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[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
9. 中川隆[-10920] koaQ7Jey 2019年4月05日 15:16:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1108]
 
まともな人間は芸術家にはなれない _ 5

E・H・カー著「ドストエフスキー」筑摩書房 筑摩叢書106

ドストエフスキー伝記作家ストラーホフがトルストイに送った手紙の中の一文

「彼はけがらわしさに対する愛好癖があって、それを誇りにしていたのです。

ヴィスコヴァトフがこんな事を語りだした事があるのですが、ドストエフスキーはその家庭教師につれられて自分のもとへやってきた少女と浴場で姦淫したと自慢していたそうです。  

 ( 中略 ) 

    
彼に最もよく似通っているのは「地下生活者の手記」の主人公、「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、そして「悪霊」のスタヴローギンです。


ソフィヤ・コワレフスカ(ドスト氏が求婚して拒絶されたアンナ・コルビン・クルコフスカヤという女性、の妹)の回想記 〔 ドリーニン編『ドストエフスキー同時代人の回想』(水野忠夫訳。河出書房1966年刊。)に所収。p214。〕 には、ドスト氏自らが、彼ら姉妹の家(その時はその姉妹の母親も同席)で、彼らの前で、思い出して大胆にも告白した言葉  


「かつて、夜遅くまでさんざん飲み歩いたあと、酔った仲間たちにそそのかされて、十歳になる○○を○○した」という告白が記されていますが、

 ( 注:自分の過去の体験のことを告白したのではなく、ドスト氏が構想していた小説の中の一部として、彼女らに紹介した話のようです。) この記述は、かなり信憑性が高いように思います。


アンドレ‐ジイド著『ドストエフスキー』を初め、他の書でも、ドスト氏は、自分が少女を○○したことを、友人や知人の何人かに(なんと、ツルゲーネフにも。) 告白した事実が、ドスト氏の知人が証言したものとして、紹介されている。
http://www.coara.or.jp/~dost/30-5-o.htm

▲△▽▼


ドストエフスキー『悪霊』


彼女の心中には、彼に対する不断の憎悪、嫉妬、軽蔑の気持にまじって、やむにやまれない愛情が秘められていた。夫人は二十二年このかた、塵っぱひとつ彼の身にかからぬようにと、それこそ乳母のように彼の世話をやいてきた。もし問題が、詩人としての、学者としての、市民的活動家としての彼の名声にかかわることででもあれば、夫人は心労のあまり、夜もおちおち眠れないほどであった。彼女は、自分の頭の中で彼を創り出し、その想像の所産をまず自身が真っ先に信じたのである。彼は夫人にとって、いわば夢にもひとしい存在であった……ただしその代償として、夫人は実に多くののことを、時には奴隷的服従をまで彼に要求した。彼女が想像を絶するほど執念深い性格だったこともある。


いかにもシニカルな考えにはちがいない。けれど人間、あまりに高尚になりすぎると、その教養が多面的になるという理由ひとつだけからしても、えてしてシニカルな考え方に陥りがちなものである。


「出発のときのぼくらは腑抜けも同然でしたよ」とステパン氏はよく話してくれた。


彼は、ある力強い思想に打たれると、たちまちその思想に圧倒されて、ある場合には永遠にその影響を抜け出せなくなる、そういった類いの純粋なロシア人の一人であった。こういう連中は、思想を自分なりに消化するということがけっしてできず、ただやみくもにそれを信じこんでしまうので、その後の全人生は、彼らの上にのしかかって、もう半分は彼らを押しひしいでしまった大石の下で、気息奄々と最後のあがきをつづけるといった態のものになるのである。


「ぼくはこの明るい希望に背を向けるようなことは、けっして、けっしてしませんよ」――彼はよく目を輝かして私に言ったものだった。この《明るい希望》の話になると、彼はいつも秘密を明かすようなひそひそ声になり、静かな、陶然とした物言いになった。


「要するに、すべては無為怠惰の産物なんだな。わが国では、どんな立派なよいことも、無為怠惰から生ずる。わが旦那方の、愛すべき、教養ある、気まぐれな無為怠惰からね!ぼくは三万年でもこのことをくり返すな。ぼくらは自分の労働で生活することができないんですよ。それを、連中はなんでまた、わが国に世論が《生れた》なんぞとふれまわるんだろう、――それこそ藪から棒に、天から降ってでも来たんですかね?自分の意見をもちうるためには、何よりもまず労働が、自分自身の労働が、自分自身の手による開拓と実践が必要であることぐらい、連中にもわかりそうなものだが!坐していては何も手にはいりませんよ。労働することによって、はじめて自分の意見がもてる。ところがわれわれはけっして労働しようとしないから、そこで意見のほうも、これまでわれわれに代って働いてくれた連中、つまり、二百年来われわれの教師であった、あいかわらずのヨーロッパ、あいかわらずのドイツ人が、われわれに代ってもってくれるわけです。そこへもってきて、ロシアというやつは、ドイツ人の助けなしで、労働せずして、われわれだけで解きあかすには、あまりにも大きな謎ですからね。だからこそぼくも二十年来、警鐘を鳴らしつづけ、労働を呼びかけているわけです!ぼくはこの呼びかけに生涯をかけて、愚かにも、その効果を信じてきた!いまはもう信じちゃいないが、それでも警鐘は鳴らしつづける、いや、最後まで、死ぬときまで鳴らしつづけまうよ。ぼくの追善供養の鐘が鳴りだすときまでは、綱を引きつづけますよ!」


「ずばり図星ですね。賢い人がいるということは、つまり、ぼくらより正しい人がいるということだから、してみると、ぼくらも誤りを犯すことがありうると、こうなりますね?デモ・トモヨ、かりにぼくが誤っているとしてもですよ、ぼくにはそれでも、自由な良心という全人類的な、永遠の、最高の権利がありますからね。ぼくには、自分の欲するところにしたがって、偽善者や狂信者にならないでいる権利がある、当然、そのためにこの世の終りまで、さまざまな人から憎まれつづけることにはなるでしょうけれどね。ソレニ・コノヨニハ・ドウリヨリ・ボウズガオオイのたとえで、ぼくもこれにはまったく同感ですからね……」


「首を吊りたいなんぞと言っておどかすだろうけれど、本気にするんじゃないよ、みんなたわごとなんだから!本気にしないでもいいけど、やっぱり油断をしてはだめよ、ひょっとして首を吊ってしまわないでもないからね。ああいう人にはよくあることなんだから。力があまって首を吊るのじゃなくて、力が足りなくてそうすることが。だから、いつも最後のぎりぎりのところまでは持っていかないようにしなくちゃ、それが夫婦生活の第一の要諦なんですよ。それから、あの人が詩人だということも忘れるんじゃないよ。いいかい、ダーシャ、自分を犠牲にする以上のしあわせはないんですよ。おまけにおまえはたいへんわたしを喜ばせてくれることになる、そこが大事なところでね。いまわたしの言ったことを口からでまかせだなんて思うんじゃないよ。わたしはちゃんと心得て話しているんだから。わたしはエゴイストだけど、おまえもエゴイストになることさ」


いま、こうして過去を回想する段になると、私としては、彼女が当時の私にそう思えたほどの美人であるとは断言しかねる。もしかすると、彼女は全然美人ではなかったのかもしれない。背が高く、ほっそりとしているくせに、しなやかで強靭な体つきをしていたけれど、彼女の顔立ちは見る人に奇異の感をいだかせるほど均整を欠いていた。目はどこかカルムイク人風に、斜めに吊りあがっていたし、顔は血の気がなく、頬骨が突き出て、浅黒く、痩せていた。だが、それでいてこの顔には、人を征服し、魅了せずにおかない何かがあった!何か力づよいあるものが、彼女の黒ずんだ目の燃えるような輝きのなかにあって、彼女はまさしく《征服者として、また征服せんがために》この世に現われてきたかのようだった。彼女は傲慢に、ときには不遜にさえ見えた。彼女がやさしい女性になりえたときがあったかどうかは知らないが、しかし彼女が無理にも自分を多少ともやさしい女性にしようと熱望し、そのことで苦しんでいたのはたしかである。もちろん、この女性の本性には、多くの美しい願望や正しい意図が秘められているが、しかし彼女の内部のいっさいは、たえず自身の均衡を求めながら、永遠にそれを見いだせないでいる趣があって、いっさいが混沌と、動揺と、不安のただなかに置かれてでもいるようだった。ことによると、彼女は自分に対してあまりに厳格な要求をもちすぎ、その要求を充たすだけの力を自身のうちに見いだしかねていたのかもしれない。


「リプーチンは弱虫か、せっかちか、腹黒いか、でなければ……うらやんでいるんですよ」

最後の言葉は私をぎくりとさせた。

「もっとも、それだけいろいろな定義を並べられたら、どれかに当てはまる道理でしょう」

「あるいはその全部に」

「いや、それもそうかもしれない。リプーチン――あれは混沌ですからね!」


「ぼくのほうは、なぜ人間があえて自殺しようとしないのか、その原因を探求しているんで、それだけのことなんです。でも、こんなことはどうでもいい」

「あえてしないというのは?自殺が少ないというわけでも?」

「非常に少ないですね」

「ほんとうにそうお考えですか?」

彼はすぐには答えず、立ちあがって、何か考えこみながら部屋の中を行ったり来たりしはじめた。

「あなたの考えだと、人間に自殺を思いとどまらせているのは何なのです?」私はたずねた。

私たちが何を話していたのかを思い出そうとでもするように、彼はぼんやりとこちらを見た。

「ぼくは……ぼくはまだよくわかりません……二つの偏見が思いとどまらせていますね、二つのこと。二つきりです。一つはたいへん小さなことで、もう一つはたいへん大きなことです。でも、その小さなことも、やはり大きなことにはちがいない」

「小さなことというと?」

「痛いことです」

「痛いこと?そんなことが重要ですかね……この場合に?」

「いちばんの問題ですよ。二種類の人があって、非常な悲しみや憎しみから自殺する人たち、でなければ気がちがうとか、いや、なんでも同じだけれど……要するに、突然自殺する人たちがいます。この人たちは苦痛のことはあまり考えないで、突然です。ところが思慮をもってやる人たち――この人たちはたくさん考えますね」

「思慮をもってやる人なんかがいるものですかね?」

「非常に多いですね。もし偏見がなければもっと多いでしょう。非常に多い。みんなです」

「まさかみんなとはね」

彼は口をつぐんでいた。

「でも、苦痛なしに死ぬ方法はないものですかね?」

「ひとつ想像しててみてください」彼は私の前に立ちどまった。「大きなアパートの建物ほどもある石を想像してみてください。それが宙に吊るしてあって、あなたはその下にいる。もしそれがあなたの頭の上に落ちてきたら、痛いですかね?」

「建物ほどの石?もちろん、こわいでしょうね」

「ぼくはこわいかどうかを言ってるんじゃない、痛いでしょうかね?」

「山ほどの石、何十億キロのでしょう?痛いも何もあるものですか」

「ところが実際にそこに立ってごらんなさい。石がぶらさがっている間、あなたはさぞ痛いだろうと思って、ひどくこわがりますよ。どんな第一流の学者だって、第一流の医者だって、みんなこわがるにちがいない。だれもが、痛くはないと承知しながら、だれもが、さぞ痛いだろうとこわがる」

「なるほど、では第二の原因は、大きいほうは?」

「あの世です」

「というと、神罰ですか?」

「そんなことはどうでもいい。あの世、あの世だけです」

「でも、あの世なぞまるで信じていない無神論者だっているでしょうに?」

彼はふたたび押し黙った。

「あなたは、たぶん、自分に照らして判断されているんじゃありませんか?」

「だれだって自分に照らしてしか判断できませんよ」彼は赤くなって言った。「自由というのは、生きていても生きていなくても同じになるとき、はじめてえられるのです。これがすべての目的です」

「目的?でも、そうなったら、だれひとり生きることを望まなくなりはしませんか?」

「ええ、だれひとり」彼はきっぱりと言いきった。

「人間が死を恐れるのは、生を愛するからだ、ぼくはそう理解しているし」と私が口をはさんだ。「それが自然の命ずるところでもあるわけですよ」

「しれが卑劣なんです、そこにいっさいの欺瞞のもとがあるんだ!」彼の目がぎらぎらと輝きだした。「生は苦痛です、生は恐怖です、だから人間は不幸なんです。いまは苦痛と恐怖ばかりですよ。いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。そういうふうに作られてもいる。いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている、ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。いまの人間はまだ人間じゃない。幸福で、誇り高い新しい人間が出てきますよ。生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なんです。苦痛と恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。そして、あの神はいなくなる」

「してみると、いまは神がいるわけですね、あなたの考えだと?」

「神はいないが、神はいるんです。石に痛みはないが、石からの恐怖には痛みがある。神は死の恐怖の痛みですよ。痛みと恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。そのとき新しい生が、新しい人間が、新しいいっさいが生まれる……そのとき歴史が二つの部分に分けられる――ゴリラから神の領域までと、神の領域から……」

「ゴリラまでですか?」

「地球と、人間の肉体的な変化までです。人間は神になって、肉体的に変化する。世界も変るし、事物も、思想も、感情のずべても変る。どうです、そのときは人間も肉体的に変化するでしょう?」

「生きていても、生きていなくても同じだということになったら、みんな自殺してしまうだろうし、それが変化ということになりますかね」

「それはどうでもいい。欺瞞が殺されるんです。最高の自由を望む者は、だれも自分を殺す勇気をもたなくちゃならない。そして自分を殺す勇気のある者は、欺瞞の秘密を見破った者です。その先には自由がない。ここにいっさいがあって、その先には何もないんです。あえて自分を殺せる者が神でう。いまや、神をなくし、何もなくなるようにすることはだれにもできるはずです。ところが、だれもまだ一度としてそれをしたものがない」


「いや、きみ、きみはまた一つ別の傷口にさわってくれましたね、きみの友情にあふれた指で。この友情にあふれた指というのはえてして残忍なものでね、時には理不尽でもある、いや、失礼、でも、信じてはもらえないだろうけれど、ぼくはあのこと、あの汚らわしい話のことはほとんど忘れていたんですよ、つまりね、けっして忘れていたわけじゃないが、リーズのところにいた間じゅう、ぼくは幸福になろうとつとめえちた、おれは幸福なんだと自分に言いきかせていたんですよ。しかし、いまは……ああ、いまぼくの頭にあるのは、あの心の大きな、人道的な、ぼくの醜い欠点をじっと忍んでくれる夫人のことなんですね、いや、じっと忍んでくれるばかりでもないけれど、だいたいぼく自身がこんな男だもの、空疎な、醜い性格の持主だもの!そう、ぼくはわがままな子供ですよ、子供のエゴイズムはそっくりもちあわせているくせに、無邪気なところだけはない子供なんだな。あの人は二十年間、乳母のようにぼくの面倒を見てきてくれた、リーズの上品な呼び方を借りれば、あのおかわいそうな伯母さまはね……ところが二十年たったら、突然この子供が結婚したいと言いだした、結婚させてよ、結婚させてよ、とつぎからつぎへと手紙を書く、あの人のほうは頭を酢で冷やす騒ぎだ……で、とうとうその願いがかなって、今度の日曜には妻帯者の誕生ということになる、冗談じゃないですよ……」


「かわいそうに、きみは女性を知らないんですよ、ところがぼくはひたすら女性の研究をしてきたんですからね。『全世界を征服せんと欲すれば、まずおのれ自身に勝利せよ』――これは、きみの同類のロマンチストであるシャートフ君、ぼくの義兄が吐いた唯一の名言ですよ。この言葉をぼくは喜んで彼から借用したいですね。そこでぼくもいよいよ自分に勝利する決心がついて、結婚するわけだが、全世界はさておき、ぼくが征服できるのは何ですかね?ねえ、きみ、結婚というのは、誇りをもった人、独立心に燃える人にとっては、つねに精神的な意味での死ですよ。結婚生活はぼくを堕落させて、事業に奉仕するための精力も勇気も吸いとってしまうでしょうよ。それで、子供でもできれば……いや、もしかしたら、自分のではなくて、なに、知れたこと、ぼくの子供じゃない。賢い人は事実を直視することを恐れないからね……リプーチンはさっきバリケードを築いてニコラスを寄せつけるなと勧めていたが、あれはばかですよ、リプーチンは。女というものは、千里眼のような眼光の持主でもあざむきおおせるからね。ゼンリョウナル・カミハ、女を創られるにあたって、もちろん、どんな結果になるかご存知だったろうけれど、ぼくの信じているところでは、そのとききっと女のほうが邪魔を入れて、あんなふうに……つまり、ああいう属性をもったものに創らせたのだと思いますね。でなくて、だれがあんな七面倒くさい仕事をただで引受けたりするものですか?ナスターシャはきっと、こんな自由思想を聞いたら腹を立てるだろうが……要するに、スベテ・オワレリですよ」


私はこれまで人間の顔にこれほどまでの暗さ、陰気さ、鬱陶しさを見たことがない。彼の顔つきは、まるで世界の崩壊を待ってでもいるふうだった。それも不確かな、かならずしも実現するとはかぎらない予言を信じて待っているのではなく、あくまでも正確に、たとえば、明後日の午前十時二十五分きっかりにそうなるといった待ち方なのである。


「ロシアの無神論は駄洒落の域を出たことがないんです」消えかかった蝋燭を新しいのに代えながら、シャートフがつぶやいた。

「いや、彼は駄洒落なんて柄じゃないと思いますね。洒落どころか、満足に話もできない感じですよ」

「紙でできた人間なんです。何もかも思想の下男根性のせいですよ」隅のほうの椅子に腰をおろし、両手を膝についた格好で、シャートフは冷静に言った。

「憎悪もあるんだな」しばらく黙っていてから、彼はまた口を切った。「もしロシアが何かこうふいに改革されて、まあ、あの連中の方式でもいいけれど、何かこうふいに途方もなく豊かで幸福な国になったとしたら、真っ先におそろしく不幸になるのはあの連中でしょうね。そうなったら、あの連中、憎悪の対象も、唾を吐きかける相手も、嘲弄する相手もなくなるんだから!あの連中にあるのは、ロシアに対する動物的な、際限のない憎悪、体質にまでなってしまった憎悪ですよ……目に見える笑いのかげにひそむ、世人には見えない涙なんてものはありやしない!あの目に見えぬ涙うんぬんくらいそらぞらしい言葉は、かつてロシアで言われたためしがないな!」彼は狂暴とも思える声で絶叫した。


「人間は自分の心の高潔さだけから死ぬことができるものでしょうか?」

「存じませんね、わたし、そんな質問を自分にしてみたことがありませんから」

「ご存じない!こういう質問をご自分になさったことがない!!」大尉は皮肉たっぷりに叫んだ。「もしそういうことなら、そういうことなら――

望みなき心よ、黙すがよい!

ですな!」こう言うと彼は自分の胸を荒々しく叩いた。

彼はすでにふたたび部屋の中を歩きまわりはじめていた。自分の欲望をどうにもこらえられないのが、こういう連中の特徴である。それどころか、この連中は、いったん何かの欲望が生じると、それがどんなに醜悪なものであっても、ただいにそれをぶちまけてしまいたい衝動を抑えられない。よそゆきの席に出ると、この手合いはたいてい最初はおずおずとしているが、ほんのわずかでもこちらが下手に出ようものなら、たちまちがらりと態度を変えて、厚顔不遜そのものになる。


「ですから、もしいつもニコラスの身近に(ワルワーラ夫人はもう半ば歌うような調子になっていた)、もの静かな、謙虚さこのうえもないホレーショのような友がついていたら――ステパンさん、これもあなたの使われたすばらしい言葉ですわ、――おそらくあの子は、生涯あの子をさいなみつづけた憂鬱な、そして『発作的な皮肉の悪魔』からもうとっくに救われていたにちがいありません(この皮肉の悪魔というのも、ステパンさん、あなたの発明ですのよ)。でもニコラスには、ホレーショもオフェリアもいたためしがありませんでした。あの子についていたのは母親ひとりでしたけれど、母親ひとりで、しかもあんなことになってしまったら、いったい何ができたでしょう?ねえ、ピョートルさん、わたしはニコラスのような人間が、あなたの話してくだすったような不潔な貧民窟に出入りするようになったわけが何か、わかりすぎるくらいわかってきましたの。わたしの目には、その《冷笑的》な生活というのが、(ほんとにぴったりした言い方ですわ!)飽くことを知らない反対極(コントラスト)への渇望が、ピョートルさん、またあなたの言い方を借用させていただくと、あの子がダイヤモンドのように見えるというその陰鬱な背景が、まざまざとうかんでくるようですの。そして、ほかでもないそういう場所で、あの子はみなから辱められているかたわの狂女、けれど、崇高そのもののような心をもった女性にめぐり合ったのです!」


「というと、悪ければ悪いほどいいという意味なんですね、わかりますよ、奥さん、ぼくにもわかりますよ。つまりそれは宗教なんかで言うのと同じことでしょう。人間の生活が苦しければ苦しいほど、また一国の民衆が虐げられ、貧しくあればあるほど、天国での酬いを夢見る気持ちはますます強くなってくる、しかもそこへもってきて、十万人もの坊主どもが、懸命になってその夢を焚きつけ、それをたねにひと儲けをたくらもうとするんですからね……ぼくにはあなたのおっしゃることがよくわかりますよ、ワルワーラさん、安心してください」

「いえ、どうもすこしちがうようですけど、でも、聞かせていただけません、どうしてニコラスはあの不幸なオルガニズム(ワルワーラ夫人がなぜここで《オルガニズム》という言葉を使ったのか、わたしにはわからなかった)がいだいた空想の火を消すために、どうして自分もあの女を笑いものにしたり、ほかの役人たちと同じような態度をあの女に取ったりしなければならなかったんでしょう?あなたはニコラスのもっていた気高い同情の気持ち、全オルガニズムの崇高な戦慄を否定なさいますの?それあればこそニコラスがふいにきっとなって、『ぼくはあの女を笑いものにしているのじゃない』とキリーロフさんに答えたのじゃありませんか。なんと崇高な、神聖な答えでしょう!」


けれど真実の、疑いようもない悲しみというものは、稀に見るほど浅薄な人間をも、たとえわずかの間にもせよ、意志堅固なしっかりした人物に帰ることがあるものである。いや、そればかりか、むろん、一時だけのことだが、これは明らかに悲しみの特質なのだ。


もう一度読者に断っておきたいが、ニコライ・スタヴローギンはけっして恐怖心を表にあらわさない性質の人間であった。決闘で冷静に相手の発射を待ち受けることもできれば、ゆっくりと狙いを定めて、野獣のように冷静に相手を殺すこともできた。もしだれかに頬をなぐられたりすれば、相手に決闘を申し込むまでもなく、その場で無礼者を叩き殺してしまいそうにも思えた。彼はまさしくそういう人間で、人を殺すにも完全に意識を保ったままやってのけ、けっして我を忘れてするというふうではない。私の感じでは、彼は一度として、分別も何も失うほどの盲目的な怒りの発作にかられたことはないようにさえ思われる。時として際限のない憎悪におそわれることはあったが、その場合でも彼はつねに自制を失わず、したがって、決闘以外で人を殺せば確実に徒刑送りになることを心得ていた。それでいて彼は、なんの躊躇もなく無礼者を殺すことができるのである。


「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです!知るものはただちに幸福になる。その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される――すべてすばらしい。ぼくは突然発見したんです」

「でも、餓死する者も、女の子を辱めたり、穢したりする者もあるだろうけれど、それもすばらしいのですか?」

「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。たたきつぶさない者も、やっぱりすばらしい。すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」


「ぼくは自分を尊敬してほしいのです、要求します」シャートフは大声を張りあげた。「ぼくの人格に対してじゃない、そんなものは糞くらえだ、そうじゃなくて、ほかのことです、いまこうしている間だけでもいい、ほんの数言いう間だけでもいい……ぼくらは二つの存在だけれど、それが無限の中で一体になったのです……世界のいまわに。あなたの話しぶりを変えて、人間的なものにしてください!せめて生涯に一度なりと人間の声で話してください。ぼく自身のためじゃない、あなたのためです。いいですか、ぼくはあなたの顔をなぐったけれど、そのことによってあなたに自分の無限の力を認識させる機会を提供したんですからね、この理由ひとつからでもぼくを許してくれなければいけませんよ……あなたはまた例のいやらしい社交的な微笑を浮かべるんですね。ああ、いつになったらあなたはぼくのことをわかってくれるんだろう!その坊っちゃん面をやめてください!ぼくがこれを要求している、要求しているんだということをわかってください、でなけりゃ、ぼくは話したくない、どんなことがあったって話しやしない!」


「いかなる国民も」と、彼はまるで書いたものを読むように、それでいてあいかわらずすさまじい目つきでスタヴローギンを見つめながら話しはじめた。「いかなる国民もいまだかつて科学と理性に基づいて存在したためしはない。ほんの一般的に、ばかげた気の迷いでそうなったのを別にすれば、そんな実例は一度としてなかった。社会主義はその本質からいってすでに無神論たるべきものである。なぜなら社会主義は、まず開口一番、それが無神論的な制度であって、科学と理性は諸国民の生活においてはつねに、現在も、また天地開闢以来、たんに第二義的な、副次的な役割を果たしてきたにすぎない。世界の終末のまでこのことは変らないだろう。諸国民を組織し、動かしているのは、命令的で支配的な別の力であるが、この力の起原は不明であり、説明不可能である。この力はあくことなく究極に到達しようとする願望の力であると同時に、この究極を否定する力でもある。これはおのれの存在をたえまなく、倦むことなく確認し、死を否定する力である。それは生の精神、聖書が『生ける水の流れ』と説き、その枯渇を『黙示録』が警告してやまないものである。哲学者に言わせれば、それは美の原理であり、哲学者自身が同一視しているように、同時にそれは道徳の原理でもある。私はそれを最も簡潔に《神の探究》と呼ぶ。一国民の全運動の目的は、いかなる国民においても、またその国民の存在のいかなる時期においても、ただ一つの神の探究、自身の神、ぜひともおのれ自身の神の探究でしかありえないし、またその神を唯一真実のものとして信仰することでしかありえない。神は一国民の起原から終末にいたるまでの全体を代表する総合的人格である。すべての国民、と言わぬまでも多くの国民が一つの共通の神をもっていた例はいまだかつてなく、つねにそれぞれの国民が独自の神をもっていた。神が共通のものになりはじめるのは、国民性の滅亡の前兆である。神が共通のものとなれば、神も神への信仰も、その国民自身とともに死滅する。一国民が強力であればあるほど、その神は独自である。宗教をもたぬ国民、つまり善悪の観念をもたぬ国民はいまだかつてなかった。あらゆる国民が善悪についてのおのれの観念をもち、おのれの善悪をもっていた。多くの国民の間で善悪の概念が共通なものになりはじめると、国民は死滅し、善悪のけじめそのものも摩滅し、消え去っていく。理性はかつて善悪を規定しえたことがないし、たとえ近似的にでも善悪を区別しえたことさえない。それどころか、いつもぶざまな、みじめな混同をやってきた。科学にいたっては、力づくの解決しかもたらさなかった。この点でとくにきわだっているのは半科学であって、今世紀まではまだ知られていなかったけれど、これは疫病や飢餓や戦争よりもひどい、人類に対する最も恐るべき鞭である。半科学――それは今日までまだ現われたこともないような専制者である。この専制者は、おのれの神官と奴隷をもち、すべての者が、これまで考えられもしなかったような愛と迷信をいだいてその前にひざまずき、科学そのものさえもその前ではふるえおののいて、恥ずかしげもなくそのご機嫌をとり結ぶ。これはみんなあなた自身の言葉なんですよ、スタヴローギン、半科学についての言葉だけは別だけれど。これはぼくの言葉です、なぜならぼく自身が半科学でしかないから、当然、とりわけ強くそれを憎悪しているんです。あなたの思想については、いや言葉そのものについてさえ、ぼくは何ひとつ変えちゃいません、一言も」

「変えなかったのは思いませんね」スタvyローギンが用心深く口をはさんだ。「きみは熱烈に受け入れて、それとは気づかず、熱烈にそれを別物にしてしまったのですよ。きみが神を民族のたんなる属性に引きおろしてしまった一事からだけでもそう言える……」

彼は何か特別に注意をこらして、ふいにシャートフを注視しはじめた。彼の言葉というより、むしろ彼自身をである。

「神を民族の属性に引きおろした?」シャートフは絶叫した。「反対です、国民を神にまで引きあげたんです。だいたい、いあっまでにそうでなかったことがありますか?国民は神の肉体です。あらゆる国民は、自身の独自の神をもち、この世のあらゆる神を妥協なく排除するかぎりにおいてのみ国民なのです。自身の神によって他のすべての神を征服し、世界から追放できると信じているかぎりにおいてのみ、国民なのです。開闢以来、どの国民もそう信じてきました。すくなくとも大国民、多少なりとも名を知られ、人類の先頭に立った国民はすべてそうでした。事実を無視して進むことはできません。ユダヤ人は真実の神を待ちおおせ、真実の神を世界に残すためにのみ生存したのです。ギリシャ人は自然を神と化して、世界に自身の宗教、つまり哲学と芸術を残しました。ローマ人は国家の中の国民を神化して、諸国民に国家を残した。フランスは、その長い歴史を通じて、ローマの神の理念を具現し、発展させたにすぎなかった。そして、ようやくそのローマの神を深淵に投げ捨てたと思ったら、今度は無神論に突っ走った、それをいま彼らは社会主義と呼んでいるのです。それも、無神論のほうがローマ・カトリックよりまだしも健全であるからという、それだけの理由からにすぎない。もし大国民が、自分たちだけに(まさしく自分たちだけにです)真理があると信じられないようなら、もし自国民だけが自身の真理によって他国民を蘇生させ、救済する使命をもつと信じられないようなら、その国民はたちまち人類学上の資料になりさがって、大国民ではなくなってしまう。真の大国民はけっして人類における二流の役割に甘んずることはできないし、一流の役割にさえ甘んじられない。どうあってもかならず第一の役割でなければならないのです。この信念を失ったものは、もはや国民ではない。しかし真理は一つですから、したがって、諸国民の間でただ一つの国民だけが真実の神をもつことができる。なるほど他の諸国民も自分たち独自の偉大な神をもってはいますがね。《神の体得者》である唯一の国民――それはロシア国民です、そして……そして……スタヴローギン、いったいあなたはぼくをそれほどのばかだと思っているのですか」彼はふいに逆上した声で叫んだ。


「ちょっと話のついでに、奇妙に思っていることを言っておきますがね」突然スタヴローギンが口を入れた。「なぜみなが、その旗とやらをぼくに押しつけようとするのですかね?ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーも、やはりぼくが『彼らの旗をかかげる』ことのできる男と思いこんでいるのですよ、すくなくとも、あの男の言葉として聞かされました。あの男は、ぼくが『異常な犯罪能力』をもっていて、――これもあの男の言葉ですがね、――彼らのためにステンカ・ラージンの役どころを引受けられると信じきっているんですよ」

「なんですって?」とシャートフがきいた。「『異常な犯罪能力』ですって?」

「そのとおりです」

「ふむ。で、あれはほんとうなんですか、あなたが」彼は毒々しい微笑を浮かべた。「ほんとうなんですか、あなたがペテルブルグで、獣的な好色秘密クラブの会員だったというのは?サド侯爵でさえ、あなたには兜を脱いだだろうというのは?幼い子供を誘惑して、堕落させていたというのは、ほんとうなんですか?言ってください、嘘を言ったら承知しませんよ」彼は、ほとんど我を忘れたように叫んだ。「ニコライ・スタヴローギンが、自分の顔をなぐったシャートフの前で嘘をつくわけにはいかんのです!何もかも言ってください、そして、もしそれがほんとうなら、ぼくはいますぐ、この場で、あなたを殺してやる!」

「そういうことは言ったけれど、子供たちを辱めたのはぼくじゃない」スタヴローギンはこう言ったが、それはすこし長すぎる沈黙の後だった。彼は青ざめ、その目がきらきらと輝きだした。

「でも、言いはしたんですね!」ぎらぎらする目を相手の顔から離さず、シャートフは高飛車につづけた。「あなたがこう言ったとかいうのはほんとうですか、何か好色な、獣的な行為と、たとえば人類のために生命を犠牲にするような偉業との間に、美の差異を認められないと断言したというのは?あなたがこの両極のなかに美の一致、快楽の同一性を見いだしたというのはほんとうですか?」

「そう言われると返事ができませんね……返事をしたくない」スタヴローギンは、いかにも立ちあがって出ていきたそうな様子を見せながらこうつぶやいたが、立ちあがりもせず、出ていきもしなかった。

「なぜ美が醜く、善が美しいのかは、ぼくにもわからないんです。でもぼくは、この差異の感覚が、なぜスタヴローギンのような人では摩滅され、失われていくのかはわかるんです」シャートフは全身をふるわせながらもあとへは退かなかった。「いったい、どうしてあなたはあのとき、あれほど醜悪で下劣な結婚をしたんです?ほかでもない、あの場合、醜悪と無意味さが天才の域に達したからなんです!おお、あなたは端のほうから手さぐりでそろそろ行くほうじゃなくて、いきなり頭からどまんなかへとびこむほうなんです。あなたは苦悩を求める情熱から、良心を責めさいなみたい情熱から、精神的な情欲から結婚したんです。あの場合は神経的な発作だったんです……常識に挑戦するのがたまらなく誘惑的だったんです!スタヴローギンと、醜い、半気違いの、貧しいびっこの女!あなたが知事の耳をかじったとき、あなたは情欲を感じましたか?感じたでしょう?のらくらの極道坊ちゃん、感じたでしょうが?」


レビャートキン大尉は飲んだくれることだけはやめていたが、やはり均衡のとれた状態とはほど遠いように見えた。こういう年季のはいった酔っぱらいは、必要とあrば人並みに嘘もつくし、悪知恵も働かせ、人をペテンにかけもするが、長年のうちにはどことなくピントのはずれた、ぼけたようなところ、何ひとつ心棒の抜けたような、気違いじみたところが固定化して、容易に抜けなくなるものなのである。

「ぼくの見るところ、大尉、きみはこの四年間、まるで変っていないねえ」ニコライはいくらかやさしい調子でこう言った。「どうやら、ほんとうのことらしいな、人間の後半生はふつう前半生に蓄積された習慣だけから成り立つというのは」

「高遠なお言葉ですなあ!あなたは人生の謎を解いてしまわれる!」なかば悪ふざけ気味に、またなかばは、警句の大好きな男であるだけに、事実、いつわらぬ喜悦にもひたりながら、大尉は叫んだ。「ニコライさま、あなたの口にされたお言葉の中で、とりわけ私の記憶に焼きついているものがございますよ。まだペテルブルグにいらしたころ、『常識に反してまで自分の立場をつらぬくためには、真に偉大な人間である必要がある』とおっしゃいました。これでございます!」

「と同時に、ばかである必要もね」


「ぼくはスタヴローギンのためにならないことは、いっさいきみにさせませんからね」客を送りだしながら、キリーロフはつぶやいた。こちらは驚いて彼を見返したが、何も答えなかった。


「進行?いとも簡単ですよ。ひとつ笑わせてあげましょうか。まずおそろしくきくのが――肩書きなんです。肩書きぐらい強力なものもないな。ぼくはわざと官等や職務を考案していますよ。秘書あり、秘密監視官あり、会計官あり、議長あり、書記あり、その代理ありといったわけでね――こいつはえらくお気に召して、大歓迎でしたよ。つぎに強力なのは、もちろん、センタリズムです。なにしろロシアに社会主義が広まったのは、主としてセンチメンタリズムのせいですからね。ところがそこで困ったのが、例の噛みつき少尉みたいな連中ですよ。ちょっと油断していると、たちまちとびだしてくるのでね。で、そのつぎはほんもののペテン師連中です。いや、これはいい連中でね、時には大いに役に立ちますよ、そのかわりこの連中には時間をくいましてね、なにしろいっときも目が離せないんだから。そこで、最後に、最大の力――すべてを結合するセメントはですね、――これは自分自身の意見に対する羞恥心です。こいつはまさしく強力だな!まったくだれの頭にも自分自身の思想というものがなんいも残らなくなたっとは、いったいだれの働きですかね、どこの《かわいい人》の骨折りですかね!まるで恥だと思っているんですからね」


「きみはいま、サークルがどういう力から成り立っているか、指折りかぞえてみせましたね。その官僚制とかセンチメンタリズムとかは、たしかに立派な糊にはちがいないけれど、もっといいものが一つある。つまり、サークルの四人のメンバーをそそのかして、あとの一人のメンバーを、密告の恐れがあるとかなんとか言って、殺させるんです。そうすればきみはたちまち、その流された血によって、一つ絆で結んだようにあとの四人を硬く結束させられる。きみの奴隷になりきって、謀反を起こすどころか、説明を求めることもしなくなりますよ。は、は、は!」


「古くさいとはなんです?偏見を忘れることは、その偏見がどんなに罪のないものであろうと、古くさいことじゃありませんよ、それどころか、恥ずかしいことに、いまだに新しいことじゃないですか」椅子から猛然と身を乗り出すようにして、女子学生が即座にやり返した。「それに、罪のない偏見なんて存在しないんです」彼女はむきになってつけ加えた。


「彼はですね、問題の最終的解決策として、人類を二つの不均等な部分に分割することを提案しているのです。その十分の一が個人の自由と他の十分の九に対する無制限の権利を獲得する。で、他の十分の九は人格を失って、いわば家畜の群れのようなものになり、絶対の服従のもとで何代かの退化を経たのち、原始的な天真爛漫さに到達すべきだというのですよ、これはいわば原始の楽園ですな、もっとも、働くことは働かなくちゃならんが。人類の十分の九から意志を奪って、何代もの改造の果てにそれを家畜の群れに作り変えるために著者が提案あいておられる方法はきわめて注目すべきものであり、自然科学にのっとったきわめて論理的なものです」


「どうです、スタヴローギン、山をならして平地にする――いい考えでしょう、滑稽どころじゃなき。ぼくはシガリョフ支持ですね!教育なんていらないし、科学もたくさんだ!科学なんぞなくたって、千年くらいは物質に不足しませんからね、それほり服従を組織しなくちゃ。この世界に不足しているのはただ一つ――服従のみですよ。教育熱なんぞはもう貴族的な欲望です。家族だの愛だのはちょっぴりでも残っていれば、もうたちまち所有欲が生じますしね。ぼくらはそういう欲望を絶滅するんです。つまり、飲酒、中傷、密告を盛んにして、前代未聞の淫蕩をひろめる。あらゆる天才は幼児のうちに抹殺してしまう。いっさいを分母で通分する――つまり、完全な平等です」


「スタヴローギン、きみは美男子ですよ!」ピョートルはもう陶然となりながら叫んだ。「きみは自分が美男子だということを知っていますか!きみのいちばんいいところは、きみがどうかするとそのことを忘れている点なんです。ああ、ぼくはきみを研究しましたよ!ぼくはよく横のほうから、物陰からきみを眺めるんです!きみには純真なところ、ナイーヴなところまでありますね、わかってますか?まだある、まだ残っているんです!きみはきっと苦しんでいますね、それも心から苦しんでいるにちがいない、それはきみの純真さのためです。ぼくは美を愛するんですよ。ぼくはニヒリストだが、美を愛するんです。だいたいニヒリストは美を愛さないでしょうか?いや、彼らが愛さないのは偶像だけですよ、ところがぼくは、偶像も愛するんだな!で、ぼくの偶像はきみなんです!きみはだれを侮辱するわけでもないのに、きみはみなから憎悪されている。きみは万人を平等に見ているのに、きみはみなから恐れられている、そこがいいところなんですよ。きみのそばへやってきて、なれなれしく肩を叩こうなんて者はだれもいない。きみはおそろしいアリストクラートなんです。デモクラートをめざすアシストクラートなんて、こいつは魅力的じゃないですか!きみは自分の生命だろうと、他人の生命だろうと、そんなものを犠牲にするくらい屁でもない。きみはまさしく打ってつけの人物なんだな。ぼくに、ぼくに必要なのは、ほかでもない、きみのような人間なんですよ。きみのほかには、ぼくはそういう人をだれも知りません。きみは頭領です、きみは太陽です、ぼくなんかきみの蛆虫ですよ……」

彼はだしぬけにスタヴローギンの手に接吻した。悪寒がスタヴローギンの背を走り、彼はぎくりとしてその手を引っこめた。二人は足を止めた。

「気違い!」スタヴローギンはつぶやいた。


「イワン皇子。つまり、きみですよ、きみなんですよ!」

スタヴローギンはしばらく考えていた。

「僭称者の?」彼はふいにこうたずね、逆上せんばかりになっている相手を深い驚きに打たれてみつめた。「ほう!それがきみの計画だったんですね」

「ぼくらはね、皇子は《身をかくしておられる》と触れまわるんです」愛のささやきにも似た小声でヴェルホーヴェンスキーは言った。事実、何かに酔ってでもいるようだった。「きみにはわかりますか、《身をかくしておられる》というこの言葉の意味が?けれど皇子はかならず現われる、かならずなんです。ぼくらは去勢宗徒の連中よりはもうちっと気のきいた伝説を流しますよ。皇子は実在する、だがだれも彼を見たものがない。ああ、すばらしい伝説が流せるだろうな!ともかく、肝心なのは――新しい力が来るという確信なんです。その新しい力こそが必要なんで、みなはそれを待ちこがれて泣きださんばかりなんです。社会主義には何があります、旧い力は破壊したが、新しい力はもたらさなかった。ところがぼくらのは力です、それも、いままで聞いたこともないようなすばらしい力です!地球を持ちあげるためには、ほんの一度だけ梃子をぐいとやればいいんですよ。そうすりゃ、何もかも持ちあがるんです!」


「気が乗らない、そんなことだろうと思ってたよ!」相手は、狂暴な憎悪の発作にかられて叫んだ。「いや、そいつは嘘だな、やくざで、色狂いで、変態貴族のお坊ちゃん、狼みたいに食欲のあるきみがまさかと思いますね!わかってくださいよ、いまやきみのほうがはるかに分がいいのに、それでもぼくはきみをあきらめられないんだから!きみ以外にはこの世界にだれもいないんですよ!外国にいたころにもう、ぼくはきみを思いついたんですよ、きみを見ているうちに、きみを思いついたんです。もし物陰からきみを見ていなかったら、こんな考えは頭にうかびっこなかったんです……」


「ねえ、きみ、これは偉大な思想のためにすることなんだ」明らかに言いわけのためらしく、彼は私に言った。「貴君、ぼくはね、二十五年間居ついた地点から腰をあげて、ふいに動きだすんだよ、どこへかは知らない、しかしぼくは動きだすんだ……」


「わたし、あなたに白状しないといけないけど、まだスイスにいたころから、こんな考えがこびりついているんです。あなたの心には何か恐ろしい、よごれた、血にまみれたものがあって……そのくせ、何かあなたをおそろしく滑稽に見せるものがあるって。だから、もしほんとうなら、わたしに告白なさるのはあおよしになったほうがいいわ。わたし、あなたを笑いものにしますから。あなたを一生涯笑いものにするでしょうから……あら、またお顔が青くなったのね。やめるわ、やめるわ、すぐ出ていくわ」彼女は嫌悪と軽蔑の入りまじった動作で椅子からとびあがった。

「ぼくを苦しめてくれ、ぼくを罰してくれ、ぼくに憎悪をぶつけてくれ」彼は絶望にかきくれて叫んだ。「きみには十分にその権利がある!きみを愛していないくせに、きみを破滅させたことを、ぼくは知っているんだ。そうだよ、『僕は瞬間を自分の手に残しておいた』んだ。ぼくは希望をもっていた……ずっと以前から……最後の希望をもっていた……きみがきのう自分から、ひとりで、進んでぼくの部屋にはいってきたとき、ぼくは、自分の心を照らし出した光明にさからうことができなかった。ぼくはふいに信じてしまった……ことによると、いまでも信じているのかもしれない」


「でも、どうしてひざまずいたりなさいますの?」

「世界に別れを告げるにあたって、きみの内なるぼくの過去のいっさいに訣別したいんですよ!」彼はふいに泣きだして、彼女の両手を涙に濡れた自分の目に押し当てた。「ぼくは、生涯の美しかったすべての前にひざまずいて、接吻して、感謝するんです!ぼくはいま自分を真二つに引き裂いてしまった。向こうにいるのは――二十二年間、空へ翔けのぼることばかりを空想していた狂人!ここにいるのは――打ちひしがれ、凍えきった老家庭教師です……」


彼の話は全体に曖昧で、辻褄が合わなかった。それは、狡猾さとはゆかりのない人間が、誠実な人柄であるだけに、山ほどの誤解を一時に解かねばならない苦しい羽目に立たされて、不器用な正直者の悲しさ、どこからどうはじめてどう締めくくればいいのか、自分でも思案にあまっているような趣があった。


彼は深い物思いに沈んでいた。彼は一時に二つのことができた――うまそうに食いながら、瞑想に沈むのである。


シャートフは部屋の反対側、五歩ばかり離れたところに、彼女と向かい合って立ち、おずおずとながら、何か生まれ変わりでもしたように、これまでについぞない輝きを顔に浮かべて、彼女の言葉に耳を傾けていた。髪の毛をいつもさかだてている、この気性のはげしい、人づきの悪い男が、ふいに柔和そのもののようになって、顔つきまで晴ればれとしてきた。彼の心の中で、何か思いもかけぬ異常な感覚がうごめいた。三年の別離、破れた結婚生活の三年も、彼の胸から何ひとつ葬り去ることはできなかったのだ。ことによったら、彼はこの三年の間、毎日のように彼女にあこがれ、かつて自分に「愛してるわ」と言ってくれたこのかけがえのない人のことを夢に見ていたのかもしれない。シャートフを知っているものとして、私は断言できるが、彼はだれかほかの女性が自分に「愛してるわ」と言ってくれようなどとは、夢にも考えることができなかった。彼は奇怪なくらい純真で、恥ずかしがりやで、自分のことをひどい醜男と考え、自分の顔や自分の性格を憎悪して、市場の立つときにあちこちで見世物にされる怪物同然に自分を考えていた。こういうことの結果として、彼は潔癖さを何よりも重んじ、狂信的なくらい自分の信念に忠実で、陰気くさく、傲慢で、怒りっぽく、無口な男になっていた。ところがいま、彼を二週間のあいだ愛してくれたこのただ一人の女性(このことを彼はいつどんなときでも信じていた!)――彼女のあやまちをそれなりに冷静に受けとめながらも、それでも自分よりははかり知れぬほど高い人間だといつも思いこんできた女性(このことはもう疑問の余地もなかった、いや、それどころか、むしろその反対で、彼の考えによると、彼女に対しては何につけ、悪いのはすべて自分ということになってしまうのだった)、――そういう女性、すなわち、ほかならぬマリア・シャートワが、ふいにまた彼の家に現われ、彼の前にすわっているのである……これはもうほとんど理解を絶したことであった!彼にとってはかり知れぬほどの恐ろしさと、同時にはかり知れぬほどの幸福感とが含まれているこの出来事に、彼はあまりにもはげしい衝撃を受け、むろんのこと、彼はもう正気に返ることもできなかった。いや、ひょっとすると、彼は正気に返ることを望まず、恐れていたのかもしれない。


「人間はまず徐々に、本を読むことを習い覚える、もちろん、何世紀もかかってさ。ところが、本そのものはたいしたものじゃないと考えて、乱暴に扱ったままそこらにほうりだしておく。製本というのはもう本に対する尊敬を意味していてね、たんに本を読むのが好きになっただけじゃなく、それを一つの仕事と認めたことのしるしなのさ。ロシアはまだその段階まで達していないね。ヨーロッパはもうだいぶ前から製本しているけど」

「ペダンチックだけど、なかなか気のきいた意見だし、三年前を思い出すわ。三年前にも、どうかするとずいぶん機知があったわ」


「おお、マリイ!この三年の間にどれほどいろいろのことがあったか、知ってもらえたらなあ!あとから聞いたことだけど、きみはぼくが転向したと言って、ぼくを軽蔑したそうだね。しかし、ぼくが見捨てたのはだれだろう?生きた現実生活の敵、自立を恐れる時代おくれのリベラリスト、思想の下男、個性と自由の敵、死屍と腐肉の老いぼれた宣伝者どもだよ!やつらのところに何がある?老衰と、中庸精神と、俗物臭ふんぷんたる、あさましいばかりの無能無才ぶり、ねたみがましい平等主義、自身の尊厳を忘れた平等主義、下男の考えるような、九三年のフランス人が考えたような平等主義だ……それよりひどいのは、どこへ行っても人非人、人非人、人非人ばかりということだ!」

「そうよ、人非人がうようよしてる」切れぎれな、病的な口調で彼女が言った。

「なんて……かわいい……」彼女は微笑を浮かべ、弱々しい声で言った。

「ふっ、なんて顔をしてるの!」得意満面のアリーナが、シャートフの顔をのぞきこみながら、陽気に笑った。「ほんとに、この人の顔ったら!」

「浮かれてくださいよ、アリーナさん……偉大な喜びなんだから……」マリイは赤ん坊について言ったたった二言で、もう輝きわたらんばかりになったシャートフは、しあわせそのもののめでたい表情でつぶやいた。

「何がいったい偉大な喜びなの?」せわしなく後片付けをし、それこそ懲役囚のように立ち働きながら、アリーナは陽気に言った。

「新しい生の出現の神秘ですよ、大きな、説明のつかない神秘ですよ、アリーナさん、これがあなたにわからないとは残念だな!」

シャートフは熱に浮かされたように有頂天で、とりとめもないことをつぶやいた。何かが彼の頭の中でぐらつき、意志とはかかわりなく、おのずと胸からあふれ出てくるようだった。

「二人しかいなかったところへ、ふいに第三の人間が、新しい魂が生まれる。人間の手ではけっしてできないような、完璧に完成された魂がです。新しい思想と新しい愛、恐ろしいみたいだ……世界にこれ以上すばらしいものはない!」

「まあ、くだらない。有機体の生成発展というだけで、神秘なんて何もありゃしないじゃないの」アリーナは心から愉快そうに笑った。「そんなことを言っていたら、蝿一匹も神秘になってしまう。でもね、余計な人間は生まれる必要がないんでしょうね。まず、そういう人たちがよけいでなくなるように、何もかも作り直して、それから子供を生むことですね。でなけりゃ、この子だってあさってには養育院へ連れていかれる……もっとも、そうするのが当然でしょうけれどね」


「あなたにはすっかり笑わされたわ。あなたからお金なんてもらいませんよ。夢にまで笑わされちゃうわ。今夜のあなたくらい滑稽な人は見たこともない」

彼女は大満足の態で引きあげた。シャートフの顔つきと、その話しぶりからして、この男がであることは、白日のようにあきらかだった。


「もし神があるとすれば、すべての意志は神のもので、ぼくはその意志から抜け出せない。もしないとすれば、すべての意志はぼくのもので、ぼくは我意を主張する義務がある」

「我意?でもどうして義務なんです?」

「なぜなら、すべての意志がぼくの意志になったから。この地上に、神を滅ぼして我意を信じ、最も完全なる点まで我意を主張する人間は一人もいないではないか。ちょうど貧乏人に遺産がころげこんだが、それを自分のものにする力はないと思いこんで、金袋に近寄る勇気が出ないのと同じで。ぼくは我意を主張したい。たとえ一人きりだろうと、ぼくはやってみせる」

「まあ、やってください」

「ぼくには自殺の義務がある、なぜなら、ぼくの我意の頂点は、自分で自分を殺すことだから」

「しかし、きみだけが自殺するわけじゃない。自殺者はたくさんいますよ」

「理由がある。ところが、なんの理由もなく、ただ我意のためのみに自殺するのは、ぼく一人なのだ」

ピョートルはまたちらと考えた。

「いいですか」彼はいらだたしげに口を入れた。「ぼくがきみの立場だったら、我意を示すためには、自分じゃない、だれかほかの人間を殺しますね。それなら役に立てますよ。もし怖気づかないようなら、だれを殺せばいいか教えましょうか。それなら、きょう自殺しなくてもいい。相談に乗ってもいいですよ」

「他人を殺すのは、ぼくの我意の最低点だし、そこにきみのすべてがある。ぼくはきみじゃない。だから最頂点を欲して、自分を殺す」

ピョートルは心中、憎々しげにつぶやいた。

「ぼくは自分の不信を宣言する義務がある」キリーロフは部屋を歩きまわった。「ぼくにとって神がないという思想以上に高いものはない。人類の歴史がぼくに味方している。人間がしてきたことといえば、自分を殺さず生きていけるように、神を考え出すことにつきた。これまでの世界史はそれだけのことだった。ぼくひとりが、世界史上はじめて神を考え出そうとしない。永遠に記憶にとどめるがいい」

ピョートルは不安になった。


「ほんとうらしく思わせるには、できるだけ曖昧に書く必要があるんです、つまり、これですよ、こんなふうにちらとほのめかすんです。真実というやつは、端のほうをちらと垣間見せて、人の気持をそそるのが手なんですよ。人間というやつは、他人に欺かれるよりは、いつも自分で自分を欺くものでね、むろん、他人よりは自分の嘘のほうをよけいに信ずるものなんですよ、これがいちばん、これがいちばんなんですね!」


彼はひどく沈んだ気持で家に戻った。ピョートルがこんなふうに突然、彼らをおいて発ってしまったことが気がかりなのではなかった……ではなくて、あの若い伊達男から声をかけられたとき、彼があんなふうにくるりと自分に背を向けてしまったこと、それより……「じゃ、いずれまた」などではなく、もっと別の言い方がありそうなものではないか、でなければ……でなければ、せめて手なりともうすこし強く握りしめてくれたら。

この最後のことが何より重大であった。彼の哀れな胸を、何か別種のものがかきむしりはじめた。それが何であるかは、まだ自分でもよくつかめなかったが、それは昨夜のことに関係した何かであった。


「みなさん」と彼は言った。「ぼくにとって神が欠かせない存在であるのは、それが永遠に愛することのできる唯一の存在であるからなのです……」

ほんとうに彼が神を信ずるようになったのか、それともいま取行われた秘蹟の荘厳な儀式が彼の心を揺り動かして、生来の彼の芸術家的な感受性を目ざめさせたのか、それはともかく、彼ははっきりとした口調で、また伝えられるところによると、大きな感動をこめて、これまでの彼の信条とは真っ向から背馳するような言葉をいくつか口にしたようである。

「ぼくにとって不死が欠かせないのは、神が不正を行うのを望ます、またぼくの胸の中にひとたび燃え上がった神への愛の火をまったく消し去ることを望まれないという理由によるものです。愛より尊いものがあるでしょうか?愛は存在よりも高く、愛は存在の輝ける頂点です。だとしたら、存在が愛に従わないなどということがありうるでしょうか?もしぼくが神を愛し、自分の愛に喜びをおぼえているとするなら――神がぼくの存在をも、ぼくの愛をも消し去って、ぼくらを無に変えてしまうなどということがありうるでしょうか?もし神が存在するとすれば、このぼくも不死なのです。コレガ・ボクノ・シンコウコクハクデス」


「自分自身より限りなく正しく、かつ幸福なものが存在しているのだとたえず考えるだけで、ぼくの心はもう言い知れない感動と、それから――栄光に充たされるのです。おお、このぼくがたとえ何者だろうと、ぼくが何をしようと、それはもうどうでもいい!人間にとっては自分一個の幸福よりも、この世界のどこかに万人万物のための完成された、静かな幸福が存在することを知り、各一瞬ごとにそれを信じることのほうが、はるかに必要なことなのです……人間存在の全法則は、人間が常に限りもなく偉大なものの前にひれ伏すことができたという一事につきます。もし人間から限りもなく偉大なものを奪い去るなら、人間は生きることをやめ、絶望のあまり死んでしまうでしょう。無限にして永遠なるものは、人間にとって、彼らがいまその上に住んでいるこの惑星と同様、欠かすべからざるものなのです……友よ、すべての、すべての人たちよ、偉大なる思想万歳!永遠にして無限なる思想万歳!人間は、だれであれ、偉大なる思想の現れであるものの前にひれ伏す必要があるのです。どんな愚かな人間にも、なんらかの偉大なものが必要です。ペトルーシャ……ああ、ぼくはあの連中みんなともう一度会いたい!彼らは知らない、知らないんです、彼らの中にも同じく永遠にして偉大なる思想が蔵されていることを!」


私はいたるところで自分の力をためした。これはあなたが、《自分を知るため》にと私に勧めてくれたことだ。自分のため、また他に見せるためにそれをためしてみたとき、この力は、これまでの全生涯を通じてそうであったように、限りもないものに思えた。あなたの目の前で、私はあなたの兄の頬打ちを忍んだ。私は皆の前で結婚を告白した。しかし、この力を何に用いるべきなのか――それが私にはついにわからなかったし、またスイスであなたの承認を受け、私がそれを真に受けたにもかかわらず、いまもってわからない。私はいまもって、いや、以前も常にそうだったのだが、善をなしたいという欲望をいだくことができ、そのことに満足感をおぼえる。と並んで悪をなしたいという欲望をもいだき、そのことにも満足感をおぼえる。しかし、そのどちらの感情も依然として常に底が浅く、かつて非常にのあったためしがない。私の欲望はあまりに力弱く、みちびく力がない。丸太に乗ってなら河を横切ることができるが、木っぱに乗ってではだめだ。これは、私がなんらかの希望をいだいてウリイへ行くのでないかなどと、あなたが考えないために書いておくことだ。

私は従来どおりだれを咎めることもしない。私は大きな淫蕩を試み、それに力を消耗しもした。けれど私は淫蕩を好まないし、欲しもしなかった。あなたはこのところ私を注意深く見守っていた。私が、あのいっさいを否定する同志たちをさえ、彼らのもつ希望に対する羨望から、煮えくりかえるような思いで眺めていたことをご存知だろうか?しかし、あなたの心配は杞憂だった。あの連中となんの共通点ももたぬ私が、同志になれるはずもなかったのだ。冷やかしのためにも、また憎悪の気持からも、やはりできなかった。それも自分の滑稽さを恐れたからではなく、――私は滑稽さを恐れたりはしない、――私がなおまともな人間の習性をもっていて、嫌悪感を感じたからである。しかし、彼らに対してより大きな憎悪と羨望をもっていたならば、おそらく、私は彼らと行をともにしたことだろう。そのほうがどれほど私にとって楽なことだったか、私がどれほど思い悩んだか、察してほしい!


私はけっして理性を失うことができないし、彼ほどに思想を信ずることもできない。私はそこまで思想に関心をいだくことさえできない。けっして、けっして私はピストル自殺などできはしない!

私は、自分がいっそ自殺すべきである、いやしい虫けらのようにこの地上から自分を掃き捨てるべきであることを知っている。しかし私は自殺がこわい、なぜなら心の広さを示すことを恐れるからだ。あたしはそれがまたしても欺瞞であるだろうこと、無限につづく欺瞞の列の最後の欺瞞であるだろうことを知っている。心の広さを演じて見せるためだけに自己をあざむいて何になろう?私の内部には憤怒と羞恥はけっして存在しえないだろう。したがって、絶望も。


ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹紐は、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、一面にべっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていた。

町の医師たちは、遺体を解剖したうえで、精神錯乱説を完全に、そして強く否定した。

スタヴローギンの告白――チホンのもとにて


「でも、神を信じないで、悪霊だけを信じることができますかね?」スタヴローギンが笑った。

「おお、できますとも、どこでもそんなものです」チホンは目をあげて、にこりとした。

「あなたはそういう信仰でも、完全な無信仰よりはまだしもと認めてくださるでしょうね……」スタヴローギンはからからと笑った。

「それどころか、完全な無神論でさえ、世俗的な無関心よりはましです」一見、屈託もなげなさっぱりした調子でチホンは答えた〔が、それでも用心深く、不安そうな様子で客のほうをうかがっていた〕。

「ほほう、そうですか、〔いや、あなたにはまったく驚かされますね〕」

「完全な無神論者は、〔なんと申しても、やはりなお〕完全な信仰に至る最後の階段に立っておりますからな(その最後の一段を踏みこえるか否かは別として)。ところが無関心な人は、愚かな恐怖心以外には何ももっておらない、いや、それとても、感じやすい人が、時たま感じる程度で」


私の考えでは、この文書は病気のなせるわざ、この人物に取りついた悪霊のなせるわざである。はげしい痛みに苦しんでいる人間が、ほんの一瞬でも苦痛を軽減できる姿勢を見いだそうとして、ベッドの中でもがきまわる姿に、これは似ている。軽減できないまでも、せめて一瞬なりと、以前の苦痛を他の苦痛で置き換えようとするのである。こうなるともう、当然のことであるが、その姿勢の美しさとか合理性とかは問題にもならない。この文書の基本思想は――罰を受けたいという恐ろしいばかりの、いつわらぬ心の欲求であり、十字架を負い、万人の眼前で罰を受けたいという欲求なのである。しかも、この十字架の欲求が生まれたのが、ほかでもない十字架を信じない人間のうちにであったこと。――「これだけでもすでにれっきとした思想ですよ」とは、かつてステパン氏が、もちろん、別の機会にであるが、いみじくも喝破した言葉である。


これまでの生涯にすでに何度かあったことであるが、私は、極度に不名誉な、並はずれて屈辱的で、卑劣で、とくに、滑稽な立場に立たされるたび、きまっていつも、度はずれな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたてられてきた。これは犯罪の瞬間にも、また生命に危険の迫ったときにもそうなのである。かりに私が何か盗みを働くとしたら、私はその盗みの瞬間、自分の卑劣さの底深さを意識することによって、陶酔を感じることだろう。私は卑劣さを愛するのではない(この点、私の理性は完全に全きものとしてあった)、ではなくて、その下劣さを苦しいほど意識する陶酔感が私にはたまらなかったのである。


こんなことを書くのは、この感情がいまだかつて私を全的に征服しつくしたことがなく、常に意識が全きままに残っていたことを、みなに知ってもらいたいためである(しかり、すべてが意識のうえにこそ成り立っていたのだ)。そして、ときに分別を失うほどまで、いや、というより、滅茶苦茶なほどにその感情に支配されることはあったが、われを忘れるということは一度もなかった。それが私の内部で火そのもののようになっていっても、私は同時にそれを完全に支配することができたし、その絶頂で押しとどめることさえできた。もっとも、自分から抑えようと思ったことは一度もない。私は生まれつき獣的な情欲をさずけられ、またっつねにそれをかきたててきはしたが、一生涯、修道僧のように暮すこともできただろうと確信している。私は、その気になれば、常に自分の主人であった。だから、知ってほしいのだが、私は環境とか病気のせいにして、私の犯罪の責任をのがれようとは思わないのである。


すべてが終ったとき、彼女は困惑していた。私は彼女の気をしずめることもしなかったし、もう愛撫することもしなかった。彼女はおずおずとしたほほえみを浮べながら、私を見つめていた。彼女の顔が私には急に愚かしいものに思われた。彼女はすみやかに、一刻ごとに、ますますはげしい当惑にとらえられていった。とうとう彼女は両手で顔を覆い、壁のほうへ顔を向けて片隅に立ち、動かなくなった。私は、彼女がまたさっきのようにおびえだすのを恐れて、無言で家を出た。

考えるのに、彼女にとってはこの出来事のいっさいが、決定的に、死の恐怖さえともなって、かぎりもなく醜悪なことと自覚されたに相違ないようである。彼女にしても、ロシア語独特の卑猥な罵言は、もう襁褓のころから耳にしていたにちがいないし、そのほかの怪しげな話も聞いていたはずなのだが、にもかかわらず私は、彼女がまだなんの理解ももっていなかったと確信している。おそらく、彼女は最後には、自分が想像もつかないような罪を犯し、その罪には死に値するほどの責任がある、つまり、と感じたのであろう。


「犯罪には真に醜いものがある。犯罪は、どのようなものであれ、血が多く流れ、醜悪さが度を加えるにつれて、ますます印象的な、いわば絵画的なものとなる。だが、この世には、秀作さなど通りこして、まことに恥ずべき、不名誉な犯罪がある、あまりにも優雅ならざるとでも言いましょうか……」

チホンは最後までは言わなかった。

「つまり」とスタヴローギンは興奮にかられて引き取った。「あなたは、きたならしい少女の手に接吻したときのぼくの姿が滑稽だと言われるのですね……それならよくわかりますし、だからこそあなたはぼくに絶望されたのですね、醜く、醜悪だと、いや、醜悪というのではなく、恥ずかしく、滑稽なことだと、そしてあなたは考えられるわけです。ぼくがこのすべてを持ちこたえられるはずがないと」

チホンは黙っていた。〔スタヴローギンの顔が青ざめ、ゆがんだようだった。〕


何より大きかったのは、私が恐れていたこと、そして、そのことを私が意識していたことであった。おお、これ以上に不合理な、いやらしいことがあるだろうか!私はそれまで恐怖心をいだいたことがなかったし、この場合を別にすれば、一生涯、それ以前も、それ以後もそうだった。しかし、このときだけは、私は恐怖を感じたし、文字どおりの意味でふるえてさえいた。私はそのことを、屈辱感をおぼえながら、力のかぎり意識していた。もしできるなら、私は自分を殺しただろう。しかし私は、自分が死にも値しないと感じた。もっとも、私が自殺しなかったのはそんなことのためではなく、恐ろしかったからである。恐怖心から自殺する者もあるが、恐怖心から生きながらえる者もある。人間、自殺する決心がにぶりはじめると、そのこと自体が考えられなくなってくるものだ。そればかりでなく、その晩、自分のアパートで、私は彼女に対してたまらない憎悪を感じ、殺してしまおうと決意したほどだった。翌朝、私はそのつもりでゴロホワヤ街へ出かけていった。私はその道々、自分が罵言を浴びせながら、彼女を殺すさまを想像していた。何より私の憎悪がかきたてられるのは、彼女の微笑を思い出すときであった。彼女が何かを想像しながら私の首につびついてきたことに対して、私の胸には軽蔑感をどうにもならない嫌悪感が生れた。しかし、フォンタンカ河まで来て、私は気分が悪くなった。そのうえ私はある新しい恐ろしい考えが、それを意識していたからこそ恐ろしいのだが、胸にうごめくのを感じた。戻ってくると、私は悪寒にがたがたふるえながら横になった。けれど、恐怖はもう最高の程度にまで達して、もう少女を憎悪することもなくなってしまった。私はもう殺そうとは思わなかった。そしてこれこそが、フォンタンカで意識した新しい考えであったのだ。そのとき、生れてはじめて、私は、最高度にまで達した恐怖が、完全に憎悪を、いや、侮辱者に対する復讐心をさえ追いのけてしまうということを感じた。


「自分のことを見るがよい、とあなたは言われるが、あなた自身は、その人たちをどのような目でごらんになるのかな?あなたはその人たちの憎悪を期待し、それにまさる憎悪で答えようとしておられる。あなたの告白のある部分は文章の力で強められている。あなたはご自分の心理にいわばうっとりされて、実際にはあなたのうちに存在しない非情さや無恥で読む者を驚かせようとしておられる。その反面、邪悪な情欲や怠惰の習慣があなたを実際に非情な、愚鈍な人間にしていることもある」

「愚鈍は悪徳にあらず」スタヴローギンは苦笑して、顔色を青くした。

「ときには悪徳です」チホンはひたむきに、熱っぽくつづけた。「戸口の幽霊によって致命的な傷を受け、そのために苦しんでおられながら、あなたのこの文書では、あなたの最大の犯罪が何であり、あなたがその裁きを求めておられる人々に対して何を最も恥じなければならないのか、ご自分でもよくわかっておられないらしい。あなたによって犯された暴行の非情さをか、それとも、その際に現われた臆病さをか?ある個所では、あなたは読む者に向かって、少女の脅すしぐさがもはやあなたにとって《滑稽》ではなく、たまらなく恐ろしいものであったとさえ、確言しようと急いでおられる。だが、してみると、それはほんの一瞬にせよ、あなたにとって《滑稽》だったのですかな?そのとおり、滑稽だったのですな、私は証言してもよろしい」

チホンは口をつぐんだ。彼の話しぶりには、もう自制の色がまったく見えなかった。
http://d.hatena.ne.jp/asaibomb/touch/20110918/p2



▲△▽▼


ドストエフスキー『白痴』


「あたし今酔ってますの、将軍、」

ナスターシャ・フィリッポヴナはいきなり笑い出した、

「あたし浮かれ騒ぎたいわ! 今日はあたしの日、あたしのたった一度のお祭りの日、あたしの閏の日、あたしこれを長いこと待ってたのよ。

ダーリヤ・アレクセーエヴナ、ごらんなさいよ、この花束紳士、ほらこの monsieur aux camelias [椿の紳士]、ほら座ってあたしたちを笑ってる・・・」


 「私は笑っていません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、私はただ非常に注意して聞いています」とトーツキーは重々しく応酬した。


 「あーあ、何のためにあたし、まる五年その人を苦しめて解放してあげなかったのかしら! それに値する人かしら!

単にああいう人なのがあたりまえだったってこと・・・

むしろあたしがあの人に対して罪がある、ってあの人思ってるのよ。教育だって受けさせたし、伯爵夫人みたいに養ったし、お金だって、お金だって、どれだけかかったか、立派な夫をあっちにいた時も見つけてくれたし、こっちでもガーネチカをね。

あんたどう思うかしら、あたしこの五年あの人と暮らさないで、お金だけは取って、それが正しいって思ってたのよ! まったくあたしどうかしてたのね!

あんた言ったわね、いやなら十万取った上で追い出せって。 確かにいやだけど・・・

あたしだってとっくに結婚できたし、それもガーネチカじゃないけど、それだってもうすごくいやだった。 それになんのためにあたし、あたしの五年間を意地悪なんかで失ってしまったんでしょう!

ねえ信じられる、あたし四年前に時々考えたの。 もうほんとにアファナシー・イワノヴィチと結婚しちゃだめかなって。 あたしその時は悪意でそう考えたの。 その頃はどんなことだって頭に浮かんだものよ。

あら、ほんとよ、こっちが無理強いすればね! 自分からにおわしていたことだし。

あんた信じない?

確かにあの人、嘘をついてたんだけど、そりゃもうすごい欲張りで我慢できないからよ。それから、まあありがたいことに考えついたわ。

あの人、そんな意地悪をする価値があるかしら!

するとその時急にあの人がいやになってね、あっちから求婚してきたって、するもんじゃないわ。 それでまるまる五年、あたしはお高くとまってた。

いいえ、もう街角に立った方がいい、それがあたしには当然なのよ!

でなきゃラゴージンと浮かれ騒ぐか、でなきゃ明日には洗濯女になるわ!

だってねえ、あたしには自分の物は何もないのよ。

行くわ、何もかもあの人に投げつけて、最後のぼろきれまで捨てて、それで何もないあたしを誰がもらってくれる、 ほら、ガーニャに訊いてごらんなさいな、もらってくれるかどうか?

あたしなんかフェルディシチェンコももらってくれないわ!・・・」


 「フェルデシチェンコはもしかするともらいません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、僕は率直な人間です、」

フェルディシチェンコがさえぎった、

「かわりに公爵がもらいます! あなたはそこで座って泣いていますが、ちょっと公爵を見てごらんなさいよ! 僕はもうずっと観察してますが・・・」


 ナスターシャ・フィリッポヴナは公爵に好奇の目を向けた。

 「本当?」と彼女は尋ねた。

 「本当です」と公爵はささやいた。


 「もらってくれるの、このまま、手ぶらで!」

 「もらいます、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・」

 公爵は、悲しげな、厳しい、鋭い目つきで、相変わらず彼を眺め回しているナスターシャ・フィリッポヴナを見つめた。


 「ほらまた現れたわよ!」

彼女は不意に、再びダーリヤ・アレクセーエヴナの方を向いて言った。

「ともかくほんとに優しい心からなのよ、あたし知ってるんだから。

篤志家を見つけたわ! ああでも、ほんとうかもしれないわね、この人のことをほら・・・あれだって。

どうやって暮らしていくの、もしほんとにそんなに夢中になって、ラゴージンの女を、自分のその、公爵夫人にするって言うなら?・・・」


 「僕がもらうのは立派ななあなたです、ナスターシャ・フィリッポヴナ、ラゴージンのものじゃありません」


と公爵は言った。

 「立派ってあたしのこと?」

 「あなたです。」


 「ああ、それはどこか・・・小説の中のこと!


それはねえ、公爵さん、昔の空想。

現代では世の中利口になって、そんなのはみんなナンセンスなのよ!

それに何で結婚するの、あんたには自分にまだ乳母が必要よ!」


 公爵は立ち上がり、おずおずとした震える声ではあるが、同時に深い信念を持った様子で話した。


 「僕は何も知りません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、僕は何も見たことがありません、おっしゃる通りです、

が、僕は・・・僕は思うんです、あなたは僕の、僕があなたのではなく、名誉です。 僕はつまらないものですが、あなたは苦しんで、そんな地獄から汚れなく現れた、これは大変なことです。

なぜあなたは自分を恥じてラゴージンと出かけようとするんです?

それは熱病です・・・ あなたはトーツキーさんの七万を返したし、

すべて、ここにあるものすべてをなげうつと言いますが、そんなことはここでは誰一人しません。

僕はあなたを・・・ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・愛します。

僕はあなたのために死にます、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・

僕は誰にもあなたのことで何か言わせません、

ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・僕たちが貧乏したら、僕が働きましょう、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・」


 ____________


 「聞いてる、公爵、」

ナスターシャ・フィリッポヴナは彼に話しかけた、

「あんなふうにあんたのフィアンセを下種が売り買いしてるわよ。」

 「酔ってるんです」と公爵は言った。

「あの人はあなたをすごく愛しています。」


 「それであんた後で恥ずかしくならないかしら?

あんたのフィアンセは危うくラゴージンと行ってしまうところだったのよ。」


 「それは熱のせいです。あなたは今も熱があって、熱に浮かされているようです。」

 「それと後であんた、あんたの女はトーツキーの愛人だったって言われて恥ずかしくない?」

 「いいえ、恥ずかしくありません・・・あなたは自分の意志でトーツキーさんの所にいたのではありません。」


 「では決して責めない?」

 「責めません。」


  「ナスターシャ・フィリッポヴナ、」公爵は静かに、同情するように言った、


「あなたが今、取り返しのつかないほど自分を破滅させようとしたのは、あれから決して自分を許そうとしないからです。あなたには何の罪もないことなのに。

あなたの人生がすっかりもう滅びたなんてはずはありません。

誇り高いあなたですが、ナスターシャ・フィリッポヴナ、でも、あるいはあなたはもう、不幸せのあまり、本当に自分が悪いと思っているかもしれません。

あなたには充分ないたわりが必要です、ナスターシャ・フィリッポヴナ。

僕があなたをいたわりましょう。

僕はさっきあなたの写真を見て、よく知っている顔を認めたような気がしました。

僕にはすぐに、その時まるであなたが僕を呼んでいるかのように思われました・・・
僕・・・僕はあなたを一生大切にします、ナスターシャ・フィリッポヴナ。」


 「ありがとう、公爵、今まで誰も私にそう言ってくれなかった、」

ナスターシャ・フィリッポヴナは言った、

「私は売り買いされるばかりで、結婚はまだ誰一人ちゃんとした人は申し込んでくれなかったわ。

お聞きになった、アファナシー・イワノヴィチ?

公爵の言ったこと、あなたにはどう思われたでしょう?

あまり慎みがないかしらねえ・・・

ラゴージン!あんた行くのはちょっとお待ちよ。

でもあんた、どうやら行きゃしないわね。

もしかしたらあたし、まだあんたと一緒に出かけるかもしれないわよ。

あんたどこへ連れて行くつもりだったの?」


 「エカテリンゴフですよ」と、隅からレーベジェフが告げたが、ラゴージンは身震いひとつすると、自分を信じかねるように一心に見つめていた。

彼は頭を強打したかのように、すっかり麻痺していた。


 「まああんたどうしたの、あんたどうしたのよ、ねえ!

ほんとに発作を起こしてるんじゃないの。 それとも気が違ったの?」

ダーリヤ・アレクセーエヴナはびっくりして飛び上がった。


 「あらあんた本気にしてたの?」

ナスターシャ・フィリッポヴナは笑いながらソファから飛び上がった。

「こんな赤ちゃんをめちゃめちゃにしちゃうわけ? それならちょうどアファナシー・イワノヴィチがいるじゃない。 あの人はね、小さな子が大好きなのよ。

行くわよ、ラゴージン! 自分の包みを持って!

結婚したいってのもかまわないけど、そのお金はやっぱりちょうだいね。

あたしはまだあんたと一緒にならないかもしれないわ。

あんたはさ、結婚もするつもりだけど、包みも手元に残ると思ってたんでしょ?

ばかね! あたしだって恥知らずよ!

あたしはトーツキーの愛人だったのよ・・・

公爵!

あんたに今必要なのはアグラーヤ・エパンチナであって、ナスターシャ・フィリッポヴナじゃないの、でないとフェルディシチェンコに後ろ指さされることになるわ!

あんたは怖くなくたって、あたしはあんたをだめにしてそれを後であんたに責められるのが怖いの! それにあんたは堂々とあたしがあんたに名誉を与えるって言ってくれたけど、それについちゃトーツキーさんがよく知ってるわ。

それとアグラーヤ・エパンチナといえば、ガーネチカ、あんた取り逃がしたわね、あんたそれわかってる? あんたが駆け引きしたりしなければ、あの人きっとあんたと一緒になったわ!

あんたがたはみんなそんなふう。

相手にするなら恥ずべき女か、立派な女か、どちらかひとつよ!

でないときっとごたごたするから・・・見て、将軍たら、口をぽかんと開けて見てる・・・」


 「こりゃソドムだ、ソドムだ!」と将軍は肩をすくめながらつぶやいた。

彼もソファから立ち上がった。

再び皆が立ち上がっていた。

ナスターシャ・フィリッポヴナは狂乱状態のようだった。


 「まさか!」公爵は両手をよじりながらうめいた。


 「あんたは違うと思った?

あたしはね、高慢かもしれないけど、かまわないわ、恥知らずで!

あんたさっきあたしを完璧と言ったわね。

見事な完璧だわ、虚栄心ひとつで、百万も公爵の身分も踏みつけにして、スラムに行くのよ!

さあ、こうなるとあたし、あんたにとってどんな奥さん?

アファナシー・イワノヴィチ、なにしろ百万だってあたしはほんとに窓から放り投げちゃったのよ!

あなたどうして思ったの、あたしがガーネチカと、あなたたの七万五千と結婚するのを幸せと考えるなんて?

七万五千はあんた取っときなさい、アファナシー・イワノヴィチ、

十万とまでいかなかったのは、ラゴージンの勝ちね!

ああ、ガーネチカはあたしが慰めてあげなくちゃ、ひとつ思いついたわ。

ああ、あたし歩きたくなったわ、だって街の女だもの!

あたしは十年牢獄に座って過ごして、今が幸せなの!

どうしたの、ラゴージン?用意して、行くわよ!」


 「ねえあんた何わめいてるの!」ナスターシャ・フィリッポヴナは彼を笑った。

「あたしはまだここでは主人よ。その気になればまだ一突きであんたを追い出すわよ。

あたしはまだあんたからお金をもらってないわ、ほらそこにある。 それをこっちにちょうだい、包みごと!

この包みの中が十万ね? へ、なんていまわしいこと!

どうしたの、ダーリヤ・アレクセーエヴナ? いったいあたしにこの人をだめにしたりできる?

(彼女は公爵を指さした。)どうしてこの人に結婚できるの、まだ自分に乳母が必要なのに。

そこにいる将軍がこの人の乳母になるわ。 ほら、彼につきまとってる!


見て、公爵、あんたの花嫁は金を取ったわよ、堕落した女だからね、

あんたはそんなのをもらおうとしたのよ!


でもあんた何よ泣いたりして?

ねえ、悲しいの?笑ってちょうだいよ、あたしみたいに」


と、話し続けるナスターシャ・フィリッポヴナの両の頬にも大粒の涙が二つきらめいていた。


「時を信じること−−何もかも過ぎてしまうわ。

後で考え直すより今の方がいい・・・


ああ、でもなんであんたたちみんな泣くの。 カーチャまで泣いて!

どうしたの、カーチャ、ねえ? あたし、あんたとパーシャにいろいろ残しとくからね、もう言いつけておいたのよ、でも今はさようなら!

あたしはあんたみたいな立派な娘にあたしの、堕落した女の世話をさせたりして・・・

これでいいのよ、公爵、ほんとにいいのよ、後であたしを軽蔑するようになって、あたしたち幸せにはなれないわ!

誓ってもだめ、信じないわ! それにどんなばかげたことになるやら!・・・

いいえ、気持ちよくさよならにしましょう

、だってそうしないとね、あたしは夢想家で、何の役にも立ちゃしないんだから!


あたしがあんたを夢見なかったと思って?

あれはあんたの言う通り、長いこと夢想したわ、


まだ村のあの人のうちにいて、五年間ひとりぼっちで過ごした頃。

考えて考えて、夢ばかり見続けたものよ。 するといつも、思い浮かんだわ、

あんたのような、優しくて、誠実で、いい人で、それでやっぱりばかそうな人が突然現れて言うの、


『あなたに罪はありません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、

私はあなたを崇拝します!』

よくそんな空想をすると気が狂いそうになるものよ・・・

そこへほら、この人が到着するの。


年に二ヶ月滞在して、辱め、傷つけ、怒らせ、堕落させ、帰っていく。

それで何度も池に身を投げようとしたけど、卑劣だったし、心が弱かったから、

ええ、それでこうして・・・

ラゴージン、用意は?」


 「いつでもこいだ!近寄るんじゃねえ!」

 「いつでもこいだ!」といくつかの声が聞こえた。

 「鈴のついたトロイカが待ってるぜ!」

 ナスターシャ・フィリッポヴナは包みをつかんだ。


 「ガーニカ、あたしひとつ思いついたの。 あたしあんたにご褒美をあげたいの。 だってあんた何もかもなくしちゃっちゃねえ。

ラゴージン、この人は三ルーブリでワシリエフスキー島まで這っていくのね?」


 「這っていくさ!」

 「さあ、それじゃ、お聞きなさい、ガーニャ、あたしはこれが最後、あんたの心を見てみたいの。 あんたはまる三月あたしを苦しめた。 今度はあたしの番よ。

この包みを見て、十万入ってるのよ!

それをあたしは今、暖炉に投げ込むわ、火の中へ、みんなの前で、みんな証人よ! 火が全体を包んだ瞬間に、暖炉に手を突っ込むのよ、ただし手袋なし、素手で、袖をまくってね、それで包みを火から引っ張りだすのよ!

引き出したら、あんたのものよ、十万全部、あんたのものよ!
少しばかり指を焦がしても、なにしろ十万よ、考えてごらんなさい!

つかみ出すのは簡単よ!

あたしはね、あんたがどんなふうにあたしのお金のために火の中に突っ込むかであんたの魂を見るんだから。 みんなが証人、包みはあんたのものになるわ!

突っ込まなければ、そのまま燃えてしまうのよ。 誰にも許さないからね。

どいて!みんなどいて!あたしのお金よ!

あたしが一晩でラゴージンから取ったのよ。あたしのお金よね、ラゴージン?」


 「おまえのだとも!おまえのだ、女王様!」

 「さあ、それじゃみんなどいて、あたしがしたいようにするの!

邪魔しないで!フェルディシチェンコ、火を直して!」


 「ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が言うことを聞きません!」ぼう然としてフェルディシチェンコが答えた。

 「ああもう!」とナスターシャ・フィリッポヴナは叫んで火ばしをつかみ、くすぶっているまきを二つ掻き起こし、火が燃え上がるやいなや、その上に包みを投げた。

 まわりに叫び声が起こった。それどころか多くのものは十字を切った。

 「気が狂った、気が狂った!」まわりの人たちは叫んだ。

 「い・・・いいのかな・・・彼女を縛らなくて?」将軍がプチーツィンにささやいた

、「それとも入れてしまうか・・・だって気が狂ったんだろ、気が?狂ったんだろう?」

 「い、いいえ、これは完全な発狂ではないかもしれません」と、ハンカチのように青ざめ、震えながらプチーツィンは、くすぶりだした包みから目を離すこともできずにささやいた。

 「狂ってるね?狂ってるんだね?」と将軍はトーツキーを煩わせた。

 「毛色の変わった女だと言ったでしょう」と、やはり少し青ざめたアファナシー・イワノヴィチがつぶやいた。
 

 「ラゴージン、出発よ!

さよなら、公爵、初めて人間に会ったわ!

さようなら、アファナシー・イワノヴィチ、メルシー!」


 ラゴージンの一団は騒々しく大声を立て、叫びながら、ラゴージンとナスターシャ・フィリッポヴナの後に続き、部屋部屋を通り抜け、出口へ殺到した。

ホールでは娘たちが彼らにコートを渡した。

料理女のマルファは台所から駆け出してきた。ナスターシャ・フィリッポヴナは彼ら皆にキスをした。

 「では本当に奥様、私たちをすっかり見捨ててしまわれるんですか?

ではいったいどこへおいでですの? それにお誕生日に、こんな日に!」


と尋ねながら娘たちは泣き出し、彼女の手にキスしていた。


 「街へ出るのよ、カーチャ、

あんた聞いてたでしょ、そこがあたしの場所なの、でなけりゃ洗濯女よ!

アファナシー・イワノヴィチとはもうたくさん!

あの人にあたしからよろしくね、悪く思わないでね・・・」 
http://homepage3.nifty.com/coderachi/doct/idiot-1.html#ch11


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1. 『白痴』における虐げられた女性たちの考察 
 
―ナスターシャ・フィリポヴナの形象をめぐって 高橋誠一郎


はじめに ―― 『白痴』の主人公について


『白痴』においてドストエフスキーは、ムイシュキンにフランスの処刑制度を批判させながら

「聖書にも『殺すなかれ!』といわれています。それなのに人が人を殺したからといって、その人を殺していいものでしょうか? いいえ、絶対にいけません」

と明確に語らせていた。

 つまり、決定稿におけるムイシュキンは、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老や、若きアリョーシャにつながる風貌を持っている。

 そしてこのような「哲学者」的な風貌を持つムイシュキン像は、5000万人以上の死者を出した第二次世界大戦の反省を踏まえて製作された黒澤明監督の名作「白痴」でも、登場人物を日本人に移し替えながらも、

「滑稽」に見えるが、「一番大切な知恵にかけては、世間の人たちの誰よりも、ずっと優れて」いる人物

として、きわめて説得的に描き出されていた。

そして、そのようなムイシュキン像は本場ロシアや海外の研究者たちによってきわめて高く評価された。


 さらに、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いているように、「ドストエーフスキイの会」に集った日本の研究者たちも、同じような感想を抱いていた。

たとえば、「ドストエフスキーと黒澤明とはいわば私の精神の故郷である。他の多くの人にとってそうであるように」と記した国松氏も、ラストのシーンでアグラーヤ役の綾子が、


「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……

私……私、なんて馬鹿だったんだろう……

白痴だったの、わたしだわ!」


と語っていることに注意を促している。


 私はキリスト者ではないが、初めて『白痴』を読んだときからムイシュキンという主人公に、ドストエフスキーが与えようとした「キリスト公爵」としての風貌の一端を感じ、彼が語る「哲学」からは強い知的刺激や励ましをも受けてきた。

私も、重要な登場人物たちとの関係をとおしてドストエフスキーが描こうとしたムイシュキン像を再考察することにより、私が考える『白痴』の意義をドストエフスキーの愛読者に率直に提示して批判を求めたい。ただ、時間や紙数などの関係から、本発表ではナスターシャ・フィリポヴナの形象を中心に考察する。


(1) 『白痴』の時代とナスターシャの形象

 
 多くの研究者が指摘しているように『白痴』には、死にまつわるエピソードが多い。
たとえば江川卓氏は、

「とくに目立つのはムイシュキン公爵が死について語り、あるいは死に遭遇する機会が異常に多いことである」

とし、

「とにかくこの『白痴』では、いたるところに殺人、自殺、死がちりばめてある」
と記している。


亀山氏もドストエフスキーが

「ロシアから送られてくる新聞を貪るように読み、徐々に剣呑な状況へはまりこんでいく祖国の姿を遠方から固唾をのんで見守っていた」

とし、

「紙面にあふれかえる凶悪事件に、彼は文字通り圧倒された。

ウメツキー一家事件、マズーリン事件、ジェマーリン一家惨殺事件、商人スースロフ殺人事件。

『罪と罰』執筆時とは比べものにならぬほどの強い危機感が彼をとらえようとしていた」と書いている。


 たしかにこの指摘はドストエフスキーの当時の気持ちの一端をうがっているだろう。

しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』(1866年)で「悪人」と見なした「高利貸しの老婆」の殺害を行ったラスコーリニコフに、自分が犯した殺人と比較しながら、

「なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうがより高級な形式なんだい」

と反駁させていたが、同じ年に起きたプロシア・オーストリア戦争は、近代的な兵器による殺戮の大規模化と普仏戦争など新たな戦争の勃発をも予想させた。

このような戦争の拡大や軍国主義に危機感を抱いた平和主義団体は「民族の平和と自由の思想」を広めるためとして、翌年の9月にジュネーブで国際会議を開いた。


そこでロシアの代表として演壇に立ったのが、プラハやドレスデンの蜂起に参加し、「サクソニヤとオーストリヤとロシヤでは囚人」となり、二度も死刑宣告を受けながらも、脱出に成功したことで英雄視されるようになっていたミハイル・バクーニンであった。


そのバクーニンは、ロシヤ帝国を「人間の権利と自由の否定の上に成立している」と糾弾し、「未来のヨーロッパ連邦」を築くために滅亡させることを要求した。

グロスマンは「国際会議」でバクーニンが行った演説の内容を知ったドストエフスキーが「バクーニンを主人公にしてロシヤ革命を扱った小説を書こうという自分の意図」を固めたと書いている。

「平和のため」としながらも「火と剣」を要求し、「あらゆるものが絶滅したあとに初めて平和が訪れる」としたバクーニンの主張が、ドストエフスキーにきわめて深刻な印象を残したことは確かだろう。


 1862年の夏に「長いことあこがれ」ていた西欧への初めての旅行を行い、『冬に記す夏の印象』において

「数百万の富を有し、全世界の富を支配する」ロンドンの繁栄だけでなく、

労働者たちの住む貧民窟や「毒に汚されたテムズ河、煤煙にみちみちた空気」

など近代科学が生み出した環境の悪化をも記したドストエフスキーは、そこでゲルツェンやバクーニンとも会っていたのである。


 それゆえ、1869年11月にロシアでバクーニンとも深いつきあいのあったネチャーエフによる陰湿な殺人事件が起き、その翌月にはペトラシェフスキー・サークルの旧友でもあったドゥーロフの死を知ると、ドストエフスキーは『悪霊』のノートをとりはじめ、「スタヴローギン像の創造」に着手することになる。


 なぜならば、非凡人は

「自分の内部で、良心に照らして、血を踏み越える許可を自分に与える」

のだとラスコーリニコフに説明させて、「良心」理解が誤った思いこみに陥った際の危険性を具体的に示していたドストエフスキーは、予審判事のポルフィーリイに

「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」

と批判させていた。


そして、そのエピローグでは旋毛虫に犯されて自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が互いに殺しあって、ついに人類が滅亡するというラスコーリニコフの悪夢が描かれていたのである。


 ドストエフスキーがロシアのキリスト公爵として描こうとしたムイシュキンに、フランスの「死刑」を批判させることによって、「文明」の名のもとに自らの「正義」によって人を裁き、「他者」を殺すことへの鋭い疑問を投げかけていたことを思い起こすならば、『白痴』において死が多く描かれているのは、ある意味で当然だと思える。

ドストエフスキーはムイシュキンに

「骨の髄まで悪のしみこんだ者でも、…中略…自分の良心に照らして悪いことをしたと考えている」

が、自分の思想に基づいて殺人を行った者は、

「自分のしたことは善いことだ」と考えていると指摘させている。

『罪と罰』でラスコーリニコフの「自己中心的な理論」の問題点を指摘しただけでなく、暴利を貪る「高利貸し」の非道性も鋭く批判していたドストエフスキーは、『白痴』においても

「こんな男なら、お金のために人殺しでもするでしょうよ。

ねえ、いまじゃ人は誰でもお金に眼がくらんで、まるでばかみたいになっているんですからね」

とナスターシャ・フィリポヴナに語らせ、

「まだまったくの子供みたいな人までが、高利貸しのまねをしているんですからね」

と続けさせているのである。


 ナスターシャのこの言葉は、近代西欧社会の現実を踏まえた上でのドストエフスキーの鋭い問題意識を反映しているといえよう。

つまり、ドストエフスキーは『白痴』において金銭ばかりが重視され、金儲けのためには殺人をも厭わないような傾向をも示し始めたロシア社会を厳しく分析しているのである。


(2) ナスターシャ・フィリーポヴナとトーツキイの関係をめぐって


 『白痴』における主人公がムイシュキンであることには誰も異議はないだろうが、この作品を書いていたときにドストエフスキーはマイコフに宛てた手紙で、この長編小説には「二人の主人公」がいると書いて、ナスターシャの重要性を強調していた。


 このことに注目したロシアの研究者フリードレンデルは、ドストエフスキーがその作品において女性が虐げられていることの「社会的原因」や「女性のたどる運命の問題」を描き続けて来たとして、『椿姫』との関連も指摘している。


 実際、両親が所有していた村が火事で焼け、そのために苦労した母親が病死したあとでは妹たちが親戚に引き取られたという苦い体験をしていたドストエフスキーは、
第一作『貧しき人々』において、村の管理人を務めていた父親がリストラされたあとでの少女の苦難に満ちた人生を描き、

『白痴』においても両親が亡くなった後のナスターシャの苦難に満ちた人生に読者の注意を向けているのである。


 すなわち、ナスターシャの父は軍隊を退役した後で「所有地の少ないきわめて貧しい地主」となり、

借金を重ねるような貧乏暮しをしながらも、「幾年か百姓同様の怖ろしく辛い労働をつづけ」、

「財政をどうにか建てなおすことができた」矢先に、

債権者たちと話しあうために出かけた先で、自分の屋敷が火事で焼け、妻も焼け死んだという報せを受けて、

絶望のあまり「気が狂って、一カ月後には熱病で死んでしまった」。

 その後、「焼けた領地は、路頭に迷った百姓たちもろとも、借財の返済にあてられ」たが、

生き残った二人の女の子は、隣りに豊かな領地を所有していたトーツキイが「持ち前の義侠心から」手もとに引き取り、「支配人である大家族持ちの退職官吏のドイツ人の子供たちといっしょに」育てたのである。

 ナスターシャの妹は病気で亡くなったが、5年後に自分の領地を訪れた際に12歳になったナスターシャが美しく成長していたのをみたトーツキイは、「この道にかけては」、「決して眼に狂いのない玄人であった」ので、

ナスターシャに貴婦人としてふさわしいような特別な教育を施し始める。


 こうして、

「年頃の娘の高等教育に経験のある、フランス語のほかに一般学科を教えるりっぱな教養あるスイス婦人が家庭教師として招かれ」、

「ちょうど四年後にこの教育は終り、家庭教師の婦人は立ち去った」。

 その後で訪れた女地主は、

16歳になったナスターシャを「慰めの村」と呼ばれていたトーツキイの領地の一つである小さな村に「トーツキイの指図と委任とによって」、連れていき、
「しゃれた飾りつけ」の「建ったばかりの木造の家」に住まわせた。


 「慰めの村」と呼ばれていた小さな村でのトーツキイとの生活について、ナスターシャは
 
「そこへあの人がやってきて、一年に二月ぐらいずつ泊まっていって、
けがらわしい、恥ずかしい、腹の立つようなみだらなことをして、帰っていくんです。(……)

あたしは何べんも池に身投げしようと思ったけれど、卑怯にもその勇気がなかった」
と告白している。


 この言葉に注目した亀山氏は、

「わしらのなにより楽しみっていえば、娘っこに鞭打ちの仕置きを食わせることでしてね。

鞭打ちの役はぜんぶ若い衆にまかせるんですがな。

そのあとで、今日ひっぱたいたその娘っこを、明日はその若い衆が嫁にとる。
だから、娘っこたちにしてもそいつが楽しみなんですな」

という『カラマーゾフの兄弟』のフョードルが聞き及んだ田舎の老人の話を紹介しながら、

「トーツキイの快楽とは、田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式だったと私は思います」

と結論している。


しかし、「慰みの村」におけるトーツキイとナスターシャの関係から、「鞭の快楽」を連想することは妥当なのだろうか。


 なぜならば、亀山氏はトーツキイとナスターシャの関係を「領主と農奴の娘」の関係に擬しているが、

「慰みの村」でナスターシャが与えられた家には、「年寄りの女中頭とよく気のつく若い小間使い」がいたばかりでなく、「さまざまな楽器、少女むきのすばらしい図書室、絵画、銅版画、鉛筆、絵具が揃っており、素敵な猟犬までがいた」。


 つまり、ナスターシャはそこで「農奴の娘」どころか、「領主夫人」なみの扱いを受けていたのであり、

それゆえ、

「四年あまりの歳月が、何事もなく幸福に、優雅な趣のうちに、流れていった」と記されているのである。


 これらの文章はナスターシャと正式には結婚していなかったものの、おそらくトーツキイが将来的な結婚の約束を「慰みの村」で与えていた可能性が強いことを物語っていると思われる。

 そして下線の文章に注目するならば、

「トーツキイがペテルブルグでも富も家柄もある美貌の女(ひと)と結婚しようとしている」という「噂(うわさ)」を伝え聞いたときになぜナスターシャが、それまでとは「全く別の女性」として現れ、トーツキイには「結婚を許さない」と宣告したかが分かるだろう)。


 しかも、「小ねずみ」を語源とする「ムイシュカ」という単語から派生した「ムイシュキン」という滑稽な感じの名字をもつ主人公が、かつての名門貴族の出身であったと記したドストエフスキーは、

「子羊」を語源とするバラシコーワという名字を持つナスターシャの家柄についても
「かつては由緒ある貴族の出身」であり、「かえってトーツキイなどよりも家柄」がよかったとも記している。

 つまり、自分の所有する領地の一つの隣に住んでいた名門だが没落した貧しい貴族の夫婦が焼け死んだことで、トーツキイは慈善家のような形で名家の娘を育て、さらに愛人として所有していたのである。

それゆえ、トーツキイの結婚の噂を聞いたときに、初めて自分がパリの「高級娼婦」のような存在に過ぎなかったことを思い知らされたナスターシャは、「からからと大声で笑いながら、毒々しい皮肉を浴びせ」たのだと思える。

 このように見てくるとき、彼女が語る「腹の立つようなみだらなこと」とは、鞭打ちに快楽を感じるような性愛を指すのではなく、
それまで自分が愛の営みとして受け取っていた行為が、トーツキイの快楽の手段であったことへの怒りの言葉と見なすべきであろう。

 ただ、「鞭の快楽」が「田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式」とされているが、それは『地下室の手記』や『死の家の記録』など重要な作品の解釈とも密接に結びついているので、もう少しその点に触れておきたい。

 すなわち、亀山氏は、『地下室の手記』にはクレオパトラが

「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し、彼女たちが叫び、身もだえるのを見てよろこんだという」

というエピソードが書かれていることを紹介して、ここでは「ドストエフスキーの変貌は決定的なものになった」と断言しているのである。

そして、「おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある」と語る「地下室の男」の言葉を引用して亀山氏は、ここでは「受け身の快楽をことさら強調してみせることで、暗に虐待する人間の快楽を正当化するという戦法」がとられていると続けている。


 しかし、『イギリス文明史』で「楽観的な進歩史観」を主張した歴史家バックルにたいして、ドストエフスキーは「地下室の男」を敢然と立ち向かわせているとイギリスの研究者ピース氏が指摘しているように、

「歯痛にだって快楽はある」と語る主人公の論理は、屈折しながらも、きわめて鋭い西欧文明批判を秘めている。


 つまり、「地下室の男」はここで、

「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し」て喜んだクレオパトラの「野蛮さ」と、
「血はシャンパンのように」多量に流されている近代の戦争とを比較することで、「自己の正義」を主張して「他国」への戦争を正当化している近代西欧文明の方が、古代エジプトよりもいっそう「野蛮」であることを指摘して、バックルの主張に厳しい反駁を加えていたのである。


 さらに、貧しい人々を治療する医師だった父が、農奴の所有者になると一変して、農奴を鞭打つことも当然としたことを厳しく批判していたドストエフスキーは、亀山氏も指摘しているように、『死の家の記録』で笞刑を行うことに慣れた刑吏の心理を分析して、

「もっとも残酷な方法で」、「他者」を「侮辱する権力と完全な可能性を一度経験した者は、もはや自分の意志とはかかわりなく感情を自制する力を失ってしまうのである」
と指摘していた。

 つまり、「他者」にたいする鞭打ちという体刑を認めないドストエフスキーの姿勢は、『カラマーゾフの兄弟』まで変わることなく一貫していたのであり、そのように理解しないと子どもの虐待をめぐるイワンとアリョーシャの白熱したやり取りもその意義を失うことになると思われるのである。


(3) ナスターシャとロゴージンの形象をめぐって


 ナスターシャ・フィリポヴナのバラシコーワという名字が、「子羊」を語源とする「バラーシェク」という単語から採られていると記した亀山氏は、ムイシュキンの名前がライオンという意味のレフであることにも注意を促している。

そして、バラシコーワという名字は「アベルによって神に捧げられた犠牲の子羊のイメージ」と重なり合っているとし、「旧訳聖書の文脈に従うなら、ナスターシャはアベル=ムイシュキンによって屠られるべき存在です」と主張している。


 ただ、このような亀山氏のナスターシャ像は突然生まれたのではなく、ナスターシャの名前や父親の名前から造られるロシア独特の父称などに注目して、

ドストエフスキーには明らかに

「ナスターシャ・フィリッポヴナを鞭身派の一信徒に擬そうとする意図」

があったと解釈した江川卓氏の 『謎とき「白痴」』 から強い影響を受けていると思われる。


 すぐれた語学力と読解力を活かして、登場人物の名前や動詞の意味だけでなく、フォークロアや法律書にまで踏み込んだ鋭い分析がなされている江川卓氏の『謎とき「罪と罰」』(1986年)から私は、多くの知的示唆を受けた。


 しかし、『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』(1991年)の後に書かれた『謎とき「白痴」』(1994年)を読んだ時には強い違和感が残った。

おそらくそれは、ロゴージンやナスターシャの名前について言語的なレベルからの考察をとおして、旧教徒のセクトとのかかわりが指摘される一方で、『罪と罰』のテーマとの深いつながりや、ナスターシャとムイシュキンの関係を分析する上ではきわめて重要な役割を担っている『椿姫』などへの言及などがほとんどなかったためだろう。


 たとえば江川氏は、

「情熱の権化のように言われていた」ロゴージンの名前が、ギリシャ語で「童貞」を意味する「パルテノス」を語源とするパルフョンであることや、「死人のような蒼白さ」という表現から去勢派の教義に従った人物と読み取っている(185)。


 たしかに、

ロゴージンの父親が去勢派や鞭身派などの旧教のセクトに強い関心を持っており、
伯母も「職業的な修道女で、旧教派の中心地であるプスコフに住んでいる」

と描かれており、ムイシュキンもロゴージンが将来

「二本の指で十字を切ったり」、

「ニコンの改革前の聖書を読んだりするようになる」

可能性を示唆している。


 しかし、「熱病にかかってまる一月も」寝込んでいたロゴージンが、病みあがりにもかかわらずナスターシャと会うために夜汽車で駆けつけようとしていたと書かれていることに留意するならば、ここでは彼の情熱が強調されていると考える方が自然だろう。
しかもグロスマンが書いているように、

ドストエフスキーはここで「プーシキンの名前すら知らない」、文盲に近いロゴージンが

「民族の伝統や、昔の民間信仰と固く結びついて」いる一方で、

「西欧化した新しい風俗のハイカラさ、つまりひげを短く剃りこんだり、色つきのチョッキを着て、めかしこんだりする『大商人』のタイプとはおよそ掛け離れて」いた
ことを強調しているのである。


 そして、ムイシュキンはロゴージンのことを「情欲だけの人間ではない」、「人生の闘士」だと感じ、

「彼は苦悩することも同情をよせることもできる大きな心を持っている」とも考えている。

ことに、「二人でプーシキン」を「すっかり読んだ」と語っていることに注目するならば、

吝嗇な父親と息子の対立と父親の殺害にいたる経過を描いたプーシキンの『吝嗇の騎士』

をも彼らが読んでいたことは確実だろう。


 すなわち、『白痴』を書いていたころのドストエフスキーは、旧教徒にも一定の意味を認めていたのである。

ムイシュキンは情熱に駆られて極端にまで走りかねないロゴージンの民衆的なエネルギーとその可能性を信じて、彼とともにプーシキンの作品を読むことで、彼に正しい方向性を示そうとしていたのだと考えられるのである。


 さらに、「権力を重視し」、他者の「処刑」を認めていた当時のカトリックを、「ゆがめられたキリストを説いている」と厳しく批判したムイシュキンは、

「自分の生れた国を見捨てた者は、自分の神をも見捨てたことになる」

といった旧教徒の商人の言った言葉を紹介しながら、

ロシアの「鞭身派」でさえ、「ジェスイット派や無神論」などよりも、「ずっと深遠でさえあるかもしれません」

と語っている)。


 この言葉に注目するならば、ここに見られるのは「クレオパトラ」と比較しつつ、「近代西欧文明」の「野蛮さ」を指摘した「地下室の男」と同じような論法であるといえよう。

すなわち、自らを傷つけたロシアの「鞭身派」と比較することで、「異教徒」や「皇帝」の「殺害」をも正当化する「ジェスイット派や無神論」の「野蛮性」をムイシュキンは強調しているのである。


 しかし、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を『ロシア報知』に掲載した1880年には、以前から交際していた保守的な政治家で、ロシア正教以外の宗教的な価値を認めなかったポベドノースツェフが、ロシアの教育と宗教を総括する総務院の総裁となっていた。

それゆえ、このころには再び厳しさを増していた検閲のために、ロシア正教の異端とされた旧教徒をも否定的に描かざるをえなくなっていたと思える。

去勢派などとの関わりが暗示されている『カラマーゾフの兄弟』におけるスメルジャコフの否定的な形象はこのような時代状況のなかで生み出されたのである。


 こうして、スメルジャコフに「去勢派(スコペッツ)」の影を色濃く見て、『白痴』論でもその連想から「新しい」ロゴージン像を描き出した江川氏は、そのような視点からナスターシャ・フィリポヴナにも「鞭身派」の影を強く見出している。


 たとえば、第三編では

「もうこうなりゃ、ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。

それよりほかにあんな売女(ばいた)をやっつける法はないさ!」

と一人の青年将校から大声で批判されたのを聞いたナスターシャが、

「相手のステッキを引ったくって、その無礼者の顔をはすかいに力いっぱい打ちすえた」

という場面が描かれている。


 ここで「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ」という表現に用いられている
「鞭(フルイスト)」という単語が、「鞭身派(フルイストフシチナ)の名称の起りとなったことばである」

ことを指摘した江川氏は、

734年に処刑された「鞭身派の聖母」がナスターシャ・カルポヴナという名前を持っているばかりでなく、

ナスターシャの父称が「鞭身派の教祖ダニイラ・フィリッポヴィチ」の父称とも同じであることに注意を促して、

「ナスターシャ・フィリッポヴナという名が、鞭身派の神話を背負った名であることは自明である」

と断言していた。

 しかし、当時のロシアでは妻や子供に対する「躾」のために鞭をふるったりすることは伝統的に認められていたのであり、軍隊では兵士に対する殴るなどの体罰が日露戦争の最中にも行われていた。

このことを考えるならば、とりわけ青年将校が「鞭でこらしめねばならない」と語るのは特別なことではないと思える。

 しかも、『白痴』ではしばしば高級娼婦と貴族の若者の悲恋を描いた『椿姫』が話題となっていることを思い起こすならば、

「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。それよりほかにあんな売女をやっつける法はないさ!」

という言葉に激しく反発したナスターシャの反応には、娼婦と呼ばれたことへの彼女自身のプライドの問題や、女・子供や農民出身の兵士の教育には「鞭」が必要だと考える伝統的な道徳の問題が提起されていると考えるほうがむしろ自然であろう。


 つまり、『謎とき「白痴」』が『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』の後で書かれたという事情もあり、

江川氏がロゴージンやナスターシャの形象を1860年代の大地主義的な世界観によってではなく、厳しい検閲によって制約を受けていた晩年の記述によって、ロゴージンやナスターシャを旧教徒のセクトと結びつけて解釈している可能性が強いと思えるのである。

そして、亀山氏の『白痴』論では重要な登場人物とムイシュキンとの関係の考察が省かれことにより、ナスターシャにおけるマゾヒズムへの傾向がいっそう強調されることになったのだと思える。


4.『白痴』の現代性


 ところで、長編小説『椿姫』は、『三銃士』などの作品で知られるアレクサンドル・デュマの私生児として生まれたデュマ・フィスによって、2月革命が起きた1848年に書かれた。

そして、主人公がアルマンの腕に抱かれて亡くなるというメロドラマ的な筋書きのオペラ『椿姫』とは異なり、到着が遅れたために主人公がマルグリットの死に目に会えないという発端を持つこの『椿姫』は、フリードレンデル氏などが指摘しているように、ドストエフスキーの『白痴』にもきわめて強い影響を与えている。


 つまり、訳者の新庄嘉章氏が書いているように、この作品でデュマ・フィスは高級娼婦であったマルグリットの純愛と犠牲的な死をとおして、「男性の利己主義的な行為」や、「それを助長させる金銭の力」や「それを黙認している世間の慣習」を厳しく批判していたのである(新潮文庫、1950年)。

 そしてドストエフスキーも『冬に記す夏の印象』(1863年)において、
ナポレオン三世治下のフランス社会には「すべての者が法の範囲内で何でも行える同一の自由」があることを認めたあとで、次のように「フランス的自由」を厳しく批判していた。

 「いつ欲することをすべて成すことができるのだろうか? 

百万をもっている時である。自由は各人に百万を与えるだろうか? 

与えはしない。

百万を持っていない者は何者だろうか? 

百万がない者は、何でも好きなことができる者ではなく、何でも好きなことをされる者である」。


 実は、敗戦後まもない1951年に上映された黒澤明監督の映画『白痴』では、キリスト教的な背景ばかりでなく、このような社会的背景をもきちんと描かれていた。

さらに私見によれば、この作品で黒澤明はムイシュキンの存在を

ロゴージン・ナスターシャ・ムイシュキンという「欲望の三角形」的な関係に縛られる者としてではなく、むしろ精神科医的な視点から、

「何でも好きなことをされる者」としてのナスターシャの苦悩を、治癒しようとして果たし得なかった者として描いているのである。


 この意味で注目したいのは、ロンドンで開かれていた万国博の会場である水晶宮を訪れて、

「全世界から集ったこれら無数の人間の全てをここで一つの群に集めた恐るべき力」を感じたドストエフスキーが、

イギリスの社会はキリスト教を名乗りながらも、実際には儲けの神である異教の神、「バール神」に屈服した

と厳しく批判するとともに、

「バールの神を偶像視したりしないようにするには」、「幾世紀にもわたるおびただしい精神的抵抗」が必要とされるだろうと記していたことである。


 つまり『白痴』における考察は、市場原理主義に基づいた極端な「規制緩和」により格差社会が生まれる一方で、それまでアメリカ企業の模範とされてきたリーマン・ブラザーズが、カジノ資本主義的な手法のサブプライム・ローンによって破綻し、世界が金融危機に陥った現代の状況をも予測するような深いものだったといえよう。
http://dokushokai.shimohara.net/t111.htm

果たしてムイシュキンは殺人の「使嗾者」か?

――黒澤明監督の映画『白痴』を手がかりに   高橋誠一郎


 黒澤自身が最も高く評価した自作の一つが、ドストエフスキーの『白痴』を終戦直後の混乱した時代の日本に置き換えて描いた映画『白痴』(1951)であった。

 上映時間四時間二五分という大作となったこの作品は、観客の入りを重視した経営陣から大幅なカットを命じられたために、時折、字幕で筋の説明をしなければならないなど異例の形での上映となり、日本では多くの評論家から「失敗作」と見なされた。

それにもかかわらず、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いたように、映画『白痴』は原作を熟知している本場ロシアや海外、そして日本の研究者たちからはきわめて高く評価された。

 一方、近年の日本は「グローバリゼーション」の名の下に、「新自由主義」が幅をきかすようになって「格差社会」が一気に進んだ。

ちょうどその頃に出版された研究書で亀山郁夫氏は、

ナスターシャの殺害をロゴージンに「使嗾」したのはムイシュキンであり、

「現代の救世主たるムイシキンは、じつは人々を破滅へといざなう悪魔だった」

と結論した(『ドストエフスキー 父殺しの文学』上巻、NHK出版、2004年、285頁)。


 そして、亀山氏のこのようなドストエフスキー論はマスコミで賞賛され、学校などでも読書コンクールの対象図書とされたことで若者たちの間でも広まっている。

亀田(ムイシュキン)を「真に美しい善意の人」として描いた黒澤明の『白痴』理解は、全くの誤読だったのだろうか。

 この意味で注目したいのは、大著"Dostoyevsky―― An Examination of the Major Novels"(Cambridge University Press, 1971)において、

『白痴』のロゴージンやナスターシャが古儀式派から派生した過激なセクトである去勢派や鞭身派への強い関心を示していたことや、

『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフが去勢派に属していた可能性が強い

ことを語義的なレベルから明らかにして、世界中のドストエフスキー研究者に強い影響を与えたイギリスのすぐれた研究者ピース氏のムイシュキン解釈である。


 後に、"Dostoyevsky's Notes from Underground"で、ドストエフスキーの作品が緻密な論理構造を持っているだけでなく、登場人物もきわめて有機的に配置されていることを明らかにすることになるピース氏はすでにこの大著で、

「死刑を宣告された者」と自ら名乗っていたイポリートの考察をとおして、

当時の「弱肉強食の論理」とそれに対抗する「弱者の権利の理論」との対立を浮き彫りにしていた。


 そして1864年の裁判改革の流れにのって、弁護士の資格も取っていたレーベジェフの問題点だけではなく、彼の娘ヴェーラの肯定的な意義も示すことで、ムイシュキンという主人公がプーシキンに依拠しつつ、「美は世界を救う」という理念によって世界を和解させる道を必死に模索していたことを明らかにしていた。


これらの指摘をふまえて黒澤映画を見直す時、『白痴』(1951)とその前後に撮られた『醜聞(スキャンダル)』(1950)と『生きる』(1952)が、『白痴』三部作と呼べるような深いつながりを有していたことに気づくのである。


 今回の報告ではピース氏の『白痴』論や黒澤明監督の映画を手がかりにしながら、モスクワから半年ぶりに帰還したムイシュキンの行動を描いた第2編を次のような順序で分析する。


 まず、最初にレーベジェフと甥との会話に注目することで、

弁護士も営むようになったレーベジェフが、「真心は持っている」ものの、酔っぱらいの「ペテン師」である可能性が示唆されていることを確認する。

 そして、ロゴージンの古い家を訪れた際にはムイシュキンが、ホルバインの絵画『キリストの屍』や「分離派」について会話を交わしただけでなく、別れ際にはC氏との出会いや殺人事件の話、そして百姓の女性から受けた印象についても語っていることに注目する。

 さらに、ロゴージンとの間では歴史書についての会話もなされていたが、『死の家の記録』で重要な役割を与えられているペトロフも歴史的な事実についての強い関心を持っていたと記されていることに注意を払うことで、

ロゴージンという人物が1861年の農民一揆を指導した「古儀式派」教徒のペトロフをモデルとしている可能性があることを示唆する。

 最後に、エパンチン夫人がコーリャに無神論を教えて「誘惑」したとイポリートを批判していることに注目しながら彼の『キリストの屍』観などを分析することにより、

ロゴージンを殺人へと「使嗾」したのはムイシュキンではなく、多くの研究者が『白痴』を解く鍵と見なしているイポリートである可能性が高いことを明らかにする。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost09.htm


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2. ナスターシャ・フィリッポヴナは鞭身派の聖母 復活のナスターシャ


「時代」廃刊騒ぎのさなか、ドストエフスキーは愛人と連れ立って2度目の外国旅行に旅立とうとしていました。

1861年、「時代」にアポリナーリヤ(ポリーナ)・スースロワという女子大生の短編が掲載されました。

2度目の外国旅行に同行する予定だったのは、このスースロワでした。

スースロワの父親はもともと農奴でした。

しかし、強靱な意志、人並みはずれた能力で農奴の身分を脱し、手広く企業を営むようになったやり手でした。

そして、その資産で娘たちに高等教育を受けさせ、そのかいあって、ポリーナの妹ナデージダはロシア史上最初の女性医師となっています。

姉のポリーナのほうは妹のような栄光とは無縁でしたが、アレキサンドル二世時代の開放感に充ちた空気に鋭敏に反応し、自由奔放に生きる「新しいタイプ」の女性でした。
しかも、父親からは鋼鉄のような性格を譲り受けていたようで、のちにポリーナと結婚したローザノフは彼女のことを「異常なまでの集中力、決断力を持つ女性」と評しています
(ドリーニン編 中村健之助訳 「スースロワの日記」みすず書房)。


「気性は完全にロシア女でしたが、ロシア女はロシア女でも、分離派の”無僧派”の女でした。

いや ”鞭身派の聖母”といった方がいいでしょう」

とも書いています。

ローザノフはのちにドストエフスキーの伝記も書いた文学者でしたが、結婚後数年して、男を作ったスースロワに逃げられてしまいます。

復縁を哀願するローザノフにスースロワは

「何千という夫があなたのような立場に立たされますが、吠えたりはしませんよ、
人間は犬ではないのですからね」

とすげなく答えています。

当初、ドストエフスキーはこのスースロワと一緒にペテルブルグを出発して1863年の夏の間フランス、イタリアを旅行する予定でした。

しかし、妻マリアの転地療養の手配、借金の手続き、旅券更新に手間取って、その間に愛人は先にパリへ旅立ってしまいます。

ドストエフスキーはポリーナに一ヶ月以上遅れて出発します。

にもかかわらず、途中、ヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレット賭博に4日間を費やします。

ようやくパリに着いたドストエフスキーを待っていたのは

「あなたは来るのが少し遅すぎた」

というポリーナの言葉でした。


ポリーナはパリで新たにスペイン人の恋人を作っていたのです。

しかし、ドストエフスキーがパリに着いた頃、そのスペイン人の恋人はポリーナに飽きがきていたようで、病気を理由にポリーナと会おうとしなくなっていました。

愛人に捨てられかかったドストエフスキーと新たな恋人に捨てられたポリーナは「兄と妹」という関係を保つことを条件にイタリアに出発します。

しかし、途中、二人はまたもヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレットで有り金すべてをまきあげられてしまいます。

ミハイルをはじめとする親戚、出版社からかきあつめた借金でようやくヴィースバーデンを出立、ジュネーブ、トリノ、ジェノア、ローマ、ナポリと南欧各地を転々とします。

そして、10月になってようやく二人は別れることになり、この奇怪な情事旅行は終幕をむかえます。

この2ヶ月間で、ドストエフスキーのポリーナに対する情熱はかなり冷めたようです。
しかし、しばらくポリーナとの関係は続き、2番目の妻アンナと結婚してからも二人は手紙をやりとりしています。

そして、この「鞭身派の聖母」は「賭博者」「白痴」などかれのさまざまな小説に出没することになります。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Dostoyevski.htm


スースロワと「白痴」ナスターシャ


   名前:ぼんやり読者  投稿日時:2009/11/17(火) 13:27 [ 返信 ]

スースロワはドストエフスキーだけでなく、性関係を持った相手や結婚相手に深い憎悪をいだく性質の女性だったようです。

彼女がサルヴァドールをいう男性に対して行った仕打ちを見てみましょう。

この二人は合意のもとに関係を持ち、その後彼女は捨てられました。
そこで彼女は彼に何をしたかというと、「お金」を送りつけたのです。

「拝啓、以前わたしはあなたからある親切を受けました。

世間ではそういう親切に対してはお金を払うのが通例です。

無料で親切を受けていいのは、自分の友だちである人と自分が尊敬している人からだけである、とわたしは考えています。

わたしはあはたを誤解していましたので、自分の間違いを訂正するためにこのお金をお送りします。

このわたしの考えをさまたげる権利はあなたにはありません。」
(スースロワの日記、みすず書房)


まるで「白痴」のナスターシャみたいです。

ガーニャに暖炉に投げ込んだ金を取らせるシーンを思い出します。

スースロワは、性を売る相手に金を払うように、もともとは恋愛関係だったものを金銭関係にすりかえて相手を侮辱し、自分の自尊心を守るため「借りは作らない」という態度をとったようにも見えます。

ちなみに相手からは無視され、返事はありませんでした。

23歳のスースロワのはじめての相手が41歳のドストエフスキーだったとのこと。

ドストエフスキーは

「粗野なものではない。 そこから本質へ突き進むことのできるもの」

と考えていたかもしれませんが、性急な性の要求は深く彼女を傷つけたともいいます。

「白痴」ではナスターシャは年端のいかないうちにトーツキーの囲い者にされた憐れな女と設定され、ムイシュキン公爵は彼女を深く憐れみ、彼女の救いの存在となります。
これはもしかしたらスースロワという女性を怪物のようにしてしまったという、ドストエフスキーの悔恨と懺悔と憐憫の気持ちの産物なのかもしれません。あくまで想像ですが。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_tree_r_706.html


946 :吾輩は名無しである :2009/04/23(木) 00:05:49


アタシャ女だが、よくトルストイは女が描けるけど、ドストはダメというのがいるが、

それこそ、男の見方だよね。

ドストのあのヒステリックで自虐的かつサディステックな女性群こそ、本物の女だぞ。
もちろん誇張があるけど。

もてない男が描く理想像がトルストイの女たち。

『戦争と平和』のナターシャにも、アンナ・カレーニナにもさっぱり感情移入できん。

私がトルストイですきなのは、いかに自分がブオトコで持てなかったかを綿綿と綴った『幼年時代』等の自伝的作品と、女は登場しない『イワン・イリッチの死』だけ。

小谷野敦はほんと、もてない男だな。
今度出した新書も、女がわからない男の見方という意味で面白いといえば面白い。
http://logsoku.com/thread/love6.2ch.net/book/1232204701/

謎とき『白痴』江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E7%99%BD%E7%97%B4%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004658/ref=pd_sim_b_5

「謎とき『罪と罰』」江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106003031/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1288947374&sr=1-1

謎とき『カラマーゾフの兄弟』 江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%95%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004011/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1288951731&sr=1-10


江川卓著「謎とき『白痴』」と 「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」 を読む。


このたび『白痴』と『カラマーゾフの兄弟』読了記念企画として読んでみました。
いやはや、なんとも濃かった。

軽いタイトルとは裏腹に、著者の卓見がいたるところにちりばめられている。

登場人物の名前から語源探索してその秘められた意味を見出すなんて作業は、これは素人にはとても無理なわけで。

カラマーゾフのミーチャの弁護人の名「フェチュコヴィッチ」が、日本語にすると「阿保田」になるなんてのは、

あの裁判の場面でミーチャに肩入れして、弁護人がんばれみたいな気持ちで読んでいた私にとっては、

「え、それじゃ最初から勝ち目ない法廷闘争だったんじゃん」てなわけで。

鞭身派と去勢派という異端についての説明も詳しくてよかった。


この二つのキリスト教異端は、ドストエフスキーについての評論を読むと結構目にすることが多いのだが、それが一体どういう人たちなのかはあまり深く紹介されることがなかったので。

命名の語源探索や、『カラマーゾフ』の「3と13」なんかは、素人の私としては、若干トゥー・マッチに思えるところもないではないが、全体としては、『カラマーゾフ』の裏表紙に埴谷雄高が絶賛を寄せているように、名作だと思う。


で、印象に残ったことを、一つ二つ。


『白痴』で、

ムイシュキンは言うまでもなく、ロゴージンもナスターシャと性交渉を持たなかったことは、

ナスターシャを殺害した後にロゴージンがムイシュキンに

「(ナスターシャの裸体を)初めて見たが、綺麗な体だぜ」

という内容の言葉を言うことからも明らか。


では、なぜロゴージンはナスターシャと性交渉をしなかったのか。


江川氏は、ロゴージン(およびムイシュキンも)インポテンツ説である。

私としては、目からうろこと言うか、とにかく、そっちの角度(どっちの角度?)から考えたこともなかったので、「その手があったか!」と思った次第。

ただ、欲望の塊のようなロゴージンがインポだったなんてことが、いやいや、インポテンツな男性がロゴージンのような行動をすることがありえるのかというのが若干疑問。
ヤリたくてたまらないのに、いざとなったら萎えてしまったというのが「インポテンツ」の範疇ならば納得。


ムイシュキンが、ナスターシャを「気狂い」呼ばわりするのは、ナスターシャからセクハラ行為を受けたから。

納得。ただただ納得。


イワン・カラマーゾフの譫妄状態。

アル中説。

うーん。そうでないとは言い切れないが、そうであるとも言い切れないような気が。
悪魔がイワンの前に姿を現す場面は、スメルジャコフとの三度の対面でイワンの心がずたずたになっていたからと言うだけでも十分なような気がするんだが。
http://ameblo.jp/nisekagami/entry-10346336923.html

この本を読むと、まずドストエフスキーって一般には悪文家と言われているけれど、俗語や学生隠語、古風な言い回しにはちゃんと意味があって、そこにはドストエフスキーの意図が働いている、ということが指摘されている。

たとえば小説のはじめに、ラスコーリニコフが「ナスーシチヌイな仕事もすっかりやめてしまい」、とある。

「ナスーシチヌイ」ということばは「日々の」という意味なんだけど、日常めったに使われない文語的なことばだそうだ。

ところがこれがじつは聖書のなかに「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」という一句の、「日用の」と同じなんだな。

そもそもこれは、当時のロシアの子供たちが暗唱させられるお祈りで、「ナスーシチヌイな仕事も・・・」とくればこの聖書から採られたお祈りが連想される、というわけだ。

だから、ここでは主人公が日用の糧を稼ぐ仕事もやめようとしている、と読みとることができる


そうだとすると、併せて日々のお祈りもしなくなった、とも連想できますね

それにラスコーリニコフという主人公の名前・・・

この名前は17世紀ロシア正教から分裂した「ラスコーリニキ(分離派)」に由来している。

その証拠に、創作ノートには主人公の母親のことばとして「ラスコーリニコフ家は二百年来、有名な家系」と記されている。

この小説が書かれたのは1865〜1866年、そこから200年さかのぼると、まさに17世紀の'60年代で、分離派運動の発生期に一致するんだよ


分離派って、どんな信仰形態なんですか?

「分離派」にもいくつかあって、
身体をたたき合いながら法悦状態に達する「鞭身派」、
肉欲から逃れるために生殖器官を切除する「去勢派」などがあったそうだ

また、ラスコーリニコフという姓はロシア語の動詞「ラスコローチ(割り裂く)」とも無関係ではない。

まさにこの青年は金貸しの老婆の脳天を斧で割り裂くわけだ


でも・・・斧が凶器ですけれど、たしか峰打ちでしたよね?

優美、よく気がついたね(^^ )そう、峰打ちであることが妙に強調されている。

つまり、斧の刃はラスコーリニコフ自身の方を向いていたんだね

それはドストエフスキーの意図するところだったと・・・?

うん。これまた証拠があって、後にラスコーリニコフがソーニャに老婆殺しを告白するとき、

「あのときぼくは、ひと思いに自分をウフローパチしたんだ、永遠にね・・・」と言っている。

ここはふつう「ひと思いに自分を殺した」と訳されているけれど、「ウフローパチ」というのは俗語で、もとはものが激しく打ち当たる擬音語「パチン、パシリ」にあたることばなんだそうだ。

つまり「ひと思いに自分をパシリとやった」・・・


割り裂いたのは自分自身だったというわけだな

はあ〜見事な分析ですね


名前の話に戻るけど、主人公のフルネームは「ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」で、頭文字はロシア語のR音だから「PPP」になる。

著者の江川卓によれば、ロシアでもこんな名前はほとんどあり得ない、可能性としては600万人にひとり、当時のロシアなら5人もいたかどうかという計算になるそうだ

頭文字が「PPP」となることに意味があるのですか?


これは裏返しにして「666」、つまりヨハネ黙示録に記述されたアンチクリストをあらわすのではないか、というのが著者の推理だ。

神の掟に背いて殺人を犯しながらなお人間の掟を「踰えた」とうそぶく主人公に、すこぶるふさわしい設定―「刻印」だろう。

じっさい、非凡人論をぶちあげたラスコーリニコフに、予審判事ポルフィーリイが「何か生まれながらのしるしでもないのですか?」と質問している


名前だけでそれだけの意図が込められているなんて驚きですね・・・(・o・)

主人公に次いで重要な登場人物である聖娼婦ソーニャについてちょっとだけふれておこうか。

この小説にリザヴェータという登場人物が出てくるだろう?

金貸しの老婆に使われていて、運悪く殺人の現場に来合わせてしまったために主人公に殺されてしまう女性ですね

うん。ラスコーリニコフが安料理屋で、たまたま隣に立った将校と学生がリザヴェータについて噂しているのを聞くよね。

それによると、リザヴェータは「ひどい醜女」で「善良」「柔和」「静か」、そして未婚でありながら「ほとんどいつも妊娠している」ということだった。

ここで「柔和」と「静か」はソーニャとの共通点なわけだけど、同時に「醜女」でありながら「いつも妊娠している」のはなぜだろう?

・・・(・_・;
ヒントがいくつかあって、はじめてソーニャの部屋を訪れた主人公は、ふとたんすの上に置かれたロシア語訳の「新約聖書」に目をとめる。

ソーニャによればリザヴェータが持ってきたものだということだ。

ところがこの「新約聖書」は、ドストエフスキーが持っていた、発行後40年を経た稀覯書を模している。

どうしてこんなものをリザヴェータが持っていたんだろうか?

たしか、ソーニャがリザヴェータのことを「あの人は神を観ずる方です」と言っていましたね。

そのことと関係があるんでしょうか?

まさにそれだ( ・_・)♭

さっき話に出た、ロシア正教から分裂した「分離派」に、「観照派」という宗派がある。

「鞭身派」と「去勢派」がそれで、「観照派」とは文字どおり神や聖霊を観照する、つまり目に見ることだな。


「鞭身派」というのは信徒たちが密室でお互いの身体をたたき合い、集団的な法悦状態にまで高まったとき、キリストや聖霊が儀式の場にあらわれるのを観照する。

そしてその法悦状態から信徒たちは乱交に至ることもあり

(このことが、この鞭身派の勢力を急成長させた要因ではないかという説もあるらしい)、

この儀式の際に授かった子供は未来のキリスト候補として宗派の共同体によって育てられるという習慣もあったそうだ


するとリザヴェータは・・・

「鞭身派」のあるセクトの巫女―「聖母マリア」だったのではないか、というわけだ。

それならいつも妊娠していて、しかも生まれてくる子供の養育については心配する必要もなかっただろう

・・・それでは、ラスコーリニコフは「聖母マリア」を殺したということにもなりますね・・・

でも、ソーニャはリザヴェータがそのような立場にあったことを知っていたのでしょうか?

「神を観ずる方」と言っているくらいだから、当然知っていたんだろうね・・・

いや、それ以上かもしれない。

ソーニャがリザヴェータについて語るとき、妙な言い淀みが頻発しているのに気がついた?

 「ええ・・・あの人は心正しい方でした・・・

ここへも来ました・・・たまにですけれど・・・

そうそうは来られなかったんです。

わたしたち、いっしょに読んだり・・・お話ししたりして」


たしかに「・・・」が多いですね

公然化されていない儀式のことを思っていたのだろうか・・・

「わたしたち」って、ソーニャとリザヴェータのふたりのことだけだろうか・・・
するとソーニャも・・・

ちょっと考えにくいけど、彼女の部屋は窓が三つもあって家具がほとんどない「大きな」部屋とされている。

娼婦の部屋としては似合わないよね。

じつは鞭身派の儀式は、窓がたくさんあって明るく広い部屋が使われるのが通例だったそうだ

というわけで、ドストエフスキーの「罪と罰」は、この本によって意味論を超えた次元で徹底的に読み解かれている。
http://amadeushoffmann.web.infoseek.co.jp/dialogue29.html

「君は確実に病気で死ぬ」

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。(2chより)


 現代において、売春少女は不幸か?

 と言えば、援助交際とか気楽に言っているので、そんなにこの女主人公ソーニャは悲劇なのか?

 やはり、時代背景と言うものを少しは知らなくては、ソーニヤの悲劇性はわからないと思う。

 時代は19世紀である。

 避妊具とかが発達していなので、性病・妊娠の危険は売春の仕事をする中では大きいと思う。

 それゆえに社会的な排他・阻害感も、現代よりも強いと思う。

 亡くなった飯島愛さんのようにTVタレントにはなれないだろう。


 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

 ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。

 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。 

 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。


 ソーニャの最初の相手は16歳の時に、売春をはじめた時の相手である。

 当然、恋愛もなにも知らずに、いきなり売春である。

 (これは現代においても、かなり悲劇ではないか・・・)

 それから、家族の為にほぼ毎日、お客の相手をするのだが、残念ながら、彼女は性的な快感はない。

 18歳にして、重度の不感症・冷感症なのである。

 それ故に、彼女は「純粋な売春婦」と称されるのである。


 当然ながら、彼女には友人はいない。

 唯一の友人であった知的障害を持つリザベーダーは、ラスコに斧で殺されたのである。

 彼女に知的障害を持つ「神がかり」と言われる人しか友人がいないことが、彼女の社会的境遇を物語る。

 彼女は虐げられた人である。


 ラスコ曰く、

 「あなたは自分で自分を殺してしまったのだ」

 ラスコーニコフは自分の老婆殺しについて

「あれは斧で老婆を殺したのではなく、自分自身を殺したのだ」

 人間として一線を超えてしまった2人の若者は、お互いに強く惹かれ合うのである。
http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

江川卓  謎とき『カラマーゾフの兄弟』


外国文学を日本語で読むと、その面白さは半減する。

たとえば、日本文学で、谷崎の流麗な上方言葉の魅力を、では、どう英語に、フランス語に、ロシア語に翻訳することができるか。

京都や大阪という土地の土着性など、その細かいニュアンスを他言語圏に伝えるのは相当無理があると思う。

訳者でもある著者は、そのロシア語と日本語の間に立って、ロシア語で読まれるはずの『カラマーゾフの兄弟』の魅力を、詳しく、丹念に解説してくれる。ロシア語のできん者にはとてもありがたい。

たとえば、なぜ一連の騒動を巻き起こす一族の姓名が「カラマーゾフ」でなければいけないのか。

「カラ」は日本語で「黒い」、「マーゾフ」は「塗りたくる」の意味らしい。

さらに、「カラ」が「カーラ」だとすると、それはロシア語で「罪」となり、さらに「カラ」は泥棒の隠語で「男性性器」の意味でも用いられるという。

作者も指摘するように、語の多義性を最大限に利用するのが「ドストエフスキーの小説作法の真髄である。

ところが、この「カラ」起源説はこれに留まらない。

「カラ・ゲオルギイ」というセルビアに実在した民族英雄がいたらしい。

この人、王朝の始祖、ゲオルギイ・ペードロヴィチが父親殺しをしたことから、「カラ・ゲオルギイ」、つまり「黒いゲオルギイ」とあだ名されたらしい。

さて、父親殺しとはこの小説の主要テーマであり、この事件を中心に小説は進行するのだが、このカラ・ゲオルギイは父を殺し、王朝を築き上げた。

つまりそれは、旧制度の討伐、であります。

何よりもスリリングなのは、あんなにも信仰深く敬虔だったアリョーシャが、のちに革命家となり、皇帝暗殺を企てるだろうという説! 

これは著者のみならず、多くの学者が指摘しているという。

もちろん、小説にはそんな事実はどこにも書かれてない。

父・フョードルを殺したのは私生児(その事実の真偽もこの本の中では取り上げられている)とされているスメルジャコフであり、殺害の嫌疑にかけられたのは長男のドミートリイだ。

アリョーシャの父親殺しはどこにも書かれてない。

しかし、小説冒頭、ドストエフスキーは、これは第1の小説で、この小説には13年後の、現在の小説が予定されていると断っている。

つまり、この『カラマーゾフの兄弟』には続きがあり、それこそは33歳になったアリョーシャの現在進行形の小説になるはずだったのだが、すでにドストエフスキーは死んでしまった。

33歳とはキリスト処刑の年齢に重なる。


「現代のキリスト」であるアリョーシャは、既存宗教から抜け出し、革命を起こす。

皇帝暗殺とは、ロシアの「父」を暗殺する事に他ならない。

予定されていた続編ではアリョーシャによる父親殺しが書かれるはずだったと言うのだ。

であるとすれば、「カラマーゾフ」とい姓が「カラ・ゲオルギイ」から引用されている事は、容易に結びつける事ができる。

ちなみに、ドストエフスキー死後1ヶ月、皇帝アレクサンドル2世は暗殺されている。
こんな謎ときです。

他にも、スメルジャコフは去勢していたという説。

ロシア正教の分派の中で「鞭身派」というのがある。

読んで字のごとく、身を鞭で打つのだが、

この宗派は、教会や聖書を介さずに直接にキリスト、精霊と交わることを求め、そのために、

男女の信徒が一部屋に集まって、祈祷、歌、踊りのあげくに、

最後には手や鞭で各々の身体を打ち合って、集団的恍惚を得る

儀式が行われていたのだという。


しかし、これ、キリストや精霊との直接の交感を求めていたこの儀式も、次第に乱交パーティー化していったという。

そうして、その反動として現れたのが「去勢派」である

性的堕落を激しく糾弾し、男は睾丸を、女は乳首を切除したり乳房を抉り取ったりするのだそうだ。

ゆえに、去勢派の人間はそろって顔色が悪く、傍から見ても「あいつは去勢派だ」ということが分かるくらいなのだという。

これはスメルジャコフの描写に見事に呼応している。

ちなみに、筆者はグリゴーリイは鞭身派だと指摘している。


さて、今では考えられないようなオカルト宗派(現在でも案外あるかも)、について、小説中ではどこにも直叙はされていないが、この分派は当時のロシアに、マイノリティではあるものの結構広く信仰されていて、認識はされていたようだ。

つまり、当時のロシアの読者であるならば、

スメルジャコフの描写や、マリヤとの同棲ではない同居を読むと、彼らが去勢派であるということは容易に推察できることなのである。


『カラマーゾフの兄弟』はロシアの民族的、土俗的信仰生活に深く根を下ろしている。

アリョーシャを「黒いキリスト」、スメルジャコフを「白いキリスト」と設定したり、
イワンは実はアル中ではなかったかとか、3と13という数字の意味、蛇と龍と男性性器。作者の行間にするする入り込んでいく、その快感は、中々である。

さらに、ドストエフスキーの名はフョードルというが、夭折した彼の息子の名はアリョーシャらしい!

古典が古典であるゆえんは、それが幾時代を超えてもなお読まれる、その力である。

それはつまり、幾通りもの読み方ができる言う事だ。

『カラマーゾフの兄弟』はもはや古典だが、この古典小説も数多くの神話や民話や古典を引用している

(ちなみに三島由紀夫は『仮面の告白』の冒頭で、美とソドムに関するミーチャの名高い演説を引用していた)。

それらについての素養ができていないと、真正面からこの小説に立ち向かう事はできない。

とりわけ聖書、ギリシア神話を暗誦できるくらいに読み込んでいないと、積み上げられたドストエフスキーの謎は紐解けないのです。

まあ、しかしアリョーシャがやがて革命家となり、国家的犯罪を犯し、皇帝暗殺に乗り出すとは、本当にビックリだ。

心優しいアリョーシャが! しかしその犯罪(ソドム)は美しい。

これこそがカラマーゾフ的だ。

最後の12人の少年たちに向けて行われるアリョーシャの演説は、そのまま12使徒に向けられたキリストの演説である。

と、すると、この中には絶対にユダがいる。

ゆえに、アリョーシャは密告されて殺されてしまうのだろうか。

ドストエフスキーが書くはずであった、そのアリョーシャの物語が読みたかったし、ドスト本人も書きたかったろうに。

しかし、これだけ膨大な伏線めぐりの末にたどり着いた最後の演説の場面が、それこそも続編への伏線だったとは。この巨大で精緻な構成力は、本当に圧巻である。
http://www.geocities.jp/maxi_japan/dokusyo_egawataku_nazo-k.html

「去勢派」については、江川さんが「謎ときカラマーゾフの兄弟」で次の様に書いています。

「ロシア分離派史上でも最大の人物と目されるコンドラーチイ・セイワーノフが登場した。〜〜〜

やがてセイワーノフは、鞭身派の性的堕落にいきどおり、自分は人類を肉欲から救い、「魂を滅ぼす蛇を退治する」ためにこの世にやってきた「神の子」であると宣言した。

むろん「蛇」とは男性の性器官の象徴であり、「蛇退治」は「去勢」の意味である。

このような形でセイワーノフによって開かれた新しい宗派が「去勢派」であり、信徒は「ぺチャ−チ」(刻印)と呼ばれる術を受けることになった。


女性の場合は、乳首だけを切除するのが「小ぺチャーチ」、

乳房まで切り取るのが「大ぺチャ−チ」と呼ばれた。

男性の場合の「小ぺチャ−チ」は睾丸を切断するわけだが、

「大ぺチャ−チ」については、手術を終えたあと、術者が切除部分を被術者の目の前に突きつけ、

「見よ、蛇の頭は砕かれたり、キリストはよみがえりたまえり」

と唱える、のだという。


〜〜〜鞭身派の聖母アクリーナから正式に「キリスト」と認められたセリワーノフは、

「魂を滅ぼす蛇を退治する」自身の事業をしだいに広め、十八世紀中葉には、信徒の数ももはや無視できなくほどの数に達していた。〜〜〜

ついに一七九七年には、ピョ−トル三世とエカチェリーナ女帝の遺児であるパーべェル一世と対面し、二人の間には次のような問答がかわされたという。


パーべェル帝「汝はわが父なるや?」


セリワーノフ「われは罪の父ならず。わが業(去勢)を受けよ。さすれば汝をわが子と認めん」


ファンタスチックとしか形容のしようのない対話で、パーべェル帝がセリワーノフを狂人と認定し、オブホフの精神病院に収容してしまったのも無理からぬことであった。

ところが奇妙なことに、パーべェル帝の後を襲ったアレクサンドラ一世は、すでに白髪の老爺となっていたセリワーノフの人柄に魅惑され、一八〇二年に彼を解放したばかりか、数次にわたつて彼と親しく面談し、セリワーノフのほうでも、大去勢によるロシア救済計画を帝に建議したといわれる。〜〜〜


つまり、「カラマーゾフの兄弟」の舞台となっている十九世紀の六十年代、七十年代にも、この奇怪な信者たちの問題は、けっしてたんなる昔語り、あるいは僻地のエキゾチックな風習ではなく、むしろすぐれて現代的な関心事であったということができるように思う。


「まぎれもなく「好色な人たち」である「カラマーゾフの兄弟」の作中人物たちのなかで、スメルジャコフ一人はいくぶん例外的に見える。

まず彼の少年時代の大好き遊びが猫の葬式ごっこだったことが想起される。

彼は幼い頃から、猫を首吊り台にかけ、そうしておいてその葬式ごっこをするのが大好きだった、と言われている。

葬式のときには、祭服に見立ててシーツをひっかぶり、香炉代わりに何やら猫の死体の上で振りまわしながら、歌をうたうのだという。

モスクワへ、コック人の修業に出されて戻ってきた彼は、

「すっかり面変わりがしていた。なんだかふいにめっきり老けこんだ感じで、年齢にまったくそぐわないくらい皺だらけになり、顔色は黄ばんで、去勢者に似た感じになっていた」

「大審問官」伝説をアーリョーシャに語った直後、家に戻ったイワンは、門のわきのベンチで夕涼みをしていたスメルジャコフを目にする。

「イワンは怒りと嫌悪の目で、びんの毛を櫛できれいに撫でつけ、ふっくらと前髪を立てたスメルジャコフの去勢者のように痩せこけた顔をにらめつけた」

 見るとおり、スメルジャコフはドストエフスキーによって、ことさら「去勢者」に、あるいはさらに進んで「去勢派信徒」になぞえられている。

さらに注目されるのは、マリアの家に移ったスメルジャコフが、母娘によっていたく尊敬され、二人はスメルジャコフを「一段上の」人間のように見ていた、という指摘である。

「一段上の」という言葉にこだわるのは、

鞭身派以来、代替わりのいわゆる「新キリスト」は、旧キリストあるいはマリアによって「一段上の人、最上の人」として彼らの共同体である「船」に迎えられる慣行があったからである。〜〜〜

スメルジャコフが「花婿」の資格でマリアの家に移ってきた、とされていることも見逃せない。

ロシア正教会においてばかりでなく、西欧のキリスト教会においても、「花婿」という言葉は、ヨハネ黙示録の「子羊」、つまり 花嫁たる教会を聖化する「花婿」、別の言葉でいえば、再来するイエスキリストその人を指す言葉であった。〜〜〜


ところで、スメルジャコフが去勢派の「白いキリスト」だということになれば「蛇退治」(フョードル殺し)は、当然、彼の宗教的、社会的使命だということになる。

こうして、もともとは多分に個人的であったかもしれないスメルジャコフの犯行の動機が、いわば去勢派流に「聖化」され、普遍的な意義を獲得することになるのである。〜〜〜

前にも触れたが、幼児期の彼が大好きだったという猫の葬式ごっ子のエピソードがそれに当ることは、あらためて言うまでもあるまい。

このようなスメルジャコフが、鞭身派、去勢派の「船」が数多くあったモスクワへ「修業」に出て行ったとき、「猫」ないし「蛇」に対する彼の憎悪は一つの基礎ずけを与えられ、同時に深く内攻していくことになった。

こうして彼は外なる「蛇」を挫く以前に、まず自身の内なる「蛇」を挫くことを決意するのである。

つまり、「去勢者に似た感じ」になってモスクワから戻ってきた彼は、すでに「白いキリスト」の自覚をもち、フョードル殺害にあたっては、もはや完全な確信犯として行動することができたのである。

ところで、スメルジャコフの犯行がそのような「使命感」に裏ずけられたものだったすれば、当然、彼の憎悪はたんに個々の「蛇」だけにではなく、「蛇」一般に、さらにはそのような「蛇」のはびこる現世そのものにも向けられていたと考えなければなるまい。

事実、彼の憎悪は、カラマーゾフ一族を生み出した土台であるロシアそのものにも向けられていた。


「私はロシア全体が憎くてならならないんですよ」とは、彼のマリヤへの告白である。

〜〜〜

スメルジャコフの憎悪は、むろん、ロシアだけに局限されはしなかった

「女にだらしがない点しゃ、外国人もロシア人も似たり寄ったり」だからである。

〜〜〜

一方、スメルジャコフが目撃するカラマーゾフ一家の「淫蕩」が、全ロシア的な、あるいは世界的な「淫蕩」の象徴的な縮図とするならば、それは、「大審問官」伝説に登場する「野獣にまたがる淫婦」を媒介にして黙示録的終末のイメージとも重なってくることになる。

折りしもいまは「蛇の季節」でもあった。

スメルジャコフはこの終末の世に、「蛇」を退治し「淫婦」を辱めるべき「白いキリスト」として再来したのだった」


(謎解き「カラマーゾフの兄弟」 江川卓 新潮選書 Z 白いキリストより)


去勢を血統転換に置き換えれば、統一教会の教えそのものになります。


(「謎ときカラマーゾフの兄弟」V好色な人々・Z白いキリスト ページ158〜159より
江川卓 新潮社)


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誰もが関心を持つのは、去勢派、鞭身派共に各派の聖女ですね。


去勢派の聖女マリア(スメルジャコフの花嫁?)はスメルジャコフの元にスープをもらいにやって来ます。

寄生派の花嫁は「○○○の毛まで抜かれる」と言われている通りに、はるばる海を越えて○○○の毛を抜きにやって来ます。

「合同結婚でも日本人同士のカップルならば安心だろう」と思うのは、早とちりです。

友人の場合は、結婚当初、現金で預金をしていたら奥さんがすべて教会に献金してしまうので、すかさず預金をマンションのローン頭金にあてて、間一発のところで無一文にならずに済みました。

お気に入りの食器やレコード類も、生活必要品としてすばやく居間に配置したので無事に残りました

それでも、僕の友人はまだ恵まれているほうで、献身者(統一教会系列会社で働いている夫婦)の場合は数家族の共同生活の家賃や食費はかかりませんが、朝から夜遅くまで働きずめで一家族1万二千円の月収です。

「カラ」兄弟でも、スメルジャコフは、フョードル宅からいつのまにか去勢派の共同生活場?らしきマリアの丸太小屋に移されていますね。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_topic_pr_287.html


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3. 鞭身派のキリストと聖母マリアとは


 17世紀に分離派の一派として生れた宗派に鞭身派というのがある。

1700年1月1日に生きながら天に召されたダニイロ・フィリッポフが開祖とされており、この点では作中(カラマーゾフの兄弟)に登場する聖痴愚フェラポント神父にその面影が映されている。

鞭身派の教義の特質は、教会や僧を否定し、直接にキリスト、聖霊との交わりを求める点にあり、そのための手段として、

男女の信徒が一部屋に集まり、祈祷、歌、踊りのあげく、

最後には手や鞭でおたがいの全身を打って、集団的な恍惚状態に達する独特の儀礼が行なわれた。

この瞬間にキリストないし聖霊が信徒たちの胎内に入ると信じられたのである。


この教義の当然の帰結として、鞭身派には、初代キリストのイワン・スースロフをはじめ、何人ものキリストがつぎつぎと現われることになった。…

むろん「十二使徒」も信徒たちの中から選ばれ、「船」と呼ばれた信徒たちの共同体には、かなり厳格なヒエラルキーが確立していた。…
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/page-he.htm

●ロシアの異端


鞭身派−肉、魚、にんにく、ジャガイモを食べず、酒も飲まない。

女はプラトークをまぶかにかぶる。

一部屋に車座になってすわり、入れ替わり立ち代わり踊り、罪のもとである肉を鞭で打ち続ける。

最後は乱交パーティーになる。

ラスプーチンもこの一派といわれる。


モンタヌス派−別名跳躍派。

集会で男女が手を取り合って飛び跳ね、そのあとで性交する。

聖書のロトと娘の性交、ソロモンの300人の妻にちなむ。


去勢派−淫行に走りがちな鞭身派を批判。

罪のもとである陰茎、乳首を切除する。

男性ホルモンの欠如からひげが生えず女性的な声なので外見からすぐに分かる。

「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフは去勢派といわれる。

http://www.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/kyozai/08.txt

鞭身派

17世紀末に起こった〈霊的キリスト者〉のセクトで、聖書と聖職者を認めず、

精霊(Святой дух)との直接的な交わりを求めて、熱狂的に踊り、歌い、互いに体を鞭打ったところから、その名が生じた。

神の化身である複数の〈キリスト〉、〈聖母たち〉あるいは〈母君(マートゥシカ)たち〉のもとに集まり、

祈り、祈りの最後に執り行なわれる独特の儀式(ラヂェーニエ)。

それが始まると、宗教的エクスタシーに達するまでみなが踊り狂ったという。

自らを〈神の人びと〉と称した。

旧タムボーフ、旧サマーラ、旧オレンブールグの各県、北カフカースやウクライナに彼らの小さな共同体が存在した。
http://www.seibunsha.net/prishivin/p15.html

帝政ロシアは政教一致を国是とし,ロシア正教が国教でしたが,国民のうちにはこの国教を奉じようとしない者もあり,政府と正教会はこれに手を焼いていました。

この反正教会的宗教潮流は,通常「ラスコールと諸セクト」と総称されます。

ラスコールは通常「分離派」と訳されるとおり,十七世紀の教会改革の際正教会を離れた人々のことで,改革を受け容れず古い儀式に固執したことから,「古儀式派」とも称されます。

分離派には穏健派から過激:派にいたる様々な流派がありますが,大略,司祭の存在を認める「司祭派」と,これを認めない「無司祭派」に分かれます。


無司祭派は教導者を擁するのみで,司祭も正典も宗規も有さぬところがら,次第に正教会はもちろんキリスト教そのものから離れ,キリスト教的要素を多く保持しつつも,新たな道をもとめて独自のセクトを生み出す傾向があります。

フルイスト派(鞭身派)の場合も,その発生時期(十七世紀半ば)からして,もとは無司祭派に端を発していると考えられます。
 
フルイストが鞭を意味するところがら,日本ではこれまで鞭身教徒と訳されていますが,この訳語は不適切であり,見当違いな憶測のもとになりかねません。

鞭身教徒という言葉から,人は漠然と,鞭打ちがこのセクトの特徴であると思うでしょう。

確かに鞭打ちは,中世の修道僧などが自らに課した苦行です。

しかしフルイストゥイの儀式において鞭打ちはなんの役割も演じておらず,この場合フルイストゥイの語はまったく別の由来を有しています。


このセクトの信者たちがなぜ「キリストたち」と呼ばれたかというと,それは彼らが多くのキリストを輩出したからです。


彼らの地域集団をカラーブリ(船の意。フリーメイソンのロージにあたるもの)と呼びますが,各カラーブリは必ず教導者たるキリストと生神女,さらに大抵は複数の預言者と女預言者を擁していました。

その儀式の主たる内容は輪舞(これをラジェーニエと言います)で,彼らはこの激しい身体運動によって法悦に達し,キリスト,生神女,預言者たちは忘我の気惚状態の内にあって,天候の如何,収穫の良し悪し,個人の身上等々を預言しました。

預言者には原則として誰でもがなれた。

もちろん預言者たる能力には個人差があって,預言者や女預言者になるのは,人一倍霊感を受け易い者たち,恍惚状態に陥り易い者たちでした。

 フルイストたち自身の言い伝えによれば,その教祖たちの行実とは次のようなものです。

 皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(在位三64546)の時代,ウラジーミル県コヴロフ郡なるゴロジン山の頂に二軍のエホバが降り,コストロマ県の農民ダニーラ・フィリッポヴィチの内に入って彼を生ける神とした。

当時はニコンの改革に端を発する教会分裂の真最中で,人々はいかなる書物によって救われるかをめぐって争っていた。

人が救われるのは古い書物によってか,それとも新しい書物によってか。ダニーラ・フィリッポヴィチは,新たな啓示によってこの書物の新旧論争にけりをつけた。


すなわち,救われるためにはいかなる書物も要らない。

聖神そのものさえあればよい。

内心の祈りによってのみ神は人間に宿り,人は救われる。

彼は新旧の書物をすべてかますに詰め,ヴォルガに捨てさせました。


ダニーラ・フィリッポヴィチははじめコストロマ近郊のスターラや村に住み,のちコストロマに移った。

以来コストロマは「天上のエルサレム」,彼の住む家は「神の家」と呼ばれ,多くの信者を集めます。

書物の(つまり教会の)教えに頼らず,わたしの言葉のみを信ぜよ。

あるいは,預言者たちが忘我状態で口にする言葉(預言)のみを信ぜよというのが,彼の教えでした。

別の伝説によると,ダニーラのことを知った総主教ニコンは彼を幽閉したが,彼が釈放されてコストロマへ帰るまでの間,地上を一面の霧が覆った。

コストロマに帰った彼は,弟子たちに「十二誠」を与えた。

この十二誠とは次のようなものです。

1.我は預言者たちにより預言された神であり,人間の魂を救うため地に降り来たった。
  我以外に神はない。
2.他に教えはない。他の教えを求めてはならない。
3.汝の置かれたところに留まれ。
4.神の受命を守り,世の漁人となれ。
5. 酒を飲むな。肉の罪を犯すな。
6. 結婚するな。既婚者は妻と兄妹のごとく生きよ。未婚者は結婚するな。既婚者は離婚
せよ。
7. 悪罵を口にするな。悪魔,悪鬼等の言葉を口にするな。
8. 婚礼,洗礼式に行くな。宴会に出るな。
9.盗むな。一コペイカでも盗んだ者は,あの世でこの一コペイカを頭頂に貼りつけられ,
  これが地獄の火で融けるまで,赦されることはないであろう。
10.これら二二を秘表せよ。父にも母にも明かすな。たとえそのため鞭打たれ,火で焼か
  れようと,耐えよ。耐えきった者こそ信者であり,天国を,また地上では霊の喜びを,
  受けるであろう。
11.互いに訪れ合い,もてなし合い,愛し合い,我が誠命を守り,神に祈れ。
12.四神を信ぜよ。


 もっとも,コンラート・グラスというリトワニアの研究者によると,フルイスト派の伝説が伝える教祖たちのうち,ダニーラ・フィリッポヴィチについてはその実在を確証することができない。

歴史資料により実在が確証されるのは,次のスースロフからだというのです。

 万軍のエホバがゴロジン山に降りダニーラを生ける神とする十五年前,ウラジーミル県ムーロム郡マクサコフ村に,母親のアリーナ・ネーステロヴナが百歳の時,神の息子たるキリスト,イワン・チモフェーヴィチ・スースロフが生まれた

(これは,アリーナ・ネーステロヴナが生神女を務めていたカラーブリで,スースロフが霊的啓示を受けキリストとなった,という意味でしょう)。


 イワン・スースロフが三十歳になった時,ダニーラ・フィリッポヴィチは彼をコストロマへ呼び,神性を授け,彼を生ける神とした。

すなわち,スースロフはダニーラ・フィリッポヴィチにより三日間天へ上げられたのちオカ河の岸へ帰り,以後ここの一村を根拠地として教えを弘めた。

彼は若く美しい娘を連れており,彼女は生ける神の娘として,また生神女として崇められていた。

彼はまた,弟子たちのうちから十二人の使徒を選び,彼らと共に村から村へ布教を続けた。

 アレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝(在位1645−76)はスースロフの布教活動のことを知って,彼を四十人の信者と共に捕らえ,訊問のためモスクワへ連行させた。

しかし司直は彼らから一言の供述も引き出すことができなかった。

拷問の火もスースロフの身体を傷つけえず,結局彼はクレムリン前の赤の広場で心墨に処された。

彼は木曜日に息を引取り,金曜日に埋葬されたが,土曜日から日曜日にかけての夜に甦り,モスクワ近郊の村に姿を現した。そこで再度逮捕され,拷問と礫刑に処され,再度甦った。


三度目に捕らえられた時,皇后ナタリヤ・キリーロヴナはピョートル・アレクセーヴィチ(のちのピョートル大帝)を懐妊中で(つまり1672年のこと),スースロフの釈放なくして出産は無事にはすまないという預言があったため,皇帝はスースロフを釈放した。

 以後三十年間(つまり1702年まで),スースロフはモスクワを中心に布教を続けたが,うち十五年間は政府の監視を避けてモスクワを去り,諸所の弟子たちのもとを転々とし,迫害が下火となったのちモスクワへ帰り,ここで男女の修道院に果多しく信者を増やした。


彼の住むクレムリン近くの家は,「神の家」とも噺しきエルサレム」とも呼ばれた。

 1699年には,百歳のダニーラ・フィリッポヴィチがコストロマからモスクワの「新しきエルサレム」へ移り来たり,ここから1700年1月1日,永い輪舞ののち,多くの会集者たちの見守るなか天に昇った。


以後それまでの9月1日に代えて,この日を新年の始まりと定めた。

三年後,スースロフ自身も多くの信者たちに見守られつつ昇天した。

ダニーラ・フィリッポヴィチは地上に遺骸を残さなかったが,スースロスは残した。

信者たちは遺骸を乞い受けてイワノフスカや女子修道院に埋葬し,石碑を建てた。


 スースロフのあとを継いでキリストとなったのは,ニージニー・ノヴゴロト(現ゴーリキー市)の元込士プロコフィー・ダニーロヴィチ・リープキンなる人物で,一部フルイストたちは,彼をダニーラ・フィリッポヴィチの実の息子であるとしています。
彼は1713年から1732年の死まで,キリストの地位にありました。

彼の妻アクリーナ・イワーノヴナは生神女で,二人の息子は剃髪して修道院へ入り,ここで教えを弘めます。


 十八世紀半ばから十九世紀初頭までの問に,フルイスト派はほぼロシア全域に行き渡り,国外ではガリシア地方に住むロシア人たちにまで及びました。

モスクワには四つのカラーブリがあった。

とりわけ信者が多かったのは,オリョール県とタンボブ県であったそうです。

信者はさまざまな階層にわたりましたが,主として農民都市の職人,小商人たちで,また多くの修道院がこのセクトの拠点でした。


 フルイスト派は結婚と生殖を認めませんが,ダニーラ・フィリッポヴィチやキリストの家系には血統が絶えぬよう配慮がなされていたようです。

コストロマから三十キロのスターラや村には,十九世紀半ばまでダニーラの門下と言われるウリアナ・ワシーリエワという女性が生存しており,彼女が修道院へ幽閉されてのちも,スターラや村はフルイスト派の聖地ベツレヘムといったものでしたし,ループキン直系の子孫もやはり十九世紀半ばまで存続していました。

 十九世紀の六十年代に至り,フルイスト派は個々のキリストを戴く多くのカラーブリに分裂し,それらカラーブリ同士が互いに対立し合うという事態を生じた。

 フルイスト派は,のちの去勢派ほどにはよく組織された教団ではありません。
それは半ば自然発生的にさまざまな地方に興つた,とすら見える。

諸カラーブリ間の横のつながりも,さして緊密なものではなかったらしい。


しかし各カラーブリにひとりのキリスト,ひとりの生神女がいて,ひとり,あるいは数人の預言者・女預言者がいるという構造は,共通していたようです。

また,儀式のうえではすべてのカラーブリが輪舞(ラジェーニエ)を採用していたことは事実ですが,儀式の細目については地方により時代により種々食い違いもあり,このことは,セクトが時とともに様々な派に分かれていったことを証するものです。

体系的な教義が成文化されず,教導者の意思が神の意思と見倣され,カラーブリの全成員がこれに絶対服従するような集団にあって,これは至って自然なことでしょう。

 ロシア正教というのは,概して形式にすこぶる拘泥する宗教です。

十七世紀の教会分裂自体,儀式や礼拝の細目における形式の変更をめぐって生じた。

そして分離派は,正教会以上に形式主義者でした。

彼らは,ニコンの改革が伝統的形式を歪めるものであるとして,旧来の伝統と形式の名において改革に反対したのです。

フルイスト派は,ロシア正教のこの形式主義への反動として興つたと言えます。

その意味で,ダニーラ・フィリッポヴィチがあらゆる書物をヴォルガへ捨てたという挿話が,フルイスト伝説の冒頭に位置していることは象徴的です。


書物や普通の祈りでは生ぬるい。

彼らは神性との一層直接的な接触・融合を求めた。

つまり激しいラジェーニエに訴えて肉体を疲労特牛させ,神を自らの内へ直接呼び降ろそう,神と合体しようとするのであって,これが彼らの祈りなのです。

彼らは,使徒行伝に引かれた預言者ヨエルの言葉が実現したものと信じていました。

「神いひ給はく,末の世に至りて,我が霊を凡ての人に注がん。

汝らの子女は預言し,汝らの若者は幻影を見,なんじらの老人は夢を見るべし。

その世に至りて,わが僕・師団に,わが霊を注がん,彼らは預言すべし」

(使徒2.17)。


 法悦に達するための舞踏としては,古代の宗教やシベリアのシャーマン等が思い浮びますが,フルイスト派の輪舞(ラジェーニエ)は他から借用されたものではなく,フルイストたち自身の内で見出され徐々に完成されたものらしい。

ミリューコフは,このセクトの民衆起源に鑑み,先ず初めにその外的・儀式的側面が成立したのであり,教義が整えられたのは遙かのち(おそらくは十九世紀)のことであったろうと言っています。

ローザノブも,ダニーラ・フィリッポヴィチは神との直接交流の手段たるラジェーニエを案出したことで,このセクトの教祖となり,生ける神として崇められたものであろうとしています。

 神性と直接合体せんという望みは,彼らが人格化された生ける神を求めたことと結びついています。

人間が神と直接合体しうるというのは,人間が神になりうるという人神思想なのです。

神の霊感を受けるものにとって,この霊感を神から受けたと考えることから,この霊感が自分の内から流れ出たと考えることへはほんの一歩です。

彼らが自らを神的な霊感の源泉,つまり自らの内に神を孕む者と考えるに至ったのは,至極当然の成行きでした。

あらゆる魂の奥所には聖神の萌芽がある。

自らの内へ降りゆく者は,ここに聖神のことば言を聞き,自らの魂の内に神の国を見出す。

自らの内にこの内的福音の声を聞いた者は,その瞬間から「神の宮」となり,もはや肉の内にはなく霊の内にある。

これこそ聖神を自らの内に宿すということです。

彼らにとってはイエス・キリストも,自分たちと同等な「神の言の籍身」にすぎない。

彼らはラジェーニエで,

「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」

と唱えながら踊りますが,その意味するところは,

主よ,かつてイエスに霊感を与えたように,われらにも霊感を与え給え

ということなのです。


こうしてフルイスト派の世界には無数のキリストと生神女が出現したのであり,多くのカラーブリでは,信者同士が互いを神として拝し合うことも行われました。


 輪舞(ラジェーニエ)のやり方については,個々のカラーブリにより多少の違いはあるものの,大筋のところはほぼ一致しており,大略次のようなものであったようです
(十九世紀前半におけるニジェゴロト県アルザマスのカラーブリ,コストロマ県ガーリチのカラーブリ等。メーリニコフによる)。


 晩の六時頃,カラーブリの成員が一軒の家に集まる。

人数は十人から四十人。

百人に及ぶことは稀である

(もっとも,ペテルブルクでのセリヴァーノブのラジェーニエは,六百人を集めたと言われます)。


部屋には窓がないか,あっても塞がれていて,音が外部に洩れないよう,しばしば地下に造られている。

ラジェーニエの行われる家は,「神の家」とも「エルサレム」とも呼ばれる。


 部屋の一隅に生神女が座を占め,信者たちは男女に分かれてベンチに腰掛ける。

全員裸足で,長い白衣を着ている。

はじめに福音書,使徒の書簡,教父の文章,聖者伝等が読まれることもある。

それから自家製の祈りの文句を唱える。

やはり自家製の歌を歌うこともある。

その際両手で両膝を打ち拍子をとる。

歌の合間に十字を切り,主の祝福を乞う。


 次いでキリストなり預言者なりがラジェーニエを命じ,一同立って輪になる。

時として預言者自らラジェーニエを始め,他の観たちがそれに従う。

出たちの輪の外に女たちの輪が形成されることもあるが,大抵は男女入り混じっての輪である。

彼らは

「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」


と歌いながら,飛び跳ねつつ,右回りに回る。

輪舞も各人の旋回も,必ず右回りである。

つまり,南面したとき太陽が東から西へ動くように,右回りでなくてはならない。

この踊りに酒神が降るのであり,「聖なる輪」に入る者は霊により国勢するとされる。

踊りは次第に速くなり,人々は息を喘がせて跳ね上がり,手を振り,両足で床を踏み鳴らす。

舞踏者たちの回転の速いことは旋風のようで,顔も見分けられないほどである。

彼らが旋回と跳躍の間中,畷り泣き,声を震わせて奇声を発するさまは,傍目にも恐ろしいほどで,壁越しにこれを聞くと,まるで何かを鞭打っているように聞こえる。


フルイスト派が樽の周りで自分たちを鞭打っているという噂が弘まったのは,このせいかもしれない。

 踊る者たちが自らのうちに霊を感ずるや,踊りはますます速くなる。
輪の外で拍子をとり声をかけている者たちは,舞踏者のとりわけ激しく速い動作を認めるや,

「彼に恵みが降った」

と言う。こうして預言者や女預言者が出現する。


ラジェーニエ中はなにも考えてはいけない。

さもないと霊は降らない。

預言者や女預言者になる人々は,概してラジェーニエへの強い嗜好を有しており,彼らにとってラジェーニエは,集中した断食ののち,言い知れぬ喜びを伴って自ずと起こるのだという。

人々はラジェーニエを,それがもたらす陶酔ゆえに「霊的ビール」と呼んでいる。

フルイスト派の教義が肉食,飲酒,夫婦の交わり等の厳しい禁欲的節制を課するものであったことに鑑みれば,ラジェーニエによる心理的陶酔が彼らにとって不可欠であったことは,想像に難くありません。

 踊りは大抵夜半まで続く。

白衣が汗でぐっしょりになると,白衣を脱ぎ捨て,裸のまま倒れるまで踊る。

 踊りが終わると全員が腰をおろし,手で膝を叩いて拍子をとりながら歌を歌う。
それから教導者に向かって脆き,十字を切り,聖神が預言者の口を通って彼らを訪れるよう祈る。

選ばれた預言者が人々に向かい合って立ち,身体を動かしながら,大きな声で預言を始める。

はじめに全員への預言があり,そのあと個々人への預言がある。

預言者は個々人の罪を暴き,罪人は十字を切って罪を悔い,時に涙を流して預言者を拝する。

 預言はしばしば明け方近くまで続く。預言が終わると全員で

「キリストは甦り給いぬ」

を歌い,教導者は十字架を聖像の下に置き,一同は脆拝して十字架に接吻する。


 フルイスト派にとって霊は善であり,肉は悪であり,ラジェーニエは霊によって肉を克服する手段であるわけですが,日常生活においても霊は肉に打ち勝たねばならない。

最初の罪はアダムとエヴァの肉の交わりによって生じた。

普通の正教徒たちは変わることなく罪のうちに孕まれ,罪のうちに生まれ,罪のうちに生きている。

罪を免れるには,この世と訣別せねばならない。

これは祈りと断食と,肉欲を断つことによって達せられる。

概して,女と交わることは,フルイストにとって最も重い罪です。

肉,魚,玉葱,大蒜を食べてはならない。

酒を飲んではならない。

遊びの集まりに行ってはならない。

悪罵を口にしてはならない。

女は華美な服や飾りを身につけてはならない。

被ったショールはなるべく深く眼まで下ろして結び,常に慎ましくあらねばならない。

これらの誠命をすべて厳しく守る者は,来世で永遠の生命を得るばかりか,ここ現世でも聖神の恵みに与り,神の息子ないし娘に等しいものとなる。

つまりキリストないし生神女となる。

「我が誡命を守りわが道を保つ者は我に在り,我もまた彼に在るなり」
(ヨハネ第一書3.24)。

イエス・キリスト自身そうした神の籍身に他ならなかった。

罪と訣別し新たな生へと生まれ変わり新たな霊となったわれわれは, 言たる神が宿るに相応しい者たちである。

男たちは皆キリストであり,女たちは皆生神女である。

 仲間に引き入れようとする者には,先ず自分たちが正真正銘の正教徒であることを確信させる。

「司祭たちはわれわれに何も教えてくれない。だから自分で本を読まねばならない」
と言い,絶えずキリストに祈り,なるべくしばしば教会へ行き,正教の司祭を敬うよう教える。

やがてこう教えるようになる,

「この世:には聖神の恵みを有する試しい人々がいる。

こうした人々の内にこそ神は生きている。

彼らこそ縛り審くカをもち,罪深い魂を地獄から天国へ導くことができる」。

しかしこうした人々が誰で,何処にいるかは言わない。

 新人がセクトへの加入に同意するや,彼は数日間の断食と斎戒を命じられる。
定められた日に,セクトの教導者ないし長老が彼を迎えに来て,信者たちの集会へ導く。

そこには信者たちが全員裸足に白衣姿で,男と女に分かれてベンチに坐っており,前方にひとりの女性(生神女ないし女預言者)が聖像の下に腰掛けている。


広い部屋には沢山の蝋燭が明々と灯されている。

生神女は新人に尋ねる,

 「ここへは何のために来たか」

 「魂を救うために」

と新入は,予め教えられていたとおりに答える。

 「魂を救うのはよいことである。で,汝は誰を保証人とするか」

 「天の王たるキリスト自身を」

 「キリストを辱めることのないよう努めよ」

 次いで新人は聖像に向い誓いを立てる。

誓いは次の三点から成る。


1. 聖なる信仰を受け容れ,決してこれに背かない。

2. しばしば教会へ行き,痛悔をし,聖体礼儀を受けるが,司祭に新たな信仰のことは一言も洩らさない。

3. 聖なる信仰のためにはいかなる苦難にも耐え,牢獄も,シベリアへの流刑も,死すらも恐れず,自らの信仰を誰にも決して明かさない。


 そのあと新参者は教導者の命ずるところに従い,一同が彼のために祈るよう頼む。

一同は円くなって坐り,彼らが「主への祈り」と称するものを民謡の節で歌う。

一同歌いながら,右手で膝を叩いて拍子をとる。


次いで三,四人の男女が円のなかへ出て,跳ねながら右回りに回り始める。

こうして新信者加入の儀式は,ラジェーニエへと移行する。


 ロシアにあっても国外にあっても,フルイスト派は永いこと忌まわしい淫祠邪教のたぐいと考えられてきました。

下着姿の男女により深夜人目を避けて行われるラジェーニエが,人々に性的放縦と乱交を連想させたのです。

フルイスト派の儀試について,バクストハウゼンはロシア人の秘書から聞いた話としてこう記している,

 「……祈祷の富士を満たした樽のなかに十五,六歳の少女を坐らせる。

数人の老女が彼女に近づき,その胸を深く切開し,左の乳房を切り取り,驚くべき巧みさで出血を止める。


〈……〉それから切り取った乳房を皿に載せ,小片に切りわけて一同に配り,一同はこれを食べる。

この人肉食が終わると,特にしつらえた高い台に少女を坐らせ,歌いながらその周りを回る」。


 バクストハウゼンのこの記述を信頼に値すると見,わたしも同様の話を聞いたとして,同じ乳房嗜食の話を紹介したのは,メーリニコフです。

そして彼はここに,嬰児供犠の話をつけ加えた。


生神女である少女が男の子を産んだ場合,この男子は生まれて八日目に,キリストに倣い脇腹を刺されて殺され,一同はその生血で聖体礼儀をとり行い,屍体は乾燥させて粉にし,パンに焼いてやはり聖体礼儀に使われる。 

やはりメーリニコフの挙げている例ですが,


ワシーり一・ラダーエフというアルザマスのキリストは,

「神秘的な死を死に,神秘的に甦って」キリストとなった者にはすベてが許される
という,一種の超人思想の持主で,これに基づき自らのカラーブリの十三人の女たちと関係をもっていました。彼は女たちに向って,自分がこれを要求するのではない,自分の内なる神が要求するのだ

と言って女たちに関係を迫り,彼女たちはこれを拒否できなかったといいます。

カラ〜ブリの成員は,自分たちのキリストに対しては絶対服従の義務を有し,キリストの命令とあらばいかなる法も眼中にないという有様でしたから,このキリストが不心得者であった場合はとんだ事態が生じかねない,ということはあるでしょう。


深夜の密儀と乱交,人肉食,嬰児供犠等は,大衆の猟奇趣味にはなはだ適っていました。

また,ロシアをヨーロッパの秘境と見倣したがる西欧人の好みにも適っていた。

ハクストハウゼンとメーリニコフのこの記述は,大衆のフルイスト像を決定してしまった。

 ロシアの作家たち自身例外ではなかった。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/5362/1/slc013p121.pdf


"真説ラスプーチン(上/下)" Edvard Radzinsky 著
http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E8%AA%AC-%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3-%E4%B8%8A-%E6%B2%BC%E9%87%8E-%E5%85%85%E7%BE%A9/dp/4140808578

時代は、ロマノフ王朝の末期。

最後の皇帝ニコライ2世は闇の力に操られたと言われる。

その闇で君臨したのが怪僧と言われたラスプーチンである。

彼は読み書きもままならない農民、つまり「ムジーク」であるにも関わらず皇族への影響力は絶大であった。

聖書に関しては優れた知識をもち、素朴で、教養がある人間よりも物事がわかっている。

彼の言葉には、謎めいた格言のような形で、神がかりなうわ言のような予言力がある。

また、彼のまなざしと、人に軽く触れる手には、催眠効果があったという。

その一方で、売春婦や無数の婦人などを宗教と色欲を混同した半狂乱の中に陥れた。

まさしくオカルトの世界である。

ラスプーチンは、自分自身の暗殺を予言している。

その予言は、暗殺が親類の陰謀によるものならば、皇族一族も暗殺されるだろうというもの。

そして、予言通り皇族一家も暗殺される。

暗殺者によると、毒を盛られたのに生きていた、また、何発かの弾丸を打ち込まれたにも関わらず生きていたという証言がある。


彼の逸話には魔人伝説が散乱する。


@ ロシアで流行るカルト宗教

暗殺や謎の死、様々な矛盾と恐怖にむしばまれた時代、こうした時代がオカルト的な雰囲気を蔓延させ、人々の日常生活は霊的なものを求めていたという。

確かに、降霊術がこれほど発展した国はないのかもしれない。

ロシアでは、ドストエフスキーやトルストイのような文学者を生み出した一方で、超能力者を生み出している。

こうした背景は非公認の異端宗派を乱立させる。

本書は、中でも「鞭身派」と「去勢派」について言及している。


鞭身派における乱交は、肉欲を抑制するためであり、自らを清める儀式である。

これをキリストの兄弟愛と称する。

敬虔な人間は、罪を犯すと、苦悩を味わい懺悔する。

その結果、魂の浄化が起こり罪人は神に近づく。

罪と懺悔の間を行き来することに意味があり、神への道を示すものとされる。

清らかな体にこそ聖霊が宿り、罪によって罪を追い払うという奇妙な理屈があるようだ。

子供は肉から生まれたのではなく聖霊から生まれると信じるので、女性自身が聖母と自覚できる瞬間がある。


18世紀半ばに、鞭身派から分かれた去勢派という新たな狂信者を生む。

鞭身派の性的堕落を非難し絶対的な禁欲を唱える。

男根の去勢処置は、灼熱した鉄を使い、斧も用いられる。

女性の手術は、外陰部、乳首、乳房が切り取られる。

本書は、この罪を犯すことの重要さを理解しなくては、ラスプーチンを理解することができないと語る。


A ラスプーチンの教え


ラスプーチンは、鞭身派からスタートしたという。

磔にされたキリストは復活せず、復活したのはキリストが説いた永遠の真理のみ。

そして、「すべての人間がキリストになれる」と主張する。

そのためには、自らの内にある肉欲、つまり、旧約のアダムや罪の人を殺さなければならないというのだ。

ラスプーチンの使命とは、神の弱い創造物である女性たちを、罪から解放してやることだという。

彼にとって愛こそ神聖なもの。

自然の万物に対する愛。キリスト教的な家族愛。

女性が夫を愛していれば、それは触れるべきではないが、夫を愛さずに結婚生活を送っているならば罪深い。

結婚という制度には、従属する愛と反対の立場をとる。

真実の愛が存在しないものはすべて罪と考える。

同性愛者で偽りの結婚生活をしていた皇帝の妹には、彼女を抱き、愛を伝染してやろうと試みる。

ラスプーチンから愛を授かったものには、性的な放埒から解放され、見えない糸で永久に結ばれると考えていたのだ。

なんとも神秘的というか幼稚というか、巧みな触れ合いで催眠状態に陥れる。

悪魔のいちばんずる賢いところは、人々に悪魔などいないと信じ込ませることである。

だが、ラスムーチンは書き残す。「悪魔はすぐそばにいる」と。


B皇族との結びつき

ロマノフ王朝は、血族同士の殺し合いの伝統をもつ。そこには閣僚の暗殺も横行する。

そうした陰謀の渦巻く王家にあって、皇帝ニコライ2世は数々の試練を迎える。

皇太子アレクセイの血友病。日露戦争の敗北。1905年の血なまぐさい革命。

こうした背景は、皇族一家が「神の人」を待ち望むという状況にあった。

そんな時期に、予知能力と千里眼を備えるという評判のあったラスプーチンが近づく。

予言、奇蹟、死者と話す能力を備え、ロシア艦隊が日本艦隊に敗れることを予言していたという。

彼には、催眠的な力を持った目、予言者、治癒者、民衆から出てきたなど、条件は整っていた。

ロシアでは、読み書きのできな農民、素朴な人間にこそ貴重な才能が宿るという思想があるらしい。

彼は、病気の皇太子に謁見して心を静め、医者が治らないと宣言した病も将来治ると予言した。

また、革命で自らの殻に篭った皇帝にも、恐怖心を払い勇気を与えた。

特に、皇后は、自身の神経発作を取り除いてくれたラスプーチンの神秘的な力を崇拝するようになる。

これぞ催眠療法である。

彼は霊的な高みに到達した存在であり、詩的な瞑想をしきりに働かせたという。

ラスプーチンが書き記したとされる文章には、催眠的な力と見事な文学的センスがうかがえる。
http://drunkard-diogenes.blogspot.com/2008/06/edvard-radzinsky.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c9

[リバイバル3] 黒澤明 ドストエフスキー『白痴』 中川隆
1. 中川隆[-10919] koaQ7Jey 2019年4月05日 15:37:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1109]

黒澤明 ドストエフスキー『白痴』 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=f8wrohnqcxE
https://www.youtube.com/watch?v=HpH0x1oLsKQ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/617.html#c1
[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
10. 中川隆[-10918] koaQ7Jey 2019年4月05日 15:43:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1110]

ドストエフスキーが全く理解できなかった黒澤明の作ったアホ映画

原作をそっくりそのまま舞台化すればいいのに、アホは自分が理解できる様な見当外れの話に書き換えてしまうのですね。


黒澤明 ドストエフスキー『白痴』 (1951年)

動画
https://www.youtube.com/watch?v=f8wrohnqcxE
https://www.youtube.com/watch?v=HpH0x1oLsKQ

監督 黒澤明


キャスト

那須妙子:原節子

亀田欽司 : 森雅之

赤間伝吉:三船敏郎

大野綾子 : 久我美子

大野:志村喬

大野里子:東山千栄子

大野範子:文谷千代子

香山睦郎:千秋実


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c10

[近代史3] 文学も人間も全然わからなかった黒澤明の 白痴 (松竹 1951年) 中川隆
3. 中川隆[-10917] koaQ7Jey 2019年4月05日 15:48:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1111]
『白痴』(はくち)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』を原作とした日本映画である。監督は黒澤明で、1951年(昭和26年)に公開された。

原作はロシア文学で、1868年に発表され同時代のロシアを舞台としている。本作では舞台が昭和20年代の札幌に置き換えられている。当初4時間25分であった作品であるが、松竹の意向で大幅にカットされ166分となった。


ストーリー

亀田と赤間は北海道へ帰る青函連絡船の中で出会った。

亀田は沖縄で戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症でてんかん性の白痴にかかってしまったのだった。

札幌へ帰ってきた亀田は狸小路の写真館のショーウィンドーに飾られていた那須妙子の写真に心奪われる。しかし彼女は愛人として政治家に囲われていた。

裕福な大野の娘の綾子と知り合いになった亀田は白痴の症状はあるものの性格の純真さ善人さから、二人に愛され綾子と妙子の間で激しく揺れ動く。3人の異質な恋愛は周りの人物たちを次々と巻き込んでゆくこととなる。


____


『キネマ旬報』で、珍しくベストテンに入らなかった黒澤作品である。
ドストエフスキーを敬愛する黒澤にとっては、念願の仕事であったと同時にプレッシャーも非常に大きかった。原作を7度以上も読み込んだという。撮影がなかなか思うように進まず、精神的重圧のあまり近くにあったナイフで手首を切ろうとしたところ、三船敏郎にナイフを取り上げられたという。

中島公園の氷上カーニバルをはじめ、現在は失われた昭和20年代の札幌市の文化・風俗が記録されている貴重な映像資料でもある。黒澤は北欧のような異国情緒にあふれた当時の札幌の風景に魅せられてロケ地を選んだが、開発が進んで均質化された都市になってからの札幌には興味を示さなくなった。

ノークレジットながら、松竹側より、野村芳太郎、中平康などが監督助手として付いている。特に野村は、最後には黒澤より、シーンのOK、NGの判断すら求められるようになったという。黒澤は、「大船に過ぎたるものふたつ。(編集の)杉原よ志に野村芳太郎」と語った[1]。

松竹は当初黒澤に、前後編で公開したいと伝えており、黒澤はその意向に添って脚本撮影を進めたにもかかわらず、松竹首脳部は短縮を要請した。製作の小出孝は、この要請を黒澤に伝えることが出来ず、自分の責任でカットすることも検討したというが、結局野村芳太郎が黒澤に松竹側の意向を伝えた。[1]当然黒澤は激怒し、山本嘉次郎への手紙で「どうしてもカットしたいのならフィルムを縦に切ればいい」とまで言い切った。[2]結果として黒澤明は、当初4時間32分あった映画を3時間2分にまでカットしたが、それでも長すぎるとされ、結果として2時間46分までカットされた。現在見ることのできるバージョンはこれのみである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%97%B4_(1951%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)


▲△▽▼

黒澤明の「白痴」は、上述の原作に極めて忠実で、プロローグにドストエフスキーその人の言葉を載せることでも想像されるように、どうやら原作者と同じ意図を持って、ムイシュキン公爵を映画の中に登場させようとしたらしい。ふつう原作を映画化するときは、原作を映画のために利用するもので、原作者の意図をそのまま映画化する、ということはあまりないと思うのだが、黒澤のこの映画は原作者に忠実だという意味で珍しい映画のように思える。

黒澤はそれほどこの白痴という小説に心酔していたのだろうか。分からないが、結果はどうだったかというと、僕は、残念ながら、成功していないと思う。と、いうか、ドストエフスキーその人が、この主題は困難だ、と言った程度より、もっと困難なことをやろうとして失敗した、という感じで、無理もないように思う。

映画の中のムイシュキン公爵は「亀田さん」という名前で登場するが、この人は全編に渡って、「世間知らずで、他人の心の中しか見ようとしないせいで、他人の気持ちをあっさりと踏みにじる言動をし、周囲の状況がきちんと見えず、ゆえに滑稽で、極めて子供じみた人」という脚本の性格設定の元に見えている。すなわち「滑稽さ」と「非常識さ」のみで出来ているように見えてしまっている。

原作のムイシュキン公爵は、前述のように「滑稽」に加えて「論理」と「神秘」を持っているのだけれど、それらをそぎ落としてしまっている。「論理」は変だと思うかもしれないが、実際、物語りの中で公爵は、かなり論理的に自分の哲学を披露する長い弁舌をふるったりするのである。それゆえ「世間知らずの哲学者」などという軽い侮蔑の混じった扱いをここそこで受けたりもする。

とにかく、映画の方では滑稽ばかり目だってしまい、なぜこの人が特別な人なのか伝わってこない。

あと、けっこう決定的に問題なのが配役で、亀田さん役の森雅之はどう考えてもミスキャストとしか言いようがない。森雅之その人もこの役は自分じゃないと言っていたようだ。ただ、この亀田さん役を誰にするかについてはかなり紆余曲折があったそうだ。と、いうか、このムイシュキン公爵役をきちんとできる人はいるのかしらん、という気がする。

森雅之は僕の大好きは俳優なのだが、彼は、心に一物があり、ずるくて、それで色気たっぷりで、そこはかなく堕落したような男の役を演じると完璧なのであるが、そういう意味で、ムイシュキン公爵役と正確に正反対な感じである。目に色気がありすぎてどうしても善良に見えないのである。そのせいで、その類まれな善良さゆえに人々を惹きつけている、ということが伝わらず、特に、なんでこんなヘンな男をナスターシャとアグラーヤという二人の美女が取り合っているんだか、まるで分からない感じ。

原作者の言うことを忘れて、脚本を変えて、もう少し亀田さんをふつうの人にして構成すればよかったのに、と思えて仕方ない。

もっとも、この映画には仕方ない事情もあって、それは、黒澤が最初に完成させた時点では4時間の大作だったそうなのだが、配給会社の意向で大幅にカットになり、結局2時間半ぐらいにしてしまっているのである。ひょっとして、さっき言った亀田さんが哲学的考察を披露するシーンなんかも存在していたのかもしれない。

さて、ずいぶん黒澤の「白痴」をミソクソに言ってしまったが、これはひとえに亀田さんが変だ、というだけで、映画としては面白いと思う。特に、森雅之以外の配役が極めて秀逸である。

激しい情熱と行動の人である粗野なラゴージンは赤間伝吉という名前で三船敏郎が、ラゴージンとムイシュキン公爵の間で揺れる謎に包まれた絶世の美女ナスターシャ・フィリポヴナは那須妙子という名前で(ネーミングが面白い!)原節子が、そして、公爵に恋をする、気が強く純真な、やはりたぐいまれな美女のアグラーヤは大野綾子という名前で久我美子が演じている。

これら、三船敏郎と原節子と久我美子の3人の演技だけでもこの映画を見る価値はある。

特に僕は久我美子の綾子がとても気に入った。潔癖で気が強くて羞恥心が強く純真で、それゆえに怒ってばかりいるアグラーヤの性格がとてもうまく出ている。あと、ナスターシャ役の原節子の美しさと貫禄と隠されたナイーブな感じもいいし、三船敏郎のラゴージンの粗野な美男子ぶりもよい(原作のラゴージンはむしろ醜男だったはずだが)。原節子と三船敏郎のツーショットは本当に絵になる。

森雅之は、もう、これは仕方ない感じ。率直に行動するムイシュキンが下心ありありの男に見えちゃったり、人々を知らずして惹きつける純真であけすけな笑いが色目を使っているように見えちゃったり、さんざんである(笑) だって、そういうタイプの役者だもんね。

ちなみに森雅之は、僕は、何といっても成瀬巳喜男の「浮雲」が素晴らしいと思う。女好きでだらしないダメ男の役を、抜群に美しく魅力的な高峰秀子と演じている。ここでの森雅之は何ものにも変えがたい感じ。あと、雨月物語や、羅生門、女が階段を上る時、武士道残酷物語などなど森雅之が秀逸な映画はいくらでもある。
http://hayashimasaki.net/zatubun/hakuchi.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/173.html#c3

[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
11. 中川隆[-10916] koaQ7Jey 2019年4月05日 15:52:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1112]

文学も人間も全然わからなかったアホ 黒澤明の 白痴 (松竹 1951年)

ドストエフスキーの原作通りに、何も手を加えないでそのまま映像化しておけば物凄い傑作になったんですけどね:


『白痴』(はくち)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』を原作とした日本映画である。監督は黒澤明で、1951年(昭和26年)に公開された。

原作はロシア文学で、1868年に発表され同時代のロシアを舞台としている。本作では舞台が昭和20年代の札幌に置き換えられている。当初4時間25分であった作品であるが、松竹の意向で大幅にカットされ166分となった。


ストーリー

亀田と赤間は北海道へ帰る青函連絡船の中で出会った。

亀田は沖縄で戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症でてんかん性の白痴にかかってしまったのだった。

札幌へ帰ってきた亀田は狸小路の写真館のショーウィンドーに飾られていた那須妙子の写真に心奪われる。しかし彼女は愛人として政治家に囲われていた。

裕福な大野の娘の綾子と知り合いになった亀田は白痴の症状はあるものの性格の純真さ善人さから、二人に愛され綾子と妙子の間で激しく揺れ動く。3人の異質な恋愛は周りの人物たちを次々と巻き込んでゆくこととなる。


____


『キネマ旬報』で、珍しくベストテンに入らなかった黒澤作品である。
ドストエフスキーを敬愛する黒澤にとっては、念願の仕事であったと同時にプレッシャーも非常に大きかった。原作を7度以上も読み込んだという。撮影がなかなか思うように進まず、精神的重圧のあまり近くにあったナイフで手首を切ろうとしたところ、三船敏郎にナイフを取り上げられたという。


中島公園の氷上カーニバルをはじめ、現在は失われた昭和20年代の札幌市の文化・風俗が記録されている貴重な映像資料でもある。黒澤は北欧のような異国情緒にあふれた当時の札幌の風景に魅せられてロケ地を選んだが、開発が進んで均質化された都市になってからの札幌には興味を示さなくなった。

ノークレジットながら、松竹側より、野村芳太郎、中平康などが監督助手として付いている。特に野村は、最後には黒澤より、シーンのOK、NGの判断すら求められるようになったという。黒澤は、「大船に過ぎたるものふたつ。(編集の)杉原よ志に野村芳太郎」と語った[1]。

松竹は当初黒澤に、前後編で公開したいと伝えており、黒澤はその意向に添って脚本撮影を進めたにもかかわらず、松竹首脳部は短縮を要請した。製作の小出孝は、この要請を黒澤に伝えることが出来ず、自分の責任でカットすることも検討したというが、結局野村芳太郎が黒澤に松竹側の意向を伝えた。[1]当然黒澤は激怒し、山本嘉次郎への手紙で「どうしてもカットしたいのならフィルムを縦に切ればいい」とまで言い切った。[2]結果として黒澤明は、当初4時間32分あった映画を3時間2分にまでカットしたが、それでも長すぎるとされ、結果として2時間46分までカットされた。現在見ることのできるバージョンはこれのみである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%97%B4_(1951%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)


▲△▽▼


黒澤明の「白痴」は、上述の原作に極めて忠実で、プロローグにドストエフスキーその人の言葉を載せることでも想像されるように、どうやら原作者と同じ意図を持って、ムイシュキン公爵を映画の中に登場させようとしたらしい。ふつう原作を映画化するときは、原作を映画のために利用するもので、原作者の意図をそのまま映画化する、ということはあまりないと思うのだが、黒澤のこの映画は原作者に忠実だという意味で珍しい映画のように思える。

黒澤はそれほどこの白痴という小説に心酔していたのだろうか。分からないが、結果はどうだったかというと、僕は、残念ながら、成功していないと思う。と、いうか、ドストエフスキーその人が、この主題は困難だ、と言った程度より、もっと困難なことをやろうとして失敗した、という感じで、無理もないように思う。

映画の中のムイシュキン公爵は「亀田さん」という名前で登場するが、この人は全編に渡って、「世間知らずで、他人の心の中しか見ようとしないせいで、他人の気持ちをあっさりと踏みにじる言動をし、周囲の状況がきちんと見えず、ゆえに滑稽で、極めて子供じみた人」という脚本の性格設定の元に見えている。すなわち「滑稽さ」と「非常識さ」のみで出来ているように見えてしまっている。

原作のムイシュキン公爵は、前述のように「滑稽」に加えて「論理」と「神秘」を持っているのだけれど、それらをそぎ落としてしまっている。「論理」は変だと思うかもしれないが、実際、物語りの中で公爵は、かなり論理的に自分の哲学を披露する長い弁舌をふるったりするのである。それゆえ「世間知らずの哲学者」などという軽い侮蔑の混じった扱いをここそこで受けたりもする。

とにかく、映画の方では滑稽ばかり目だってしまい、なぜこの人が特別な人なのか伝わってこない。

あと、けっこう決定的に問題なのが配役で、亀田さん役の森雅之はどう考えてもミスキャストとしか言いようがない。森雅之その人もこの役は自分じゃないと言っていたようだ。ただ、この亀田さん役を誰にするかについてはかなり紆余曲折があったそうだ。と、いうか、このムイシュキン公爵役をきちんとできる人はいるのかしらん、という気がする。

森雅之は僕の大好きは俳優なのだが、彼は、心に一物があり、ずるくて、それで色気たっぷりで、そこはかなく堕落したような男の役を演じると完璧なのであるが、そういう意味で、ムイシュキン公爵役と正確に正反対な感じである。目に色気がありすぎてどうしても善良に見えないのである。そのせいで、その類まれな善良さゆえに人々を惹きつけている、ということが伝わらず、特に、なんでこんなヘンな男をナスターシャとアグラーヤという二人の美女が取り合っているんだか、まるで分からない感じ。

原作者の言うことを忘れて、脚本を変えて、もう少し亀田さんをふつうの人にして構成すればよかったのに、と思えて仕方ない。

もっとも、この映画には仕方ない事情もあって、それは、黒澤が最初に完成させた時点では4時間の大作だったそうなのだが、配給会社の意向で大幅にカットになり、結局2時間半ぐらいにしてしまっているのである。ひょっとして、さっき言った亀田さんが哲学的考察を披露するシーンなんかも存在していたのかもしれない。

さて、ずいぶん黒澤の「白痴」をミソクソに言ってしまったが、これはひとえに亀田さんが変だ、というだけで、映画としては面白いと思う。特に、森雅之以外の配役が極めて秀逸である。

激しい情熱と行動の人である粗野なラゴージンは赤間伝吉という名前で三船敏郎が、ラゴージンとムイシュキン公爵の間で揺れる謎に包まれた絶世の美女ナスターシャ・フィリポヴナは那須妙子という名前で(ネーミングが面白い!)原節子が、そして、公爵に恋をする、気が強く純真な、やはりたぐいまれな美女のアグラーヤは大野綾子という名前で久我美子が演じている。

これら、三船敏郎と原節子と久我美子の3人の演技だけでもこの映画を見る価値はある。

特に僕は久我美子の綾子がとても気に入った。潔癖で気が強くて羞恥心が強く純真で、それゆえに怒ってばかりいるアグラーヤの性格がとてもうまく出ている。あと、ナスターシャ役の原節子の美しさと貫禄と隠されたナイーブな感じもいいし、三船敏郎のラゴージンの粗野な美男子ぶりもよい(原作のラゴージンはむしろ醜男だったはずだが)。原節子と三船敏郎のツーショットは本当に絵になる。

森雅之は、もう、これは仕方ない感じ。率直に行動するムイシュキンが下心ありありの男に見えちゃったり、人々を知らずして惹きつける純真であけすけな笑いが色目を使っているように見えちゃったり、さんざんである(笑) だって、そういうタイプの役者だもんね。

ちなみに森雅之は、僕は、何といっても成瀬巳喜男の「浮雲」が素晴らしいと思う。女好きでだらしないダメ男の役を、抜群に美しく魅力的な高峰秀子と演じている。ここでの森雅之は何ものにも変えがたい感じ。あと、雨月物語や、羅生門、女が階段を上る時、武士道残酷物語などなど森雅之が秀逸な映画はいくらでもある。
http://hayashimasaki.net/zatubun/hakuchi.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c11

[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
12. 中川隆[-10915] koaQ7Jey 2019年4月05日 15:54:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1113]

まともな人間は芸術家にはなれない _ 6


黒澤明にはわからなかった女性の恐ろしさ


羅生門

監督 黒澤明

脚本 黒澤明 橋本忍

音楽 早坂文雄

撮影 宮川一夫

配給 大映

公開 1950年8月26日


動画
https://www.youtube.com/watch?v=uwR2kVOcwNI


キャスト

多襄丸:三船敏郎
都の内外に悪名が轟く盗賊。女好きとしても有名。真砂の美貌や気性の激しさに惹かれ、金沢夫婦を襲う。捕縛されても豪放磊落に振る舞い、自らの金沢殺しを誇るように語る。


金沢武弘:森雅之
死体で発見された旅をしている武士。言葉巧みに多襄丸に山奥まで連れて行かれ、木に縛られ、妻を手籠めにされる。巫女による降霊という形で証言を行なう。


真砂:京マチ子
金沢の妻。大人しく貞淑。
夫と山中を行動していたところを多襄丸に襲われ犯される。多襄丸によれば凛としていたというが出廷した姿とその証言はか弱さを見せる。


杣(そま)売り:志村喬
金沢の遺体発見者。参考人として検非違使に出廷し、矛盾する3人の証言を聞く。
実は事件自体を目撃しており、真相を知っているがために人間不信となっている。


旅法師:千秋実
生前の金沢を目撃していたため、検非違使に呼ばれる。最終的に杣売りから真相を聞かされ、人間不信となるが、最後の杣売りの行動に希望を持つ。


下人:上田吉二郎
雨宿りの際に暇つぶしに杣売りと旅法師の話を聞く。終盤、杣売りの偽善性を指摘し、人間のエゴイズムのままに行動して場を去る。


巫女:本間文子
巫女というより霊媒師。金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう。


放免:加東大介
河原で倒れていた多襄丸を発見し、検非違使に連行する。

____


芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』を原作に、橋本忍と黒澤が脚色し、黒澤がメガホンを取った。舞台は平安時代の乱世で、ある変死事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿をそれぞれの視点から描き、人間のエゴイズムを鋭く追及した。

自然光を生かすためにレフ板を使わず鏡を使ったり、当時はタブーとされてきた太陽に直接カメラを向けるという撮影[注釈 1]を行ったり、その画期的な撮影手法でモノクロ映像の美しさを極限まで映し出している。撮影は宮川一夫が担当し、黒澤は宮川の撮影を「百点以上」と評価した[1]。音楽は早坂文雄が手がけ、全体的にボレロ調の音楽となっている。

日本映画として初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞[注釈 2]を受賞し、黒澤明や日本映画が世界で認知・評価されるきっかけとなった。本作の影響を受けた作品にアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』などがある。

製作経緯

伊丹万作唯一の弟子として指導を受けた橋本忍は、伊丹の死後佐伯清の弟子となり、サラリーマンをしながら脚本の勉強をしていた。1949年(昭和24年)、橋本は芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を執筆、佐伯にこの脚本を見せたところ、かねてから付き合いのあった黒澤明の手に脚本が回り、黒澤はこれを次回作として取り上げた。橋本の書いたシナリオは京の郊外で旅の武士が殺されるという殺人事件をめぐって、関係する三人が検非違使で証言するが、それがみな食い違ってその真相が杳として分からないという人間不信の物語であったが、映画にするには短すぎたため、杣売りの証言の場面と芥川の『羅生門』のエピソードと、ラストシーンで出てくる赤ん坊のエピソードを付け足した[4]。

当時黒澤は、東宝争議の影響で成瀬巳喜男、山本嘉次郎、本木荘二郎らと共に映画芸術協会を設立してフリーとなっていたが、同協会は大映と契約を結んでいたこともあり、同社で製作交渉を行った。しかし、大映はこの難解な作品の映画化に首をひねったため、黒澤は社長の永田雅一に「セット一杯で出来る」と説得してようやく企画が了承された[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E7%94%9F%E9%96%80_(1950%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

▲△▽▼


ヨーロッパの映画人の評価では文句無く日本映画の最高傑作 _ 黒澤明「羅生門」


この日 ヴェネチアでは “ヴェネチア国際映画祭” が フィナーレを迎えようとしていた。グランプリ(金獅子賞)をはじめ、全受賞作がつつがなく選出されたが、その裏で “前代未聞のとんでもない騒ぎ” が持ちあがっていた。

祝福されるべき最高の栄誉「サンマルコ獅子像」を満場の拍手とともに受けとるはずの関係者の姿が、どこをどう探しても見当たらないのだ。

見事 金獅子を射止めたのは 「羅生門」という日本映画だった。 ところが 信じられないことに、プロデューサー、監督、俳優など関係者は ひとりとして ヴェネチアに来ていなかった。 しかし、そもそも どうしてこういう事になったのか?

話は その年の春にさかのぼる。

ひとりのイタリア人女性が、東京を拠点に精力的に活動していた。イタリーフィルム社長、ジュリアーナ・ストラミジョリ女史である。彼女の仕事は、イタリア映画を 日本に売り込むことであった。大戦直後に起こった空前の「ネオ・レアリズモ」ブームの中、彼女は 多くの利益をイタリアにもたらした。そんな経緯から、彼女の伊映画界への発言力は増していた。

また、伊映画を愛してくれる日本国民への謝意を表す意味でも、欧米に 日本映画の良作を紹介してあげようか、と考えたのはごく自然の成り行きだった。

1951年6月、ヴェネチア映画祭への出品作を探していた女史は、何本か観るうちに 「羅生門」 にぶつかった。運命の出会いだった。

ベリッシモ! (何て素晴らしいの!) こんな美しい映画 観たことないわ。ぜひとも 世界に紹介したい。


胸の高鳴りを押さえることが出来ない彼女は、すぐさま 大映に対し (映画祭への) 出品を要請した。 ところが なぜか 大映・永田社長は出品に消極的で、「イタリアの国際映画祭に出したい? 何のために? 日本の映画が海外で評価されるなんて 有り得んだろう。出したところで、恥をかくのがオチだ。

英語・イタリア語の字幕を付けるための費用が要る?

そんな金は出せないよ。 まさか詐欺じゃないだろうね。ま、いずれにしても 今回は遠慮させてもらうよ」

と冷ややかな対応に終始した。 永田のこの対応に落胆した女史だったが、やはりどうしてもあきらめることが出来なかった。思い悩んだ末、“熱血行動派”の彼女は 大胆な行動に出た。自費で英語字幕をつけ、秘密裏にヴェネチアに送ったのだ。

いくら映画芸術に通じた者でも、よほどの映画愛がなければ こんなことは出来ない。そして、ストラミジョリ女史は 「熱血慧眼の映画人」だった。
彼女の眼がいかに鋭かったかは、“金獅子”の獲得によって見事 証明されることとなる。

日本には名誉とか栄光に全く無関心な、クロサワという大変な実力の映画人がいる。

湖に巨石が投じられ、そのすさまじいエネルギーは、次々に大きな波紋を作り出していった。

「ジャパンのクロサワ」への世界の映画人からの尊敬ぶりは、“ヴェネチア事件”をきっかけに、日本人の想像を超えたものになっていく。 映画祭に顔を出していた フェデリコ・フェリーニという新人監督は、「羅生門」観賞後 しばらく興奮が収まらなかった。

「ブラーヴォ! すごいものを見たぞ!」
 
「クロサワという日本人が作った凄い映画を この目で見たんだ!」

と 辺り構わず大声で話し続け、周囲にたしなめられた。 彼にとって 「羅生門」 の衝撃は大き過ぎたのだ。この映画祭で見た奇跡について話すとき、この純情な男の眼から涙があふれ 流れ落ちた。

その後も、イタリーフィルムの ストラミジョリ女史が日本から帰国するたび 頻繁に彼女のもとを訪れたフェリーニ青年は、質問攻めにすることがたびたびだった。

「クロサワとはどんな男? どんな顔をしてる?」

その質問は 子供のそれと変わらなかった。ストラミジョリには、そんなフェリーニが可愛らしくも思えた。 彼女は、クロサワの他作品も観たいと熱望する彼のために、1本の映画を日本から直送し、“個人上映会” を開いた。映画のタイトルを 「白痴」といった。

映画鑑賞後のフェリーニの様子は、またしても尋常ではなかった。泣きはらして充血したその目は、異様な光を帯びていた。映画は、彼にとって 「羅生門」 以上の衝撃だったのだ。

1954年、フェリーニの最初の傑作 「ラ・ストラーダ」(邦題 「道」)が公開され、世界に大きな衝撃を与えた。「白痴」のムイシュキンは ジェルソミーナ となって、このイタリアの地に甦ったのだ。

「道」 から28年が過ぎた1982年9月、ヴェネチア国際映画祭創立50周年を記念して設けられた 獅子の中の獅子賞(歴代グランプリ中の最高傑作)として、満場一致で「羅生門」が選出された。 選定にあたって諮問を受けたフェリーニは こう述べた。

「我々映画人はクロサワから多くのことを学んだ。クロサワは映画界にとって最大の恩人である。どれだけ感謝しても足りるものではない。

映画祭50周年にあたり、最も優れた映画を1本選べというなら、私は迷わず「羅生門」を推挙する。

この偉大な映画を世界で最初に見出したのが、わがヴェネチアだったという事実は、イタリア人にとって何よりの名誉である」

http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01

黒澤伝説はここから始まった


“羅生門”は今では日本文化・芸術を代表する作品の一つになってしまった、と言っても過言ではないと思います。 外国人のほうが日本人より鑑賞眼があるーなどど言う気は毛頭ありませんが、こと“羅生門”に関して言えば、“よく分からない映画”という評論が支配的だったという国内の状況より、国際映画祭の批評家たちの方が慧眼だったーと言えるのではないでしょうか。 世界人類が共通に抱えている問題を画期的な映像表現で描き出し、その世界的価値に日本人自身が気が付かなかったわけですから。

同じ事象でも、見る人によって感じ方、捉え方がまったく違うーという、言ってみれば20世紀後半のポストモダニズムを先取りしているわけですが、そんな小難しいことを言わずとも、人間の本質に切り込む先鋭的な内容をめくるめくような映像美でとらえたエンターテイメントとして現在でも通用すると思います。 

実は私、アメリカの大学で“映画史”の授業を二度取った事があるのですが、いずれの場合も“羅生門”が上映された時の、学生たちの画面に食い入るような反応が忘れられません。 “国民の創生”とか、“戦艦ポチョムキン”や“市民ケーン”といった欧米の歴史的名作が上映された時とは、ディスカッションの場においてもみんなの熱の入りようがまるで違っていました。 

それらの作品が映画史においては、技術的・理論的な革新をもたらしたのに過ぎないのに対して、“羅生門”のもつ、人間の心の闇に肉薄する答えのない問いかけーという内容は時代が変わっても古びることがないのだと思います。 基本的に、古いものーそれも昔の外国映画などにまったく興味の無いアメリカの一般の若者たちに引き起こしたあの反応は、この作品の持つ底知れぬ力を純粋に証明するに足るものではないでしょうか?

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日本映画が世界を驚かせた端緒となった作品です。実際、今見ても非常に見事な作品だと思います。物語は神話的であり、それ故、普遍性に満ち、黒澤作品の中でもこれから評価が高まるでしょう。

映画は、冒頭の篠付くような豪雨に、半壊した大門、羅生門の描写から、異様な予感をはらみます。これだけで断然たる出来です。 そして最初のセリフが

「わからない。さっぱりわからない」

と来る。いきなり映画のテーマ、結論を言ってしまっているんですが、その後の映像が見事なので、まったく退屈しない。

呆然と空を見上げるシーンから登場する三船は、唐突に狂騒的な笑いを発し、森を駆ける様は野生そのものです。 その三船が女の手を引き、森を疾走するだけでスリルが高まります。

京マチ子の体現した、女の性の際どさと、刃の鋭さ、その毒性の濃厚さ。そう言えば近年、このレベルの高度なエロティシズムは見かけませんね。

その時の感情と共に、幾たびも幾たびも姿を変えては再生される「客観的と主張される記憶」この人として内包する根源的な矛盾を突き、「羅生門の鬼ですら、人の恐ろしさに逃げ出した」という深遠を問うことに成功したから、この映画は永遠の命を得たのだ、と思うのです。

http://harukun1147.cocolog-nifty.com/firosofianholiday/2008/04/post_4dcf.html

時代は平安時代、能を取り入れた伝統の様式美・・・・これでは「王朝絵巻のような 時代がかって退屈な映画」 以外の具体的イメージを持てというほうがムリだ。

封切り当時、多くの観客が、そんな先入観で頭を一杯にして映画を観、そして裏切られた。 でも、不思議なことに 客の入りは悪くなかった。ほとんどの映画館が満員だったという記録が残っている。(不入りだったというのは、後から作られた“伝説”です)

人々の “満足” は別の所にあった。 映画を観た人の口伝えに、三船敏郎と京マチ子の扇情的なキスシーンやレイプ場面が 密かに話題になっていたのだ。人々は、まるで “成人映画” を観る感覚で「羅生門」を観に行き画面にくぎ付けになった。

じつに、「羅生門」は “ケモノの匂い” のする映画だった。 盗賊多襄丸を演じる三船敏郎の、日本人離れしたエネルギッシュでギラギラした野性。

人妻・真砂を演じる京マチ子の、西洋人のようなグラマラスな肉体。盗賊が女を犯す場面やキスシーンの欲望むき出しの刺激的演出。 しかも、全編にわたって流れる音の基調は “ボレロのリズム” だ。当時の観客からすれば、どこをどう探しても“日本的情緒の片鱗”さえ見いだせないこの映画に心底面くらい、“真のねらいや価値”について考える余裕など持てなかったのである。

そう、すべては “タブー”だったのだ。 夏の太陽にカメラを向けることも、ギラギラした欲望を大胆に解き放つことも。そんな黒澤の野心的演出に、保守的な批評家たちは内心面食らったのだろう。

http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01

 黒澤はの土砂降りのシーンを撮影するにあたり、雨に墨汁を混ぜて重い質感を出したという。さらにこの場面に凄まじい迫力を加えるために、消防車三台の出動を求めて消化ホース5本を使用。屋根には放水装置を施して、瓦の壊れから滝のように落下する雨を表現した。さらに、門の周囲に掘つた溝には水槽タンクから大量の水を一気に流し込んで溝に溢れる豪雨の感じを出し、しかも万全を期するためにわざわざ雨の日を選んで撮影を行なうという凝りようだった。このことは"日本映画史上類を見ない大胆な撮影"として、今も語りつがれている。

 この他にも、羅生門の屋根瓦を作るために、新たに焼きあげた瓦の数が4000枚、その一つ一つに「延暦寺十七年」と年号が刻まれていたとか、羅生門のセットが大き過ぎて上部の屋根を作つたら柱がささえきれないから、屋根を半分壊した形にしたとか、黒澤の偏執狂的な映画製作に関するエピソードは尽きない。

 その飽くなきこだわりがことごとく映画に独特の雰囲気を醸し出し、この名作が誕生するに至った。

 なお、カメラ技法における工夫も多く、中でも有名なものは"ギラギラと輝く太陽を望遠レンズで映す"という手法だった。当時は太陽にカメラを向けることはフィルムを焼き切る可能性があったため、一般的にはタブーとされていたのだが、この難題に敢然と挑戦したのが撮影担当の宮沢一男だった。

彼のカメラは森の奥深くに入り込み、大きな反射鏡を利用しながら、木々の間から見え隠れするギラついた太陽を延々と追いかけ、それによって照り付ける陽光と乾いた森の雰囲気を遺憾なく描写することに成功した。この技法が映画公開時、世界の批評家から絶賛され、「黒澤は太陽を初めてカメラにおさめた」という有名な賛辞が生まれた。

 当時の映画界の巨匠、溝口健二のキャメラマンとしても名高い宮川一男は、「色を使わずに、白と黒の間にある無数の鼠色の濃淡によってみるものに色を感じさせる」という黒澤の演出に対しても、独特の水墨画感覚で応じた。雨の“黒”と検非違使庁の庭に敷かれた砂の“白”との絶妙な対比、木樵りが森を歩いていくシーンでの木々の微妙なコントラスト、木漏れ陽の輝き、斧の刃にきらめく日光、何とも豊穰な映像表現である。

 他にも、当時としてはまだ新しいテクニックだったパン・フォーカス(近景と遠景と同時にピントを合わす技法)が、随所に使われていることも見逃せない。

 さらにこの作品にはおびただしい数のカットつなぎ(画面と画面の切り返し)が施されている。評論家のドナルド・リチー氏によれば、映画の本体だけで408ショット、これは普通の作品の二倍以上にもなるという。しかし観客はショットの多さで気が散るようなことはない。それどころか、ともすると単調になりがちなストーリーに言い知れぬ躍動感を生みだしている。  黒澤のこの天才的な編集が、「七人の侍」をはじめとするのちの彼の作品に確実に受け継がれていることは言うまでもない。

「羅生門」は戦後間もなく公開され、51年度ヴェネチア映画祭グランプリ、52年度アカデミー賞最優秀外国語映画賞に輝いた。この受賞が当時、敗戦の痛手の中で何もかも自信を失っていたわが国の人々に与えた衝撃と希望は計り知れないものが合ったという。

 海外で高く評価された理由としてさまざまな要因が云われているが、あの時代にこういった観念論的な裁判劇を世界に先駆けて生みだした黒澤の先見性こそが、その最たる理由であったことに今や疑いの余地はない。 「羅生門」はまさに日本映画を黒澤の名とともに世界に送り出した記念すべき「門」でもあった。

http://www.asahi-net.or.jp/~ij9s-ucym/rasyoumon.html

世界の「ミヤガワ」  

宮川一夫は、映画監督として世界の「クロサワ」と呼ばれる黒澤明と同じで、映画撮影技師として世界の「ミヤガワ」と称された、偉大な映画カメラマンです。彼の作風は、溝口健二や黒澤明などの名監督の作品において大きな役割をはたしました。宮川のカメラワークなしには、溝口も黒澤も世界の映画コンクールで数々の栄誉には輝かなかったと言っても過言ではありません。今回は、この宮川一夫の撮影テクニックと映画において表現された宮川芸術を紹介します。


カメラマンの丁稚奉公

1908年生まれの宮川は、昭和元年に、ふとしたことがきっかけで映画の世界に足を踏み入れました。当時、スチルカメラに興味を持っていた宮川青年は、友人が日活撮影所にいた関係で、しばしば彼にフィルムの現像を頼みました。その見返りとして日活野球部の助っ人をしているうちに、撮影所の仕事を手伝うようになりました。現在のようにカメラマンの専門学校があるわけではありませんから、3年間の現像処理の仕事に続き、その後12年間の撮影助手、例えば、カメラのピントのみを手動で合わせるピントマンを経験し、晴れて撮影技師になることができました。この時の15年間の修行が宮川にとって、撮影テクニックの基本を習得する場であったと後に述べています。サイレント時代からカメラマンをしていた宮川の作品の多くは、白黒です。彼は映画作品だけで、136の作品にカメラマンとして関わりましたが、その半分以上がモノクロ作品でした。しかし、その単色の作品で最も色を感じさせることのできる色調を出せたのは、世界において宮川カメラマンをおいて他にいません。

日本の水墨画を感じさせるカメラワーク

宮川が撮影でこだわったのは、鼠(ねずみ)色です。白黒映画は単純に言えば、白と黒の2階調ですが、鼠色には無限の色があるというのが彼の持論でした。

宮川に日本画を教えた先生が、彼に絵の具を一切使わせなかったため、彼は鼠色の中で自然の色を表現しようと努力しました。その教えが後のカメラワークに多大な影響を与えています。白黒映画は、その色の階調から光と影の表現が重要でした。従って、光と影のコントラスト、その中間に位置する鼠色の表現方法により、作品の雰囲気が大幅に変わりました。

カラー時代のカメラワークが、動きやカットの仕方に重きを置いているのと比べて、白黒時代は、光と影のコントラストをどう表現するかにより、硬調か軟調かの絵作りを監督や脚本家も含めて、論じられました。そのためか、カメラマンの技量や美的センスがより作品に反映されたのも事実です。宮川はモノトーンで自分が育った京都の色彩を出していたと言っています。


「羅生門」で見せたカメラワークの芸術

1950年の作品、「羅生門」は黒澤監督にとっても、宮川にとっても、ターニングポイントとなった作品です。もともと軟調指向の宮川のカメラワークは、ダイナミックな絵作りを目指す黒澤とは相容れない部分がありました。監督から「太陽を画調としてどう考えるか?」という難題を投げかけられて、宮川が答えたのは、「白と黒と鼠、この3つの色でこの映画を撮りたい」というものでした。

監督は了解し、最初の難題が、「羅生門」の話の中で、主役となる盗賊と暴行を受ける侍の妻との抱擁シーンでした。2人のバックに太陽が背景に映っているコントラストの強いカットを望んだのです。

しかし、一般に太陽を大きく撮るには望遠レンズが必要ですし、通常、人物を撮るのは標準レンズです。ズームカメラなどない時代ですから、ほとんど手作りの手法を編み出すしかありません。そこで考えられたのが、25メートルの高さのやぐらの上で三船敏郎と京マチ子の2人に演技してもらい、それを下から太陽を背に撮りながら絞りを最小にして、2人と太陽をくっきりと撮影しました。

何のことはない原始的な方法ですが、必要に応じて様々な撮影方法を試しました。批評家から絶賛された薮(森)のなかのシーン。例えば、三船が延々と薮の中を走りまくるシーン、森の中の木洩れ日や風にゆれる木の葉の影など、海外のカメラマンを驚嘆させました。

タネを明かせば、延々と走っているのは同じところで、カットにより走り続けるように見せたのです。三船が走る前に現れる木の葉は、撮影助手がレンズの前に枝を置いたもの、森の中での影の絞り込みは、鏡に光を反射させて陰影を表現したもの、すべて宮川のスタッフが手作りで表現した特殊効果など一切ない世界です。

このような絶え間ない努力と工夫が、黒澤の作品を色彩感が強いダイナミックな作品に仕上げました。そして結果が、翌年のベネチアの映画祭におけるグランプリ受賞です。


フィルム1コマの集中

宮川が後輩のカメラマンに残した言葉で、意味深いものがあります。要約しますと「映画の1コマに集中する情熱。例えば、茶碗一つ取るにしても、そこに暖かな雰囲気をだす細かな神経が必要である。脚本を読んで、それが熱いお茶か冷たいお茶かをきちんと描くことが大事である」

さらにこう続けています。「手作りで1コマ1コマ描くというと、時間がかかってしょうがないと言うが、それは違う。カメラを構えて、1コマにいかにスタッフの思いを注ぐか、時間がかかるものではない。そういう見極め方や、内容の把握の仕方がとても大切なのです」

確かになにを創るにも、作者の思いがなければ、たとえ技巧的に優れていても、結果はつまらないものになりがちです。物の見極め方や内容を把握する力は、実は普段からの旺盛な好奇心や学習から得られるもので、長い時間をかけて身につくものです。勉強家で芸術に造詣が深かった宮川だからこそ、あの独特で美しい映像が表現し得たと言えるでしょう。そういう意味でも、宮川一夫は世界的に傑出したカメラマンでした。(nao)

宮川一夫の略歴

本名宮川一雄 1908年(明治41年)2月25日、京都市生まれ。京都商卒業後、18歳で日活京都へ現像部助手として入社する。撮影技師(カメラマン)昇進第1作は「お千代傘」(尾崎純監督)。43年(昭和18年)の「無法松の一生」(稲垣浩監督)の美しい映像で高い評価を得て、溝口健二、黒沢明、小津安二郎、市川崑監督ら巨匠の作品を撮影し始める。

黒沢監督との初コンビ「羅生門」(50年)は、日本映画史上初の国際賞となるベネチア国際映画祭金獅子(きんじし)賞を受賞。

「雨月物語」(溝口監督)は英国エジンバラ芸術祭で最高賞受賞。

「用心棒」(黒沢監督)などでNHK映画賞撮影賞。「おとうと」「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」「瀬戸内少年野球団」などで毎日映画コンクール撮影賞など、受賞多数。

78年に紫綬褒章、83年に勲4等旭日小綬章。92年(平成4年)には山路ふみ子文化賞、川喜多賞を受賞。映画134本、テレビ映画8本を撮影。宮川最後の作品は篠田正浩監督の「舞姫」(89年)。

http://www.mozartant.com/Jordan/Movie_Play/Miyagawa_camera.htm

世界の映画作家が溝口作品に注目し、フランスのヌーベル・バーグ作家たちに強い影響を与えたのが、一般に“ワンシーン・ワンカット”と呼ばれる長回しの手法である。

 溝口健二登場以前は、モンタージュ理論に代表されるように、細かなカットを積み重ねて一つのシークエンスを積み立てるのが定石だった。しかし溝口は、カットを切ることによって俳優の演技が寸断されることを嫌い、芝居を持続させることを望んだ。彼は、カットを短く切り返して見せると訴え方が弱い、という意味のことを自ら語っている。

 また、溝口は移動撮影やクレーンからの撮影を積極的に取り入れ、特にクレーンを好んだ。戦中の『元禄忠臣蔵』では、舞台演劇的な動きの少ない場面で演者の周りを移動撮影して独得の荘重なリズム感を生み出し、作品を死の静謐から逃れさせることに成功する。のちの『西鶴一代女』や『雨月物語』等では、登場人物や観客の感情を反映したようなカメラの動きがあり、観客が作品世界に没入するのを助けた。

 戦後、大映に入ってからは名カメラマン宮川一夫(1908-1999)を得た。彼は移動・クレーン撮影において超絶的な技巧を発揮し、『雨月物語』では全体の約七割をクレーンで撮影して幽玄な雰囲気を生み出し、ワンシーン・ワンカットの手法を完成させたと評された。

『新・平家物語』では冒頭の群衆シーンを自在に動く視点からの長いワンカットで撮り、一見して信じられなかったジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーは映写室に入ってフィルムを確かめたという。
http://www.fsinet.or.jp/~fight/mizoguchi/01.htm


志村喬が語る三人のシーン

ベルイマンを含め欧米の映画人が驚愕したのは特にこのシーンの台詞による逆転劇の連続とその映像・カットの素晴らしさ。そして美しい美しい三船敏郎・京マチ子・森雅之。  

『羅生門』の名セリフは一杯あるが、一番素晴らしいのは杣(そま)売り役の志村喬が真実として語る第四においての以下の真砂役の京マチコが話すセリフだ。英語ヴァージョンで。 言葉の凄さをこれほど著したセリフは映画史上でも稀ということができる。


(侮辱された夫:森雅之に向かって)

It's you who are weak.

If you are my husband, why don't you kill this man?

Then you can tell me to kill myself.

That's a real man.

You're not a real man either.


(多襄丸:三船敏郎 も向かって)

When I heard you were Tajomaru, I stopped crying.

I was sick of this tiresome daily farce.

I thought, ''Tajomaru might get me out of this.''

''If he'd only save me, I'd do anything for him.''

I thought to myself.

But you were just as petty as my husband.

この言葉によって、二人の男から侮蔑のどん底にまで落されていた京マチ子は蘇り、二人の男は殺し合うことになる。宮川一夫のカメラと三人の演技とこのセリフのシーンは何回観ても唸ってしまう。


以下が夫の辱めの言葉:

Hold it!

(待って)

I refuse to risk my life for such a woman.

(俺はこんな女の為に命を掛けるのは御免だ)

You've been with two men. Why don't you kill yourself?

(二人の男に恥をみせて、何故自害しようとはせぬ)

Hopeless.

(あきれ果てた女だ)

I don't want this shameless whore.

(こんな売女は欲しくない)

You can have her.

(呉れてやる)

At this stage, I'd rather lose her instead of the horse.

(今となっては こんな女よりあのあしげが盗られる方が惜しい)

京マチ子が語るところでは森雅之の蔑んだ冷たい眼差しのところが最高です!:

Even now, when I think of his eyes,
My blood turns cold in my veins.

What I saw in them was neither anger,
nor sorrow,
a cold lgiht, a look of loathing..

Don’t
Don’t look at me like that.
It’s too cruel.
Beat me,
kill me, but don’t look at me like that.
Please stop.
Now, kill me.
Kill me at once.


私はその眼を思い出すの、
今でも体中の血が凍るのを思い出します
夫のその眼の中に閃いていたのは怒りでもなく
悲しみでもなく
ただ私を蔑んだ冷たい光だったのです

止めて
そんな眼で私を見るのを止めて
あんまりです
私はは打たれても、
いいえ、殺されても構わない。 でも、でもそんな眼で私を見るのはあんまりです。
さあ 殺してください。 ひとおもいに私を殺してください。
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20070920/p3
 


▲△▽▼

黒澤の「羅生門」は何かがおかしい_この映画を欧米人しか評価しなかった理由1

橋本忍は、黒澤の助監督であった野村芳太郎(『砂の器』監督)に尋ねた。

「黒澤さんにとって、私、橋本忍って、いったいなんだったのでしょう?」

野村「黒澤さんにとって橋本忍は会ってはいけない男だったんです」

  「そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから、映画にとって無縁な、思想とか哲学、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこれも妙に構え、重い、しんどいものになった」

橋本「しかし、野村さん、それじゃ、黒澤さんのレパートリーから『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』が?」

野村「それらはないほうがよかったのです」

  「それらがなくても、黒澤さんは世界の黒澤に。。現在のような虚名に近いクロサワではなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明になっています」

  「僕は黒澤さんに二本ついたから、どれほどの演出力。。つまり、力があるかを知っています。彼の映像感覚は世界的なレベルを超えており、その上、自己の作品をさらに飛躍させる、際限もない強いエネルギッシュなものに溢れている。だから。。。いいですか、よけいな夾雑物がなく、純粋に。。純粋にですよ、映画のおもしろみのみ追求していけば、彼はビリーワイルダーにウイリアムワイラーを足し、2で割ったような監督になったはずです」

  「ビリーワイルダーより巧く、大作にはワイラーよりも足腰が強靱で絵が鋭く切れる。その監督がどんな映画を作るのか。。橋本さんにもわかるはずです。。。文字どおり掛け値なしの、世界の映画の王様に。。橋本さんはそうは思いませんか?」

字を書く職人であれ。伊丹万作はこのことを橋本忍に何度も述べたそうだ。
橋本忍は、シナリオライターとは職人である、芸術家であろうとおもうな、という戒めであると解釈した。

1946年9月21日肺結核で伊丹万作死す。橋本は伊丹の死を、新聞の死亡欄を読んで知った。

橋本が療養所で最初に書いたシナリオ『山の兵隊』を、伊丹万作に送ったのは療養所を無断退院して姫路でサラリーマンをしていた頃。1942年のこと。伊丹からは丁寧な返書が来た。橋本は京都に伊丹を尋ねて指導を受けた。シナリオは会社までの通勤電車で書いた。

伊丹万作法要の席で、伊丹の奥さんが伊丹万作の助監督を務めた佐伯清を紹介した。佐伯は黒澤明と知人であった。この縁で、橋本の書いたシナリオ『雌雄』に黒澤が目をつけた。が、このシナリオは短すぎる、と黒澤が言う。芥川の『羅生門』を追加することを伊丹が提案した。

http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-05-05


橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年4月18日- )は、昭和期の脚本家、映画監督。男性。兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴井)に生まれる。

中学校卒業後、1938年応召したものの、粟粒性結核に罹り、療養生活に入る。シナリオに興味を持ち、伊丹万作のもとに作品を送り、指導を受ける。伊丹死去後、上京し、伊丹夫人より佐伯清監督を紹介される。

1949年、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を書く。
伊丹死後、未亡人が伊丹の手元にあった橋本脚本を佐伯に渡し、黒澤明がそれを譲り受ける。黒澤は『藪の中』の脚色作品に注目、黒澤の助言により芥川の同じ短編小説『羅生門』も加えて完成。

この脚本を基に翌1950年黒澤が演出した映画『羅生門』が公開され、橋本忍は脚本家としてデビュー。同作品はヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。


◆映画『羅生門』のアイデアは突発的に・・・

「あんたの書いた、『雌雄』だけど、これ、ちょっと短いんだよな」

「じゃ、『羅生門』を入れたら、どうでしょう?」

「羅生門?」

「じゃ、これに『羅生門』を入れ、あんた、書き直してみてくれる?」

「ええ、そうします」

同じ不条理ではあっても、真相は分らないとするテーマから、人間とは得手勝手なものであるとするテーマへの移行が感じられ、映画全体を少し難解で分りにくいものにしている。

http://book-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/2006_4e39.html


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B しかし、黒澤の「羅生門」は何かがおかしい_この映画を欧米人しか評価しなかった理由2


芥川龍之介「藪の中」を読む 植島 啓司


01 男と女

 男と女のあいだで隠し事をしないというのはなかなかむずかしい。この世で起こるほとんどの事件が男女の問題と深くかかわっているわけだが、それは男女の関係のうち3割くらいに嘘が混じっているからではなかろうか。そこに「事件」が入り込む隙間が生じるのである。自分ではそうと意識しないで嘘をついていることもあるし、相手のためを思ってのこともあるだろう。しかし、皮肉なことに、この嘘がからんだところに恋愛のもっとも甘美な部分がひそんでいるのである。なにも正しいことだけが必要とはかぎらないし、それではかえって社会はうまく動かないかもしれない。あえて言い切るならば、恋愛というものも嘘がなければ成立しないのではないか。そうなってくると、実際のところ、いかに相手に誠実かということよりも、いかに相手に寛容でいられるかが、愛情のバロメーターになるのかもしれない。


02 謎

 山科の藪の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛られた夫の前で妻はレイプされる。そして、残るは夫の死骸のみ。殺されたのは金沢の武弘26歳、妻は真砂19歳、彼女は「男にも劣らぬぐらい勝気な女」で「まだ一度も武弘のほかには、男を持ったことがない」(媼の話)。妻・真砂を凌辱した盗人はそのまま逃げ去ろうとしたのだが、妻に「あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ。二人の男に恥を見せるのは死ぬよりつらい」と請われ、夫を殺害する(多襄丸の白状)。遺留品は「一筋の縄」と「櫛」のみ。殺された夫の死霊が巫女の口を借りて語るところによっても、彼女はやっぱり「あの人を殺して下さい」と言ったということになる(武弘の死霊の物語)。ところが、後に清水寺に現れて懺悔した妻によれば、「我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました」となり、何を叫んだのかは不明のままとなっている(真砂の懺悔)。いったいそこでは何が起こったのか。

 1922年1月『新潮』に発表された芥川龍之介の「藪の中」は、これまで多くの人々の関心を集めてきており、「真実は藪の中」という流行語にもなった。物語は、京都の山科近くの藪の中で見つかった男の死骸をめぐる7人の証言からなっている。最初の4人の証言は事件の当事者によるものではなく検非違使による取調べによって明らかにされたものである。それゆえ、いわゆる事件の当事者3人による陳述とは性格が異なっている。問題なのは、盗人・多襄丸、彼によって犯された妻・真砂、殺された真砂の夫・武弘(死霊の言葉を語る巫女)の陳述がそれぞれ矛盾していることである。それも無罪を主張するのではなく、それぞれ自分が男を殺した張本人(夫の場合は自殺)だというのだから、まったく奇妙はことではないか。いったい本当はだれが彼を殺したのか。だれが真実を語り、だれが嘘をついているのか。さらに、最後に「そっと胸の小刀を引き抜いた」のはいったいだれなのか。


03 主題と論争

 芥川龍之介の「藪の中」が『新潮』に発表されたのは1922年。これを読んだ多くの人々は、結局、「事件は迷宮入り」と思ったのだった。ところが、1970年6月に中村光夫「『藪の中』から」(『すばる』)が発表されるや、1970年10月に福田恆存「『藪の中』について」(『文學界』)が中村光夫説を批判し、さらに、1970年12月に大岡昇平「芥川龍之介を弁護する」(『中央公論』)が発表されて、論争は異常な高まりを見せたのだった。

 中村光夫は次のように述べている。

 ―「藪の中」では、妻、夫の「陳述」はそれぞれ前の「陳述」を否定する性格のものであり、結局、夫の死は他殺か自殺かという疑問に解決が与えられないし、他殺なら犯人は誰かもわからず仕舞いです。これでは活字の向うに人生が見えるような印象を読者に与えることはできないのではないでしょうか。ある事実に三つの面から異なった解釈をあたえるのは、それを人の三倍考えぬくことですが、ひとつの「事件」について事実が三つあるのは、考えの整理がつかぬということです。

 そして、彼は、「この作品のもっとも重要なテーマは、強制された性交によっても、女は相手の男に惹きつけられることがあるということ」だと論じている。果たして本当にそうだろうか。

 福田恆存はそれに対して以下のように反論を試みている。

 心理的事実もまた事実である。「藪の中」について言えば、多襄丸、女はそれぞれ自分が殺したと言い、男は自殺したと言っており、この三つの「陳述」は現実の事実としては矛盾しているが、もしそのいずれも現実の事実ではなく、三人が銘々そう思いこんでいる心理的事実に過ぎぬものだと解すれば、その矛盾はかえって主題を強調するものとして成り立つのではないか。

 すでに、吉田精一は「当事者達の事実に対する迫り方、受けとり方が各種多様で、めいめいの関心、解釈、感情によって、単純な一つの事実がいかに種々の違った面貌を呈するかを、従って人生の真相がいかに把握し得ぬものかを語ろうとしたのが、この作の主題と思われる」(『芥川龍之介』1942年)と述べており、福田恒存説はこれを踏襲しているともいえるだろう。

 それでいながら、福田恒存は次のように結論づけている。「どうしても「事実」というものが必要なら、それはこういう風に考えられないか。すでに書いたように多襄丸は女を犯した後、その残虐な興奮状態から、武弘を刺して逃げた。だが、武弘はそれだけでは死に切れなかった。そして互いに不信感を持った夫婦が後に残され、妻は心中を、夫は自殺を欲した。そういう両者が小刀を奪い合い絡み合ううちに、夫は多襄丸の負わせた深手によって死んだ」。つまり、多襄丸真犯人説である。

 しかし、これはどう考えても不自然ではなかろうか。高田瑞穂は「『藪の中』論」(『芥川龍之介論考』1976年)において、福田説に対して、まもなく息の絶えるほどの重傷を負った武弘にそんな余力などあるはずがないし、そもそも「妻は心中を」「夫は自殺を」欲したというが、なぜ夫が自殺しようとしたか動機が不明である、と疑問を投げかけている。彼の結論は、「藪の中」は危機に直面した人間の自己暴露を描いたものであるとして、最終的には武弘自殺説を取り上げている。
 それに対して、大岡昇平はなかなか慎重である。

 申すまでもないことだが、ここで問題になっている「事実」とは現実の事実ではなく、作品の中に述べられている事実である。さらに三人の人物が陳述している事実である。人物が一人称で述べるので、福田がいう心理的事実という性格を持ち、同時に人物の性格描写の役割を果たすものである。

 このことは実は意外に大きな意味を持っている。ただし、大岡昇平もそれほど歯切れがいいわけでもない。「『藪の中』には、多くのテーマが含まれている。芥川の意図は福田のいうように「真相はわからない」というような観念的なものではなく、当事者の陳述を並置して、その間の矛盾と一致によって、緊張と緩和の交替を作り出すことにあったと思われるのだが(それが奏功しなかった)」と書いている。それでいながら、結論としては、「死霊が口を利くのは現代の常識に反するが、死者は生者のように、現世に利害を持っていない。それは刑死を覚悟した犯罪者、懺悔する女よりも、真実を語っている、と見なしてよいのではないか。…三つの陳述の最後におかれているということによっても、信じられる資格があろう」と武弘自殺説を採用している。

 こうなってくると、何がなんだかよくわからなくなってくる。駒尺喜美も、「『藪の中』は探偵小説的な興味を持たせる作品ではあるが、しかし、もちろんそうではない。探偵小説は、言うまでもなく真相究明の面白味をねらったものだが、『藪の中』はその逆である。つまりその真相が絶対に解けぬところに面白さがある」(「芥川龍之介『藪の中』」1969年)と述べており、海老井英次『芥川龍之介論攷―自己覚醒から解体へ』(1988年)になると、「基本的には三つの陳述がそれぞれ〈真相〉を語っているのであり、したがって読者は、その中からそれぞれ自分で一番「美しく」語られていると思うものを選ぶ他ないのである」と(ある意味では)さじを投げている。

 ここでまとめてみると、結局のところ3つの見解があるということである。


01 だれか一人だけが真実を語っている。

02 だれにも心理的な真実がある。矛盾を矛盾として受けとめるのが人生だ。

03 みんなが嘘をついている。


 ここで注意したいのは、多襄丸の「白状」、真砂の「懺悔」、武弘の死霊の「物語」を、それぞれ同じ平面で捉えることはできないということである。多襄丸の「白状」は検非違使の前だが、真砂の「懺悔」は清水寺でのもので、いくら告白しても罪に問われることはないのである。さらに、武弘の死霊の「物語」となれば、それがどこで語られたにせよ、武弘自身によるものでも、死霊の手によるものでもなく、あくまでも巫女の口から出たものでしかないのである。


04 研究と解釈

 それに対して、大里恭三郎『芥川龍之介―『藪の中』を解く』(1990年)は、これを徹底的に推理小説として捉えて解読しようと試みたものである。芥川龍之介はあくまでも真犯人を特定して「藪の中」を書いているはずで、一つの真相に向けて焦点が合わさっていかなければ、それは明らかに作品の破綻を意味すると考えたのである。

 彼らの陳述が三者三様であるのは、彼らが真相を知らなかったからではなく、むしろ全く逆に、彼らは真相を知るゆえにこそ、自分にとって都合の悪い何事かを伏せ、事実を歪めた陳述をしていると考えるべきであろう。

「作品が非常に曖昧に見える」のは、言うまでもなく彼らが「わざと嘘をついている」からであって、この作品ははじめから、「事実の相対性」などを主題とはしていないのである。

 そういう意味では、はじめに登場する木樵り、旅法師、放免、媼による証言も、すべてを手放しで事実と認めるわけにもいかない。そうなると、最後に「そっと胸の小刀を抜いた」のはだれなのか、そして、

「その小刀はどこに行ってしまったのか」という疑問も、「目撃者である木樵りが持ち去った」という解釈だって可能になってくる。実際、黒澤明は映画『羅生門』においてそういう解釈を下している。

 なによりもまず物語のクライマックスをここで再現してみよう。いったいそれは各自によってどのように表現されているのか。

武弘の死霊の「物語」はそれを次のように語っている。

 「あの人を殺して下さい。」

―この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか?

 たしかに「武弘の死霊の怨念はここに激しく渦巻いている。この小説の異様な迫力、不気味なまでのリアリティは、ここを源泉として溢れ出ているものである」(大里)と言うとおり、巫女の口を通して噴出するこの武弘の死霊の独白こそ、この作品のクライマックスにふさわしいものといえよう。

では、女は本当に「あの人を殺して下さい」と言ったのだろうか。多襄丸の「白状」では次のようになっている。

 女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、―そうも喘ぎ喘ぎ云うのです。

 ここで、「二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらい」とは言うものの、実際には夫に見られるのがつらかったのであり、実質的には「あの人を殺して下さい」と言うに等しいように思われる。

「生き残った男につれ添いたい」と言われながら、もし夫が生き残ったとして、なんとも気まずいことにならないだろうか。

では、真砂の「懺悔」ではこの場面はどのように表現されているのか。
 口さえ一言も利けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかし、そこに閃いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、―ただ私を蔑んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。

 このとき「あの人を殺して下さい」と叫んでいたとすれば、彼女が清水寺での懺悔において、その言葉を具体的に述べられなかったのも当然であろう。

真砂は、夫の冷たい視線に曝されて、「わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまった」と語っているが、おそらく真砂は夫のそばに駆け寄ろうとして、多襄丸によって蹴り倒されてしまったのであろう。それは、彼女にとって、多襄丸の度重なる乱暴な振る舞いに絶望すると同時に、夫の冷たい視線を感じ、もはや二度と夫のもとには戻れないことを感知するきっかけとなったのだった。動揺し、気を失う真砂。

 さらに、「死霊の言葉を語る巫女の陳述」を見てみよう。それは、あくまでも夫・武弘の死霊がみずから語ったことではなく、巫女の口寄せであり、彼女自身が語ったことだという点にも注意する必要があるだろう。巫女の語り口の中には、同性ゆえにか、真砂に対する憎悪と侮蔑の念が垣間見られるようである。

よく考えてみよう。たとえば、自分を凌辱した男の誘いの言葉に「うっとりと顔を擡げ」「では、どこへでも連れて行って下さい」「あの人を殺して下さい」なんて果たして言うものだろうか。それこそ夫・武弘の嫉妬がえがきだした妄想だったとしても、そこに巫女の感情がまったく含まれていないとは言えないだろう。「突然迸るごとき嘲笑」などのト書きをも参照されたい。

 たしかに武弘は妻に憎しみの目を向けたかもしれない。しかし、それは、真砂が多襄丸に犯されたからでもなければ、また、彼女が多襄丸の肉体に反応したからでもない。それは彼女が多襄丸に向かって「あの人を殺して下さい」と叫んだからである。

「夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑みの底に、憎しみの色を見せているのです」というように、「憎しみの色」が追加されたのも、彼女が「あの人を殺して下さい」と叫んだ後のことなのである。


05 嘘

 おそらく、これまで「藪の中」についてうまく語られてこなかったのは、「だれか一人だけが真実を語っている」と考え、それぞれの陳述をつき合わせて真実を明らかにしようとしたか、または、「だれにも銘々そう思いこんでいる心理的事実がある」として、それぞれの言い分を認めてしまったからではなかろうか。実際には、多襄丸も、真砂も、死んだ夫も、三人が三人ともに嘘をついていたのである。では、いったい彼らはなぜそんなことをしたのであろうか。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/080421/index.html


06 みんなが嘘をついている

 山科の藪の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛られた夫の前で妻はレイプされる。残るは夫の死骸のみ。後にそれぞれの陳述が明らかにされる。それも、多襄丸は検非違使の取調べの前で、妻は清水寺での懺悔というかたちで、そして、夫の場合は、殺された夫の死霊が巫女の口を借りて語るというやり方で、それぞれの言い分が明らかになっていく。

 ところが、各自の言い分はそれぞれまったく矛盾するどころか、普通ならば自分がやったことではありませんと弁解するところを、それぞれが夫の武弘の死は自分がやったものであると(殺された夫の場合は自害であると)自白しているのである。果たしてだれが本当のことを言っているのだろうか。そして、だれが嘘をついているのだろうか。前回は、まず、全体の見取り図のかわりに、次のような問題提示を行った。


01だれか一人だけが真実を語っている。

02だれにも心理的な真実がある。矛盾を矛盾として受けとめるのが人生だ。

03みんなが嘘をついている。

 
 そして、これまでうまく理解されてこなかったのは、「だれが本当のことを言っているのか」「だれが嘘をついているのか」という点にばかりとらわれて、肝心な点が抜け落ちてきたからではないかと思うのである。そう、この小説の中では「みんなが嘘をついている」という点がやや見過ごされてきたのではないかというのである。だれもが、自分が自分に嘘をつくことをも含めて、さまざまな虚偽の申告を行っているのである。


07 矛盾

 物語のポイントとなるのは、夫の前で多襄丸に犯された後で「突然、女がなにやら叫んだ」という一節に集約されるのではなかろうか。それについての証言をもう一度まとめてみよう。


(1)多襄丸の「白状」:すでに目的を達してその場を去ろうとしたまさにそのときに、真砂が「突然わたしの腕へ」「縋りつき」なにかしら叫んだ。実際は、とんでもない悪党で好色な男で、すべて自分に都合のいいように理解する男である。だが、縄を解いて戦いあったのは事実かもしれない。武弘を殺した後、女にはすっかり興味を失って、その場を去る。


(2)真砂の「懺悔」:真砂は手込めにされた後で、夫のそばに駆け寄ろうとして、盗人に蹴り倒される。そして、そのときに夫の自分を蔑(さげす)んで冷たく光る夫の眼に気づき、なにやら叫んだきり気を失ってしまった。彼女の意識はとぎれとぎれで現実感がまるでない。「夢うつつの内に」小刀で刺したというが、本当のところはどうなのか。意識が戻ると、「夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました」と言う。そして最後に縄を解いたというが、それもすべては妄想のなせるわざかもしれない。


(3)死霊の言葉を語る巫女:真砂が盗人の腕にすがりついて「あの人を殺して下さい」と言うのを聞いて、多襄丸が「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか?」と言ってきたので、もうそれだけで盗人の罪は赦してやりたいと思った。妻はおれがためらううちに、なにか一声叫ぶがはやいかたちまち藪の奥へ走り出した。これは最後への伏線となっているのかもしれない。

 では、その後、「真砂はどこへ行ったのか」。逃げたか、そこに昏倒していたのか、それとも、いったん逃げて、また戻ってきたのか。いや、おそらく彼女は最初から最後までその場にいた可能性大なのである。武弘の死霊が「誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか?」というが、この科白は、武弘の悲しみとともに付近の真砂の存在を暗示している。これは真砂が「わたしは泣き声を呑みながら、死骸の縄を解き捨てました」と語っている箇所とも重なっている。

 よく考えると、真砂の清水寺での懺悔はけっして罪に問われることのないものである。彼女は「(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ないものは、大慈大悲の観世音菩薩も、お見放しなすったものかも知れません」というが、ここにも彼女のごまかしがあると高田瑞穂(「『藪の中』論」1976年)は指摘している。なぜ「お見放しなすったにちがいありません」と言わなかったのか。まさに夫が死んだのだからもはや自分が死ぬ必要はなくなったと言わんばかりではないか。彼女の生きることへの本能的執着を感得せざるを得ないというのである。

 そうはいっても、高田の結論はあくまでも自殺説である。彼は大岡昇平の次の語句を引用し、私見と重なると述べている。「ではなぜ、夫は自殺しました、といわなかったか。彼女の失心(女性の常用の武器)したと言明することによって自分の重大な言葉と、その結果について証言を回避し、逃走をかくしたことによって、夫の自殺をとめなかった事実を合理化する根拠を失っているからである。もっとも失心から醒めたら、夫は自殺していた、と合理化することができるが、そうしなかったのは、自分が夫の自殺の原因になったことについて、深い罪障感があり、自己処罰欲があったかたであろう」と。

 ここで、だれが縄を解いた(切った)かという問題が浮上してくる。いったいだれが武弘の縄を解いたのだろうか。おそらく多襄丸ではないだろう。刀で切ってしまえば、残留品は「一筋の縄」というわけにはいかなくなる。もちろん本人にはとてもムリだ。となれば、夫の縄を解いたのは真砂以外の何者でもないということになる。

 さらに、上野正彦(『「藪の中」の死体』2006年)は、法医学の立場から、多襄丸が男を刺したとは到底考えられないと述べている。「木樵りの話にあったように、創口に乾血が付着し、死骸の周りの落ち葉には血液が染み込んでいた。とすると、現場に血液が飛散したような著しい流血はなかったということでもある。さらに、受傷から死亡までの時間が短いようなので、刺創はおそらく心臓に達していたと思われる」「この場合、胸に刃物を刺しすぐに引き抜けば、心臓からの出血はものすごい勢いで体外に飛散し、現場は血だらけになるのが一般的である。しかし、刃物を刺したままに放置すれば、心臓からの出血はあっても、創口は刃物で塞がっているから胸腔内(体内)の出血にとどまり、からだの外に大きく飛び散るほどの出血はなくてよい」。ということであるから、刃物を胸に刺されたまま放置したと考えるべきで、凶器も大刀ではなく小刀であった可能性が高いことがわかると結論づけている。

 つまり、縄を解いたのは真砂、刺し傷は小刀によるものとなれば、結論的にいうと、多襄丸は、女の叫び(「あの人を殺して下さい」)を聞いて、恐れをなして逃げていったというのが本当のところではないかと思われる。彼はすでに性欲と物欲が満たされており、これ以上無益な殺生をする必要がなかったのである。しかも、多襄丸は真砂の要求には応じなかった。「となれば、真砂は自ら夫を刺殺するほかなかったであろう。夫に対する裏切りの意識は、逆に、自ら夫を殺すほかないところまで、彼女を追いつめていたのである」という大里恭三郎説(『芥川龍之介―『藪の中』を解く』1990年)を支持したくなる。多襄丸が去り、二人して残されたという状況下で自殺するというのはなかなか考えにくいのではなかろうか 。


08 女は諸悪の根源

 ここに、さらに事件の真相を知るための三つのデータがある。一つは物語の出典『今昔物語集』であり、一つは芥川自身の残したメモ(手帳)であり、一つは執筆当時の彼をめぐる交流関係である。

 まず、出典についてだが、この物語が『今昔物語集』巻第二十九第二十三話に依拠したものだということは、よく知られたことである。平安末期に集められたという『今昔物語集』(1120年代以降成立)の説話の記述は、あまり修辞に凝らず、事実をそのまま述べるような坦々としたもので、口語体も多く混じっており、読みやすい。この『今昔物語集』にも出典があって、『日本霊異記』、『三宝絵』、『本朝法華験記』などを典拠にしたものが多いのだが、ここではそれに言及するのは控えよう。なにより巻第二十九第二十三話がどういう話なのか簡単に要約してみたい。それは「妻を具して丹波の国に行く男、大江山において縛られたる語」と題されている。

 男が妻を馬に乗せて大江山にきたとき、大刀を持った男(盗人)と道づれになり、あなたの持っている弓矢とこの大刀を交換しないかと持ちかけられ、男はなかなか立派な大刀だったので喜んで交換してしまう。では、そろそろ昼食をということになり、人前では見苦しいので、ちょっと藪に入ったところでと誘われ、そこで、弓に矢をつがれて「ちょっとでも動いたら殺す」と居直られ、木に強く縛りつけられてしまう。そして、盗人はようやく女のもとに戻ると、あまりの魅力に心を奪われ、その場で裸にして(自分も裸になって)地面に押し倒して犯してしまう。その後、盗人は「そなたに免じて男は殺さずにおく」と言い残し、馬に乗って去る。女は男に近寄って縄をほどくが、男は茫然自失の様子。これではどうしようもない(情けない)と思いつつ、ともに丹波の国に向かったのだった。

 ここでは、男の情けなさばかりが強調されており、三者三様の交わりという側面は出てこない。芥川の興味は「目の前で自分の最愛の妻を犯された男の話」という域から、さらにそれぞれの心理状態の移り変わりへと向かうことになるのだが、それはどのように構想されることになったのか。

 その秘密を垣間見せるのが、芥川自身が残したメモである。そこには、「―心中。かけ落ちの途中、女rapeさる。男を殺す」と書かれている。芥川にとって「女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である」(『侏儒の言葉』)というようにも考えられており、その点からすると、どうも「藪の中」は殺された男の妻・真砂に厳しい内容ではないかと想像されるのである。

 さらに、この小説が書かれた背景に実際の三角関係が隠されているのではないかという推理も成り立つ。たしかに当時、芥川龍之介は、自分の友人でもあり門下生でもあった南部修太郎と秀しげ子との間の三角関係に悩んでいた。高宮檀は『芥川龍之介の愛した女性』(2006年)において、アナグラムまで持ち出して(KANASAWA NO BUKOU(TAKEHIRO)は「南部修太郎、若様」となるという)、多襄丸は芥川自身で、武弘が南部、真砂がしげ子に相当し、「藪の中」は彼ら三者の関係を描いたものだと述べている。高宮は、1922年8月7日付けの芥川から南部への手紙に、「僕のした事の動機は純粋ではない。が、悪戯気ばかりでした事ではない。純粋でない為にはあやまる」と書かれているのを見て、それは「藪の中」のことを指しているのではないかと推測している。どうもしげ子は(芥川にとって)なかなか一筋縄ではいかない女だったようである。

 そういうわけで、さらに、妻・真砂犯人説がもっとも説得力があるように思えてくるのだが、その当否はともかくとして、彼らの告白の背後に隠された真実とはいったいなんだろうか。なぜ彼らは三者三様に嘘をつかなければならなかったのか。その点について簡単にコメントしておきたい。


09 秘密

 彼らがどうしても隠しておかなければならなかった事柄とはいったいどういうことだったのか。大里説を援用させてもらいつつ、なぜ彼らがウソをつかなければならなかったのか、その心理状態をここで推測してみる。

 まず、武弘の死霊だが、おそらく、欲に目が眩んで盗人に一杯食わされ、縛られた上、眼前で妻を犯され、しかもその妻によって自分が刺し殺されたなどとは、侍としてあまり惨めで、語るにしのびなかったのではなかろうか。彼は自殺というフィクションを捏造することによって恥辱の底から這い上がろうと思ったのである。盗人に殺されたというのも恥だが、妻に殺されたとは口が裂けても言えなかったに違いない。

 多襄丸は、自分の好色を精一杯否定した上で、結婚の話まで持ち出し、真砂から依頼された決闘(それも縄を切って公明正大な戦いを挑んだと主張)という大義名分までつくりあげたのだが、自分が女の叫び(「あの人を殺して下さい」)を聞いて、恐れをなして逃げたという事実を隠蔽しようとしたのである。
すでに他の事件でも嫌疑をかけられており、ここでは「ケチな女好きの小悪党」というイメージを払拭するのに懸命だったのだ。そういうことなら、そちらの事件とは無関係と言い逃れしつつ、また、こちらの罪も軽くなるだろうし、おまけに面目も立つというものである。さらに、もうひとつの見方として、どうせ創口(傷跡)などを調べれば彼の仕業ではないことは一目瞭然と踏んでいたのかもしれない。さんざん検非違使や放免らをおちょくっているところをみると、そちらの可能性もまた否定できないだろう。

 真砂の懺悔は、なんとか多襄丸に自分の夫を殺すように依頼した自分の夫への背信行為を伏せ、重要な場面では失心していたと言い逃れしつつ、かつ、自殺幇助、心中未遂という言い訳をも用意して、ようやく夫の殺害を告白しているが、そこにはエゴイズムからくる自己正当化が隠されているように思われる。
夫が「冷たい蔑みの底に、憎しみの色」まで見せたのは、そして、事態が最悪の結末を迎えたのは、本当は自分の裏切りによるものだからである。おまけに、先ほど指摘したように、彼女の懺悔は清水寺でのもので一切罪に問われるものではないという点も見逃すことはできない。


 男と女がまともに付き合えば必ず破綻する。

もし二人だけでずっと密室に閉じ込められたとすると、いつか相手の存在に耐えられなくなってしまうのである。相手の身体の匂い(臭い)とか、口ぶり、受け答えのまずさ、乱雑な振舞い、思いやりのなさ、等々。相手のいやなところばかりが気になってくる。そうしたことはどんなに努力しても仕方がないことなのである。
それよりなんとか二人のあいだにある(根源的な)ひび割れ(「一緒にいればいるほど関係は綻びていく」)を隠し通さなければならない。ささいな不満がそこまでたどり着いてしまうともはや修復は不可能となる。もしかしたらそのギャップを埋めるのが嘘の働きなのかもしれない。

 嘘は、単に自己正当化のためのものではなく、もっと大きな社会的役割を持っているということである。人間同士のあいだにひそむひび割れ(ギャップ)をなんとか見えないようにするための無意識的な振舞いなのかもしれない。われわれは心の底ではだれにも真実を語ってほしいとは思っていないのではないか。わざわざ見えないものを暴き出す必要がどこにあろう。ぼくには「藪の中」の隠された主題はそのことをひそかに物語っているように思われるのである。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/080516/index.html


黒澤明の作品群の中で、ただ一つだけ、見終わった後にどうしても釈然としない作品がある。それが皮肉にも彼の名を一躍世界に知らしめるきっかけとなった映画「羅生門」(50)なのである。いかに黒澤作品といえども、最後まで犯人が分からないストーリー展開に、他の黒澤映画に慣れ切つた僕たちは、映像の美しさなどさしおいて、不遜にも軽いいらだちすら覚えてしまう。こんなことは彼の作品においては極めて稀なことなのだ。

 果たして彼はこの作品で何を表現したかったのだろうか?などと普段しなくてもよいはずの詮索をついしてみたくなる。黒澤の代表作といわれ、世界的にも評価の高い作品であるだけにもっと思う存分楽しみたいと思うのは僕だけではないだろう。そのためには、僕たちはどうしてもその原作に一度立ち返つてみる必要がありそうだ。

 ご存じのように、この映画の題名は芥川龍之介の短篇小説からとったものだが、実際に小説「羅生門」の中の描写があるのは冒頭の1シーンだけで、ストーリーそのものは同じ芥川の短編「薮の中」が原作となっている。

<時は戦乱と天災で荒れ果てた平安時代の乱世。一人の侍が森の中で胸を刺されて死んでいるのが発見される。この事件の犯人をめぐって、検非違使庁の庭において一種の法廷劇が展開される。木樵り、旅法師、放免の状況説明に続いて尋問されるのは悪名高き盗賊の多襄丸、死んだ男の妻、そして巫女の口を借りた男の死霊。この三人によって事件の経緯が次々と説明されるのだが、何故かこれらの供述が微妙な食い違いをみせる。果たして真犯人は誰だったのか。真相は最後まで明らかにされない。>

 この小説に関しては従来から何人もの人たちによって分析が試みられてきた。その結果、<薮の中>という常套句に代表されるように、「犯人を特定すること」がこの作品の主題なのではなく、「あえて作者がそれを明瞭にしないところ」にこの小説の真髄があるという考え方が、現在における定説になっている。
 黒澤の「羅生門」は、木樵りにも男を殺した可能性があるとした点を除いてほぼ忠実に原作を再現しているのだが、僕ら観客にとっては、そもそも三人の証人かいずれも"自分が犯人だと言い張つている点"がどうしても賦に落ちない。

 普通、証言台で嘘をつくのは罪を逃れるためなのに、このニ人はそうではない。

山賊はいとも簡単に男を殺したことを認め、
妻も無意識のうちにせよ夫を殺したと言い、
男自身も自分で命を絶つたと頑なに主張している。

めいめい自分の有罪を認めており、決して罪のなすりあいはしていない。最後に述懐する短刀を盗んだと思われる心樵りはともかく、他の三人は嘘をついても何の得もないように思われる。それなのに何故彼らは嘘をつくのか。
 学者らの説によれば、作者は「すべてのモラル、すべての真実に疑問を投げ付けることでアナーキーな自分の心情を吐露したかった」とか、あるいは、「最初から事件の真相などというのはさしたる重大事ではなく、告白の欺瞞性を通して現実社会の裏側を透視したかった」とかいった解釈が主流なのだが、しかし、それではあえて作者が三人に殺人を犯したと告白させている必然性がない。

 芥川といえば志賀直哉とともに、大正期における短篇作家の双璧であり、その作風は理知的で洗練巧緻を極めているにもかかわらず、きわめて大衆的であり、しかも分かりやすい風刺に富んでいる。そんな彼が、何故この作品だけことさら分かりにくくする必要があったのだろうか。なぜこの作品を同じ中世の「今昔物語」から題材をとった他の平易な作品(例えば「鼻」や「芋粥」など)と並列に論じてはいけないのか。

 この小説を難しくしているのは、かえって後世の「不条理劇」に影響された学者たちではないのか。芥川が言おうとしていたことは、実はもっと単純で、誰の心にも思い当たるような、人の心理の"あや"だったのではないのだろうか。

 真相は思いの外、単純なのかもしれない・・・・・。

 事件の鍵は、見知らぬ頑強な男に夫の前で「強姦」された女性(真砂)が何を考えるかということだ。 

第一に思いつくことは辱めを受けた我が身を恥じて自殺をはかるということ。次には自分を犯した男を殺害して復讐を遂げるということ。しかしこの小説の場合、彼ら二人は生きているわけだからいずれも当たっていないことになる。
残るはもう一つの可能性、さして愛してもいない夫であれば(中世の男尊社会では、女性の意に反する結婚は十分考えられることだ)唯一の目撃者である夫を殺し、その忌まわしい事実を抹殺するということである。

 彼女は最初、それを多嚢丸に頼んだ。彼女の心には「憎むべき多嚢丸を殺人犯にすれば、同時に彼をも死刑にできる」という考えが一瞬浮かんだかもしれない。 そこで彼女はそれまでとはうって変わった妖艶さを漂わせながら、多襄丸にささやく。「あの人を殺して下さい!あなたについていきます」。

 ところが彼は世間の噂とは大違い、実は口先だけ巧みな、女好きの盗人にすぎなかった。彼がおじけ付いて逃げだした後、彼女は自分の貞操と引き換えに、止むを得ず自らの手で木に縛り付けられている夫を殺害したのである。

 最初の目論みは見事に外れたものの、「人は行きずりの強盗殺人と思うはず・・・・・」。現場から逃れる道すがら、真砂は冷静にそう考えたに違いない。

 ところが清水寺で心を落ち着けている彼女のもとに、思いがけない情報が入る。多嚢丸が捕らえられたというのだ。
彼女はてっきり事の一部始終が彼の口から明らかにされたと思い、半ば観念して懺悔を始める。(原作では彼女の述懐は検非違便庁ではなく、あえて清水寺という別の場所が設定されている)
 しかし実はこの懺悔も真っ赤な嘘。彼女はとっさの機転で架空の心中劇をでっちあげ、多襄丸への殺人依頼のことは伏せた形で供述した。
「無理心中を拒んだうえでの殺人なら、よもや死刑にはならないだろう・・・・。」恐るべきしたたかな計算である。

 一方、多襄丸の方は別件の殺人で、もはや死刑はまぬがれない身、どうせならこの侍も雄々しい立ち回りの末に自分が殺したことにして、悪名高い極悪人のまま死してなお名を残そうと考えたのではないか。

 それでは死んだ侍はどうか。小説ではこの男の言葉は巫女の口を借りて最後に語られていて、いわば種明かし的な位置を占めている。したがって、ほとんど真相を語つているのだが、
この男も死してなお自分の名誉を重んじるあまりただ一点だけ嘘をついた。
「妻を犯された上、その妻に殺されるのではあまりにも男として情けない」。
そう思つた彼は武士の面目を守るために、妻の無礼をひとしきり非難した後、妻の犯行は明かさず、最後の瞬間だけは自分で自分の胸を刺したことにしたのである。

 この推理が正しいとすると、この小説の構図は自ずから明らかになってこよう。すなわち、死んでもなお名誉や名声にこだわろうとする男の"哀れさ"や"愚かさ"と、それ対比される女の"したたかさ"である。
芥川は「侏儒の言葉」の中で「女人はまさに人生そのものである。すなわち諸悪の根源である」と書いている。 彼は十才の暗に、実の母親を発狂の末亡くしているのだが、この事件が原体験として彼の心象に深く根ざしていることを思えば、最初の傑作といわれる「羅生門」の中にこのような彼の悲観的な女性観が反映していても不思議ではない。

(先頃出版された大里恭一郎氏の「芥川龍之介・『薮の中』を解く」によれば、芥川は大のミステリーファンだったという。彼はこの中で、芥川の作風や"小説"というものののもつ根源的な問題に触れながら、証言の事実はいく通りあっても真実は一つと断定し、「薮の中」を芥川会心の推理小説であると決め付けている。 実は氏の結論も、"真砂"真犯人説なのだが、古い文献や原作の一字一句をつぶさに検証しながらの詳細な分析は大変興味深い。)
 さて、以上の原作分析をふまえて、再び映画「羅生門」に戻つてみると、冒頭から極めて修辞的な演出が施されていることに気付かされる。タイトル画面に続き現われるのは、凄まじい雨に煙る羅生門の遠景。それが次のショットではやや近づいた形で映し出され、さらに次のショットでその細部があらわになる。この一瞬の三ショットの中に、後に展開される三人の証言の信憑性が何気なく暗示されてはいまいか。 さらに、

明らかに演技過剰な三船敏郎扮する多襄丸の勇ましい台詞が、どこか小心者の遠吠えのように聞こえてこないか。


 それまでの殺陣場面の常識を打ち破る、太刀を片手に持ちながら、猛獣のような叫び声をあげてのたうち回る多襄丸と侍の死闘の描写からは、どこかしら滑籍で哀れな男たちの本性が見えてこないか。 

そして顔を覆つた両手の指の間からその決闘を垣間見る真砂の表情から、恐怖以上のしたたかな"何か"が感じられないだろうか。

 映画化にあたって黒澤らがこの辺のことをどう考えていたのか分からないが、京マチ子扮する真砂に、女のもつ"したたかさ"を見ていたことだけは確かだろう。

 なぜ「羅乍門」が海外でも国内でもこんなに有名になったかときかれて、黒澤は「まぁー強姦の話だからねっー」とだけ答えたというエピソードは有名だが、これを彼一流のジョークとだけ笑い飛ばすわけにはいかない。芥川のこの短篇は強姦、殺人に伴う女作の"性"がテーマになっていることは確かで、これがよく言われる黒沢の悪女趣味にピッタリしたのではないか。

 そういえばマクベスに題材をとった「蜘蛛巣城」にしても、リア王を基調にした「乱」にしても典型的な悪女が登場する。「羅生門」の女性は確かに表面上は聖女か悪女か判然としてはいないか、原作を読んだ時、黒澤はここに登場する妻を"悪女"と断定するにいたり、その時点から映画化に興味を待つたのではなかろうか。
 この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは、事件をことさら複雑にするために新たに付け加えられたのではなく、黒澤がこの映画の中で"真砂"の人格をより強烈に描くために"是が非でも必要だったのだ。原作の中で、母親に「男にも劣らぬくらい勝ち気な娘」と言わせているこの女性のイメージ作りに、演技指導の点でも映像表現の面でも極端な情熱が注がれていることに注目したい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ij9s-ucym/rasyoumon.html


この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードが黒澤明の想定していた真相ですが完全な見当外れでした。

まあ,黒澤明が「藪の中」を理解できていたら,これを映画化するのは諦めていたでしょうね.

最初の三人の話からおかしい部分だけ取り除いて組み合わせたのが真相ですから,単純過ぎて映画のシナリオにならないですからね:


杣売(焚き木売り・・志村 喬)の証言 : 黒澤明の想定した”真相 ”

多襄丸は女の前に手をついて謝っていた(写真4)。「俺の妻になってくれ!
妻になると言ってくれ!」多襄丸はしつこく迫った。
やがて、女が言った。「無理です。女の私に何が言えましょう」
「そうか、男同士で決めろというのだな」多襄丸は武士の縄を解いた。

「待て!俺はこんな女のために命を賭けるのはごめんだ。」と武士は妻に言った。

「二人の男に恥じを見せ、何故自害しようとせん!・・・
こんな女は欲しけりゃくれてやる!」

多襄丸も急に嫌気が差し、立ち去ろうとした。「待って!」と女。

「来るな!」再び女の号泣。「泣くな!」と武士。

「まあ、そんなに未練がましくいじめるな。女は所詮このように他愛無いものなのだ。」と多襄丸。

泣いていた女の声がいきなり狂ったような嘲笑に変わった。

「ハハハハハハッ・・・他愛無いのはお前達だ!・・・夫だったら何故この男を殺さない!

賊を殺してこそ男じゃないか!・・・お前も男じゃない!多襄丸と聞いた時、
この立場を助けてくれるのは多襄丸しかないと思った。・・・お前達は小利口なだけだ。

・・・男は腰の太刀に賭けて女を自分のものにするものなんだ!」

まったく面目のつぶれた二人は、刀を抜いた。男達は口ほどにも無くだらしない。
お互いを怯え、剣を交えるやさっと逃げる体たらくである。

しかし、多襄丸がやっとの思いで武士を刺した時、女は悲鳴を上げて逃げ去った。 多襄丸にはもはや、女を追う気力は無かった。

http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/Rasyoumon.htm


E 黒澤明には全くわからなかった日本女性の恐ろしさとは_「羅生門」を欧米人しか評価しなかった理由3


黒澤明ってアホ?

この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは西部劇で良く出てくる奴だね。

黒澤明って西部劇ばかり見ていて日本人の考え方がわからなくなったんだ.
これは絶対に日本の女の発想ではあり得ない :

「ハハハハハハッ・・・他愛無いのはお前達だ!・・・夫だったら何故この男を殺さない!

賊を殺してこそ男じゃないか!・・・お前も男じゃない!多襄丸と聞いた時、
この立場を助けてくれるのは多襄丸しかないと思った。・・・お前達は小利口なだけだ。

・・・男は腰の太刀に賭けて女を自分のものにするものなんだ!」


黒澤明の「羅生門」での真砂の強さというのはあくまで欧米女性の持つ意志的な強さであって日本女性が無意識に持っている母性的な強さとは全く次元が違うもの。
欧米女性の強さとは男性と全く同じ自我意識の強さであって、グレートマザーの強さとは本質的に違うんですね。


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これが日本女性の強さ:


今昔物語集巻二十九第二十三「具妻行丹波国男於大江山被縛」より

妻と伴い丹波の国へ行く男が大江山で縛られる話


若い男は、太刀と短刀を取り上げ、男を押さえつけ、馬の手綱で木にきつく
縛り付けた。そして、女に近寄って見ると、二十歳過ぎで、身分は賤しいけれど
魅力がありたいそう美しかった。

男は、女に心を奪われ、ほかに何も考えられなくなったので、女の衣を
脱がそうとすると、女は拒むことができそうにないと思い、言われるがままに衣を脱いだ。
そして、男も着物を脱ぎ、女を押し倒して交わった。

女はしかたがなく、若い男に言われるがままに男が縛り付けられている様子を見たが、その時見られた男はどのような気になったのだろうか。

その後、若い男は起きあがり、もとのように服を着て、箙を背負い、
太刀を帯び、弓を手に持ち、馬に乗り、女に言った。

名残惜しく思うけれども、どうしもようもないから、このまま行くことにする、
あなたに免じてその男は殺さずにおいておくが、急ぎ逃げるために馬はいただいていくぞ、 と言って、一散に馬を走らせ、いずこともなく去っていった。

その後、女は男の縄を解いてやると、男は呆然としていたので、女は、
あなたはほんとうに頼りない、これからもこのように頼りないようでは、
いいことがありっこないですよ、

と言うと、夫は黙ったままだったが、そこから二人は連れだって丹波まで行った。

http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/translation/konzyaku29_23.htm


それから、最後に「そっと胸の小刀を抜いた」のは誰なのか?


黒澤明は 「目撃者である木樵りが持ち去った」 という解釈を下している。
しかし、武士の遺体の発見者が死体から金目の物を盗む訳ないだろ.(呆れ)

後で追及されるに決まってるからね.

そもそも、元話では木樵りは単に事件の説明をするだけの脇役で、話の本筋に関わる様な重要な役ではない.

武士を殺したのも胸の短刀を引き抜いたのも真砂(武士の妻・・京マチ子)の仕業に決ってるよ.

胸の短刀をそのままにしておいたら,盗賊に夫が殺されたという言い訳が嘘だとバレテしまうから短刀をどこかに隠したのさ.


黒澤明は唯の西部劇オタクの映像マニアで、人間の事が全くわからないんだ。
人間がわからないから,話の筋だけを追いかける事になる.

そして,話の筋は変わっても,中身は黒澤明が何時も見ていた西部劇と何も変わらない.

要するに、黒澤明は最初から最後まで西部劇の翻案をやっていただけさ.:


黒澤明の「隠し砦の三悪人」、このタイトルと内容が個人的に一致していないと思っています。

隠し砦からすぐに出ていくし、悪人が3人出ているわけでもない。

この謎は黒澤明が西部劇が好きだったことで氷解する。「隠し砦」「三悪人」
というのは西部劇で出てくる言葉です。三船敏郎のデビュー作「銀嶺の果て」
の脚本は黒澤明ですが、原題は「山小屋の三悪人」だったそうで、
(悪人は3人出てくるがすぐに2人になった)いかに、「三悪人」という言葉が好きだったか。

「用心棒」も西部劇の匂いがする。居酒屋のテーブル席は江戸時代には存在しない。卓袱台も江戸時代では使わない方が良いみたいです。居酒屋でも膳であったらしい。 江戸時代の絵でもテーブルはない。それはさておき、

「用心棒」も「七人の侍」も西部劇になった。西部劇と時代劇の相性は良いのでしょうか。

同じ時代ものというだけではないのです。実は明治政府ができた折に前時代の江戸的なものを禁止した。 歌舞伎や落語まで江戸時代とは異なるものを強要した。
「剣術」が「剣道」になったのもこの頃の様です。時代劇映画が作られる頃には明治生まれの人々だけで江戸の実情を知る者がいない、語り継がれることが禁止されていて、考証がおぼつかない時期に始まった様です。

「鞍馬天狗」が「怪傑ゾロ」を下敷きにしたように、製作者たちはチャンバラ映画の基礎を西洋の活劇に頼った。だからというわけではないのでしょうが、時代劇は西部劇に変化しやすかったのではないでしょうか。黒澤明は西部劇と時代劇の類似性を感じ取っていたのでしょう。

http://gimpo.2ch.net/rmovie/subback.html


昨夜、NHK−BS2で放送されたジョン・フォードの名作「荒野の決闘」。


この映画は僕にとって特別な映画だ。まず第一の理由は、作られたのが、僕が生まれた年、1946年であること。そしてもう一つは西部劇にとどまらず、映画というものの見方を開眼させてくれた一本であること、この二つだ。

初めて観たのがたしか1961年、最初のリバイバル上映だった。 ブループリントという妙な映像ではあったが、何回かリピートして観にいったことを憶えている。

実はこの作品が、黒澤明監督が最も好きな西部劇であったことを数年前まで知らなかった。 調べてみたら、たしかに「黒澤明が選ぶ世界の名画100本」などにロバート・D・ウェッブの「誇り高き男」とともに入っている。 100本のうち、西部劇はこの2本だけだ。

あれほどジョン・フォードをお手本にしたと公言して憚らなかった黒澤監督が選んだフォードの西部劇がなぜ、一本だけなのだろう。 もっと言えば、なぜ「駅馬車」や「捜索者」じゃないのだろう。もちろん、100本を選んだ企画の趣旨もあったとは思うが、「七人の侍」のような大活劇を選んでいないことは僕にとってずっと謎だった。しかし、昨夜の放送でその謎を解く手がかりみたいなものがつかめた。

それは放送後のシネマ・レビューで、山本監督がいみじくも言われたことだ。
山本監督は

「『シェーン』が成瀬巳喜男的な西部劇なら、『荒野の決闘』は溝口健二的西部劇である」と。

つまり、黒澤監督の選んだ100本には、「自分には描けないもの」に対する憧憬の念が大きく影響していないだろうか。 その象徴的な一本が「荒野の決闘」だったのではないかと。ちなみに100本の中に入った自らの作品は「赤ひげ」だけであることは興味深い。

http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/1793ce4fad62d9146b5299511483c3c9


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さらに言うと、黒澤明だけでなく芥川龍之介自体が日本人の心性を理解できていなかったのかもしれませんね:


『今昔物語集』巻二十九第二十三話「具妻行丹波国男 於大江山被縛語(妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること)」の説話が題材となっている。


ここでは、若い盗人に弓も馬も何もかも奪われたあげく、藪の中で木に縛られ妻が手込めにされる様子をただ見ていただけの情けない男の話で、語り部は妻の気丈さと若い盗人の男気を褒め称えて、話を締め括っている。

この情けない男を殺し、殺人事件に仕立てたのが芥川龍之介『藪の中』


藪の中 芥川龍之介

     検非違使(けびいし)に問われたる木樵(きこ)りの物語

 さようでございます。あの死骸(しがい)を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝(けさ)いつもの通り、裏山の杉を伐(き)りに参りました。すると山陰(やまかげ)の藪(やぶ)の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科(やましな)の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩(や)せ杉の交(まじ)った、人気(ひとけ)のない所でございます。

 死骸は縹(はなだ)の水干(すいかん)に、都風(みやこふう)のさび烏帽子をかぶったまま、仰向(あおむ)けに倒れて居りました。何しろ一刀(ひとかたな)とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳(すほう)に滲(し)みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾(かわ)いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅(うまばえ)が一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。

 太刀(たち)か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄(なわ)が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛(くし)が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通(かよ)う路とは、藪一つ隔たって居りますから。


     検非違使に問われたる旅法師(たびほうし)の物語

 あの死骸の男には、確かに昨日(きのう)遇(あ)って居ります。昨日の、――さあ、午頃(ひるごろ)でございましょう。場所は関山(せきやま)から山科(やましな)へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子(むし)を垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重(はぎがさ)ねらしい、衣(きぬ)の色ばかりでございます。馬は月毛(つきげ)の、――確か法師髪(ほうしがみ)の馬のようでございました。丈(たけ)でございますか? 丈は四寸(よき)もございましたか? ――何しろ沙門(しゃもん)の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀(たち)も帯びて居(お)れば、弓矢も携(たずさ)えて居りました。殊に黒い塗(ぬ)り箙(えびら)へ、二十あまり征矢(そや)をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。

 あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真(まこと)に人間の命なぞは、如露亦如電(にょろやくにょでん)に違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。


     検非違使に問われたる放免(ほうめん)の物語

 わたしが搦(から)め取った男でございますか? これは確かに多襄丸(たじょうまる)と云う、名高い盗人(ぬすびと)でございます。もっともわたしが搦(から)め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口(あわだぐち)の石橋(いしばし)の上に、うんうん呻(うな)って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜(さくや)の初更(しょこう)頃でございます。いつぞやわたしが捉(とら)え損じた時にも、やはりこの紺(こん)の水干(すいかん)に、打出(うちだ)しの太刀(たち)を佩(は)いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携(たずさ)えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革(かわ)を巻いた弓、黒塗りの箙(えびら)、鷹(たか)の羽の征矢(そや)が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪(ほうしがみ)の月毛(つきげ)でございます。その畜生(ちくしょう)に落されるとは、何かの因縁(いんねん)に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱(はづな)を引いたまま、路ばたの青芒(あおすすき)を食って居りました。

 この多襄丸(たじょうまる)と云うやつは、洛中(らくちゅう)に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺(とりべでら)の賓頭盧(びんずる)の後(うしろ)の山に、物詣(ものもう)でに来たらしい女房が一人、女(め)の童(わらわ)と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業(しわざ)だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出(さしで)がましゅうございますが、それも御詮議(ごせんぎ)下さいまし。


     検非違使に問われたる媼(おうな)の物語

 はい、あの死骸は手前の娘が、片附(かたづ)いた男でございます。が、都のものではございません。若狭(わかさ)の国府(こくふ)の侍でございます。名は金沢(かなざわ)の武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立(きだて)でございますから、遺恨(いこん)なぞ受ける筈はございません。

 娘でございますか? 娘の名は真砂(まさご)、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻(めじり)に黒子(ほくろ)のある、小さい瓜実顔(うりざねがお)でございます。

 武弘は昨日(きのう)娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻(むこ)の事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥(うば)が一生のお願いでございますから、たとい草木(くさき)を分けましても、娘の行方(ゆくえ)をお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸(たじょうまる)とか何とか申す、盗人(ぬすびと)のやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)
       ×          ×          ×


     多襄丸(たじょうまる)の白状

 あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。

ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問(ごうもん)にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯(ひきょう)な隠し立てはしないつもりです。
 わたしは昨日(きのう)の午(ひる)少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子(ひょうし)に、牟子(むし)の垂絹(たれぎぬ)が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩(にょぼさつ)のように見えたのです。わたしはその咄嗟(とっさ)の間(あいだ)に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。

 何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪(うば)うとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀(たち)を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派(りっぱ)に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)

 しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科(やましな)の駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫(くふう)をしました。

 これも造作(ぞうさ)はありません。わたしはあの夫婦と途(みち)づれになると、向うの山には古塚(ふるづか)がある、この古塚を発(あば)いて見たら、鏡や太刀(たち)が沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪(やぶ)の中へ、そう云う物を埋(うず)めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時(はんとき)もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路(やまみち)へ馬を向けていたのです。

 わたしは藪(やぶ)の前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇(かわ)いていますから、異存(いぞん)のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺(つぼ)にはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。

 藪はしばらくの間(あいだ)は竹ばかりです。が、半町(はんちょう)ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合(つごう)の好(い)い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩(や)せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎(まば)らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩(は)いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括(くく)りつけられてしまいました。縄(なわ)ですか? 縄は盗人(ぬすびと)の有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張(ほおば)らせれば、ほかに面倒はありません。

 わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星(ずぼし)に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠(いちめがさ)を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛(しば)られている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐(ふところ)から出していたか、きらりと小刀(さすが)を引き抜きました。

わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈(はげ)しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹(ひばら)を突かれたでしょう。いや、それは身を躱(かわ)したところが、無二無三(むにむざん)に斬り立てられる内には、どんな怪我(けが)も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸(たじょうまる)ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀(さすが)を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。

 男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後(あと)に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋(すが)りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥(はじ)を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘(あえ)ぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)

 こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷(ざんこく)な人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳(ひとみ)を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴(かみなり)に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭(ねんとう)にあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑(いや)しい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒(けたお)しても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀(たち)に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那(せつな)、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。

 しかし男を殺すにしても、卑怯(ひきょう)な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)男は血相(けっそう)を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利(き)かずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目(ごうめ)に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)

 わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡(あと)も残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉(のど)に、断末魔(だんまつま)の音がするだけです。

 事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路(やまみち)へ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後(ご)の事は申し上げるだけ、無用の口数(くちかず)に過ぎますまい。ただ、都(みやこ)へはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗(おうち)の梢(こずえ)に、懸ける首と思っていますから、どうか極刑(ごっけい)に遇わせて下さい。(昂然(こうぜん)たる態度)


     清水寺に来れる女の懺悔(ざんげ)

 ――その紺(こん)の水干(すいかん)を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲(あざけ)るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶(みもだ)えをしても、体中(からだじゅう)にかかった縄目(なわめ)は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、転(ころ)ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟(とっさ)の間(あいだ)に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端(とたん)です。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚(さと)りました。

何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震(みぶる)いが出ずにはいられません。口さえ一言(いちごん)も利(き)けない夫は、その刹那(せつな)の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃(ひらめ)いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑(さげす)んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。

 その内にやっと気がついて見ると、あの紺(こん)の水干(すいかん)の男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫が縛(しば)られているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑(さげす)みの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の中(うち)は、何と云えば好(よ)いかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。

「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥(はじ)を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」

 わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫は忌(いま)わしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしは裂(さ)けそうな胸を抑えながら、夫の太刀(たち)を探しました。が、あの盗人(ぬすびと)に奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀(さすが)だけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。

「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」

 夫はこの言葉を聞いた時、やっと唇(くちびる)を動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。

夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言(ひとこと)云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹(はなだ)の水干の胸へ、ずぶりと小刀(さすが)を刺し通しました。

 わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹に交(まじ)った杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸(しがい)の縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀(さすが)を喉(のど)に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢(じまん)にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐(ふがい)ないものは、大慈大悲の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)も、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人(ぬすびと)の手ごめに遇ったわたしは、一体どうすれば好(よ)いのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷(すすりなき))


     巫女(みこ)の口を借りたる死霊の物語

 ――盗人(ぬすびと)は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利(き)けない。体も杉の根に縛(しば)られている。が、おれはその間(あいだ)に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真(ま)に受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は悄然(しょうぜん)と笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは妬(ねたま)しさに身悶(みもだ)えをした。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆(だいたん)にも、そう云う話さえ持ち出した。

 盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡(もた)げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有(ちゅうう)に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚(しんい)に燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」(長き沈黙)

 妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇(やみ)の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色(がんしよく)を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様(さかさま)におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪(のろ)わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然迸(ほとばし)るごとき嘲笑(ちょうしょう))その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい。」――妻はそう叫びながら、盗人の腕に縋(すが)っている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒(けたお)された、(再(ふたた)び迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷(うなず)けば好(よ)い。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦(ゆる)してやりたい。(再び、長き沈黙)

 妻はおれがためらう内に、何か一声(ひとこえ)叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人も咄嗟(とっさ)に飛びかかったが、これは袖(そで)さえ捉(とら)えなかったらしい。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。

 盗人は妻が逃げ去った後(のち)、太刀(たち)や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄(なわ)を切った。「今度はおれの身の上だ。」――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟(つぶや)いたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度(みたび)、長き沈黙)

 おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には妻が落した、小刀(さすが)が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺(さ)した。何か腥(なまぐさ)い塊(かたまり)がおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰(やまかげ)の藪の空には、小鳥一羽囀(さえず)りに来ない。ただ杉や竹の杪(うら)に、寂しい日影が漂(ただよ)っている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。

 その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇(うすやみ)が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀(さすが)を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢(あふ)れて来る。おれはそれぎり永久に、中有(ちゅうう)の闇へ沈んでしまった。………
(大正十年十二月)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html




▲△▽▼

芥川龍之介は石打ち刑の事が念頭に有って、真砂に夫を殺させたのでしょうね:

狂った宗教_ キリスト教、ユダヤ教、イスラム教


生きたまま火をつけられて殺される。生き残った女性の小説があります。

イスラム教は女性を差別している宗教です。女性を守っているとか何とか理由をつけて美化しようとしますが、冗談ではありません。自分たちの地位を脅かされないように法律と言う形で宗教を成立させている信じられないほど人道的ではない宗教です。

女性は男性を乱す悪魔と同等の扱い。だからレイプと言う犯罪すら悪魔に惑わされた結果だから悪魔を成敗するという意味で被害者であるはずの女性が加害者に仕立てられるのです。


___________________


イランで女性7人に石打ち刑の判決


貧困のため夫に売春を強要され、姦通罪で石打ちによる死刑判決を受けている女性など7人のうちほぼ全員が、姦通罪での石打ちによる死刑判決である。

シャリア法に従い、囚人は胸まで埋められ、手の自由も奪われる。 さらには即死せずに苦しんで死ぬよう投げる石の大きさまで定められている。

石打ちによる死刑は男女ともに対象であるが、石打ち刑の適用は女性が圧倒的に多い。 自分が強姦されたと4人以上の証言によって証明できない限り、その女性は姦通罪に問われることになる。

石打刑の映像
http://d.hatena.ne.jp/free_jamal/20090129/p1


51才の男性にレイプされた16才の少女が死刑


事件が起きたのは今から2年前のイラン。2004年8月15日、Atefah Sahaalehという16才の少女がイランの公共広場で絞首刑に処されました。

イスラムの法律である「シャリーア」によると、死刑に相当する罪は大きく3種類。殺人、麻薬密輸入、そして婚外交渉、だそうで。

少女が死刑にされた理由は「姦通」の罪と言うことですが、もちろん結婚なんてしていないわけで。 このことは出生証明書と死亡証明書の双方が揃っていることから証明されており、これがきっかけで調査が行われたそうです。

彼女は13才の頃にパーティに出席した際、自動車の中で少年と2人きりでいたという理由で「道徳警察」によって「純潔に関する犯罪」で逮捕され、刑務所で短期間ではあるが放り込まれ、むち打ち100回の刑を受けたそうです。

また、刑務所からの釈放後、彼女の年の3倍と同じくらいの年齢の男性から暴行を受けていたそうで。
それが、Ali Darabiという既婚で子どもがいる51才の男性。この男から数回にわたってレイプされていた、とのこと。 彼女はこの事実を警察や家族にも言わず、結果として再び道徳警察によって逮捕されたそうです。

さらに追い打ちをかけるようにしてとんでもないことに、彼女が不道徳の原因であり、地域の同年代の少女に対して悪影響を与えている、という申し立ても地元民によって行われたそうです。 逮捕されてから3日後、彼女は裁判にかけられ、この段階にいたってついにレイプされた事実を告白したのですが、年齢を考えると、レイプされたことが証明できなければ彼女の罪となり、そしてレイプされた事実を証明することがイランの法廷では極めて難しく、さらに男性の証言の方が女性の証言よりも重視されるため、絶望的状況となりました。

彼女は自分の主張が全く受け入れらないため、裁判官に叫んで訴え、挙げ句の果てにベールを脱ぎ捨てたそうです。その行為が致命的な打撃となり、彼女には死刑が宣告されました。翌朝の午前6時、絞首刑となりました。

彼女の死刑は家族には通知されず、裁判所の記録によると彼女の年齢は「22才」ということで処理されたそうです。一応イランもいろいろな国際法に批准しており、18才以下の場合にはイスラム法を適用しないとなっているのですが、それを無視するために「22才だ」ということにしたようです。
22才という年齢は裁判官が彼女の体を見て決めたそうです。

ちなみにレイプした男性の方は95回のむち打ち刑で済みました。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060728_execution_teenage_girl/


詳細は


独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html

狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html

ムスリムは悪い
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/106.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c12

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
162. 中川隆[-10914] koaQ7Jey 2019年4月05日 16:15:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1114]

ゴーン前会長、送金隠しの偽装工作か 複数の口座を経由
4/5(金) 13:00配信 朝日新聞デジタル



 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン容疑者(65)がオマーンの販売代理店に不正に支出させた日産資金を私的に流用したとされる会社法違反(特別背任)事件で、販売代理店からレバノンの投資会社「GFI」に送金する際、複数の口座を経由させていたことが関係者への取材でわかった。東京地検特捜部はこの投資会社を前会長が実質的に保有していたとみており、資金の還流を隠すための偽装工作だったとみている。

 関係者によると、還流した資金の一部は、GFIからゴーン前会長の息子が起業した米国の会社に流れていたとみられる。特捜部は、米国司法当局に捜査共助を要請し、検事を派遣。米当局を通じて息子の会社の口座を解析するなどし、資金の流れを調べるとみられる。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c162

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
198. 中川隆[-10913] koaQ7Jey 2019年4月05日 16:44:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1115]

【ch北海道】北海道が日本で無くなる日〜中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠[H31-3-22] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NC6rdT4WmW0


2019/03/22 に公開

北海道 心はひとつ 私の心 みんなの心  
チャンネル北海道は、正直で元気な北海道情報をまるごとお送りしています!

講師:小野寺まさる(前北海道議会議員)

「正論を聞く集い」
北海道が日本で無くなる日〜中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠

平成31年3月18日 サンケイプラザ(東京都千代田区大手町)

1 北海道における中国資本による買収
2 アイヌ政策と日本分断活動の歴史
3 アイヌと中国共産党の繋がり
4 アイヌ新法の危険性
◇質疑応答

◆チャンネル北海道公式HP
http://ch-hokkaido.jp/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c198

[昼休み53] 阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
25. 中川隆[-10912] koaQ7Jey 2019年4月05日 16:52:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1116]

【誰だってマイノリティー】注意で「攻撃対象」に……電車での独り言、障害のある人が望む対応とは? 4/5(金) 14:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci

電車で出会う、「独り言」を話す人たち。一体、どんな理由でつぶやいているのでしょうか?「ちょっと怖い」と思ったことのある人、一緒に考えてみませんか?=(c)Takami Kizu


【誰だってマイノリティー】

 電車に乗ると、時折ひとりで話している人を見かけます。「ブツブツと何かつぶやいていて、驚いた」という経験談は少なくありません。実は障害が原因で、やむにやまれず口にしている場合があるんです。ただ、声のかけ方によっては、衝突してしまう可能性も……。障害のある人に聞いた「独り言」を口にする理由とは? 先入観なく向き合うため、どんなことができるのか、調べてみました。(withnews編集部・神戸郁人)

【漫画】「ブス!」馬鹿にするのは誰だ…って幻聴!? 統合失調症の女性、「独り言」体験を赤裸々に漫画化
.

怖くて距離を取ったことも

 実は筆者も電車で移動中、誰もいない場所で話す人に出会ったことがありました。わずかな恐怖心を抱きつつ、距離を取ってしまったことも、少なくありません。

 でも当事者の皆さんにとっては、きっと何か意義が存在するはず。そう考え、今回の記事を書きたいと思い立ちました。

 この記事では、独り言との関わりが深いとされている、二つの障害にフォーカス。背景事情を深掘りしました。

 まずは最初のケースです。分かりやすくするため、架空の物語から始めましょう。
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ケース1・誰もいない方向に謝る彼女

 ある朝の通勤時、いつものように電車に揺られているあなた。ターミナル駅でたくさん人が降り、目の前の席が空きました。

 「どれ、座って一息つこうか……」。腰をかけ、スマートフォンでお気に入りの漫画を読み始めようとした時のことです。

 「スミマセン……スミマセン……わたしだって……」。隣り合った女性が、何やら謝り始めました。話し掛けている方向を確認してみても、誰もいません。

 状況が飲み込めないあなた。その場をやり過ごそうと、再びスマホ画面に目を落とし、時が過ぎるのを待つことにしたのでした……。
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無いはずのものを見聞きしていた

 これ、もしかしたら「似たような体験をした」という人もいるのではないでしょうか?

 乗客の女性は、どうして謝っていたのでしょう。実は、「統合失調症」という障害の当事者であると考えられます。

 専門家に、少しかみ砕いてもらいしょう。精神科医の阿部大樹先生に聞きました。


◆統合失調症とは?

 統合失調症とは、考えや行動がうまくまとまらなくなる状態のことです。およそ二十歳前後に現れることが多く、およそ100人に1人が当事者です。


 特徴の一つが、幻聴などの「陽性症状」と呼ばれる症状です。症状が強い場合は、「他人に悪口を言われている」などの妄想に発展する場合もあります。

 幻聴が聞こえてくるのに返事をしてしまうことで、周りからは「誰かと話しているような独り言」というように見えることもあります。

 お薬を規則的に飲むことで、数か月で症状が落ち着くことが多いですね。


 特徴の二つ目は、元気がなくなったり、考えるのがゆっくりになったりする「陰性症状」と呼ばれる症状です。

 周りの人にまで気が回らなくなって、「疲れたー」などの独り言が出てくることもあるかもしれません。

 陰性症状の結果として情報を整理するのが難しくなり、会話が難しくなる時もありますが、カウンセリングなどを通して生活リズムを整えることで問題なく日常生活を過ごせるようになります。


 原因はよく分かっていませんが、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることが原因ではないか、とも言われています。

 思春期の対人関係の変化や、進学や引っ越しなどの生活環境の変化をきっかけにして起きることが一般的です。

脳内の「3人」が馬鹿にしてくる

 幻覚を体験する時、当事者はどのような状態にあるのでしょうか? エッセーコミック『統合失調症日記』(ぶんか社)の作者で、漫画家の木村きこりさん(28)を取材しました。

 木村さんが異変に気づいたのは、高校3年生の頃でした。美術系大学に入るため、受験勉強に打ち込んでいると、急に脳内で3人の人物の声が響くようになったといいます。

「男性と女性、子どもが後ろから話し掛けてくるんです。それぞれに役割があり、女性は料理を食べていると『まずそう』と罵倒してきたり、男性は両親との関係に口を出してきたり。子どもについては、ずっと私を小馬鹿にする、といった調子ですね」

 しばらくすると、「ストーブに焼き殺される」といった被害妄想が顕著に。家族に手をあげてしまうこともあり、21歳の時、精神科で正式に診断を受けました。
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注意を受ける→幻覚が加速

 木村さんは、幻覚によるストレスが極まると、大声を出して心を落ち着けています。

 苦労するのは、人目が多い場所に出かける時です。特に電車の中で、子どもや学生の集団と鉢合わせると、監視されているような感覚に襲われるといいます。

 「お前を見て笑っているぞ」――。そんな幻聴まで聞こえ、人がいない方向に「うるさい」と叫んでしまったこともありました。

 そして他の乗客から不審そうに見られるたび、気まずくなって途中下車したり、別の車両に移動したりしてきたそうです。

 当事者が独り言を発している際に、乗り合わせた人はどう対すればいいのでしょう?

「独り言を注意されると、その人のいる方面からも、幻覚が現れることがあります。脳が相手を『攻撃対象』と見なすためか、余計につらくなってしまうんです」

「だから怒らず、まず『もしかしたら統合失調症かな?』と思って欲しい。苦しそうに見えたら、車掌さんや駅員さんに、それとなく助けを求めてもらえるとうれしいですね」
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ケース2・「甲子園の実況」を繰り返す彼

 では、二つ目のケースに移りましょう。こちらも、フィクションから考えてみます。

 仕事を終え、帰路についたあなた。電車に乗り、「夕飯は何を食べようか」と思いを巡らせています。

 「はいっ、やってまいりました夏の甲子園!」。途中で乗り込んできた男の子が、勢い良く話し始めます。どうやら、高校野球の試合中継を再現しているようです。

 その「実況」ぶりは、まさに立て板に水。しかし、よく聞くと、同じフレーズを繰り返しています。

 突然のことに、びっくりするあなた。驚きのあまり、夜の献立のことを忘れてしまったのでした……。

「いつものパターン」に見いだす安心

 この場合に考えられる障害は、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」です。ASDは発達障害の一種とされています。阿部先生に再び解説してもらいましょう。

◆ASDとは?

 「相互的な対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「興味や行動の偏り」の三つの特徴をあわせもつ状態のことを言います。それぞれ説明してみますね。


 最初の二つの特性がありますから、対人関係を結ぶのがあまり得意でないかもしれません。好き・嫌いの表し方が独特で、周りの人が理解できないこともありえます。

 例えば、視線の置き方が不自然に感じられる場合や、立ち話をするときの距離が近すぎたり遠すぎたりすることもあります。


 また、繰り返しの行動を好む人が多いです。同じ服を毎日着たり、お風呂の温度が決まっていたり、といった具合です。周りからは独特の「こだわり」と思われていることもありますね。

 逆に言えば、いつものパターンを繰り返すことで安心感を得られる方が多いようです。その一つとして、同じ単語を繰り返すような独り言が現れることもあります。

 普段のリズムが乱されない限りは、日常生活を問題なく送れる方がほとんどです。
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一人で話すのは、呼吸のようなもの

 「彼が自分だけで話すのは、呼吸のようなものなんです」。ASDの息子がいるイラストレーター・中尾佑次さん(59)は語ります。

 知的障害もある一人っ子の秀真(ほつま)さん(27)は、当事者が対象のグループホームで共同生活をしています。実家で暮らしていた幼少期から、独り言が多かったそうです。

 繰り返すフレーズは様々です。お気に入りのテレビ番組やCM、ネット動画のセリフ。音楽番組などで聞いたメロディー……。障害の特性上、予想通りに事が運ばなかったり、生活リズムが崩れたりすると、回数が増えました。

 ストレスが高まると、過去の嫌な記憶が、脳内で再生されたと思われる言葉を口にする場合も。気持ちが不安定な思春期までは、そのケースが多かったといいます。

「電車などのシートが満席だった場合は、特に盛んでしたね。本人は『座れるもの』と考えているけれど、実際は違うこともある。そうしたイレギュラーな出来事が苦手なため、理解が追いつかなかったんです」

「無視」と「具体的な声かけ」のバランス

 しかし年齢を重ね、秀真さんは公共の場で、かなり自分の衝動を抑えられようになりました。中尾さんは、プライドを保つためルールを守っている、と考えているそうです。

「僕が彼の独り言を、その場に居合わせた人に謝ったため、より情緒不安定になったことがあります。他人に注意されたとなれば、なおさらです。『俺は一人前の人間だ』という気持ちが折れてしまうんでしょうね」

 こうした経験から、電車で独り言を話す人と出会った時は、「見て見ぬ振り」をして欲しいと訴えます。

「よく乗るタクシーの運転手さんたちが、息子の独り言が激しい時も、黙って送迎してくれるんですよ。これが、すごくうれしい。電車の中でも同じように、『積極的な無視』をお願い出来たら助かりますね」

「ただ、電車が長時間動かない場面などでは、落ち着きを失うことがあります。そうした際は、『あと●時間で動く』と紙に書き、具体的に示してもらえたら。障害を理解した上での対応は、本人や家族にとって、とてもありがたいです」
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独り言の否定=その人自身の否定

 障害の有無にかかわらず、誰しもに「自分自身」がある。取材を通して確認したのは、そんな当然の事実でした。

 荒唐無稽なことを話しているようでも、当事者は必要に迫られています。独り言の否定は、その人の否定でもあるのです。

 記事に登場した中尾さんは「今は昔と比べ、障害の当事者が外に出やすくなった。『世の中にはこんな人もいる』と感じてもらえるといい」と話していました。今も、強く印象に残っている言葉です。

 生き方は、人の数と同じだけ存在する。私自身、そのことに思いをはせ続けたい、と考えています。


※必ずしも、障害が独り言の原因になるわけではありません。その人自身の特性や、性格が影響している場合もあります。

◇ ◇ ◇

 この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる連携企画記事です。多様な人々が生きる現代社会は、誰もがマイノリティーになりうる社会といえるかもしれません。4月4日から5回にわたる連載を通じて、「障害者」「健常者」を分ける枠組みそのものについて考え、誰もが生きやすい社会にするためのヒントを探ります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci


原発板の魑魅魍魎氏と同じ症状ですね

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html#c25

[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
248. 中川隆[-10911] koaQ7Jey 2019年4月05日 16:53:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1117]
【誰だってマイノリティー】注意で「攻撃対象」に……電車での独り言、障害のある人が望む対応とは? 4/5(金) 14:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci

電車で出会う、「独り言」を話す人たち。一体、どんな理由でつぶやいているのでしょうか?「ちょっと怖い」と思ったことのある人、一緒に考えてみませんか?=(c)Takami Kizu


【誰だってマイノリティー】

 電車に乗ると、時折ひとりで話している人を見かけます。「ブツブツと何かつぶやいていて、驚いた」という経験談は少なくありません。実は障害が原因で、やむにやまれず口にしている場合があるんです。ただ、声のかけ方によっては、衝突してしまう可能性も……。障害のある人に聞いた「独り言」を口にする理由とは? 先入観なく向き合うため、どんなことができるのか、調べてみました。(withnews編集部・神戸郁人)

【漫画】「ブス!」馬鹿にするのは誰だ…って幻聴!? 統合失調症の女性、「独り言」体験を赤裸々に漫画化
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怖くて距離を取ったことも

 実は筆者も電車で移動中、誰もいない場所で話す人に出会ったことがありました。わずかな恐怖心を抱きつつ、距離を取ってしまったことも、少なくありません。

 でも当事者の皆さんにとっては、きっと何か意義が存在するはず。そう考え、今回の記事を書きたいと思い立ちました。

 この記事では、独り言との関わりが深いとされている、二つの障害にフォーカス。背景事情を深掘りしました。

 まずは最初のケースです。分かりやすくするため、架空の物語から始めましょう。
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ケース1・誰もいない方向に謝る彼女

 ある朝の通勤時、いつものように電車に揺られているあなた。ターミナル駅でたくさん人が降り、目の前の席が空きました。

 「どれ、座って一息つこうか……」。腰をかけ、スマートフォンでお気に入りの漫画を読み始めようとした時のことです。

 「スミマセン……スミマセン……わたしだって……」。隣り合った女性が、何やら謝り始めました。話し掛けている方向を確認してみても、誰もいません。

 状況が飲み込めないあなた。その場をやり過ごそうと、再びスマホ画面に目を落とし、時が過ぎるのを待つことにしたのでした……。
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無いはずのものを見聞きしていた

 これ、もしかしたら「似たような体験をした」という人もいるのではないでしょうか?

 乗客の女性は、どうして謝っていたのでしょう。実は、「統合失調症」という障害の当事者であると考えられます。

 専門家に、少しかみ砕いてもらいしょう。精神科医の阿部大樹先生に聞きました。


◆統合失調症とは?

 統合失調症とは、考えや行動がうまくまとまらなくなる状態のことです。およそ二十歳前後に現れることが多く、およそ100人に1人が当事者です。


 特徴の一つが、幻聴などの「陽性症状」と呼ばれる症状です。症状が強い場合は、「他人に悪口を言われている」などの妄想に発展する場合もあります。

 幻聴が聞こえてくるのに返事をしてしまうことで、周りからは「誰かと話しているような独り言」というように見えることもあります。

 お薬を規則的に飲むことで、数か月で症状が落ち着くことが多いですね。


 特徴の二つ目は、元気がなくなったり、考えるのがゆっくりになったりする「陰性症状」と呼ばれる症状です。

 周りの人にまで気が回らなくなって、「疲れたー」などの独り言が出てくることもあるかもしれません。

 陰性症状の結果として情報を整理するのが難しくなり、会話が難しくなる時もありますが、カウンセリングなどを通して生活リズムを整えることで問題なく日常生活を過ごせるようになります。


 原因はよく分かっていませんが、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることが原因ではないか、とも言われています。

 思春期の対人関係の変化や、進学や引っ越しなどの生活環境の変化をきっかけにして起きることが一般的です。


脳内の「3人」が馬鹿にしてくる

 幻覚を体験する時、当事者はどのような状態にあるのでしょうか? エッセーコミック『統合失調症日記』(ぶんか社)の作者で、漫画家の木村きこりさん(28)を取材しました。

 木村さんが異変に気づいたのは、高校3年生の頃でした。美術系大学に入るため、受験勉強に打ち込んでいると、急に脳内で3人の人物の声が響くようになったといいます。

「男性と女性、子どもが後ろから話し掛けてくるんです。それぞれに役割があり、女性は料理を食べていると『まずそう』と罵倒してきたり、男性は両親との関係に口を出してきたり。子どもについては、ずっと私を小馬鹿にする、といった調子ですね」

 しばらくすると、「ストーブに焼き殺される」といった被害妄想が顕著に。家族に手をあげてしまうこともあり、21歳の時、精神科で正式に診断を受けました。
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注意を受ける→幻覚が加速

 木村さんは、幻覚によるストレスが極まると、大声を出して心を落ち着けています。

 苦労するのは、人目が多い場所に出かける時です。特に電車の中で、子どもや学生の集団と鉢合わせると、監視されているような感覚に襲われるといいます。

 「お前を見て笑っているぞ」――。そんな幻聴まで聞こえ、人がいない方向に「うるさい」と叫んでしまったこともありました。

 そして他の乗客から不審そうに見られるたび、気まずくなって途中下車したり、別の車両に移動したりしてきたそうです。

 当事者が独り言を発している際に、乗り合わせた人はどう対すればいいのでしょう?

「独り言を注意されると、その人のいる方面からも、幻覚が現れることがあります。脳が相手を『攻撃対象』と見なすためか、余計につらくなってしまうんです」

「だから怒らず、まず『もしかしたら統合失調症かな?』と思って欲しい。苦しそうに見えたら、車掌さんや駅員さんに、それとなく助けを求めてもらえるとうれしいですね」
.

ケース2・「甲子園の実況」を繰り返す彼

 では、二つ目のケースに移りましょう。こちらも、フィクションから考えてみます。

 仕事を終え、帰路についたあなた。電車に乗り、「夕飯は何を食べようか」と思いを巡らせています。

 「はいっ、やってまいりました夏の甲子園!」。途中で乗り込んできた男の子が、勢い良く話し始めます。どうやら、高校野球の試合中継を再現しているようです。

 その「実況」ぶりは、まさに立て板に水。しかし、よく聞くと、同じフレーズを繰り返しています。

 突然のことに、びっくりするあなた。驚きのあまり、夜の献立のことを忘れてしまったのでした……。


「いつものパターン」に見いだす安心

 この場合に考えられる障害は、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」です。ASDは発達障害の一種とされています。阿部先生に再び解説してもらいましょう。

◆ASDとは?

 「相互的な対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「興味や行動の偏り」の三つの特徴をあわせもつ状態のことを言います。それぞれ説明してみますね。


 最初の二つの特性がありますから、対人関係を結ぶのがあまり得意でないかもしれません。好き・嫌いの表し方が独特で、周りの人が理解できないこともありえます。

 例えば、視線の置き方が不自然に感じられる場合や、立ち話をするときの距離が近すぎたり遠すぎたりすることもあります。


 また、繰り返しの行動を好む人が多いです。同じ服を毎日着たり、お風呂の温度が決まっていたり、といった具合です。周りからは独特の「こだわり」と思われていることもありますね。

 逆に言えば、いつものパターンを繰り返すことで安心感を得られる方が多いようです。その一つとして、同じ単語を繰り返すような独り言が現れることもあります。

 普段のリズムが乱されない限りは、日常生活を問題なく送れる方がほとんどです。
.

一人で話すのは、呼吸のようなもの

 「彼が自分だけで話すのは、呼吸のようなものなんです」。ASDの息子がいるイラストレーター・中尾佑次さん(59)は語ります。

 知的障害もある一人っ子の秀真(ほつま)さん(27)は、当事者が対象のグループホームで共同生活をしています。実家で暮らしていた幼少期から、独り言が多かったそうです。

 繰り返すフレーズは様々です。お気に入りのテレビ番組やCM、ネット動画のセリフ。音楽番組などで聞いたメロディー……。障害の特性上、予想通りに事が運ばなかったり、生活リズムが崩れたりすると、回数が増えました。

 ストレスが高まると、過去の嫌な記憶が、脳内で再生されたと思われる言葉を口にする場合も。気持ちが不安定な思春期までは、そのケースが多かったといいます。

「電車などのシートが満席だった場合は、特に盛んでしたね。本人は『座れるもの』と考えているけれど、実際は違うこともある。そうしたイレギュラーな出来事が苦手なため、理解が追いつかなかったんです」


「無視」と「具体的な声かけ」のバランス

 しかし年齢を重ね、秀真さんは公共の場で、かなり自分の衝動を抑えられようになりました。中尾さんは、プライドを保つためルールを守っている、と考えているそうです。

「僕が彼の独り言を、その場に居合わせた人に謝ったため、より情緒不安定になったことがあります。他人に注意されたとなれば、なおさらです。『俺は一人前の人間だ』という気持ちが折れてしまうんでしょうね」

 こうした経験から、電車で独り言を話す人と出会った時は、「見て見ぬ振り」をして欲しいと訴えます。

「よく乗るタクシーの運転手さんたちが、息子の独り言が激しい時も、黙って送迎してくれるんですよ。これが、すごくうれしい。電車の中でも同じように、『積極的な無視』をお願い出来たら助かりますね」

「ただ、電車が長時間動かない場面などでは、落ち着きを失うことがあります。そうした際は、『あと●時間で動く』と紙に書き、具体的に示してもらえたら。障害を理解した上での対応は、本人や家族にとって、とてもありがたいです」
.

独り言の否定=その人自身の否定

 障害の有無にかかわらず、誰しもに「自分自身」がある。取材を通して確認したのは、そんな当然の事実でした。

 荒唐無稽なことを話しているようでも、当事者は必要に迫られています。独り言の否定は、その人の否定でもあるのです。

 記事に登場した中尾さんは「今は昔と比べ、障害の当事者が外に出やすくなった。『世の中にはこんな人もいる』と感じてもらえるといい」と話していました。今も、強く印象に残っている言葉です。

 生き方は、人の数と同じだけ存在する。私自身、そのことに思いをはせ続けたい、と考えています。


※必ずしも、障害が独り言の原因になるわけではありません。その人自身の特性や、性格が影響している場合もあります。

◇ ◇ ◇

 この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる連携企画記事です。多様な人々が生きる現代社会は、誰もがマイノリティーになりうる社会といえるかもしれません。4月4日から5回にわたる連載を通じて、「障害者」「健常者」を分ける枠組みそのものについて考え、誰もが生きやすい社会にするためのヒントを探ります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci


原発板の魑魅魍魎氏と同じ症状ですね

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c248

[お知らせ・管理19] 管理人さん、赤かぶのデタラメ投稿をいつまで放置するのですか。 SOBA
22. 中川隆[-10910] koaQ7Jey 2019年4月05日 16:55:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1118]
【誰だってマイノリティー】注意で「攻撃対象」に……電車での独り言、障害のある人が望む対応とは? 4/5(金) 14:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci

電車で出会う、「独り言」を話す人たち。一体、どんな理由でつぶやいているのでしょうか?「ちょっと怖い」と思ったことのある人、一緒に考えてみませんか?=(c)Takami Kizu


【誰だってマイノリティー】

 電車に乗ると、時折ひとりで話している人を見かけます。「ブツブツと何かつぶやいていて、驚いた」という経験談は少なくありません。実は障害が原因で、やむにやまれず口にしている場合があるんです。ただ、声のかけ方によっては、衝突してしまう可能性も……。障害のある人に聞いた「独り言」を口にする理由とは? 先入観なく向き合うため、どんなことができるのか、調べてみました。(withnews編集部・神戸郁人)

【漫画】「ブス!」馬鹿にするのは誰だ…って幻聴!? 統合失調症の女性、「独り言」体験を赤裸々に漫画化
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怖くて距離を取ったことも

 実は筆者も電車で移動中、誰もいない場所で話す人に出会ったことがありました。わずかな恐怖心を抱きつつ、距離を取ってしまったことも、少なくありません。

 でも当事者の皆さんにとっては、きっと何か意義が存在するはず。そう考え、今回の記事を書きたいと思い立ちました。

 この記事では、独り言との関わりが深いとされている、二つの障害にフォーカス。背景事情を深掘りしました。

 まずは最初のケースです。分かりやすくするため、架空の物語から始めましょう。
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ケース1・誰もいない方向に謝る彼女

 ある朝の通勤時、いつものように電車に揺られているあなた。ターミナル駅でたくさん人が降り、目の前の席が空きました。

 「どれ、座って一息つこうか……」。腰をかけ、スマートフォンでお気に入りの漫画を読み始めようとした時のことです。

 「スミマセン……スミマセン……わたしだって……」。隣り合った女性が、何やら謝り始めました。話し掛けている方向を確認してみても、誰もいません。

 状況が飲み込めないあなた。その場をやり過ごそうと、再びスマホ画面に目を落とし、時が過ぎるのを待つことにしたのでした……。
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無いはずのものを見聞きしていた

 これ、もしかしたら「似たような体験をした」という人もいるのではないでしょうか?

 乗客の女性は、どうして謝っていたのでしょう。実は、「統合失調症」という障害の当事者であると考えられます。

 専門家に、少しかみ砕いてもらいしょう。精神科医の阿部大樹先生に聞きました。


◆統合失調症とは?

 統合失調症とは、考えや行動がうまくまとまらなくなる状態のことです。およそ二十歳前後に現れることが多く、およそ100人に1人が当事者です。


 特徴の一つが、幻聴などの「陽性症状」と呼ばれる症状です。症状が強い場合は、「他人に悪口を言われている」などの妄想に発展する場合もあります。

 幻聴が聞こえてくるのに返事をしてしまうことで、周りからは「誰かと話しているような独り言」というように見えることもあります。

 お薬を規則的に飲むことで、数か月で症状が落ち着くことが多いですね。


 特徴の二つ目は、元気がなくなったり、考えるのがゆっくりになったりする「陰性症状」と呼ばれる症状です。

 周りの人にまで気が回らなくなって、「疲れたー」などの独り言が出てくることもあるかもしれません。

 陰性症状の結果として情報を整理するのが難しくなり、会話が難しくなる時もありますが、カウンセリングなどを通して生活リズムを整えることで問題なく日常生活を過ごせるようになります。


 原因はよく分かっていませんが、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることが原因ではないか、とも言われています。

 思春期の対人関係の変化や、進学や引っ越しなどの生活環境の変化をきっかけにして起きることが一般的です。


脳内の「3人」が馬鹿にしてくる

 幻覚を体験する時、当事者はどのような状態にあるのでしょうか? エッセーコミック『統合失調症日記』(ぶんか社)の作者で、漫画家の木村きこりさん(28)を取材しました。

 木村さんが異変に気づいたのは、高校3年生の頃でした。美術系大学に入るため、受験勉強に打ち込んでいると、急に脳内で3人の人物の声が響くようになったといいます。

「男性と女性、子どもが後ろから話し掛けてくるんです。それぞれに役割があり、女性は料理を食べていると『まずそう』と罵倒してきたり、男性は両親との関係に口を出してきたり。子どもについては、ずっと私を小馬鹿にする、といった調子ですね」

 しばらくすると、「ストーブに焼き殺される」といった被害妄想が顕著に。家族に手をあげてしまうこともあり、21歳の時、精神科で正式に診断を受けました。
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注意を受ける→幻覚が加速

 木村さんは、幻覚によるストレスが極まると、大声を出して心を落ち着けています。

 苦労するのは、人目が多い場所に出かける時です。特に電車の中で、子どもや学生の集団と鉢合わせると、監視されているような感覚に襲われるといいます。

 「お前を見て笑っているぞ」――。そんな幻聴まで聞こえ、人がいない方向に「うるさい」と叫んでしまったこともありました。

 そして他の乗客から不審そうに見られるたび、気まずくなって途中下車したり、別の車両に移動したりしてきたそうです。

 当事者が独り言を発している際に、乗り合わせた人はどう対すればいいのでしょう?

「独り言を注意されると、その人のいる方面からも、幻覚が現れることがあります。脳が相手を『攻撃対象』と見なすためか、余計につらくなってしまうんです」

「だから怒らず、まず『もしかしたら統合失調症かな?』と思って欲しい。苦しそうに見えたら、車掌さんや駅員さんに、それとなく助けを求めてもらえるとうれしいですね」
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ケース2・「甲子園の実況」を繰り返す彼

 では、二つ目のケースに移りましょう。こちらも、フィクションから考えてみます。

 仕事を終え、帰路についたあなた。電車に乗り、「夕飯は何を食べようか」と思いを巡らせています。

 「はいっ、やってまいりました夏の甲子園!」。途中で乗り込んできた男の子が、勢い良く話し始めます。どうやら、高校野球の試合中継を再現しているようです。

 その「実況」ぶりは、まさに立て板に水。しかし、よく聞くと、同じフレーズを繰り返しています。

 突然のことに、びっくりするあなた。驚きのあまり、夜の献立のことを忘れてしまったのでした……。


「いつものパターン」に見いだす安心

 この場合に考えられる障害は、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」です。ASDは発達障害の一種とされています。阿部先生に再び解説してもらいましょう。

◆ASDとは?

 「相互的な対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「興味や行動の偏り」の三つの特徴をあわせもつ状態のことを言います。それぞれ説明してみますね。


 最初の二つの特性がありますから、対人関係を結ぶのがあまり得意でないかもしれません。好き・嫌いの表し方が独特で、周りの人が理解できないこともありえます。

 例えば、視線の置き方が不自然に感じられる場合や、立ち話をするときの距離が近すぎたり遠すぎたりすることもあります。


 また、繰り返しの行動を好む人が多いです。同じ服を毎日着たり、お風呂の温度が決まっていたり、といった具合です。周りからは独特の「こだわり」と思われていることもありますね。

 逆に言えば、いつものパターンを繰り返すことで安心感を得られる方が多いようです。その一つとして、同じ単語を繰り返すような独り言が現れることもあります。

 普段のリズムが乱されない限りは、日常生活を問題なく送れる方がほとんどです。
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一人で話すのは、呼吸のようなもの

 「彼が自分だけで話すのは、呼吸のようなものなんです」。ASDの息子がいるイラストレーター・中尾佑次さん(59)は語ります。

 知的障害もある一人っ子の秀真(ほつま)さん(27)は、当事者が対象のグループホームで共同生活をしています。実家で暮らしていた幼少期から、独り言が多かったそうです。

 繰り返すフレーズは様々です。お気に入りのテレビ番組やCM、ネット動画のセリフ。音楽番組などで聞いたメロディー……。障害の特性上、予想通りに事が運ばなかったり、生活リズムが崩れたりすると、回数が増えました。

 ストレスが高まると、過去の嫌な記憶が、脳内で再生されたと思われる言葉を口にする場合も。気持ちが不安定な思春期までは、そのケースが多かったといいます。

「電車などのシートが満席だった場合は、特に盛んでしたね。本人は『座れるもの』と考えているけれど、実際は違うこともある。そうしたイレギュラーな出来事が苦手なため、理解が追いつかなかったんです」


「無視」と「具体的な声かけ」のバランス

 しかし年齢を重ね、秀真さんは公共の場で、かなり自分の衝動を抑えられようになりました。中尾さんは、プライドを保つためルールを守っている、と考えているそうです。

「僕が彼の独り言を、その場に居合わせた人に謝ったため、より情緒不安定になったことがあります。他人に注意されたとなれば、なおさらです。『俺は一人前の人間だ』という気持ちが折れてしまうんでしょうね」

 こうした経験から、電車で独り言を話す人と出会った時は、「見て見ぬ振り」をして欲しいと訴えます。

「よく乗るタクシーの運転手さんたちが、息子の独り言が激しい時も、黙って送迎してくれるんですよ。これが、すごくうれしい。電車の中でも同じように、『積極的な無視』をお願い出来たら助かりますね」

「ただ、電車が長時間動かない場面などでは、落ち着きを失うことがあります。そうした際は、『あと●時間で動く』と紙に書き、具体的に示してもらえたら。障害を理解した上での対応は、本人や家族にとって、とてもありがたいです」
.

独り言の否定=その人自身の否定

 障害の有無にかかわらず、誰しもに「自分自身」がある。取材を通して確認したのは、そんな当然の事実でした。

 荒唐無稽なことを話しているようでも、当事者は必要に迫られています。独り言の否定は、その人の否定でもあるのです。

 記事に登場した中尾さんは「今は昔と比べ、障害の当事者が外に出やすくなった。『世の中にはこんな人もいる』と感じてもらえるといい」と話していました。今も、強く印象に残っている言葉です。

 生き方は、人の数と同じだけ存在する。私自身、そのことに思いをはせ続けたい、と考えています。


※必ずしも、障害が独り言の原因になるわけではありません。その人自身の特性や、性格が影響している場合もあります。

◇ ◇ ◇

 この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる連携企画記事です。多様な人々が生きる現代社会は、誰もがマイノリティーになりうる社会といえるかもしれません。4月4日から5回にわたる連載を通じて、「障害者」「健常者」を分ける枠組みそのものについて考え、誰もが生きやすい社会にするためのヒントを探ります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci


原発板の魑魅魍魎氏と同じ症状ですね

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/534.html#c22

[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
13. 中川隆[-10909] koaQ7Jey 2019年4月05日 17:12:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1119]

まともな人間は天才にはなれない


ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC+%E6%BC%94%E8%AA%AC
https://www.youtube.com/results?search_query=Adolf+Hitler

▲△▽▼

ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。

彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html

▲△▽▼

アメリカの極秘文書が伝えるヒトラーの意外な素顔
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc611.html

●一般にヒトラーは「キ○ガイ」の代名詞であり、20世紀最大の悪魔とも称せられる。

ヒトラーは性的変質者で睾丸がひとつしかなかったなどとまことしやかに言われ、彼が精神異常者であるという印象はごく自然に多くの人に受け入れられている。

ナチスの迫害を受けていた精神分析学の創始者であったユダヤ人ジークムント・フロイトは、ヒトラーを「狂人がなにをしでかすか予想できない!」の一言で片付けてしまったように、

ナチス敗北後、多くの精神医学者もヒトラーを「精神病」と見なしてきた。

 


ジークムント・フロイト

「精神分析学」を創始した
オーストリア生まれのユダヤ人。
1938年にナチスに追われてイギリスに
亡命したが、翌年、ガンで亡くなった。

 

●SS長官ヒムラーのマッサージ師ケルステンは、「ヒトラーは脳梅毒(進行麻痺)であった」という噂を流した。

しかし、ヒトラーの主治医モレルは1940年の梅毒検査でヒトラーは陰性であった、とヒトラーの脳梅毒説を否定している。

 


アドルフ・ヒトラー

 

●ところで、アメリカの国家記録保存所には「ヒトラーのメディカル・レポート」が保管されている。

これはアメリカ陸軍ヨーロッパ司令部情報部によって作成されたもので、1972年になってようやく極秘取り扱い解除されたものである。

それによると精神面に関するデータは次の通り。


【A】.時間、場所、人間に関しての認識 = <優>

【B】.過去、現在における出来事についての記憶力 = <優>

【C】.数字、統計、名前などの記憶カ = <優>

【D】.ヒトラーのバックグラウンドは大学教育の欠如というハンデがあったが、
    それを彼は読書を通して得た莫大な知識で十分に補った。

【E】.時間や空間についての判断力 = <優>

【F】.まわりの環境に対する反応 = <ノーマル>

【G】.気分が変わり易いところもあるが、平均して協調性があり、集中力は抜群。

【H】.感情的には変化し易い。好き嫌いがはげしい。

【 I 】.思考構造は一定の継続がある。話し方は早くなく遅くもない。
    常につじつまの合う話をする。

【J】.ヒステリー性はなし、健忘症なし。

【K】.妄想や恐怖性なし。

【L】.幻覚、幻想、偏執狂的徴候はなし。

●これを見る限り、ヒトラーという人間はごくノーマルであるばかりでなく、ある面では普通の人より秀れていたということになる。

アメリカ政府はこの情報を1945年に得ていたのだが、27年間極秘扱いとして誰にも見せなかったのであった(一説にはヒトラーのIQは150近くあったという)。

 


1972年になってようやく極秘取り扱い解除された
「ヒトラーのメディカル・レポート」

 

●以下、参考までに、戦後のニュルンベルク裁判の法廷で、ナチス要人が語ったヒトラー像を挙げておたい。

この3人とも誇り高きドイツ貴族出身の軍人であり、貧民街から登場したチョビひげの政治家に、最初から心服していたわけではなかった。しかしヒトラーは、そんな人物まで相手の専門分野の知識で圧倒し、やがてはその人格的影響下に置いてしまったようである。

◆ドイツ海軍最高司令官カール・デーニッツ大将は語る。

「ヒトラーは異常な知性と行動力を持ち、まさに普遍的といってよい教養と力を放射する性格をそなえ、恐るべき暗示力をもった人物だった。

私は総統本部に出入りしないほうが、自分の力を温存できるような気持ちがしたので、たまにしか足を運ばなかった。それに何日も総統大本営に滞在したあとは、ヒトラーの暗示力を洗い落とさなければならないという感じがした」


◆ヴィルヘルム・カイテル元帥は、ヒトラーの軍事知識に驚嘆している。

「軍事問題についての知識は驚くべきものがあった。ヒトラーは世界の全ての陸海軍の組織、武装、指導部、装備に精通しており、ひとつといえども誤りを指摘することはできなかった。

したがって我々は、あの人は天才にちがいないと思ったのだ。軍の単純なありきたりな問題ですら、自分は教えるほうではなくて教わるほうであった」


◆国防軍最高司令部部長アルフレート・ヨードル大将も語る。

「ヒトラーは並々ならぬ大きさを持った指導者としての人格をそなえていた。誰と何について議論しても彼の知識と知性、雄弁と意志が最後には勝利を占めた。

論理と冷静な思考、しばしば来たるべきものを予知するその不思議な能力──。

彼は決して虚言や大言を弄するだけの男ではなく、巨大な偉人であった。最後には地獄的な巨大さにまでなってしまったが、ともかく1938年までは無条件に偉大な人物だった」

 

 

 


●また、敵味方を問わず「ドイツ軍最高の軍人」、もしくは「20世紀最高の戦略能力の持ち主」と評されていた、ドイツ国防軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥は、ヒトラーとたびたび衝突して、ヒトラーに批判的だった。

しかし、彼ですら次のように認めている。

「ヒトラーは驚くべき知識と記憶力、技術問題と軍需のあらゆる問題についての創造的な想像力を持ち合わせていた。敵や自国の新兵器の威力、生産量についても信じがたいほどの知識を持っていた。

彼が軍需の分野で、その理解力と並外れたエネルギーをもって、多くのものを推進したのは間違いない」

 


ドイツ軍最高の名将と名高い
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン

 

●以上、世間で一般に流布されているヒトラー像とは違うヒトラーの実像が見えてきた。

しかし、ヒトラーが精神的にそれほどおかしな人間でなかったのならば、一体、彼をあそこまで駆り立てたものは何だったのか? 大きな疑問が残ってしまう。

ワーナー・メイザーという高名なヒトラー研究家は次のように言っている。

「ヒトラーの反ユダヤ主義が、いかに展開し継続していったかを概観して説明するのはさほど困難ではない。

しかし、なぜヒトラーのような並外れて我意が強く、才能があり、数多くの書物を読み、広い知識を持っている人間が、このような恐るべき迷信(反ユダヤに到る考え)に囚われてしまったのかという問いに答えることは容易ではない」

 

  

 


●ちなみに、ヒトラーの側近であった者たちは、ヒトラーの大きな「欠点」のひとつとして、彼が何を考えていたのか皆目わからなかったという点を挙げている。

「心の奥底を明かさない人間を、どうして『知っている』と言えようか」と、ヒトラーの側近の1人はニュルンベルク裁判でヒトラーについて語っている。

さらに、「私は今日になっても、彼が、何を考え、何を知り、何をしようとしていたのかがわからない。それが何であったのかは、私が考えたり想像したりできるだけなのだ」と述べている。

 

 

●「ヒトラーに友人がいたというのなら、私は間違いなくその1人だろう──」。ヒトラーの側近の1人としてきわめて多くの時間を彼と過ごしただけではなく、彼のもっとも興味を引いた分野、建築学における気に入りの仲間であったアルベルト・シュペーアはこう語っている。

「ヒトラーほど感情をめったに表さない人間はいない。それに、いったん表したとしても、すぐさまそれを覆い隠してしまうのである」

 

 
アルベルト・シュペーア

建築家出身で、建築好きのヒトラーに
気に入られ、1942年2月に軍需大臣に任命された。
合理的管理組織改革によって生産性を大幅に向上させ、
敗戦の前年の1944年には空襲下にも関わらず
最大の兵器生産を達成した。

 

●アルベルト・シュペーアはまた、ヒトラーと打ちとけられたと感じられる瞬間についても、かつて副官ルドルフ・ヘスが口にしていた言葉通りだったと証言している。

「我々はやっぱり幻滅せざるをえなかった。私たちのどちらかが少しでも親しげな調子で話そうものなら、ヒトラーは直ちに厚い壁を造りあげてしまうのだ……」

 


ひとり静かに物思いにふけるヒトラー

普段はナイーブで内気な性格だったという…

 

●青年時代のヒトラーの唯一の親友だったアウグスト・クビツェクも、次のように語っている。

「アドルフ(ヒトラー)は内向的な性格で、誰にも立ち入らせない精神領域を常に持っていました。彼には理解不能な秘密があり、私にとっても多くの点は謎のままでした。

しかし、その秘密のいくつかを解く鍵がありました。それは美への熱狂です。ザンクト・フロリアン修道院のような壮麗な芸術作品の前に立つと、私たちの間のあらゆる障壁が崩れ去るのです。熱狂しているときのアドルフはとても打ち解けやすくなり、私は友情がさらに深まったように感じました」

 

  
(左)青年時代のアウグスト・クビツェク(ヒトラーの唯一の親友だった)
(中央)戦後、ヒトラーとの交際について回想録をまとめるクビツェク
(右)出版された彼の回想録『我が青春の友 アドルフ・ヒトラー』

 

●ところで、あのエヴァ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚)も、日記に次のように記している。

「ヒトラーは時々、異常なほど内気になる。きっと過去の嫌な体験からきているのだろうと思うけど、あの人の内気さは普通じゃない。とくに人前に出ると、内気な自分を悟られまいと必死になっている。

私にはそれが手に取るように分かる。トイレに逃げ込みたくなるほどおびえているのかもしれない。どうしてあれほど自制するのだろう? うぶな娘のように振る舞うのだろう?」

 


エヴァ・ブラウン

 

●また、彼女は「ヒトラーはとにかく謎めいている。何かを隠そうとしている。そこがとても薄気味悪い」と記している。


彼女によれば、1937年冬のある日、ヒトラーは目をギラギラと輝かせながら、「天才と狂人」について次のような謎めいた話をしたという。

「天才は普通人とは異なる精神領域で生きている。天才はときどき普通人の精神世界に舞い戻る。だが、もし戻れないと、普通人の目には狂人に見えるのだ。ヘルダーリンやネロのように。天才はたいがい限界というものを感じない。危険というものを感じない。

私は自分を知っている。シェークスピアが自分を知っていたように。彼の十四行詩を読めば、それが分かる。シェークスピアは2つの領域を行ったり来たりした。穏やかな人物でありながら、それをやってのけた。情熱的な私なら、難なく2つの領域を行き来できる」

※ エヴァ・ブラウンは日記の中で、この時のヒトラーの眼はとても薄気味悪く輝いていて、まるで燃えているようだった。本当にこの時のヒトラーの表情には背筋がぞっとしたと記している。

 

青年時代からヒトラーの存在感は強烈だったらしく、彼を
記憶する人々は口をそろえて、その異様な雰囲気を描写している。

「射るような眼」 「催眠術師の眼」 「狂気に近い異様に澄んだ眼」などなど…

 

●ところで、エヴァ・ブラウンは同じ日記の中で、ヒトラーの意外な一面を書いている。

彼女によると、ヒトラーは「美容」に関して専門家を驚かせるほどの知識を持っていたそうだ。

「水曜の夜。私は本当に感心してしまった。なにしろ、スパルタ気質のあの人が美容師に、どうやったら女は若さと美しさを保てるか、と延々と説いていたのだから。とにかく、美容についての知識の深さにはびっくりした。

この前、私はあの人から化粧クリームをもらった。それが効くのかどうか、私には分からない。でも、あの人からもらった以上、絶対に使い切らなければならない。それにしても、クリームといっしょに渡されたあのメモには本当に目を疑ってしまった。なにしろ、週に二度は仔牛の新鮮な生肉で夜の洗顔パックをすること、週に一度はオリーブオイルの風呂に入ること、もっとも大切な部分はバストとヒップ、と書いてあったのだから。

たしかに、あの人は美容の専門家だと思う。達人とさえ呼べる。

〈中略〉

私はこの頃しみじみと思う。あの人の言うことは何でもかんでも正しくなる、と。

たまに変に思えたりするけど、結局、それが変じゃなくなる。人々があの人を信じるから、そうなるのだろうとは思うけど、もしあの人が、太陽は地球の周りを回っている、と宣言したら、どうなるだろう。やっぱりドイツ人たちはみなすぐに信じるのだろうか……」(エヴァ・ブラウンの日記/1938年1月)

 

 
(左)アドルフ・ヒトラー (右)エルンスト・レーム

レームはヒトラーの最も古くからの同志で、
ヒトラーと肩を並べるほどの実力を持っていた。
レームはヒトラーに向かって「おまえ」と呼ぶ
ことのできる唯一のナチ党員であった。

しかし、レーム率いる「ナチス突撃隊(SA)」が
急速に力をつけ、「国防軍」との間に深刻な摩擦を
起こし始めると、ヒトラーはこの対立問題が権力基盤の
危機を招くと判断し、レームとSA幹部らを粛清した。

※ この「長いナイフの夜」と呼ばれる「レーム事件」
 により、ヒトラーは「国防軍」との関係を修復した。

 

●かの有名な「レーム事件」(長いナイフの夜)を題材にした戯曲

『わが友ヒットラー』(新潮社)を書いた三島由紀夫は、巻末の「自作解題」でこう述べている。

「『わが友ヒットラー』は、アラン・ブロックの『アドルフ・ヒトラー』を読むうちに、1934年のレーム事件に甚だ興味をおぼえ、この本を材料にして組み立てた芝居である。

〈中略〉

粛清後、ヒトラーが不眠症にかかり、心労の果てにやつれたというのは実話のようで、まだ『人間的な』ヒトラーがヒトラーの中に生きていた時期の物語である。

国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬというのは、政治的鉄則であるように思われる。そして一時的に中道政治を装って、国民を安心させて、一気にベルト・コンベアーに載せてしまうのである。何事にも無計画的、行きあたりばったりな日本は、左翼弾圧からはじめて、昭和11年の2・26事件の処刑にいたるまで、極左極右を斬るのにほぼ10年を要した。それをヒトラーは一夜でやってのけたのである。

是非善悪はともかくヒトラーの政治的天才をこの事件はよく証明している」

 

 
(左)三島由紀夫 (右)彼が「レーム事件」を
描いた作品『わが友ヒットラー』(新潮社)

 

●そして彼は続けてこう述べている。

「ずいぶんいろんな人に、『お前はそんなにヒトラーが好きなのか』ときかれたが、ヒトラーの芝居を書いたからとて、ヒトラーが好きになる義理はあるまい。正直のところ、私はヒトラーという人物には怖ろしい興味を感ずるが、好きか嫌いかときかれれば、嫌いと答える他はない。

ヒトラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。

英雄というものに必須な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒトラーは、20世紀そのもののように暗い……」

 

 


 

■■おまけ情報


●戦後、連合軍がナチ戦犯に心理テストを行った結果、高い知能指数(IQ)の人が多かったことが判明。

↓参考までに紹介しておきたい (※ ちなみに日本の東大生の平均はIQ120)。


<ナチ戦犯の知能指数>


■IQ143 ヒャルマー・シャハト

■IQ141 アルトゥル・ザイス=インクヴァルト

■IQ138 ヘルマン・ゲーリング

■IQ138 カール・デーニッツ

■IQ134 フランツ・フォン・パーペン

■IQ134 エーリヒ・レーダー

■IQ130 バルドゥール・フォン・シーラッハ

■IQ130 ハンス・フランク

■IQ130 ハンス・フリッチェ

■IQ129 ヴィルヘルム・カイテル

■IQ129 ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

■IQ128 アルベルト・シュペーア

■IQ127 アルフレート・ローゼンベルク

■IQ127 アルフレート・ヨードル

■IQ125 コンスタンティン・フォン・ノイラート

■IQ124 ヴァルター・フンク

■IQ124 ヴィルヘルム・フリック

■IQ120 ルドルフ・ヘス

■IQ118 フリッツ・ザウケル

■IQ113 エルンスト・カルテンブルンナー

■IQ106 ユリウス・シュトライヒャー


◆The Nazi Defendants in the Major War CriminalTrial in Nuremberg
http://www.law.umkc.edu/faculty/projects/ftrials/nuremberg/meetthedefendants.html


http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc611.html

▲△▽▼

ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持した理由

 マイナス金利政策を巡る顛末からも分かる通り、現在の日本が抱える問題は、

「特効薬が効かない!」

 という話ではなく、普通の薬を飲まず、特効薬を追い求めている、という点に本質があります。


 と言いますか、ここまで一貫して普通の薬(財政政策)から目をそらし、効果のコミットができない特効薬を探し回る光景は、もはや喜劇です。普通の薬は、効果について事前にコミットできるにも関わらず、頑なにそこから目をそらす。


 実は、現在の日本や欧州同様に、主要国の政策担当者が病的なまでに財政均衡にこだわり、国民経済を貧困化させるという光景が、80年前にも見られました。

『[FT]21世紀におぼろに見えるドイツ帝国銀行総裁の影
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO97052220Y6A200C1000000/

 ジョン・ワイツによるヒャルマー・シャハトの伝記『Hitler’s Banker(邦訳:ヒトラーを支えた銀行家)』を読み返したら、これまで筆者が考えていなかった1930年代と現在の興味深い共通点に気づいた。

ヒトラーが再軍備計画の資金を賄うために、配下の中央銀行総裁だったシャハトに頼ったことは、よく知られている。

だが、ワイツは――そしてここが今日のユーロ圏に潜在的に関係するところだが――、シャハトがライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)で非伝統的な政策を追求できたのは、ひとえに独裁者の後ろ盾があったからだとも指摘している。(中略)

 欧州北部諸国に共有されているブリュッセルとフランクフルトの現在の正統的政策には、30年代に一般的だったデフレマインドとの類似点がいくつかある。

今日の政治家と中央銀行家は、財政目標と債務削減に固執している。30年代前半と同様に、正統的な政策には病的なところがある。今日の中央銀行家は、言うことが尽きると「構造改革」に言及するが、そうした改革が一体何を達成するのか決して口にしない。

 原則としては、ユーロ圏の経済問題を解決するのは難しくない。欧州中央銀行(ECB)が市民一人ひとりに1万ユーロの小切手を手渡せばいい。物価の問題はものの数日で解決されるだろう。あるいは、ECBは独自の「IOU(借用証書)」を発行することもできる。

シャハトが行ったのは、それだ。

または、欧州連合(EU)が債券を発行し、ECBがそれを買い上げてもいい。紙幣を印刷する方法はたくさんある。どれも皆、素晴らしい方法だ。そして違法でもある。(後略)』

 ナチスがドイツで政権を握ったのは、デフレーションで国民の間にルサンチマンが蔓延し、「攻撃的」な政党が喜ばれるという形で社会が歪んでしまったためです。


 とはいえ、ナチスが「支持された」のは、これはもう、ヒトラーとシャハトのコンビが、各国が財政均衡主義の魔物にとらわれ、緊縮財政政策を推進する中において、アウトバーン建設に代表される大規模景気対策を打ったおかげなのです。

ヒトラーが率いるナチスは、1932年には43%(!)だった失業率を、五年間で完全雇用に持ち込んでしまいました。


 それはもう、ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持したのも、無理もない話なのです。


 ちなみに、わたくしは別にナチスを賛美したいわけではなく、「人類」は歴史的に財政均衡主義を「愛し」、デフレ期の財政出動という普通の薬を飲むことができず、デフレの原因を(なぜか)、

「構造改革が不足しているから」

 という、意味不明というか逆効果(構造改革はインフレ対策)の政策を採用。
 緊縮財政と構造改革、つまりは需要縮小策と供給能力拡大策によりデフレを深刻化させ、

「国の借金で大変だ〜っ!」

「構造改革が足りないからだ〜っ!」

 と、バカの一つ覚えのように自縄自縛となる愚かな政策を繰り返してきたという話です。


 特に、デフレ期には単なる「債務と債権の記録」に過ぎないおカネに国民総じて固執し、政府が普通の薬(財政出動)を飲もうとすると、

「政府は無駄なカネを使うな!」

 と、やるわけです。結果、デフレギャップは埋まらず、国民が貧困化し、ルサンチマンが蔓延し、最後には「他の国民を攻撃する」ことで人気を博すポピュリスト政治家が権力を持ち、民主主義が壊れます。


 あるいは、貧困化が行き着くところまで行き着き、国家は虎の子の供給能力を失い、発展途上国化します。


 民主主義の破壊や、発展途上国化を回避するために必要なのは、「特効薬」でも「万能薬」でもありません。しつこいですが、普通の薬、財政出動を中心とした景気対策という普通の政策なのです。


 それにも関わらず、政治家や国民が「普通の薬」について議論しようとさえしない現状に、わたくしは恐怖すら覚えるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12128570302.html

▲△▽▼


現在の状況は、1930年代のヨーロッパとそっくりです。

 1929年のNY株式大暴落に端を発した大恐慌により、ドイツは失業率が43%(32年)に達してしまいました。国民のルサンチマンがピークに達した状況で、ナチス・ドイツが政権を握り、ヒットラーが首相の座に就きました。


 ナチスはヒャルマル・シャハト(ライヒスバンク総裁)の下で、大々的な財政出動を実施。アウトバーンや国道が建設され、WW2開戦までに、3860kmが建設されました。ナチス・ドイツという独裁的な政権の下で、ドイツ経済は瞬く間に回復。わずか五年間で、失業率が完全雇用の水準に至りました。


 当然ながら、ドイツ国民はナチスを熱狂的に支持します。


 妙な話ですが、現在や大恐慌期のような需要低迷期には、なぜか「民主主義国」の方が大々的な財政出動に踏み切れず、状況が悪化します。逆に、独裁国は政府が剛腕をふるい、財政を拡大し、国力を強化してしまうのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12137232005.html


 




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コメント


1. 中川隆[-12525] koaQ7Jey 2019年2月02日 12:22:48: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告
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祖国を救おうとして闘ったヒトラー、プーチン、サダム・フセイン や カダフィ が欧米のマスコミによって悪魔化された理由

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第3回
「ネオコンが狙う日露決裂とプーチン潰し」[桜H31-1-31] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=jWRxVmGJkDo

2019/01/31 に公開

既成概念にとらわれない大きな視座で国際情勢を俯瞰し、ぶれることのない日本の軸を示し続けている馬渕睦夫氏。
閉ざす門を一度解き放つことによって見えてくるものがあるように、物事の本質を見極める言葉と思考を、対談を通じて伺います。

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


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【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第2回「日本解体!
ディープステートによる日本のグローバル化、その尖兵としての霞ヶ関官僚」[桜H30-12-27] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=tOqOn3ttvPg

2018/12/27 に公開

既成概念にとらわれない大きな視座で国際情勢を俯瞰し、ぶれることのない日本の軸を示し続けている馬渕睦夫氏。
閉ざす門を一度解き放つことによって見えてくるものがあるように、物事の本質を見極める言葉と思考を、対談を通じて伺います。

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


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馬渕睦夫 deep state の世界を語る

太平洋戦争も朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてユダヤ資本のヤラセだった


馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=親ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、FBI、マスコミ、ソ連共産党、中国共産党、天皇一族、日本の官僚
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、レーニン、スターリン、ボリス・エリツィン、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=ヒトラー、プーチン、サダム・フセイン、トランプ、カダフィ、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、アサド、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです


▲△▽▼


馬渕睦夫さんが明らかにしたのは

・ロシア革命を行ったレーニン、スターリン、トロツキー等は全員ユダヤ人とそのシンパだった

・ロシア革命に資金援助や支援していたのはアメリカやイギリス・ドイツの金融資本家だった

・毛沢東と中国共産党を支援していたのもアメリカ金融資本家だった

・ルーズベルトとその周辺の人間は全員社会主義者でスターリンと同盟関係にあった

・GHQ は戦後の日本を共産化しようとした

・ボリス・エリツィンはソ連崩壊後に国有財産を民営化して、すべてユダヤ資本に二束三文で払い下げた


要するに、ユダヤ資本は

昔は共産化によって世界各国のグローバル化を進めようとした

現在は移民を大量に受け入れさせて世界各国のグローバル化を進めようとしている

▲△▽▼


馬渕睦夫さんは唯の国際化とグローバリズムとは全く違う概念だと何度も言っています。

馬渕睦夫さんがグローバリズムと言っているのは

ユダヤ国際金融資本はユダヤ教の精神に基づいて、世界を国境の無い文化も同じ一つの国にしようとしているという事ですね。

ユダヤ教は人類で最後に救われるのはユダヤ人だけで、他民族はすべて滅ぼされるという教義です。

すべて滅ぼすのは無理なので、ユダヤ人が目指す現実性のある理想の社会は
1%のユダヤ人が資産や権力を独占して、99%の他民族は被支配者として搾取される世界なんですね。

北朝鮮みたいな共産国家なら大体その通りになっていますよね。

それから中国では都市籍の人間が農民籍の人間を支配搾取する体制になっていますよね。
中国の経済発展は都市籍の人間が農民籍の人間をタダ同然で働かせる事ができたからだというのが定説ですね。


マルクス主義で言う平等というのは 99% の被支配者の間では階級差別が全く無いというだけの話です。

竹中平蔵さんが、

派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしろ

と言っているのも 99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないという主張ですね。


だから、ユダヤ人は最初は共産化で 1% 対 99% の世界を作ろうとしたのです。


▲△▽▼


馬渕睦夫さんが何度も言っていますが、国際化とグローバリズムとは全く違う概念なのですね。

それは航空機で欧米に数時間で行ける時代だから、海外との輸出入も旅行も技術交流や留学も簡単になった。
コカコーラやネスカフェやマクドナルドは世界中どこでも手に入る様になった。

しかし、それはあくまでも国際化であってグローバリズムとは関係ない

移民を入れたらチャイナタウンとかモスクを中心とするイスラム人居住区みたいな国家内に別国家ができてしまうので、唯の国際化とは次元が違うものなんですね。

ユダヤ資本は利潤を最大化したいだけなので、

・言語はすべて英語に統一して、それ以外のローカルな諸言葉はすべて廃止する
・民族ごとに違う習慣や伝統はすべて止めさせて、世界標準の生活様式に統一する
・賃金は民族によらず、すべて同一作業同一賃金にする

という環境を作りたいのです。


グローバリズム=共産主義

というのは、どちらも 1% 対 99% の世界を作って、

99%の中では民族による賃金や福祉等の差別はしない、中国人でも日本人でも賃金はすべて同一にする(賃金は安い方に統一する)

という事なのですね。

それで、レーニンやスターリンやトロツキーの様な反民族主義のユダヤ系のグローバリストが共産革命を起こし、ユダヤ資本が共産国家を支援した

馬渕睦夫さんはそういう歴史的事実を信頼できる資料と客観的事実に基いて具体的に指摘したというだけです。



2. 中川隆[-12524] koaQ7Jey 2019年2月02日 12:28:51: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告
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アーリア人の赤ん坊を増やせ ! / 同種族を憎むように改造されたアメリカ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html
フリーダが持っていた出生の秘密

Lebensborn 1Nazi girls 6

(写真 / ナチス政権下りの理想的ドイツ人少女)
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/b/2/b2c356d3.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/3/c330f4d3.jpg


  最近のテレビでは予算不足なのか、昔のビデオを集めて懐メロ番組を流す時がある。大きい子供を持つ父親とか母親でも、往年のスターやアイドル歌手を再び目にして大はしゃぎするんだから、若い時の熱狂は一生消えないのだろう。でも、贔屓とするアイドル歌手がいなかった筆者には、残念ながら一緒に懐かしむことができない。とは言え、筆者にも松田聖子とか中森明菜を好きだった友人がいた。しかし、同級生にアバ(ABBA)とかノーランズ(The Nolands)のファンはいなかったから寂しかった。それでも楽しい思い出は尽きない。

今のCDとは違って、LPのアルバムだとジャケットのサイズが大きくて、それぞれのミュージシャンが独自のアイデアを用いてデザインしていたから、ある種の藝術みたいな趣があった。小学生の頃、近所のレコード店に行ってアバのアルバムを注文し、そのレコードが届いたとの知らせを受けた時は嬉しかった。早速、自宅のオーディオ・セットにレコードをかけ、「ヴレヴー(Voulez Vous)」とか「エンジェル・アイズ(Angel Eyes)」「アズ・グッド・アズ・ニュー(As good as new)」といった名曲を毎日のように聴いて、「コンサートに行けたらなぁ」と悔しかったのを今でも覚えている。

Nolans 1ABBA 4

左: ノーランガ
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/8/c8c9f27c.jpg

右: ABBA
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/6/6/666f9551.jpg


  日本でも1970年代後半から80年代初頭にかけてアバは人気で、ディスコ・ブームも重なっていたから、「ギミ ! ギミ ! ギミ !」とか「ダイシング・クィーン」がよく流れていた。ちなみに、筆者が印象に残っているディスコ・ミュージックと言えば、松田優作のTVドラマ『探偵物語』で使われていた「ディスコ・トレイン(Disco Train)」(歌 / セクシー・リズム・セクションズ)と、沖雅也・柴田恭兵が共演していた『俺たちは天使だ』に挿入されていた「You Can Do, I Can Do」である。(これらの曲はユーチューブにアップされているので、確認したい方は曲名をタイプして検索すれば試聴できます。たぶん、「あの曲か!」と想い出す人もいると思う。) 日本でも成功を収めたアバは、1980年代初頭に解散してしまったが、各メンバーは独自に音楽活動を始めていた。リード・ヴォーカルのアグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)とフリーダ・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)は、そけぞれソロ・シンガーの道を歩むようになていった。

  個人活動を始めたフリーダであったが、新曲の「I know there's something going on」はそれほどヒットせず、アバ時代と比べると凋落の様相を否めない。しかし、彼女はドイツ貴族の奥方となった。アバのメンバーであった頃、フリーダはキーボード奏者のベニー(Benny Andersson)と結婚していたが、まもなく離婚してしまい、それでもバンド活動を続けていたという過去がある。人気絶頂で「アバ」というバンドが解散し、ソロ・シンガーになったフリーダは、造園家で伯爵の称号を持つハインリッヒ・ルッツォ・ルウス(Heinrich Ruzzo Reuß)と結婚し、スウェーデンの歌姫からドイツ人のお妃(プリンセス / Prinzessin Reß von Plauen)へと変身していたのである。普通なら、人も羨む華やかなシンデレラ・ストーリーとなるのだが、フリーダには人に話したくない出生の秘密があった。

Anni Frid 2Anni Frid & Benny 2Heinrich Ruzzo Reuss 1

左: アグネッタとフリーダ
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/8/d/8deac829.jpg

中央: 夫婦となったフリーダとベニー
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右: 再婚したフリーダと夫のハインリッヒ・ルッツォ・ルウス
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  1945年11月に生まれたアニ・フリード(フリーダ / Anni-Frid Lyngstad)は、シニ・リングスタッド(Synni Lyngstad)を母に、アルフレッド・ハーゼ(Alfred Haase)を父に持つ。母のシニは片田舎に住むノルウェー人女性で、まだ18歳の乙女であった。一方、父親のアルフレッドは、ノルウェーを占領したドイツ軍に属する24歳の軍曹であったという。彼は派遣された街でこの娘と出逢い、彼女の姿に惹かれてしまった。この娘に惚れてしまったアルフレッドは、ジャガイモの詰まった袋をプレゼントして交際を始めたそうだ。

現在では笑い話になってしまうが、戦時下の1943年、ノルウェーでは食糧不足が深刻だったので、こうした贈り物は大変貴重であったらしい。逢い引きを続ける若い二人が親密になるのに時間はかからず、彼らは程なくして肉体関係を結ぶようになった。だが、アルフレッドには彼女を幸せに出来ない事情があった。何と、彼は故郷に妻子を持つ既婚者であったのだ。(Ross Benson, "Abba girl's Nazi secret", Daily Mail)

Synni Lingstad 1Alfred Haase 1Alfred Haase & Frida

(左: シニ・リングスタッド / 中央: アルフレッド・リングスタッド / 右: 父のアルフレッドと再会したフリーダ)

  不倫と敗戦は若い二人を引き裂く。1945年、シニは身籠もるが、恋人のアルフレッドは祖国に帰還することになった。悪い時に悪い事は重なるようで、さらなる不幸が彼女を襲うことになる。ノルウェーの寒村に残されたシニは、周囲からの冷たい視線を浴びることになった。村の者は皆、誰が赤ん坊の父親なのかを知っていたので、彼女が街を歩けば、人々は彼女に向かって「このドイツ人の淫売女 !」と罵ったそうだ。敵国の男と情事を交わしてしまったシニとその母アグニーは村八分となり、時が経つにつれ人々からの仕打ちに耐えきれなくなった。そこで、地元に居場所を無くした親子は、隣国のスウェーデンに逃れ、新たな生活を求めるようになったという。(当時、母のアグニーは夫を亡くした寡婦であったそうだ。) スウェーデンに新居を構えたシニは、ウェイトレスとして働くが、間もなく腎臓を患い、21歳の若さで亡くなってしまう。母を失ったフリーダはまだ2歳であった。こうして幼いフリーダは祖母の手で育てられ、寂しい子供時代を過ごしたそうだ。大人になってから、彼女は幼年時代を振り返っていたが、友達はそう多くなかったという。フリーダは父がドイツ軍人であると聞かされていたが、祖母のアグニーは偽の話を孫に伝えていた。すなわち、父のアルフレッドは海路でドイツに帰る途中、船が沈没して亡くなったと教えていたのだ。後にフリーダが父の真相を知ったのは、アバが人気を博していた1977年の頃であったという。

Anni Frid 3Anni Frid 1Anni Frid 7

(写真 / 若い頃の「フリーダ」ことアニ・フリッド)
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アーリア人の赤ん坊を繁殖させる施設

  ドイツ軍人のアルフレッド・ハーゼがノルウェー人娘のシニ・リングスタッドと恋に落ちたのは、偶然の出来事だけではなかった。彼の恋愛は「レーベンスボルン(Lebensborn / 生命の泉)」計画の一環でもあったのだ。エリート組織たる親衛隊(SS /Schutzstaffel)を率いていたハインリッヒ・ヒムラー(heinrich Himmler)は、第三帝國を支える金髪碧眼のアーリア人を増やすことを目論み、ドイツ各地に「レーベンスボルン・ホーム」を創設した。ヒムラーの考えでは、理想的な容姿を備えたエリート部隊の男性が、健康で若いアーリア人の女性と肉体関係を結べば、アーリア人の赤ん坊がたくさん生まれ、ゲルマン民族の肉体が維持できるらしい。もし、個人の自由に任せていると、“へんちくりん”な種族と結婚してしまうから、政府の特別機関が制禦せねばならないという訳だ。こうして、優秀な北方種族の純血性を守り、その優越種族を繁殖させるためには、特別な制度と施設が必要である、との思想がドイツに浸透し始めたのである。

Heinrich Himmler 1Lebensborn 5
(左: ハインリッヒ・ヒムラー / 右: レーベンスボルン・ホームで育つアーリア人の赤ん坊)

  ヒムラーは理想の種族でドイツ帝國を満たすことに心血を注ぐ一方で、彼の民族が持つ血統を穢す劣等人種を憎んだ。ドイツ民族の将来を憂いたヒムラーは、薄汚いスラヴ系民族やタカリ民族のユダヤ人、浮浪者のジプシーなどを排斥しようと決心したのである。彼はまた、腐敗と悪徳が蔓延る都会を嫌悪したので、レーベンスボルン・ホームを美しい田園地帯に建てることにした。現在の日本人にはピンとこないだろうが、ワイマール共和国時代には、ホモ風俗とかキャバレーが花盛りで、おぞましい繁華街には売春婦がたむろっていたというから、ヒトラーやヒムラーはこうした悖徳(はいとく)をドイツ全土から一掃した。「極悪人」の烙印を押されたヒトラーだが、意外にも彼は潔癖症で、倫理・道徳的腐敗に対して峻厳だった。美術を愛したヒトラーからすれば、ゲイ同士のセックスとかストリップ劇場などもっての外。ところが、社会道徳など一顧だにしない世俗的ユダヤ人の中には、ゲイとかレズビアンを用いてキャバレーを経営したり、変態趣味やSMショーとかを商売にして儲ける奴がいたそうだ。

Magnus Hirschfeld 2Weimar Germany 2
(左: マグヌス・ヒルシュフェルド / 右: 男同士でダンスを楽しゲイのむカップル)

  さらに、マグヌス・ヒルシュフェルド(Magnus Hirschfeld)というユダヤ人学者がセックス学(sexology)で有名だったから、ヒトラーやナチ党の愛国者たちが激怒したのも当然だった。この状態は、メル・ゴードン(Mel Gordon)の著書『官能的パニック(Voluptuous Panic)』を繙けば一目瞭然だ。日本人の読者は、ヒルシュフェルドが丸裸の女性を椅子に坐らせ、その手で彼女の性器を開闢させている写真に驚くだろう。こうした本は大学図書館にも無いから、ほとんどの日本人はワイマール期の社会風俗を知らずに、ナチ・ドイツの風紀取締を非難することになる。まぁ、性器丸出しのゲイやレズビアン、性的な幼児趣味、SMプレー、といった写真が満載の本なんて、公共図書館に置くことができないから、大学生でも第三帝國以前のドイツを理解していないのだ。(筆者はこの本を所蔵しているが、その中に掲載されている写真を紹介できない。ブログ運営のライブドア社の検閲が厳しいしこともあるが、実際、あまりにも卑猥な写真なので、いくら鈍感な筆者でも掲載をためらってしまうのだ。どうか、ご勘弁頂きたい。)

  勇敢なアーリア人戦士と美しいアーリア人の母が住むドイツを理想郷としたヒムラーであったが、いくつかの強引な政策もあったから、批判者が出て来ても不思議ではなかったし、排除されたユダヤ人から恨まれることも当然あった。しかし、彼の方針は英米で行われていた社会政策と同じものであったし、現在の福祉制度に通じているから興味深い。レーベンスボルン計画では、由緒正しいSS隊員と健康なアーリア系女性との婚姻が奨励されており、レーベンスボルン・ホームは未婚女性とその赤ん坊、あるいは既婚者との不倫で子供を産んでしまった女性などを保護し、彼らの面倒を見ていたという。ナチ党は逞しい金髪の戦士と家庭を守る母親を理想とし、帝國の未来を担うゲルマン人の子供を産むよう宣伝したし、そうした出産を半ば国民の義務と見なした。こうしたナチスの方針が「悪」なら、日本の武士は単なる殺人鬼だし、家庭を守る専業主婦も否定されねばならない。

baby 3designer's baby 20

(写真 / ゲルマン系の母親と赤ん坊)
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/2/1/21a18267.jpg
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  そこで、ゲルマン人の出生率を上げるため、ドイツは幾つかの社会政策を推進した。例えば、10歳以下の子供を3人以上持つ母親は、商店の順番待ちの列で優先的に扱われる「名誉母親証」を与えられたという。また、地方の行政当局は、こうした母親達に家賃と公共料金の割引をする制度を採用し、これから家庭を築こうとする若いカップルには、人種的適合性が証明されれば、独身者からの特別税を財源とした融資が行われたそうだ。子供が一人生まれるごとに融資額の四分の一が免除されたという。ということは、四人目を持てば借金がチャラになるということだ。(キャトリーン・クレイ / マイケル・リープマン 『ナチスドイツ支配民族創出計画 』柴崎昭則 訳、現代書館、1997年、 p.92)

  レーベンスボルン・ホームに熱心だったヒムラーと開業医のグレゴル・エーブナー(Gregor Ebner)は、既婚未婚を問わず、とにかく良い血統を持つゲルマン人の子供を増やしたかった。そこで、赤ん坊を養うことが困難な母親を受け容れて、レーベンスボルン・ホームの看護婦が代わりに養育する場合もあったという。とにかく、レーベンスボルン・ホームは魅力に満ち溢れていた。施設は中世の城を思わせる外観をもち、田園地帯にある高級リゾート・ホテルのようでもあった。当時、出産費用は一人頭400マルクであったが、エーブナーは素晴らしい血統を持つ1000名の子供を確保できるのなら、さしたる出費ではないと考えていたそうだ。資金は様々な方法で調達されていて、レーベンスボルン協会の会員からも徴集していた。会員数は1万3千人。そのうち8千名がSSに所属し、766名は各地の警察組織に属する者であった。会費は月に最低27マルクであったが、父親としての義務を果たしていないSSの隊員は、罰としてなのか、余計に会費を払わねばならなかった。しかも、28歳までに最低2人の子供を持たないSS隊員は、より多くの金額を払わねばならなかったそうだ。(上掲書 p.105)

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(左: グレゴル・エーブナー

中央: ドイツ人の若い女性
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右: 少女と一緒のハインリッヒ・ヒムラー
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  それでも、レーベンスボルン計画を維持するには資金が足りなかったようで、1939年、経済省は拡大する赤字を補填すべく100万マルクの補助金を交付したという。日本政府も少子化対策を取るなら、ナチ・ドイツのレーベンスボルン計画をちょっとは参考にすべきだ。国会議員や地方議員、政府の役人はこぞって児童施設の増加を叫ぶが、肝心の国民はセックスをしても結婚しないし、子供すら産まないから少子化が益々深刻となっている。多少のお金をあげても日本人女性は妊娠を嫌がるし、幼稚園が充実すれば「待ってました」とばかりに外で働くから、専業主婦が減って職業婦人が増えてしまう。子供を増やして生活がキツくなるんなら、子供を産まずに所得を上げようとするのは人情だ。ちょっと脇道に逸れるけど、日本の税制は将来を担う国民に対して酷だ。若い夫婦が借金して新居を構えても、その家屋に固定資産をかけて多額の税金を搾り取るんだから、幸せな家庭を築こうなんて思わない。これじゃあ、まるで懲罰金だ。住宅ローンを返済しながら、年金、国民健康保険、市民税、県民税、ガソリン税の二重課税、自動車取得税、車検に加えて消費税のアップじゃ、重税を払うために働いているようなものである。もし、子供を4、5人産んだら住宅借金を棒引きにして、固定資産税も軽減ないし免除となれば、若い夫婦もちょっとは夜の営みに励むかも知れない。

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(写真 / ナチス時代のドイツにおけるゲルマン系少女たち)
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  ナチ・ドイツの崩壊でハインリッヒ・ヒムラーの評価は最低だが、彼がSSのために考案した儀式には注目すべき言葉がある。夏至と冬至の儀式に集まった民衆は、次のように唱和しなければならなかった。

  我々は祖先を尊敬し、その前で跪く。祖先の血は、使命と責務として我々の中に流れている。

  血縁共同体によって、男は遺産を守る義務を負わねばならない。
  存在することの意味は、遺産を結実へと展開することである。
  生命の輝きを保つ聖なる場所を守るのは、家族である。
  男とその妻は、生命の芽を授け、それを担い、そして伝播させる。
  我々の子供たちは、我々の交わりと存在の証明である。
  そして、我々の孫たちは、我々の偉大さを証拠立てるであろう。
  (上掲書 p.64)

  ドイツ史を研究する日本の左翼学者は、頭ごなしにナチスを糾弾するが、ドイツ国内でアーリア系、つまり北方種族のドイツ人が増える事に問題は無いはずだ。確かに、ポーランドを侵掠し、現地人を弾圧したことは非難されるべきだが、侵略戦争なら歐米各国とも常習犯である。英国はアジアやアフリカに宏大な植民地を獲得し、現地の有色人種を蔑み、レイシズムに基づく秩序を形成して、現地人を奴隷の如くこき使っていた。インド人やビルマ人、アフリカ人からすれば、ドイツ人もイギリス人も変わりはないし、自由や博愛を掲げていたフランス人など完全に偽善者だ。ドイツ人を非難するアメリカ人だって、国内では黒人を家畜として働かせていたし、黒人との混血を忌み嫌い、一滴でも黒人の血が混じった子供は白人と見なされなかった。これは、ユダヤ人の祖父母を持つユダヤ系混血者を「ドイツ人」と見なさなかったナチスと同じである。アメリカ人は嫌がるけど、ナチ党はアメリカの人種法を参考にしていたのだ。当時の西歐世界はどこでも人種差別が横行していたし、他国への侵掠とか劣等人種の征服などは伝統的行為であったから、殊さら騒ぎ立てる程のものでもなかった。

恨み骨髄のユダヤ人

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(写真 / ユダヤ人の集団)

  しかし、ドイツやその他の西歐諸国に住むユダヤには赦しがたかった。彼らは千年以上も異国にタカってきた寄生民族なのに、自らを正当な「ドイツ国民」と考えていたのだ。しかし、ナチ党が台頭すると、如何なる高位高官のユダヤ人も単なる「ユダヤ人」に貶められたから、大騒ぎしても無理はない。以前なら、強欲な領主や君主を札束でビンタすれば、迫害の手が緩んだし、条件次第では引き続き居住が許され、有能なユダヤ人であれば、秘書とか財務官といった手下になることができた。ところが、ヒトラーは甘っちょろい貴族とは決定的に違っていたのである。彼はユダヤ人の袖の下に屈しなかったのだ。ナチスは法律を以てユダヤ人を炙り出した。例えば、


(1) 氏名変更の禁止。ユダヤ人がドイツ風の名前をつけることを禁止したのである。

(2) ユダヤ人の商店はユダヤ人が所有していることを隠してはならない。

(3) ユダヤ人組織は当局に登録せねばならない。

(4) ユダヤ人は自分がユダヤ人であるとこを示す書類を持ち歩かなければならない。

(5) ユダヤ人は不動産業、金貸し屋、工場経営、調査業、結婚仲介業、看護婦、巡回販売員などを営んではならない。

(6) ユダヤ人はドイツ人の劇場に入ってはならない。

(7)ユダヤ人の子供はドイツの学校から排除される。


  これ意外にも様々な禁止条項があった。こうした条例は他国にも適応され、フランスがドイツに占領された時、そこに住むユダヤ人はケルト系のフランス人と区別された。すると、今までフランス人が営んでいると思っていた商店が、実はユダヤ人の店であったとわかってフランスの庶民が驚く、といったケースがあったそうだ。しかも、「こんなに多くあったのか !」と驚嘆したというから面白い。反ユダヤ主義の伝統が根強かったフランスでは、ドイツ人によるユダヤ人迫害に協力する人が少なくなかった。忌々しいユダヤ人を排除してくれたんだから、征服者にしては「良い事」をしたものだ。

  第三帝國の崩壊はドイツ人にとって悲劇であったが、戦勝国の英米にとってもある意味「敗北」であった。経済的に疲弊した英国は別にして、国内に損害が無かった米国も意外なしっぺ返しがあったのだ。あろうことか、ナチスを悪魔にして糾弾したアメリカ人は、自国内で人種差別が出来なくなってしまった。ナチスのユダヤ人迫害はドイツ人の独創ではなく、以前から継承されてきた排除思想が基になっていたのに、まるでドイツ人だけがユダヤ人を虐待したかのような印象操作が戦時中に行われていたのである。ドイツ人が如何なる人種政策を取ろうとも、アメリカ人はそれとは無関係に、従来の人種差別を継続してもよかったのだ。なぜ戦勝国が敗戦国のせいで人種混淆社会になるのか? そもそも、合衆国の白人兵はユダヤ人を救うために参戦したのではないし、黒人との平等を求めて日本兵と戦ったわけでもない。ところが、奇蹟的に生き残った白人兵が帰国すると、国内にはユダヤ人を始めとする戦争難民が押し寄せ、ついでにアジア系移民に関する法的制限も撤廃されてしまったのである。

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(左: ユダヤ人の子供 / 右ユ: ダヤ人の移民)

  激戦に勝ったら厭なユダヤ人を引き受けることになるなんて、まったく馬鹿げている。同じ種族のドイツ人、特に戦争孤児や夫を亡くした母子家庭のゲルマン人なら受け容れてもいいだろう。事実、ジェイムズ・イーストランド上院議員は、戦争で住処を無くしたドイツ難民を優先しようと述べていた。ところが、優先的にやって来たのはむさ苦しいユダヤ人とか、東歐や南歐からの貧民、その他の不愉快な劣等民族であったから、地元のアメリカ人は眉を顰めていた。案の定、住みついたユダヤ人家庭からは筋金入りの共産主義者や、ピンクの左翼、リベラル派気取りのゴロツキ、空論を弄んで社会に害をなす知識人、白人社会にケチをつける左巻きのジャーナリスト、真っ赤に染まった藝能関係者などが輩出されたのである。以前、当ブログで紹介したように、公民権運動で黒人を焚きつけたのはユダヤ人活動家であったし、異人種混淆を奨励する映画を作っていたのもユダヤ人であった。

  映画界やテレビ局、その他の娯楽産業を牛耳ったユダヤ人は、盛んにナチ・ドイツを侮蔑し、ドイツ人が犯したユダヤ人への暴虐、迫害、ガス室殺人などをアメリカ人に吹き込んだ。それにより、上流ないし中流家庭の白人たちは、兇悪犯のドイツ人を蛇蝎の如く嫌うようになってしまった。映画に現れるナチ高官は決まって残忍冷酷で、米軍に銃を向けるドイツ兵は、皆ロボットのように上官に従い、ケダモノのように民間人を殺しまくる。一方、アメリカ兵は人情味に不溢れた正義漢として描かれている。南洋で投降する日本兵を撃ち殺す卑劣なアメリカ兵とか、絨毯爆撃で女子供を皆殺しにするパイロット、焼夷弾で民間人を焼き殺すよう命じる米軍将校などは描かれない。もちろん、占領下の東京や横浜で日本人女性を強姦する黒人兵とか、少女を凌辱する白人兵などは無視。悪いのはナチズムのドイツ人とファシズムの日本人のみだ。

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左: 二枚クリステン・スチュワートとテレサ・パーマー
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右: 二枚ティファニー・ティッセンとアレクサンドラ・ダダリオ
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  こうしたプロパガンダ映像で洗脳されたアメリカ白人は、同種族のドイツ人を殊さら憎み、異人種であるはずのユダヤ人に親近感を覚える。しかし、日本人の目から見れば、西歐系アメリカ人とアーリア系ドイツ人は同胞に見えてしまう。もし、第二次大戦を闘った高齢の白人が子供や孫の配偶者を選ぶとしたら、必ず同種族の西歐人を望むだろう。戦争が終わって帰還した白人兵は、たいてい白人娘と結婚し、自分と“似た”子供をもうけた。ここでは直接関係無いけど、白人俳優には他人なのによく似ている者がいる。例えば、女優のテレサ・パーマー(Teresa Palmer)とクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)は、アメリカ人の目から見ても似た者同士だ。また、映画「ベイウォッチ」に出演したアレクサンドラ・ダダリオ(Alexandra Daddario)と、TVドラマ「ホワイト・カラー」で人気者となったティファニー・ティッセン(Tiffani Thiessen)も、ちょっと見ればよく似ている。これは彼女たちの親が同じ白人同士で結婚し、祖先からの遺伝子を守ってきた結果、同じタイプの容姿が保存されたという実例ではないのか。

住むなら白人地区

  口では綺麗事を述べる人でも、自分のお金を使う時には本音に忠実となる。例えば、いくら南鮮人を擁護する左翼評論家でも、自分の財布で自家用車を買おうとすれば、韓国の「現代(ヒュンダイ)」ではなく、トヨタとかホンダの日本車、あるいはメルセデス・ベンツやBMWいった高級車を選んでしまうだろう。第一、朝鮮のクルマなんか恥ずかしくて友達に見せられない。また、米国に派遣された日本人社員が現地で自宅を購入したり、子供の学校を探そうとすれば、おのずと白人の住宅地に目を向け、グレた子供が少ない白人学校を選んでしまうだろう。アメリカの白人だって「レイシスト」の日本人に賛同するはずだ。しかし、現在では、北方種族だけのドイツ村とか、白人ばかりが住む高級住宅地は評判が悪い。でも、日本人の不動産鑑定士が土地を調べれば、黒人やヒスパニックがひしめく地域より、西歐系アメリカ人だけが住む地域の方に高い評価額をつけてしまうだろう。実際、裕福なアメリカ白人は白人が圧倒的に多い高級住宅地に屋敷を構える。以前、ビル・クリントン夫妻の豪邸を紹介したが、黒人やヒスパニックに同情的なリベラル・カップルは、有色人種が少ないニューヨーク郊外の白人地域に新居を購入していたのである。

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左: アメリカにやって来るヒスパニック移民
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右: アメリカにやって来るムスリム移民 )

  アメリカの白人は敗者の日本人に向かって、「オレ達の国は自由を尊ぶデモクラシーなんだ。お前らみたいに奴隷根性で暮らしている未開人じゃない」と説教するが、彼らに果たして本当の自由があるのか? 例えば、ヒムラーが夢見た金髪碧眼のゲルマン人ばかりで形成される田園地帯が現れたら、裕福な白人層は我先にと土地購入に奔走するだろう。幼稚園や小学校には黒いアフリカ人や褐色のアラブ人が皆無で、どの子供も白い肌に薔薇色の頬をし、大きな青い瞳を輝かせている。こうしたブロンドの幼児は、縮れ毛の黒人が発する独特のアクセントで喋らず、卑猥なダンスに興味を示すことも無い。健全な白人家庭が多くなれば、刑務所に収監された父親とか、福祉金に頼るアバズレ女房、麻薬でラリっているストリート・ギャング、売春婦と大して違わないズベ公、なども激減するだろう。貧困家庭の黒人生徒なんて、卒業後は刑務所に就職するため学校に通っているようなものだ。白人だけの共同体が社会的に公認されれば、リベラル派を気取ったインテリ夫婦だって、アーリア人村に引っ越したくなる。

そもそも、北方種族ばかりのドイツになったからといって、生粋のドイツ人がどんな損害を受けるというのか? 日本人のみならず、西歐系アメリカ人は冷静に考えてみるべきだ。例えば、ドイツ人に生まれた事を誇る親が、金髪を靡かせるアーリア人だらけの幼稚園を訪れて、「うぁぁぁ〜、北歐種族だらけだぁ ! 怖ろしい! こんな幼稚園にウチの子を入れることはできないわ!」と叫ぶのか? たぶん、それとは真逆だろう。もしかしたら、「まぁ、何て素晴らしい幼稚園なの ! どの子もみんな可愛らしいわ! ウチの子もここに通わせたい !」と、うっかり口を滑らすんじゃないか。「ゲルマン系」「アーリア系」「アングロ・サクソン系」と何でもいいが、西歐系アメリカ人はなぜ自分たちの理想を追求しないのか不思議である。

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(写真 / 忌み嫌われるアーリア系の幼児たち)
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  もし、アメリカが「自由の国」ならば、黒人やユダヤ人がギァアギャア騒ごうとも、好ましいタイプの白人だけで住宅地を持ったり、北方種族だけの小学校を作ったり、会員制の白人ゴルフ・クラブを開設すればいいじゃないか。民間組織における「受容」と「排斥」は自由であるべきだ。建国以前、イギリス人入植者は自分の好きなように神様を拝めるよう渡ってきた。彼らは新大陸に根づき、アングリカン教会から指図されず独自の教会を設立し、好き勝手な聖書解釈を行っていたのである。それなのに、アングロ・サクソン入植者の子孫は、自分の好きな者たちだけと暮らすことを禁止され、ユダヤ人が提唱する反米教育や不道徳な価値観に抵抗できない。英国のプロテスタント信徒はカトリック教会に反抗できたのに、ユダヤ人団体の前では隷属するなんて情けない。プロテスタントはユダヤ人の下僕なのか?

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(左: 歓迎されるユダヤ人の大人たち / 右: 大切にされるユダヤ人の子供たち)

  ユダヤ人が哀れな難民として入国した頃は、借りてきた猫みたいにおとなしかったが、この異民族は財力や権力を身につけると、次第に地元民の西歐人へ文句をつけるようになった。白人ばかりのコミュニティーはレイシズムの温床だから駄目。アングロ・サクソン人を始めとするゲルマン種族を称讃するのは、反ユダヤ主義に繋がるから禁止。米国をキリスト教国と定義することは、信仰の自由を阻碍することになるから破棄。西歐文明、とりわけイギリス文化を継承することは、多民族・多文化主義を否定するものだから、テレビや学校の教育プログラムから抹消。こんなアメリカ社会に変貌しているのに、アメリカの白人はフランクフルト学派の毒が廻っているせいか、まったく気づかない。その前に、「ネオ・ナチ」という言葉を聞くだけで震え上がってしまうのだ。ただ、筆者の言うことを理解するアメリカ人も居ることはいる。しかし、彼らは社会的地位を失うことを恐れるから、絶対に賛同することはない。こんな具合だから、綺麗事でしかない理想を語るリベラル派が幅を利かせているのだろう。

白人の赤ん坊は高い

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(写真 / レーベンスボルン計画で理想的モデルとされそうなアーリア人の男女と家族)
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  とにかく、レイシズムを否定するアメリカ社会であるが、養子縁組となれば白人の赤ん坊を望む白人夫婦は多い。もし、アメリカにレーベンスボルン・ホームのような養育施設があって、ヒムラーのように純粋なゲルマン人の赤ん坊を斡旋してくれたら、感涙にむせるカップルがたくさん出てくるだろう。事実、白人の赤ん坊は需要過多で、供給が極めて少ない。だから、白人の赤ん坊は値が高く、その次に白人系のヒスパニック、アジア系と値段が下がり、黒人は最低価格だ。幼くても買い手が付かない。売れ残った黒人の子供が成長してしまえば、もう絶望的である。子供が欲しい白人カップルは、しぶしぶ黒人を引き取るが、ユダヤ人カップルはユダヤ人の養子にこだわるし、異民族の子供を欲しがらない。ユダヤ人は二重思考を恥としないからね彼らは白い肌の子供を優先的に迎え入れ、たまにへそ曲がりのユダヤ人カップルが黒人を養子にする程度。しかし、西歐系白人に対しては人種平等を押しつける。(それなら、パレスチナ難民の子供を養子に迎えればいいのに。)

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左: 黒人の赤ん坊
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中央: 支那人の赤ん坊
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右: ヒスパニック系の子供
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   気前よくユダヤ難民を受け容れたアメリカ人は、本当に愚かである。自分の国なのに“くつろぐ”ことができず、常に異国に居るような気分になるし、周りを見渡せば黒人、アラブ人、南米人、支那人、インド人などが目に付く。しかも、言論の自由があるはずなのに、絶えずユダヤ・メディアの検閲が光っている。そして「自由」と「デモクラシー」を掲げて対外戦争をすれば、その都度、望みもしない難民がやって来るのだ。第二次世界大戦でユダヤ人、朝鮮戦争で朝鮮人、ベトナム戦争でベトナム人、イラク戦争でイラク人、ソマリアの紛争ではソマリア人が雪崩れ込んで来た。こんな結末なら、ナチ・ドイツを徹底的に破壊しなけりゃよかった、と歎きたくなる。日本人が高齢のアメリカ白人を捕まえ、「1950年代以前のアメリカと1960年代以降のアメリカと比べたら、どちらが良いのでしょうか?」と尋ねたら、彼らは声を小さくして「そりゃあ、戦前の方さ」と囁くだろう。「でもなぁ、ワシの孫は黒人との混血児なんだよ」という悲しい告白もあったりして、気の毒なインタビューになったりする。

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(写真 / 高値がつきそうな白人の子供)
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  日本人で歴史を研究する者は圧倒的に文系が多いから、歴史を違った角度から考えるという習慣がない。自然科学や数学を専攻する者なら、自然現象をあらゆる角度から考察し、様々な仮説を立て実証したり、研究したりするだろう。たとえ、「定説」であっても、それを疑い、自分で検証するし、学会の大御所が提唱した仮説といえども決定的ではない。ところが、歴史学会に所属する学者だと、長老教授の「史観」に逆らうことはないし、「定説」通りに論文を書けば、やがて正教授になれる。何も無理して有力教授に挑戦する必要はないし、黙って従えば自分も大御所になれるんだから、学会の主流に逆らうのは愚の骨頂だ。アメリカの学会も似たり寄ったりで、かつてアングロ・サクソンが主流だった米国はユダヤ人の天下になってしまった。ナチスにだっで見倣う点はあるだろう。アメリカ人はナチスのユダヤ人虐殺を非難するが、その立派なアメリカには中絶賛成派の「プロ・チョイス」勢力が存在する。「赤ん坊殺し」をチョイス(選択)の問題にするんだから驚く。たしかに、胎児は喋らない。いや、喋ることができない。母親に殺された赤ん坊は天に訴えるしかないのだ。それなら、未婚の母から捨てられた子供を養育したレーベンスボルン・ホームの方が遙かにマシだ。ユダヤ人の子供を殺すことが残酷なら、まだ母親のお腹にいる赤ん坊を殺すことだって悪である。案外、中絶賛成派のフェミニストは、ヒトラーが待つ地獄に直行するかも知れないね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html


ナチスが嫌った醜い藝術
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html

頽廃芸術が横行したワイマール時代

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(上絵画 2枚 / ヒトラーの作品)

  今回のブログは1、2年前から発表しようかどうか迷った記事である。ナチス時代のドイツを知るには、ワイマール時代の社会状況を知る必要があるのだが、その一部があまりにも卑猥なのであからさまに伝えることが出来ない。しかも、ブログ運営会社のライブドアによる「検閲」があるので、たとえ「歴史的事実」でも「破廉恥な現実」を掲載すれば、当ブログの閉鎖を余儀なくされるからだ。それでも、歴史の真相を求める日本人には、偏向史観ではない具体的で“生々しい”情報が不可欠なので、肝心なエロ絵画を載せられないが、とりあえず紹介することにした。

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央: カール・トルッペ Karl Truppe と Franz Triebsch によるヒトラーの肖像画 / 右: アルベルト・シュペーア )


  第三帝國の総統となったアドルフ・ヒトラーが、若い頃、画家を志していたことは有名である。したがって、この伍長上がりの政治家は美術に関しては少々うるさく、自らのドイツ帝國を偉大な藝術で飾ろうと思っていた。ヒトラーがベルリンを壮大な首都にしようとした「ゲルマニア世界都市計画(Welthaupstadt Germania)」は有名で、その担当者に建築家のアルベルト・シュペーア(Berthold K. H. Albert Speer)を据えたこともよく知れられている。現在では、ヒトラーと言えば「極悪人」というレッテルが貼られているので、やることなすこと一切が非難の的になっている。だけど、もし敗戦がなく、目論見通りベルリンの再開発が遂行されていたら、たぶん絢爛豪華な帝都の誕生となったであろう。

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左: ドイツ人の少女
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中央: ナチス時代のドイツ人女性
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右: ナチ党のポスター
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  もっとも、追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だ。しかし、好ましいアーリア人で賑わう街はヨーロッパ諸国の注目を集め、不動産価格が高騰するのは間違いない。きっと、好奇心旺盛な日本人も、世界に冠たる偉大な都市を見物しようと、ベルリンに押し寄せるんじゃないか。現在の歐米人のみならず、日本人も「ユダヤ人の視点」でしかドイツ史を観ないけど、もし、ゲルマン人の目でヒトラーの帝國を眺めれば異なった感想を持つはずだ。

例えば、仮にドイツの住民がアーリア系ドイツ人ばかりになったとする。そうなると、いったい誰が困るというのか? 日本人観光客で、金髪碧眼の北歐人が集まる商店街とか教会を眺めて、「気持ち悪る〜い」と感じる人はいないだろう。日本人女性だと、ゲルマン人の子供が楽しく遊ぶ幼稚園を見て、「アっ! かわいぃ〜い」と声を上げるんじゃないか。日本人の亭主だと、ブロンド美女の保母さんに“うっとり”する姿を女房に見られて、「アンタ、どこ見てんのよ !」と叱られたりしてね。

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左: ヒトラーとドイツ人の少年
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ドイツ軍士官
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右2枚: 理想的なアーリア人女性
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それに、ドイツを訪れたオランダ人やイギリス人の観光客が「あれ〜ぇ? 白人ばかりだ。ユダヤ人がいなくて寂しいなぁ」と愚痴をこぼすのか? ユダヤ人が大嫌いな愛国的フランス人なら、「アレマン人(ドイツ人)は素晴らしい ! ぜひ、我が国もユダヤ人を駆逐しよう !」と叫ぶに違いない。また、 ユダヤ人を大学やホテルから閉め出したアメリカ人も、同種族のドイツを旅行して感動するはずだ。帝國陸軍から派遣された日本人だって、ゲルマン人ばかりのドイツに違和感は無く、ユダヤ人が居なくても不便はない。ちょうど、江戸や大坂に朝鮮人が居なくても寂しくないのと似ている。

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左: ドイツ人の少年
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中央: ドイツ軍士官の家庭
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右: 1950年代のドイツ人女性
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  ナチ党やヒトラーの評判が悪いのは、ドイツを敗戦に導いたことにあるのだが、ユダヤ人や左翼分子が歐米の学会を牛耳っているのも、見過ごせない原因の一つである。ヒトラーにより追放されたユダヤ人は、アメリカやブリテン、カナダなどの西歐世界に移住し、その地で反ナチス本を大量に出版した。したがって、ドイツの事情に無知な一般人は、「ほとんど」と言っていいくらい、ユダヤ人の洗脳を受けている。フランクフルト学派のユダヤ人を迎入れたアメリカはその典型例で、今でもユダヤ人が撒き散らかした害悪により、訳も解らず“のたうち回って”いるのだ。これは丁度、見知らぬ他人から魚を貰って食ったら、その内蔵に水銀が溜まっていたり、回虫のアニサキス(Anisakis)が潜んでいたことから、食後にもがき苦しむのと同じ症状である。

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(上絵画 / ヒトラーによる風景画)

  排除されたユダヤ人の中には藝術家もいて、彼らは亡命先で散々ナチスを呪った。そして、この呪詛を聞いた現地人もユダヤ人アーティストに同情したものである。しかし、この亡命者たちは一体どのような作品を世に送り出していたのか? なぜ、ヒトラーやナチ党員たちは、彼らを排斥したのか? 日本人としては事の善悪を越えて、その理由を知りたい。我々は迫害されたユダヤ人の怨念だけを鵜呑みにするのではなく、迫害した側のドイツ人による言い訳にも耳を傾けねばならないと思う。とりわけ、1942年3月27日にヒトラーが述べた意見は傾聴に値する。ヒトラー曰わく、

  ワイマール共和国時代が特にひどかった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の怖さを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしでの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準には自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。今、ユダヤ人の財産没収のおかげで奴らのペテンの証拠が続々と手に入るというわけだ。屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する。-----これがやつらのペテン藝術の極みともいえる手口だったのだ。著名なユダヤ人から徴発した財産の目録に目を通していつも驚くのは、そこに本物の芸術品ばかりが載っているということだ。(『ヒトラーのテーブル・トーク』 下巻、吉田八岑 訳、三交社、1994年 p.31)

  確かに、ユダヤ人の富裕層はヨーロッパの名画を買い漁っていたようで、ナチスが彼らから奪い取った作品には目を見張るものがあった。最近だと、ナチスに協力した画商のヒルデブラント・ガーリット(Hildebrany Gurlitt)が隠し持っていた絵画に注目が集まったことがある。彼の息子で隠遁生活を送っていたコルネリアスが、ある失態を犯してしまい、盗品が表に現れるという事件が起きた。(Michael Kimmelman, "The Art Hitler Hated", The New York Review of Books, June 19, 2014) 戦災で失われたと思われていた多数の絵画が見つかってドイツ人は驚嘆。その中には、「頽廃藝術(Entartete Kunst)」作品も含まれていたそうだ。ヨーロッパ人の美を愛するヒトラーにとって、ユダヤ人や現代画家の美観は許せなかったそうで、総統は美術展に足を運ぶ度に、その「塗りたくった絵」を取り外させたという。たとえ、プロイセン・アカデミーの“お墨付き”が与えられた作品であっても、「無価値なもの」に対しては容赦無くふるい落としたらしい。

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(左: オットー・ディックスの作品 / 中央: ポール・クリーの作品 / 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  ヒトラーによると、アカデミーの会員はきちんと任務を果たさず、いつも仲間内で“なあなあ”で済ませ、ある宗教担当大臣はユダヤ人の罠に嵌まって“とんでもない駄作”に賞を与えてしまったそうだ。しかも、騙された人々は最初、「これは難解な作品だ」などと一応納得した顔をして、「作品の深層と意味を洞察するためには、提示されているイメージの世界に浸る必要がある」と、もっともな“ご託”を並べたという。そう言えば、日本でも西洋美術展が開催されると、評論家気取りの連中が適当な「講釈」を垂れるし、門外漢の一般客は、その「値段」を聞いて作品の「価値」を決める傾向が強い。庶民はピカソやムンクの作品を観たってチンプンカンプン。「こんなの子供の落書きだよなぁ」と心の底で思っても、その値段が何十億円と聞けば、「うぅぅ〜ん、やはり筆のタッチがひと味違うな !」と急に意見を改めたりする。

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(左: パブロ・ピカソ / ピカソの作品 / エドワルド・ムンク / 右: ムンクの作品)

  だが、ヒトラーによる美術批評家への意見は手厳しい。「一般論として、アカデミーの類いは傾聴に値する程の意見を発表しない」そうで、教授どもは落ちこぼれか、枯渇した老人くらいであるという。たとえ、才能豊かな者がいても、彼らは1日に2時間と教えられないそうだ。(上掲書 p.32) ヒトラーの美術論によれば、真の藝術家は他の藝術家たちとの接触を通して育って行くものらしい。かつて、巨匠といわれた画家たちは、工房の助手としてスタートし、技術と器用さで秀でた者、あるいは将来価値のある作品を生み出せそうな者だけが、徒弟の地位へと昇ったそうである。ヒトラーはルーベンスやレンブラントの例を挙げていた。これなら我々にも解る。例えば、「偉大」と称されるピカソなんかより、フェルメールの油絵の方がよっぽど素晴らしいし、ラファエロの聖母像も傑作だ。ヨーロッパの評論家はムンク(Edvard Munch)の『少女と死』とか『思春期』を称讃するけど、日本人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の美人画とか版画の方が解りやすい。

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(左: フェルメールの名作「真珠の耳飾りをつけた少女」 / 中央: レンブラントの「善きサマリア人」 / 右: レンブラントの「愉快な仲間」)


エロ・グロ作品を描いていた亡命者

  ヒトラーは、当時の風潮に不満を漏らしていた。ドイツの美術学校では自由放任の方針を取っていたようで、天才なら最初から自分のしたいようにしてもよい、と考えていたらしい。しかし、ヒトラーは「天才画家であっても、最初は皆と同じように学習から始めねばならぬ」と考えており、「たゆみない努力によってのみ、描きたいものが描ける」と信じていた。そして、総統は絵の具の混合をマスターしていない者や、背景の描けない者、解剖学を学んでいない者は、大した画家にはならないだろう、と結論づけていた。そこで、ヒトラーは「曾てのように現代も、画家の卵は親方の工房で美術の伝統にどっぷり浸かりながら訓練を受けるべきだ」という。なぜなら、ルーベンスやレンブラントの作品を観ると、弟子と師匠が描いた部分の区別が附きにくかったからである。つまり、ルーベンスやレンブラントの弟子たちは、師匠と同じ技量を身につけていたということだ。

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(左: ゲオルク・グロス / マックス・ベックマン / エルンスト・ルドウィック・キルヒナー/ 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  このように、ヨーロッパに根づく伝統的美意識を愛したヒトラーだから、その伝統を無視する抽象画とか表現主義の作品は許せなかった。ヒトラー率いるナチ党が「頽廃藝術家」と評した者といえば、ゲオルク・グロス(Georg Grosz)や、オットー・ディックス(Otto Dix)、マックス・ベックマン(Max Beckman)、エルンスト・ルドウィック・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)、パウル・クリー(Paul Klee)、ルシアン・フロイト(Lucian Freud)、エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel)などが挙げられる。特に、ユダヤ人と思われがちなゲオルク・グロスは札付きのワルで、キリスト教の家庭に育ったドイツ人であったが、思想的には真っ赤な共産主義者であった。彼はドイツ共産党に属していたけど、ソ連を訪問し、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev / ユダヤ名Hirsch Apfelbaum)やレーニンと会ったことで失望したそうだ。グロスは形だけではあるが、共産主義から足を洗い、風刺画家に専念したらしい。

  ところが、このグロスは単なる絵描きではなかった。ナチ党の台頭により米国へ亡命したグロスには、マーティー(Marty)という息子が生まれ、この倅(せがれ)はマスコミを相手に父親の偉大さを宣伝していたが、ある作品に関しては沈黙を守っていた。彼はある記者のインタビューを受けて、「父の風刺画や油絵、鉛筆画はベルリンの頽廃と腐敗を厳しくも情熱的に描いていました」と述べている。(Rosie Millard, "My father, the famous artist", The Independent, 17 March 1997) しかし、マーティーは父親の藝術を概ね讃美するも、その恥部だけは巧妙に避けていたから狡(ズル)い。この息子は父のエロ・グロ作品を人前で堂々と掲げるべきだ。グロスの作品総てを知らぬ一般人は、ナチスに迫害された可哀想な藝術家としか思わないが、彼の描いた「卑猥な絵」を目にすれば、ご婦人方は両手で顔を覆ってその場を去るだろうし、美術品愛好家の紳士なら、「何だ、この下品な絵は !」と叫ぶに違いない。日本人もグロスのエロ絵画を見れば、なぜナチ党が彼を「ボルシェビキ風の敵No.1」と評したが判るだろう。

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(上3 枚 / ゲオルク・グロスの作品)

  憐れな亡命者と思われているグロスは、文字にするのも憚れるような卑猥な絵を描いていた。例えば、性器を剝き出しにした女や、客のペニスを膣に挿入する淫売、巨根をしゃぷる痴女、うつぶせの女を背後から襲う男、醜悪な体型をした中年女など、“おぞましい”としか言いようのない作品を残していたのだ。(ライブドア社の禁止規定に抵触するので、実際の生々しい「猥褻作品」を掲載できなくて残念である。でも、規則だから仕方ない。) とにかく、グロスは露骨に性器を描写していたから、とても一般公開などできない。米国の敬虔なキリスト教徒なら卒倒間違いなし。仮に、美術館の壁に掛けることが出来たとしても、訪問客から猛抗議を受けて、即座に展覧会は中止されるだろうし、主催者は責任を取ってクビになるはずだ。こうなれば、一般のアメリカ人もグロスへの同情を失い、「頽廃芸術」が何であったのかが解る。でも、ユダヤ人や左翼ジャーナリストは困るだろう。ヒトラーは絶対的な悪なのに、その追放政策が正しく思えてしまうからだ。したがって、反ナチス派の評論家や歴史家は事実を隠す。

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(左2枚 : ルドウック・キルヒナー / 右2枚: マックス・ベックマン )

  ルドウィック・キルヒナーの作品は卑猥でなかったが、彼の描く人物はどれも醜くて、観ていると暗い気分になる。なるほど、描かれた人物は印象的だが、お世辞にも「美しい」とは言えず、どちらかと言えば「病的」と評した方がいい。ちなみに、キルヒナーは精神病を患っており、展示会に出した自作を撤去されてから一年後に自殺している。フランクフルトのアカデミー会員をクビになったマックス・ベックマンや、700点以上者作品を撤去されたエーリッヒ・ヘッケルの絵も全体的に陰鬱で、部屋に飾ってみたいとは思えない作品である。だいたい、ベックマンの作品などを模範にしたい絵描きがいるのか? 蛭子能収をちょっと上手くしたくらいで、ザビエル山田といい勝負だぞ。(ザビエル山田は漫画『愛の泉』や『オヤジの吐息』の作者である。) 美術評論家は彼らの作品を「素晴らしい」と褒めちぎるんだろうが、一般人ならこんな絵を高値で買おうとはしないし、政治献金の代用品であっても買いたくない。個人の敷地で催されるヤード・セール(庭先の販売会)だと、せいぜい5、6ドルの値札しかつかないんじゃないか。筆者の好みから言えば、安彦良和先生の油絵(例えば、「ガンダム」のシャーとかセイラの人物画)とか、荒木飛呂彦先生が描くジョジョの直筆ポスターなどの方が遙かに価値がある。

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(左と中央 : エーリッヒ・ヘッケル / 右: ルドウィッヒ・マイトナー )

  ユダヤ人の画家になるともっと酷い。ルドウィッヒ・マイトナー(Ludwig Meidner)の絵を見ると、何かの病気を患っているんじゃないか、と思えてくる。だが、彼よりも不愉快なのは、ルシアン・フロイトだ。彼は有名な精神科医であるジクムント・フロイドの孫としても知られている。ルシアンの描く女性などを観ていると、日本人だってヒトラーの反論に賛成するんじゃないか。例えば、ぶくぶくと太った醜い女性とか、性器丸出しの男性などを観れば吐き気がする。ナチ党員たちはゲルマン人女性の美しさや清らかさを称讃したのに、ユダヤ人画家ときたら、北歐種族の肉体的美しさを否定し、それを無視するどころか、却って醜悪にして「美術」と称する。西歐婦人の気品を台無しにした挙げ句、反対の肉体を讃美するんだから、ドイツ人じゃなくても不快になるじゃないか。ヨーロッパ人にとったら、美しい人間というのは、古代ギリシア人が理想とした女神とか、ルネッサンス期の巨匠が描いた英雄である。

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(左ルシアン・フロイド / 中央と右: フロイトの作品)

  しかし、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒のゲルマン人を憎んだユダヤ人は、いじめっ子民族の肉体を讃美したくない。アーリア人の肉体美を描くことは、敵対者の優越性を認めることに繋がるし、セム種族の肉体的劣等性を認めることになるからだ。ユダヤ人は一般的に捻れた性格を持っている。美しいゲルマン人女性に憧れる一方で、彼女たちからの侮蔑に耐えねばならぬ運命を有しているからだ。ユダヤ人は西歐人に対しては、人種平等の説教を垂れるが、仲間内では西歐白人女性を獲物にしているから卑劣だ。(イスラエルの売春宿では、西歐人女性のような東歐女性が人気で、フィリピ人女中やアフリカ人娼婦は安値でランクが落ちる。それにしても、貧乏なルーマニア人やウクライナ人、ロシア人の女性を半ば騙して、次々に密輸するユダヤ人の女衒はあこぎだ。TBSの金平茂紀は朝鮮人娼婦なんか放っておいて、スラヴ系娼婦を取り上げればいいじゃないか。看板番組の『報道特集』で「報道」しろ !)

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左: キャメロン・ディアス
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ジェニファー・アニストン
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テリー・ポロ
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右: ジェニファー・ハドソン
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ユダヤ人は多民族主義を唱えるくせに、性慾となれば白人女性一本槍だ。 恋愛映画を造るハリウッドのユダヤ人たちは、決まって相手方を西歐人美女にする。例えば、ユダヤ人男優のベン・スティラー(Ben Stiller)は『メリーに首ったけ』ではキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)を共演者にしたし、『アロング・ケイム・ポリー(Along Came Polly)』ではジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)を、『ミート・ザ・ペアレンツ』ではテリー・ポロ(Teri Polo)を恋人役にした。ところが、どのユダヤ人男優も、有名司会者のオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)とか、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、タラジ・ヘンソン(Taraji Henson)、クィーン・ラティファ(Queen Latifah)などを恋人役にはしないのだ。(もしかして、黒人への嫌悪と差別なのか ?)

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(左: タラジ・ヘンソン / オプラ・ウィンフリー / クィーン・ラティファ / 右: コートニー・コックス)

大ヒットTVドラマ『フレンズ』でもユダヤ人的嗜好が滲み出ていた。このドラマを制作したプロデューサーのデイヴィッド・クレイン(David Crane)とマルタ・カフマン(Marta Kauffman)は共にユダヤ人で、ドラマの中でもロスとモニカのゲラー兄弟をユダヤ人に設定していた。兄のロス・ゲラーを演じたデイヴィッド・シュワイマー(David Schwimmer)はユダヤ人だけど、妹役のモニカを演じたコートニー・コックス(Courtney Cox)はイギリス系アメリカ人である。呆れてしまうのは、ユダヤ人のロスが憧れるレイチェル役に、西歐系女優のジェニファー・アニストンを起用していたことだ。『フレンズ』にはユダヤ人女優のリサ・クドローがいたのだから、彼女をフィービー役ではなく、レイチェル役にすれば良かったのに、と思ってしまうが、クレインとカフマンにしたら、いかにも「ユダヤ人のカップル」になってしまいそうで、本能的に嫌がったのだろう。もし、ニューヨークに住む「フレンズ」が、全てユダヤ人となったら、不愉快というか余りにも“リアル”過ぎる。たぶん、制作担当者はユダヤ色を薄めるためにも、異教徒の西歐人をキャストに混ぜたんだろう。

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(左: リサ・クドロー / デイヴィッド・シュワイマー / マルタ・カフマン/ 右: デイヴィッド・クレイン)

  ユダヤ人は現実社会でも、ユダヤ人女性や黒人、アジア系女性に興味を示さず、西歐系女性に性的興奮を覚える。ユダヤ人の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインシュタインについては、以前このブログで触れたからここでは繰り返さない。でも、最近またもやユダヤ人によるセクハラが暴露されたので紹介する。日本ではあまり知られていないが、ミネソタ州選出の上院議員にコメディアン上がりのアル・フランケン(Al Franken)がいる。一連のセクハラ騒動に感化されたのか、彼にセクハラを受けたと表明する女性が現れた。被害者はリーアン・トゥイーデン(Leeann Tweeden)という美女で、以前は水着のモデルや『プレイボーイ』誌のグラビア・モデルを務めたことがあり、現在はテレビ番組の司会やレポーターを務めているそうだ。

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(左: アル・フランケン / 中央: リーアン・トゥイーデンの胸を鷲摑みにするフランケン / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン )

事件は2006年、彼女が中東アジアに派遣された米軍を慰問した時に起きた。アル・フランケン議員はリーアンが寝ている隙に彼女の胸を鷲摑みにしたり、彼女が嫌がるのに無理矢理キスを迫ったそうだ。(Juana Summers and M.J. Lee, " Woman says Franken groped, kissed her without consent in 2006", CNN, November 17, 2017) セクハラ事件が表沙汰になると、フランケン議員は彼女に謝罪したそうだが、いくら冗談でも有名人の身分を忘れて卑猥な行為をするなんて、アホといか言いようがない。でも、どうしてユダヤ人は黒人とか支那人女性に対しては「いやらしい」事を企てないのか。「人種的平等を考えろ」とは言わないが、獲物に「人種的偏見」を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

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左: 司会者としてのリーアン・トゥイーデン
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右: モデル時代のトゥイーデン
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怨念が動機になっている美意識

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(左: ヤンケル・アドラー / 右3枚: アドラーの作品 )

  話が逸れたので元に戻す。ナチ党は頽廃藝術をユダヤ人の“せい”にしているが、こうした趣味に人種は関係無さそうだ。確かに、ヤンケル・アドラー(Jankel Adler)のようにポーランド系ユダヤ人の画家がいたけど、オットー・ディックスのようなドイツ人の画家もいたのだ。民族性と美的感覚の関連は不明確だが、二人の絵画は本当に美術なのかどうか判らない。現代の我々が見ても、アドラーの絵は気分が落ち込むほど陰惨である。ただし、ディックスが描いた絵の方が遙かに酷い。ディックスの描く女性など本当に醜く、お金を払って見る藝術とは思えないし、ヒトラーの言うように駄作と評する方が適切である。彼が描いた裸婦など殴り書きみたいだし、赤ん坊を抱く母親の絵は貧相というより怖い。ガリガリの赤ん坊なんてどうかしている。これじゃあ、アメリカ人だってナチスに賛同したくなるじゃないか。

Otto Dix 4Otto Dix self-portrait-with-museOtto Dix Sailor & Girl
(左: オットー・ディックス / 中央と右: ディックスの作品 )

  昔、ヨーロッパでは既存の秩序や常識を否定し、破壊的感情を肯定したダダイズム(Dadaism)が流行ったけど、ユダヤ人には“しっくり”する運動だった。とにかく、ユダヤ人は西歐世界の伝統や秩序を覆したいと願っている。自分の種族が築き上げた訳でもない価値観など紙屑以下。タバコの吸い殻を揉み消すように、西歐人の理想を足で踏みにじりたいのだ。そして、自分たちを“抑圧”し続けた憎い白人を倒したい。だから、アーリア人の美しさを貶して、醜い人物像を「素晴らしい」と言い換えたり、変態的描写を「斬新なタッチ」として言いふらすのだろう。彼らにとり、異教徒の美意識を破壊することは快感なのだ。

Otto Dix Pregnant Woman 2Otto Dix Mother & ChildOtto Dix Ladies of the NightOtto Dix Pregnant woman
(上絵画 / ディックスの作品)

  全共闘世代なら馴染み深いだろうけど、1960年代から1970年代にかけて前衛芸術なるものが“進歩的”と目されていた。フランス語の「アヴァン・ギャルド(avant-garde)」を口ずさみ、寺山修司とか大島渚たちが訳の解らぬ映画を作っていたのを覚えている人も多いだろう。ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、へんちくりんな踊りを披露していたけど、あれも前衛藝術の一種らしい。音楽でも奇妙なものがあり、ユダヤ人音楽家のアーノルド・ショーエンバーグ(Arnold F. W. Schoenberg)とか、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人モートン・フェルドマン(Morton Feldman)が有名だ。まぁ、音楽の趣味は人それぞれだから、余計な事をせずに市場に任せておいた方がいい。

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(左: モートン・フェルドマン / 中央: アーノルド・ショーエンバーグ / 右: ヨーコ・オノ)

  一般的に藝術は「自由」な方が良いけど、人々の精神に及ぼす影響も無視できないので、国家が介入する場合もやむを得ない。例えば、公園や路地裏で公然と映画のセックス・シーンを撮影するのは非常識だし、歩行者天国の日曜日に鞭を握ったSMの女王様が闊歩すれば、親子連れの一般人は目を背けるだろう。また、百貨店の展示会だって、しわくちゃの老婆を題材とした全裸写真とか、中高年ゲイが互いにペニスを握りしめているスナップ写真とかは論外だ。でも、西歐ではたまにある。米国で問題になったけど、小便の中に埋もれるキリスト像という絵画が公開され、世間の非難を浴びたこともあるのだ。藝術作品の弾圧は賛成できないが、常識を越えた「藝術」に一定の制限があってもおかしくはない。

  ナチスによる私有財産の没収は違法だが、ヒトラーたちが「頽廃藝術」に憤慨した気持ちも分かる。ヒトラー総統が自分の帝國だから美しくしたい、と考えてもおかしくはない。「盗人にも三分の理」があるように、ナチ党にも1%くらい擁護論があってもいいんじゃないか。日本人にとって重要なのは、ナチスが怒った理由とその経緯を“具体的”に調べることだ。ユダヤ人の本だと“抽象的”に書かれているだけで、不都合な歴史が省略されている場合が多い。「書物の民」は偶像崇拝を嫌って文字を重視し、映像や視覚を回避する傾向が強いから、我々はどのような素性の者が、如何なる思想で批判しているのか検証してみる必要がある。案外、ユダヤ系著者の素顔と正体を知ったら、「えっ、こんな人なの?!」と驚くんじゃないか。(ワイマール時代のドイツについては、別の機会で述べてみたい。ただし、当ブログが閉鎖命令を受けたら不可能になってしまうだろう。もしかしたら、今回が最終回となってしまうかも知れないので、引っ越しを考えているところです。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html


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ヒトラーの嘘と絵画 − 彼はなぜ芸術家になれなかったのか?
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!

 かのショートショートの名手・星新一の短編に、こんな話があるのであらすじを紹介しよう。

 オーストリアのとある町。貧しい画家志望の青年が、愛する女性とのデート資金を求めて質屋にやってくる。担保の質物は何と青年自らが描いた絵。青年は「金を貸してください」と懇願するが、当然、質屋に絵は一顧だにされず「こんな絵で金は貸せません」とキッパリ断られてしまう。そして下記のやりとりが行われる。

「やっとデイトの約束までこぎつけたんです。お願いです、お金を貸してください。お金は必ず返します。ご恩は忘れません」

「だめですな。そんなことで金を貸していたら店はやっていけません。私たちユダヤ人は冷静なんです。甘く見ちゃ困りますな」

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、きさまら冷酷なユダヤ人全部に仕返ししてやる・・・」

「そんなにすごんでも、だめなものはだめですよ。さあ、お帰りください、アドルフ・ヒットラーさん」

(星新一『さまざまな迷路』(新潮社)/「ことのおこり」より)

 絵のサインを見ながら主人は、青年の名前言うのだが、彼がすごい剣幕で帰ったあとも、その狂気じみた目つきを思い出し「いずれなにかやらかすかもしらんな」とつぶやくのだった…。もちろん、ユダヤ人質屋が若きヒトラーに金を貸さなかったのは、星新一のフィクションだ。

 しかし、ヒトラーが画家志望の青年だったことは有名な事実で、実際ヒトラーが描いた絵は何点も世に残されている。彼の美術に対する情熱は相当なものだったようで、当時オーストリアで名門校だったウィーン美術アカデミーを受験している。しかし、成績不振ということで受験に失敗。

ヒトラーが描いた絵「YouTube」より
https://www.youtube.com/watch?v=mALbFREo-bk

 その時の恨みやコンプレックスが逆に独裁者ヒトラーを生んだ原動力ともなったわけだが、こちらがその、オーストリア時代に彼が描いたという絵である。

 見ての通り、独創性のない普通の風景画で、レベル的には“上手な素人絵”というくらいだ。これらの絵を見て、ヒトラーの演説にあるようなエキセントリックで妙に人の心を揺さぶる何かを期待した人は、きっと肩すかしを食らった気分になるだろう。


 ところが、ヒトラー本人は自らの絵について「古典派嗜好」と自負していたそうで、当時台頭してきた、いわゆる「世紀末美術」(幻想的で退廃的な性格を有する作品)やアール・ヌーヴォーといった新しい芸術運動にはむしろ嫌悪感すら抱いていたという。


■真実を吐き出す「世紀末美術」を憎んだヒトラー

 一方でこの絵を見てほしい。こちらは、同じ時代に世紀末美術の騎手として活躍し、わずか28歳の若さで亡くなったエゴン・シーレの作品だ。

エゴン・シーレ1915年作「死と乙女」
http://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

 絵画とはある意味、心の中に溜まっている澱(おり)を吐き出す作業なのだが、ヒトラーの絵と比べ(比べることもないが)、まさに強烈な個を解き放っており、肉体と精神すべてを吐き出してキャンバスに塗布したような絵だ。

 もちろん、ヒトラーはエゴン・シーレの作品を忌み嫌い、憎んでいたという。

 実はエゴン・シーレ。ヒトラーより1歳下にあたるのだが、彼が受験に失敗した1年前にウィーン美術アカデミーに入学していたという経緯があるのだ。元来、世紀末美術の台頭に嫌悪感を抱いていたヒトラーだったが、このことでさらに激しい憤りを抱き、独裁者となってからは徹底的に彼らやアカデミーを「退廃芸術」と呼び、弾圧下に置いたのだ。そして、1930年代にヨーロッパで隆盛していた抽象美術や表現主義、バウハウスなどはもちろん、印象派以降の近代の美術はすべてNG。当時、ユダヤ人らが所有していた絵画は財産と一緒にことごとく没収され、略奪され破壊された。

 これは弾圧の対象こそ違えど、まさに星新一の短編を地で行った話ではないだろうか。

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、オレを認めなかったきさまら退廃芸術家とアカデミー会員全部に仕返ししてやる…」

 さすがは星新一。物事の本質をきちんと捉えているではないか。

 一方でヒトラーが奨励した絵は、農村の労働と大家族を描いた風俗画や、優美で健康的な裸体画、牧歌的風景画、モニュメントとしての巨大彫刻など、芸術としてみると面白くも何ともないものだったのだ。

■ヒトラーの矛盾

 さて、絵とは面白いもので、美しいものを描けば美しくなるというものではなく、立派なものを描けば、それによって人が感動するというものでもない。

adolfhitler4.jpgヒトラーの絵「YouTube」より

 アートに必要なものの一つとして、本当に心の中、体の中にある(自分にとっての)真実を正直に吐き出すことがある。そういった意味において、ヒトラーの絵画は自分にウソをついた絵であり、だからこそ魅力的ではないのかもしれない。

 その理由として、ヒトラーには昔から「ヒトラーユダヤ人説」や「非アーリア説」があとを絶たない。これには、ヒトラーの父親・アロイスが実際には血の繋がった父親ではない可能性や、あるいはアロイス自身が私生児だった可能性があるなどさまざまな憶測が飛び交っているが、要するに、ヒトラーには出生の秘密と謎があったということだ。

 さらに、ヒトラーはアイロスと折り合いが悪かった。そして、“生粋のハプスブルク君主国の支持者”だったアロイスに憎しみを抱いたことが、後のアーリア至上主義、ドイツ民族主義へと走る第一歩となったとも言われている。

 しかしこれは、明らかに大きな自己矛盾だ。ほかにも、ヒトラーは自身を“極貧だった”と吹聴していたが、実際にはそうでもなかったなど、彼はあらゆる独裁者がそうであるように、さまざまな過去を隠し、ウソをウソで固めた人生を送っていたのだった。

 しかし、言葉や経歴でウソが言えても、絵というのはそういう意味でウソがつけない。それは眠ければ寝る、腹が減れば食べるというように、体がウソをつけないのと同じことだ。

 ヒトラーの絵が持つ、えも言えぬ寂しさや荒涼とした風景は彼そのものだったのかもしれない。だが、人の気持ちを惹きつけるには、あまりに貧相なものに違いない。彼は、自分自身を絵で表現するができなかったのだ。

 それにしても、ヒトラーの記事を書いていたら頭の芯を締められるような疲労におそわれた。やはり、何かわるいものがついているのかもしれないな。
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


アドルフ・ヒトラーによって描かれた35枚の絵画
http://musey.net/mag/35

ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが、政治家へと転身する前は画家を目指していたことはよく知られている。

ヒトラーは、1905年に実業学校を退学した後で、ウィーンにある名門美術学校「ウィーン美術アカデミー」への入学を希望するものの、「写実性はあるものの、独創性に乏しい」とされて試験に落とされてしまった。

世紀末美術を嫌悪したヒトラー

当時のウィーンをはじめとするヨーロッパでは、幻想的・退廃的な「世紀末美術」や「アール・ヌーヴォー」と呼ばれる新しい美術の流れが盛んに台頭していたが、ヒトラー自身はこうした運動に興味を示さないどころが、嫌悪感すら抱いていたと言われる。

ヒトラーが受験に失敗する1年前には、世紀末美術の旗手であるエゴン・シーレが同校に入学しているが、彼自身は著書『我が闘争』の中で、20世紀以降のダダイスムやキュビズムについて「狂気であり堕落であり病気である」と断じた上で、これらが「ボルシェヴィズムの公認芸術である」とまで述べている。

そんなヒトラーは、人物画よりも風景画・建築画を好んで描いており、いくつもの習作やデッサンなども残っている。これまで、ヒトラーの作品については様々な評価が見られたが、もし彼がそのまま凡庸な画家になり損ねた青年として人生を終えたならば、ほぼ確実にこれらの作品を我々が目にすることはなかっただろう。

以下では、彼の30枚の作品をまとめてご紹介しよう。


ヒトラーは愛犬家としても有名であり、ジャーマン・シェパード・ドッグのメス「ブロンディ」を飼っていた。ちなみに、ヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンはブロンディを嫌っており、ブロンディを蹴とばしていたことが知られているという。


彼は、第一次世界大戦によって荒廃した街並なども描いている。後に、こうした風景を自らの手によってつくり出すことになる。


ディズニー作品も

なんとその中には、ディズーのピノキオと白雪姫に登場する小人を描いた水彩画もある。これはノルウェー北部の戦争博物館で発見されたもので、ヒトラーが所有していた絵画に隠されていた。
http://musey.net/mag/35




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愛国者のプーチンやヒトラーがユダヤ人を野放しにできなかった理由

2015年05月22日
ロシアを食いつぶした経済マフィア / オリガルヒの正体 (1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68348669.html


ユダヤ人VSロシア人

  ロシア人は狡猾で陰険だが馬鹿ではない。兇暴で情け容赦のないロシア人は、もっぱら掠奪を趣味とする野蛮人であるが、同類の犯罪者を見分ける能力は一級品である。ユダヤ人は学問と同じく悪行においても天才的能力を発揮するので、無防備な西歐人や日本人は容易く隷属してしまう。しかし、同じ穴の狢(ムジナ)たるロシア人には手こずるみたいだ。遵法精神を持つ西歐人なら、ユダヤ人は立法府を牛耳って、彼らを意のままに操れる。しかし、力のみを信奉するロシア人相手だと勝手が違い、札束だけでは調教できないのだ。現代のロシア皇帝ウラジミール・プーチンは、甘っちょろい西歐の政治家とはまったく違う。しかも、ロシア人とはスラヴ人の皮を被ったモンゴル人だ。こんな奴らを束ねる支配者とくれば、相当なワルである。綿密な謀略が得意なプーチンは、本能的にユダヤ人を警戒する。同じ臭いを放つ異邦人に絶対油断しない。だから、プーチンはユダヤ人の軍門に下る前に叩き潰そうとしたのだ。こうしたワルどもの闘いにおいては、「やるか、やられるか」の選択しかないのである。


(写真/ロシアにおけるユダヤ人)


  ロシアにおけるユダヤ人の歴史は長くて暗い。農奴国のロシアに住んでいたユダヤ人の仕事といえば農業くらいしかなかった。だから裕福になれなかったし、おまけに「ポグロム」という虐殺が時折起こって、ユダヤ人は逃げ回っていたのである。こんな惨めさからアメリカに移民できるチャンスを見つけたユダヤ人は、どんな嘘をついてでも新大陸に渡りたかった。文明国のアメリカ合衆国では、たとえユダヤ人でも才能があれば、出世ができたり裕福にもなれたから、ロシアでは就けない職業を求めたのである。希望の国アメリカには、貿易やエンターテイメント、金融、報道など魅力的な職場がいっぱいあった。こうした職業をユダヤ人に解放することは、アメリカ人にとって自殺行為ある。必ずやユダヤ人が要職を占め、その業界を乗っ取り、他分野のユダヤ人と連携して永久支配を完成させるのだ。アメリカで成功したユダヤ人でも、ロシアに残った同胞は気になったらしい。ポグロムを続けてユダヤ同胞を迫害する帝政ロシアが許せなかった。そこで、東洋の新興国日本を利用してロシア皇帝を膺懲(ようちょう)しようとしたのが日露戦争であった。ヤコブ・シフなどのユダヤ人富豪が日本の戦時国債を買ってやったのも、善意からではなくロシア懲罰が目的だったのである。

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(左:レーニン/カール・ラデック/レフ・カーメネフ/右:ヤコフ・スヴェルドルフ)

  敗戦で帝政ロシアがぐらつき始めたら、こんどはユダヤ人過激派、つまりレーニンが率いるボルシェヴィキをアメリカ・ドイツの金融資本家が支援して、憎きロマノフ王家を抹殺してしまった。グルジア人のスターリンを除いて、ボルシェヴィキのメンバーはほとんどがユダヤ人である。レーニンは母方の血統でユダヤ人であったし、国際共産主義のリーダーであったカール・ラデック(Karl Radek/本名Karol Sobelsohn)やレフ・カーメネフ(Lev Kamenev/本名Rozenfeld)、ヤコフ・スヴェルドルフ(Yakov Sverdlov)はユダヤ人であった。かつて人気があったトロツキー(本名/Lev Davidovich Bronstein)はウクライナ出身のユダヤ人である。レーニンとも家族ぐるみで親しかったグレゴリー・ジノヴィエフ(Grigorii Yevseevich Zinoviev)もウクライナ出身のユダヤ人。(高齢の共産党員にとっては懐かしい名前だろう。) とてもウクライナ人とは思えない顔つきのユダヤ人を見れば、いかにユダヤ人が異質な種族かが分かる。日本人によく知られているウクライナ人といえば、映画『バイオハザード』の主役ミラ・ジョボビッチ(Milla Jovovich)であろう。ちなみに、オレンジ革命の時話題になったユーリヤ・ティモシェンコ(Yulia Tymoshenko)は、リトヴィア系ロシア人で、ウクライナの地元民ではない。

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(左:トロツキー/中央:グレゴリー・ジノヴィエフ/右:ミラ・ジョボヴッチ)

  ともかく、こうしたユダヤ人過激派を財政的に支援したのがウォール・ストリートの金融資本家で、将来の市場としてロシアを独占するために革命を支持したのである。(たとえばAmerican International Corporationが有名。)ロマノフ王朝が居坐っていると、巨大銀行がロシアを搾取しようとしても邪魔されるから、うるさくて厄介なロシア皇帝を始末しておいた方が得策と考えていたのだろう。我々は学校の教科書で、共産主義者による「ロシア革命」とだけ習っているが、実際はロシアで起こったユダヤ人コミュニストによる「ユダヤ革命」なのだ。世界史の教科書では、革命家の顔写真を掲載して、ユダヤ人革命家個人について述べないから、日本の高校生は彼らの素性が分からない。日本の子供なら「先生このオッサンたち何者? 」と訊いてくるから、社会科の教師は説明に困るだろう。まさか嘘をつくわけにも行かないが、本当の事を喋るのもちょっと辛い。だが、NHKの高校講座世界史に出てくる赤い講師なら大喜びで答えるかもね。もっとも、如何に共産主義が素晴らしいかを説くだろうけど。

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(左:ミハイル・ゴルバチョフ/中央:ボリス・エリツィン/右:ユーリ・ティモシェンコ)

  ロシアはユダヤ人との腐れ縁で散々な目に遭っているが、日本人からすれば「いい気味だ」と言いたくなる。巨万の富を持ちながらも更なる利益を求めるグローバリストにしたら、ロシアはユーラシア大陸の要となり、何としても押さえねばならぬ大国である。ロシア人は役立たずでも、その土地に眠る天然資源は咽から手が出るほど欲しい。共産主義体制が崩壊したロシアは、西側の金融機関や投資家にとって魅力的な市場経済処女地であった。あくどい手段を用いて莫大な資産を築き、やりたい放題の「オルガルヒ(Oligarch)」の正体は、大富豪のユダヤ人政商である。国家独占経済が急に市場経済に移行したのだから、商才などからっきしなかったロシア人に、ビジネスマンになれといったってどだい無理。ただ、そこには例外があった。ユダヤ人は別だ。勉強と金儲けはユダヤ人の得意技。総合格闘技なら、プライド・チャンピオンのヒョードル・エメリヤネンコ(Fedor Emelianenko)や空挺部隊のセルゲイ・ハリトーノフ(Sergey Kharitonov)といったロシア人の方が強い。しかし、そろばん勘定とくれば、ユダヤ人が三冠四冠のチャンピオンだ。ゴルバチョフを倒して、新生ロシアの大統領になったエリツィンは、ブルドーザーのようなごり押しなら得意だったが、経済政策については全くの素人。ウォカの早飲み大会なら優勝できても、産業育成といった地道な実業には無知であった。経済アドヴァイザーの正体も吟味せずにロシア経済を任せて、国営企業は貪欲なハゲタカとオルガルヒ(新興財閥)の餌食。

  考えてみれば日本も明治維新の時は危なかった。もし、江戸時代にユダヤ人が居たら、我が国の殖産産業は悉く外国勢力に喰われたかも知れない。コ川慶喜(けいき)に渋沢栄一がついて、様々な企業を興したから良かったのだ。近代資本制の産業社会に移行しようとした時、その任務に当たったのが異邦人ではなく日本人であったから、順調に経済発展ができたのである。巨大な財閥を築いた岩崎弥太郎だって愛国心を持つビジネスマンであったし、北海道開拓を任された政治家も日本人だったから問題が少なかったのだ。もし、ロシア系ユダヤ人に任せたら、北海道はユダヤ資本の牙城になっていただろうし、日本の領土であっても巨大な租界の如き様相を呈していたかも知れない。三菱の岩崎弥太郎は渋沢を誘って市場独占体制を図ろうとしたが、それでも祖国を食い潰そうとはしなかった。渋沢栄一はカルテルを結ぶより、日本の企業育成に力を注いだのである。外国人なら日本の将来を考えて新たな産業を興そう思わない。激動期に外人が存在するのは危険である。

ユダヤ商人の勃興

  ソ連末期からエリツィン時代にユダヤ人は勢力をつけた。この原因の一つとしてあげられるのは、ヴァウチャー(voucher)方式による国営企業の私有化であった。エリツッイン大統領の下で経済改革に取り組んだイエゴール・ガイダール(Yegor Gaidar)とアナトリー・チュバイス(Anatoly Chubais)は、国有企業の資産を守るためにその民営化を図ったという。というのも、ゴルバチョフ政権下の後半で広がり始めた自然発生的な私有化を食い止めるとともに、残存する共産主義者らが国家管理・計画経済の復活を叫んでいたからだ。当時、ロシアでは闇経済から怪しい商売人が表面に出てきたし、企業努力をするよりも「親方日の丸」の方が楽だと考える人が多かったからである。それに、政府が企業の所有者ということは、特定の所有者がいないということと等しい。つまり、監視する役目の人間がいないから、企業長ら経営幹部を含む労働集団が、勤務先企業の資産を勝手にぶんどって食い潰してしまうのだ。ガイダールとチュバイスは企業が丸裸にされることを防ぐためにも、国営企業を私有化することで、オーナーになった者が自分の資産を守るはずだ、と考えたのである。

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(左:アナトリー・チュバイス/右:イエゴール・ガイダール)

  産業構造を救済するには、どうしても共産主義の復活を食い止めねばならない。それには経済改革に対する一般民衆の支持を得なければ、ということで、ロシア国民一人あたり1枚の(株券を買える)小切手(ヴァウチャー/または引換券)を配り、これによって国民全体をロシア産業の株主かつ利害関係者に仕立てようと目論んだのである。私企業に転換した会社の所有者になったロシア国民は、僅かばかりでも利益の配当を受けるから、「自らの所有物」が再国有化されることに反対するだろう、とガイダールとチュバイスは踏んだのである。冷戦崩壊後、社会主義に異を唱えていたシカゴ学派理論は輝いていた。企業の所有権を公的管理から解放し、私有化して市場経済の原理に任せれば、生産性が上がり、効率も良くなるということで、私有は国有に勝るのだ、とガイダールとチュバイスは信じていた。

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(左:アンドレイ・シュライファー/中央:ジェフリー・サックス/右:マキシム・ボイコ)

  1991年ガイタールは大胆な経済改革に踏み切り、私有化はチュバイスに担当させることにした。そこでユダヤ人のチュバイスはハーバード大学の少壮教授アンドレイ・シュライファー(Andrei Schleifer)を補佐官に選んだのである。ハーバード大学にはユダヤ人学者がゴロゴロいるからしょうがないけど、偶然なのか意図的なのか分からぬが、ユダヤ人教授が抜擢されたのは不吉な予兆であった。 このシュライファーをチュバイスに紹介したのも、ユダヤ人でハーバード大学教授のジェフリー・サックス(Jeffrey David Sachs)であった。シュライファーはロシア人エコノミストのマキシム・ボイコ(Maxim Boycko)とハーバード・ロー・スクールを出たばかりのジョナサン・ヘイ(Jonathan Hay)を引き連れてやって来た。こうした秀才経済学者らは、自由主義経済の経験がないロシア人に市場経済の原理を導入しても大丈夫と考えたらしい。西側の市場経済が機能するには、ロシアに法の支配があるという前提が必要なのだ。公正な裁判や法秩序を維持する警察、ビジネス関係の法制度、それに非公式の基準や商慣行などが併せて存在しなければならない。闇経済くらいしかなかったロシアで、まともな産業や流通があるわけないだろう。だが、私有化を推進した連中は、構造改革をすれば競争原理が働く一方、規制を求める政治的圧力が湧き上がるから、法制度の改革が起こって企業統治のシステムが出来上がるはず、と考えていた。しかし、実際は一般ロシア人に企業経営など分からないし、不正に対する国民の監視というものがないのだ。市場経済の原理(プリンシプル)を持ち込んでも、それが発芽する土壌(文化/カルチャー)がロシアに無かったのである。

  私有化で多くのロシア国民が小さな株主になるとは幻想であった。実際に起こったことは、企業長やインサイダーが濡れ手に粟でボロ儲けという結果である。チュバイスはロシア産業の産業・商業の資産価値を計算し、これをロシア国民総数で割って一人当たりの分け前をはじき出したという。次ぎに、その価格に相当する株を購入できるヴァウチャー(引換券/小切手)を国民一人に1枚ずつ分配したのだ。これがロシアのヴァウチャー計画の本質である。経営幹部やインサイダーが彼らに振り当てられた株を購入するのはいいとして、残りの資産を分配して一般国民に分け与えようとしたのである。16,500の大企業と中小企業を会社組織に転換し、それらの会社の帳簿上の評価額の35パーセントをヴァウチャー所有者のために取っておく。この価額を低く設定してヴァウチャーの額面価格をはじき出し、1枚当たり1万ルーブルと決めたのである。何かややこしいが、つまり平民でも株主になれるよう、額面を安くしてあげたということ。

  計画がスムーズに進むと思いきや、ヴァウチャー価格を安く設定したことが裏目に出てしまった。ロシアはインフレに見舞われ、ヴァウチャーの実質価格がしぼんでしまい、1万ルーブルが4千か5千ルーブルくらいの値に下落したのである。一時はヴァウチャーを1枚10ドル以下で手放す庶民すら珍しくなかったという。多くのロシア国民は1万ルーブルのヴァウチャーなんてイカサマだと思い始めた。石油や天然ガス、鉱物資源に恵まれたロシアで、一人当たりの受け取り分がたった1万ルーブルだなんて理解できなかった。ロシア国民は共産主義時代と同じように、またもやイカサマの犠牲者にさせられたと受け取ったのだ。(マーシャル・I・ゴールドマン 『強奪されたロシア経済』 鈴木博信 訳 NHK出版 2003年 p.158) エリツッンが打ち出したヴァウチャー計画で、最終的に1億4800万人のロシア国民のうち1億4606万4000人がヴァウチャーを受け取った。受け取った国民はそれを現金と同じく扱って市場で売り払ってもよかったし、私企業に転換された企業の株と交換してもよかった。ほとんどのロシア人は、ヴァウチャーを資本家たちの紙切れと思っていたし、それが本当にどれほどの価値があるのか、またそれをどう使ってよいかすらも分からなかった。

  やがて狡賢い連中が「ヴァウチャー・ファンド」なるものを創立し、このファンドの株を買うのにヴァウチャーを使ってくれたら、すぐにでも高額の配当金を差し上げますよ、と人々に宣伝したという。ところが、ヴァウチャーをこうしたファンドの株に取り替えた人々は、「ファンド」が潰れ始めても何の保障も受けられなかった。つまり、ヴァウチャーを集めるためだけに、ファンドを設立した連中は目的を達成したら、さっさとファンドを破綻させてドロンを決め込んだというわけだ。様々なな手口でウァウチャーを大量に集めた悪党どもは、私有化された国営企業を支配する大株主になれた。こうして、驚くほど安い値段で国有財産を手にした個人が、一挙に大富豪、すなわちオルガルヒに変身したのだ。ロシア国民が豊かになるはずなのに、一部の悪徳商人が裕福になったのでは、私有化は明らかに失敗だった。しかも、私有化担当を務めた顧問のうち二人が、私有化に係わるインサイダー情報を使って懐(ポケット)を膨らませていたのだ。その二人とは、アンドレイ・シュライファーとジョナサン・ヘイである。アメリカ議会はロシアが市場経済に移行できるよう、ハーバードに顧問を派遣するよう頼んだのに、そのアメリカ人顧問官が不正を働いていたのだ。合衆国国際開発庁(USAID)をペテンに賭けたようなもので、ボストンの検事局は二人を告訴したのである。訴えられたシュライファーとヘイは最高で1億2000万ドルの損害を与えたと判断されたようだ。(David Warsh, Judge finds against Shleifer , Hay and Harvard, Economic Principals, July 4, 2004) この訴訟には更なるスキャンダルがあった。告訴されたのは二人ばかりではなく、シュライファーの女房であるナンシー・ジンマーマン(Nancy Zimmermann)とヘイの恋人で後に夫人となったエリザベス・ハーバート(Elizabeth Herbert)が含まれていたという。ナンシーはロシアで投資を行うヘッジ・ファンドのパートナーであった。彼女たちの容疑は判事により却下されたが、女房や恋人をつかって銭儲けをしていたとは、呆れた経済顧問官である。

ユダヤ人の成り上がり者

Vladimir-Gusinsky 2(左/ウラジミール・グシンスキー)
 ユダヤ人は共産主義革命でロシア人を奈落の底に落とし、市場経済への転換期になれば、ロシア国民の膏血(こうけつ)を啜(すす)っていたのだ。悪辣なユダヤ人オリガルヒの一人ウラジミール・グシンスキー(Vladimir Gusinsky)は、地下経済の中から現れた成金だがユニークな経歴を持つ。高校で数学を勉強したウラジミールは、名門のモスクワ理学技術学院に入ろうとしたが、ユダヤ人ということで入れなかったそうだ。それで彼は傷つき憤りを感じたという。(David E. Hoffman, The Oligarchs: Wealth and Power in the New Russia, Public Affairs, Oxford, 2002, p.152) そこで母親が通ったことがあるグプキン石油化学・天然ガス大学に入ることにした。反ユダヤ主義の伝統があるロシアで暮らすグシンスキー家には辛いことが多かった。母方の祖父はスターリンによる大粛正で射殺されたという。ウラジミールは子供の頃、近所のガキどもから「小さなユダ公」と馬鹿にされて悔しかった。それに、グシンスキーの家族は狭いアパートの一間に暮らす労働者世帯であったから貧乏が身に沁みたのかも知れない。お金儲けのためなら、ユダヤ人はとにかく色々なことをする。ウラジミールは大学を中退後、ジーンズやオーディオ・カセットを仕入れて販売したこともあったという。大学を辞めてから陸軍に入ったが、そこは化学戦に備える部隊だった。しかし、ユダヤ人のウラジミールに愛国心などあるわけがない。さっさと軍隊を離れたのちにたどり着いたのが国立演劇藝術大学であったという。シェイクスピアやモリエールさえ読んだことがなかったのに、演劇を学びたかったとは呆れてしまう。でも、ユダヤ人にはこういうタイプが結構多くいて、何となしに各分野を転々としているうちに成功したりするのだ。ウラジミールは演劇界ではユダヤ人は歓迎されぬのではないか、と心配したらしい。ロシアでは反ヤダヤ主義が根強いからだ。

  ドラマの演出をしながら、グシンスキーはタクシー運転手をしたり、銅線を加工してブレスレットを作り、街の屋台でこっそり売るといった副業も行っていた。一時期、グシンスキーは米国のヴァージニア大学で金融経営学を勉強したというから、純粋な芸術家というよりプロデューサーの方に向いていたのだろう。ビジネスにおいて成功するには人間関係が大切だから、グシンスキーは舞台の仕事を続ける一方で、人脈作りにも精を出していたようだ。愚鈍なロシア人と違って、ユダヤ人はお金の臭いに敏感である。1989年、彼はロシアに投資したいという外国人が存在するのを知ると、彼らの相談にのるコンサルタント会社を作れば儲かるのではないかと考え、「モスト」と称する協同組合を開設した。「モスト」はワシントンの有名な法律事務所アーノルド・アンド・ポーターの分社であるAPCOと合弁で始まった会社である。モストは国営企業で売っていない品物を扱ったから、道具類や機械を必要とする建設業にとっては便利な存在であった。そこで、数々の事業から得た利益を基にグシンスキーは、自分の銀行「モスト・バンク」を設立したというわけだ。彼はモスクワ市長のルシコフとつるんで、市が所有する資金を預かり、役所が支払いに用いない資金を、通貨投機や高利回りの政府国際購入に当てて、相当な利潤を得ていたという。こうして、1994年までにモスト・バンクは、ロシア最大の銀行のひとつになっていた。

  エンターテイメントはユダヤ人の得意とする分野で、舞台監督をしていたグシンスキーがその手腕を発揮できる新事業としてふさわしかった。欧米では同類のユダヤ人がマス・メディアを独占して裕福になっているから、グシンスキーが同様の行為にでても不思議ではない。彼はルシコフ市長のコネを使い、モスクワ地域をカバーするチャンネル4の支配権を手に入れ、1日2、3時間の放送を始めることができた。ユダヤ人が危険なのは、最初は小規模でも、一旦キッカケを掴めば、それを徐々に拡大させ独占を目論むからだ。なにしろ、メディアを使えば大衆操作で政界を動かしたり、圧倒的な影響力を駆使してさらなる利益を得る分かっている。だから、異人種との競争より、同族で業界を固めて共存共栄を謀ろうとするのだ。グシンスキーはロシアで最初の民間テレビ網となった全国放送NTV(独立テレビ)を設立し、大衆受けを狙ってエリツィン批判を展開したこともある。彼はユダヤ人らしく巨大メディア帝國を作ろうとした。グシンスキーのモスト・メディアは、衛生通信網の「エフォ・モスクヴィ」といったラジオ局や、『セヴォードニャ』という新聞、『ニューズウィーク』と共同で出版する『イトーギ』といった雑誌を取り込み、手広いメディア複合体に変貌していったのである。グシンスキーの政府批判はエリツィンの逆鱗に触れたこともあり、彼は家族を連れて一時英国に逃れることもあった。ところが、1996年の大統領選挙で、共産党のゲンナージ・ジュガーノフ(Gennady Zyuganov)が台頭するや、エリツィンの地位が危なくなり、それでは困ると思ったグシンスキーは、「独立」メディアを動員してエリツィン支持の方針に転換したという。共産党時代に逆戻りしたら、彼のメディア帝國も危なくなるから、嫌でもエリツィンの勝利を願ったのである。ユダヤ人はこうして自分の為に、巧妙な政治キャンペーンを張って世論を操作するのだ。

  米国のユダヤ人が作る『サタデー・ナイト・ライヴ』みたいに、グシンスキーも政治家を風刺する『クークルィ(Kukly)』という番組を制作した。人形劇のスタイルで政財界の大御所を笑い物にし、彼らを痛烈に批判して大衆の人気を勝ち得たという。エリツィンからプーチン政権に代わってからも、その番組の姿勢は変わらず、原子力潜水艦クルスクが沈没した時などは、プーチンの無策ぶりを手厳しく批判したらしい。グシンスキーは政府から独立したメディアというポーズをとり、自由報道の擁護者と振る舞っていたので、独裁者プーチンにとってもグシンスキーは手強い相手であった。それゆえ、プーチンとしても強引に潰すこともできず、慎重に対処せねばならならなかったという。しかも、グシンスキーは1996年に諸々のユダヤ人宗教組織や福祉団体をまとめて「ロシア・ユダヤ人会議」を創設し、初代会長となった。世界中に蜘蛛の巣のような人脈を張り巡らしているユダヤ人をバックにつければ、いくら豪腕のプーチンでも簡単に手を出せないだろう。用心深い悪党らしく、グシンスキーはイスラエル国籍を取得しており、身に危険が及べばいつでもイスラエルに逃亡できるよう準備していた。こう聞けば、脱税容疑で国外逃亡した米国のマーク・リッチ(本名Marcell David Reich)を思い出す人がいるも知れない。このユダヤ人リッチは逃亡後、イスラエル国籍を取得すると、ユダヤ人脈を利用してクリントン大統領から恩赦を得てしまった。イスラエルとは犯罪をしでかしたユダヤ人の避難場所(シェルター)である。(このリッチについては別の機会で触れる。) 二重国籍を持つユダヤ人が、世界に広がるユダヤ人ネットワークを活用し、ユダヤ人インサイダーのグローバリストになることは当然であろう。

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(左:ロマン・アブラモヴィッチ/右:ベレル・ラザル)

  忌々しいグシンスキーではあるが、権力基盤を固めたいプーチンとしては、無闇にグシンスキーを投獄しようものなら、ユダヤ人からの国際的非難を浴びてしまい、自らの評判を落とすことになる。グシンスキーはユダヤ人団体にお金をばらまいていたので、彼に心酔していたユダヤ人も多かったらしい。慎重なプーチンとしては、ロシア・ユダヤ人会議を安易に潰したり、強引に乗っ取ったりする危険を冒したくない。そこで、プーチンは外国からユダヤ人指導者を連れてきて、別のユダヤ人団体を作る事にしたのである。毒蛇のコブラには大蛇のパイソンを、ロシアのユダヤ人には外国のユダヤ人をぶつければ良いというわけだ。悪党プーチンは実に賢い。そこで選ばれたのは、ロシア国籍を持たない米国のラビ、ベレル・ラザル(Berel Lazar)であった。ラザルはニューヨークに本部がある「ハバード(Chabad)」と呼ばれる正統派ルバヴィッチ(Lubavitch)のハシディズム(Hasidism)運動に属していた。日本人には何だか分からぬ宗派だが、簡単に言えばユダヤ教の戒律を厳守するウルトラ保守派と考えれば良い。(世俗的改革派と違った復古的敬虔派ユダヤ教徒をイメージしてもらえばいいのだか、これまた日本人には難しいから詳しくは個人で調べてね。) 偶然だが、プーチンの腰巾着オルガルヒでユダヤ人のロマン・アブラモヴィッチ(Roman Abramovich)が、ラビのベレル・ラザルに財政支援をしていたのである。このアブラモヴィッチはまた、レフ・レヴァーエフ(Lev Avnerovich Leviev)と仲が良く、レヴァーエフは元ロシア・ユダヤ人会議の幹部で、イスラエルとロシアにおけるルバヴィッチ派ハジディズム運動の支持者でもあった。

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(左:プーチンと会談するベレル・ラザル/右:レフ・レヴァーエフ)

  レフ・レヴァーエフはウズベキスタン生まれのイスラエル国民で、とかく噂のあるダイヤモンド商であった。迫害されるのか日常のユダヤ人にとって、宝石は持ち運びに便利な資産であるから、宝石商や両替商はユダヤ人らしい職業だ。ユダヤ人の巣窟となったアントワープやアムステルダムで、ユダヤ人のダイヤモンド加工業者や小売商は有名である。政商としての才能があるレバーエフは、プーチンとのコネを使って、デ・ビアス社が独占していたロシア産ダイヤモンドの販売権に食い込んだらしい。デ・ビアス社とはあのローズ奨学金で有名なセシル・ローズが築いた世界最大のダイヤモンド会社である。こうして銭儲けに励んだシレヴァーエフが、ロシア・ユダヤ人会議に代わる新たな組織「独立国家共同体ユダヤ人コミュニティー連盟」の会長に就任したのだ。(「Federation of Jewish Community of the CIS」を指す。)

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(左:アドルフ・シャエヴッチ/右:ピンカス・ゴールドシュミット)

  ユダヤ人同士の対立を利用するプーチンは、まだロシア語を習得していないラザルにロシア国籍を与えて、彼の宣教活動を助けてやったという。プーチンのお気に入りとなったラビ・ラザルは、ロシア各地のハシディズム・ラビの代表を招集し、新たな団体を構築し始めた。集められたラビは満場一致でラザルをロシアの首席ラビに選出したのである。しかし、ロシアには当時ユダヤ人会議によって承認された首席ラビ、アドルフ・シャエヴィッチ(Adof Shayevich)がいたのだ。そんなことは百も承知のプーチンは、たちどころにラザル率いるロシア・ユダヤ人コミュニティ連盟を、ロシアにおけるユダヤ人を代表する公式組織と認めたのである。毒をもって毒を制する、政治の要諦を修めたプーチンならではの策略。さすが仕掛に抜かりのないプーチンだ。これで、グシンスキーのユダヤ人会議は、ロシア・ユダヤ人の公的代表機関でなくなったから、グシンスキーを潰しにかかっても、反ユダヤ主義との非難を招くこともなくなった。鉄は熱いうちに打てとばかりに、さっそくプーチンはグシンスキーを召喚し、有無を言わさず投獄したのである。だが、世界の指導者の数名が異議を唱えたため、告訴は取り下げられグシンスキーは釈放されてしまう。しかし、そんなことで迫害の手を緩めるプーチンではない。シャエヴィッチのもとでモスクワの主任ラビをしていたピンカス・ゴールドシュミット(Pinchas Goldscmidt)が、親分のシャウヴッチからラザルに乗り換えることを拒否すると、滞在ビザの更新をしないという嫌がらせをしたのである。ゴールドシュミットはスイス国籍のユダヤ人であったから、プーチンは邪魔なゴールドシュミットを国外退去処分にし、イスラエルに追い払ってしまった。(Yossi Melman , No love lost, Haaretz, December 8, 2005)

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(写真/ルバヴィチ・ハシディズムのユダヤ人)

  自分に刃向かうグシンスキーとユダヤ人会議を痛めつける一方で、プーチンは従順なユダヤ人連盟を厚遇したのである。ルバヴッチ派が信徒用のビルを増築したら、その建堂式に出席してお世辞を述べ、イスラエルからモシェ・カッツァーヴ大統領が来れば、クレムリンで晩餐会を開いてやったのだ。しかも、そのディナーはコーシャ(ユダヤ教の食物戒律)に則った方法で調理され、厳格な調理法を気にするユダヤ人のために、厨房には特別な洗浄装置を備えたという。日本人並みの気配りができるなんてプーチンも大したものだ。まぁ、狡猾な独裁者にとって、これくらいの「おもてなし」は造作もない。愛国心涵養のためにロシア正教を活用しているプーチンにとったら、ユダヤ教徒をおだてて利用しようとしても不思議ではないだろう。ユダヤ人が居坐る国の支配者が、ユダヤ人の政治的野心を打ち砕こうと思ったら、信仰に熱心なユダヤ人を利用して、ユダヤ人の毒を中和させることだ。彼らはいつも何かに不満を抱いて、批判することが三度の飯より好きである。だから、ユダヤ人を押さえ込もうとするなら、ユダヤ人同士を対立させ、彼らのエネルギーをいがみ合いで消耗させることだ。ユダヤ人には金銭と権力を追求する世俗派がいる一方で、宗教的生活を熱望する頑固な敬虔派がいる。それなら、ユダヤ人には金貨より宗教を与えておく方が無難であろう。

chabad-lubavitch Jews 3Hasidic Jews 2


(写真/正統派ユダヤ教徒)

  栄枯盛衰は世の常である。栄華を誇ったグシンスキーもプーチンの登場で、その権力と財力に翳りが差してきた。2000年、横領罪で逮捕されたグシンスキーは、言葉にするのも恐ろしいモスクワの「バツィルスカヤ(Butyrskaya)」刑務所に放り込まれてしまった。三日後グシンスキーは釈放されて、メディア・モストとNTVの株の一部を手放して、2億6100万ドルを借金しているガスプロムに引き渡すことを約束させられた。そうすることでスペイン行きを許可されたのだが、そのあと再び逮捕状が発行され、今度はスペインで13日間投獄される羽目になったという。その間、同種の嫌がらせとして、覆面の税務査察官から検事総長に至る役人により、30回以上に及ぶメディア・モストの強制捜査が行われたのである。メディア・モストの財務部長は曖昧な容疑で2年以上投獄されるし、NTVのキャスターのうち二人が尋問されるという事態にまで発展したのである。

Mikhail-Lesin 1(左/ミハイル・レシン)
  こうした嫌がらせには裏事情があった。プーチンはミハイル・レシン(Mikhail Lesin)を広報大臣に据えて、オリガルヒ撲滅を命令した。そこでグシンスキーに裏取引が提示されたらしい。メディア・モストをガスプロムに売却すれば、自由の身にしてやる、という最後通牒を突きつけられた。プーチンからの要求に屈したグシンスキーは、3億ドルで自分のメディア帝國を売り渡す決断を下した。グシンスキーは売却を済ませると、即座にプライヴェート・ジェットでスペインに飛び、二度とロシアに戻るつもりはなかったらしい。しかし、スペインで暮らしているうちに心変わりがしてきて、取引を反故にしようとしたのである。すると、プーチンの指金で国際手配を受け、スペインで拘束される羽目となり、二度の投獄を経験することとなったが、スペイン裁判所の介入で保釈されたという。ロシアのメディア支配を課題とするプーチンは、邪魔なグシンスキーを潰すため、その手足をもぎ取ろうとしたのだ。ガスムロムはNTVの役員会に新たな役人を送り込み、テレビ局を実質的に牛耳ってしまった。グシンスキーのメディア帝國はズタズタにされ、彼の新聞社『セヴォードニャ』もついでに閉鎖。3億ドルを手にして大人しく海外生活をしていれば良かったのに、グシンスキーは愚かにもプーチンと闘う選択をしてしまったのだ。権力者と商人では戦争にならない。クシンスキーの没落は決定的になった。

  ロシアに蔓延(はびこ)るユダヤ人オリガルヒは煮ても焼いても食えない奴ばかり。兇暴なロシア人と貪欲なユダヤ人の熾烈な闘いはおぞましい。支那人や朝鮮人くらいで手を焼いている日本人には、兇悪ななグローバリストに立ち向かうなんて無理。挙国一致でグローバリスト排除に努めねばならない。自由主義を支持して、奴隷に転落するなんて愚かである。ユダヤ資本に雇われて、日本で構造改革だの騒ぐ御用学者や政治家、高級官僚に騙されてはならない。迫害されて「可哀想なユダヤ人」といったイメージを宣伝する日本のメディアは、ユダヤ人が本来持つ図々しさや兇暴性を報道しないから、日本の庶民は自ら勉強して彼らを警戒するしかないだろう。
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2015年05月25日
共産主義国を搾取したユダヤ人 / オリガルヒの正体 (2)
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権力者と組んだユダヤ人政商
Boris-Berezovsky 4(左/ボリス・ベレゾフスキー)


  ヘビのように狡猾なロシア皇帝ウラジミール・プーチンが、最初の二年間でまず叩き潰そうと思ったのは、グシンスキーとボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)であった。欧米のユダヤ人と同じく、ベレゾフスキーも民衆に影響力を行使するテレビ・ネットワークを支配するユダヤ人である。このベレゾフスキーはギャングみたいな人相からは想像しがたい、アカデミック界から浮上した学者肌のオリガルヒであった。彼は数学を専攻した科学者で、モスクワ林業大学でシステム・コントロールとオペレーション・リサーチを研究していたという。ベレゾフスキーが理数系の分野を専攻したのは、彼がユダヤ人であったからだ。ベレゾフスキーが語ったところによれば、

  俺には政界での将来なんて無いのさ・・・俺は政治エリートの一員じゃなかったしな。俺はユダヤ人だ。制約が山ほどあるのさ。そこんとこは、きっちり分かっている。(David E. Hoffman, The Oligarchs, Public Affairs, Oxford, 2002, p.130)

  科学分野ならユダヤ人への不条理な差別は少ないだろうということで、ベレゾフスキーはコントロール・サイエンス学院に入り、自分の研究機関を主宰するようになった。応用数学を使って意志決定の過程を研究したらしい。1970年代にはハーバード・ビジネス・スクールで研究生活を送ったり、一時はカルフォルニア工科大学で研究をしたようだ。

  学者生活を送っていたベレゾフスキーがビジネスマンに転身したキッカケとは何か? それは自動車販売であった。彼は当時ジグリー(Zhiguli)という乗用車を造っていたソ連最大の自動車会社、アフトヴァス(Avtovas)の経営コンサルタントになって活動していたのだ。流通や販売といった商売が苦手なロシア人は、生産した自動車をどう売ったらいいのか分からなかった。そこに目をつけたベレゾフスキーは、アフトヴァスの経営幹部に食い込んだのである。ベレゾフスキーは「ロゴヴァス(Logovaz)」を創立し、生産した車はロゴヴァスが安値で買い取ることにした。ベレゾフスキーは総合商社のような企業を目指したのであろう。破格の値段で製品を売り渡しても、アフトヴァスの経営幹部は自分の懐が痛むわけでもなかった。彼らは別段困らなかったし、それどころかロゴウァスの重役に迎えられたのである。最終的に廉価販売のしわ寄せは、労働者に押しつけられたのは言うまでもない。

Paul Klebnikov 1(左/ポール・クレブニコフ)
  共産主義体制下でのソ連では、物々交換が珍しくなく、需要と供給を仲介する込み入った売買なんて不得意だった。日本のような流通システムが発達していなかったから、怪しい仲介業者が暗躍したのである。ベレゾフスキーは商社を築いて、売り手と買い手を結ぶ取引を展開したのだ。彼は自家用車に爆弾を仕掛けられるような目に遭いながらも、モスクワの自動車市場に強固な支配権を確立したという。莫大な利潤を得るために、ベレゾフスキーは、チェチェン・マフィアの手も借りたらしい。こんな科学者なんて日本ではお目にかかれない。実験室に籠もって研究していた学者が、商売を始めたら山口組と手を結ぶなんて考えられない。やはりユダヤ人には倫理を無視した天賦の才が備わっているのだろう。『フォーブス』誌のポール・クレブニコフ記者によれば、ベレゾフスキーの商売に割り込もうとした者は、思いがけぬ不幸な死に方をしたという。こうした疑惑の死を報じたクレブニコフ記者も、2004年にモスクワで射殺されてしまった。(C.J. Chivers, Erin E. Arvedlund and Sophia Kishkovsky, Editor's Death Raises Questions about Change in Russia, The New York Times, July 18, 2004) 彼の暗殺はチェチェン人によるものとされているが、その背後にはベレゾフスキーがいたんじゃないか、と推測されている。

Alexander-Voloshin 1(左/アレクサンドル・ヴァローシン)
  1993年、ベレゾフスキーはアレクサンドル・ヴァローシンと共同で、AVVA(全ロシア自動車聯合)と呼ばれる投資会社を設立した。彼はドイツのフォルクス・ワーゲンみたいな、国民車をつくろうと思いつき、その資本集めを考えついたのである。手始めに20億ドルほど必要だったので、資金集めの手段としてAVVAを開設し、株と引き替えができるというヴァウチャーを売り出した。このヴァウチャーは高級紙を使ったもので、わざわざスイスで印刷させ、紙幣のように見せかけていた。1株と印刷された株の額面は1万ルーブルで、理論上AVVAの株と交換できるというものだった。しかし、実際は株に見える紙を販売していたに過ぎない。ベレゾフスキーはその無価値の紙くずを売ったお金でアフトヴァス社の株をインサイダー価格で購入するつもりだったという。そして、アフトヴァスとジェネラル・モーターズ(GM)と合弁会社を設立して国民車を生産しようとするつもりだったらしい。しかし、合弁事業は実現されず、AVVA株は紙くず同然となった。しかし、ベレゾフスキーの懐は痛まず、むしろこの詐欺商法でかなりのお金を儲けたらしい。しかも、共同経営者のヴァローシンは、まもなくエリツィンの首席補佐官になり、その後もプーチンの首席補佐官に納まっている。彼がベレゾフスキーをエリツィン一族に紹介し、エリツィン側近との人脈作りに手を貸したのである。

  NTVを所有していたウラジミール・グシンスキーと同じく、ベレゾフスキーもロシア公共テレビ(ORT)を使って自らの権力を維持していた。1994年に、エリツィン大統領は国営のチャンネル1を競売に掛けず民営化し、51パーセントの株は国家の所有としたが、残りを裕福な支持者に分割したのである。主な株主というのが、ベレゾフスキーを始めとするオリガルヒたちであり、ベレゾフスキーは19パーセントの株しか持っていなかったが、ORT経営陣の人事を掌握し、実質的な支配者となった。これは、エリツィンによる暗黙の了承を得ていたからできたことである。こうした癒着関係があったので、エリツィンが再選を控えて支持率が急落した時、オルガルヒの面々はエリツィンを救済するために、こぞって資金を集めたり、エリツィン支持のキャンペーンを張ったのだ。民衆からの人気を得ていた共産党が復権したら、ロシア国民を食い物にしてきたオリガルヒは真っ先に批判の矢面に立つだろう。彼らは財産を没収されたうえに処刑されるかも知れない、という恐怖に駆られたのだ。

Boris Berezovsky & GussinskySergei Kiriyenko 1Yevgeny Primakov 1


(左:ベレゾフスキーとクシンスキー/中央:キリエンコ/右:プリマコフ)

  後進国では政治家と商売人の不正な結託がひどい。ロシアで権力を振るうエリツィンを支持したオルガルヒは、権力者の恩顧という甘い汁を吸いながら不正蓄財に励んだのである。ベレゾフスキーはアエロフロート航空や石油会社シブネフチ、アルミ産業などにも手を伸ばし、その富を増大させていたのだ。また、ベレゾフスキーはエリツィン再選のご褒美として国家安全保障会議副書記に任命され、のちに独立国家共同体(CIS)調整機構執行書記にも任命された。ユダヤ人ペテン師を国家の要職に据えるとは、エリツィンによる国家の私物化は言語道断。のちにベレゾフスキーは両方のポストから解任されたが、それでもエリツィンの娘タチアーナや側近との人脈を維持していたので、依然として政界で影響力を駆使できたという。例えば、彼はセルゲイ・キリエンコ(Sergei Kiriyenko)首相の解任を仕掛けたらしく、後継者のイヴゲーニー・プリマコフ(Yevgeny Primakov)首相はその危険を察知した。彼はベレゾフスキーの側近をアエロフロートやORTから排除し、抵抗する者は税務調査や会計検査官を送って脅迫したのである。それでもベレゾフスキーは潰されず、なんと選挙に出馬して下院議員になってしまった。しかし、権力を握って安泰かと思われたベレゾフスキーに皮肉な事態が起こったのである。経済危機の煽りを受けたこともあり、エリツィンは強力な指導者を求めるようになったという。そこで、ベレゾフスキーの後押しもあって、FSB長官のプーチンを首相に任命したのだ。これは明らかに、プーチンを大統領に仕立てる布石である。エリツィンはその見返りとして、プーチンに自分の刑事訴追を免責させる腹であった。

Roman Abramovich 3(左/ロマン・アブラモヴィッチ)
  権力者はその座から離れると哀れなものだ。エリツィンの娘による不正は目に余り、その収賄事件は政界から激しい非難を浴びていた。大統領が交代すれば、前政権への不正追及だって激しくなるだろう。プーチンはエリツィン一族と癒着していたベレゾフスキーを狙うようになっていた。ベレゾフスキーからの支援を受けて出世したプーチンだからこそ、かえってその影響力を警戒したのだろう。プーチンはこの危険なオルガルヒのベレゾフスキーに背を向け、不正行為を暴いて投獄するぞ、と脅しをかけた。意思の強いプーチンは追求の手を緩めず、ロシア・テレビ界の支柱たるORTをベレゾフスキーからもぎ取ってしまった。プーチンと対立したベレゾフスキーは下院議員を辞職し、外国に避難しようと思い始めたのである。彼は投資の一部を現金化した方がよいと考え、プーチンのお気に入りであったロマン・アブラモヴッィチに、石油会社のシブネフ株を売却したという。ついでに、ORTの持ち株も8千万ドルでアブラモヴッチに引き渡した。すると、アブラモヴィチはORT株に基づく自分の議決権を、親分のプーチンに恭しく献上したのである。こうして、皇帝プーチンはロシア最大のテレビ・ネットワークを掌握し、自分を批判するメディアを封殺したのだ。

Boris Berezovsky MansionBoris Berezovsky & Elena


(左:ベレゾフスキーが住んでいた英国の豪邸/右:恋人と一緒のベレゾフスキー)

  新たな権力者プーチンと対立したベレゾフスキーは亡命を余儀なくされた。彼は最終的に英国に避難し、憎いプーチンを批判しながら、イングランドで贅沢な暮らしをしていたのである。しかし、そんな亡命者にも不幸な死が訪れた。2013年、彼の遺体が豪邸の浴室で発見されたのだ。(Richard Behar, Did Boris Berezovsky Kill Himself? More Compelling, Did He Kill Forbes Editor Paul Klebnikov?, Forbes, March 24, 2013) ブリテン捜査局の調べでは、他殺の痕跡がなく自殺という結論に達したらしい。しかし、ガーディアン紙のロシア特派員ルーク・ハーディング(Luke Harding)記者は自殺説を疑っている。彼はロシアの諜報機関がベレゾフスキーを自殺に見せかけて殺害したのではないか、と推測していた。そうした疑惑がある一方で、ベレゾフスキーは訴訟による裁判沙汰や破産の危機で悩んでいたとの情報もある。ロシア人亡命者でベレゾフスキーの友人であるニコライ・グルシュコフは、警察やマスコミが報じる自殺や自然死を信じていない。グルシュコフは「奴が自殺したなんて考えは糞食らえだ。・・・裁判の判決が下りた時、奴は活き活きとしていたし、家で待っている若い女について話していたんだ。あとになるが、奴は財政危機を乗り越えていたんだよ」と話していた。(Mark Adomanis, Was Boris Berezovsky Murdered? The Evidence Strongly Suggests No, But Luke Harding Says Maybe, Forbes, March 26, 2013)

Boris Berezovsky & Elena & KidsBoris Berezovsky & Annika Ancvernia


(左:家族と一緒のベレゾフスキー/右:パーティーでのベレゾフスキー)

ただし、ロシアの秘密機関がベレゾフスキーを暗殺したのかどうか謎である。彼をロシアから追放し、権力基盤を固めたプーチンが、十年以上も経ってからわざわざ暗殺するほど、ベレゾフスキーに価値があったのか? 彼を殺すメリットとは何だったのか? プーチン側は英国の防諜機関MI5が暗殺したのだ、との憶測を流した。(Cyril Dixon, Boris Berezovsky ‘died by hanging’as Kremlin blames MI5, Express, March 26, 2013) これと対照的な、別の推測もある。もしかしたら、ロシア諜報機関による暗殺からベレゾフスキーを守るため、MI5が自殺を装って彼を隠匿したのではないか、との噂も流れた。(Will Stewart, Is Boris Berezovsky ALIVE?, Daily Mail, 26 September 2013) 英国側としてもプーチンのイメージを悪くできるし、利用価値のあるベレゾフスキーを温存できるので、何らかのメリットがある。しかし、本当のところは分からない。諜報機関が絡むと真相は闇の中だ。

資源が豊富なロシアを搾取

  共産主義国では逆説(パラドックス)が起こる。理屈では無産労働者(プロレタリアート)の為に建てられた楽園だったのに、いざ出来上がると専制支配、赤い貴族の出現、庶民の搾取と弾圧、貧困の深刻化といった地上の生き地獄が実現される。ロシア、支那、北朝鮮を調べれば一目瞭然。共産主義体制が崩壊したロシアに、成り上がり型の大富豪が誕生した理由は何か? それは北方の半アジア大国が天然資源に恵まれていたからである。何と言っても、石油、天然ガス、ニッケル、アルミニウム、鉄鉱石、レアメタルなどが豊富に埋まっているのだ。だが、この資源国は計画経済と国家所有を前提とした法制度しかなく、自由市場経済における私営企業が存在するなんて考えていない。したがって、民間企業や私有化に関するルールや規制が無かった。まぁ、あったとしても権力者が勝手に歪曲するだろうし、規則や手続きを無視したって、怖い政治家や官僚を掣肘(せいちゅう)しようだなんて国民もいないのだ。傲慢さを絵に描いたようなエリツィンが、法治主義のルールを気にするわけないし、暗殺を厭わないプーチンが、公正な手続きを遵守するわけないだろう。

Mikhail-Khodorkovsky 1(左/ミハイル・ホドルコフスキー)
  石油成金のオリガルヒとくれば、日本人や欧米人なら、まずミハイル・ホドルコフスキー(Mikhail Khodorkovsky)を思い浮かべるだろう。彼は1963年に生まれたユダヤ人で、モスクワの共同アパートに住む貧しい家庭に育ったが、その才能を活かし大富豪への階段を昇ることになる。彼は元々共産主義者青年同盟(コムソモール/Komsomol)出身で、名門メンデレーエフ化学技術学院を卒業した後、別の大学で法律や金融・財政を学んだという。共産主義思想を植え込まれたロシア人なら、馬鹿の一つ覚えのように共産主義思想の擁護者になりがちだが、ユダヤ人のホドルコフスキーはひと味もふた味も違った。彼は大学の級友とコーヒー・ショップやディスコ・クラブを開いたり、ソ連では希少価値のある品を販売したり、と手広く商売をこなしていたようだ。一時は、「ナポレオン」といったブランデーやスイス産の偽ヴォッカを扱ったり、中でも人気だったのは荒く洗濯したジーンズであった。西側のポップ・カルチャーはロシア人青年の垂涎の的であったからだ。西歐の文化に憧れたロシア人の欲求はすごかった。若い娘の中には、コール・ガールになってもいいから、フランスのパリに住みたいと考えるものがいたくらいだ。若くて美しい時期を工場労働で無駄にしたり、国営食料品店で配給を受けたりする生活なんてで嫌だ。雪が降りしきる寒い中、行列に並んで買うのが黒くなった腐りかけの肉だったりする。公営の狭くて汚いアパートで、脂肪分の多い料理を食べながら、ジャガイモのような体型になってゆく。お洒落をしたい年頃なのに、高品質の化粧品もないし、気の利いた娯楽も少ないから、車の中でのセックスが最高の楽しみだったりする。気がつけば肌はかさかさ、シミ皺だらけの顔にはヒゲが生え、小太りの中高年ババアが一丁出来上がり。そんな人生はゾっとするだろう。(考えてもしょうがないけど、なんで可愛らしいロシア人少女が、中年過ぎると大型のブルドッグになってしまうのか不思議である。)

  商才のあるホドルコフスキーは、資金調達のために「メナテップ(Menatep)」と称する協同組合を結成した。科学分野の研究やコンピューター開発に必要な技術や部品も提供したらしい。彼にとって、コンピューターの購入販売は主な収入源となっていた。ホドルコフスキーはまた、ヴェニスの商人みたいに、金貸し業も同時に行っていたという。この協同組合は1988年に「メナテップ」銀行に再編され、「商業新生銀行」として公式に営業免許を受けたのである。この新生銀行は国営銀行とのジョイント・ベンチャーで、資本金は250万ルーブルであったという。創立当時はコムソモール中央委員会をはじめ色々な共産党員が資金を持ち込んだらしく、不正な資金洗浄を行ったようだ。悧巧なホドルコフスキーは警察の嫌がらせや捜査をかわすため、国家委員会の役人に袖の下を渡していたらしい。やはり、灰色のビジネスに手を染める連中は、いざという時のために準備しているものだ。「メナテップ」は再免許を受けて株式会社となり、ホドルコフスキーが取締役会の会長におさまった。彼の欲望はまだこんなもんじゃない。1991年に「メナテップ株主クラブ」を発足させて、政府が国有企業を私有化する時代のチャンスを見逃さなかった。ホドルコフスキーはヴァウチャーを集めて私有化された企業を支配するし、メナテップ・バンクが株を集めれば、それを管理するために「ロスプロム」を設立した。メナテップは各分野に手を広げ、子会社を抱え始めたという。それは化学、建設、織物、鉱業、消費財、石油の分野であった。

henry-kissinger 1Jacob Rothschild 1Hans-Dietrich_Genscher


(左:ヘンリー・キッシンジャー/中央:ジェイコブ・ロスチャイルド/右:ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー)

  こうしたカテゴリーの中で、もっとも成功したのが石油部門の子会社、「ユーコス(Yukos)」であることは言うまでもない。ユーコスはロシア最大の石油会社に成長し、ホドルコスキー帝國の支柱となった。1995年にはグループ管理会社として「ロスプロム」を設立したが、ホドルコフスキーはその取締役会会長になる。成功する悪党は幸運なものが多い。1998年に起こった金融危機でメナテップ銀行は破綻するが、ホドルコフスキーはユーコスを何とか守り抜いたのだ。こうした苦難をくぐり抜けると、翌年は石油価格が高騰して、ユーコスの価値はうなぎ登り。ダーティーなイメージを払拭するために、西歐の幹部をユーコスに招いたり、と透明な経営に務めたらしい。また、公共精神があることを宣伝するために、アメリカの議会図書館に100万ドルの寄附を行い、オープン・ロシア財団を設立すると、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルドを理事会のメンバーに迎えたという。キッシンジャーは確かに有名人だが、いかがわしいユダヤ人に変わりがない。ニクソン大統領から「俺のユダ公(My Jew boy)」と呼ばれた元国務長官は、副大統領のネルソン・ロックフェラーの方に忠誠を誓っていたのだ。ジョン・F・ケネディーからも侮蔑されたキッシンジャーは、支那でもコンサルタント業務を請け負ったりして儲けていたらしい。自らの地位を安泰にするため、ホドルフスキーは不動の地位を誇るロスチャイルドをパトロンにし、プーチンからの攻撃に備えたのかも知れない。

Mikhail Khodorkovsky 5Mikhail Khodorkovsky 3


(右/法廷でのホドルコフスキー)

  ホドルコフスキーは自らの石油帝國を更に拡大しようと、大手石油会社「シブネチ」を吸収合併しようと試みた。しかも、その合併で誕生する会社の株式に、アメリカの巨大石油会社エクソン・モービルを引き込もうとしたのだ。ロシアの主権を自らの手に握っておきたいプーチンにとって、巨万の富を築くホドルコフキスーは脅威となってしまう。危険な芽は早めに刈り取っておかねばならない。ロシア検察当局は脱税などの容疑で、ホドルコフスキーに禁固10年を求刑した。裁判では禁固9年の刑を言い渡され、服役中に2013年プーチンの恩赦を受けて釈放されたのである。ホドルコフスキーの釈放には、ドイツの元外相ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー(Hand=Dietrich Genscher)が動いていたという。(Secret diplomacy in Kordorkovsky case, Pravda, 24 December 2013) また、彼の釈放前にヘンリー・キッシンジャーがモスクワに渡り、プーチンやセルゲイ・イワノフと会談していたというから、奇妙な偶然である。刑期が2017年までに延長されたホドルコフスキーは、恩赦を得るためにプーチンと取引できる何かを隠し持っていたのだろう。あのプーチンが人道主義で動くはずはない。必ず裏取引があったはずだ。なぜドイツのゲンシャーが、悪徳商人の保釈を求めてプーチンと交渉したのか、甚だ不思議である。ただし、釈放されたホドルコフスキーが、再びロシアの政治に介入することはないだろう。今度は命が危ないからだ。

stalin 1毛沢東 2Franklin Roosevelt 1


(左:ヨシフ・スターリン/中央:毛沢東/右:フランクリン・ローズヴェルト)

  ロシアの支配者になるような政治家は実に狡賢い。独裁者は冷徹な目で現実を認識し、邪魔者を早めに片付けようとする。自分の権力基盤にとって脅威となる悪魔は小さなうちに抹殺しようとする。ユダヤ人は金銭を持ち始めると実に厄介だ。厚顔無恥な上に欲の皮が突っ張っている。しかも、世界各地に強力な仲間を持ち、同種のよしみで協力を求めることができる。世界ユダヤ人会議なんて恐ろしい組織まで持っている。日本人が「世界日本人会議」を組織するなんて発想は無い。せいぜい歐洲と北米に、日本アニメ同好会を結成するくらいだ。大学の教授や新聞社の論説委員はけっして口にしないが、ヒトラーやスターリンは悪党だったから、ユダヤ人の危険性に気づいていたし、その脅威を早めに潰してしまおうと思ったはずだ。ヒトラーはドイツで金融を支配するユダヤ人を排斥したかったし、米国や英国にはびこるユダヤ勢力を警戒していた。ユダヤ人だらけのボルシェビキを肉眼で見たスターリンは、ロシアの実権を握るやユダヤ人を排斥したり、ヒトラー以上にユダヤ人を虐殺したのである。邪魔者どころか、将来自らの権力を脅かすユダヤ人に対し、スターリンは先手を打ったといえよう。いかにも野蛮なスターリンらしいが、安心を確保するためには皆殺しが一番。ワルい奴は同類の臭いが分かるのだ。日本人みたいな甘っちょろい民族は、ユダヤ人の本性が分からない。明らかに分かる支那人や朝鮮人に対しても、厳しい処置をとれない日本人が、海千山千のユダヤ人に対抗でき訳がないだろう。島国で平和に暮らしてきた日本人に、大量虐殺が当然のアジア大陸は理解できない。血なまぐさい生活が日常のアジア人は、心に闇を持ち、執念深くて陰険だ。如何なる手段を用いても勝利を確実にする。公正や名誉を求めるなんて、平和な民族の道楽である。ユダヤ人の本性は、同類のアラブ人と対峙した時に現れる。迫害されて哀れなユダヤ人というイメージを日本人は持っているが、そんな幻想はパレスチナ紛争で牙をむき出しにしたユダヤ人を見れば、粉々に消し飛んでしまうだろう。

Hitler 3winston churchill 1(左:アドルフ・ヒトラー/右:ウィンストン・チャーチル)
  ロシアを自分の物にしたプーチンなら、ユダヤ人に支配された欧米諸国をあざ笑うだろう。第二次世界大戦を冷静に眺めてみれば奇妙なことに気づくはずだ。英国のチャーチルが、あれほどドイツと闘いたかった理由のひとつは、迫害されるユダヤ人を救いたかったからである。異常なまでにユダヤ人贔屓だったチャーチルは、同胞のイギリス人を犠牲にしてまで異邦人たるユダヤ人を救いたかったのである。チャーチルとユダヤ人の関係は滅多に書かれないが、調べてみると驚愕の史実が出てくる。第一次大戦で歐洲政治への介入を嫌がったアメリカ国民は、ユダヤ人好きのローズヴェルトによって戦争に引きずり込まれてしまった。共産主義が大嫌いだった英米が、天敵ソ連と同盟を結び、ドイツ人と戦うことを選んだのだ。逆にヒトラーは英米との闘いを望んでいなかった。むしろ、同盟を結びたかったくらいである。莫大な犠牲を払った大戦が終結すると、一番得をしたのはスターリンで、二番目が毛沢東、三番目が米国、認めたくないだろうが英国は負け組である。ユダヤ人を助けて、大英帝国は没落。イギリス人エリートは大量に死んでしまうし、植民地での人種的優越もなくなって、白人の王国だったブリテンに有色人種が逆流してきた。解放されたユダヤ人はおぞましいイスラエルに向かわず、アングロ世界に住み着いたのである。気前よく移住を許した米国や英連邦のアングロ系国民は、ユダヤ人に国家の中枢を握られてしまった。しかし、言論界をユダヤ人に支配された欧米諸国では、こんな簡単な事実を述べる学者はまずいないし、テレビ局がユダヤ人支配の現実を描くドキュメンタリー番組を作ることはない。大抵の歴史家は既存の枠組みの中で、歴史書を綴っているので、外界から歴史を見ることはないのだ。ユダヤ人が設定した枠からはみ出た歴史書は、「反ユダヤ主義」との烙印を押されて、「トンデモ本」と分類されてしまう。ロシアの現実を見ることは、日本人にとって意義がある。露骨な権力闘争は良い勉強になるのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68377366.html



4. 中川隆[-12522] koaQ7Jey 2019年2月02日 12:35:34: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告
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アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった


ワーグナーの手紙、イスラエルで競売へ ユダヤ人の「腐食的影響」に言及
2018年4月23日 12:13 発信地:エルサレム/中東・アフリカ


反ユダヤ的な内容が記されたドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの手紙。エルサレムで
(2018年4月16日撮影)。(c)AFP PHOTO / MENAHEM KAHANA


【4月23日 AFP】ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がユダヤ人による文化への悪影響を危惧した内容の手紙が24日、イスラエルで競売に掛けられる。反ユダヤ主義者だったワーグナーの作品はイスラエルでは公の場での演奏が実質的に禁じられているが、これを機に国内で議論が再燃しそうだ。

 ワーグナーが19世紀に作曲した壮大で国粋主義的な作品は、反ユダヤ主義やミソジニー(女性への嫌悪や蔑視)、民族純化思想に満ちている。

民族純化は後にナチス・ドイツ(Nazi)が大々的に掲げ、その指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった。

 出品される1869年4月25日付の手紙は、ワーグナーがフランス人の哲学者エドゥアール・シュレー(Edouard Schure)に宛てたもの。その中では、ユダヤ人がフランス社会に同化すれば「ユダヤ精神による近代社会への腐食的影響」を観察できなくなるとし、フランス人はユダヤ人について「ほとんど何も」知らないなどとも記している。

 イスラエルにはワーグナー作品の演奏を禁止した法律はないが、過去に演奏が試みられた際に国民から強い反発が起き、騒ぎになった経緯があることから、オーケストラや会場が演奏や上演を自粛している。

 ワーグナーは1850年、偽名で「音楽におけるユダヤ性」と題した論文を発表し、激烈な反ユダヤ批判を展開。1869年にはこの論文を実名で出している。(c)AFP


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ヒトラーがユダヤ人だというのは欧米マスコミが流した悪質な嘘だった


「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく何の変哲もない一般的な「オーストリア人」
シシリー (土曜日, 05 7月 2014 23:02)

「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく、何の変哲もない、一般的な「オーストリア人」の可能性が高い状況です。

「アドルフ・ヒトラー」のY染色体ハプロタイプを調査した結果、「E1b1b」であった為、「ユダヤ人」とのデマを広めた者がいました。迷惑な話です。確かに、ユダヤ人であるアルバート・アインシュタインも同じ「E1b1b」であるように、イスラエル人からよく検出されるY染色体ハプロタイプ「マーカ」です。

しかし、Y染色体ハプロタイプを知る者はすぐ分かるのですが、「E1b1b」は、その他、イタリア人、ギリシャ人、エジプト人等からも多く検出される「マーカ」であり、「アドルフ・ヒトラー」が生まれ育ったオーストリアでは、国民の10%が「E1b1b」を占めています。

↓「E1b1b」はヨーロッパ全ての国民から、多かれ少なかれ検出される「マーカ」であり、ジョンソン米大統領、ナポレオン・ポナパルト、ライト兄弟等も同じ「マーカ」です。
http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml

結論として、「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく、何の変哲もない、一般的な「オーストリア人」となります。
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「ユダヤ人」との説があることは知っています。しかし、「アドルフ・ヒトラー」は政治家であるため、生前から、誹謗、中傷、攻撃する話は山ほどあるのは当然です。また、面白おかしく捏造した説もたくさんあります。しかし、科学的根拠もなく、記録すら無いものは、評価には値しません。現時点では「デマ」レベルと考えるほうがいいでしょう。
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http://ugaya.jimdo.com/2013/08/06/%EF%BD%84%EF%BD%8E%EF%BD%81%E3%81%8C%E7%B4%90%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%A8%E3%81%AF/  

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ユダヤ人が猛烈にヒトラーを糾弾するのは、この独裁者が異民族を迫害したからではなく、ユダヤ人が一番気にするセム種族の肉体を標的にしたからだ。ユダヤ人に対する迫害なら、歴史上ヨーロッパの王様や貴族が行っていたから珍しくも何ともない。

だが、お金で買収されない支配者というのは稀だ。大抵の封建領主はユダヤ人の金銭に目が眩み、例外を設けて一部のユダヤ人を優遇する。少数でも生き残れば、狡猾なユダヤ人はこの例外を大きく広げ、いつの間にか大勢のユダヤ人が「例外」となってしまうのだ。そして、再び迫害が起きぬよう、ユダヤ人に対する「偏見」を取り除こうと画策し、ヨーロッパの民衆に人種平等の思想や寛容の精神を刷り込もうとする。これがユダヤ流の心理戦。だから、一部のヨーロッパ人が反撥を覚え、再びユダヤ人を排斥しようと望んでしまうのだ。

憎まれる奴には「憎まれるだけの理由」がある。ユダヤ人はアメリカ人やヨーロッパ人に対して「異人種への憎しみを捨てろ !」と迫るが、それなら先にイスラエルの同胞に対して言ってみろ。きっと、米国のユダヤ人はイスラエルで袋叩きに遭うぞ。イスラエルの保守的なダヤ教徒に殴られ、小声で「ヘイト反対!」と囁く、リベラル派ユダヤ人の姿が目に浮かぶじゃないか。

ユダヤ人や左翼は「弱者救済」とか「自由の擁護」を口にするが、それは彼らにとって利益になる時だけであり、敵対者の自由を尊重する気など毛頭無い。彼らが保守派の言論を抹殺したくなるのは、物事の核心を突く言葉を発するからである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68719818.html



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ヒトラーはユダヤ系少女と仲良しだった……写真競売に 2018年11月14日
https://www.bbc.com/japanese/46204022

にっこり楽しそうに笑う女の子を、男性が抱きかかえている。男性も嬉しそうに笑っている。一見すると、素晴らしく幸せな写真だ。

写っている男性が、アドルフ・ヒトラーでさえなければ。そして、女の子がユダヤ系でなければ。

ヒトラー率いるナチスはユダヤ人を迫害し、後にユダヤ人600万人の大虐殺を遂行した。それにもかかわらずヒトラーは、ローザ・ベルニール・ニナウさんとの友情を大事にしていた。5年後にナチス高官が介入して、やめさせるまでは。

2人の関係を1933年に記録した珍しい署名入りの写真は、米国でオークションにかけられることになった。

写真は、ヒトラー専属の写真家ハインリヒ・ホフマンが撮影したもの。米メリーランド州の競売業者アレクサンダー・ヒストリカル・オークションは、13日に始まった競売では1万ドル(約110万円)ほどの値がつくだろうと予測している。

「サイン入りのものが表に出てきたことはなかった」と、同社のビル・パナゴプロス氏は英紙デイリーメール電子版に話している。

「ヒトラーはプロパガンダ目的で、しょっちゅう子供と一緒に写真を撮った。しかし、この作品は衝撃的だ。ヒトラーは本心からこの女の子に、親近感を抱いていたようなので。愕然とした」

「ヒトラーの恋人」

ヒトラーと女の子は、誕生日が同じだった。それが出会いのきっかけだった。

競売サイトによると、ローザさんは1933年、母親のカロリーネさんと一緒に、アルプスにあったヒトラーの別荘ベルクホーフを訪れた。別荘の外には、ナチス総統の誕生日を祝う大勢が集まっていた。

ローザさんの誕生日が自分と同じだと知ったヒトラーは、ローザさんと母親を別荘に招き入れたとされている。写真はそのとき撮られたという。

それからまもなくして、カロリーネさんの母親がユダヤ人だったことが判明する。ナチスにとっては、ローザさんもユダヤ人ということになった。


A girl, believed to be Rosa, holds Hitler's hands in a different image from the same dayImage copyright Getty Images
Image caption
ヒトラーは少女がユダヤ系と知りながら、友情を育んだ

しかしそれでも、ヒトラーは少女との友情を終わらせなかった。一緒に撮った写真は、サインをして送っている。

「親愛なる、そして(思いやりのある?)ローザ・ニナウへ、アドルフ・ヒトラー、ミュンヘン、1933年6月16日」と、ヒトラーは書いた。

ローザさんは後に、この白黒写真に自分で花を足しているようだ。

ローザさんは1935〜1938年の間に、少なくとも17回にわたりヒトラーと側近のヴィルヘルム・ブリュックナーに宛てて手紙を書いた。ヒトラーの個人秘書マルティン・ボルマンが、ローザさんと母親(ローザさんの父親は死亡していた)に連絡を控えるよう命令するまで続いた。


現代のドイツ人、2度の世界大戦をどう振り返る 死者をどう追悼する

部下のこの命令を、ヒトラーは気に入らなかったようだと写真家のホフマンは後に書いた。

ホフマンは1955年に発表した回顧録「Hitler Was My Friend(ヒトラーは友達だった)」で、「私のあらゆる楽しみを台無しにするのが本当にうまい連中がいる」とヒトラーが自分にぼやいたのだと書いている。

ホフマンはさらに同書に、「ヒトラーの恋人」とキャプションをつけて、2人の別の写真を掲載。「ベルクホーフで少女に会えるのをヒトラーは楽しみにしていた。しかしそれは、お節介な誰かが、少女が純粋なアーリア人の血統でないと発見したため、終わってしまった」のだという。

ボルマンが、ヒトラーと少女の接触をやめさせた翌年、第2次世界大戦が勃発した。6年後の終戦までに、ユダヤ人600万人が死んだ。

ローザさんも戦争を生き抜くことはなかった。ポリオにかかり、ヒトラーと初めて会った10年後の1943年、17歳でミュンヘンの病院で亡くなった。

(英語記事 Remarkable tale of Hitler's young Jewish friend)

https://www.bbc.com/japanese/46204022

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2019年3月3日
ヒットラーとボスニア、苦難の歴史
早春のアルバニアからクロアチアまで中欧自転車&バスの旅 第8回
高野凌(定年バックパッカー)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15523

第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の舞台

 サラエボで投宿したホステルの名称は何と「フランツ・フェルディナンド ホステル」。 

 1914年のサラエボ事件で暗殺されたオーストラリア・ハンガリー帝国の皇位継承第一位(crown prince)フェルディナンド皇太子の名前だ。

 ホステルの壁や天井は一面に暗殺された皇太子フランツと皇太子妃ゾフィー、そして皇帝一族の写真やサラエボ事件のニュース写真などで覆われている。ホステルは暗殺現場から数分の裏通りである。

 ベッドに寝転んでドミトリーの天井一杯に貼られているフェルディナンドの巨大な肖像写真を眺めていると100年以上前の世紀の大事件の臨場感に包まれた。


サラエボ市街(Ellica_S/Gettyimages)

メルボルン生まれのボスニア青年の嘆き

 ホステルで同室になったジェミーは白人系のフツウの青年であった。しかし話を聞いて驚いた。イスラム教徒の彼の一家はボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争当時にボスニア難民としてオーストラリアに移住。彼はメルボルンで生まれ、現在はメルボルン大学で数学を専攻している。

 歴史的にボスニア・ヘルツェゴヴィナには三つの民族が暮らしていた。同じセルビア系人種であり言語・文化は同一である。イスラム教徒のボシュヤニク人(=ボスニア人)、正教徒のセルビア人、カトリック教徒のクロアチア人である。

 この三つの民族が独立の主導権を巡り対立。そこに旧ユーゴスラビア軍(のちにセルビア共和国軍)が介入してセルビア人勢力を支援したため紛争が長期化。

 ジェミーは今回生まれて初めてボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪れ、両親の故郷であるサラエボ近郊の親戚の家に逗留。故郷を訪問してジェミーが見てきたのは、戦闘行為が終結して20年以上経過した現在でも住民間の敵対感情は消え難く民族間の和解には程遠いという厳しい現実であった。

サラエボ事件の暗殺犯は英雄なのか狂信者なのか

 3月21日。前夜からの吹雪で午前中は観光を断念。ホステルのロビーで受付とガイド兼任のアレン31歳とおしゃべり。3月21日はサラエボの春の祭日(最初の春の日)とのこと。

 イスラム教徒のボスニア人(=ボシュヤニク人)であるアレンは政治意識が高い。アレンからボスニア人から見たバルカン半島の近現代史を拝聴。

 オーストラリア・ハンガリー帝国の皇太子を暗殺したサラエボ事件の実行犯であるガブリロ・プリンチップ(Gavrilo Princip)はセルビア人にとっては国民的英雄(national hero)だが、ボスニアでは狂信的犯罪者と見做されているという。

 ガブリロ・プリンチップはサラエボで生まれ育った。セルビア正教徒のセルビア人である彼の一家はイスラム教徒の大地主の下で働く貧農であった。こうした家庭環境から成長すると汎スラブ主義に傾倒して、セルビアの首都ベオグラードに渡り過激な政治運動に身を投じたという。

 ガブリロ・プリンチップは暗殺実行時点で19歳であったので死刑を免れたが、4年後の1918年に第一次世界大戦の終結を見ずにオーストラリア・ハンガリー帝国の刑務所で病死した。大戦後に彼の墓はセルビア人の人々によって英雄の眠る聖地となったという。

大国ロシアが影を落とすバルカン半島の歴史

 第一次世界大戦以前、ロシアはオスマントルコと敵対してバルカン半島の勢力拡大を狙っていた。そのためロシアは汎スラブ主義(Pan-Slavism)の大義を掲げてセルビア人を支援。

 オーストリア・ハンガリー帝国はセルビア人をロシアの手先として警戒。このような地政学的背景から皇太子フェルディナンド・フランツはボスニア人の権利を擁護して守護する政策を取った。現在でもサラエボでは皇太子は人々に慕われているという。

セルビア人はボスニア人(ボシュヤニク人)の言語・文化を抹殺

 第一次世界大戦でもロシアとセルビアへ対抗するためにボスニア人はドイツ・オーストリア側について参戦。

 しかし敗戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊。戦後処理では戦勝国ロシアの後押しを受けたセルビア人勢力が建国したセルビア・クロアチア・スロベニア王国にボスニア・ヘルツェゴビナは併合された。

 アレンによると、この時代セルビア人支配者はボシュヤニク人(イスラム教徒のボスニア人)を徹底的に弾圧。ボスニアの独自の言語表記を禁止し、民族的由来の名前の使用を禁止した。セルビア人支配下ではさらに職業も制限されて百姓、大工、石工、そして音楽・ダンス等の芸人という最下層の仕事のみが許されたという。

ナチスドイツはボスニアの救世主?

 第二次世界大戦においてもセルビア人はロシア(ソ連)についた。セルビア人の圧政に苦しんでいたボスニア人は対抗上ソ連と敵対するナチスドイツに接近した。

 ナチスドイツはボスニア人を優遇して同盟(alliance)を結んだ。ナチスドイツは武器を援助してボスニア人の若者はロシア(ソ連)と戦うために東部戦線(Eastern Front)に出征したという。

 亡くなったアレンの祖父の自慢話はナチスドイツの崩壊後にドイツ人の逃亡兵をかくまって保護したことだったという。素朴なボスニア人にとりナチスドイツは過酷なセルビア人支配からの“解放者”(liberator)であったのだ。

チトーはボスニア人を裏切った!

 第二次世界大戦の末期にチトーはボスニア・ヘルツェゴヴィナでも反ナチスドイツ闘争(パルチザン運動)を開始。彼はボスニア・ヘルツェゴヴィナの自主独立という甘言を弄して反ナチス闘争への参加を勧誘した。

 戦後ユーゴスラビア社会主義連邦が成立。アレンによるとチトー政権下でもセルビア人が支配階層となりボスニア人への差別は多かれ少なかれ存在した。ボスニア人はいくら優秀でも各分野の指導者になる道は実質的に閉ざされていたという。

ユーゴ紛争によるボスニア人の民族離散(diaspora)

 1990年から始まったユーゴスラビア社会主義連邦の解体の過程でセルビア人勢力による攻撃を逃れて膨大な数のボスニア人が国外に離散。

 アレンによるとトルコに逃れた難民は100万人以上となり、当時ボスニア難民の数はトルコ国内のクルド人よりも多かったとのこと。さらにドイツ、そして米国、カナダへも多数のボスニア人が移住した。

 混乱の収まった2013年の人口調査(census)ではボスニア・ヘルツェゴビナの総人口は約370万人であったとのこと。

 注)この国勢調査ではボスニア人(ボシュヤニク)が全体の54%であったので2013年時点のボスニア人の人口は約200万人と推計される。他方セルビア人は33%であり120万人程度となる。

ボスニア人にとりセルビアは不倶戴天の敵

 セルビアは歴史上常にロシアの先兵としてバルカン半島でdirty jobを担ってきたとアレンは強調。プーチン政権はセルビアへ最新鋭ミグ戦闘機を含む2億ドルの武器供与をコミットした。

 セルビアは現在も将来も常に危険な隣国であり、それゆえEUとNATOへの加盟がボスニア・ヘルツェゴヴィナの最重要政治課題であるとアレンは力説した。

悲劇の歴史の産物なのか、著名アーティストを輩出するボスニア

 アレンによると旧ユーゴスラビア社会主義連邦時代を含めて長年のセルビア人支配下でボスニア人に許されていた職業分野として歌手や役者などの芸人があった。こうした歴史的背景から現在でも著名なボスニア人アーティストが国境を越えて活躍しているという。

 セルビアの首都ベオグラードで人気を博しているのはボスニア人の歌手やバンドとのこと。TVのボスニア・ミュージック・チャネルはセルビアでも大人気らしい。映画でもボスニア人監督がオスカーを2回受賞。ベネチア映画祭、ベルリン映画祭でも最高賞を受賞したという。

 ボスニア人アーティストの活躍は、アレンの解説通りに歴史的差別の産物なのだろうか。



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ヒトラー一人に戦争責任を押し付けたドイツ人

比較敗戦論のために - 内田樹の研究室 2019-03-20
 ドイツ統合は敗戦の否認か


 戦争の記憶を改竄することによって、敗戦国民は当座の心の安らぎは手に入れることができるかも知れません。でも、そこで手に入れた「不当利得」はどこかで返済しなければならない。いずれ必ず後でしっぺ返しが来る。世界の敗戦国を一瞥すると、どこも七〇年かけて、ゆっくりと、でも確実に「記憶の改竄」のツケを支払わされている。『永続敗戦論』が明らかにしたように、日本も敗戦の否認のツケを払わされている。そして、この返済はエンドレスなんです。「負債がある」という事実を認めない限り、その負債を割賦でいいから返して行かない限り、この「負債」は全く別の様態をとって、日本人を責め続ける。

 「ドイツは敗戦経験の総括に成功した」と多くの人が言います。でも、本当にそうなんでしょうか。僕は簡単には諾うことができません。東ドイツのことを勘定に入れ忘れているような気がするからです。

東ドイツは「戦勝国」なんです。東ドイツはナチスと戦い続けたコミュニストが戦争に勝利して建国した国だという話になっている。だから、東ドイツ国民はナチスの戦争犯罪に何の責任も感じていない。感じることを国策的に禁止されていた。責任なんか感じてるはずがない。自分たちこそナチスの被害者であり、敵対者だということになっているんですから。悪虐非道なるナチスと戦って、それを破り、ドイツ国民をナチスの軛から解放した人々が、何が悲しくて、ナチスの戦争犯罪について他国民に謝罪しなければならないのか。

 一九九〇年に合併した当時、西ドイツと東ドイツとは人口比でいうと四対一でした。ということは、その時点では、全ドイツ人口の二〇%、一六○○万人は「自分たちはナチスドイツの戦争犯罪に何の責任もない」と子供のころからずっと教えられてきた人たちだったということです。それが合併後のドイツの国民的自意識にどういう影響を与えたのか。僕は寡聞にして知りません。

 日本国内に「日本軍国主義者の戦争犯罪について、われわれには何の責任もない。われわれは彼らと戦って、日本を解放したのである」と教えられて来た人が二四○○万人いる状況を想定してください。そう信じている「同胞」を受け容れ、戦争経験について国民的規模での総括を行い、合意を形成するという作業がどれほど困難であるか、想像がつくと思います。さて、果たして、ドイツでは東西ドイツが合併した時に、戦争経験の総括について、国民的合意を形成し得たのか。僕は「ドイツはこんな風に合意形成を成し遂げました」と納得のゆく説明をしたものをこれまで読んだことがありません。いや、それは僕がただ知らないでだけで、そういう「全く相容れない戦争経験総括を一つにまとめあげたドイツの素晴らしい政治的達成」については既に色々な報告や研究が出ているのかも知れません。でも、そうだとしたら、それこそ「国民的和解」の最良のモデルケースであるわけですから、国内的な対立を抱える様々な国について、何かあるごとに、「ここでも『和解のためのドイツ・モデル』を適用すべきではないか」ということが言及されてよいはずです。でも、僕はそのような「和解モデル」について聞いたことがない。

 ドイツの戦争総括の適切さを語るときに、よくヴァイツゼッカー元大統領の演説が引かれます。この人はヨーロッパの諸国を訪れては、そのつどきちんとナチス・ドイツ時代の戦争犯罪について謝罪しています。その倫理性的な潔さは疑うべくもありません。けれども、やはり日本とは話の運びが微妙に違う。ヴァイツゼッカーは五月四日、ドイツが連合国に無条件降伏した日を「ドイツ国民解放の日」と言っているからです。われわれはナチスの暴虐からその日に解放されたのである、それをことほぐという立場を取る。悪いのはあくまでナチスとその軍事組織や官僚組織や秘密警察組織であって、ドイツ国民はその犠牲者であったという立場は譲らない。ドイツ国民の罪はナチスのような政党を支持し、全権を委ねてしまったことにある。そのような過ちを犯したことは認めるけれども、基本的にはドイツ国民もまたナチスの被害者であり、敗戦によってナチスの軛から解放されたという物語になっている。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html

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天才ヒトラーの精神が異常になった経緯

ヒトラーとドラッグ:第三帝国における薬物依存 – 2018/9/26
ノーマン・オーラー (著), 須藤 正美 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0-%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%BE%9D%E5%AD%98-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4560096511


内容紹介

「錠剤の形をしたナチズム」の実態に迫る

ヒトラーの主治医テオドール・モレルは、一本の注射で体調不良を解決する頼りがいのある医師だった。

ヒトラーはホルモン剤、鎮痛剤、覚醒剤、そしてモレルへの依存を深め、不調のたびに投薬や注射を求めるようになった。

第二次世界大戦が始まり、ヒトラーは誇大妄想にとりつかれ、現実遊離が目につくようになり、軍事作戦能力も徐々に失われていった。足を引きずり、腰も曲がって、くたびれた老人のように見えた。

一方、前線兵士は薬物によって「猛獣と化す」ことが目標とされ、無謀な作戦に投入され、総統大本営も制御を失い、もはや究極の破滅に突き進むしかなかった……。

ヒトラーとモレルの危険な関係は、大戦の命運を左右したのか?

本書は、ヒトラーと第三帝国が薬物に深く依存していたことを暴き、世界的ベストセラーとなった歴史ノンフィクションだ。歴史学者ハンス・モムゼンが本書の「あとがき」で、「これまでの全体像を変える本」と評したのをはじめ、イアン・カーショー、アントニー・ビーヴァーら専門家も賛辞を寄せている。著者は作家らしく、逸話を満載し、史料もきちんと渉猟し、早く続きを読みたくなるような、手に汗握る展開をみせる。


内容(「BOOK」データベースより)

「患者A」と主治医の危険な関係、大戦の命運は左右されたのか?「錠剤の形をしたナチズム」の恐るべき実態に迫る、傑作ノンフィクション!英『ガーディアン』年間最優秀図書(歴史部門)選出!


カスタマーレビュー

yasq di Fontana
兵士には覚醒剤を、総統には麻薬を!  驚きのドラッグワールド・第三帝国
2018年11月12日

覚醒剤メタアンフェタミン(1893年に日本人長井長義が合成し1919年にこれまた日本人緒方章が結晶化に成功)が太平洋戦争中の特攻隊で使われていたという話はよく聞くが、これをさらに徹底的に使ったのがナチス・ドイツだった。あの電撃的なポーランド・ベルギー・フランスへの快刀乱麻ともいうべき進攻のスピードは兵士に大量投与された覚醒剤によるものだったとは!

一方で、ヒトラーは戦況の悪化とともに主治医モレルに投与されるオキシコドンに依存。軍首脳部もほとんどがジャンキー状態。暗殺未遂後はコカインまでも加わる。

こうして、上層部はジャンキーの集団となり安全な地下壕みたいとところから無茶苦茶な指示を乱発し、兵士は戦場で覚醒剤漬けにされ独ソ戦の頃にはダメダメな状態に。

最後にベルリンに籠った頃にはヒトラー用のドラッグも底を尽き彼は激しい離脱症状の中で自殺。

あまりにも戦況の変化と薬物乱用がきれいにシンクロするのに驚く。最高指導者がドラッグ依存だとしたら、だれも彼へのドラッグ投与を拒めない。世界史的な出来事がドラッグで突き動かされ得るという恐怖。

当時の日本の軍中枢にこんなことがあったとは聞かないが、本土決戦前に証拠が消されたのかもしれない。まあ、しらふでヒトラーと同じようになっていたと考えるとそれもまた怖い話だが。

オキシコドンはアメリカでは近年も安易に鎮痛薬として処方されてかなり問題になっていますね。日本に持ち込もうとして逮捕された某自動車メーカーの外国人役員も。決して過去の話ではない。


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ヒトラーは「ヤク中」だった? 
ナチス・ドイツの驚くべき薬物事情を暴く『ヒトラーとドラッグ』 2018/10/10
辻田真佐憲 作家・近現代史研究者


『ヒトラーとドラッグ 第三帝国における薬物依存』白水社
ノーマン・オーラー/著 須藤正美/翻訳

戦時下の日本では、苛酷な戦闘や労働をやり抜くため、「ヒロポン」などの覚醒剤が広く使用された。本書は、同じく(いやそれ以上に)ドラッグ漬けだった、かつての同盟国ナチス・ドイツの驚くべき「ヤク中」ぶりを明らかにする。

ドイツ版の覚醒剤は、「ヒロポン」と同じメタンフェタミンの「ペルビチン」だ。著者はこれを「錠剤の形をしたナチズム」と呼ぶ。独裁体制下の厳しい肉体・精神労働も、数日間ぶっ通しの電撃戦も、これなしには考えられなかった。

「いわゆる覚醒剤は爆弾のように的確に命中し、ウィルスのように瞬く間に広まり、食卓の切り分けられたパンや一杯のコーヒーのようにありふれたものとなった」。ナチスのスローガン「ドイツよ、目醒めよ!」は、覚醒剤によって達成されたのである。

もちろん、ナチス・ドイツも薬物天国だったわけではなく、コカインやヘロインは取り締まられていた。だが、1938年に誕生した「ペルビチン」は画期的な新薬として放置(それどころか推奨)された。この点は、戦時下の日本とよく似ている。

だが、最高指導者が「ヤク中」だった点は、ナチス・ドイツでしか見られない。そう、ほかならぬヒトラーもまたドラッグ漬けだったのだ。

自身の健康状態を詮索され、あれこれ指図されることを嫌うヒトラーは、体調不良を注射1本ですぐに治してくれる便利な医者を求めた。それに応えたのが、主治医のモレルだった。

モレルは、求められるがまま、あらゆる薬剤を合成してヒトラーに注入した。戦局が悪化すると、そこにはコカイン、コデイン、オイコダールなどの依存性が高い向精神薬も多く含まれるようになった。そして「ペルビチン」も。たしかに体調はすぐに回復する。だが、薬が切れると体調は以前より悪くなる。するとまた注射を求める――。悪循環だった。

著者はドイツやアメリカの公文書館を訪れ、モレルのメモを読み解いて、「患者A」に注入されたホルモン調合剤、ステロイドその他の有効成分、医薬品などをリストアップしている。その数の多さには驚かされる。

総統大本営では、それまで塞ぎ込んでいたヒトラーが、突然元気になって、自信に満ちて作戦指導する姿も見られたという。「ハイル・ヒトラー」ならぬ「ハイ・ヒトラー」。支離滅裂な作戦は、ドラッグで高揚した状態のなかで指示されていたかもしれないのだ。

表紙の呆然としたヒトラーの写真は1944年秋に撮られた有名なものだが、これほど本書にふさわしいものもあるまい。薬物にこじつけすぎとの指摘もあるものの、それをおいても、読み応えのある一冊である。
https://honsuki.jp/review/9035.html


10. 中川隆[-12512] koaQ7Jey 2019年2月02日 16:31:09: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告
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歴史学者ら「ヒトラーは重度の薬物中毒だった」 2015年09月11日
https://jp.sputniknews.com/life/20150911884675/

アドルフ・ヒトラーは何種類もの麻薬を使用していた。
中でもお気に入りはメタンフェタミンだった。
麻薬を投与していたのは主治医テオ・モレル氏だ。

La Stampa のドイツ特派員、トニ・マストロブオニ氏が発表した。InoPressaが伝えた。


アドルフ・ヒトラーは何種類もの麻薬を使用していた。中でもお気に入りはメタンフェタミンだった。麻薬を投与していたのは主治医テオ・モレル氏だ。La Stampa のドイツ特派員、トニ・マストロブオニ氏が発表した。InoPressaが伝えた。


第三帝国ではスポーツ選手、芸術家、軍人、さらには主婦も麻薬を使用していたという。

「メタンフェタミンは特に第二次世界大戦時のナチスドイツで流行していた」とマストロブオニ氏。

麻薬は元気を出し、長時間にわたり多幸感を持続させるための薬として使われていた。調合を行なったのはフリッツ・ハウシルト医師。この医師は1936年のベルリン五輪で活躍した米国人スポーツマンに対する「ベンゼドリン」の効力に注目した。しかし薬物には依存性があり、悲惨な結果がもたらされた。メタンフェタミンはすぐに第三帝国で人気となった。スポーツ選手、歌手、試験期間中の学生らが服用した。メタンフェタミン工場は主婦用に有効成分入りのお菓子まで開発した。

第二次世界大戦が始まると、兵士の間で薬物が急速に流行した。「Der totale Rausch(完全なる陶酔)」という著書をもつノルマン・オーラー氏は、麻薬は対仏電撃戦(1940年)だけでなくヒトラー自身の行動にも影響した、と主張している。「医師と麻薬がナチズムの内部構造の多くを説明してくれる」とオーラー氏。

オーラー氏によれば、1941年以降、ヒトラーは奇行が目立つようになった。演説にも麻薬の影響が明らかに出始めた。ヒトラーは1349日の間に800回以上メタンフェタミン、ステロイドその他薬物の注射をうち、1100錠以上の錠剤を飲んだ。

ヒトラーがメタンフェタミンを常用していたことは昨年英国の学者らによって発見されている。第二次世界大戦中に米国軍事諜報班によって集められた書類によれば、兵士もメタンフェタミンを使用していたし、ヒトラー自身も愛用していたという。
https://jp.sputniknews.com/life/20150911884675/

薬物に溺れたヒトラーの秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9y68Yndc5SU


ヒトラーの様な覚醒剤中毒者が経験する被害妄想と恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:


【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c13

[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
14. 中川隆[-10908] koaQ7Jey 2019年4月05日 17:36:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1120]

天才ヒトラーが愛したフルトヴェングラーが指揮するベートーヴェンとワーグナーの名曲

・アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)

・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年1月25日 - 1954年11月30日)


▲△▽▼


Furtwängler - Beethoven's 9th Symphony
- For Hitler's Birthday (19th April 1942) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2itdv1aEpG4
https://www.youtube.com/results?search_query=Beethoven++Symphony+9++Berlin++Furtw%C3%A4ngler+1942&sp=mAEB

▲△▽▼

ベートーヴェン 《エグモント》作品84 序曲 - ニコニコ動画GINZA
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21085819

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1947年5月27日 ベルリン、ティタニア・パラスト(旧DDR放送局のテープによる)

▲△▽▼

Beethoven - Symphony n°5 - Berlin - Furtwängler 1947 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aacV7XqTo-E


Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 25.V.1947


▲△▽▼
▲△▽▼

Furtwangler Siegfried's Funeral March from Gotterdammerung - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCE_aYJNfQo

Richard Wagner, composer
Vienna Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, March 2, 1954

▲△▽▼


Flagstad, Furtwangler Brunnhilde's Immolation (1-3) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zP6b4F1cG_k


Excerpt from Richard Wagner's Gotterdammerung
Kirsten Flagstad, soprano
Philharmonia Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, 1952  

▲△▽▼


1943. Die Meistersinger von Nürnberg - Prohaska, Lorenz, Müller (Wilhelm Furtwängler, Bayreuth) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MAokG9BrvPo


Jaro Prohaska -- Hans Sachs, Schuster
Max Lorenz -- Walther von Stolzing
Maria Müller -- Eva, Pogners Tochter
Eugen Fuchs -- Sixtus Beckmesser, Stadtschreiber
Josef Greindl -- Veit Pogner, Goldschmied
Erich Zimmermann -- David, Sachsens Lehrbube

Wilhelm Furtwängler
Chor & Orchester der Bayreuther Festspiele
1 Aug 1943


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c14

[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
249. 中川隆[-10907] koaQ7Jey 2019年4月05日 18:01:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1121]

2019年04月05日
個人の信用スコア制度で何が変わるか IT管理社会


中国のクレジット信用スコア芝麻


画像引用:http://wedge.ismedia.jp/mwimgs/7/4/1000/img_74a72a6ab21615ab3af37447d965dc57120345.jpg

個人の信用情報が売買される?

2018年ごろから個人を信用格付けして、その情報を企業間で共有するような「信用スコア」が話題になっています。

その前はビッグデータを集めて利用していたのだが、一歩進んで個人データを収集している。

個人情報保護法に抵触しないようにするでしょうが、自分の情報が勝手に格付けされる懸念がある。




たとえばABCDのランクがあるとして、ある人がC+であるというような格付けは、おそらく個人情報には当たらない。

個人情報保護法は氏名、住所、生年月日、性別などで個人を特定できる項目が対象で、入院履歴や購入履歴も含まれます。

ランク付けも個人名と関連付けられていたら保護されるでしょうが、特定の条件では保護の対象外かも知れません。


例えばマンションの入居審査で業者が信用格付けで紹介し、「この条件では入居不適当」と回答を得るような場合です。

業者としては楽で良いが、低い格付けをされたら入居などのサービスを拒否され不利益を受ける。

同様のことは既にクレジットの信用情報機関で行われていて、融資を申し込むと金融機関は個人の信用情報を照会している。


いわゆる信用ブラックは指定信用情報機関で滞納などが記載されている人で、情報は数年間掲載されています。

個人の信用情報利用はクレジットで認められているので、今後利用範囲が拡大される可能性もあります。

今の時点では特別に許可された信用情報機関以外は、こうした個人の信用格付け情報を販売することはできない。

利用方法を誤ると副作用がある

信用スコアが始まったのは米国で、クレジット履歴を中心として企業に広く活用されています。

最近注目されているが中国で、政府はあらゆる個人情報を格付けしてリスク管理をしている。

例えばネット上で不適切な書き込みをしたり、信号無視して横断する、公共料金滞納などがあるとスコアを減点される。


西側社会ではこれらは相互に関係がないとされるが、中国では信用スコアによって減点や加点材料になる。

ネット上で不適切な書き込みを繰り返すとスコアが下がるので、電車やバスの利用を拒否され免許証も没収される。

それどころかスコアが低いと大学にも進学できないし、一流企業に就職もできないようになっている。


これを真似したのがインドで、14億人の国民を生体認証とIDで管理して、国民サービスを向上させている。

インドでは国民を管理するよりも、福祉などの国民サービス充実に使われていて評判は良い。

まだ多くの新興国では戸籍や住民登録がしっかりしていないので、高齢者や母子がどこに何人いるかも把握できていない。


良い方向に使えば生活が良くなるだろうし、悪い方向に使えば悪用もできてしまう。
http://www.thutmosev.com/archives/79477145.html.


阿修羅掲示板で中国に不都合な書き込みを繰り返すとスコアが下がるので、電車やバスの利用を拒否され免許証も没収される。

それどころかスコアが低いと大学にも進学できないし、一流企業に就職もできないようになっている。

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c249

[昼休み53] IT先進国・中国で進む恐怖の情報管理社会の近未来 中川隆
2. 中川隆[-10906] koaQ7Jey 2019年4月05日 18:03:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1122]
2019年04月05日
個人の信用スコア制度で何が変わるか IT管理社会

中国のクレジット信用スコア芝麻


画像引用:http://wedge.ismedia.jp/mwimgs/7/4/1000/img_74a72a6ab21615ab3af37447d965dc57120345.jpg

個人の信用情報が売買される?

2018年ごろから個人を信用格付けして、その情報を企業間で共有するような「信用スコア」が話題になっています。

その前はビッグデータを集めて利用していたのだが、一歩進んで個人データを収集している。

個人情報保護法に抵触しないようにするでしょうが、自分の情報が勝手に格付けされる懸念がある。


たとえばABCDのランクがあるとして、ある人がC+であるというような格付けは、おそらく個人情報には当たらない。

個人情報保護法は氏名、住所、生年月日、性別などで個人を特定できる項目が対象で、入院履歴や購入履歴も含まれます。

ランク付けも個人名と関連付けられていたら保護されるでしょうが、特定の条件では保護の対象外かも知れません。


例えばマンションの入居審査で業者が信用格付けで紹介し、「この条件では入居不適当」と回答を得るような場合です。

業者としては楽で良いが、低い格付けをされたら入居などのサービスを拒否され不利益を受ける。

同様のことは既にクレジットの信用情報機関で行われていて、融資を申し込むと金融機関は個人の信用情報を照会している。


いわゆる信用ブラックは指定信用情報機関で滞納などが記載されている人で、情報は数年間掲載されています。

個人の信用情報利用はクレジットで認められているので、今後利用範囲が拡大される可能性もあります。

今の時点では特別に許可された信用情報機関以外は、こうした個人の信用格付け情報を販売することはできない。


利用方法を誤ると副作用がある

信用スコアが始まったのは米国で、クレジット履歴を中心として企業に広く活用されています。

最近注目されているが中国で、政府はあらゆる個人情報を格付けしてリスク管理をしている。

例えばネット上で不適切な書き込みをしたり、信号無視して横断する、公共料金滞納などがあるとスコアを減点される。


西側社会ではこれらは相互に関係がないとされるが、中国では信用スコアによって減点や加点材料になる。

ネット上で不適切な書き込みを繰り返すとスコアが下がるので、電車やバスの利用を拒否され免許証も没収される。

それどころかスコアが低いと大学にも進学できないし、一流企業に就職もできないようになっている。


これを真似したのがインドで、14億人の国民を生体認証とIDで管理して、国民サービスを向上させている。

インドでは国民を管理するよりも、福祉などの国民サービス充実に使われていて評判は良い。

まだ多くの新興国では戸籍や住民登録がしっかりしていないので、高齢者や母子がどこに何人いるかも把握できていない。


良い方向に使えば生活が良くなるだろうし、悪い方向に使えば悪用もできてしまう。
http://www.thutmosev.com/archives/79477145.html.

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/902.html#c2

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
74. 中川隆[-10905] koaQ7Jey 2019年4月05日 19:04:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1123]

インピーダンスの整合性 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年04月05日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/77e7268945788aad7fd09bfd98d4e395

「北国の真空管博士」のご厚意により新たに手に入れたジェンセンのツィーターだが、我が家のシステムととても相性が良くて一躍レギュラーの仲間入り。

       

さて、そこで浮かび上がってきたのが「インピーダンスの整合性」の問題である。

このブログの読者で「インピーダンスって何?」という方がおられるはずはないと思うが(笑)、もしいらっしゃったら「スピーカーのインピーダンス」でググっていただくと分かりやすく解説されている。

そこでだが、このツィーターはインピーダンスが「8Ω」になっているが、ウーファーの「AXIOM150マークU」はグッドマン定番の「15Ω」仕様となっている。

インピーダンスの違うユニットが混在した場合、はたして8Ω用と16Ω用のネットワークのうちどちらを使えばいいんだろうという疑問が湧くのは当然。

   

左側が8Ω用の「DN−6」、右側が16Ω用の「DN−7」となる。クロスオーバーは両者とも同じ4000ヘルツである。   

こういうケースでは一般的には重要な周波数を担当しているユニットに合わせるべきだとされている。

つまり今回は「〜4000ヘルツまで」を担当している「AXIOM150マークU」に合わせて16Ω用の使用がオーソドックスな解答となるが、周知のとおりSPユニットのインピーダンスなんて音量次第で刻々と変化するのであまり当てにならない(笑)。

したがって、こういうときはこまめな試聴実験あるのみである。

ネットワークに繋ぐSPコードをマイナス・ドライバーで付けたり外したりの実に簡単な作業で済むのでありがたいが、これでじっくり比較試聴してみると、「8Ω」用のネットワークの方が明らかに「16Ω」用よりも一枚上だった。

スッキリ爽やかで一枚ベールが剥がれた印象を受けた。

これまでの経験から言わせてもらうと、総じて「8Ω」用のネットワークはインピーダンス・16ΩのSPユニットにも通用するが、その逆に「16Ω」用のネットワークはインピーダンス・8ΩのSPユニットにはしっくりこない。

つまり8Ω用のネットワークの方が汎用性が高い。

これはパワーアンプとSPユニットとの間の接続でも同じことが言えますね。

アンプ側の8Ω・16Ω端子とSPユニット側のインピーダンスの整合性ともなると、アンプ側の8Ω端子に接続している方が明らかに汎用性が高い。

もちろん「そんなことはとっくの昔に知ってるよ」という方が多いだろうから、いかにも「鬼の首」を取ったように申し上げたつもりは毛頭ありませんので念のため(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c74

[近代史3] 女性受刑者の40%は「覚醒剤」で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる 中川隆
15. 中川隆[-10904] koaQ7Jey 2019年4月05日 19:23:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1124]
ヤクザがシャブをやっちゃう理由
日本のシャブ事情(前編)
2019.4.5(金) 廣末 登


気づかないだけで、覚せい剤は身の回りで確実に増えている


 昨今、覚せい剤の摘発記事に接し、驚かされることがある。それは、摘発される量の多さだ。何グラム、何パケなどのレベルではなく、ハンパない量が摘発されている。

シャブ(=覚せい剤)市場としてオイシイ国ニッポン

 たとえば、平成30年2月17日に、成田空港で2人のカナダ人が覚せい剤密輸で逮捕された。

 2人は別々の飛行機で来日し、面識はないという。カナダ人の男女が相次いで逮捕され、あわせておよそ47kg、28億円相当である。この日、1日のみの摘発量で、成田税関支署の平成30年の覚せい剤押収量の9割にあたるとのこと。

 平成28年に警察が検挙した覚せい剤の密輸入事件(82件)について、その仕出地の内訳を見ると、香港と台湾を除く中国(24件、29.3%)が最も多く、アメリカ(14件、17.1%)、香港(8件、9.8%)、台湾(8件、9.8%)と続いており、カナダというのは珍しい。

 現在は、国際的な政治的事情と当局の取り締まり強化を受け、北朝鮮やロシアンルートが無くなったため、南方からのチャイナルートが主な供給源だと言われている。

豪で870億円相当の覚せい剤押収 過去最多、中国からか

オーストラリア西部ジェラルトンで1.2トンのメタンフェタミン(結晶状覚せい剤)を押収後、容疑者らを見張る捜査員ら。このメタンフェタミンは、船からの荷降ろし後に差し押さえられた。当局は同船の出港地を中国とみている。豪連邦警察提供(2017年12月21日撮影、公開)。(c)AFP PHOTO / AUSTRALIAN FEDERAL POLICE〔AFPBB News〕

 ちなみに、平成30年、東京税関が摘発した覚せい剤事件の押収量は、およそ493kgにのぼり、昭和60年の統計開始以来最多となったそうである。

 一方、全国の情勢をみると、覚醒剤密輸入事犯の検挙件数は増加し、平成26年以降3年ぶりに100件を超え、いわゆる運び屋による密輸入事犯の検挙が相次いだため、前年比で大幅に増加した。押収量は前年比で減少したものの、洋上取引や船舶コンテナ貨物の利用による大量密輸入事犯の検挙に伴い、前年に引き続き1000kgを超えたと、警察庁の報告にある(警察庁組織犯罪対策部組織犯罪対策課「平成29年における組織犯罪の情勢」)。

 筆者が、福岡県更生保護就労支援事業所で最近支援した、ひとりの保護観察対象者の方は、知人に頼まれて、覚せい剤を「体内に隠して」入国を試みたために逮捕。営利犯(販売目的=営利のための覚せい剤所持)未遂で、長期間刑務所に服役していた。

「体内で、シャブ(覚せい剤)の袋が破けなくてよかったね。破けたら、マジであの世行ってたよ」と、筆者が言うと、「そうなんですよ。思い返すと恐ろしいことです。もう、絶対しません」とのこと。彼は、自分で覚せい剤を使用していた人ではないので、その言葉に偽りはないと思う。現在は、日々マジメに働き、雇用主の評判も良い。

 この記事を書いている4月2日、同様の手口で覚せい剤を密輸しようとした台湾人が死亡したとの記事が毎日新聞に掲載された。

 記事によると「台湾人の60代男性が東京都台東区のホテルの部屋で死亡しているのが見つかり、司法解剖の結果、体内から覚醒剤とみられる薬物が入った小袋約50袋が見つかった」とのこと。筆者の指摘を裏付ける悲劇である。

覚せい剤1トン密輸、台湾人8人に死刑判決 インドネシア

メタンフェタミン(結晶状覚せい剤)約1トンを密輸したとして、インドネシアの首都ジャカルタの裁判所で判決を待つ台湾人の被告ら。裁判所はこの日、彼らに死刑判決を言い渡した。(2018年4月26日撮影)。(c)AFP PHOTO / Ari Firdaus 〔AFPBB News〕

 なぜ、このような危険を冒してまで、覚せい剤を日本国に入れようとするのか。読者の皆さんは不思議に思われると思うが、その答えは簡単「儲かるから」。海外の市場で覚せい剤を売っても、それほど利幅はない。しかし、日本の市場は、ハイリスクではあるもののハイリターンであり、間違いなく儲かるカタイ商品なのである。

数字で見るシャブの現在(いま)

 近年の覚せい剤取締法違反(覚せい剤に係る麻薬特例法違反を含む)の検挙人員(特別司法警察員である麻薬取締官や海上保安官が検挙した者を含む)の推移をみると、平成13年以降は減少傾向にあったものの、平成18年以降はおおむね横ばいで推移し、毎年1万人を超える状況が続いている。もっとも、こうした数字は検挙された者を対象としているので、氷山の一角であることを念頭に置いていただきたい。

 次に、再犯者に目を転じると、警察が検挙した覚せい剤取締法違反(覚せい剤に係る麻薬特例法違反を含む)の成人検挙人員のうち、同一罪名再犯者(前に覚せい剤取締法違反で検挙されたことがあり、再び同法違反で検挙された者)の人員及び同一罪名再犯者率(覚せい剤取締法違反の成人検挙人員に占める同一罪名再犯者の人員の比率)の推移は、近年上昇傾向にある。平成28年は65.8%であり、平成19年(57.1%)と比べて8.7ポイント上昇している。ウリ(覚せい剤の販売)も使用(自分に服用する)も、シャブで味をしめると、なかなか抜けられないようだ。

 なお、平成28年に覚せい剤取締法違反により警察に検挙された者のうち、営利犯(販売目的)で検挙された者及び暴力団構成員等(暴力団構成員及び準構成員その他の周辺者)の各人員を違反態様別に見ると、同年の営利犯で検挙された者の比率は565人(5.4%)であり、その内、暴力団構成員等の比率は48.5%であった(平成29年版犯罪白書)。

 これは、暴力団=覚せい剤という見方を肯定する数字である。ヤクザのシノギについて、山口組の顧問弁護士を務めた山之内幸夫氏は、ヤクザの間で、やってはいけない悪事とやっても良い悪事があるという点に言及している。

「窃盗、強盗などはやってはいけないシノギで、賭博、売春は本業、詐欺はやらない方が良いが、恐喝は比較的やっても良いとされる」(山之内幸夫『日本ヤクザ「絶滅の日」――元山口組顧問弁護士が見た極道の実態』徳間書店)。

『日本ヤクザ「絶滅の日」ー元山口組顧問弁護士が見た極道の実態』(山之内幸夫著、徳間書店)

 山之内元弁護士は言及していないが、シャブは、ヤクザのシノギの中でもご法度の部類に入る。しかし、それはタテマエであり、実際はグレーゾーン。極道として「薬屋」と言われるのは恰好悪いが、不況時代の裏社会で確実に儲かるのがシャブをはじめとする麻薬ネタである。昨今は、ピエール瀧氏のコカイン事件が世間の耳目を集めたが、世の中には「シナモノ」と隠語で呼ばれるシャブ以外にも、大麻やコカイン、合成麻薬等、薬屋のシノギのネタは様々である。

 ちなみに、昨今ではポンプ(注射器)も品薄であり、昭和の時代にみられたように、パケ(覚せい剤の小袋)買ったらポンプが1本もれなく付いてくるなどというサービスは無くなり、1本1000円から1500円で取引されている。

 世の中の暴排が進み、シノギが先細りする昨今、ハイリスクであろうと、恰好悪かろうと、ITや金融、合法企業経営などに明るいモダ―ンな組織でない限り、背に腹は代えられないから、薬屋に甘んじないと食えない現実があるのではなかろうか。

ヤクザがシャブをやっちゃう理由

 ヤクザがシャブを扱うのは「どうせ、自分の快楽の為でしょ」と思われがちである。そうした見方を筆者は否定しない。しかし、彼らのサブカルチャーを知るにつけ「そりゃ、シャブに走るのも無理ないな」と思われるような、切ないケースも散見されるのである。以下、引退したヤクザの元幹部M氏に聞いた「シャブをやっちゃう理由」につき、紹介する。

 確かに、ヤクザでも好奇心からシャブに手を出し「こりゃ超気持ちいいわ」と、ズブズブの関係になる人がいる。彼らの多くは何らかの非行集団に関係していた過去があるから、日常生活において、比較的近いところにシャブがある。だから、つい、好奇心からツマミ食いしたくなるのも首肯できる。しかし、それ以外にも、ヤクザというサブカルチャーの中で生きていると、止むを得ない事情もあるのである。

 M氏によると、「ヤクザはね、シャブやんないといけない場面があり、二つの理由から(シャブの使用は)止むを得ないこともあるんだよ」と言う。

「理由の一つは、部屋住みの時(住み込みで雑用をさせられる時期)ね、若い衆は寝る時間がないんだよ。だって、親分が外出するのは夜でしょ(シマ内の店のハシゴなどなど)。車の中で待ってなきゃなんない。この待ってる間は眠たいんだよね。だから眠気覚ましにポンとやっちゃう」


「もう一つの理由。それは、兄貴分から勧められるんだよ。でもね、嫌とは言えないでしょう。だって、ヤクザは親(分)のために命を捨てる覚悟がいるんだからね。そこで、もし断ったらりしたら、『何やお前、われの命、組に預けたんちゃうんかい。死ぬんが怖いんか』って言われるよ。だから、ヤクザになると嫌でもシャブやんなきゃなんないんだよね」

 こうなると一種の踏み絵である。

 このM氏の話は、とても説得力があった。平成18年、彼と出会って以降、筆者は多くのヤクザの方と会うこととなるが、同様の体験を経て、シャブの常習者になった方は複数存在した。しかし、一方で、次のような理由でシャブに手を出したレアな方も居るのである。

「(シャブに手を出したんは)現役の頃や・・・。ちょっとこれには訳があるんや。実はな、わしの現役の頃に友人が居った。新聞社の人でなあ、いい人やった。この人が子どもの育て方をわしに教えてくれたんや。わし自身、子ども時代不遇やったから、その人の話聞いてな、わし、次第に(ヤクザの)組を抜けたいと考えるようになったんや。方法をいろいろ考えたんやが、一番いい方法がシャブやった。わしら博徒や、シャブでボロボロになったら、博徒は務まらん。それで(親分に)破門してもらったんや」

 この話をしてくれたO氏は、博徒系ヤクザで、常盆の胴師(常に開催されている盆=すなわち常設賭場の札を繰る役を担当し、本引き博打の親側席の真ん中に座る。世話役である合力が両脇に座る)であり、腕が良かったため、引っ張りだこであったとのこと。

 本引き博打は、誰でもが胴師になれるわけではないから「組を辞めるためにシャブでヨレた」体を取る以外に方法は無かったのだろう。

 ちなみに、このO氏は、そのままツネポン(覚せい剤の常習者)になることなく、組抜けしたら直ぐにシャブとはキッパリと縁を切り、猛勉強をして牧師となり、刑務所に収監されている元同胞たちの相談役になっていた。

日本社会から麻薬が無くならない理由
 筆者は覚せい剤、大麻、合成麻薬など、様々な中毒者の方と、公私共にかかわってきた。「公的かかわり」とは更生保護就労支援であり、「私的かかわり」とは、アングラ社会の取材である。

 筆者がフィールドで感じたザックリとした感想で申し訳ないが、ツネポン(覚せい剤常習者)も、タマポン(タマにポンする使用者)も、社会生活上で何らかの不安や問題を抱えているように思える。


 もっとも、女性の場合は、男性から影響を受けるケースが散見される。なぜなら、シャブの販売促進担当には女性が利用されることが多い。悪い奴は、まず、女性をシャブ漬けにする。そうしておいて、彼女を通して寄ってくる男性に広めてゆく。これは一般的なシャブの販売方法である。だから、同時に、性病なども抱き合わせ販売されているのではないかと、密かに危惧するところである。

『組長の妻、はじめます。: 女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(廣末登著、新潮社)

 一般の方の使用者に関してみると、未来への希望の有無、慣習的な社会や人とのつながりの濃淡、強弱と関係があるように思える。現代社会では、人は容易に孤立する。人生で一度つまずいたら再起は難しく未来への希望も色あせる。会社員だから、学生だから、主婦だからといって、社会的居場所があり、万事オッケー問題なしと考えるのは、ちょっとばかし早計ではないか。

 彼らは、そうした形式的な帰属集団で、日々苦痛を感じながら、必死になって自分の役割を演じているのかもしれない。苦痛は、やがて希望を蝕みながら厭世観へと成長し、社会的逃避の一環として覚せい剤に手を染めるのかもしれない。

『組長の娘―ヤクザの家に生まれて』(廣末登著、新潮文庫)
 就労支援の現場で、調査フィールドで、筆者は幾度となくこうした事例を目にしてきた。人間は社会的動物である。ひとりでは生きられない。現代社会を侵食する社会的孤立などの問題は、人にとって、日本社会にとって、覚せい剤よりも問題視すべき根本的な社会病理であるように思えるのである。

 次回は、筆者がアングラな取材現場で見聞きしたシャブの魔力について、拙著『組長の妻、はじめます。:女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(新潮社)、『組長の娘―ヤクザの家に生まれて―』(新潮文庫)の主人公たちの証言をもとに、生々しくリポートする。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56013  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/307.html#c15

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
199. 中川隆[-10903] koaQ7Jey 2019年4月05日 20:04:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1125]
>>198
では


アイヌ人は先住民ではない。 日本人は単一民族だ。
アイヌ人は日本人と遺伝子が同じで、DNA鑑定ではアイヌ人かどうかは わからない

と言ってますね。

もちろん大嘘です。 チャンネル桜を信用すると豪い目に遭います。

詳細は


北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない _ アイヌが北方領土の先住民
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html

日本人はこうやって千島アイヌを民族浄化した _ とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/231.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c199

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
200. 中川隆[-10902] koaQ7Jey 2019年4月05日 20:51:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1126]

縄文人の多様性と特殊性−篠田謙一氏講演「日本人の起源」レポート 2017-12-21
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/


12月8日(金)、本学第14講義室で、DNA分析による日本人起源論の第一人者、篠田謙一氏(国立科学博物館・分子人類学)の講演会「ここまでわかった! 日本人の起源」がおこなわれました。講演の前座として、主催側の浅川滋男教授(本学環境学部・建築考古学)も「古墳時代前期の大型倉庫群−松原田中遺跡の布掘掘形と地中梁から」と題するミニ講演をされました。広報期間が2週間弱と短いなか、学内外から約50名の聴衆が集まり、最新の人類学・考古学の成果に耳を傾けられました。

ここまでわかった! 日本人の起源

日本人の起源論については、埴原和郎氏による「二重構造説」がよく知られています。縄文時代の日本列島にひろく拡散していた古モンゴロイドと、主として弥生時代以降に朝鮮半島から渡来した新モンゴロイドの混血として現代日本人を理解する考え方です。こうした二重構造説は人骨を対象とする形質人類学の研究によって導かれましたが、篠田氏はミトコンドリアDNAの系統解析をもとに新たな成果と視点を続々と呈示されています。講演の構成は以下のとおりです。

1.はじめに  2.日本人の起源  3.ミトコンドリアDNAの系統
4.ミトコンドリアDNAから見た日本人  5.縄文人のミトコンドリアDNA
6.縄文人と弥生人のゲノム解析

【講演要旨】 日本人の有するミトコンドリアDNAのハプログループは、朝鮮半島や中国東北部の集団と共通している。これらは弥生人にも共有されていることから、現代日本人のもつ多くのハプログループは、弥生開始期以降に稲作農耕とともに列島にもたらされたと推測できる。ミトコンドリアDNAの分析結果は埴原氏の「二重構造説」を概ね支持する結果となったが、北海道の先住集団であるアイヌは沿海州の先住民と共通のDNAをもっていることも判明しており、沖縄や北海道を本土日本の周辺地域としてみるのではなく、それぞれを独自の成立史をもつ地域として捉える複眼的な視座が求められている。一方、縄文人の系統には地域差があることがわかってきている。とくにミトコンドリアDNAのM7a系統では地域差が顕著であり、均一な縄文人像は見直す必要がある。2010年以降、古人骨に含まれる核のDNAの分析も可能になっており、そのゲノム解析から、縄文人は現代の東アジア人と大きく異なっていることが明らかとなったが、その特殊性については未だ定説がない。この問題を解決するためには、縄文相当期の東アジアの古人骨を調べるとともに、一万年以上続いた縄文時代の各地の人骨から得られたゲノムを丹念に解析していく必要がある。

オホーツク文化とアイヌ、ニブヒの関係

以上の講演に対して、青谷上寺地遺跡出土人骨から採取したサンプルの位置づけの予想やDNAサンプル採取方法について質問がありました。最後に浅川教授から「北海道アイヌの文化は擦文文化(蝦夷 えみし?)とオホーツク文化(粛慎 みしはせ?)の融合として成立したと考えられるが、その一方で、オホーツク文化の担い手をニブヒ(別名ギリヤーク:アムール下流域・樺太に分布する古アジア系民族)の祖先として理解する説があるけれども、人類学的にはどう理解されているか」という質問がありました。篠田氏はニブヒ、コリヤーク、チュクチなど極北の古アジア系民族は遊牧エヴェンキ(新モンゴロイド系)に攪乱され、さらにロシア化も進んでいるため、残念ながら、現状では固有のDNAを抽出しにくいと答えられました。
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/


アイヌ人も日本人も縄文人の遺伝子を受け継いでいるのですが、

アイヌ人の先祖の縄文人はアイヌ語を話し、食べていたのは栗・木の実、サケ

日本人の先祖の縄文人は日本語を話し、食べていたのは焼き畑作物、魚

なので、同じ縄文人と呼んでいても、全くの別民族なのです:


東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8

朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。


小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。

https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c200

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
19. 中川隆[-10901] koaQ7Jey 2019年4月05日 20:53:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1127]

縄文人の多様性と特殊性−篠田謙一氏講演「日本人の起源」レポート 2017-12-21
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/


12月8日(金)、本学第14講義室で、DNA分析による日本人起源論の第一人者、篠田謙一氏(国立科学博物館・分子人類学)の講演会「ここまでわかった! 日本人の起源」がおこなわれました。講演の前座として、主催側の浅川滋男教授(本学環境学部・建築考古学)も「古墳時代前期の大型倉庫群−松原田中遺跡の布掘掘形と地中梁から」と題するミニ講演をされました。広報期間が2週間弱と短いなか、学内外から約50名の聴衆が集まり、最新の人類学・考古学の成果に耳を傾けられました。

ここまでわかった! 日本人の起源

日本人の起源論については、埴原和郎氏による「二重構造説」がよく知られています。縄文時代の日本列島にひろく拡散していた古モンゴロイドと、主として弥生時代以降に朝鮮半島から渡来した新モンゴロイドの混血として現代日本人を理解する考え方です。こうした二重構造説は人骨を対象とする形質人類学の研究によって導かれましたが、篠田氏はミトコンドリアDNAの系統解析をもとに新たな成果と視点を続々と呈示されています。講演の構成は以下のとおりです。

1.はじめに  2.日本人の起源  3.ミトコンドリアDNAの系統
4.ミトコンドリアDNAから見た日本人  5.縄文人のミトコンドリアDNA
6.縄文人と弥生人のゲノム解析

【講演要旨】 日本人の有するミトコンドリアDNAのハプログループは、朝鮮半島や中国東北部の集団と共通している。これらは弥生人にも共有されていることから、現代日本人のもつ多くのハプログループは、弥生開始期以降に稲作農耕とともに列島にもたらされたと推測できる。ミトコンドリアDNAの分析結果は埴原氏の「二重構造説」を概ね支持する結果となったが、北海道の先住集団であるアイヌは沿海州の先住民と共通のDNAをもっていることも判明しており、沖縄や北海道を本土日本の周辺地域としてみるのではなく、それぞれを独自の成立史をもつ地域として捉える複眼的な視座が求められている。一方、縄文人の系統には地域差があることがわかってきている。とくにミトコンドリアDNAのM7a系統では地域差が顕著であり、均一な縄文人像は見直す必要がある。2010年以降、古人骨に含まれる核のDNAの分析も可能になっており、そのゲノム解析から、縄文人は現代の東アジア人と大きく異なっていることが明らかとなったが、その特殊性については未だ定説がない。この問題を解決するためには、縄文相当期の東アジアの古人骨を調べるとともに、一万年以上続いた縄文時代の各地の人骨から得られたゲノムを丹念に解析していく必要がある。

オホーツク文化とアイヌ、ニブヒの関係

以上の講演に対して、青谷上寺地遺跡出土人骨から採取したサンプルの位置づけの予想やDNAサンプル採取方法について質問がありました。最後に浅川教授から「北海道アイヌの文化は擦文文化(蝦夷 えみし?)とオホーツク文化(粛慎 みしはせ?)の融合として成立したと考えられるが、その一方で、オホーツク文化の担い手をニブヒ(別名ギリヤーク:アムール下流域・樺太に分布する古アジア系民族)の祖先として理解する説があるけれども、人類学的にはどう理解されているか」という質問がありました。篠田氏はニブヒ、コリヤーク、チュクチなど極北の古アジア系民族は遊牧エヴェンキ(新モンゴロイド系)に攪乱され、さらにロシア化も進んでいるため、残念ながら、現状では固有のDNAを抽出しにくいと答えられました。
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c19

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
201. 中川隆[-10900] koaQ7Jey 2019年4月05日 21:01:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1128]

という事で、

チャンネル桜の関係者は全員嘘吐きだから信用してはいけない。


デマを垂れ流すチャンネル桜:

◆チャンネル北海道公式HP
http://ch-hokkaido.jp/
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%A1%9C+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c201

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
63. 中川隆[-10899] koaQ7Jey 2019年4月05日 21:27:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1129]
アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c63
[リバイバル3] 現生人類の起源 中川隆
27. 中川隆[-10898] koaQ7Jey 2019年4月06日 07:23:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1130]
2019年04月04日
脳の進化過程から人類史500万年を見直す
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/04/3453.html


人類史は現在の学説では600万年前とも500万年前とも言われている。

サルが木から下りて2足歩行をできるようになった事が確認されたのがその時代という事で認識されてきた。脳の容量は原人のアウストラロピテクスの段階で375ccでチンパンジーの350ccからわずか25cc大きくなったに過ぎない。サルから人類への進化は2足歩行がまず始まり⇒脳の容量UPという理屈だ。しかし現在の人類の種であるホモサピエンスは最大遡っても30万年前、同様にネアンデルタール人やデニソワ人も同様の時代に登場した。それらの新人に繋がる種(中間種の人類)は見つかっていない。

ホモサピエンスの脳容量は最終的には1350ccとサル時代の脳容量からは4倍以上に大きくなっているが、人類の脳が500ccを超えたのはホモハビルス時代の150万年前〜20万年前の期間に過ぎない。つまり、人類の脳は500万年前から徐々に順調に大きくなったのではなく、約400万年間は殆どサル時代と変わらず、50万年前前後を起点に何らかの要因で急激に大きくなったのである。

人類とサルを分ける最大の違いは2足歩行だろうか?おそらく誰に聞いてもサルと人類を分ける起点は脳の容量であると考えるに違いない。つまり、人類史を500万年前としてよいのか、を改めて脳の進化という観点で見直してみる必要があるのではないか?

下記のブログでも同様な疑問が書かれている。

リンク
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2017-02-04-1.html

より引用

>人類の進化を脳容量の変化という観点からたどると,興味深いことに,類人猿までの進化には相当手間取ったらしい.

 ヒトに最も近いチンパンジーの脳の容量は400cc.霊長類の歴史では,ここから500ccの大台に乗るのまでに400万年という時間を要した.逆に,それ以降の進化は早い.300〜200万年前のアウストラロピテクス・アフリカヌスの段階で450ccになった後,230〜140万年前のホモ・ハビリスでついに550ccを記録.さらに,150〜20万年前のホモ・エレクトスでは1000ccとなり,40〜2万年前に生存したホモ・ネアンデルターレンシスでは1500ccにも達した.ちなみに現在まで続く新人たるホモ・サピエンスの脳容量はむしろ若干少なく,1350ccである.この進化の過程で,漸進的に顎が後退し,体毛が喪失した。

人類はミッシングリンクといって人類の祖先が進化して現代の人類になった訳ではない。地上に降りたサルが何度も絶滅しては新たな種が登場し絶滅する。その中で生き残ったのが現在の人類に繋がるホモサピエンス(30万年前に登場?)である。人類史を500万年前とする根拠は今のところ見つからない。地上に降りたサルを人類と呼べば別であるが。さらにアフリカを出てユーラシア大陸に向った種も10万年前である。人類はどこで誕生し、どうやって、なぜ脳を拡大し、その後の人類史に繋がったのか、そこの解明が必要だ。

■今回のシリーズは人類史の始まりという視点で下記のテーマに分けて追求していきたい。

1.原人は地上に降りたのか、落ちたのか?

2.ミッシングリンクとは何か?

3.脳を爆発的に大きくさせた要因は何か?何があったのか?

4.言語と脳の関係、精霊と言語の関係。

5.脳の進化史から人類史を改めて設定する。〜何を以って人類と呼ぶか?

http://web.joumon.jp.net/blog/2019/04/3453.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/735.html#c27

[近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
15. 中川隆[-10897] koaQ7Jey 2019年4月06日 07:35:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1131]

今の日本人には寛容性が全く無いので常識外れの天才はすべて潰される


「おもてなし日本」の欺瞞…世界幸せな国ランク58位、「寛容性」は世界92位(Business Journal)
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/834.html
2019.04.05 文=篠崎靖男/指揮者 Business Journal


ノイシュバンシュタイン城(「Getty Images」より)


 イチローが引退しました。彼がオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)から、米シアトル・マリナーズに移ってプレーを始めた2001年は、ちょうど僕がアメリカに渡って仕事を始めた年です。そのため、イチローの快進撃が、多くのアメリカ人を魅了していたのを実際に見ていました。

 イチローが引退を発表した日、アメリカ版のCNNのサイトを見ていると、イチロー引退のニュースが大きく出ており、彼のアメリカでの大偉業に、日本人として誇りを感じました。シアトル出身で、今はフィンランドのオーケストラのコンサートマスターをしている友人から話を聞いたのですが、「イチローは、その人間性、考え方も素晴らしい」と、人格的にも尊敬されているようです。

 さて、CNNのサイトを見ていると、ひとつの記事が目にとまりました。今回、国連の諮問機関「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」が発表した、「2019年度世界幸せな国ランキング」です。昨年に引き続き、僕の第2の音楽的故郷であるフィンランドが堂々の1位を勝ち取りました。

 このランキングは、所得、自由、信頼、健康寿命、社会的支援、寛容性という6項目を「幸せの指標」として、世界156カ国を毎年比較しています。ちなみに、ドナルド・トランプ大統領擁するアメリカは、今年はひとつ順位を下げて19位。所得は10位にもかかわらずランクを下げた原因は、保険制度をはじめとした社会的支援が37位と低いだけでなく、自由度61位が押し下げたことです。アメリカは“自由の国”というキャッチフレーズの国だけに、自由度61位は手厳しい評価です。

 では、我が日本はといえば、昨年54位でした。これでも不名誉な話なのですが、今年はさらに4つも下げて58位。先進国のなかでも低いランクに入ってしまいました。この敗北理由は、所得でも健康寿命でもありません。健康寿命は2位という高ポイントを稼いでいるのにもかかわらず、7年前にこの調査が始まってから一度も40位を上回ったことがない大きな理由は、“寛容性”がとても低いことにあります。今回の調査でも寛容性は92位で、順位に大きく響いています。

 寛容性とは、つまりは他者に対しての寛大さや、思いやりといっていいと思います。特に思いやりは日本人の美徳であるといわれ続けていますから、これこそ高得点を稼ぐはずなのですが、むしろ足を引っ張っていることに驚きました。しかし、考えてみると、たとえば、英国やオーストリアではよく目にした、バスに乗ろうとしている母親が押している乳母車を、ほかの乗客が当然のようにバスに引き上げるといった光景を、日本では見たことがありません。

「お・も・て・な・し」の言葉で、2020年の東京オリンピック開催を引き寄せた日本の面目丸つぶれです。とはいえ、「おもてなし」は思いやりとは違う言葉です。普通に道を歩いていて、他者からの思いやりを受けることがあっても、おもてなしを受けることはありません。つまり、おもてなしは寛容性として、国連の機関にカウントされることはないのです。

■国王をもてなし、格別な待遇を受けたワーグナー

 おもてなしの意味は、もてなす。つまり、客人に応対する扱いの意味なのですが、これを音楽で壮大に取り入れたのが、ドイツの代表的オペラ作曲家のリヒャルト・ワーグナーです。彼は、その一生変わらない莫大な浪費癖から、債権者から逃げて夫婦でロンドンに密航したり、せっかく母国ドイツのドレスデン・ザクセン王立劇場の指揮者に就任して収入が安定したにもかかわらず、その後、政治犯としてお尋ね者となり、スイスに命からがら亡命したりしています。

 波乱万丈で、ちょっと親戚にいると困るタイプだったのですが、彼にもひとつの転機が訪れました。それは、当時統一していなかったドイツの大国のひとつ、バイエルン王国の国王ルートヴィヒ2世が以前からワーグナーの音楽に心酔しており、スイスに亡命中のワーグナーを必死で探していたことでした。その結果、突然、ワーグナーは首都ミュンヘンに招待され、それからは国王の大きな庇護を受け、存分に、かつ浪費癖もそのままに音楽活動ができるようになったのです。

 彼は、国王に対して感謝を表すために、大作オペラ『パルジファル』を作曲したばかりでなく、国王ひとりのためだけに、歌手、オーケストラ、舞台装置を総動員して自作のオペラを上演しました。このお金はすべてバイエルン王国の国庫から出ているわけですが、心酔しているワーグナーから、このような「おもてなし」を受けた国王は、すっかり舞い上がり、ワーグナーの理想のオペラ劇場をつくってあげるくらい熱が入ってしまいました。

 国の財政などお構いなしの国王は、ワーグナーのオペラシーンを部屋の壁に描かせた壮大なノイシュバンシュタイン城を建築しながらも、気が向けば、ほかの場所に宮殿をいくつもつくるといったことを繰り返し、ついには「バイエルンのメルヘン王」というあだ名まで付けられ、バイエルンの国庫を空っぽにしてしまいました。最後は重臣たちによって退位させられ、その後、湖で謎の死を遂げています。

 皮肉なことに、この狂った国王のおかげでノイシュバンシュタイン城は、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったほど、世界的に有名な城となりました。また、国王がワーグナーのオペラだけのためにつくったバイロイト祝祭劇場は、夏の音楽祭の期間中、今もなお世界中からやって来るワーグナーファンでドイツの小都市バイロイトを一杯にします。そして、そこでの名演が、ドイツの珠玉の音楽文化として、世界中に発信されるのです。150年以上前にワーグナーが国王に行った「おもてなし」の恩恵を、ドイツ国民と、世界中のワーグナーファンが享受しているわけです。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c15

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
286. 中川隆[-10896] koaQ7Jey 2019年4月06日 07:47:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1132]

『長生きしたけりゃパンは食べるな』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797389214/toyokeizaia-22/

「パンばかり食べる人」がひそかに陥る不調 2016/11/15
https://toyokeizai.net/articles/-/145054


小麦の多い食生活は簡単なコツで変えられる


「なんとなく不調」の原因がグルテンにある人もいるかもしれません(写真:Graphs / PIXTA)

ビジネスマンにとって、コンディションは大きな課題です。 しかし、どんなに睡眠や食べ物に気を使っても、頭痛、腹痛、疲労が抜けない人は多いもの。そんな人は、思ってもみない食材が悪さをしているかもしれません。その食べ物こそが、「パン」。パンをつくる小麦の成分が、体に大きな負担となっている可能性があります。

ジョコビッチの食事法で一躍有名になり、世界中の一流セレブが実践している小麦抜きの食事法、「グルテンフリー」。夫のグルテン過敏症を機にこの食事法を8年前から実践している第一人者であり、『長生きしたけりゃパンは食べるな』の著者でもあるフォーブス弥生氏が、日本のビジネスパーソンに合わせた現実的な食事法を提案します。

【表現の変更について】初出時に「グルテンが、腸に穴を開けてしまう」「これが腸の表面に薄く付着することで」という表記をしていましたが、誤解を招く恐れがありました。そのためこれらの部分を正確な内容に修正しています(11月15日16時04分)。


頭が重い、肩こり、疲れがとれない、集中できない。メタボ、糖尿病、肌荒れ、不眠、生理不順、ボケ、食事のあとの下痢――。

医者から「異常はありません。ストレスはためないでくださいね」と言われ、対処法も見当たらず、あきらめてしまった持病はありませんか?

実は、あなたの不調の原因は、もしかしたら「毎日のパン」にあるかもしれないのです。

小麦の成分「グルテン」が原因かも

近年、小麦に含まれるたんぱく質「グルテン」が、脳に炎症を起こし、腸に小さな穴を開けると注目されています。米国でベストセラーになった神経科医デイビッド・パールマター氏などがその著書の中で指摘しています(邦訳『「いつものパン」があなたを殺す』)。世界屈指のテニスプレーヤー、ジョコビッチが実践し、話題になった小麦抜き食事法「グルテンフリー」という言葉を聞いた人もいるかもしれません。

ケーキやラーメン、パスタ、うどん、クッキー、菓子パン……。小麦粉の食品は私たちの生活に深く入り込んでいます。知らず知らずに、グルテンを大量に摂取しているのが現代人の食生活です。それだけではありません。

●グラノーラは塩分が控えめだから、朝食にピッタリ!

●全粒粉のパンはカラダにいい

●パスタの食物繊維で美容効果が期待!

そんな間違った情報や思い込みが一般に広がっています。では、いったいなぜ、これほどの症状が現れてしまうのでしょうか。


小麦の主成分はブドウ糖ですが、グリアジンとグルテニンという2つのたんぱく質も含みます。グリアジンとグルテニンは水を含むと、ネバネバとしたグルテンとなります。この「グルテン」が、腸の粘膜を傷つけ、リーキーガット症候群と呼ばれる症状を生みだすといわれています。

リーキーガット症候群とは、腸管壁における過度の浸透状態のことをいいます。腸壁の粘膜に細かな損傷があるため、腸内にあるべき物質が分子レベルで漏れだしてしまう状態のことです。

こうなると、腸は十分に働けず、消化と吸収の作業が妨げられてしまいます。グルテンの消化も進まなくなります。

グルテン不耐症が見つかりにくいのはなぜ?

「もしかしたら、私もグルテンが原因で不調になっているのかもしれない」

ここまで読み進めてきて、そう感じた方も多いかもしれません。しかし現状、症状とパンの害を結びつける診断は、難しいことが多いのです。

現在、米国では、グルテンに耐性がない患者さんは、20人中に1人と言われています。しかし、実際にそれと診断されている人はわずか。ほとんどの人が、心身の不調に悩みながらも、何が原因かもわからず、日常を過ごしている可能性があります。

なぜでしょうか。理由は、遅発型のアレルギーだからです。アレルギーには、摂取後わずか数分のうちに症状が現れる「即時型」と、時間が経ってから症状が現れる「遅発型」があります。

人によっては、少量では発症しない場合があります。摂取後、数日が経って、症状が現れることさえあります。こうなってしまうと、何が原因で症状が起こっているのか、本人も医師もわかりにくいという事態が生じます。

しかし、小麦を一切食べずに、外食や食事を楽しむことなどできるのでしょうか。

「さすがに無理だ」「現実的じゃないんじゃないか」

私たちグルテンフリーライフ協会を訪れる人の多くが、そうおっしゃいます。しかし、難しいことはまったくありません。

なぜ、私がそこまで断言できるのか。それは、私自身がもともと、「大のパン好き」だったからです。


私の夫は、グルテン不耐症、つまり小麦を口にしただけで体調を崩す体質です。私は夫との生活をきっかけに、小麦抜きの生活を始めました。しかし、いくら夫婦の仲とはいえ、自分がパンやパスタをいっさい食べない生活をするなど想像もできません。当初はそう考えていました。

しかし、試しに行った14日間の小麦抜き生活のあと、私の考えは、180度、変わりました。あんなに大好きだったパンを、「食べたい」といっさい思わなくなったのです。

前述の神経科医デイビッド・パールマター氏は、小麦の成分、グルテンには、依存性があると指摘しています。

「小麦をやめる!」と大きな決断をするのではなく、1食1食、小麦を食べなくてすむメニューを考えていくようにすることです。

とにかく14日間、小麦を口にしない食事を積み重ねましょう。そして14日後に、始める前と、今の体調や心の状態を観察してみてください。

忙しい人は、これだけでOK!実践のコツ

「グルテンフリー」健康法は、いくつかの翻訳書が出版されており、ベストセラーにもなっていますが、一方で問題もあります。日本と米国とでは、スーパーの品ぞろえから食への認識までまったく異なるため、実施に際してはなかなか参考にしづらいことが多いのです。

そこで、日本の食卓に合った〈ズボラな人向け〉食事のコツを提案します。それは、「和食中心」の食事にする、これだけです。

いつも朝はパンやシリアルで手軽に済ませていた人は、朝から和食の準備をするのは大変に感じるでしょう。しかし、難しく考えないでください。まずは、朝食のパンやシリアルをやめてみてください。

「和食は塩分が多いので、高血圧になりやすいのではないですか?」

よくそう聞かれます。たびたびやり玉に挙げられるのは、味噌汁です。日本の伝統食でありながら、「味噌汁は血圧に悪いから、あまり飲まないようにしている」という人も多いでしょう。

しかし、最近の研究によって「味噌汁は血圧に影響しない」「味噌汁を1日1杯程度飲む食生活は、血管年齢を10歳ほど若返らせること」が確認されています(出典:共立女子大学上原誉志夫教授による「習慣的味噌汁摂取が血管年齢に与える 影響」、第36回日本高血圧学会総会)

和食以外でも、グルテンフリー生活はもちろん可能性です。そのコツを以下にご紹介します。


@ イタリアで話題の「ゼンパスタ」で健康に!

グルテンフリー生活をする私たちも、パスタやラーメンを食べたくなります。そこでグルテンフリーのパスタやラーメンを常備しています。


グルテンフリーの食材は日本ではあまり流通していませんが、ネットショップなどから簡単に入手できます。

グルテンフリーの麺は、主に米粉やトウモロコシ粉を使って作られています。最近は、玄米粉を使ったパスタやペンネも出てきました。本来のものよりも白っぽいものが多いですが、味は一昔前より格段においしくなっています。

パスタの本場であるイタリアでも、小麦抜き生活を実践する人も増えているようです。その影響で、「ゼンパスタ」という麺が大ブームになっています。原料はなんと、「乾燥しらたき」。試してみてください。

A 「米粉パンケーキ」を試してみる

私はもともとパン好きです。今、食べないのは、「小麦粉」でつくったパンだけです。米粉のパンは食べます。昨日も、米粉の食パンでサンドイッチを作りました。最近は、米粉のパンを町のパン屋さんでもよく見かけるようになりました。インターネットを使って購入することもできます。

ただ、小麦粉も扱っているパン屋の場合、米粉だけで焼いたパンであっても、小麦が混入してしまう心配があります。

私は、日本ハムの「米粉パン」をインターネットで購入しています。食物アレルギー対応の専用工場でつくられている米粉のパンです。小麦粉より少々高価ですが、グルテンをいっさい含まないため、安心して食べられます。

大切なのは、諦めないこと

グルテンフリーの効果を実感するためには、まずは14日間続けてみて、その後に小麦食品を一口だけ食べてみるのが、体調の変化を知る、わかりやすい方法です。

「14日目を待たずして小麦食品を食べると、リセットしてしまうのでは?」

そんな心配もいりません。もしも食べてしまったのならば、体調にどんな変化が現れるのか、観察してみましょう。そして、再び始めればよいのです。

グルテンをどの程度許容するのかも、ご自身で決めていきましょう。
ある人は、友人と食事に出かけた時だけは、ほんの少し口にするのは「よし」としているといいます。友人が「おいしいよ」とすすめてくれたものを、「小麦粉は食べられないから」と断り、その場の雰囲気を壊したくないためです。こうした考え方は、とても素敵だと思います。

まずは朝食のパンだけやめてみて、慣れてきたところで、昼、夜と小麦をやめる回数を増やす方法もあります。

「こうしなければならない」という決まりはありません。ご自身が楽しく続けていける方法をどうぞ見つけていってください。



14. 中川隆[-10990] koaQ7Jey 2019年4月03日 14:13:07: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1036] 報告
▲△▽▼

『「いつものパン」があなたを殺す』白澤卓二教授に聞いた“グルテン”と“脳”の真実とは 2015.4.2
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088

美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本

『「いつものパン」があなたを殺す』

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837957552/urepi-22/ref=nosim/

の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

最近、人気モデルや著名人が実践中ということでも話題の“グルテンフリー”。健康に関心の高い人やダイエットを目指す人たちを中心にじわじわと注目を集め、グルテンフリー食品や専門店なども登場している。

しかしこの“グルテン”、どうやら特別な人々だけに関わる問題ではないらしい。

私たちの「脳」に着々と、深刻な影響をおよぼしている可能性が高いのだ。

アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる『「いつものパン」があなたを殺す』(デイビッド・パールマター/クリスティン・ロバーグ著 原題:Grain Brain)の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

■白澤卓二(しらさわ・たくじ)
順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。日本抗加齢(アンチエイジング)医学会理事。専門は寿命制御遺伝子の分子遺伝子学、アルツハイマー病の分子生物学など。
著書に『100歳まで元気に生きる食べ方』(三笠書房)、『ココナッツオイルでボケずに健康』(主婦の友社)、訳書に『小麦は食べるな!』(日本文芸社)などベストセラー多数。

小麦に含まれる「グルテン」が脳を鈍くしている!?

セルビア出身の男子テニスプレーヤー、ノバク・ジョコビッチ選手。彼は世界ランク3位で伸び悩んでいたとき、ある簡単な検査でグルテンに過敏な体質を持っていることを知った。

そこで彼は14日間、グルテンを含む小麦食品を一切断った。すると体調がよくなり、パフォーマンスもアップした。2週間後、再びグルテンを含むベーグルを1個食べてみたところ、その翌朝は体のキレが悪く体力が続かなかったという。

「腸管に炎症が起きていたんですね。『リーキーガット』になっていたんです」

普通、小腸の粘膜を覆っている細胞は、1つ1つが規則正しく結びついて並んでいるのだが、グルテンアレルギーがあると、この細胞の結びつきが崩れて緩み、腸管に穴が開く。すると中から毒素が漏れ出し、それが脳へと到達して「キヌレニン」という神経毒性物質を生み出すという。これが『リーキーガット』。

「『キヌレニン』が脳のニューロン(神経細胞)に作用すると、神経伝達物質が出にくくなります。つまり、『キヌレニンがジョコビッチ選手の脳を犯していた』ということです」

ジョコビッチ選手は本格的に小麦食品を除去し、良質なタンパク質や脂質を十分に摂る食生活に変えた。そして世界ランキング3位から1位へと上り詰め、快進撃が続いている。

「グルテンを除いた影響ですね。相手がボールを打ってから次の動きを始める前には、信号が脳のいくつかの『シナプス』を経由するんですが、そのシナプスの結合が良くなったんです。相手が打った瞬間に動けるから、ストロークが安定したんでしょう」

グルテンを断つことで、脳の働きがよりスムーズになった。逆に言えば、“グルテンが脳の働きを悪くし、動きを鈍らせていた”ことになる。実際に映像で観てみると、同じトップクラスの選手と比べてみても、動きの速さが段違いであることがわかる。

「こういうことが、小麦で起きているんです。『パンがあなたを殺す』というのはそういう意味です。たとえ全粒粉のパンを食べたとしても同じです。『脳の中が空っぽ(Grain Brain=穀物脳)になる』、ということなんです」

“袋入りパン”が売られているのは、実は日本だけ!

ジョコビッチ選手はグルテンに過敏性があった。だが、私たちはどうなのだろう?

スーパーやコンビニなど街のいたるところで“袋入り”で売られているパン。日本で流通しているような“ふわふわ”と伸びがよい、“日持ちする”パンを作るためには、グルテンを多く含む「強力粉」を使う必要がある。

日本での強力粉の自給率は1%程度。そのため輸入に頼るしかない。日本のパンの原料となっている小麦は、ほとんどがアメリカやカナダからの輸入品なのだ。

「フランスでパンといえば『バゲット』で、強力粉は使いません。日持ちしないので、パンを買いに、街のパン屋さんに足を運ぶわけです。

パンがビニール袋に入って売られているのは、日本だけです。

日本ではこれ(袋入りの食パン)が普通のパンだと思っていますよね? 学校給食でも袋入りで配られますからね。でもこれ、もともとが『強力粉』を使わないと作れないものなんです。100%、輸入小麦を使わないと作れない仕組みに、最初からなっていたわけです」


あなたのイメージする小麦は、“本当の小麦”?

いくつか、小麦の穂の写真を見せていただいた。広々とした畑の中で、ゆらゆらと穂をなびかせながら大きく育つ…。小麦にはそんなイメージがある。しかし、1960年から1980年までの間に行われた度重なる品種改良によって、小麦はその姿・形を大きく変えた。

「現在作られている小麦のほとんどがこれです」。
白澤先生がそう言って指し示した小麦は、1960年代に作られていた小麦と比べ、背丈は半分以下。大量の化学肥料や農薬を使わないと育つことができない。

『小麦は食べるな!』(Dr.ウイリアム・デイビス著)によれば、現代の小麦は、収穫量を増やし、病気や日照りなど環境への抵抗力をつけるために、“異種交配”や“遺伝子情報の大幅な変更”が繰り返され、高い生産性をもつ矮性小麦へと変わった。現在、世界で作られている小麦の99%が、こうした矮性小麦や半矮性小麦だという。

グルテンの含有量が少ない昔の小麦では、“ふわふわ”した食感のパンやパンケーキは作れない。品種改良によってグルテンの量が増えたからこそ、より“ふわふわ”な食感になる。つまり私たちは、昔とは性質の違う、「体が受け入れる準備が整っていない」小麦を食べているらしい。

誰もが、グルテンで脳に“炎症”を起こしている

小麦グルテンによって小腸が損傷する「セリアック病」という病気がある。これはごく少数の人がかかる小麦に反応する自己免疫性疾患だ。
しかし、「セリアック病」でないからといって安心できる訳ではない。この病気でなくとも、グルテンを適正に処理できない過敏症である可能性があるという。

「小学校の頃から炭水化物ばかり食べさせられてきて、グルテンに対するアレルギー検査も受けていない。それにコレステロールの多い食事も摂っていないでしょう? 条件的には、日本人はほぼ、腸管に穴が開いているとしても不思議ではありません。ほとんど日本人全員にあてはまるのはないでしょうか、彼(デイビッド・パールマター)が言っていることは」

つまり私たちの誰もがグルテンに過敏であり、「脳」にグルテンの影響を受けている可能性が極めて高い、ということなのだ。

さらに、グルテン以外の「糖質」、「炎症を促進する食べ物」、「環境有害物質」などが組み合わさることで、脳への影響が加速する…と著者は指摘する。

「1日の糖質は60g以下に、と彼は言っています。そうしないと脳に炎症が起きてきます。『キヌレリン』という毒が発生して、脳を犯すんです」

今まで小麦を食べてきた量によって、その影響に差は生まれるのだろうか?

「彼は『(小麦以外も含む)炭水化物の影響は蓄積される』と言っています。人生において、炭水化物を食べれば食べるほど脳が燃えている時間が長くなり、脳の中の空洞が大きくなる、と断言しています。濃厚に食べていればそれだけ、たとえ生きている時間が短いとしても、『脳が空っぽになる』と」


ふわっふわの美味しい「パン」が、心の病の原因に

実際に「小麦を断つ」、ただそれだけのことで、うつ病や統合失調症、注意欠如・多動性障害(ADHD)、自閉症、記憶・認知障害などの精神や行動にかかわる病が治った、という多くの例が存在する。

グルテンにはまた、強い依存性がある。グルテンが胃で分解されると、アヘンに似た作用を持つ「エクソルフィン」という物質に変わる。それが脳の“関門”をするりと突破し、脳内に入り込む。すると「おいしい!」「最高!」という恍惚感を生み、依存性を引き起こす。

「パンを食べて『ふわっ』とした快楽が脳に走るのは、血糖が上がったからではなくて、エクソルフィンが脳まで行き、『アヘン受容体』と結合したからなんです。つまり、神経回路が行動を制御している、ということです」

精神の病を引き起こす“だけでなく”、脳などの神経系組織を破壊し、しかも依存性がある。それが多くの食品に含まれているとなれば、問題が大きいのではないか?

小学生は給食でパンを食べている。集中力を保てない、疲れやすい、キレやすい、アレルギーの増加…。ちょうど1980年代頃から指摘され始めた子どもたちのこうした変化も、小麦がひとつの要因となっているのだろうか?

「まず、すべき事は『パン』を食べないこと。給食でも、みんなで『パン』を食べなければいい、ボイコットすればいいんです。牛乳も本当はやめるべきなのです」

美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本『「いつものパン」があなたを殺す』の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

問題は「パン」だけではない!

“小麦を断つだけ”で、慢性疲労、自己免疫疾患、アレルギー、関節炎、偏頭痛、じんましん、心臓疾患、といった多くの原因不明の病気が治ることがある。つまりそれだけ、小麦がいろいろな病気の引き金になっているということだ。アメリカでは、小麦をやめてお米を食べる人が増えてきているという。

しかし、パンをほかの穀物に変えればいい、という問題ではないと、白澤先生は指摘する。

「パンをやめて、うどんを食べていたら意味ないですし、グルテンフリーにすればいい、というわけではないんですよね」

炭水化物(糖質)が多くの現代病の原因になっている。したがって、なるべく健康でいたい人はまず、糖質の摂取量を減らさなければならない。糖質を摂ることで“糖化反応”が加速し、体のあらゆる組織を酸化させる。“健康にいい”イメージのある全粒粉のパンも、グラノーラも、ブランのシリアルも、その本体は糖質であることに変わりはない。血糖の急上昇を招き、体にダメージを与える。

「グルテンフリーが健康にいい、というわけではないんです。全粒粉のパンが健康にいい、と勘違いしてたくさん食べた結果がこうなっている(糖尿病などが増えている)のです。肝心な部分を理解していないと、グルテンフリーを食べて病気が増えた、という話がおそらく何十年か後にまた繰り返されるでしょう」

世間では、ある特定の“機能性”だけに着目した食品や情報があふれているが…。

「体にいいものを摂り入れれば『毒』がなくなるかというと、そうではない。何かを足せばいい、混ぜればいい、という発想は間違っています。いくらブロッコリーを食べても、いくら白米に雑穀を混ぜても『毒』は相殺されない。『毒』は取り除かなければ意味がないのです」

“低糖質”をアピールした食品を目にする機会も多くなった。もちろん、それで健康になれるというわけではない。重要なのは、食生活全体のバランスだ。ただ、その“食生活のバランス”にもまた、問題がある。「コレステロールは体に悪い」という誤解が、あまりにも世間一般に浸透しているからだ。

なぜ、コレステロールに関して、こうした認識が広まってしまったのだろう? その背景にある“いろいろな事情”についても、私たちは知っておいた方が良いだろう。
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088


http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c286

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
87. 中川隆[-10895] koaQ7Jey 2019年4月06日 07:48:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1133]

『長生きしたけりゃパンは食べるな』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797389214/toyokeizaia-22/

「パンばかり食べる人」がひそかに陥る不調 2016/11/15
https://toyokeizai.net/articles/-/145054


小麦の多い食生活は簡単なコツで変えられる


「なんとなく不調」の原因がグルテンにある人もいるかもしれません(写真:Graphs / PIXTA)

ビジネスマンにとって、コンディションは大きな課題です。 しかし、どんなに睡眠や食べ物に気を使っても、頭痛、腹痛、疲労が抜けない人は多いもの。そんな人は、思ってもみない食材が悪さをしているかもしれません。その食べ物こそが、「パン」。パンをつくる小麦の成分が、体に大きな負担となっている可能性があります。

ジョコビッチの食事法で一躍有名になり、世界中の一流セレブが実践している小麦抜きの食事法、「グルテンフリー」。夫のグルテン過敏症を機にこの食事法を8年前から実践している第一人者であり、『長生きしたけりゃパンは食べるな』の著者でもあるフォーブス弥生氏が、日本のビジネスパーソンに合わせた現実的な食事法を提案します。

【表現の変更について】初出時に「グルテンが、腸に穴を開けてしまう」「これが腸の表面に薄く付着することで」という表記をしていましたが、誤解を招く恐れがありました。そのためこれらの部分を正確な内容に修正しています(11月15日16時04分)。


頭が重い、肩こり、疲れがとれない、集中できない。メタボ、糖尿病、肌荒れ、不眠、生理不順、ボケ、食事のあとの下痢――。

医者から「異常はありません。ストレスはためないでくださいね」と言われ、対処法も見当たらず、あきらめてしまった持病はありませんか?

実は、あなたの不調の原因は、もしかしたら「毎日のパン」にあるかもしれないのです。

小麦の成分「グルテン」が原因かも

近年、小麦に含まれるたんぱく質「グルテン」が、脳に炎症を起こし、腸に小さな穴を開けると注目されています。米国でベストセラーになった神経科医デイビッド・パールマター氏などがその著書の中で指摘しています(邦訳『「いつものパン」があなたを殺す』)。世界屈指のテニスプレーヤー、ジョコビッチが実践し、話題になった小麦抜き食事法「グルテンフリー」という言葉を聞いた人もいるかもしれません。

ケーキやラーメン、パスタ、うどん、クッキー、菓子パン……。小麦粉の食品は私たちの生活に深く入り込んでいます。知らず知らずに、グルテンを大量に摂取しているのが現代人の食生活です。それだけではありません。

●グラノーラは塩分が控えめだから、朝食にピッタリ!

●全粒粉のパンはカラダにいい

●パスタの食物繊維で美容効果が期待!

そんな間違った情報や思い込みが一般に広がっています。では、いったいなぜ、これほどの症状が現れてしまうのでしょうか。


小麦の主成分はブドウ糖ですが、グリアジンとグルテニンという2つのたんぱく質も含みます。グリアジンとグルテニンは水を含むと、ネバネバとしたグルテンとなります。この「グルテン」が、腸の粘膜を傷つけ、リーキーガット症候群と呼ばれる症状を生みだすといわれています。

リーキーガット症候群とは、腸管壁における過度の浸透状態のことをいいます。腸壁の粘膜に細かな損傷があるため、腸内にあるべき物質が分子レベルで漏れだしてしまう状態のことです。

こうなると、腸は十分に働けず、消化と吸収の作業が妨げられてしまいます。グルテンの消化も進まなくなります。

グルテン不耐症が見つかりにくいのはなぜ?

「もしかしたら、私もグルテンが原因で不調になっているのかもしれない」

ここまで読み進めてきて、そう感じた方も多いかもしれません。しかし現状、症状とパンの害を結びつける診断は、難しいことが多いのです。

現在、米国では、グルテンに耐性がない患者さんは、20人中に1人と言われています。しかし、実際にそれと診断されている人はわずか。ほとんどの人が、心身の不調に悩みながらも、何が原因かもわからず、日常を過ごしている可能性があります。

なぜでしょうか。理由は、遅発型のアレルギーだからです。アレルギーには、摂取後わずか数分のうちに症状が現れる「即時型」と、時間が経ってから症状が現れる「遅発型」があります。

人によっては、少量では発症しない場合があります。摂取後、数日が経って、症状が現れることさえあります。こうなってしまうと、何が原因で症状が起こっているのか、本人も医師もわかりにくいという事態が生じます。

しかし、小麦を一切食べずに、外食や食事を楽しむことなどできるのでしょうか。

「さすがに無理だ」「現実的じゃないんじゃないか」

私たちグルテンフリーライフ協会を訪れる人の多くが、そうおっしゃいます。しかし、難しいことはまったくありません。

なぜ、私がそこまで断言できるのか。それは、私自身がもともと、「大のパン好き」だったからです。


私の夫は、グルテン不耐症、つまり小麦を口にしただけで体調を崩す体質です。私は夫との生活をきっかけに、小麦抜きの生活を始めました。しかし、いくら夫婦の仲とはいえ、自分がパンやパスタをいっさい食べない生活をするなど想像もできません。当初はそう考えていました。

しかし、試しに行った14日間の小麦抜き生活のあと、私の考えは、180度、変わりました。あんなに大好きだったパンを、「食べたい」といっさい思わなくなったのです。

前述の神経科医デイビッド・パールマター氏は、小麦の成分、グルテンには、依存性があると指摘しています。

「小麦をやめる!」と大きな決断をするのではなく、1食1食、小麦を食べなくてすむメニューを考えていくようにすることです。

とにかく14日間、小麦を口にしない食事を積み重ねましょう。そして14日後に、始める前と、今の体調や心の状態を観察してみてください。

忙しい人は、これだけでOK!実践のコツ

「グルテンフリー」健康法は、いくつかの翻訳書が出版されており、ベストセラーにもなっていますが、一方で問題もあります。日本と米国とでは、スーパーの品ぞろえから食への認識までまったく異なるため、実施に際してはなかなか参考にしづらいことが多いのです。

そこで、日本の食卓に合った〈ズボラな人向け〉食事のコツを提案します。それは、「和食中心」の食事にする、これだけです。

いつも朝はパンやシリアルで手軽に済ませていた人は、朝から和食の準備をするのは大変に感じるでしょう。しかし、難しく考えないでください。まずは、朝食のパンやシリアルをやめてみてください。

「和食は塩分が多いので、高血圧になりやすいのではないですか?」

よくそう聞かれます。たびたびやり玉に挙げられるのは、味噌汁です。日本の伝統食でありながら、「味噌汁は血圧に悪いから、あまり飲まないようにしている」という人も多いでしょう。

しかし、最近の研究によって「味噌汁は血圧に影響しない」「味噌汁を1日1杯程度飲む食生活は、血管年齢を10歳ほど若返らせること」が確認されています(出典:共立女子大学上原誉志夫教授による「習慣的味噌汁摂取が血管年齢に与える 影響」、第36回日本高血圧学会総会)

和食以外でも、グルテンフリー生活はもちろん可能性です。そのコツを以下にご紹介します。


@ イタリアで話題の「ゼンパスタ」で健康に!

グルテンフリー生活をする私たちも、パスタやラーメンを食べたくなります。そこでグルテンフリーのパスタやラーメンを常備しています。


グルテンフリーの食材は日本ではあまり流通していませんが、ネットショップなどから簡単に入手できます。

グルテンフリーの麺は、主に米粉やトウモロコシ粉を使って作られています。最近は、玄米粉を使ったパスタやペンネも出てきました。本来のものよりも白っぽいものが多いですが、味は一昔前より格段においしくなっています。

パスタの本場であるイタリアでも、小麦抜き生活を実践する人も増えているようです。その影響で、「ゼンパスタ」という麺が大ブームになっています。原料はなんと、「乾燥しらたき」。試してみてください。

A 「米粉パンケーキ」を試してみる

私はもともとパン好きです。今、食べないのは、「小麦粉」でつくったパンだけです。米粉のパンは食べます。昨日も、米粉の食パンでサンドイッチを作りました。最近は、米粉のパンを町のパン屋さんでもよく見かけるようになりました。インターネットを使って購入することもできます。

ただ、小麦粉も扱っているパン屋の場合、米粉だけで焼いたパンであっても、小麦が混入してしまう心配があります。

私は、日本ハムの「米粉パン」をインターネットで購入しています。食物アレルギー対応の専用工場でつくられている米粉のパンです。小麦粉より少々高価ですが、グルテンをいっさい含まないため、安心して食べられます。

大切なのは、諦めないこと

グルテンフリーの効果を実感するためには、まずは14日間続けてみて、その後に小麦食品を一口だけ食べてみるのが、体調の変化を知る、わかりやすい方法です。

「14日目を待たずして小麦食品を食べると、リセットしてしまうのでは?」

そんな心配もいりません。もしも食べてしまったのならば、体調にどんな変化が現れるのか、観察してみましょう。そして、再び始めればよいのです。

グルテンをどの程度許容するのかも、ご自身で決めていきましょう。
ある人は、友人と食事に出かけた時だけは、ほんの少し口にするのは「よし」としているといいます。友人が「おいしいよ」とすすめてくれたものを、「小麦粉は食べられないから」と断り、その場の雰囲気を壊したくないためです。こうした考え方は、とても素敵だと思います。

まずは朝食のパンだけやめてみて、慣れてきたところで、昼、夜と小麦をやめる回数を増やす方法もあります。

「こうしなければならない」という決まりはありません。ご自身が楽しく続けていける方法をどうぞ見つけていってください。



14. 中川隆[-10990] koaQ7Jey 2019年4月03日 14:13:07: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1036] 報告
▲△▽▼

『「いつものパン」があなたを殺す』白澤卓二教授に聞いた“グルテン”と“脳”の真実とは 2015.4.2
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088

美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本

『「いつものパン」があなたを殺す』

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837957552/urepi-22/ref=nosim/

の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

最近、人気モデルや著名人が実践中ということでも話題の“グルテンフリー”。健康に関心の高い人やダイエットを目指す人たちを中心にじわじわと注目を集め、グルテンフリー食品や専門店なども登場している。

しかしこの“グルテン”、どうやら特別な人々だけに関わる問題ではないらしい。

私たちの「脳」に着々と、深刻な影響をおよぼしている可能性が高いのだ。

アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる『「いつものパン」があなたを殺す』(デイビッド・パールマター/クリスティン・ロバーグ著 原題:Grain Brain)の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

■白澤卓二(しらさわ・たくじ)
順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。日本抗加齢(アンチエイジング)医学会理事。専門は寿命制御遺伝子の分子遺伝子学、アルツハイマー病の分子生物学など。
著書に『100歳まで元気に生きる食べ方』(三笠書房)、『ココナッツオイルでボケずに健康』(主婦の友社)、訳書に『小麦は食べるな!』(日本文芸社)などベストセラー多数。

小麦に含まれる「グルテン」が脳を鈍くしている!?

セルビア出身の男子テニスプレーヤー、ノバク・ジョコビッチ選手。彼は世界ランク3位で伸び悩んでいたとき、ある簡単な検査でグルテンに過敏な体質を持っていることを知った。

そこで彼は14日間、グルテンを含む小麦食品を一切断った。すると体調がよくなり、パフォーマンスもアップした。2週間後、再びグルテンを含むベーグルを1個食べてみたところ、その翌朝は体のキレが悪く体力が続かなかったという。

「腸管に炎症が起きていたんですね。『リーキーガット』になっていたんです」

普通、小腸の粘膜を覆っている細胞は、1つ1つが規則正しく結びついて並んでいるのだが、グルテンアレルギーがあると、この細胞の結びつきが崩れて緩み、腸管に穴が開く。すると中から毒素が漏れ出し、それが脳へと到達して「キヌレニン」という神経毒性物質を生み出すという。これが『リーキーガット』。

「『キヌレニン』が脳のニューロン(神経細胞)に作用すると、神経伝達物質が出にくくなります。つまり、『キヌレニンがジョコビッチ選手の脳を犯していた』ということです」

ジョコビッチ選手は本格的に小麦食品を除去し、良質なタンパク質や脂質を十分に摂る食生活に変えた。そして世界ランキング3位から1位へと上り詰め、快進撃が続いている。

「グルテンを除いた影響ですね。相手がボールを打ってから次の動きを始める前には、信号が脳のいくつかの『シナプス』を経由するんですが、そのシナプスの結合が良くなったんです。相手が打った瞬間に動けるから、ストロークが安定したんでしょう」

グルテンを断つことで、脳の働きがよりスムーズになった。逆に言えば、“グルテンが脳の働きを悪くし、動きを鈍らせていた”ことになる。実際に映像で観てみると、同じトップクラスの選手と比べてみても、動きの速さが段違いであることがわかる。

「こういうことが、小麦で起きているんです。『パンがあなたを殺す』というのはそういう意味です。たとえ全粒粉のパンを食べたとしても同じです。『脳の中が空っぽ(Grain Brain=穀物脳)になる』、ということなんです」

“袋入りパン”が売られているのは、実は日本だけ!

ジョコビッチ選手はグルテンに過敏性があった。だが、私たちはどうなのだろう?

スーパーやコンビニなど街のいたるところで“袋入り”で売られているパン。日本で流通しているような“ふわふわ”と伸びがよい、“日持ちする”パンを作るためには、グルテンを多く含む「強力粉」を使う必要がある。

日本での強力粉の自給率は1%程度。そのため輸入に頼るしかない。日本のパンの原料となっている小麦は、ほとんどがアメリカやカナダからの輸入品なのだ。

「フランスでパンといえば『バゲット』で、強力粉は使いません。日持ちしないので、パンを買いに、街のパン屋さんに足を運ぶわけです。

パンがビニール袋に入って売られているのは、日本だけです。

日本ではこれ(袋入りの食パン)が普通のパンだと思っていますよね? 学校給食でも袋入りで配られますからね。でもこれ、もともとが『強力粉』を使わないと作れないものなんです。100%、輸入小麦を使わないと作れない仕組みに、最初からなっていたわけです」


あなたのイメージする小麦は、“本当の小麦”?

いくつか、小麦の穂の写真を見せていただいた。広々とした畑の中で、ゆらゆらと穂をなびかせながら大きく育つ…。小麦にはそんなイメージがある。しかし、1960年から1980年までの間に行われた度重なる品種改良によって、小麦はその姿・形を大きく変えた。

「現在作られている小麦のほとんどがこれです」。
白澤先生がそう言って指し示した小麦は、1960年代に作られていた小麦と比べ、背丈は半分以下。大量の化学肥料や農薬を使わないと育つことができない。

『小麦は食べるな!』(Dr.ウイリアム・デイビス著)によれば、現代の小麦は、収穫量を増やし、病気や日照りなど環境への抵抗力をつけるために、“異種交配”や“遺伝子情報の大幅な変更”が繰り返され、高い生産性をもつ矮性小麦へと変わった。現在、世界で作られている小麦の99%が、こうした矮性小麦や半矮性小麦だという。

グルテンの含有量が少ない昔の小麦では、“ふわふわ”した食感のパンやパンケーキは作れない。品種改良によってグルテンの量が増えたからこそ、より“ふわふわ”な食感になる。つまり私たちは、昔とは性質の違う、「体が受け入れる準備が整っていない」小麦を食べているらしい。

誰もが、グルテンで脳に“炎症”を起こしている

小麦グルテンによって小腸が損傷する「セリアック病」という病気がある。これはごく少数の人がかかる小麦に反応する自己免疫性疾患だ。
しかし、「セリアック病」でないからといって安心できる訳ではない。この病気でなくとも、グルテンを適正に処理できない過敏症である可能性があるという。

「小学校の頃から炭水化物ばかり食べさせられてきて、グルテンに対するアレルギー検査も受けていない。それにコレステロールの多い食事も摂っていないでしょう? 条件的には、日本人はほぼ、腸管に穴が開いているとしても不思議ではありません。ほとんど日本人全員にあてはまるのはないでしょうか、彼(デイビッド・パールマター)が言っていることは」

つまり私たちの誰もがグルテンに過敏であり、「脳」にグルテンの影響を受けている可能性が極めて高い、ということなのだ。

さらに、グルテン以外の「糖質」、「炎症を促進する食べ物」、「環境有害物質」などが組み合わさることで、脳への影響が加速する…と著者は指摘する。

「1日の糖質は60g以下に、と彼は言っています。そうしないと脳に炎症が起きてきます。『キヌレリン』という毒が発生して、脳を犯すんです」

今まで小麦を食べてきた量によって、その影響に差は生まれるのだろうか?

「彼は『(小麦以外も含む)炭水化物の影響は蓄積される』と言っています。人生において、炭水化物を食べれば食べるほど脳が燃えている時間が長くなり、脳の中の空洞が大きくなる、と断言しています。濃厚に食べていればそれだけ、たとえ生きている時間が短いとしても、『脳が空っぽになる』と」


ふわっふわの美味しい「パン」が、心の病の原因に

実際に「小麦を断つ」、ただそれだけのことで、うつ病や統合失調症、注意欠如・多動性障害(ADHD)、自閉症、記憶・認知障害などの精神や行動にかかわる病が治った、という多くの例が存在する。

グルテンにはまた、強い依存性がある。グルテンが胃で分解されると、アヘンに似た作用を持つ「エクソルフィン」という物質に変わる。それが脳の“関門”をするりと突破し、脳内に入り込む。すると「おいしい!」「最高!」という恍惚感を生み、依存性を引き起こす。

「パンを食べて『ふわっ』とした快楽が脳に走るのは、血糖が上がったからではなくて、エクソルフィンが脳まで行き、『アヘン受容体』と結合したからなんです。つまり、神経回路が行動を制御している、ということです」

精神の病を引き起こす“だけでなく”、脳などの神経系組織を破壊し、しかも依存性がある。それが多くの食品に含まれているとなれば、問題が大きいのではないか?

小学生は給食でパンを食べている。集中力を保てない、疲れやすい、キレやすい、アレルギーの増加…。ちょうど1980年代頃から指摘され始めた子どもたちのこうした変化も、小麦がひとつの要因となっているのだろうか?

「まず、すべき事は『パン』を食べないこと。給食でも、みんなで『パン』を食べなければいい、ボイコットすればいいんです。牛乳も本当はやめるべきなのです」

美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本『「いつものパン」があなたを殺す』の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

問題は「パン」だけではない!

“小麦を断つだけ”で、慢性疲労、自己免疫疾患、アレルギー、関節炎、偏頭痛、じんましん、心臓疾患、といった多くの原因不明の病気が治ることがある。つまりそれだけ、小麦がいろいろな病気の引き金になっているということだ。アメリカでは、小麦をやめてお米を食べる人が増えてきているという。

しかし、パンをほかの穀物に変えればいい、という問題ではないと、白澤先生は指摘する。

「パンをやめて、うどんを食べていたら意味ないですし、グルテンフリーにすればいい、というわけではないんですよね」

炭水化物(糖質)が多くの現代病の原因になっている。したがって、なるべく健康でいたい人はまず、糖質の摂取量を減らさなければならない。糖質を摂ることで“糖化反応”が加速し、体のあらゆる組織を酸化させる。“健康にいい”イメージのある全粒粉のパンも、グラノーラも、ブランのシリアルも、その本体は糖質であることに変わりはない。血糖の急上昇を招き、体にダメージを与える。

「グルテンフリーが健康にいい、というわけではないんです。全粒粉のパンが健康にいい、と勘違いしてたくさん食べた結果がこうなっている(糖尿病などが増えている)のです。肝心な部分を理解していないと、グルテンフリーを食べて病気が増えた、という話がおそらく何十年か後にまた繰り返されるでしょう」

世間では、ある特定の“機能性”だけに着目した食品や情報があふれているが…。

「体にいいものを摂り入れれば『毒』がなくなるかというと、そうではない。何かを足せばいい、混ぜればいい、という発想は間違っています。いくらブロッコリーを食べても、いくら白米に雑穀を混ぜても『毒』は相殺されない。『毒』は取り除かなければ意味がないのです」

“低糖質”をアピールした食品を目にする機会も多くなった。もちろん、それで健康になれるというわけではない。重要なのは、食生活全体のバランスだ。ただ、その“食生活のバランス”にもまた、問題がある。「コレステロールは体に悪い」という誤解が、あまりにも世間一般に浸透しているからだ。

なぜ、コレステロールに関して、こうした認識が広まってしまったのだろう? その背景にある“いろいろな事情”についても、私たちは知っておいた方が良いだろう。
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088


http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c87

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
64. 2019年4月06日 08:17:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1131]
ロマ(ジプシー)が嫌われる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c64
[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
1. 中川隆[-10897] koaQ7Jey 2019年4月06日 08:22:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1132]

Flamenco Dance
https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q


2015-06-09
1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html

ヨーロッパは日本のように島国ではないので、様々な民族が国境を越えて行き来する。多くの民族は土着して、その国の「国民」となっていくのだが、中には定住するのを拒絶し、旅の生活を続ける民族も出てくる。

ヨーロッパではその最大勢力が「ロマ」である。単純な強盗や万引きなどの事件には、流れ者の民族であるロマも関わってくることが多い。

もちろんロマの人たちが全員「盗人」ではないが、やはり彼らの一部が強盗・万引き・麻薬売買に関わっているのは否定できず、ありとあらゆる場所で嫌悪されている。

この「ロマ」はヨーロッパに約1000万人いるというのだから、尋常ではない。国を持たず、流浪する民族が1000万人と言えば、さすがに目立つ。

このロマが定住する最大の国がルーマニアなのだが、ルーマニアもひどく貧しい国であり、そんな貧しい国に定住しているロマはどん底の貧しさであると言われている。


人種も、文化も、宗教も、気質もまるで違っている

ロマがルーマニアに200万人近くいて、人口の一割を占めているとは言っても、この1割のロマが受け入れられているというわけではない。

受け入れられているというよりも、やはりルーマニアでも嫌われていて、「泥棒」の代名詞となっている。

ロマが嫌われるのは、4つの理由があるというのは、以前にも書いた。

(ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900


彼らは、人種も、文化も、宗教も、気質も、何もかもヨーロッパとは違っている。時には言葉すらも通じない。

それでいて忽然と現れて、好きなところに「勝手に住み着く」のだから、地域住民から見たらまさに不法侵入者でしかない。しかも、この民族の子供たちは「万引き」をするために他人にまとわりつく。

「ロマの子供たちは学はないが、泥棒の仕方だけは親に学ぶ」

ヨーロッパの多くの国の観光地で、窃盗・万引き・置き引きが毎度のように発生するのは、ロマの子供たちがいるからであると言われている。

彼らはその街や村にやって来ると、そこの原っぱのようなところで誰の許可もなく勝手にキャンプを張る。

そして、ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。

そんな民族が1000万人もいる。だから、ヨーロッパではそれこそ1000年も昔からロマは頭痛の種だった。彼らはヨーロッパ中をさまよい歩き、今もその流浪と独自性で嫌悪と拒絶の対象になっている。


ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。


文化は受け入れられても、民族は排除されてしまった

ロマはロマの文化がある。彼らは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、流浪の民の文化は一部では崇拝を呼ぶほど信奉者も多い。

彼らは陽気で歌や踊りが大好きだ。その中で、最もよく知られているのはジプシー特有のけたたましい音楽だろう。

女性がスカートをなびかせ、足を踏み鳴らし、激しく踊るその様は見ている者を陶酔すら呼び起こすものである。

このジプシーの文化は、やがてヨーロッパ中の音楽にも取り入れられ、その踊りもまたヨーロッパ人に大きな影響を与えた。特に大きな影響を与えたのはスペインだ。

スペインに流れ着いたジプシーたちが、その土着の音楽と自分たちの音楽を融合させて生まれた独特の音楽は「フラメンコ」と呼ばれるようになった。

フラメンコは15世紀にはすでにスペインで定着していたわけで、その歴史は相当古い。まさに歴史的音楽であると言える。

とは言っても、この「ジプシー」がスペインで受け入れられたというわけではなく、やはり忌避されていたのである。

フラメンコという文化はスペインの文化になったが、皮肉にもそれを伝えた「ロマ」は相変わらず嫌われて、スペインのどこに言っても迫害され続けていた。

ジプシーと言えば、「占い」もまたひとつのビジネスだが、この占いもまたキリスト教徒から見れば「悪魔の業(わざ)」のように見えたわけで、キリスト教徒から見て不吉なものでもあった。

リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。

「黒猫は不吉な存在で、それが目の前を通ると誰かが死ぬ」というようなものだ。


リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。

Flamenco Dance
https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q


「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っている

ロマの流浪と文化は本当に異質であり、泥棒文化が嫌われ、何度も何度も地域住民と衝突して、今もヨーロッパはロマとどのように折り合いを付けたらいいのか分からないまま、困惑し、嫌い、排除しようとしている。

もっとも、そのロマも流浪する生活を頑なに守る人々が減っており、そのほとんどが定住するようになっているという。

ところが、定住しても独自文化を守ろうとして、地域の教育も無視するので、どこの国でもロマの人々は極貧の生活を強いられているようだ。定住はしたものの、地域と同化したわけではないということである。

ロマを支援する人々は、支援も理解も足りないと訴えるのだが、当のロマ自体が支援も理解も拒絶して自分たちの独自文化の中に引きこもることもあり、問題の解決は容易ではない。

また、地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。

イタリアは、ロマの人たちが公営住宅に入れないように、政府が自らロマ排除に動いていたし、スロバキアでも機動隊を投入してロマのキャンプを叩き潰して追い出した。

ロマが200万人も定住するルーマニアでも、ロマは政府と国民に就職も住居も結婚も一般国民と交わらないように「積極的排除」されている。

ヨーロッパでは「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っているのは、誰もがロマの問題を解決できないことを知っているからである。


地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html

2010-11-26
ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900

スリランカ・シンハラ系民族の女性に惹かれて付き合っていたことがあるのだが、それが自分の美の概念を根底から変えてしまった。

あっという間にインド・アーリア系の女性の美しさに魅せられ、悩まされ、そして当惑させられ(Bewitched, Bothered and Bewildered)、今でも、世界で一番美しいのはインド女性だと信じて疑わない。

あの瞳、あの笑み、時に甘美で、時に凶暴で、全体的に力強く、視線の強さや、横顔の端正なシルエットは他のどの民族からも受けないインパクトがある。

カルカッタでも、ムンバイでも、そしてスリランカでも、バングラデシュでも、はっとするような女性があちこちに存在する。その美しさに心を揺さぶられる。


ロマが、インド系の民族だというのを知って仰天

だから、アフガニスタンのヘロインがヨーロッパに到達するルートを調べてバルカン半島にまで知識の探究が辿り着いたとき、たまたまロマ(ジプシー)が、インド系の民族だというのを知って仰天した。

子供の頃から、ハイエナはずっとイヌ科の動物だと思っていたのに、実はネコ科のほうだと分かったとき以来の驚きだったかもしれない。

いや、それよりも数倍インパクトが強い。何しろ、ハイエナに恋焦がれたことはないが、インド女性には何度も恋焦がれている。関心の度合いが違う。

ロマ(ジプシー)の存在は私の中では非常に影の薄いものであったが、彼らがインド圏であるというのであれば話は別だ。

アジアは私の最大の関心であり、ましてインド女性は私がもっとも惹かれる民族なのだから、ロマという民族がその血を受け継いでいるのであれば、関心を持たないほうがどうかしている。


ロマ(ジプシー)の少女

今年9月からアジアに流通する麻薬に興味を持って調べていたのだが、トルコからバルカン半島まで入ったところで、関心がロマにそれた。それもまた一興なのかもしれない。

それから急いで数冊の本を買って、時間のあるときに読み耽っているのだが、以前から知っていた何人もの人物が実はロマ(ジプシー)出身だと知ったり、その凄絶な歴史を知ったりして興味深い。

たとえば、ユル・ブリンナーという古い俳優がいたが、彼がロマ(ジプシー)出身だったとは知らなかった。世界ロマ連盟の初代会長がユル・ブリンナーだった。


ユル・ブリンナー

イギリスで「ブレイク・アウェイ」等のヒットを飛ばした女優・歌手のトレイシー・ウルマンという女性もまた母方がロマ出身だったというのも知らなかった。


トレーシー・ウルマン

チャーリー・チャップリンもロマ出身だ。ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。


チャールズ・チャップリン

チャップリンが貧しい人たちと、虐げられている人たちの中に自分の役柄を置いた根源的な由来が、彼の血がロマ(ジプシー)の出だということで分かったような気がした。

ロマ(ジプシー)は今でも虐げられ、ヨーロッパ全土で差別の対象になっている。


ヨーロッパ人が排除したい民族

スイスと言えば、美しいアルプスの山脈と素朴に暮らす人たちの光景が思い浮かぶ。あるいは、時計職人、銀行家というイメージも別にある。

そのどれもが保守的で物静かな感じを受けるのだが、ロマの歴史からスイスを見たとき、スイス人はとても残酷な歴史を隠蔽している民族なのではないかという疑念がふつふつ湧いてくるようなものもある。

たとえば、スイス政府の認定を受け、閣僚も名を連ねる「青少年のために(Pro Juventute)」という組織の十数年にも渡って続けてきた行為などは、私が想像に描いていたスイス人のイメージとは違う。

この団体は、「ロマの子供を両親から引き離し、ロマ民族と文化を殲滅する」というスローガンを抱えて、実際にロマの子供たちを誘拐し、強制収容し、ロマの言葉や文化を一切教えず、暴行や性的虐待を繰り返してきたという。

これが、政府公認だった。誘拐されたのは分かっているだけでも、1,000人を越えており、意味もなく電気ショックを与えていたり、殴りつけていたという。

スイスだけではない。チャウシェスクはロマ民族を毛嫌いしていて、ルーマニア民族優等主義を標榜してロマを迫害・排除に動き、財産や職を取り上げた上で強制隔離してしまった。

ルーマニアではロマ人の隔離された場所をゲットーと呼び捨てていたようだが、ゲットーとはドイツ人がユダヤ人を強制隔離した場所を指す言葉ではなかったか。それと同じ目をロマの人々は味わされていた。

今でもルーマニアではロマ人を差別しており、その差別の内容も一方的で容赦がない。ロマ人に対する、虐待・集団暴行・レイプが今もルーマニアで横行しているという。

では、ゲットーという概念を作り上げたドイツではどうだったのかというと、やはりロマは排除の対象だったようだ。いや、排除ではなく、虐殺の対象だと言うべきだろう。

ナチス・ドイツはドイツ・アーリア人の優等主義を打ち出していて、そこから漏れる民族は片っ端から「強制収容所」に送り込んでいた。ユダヤ人がその最大の被害者だったが、そこにロマ人も含まれていたのである。

アウシュビッツで死んだのはユダヤ人ばかりではなく、ロマ人もまた含まれている。その数は約二万人だと言われており、スイスの「青少年のために(Pro Juventute)」とはケタ違いに被害が大きい。


アウシュビッツのロマの少年少女。アウシュビッツで殺されたのは、ユダヤ人だけではなかった。


迫害される要素をすべて持つロマ(ジプシー)

ヨーロッパのありとあらゆる国で迫害を受けてきたロマだが、どの国の迫害を見ても分かるのは「凄まじく嫌われている」ということだ。

嫌われ、迫害される主な理由が4つほどある。

・流れ者の民族で文化が違う。
・キリスト教徒ではない。
・コーカソイド(白人系)ではない。
・個人主義で、決して地域に同化しない。

要するに彼らは異質であり、異教徒であり、異端だった。地域に同化しない人間というのは得てして目立つ。そして、その非協調性によって排斥される。

宗教が違うというのも、また広い意味で、非協調性だと思われるものがあるだろう。つまり、同化しない人間は地域社会から許しがたい存在である。

おまけに肌の色が違ったら、ますます異端者扱いされる。「他所者だ」と思われて、頭から拒絶されるのである。

ヨーロッパでロマという民族は何か得体の知れないものであり、理解できないものであり、地域の秩序を乱すものだと捉えられた。

まして、彼らは一箇所に定住せず、適当な場所に勝手に泊まり、身なりは汚いことが多く、子供たちは平気で物をたかったり盗んだりする。言葉は通じないことも多いし、動物を引き連れていて不気味な集団なのである。

ロマ(ジプシー)という民族を調べながら、私が思ったのは、ここに迫害の要素がすべて詰まっていることだった。

「文化が違う、宗教が違う、人種(国)が違う、個人主義」というのは、迫害される要素の最大のものだ。

ロマは不幸なことに、そのすべてを兼ね備えてヨーロッパを徘徊している。だから、彼らは今もヨーロッパと共存できていない。

(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


ふと、そのような要素を持つ人間が個人にいることも気がつくが、そういう人は大抵、嫌われ者だ。「他人と違う」というのは、往々にして、そういう悪感情を他人に呼び起こす。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900


▲△▽▼

2018年03月23日
ララ・クロフトの素性はどこにあるのか? / スウェーデンにおけるジプシー
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html


二番煎じのシリーズ映画
Alicia Vikander 10Alicia Vikander 3
(写真 / 「ララ・クロフト」を演じたアリシア・ヴィキャンデル)

  ハリウッドは新しいネタ不足なのか、やたらとヒット作のシリーズ化やスピン・オフの制作、リメイク版での再稼働で儲けることばかり考えている。ディズニー社は映画『スター・ウォーズ』を3セットの三部作で終わらせず、アニメ化やスピン・オフ作品を展開させ、向こう百年先まで稼ぐつもりだ。マーヴェル・コミックを原作としたヒーロー映画も同じで、キャプテン・アメリカやスーパーマン、アイアンマン、ワンダーウーマン、超人ハルク、マイティー・ソーなどはバラ売りされたり、セット商品として利用され、配給会社のドル箱になっている。

Angelina Jolie 22(左 / アンジェリーナ・ジョリー )
  今年公開された『トゥーム・レイダー / ファーストミッション(Tomb Raider)』も、アンジェリーナ・ジョリー主演でヒットした『ララ・クロフト / トゥーム・レイダー(Lara Croft : Tomb Raider)』の改新版(reboot)である。2001年の第一作と2003年の続編はパラマウントが配給会社となっていたが、同じタイトルでも2018年度版はワーナーブラザーズへと変わっていた。そして主人公の「ララ・クロフト」役もアンジェリーナ・ジョリーから、スウェーデン出身女優のアリシア・ヴィキャンデル(Alicia Vikander)に交替している。同じシリーズでも役者が変わると、批評家と観客の賛否が分かれ、「以前の女優の方が良かった」とか、「今度の役者も中々いい」、「主役が代わっても同じだ」など、意見が様々だ。

Tobey Maguire 6Andrew Garfield 2Tom Holland 1

(左: トビー・マグワイアー / 中央: アンドリュー・ガーフィールド / 右: トム・ホランド )

  シリーズ物で観客の意見が割れるのは珍しくない。例えば、映画『スパイダーマン』では主役のピーター・パーカー役がトビー・マグワイアー(Tobey Maguire)からアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)、トム・ホランド(Tom Holland)に替わっていたし、映画『バットマン』になると、一作ごとに主役が替わっていたのだ。最初は、マイケル・キートン(Michael Keaton)で、次がヴァル・キルマー(Val Kilmer)、三番目がジョージ・クルーニー(George Clooney)で、その後にクリスチャン・ベール(Christian Bale)が起用されて、やっと落ち着いたという感じである。007シリーズは今のところダニエル・クレイグ(Daniel Craig)で続行しそうだ。

Michael Keaton 2Val Kilmer 1George Clooney 1Christian Bale 11

( 左: マイケル・キートン / ウァル・キルマー / ジョージ・クルーニー / 右: クリスチャン・ベール )

  役者を変えて失敗した例も幾つかある。有名なのは『ターミネーター』シリーズだ。アーノルド・シュワルツネッガーがカルフォルニア州知事になってしまったので仕方がないが、第4作目でサム・ワーシントン(Sam Worthington)が「ターミネーター」役になったが、これといったインパクトが無く凡庸な作品となってしまった。そして、第5作目でシュワルツネッガー復帰となった訳だが、残念ながら脚本が殊のほか酷く、見るに堪えない代物だ。筆者も期待を膨らませて劇場に足を運んだが、肩すかしを食らったような気分だった。だいいち、初老のターミネーターなんて冗談みたいな設定である。蛇足だが、「ジョン・コナー」役の交替も酷かった。名作の「T-2」ではエドワード・ファーロング(Edward Furlong)が好評だったのに、続編の「T-3」ではニック・ストール(Nick Stahl)が演じることとなり、ファンは「えぇ〜ぇ、何これ?」と唖然としたものだった。ニックには悪いが、美少年が数年後に劣化したという感じが否めなかった。誰か別の二代目が見つからなかったのか、と疑問に思う。

Arnold Schwarznegger 1Sam Worthington 1Edward Furlong 4Nick Stahl 3

(左: アーノルド・シュワルツネッガー / サム・ワーシントン / エドワード・ファーロング / 右: ニック・ストール )

  その他にも主役を変えて駄目になった作品は多い。例えば、人気TVドラマの『24』である。このシリーズはキーファー・サザーランド(Kiefer Sutherland)が「ジャック・バウアー」を務めるから成り立つ作品なのに、スピン・オフのような『24 Legacy』では、事もあろうに黒人俳優のコリー・ホーキンズ(Corey Hawkins)を主役に抜擢してしまったのだ。制作陣は「ジャック・バウアー」の代理を黒人俳優にしてヒットするとでも思ったのだろうか? 筆者は最初から興味が無かったので観なかったが、案の定、日本でも米国でも人気沸騰とならず、シーズン1で打ち切りだ。まぁ、当然だろう。いくら凄い経歴のキャラクターに設定しようが、アフリカ系の「ジャック・バウアー」なんて、ブロンクスかデトロイトのチンピラ黒人を見ているようで不愉快だ。

Kiefer Sutherland 4Corey Hawkins 1


(左: キーファー・サザーランド / 右: コリー・ホーキンズ)

  脱線したので話を戻す。再始動となった『トゥーム・レイダー』の評価は微妙だ。「スリリングなアクション映画に仕上がっていて良かった」と褒める批評家もたいが、「まるで『インディアナ・ジョーンズ』シリーズの『失われたアーク』みたいだ」と酷評する観客もいたそうだ。筆者も予告編の宣伝映像を観たとき、「あれっ、何かハリソン・フォードのインディアナ・ジョーンズをパクった映画みたいじゃないか ?」と思ったものである。映画のストーリーは、主人公のララ・クロフトが亡き父の残したプロジェクトを引き継ぐという内容だ。彼女の父リチャード・クロフトは日本近海に浮かぶ「ヤマタイ島」を探っていた。(映画の中でララが広げた地図によると、「ヤマタイ島」は四国の近くにある。だが、日本人の我々には馴染みがない、というより聞いたことがない。) このミステリアスな島には、「ヒミコ」の墓があり、その石棺の中には世界を変える不思議な魔力が秘められているという。リチャードはこの謎を追っている途中で亡くなってしまったのだ。

  リチャードの娘ララは「クロフト・ホールディングズ」ビルを訪れ、父のビジネス・パートナーであるアナ・ミラーに会う。ララは父が遺した「カラクリ(karakuri)」という仕掛け箱を渡され、ルービック・キューブのように捻っていると、偶然その箱から写真と鍵を手にすることが出来たのである。彼女は「エンデュアランス」号の船長ルー・レン(Daniel Wu)を連れ、「ヤマタイ島」を目指す。(ここでも“やはり”人種的配慮を示し、アジア系男優をセッティングして、マイノリティー観客にアピールだ。本当に、イヤらしい胡麻スリである。) 彼女を待ち構えていたのは「トリニティー」という組織と、悪党のマティアス・ヴォーゲル(Walton Goggins)であった。驚いたことに、父のリチャードは生きていた。ヴォーゲルは捕まえたララにヒミコの墓暴きを命じる。しかし、日本の女王が眠る棺の中には、財宝といった素晴らしいものではなく、人間を一瞬にして殺してしまう恐ろしいウィルスだった。このウィルスを拡散させぬために、リチャードは自らの命と共に爆薬で破壊してしまうのだ。

Daniel Wu 2Harrison Ford 3

(左: ダニエル・ウー / 右: ハリソン・フォード)

  ララが墓の洞窟に侵入して色々な罠や仕掛けをかいくぐるシーンは、ハリソン・フォードが演じたインディアナ・ジョーンズとソックリだ。コンピューター・グラフィックスを駆使して豪華にしているが、肝心の脚本が凡庸なので、あまり感心するようなオリジナルティーは無い。「お決まり」のスリルと派手なアクションで画面を飾っているだけ。これならアメリカ人の観客が「なぁ〜んだ、この程度か !」と呆れてしまうのも無理はない。(もっとも、アメリカ人の観客はこういった単純明快なアクション映画が好きなので、もしかしたら続編も有り得る。) 映画の質はさておき、ヴィキャンデルの評価は高く、まあまあの好感度を得ている。アンジェリーナ・ジョリーほどのセクシーさを持っていないが、クラシカル・バレーをやっていただけのことはあって、均整の取れた肉体を持っていて素晴らしい。以外と「ララ・クロフト」役に合っているのかも知れない。

Alicia Vikander 14Alicia Vikander 12


(写真 / 地肌のアリシア・ヴィキャンデル)

  でも、一つだけ気になることがある。アリシア・ヴィキャンデルはスウェーデン出身なのに、どうも北歐人に見えない。どちらかというと南米に住むヨーロッパ系女優みたいだ。筆者は最初に彼女を目にしたとき、「あれっ、ペルーかブラジル出身のヨーロッパ系モデルかな?」と思ったほどである。彼女自身が認めている通り、その皮膚はユリのように白い肌というより、ちょっと日焼けした感じの小麦色であった。映画やドラマに出演しているときは、白粉を塗って色白にしているという。彼女の両親は共にスウェーデン人である。母親のマリアは女優で、父親のスヴァンテは精神科医であるそうだ。マリアの家系にはバルト系フィン人やドイツ人がいても基本的にはスウェーデン人であったし、スヴァンテの家系も代々スウェーデン人であるという。アリシアは対談番組の中で、どうして自分の肌が小麦色なのか不思議であると語っていた。彼女は「スウェーデン人がみんな色白なんて単なる先入観だわ」と述べていたが、たぶんそれは事実だろう。

異民族の血が混じっていたスウェーデン人

  人間の遺伝子というのは複雑怪奇で、生まれてきた子供は基本的に両親の面影を宿すが、祖父母の肉体を再現する場合もある。いわゆる「隔世遺伝」というのがあるから、両親とはちょっと違った容姿を持つ赤ん坊が生まれてしまうケースが稀にあるらしい。とりわけ、米国オハイオ州で生まれた双子のケースは刮目に値する。男の子のガブリエル(Ghabriael)は青い目と金髪を持って生まれたのに、女の子のトリニティー(Trinity)はくすんだ色の肌に、黒い瞳と黒い縮れ毛を持っていた。彼らの両親は異人種カップルで、父のチャールズ・カニンガム(Charles Cunningham)は黒人。一方、母のクリスティー(Khristi Cunningham)は白人女性だ。ただし、息子のガブリエルは白人でも顔附きはアフリカ人に近く、その金髪は縮れている。ABCテレビがこの家族を取材し、報道番組で支那系局員のジュージュー・チャンが紹介していた。この番組はいかにも極左放送局が作ったという内容で、人種平等のイデオロギーに凝り固まっている。

Cunningham, Ghabriael 1Cunningham, Trinity 1Cunningham twins

(左: ガブリエル・カニンガム / 中央: トリニティー・カニンガム / 右: 二人で一緒に撮影された写真 )

  もっと驚くのは、1955年に南アフリカで生まれたサンドラ・ラング(Sandra Laing)のケースである。彼女の父アブラハム・ラング(Abraham Laing)と母サニー(Sannie Laing)は共に白人で、彼女の弟はややくすんだ肌ではあるが「白人」と見なされたので差別されずに済んだ。興味深いことに、サンドラの祖父母や曾祖父母も白人であったのだ。ところが、彼女だけ黒人の肉体に生まれてしまったのである。サンドラの先祖に黒人はいないとの話だったが、もしかしたらムラート(mulatto / 白人と黒人との混血児)がいたのかも知れない。アフリカ系混血児と結婚する白人は、セックスで自分の容貌が変形・変色する訳じゃないから以外と無頓着だが、妊婦から生まれてくる赤ん坊には黒人の遺伝子が優性となる可能性が高いのだ。たとえ息子や娘に浅黒い子供が生まれなくても、孫や曾孫の代に黒い子供が誕生する虞(おそれ)がある。それにしても、数世代を経て黒人の遺伝子が子孫に現れてくるんだから、肉体を形成する塩基配列とは不思議なものだ。

Sandra Laing & her motherSandra Laing & brother & motherAbraham Laing 1


(左: サンドラ・ラングと母親のサニー / 中央: 母と弟と一緒に写っている幼い時のサンドラ / 右: 父親のアブラハム・ラング)

  アリシア・ヴィキャンデルは自分の血統について詳しくは知らない、と語っていたが、もしかしたら祖先の誰かに有色人種、もしくは非北歐系の混血児がいたのかも知れない。筆者は彼女のケースについて何も言えないが、スウェーデン国民の中にはジプシーの血が混ざっている人がいるので、数世代を経てアジア人的容貌を持つ人が現れたりする。つまり白人なんだけど、骨格とか人相、皮膚の点で北歐人らしからぬ人が居るということだ。日本人でもちょっとアフリカ人的な容貌を持つ人がいて、髪が太くて縮れていたりする。また、ある人はタイ人とかベトナム人みたいな顔附きなりで、友達からアジア系混血児と誤解されて憤慨したりすることもあるらしい。最近は、フィリピン人とかタイ人の母親を持つ幼稚園児が増えたので、従来の日本人とは違った子供が珍しくない。

Gypsies in SwedenGypsies 4


(写真 / ヨーロッパにやって来るジプシーたち )

  北歐人らしからぬ国民がなぜいるのか、という謎を解く鍵がスカンジナヴィアの歴史にある。実は、1512年頃にジプシーがスカンジナヴィア半島にやって来たのだ。スウェーデンの年代記『En Swensk Cröneka』によれば、大天使の聖ミカエルを祝う9月29日にエジプトの方から旅行者の一団が上陸し、彼らはアントニウス伯爵に伴う取り巻き連中であった。古文書の中では、「放浪者(zigeunae)」とか「タタール(tattare)」と呼ばれているが、要するにジプシーのことだ。人権屋が「ロマ」と呼ぶ浮浪者どもは、オリエントからやって来た野蛮人のように見えたから、誤って「タタール」と呼ばれてしまったのだろう。ジプシーの民族的起源は定かではないが、ある学説によるとインドから各地に散らばった流浪民らしい。現在、ジプシーはフランスとかブリテンにも住んでいるけど、元々はバルカン半島やアナトリア地方をうろついていた人々である。随行者としてスウェーデンにやって来たジプシーだが、現地人からは歓迎されなかったようで、1637年7月28日の勅令で、「タタール」の追放が決まったそうだ。そして、1914年から1954年の間、ジプシーのスウェーデン入国は禁止されていたのである。

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(左: 北歐系の女性 / 中央: ゲルマン人の子供 / 右: スカンジナヴィア系の男性 )

  ナチス・ドイツによる対ジプシー政策は悪名高いが、スウェーデンにも人種や民族に関する暗い過去がある。日本ではほとんど知られていないのだが、スウェーデン政府はジプシー達の個人情報を“こっそり”集め、違法なデータベースを作っていたのだ。この機密ファイルは2013年、スウェーデンの報道機関にリークされ、一般国民に知られるようになった。人種を基本にした最大のジプシー登録ファイルには、4029名の個人情報が記載され、そのうちの842名が10代の少年達で、52名が赤ん坊であったという。(Mattias Gardnell, "Sweden's dirty little secret", Open Democracy, 9 October 2013) 発覚当初、スウェーデンの警察当局はファイルの存在を否定したが、このデータベースの作成は通常行われる情報収集の一環であると、仄めかしたそうだ。まぁ、手癖の悪いジプシーによる犯罪は結構多いから、警察としては防犯対策と犯罪捜査を兼ねた極秘資料であったのだろう。

  ジプシーの入国が禁止されていた1920年代に、政府当局は残存していたジプシー達をどう扱うべきか頭を悩ませていたらしく、治安担当者はジプシーとスウェーデン人を統合することは無理と考え、彼らを「解決不可能な問題」と見なしていたそうだ。それゆえ、この問題を解決できるのはただ一つ、彼らをスウェーデンから追い出すことであった。政府当局者はジプシーの国内移住に制限を設け、勝手気ままに放浪できぬようにすることで、彼らがスウェーデンを“自主的”に去るよう仕向けたのである。ジプシーは自由を奪われることが嫌いで、好きな時に好きな事をする性分だから、スウェーデンが「居心地の悪い土地」になれば、自然と居なくなるという訳だ。

  それでも、国を去らずに居坐る者がいたので、スウェーデン政府は個別にジプシーを尋問し、一人一人に「Zナンバー」を割り振り、彼らの性格を詳しくファイルに書き留めたのである。例えば、Aというジプシーは「狡賢い」とか、「怠惰である」、「暴力的だ」などと記載したそうだ。ところが、このプロファイリングは単なる人別帳に留まらなかったから問題になった。というのも、当時は「優生学」が全盛期の時代だ。歐米諸国では何処でも健全な社会を目指していたから、少しでも社会の負担となる犯罪者や精神異常者、福祉依存者、厄介者を減らそうとしていた。その一環として「断種」という手段もあったのだ。学会では悪質な性格は遺伝すると考えられていたので、その「悪循環」を断ち切るためにも、あるタイプの女性たちに不妊手術を施していたのである。

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(左: スウェーデン人の女性たち / 右: ジプシーの親子)

  スウェーデン政府はジプシーを劣等民族と見なしていたので、彼らの悪質な特性が広まらぬよう、つまり彼らがスウェーデン社会で繁殖しないよう、ジプシー女性を掻き集め、「断種」に同意するよう強制したのだ。もし、彼女達が拒否すれば、その子供を取り上げて引き離すぞ、と脅したらしい。「Zファイル」に登録された賤民は、「国民」に属さなかったから、当然、スウェーデン国民の権利も無かった。1960年代半ばまで、ジプシーたちは完全な公民権を持たず、投票権も無かったらしい。参政権というのは正式な国家の成員に対して付与される特権だから、浮浪者のジプシーに渡すなど狂気の沙汰だ。現在では各方面から糾弾されているが、スウェーデン政府の方針は間違っていないと思う。

  しかし、人権団体や左翼活動家にとっては許しがたい暴挙だ。とりわけ、この「Z登録書」が非難されるのは、ナチスによるユダヤ人認定と似ていたからだろう。少なくとも1996年まで、「Zファイル」に登録されたジプシーは、血統的に「完全」「半分」「4分の1」と分類されていたそうだ。さらに、この登録書にはジプシーの評価も記されていたそうで、「単純な性格だが、まあまあ良い」とか「陽気だが、大した知能は無い」、「暗愚である」「知恵遅れ」といった観察結果が附け加えられていたという。でも、こうした人物評定は如何にも北歐のヨーロッパ人らしく、厳格なゲルマン人の精神科医とか文化人類学者、ないしは動物学者の鑑定を偲ばせる。歴史に無知なアメリカ人だと、正義漢ぶって高飛車に非難するが、第二次大戦前はアメリカ人も似たようなもので、優生学がアカデミック界で流行っており、断種強制も珍しくなかった。優生学や人類学に関する米国史を述べると長くなるので割愛するが、アメリカ人はドイツ人を糾弾できるほど清廉ではなかった。人種差別に関しては似たり寄ったりである。

ジプシーの母を持っていた喜劇王

  同種族が多数派の日本だと、「ジプシー」と聞いても、いまいちピンとこない。せいぜい、音楽や映画で耳にする程度なんじゃないか。例えば、日本の人気ロック・バンド「アンセム」が奏でる名曲「Gypsy Ways」とか、英国の「ディープ・パープル(Deep Purple)」でお馴染みの曲「The Gypsy」とかである。筆者はジプシーに関して二つ挙げたい。一つは子供の頃に観たアラン・ドロンの映画『ル・ジタン(Le Gitan)』である。日本ではあまり話題とならなかったが、ドロンがジプシーの血を引く犯罪者を演じており、世間から蔑まれる「よそ者」が妙に似合っていたのを覚えている。たぶん、ドロンにも人に隠しておきたい過去があったから、警察に追われる犯罪者で流浪民の「ジタン」を上手く演じることが出来たのだろう。単なる子供に過ぎなかった筆者だが、アラン・ドロンの哀愁を帯びた表情が印象的で、今でも記憶に残っている。

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(右: 私生活でのアラン・ドロン / 右: 「ル・ジタン」に出演したアラン・ドロン)

  もう一つは、チャーリー・チャップリンがジプシー系英国人であったことだ。喜劇王チャップリンは、その類い希なる才能ゆえに、「もしかしたらユダヤ人じゃないのか?」と囁かれていた。チャップリン本人は「ユダヤ人」という噂を否定していたので、筆者も「たぶん違うんじゃないか」と思っていた。そうしたところ、2010年頃になって、ようやくチャップリンの親戚が認(したた)めた手紙が表に出て来て、彼の母親がジプシー藝人であることが判ったのである。("The secret letter that claimed Charlie Chaplin was the son of a gypsy queen", Daily Mail, 21 February 2011) チャーリーの母ハンナ・チャップリン(旧姓 / Hannah Hill)は旅藝人の役者で、「リリー・ハーレー(Lily Harley)」という藝名で通っていた。ところが、息子が3歳の時に夫のチャールズと別れてしまったという。チャーリーは大人になっても母親をいたく慕っており、その優しさを忘れられなかったのか、愛する女性にも亡き母の面影を求めていたらしい。ただし、母親の素性に関しては固く口を閉ざしていたから、ジプシーの血筋だけは絶対に明かしたくなかったのだろう。「サー(Sir)」の称号をもらった名優が、ジプシーの倅(せがれ)だなんて、恥ずかしくて人に言えないじゃないか。(これは筆者の勝手な推測だが、チャップリンが左翼思想のを持っていたのは、人間を家系や種族で差別する西歐人が赦せなかったからだろう。)

Charlie Chaplin 4Hannah Chaplin 1Charles Chaplin Sr 1

(左: チャーリー・チャップリン / 中央: 母親のハンナ・チャップリン / 右: 父親のチャールズ・チャップリン)

  ちなみに、チャップリンの母親は三人の子宝に恵まれたけど、その人生は悲惨なものだった。二番目の夫チャールズに出逢う前、彼女はシドニー・ホーク(Sydney Hawke)という男に惚れてしまい、一攫千金を夢見る夫に従って南アフリカにまで移住したのだが、その地で亭主から売春を強要されてしまったのだ。恐らく、この商売が原因で、彼女は梅毒に罹ったのだろう。ハンナはこの“碌でなし”との間にシドニーという長男を出産し、二番目の夫であるチャールズとの間に次男のチャーリーをもうけている。ところが、間もなくチャールズとも離婚。この再婚相手と別れた後、ハンナはレオ・ドライデン(Leo Dryden)という役者と恋に落ち、彼との間に三男のウィーラー・ドライデンを産んだという。しかし、梅毒のせいで精神に異常をきたし、衰弱したハンナはやがて息を引き取る。後に、恋多きコメディアン、我らがチャーリー・チャップリンが女性と寝るとき、矢鱈と神経質で性病に感染するのを極度に恐れたのは、母親の病気が深く心に刻み込まれていたからだろう。それにしても、有名な喜劇王がベッドに入る前、股間に沃素(ようそ)を塗るなんて、ちょっと哀しくて笑う気になれない。

  人間の種類を区別する際に、どれが良くてどれが悪いと決める基準は無い。アフリカの部落では黒人が普通で、たまにアルビノ(突然変異で肌が白い子供)が生まれたりするけど、大半はアフリカ人の容姿を素晴らしいと思っている。この大陸を侵略するヨーロッパ人なんか白い悪魔に過ぎない。一方、ゲルマン種族が住む北歐では白い肌の人間が普通で、アフリカ人と違った容姿の者が美しいと評されている。北歐人は黒い縮れ毛よりも、ゆるやかに波打つ栗色の毛や直毛の金髪を尊ぶ。鼻の形もユダヤ人のような鉤鼻とか、アフリカ人のような獅子鼻を嫌い、鼻孔が狭く筋の通った細い鼻を良しとする。日本のテレビや雑誌は理想的なアーリア人を採用するが、白人の中にも様々なタイプがいるから、全員が美男美女という訳ではない。各民族はそれぞれ独特の美意識を持っているので、「ミス・ユニバース」や「ミス・インターナショナル」みたいに世界基準を設けようとするのが、そもそもの間違いの素である。

  スウェーデンの世論は「Zファイル」を糾弾するが、ジプシーに関する議論が白熱することを望まない人々が居ることも確かだ。なぜなら、スウェーデンにはジプシーの血統であることを恥じる人々がいるので、自分の祖先を他人に知られたら一大事。就職や結婚、住宅購入の際にどんなトラブルが起きるか分からない。もし、「Zファイル」の情報が世間の注目を浴びれば、隠していた個人の秘密が“ひょんな事”でバレる恐れもある。人権屋とか大学教授は「民族差別はけしからん !」と大騒ぎするが、一般人は綺麗事で暮らしていないから、やはり穢らわしい血筋を隠そうとするし、理屈はどうあれ内緒にしようとするのは人情だ。日本でも朝鮮人の家系を恥じる在日鮮人や帰化鮮人がいて、1980年代くらいまでは必死に隠そうとする人が多かった。現在では朝鮮人の出自を明らかにする人が増えたけど、できれば闇に葬りたいと願う人もいるはずだ。

kids in thai 2Filipino children 3

(左: タイ人の子供たち / 右: フィリピン人の子供たち)

  最近の日本では多民族共生とか国際化時代と叫んで、大いにアジア人やアフリカ人との結婚を祝福しているが、本当に問題が無いのか日本人はよく考えるべきだ。例えば、黒人と結婚する日本人女性も増えたが、彼女達は子供や孫の感情を考えたことがあるのか? 確かに、アフリカ人留学生とか米軍の黒人兵と恋に落ち、結婚をして妊娠するけど、生まれてくる赤ん坊は母親と違った人種になるし、通常は黒人の遺伝子が優性となる。また、もしも、実家の両親が生まれたての初孫を見れば、「えっ、この子が?!」と驚きの表情となるだろう。自分の娘が産んだ子供とは思えないから、かなりのショックを受けるはずだ。祖父母としては動揺を隠せない。なぜなら、たとえ自分達が納得したとしても、隣人や友人、後輩、同僚といった第三者がどう思うのか不安だからだ。表面上、笑顔で孫を受け容れてくれたとしても、他人が心の奥底でどう受け止めるのか判らない。詮索好きな近所のオバちゃんたちは、ファミレスか病院の待合室に集まり、あれこれ陰口を叩くから、やはり世間の目が気になる。

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(左: 白人と黒人のカップルとその子供 / 右: 混血児の子供)

  悲劇はまだ続く。こうした混血児が物心をつく年齢になれば、周りの子供と自分が肉体的に違う、と厭でも気付くだろう。その時、日本人の姿をした母親は、どのように子供と向き合うのか? もし、幼稚園や小学校で馬鹿にされた息子が、「ママ、どうしてボクだけみんなと違うの?」とか、お洒落に目覚めた娘が「私、パパみたいな顔じゃイヤだ。ママみたいになりたい !」と泣き出したら、出産した責任のある母親は何と答えるのか? 「そんなの気にするんじゃない !」とか、「差別する友達の方が悪いのよ !」と言い聞かせても無駄である。たとえ幼くても子供は現実を解っている。恋愛時代には気付かなかった重大事項を、育児になって気付く日本人女性は少なくない。日本人は自分がしっかりすれば、困難を克服できると信じる傾向がある。だが、遺伝子だけは自分の努力ではどうにもならない。自分の容姿に劣等感を持つ娘が、その腹癒せに学校でグレ出したら、母親は通常通りに叱る事ができるのか? もし母親から怒られた娘が、「じゃあ、日本人の体にしてちょうだい !」と反撃したら、普通の日本人女性は言葉を失ってしまうだろう。

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(左: アフリカ人の少女たち / 右: 黒人と朝鮮人の家族)

  一般の日本人は我が子を可愛がり、その子の将来を考えて一生懸命に働く。しかし、黒人と結婚した場合の悲劇は考えない。浅黒く生まれた息子や娘から責められるのは辛いものである。が、その孫からも責められればもっと辛いだろう。もし、アフリカ人の形質を受け継いだ孫から「お婆ちゃんが黒いお爺ちゃんと結婚したからだ !」と責められたとき、日本人の祖母はどう答えるのか? 「あたしゃ知らないよ !」と逃げる手もあるだろう。だが、大抵の祖母は「済まないねぇ。赦しておくれ」としか言えないんじゃないか。優生学を学校で習わなかった日本人は、結婚するとき「子孫への配慮」など考えない。相手がどんな素性・容姿であれ、惚れたから夫婦(めおと)になる、というのが一般人の行動パターンだ。教科書では「人種平等」とか「人類兄弟」、「多民族共生」と書いてあるから、多数派の国民はそれを鵜呑みにしてしまうが、現実社会は違うぞ。他人事なら仙人ヅラできるけど、自分の事となれば大変だ。

  最近のテレビ局は、異常なほど外国人をバラエティー番組に招いて喋らせたり、日本に暮らすアジア人やアフリカ人を取材し、無防備な視聴者をターゲットにして東南アジア人や北アフリカ人、南米人などに親しみを持つよう刷り込んでいる。つまり、「今や、様々な外国人があなたのご近所に住んでいるんですよ」と言いたい訳だ。伝統的な日本社会をぶっ壊したい左翼制作者は、内部から徐々に、しかも着実に破壊しようと企む。同質的な素晴らしい共同体を崩壊させるには、日本人の質を変えてしまうことが最も合理的である。手間暇掛けて日系人に反日思想を植え付けるより、最初から“日本人ではない”外国人の子供を増やす方がたやすい。ある個人の肉体に、アジア人やアフリカ人の遺伝子が50%含まれ、次の世代で75%に上昇し、三世代目で87%くらいまで増加したら、もう自分が日系日本人であるとの意識は無くなるだろう。こうした「日本国民」は単なる「島民」に過ぎない。やがて日本は「よそ者」が群がる雑居ビルとなるから、国民同士の連帯は消え失せ、天皇陛下も江戸城に住む「知らない外人」となってしまうだろう。

  アリシア・ヴィキャンデルの話からだいぶ逸れてしまったけど、我々は今「静かな」変質の時代に生きているというこだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c1

[リバイバル4] 買ってはいけない 300B ダメ・アンプ _ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) SV-91B 中川隆
14. 中川隆[-10896] koaQ7Jey 2019年4月06日 08:30:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1133]

2019年04月03日 通販で 300Bシングルアンプ SV-91B  試聴
https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1970990048


昔、ソナス・ファベール/ガルネリ・オマージュに合う真空管アンプを探していて、当時通販で目立っていたサンバレー キット屋というところの SV-91B という300Bシングルアンプを借り出し試聴したことがあります。

当時は球付で20万円だったと記憶しているが、今見たら40万円を超えるよう。

夫婦で試聴して、ザラザラした音で鳴るガルネリに、「合わないね!」とすぐにダンボールに詰めて返送しました。

当時は貸し出し試聴をサイトでもうたっていたけど、今はそういう記述はないですね。
送料コストかけて貸し出したからって、うちのように買ってくれるわけではないから辞めちゃったのかな?

20万でも40万でもみずてんでとか、ネット評判だけで買う人って?

イシノラボのパッシブATTも候補としたが、貸し出し試聴はやっていないとのことで諦めた。
たとえ10数万でも、場合よっては合わずに無駄になるおそれがありますから。

エルサウンドは貸し出し試聴に積極的なのに残念ですね。

もし買ってしまった!となったら、ヤフオクらに流すしかないだろうけど、5万、10万以上は少なくとも値落ちするのでは?

1万、2万のコース料理を食べに行くとなれば、相当慎重になるのではなかろうか。

それがたとえ5万、10万の定価のアンプだって同じと思います。
手頃だからと買ったはいいが、合わなかったらやはり万単位の無駄に。

先日のオフ会でYAMAHA一筋のYさんとの会話で、いつも買うオーディオ店を決めておかないと、試聴や故障のときに困るねと。

ネットで最安値とか、相見積を取ってとやっているとこれとこれの組み合わせで試聴したいとしても相手にしてくれなくなる。

オーディオは下手すると一生モノ、YさんのYAMAHAも当時は最高級のプリメインアンプにスピーカー。これを1980年代から現在まで使い続けているわけだから、ある意味コスト的には一番効率がいいのではないか。

何度も試聴して決めたそうである。

そうして9月導入が決まっているNS-5000に至っては2年間、店頭での試聴を重ね、検討に検討して導入を決められたそうです。
https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1970990048
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/124.html#c14

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
2. 中川隆[-10895] koaQ7Jey 2019年4月06日 08:37:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1134]

ロマ(ジプシー)の世界


チャップリン キッド The Kid (1921年)

監督 チャーリー・チャップリン
脚本 チャーリー・チャップリン
音楽 チャーリー・チャップリン(1971年サウンド版)
公開 1921年1月21日

上映時間
オリジナル版/68分
1971年サウンド版/53分

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=The+Kid+1921&sp=mAEB
https://www.nicovideo.jp/search/Chaplin%20The%20Kid%E3%80%80(1921%E5%B9%B4)?ref=watch_html5


キャスト

放浪者:チャールズ・チャップリン
捨て子の少年:ジャッキー・クーガン
捨て子の母親:エドナ・パーヴァイアンス
芸術家の男:カール・ミラー
木賃宿の男:アルバート・オースチン
スラム街の看護婦:ネリー・ブライ・ベイカー
興行主、木賃宿の管理人:ヘンリー・バーグマン
自動車泥棒・客・夢の中の悪魔(三役):ジャック・クーガン・シニア
夢の中で放浪者を誘惑する天使:リタ・グレイ
医師:ジュール・ハンフト
芸術家の友人:グランヴィル・レッドモンド
エドナのメイド:メイ・ホワイト
警官:トム・ウィルソン
街の乱暴者:チャールズ・F・ライスナー

慈善病院を出たある婦人(エドナ)は、車の中に自分が産んだ赤ん坊を置き去りにする。一方、放浪者(チャーリー)はその車の持ち主が途中で捨てていった赤ん坊を見つけて可愛そうに思うあまり、育てようか悩んだ挙句、通りがかった警官や乳母車を担いだ余所の婦人ににらまれた末、赤ん坊のそばにあったエドナの置手紙を見たことにより、自分の家でその赤ん坊を育てることにした。

五年後、育ったキッド(ジャッキー)とともに、チャーリーはキッドにいたずらでガラスを割らせる一方でガラスの修理を行い、被害者から修理代をいただき、生計を立てていた。キッドはいたずらで石を投げようとするところを警官に見つかり、石を放り出して逃げていった。

その後慈善活動として子供と親しむようになっていたエドナは偶然成長したキッドと再会し、キッドはエドナからおもちゃをもらう。ある時、キッドは街のいじめっ子に出会い、けんかになるところをチャーリーは見かねてキッドを助けに行こうとするが、いじめっ子の兄がやってきたため、決闘沙汰になる。結局兄は引き下がったが、エドナが熱を出したキッドを担いでチャーリーの元に駆け込む。

呼ばれた医師が見つけた「この子をよろしくお願いします」というエドナの手紙により、キッドが孤児であると発覚すると、孤児院の職員がキッドを孤児院に連れていこうとするが、チャーリーはキッドと組んでこれを拒む。宿屋でチャーリーと泊まったキッドを見た宿主はエドナが新聞に懸賞金付きで投稿したキッドを探し出す旨の記事を見つけ、眠っていたキッドを連れ出した。

キッドがいなくなったことに気づいたチャーリーは必死でキッドを探し出そうとするが、エドナが訪れた警察署で匿われたキッドを保護する一方、チャーリーはキッドを探し疲れて眠りにつき、天使や悪魔、そしてキッドが現れる夢を見た。そして警官に起こされてエドナの邸宅に連れていかれ、キッドとの再会を果たした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%89_(1921%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c2

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
3. 中川隆[-10894] koaQ7Jey 2019年4月06日 08:39:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1135]

ロマ(ジプシー)の世界 _ 2


独裁者 The Great Dictator


監督 チャールズ・チャップリン
脚本 チャールズ・チャップリン
音楽 メレディス・ウィルソン
撮影 カール・ストラス
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 1940年10月15日

動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%8B%AC%E8%A3%81%E8%80%85?ref=watch_html5

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キャスト

トメニア国の独裁者アデノイド・ヒンケル、ユダヤ人の床屋:チャールズ・チャップリン
ハンナ:ポーレット・ゴダード
バクテリア国の独裁者ベンツィーノ・ナパロニ:ジャック・オーキー
内相兼宣伝相ガービッチ:ヘンリー・ダニエル
シュルツ中佐:レジナルド・ガーディナー
戦争相ヘリング元帥:ビリー・ギルバート
ジェケル:モーリス・モスコヴィッチ
ジェケル夫人:エマ・ダン
マン:バーナード・ガーシー(英語版)
アガー:ポール・ワイゲル
ナパロニ夫人:グレイス・ヘイル
バクテリア国大使:カーター・デ・ヘイヴン
ユダヤ人の床屋の客:チェスター・コンクリン
総統付床屋:レオ・ホワイト
突撃隊員:ハンク・マン、パット・フラハティ
ヒンケルの秘書:フローレンス・ライト
コンパクトパラシュートの開発者:シグ・アルノ
ユダヤ人の果物屋:ハリー・シーメルス
彫刻家:ジーノ・コラード
床屋の客:トーベン・マイヤー
刑務所の衛兵:リチャード・アレクサンダー


映画は第一次世界大戦における戦場の場面から始まる。チャップリンは、架空の国トメニアの陸軍重砲部隊に所属する無名の二等兵(以下、役名を「床屋のチャーリー」とする)として登場する。前線で味方とはぐれた床屋のチャーリーは負傷した士官のシュルツを救出するとともに、シュルツが所持している重要書類を本国に届けるべく飛行機で飛び立つが、二人の乗った飛行機は燃料切れにより墜落してしまう。墜落を生き延びた二人は友軍に重要書類を届けようとするも、トメニアがすでに降伏していたことを知り大いに悲しむ。


一方、床屋のチャーリーは墜落のショックで記憶を失い、以後の20年を病院で過ごすことになる。この20年の間にトメニアは政変が起こり、アデノイド・ヒンケル(チャップリン:一人二役。なお、床屋のチャーリーと顔が似ているのは「偶然」である)が独裁者として君臨し、内務大臣兼宣伝大臣ガービッチ(ヘンリー・ダニエル)と戦争大臣ヘリング元帥(ビリー・ギルバート)の補佐を受けつつ、自由と民主主義を否定し、国中のユダヤ人を迫害した[3]。

床屋のチャーリーは病院を抜け出し、ゲットーにある自宅に戻ってくる。しかし、本人は20年の時間の経過を理解しておらず、ほこりが積もった理髪店のありさまに呆然とする。彼はヒンケルの手先である突撃隊が自分の店の窓にペンキで塗った「ユダヤ人のレッテル」を消そうとして、突撃隊に暴力を振るわれる。現在の政治状況について何も知らない床屋のチャーリーは突撃隊に反抗したところ、大勢の突撃隊に私刑を受け、吊るし首にされようとしたが、かつて命を助けたシュルツが偶然に通りかかる。


シュルツはヒンケルの信頼も厚く、今では突撃隊長となっていた。床屋のチャーリーがユダヤ人と知って驚いたシュルツであったが、以前助けられた恩から、突撃隊に床屋のチャーリーと彼の恋人であるハンナに手を出さないよう部下に命じた。

ヒンケルはオーストリッチ[4]侵略を企て、ユダヤ系の金融資本から金を引き出すため、ユダヤ人への抑圧政策を緩和した。急に「人間らしく」なった突撃隊員たちを目の当たりにして、ゲットーの住人はヒンケルが自分たちに市民権を返してくれるのではないかという淡い期待を持った。しかし、資金援助を断られたヒンケルはユダヤ人に対して怒りを露わにし、シュルツにゲットーを襲うように命令する。これに対し、シュルツはユダヤ人迫害は党の利益にならないと反対したため、ヒンケルは落胆しつつも彼をすべての役職から解き、強制収容所にぶち込んでしまう。そして、ラジオ放送においてユダヤ人への怒りを露わにした演説(?)を行い、ユダヤ人迫害を再び強化する。

シュルツが失脚したことを知った突撃隊は、床屋のチャーリーのせいだと思い込んでゲットーへの襲撃を行い、床屋のチャーリーの店は破壊されてしまう。これらを受け、ハンナは隣国オストリッチへの亡命を思い立つ。強制収容所から脱出したシュルツはゲットーに逃げ込み、ヒンケル体制の転覆を計画したが、事前に発覚して床屋のチャーリーとともに捕まり、また強制収容所に送り込まれてしまう。また、ハンナと彼女の両親ら床屋のチャーリーの近所の人たちはオストリッチへ亡命同然に避難をし、オストリッチでヒンケルに迫害されない新たな生活を迎えようとしていた。


ヒンケルとナパロニは、オーストリッチ侵攻で争い、激しい交渉を繰り広げる。
しかし、世界の皇帝として君臨する野望を抱くヒンケルはオストリッチへの侵略を諦めていなかった。ヒンケルのオストリッチ侵略計画は、近隣国バクテリアの独裁者であるベンツィーノ・ナパロニ[5]によって反対され、2人の独裁者の間で激しい交渉(および食べ物を使った喧嘩)があり、両者はいったん妥協するが、ヒンケルは妥協を反故にして遂にオストリッチ侵攻を決行した。オストリッチに脱出していたハンナたちは再びヒンケルの支配下に置かれ、深い悲しみと絶望の淵に追い込まれることになった。


シュルツと床屋のチャーリーはトメニアの軍服(ナチスの鉤十字に似せた双十字が特徴。英語の"double cross"には「裏切り」の意味がある)を着て、強制収容所から逃げ出した。このとき、床屋のチャーリーの外見がヒンケルにそっくりだったこと、かつてヒンケルに重用されていたシュルツを従えていたことから、将兵たちは床屋のチャーリーを本物のヒンケルと間違えてしまった。


逆にヒンケルは侵攻に備えて、狩猟旅行を装ってオストリッチ国境付近で単身待機していたところを、脱走した床屋のチャーリーと間違えられて配下の兵士に逮捕されてしまう。

床屋のチャーリーはヒンケルと間違えられたまま、トメニア軍に占領されたオストリッチの首都へ連れていかれる。ガービッチが演説を行い、言論の自由や民主主義を否定し、ユダヤ人や黒人は劣った民族であるとして「ヒンケル」にただ服従せよと迫る。

それに続いて演台に立った床屋のチャーリーは、自由と寛容、人種の壁を越えた融和を訴え、ガービッチとは全く逆のヒューマニズムに基づく演説を行う。兵士たちの拍手喝采の中、チャーリーは絶望に泣き崩れるハンナにラジオを通じて語りかける。希望を感じさせながら映画は幕を閉じる。


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チャップリンが、当時のドイツ国の指導者で、オーストリア併合やポーランド侵攻、ユダヤ人虐待などを行ったアドルフ・ヒトラーの独裁政治を批判した作品で、近隣諸国に対する軍事侵略を進めるヒトラーとファシズムに対して非常に大胆に非難と風刺をしつつ、ヨーロッパにおけるユダヤ人の苦況をコミカルながらも生々しく描いている。

1940年10月15日にアメリカ合衆国で初公開された。当時のアメリカはヒトラーが巻き起こした第二次世界大戦とはいまだ無縁であり、平和を享受していたが、この映画はそんなアメリカの世相からかけ離れた内容だった。

またこの作品は、チャップリン映画初の完全トーキー作品[2]として有名であり、さらにチャップリンの作品の中で最も商業的に成功した作品として映画史に記録されている。

アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、助演男優賞(ジャック・オーキー)脚本賞、作曲賞(メレディス・ウィルソン)にノミネートされ、ニューヨーク映画批評家協会賞では主演男優賞を受賞した。また、1997年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

初公開当時にドイツと同盟関係にあった日本では公開されず、日本初公開は第二次世界大戦の終戦から15年、サンフランシスコ講和条約締結から8年後の1960年であった。しかし、日本でもヒットし興業収入は1億6800万円を記録、この年の興業収入第4位となった。


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設定

ナポロニとヒンケル、ファシストの先輩であるムッソリーニと後発のヒトラーがモデル
映画に登場するゲットーの街の看板などは基本的にエスペラントで書かれ、さらに本来のエスペラント表記にはない符号が文字の上にところどころ付けられて、それがドイツ語風あるいはポーランド語風に見えるようにアレンジされている。これは、エスペラントの考案者ザメンホフがユダヤ人であることや、当時ヒトラー政権下のドイツにおいてエスペラントが弾圧されていたことと関連がある。

それぞれ演じられているトメニアの独裁者とその側近などはドイツのナチス党の幹部の名前をイメージさせるものにしてあり、アデノイド・ヒンケル(Adenoid Hynkel)は総統のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)、内相兼宣伝相ガービッチ(Garbitsch)[6]は宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)、戦争相ヘリング元帥(Herring)[7]は空軍総司令官兼航空相ヘルマン・ゲーリング国家元帥(Hermann Göring)のもじりである。また、ベンツィーニ・ナポロニはイタリア首相ベニート・ムッソリーニのもじりである[8]。


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製作

もともとチャップリンは、『モダン・タイムス』の次回作として女密航者を主人公にした映画(ポーレット・ゴダード主演。1967年制作の『伯爵夫人』の原案となる)、ついでナポレオン・ボナパルトを主人公にした映画を構想していた。後者においては、ナポレオンが影武者と入れ替わってセントヘレナ島を抜け出し、市井の教師ナポレオンとなって革命に参加するも、島に残した替え玉が死んで、最後は悲劇的な結末を迎えるというものであった。どちらも、時勢に鑑みるとあまり適当でない作品と考えられた。

そこで現代に即し、ナポレオンをヒトラーに代えて映画を作ることとなった。チャップリンは例によってこの映画の脚本・監督をつとめ、チャップリン・スタジオに加えて、ローレル・キャニオンなどロサンゼルス近郊の各所で撮影された。なお、チャップリンは『街の灯』以降自分で音楽も作曲していたが、今回に限っては気に入らないところの撮り直しもあって時間的に作曲の時間が立てられず(クランクアップ後、たっぷり時間をかけて作曲と編集に集中するのがチャップリンのパターンであった)、作曲のほとんどはメレディス・ウィルソンに委ねられた。

もちろん、この映画のアイデアは『チャップリンの放浪者』とヒトラーとのキャラクター上の類似から発展したものである。ユダヤ人の友人や同僚から聞き及んだ、1930年代を通じてエスカレートするドイツのユダヤ人迫害もモチベーションとなった。最終的に制作を決断したのは、アレクサンダー・コルダのプランを受け入れてからであった。

チャップリンは1938年から1939年にかけてストーリーを制作し、1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻して始まり、祖国のイギリスも参戦した第二次世界大戦勃発後の2週間後から撮影を開始した。撮影を終了した6ヶ月後にはフランス第三共和政がドイツ軍によって陥落し、次いでイギリスへのドイツ軍の上陸が行われると言われていた。制作中に起こったヨーロッパでの戦争が、賛否両論を生んだ終盤のスピーチを挿入する動機となった。

チャップリンは後世、自伝において「ホロコーストの存在は当時は知っておらず、もしホロコーストの存在などのナチズムの本質的な恐怖を知っていたら、独裁者の映画は作成できなかったかもしれない」と述べている。なお、映画の撮影当時はドイツによるユダヤ人に対する迫害政策と、ゲットーへの強制移送はドイツ国内とドイツ軍の占領地で実施されていたが、ユダヤ人に対する大量虐殺はまだ行われてはいない。なお、ホロコーストという状況の中でユーモアを導入する試みは、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』までの半世紀の間は見られない。

当初、独裁者の最後は戦争が終わり、ユダヤ人と兵士が手に手を取って踊りを踊り、また中華民国と戦争をしていた日本も爆弾の代わりにおもちゃを落とし、戦争を終えるという設定をしていた。しかし、チャップリンはこれでは独裁者に対する怒りを表現できないとして台本を変え、最後の6分間の演説シーンとなった。この6分間の演説についてアメリカなどの右翼勢力は「共産主義者の陰謀である」として強く反発した。また、1929年の世界大恐慌によって黒人やユダヤ人を迫害するKKKを中心とした右翼がアメリカをはじめ先進諸国で台頭したため、そのことも『独裁者』に対する反発を促進させることとなった。

一部のチャップリンの評論では「『殺人狂時代』がアメリカ追放の原因である」と論評しているものがあるが、チャップリンに対する政治上の反発は『モダン・タイムス』の頃、もっと遡れば第一次世界大戦の頃から上がっており、また以上にあるように最大の収益を上げた『独裁者』に対しても政治的圧力や反発があった。

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公開

この映画の製作は、世界状況の緊張と軌を一にしている。『独裁者』だけでなく、『The Mortal Storm』や『Four Sons』(どちらも日本未公開)のような他の反ファシズム映画は、アメリカとドイツが微妙な関係にありながら中立状況を保っていた中ではリリースできないだろうと予測されていた。そんな中、チャップリンは財政的にも技術的にも他のスタジオから独立していたため、大々的に作品の製作を行うことができた。

だが一方では、『独裁者』がリリース不可能になれば、150万ドルを個人資産から投資していたチャップリンは破産する、という状況でもあった。結局、『独裁者』は1940年の9月にニューヨークで封切られ、10月にはアメリカ国内で拡大公開され、11月にはイギリスで公開された。パリの解放後間もない1945年4月にはフランスでも公開された。

アメリカとドイツはまだ開戦していないものの(ドイツがアメリカと開戦するのは1941年12月になってからである)、映画の内容から、当事国であるドイツはもちろん、ポーランドやオーストリアなどのドイツの占領下、影響下にある地域、ドイツと同盟関係にあった日本やイタリア、またアルゼンチンやチリなど、ドイツ系移民が多く親独政権が多かった南米諸国や、中立政策を採っていたアイルランドでは上映禁止となった。(これらの地域での封切り年は次のとおりである。イタリアとアイルランド:1946年、ドイツ:1958年、日本:1960年)高見順は1941年12月にジャワ島で、小林桂樹は陸軍兵士としてイギリスが植民地支配していたシンガポールに駐屯した際、イギリス軍からの押収品の中に『独裁者』のフィルムがあり、それを見たという。

『独裁者』は、発表と同時にアメリカで大人気となった。批評家の反応は様々で、特に終盤のチャップリンのスピーチを「容共的」、「左翼的」として批判する者も多かった。喜劇化された突撃隊を、ナチスの恐怖を大っぴらに誇張していて不謹慎だとする意見もあった。だが、ユダヤ系の観客はユダヤ人のキャラクターとその絶望に深く感動した。当時のハリウッドでは、ユダヤ人に関することはタブーであったのだ。

盗作訴訟[編集]

チャップリンの友人コンラッド・ベルコヴィチは、『独裁者』を盗作であるとチャップリンを訴え、チャップリンサイドに500万ドルを要求した[9]。チャップリンサイドは最終的に9万5千ドルを支払うことになった[10]。

前作『モダン・タイムス』はドイツの映画会社トビス社から訴訟を起こされた(1937年と1947年の計2回)。チャップリンサイドは、『モダン・タイムス』への訴訟(2回目)を、『独裁者』への報復であるとみている[11]。

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チャップリンとヒトラー

チャップリンとヒトラーとの間にはいくつかの共通点があり、チャップリンは1889年4月16日生まれなのに対し、ヒトラーは1889年4月20日とわずかに4日違いである。またトレードマークが口ひげであり、チャップリン自身ヒトラーの口ひげは自分のオリジナルキャラのチャーリーを下品にしたようだというイメージを持っていた。

また、チャップリンはロンドンの貧しい家に生まれ、生活に苦労し、ヒトラーは生まれた家は中産階級で豊かだったものの青年期において公共独身者合宿所で生活しているということ(これについては近年『我が闘争』でヒトラーが誇張したものであって、実際の施設である公共独身者合宿所は必要最低限の生活ができる施設であったという説が有力である)、また両人に一時ユダヤ人説が流れていたことで共通項が多いと見る向きもある。なお、ヒトラーが本作を見たかどうかについて、チャップリン研究者の大野裕之は2015年の著書で、ドイツ政府が収集した映画作品のリストに含まれているが、ヒトラーの鑑賞については不確かな証言が複数あるものの明確に裏付けられる資料はないとしている[12]。2001年に製作されたBBCドキュメンタリー作品『放浪者と独裁者』"The Tramp and the Dictator"では、「ヒトラーは実際にこの映画を観た」というヒトラーの元秘書による証言が残っている。Internet Movie Databaseによれば、チャップリンはこの証言を聞いて、「なんとしても感想を聞きたいね」と答えたという。

また、ヒトラーは政治キャリアの初期においてすでに、映画界におけるチャップリンの人気に目をつけていたとする意見もある。“チャーリー”のキャラクターとヒトラーの類似はたびたび語られるところである。つまり、自らの知名度を上げるために、チャップリンと同じ四角い口ひげを生やしていた、というのである。

実際のヒトラーの最期は映画『独裁者』の終わり方のような希望であるよりむしろ絶望であり、長年のパートナーエヴァ・ブラウンと正式に結婚して数十時間後、総統地下壕の一室でエヴァとともに非業の死を遂げた。


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フリーメイソンリー


ヒトラーは反ユダヤ、反フリーメイソンであった。フリーメイソンはナチス党率いる当時のドイツ政府による弾圧の対象であり、ドイツ警察に収監され獄死したフリーメイソンたちがいる[13]。

映画『独裁者』の中盤、地球儀が大きな音を立てて破裂し、場面が理髪店に移りラジオから流れる音楽は、フリーメイソンの音楽家ヨハネス・ブラームス[14]の『ハンガリー舞曲 第5番』(管弦楽版)である。

チャップリン映画の常連でフリーメイソン[15][16]のチェスター・コンクリンが前作『モダン・タイムス』に続いて本作『独裁者』に出演した。

「欧州統合の父」でパン・ヨーロッパ連合主宰者リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、ヒトラーの政治上の敵であり、チャップリンと共同で『独裁者』の配給元ユナイテッド・アーティスツを設立したダグラス・フェアバンクス(1925年にフリーメイソンリーに入会)や[17]、出演者のチェスター・コンクリンらと同様、クーデンホーフ=カレルギー伯爵もまたフリーメイソンである(1922年に入会)[18][19]。

クーデンホーフ=カレルギーのアメリカへの亡命劇が比喩的に描かれているワーナー映画『カサブランカ』(1942年)もまた反ナチス映画であり、ワーナー四兄弟の中にフリーメイソンリーのメンバーがいる(少なくともハリー、サム、ジャックの3人はフリーメイソンである[20])。

チャップリンと女優ポーレット・ゴダード(ハンナ役)は公私にわたるパートナーであった。クーデンホーフ=カレルギーのパートナーもまた女優であり、ヨーロッパの三大女優(四大女優)イダ・ローラン(en:Ida Roland)である。ポーレット・ゴダードとイダ・ローランはユダヤ系である。ポーレット・ゴダードはまたパラマウント社の女優であり、パラマウントの前身「フェイマス・プレイヤーズ・フィルム・カンパニー」を設立したアドルフ・ズーカー(en:Adolph Zukor)は、フリーメイソンである[21]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E8%A3%81%E8%80%85_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

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[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
4. 中川隆[-10893] koaQ7Jey 2019年4月06日 08:39:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1136]

ロマ(ジプシー)の世界 _ 3

モダン・タイムス Modern Times

監督 チャールズ・チャップリン
脚本 チャールズ・チャップリン
音楽 チャールズ・チャップリン アルフレッド・ニューマン
撮影 ローランド・トザロー アイラ・モーガン
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 1936年2月5日

動画
https://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9

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キャスト

工員:チャールズ・チャップリン
浮浪少女:ポーレット・ゴダード
キャバレーの主人:ヘンリー・バーグマン
工場の技師:チェスター・コンクリン
製鉄会社社長:アラン・ガルシア
ビッグ・ビル(チャップリンと同じ工場で働く工員、後にデパートの強盗):スタンレー・サンドフォード
強盗:ハンク・マン、ルイ・ナトー
少女の父:スタンリー・ブリストーン
工員と同房の服役囚:リチャード・アレクサンダー
牧師:セシル・レイノルズ
牧師夫人:マイラ・マッキニー
カフェーの給仕:フレッド・マラテスタ
タービンの交換手:サミー・スタイン
流れ作業の工員:チャールズ・コンクリン
流れ作業の職長:ウォルター・ジェームズ
工員:ボビー・ワーカー、C・ハミルトン、ジャック・ロン
囚人:フランク・モラン
少女の妹:グロリア・デ・ヘイヴン
造船会社の労働者:フランク・ハグニイ
警官:パット・ハーモン
医師:エドワード・キンボール
デパートの売り場主任:J・C・ニュージェント
ウエイター:ジョン・ランド

ストーリー

大きな製鉄工場で働くチャーリーは、スパナを手にひたすらベルトコンベアーを流れる部品にねじを回し続けるという単純作業を繰り返していた。その様子はテレビモニターで監視され、休む暇もなく働かされていた。ある日、チャーリーは労働者の食事時間を節約するために作られた自動給食マシーンの実験台にされ散々な目に合わされる。その後も仕事を続けていく内にチャーリーは発狂し、トラブルを起こして精神病院送りになってしまう。ようやく退院を迎えた日、トラックから落ちた赤旗を拾い運転手に返そうと追いかけていく内にいつの間にかデモ隊の先導をきってしまい、そのリーダーと間違われて捕まって拘置所に入れられてしまう。脱獄囚を撃退した功績で模範囚として放免され造船所の仕事を紹介されるものの、上手くいかず辞めてしまい、あてもなく街をうろつく生活に陥ってしまう。


拘置所が恋しくなったチャーリーはわざと無銭飲食をして捕まえられるが、護送車の中でパンを盗んだ浮浪少女(ポーレット・ゴダード)と出会う。護送車が急カーブで横転し、外へ投げ出されたチャーリーと少女は逃亡。少女と意気投合したチャーリーは、2人のために家を建てるという夢を胸に一念発起とばかり働き出す。デパートの夜回り、工場の技師の助手と仕事を獲得するものの結局上手くいかず、2件とも警察沙汰になるという不運な結果に終わってしまう。その後少女が勤め始めたキャバレー[3]のウェイターの職を得る。見世物の「ティティナ」を歌って大成功したが、少女の微罪のため、そこも追われてしまう。やっとの思いで手に入れた幸福すらも失い悲しみに打ちひしがれる少女を、チャーリーは力強く励ます。

そして、二人は未来に希望を見出し、現代社会の冷たさと束縛に囚われない自由な生活を求めて共に旅立っていくのだった。

音楽

ティティナ

前述した「ティティナ」は(YouTube「Projeto Abridor de Cabeças」では1:15:56から)、1917年にフランスの作曲家レオ・ダニデルフ(英語版)によって "Titine Je cherche après Titine" というタイトルで作曲され、本作で使用されて世界的に有名なメロディとなった。


スマイル

本作のラストシーンで印象的な「スマイル」は、チャップリンが作曲したもので、彼が作曲した音楽の中では特に有名である。喜劇映画にあってコード進行は暗い(ニ短調)。


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資本主義社会や機械文明を題材に取った作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。自動給食マシーンの実験台にされるシーンや、チャップリンが歯車に巻き込まれるシーン、ラストのチャップリンとヒロインが手をつないで道を歩いてゆくシーンなどが有名である。


この作品は前作の『街の灯』(1931年)に続いてのサウンド版で、一部にセリフが入る以外は音楽の伴奏と効果音のみによるサイレント映画となっている。また、チャップリンが初めてスクリーンで肉声を発した映画であり、キャバレーでインチキ外国語(一説にはフランス語風と言われる。また、「taxi」と聞き取れる部分がある)による「ティティーナ」を歌うシーンで、チャップリン自身の歌声を聴くことができる。自作の映画音楽も映像にのせており、前述の「ティティーナ」とラストシーンで印象的な「スマイル」を作曲し、その音楽的才能も開花させている(後述)。公開当時はすでにトーキー映画が普及していたため、この作品は「時代遅れ」と呼ばれて、あまり高い評価は得られなかった。

公私にわたるチャップリンのパートナーで、本作でヒロインを務めたポーレット・ゴダードは、チャップリンによる次作で反ナチス・ドイツ映画の『独裁者』(1940年)においてもチャップリンと共演している。他キーストン時代からチャップリンと共演しているチェスター・コンクリンが出演し、キーストン社時代に演じた「ウォルラス氏」の扮装で登場した。

本作はルネ・クレール監督作品『自由を我等に』と内容が酷似している(ベルトコンベアが走る流れ作業、それから起こるドタバタ騒ぎ、ラストの野原の直線道路を行く構図などが似ているといわれる)。そのため『自由を我等に』のドイツの製作会社・トビス社(Tobis Film)はチャップリンを著作権侵害で告訴しようとした。しかし、証人に立ったルネ・クレールは、「もし『モダン・タイムス』が自分の映画からヒントを得ているならば、光栄に思う」と証言したため、告訴は取り下げられている(1937年)。

しかし、第二次世界大戦後1947年にトビス社は再び訴えを起こし、それをうっとうしく思ったチャップリンサイドは、僅かばかりの支払いをした。ドイツの映画会社トビスによる(二度目の)訴えについて、チャップリンサイドは反ナチス・ドイツ映画『独裁者』への報復であろうと確信している[1]。チャップリンは『独裁者』で、チャップリンの友人コンラッド・ベルコヴィチから盗作訴訟を起こされた[2]。

作品は資本主義を批判していることから、作品を「共産主義的である」と非難した評論家もいたという。そのため当時ファシズム政権にあったドイツなどの国家では、作品が共産主義的であるとみなして、上映を禁止されていた。

日本では1938年2月に封切られており、同年度のキネマ旬報ベストテン第4位にランクインされている。


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評価

本作はチャップリンの作品の中でも特に傑作と呼ばれ、『黄金狂時代』『街の灯』『独裁者』と並ぶチャップリンの代表作と称される。

1989年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

ランキング

「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会発表)※10年毎に選出

1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第21位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第41位
1992年:「映画監督が選ぶベストテン」第6位
2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第40位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第63位
2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第22位

「AFIアメリカ映画100年シリーズ」 1998年:「アメリカ映画ベスト100」第81位
2000年:「コメディ映画ベスト100」第33位
2007年:「アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)」第78位

2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第67位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』発表)第65位

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c4

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
5. 中川隆[-10892] koaQ7Jey 2019年4月06日 08:40:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1137]

ロマ(ジプシー)の世界 _ 4


街の灯 City Lights


監督 チャールズ・チャップリン
脚本 チャールズ・チャップリン
音楽 アルフレッド・ニューマン チャールズ・チャップリン
撮影 ローランド・トザロー ゴードン・ポロック
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 1931年1月30日


動画
https://www.nicovideo.jp/tag/%E8%A1%97%E3%81%AE%E7%81%AF


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キャスト

放浪者:チャールズ・チャップリン
盲目の花売り娘:ヴァージニア・チェリル
花売り娘の祖母:フローレンス・リー
富豪:ハリー・マイヤーズ
富豪の執事:アラン・ガルシア
市長、花売り娘の階下の住人:ヘンリー・バーグマン
放浪者の相手のボクサー:ハンク・マン
迷信のボクサー:ヴィクター・アレクサンダー
医師:T・S・アレクサンダー
警官:ハリー・エイヤース
道路清掃夫、強盗:アルバート・オースチン
レフェリー:エディ・ベイカー
レストランの女性:ベティ・ブレア
禿げたパーティーの招待客:バスター・ブロディ
新聞の立ち売りの少年:ロバート・パリッシュ、マーガレット・オリヴァー
花屋のアシスタント:ミセス・ハイアムズ
葉巻を拾おうとした浮浪者:ジョン・ランド
背の高いパーティーの招待客:ジャック・サザーランド
アートショップの前のエレベーターの男:タイニー・ウォード
葉巻の上に座るレストランの客:フローレンス・ウィクス

その他、レストランのシーンでは、ブレイク前のジーン・ハーロウも出演している。

主人公は浮浪者の男である。男はある日、街角で盲目の花売り娘と出会い一目惚れしてしまう。彼女は落とした花を拾ってくれた男がタクシーで去っていったと勘違いし、その男が金持ちの紳士と思い込む。その夜、浮浪者の男は妻と別れ自殺しようとした富豪を助け、友達になる。しかしこの富豪は酔っぱらった時には浮浪者のことを思い出すが、素面の時は忘れてしまう。

浮浪者の男は花売りの娘から花を買って紳士を装っていた。いつの間にか娘にとって、男はただのお金持ちではなく、それ以上の人物となっていった。男は病気の彼女のために働き出し、彼女の家へ通い詰めできる限りの献身をするのだった。ある日、娘とその祖母が家賃を滞納し立ち退きを迫られていることを知った男は、娘を助けるためにお金を工面しようとする。しかし遅刻で仕事をクビになり、途方に暮れていたところに、八百長ボクシングへの出場を持ちかけられた。ところがその試合の寸前になって相手は逃亡し、やむを得ず強力な相手と試合をする羽目に。あの手この手で攪乱しつつ必死で戦うが、あえなく敗れる。

浮浪者の男は途方に暮れていると、街で偶然酒に酔った富豪と再会し、彼の家に行き娘の事情を話すと1,000ドルもの大金を援助してくれた。しかし運悪く、室内には2人組の強盗も居合わせており、頭を強打され倒れた富豪を見て浮浪者は大慌てで警察を呼ぶ。警官が到着した時には強盗は逃げてしまい、意識を取り戻した富豪の酔いもすっかり覚めていた。警官に疑われた浮浪者は富豪の家から逃走する。翌日、浮浪者の男は花売りの娘に家賃と目の手術代として1,000ドルを手渡しその場を立ち去った。その帰りに男は無実の強盗容疑で捕まってしまう。

時は流れ、刑務所から出た浮浪者の男が街をとぼとぼと歩いていると目の治った花売り娘と再会した。娘は1,000ドルを自分に渡した恩人は金持ちの紳士だと思い込んでいるので、まさかこの浮浪者が恩人だとは思いも寄らない。そのまま立ち去ろうとする浮浪者の男に彼女は哀れみから一輪のバラと小銭を手渡そうとする。その時、男の手を握った娘はこの浮浪者こそが恩人であることに気付くのだった。男は困惑しながらも、かつての優しい微笑みを浮べた。


▲△▽▼


本作はトーキー映画反対論者であったチャールズ・チャップリンが、基本的にサイレントだが伴奏音楽と音響が入ったサウンド版として製作した初めての作品である。ある浮浪者が盲目の花売り娘の目を治すためにあれこれ奮闘する物語で、ユーモアとペーソスが織り交ぜられたコメディ映画となっている。現在もチャップリンの代表作として高く評価されている。1991年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

1928年5月に準備が行われ、同年12月に撮影が開始された。しかし、1929年6月に水に飛び込もうとする富豪役を演じていたヘンリー・クライブが水に飛び込むことを躊躇したため、チャップリンは彼を解雇し、代わりにハリー・マイヤーズを立てて登場シーンの撮り直しが行われた。さらに同年11月、盲目の花売り娘を演じていたヴァージニア・チェリルが「美容院に行くから」と言って撮影を早退したため、チャップリンは激怒し彼女を解雇した。代わりに『黄金狂時代』でヒロインを演じたジョージア・ヘイルが盲目の花売り娘を演じることになったが、側近の忠告で10日後にヴァージニアを復帰させることになった。

完璧主義者のチャップリンは、ヴァージニア演じる花売り娘との出会いのシーン(正味3分ほど)に342回のNGを出し、1年以上かけて撮り直しされた(撮影日数534日のうち、このシーンの撮影だけで368日をかけている)。喜劇映画研究会の新野敏也は、「【オープニング・タイトルのCITY LIGHTとクレジットされる夜の街】と【オープニング・シークエンスで彫像の除幕式が行われる朝の街】は同じセットでほぼ同じカメラ・アングルながらも、【オープニング・タイトル】では題名に合わせて街路灯が左端に配置されている」、「オープニング・シークエンスの彫像で繰り広げられるチャップリンのパントマイムでは、足捌きに合わせて靴裏のあたる彫像の部位が削られ微調整されている」などの事例を挙げて、この画面構成を「数限りなくリハーサルや撮り直しを繰り返した事が推察され、商業映画の製作コストをまるっきり無視した、完璧以上を求める天才ぶり」と表現している[要出典]。結局撮影を完了したのが1930年10月5日のことで、2年以上の月日が費やされた。さらに編集と作曲作業に3ヶ月をかけ、翌1931年1月30日にロサンゼルスの劇場でプレミア公開された。その際チャップリンの隣りにはアルベルト・アインシュタインが座っていた。

同年2月6日に封切られ、映画は大ヒット。興収は500万ドルに達した。 1934年1月13日には日本でも封切られ、人気作となった。同年度のキネマ旬報ベストテンでは第10位にランクインされた。


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ランキング

「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌発表)※10年毎に選出

1952年:「映画批評家が選ぶベストテン」第2位
1962年:「映画批評家が選ぶベストテン」第14位
1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第21位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第17位
2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第19位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第50位

「AFIアメリカ映画100年シリーズ」 1998年:「アメリカ映画ベスト100」第76位
2000年:「アメリカ喜劇映画ベスト100」第38位
2006年:「感動の映画ベスト100」第33位
2007年:「アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)」第11位

2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第38位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第16位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第29位

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E3%81%AE%E7%81%AF

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c5

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
163. 中川隆[-10891] koaQ7Jey 2019年4月06日 09:04:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1138]

ゴーン容疑者、代理店を“トンネル”に
4/5(金) 23:19配信 産経新聞


「オマーン・ルート」の資金の流れ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000620-san-soci.view-000


 日産自動車の資金をオマーンの販売代理店に不正に支出したとして会社法違反(特別背任)容疑で前会長、カルロス・ゴーン容疑者(65)が逮捕された事件で、代理店の経理担当幹部が巨額の日産資金について「自分たちはタッチできない」と周囲に話していたことが5日、明らかになった。ゴーン容疑者が代理店を“トンネル”に、資金を自身に還流させた構図が浮かんでいる。

【表で見る】ゴーン容疑者を巡る事件

 ■CEOボーナス

 「自分たちは、『CEOボーナス』には全くタッチできない」。関係者によると、ゴーン容疑者と親しいオマーンの販売代理店、スハイル・バハワン自動車(SBA)の経理担当幹部は周囲にこう漏らしていたという。

 ゴーン容疑者は平成27年12月〜30年7月、日産子会社の中東日産(アラブ首長国連邦)から、SBAに計1500万ドルを支出させ、うち計500万ドル(約5億6300万円)を、実質的に保有するレバノンの投資会社、グッド・フェイス・インベストメンツ(GFI)に送金させたとして再逮捕された。

 ゴーン容疑者は自身で使途を決める「CEOリザーブ」という予備費から毎年、中東3カ国の代理店にインセンティブ(報奨金)名目で資金を支出。SBAオーナーのスハイル・バハワン氏はゴーン容疑者の友人で、同社には24年から30年にかけ計約35億円が支払われていた。

 ■「支払いありき」

 SBAの経理担当幹部はGFIの代表を務め、自身の個人口座からGFIへ約40億円を送金していたが、使途を決めることはできなかったようだ。CEOリザーブとは別途、日産の正規の予算から報奨金が出ていたにもかかわらず、さらなる資金援助を求めてくることもあったという。

 一方、中東日産内部では、CEOリザーブからの送金が一時凍結されたことがあった。当時のフランス人幹部がCEOリザーブからの支払いの正当性を疑問視し、28年度分の送金をストップ。その後、フランス人幹部はゴーン容疑者と急(きゅう)遽(きょ)面会し、慌てて支払うことになったという。

 当時の状況を知る現地関係者は「代理店側からゴーン氏に未払いの連絡があったようだ。CEOリザーブからの支払いは社内でよく思われていなかったが、とにかく支払いありきで話が進められた」と明かす。

 ■自身の利益明確

 SBAからGFIへ流れた資金は、さらにゴーン容疑者の妻が代表を務める会社、ビューティー・ヨットに送金された。ゴーン容疑者の家族が使う大型クルーザー購入費(約16億円)の原資に充てられたほか、米国の長男の投資会社、ショウグン・インベストメンツにも流れ、私的な投資に使われた疑いがある。

 東京地検特捜部は、関係者の証言やメール、資金支払いの決裁文書など膨大な資料からGFIの口座をゴーン容疑者が実質管理していることを突き止め、4回目の逮捕に踏み切った。

 既に起訴済みの特別背任事件では、ゴーン容疑者が私的投資で巨額損失を出した際、信用保証に協力したサウジアラビアの友人側へ支出された約13億円が不正流用とされた。

 特別背任の立証で重要なポイントとされる「自身の利益を図ったかどうか」については、サウジアラビア・ルートでは不鮮明だった。だが今回のオマーン・ルートでは、まさに自身が管理する口座に還流させていることから「より悪質性、背任性が強い」(捜査関係者)とされる。

 ある検察幹部は「ゴーン容疑者に帰属することが明確だといえるレベルまで証拠を積み重ねた」と、立件の意義を強調している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000620-san-soci
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c163

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
164. 中川隆[-10890] koaQ7Jey 2019年4月06日 15:18:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1139]
ゴーン前会長側への資金移動記録のメール入手 東京地検特捜部/nhk
2019年4月6日 4時19分ゴーン前会長
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190406/k10011874891000.html?utm_int=news-social_contents_list-items_003

日産自動車のゴーン前会長がオマーンの販売代理店を支出した日産の資金を私的に流用したとして再逮捕された事件で、東京地検特捜部が前会長側への資金移動が記録されたメールを入手していることが関係者への取材で分かりました。特捜部は不透明な資金の流れの実態解明を進めています。

日産自動車の前会長カルロス・ゴーン容疑者(65)は、オマーンの販売代理店に日産から支出させた資金の一部を私的に流用し、合わせて5億6000万円余りの損害を与えたとして4日、特別背任の疑いで東京地検特捜部に再逮捕されました。

特捜部はゴーン前会長がオマーンの代理店に支出させた資金の一部をレバノンのペーパーカンパニーの口座に送金させ、みずからに還流させていたとみていますが、この口座から前会長側への資金移動が記録されたメールを特捜部が入手していることが関係者への取材で分かりました。

関係者によりますと、この口座からは、およそ30億円が前会長の息子が経営するアメリカの投資関連会社に送金されていたほか、およそ9億円はゴーン前会長の妻が代表を務める会社に送金されていたということです。

特捜部は捜査に協力している日産側から資金移動のメールを入手したということで、特捜部は不透明な資金の流れの実態解明を進めています。

関係者によりますと、調べに対しゴーン前会長は全面的に容疑を否認しているということです。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c164

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
6. 中川隆[-10889] koaQ7Jey 2019年4月06日 15:53:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1140]

ジプシー音楽 _ 1


「黒い瞳」(ロシア語: Очи чёрные、オーチ・チョールヌィエ)


feodor chaliapin - black eyes - dark eyes - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=b3nOBw2UlkI


Очи чёрные - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9E%D1%87%D0%B8+%D1%87%D1%91%D1%80%D0%BD%D1%8B%D0%B5+

▲△▽▼

タイトルの「黒い瞳」という言葉はここではロマ(ジプシー)の女性の煽情的な魅力の象徴として用いられており、その魅力に取り憑かれた男性の苦悩と激情がこの歌の主題である。旋律もロマの音楽に特徴的なハンガリー音階に基づいており、ロシアのジプシー歌謡を代表する曲として親しまれている。

しかし後述のように民族的な出自からいえば、実際にはウクライナ人とドイツ生まれのロシア人の手になる作品である。


「黒い瞳」は初め1843年1月17日に「Литературная газета」(文学新聞)に詩として発表された。作者はウクライナの作家、詩人のイェウヘーン・フレビーンカ(ロシア語の発音ではエヴゲニー・グレビョンカ)である。フレビーンカはポルタヴァ州の貴族の出身で、古典的なジプシー歌謡の作者の多くがそうであるように、教養のある人物である。フレビーンカによる初稿は、区切りのようなものも設けられていない実質3連程度の作品で、わずかにロマンティシズムの香りが漂うだけの簡素なものだった。

この詩が最初に歌曲として発表されたのは、1884年3月7日のことだった。これはフレビーンカの詩をС. ゲルデリがフローリアン・ヘルマン作曲のワルツ「Hommage」(オマージュ)にあてはめたものである。ヘルマンはロシア化したドイツ人であり、この有名なロシアのジプシー歌謡は実際には、ウクライナ人とドイツ生まれのロシア人によって作られたことになる。

この歌を世界的に有名にしたのは、バス歌手のフョードル・シャリアピンである。シャリアピンはこの歌に自ら詩を書き足してレパートリーに加え、革命後の1922年に出国して事実上の亡命者となってからは世界各地の公演で披露した。これにより「黒い瞳」は、世界で最も有名なロシアの歌の一つとなったのである。


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歌詞 フレビーンカによる初稿

黒い瞳、情熱的な瞳
燃えるような、そして美しい瞳
何と私はお前を愛していることか、何とお前を恐れていることか
きっと私は悪い時にお前と出逢ってしまったのだ

おお、深淵よりもなお暗いのにはわけがある
それは私の魂への喪服なのだ
それは私の哀れな心を焼き尽くす
勝利の炎なのだ

だが私は悲しくはないし、みじめでもない
この運命は私には慰めなのだ
神が与えたもうた全てのよきものは
その燃えるような瞳に生け贄としてくれてやった


____

シャリャーピンによる補作


黒い瞳、燃えるような瞳
情熱的な、そして美しい瞳
何と私はお前を愛していることか、何とお前を恐れていることか
きっと私は悪い時にお前と出逢ってしまったのだ

黒い瞳、焼けつくように燃え盛っている
それは遠い異国へといざなっている
愛の統べるところ、安らぎの統べるところ
苦しみはなく、憎しみの禁じられるところへと

お前と出逢っていなければこんなに苦しむこともなかったろうに
微笑みながら人生を過ごせただろうに
黒い瞳よ、お前は私を破滅させた
私の幸せを永遠に奪い去ったのだ

黒い瞳、燃えるような瞳
情熱的な、そして美しい瞳
情熱の瞳よ、お前は私を破滅させた
私の幸せを永遠に奪い去ったのだ…

黒い瞳、燃えるような瞳
情熱的な、そして美しい瞳
何と私はお前を愛していることか、何とお前を恐れていることか
きっと私は悪い時にお前と出逢ってしまったのだ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E7%9E%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c6

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
7. 中川隆[-10888] koaQ7Jey 2019年4月06日 16:25:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1141]

ジプシー音楽 _ 2


二つのギター(ジプシーの娘)

【ロシア音楽】二つのギター (Две гитары) (日本語字幕) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UEGU-1gOPWE


ポール・モーリアの編曲や、シャンソン歌手のシャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)によるカバー(Les Deux Guitares)でも知られる、ロシア・ジプシー民謡。映像は1999年、ロシアのテノール歌手、オレグ・ポグディン(Олег Погудин)による歌唱。


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Irina Slutskaya Gipsy - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=u2NEzk4Jgp4
https://www.youtube.com/results?search_query=Irina+Slutskaya+Gipsy+

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The Unbearable Lightness of Being  存在の耐えられない軽さ  
https://www.youtube.com/watch?v=t2-T5DrTWoU&feature=related
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6128180

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Occhi chorni (Очи Чёрные) on accordion (Russian Gypsy music) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MkUOxJv4jmA  


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ジプシーの娘 Цыганочка - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%A6%D1%8B%D0%B3%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D1%87%D0%BA%D0%B0


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二つのギター(ジプシーの娘)


『二つのギター』は、作詞・作曲者不詳のロシア民謡・ジプシー音楽(ロマ音楽)。

歌詞は存在するが、YouTube動画などで検索してみると、歌ありバージョンよりは、ギターやバイオリン(ヴァイオリン)などの歌なし器楽曲(インストゥルメンタル)として人気があるようだ。

特に、『二つのギター』という題名だけあって、二人でギター合奏(デュエット)する動画もよく見られる。ギター独奏曲としても親しまれ、各種アレンジされた楽譜も一般的に市販されている。

ジプシーダンスの曲としても人気

なお、『二つのギター』と同じメロディがジプシーダンス・舞踊のための楽曲として用いられる場合は、『ジプシーの娘 Цыганочка』と題された別の歌詞が用いられる。ただ、こちらも歌詞あり版はあまり用いられないようだ。

YouTubeで『ジプシーの娘』を検索してみると、タイトル通り、比較的若い女の子がジプシー系の衣装を身にまとってジプシーダンスを披露する動画をいくつか見つけることができる。

ポールモーリアのアレンジで世界的に有名に

『二つのギター』が世界的な知名度を獲得した背景には、フランスの作曲家ポール・モーリア(Paul Mauriat/1925-2006)による1960年代から70年代頃のイージーリスニング版カバー『Les deux guitares』の存在が非常に大きいと思われる。

同カバー版を収録した音源の解説には、「2つのギターの調べ」が奏でられるロシア民謡曲であることが説明されている。

「ロシアには多くのジプシーが住んでおり、街頭でギターをひいたり踊りをおどったりするほか、トランプ占いなどで生計をたてていますが、 これはそのジプシーの歌の一つで、『黒い瞳』と並んで世界中に知られた民謡曲です。 何ともいえない悲しみをたたえて流れる2つのギターの調べ──それは、若い男女のやるせない愛情を象徴しているのです。」

なお、このポール・モーリアによるイージーリスニング版が発表される以前に、『二つのギター』と呼ばれるロシア民謡・ジプシー歌曲が存在したのかどうか、また、ジプシーダンスに用いられる『ジプシーの娘 Цыганочка』とはどういう関係にあるのか、等の詳しい経緯については定かではない。
http://www.worldfolksong.com/songbook/russia/two-guitars.htm


▲△▽▼

ジプシーの娘 (Цыганочка)
http://saison-nouvelle.homeip.net/gypsy.htm

今回は、ロシア民謡から“Цыганочка”という歌を取り上げます。 ロシア語ではジプシーを цыган と言い、 女ジプシーを цыганка と言います。 Цыганочка は、その指小形です。

ロシア民謡をアレンジしたポール・モーリア (Paul Mauriat ) の古いアルバム(日本フォノグラム)の解説によると、この歌は「世界中に知られた民謡曲」だそうです。 そのアルバムでは、この曲は“Les deux guitares”(2つのギター)という曲名で紹介されています。まずはその解説を引用させて戴きます。

「ロシアには多くのジプシーが住んでおり、街頭でギターをひいたり踊りをおどったりするほか、トランプ占いなどで生計をたてていますが、 これはそのジプシーの歌の一つで、『黒い瞳』と並んで世界中に知られた民謡曲です。 何ともいえない悲しみをたたえて流れる2つのギターの調べ──それは、若い男女のやるせない愛情を象徴しているのです。」

ポール・モーリアの作品──彼が日本で有名になる前の作品ですので、チェンバロとトランペットを多用した例のややマンネリ化した演奏ではありません── この作品を聴いてみますと、確かに叙情的なもの悲しい雰囲気に浸れます。

しかし、10年程前にロシアでリリースされた、『魅力的な目』(Очаровательные Глазки) というアルバムに収録されている“Цыганочка”(ジプシーの娘)という曲のイメージは、聊か異なります。 アルバムに添付されている歌詞には書かれていないのですが (別のテキストには書かれています) 、この曲には一種の掛け声のようなコーラスが用いられています。 それは、ウォッカを呷るときの掛け声ではないですか。そうであるとすると、この曲は宴会の席で余興にうたわれる歌ということになります。

ロシア人は動物の脂身をつまみにして、小さなコップでグィッ、グィッと何杯もウォッカを呷るのだそうです。 因みに、ウォッカは водка と表し、「水のような酒」という意味になります。 「水」を意味する вода は、英語の water に対応します。

古い歌で、作詞も作曲も「不詳の作家」となっていますので、全文を訳出してみます。 尚、MIDIに就きましては、こちらのページのものを利用させて戴きました。

Если б я была цыганка,
もしもあたしが女ジプシーで、

Да притом красивая,
おまけに美しかったら、

Что бы стала со мной делать
あたしに何をしはじめるだろうか

Маменька родимая.
あたしを生んだ母さんは。


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。


За цыгана выйду замуж,
あたしはジプシーに嫁ぐ、

Хоть родная мать убей,
実の母があたしを殺そうとも、

Карты в руки, шаль на плечи –
手の中のカードが、肩に掛かったショールが、

И обманывать людей.
人を騙すんだ。


Ты цыган и я цыганка,
あんたはジプシー、あたしは女ジプシー、

Оба мы цыгане,
うちら2人ともジプシーなの、

Ты воруешь лошадей,
あんたは馬を盗み、

а я ворую сани, ох- ох- ох- ах.
あたしは橇そりを盗む、おほほほ。


Ой, девчоночки, беда
ああ、お嬢ちゃんたち、困ったな

Да куда мне деваться,
おらは何処へ隠れていようか、

По колено борода,
ひげが接吻する2人の口元に

Да лезет целоваться.
覆い被さっているではないか。


У милёночка мово,
あたしのカレシは、

Да волосы волнистые,
髪がウェーブしてんの、

Я его не заменю
あたしは彼を取り替えないわ

На горы золотистые
いくらお金を積まれても。


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。


В поле ветер, огоньки,
草原に風が、炎が、

Дальняя дорога,
長距離の旅、

Сердце бьётся от тоски,
哀しくて心臓が鼓動する、

А в душе тревога
そして心には不安がある


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。

http://saison-nouvelle.homeip.net/gypsy.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c7

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
8. 中川隆[-10887] koaQ7Jey 2019年4月06日 16:37:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1142]

ジプシー音楽 _ 3


ヨハネス・ブラームス 『ハンガリー舞曲集』( Ungarische Tänze)


Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York / Walter
https://www.youtube.com/watch?v=otpoMv9tgS4

____


Fritz Kreisler (1875-1962) Brahms Hungarian Dance nr.5 rec.1911
http://www.youtube.com/watch?v=N_So6tUlhe8

WE15B:Fritz Kreisler/Brahms-Hungarian Dance in G Minor
http://www.youtube.com/watch?v=WxLNDqu5Lg0

Kreisler plays "Hungarian Dance" by Brahms/Joachim. Acoustic
http://www.youtube.com/watch?v=0iCQjr1Ycxs

Kreisler plays Brahms' Hungarian Dance # 17, f minor
http://www.youtube.com/watch?v=FCeo0gFVYAA


WE15B:Mischa Elman/Brahms-Hungarian Dance No.7
http://www.youtube.com/watch?v=-o-9JTWl8B0

Mischa Elman plays Brahms - Hungarian Dance No. 7
http://www.youtube.com/watch?v=GSlI6cNtkqg


Toscha Seidel - Brahms Hungarian Dance No 1
http://www.youtube.com/watch?v=bPC6tMoXcMI
http://www.youtube.com/watch?v=OEaTf3LHd48
http://www.youtube.com/watch?v=46udyPpFP8g
http://www.youtube.com/watch?v=dD6miHPisVM


Joseph Joachim - Brahms' Hungarian Dance No.2 (1903) (RARE!)
http://www.youtube.com/watch?v=lV_YXtUs_Ow&list=PLADA8A356988FD2E5


Ysaye plays Hungarian Dance No.5 on Columbia
http://www.youtube.com/watch?v=Z02qvRpiRRk

「ハンガリー舞曲 第5番」 Eugène Ysaÿe HMV model156 蓄音機
http://www.youtube.com/watch?v=5O7Nm2y0ojg


___


Brahms Plays His Hungarian Dance No.1 (Excerpt), 1889
http://www.youtube.com/watch?v=BZXL3I7GPCY
http://www.youtube.com/watch?v=H31q7Qrjjo0


Wilhelm Backhaus plays Brahms Hungarian Dances No. 6 and No. 7 rec.1934
http://www.youtube.com/watch?v=1i2iMU3O2QM

Rubinstein, Brahms, Hungarian Dance No.4 in f-sharp minor & Cradle Song op. 49 No. 4 .wmv
http://www.youtube.com/watch?v=sIzpGBNNDHc


▲△▽▼


『ハンガリー舞曲集』(ドイツ語: Ungarische Tänze)WoO.1 は、ヨハネス・ブラームスがハンガリーのジプシー(ロマ)音楽に基づいて編曲した舞曲集。

オーケストラでの演奏が広く知られているが、最初はピアノ連弾のために書かれ、爆発的な人気を博した。全部で21曲あり、それぞれの長さは1分程度のものから4分程度のものまでとまちまちである。中でも、管弦楽用に他者によって再編曲された第5番がとりわけ有名である(曲自体はケーレル・ベーラ(英語版)のチャールダーシュ "Bártfai emlék" による)。

ブラームスは1850年代の前半に、エドゥアルト・レメーニの伴奏者としてドイツの各地で演奏旅行を行い、その時にレメーニからジプシー音楽(ロマの民族音楽)を教えられて魅了された。それ以来ブラームスは、それをハンガリーの民族音楽と信じて採譜を続け、1867年に出版社のジムロックに最初の6曲を送ったが、その時は拒否されている。結局それらを含む第1、2集が1869年に出版されると大好評となり、1880年に第3、4集が刊行された。

『ハンガリー舞曲集』に作品番号は付いていない。これが自作ではなく、伝統音楽の編曲にすぎないことをブラームスが慮ってのことであった(とはいえ、第11曲、第14曲、第16曲の主題は、完全にブラームスの創作であったらしい)。のちにレメーニは『ハンガリー舞曲集』の成功を知ると、これが盗作であるとしブラームスを相手に訴訟を起こした。結果はブラームスが「作曲」ではなく「編曲」としておいたことが幸いして、ブラームスが勝訴した。

ブラームスは自分の『ハンガリー舞曲集』の成功に自信を得て、アントニン・ドヴォルザークに『スラヴ舞曲集』を作曲して収益を得るように助言している。もっともドヴォルザークは編曲ではなく、民族舞曲の性格と特徴を取り入れ、自作の主題によって曲集をまとめ上げた。なおドヴォルザークは、『ハンガリー舞曲 第4集』を管弦楽用に編曲している。

ピアノ独奏用の編曲に、モーリッツ・モシュコフスキやジョルジュ・シフラによるものなどがある。

第1集 第1番の冒頭の一部は、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ『とんぼ』とともに、1889年12月2日にトーマス・エジソンの代理人の依頼で、ブラームス自らのピアノ演奏で蓄音機に録音された。これは、史上初のレコーディングとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%88%9E%E6%9B%B2
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c8

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
165. 中川隆[-10886] koaQ7Jey 2019年4月06日 16:44:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1143]
ゴーン問題を巡る『会社は誰のもの』という視点 19/04/06 PM01

ゴーン問題は、

@対立する金貸し勢力同士の戦い、

A『会社は株主のもの』というグローバリズムの母体となっている欧米の観念と『会社は社員みんなのもの』のという日本人特有の潜在思念との対立、

の二つの方向から見ていくことが必要だと思う。

まず@の、対立する金貸し勢力同士の戦いと言う視点とは、フランスのマクロンの背後にいるヨーロッパの金貸し勢力と、東京地検特捜部の背後にいる、ワシントンの軍産複合体勢力の戦いのこと。ヨーロッパの金貸し勢力は、優秀な日本企業で軍事産業の基盤(341280 341078)をも担っている日産・三菱自動車を、自らの手中にしたいがために、ゴーンを代理人にして工作を行ってきた。

しかし、ゴーンによる日産からの私的収奪に対する、軍産複合体の支援をうけて東京地検特捜部が行った逮捕勾留を日本人の多くが支持していること。フランス国民の多くがゴーン逮捕を支持していること。現にゴーンの不正についてフランス当局も捜査立件に動いている事実からしても、ヨーロッパの金貸し勢力は、ゴーンは使い物にならないと判断し切り捨てた。

その上で、フランス政府+ルノーは、ゴーン抜きで日産と三菱自動車とを経営統合し、手中に収めようと画策しているが、軍産複合体はそれを阻止しようとしている。つまり本質は、ヨーロッパの金貸し勢力VS軍産複合体の戦いの軍配はどちらに上がるかという問題であり、ゴーン問題はすでにどうでも良いものになっている。

他方Aの、軍産複合体→東京地検特捜部→日産西川ラインのゴーンとの戦いについては、日産社員(リストラにあったものも含む)や日本人の多くが支持している。そして、ゴーンが自らの潔白をマスコミを通じて発表するたびにゴーンへの不信は高まっている。それでも彼を支持する日本人は、近代思想に導かれた法律を操る弁護士くらいだ。

その理由は、日本人の深いところにある『会社は社員みんなのもの』という潜在思念にあり、すでにそれらが近代思想に導かれた法律が定義する『会社は株主のもの』という観念をも超えていると見ることが出来る。

例えばゴーンの弁明を要約すると『自分は株主のために働き、株主に利益をもたらすため行動しており、なんの罪もない。』というもの。たしかに彼は株主の利益を上げている。しかし、その手法は、勤勉な日本人社員を多くリストラし、勤勉な下請けに対して大幅なコストカットを行い、その結果生まれた余剰金を、悪党同士の株主と自分で山分けしただけである。

これが、『会社は株主のもの』という欧米の価値観からくる優秀な経営者である。それを裏付けるように、欧米の経営トップは株主総会の発表の際に『あなた方の会社は(your company)・・・』という。

ところが、日本人の潜在思念からするとゴーンの行為は『それはただの搾取だ』ということにしかならない。例えば、日本の社員は『我社』『私達の会社』といい、よい経営者とは、社員を家族ように思い、みんなの力を結集していくリーダーである。

そうだから、日本では何百年も続く会社が世界一多い。反対に、西洋の企業は株主の利益を上げるだけの道具でしかなく、儲からなくなればすぐ潰して乗り換えるので、何百年も続く会社はほとんどない(211759)。

このような、日本人の潜在思念の表出が、東京地検特捜部のゴーン捜査への後押しの一つになっており、これ自体は、バブル崩壊以降、金貸しに都合の良い法律で運営してこざるをえなかった日本の会社が、今後どこに軸足を置くかという大きな可能性を表していると思う。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=344766
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c165

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
28. 中川隆[-10885] koaQ7Jey 2019年4月06日 16:45:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1144]
ゴーン問題を巡る『会社は誰のもの』という視点 19/04/06 PM01

ゴーン問題は、

@対立する金貸し勢力同士の戦い、

A『会社は株主のもの』というグローバリズムの母体となっている欧米の観念と『会社は社員みんなのもの』のという日本人特有の潜在思念との対立、

の二つの方向から見ていくことが必要だと思う。

まず@の、対立する金貸し勢力同士の戦いと言う視点とは、フランスのマクロンの背後にいるヨーロッパの金貸し勢力と、東京地検特捜部の背後にいる、ワシントンの軍産複合体勢力の戦いのこと。ヨーロッパの金貸し勢力は、優秀な日本企業で軍事産業の基盤(341280 341078)をも担っている日産・三菱自動車を、自らの手中にしたいがために、ゴーンを代理人にして工作を行ってきた。

しかし、ゴーンによる日産からの私的収奪に対する、軍産複合体の支援をうけて東京地検特捜部が行った逮捕勾留を日本人の多くが支持していること。フランス国民の多くがゴーン逮捕を支持していること。現にゴーンの不正についてフランス当局も捜査立件に動いている事実からしても、ヨーロッパの金貸し勢力は、ゴーンは使い物にならないと判断し切り捨てた。

その上で、フランス政府+ルノーは、ゴーン抜きで日産と三菱自動車とを経営統合し、手中に収めようと画策しているが、軍産複合体はそれを阻止しようとしている。つまり本質は、ヨーロッパの金貸し勢力VS軍産複合体の戦いの軍配はどちらに上がるかという問題であり、ゴーン問題はすでにどうでも良いものになっている。

他方Aの、軍産複合体→東京地検特捜部→日産西川ラインのゴーンとの戦いについては、日産社員(リストラにあったものも含む)や日本人の多くが支持している。そして、ゴーンが自らの潔白をマスコミを通じて発表するたびにゴーンへの不信は高まっている。それでも彼を支持する日本人は、近代思想に導かれた法律を操る弁護士くらいだ。

その理由は、日本人の深いところにある『会社は社員みんなのもの』という潜在思念にあり、すでにそれらが近代思想に導かれた法律が定義する『会社は株主のもの』という観念をも超えていると見ることが出来る。

例えばゴーンの弁明を要約すると『自分は株主のために働き、株主に利益をもたらすため行動しており、なんの罪もない。』というもの。たしかに彼は株主の利益を上げている。しかし、その手法は、勤勉な日本人社員を多くリストラし、勤勉な下請けに対して大幅なコストカットを行い、その結果生まれた余剰金を、悪党同士の株主と自分で山分けしただけである。

これが、『会社は株主のもの』という欧米の価値観からくる優秀な経営者である。それを裏付けるように、欧米の経営トップは株主総会の発表の際に『あなた方の会社は(your company)・・・』という。

ところが、日本人の潜在思念からするとゴーンの行為は『それはただの搾取だ』ということにしかならない。例えば、日本の社員は『我社』『私達の会社』といい、よい経営者とは、社員を家族ように思い、みんなの力を結集していくリーダーである。

そうだから、日本では何百年も続く会社が世界一多い。反対に、西洋の企業は株主の利益を上げるだけの道具でしかなく、儲からなくなればすぐ潰して乗り換えるので、何百年も続く会社はほとんどない(211759)。

このような、日本人の潜在思念の表出が、東京地検特捜部のゴーン捜査への後押しの一つになっており、これ自体は、バブル崩壊以降、金貸しに都合の良い法律で運営してこざるをえなかった日本の会社が、今後どこに軸足を置くかという大きな可能性を表していると思う。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=344766
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c28

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
9. 中川隆[-10884] koaQ7Jey 2019年4月06日 16:50:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1145]

ロマ音楽


ロマ音楽は、西アジアやヨーロッパなどで移動型の生活を送る、あるいは送っていたロマ民族(ジプシー)を中心に発達してきた音楽。


ロマは北インドに起源を持つ移動型の民族であり、中近東、北アフリカ、ヨーロッパなどで生活している。ロマは西暦1000年以前には北インド、ラジャスタンを離れ、放浪生活に入っていったと考えられている。一方、現在もラジャスタンで演奏家や旅芸人として生活しているロマもいる。

ロマは各地を放浪し、音楽の演奏やダンスなどを行う旅芸人として生計を立ててきた。彼らによってもたらされた音楽は、現地の音楽に影響を与え、また影響を受け、相互に発展してきた歴史がある。ロマは北インドをたった後、イラン、イラク、アルメニア、その他中近東に現れるようになった。西暦1050年頃には既に、コンスタンティノポリスで音楽の演奏をしていたと考えられている。15世紀ごろにはエジプト、スーダン、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ギリシャ、クロアチア、マケドニア、セルビアなどへと居住地を拡大、やがてヨーロッパ全域へと広がっていった。スペインのフラメンコの原型もロマの音楽とダンスであったと考えられるなど、彼らは放浪先の中近東やヨーロッパ各地の音楽文化に強い影響を与えてきた。

ロマの音楽の大きな特徴として、テンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾[1]、ソウルフルなヴォーカル、そして音高をすべるように移動するグリッサンドの多用などが挙げられる。音階の上では、和声的短音階の第4音を半音高くして二つの増二度音程を持つ独特の音階(ハンガリー音階などと呼ばれる)が用いられることが多いのも特徴である[1]。


各地のロマ音楽

インド

インド北部のラジャスタン地方はロマの故地であり、現在でもロマが音楽やジャグリングなどのショーをする旅芸人として住んでいる。

トルコ

トルコは西暦1000年ごろからロマが住んでおり、さまざまな音楽が生み出されてきた。こんにち、トルコのロマの音楽はベリーダンスの音楽としてよく知られている。

ファスル(Fasıl)は軽快な伝統音楽で、主にクラリネット、バイオリン、ダラブッカ、カーヌーン(qanún)などが使用される。

チフテテリは、激しいベリーダンスと比べて、よりスローテンポでゆったりとしたダンスである。古代アナトリア半島に起源を持つといわれているが、その発展には多くのロマが関わっている。

ベリーダンスやファスルのショーはレストランやナイトクラブで披露される。


マケドニア

チョチェクは、ブルガリアではキュチェクと呼ばれ、サクソフォンやクラリネット、そして第一次世界大戦以降盛んになったブラスバンド形式の演奏、およびダンスである。チョチェクの音楽は9/8拍子を大きな特徴とする躍動感のあるもので、マケドニア共和国からは多くの世界的に有名な奏者を輩出している。代表的な音楽家には、女性歌手のエスマ、ブラス・バンドコチャニ・オーケスターがいる。


アルバニア

アルバニアでは、ロマの音楽と現地の音楽がむすびつき、タラバと呼ばれるジャンルを形成している。タラバは中東の影響を濃く受けついた特徴的な音楽で、ドラムス、そしてダフが使用される。タラバはロマのみならず非ロマ系のミュージシャンも多く、アルバニアでは人気のある音楽となっている。


セルビア

セルビアのロマは主に南セルビアに多く住み、オスマン帝国の軍楽隊の音楽に由来する、ブラスバンド形式の音楽で知られている。主な奏者としてBoban Markovićが知られている。( [1][2][3] "Kecarac kolo" "Sunen romalen, sunen cavalen")


ギリシャ

ギリシャはオスマン帝国支配下でトルコと共通の文化圏に属しており、ギリシャのロマの音楽にはトルコからの影響の要素が強い。希土戦争の影響でアナトリア半島のイズミルからギリシャ本土に移ったギリシャ人によってもたらされたチフテテリなどが有名。


ルーマニア

ルーマニアのロマ音楽奏者はラウタリと呼ばれ、そのバンドはタラーフ(taraf)と呼ばれる。タラーフの主な構成はフィドル、ツィンバロム、アコーディオン、コントラバスなどからなる。Taraf de Haidouks、ファンファーレ・チョカルリア (Fanfare Ciocărlia)などのバンドは国際的に知名度がある。

マネーレはロマ音楽の影響を受けた現代の音楽としてルーマニアはじめバルカン半島で盛んになっているジャンルである。

著名なロマのミュージシャンには、次のような人物がいる。
Romica Puceanu 女性歌手
Nicolae Guţă 男性歌手
Sandu Ciorba 男性歌手。ほとんどの楽曲をロマ語で歌う。


ブルガリア

多くのロマ人口を抱えるブルガリアでは、ロマの音楽は大変盛んであり、パーティーや結婚式などでたびたび演奏される。ロマの演奏するキュチェクは、チャルガの起源としても知られている。

ハンガリー

ロマの音楽の影響力は特にハンガリーにおいて顕著であり、人口の上では多数派であるマジャル人を差し置いて、ロマの音楽がハンガリーの代表的な音楽と見做されるに至っている。ヨーロッパでは“ハンガリーの音楽”という言葉がロマの音楽と混同して用いられる傾向さえある(リストの「ハンガリー狂詩曲」やブラームスの「ハンガリー舞曲」などはそうした例である)。特にチャールダーシュと呼ばれる舞曲がハンガリーのロマを代表する音楽として親しまれている。

しかし近年、音楽家の登録にクラシックの試験が課せられるようになってからロマ音楽家は減っており、ロマ音楽が必要なイベント(結婚式など)では隣国のルーマニアからミュージシャンを招いてまかなっているという側面がある。バイオリニストの ロビー・ラカトシュ、ヤーノシュ・ビハリなどの奏者が知られている。


ロシア

ロシアの音楽においてもロマは重要な役割を果たしてきた。ロマがロシアに移住するようになったのは15〜16世紀頃といわれている。エカチェリーナ2世の時代に大きく発達し、彼らの楽団は町のレストランなどにも出演するようになった。19世紀にはより洗練されたものに進化し、モスクワやペテルブルクで持て囃されるアンサンブルも出現した。七弦ギターやフィドルの伴奏にのせて野太い声でソウルフルに歌うスタイルを特徴とする。ロシア革命までは大きく栄えたが1930年代になるとソヴィエト政府の方針によりロマの音楽は排斥されるようになった[2]。

Jean GoulescoやPyotr Leshchenkoなどの奏者が知られている。

スペイン

スペインのロマ音楽は、その人気が一般化したフラメンコ音楽によって広く世界的にしられている。フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方で生まれ、ロマの文化と関連づけられてとても良く知られている。スペインのロマはヒタノ(Gitanos)と呼ばれ、多くの有名なフラメンコ・アーティストを生み出してきた。しかし、実際にはフラメンコは純粋なロマの音楽というよりは、アンダルシア地方の土着音楽に由来するところが大きい。もっとも、その発展には多くのロマのアーティストたちが関わってきてはいる。

フランス

フランスのロマは、スペイン由来のグループ(ルンバ・ヒターナ rumba gitana) と、マヌーシュ、あるいはドイツ起源のグループに分けられる。前者にはジプシー・キングス、後者にはジャンゴ・ラインハルトが有名である。


クラシック音楽への影響

ロマの音楽はヨーロッパのクラシック音楽にも大きな影響を与えてきた。特にロマン派以降の作曲家にロマの音楽に触発された作品が多く見られる。代表的な作品として以下のようなものがある。

ハンガリー狂詩曲(フランツ・リスト)
ハンガリー舞曲(ヨハネス・ブラームス)
ツィゴイネルワイゼン(パブロ・デ・サラサーテ)
チャールダーシュ(ヴィットーリオ・モンティ)
ツィガーヌ(モーリス・ラヴェル)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E9%9F%B3%E6%A5%BD
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c9

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
10. 中川隆[-10883] koaQ7Jey 2019年4月06日 17:00:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1146]

ロマ(ジプシー)民族の Y-DNA「H」はインド起源

多民族国家 インドの Y-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm


インド 主要 Y-DNA「R1a」と「H」

  インドはY-DNA「G」〜「T」までの新興遺伝子全てが古代遺伝子の一つのY-DNA「F」から分化した、近代国家の故郷の亜大陸になります。 このためインド亜大陸はあらゆる新興遺伝子が分布しておりこのため何と2000以上の民族/部族/集団があると言われています。 その中でも公式に認定されている民族/部族だけでも700以上になると言うなんとも遺伝子の混沌な土地です。

  州ごとの人口データ(下左図)はありましたが、民族別の人口データは見つかりませんでした。 民族の多さもさることながら言語族と宗教に加えカーストまである3重構造になっているため、インド政府も統計には容易に出せないようです。 言語族分布図(下右図)がありましたのでご紹介します。

  さすがにY-DNA「G」以降の全ての新興遺伝子の親遺伝子の古代遺伝子Y-DNA「F」が分化した新興遺伝子の故郷インド亜大陸です、 混沌としているのは当然なのでしょう。 と言う訳でインドの民族毎の遺伝子調査はギブアップしますが、4大言語族のY-DNA頻度データが入手できましたのでご参考にアップします。 おまけに縄文人の代表のY-DNA「D2」の祖形のY-DNA「D*」と弥生人のY-DNA「O2b」の祖形の「O2a」の情報も追記します。

     カーストは部外者にはわかりにくいのですが遺伝子頻度調査で浮かび上がったのは予想通り、上流カーストは支配階級の「R1a」頻度が高く、 下層カーストは「H」頻度が高いことです。これが「H」がジプシー化した根本原因ではないかと推察出来ます。 本来なら少数民族として定着をするのでしょうが、「R1a」の支配の抑圧を嫌い定着を拒んだのかもしれません。 しかし基本的には入り混じっているので新興勢力「R1a」と先住勢力「H」の遺伝子間の交配はかなり進んでいるようです。

1. インド亜大陸で最も古い遺伝子は全新興遺伝子の親の古代遺伝子Y-DNA「F」です。古代遺伝子「C」と「F」は 出アフリカ後の中東地域でネアンデルタール人と交配しネアンデルタール人が数十万年かけて獲得したエピジェネティクス形質を 一気に手に入れたようです。 赤毛碧眼・金髪・彫深顔・色白肌・大柄等々は全てネアンデルタール人のオリジナル形質と思われます。

2 「F」の長男遺伝子のY-DNA「G」はコーカサス遺伝子と呼ばれるようにインド亜大陸には留まらずコーカサス一体に移動をしたようです。 コーカサスの高原・山脈地帯が好みだったようです。

3. 二男遺伝子の「H」はインドの重要な遺伝子として今も残っていますが、その後のインダス文明人やインド・アーリア人の興隆で インド亜大陸の主役ではなくなりました。一部は定住できずに放浪するジプシー民族となりました。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c10

[近代史3] 中国は何時崩壊するのか? 中川隆
9. 中川隆[-10882] koaQ7Jey 2019年4月06日 18:30:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1147]

バブル崩壊後の日本がマシに見える中国のこれから
政治体制はそのまま、悲惨なディストピア時代へ
2019.2.19(火) 川島 博之
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55494


 崩壊すると言われながら長い間崩壊しなかった中国経済がついに崩壊し始めた。一時は、「中国崩壊説の崩壊」などと揶揄されていたが、やはり不自然なことはどこかで限界に突き当たる。


 バブル崩壊後の中国について考えてみたい。それには日本のバブル崩壊がよい教材になる。

 中国の経済発展と日本の発展はよく似ている。(

1)官僚主導、
2)低賃金労働を武器にした輸出主導、
3)技術を盗んだと欧米から非難されたこと(中国は日本からも非難された)、
4)末期に不動産バブルや過剰融資、それに伴う金融不安が問題になったこと、
5)いずれ米国を抜いて世界最大の経済大国になると言われた

ことまで、そっくりである。


 そう考えれば、中国が今後どのような道を歩むかを考える上で、日本のバブル崩壊後の歴史が大いに参考になる。

ワンレンボディコンが踊り狂った日本のバブル

 中国経済成長は日本より25年から30年程度遅れている。中国の2019年は日本の1989年から94年に相当する。歴史に完全なコピーなどはないから、5年程度の誤差は仕方がない。

 現在の中国が日本の90年代前半と同じような段階にあると考えると、“爆買いから、こと消費”などと言われていることも合点がゆく。プラザ合意(85年)で円が強くなると、多くの日本人はヨーロッパに出かけて、ルイ・ヴィトンやグッチ、セリーヌなどブランド製品を買いあさった。しかし、90年代の中頃に入ると買い物には飽きて、秘境(たとえば電波少年と猿岩石、96年から)やヨーロッパの田舎を訪ねることがブームになった。

 日本のバブルを語る上で忘れてはならないのはディスコの「ジュリアナ東京」であろう。若者、特に女性がワンレンボディコンと呼ばれるバブルを象徴するファッションで「お立ち台」と呼ばれる舞台に登り、朝まで踊り狂った。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/112.html#c9

[昼休み54] 中国 _ 悪夢の監視社会 中川隆
22. 中川隆[-10881] koaQ7Jey 2019年4月06日 21:25:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1148]
【我那覇真子「おおきなわ」#63】川島博之氏に聞く超監視社会の行く末
〜中国共産党支配は終焉するか?[桜H31-4-5] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fkC-3pChis0
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c22
[近代史3] 中国は何時崩壊するのか? 中川隆
10. 中川隆[-10880] koaQ7Jey 2019年4月06日 22:00:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1149]
【我那覇真子「おおきなわ」#63】川島博之氏に聞く超監視社会の行く末
〜中国共産党支配は終焉するか?[桜H31-4-5] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fkC-3pChis0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/112.html#c10
[近代史3] 中国の お見合いは人身売買の事 中川隆
7. 中川隆[-10879] koaQ7Jey 2019年4月06日 22:39:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1150]

ミャンマーから中国に売られる「花嫁」、出産まで拘束 人権団体が報告
2019.04.06 Sat posted at 20:05 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35134986.html



(CNN) ミャンマー北東部にある国内避難民のキャンプ。そこで困窮していたセン・ムーンさんはある時、義理の姉妹から説得を受け、職探しのため国境を越えて中国に入った。

その車中、手渡された乗り物酔いの薬を飲んだところ気を失った。意識が戻ると、両手を背中で縛られた状態だった。義理の姉妹の姿は見えず、その場にいたのは中国人の家族だけだった。

数カ月後、戻ってきた義理の姉妹から、中国人の男性と結婚するよう告げられた。

セン・ムーンさんは別の家に移され、体を縛られて室内に監禁された。新しい「夫」は食事を持ってくるたびにムーンさんをレイプした。

こうした状況が2カ月続いた後、セン・ムーンさんは室外に引っ張り出され、虐待を行っていた男性に正式に紹介された。男性の父親から「夫」と家族を築くよう告げられたという。

その後も虐待とレイプは続き、セン・ムーンさんは妊娠。男児を出産した後、ミャンマー帰国の許可を求めた。

帰国しても良いが、赤ちゃんを連れて行くことはできない――。それが夫の答えだった。


セン・ムーンさんの経験は国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の報告書で紹介されている。報告書の題名は「子どもを産めば逃がしてやる」。ミャンマーのカチン州から中国に売られた例を数十件記している。

セン・ムーンさんは別の人身売買業者の助けにより子どもと一緒に逃れることに成功した。これはまれなケースで、大半の女性は中国に子どもを残したまま帰国せざるを得ないのが実情だ。

子作りのために買われ

HRWによると、カチン州の女性を求める男性が増加した背景には、中国における「一人っ子政策」と長年にわたる男女の産み分けがある。中国ではこれにより、多くの地域で女性が不足しているという。

一人っ子政策が部分的に撤廃された2016年、中国の男女比は女性1人に対して男性1.15人と、世界的に見ても大きくゆがんだ状態だった。

こうしたゆがみは特に農村部で目立つ。農村部では多くの若者が都市に働きに出ており、残った男性は相手探しに苦労している。

報告書によると、人身売買業者は中国人家族に女性を売り渡すことで3000〜1万3000ドル(約34万〜145万円)を稼ぐ。

大抵の場合、買い手は嫁ではなく子どもを産む女性を探しているだけだ。女性が妊娠するまで繰り返しレイプが行われるという。


報告書は「売られた女性や少女が出産すれば、その家から離れることができることもある。ただ、通常は子どもを後に残したままで、再び会える望みはほとんどない」と指摘している。

この問題は以前から続いてきた。一因にはミャンマー東部の多くの地域で紛争が続き、大勢の貧しい女性が住む場所を追われている現状がある。

HRWの女性の権利局長代理、ヘザー・バー氏は声明で「悪質な人身売買業者に売られたカチンの女性や少女が筆舌に尽くしがたい虐待を受けているにもかかわらず、ミャンマーと中国の当局は見て見ぬふりをしている」と訴えた。

こうした女性たちはミャンマーで職も将来の展望もなく、避難民キャンプで暮らしも貧しく、法的な保護も存在しない状況にいる。そして人身売買業者の格好のえじきとなっている。

「ミャンマーや中国の政府、カチン独立機構は人身売買の防止、被害者の回復と支援、人身売買業者の訴追にもっと力を尽くすべきだ」とバー氏は語る。寄付を行う人や国際団体に対して、政府が保護しない女性らを支援する地元団体をサポートするようにも訴えた。

身を売られ虐待

HRWは3年間をかけ、人身売買の被害を生き延びた女性37人から聞き取り調査を行った。見知らぬ人の説得で中国渡航を決めた例もあるが、多くはもうけ話に目がくらんだ親戚や友人の手で売られていた。

中国に着くと大抵、恐ろしい虐待を受け、場合によっては妊娠後も虐待が続いた。女性のひとりはHRWに対し、複数の男に紹介された後どの男がいいかと尋ねられ、誰も好きではないと答えると平手打ちされたと証言。それが数日続き拒否を続けていたら、業者からレイプされたと語っている。

男性の多くは手慣れた様子で、女性たちを使い捨てとみなしていた。

帰国に成功した女性の場合も、戻った先で支援の手段や施設はないに等しい。カウンセリングを受けることはできず、レイプに遭ったという理由でキャンプの住民から偏見の目にさらされる場合もある。

カチンにある女性団体の関係者はHRWに「大半の被害者はひどい状況に直面している。戻ってきた後の様子はわれわれとは全く異なる」「ただぼうっと宙を見つめていて、外出して顔を見せることすらない。(人身売買の被害を受けたことに)罪悪感を感じている様子だ」と証言した。

HRWはミャンマー政府やカチン当局に対して、人身売買業者からの女性の保護や業者摘発を強化するよう要請。キャンプ内で人身売買に遭うリスクを啓発したり、被害者救済に資金投入したりすることも求めた。

HRWの懸念表明に対し、ミャンマーと中国の当局から反応はなかった。CNNは中国外務省とミャンマー国境管理当局にコメントを求めている。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/107.html#c7

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
12. 中川隆[-10878] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:09:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1151]

【経済討論】日本経済、滅びの道をひた走り?![桜H31-4-6] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sobuc4VM2pI


◆経済討論−日本経済、滅びの道をひた走り?!

パネリスト:
 安藤裕(内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官・衆議院議員)
 石井孝明(ジャーナリスト)
 高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 藤井聡(京都大学大学院教授)
 松田学(松田政策研究所代表・元衆議院議員)
 三橋貴明(経世論研究所所長)
 渡邉哲也(経済評論家)
司会:水島総
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c12

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
35. 中川隆[-10877] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:21:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1152]
実験は続きます・・・「桜満開のGRF邸訪問記」 GRFのある部屋 2019年 04月 06日
https://tannoy.exblog.jp/30525179/


月曜日の晩にMFさんに来ていただき、システムのリカバリーの方法を教わりました。また、HQ Player のフィルタの設定も試してみて、使いこなしを徐々に理解してきました。システムの構成が解ってくれば、どの順番に立ち上げれば良いのかが分かってきますが、このあたりが、今少しシンプルにならないと、どなたにもつかえるとはいいにくいですね。でも、リカバリーの対応は電源の立ち上がりの順番だけだとも言えるので、タイマーと両切りスイッチをうまく使えば、スイッチ一つで自動的に立ち上がると思いますが、いかがでしょうか?

二つの別々な実験を同時に行ってしまったので、当初の大きな部屋での実験が第一段階のままでなかなか進みません。あれもこれもという欲張りな所為でしょう。現段階は、既存のアンプに並列に繋いでいるだけなので、大音量時のアンプの負荷やインピーダンスの整合を考えると、パワーアンプをもうワンセット足して実験するのが、第二段階です。同じパワーアンプを使っている和室から持ち込み、アッティネッターを使って音量の調整すれば良いので、簡単にできるのですが、実験中は和室側が聴けなくなるので、同時進行してしまったジレンマに自ら陥っています(汗)。


後方のT-40だけをSD05で鳴らす手もありますが、やはり音質と音色が変わってしまい、その場合は、二台ともSD05にするべきでしょう。すると今の音からはやはり離れます。マルチアンプの功罪も考えなくてはなりません。今使っている是枝さん特製の6336Bアンプは、真空管のインピーダンスが800Ωと低いので、トランスをずらして使っています。その分低くなる方へは、余裕があるそうです。やはり同じアンプで実験しないと解らないですね。


最近は、忙しくなかなか実験の時間がとれません。ますます増してきた老人力のおかげで、夜には集中力が無くなります。ときどき、真夜中に起きて、聞いたりするのですが、やはり音量には限界もあります。今週は、夜から明け方に掛けてはとても寒いので、体調にも気をつけないとなりませんし・・・

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そんな中、今の音を聞きたいと、チューバホーンさんがshanshanさんと見えました。当日は仕事の打ち合わせが多い日で、私の気持ちが仕事モードから切り替わらず、オーディオの方に切り替わりませんでした。そこで、変化の大きい和室の方をメインに聴いていただきました。

MFシステムが導入された和室の方は、私がつくり貯めている4trテープから変換したDSDファイルなので、元の音の凄さを味わってもらえます。最低域の深さや厚みは、レコード、CDからは味わえないテープ独自の世界です。その音を聞いていただき、レコードやCD、dccから作成したファイルにも驚いていただきました。誰が聴いても違いがわかりますね。違いがわかりやすい和室の方で一時間半の1時間を使ってしまいました。


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一方、時間が押した大きな方の部屋では、気持ちの切り替えも難しいし、落ち着いて音楽を聴く雰囲気ではないので、チューバホーンさんをご満足させられなかったようです。やはりこちらの準備が整ってからお聴かせするべきでしたね。


オーディオは、そこに至るアプローチと、お招きする人の気持ちの向きようで、評価が変わります。また、同じ音を聴いても、全く違う評価が来るのもオーディオです。究極、自分の好きな音がするかどうかで評価が分かれますから、想像外の違いが明らかに聴ける、和室の音の差はサプライズでしょうが、コンサートホール、それもムジークフェラインでのアンビエンスを出そうという試みは、彼の音作りとは違う方向性だと私も感じました。


shanshanさんの「これはもうオーディオの世界ではない」というつぶやきが私には嬉しかったです。

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二週間前、東京の桜開花宣言の時に、GRFさんからUnicornのある部屋で実験のお話しを頂きました。その際は、実験の内容は詳しくは教えていただけなかったのですが、どうやら新しいPCオーディオを始められたということがわかりました。


そして、花冷えの続いた東京もようやく桜が満開となり、同時にGRFさんの実験も成功したようなので、桜満開の実験室である、Unicornのある和室におじゃましてきました。


PCオーディオ音痴の私には、たくさん並んだ箱の正体も意味もわからないので、詳細な説明は控えさせていただきますが、とりあえず操作はiPadで行えるという事はわかりました(笑)。


私が使用しているDACも、USB入力があり、DSD音源の再生が出来るのですが、音源の確保を含めてずっと足踏み状態なので、DSD音源のネイティブ再生に興味津々で、説明はそこそこにまずはその音から聴かせて頂きました。


カラヤンの1964年盤のベートーヴェンの第9の第4楽章の冒頭部とわかったのですが、地を這うような分厚いコントラバスの響きが、シングルコーンのユニコーンから聞こえるという驚きに、思わず「これオープンリールそのものじゃないですか!とGRFさんに話しかけてしまいました。

続けてかかった、越路吹雪のサントワマミーはとても良い音で、ユニコーンの部屋では、レコードを聴いたことが無かったので、はじめは音源が解らない程でしたが、よく聞くとレコードそのものの質感でした。


GRFさんが10年前にプロデュースして、杉並公会堂でDSDの5.6Mで録音されたJazzのリアルな質感に、テープ、レコード、DSDのメディアの特徴を、忠実に再現出来る領域にデジタルオーディオが進化していることを知りました。そして、この領域に至るには、極限までデジタルノイズをカットしなければならず、それには、このような装置が必要になるのだと理解に至りました。

前半はGRFさんの貴重な音源をDSDファイル化したものを聴かせていただいたのですが、後半は通常のCDをリッピングした曲を中心に聴かせていただきました。


こちらも、鮮度の高いCDサウンドが再現されていて、ディスク再生派の身としては、身の危険を感じました(笑)。その気持ちを見透かされたかどうかは、GRFさんに確認してみないとわからないのですが、チョン・ミョン・フンRCOの演奏のロメオとジュリエットのPCM音源で、聴き比べをさせてもらいました。


1.MF-PC+MeitnerDAC、dcc音源

2.MS-1+MeitnerDAC、CD音源

3.CD34改 CD音源


1.のMF-PCは音源がテープらしさというのか、土台がしっかりした音でしたので、この音が好印象でしたが、2. MS-1はトランスポートがEMMだったらと思ってしまいました。しかし、PCオーディオの音は、ディスク再生派としては、驚異的な結果でした。


3.のCD34改は、オーディオ的なSN比や解像力と行った違いよりも、音の表情や音色がまったく異なりました。しいて言えば凝集感のある密度の濃い音に感じました。この鳴り方を得意とする音源も有りそうなので、場合によっては、3.のCD34改が活躍できるチャンスもあるのではと思いました。

GRFさん、今回も貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。PCオーディオ、いつかトライしてみたいという気持ちが再燃して来ましたが、それ以上に、あの素晴らしい音源が記録されたSDカードが気になります(笑)。


                                        

チューバホーン

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チューバホーンさんからご感想が届きました。さすがに良く聞き分けられておられます。和室のユニコーンからあのような分厚い低音が出ることを聴いていただいただけでも、良かったかと思いました。

次回は、お時間を取り、じっくりお聞きいただきたいですね。shanshanさんもぜひ、また聴きに来て下さい。

https://tannoy.exblog.jp/30525179/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c35

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
32. 中川隆[-10876] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:27:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1153]
2019.04.07
日産前会長のゴーンもゴーンを逮捕した検察も強欲さという点で大差はない


 東京地検特捜部は2019年4月4日に日産自動車の前会長、カルロス・ゴーンを特別背任の疑いで再逮捕した。ゴーンは2018年11月に逮捕され、長期拘留を経て19年3月6日に保釈されていた。

 4月2日にツイッターのアカウントを開設、「何が起きているのか真実をお話しする準備をしています。4月11日木曜日に記者会見をします」と発表していたことから、口封じのために再逮捕したと見る人もいる。

 しかし、テレビが使っている元検事の弁護士、いわゆるヤメ検は「再逮捕は無罪にしないという検察の強い意志の表れ」だとか、「そもそも、余罪の捜査中に保釈したのがおかしいですよ。今回の逮捕が異例なのではなく、保釈の方が異例だった」と検察側を代弁するようなことを口にしたようだ。

 ゴーンの事件にはふたつの問題が含まれている。ひとつはアメリカ主導で進められた新自由主義によって社会の富が1%に見たいない人びとへ集中し、大多数の庶民が貧困化している現実。ゴーンはそのシステムを象徴する人物のひとりだ。

 もうひとつは新自由主義の仕組みの中におけるゴーンへの攻撃が不自然だということ。ゴーンの強欲さを批判するなら、新自由主義の強欲さも批判しなければならず、それは疑惑が目白押しの安倍晋三政権の批判にもつながる。安倍政権と検察が敵対関係にあるとは到底思えない。

 新自由主義はフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「理論」に基づいている。ハイエクは株式相場が暴落した後の1930年代に私的な投資を推進するべきだと主張、政府の役割を重視したジョン・メイナード・ケインズと対立していた。

 ケインズの主張を採用したのがフランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派。一方、ハイエクに学んだ学生の中にはデイビッド・ロックフェラーが含まれている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街はニューディール派の政策を嫌い、ルーズベルトが大統領に就任した直後の1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画、その準備をしていた。

 新自由主義が実際の政策として採用されたのはチリ。1973年9月11日にCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトの軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権は倒され、アジェンデ大統領はその際に死亡した。

 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人が虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。こうした弾圧によって新自由主義が導入される下地が作られたのである。そうした政策を実行したのはフリードマンの弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。

 ピノチェト政権は大企業/富裕層を優遇する政策を実施、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱体化、低賃金で輸出型の小さな国を目指した。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。

 1979年から82年にかけてチリ政府は輸入を奨励、チリの通貨ペソが過大に評価されたことで贅沢品の消費ブームが起こるが、その一方で国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻。1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落した。

 一連の規制緩和でチリの銀行は外国の金融機関から多額の資金を調達、1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると倒産を防ぐために外国の金融機関は銀行の「国有化」を要求、彼らの債券は私有化された国有企業の株券と交換され、チリの年金、電話会社、石油企業など重要な企業を格安なコストでアメリカなど国外の巨大資本の手に入れてしまった。チリは欧米の巨大資本に乗っ取られたということだ。これを「チリの奇跡」と呼ぶ日本人もいた。

 日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘政権。1982年のことだ。この政権には田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴が内閣官房長官や総務庁長官として入っていたので自由にはできなかったようだが、それでも国鉄や電電公社の私有化などは進められた。

 日本という社会が本格的に「ぶっ壊された」のは小泉純一郎政権からだろう。その後継者のひとりが安倍晋三にほかならない。新自由主義者という点で、安倍晋三も、検察も、日産の日本人重役も、ゴーンも違いはない。皆強欲だ。

 日本の大企業は優位な立場を利用して中小企業から富を奪ってきた。それが下請けシステム。大企業の重役は会社を自分の財布のように使っていたことも秘密ではない。彼らが会社から離れたがらない理由はそこにあった。官僚も大企業に寄生している。検察や警察の裏金も指摘されているが、取り締まる仕組みは存在しない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904060000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c32

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
29. 中川隆[-10875] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1154]
2019.04.07
日産前会長のゴーンもゴーンを逮捕した検察も強欲さという点で大差はない


 東京地検特捜部は2019年4月4日に日産自動車の前会長、カルロス・ゴーンを特別背任の疑いで再逮捕した。ゴーンは2018年11月に逮捕され、長期拘留を経て19年3月6日に保釈されていた。

 4月2日にツイッターのアカウントを開設、「何が起きているのか真実をお話しする準備をしています。4月11日木曜日に記者会見をします」と発表していたことから、口封じのために再逮捕したと見る人もいる。

 しかし、テレビが使っている元検事の弁護士、いわゆるヤメ検は「再逮捕は無罪にしないという検察の強い意志の表れ」だとか、「そもそも、余罪の捜査中に保釈したのがおかしいですよ。今回の逮捕が異例なのではなく、保釈の方が異例だった」と検察側を代弁するようなことを口にしたようだ。

 ゴーンの事件にはふたつの問題が含まれている。ひとつはアメリカ主導で進められた新自由主義によって社会の富が1%に見たいない人びとへ集中し、大多数の庶民が貧困化している現実。ゴーンはそのシステムを象徴する人物のひとりだ。

 もうひとつは新自由主義の仕組みの中におけるゴーンへの攻撃が不自然だということ。ゴーンの強欲さを批判するなら、新自由主義の強欲さも批判しなければならず、それは疑惑が目白押しの安倍晋三政権の批判にもつながる。安倍政権と検察が敵対関係にあるとは到底思えない。

 新自由主義はフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「理論」に基づいている。ハイエクは株式相場が暴落した後の1930年代に私的な投資を推進するべきだと主張、政府の役割を重視したジョン・メイナード・ケインズと対立していた。

 ケインズの主張を採用したのがフランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派。一方、ハイエクに学んだ学生の中にはデイビッド・ロックフェラーが含まれている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街はニューディール派の政策を嫌い、ルーズベルトが大統領に就任した直後の1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画、その準備をしていた。

 新自由主義が実際の政策として採用されたのはチリ。1973年9月11日にCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトの軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権は倒され、アジェンデ大統領はその際に死亡した。

 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人が虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。こうした弾圧によって新自由主義が導入される下地が作られたのである。そうした政策を実行したのはフリードマンの弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。

 ピノチェト政権は大企業/富裕層を優遇する政策を実施、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱体化、低賃金で輸出型の小さな国を目指した。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。

 1979年から82年にかけてチリ政府は輸入を奨励、チリの通貨ペソが過大に評価されたことで贅沢品の消費ブームが起こるが、その一方で国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻。1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落した。

 一連の規制緩和でチリの銀行は外国の金融機関から多額の資金を調達、1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると倒産を防ぐために外国の金融機関は銀行の「国有化」を要求、彼らの債券は私有化された国有企業の株券と交換され、チリの年金、電話会社、石油企業など重要な企業を格安なコストでアメリカなど国外の巨大資本の手に入れてしまった。チリは欧米の巨大資本に乗っ取られたということだ。これを「チリの奇跡」と呼ぶ日本人もいた。

 日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘政権。1982年のことだ。この政権には田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴が内閣官房長官や総務庁長官として入っていたので自由にはできなかったようだが、それでも国鉄や電電公社の私有化などは進められた。

 日本という社会が本格的に「ぶっ壊された」のは小泉純一郎政権からだろう。その後継者のひとりが安倍晋三にほかならない。新自由主義者という点で、安倍晋三も、検察も、日産の日本人重役も、ゴーンも違いはない。皆強欲だ。

 日本の大企業は優位な立場を利用して中小企業から富を奪ってきた。それが下請けシステム。大企業の重役は会社を自分の財布のように使っていたことも秘密ではない。彼らが会社から離れたがらない理由はそこにあった。官僚も大企業に寄生している。検察や警察の裏金も指摘されているが、取り締まる仕組みは存在しない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904060000/
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c29

[近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
17. 中川隆[-10874] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:29:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1155]
2019.04.07
日産前会長のゴーンもゴーンを逮捕した検察も強欲さという点で大差はない


 東京地検特捜部は2019年4月4日に日産自動車の前会長、カルロス・ゴーンを特別背任の疑いで再逮捕した。ゴーンは2018年11月に逮捕され、長期拘留を経て19年3月6日に保釈されていた。

 4月2日にツイッターのアカウントを開設、「何が起きているのか真実をお話しする準備をしています。4月11日木曜日に記者会見をします」と発表していたことから、口封じのために再逮捕したと見る人もいる。

 しかし、テレビが使っている元検事の弁護士、いわゆるヤメ検は「再逮捕は無罪にしないという検察の強い意志の表れ」だとか、「そもそも、余罪の捜査中に保釈したのがおかしいですよ。今回の逮捕が異例なのではなく、保釈の方が異例だった」と検察側を代弁するようなことを口にしたようだ。

 ゴーンの事件にはふたつの問題が含まれている。ひとつはアメリカ主導で進められた新自由主義によって社会の富が1%に見たいない人びとへ集中し、大多数の庶民が貧困化している現実。ゴーンはそのシステムを象徴する人物のひとりだ。

 もうひとつは新自由主義の仕組みの中におけるゴーンへの攻撃が不自然だということ。ゴーンの強欲さを批判するなら、新自由主義の強欲さも批判しなければならず、それは疑惑が目白押しの安倍晋三政権の批判にもつながる。安倍政権と検察が敵対関係にあるとは到底思えない。

 新自由主義はフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「理論」に基づいている。ハイエクは株式相場が暴落した後の1930年代に私的な投資を推進するべきだと主張、政府の役割を重視したジョン・メイナード・ケインズと対立していた。

 ケインズの主張を採用したのがフランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派。一方、ハイエクに学んだ学生の中にはデイビッド・ロックフェラーが含まれている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街はニューディール派の政策を嫌い、ルーズベルトが大統領に就任した直後の1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画、その準備をしていた。

 新自由主義が実際の政策として採用されたのはチリ。1973年9月11日にCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトの軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権は倒され、アジェンデ大統領はその際に死亡した。

 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人が虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。こうした弾圧によって新自由主義が導入される下地が作られたのである。そうした政策を実行したのはフリードマンの弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。

 ピノチェト政権は大企業/富裕層を優遇する政策を実施、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱体化、低賃金で輸出型の小さな国を目指した。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。

 1979年から82年にかけてチリ政府は輸入を奨励、チリの通貨ペソが過大に評価されたことで贅沢品の消費ブームが起こるが、その一方で国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻。1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落した。

 一連の規制緩和でチリの銀行は外国の金融機関から多額の資金を調達、1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると倒産を防ぐために外国の金融機関は銀行の「国有化」を要求、彼らの債券は私有化された国有企業の株券と交換され、チリの年金、電話会社、石油企業など重要な企業を格安なコストでアメリカなど国外の巨大資本の手に入れてしまった。チリは欧米の巨大資本に乗っ取られたということだ。これを「チリの奇跡」と呼ぶ日本人もいた。

 日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘政権。1982年のことだ。この政権には田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴が内閣官房長官や総務庁長官として入っていたので自由にはできなかったようだが、それでも国鉄や電電公社の私有化などは進められた。

 日本という社会が本格的に「ぶっ壊された」のは小泉純一郎政権からだろう。その後継者のひとりが安倍晋三にほかならない。新自由主義者という点で、安倍晋三も、検察も、日産の日本人重役も、ゴーンも違いはない。皆強欲だ。

 日本の大企業は優位な立場を利用して中小企業から富を奪ってきた。それが下請けシステム。大企業の重役は会社を自分の財布のように使っていたことも秘密ではない。彼らが会社から離れたがらない理由はそこにあった。官僚も大企業に寄生している。検察や警察の裏金も指摘されているが、取り締まる仕組みは存在しない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904060000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c17

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
166. 中川隆[-10873] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:29:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1156]
2019.04.07
日産前会長のゴーンもゴーンを逮捕した検察も強欲さという点で大差はない


 東京地検特捜部は2019年4月4日に日産自動車の前会長、カルロス・ゴーンを特別背任の疑いで再逮捕した。ゴーンは2018年11月に逮捕され、長期拘留を経て19年3月6日に保釈されていた。

 4月2日にツイッターのアカウントを開設、「何が起きているのか真実をお話しする準備をしています。4月11日木曜日に記者会見をします」と発表していたことから、口封じのために再逮捕したと見る人もいる。

 しかし、テレビが使っている元検事の弁護士、いわゆるヤメ検は「再逮捕は無罪にしないという検察の強い意志の表れ」だとか、「そもそも、余罪の捜査中に保釈したのがおかしいですよ。今回の逮捕が異例なのではなく、保釈の方が異例だった」と検察側を代弁するようなことを口にしたようだ。

 ゴーンの事件にはふたつの問題が含まれている。ひとつはアメリカ主導で進められた新自由主義によって社会の富が1%に見たいない人びとへ集中し、大多数の庶民が貧困化している現実。ゴーンはそのシステムを象徴する人物のひとりだ。

 もうひとつは新自由主義の仕組みの中におけるゴーンへの攻撃が不自然だということ。ゴーンの強欲さを批判するなら、新自由主義の強欲さも批判しなければならず、それは疑惑が目白押しの安倍晋三政権の批判にもつながる。安倍政権と検察が敵対関係にあるとは到底思えない。

 新自由主義はフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「理論」に基づいている。ハイエクは株式相場が暴落した後の1930年代に私的な投資を推進するべきだと主張、政府の役割を重視したジョン・メイナード・ケインズと対立していた。

 ケインズの主張を採用したのがフランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派。一方、ハイエクに学んだ学生の中にはデイビッド・ロックフェラーが含まれている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街はニューディール派の政策を嫌い、ルーズベルトが大統領に就任した直後の1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画、その準備をしていた。

 新自由主義が実際の政策として採用されたのはチリ。1973年9月11日にCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトの軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権は倒され、アジェンデ大統領はその際に死亡した。

 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人が虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。こうした弾圧によって新自由主義が導入される下地が作られたのである。そうした政策を実行したのはフリードマンの弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。

 ピノチェト政権は大企業/富裕層を優遇する政策を実施、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱体化、低賃金で輸出型の小さな国を目指した。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。

 1979年から82年にかけてチリ政府は輸入を奨励、チリの通貨ペソが過大に評価されたことで贅沢品の消費ブームが起こるが、その一方で国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻。1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落した。

 一連の規制緩和でチリの銀行は外国の金融機関から多額の資金を調達、1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると倒産を防ぐために外国の金融機関は銀行の「国有化」を要求、彼らの債券は私有化された国有企業の株券と交換され、チリの年金、電話会社、石油企業など重要な企業を格安なコストでアメリカなど国外の巨大資本の手に入れてしまった。チリは欧米の巨大資本に乗っ取られたということだ。これを「チリの奇跡」と呼ぶ日本人もいた。

 日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘政権。1982年のことだ。この政権には田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴が内閣官房長官や総務庁長官として入っていたので自由にはできなかったようだが、それでも国鉄や電電公社の私有化などは進められた。

 日本という社会が本格的に「ぶっ壊された」のは小泉純一郎政権からだろう。その後継者のひとりが安倍晋三にほかならない。新自由主義者という点で、安倍晋三も、検察も、日産の日本人重役も、ゴーンも違いはない。皆強欲だ。

 日本の大企業は優位な立場を利用して中小企業から富を奪ってきた。それが下請けシステム。大企業の重役は会社を自分の財布のように使っていたことも秘密ではない。彼らが会社から離れたがらない理由はそこにあった。官僚も大企業に寄生している。検察や警察の裏金も指摘されているが、取り締まる仕組みは存在しない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904060000/
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c166

[近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
18. 中川隆[-10872] koaQ7Jey 2019年4月07日 00:30:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1157]
ゴーン問題を巡る『会社は誰のもの』という視点 19/04/06 PM01

ゴーン問題は、

@対立する金貸し勢力同士の戦い、

A『会社は株主のもの』というグローバリズムの母体となっている欧米の観念と『会社は社員みんなのもの』のという日本人特有の潜在思念との対立、

の二つの方向から見ていくことが必要だと思う。

まず@の、対立する金貸し勢力同士の戦いと言う視点とは、フランスのマクロンの背後にいるヨーロッパの金貸し勢力と、東京地検特捜部の背後にいる、ワシントンの軍産複合体勢力の戦いのこと。ヨーロッパの金貸し勢力は、優秀な日本企業で軍事産業の基盤(341280 341078)をも担っている日産・三菱自動車を、自らの手中にしたいがために、ゴーンを代理人にして工作を行ってきた。

しかし、ゴーンによる日産からの私的収奪に対する、軍産複合体の支援をうけて東京地検特捜部が行った逮捕勾留を日本人の多くが支持していること。フランス国民の多くがゴーン逮捕を支持していること。現にゴーンの不正についてフランス当局も捜査立件に動いている事実からしても、ヨーロッパの金貸し勢力は、ゴーンは使い物にならないと判断し切り捨てた。

その上で、フランス政府+ルノーは、ゴーン抜きで日産と三菱自動車とを経営統合し、手中に収めようと画策しているが、軍産複合体はそれを阻止しようとしている。つまり本質は、ヨーロッパの金貸し勢力VS軍産複合体の戦いの軍配はどちらに上がるかという問題であり、ゴーン問題はすでにどうでも良いものになっている。

他方Aの、軍産複合体→東京地検特捜部→日産西川ラインのゴーンとの戦いについては、日産社員(リストラにあったものも含む)や日本人の多くが支持している。そして、ゴーンが自らの潔白をマスコミを通じて発表するたびにゴーンへの不信は高まっている。それでも彼を支持する日本人は、近代思想に導かれた法律を操る弁護士くらいだ。

その理由は、日本人の深いところにある『会社は社員みんなのもの』という潜在思念にあり、すでにそれらが近代思想に導かれた法律が定義する『会社は株主のもの』という観念をも超えていると見ることが出来る。

例えばゴーンの弁明を要約すると『自分は株主のために働き、株主に利益をもたらすため行動しており、なんの罪もない。』というもの。たしかに彼は株主の利益を上げている。しかし、その手法は、勤勉な日本人社員を多くリストラし、勤勉な下請けに対して大幅なコストカットを行い、その結果生まれた余剰金を、悪党同士の株主と自分で山分けしただけである。

これが、『会社は株主のもの』という欧米の価値観からくる優秀な経営者である。それを裏付けるように、欧米の経営トップは株主総会の発表の際に『あなた方の会社は(your company)・・・』という。

ところが、日本人の潜在思念からするとゴーンの行為は『それはただの搾取だ』ということにしかならない。例えば、日本の社員は『我社』『私達の会社』といい、よい経営者とは、社員を家族ように思い、みんなの力を結集していくリーダーである。

そうだから、日本では何百年も続く会社が世界一多い。反対に、西洋の企業は株主の利益を上げるだけの道具でしかなく、儲からなくなればすぐ潰して乗り換えるので、何百年も続く会社はほとんどない(211759)。

このような、日本人の潜在思念の表出が、東京地検特捜部のゴーン捜査への後押しの一つになっており、これ自体は、バブル崩壊以降、金貸しに都合の良い法律で運営してこざるをえなかった日本の会社が、今後どこに軸足を置くかという大きな可能性を表していると思う。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=344766

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c18

[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
92. 2019年4月07日 01:42:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1158]
情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c92
[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
1. 中川隆[-10871] koaQ7Jey 2019年4月07日 01:50:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1159]


世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている


日本すごい! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84%21&sp=mAEB

Cool Japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Cool+Japan+&sp=mAEB


▲△▽▼


2019.02.09
【トンデモ】世界に比類なき日本文化【和菓子、絵文字、かわいい、etc etc】
https://rondan.net/13727


Contents

1 日本文明スゴイ、日本文化スゴイ
2 記紀は全て事実
3 日本文明は1万2000年前からある
4 emoji
5 かわいいとコスプレ
6 和菓子文化
7 偏見の塊


日本文明スゴイ、日本文化スゴイ

保守論壇の重鎮・加瀬英明氏は「日本スゴイ!」と言ってくれる外国人タレントを発掘する天才として知られます。かのケント・ギルバート氏を育て上げた人物でもあります。つまり、外国人の日本を褒めさせるという市場を開拓した一人と評価できるでしょう。

そんな加瀬氏は、これまで多くの外国の方々との対談・共著本を出していますが、そのいずれも「日本スゴイ!」で埋め尽くされています。

しかし対談相手となっている外国人の「日本スゴイ!」が余りに熱烈かつワンパターンなので、「ほんとにそんなこと言っているのか?」「何か忖度して語っているのか?」と疑いたくなってくるレベルです。

今回は、そんな不思議な加瀬氏と、ヘンリー・H・ストークス氏との共著(実質的には加瀬氏の単著?)である『英国人記者が見た 世界に比類なき日本文明』(祥伝社, 2015)を紹介していきたいと思います。

記紀は全て事実

日本が大好きなH・S・ストークス氏は、『古事記』『日本書紀』(記紀)の記述が全部事実だと考えています。何故か加瀬氏が連れてくる外国人タレントは、必ずと言っていいほど記紀を熱烈に称賛するのですが、H・S・ストークス氏の熱意は特にスゴイものがあります。


私は『古事記』を呼んで、最新の近代科学との近さに、驚いた。今日、物理学者のあいだで定説となっている、「ビック・バン学説」とまったく変わらないことに気づかされた。
p. 52

「最新の現代科学」ではなくて「最新の近代科学」となっているところがミソですね。どういう科学なんでしょうか。

しかし『古事記』の天地開闢のどこをどう読めば「ビック・バン学説」に接近するのか知りたいところです。

まぁH・S・ストークス氏は、母国イギリスのアーサー王伝説は信じないのに、記紀神話の歴史性を確信して神武天皇の実在を信じてしまう変わった方なので、天地開闢くらい信じても不思議ではないか…。

日本文明は1万2000年前からある

そして度が過ぎた尚古主義がちらほら。古代四大文明よりも古くから日本文明があったと主張。


まな板を台形にしたような形の「石皿」は、木の実をすりつぶす時に使われたと思われる。推定年代は、約一万二〇〇〇年前だという。これは聖書の世界である六〇〇〇年前の倍も古い。だが問題は、物的証拠があることだ。

そのような時代に、極東の島国に文明が開化していたと、信じる者はまずいない。世界史で古代四大文明として知られる、エジプト文明(紀元前三〇〇〇年ごろ)やメソポタミア文明(紀元前三五〇〇年ごろ)、インダス文明(紀元前二三〇〇年ごろ)や、黄河文明(紀元前五〇〇〇年ごろ)と比較しても、日本には、より古い文明があったことになる。
pp. 60-61


たかだか「石皿」くらいで、文明扱いかよ!(笑)

と思って調べたところ、アフリカで約28万年前の「石皿」が見つかっているそうです。よって日本文明はたかだか1万2000年、アフリカ文明は28万年となるので日本の圧倒的敗北。(更科功『絶滅の人類史』NHK出版, 2018, 185頁)

emoji

この他にも日本発祥のものがどんどん絶賛。

コスプレ、アニメ、テレビ・ゲームを称賛しつつ、特に絵文字(emoji)について御注進。


emojiが全世界を席捲するようになっているが、アメリカのホワイトハウスのソーシャル・メディアによっても、使われるようになっている。
p. 111


世界に認めれたメイド・イン・ジャパン!

調べましたところ、確かに絵文字(emoji)が積極的に取り入れられたのは、日本の携帯会社の企業努力の賜物だそうです。

しかしこれを日本文化論と結びつけるのは余りに安直というもの。中国の甲骨文字といった象形文字や、マヤ文明のマヤ文字なども絵文字の一種ですから、これは人類普遍のものでしょう。

しかし本書によれば、日本の精神がemojiを生み出したとされます。


海外でも日本語のままemojiと呼ばれており、いまや世界語の仲間入りを遂げているが、きっと俳句のように省略する精神が、生んだものなのだろう。
p. 112


いやいや…俳句とemojiを結び付けるって流石にこじつけでしょ…。ここまで無理して日本文化を褒めだすと、逆に情けなくなります。

きっと、こういう安直な考えの人にとっては「碁」ですらも日本文化になってしまうのでしょうね…。中国では碁(go)とは表記しませんので。

かわいいとコスプレ

また日本文化を称賛しつつも、保守論壇の宿命か、女性差別的要素が頻出します。「かわいい」と「コスプレ」について次のように力説。


西洋では女性はハイティーンになったことから、一人の自立した女――ウーマンwomanになることが求められる。

ところが、日本では女性が成人して中年、高齢となっても、「かわいい」ことが期待される。

日本の女性は歳をとっても、女性的でかわいいところがあって、緊張を和らげてくれるのだ。このようなところも、和の社会をつくるのに役立っている。日本ではこの二〇年ほどのところ、“コスプレ文化”が生まれたのは、日本社会が西欧化してしまって、刺々しくなったことに対する反発だと思う。
pp. 112-113


トンデモ理論であることは言わずもがな、なんなんでしょこの女性蔑視…。


「日本女性は自立した女性になることを求められていない」とでも言いたいのでしょうか。きっと言いたいんでしょうね。加瀬氏の著作にはアナログ的な「男らしさ」「女らしさ」論が頻出します。

もっとも男は褌(ふんどし)を履けば「男らしく」、女は箒(ほうき)で軒先を履けば「女らしく」なるという安直な理論なのですが。

和菓子文化

和菓子文化賞讃に至っては、トンデモ言説が頻出。


世界のなかで、もっとも精緻で美しい菓子といえば、日本の和菓子と、ヨーロッパの洋菓子しかない。
中華料理はフランス料理と並ぶ、世界の二大料理だといわれるが、菓子となると月餅ぐらいしかない。

韓国には米などの粉の生地を油で揚げた、ハングァがあって、高麗朝に生まれたというが、土産に買って帰りたいとは思わない。
東南アジア諸国や、インド、中東にも、感心するような菓子がない。
p. 150

単に嗜好の問題か、それとも日本とヨーロッパのお菓子しか知らないだけだろ(笑)

こんな文章読んで喜ぶ日本人というのは、そんなに名誉白人認定されたいのでしょうか?

しかも日本とヨーロッパで菓子文化が発達した理由がスゴイ。


日本とヨーロッパで、突出した菓子文化が発達したのは、女性が自由だったからだ。
中国では、良家の女性は幼い時から、纏足が施されていたから、自由に行動できなかった。

韓国では、上流社会の両班の妻や娘たちは、墓参り以外には、外出することができなかった。中東では、今日でも女性は、家族の男性にともなわれなければ、家から外へ出られない。
日本とヨーロッパでは、女性が自由に行動することができたから、女どうしの付き合いがあったため、菓子文化が発達した。
pp. 150-151


「日本において女性が自由だった」という虚言は、保守論壇の常套句。しかしその本音は次のようなもの。


ジャーナリズムが、女性の不満を煽り立てて、女性は外へ出るべきだ、という夢物語を、飽きることなく繰り返しているのは、腹立たしいかぎりである。
p. 155


結局、保守論壇が言う所の「女性の自由」というは、所詮この程度でしかないわけです。

偏見の塊

最後の偏見の塊の一文を紹介します。


女だけによって育てられた男は、男らしく育つはずがない。
母親によって独占されて育った男の子は、依頼心の強い人間となる。……不甲斐ない人間に、なるだけのことだ。

p. 160


はぁ…。

片親の家庭の子は、不甲斐ない人間になるとでも言いたいのでしょうか?

この様な偏狭な言説が保守論壇を覆い尽くしている以上、良識ある国民がそれを支持することは決して無いでしょう。

https://rondan.net/13727
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c1

[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
2. 中川隆[-10870] koaQ7Jey 2019年4月07日 01:54:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1160]

恐怖の輸入オレンジ  


マーマレードは毒薬

菱田の妻はお茶を用意する。


「家内はジャム造りが得意でね。これは全部家内の特製ジャムです」

「こんなに何種類も。イチゴ、リンゴ、マーマレード、ブラック・ベリー」

「主人はマーマレードが大好きなのよ」

「このオレンジの香りがたまらない」


このマーマレードはどんな材料を使ったのか、と聞く山岡。

「オレンジよ」

「アメリカから輸入したオレンジですね。

あなたたちは猫ちゃんには随分気を使っているようですが、人間には全然使っていないようですね」

「え」

「このマーマレードは毒薬同然ですよ。こんなものをお客に出しやがって」


あまりの暴言にむっとする菱田夫妻。

「言葉が過ぎました。

でも俺は日本人があまりに輸入食品の安全性に無関心なのでイライラしているんです」

「安全性?」

「アメリカから輸入した柑橘類は全て防カビ剤OPPや殺虫剤TBZにまみれています。

OPPは強力な発ガン性を持っているんです」


「OPPは皮だけでなく果肉にもしみ込んでいるから、アメリカから輸入している柑橘類は絶対に食べてはいけない。

ましてやOPPや殺虫剤のたっぷりついている皮を食べるなんてとんでもない」

「マーマレードはまさにその皮を食べているんじゃないか」

「実は最近までOPPだけでなくEDBという強力な発がん性を持つ殺虫剤をアメリカは日本向けの柑橘類に塗っていやがったんです。

それはアメリカ国内で使用禁止になっています」


「ひどいわ。自分の国では禁止しながら日本人には使うなんて」

「最近になってアメリカ国内の作業員の健康問題を考えてEDBを使わないようにすると言い出した」

「日本人のことなど考えてないのね」

「アメリカは柑橘類に熱を加え中心温度を40度から50度にすることにして虫を殺したという」

「熱を加えたら栄養はどうなるのよ」

「そんなに熱をくわえたら余計にカビが生えやすくなるのじゃないかね。

すると防カビ剤も余計に使うことになるぞ」


「なんという危険な食べ物を我々は与えられているんだ」

と怒る菱田。付け加える山岡。

「日本政府はアメリカの圧力に屈して、アメリカからの柑橘類の輸入を増やすそうですよ」

山岡は安全で美味しいマーマレードつくりを教えましょう、と菱田夫妻を伊豆の湯ヶ島に連れて行く。

そして時期はずれの夏みかんをゲットする。


「でもよく残っていたわね」

「果物を全部取ってしまわずにわざと2、3個残しておくのを木守りと言うんだよ」


そして山岡は夏みかんのマーマレードを作る。

「色はオレンジのマーマメイドに比べると淡いわね」

「オレンジのマーマレードに比べて香りが優しいね。

苦味がさわやかだし、舌触りもずっといい」


「それはね、夏みかんの方が皮が厚いからですよ。

白い柔らかい部分もずっと厚いでしょう。

厚くて柔らかい方が出来上がりは上々だよ」


「防カビ剤も農薬もついてないしね」


美味しいマーマレードを造ってくれたお礼に菱田は小泉に子猫を譲るのであった。
http://www.asahi-net.or.jp/~an4s-okd/bun/man0091801.htm

厚生省は20年ほど前、自動車や電化製品の輸出と引き換えに、日本の消費者の健康をアメリカ側に売り渡した。


 75年4月、農林省(当時)の試験場が、アメリカから輸入されたかんきつ類を調べたところ、防カビ剤のOPP(オルトフェニルフェノール)が検出された。

この時、OPPは食品添加物としての使用が認められていなかった。

厚生省は港の倉庫に積まれていた輸入かんきつ類を、業者に命じて海に捨てさせた。


 この処置に対してアメリカの政府やマスコミは激怒し、新聞には

「日本、太平洋をトムコリンズ(レモン入りのジンカクテル)にする」

という記事が載った。


その後、アメリカ政府から、まず農務長官が、さらに大統領までが日本にやってきて、OPPの使用許可を迫った。

長い船輸送の間、カビの発生や腐敗を防ぐためにはOPPが不可欠だったからだ。


 ところが、OPPはもともと農薬として使われており、毒性が強く、厚生省は認可を渋った。

しかし、当時、日本の自動車や電化製品が集中豪雨的にアメリカに輸出され、貿易不均衡が生じており、それを解消する手だてが、かんきつ類の輸入だったのである。

もしOPPの使用を認めなければ、アメリカ側は制裁措置として、自動車や電化製品の輸入を制限する可能性があった。

それを恐れた日本政府は、'77年4月にOPPの使用を認めたのだった。

さらに翌年8月には、防かび剤のTBZ(チアベンダゾール)の使用も認めてしまったのである。


 これを契機として、サンキストのオレンジやレモン、さらにグレープフルーツが大量に日本に輸入され、スーパーや青果店の店頭に並ぶようになった。

同時に、消費者はそれらに残留した危険な化学物質を摂取させられることになったのである。


 しかし、こんな状況を危惧する研究者がいた。

東京都立衛生研究所の研究員である。

彼らはOPPを飼料に1.25%混ぜ、ネズミに食べさせた。

その結果、83%に膀胱ガンが発生し、腎臓障害も認められた。

また、TBZを毎日ネズミに体重1kg当たり0.7〜2.4g食べさせたところ、おなかの子供に外表奇形と骨格異常(脊椎癒着と口蓋裂)が現れ、催奇形性が確認された。


 ところが、厚生省はこれらの実験結果を受け入れようとはしなかった。

再実験を行い、その結果を見て判断するという態度をとった。

その後再試験が行われたが、発がん性も催奇形性も認められないとされた。

結局、使用禁止とはならず、今でも輸入かんきつ類に堂々と使われているのである。

しかし、この時、政府的判断が働いたことは間違いないだろう。

アメリカ側は、大統領まで繰り出して、やっとOPPやTBZの使用を認めさせたのである。

そのすぐ後で、厚生省がそれらを禁止したとなれば、日本の外交問題に発展することは間違いなかったからだ。

 OPPとTBZはワックスに混ぜられ、かんきつ類の果皮に塗られる。

毒性の強い殺菌剤のイマザリルも一緒に使われている。

それらは果皮に残留し、さらに果肉にも浸透するので、皮を食べなければ安心というわけにはいかない。

とくに妊娠中の女性は要注意だ。

 輸入かんきつ類のなかにも、防かび剤を使っていないものがある。

その旨の表示があるので、選んで買ってほしい。

ただし、バラ売りやスーパーがパック詰めしたもので、明らかに防カビ剤が使われているのに、表示していないものがあるので注意してもらいたい。

国産のかんきつ類、つまりミカン・ハッサク・イヨカン・カボス・スダチ・レモンなどには防カビ剤は使われていない。

できれば無農薬栽培のものがベストである。
http://fish.miracle.ne.jp/ois/fryday2.htm

まずは、「防カビ剤」。

これは主に、輸入果物に生えるカビを防ぐために添加というか塗布というか、その果物をこの溶液に浸してから輸出します。

これは主にアメリカから来るオレンジ、レモン、グレープフルーツ等の柑橘類やバナナに使われています。

 薬品名は、OPPもしくはOPP−Na、イマザリル、ジフェニルなどです。


 これらの何がアカンかといえば、やはり大きいのは「発ガン性」「催奇形性」の二つでしょう。

つまり、「ガン家系の人」や「妊婦」は、絶対こーゆーものを食ったらアカンのです。

もちろん一般人でも、です。


 これは一時期、厚生省でも「使用不可」の判定が出された曰く付きの「毒物」なのですが、「アメリカの圧力によって認可させられたモノ」です。


ちなみにこれら、アメリカ国内では使われていないそうです。


あくまで海外へ輸出する際にだけ使用するものだ、というのを耳にした事があります。

つまり、

「他国の国民がどうなろうと知ったこっちゃない、

お前らはおとなしくわしらの果物を食っとったらええんじゃ」


という、倣岸不遜な態度な訳ですね。


 現在、店頭に並んでいるオレンジとかの柑橘類は、特に断ってない限り、ほとんどアメリカからの輸入物です。

それらには間違いなく、この「防カビ剤」が使われています。


こんなもんで作ったマーマレードや砂糖漬けなんて、考えただけでぞっとします。

ましてや丸かじりなんて。ぞわぞわ。


 あ、国内産柑橘類には使われてませんから。
 
最近、一部のスーパーでは、こういった「ポストハーベスト(後収穫農薬)」ものの表示に積極的なところもありますが、この「防カビ剤」については、「国策」であるため、

表示すると国から「ちょっとやめてくんねえかな」と指導がくるとか。

もちろん、そんなもん表示しようものなら売上がガタ落ちになりますんで、しませんけど。


 ただし、最近バナナだけは、「ノンポストハーベスト」ものが多少出回っています。

これは、こういったポストハーベストを使用していないもので、安全性だけでなく、味もPHものより上です。

買うなら、こういった表示があるものを買いましょう。
それが「賢い消費者」というものです。

t10605#東京都衛生研究所の1998年度農作物残留農薬調査報告から#00-09

 柑橘類では、例年通り、OPP、TBZ、イマザリルの3種のポストハーベスト農薬が高い検出率で見つかっています。

最高残留値を示したのはいずれもアメリカ産オレンジ(全体)のOPP6900、TBZ4300、イマザリル2700ppbで、果肉へも移行していました。

ほかに、200ppbを越えて残留していた農薬は、オレンジのDMTPとNAC、グレープフルーツのエチオン、レモンの2,4−Dで、いずれもアメリカ産のものでした。


★♪コメ:皮剥いたらそれでいいって話でも無いようです。

http://www.asyura2.com/2001/postharvest.htm

世界最強の発ガン物質が輸入食品の中に

つくば国際短期大学教授 高村登美子


一番危険性が指摘されているのは防カビ剤です。

オレンジ、グレープフルーツ等の柑橘類やバナナ等に使われているジフェニール(DP)、オルトフェニルフェノール(OPP)、チアベンダゾール(TBZ)、イマザリルなどの防カビ剤です。


DPは発ガン性が確認されています。

OPPは発ガン性に加えて環境ホルモン作用も認められています。

TBZは催奇形性が確認されています。

イマザリルは発ガン性が確認され、遺伝子を損傷する毒性についても疑惑がもたれています。

発売はされていませんが、アメリカで男性用経口避妊薬の特許がとられているイマザリルが食品に混入していることは、生殖に係わる健康の点から注意する必要があります。

最近の若者の精子数減少という言葉が思わず脳裏をかすめてしまいます。

柑橘類もバナナも皮を剥いて食べるから、たまに食べるのはいいでしょうが、アメリカ産のジュース類は乳幼児には与えないことです。

日本子孫基金が制作したビデオテープでポストハーベスト農薬の使用の実態を見ると、

アメリカでは柑橘類を農薬処理した後で、丸ごと圧搾してジュースを作っているのです。

http://www.h7.dion.ne.jp/~i-hoken/shoku4-6.html


__________


みかん消費20年間で半減 2010年01月27日


みかんの消費量が右肩下がりに落ち込んでいる。

原因はライフスタイルの変化や輸入フルーツの増加などが考えられるという。

総務省統計局が公表している家計調査年報を見ると、みかんの消費量は、二人以上の世帯で1988年には年間約32kg、2008年には約15kgと20年間でほぼ半減したことがわかる。

1個100gとすれば、約320個だったのが150個しか食べていないことになる。

一年間の購入金額も一世帯当たり7205円だったのに対し、4713円と右肩下がりに落ち込んでいる。


それはなぜか――。

日本園芸農業協同組合連合会、松本務流通課長は「複合的な要因がある」と指摘する。

一つ目は、生活様式の変化だ。

昔は、こたつの上にはみかんがあるのは当たり前の風景だった。

ところが今は洋式化も進み、家族はテレビを囲んでソファーに並ぶようになった。

必然的にみかんの置き場所が無くなってしまったのだ。

また、かつては箱買いすることが多かったのが、近頃は核家族化で10個程度の袋入りが中心になっていることもある。

そのせいで、みかんの購入機会、そして購入数が減ってしまったというわけだ。


二つ目は、果物の種類が増えたことだ。

今では冬でも輸入果物、バナナやグレープフルーツなどもあり、選択の余地が増えてきた。

また最近では、みかんの最大のライバルがイチゴという。

たしかにスーパーでも、ブランドイチゴの「あまおう」「とちおとめ」が目に付くようになった。


みかんの産地で知られる静岡県。

産業部農林業局みかん園芸室の担当者は、

「若い人の果物離れも考えられます。
果物全体に対しても言えますが、年配層では消費は多いのに、働き盛りの人、その子どもがみかんに接する機会が少ないようです」

と話す。とりわけ子どもの場合はお菓子の影響もあるだろう、と言う。前出の松本さんも

「何しろお菓子は宣伝力が大きいのに、果物は……」と声を落としている。


皮を剥いてある冷凍みかん発売

そして、他にも理由がありそうだ。

NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」がみかん消費落ち込み問題を取り上げた際、街の人の声を聞いたところ、

「剥くのが面倒くさい」

「みかんの皮を剥いたときに白い筋が爪に入るのがいやだ」

といった意見があった。

個人のブログを見るとたしかに、「私は剥くのが面倒であまり食べない」などといった書き込みが散見される。

番組では手が汚れるというので、ティッシュペーパーを挟んで剥いている、という人もいた。

________


ミカン農家悲鳴「もう先が見えない」 2009年11月12日


手取りキロ当たり40円


10月までに出荷する極早生ミカンの価格が低迷し、生産農家が悲鳴を上げている。

10月下旬には一定量を市場から隔離する緊急措置が2年連続で発動された。

主要市場の卸売価格は対前年比10%前後で下がり続け、一大産地の藤津郡太良町の若手農家らは「今年は利益が出そうにない」と青息吐息の状態だ。

消費拡大を呼びかけるとともに、減反政策の復活を望む声もある。

 太良町は海岸沿いで温かく、極早生の栽培が盛んだ。本年産の露地ミカンの出荷計画では、JA系統の同町の露地ミカン出荷量(JAさが、太良町果協の合計)は7544トンで、このうち64%を極早生が占める。

 生産者の山田公寿さん(39)は

「『今年が最低』と言い続けてきた。
去年までは『来年がんばりきっさ』と仲間で励まし合ってきたが、もう先が見えない」

という。 近年のミカンの卸売価格の推移=別表=を見ると一目瞭然で、10月下旬の価格は

3年前が223円、2年前が171円、前年が153円で、今年は135円だった。


 農家の手取りとなるとさらに低い。

若手農家らによると、昨年は1キロ当たり50円前後だった。

生産費は40円程度で、100トン出荷して100万円の利益。

だが、町内で100トン以上の農家は数人という。
今年はそこからさらに10円から15円下がるという。


 市場隔離の実施主体である全国果実生産出荷安定協議会(東京都)によると、

本年産の温州ミカンは表年で出荷量が多い上、極早生は8月下旬以降の小雨で小玉が多く、市場の受けがよくなかった。

近年は消費の伸び悩みで荷動きが悪く、ほかの果物との競合も厳しいという。

 極早生は早生や普通に比べ、表年と裏年の収量の差が少なく、農家の供給過多の危機感は強い。

「何もしないなら、来年の暴落も見えている」と生産者の川粼豊洋さん(40)。

これまでも優良品目への改植が各産地で進められてきたが、こうした対策や生産者の自然減では追いつかない状況に、かつて生産調整を強力に推し進めた「果樹園転換事業」を求める意見も出ている。
http://blog.livedoor.jp/robotnews/archives/51357040.html

かんきつの輸入自由化は一九六四(昭和三十九)年のレモンに始まり、七一年のグレープフルーツ、九一年オレンジ、九二年オレンジ果汁と続く。

 市原さんがはじいた年間収入の数字は、オレンジ自由化前の九〇年には三百四十一万円あったのが、自由化後の九三年には三十七万円まで下がった。

 ミカン作り四十年。最盛期に二・二ヘクタールあったミカン園は、約五十アールになった。

その畑に案内してもらった。

 軽トラックが農道をあえぎながら上った。

瀬戸内の島と同じ急傾斜の段々畑。


「この上は五年前にやめた所」と指さした畑は、すっかり山に戻っていた。

徳島市の山本恵二さん(49)は、十年前まで農協に勤めてミカンの指導をしていた。

「農政を進める側にいて、ずーっと国の政策に矛盾を感じていた」と言う。


  オレンジの自由化で、農家だけでなくミカンジュースを作る青果連も窮地に立っている。

愛媛、広島両県のジュース工場をのぞいた。

全国のミカン果汁の約三割を占め、「ポンジュース」の名で知られる愛媛県青果連の生産量は、最盛期の二割まで落ち込んでいる。


ジュースや缶詰などの加工用ミカンは、キロ当たり十円を下回る。

農家にとっては労賃にもならない値段だ。形や品質の悪いのはジュースに回し、豊作の時は余ったのを果汁に向けて市場調整をしてきた。

つまり生で食べる果実の価格を支えてきた側面がある。

 果汁自由化はそのつっかえ棒を取り外した格好である。

あっという間にオレンジジュースの八割を外国産が占めるようになった。

 ミカン栽培は干ばつ、寒波、台風などの天候だけでなく、輸入自由化との闘いの歴史でもあった。
http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/seto/2/970205.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c2

[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
3. 中川隆[-10869] koaQ7Jey 2019年4月07日 01:55:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1161]

猿人間のジャップには毒入り牛肉でも食わせておけ


【ニューヨーク時事】前原誠司外相は23日、クリントン米国務長官との会談で、日本による米国産牛肉の輸入制限問題について、「月齢制限緩和を一つの可能性として検討し、できるだけ早く方向性を出したい」との意向を表明した。日本は米国でのBSE(牛海綿状脳症)発生に伴い、輸入を月齢20カ月以下の牛に限定しており、これを緩和する方向で検討する考えを示したとみられる。

日本側の説明によると、前原外相は会談で「双方の受け入れ可能な解決に向けて現実的な議論をしていきたい」と発言。クリントン長官は「そういう議論を楽しみにしている」と応じた。 


牛肉輸入制限「緩和の議論していない」 鹿野農水相
2010年9月24日19時42分

____________


アメリカ産牛の輸入再開と同時に2005年12月にアメリカ側でも日本産牛の輸入を再開したと言う

ところが日本に対するアメリカ側からの安全衛生基準は極めて厳格で厳しいものだった こと

牛肉の輸出入基準だけとってもこれほどの日米格差、いや日米差別があったとは!

ましてやこういう話は今までなぜ出てこなかったのか? 政府による報道管制か??? 許せん

食べる側の人が安心できないって言ってんだから、消費者のニーズってのは無視かい?

「全頭検査は科学的根拠がない」とめちゃめちゃな言い分で輸入解禁を迫ったアメリカ

農務省 生後21ヶ月を目視で判断って、それこそ「科学的に根拠がない」のはお笑い種

だ その辺よーく分かっているアメリカは、18歳に満たないような(これも目視のようだが-笑-)女性従業員が6秒に1体吊るされてラインを流れてくる枝肉を目視で20ヶ月以下を判定しているのだそうだ 「やるだけムダだ」って言うメッセージかい


特定危険部位の背骨が成田税関で見つかったときのアメリカの第一声

「申し訳ない。しかしこの背骨にしてもアメリカの基準では問題ない。悪いのは"日本の基準"の方だ」

と聞いて思わず頭からピーッと湯気が出てしまった

約束さえも守らずに、約束の中身が悪いと言い張る


バレーボールに勝てなければアメリカ有利にルールを改定

スキージャンプに日本が強くなると、大柄の選手に有利なようにルールを改定 自分たちが勝てないのはルールが悪いと言う論理思考

悪いルールは変えればいい お手盛りルールを作っては「フェアで」「自由な」「競争を」と鼻高々に胸を張る

旗色悪けりゃ席を蹴る 京都議定書見れば分かりやすい

滅茶苦茶な自分勝手がまかり通ると言うのがお国柄

これをフェアと言い得るのか???


信用するに足るかという点で否のアメリカの実情のため、プリオン専門調査会も現地調査するということを前提とした答申を出している

これを受けて輸入再開前に現地調査するということを前提にした閣議決定を出す形に形だけで中身のないのは誰しもが危惧したところさてコイズミ内閣が「目を瞑って信じた」と言うアメリカからはすっかりやられたわけだ

「悪いのはアメリカ」??? 馬鹿なこと言うな!コイズミおまえのせいだ

姉歯が悪いと言っているヒューザー小嶋以下の最低漢

しかも接待付け"念のため"確認団のスケジュールも輸入解禁決定と前後が違うと言うじゃない

ブッシュ様、アメリカ様のいいつけだけを守っていれば権力維持できると思った驕りかここに露呈する

税関とおらないアメリカ産牛は大量に保税倉庫に貯まっていく船の上も含めてざっと在庫2000t 損害は20億円を下らないと言う


反対側から見てみれば、日本からアメリカへの牛肉輸出もあるという

在米和食料理店向けに1990年ころから始まった「日本産牛」の対米輸出

ところが2000年、日本で「口蹄疫」発生 ついで2001年に日本国内でBSE発生 これ以降全面的輸入停止がアメリカより言い渡される

アメリカより長い間輸入禁止が言い渡されていた日本産牛であるが、2005年12月の日本側の輸入解禁とバーターのようにアメリカ側も輸入再開

しかしずさんなアメリカの検査体制とはまったく逆に、そのアメリカは日本に対してずっと厳しい査察をしていると言う

日本国内のアメリカ農務省認定食肉加工業者は4箇所のみ

これらすべてはアメリカが指定した

そのひとつ群馬県の食肉加工業者

年に1度アメリカ農務省検査官の立会いによる厳しい「査察」「監査」がある 書類も山のように作成を義務付けられていて、とても「検査」や「確認」レベルではないという 人的労力と費用が膨大にかかる


たとえば保冷庫の温度管理ひとつをとってもアメリカから押し付けられている基準は以下のように厳しい 1時間毎に温度計をチェックし適切な温度が保たれているかどうかを確認し、記録し、書類を作成する

さらにはこの温度計自体が壊れていないか、正確かを1日1回確認し、記録し、書類を作成する アメリカが日本側に義務付けるからにはアメリカが最低限必要だと思っているのがこの基準なのだろう


では、その範たる(笑)アメリカは?

再開当初40もあった米食肉処理施設の決定には、消費者である日本側の意向はまったく反映されず 「アメリカのやることに口を出すな」ということだろうか?

日本国内の食肉処理施設の決定には、アメリカ側の意向が「重視」されているのとは雲泥の差だ

さらに今回の特定危険部位混入をもってなされたアメリカ農務省による調査結果では、対日輸出を許可された加工工場のそのほとんどが「まともな管理はできません」とのレポートが出る始末

何なんだこの差は?

人として単純な疑問だ なぜ同じことができないのか?

グローバルスタンダードだろう? アメリカンスタンダードだろう?

しょせん日本産牛のコストを少しでも上げて、米国産牛のコスト競争力を"後方支援"したいなんて小賢しい考えだろう

何かにつけては非関税障壁だの、報復関税スーパー301条だの、金のことしか頭にないお国柄

食肉団体でのスピーチで「こんなにおいしい牛肉が食べられない日本はかわいそうだ」と言って笑ったブッシュ そのブッシュ自身が実は牛肉を食べるのを避けていると言うからお笑いだ もう脳みそはスポンジ化しているようだから安心して食べていいよ、キミの場合は
http://www.asyura2.com/0601/senkyo19/msg/596.html

アメリカ人の植民地総督の様な振舞いの日本政府 2006年1月26日付


 アメリカ産牛肉の輸入をめぐって、狂牛病の大騒ぎをしたあげくに輸入解禁となったが、さっそく禁止した脊髄つきの肉を送りつけていたことが判明。アメリカの輸出企業もさることながら、立ち会った国の検査官も、なにが禁止のとり決めであるかも知らなかったといっている。日本では大騒ぎをしたが、アメリカでは「日本人に毒を食わせてなにが悪いか」という調子であったわけである。一連の顛末は、小泉政府というものが、どれほど日本の国益を売り飛ばしたアメリカに卑屈な代理人であるかという現実をさらけだしている。

 日本では、輸入飼料による狂牛病が発生したり、輸入肉がらみのO157の病気がはやったり、輸入飼料を食ったニワトリが鳥インフルエンザになって大量処分されたり、輸入される野菜や穀物類も鮮度偽装の有害農薬まみれであったりしている。「健康は食から」というが、「病気は食から」という物騒な世の中になっている。市場原理・金もうけ万能が叫ばれて、国民生活の安全を保障するという政府のやるべき社会的機能がまるで信頼できなくなっているのである。

 アメリカの輸入農畜産物がいい加減になるのと対比して、肉や魚など食料品をあつかう日本の業者のところでは、規制がきわめてきびしくなっている。肉の屠畜作業は無菌室を条件にしたり、鮮魚は屋根のないところでさばいてはならないとか、魚の加工も保健所がうるさくいって来る。これが「アメリカ基準の採用」と称してやられている。国内の生産・加工を規制強化でしめ上げることが、いい加減な輸入物を無制限に規制緩和するためにやられているのだ。「グローバル・スタンダード」どころか、完全な二重基準である。

 この基本的な問題は、歴代政府が一貫してやってきた、国内では食糧自給ができないようにして、食糧はアメリカを中心とする外国から輸入し、日本の独立を放棄するという売国政治にある。

 現在小泉政府は、アメリカがつくった具体的な要求プランに従って、アメリカ基準の経済、社会への改革をすすめている。その結果、姉歯事件に象徴されるいつ倒れるかわからぬホテルやマンションの強度偽装という詐欺がはびこり、自民党が「改革の旗手」と持ち上げたホリエモンが詐欺商法で逮捕され、もうけ一点張りのJRは事故が連続するような社会になった。株などの投機をこととする不労所得者が「勝ち組」といって大きな顔をし、社会を支えて働くものは食っていけない状態に追いこまれ、アメリカの借金肩代わりのための働き蜂にしている。そして日本をアメリカの国益のための戦争に動員し、その戦場にまでしようとしている。

 アメリカはかつての戦争で、広島、長崎、沖縄をはじめ全国の都市で、罪のない無辜(こ)の非戦斗員数十万人を虫けらのように殺した。戦後日本を単独占領し、やったことは食糧をとり上げて、日本人を飢餓状態におき、そこにアメリカでは家畜に食わせていたような余剰農産物を与えてありがたがらせたことである。「イエロー」とか「ジャップ」などといって侮蔑してきたが、この状態が戦後61年たっても変わっていないどころか、ますます露骨になっているのである。

 そして小泉は、何事によらずアメリカに喜ばれさえすれば幸せという態度で、アメリカ人の植民地総督のようなふるまいをしている。アメリカ産牛肉の輸入騒ぎは、対米従属の象徴的な事件である。これは、社会の安全も、勤労者の生活の安定も、平和の問題も、国の独立という問題を避けては実現しないことを示している。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/amerikajinnosyokumintisoutokunoyouna.htm


食糧自給破壊が根本問題 アメリカ産牛肉問題
            卑屈な日本政府の売国政治  2006年1月26日付


 アメリカから輸入した牛肉に狂牛病(BSE)の危険部位である脊柱(背骨)がついていた問題は、アメリカが日本人を家畜ほどにしか見なさず、日本を植民地あつかいしている象徴的な事件として、日本人民のなかに激しい民族的な怒りを呼び起こしており、アメリカに追随する売国奴である小泉政府にたいする糾弾の声が高まっている。


  生産者も消費者も共通の怒り

 食品の安全や公衆衛生にかかわっている下関市保健所の関係者は「米国の検査官が脊柱を除去しなければならないことを知らなかったというのは、日本では考えられないことだ。これは国と国とで確認した基準だ。一企業の従業員が知らなかったという問題ではない。もしこれが、日本側が犯したまちがいであったら、国際的な大問題に発展していただろう。日本はアメリカからなめられている」と語っていた。

 また、下関市内唐戸市場の商店主は「鮮魚を売るにもいろいろ規制があって、保健所がうるさい。木の売台ではだめでステンレスにしろとか、魚を調理するのに屋根つきの小屋をつくれとかいってくる。スーパーに入った鮮魚店は“無菌室”をつくれといわれたと困っていた。国内の漁民や商売人にはそれほどきびしいのに、輸入ものは規制緩和・自由化でどんどん入れる。今度のアメリカ産の骨付き牛肉にしても、アメリカから日本がなめられているからだ」と話していた。

 とってきた魚を立ち売りで販売している海士郷の漁業婦人は「うちの漁協でやっている養殖のカキは保健所の検査を受けないと販売できない。国産のものほど安全なものはない。外国産のものは、牛肉も魚も野菜も安心して食べられるものがない。ほんとうに安全性を保障するというのであれば、政府はもっと国産の肉や魚や野菜を奨励すべきだ」と語っていた。

 下関市内の畜産家は「小泉政府がアメリカのいうことを“はい、はい”と聞くから、アメリカは“日本にならなにをしてもたいしたことはない”と今度のようなことをやる。これ以上アメリカになめられないように、日本側もきびしい態度で臨まないとだめだ」と語った。また、酪農家は「国は狂牛病対策で生産者を対象に牛の飼料検査を強化するといってきているが、牛の飼料はほとんどが輸入だ。自分のところでつくるエサはない。国内の生産者をしめつけるまえに、エサをつくっている外国の業者のとりしまりをしっかりしてほしい。狂牛病の原因はエサだということがはっきりしているのだから、輸入するエサをとりしまるのが一番なのに、国内の生産者ばかりしめつける」と怒る。

 日本の食糧自給率はわずか4割で、6割を外国からの輸入に頼っている。それと同時に近年O157、鳥インフルエンザ、口蹄(こうてい)疫、それに狂牛病など日本にはなかった伝染病が猛威を振るうようになった。また、残留農薬問題や、ポストハーベスト問題などがとりざたされ、「安心して子どもに食べさせられない」と母親たちの不安は募っている。

 今回の米国産牛肉問題も、日本の酪農・畜産が破壊され、アメリカをはじめ外国産牛肉の輸入増大のなかで起こった問題である。

 牛肉の自給率を見ると、1965年には95%とほぼ自給していたものが1991年にアメリカの圧力で輸入自由化され、2004年には34%にまで落ちこんだ。穀物自給率はわずか28%で、牛の飼料も大部分がアメリカなどからの輸入である。現在牛肉の70%近くが輸入で、狂牛病発生以前は30%以上をアメリカから輸入していた。


  米国に市場明け渡す 意図的な国産破壊

 戦後の農政をふり返って見ると、アメリカに農産物市場を明け渡すために、意識的に国内農業を破壊してきた歴史である。1961年の農業基本法は、「選択的規模拡大」と称して、日本の伝統的な稲作を主体にした複合的多角的経営から、稲作をつぶしてアメリカ型の農業である、ミカンや酪農・畜産など単作経営の規模拡大を奨励した。

 多額の借金をかかえさせて何千万、何億円単位の投資をさせ、ミカンや酪農・畜産に転換させたあげく、農産物を輸入自由化した。農産物価格は暴落し、借金地獄に落としこみ、夜逃げや自殺という数えきれない惨事をともなった離農、農地のとりあげが進行した。アメリカの牛肉が日本市場の三割をも奪うには、こうした農民の血が大量に流れている。

 日本の酪農・畜産を徹底的に破壊したアメリカは、2003年に狂牛病感染牛が発見されても、もはや日本が牛肉を自給することはできず、アメリカからの牛肉輸入を長期間ストップすることはないと見て、「日本のような全頭検査は世界の非常識」などといい、安全対策なしでの輸入再開を小泉政府に迫った。

 小泉政府は、2001年に日本で狂牛病感染牛が発見されて以来、国内の生産者には牛の全頭管理・検査体制をきびしく徹底してきた。牛が生まれてから死ぬまで、どんなエサをいつやったかなど、ことこまかに記録させて管理する体制をとっている。狂牛病の発生は国内の酪農・畜産に重大な打撃を与えたうえに、規制の強化がさらに農家の首をしめている。ところがアメリカで狂牛病が発生すると、米国産牛肉には全頭検査は要求せず、「20カ月以下」で「特定危険部位の除去」なら検査なしで輸入解禁という大幅な譲歩をおこなった。それもアメリカでは牛の個体管理はやっておらず、「20カ月以下」を判断する手段はないことも、特定危険部位除去の保証もないことも専門家が警鐘を鳴らしていたなかでの輸入再開であった。

 こうした小泉政府のアメリカべったりの姿勢が、今回の特定危険部位である脊柱付きの牛肉が堂堂と日本に入ってくる背景にある。アメリカ側は「日本人には毒入り牛肉でも食べさせておけ」という姿勢であり、小泉政府はそれをありがたく輸入するという売国奴ぶりである。


   規制強化で危険拡大 魚や野菜も同じ★ハ

 牛肉問題と同じように、農産物や魚介類の安全基準は、国産と輸入ものでは大違いのダブルスタンダードがまかりとおっている。下関市保健所の職員の話ではO157や狂牛病の発生を機に、ここ10年くらいまえから食品の安全や公衆衛生への規制がきびしくなっている。食品衛生法の基準にもとづいた山口県の条例では、鮮魚の路上での販売も、客の依頼以外は包丁でさばいてはいけない。とか、冷凍機付き冷蔵施設が必要等等。唐戸市場のなかでも魚を調理するためには、その他の空間とのしきりが必要など、ひじょうに細かい基準がある。また、ぬきうちの検査もある。また、野菜の残留農薬は250種類、動物医薬品は魚介類へのホルマリンなど33種類が検査対象にあがっている。ところが、輸入ものとなると、野菜の残留農薬にしても、魚のホルマリンにしても、あけてとおされている。「食中毒をなくす」「食品の安全のため」という保健所のとりしまりが強まれば強まるほど、国内の農漁業生産に打撃を加え、アメリカなどからの毒入り輸入農水産物の市場を拡大する効果になっている。

 下関市保健所の職員は「規制を強化し、とりしまりも強めているが、いっこうに食中毒はへらない」と語っている。それは当然のことで、六割も輸入食料に頼っており、輸入食料への規制を強めなければ、いつまでたっても食中毒はへらない。

 下関市内の中学生の子どもを持つ母親は「子どもは肉が大好きだが、アメリカ産牛肉は買わない。国産しか買わない。野菜も近くの農家からもらったり自分でつくったりしている。輸入ものは子どもには食べさせたくない。だが、ハンバーガーなどにはアメリカ産牛肉が入っているだろうし、わからないうちに食べさせられている。個人での抵抗は限界がある。国民が安心して食べられるように、国が食糧を自給するようにすべきだ」と切実に語る。

 アメリカの側は

「もはや日本人の胃袋の六〜七割は占領した。

アメリカ産なしに日本人は生きてはいけない。

黄色人種のジャップには毒入り肉でも食わせておけ」

といった具合である。こうしたアメリカの態度に「アメリカはいまだに占領軍意識だ。敗戦国の日本人にはなにをしてもいいという態度だ」「敗戦まぎわの日本全国の空襲や原爆で民間人を何十万と殺しても謝らない態度と同じだ」と戦後60年の経験をへて、あらためてアメリカの日本支配にたいする怒りをたぎらせている。

またアメリカに追随し、日本を売り飛ばす小泉政府にたいする糾弾の声が高まり、「今回の問題で、いいかげんな譲歩をするな。アメリカに厳重に対処すべきだ。日本人はアメリカにたいしてこれ以上黙っているべきではない」と行動を求める世論が渦巻いている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/syokuryoujikyuhakaigakonponmondai.htm

2007年05月30日
農林水産大臣自殺の背景

日本に対し農産物輸入「完全自由化」を強く求める、欧米の多国籍食品企業。

その攻撃の前面に立たされる農林水産大臣。

一例として、狂牛病を巡り激しい攻防を日本の農林水産大臣と繰り広げてきた米国の牛肉業界の内情を探って見る。

世界の「食料倉庫」として牛肉輸出を強力に推進する米国の食肉業界は、アーマー社、スウィフト社、タイソン・フーズ社(鶏肉専門)等、わずか数社によって全米の食肉業界が支配されると言う極端な権力集中体制を取っている。

こうした食肉流通の独占企業は、その食肉加工工場の建設費用、輸送冷蔵トラック購入費用、そして巨大牧場の建設・運営費用を巡り、完全にブッシュ大統領一族の銀行シティバンクに経営を握られて来た。

さらに家畜に食べさせる配合飼料の販売元である穀物商社カーギル=モンサント社により、家畜の飼育段階から完全に支配下に置かれている。

ベトナム戦争で使用された化学兵器枯葉剤を製造し、遺伝子組み替え食品の独占企業でもあるモンサントは、ブッシュ一族とそのボス、ロックフェラーにより経営されている。

食肉業界は、こうしてブッシュ=ロックフェラー一族により完全に支配下に置かれている。それはロックフェラー一族が、元々クラーク・ロックフェラー商会という食肉業者として商売を始めた歴史からも来ている。

かつて、このアーマー社の社長J・W・マッキントッシュが、米国中央銀行FRBの理事を務め、また第二次世界大戦後、初めて日本に駐留したCIAの初代日本課長カールトン・スウィフトが、スウィフト社の社長として日本に牛肉消費を強力に売り込んだ(押し付けた)歴史を持つように、米国の食肉業者はそのまま米国の金融業界、そしてスパイ業界の中核を占めて来た。

日本人に牛肉を「食べるように」推進した事は、米国食肉業界のCIAエージェントの「国策・工作」であった。


このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。

小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。

現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。

相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。


このロックフェラー=ブッシュの食肉企業の子会社として日本で活動してきたのが、ハンナン=フジチクという食肉輸入の独占企業である。

カナダ、オーストラリア産の食肉も含め、このハンナン=フジチクは日本の食肉輸入の70%を単独で独占して来た。その社長浅田満は、暴力団山口組の5代目組長(先代)渡辺芳則の舎弟であり、暴力団山健組の組員である。

ロックフェラー=ブッシュ一族が、山口組と食肉輸入を巡り、過去一体化して来た歴史がここに見える。

米国産牛肉には、輸入価格に広域暴力団山口組の活動費用が「上乗せ」され、不当価格で「販売」され続けて来た。牛肉を買う事が、そのまま山口組の活動費用を「寄付」する構造になって来た。山口組は、その利益を自民党の橋本龍太郎、野中広務に「上納」し、政界へのパイプとして来た。

この山口組のボス橋本= 野中が、「郵政民営化」問題で小泉元総理によって潰された。親分を潰されたヤクザが「手段を選ばず」報復に出る事は眼に見えている。

しかも山口組と小泉、そして安倍政権の間には因縁の対立があった。

第二次大戦中、現在の北朝鮮、韓国で麻薬売買を行っていた山口組は、中国本土で麻薬売買を行っていた岸信介=安倍晋三総理の祖父と、その子分である右翼の児玉誉士夫と激しい縄張り争いを行った天敵の関係であった。

安倍総理の資金源である祖父岸信介の麻薬ビジネスは山口組と激しく対立し、それはそのまま戦後の日本国内における、安倍=岸=右翼児玉と山口組との麻薬売買の縄張り抗争となって現在まで続いている。

山口組が執拗に牛肉問題を巡り、安倍晋三の閣僚、農林水産大臣を脅迫、追い詰める理由はここにある。

また小泉元総理と山口組とも因縁の対立がある。

小泉元総理は、山口組=食肉業者ハンナンの社長浅田満を逮捕させた。

名目は、鶏の病原菌感染死を厚生労働省に報告しなかった、牛肉の輸入元、生産地を偽装したという問題で容疑の固めやすい後者での立件ではあったが、警察の立件理由は名目上の「別件逮捕」でしかない。(オウム真理教の幹部が住居侵入や偽証罪で次々逮捕された歴史からも分かるように、「表向き」の逮捕理由に余り意味は無く、そこに「真相」がある・・と考える事も無意味である。)

ハンナンを立件した真相は、広域暴力団稲川会の幹部を祖父に持つ稲川会直系の小泉元総理が、稲川会と激しく対立する山口組の資金源ハンナンを潰しにかかったものであった。安倍総理の資金基盤である祖父岸信介=児玉誉士夫の麻薬組織も、それを「良し」とした。

逆上した山口組は、米国の輸入牛肉を徹底的に調べ、狂牛病の原因になる骨髄が入っている事をマスコミに暴露し、小泉のボス=ブッシュ=ロックフェラーを日本の輸入牛肉市場から追放した。

危険な輸入牛肉が摘発されたのは、日本の食肉検査官が「たまたま正義感を回復」したからでは全く無かった。日本の輸入食品検査官が「正義感から危険な食品を摘発」した事など、過去にも現在にも一度も無い。

日本の山口組が総力を上げ、ハンナンの社長を逮捕した小泉の「顔にドロを塗った」のである。

小泉のように、ブッシュ=ロックフェラーに対し「郵便貯金を全て貢ぎ物として差し出す」ような「手土産」の無い安倍総理は、米国食肉マフィアから小泉時代以上に激しい圧力を加えられる。矢面に立ったのが農林水産大臣である。

また小泉のように稲川会という広域暴力団のバックアップの無い安倍政権に対しては、山口組の攻撃は激化する。しかも山口組にとって天敵=岸信介の後継者、
安倍晋三である。さらに山口組はボスの橋本=野中を潰され、ヤクザのメンツを潰されている。

米国マフィアと日本マフィアに挟まれた農林水産大臣は圧死した。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html


武器としての食糧戦略  


米国は、自国の余剰農産物を他国に「強制的に輸出し」、その事で他国の食糧自給を破壊し米国への依存を強制し、また米国に反対する政策を取った国へ食糧輸出を止め相手国を窮地に追い込む戦略、いわゆる「武器としての食糧」戦略を採用している。

 これは貿易政策ではなく軍事戦略である。

 日本の食糧自給、日本の農業は、この軍事戦略により破壊されて来た。

 この軍事戦略を法的に規定しているのが、1954年制定の農産物貿易促進援助法(公法480号、通称PL480)である。

 これは他国の食糧自給を破壊し米国の穀物商社の支配下に置く目的で、食糧を極度に安い価格で輸出するため米国政府が食糧輸出に補助金を出すという法律である。大規模農業の経営で競争力の強い米国の農業=穀物商社が、この補助金制度でさらに極度に安価な農産物輸出を行い、他国の農業を破壊する事になる。

 この法律は、米国の「農産物を集中豪雨のように輸出可能にした」と言われている。

 この公法480号の第三項には、戦略物資(兵器)と農産物のバーター取引の項目がある。この場合の農産物(換金性の高い農産物)とは麻薬の事であり、米軍とCIAが貧しい国に麻薬の生産を行わせ、その麻薬とバーター取引(物々交換)で米国製兵器を売ると言う事である。


ミャンマー等のような軍事独裁政権が麻薬を生産し、その麻薬とバーター取引で米国製兵器を購入し、独裁政権維持のためその兵器を使用するという世界中に見られる軍事独裁政権の「経営パターン」は、このPL480の第三項により米国政府が「合法化」しているのである。

 これは米国軍事産業の武器販売=利益目的の殺人援助が、農産物輸出とバーターになっている事、穀物商社の活動が兵器輸出活動=戦争創出活動になっている事を示している。

 穀物商社は軍事産業である。

 軍事独裁政権の「運営資金」は、軍事独裁政権と米軍、CIA共同による麻薬生産=武器販売により生み出され、その利益はそのまま米軍、CIAの活動資金になって来た。これが軍とスパイ組織の「自助努力」である。

 世界中に拡がる麻薬と兵器が、どのような「仕組み」で拡がって来たかをこれは示している。

 特にアフガニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン等の「特産」である綿花は、その生育条件がケシの実=アヘン=ヘロインと極めて類似している。綿花畑は利益の高い麻薬畑に容易に転換される。穀物商社による綿花生産の拠点は、そのまま米軍、CIAによる麻薬生産拠点である。

 綿花の輸出船は、そのまま麻薬の輸出船となっている。

 穀物商社とはCIAの麻薬生産部隊の別名である。

 アフガニスタン、カザフスタン等の世界最大の麻薬地帯は、ロックフェラーのシェブロン石油の支配圏であり、米国共和党次期大統領候補コンドリーザ・ライスの企業がシェブロンである。


カザフスタンの石油利権を所有し、シェブロンとカザフスタンの原油売買を「仕切る」カザフスタンの石油マフィア=リチャード・グリフィンは、カザフスタンの麻薬アヘン・マフィアでもある。ライスとこのアヘン=ヘロインの売人グリフィンは「親密な仕事仲間」である。

 この地域の綿花=麻薬栽培をロックフェラーの穀物商社カーギル社が「仕切っている」意味が、公法480号により明確に浮かび上がってくる。
http://alternativereport1.seesaa.net/


このようなエタノールの欠陥はNHKの番組でも触れられていなかった。作られたエタノールを専用タンク貨車で運んでいた理由がそれで分かった。さらに遺伝子組み換え作物で作られるようになると食用へは転用できず、農地は強力な農薬とそれに耐えられるGMO種子の作物に限られてしまう。つまりモンサントの子会社の提供する種子でしか育たなくなったしまうのだ。

アメリカ政府はエタノール生成の為と言って様々な補助金を出していますが、そのような企業にはラムズフェルドなどの元政府高官が重役に成っている。日本はアメリカの保護国であるがためにグローバルスタンダードと称して様々な規制撤廃を命じてきていますが、狂牛病の恐れのある牛肉や遺伝子組み換え作物などを売りつけて日本人を人体実験の代わりにしているのだ。

以前の株式日記でアメリカでミツバチがいなくなったことを書きましたが、原因としては遺伝子組み換え作物の花の蜜が影響してミツバチが死滅してしまったようだ。人間が遺伝子組み換え作物を食べた場合にもどのような影響が出るのかまだ研究されていない。

気がついたときはGMO作物によって日本人が死滅する可能性すらあるのだ。中国からは農薬入り野菜を売りつけられ、アメリカからは遺伝子組み換え大豆やコーンが混入したものを日本人は食べている。アメリカの農家は金になりさえすればどんなことでもするだろう。
http://asyura2.com/07/bd51/msg/239.html


日本が米国に反旗を翻した場合、日本に対する食料輸出を止め日本を窮地に追い込み、どのような不合理な要求にも日本が屈伏し、欧米諸国の命令に「従う」。そのような属国に日本を追い込むためには、日本の食料自給を徹底的に破壊し、食料を外国からの輸入に依存する体制を「作らなくてはならない」。

 先進国が軒並み80%を超える食料自給率を達成している中で、既に日本の自給率だけが、40%以下になっている。日本にとっての最後の「堤防」はコメの自給であるが、貿易の自由化を推進するWTOは、日本に対し「コメの輸入自由化を行え」と強硬に迫っている。広大な土地で機械化されたコメ生産を行う米国等の農業に対し、貿易自由化を行えば価格差から日本のコメ生産は崩壊する。WTOの推進する「貿易自由化」は、文字通り日本の「亡国」への道である。

 このWTOの対日要求は、現在ドーハ・ラウンドと呼ばれる段階に達しており、特に「投資環境の整備」「競争原理の明確化」が強い対日要求となって来ている。

 「投資環境の整備」とは、外国の銀行等が日本の企業を「自由に乗っ取る」事が出来るように、日本企業同士の株式持ち合い比率を下げろ等と言った話であり、かねてからの「金融自由化」の一環である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/78201055.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c3

[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
4. 中川隆[-10868] koaQ7Jey 2019年4月07日 01:59:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1162]

トルーマン 猿(日本人)を『自由』と言う名の檻で我々が飼うのだ、家畜が主人である我々のために貢献するのは当然の事である


トルーマンの言葉

「猿(日本人)を『虚実の自由』と言う名の檻で我々が飼うのだ。
方法は彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。
そしてスポーツ・スクリーン・セックス(3S)を解放させる。
これで真実から目を背けさせる事が出来る。猿は我々の家畜だからだ。

家畜が主人である我々のために貢献するのは当然の事である。そのために我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気にさせてしかも生かし続けるのだ。これによって我々は収穫を得続けるだろう。これは戦勝国の権限でもある」
https://pbs.twimg.com/media/DqbZiVDU0AA6Sv0.jpg
 


▲△▽▼



猿の惑星


動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Planet+of+the+Apes+1968&sp=mAEB


出演

テイラー : チャールトン・ヘストン
ノバ :リンダ・ハリソン
中国人 : オランウータン
黒人 : ゴリラ
日本人 : チンパンジー


テイラーたちが不時着した星は、猿が人間を支配する猿の惑星だった。

言葉を話す猿たちと、首輪で繋がれ家畜として扱われる人間たち。

この逆転した世界からなんとか逃げ出したテイラーが最後に見たものとは・・・


___


原作者のピエール・ブールはフランス人ながら英国軍に身を投じて戦い、結局日本軍の捕虜になった悲惨な人。

捕虜時代の恨みつらみをもとに書いたのが「クワイ川の橋」。
また日本人が月一番乗りして、ハラキリするのが「カナシマ博士の月面庭園」
でもって、黄色い連中が世界を支配する未来小説が「猿の惑星」


1 名前: O 投稿日: 02/01/24 15:11 ID:tTH+ej+C

自分はアメリカに住んどるもんなんですが
猿の惑星とは日本人をバカにして作られたということが分かった。

アメリカの知り合いが言うとったよ

「あれは日本人をバカにした映画だよ」

とあっちでは有名らしい。

日本人の前でそんなことは言えないけど俺にだけ話してくれた。

まあアメリカで反日が多かった時代に作られただけにやむおえないことだろう。

で最近新しく放映された「猿の惑星」ももしかしたら・・・

そう考えて改めて見たけど猿が着ている服も確かに日本の侍のように見える。

つまり猿(日本人)の惑星(日本)

そして猿の惑星にでてくる人間はアメリカ人ということです。


あの作品では人間よりも優れていると思いこんだ猿が人間によって人間の方が優れていると証明されますが、それを信じたくない猿との葛藤を描いていますよね?

つまり知恵遅れの猿(日本人)のくせに人間(アメリカ人)に戦争を仕掛けやがって!

という意図が込められているそうです。
http://tv.2ch.net/movie/kako/1011/10118/1011852691.html




▲△▽▼

西洋人の日本人観


チャーチル 「日本人は中国娘と猿との野合の末に生まれた類人猿のようなもの」
ルーズベルト「日本人は獣である」

「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。

一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」


「普通の日本人は知性が低く、無知である。
たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
 

当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。
人間と猿の中間にあると言っていい。
文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。
日本人を根絶しなければならない!」


ウィリアム・ハルゼー海軍元帥

 日本軍との戦闘に際し

「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」

など度々過激な発言を繰り返したことで知られている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15


ハイドパーク協定

1944(昭和19)年9月18日

フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について
申し合わせた秘密協定

1972(昭和47)年に初めて公開された

ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の
ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と
いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア
人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。

ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」


ハル・ノート:日本が対米開戦を決断した無理な米国側の要求。

米国に潜伏するソ連スパイが日米を衝突させるために作成した。
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03


トルーマンのカバートへの返事

1945年8月11日

日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。

獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/RE_sammuel_1945_8_11.htm


トルーマン回想録

"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)

アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。

ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。

ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。

ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15


原爆の対日使用は「人体実験」だった。


被爆者治療せず 50年代の米公文書

原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。

ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。 http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html


「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。


第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC

(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。


「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 

ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。

これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。

そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。

治療は全く受けませんでした。

そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。

こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。

私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。

あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


 
英語教育の先生が、今日本でやられている英語教育について書いていたが、南北アメリカ大陸で7000万〜8000万人いたインディアンの皆殺しをやり、残った者は同化政策で、子どもを親から切り離して寄宿舎に入れて英語教育をやり、言葉も歴史も全部奪っていったのにそっくりだと指摘している。

民族の歴史も文化も言葉も奪っていく絶滅作戦だ。

第二次大戦から「イエローモンキー」といって人間扱いではないが、それはインディアンのときから続いている。

民主主義というのは白人の為のもので、黄色人種や褐色人種を従わせるのが民主主義だ、それを受け入れるのが未開の者の務めで、従わない者は殺してもいいという考えだ。

「これは神の明白な運命」というのが、清教徒がアメリカ大陸に渡り、東部から西部に行くうえでの基本理念だ。

それでアメリカ全土のインディアンを皆殺しにし、生き残った者は囲い込む。その後太平洋まで来てハワイ、フィリピン、日本、中国と全部アメリカの基準で支配するのが使命だというのが一貫している。だからフィリピンでも相当殺された。

 この理念でフィリピン人も日本人も遊び感覚で殺しまくる。インディアンのときには「頭皮狩り」といって、戦利品として耳を切りとり、頭蓋骨を集めた者が最も偉大な民主主義者だとやってきた。

第二次大戦でも日本に対して「インディアンと同じようにやれ」とハルゼーなどがかなりやっている。

アメリカの若い兵隊はフロンティア精神とかカウボーイみたいな感覚で、日本の子どもらが逃げまどっているのに、グラマンで笑いながら撃ち殺す。

人道主義というが、ハルゼーも「捕虜はとらなくていい。とにかく殺せ」とやっている。

「死んだインディアンがいいインディアンだ」というのをもじって、

「6カ月前に死んだジャップがいいジャップだ」

といった。

これは単にハルゼー個人の考えではなく、当時アメリカのマスコミや新聞、雑誌などで強烈にやっていたことだ。

戦争体験者がテニアンに行ったときホテルに飾り物として日本人の頭蓋骨が金粉を塗られて飾ってあった。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c4

[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
5. 中川隆[-10867] koaQ7Jey 2019年4月07日 02:06:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1163]

日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは

なぜ、日本では国会議員が地方議員の仕事をしているのか 2015年6月15日
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991


日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。

それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。

ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。

日本はなぜ帰途と原発を止められないか

「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。


日米合同委員会1日米合同委員会2

下記の参考資料を読んでいただければ、総理になった人間ですら、日米合同委員会のことを知らなかったことがわかる。日本の政治は見事なまでに空洞化しているのである。

<参考資料>

(*週プレNews 2014年12月16日より)

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!


矢部宏治

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論

<民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E3%80%8C%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%9F%A2%E9%83%A8-%E5%AE%8F%E6%B2%BB/dp/4797672897

の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。
そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。

このふたりが、辺野古移設反対派の圧勝に終わった11月の沖縄県知事選や総選挙を踏まえ、事実上、今も米軍の占領状態が続いているこの国の姿と、日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩んでいくためにはどうすればいいのか、その方法を考えた!>


首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体

―まずは鳩山さんに、矢部さんの本を読まれた率直な感想から伺いたいのですが?

鳩山  正直申し上げて“ぶったまげた”というか、矢部さんがここまで勇気を持って取材され、この本を書かれたことに敬服しました。先にこの本を読んでいれば、私も総理を辞めずに済んだかもしれない、と(笑)。

もちろん、私は自分の非力について言い訳する気はありません。総理として一度は沖縄県民に期待感を与えながら(県外移設を)実現できなかったのは私に大きな責任があります。

ただ、この本を読んで、当時、自分がもっと政治の裏側にある仕組みを深く理解していれば、結果が違っていた部分もあるのかなとは思いました。それだけに、自分が総理という立場にありながら、この本に書かれているような現実を知らなかったことを恥じなきゃいかんと感じるわけです。

矢部  鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?

鳩山  物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。

 しかし、矢部さんのこの本はもっと深いところで米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながって一体となった姿を見事に解き明かしてくれて、いろんなことが腑(ふ)に落ちました。この本を読んで、目からうろこが何枚落ちたかわからないくらい落ちましたね。

矢部  在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?

鳩山  お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。

 私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。

矢部  日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。

 なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。

 しかも、在日米軍基地の違憲性をめぐって争われた1959年の砂川裁判で、当時の駐日米国大使だったダグラス・マッカーサー2世が裁判に不当な形で介入し、「日米安保条約のような高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判例を残してしまった。ですから日米合同委員会の合意事項が仮に憲法違反であっても、日本国民にはそれを覆(くつがえ)す法的手段がない。

鳩山  それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。

矢部  ですから、鳩山さんの言う「官僚たちが忠誠を誓っていた何か別のもの」、つまり鳩山政権を潰(つぶ)したのは、この60年続く日米合同委員会という米軍と官僚の共同体であり、そこで決められた安保法体系だというのが現時点での私の結論ですね。

―そうした仕組みの存在を知った今、鳩山さんはどのような思いなのでしょうか。

鳩山  日米合同委員会に乗り込んでいきたいぐらいだね。「何をやってるんだ、おまえら!」みたいな感じで。

 ただ、そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。


矢部  このような「見えない力」の存在は、政権内にいないと、野党の立場ではまったく知り得ないものなのでしょうか?

鳩山  私も自民党時代がありましたので、8年は政権党にいたわけですが、当選1回や2回の新人議員の間は、官邸内部で何が動いているか知りようもありませんでした。でも与党の一員としては扱ってもらっていたと思います。

 それが野党となると、与党、特に与党の中枢の方々とは情報量が圧倒的に違う。官僚も野党に話す場合と与党に説明に行く場合では、丁寧さも説明に来る人の役職も全然違う。そのぐらい野党に対しては、官僚は区別し、冷たい対応をしていました。

 つまり、自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

 この先、特定秘密保護法によって、ますます国民には何も知らせない国になるわけで、非常に恐ろしいことだと思います。

日本全土が「米軍の基地」という現実

矢部  「横田空域」という、1都8県の上に米軍が管理している広大な空域がありまして、日本の飛行機はここを飛べない。これなんか典型的な「米軍が自由に日本の国土を使える」事例ですね。

鳩山  私も横田空域のせいで、日本の航空会社が非常に不自然な飛行ルートで飛ばされていることは知っていましたが、「沖縄と同じように、米軍の優位性というのが東京や関東周辺にもあるんだな」という程度にしか理解していなかった。

 しかし、具体的に図を見ると、関東上空がこれほど広範囲に米軍に「占領」されているという事実に仰天しますよね。沖縄だけではなくて、実は日本全体がアメリカに今でも支配されているも同然ですから。

矢部  飛行ルートの阻害もありますが、それより問題なのは、米軍やCIAの関係者が日本の国境に関係なく、この空域から自由に出入りできる、入国の「裏口(バックドア)」が存在することです。これはどう考えてもおかしな話で、こんなことは普通の主権国家ではあり得ません。

 この問題なんて国際社会にアピールしたら、みんなすごく驚くと思うんです。これは今、日本で起きているほかの問題、特に原発の問題にも絡んでくる話ですが、日本という国が置かれている状況の歪(ゆが)みやおかしさを伝えるいい事例になると思っています。

 結局、日米安保条約とは、米軍が「日本の基地」を使う権利ではなく、「日本全土」を基地として使う権利を定めたものなのです。

 旧安保条約の第1条で米軍にその権利が認められ、60年の安保条約で文言は変わっていますが、その権利は残されている。これを「全土基地方式」というのですが、これはなんとしても国際社会にアピールして変えていかないといけない

鳩山  矢部さんの本だと、米軍がそんなことをできる根拠は、敗戦国である日本を今でも「敵国」と見なした、国連憲章の「敵国条項」があるから、という話でしたが。

矢部  そこの説明は少し複雑で、旧安保条約第1条には、そうしたメチャクチャな軍事利用のあり方は、日本側が望み、アメリカ側がそれに応えたものだということが書かれている。そうした戦後処理を日本が望んだ以上、日本の主権や国民の人権がいくら侵害されていても、国連は口を出せないというロジックになっているんです。一種の法的トリックと言ってもいい。

 ですから、日本にちゃんとした政権が誕生して、国際社会で堂々と議論し、「全土基地方式はやめてくれ」と言ったら「それは敵国条項があるから無理だ」とは絶対ならないと思います。


米軍の占領状況を米国民に訴えろ!

鳩山  矢部さんのような方の努力もあって、私もようやく目隠しが外れて真実が見えてきたわけですが、問題はそこから先をどうするかです。やはり一部の人たちだけが目隠しを外すんじゃなくて、日本の国民の多くに触れられるPR戦術というか、日本の戦後の背後には何があるのかをきちんと解き明かす手段が必要だと思いますね。

 それと、日米関係に関わっている米軍関係者を除けば、アメリカの議会や国民は日米合同委員会なるものがどういう役割を果たしてきたのか、それが今も日本の主権をさまざまな形で侵害している事実も知らないと思います。しかし、こうした状況はアメリカの国民から見ても「異常なこと」だと映るはずですから、われわれが海外、特にアメリカの議会や国民に対して「日本は今も事実上、米軍に占領されているけれど、本当にこれでいいのか?」と訴えることが重要です。

矢部  情報発信という意味では、今、ドイツなど多くの国が日本の原発汚染に対して「何を考えてるんだ!」って相当に怒っている。基地の問題だけだと「勝手にやっててくれ」となるかもしれないけれど、原発の問題はそうはいかない。全地球的な問題です。

 あれだけ深刻な原発事故を起こした日本がなぜ、今再び原発推進への道を進もうとしているのか? その背景には「日米原子力協定」という、自国のエネルギー政策すらアメリカの同意なしには決められないという、客観的に見ても非常に歪(いびつ)な構造がある。それをうまく国際社会にアピールできたら、こうした日本の歪んだシステムに世界の光が当たる可能性はあります。


鳩山  そうですね、日本のメディアも完全に取り込まれてしまっているのであれば、基地の問題だけではなく、原発も併せて海外に訴えるほうが、圧倒的に意義があると思います。

ただし、そうした「外圧」に頼るだけでなく、結局はこの国の政治を変えない限り、そして多数派にならない限り、こうした流れは大きく変えられません。

*2015.03.16 NEWSポストセブンより

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」

東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。

※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。

「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」

 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。

 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。

「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決め(※注2)になっているからです。」

※注2/1996年2月に、日米両政府は日米地位協定の9項目についての運用改善で合意。「日米合同委員会の公表」もそこに含まれた。しかし、結果的に「合意内容」の公表こそ一部改善はされたものの、会合内容が公表されることはなかった。

 「基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい」

 必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。(終わり)
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991  

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「「日米合同委員会」「国会を関与させないための仕掛けだったんです」吉田敏浩氏インタビュー:岩上安身氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/21239.html
2016/12/6 晴耕雨読

https://twitter.com/iwakamiyasumi

12月2日(金)「岩上安身による『日米合同委員会の研究』著者・吉田敏浩氏インタビュー」の実況を行います。

戦後日本社会における最大のタブーとも言える「日米合同委員会」の実態について、岩上安身が吉田氏にお話をお聞きします。

岩上「吉田さんは今はフリーのジャーナリストですけれど、どういった所から取材を始めましたんですか?」

吉田氏「大学在学中からビルマ(現・ミャンマー)のことを取材を始めました。これまでに新聞社などの社員になったことはなく、ずっとフリーです」

岩上「まず、そもそも日米合同委員会とはいったい何か?といったところから入っていきたいと思います。日米合同委員会は、港区南麻布のニューサンノー米軍センターというところで開催されているんですね」

吉田氏「最寄り駅では地下鉄広尾駅です」

吉田氏「日米合同委員会について本格的に調査した記事や本はほとんどありません。ここで密約を作り、国会での審議を通すことなく、米軍に有利な取り決めが次々と作られているのです」

吉田氏「ニューサンノー米軍センターには、銃を持った日本人警備員がいます。本来は日本人は銃刀法違反になるので銃を持ってはいけないんです。しかし、日米合同委員会での密約で持ってよいことになっているんですね」

岩上「米国と日本の関係というよりも、在日米軍と日本の関係になっているんですね。日本は米軍の下部組織にすぎないと」

吉田氏「日米合同委員会で話し合われている内容は、在日米軍から本国の統合参謀本部まで上がっています」

岩上「基本的には、在日米軍の利益を図ることが最優先になっているんですね」

吉田氏「辺野古新基地建設について、キャンプ・シュワブの水域を立ち入り禁止にしたのも、日米合同委員会での決定によります。しかし、どう話しあわれたかは分からないのです」

吉田氏「既存大手メディアの中でこの日米合同委員会について報じたのは、1957年の読売新聞の記事くらいです。やはり文書が出てこないということと、メディアまでもが日米同盟を神聖不可侵なものと捉えているからではないでしょうか」

岩上「この、黒塗りになっている『日米合同委員会議事録インデックス』とは何ですか?」

吉田氏「私の開示請求に対して、表紙だけが出されました。つまり表紙があるということは、中身があるということですよね。しかし、肝心のその中身はすべて不開示です」

岩上「さて、次のチャプターに移りたいと思います。なぜ、在日米軍兵士は正当に裁かれないのか。その背景には、日米合同委員会で合意された『裁判権放棄密約』『身柄引き渡し密約』『民事裁判権密約』がある、と」

吉田氏「『裁判権放棄密約』とは、米軍兵士の公務外の犯罪を日本が裁くな、というものです。その理由は『兵士の士気の維持』と『部隊の人員充足』というもの」

岩上「ちょっと、呆れ返るような理由なんですけど」

吉田氏「米兵犯罪者は、不起訴が多いんです。その一件一件の報告書が存在するはずです。しかしこれを法務省に情報開示請求をしても、文書が出てこないし、出てきたとしても黒く塗りつぶされているんです。これでは、検証のしようがありません」

吉田氏「民主党政権の時、岡田克也外相のもとで外務省の密約調査が行われました。その時に、この『裁判権放棄密約』に関する文書が部分的に出てきたんですね」

岩上「しかしこういうことがあったため、民主党政権はつぶされたのだとも言えるでしょう」

吉田氏「この『裁判権放棄密約』に関しては、法務省から『米軍関係者を特別扱いしますよ』という通達が出されています」

岩上「日本の司法が在日米軍に完全に従属してしまっている、ということですね」

岩上「その結果、日本の裁判が今どうなっているか、ということです。この密約は今も生き続けている、と」

吉田氏「公務外の米軍人・軍属の刑法犯は起訴率17.4%。一方で、全国の一般刑法犯は起訴率45.4%です。明らかな違いがあるのです」

岩上「さらなる驚きの事実です!なんと最高裁にも在日米軍のための裏マニュアルがあったと」

吉田氏「これは、最高裁判所の事務総局が作成したものです。民事裁判で、米軍は証拠提出も証人出頭もしなくてもよい、という内容です」

吉田氏「日米合同委員会での密約文書には、『合衆国の利益を害すると認められる場合には、かかる情報を公表し、又は使用に供することができない』と書かれています。これが、最高裁判所の裏マニュアルに書かれているのです」

岩上「これはショックです」

岩上「この『民事裁判権密約』が事件の真相解明を阻んだ事例が、1977年9月27日の横浜米軍機墜落事件なんですね」

吉田氏「この裁判では、米軍関係者は最後まで出廷せず、事故調査報告書の提供も行われませんでした」

岩上「さて、次のチャプターが米軍による航空管制の問題です。米軍の横田基地上空は『横田ラプコン』と呼ばれ、日本の民間航空機が入れないようになっていますね」

吉田氏「はい、これもまた日米合同委員会での密約にもとづいています」

吉田氏「これも密約文書そのものは不開示なのですが、外務省の裏マニュアル『日米地位協定の考え方』からその内容は分かります。それによると横田空域について『合同委員会の合意のみしかなく、航空法上積極的な根拠規定はない』などと書いてあります」

吉田氏「日米合同委員会の密約文書では『事実上の問題として委任した』となっています。つまり法的根拠はなにもないけれど、既成事実を合同委員会が追認する、ということなんです」

岩上「つまり占領体制が、今も既成事実として今も続いているということですね」

岩上「こうした空域は、横田だけではなく沖縄にもありますね。それが嘉手納ラプコンです。これは一応、2010年に日本側に移管されました。しかし実態は、新たに『アライバル・セクター』というものが設置されていたと」

岩上「密約というものは、1950年代に生まれたものだと思われてきました。ところがこの嘉手納ラプコンの問題でも分かるように、今も日米合同委員会の中でドンドン密約が生まれているんですね!? これは本当に驚きです」

岩上「ここまでは沖縄の空域に関する話だったんですけど、実はこうした空域制限は全国に拡大されていると。それが『アルトラブ』ということだというのですが」

吉田氏「移動型と固定型がありますが、日本列島を縦断するかたちで米軍専用に設定されています」

岩上「さて、最後のチャプターです。いったい、この日米合同委員会はそもそも何のために作られたのか、という点です」

吉田氏「日米合同委員会の前身に予備作業班というものがありました。これが、国会を関与させないための仕掛けだったんです」

吉田氏「そしてその上で、米軍の特権を保障するための国内立法措置が次々と講じられていくことになります。例えば国有財産管理法では、米軍基地のために国有地を無償で提供できることになっています。他にも土地等使用特別措置法では、民有地の強制収用も」

吉田氏「なんでこんなことになってしまっているかというと、日本には『安保法体系』と『憲法体系』の2つが存在しているからだと思います。そして、前者が後者を侵食している。そのことを可能にする装置として機能しているのが日米合同委員会なのです」

岩上「そしてこの、『安保法体系』の前身が『占領管理法体系』であると。天皇による勅令のうえに、連合国最高司令官(マッカーサー)の指令や覚書が位置していたと」

岩上「長時間となりましたが、最後にまとめをお願いします」

吉田氏「戦後の日本には、『憲法体系』の外に『安保法体系』と日米合同委員会の『密約体系』がある。そしてそれが、今も米軍の占領体制を継続させているのではないでしょうか」

以上で「岩上安身による『日米合同委員会の研究』著者・吉田敏浩氏インタビュー」

の実況を終了します。動画アーカイブは準備が整い次第、IWJのホームページ(http://iwj.co.jp/ )にアップいたします。


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「米側の代表者が軍人であることは、現在も日本がGHQの占領継続下にあることの象徴です:兵頭正俊氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/21257.html
2016/12/9 晴耕雨読

https://twitter.com/hyodo_masatoshi

日米合同委員会。


米側の代表者が軍人であることは、現在も日本がGHQの占領継続下にあることの象徴です。


日本もいずれ「制服組」がこの場に出席することになるでしょう。


日本には、すでに文官統制も文民統制(シビリアンコントロール)も、ありません。


観念の「制服組」(安倍晋三)が、武器輸出を可能にしました。


集団的自衛権行使を可能にし、これからアフリカ・中東に参戦し、改憲もやるでしょう。


制服を着ているか否かの違いだけであって、この国の軍事は「背広を着た制服組」(安倍政権)にすでにとって代わられています。


日米合同委員会。


米日1%は、植民地を永続化するために、日本を軍事国家に変えます。


軍人の権力を拡大し、最終的には日米合同委員会を、宗主国の軍人と植民地の軍人とで仕切ることになるでしょうね。


>矢部宏治日米合同委員会を特集した報道ステーションに拍手。こうした形でジワジワと事実が国民に広まっていく。しかしなぜメイン・コメンテーターに、安保村代表の後藤謙次などを使っているのか。「日米合同委員会は単なる手続き機関」というコメントは全くの虚偽。それなら協議内容を完全非公開にする筈がない 


日米合同委員会。


米側代表は在日米軍司令部副司令官。


これは戦勝国にして宗主国の軍人が、まだ占領の延長上であることを威圧的に示していますね。


同時に、実際の政治的な権力者が出席しているのだと思います。


軍人の位置づけが米国は高いですからね。


>Tad #報ステ 日米合同委員会 鳩山元総理「日本側は高級官僚が出席しても、アメリカ側は高級官僚ではなく軍人が出席する。まさに占領されているのに等しいと思います」

日米合同委員会からは多くの検事総長を出しています。


つまり、日米合同委員会には官僚の最高のエリートが出席しています。


実質的な日本の重要な政策はここで決められます。


ここで決められたことが官僚によって法案化され、政府に降ろされるのです。


>萩原 一彦 見てない人は見たほうがいい。今の日米政府がとっても不均衡な力関係にあることがわかる。国民の代表ではない日本の高級官僚と、米国民の代表ではなく高級官僚ですらない米軍人が日本の運命を決める。→報ステ特集「日米合同委員会と日米地位協定」憲法を越える存在!?非公開の日米合同委員会20161206houdoustation @gomizeromirai より - http://www.dailymotion.com/video/x54jwia_%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81

日本の現実は、上位法として、日米合同委員会で作る不可視の「密約法体系」があります。


続いて安保法体系が存在しています。


その後に下位法として憲法が存在しているのです。


これが植民地日本の現実です。


>徳永みちお 官僚が服従を誓う相手は国民でもなく、政治家でもなく、日米合同委員会だ。日本の政治、行政、司法の歪さの原因の一端は日米合同委員会という存在にある。


実は、自民党がいくら気張って新しい憲法を作ったとしてもあまり意味はないのです。


憲法の上に安保法体系が存在し、さらにその上位に日米合同委員会などの不可視の密約法体系が存在するからです。


日本は大きな虚妄の上に成り立った国家なのです。


>よーすけ 鳩山由紀夫のこの証言により日本の基本政策が、日米合同委員会で決められてる事が明らかになったと言える。いわばGHQの延長がこれである。これに逆らったために鳩山氏も嘗ての田中角栄も総理の座を追われたとも言える。許しがたい仕組みである。


安倍晋三が、極端なまでに軍事国家建設に走っています。


これは、背広を着た制服組(安倍晋三)が、背広組のトップに立っているのと同じです。


すでに文民統制(シビリアンコントロール)は、実質的な制服組(安倍晋三)に奪われているのです。


いずれ日米合同委員会に、自衛隊の幹部が出席するようになるでしょうね。


つまり植民地を永続化するために、日本を軍事国家に変える。


軍人の権力を拡大し、日米合同委員会を、宗主国の軍人と植民地の軍人とで仕切る。


その可能性が強くなっています。


安倍晋三は、12月の26、27両日、ハワイでオバマに会うが、プレゼントに「カジノ法案」を強行採決する。


宗主国でのカジノが斜陽になった現在、自国にうじゃうじゃといるギャンブル依存症には目をつぶり、わずか6時間の審議で衆議院可決させた。


安倍晋三が真珠湾を訪れる。


保守の反発を恐れて、首相周辺は、首相は訪問に際して謝罪は予定していない、と必死だ。


「犠牲者の慰霊のための訪問だ」。


バカである。


戦争のできる国へと日本を堕落させ、軍拡に努め、南スーダンにも派兵している。


矛盾したその場しのぎを平気で口にする。


安倍晋三がハワイの米国記者たちに「謝罪はしない」といえるかといえば、とてもおぼつかない。


しかし、こういうことは明確にいわねば、米国では一方的に謝罪にきた、と喧伝され、その見方が定着するだろう。


相手がどう受け取るか。


これが、かれの世界では一貫して欠如している。


「主観の嘘」ばかりだ。


太平洋戦争は、米国に開戦へと追い込まれた、強いられた戦争であった。


真珠湾攻撃も、事前に米国は知っており、参戦の大義を得るために、あえて日本に奇襲させたのである。


このことは米国ばかりか、すでに世界の共通理解になっている。


日本国民だけが米日1%に都合の悪い歴史を知らされていないのだ。


@米国の言い分は、太平洋戦争は日本の宣戦布告なしのパールハーバー急襲から始まり、広島・長崎への原爆投下によって終わった、というものだ。


原爆投下は、戦争を終わらせるためにやむを得ないものであった、とする。


オバマの広島見物はこのストーリー強化の第一幕だった。


A卑怯な真珠湾奇襲、のストーリーを完成させるためには、第二幕として日本の首相にパールハーバーを訪問させ謝罪させなければならない。


そこで初めて米国は太平洋戦争の贖罪意識を払拭できるのだ。


パールハーバーによって広島・長崎を相対化するのだ。


広島とパールハーバーを両国の首脳が相互訪問する戦略は、 1 米国の広島・長崎への贖罪意識の払拭 2 米日軍事同盟の強化 の2点から成っている。


行き着く果ては米日軍事同盟の強化なのだ。


第一幕はすでに上がった。


オバマの広島見物で日本が失ったものは大きい。


相当に国民の暮らしが苦しくなり、生活保護の受給者が増えてきています。


「死ね死ね団」安倍晋三の悪政が、追い詰めているのです。


結局は社会コストの増大になって跳ね返っています。


安倍には自分のやっていることの意味がわかっていませんね。


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なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟 内閣改造でも絶対に変わらないこと
2017.08.05 矢部 宏治  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

■事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。

<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

■北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

■「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c5

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
16. 中川隆[-10866] koaQ7Jey 2019年4月07日 02:12:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1164]

日本がいくら輸出で稼いでも、日本人が全然豊かにならない理由


植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は
ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった
2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳


ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。

 一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。

 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。

 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。

 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。

 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。

 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。

驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる


このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である


 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである


 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。

 しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。

「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c16

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
17. 中川隆[-10865] koaQ7Jey 2019年4月07日 02:20:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1165]

日本がいくら輸出で稼いでも、日本人が全然豊かにならない理由 _ 2


外国観光客が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている

2018年1月22日
外国人に媚びない観光サービス


現在の日本における観光サービスは、
何というか「外国人に媚びまくる」形で
発展していっています。

いつの間にか、鉄道の電光掲示板に
簡体字やらハングルやらの文字が。

英語なら百歩譲って分かりますが、
なぜ特定のアジアの方々に向けた
掲示板のせいで、日本国民が
迷惑をこうむらなければならないのでしょう。

一事が万事、この調子。

そもそも、世界で最も外国人観光客が
訪れるフランスのパリには、
英語の表記すらありません。

パリのホテルで、

「英語のマップをくれ」

とフロントマンに言ったところ、
冷たく「ない」と言われました。

フランスの観光サービスは、
外国人に対して全く媚びていない。

それにも関わらず、
世界一なのでございますよ。

日本が本格的に「観光大国」を
目指すならば、あの煩わしい
簡体字とハングルを外すべきでしょう。

日本国民が、日本中の観光地を訪れ、
結果、日本の観光サービスが隆盛を極め、
質が高いサービスを目指して
外国人が「苦労しながら」やってくる。

これならば、分かります。

とはいえ、現実の日本の観光サービスは、
外国人観光客「様」に媚びるのが基本です。

良質のサービスを「安く」供給することで
リピーターを増やすという、まさしく
デフレ国の国民に相応しい落ちぶれた
スタイルで「観光立国」を目指しています。

挙句の果てに、民泊を拡大。

兵庫県養父市の特区では、白タクを解禁。

東北新幹線を走る「E5系」などの車両で、
今年の夏から順次、乗客がWi─Fi(無線LAN)の
サービスを利用できるようにすると発表。

理由は「中国人観光客様」の
利用需要が高まっているためです。

外国人「様」にひたすら媚び、
観光サービス業が外国人に懸命に
頭を下げ続けたところで、年間の
訪日外国人の旅行消費額は4・4兆円。

高々、4.4兆円。

それに対し、日本の個人消費
(民間最終消費支出)は
300兆円規模になります。

国民が一年間にわずか2%、
消費を増やすだけで、訪日客の
消費以上の経済効果になるのです。

それにも関わらず、政府は
緊縮財政で国民の消費を押さえつけ、
観光関連の規制を次々に緩和していく。

結果、日本国民は東南アジアで
トゥクトゥクを漕ぐがごとく、その日の
生計を立てるまでに落ちぶれるわけです。

大本の緊縮財政路線、財政均衡主義を
打ち破らない限り、我が国は観光サービスを
先頭に発展途上国化していくと思います。
https://38news.jp/economy/11544


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2017年10月20日
観光立国神話の間違い 外人観光客誘致は日本を貧しくしている

「貿易黒字が回復」「貿易赤字が悪化」のように言うのは間違い
引用:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024001223_comm.jpg


「輸出は良いこと」と言う間違い

日本には「輸出は良いこと」で「輸入は悪いことだ」という考え方が、徳川300年の因習のように染み付いています。

しかもこう信じている総本山が自民党幹部だったり、経産省や財務官僚、東大教授、経団連トップだったりします。

無学な人間ががどう喚いても総本山は自分が正しいと思っていて、改める気配すらありません。


安倍首相のアベノミクスも良く言われるように大企業偏重で、もっと言えば輸出企業偏重でした。

それを象徴するように大新聞やテレビは日本の貿易黒字が増えると「稼ぐ力が戻った」と大喜びしました。

財務省や経産省や自民党も「貿易黒字が”回復した”」とガンが直ったように喜んでいました。


アベノミクスでは貿易黒字を増やすために観光客誘致に力を入れ、2016年に2000万人を達成し、2017年は2500万人以上が確実になっています。

外国人が金を使うのは自動車を輸出するのと同じで、日本が儲かる=良い事だと皆思っています。

政府は輸出や観光客を増やすために円安に誘導し、現在は1ドル112円程度で推移しています。


ところが為替レートは日米の物価上昇率によって、同じ数字でも実効為替レートはどんどん変動しています。

たとえば日本の物価上昇率が20年間ゼロ、同じ期間アメリカは2%だったとすると、同じ為替レートでも実質的に、毎年2%円安になっています。

現在の1ドル112円は1995年時点の、130円か140円に相当する「超円安」になっています。


仮に今後1ドル80円になっても、1995年時点の1ドル100円以上でしかない筈で、円安の恩恵を受けて貿易黒字になったのが良く分かります。


輸出と観光偏重が日本を貧しくする

では貿易黒字で儲かったからこのまま続ければ良いのではないか、とも思えるがそうは行きません。

日本の貿易黒字で喜ぶのは日本人だけで、貿易相手はみんな不愉快になり怒り出します。

中国の貿易黒字が増えたとき、日米では中国人への反感が高まりましたが、80年代には欧米で「ジャパンバッシング」がありました。


日本がこのまま輸出を増やして貿易黒字を増やすと、間違いなくジャパンバッシングは復活するでしょう。

さらに貿易黒字だけが拡大し続けると、儲かった外貨の一部は日本円に交換されるので、円高圧力がどんどん高まります。

80年代に貿易黒字を溜め込んだ日本は、1995年の超円高で全て吐き出す破目になりました。


超円高や阪神大震災の傷も癒えて、小泉政権で再び貿易黒字を溜め込んだが、2011年の超円高でまた吐き出しました。

言っては悪いが「大食い選手権」で食えるだけ食って、トイレで吐いている大食い芸人と同じです。

これらで分かるのは輸出で儲けてから吐き出すには10年以上の時間差が有った事で、恐らく安部首相も引退する2030年までに次の超円高が起きます。


もっと前にも「高度成長期」に溜め込んだ貿易黒字を1985年プラザ合意の超円高で吐き出しています。

1971年にはニクソンショックによって1ドル360円の固定レートが廃止され、変動相場制に移行しています。

これら全ては、日本が貿易黒字で儲けすぎたのに欧米諸国が反発し、為替レートを上げる事で調整した結果でした。


10年か20年ごとに同じ事を繰り返しているわけで、偉い人達もいい加減に学習して欲しいです。


輸出するには同額の輸入が必要

ではどうすれば良いのかというと、実は非常に簡単な話で、輸出と同じ金額の輸入をすれば良いだけです。

自動車を100万台輸出しようが1000万台輸出しようが、同額の輸入をすれば為替相場は円高に動きません。

”偉い人達”は輸出を喜んで輸入を毛嫌いしていますが、その原因になっているのは恐らく、財務省の勘違いです。


財務省はGDPの計算方法で「輸出はプラス」「輸入はマイナス」にしていて、間違いではないが非常に誤解を与えています。

「輸出はプラス」に異論はないが「輸入はマイナス」の部分は、まるで輸入するほど日本のGDPが下がっているような印象を与えています。

毎回同じ例を挙げるが、例えばアメリカから100グラム50円で牛肉を輸入したとします。


スーパーで売るときには100gあたり150円とか300円になり、3倍から5倍もの値段で販売されています。

さらに牛肉は牛丼になったり、しゃぶしゃぶ、ステーキなどになり国内で付加価値がついて販売されています。

日本が輸入する大半は原料なので、輸入した価格の何倍もの価値が国内でつけられ「輸入によってGDPが増えている」のです。


アイフォンのような完成品でさえ、輸入したものを販売しサービスし課金されることで、やはり何倍もの付加価値が国内で生まれます。

輸出がGDPに貢献しているのと同様に、輸入もGDPに貢献していて、国内で付加価値が生まれているので分かり難いのです。

日本政府が輸出を増やしたいのなら、同額の輸入を増やすべきだが「輸出だけ増やせ」と言うから必ず失敗するのです。


今回の「安倍景気」も輸出だけに偏重するのなら、小泉景気と同じく、10年後に無残な失敗に終わるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/73197193.html

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日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入 2018年04月30日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html

なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!


日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!


日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。

文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。


マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。


公道カートなんて、

日本人が馬鹿にされているんですよ。

わかりますか?

貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。


対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)


公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28

やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。

私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。


外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)


未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。


一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。


外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?

ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?


それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。

金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。


それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。

(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)

こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。


日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。

例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。

もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。

でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?

日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。


これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。

外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。


外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。

今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。


これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。


外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る


「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。


この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。


https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html

https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html


日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。

安倍首相が人為的に操作しているのです。

日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。

グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。


貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。

観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。

押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)


私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。

パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。

世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。

「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html


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世界でバカにされる日本人 - 今すぐ知っておきたい本当のこと - (ワニブックスPLUS新書)
谷本 真由美 ワニブックス 2018-08-22
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GDB23F7?tag=cakespoc-22


海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698


日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。

特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。

ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。

相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」

ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。

子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。

ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。

生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。

さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。

彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。

ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。

これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。

東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。

そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。

また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。

東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。

ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。

日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。

言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。

魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。

そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。

もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。

しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。

アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。

そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。

こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。

日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。

日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。

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地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html


落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)


 東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)


 地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。

 「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。

 「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」

 壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。

 2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。

 日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。

 ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。

 ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。

 昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。

 前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。

 日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html

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自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html


以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印


海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。

こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。


ところで、こんなニュースがひっそりとありました。


9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。


 小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
 下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。

ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ

以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。


欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。


日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜

今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。

今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*


インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。


【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」


ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。


日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。

とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?

日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。


<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。

この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。


 現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。

 私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。


仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。

このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。

だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。


それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?

大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。

中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?


南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。


外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。


日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。


よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。

そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。


私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。

むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。


外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。


その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。

日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。


海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。

元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応


プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。


国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。


EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。

それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。


だからといって野党を応援しているわけではありません。

「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」

このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。

工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?

内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る


ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。

「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及

自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。


移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。


日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。

携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。

そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。


余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。

人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。

それをやるのが政治です。

それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る


日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。

外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。

日本人 大丈夫?

日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html


▲△▽▼

日本に来る外人観光客が増えたのは日本の物価が先進国で一番安いからだった

外国人観光客が、なぜ日本に殺到するのか。
それは、良い品質やサービスが異様に安いからです。

はっきり言いますが、一部のサービスについて、日本はすでに東南アジアよりも安いのです(しかも、品質は良い)。


 日本国は、デフレにより貧国化しました。ところが、確かに「日本人の優秀性」というものは存在し、低価格の製品やサービスであっても、相対的に品質は高いのです。それはまあ、外国人観光客が、 「安く良いものが手に入る」と、日本国に殺到するわけです。


我が国は97年の橋本緊縮財政により経済がデフレ化し、「ヒトが買い叩かれる時代」が始まりました。


 経営者は設備投資をせず、資本装備率はだだ下がり。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「ヒトの根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至ります。


 とはいえ、少子高齢化、生産年齢人口比率の低下を受け、すでに「優秀で真面目な日本人を安く買い叩ける」時代は終了しました。


 ところが、経営者は未だにデフレマインドのままで、「ヒトを安く買い叩く」ことのみを求め、資本主義に必須の「リスクを伴う生産性向上のための投資」に乗り出そうとしません。


 とはいえ、生産年齢人口の縮小という「巨大な圧力」は、企業経営者に否応なしに「生産性向上のための投資」を迫ります。つまりは、政府が人手不足の問題を「放置」しておけば、企業は生産性向上のための投資に乗り出さざるを得なかったはずなのです(実際には、始まっていますが)。


 それにも関わらず、安倍政権はどう動いたか。
「人手不足ならば、移民(外国人労働者)を入れよう」
 と、日本人の生産性向上ではなく、移民受入で人手不足を埋めようと図る。


 これ以上、最悪の選択は、思いつきません。


 こんな国は、普通に亡びます。むしろ、亡ばない理由を教えて欲しいです。


 何しろ、少子化で日本人が少なくなっていく反対側で、出生率が高い移民受入を拡大しようとしているわけです。半世紀後には、日本列島に住む日本人は少数派になっていることでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12410850852.html

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「東京」が初のトップに!英国人にとってお得な長距離旅行先―英メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年9月21日(木) 15時50分


英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

この「長距離旅行報告」という名の年度調査はコーヒー1杯、ドリンク1本、コーラ1缶、ワイン1杯、カクテル1杯、板チョコレート1枚、ミネラルウォーター1本、日焼け止めクリーム、虫よけスプレー及びペアのコース料理の10項目のコストにより調査を行っている。

英「デイリーテレグラフ」による調査結果の報道では、東京は10項目の合計が48.9英ポンド(1英ポンドは約151円)で、旅行先30都市のうちトップだった。同調査が開始されてから10年目になるが、東京は初のトップで10項目の費用は去年より23%安くなっており、2012年と比べると60%安くなっている。

トップ10は東京に続き、南アフリカのケープタウン、ケニアのモンバサ、スリランカのコロンボ、ベトナムのハノイ、インドネシアのバリ島、コスタリカのタマリンド、米国のオーランド、マレーシアのペナン島、ドミニカのプンタカナの順となっている。

一方で最も高い旅行先はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで10項目合計160英ポンドという結果になった。ペアのコース料理が1食につき107.85英ポンドかかり、ドリンクは1本は平均で4.07英ポンドとなっている。(提供/人民網日本語版・編集TK)

_________


世界各国のビックマック価格

購買力平価という考え方がある。

世界各国の物価水準は摩擦が無く貿易されれば同じ物なら同じ価格になるように為替水準は調整されるはず、という理論だ。

そして世界中で売られているマクドナルドのビックマックを基準に購買力平価を計算したものが「ビックマック指数」だ。

以下の一覧は2015年1月時点で円換算した際の価格だ(1ドル117.77円 56か国)。

1位 スイス      888円 2.4倍
2位 ノルウェー    742円 2.01倍
6位 アメリカ     564円 1.52倍
15位 オーストラリア 509円 1.38倍
18位 ドイツ      501円 1.35倍
38位 日本       370円 

※ルクセンブルクは調査対象外
(世界のビッグマック価格ランキング 世界経済のネタ帳)
http://blogos.com/article/110634/


500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。

私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。

私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。

しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
http://blogos.com/article/187248/


食事も旅の楽しみの1つですが、スイスでは持ち帰り用のデリでも2,000〜3,000円かかります。

レストランでの食事は、場所にもよりますが、ファミレスのような場所で約2,500円、

雰囲気のよい店舗では最低6,000円は見積もらないといけないでしょう。

さらに良いサービスを受けたときは、10%ほどのチップを支払うのがマナーですので、それも勘定にプラスしなければなりません。

スイスのビックマックセットは12スイスフラン(1,440円)。

ポテトチップスは1袋700円以上します。


物価の高い理由、それはずばり人件費が高いからです。

スイスではファーストフード店でアルバイトした場合でも、時給は2,500円ももらえます。人件費がかかる分、商品の価格が高くなってしまうのです。
http://www.spintheearth.net/travel_switzerland_price/


スイスのチューリッヒは、世界の中でも物価の高い都市として知られる。

駅でミネラルウォーターを買えば4フラン、トイレの使用料に2フラン、つまり水を飲んで用を足すだけで6フラン(約600円)もかかる計算になる。

一説には、高技能職の移民以外は受け入れないために、あえて物価を高くしているとの説もあるほどだ。

一方、スイスの最低賃金は、毎月3500フラン(約35万円)にも上る。

これほどの高賃金だから物価が高くても生活できるわけだが、一般的な経済原則に反して、高賃金にも関わらず失業率も低い。
http://media.yucasee.jp/offshore-news/posts/index/646


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c17

[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
6. 中川隆[-10864] koaQ7Jey 2019年4月07日 02:24:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1166]

日本がいくら輸出で稼いでも、日本人が全然豊かにならない理由

植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は
ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった
2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳


ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。

 一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。

 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。

 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。

 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。

 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。

 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。

驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる


このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である


 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである


 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。

 しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。

「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html


▲△▽▼


外国観光客が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている


2018年1月22日
外国人に媚びない観光サービス


現在の日本における観光サービスは、
何というか「外国人に媚びまくる」形で
発展していっています。

いつの間にか、鉄道の電光掲示板に
簡体字やらハングルやらの文字が。

英語なら百歩譲って分かりますが、
なぜ特定のアジアの方々に向けた
掲示板のせいで、日本国民が
迷惑をこうむらなければならないのでしょう。

一事が万事、この調子。

そもそも、世界で最も外国人観光客が
訪れるフランスのパリには、
英語の表記すらありません。

パリのホテルで、

「英語のマップをくれ」

とフロントマンに言ったところ、
冷たく「ない」と言われました。

フランスの観光サービスは、
外国人に対して全く媚びていない。

それにも関わらず、
世界一なのでございますよ。

日本が本格的に「観光大国」を
目指すならば、あの煩わしい
簡体字とハングルを外すべきでしょう。

日本国民が、日本中の観光地を訪れ、
結果、日本の観光サービスが隆盛を極め、
質が高いサービスを目指して
外国人が「苦労しながら」やってくる。

これならば、分かります。

とはいえ、現実の日本の観光サービスは、
外国人観光客「様」に媚びるのが基本です。

良質のサービスを「安く」供給することで
リピーターを増やすという、まさしく
デフレ国の国民に相応しい落ちぶれた
スタイルで「観光立国」を目指しています。

挙句の果てに、民泊を拡大。

兵庫県養父市の特区では、白タクを解禁。

東北新幹線を走る「E5系」などの車両で、
今年の夏から順次、乗客がWi─Fi(無線LAN)の
サービスを利用できるようにすると発表。

理由は「中国人観光客様」の
利用需要が高まっているためです。

外国人「様」にひたすら媚び、
観光サービス業が外国人に懸命に
頭を下げ続けたところで、年間の
訪日外国人の旅行消費額は4・4兆円。

高々、4.4兆円。

それに対し、日本の個人消費
(民間最終消費支出)は
300兆円規模になります。

国民が一年間にわずか2%、
消費を増やすだけで、訪日客の
消費以上の経済効果になるのです。

それにも関わらず、政府は
緊縮財政で国民の消費を押さえつけ、
観光関連の規制を次々に緩和していく。

結果、日本国民は東南アジアで
トゥクトゥクを漕ぐがごとく、その日の
生計を立てるまでに落ちぶれるわけです。

大本の緊縮財政路線、財政均衡主義を
打ち破らない限り、我が国は観光サービスを
先頭に発展途上国化していくと思います。
https://38news.jp/economy/11544


▲△▽▼


2017年10月20日
観光立国神話の間違い 外人観光客誘致は日本を貧しくしている

「貿易黒字が回復」「貿易赤字が悪化」のように言うのは間違い
引用:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024001223_comm.jpg


「輸出は良いこと」と言う間違い

日本には「輸出は良いこと」で「輸入は悪いことだ」という考え方が、徳川300年の因習のように染み付いています。

しかもこう信じている総本山が自民党幹部だったり、経産省や財務官僚、東大教授、経団連トップだったりします。

無学な人間ががどう喚いても総本山は自分が正しいと思っていて、改める気配すらありません。


安倍首相のアベノミクスも良く言われるように大企業偏重で、もっと言えば輸出企業偏重でした。

それを象徴するように大新聞やテレビは日本の貿易黒字が増えると「稼ぐ力が戻った」と大喜びしました。

財務省や経産省や自民党も「貿易黒字が”回復した”」とガンが直ったように喜んでいました。


アベノミクスでは貿易黒字を増やすために観光客誘致に力を入れ、2016年に2000万人を達成し、2017年は2500万人以上が確実になっています。

外国人が金を使うのは自動車を輸出するのと同じで、日本が儲かる=良い事だと皆思っています。

政府は輸出や観光客を増やすために円安に誘導し、現在は1ドル112円程度で推移しています。


ところが為替レートは日米の物価上昇率によって、同じ数字でも実効為替レートはどんどん変動しています。

たとえば日本の物価上昇率が20年間ゼロ、同じ期間アメリカは2%だったとすると、同じ為替レートでも実質的に、毎年2%円安になっています。

現在の1ドル112円は1995年時点の、130円か140円に相当する「超円安」になっています。


仮に今後1ドル80円になっても、1995年時点の1ドル100円以上でしかない筈で、円安の恩恵を受けて貿易黒字になったのが良く分かります。


輸出と観光偏重が日本を貧しくする

では貿易黒字で儲かったからこのまま続ければ良いのではないか、とも思えるがそうは行きません。

日本の貿易黒字で喜ぶのは日本人だけで、貿易相手はみんな不愉快になり怒り出します。

中国の貿易黒字が増えたとき、日米では中国人への反感が高まりましたが、80年代には欧米で「ジャパンバッシング」がありました。


日本がこのまま輸出を増やして貿易黒字を増やすと、間違いなくジャパンバッシングは復活するでしょう。

さらに貿易黒字だけが拡大し続けると、儲かった外貨の一部は日本円に交換されるので、円高圧力がどんどん高まります。

80年代に貿易黒字を溜め込んだ日本は、1995年の超円高で全て吐き出す破目になりました。


超円高や阪神大震災の傷も癒えて、小泉政権で再び貿易黒字を溜め込んだが、2011年の超円高でまた吐き出しました。

言っては悪いが「大食い選手権」で食えるだけ食って、トイレで吐いている大食い芸人と同じです。

これらで分かるのは輸出で儲けてから吐き出すには10年以上の時間差が有った事で、恐らく安部首相も引退する2030年までに次の超円高が起きます。


もっと前にも「高度成長期」に溜め込んだ貿易黒字を1985年プラザ合意の超円高で吐き出しています。

1971年にはニクソンショックによって1ドル360円の固定レートが廃止され、変動相場制に移行しています。

これら全ては、日本が貿易黒字で儲けすぎたのに欧米諸国が反発し、為替レートを上げる事で調整した結果でした。


10年か20年ごとに同じ事を繰り返しているわけで、偉い人達もいい加減に学習して欲しいです。


輸出するには同額の輸入が必要

ではどうすれば良いのかというと、実は非常に簡単な話で、輸出と同じ金額の輸入をすれば良いだけです。

自動車を100万台輸出しようが1000万台輸出しようが、同額の輸入をすれば為替相場は円高に動きません。

”偉い人達”は輸出を喜んで輸入を毛嫌いしていますが、その原因になっているのは恐らく、財務省の勘違いです。


財務省はGDPの計算方法で「輸出はプラス」「輸入はマイナス」にしていて、間違いではないが非常に誤解を与えています。

「輸出はプラス」に異論はないが「輸入はマイナス」の部分は、まるで輸入するほど日本のGDPが下がっているような印象を与えています。

毎回同じ例を挙げるが、例えばアメリカから100グラム50円で牛肉を輸入したとします。


スーパーで売るときには100gあたり150円とか300円になり、3倍から5倍もの値段で販売されています。

さらに牛肉は牛丼になったり、しゃぶしゃぶ、ステーキなどになり国内で付加価値がついて販売されています。

日本が輸入する大半は原料なので、輸入した価格の何倍もの価値が国内でつけられ「輸入によってGDPが増えている」のです。


アイフォンのような完成品でさえ、輸入したものを販売しサービスし課金されることで、やはり何倍もの付加価値が国内で生まれます。

輸出がGDPに貢献しているのと同様に、輸入もGDPに貢献していて、国内で付加価値が生まれているので分かり難いのです。

日本政府が輸出を増やしたいのなら、同額の輸入を増やすべきだが「輸出だけ増やせ」と言うから必ず失敗するのです。


今回の「安倍景気」も輸出だけに偏重するのなら、小泉景気と同じく、10年後に無残な失敗に終わるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/73197193.html


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日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入 2018年04月30日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html

なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!


日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!


日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。

文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。


マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。


公道カートなんて、

日本人が馬鹿にされているんですよ。

わかりますか?

貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。


対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)

公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28

やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。

私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。


外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)


未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。


一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。


外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?

ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?


それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。

金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。


それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。

(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)

こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。


日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。

例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。

もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。

でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?

日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。


これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。

外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。


外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。

今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。


これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。


外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る


「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。


この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。


https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html

https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html

日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。

安倍首相が人為的に操作しているのです。

日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。

グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。


貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。

観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。

押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)


私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。

パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。


世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。

「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html


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世界でバカにされる日本人 - 今すぐ知っておきたい本当のこと - (ワニブックスPLUS新書)
谷本 真由美 ワニブックス 2018-08-22
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GDB23F7?tag=cakespoc-22


海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698


日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。

特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。

ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。

相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」

ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。

子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。

ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。

生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。

さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。

彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。

ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。

これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。

東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。

そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。

また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。

東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。

ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。

日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。

言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。

魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。

そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。

もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。

しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。

アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。

そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。

こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。

日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。

日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。


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地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html


落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)


 東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)


 地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。

 「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。

 「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」

 壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。

 2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。

 日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。

 ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。

 ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。

 昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。

 前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。

 日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html


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自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html


以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印


海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。

こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。


ところで、こんなニュースがひっそりとありました。


9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。


 小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
 下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。

ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ

以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。


欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。


日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜

今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。

今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*


インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。


【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」


ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。


日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。

とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?

日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。


<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。

この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。


 現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。

 私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。


仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。

このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。

だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。


それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?

大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。

中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?


南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。


外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。


日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。


よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。

そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。


私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。

むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。


外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。


その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。

日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。


海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。

元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応


プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。


国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。


EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。

それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。


だからといって野党を応援しているわけではありません。

「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」

このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。

工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?

内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る


ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。

「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及

自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。


移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。


日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。

携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。

そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。


余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。

人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。

それをやるのが政治です。

それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る


日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。

外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。

日本人 大丈夫?

日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html

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日本に来る外人観光客が増えたのは日本の物価が先進国で一番安いからだった


外国人観光客が、なぜ日本に殺到するのか。
それは、良い品質やサービスが異様に安いからです。

はっきり言いますが、一部のサービスについて、日本はすでに東南アジアよりも安いのです(しかも、品質は良い)。


 日本国は、デフレにより貧国化しました。ところが、確かに「日本人の優秀性」というものは存在し、低価格の製品やサービスであっても、相対的に品質は高いのです。それはまあ、外国人観光客が、 「安く良いものが手に入る」と、日本国に殺到するわけです。


我が国は97年の橋本緊縮財政により経済がデフレ化し、「ヒトが買い叩かれる時代」が始まりました。


 経営者は設備投資をせず、資本装備率はだだ下がり。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「ヒトの根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至ります。


 とはいえ、少子高齢化、生産年齢人口比率の低下を受け、すでに「優秀で真面目な日本人を安く買い叩ける」時代は終了しました。


 ところが、経営者は未だにデフレマインドのままで、「ヒトを安く買い叩く」ことのみを求め、資本主義に必須の「リスクを伴う生産性向上のための投資」に乗り出そうとしません。


 とはいえ、生産年齢人口の縮小という「巨大な圧力」は、企業経営者に否応なしに「生産性向上のための投資」を迫ります。つまりは、政府が人手不足の問題を「放置」しておけば、企業は生産性向上のための投資に乗り出さざるを得なかったはずなのです(実際には、始まっていますが)。


 それにも関わらず、安倍政権はどう動いたか。
「人手不足ならば、移民(外国人労働者)を入れよう」
 と、日本人の生産性向上ではなく、移民受入で人手不足を埋めようと図る。


 これ以上、最悪の選択は、思いつきません。


 こんな国は、普通に亡びます。むしろ、亡ばない理由を教えて欲しいです。


 何しろ、少子化で日本人が少なくなっていく反対側で、出生率が高い移民受入を拡大しようとしているわけです。半世紀後には、日本列島に住む日本人は少数派になっていることでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12410850852.html


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「東京」が初のトップに!英国人にとってお得な長距離旅行先―英メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年9月21日(木) 15時50分


英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

この「長距離旅行報告」という名の年度調査はコーヒー1杯、ドリンク1本、コーラ1缶、ワイン1杯、カクテル1杯、板チョコレート1枚、ミネラルウォーター1本、日焼け止めクリーム、虫よけスプレー及びペアのコース料理の10項目のコストにより調査を行っている。

英「デイリーテレグラフ」による調査結果の報道では、東京は10項目の合計が48.9英ポンド(1英ポンドは約151円)で、旅行先30都市のうちトップだった。同調査が開始されてから10年目になるが、東京は初のトップで10項目の費用は去年より23%安くなっており、2012年と比べると60%安くなっている。

トップ10は東京に続き、南アフリカのケープタウン、ケニアのモンバサ、スリランカのコロンボ、ベトナムのハノイ、インドネシアのバリ島、コスタリカのタマリンド、米国のオーランド、マレーシアのペナン島、ドミニカのプンタカナの順となっている。

一方で最も高い旅行先はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで10項目合計160英ポンドという結果になった。ペアのコース料理が1食につき107.85英ポンドかかり、ドリンクは1本は平均で4.07英ポンドとなっている。(提供/人民網日本語版・編集TK)

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世界各国のビックマック価格

購買力平価という考え方がある。

世界各国の物価水準は摩擦が無く貿易されれば同じ物なら同じ価格になるように為替水準は調整されるはず、という理論だ。

そして世界中で売られているマクドナルドのビックマックを基準に購買力平価を計算したものが「ビックマック指数」だ。

以下の一覧は2015年1月時点で円換算した際の価格だ(1ドル117.77円 56か国)。

1位 スイス      888円 2.4倍
2位 ノルウェー    742円 2.01倍
6位 アメリカ     564円 1.52倍
15位 オーストラリア 509円 1.38倍
18位 ドイツ      501円 1.35倍
38位 日本       370円 

※ルクセンブルクは調査対象外
(世界のビッグマック価格ランキング 世界経済のネタ帳)
http://blogos.com/article/110634/


500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。

私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。

私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。

しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
http://blogos.com/article/187248/


食事も旅の楽しみの1つですが、スイスでは持ち帰り用のデリでも2,000〜3,000円かかります。

レストランでの食事は、場所にもよりますが、ファミレスのような場所で約2,500円、

雰囲気のよい店舗では最低6,000円は見積もらないといけないでしょう。

さらに良いサービスを受けたときは、10%ほどのチップを支払うのがマナーですので、それも勘定にプラスしなければなりません。

スイスのビックマックセットは12スイスフラン(1,440円)。

ポテトチップスは1袋700円以上します。


物価の高い理由、それはずばり人件費が高いからです。

スイスではファーストフード店でアルバイトした場合でも、時給は2,500円ももらえます。人件費がかかる分、商品の価格が高くなってしまうのです。
http://www.spintheearth.net/travel_switzerland_price/


スイスのチューリッヒは、世界の中でも物価の高い都市として知られる。

駅でミネラルウォーターを買えば4フラン、トイレの使用料に2フラン、つまり水を飲んで用を足すだけで6フラン(約600円)もかかる計算になる。

一説には、高技能職の移民以外は受け入れないために、あえて物価を高くしているとの説もあるほどだ。

一方、スイスの最低賃金は、毎月3500フラン(約35万円)にも上る。

これほどの高賃金だから物価が高くても生活できるわけだが、一般的な経済原則に反して、高賃金にも関わらず失業率も低い。
http://media.yucasee.jp/offshore-news/posts/index/646

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c6

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
11. 中川隆[-10863] koaQ7Jey 2019年4月07日 09:49:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1167]

ジプシー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC


ジプシー(gypsy)は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す民族名。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。外名であり、当人らの自称ではない。

名称について

ジプシーは「西暦1100年にアトスに現れた」とする記録が最古のものとされる。ドイツでジプシーを確認している最古の記録は1407年のものである。1427年にフランスのパリに現れた彼らは、「自分たちは低地エジプトの出身である」と名乗った。ここから「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した「ジプシー」 (Gypsy) の名称が生じたと言われる[1]。

近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語、放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にある[2]。しかし、「ジプシー」には「ロマ」以外の民族も含まれているので、これは他のジプシー民族を無視することになる。

明治時代の日本の新聞ではジプシーが「西洋穢多」と報じられたことがあるが[3]、ジプシーの居住圏は西洋だけにとどまらない上、生活様式は日本ではむしろサンカに近い。

ジプシーに分類される諸民族


主にインドが起源と考えられている諸族


ロマ
北インド・パキスタンに起源を持つインド・アーリア人系の移動型民族
ロマ語を話し、欧州における「ジプシー」の最大勢力である。


ロミ
19世紀に現代のルーマニアに当たる地域で奴隷とされたロマニ系の人々
独自の文化や慣習を固守し、キング(王様)も存在する。
ルーマニア、ルーマニア語圏に居住するロマニ系の民族。


アッシュカリー、またはエジプシャン
コソボ及びその周辺諸国(旧ユーゴスラビア)に居住するロマ系の民族
当人たちは「ロマと異なるアイデンティティーを持つ」としているが、ロマ及び居住地域のその他住民からはロマの一部とみなされることが多い。


ロム (Lom people)
南コーカサス(アルメニア等)とアルトヴィン(トルコ)に居住する民族。
欧州方面へ移動するロマの集団から別れ、11世紀頃の当地に留まった人々が先祖と考えられている。


ドム
主に中東のイスラム圏に居住するインド・アーリア人系の民族。
彼らの話すドマリ語(Domari language)はロマ語と密接な関係にあると考えられている。


リューリ
中央アジア及びロシアに居住するドムの亜集団。
バンジャラ (Banjara)インド及びパキスタン各地に居住し、ラージャスターン語系統のバンジャリ語(Banjari language)を話す民族。


スリランカ・ジプシー (Sri Lankan Gypsy people)
スリランカに居住し、主にテルグ語を話す民族。
スリランカの主要言語であるシンハラ語では ahikuntaka と呼ばれている。

インド以外が起源と考えられている諸族

もともと欧州における「ジプシー」には、ロマ以外の移動型民族を含む場合があった。

イェニシェ

アイリッシュ・トラヴェラー

スコティッシュ・トラヴェラー (Scottish Travellers)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/324.html#c11

[近代史3] ロマ(ジプシー)が嫌われる理由 中川隆
12. 中川隆[-10862] koaQ7Jey 2019年4月07日 10:05:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1168]

ロマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E


ロマ(Roma、単数はロム)は、ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である[1]。

移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり[2]、ロマでない集団との関係は不明である。



世界各地で流浪の民族史を重ねてきた経緯から、彼らはそれぞれの国で様々な外名 (exonym) で呼ばれてきた。

大きく分けて2つの系統があり、

ひとつは「ヒターノ(スペインジプシー)」「ジプシー」など「エジプト人」に由来する呼称。

もうひとつは「ツィンガニ」「ツィガーニ」などの系統の言葉であり、ドイツのカスパー・ポイサーによりビザンチン時代のギリシア語 Ατσίγγανοι (Atsinganoi) から Αθίγγανοι (Athinganoi)「不可触民、アンタッチャブル」へと遡れる言葉であるとされた[3]。


「ロマ」という自称

ロマの祖であるロマニ系の人々は複数の経路で度々インド方面からヨーロッパへ移動してきたと考えられる。

14世紀から19世紀に現代のルーマニアに当たる地域で奴隷とされた集団がルーマニア語の影響を受けたヴラハ系方言を話し言語学的にロマに近いと考えられている[3]。一方で東欧を迂回し中欧にたどり着いた集団はルーマニア語の影響のない非ヴラハ系方言を話していると考えられている[3]。


1971年の第1回世界ロマ会議以降[2]は、よりポリティカリー・コレクトな名称として、多くの集団の自称である roma[5] 「ロマ」を呼称とすることが提唱された。EU はじめ各国の行政などもこの名称を採用している。

ただし、この名は本来彼ら全体を代表するものではなく、この名を使わないグループも多数存在し、彼らの中には「ロマ」とは異なるアイデンティティをもち、「自分たちはロマではない」と主張する者もいる。

ロマの間ではロマ以外の人間をガージョと呼ぶ[8]。


ロマの系統上の分類[編集]

人種

ロマの人種的分類については、現在でも定説が存在しないため、厳密にどの人種に分類できるかは、いまだに判明していない。

歴史的経緯をたどると、ロマは西暦1000年頃に、インドのラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いたとされる。旅に出た理由は定かではないが、西方に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパにおいて史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受けることとなる。ただしユダヤ人ほどこの事実は強調されていない。

最新の遺伝子研究ではインド先住民のドラヴィダ人との類似性が示唆されてきている[9]。

ロマの中にも12の種族があり、エリー、カルデラーシュ、ジャンバジ、ロワリ、アラバジ、コバチ、トパナなどの名称があり、種族により異なったロマ語を話している[10]。

これらの種族の起源は職業集団に始まっている[11]。すなわち、

トパナはトルコ語のトップ(大砲)に由来し、14世紀にトルコの兵士としてバルカン半島に移住し軍隊で大砲を造っていたロマの末裔[11]。

ジャンバジはギリシアから来た商人[11]。アラバジはルーマニアの馬商人[11]。

エリーはアーリア人に由来するという[11]。


言語

詳細は「ロマ語」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E8%AA%9E


インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派中央語群のロマ語を主に使う。

ロマ語の特色として、即物的な語彙が多く、精神的・抽象的な語彙が少ないことが挙げられる[12]。

ロマ語には東欧の「ロム」、ポーランド経由でドイツに入った「シンティ」、フランスの「マヌーシュ」など3つの大きな流れと13の言語グループがあり、系統が違うと同じロマ語でも意思疎通が難しいとされる[13]。また、定住した各土地の言葉や、各地の言語を多く取り入れたクレオール言語を使っているグループもある[14]。

このため1990年4月にワルシャワで開かれた第4回世界ロマ会議で標準ロマ語が制定され、マケドニアのスコピエで話されるエリー語が標準語となった[14]。


宗教

かつてはヒンドゥー教だったと考えられているが、定住した土地での主流の宗教に改宗していることが多い。すなわち、東ヨーロッパでは東方正教会、カトリックまたは少数のイスラム教、西ヨーロッパではカトリックかプロテスタントである。

独特の神秘主義的な風習はあるが、それは宗教とは別と考えられている。

歴史


ロマの起源

ロマ出身のロマ研究家で人権活動家のグラタン・パクソンによると、ロマの起源は5世紀に遡る[15]。サーサーン朝ペルシアのバフラム5世(別名ベラム・グール、在位420年-438年)がムルタン(当時はインド、現在のパキスタン)からロマの祖先1万人をペルシアに連れて行った[15]。ロマは当時、ルリーと呼ばれていた[15]。

8世紀には、ムルタンの近くのシルマン山にヤットという名称のロマの集団が住んでいた[15]。彼らはインドの支配から独立を望み、アラブによるインドへの侵攻時にアラブと手を組んだ[15]。ところがアラブがインドに敗北してしまったため、714年、退却するアラブの軍勢とともに西へ移動した[15]。これがロマの起源であるとパクソンはいう[15]。このパクソンの説を裏付ける記述が、フェルドウスィーの詩書『シャーナーメ』や、イスパハンのハムザという歴史家の950年の著作に登場する[16]。それによると、バフラム5世はインドのシャンガル王に使いを送り、リュートの演奏に巧みな男女1万人(あるいは1万2000人)をペルシアに呼び寄せた[16]。その子孫がロマではないかといわれている[16]。

また、ロマ出身のロマ語学者シャイプ・ユスフォフスキーによると、ロマの祖先はインドのラージャスターン州に住んでいたが、タタール人に追われたのと食料不足とで5世紀に1万2000人が故郷を捨てて旅に出た[17]。さらに10世紀にも西に集団移動し、バルカン半島に入ったという[17]。伊藤千尋はユスフォフスキーの説を「より真実味が深い」と評し、この説におけるタタール人を、中央アジアのイラン系遊牧民エフタル族(別名「白フン族」。5世紀半ばにインド北西部に侵入)と同定している[17]。

さらに、言語学の観点からロマの祖先は紀元前300年以前にイラン語地域に入ったと分析する説もある[7]。紀元前327年のアレクサンダー大王の北西インド侵入に伴ってロマの移動が始まったとする説もある[7]。

一方、現代のヨーロッパのロマはインドを10世紀以降に出発したと述べる言語学者もいる[7]。このため、ロマの起源は一様ではなく、長期間にわたり複数の集団が何度もインドを出発したとも考えられている[18]。


ヨーロッパ全土への拡散

11世紀にセルジュクトルコが勢いを伸ばすと小アジアのロマがバルカン半島に移り住み、ビザンチン帝国の支配下に入ってアツィンガノイと呼ばれた(ドイツ語でロマを指すツィゴイナーの語源)[19]。14世紀にはクレタ島などギリシアの島々でロマの集落が確認されている[19]。

1416年にはハンガリーに到達[19]。1418年にはスイスに到達[19]。

1422年にイタリアのボローニャに到達したロマの集団は100名ばかりで、アンドレア公爵を詐称する首領が「我々はキリスト教を捨てたため、所有地をハンガリー王に没収されたが、キリスト教徒に復帰するため4000人の仲間とともに洗礼を受けた。そして今はハンガリー王からの命令でローマ法王のもとへ懺悔に行くところである。今はこのために巡礼の旅をしているが、この旅の期間は盗みをしても罪に問わないとハンガリー王からお許しが出た」と虚偽の申し立てをした[20]。

1427年8月17日にフランスのパリに到達したロマの集団は12名だったが100人以上の仲間を郊外に待たせ、やはり貴族を自称し「我々は低地エジプト出身の善良なキリスト教徒だが、サラセン人の侵攻で一度キリスト教を捨て、懺悔してローマ法王の許しを得た。しかし法王のご命令で7年間の巡礼の旅をしている。我々に食事を世話し、巡礼の資金を恵むことはキリスト教徒の義務であるとの法王のお達しだ」との虚偽の申し立てをした[19]。

1447年にはスペインのバルセロナに到達[19]。1505年にはイギリスへのロマの到達が記録されている[19]。


神聖ローマ帝国に現れたロマ

15世紀になって今日のドイツ地域にロマが初めて姿を現した。彼らは当初低地エジプト出身の巡礼者であると名乗っており、それから80年ほどは、彼らは各地で「聖なる人」として親切に受け入れられた。しかし、一向にヨーロッパを去ろうとしない彼らに対して、徐々に不信の目が向けられ、トルコやタタールのスパイであるというような風説が飛び交うようになった

初期のロマは、神聖ローマ皇帝ジギスムントにより巡礼者として帝国全土の自由な通行を許可されたと称し、いわゆる『皇帝ジギスムントの特許状』[21]を保証として各地を放浪した。しかし15世紀中頃には彼らに対する蔑視が始まり、特にユダヤ人と彼らを同類とする風説が現れ、18世紀に至るまで広く流布した。1500年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世によって『皇帝ジギスムントの特許状』は無効であるとされ、ロマを殺しても基本的には罪に問われないこととなった。ロマが放浪する犯罪者の温床と考えられ、都市では彼らが現れたら教会の鐘を鳴らして合図し排撃した。

1499年にはスペインがロマの入国を禁止し、国内のロマは4日以内に退去するか、60日以内に定住して主人に仕えなければ鞭打の刑にして追放するとの勅令が出た[22]。

16世紀半ばにはイギリスの各地の地方自治体もロマに退去命令を出した[22]。

1561年にはフランスのシャルル6世がロマを2ヶ月以内に領土から追放するよう命令を出した[22]。この命令に従わないロマは頭髪を剃り落とされ、罪人として晒し者にされ、ガレー船の漕手として3年間の重労働に服さなければならなかった[22]。

1596年にはイギリスで放浪中のロマ196人が捕縛され、うち106人が死刑の宣告を受けた[23]。このうち9人が実際に死刑となり、残りは出身地に連れ戻された[23]。

1714年にはドイツでマインツの大司教がロマに対して裁判抜きの処刑・鞭打・追放・重労働を命じた[23]。

領邦権力による定住化政策

1761年、オーストリアではマリア・テレジアとヨーゼフ2世の近代化政策の一環として、ロマの定住化が図られた[24]。ロマの青年に対して徴兵や職業訓練をおこなうとともに、領主への従属や納税の義務を課し、ロマ同士の結婚を禁じ、ロマの子はロマではない家庭に入れて育てることとした[25]。これらは啓蒙主義に影響された、ある意味でロマへの差別をなくすことを目的とした人道的な同化策だった[26]が、定住や(ヨーロッパ人の考える)文化的な生活の押し付けとなり、ロマたちの拒否するところとなった。1773年にプロイセンのフリードリヒ大王がロマを隔離して定住させようとしたが、結局失敗している。

一方、ポルトガルは1647年にはアフリカの植民地に、1686年には南米の植民地ブラジルにロマの開拓団を送った[27]。イギリスも植民地のアメリカやジャマイカにロマの開拓団を送っている[28]。

ドイツによる絶滅政策

ドイツにおいては、ナチス党が自由選挙で国民の支持を受けて政権を獲得した後の1935年に、ロマを「劣等民族」と見なす法律が施行された。ロマの選挙権は剥奪され、非ロマとの結婚禁止、商売の禁止、学校入学の禁止、ドイツ国内での移動禁止などが主な内容である。その後ロマは強制移住や強制労働政策の対象となり、収容されたロマには優生学的な観点から、強制的断種手術が行われた。当時のドイツ政府は、ロマがアーリア系であることは知っていた。「アーリア主義」を掲げるナチス党政権がロマ撲滅を図ったのは、ロマがドイツ人と相いれない生活習慣を持つため、「アーリア系の面汚しであり、劣った異民族の血が混じっているに違いなく、放置すればドイツ人の血が汚される」と考えたためである。

第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ドイツは再び多数のロマを抱えこむことになった。当時のドイツ政府が「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマはユダヤ人のホロコーストと同様に虐殺の対象とされた。これはポライモスと呼ばれている。正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害されたとされる。強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも多かった。ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン」が東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍捕虜とともに、多数のロマが殺害された。ドイツ政府による被害にともなう戦後補償について、現在もロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。

戦後のロマ

第二次世界大戦までの多くのヨーロッパ諸国では、ロマは固定した店舗で開業することは禁止されていた。このため、伝統的に鍛冶屋、金属加工、工芸品、旅芸人、占い師、薬草販売等に従事していた。現在も基本的に移動生活を続けているロマは多く、移動手段として自動車を用い、これに伴って職業も以前の馬の売買から、自動車の解体・中古車のあっせんなどに変化してきている。1971年にはインド政府と世界教会協議会の支援を受けてヨーロッパ諸国のロマを集めた世界ロマ会議が結成された[29]。

第二次世界大戦前から1945年までのドイツ政府による迫害によって、ロマの人口は減少した。社会主義体制となった東欧とソ連圏では、ロマの労働者化を進めるために移動禁止令が制定された(ソ連1956年〜ポーランド1964年)。これらはロマに定住を求める同化政策であり、その後議員となったロマも存在した。西欧諸国ではロマへの同化政策は採用されなかったが、国内のロマを少数民族とみとめて権利を与えることはなかった。例外的に社会主義国のユーゴスラヴィア(1974年)とハンガリー(1979年)が、ロマを少数民族と認定した。戦前に対して安定した生活が保証されたこれらの社会主義国が崩壊して資本主義国となってからは職を失い、無料の住宅や学校がなくなったとして不満を持つロマも少なくない[30]。

スイスでは、1926年から1972年まで政府の支援を受けた民間団体「青少年のために」(de)が1000人以上の子供のロマを親元から誘拐し、施設に収容したり、スイス人の家庭へ養子として引き渡したりした[31]。ドイツでは1995年に、ドイツ国籍をもつロマを少数民族と認定している。グローバリゼーションや大量生産大量消費文化(安価な製品を使い捨てる消費行動への移行)、情報化社会や物流の高速化など戦後の経済変動のなかでロマの生業は成立しなくなり、ロマの経済的な困窮は一段と進んだ。テロリズムへの懸念などから国の保安の意識が高くなったことで国境を越えた自由な移動がし辛くなり定住するようにとの圧力が掛かっている事もあって伝統的な生活を放棄する者も多い。


各国のロマ

欧州連合の行政府・欧州委員会によると、

欧州に暮らすロマの人口は推定1000万〜1200万人。

欧州評議会の各国別推計によると、

ルーマニア185万人、
ブルガリア75万人、
スペイン72万5000人、
ハンガリー70万人、
スロバキア49万人、
フランス40万人、
ギリシャ26万5000人、
チェコ22万5000人、
イタリア14万人


マケドニアのシュトオリザリ(英語版)には2万6000人のロマが定住し、マケドニア人の家は10戸しかなく、他にトルコ人などもいるものの、全人口の95パーセントはロマである[33]。旧ユーゴスラビアには100万人、マケドニアだけで20万人のロマがいるが[34]、ロマにはホームレスが多いため、みずからの出自を恥じてトルコ人やセルビア人、マケドニア人などと詐称するロマが多く[10]、統計上は旧ユーゴスラビアのロマの数は10万人にとどまっている[34]。なおマケドニアからはロマ出身の国会議員(ファイク・アブディ(マケドニア語版))が出ており[35]、ロマ語を公用語にする運動を進めていた[34]。

文化

若いハンガリーのロマが伝統的なダンスを踊る様子タロット(タロー)と呼ばれるカードを使った占い。但しタロットのロマ起源説は一部の神秘主義者が主張するだけであり、裏付けに乏しい。なお神秘主義者の間ではタロットの起源についてエジプト、ヘブライ、ケルトなどさまざまな説があるが、現在ではイタリアで玩具として考案されたのが始まりとする見方が有力である。


フラメンコの原型とも言われる、独自の音楽、踊り。

鋳掛屋、旅芸人として重宝された。

ブルガリアやセルビアなどでは、出生・洗礼・誕生日・聖名祝日 (Именден)・結婚式などに際して、ロマが呼ばれて演奏する。

チョチェク - バルカン半島で、ロマが結婚式などに演奏する音楽

ポップフォーク - セルビアをはじめとするバルカン半島で、チョチェクなどロマの音楽の影響を強く受けて発達した流行音楽のジャンル。

ボスニア・ヘルツェゴビナなど、一部のロマ人社会では一夫多妻制の風習が残っていることがある[40]。

全ての財産は共用物である、という考えが根強く、財産の個人所有という考えが乏しい者が多い、とされる。

ロマの音楽

ロマの文化(芸能・生活)の一部であるロマ音楽は、現地の文化と相関関係にあり、歴史的に大きな貢献をしている。ルーマニア・ハンガリー文化圏、スペインなどの文化が際立って有名。

ロマン派の作曲家の中にはロマ音楽に触発されて曲を書いたものもいた。リストの「ハンガリー狂詩曲」、ブラームスの「ハンガリー舞曲」(発表当時は編曲とされ、またハンガリー古来の音楽と混同された)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」などである。

砂漠祭り

毎年2月の満月の3日間、ロマ人の出身地とされるインドのジャイサルメールで行われるロマの祭典である。色々な旅芸人などが集まる。

ロマの有名人(異説や遠祖を含む)


西欧

カルメン・アマヤ(1913年11月2日 - 1963年11月19日)- フラメンコダンサー、歌手
ジャンゴ・ラインハルト(1910年1月23日-1953年5月16日)- ベルギー出身のジャズギター奏者。
チャールズ・チャップリン - 俳優。自伝My Autobiographyによると、母方の祖母がロマの血を半分引いている。「浮浪者」のキャラクターは、ロマを観察して創り出したとの説もある[41]。
ボブ・ホスキンス - 俳優。母方はドイツのシンティ[42]。
マイケル・ケイン - 俳優。父方の祖先は南ロンドンのロマの馬喰である[43]。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) - 作家。母方がキプロスのロマ。父方は英国のロマのハーン(ヘロン)一族[44]。ただしElizabeth StevensonはThe Grass Lark: A Study of Lafcadio Hearn(Transaction Publishers, 1999)p.7で「彼ら(ハーン一族)は、自分たちにジプシーの血が流れているという無邪気かつ検証できない信念を愛していた」と述べており、ロマの子孫というのが単なる言い伝えに過ぎないことを暗示している。
ラモン・モントヤ Ramón Montoya - ギタリスト。
リカルド・クアレスマ(1983年9月26日 - )- ポルトガル出身のサッカー選手。父方の家系がロマ。

ドイツ・チェコ・オーストリア

ジプシー.cz - チェコのラップ・グループ
ミラン・バロシュ - チェコのサッカー選手。
ヨハン・シュトラウス二世 - 父方がカトリックに改宗したハンガリー系ユダヤ人の家系、母方がロマといわれる。

オランダ
マリスカ・ヴェレス - 歌手(ショッキング・ブルー)。父がハンガリー出身のロマ。

スペイン
アントニオ・カルモーナ - 歌手、「ケタマ」メンバー
ロラ・フローレス - ロマの血を引くスペインの歌手・ダンサー・俳優。(1923年1月21日 - 1995年5月16日)

ハンガリー・ルーマニア
ピシュタ・ダンコー
ジョルジュ・シフラ
ツィンカ・パンナ(1711年-1772年)- 女流ヴァイオリニスト。 [2]
フロリン・チョアバ - 自称「全世界のロマ民族の王」。
ビハリ・ヤーノシュ(英語版)
ベルキ・ラースロー(ハンガリー語版)
ボロシュ・ラヨシュ
ロビー・ラカトシュ - ハンガリーのヴァイオリニスト[3]
ユハース・ミズラ・モーニカ - ハンガリーの歌手
カイ・ヤグ(英語版)(黒い炎) - ハンガリーのバンド。[4]
カモロ - ハンガリーのバンド
ライコー Rajkó Zenekar(ジプシーの子供たち) - ハンガリーのオーケストラ。[5]
イオン・ヴォイク - ルーマニアのヴァイオリニスト。
ファンファーレ・チョカルリア - ルーマニア北東出身の世界最速を誇るジプシー・ブラスバンド。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークス - ルーマニアのバンド。

バルカン
イヴォ・パパゾフ(1945年 - )- ブルガリアのクラリネット奏者。トルコ語を話すジプシーの出。
アジス (Azis) ブルガリアのポップフォーク歌手。
レイハン (Reyhan) ブルガリアのポップフォーク歌手。
エスマ・レジェポヴァ - マケドニアの歌手
コチャニ・オルケスタル - マケドニアのチョチェク・バンド

アメリカ
ビル・クリントン - 政治家。ロマの指導者チャールズ・ブライズ(1847年に英国のカークイェットホルムで「スコットランドのジプシーの王」として戴冠した)の兄弟アンドリュー・ブライズの子孫。アンドリューの息子アンドリュー・ジェファーソン・ブライズ(1860年死去)がクリントンの高祖父にあたる[41]。
フレディ・プリンゼ・ジュニア - 俳優。父がハンガリーのロマの子孫[42]。
リタ・ヘイワース - 俳優。父方の祖父アントニオ・カンシーノはロマのフラメンコダンサーであった[45]。

ブラジル
ジュセリーノ・クビチェック - 第22代ブラジル大統領(1956年〜1961年)。ブラジリア首都移転を強く進めたとされる。1902年生まれ、1976年死去

その他

ユル・ブリンナー - 俳優。母方ロマと自称するも彼自身が申し立てた伝記的事実には偽りが多く、1989年に彼の息子が出版した伝記によると、ブリンナーは父方がモンゴルとスイスの混血で母方がユダヤ系ロシア人の医者の娘だという。
アンディ・マッコイ - フィンランドのロックバンド、ハノイ・ロックスのギタリスト。
ジプシー・キングス - 1980年代後半に一世を風靡したワールドミュージックの第一人者。日本では発泡酒のCMに使われた「ボラーレ」や時代劇「鬼平犯科帳」のEDテーマに使われた「インスピレイション」が有名。
トニー・ガトリフ - 映画監督。父方フランス人、母方ロマ。
フェアルザ・バルク - 米国出身の女優。父方ペルシア人、母方ロマ。
ソフィア・サンティ - カナダ出身のポルノ女優。父親の祖先がトランシルバニア山脈出身のロマであるという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E

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