東京ガス・新社長の弁明



安西家は、4大公害といわれた、新潟水俣の公害企業主。

画像が拾えませんので、九州の水俣のお写真を。

人間、動物、魚介類、関係なく無差別に大量虐殺にいたるといえる残虐行為でした。

雅子様が水俣を慰問しないことにたいして非難を受けていますが、美智子さまもまた、一度も、新潟水俣への「慰問」にはゆかれていません。

安西も正田も公害企業主といえそうです。

弟・修(実業家・日清製粉グループ名誉会長相談役)

2004年(平成16年)6月 日清製粉グループ本社取締役会

2006年(平成18年)6月 花王取締役

2009年(平成21年)6月 日清製粉グループ本社名誉会長相談役

花王
2011年には、反日的な番組のスポンサーをしているということで、不買運動もおこっています。花王が、どういう立ち位置の企業かが、うかがえますね。

デモの時期より前ですし短期間でしたが、花王の取締役を務めていたとのこと。

花王の社風と、よくあってたのでしょう。

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害悪な化粧品を派手な広告を使った売りさばき、日本女性の顔を染みだらけにし、健康も害した企業。

花王もまた、売国・犯罪企業といえます。

従兄・正田彬

(1929年 – 2009年、正田建次郎長男・経済法の専門家・慶應大学名誉教授

以上。

美智子様を模範し続けていた東宮夫妻

美智子さまが、外務省もみとめているように、正妻あつかいされておらず、英国女王が嫌悪感を丸出しにしているのは、出自が怪しげなところから発しているというのもあるし、所業もまた、賤しく残忍だからではないでしょうか。

東宮夫妻と小和田家の面々が、皇室財産をヤフオクで売りさばいた事件があったけど、あれ、美智子さまのマネをしているとしか考えられません。

絶対に、叱られないという自信がないと、やらないもの。美智子さまがやっているから、自分たちもする。そういう考えの人たちよ。美智子さんと正田家は、もっと巧妙に、もっと大規模にやっておるとおもいますね。

横領疑惑のある皇室財産・ティアラ、ネックレスなど

ティアラなんかの宝飾品もそうだけど、税金で買った着物なのだから、美智子様個人のものではなく国の財産です。勝手に処分はできないはず。

もし、勝手に処分しているのなら、それは立派な犯罪です。

ダイアモンドの三連のネックレスも、今は一連。2連はどうしたのか。

ついに、ダイアモンドのネックレスがなくなりました。のこっていた1連はどうしたのでしょう。

歴代の皇后が受け継いできたティアラも、故宮妃のティアラも行方がわかりません。

行方不明のティアラ

皇后のティアラ

皇后のティアラ

故秩父宮妃のティアラ

故高松妃の葵のティアラ。

皇太子妃の第一ティアラ

皇太子妃の第二ティアラ

左は本物、右はレプリカ

ティアラ以外にも、ネックレス、指輪、数多くありそうです。

何故、美智子さまは海外の王族から卑しまれているのか

表記が、ミチコ・ショウダ 明仁天皇のツマとなっています。

最近は、ティアラなし、サッシュなしの平民の装いで「皇后」が晩餐会に出席。

ティアラは横領したから手元にない、サッシュは相手の王族から着用が、許されていないのだと思いますね。

美智子さんたち(複数います)は、韓国の礼法であるコンスをやたらにしますが、これ、韓国でも奴隷や使用人のマナーみたいですね。

つまり、そういう階層から、正田富美や正田美智子達はやってきたのでしょう。

平民が王家に乗り込んできて、モノを盗んでいく。

どこの国の王族にとっても、嫌悪する対象になるのは当たり前ですよね。

それに、病的にヒステリックな御性格のことも、お耳に入っていると思います。

・宮家出身の、温和な皇太后を苛め抜いて殺してしまうという、恐ろしさ、

・出自正しい紀子妃への、壮絶な苛め、

・長男だけを鍾愛し、文仁親王、清子さまを虐待して育てるという心の狭さ、

・衣装、式典上の、数多くのマナー違反、

・公的精神の欠落した、利己的な生き方、

・共産主義は、王族にとって最大の脅威にもかからわず、左翼との関係が深い、

これは、日本だけではなく、世界の王族貴族への裏切りともいえると思いますけどね。

そして、托卵疑惑

※こちらで検証しています。皇太子の影武者

海外の王家の方たち、真相を、全部しっているでしょうね。

諜報部員が、こっそり天皇家の方々の毛髪とか採取しての、遺伝子調査もやってると思われます。とくに英国は、諜報がすごいもの。

美智子さまは、妾、どころではなく、犯罪者ということ。

本来なら、うちの国に連れて来るな、と、いわれても、おかしくない人。

今まで、よく、自国のために辛抱してくださったと思いますね。

2016年1月末から、天皇・美智子夫人が訪問するフィリピン。

フィリピンは南国気質の、素敵な方たちが住む国。でも、天皇皇后が単国訪問するには、格下すぎる気がすぎます。「平成天皇・美智子さまの皇室外交」は、そこまで、堕ちたということです。

・秋篠宮様 ブラジル

・眞子さま 南米の複数国

・天皇皇后 フィリピンのみ

・皇太子夫妻 トンガ王国

秋篠宮さま>眞子さま>天皇>

皇太子(実質上、いないものとして無視されている)

これが、世界における皇族の序列。

この現実を、保守の方たちも、日本国民も、ひろく知るべきだと思いますね。

「美智子さまが、皇室に入って何かいいことがあったのか?」

美智子さま入内時に期待されたこと「血族結婚がつづいていた皇室に、新しい健康な血を」

⇒徳仁、愛子さんをみるに、正田家・副島家の怪しげな血が入り、穢く濁ってしまったようです。

⇒さらに、托卵疑惑があり、隠すために整形していると思われます。

釣り目を整形

鼻を明仁天皇に似せて整形

なぜそんな必要があるのでしょうか。

・徳仁親王の出生時のカルテが、紛失。

・なぜか、お妃候補取材担当で、その後、正田家。皇太子家担当の新聞記者に酷似

誰に向かって、産んだ子供を見せたのか

有名な写真ですね。わざわざ、お車の窓をあけて「記者」に向かって新宮さまを披露。

もしかしたら、取材陣のなかの佐伯氏にむかって見せたのかもしれません。

顔が、、、、蛇っぽいです。

「してやったわよ。うまくいったわ」

新しい血をいれるのと、他家の男の血をいれて家系を遮断するのとは、意味が違うと思うのよ。

美智子さま入内時に期待されたこと「皇室に新しい現代的な風を」

⇒皇室の神性さが解体され、カカア天下のプチブル階級に押し下げられました。海外王室との関係が、それを顕著に表しています。鎖国状態です。

新しい皇室とは、つまるところ、天皇家が、美智子のいた階級へ落ちることだった

美智子さま主導で、たくさんの伝統が破壊されました。

秋篠宮様のご成婚のおり、式には、紀子様の弟さんは、学生であることを理由に呼ばれませんでした。

が、一方で、清子内親王さまの披露宴には、慣例を破り天皇皇后は出席してます。

天皇御夫妻には、年間100回をお超える、公私あわせたお出かけがあります。自分の都合のまにまに動かれるくせに、警備や交通規制など、本来の皇室の特権を要求し行使します。

伝統を破壊し、祭祀王としてのの祭祀の義務も放棄したうえに、「民主制」「現代性」を掛け声に、一般市民の暮らしぶりを実行していますが、その反面、古来からの天皇家の特権は、都合よく要求するという浅ましいありさまです。

正直、ご尊敬申し上げることはできません。

国にとって必要もないのに、フルムーン旅行に3億かけて出かけるのも異様です。

ただ、ローマ法王に会いたいというだけの「美智子様の想い」のために、莫大な公費と、膨大な人員を、日本にも、訪問先の国にも強いました。さらには、顰蹙を買うおふるまいばかりして、国に泥を塗り、皇室・王室間の間の関係は、友好が深まるとは別の結果になりました。

日本の国庫は、天皇の私的は財布ではありません。

Kuonさまのブログにて、美智子夫人が、次男に嫁ぐ紀子様のために与える着物を選んでいる歌があり、検証されておられました。

※詳細はこちらから

http://kuonnokuon.blog.fc2.com/blog-entry-2554.html

私は、そのお歌をよんでみて、美智子さまは、税金で購入した着物も何もかも、私物だと思っているように受け取れました。恵んでやるというような、不遜なにおいがしました。感じ方はそれぞれなのですが、、。

白人と中国もしくは韓国系の混血児であった母親の血筋のとおり、日本人には、当たり前に備わっているはずの公的意識が欠落しているので、ご本人も公人という観念がない方なのだとおもいます。

明仁天皇即位後、天皇・美智子夫人の、ありさまを、一言でいうと皇室の私物化です。

皇太子時代から、その風はありましたが、平成になってからは、もう、遠慮することがなくなったのでしょう。最近は、老耄が進んだせいか、油断したのか、隠すこともしなくなりました。週刊誌に提灯記事を載せさせ、マスコミにイメージ操作をさせ、本をだせば、大衆は簡単に、ごまかせるとなめきっています。

カトリック教徒の美智子夫人が支配する皇室は、カトリックを国教とする南米やフィリピンの、荘園経営の枠を出ない特権階級を目指しているふうに見えます。カトリックを国教とする国は、どいつもこいつも、デフォルトの常連国ばかり。

司祭に懺悔して、お布施をはらえば、許される。だから、金があれば、何をやってもいい、というところに帰一するため、支配者は残忍で利己的、富の分配はなされず、市民は母子家庭だらけの、モラルのない犯罪だらけの社会で逼塞しています。

さらには、天皇、という象徴をこえた政治活動も目に余ります。

政府の反対を押し切って、不必要なパラオに慰問にでかけた天皇皇后。

本来なら国防に必要な海軍の船「あきつしま」を使ってのご旅行。莫大な費用をかけ

バリアフリーに改造してまで、船を使う必要はあったのでしょうか。

西太后は、清の軍事費を横領して、豪奢な庭園を造りました。似たものがあると思います。

さらに、韓国大統領に、政府を無視して親書を渡すなど、大日本帝国時代の天皇ですら、ここまで独断ではできなかったことが、まかり通っています。日本国民が選挙で選んだ安倍政権を倒閣するために、左翼と連携するありさま。

このコラは一部で「日の丸を毀損している」と非難を呼びましたが、ちがいます。これは、「日の丸=日本を毀損している天皇夫妻」を現したコラです。

我々の税金でまかなわれる皇室の経費と、皇室の特権をつかって、皇后は、我が国と国民を毀損し、攻撃し、搾取し、私物化し、利用しています。われされは、我々の税金で、敵国の破壊工作員を養っているのです。

皇室の朝鮮化と、皇族による日本と皇室の私物化。

これが、問題なのです。

以上


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=9986
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c12

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
13. 中川隆[-12044] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:33:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018.01.07
続・美智子様の真実H@(後)正田富美とミッチーズ
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=936

続きです。

正田美智子の母、富美 

話をミッチーズに戻しますが、母親とされている正田富美が戸籍のない人間だった可能性が高いですね。

富美は女学校に入ったとか書かれてますが、卒業したのか卒業できたのか、という以前に、実際に通ったのかどうか不明です。

富美は、美智子が成人したあとも、大陸夫人、上海夫人といわれてたそうですが、当時の上海はものすごくイカガワシイ魔窟でした。

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伏見氏によると、富美の皮膚の色の白さや、本人や実子たち(長男、次男、次女)が、東洋人離れした高身長であることから、父は英国人、母は中国人朝鮮族だった可能性が高いのではと推測されています。



≪伏見解説≫

中国朝鮮族とは、日本統治時代、満州国の成立に乗じて、北朝鮮の中朝国境を越えて、朝鮮人が、大量に満州に移住。満洲吉林省に多く、現在中国共産党は、【朝鮮族自治区】として自治を認めている。朝鮮人独特の非常識な言動と極端な不衛生で、地元の中国農民に徹底的に嫌われた。

美智子の母、正田富美の実母は、この朝鮮族の女で、上海まで流れてきて、英国租界で、イギリス人との間に、富美をもうけた可能性が高いと思います。

韓国人が、白人とハーフをもうけて、娘だった場合、朝鮮人独特の「エラハリ、釣り目、平面顔」が遺伝しない場合が多い。米韓ハーフの、モデルの水原希子が良い例です。

f:id:fushimiakimasa:20161028063656j:plain

朝鮮人の血が流れていることは、本人がカミングアウトしなければわかりません。

正田富美も生きている間に、韓国に行きたかったかもしれません。しかし、娘を入内した以上、訪韓すれば「皇太子妃実母訪韓」で大騒ぎになっていたかもしれません。

★今の美智子の異常な韓国訪問希望は、「母親の遺志」をついだものかもしれません。「血」は争えませんね。

(以上)

管理人がおもうに、富美は、中国に流れてきた朝鮮人、もしくは朝鮮族を母にもつ大陸の妓生か、あるいは、シスコ・ウィーラーさんのように、エリートに性奉仕する女性だったのではと考えてます。

富美は、正田英三郎という製粉会社のオーナー社長と結婚しますが、正田家はもともとは群馬の館林の部落の出身でした。

そして、英三郎の親友で富美の愛人であった西武グループの創立者の堤康次郎は、読者様によると、滋賀の部落の出身でだそうです。滋賀に来る前は朝鮮にいたらしく、2代目の義明は、総会屋に恐喝されるとき、恐喝材料の一つが「堤家が朝鮮から来た」ということだったそうです。

しかしながら、本人が、あるいは父祖の代に朝鮮から来た、という日本の事業家や成功者は多いです。それだけでは恐喝の材料としては弱いはず。外患罪にちかいことをしてたのでしょう。

堤家と正田家、康次郎と富美は、階級制度に苦しむ者通し、引き寄せあったのかもしれません。

富美の正体

http://e-vis.hatenablog.com/entry/2016/03/08/080815

正田美智子の母、富美の生母が不明です。

伏見氏のブログで、読者の方のリークで、美智子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたころ、副島家の戸籍を売ってくれと押しかけて断られたというリークがありましたね。

富美は、もともと戸籍がない人だった可能性が高いと思います。

父とされる副島氏も伏見氏は、あの時代で独身はありえない。男色家かなにか理由があって独身だった副島網雄の養女ではないかと推測されています。

※皇室掲示板より

… 悪役は、皇族.華族!…by.上海母娘 Name 名無し 16/08/13(土)01:59 id:mQtzS5DY No.1724548
河原敏明の本でしたか…
三婆(香淳皇后、喜久子様、勢津子様)と牧野女官長が
いつも集まって、若く、美しく、人気者の美智子さまの悪口を
言っていた…と書いていました。
ストラッグル富美に「牧野さんをどう思うか?」と河原が尋ねたら、
心の広い富美さんは、
「あちらも、私の実家と同じ《佐賀の葉隠れ》(士族)ですから。」
と、庇ったとか….。
聖女の母娘でいらっしゃいます。(吐き気)

… 無題 Name 名無し 16/08/13(土)02:08 id:CXYEG2IA No.1724551
わらっちゃうわね、
佐賀藩藩主のお嬢様つかまえて「同じ」とはね。
自称士族の実はなんだかよくわからない佐賀のエタ部落の小娘がw

(ここまで)

旧主の姫を「あちら」呼ばわり!

ありえないことです。

富美の出自はすくなくとも、武家の副島家では無さげですね。

※転載させていただいてます。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/8eb948da5c1f51ccbf3c404a80768f22

代表曰く、「オマエ、今日のスケジュールはすべてキャンセルしろ。ハカセに会わせてやる」透かさず、「ハカセならアンタの目の前に立っている」と反論すると

彼は破裂顔をしながら「違う。違う。政治と経済の博士。いや、暗闇の博士のほうがいいかも」

(略)


Japan:Apr.19, 1979 Tokyo
Former U.S. Secretary of State Henry Kissinger at U.S. Embbasy
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そして、その暗闇のハカセは、あの泣く子も黙るヘンリー・キッシンジャー博士。彼とは、東京・イスラエル大使館の大使執務室で接触しました。

眼付が異様に鋭いボディーガード付き。恐らく、この男はモサドのヒットマン出身でしょ。もっとも、ウズィー・マシンガンを左肩にぶら提げていましたから。

博士の身長は思ったよりも高くなく、170センチぐらい。それより、横幅がデカイ割には動作が敏捷。そんな印象でした。

その当時から「世界の影の支配者構造(メカニズム)」に興味があったので、キッシンジャー博士にこう質問しました。

『世界の影の支配者は誰と認識していますか?』

この時、テーブルの下で右足を会社代表から蹴られたことは懐かしい思い出。

極端に怪訝そうな顔つきに豹変したハカセは、きついドイツ語訛りの英語でこう語ってくれました。

『食糧供給を支配する者は国家を。エネルギーを支配する者は大陸を。金融を支配できる者は全世界を支配することができる』と。

それで、

『それを成就するまで何世代ぐらい必要ですか?』

と畳み掛けて訊くと、こんな回答。

「私のボス(恐らく、ロックフェラー家)でも二世代以上の時間が掛かっている。

だから、先代(ジョン・D・ロックフェラー)もシティー・バンクの成功は見られなかった」と。

私の結論(仮説を積み上げた結果)は、正田冨美が中国大陸に生息していたと推測できる10代後半の頃。客として寝たのか愛人として寝たのか判りませんが、確実にその中国大陸で「ロックフェラー家」の代理人に接触していたハズです。

だから、粉屋(食糧供給)の冴えない男(正田英三郎)と結婚し、出産した本当の娘をガス屋(安西一族)(エネルギー)に嫁がせた。

そして、代理人から教わったその権力支配構造(メカニズム)のノウハウをそのまま手を加えず履行した。

でも、金融(世界支配)達成には能力も運も体力もなく、届かなかった。そんな感じです。

(以上)

富美の日本支配の布石

金融:長男は日銀へ

食料:夫、次男は家業の小麦

エネルギー:次女はガス会社

情報:次男の嫁が共同通信を支配している一族と閨閥を持っている

富美はあきらかに大陸時代から工作員だったと思うのですが、堤康次郎との不倫の関係とは別に、康次郎とは工作員同士という関係を超えた強いつながりがあったように見えます。



堤康次郎は鎌倉に霊園を作り、朝鮮系らしく墓相にこだわったのでしょう。古墳のような墓をつくりました。正田家の墓もその鎌倉霊園にあり、正田英三郎と富美の夫婦もそこで眠っています。富美は夫よりも、康次郎に強く愛情をもっていたのではないのでしょうか。

話を富美にもどしますが、富美の愛人が西武グループを創立した堤康次郎でした。

堤康次郎はは英雄的な人物でしたが、一方では目につく女性なら華族でも女中でも親類でも部下でも取引先の妻子でも、親友の妻でも娘でも、とにかく誰でも彼でも手を付けたといわれている 性豪だった人です。

ミッチーズは皆、堤康次郎やその息子たちに似てますので、やはり堤康次郎の子供か子孫ではないかとおもわれます。

ミュージシャンのASUKAをシャブ漬けにしたことで一躍名を挙げた、某派遣会社の「酒池肉林+薬やり放題」の要人用の接待所がありましたが、西武も似たようなものを持ってた可能性がありそうです。

康次郎の葬儀には、堤に似た子を連れた女性が押しかけてきて収集がつかなかったそうです。100人は婚外子がいたそうですから、認知したり認知しなくてもお金で決着をつけたり、母親や本人が納得の上、美智子たちのように工作員になっているケースも含めると相当な数の異母姉妹兄弟が美智子たちにいたと思われます。

豊富な人材バンクから、ナルちゃんや美智子のダブルを探してくるのはたやすいでしょう。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=936
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c13

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
14. 中川隆[-12043] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:35:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.04.26
美智子皇后の真実I@神話の法則と捏造皇太子妃
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=866

容姿、御性格、お育ち、お血筋、、、、、、

ウィキペディアさんをなぞりながら、ざーーっとみてきましたが、とてもとても、正田美智子さんは、明仁皇太子の、お妃候補になるにふさわしい方ではありませんでした。

にもかかわらず、聖心女学院の推薦するお妃候補の筆頭に挙がってましたね。

BもCも沢山あったのに、「首席で卒業」「聖心女学院開校いらいの才媛」という箔がつけられ、売り出されました。

そもそも、なぜ、カトリック系の聖心女学院に、お妃候補の名簿の提出をさせたのでしょう。ここからすでに、おかしいのです。

・お妃候補といわれた令嬢たちが、窮屈なくらしをいやがって辞退し、ほかに候補がいなくなったので、民間に候補者を広げた。

⇒実際は、松平女史が、候補者をあげても、小泉たちが一切、動かなかった。

・戦後の華族の没落から、皇太子妃をお受けできることができなくなった。

⇒御成婚にかかる費用も、その後の経費も、すべて国の負担。

正田家の皇室への援助というのは、ウソ。

贈与税がかかるはずだけど、証拠はあるの?

あったとしても、美智子さまの散財がひどいので、補うためだったと思われる。

・才色兼備で、数おおくの令嬢から選び抜かれた素晴らしい女性

⇒「、、、、、、」

・家柄も素晴らしく、優秀な家系。

⇒「、、、、、、」

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正田美智子を皇太子妃にしたのはGHQの占領政策の一つ

占領政策の一つが、皇室に下賤な女性を皇室に入れて血を汚し、権威を解体し廃絶させるという計画でした。アメリカは、天皇を処刑はしませんでしたが、皇室に遅行性の毒薬を仕込んだのです。朝鮮戦争がおこり、中国を手に入れる夢も破れ、アメリカにとって、日本が不可欠になるのは先のことです。アメリカは、蒋介石など中国人に何度も何度も騙されています。

日本を弱体化させることは、アメリカにとって不利益になる。もし、それを予想できていたのなら、正田美智子の出番はなかったはずです。順当に、北白川家などの旧宮家や旧華族から、皇太子妃が選ばれたのでは、ないでしょうか。

神話の法則とハリウット

神話の法則をご存知でしょうか。

観客を共感し、感動させ、納得させ、ヒットさせるストーリーには、ひな形があるんですね。様々な古来からの神話を因数分解したのが、神話の法則だそうです。

アメリカの映画の脚本は、みな、この法則をもとに書かれています。

神話の法則は、12のステージに別れるそうです。

1.日常の世界
2.冒険へのいざない
3.冒険の拒絶
4.賢者との出会い
5.第一関門突破
6.敵との戦い・仲間との出会い
7.最も危険な場所への接近
8.最大の試練
9.報酬
10.帰路
11.復活
12.帰還

美智子さまの、ご成婚物語は、この通りに、一歩一歩すすみました。

美智子さまは、大掛かりな装置のもと、作られた作為的に作られたシンデレラストーリーにあわせて、行動していたのです。

1.日常の世界

ヒロインになるにふさわしい、新興ブルジョワの美しい娘が、つつましく明るく暮らしている。
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2.冒険へのいざない

テニスコートで、明仁皇太子に出会い、愛がめばえる。
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3.冒険の拒絶

求婚されるが、ご辞退する。


4.賢者との出会い

欧州へ聖心女学院の大会へ出席。そのほか、感銘をうける本にも出会う。


5.第一関門突破

求婚を承諾。


6.敵との戦い・仲間との出会い

皇后や宮妃、旧華族による妨害と反対。皇太子のご学友たちの応援。

7.最も危険な場所への接近

お妃候補にあがり、正式に審議される。

8.最大の試練

皇室会議。皇太子妃に内定。

9.報酬

はれて、ご成婚。祝福されたパレード。
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10.帰路(目的地)

東宮御所へ帰還。


11.復活(再生)

正田美智子から、皇太子妃美智子に華麗に変身。
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12.帰還(目的地)

皇太子妃として宮殿にて幸せに暮らす。御伽ばなしふうの、めでたし、めでたし。
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アメリカの、プロの扇動家や工作員が、明仁皇太子の心理を読みながら、シナリオを描いたのでしょう。雅子さんも、同じ方法をつかって、皇太子妃として乗り込んできました。

もちろん、美智子さまの入内が、まったく、無利益だったとはいいません。

20世紀は、沢山の王家が倒れていきました。

地球を二分したソ連の共産化の勢いは、まだまだ収まらず、日本でも60年安保など危険な状態が続いていました。皇族、王家の方たにとっては、油断できない時代だったと思いますね。

ロシア皇帝一族の無残で非情な最後、明治天皇を尊敬して範としてたイランのパーレビ王朝が崩壊、日本の皇室より古かったエチオピア王家も倒れ、カンボジアでは、シアヌーク殿下が共産側に拘束されたり亡命したりでご苦労されていました。

この共産革命は、マスコミ、世論の誘導から始まっています。

60年安保も、学生たちは、肝心な安保法案の中身を知らないで、ただイメージだけで、あれだけの騒ぎを起こしていたのです。王家側の正邪善悪関係なく、手を振っている群衆が、いつ暴徒にかわるのか、わからない、そういう世紀でした。

「政治家とゴキブリは新聞でたたくと死ぬ」

と、マスコミが、豪語していた時代もあったのです。

皇室が廃止される可能性が、歴史上で最も高かった時期だったと思います。国力の向上とは別に、皇室継続の機の時代でもありました。実際、筆先の加減で、首相を解任させ失脚させるだけの力を新聞や週刊誌は持っていたのです。このマスコミに誘導されて、世界中で革命がおこりました。

皇室人気が、ミッチーブームの人気と一体化しているうちは、革命はありえませんでした。

ミッチ―ブームは、作られ、煽られたものですが、共産革命や天皇家廃止、という勢力をそらした、という良い面もあると思います。一方では、美智子さまは、このマスコミと世論を、ほぼ自在にしながらイメージを作り上げ、その陰で野心の根を張り伸び広げてきました。

しかし、今はもう、ソ連はもう解体し、共産主義の脅威もまた無力な形に解体しました。共産主義は失敗であったことが、もう、だれの目にも明らかです。前世期の、燃えないゴミに出される、型の古くなった家電みたいな共産党が、各国で細々と消費者運動などと連携しながら活動しているくらいです。60年安保のおりの、岸首相の判断は正しかったというのが、定説化しています。

それに、もう、大衆は物語を求めなくなりました。

新聞の部数は減り続け、マスコミも神託としての機能の解体が進んでいます。ネットの時代になって、出版界は本当に悲惨だそうです。部数も、発表されいる販売部数の数字は、ほとんどが嘘だそうです。

マスコミの凋落は、そのまま、美智子さまの凋落でもあります。

大衆をだますために過去に山ほど書かせた記事、特集、写真などが、今は、美智子さまの正体をあばくための証拠として検証されはじめました。今、そうとう、焦っているでしょう。

皇室に対して、国民に対して、国に対して、正田家と美智子さまは、そして、小和田一族は、数多くの、ウソと背信行為を行いました。

1 出自と信仰に関するウソ

2 途方もない浪費

3 皇族に対する苛め、殺人

4 伝統と祭祀の破壊

ここまでなら、なんとか、最低の悪女、ですみます。

しかし、

5 秋篠宮家に対する産児制限の強制。

これはもう、反逆行為、ご謀反、に値します。

佳子さまご誕生後、お子様をつくるな、という命令によって、皇統が危機にさらされました。理由は「雅子が傷つくから」。意味が不明です。

たとえ、宮家に何人お子様がおられようと、皇位継承権は、皇太子家の男児が優先です。皇統を断絶させる気、満々です。

秋篠宮家に、産児制限がとかれたときは、紀子妃は30代後半になっていました。

なので、制限を解いても大丈夫とおもったのでしょうが、神風が吹きました。

悠仁さまのご誕生です。

瑞祥が各地にみられ、御誕生になられた9月6日は、道鏡が失脚した日でもあります。

とどめは、托卵疑惑。

6 第一子の徳仁親王は、托卵の可能性。

徳仁親王が、天皇家の誰にも似ていない朝鮮顔。しかも、正田家、皇太子家担当だった、朝日新聞記者の佐伯氏に酷似しているということ。佐伯氏は、お妃候補の取材担当者。正田家にはフリーパスで出入りできた唯一の記者です。美智子さまの、ご成婚前の、数多くの写真を残しています。

・東大が保管しているはずの、徳仁親王のカルテが紛失。

・徳仁親王は、段階的に明仁天皇に似るように整形をしている。

托卵が事実なら、処刑されても文句はいえないレベルですよね。

天皇皇后には、逮捕権がなかったと思いますが、美智子さんは、ウソをついてお妃になった方。なので、明仁親王との結婚を認めた皇室会議の決定は当然、無効です。

実質、婚姻関係にあったとしても、それは、妾としての関係。

正妃ではない、正妻でもない、つまりは、皇族ではないのです。そのため、逮捕することができるとおもいます。

BB様や、ドス子さまのサイトにて、皇室問題の真実をしり、その後、ブログを更新し続けていますが、正直、ここまで危機的な状態とは、予想だにしませんでした。

昭和から平成にいたるまで、我々は、いったい、いままで、皇室の何を見てきたのでしょう。
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一般参賀で、天皇皇后に向かって手をふる国民は、真実の天皇・美智子をみていません。昭和までの天皇皇后がたの、輝かしい神々しい残像に向かって旗を振り、手を振っているのです。だれもかれも「天皇家」という、イメージしか、見ていません。

もし、美智子様の正体、皇室の危機の真実を知ったら、明仁天皇が恐れていたように、暴徒になって放逐、最悪の場合は廃止をさけぶでしょう。

過去に、平成は日蝕の時代だと書いたことがあります。

美智子さまという月が、天皇という太陽を覆っている様に、その時は見えました。

でも、今はちがいます。

平成皇室自体が月のような王朝だと思います。

過去の輝かしい天皇家の太陽の光を浴びて初めて輝く月です。月は自らは光を発しません。太陽の光を浴びて、暗黒の夜に太陽に擬態して輝くのです。

もう、そろそろ、夜明けをむかえてもいいとおもいます。

(以上)


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=866
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c14

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
15. 中川隆[-12042] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:37:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.04.26
美智子皇后の真実J ミッチ―2号&若き新聞記者の愛のものがたり(妄想です)
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=828


正田美智子こと ミッチー2号&若き新聞記者の愛のものがたり(妄想です)

美智子さんの微笑み

コメント欄より

陛下の生前退位の飛ばし記事を受けての連続のブログ更新、ありがとうございます。

昨夜の第一報以来、今回の事をどうとらえていいのかまだ混乱していて、少しでも頭の中を整理しようと記事を読ませていただいています。
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今回の記事の中で車中の美智子様が生まれたばかりの徳仁親王を抱いている有名な白黒写真がありますが、左上(美智子様の背後、ちょうど車のリアガラス部分)にすごい顔が見えませんか? 鬼?

以上

たしかに、、、、、
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ここにも、、、

ここにも

さらには、この顔も怖い。
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新聞記者に窓を開けて、生んだばかりの親王を見せる美智子さん。

「ニタリ」と蛇のように笑うミッチ―2号。これはまさに、犯罪者の笑顔。

誰に微笑んでいるのかといえば、、、愛人、間男、徳仁親王の実父では、と噂される若き日の朝日新聞記者の佐伯晋さんでしょうか?
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ミッチー2号が、正田家を旅立つ日。
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美智子の旅立ちを、正田邸の美智子の部屋から見送ったという佐伯晋さん。

正田家にはフリーパスで出入りを許され、独身時代の美智子さんの部屋や、プライベイトな写真を数多く残したお妃候補担当の新聞記者、佐伯晋さん。
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徳仁親王の実父では?という疑惑が何度もあがる佐伯晋さん。

美智子さんのお家

そもそも、もともと、深窓の令嬢とはかけ離れてた美智子様。

まず正田家は豪邸ではなさげですね。

初期の正田邸。拡張したみたいですが、思いのほか敷地も狭かったみたい。
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庶民からみたら立派なお家ですが、敷地の全面に家を大きく見せて建ててはいますが、豪邸とはいえませんね。

コメント欄より

何ですか、生前譲位の件、情報が錯綜していますね。

確か「育ての父」もあの大学卒なはずです。あの大学は経済とか金融に強く、金融機関への就職率が高いようです。日銀とか。やはり、この国の金融やら不動産やらあれらに掌握されているのでしょうか。(棒)

ところで、初めて外観を見ましたが、失礼ながら豪邸とは言えませんね。子供の頃、ご自宅内の映像を観て違和感。お振袖着用の2号さんが「ご母堂」と居間でお茶してるのですが、銀のポットから彼女自身が注いでました。お茶を。

「深窓の」御令嬢なら、食事等のサーブをする使用人が何人もいるはずですし、運転手つきの御宅の車も複数台必須です。何より、玄関の前に広い車寄せがありません。

バブルの時も思っていましたが、外から丸見えな「豪邸」なんてそもそも豪邸ではありません。

ど庶民に理解しやすいうわべを整えることは簡単だったのですね。マスコミの「言い聞かせ」「洗脳」が加味されたので完璧でしたわね。

てれ朝は性懲りも無く、お上の最大の功績は美人局に引っかかったこと=平民を娶ったことみたいな扱いをしています。失礼千万です。

コメント欄より

おはようございます。
私、5年くらい前に正田邸跡地に行ったことありますよ。
近くに池田山公園という都内でも指折りのパワースポットがありまして、池田山公園に行くついでに何か周辺にあるかなって検索したら、正田邸跡地がありました。
その頃は、まだ有難い存在だと思っていたので、立ち寄ったんです。
あまりにも狭い土地で、呆気にとられたのを覚えています。
美智子さまって、お嬢様だったはずじゃなかったっけ?
あれ?一般庶民の普通の家の人だったっけ?って。
ねむの木公園となったその場所も、
人がお散歩するにも犬のお散歩するにも距離がない・・・。
あんな狭い家に佐伯が出入りしていたなんて、気持ち悪いですよ。
そりゃ、佐伯似のナルが誕生しますよねぇ。

天皇陛下の生前退位ニュースは、猪瀬さんのツイッター暴露を隠す為という説もあるのでしょうか?

(以上)

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美智子さんの青春

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm

… 無題 Name 名無し 15/10/15(木)20:22 id:feDM8vdk No.1435572
「御徒町が恋しい。」
…御成婚の後、皇居の《籠の鳥》となられた、お可哀想な
美智子妃殿下が そう、おっしゃったそうな…。
「アメ横」に、自由の身であった頃は通っていたそうな。

「アメ横」→戦前は「しょうべん横町」と呼ばれた。
戦後は、闇市の場となり
愚連隊の温床となった。
その中の最大の集団「血桜団」は、朝鮮人連盟と結託して、
賭博、かっぱらい、恐喝、女衒、街娼のショバ代を
稼ぎの源とした。

…今尚、中国人.韓国人であふれ、風俗の多い場所です。

(ここまで)


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第一ボタンをはずして、メンチを切ってガンをとばす美智子さま。

耳には球形のピアス。この次代の女学生がピアス。この当時としては異様ですね。

テニスでの、口癖は「やばい」。

皇太子と結婚した後、新聞記者が、美智子さまが、タバコの火をつけてくれた、と回想しているとこみると、本人が喫煙していたか、大人の男性の接待していた可能性が大木ですね。

ことばの乱れに、服装の乱れに、性のみだれ。

それを、世間ではヤンキーといいます。

清楚なアイドルも、、、
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ご覧のとおり、、、
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清楚な令嬢も、、、
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ご覧のとおり、、、
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「御可哀想な美智子様」を連発する佐伯晋さん。

社会部にもかかわらず、異例の出世をした佐伯晋さん。

なぜか、ナルちゃんにそっくりなの。
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この方のいっている「美智子様」はミッチー2号のことなんでしょうね。

第二子ご懐妊するも、胎児がブドウ状に奇形化し掻把した美智子様=ミッチー2号。

長期ご静養後、姿を消し、美智子様は、ミッチー3号にとってかわったのヨ。

美智子様の耳

耳の形は軟骨出てきているので、形は生涯かわらないそうです。

耳たぶは弛んできたりするらしいのですが、耳の位置は、頭蓋骨と関係があるので、これも変わりません。
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全員別人なうえに、今現在は、ミッチー4号とミッチー5号、ミッチー7号でまわしているようです。

二本眉・ミッチ―4号
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一本眉・ミッチ―5号
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ミッチー7号
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似てますけど、鼻、耳、頭蓋骨の奥行きが、違いますね。

左)4号、右)5号
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美智子様の身長

美智子さん。

半年間の長期ご静養前と後では、身長がちがうのが致命的ね。

ヒールのある靴を履いても、明仁親王より身長が低い美智子様。
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ヒールの高い靴を履くと、明仁親王の背丈をこしてしまう美智子様。

ご静養前より身長が15pは高くなり、首も脚もすらりとして、まっすぐになった美智子様。ミッチー3号です。
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根強い噂

美智子の所業に手を焼いた昭和天皇の指示により、ブドウ状に奇形化した胎児の掻把の手術をしたときに、ミッチー2号の子宮も全摘にした。

昭和天皇の弟宮妃が、そのことを美智子に告げた

「あなたには、御子は授からないのよ」

ヤンキーミッチー2号が、火病をおこして暴れた。

職員数人がかりで拘束着を着せ、御用邸に隔離。

その後、なんども自殺を図る。

実際、武蔵野に住むご婦人の友達が、美智子とは無二の親友で、夜になると毎日のように電話がかかってきた時期があったとか。

明仁皇太子も、「美智子が自殺するといけないから、相手をしてほしい」と頼まれたとか、、、。何人か、別の方から、この噂を聞いたことがあるの。時期としてはこの時期のことだったのかも。

そして、ミッチー2号が消え、ミッチー3号になったところをみると、意志を貫徹したのかもしれませんね。

2号はいったん潜伏し、その後復帰して、ミッチー4号になったのでは、というお声もありましたが、身長、耳、骨格(とくに肩)が違うところを見ると、2号と4号、5号は別人だと思います。

ミッチ−2号は、耳にピアスを開け、制服を変形して着用し、当時、パンパンと進駐軍がたむろする町に出入りしてた生粋のヤンキーですが、4号がもつ、あきらかに工作員として訓練を受けた上に、4号や7号のように悪智慧を働かせるだけの知能があったように思えません。工作員として送り込まれたとはいえ、2号は単なる成金の不良バカ娘のようです。

一橋大学と左翼

ちなみに、佐伯晋さん。一橋大学の出身なのね。

一橋大学といえば、シールズの偏差値28の莫迦学生を無試験で入れた学校でしたよね、たしか。
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一橋大学

むかしから、部落出身、在日さんの出身が、異様に多いらしいの。

左か右かといえば、バリバリの左巻の学校みたい。
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ミッチー2号と佐伯晋

この二人は、

「平等な社会をつくる」「階級のない社会を作る」「差別のない社会をつくる」

といった赤い思想をもつ、同じ同志だったのかもしれないわね。

ミッチー2号は、もともとヤンキーなうえに、こうした思想の工作員なら、2000年つづいた皇室の皇統を断絶させることも、浮気も托卵も、財宝の強奪横領も、なんなくできるのではないのかしら。むしろ天皇家に果敢に戦いを挑んでいた形跡があるわ。

正田美智子は、父方の正田家は部落出身のようです。母は出自不明の大陸夫人で工作員。副島家とは何の関係のない方で、まともな戸籍があったかどうか怪しい方。

しかも、ミッチ―2号は、正田家の実子ではなく、おそらくは、富美の愛人の堤康次郎の落胤の一人であり、死亡した正田美智子に背乗りさせ、正田家で育てたのではと推測できるのね。

歴代のミッチーズは、3号を除いてはみな堤康次郎やその次男さんとそっくり。

ミッチー2号
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ミッチー4号
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ミッチー5号
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ミッチー7号

のちに二代目の堤義明が、総会屋に脅迫された内容の一つが、堤家が朝鮮から来たこと、だったとか。かつ、滋賀県の部落からでたのは、地元の方のリークから明らか。

でも、部落出身で大成した家も多いし(犬養家、福田家、鳩山家ほか)、朝鮮系で大成した家も多いし(ロッテ、SS製薬、小泉家、ほか)今の時代、部落であることや朝鮮系であることが、脅迫の材料になるとは思わないのね。半島がらみの犯罪行為か、逆賊行為にかかわったんでしょうね。

ミッチー2号の実母が、仮に正田富美ではないのなら、朝鮮系の妓生だったとういことも考えれそうですね。

なんせ、堤康次郎には100人を超す婚外子がいたというし、人材バンクは充実してます。

正田家の実子にせよ、すり替わりにせよ、ミッチー2号にしたら恥の多い出自を消し去るには、社会ごと変えるしかないもの。

そのために、

「天皇制を倒すこと」

「階級をなくし、平な社会にすること」

「新世界で支配者として君臨すること」

を目標にしたのかもしれないわね。


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正田美智子=ミッチー2号と、若い新聞記者は、お互い頑張ろうと、若い二人は誓い合ったのかもしれません。でも、ミッチー2号は志半ばで消えてしまう。

佐伯さん「おかわいそうな美智子様」

ま、かつての同志で愛人だった女性にたいしての思慕とすれば、妥当な感慨なのかも。

これらは、あくまで、想像ですけどね。

あらためてみると、このお写真。
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「してやったわよ」「うまくいってるわ。予定通りよ」悪辣な策謀の共犯者にみせる笑顔に見えます。

そんな感じに見えませんか。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=828
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c15

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
16. 中川隆[-12041] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:39:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018.01.07
続・美智子様の真実J@カトリックとミッチーズ(中)
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=942

続きです。

戦国時代とカトリック

ローマカトリックと我が国の邂逅は戦国時代にさかのぼりますが、昔は(今もそうでしょうけど)日本にカトリックを広めて国教とし、支配下におくことを目的としていました。

欧州の他民族異人種に対する侵略は

1 宣教師がいく

2 商人がいく

3 最後は軍隊が来る

の3点セットで、地上の有色人種を億単位で消し去りましたが、日本への侵略は1と2までで止まり、3には至りませんでした。

理由はシンプルで、日本は戦国時代にあり、士農工商の区別なく武装していたため侵略は不可能だったからです。

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春夏秋は農耕を、冬の農閑期に戦争をするというのが、当時の日本人ライフでした。

これをぶち壊したのが信長で、尾張という商業国家であったので豊かな財政をもとに傭兵を雇い、年がら年中戦争ができるようにしました。

傭兵は正規の兵と比べて弱く、卑怯なふるまいも多かったのですが、それでも対戦国を披瀝させることはできました。

農民も、近くで合戦があるときけば、嬉々として落ち武者狩りにいくような猛々しい風潮だったので、艦隊で攻めてきて兵を上陸させても全滅するのが関の山。

島国なうえに統一国家ではないので、Aの国を占領しても、B,C、と周辺国家が黙っているはずもなく、スペイン帝国と言えど、また、カトリックといえど、アフリカやインカ、アステカのようにはいきません。

当時の宣教師が本国に

「艦隊を日本によこそうとしていると聞いたが本当か。やめるように王に進言するように。絶対に無理だから」

と書き送っています。実際無理だったのです。



士農工商の「工」も、火縄銃を輸入していたのは最初の頃だけで、時期に自前で生産しだし、さらには改良した火縄銃は世界一の品質となり、欧州へ輸出するまでになりました。

水軍対策に、大船を鉄船で覆った空母を作らせたのは信長でした。

水軍も進んでいて、土瓶に火薬を詰め手りゅう弾のように投げ合う戦法が水軍の間では一般化しててたため、スペインの無敵艦隊がきても、上陸しようとすれば火だるまになるだけだったでしょう。瀬戸内海を通過することすらできず、陸地に降りれば世界最強の武士団と農民たちによって殲滅したのは必至でしたので、異国の軍隊が京都にのぼり占領することなど不可能でした。

なので、宣教師は内部からの占領を進めていきました。

改宗させ、ローマ教皇のヒエラルキーの中に取り込んでしまい、10パーセントの収入を修めさせ支配する。これです。

支配層には、文物や文化をもって広め、

下層階級には慈善事業によって広め、

慈善事業の活動と清貧さから信用を得て、支配層を改宗させ、あるいは改宗させなくとも、領内での活動を承認させることに成功しました。



宣教師たちの清貧さには定評があり、秀吉も細川忠興もその辺は「坊さんと違う」と、信仰しなかったもののキリシタンの司祭を褒めていました。

たしかに慈善活動を熱心にしてたのは事実ですが、一方では日本女性を奴隷として海外に売りとばしてたのも事実です。



支倉使節団が訪欧したおり、裸体で鎖や縄に家畜のように繋がれた見目麗しい日本女性が2万人ほど見たと証言しています。

ローマ法王に「このような、人道に反することはやめさせてほしい」と懇願しましたが、貴重な財源を獲得する商売をやめるよう働きかけた気配はなかったようです。

諸侯から給わった封土を勝手にローマ教皇に献上したこと、そして、キリスト教徒が日本の寺院を焼きうちしたことがきっかけで、秀吉がキレ、弾圧がはじまります。

信仰の自由を弾圧された、と、戦後の左翼よりの史観は主張していますが、

「ローマ教皇を頂点とするキリスト教のみ認める一神教の国になるか」、

「天皇を頂点とする、神道、仏教などを包括した多神教的な社会でいつづけるか」

の二者択一で後者を選んだにすぎません。

この戦いは江戸幕府初期まで続きました。



幕府は、当時「エコノミックアニマル」であった、商売しか考えてないオランダ人以外の外人は、めんどくさいので放逐しました。オランダ人の商売活動も長崎の出島に限定します。そして、維新を迎えます。

維新後、ふたたび日本にキリスト教が上陸します。

戦国時代と同じように、慈善を通じて最下層に広がり、文化や教育を通じて支配層に広がっていきました。

そして、天皇家、正田家、カトリックをつなぐフロジャック神父が姿を現します。

フロジャック神父


wikiより

ヨゼフ・マリウス・シャルル・フロジャック(Joseph Marius Charles Flaujac、1886年3月31日 – 1959年12月12日)はパリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。1909年(明治42年)に来日し、結核患者及びその家族のための総合的な福祉施設を目指して活動し、東京における社会福祉活動に大きな足跡を残した。

以上

清貧さや慈善活動の功績によって、昭和天皇の信頼を得、正田家、天皇家、カトリックをつなぎ、宮内庁にも人脈を持った神父でした。

フロジャック神父の神への愛も、弱者への愛も本物だったと思います。

が、今日まで日本に悪しき影響を与えている「正田美智子」の皇太子妃冊立は、この人がいなければ不可能だったのかもしれません。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=942
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c16

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
17. 中川隆[-12040] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:41:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018.04.26
皇后美智子の真実K@【転載】美智子発クーデター1 共同通信と正田家
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=873

正田美智子の三種の神器

ご成婚した正田美智子には無敵の三種の神器がありました。


1GHQ・カトリック・CIA

2堤家の財力とつながりのある暴力団

3マスコミ

1には見捨てられたとみていいと思います。かわりに中国人民解放軍に乗り換えたのではとおもう気配がありますが、その中国が共産党国家70年寿命説を立証するかのようにグテグテです。正田美智子どころではないでしょう。

2は没落しました。堤義明がなくなって相続税を払うと普通の資産家になります。あるいは、数代経てば初代とその会社の所業が忌み嫌われ、もとの賤民になるのかもしれません。

今、機能しているのは3のマスコミだけです。

共同通信・最後の美智子の武器

※伏見氏のブログより転載させていただきます。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/0b382f30f1182e01c5a8bf6ee247af32

内廷費を追うシリーズは、まだまだ続きますが、今回の記事が有る程度「とどめ」になると思います。

美智子の弟で、正田製粉G名誉会長の正田修氏に嫁いできたのは、クラレ(倉敷紡績、岡山)の創業者、大原孫三郎の次女、大原泰子でした。1970年(昭和45年)9月のことでした。
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表面だけ見ると、良くある政略結婚ですが、この結婚には、美智子の母、正田富美の遠大な布石が有ったのです。
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大原泰子の姉、麗子は、共同通信社社長の、犬養康彦(いぬかい)の後妻で、TV演出家です。
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大原泰子を嫁にもらえば、実姉の麗子を通じて、夫犬養康彦を通じて、

「共同通信社に影響力を与えることができる」

と考えたのでしょう。

犬養と言う苗字で、ピンと来た方はいませんか?

そうです。戦前の総理大臣犬養毅(つよし)の孫です。515事件で、海軍の反乱将校に対して「話せばわかる」という有名な、言葉を残して暗殺された人です。
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≪共同通信社とはどんな会社か?≫
その前に、【通信社】について、説明しておきましょう。

全国紙、読売、朝日、産経、毎日、民放キー局、日テレ、テレ朝、フジ、TBS、公共放送のNHKが有りますが、どの新聞社も世界中の100数十か国に特派員を常駐させ、24時間体制で、ニュースを一件も漏らさずに、収集、配信することは、人材、人員、コストの面から不可能です。

国際通信社
それで、その分をカバーしているのが通信社で俗に【ニュースの卸問屋】と言われます。

国際通信社は世界100カ国以上に支社局があり、24 時間活動し、1日数十万語を収集、数百万語を配信する、100カ国以上の新聞、放送、通信など数千の顧客に記事を配信する。
共同通信は、英国のロイター、アメリカのAPと並んで、世界三大通信社の一つです。
日本には、もう一つ、時事通信と言う、通信社が有ります。2社で上手にすみ分けています。

・共同通信は、国際情勢、政治面
・共同通信は 経済情報等々

共同通信は、得意分野の経済を日経のQuickなどに、食われて、落ち目です。経営もかなり悪化しているそうです。
故に、日本の通信社は、「共同通信がオンリーワンの独占状態」だと分かるでしょう。

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≪共同通信から嫌われるとマスゴミはどうなるか?≫
例え、天下の読売でも、傲慢なNHKでも、「ニュース番組」の編成ができなくなる

のです。何故なら、共同通信が「ニュースを売ってくれなくなる」からです。

地方新聞は、軒並み全部倒産です。何故なら、地方新聞の一面の主要記事は、みな、共同通信から買った記事の「べた写し」です。

地方紙には、優秀な記者も、特派員を送る資本力が、無いからです。

おまけに、共同通信は、新聞用の【4コマ漫画】まで、配信しています。

私は子供の頃、家で購読していた、地方紙に「フジサン太郎」などの有名漫画家の漫画が載っているのを不思議に思っていました。「この漫画家さんは、こんな田舎
新聞に漫画を描かないと食べていけないのかな?」と、その謎が今解けました。(笑)

≪共同通信は、美智子の安倍内閣打倒の最強兵器≫

1970年、昭和45年、大阪万博の年です。

この年から、現在に至るまで、共同通信は、美智子の最大の応援、宣伝組織となります。
犬養康彦は、共同に、入社後順調に出世を重ねます。

そして、美智子が皇后に成った1991年社長に就任、今年2015年7月12日、相談役のまま癌で死去しました。

≪皇太子妃時代は、母、正田富美が工作資金を投入≫
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1970年から、富美が死亡する1988年までの18年間は、富美が正田家の資金でもって、共同通信に工作資金を渡していたでしょう。

要は、美智子に都合の悪い記事は、メディアに配信するな。昭和天皇や香淳皇后に都合の悪い記事は、どんどん、配信しろ!と(笑)

1991年、犬養は社長に就任します。

美智子は既に自称皇后となって、内廷費3億2千4百万は、濡れ手に粟のつかみ取りです。

その後は、内廷費から糸目もつかず工作資金が共同通信に流れ込んだでしょう。

≪共同通信と電通の比較≫

よく、日本のTVメディアを牛耳る悪党企業電通と言われますが、電通もNHKには頭が上がりません。何故なら、国営放送のNHKはCMが不要だからです。
しかし、そのNHKも共同通信には頭が上がりません。

「ニュースを配信しないぞ(怒)」

と意地悪されたら終わりだからです。

その意味で、日本の言論空間を支配しようと思ったら、電通を押さえるより、共同通信を押さえたほうが理にかなっています。

≪共同通信は、そもそも「反日」「反安倍」の通信社≫
私が、先ず怪訝に感じたのは、2013年に、安倍晋三氏が総理に復権し、活発な国益外交を繰り広げましたが、愛国保守の我々が、最も知りたい、「安倍総理の活躍」をTVがほとんどつたえなくなったことです。

これは、安倍総理が就任早々「女性宮家創設の白紙化」を宣言したことに対する、「美智子の意趣返し」です。

最近特に露骨だな〜と思ったのは、秋篠宮家の長女、眞子様が危険を冒して、中南米のエルサルバドルとホンジュラスに一週間の御公務でした。

現地では、大歓迎一色で、心配した事故もなく、大成功した御公務でした。
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しかし、TVを見た友人から聞くと「ちょっと流しただけ」とのこと。

代わりに、母校学習院に、遊びに行き、オーケストラに参加した徳仁は、まるで、ご公務扱いの報道(笑)

これは、美智子の工作資金が効いていますね(笑)

「秋篠宮一家を露出させるな」

が至上命令でしょう。まあ、お蔭で徳仁君の土色を通り越した、緑がかった顔色で健康状態が確認できましたけどね。

≪愛国保守の日本人の心に響かなかった「天皇誕生日のお言葉」≫
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全く、聞く気もしませんでしたから、ネットのニュースで見ました。

「反省、反省、反省・・・」

「過去に戦争が有った事実を忘れずに・・・」

海外の掲示板をみると。

「もう、70年前の話だろ(怒)」

と真っ当な突込みが有りました。

「過去に戦争が有った事実?」

高校の日本史で習ってまんがな(怒)

某有名演出家のブログを見ると、婉曲に疑問を呈していました。

「あたかも特定政党(自民党)を非難したかのように国民に受け取られる発言は如何なものか?」

「護憲をおっしゃるが、「政治的発言」は如何なものか?」
仰る通りです。

≪天皇のお言葉ではなくて「美智子のお言葉」≫
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天皇のお言葉は、書き終わったら、今上陛下は、美智子に手渡し、美智子が赤で添削した後、自分で宮内庁に持っていくそうです。
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憲法改正を以上に怖がる、朝鮮人たち。

「また強い日本が復活するのが余程怖い」

のでしょう。これは、在日だけではなく韓国もそうです。美智子にも間違いなく朝鮮の血が流れていますね。

口を開けば、「護憲、護憲」とわめく左翼評論家には、在日が多いです。

典型的な例が、「反日TVTBS御用達評論家」の佐高信です。彼がTVに出演できたのは、慶應の同級生の毎日新聞記者の髭の岸井成格の縁故です。
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佐高が、定期的にコラムを持っているのは「サンデー毎日」だけ。「反安倍の急先鋒」だった、岸井は、TBSのNews23を降板させられました。岸井と言う毎日新聞記者は、元々共産主義者だったんですよ(笑)

慶應の法学部のマイナーなゼミの卒論が「トロッキズム」ですからね。

岸井の後ろ盾が無くなった佐高は、もうTVに出にくくなるでしょうね。ニュース9の大越が降ろされて、報ステの古舘も3月一杯で引導を渡されました。
次は、TBSサンデーモーニングの関口宏(夫婦とも在日)でしょう。時間の問題ですね。

≪今上両陛下は間違いなく、安倍内閣の倒閣を画策している≫
まだ、噂の段階ですが、恐ろしい話が有ります。

天皇と美智子は、定期的に、誰でも知っている都内某高級住宅地(23区内)の、ある有名左翼知識人の自宅で正田泰子と落ち合い、長時間、話あっている。

正田泰子と言えば、実の姉が共同通信相談役に努めている。「共同通信側の窓口」です。美智子の何千万と言う工作資金は、泰子に渡され、泰子から姉の犬養麗子にわたされ、最終的に相談役の犬養康彦に渡っていたのでしょう。
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その犬養も今年、7月に死にましたが、未亡人の麗子が生きています。未亡人にどれだけ影響力が有るかわかりませんが、会社側も、妹が皇后の弟の嫁だという事実は無視できないでしょう。
加えて、数千万の現ナマを渡されたら、配信するニュースを喜んで反安倍、憲法改正反対に統一することは簡単でしょう。

内廷費つかみ取りの美智子の巨大工作資金は、
@週刊誌、雑誌等の「言論界」の自由を奪い【北朝鮮状態】にする。
A【共同通信社】を通じて、国民に「真実を伝えない」ようにする。

一番良い例が【愛子様優秀説】と素人が見てもばれる【愛子のたくさんの影子】です。

東宮一家は「三人そろって千代田に挨拶に行くときだけの家族」です。

車中の真ん中、一番カメラスポットが当たりやすい位置に愛子がいます。誰が見ても、明らかに、バレバレの良く似た影武者ですが、
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あのニュース映像も【共同通信】が、各TV局に売ったものなんですよ。

【共同通信】がいかに美智子の【印象操作】と【世論調査】に全社挙げて協力していることの証左です。
【政府・官邸様】としては、美智子と徳仁だけではなく、今上様も公安にマークさせるべきだと思います。

なんせ、あの「お言葉」に共産党が感動して、今まで、拒否していた国会開会式に出席にすることを表明した具合ですから。

言うまでもなく、共産党は朝鮮総連と並んで、公安の監視対象です。

朝日新聞系の雑誌AERAは、【左翼知識人名鑑】に、両陛下を居れました。

瀕死の朝日新聞は【今上様と美智子を抱き込む】ことによって、【安倍打倒の錦の御旗】を取ったつもりなんでしょう。

朝日の焦り方は尋常ではないです。昨年の【慰安婦捏造】に続いて、今度、【佐伯晋による美智子托卵】が証明されれば、即倒産ですから(笑)
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上記以外に国民の血税「内廷費」が工作資金として流れてそうな組織】

@ 韓国の挺対協・・慰安婦問題の反日団体

美智子は「慰安婦性奴隷承認派」自分の姉が講演会で慰安婦問題に触れたことを電話で感謝している。
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A シールズ

主要メンバーは、在日朝鮮人学生。「同胞」への親近感と安保法制反対が、絡んで、億単位の工作資金が流れたことは想像に難くない。陛下も美智子も「安保法制阻止」に必死だったのだから。
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B 国連大学

反日組織、公務おサボりの雅子はしょっちゅう講義を聴きに行っている。

C ヤフー

ヤフコメは「東宮批判」はOKだが、「皇后批判」は問答無用で削除。朝鮮人で反日の孫正義は、皇室に義理立てする必要は無いはず。それなのに、皇后批判を許さないのは、工作資金貰っている証拠。

孫は、反日女優アンジ―が制作した反日捏造映画「アンブロークン」に数百億円の寄付を行っている。
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≪そもそも「内廷費」とは≫

「内廷皇族が、祭祀をするための費用」だった。

祭祀をするためには体力もいるし、健康管理も必要だという事で、ポケットマネーの要素を入れて、増額されていった。

戦後、「政教分離」の原則から、予算化されなかった。

予算化されなかったという事はどうゆうことか?

全ての予算は国会で審議される。「内廷費」は国会で審議されず、「国民不在」の【皇室経済会議】で、「しゃんしゃん議決」される。

財務省主計局の主計官も査定はせずにスルーパス。

宮内庁の担当者が「【内廷費】は公金じゃないんですよ」と言った気持ちも、制度的にわかる気はするが、絶対に譲れないのは、【もとはと言えば国民の血税】でしょ。

という事です。

元々、質素だった、昭和天皇は「内廷費」を無駄遣いせず、余った分はコツコツためて、来る大喪の礼(ご自分のお葬式)に備えた。

そのお蔭で1989年の大喪の礼は経費不足にならずに、無事完了しました。

今の今上様は、TVクルーが来る時だけの祭祀。しかも相当簡略化している。美智子に至っては「気分はローマ法王」で祭祀は一切やらない。

「火葬」を言い出したのは、DNA鑑定が怖いだけではなく、「大喪の礼」をやる金が底をついたこともあるのではないかと思います。

@ 「日本のイメルダ」ともいうべき美智子の浪費癖
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A 「朝鮮盗賊小和田一味」によるたかり構造。

「死んでも返せない借金を持つ男」が、自宅に、一台8億円のメルセデスマイバッハを数台所有。

B 美智子の「国民洗脳」「批判の封殺」を狙った工作資金。
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C 国民無視の「フルムーン旅行」
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【大喪の礼】と言うのは個人的には、昭和大帝のような、大きな功績を遺した天皇にのみ行えばよいと思います。

明仁天皇の様に、学習院大学も卒業できず、「一左翼知識人に格下げ」された方は、死後DNA鑑定。秋篠宮さまと黒田清子様との親子関係さえ確認できたら。行事は行わず、普通に荼毘にふせばよいと思います。

今の段階で、明治以来、最低最悪の天皇です。歴史書にもそう記述されるでしょう。自業自得。

佐伯美智子、佐伯晋の妻でありながら、天皇の妾をしている。死んだら、戸籍上の父正田英三郎と親子関係が有るか、DNA鑑定する。堤康次郎の息子の堤義明と「腹違いの兄弟関係」が有るかどうかも鑑定する。

今まで、調査した結果、父親は部落民の堤康次郎、母親は朝鮮系シナ人の正田富美の可能性が高いと思います。

(以上)


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=873
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c17

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
18. 中川隆[-12039] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:42:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.01.07
続・美智子様の真実K@カトリックとミッチーズ(後)
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=945


続きです。


フロジャック神父の活動

wikiより

1886年(明治19年)3月31日 誕生
1898年(明治31年)サン・ピエール小神学校に入学
1903年(明治36年)中神学校に入学
1905年(明治38年)1年間兵役に服す
1906年(明治39年)パリ外国宣教会の運営する大神学校に入学
1909年(明治42年)9月26日 司祭に叙階
1909年(明治42年)12月30日 来日
1910年(明治43年)1月19日 宇都宮教会へ赴任
1911年(明治44年)水戸教会へ赴任
1914年(大正3年)8月 浅草教会へ赴任
1918年(大正6年)12月10日 関口教会へ転任
1927年(昭和2年)7月19日 東京市立中野療養所に行き、患者の見舞を開始
1929年(昭和4年)9月 丸山に民家を借り、結核患者を収容
1930年(昭和5年)6月27日 江古田に「ベタニアの家」を開設
1932年(昭和7年)12月 ベタニアの家筋向いに「ナザレトの家」を開設
1933年(昭和8年)10月 清瀬村に「ベトレヘムの園」を開設
1934年(昭和9年)8月月2日 ベトレヘムの園の隣地に「東星学園」を開設
1935年(昭和10年)10月 ベトレヘムの園、診療所の認可を受け重症患者の受入れを開始
1936年(昭和11年)天主公教宣教師社団「ベタニア事業協会」認可
1936年(昭和11年)4月1日 ベトレヘムの園構内に「東星尋常小学校」を開校
1937年(昭和12年)関口教会主任司祭及び東京大司教区司教総代理を辞職
1938年(昭和13年)7月 東星尋常小学校に幼稚園を併設、「聖テレジア寮」を開設
1939年(昭和14年)2月、事業機関誌『るり草』を創刊
1939年(昭和14年)4月 ベタニアの家構内に「聖ヴィンセンシオ寮」を開設
1940年(昭和15年)10月 ベトレヘムの園に紀元二千六百年記念恩賜病棟を建設
1940年(昭和15年)11月 東星尋常小学校に高等科を併設
1942年(昭和17年)9月 三河島に「三河島診療所」を開設
1943年(昭和18年)4月 「ベタニア事業協会」を「慈生会」に変更
1943年(昭和18年)6月10日 江古田に「徳田保育園」を開設
1945年(昭和20年)12月25日 「ベタニア巡回診療班」を組織、上野地下道にて診療活動開始
1946年(昭和21年)4月 浅草教会構内に「浅草診療所」を開設
1946年(昭和21年)7月 那須町の御料地を借り受け、開拓を開始
1947年(昭和22年)那須事業所に診療所を設置
1947年(昭和22年)8月 東星小学校に「東星中学校」を併設
1948年(昭和23年)レジオンドヌール勲章を受章
1949年(昭和24年)10月 坂本に「坂本診療所」を開設
1950年(昭和25年)4月 坂本診療所構内に「上野保育園」を開設
1952年(昭和27年)7月 「社会福祉法人 慈生会」に組織変更
1952年(昭和27年)5月28日 結核死亡率半減記念式典にて表彰される
1952年(昭和27年)9月 那須事業所にアフター・ケア施設が完成
1952年(昭和27年)10月 那須事業所に「八角堂」が完成
1953年(昭和28年)4月 ベトレヘムの園構内に「慈生会準看護学院」を開設
1953年(昭和28年)7月 徳田教会を献堂
1954年(昭和29年)7月 勲五等双光旭日章を受章
1955年(昭和30年)ベタニアの家隣地に「新ベタニアの家」を開設
1956年(昭和31年)6月 ベトレヘムの園構内に「東星女子高等学校」を開校
1956年(昭和31年)10月 那須事業所に「光星学園」を開設
1958年(昭和33年)9月 ベタニアの家隣地に「慈生会病院」を開設
1958年(昭和33年)10月 ベトレヘムの園敷地内に「聖家族の家」を開設
1959年(昭和34年)1月19日 朝日賞を受賞
1959年(昭和34年)9月29日 野塩に「柳瀬寮」を開設
1959年(昭和34年)12月12日 死去、勲四等瑞宝章を受章

以上

開設につぐ開設で、慈善施設を作った方ですね。

こうした活動を後援した人の一人が正田きぬ(正田美智子の祖母)であり、昭和天皇をはじめ皇室だったようです。

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館林と正田家

館林の部落出身だった正田家

上原善広というノンフィクション記者が「実話ナックルズ」という雑誌で下記のように指摘したように、部落出身である可能性は高いと思います。

雑誌『実話ナックルズ』にて『JDT 日本の路地を歩く』という連載を執筆しており、2004年7月号に発表した「群馬県T部落」で群馬県の未指定地区を取り上げ、「ここから女性が一人、皇族に嫁いでいる」「ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。 指定を受けると部落とわかってしまうからである」「皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味している」と書いた。

(以上)

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-194.html



さらに、伏見氏が正田家の家系図の嘘っぱちさを検証されています。母不肖の正田富美。江戸時代からの豪商というのは嘘。広告宣伝としての家系図。

※正田家家系再調査

正田家をはじめ、犬養家など、部落出身者でカトリックやプロテスタントに改宗したケースは多そうです、、、というより、支配層でキリスト教に改宗している家が同和地区にルーツがある確率が高すぎます。

異教に改宗することで、先祖からの日本社会の底辺にいた苦しくも屈辱の多い歴史から解放されることも多い意のかなと思ったりします。

「神の前には皆、ひとしく平等」といってもらうのも、天皇をトップにした日本の社会階層から自由になれることで救いになるのかもしれません。

キリスト教の信仰に是非をのべるつもりはありませんが、「信仰の自由」が、そのまま、異教徒や異国の侵略の先兵となり破壊活動をする正当化する理由にはならないとおもいます。

正田家とフロジャック神父

ttp://blogs.yahoo.co.jp/kawagoe_ekimae_seikotuin/43120328.html

今は何かと話題の多い皇室の話ですが・・・

皆様は美智子妃殿下をご覧になったことはありますか?

私は、川越に天皇ご夫婦が来られた際に、一度だけ見に行ったことがあります。

凄かったです。 あのご夫婦は。

特に美智子妃殿下のオーラといったら・・・

さっきまでわれ先に見んと殺気立っていた女性たちを〜ふぁ〜ぁと大人しくさせてしまいました。まるで塩をかけたれたナメクジの如く、膝から崩されました。

私の故郷は、上州は館林。美智子妃殿下の由来の地です。

日清製粉の創業家として知られる皇后美智子の実家の、本家筋であることでも知られる正田家のあるところ。

美智子妃殿下の旧姓は、「正田」になります。地元館林には「正田醤油」というのが名品です。

美智子妃殿下は、都内にお住まいになっていましたが、戦時中はここ館林に疎開されていました。

そして、カトリック館林教会に熱心に通う方であったのは、祖母の影響が大きかったのだと思います。

私も、正月2日の朝に・・・美智子妃殿下が通われてた「カトリック館林教会」に行ってきました。

2日は、ミサもないので 早朝に外から見てきただけですが。

あ〜 ここに通われていたのか?とシミジミと見てきました。もっともこの聖堂が出来たのは1953年なので美智子妃殿下が通われていたのは、その前の聖堂になります。

(転載以上)

フロジャック神父と宮内庁

木下道雄侍従長

※「隠された皇室人脈エピソード」より

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

 ■昭和天皇と木下道雄

『隠された皇室人脈』の主役の一人である木下道雄は、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省入省、岡山県で地方勤務を体験し、内閣書記官となる。二四(大正十三)年夏、摂政であった東宮殿下(後の昭和天皇)の侍従にと声がかかり、東宮事務官兼東宮侍従に転任、一九二七(昭和二)年に侍従兼皇后宮事務官に就任するが、一九三〇(昭和五)年四月に宮内大臣官房秘書課長に転じ、天皇側近からいったん離れる。以後総務課長、内匠頭、帝室会計審査局局長を歴任する。

終戦後、木下が再び昭和天皇の側近として侍従次長兼皇后宮大夫に就任したのは一九四五(昭和二〇)年一〇月二三日。しかし、わずか半年余りが過ぎた翌年五月三日に辞任する。以後、宮内省御用掛を経て、皇居外苑保存協会理事長として皇居前の整備に尽くした。

木下は昭和天皇が最も信頼していた人物とされるが、皮肉にも昭和天皇の意向を受けて女官制度改革に手をつけたことが、貞明皇后の逆鱗に触れ、辞めざるを得なかったと伝えられている。

実は、『隠された皇室人脈』の第五章で、靖国神社を「長州の護国神社のような存在」とバッサリ切り捨てた田中清玄を取り上げたが、この清玄が終戦直後の一九四五(昭和二十)年十二月二一日に昭和天皇との拝謁を許されたのは、木下の推薦があったからだ。

(略)

この木下の昭和天皇への忠誠心は並々ならぬものがあった。一九四六(昭和二一)年一月一日に発せられた「人間宣言」の作成過程で、天皇を現人神としてみる神格化表現が入っていないとして猛烈に怒り、内閣と文書のやりとりまで行っている。木下もまた「七生報国」の心構えだったのだろう。

木下道雄は侍従次長を辞めた後、敬虔なカトリック信徒になっていた。洗礼を与えたのはヨゼフ・フロジャック神父である。

財団法人慈生会の設立者として知られるフランス人神父のフロジャック神父は、一九〇九(明治四二)年に来日、戦前から乳児院、結核療養施設、診療所などを建てて社会事業に貢献していた。日本語巧みで胸まで伸びた真っ白いヒゲが特徴だった。

木下は、幼友達の妹がフロジャック神父の下で働いていた関係で、噂だけは聞いていた。村から村へと布教の旅を続ける神父が、足に大きな裂傷を負った際、近くの農家から針と糸を借りて、自分で縫い合わせたという話を聞いて、「フランス人にも、こんな弁慶のような荒法師がいるのかと、一種の親しみを感じた」と語っている。この親しみとともに、フロジャック神父の名前が木下の記憶に刻まれた。

宮内省総務課長時代、陛下からの推奨金推薦先として財団法人慈生会の前身にあたる「ベタニアの家」の名前があがり、木下の記憶によれば、三二(昭和七)年の暮れに弁慶の元を訪ねる。ここで二人は初めて出会い、事業も評価され、フロジャック神父には推奨金五千円が与えられることになる。

本格的に二人がかかわり出すのは、侍従次長時代の四五(昭和二十)年十一月二五日、この日の夜にフロジャック神父は木下宅を訪れ、戦災の傷跡残る上野駅周辺の浮浪者救済のための診療施設開設と関東に酪農を主体とするトラピスト施設の必要性を説いた。木下の日記にも「共に予の共鳴する所なり。考慮を約す」とある。

木下は早速その翌日の宮内省事務調査会でフロジャック提案を披露して、宮内省の協力を取り付けた。
しかも、那須の名前は早くも十一月二九日に登場し、木下退官直後の四六(昭和二一)年七月には木下の斡旋で那須御料地約三百町歩が貸し下げられることが決まる。

フロジャック神父は貸し下げられた川西御料地六〇町歩を「聖ヨゼフの山」、奥まった道上下の御料地を「聖マリアの山」と名づけて、早速開墾が開始され、引揚者、復員兵の受け入れを始める。この地には那須診療所、林間学校宿舎、精神薄弱児のための光星学園(現マ・メゾン光星)などが次々とつくられていく。

この御料地貸し下げの背景を見ておこう。

木下によれば、フロジャック提案を昭和天皇に話したところ、昭和天皇より「助けてあげなさい」と言われ、それがきっかけで林野庁との話し合いもつき、貸し下げることになり、成績によってはこれを払い下げることまで決まったとしている。

入江侍従長

※「隠された皇室人脈エピソード」より

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

興味深いのは一九三四(昭和九)年に侍従となり、侍従次長、侍従長として半世紀余にわたって側近を務め、宮中生活最後の休日に急死した入江相政もフロジャック神父と交流していた。この入江もクリスチャンだったとする説もあるが、現時点では事実かどうか確認できていない。
『入江相政日記』(朝日文庫)にヨゼフ神父として登場するのは、四六(昭和二一)年三月十九日この時入江はフロジャック神父と会食している。

フロジャック神父と昭和天皇

※「隠された皇室人脈エピソード」より

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

木下と入江の口利きもあっただろうが、昭和天皇も積極的に支援したことは間違いない。

これを順に追っていこう。

フロジャック神父は四六(昭和二一)年十二月十九日に天皇皇后両陛下に進講する。カトリック宣教師が単独で拝謁したのはこの時初めてと言われている。この時、入江日記にはフロジャック神父が「大変色々申上げて面白かつた」とある。

四七(昭和二二)年九月二日に木下道雄が拝謁しているが、おそらくこの直後に行われる両陛下の那須巡行の件でお願いでもしたのだろう。

五日後の九月七日、入江日記には「夕狩の慈生会に行く。フロージヤアク老が大変な元気で何かと案内してくれる。例によつて愉快といつたらない。」と書かれている。

翌九月八日にも両陛下は慈生会を訪れている。

フロジャック神父は、進駐軍やフランス大使館員や大工を一人ずつ引き合わせた後、「私は日本人以上の愛国心を持つて居ります。一生懸命に致しまして必ず立派な国に再建致します、云々」と語る。入江はこの時の様子を「フランス人らしい上品なユーモアの連続で非常にお楽しませした」と書き記した。

四八(昭和二三)年もフロジャック神父は二度にわたって両陛下に拝謁し、この年には高松宮、三笠宮も慈生会施設の視察を行っている。

つまり、皇室あげてフロジャックの事業を後押ししていたのである。

フロジャック神父と館林

※「隠された皇室人脈エピソード」より

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

弁慶神父「会心の傑作」とは

皇太子の結婚の儀が行われたのは五九(昭和三四)年四月十日、その年の十二月十二日、フロジャック神父は帰天。

「わたしは貧しいひとびとの友であった。わたしの葬式は貧しい人にふさわしいものにして欲しい。花は一切ご遠慮したい。思召しがあったら貧しいひとびとに与えていただきたい」との遺言を残した。

フロジャック神父には勲四等瑞宝章が贈られ、昭和天皇より祭資料を賜る。

この年、衰弱激しいフロジャック神父の身を気遣う見舞客はあとを断たなかった。その中には、軽井沢のテニスコートで天皇皇后両陛下の「初めての出会い」の瞬間を写真におさめたカトリック信徒の田中耕太郎最高裁長官もいた。



フロジャック神父と正田きぬ

※「隠された皇室人脈エピソード」より

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

そして、三〇年来にわたってフロジャック神父の事業を援助し続けてきた正田きぬの姿も当然あった。

フロジャック神父は、この年皇太子妃になったばかりの正田きぬの孫への心やりと永年の援助に対する感謝の気持ちから、こう語りかけた。

美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね

神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。

皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。

「神父」とは当然フロジャック神父、「この時代」とあるのはフロジャック神父が水戸を拠点に日本伝道を始めた頃を意味する。そして、「会心の傑作」が「皇太子殿下御婚約のよきしらせ」につながっていく。

フロジャック神父は関東の山野を歩きまわって布教していた。

文中にあるように上州館林へ行ったのもこの頃である。上州館林と言えば、美智子皇后の実家があったところ。つまり、上州館林の正田家にカトリックの信仰の種をまいたのもフロジャック神父だった。

一九二七(昭和二)年、東京関口教会で美智子皇后の祖母である正田きぬはフロジャック神父の手から洗礼を受けて敬虔なカトリック信徒になっていた。

このきぬと美智子皇后の祖父・正田貞一郎(日清製粉創業者)、それに叔母・正田郁子の告別式はいずれも 千代田区 麹町の聖イグナチオ教会で営まれた。

また、母・登美子も聖路加国際病院で臨終洗礼を受け、妹の安西恵美子も洗礼を受けている(『美智子皇后と雅子妃』福田和也、文藝春秋他参照)。

弁慶が皇室とカトリックの縁結びを務めていた。明治維新以後、神道界や仏教界にフロジャック神父のような弁慶が存在していたなら、やはり歴史は大きく変わっていただろう。

(以上)

不思議なことに、wikiでは正田家や館林、宮内庁のカトリック職員、美智子との関係やエピソードなどの記載がありません。

なんでだろう〜〜♪

昭和22年雙葉小学校卒業



左、中はテンプルちゃんと呼ばれた正田美智子。右は雙葉小学校を卒業した正田美智子。

フロジャック神父はカトリック神父として、当然、信徒である正田家の人たちの懺悔もきいていたでしょう。正田美智子がすり替わったことを知らないはずないと思うのね。

というか、この人は純粋な神父であると同時に、純粋なバチカンの先兵であり、純粋な日本侵略の工作員であり、GHQと宮中のカトリック教徒と組んで皇太子妃に美智子をねじ込んだ主犯の一人のはず。

日本でのフロジャック神父の慈善活動の熱意と実績には疑いを持たないけど、いろいろ知ったことが多くなった今、

「美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね」

カトリックの日本侵略の第一段階を成し遂げた勝鬨に聞こえるわ

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=945

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c18

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
19. 中川隆[-12038] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:45:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.01.08
皇后美智子の真実L@【転載】美智子発クーデター2 マスコミ(朝鮮勢力)対民主主義(日本人)
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=876

マスコミのスクープに世論が添い、議会が添った形で決まった2代にわたる皇太子妃内定

美智子の場合

1959年

11月17日 ニューズウイークが皇太子妃決定の配信

     「テニスコートの恋」

11月24日 宮内庁公電をもって館林=正田家に通知

11月27日 皇室会議

1960年

2月6日 国会 昭和34年内閣委員会議事録より

「国会も何ら御結婚について知らされておりません。」

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

「それでも「信仰」の問題は気になった。」(岸信介元総理大臣)

1959年

4月10日 明仁皇太子ご成婚

雅子の場合

1993年 

ワシントンポスト「徳仁皇太子妃に小和田雅子」

1月19日

皇室会議 小和田雅子に内定(19分で終了)

同日 婚約記者会見

4月12日 納采の儀

ご成婚パレードとマスコミの宣伝により誤魔化されてしまいましたが、いずれも、国会も皇室典範も無視した形で決まりました。

そのため、美智子と雅子の二人は正妃としてみとめられず、親王が私的に結婚し同棲している親王夫人のあつかいです。

英国のチャールズ皇太子の後妻カミラさんは、皇太子の夫人で爵位を持っていますが、正式な妃、プリンセスではありません。美智子も雅子も同じ立場なのです。

表記:明仁天皇の妻 正田美智子

表記:徳仁皇太子の妻 小和田雅子

皇太子の「妻」小和田雅子表記です。

表記:プリンセス キコ

紀子様はプリンセスとして認められています。

マスコミに報道させたあと、さも確定された事項であることのように国民に雰囲気で信じさせ、そのあとどんどん事実化していしまうやり方は「正田美智子、皇太子妃内定」からかわってませんね。「皇太子妃、小和田雅子に決定」「生前退位」も同じ方法を使いましたね。

今度も、マスコミが勝手に決めています。

国政のありかた方向を、日本国憲法や法律をもとに日本国民が選んだ議会を無視して、マスコミが決めていることになります。これが民主主義でしょうか。

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自爆し続ける内廷皇族

ナルちゃんの妃に、旧宮家の久邇晃子さんが内定したことに危機を持った美智子。

高円宮家とくんで、ナルちゃんが気に入っていた創価学会の池田大作の落胤で、隠れ朝鮮人の小和田雅子を皇太子の 妻にしてしまいました。

その後、皇室の朝鮮化が進みます。

が、あまりに雅子が莫迦なので、美智子の正体もばれてしまいました。

以後、自爆し続けています。

頑張るけど、なんだかんだで北朝鮮クオリティ

愛子天皇に着地点を置き、いちおうは、内廷皇族、マスコミ、芸能界、創価などが連携して着地点を目指しているのですが、、、

@女性天皇になるにふさわしい愛子様を用意しよう

2015年12月

自閉症の本物の愛子様と、

影武者を務めていた通称影子とすり替わりが完了。


A海外からの圧力をもって皇室典範を改正させよう

2016年3月

美智子と小和田が国連に働きかけ、「皇室典範は女性差別、改正しろ」と勧告。

前日の雅子。

ニタニタが止まらない。

⇒日本政府が抗議。あっさり勧告は取り下げられる。

B東京五輪のロゴマークを創価の紋にしよう

東京五輪を私物化しよう

2016年04月

決定済みだったロゴマークが盗作であることが指摘され、再度選定されることに。

結果は、なぜか、創価のマーク。

小和田雅子は、創価学会の池田大作の落胤と言われている。

C明仁さんを退位させ徳仁さんを即位させよう

2016年8月

一言も「退位する」とは言ってない「天皇の役割をつとめるのがしんどい年になった」という内容の明仁さんのスピーチを勝手に解釈して「生前退位」をマスコミが宣伝し始める。

が、有識者会議をしたけど、実のところあんまり進んでない。

そればかりか、生前退位発言の責任を取らされ、創価の風岡宮内庁長官が更迭。

バリバリの警察官僚が次長になる。その後、愛子様の長期欠席が始まる。

10月のベルギー王来日晩餐会のおり、ナルちゃんのダブルの徳仁3号がサッシュがなかったり、ミッチー7号もサッシュなしの平民の装いだったことも関係あるかも、

D日本の次代の天皇皇后として皇太子夫妻と愛子様の存在をアピールしよう

「愛子様」を伴って参拝するも、

愛子は偽物だわ、ナルは尿漏れだわ、雅子は異教徒だわ、この連中が欲心のためにニュース映像撮影のために皇祖に詣でるなど不敬ここに極まりないことをしたため、神の怒りをかい、影子ちゃんは憑き物付きになりました。

E米国大統領に確定のヒラリーの圧力で皇室典範を改正させよう

ヒラリーはミッチーとトモダチなのでうまくいくはず。

予定では2017年01月に就任するはず。

2016年11月

アメリカの大統領選挙で、まさかのヒラリー落選。

トランプさんが次期大統領に。

日本人の立場としては、正直、ヒラリー以外ならだれでもよかったわ。

F愛子様の美しさと優秀さで国民を夢中にしよう

そして国民の総意によって皇太子にしよう

2016年12月

山咲トオルに。

このコピー用紙で織ったかのような鶴は「創価の鶴」を意味しているとの噂。

創価の日本乗っ取り宣言なのかもしれません。

愛子天皇に発情しているのは、小林よしのりくらいで、かつてのカリスマ漫画家もキチガイ扱いされはじめました。

小等部のころの不登校や、中等部ではテストをうけないのに翌日は遊園地で遊ぶなど雅子を映したかのような学校生活、そして今回の長期欠席、御優秀といわれて信じる人間がいるのでしょうか。むしろ雅子の雛形をみるかのよう。

そもそも、こいつ偽物だし(笑)。

G芸能界も愛子天皇に協力

「パーフェクトヒューマン」を用意

生前退位でアキヒトはクビ!といいたそうな内容。

そのほか、B29の爆撃を連想させるパフォーマンスや、震災を揶揄するような歌詞で問題が多い。

【拡散希望】パーフェクト・ヒューマンに違和感|戦後体制の超克

紅白に出たものの、大衆の潜在意識をかえるほどでもない感じ。

むしろピコ太郎に話題を奪われたもよう。

HNHKも愛子天皇実現に協力、

連続ドラマは「おんな城主 直虎」

2017年01月

・『直虎』初回視聴率は16.9%

・2000年以降大河ドラマではワースト2位

I平成は30年でおわらせよう

新聞社やマスコミが勝手に記事を書いて一斉に飛ばし記事をだしましたが、、、

よく読むと「検討に入った」という内容なんですね。

何も知らない国民に印象操作で誘導しようとする魂胆はほとんどファシズムです。

生前退位のリークの時と同じく、天皇側の職員でたぶん更迭される人が出てくるんじゃないのかな。

J次期皇后として雅子様をアピールしよう

生前退位がどうとか言い出した前後から、いそいそと公務にでてきた雅子。適応障害がどうしたのかと思うくらい元気に公務を始めた雅子。地獄の血の池地獄に住むカバのような分厚い顔でニタニタ笑いはじめた雅子。

しかし一方では、雅子の父親の小和田恒がスイスのバーゼルで軟禁中だという噂が。

天皇家の財産を横領しようとしたとか。政府に近い人は皆知っているらしい。

小和田が帰国している時期は、紀子様バッシング記事がでるのでわかるといわれているけど、まだスイスにいるらしい。

プーチンが安倍ちゃんに送ったオランダで購入した天皇家由来の刀。

これ、代々皇太子家が受け継いできた壺切の御刀ではないのかという説も。小和田が持ち出し、オランダで売り飛ばしたものではないのかという声も。

山口で開催された、日露会談に影響をあたえたとかいないとか、、。

K徳仁が即位すると強調しよう

その徳仁さんが、危なそうなのよね。

講書始の儀

昨今の映像では、ナルちゃんを映さないようにしてますね。少し椅子をずらせば、ナルちゃんも映るのに。

歌会始の儀

皇居で「歌会始の儀」 陛下が込めたお気持ちは・・・(17/01/13) – YouTube


www.youtube.com

コメント欄より

hiromi様、お邪魔します。 講書始の儀、それから歌会始のニュース映像で、「あ、徳仁さん、いない(嬉)」と最初思ってしまいまして。皇族の席をハの字型に置いたら、佐伯徳仁が秋篠宮様の影にかくれたということですね。


www.youtube.com

よく見ると、時々佐伯徳仁の頭が、文仁親王の後ろで揺れている?文仁親王が不動の姿勢だから、揺れる頭がチラチラと目立つのです。これを隠したくてハの字型に椅子を置いた訳?(小細工するなぁ)

※0:37あたりから、ナルちゃんグラグラしています。

徳仁と雅子がいないと、皇室ってこんなにスッキリ見えるんですね(嬉)。

三笠系は信子妃以外うっとおしいし、佳子様がおられればパーフェクトでした。

佐伯徳仁の揺れる頭は、もうアル中が相当・・・ということでしょうか?もうアルコール無しではいられない?

映像でも土色の顔の佐伯徳仁が、出るようになりました。

宮内庁東宮派でももうごまかす気が無い?

腎不全が進行中?

皇室の理想像を神様が垣間見せて下さったような講書始や歌会始でした。

あとは今上が譲位すれば。 期待してしまいます。

(ここまで)

ありがとうございました。

爽やかな土色の顔色のナルちゃん。耳に合わせて並べています。

2015年のナルちゃん。尿漏れ起こしたから本物だと思う。苦笑するだけで、鼻ってこんなに変形するんでしょうか。やっぱり、鼻も女房の胸のように詰め物でしょうか。

反日勢力の目標

「天皇の血統を朝鮮系にすり替えて日本を支配すること」

賢い在日さんや朝鮮系の方は、こういう企画には参加しないでしょう。無理だとわかってますから。妄想の中で生きている朝鮮人の企画した計画が上手くいくはずないんですよね。

ま、危なかった時もありましたね。

民主党政権時代

・与党は朝鮮系の巣窟である民主党、

・首相は朝鮮系(鳩山、菅、野田)

・皇后も中国朝鮮族(正田美智子)

・皇太子妃も朝鮮系(小和田雅子)

・NHKの会長も朝鮮人

・テレビのタレントは朝鮮系だらけ、

・経団連の会長も朝鮮系

韓国大統領が、日本をのっとった、宣言をしたのも、まあ、わからなくもないのですが。調子の乗った韓国大統領が竹島に上陸したり、天皇謝罪せよ発言したりして、一気に嫌韓ブームが到来。

日本人観光客が姿を消し、大久保は閑古鳥が鳴き、フジテレビの視聴率は低迷、、、

第二次安倍内閣がおこり、以後、逆転が続いてます。

今の皇室の問題は、つきつめると、

・皇室の朝鮮化

・内廷皇族による皇室の私物化

ですね。

明仁さんは、公務ができなくなったから譲位したいといいながら、上皇になり院政を敷き親政するきまんまんです。公務も減らすつもりはないとか言ってるそうで、意味不明です。

これはまさに、天皇ご謀反です。そもそも、明仁天皇は美智子のいいなりなのです。

美智子の謀反なのです。

続きます。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=876
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c19

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
20. 中川隆[-12037] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:47:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.01.08
皇后美智子の真実M@美智子様の最終目的
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=879

ミッチーの最終目的って何なのかしら。

ここからは管理人の想像なのだけど、この正田美智子に化けた老婆たちの狙いは徳仁即位、愛子女性天皇に実現にとどまらず、その先に「史上初めて皇族でない女性が天皇になる」という究極のジェンダーの実現「美智子天皇誕生」をおいてあると思うの。

1 明仁天皇を譲位=生前退位させ徳仁を即位

2 徳仁を健康上の理由で退位させ愛子を天皇に

3 理由をつけて愛子を退位させ、「素晴らしい美智子さま」が「国民の要望により」天皇に即位。

そのために、

・憲法を無視して皇族の私情で何もかも決める前例をつくる

・皇族の私情で勝手に後継者を決める前例を作る、

段階的に踏んで、易姓革命双六のあがりを狙っているのだと思う。

というか、そうとしか考えられない。

・ご成婚から一貫して「聖女」美智子神話をしつこくマスコミにが作り出し今も続けていること。

・一方では、徳仁雅子の所業を放置し、拡散しつづけていること。

・堕胎経験豊富なうえに不妊体質の雅子のような極悪な女を皇太子の妻にしたこと、

・秋篠宮家、高円宮家に産児制限を強制し子作りを禁止したこと、

が、すじがとおって納得がいくのね。

過去に数多く残した画像や今までの軌跡からみても、正田美智子に化けた工作員は、皇族を根絶やしにして最後は「すばらしい美智子様しかいない」という形で即位しようとしてるんだと思うわ。

天皇を押しのけて、、

天皇を押しのけて、、

天皇を押しのけて、、

最後は私が天皇に、、、でしょうか。

即位式の報道写真すら美智子が中心。まるで美智子の即位式のよう。



本物の正田美智子は生きていれば80歳だけど、今の影武者の4号は、おそらく40代から60代くらいでしょう。時間に余裕があると思ってるでしょ。きっと。

そもそも「陛下のお言葉」の中でも、陛下は譲位したいとは一言もおっしゃらなかったのよね。ただ、高齢のため天皇の役割を果たすのが難しくなりましたとかかれた、外人が書いたかのような変な日本語の原稿を読んだだけ。

そこをポン菓子のように膨らませて「生前退位」などという、けったいな言葉を造語して拡散したのがマスコミと美智子。

でももう、マスコミが神託としての力を失ったのね。アメリカでヒラリーを通せなかったというのが、それを証明しているわ。

ヒラリー大統領誕生に一抹の希望をいだいていたであろう美智子たち。

希望敗れて、ミッチ―4号、5号、正田美智子に化けた老婆たちは抱き合って号泣したのではないかしら。

今は西武・堤家=ヤクザという暴力装置もなくし、美智子入内に協力した旧GHQの当時の関係者が老齢化してチームは消滅同然になりつながりは薄れ、中国朝鮮は国がグテグテのうえ能のない工作員ばかりで役にたたず、電通をはじめ美智子を支えてきた「美智子様神話」つくりに励んできたマスコミの凋落は止まらない。

残ったのは、山のような罪業と疑惑と多くの敵だけ。

美智子の正体に気が付いた国民は暴徒に変るでしょう。

日本人は、皇室が絡むと怖いんですヨ。

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美智子の命数

トランプ勝利とヒラリーの運勢をドンピシャであてた伏見氏。

生年月日の違うヒラリーの影武者であっても、ヒラリーとして活動している以上、「ヒラリークリントン」は屋号化し「ヒラリークリントン」の運勢の影響を受けると証明してくださいました。

伏見氏による、屋号「正田美智子」の鑑定です。

ダブルであっても複数であっても「正田美智子」は屋号化しているので、オリジナルの影響を受けると思われます。

皇后様
1934年10月20日生まれ(81歳)

上  中  下   宿命星   十二運   吉凶星

年柱  甲  戌  戊  比肩 偏財   養  華蓋

月柱  甲  戌  丁  比肩 傷官   養

日柱  甲  子  癸     印綬   沐浴
時柱  辛  未  己  正官 正財   墓  天乙貴人  寡宿
【戌亥空亡】

【総合所見】
@ 現在は宿願の皇室の「女帝」、国民も徐々にその本性を知って心が離れていく。2017年が大きなターニングポイントになる。

(略)

2015年 81歳 乙未 劫財の年

一年を通して疲れ切る年でした。8月9日の宮内庁病院で心筋虚血の検査を受けたのも関係しているでしょう。

2016年 82歳 丙申 食神の年

一年を通してのんびり過ごせるでしょう。

2017年 83歳 丁酉 傷官の年

けじめをつけられる厳しい年です。天干の丁と命式の未で丁未になり羊刃を呼び込みます。不慮の事故にも注意です。

2018年 84歳 戊戌 偏財 

空亡の2年間が始まりました。持病の心臓病の悪化にご注意です。

2019年 85歳 己亥 正財 

空亡の2年目です。

大運を見ると、

84歳〜94歳は、乙丑―劫財 −冠帯で、劫財の10年間ですから、かなりしんどい10年間です。

皇后さまは再来年、2017年に大きな変化にさらされるでしょう。

そして、この年が【皇室問題】が政治問題として本格的に動き出すときです。

ですから、秋篠宮殿下擁立派の保守日本人は、諦めずに、鑑定に、廃太子、廃妃のメールを辛抱強く一人でも多く、根気よく送り続けたほうが良いでしょう。
以上

(転載ここまで)

氏の鑑定によると、ナルちゃんも、愛子様も来年は分岐点になり「ドボン」となるとか。そういえば「愛子様」として活動し続けた結果、影子にも愛子様の水俣の祟りがでてましたね。

ダブルであっても、やはり影響を受けるのでしょう。数多くいる影子もまた水俣の祟りに苦しんでいるのかもしれません。

チーム・ミッチーズ

美智子に話を戻しますが、この美智子達のチームは、正田美智子がご成婚した当時はGHQの工作員でしたが、チーム・美智子のまとめ役であるCIAの工作員であった美智子の母の富美が亡くなった後は、ナチュラルに朝鮮化・左翼化が進み、朝鮮系の中国共産党の人民解放軍の工作員で運営されていると思われる節があります。

美智子の趣味がすべてにおいて朝鮮に帰一すること、中国の利にはんする海外の要人と会わなかったり、晩餐会でもやる気のなさを示したりしているところをみると、朝鮮族の人民解放軍の工作員でしょう。

10年後は日本はなくなると豪語した中国の要人がいました。

米国のビル・クリントンの露骨な親中、反日政策やその妻ヒラリーの「一番大切な国は中国」発言などからみて、中国10億人の市場に目がくらんだアメリカのパワーエリートたちも、中国の時代が来ると信じていたと思います。

中国とアメリカとのトップ同士の閨閥作りが進んでいて、とてもとても親密な関係だと軽く新聞で触れていましたね。

もちろん、ミッチーたちもそれを信じていたとおもいます。

なので、ティアラや皇室の財産や財宝の横領を大胆に進めていたのだと思います。

美智子としては、日本が中国の一部になり、中国から美智子が日本の天皇として即位するよう任命される筋書だったのではと思います。

が、誤算が生じましたね。

10年後、2015年にクラッシュしたのは日本ではなく中国のほうでした。

焦っているでしょうねー。

そもそも、今の美智子様(たち)は、ご成婚した正田美智子ではありません。

たんに、天皇と同居している女性にすぎません。

にもかかわらず、勝手に皇后を詐称し莫大な公費をわがものにし、お出かけともなると交通規制をし警備で守られ、56億かけて建てさせた宮殿に住み、堂々と海外の要人と会い、騙されている国民が日の丸を振り手を振り歓迎します。

これを、詐欺と言います。そうです。犯罪です。

美智子が天皇になるたくらみも、愛子様に化けて影武者の影子が女性天皇になるたくらみも、クーデターと言います。

古今をとわず洋の東西をとわず、クーデターの主犯は極刑と決まっています。

さらには、美智子は左翼の知識人工作員と連携し倒閣運動までしています。

その背景に、敵国の存在があれば、外患罪に匹敵する罪になるでしょう。

国家反逆、外患罪、共謀罪、破防法、いずれかをカバーしてると思います。

この得体のしれない老婆たちが、秋篠宮家や高円宮家に産児制限を敷き、皇統断絶の危機を作り出しました。

悠仁さまご誕生により危機は回避されましたが、万死に値する女どもであることは間違いありません。

2016年、安保法案が通りました。

2017年は共謀罪、改憲まで行けると思います。

是非、安倍首相には皇居と東宮御所をオウムのサティアンのように山狩りをしていただきたいですね。

カトリックの礼拝堂、創価のご本尊様、美智子ににた複数の老婆たち、本物の愛子様、そしておそらくは、徳仁ににた男が数人出てくるでしょう。

「天皇ご謀反」という言葉が日本にはあります。

国体そのものであるにもかかわらず、私欲をもち私情により政治に介入した天皇や、上皇、親王は流罪にしたり、中には命を絶ちました。不適切な天皇、皇族を廃し続けたからこそ、皇室は2700年続いたのです。民主主義化の象徴性天皇であっても変わらないはずです。

そもそも、天皇であっても、皇族であっても、歴然と逮捕、告訴できる、それが真の法治国家、民主国家です。

今後、1万年の皇室の継続と日本国家の繁栄のためにも、是非、安倍ちゃんと政府は、山狩りを行い、証明していただきたいと思います。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=879

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c20

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
21. 中川隆[-12036] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:55:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018.01.07
続・美智子様の真実N@ミッチーズとCIAB
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=954


続きです。

正田富美(美智子の母)

「縁談には、どうしても一種のストラッグル(闘争)という面が出てきますものね」
「いいたいことをいわしていただいた。よくあちらさまが我慢なさったと思うくらい」

※嫌々、娘を嫁にやるにしては嬉しそうな富美

当時、皇室に対してこんな無礼な態度をとる日本人がいたでしょうか。

大陸女郎あがりのヤクザの情婦にして中国朝鮮族の混血児にして異教徒なら納得がいきます。

小泉信三と正田富美

美智子の皇太子妃冊立に動いたカトリック系工作員・小泉と、正田富美との繋がりは皇太子のお妃選び以前からのようです。

コメント欄より

美智子さんのWikiにある「中支那振興常務理事 副島綱雄の長女」 で、中支那振興が、富美さんが上海で生まれた頃には出てこないので、色々と調べてみました。
ブログに(正田家の闇だったかな)中支那振興が出てたので、クリックしてみますと、「見つかりません」ではなく「削除されました」となっておりました。
とっても臭ったのですよ。

(略)

私の場合は、人間関係で推測してみました。

私は何故戸籍のない綱雄さんが、中支振興常務理事になれのか不思議でした。
その戸籍のない綱雄さんの娘さんの為に、当時トップの為替銀行(横浜正金銀行)の頭取がお仲人までしてるのも不思議でした。
そしてそのトップの為替銀行の中に、富美さんの娘・美智子さんの陰謀めいた入内を決行した小泉信三さんのお父上・小泉信吉さんが、銀行の運営をしていたことも不思議でした。

伏見様のブログに依る新事実:

かつて佐賀県多久に網雄さんと言う男性がいて、若い頃上海で仕事をしてました。
1923年に、娘富美を連れて帰国。
1959年の皇太子妃婚約前に、副島家に戸籍を売って下さいと頼みに来たが、断られたので、勝手に副島を名乗った。

本当に不思議なことだらけです。今度の大砲の照準は、本丸・富美さんです。

(以上)

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正田富美と、小泉信三とのつながりは「正田美智子がお妃候補になった」時点から生じたものではなく、またキリスト教徒という信仰つながりだけではなさそうですね。

松平女史が旧華族からお妃候補をあげても、小泉たちは動きません。

「旧華族からお妃候補となる女性がいないので」「聖心女学院にお妃候補に相応しい女子学生のリストを依頼した」とされますが、神道の祭祀王になる妃を選ぶのに、カトリック系の学校に依頼することは本来ならありえないはずです。

しかも、偏差値の高くない、当時は「成金のバカ娘」と言われていた女子に依頼するのは異常でしょう。さらに、トップに正田美智子の名前があることも異常です。



そして、正田富美の愛人であり、美智子たちの実父とおもわれる堤康次郎が開発した軽井沢で、「テニスコートの恋」がおぜん立てされます。

初対面の皇太子と美智子の写真を修めたのは、フロジャック神父と親しい田中最高裁判事でした。明仁皇太子を誘導し、正田美智子に関心をもたせ関係を繋ぐ役だったのでしょう。

明仁皇太子妃決定の第一報は、アメリカのマスコミのリークでした。

皇室会議にかけられることなく、あとは、なし崩しに海外のマスコミのリークに添う形で決まってしまいました。

戦後は、マスコミが神託となり法を踏みにじり法を超えたのです。

そして戦後、神託としての機能を持つマスコミと世論を支配したのが、GHQ、CIA、これらとつながり、共同通信に閨閥を持つ美智子でした。

※転載させていただいてます。

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》 – BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

1959年

11月17日 ニューズウイークが皇太子妃決定の配信

「テニスコートの恋」

11月24日 宮内庁公電をもって館林=正田家に通知

11月27日 皇室会議

1960年

02月06日 国会 昭和34年内閣委員会議事録より

「国会も何ら御結婚について知らされておりません。」

皇室会議が開かれたのは(昭和34年 注33年の誤記か?)十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)


f:id:e-vis:20170216123638j:plain
国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

(ここまで)

「お妃候補」複数の正田美智子

他のサイトさんに写真が上がってましたが、ご成婚前からというより、お妃候補時代から「正田美智子」は複数いたようです。

違いは明らかで鼻の穴の目立つ正田美智子と、そうでない美智子、富士額の正田美智子と、生え際が乱れている美智子、など分類が可能です。

上の2人の美智子は、たしかに、肩幅がちがうようですし、頭蓋骨の幅、目、鼻、口、のバランスが違うようです。

右が正田家で育てられ、聖心女学院でヤンキー女学生をしていた美智子でしょう。

顔のパーツが中心に寄り気味です。

徳仁1号、徳仁2号のように交代で「正田美智子」をしていた関係なのかも。

長身の3号と思われる女性もご成婚後すぐ「美智子様」として報道されていますので、相当な数の「正田美智子」が明仁皇太子と関係を持ったののではないのでしょうか。

ミッチーズに共通していることの一つが、耳にピアスをしています。

この時代、耳に穴が開いているのは中国系ならありえたそうです。大陸夫人、中国朝鮮族の妓生だった富美の趣味なら納得がいきます。

ミッチー1号。正田富美が生んだテンプルちゃん。

ピアスか耳飾りをつけているようです。

日本でピアスが一般化したのは1990年ごろからではなかったでしょうか。

富美は大陸夫人とよばれ、中国語はペラペラ。

正田家について、伏見氏は家族写真が土足である、上海の租界式であると指摘されてましたね。

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/02/15(水)22:53 id:RGNsqTQ. No.1910047

礼宮は靴下、紀宮はスリッパ、あとのお二方は・・・。お子様方はまともなのに。
お寺に敬意など払わない感覚がそのまま、「生前退位」発言につながるんでしょうね。
「無私の心」とは正反対の自我の追求、拡大。

(以上)

富美も美智子たちも、外人だということですね。

続きます


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=954
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c21

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
22. 中川隆[-12035] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:57:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.01.07
続・美智子様の真実O@ミッチーズとCIAC
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=958


続きです。

工作員チーム「正田美智子」

正田美智子に化けた複数の女たちのチーム、ミッチーズですが、複数の「正田美智子」たちを監督したのは、工作員であり大陸で妓生やってたであろう可能性が高い富美でしょうね。ベテラン工作員が、工作員チームを指導する。あるいは、売春業を引退した女性が、売春婦を監督するのに似てます。

富美は平成になってすぐになくなりますが、以後「美智子」のやり方が荒くなり、暴走をはじめるのはこのころからです。露骨に反日反米となり中韓よりになりました。カトリック系から朝鮮系へと勢力が移動したのかもしれません。

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※この美智子は、ご成婚パレード美智子ではなく、ヤンキー美智子のほうですね。

昭和のミッチーズは監督者が富美だったので、運営方法も工作員たちへの教育も下賤で風俗風、大陸流になるのは避けられなかったと思います。

富美が「娘を皇室に差し上げたからには、死んだものと思え、、云々」、と言って、皇室とは一線をひき、皇室に遠慮していたというのは大嘘。

ご成婚前に、美智子と皇太子のために御所と正田家に敷かれたホットラインを使って、毎日のように美智子と富美は電話で会話をしてたそうです。



さらに、美智子がご成婚から出産までの間に実家に帰ったのは10回を超えます。

富美も頻繁に東宮御所に出入りしていました。

富美が、東宮御所にあがるとき、浩宮にはお土産をもっていくけれど、文仁親王と清子さまには何も持って行かなかったのは有名な話です。

管理人は、文仁親王と清子さまはミッチーズの生んだ子供ではなく、お公家さんのお嬢さんがお相手をして授かった親王、内親王という噂は本当だと思っています。だから、浩宮とちがい貴人の品位が備わっていらっしゃるのだと思います。



いつものスライド

反秋篠宮派の連中が、秋篠宮様が美智子と入江侍従長との不倫の子だと言ってますが、いつものスライドでしょう。

なんてったって、国賊入江に似ているのは文仁親王ではなく徳仁2号ですから。



徳仁2号は、堤家の特徴と入江を足して2で割ったかのような風貌してます。

耳の位置が低い徳仁1号は某新聞記者ににているし、「お父さん」が歯並びを直すと「息子」に似てきますね。

徳仁たちの明仁天皇に似た部分は、「成人後に整形した」鷲鼻だけ。

明仁親王にも天皇家の誰にも似ているところは塵ほどもないのに、浩宮徳仁親王が他家の男に似ているのは不思議ですね。



入江は美智子(何号かは不明)と男女の関係であった、勤務態度がわるく飲酒していた、香淳皇太后を苛め奉ったとか、悪い評判しか聞こえてきません。

三島由紀夫は宮内庁を「華族子弟のゴミ捨て場」と書いてましたが、浜尾さんのような忠臣がいた半面、何もしないタイプの職員のほかは、奸臣、逆賊工作員がウヨウヨ涌いていたのが、今も昔も変らなさそうです。

しかしながら、酷い花の生け方です。



大陸夫人の富美は、茶道、華道、などの当時の名流の子女の花嫁修業というものを一切、ミッチーズにはさせていないのがわかります。

その代わり、美智子(たち)を15歳の頃から竹山パーティーなるエリート男性のための婚活パーティーに参加させていました。当時は16歳から婚姻が可能だったのですが、女性は若いほうが高く売れる、有利、という富美の水商売的な発想だったのかもしれません。竹山パーティー以外のところで、堤家のために接待させてたのかもしれませんし、GHQ=CIAのために諜報活動をさせていたのかもしれません。

富美は手帳に何やら書きためていたらしく、「これが世間に公表されたら、、、、」

膨大な数の人間がこまることになる、世の中ひっくりかえる、と豪語してましたが、富美がCIA工作員兼、堤家の妓生接待の元締めなら納得がいきます。日本の要人たちの弱みを握っていたのでしょう。



かつて中国皇帝へと送った貢女のように、ゆくゆくは寄生した帝国の支配層の妻に、と考えますが、しかしながら、正田美智子は、三島由紀夫をはじめ、エリートとお見合いしても惨敗。27人目で波多野という男性と婚約するも、皇太子妃になれる見込みが出ると破棄。その後、波多野氏は自殺したといわれていますが、本当でしょうか。

雅子も不倫相手が中東で「流れ弾にあたって」亡くなっています。あの当時の状況だと暗殺以外にありえないそうです。

カルトの奴婢

話しは飛びますが、アメリカにシスコ・ウィーラーさんという方がおられます。

彼女は闇のカルトの世界で非嫡出子として生まれた方で、イル美ちゃんからの脱会者であり、隠れたフランクリン大統領の子孫だそうです。

風貌もフランクリン大統領に似ており、マリリンモンローに似た美女だそうです。

そして、マリリンも実はシスコさんと同じく、カルトの性奴隷だったと証言されてました。シスコさんは、エリートの血統なので、脱会しても脅迫はされましたが殺されることはありませんでした。カルトにも、いろいろと決まりがあるようです。

シスコさんは、エリート男性のための性奴隷として生まれたときから「調教」されてきた女性でした。こうした調教を受けた女性たちを、エリートたちは「子猫ちゃん=キティ」とよんでいたそうです。

シスコさんは、幼少時から幼児性愛者のために奉仕していたため、「本体」は6歳から生理が始まったとかかれてました。シスコさんは「調教」によって多重人格となったため、自分のことを「私たち」と称します。

彼女は、カルトの生贄殺人の儀式にあるカルト儀式に参加したり、トルーマン大統領と会った人格もあり、ケネディ大統領が殺されることを知っている人格もあったそうです。さまざまなアメリカの闇の部分を見てきた人です。

スウェーデンと日本の「テクニック」を教授されるほか、エリートとデートするために、食事の仕方、歩き方、マナーなどのほかに、音楽や芸術や哲学などの教養などさまざまな教育と躾を受けたそうです。

そして、自分が多重人格者であることに気が付くと自殺するようにプログラミングされていたそうです。シスコさんは自殺を図ったことがあります。

そういえば、ハリウットで自殺を遂げた俳優さんもいましたね。ロビン・ウイリアムズさんです。この方は、とある映画の中で「キティ先生」という役を演じていました。

話が長くなりましたが、こうしたカルトの性奴隷の女性たちの、マインドコントロールを担当した医師は、シスコさんによるとナチスドイツで洗脳を専門に人体実験をしていた科学者の生き残りでアメリカに亡命したメンげレ博士の流れを汲むそうです。

奴隷たちは、それぞれ『双子』となる相方のパートナーがおり、二人一組でペアになりお互いを監視したり行動したりするそうです。ナチス時代に人体実験では双子をつかったそうですが、その名残だとか。テレパシーである程度意志疎通ができるようにしているとも書かれました。

アンソニー サマーズの「マリリン モンローの真実」という、マリリンのすぐれた評伝があります。
f:id:e-vis:20170217094100j:plain
作者のサマーズさんは、マリリンとかかわった人たちを綿密に取材をして本を書かれています。その中で、マリリンと、フランク・シナトラやケネディ家、ケネディ家とマフィアとの綿密な関係には触れていますが、イル美ちゃんに関するカルト的な情報や要素は完全に排除しています。マリリンを調べていて触れないはずはないのですが、地雷を避けたのでしょう。

でも、シスコさんの証言や自伝を重ね合わせると違った絵が見えてきます。

『マリリン・モンローの真実』の後半部分に、マリリンと親しい関係だった女性が頻繁に出てきます。マリリンとは互いに依存しあい憎悪しあい、そしてロバート・ケネディを取り合った時期もある仲のようです。

上記のシスコさんの証言に照らし合わせると、彼女はマリリンの『双子』の片割れだったのかもしません。

そして、マリリンの精神科の主治医だった博の娘が、著者のインタビューの中で、マリリンのことを美しくて儚い「蝶」にたとえてたのが印象に残っています。



第二次世界大戦後、ソ連とアメリカがナチスドイツの下にいた優秀なナチスドイツの科学者たちを戦利品として分け合いました。

ソ連もアメリカも、戦後、宇宙開発が一気に進んだのはこのためだそうです。

超大国がわけあった戦利品の人材には、人体実験やマインドコントロールの研究に秀でた恐ろしい科学者もいたようです。

これらの科学者は戦犯になることなく、ナチス狩りに追われることもなく、大国に保護されながらナチスドイツ時代からの研究をつづけ完成させたものもいて、その研究の一つがマインドコントロールだったそうです。

話をシスコさんに戻しますが、シスコさんのようなカルトの性奴隷の女性たちは、カルトの生贄殺人を含んだ儀式の司祭・魔女としての役割のほか、要人の性接待だけではなく、要人の恐喝に使われたりするそうです。



彼女たちは「モナークスレイブ(子孫に記憶を伝えることができる絶滅した蒼い蝶)」と言われてたそうで、コードネームとして、一人一人に宝石の名前がついていたそうです。シスコさんは「カメオ」だったとか。

妓生は奴婢でしたが、シスコさんも自分たち「モナークスレイブ」は奴隷であると明確に証言してます。「モナークスレイブ」は「マインドコントロール」でコントロールされたカルト版の妓生という感じみたいですね。

こうしたカルトの性奴隷を、シスコさんは「CIAの蝶」と呼んでました。

2組で動くミッチーズ

ミッチーズを見ていると、ご成婚前は、

・富士額で顔幅が平たく広い、小鼻の張りがめだつ美智子

・生え際にムラがあり、顔の幅がやや狭く、顔のパーツが中央に寄りぎみで、鼻の幅がやや狭い、目つきの悪い「ヤンキー」美智子

ご成婚後はミッチー4号と5号、など

徳仁さんも、1号(上段)と2号(下段)がいて、、、

ほかにも美智子やナルちゃんはいましたけど、基本的に何組かのペアで動いているのかもしれません。

正田富美は、あきらかに大陸からアメリカの工作員だったと思うのですが、洗脳とかカルトの血統などとは直接関係ないかもしれませんが、片目のダヤンさんの寄稿内容や、富美の言動やミッチーズに共通する水商売臭い趣味や言動をみるに、大陸でキッシンジャーのようなエリート専用に、シスコさんたちのような役割をしていたことは考えられますね。

そしてダヤンさんのご指摘通り、富美は闇のプランナーたちの手法をあきらかにまねている気配があります。

正田美智子の母、美人の正田富美の若いころの写真があるはずですが公開してませんね。

一目で職業がわかってしまうようなもので、とてもとても公表できるものではないのかもしれません。

あるいは、富美の若いころはブロンドだったのかも??

あるいは、満州帝国で活躍していた女優や歌手だったのかも??

wikiなどに記載されている富美のプロフィールはあてにはなりません。副島家に戸籍を売ってくれと言いに行く人でしたし、もともと、戸籍がなかった可能性がある人ですから。

複数の女たちが入れ代わり立ち代わり、正田美智子に化けて公務をこなし、明仁親王に侍り、公式の場で理想的な家族を演じ子供たちを伴って姿を見せる。

※皇室掲示板よりお借りしてます。

身長がちがう美智子。平成<<昭和

※明仁皇太子と人形をだいて撮影に応じる美智子。「礼宮を抱く美智子様」らしい。



日本人の常識の範囲を超えていますが、目的を持った諜報組織の書いた計画にしたがって動くプロの工作員チームであると同時に、皇太子担当の妓生集団ととらえるなら、彼女たちの行動に納得がいきます。ようはプロの朝鮮風の娼妓でありプロの工作員なのでしょう。

「皇太子妃美智子様にタバコに火をつけてもらった」と証言する新聞記者もいましたね。



良家の子女だった女性、ましてや親王妃のすることでしょうか。

「皇太子妃美智子様」たちは、ご成婚前は、大陸時代の正田富美のように大人の男性の接待の経験がある女性だった可能性があります。シスコさんのように諜報活動や接待をしていた可能性があります。もちろん、どの「美智子様」も非処女だったでしょう。

日本では、玄人の女性と、一般の女性とはいちおう線引きが昔からあります。

が、美智子たちを見ていると、女学生をしながら、その傍ら15歳からダンスパーティーや大人の男性の接待?、などをしている匂いがあるというのは、ちょっと日本社会の枠から外れていますねね。監督者の富美の影響かもしれませんが。

鳩山一郎が朝鮮女性に産ませた子供がルーピーで、息子夫婦に育てさせたのは有名な話ですね。

さらには、ルーピーの実父が笹川良一ではないかという疑惑もあり、、あくまで疑惑ですが、、

戦前から、平成の現在まで、おびただしい数の貢女とも妓生ともつかない異国の女性たち、富美や美智子のような女たちが、権力者の枕席に侍り奉仕し、結果、少なくない数の子供ができた可能性があります。

魔境のある群馬

北朝鮮とズブズブの福田家や正田家のルーツのある群馬県。清原元選手が覚せい剤を仕入れに行った群馬県。

平成になってから、何度か美智子は群馬を訪問しています。

実家のルーツがあるところだからというのもあるので思い出深い土地なのでしょうが、群馬の館林にミッチー牧場のような場所があってここで美智子たちが養成されたた可能性はありますね。あるいは、今では引退したミッチーが暮らしているかもしれません。

昔から朝鮮では妓生を育成する養成所があったそうですが、孤児院とも養成所ともつかない養成施設が、もしかしたら、群馬の館林にあったのかもしれませんネ。

明仁皇太子と正田美智子のテニスコートの出会いは、長い年月と多数の人間と巨大な組織による戦争に匹敵する規模のプロジェクトであり、二人の出会いは偶然の出会いでもなければ運命の恋でないことは確かそうです。

そして、GHQ・CIAの工作員チームとしてはじまったチーム「正田美智子」は、平成になって中韓へと軸足をかえましたが、一貫して複数の中国朝鮮族の女どもによって構成された・明仁さん担当妓生の屋号なのではないのでしょうか。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=958
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c22

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
23. 中川隆[-12034] koaQ7Jey 2019年2月20日 15:58:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.01.07
続・美智子様の真実Pミッチーズの今
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=964

ゾルゲ事件をしのぐ陰謀だった「皇太子妃に正田美智子」

富美の死後

平成になってすぐに富美はなくなります。

そして、富美の死後からミッチーズの暴走が露骨になった気がします。

56億の宮殿を必要もないのに建てさせたり、欧州へ用もないのにフルムーン旅行に行きローマ教皇のバカンス先へ押しかけてゆき会ってもらう、天安門事件以降世界中から総スカンされていた中国へ天皇をつれて訪問する、、

最大の暴走が皇太子妃に小和田雅子を入れたことでしょう。ご成婚式には君が代を排除するという異様なご成婚式になりました。

富美が監督していれば、ここまでひどくはなかったような気がします。

小和田雅子が徳仁親王の妻になり、「御優秀な雅子様」の化けの皮もはがれると連鎖して「すばらしい美智子様」の化けの皮がはがれ始めました。



そして、堤家も2代目になってから、ミッチーズも堤家も富美の死後からはアメリカから中国へ軸足をうつしたのかなと思うのですがどうでしょう。

堤家があっけなく没落し、何の暴力装置も動かなかったこと、治外法権にちかい形だった堤家があっさり有罪になったことなどからみて、もう堤家や美智子はアメリカ・CIAなどの強者に見捨てられ見限られた感があります。

気に入らない記事を書く出版社には、街宣右翼を出版社に押しかけさせ、ヤクザを使って実弾を撃ち込ませ、女性ジャーナリストを美智子自ら恫喝し、退職する直前に「急死」した入江をはじめ、数多くの宮内庁職員や関係者、マスコミを粛清してきた美智子の暴力装置は、今はもう機能していないとおもいます。

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美智子は昭和の時代、4種の神器+2アイテムをもっていました。

1皇室の権威

経済大国に君臨する、世界第一位に位置する王家の権威です。

世界でも英国王やローマ教皇と並びたつ権威です。美智子側に無礼があっても、欧州の王家王族すらクレームが出せないほどの威力を持っていました。

2神託としての機能を持つマスコミ

大衆に対して、淫売を聖女に、下賤を貴族に、加害者を被害者に、白を黒と信じ込ませることができていました。

3堤家の金と暴力装置

※左から吉田茂、操夫人、正力松太郎、堤康次郎

初代の堤康次郎の次代から、官とヤクザと癒着し、土地を強奪して成り上がりました。戦後も治外法権下にあったように法を超越してやりたい放題してきた一族です。

4アメリカ、CIA=GHQ

初代の堤康次郎の次代から、官とヤクザと癒着し、土地を強奪して成り上がりました。戦後も治外法権下にあったように法を超越してやりたい放題してきた一族です。

GHQの占領政策の一環として皇太子妃になった美智子。世界の覇権国家が美智子のバックにありました。いつの時代も、占領国で大きな顔し権力を持つのが、占領軍と体のつながりをもつ女性たちです。ミッチーズたちは、その最上位にいました。

しかしミッチーズは、平成になり、正田富美の死後、アメリカ・CIAから中国・人民解放軍へ軸を移したようです。

補完するものとして、

アイテム1、カトリック

アイテム2 広告、教育、政治、マスコミ、芸能界などの世界で主流であった日本の左翼人脈、

ミッチーズの今

初代の堤康次郎の次代から、官とヤクザと癒着し、一般市民や旧華族皇族から土地を強奪して成り上がりました。戦後も治外法権下にあったように法を超越してやりたい放題してきた一族です。

アメリカ、CIA=GHGHQの占領政策の一環として皇太子妃になった美智子。世界の覇権国家が美智子のバックにありました。

いつの時代も、占領国で大きな顔し権力を持つのが、占領軍と体のつながりをもつ女性たちです。ミッチーズたちは、その最上位にいました。

皇太子の妻として明仁皇太子とご成婚した「ピアスをしている」「お多福顔の美智子」は、占領国アメリカの支配層の男性の愛人、オンリーさんだった可能性があると思います。

1皇室の権威

結局、今、機能しているのは、皇室の権威、のみではないでしょうか。

だまされている方が多いですが、ジリジリ拡散し続けています。

2マスコミ

マスコミは凋落しSNSに敗北しました。安倍批判をし安保反対を誘導し、生前退位や愛子様優秀伝説を宣伝しても羊たちは踊りません。アメリカですらヒラリーを大統領にできませんでした。

3堤家

堤家は没落し、暴力装置は機能していません。

陸上自衛隊をアゴで使うほどの権力を持っていましたが、結局はアメリカの使用人にすぎませんでした。

4アメリカ・CIA=GHQ

AIIBは中国を覇権国家にするための装置でした。が、日本は加盟せず、英国が加盟したあと、ウオールストリートの激怒を買い、その後、中国市場が暴落。それはそれは綺麗なナイアガラの滝になりましたね。



近代化以降、中国10億人のマーケットの夢にかられて、中国工作員に乗せられて排日運動をしたり、欧米は莫迦な選択ばかりしてきました。

今もそうですが、欧米人は日本人と朝鮮人と中国人の区別がつかず、中国=日本の10倍のマーケット、日本人が10億人いるみたいな国だから伸びるだろう、朝鮮半島にしても、南北とも貢女をくれるし賄賂をくれるし、いいんじゃね。経済成長も日本でできたんだから中国も半島もできるだろ、と思ってたのではないかなとおもいます。

が、あけてビックリ、だったのではないのでしょうか。



詳しい事情はしりませんが、アメリカのエリートさんは閨閥つくったりして、ずいぶん入れ込んでたみたいですね。アメリカのロック家さんの覇権もおわったのではないのかなと、軽く想像。

夫のビルはロックさんの隠し子。バリバリの親中反日だったヒラリー。



おそくらくは「用意された女性」同士のヒラリー大統領誕生に希望を持ってたのでしょうけど、大統領になったのは、女性天皇どころか女性宮家にも反対の安倍ちゃんと仲良しのトランプさん。

男尊女卑のおっちゃんが、ジェンダーを旗印にして皇室典範の改正をするよう美智子のために愛子のために圧力をかけて動くとはおもわないわ。

5カトリック

浩宮徳仁を捨て、秋篠宮さまをとりましたね。

追記:黒髪の宮様夫妻も偽物だとわかりました。カトリック系、中国人工作員と思われます。→詳細はこちらから



常に勝ち馬に乗り続けて生き残るイタリア半島の実利性、現実性はさすがです。

6左翼系

悠仁さまご誕生、安倍政権復活後、右にむかって巻き返し始めています。

止められませんよ。「日本人のための日本人による日本人国家」というあるべき姿に戻るだけの話ですから。次の選挙で、民主も社民も大敗するでしょ。

巨大な風俗業界の頂点にあるのが芸能界でした。タレントも、テレビが凋落して神託としての力を失ったので、おおくのタレントがもとの風俗業界へと戻っていくでしょう。

※パチンコ営業に励む芸能人さんたち。かつてはゴールデンタイムを飾ったスターなのに、、。



トレンディドラマの主役も、、、

今、ミッチーズにのこっているのは、凋落していくマスコミと皇室の権威だけ。

捏造された美智子様伝説だけ。

なので、再びミッチーブームを作ろうと必死でテレビ番組を作ったり、本を出版子弟ますが、美智子の本はさっぱり売れません。



佳子さまの写真集は売れているので、皇室に関心がないわけではなさそうです。

さらに、災害があってもご鑑賞、生前退位したいといいながらベトナムへ行く、天皇に微熱があるのに御静養に出発する、「皇后」の天皇に対する扱いが酷い、など、天皇夫妻の昨今のおかしさから疑問を持つ人も増えてきました。



ネットでは、美智子や雅子の正体、愛子さんの影武者など、サクサク真実が拡散しつつあります。

尿漏れしていた徳仁1号は余命僅か、あるいはもうなくなっているかもしれませんね。

もう、皇位継承問題は我々国民の見えないところで決着はついている気がします。

2号は生息不明。手相に運命線と頭脳線との交差部分に島がありましたね。精神を病んだのかもしれません。生命線が短かったので、もう生きていないのかも。



自閉症の愛子様を偽物にすりかえ「御優秀な愛子様」を女性天皇にという卦もなくなりました。あまりに似ていないし、かりに御優秀だったところで皇位継承権には関係ない内親王からです。

タレントを売り出す方法でマスコミ総出で「御優秀な愛子様」を演出し「愛子様を天皇に」という世論を捏造しようとしたものの、世論は冷たく、さっぱり結果が出ない。

そもそも、仮に本当に本物の愛子様がスーパーガールだったとしても、関係ないもの。

日本国民と天皇家の2700年にわたる絆と、男系で繋いできた世界最古の王家の権威を引き換えにするような代物じゃないのよ。北朝鮮と同じにはいかないのよ。

外堀も内堀も埋められて、あてにしていた援軍も来ず、菊のカーテンに籠城して決裁をまっているのがミッチーズです。



日本国民が美智子を敬愛していたのは、天皇という無二の存在にとって大切な人であり天皇を支えていると騙されていたからです。美智子そのものに価値があったわけではありません。そこを歴代の美智子は勘違いをしていたように見えます。

騙されていた国民が真実を知った時、手を振る群衆は暴徒に変って美智子に制裁を与えるでしょう。



フランス革命にて国王夫妻が死罪になったのは、王妃が贅沢していたからではなく、フランス国王、王妃であるにもかかわらずフランスと国民を裏切ったからです。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=964
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c23

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
24. 中川隆[-12033] koaQ7Jey 2019年2月20日 16:03:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018.08.17
美智子皇后|正田家再家系調査|新潟水俣病と正田家
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/09/30/2016093020160930182308/

公害企業になることを承知の上で、次女を嫁がせた正田家

カキフライさまから貴重なコメントを頂戴しました。

新潟水俣病と皇后実妹との因果関係

昭和31年5月、

熊本県水俣市で、初の水俣病患者が出る。

昭和38年3月、

美智子さんの妹の正田恵美子さんが、昭和電工の社長・安西正夫氏の長男、孝之氏と結婚。

昭和39年11月、

新潟で原因不明の神経疾患患者が現れる。

昭和40年1月、

昭和電工は突然アセトアルデヒドの生産停止、そしてなんとプラントをも撤去、製造工程図も消去してしまう。

昭和40年後半、 

昭和電工鹿瀬工場からの廃水で、阿賀野川流域でも水俣病が発生していると判明。新潟水俣病が公式に認定される。

こうやって、時系列に並べるとわかりやすいです。

熊本の水俣病は昭和31年に発見され、その後ずっと問題となっていました。

チッソと昭和電工は同じ業種であり、両者は長い交流もありましたから、昭電の安西家は、自社の工場付近でも水俣と同様の公害病が起こることを早い段階で当然予測していたはずです。

だから、昭和39年11月に原因不明の神経疾患患者が出ると、すぐに生産停止し、プラントも工程図等書類も処分し、大掛かりな証拠隠滅を図りました。
患者が出るまで待ってたんですねぇ。
新潟水俣病が正式認定されたのは、証拠隠滅の後でした。

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当時の昭和電工社長の安西正夫氏が、皇太子妃美智子さんの妹・正田恵美子を長男の嫁にしたのは、昭和38年3月。

いずれ自社にも水俣と同じ病気が発生するということは目に見えていました。

チッソと全く同じことをやって全く同じものを作ってるんですから。

美智子さんの妹は、そうしたことを承知の上で廃水を垂れ流している一族に嫁いだということです。

将来、問題が明るみに出て、新潟でも患者が発生した時のために、皇太子妃の妹を嫁にしておくとマスコミは昭電に対して強くは出られまい、ことが大きくならずに済む、チッソの水俣工場のような大騒動にならずに済む、安西氏にそういう考えがなかったとは到底思えません。

事実、マスコミの扱いはチッソに比べれば異常なまでに小さいのが現実です。
そして、極めて悪質な隠蔽工作もあまり報道されず、皇室とのかかわりが非常に都合よくはたらきました。

また、マスコミだけでなく、訴えるべき患者たちにも、皇太子妃の妹が被告企業の一族に嫁いでいるということが、ある種のプレッシャーになった可能性もあります。

恵美子氏の夫の父親であり、当時の昭和電工社長の安西正夫氏は、新潟水俣病発覚後も昭和46年まで社長を続け、その後も何事もなかったかのように一族の人間に引き継ぎました。

ちなみに、熊本で水俣病が発覚したのが昭和31年5月、江頭豊氏が日本興業銀行常務からチッソに出向し社長に就任したのは、水俣病発覚から8年以上たった昭和39年の12月です。

何年も前から工業排水が原因だと知っていながら、患者が発生するまで素知らぬ顔をして有機水銀を垂れ流していたのは、ほかならぬ昭和電工のオーナー一族である安西家の方です。
どうして、だいぶ後になって銀行からやってきた江頭氏ばかりが責められるのか、甚だ疑問で到底承服しかねます。
後の隠ぺい工作と合わせて、昭和電工の悪質さは本当にひどいものです。

美智子さんの最大の実家縁戚がこの安西家なのは有名です。
この安西家から、政界、官界、財界へと閨閥が伸びているからです。
特にこの閨閥に多くの企業があるため、スポンサー料を通じたマスコミへの影響力は絶大と言っていいでしょう。

ちなみに美智子さんの兄・正田巌氏の妻は、浜口雄幸元首相の孫ですが、この方は安西家の親戚でもあります。

こうした美智子さん最大のバックグラウンドが、昭和電工の公害病発覚対策を目的とした縁組からできていったと考えると、おぞましいと思う反面、いかにも美智子さんとそのご家族らしいなとも思えてなりません。

妹さんは、会社不祥事の隠蔽工作の一環としての利用価値が期待されての結婚だったかもしれないって、気が付いてるんですかね?

ちなみに、恵美子さんの夫は日本体育協会会長を務め、今上夫妻の公務である国体の責任者でもありました。呆れてものも言えません。


http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/09/30/2016093020160930182308/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c24

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
8. 中川隆[-12032] koaQ7Jey 2019年2月20日 16:20:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達

アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html

キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造  投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒


旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。


この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。

「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。


元々、ヨーロッパ自体が

「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205

により、選民思想も登場してきているという背景があります。


ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。


以下、

『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

****************************

■アメリカを新しいエルサレムの地にする

イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。

ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。


彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。

ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。


いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。

彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。


ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。

ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。

彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。


そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。

西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。

このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。


■宗教国家のアメリカには「妥協」がない

現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。


彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。


神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。


建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。


ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。


宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。


ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。

アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。


第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。

今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c8

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
25. 中川隆[-12031] koaQ7Jey 2019年2月20日 16:31:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.08.17
美智子皇后|正田家再家系調査@|(前)驚愕、正田富美(皇后実母)は家系図に母の名前無し(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/23/2016102320161023060000/


皆さんお元気ですか?

知ってる方もいるかもしれませんが、皇后様の実母、正田富美(旧姓)副島(そえじま)富美は、家系図で父は、副島綱雄となっていますが、横線だけ引いて妻の欄は空欄で、その横線に、寂しげな縦線が下りて、娘、富美となっています。



この系図の画像は、先日紹介しました「皇室画像全般掲示板」様で見ましたが、さっき見たら、見つけられませんでした。

当該ブログは、「嵐」も多いので、家系図の画像が消されないうちに、お手数ですが、探して、見ておいてください。


私は、仕事柄、家系図も良く見ます。

嘘、捏造の家系図も良く見ますが、この家系図は「嘘」をつきながらも、ある意味【馬鹿正直】で嗤えました。

副島綱雄は、実態は、独身主義者(時代的に有り得ない)か、性的不能者か男色化のいずれかだったと推測します。一番妥当性のあるのは、「無精子症」かな。

これなら、富美が誕生したとされる1909年(明治42年)日韓併合の1年前に、当時、いくら、上海イギリス疎開で、女遊びしても子供は出来なかっただろうと思います。

どうどうと偽造したのならば、妻の欄に、「キヌ」とか「ヤス」とか記入すれば出来上がりです。敢えてしなかった???

★実質は【養女】だったのだと推測します。

私は、綱雄が、上海英国疎開の【孤児院】から、見目麗しい【英中ハーフの幼い孤児】を貰い受けたか?禁断を侵して中国人の女との間に子を作ってしまった不良英国人神父から、直接貰い受けた可能性が高いと思います。

同じような事は、「掲示板」の方々もおっしゃっていました。

2011年に、あのデヴィ夫人が、美智子皇后を差して「あのかたのお母さんはシナ人でしょう」と言う発言をしていました。

何とか、「美智子皇后のサークル」に入ろうとしたら、皇后から、「あの方、メカケでしょ(怒)」と侮辱され、遺恨を持ったそうです。

色々と毀誉褒貶(きよほうへん)の多いデヴィ夫人ですが、「メカケ」は正しくありません。正式には、インドネシア大統領、スカルノの第五夫人ですから。インドネシアはイスラム教なので、一夫多妻は戒律上認められています。

しかも、スカルノ失脚(1965年)後、50年間、パリの社交界で生き残ってきた人です。世界の上流階級の情報網や人脈を持っています。生前の正田富美は中国語ペラペラだったそうです。

「メカケ」と侮辱された、恨みが、後の彼女が率先して始めた「廃太子廃妃署名活動」の一因ともなっています。

さて、この正田富美と言う女、多くの写真を注視すると、色白で長身の美人、白人の血が入っていますね。

もし、10代後半の頃、現代の平成日本にタイムトリップしたら、美人ハーフモデルのトリンドル玲奈級でしょうね。傲慢さもピッタリです。

この人が生まれた翌年、1910年、日韓併合が有りましたが、その当時の、日本男児の平均身長が147cmでした。

富美の正式身長はわかりませんが、写真で見る限り、若い頃の皇后より高そうです。

皇后が入内時に両親と3人で、立っている写真を見ると、皇后よりかは高い。

私には、少なくとも、頭半分は高く見えます。皇后の伸長が何cmかは知りませんが、今上様よりかは高そうです。私の推測するところ、163cmあたりだと見ますが、皆さんは、どれくらいだと見ますか?

仮に、私の見立ての163cmを基礎に推測すると、頭半分として、168cm〜170cmぐらいでしょうか?

明治生まれの日本女性としては、異常な高身長です。

そして、この人の産んだ子は、皇后を除けば、皆、足が長く高身長で、スタイルが良いです。皇后だけ、足が太く短いです(笑)

妹の恵美子さんも背が高いし

、私が、注目しているのは、皇后の弟で、日清製粉名誉会長の、正田修氏です。

中学の頃のカラー写真は、【色白のイギリス少年】で、クラレの大原総一郎の娘、泰子と結婚したときの顔は、明らかに【イギリスの血の入ったモデル】です。

今のモデルタレントのJOY(日英フーフ)を更にアジアっぽくした感じです。それに異常な高身長、財界の会合で飲んでいる時の写真を見ると、190Cm以上ありそうです。

巨人病とも考えられますが、皇后の兄の巌も相当な高身長です。

但し、顔は、父親似のアジアンですが・・・恐らく女帝が、一番背が低く、足が短く太いでしょう(笑)

この富美と言う女、資産家や上流階級の家庭なら、適齢期になった娘に必ずやらせる【花嫁修業】を一切やらせていません。お茶、お花、お料理等々・・・代わりにやらせたのが、15歳からの【婚活ダンスパーティー】、腹筋が崩壊しそうです。

正田美智子が入内した後の、さる、週刊誌の、生け花をする画像、見る人が見たら大笑いして、顰蹙ものです。

茎や葉を、ばさばさ切って、ぶすぶす突き刺す(笑)小学生の体験学習じゃないんだから。見栄張ってやるなって(笑)

週刊誌記者の手前上「私、生け花、知らないんです」とは言えなかったんでしょうね。そんなこと言ったら、記者は「正田家って資産家じゃなかったんですか?」と驚愕するところだったでしょう。

★正田富美と言う女は【日本人の血が一滴も入ってない英中ハーフ】であることは、確実だと思います。

だからこそ、あれだけ、昭和天皇と香淳皇后に対して、【非国民まがい】の言動が取れたのでしょう。天皇家のことを【あちら呼ばわり】

★韓国人達が、天皇陛下のことを【日王】と蔑んでいうのと同じです。

ちなみに、日本国の、世界での正式な呼び名は、未だに【ジャパン エンパイア】です。理由は天皇がいるからです。日米開戦の時にルーズベルト大統領の対日開戦宣言の議会演説の「ジャパン エンパイア」と同じです。

掲載した、旧正田邸の応接間の写真にきずいたでしょうか?

★土足なんです。何で日本人の家なのに、土足なの?これは、妻、富美の強い要望なんでしょう。イギリス上海租界式です。

今上夫婦と同様、正田家も夫、英三郎は富美に逆らえなかったらしいですから(笑)


http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/23/2016102320161023060000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c25

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
26. 中川隆[-12030] koaQ7Jey 2019年2月20日 16:34:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.08.17
美智子皇后|正田家再家系調査A|(後)驚愕、正田富美(皇后実母)は家系図に母の名前無し(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/23/2016102320161023120000/


続きです

正田美智子入内の時に小泉信三(GHQの手先、クリスチャン、慶應塾長)は、「正田家の家系調査は300年前までやった」と豪語しましたが、それは、そうでしょう「部落民」だと分かっても、クリスチャンは気にしませんから。

むしろ、【天皇家に恨みを抱く人種】としては、これ以上の出自は無いはずです。しかし、小泉は、美智子の母方の佐賀の副島は、調査完璧だとは言わなかった。

★副島の家系調査をやったら、実母の富美の存在が問題となり、宮内庁は「見なかったことにしよう」と言って閉じてしまったそうです。

★要は、【最初から入内ありき】の、やばい個所はスルーする、封印する、【エアー家計調査】にすぎませんでした(笑)

副島の分の家系調査は、真実を国民に公開してもらいたいですね。
【偽善】と【虚栄】と【継子、秋篠宮と黒田清子さまに対する冷酷な仕打ち】をする、女帝のそれこそ【真実】を知りたいです。国民は知る権利が有ります。

★富美と言う婆さんは、死ぬまで、「私の日記を見たら150人が卒倒する」と豪語していましたが、それこそ、【女帝の男性経験の人数と相手の名簿】なんでしょう。

貴重な歴史的資料だから、是非、正田家の人は、探して公開してもらいたいです。



余談ですが、37歳まで、結婚させてもらえず、公務に励み続けた黒田清子様の退職金が、たったの8千万で、高円宮家の大した公務もせず、もう、出雲から東京に帰ってきて別居中の、高円宮典子の退職金がなんで1億2千万なの?

これも、女帝が決めた金額でしょう。

【継子苛め】と【忠実な子分、高円宮久子の次女に対する贔屓】です。

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それでは、「大陸夫人」と言われた、富美の命式を見てみましょう。

正田(旧姓副島)富美

1909年9月29日生まれ〜1988年5月28歳没(79歳)

・・・・上  中  下   宿命星   十二運   吉凶星

年柱  己  酉  辛  正官 印綬  沐浴  咸池

月柱  癸  酉  辛  劫財 印綬  沐浴  咸池

日柱  壬  辰  戊     偏官  墓  魁罡(かいごう)

時柱  庚  戌  戊  偏印 偏官  冠帯 月徳貴人

【午未空亡】

【総合所見】

@ 強力なパワーを持つ命式、娘を入内させることによって、【皇室ブランドの利権化】を成功させた。あまりにやりすぎたために、短命となった。

@ については

・魁罡(かいごう)が2個もあります。時代を切り開いていく力が有りました。しかし、それは、【皇室を食い物】にし、【皇室利権】と言うものを日本史上初めて、開発した【女大悪党】です。

・日柱の魁罡(かいごう)を持つ女性は、美人ですが非常にきつい性格です。「ストラグル、ストラグル(闘争)」とうるさかったはずです。月徳貴人が有ります。偏官と劫財が干合します。両凶星の意味が薄まり、思いがけぬ大発展をします。

・2個の偏官と2個の印綬が4重にパワーラインを形成します。豪放さを持ちながら大発展する暗示でした。1個の正官と2個の印綬の組み合わせで、「大いに栄達する」とあります。皇太子妃の母となりましたが、平成を迎える一年前に死没しました。

従って「国母」の母にはなれませんでした。私は当時、膵臓がんで闘病中の昭和大帝が粛清したと思っています。平成になり、皇室では、【美智子の恐怖政治】が始まりました。その時に、この婆が生きていたら、三笠宮の長老並みの長寿になっていたら、この婆さんの【皇室干渉】は、度を超えていたでしょう。

・辰と戌の冲「ちゅう」が有ります。感情に左右されやすい性格です。この冲「ちゅう」が有るので、【偏印の印綬化】ができます。

・2個の酉と1個の辰が二重に支合を形成します。大吉が2個です。凄まじいパワーを持った婆さんです。似たような命式は、拙ブログの過去記事で2009年に、スーパーモデルを斬っていた時に、ブラジルのジゼルブンチェンがよく似た発電所のような命式でした。

しかし、最後に残した大きな問題が有ります。

・好色多淫の星の咸池が2個もあります。女性がこの咸池を1個持つだけで、【凄い男狂い】になります。それが、2個もあるとは病的な多情多淫です。

娘の女帝の多淫体質は母親譲りです。実は母親富美にも【カッコー】=【托卵疑惑】が、昔から根強くあります。

★何と、正田美智子は、富美と西武グループの総帥で、政商だった、堤康次郎(後の衆議院議長)との間の子だという疑惑です。母親が【托卵のプロ】ですから、娘に【托卵のノウハウ】を教えるのは簡単です。



内廷皇族は【カッコーだらけ】になりますね(笑)

女帝とまだ生きている、元西武グループの堤義明のDNAを鑑定したら、父親が同じだという結果が出るかもしれません(笑)死んだセゾングループの堤清二なんて、目が東宮そっくりですよ(笑)

この婆さんの二十八宿は婁宿(ろうしゅく)です。

すっぴんは地味ですが、化粧をすると美人になります。

性格は冷酷でドイです。ヒラリー・クリントンがこの星です。

【母娘見事な連携演技】

@ 娘は、「姑や旧華族に苛められるヒロイン」を昨年までは、演じきった。

A 母は「娘を皇室に嫁がせて、憂いの多い母」を演じ切りました。この婆さんほどTVに積極的に出演し続けた皇室関係者は居ませんでした。そして、隠し続けて30年「臨終洗礼」を受けました。

★あくまでも、私見ですが、東宮のDNA鑑定は、佐伯晋より先に、今上陛下とやるべきだと思います。そこで、【親子関係0%】だったらいいんですよ。皇位継承権を失いますから。

最終的には【喜多嶋舞状態】になると思います。本当の父親候補が何人も出てきてしまう状態になると思います。

「でれでれ草」様の記事にもありましたが、正田美智子内廷の時に、国会で議員が質問していました。「正田美智子嬢は、既に波多野某と婚約中であったとなっているが大丈夫なのか?」と・・・

大丈夫じゃないでしょう(笑)

あの好色多淫の女帝ならば、婚約までしていたら、堂々とやっていたと思います。

★官邸へメールをして、「今上両陛下の火葬」を阻止してもらいましょう。国民の負担軽減は嘘です。【皇室専用の火葬場】を作ればもっと税金がかかります。いい迷惑です。陛下も女帝も、何かを隠蔽しようとしています。

以上


http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/23/2016102320161023120000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c26

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
27. 中川隆[-12029] koaQ7Jey 2019年2月20日 16:35:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018.08.17
美智子皇后|正田家再家系調査B|傍証・中国版、Wikipeiaが語る、正田富美は、母無し子
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/24/2016102420161024071336/

昨晩の記事のバックアップデータとして、皇后の母、正田富美の中国版Wikiを下記にコピペしました。中国語の得意な方は、是非読んで翻訳して頂けると有り難いです。

中国語は高校の時に習った「漢文」と構造は同じですから、私でも確認できる箇所があります。

@最も重要だと思われるのは、本人のWikiにもかかわらず、父親の、副島綱雄の記載しかないことです。中国人も調査した結果、母親の情報が取得できなかったのだと思います。

A兄弟の記載もありません。不自然だと思いますが、やはり、兄弟の情報が得られなかったのだと推測します。

B佐賀名門は、佐賀下級武士の間違いです。多久藩という2万石の小藩で、しかも家老でも何でもない家が、名門というのは笑止です。中国人が調査しに来た時に、富美本人が大ぼら吹いて名門ということにしたのでしょう。

C>出生於中國上海,在滬生活十六年・・・は上海で生まれて、16歳まで中国にいたということだと思います。

D>通中文・・・は中国語ペラペラと言うことでしょう。

E>在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。・・・は、双葉高等女学校の「礼拝」で正田英三郎の母と知り合い、19歳で結婚したと言うことでしょう。帰国後3年でよく卒業できたなと思います。卒業したとは、書いてありませんが。

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正田富美子[编辑]

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副島富美子

副島

富美子

出生

明治四十二年 1909年

逝世

昭和六十三年 1988年(78–79歲)

親屬

夫 正田英三郎

子 正田巌

正田修

女 皇后美智子

安西恵美子

其他親屬 女婿:明仁

外孫子:梵m親王、秋篠宮文仁親王

外孫女:田清子

外曾孫子:悠仁親王

外曾孫女:愛子內親王、真子內親王、佳子內親王

正田富美子(舊名副島富美子,1909年〜1988年),日本今上天皇明仁的皇后美智子的母親,出身佐賀名門副島氏。丈夫是前日清製粉集團的名譽會長正田英三郎。

早年生活[编辑]

出生於中國上海,在滬生活十六年,通中文。父親副島纲雄是日本「國策會社」理事,也是「江商」上海支店店長。1923年9月歸國,居東京,就讀麴町雙葉女子高等學校。在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。

婚姻生活[编辑]

富美子與英三郎婚後曾旅居椢兩年,在柏林生下長子,返日後又陸續添了一男兩女。美智子皇后是她的長女。她曾被社交圈譽為「有明治時代古雅端莊氣質的貴夫人」,但卻因為女兒美智子入宮而飽受精神折磨。在美智子婚事發佈後,就有旁系皇族與舊

華族群起攻擊她在上海生活的經歷,又不斷有消息傳來美智子在宮中受到欺壓,身心重創。為了杜絕莫須有的抹,富美子幾乎未再涉足社交圈。

參考資料[编辑]

• 齊濤。《美智子與雅子》。台北:台灣商務印書館,2006年。

取自“https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=正田富美子&oldid=33452404”
分类:
• 佐賀縣出身人物

以上

http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/24/2016102420161024071336/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c27

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