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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100025
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[政治・選挙・NHK225] <菅野完氏、NHK、本気出し過ぎだろw> NHKスペシャル 日本国憲法 70年の潮流 〜その時、人々は〜  赤かぶ
12. 中川隆[-7735] koaQ7Jey 2017年5月07日 16:34:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>5
戦後、アメリカと中国は日本には永遠に独立した軍隊を持たせない事を決めた:
1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。


しかし、アメリカが侵略戦争をやる場合にはアメリカ人の代わりに日本人に戦死してもらった方がいいので自衛隊を作った。

一方、中国としては日本が核武装すると困るので

CIA系の在日工作員を使って安保法案と反原発運動のオルグをさせた

阿修羅原発板はCIA系の在日工作員の巣窟になっている


詳細は

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界

反原発の活動家が統合失調症でなかったら、完全なアホか、中国・韓国の工作員かどちらか
投稿者 中川隆 日時 2017 年 4 月 16 日 07:37:25: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c114
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/360.html#c12

[政治・選挙・NHK225] <菅野完氏、NHK、本気出し過ぎだろw> NHKスペシャル 日本国憲法 70年の潮流 〜その時、人々は〜  赤かぶ
14. 中川隆[-7737] koaQ7Jey 2017年5月07日 17:49:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>13
アメリカは日本がアメリカを攻撃できる武器を絶対に持たせないのは有名な話だろ

安部はアメリカに嫌われていたのはアメリカを攻撃できる武装をしようとしたから
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/360.html#c14

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
9. 中川隆[-7736] koaQ7Jey 2017年5月07日 18:18:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

バブルで稼ぐ国債金融資本の手口

バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからバブルを破裂させる。
その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。
それを二束三文で奴らが買い叩く。


1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。

 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。

 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。

 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。

 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。

 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

1989年当時、日本人エコノミスト達は「デリバティブ」という「先物」の実体を知りませんでした。経済や金融の専門家でも、この実体が何なのか、未だに分からず仕舞いでした。またこの事が、バブル崩壊の悲劇を大きくし、当時の日本経済界は全く無防備であったと言えます。


ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。

 彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価(日本経済新聞社が、東京証券取引所一部上場の代表的な225銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価)が単純平均(相加平均のことで、算術平均ともいわれ、n個の数を加えた和をnで除して得る平均値のこと)で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。

 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。

 その頃、日本の話題はベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉(しゅうえん)を迎えれば、世界市場に進出できる等と、日本人経営者の多くが高を括(くく)っていた頃で、日本人の思い上がりの裏側では、こうした巧妙な仕掛けが、水面下で仕掛けられていたのです。

 大蔵官僚も、エコノミストも、この仕掛けには全く気付いていなかったのです。

ソロモン・ブラザーズの真の狙い

 当時の多くの日本人投資家は、「日経平均株価は10万円に到達する」と信じて疑わない人が多くいました。誰もが強気で、今こそ、この好景気に乗って、買いに転じる時機(とき)だと確信していたのです。その結果、バブルは急速な加速度をつけて、瞬く間に膨らみ始めました。

 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。

 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。

 『プット・ワラント』とは、「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という新商品であり、この商品をアメリカの大口機関投資家に大量売り込みを図っていたのです。また、これには大口投資家も飛びついたのです。

 彼等の新商品に対するキャッチ・フレーズは「年末から年始に掛けて、日本の株式は大暴落するから、60年前の《1929年10月24日の暗黒の木曜日》の時と同じくらいの大儲けが出来ますよ」でした。

1990年1月2日、ニューヨーク・ウォール街では、日本とは逆に、信じられない現象が起こっていました。突然、為替が円安へと向かったのです。この円安はソロモン・ブラザーズが『プット・ワラント』販売に因(ちな)み、債券や為替や株価の「トリプル安」を企てたものでした。

 そして1月が過ぎ、2月に入り、その月は既に中旬に入っていました。この頃、日経株価はジリ安でしたが、大暴落の兆しは現われていませんでした。

 日本人はまだ、この時にも何も気付いていなかったのです。そして日本経済が、瀕死(ひんし)の重傷に陥っている自覚症状すら、エコノミスト達は感じ取ることが出来なかったのです。

 当時の政治背景としては、自民党の政治家は2月中旬の衆議院選挙で大勝したことに祝杯を上げていた頃で、政界も財界も危機管理意識はなく、全く無防備でした。

 日本人は、まさに「ライオンに、餌を差し出す為に手を伸す呑気(のんき)な兎」でした。腕ごと食いちぎられるか、体ごと丸呑みされるかの、こうした危険すら感じる事もなく、呑気な行動をとっていたのです。

 日本人投資家が、株を買いに奔走している頃、アメリカの金融の裏側ではソロモン・ブラザーズの売り攻勢が激化を極め、これまでジリ安で状態であった株価は、一挙に大暴落へと転じました。バブル崩壊の引き金はこの時に引かれたのです。

ついに1990年2月末には、膨らむだけ膨らんだバブルは、日経平均15,000円台を大幅に割れ込みました。一挙に大暴落が起こったのです。

 ソロモン・ブラザーズの秘密兵器はデリバティブでした。

 デリバティブは説明の通り、現物と先物との価格差を狙った「サヤ取り」であり、「裁定取引」と「オプション」で、日本の株価は下落したら大儲けという派生商品です。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。バブル崩壊の大暴落は証券会社のみならず、大蔵省までを翻弄(ほんろう)の渦に巻き込んだのです。

 この巧妙な仕掛けでソロモン・ブラザーズは、僅か三年の研究とその実行で、一兆円にも昇る莫大な利益を手にしたのです。

 そしてこの後、日本では更に悲惨な状態が続くことになります。

 日経平均株価の大暴落は、株式市場の株価下落だけに止まらず、不動産の分野にも悪影響が及びます。この悪影響は、政府が不動産融資へのマネー供給を停止するという事から始まり、今まで高騰(こうとう)を見せていた大都市の不動産の資産価値が急速に下落したことでした。

 この現象は大都会だけに止まらず、地方にまで波及していきます。不動産の資産価値が下落するとは、それを担保にしていた金融機関の担保価値も大幅に減少したということになります。こうして不良債権の波及が表面化するのです。

 これに対して政府の後手政策は、次から次へと傷口を広げ、日本の資産とマネーの急速な収縮は、今日に見る不景気と連動し始めることになります。

 昇り詰めたものは、いずれ落ちる。これは物事の道理です。この道理に随(したが)い、ソロモン・ブラザーズは、次のプロセスへと準備にかかります。

ソロモン・ブラザーズの真の目的は、ただ単に、日経平均株価を下落させて大儲けすることだけではなかったのです。彼等の真の目的は、日本人の個人金融資産の1300兆円にも上る郵貯(郵便局で取り扱う国営の貯金事業で、元金・利子の支払いは国によって保証される)の食い潰しでした。日本のエコノミスト達は、この事すらも見抜けなかったのです。

 ソロモン・ブラザーズが研究の末に計画した事は、こうした下落が生じた時、政治家はもとより、財界人を始めとして、証券会社等が「これを何とかしろ」と、政府に詰め寄り、殺到することを計算に入れていたのでした。これこそ彼等の真の目的であり、ここに「日本発世界大恐慌」を画策した真の狙いが、ここにあったのです。
http://www.daitouryu.com/iyashi/shinizama/shinizama20.html

外国人投資家の正体と350兆円のゆくえ
1991年から輪郭が見え始めた日本の経済崩壊は、兜町を土台から大きく揺るがした。92年の4月からの暴落に続いて、7月にかけて東証第一部の平均株価が1万5000円台に突入し、ついに8月10日には一万4000台を記録した。いつまでも続く最安値の更新が、日本の国全体を震え上がらせた。そして外国人勢力による上場企業の買収・合弁へと、事態が急速に展開し始めた。

もはや投資家の損害どころか、日本経済が土台から崩壊しようとしていた。日本株式会社の中枢部が、が一句人投資家によって買い占められるところまで株価が急落し、安い株券が誰か特定の金融ファミリーに集中していたのである。果たしてこれらの暴落が、マーケットの自然な経済原理によってたまたま起こったものだったのか。

日本がこれまで利益を守ってこられたのは、国際金融マフィアが悔しがる『系列会社』の株の持合によるものだった。三井グループ、三菱グループ、住友グループ等はもちろんのこと、富士銀行〜安田財閥は丸紅と連携し、三和銀行〜日本生命〜東洋信託の三水会は日商岩井と連盟を組み、第一勧業は伊藤忠と、それぞれがチームで利権を守るように動いてきた。ところがこの相互持合い方式は、国際金融マフィアが、内部からトロイの木馬方式で侵入してくると、逆に一挙に乗っ取られ大変危ない構造であることがわかり始めた。つまり芋づる式にあっという間に買収されてしまうからである。

今までは株式会社日本独特の『株の系列持ち合い制度』があるため、外国人ブローカーはまるで歯が立たなかった。ところが金融マフィアが巧みに仕組んだ『バブル』という名の時限爆弾によって、兜町の上場株の内の四分の一近くを握っていた銀行業界が、不良債権の焦げつきで、これまで宝物だった手持ち株を大放出せざるを得ない羽目に陥ってしまったのだ。仕組まれた『バブル』の崩壊によって、株価・地価の暴落→銀行の不良債権の急増→融資不能→経済危機→更なる株価・地価の暴落という悪循環に陥った日本経済は、坂道を転げ落ちるように谷底へと転落していった。

その上さらに駄目押しをするかのごとく、国際金融マフィアによる残虐な圧力が日本の大手金融機関に加えられた。88年6月、スイスのバーゼルで開かれた“バーゼル・クラブ”こと国際決済銀行(BIS)の銀行規制会議において、今では知らない者がいない「銀行は、自分が持っている資本金の8%以上を貸し出してはいけない」と定められたのである。これは日本経済にとって、結果的に第2の時限爆弾となった。それほど国際金融マフィアにとって、70年代〜80年代に海外に大々的に進出し始めた日本の金融資本の力が、目の上のたんこぶだったわけなのだ。

この規制のよって、『バーセル・クラブ』の謀略通り、日本の銀行の手足を縛ることが可能となった。むやみに国民から預金を取れなくなった日本の銀行は、増資のよって自己資本を大きくし、この壁を何とか打ち破ろうとした。そして自己資本が運用されている不動産やノンバンク等の資金回収に必死になって走り回った。折から、地価の暴落が始まり、起こるべくして起こった不良債権に青ざめた銀行が貸し出しを渋るようになると、その融資に頼っていた経済界がガタガタになり、それに連鎖して兜町の株がみごとに下降線を描き始めた。

そして最後に、これを見越していたかのように、劇的な92年4月の『外国人投資家による銀行株の大放出』という第3の時限爆弾が、ついに仕掛けられたのだ。ソロモン・ブラザースやモルガン・スタンレーなどが一斉に投売りを始めて、まるで絨毯爆撃のような攻撃を日本の銀行に向かって開始したのだ。彼ら国際金融マフィアは、かなり以前からアメリカ・ヨーロッパ等の経済紙に、『日本のバブル』という言葉をすでに頻繁に紙面に載せていて、いつの日か近いうちに、このシャボン玉に針を刺されて経済崩壊が瞬く間に起こることを、すでに予告していたのだ。

では、このバブル崩壊で、兜町に出入りしていた外国人投資家は、いくら儲けたのか。92年の経済白書によると、株の暴落だけでほぼ350兆円が吹き飛んでいる。金融取引の世界はあくまでゼロサムの世界だから、その莫大な消えた金額とまったく同額のお金を、闇に隠れて誰かがまんまと手に入れたことになる。世界的な株価の変化に目をやってみると、不思議なことが起きている。

年初から8月までの株価の暴落率は、日本だけがダントツで、32・8%という急激な下げ幅を記録している。ロンドン、ニューヨーク、フランクフルト、パリ等はほとんど変化なしで、全体としてはわずかに上昇である。香港では、天安門事件後の反動で中国経済特区が急成長したために、逆に35・8%の急騰である。その中心にある香港上海銀行は、ロスチャイルド・ファミリーの創業した銀行である。

この時期世界の銀行界では、日本が断崖絶壁に立たされていたにもかかわらず、アメリカの巨大銀行が、チェース・マンハッタン、J・P・モルガンを筆頭に、その第二・四半期で恐ろしいほどの利益急上昇を達成したことを、UPI電が7月に伝えた。日本の証券会社が、全国210社合計で3600億円の経常赤字を記録したというのに、日本で活動している外国証券50社合計で、なんと前期の5・6倍という馬鹿げた収益を記録していた。

ちなみに外資系の1位がソロモン、2位がゴールドマン・サックス、3位がモルガン・スタンレー、4位がソシエテ・ジェネラルとなっている。ソロモンとゴールドマンは、すでに大和を抜いて、野村に次ぐ兜町の2位と3位に入っている。メリル・リンチのの純利益は53%増加と、前年と比べると過去最高を打ち立て、6月に入ってモルガンもまた東証株式の「売買高」の部門で兜町の3位に入り、四大証券のうち大和、日興を抜いてしまったのだ。

ここで彼ら外資系証券の開発した巧妙な手口のひとつ、裁定取引と呼ばれるまことに不思議な手口を挙げてみよう。裁定取引( arbitrage)とは、辞書で調べると『ピンハネ』と書いてある。売り買いをする商品には、目の前で取引する『現物』と、何ヶ月か先の取引を扱う『先物』がある。もし何ヶ月か先の株価を知っていれば、現物を先物とのあいだに出る差額(サヤ)をあらかじめ計算して、買いだめでも、売り逃げでも、コンピューターの操作だけで好きなように利益をあげられる。

今回最大の利益をあげたソロモンなどは、ずっと先の株価を知っているものと見え、このシステムでぼろ儲けしたのだ。日本の証券会社は、裁定取引に熱中すると証券取引所が混乱して自滅するという理由から、手控えてきた。しかし外資系にとって兜町の運命なんかどうでもいいのである。ウォール街の大スキャンダルとなったアメリカ国際不正入札事件の犯人、それが兜町を揺るがした同じソロモン・ブラザースである。 今まであえてはっきり書かなかったけれど、彼らは、何ヶ月先の株価を知っているわけはなく、未来の株価を、自作自演のインチキで上下させてきたのだ。つまり集団でつるんで物音ひとつ立てずに、一気に売る。理由は後で何とでもつけられる。チャートや実勢価格なんかまるで無視して、人工的に平然と株価を操作してきたのだ。はっきり言えばインサイダー取引であり、詐欺である。

このとき、チームで株価を完璧にコントロールできるだけの『巨大な資金』と『秘められた実行力』が戦略のキーワードとなる。そのチームを、日本の証券業界では「外国人投資家」と簡単に呼んで、なぜか曖昧なままの存在にしてきた。彼ら数百年の伝統を持つ金融業のプロに対して、あまりに幼稚な認識と言えないか。

日本人が初めて世界の金持ちの仲間入りをしたと言われながら、その実、投機のテクニックとして使われたのは、財テクと呼ばれる一般的な株券・政権の購入に過ぎなかった。要するに、知的な金融能力とはまったく無縁のものだったのだ。

そして今も、日本には本当の金融のプロは存在していない。
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/20031025.html

アメリカの日本叩き落とし戦略  

アメリカではFRB議長グリーンスパンの超低金利政策の結果住宅産業バブルが起こり、これが今日まで消費を支えてきたが、ここへ来て住宅バブルに「ローソクの最後の炎現象」が見えてきた。前述のようにアメリカには日本のような「潜在消費・投資力」の備蓄がないから解決策を他国に求めるしかなくなる。

そこでアメリカに狙われたのが日本、つまり竹中平蔵大臣である。

実は竹中平蔵氏は1980年から90年のJapan as No.1(「日本の世紀」と言われるほど日本経済が世界を制覇した)時代にハーバード大の客員研究員や准教授をしていた。日本の銀行が世界ランキング1位から10位を占める事態に危機感を抱いたアメリカはハーバード大等の叡智を結集して「日本叩き落とし戦略」を打ち出して見事に成功し、その結果日本の大不況はまだ続いている。竹中氏(当時、大蔵省財政金融研究所主任研究官)は日本の大蔵情報提供者として重要な働きをしたと考えられる。

だから現在のブッシュ政権の経済担当責任者とも親交が深い。異例とも言われた経済財政・金融担当の二つの経済ポストが竹中に与えられた時、グレン・ハバード米大統領経済諮問委員長は「竹中氏は申し分のない改革論者で、ブッシュ政権は竹中氏を全面的に支持している」との見解を発表すると同時に「不良債権処理と日銀の金融緩和の必要性」を強調した。

竹中大臣が10月に訪米した時、「大手銀行だからといって容赦しないぞ!」と言わんばかりの不見識な「大失言」(竹中ショック)のためニッケイは大暴落となり日本は時価総額で約50兆円の資産を失った。この時ハバード委員長をはじめ、バウチャー米国務省報道官、テーラー米財務次官らは必死になって竹中大臣をかばった。アメリカが日本に経済高官を送り込んでまでの竹中支援ぶりは異常。ここでまた経済の基本に戻るが、不良債権処理が日本経済の現況下では不要であることは再三解説したのでご理解いただいたと思う。

日本企業は現在リストラ中であり、総需要も資金需要もマイナスだから特に銀行機能を求める環境にない。こうした時、銀行の脆弱な財務体質を目の敵にするのは不自然である。しかも国会でもマスコミでも世を挙げて不況の結果である不良債権処理とデフレ対策に議論が集中し、不況の真の原因から目を避けている。異常ではないか。何故竹中大臣とアメリカはこの時期に不良債権処理と金融緩和を急ぐのか。

それはアメリカの国益の立場になって考えればすぐ分る。自ら打つ手がなくなったアメリカは日本の「打つ手」(現金備蓄)を奪うしか手が無いのである。竹中大臣はアメリカの国益の立場に立っているのである。不良債権で金融機関のパイプが詰まったままの状態で金融緩和をすると緩和された資金はアメリカに流れず、資金需要がない日本の資本市場で浮遊資金の増大となる。資金は当然土地と株にヘッジし、地価と株価を押し上げる結果となる。これこそ日本経済再生の道だが、アメリカにとっては許し難いこと。すなわち日本の土地と株が上がりだすとアメリカから資金が逃避し日本市場に向かうからである。

今アメリカは戦争と言う無駄な公共投資を前倒しで実行しているが(前述のごとく)潜在的財源が無い。どんなことをしても日本の「備蓄資金」をアメリカへ還流させなくてはならない。住宅バブルが弾けるのも時間の問題。

不良債権処理を急ぎ、日本の国民に痛みを与え、デフレをさらにスパイラル化し、大銀行や大企業を破綻に追い込んでまでもアメリカの国益の為に尽くす竹中平蔵。さらなる「詭弁」で小泉首相と国民を騙し続ける竹中大臣。まるで邪教の亡者のごとき竹中大臣の強烈な意志と情熱は、多分1980年代に洗脳された「日本叩き落とし精神」の具現だろう。今日本は「気違いに刃物」を与えてしまった。


竹中平蔵は、もともと日本からハーバード大学に留学していった。米国では世界各国から来るエリートを選び、その人物に、洗脳教育を施していると聞く。つまり、「国際金融資本に、すべて任せることがよい」という洗脳である。

○ 竹中の推し進めてきた政策を振り返るとあることに気づく。それは、すべて日本の企業を倒産させて、米国の企業に買い取らせるという結果になっている政策ばかりであり、しかも竹中はこれを「すばらしい」と表現している。

○ここでハーバードまで留学して、結局、「すべて国際金融資本に任せるべきだ」という思想を植えつけられているとする。

<竹中の破壊の歴史>
振り返ってみれば、日本は世界最強の銀行として、誇っていたのを台無しにしたのは自己資本比率規制の導入であった。これを導入することを熱心にやっていたのが竹中であり、金融ビッグバンも竹中の提案であり、不良債権処理も竹中路線であり、就任以来54もの金融機関を次から次へと倒産させてきたのは彼の政策のためである。

小泉内閣になってついに、竹中金融担当大臣が就任した。
周囲は、机上の空論の大臣だといって猛烈に反対していたが、小泉は、
「すぐれた頭脳で貢献していただく」といって任命した。
竹中はそれまでやっていた慶応大学教授からいきなり金融大臣となった。

それでは竹中がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

竹中が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも最強を誇って
いた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行うようになった。
そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10バンクに日本の銀行が
6行も入るすごい状態にいたのだった。

竹中がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

竹中が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも
最強を誇っていた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行うようになった。そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10バンクに日本の銀行が6行も入るすごい状態にいたのだった。

○竹中が時の橋本首相に「金融ビッグバンをやるべきです」と進言して、
それをやった。すると山一證券は自主廃業となり、メリルリンチ証券となり、
長期信 用銀行はf経営が傾き、一時国有化し、リップルウッドに買収された。東
邦生命は、買収されてGEキャピタル生命となり、日興證券は、 これも経営が傾き、外資に助けを求め、外資の傘下にはいった。
日興コーデイアル証券となった。
倒産は続出して、金融恐慌の一歩手前までいった。時の橋本政権は選挙で大負けした。日本経済にとって致命傷となった。

竹中金融大臣が、「不良債権処理をやるべきです」といい、それを強化すべ きだといった。すると、銀行は貸しだしを抑制するためさらに不況となる。不良債権
と認定された企業は次から次へと倒産していくため小泉政権の自殺者数や、倒産件数は歴代1位である。

この竹中金融担当大臣が就任している間、UFJ銀行は経営不安に陥り、54も
の金融機関が倒産した。足利銀行も倒産した。建設会社が倒産したときに、竹中
金融担当大臣は、とてもよろこんだ。 「これが構造改革の進展している証拠だ」

そして、竹中金融担当大臣は、4月1日からペイオフを唱えている。
ペイオフは世界各国でどこもやっていない政策である。ところが、竹中が「どこもやっている」とテレビでいうことで、このとんでもない破壊的な政策をやる流れ
になっている。

そしてこの数年間、日本を痛めつける政策をずっと立案してきた人物の竹中が郵政を解体してしまおうとしている。 というわけだ。
http://ime.nu/www.asyura2.com/0505/hasan41/msg/915.html




私達は洗脳されていました。不良債権の処理こそが構造改革だと。。。
彼等のやり口はこうでした。

一、株式は自己資本の半分以下にすること。

二、不良債権は二年で半減すること。不良債権処理に充てた資金には税金を課す ただし繰り延べ資産として7年間分認める


私達は国の命令で株式の売却を始めました。株の暴落が始まり長銀は国有化され長銀の株券は一夜で紙くずとなりました。数兆円の血税をつぎ込み身奇麗にした 長銀は瑕疵担保条項までつけて外資の手に渡りました。その後私達は恐ろしい光景を目にすることとなりました。

瑕疵担保条項によって死ななくても良い企業まで次々と息の根を止められて行きました。 その時つぶせばつぶすほど外資がもうかる条約だった事に私達は気づきました。

そんな時あの竹中が金融中枢に入ってきたのです。

そしていきなり繰り延べ資産は認めないと言い出したのです。税金は取っておきながら、です。人々はパニックに落ちました。株価は大暴落し、旧額面で80円を割り込んだ時、外資の増資申し入れを受け入れました。

四大メガバンクすべてが外資に自社株を叩き売ったとき、りそな銀行の国有化が決まり、長銀の時と同じく数兆円の国民の税金がつぎ込まれましたが、驚いたことに減資なし、株主責任は問わないという寛大な措置でした

あれほど株主責任を厳しく追及していた竹中 木○コンビの豹変でした。

その翌日から外資の数千億単位の株式購入が連日のように続きました。
日本の国富が外資の手に落ちて行くのを私達は茫然と見ているしかありませんでした・・・。

私達は竹中によって株式をもっと売り払えと指導されていたからです。

___


石原慎太郎都知事「小沢一郎の正体」を暴く youtube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MERTrcik8CU


『1980年代から1990年代にアメリカは、日本に対しすさまじいばかりの金額の内需拡大要求をしています。その要求を丸呑みした小沢一郎は、元祖媚米派というべき存在です。  

アメリカは、80年代から90年代にかけては、アメリカ企業の需要拡大のために「内需拡大」を唱えていたものの、アメリカ企業の体たらくに匙を投げて、今度は日本企業そのものをアメリカ資本のものにしようという作戦に転じたのかもしれません。  

アメリカ大好きの自称保守は、80年代から90年代にかけてのアメリカの理不尽とも思える「内需拡大要求」についてはどう弁明するつもりでしょうか。 』


上のアメリカが小沢・金丸に八年間で四百三十兆円も公共事業に使わせた理由の推測は完全に間違っていますね。

真実は、純真な小沢信者さんが信じているより遥かに恐ろしかったのです:


現在(2005年後半時)の日本の株価はバブルではないか?

最近、株価が上昇してますが、日本経済に株価が上昇するようなファクターがあったっけかな?と不思議に思っていました。


GENDAI NETに気になる記述を見つけました


2005年11月30日 掲載


『改革はペテン 5年たったら元の木阿弥の小泉政治』
>1万5000円を突破する勢いの株価上昇の要因に、小泉政権の改革の成果と見る向きが多いが、それはペテンだ。

>日本企業の労働生産性も利益率も米国に比べれば圧倒的に低いのに、株価だけが上がっているのはバブルの再燃をたくらむ投機筋のしわざに過ぎない。

>それは世界中にだぶついているカネが日本になだれ込んできているだけで、小泉改革など全然関係ない。改革、改革と叫んでいるだけで、日本の構造も企業も何も変わらず、小泉政権が5年も続けば、元の木阿弥…。

なるほどそうかもしれない、と思いました。

今年1−10月の3市場の現物取引の売買シェアをみると、外国人投資家が46%、個人投資家が37%で、両者で8割超を占めます。主に年金勘定を表す信託銀行が9%のシェアで3位につけていますが、投信、銀行、生損保といった国内機関投資家のシェアは3%以下…。

'89年のバブルの時期と比べると、個人投資家のシェアが30.3%から37.0%に上昇しているのに対して、海外投資家の割合は、89年当時の11.3%から、今年10月にはなんと46.7%にまで上昇しています。

個人投資家が増えている、といのは最近よく話題になっています。その背景には、ネットで株式の取引を行う投資家の増加があるのは周知の事実でしょう(一日で何回も取引を繰り返して収益を狙う“デイトレーダー”と呼ばれる人たちが増えているようです。もちろんIT商取引のインフラや規制緩和などの背景にはアメリカの圧力があります98566)。

10月23日(日)の「がっちりマンデー!!」という民放番組を見ていると、ゲストに当時の竹中蔵相を招いて「竹中大臣の新日本経済入門U」みたいなのをやっていました(リンク)。

その番組中で竹中前蔵相は、「それを私の口から言ってしまうと問題がある」とは言いつつもニヤニヤしながら“これから投資の時代ですよ〜”、みたいなニュアンスを醸し出していました。民放とつるんで、朝からTV漬けの主婦など(竹中氏曰く“IQが低い”←リンク)の層を個人投資家として株式市場に参加させ、バブルを起こさせようというのが狙いか?と疑ってしまいます。それでも個人投資家のシェアは15年前から7%程伸びただけというのが実情。

注目はやはり、15年間で4倍にも跳ね上がって、いまやシェアの半分になろうとしている外国人投資家の方でしょう。日本の株式市場なのに、国内機関投資家のシェアがたったの3%以下(信託入れても12%)なのに、外国人投資家が46.7%もあるというのも、いかにも異常な感じがします。

国内機関投資家は、体力が無いのと前回のバブルでひどい目にあったので“羹に懲りて膾を吹く”みたいなことでシェアが少ないのかもしれませんが、個人投資家はしっかり37%のシェア。

もしかして彼らは、バブルを経験していない(orその当時ひどい目に遭わなかった?)新興の勢力なのかもしれません。

だとしたら、ゴールドマン・サックスにとっては、投資にそれほど慣れていない(でも、「もうからへんかいな〜」と甘い夢を見ている)連中は恰好の“カモ”に映っているのではないでしょうか(実際、投資経験の浅い学生や主婦がデイトレを始める中心層とよく聞きます)。

もしそうだとすると、いやな予感が脳裏をよぎります。

彼らの投資資金は、ゴールドマン・サックスに揺さぶりをかけられて丸ごと持っていかれる…というシナリオなのではないでしょうか。

1994年:メキシコをはじめとする中南米バブル、1997年:東南アジアバブル、1998年ロシア金融危機など、次々と各地でバブルを演出し、そのたびに自分達だけがっぽり儲けて、地元の経済や社会をボロボロに破壊し、そこに付けこんでIMFを介して世界各国の経済支配を強化してきた勢力(中川注 ロスチャイルドとジェイ・ロックフェラー)がいます。

今回は、小泉首相をはじめ官庁やマスコミまでがグルになって旗を振って、国民を道連れにバブルに突き進もうとしているかのように見えます。私達は、それらの勢力やエコノミストたちの戯言に惑わされて、前回のバブル崩壊や中南米・アジアと同じ轍を踏むようなことはあってはならないと思います。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101985

その昔、日本は国民総ででバブルに踊った時代がありますたね。バブルを起こして潰す。奴ら(中川注 ロックフェラーとロスチャイルドの事)の詐欺手口の最たるものですた。 バブルがはじけて今では失われた10年と言われていますが、今だに日本経済はその後遺症を引きずっています。自殺者はバブル崩壊から毎年3万人。今だにその数は変わっていません。

その手口を見れば分かるのですがいつもワンパターンです。

最初は甘い話でカモを釣る。こうやれば儲かりますよ。おいしい話でカモを誘います。
そしてころ合いを見計らって真っ逆さまに突き落とす。詐欺師の典型的なパターンです。

最初に奴らはバカスカ札束を刷って、バブルを引き起こす。銀行は貸して貸して貸しまくる。株に投資すれば儲かるよ。土地を買えば儲かるよ。そしてカモが罠にかかったころ合いで急に蛇口を閉める。貸し渋りをやるわけです。これをやられたら投資家はいきなり資金難に陥ります。そして、資金難に陥ったカモ達から担保として株、土地、あらゆる資産を奪い取るのです。昔からやっていることは同じです。

いい加減気付いたらどうかと思うのですが、今だに引っ掛かっている人がいます。

その当時の日銀総裁であった澄田智(すみださとし)と言う方をご存じでしょうか。日銀退官後は日本ユニセフ協会の会長などをやっていた方です。

澄田さんがバブル潰しの張本人と言われています。

プラザ合意以降、5%だった金利を2.5%に下げ、銀行は貸して貸して貸しまくった。その当時は、黙ってても銀行が頭を下げて貸しに来たという話は誰でも覚えているはずです。そういうジャブジャブ溢れた資金が株や不動産に流れ込んだ。借金しても金利は安いし土地や株を買えば値上がりするしで猛烈なバブルが起きたのですた。

そしてバブルが膨らみきったころ合いを図って、澄田さんはいきなり公定歩合を8%、長期金利は 10%まで引き揚げた。蛇口を閉めたのですた。借金すると金利が高い。値下がりリスクのある株や不動産よりも安全な銀行預金の方が良いということで投資家は一斉に株と不動産から資金を引き上げた。土地や株は一気に値下がり=バブル崩壊と言われています。

バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからブルを破裂させる。

その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。

それを二束三文で奴らが買い叩く。

昔からの手口。ばればれの三文シナリオだったのですた。

さて、それにしても、そのバブル潰しの張本人澄田さんはどのような経歴の持ち主だったのでしょうか。

澄田さんと言えばフランスに留学した留学組で、その後ベルギー大使館、フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートしたエリート官僚ですた。

そしてその後は、順調に大蔵省で出世して日銀総裁になっています。

澄田さんとフランス財界のつながりはお父様の代から囁かれていますた。

澄田智さんは、日銀総裁を辞めた後、ロスチャイルド フランスの旗艦、投資銀行ラザール・不レールに最高顧問として天下りしています。

ちっとはカモフラージュでもして隠せと思うのですが、親子二代に渡って奴らの充実な部下だったという、そのまんまの経歴の持ち主ですた。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/


さて、奴らは言います。

「我に通貨発行権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうが関係ない」

日銀が奴らの出先機関だと書いたら反論がありますた。
日本銀行の株の55%は財務省が保有しているから日銀は日本政府の持ち物であって、奴らの手先とは言えないでしょうというご指摘ですた。

確かにまぁ法律上の話はそういう話になります。

しかし、いろいろと歴史を見れば、そんなものは単なるカモフラージュの理屈付けなのが分かると言うものです。

その昔、日本は国民総ででバブルに踊った時代がありますたね。
バブルを起こして潰す。奴らの詐欺手口の最たるものですた。
バブルがはじけて今では失われた10年と言われていますが、今だに日本経済はその後遺症を引きずっています。自殺者はバブル崩壊から毎年3万人。今だにその数は変わっていません。

その手口を見れば分かるのですがいつもワンパターンです。
最初は甘い話でカモを釣る。こうやれば儲かりますよ。おいしい話でカモを誘います。

そしてころ合いを見計らって真っ逆さまに突き落とす。詐欺師の典型的なパターンです。

最初に奴らはバカスカ札束を刷って、バブルを引き起こす。銀行は貸して貸して貸しまくる。株に投資すれば儲かるよ。土地を買えば儲かるよ。そしてカモが罠にかかったころ合いで急に蛇口を閉める。貸し渋りをやるわけです。

これをやられたら投資家はいきなり資金難に陥ります。そして、資金難に陥ったカモ達から担保として株、土地、あらゆる資産を奪い取るのです。昔からやっていることは同じです。

いい加減気付いたらどうかと思うのですが、今だに引っ掛かっている人がいます。

その当時の日銀総裁であった澄田智(すみださとし)と言う方をご存じでしょうか。日銀退官後は日本ユニセフ協会の会長などをやっていた方です。


澄田さんがバブル潰しの張本人と言われています。

プラザ合意以降、5%だった金利を2.5%に下げ、銀行は貸して貸して貸しまくった。その当時は、黙ってても銀行が頭を下げて貸しに来たという話は誰でも覚えているはずです。そういうジャブジャブ溢れた資金が株や不動産に流れ込んだ。借金しても金利は安いし土地や株を買えば値上がりするしで猛烈なバブルが起きたのですた。

そしてバブルが膨らみきったころ合いを図って、澄田さんはいきなり公定歩合を8%、長期金利は 10%まで引き揚げた。蛇口を閉めたのですた。借金すると金利が高い。値下がりリスクのある株や不動産よりも安全な銀行預金の方が良いということで投資家は一斉に株と不動産から資金を引き上げた。土地や株は一気に値下がり=バブル崩壊と言われています。

バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからブルを破裂させる。
その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。
それを二束三文で奴らが買い叩く。
昔からの手口。ばればれの三文シナリオだったのですた。


さて、それにしても、そのバブル潰しの張本人澄田さんはどのような経歴の持ち主だったのでしょうか。

澄田さんと言えばフランスに留学した留学組で、その後ベルギー大使館、フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートしたエリート官僚ですた。
そしてその後は、順調に大蔵省で出世して日銀総裁になっています。
澄田さんとフランス財界のつながりはお父様の代から囁かれていますた。

澄田さんのお父さんは何をやっていた人でしょうか。

澄田ライ四郎という方です。

第二次世界大戦中、満州の軍司令官ですた。
実はお父さん、ライ四郎さんの代から澄田さんはフランスとべったりな関係ですた。ライ四郎さんも元はフランス陸軍大学で学びんだフランス駐在武官だったのですた。その後、日本陸軍で出世して満州での軍司令官になったのですた。

『蟻の兵隊』という映画をご存じでしょうか。
http://www.arinoheitai.com/index.html

この映画は、満州で戦っていた大勢の日本兵が置き去りにされた悲劇を描いたものですた。日本兵を大勢、満州に置き去りにして一人ライ四郎は日本に逃げ帰った。残された日本兵の多くが死んだ。北斗の拳のケンシロウさんも真っ青の大量虐殺拳の使い手、それがライ四郎さんですた。

実はライ四郎さんは、戦争前からすでにフランスロス茶イルドキチガイ男爵さんの手下だったのですた。戦後は戦争犯罪人として裁かれると思いきやGHQは無罪放免。
満州の軍司令だった人間です。普通は絞首刑でしょう。

誰でも知っていることですが、日本はその当時、中国で麻薬を売っていますた。
その麻薬、アヘンの生産地は東南アジア地方のフランス領の国ベトナム、ラオス、カンボジア。
もちろんフランス領ですた。

フランス領、東南アジアでアヘンを栽培し、中国で売っていた。
麻薬の生産、管理していたのはフランスの軍産企業ドレフェ須、今は穀物商社としての方が有名でしょうか。ADM(アーチャド駄ニエルミッドランド)=ドレフェ須です。

もちろんカーギルとならぶロス茶イルドキチガイ男爵の巨大穀物商社です。
ドレフェ須から仕入れて、中国で売りさばく。
その利益たるや膨大なものですた。

何度も書いているのですが、戦争というのは兵器産業と、麻薬産業のヤラセ金儲け祭りです。

澄田ライ四郎は、ロス茶イルドキチガイ男爵の手下。
ドレフェ須社の社員。
日本兵なんて置き去りにしようがなんだろうが、会社に忠誠を誓っていたのですから、そんなものは関係なかったのですた。

そして、ライ四郎さんの息子も立派にロス茶イルドさんの命令を実行しバブルを弾けさせた。
焼け野原に残された大量の日本人は死んでいった。ロス茶イルドキチガイ男爵の忠実な部下なのだから、日本人が凍死家になって死んでいこうがなんだろうが関係ないのですた。
満州に日本兵を置き去りにして大量に凍死させたお父上と奇しくもやっていることは同じだったのですた。

息子の澄田智さんは、日銀総裁を辞めた後、ロス茶イルドフランスの旗艦、投資銀行ラザール・不レールに最高顧問として天下りしています。
ちっとはカモフラージュでもして隠せと思うのですが、親子二代に渡って奴らの充実な部下だったという、そのまんまの経歴の持ち主ですた。

誰でも調べれば分かることです。
この地球は、キチガイが支配している。
法律などあってないようなものなのです。
法律など誰が作ろうが関係ない。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-date-20091012.html

2012年4月18日 (水)
バブルを叩きつぶした三重野康元日銀総裁が逝去されました。


三重野氏は平成の経済を叩き壊した人です。4万円近かった日経平均を何と1万5000円を割り込むところまで暴落させました。この人のせいで自殺に追い込まれた人もたくさんいたことでしょう。


訃報:三重野康さん88歳=元日銀総裁
毎日新聞 2012年04月18日 15時00分(最終更新 04月18日 15時53分)


 バブル経済退治のため、金融引き締めを果敢に進め「平成の鬼平」とも称された三重野康(みえの・やすし)元日銀総裁が15日、心不全のため死去した。88歳。


 バブル経済退治のため、金融引き締めを果敢に進め「平成の鬼平」と持ち上げられていますね。

 ちょっと長いですが、紺谷典子著/平成経済20年史から、この人がしたことがどんなことだったのかわかるところを抜粋転載します。


 米国の中央銀行総裁に当たるグリーンスパンFRB議長が、名議長と言われたのは、ソフト・ランディングに成功したからである。平成8年(1996)12月の「根拠なき熱狂」という彼の言葉は有名だ。「根拠なき熱狂で膨らんだ株価は、いつ破裂してもおかしくない」と発言し、加熱していた市場の鎮静化に成功した。膨らんだ風船から空気を抜いて、破裂のリスクを小さくしたのである。その間に、実体経済が追い付いて、風船の中身が埋まれば、さらにリスクは小さくなる。

 株価と地価のバブルは、それが継続している間は、大きな問題は生じない。価格の上昇が実体経済を改善し、それがまた価格を上げるという好循環を生じえる。

 バブルが問題なのは、それがやがて破裂し、すぐには回復できない大きな痛手を経済に与えるからである。株価や地価の下落は、消費や投資を冷え込ませ、実態を悪化させるだけでなく、将来不安を生む。不安が下落を呼び、それがさらに不安を高める悪循環に変わるのだ。

 悪循環を生じさせないためには、可能な限り迅速な手当てが必要だ。時間がたてばたつほど、加速度的に負の連鎖が広がるからである。早ければ早いほど、傷は小さく、後始末のコストも低くてすむ。

 バブル破裂後、日本でしばしば用いられたのが、「山高ければ谷深し」という相場の表現だ。日本経済が大きな傷を受けたのは、バブルが異常に大きかったので、落ち込みも深くなった、という意味である。

 しかし、そうではない。異常だったのはむしろ谷の方なのだ。谷があまりにも深くえぐられたので、それだけ山が高く見えただけなのである。

 バブル破裂後の深刻な経済悪化を、「バブルの報い」「大きすぎたバブルの当然の帰結」とする見方は、かなり一般的だ。しかし、大きな痛手は、そのままバブルの大きさの証明にはならない。政策次第で、谷の深さ、破裂の傷はいかようにも変わるからである。

 日本のバブル破裂の傷が、かくも深く大きくなったのは、ひとえに政策の失敗である。バブル破裂が明白になってからも、「正常化」だとして放置し、対策を取らなかっただけでなく、下落をさらに加速させる誤った政策を取ったからである。しかも、誤りは幾度も繰り返された。

 「山高ければ谷深し」との見方は、こうした政策当局の誤りを隠蔽し、その責任を国民に転嫁するものでしかない。

 日本の政策当局の、最も重大な問題は、意識的にバブルを破裂させたことである。ソフト・ランディングを図るべきバブルを、叩きつぶしたことである。日本経済が墜落したのは、政策当局が突然ガソリンを抜いたからである。

 株価と地価の暴落を謀った日銀の犯罪

 驚くべきことだが、三重野康日銀総裁は、「日本の株価と地価を半分に下落させる」と宣言し、実行した。株価と地価を暴落させれば何が起きるか、今や素人でも知っていよう。

 しかし、金融の専門家であるはずの日銀総裁が、それを理解していなかった。日本経済の安定を目指すべき金融政策の責任者が、株価と地価を意図的に暴落させ、日本経済を崩壊へと導いたのである。

 日銀の“最大”の失敗は、低金利を続け、バブルを生じさせたことではない。急激な金利上昇によって、意図的にバブルを破裂させたことである。破裂してからもなお金利を上げ続け、回復不能なまでに株価と地価を暴落させたのだ。単なる政策の遅れ、失策ではない。意図的、意識的な逆噴射だったのである。

 ルーブル合意後、2年以上にわたって続けてきた2・5%の政策金利を、日銀がようやく引き上げたのは、平成元年(1989)5月末のことだ。ちなみに、2・5%の金利は、当時、「超低金利」と言われていた。その後まさか超・超低金利である、ゼロ金利時代が来るとはだれも思わなかったであろう。

 日銀は10月、12月とさらに金利を上げ続けた。平成2年(1990)正月からの株価下落は、その効果の現れと思われた。ふつうの国のふつうの政策当局なら、その効果を見極めるところだが、日銀はそうはしなかった。

 3度の利上げにもかかわらず、年末まで株価が上昇し続けたことを日銀は苦々しく思っていたのかもしれない。としがあけ、ようやく下がり始めた株価は、日銀にとって、慎重に見守るべき対象ではなく、叩き潰すチャンスと見えたのだろう。

 株価がすでに2割近く下落していた平成2年(1990)3月、日銀は一気に1%という大幅な利上げを行い、8月にも0・75%の利上げを断行した。

 15か月という短い期間に2・5%から6%へ、金利は3・5%も引き上げられた。通常でも、これだけ急激な金利の引き上げは、市場の調整能力を上回る。まして、バブルは膨らみきった風船のようなものである。

 風が吹いただけでも破裂しかねない、パンパンに膨らんだ風船に、大鉈を振り下ろしたのである。風船は破裂し、空を切った鉈は、実体経済に深いひびを入れた。底割れになるのは時間の問題だった。三重野総裁の辞書に、ソフト・ランディングという言葉はなかったのだ。

 平成元年(1989)末、4万円近かった株価は、翌平成2年(1990)明けから、”順調に“下がり続け、3月の利上げで3万円を切った。3か月足らずで、4分の3を切ったわけである。しかし、まだ半分ではない。8月の利上げで追い打ちをかけ、2万円まで下落させるのに、“大成功”。株価はようやく半分になり、三重野総裁の目標は達成されたのである。

 50%の暴落にも、日銀は、一向にたじろがなかった。目標の達成をより確実にするためか、6%の政策金利は、平成3年に入っても引き下げられることはなかった。そのころには、地価や不動産価格の下落が明らかになっていたにもかかわらず、である。

 ようやく金利が引き下げられたのは、平成3年(1991)7月、株価の暴落が始まってから、すでに1年半が経過していた。しかし、時すでに遅く、利下げをしても株価下落は止まらなかった。

 平成4年(1992)8月、株価はついに1万5000円を割り、1万4309円という底値を記録した。なんと63%強の大暴落だった。繰り返すが、この暴落は、日銀によって意図的にもたらされたものである。世界史に残る暴挙、狂気の沙汰というべきだろう。

 しかし、誤っていたのは日銀だけではない。日銀の暴走をとがめる声は、大きくならなかった。バブル破裂後、日本政府がようやく景気対策を打ち出したのは、株価が1万4000円まで下がってからである。

株価暴落を「正常化」とする非常識

 ちなみに、平成20年、サブプライム・ローン問題が深刻化し、欧米の金融当局は対策に追われたが、最初に緊急対策に動いた時の、米国株価の暴落は10数%であった。

 欧米の当局は、日本の失敗に学んだからだ、との解説をよく聞いたが、必ずしも正しくない。昭和62年のブラックマンデーへの対応を見ただけでも、欧米の政策当局が、如何に株価暴落を敏感に、深刻に受け止めているかが分かる。

 当時はまだ信任だったグリーンスパンFRB議長が市場の信頼を獲得したのは、ブラックマンデーにおける、機敏な対応によってだとされている。

 三重野総裁とて、日本経済を破壊したかったわけではあるまい(そう思いたい)。バブル破裂を「正常化」としか思わず、それが、いかに経済を痛めるか、想像さえしなかった、日銀総裁の任にふさわしい識見と能力を持たない素人だった、ただそれだけのことである。

 それにしても「殿のご乱心」を阻止するものが、日銀内部にいなかったのだろうか。当時、日銀内部で、相対立する大激論があったという話は全く伝わっていない。専門家集団とされる日銀が三重野総裁と同じ考えであったとすれば、恐ろしい話だ。金融のコントロールタワーである日銀が、経済の素人集団ということになるからである。

 もし、当時の日銀が、バブルつぶしに走らず、ソフト・ランディングを目指していれば、「谷」は深くならず、その後の長い経済低迷も、金融危機も生じなかったに違いない。

 しかし、その三重野総裁を「平成の鬼平」ともてはやす評論家、マスコミがいた。鬼平は、TVドラマにもなった人気小説の主人公で、火つけ盗賊改めの役人だ。三重野総裁をバブルの火消しになぞらえたわけである。

 さらには、その後、三重野総裁が「世界のベストバンカー賞」を授与されたことも書いておくべきだろう。バブルを鎮静した公労を称えての受賞と報じられたが、その後の日本の状況を知った世界は、その評価を変えていよう。

 いや、もしかしたら、「あの生意気な日本をよくぞ叩き潰してくれたね、よくやった!!」賞であったのかもしれないが・・・・・。

 このバブル崩壊で、ソロモンブラザーズが大儲けをしましたね。ソロモン・ブラザース証券に莫大に儲けさせた三重野総裁へのご褒美が「世界のベストバンカー賞」だったのではないでしょうか。


 三重野氏のプロフィール(ウィキペディア)
東京大学法学部政治学科を卒業後、1947年10月に日本銀行入行。採用試験場では、当時の採用部長(のち総裁)であった佐々木直が助け舟を出してくれた。松本支店長、総務部長、営業局長、理事を経て、1984年12月に澄田智総裁の下で副総裁に就任。澄田が元大蔵省事務次官で、天下り組ということもあって、この頃から日銀プロパーの三重野が、同行の実質的な最高実力者として長らく同行の金融政策決定に絶大な影響力を揮うことになった。


 澄田智氏は日銀総裁を退任した後、仏投資銀行ラザール・フレール顧問に就任です。この投資銀行のために働いた売国奴だったと推測されます。この人の後を継いで総裁になったのが三重野氏。三重野氏はソロモン・ブラザーズのために働いた人なのでしょう。ソロモンへ天下ってませんが、あまりに露骨過ぎて出来なかったのではないかと思いますが。

 それから、バブルを崩壊させたのは日銀だけではありませんでした。総量規制を行った大蔵省もでした。株価のバブル破裂後の平成2年4月、大蔵省は、金利上昇と株価下落で、十分地価は抑制されていたのに、さまざまな地価抑制策を実行しました。

 ちょうど今、日銀が円を刷らずむしろ減らしてデフレ円高経済にして、財務省が海外支援三昧と消費税増税を図っているという、日銀と財務省が手に手を取って日本国民からお金を吸い取って、大企業に集約し外資様へご奉仕しようとしていることとかぶりますね。これも日本人を殺しての外資様にご奉仕で、過去からずーっと続けられていることのようですね。
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-8ccc.html

日銀の白川総裁は、戦後初、日銀の個人筆頭出資者であるロスチャイルド財閥がつくった国際決済銀行(BIS)理事会の副理事長になりました。 BIS理事会の副理事長のポストは、そのために与えられたに違いありません。

このままデフレ政策を続けることを許したら、「ゆうちょ銀行」は160兆円の赤字国債という不良債権を抱え、年金の運用は破綻し、それどころか日本政府そのものが日銀のものになってしまうかも知れないのです。 確実なことは、
「日銀は日本のために創られたのではなく、世界支配層のために創られた」
ということです。
http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/695.html


日本の金融業界に「核爆弾」を落とし、山一を倒産させ、金融業界のGHQとして日本上陸を行って来たロスチャイルドのゴールドマンサックスに、顧問として就任したのが、前日銀総裁の福井俊彦だった事をご存知でしょうか。

侵略者の「水先案内人」が、日銀総裁になるような日本の国に未来はあるのでしょうか。

超高金利で日本のバブルを崩壊させ、15年以上に渡る大不況を作り出した、元日銀総裁・澄田智は、フランス政府と、ロスチャイルドから全額資金を与えられ、フランスのスパイ養成大学を卒業していたと言われています。

澄田は日銀総裁退任後、「日本を大不況に追い込んだ功績をタタエラレ」、ロスチャイルドの銀行の特別顧問に「天下り」しているんです。

そして前日銀総裁・福井は、2005年、フランスの「国益に貢献した人物に与えられる」レジオン・ドヌール勲章を受けました。

もちろん、日本からは国民栄誉賞も、勲何等も受けていない。

倒産したリーマン・ブラザース、さらにはゴールドマンサックスのような投資銀行の時代は、間もなく終わるでしょう。

長距離ミサイルにより敵陣の軍事的要地を叩いた後には、膨大な数の艦隊が近海に駐留し、艦砲射撃を開始する。その後、上陸作戦が展開されるというのが、戦いの定石です。

投資銀行という長距離ミサイルの攻撃が終わった今、次の軍事行動が準備され始めていると考えるべきでしょう。

かつて福井がゴールドマンサックスの「社員」であった当時、福井の執務室には、年中、ヘンリー・キッシンジャーが出入りしていたらしい。
http://cosmo-world.seesaa.net/article/117981152.html

見えざる政府の世界支配アジェンダとは?
一連の騒動を陰謀的に総括 2016.05.18.


■ある外資の錬金術

 話は十年ほど前に遡る。当時、私はある調査の過程で、不動産企業の関係者と話す機会を得た。その企業は業界の人間なら誰もが知っている有名な会社で、バブル時代には銀座や赤坂といった都内各地の一等地に自社ビルを所有していた。しかし、バブル経済の崩壊で業績が悪化し、90年代の後半に、いわゆる「ハゲタカファンド」への資産売却を余儀なくされた。

 新たにオーナーとなった外国人経営者は何をしたか?

 真っ先に取り組んだのが徹底したビルの改装だった。ITに対応した最新の設備を導入し、内部の水回り設備も一新する。外観もピカピカにして、新築にしか見えないようにした。すると、景気の回復と共にビルの資産価値がどんどん上昇していった。そして十年もしないうちに、それらのビルを日本の財閥系不動産会社に一斉に売却した。その際、彼らが得たリターンはなんと投資額の倍だったという。ゆうに1千億円以上を投資したというから、儲けの大きさが分かる。

 その場の話は結局、「さすが外資はやり手だ」という、ありきたりな結末だった。実はこの手の話は当時、首都圏や阪神圏では、あちこちに転がっていたのである。

 さて、後日、私がそのファンドを調べたところによると、ロックフェラー・グループの著名な米投資銀行の資金で動いていた。その投資銀行は、実は日本のバブル景気の際、株式市場を「猛烈に上げて落す」操作をやった疑いが持たれていた。80年代後半に日本市場に新規参入した彼らは、日経平均株価がピークに達した頃合を見計らって空前の空売りを仕掛け、何兆、何十兆円ともいうサヤを日本市場から掠め取ったと囁かれている。

 要するに、彼らは、その時に儲けた金を元手にして、今度は日本の不動産市場が底を打つのを待って、将来リターンが望めそうな物件を買い漁ったのだ。事実、景気がある程度回復してきたところで一斉に売却し、再び大儲けに成功した、というわけだ。

 他人の金を元手にして他人の資産を手に入れる――そういえば幕末の頃にも、こういう錬金術のような手法で、わが国は大量の金(きん)を掠め取られた苦い経験があった。

■中曽根政権とバブル経済の真実

 この件に関してさらに調査を進めていった私は、結局、「中曽根政権とは何だったのか」、また「バブル経済とは何だったのか」という疑問に行き当たった。
 
 記事の趣旨とは異なるので、あくまで要点のみだが、当時の日本は貿易不均衡でバッシングされ、代わりに金融市場開放の要求を次々と飲まされていた。

 たとえば、84年には外資の日本市場への参入や先物・オフショア市場の創設が決まり、85年にはいわゆる「プラザ合意」で「金融・資本市場の自由化」を公約させられた。先進国蔵相らによる事実上の円高容認と受け取られ、当時1ドル240円のレートが数年後には120円にまで進んだ。日本が貿易黒字を通して溜め込んだドル資産は急速に蒸発し、逆に米国側の債務は大幅に縮小した。

ちなみに、この時に(事前に情報を得て?)猛烈な円買いドル売りで莫大な富を手にしたのがジョージ・ソロスだった。86年には米企業が東京証券取引所の会員になり、以後、外資が続々と日本の金融市場に参入した。そして87年、大蔵省が日本電信電話会社の株式を売りに出した。これでバブルが一挙に加熱した。


 これらの一連の施策はすべて中曽根政権時代に行われた。今だから言えることだが、振り返ってみると、ひとつのシナリオというか、明確な意志が浮き彫りになってくる。

 そして、あの「バブル崩壊」がやって来た。のちに、その時に失われた金融・不動産資産額は「約1500兆円」という新聞記事を目にしたことがある。その内の何割かは外資にもっていかれたのではないか。

 そして、まるで日本と入れ替わるように、90年代半ばから今度はアメリカ経済が史上空前の好景気に沸き立った。その要因として挙げられるのは、常に80年代のレーガノミックスの効果、冷戦の勝利、IT産業の勃興などだが、日本からの大規模な所得移転という面が意図的に黙殺されているのではないだろうか。

 グローバル・ユダヤの内部告発者であるポール・ゴールドスタインとジェフリー・スタインバーグは次のように記している
(以下『ユダヤの告白』エノク出版)。

「ワスプの同調者と一緒になったユダヤ系投資銀行グループは、すでにカーター政権時代から当時のロバート・シュトラウス米通商代表主導の下で、日本叩き計画を立てていた。レーガン政権がスタートするころには、この作戦に着手する準備は整っていたのである。(略)ユダヤ系投資銀行を中心としたグループは、それまではアメリカから資金を巻き上げてきた。しかしアメリカの債務国への転落を機会にその目を日本に向け始めたのである」

 ちなみに、この二人は、ロックフェラーは「隠れユダヤ」という見解を示している。

 ……というわけで、つまり、バブル経済とその崩壊は偶然の産物ではなく、80年代に入る少し前から計画されていた、ということだ。

 すると、中曽根政権が経済政策の目玉とした「規制緩和・民営化」とは何だったのかという疑問が起こる。穿った見方をすれば、本当は因果関係が逆で、最初に“収穫祭”をやるという目的があって、そのために総理大臣として選ばれたのが中曽根康弘氏だったのかもしれない。

「彼ら」としては、田中角栄が“本部”に反抗したため、戦後の“フランチャイズ店”を“直営店”へと改めねばならなかった事情もあるだろう。田中氏と中曽根氏の間の内閣は、過渡期の暫定政権に過ぎなかったわけだ。これ以上は本稿の趣旨から外れるので、「1953年 サマーセミナー」とだけ記しておこう。

■彼らは過去に何度も「収穫祭」を繰り返してきた!


 しかも、この勇気ある内部告発は「米政府・米国家が陰謀の主体である」とする見方に修正を強いるものだ。それはあるレベルまでは事実だが、最深部次元では、アメリカもまた金融勢力にずっと寄生され、搾取され続けてきたということらしい。

 事実、さらに調べていくと、「彼ら」はこのような行為を過去に何度も繰り返していたことが分かった。

だいたい日本のバブル崩壊前の、87年の「ブラックマンデー」の株価暴落の際にも、なぜか直前に売りに転じて、ぼろ儲けしていたのである。

1907年と1929年の時もそうだった。

なぜか彼らは常に暴落の直前に売り抜けることができる――売り建てが可能になってからはむろん空売りも――らしいのである。

1929年の「収穫祭」については、私の探していた情報をたまたま広瀬隆氏が的確にまとめていたので、その著作

『東京が壊滅する日』(ダイヤモンド社)
http://www.amazon.co.jp/東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命-広瀬-隆/dp/4478066760?SubscriptionId=AKIAIVZOEOBUIKZXXUSQ&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4478066760


P179〜180から引用させていただこう。

(以下引用)

 実は、アメリカの全産業は、石油を独占したロックフェラー財閥(スタンダード石油)と、鉄道と鉄鋼を支配したモルガン財閥(モルガン商会)が、一九二九年のウォール街“暗黒の木曜日”の株価大暴落によって起こった大恐慌後に、ほとんどの大企業を支配してしまったのである。(略)ロックフェラー財閥とモルガン財閥の企業だけは、不況のなかで倒産する企業を次から次へと買い占めて、ますます巨大化していたのである。

 モルガン財閥の場合、支配した当時の資産1億ドル前後という超大企業だけを拾いあげても、14の銀行、4つの生命保険会社、7つの鉄道会社、8つの電気・電話・ガスなどの公益事業、12の自動車・鉄鋼などの工業メーカーが数えられた。(略)さらにランクを落として大企業クラスで数えると、都合444社がモルガンの支配下に置かれてしまった。

 一方、“スタンダード石油銀行”と呼ばれたナショナル・シティー銀行とチェース・ナショナル銀行をはじめとして、ロックフェラー財閥も巨大な独占を成し遂げ、287社を支配してしまった。これを大恐慌後の会社合計の資産額で示すと、(略)このわずか二家族の支配した資産総額が1225億ドルに達していたことだ。

一九三〇年のアメリカ国家予算(歳入額)が40億ドルの時代に、その30倍を二大財閥が支配したのである。現代に換算するなら、69兆ドル、8000兆円規模になろうか。史上空前の独占だったこの数字は、「アメリカの大企業上位200社を並べたとき、資産総額の65%をモルガンとロックフェラーで支配した」ということを意味する。実に65%の独占である。
(以上引用終わり)


 前回にも触れたが、彼らがユニクロの柳井正氏よりもはるかに貧乏であるとする「フォーブス」誌の統計などまったくナンセンスで、明らかなプロパガンダといえよう。

 この金融グローバル集団は、1907年、金融恐慌を引き起こし、全米の5千以上もの銀行を潰して自分たちの大銀行へと統廃合した後、1913年にはその金融恐慌の「教訓」という名目で「FRB」を設立し、事実上の中央銀行に収まった。

そして上記のように、1929年の世界恐慌の際には数百もの大企業の株を底値で手に入れ、米経済の7割近くを掌握したというわけだ。

ちなみに、この恐慌を通して同様に莫大な資産を築き上げたバーナード・バルーク、ジョセフ・ケネディ、プレスコット・ブッシュなども、みんな彼らの仲間か手下だった。「最大受益者=真犯人」の法則からすると、そもそも恐慌は、通貨政策やメディアを使った投機熱の扇動などで、彼らが引き起こしたと考えるのが妥当ではないか。

■収穫祭の原点はナポレオン戦争の成功体験だった

 そして、こういう連中が、戦後半世紀を目安にして、「日本はずいぶんと富を溜め込んだようだから、一丁“収穫祭”をやったるか」と考えて仕掛けてきたのが、あのバブル経済とその崩壊だったというのが私の推理である。

彼らの我々に対する接し方は、ちょうど家畜に対するそれと同じだ。できるだけ多くの肉を取るためには、その前にできるだけ家畜を太らせたほうがいい。家畜のほうは殺される直前まで、牧場主のことを「いつもニコニコしてたくさん餌をくれる優しいおじさん」だと信じ切っている。

 彼らが好んでやるこのような手法の原点は、ナポレオン時代にまで遡るようだ。宮廷ユダヤ人としてはむしろ後発組だったロスチャイルド家が大財閥に躍進する契機となったのが、よく知られるように1815年のワーテルローの戦い時における英国債の売買だ。すでに欧州に五家を構えるロスチャイルドは独自の高速通信網を持つことで有名だったので、投資家たちは二代目ネイサンの動向に注目した。

だから、彼の「売り」を見て、ナポレオンが勝ったと思い込んだ人々は売りに殺到した。こうして、債権市場をいったん暴落させたところで、ネイサンは英国債の買占めに掛かった。ロンドンの取引所に英蘭軍勝利の報が届いたのは翌日だったという。当然、英国債は一転暴騰した。

かくしてロスチャイルド家は英国政府に対する最大の債権者に上り詰めたのだ(*余談だが、同家が世界支配層の本体という見方はよくある間違いで、実際には主要構成員である)。


 彼らはこの時に、債権を暴落させて買占めれば、通常の経済活動では考えられない水準の儲けと共に経済の主導権・支配権すら手に入るという事実に気づいたのだ。そして以後、同様の事を何度も繰り返すようになる。私たちはこのロスチャイルド伝説を“昔話”と決めて掛っている。まさか日本のバブル崩壊が「あれ」だったとは思いもよらない。

 

世界支配層にとって世界恐慌とは「収穫祭」であり、その“仕込み”として「パナマ文書」などの工作が仕掛けられているのだ、と。


■次の世界恐慌でグローバル勢力の経済支配体制が完了する!

 しかも、恐ろしいことに、今度が最大にして最後の「大収穫祭」になる予感がひしひしとする。というのも、本当は世界最古の組織である彼らの「見えざる政府」は、まだ完全には全世界を掌握していない。私の主観では、彼らの世界経済における支配率は未だに6〜7割のはずだ。

だから、「第一次世界恐慌」は欧米が対象だったが、今度の「第二次」は全世界が対象になる。グローバル経済を推し進めて世界経済の一体化を図ってきたのもそのためだ。そして、今度の「大収穫際」で支配率をMAXへと持っていく予定だ。つまり、次のイベントで狩り尽くしてしまうので、彼ら的には以後は資本主義すら不要だ。

 しかも、その時期が切迫している。リーマンショックとサブプライムローン問題以降、世界は明らかに過去の1907年から1929年のプロセスをなぞっている。ただし、当時は約20年かけたが、今回はどうも10年くらいでやってしまう計画のようだ。つまり、「大収穫祭」は2020年までに引き起こされると見ていいのではないか。はっきり言えば、主に狙われているのはアップルやトヨタのような企業であり、フレーム内富裕層である。

 もっとも、今の不安定な経済情勢下で関東大震災や南海トラフ地震、米西海岸地震などが発生すれば、「世界経済の心臓発作」が起きる可能性もある。どっちが先に来るか微妙だ。後者だと彼らも一時状況コントロールに苦労するだろうが、ただ結局は同じだろう。

■グローバル勢力がもっとも恐れること

 世界支配層は「見えざる政府」とも言うが、事実、依然としてブラックボックスになっている。私の調査結果と推論は、その他の研究者の見解とは異なる。


従来流布されている説の中で、錯覚と思われるのは以下だ。


 第一に、“何々家”が陰謀の主体であるという考え方である。日本だけでなく、世界中の陰謀論がずっとこの間違った考えに取り付かれてきた。

 第二に、世界を陰からコントロールしようとする陰謀が「ロスチャイルド家から始まった」とする考えだ。実際はもっと以前から始まっていた。

 第三に、ロスチャイルドVSロックフェラーの対立構造という見方だ。これもあるレベルまでは事実だが、社内の出世競争のようなもので、カモフラージュ目的もある。

 第四に、国際金融資本が欧州の王族・貴族と一緒になって特権階級を形成しているという考え方だ。ビルダーバーグなどを見ると、そう映る。これも間違い。彼らは政治権力を持たない範囲で一定の特権を許されているにすぎない。

 第五に、彼らの目的はあくまで金儲けと権力の拡大が目的だとする考えだ。だが、本当はそういった世俗的動機以上に、彼らは“信仰”に基づいて行動している。
http://tocana.jp/2016/05/post_9782_entry.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c9

[原発・フッ素47] 金融業界に対するあなたのイメージは、この記事を読んで一変するかも?「信金理事長のエネルギー政策に関する本音」 赤かぶ
1. 中川隆[-7735] koaQ7Jey 2017年5月07日 18:26:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界


原発を稼動するか、地球を破壊するか、便利な生活を辞めるかの3つの選択肢しかない
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引用:https://cop20.files.wordpress.com/2016/06/bn-nt840_gordon_j_20160428152523.jpg


原発停止で大量の温室効果ガス放出

環境省によると2015年日本で排出された温室効果ガスは13億2500万トンで、前年より2.9%減少しました。

環境省は省エネに加えて原発再稼動によって、CO2などの排出量が減少したと分析している。

分析では原発再稼働によって410万トン分の温室効果ガスが減少し、これは全体の0.3%に相当します。

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2015年に稼動した原発は九州電力の川内原発1、2号機だけで、稼動したのは9月以降だった。

原発2基が約4ヶ月稼動してCO2が0.3%減少したなら、1年間ずっと稼動していたら0.9%減少していた計算になる。

さらに44基の原子炉全てが稼動したら約20%減少、半分でも10%減少する事になる。


単純計算だが逆に言えば2011年の原発停止以降、火力発電所がこれだけの温室効果ガスを排出してきました。

日本の火力発電所はコストなどの問題で石炭発電が多く、ついでガス発電で、石油を燃焼させる発電の割合は少ない。

期待された再生可能エネルギーは、現状では原発に代わる発電として、まったく役に立ってはいませんでした。

再生可能エネルギーの限界

再生可能エネルギーから、従来からある水力発電などを引くと、発電量全体の3%から5%以下に過ぎず、事故前の原子力発電に代わる事はできない。

震災前の2010年12月に原子力発電が、日本の発電量全体に占めていた割合は32%だったが、原発に代わったのは火力発電だった。

再生可能エネルギーの中心は太陽光、風力、地熱の3つだが、日本ではそれぞれ問題を抱えていて、発電の主力になる可能性は低い。


まず太陽光は地面の面積を太陽光を集光するために利用するので、ソーラーパネルを敷くために他の何かを犠牲にしなくてはならない。

日本には広大な『空き地』というものが存在していないので、農地や森林、工場や住宅地など何かを犠牲にしなくては必要な面積を確保できない。

わずか1%ほどを太陽光発電で賄っただけで、森林破壊や自然破壊による災害が顕在化しており、さらに数倍に増やすことは考えられない。


また何かに利用されている土地を太陽光発電に転用するので、必然的に用地取得費用は高額になり、広大な『空き地』がある外国とは比べられない。

風力発電も同じ事で、風車をどこに設置するのか設置する場所がないし、設置に適した場所は既に何かに利用されている。

地熱発電は「日本は火山国だからいくらでも発電できる」という意見があるが、実際には地熱発電は地形に左右され、日本で大規模な地熱発電に向いている場所は存在しない。

原発と火力を減らすとどうなる

地下深くに大量の水を流し込んで、それを沸騰させてお湯を採取するのは、評論家が言うほど簡単でも実用的でもない。

温泉の40度くらいのお湯は穴さえ掘ればどこででも(チョロチョロと)出てくるが、それで風呂には入れても発電はできない。

再生可能エネルギーはそれぞれ問題を抱えていて、日本の地理的条件では大規模発電ができないのです。


仮に日本が「埼玉県を廃止してソーラーパネルを敷き詰める」的な事をして、発電量の半分を太陽光で発電しても、電力には使えません。

電気は貯めておけないので、「晴れたから消費電力100%を発電した」としても、じゃあ雨や曇りではどうするのかという問題が起きます。

天気次第で発電したりしなかったりし、余った電力はどこかに捨てる一方で、不足した電力はどこかから調達する必要があります。


特に北海道などでは冬のソーラーパネルの発電量はゼロになるので、例え夏の晴れた日に必要量の100%を発電したとしても、全く無意味なのです。

太陽光や風力をいくら増やしても、火力や原発の発電能力を減らす事ができない理由が、ここにありました。

もし多くの人が、「手術中に曇ったら手術を中止する」「雨の日は山手線運休」「冬の北海道は送電停止」などで納得するなら、火力や原発廃止も可能です。


そして火力発電は今後、地球温暖化を防ぐため減らす事が義務付けられていて、今までの日本は「地震で可哀想だから」見逃されただけです。
http://www.thutmosev.com/archives/70483577.html


自民党の原子力発電に関する公約は、以下の通りとなっています。


『原子力の安全性に関しては、「安全第一」の原則のもと、独立した規制委員会による専門的判断をいかなる事情よりも優先します。原発の再稼働の可否については、順次判断し、全ての原発について3年以内の結論を目指します。安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます。』


『中長期的エネルギー政策として、将来の国民生活に責任の持てるエネルギー戦略の確立に向け、判断の先送りは避けつつ、遅くとも10年以内には将来にわたって持続可能な「電源構成のベストミックス」を確立します。その判断に当たっては、原子力規制委員会が安全だと判断する新たな技術的対応が可能か否かを見極めることを基本にします。』


 耐震化を含む安全性について確認し、3年かけて順次再稼働を判断していく。将来的なエネルギー戦略確率は「10年以内に結論を出す」という話で、他党のように、
「何年以内に脱原発」
 といった威勢のいい文言は入っていません。これにはもちろん、理由があります。


 脱原発の定義は何なのでしょうか。要するに、全国の原発を全て停止し、そのまま「永遠に」再稼働しない、という話なのだと思います。


 上記の定義の「脱原発」を実現するには、少なくとも三つの越えなければならないハードルが存在しています。


(1) 原発を停止した結果、貿易赤字が拡大し、かつ天然ガスの中東依存が高まっている。ホルムズ海峡封鎖といった事態になると、日本の電力供給は数か月程度しかもたない。この「喫緊」の課題にどのように対処するのか?

(2) 原発を再稼働しない場合、代替のエネルギー供給はどうなるのか。太陽光や風力といった不安定な電力供給では話にならない。「安定的」に電力を供給できる新エネルギーや、蓄電技術などへの莫大な投資が必要になる。

(3) すでに存在している17000トンの使用済み核燃料をどのように処理するのか?


 (1)については、わたくしは「日本人だから行きました 」でも書いた通り、

「とりあえず、耐震化工事をきっちりとした上で動かす必要がある」

 という立場です。浜岡原発に限らず、現在は全ての原発において耐震化工事が急ピッチで進められています。


 目の前の「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、(2)の新エネルギー(メタンハイドレート含む)への投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれます。が、あくまで「開かれる」だけで、実際には相当先にならなければ実現できません。


 理由は、現在の日本には17000トンの使用済み燃料が存在し、これを「再処理」した上で「最終処分」しなければならないためです。


 使用済み燃料は、再処理工場で処理することで、(a)ウラン酸化物及びウラン・プルトニウム混合酸化物と(b)高レベル放射性廃棄物の二つに分離することが出来ます。(b)の高レベル放射性廃棄物は、半減期が異様に長い(2万4千年)プルトニウム239や危険なガスを分離しているため、より「安全」な形でガラス固体化し、最終処分(地下300メートルに埋めてしまう。いわゆる「地層処分」)することができます。

 また、再処理をすることにより最終処分する高レベル放射性廃棄物の体積をおよそ三分の一に圧縮することも可能です。


 (b)について、上記の、

「再処理し、プルトニウム等を分離した上で、最終処分」

 という方法は、すでに技術的にほぼ確立されている状況になっています。ところが、再処理でプルトニウム(厳密にはウラン・プルトニウム混合酸化物)が精製されることが気に入らない反原発派は、

「再処理はコストがかかるから、再処理せずにそのまま最終処分せよ!」

 と無茶なことを言っています。冗談でもなんでもなく、「コストがかかるから」と超くだらない理由で、バカげたことを叫んでいるのです。プルトニウムを分離せずに最終処分せよというわけですから、安全性の面では大きく(極端に大きく)落ちます。しかも、再処理した上で最終処分するのと比べ、体積が三倍になります。


 反原発派は、

「危険だから、原発を停めろ!」

 と叫びつつ、

「危険であっても、使用済み燃料を再処理せずに最終処分せよ!」

 と言っているわけで、例により見事なダブルスタンダードです。


 とはいえ、彼らは「ある一点」ではダブルスタンダードではありません。と言いますか、彼らは「原発を停めろ」という結論については、決して揺るがないのです。日本国民にとって安全、危険の問題ではなく、とにかく「原発を停める」という結論に持っていくため、ダブルスタンダードだろうが屁理屈だろうが、「国民の安全が危険にさらされようが」一向に構わないというのが、反原発派のスタイルです。


 先にも書いた通り、使用済み核燃料を再処理すると、上記の通り (a)ウラン酸化物及びウラン・プルトニウム混合酸化物が精製されます。この混合酸化物を原料とするのが「MOX燃料」になります。MOX燃料は、プルサーマルやフルMOXの原発で燃料として使用することができます。というよりも使用しなければなりません。理由は、国際公約上、日本は余剰プルトニウムを持たないことになっているためです。


 使用済み燃料を再処理すると、プルトニウムを含む酸化物が精製されます。これをプルサーマルやフルMOXの原発で燃料として使わなければ、日本は国際公約に違反していることになってしまいます。


 というわけで、使用済み核燃料を再処理すると、日本は「原発を動かし続けなければならない」という話になります。これが反原発派の人たちにとっては我慢がならないので、相対的に「危険」であるにも関わらず、彼らは使用済み核燃料の再処理に反対をし、プルトニウムを含んだまま最終処分せよ、などと無茶なことを言っているわけです。


 現実問題として、日本は使用済み核燃料を「再処理」した上で最終処分しなければなりません(現在と将来の国民の安全のために)。さらに、再処理のプロセスで生成されたプルトニウムは、MOX燃料として「原発」で使用し続けなければならないのです。


 青森県六ケ所村の再処理工場は、間もなく実用フェーズに入ります。とはいえ、六ヶ所村再処理工場のキャパシティは、一年間に800トンでしかないのです。すなわち、今後の日本で使用済み核燃料が発生しないという前提であっても、全てを再処理するためには20年超かかるという話になります。


 しかも、上記の再処理工程で生成された混合酸化物は、MOX燃料として使用しなければなりません(さもなければ、プルトニウムがどんどん貯まっていきます)。すなわち、プルサーマルやフルMOXの原発を動かし続けなければならないのです。


 され、ここまで読み進めて頂いた上で、読者の皆様に問いかけたいのです。原発について「10年以内に結論を出す」と公約に書いている自民党と、
「30年以内の脱原発! (やり方は知らね)」
「いや、我が党は10年以内だ! (やっぱり、やり方は知らね)」
 とやっている他党と、果たしてどちらが「真摯」に原発問題に向き合っているでしょうか。


 結論を押し付ける気はありませんが、少なくともわたくしが「ノリ」で原発について語っているわけではないことはご理解ください。わたくしは原発関連の記事を書く上で、静岡県の浜岡原子力発電所、青森県の六ヶ所村の再処理施設、東通村の東通原子力発電所、むつ市のリサイクル燃料貯蔵株式会社、そして日本初のフルMOX(になる予定)の大間原子力発電所と、自分の目で各施設を見て回り、現場で働いていらっしゃる専門家の方々から直に話を聞いているわけでございます。


 世の中には無責任な評論家やコメンテーターが多く、それこそ「イメージ」「ノリ」「空気」で脱原発やら反原発やらを叫んでいる人ばかりです。この種の方々には、
「お願いですから、自分の目で現場を見た上で、自分の頭で考え、判断を下してください」
 と言いたいわけでございます。


 イメージや空気で原発問題を語るのはやめて下さい。現時点で空気に流され、いい加減な結論を出してしまった日には、困るのは現在及び「将来の」日本国民なのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11412953219.html  


2016年09月28日
電気自動車は原子力自動車になる 充電に原発50基が必要
http://www.thutmosev.com/archives/66197731.html


台数が少なければ太陽光で足りるが、台数が増えれば新たな発電所が必要になる
引用:http://b-l.jp/manager_OLD_MT_blog_image_html/2013-05-06%2015.03.18.jpg


EV転換には原発50基が必要

世界初のハイブリッド車プリウスが発売されてから20年が経ったが、ようやく時代は次に進むかも知れない。

充電が可能なPHV(プラグインハイブリッド)やEV(電気自動車)が続々と発表されようとしている。

PHVやEVは充電してから走り出すので無公害だが、発電所で発電する必要がある。

自動車が必要とする莫大な熱量を、太陽光や風力、地熱など無公害発電で生み出すのは不可能だと知る必要がある。

電力を100%自然エネルギーで発電できるとしても、(かなり無理があるが)さらに自動車向けの電力を発電は期待出来ない。

欧州環境省EEAの報告では、欧州の自動車の80%がEVになると、150ギガワットの発電能力が必要になる。


1GWは100万キロワットなので、原発150基分の発電量に相当します。

EUの人口は約7.4億人で日本の6倍なので、単純に人口比で割ると、日本では25GW=2500万キロワットが必要になります。

100万KWの原発25基分だが、日本の平均的な原発の稼働率は50%なので、自動車の80%をEVに転換するには50基の原発が必要になる。


基礎電力としても原発は必要なので、70基前後の原発を稼動させる必要が生じます。

原発が環境に優しいのかは議論があるが、電気自動車=原子力自動車だと言って良いと思います。

原発以外でEVの電力を発電する方法は、天然ガス、石油、石炭などが考えられるが、どれもCO2などの公害をゼロにはできません。


EVに必要な発電量とは

それぞれの方式のエネルギー変換効率は次のようになっています。

電気自動車のエネルギー効率は80%と役所は説明しているが、それは電気で走行するエネルギー効率のことです。

実際には天然ガスや石炭から発電する際に発電ロスが出るので、40%を超える事はない。


@ガソリン自動車 約15%
A水素自動車 約30%
B市販ハイブリッド 約30%
CプラグインHV 約35%
D電気自動車 約40%


「アクア」など従来型ハイブリッドと電気自動車の発電効率は、10%しか違わず、天然ガス等で発電すると、公害が出ないわけではない。

それほど多くの電力は必要ないという意見も存在し、例えば日本の乗用車は約7000万台、1台当たりの走行距離は約8,700kmでした。

EVの電力効率は6km/kWhなどの数字を用いて計算すると、EVの消費エネルギーは約87GWhで日本の消費電力の約10%になる。


EUの計算ではEVに150基もの原発が必要で、日本の学者の研究では、新たな発電は不要とはどういう事だろうか。

両者の言い分を比較すると、日本の学者は「充電のために必要な発電量」ではなく、年間消費電力で比較している。

例えばある連休前の金曜日、休日に使用するため7000万台の電気自動車が一斉に充電したらどうなるのか。


一斉に充電したらどうなるか

「そんな事は起こらない」というのは簡単だが、同時に1000万台や2000万台が充電されるのはありえる。

しかも急速充電では一定時間の電力消費が大きいので、急速充電が普及するほど電力負担は大きくなる。

年間の消費電力の10%だから、既存の発電所で足りる事にはならないでしょう。


HV車では一斉に給油しても何も起きないが、EVではみんなが一斉に充電すると、日本の電力システムが壊れかねません。

家庭用急速充電の消費電力は3,000Wなので、1000万台が同時に充電したら3000万KWになります。

消費電力が少なくても、充電時に必要な発電量は10%では済まないのが分かります。


日本全体の発電能力は約22600万kWで原発を抜くと約17500万kWになるそうです。

1000万台が同時に充電すると3000万kW、2000万台なら6000万kWが必要になり、エアコンのように瞬間的に消費電力が急上昇すると考えられます。

それが真夏のエアコン使用時と重なったら・・・と電力会社は想定するので、現在の3割増しの6000万kW以上は発電能力を強化する必要があります。


それだけの電力を必要な時に確保できるのは火力か原発しかなく、火力はCO2の関係でむしろ減らす必要があります。
http://www.thutmosev.com/archives/66197731.html


2017年02月26日
日本の電力消費をすべて太陽光にするとどうなるか
http://www.thutmosev.com/archives/69589222.html


ピーク時の最大消費電力に対応できないといけない
引用:http://www.nikkei.com/content/pic/20160531/96958A9F889DE2E0E3E2EAE5E4E2E3E2E2E7E0E2E3E4E2E2E2E2E2E2-DSXZZO0210882010052016000000-PN1-10.jpg


太陽光ブームが去った理由

太陽光発電のブームは去って、政府の強制買い取り価格が下げられたのもあり、新規設置は下火になっています。

政府はこれ以上太陽光発電が増えると困るとして買い取り価格を下げ、新たな認可を制限しています。

政府が買い取り制限した理由は一つには太陽光発電の価格が他の発電方法よりも高すぎるからで、差額は電気料金に転嫁されています。

   


もう一つは物理的に、過大な太陽光発電の送電によって電力設備が破損する可能性が生じる為です。

日本は島国で県境を山に隔てられているので、それぞれの電力会社や地域ごとに、独立して発電してきました。

柏崎原発の電気を東京に送電するなど例外はあるものの、外部から電力供給させる仕組みになっていません。


そこで電力買い取り制度を始めるのに、大手電力会社が費用を負担して送電設備を建設したが、考えてみればおかしな事です。

各家庭やメガソーラーが勝手に発電しておいて、送電線や変電施設などは買い取る側が全額負担する事に不満が高まった。

大手電力は2015年ごろから「買い取り拒否」するようになり、理由は送電網が破損する恐れがあるからでした。


発電した電気を送電する設備は本来、発電企業が負担すべきものですが、この費用も大手電力の電気料金に加算されています。

3.11後に東京で計画停電があったとき「他の地域から送電してもらえば良い」という議論があったが、これも設備が不十分なので困難でした。

日本中の送電網全てを、互いに送電したり無制限に太陽光電力を買い取れるようにするには、買い取り費用や発電設備を含めて、数十年間で日本のGDPに匹敵する費用がかかると言われています。


日本の電力すべてを太陽光にしたら

太陽光発電のコストがどうかという以外に、送電設備の膨大なコストが掛かるので、太陽光や風力が増えすぎたら政府は困るのでした。

だが仮にこうした設備や制度問題が解決したと仮定して、それでは日本の電力全てを太陽光発電でまかなうとどうなるでしょうか。

やはり3.11後にこうした議論がありましたが、ソーラーパネルを設置する平地が足りないとか、現実の壁にあたりました。


『日本の電力を全て賄うソーラーパネルの大きさは?』(太陽光発電は損か?得か?元が取れるか?)というブログで詳細な計算をし、必要なパネルの面積を導き出しているのを見つけました。

計算は複雑かつ長いので手短に説明すると、日本の年間電力消費量は約1兆kwhとし、この発電量を得られるソーラーパネルの面積を求めている。

計算結果は7,400平方kmで熊本県の面積7,405平方kmにほぼ等しかったので、熊本県を廃止して平らにしてソーラー発電すれば、日本の電力全てが賄えそうな気がします。


だが原発や火力なら確かに約1兆kwhを発電すると年間発電量に足りますが、太陽光発電は出力調整できないという欠点があります。

東京で消費電力が最大になるのは真夏の最高気温がピークの日の午後2時頃で、なぜか甲子園で高校野球をやっていると決まっています。

つまり年間トータルや一日の総発電量ではなく、「その瞬間」ごとに必要電力を供給し続ける必要があります。


真夏の一日の最大消費電力は6000kwhで、気温が20度を切ると消費電力も3000kwh以下に低下していきます。

暑い日は太陽光の発電量も増加しますが、必要な分を必ず確保できるという確実性がありません。

そして北海道は夏より冬の冷房期の消費電力が多いが、北海道では冬季は太陽光発電ができません。


発電できない日は電気を使わない生活にするなら問題ない
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電力消費にあわせた発電ができない

このようにピーク時の消費電力を考えると、年間消費電力を太陽光で発電しても、それでは全然足りないのが分かります。

それに日が暮れると太陽光は発電しなくなるが、人間は夜間も電力を消費しています。

仮にソーラーパネルを熊本県の10倍に増やしてもピーク電力には足りない可能性があり、天気に関係なく発電量を確保できる発電所も必要になります。


地球温暖化で火力発電所は今後増設どころか閉鎖せざるを得ないので、発電量増加が期待できるのは風力と原発だけという事になります。

風力は風任せという点で太陽光と変わらないので、仮に年間発電量を太陽光で発電しても、同じ規模の火力や原発が必要になります。

台風とか雪とか梅雨では日本中が同時に曇るので、太陽光の発電量が著しく低下した時にも備えておく必要があります。


というわけで日本の消費電力全てを太陽光で発電できても、やっぱり太陽光以外の同じ規模の発電所が必要になります。

曇りの日は電気を一切使わないなら良いですが、現代人は天気が変わっても生活スタイルを変えようとしません。

電気を溜めておければ良いのだが、電気自動車でも200キロ程度走るのが精一杯であり、曇りの日の一日分の日本の消費電力を溜める電池は、できそうもありません。


太陽光の発電量をいくら増やしても、それで電力全ては賄えないのでした。
http://www.thutmosev.com/archives/69589222.html


2017年04月12日
電力自由化1年 大都市では恩恵、地方では弊害
http://www.thutmosev.com/archives/70427001.html

新電力は儲かる場所でだけサービスし、儲からない場所は大手電力に押し付ける。
その結果大都市だけ安くなり、地方では値上げされるだろう。
引用:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/asiaasia/20160105/20160105231954.jpg


新電力は大都市に集中

2016年4月1日に電力小売り自由化が始まってから1年が経ち、新電力に切り替えたのは300万世帯を超えました。

全国で342万件の一般家庭が大手電力会社から新電力に切り替え、全体の5.4%になりました。

契約数2300万件の東京電力から7.8%が、契約数1000件の関西電力からは7.1%が切り替えるなど活発な動きがあった。

関東と関西以外では北海道電力からは5.9%、中部電力からは3.8%、九州電力からは3.4%のように切り替え率は低かった。

さらに東北電力からは2.2%、北陸電力からは1.6%、四国電力からは1.6%、中国電力からは1.1%などに留まった。

福島第一原発事故でイメージが悪化した東京電力は、首都圏で新規事業者の参入が多く、切り替える契約者が特に多かった。


同じく都市人口が多い関西電力でも新規参入事業者が多く、低価格プランに切り替える人が多かった。

人口が少ない地域では参入する事業者が少なく、魅力的な低価格プランも少なかったので、切り替える人は少なかった。

北陸や四国などでは参入事業者がほとんど無かったため、切り替える選択肢もあまり無かった。


通産省は自由化すれば競争原理が働いて、電気料金の低価格化が進むと説明しているが、これには異論も出ている。

先に電力自由化した国の中で、自由化前より料金が下がった例は少なく、自然エネルギーの負担と相まって大半が大きく値上がりしている。

電力は発電を集中させるほど1キロワット当たりのコストが下がり、分散させるほど上昇するので、自由化で発電施設を分散すると理論上のコストは上昇します。


新電力の誤解

日本の場合は送電施設や変電施設、電力買取費用まで全て、大手電力会社が負担しているので、今の所新電力の料金のほうが安い。

本来は別企業なのだから、電線から変電施設まで新電力会社が用意するべきだが、大手電力に負担させている。

そのうえ大手電力は原発を停止させられたうえに、停止している原発のコストも負担しているから、新電力より高コストになっている。


新電力が自己負担すべき設備投資などを大手電力に負担させていて、その分は結局大手電力の利用者に負担させている。

大手電力は全国全ての家庭に「送電義務」があるのに対し、新電力は「発電したいときだけ発電し」嫌なら発電しなくても良いので、かなりアンフェアな自由競争です。

東京電力は離島や限界集落にも送電しているが、東京ガスは「もうかりそうな場所」でだけ商売をしています。


発電事業は規模を大きくするほど効率が良くなるのだが、新電力に「おいしい場所」を取られてしまうと、大手電力会社の経営は悪化します。

その結果、離島や山間地や地方では電気料金が値上げされ、全国平均では電気料金が自由化前より高くなる可能性が高い。

こうした事は電力自由化した欧米では既に起きていることで、世界的にも自由化の成功例があまり無いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/70427001.html


2016年10月13日
東京大停電で問われる「東電不要論」の無謀さ


電力を完全自由化したら、東京では毎日停電が当たり前になる
引用:http://pbs.twimg.com/media/CujKD0zXEAAH9Kj.jpg


東京で停電が普通になる日

東京では珍しく、10月12日午後3時半ごろに都内で58万戸が一斉停電し、午後4時25分ごろ回復しました。

福島原発事故や全原発停止でもほとんど停電は無かったので、日本人(特に東京都民)は停電しないのは当たり前と考えている。

だがこれからはもしかしたら、毎日停電するのが当たり前の時代が来るかも知れません。


諸外国では太陽光や自然エネルギー発電の普及、電力自由化などが原因で、停電が頻発するようになった国があります。

今回の東電の停電原因は埼玉県にあった地下施設の火災で、変電所から東京都内に送電する送電線のケーブルが収められていました。

ケーブルの皮膜が劣化するとショートし易くなり、火災に至る可能性があるとのことで、こうした原因が考えられています。


ケーブルを覆う絶縁体に油が使われていて、ショートした火花が油に引火して、燃え広がった可能性があります。

経済産業相は東電社長を呼びつけて「何をしているんだ!」と怒鳴りつけたと報道されているが、福島原発事故での菅直人首相と同じ態度ではないか。

菅直人首相にしても世耕経済産業相にしても、他人事と考えているから、怒鳴り散らせば解決すると考えているように見える。


事故の原因は大抵、怒鳴れば解決するようなことではなく、複合的で根深い原因がある筈です。

怒鳴られた事でもう東電は政府には相談しなくなり、より一層問題を隠したり、政府に報告しなくなるでしょう。これが人間の心理です。

世耕経済産業相は「なんで35年間も交換しなかったんだ!」と怒鳴っているが、35年間のうち5年間は福島原発の対応に追われて、それどころではなかった。


電力自由化の悪夢にうなされるドイツ人

事態をより一層悪化するかもしれないのが「電力自由化」だが、幸いな事に今のところ掛け声だけで自由化は全く進んでいません。

主要先進国の多くが電力自由化したが、成功した国は一つも無く、必ず電気料金が2倍になって停電と事故が頻発しています。

どうしてそうなるのかは、電力事業は競争原理や市場原理にそぐわないからだとしか言いようがありません。


多くの人が理想としているドイツでは、自然エネルギーと自由化によって電気料金が2倍以上に上昇しました。

それは良いとしても、自由化と脱原発が進むに連れてドイツは「停電大国」になっているのです。

この数年で1時間程度の停電が頻発するようになり、毎月毎週のように停電が起きています。


1時間ぐらい良いじゃないかと思うのは昔の人で、確かに昭和の中ごろは良く停電したし、信号が止まっていても気にしませんでした。

でも今の世の中はすべてITとか電子機器で動いていて、停電すると連鎖反応で全部止まってしまいます。

昭和の時代は一つ一つ独立した機械が停止するだけだったが、今は日本中が繋がっています。


作業中のデータが消えてしまったり、プログラムが破損したり、予想外の影響が出るかも知れません。

携帯電話の基地局は数時間は内臓電池で動くが、長時間停電だと携帯電話も使用できなくなります。

ドイツでは自由化で電力会社を民営化した結果、経営努力で「不要なコスト」を削減しました。


不要なコストってなんだ?

問題は「不要なコスト」って何だろうという部分ですが、点検や修理に当たる作業員を解雇する事でした。

1年に1回点検していたのを10年に一度にすればコストを10分の1にできるというのが、ドイツ流経営努力でした。

日本のJRも国鉄を民営化して保守要員を大量解雇し、現在事故を多発させていますが、あれと同じです。


日本の電力会社は戦前は国営だったが、民営化して各主要電力に分割されて現在に至っています。

国営から分割民営化したときも電気料金が大幅に値上がりし、ドイツやアメリカも民営化したら値上がりしました。

単純な話、国営電力会社で全国に1社しか存在しなければ、1社分だけの電力設備で事足ります。


だが2社で競争させれば2社分、3社なら3社分の無駄な設備費が必要に成るので、分割するほどコストが悪化するのです。

電力の需要なんてのは固定しているので、半額にしたら10倍売れるというような資本主義の法則は通用しません。

医療でも医療費を半額にしたからといって患者が10倍に増えたりしないが、こういう需要が固定した産業で競争主義はなじまないのです。


自由化された電力会社が売り上げを増やす唯一の方法は電気を値上げする事だけなので、市場原理に従って自由化したら電気の値段は上がります。

もっと大きな問題は東電や関電のような大手電力は最大必要量の2倍以上もの発電量を確保しているが、自由化したら合理化で余力は廃止されます。

この「無駄な余力」があったからこそ日本は福島原発が爆発しても、全原発を停止しても平気だったのです。


電力自由化だの分割民営化は、日本が自ら死を求める行為に過ぎないように思われます。
http://www.thutmosev.com/archives/66547160.html

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/874.html#c1

[政治・選挙・NHK225] 「安倍首相は今までで最悪の総理です」 ノーベル賞物理学者 益川敏英さん 憲法遵守義務違反で総理大臣罷免して逮捕しろ!! gataro
86. 中川隆[-7734] koaQ7Jey 2017年5月07日 18:30:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>84 は要するに自分は死にたくないから改憲反対というだけの事だろ

日本人が戦争したくなくても他国から攻撃されるんだから、結果は更に酷くなるのが判らないんだな
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/286.html#c86

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
10. 中川隆[-7736] koaQ7Jey 2017年5月07日 18:41:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は
ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった

2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳


ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。

 一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。

 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。

 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。

 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。

 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。

 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。

驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる


このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である


 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである


 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。

 しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。

「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c10

[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
22. 中川隆[-7735] koaQ7Jey 2017年5月07日 18:58:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c22
[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
11. 中川隆[-7734] koaQ7Jey 2017年5月07日 19:12:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

米ドル/円 (米ドル/円) 【0950】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0950
https://info.finance.yahoo.co.jp/fx/detail/?code=USDJPY=FX
http://stockcharts.com/freecharts/pnf.php?c=%24USDJPY,P


ドル円相場長期チャート
http://lets-gold.net/chart_gallery/chart_usdjpy_long_term.php
http://zai.diamond.jp/articles/-/119382?page=2
http://zai.diamond.jp/articles/-/151774
http://ehadou.blogspot.jp/2016/07/usd.jpy-expect17.html


2017年01月12日
次の円高がどのように起きるか予測する 予定調和の世界

1ドル360円から下がり続けるのは、輸出で儲けたドルを円に換金するから
引用:http://lets-gold.net/image/chart_usdjpy_1971-.gif


恒例行事の円高祭り

2016年11月からのトランプ相場によって日米ともに株価が上昇し、ドル高円安で推移してきました。

一時は1ドル120円を上回る勢いだったが、年末に失速して1月中旬現在は115円を下回っています。

日本の株価が円安で上昇し円高で下落するのは良く知られていて、2004年から2007年ごろは円安で好景気になりました。


逆にリーマンショックから東日本地震の2008年から2011年まで円高が進行し、日本は不況で株価も下落しました。

円安になると景気が悪化するのは輸出が減って輸入が増えるからで、日本の製造業や生産者は大打撃を受けます。

ざっと計算すると1ドル120円に比べて1ドル70円では4割も外国製品に対して割高になり、日本製品は4割値下げしないと売れなくなります。


こういう円高は繰り返し長期的に起きていて、2011年、1995年、1985年は特に急激な円高が進行しました。

しかも1949年に1ドル360円になってから67年間、平均すると一貫して円高になり続けていました。

こうも繰り返し定期便のようにやってくると、何らかの法則性があるのではないかと思えるが、円高には法則性や原因が存在しています。


円高の原因は実は「円安」そのものにあり、適正な為替レートより強引に円安に持っていくと、数年後に円高になっています。

1985年プラザショックの前、日本は市場介入で為替レートを円安に固定し、自動車輸出などで大儲けをしていました。


政府が円安にするから円高になる

GM、フォード、クライスラーどころか、メルセデスやBMW、ポルシェ、VW、フェラーリなども日本の輸出攻勢で倒産しかけました。

そこで日本をのぞくG5は円を切り上げる合意をし、プラザ合意として発表し、1ドル240円だったのが120円に下落しました。

プラザ合意以降の世界は「変動相場制」に移行して、市場原理によって貿易黒字の通貨は高く、貿易赤字だと下落するようになりました。


だが日本の大蔵省や自民党、日銀はこの変化を理解できず、何度も円安に誘導しては反動で超円高を引き起こしました。

プラザ合意に耐えかねて日本経済が崩壊したのがバブル崩壊で、その後何度も何度も政府は介入で円安に誘導しました。

輸出が増えて輸入が減り、一時的な好景気を実現するものの、数年後に必ずミニバブル崩壊を引き起こしました。


2000年代の小泉政権後期から2007年前半までは円安で好景気だったのだが、2007年7月にサブプライムショックが始まると2011年まで4年間円高に推移しました。

小泉首相は円安にして貿易黒字(正確には国際収支)を増やしたが、溜め込んだ年間数兆円の黒字がドルから円に交換されたら、一気に円高が進行します。

トヨタとかの大企業から零細企業まで、外国で稼いだ金を円に換金するのは、その必要に迫られた時になります。


巨大地震が起きて本社が危ない、そうだ数兆円ほどドルを円に替えて危機に備えようという訳です。

みんなが同じ事を考えるので、日本で地震が起きたり大事件が起きると円高に進みやすい。

するとアメリカで大企業が破綻したり、日本で地震や事件が起きたら「将来円高になる」のがある程度予測できるようになります。


約束された円高

将来円高になるとドルのまま持っていると円換算で下落し、早く円に替えておかないと企業は打撃を受けます。

こうして世界的な経済変動をきっかけして、一斉にドルから円に両替するのだが、それは元々「円安のときの貿易黒字」だったのです。

何のことは無い、円安で貿易黒字を増やした結果、それを日本円に両替して円高にして、それで企業は苦しんでいるので自業自得でしょう。


政府が円安に誘導したせいで、一時的には儲かるが数年後に円高になるのだから、政府は円安誘導しなければ円高にならないのではないかという推理もできます。

その通りで企業が貿易黒字を溜め込まなければ、ドルから円への大量移動も起きないので、超円高にはならないでしょう。

為替レートが将来どう推移するかは、国際収支を見ればある程度の予想はでき、黒字が続いている国の通貨は必ず高くなるでしょう。


逆に赤字が続いている通貨は下がるので、将来も過去60年と同じように必ず円高ドル安に推移します。

しかも円高は超長期的な現象なので、「次の円高は前の円高より強く進行する」ような性格を持っています。

日本は2012年の安倍政権誕生以来ずっと円安誘導していて、原発事故で貿易赤字になったが、また貿易黒字を積み重ねています。


円安誘導の小泉景気は4年で破綻し、安倍景気も4年が経ちそろそろ今年か来年あたり潮目が変わると予想します。

トランプ政権のドル政策というのもあるが、長期的には「日本が溜め込んだ経常黒字を吐き出す」事が円高なので、トランプと関係なく円高は起きます。

おそらく小規模な円高は100円を切る程度で、もっと巨大な円高では次は60円割れを目指す可能性があります。


こうした大きな波と小さな波を繰り返しながら、10年おきくらいに円高ウェーブが発生しています。

2007年のサブプライム危機から今年で10年目というのも、そろそろ小さな円高になっても良いタイミングです。
http://thutmose.blog.jp/archives/68630737.html

世界中の投資家が、日本円を「調達通貨」として選ぶのはナゼ?

そうか、だから「有事の円高」になるのか 高野 やすのり

「比較的安全な資産として円が買われた」世界経済を揺るがす事態が起きる度に度に繰り返されるこのフレーズ。欧州の財政危機、イギリスのEU離脱、米国のシリア空爆、そして北朝鮮で緊張感が高まり、為替が円高になった時にも耳にした。

しかし、この言葉にどこか釈然としないものを感じる人も多いのではないか。

リスク回避で株が売られるのはわかるのだが、なぜ円が買われるのか。なにしろ日本は先進国でも最も借金が多い借金大国のはず。この一見矛盾した現象の背景にある金融市場の裏事情を、FX投資のストラテジストがわかりやすく解説する。


ポイントは2つある

4月7日金曜日午前10時過ぎ、ディーリング・ルームに緊張が走った。それまで安定していた為替市場で、突然円が急騰したからだ。ディーラー達は何が起こったのかを知ろうとモニターに目を走らせる。

「アメリカ軍、シリアに対しミサイル攻撃を実施」

トランプ米大統領が就任後初めての軍事行動をとったことで、金融市場では日経平均株価が急落、同時にリスク回避の動きとして当然のように円が独歩高になった。

さらに11日のNY時間、トランプ米大統領は得意のtwitterで「北朝鮮は問題を起こそうとしている。もし中国が解決するなら素晴らしい。もしそうでないなら我々が彼らなしで解決する」とつぶやき、アメリカ単独でも北朝鮮に対して軍事行動を取る可能性を示唆した。この地政学的リスクの高まりにも市場は迷うことなく円買いで応じた。

このところ、中東や北朝鮮情勢などが緊迫化したり、欧州各国の政治的不透明感が高まった結果、「リスク回避の円高」となる場面が増えている。テレビニュースでは「比較的安全と言われる円が買われ、円高になりました」など報じられている。

こうした市場の動きや報道に接して、違和感を覚える個人投資家が多いのではないか。遠く離れた、シリアやアフガンでの戦闘のニュースで日本の円が買われるのは、感覚的には納得が行くものの、説明するのは難しいのではないか。北朝鮮での軍事行動の可能性、それも在日米軍基地が報復攻撃の目標になる可能性が高い状況でも、円が買われるのは何故なのか?

ポイントは2つある。

1.円を「買っている」のではない
2.外国人投資家による日本株投資の手法

である。

そもそも金融市場におけるリスク回避、とはどんな状況を指すのだろう。


それを知るにはまず通常の状態、つまりリスク選好を知る必要がある。リスク選好の状態では、世界の投資家、たとえば年金基金、投資信託、ヘッジファンド、などはさまざまな債券、株式、商品(原油、金など)に投資をしている。しかも利回りを上げる事が使命であるプロは、日ごろから現金の比率を必要最低限にして資金の多くの部分を投資している。

それに対してリスク回避の状態とは、紛争や災害、経済危機などによって、不透明感(変動幅、リスク)が許容範囲を超えて高まった場合を指す。そのような時、資金を守るために、投資家達は投資を引き上げ、現金の比率を高める行動にでる。

円は「調達通貨」である

「調達通貨」という言葉を聞いたことがあるだろうか。世界の投資家、特にヘッジファンドなどのアクティブな投資家達は、自らの資金をより効率的に運用するために、自己資金に加え、さまざまな形で資金調達をして投資をしている。そんな彼らが調達する資金として、一番に選ぶのが日本円なのだ。

彼らが日本円を選ぶ理由は、まずは低金利にある。90年代初めのバブル崩壊以降、日本円は常に世界最低水準の金利を維持している。ただそれだけであればスイス・フラン、ユーロなども現在はほぼゼロ金利、もしくはマイナス金利で同じではないか、という疑問が起こる。

そこで問題になるのは、それぞれの国の資金市場の流動性の豊富さ、金融システムの安定性、将来にわたる金利見通しになってくる。これら資金市場の流動性の豊富さ、金融システムの安定性という面では、日本はアメリカに次いで世界でも屈指の市場である上、政府の低金利志向の強さも加わって、円は、資金調達にうってつけの通貨なのだ。


世界の投資家は、円で資金調達(借り入れなど)するのだが、そのままでは日本国内の資産にしか投資できない。たとえば米株に投資するのであれば、ドルに両替する必要がある。ここで為替取引が生じ、円売り外貨買いが起こる。こういった投資の手法を「キャリー取引」と呼ぶが、実はこれがリスク選好時の円売りの正体の一つだ。

ひとたびリスク回避になった時にはこれと全く逆の動きとなる。投資を引き上げることを優先し、米株、ブラジル株、金、原油などを売り、ドルなどを受け取る。そしてその資金で調達した円を返済するため、ドルから円への交換、つまり円買いをする。この結果として円買いが進む。これがリスク回避の円高の大きな要因となる。

2008年のリーマンショック後の円高の多くの部分もこの動きで理解できるだろう。つまり、こういった経路のリスク回避の円買いは、新規の円買いではなく、売っていた円の買い戻しということだ。

外国人投資家による投資の手法とは?

世界的なリスク回避に伴う円高メカニズムは上記によるものだが、多くの投資家にとって一番の疑問は、日経平均株価が下落して、いかにも円売りになりそうなときに円が買われるということではないか。これにもちゃんと理由がある。

よく知られた事実だが、現在東証に上場されている株の時価総額ベースのうち約3割は外国人投資家が所有し、日々の取引代金の約6割を外国人投資家が占めている。この外国人比率の高さが、リスク回避の円高の鍵を握っている。

外国人投資家の代表であるアメリカの年金やヘッジファンドは、当然ドル資産がベースだ。日本株を買うときには、ドル資金を円に交換する必要がある。つまりドル売り円買いだ。ここまでを見れば外国人投資家が、日本株を買うときに円高が進むように見える。ところが実際にはそうなっていない。それには外人投資が日本株を買うときに行う「為替ヘッジ」という手法が関係している。

彼らはドルベースで運用を行っているので、ドルベースで利益を測る。ここで簡単な例を考えてみる。1ドル=100円の時に、1万円の日本株を1万株買う場合、投資金額は1万円×1万株=1億円で1億円=100万ドルの投資となる。その後日本株が思惑通り20%上昇したとすれば、持ち株の時価総額は1億2000万円となる。この時に為替が動いていなければ、1億2000万円=120万ドルとなって20万ドルの利益が上がる。

ところが1ドル=120円と円安になっていれば、1億2000万円÷120円=100万ドルとなって、株の利益が為替の損で打ち消されてしまい、外人投資家にとっての利回りはゼロとなる。そういった事態を防ぐため、90年代以降の日本株の値動きを見れば、輸出関連だけでなく、円安時に株高になりやすかった事もふまえて、外人投資家の多くは為替ヘッジを行って、為替変動のリスクを排除しようとしているのだ。

1%で5000億円

具体的には投資時にドル売り円買いを行う一方で、為替先物で同額のドル買い円売りの先物予約を行う。先ほどの例で言えば1億円の円売り(100ドルのドル買い)予約をする。その結果、投資時には為替市場で同額のドルと円の売り買い逆方向で発生することから、市場への影響は無くなる。

こうして1億円分の株を買うと同時に1億円の円売りポジションを作れば、株高になった時に円安になっても、円安での目減りを為替で相殺できる。

それでも、これだけでは日本株安と円高の関係は出てこない。実はこの為替ヘッジ、株を持っている間細かく調整をする。たとえば株価が上昇して、1億円の株の時価が1億1千万円になった時、当初ヘッジで持った為替ポジションは1億円分だけなので、1千万円分足りなくなってしまう。そこで追加の1千万円の円売り(=ドル買い)を行う。日本株が上がると、円安になる(ドル買い)理由だ。

一方、株が下落する局面ではこの反対の動きとなる。つまり1億円の株が下落して時価9000万円になってしまえば、当初作った1億円分の円売りを9000万円分にするために1000万円を買い戻す(=ドル売り)。この動きこそ日本株が下落した場合の円高の理由だ。ここでも株安時の円買いは円を買っているのではなく、買い戻しているに過ぎない。

東証上場株式の時価総額約580兆円の3割、約170兆円の外国人持ち株のすべてにこういったメカニズムが働いているわけではないが、たとえばその3割にあたる50兆円に対して、そういったメカニズムを通じて為替市場で資金が動けば、1%株価が上下するだけで5000億円もの売買が行われることになる。

さらにそうした行動が起こることを知っている多くの短期投資家が、その動きを先回りして為替の売り買いを行えばその影響は想像以上に大きなものになる。

ここまでご紹介したように、リスク回避=株安時の円買いは、基本的に空売りをしていた円の買い戻しであって、円を安全通貨と評価しての円買いではない。したがって、日本の財政問題や、国債発行残高がいくらになった、などという問題と直接の関係はないのだ。

有事なら円はどうなるか

さて、今一番関心の高いであろう話題を。もし北朝鮮で軍事的な衝突が起きた場合の市場の反応、特に為替市場の反応を考えてみよう。

まず、前提条件として長期間戦闘状態が続くことを想定するのは現実的ではないと考える。したがって市場への影響も決定的なものになることを考えるよりは、一時的な影響を考えるべきだ。日本の間近で起こる軍事的リスクであることと、日本が攻撃目標になり得ることを考えれば、株式市場の反応は売り、ということに異論はないだろう。


そのときの為替市場の反応だが、ここまで紹介したように円買い、すなわち円高ドル安だ。どれぐらいの規模の戦闘になるかにもよるが、規模によってはドル円が100円割れを試すような事態も考えられる。

ただし、事態が早期に収束すると考えると、円買いは長くは続かず、情勢が落ち着くとともに円安方向に修正され、大きな被害が無ければ、リスク要因が減ったことでむしろ当初よりも円安になる可能性もある。

事前にこうした可能性を想定していれば、慌てることもないし、むしろリスクイベントで利益を得ることもできるはずだ。

一般の投資家の中には、それでも北朝鮮有事の円高は納得いかないかもしれない。その時は、誰がその円売りをするのかを考えてほしい。

漠然としたイメージで円売りと思えても、それを実行する投資家がいなければそれば実現しない。過度なリスクを背負ってまで新規で円売りをする投資家がそれほどいない一方、紹介したような事情で円買いをする投資家は多く存在する。

仮に日本や日本周辺の地政学的リスクが原因で大きな円売りが起きるとすれば、それは我々日本人が日本で生きていくことをあきらめ、国内の資産の大部分をドルやその他の外貨に交換する時だろう。はたしてそんな日が来る可能性はあるのだろうか。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51539

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c11

[原発・フッ素47] 金融業界に対するあなたのイメージは、この記事を読んで一変するかも?「信金理事長のエネルギー政策に関する本音」 赤かぶ
5. 中川隆[-7733] koaQ7Jey 2017年5月07日 19:33:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

反原発運動の黒幕はCIA工作員と中国・朝鮮工作員なんですね :


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/874.html#c5

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
12. 中川隆[-7733] koaQ7Jey 2017年5月07日 19:52:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日銀の金融緩和は日本の金をアメリカに流すのが目的だった


安倍「官製相場」の正体。国民生活が疲弊し対米従属は加速する=吉田繁治 2016年10月20日
http://www.mag2.com/p/money/24781


2012年12月に発足した安倍内閣はアベノミクスを標榜し、株価上昇をその支持基盤としてきました。あれから約4年、いよいよ「株価政権」の総括検証をすべき時期が来ています。


なぜ株価は景気を反映しなくなったのか?官製相場の欺瞞を斬る

安倍首相の「スタートダッシュ」

消費税10%法案を通した野田民主党の自滅により、自民党は2012年12月、3年4ヶ月ぶりに政権に復帰しました。首相自ら「アベノミクス」と呼ぶところの、安倍政権の経済・金融政策の始まりです。

安倍首相は前回の失敗から、「スタートダッシュが肝心」と決めていました。自公政権が確実になった12年10月に明らかになったのは、

◾脱デフレの大きなマネー増発策
◾10年で200兆円の国土強靱化の公共投資

でした。日銀法を改正し、独立権を奪ってでも、マネーを増発させるという強いものだったのです。

国土強靱化は、財政赤字を200兆円分拡大して危険だ、という財務省の反対で消えました。東日本大震災の復興予算として、別途、28兆円の政府支出が必要だったからです。

マネー増発を推進するミッションを持ち、黒田総裁・岩田副総裁体制になった日銀は、異次元緩和(量的・質的金融緩和)を開始します。

量的緩和は、金融機関がもつ国債を買ってマネーを増発する政策です。質的緩和は、日銀が日経平均(株式ETF=上場投信)とREIT(不動産投信)を買いあげて、価格を上げるものです。

日銀による株買い(ETFの購入枠は6兆円/年)、これは普通、中央銀行が禁じられていることです。

恐慌の研究家である前FRB議長のバーナンキは、「日銀がケチッャプを買えば物価上がる」と言っています。あるいはヘリコプターでお金をばらまけばいいとか、ニコリともしないで異常なことを言う。

日銀が増刷した円で店頭商品を買えば、需要の超過になり物価は上がります。車を100万台(3兆円)、住宅を100万戸(30兆円)買ってもいいが、さすがにそれはできない。そこで株を買う。

日銀の株買いは迂回(うかい)して行われた

金融機関は、国債をはじめとする債券と貸付金で預貯金や基金を運用しているので、余分な現金は持ちません。

量的・質的緩和を政策にした日銀が、郵貯、年金基金(GPIF)、かんぽがもつ国債を買う。政府系金融と基金(GPIF)はそこで得た円で、日米の株とドル国債を買う。ワンクッションおいていますが、日銀が直接に日米の株を買い、米国債を買うことと同じです。

日銀は直接買うETF(年6兆円の枠)以外に、迂回路をとり数十兆円の株買いを行ったと言えます。方法はごまかしめいて姑息ですが、マネーの流れとしては露骨です。

日銀は量的・質的緩和として、円を下げ、株を上げ、インフレに誘導する「可能な手段の全部」をとってきたのです。

株価上昇は、株主の資産(東証一部時価総額511兆円 ※16年10月18日時点)を増やします。同時に企業の増資コストを下げます。資産が増えた株主は、資産効果で消費を幾分か増やします(しずくのようにわずかなのでトリクルダウンという)。百貨店で、100万円級の機械式時計が売れたのが、この資産効果です。

株価は理論的には、企業の将来の税引き後の予想純益を、期待金利(リスク率を含む株式益回り:6.6% ※16年10月18日時点)で割ったものと等価です。これが表現するのは、株価は企業の予想純益の結果ということです。

しかし多くの人々には、「株価が上がった→景気がよくなったからだ」と理解されます。下がっていた血圧が輸血で上がったから健康に戻った、と思うような本末転倒ですが、投資家と上場企業は歓迎します。支持率が上がるので、政府与党も喜ぶ。

株価が下落し、支持率も低くなった前回の反省を踏まえた安倍首相は、スタートダッシュで円安の誘導、株価の上昇に躍起になりました。円安の誘導は、輸出を増やし、株価を上げるためでした。

マネーの流れ

ヘッジファンドは保有しているドル国債を日本に売り、得た円で、出遅れていた日本株を買う。そして実は、総資金量が420兆円と日銀よりも巨大な政府系金融(現在名ゆうちょ銀行、かんぽ保険、GPIF:総資金量420兆円)は、日銀に国債を売って得た円で、米国債も買っています。

公的年金の残高139兆円(15年12月)を運用しているGPIFの、15年12月のポートフォリオ(分散投資)は、「円国債38%、国内株23%、外国債券(主は米国債)14%、外国株23%」です。

※日銀がGPIFの国債を買いあげる→GPIFは得た現金で国内株、米国債、米国株を買う→GPIFに米国債を売ったヘッジファンドはそのマネーで日本株を買う

マネー運用には遅滞が許されないので、この迂回路取引がコンピュータの中で、一瞬で起こります。

安倍政権の初年度だった2013年には、外国人(ヘッジファンド)からの15.1兆円もの巨大買い越しがありました。

外国人の売買は、東証一部の年間売買額460兆円のうち320兆円(約70%:16年7月水準)です。国内勢(金融機関と個人投資家)は、1990年のバブル崩壊後の損失の累積で資産を減らしたため売買がとても少ない。国内勢の売買は140兆円です。

他方、多くがオフショア(タックスヘイブン:租税回避地)からであるヘッジファンドの売買が320兆円です。東証はこのヘッジファンドの支配下です。

ヘッジファンドの日本株買いと、円先物売りのマネーの多くは、GPIFにおけるような迂回路をとって日銀が買い続けている、政府系金融の国債の現金化から来ています。

安倍政権前から始まっていた「官製相場」

政治相場(あるいは官製相場)は、14年10月末に発表された「日銀の追加緩和」と「GPIFの運用方針の変更」から始まったように言う人が多い。

しかし、マネーの流れを比較貸借対照表で調べると、安倍政権が始まる前の12年の10月から秘密裏に開始されています。最初は、円安介入のための30兆円の政府系金融マネーでした。

※総資金量420兆円の政府系金融3機関が、日銀に国債を売ったマネーで、米国債を30兆円買った→米国債を売ったヘッジファンドが日本株買い/円の先物売りを行った

安倍政権が確実になる前、12年9月の日経平均の予想PER(加重平均)は、1ドル80円台の円高の中で12倍付近と低かった。米国ダウのPERは15倍と3倍高かった。

上場企業(東証一部2000社)においては、輸出製造業の株価シェアが大きい。円安/ドル高になると、利益が数倍に増えます。このため、円安で日本の株価は上がり、円高で下がる基本性格があります。

通貨の低下は、普通、国力(政治力)と経済力の低下を示します。しかし日本では、ドルでは同じでも円での輸出価格が上がる。このため、上場企業の利益が増える予想がたち、株が買われます。
(注)予想PERは、株価の時価総額を次期予想純益で割った株価/収益倍率であり、株価の高さ、低さを判断するための指標です

PERが15倍なら将来15年分の、未実現の企業純益を株価が含んでいます。16年10月の日経平均の加重平均のPERは、14.3倍付近です。単純平均のPERでは18倍と高い。日経平均は、ユニクロ(ファーストリテイリング)の34倍のような高PER銘柄を含むからです。

2016年10月現在、日経平均は1万7000円付近です。米国ナスダックの予想PER(単純平均)は現在21.9倍で、バブル価格の水準です。他国をあげると、インド18.2倍、英国17倍、米国ダウ16.8倍、上海総合14.4倍、ドイツ13.3倍、ロシア6.8倍です。

円安誘導という名の「米国債買い」を実行

安倍政権誕生の2ヶ月前、1ドル77円(12年9月)だった円は、その2ヶ月前から下がりはじめ、10月に80円、11月に83円、12月には87年円と13%の円安になっています。続く13年1月に92円、2月には93円と下がり、6月には岩盤に見えていた100円も超えたのです。

(注)円安のピークは、15年6月の125.8円です。16年2月のマイナス金利以降は、逆に円高になり16年10月は104円付近です

円安は、世界の外為市場(円の売買が日量120兆円:2016年)での「円売り/ドル買い」が「円買い/ドル売り」を超過することで起きます。なぜ50%(1ドル120円)もの円安になったのか?

ここで、財務省の外貨準備($1.26兆:126兆円:16年10月)は、目立つので使われなかった。かわりに、ゆうちょ銀行、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、かんぽに、推計30兆円の「円売り/ドル買い」を行わせたのです。

前述のように、日銀がゆうちょ、年金基金、かんぽがもつ国債を買い、政府系3機関は、そこで得た円で、円安誘導を目的にしたドル債買いを実行するわけです。

さて、米国政府は、為替介入を行う国を「為替操作国」と強く非難します。しかし、円売り/ドル買いで得たドルで米国債を買うと途端に沈黙します。この理由は何でしょうか?

アメリカ政府の債務は2000兆円

米政府の総債務(自治体と社会保障の債務を含む)は、日本国債の2倍の$20.0兆(2000兆円:16年)に膨らんでいます。米国債も$15兆(1500兆円:同年)に増えています。

財政赤字は毎年、$7000億付近(16年度は$7130億)です。17年には、公的医療費($2.8兆:280兆円:12年)の増加で、赤字は$1兆を超えるでしょう。

米国の人口ピラミッドは、日本の10年遅れです。医療費では診療単価が約2.5倍高く、総額で$2.8兆(280兆円:12年)です。3.2億人の国民の、健康な人を入れた1人あたり年間医療費は$9000(90万円)です。

日本の医療費は、40兆円で1人あたり31万円/年。米国は1人あたりで3倍も多い。米国の医療費は信じられない高さです。盲腸の手術や流産で200万円とか…日本は世界的には医療費は安い。

米国政府は、この高すぎる医療費のため、日本の10年遅れで高齢者が増えるとつぶれます(ほぼ確定でしょう)。

米国は、新規国債のうち50%は、経常収支が黒字の中国と日本に売らねばならない。米国内では50%分しか買い手がない。米国は、海外からマネーを借りる構造を続けています。円でドル国債を買うことは、マネーの流れとしては米国への貸し付けです。

経常収支の赤字国は、感覚では逆ですが、資本収支では黒字になります。資本収支の黒字とは、マネーが流入することであり、現象形は、海外の金融機関が米国債、株、社債、MBS(住宅ローン担保証券)を買って、ドル預金をすることです。

わが国の民間では、国内の運用先がない三菱UFJグループ(総資産281兆円:16年6月)が、米国運用を増やしています。米国経済は、海外資金が大挙して引き揚げるとひとたまりもない。このため、米国はユーロや円より約2ポイントは高い金利を続けねばならない。

米国が利上げしなければならない本当の理由

米国が14年10月に、3回行った量的緩和(QE:$4兆:400兆円)を停止し、2015年12月にFRBが0.25%利上げした本当の理由は、金利が低いままだとドル債が売られ、海外から来たマネーが逃げる恐れがあったからです。逃げはじめてからの利上げでは、間に合わない。

米政府とFRBが、日本に金融緩和を強く勧めるのも、米国債と株を買ってもらうためです。異次元緩和にも米国への資金環流という条件がついていました。リフレ派は亡国のエコノミストに思えます

リーマン危機のあと、400兆円のドルを増発した3度のQE(08年〜2014年)でマスクされていた米国の「大きな対外不均衡」は、今も世界経済における根底の問題であり続けています。

米国の対外総債務は、$20兆(2000兆円)、対外資産を引いた純負債は$8.8兆(880兆円)と巨大です(15年末)。

一方で日本は、官民で948兆円の対外資産をもち、対外債務は609兆円です。339兆円の純資産があります(15年末:財務省)。経常収支が黒字になり、バブル経済で世界ナンバーワンと言われた1980年代以来、企業と金融機関が営々と貯めてきたものが、対外純資産になっています。

関連して言うと、中国は、公式には$2.1兆(210兆円:14年)の対外純債権国とされています。しかし、15年と16年に民間で起こった「元売り/ドル買い」に対抗して、政府が行った「元買い/ドル売り」により、今は、純債務国に転落していると推計できます。

2015年12月で$3.3(330兆円)とされている外貨準備では、銀行の持ち分と政府の持ち分が二重に計上されています。中国の4大銀行は、全部が国有です。選挙と議会制度がない共産党国家・中国の経済統計には、かつてのソ連と同じ問題があります。

ヘッジファンドによる円売り・日本株買いのカラクリ

アベノミクスとは、インフレを目標にした、

1.日銀の国債買いによる通貨増発
2.ドル買い/円売りによる円安誘導
3.政府系金融とGPIFによる日本株買いと米国債買い


です。

2%のインフレを目標にしたのは、年金・医療費・介護費(社会保障費)が年率3%(3兆円)で増え続け、それが国債の増発に繋がって、債務比率(政府総債務1277兆円/名目GDP505兆円=253%)が拡大することを防ぐためです。

分母の名目GDPが年率で3%以上増え続けないと、債務比率が大きくなり、近い将来の財政破綻が確定するからです(名目GDPの下限目標=実質GDP1%+インフレ率2%)。

仮にインフレになっても、企業所得と税収が増える中で世帯の所得が増えない場合、国民の生活は苦しくなっていきます。年金支給額が固定されている年金生活者3100万人(15年:厚労省)と、円安では企業所得が減る多くの中小企業の雇用者4100万人(06年:経産省)、合計で7200万人は、インフレで実質所得が減ります。

しかし、それらは構わない。政府にとっては、差し迫る財政破綻の防止がはるかに大切だとされたのです。

円安と株価上昇には有効だった量的・質的緩和

需要が増えることによる物価上昇に効果がなかった量的・質的緩和は、12年末から15年までの円安と株価上昇には有効でした。13年と14年の物価上昇は、円安での輸入価格上昇が主因です。世帯消費と企業の設備投資は増えていません。

東証では、年間420兆円の売買額の70%が、オフショアからのヘッジファンドによるものです。国内の個人投資家と金融機関は、90年からのバブル崩壊、00年のIT株崩壊、08年9月からのリーマン危機で3回の大きな損失を被ったことから、売買額が30%に減っています。

個人投資家700万人の多くは、上がるときは損失を回復するため売り越す、下がるときは難平(なんぴん)買いで買い越すという行動を取ります。

2012年末以降の日本株式市場の売買構造

このため、わが国の株価を決めているのは、70%のシェアになったヘッジファンドの売買です。


1.ヘッジファンドが買い越せば上がり、売り越せば下がる

2.下がっては、政府と投資家が困る

3.ヘッジファンドが売り超になると、3つの政府系金融(総資金量420兆円)と日銀(同459兆円:16年10月)が買いをいれる

という単純な基本構造が、2012年末から2016年10月まで続いているのです。

しかし2016年は、政府系金融と日銀の買いに対する株価上昇の反応が鈍い。この理由は、

1.アベノミクスによる株価上昇が政治相場(または官製相場)であることを皆が知った

2.このため二番目に大きな売買シェアを持つ個人投資家(700万人)が、政府系金融に追随した買いを入れなくなった

ことにあります。


米国の後追い。2015年から日本でも自社株買いが増加している

1日平均売買額が2.9兆円(15年平均)だったものが、2.3兆円(16年7月)に減った現在の東証一部で、大きく増えているのは自社株買いの4.3兆円です(16年1月〜9月)。

これは、事業法人の買い超に含まれます。年間では5.7兆円の買い超になるでしょう(13年1.5兆円、14年2兆円、15年3兆円)。

自社株買いは、市場で流通する株式数を減らします。会社利益は同じでも、1株あたり利益は上がったようになり、株価も上がります。タコが自分の足を食べることに似たこの自社株買いは、上場大手企業が留保利益で将来投資をせず銀行預金として貯まった、現金100兆円で行われています。

自社株買いでも、買いが増えれば株価は上がるので「株価上昇という形の株主配当」とされています。経営者が株主サービスとして行うのです。問題は、自社株買いは、いつまでも続けることはできないことです。

米国の2012年以来の自社株買いは、とても大きい。16年の第一四半期で$1820億(18.2兆円)です。年間では73兆円という巨額です。米国では、日本よりはるかに個人株主の要求度が高い。株価が1年も下がり続ければ、資産を失った株主により、株主総会で経営者が追放されます。

このため、経営者は米国FRBの量的緩和と、わが国と同じ将来投資の少なさから滞留したキャッシュフローで、年間73兆円もの自社株買いで事実上の減資をしているのです。

時価総額で世界一のアップル($6091億=60兆円:16年9月)は、社債を発行しゼロ金利マネーを得て、それで巨額の自社株買いを行っています。米国のダウやナスダックの大手企業の株価は、大きな自社株買いで20%から30%は高値になっているでしょう。

本稿執筆時点のダウは1万8161ドル、ナスダックは5243ポイントで史上最高値圏です。過去10年の純益を元にしたシラーP/Eレシオ(26.6倍:16年10月)が示すように、数十%のバブル性があると見ることができます。株価維持のために膨らみすぎた自社株買いの減少があれば、下がります。

自社株買いは、政府主導の官製相場と同じく、3年も5年もと続けることはできません。事実、2016年は米国の自社株買いはピークアウトして、今後は減少する傾向も見えます。

米国の自社株買いの傾向に注目してください。これが減ると、米国株は下がります。米国株が下がると、日本と欧州にも即日に波及します


株価が景気を反映しなくなった理由

ポートフォリオ投資とHFT(超高頻度売買)を組み合わせた売買シェアが、60%まで増えています。10年代の国際金融は、ネットワークで、リアルタイムに連結されているからです。

世界中の国債や株の売りも買いも、コンピュータ画面で一瞬です。株と債券の金融市場は、インターネットで変容しています。売買を叫ぶ「場立ち」があった「のどかな市場」ではない。

それでなくても、わが国の日経平均は米国ダウの子供です。米国株を売買しているヘッジファンドがポートフォリオ(分散投資)で、日本株をたとえば12%と一定割合にしているからです。米国株が下がると、ポートフォリオの中の米国株が減少します。かわりに、12%枠と決めている日本株の構成比が上昇します。これでは日本株の下落リスクが大きくなる。

株価罫線を分析するトレンド理論(傾向理論)とは違う、ランダムウォークの理論では、向こう3ヶ月で10%上がる確率があるときは、10%下がる確率も同じです。このため、ポートフォリオでのリスクが、コンピュータが自動計算する数値で大きくなる。

従って、米国株が下がると日本株を売って減額調整するプログラムが組み込まれています。ヘッジファンドのほとんどの売買で行われているHFT(超高頻度売買)がこれです。人間は関与せず、現物・先物・オプションの売買を組み合わせ、瞬時に売買が行われます。

ファンドマネジャーの関与は、ポートフォリオの割合(パラメータ)を変えるときです。以上の売買構造が増えたため、日米の株価の動きは同時化します。日米だけではない。

世界の株式市場(時価総額6000兆円:世界のGDPの1倍)が、ほとんど瞬間連動して動きます。基礎的な経済指標によるファンダメンタル理論(端的に言えば、景気がよくなると株価が上がる)は、ほとんど関係がなくなっているのです。
http://www.mag2.com/p/money/24781

浜田宏一氏、失敗の本質〜なぜリフレ派は「対米売国奴」に墜ちたのか?=吉田繁治 2016年11月24日
http://www.mag2.com/p/money/27546

筆者は、浜田宏一内閣官房参与(政府の経済ブレーン)について、「この人はすでに脳が老化している」と感じます。

脳が老化していないとすれば、我が国の異次元緩和は「米ドル(米国債)を買うことで、米国に資金提供をするために行われた」ことになります。


日本の異次元緩和は、アメリカに資金提供するために行われた

リフレ派の、遅まきの白旗

アベノミクス開始から4年、日経新聞の記者が浜田宏一氏にインタビューをしています(2016年11月15日)。浜田氏は経済学で東大とエール大学の教授を歴任し、安倍政権の内閣官房参与を務めています。安倍政権がとったリフレ政策の総帥の立場にある人です。


記者の質問:
日銀は、国債の買い入れを年80兆円に増やしました。4年経っても、物価目標とする2%に達していません。

浜田氏:
国民にとって一番大切なのは、物価ではなく、雇用や、生産、消費だ。最初の2年はうまく働いた。しかし、原油価格の下落や、消費税率の5%から8%への引き上げに加え、外国為替市場での投機的な円高も障害になった。

筆者の解釈

異常な金額の金融緩和は、インフレ目標(2%)の達成を目的に行われたことは明白でした。ところが浜田氏はまず、「国民にとって一番大切なのは、物価ではなく、雇用や、生産、消費だ」と、質問に対するはぐらかしを行っています。

自分たちが政策目的にしていたインフレ目標より、雇用(失業率)、生産(企業の売上)、消費(世帯の需要)が大事だと言っています。学者にあるまじき、理論的誠実さのない態度です。


次に、金融政策は効いたという主張の上で、

1.2014年6月以降の原油価格の下落 [$105(14.06)→$47(15.01)]
2.消費税の引き上げ [5%→8%(14.04〜)]
3.投機的な円買い [122円(15.12)→101円(16.08)]

の3点が、物価を下げる働きをした、と言っています。この3点がなければ、金融政策により2%へのリフレが成功したということを言うためです。しかし、これはリフレ派の物価に対する基礎理論と矛盾しています。

また、2015年12月1ドル122円から16年8月101円への円高を、浜田氏は「投機的」と言っています。あたかも、投機的ではない円高・円安があるかのような言い方です。常々から、為替の売買(円・ドルでの1日100兆円:2016年)のうち90%は、貿易用や投資用の実需に基づかない通貨投機的なものです。浜田氏が言う「投機的な通貨売買」とは、何を意味するのでしょうか?


「物価は貨幣現象」という基礎理論を自己否定

リフレ派の物価に対する基礎理論は、「物価は貨幣現象」ということです。これは、金融緩和政策に対する国会質問で、安倍首相が鸚鵡(おうむ)返しに「物価は貨幣現象なんです」と答えていたことからもうかがえます。

安倍首相は、物価について他の理論を知らない。このため、これが国際標準だと言いながら講義した浜田氏の「貨幣現象論」を信じたのです。罪深いことですが、アベノミクスの始まりがこれでした。

【フリードマンの仮説】

「物価は貨幣現象」という仮説は、1929〜1933年の米国大恐慌を研究したミルトン・フリードマンが言ったことです。

1933年までに、銀行の信用収縮と取り付けから、米国のマネーストック(マネーサプライ)は2/3に減少していました。引き出されるマネーの不足のため、20%の銀行は、営業を停止したのです。
※『大収縮 1929-1933』:ミルトン・フリードマン、アンナ・シュウォーツ

マネー不足のため、需要不足が起こっています。卸売物価は、恐慌の初年度(1930年)に13.5%低下し、個人消費は17%も減っています。

以上の現象をもとに、「物価は貨幣現象である」と仮説を作ったのです。これが、「中央銀行がマネーサプライを増やせばインフレになる」ということも意味するようになっていきます。

【マネーサプライとベースマネー(マネタリーベース)は違うもの】

なお、日銀の当座預金は、金融機関がもつ現金性預金であり、ベースマネー(マネー増加の元になるのもの)ではあっても、世帯と企業が実体経済(消費と設備投資)に使う預金のマネーサプライではありません。

【岩田規久男日銀副総裁の誤り】

リフレ派の岩田副総裁は、「日銀が国債を買ってベースマネーを年70兆円増やせば、マネーサププライも70兆円(6%)増える」と言っていました。

現在、マネーサプライ(M3)の増加は3.2%(16年10月:日銀マネーストック統計)に過ぎない。前年比での2%から3%の増加は、異次元緩和前と変わらない。つまり、異次元緩和はマネーサプライを増やさず、需要を増やして物価を上げる効果はなかったのです。


記者の質問:
デフレ脱却に、金融政策だけでは不十分だったということですか。

浜田氏:
私がかつて、「デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象」だと主張していたのは事実で、学者として以前言ったこととは、考えが変わったことは、認めなければならない」


筆者の解釈

考えが変わったことは認めなければならない……そうではない、「間違えていた」と認めねばならないのです。間違えていたと言わない理由は、「では、責任は?」となるからです。男らしく責任をとるつもりは、毛頭ないからです。

なぜ間違えたのか?

経済学は、単純化した理論モデルを作る性癖があるので、まだ、これを認めていませんが、現実のマクロ経済は、数えきれないくらい多くの要因が複雑に絡む、気象のような「複雑系」でしょう。

「物価は貨幣現象である」というような、1つの原因と結果からなる線的な関係ではない。(「マネー量→インフレ/デフレ」ではなく、実際の物価には他の要因も絡んでいる)

ところが浜田氏は、マネタリストの元祖フリードマンの「仮説」を、疑いもせず信じ込んだのです。自分で、現実の経済から学問をしなかったからです。他人が書いたもの(他人が分析したもの)を読んで、理論としたのです。

このため「副作用を含む異次元緩和」を実行してしまったのです。これを日常用語で言えば「ついにやらかしてしまった。その取り返しはつかない」ということになるでしょう。

診断と処方が誤っていたため、医薬が目的の効果を発揮せず、死にまで至る他の病気を引き起こす副作用のみを生んだということです。

失礼なことをあえて言うと、筆者は浜田氏のリフレ論の本を読んで、「この人はすでに脳が老化している」と感じたのです。「自分は○○を知っている、××がこう言っていた」といったことしか書かれていなかったからです。

脳が老化していないとすれば、「我が国の異次元緩和、は米ドル(米国債)を買うことで、米国に資金提供をするために行われた」ことになります。

リフレ派は米国にマネーを誘導するエージェント

これには、実は証拠があります。最近の浜田氏は、「日銀が米国債を買って、円を増発する方法もある」と言い始めているのです。

ユーロの中央銀行であるECB(中身はドイツマネー)が、ギリシア、ポルトガル、スペイン、イタリアなどの南欧債を買うことで、資金提供したことと同じです。

A国の国債、債券、通貨を、B国のマネーで買うことは、B国からA国にマネーを提供することと同じです。

ご記憶にある方もおられるかもしれませんが、異次元緩和の開始直後に、当方は、露骨な表現を使い、浜田氏を「亡国のエコノミスト」と書いたことがあります。
(注)小泉内閣にも類似の人がいました

異次元緩和であふれた銀行の当座預金マネーが、ドル買いに向かったからです。三菱UFJグループの事例で言えば、総資金量(298兆円:16年3月期)のうち、外国貸出が43兆円、外国債券が28兆円です。

合計で71兆円が主に米国に行っています。同時期の国内の貸し出しは59兆円、国内証券が34兆円で、合計94兆円です。
(注)16年9月期の海外運用は6兆円(8.5%)減ったように見えますが、これは$1=101円の円高・ドル安によるもので回収したわけではありません

我が国で資金量が最大の銀行は、国内55:海外45の資金運用です。国内の金利がゼロやマイナスなので、海外で運用したからです。このマネーの海外流出も、異次元緩和が国内のマネーサプライを増やさなかった原因です。

三菱UFJグループも、ゆうちょ銀行や、年金のGPIFと同じように、日銀に国債を売って、そのマネーを米国に提供しています。

民間銀行は、異次元漢和による国内金利(0%やマイナス)と米国金利(1.5〜2.5%)の、大きくなったイールド・スプレッドを確保するため、政府の政策に従属した運用をするしかない。

浜田氏が、「異次元緩和は国内のマネーサプライを増やすものではなく、ドル買い(ドル預金)やドル国債買いにより米国のマネーサプライを増やす」ということを知った上で異次元緩和を推進したのなら、確信犯です。

その言動からは米国の金融エージェントに見える浜田氏は、だから「日銀が米国債を買って、円を増発する方法もある」と言い始めたのかもしれません。これは国民経済にとっては害です。

前FRB議長のバーナンキも、日本に異次元緩和を勧めていました。あれは明らかに、「米国債を買ってくれ」という意思表示だったのです。


2014年10月の大事件〜日銀もGPIFも「米国の支配下」にある

2014年10月に米国がテーパリング(FRBによる国債買いの順次縮小:10ヶ月)を終えたとき、その同じ月に、我が国の公的年金を運用するGPIFが「米国株と米国債の保有を2倍に増やす」方針を発表しています。

(注)14年10月末には、日銀も追加緩和で国債の買い増しを発表しています(年80兆円)

実は、2015年8月から、米国債の1位保有国である中国政府が、米国債を売り始めました。それ以降の売りの累積は$1260億(12.6兆円:ブルームバーグ)です。

中国政府が米国債を売ったのは、自国のGDP成長率の低さと、不動産の不良債権の実態を知っている民間の「元売り/ドル買い(=元の海外流出)」が2015年8月から大きくなって、大きな元安を招く恐れがあったからです。このため中国政府は、民間の「元売り/トル買い」に対抗する「ドル国債売り/元買い」を行ったのです。

中国政府が米国債を売る分、別の買い手がいなければ、米国の金利は上昇し、レポ金融に依存した米国金融と株価は深刻な影響を受けます。しかし米国FRBは、ドル信用の維持のためテーパリングは終了せねばならない。

そこで日本政府に頼んで、ゆうちょ銀行とGPIFのマネーを、米国債と株の運用資金として提供するということだったのです。

こうしたことは、政府は平気で行います。

以前、安倍首相が、NYSE(ニューヨーク証券取引所)で、「Buy Abenomics」と叫んだことがあります。これは米国に対して、強制的な買いを促すものではありません。あくまで、お願いのレベルです。

ところが、米国政府が日本に言うときは異なります。「強制」の意味をもつのです。従来は財務省が、これを「外圧」と言っていました。今はこの言葉は消えましたが、同様のことが続いています。

状況証拠からは、リフレ派は(狙ってか狙わずかは不明ですが)、米国にマネーを誘導するエージェントに見えるのです。
http://www.mag2.com/p/money/27546


トランプが巻き起こすアメリカ不動産バブルと「日本バッシング」の正体=吉田繁治 2017年1月12日
http://www.mag2.com/p/money/30993

大統領就任前のトランプ発言が、世界に波紋を広げています。大統領就任式は1月20日、その日に上下両院で行われる「一般教書」の演説で政策のアウトラインが明らかになり、2月上旬の予算教書でより具体的になります。本稿ではそれらに先駆け、トランプの政策とその影響を包括的に予測します。

再びバブル突入?世界経済を動かすトランプの政策と影響を徹底分析

「ドッド・フランク法」の廃止を公約するトランプ

ドッド・フランク法は、リーマン危機後に金融機関を「大きすぎて潰せない」として、政府・FRBマネーを使って救済した反省から立法されたものです。その目的は、国民のマネーを使った公的資金による救済(ベイルアウト)を終わらせることでした。

法の内容は多岐にわたり複雑なので、わが国で論評されることはありませんが、金融規制のボルカー・ルールを立法化したもので、金融機関の活動の抑制を行うものです。

【ドッド・フランク法の基本内容】

1.大規模金融機関に対する規制の強化
2.金融システムの安定を監視する金融監督評議会の設置
3.金融機関の破綻処理ルールの策定
4.金融機関のリスクの高い取引の規制
5.飛び抜けて高い経営者報酬の監視の強化
6.デリバティブ取引の開示

クリントン政権によるグラス・スティーガル法の廃止と酷似

トランプが公約するドッド・フランク法の廃止は、クリントン政権が1999年に、再びのバブル発生、金融危機、恐慌を防ぐことを目的としたグラス・スティーガル法の金融規制を撤廃したことに似ています。

1929〜33年の大恐慌のあと、金融規制として制定され、証券と銀行の兼業を禁じたグラス・スティーガル法は、金融の自由化を図ったクリントン大統領時代の1999年に廃止されました。

その後の米国は、IT株バブルの昂進に向かい、2000年の4月からそのバブル株価が崩壊しています。金融の自由化と規制緩和は過剰な融資を生み、バブルの発生と崩壊に至るのが原則です。

このグラス・スティーガル法の廃止により、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズ、ベア・スターンズなど、証券業務を兼業してリスクの高い投資を行う投資銀行が、米国に誕生したのです。

そして、これら投資銀行が組成して販売したリスクの高い証券(MBS:不動産担保証券)の暴落が、リーマン危機の原因となりました。

このためオバマ政権は、元FRB議長で金融規制論者のボルカーを大統領経済回復諮問委員会委員長に就けて、ドッド・フランク法を制定し金融を規制したのです。

他方トランプは、ウォール街に自由な活動をさせるために、2010年に成立したドッド・フランク法(金融規制法)の廃止を公約しています。これは、前述のように、1999年のグラス・スティーガル法(金融規制法)の廃止に相当するものです。

2008年9月のリーマン危機のあとの世界の金融は、金融危機の元になる不動産、証券、株のバブルを起こさないため、ドッド・フランク法を含め金融規制の方向でした。特に2010年の南欧危機以降、ユーロがこの方向だったのです。

トランプの復古政策で米不動産バブル再び

トランプは金融面でも米国第一を掲げ、伝統的な銀行家のボルカーがシンボルだった金融規制への流れを、自由化に向けて転換するでしょう。

このため、トランプ当選後に最も株価が上がったのは、世界の大手金融機関でした。これはドッド・フランク法の廃止を想定したものです。JPモルガン・チェースの株価は、11月4日の$68から$86へと26%上げています。ゴールドマン・サックスも、$175から$242へと38%も上がっているのです。

同期間のダウの上昇は10%でしかない。つまり金融株が上げたのです。時価総額1位のアップルは、平均並の12%しか上がっていません。

わが国の三菱UFJフィナンシャル・グループ(総資金量280兆円)の株価も、2016年11月初頭の500円付近から、748円へと約50%も上がっています(1月8日)。超大型株が5週間で50%も上がるのは稀です。これはドッド・フランク法の廃止を予想した、国際的な金融株上昇の一環でした。

わが国で資金量2位のみずほフィナンシャルグループ(総資金量187兆円)の株価も、同じ理由で、11月初旬の170円付近から直近は214円へと26%上がっています(1月8日)。

日米の大手金融機関の株価の上昇は、リスクの高い金融にマネーが流れることも意味します。その結果、米国の不動産バブルが促進されるでしょう。

バブル醸成とバブル崩壊(金融危機)が準備されている

これは新たなバブルのみならず、2008年のリーマン危機のように、不動産価格が頂点に至った後2〜3年後の、価格崩落と金融危機をも準備することになるでしょう。

リーマン危機は、グラス・スティーガル法の廃止のあと、デリバティブで証券化された不動産融資の増加が引き起こした不動産バブルの崩壊から起ったものです。その金融商品のシンボルは、MBS(不動産担保証券)というデリバティブ証券でした。

不動産のバブルは、持続的な金融緩和によって発生します。そして価格の頂点で崩壊します。株価は企業純益の増加が続くと上がり続けることもあります。しかし、便益が同じ不動産では、バブル価格は必ず崩壊します。

MBS(Mortgage Backed Security:不動産担保証券)とは、多くの不動産ローンを合成し、ミックスしたものを、優先・劣後で三層に切り取って証券化したデリバティブです。償還金受け取りの優先権がある優先債(シニア債)の格付けは、AAAとされていました。米国債と同等にリスクは低く、しかし金利(利回り)は高いという矛盾をもつものだったのです。
(注)金融において、金利の高さはリスクの大きさを示すものです

格付け機関のいい加減な査定でAAA格とされていたMBSが、価格が2倍に上がった住宅のローン・デフォルトの増加から60%に下落したことが、リーマン危機の主因でした。

米国の中央銀行であるFRBは、下落していたMBSを$1.6兆(185兆円)、60%の市場価格ではなく額面価格の100%で買い上げる方法で、現在も金融機関への資金供与を続けています(FRBによる金融機関の救済策)。

ドッド・フランク法は、このようなリスクの高いデリバティブを規制していましたが、これが廃止されれば、規制から解放された投資銀行によって、新たなMBSや他のデリバティブが作られ、不動産バブルを促進することになるでしょう。

自身も不動産業のトランプは、不動産バブルを引き起こす政策をとるでしょう。

米国都市部の不動産価格は2007年並のバブル価格に向かう

全米20都市の住宅価格を示すケース・シラー指数は、2016年の後半で195と、リーマン危機前の206(2016年)に迫っています(2000年を100とする)。

2012年の130から、3度のQE(量的緩和:$4兆=470兆円)によって、65ポイント(50%)も上がったのです。2016年11月にも前年比で5.2%上げています。

米国の都市部の住宅価格は再び、わが国の1980年代や米国の2000年代のようなバブルに向かっています。2017年末からは、リーマン危機前のバブル価格に戻るでしょう。不動産価格の上昇は、トランプ自身が不動産ビジネスを手がけていることと関係しています。

2018年はリーマン危機から10年です。不動産バブルの崩壊と金融危機は、ほぼ10年から12年サイクルでしょう。


トランプの対日戦略(1)〜標的にされたトヨタ

トヨタ自動車がメキシコに対米輸出用の新工場を建設することに対し、トランプは、米国の雇用を奪うとして、建設を実行するなら高い関税を課すとツイッターに書き込んでいます(1月4日)。

従来、この種のことに大統領が介入することはなかった。これは、メキシコ、カナダとの間の自由貿易協定(NAFTA)の見直し(廃棄)と関係しています。

このためトヨタは慌てて、米国への1兆円の工場投資を発表したのです。トヨタは、米国に10カ所の工場をもち、13万6000人を雇用しています。日本の大手製造業の対外売上のほぼ50%を、海外の現地工場が占めています。

保護主義に回帰するアメリカ

以上の動きは、1990年代から世界で進行してきた「グローバル経済」に棹(さお)をさし、保護主義に転換することを示します。保護主義とは、輸入品への課税であり、輸入品の価格を上げることです。

関税が課されると、米国での中国製品、日本製品および原油の価格は上がります。価格の上昇は消費の減少をもたらし、中国、日本、産油国の輸出企業の売上を減らします。

このため世界経済の観点では、経済成長率の低下に繋がります。加えて世界では、減少する米国輸入のため生産力の超過が起り、デフレ傾向が起こります。

1930年代の保護主義は米国の恐慌を拡散させた

1929年からの米国大恐慌のときは、米国が輸入を減らす保護主義に走ったため、その恐慌が日本と欧州を含む世界に波及しました。これが、第二次世界大戦の経済面での原因になったのです。

日本の国民所得は、1929年を100としたとき1930年に81、1931年には77へと減少しています。これはGDPが23%減ったのと同じです。

この恐慌のときは、米国のGDPは1929年に対して29%減少しました。このGDPの減少は、そのまま個人消費が減ることであり、米国の個人消費の減少が輸出国の輸出を50%に減らしたのです。このため欧州と日本に波及したのでした。

トランプの米国第一を基本政策に掲げる保護主義では、大恐慌のときのような米国のGDPの激減(29%)はないので、輸入の減少(中国、日本、欧州からの輸出減少)も、当時ほどではない。それでも保護化により、10%程度の輸入減少はあるかもしれません。

米国は日本に武器を輸出する

トランプは日本に、米国の最強分野である武器の輸入を勧めるはずです。軍事を増強したいと常々考えている安倍政権は応じるでしょう。軟弱外交と非難されるくらいリベラルな色があったオバマとは、様変わりします。軍事力が外交を決めるという、リアル・ポリティックスの立場に立つからです。


トランプの対日戦略(2)〜TPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱

トランプは、安倍政権の主要な国際政策だったTPPに対しても、米国の産業を弱体化させる原因になると言って離脱を表明しています。

反自由貿易の政策

TPPは、欧州のEU(欧州連合)や北米のNAFTA(北米自由貿易協定)のように、参加国間の貿易関税の撤廃を図るものです(例外品目はあります)。

「国民の賃金が伸びず所得格差が格大しているのは、自由貿易によって海外(特に中国)の安い商品が流入しているからだ」というのが、トランプの主張の趣旨です。中国に対してはダンピング輸出の非難をしています。

ラストベルトの再興を図るとは言うが…

米大統領選挙では、ペンシルバニア州やオハイオ州など、鉄鋼業と重化学工業で栄えていた「ラストベルト(金属のサビ地帯の意味)」と呼ばれる接戦州をトランプが押さえたことが、当選をもたらしました。

このラストベルトでは、輸入により鉄鋼と重化学工業が衰退しています。トランプは保護貿易を敷き、1960年〜70年代初期まで世界一だった米国の重化学工業を再興させるとしているのです。

トランプは、まだ発動されていないTPPだけではなく、1994年から始まった北米(カナダ・メキシコ)の自由貿易と人材移動の協定(NAFTA)も廃止すると言っています。これも保護主義の動きです。

あらゆる工業の基礎になる粗鋼の生産量は、米国が7000万トン、日本は1億トンですが、中国は1995年に日本の生産高を追い越し、現在は8億トンと米国の10倍です(2015年)。世界が生産する16億トンの50%が中国となっています。

海外からの米国投資

ソフトバンクの孫正義氏は、$500億(5.8兆円)の米国企業買収投資を行うと表明しています。昨日はトヨタが、米国に1兆6000億円の工場投資を発表しました。トランプにおもねるのではないとしていますが、米国を主要市場とするトヨタとしては、トランプ政権の意向に沿う投資を実行せざるを得ないでしょう。米国第一主義は、米国への投資にも影響します。

米国の意向に反すると、国際協約であるWTO(世界貿易機関)が禁じる「特例関税」を課される恐れがあるからです。

軍事費25%増強という政策を背景にした強硬な外交

トランプは、オバマ政権が8年間減らし続け、$8000億(94兆円:日本の5兆円の18倍)になった国防費を$1兆(117兆円)に増やすとも言っています。

陸軍の軍人を54万人(10万人増加)にし、海軍の艦隊も500隻(現在は400隻)にする予定です。空軍でも、戦闘爆撃機を2400機へと20%増やす。オバマ政権に対しては、対中国と対アラブで「軟弱外交」との非難がありました。

25%増える国防費をまかなうにはGDPの増加が必要であり、現在は年率2.5%程度でしかない米国GDPの成長を4%に上げるとしているのです。

リアル・ポリティックス

「軍事力の増強が外交(対外的な政治)の強化である」という考えは、我が国にはない。しかし国際関係の「リアル・ポリティックス」は、今も軍事が基盤です。リアル・ポリティックスとは、理念、思想、イデオロギーではなく力関係で政治を見る見方で、その力の中核は軍事です。

対イラン戦略

オバマ大統領はイスラエル政府に、ヨルダン川西岸への入植をやめるよう圧力をかけ、パレスチナ国家建設の支援をするとも表明していました。オバマは親イスラエルとは言えなかった。

一方トランプは、イスラエル右派、および右派の党首ネタニアフ首相(2009年〜)と、30年におよぶ近い関係をもっています。イスラエル右派は、聖地パレスチナにユダヤ人国家を作るという「シオニズム」を奉じています。中東の問題のコアは、このシオニズムです。

トランプの支援をした米国のシオニストでカジノ王のシェルドン・アデルソン氏は「イランを核攻撃すべきだ」と述べています。

トランプは、米国にいるシオニスト(金融と事業家)の支援により大統領になったとも言われています。トランプは、オバマのような反シオニズムにはなり得ません。こうした背景から、トランプ大統領はイランとの核合意を廃棄し、イランの核施設を攻撃するのではないか、という推測が流れています。

そうなればイラン戦争が起こり、中東全域が激動します。中東に石油を83%依存し、ホルムズ海峡が運送経路である日本にとって看過できない問題です。

イラン攻撃の可能性を証明するかのように、国防長官には、海兵隊出身で「Mad Dog(どう猛な犬)」と言われるジェームズ・マティス氏が任命されています。前方展開の海兵隊は、陸軍のような議会の承認ではなく、マティス長官の緊急指令によって戦闘を起こせるからです。

対中国戦略

2016年12月2日のことでした。台湾の蔡英文総統が当選祝いの電話をかけてきたとき、トランプは自らその電話に出て、蔡大統領という敬称を使ったのです。これは「2つの中国」を認めることになります。

早速、中国政府は厳重に抗議しましたが、トランプは意に介さない。

中国にとって台湾問題は、国家の成立にかかわる原理問題です。地図では「台湾省」とされ、自治区のような扱いです。台湾は国連にも加盟していません。

日本も、台湾と貿易はあっても独立国家としての承認はしていません。北朝鮮、パレスチナと同じように、公式には国家としていない。中国が実効支配する地域という見解です。

それをトランプはいとも簡単に、世界政治のタブーを破ったのです。他にもトランプは、中国のダンピング輸出を、米国の雇用を奪うと非難しています。

コンピュータでは、米国の輸入全体の66%を中国製品が占めています。電話では57%です。対中貿易赤字は$3200億(37兆円)です(2013年)。ただし、この電子機器の対中赤字の多くは、中国や台湾で生産しているアップルなどの米国企業が作ったものです。

トランプは、米国第一のために、WTO違反の対中特例関税も示唆しています。そうなると中国も、米国製品への関税を強化します。

大統領就任後、トランプと習近平国家主席との間に会談がもたれますが、トランプが「2つの中国」に固執すれば、共同声明が何であれ、事実上の決裂となるでしょう。トランプの対中戦略は、予断を許さない部分です。

中国からの対米輸出には、中国で生産する日本企業のぶんが多く入っています。中国の輸出の50%は、外資企業によるものです。保護貿易の報復合戦になると、日本企業の対米輸出もマイナスの影響を受けます。
http://www.mag2.com/p/money/30993

誰が売って誰が買うのか?2016年日本株「下落と上昇の要素」6つ=吉田繁治 2016年1月14日
http://www.mag2.com/p/money/7023

今回のテーマは年初来の株価下落と2016年の見通しです。

15年12月末の1万9000円から1万7500円付近(13日:前場)まで、1500円(約8%)下げています。近年、株価とピタリ逆に動く円相場は、年末の$1=121円水準から、今日は117.95円です。ほぼ3円(2.5%)の円高になっています。

原油と資源価格下落、及び昨年12月のFRBの利上げ(0.25%)を主因に、世界のマネーの流れが、大きく変わってきました。中国経済の減速と言われますが、その要因はむしろ少ないでしょう。奔流は、世界から米ドル(米国債)へ回帰する動きです。

FRBの利上げの「語られない目的」は、2008年末以降3度の量的緩和(金額では$4兆:480兆円)というマネー投入によって発生した資産バブル(株価と不動産)を、崩壊しない前につぶしておくことでした。FRBの狙い通り、まず株価が下落調整になっていると言えます。

1.年初来の株価の変調〜誰が買い、誰が売ったか?

2012年からの主体別買い超、売り超の大きな動きを確認する

中国の株価下落(上海総合)、北朝鮮の核実験、イランとサウジの断交、IS(イスラム国)のテロ、原油・資源価格の下落、米国FRBの利上げなど、メディアでは、いろんな理由が言われています。もちろん、それぞれの理由はある。

肝心なことは、誰が買い、誰が売ったかです。売買の行動にならない限り、株価も為替相場も動かないからです。

まず過去4年の、投資主体別の売買を見てみます。プラスは買い超、マイナスは売り超です。買い超は株価を上げる要素であり、売り超は下げる要素です。

表を見ると、過去4年、どの主体が買って上がり、どの主体が売って下がったか、わかります。


_____2012年 2013年 2014年 2015年

外国人 : 2.8兆円 15.1兆円 0.9兆円 -0.3兆円
自己 : 0.3兆円 -0.6兆円 0.3兆円 1.6兆円
個人 : -1.9兆円 -8.8兆円 -3.6兆円 -5.0兆円
投資信託 : 0.4兆円 -0.2兆円 -0.2兆円 0.2兆円
信託銀 : -1.0兆円 -4.0兆円 2.8兆円 2.0兆円
事業法人 : 0.4兆円 0.6兆円 1.1兆円 3.0兆円
生損保 : -0.7兆円 -1.1兆円 -0.5兆円 -0.6兆円
都銀等 : -0.1兆円 -0.3兆円 -0.1兆円 -0.6兆円
日経平均 1.0万円 1.6万円 1.6万円 1.9万円

(注)日経平均は、該当年の12月末の株価指数(日経225)
出典:投資家主体別売買動向表 – 安藤証券

主体別売買への4つのコメント

(1)「自己売買」は、証券会社の売買の受託ではない自分での売買です。この中には、日銀による株式上場投信(ETF)の買い(3.3兆円/年)による、現物株の買いが混じっています。

(2)信託銀の売買には、公的年金基金GPIFの売買が混じっています。

上記の自己売買と信託銀の買い超が、2014年10月からの追加緩和以降の「官製相場」を作ってきました。上表の日経平均では、この官製相場分は、1万6000円→1万9000円、つまり3000円(19%)の上昇という結果です。

ここ4年の株式相場の動きと理由としては、2013年の1万円から1万6000円への60%上昇は、外国人投資家の、年間15.1兆円の買い超によるものでした。2014年の1万6000円から2015年の1万9000円への19%上昇は、年金基金、公務員共済年金、郵貯、かんぽ、日銀が買い進んだ官製相場でした。

(3)2014年から増えてきた事業法人の買いは、ほとんどが、わが国でも増加した「自社株買い」です。

2015年には、3兆円の買い超になり、2015年の株価を3000円(19%)上げた、もっとも大きな要素になっています。米国流のROE経営(=株価上昇経営)を行えという米国からの要請による2015年のわが国の株価(3000円上昇:19%)は、官製相場と自社株買いが原因です。

(4)わが国の生保と銀行は、2000年代はリスク資産の持ち合い解消を唱えて、売り手になっています。

国内の売買では、生保と銀行が株を売り続けるため、個人投資家が買い受けないと、構造的に下がる相場になっているのです。

2000年代以降、日本の株式相場が、外国人の買い依存になった理由は、以下の2つです。

◾大株主だった生保と銀行が、持ち合い解消と言いながら、リスク資産の株を売り続けた

◾個人投資家が、投資信託を含んでも、米国のように売買の50%以上にならず、わが国では売買シェアがとても低い(22%前後)


外国人投資家の売買シェアは67%(2015年12月)です。このため、ガイジンが売れば下がり、買えば上がる。

「米国の株価のコピー相場+官製相場─個人の売り」が、2015年のわが国の株価を作っていました。日経平均の幅は、2万1000円(15年5月〜8月)〜1万7000円(10月)と、約4000円(24%)の波動だったのです。


売買の構造〜60〜70%を占める外国人

東証1部の年間売買は、ほぼ700兆円(1日平均2.8兆円:2015年)でした。この売買のうち60%〜70%を外国人が占めています。

外国人とは、ヘッジファンド、国家ファンド(SWF:後述)、投資銀行です。そのほとんどは、タックス・ヘイブン(オフショア)からの買いです。

原油と資源の価格低下による、国家ファンドの運用資金の急減が、ガイジン買いを減らし、売りを多くして、2015年から2016年1月の下落相場を作っています。

わが国でも700兆円の売買のうち、ほぼ60%(420兆円)は、コンピュータプログラムでの自動売買(HFT:超高速売買)です。ミリ秒、ナノ秒単位で「他より早く売買し差益を得る」ものです。他の、買い注文を察知すると、先回りしてその価格(指値)で買ってすぐ売り、確実な差益を稼ぐ方法です。

日本人と日本の金融機関の売買は30〜40%のシェアに過ぎず、価格を大きくは形成できません。日本人で大きく売買するのは、名寄せ後で約700万人(口座数は4500万)の個人投資家です。


売り越しを続けている個人投資家

個人投資家は、2012年からは1.9兆円、2013年8.8兆円、2014年3.6兆円、2015年5.0兆円と、一貫して大きな売り超です。

リーマン危機後の株価下落(日経平均8100円:09年3月)で被った大きな損を、2013年以降の外人買いと官製相場で回復するための売りを行ってきたからです。

◾2012年末の日経平均1万円を、13年末の1万6000円に上げたのは、2013年の、外国人の15.1兆円もの、大きな買い超でした

◾2014年末の1万6000円の株価を、2015年末の1万9000円に上げてきたのは、官製相場と自社株買いでした


予想の反省としては、年金基金、公務員共済年金、郵貯、かんぽ、日銀の5つのクジラによる日本株の買いは、もっと大きな上昇(日経平均で2万3000円)になると考えていました。

ところが2015年は、個人投資家の、損失回復のための利益確定の売り超が5兆円と一層大きかった。

5頭のクジラの買いで上がると、個人投資家が売ったのです。個人投資家は、政府が囃した官製相場に対し「踊ってはいなかった」。

個人投資家は「逆張り」が多い。上がると売り、下がると買う。2015年は上がるときの売りが大きかった。理由は、証券会社が誘う官製相場を信用していないからでしょう。

日本の株価は、海外からの売買で大きく動きます。これを追求するには、世界のマネーの大きな流れをみなければならない。この視点を、以下のデータで確保しましょう。

2.国際的な資金の大きな動きはどうなっているか?

ドル・インデックスで見ると、大きなドル買い/ドル売りがわかる

ドル・インデックスは、貿易額の加重平均で見た米ドルの指数です。円/ドルの関係だけではなく、世界の通貨(ユーロ、円、英ポンド、カナダドル、スイスフラン、スウェーデンクローネ)に対するドルの価格が分かります。

ドル・インデックス(ドル指数)が上がるときは、ドルが買われて米国にマネーが集まっています。逆に、下がるときは米国からマネーが流出するときです。

世界の外為相場では、1日(1年の誤記ではない)に、$6.8兆(816兆円:2013年)の通貨の売買があります。円のシェア12%です。

買い超の通貨にマネーが集まって上がり、売り超の通貨からは逃げて、下がっているのです。21世紀は、国際的なマネーの動きが巨大です。ここを見なければ、マネーの動きはわからないのです。円高のときは、日本にマネーが集まり、円安では主にドルに逃げています。

グラフの刻みを毎月にすると、2004年6月〜16年1月までの12年間のドル指数がわかります。大きな動きを見ます。この10年間の米ドルの動きは、3つの時期に分けると、意味がよく分かります。


3.10年間を3つの時期に分ける

(1)2006年から2008年のリーマン危機まで

この間は、ドル指数が92付近の高値から72のドル安になっています。リーマン危機のとき、価値を下げた米ドルが大きく売られたのです。米国の金融危機は、ドルが売られる危機でもあるからです。

(注)このとき円は買われて、$1=120円付近(2006年)から80円(2011年)へと33%も上がっています。これは円高ではなく、リーマン危機後のドル安だったのです。

(2)2008年10月〜2014年7月(テーパリング確定)まで

リーマン危機がもたらしたドル危機と、米国・欧州の金融危機に対して、米国FRBは3回の量的緩和で、$4兆(480兆円)のドルを増刷し金融機関に与えて危機を乗り切ります。

ドル指数は、安値の72から88の間を激しく動いたのが、08年10月から14年7月までの、3回のQE(量的緩和)の6年間でした(変動幅16=22%)。金融危機は脱した、いや景気はまだ悪い、雇用の回復を見れば米国の景気はいいと、揺れ動いていたからです。

(注)2012年末からは、日本政府が誘導したドル買い(推計30兆円)を起点に、円はリーマン危機の前の、$1=120円にまで下がって、現在に至っています。

2013年には、海外投資家は、円売り(円安)とともに、日本株を15.1兆円も買い越して、日経平均で1万円から1万6000円(13年12月)に上げています。

(3)2014年7月〜2016年1月まで

米国FRBは、2014年1月からQE3(量的緩和第3弾)を停止して、テーパリング(ドル増発の順次縮小)を行い、同年10月に完了しました。

中央銀行がマネー量を絞ることや利上げは、普通は、通貨高の要素です。このためテーパリングの完了が予想された2月前の14年8月から、80だったドル指数は、高騰に向かいます。

2016年1月(現在)には、25%高い100に高騰しています(リーマン危機前の水準+8)。(注)通貨での25%高は高騰です。

80だった14年7月からは、25%ものドル高になっています。これは2014年8月以降、世界の通貨(ユーロ、円、元、新興国通貨)がドル買い、自国通貨売りに向かい、米国にマネーが集まっていることを示すのです。


【下落した新興国の通貨】

上がったドルと逆に、新興国の通貨は、軒並み下がっています(20〜30%)。輸出品目である原油・資源・コモディティの下落と、米国が新興国からの資金を引揚げてきたからです。下落の原因は2つです。

◾(1)世界の資源の30〜40%を使っていた中国の生産の減退

◾(2)量的緩和終了後の米ドルが、原油、資源、コモディティの先物投機から引き揚げたこと(ヘッジファンドの先物買いの縮小と先物売り)

この間、人民元も政府が変動幅2%でドルペッグさせていたので、ドルとともに世界の通貨に対して25%上がっています。

「2015年からの人民元の下落」には、2014年8月以降、元が25%も上がっていたという伏線があることを記憶しておいてください。


【25%のドル高】

2014年8月以降、現在に至るまで、米ドルは25%ものドル高だったことを確認します。世界の通貨からのドル買いが大きかったことを示します。世界のマネーが米国に集まったのです。

(注)後述するように、日本の金融機関も、2014年からドル買いに転じています。


【新興国の通貨売り】

2009年以降、新興国に出ていたFRBの量的緩和のドル(新興国の通貨買い)が、ドル買い/新興国通貨売りになって、マネーが米国に回帰しています。

ドルの引き揚げが、2014年央からの原油の下落の主因でもあります。


【原油・資源・国際コモディティ】

2014年7月の1バーレル$102(WTI原油価格指数)は、同じ年の12月には$59に、翌15年12月には、$37へと64%下がっています。

同時に、資源とコモディティ(CRB商品指数:28種)も、300から164(16年1月)にまで、48%下がっています。逆オイルショクと言えるくらいの暴落です。

原因は、前述のように、中国の原油・資源・コモディティ需要の減退(これが50%)、FRBがテーパリングから利上げに向かったことによる、ヘッジファンドの投機マネーの引揚げです(これが50%)。

4.資源輸出国のSWF(国家ファンド)運用資金が縮小している

日本株を売買する海外投資家は、

(1)ヘッジファンド、
(2)SWF(国家ファンド)、
(3)英米系の投資銀行です。


ヘッジファンドに運用資金を預託することが多いので、直接にはヘッジファンドです。間接的に、(2)と(3)です。

SWFは、2000年代の原油・資源・コモディティが高いときに、運用資金を$12兆(1440兆円:2013年:推計:JPモルガン)に増やしています。※SWF(Sovereign Wealth Fund:資源国の国家ファンド)

大手投資銀行(JPモルガンやゴールドマン)は、QE(量的緩和)で、FRBにMBS(住宅ローン担保証券)と保有国債を売ったマネーを、ヘッジファンドに預託して、運用しています。日本や中国が米国債を買ったマネーも、投資銀行が運用しています。

資源国マネー、FRBマネー、日本マネー、中国マネーが、日本を含む世界への、米国と欧州からの投資・投機のマネーになっています。


SWFの主なものを、運用額とともに、挙げておきます。こうしたデータは、租税回避地のタックス・ヘイブンの金融と同じように、なかなか集まりません。今回、Wikipediaのデータを使います。年度は不明ですが、平均で2013年頃でしょう。


中国のSWF : $14553億(174兆円) 輸出マネー
アブダビ首長国のSWF : $6270億(75兆円) 原油
ノルウェーのSWF : $6110億(73兆円) 原油
サウジアラビアのSWF : $5328億(64兆円) 原油
シンガポールのSWF : $4047億(49兆円) 金融
クウェートのSWF : $2960億(36兆円) 原油
カナダのSWF : $1528億(18兆円) 資源

以下続く

※世界のSWF推計 $12兆(1440兆円:2013年)

世界のSWFは、2013年までの原油・資源・コモディティが高かった時期に基金を増やしています。しかし2014年の半ばからの原油価格の下落($100→$32)とともに、原油輸出国の財政は大きな赤字に転落しています。

輸出で世界一のサウジアラビアでは、GDPの20%もの財政赤字になっています。政府の歳入の減少は$820億(9.8兆円)と言われます。油田はほとんどが国有であるため、輸出代金の減少(1/3)は、直接に国家の収入を減らします。産油国は、税の代わりに、国家が原油の輸出で収入を得ています。

2014年7月からの原油の暴落は、海外投資を行っているSWFの運用資金を減らします。例えば、サウジアラビアのSWFは、$5328億(64兆円)です。原油が$30付近ならSWFの資金は1年に10兆円の割合で減って行くでしょう。サウジアラビアのSWFがいくら日本株を買っているか不明ですが、仮に、日本株のグローバルシェアである約10%としたときは6兆円です。

すでに6000億円付近の日本株が、サウジのSWFから売られているでしょう。サウジアラビアだけではない。他の産油国・資源国も同じです。

つまり2015年からは、$12兆(1440兆円)の、グローバル投資をした世界のSWFが、原油が低い価格である間、投資資金の引き揚げを行っています。これが、米国株、日本株、ユーロ株の下落の50%を説明するでしょう。

日本のような、原油・資源のほぼ100%を輸入する国にとっては、原油・資源・コモディティの下落は、普通のときは、企業の利益を増やして株価の上昇要素になります。

しかし、マネーの動きも気象のような複雑系です。原油・資源・コモディティ価格の下落によるSWFと、中国のSWFの運用資金の10%くらいの減少が、世界の株価の下落の50%を説明するでしょう。

そして、FRBの利上げによる、米国のレポ金融の縮小から来る運用マネーの減少が、株価下落のもう50%を説明するでしょう。

なおさかのぼって、原油・資源・コモディティの、2014年8月からの下落の原因は、(1)中国の需要減と、(2)ヘッジファンドによる原油や資源の先物買いの減少です。

価格を上げる先物買いは、3か月や6ヵ月後の限月には、反対の、現物売りで清算になります。先物買いが減少すれば、限月には売りが増えて、原油・資源・コモディティ価格は一層下がるのです。

5.異次元緩和のジャパンマネーはどうなったのか

米国株と米国債を買っている

日銀が異次元緩和を行って金融機関の当座預金を増やした場合、一般には、金融機関による「ポートフォリオ・リバランス」が起こって、株式、債券、外貨の買いが増えます。

日銀当座預金は、金利が0.1%しかつかないため、金融機関は損失を被ります。このため、数%以上の利回りが見込める株式、債券、外貨の運用を資産として増やすのです。これが量的緩和で起こる、金融機関の「ポートフォリオ・リバランス」です。

ところが日本の金融機関(銀行と生保)は、主体別の売買で示したように、国内株では、一貫して売り超を続けています。

量的緩和で金融機関に増えたゼロ金利マネーは、どの運用を増やしているのか。財務省が集計している「対外証券投資統括表」で分かります。


【わが国金融機関の海外投資の超過】


海外株 中長期債 合計

2010年 : 1.9兆円 20.8兆円 22.5兆円
2011年 : 1.0兆円 7.5兆円 7.7兆円
2012年 : -1.8兆円 13.2兆円 11.2兆円
2013年 : -6.6兆円 -1.9兆円 -8.2兆円
2014年 : 6.6兆円 4.4兆円 12.1兆円
2015年 : 19.5兆円 15.5兆円 35.6兆円

6年合計 : 20.6兆円 59.5兆円 80.9兆円

(注)いずれも買い超、売り超の差額。2015年は11月まで。短期債は少ないので省略。海外株の推計80%は米国株であり、中長期債のほとんども、ドル国債と社債である

2013年4月から、わが国で異次元緩和が始まったとき、日本の金融機関は、米国への投資を8.2兆円減らし、株はふやさずとも、国内への投資は増やしていました。

このためもあり、2013年は、日経平均が1万円から1万6000円に上がったのです。

ところが、2014年には、米国株を6.6兆円、米国債を4.4兆円買って、海外投資を12.1兆円増やす動きに変わっています。2015年には米国株を19.5兆円、米国債を15.5兆円買って、米国への投資を35.6兆円も増やしたのです。

2014年の1月から米国FRBはテーパリング(量的緩和の順次縮小)を開始し、同年10月に終わりました。2014年の日本の金融機関は、FRBが国債を買ってきた代わりに、ドル株とドル国債を買って、米国の資金繰りを助けたのです。

財務省の対外証券投資統括表は、メディアでは取り上げませんが、それを見れば、米国がQE(量的緩和)を停止したあと、日本の金融機関が、円国債を日銀に売り、米国株と米国債を買ってきたことが分かります。

マネーの元をたどれば日銀が、米国株と米国債を買いあげています。


日本の金融機関によるドル買い

米国は、FRBが出口政策をとって資金不足の国になり、日本は異次元緩和で資金余剰の国です。

特に2015年は、上表に見るように、日本の金融機関(代表が三菱東京UFJ)は、米国株を19.5兆円、米国債を15.5兆円買って合計で35.6兆円ものドル買いを行っています。

(注)米国株を買うときは、まず円でドルを買います。この円は日本の金融機関から、ドルを売った米国の金融機関に行きます。一方で、日本の金融機関は、米国株を所有します。これが、円の米国への流出です。代わりにドル建ての株券が入手されます。


【中国は、ドル国債を売っている】

ドル国債を、外貨準備としてためてきた中国は、2014年から、元安(元売り/ドル買い)を阻止するため、ドル国債の売り/元買いに乗り出ししています。

普通なら、これは、ドルの下落要素です。しかしドルは下がっていない。むしろ2015年はドル高でした。

中国の外貨準備は、2014年6月には$4.0兆(480兆円:日本の2.9倍)とされていました。60%は米ドル建てで、中国はユーロ輸出が多いので30%がユーロでしょう。この外貨準備が2015年9月には、$3.5兆(420兆円)に減っています。

ドルを60%とすると$3000億(36兆円)のドル売りです。日本の金融機関が2015年に買い増したドル債は35.6兆円です。日本の金融機関が、中国が売ったドル債を、そっくり、買いあげたことになります。実に数値は、ピタリと符合します。

ドル高の理由の中でもっとも大きなものは、日本の金融機関による35.6兆円(2015年)のドル買いです。

日本がドル株を買って株価を上げて、ドル国債を買ってドル金利の上昇を抑えたのです。

日本からのドル買いに密約があるのか暗黙かは不明です。ドル買いでも政治的な領域は、口頭での約束であり分からない。

(注)郵貯(総資金量206兆円:2015年3月)、かんぽ保険(同85兆円)、年金基金(GPIF:131兆円)、合計で422兆円のマネーは、いずれも政府の主導で運用されています。追加緩和の14年10月以降、海外運用を増やした年金基金の海外株の運用枠は25%(33兆円)とされています。日銀が、GPIFがもつ国債を買い、GPIFが得た現金で株を買うという構図です。

6.年初からの世界同時株安の原因

2015年末に3600ポイント付近だった上海総合は16年の年初から大きく下げて今日(1月13日)の終値は2949でした(26%下落)。政府の株価対策で、下落調整されていますから、市場の実勢では2500ポイントかもしれません。

2015年6月には5000ポイントを超えていた中国株の下落は6月13日から始まり、8月末に3000ポイントに下げ、世界の株価に波及しています。その後政府の対策で、3500付近を波動していましたが、年初に急落したのです。その背景には、中国経済の相当の減速があります。

2015年7−9期のGDPは実質で6.9%の成長とされていますが、実際は、公称より相当低い2%〜4%の範囲でしょう。これが株価に反映しています。

予想PERでは3000ポイント付近に下がった後の株価で12.08倍(16年1月13日:上海総合)です。中国企業の利益予想から見て、10倍くらいが妥当に思えます。

(注)2015年の実質GDPは$11.3兆(1356兆円)で、日本(500兆円)の2.7倍、米国$17.9兆(2148兆円)の2/3とされています。米国との物価の違いを調整した購買力平価では19.9兆(2388兆円)であり、2013年から世界1です。14億人の中国経済は、7年間で2倍になっています。これだけのボリュームになれば、成長力は低下します。

年初の中国株の下落から、瞬間に米国株も調整しました。NYダウ(代表的な工業株30種)は12月末の$1万7500から下げて1月13日は多少反発し$1万6516です(6.6%安)。日経平均は1万9000円から13日の1万7715円で、NYダウとほぼ同じ6.8%の調整をしています。

米国のメリルリンチ証券(バンク・オブ・アメリカが吸収)は、2016年の中国GDPから、株価を30%安(上海総合で2500ポイント:16年12月)と見ています。予想PERでは8.4倍という低い水準ですが、上げ底のGDPと企業の次期予想純益からすれば、妥当にも思えます。

7.2016年日本株「下落と上昇の要素」6つ

(1)SWFは減少する

日本の株価はどうなるか。海外のSWF(国家ファンド)は、原油・資源・コモディティの低価格によって縮小しますから、日本株も売りになるでしょう。

(2)ヘッジファンドも元本が減少傾向

ヘッジファンドの運用元本は$2.87兆(344兆円)とされています。2015年の第3四半期には、中国起点の株価下落の影響を受けて$950億(11兆円)減っています(CNN)。2008年のリーマン危機の時以来、7年ぶりの減少です。

2015年の全体運用のパフォーマンスは-0.85%(加重平均)と低かったため、投資家は運用預託が減らしています。3年間の運用成績も年率3.67%の収益と、リスク投資にしては低い成績です。(Hedge Fund Research:2015年12月)

FRBが利上げに入っている2016年に、ヘッジファンドの運用額が増えることはない。海外からの日本株の、大きな買い越しは期待できないということです。

(3)16年3月期の経常利益は増加だが、織り込み済み

国内要因で言えば、上場企業の2016年3月期の経常利益は、前期比で8%増えると予想されています(日経新聞:社数1015社)。しかしこの3月期の利益は、現在の株価に織り込まれています。

利益増が株価の上昇要因になるには、2016年9月期の利益が、3月期より10%以上増加する予想でなければならない。中国の景気が後退する中では輸出増がなく、2016年9月期の企業利益が10%上がることは不可能ではなくても、難しい感じがします。


(4)官製相場は4月からの可能性

政治的なことですが、2016年7月の参院選に向かい、政府与党は、参議院で憲法の改正条件を満たす2/3を獲得しようとしています。

このために、参院選前の2016年6月から7月の株価が上がっていることが必要です。2016年4月には、日銀が、相当に大きな追加緩和をし、質的緩和(つまり株の買い)も実行する可能性は高い。

2014年10月の、市場を驚かせた「官製相場」での、株価上昇は3000円(19%)でした(前掲表)。今回は、2度目なので衝撃は弱く、1500円程度(9%)の底上げでしかないでしょう。(日経平均で1万9000円)


(5)中国経済の懸念

その前に、中国のGDP減速から、株価に今一層の調整があると、この官製相場分も、消える感じがします。

中国では、2016年に、主要都市での住宅価格の下落が明らかになって行くと、再びの理財商品の不良化と、国営金融機関の損失から、金融危機の様相を呈するでしょう。リーマン危機の規模(不良債券1000兆円)には至らないと思えますが、この危機の可能性はあります。

(6)自社株買いの増加の可能性

増える可能性があるのは、企業収益の好調を背景にした自社株買いです。自社株買いは、買った後、再び市場で売らない限りは、流通しない金庫株、または減資になる消却になって、流通する1株当たりの利益を上げ、株価を上げる要素になります。

米国では、2015年度は1年に$1.2兆(144兆円)もの自社株買いが実行される予定で、株価を40%も底上げする要素になっています。そこまでは行かなくても、5兆円の自社株買いが増えると、株価の上昇要素になります(2015年は3兆円でした)。
http://www.mag2.com/p/money/7023

アダム・スミス2世の経済解説 投資部門別売買状況
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/

投資主体別売買動向日本株 - トレーダーズ・ウェブ(株式情報、FX情報)
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp

海外投資家売買動向(投資部門別売買動向)
http://karauri.net/kaigaidoukou/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c12

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
13. 中川隆[-7732] koaQ7Jey 2017年5月07日 20:20:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日銀の金融緩和は日本の金をアメリカに流すのが目的だった 2


リーマン危機以降、世界の株価と不動産価格は、中国のように当局が強く関与する「政治的」な相場になっています。

日本では、日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、郵貯・かんぽによる、直接的な株買いがありあます。これらが「政治的」と言う所以です。

安倍首相は 2012年10月から数十兆円の「円売り・ドル買い」で、$1=80円の円高を120円付近にまで下げたのです。

資金残高129兆円(16年3月)の年金基金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立法人)は、事実上わが国のSWS(国家ファンド)です。ノルウェーの$5775億(57兆円)の2.2倍の規模で、1位の米国社会保障年金信託基金に次ぐものです。

2014年10月には、運用の基本ポートフォリオ(分散投資)で、国内株式と外国株式の構成比を、ともに25%へと倍増しています。

外国債券も15%に増やしたのです。外国証券と言っても、90%は米国のものでしょう。

GPIF は株式で約15兆円、米国債で10兆円の買いを行っているのです。
両方で、25兆円のドル買い、つまり米国への資金供与です。


2012年10月に、民主党の自滅から安倍政権が確実になって以降、50兆円くらいのジャパンマネーが米国に行っています。

(注)ドル買の超過分、日本の資金を米国に与えることと等しい

政府の円安誘導の方法は、政府が動かせる資金での、市場に買い主体を公開しないドル買いです。

$1=80円から120円(2016年2月まで)の円安の時期までに、50兆円の円安誘導が行われています。
http://www.mag2.com/p/money/23106/4


米国の経常収支赤字は年54兆円規模

米国の経常収支は、年$5400億(54兆円)の赤字を続けています。

リーマン危機前の$8000億(2006年)に比べれば、2009年から半減しましたが、2016年から再び増加傾向です。


米国の赤字は、経常収支の黒字(資金流入になる)が大きい中国と日本が、合計で1年に$5400億(54兆円)規模のドル買いをすべきことを示します。
http://www.mag2.com/p/money/23106/5

日銀の追加緩和を決めるのは誰? 闇株新聞 2016年01月27日


日銀の政策決定会合における金融政策は、日銀総裁・副総裁(3名)に6名の審議委員を加えた9名の多数決で決定されることになっています。

ところが審議委員のうち2名が学者枠(元官僚を含む)で総裁・副総裁に絶対に反対しないため(そもそも反対しそうな学者は審議委員に任命されません)、常に過半数の5名は確保されている「出来レース」でしかありません。


 それでは「絶対に可決される金融政策案」はいったい誰が考えるのでしょう?

一応、日銀は国会や政府や官邸から独立していることになっているので、黒田総裁と岩田・中曽副総裁が「各位」の意向を忖度(そんたく)して事務局とすり合わせ(理屈を後付けで考えて)作成しているはずです。

 それではこの意向を忖度すべき「各位」とは誰(どこ)のことなのでしょう?

 これは歴史的に変遷しており、過去には例えば三重野総裁時代(1989年〜1994年)のように「総裁の鶴の一声」で決まっていた時期もあったようですが、現在の黒田体制では

「 1が旧大蔵省、2が米財務省、あとはなし」

のはずです。

 したがって黒田総裁の就任以来の金融政策は、「異次元」量的緩和と「もっと異次元になった」量的緩和しかありませんが、すべて旧大蔵省の意向であり、具体的には消費税を10%にすることと、日銀を財政ファイナンスンするための巨大な財布にすることでしかなかったはずです。

 2 の米財務省は、もともと旧大蔵省のカウンターパーティーであり、米財務省の意向を旧大蔵省が自らの省益(日本の国益ではありません)に照らし合わせて(巧みに脚色して)受け入れるものです。

拒否することはなく、2001年〜2006年の量的緩和と、2014年10月の追加量的緩和は米財務省の意向だったと考えます。


米財務省は普通であれば米国政府(ホワイトハウス)の意向を受けていますが、オバマ政権のルー財務長官は最近見たことがないほど無能で何もできません。またホワイトハウスのカウンターパーティーは官邸で旧大蔵省ではないため、現在はホワイトハウスの意向も米財務省の意向も日銀(旧大蔵省のことですが)に届きにくいはずです。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1637.html


なぜ「円高政策」に転換すべきと考えるのか? 闇株新聞 2016年01月15日

世界の金融政策で見るとリーマンショック直後の 2008年10月から 2013年5月頃までは、積極的な金融緩和や通貨安による景気刺激効果があったはずです。少なくとも景気が拡大するという期待感はあったため、それなりの効果がありました。

 この 2013年5月 とは何だったのか?ですが、米国では量的緩和(QE3)の真っ最中だった時期ですが、そこでバーナンキFRB議長(当時)がその QE3 を縮小する必要性を初めて表明した時期です。

 そこで世界経済にとって積極的な金融緩和と通貨安が効果的でなくなったというわけでもありませんが(後から検証するとその通りだった可能性がありますが)、

実は日銀が「始めて」積極的な金融緩和(「異次元」量的緩和)に踏み切った時期とは、そのわずか 1か月前の 2013年4月4日 のことでした。

 もちろん日銀の「異次元」量的緩和は株高・円安をもたらし、基本的には今でも日本では(たぶん欧州でも)金融緩和・量的緩和=株高・通貨安と認識されたままです。

 実際に米国は、少し遅れて 2014年 1月 から QE3 を縮小して同年 10月に終了してしまいました。

日銀は逆に同じ 2014年10月 に「もっと異次元に」追加量的緩和を行い、現在も(そしてたぶん 2017年4月の消費増税のさらにあとまで)継続するはずです。

 現在は誰の目にも世界経済は減速しており(潜在成長率が世界的に低下しており)、物価上昇率も大きく低下しています。その中で黒田日銀総裁は本日(1月14日)も「2%の物価目標達成のためには何でもする」と息巻いていますが、これは 2008年〜2013年当時のアナクロ的な発想です。

 本日は10年国債利回りが一時 0.19%と史上最低利回りを更新しました。
日本の国債に10年間投資して利回りが 0.19%しかないなかで、いくら国債は元本リスクがないといっても物価が 2%上昇するほど日本経済の潜在成長率(あるいは期待収益率)が高いはずがありません。

 こういう時期に中途半端な物価上昇目標を掲げるので安直な便乗値上げが続き、景気拡大効果が乏しい(ほとんどない)量的緩和を続けるので円安となり、せっかくの原油など資源安の恩恵が消費者に行き渡らないだけでなく、そこへ消費増税の負担が加わります。

 考えるまでもなく「誤った物価上昇目標」「誤った異次元・量的緩和」「誤った円安政策」となります。足元では1ドル=117円台となっていますが、世界の金融市場が小康状態となると日本では基本的に円安予想(期待)が大きいため、再び対外投資が拡大して中途半端な円安に戻る可能性もあります。

 歴史的に見ると昨年までのような「気が狂ったような」対外投資が拡大した後は、必ず将棋倒しのような急激な円高に見舞われているため、ここはあまり過度な円安予想(期待)に適度なブレーキをかけておく必要もあります。これも「円高政策」に転換すべきと考える理由の1つです。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1627.html


日銀の追加量的緩和の「効能」は剥げ落ちてしまった 闇株新聞 2016年01月21日


表題にある日銀の追加量的緩和とは 2014年10月31日に「唐突」に発表されたもので、そこから「本格的に」円安と株高が加速していきました。

追加量的緩和直前の円相場(円高)は 1ドル=105.18円で、日経平均(安値)は 14532円だったのですが、そこから公的資金を含む機関投資家の「狂ったような」外貨資産買いと日本株買いで 2015年6月には 1ドル=125.86円、日経平均(高値)が 20868円となりました。

 さらにこの日銀の追加量的緩和をきっかけに、中国人民銀行や ECB を含む数多くの中央銀行が追加金融緩和や量的緩和に踏み切り、世界的な株高となりました。

 今から考えると日銀が「唐突」な追加量的緩和に踏み切った 2014年10月とは、FRB の量的緩和が完全に終了して、そろそろ利上げが取り沙汰されていた時期だったため、米国の景気減速を和らげるため「日本に追加量的緩和を要請した」とも考えられます。

完全に旧大蔵省傘下となった日銀も消費増税(当時は 2015年10月から 10%になる予定だった)へのアシストとなると考えたのでしょう。

 そのおかげもあってか NYダウも2014年10月の安値・16117ドルから、2015年5月には18312ドルの史上最高値まで上昇していました。

 また少し遅れて 2014年11月から中国人民銀行が本格的な金融緩和に踏み切り、上海株式は 2014年10月の安値・2290ポイントから、2015年6月には 5166ポイントの高値となりました(2007年には 6000ポイントをこえていたため史上最高値ではありません).

 そこから 2015年8〜9月にかけて人民元の下落をきっかけに中国経済の不安、上海株式の急落などで世界の株式は急落したのですが、まもなく中国が「小康状態」を取り戻したように見えると(実際は何も解決していなかったのですが)、世界の株式市場も昨年末にかけて安心して「かなり」回復していました。日経平均も昨年12月1日に20012円となりました。

 そこへ本年初めから(あるいは昨年末から)再度の中国経済の不安、上海株式の急落、さらには原油価格の一層の急落となり、日経平均を含めた世界の株式市場は急落しています。今回は FRBこそ利上げしていますが、日銀、ECB、中国人民銀行などはまだまだ金融緩和・量的緩和を継続しています。

 それでは中国経済、上海株式、原油価格などが「小康状態」となれば(いくらなんでもそのうち「小康状態」にはなるはずです)、日経平均は昨年末にかけてと同じように上昇し、円相場も円安となるのでしょうか?

 つまり表題にあるように、日銀の追加量的緩和の「効能」がすでに剥げ落ちてしまっていると考えます。そうなると(すぐにという意味ではありませが)円相場については 1ドル=105円台、日経平均については 15000円割れまで視野に入れたレンジまで覚悟しておくべきと考えます。

 別に過激なことを言っているわけではなく、今回の日銀の追加量的緩和の「効能」が完全に剥げ落ちると、その辺のレンジに戻ってもおかしくないからです。

 じゃあ、日銀がさらなる追加量的緩和に踏み切ったらどうなのか?ですが、現在のように世界経済が収縮しているときには、総需要拡大策である金融緩和・量的緩和の「効能」はありません。同じように 2%の物価上昇目標も無意味です。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1632.html

米国と心中したい日本のQE拡大 2014年11月5日   田中 宇
https://tanakanews.com/141105japan.htm


 10月31日、ちょうどハロウィンの日に、日本銀行は、円を増刷して日本国債を買い支えるQE(量的緩和策)の拡大を発表した。

日銀は、これまでのQEで年に50兆円の日本国債を買い支えてきたのを、80兆円に拡大する。これは、日本政府が年間に新規発行する国債の総額とほぼ同じだ。

日本は今後、財務省が発行する国債のすべてを(財務省出身の黒田が支配する)日銀が買い取る自家消費(自画自賛、自作自演)の国になる。

これまで国債の大口購入者だった公的年金基金(年金積立金管理運用法人)は、国債購入を日銀にゆずり、その分の資金で国内と海外の株式、海外の債券を買い増しする。

この買い増しへの期待から、日本と米国などの株価が急騰した。

世界各国の年金基金のほとんどは最近、金融市場のバブル崩壊を懸念してリスク回避に動いているなか、日本の公的年金だけは逆方向で、株や債券を買い増してリスクを拡大している。


 日銀がQE拡大を発表する2日前、米連銀がQEをやめた。

連銀はQEで、7月に350億ドル、8月に250億ドル、9月に150億ドルを増刷して米国債などを買い支えた後、10月に増刷をゼロにした。

一方、日銀はQE拡大で今後、年に30兆円を増刷するが、この額は1カ月あたりのドル建てに換算すると200億ドル強だ。

連銀のQEの最後の方の規模を、そのまま日銀が引き継ぐ感じになる。

連銀のQEがドル増刷で、日銀のQEは円増刷という為替の問題はあるが、為替相場も事実上日米などの当局が管理しており、当局にとって為替は問題でない。

米国のQEを日本が引き継いだといえる。


 日銀の黒田総裁が10月末にQEの拡大を発表する2週間前、日銀の早川英男元理事は

「(あまり意味がない)インフレ率2%という目標を深追いせず、市場が反乱を起こす前に、黒田総裁は勝利宣言をしてQEをやめて勝ち逃げをした方が良い」

という趣旨の発言をしている。しかし黒田がやったことは、勝ち逃げと全く逆方向の、米連銀が危険回避のためにやめたQEを日本が引き継ぐという、他人のリスクを追加で背負い込む行為だった。

(日銀はメンツ捨て「勝ち逃げ」、年内に緩和縮小表明をー早川氏)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2014-10-14/NDFCC66S972U01


 日銀はQEを拡大する理由について、米連銀のQEを引き継いだのではないと言っている。
日銀はQE拡大について、日本経済をデフレから救うためと発表している。

 QEは、実体経済回復の効果がなく、金融バブルや貧富格差の拡大など害悪ばかりが大きいことを、米国の上層部も認めつつある。

QEが「良いこと」から「悪いこと」に転換していく瞬間に、米国はQEをやめ、日本はQEを増額した。

QEは、株や債券の相場を短期的に押し上げる。

これまで、相場が下がりそうになったら米連銀がQEで介入してくれるという安心感が市場にあり、それが株と債券の高騰の源泉になっていた。

米国がQEをやめた後、日本が引き継がなかったら、金融のバブル崩壊、特に株の世界的な急落が起きていたかもしれない。

日本は自滅的なQE拡大を発表したことで、米国と世界のバブル崩壊を救ったことになる。ただし、この救済は短期的な効果しかない。

 米政府の財政力や連銀の信用創造力は、リーマン危機から現在までの金融延命策でかなり使われ、余力が少ない。こんご米国のバブルが崩壊した場合、救済しきれず、金融システムが崩壊したまま、ドルや米国債の信用失墜につながる可能性が高まっている。

おそらく米国はすでに「流動性の罠」にはまっており、金融政策の効力が失われている。米国は今後、金融を膨張から緊縮の方向に舵を切る際、とても危ない状態になっていく。たぶん、これは米国覇権の終わりになる。中露などBRICSや非米的な途上諸国は、米覇権の終わりに備え、貿易決済の非ドル化や政府の金備蓄の増強に精を出している。

 これら非米諸国と対照的な姿勢を採っているのが、対米従属一本槍の日本だ。

日本は対米従属を続けるため、多極化への対応を一切拒否し、BRICSの(隠然とした)盟主である中国とも、尖閣土地国有化などの策を通じて意図的に仲を悪くしている。

先進国の中でも英国やドイツ、豪州などは、中国との関係を強化して多極化に備えている。日本だけは逆方向で、対中国関係の冷却維持に熱心だ(安倍首相は最近、中国首脳と対話したいと表明しているが、おそらく周囲からの圧力をかわすためのふりだけだ)。

日本は、ドルや米国債が崩壊して米国覇権が失われると「無条件降伏」の状態になる。

この無条件降伏を避けるため、黒田日銀は、自滅覚悟の特攻隊的なバンザイノミクスでQE拡大を宣言した。

(終戦直前の特攻隊の敵だった米国を、いまの日本が自滅覚悟で守っているのは、全くもって歴史の悲劇だ。英霊たちは陛下が下賜した千鳥ヶ淵の骨壺の中で嘆いている。

その嘆きを無視して対米従属に固執する人々こそ、自国を米国の軍産や金融界に安値で売る「売国奴」である。

覇権の多極化が不可避になっている今、日本が対米従属からうまく手を引きつつ、中国やロシアと良い関係を持つべきと考えるのが愛国者の筋だ)

 日銀は、01−06年にもQEをやっていた。
QEを世界で最初にやったのは日本だ。

90年代の日本のバブル崩壊後、それまで政府の要請を受けて日本国債を全て引き受けていた銀行や生保の国債買い支えの余力が低下し、仕方がないので日銀が国債を買い支えていた。

当時、日銀のQEは米国側から不健全な行為と批判されていた。

しかしリーマン危機の後、打つ手がなくなった米国自身がQEを始めた。

そして米国がQEの不健全さに耐えられずにやめていく中で、対米従属という政治的な理由から、安倍政権になって再び日本はQEをやっている。

 日銀は、QEを今後10年続ける予定だ。10年も持つのか疑問だ。

すでに書いたように、日銀がQEによって発行済み日本国債の半分を保有するようになる4年後の2018年の前後までに、日本のインフレ率が5%以上になって歯止めがかからなくなるか、米国で金融崩壊が起きるのでないか。

 英国のテレグラフ紙の記事は、QEが害悪ばかりの政策だと酷評した後、日米だけでなく英国やEUの中央銀行も、総額の差こそあれQEをやっていると指摘し、先進諸国の中央銀行はQE以外に金融システムを延命する策がないので、米連銀はいずれQEを再開せざるを得ないと予測している。

 米連銀がQEを再開するのかどうかわからないが、どちらにしても、QEは長期的に金融システムの悪化、先進国経済の破綻、米覇権の崩壊にしかつながらない。

EUは多極化の側に転換して生き延びるかもしれないが、日本はたぶんもう無理だ。官僚機構に潰された09年の鳩山小沢の試みあたりが最後の機会だった。やがて非常に悪い時代がやってくる。今よりもっとひどいことになる。そのことを政府やマスコミは全く無視している。ほとんどの国民は何も知らない。悲しい状況だ。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2014-10-14/NDFCC66S972U01


2016年01月30日 ガタガタになっていたアメリカ経済とマイナス金利

アメリカで発表されました以下の経済指標を事前に日米で協議した結果が、日銀のマイナス金利導入決定だったはずです。

商務省発表:

1)12月の耐久消費財受注(対11月比)が、事前予想は −0.6%だったものが実際には −5.1% となり、2014年8月以来の大幅な落ち込みを記録。

2)第4四半期のGDP速報値が前期比+0.7%(年率換算)となり、第3四半期の+2.0%(年率換算)から急減速


もし、日銀がマイナス金利を導入せず、今までの金融緩和をするとしていれば、恐らくニューヨークダウは暴落し、かつドルも急落していたはずです。

それほど今回商務省が発表した2つの指標の内容が悪かったのです。

アメリカ FRB は景気が回復しているとして利上げに動きましたが、実際には回復どころか、悪化してきている訳であり、

このまま2つの統計が発表されれば、政策の失敗として追及される恐れがあったために、日銀と連携し、今までアメリカ側から求められてきて拒否してきたマイナス(ネガティブ)金利を日銀が導入したと見るのが妥当となります。


この日銀のマイナス(ネガティブ)金利導入で、日本もヨーロッパも NYダウも大幅に上昇しましたので、まずは政策当局者からすれば、「ご同慶の至り」となるのでしょうが、金融の専門家からすれば、見方は違ってきます。

かなり辛辣な意見が多いのです。
そのために、発表後、日経平均が物凄い乱高下をしたのです。

その理由は、現在続いています日銀の金融緩和は年間 80兆円の国債を買い入れるという内容ですが、実際にはこれ以上国債買い入れを拡大できる状況ではなくなっているのです。

日銀が年間 80兆円の国債を買い入れるとなれば、償還分を入れれば総額で 120兆円余りの国債が必要ですが、実際に発行される国債は 122兆円余りとなっており、このままいけば新規に発行される国債のほぼ100%が日銀に行くことになり、今回金融緩和を実施しようにも国債買い入れを増額できなかったのです。

即ち、日銀は景気の悪化、円高の進行を受けて、打つ手がなかったことになるのです。

そこに飛び込んできたのがアメリカからの「要請」で、これは日銀にとり願ってもない「要請」だったはずです。

ところが、このマイナス(ネガティブ)金利効果は事実上効果がなく、かえって「もはや打つ手がない」と表明したのも同然であり、今後金融市場が混乱した際には、何もできない状況に直面することになりかねません。

また金融機関からすれば、今回のマイナス(ネガティブ)金利で、利ザヤは更に減る訳であり、今までは保有してきた国債を益出しして何とか決算上はお化粧できていましたが、今や売れる国債が枯渇してきており、これ以上益出しできないところに、マイナス(ネガティブ)金利であり、金融機関にとってはこれから「地獄」を見ることになります。

ヨーロッパではドイツ銀行が 9000億円余りの赤字を発表していますが、実際にはこの数倍の赤字が潜んでいるとも言われており、それはデリバティブ損となりますが、これは日本の金融機関にとりましても対岸の火事ではないのです。

アメリカを救うために導入したマイナス(ネガティブ)金利ですが、持てるカードをすべて使ってしまった以上、日銀は今後打てる弾がない「戦」に出ていくことになります。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/


2016-02-17
誰も経験したことのない日銀のマイナス金利が昨日から始まって、銀行も利ザヤが稼げないのでたいへんだろうと思うけれど、出てくる結論は、

余ったお金は米国に持って行って米国債を買う

という判断しかできないように思う。


今までは銀行のポートフォリオ上、海外に投資する額は「ここまで」と決まっていたはずだが。そう言っていられないのが実情ではないか?

MMFの取り扱いも停止、他に収入の道を探さねば。


もっとも日銀の当座預金にブタ積みされているものについては0.1%の利益はこれまで通り保証されているから、それはそれでありがたいものの、そのブタ積み額はこれからは増えないので、手をこまねいているわけにはいかない。


この際海外投資の枠を上げるか?ということくらいの話し合いは行内で行われているに違いない。それで、出てくる結論はやはり米国債か?!


ということで、米国債価格はウナギ登り。つまり、米国の長期金利は下がってきている。


長期金利が下がってきているので、FOMCでの利上げも非現実的と言わざるを得ない。


米国が利上げをすると、世界のお金は米国に流れてきてやはり米国債が買われるので、結局米国債が上がって金利が下がる。

だから世界中さらに利下げ可能になって日欧のマイナス金利が進む。


日米金利差、欧米金利差は結果的に縮まるから円高に、ユーロ高に。
http://ameblo.jp/win-sugita/entry-12129748258.html


米国長期金利は下がるよね〜(米国債は上) 2016-02-01

日銀のマイナス金利導入で、日銀の当座預金から出てきたお金は日銀の思惑通り国内に出回るか?


銀行の採算で考ええばそれはないですよね〜。

じゃ、どこへ?

それはドルを買って米国債を買いに行くんでしょう!
http://ameblo.jp/win-sugita/entry-12123777510.html


米国債はまだ買われそう。 2016-02-08
日銀のマイナス金利導入後はドルを買って米国債を買いに行っているようです。
http://ameblo.jp/win-sugita/entry-12126391794.html


178 : 山師さん 2016/01/29(金) 13:01:44.73 ID:8pmsWgXI

つーかさ、アメリカが引き締めた分の金を日本に出させようってことじゃねえの、これ。
お前らホント怒らないの?


568 : 山師さん2016/01/29(金) 14:49:27.02 ID:XEGvuY6H
>>178
だねえ。

アメリカが引き締めた。日本が高値をつかめ! 
アメリカはソフトランディングするぞ^ってことだね。

究極の売国奴であり アメリカポチの安倍黒田。影の竹中のやりそうなこと。

そこを読んでおくべきだったわ。
まさかの-金利やりやがった。

これで日本のできること もうないだろ。
アクセル踏んで 消費税でブレーキだもん。

エンスト起こすぜ。


358 : 山師さん 2016/02/16(火) 08:10:56.97 ID:nPjVb++0

日銀の量的緩和って実はアメリカのためにやってるのね
金融機関が日銀に国債を買ってもらったお金
そっくり米国債と米株に使われて、日本株は売ってる
マイナス金利も、さらに買い増せっ、、、と勘繰ってしまう


359 : 山師さん 2016/02/16(火) 08:13:54.35 ID:wgMb2XCy

日本は戦争に負けた
いまもその構造下であるのか
なるほどー


360 : 山師さん 2016/02/16(火) 08:18:05.23 ID:hmM0AGrM

増税も金融緩和もステイツに貢ぐ為!?


362 : 山師さん 2016/02/16(火) 08:22:09.68 ID:hE1rfv2U

あのー
GPIFでも外国株で25%運用枠があるんですけどー^^


363 : 山師さん2016/02/16(火) 08:30:07.42 ID:Hm0wRSUP

日本銀行株式会社の株主は?


364 : 山師さん 2016/02/16(火) 08:37:23.53 ID:nPjVb++0
>>363
55%は政府だけど40%個人とw
なに隠してるんだろうね


366 : 山師さん 2016/02/16(火) 08:40:39.85 ID:mwhb8YxG

>なに隠してるんだろうね

ロスチャが筆頭株主だという事さ

_______


岩上安身が経済アナリスト菊池英博氏に聞く 2014.11.22

2014/11/22 【イントロ】岩上安身による経済アナリスト・菊池英博氏インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=qbUECOJEv3c


日本は米国の「財布」:FRBからの金融超緩和「要求」と黒田日銀
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/208225


岩上「『第一の矢』の異次元の金融緩和ですが、ベース・マネーの増加分はアメリカのヘッジファンドへ流れて投機の原資になっています。日本国内の実体経済には回っていません。

 先生の御著書

そして、日本の富は略奪される--アメリカが仕掛けた新自由主義の正体 2014/1/31
菊池 英博 (著)


の第6章、214ページですが、

『アメリカの金融緩和縮小(出口)の補充として利用される日本の超金融緩和

という項目があります。

ここの書き始めに、

『2013年3月頃の日本では、安倍首相が「金融緩和を一段と進め、私の考えに合う人を日本銀行総裁に選びたい」と公言していた』

とありますね。つまり、安倍さんは、黒田さんを起用する前にこういうことを公言していたということですね。


▲ 菊池英博『そして、日本の富は略奪される』(ダイヤモンド社, 2014)p.214より

 さらに続けて、

『こうした時期に、アメリカのバーナンキFRB議長は、「アメリカ以外の国が金融緩和を進めてくれれば、両国にとって利益になる」と発言している』

と書かれています。

 先生はバーナンキを直接ご存知なので、メディアを通した発言だけではなく、彼の腹の内がどういうものだったのか、理解されていたのだろうと思うのですね」

菊池氏「その記事は日経に出たものですね。2013年3月31日付けに出ています。だからバーナンキから個人的に聞かなくても。バーナンキはこの発言を欧州でしました。

 その記事を読んで、私はピーンときました。なるほどと。バーナンキはもう(金融緩和を)縮小したいのだと。その後、日本に金融緩和をさせて、日本からのマネーをウォール・ストリートに供給させれば、米国は縮小できる、ということを考えているなと」

岩上「先生は『バーナンキ発言は、日本財布論を強めて、日本に金融超緩和を要求してきたサインだった』と書かれておられます。

 本来は合理的な経済政策というものがありうるはずですね。ところが、どうもいつもいびつでおかしなことが起こったりする。そういう時に、国内の論理だけで考えていると、つじつまが合わないことがいっぱいあるわけですね。

やはり、外側からいろいろな要求があったり、振り回されたりしている。
それに対して、日本の支配的なエリート、とりわけ財務省であるとか、官僚たちが応えようとする。

そういうことで、おかしなつじつま合わせの経済政策をやるということが根本にあるということですね」


日銀がヘッジファンドへバクチ資金を提供


岩上「皆、株高を喜んでいますが、儲けているのは外国人投資家ですね」


菊池「さらに、安倍さん自身が、株を高くしておけば自分の支持率も上がると考えているフシがあります。だから金融緩和をする。安倍さんや黒田日銀総裁でもヘッジファンドに流れるとは考えていなかったのでは。

 金融緩和をとなえるのは浜田宏一さんですね。黒田さんはそれに従っているのだと思います。しかし浜田さんは 10年間日本にいませんでした。私は浜田さんとは面識がありますが、小泉構造がどんなにひどいものだったかご存知ないのです。私以外の人も言っていることです。

 日本は福井日銀総裁の時代にすでに充分に金融緩和をしていました」


岩上「ゼロ金利まで金利が下がってしまえば、それ以上どんなにお金がジャブジャブあってもしょうがない、誰も借り入れし投資をしないということですね」


菊池「証券会社の方はこういうことは分かっている。
外資に回っているのは日銀マネーです。その円で外資はドルを買います。
円安になり輸出業者はもうかるというのは物事の一面しか見ていません」


岩上「多くの企業はすでに生産拠点を海外に移しているので、円安効果は出ませんね。円安によって原料輸入価格も高騰しますね」


菊池「エネルギーも多くを輸入に依存です」


岩上「あらゆるものの値段が上がります。いわゆるリフレ派はこれを喜んでいたわけですが、賃金が増えていたわけではないですね」


菊池「黒田さんになってマネタリー・ベースで125兆円増えた。一方マネー・ストックが43兆円増加。この差額82兆円がヘッジファンドに流れ投機資金となりました」


岩上「世界経済と一体化してのバブルです。乱暴なやり方をすれば、大暴落です」


菊池「私は株のことはよく知りませんが、このままいけばいつか暴落します。
日本のほうが先に下がるかもしれない。日銀自身が株を買っていることにも驚かされました」

岩上「異次元緩和は、安倍政権を援護射撃するバズーカ砲というわけですね。
浜田さんはアベノミクスは失敗していないとしています」


菊池「失礼ではありますが、正気の沙汰ではないと思います。
危惧するのはいずれ日本の株が下がること。
また、今は高い国債の価格が下がったときに、日銀が買い支えることができるか分かりません」


岩上「米国でもマネタリー・ベースを増やしても、マネー・ストックは増えないということですね」

菊池「バーナンキは『金融をいくら緩和しても、 実体経済がよくなるということは理論的に言えない』と言っています」


菊池「バーナンキは金融を緩めましたが、実体経済はよくならない。2013年6月には金融緩和の縮小を宣言。その後のG20で米国は批判にさらされます。バーナンキは責任をとり、辞任を決意します」

岩上「米国のヘッジファンドのバクチに日本が協力している構図です」


菊池「一番問題なのは、日本の中央銀行のお金で協力しているという点です。黒田さんには量的緩和のあとの出口戦略がない。浜田さんはもっと緩めろと言っている。失礼だが、どうされたの、と思わざるをえません」


岩上「異次元緩和の元祖であるバーナンキが、異次元緩和で経済はよくわからないと、失敗を認めているわけですね」


菊池「彼は責任を取った分だけ偉い。日本は米国の失敗の後追いをしているのです」


岩上「菊池先生はケインズを再評価するのですか?」


菊池「ある意味で米国はケインズの政策をとっているのです。レーガン政権は軍事ケインジアンでした。クリントンは財政支出をどんどんして、道路整備、学校を作った。これもケインズ的と呼べるものです。

 子ブッシュは軍事ケインジアンへ回帰。オバマになり米国の財政はよくなっている。米議会の予算調査局の調査では、乗数効果は3年で2.5という数字が出ています。

 米国の今の凋落の原因は、レーガン政権期の新自由主義的な政策があります。クリントン時代に少し回復しましたが、子ブッシュ政権期に戦争をやり、ドンと落ちました。共和党政権は軍事ケインジアン。民主党はドメスティック・ケインジアンとも呼べるものです」


岩上「米国の後追いをする日本には、軍事への傾斜というシナリオがあるようにみえます」


菊池「憲法9条を守り、永世に平和国家の看板をおろさない。ただ、私は防衛のための防衛力を強化することには賛成です。このあり方では、スイスが一番のよい例です」




日銀の「総括検証」の意味

日銀ももうこれ以上金融緩和を続けてアメリカにお金を流せなくなってしまった


リーマン危機以降、世界の株価と不動産価格は、中国のように当局が強く関与する「政治的」な相場になっています。

日本では、日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、郵貯・かんぽによる、直接的な株買いがありあます。これらが「政治的」と言う所以です。

安倍首相は 2012年10月から数十兆円の「円売り・ドル買い」で、$1=80円の円高を120円付近にまで下げたのです。

資金残高129兆円(16年3月)の年金基金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立法人)は、事実上わが国のSWS(国家ファンド)です。ノルウェーの$5775億(57兆円)の2.2倍の規模で、1位の米国社会保障年金信託基金に次ぐものです。

2014年10月には、運用の基本ポートフォリオ(分散投資)で、国内株式と外国株式の構成比を、ともに25%へと倍増しています。

外国債券も15%に増やしたのです。外国証券と言っても、90%は米国のものでしょう。

GPIF は株式で約15兆円、米国債で10兆円の買いを行っているのです。
両方で、25兆円のドル買い、つまり米国への資金供与です。


2012年10月に、民主党の自滅から安倍政権が確実になって以降、50兆円くらいのジャパンマネーが米国に行っています。

(注)ドル買の超過分、日本の資金を米国に与えることと等しい

政府の円安誘導の方法は、政府が動かせる資金での、市場に買い主体を公開しないドル買いです。

$1=80円から120円(2016年2月まで)の円安の時期までに、50兆円の円安誘導が行われています。
http://www.mag2.com/p/money/23106/4
http://www.mag2.com/p/money/23106/5

日本政府が財政出動するか消費税を下げれば 2%のインフレ位すぐに達成できるけど、そうすると日本の金はすべて国内投資に使われてアメリカには流れなくなってしまうからね


アメリカ株が今までずっと上がって来たのはすべて日本からの資金が原因

実質実効為替レートでは80円以下が適正価格のドル円が125円の円安になっていたのは GPIFが日本の円をドルに変えてアメリカ株を買っていたから


日銀と財務省が消費税上げに拘っていたのは

消費税を上げないと日本の金はすべて国内投資に使われてアメリカには流れなくなってしまうからね


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世界中お金が余っている!|杉田勝のFXブログ 2017-02-22

世界中お金が余ってる雰囲気になってきた。

日銀もECBも相変わらず量的緩和を続けているのだから当たり前って言えば当たり前?

いったん刷ったのに、刷りっぱなし...日銀が刷ったお金は日銀の当座預金に大部分ブタ済みされたままなので、市中に回っているのはほんの数パーセント?

ECBの場合は結果としてヨーロッパ各国の国債に回っている。
今年十二月まではそのお金は増え続けることになっている。

FRBはもう量的緩和を止めて久しいが、さりとて買った米国債が満了になったところで、また新たに買っているわけだから、QE1〜QE3でプリントした4兆ドルは再び米国債に再投資されている。


そうでないと米国の財政はなりたたない...

おかげで世界中のお金はじゃぶじゃぶ状態。

じゃぶじゃぶでも、新興国経済に不安があれば、先進国のソブリン債に集中してソブリン債が値上がり=長期金利が下がっていくことになる。

現実はソブリン債は下がり気味で上がっているのは社債!

中国が復活してきているのは良いニュース。
米国経済は絶好調。
ユーロ圏は通貨安で好調になってきている。

で、じゃぶじゃぶ状態のお金は安心してハイイールド(高利回り)を求めて世界中をうろついている状態。
リスク少ないとみている。

ヘッジファンド達が今一番評価しているのが、世界中の社債。

一番安全なソブリン債(国債)でなく、社債に回っているようだ。

その証拠に社債の金利とソブリン債の金利差がぐんぐんと縮まってきている。

ソブリン債に買いが集まらないのは、FRBの利上げと出口戦略のせいに他ならない...

つまり、FRBがFFレートを今年3回くらい上げるという読みがあるので、そうすると10年金利も上がるから、米国債は下がり易い。


だから今はすぐには米国債は買えないな〜

ってことで、社債ってわけだ。

世界中お金が余っている!
http://ameblo.jp/win-sugita/entry-12250152530.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c13

[リバイバル3] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
3. 中川隆[-7732] koaQ7Jey 2017年5月08日 04:16:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。

”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/705.html#c3

[リバイバル3] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
4. 中川隆[-7731] koaQ7Jey 2017年5月08日 04:30:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

保守論壇の重鎮・渡部昇一の「昭和史」のデタラメを読み解く。


渡部昇一は、現在、保守論壇の重鎮という位置に祭り上げられているらしく、本人も満更でもないらしく、すっかりその気になって、いかにも「保守論壇の重鎮」風の言動を繰り返しているらしい。

僕に言わせれば、まさにそこに、つまり渡部昇一ごときが、「保守論壇の重鎮」であるかの如く振舞えるところに、昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムの劣化と知的退廃の病根があるのだが、誰もそれには気付いていないらしい。渡部昇一が、「沖縄集団自決裁判」に関連して、「騒げば金が手に入ることがわかったから騒いでいる」というような、読むのもはばかれるようなデタラメ発言を繰り返してきたことは、すでに何回か検証したから、繰り返さないが、渡部昇一の中心的な仕事と言えば、おそらく「英語学」とか「英語学史」というようなものではなく、やはり「昭和史」なのではないかと思う。

渡部昇一が、どれだけ「昭和史」なるものを深く広く探求、解明しているかは知らないが、渡部昇一の「昭和史」は、一種の政治漫談としては面白いが、とても思想史や政治学、歴史学、あるいは国際政治学の問題として扱うにははばかれるようなシロモノである。

僕は、今、手元に『東条英機 歴史の証言』(詳伝社、平成18年)と『昭和史 松本清張と私』(ビジネス社、2005年)の二冊を置いているが、渡部昇一の「昭和史」は、簡単にまとめるならば、「受動史観」だと言っていいと思う。

「受動史観」とは、悪いことは、全部、他人の責任に転嫁し、「自分は悪くない」「日本は悪くない」と言いつつ、「中国が悪い」「ロシアが悪い」「アメリカが悪い」…そして「日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ」と言うような「子の論理」、あるいは「被害者の論理」、つまり「負け犬の遠吠え」的史観である。

僕は、そこのところに渡部昇一的「昭和史」の思想的弱点、あるいは昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延している思想的弱点があると思う。

渡部昇一の「昭和史」やマンガ右翼・小林よしのりの『戦争論』を適当に「いいとこ取り」して、それをアレンジしたのが、田母神俊雄の『日本は侵略国家か』というエッセイらしいが、それも、渡部昇一同様の、同じような思想的弱点を内包していることは言うまでもないし、また一時的とは言え、「田母神俊雄ブーム」なるものを巻き起こした保守論壇や保守ジャーナリズムの思想的限界も、そして今や解党的危機に追い込まれ、断末魔の迷走を続ける自民党の、安倍晋三や中川昭一等を筆頭とする「真正保守派」(笑)の政治家たちの思想的限界も、明らかである。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090718/1247895431


渡部昇一・竹中平蔵対談「霞ヶ関『ナチス』化への暴走」(『ボイス』2008/8)を読む。


渡部昇一氏が、『ボイス』(2008/8)で、トンデモ経済学者として世間の指弾を浴びている竹中平蔵氏と対談しているが、予想通り、二人は意気投合しており、二人が普段から何を考えているかがよく分かるという意味で、なかなかいいコンビの対談であると思う。渡部昇一氏は、冒頭で、こう言っている。

いま世間では

「最近、ここまで不景気やリストラが吹きあれているのは、みんな小泉・竹中改革が悪かったからだ」などとささやかれています。

しかし、世界中が不況という状況を見ていると、何でもかんでも小泉・竹中改革のせいにするのは、いくらなんでも無理がありますね。(笑)(中略)

日本の゛すからね。景気だけが悪くなったのならば、日本の政策が悪かったといえるかもしれませんが、世界中で同時に景気が悪くなったのですからね。


渡部昇一氏の分析は、なかなか分かりやすい論理だが、ここには根本的な論点のすり替えがある。

「小泉・竹中構造改革」が原因の「不景気やリストラ」は、昨年のアメリカの金融危機に始まる世界不況とは、そもそも関係ない。。

むろん、「小泉・竹中構造改革」が、昨年のアメリカの金融危機をもたらしたわけでもない。

昨年のアメリカの金融危機が、「小泉・竹中構造改革」に酔っていた大衆までが分かるように、それ以前から始まっていた「小泉・竹中構造改革」がもたらした悲惨な実態を赤裸々に暴き出したというだけのことである。

竹中平蔵氏等が推奨し、小泉純一郎元総理らが、追従したアメリカ発の新自由主義経済学の実態が、アメリカの金融危機と、それに続く世界不況で明らかになったということに過ぎない。

渡部昇一氏は、例によって誰にも見破られるような幼稚な詭弁を弄しているにすぎないい。それに対して竹中平蔵は、こう言っている。


いまの経済状況の分析について、皆ムードだけで議論しているように思います。(中略)

では、いったい何が起こってたのか。

たしかにアメリカでは不動産バブルが起きていました。そして同様にヨーロッパもユーロ高で不動産バブルになっており、・・・・(中略)

そして日本でも、考えてみたらバブル状態でした。

円安バブルです。輸出産業は円が安すぎたことによって利益が水ぶくれして、水ぶくれした利益によって日本が支えられていた。

いうなえば、いま起こっていることは、世界的規模におけるバブル同時崩壊なのです。そういう事実認識に基づいていいえば、小泉改革によって日本が悪くなったというのはありえないんです(笑)。


竹中平蔵氏が渡部昇一氏以上に「詭弁の達人」であることは承知しているが、竹中氏がここまで、露骨に、ミエミエの「詭弁を弄する」のを見ていると、さすがに、「お前は、何処まで、詐欺師なのだ?」とでも言いたくなるわけだが、

ちょっとここで解説すると、竹中氏が言っていることは、アメリカのサブプライムローン破綻に始まる「世界同時不況」の話であって、いわゆる竹中平蔵氏等が先導してきた「小泉改革」なるものとその悲惨な結末とは、直接には何の関係もない話だということである。

このことを理解できない日本人が何人いると、竹中氏は思っているのだろうか。

おそらく、アメリカのサブプライムローン破綻に始まる「世界同時不況」の話と、竹中平蔵氏等が先導してきた「小泉改革」なるものとその悲惨な結末の話とを混同する日本人は、渡部昇一氏と竹中平蔵氏の二人ぐらいだろうと思う。

要するに、今、「小泉・竹中構造改革」の政治責任が厳しく問われているのは、「郵政民営化」や「道路公団改革」、そして「緊縮財政」「小さな政府」…というような竹中平蔵氏等が主導してきた「構造改革」の成否なのである。

アメリカのサブプライムローン破綻に始まる「世界同時不況」の原因などを問うているわけではない。繰り返すが、「世界同時不況」の原因が「小泉・竹中構造改革」にあるなどと、言っている訳ではない。ところで、渡部昇一氏は、ここでも「昭和史」の話を持ち出しているので、見てみよう。


歴史を見てみると、不況になった際に、その原因を捉えそこなうと、大変なことになってしまうんですね。

大恐慌の後も、「あれはホーリー・ストーム法のような保護主義が悪い」と原因を喝破できればよかったのですが、そうではなくて「金持ちがけしからん」「マルクスのいったとは本当だ」という意見が勝って、社会主義的な勢いが強くなり、世界中が国家統制への動きが加速していきました。当時、ソ連は共産主義で大粛清の真っ最中むでしたし、ドイツで台頭したナチスもまさに「国家社会主義労働者党」だった。

日本でも、5・15事件にせよ2・26事件にせよ、それを起こした連中の考え方は「社会主義」でした。

彼らの考え方は、「天皇陛下は自分たちが担いで、上流階級をやっつけろ。資本主義も何も要らない」というものでした。

これが、結局日本を戦争に引き込みました。

当時の経済学者が「悪いのは保護主義だ」という世論をつくっていれば、要人を暗殺するような事件は起こらなかったと思うのです。


渡部昇一氏が、いつも何を考えているかは、この会話から、一目瞭然だが、それは「国家統制=悪」「自由放任=善」という単純な二元論である。

それが、渡部昇一氏の「共産主義」や「社会主義」への恐怖に満ちた嫌悪へとつながっている。

したがって、たとえば「国家」が経済に口出しをし、管理や規制、保護を強めることを、「悪」として退け、ひたすら「自由」であることが、素朴に肯定されていることが分かる。しかし、「自由」を維持し守るためにも「国家」の管理や規制や保護は必要なのだが、

そうした「自由主義」を守るための「国家統制」には関心はないらしいのが、不思議なところである。

「小泉・竹中構造改革」は、市場原理主義という自由主義を実現するために、国家権力という様々な暴力装置を発動して、強引に日本の社会構造を解体し、崩壊させていったわけだが、その場合の「国家暴力」は、放置していいものらしい。

ところで、渡部昇一氏が信奉するハイエク教授は、共産主義や社会主義と同様に、自由を抑圧する経済学として「ケインズ経済学」を厳しく批判し続けた人だが、渡部昇一氏もまた、「ケインズ経済学」の批判者なのだろうか。それならば、「共産主義」や「社会主義」「ナチス」「5・15事件や2・26事件の首謀者」と並べて、「ケインズ経済学」も、一緒に批判してもらいたい。そうすれば、渡部昇一氏の思考が、さらに明確になるはずである。

つまり渡部昇一氏の思考は、単なる素朴な自由主義、自由貿易主義、市場原理主義、言い換えれば、素朴な古典派経済学の焼き直し、あるいは大正教養主義の劣化コピー…に過ぎないということが、誰の目にも明らかになるはずである。

渡部昇一氏が、今になって、竹中平蔵氏と意気投合した上で、「小泉・竹中構造改革」なるものを必死で擁護しなければならない理由が分かろうというものだ。渡部昇一氏も、これ以上、耄碌したトンチンカン発言を繰り返す前に、竹中平蔵氏や小泉純一郎氏にならって、そろそろ退場なさった方がいいのではないのか。

しかし、それにしても、こんな渡部昇一氏が、昨今は、「保守論壇の重鎮」だというのだから…。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090724/1248419355


保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた


自民党を現在の崩壊的危機に導いたのは、自民党を甘やかし、それと同時に自民党の政治家たちに迎合し、ひたすらゴマスリを続けてきた保守論壇の御用文化人たちだが、ささしずめ渡部昇一はその筆頭だが、東條英機について、こう書いている。


東條さんが陸軍次官になったのは昭和十三年(1983年)ですから、支那事変勃発の翌年です。

ですからここで注目しておきたいのは、東條さんは、支那事変が起こったことには何の責任もないということです。

支那事変はアメリカとの戦争につながる一番の大きな要因ですが、それには東條さんは何の関係もなかったということは指摘しておくべきでしょう。

それから昭和十一年(1936年)の日独防共協定にも、昭和十二年(1937年)の日独伊三国防共協定にも関係しません。全く関係がなかったということを強調しておかねばなりません。(『東條英機 歴史の証言』)


渡辺昇一の『東條英機 歴史の証言』は、こういう言葉に溢れているが、こういう言葉が、何を意味しているかは、渡部昇一には分かっていないようだが、明らかである。

昭和十五年の陸軍大臣就任から昭和十九年総理大臣辞任までの四年間、東條英機は、政権の中枢にいたわけだが、肝心の戦争責任、ないしは政治的責任は東條英機にはないと、渡部昇一はいっているわけだが、それなら、渡部昇一は、何故、戦争責任も政治責任のない東條英機をわざわざ取り上げるのか。東條英機は無罪だと言いたいのか。

そしてついでに、渡部昇一は、日本も無罪だと言いたいのか。東條英機は、東京裁判法廷で、今次の戦争は、「自存自衛の戦争だった」と主張したらしいが、渡部昇一も、それが言いたいらしい。次のようなことも言っている。


しかし日本の場合はナチス・ドイツとは異なり、一つの党の党首が独裁的にすべてを計画し遂行したわけではない。東京裁判の範囲に入れられた最初の年である昭和三年(1928年)から、日本の内閣や方針はしばしば変更され、しかもその変更はたいてい受動的に体外的情勢に応じたものであった。


渡部昇一が何が言いたいのかは、ここでほぼ分かるが、渡部昇一は、馬鹿正直に、さらに次のように言って、念押ししている。


大陸政策はコミンテルンの暗躍に応ずるものであり、満州国誕生後は清朝の最期の皇帝であった溥儀が日本公使館にころがりこんだことから始まった。

日本の経済的苦悩はホーリー・スムート法によるアメリカの保護貿易、それに続くイギリスのブロック経済圏(アウタルキー)のためである。

 
これでは、我々の父母の世代は、大東亜戦争において、徹底して無能で無策だったと言っているようなものだが、渡部昇一は、そうは思わないらしい。さらに次のように言っている。


シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものである。その事変が日本陸軍の切なる願いにもかかわらず終息しなかったのは、ソ連、アメリカ、イギリスが中立国の度を越え、シナに対し、参戦同様の支援をしたからであった。


アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追い詰められたから余儀なくされたのである。すべて日本のやったことは受動的反応であった。


「コミンテルンが…」「アメリカが…」「イギリスが…」「ソ連が…」「中国が…」、次々と謀略を仕掛けてきた…、そして日本は悪くなかった…、日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ…、ということだろうが、そもそも戦前の日本人は、そんなに無知・無能だったのか。

「世界革命」を目指すコミンテルンや、独立を目指す中国、そして米、英、ソが、新興の帝国主義国家・日本を、様々な謀略を駆使して追い詰めていくことは当然ではないか。それに対して、「英米中心主義を排す」と言い、「大東亜共栄圏」構想を宣言し、そして「我が帝国陸海軍は、米英を相手に戦闘状態に入れリ…」という臨時ニュースを聞き、「来るべきものが来た」と興奮し、歓呼し、必勝を誓ったのは、日本国民ではなかったのか。しかし、渡部昇一が言いたいことは、東條英機を筆頭に、戦前の日本人は、無能無策な、そして清く、正しい、美しい「弱者」だった、ということだろう。

つまり、渡部昇一が言いたい事は、僕なりに言い換えると、戦前の日本国民は馬鹿だった、だから許してください、ということだろう。

少なくとも、渡部昇一の思考法は、ニーチェが言う「力の政治学」、あるいは「力の哲学」「超人の思想」とは対極にある思考法と言うべきだろう。こういう「弱者の政治学」を恥ずかしげもなく、というより得意になって公言する人が、保守論壇や保守ジャーナリズムの「重鎮」だというのだから、保守論壇や保守ジャーナリズムが劣化・退廃し、そしてその保守論壇や保守ジャーナリズムの言説を熟読し、その影響を受け、「弱者の政治学」に落ち込んだ自民党が、自滅・自爆するのは当然だろう。

「弱者の政治学」を自ら公言するようなホンモノの軟弱な「弱者」たちは、政治権力を持つべきではないし、さっさと政治権力の中枢からは去るべきだろう。

山奥に引き込んで、静かに家庭菜園か盆栽でもやっていればいいのである。そういう「清く」「正しく」「美しい」…弱者は、政治家であってはならない。国民を泣かせるだけである。
http://www.asyura2.com/09/warb0/msg/189.html


「小泉改革」を擁護する「渡部昇一」への退場勧告
http://archives.mag2.com/0000261052/


2009年07月25日

■■■■■■■山崎行太郎■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「三田文学」に発表した「小林秀雄とベルグソン」でデビューし、
先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認められ、文壇や論壇へ進出。大
西巨人論争や、小泉・竹中改革批判、安倍批判、「青色発光ダイオ
ード」の中村教授批判を展開。最近は「沖縄集団自決裁判」問題で
曽野綾子や小林よしのり、西部邁…保守論壇の守旧派を徹底批判。
文壇・論壇に蔓延する予定調和的言説の脱構築的解体を目指すー。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


■渡部昇一・竹中平蔵対談「霞ヶ関『ナチス』化への暴走」(『ボイス』2008/8)
を読む。

渡部昇一氏が、『ボイス』(2008/8)で、トンデモ経済学者として世間の指弾を
浴びている竹中平蔵氏と対談しているが、予想通り、二人は意気投合しており
、二人が普段から何を考えているかがよく分かるという意味で、なかなかいい
コンビの対談であると思う。渡部昇一氏は、冒頭で、こう言っている。


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いま世間では「最近、ここまで不景気やリストラが吹きあれているのは、みん
な小泉・竹中改革が悪かったからだ」などとささやかれています。しかし、世
界中が不況という状況を見ていると、何でもかんでも小泉・竹中改革のせいに
するのは、いくらなんでも無理がありますね。(笑)(中略)日本の゛すからね
。景気だけが悪くなったのならば、日本の政策が悪かったといえるかもしれま
せんが、世界中で同時に景気が悪くなったのですからね。
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渡部昇一氏の分析は、なかなか分かりやすい論理だが、ここには根本的な論点
のすり替えがある。「小泉・竹中構造改革」が原因の「不景気やリストラ」は
、昨年のアメリカの金融危機に始まる世界不況とは、そもそも関係ない。。む
ろん、「小泉・竹中構造改革」が、昨年のアメリカの金融危機をもたらしたわ
けでもない。昨年のアメリカの金融危機が、「小泉・竹中構造改革」に酔って
いた大衆までが分かるように、それ以前から始まっていた「小泉・竹中構造改
革」がもたらした悲惨な実態を赤裸々に暴き出したというだけのことである。
竹中平蔵氏等が推奨し、小泉純一郎元総理らが、追従したアメリカ発の新自由
主義経済学の実態が、アメリカの金融危機と、それに続く世界不況で明らかに
なったということに過ぎない。渡部昇一氏は、例によって誰にも見破られるよ
うな幼稚な詭弁を弄しているにすぎないい。それに対して竹中平蔵は、こう言
っている。


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いまの経済状況の分析について、皆ムードだけで議論しているように思います
。(中略)では、いったい何が起こってたのか。たしかにアメリカでは不動産バ
ブルが起きていました。そして同様にヨーロッパもユーロ高で不動産バブルに
なっており、・・・・(中略)そして日本でも、考えてみたらバブル状態でした
。円安バブ ルです。輸出産業は円が安すぎたことによって利益が水ぶくれし
て、水ぶくれした利益によって日本が支えられていた。いうなえば、いま起こ
っていることは、世界的規模におけるバブル同時崩壊なのです。そういう事実
認識に基づいていいえば、小泉改革によって日本が悪くなったというのはあり
えないんです(笑)。
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竹中平蔵氏が渡部昇一氏以上に「詭弁の達人」であることは承知しているが、
竹中氏がここまで、露骨に、ミエミエの「詭弁を弄する」のを見ていると、さ
すがに、「お前は、何処まで、詐欺師なのだ?」とでも言いたくなるわけだが、
ちょっとここで解説すると、竹中氏が言っていることは、アメリカのサブプラ
イムローン破綻に始まる「世界同時不況」の話であって、いわゆる竹中平蔵氏
等が先導してきた「小泉改革」なるものとその悲惨な結末とは、直接には何の
関係もない話だということである。このことを理解できない日本人が何人いる
と、竹中氏は思っているのだろうか。おそらく、アメリカのサブプライムロー
ン破綻に始まる「世界同時不況」の話と、竹中平蔵氏等が先導してきた「小泉
改革」なるものとその悲惨な結末の話とを混同する日本人は、渡部昇一氏と竹
中平蔵氏の二人ぐらいだろうと思う。要するに、今、「小泉・竹中構造改革」
の政治責任が厳しく問われているのは、「郵政民営化」や「道路公団改革」、
そして「緊縮財政」「小さな政府」…というような竹中平蔵氏等が主導してき
た「構造改革」の成否なのである。アメリカのサブプライムローン破綻に始ま
る「世界同時不況」の原因などを問うているわけではない。繰り返すが、「世
界同時不況」の原因が「小泉・竹中構造改革」にあるなどと、言っている訳で
はない。ところで、渡部昇一氏は、ここでも「昭和史」の話を持ち出している
ので、見てみよう。


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歴史を見てみると、不況になった際に、その原因を捉えそこなうと、大変なこ
とになってしまうんですね。大恐慌の後も、「あれはホーリー・ストーム法の
ような保護主義が悪い」と原因を喝破できればよかったのですが、そうではな
くて「金持ちがけしからん」「マルクスのいったとは本当だ」という意見が勝
って、社会主義的な勢いが強くなり、世界中が国家統制への動きが加速してい
きました。当時、ソ連は共産主義で大粛清の真っ最中むでしたし、ドイツで台
頭したナチスもまさに「国家社会主義労働者党」だった。日本でも、5・15事件
にせよ2・26事件にせよ、それを起こした連中の考え方は「社会主義」でした。
彼らの考え方は、「天皇陛下は自分たちが担いで、上流階級をやっつけろ。資
本主義も何も要らない」というものでした。これが、結局日本を戦争に引き込
みました。当時の経済学者が「悪いのは保護主義だ」という世論をつくってい
れば、要人を暗殺するような事件は起こらなかったと思うのです。
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渡部昇一氏が、いつも何を考えているかは、この会話から、一目瞭然だが、そ
れは「国家統制=悪」「自由放任=善」という単純な二元論である。それが、渡
部昇一氏の「共産主義」や「社会主義」への恐怖に満ちた嫌悪へとつながって
いる。したがって、たとえば「国家」が経済に口出しをし、管理や規制、保護
を強めることを、「悪」として退け、ひたすら「自由」であることが、素朴に
肯定されていることが分かる。しかし、「自由」を維持し守るためにも「国家
」の管理や規制や保護は必要なのだが、そうした「自由主義」を守るための「
国家統制」には関心はないらしいのが、不思議なところである。「小泉・竹中
構造改革」は、市場原理主義という自由主義を実現するために、国家権力とい
う様々な暴力装置を発動して、強引に日本の社会構造を解体し、崩壊させてい
ったわけだが、その場合の「国家暴力」は、放置していいものらしい。ところ
で、渡部昇一氏が信奉するハイエク教授は、共産主義や社会主義と同様に、自
由を抑圧する経済学として「ケインズ経済学」を厳しく批判し続けた人だが、
渡部昇一氏もまた、「ケインズ経済学」の批判者なのだろうか。それならば、
「共産主義」や「社会主義」「ナチス」「5・15事件や2・26事件の首謀者」と
並べて、「ケインズ経済学」も、一緒に批判してもらいたい。そうすれば、渡
部昇一氏の思考が、さらに明確になるはずである。つまり渡部昇一氏の思考は
、単なる素朴な自由主義、自由貿易主義、市場原理主義、言い換えれば、素朴
な古典派経済学の焼き直し、あるいは大正教養主義の劣化コピー…に過ぎない
ということが、誰の目にも明らかになるはずである。渡部昇一氏が、今になっ
て、竹中平蔵氏と意気投合した上で、「小泉・竹中構造改革」なるものを必死
で擁護しなければならない理由が分かろうというものだ。渡部昇一氏も、これ
以上、耄碌したトンチンカン発言を繰り返す前に、竹中平蔵氏や小泉純一郎氏
にならって、そろそろ退場なさった方がいいのではないのか。しかし、それに
しても、こんな渡部昇一氏が、昨今は、「保守論壇の重鎮」だというのだから
…。


2009-07-20
■自民党よ、御用文化人と手を切れ!!!


今度の衆院解散・総選挙における自民党の惨敗、そして自民党の下野、民主党
への政権交代はほぼ確定的になってきたわけだが、ここに来て、当然のここと
はいえ、自民党で内部崩壊の危機が囁かれるようになってきたが、僕は、崩壊
するものはどんどん崩壊し、分裂したいものはどんどん分裂すればいいし、新
党結成したいものはどんどん新党結成に走ればいい、と思う。自民党は、いま
こそ無駄な贅肉をそぎ落とし、身軽になり、そして最後まで自民党に残った精
鋭部隊を中核に、再出発するべきである。そうすれば、自民党の再生はそんな
に難しくないはずである。その前に必要なことは、保守論壇や保守ジャーナリ
ズムに棲息する「御用文化人」と手を切ることである。頭の悪い「御用文化人
」たちの愚にもつかない政治漫談なんぞに、付合っている暇があったら、地元
に帰り、選挙民の話でもじっくり聞いていた方がいい。一回か二回の落選にめ
げず、がんばってもらいたい、と思う。


2009-07-19
■保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた。


自民党を現在の崩壊的危機に導いたのは、自民党を甘やかし、それと同時に自
民党の政治家たちに迎合し、ひたすらゴマスリを続けてきた保守論壇の御用文
化人たちだが、ささしずめ渡部昇一はその筆頭だが、東條英機について、こう
書いている。


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東條さんが陸軍次官になったのは昭和十三年(1983年)ですから、支那事変勃発
の翌年です。ですからここで注目しておきたいのは、東條さんは、支那事変が
起こったことには何の責任もないということです。支那事変はアメリカとの戦
争につながる一番の大きな要因ですが、それには東條さんは何の関係もなかっ
たということは指摘しておくべきでしょう。それから昭和十一年(1936年)の日
独防共協定にも、昭和十二年(1937年)の日独伊三国防共協定にも関係しません
。全く関係がなかったということを強調しておかねばなりません。(『東條英機
 歴史の証言』)
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渡部昇一の『東條英機 歴史の証言』は、こういう言葉に溢れているが、こう
いう言葉が、何を意味しているかは、渡部昇一には分かっていないようだが、
明らかである。昭和十五年の陸軍大臣就任から昭和十九年総理大臣辞任までの
四年間、東條英機は、政権の中枢にいたわけだが、肝心の戦争責任、ないしは
政治的責任は東條英機にはないと、渡部昇一はいっているわけだが、それなら
、渡部昇一は、何故、戦争責任も政治責任のない東條英機をわざわざ取り上げ
るのか。東條英機は無罪だと言いたいのか。そしてついでに、渡部昇一は、日
本も無罪だと言いたいのか。東條英機は、東京裁判法廷で、今次の戦争は、「
自存自衛の戦争だった」と主張したらしいが、渡部昇一も、それが言いたいら
しい。次のようなことも言っている。


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しかし日本の場合はナチス・ドイツとは異なり、一つの党の党首が独裁的にす
べてを計画し遂行したわけではない。東京裁判の範囲に入れられた最初の年で
ある昭和三年(1928年)から、日本の内閣や方針はしばしば変更され、しかもそ
の変更はたいてい受動的に体外的情勢に応じたものであった。
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渡部昇一が何が言いたいのかは、ここでほぼ分かるが、渡部昇一は、馬鹿正直
に、さらに次のように言って、念押ししている。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
大陸政策はコミンテルンの暗躍に応ずるものであり、満州国誕生後は清朝の最
期の皇帝であった溥儀が日本公使館にころがりこんだことから始まった。日本
の経済的苦悩はホーリー・スムート法によるアメリカの保護貿易、それに続く
イギリスのブロック経済圏(アウタルキー)のためである。
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これでは、我々の父母の世代は、大東亜戦争において、徹底して無能で無策だ
ったと言っているようなものだが、渡部昇一は、そうは思わないらしい。さら
に次のように言っている。

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シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものであ
る。その事変が日本陸軍の切なる願いにもかかわらず終息しなかったのは、ソ
連、アメリカ、イギリスが中立国の度を越え、シナに対し、参戦同様の支援を
したからであった。
アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、
日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追い詰められたから余儀なくされたの
である。すべて日本のやったことは受動的反応であった。
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「コミンテルンが…」「アメリカが…」「イギリスが…」「ソ連が…」「中国
が…」、次々と謀略を仕掛けてきた…、そして日本は悪くなかった…、日本は
仕方なく戦争に巻き込まれただけだ…、ということだろうが、そもそも戦前の
日本人は、そんなに無知・無能だったのか。「世界革命」を目指すコミンテル
ンや、独立を目指す中国、そして米、英、ソが、新興の帝国主義国家・日本を
、様々な謀略を駆使して追い詰めていくことは当然ではないか。それに対して
、「英米中心主義を排す」と言い、「大東亜共栄圏」構想を宣言し、そして「
我が帝国陸海軍は、米英を相手に戦闘状態に入れリ…」という臨時ニュースを
聞き、「来るべきものが来た」と興奮し、歓呼し、必勝を誓ったのは、日本国
民ではなかったのか。しかし、渡部昇一が言いたいことは、東條英機を筆頭に
、戦前の日本人は、無能無策な、そして清く、正しい、美しい「弱者」だった
、ということだろう。つまり、渡部昇一が言いたい事は、僕なりに言い換える
と、戦前の日本国民は馬鹿だった、だから許してください、ということだろう
。少なくとも、渡部昇一の思考法は、ニーチェが言う「力の政治学」、あるい
は「力の哲学」「超人の思想」とは対極にある思考法と言うべきだろう。こう
いう「弱者の政治学」を恥ずかしげもなく、というより得意になって公言する
人が、保守論壇や保守ジャーナリズムの「重鎮」だというのだから、保守論壇
や保守ジャーナリズムが劣化・退廃し、そしてその保守論壇や保守ジャーナリ
ズムの言説を熟読し、その影響を受け、「弱者の政治学」に落ち込んだ自民党
が、自滅・自爆するのは当然だろう。「弱者の政治学」を自ら公言するような
ホンモノの軟弱な「弱者」してきたことは、すでに何回か検証したから、繰り
返さないが、渡部昇一の中心的な仕事と言えば、おそらく「英語学」とか「英
語学史」というようなものではなく、やはり「昭和史」なのではないかと思う
。渡部昇一が、どれだけ「昭和史」なるものを深く広く探求、解明しているか
は知らないが、渡部昇一の「昭和史」は、一種の政治漫談としては面白いが、
とても思想史や政治学、歴史学、あるいは国際政治学の問題として扱うにはは
ばかれるようなシロモノである。僕は、今、手元に『東条英機 歴史の証言』(
詳伝社、平成18年)と『昭和史 松本清張と私』(ビジネス社、2005年)の二冊を
置いているが、渡部昇一の「昭和史」は、簡単にまとめるならば、「受動史観
」だと言っていいと思う。「受動史観」とは、悪いことは、全部、他人の責任
に転嫁し、「自分は悪くない」「日本は悪くない」と言いつつ、「中国が悪い
」「ロシアが悪い」「アメリカが悪い」…そして「日本は仕方なく戦争に巻き
込まれただけだ」と言うような「子の論理」、あるいは「被害者の論理」、つ
まり「負け犬の遠吠え」的史観である。僕は、そこのところに渡部昇一的「昭
和史」の思想的弱点、あるいは昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延し
ている思想的弱点があると思う。渡部昇一の「昭和史」やマンガ右翼・小林よ
しのりの『戦争論』を適当に「いいとこ取り」して、それをアレンジしたのが
、田母神俊雄の『日本は侵略国家か』というエッセイらしいが、それも、渡部
昇一同様の、同じような思想的弱点を内包していることは言うまでもないし、
また一時的とは言え、「田母神俊雄ブーム」なるものを巻き起こした保守論壇
や保守ジャーナリズムの思想的限界も、そして今や解党的危機に追い込まれ、
断末魔の迷走を続ける自民党の、安倍晋三や中川昭一等を筆頭とする「真正保
守派」(笑)の政治家たちの思想的限界も、明らかである。


■昨日、JR総連学習会で講演。

昨日、品川区大崎の某所で、全国から集まったJR総連の幹部たちを前に、「
沖縄集団自決問題と保守論壇」というテーマで講演…。JR総連(全日本鉄道労
働組合総連合会)と言えば、僕の世代だと、すぐに「クロカン」や「革マル」、
あるいは「松崎氏」のことを連想して、労働組合とは言っても、左翼過激派的
なイメージが強いが、僕は労働組合運動の現場をよく知らないので間違ってい
るかもしれないが、今ではだいぶ穏健な労働運動組織になっているようだ。と
ころで、僕は、「沖縄集団自決」における曽野綾子や小林よしのりの言論活動
を一つのケーススタディとして、「保守論壇は、いまや、マンガ論壇と化して
いる。」「自民党が自滅しようとしているが、それは保守論壇の劣化と深く連
動どうしている。」「そもそも社会党が自滅したのも左翼論壇の劣化と無縁で
はなかったはずだ。」「保守論壇の活性化のためにも労働組合は頑張ってもら
いたい。」というような話をしたが、若い現役の労働運動の闘士たちが、僕の
話を、どのようにう受け止め、どう理解してくれたかは、当然のこととはいえ
、かなり微妙なのわけだが、むしろ最近の、マンガしか読まないような愚鈍な
保守青年や保守老人たちよりも、つまり難解な本を読むのが苦手な保守系の者
たちよりも、左翼理論雑誌「情況」を傍線を引きながら読んでいる若者もいて
、思想的には遥かに生き生きとしていたように思った。例によって例の如く、
日教組批判や自治労批判を「馬鹿の一つ覚え」のように繰り返している、つま
り物事を深く考えたことのない最近の「保守論壇や保守ジャーナリズム」のワ
ンパターンの言説にはウンザリする。そう言えば、先週、土曜日、日本保守主
義研究会の季刊誌「澪標」編集長で、京都大学博士課程に在学中の早瀬善彦君
が上京中で、会いたいという電話をいただいたので、またまた高田馬場の某居
酒屋での岩田温君(拓大客員教授)を中心とする「日本保守主義研究会」の若者
たちの飲み会に後から参加させてもらったが、彼等は、実に勉強熱心で、学問
的にも思想的にもかなり深く且つ広く、いわゆる昨今、巷に溢れている無知無
学を絵に描いたような「保守青年」や「保守老人」とは、同じ保守とは言って
も、相当に隔たっている。「左翼も嫌いだが、最近の馬鹿保守も嫌いだ・・・
」という彼等に、硬直して思想的にも堕落した昨今の保守論壇の「死と再生」
を、つまり「保守論壇や保守ジャーナリズムの活性化」を期待したいものであ
る。


2009-07-22
■西田幾多郎と大東亜戦争


渡部昇一氏や田母神俊雄氏は、さかんに「日本は侵略戦争をしたのでない」「
大東亜戦争は自存自衛の戦争だった」と言おうとしているようだか、そしてマ
ッカーサーの米議会での発言まで持ち出して来て、それを論証しようとしてい
るようだが、はたして、その「自存自衛戦争論」で、日本の「名誉」は、回復
すると、本気で考えているのだろうか。もしそう考えているとしたら、それこ
そ自虐趣味ならぬ、自虐史観そのものと言わなければならないのではないのか
。たしかに東條英機は、大東亜戦争を、「自存自衛の戦争」と考えていたかも
しれない。しかし、東條英機以外の軍人や政治家、思想家、そしてその他の多
くの国民が、あの戦争を、「自存自衛の戦争」という消極的な意味で、解釈し
、理解し、納得していたであろうか。戦前の日本人は、英米帝国主義と戦闘を
交えるにあたって、まったく無為無策だっただろうか。次の文は、哲学者・西
田幾多郎の文であるが、この文は、表に出ることも、戦後の西田幾多郎全集に
収録されることもなかったとはいえ、よく知られている文である。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
世界新秩序の原理

要旨

真の世界平和は全人類に及ぶものでなければならない。しかるにかかる平和は
、世界史的な使命を自覚せる諸国家、諸民族が、先ず地縁及び伝統に従って一
つの特殊的世界即ち共栄圏を形成し、更に共栄圏が相協力して真の世界即ち世
界的世界を実現することによってしか到達されない、そしてかかる共栄圏の確
立及び各共栄圏の協力による世界的世界の実現こそは、現代の担っている世界
史的課題である。

大東亜戦争は、東亜諸民族がかかる世界史的使命を遂行せんとする聖戦である
。歴史が炳として示す如く、飽くなき米英の帝国主義は東亜諸民族を永く足下
に蹂躙してその繁栄を阻止し来った。この米英帝国主義の桎梏を脱し、東亜を
東亜諸民族の手に回復する道は、東亜諸民族自らが、共通の敵米英帝国主義の
撃滅、根絶を期して結束する以外にない。すなわち大東亜戦争を完遂して東亜
を保全し、東亜共栄圏を確立して共栄の楽を偕にすることが、現代東亜諸民族
の第一の歴史的課題である。

今や志しを同じうする独、伊、その他の諸国は欧州の天地に新秩序を建設すべ
く勇敢に闘っている。亜欧両州におけるこの二大事業の完成する秋、真の世界
平和を招来すべき世界的世界は実現するであろう。東亜共栄圏を通じて世界的
世界の実現に努力すること、これが東亜諸民族の第二の歴史的課題である。

<解説>

世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、歴史的必然を以って推移する

 今ヨーロッパの最近世について見るに、一八世紀は個人的自覚の時代、いわ
ゆる個人主義、自由主義の時代であった。一八世紀に於いては未だ一つの世界
的空間に於いての国家と国家の対立というまでに到らなかった。大局から云え
ば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう。
しかるに一九世紀の世界的空間に於いて、ドイツがフランスとが対立し、更に
進んで植民地を含む一層大いなる世界的空間に於いてドイツとイギリスとの一
大勢力が対立するに到った、これが前世界大戦の原因である。一九世紀は国家
的自覚の時代、即ち国民主義の時代であった。しかしながらこの国家主義には
、未だ国家の世界史的使命の自覚がなかった。従って一九世紀の国家主義は帝
国主義となって発展した。即ち、各国民が、何処までも他を従えることによっ
て自己自身を強大にすることが、歴史的使命と考えられたのである。

 しかるに、国家に世界史的使命の自覚なく、単なる帝国主義の立場に立つ限
り、資本主義的傾向を採らざるを得ないのであり、従ってまた階級闘争の出現
を免れない。一九世紀以来の世界が、帝国主義の時代たると共に階級闘争の時
代でもあった所以である。しかしながら、階級闘争を主張する共産主義は一面
に於いて全体主義ではあるが、その原理は、一八世紀の個人的自覚による抽象
的世界理念の思想に基づくものである。思想としては、一八世紀思想の一九世
紀的思想に対する反抗と見ることもできる。故に共産主義は今日に於いては、
帝国主義と共に過去に属するものであり、従って新たなる世界史を形成する指
導原理たる資格を喪ったものである。全体主義はかかる指導性を喪った帝国主
義及び共産主義に対する反撃であって、一方帝国主義の侵略に抗すると共に他
方共産主義による内部攪乱に備えんとしたものである。全体主義が国民の全体
性を強く主張したのはその為である。

 今日の世界は、世界的自覚の時代である、各国民が、各自世界史的使命を自
覚することによって、一つの全く新しき時代、換言すれば、世界史的世界即ち
世界的世界を構成しなければならない時代である。前世界大戦の終了と同時に
世界は現にこの段階に入ったのである。今次の世界大戦はその発展たるに過ぎ
ない。

 過去の世界に於いては、各国家各民族は、地理的制約の為に十分連絡づけら
れていなかった。しかるに科学の進歩は交通の発達を促がし、その結果今日に
於いては、近接する諸国家諸民族が一つの世界的空間に於いて緊密なる関係の
置かるるに到った。かかる世界的空間に於いて強大なる国家と国家が対立する
場合、世界は当然激烈なる闘争に陥らざるを得ない。そしてこれを解決する途
は、各国家が世界史的使命を自覚し。各自自己に即しつつ自己を越えて一つの
世界的世界を構成する以外ない。現状を以って国家民族の世界的自覚の時代と
いう所以である。

 注=特に民族と云うは、蒙古、仏印、ビルマ、フィリッピン、印度及び南方
諸民族を考慮せるためである。

 しかしながら各国各民族が自己に即しつつ自己を越えて一つの世界を構成す
ると云うことはウィルソンの主張せる国際連盟に於いての如く、各民族の現実
的能力を考慮せずして、何れの民族に対しても一律平等に独立を与えんとする
ことではない。凡ての民族に対し無差別平等に独立を与えることは、却って民
族の為に考えざるものである。如何にして弱小民族を育成するかが問題である
。かかる民族主義の考える世界は十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。か
かる思想によって現実的課題の解決の不可能なることは、今次の世界大戦が証
明するところである。

 事実に於いて、凡ての国家凡ての民族は、いづれも固有の歴史的地盤に成立
したものであり、従ってそれぞれ固有の世界史的使命を有するものでなければ
ならない。そこに各国家各民族が各自の歴史的使命を有するのである。故に各
国家各民族が一つの世界的世界を構成するということは、国家及び民族が各自
に即しつつ自己を越えて、それぞれの地域、伝統に従って先ず一つの特殊的世
界即ち共栄圏を形成し、斯くて歴史的地盤から構成された特殊的世界が相結束
して、更に一つの世界的(世界全人類を含む世界)を構成することである。か
かる世界的世界に於いては、各国各民族が各自の個性的生命に生きると共に、
自己の構成する特殊的世界(共栄圏)を通じて、一つの世界に結合するのであ
る。これが今次の世界大戦によって要求される世界新秩序の原理でなければな
らない。

 今次世界大戦の課題が斯くの如きものであり、世界新秩序が斯くの如きもの
であるならば、東亜共栄圏の原理も自ら此から出てこなければならない。従来
東亜諸民族は米英の帝国主義の為に蹂躙せられ、各自の世界的使命を奪われて
いた。今や大東亜戦争と共に、東亜諸民族は何れもその世界史的使命を自覚し
、各自自己に即しつつ自己を越えて一つの特殊的世界、即ち東亜共栄圏を構成
し、以って真の平和を招来すべき世界的世界を実現しなければならない。日本
民族は、世界的使命の自覚における先進であり、大東亜戦争はこの世界史的使
命遂行の烽火である。日本民族が、一億一心如何なる犠牲をも恐れず、国運を
賭して戦争遂行に直進しつつあるのは、東亜共栄圏の確立が、アジアを救うと
共に、全人類に光明を与うるものであることを確信するからである。然しなが
らこの確信は単に我等日本人だけではない。我等の声に応じて、欣然大東亜戦
争に参加した東亜諸民族に於いて共通である。

 更にまたドイツ、イタリアを始め枢軸側諸国は、ヨーロッパ新秩序を建設す
る為に勇敢に戦いつつある。ヨーロッパ新秩序の完成と共に、世界新秩序の完
成に寄与するものであることは疑いを容れないのである。

 重ねていう、大東亜戦争に伴う東亜共栄圏の確立は、一つの新しき世界、換
言すれば世界史的世界の形成に到る第一過程である。皇道を表明する八紘為宇
の理念は、かくて世界的世界形成即ち世界史的世界形成の原理として理解され
るのである。世界史的世界形成主義即ち新世界主義こそは、米英帝国主義を克
服する使命を担うものである。
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 この西田幾多郎の一文は、陸軍の求めに応ずる形で書かれたものらしいが、
しかし、あまりにも難解であったが故に、それを東條英機等が理解できず、ボ
ツにされたものらしいが、ここで西田幾多郎は、決して、消極的な、「自存自
衛の戦争」というような意味での戦争論などを展開しているわけではない。西
田幾多郎は、明確に、この戦争は「世界史的使命」を帯びている「世界新秩序
の形成」を目指す積極的な意味での戦争であると捉えている。おそらくそれは
、西田幾多郎だけではない。大川周明も、蓑田胸喜も、そしてその他多くの日
本人が、多少の違いはあれ、そう考えていたに違いないのだ。渡部昇一氏や田
母神俊雄氏等の考える「自存自衛戦争論」の政治学が「弱者の政治学」なのに
対して、西田幾多郎等のそれは、明らかに「世界新秩序」の形成を目指す「強
者の政治学」、言い換えれば、江藤淳の言う「治者の政治学」だと言っていい
。だから米英帝国主義主導の「東京裁判」で、パールやマッカーサーを持ち出
して、無罪を主張することは間違いであり、むしろ堂々と「有罪」をこそ主張
すべきだったのである。
http://archives.mag2.com/0000261052/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/705.html#c4

[原発・フッ素47] 浪江・富岡、帰還1%台にとどまる 避難解除から1カ月 (日経新聞)  魑魅魍魎男
2. 中川隆[-7730] koaQ7Jey 2017年5月08日 04:35:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

これも読んでね


原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/877.html#c2

[原発・フッ素47] ますます深刻化する健康被害 (20) 2017年4月 葬式続きですっかり葬式慣れした人も  魑魅魍魎男
2. 中川隆[-7729] koaQ7Jey 2017年5月08日 04:35:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

これも読んでね


原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/876.html#c2

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
3. 中川隆[-7728] koaQ7Jey 2017年5月08日 04:48:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝日新聞のロングインタビュー 2017年05月06日 内田樹の研究室

施行70年を迎えた日本国憲法が岐路に立っている。「不戦」という歯止めを問い直す改憲の流れ。「共謀罪」という基本的人権を制限する可能性を持つ法律の整備。憲法をめぐる政治の動きと、私たちの暮らしの変化について、東北・山形にルーツを持つ思想家、内田樹さん(66)に聞いた。

ー朝日新聞の4月の世論調査でも、安倍政権は50%の支持率を維持しています。どうして、今回の共謀罪の制定などで基本的人権が制限される可能性がある有権者たちが、安倍政権を支持するのでしょうか。

戦後の日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。敗戦国にはそれ以外に選択肢がなかったのです。アメリカへの徹底的な従属を通じて、同盟国として信頼を獲得し、段階的に国土を回復し、国家主権を回復してゆくという戦略は72年の沖縄施政権返還まではたしかに一定の成果をあげていました。けれども、それ以後、対米従属がアメリカから自立するための一時的、迂回的な手段であることを日本人は忘れてしまった。とりわけ高度成長期の経済的成功は日本人の自己評価を肥大させました。日本人は自分たちは「ふつうの主権国家」だと思い上がって、「対米自立=主権回復」という国家目標を忘れてしまったのです。今の日本は「対米従属を通じての対米従属」という不条理なループの中にはまり込んでいます。

ーでも、安倍政権は米国が制定を主導した現憲法の改正、自衛隊の海外派兵、さらには西洋で生まれた民主主義の根幹である基本的人権を制限する可能性のある共謀罪の導入など、米国の神経を逆なでするようなナショナリストとしての動きも見せています。

属国であることのフラストレーションをどこかで癒す必要があるからです。現実には日本は重要政策についてはアメリカの許諾を得ることなしには何一つ自己決定できない。沖縄の米軍基地は返還されないし、地位協定は改定されないし、首都の上空には主権の及ばない横田空域が広がっています。この屈辱感と不能感をどうやって癒すか。日本人が選んだのは「アメリカが怒らない範囲で、反米的にふるまう」というひねこびた解でした。それが安倍政権の極右政治路線であり、そこに相当数の日本人が共感している。

アメリカはつねに自国益を最大化するように行動します。日本がアメリカの世界戦略のすべてに賛同する「顎で使える同盟国」である限り、その国の統治理念がアメリカのそれと一致しようとしまいと、アメリカにとってはどうでもいいのです。これまで韓国でもフィリピンでもインドネシアでもベトナムでも、アメリカは非民主的で残酷な独裁政権を親米的である限り堂々と支援してきました。日本人もそれを熟知している。だから、徹底的に対米従属する限り、日本国内でアメリカの統治理念を否定しても、それは「アメリカを怒らせない」ということがわかっている。

安倍政権が進めている改憲も、基本的人権の否定も、安保法制による平和主義の否定も、共謀罪による市民的自由の制約も、それが「アメリカの統治理念を否定するもの」であるがゆえに選好されており、日本人の多くがそれに喝采を送っているのです。アメリカにとって日本は切り捨てるにはあまりに惜しい属国ですから、内治におけるアメリカ的価値観の否定を受容せざるを得ない。安倍首相の過剰な対米従属は、内治において「反米的」であることによって相殺されているのです。

ー共謀罪について、どう考えられますか。4月の朝日新聞の世論調査では、法案に「賛成」35%、「反対」33%と拮抗していました。国民は、「ひどいことは起こることはない」と思っているのでしょうか。

18世紀からの近代市民社会の歴史は、個人の権利を広く認め、国家の介入を制限する方向で進化してきました。近代市民社会が獲得したこの成果をいまの日本は自ら手放そうとしている。これは世界史上でも例外的な出来事です。捜査当局にこれほどの自由裁量権を与えることに市民が進んで同意するというのは論理的にはあり得ないことです。これも「属国であることを否認する」自己欺瞞の病態のひとつとしてなら理解できます。

アメリカに対して主権的にふるまうことができない政府が、憲法上の主権者である国民に対して抑圧的にふるまい、国民主権を否定することによって、日本が主権国家でないことのフラストレーションを解消しようとしているのだと僕は解釈しています。会社で上司にどなりつけられて、作り笑いしているサラリーマンが家に帰って妻や子を殴って自尊心を奪還しようとするのと同じ心理機制です。

ー戦前の治安維持法のように、市民の個人的な思想までは対象となっていく可能性はありますか。

治安維持法の時代には特高や憲兵隊などの弾圧のための専門機関があり、背後には圧倒的な武力を持った軍隊がいました。いまの自衛隊や警察が、一般市民の思想統制や監視を本務とする秘密警察的な組織をすぐに持つようになるとは思いません。それよりもむしろ「隣人を密告するマインド」の養成を政府は進めるでしょう。

ゲシュタポでも、思想犯検挙の大半は隣人による密告によるものだったそうです。思想統制は中央集権的に行うとたいへんなコストがかかる。隣国の中国はネット上の反政府的書き込みを網羅的に監視していますが、その膨大なコストが国家財政を圧迫し始めている。それだけの監視コストを担う覚悟は今の政府にはないと思います。ですから、「市民が市民を監視し、市民が隣人を密告する」仕組みをなんとか作り出そうとするでしょう。でも、そう思い通りにはならないと思います。

施行70周年を迎えた日本国憲法のもとで成熟した市民は、それほど単純に共謀罪を受け入れることはないということですか。

市民の成熟もありますけれど、警察官たちも、市民を統制する思想警察化することには抵抗すると思います。今でもテレビでは相変わらず刑事ドラマ、医学ドラマ、学園ドラマが繰り返し放送されていますが、刑事ドラマの話はどれも同型的です。組織になじまない自立的なキャラクターと独特の正義感をもった主人公が、定型的な捜査に反抗して、難事件を解決するという話がほとんどです。戦時中の日本に「そんなドラマ」が存在したはずがない。この執拗な物語原型の反復には戦後日本人の警察に対する期待がこめられているのだと思います。そして、そのようなドラマを見て警察官を志望した若者たちもたくさんいるはずです。そう簡単に「いつか来た道」にはならないと信じています。

ー内田さんのルーツは東北・山形にあります。安倍政権にとって、「東北」とはどう位置づけされているのでしょうか。

復興大臣が東日本大震災について、「東北でよかった」と発言したことでもわかるように、公言されないけれど、「地方切り捨て」は政権の既定方針です。東日本大震災のあとの復興工事、原発事故処理、除染、住民の帰還政策、どれを見ても政府には国民的急務であるという真剣さが見られません。

かつて地方は自民党の金城湯池でしたけれど、急速な人口減・高齢化と経済活動の萎縮によって、もう守るだけの「うまみ」がなくなった。いまの自民党は国民政党ではなく、富裕層のための新国家主義政党です。経済成長のために無駄なものは次々切り捨てていく。地方はその「無駄なもの」の一つです。

具体的にどんな動きが出てくるのでしょうか。

国民資源の一極化です。「コンパクトシティー」が適例ですけれど、地方に中核都市を作り、郊外の住民をそこに集住させ、医療、教育、消費活動をそこに集中させる。里山の住民たちを「快適な暮らしが欲しければ、都市部へ移住しなさい」というかたちで誘導して、里山を実質的に無人化してゆく。

すでに各地で鉄道の廃線が各地で進んでいますけれど、「費用対効果が悪い」という理由で交通や通信や上下水道やライフラインなどのインフラを撤去することに市民が同意すれば、いずれ学校や病院や警察、防などの基本的サービスが受けられない地域が広がります。そういう地域は事実上「居住不能」になる。

そのようにして「居住不能地区」を全国に拡大して、「住めるところ」だけに資源を集中すれば、たしかに行政コストは劇的に軽減される。いずれ地方自治体の統廃合が行われ、地方選出の国会議員定数も減らされ、地方の声は国政に反映しないという時代になるでしょう。

2100年の人口は中位推計で5千万人です。その5千万人も半数近くが高齢者ですから、人口を都市に集めて機能的、効率的に税金を使うしかないという説明には反論がむずかしい。そのためには人口減社会においてどういう社会を構築するのかについての新しいヴィジョンを提示する必要があります。

ー東北の「生きる道」は、どこにありますか。

東北の人々は、東日本大震災と原発事故で政府の無策とシステムの脆弱さを思い知ったはずです。国をあてにせず、自力で生き延びる方法を模索しているだろうと思います。

僕が最近注目しているのは、若者たちの地方移住傾向です。東北にはまだ山河という豊かな国民資源があります。帰農する若者たちと豊かな山河の出会いのうちに、経済成長至上主義者たちが考えている「地方創生」とは別の地方の未来が開けるのではないかと僕は思っています。
http://blog.tatsuru.com/2017/05/06_0755.php

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c3

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
4. 中川隆[-7729] koaQ7Jey 2017年5月08日 05:06:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

移民問題が無かった平和な時代の典型的な護憲派の意見も一応紹介しておきます


講演 憲法について考えよう──子どもたちの未来に平和を──

2006年1月14日(土)午後1時30分 鋸南町中央公民館多目的ホール

講師・東北学院大学講師・世界キリスト協議会前中央委員 川端 純四郎


 ご紹介いたします。
 先生は1934年のお生まれです。東北大学文学部に学ばれ、博士課程を終えられてから、ドイツのマールブルグ大学に入学されました。帰国後、東北学院大学教員として35年間お勤めになりました。その後ひきつづき講師として、現在も勤務されています。一貫して平和、人権、政治改革の活動に積極的に関わっておいでになりました。

 「9条の会」の講師団メンバーとしても、全国を股にかけて講演なさっており、昨年は1年間で80回以上の講演会を開いておられます。

 先生は今朝8時前に仙台を発ち、はるばる鋸南町においで下さいました。今日の講師としてほんとうにふさわしく、よいお話をうかがえると思います。早速、先生からお話をうかがいたいと思います。 先生、どうぞよろしくお願いいいたします。
                                        安藤

 みなさん、こんにちは。 安房郡の水清き鋸南町に伺って、こうしてお話できることをありがたいと思っています。初めておうかがいしました。木更津まで来たことはあるのですが、今日、電車で君津を過ぎたらとたんに山が美しくなり、あそこまでは東京郊外のなんとまあみっともない風景でしたけれど、あそこから南に来ると一気にほんとうに昔のよき日本の風景がよみがえってくるようでした。ほんとうに嬉しく思いました。

 いま、「さとうきび畑」の朗読と、合唱団のコーラスをお聞きしたのですが、どちらも聞いていて涙が出ました。

 私は、戦争に負けた時小学校6年生でした。仙台で敗戦を迎えましたが、仙台も空襲で全滅いたしました。街の真ん中にいましたから、もちろんわが家も丸焼けでした。忘れられない思い出があります。街の真ん中の小学校でしたから、同級生が一晩で8人焼け死にました。隣の家の、6年間毎日いっしょに学校へ適っていた一番仲の良かった友達も、直撃弾で死にました。今でも時々思い出します。

 今このような歌を聞くと、どうしてもその人のことを思い出します。思い出す私の方はもう70になりますが、記憶に出てくるその三浦君という友達は、小学校6年生のまま出てきます。どうして小学校6年で人生を終わらなければいけなかったのか、生きていてくれたらいろんな事があったのに、と思います。戦争なんて二度としてはいけない、というのが一貫した私の願いです。

 私は牧師の家に生まれました。父はキリスト教の牧師で、教会で生まれ教会で育って、讃美歌が子守歌でした。牧師の中には戦争に反対した立派な牧師さんもおられたのですが、私の父のような多くの普通の牧師は、政治や社会に無関心で魂の救いということしか考えていませんでした。で、私もその親父に育てられましたから、大学を出、大学院に入って博士課程までいって、ずっとキルケゴールや実存哲学という、魂だけ見つめているような学問をやっていて、政治とか経済、社会とかは25歳までいっさい関心がありませんでした。

 25歳の時チャンスがあって、ドイツ政府の招待留学生となってドイツヘ勉強に行くことになりました。1960年のことでした。1960年にドイツへ行ったというだけで、どんなにノンポリだったか分かります。安保改訂問題で日本中が大騒ぎの時、それを尻目に悠々とドイツ留学に行ったのです。幸か不幸かまだ世界は貧しくて、飛行機などというものは贅沢な乗り物で、まだジェット旅客機機はありませんでした。プロペラ機でヨーロッパヘ行くには途中で何遍も何遍も着地し、給油して、今のようにノンストップでシベリヤを越えて、などというのは夢のような話でした。しかもベラ棒に高いのです。船の方があの頃はずっと安かったのです。特に貨物船に乗せてもらうと飛行機よりずっと安いのです。そこで一番安いのを探して、5人だけ客を乗せるという貨物船をみつけました。

 その船で神戸を出航し、インド洋からスエズ運河をぬけ、地中海を渡ってイタリアのジェノバに上陸。そこから煙を吐く蒸気機関車でアルプスを越えて、ドイツのマールブルクという町に着きました。

 実は、飛行機をやめて船で行ったということが、私の人生を大きく変えることになりました。あの時もし飛行機で行ったなら、私は一生、世間知らずの大学に閉じこもって勉強だけしている人間で終わった、と思います。

 ところが船で行ったおかげで、しかも貨物船に乗ったおかげで、私は途中のアジア・インド・アラブの国々をくわしく見ることができました。まっすぐ行けば船でも二週間で行くそうですが、何しろ貨物船ですから、途中港、港に寄って荷物を下ろし、また積んで、一つの港に4日から5日泊まっているのです。おかげでその間、昼間は上陸してそのあたりを見て歩き、夜は船に帰って寝ればいいのですから、東南アジアからアラブ諸国をくまなく見て歩きました。

 1ヵ月かかりました。神戸からジェノバまでのこの船旅。その時見たものが、私の人生を変えたのです。何を見たかはお解りですね。アジアの飢えと貧困という厳しい現実にぶつかったのです。

 降りる港、港で、ほんとうに骨と皮とに痩せせこけた、裸足でボロボロの服を着た子供達が、行く港も行く港、集まって来るのです。船の事務長さんに、「可哀想だが、何もやっては駄目だよ。1人にやると収拾がつかなくなるよ」と言われていました。だから心を鬼にして払いのけて通り過ぎるのですが、その払いのけて通り抜ける時に触った子供の肩、肉などなんにもない、ただ骨と皮だけのあの肩、あの感触が、今でも時々蘇ってきます。

 船に帰って、眠れないのです。明日も、あの子供たちに会う。どうするか。私が考えたことは、「神様を信じなさい。そうすれば救われます」と言えるか、ということでした。

どんなに考えたって、言えるわけがありません。飢えて捨てられた孤児たちに、こちらは着るものを看て、食うものを食っておいて、「神様を信じなさい、そうすれば救われます」などとは、口が裂けても言えないと思いました。牧師館で生まれて、キリスト教しか知らずに育って、キリスト教の学問をして来て、それではお前キリスト教って何なのか、25年お前が信じてきたキリスト教とは、飢えた子供たちに言えないようなキリスト教なのか。とれが私の考えたことでした。

 もし言えるとしたら、ただ一つしかない。そこで船を降りて、服を脱いで、子供たちに分けてやって、食っているものを分けてやって、そこで一緒に暮らす、それなら言える。言えるとしたら、それしかありません。言えるじゃないか、と自分に言い聞かせました。

 それなら、船を降りるか──。くやしいけど、降りる勇気がありませんでした。折角これからドイツヘ勉強に行くという時、ここで降りて、一生インドで暮らすのか、一生アジアで暮らすのか、どうしてもその気にならないのです。

 ですから理屈をこねました。

 「降りたって無駄だ。お前が降りて背広一着脱いだって、何百人人もいる乞食の子に、ほんの布切れ一切れしかゆきわたらないではないか。自分の食うものを分けてやったって、何百人もの子供が1秒だって、ひもじさを満たされる訳がないじゃないか。お前が降りたって無駄だ。それは降りたという自己満足だけで、客観的にはあの子らはなんにも救われない。」

 「だから降りない、勇気がないのではなく、無駄だから降りない。」と自分に言い聞かせるのです。でも、降りなければ「神様を信じなさい」とは言えません。言えるためには降りなければならない、しかし降りても無駄なのだ。

 堂々巡りです。寄る港、寄る港でこの間題に直面しました。毎晩毎晩同じ問題を考え続けて、結局、答えが見つからないまま、閑々として港を後にしました。、出港の時、あの子たちを見捨て自分だけドイツへ行くことに、強い痛みを感じました。これは永く私の心の傷になって残りました。

 このようにして初めて、世の中には飢えた仲間がいるという、当然分かっていなくてはいけない事実に、何ということでしょう、25にもなってやっと気づいたのです。飢えた子供たちがいる、それを知らんぷりしてドイツに行くのか、お前が降りてあの子たちと一緒に暮らすことはあまり意味ないかも知れない、しかしやっぱり船を降りないのだとしたら、せめて世の中に飢えた子供なんか生まれないような社会を作るために、自分で何かしなければいけないのではないか。ただ魂の中だけに閉じこもっていていいのか。

 これが、私がヨーロッパヘ行く1ヵ月の旅で考えたことでした。

 ドイツヘ行って、宗教の勉強をしました。ブルトマンというドイツの大変偉い先生の所に1年いて、いろいろ教わりましたが、結局、私の結論としては、実存哲学だけではだめだということでした。自分が自分に誠実に生きる──これが実存的、ということですが、それだけでは駄目だ。自分が生きるだけでなく、みんなが人間らしく生ることができるような世の中になるために、自分にできる何か小さなことでもしなければいけない。

 こう思うようになって、日本に帰ってきたのです。

 それじゃあ、世の中で、そのように飢えて死ぬような子がいなくなるような社会とは、どうすれば出来るのか。これはやっぱり、飢え、貧困、戦争、差別、そういうものが生まれる原因が分からなければ、除きようがありません。原因を勉強しなければいけない。そのためには社会科学を勉強しなければいけない。特に経済学を勉強しなければいけない──。

 ドイツヘの留学は、大学院の途中で行きましたので、帰国して大学院に復学しました。幸い東北大学は総合大学ですから、中庭をへだてて向こう側が経済学部でした。帰ってきた次の日から、私は、経済学部の講義を経済原論から、授業料を払わずにもぐりで、後ろの方にそっと隠れてずっと聞きました。

 それからもう45年になりますが、ずっと宗教哲学と経済学と2股かけて勉強してきています。今日も、多少経済の話を申し上げるわけですが、やっぱり自分がクリスチャンとして、今もクリスチャンであり続けていますが、同時に、自分の救いということだけ考えていたのでは申し訳ないと思うのです。現実に飢えて死ぬ子がいるのです。ユネスコの統計によると、毎日2万人の子が栄養不足で死んでいるそういう世の中、このままにしておくわけにはいかない、自分でできることは本当に小さいけど、その小さなことをやらなかったら、生きていることにならない──。そう思って45年過ごしてきたわけです。

 キリスト教の中でずっと生きていますので、一般の日本の人よりは外国に出る機会が多いと思います。特に世界キリスト教協議会という全世界のキリスト教の集まりがあります。その中央委員をしていましたので、毎年1回中央委員会に出かけて、1週間か2週間会議に参加しました。世界中のキリスト教の代表者と一つのホテルに缶詰になり、朝から晩までいろいろと情報交換したり論議したりします。そのようなことを7年間やりましたので、世界のことを知るチャンスが多かったと思います。それを辞めてからも、自分の仕事や勉強の都合で、今でも毎年二週間ぐらいはドイツで暮らしています。そうしていると、日本ってほんとうに不思議な国だということが分かってきました。

 日本にいるとなかなか分からないのです。島国ですし、おまけに日本語という特別な言葉を使っています。他の国との共通性がない言葉です。ヨーロッパの言葉はみんな親戚のようなものですから、ちょっと勉強するとすぐ分かります。一つの言葉の、ドイツ弁とフランス弁、ベルギー弁、オランダ弁というようなものです。日本で言えば津軽弁と薩摩弁の違い程度のものです。津軽と薩摩では、お互いに全然通じないとは思いますが、それでも同じ日本語なのです。ヨーロッパの言葉とはそういうものです。ですからお互いに何と無く外国語が理解できるというのは、別に不思議なことではないのですね。ですから、自分の国のことしか知らないという人は、非常に少ないのです。

 新聞も、駅に行けばどんな町でも、ヨーロッパ中の新聞が置いてあります。ドイツのどんな田舎町へ行っても、駅にいけばフランスの新聞もイタリアの新聞も売っていますし、それを読める人がたくさんいるのです。そういう社会ですから、日本人とはずいぶん違います。自分の国を客観的に見られる。他の国と比べて見ることができるのです。

 日本にいると比べられません。そのうえ、日本はマスコミが異常です。ワンパターンのニュースしか流しません。ヨーロッパではいろんなテレビがあって、テレビごとに自由な報道をやっています。バラエティー番組のようなものがなくて、ニューハ番組が充実しています。きちんとした議論をテレビでやっています。ですから日本にいるよりは、比較的自分の国の様子を客観的に見られることになります。ドイツに行く度に、日本とは不思議な国だなあと思うのです。

 例えば、もうだいぶ前、バブルの頃です。日本のある有名なモード会社がミラノに支店を出しました。そしてマーケティング調査をしました。どんな柄が流行っているか、アンケートを集めそれを整理するために、イタリア人女性3人雇ったそうです。アンケートの整理をしていたら5時になりました。あと少ししか残っていなかったので、日本ならの常識ですから、「あと少しだからやってしまおう」と日本人支店長は声をかけました。ところがイタリア人女性3人は、すっと立って「5時ですから帰ります」と言って出て行こうとしました。思わず日本人支店長は怒鳴ったのだそうです。「たったこれだけだからやってしまえ」と。途端にこの日本人支店長は訴えられました。そして「労働者の意志に反する労働を強制した」ということで、即決裁判で数万円の罰金をとられました。

 これがヨーロッパの常識です。つまり9時から5時までしか契約していないからです。5時以後は命令する権利はないのです。9時から5時までの時間を労働者は売ったんであって、5時以降は売っていないのですから、自分のものなんです。会社が使う権利はありません。当たり前の話です。

 その当たり前の話が日本では当たり前ではないのです。残業、課長に言われたので黙ってやる。しかもこの頃は「タダ残業」ですからネ。本当にひどい話です。常識がまるで違うのです。あるいは有給休暇。ドイツのサラリーマンは年間3週間とらねば「ならない」のです。3週間休まなければ罰せられます。日本は有給休暇など殆どとれません。ドイツでは取らないと罰せられます。ですからどんな労働者でも3週間、夏はちゃんと休んで、家族ぐるみイタリアへ行ってゆっくり過ごしてきます。有給になっているからです。或いは日本では1週間40時間労働です。ドイツはもう随分前から36時間です。土日出勤などありえない話で、日本のように表向き40時間労働でも、毎日毎日残業で、その上休日出勤、日曜日には接待ゴルフなど馬鹿なことをやっています。接待ゴルフなど、ドイツには絶対ありません。日曜日は各自が自由に使う時間で、会社が使う権利はないのです。

 そういうところもまるで常識が違います。或いは、50人以上だったと思うのですが、50人以上従業員がいる会社、工場は必ず、労働組合代表が経営会議に参加しなければいけないことになっています。そんなことも、日本では考えられないことです。ですから配置転換とかもとても難しいし、労働者の代表が入っているから、簡単に首は切れません。

 そういういろんな面で、日本の外に出てみるとびっくりするようなことが山ほどあります。日本という国は、高度に発達した資本主義国の中で例外的な国なのです。資本主義が発達した点では、アメリカにもフランスにもドイツにも負けないのですが、資本主義が発達したにしては、労働者が守られていない。或いは市民の権利が守られていない。会社の権利ばかりドンドンドンドン大きくなっているのです。それが日本にいると当たり前のように思われています。外国で暮らしていると、日本は不思議な国だと分かります。特にこの数年それがひどくなってきているのではないでしょうか。

 私たちの暮らしは、戦後50何年かけて、少しずつよくなってきました。例えば年金なんかも少しずつ整備されてきた。健康保険制度も整備されてきた。介護保険も生まれてきた。或いは、労働者も土曜日チャンと休めるようになってきた。ところがこの数年、それが逆に悪くなつてきています。年金は削られる一方、介護保険料は値上がりする、労働者は首切り自由でいくらでも解雇できる。労働者を減らすと政府から奨励金が出る。タダ残業はもう当たり前・・・。

 特にこの数年、構造改革という名前で、日本の仕組みが変わってきています。いま申し上げたように、戦後50年かけてみんなで、少しずつ少しずつ作ってきた、いわば生活の安心と安全を守る仕組み、そういうものが今はっきり壊されかかっているのではないでしょうか。

 小泉首相という人は「自民党をぶっ壊す」といって当選したのですが、この4年間を見ていると、あの人は自民党を壊したのではなく「日本を壊した」のではないかと思われます。これまで日本が戦後50年かけて作ってきた社会の仕組みが、バラバラにされているのです。フリーターとかニートがもう30%でしょう。そうなると当然、この人たちは生きる希望がありません。お先真っ暗。いまさえよければ、ということになる。ですから若者が当然刹那的になる。人生の計画なんて立たない。今さえよければということになっていきます。

 昔なら10年に1回あるかないかのような犯罪が、いま毎日のように起きています。私は仙台にいますが、この正月には赤ん坊の誘拐事件で一躍有名になってしまいました。あんなことが日常茶飯事として起こっています。栃木県で女の子が山の中で殺された事件は、まだ解決されていませんが、こんな事件が今は「当たり前」なのです。世の中がすさんできて、何が善で何が悪なのか、みんなに共通な物差しというものがなくなったというふうに思われます。

 そのような世の中の変化、私は多分、「構造改革」というものがその犯人なのだ、と思っています。

《逆戻りの原因はアメリカの変化》

 その構造改革というのは、どこから来たのか。もちろんアメリカから来たのです。アメリカが変化した、日本はそのアメリカに右ならえをした、それが構造改革です。

 それでは何が変わったのか、これが一番の問題です。この変化の行き着くところが、憲法改悪です。

 社会の仕組み全体がいま変わろうとしているのです。憲法も含めて。いったい何がどう変わるのか。いったいどういう構造をどういう構造に変えるということが構造改革なのか。そこのところがアメリカを見ればよく分かってきます。アメリカがお手本なのですから。

 アメリカはソ連崩壊後変わりました。ソ連とか東ドイツは自由のないいやな国でした。昔1960年に西ドイツヘ留学した折、東ドイツへ何回か行く機会がありました。ふつうはなかなか行けないのですが、幸いキリスト教国なので、ドイツのキリスト教はしっかりしていまして、東ドイツと西ドイツに分裂しても、教会は分裂しなかったのです。東西教会一つのまんまです。ですから、教会の年1回の大会には、西で開く時は東の代表がちゃんと来たし、東で開く時は西の代表が行けたのです。ですから一般の人の東西の往来が難しかった時でも、キリスト教の人だけはかなり自由に行き来ができました。

 私も連れていってもらって、何回か東ドイツへ行って見ました。ご存じのように自由のないいやな国でした。ですからソ連や東ドイツが崩壊したのは当然だし、いいことだと思います。しかしソ連や東ドイツが100%悪かったかというとそんなことはありません。良い部分もありました。何から何まで全部ひっくるめて悪だったというのも間違いです。基本的に自由がない。ですから、ああいう国は長くは続かない。これは当然そうだと思います。滅びたのは当然だと私は思います。

 しかし同時に、良い面はなくしては困るのです。良い面は受け継がなければいけません。最も目につくのは女性の地位でした。これは立派なものでした。いまの日本なんかより遥かに進んでいました。男女の平等が徹底的に保障されていました。専業主婦などほとんど見たことがありません。だれでも自由に外に出て、能力に応じて働いていました。それができるような保障が社会にあるのです。文字通りポストの数ほど保育所があって、子供を預け安心して働きに出られるようになっていました。同一労働同一貸金の原則はきちんと守られていて、女性だから賃金が低い、女性だからお茶汲みだけなどというようなことは一切ありませんでした。これは凄いなと思いました。あれは、日本はまだまだ見習わなければいけないことです。

 もう一つ私がびっくりしたのは、社会保障です。私が初めて東の世界を見たのは、何しろ1960年の頃のことです。日本はまだ社会保障がない時代でした。いま若い方は、社会保障はあるのが当たり前と思っておられる方も多いと思いますが、そんなことはないのです。日本は1972年が「福祉元年」といわれた年です。それまでは、福祉はなかったのです。大企業とか公務員だけは恩給がありましたが、商店の経営者とか家庭の主婦なんか何もありませんでした。健康保険も年金も何もありませんでした。72年からようやく国民皆年金、国民皆保険という仕組みが育ってきたのです。

 もともと資本主義という仕組みには、社会保障という考えは無いのです。自由競争が原則ですから、自己責任が原則です。老後が心配なら、自分で貯めておきなさい。能力がなくて貯められなかったら自業自得でしょうがない。こういうのが資本主義の考え方です。労働者が、そんなことはない、我々だって人間だ、人間らしく生きていく権利がある。だから我々の老後をちゃんと保障しろと闘って、社会保障というものが生まれてくるのです。自然に生まれたのではありません。

 労働者が団結して闘って、止むを得ず譲歩して社会保障が生まれてくるのです。資本主義の世界で最初の社会保障を行ったのはビスマルクという人です。ドイツの傑物の大首相といわれた人です。ドイツの土台を作った人ですが、この首相の頃、何しろマルクス、エンゲルスの生まれた故郷ですから、強大な共産党があり、国会で100議席くらいもっていました。そこで、ビスマルクが大弾圧をやるのです。社会主義取り締まり法という法律を作って共産党の大弾圧をし、片方では飴として労働者保険法という法律で、労働者に年金を作ります。世界で初めてです。辞めた後年金がもらえる仕組み、病気になったら安く治してもらえる仕組みを作った。こうやって鞭と飴で労働運動を抑えこんでいったのです。

 社会保障というのは、そうやって労働者の力に押されてやむを得ず、譲歩として生まれてくるのです。放っておいて自然に生まれてくるものではありません。

 そこへ拍車をかけたのが、ソ連や東ドイツです。ソ連や東ドイツヘいってみて、1960年の時点なのですから、日本にまだ社会保障などなかった時、そう豊かではなかったのですけれども、老後みながきちんと年金をだれでも貰える、そして、病気になればだれでも、医者に行って診察を受けて治療を受けられる。これにはほんとうに驚きました。これが社会主義というものかと、その時は思いました。ただ自由がないのです。例えば、牧師さんの家に泊めてもらうと、こちらがキリスト教徒ということが分かっていますから、牧師さんも信用して内緒話をしてくれるわけです。外国から来る手紙はみな開封されていると言っていました。政府が検閲して開封されてくる。だから、「日本へ帰って手紙をくれる時は、気をつけて書いてください。政府の悪口など書かれると私の立場が悪くなるから。手紙書くときは開封されることを頭に入れて書いてくれ。」というふうに言われました。こんな国には住みたくないなと思いましたけれど、同時に社会保障という点では驚きました。こういうことが可能な社会の仕組みというのがあるんだなあ、とこう思ったのです。

 その後、スターリン主義というものによって目茶苦茶にされていくのですが、私の行った頃はまだ、東側の社会保障がある程度きちっと生きていた時代です。こうして、ソ連や東ドイツが社会保障というものを始めると、資本主義の国もやらざるをえなくなってきます。そうでないと労働者が、あっちの方がいいと逃げ出してしまいます。ですから西ドイツが一番困りました。地続きですから、何しろ。ですから、東に負けないだけの社会保障をしなければならなかったのです。そうすると、自由があって社会保障があるのですから、こっちの方がいいということになります。いくら向こうは社会保障があっても自由がないのです。こうして西ドイツは大変な犠牲を払って、社会保障先進国になってきました。そのことによって、東ドイツに勝ったのです。

 実際西ドイツの労働者は、別に強制されたわけではありません。自主的に西ドイツを選んだのです。ですからあのような東西ドイツの統一も生まれてきたのです。

 つまり資本主義の国は、ひとつは自分の国の労働者の闘いに押されて。そこへもってきて、ソ連、東ドイツの社会保障という仕組みの外圧で、それに負けるわけにいかないものですから、そういう力があって、社会保障というものを造り出していくのです。しかし社会保障というものは莫大な財源がかかります。

《社会保障をやめて小さな政府へ──構造改革の中身(1)》

 いま日本政府は社会保障をどんどん削っていますけど、それでも国家予算の中で一番多い費目は社会保障です。大変な財源が必要なのです。そこで資本主義の国は、新しい財源を見つける必要ができてきます。

 そこで見つけたのが2つ。1つは累進課税です。それまでの資本主義にはなかった、累進課税という新しい仕組みです。つまり収入の多い人ほど税率が高くなるという仕組みです。日本でも1番高い時は1980年代、1番大金持ちはの税率75%でした。ですから、年収10億あれば7億絵5千万円税金にとられたのです。今から考えれば良く取ったものです。今は35%です。大金持ちは今ほんとうに楽なのです。35%ですむのですから。年収10億の人は3億5千万払えばいいのです。昔なら7億5千万取られたのです、税金で。「あんまり取りすぎではないか、これは俺の甲斐性で俺が稼いだ金。それを取り上げて怠け者のために配るのか。」と彼らはいいました。

 そうすると政府は、「いやそういわないでくれ。そうしないと、資本主義という仕組みがもたない。だから体制維持費だと思って出してくれ。そうでないと社会主義に負けてしまう」と言って、大金持ちからたくさん取ったのです。大企業も儲かっている会社からたくさん税金取った。法人税もずっと高かったのです、以前は。こうやって大金持ち、大企業からたくさん取る累進課税で一つ財源を作ったのです。

 もうひとつは、企業負担です。サラリーマンの方はすぐお分かりですが、給料から社会保障で差し引かれますね。そうすると、差し引かれた分と同額だけ会社が上乗せするわけです。自分が積み立てたものが戻ってくるだけなら、貯金したのと同じです。労働者の負担する社会保障費と同額だけ会社も負担しているのです。倍になって戻ってくるから、社会保障が成り立つわけです。

 これも資本主義の原則からいえば、おかしいことです。いまいる労働者の面倒を見るのは当たり前です。会社は労働者がいるから成り立っているのですから。だけど、辞めてからは関係ないはずです。契約関係がないのですから。辞めた人が飢え死にしようがのたれ死にしょうが、会社の責任ではないはずです。

 だけども一歩ふみこんで、それでは資本主義の仕組みがもたないから、労働者が辞めた後まで面倒みてくれ、そこまで企業負担してくれ、そうしないと資本主義がもたないから、ということになります。

 こうやって、社会保障というものが資本主義の国で成り立っているのです。これは、ただの資本主義ではありません。資本主義の原則に反するような累進課税とか、企業負担というものを持ち込んで、社会主義のよいところを取り入れた資本主義です。これを「修正資本主義」と呼びました。

 資本主義の欠点を修正して、社会主義に負けないようないい仕組みに造り直した資本主義ということです。学者によっては、資本主義の経済の仕組みと社会主義経済を混ぜ合わせた「混合経済」と呼ぶ人もいます。所得再配分機能を政府が果たすということです。もちろん修正資本主義というものは、このような良い面だけではなくて、公共事業という名前で国民の税金を大企業の利益のために大々的に流用するというようなマイナスの面もあることも忘れてはなりません。

 しかし、ともかくこうやって、西側の世界は、自由があって社会保障がある、そういう社会に変わっていくのです。そのことで東に勝ったのです。ところが、そのソ連と東ドイツが居なくなったのです。

 その前にもうひとつ。先進資本主義国というのは或る一種の傾向として、労働者が闘わなくなってきます。これは先進資本主義国の宿命のようなものです。つまり資本主義国というのはご存じのように、地球上の大部分を占めている低開発諸国、貧しい第3世界といわれた世界から、安い原料を買ってきてそれを製品にして高く売っています。そして差額、莫大な差額を儲けている。超過利潤と呼ばれています。だから遅れた国は働けば働くはど貧しくなるのです。一生懸命働いてコーヒー豆作っても、それを安く買われてチョコレートやインスタントコーヒーなどの製品を高く買わされるのですから、結局差額だけ損をすることになります。

 この20年、先進国と遅れた国の格差は開く一方、全然縮まらない。地球上の富を先進国が全部集めちゃって、とびきりぜいたくな生活をやっています。ですから先進国の労働者にも、当然そのおこぼれの分け前に預かるので、低開発国の労働者にくらべれば、ずっと豊かになります。豊かにれば闘わなくなってしまいます。その上、それを推し進めるようなありとあらゆる謀策が講じられているのです。

 資本主義というのは、物を売り続けなければなりたたちません。売ったものをいつまでも使われていたのでは、資本主義は成り立たないのです。早く買い換えてもらわなければなりません。いま、日本の車はよく出来ているので、30年は楽に乗れるのに、30年乗られたら日本の自動車会社はみな潰れます。3年か5年で買換えてもらわなれりばいけません。買い替えてもらうには、自分の車は古いと思ってもらう必要があります。ですからコマーシャルで、朝から晩まで何回も、「あんたは古い、あんたは古い。こんないい車ができてます。こんな新しい車が出ましたよ。もっといいのが出ましたよ」と宣伝して洗脳しいるのです。だから3年も乗ると、どうしても買換えざるをえない心境に引き込まれてしまいます。全てのものがそうです。まだまだ使えるのに新しいものに換えてしまう。そういう仕組みができているのです。

 そうしないと、資本主義はもちません。ですから労働者はどうなるかというと、「次、この車に買換えよう、次、パソコンこっちに買換えよう、次、今度はデジタルテレビに買換えよう、じゃあセカンドハウス、つぎは海外旅行・・・」。無限に欲望を刺激され、自分の欲望を満たす方に夢中になって、社会正義とか人権とか考えている暇がなくなっていくのです。

 いま日本の大部分がそうですね。「もっといい生活を」ということだけ考えています。ほかの人の人権だの社会正義なんて見向きもしない。見事に資本の誘惑にひっかかってしまいます。

 もちろん、欲しいからって、お金がなければ買えません。家がほしい、車がほしい、パソコンほしい・・・。それが、実はお金がなくても買える、なんとも不思議な世の中です。ローンというものがあるのですね。

 フォードという人が見つけたのです。それまでは、「つけ」で何か買うなどということは、労働者にはありませんでした。労働者が「つけ」で買ったのはお酒だけです。酒飲みはお金がなくても飲みたいのです。だから酒屋だけは「つけ」がありました。大晦日に払うか払わないかで夜逃げするかどうかもあったでしょうが、今は家を「つけ」で買う、車を「つけ」で買う、なんとも奇妙な世界になってきました。これをフォードが始めたのです。それまでは、自動車というのは大金持ちのものでした。フォードが、あのベルトコンベアーというのも発明して、大量生産を始めたのです。そうなれば、大量に売らなれりばなりません。大量に売るためには労働者に買ってもらわなくてはなりません。でも労働者にはお金がないのです。そこで、ローンという、とんでもないものを考え出したのです。ローンなら金がなくても買えるんですから、みんな買う。当然な話です。

 そりゃあ豊かなのに越したことはありません。マイホームが欲しくなる。ですからみんなローンで買う。そして「マイホーム」という感じになるのです。でも本当はマイホームではありません。あれは銀行のものです。払い終わるまでは、所有権は銀行のものです。銀行から借りてローン組んだだけなんです。こうして次々と新しいものを買わされていく。そのローンは多くの場合退職金を担保に組みます。一度退職金を担保にローンを組んでしまったら、ストライキはできなくなります。会社と闘って退職金がすっとんだら終わりなのです。家も途中でおしまいになってしまいます。ですから、ローンでマイホームが変えるようになってから労働運動は一気に駄目になりました。みんな闘わない、会社と喧嘩したくない、というふうになります。これはもちろん、向こうは計算済みのことです。

 ですから、高度に発達した資本主義社会というのは、労働者が、ある程度ですが、豊かになり、そして、このような消費社会に組み込まれてしまって、身動きができなくなるのです。

 こうして、いま日本では労働組合も、労働運動もストライキもほとんど力を失いました。そうなれば、政府は社会保障なんて、何も譲歩する必要がはありません。労働者が必死になって運動するから、止むを得ず健康保険とか年金制度とかやってきたのであって、労働者が闘わなければ、その必要はないのです。いま、どんどん社会保障が悪くなってきています。次から次から悪くなる。20年前だったら、いまのように社会保障が悪くなったらたちまち、大ストライキが起こりました。しかし今は何も起きません。労働組合が弱体化している、労働運動が骨抜きという状態です。

 そこへもってきて、ソ連や東ドイツがいなくなったのです。こうなればもう社会保障をやる必要はありません。社会保障は止めます、修正資本主義は止めます、ということになるわけです。修正資本主義にはいろいろな意味があるのですけど、一つの特徴は、大金持ちや大企業からお金を取って、弱い立場の人たちに配るところにあります。所得再分配と言われる働きです。だから政府は大きな政府になります。こういう仕組みが修正資本主義で、いろんなマイナス面もあるのですが、プラスの面も大いにあります。

 この仕組みをやめる、というのが今のアメリカです。もう政府は面倒みません、自分でやりなさい、と自由競争に戻る。自由競争一筋。これが、ソ連が崩壊した後に新しくなったアメリカの仕組みなのです。そして、それに日本が「右へならえ」ということなのです。

 それに対してヨーロッパは、アメリカのいうことを聞かず、「われわれはこれからも、社会保障のある資本主義でいきます。むき出しの裸の自由競争には戻りません」。これがヨーロッパなのです。なぜヨーロッパがそういえるかというと、労働運動が強いからです。先進資本主義国なのになぜ労働運動が弱くならないのか。これはこれで時間をかけて考えなければならない問題なのですが──。

 現実の問題として強い。ヨーロッパだって大企業は社会保障を止めたいにきまっています。しかし止めると大騒ぎになります。労働者が絶対に言うことを聞きません。だからやむを得ず守っているのです。企業負担もうんと高いです。日本の会社の倍以上払っています。ですからトヨタ自動車もフランスに、フランス・トヨタを作っていますけど、日本トヨタの倍以上払っています。それでも儲かっているのです。

 ですから、ヨーロッパでも、社会保障は少しずつ悪くなってきてはいますが、日本に比べれば遥かに違います。このようにして、ヨーロッパはアメリカと別の道を進み始めました。アメリカは剥き出しの資本主義に戻りますが、ヨーロッパは修正資本主義のままでいこうとしています。

 しかし、それでは競争で負けます。アメリカや日本は企業の社会保障負担がうんと減っていますから、利潤が増えています。ヨーロッパは高い社会保障負担でやっていますから、儲けが少ないのです。そこで競争しなくてすむようにEUいうものを作って、枠を閉ざしちゃいました。アメリカや日本の会社がヨーロッパに来るときは、ヨーロッパ並みの負担をしなければ、EUには入れません。だからEUの中でやっている時には、日本にもアメリカにも負ける心配はないのです。

 そういう仕組みを作って、アメリカとは別の道を進み始めました。そのためにユーロという別のお金も作りました。イラク戦争で表面に出てきたのですが、イラク戦争がなくても、ヨーロッパはアメリカとは別の道を進み出していました。もう2度とアメリカとは一緒にならないでしょう。

《規制緩和とグローバリゼーション − 構造改革の中身(2)》

 もう一つ、ソ連、東ドイツ崩壊の結果、アメリカが大きく変化したことがあります。それは何かというと、大企業・大資本を野放しにしたことです。

 ソ連がいる間は、大企業や大資本に、「あなた達は資本主義なんだから儲けたい放題儲けたいだろうけど、それをがまんしてください。あなたたちがやりたい放題にやったら、他の資本主義国はみんな負けてつぶれてしまう。アメリカの資本と競争できるような資本などどこにもありませんから。そうなれば、ソ連の方がましだということになる。だから、やりたい放題は抑えてほしい」と言ってその活動を制限してきました。

 具体的に何を抑えたかというと、為替取引を規制したのです。これが一番大きな規制です。いまではもう、中央郵便局へ行って「ドル下さい」といえば、すぐドルをくれます。「100ドル下さい」といえば「ハイこれ1万2千円」。ユーロでも、「下さい」といえば「100ユーロ・ハイ1万4千円」とすぐくれます。でもこれはごく最近のことです。それまでは、外貨・外国のお金は、日本では勝手に手に入りませんでした。お金を外国のお金と取り替える、つまり為替取引は厳重に規制されていて、個人が勝手にはできなませんでした。外国旅行に行くとか、何か特別な理由が認められた時しか、外国のお金は手に入りません。いまは何も制限ありません。自由にだれでもいつでもできます。理由など聞きませんから、100ユーロとか千ドルくださいと言えば、そのままくれます。これが為替取引の自由化というものです。これがなかったのです。ソ連が崩壊するまでは、アメリカも厳重に規制していました。それをとっぱらったのです。理屈っぽく言えば、資本の国際移動が自由にできるようになったということです。こうして、アメリカの巨大な金融資本が、世界中を我が物顔にのし歩く時代が来るのです。

 もうソ連も東ドイツもなくなったのですから、「いや永いことお待たせしました。今日からもう儲けたい放題儲けていいですよ。やりたい放題やっていいですよ」ということになったのです。これが規制緩和とことです。規制緩和ということは要するに、大資本が野放しになったということです。そうなったらどうなるか、世界第2の経済大国といわれる日本でさえ、全然太刀打ちできません。アメリカの巨大資本、金融資本・銀行ですね。日本の銀行とは勝負になりません。ボブサップと私が裸で殴り合ぅようなもので、一コロで殺されてしまいます。

 それでもやれというなら、ボブサプは手と足を縛ってもらって、目隠ししてもらって、こちらは金槌でも持たしてもらって、それでやっと勝負になるのです。今まではそうだったのです。それを全部外して自由にする、無条件で自由競争にするというのです。負けないためには、相手に負けない位大きくなるしかないですから、合併、合併、合併。あっという間に30ほどあった都市銀行が3つになってしまったのです。UFJとか「みずほ」とか、元何銀行だったか覚えておられる方おられますか。すぐ言えたら賞金をさし上げてもよろしいのですが、まず、言える方おられないでしょう。合併、合併であっという間に3つになりました。3つにになってやっとなんとか対抗できるというくらいにアメリカの巨大銀行というのは大きいものなのです。それでもダメで、長銀はのっとられてしまいました。北海道拓殖銀行も山一証券ものっとられてしまいました。次々とのっとられています。

 ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられまし。広くていい温泉なんですけど、驚いたことにゴールドマンサックスでした。世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの代表のようなものです。これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送していました。古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、ゴールドマンサックスが。どうするかというと、従業員みんな首切っちゃってパートにして、腕利きのマネージャーを送り込み、部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの観光客をワーツと呼ぼうという作戦なんですね。儲かるようにして高く売るのです。ゴールドマンサックスが経営するのではありません。いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直してすぐに売っちゃうのです。これが投資銀行のやっていることです。確かに、いわれてみればそのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカからごっそり観光客が来ると思います。そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。そして近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパーなんていって売り出す気なのですね。ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。

 アッという間に日本はアメリカ資本に乗っ取られようとしています。去年のホリエモン合併もそうです。今年から商法改正(改悪)して、乗っ取りを認めるということになったのです。株の等価交換、面倒な仕組みですから詳しいことは申し上げませんが、アメリカ株1億ドル分と日本の株1億ドル分を、等価父換していい、こういっているんです。ところが、アメリカの株の値段が高いのです。ですから1億ドルといっても、株の数からすると、例えば千株位しかない。日本は株が安いですから、同じ1億ドルで1万株位あるのですね。そうすると、千株と1万株で取り替えますから、あっという間にアメリカは大株主になってしまう。この等価父換を認めると、日本の大企業全部乗っ取られてしまう。

 そこで、日本の優良企業が狙われています。超優良企業を株式等価交換で、簡単にアメリカが乗っ取ることができる。今年からそれが可能になるはずだったです。それで去年、実験をやったのですね。ホリエモンにやらせてみたのです。ホリエモンはアメリカのリーマン・ブラザースから借りてやったのです。で、出来そうだなと分かったので、アメリカはお金を引き上げてしまいました。ホリエモンに乗っ取られては困る、いずれ自分が乗っ取るのですからネ。最後の段階で資金引き上げましたたから、ホリエモン降りる外なかった、多分そういう仕組みだったのではないかと思います。

 今年から自由に、日本中の会社をアメリカが乗っ取れるはずだったのですが、あのホリエモン騒動のおかげで日本の大企業が震え上がり、政府に泣きついて、「なんとか商法改正を見送ってくれ」と。それで見送りになりました。ですから、ちょっと一息ついているのです。今年すぐ、乗っ取られるというわけではありません。でも、いつまでも見送りというわけにはいかないでしょう。2・3年後には解禁。そうなれば、日本はほぼアメリカ資本に支配される、ということになるでしょう。

 日本ですらそうなのですから、まして、フィリピンとかタイとかいう国はたまったものではありません。あっという間に乗っ取られてしまいます。アメリカに勝手に経済的属国にされてしまう。それに対して、いやそんなの困るから、アメリカ資本が自分の国の株を買うことを法律で禁止する、というようなことをやろうとすると、アメリカはそれを認めないのです。グローバリゼーションだから地球はは「一つ」だというのです。いくら規制緩和しても相手国が法律で規制してしまったら終わりです。ですから、自分の国だけ勝手に現制することは認めません、地球はひとつですよ、グローバリゼーションですよ、ときます。フメリカの大資本が地球上のどこの国でもアメリカ国内と同じ条件で商売できるようにする、これがグローバリゼーションです。いやだと断ると制裁を加えられます。

 クリントン大統領の時は経済的制裁だけですんだのですが、ブッシュになってから、軍事的制裁になりました。いうことを聞かないと軍事制裁だぞという、これがネオコンという人たちの主張です。イラクを見ればみな震え上がるでしょう。ですから、アメリカの言いなりにグローバリゼーションで国内マーケットを開放して、アメリカ資本に全部乗っ取られてしまう、というのがいま着々と進行しているのです。

《アメリカの孤立》

 そこでどうなったかというと、ヨーロッパと同じように、「そんなの困る。自分の国の経済の独立は自分たちで守りたい」という人たちが手を繋いで、「アメリカに支配され引きずり回されないように、防波堤を作ろう」という動きが始まりました。だいたい5・6年前からです。アセアン(ASEAN東南アジア諸国連合)の動きが始まりました。5つの国です。インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン。元来はアメリカが造らせた組織だったのですが、いつのまにか自主独立を目指す組織に成長しました。

 手を繋ぎ、アメリカに引きずり回されないように、アメリカの資本が勝手に入ってこないように、自分たちの経済は自分たちでやりましょう、と。ところが、ASEANが束になったってアメリカにはとてもかないません。そこで、知恵者がいました。アセアンだけではかなわないので、中国と手を繋いだのです。「アセアン、プラス中国で、アジアマーケットを作り、アメリカにかき回されないようにしよう」しようというのです。確かに、中国が入ったらアメリカはうかつに手が出せません。しかし中国だけ入れると、反米色があまりにも露骨ですから、「アセアン、プラス・スリーでいきましょう。アセアン+日本+韓国+中国、でいきましょう」ということになります。日本はアメリカの51番目の州だといわれているのですから、日本が入れば、アメリカも安心します。

 EUのように、アセアン+スリーで、自分たちの経済は自分たちでやれるように、アメリカに引きずり回されないような自立したアジアマーケットを形成することが目標です

 ただひとつ、日本が具合が悪いのです。日本はそのスリーに入っているのですが、(アセアンの会議に)行く度に「アメリカも入れろ、アメリカも入れろ」というのです。アセアン諸国はアメリカから自立するために作っているのですから、「アメリカを入れろ」といわれたんじゃあ困るので、結局日本は棚上げになってしまいます。実際にはアセアン+中国で、経済交流が進んでいます。いずれ2010年には、東アジア共同体・EACというものを立ち上げる、という動きになっています。
 そうなってくると韓国が困りました。日本・アメリカ側につくのか、中国・アセアン側につくのかで、2・3年前から中国側に大きく傾いています。留学生の数を見ると分かります。中国の北京大学には世界中の留学生が集まります。21世紀は中国と商売しなければメシが食えなくなることが分かっていますから、将釆、中国語がしゃべれる人が自国のリーダーになり、中国の指導者に友達がいないと困ります。それには北京大学に留学するのが一番いいのです。あそこはエリート養成学校です。この前行った時聞いてみたのですが、入学試験競争率5千倍だそうです。超難関です。

大学の構内を歩いて見たのですが、広い敷地に6階建てのアパートが36棟ぐらい建っていて、みな学生寮です。全寮制。そばに教職員住宅があって、朝から晩まで共に暮らしながら勉強しています。授業は朝7時からです。ものすごく勤勉に勉強しています。35年間私は大学の教員でしたが、愛すべき怠け者の学生諸君を教えてきたわが身としては、「あ、これはかなわないなァ、20年もしたら──」と思いました。向こうは国の総力を上げて次の時代の指導者を養成しているのです。日本はもう全然、ニートとかフリーターとかいって、若者の気迫がまるでレベルが違います。これは置いていかれるな、という気持ちになりました。このように世界中の国が、いま一流の学生を北京大学に送り込んでいるのですが、去年、北京大学留学生の中で一番数が多いのが韓国なのです。

 おととしまで韓国の学生は殆どアメリカヘ行っていました。去年あたりから中国へ変わったようです。つまり韓国は、21世紀の自国は、アメリカ・日本ではなく、中国・アセアンと組むことで繁栄を図りたい、と向きを変えたということです。
 それに拍車をかけたのが小泉首相の靖国参拝。これで韓国は怒っちゃってあちらを向いた。そうなると、アセアン、中国、韓国と繋がって、日本だけはずされてしまった、という状況がいま生まれつつあります。

 さらに中国は、数年前からいま、「ふりん政策」を国の方針としています。フリンといっても男女の不倫ではありません。富、隣。隣の国を富ます、隣の国を豊かにする──富隣政策です。隣の国と仲良くする。中国だけ儲けたのでは相手に恨まれてしまいます。英語では「ウィン、ウィン」(win-win)というようです。どっちも勝つ、中国も儲けるけど相手も儲けるような関係を必ず作っておく、ということが基本政策です。

 つまりアメリカは、やっとソ連を倒したと思ったら、今度は中国が出てきたのですから、中国を目の敵にしているのは当然です。中国にすれば、アメリカにやられないためには、単独では対抗できませんから、周りの国と手をつなぐ、ということです。

 アメリカは修正資本主義を止めて自由競争の資本主義に戻りました。その結果大企業・大資本は野放しになりました。そのためにアジアにそっぽを向かれることになりました。アメリカにはついていけない。アメリカに勝手にされては困る。もちろんアメリカと喧嘩をしては駄目ですが、自分の国は自分の国でやれるようにしなければならない──、というふうに変わったのです。

 そして最後に、3年前から南米が変わりました。ようやく日本でも報道されるようになりましたからご存じと思います。ただ日本のマスコミはちょっとしか書きませんから、気づいておられない方もおありかと思います。南米がものすごい勢いでアメリカ離れを始めたのです。

 今まで200年、南米はアメリカの裏庭といわれていました。アメリカはやりたい放題やっていました。チリは世界一の銅の産出国ですが、このチリの銅はすべて、アナコンダというアメリカの銅会社が一手で採掘していました。だからいくら掘ってもチリは豊かにならない。アメリカのアナコンダだけが儲かるのです。
 ブラジルは世界一の鉄の産地です。これもみな掘っているのは欧米の会社で、いくら掘ってもブラジルは豊かにならない。ベネズエラは世界第五位の産油国です。これもみなアメリカの石油資本が持っていく。

 こういう国はこれまで軍事独裁政権でした。政治家は、自分の国の資源をアメリカに売り渡し、自国の国民の反発は力で抑えつけ、莫大なリベートを貰って自分たちだけベラボウな贅沢をしてきました。これがアメリカと南米のパターンだったのです。

 それが、3年ほど前から、「おかしいではないか。やっぱりベネズエラの石油はベネズエラ人のものだ。石油を掘ったら、ベネズエラが豊かにならないとおかしいではないか。いくら掘ってもアメリカだけ儲けるのはおかしい。石油をアメリカの石油会社から取り上げて、ベネズエラで掘ることにしよう。国有化しよう」というような政策を訴える大統領が、当選するようになりまし。この3年間で、南アメリカは80%が、このような自主独立派の大統領になりました。アメリカ資本に任せず、自国の経済は自分でやろうという政策を掲げた大統領が、次々と当選したのです。
 いまでは、南アメリカでアリカの言いなりというのは、多分コロンビアしかないと思います。あとは殆どみな、自分の国は自分でやりましょというふうに変わってきました。ベネズエラのウゴ・チャベスという人がそのチャンピオンです。ご存じですね、時の人です。アメリカはそのチャベスの当選を必死になって妨害したのですが、結局ダメでした。チャベスが圧倒的多数で選出されました。その彼の言い分がふるっているのです。

 「失礼にならないようにアメリカから遠ざかりましょう」というのです。いきなり遠ざかったのではゴツンとやられますから、アメリカを怒らせないように、喧嘩しないように、少しずつ「小笠原流」で遠ざかって自主独立に向かいましょうというのです。

 これがいま世界の合言葉です。「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる。」日本もそうしなければいけない、と私は思っているのですが。絶対にやりません。

 こうやってアメリカは、ソ連や東ドイツがなくなってから、修正資本主義をやめて、いまの言葉でいえば「新自由主義」という仕組みに代わりました。日本はそれに右ならえしたのです。いま申し上げたように、このアメリカの新自由主義経済に無条件で追随しているのは、日本しかありません。あとはみな、「失礼にならないように」距離をおきました。日本だけが無条件でついていきました。だから「ポチ」だといわれるのですネ、確かにポチと言われてもしょうがないほど、無条件でついていきます。それは恥ずかしいことですが、日本が追随していく。これが構造改革なのです。修正資本主義経済から新自由主義経済に変わるということです。簡単にいえば、弱い人の面倒を政府が見るような仕組みから、もう弱い人の面倒は見ませんという仕組みに、変わっていく──。これが構造改革です。

 だから、社会保障はどんどん悪くなる。自由競争で勝ち組と負け組がある。中には1千万ぐらいのマンション買って落ち着いているのもいる。片方には、国民健康保険料さえ払えなくて医者にも行けない。そういう人がもう全国で膨大な人数出てきている。まさに格差社会です。

 どんどんその格差が広がっています。金持ちからお金を取って弱い人の面倒を見る、というのが修正資本主義なのですが、それを止めてしまいました。野放しなのです。強い人はますます強くなり、弱いものは負けたら自己責任なんですよ。こういう仕組みにいま変わったのですね。

 それがいいか悪いか、止むを得ないのかどうかは、いろいろな立場によって考えが違うのですが、事実はそうなったのです。

 しかしヨーロッパは別の道をとっています。このように別の道もありうるというのも事実なのです。ヨーロッパのように社会保障を止めない資本主義もあり得るのです。

 日本の場合、アメリカほど徹底していませんが、流れとしては「政府はもう弱い人の面倒は見ません」、という方向に大きく動いています。

《憲法改悪の要求》

 こうして、アメリカは新自由主義経済で自国の企業を野放しにして、それを世界中に押しつけようとしたのですが、意外に抵抗が大きかった。ヨーロッパはいうことを聞かない。アジアも聞かない、南米も聞かない。これでは困るので力づくで押しつける。こういうことになるのですね。力づくで押しつける時に、最大の目標・ターゲットはもちろん中国です。やっとソ連を倒して、21世紀はアメリカが王様になれると思ったら、中国が巨大な国になってきて、アレリカの前に立ふさがっいます。このままではアメリカは王様ではいられません。中国を抑え込むことが21世紀へ向けてのアメリカの最大の長期的課題になっています。しかし戦争はできません。中国と戦争したのでは共倒れになります。唯一の道はエネルギーを抑えることです。

 ネオコンという人たちの書いた文章を読むと、非常にはっきり書いてあります。21世紀にアメリカが世界の支配権を握るには、中近東の石油を抑えなければならないというのです。中国は石油の自給ができません。どんどん石油を輸入していますが、殆どいま中近東から輸入しています。アメリカが中近東の石油を抑えれば、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなる。当然でしょうね。
 世界一の産油国サウジ・アラビアはすでにアメリカ側の国です。そこで第二の産油国であるイラクをアメリカは分捕りたいのですが、その理由がありません。そこでアメリカは「大量破壊兵器、テロ応援」という嘘をつきました。プッシュ大統領も、ついにウソであったことを認めました。

 ではなぜイラク戦争をやったのか。本当の理由はまだ公表されていません。しかしネオコンという人たちの文章を読むと、明らかに「石油を抑える。抑えてしまえば中国は言うことを聞かざるをえない」。ここに本当の理由があったことは明白です。そうだとすれば、恐ろしい話ですが、(次に)絶対にイランが狙われます。
 世界第1の産油国サウジアラビアは、昔からアメリカの同盟国です。第2位のイラクは抑えてしまいました。そしてイランは第3位の産油国です。ここを放っておいたのでは意味がないのです。中国はいくらでもイランから石油の輸入ができます。どうしてもイランまで抑えなければならないというのは、アメリカでは、いわば常識です。どんな新聞雑誌でも次はイランだということが堂々と語られています。

 ライス国務長官も3日前、「今イランに対するは軍事力行使の予定はない」と言っていました。「今は」です。イランは核開発やっているというのが理由です。たしかに妙な国ですが、しかし別に悪い国ではありません。あのあたりでは1番民主的な国です。曲がりなりにも選挙で大統領を選んでいますから。女性はみな顔を出していますし、大学へもいっています。イランは近代化した国なのです。サウジアラビアなどの国に比べたら、ずっと民主的な近代国家です。イスラム教のお妨さんが、選挙で選ばれた大統領より偉い、というのだけが変ですが、全員がイスラムですから、他国がとやかく言うことではないです。

 ですから、イランが悪魔の国というのは嘘なのです。イラクがそういわれたのも同じで、要するに悪魔の国と誤解させて、戦争しかけてもやむを得ないと思わせるための宣伝が行われているのです。

 イランはイランで、自分で自分他ちの国を近代化していけばいいのであって、核兵器持つなといっても、隣のパキスタンもインドも持っているのです。こちらのイスラエルもです。イランだけ持つなといっても、聞くわけありません。イランに持たせたくないのなら、「俺も止めるからあんたも」と言わなければなりません。「俺は持っている。お前だけ止めろ」と言ったってイランが聞くわけありません。そんな理屈が通るはずがないのです。実に馬鹿な理屈です。本当にイラクに核開発をやめさせたいのなら、イギリスもフランスもアメリカも 「先ず自分が止める、だからお前も止めろ」と言うしかありません。お前だけ持つなと言って、聞くと思う方がどうかしています。核開発は現在の大国の論理では抑えられません。イランに言わせれば、「イラクがなぜあんなに簡単に戦争しかけられたかといえば、核兵器を持っていなかったからだ。持っていたら恐ろしくてとても戦争なんか仕掛けられない」ということになります。だからイランはいま核開発を急いでいるのです。核兵器を持たないとアメリカに攻められるから。そう思い込んでいるのです。

 そう思わせるようなことをアメリカはやってきたのですから、イランに核兵器開発を止めさせるためには、イラクから撤収して、中東の平和は中東に任せる、という姿勢を示すしかありません。自分がイラクを分捕って居座ったままで、イスラエルやパキスタンやインドの核兵器には文句をいわずイランにだけ、というのは通じない理屈です。実にゆがんだ国際常識というものが罷り通っている、と思います。

 もしアメリカがイランまで分捕ってしまえば、サウジアラビア、イラン、イラクと合わせて、世界の石油の70%ぐらいになるはずですから、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなります。だからつぎはイランだというのが、ネオコンの論理です。

 ただ問題は、イランに戦争を仕掛けるとしても単独ではできなません。兵隊がたりない。徴兵制ではなく志願兵制度ですから。いま、ありったけの兵隊さんがイラクに行っています。あれ以上いないのです。だからハリケーンが来ても出せなかったのですね。そうすると、イランに出す兵隊なんていないのです。そこで、アメリカの右翼新聞の社説など、堂々と書いています。「イラクにいるアメリカ軍でイランを乗っ取れ。カラッポになったイラクの治安維持は、日本にやらせろ」と。

 アメリカの論理から言えばそうなるのでしょう。自衛隊にイラクの治安維持をといいますが、実際は内乱状態ですから、今も毎日アメリカ兵は毎日5人位殺されています。そんなこと引き受けたら、自衛隊員何人死ぬか分かりません。第一そんなことは、憲法9条があるかぎりできないのです、絶対に。憲法があるおかげで、自衛隊はイラクにいますけれども、ピストル1発撃つことができないのです。憲法9条第2項というのがあるのです。自衛隊は戦力ではない・交戦権はないとなっていますから、不可能なのです。だから給水設備備を作るとか、学校修理とか、そういうことしか出来ません。これじゃあアメリカから見れば役に立たないのです。

《平和憲法こそ 日本生存の大前提》

 そこで、「9条2項を変えて、戦争ができる自衛隊になってくれ」というのがアメリカの強い要求なのです。みんな分かっています。言わないだけです。日本の新聞記者も知っています。しかし、「9条変えろ」がアメリカからの圧力、と書くと首になるから書かないだけです。でも誰も知っています。アメリカのに戦争に参加しなさい、という強い圧力がかかっているのです。

 ここのところをよく見極めておくことが必要です、「9条を守る」ということは、「アメリカの言いなりにならぬ」ということと一つ、なのです。

 アメリカと喧嘩しては駄目ですから、「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる」のが何よりも大切です。仲良くするけれども言いなりにはならない、ということです。ところが、憲法が危ないという、この危機的な状況にもかかわらず、国内で労働運動が弱体化していますから、ストライキも起きない。大きなデモも起きない。大反対運動も起きない──。という状況です。

 ではもう駄目なのでしょうか。そうではないと思います。それには日本の国内だけではなく、世界に目を向ける、アジアに目を向けるこちとが必要のです。ご存じのように、これからの日本は、中国と商売せずには、生きていけなくなりま。いま、大企業だけですけど、多少景気がよくなってきています。全部中国への輸出で持ち直したのです。中国マーケットがなくなったら日本経済はおしまいだ、ということは誰も分かってきています。

 お手元の資料の中の(貿易額の)丸い円グラフは、2003年のもので少し古いのですが、アメリカ20.5%、アジア全体で44.7%、つまり日本にとって一番大事な商売の相手は、アメリカではなくてアジアなのです。

 アジアと仲良くしなかったら、経済が成り立たないところへ、いま既にさしかかっているのです。左隣の棒グラフは2004年ですが、左上から右に折れ線がずうっと下がってくる。これが日本とアメリカの貿易です。点線で右へずうっと上がっていくのが中国との貿易。遂に去年(2つの折れ線が)交差し、中国との貿易の方がアメリカとの貿易額より多くなりました。しかも鋏状に交差していますから、今後この2つは開く一方になってきています。

 つまり、あと2・3年もすれば、日本は中国との商売なしには生きていけない、ということが国民の常識になるということです。いま既に、中国を含めたアジアが、日本の一番大事なお客さんなんです。仲良くしなければいけません。一番大切なお客さんの横っ面ひっぱたいたんじゃ商売は成り立ちません。

 靖国参拝などというものは、一番大事なお客さんの横面ひっぱたくと同じことなのですから、個人の信念とは別の問題です。小泉首相は総理大臣なのですから、個人の心情とは別に日本の国全体の利益を考えて行動しなければいけません。それは総理大臣の責任だと思います。その意味でアジアと仲良ぐできるような振舞いをしてもらわなければ困るのです。

 もう一つ。アメリカとの商売はこれからどんどん縮小していきます。それは、ドルというものの値打ちがどんどん下がっていくからです。これはもう避けられません。

 昔はドルは純金だったのです。1971年まで、35ドルで純金1オンスと取り換えてくれました。だからドルは紙屑ではありませんでした。本当の金だったのです。

 われわれのお札はみな紙屑です。1万円なんて新しくて随分きれいになりましたけど、綺麗にしただけちょっとお金がかかって、印刷費に1枚27円とかかかると聞きました。27円の紙がなぜ1万円なのか。これは手品みたいなものです。あれが5枚もあるとなかなか気が大きくなるのですが、本当は135円しかないのです。それが5万円になるのは、法律で決めているのです。日銀法という法律で、こういう模様のこういう紙質のこういう紙切れは1万円、と決められている。だから、あれを1万円で受け取らないと刑務所に入れられます。法律で決まっているからです。ですから日本の法律の及ぶ範囲でだけ、あれは1万円なのです。その外へ出ると27円に戻ってしまいます。

 金と取り換わらないお札というのは、簡単にいえばその国の中でしか通用しません。他の国へ行ったら、その国の紙屑と取り換えなければ通用しません。ところが、ドルだけは世界で通用しました。純金だからです。

 ところが、1971年にアメリカはドルを金と取り換える能力を失いました。ベトナム戦争という馬鹿な戦争をやって莫大な軍事費を使ったのです。背に腹は代えられなくてお札を印刷し、航空母艦を造ったりミサイル、ジェット機を作ったりしたのです。そのために、手持ちの金より沢山のお札を印刷しちゃったのです。

 その結果、アメリカは、ドルを金と取り換える能力を失ったのです。そこで、71年8月15日、ニクソン声明が出されました。「金、ドル交換停止声明」です。あの瞬間にドルも紙屑になったのです。ドルが紙屑になったということは、ドルがアメリカの国内通貨になったということです。

 ところが、問題はそれ以後なのです。世界で相変わらずドルが適用したのです。皆さんも海外旅行へ行かれる時は、大体ドルを持って行かれますね。どこの国へ行っても大丈夫なのです。金と取り換えられないお札が何故世界で適用するかは本当に不思議で、経済学者にとって最大の難問なのです。いろんな人がいろんな答を言っていますけど、あらゆる答に共通しているのは、ひとつは「アメリカの力の反映」だから、ということです。

 つまり、日本が自動車を作ってアメリカヘ売ります、ドルを貰いますネ。日本は損をしているのです。自動車という貴重なな物質がアメリカへ行って、紙屑が返ってくるのですから。物が減ってお札だけ増えると必ずバブルになります。

 バブルの犯人はそこにあるのです。日本が輸出し過ぎて貿易黒字を作り過ぎているのです。だから日本は、アメリカに自動車を売ったら、「純金で払ってください」と言わなければなりません。ところがそう言うと、ジロッと睨まれてお預けになってしまいます。日本には米軍が5万人います。「アメリカのドルを受け取らないとは、そんな失礼なこと言うなら、在日米軍クーデター起こしますよ」、これで終わりなのです。黙って受け取ってしまう。だから日本は無限に物を提供し、無限に紙屑をもらう。こうしていくら働いても日本人の生活はよくならないのです。しかもその紙屑でアメリカの国債を買っています。アメリカに物を売って、払ってもらった代金をアメリカに貸している。言ってみればツケで輸出しているようなものです、現実に。アメリカにいくら輸出しても日本は豊かにならない仕組みになつています。

 2週間前に『黒字貿易亡国論』という本が出ました。有名な格付け会社の社長さんですが、「貿易黒字を作るから日本は駄目なのだ」、ということを詳しく論じたたいへん面白い(文芸春秋社の)本です。確かにそうだと思います。だからドルは、本当は受取りたくないのです。みんな紙屑なんです。だけど受け取らないと睨まれる。アメリカの軍事力が背景にあるのです。

 その力をバックにして、紙切れのお札を世界に通用させている。例えていえば──餓鬼大将が画用紙に絵をかき1万円と書いて鋏で切り、これ1万円だからお前のファミコンよこせ、とこれを取り上げる──のと同じです。いやだと言ったらぶん殴るのです。怖いから黙って渡して紙屑もらうことになります。その紙屑で、他の人から取り上げればよいのです。「お前のバイクよこせ、よこさなかったらいいつける」。「あの人、あんたの紙屑受け取らない」、するとガキ大将が釆て、ゴツンとやってくれる──。餓鬼大将の力の及ぶ範囲ではそれが通用するのです。露骨にいえば、ドルがいま世界に適用しているのは、そういう仕組みが一つあります。
 もう一つは、ソ連の存在です。もし紙屑だからアメリカのドルを受け取らないといったら、アメリカ経済は潰れます。アメリカが潰れたらソ連が喜ぶ。だから紙屑と分かっていても受け取ってきた。ソ連に勝たれては困るから──。
 これも確かに一理あります。ということは、ソ連がいなくなって、紙屑は紙屑だということがはっきりしてきたのです。今まではソ連がいるために、紙屑なのに金のように適用したが、今や「王様は裸だ」というのと同じで、「ドルは紙屑だ」といっても構わない時代です。

 ともかくドルが危ないのです。私が言ってもなかなか信用してもらえませんが、経済誌『エコノミスト』、一流企業のサラリーマンなら必ず読んでいる雑誌すが、これの去年9月号が中国“元”の特集でした。その真ん中へんに「プラザ合意20年」という対談がありました。その中で、榊原英資さんは「5年以内にドル暴落」と言っています。

 榊原さんは大蔵省の元高級官僚で日米為替交渉の責任者を10年やりました。円・ドル問題の最高責任者だった人です。「ミスター円」といわれていました。通貨問題に最も詳しい現場の責任者です。停年で大蔵省をやめて今は慶應大学の先生になっています。この人が「5年以内にドルが暴落する」、つまりドルが紙屑だということが明らかになる日が近いと言っているのです。

 ソ連がいる間は隠されていたのですが、いまはもう、ドルは紙屑だから受取りたくないという人たちが増えてきています。これまでは世界通貨はドルしかなかったので、受け取らなければ商売ができなかったのですが、今ではユーロという代わりが出来てしまいました。ドルでなくてユーロで取引する国が増えてきています。そしてユーロの方が下がりにくい仕組みになっています。ドルは下がるのです。

 なにしろアメリカは、永いことドルが世界通貨ということに慣れてきました。だから自動車が欲しければ日本から自動車買って、アメリカは輪転機を回せばよいのです。紙とインクがあればいいのですから。ほかの国はこんなことできません。自動車が欲しければ、一生懸命働いて何か輸出し、その代金で輸入しなければならないのです。アメリカ以外の国は全部そうやっているのです。

 輸入は輸出と一緒です。輸入するためには輸出しなければなりません。ところがアメリカだけは輸出しないで輸入ができるのです。ドルという紙切れが世界通貨ですから。極端に言えば、欲しい自動車や石油を日本やアフリカなどから買って、紙とインクで支払う。実際そうして世界の富がアメリカに集まったわけです。
 71年以降の30年間、この仕組みのために、世界中にドルが溢れ出ました。ドルがどんどん増えますから、当然値打が下がります。こうしてドル下落傾向。(資料の一番下のグラフがそうです。円が上がっていく様子、為替取引だから短期的には上下しますが、長期的には間違いなく円高。ドルがドンドン下がるのは確かです。)これがあるところまでいくと、ガクッと下がります。

 あるところまでいくと、「ドルは信用できない、下がる通貨は持っていたくない」となります。ですからドルを受け取らない、ユーロか何か、別な、下落しない通貨でなければ受け取らないということが出てくる。そうなるとドルは暴落します──。榊原氏がそういっているのです。

 ヨーロッパはユーロでいくでしょう。アジア経済圏はなんといったって元です、中国の。中国は賢いですから、元を押しつけないで、何かアジアの新しい通貨を作るかもしれません。しかし元が中心になることは間違いないでしょう。ドルはアメリカでしか使われなくなる。そうすると、今まで全世界で使われていたドルが、みんなアメリカに集まって来るわけですから、アジア、ヨーロッパで使われいていたドルがみな戻ってきて、簡単にいえばドルの値打が3分の1に下がることになります。

 アメリカの生活は大きく収縮します。一家で3台自動車持っていた家は1台に。1台持っていた家は止めなくればならなくなる、ということです。

 アメリカ経済の収縮。これは大変恐ろしい話なのです。世界経済が大きく収縮し、日本経済は大きな打撃を受けます。しかし避けられない動きなのです。いつのことか分からないが、そう遠くない将来にドルの信用がドンと落ちていく。結果として日本がアメリカにだけ頼っていたら、大変なことになります。

 いまのうちに、アメリカに輸出してドルをもらったらユーロに代えておいた方がいい。ユーロの方は下がらないからです。EUという所は、国家財政が赤字だと加盟できないことになっています。赤字だと穴埋めにお札を出すので乱発ということになって下がるのです。だからユーロは一応下がらない仕組みになっています。乱発できないようになっているのです。ドルは短期的に持つのはかまわないが、3年、4年と長期的に持っていると下がってしまいます。それならユーロにしておいた方がいいとか、これから生まれるかもしれないアジア通貨にしておいた方がよいとかいうことになります。世界の大企業や国家が、決済のために多額のドルを持っていますが、これがユーロに切り替えられるとなると、ドルはもう世界通貨ではなくなります。

 そうなると、アメリカだけに依存している国は、大変苦しくなります。21世紀の日本を考えた時、アメリカと仲良くするのは大切ですが、しかしアメリカ一辺倒では駄目な時代になっているのです。アジアと仲良くしなければいけません。

 しかしアジアと仲良くするのには、無条件ではできません。なぜなら、60年前、アジアに戦争を仕掛けて大変な迷惑をかけた。その後始末がちゃんとできていないのです。仲良くするするためには、60年前のマイナスを埋めるところから始めなければいけません。別に難しいことではないのです。「あの時はごめんなさい。2度とやりませんから、勘弁してください」。これで済むわけです。

 問題は、「2度とやりません」が、信用してもらえるかどうかです。信用してもらうための最大の決め手が「憲法第9条」です。憲法9条第1項、第2項がある限り、日本は2度と戦争はできません。イラクの状態を見ても、自衛隊は鉄砲一発撃てない。(世界中)みんなが見ています。この憲法9条第1、第2項がある限り、日本は戦争はできません。だから安心して日本と付き合うのです。

 もし日本が憲法9条を変えて、もう1回戦争やりますということになったら、アジアの国々は日本を警戒して、日本との付き合いが薄くなってしまいます。いま既にそうなりつつあります。小泉首相は靖国に何度も行く。自民党は憲法9条を変えることを決め、改憲構想まで発表した。アジアの国々は用心します。「そういう国とは、あまり深入りしたくない」。

 小泉首相は「政冷、経熱」でいいじゃないか、といいます。政治は冷たくても経済では熱い関係というのでしょうが、そんなことはできません。中国と日本の経済関係はじわっと縮小しています。統計でもそれははっきり出ている。

 おととしまで中国の貿易のトップはアメリカでした。次が日本、3位はEU。これがひっくり返ってしまいました。去年はトップはEU、2位アメリカ、3位日本です。明らかに中国は日本との商売を少しずつ縮小させている。その分EUに振り替えています。

 去年5月、ショッキングなことがありました。北京・上海新幹線という大計画をEUに取られました。北京〜上海って何キロあるのでしょう。日本の本州より長いのではないでしょうか。このとてつもない計画があって、去年、まだ予備調査の段階すが、日本は負けました。ドイツ、フランスの連合に取られました。予備調査で取られたということは、本工事は駄目ということです。中国にすれば、日本にやらせるのが一番便利なのです。近いですし、新幹線技術も進んでいます。まだ1度も大事故を起こしたことがありません。ドイツもフランスも、1回ずつ大事故を起こしたことがあります。技術からいっても資本からいっても、日本にやらせれば一番いいのに、日本が負けました。明らかに政治的意図が働いたと思われます。日本との関係を深くしたくない。いざという時、いつでも切れるようにしておく。いざというとき、切れないようでは困る。そういうことではないでしょうか。

 いまのままアメリカ一辺倒でいいのでしょうか。私は長島さんをよく思い出します。後楽園での引退試合の時、最後に「読売ジャイアンツは永久に不滅です」といったのです。永久に不滅どころか、去年のジャイアンツのサマといったらもう、見ていられない。アメリカもそうなるのではないでしょうか。小泉首相は「アメリカは永久に不滅です」と、いまもいっているのですが、そうではないのではないでしょうか。

 アメリカにさえ付いていれば、絶対大丈夫という時代は終わったのです。アメリカとも仲良くしなければいけませんが、しかしアジアとも仲良くしなければいけない、そういう時代がいま来ているのです。仲良くするのには、憲法9条を守ることが大前提です。これを止めてしまったら、アジアとは仲良くできません。

 憲法9条は、日本にとって“命綱”です。いままでは、憲法9条というと、「理想に過ぎない。現実は9条で飯食えないよ」という人が多く、中には鼻で笑う人もいました。しかしいまは逆です。9条でこそ食える。9条を変えたら、21世紀日本の経済は危ないのです。

 憲法9条を守ってこそ、この世紀の日本とアジアとの友好関係を守り、日本も安心して生きていけるのです。こういう世の中をつくる大前提が憲法9条です。憲法9条は美しいだけではなく、現実に儲かるものでもあります。そのことがやっと分かってきました。

 奥田経団連会長は、去年までは小泉首相を応援して靖国参拝も賛成だったのですが、そんなこといってたらトヨタは中国で売れなくなります。そこで今年の正月の挨拶でついに、「中国との関係を大事にしてほしい」と、向きが変わりました。
 財界が、中国と仲良くしなければ自分たちは商売ができない、となってくれば、日本の政治の向きも変わるだろうと思います。あと3年たてば多分、これは日本の国民の常識になってきます。中国と仲良くしないと経済が駄目になる。それは中国のいいなりになることではないのです。良くないことはきちんという。だけど敵にするのではなく、仲良くする。でなければ、日本の経済は成り立たない。これがみんなの常識になってくるでしょう。

 これまで60年、アメリカベったりだったから、アメリカから離れたら生きていけないと皆思ってきました。しかし現実の数字はそうでなくなっています。一番大事な経済の相手は、もうアメリカではなくアジアなのです。これに気づくのにあと2・3年かかるでしょう。これが世論になれば、もう、憲法を変えるなどということは、絶対にできません。

 しかし、この3年の間に、国民の世論がそのように変わる前に、憲法が変えられてしまったら、どうにもなりません。

 あと3年、必死の思いでがんばって、子供たちに平和な日本を残してやるのが、私たちの務めだと思います。そう思って、私も必死になってかけ回っています。あと3年ぐらいはまだ生きていけるだろうから、なんとしても3年間は9条を守るために全力をつくしたいと決心しています。

 ありがたいことに、9条を変えるには国民投票が必要です。国会で決めただけでは変えられません。国民投票で過半数をとらないと、憲9条は変えられないのです。逆にいえば、これによってこちらが憲法9条を守る署名を国民の過半数集めてしまえばいいことになります。住民の過半数の「9条を守る」署名を3年間で集めてしまう。そうすればもう、変えることは不可能になります。

 そうすれば、子供たちに憲法9条のある日本を残してやれます。2度とアジアと戦争する国にならないようにして、そしてもし長生きできれば、新自由主義という方向、つまりアメリカ言いなりではなく、もっと自主的な経済ができるように、せめてヨーロッパのような修正資本主義、ルールのある資本主義の仕組みにもう一度戻すこともできるでしょう。

 日本中で、飢えている人、因っている人、貧しい人が、それでも人間らしく生きていけるような、最低限の保障ができる、生きる希望が出る──。そういう社会にすることが大切なのだ、と思います。これは長期的展望です。簡単にはできません。一度、新自由主義になってしまったので、10年位かかるでしょう。国民が賢くなって、正しい要求を政府につきつけていかなければいけません。その中心になる労働運動の再建が必要です。

 結局国民が主権者なんですから、国民の願いがかなうような、そういう日本に作り替えていきたいなと、そういう道を進んでいきたいなと思います。

 鋸南町は合併を拒否なさったというので、日本でも有数な自覚的な町といえます。合併するとまず住民自治がダメになります。大きくなるということは、住民自治が駄目になることでもあります。住民が主人公になる町こそ大切。ぜひこの美しい山と海と禄のある町で、1人1人が主人公であるような地域共同体というものを、みんなが助け合える町になることを私も希望して、講演を終わらせていただきます。
http://kyonannet.awa.or.jp/mikuni/siryo/2006/kawabata-kouen060114.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c4

[政治・選挙・NHK91] 保守論壇の重鎮・渡部昇一の「昭和史」のデタラメを読み解く。 中川隆
11. 中川隆[-7728] koaQ7Jey 2017年5月08日 05:19:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

本スレの続きは


朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/705.html
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/261.html#c11

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
96. 中川隆[-7727] koaQ7Jey 2017年5月08日 05:22:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>95
スレを読んで貰えばわかるけど、原発板の 〇〇〇〇〇先生というのは特定個人を指してる訳じゃないからね

魑魅魍魎氏は自分がキチガイだとわかりかけているから、自分の事を言われたんじゃないかと勘ぐってるだけさ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c96

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
97. 中川隆[-7728] koaQ7Jey 2017年5月08日 05:44:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
魑魅魍魎氏もこれからはキチガイ専用板のカルト板だけに投稿すれば、誰も構わなくなるよ


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c97

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由

朝鮮人が反日になった理由


1.飢餓輸出させた

2.農民の土地を奪った

3.日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた

4.朝鮮の財産をすべて奪った

5.朝鮮女性を性奴隷にした

_______


朝鮮人が反日になった理由 1 _ 飢餓輸出させた


日本で米が足りなくなったのは日清戦争がきっかけでしたが、それが日露戦争のとき顕著になったと東京外語大の大月先生は語っていました。

   それ以降は米不足が慢性的になり、1918年にはそれが頂点に達し「米騒動」が起き政権が揺らぎました。

この時、政府は次の三つの対策案を練りました。

 1。タイなどから外地米を輸入する。
 2。国内産の米を増産する。
3。朝鮮や台湾など植民地で米を増産する。

第1案のタイ米はパサパサしてまずく評判がさんざんで話になりませんでした。

私も数年前にはタイ米をけっこう食べましたが、カレーやチャーハンにでもしないとなかなか箸が進みませんでした。

   第2案ですが、内地米の増産はその余地があまりなく効果は期待薄でした。

そこで結局、第3案の植民地での産米増殖計画が本格的に採用され、1920年から始まりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。

また米の品種も、早神力など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。(早神力を番組では「わせしんりき」と発音していました)


こうした努力の結果が、朝鮮の食生活を少しでも豊かにしたのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら忘暮楼さんの指摘通り、米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。

   その実状を、番組は具体的にある農家の回想をとりあげ紹介していました。

秋に農民が米を70俵収穫しても、水利税や肥料代などもろもろ差し引かれ手元には15俵くらいしか残らないそうでした。

   しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうでした。

   これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の中に埋めたり隠したりしたのですが、冷酷な借金取りもさるもの、針金で地面をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。

   このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本の農家をも苦しめました。

安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm007.html#No.61


当時の生活しやすさの基準として「米」の消費量を取り上げるのが最適と思われます。

米はいうまでもなく日本・朝鮮ともに主食で、当時は白米を食べることが「ごちそう」でした。したがって、米の消費量は当時の生活水準のバロメータになるので、この統計をみることにします。

         朝鮮の米穀輸出・消費量

年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版


この表から、朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向にあることがわかり、植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。

これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定されました。その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。

  日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。
それに加え、タイなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。

  こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億8500万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしんりき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。

   こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。


こうした日本の収奪政策のもと、朝鮮農民は窮乏化していき、わずかばかりの土地を持っていた農家も次第にそれを手放さざるを得ませんでした。

その実体を表すのが次の表です。これは米どころの全羅北道において、土地所有が産米増殖計画による水利組合の設立の前後でどのように変化したかを示すものです。


          全羅北道、五水利組合の土地移動
                       (単位は町歩)
      日本人所有  朝鮮人所有   その他    合計
 1920年    3,674    4,181    2,694    10,549
 1931年    8,999    3,545    7,292    19,836
(東畑精一「朝鮮米穀経済論」)

  この表のなかで、その他としているのは東拓など日本人の土地会社などを含みます。東拓とは1910年代、「土地調査事業」で国有地とされた土地を総督府から安く払い下げてもらって成長した国策会社です。

  この表からすると、朝鮮人所有の土地は減っても、逆に日本人の土地は倍増以上の伸びを示しました。朝鮮全体でみても、1920年から1927年にかけて日本人の土地所有は25万町歩から40万町歩へと、1.6倍に増大しました。

  灌漑施設やインフラなど朝鮮の富は増えても、その恩恵に浴するのは支配者である日本人であり、それとは対照的に多くの朝鮮農民はやせ細っていったのが植民地の現実でした。
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187

要するに、日本人が酷使する農奴の数が増えただけ.

できた米はすべて日本に持って行かれる.

李朝時代は独立農だったのが食うや食わずになった.

感謝するバカは一人もいない.


_________


朝鮮人が反日になった理由 2 _ 農民の土地を奪った


1910年の併合強行後、日本は朝鮮の植民地化を進めるが、その第1歩は、
土地の所有権の確定を目的とした土地調査事業であった。

国内における地租改正がそうであったのと同じように、それは植民地財政の基盤を固める意図からでたものであったが、その過程で耕作関係があいまいな多くの土地が、総督府に奪われることになる。

国有地に編入された耕地面積は朝鮮域内の全耕地の20分の1に達し、その多くは日本人に安価に払い下げられ、大規模な日本人地主が誕生した。

土地を失った朝鮮の民衆は、小作農化するか、あるいは日本や中国大陸へと流失していく。

民族の自立を損なう弾圧的な植民地か政策の展開は、第一次大戦後になると、
激しい独立運動の展開による抵抗に遭遇することになった。

1919年3月1日に朝鮮では独立を宣言して蜂起した民衆運動によって、それまでの植民地支配の枠組みを見直さざるを得なくなる。

 歴史上、「文化統治」への転換と評される斉藤総督の統治政策は、一方で「同化政策」を柱とする「民族としての抹殺」を意図するものであると同時に、農業振興政策による民衆生活の改善によって、日本による支配への不満を融和させようとするものであった。


朝鮮からの人口流失    人  

  日本へ 中国へ

1914 4,179 10,631
1915 5,046 13,281
1916 7,225 13,501
1917 17,463 18,911
1918 27,640 36,627
1919 35,975 44,344
1920 40,759 22,210


産米増殖計画の推進には、日本市場に適した品種の米を生産するという、輸出志向型の農業への切り替えが必要であり、この品種転換の強制と輸出志向は、朝鮮域内での食糧供給の不足、つまり「飢餓輸出」に帰結する。

日本国内では、1920年代に入って、つまり産米増殖計画が軌道に乗って、日本向けの米の輸出(移出)が増加しはじめるころには、当初の思惑とは異なって米の価格は低迷していたからである。

こうした農業振興政策の展開は、植民地を日本経済の一環に組み込み、日本への食糧供給基地化するという役割を果たすものであった。

しかも、このような飢餓輸出を生むような食糧供給基地化は、代替的な食料としての粟や高梁などの供給を、満州に求めることによって、東アジアにおける独自の経済圏を形成させることになる。
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/GAKU00-06.htm


1918年6月18日は、朝鮮総督府が植民統治の基盤を固めるために
1910年から8年間にわたり全国を対象に行った土地調査事業が終わった日だ。

同事業で大韓帝国の皇室と政府が所有する土地、村または門中の公有地、
そして荒蕪地はすべて総督府の所有になり、土地を奪われた農民ら数百万人は小作農に転落した。

大地主になった総督府は土地を東洋拓殖株式会社をはじめとする不二興業など土地会社と移住者に安価で譲った。

官吏の制帽と圓衫(韓国女性固有の礼服)で身を装った年老いた新郎・新婦(写真=独立記念館所蔵)は、当時朝鮮に渡って大地主になった日本人夫婦だ。

2人は伝統的な両班(ヤンバン 朝鮮時代の特権的な官僚階級)の地主とは異なる顔の「吸血鬼」だった。

当時の日本による帝国主義は領土を略奪したドラキュラだったというのが、韓国市民社会の普遍的な歴史の記憶だ。

ドラキュラに吸血されていなければ一世紀前の開化期にすでに自力で近代化を成し遂げたはずなのに、
日本の帝国主義のために実現できなかったということだ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116883&servcode=100§code=140


日本の土地調査事業であぶり出された農民たちが職を求めて日本へ渡った。
具体的にはこの政策で新しく地主になった日本人の所有する鉱山や工場の労働者としていったり、先に渡って生活基盤を作った親戚を頼って渡った。

世界史で習った土地の「囲い込み政策」を。あれとほぼ同じ現象だ。

日本に来るきっかけとなった「土地調査事業」は、明治43年に朝鮮を植民地にした日本が、その直後から朝鮮全土で実施した、地形、所有権、地価などについての調査である。それまで朝鮮には土地の登記制度が確立していなかった。そこに登記制度を導入し、税収入の増加を狙ったのである。

 朝鮮の村では、共同所有地など所有権がはっきりしない土地が多く、急に登記せよといわれても無理だった。

また、手続きは複雑で、農民が自分で申請することは難しかった。
登記をしなかった土地はすべて、朝鮮総督府のものとなった。


耕していた農民は、追い出されるか、高い小作料に泣かされることになった。
多くの農民が、貞鎬さんの父母のように生活に困り、日本へ出稼ぎに行くことになった。

総督府に取り上げられた土地の多くは、後で国策会社である東洋拓殖株式会
社に払い下げられた。

東洋拓殖はさらに、日本からの移住者に土地を売り、日本の農家の二男、三男らがこの土地を買って、農業を始めた。

朝鮮の村には日本人の地主が増え、土地を取られた朝鮮人が日本人を恨み、今も消えない根強い反日感情が残った。

 朝鮮では、明治43年の日韓併合から、昭和5年までの20年間に、人口
が約30%増えた。土地調査事業と人口の増加により、慶尚南道など南部の人
を中心に、日本に出稼ぎに行くようになった。その数は昭和五年までで40万
人近くにのぼる。

総督府に接収された土地は、山本有造『日本植民地経済史研究』(名古屋大学出版会)によれば、約12万町歩に及ぶ。又定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明する書類がないため接収された耕地が約2万7千町歩あり、接収された耕地は合計14万7千町歩である。当時の全耕地面積は 450万町歩であり、約3%である。

 これに正当な売買により取得した土地を加えた、1922年(大正11年)末の日本人農業者所有土地面積は、一般地主17万5千町歩、東洋拓殖8万町歩、合計25万5千町歩で、全耕地面積の6%弱である(朝鮮総督府『調査資料2ー7朝鮮における内地人』)。


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朝鮮人が反日になった理由 3 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


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朝鮮人が反日になった理由 4 _ 朝鮮の財産をすべて奪った

1910年に朝鮮は完全に従属させられた。
公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。


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朝鮮人が反日になった理由 5 _ 朝鮮女性を性奴隷にした


従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった


経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


朝鮮女性の場合は日本女性と違って泣き寝入りできなかった特殊な理由があるんだよ

朝鮮は儒教社会だから慰安婦の姉妹や娘は一生 売春婦以外の仕事はできなくなる

だから元慰安婦だったとわかると一家は路頭に迷う事になる

吉田清治はそういう事を考慮して意図的に強制連行した日時と場所を変えて書いたんだ

吉田清治は実際に強制連行した日時と場所を公表しろと何度も言われたけど、元慰安婦の身元がわかって本人や家族が迫害されると困るので、絶対に応じなかったんだ


日本軍の慰安婦は13, 14歳から仕事をさせられていた

一方、売春婦は18歳以上でないと認可が下りない
従って、慰安婦は売春婦ではない

未成年の少女に売春させたら、たとえ本人が承諾していても担当者は死刑相当の重罪だからね


チャンネル桜や文春・産経関係者が慰安婦・南京大虐殺に関するデマを流し続けているので、純真な人は そういうのを安易に信じてしまうんだな :


1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。

日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、朝鮮における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。

この傾向は、韓国を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。

http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090728170811
http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080628173338


「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。

安倍元首相の言うところの「狭義の強制性」の有無など全く重要ではない。

「慰安婦」と言う言葉自体が実態を表していないのだ。


要するに子供を騙して連れて来て、日本軍の建物に監禁してみんなでレイプしまくっただけだね









http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
1. 中川隆[-7727] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:06:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 1


昔の日本はアメリカ並みのあくどさ:

1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。

『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。

 1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html


第二次世界大戦後、日本に進駐して来た米軍GHQには、冶金(やきん)課という部署が設けられた。金塊を生産する国ではない日本に、金塊、貴金属を扱う専門部署が設けられた事は、極めて奇妙であった。

 日本軍は第二次大戦中、中国大陸や朝鮮半島で中国、朝鮮の人々を多数殺害し、その財産を略奪し、また中国においてアヘンを密売し、その莫大な利益を蓄積していた。

 戦争終結間際、日本軍はその莫大な利益を金塊、プラチナ、ダイヤモンドに代えて飛行機で日本本国に持ち帰っていた。その莫大な貴金属は日本各地に隠され、また日銀の地下金庫に保管されていた。

 その隠された財産を摘発、没収するため、GHQには貴金属担当の専門部署が設けられていた。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605569.html


遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。

拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。

植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/347.html


日本が35年間にわたって行った朝鮮統治によって、本当に得をしたのは誰なのか?

“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る。

過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、皆さんはどのように答えるだろうか。

「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。


「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。

満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。


すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。

確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html


要するに、当時の日本の政治家もやはりアメリカの手先で、朝鮮統治政策はアメリカの指示通りだったのですね。


96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 


当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp





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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 2


大野「現代の農業問題の原点は大正時代の米騒動にあると思っています。はじめてその頃、日本で食糧問題が出てきました。1918年の米価高騰は、凶作と買い占めが原因で、帝国内自給といって、朝鮮半島、満州、台湾でジャポニカ米を作って、本土に持ってきました」

大野「朝鮮の農民に対する“コメの強制連行”とも言われ、技術と品種を持っていき、韓国に農地試験場を作り、食料の本格的な国家統制が始まったのです。『稲もまた、大和民族なり』と言う言葉がありました。コメが植民地支配の尖兵だったと言えます」

大野「朝鮮の在来品種を作っていたら、引っこ抜かれ、日本が奨める品種の栽培を強制されたと言われています。満州事変のあと、満蒙開拓として、日本の失業者を大陸の農村に押し込んで、土地も強奪し、入植した、ということです」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16641.html


朝鮮人が食っていけなくなったのは搾取だけが原因ではない _ 換金作物を作らせると餓死者が続出する

朝鮮で飢餓が起きるのは毎年決まった時期だったから、日本統治以前はみんなそれを計算に入れて生活していた:


朝鮮では三月から六月までは食糧が不足する春窮期である。

春窮期を迎えると、朝鮮人は朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して
食べる習慣であった。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


朝鮮には春窮という言葉があるようです。秋に収穫した米、トウモロコシ、芋などの食物を冬のうちに食べつくし、春になると餓死者が出るようです。中世の言葉と思いきや、北朝鮮では今でも現実のようです。

 どこの国でも収穫の季節はあるものです。逆にまったく収穫の期待できない土地なんて、人はほとんどすんでいません。収穫があるということは年中飢えているわけではなく、収穫があって数ヶ月は食料があり、それを食べつくしたころに飢餓が起きるのが通例ではないでしょうか?
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3998244.html


要するに、戦争や伝染病や特別な事態が起きない限りは春窮位はなんとか凌げるので、それ程は困らなかった。

それから、李朝末期は森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に押さえられたので、そういう特別な事態が起きていた時代でもあった:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


しかし、それらの中でも特に困まった事態が日本の朝鮮統治だった訳で、それで朝鮮人は日本の統治時代には春窮を越せなくなった:


日本の施策によって農民が収奪された日本の朝鮮統治時代


当時の大半の農家は小作農です。

つまり販売する以前に小作料を取られます。

で、日本の統治時代の朝鮮では小作料で生産量の5割を取ることがまかり通っていたそうです。

そして手元の半分の米のうちいくらかを売り、それで来期の籾を買う。残った米ではとうてい生きていけないので、春窮となる、故郷を捨て流浪するという例がいくらでもあります。


朝鮮半島全体の春窮農家戸数については1930年、朝鮮総督府編「朝鮮の小作慣行」(1932)によると、

自作農   92(18.4)
自小作農 323(37.5)
小作農  838(68.1) 千戸(全体の割合)

で全体の48%以上が春窮だそうです。

日本の統治時代はまともな治世では無いですね。


次に、では小作農以外はどうだったかと言いますと、次の情報をご覧ください。

農民の戸数とその層の割合を示したものです。値は%です。

全体で100%にならないのは兼業農家がいたためです。

また、地主1は自分で小作を行わない地主、2は一部を自作する地主です。

自小作農は、自作と小作の兼業をしている農家です。


年  農家戸数 地主1 地主2 自作農 自小作 小作農 火田民
1918 2,652,484  0.6  2.5  19.7  39.4  37.8
1920 2,720,819  0.6  2.8  19.4  37.4  39.8
1922 2,712,465  0.6  3.1  19.7  35.8  40.8
1924 2,704,272  0.7  3.1  19.4  34.6  42.2
1926 2,753,497  0.8  3.1  19.1  32.4  43.3  1.3
1928 2,799,188  0.7  3.0  18.3  31.9  44.9  1.2
1930 2,869,957  0.7  2.9  17.6  31.0  46.5  1.3
1932 2,931,088  1.1  2.4  16.3  25.4  52.7  2.1


見てわかるとおり、自作、自小作が減り小作農が増加しています。

日本の統治時代の朝鮮では自分の土地を手放さざるを得ないほどの状況だったのがよくわかります。

さて、この人々は何が原因でそうなったのでしょうか? 

貴方が何度も示しているように米は十分に生産していたのですよね? 

なら豊かになるのではないでしょうか?


問題ない生産を行いながら貧しくなるとするなら、それは生産に対して正当な対価が支払われなかったことを意味します。当然ですね。


つまり

「当時の朝鮮の農家は日本の施策により米を収奪された」

というのを共通理解としてよろしいですね?


また、自小作農とありますが、終戦直後1945年の韓国のデータによると、

自小作農は716,000戸、そのうち耕地の50%以上を小作で行っている、

つまり実質的に小作に近い農家は378,000戸となっています。


完全自作農と自作の割合の方が多い自小作農は全体で3割程度。

当時の食料消費量の変遷について、単位は石(全体からの%)、

元データは朝鮮総督府農林局編「朝鮮米穀要覧」だそうです。


年平均  米      麦      粟     豆類    その他   合計
1915-18 0.70(35.6) 0.42(21.2) 0.28(14.4) 0.26(13.2) 0.31(15.7) 1.9766
1921-24 0.64(31.6) 0.42(20.6) 0.36(17.9) 0.26(12.9) 0.35(17.1) 2.0211
1926-29 0.51(28.1) 0.40(21.8) 0.37(20.2) 0.23(12.7) 0.31(17.2) 1.8163
1931-34 0.44(26.7) 0.42(25.2) 0.31(19.1) 0.21(12.5) 0.27(16.5) 1.6487


輸入していても消費量は見事に落ちていますね。

米の消費の割合が落ちている(それだけ貧しくなった)のも顕著です。


「日本の政策のもと、当時の朝鮮半島の農家は飢餓に苦しむほど困窮していた」で共通理解として良いですね?


参考資料:
朝鮮における産米増殖計画 河合和夫著
朝鮮食料品史 朴容九著


おまけ

穀物の輸入出

年,輸出(石),輸入(石),
1915-1919,3467857,387670,5年平均
1920-1924,5147524,1370072,5年平均
1925-1929,6284434,3649237,5年平均
1930-1936,11734219,2875314,7年平均
1937,8601017,2369537,
1938,12505611,1454957,
1939,8120099,2453789,
1940,1665637,3456780,
1941,4831000,1107000,
1942,7032000,786310,
1943,1576000,2048620,総督府資料に基づく
1944,4486000,1927166,朝鮮食料品史 朴容九著より

食品生産量
,米,麦,豆,小豆,粟,キビ
1919,12057,7270,3281,460,3816,538
1929,13702,7212,3990,810,5244,91
1939,14356,7570,2333,419,5029,89
1944,16052,7672,2696,605,3916,47


単位は千石 朝鮮食料品史 朴容九著より,,,,,,
http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;no=1586;id=

植民地下の朝鮮は8割以上を農民が占めていました。

日本の植民支配は軍と警察による力の統治でした。

日本人地主と朝鮮人地主の権力は日本より強固で多くの小作人を支配する農村の社会構造でした。

日本の支配下に年々自作農は少なくなり、小作農が増大しつづけたのが基調でした。

朝鮮農村社会は小作農が52%、これに火田民、農業労働者を入れると57%の人々が土地を全く持たない農民でした。

これに自小作農24%をプラスすると81%の人が小作をしたいたといいえます。

自作農は19%弱に過ぎませんでした。(1939年現在)

また、小作農といっても零細な農家が多かったのです。

朝鮮南部では人口が増加し零細農民が増加する要因になっていましたが、基本的には地主からの高小作料徴収などが農民を没落させていました。


総督府はこうした地主制を維持し、支配の基盤としていました。

農民の多くが食べることが出来ませんでした。

端境期には食べるものがなくなる人が多くなり、総督府はこれを「春窮民」といいました。

総督府は春窮が毎年の年中行事のようにあることを認めていました。

「草根木皮」を食べて暮らさなければならない農民が小作農の大半になっていました。

農民の多くは動物性のタンパク質は採ることが出来ずに、たまにミョルチ(日本のにぼし)を食べれれば良い方でした。

タンパク質はテンジャン(味噌)から得ていました。

こうした食の状況から起きた総督府支配下の朝鮮農村の社会現象を取り上げてみましょう。


その一つは子供の死亡率が著しく高くなっていたことです。                          

 高い乳幼児死亡率

 京城帝国大学医学部教授水島治夫の論文によれば朝鮮人の1歳から5歳までの死亡率は38%にも達していました。

日本人も低い方ではなく21%になっていますが朝鮮人は日本人の2倍弱になっています。

統計に出ない子供の死亡を含めて言えば40%の子供が生き残れなかったのです。

乳幼児の死亡率が高いために朝鮮人の平均寿命は37歳前後となっています。

日本人に較べると約10年の差があります。

栄養状態が悪く一番弱い子供達が多く死亡しました。

多くの死亡原因は食糧不足から来る栄養不良でした。

子供達だけでなく青年達の身長も年々低くなっていました。

特に下層農民の青年の体位の低下が大きかったのです。


子供の高い死亡率と青年たちの体位低下は総督府の政策下に起きていたことです。

窮迫する農家に救済政策がなかった、あるいは役立たなかったことを示しています。

典型的な事例を挙げておきましょう。


 朝鮮に於ける行路死亡人数

 行路死亡人は路傍、畑などで死亡し多人々をいいますが、ここで取り上げるのは

死亡した人たちの内、身元の分からなかった人を引き取り手を捜すために朝鮮総督府官報に掲載された場合に限って取り上げてみます。

官報に掲載された、公認された場合のみを取り上げていますから、実際に身元が分かり、あるいは引き取り手があった場合は官報に掲載されません。

したがって、実際の死亡者はもっと多かったと想定されます。

行路死亡人を取り上げるのは農村社会を象徴するような出来事だったからです。


 朝鮮農村では窮迫した小作農が小作地のみでは暮らしていけなくなり、他の小作地に追い出される人が多かったこと、自然災害などで小作地を失ったりしたこと、などの要因で土地を追われる人が多かったのです。

一部は満州に、一部は火田民として、あるいは都市の下層民として暮らすことになりましたが、落ち着くまでに食糧がなくなり、家族とも離れてしまうことも多かったのです。

農村から離村し、流浪することになります。

ついには路傍で死亡してしまう人も多かったのです。


行路死亡者数一覧  
       
年代 男 女 計 一日あたり死亡者数 行路病人死亡者数 計
1939 4039 669 4708 12.8 866 5574
1940 3863 662 4485 12.3 894 5379
1941 2708 514 3222 8.8 1913 5135
1942 5271 612 5883 16.1 680 6563

  15,881 2,417 18,298 12,5 4,353 22,651

※女性の数が少ない
         

 1939年は旱害があり、離村、流浪する農民が多く、死亡者も多くなっていますがこの4年間の合計で18,298人の人が死亡しています。

死因は餓死、栄養不良がもっとも多く凍死、病死と続きます。

1940年3月1日付けの朝鮮総督府官報には46人の死者が掲載されていますが24人が餓死と栄養不良、8人が凍死、6人が病死などと記録されています。

一日あたり20人以上が死亡している年もあります。

行路病人とは一応の救済施設があり収容されたが死亡した人を言いますが、これも行路死亡人として考えると実数は更に多く22,651人になります。

官報に搭載されていない人を含めれば更に多くなります。

家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されていませんから更に大きな犠牲者が存在したと考えられます。


日本人の行路死亡者数と比較すると官報掲載者のみでも朝鮮のそれは実に15倍(人口比)にもなるのです。

小作地を奪われたり、生活が出来なくなった農民たちは死を覚悟して流浪せざるを得なかったのです。

これが植民地統治の実体です。


 更に強制連行との関連で戦時下朝鮮農村の重要な問題を取り上げておきたいと思います。

朝鮮社会を深刻な状態に追い込んだ米の徹底的な供出政策です。


 農民から米を奪う

 日本と総督府は朝鮮の戦時体制下の要求として労働力と米の供出を求めていました。

戦時下の日本では米が主食でしたが特に軍の食糧は白米中心でした。

朝鮮では1939年に大旱害があり米の減産があり、40年は2100万石、41年は2400万石ほど収穫がありましたが、42年からは16百万石前後に落ち込んでしまいます。

42年から45年まで3年間は大凶作でした。

理由は天候も関係しましたが農村から男子労働力が動員されたこと、肥料不足等を揚げられますがなによりも米の供出が強化されたために起きたのです。


深刻な米不足のなかで1945年には200万石の日本への移出を実施しています。 

供出は愛国班(日本の隣組のような相互監視組織)に割り当てられ、愛国班長の家の庭で警官、面の職員、郡の督励員が立ち会って割当量を集めた。

これに従わない者は罰せられ、検挙されました。

割当量は多く、自家消費量を超えて供出しなければなりませんでした。

また、供出割当の定量に達しない者の家は家宅捜査が行われ、あらゆる所を検索し、発見すると容赦なく供出させた。

生産した物を消費できない農民が多くなりました。

たりない分は満州雑穀を配給しましたが大豆粕などで肥料用に農家に配給した物を代用したのです。


小作農民は農業をしても生産した作物を満足に食べられなくなったのです。

また、米の統制が厳しく自由に売買が出来ず、食糧不足を激しくしました。

米以外でも農民が自分で作った作物を消費できないような統制 が実施されたのです。

これに加えて供出米の代金から自動的に愛国貯金などが差し引かれ、物価は上昇し農民の困窮が一層進んだのです。

農民は農業で食えず、生産する気持ちも萎えてしまっていました。

農業より賃金を得る労働者になれば配給米を受け取れるので下層民ほど離農する人が増加しました。

農民が生産意欲をなくしたのが米の生産減少の最大の要因といえます。

そうした人を高賃金で家族に送金できると説明し、日本に大量に動員したのです。

日本への募集に応じたのはやむを得ないこうした理由が背景がありました。


 この他にも戦時下の朝鮮での暮らしはそれまでにはない困難な条件が多くありました。

例えば経済統制で綿花の作付け統制が実施され、全量供出となり、自家消費が出来なくなり高い衣料品を買わねばならず、白衣の実質的な禁止やもんぺの普及が進められました。

住宅不足も深刻になり暖房も「低温生活」が進められました。


 戦時下の朝鮮では基本産業の農業が疲弊し、統制が強められ暮らしが困難の度合いを深めていました。

 こうした朝鮮社会で賃金をくれて、食事も保障され、家にも送金できるなどというふれこみで募集が始まったのです。

朝鮮人にとって生死ををかけたような植民地支配が存在した中で募集に応じたのは自由意志と言うより、それ以外の道がない閉塞状況が朝鮮社会に存在したということです。

そのようにしたのは日本の植民地支配です。

そうした状況の中から労働者を連れて来るというのは「連行」そのものではないでしょうか。

「強制連行はなかった」論の虚構は植民地支配の悲惨ともいえる農民生活の実態を無視した議論です。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data2/data2-2.html

日本統治前の朝鮮人が毎日大食らいできた理由:


イザベラ L ハード「朝鮮紀行」 P203〜P204より

大食ということに関しては、どの階級も似たり寄ったりである。食事のよさは質より量で決められ、一日四ポンドのごはんを食べても困らないよう、胃にできるかぎりの容量と伸縮性を持たせるのが幼いころからの人生目標のひとつなのである。

ゆとりのある身分の人々は酒を飲み、大量のくだもの、木の実、糖菓を食間にとるが、それでもっぎの食事には一週間もひもじい思いをしていたかのような態度でのぞむ。

裕福な家では牛肉と犬の肉は大皿に盛る。また客のごちそうは銘々膳で供されるので、もてなす側は特別大事な客にはふんだんにふるまい、ほかの客には最小限度に抑えておくことができる。

わたしは朝鮮人が一度の食事で三ポンドはゆうにある肉を食べるのを見たことがある。

「一食分」が大量なのに、一日に三食か四食とる朝鮮人はめずらしくなく、一般にそれを慎む人々は好きなように食事もできないほど貧しい人と見なされかねない。

一度の食事で二〇個から二五個のモモや小ぶりのウリが皮もむかれずになくなってしまうのはざらである。

赤ん坊にまで食べさせる莫大な消費量の赤トウガラシがこの大食ぶりを助けているのはまちがいない。

朝鮮人には消化不良のたぐいの疾患が多いというのもうなずける。
http://kukkuri.blog58.fc2.com/blog-entry-573.html


要するに日本人はアホだから歴史に学べないだけ:


仙台藩の主な産物は米である。

江戸時代には、北上川流域の湿地帯の開拓などの新田開発によって実高100万石とも言われるほどに多くの米を収穫できるようになった。

また、買米制と呼ばれる事実上の専売制度が導入されていた。

その米を東回り航路で江戸に運んで大きな利益を得た。

一時期、江戸に流通する米の半数は仙台米と言われた時期もあった。

そのため、石巻はこの航路の拠点として大いに発展した。

また、一部の米は海産物とともに大坂にも運ばれ、上方との交流も盛んであった。

これによって藩財政・農民の暮らし共に潤った時期もあった。


ただし買米制にも凶作に弱いなどの弱点があった。


ひとたび、凶作が起きると領内は大変な食料不足に見舞われ、農民だけではなく武士階級の者までがバダハタと餓死した。

これは他の藩には全く見られない現象であった。


現米収入のみに限定しても楽に100万石を超え、表高で上回り幕府に融資を行うほどであった加賀藩・寛永の大飢饉などにより江戸時代初期から貧乏で幕末に殖産興業に成功してようやく好転した薩摩藩よりも当初から財政的に豊かであり、政宗の時代にはローマへ単独の藩で使節を送るほどの力を有していた。

江戸時代末期の九州人の安井息軒の読書余滴に「二百万石余」、同じく江戸時代末期の九州人の帆足万里の『東潜夫論』には「二百五十万石」との記述がある。

ただし、東潜夫論は、佐渡12万石(1万7,000石)、隠岐6万石(5,000石)と、太閤検地の10倍表示されており、注意を要する。

佐渡国の佐渡金山についても触れており、米の生産量以外の豊かさも含んだ指標として石高が使用されている。


だが、米に頼りすぎた経済は藩に他の産品の開発の動機を失わせ、藩財政は米の出来・不出来及び米相場の状況によって翻弄され、不安定であった。


凶作が起きれば藩は大借金を抱え、豊作でかつ米相場が高値推移の年には積年の借金が一気に返済できてしまうといった具合である。


まさに「農業は博打である」という格言を地で行く藩経営であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%97%A9


小規模自作農で飢饉に強いのは、日本じゃ、アホみたいに、戦前まで米以外に粟や稗を作付け、農作物を多様化している農家だった。


ただ、これをやると農家は基本、貧乏だ。

換金作物を作らず、そのスペースで粟とか稗とか作り、穀物の来年の収穫の見通しがつくまでは新米には絶対に手をつけない用心深い農家だった。

もうけは出ないが、生産量が安定するから飢饉にも強い。

農業経済では、農民が貧困だが安定的な状態ってのが存在していて、うちのご先祖の相模農民なんかは、典型的な貧乏だけど飢饉には強い農民だった。

二宮尊徳のエピソードで、ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測。

村人に冷害に強いヒエを植えさせた。

二宮の予言どおり冷夏で凶作(天保の大飢饉)となったが、桜町では餓死者が出なかった(実際には、数年前からヒエを準備させていたことが分かっている)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3


用心深い農民ってのは、別に二宮に言われずとも、昔っから、保険として粟とか稗を作付けするもんだったの。


ただ、仙台藩のように、換金作物である米をひたすら推進し、他の産品の開発動機を失わせる農業経営をやっちゃうと、儲かる時は凄く儲かるけど、飢饉になると破滅的な影響がでてしまう。

典型的なギャンブル農業でね。

仙台藩は天候に左右されやすい米みたいな作物を冷害が多発する地方で主要作物にして代替的に推進したせいで、飢饉になると破滅的な影響をうけてしまった。


人口増(子供への医療品の配布)と換金作物推進(農業生産性と収益性の増加)っていうのは、日本の仙台藩の経営と同じだから、素人にはお勧めできない。

というか、仙台藩ならまだいいけど、日本でもっとも一揆が多発した飢饉超発生地帯、盛岡藩になったら悲惨すぐる。
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20091101/p1


これが飢餓輸出の実態:


天明大飢饉は人災だった
 

 日本の【飢餓】を心配される方が多い原因に、江戸時代の飢饉が誤って伝えられていたこともあるかと、最も酷かったとされる【天明の飢饉】について書かせていただきます。

 結論を先にいっておきますと、これらの飢饉は【人災】でした。

日本中で何百万人も犠牲になったなどということはありません。

江戸では風のたよりに知る程度でした。

もちろん食料は例年と比べかなり不足しましたが、全体としては、それほどのことはありませんでした。

もちろん総論の結論です。

 

 天明に入ると、農作物の収穫が減少しましたが、特に【天明三年】は異変の年で(1783)浅間山が大噴火を起こし、この火山灰による大洪水や山崩れなど大規模な自然災害が発生します。 

 また異常気象が目立ち、海外ではアイスランドのラカギガルム火山が大爆発、また同地のグリームスヴォント火山も大爆発、テムズ川もセーヌ川も凍りついたと伝わります。

 ヨーロッパは冷害となり、このときの飢饉が【フランス革命】のきっかけとなります。地球全体が火山灰の微小粒子に覆われた結果とされています。


 国内の気象は、浅間山爆発の天明三年の冬は異常な暖かさ、年が明けても変わりません。雨はほとんど降らず、その後、雨が少し降ったので五月に田植えが始まりましたが、逆に冷気がつづき、夏になっても綿入れを着るほどの低温だったといいます。このため稲は青立ち(穂が出ないこと)となり、他の作物もほとんど結実せず、大凶作となり関東から東北地方にかけて被害を受け、北に行くほど酷いものでした。

 三月、四月になると冷雨が続き、雨の降らぬ日は七日だけ、それもうす曇で晴天の日は一日もありません。五月六月も同じで、雨の降らぬ日はそれぞれ四日、六日という有様だったといいます。


 「春頃には麦の作柄が例年になく良いと予想され、農民たちは喜んでいたが、雨続きのため麦の刈り取り期にはまったく結実がなかった」といいます。

「稲、大豆、ヒエなどは作柄が良いと見込まれ、経験豊かな老農たちも秋の豊作は間違いないと予測した。しかし異常な天候不順で、七月下旬になっても穂は出ず、わずかに出た穂には実が入っていなかった」とあります。

「八月十三日夜の厳しい寒気で霜が降り、大豆、粟、ヒエ、そば等は全て【穂なし】となり、前例のない大凶作となった」と続きます。

 
 飢饉が予測された津軽藩では、藩主・津軽信寧(のぶやす)は参勤交代で江戸にあり、側用人の大谷津七郎が、藩政を掌握、さまざまな飢饉対策を行っていましたが、

藩は長いこと藩財政が苦しく、大阪商人に借りた借入金が返せず、京坂の商人に代理返済して貰っており、この年にはどうしてもコメを京・大阪へ送らねばならない事情がありました。


【お救(たす)け小屋】の準備をしながら、前年農民から藩に上納されたコメ、「四拾万俵」をすべて大阪と江戸に送り換金しました。


飢えの恐怖におののいている領民の見守るなか、四十万俵のコメを積んだ船が通り過ぎていったと伝わります。

このため領内のコメは尽き、よって農民たちは、飢えの恐怖が現実になり衝撃を覚えます。

 
 「穀物の価格は高騰し、さらに金を出しても買えなくなり、飢えにさらされた領民たちは山菜の根をあさり、そば、大豆の【殻:カラ】までも口にした。

飼料が尽きたので牛や馬を飼うこともできず、すべて捨てて、牛馬が原野を歩きまわった」との記録があり「牛馬を食料にすることは食習慣になかったが、これらを殺して食うものが増した。

また口べらしのため子供を川に流すものが数知れず、大百姓をふくめて多数の農民が田畑、家を捨て、家族とともに【伊勢参り】をよそおって、碇ケ関から秋田藩領へのがれた。世をはかなんで深い森に入り首をくくったり、石を抱いて川に身を沈めたりする者もいた」とつづき


 「このような中で強盗、追剥(おいはぎ)が横行し、盗みに入った者が家に火をつける例も多く、火災が頻発した。天明三年九月から翌年六月まで、津軽藩領では男女八万千七百二人が餓死した」

との記述が残っています。また人間だけでなく「馬一万七千二百十壱頭」と記録にあったといいます。

 

 南部藩(八戸藩・七戸藩)でも被害は甚大でした。

【久慈街道】という八戸市と久慈市を結ぶ街道があり、途中にウミネコの繁殖する島、蕪島(かぶしま)があるというところから、たぶん海沿いの国道45号線のことかと思いますが、十里ほどの道程で途中に新井田村があり、ここの【対泉寺】には天明飢饉を悼む石碑があり、このうちの四文字が素人と思われる手で削られているとか。

そこには【人を食った記述】があったと郷土史家の【中里さん】が語った」と、東北文庫の【久慈街道】に小説家の故井伏鱒二氏が書いています。

 

 人肉の話は事実だったようで、『街道をゆく』の司馬遼太郎氏は確か『久慈街道』で、「これ以上の惨状を書くのは忍びがたい」としていますが、吉村昭氏はそのまま記しています。

両者とも【高山彦九郎】の詳細な日記を引用しています。現在は山門脇に【餓死供養塔】があり、詳細も記されているとか。筆者は中間というか、皆様があまり不快になりそうな表現は避けています。

 

 「野草の類も食いつくすと、人々はイノシシ、シカ、イヌ、ネコ、ウシ、ウマも食いあさり、それらも絶えて人の肉を食うようになった。

親が死ぬと子はそれを食い、子が死ねば親が食う。さらに山中や野外に捨てられた人の死骸も、彼らの食欲の対象になった。

その頃、人の肉を食った村人に聞くと、馬の肉の味はサルやシカのそれよりまさり、さらに人肉のそれは、ウマの肉より優れている、と語ったという」


とあり「村内で人肉を食ったものは、それがたたったらしく十人中七人は死んだ」と記されています。

 

 このような残虐な例は今まで読んだ限りでは、津軽・南部藩(八戸藩・七戸藩)に限られるようです。


津軽は【財政破綻に瀕した好例】であり南部藩は【行政の大失敗】があるようです。


原因のひとつに、この藩には資本主義が日本で最後に入った場所、人々は馴れていないため、商人貸し付けの金銭返済ができず、田畑や家屋などが質流れし、ほとんどの百姓が商人の奴隷となり、百姓から年貢が取れない藩は、百姓の富を奪っていた商人から、無理矢理に金銭を取り立てました。


(たしか戦後、当時の学者で、安藤昌益という今でいう共産主義者が発見されもてはやされましたが、それなりの風土がありました。)
 
 天明三年の大飢饉の際にも、他藩のほとんどは、まさかに備えて十分な準備をしており、特に有名なのが米沢藩、白河藩でした。

このとき、ただ一人の餓死者も出さなかったと伝わります。
 
http://hoihoihoi.iza.ne.jp/blog/entry/1654370/


要するに、東北でやっていたのと同じ悪事を朝鮮でも繰り返した訳ですね。  




________

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 3

李氏朝鮮はそんなにひどい国家だったのか?


嫌韓バカや歴史捏造ウヨクが、よく使うロジックとして「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というのがあります。

この「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というマジックワードは、様々な自慰史観を正当化するのに利用されてます。

例1)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「韓国併合した日本は朝鮮人を助けてやったのだ!」

例2)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が駄目な証拠、差別されて当たり前!」

例3)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が残虐な証拠、南京虐殺も朝鮮人がやった!」*1

こんな感じです。


実際には、江戸時代日本と大差ないんですけどね。

嫌韓バカが強調する李氏朝鮮の暴虐の事例など、ほとんどは江戸時代日本で同様の事例を見出すことが出来ますし。


では、その事例を見て行きましょう。


人口問題

韓国の歴史歪曲検証:人口増加ベースに見る日帝の暴虐と搾取の虚構性

(間違った論証の例)


日本が直接的に朝鮮を収める1905年までの朝鮮の人口増加ベースは、上記からも分かるとおり1850年の李朝末期を基準にとると1906年の日本の保護国なった翌年までの56年間に30%程度の増加ベースでしかない事が分かる。

そして1906年より日本の敗戦の前年1944年までの38年間の人口増加ベースは、156%という驚異的な増加ベースを辿っている。

さらに上記で注目されるべきは、1753年の朝鮮半島内の人口730万人が約100年後の1850年の時点でも750万人にしか増えていない点である。

これは李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠である。

データを見るにおいて、日本が朝鮮半島に直接関与し始めた1905年以降とそれ以前の人口増加ベースを比べれば、朝鮮で日本が「史上最悪の暴虐と搾取」を行っていないことが確信できるのではないだろうか?
http://konrot.at.infoseek.co.jp/rekisi02.htm


こちらは人口の推移をもって、李氏朝鮮の悪政を糾弾しているわけですが・・・

ここで挙げている1753年から1850年の人口推移を日朝で比較してみると・・・


時期 年 日本の人口*2 増加率 朝鮮の人口(推計) 増加率 朝鮮の人口(嫌韓提示ママ) 増加率
I 1600年(日本)・1592年(朝鮮) 1227万人 39.2% 1192万人*3 74.5% - -
II 1756年(日本)・1753年(朝鮮) 3128万人 - 1600万人 - 730万人 -
III 1841年(日本)・1850年(朝鮮) 3230万人 103.3% 1650万人 103.1% 750万人 102.7%

なお、増加率は「1756年(日本)・1753年(朝鮮)」を基準として計算した。

参考として1600年頃の人口も付加しましたが、これについては後で考察。


さて、1750年頃から1850年頃までの100年間の人口推移を日本と朝鮮で比べてみると、ほとんど変わりないことがわかりますね。

何の事はない。この時期はこういう時代だった、というのが適切な評価でしょう。

まさか100年間でわずか0.2%に過ぎない差を誇ったりするほど厚顔無恥な人はいないと思いますが。


で、

李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠

とか言うのなら、

「江戸時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを江戸幕府が行ってこなかったことの動かぬ証拠」

ということになりますね。嫌韓バカはこれに同意せざるを得ないわけですが・・・


ま、とにかく、人口が大して増加しなかったからといって、取り立てて酷い政治が行われていたとは言えないというのは確かでしょう。


ちなみに日本でこの時期、人口が停滞した直接的な理由として、少子化・晩婚化の傾向があったことが知られています*4。

若者の都市への出稼ぎが晩婚化をもたらした他、意図的な人口抑制として、陰惨な方法としては間引や堕胎、それ以外に禁欲や授乳期間を長く取ることによる次の子の妊娠を遅らせるなどの方法がとられていたそうです。


また、そもそも14世紀末から19世紀半ばまでは「小氷期」という地球規模で冷え込んだ時期なのは良く知られています。

このため、日本でも度々飢饉がおきているわけです。

日本よりも高緯度にある朝鮮も当然その影響を受け飢饉が頻発しています。

1850年ごろまで人口が停滞したのが、別に政治のせいとばかりは言えないわけです*5。


1600年の人口も含めた仮説


では、1600年頃の人口を含めた考察をしてみましょう。

1600年頃の人口は、日本も朝鮮もほぼ同じくらいでした*6。

これが150年後には大きく差が開きます。

人口が急激に増加する要因としては、それまで戦乱が続いたことによる人口抑制と、戦乱期に蓄積された人口増加の潜在力が、戦乱の終結に伴い枷が外され、人口爆発になるというモデルが考えられます。

現在の人口を見ても、もともと日本の国土が養える人口は、朝鮮の国土が養える人口より多いのではないかと思いますが、1600年時点で日本と朝鮮の人口がほぼ拮抗していたのは、日本が1467年*7以降ほぼ150年にわたった戦国時代を経験していたのに対し、朝鮮は1392年の李朝建国以降おおむね平和が続いた点にあるといえるでしょう。

朝鮮は、15世紀前半の世宗の時代に国力が最も充実し、同時期に戦国時代に突入した日本と違い、人口を抑制させるような社会要因は少なかったと言えます。

このため、朝鮮の人口は15世紀前半から16世紀後半まで安定的に増加したと考えられます。


実際、15世紀前半については、耕地面積や戸数が増加したといいます*8。

もちろん、権力闘争はありましたし、倭寇の襲来や倭寇討伐、対馬侵攻などもありましたけど、日本の戦国時代や後の秀吉の朝鮮出兵や清の朝鮮侵攻に比べるべくもありません。


したがって、15世紀から18世紀にかけて朝鮮の人口が抑制させられる要因となったのは、秀吉の朝鮮出兵と清の朝鮮侵攻であってこの影響を受けていた時期の人口が約1000万人であったということになります。

朝鮮の戦乱がひと段落した17世紀後半から人口が再度増加を始め、18世紀半ばには1600万人にまでなったというところでしょうか。

しかし、朝鮮の戦乱より遥かに長い期間、人口抑制の要因となる戦乱が続いていた日本の場合は、戦乱終結後の人口爆発は朝鮮よりも激しく、16世紀末から17世紀半ばまでに人口は1200万人から3000万人にまで倍増したのでしょう*9。


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*1:南京虐殺も朝鮮人がやった!」*

ここまでの馬鹿はそうはいないと思うが、いることはいるんだよね。

ちなみに南京事件のあった当時、朝鮮人は徴兵もされてないし、志願兵も募集されていない。

旧大韓帝国軍からの継続として極一部の朝鮮人将校がいたに過ぎず、兵士としては日本人と結婚・養子縁組などして日本人戸籍に入った朝鮮系日本人がいたくらいだろう。

いずれにしても日本軍全体から見て例外的な事例に過ぎない。


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*2:「人口で見る日本史」より

*3:「朝鮮の役」参謀本部より、日本が予測した朝鮮の石高より推定

*4:「人口で見る日本史」P88-103

*5:むろん、飢饉対策などは政治の責任だが


*6:ただし、朝鮮人口は日本による朝鮮の予測石高に基いた推定。

予測精度の問題の他、石高計算は純粋な食糧生産以外も含む場合もあり、実際の人口はこれより少なかった可能性は高い。

丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難 | Chosun Online | 朝鮮日報によると、1630年ころの朝鮮の人口は1000万人程度という。


*7:応仁の乱の勃発年。ただし関東などではそれよりも早くから戦乱が勃発している。


*8:「朝鮮」金達寿、岩波新書、P83 や、「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」石渡延男監訳、三橋広夫共訳、明石書店P167


*9:ただし、1600年の日本の人口については、1500万人という説もある。また、この頃実施された検地による石高は1800万石で、これには畑や屋敷地などが含まれている
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20081102/1225647411





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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 4


悲惨な朝鮮農民の生活 投稿者:まっぺん 投稿日:2010年 7月29日(木)10時53分19秒  

あ呆は「人口増加」を朝鮮人の米消費減少の「原因」とする。
では実際に統計数字を比べてみよう。

以下は朝鮮総督府の調査結果を基にした資料だが、次のようになっている。


年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版

次に当時の朝鮮人の人口増加についての調査資料だ。

1717年 1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年 1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年 1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1906年  980万人(警察調査まま)
1910年 1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年 1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年 1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年 1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年 2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年 2221万人(警察調査2125万人からの推計)

1877年までの調査はすでに説明したように人口戸主の数であり女・子どもの数は含まれていないので、そこから推計している。

その中で明らかに1906年のデータはおかしい。これは当時、朝鮮全土で義兵がおこり、抵抗闘争の中での調査であったため、まともな調査ができなかったと考えるのが妥当だ。

なお、「1石」とはひとりの人間が1年間に食べる米の量とされているから、
日本へ輸出した米の量を「人間の数」に置き換えることができる。
人口増加率と比較すると次のとおりになる。


年次 日本に輸出した米の量  前回と比較した増加量      人口の増加

1912 │ 291万人分
1915 │                           5年で 72万人
1917 │ 129万6千人分  5年で-161万4千人分
1920 │ 175万人分    3年で+ 45万4千人分    5年で 60万人
1922 │ 331万6千人分  2年で+156万6千人分
1924 │ 472万2千人分  2年で+140万6千人分
1925 │                           5年で139万人
1926 │ 542万9千人分  2年で+ 70万7千人分
1928 | 740万5千人分  2年で+197万6千人分
1930 │                           5年で142万人
'31-34 │ 845万6千人分  1〜4年で+105万1千人分


以上は「米の増加量と人口の増加量を比較したものだ。

ふたつの資料の統計年がちがうので完全に同じ比較はできない。

また1912年には大量に輸出しているので5年後の輸出量は減少となっていることは考慮しなければならない。

緊急対策として大量に送ったのだろう。

また、この米輸出の統計資料が、毎年輸出されている中から一部を抽出した数字なのか、それとも2〜3年毎にしか輸出されなかったのか不明だが、もし2〜3年毎なら1912年から34年まで(31年から34年は毎年輸出され、その平均値)を合計すると6065万2千人分の米が日本に輸出された事になる。

これは25年間で約500万人増えた人口と比較すれば、ほぼ同等の数字となる。

またその間に増産運動が行われ収穫量が約2倍となったと記録されていることからも相当の増産となったことが窺われる。

しかしそれでは朝鮮人の米の摂取量の減少を説明できない。

したがってこの数字は毎年の輸出の中からの抽出と考えるのが妥当。

そこで輸出量の伸びを見れば、人口の伸びは5年ごとに60万〜142万人であるのに対して米の輸出量の伸びは2年〜3年毎に45万〜197万人分。5年毎で比較するなら200万〜300万人分も輸出量が増え続けている。

もしも米の増産がそれを上回っているのなら、朝鮮人の米消費量が減少するのはつじつまが合わない。

したがって、朝鮮人の米の消費が減ったのは「人口増加が原因」とする「あ呆説」はデマ。

飢餓輸出が原因という事になる。

なお、朝鮮農民の当時の生活についてNHKの番組を見た半月城さんが以下のように解説している。

これをみても、「農民が自主的に換金用に食べる分以上の米を売った」などというあ呆の妄想には根拠がなく、むしろむしり取られていった朝鮮農民の姿が浮かび上がる。


   そうした歴史を、数年前の米騒動の時、NHKがTV番組「米に揺れた
日韓近代史」と題して放映していました。

番組では産米増殖計画の歴史的背景
や実施状況などをつぶさに検討し、あわせてこの政策を直接体験した農家の窮
状を具体的に紹介していました。

  それによると、農民が秋に米を70俵収穫しても、水利税や肥料代なども
ろもろ差し引かれ手元には2割の15俵くらいしか残らないそうでした。

   しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人
は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうで
した

   これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の
中に埋めたり隠したりするのですが、冷酷な借金取りもさるもの、鉄棒で地面
をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。

   このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本
の農家をも苦しめました。

安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/20127




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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 5


1. これが詐欺師の論理


朝鮮半島のほうが日本より平地割合が低いらしい。
朝鮮半島では日帝支配以前の主食は米飯ではない。
さらに、1人当たりの米消費量は、おそらく単純に収穫量/人口を出したものなのでは?

これを、朝鮮人の口に入った米の量で考え直すと、こうなる。

年次|人口|朝鮮人一人当たり|朝鮮での
  |  |米消費量(仮)石|米消費量
1906| 980|        |
1910|1312|        |
1912|1318|0.7724     |1071.937
1917|1577|0.7200     |1135.656
1920|1691|0.6301     |1065.499
1922|1746|0.634      |1107.2148
1924|1802|0.6032     |1086.846
1926|1857|0.5325     | 988.959
1928|1913|0.5402     |1033.187
1930|1968|        |

04の数字だけで「飢餓輸出が原因という事になる。」というのは阿呆の戯言である。
そもそも、米消費量が少ないだけで飢餓輸出であるならば、現代日本は米消費量0.4石で日帝時代の朝鮮より飢餓状態なんだが。

朝鮮には主食として高黍換金作物として有利であるから、米が輸出されただけと考えるのが妥当であり飢餓状態であったというのは悪質な嘘。


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2.こっちが真理


朝鮮半島南部では古来より、米が食べられています。豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、当時の日本式の栽培方法が伝わったという記録もあります

朝鮮半島にも古代に中国から日本を経由して、稲作は伝わり継続されています。日本の水田跡の遺跡は最古のもので3,800年ほど前、韓国では2,000年ほど前です。

朝鮮半島北部の主食は日韓併合以前は高黍(別名モロコシ)でしたが、併合後は稲栽培を伝授されて、米に変化しました。

要するに、それまで常食にしていた高黍に代えて日本人の食べる米を強制的に栽培させられて日本にすべて輸出させられたから朝鮮人には食べるものがなくなったのです.

これが飢餓輸出の意味なのです:


朝鮮半島北部は気温が低いため、米は栽培されていませんでした。
高黍(タカキビ)・粟などの雑穀が主食でした。

朝鮮半島南部では古来より、米が食べられています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、当時の日本式の栽培方法が伝わったという記録もあります。
朝鮮半島ではその後日韓併合まで、品種改良や栽培方法の変化はなかったと思います。
日本に併合され、日本式の栽培方法や日本の品種が伝わり、現在も食べられていると思います。

日本の指導により単位あたりの収穫量は大きく伸びました。
また現在では日本で戦後開発された品種が、食されているかもしれません。

朝鮮半島にも古代に中国から日本を経由して、稲作は伝わり継続されています。
日本の水田跡の遺跡は最古のもので3,800年ほど前、韓国では2,000年ほど前です。

元来朝鮮半島の農民の主食は雑穀かもしれません。
併合中も米を日本に出荷し、その金で生活用品を整え、自分たちは雑穀を食べていたとの記録もあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135908896


現在の朝鮮半島の主食は米である。

しかし、本来の朝鮮の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。

稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられたもので、当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種であった。

元々は雑穀を食べていたが、日本の統治下で米食に移行、伝統食文化は失われた。
http://www.wdic.org/w/CUL/%E4%B8%BB%E9%A3%9F


今の韓国・北朝鮮では主食は日本と同様、米(ジャポニカ米)である。

現在は白米だけの炊飯で食されるが、日本と同様に、玄米の状態の炊飯や雑穀の入った炊き込みご飯を食べていた時期もあった。

韓国の料理にはビビンパやクッパなど米を他の食材と混ぜ食べるものも多く、かかせないものである。

一方北朝鮮は、現在の食糧難から米が十分に食べられず、トウモロコシやジャガイモを主食にしている国民が多いものと思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A3%9F

170:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:53:15 ID:yf2dtPr70

イザベラ L ハード「朝鮮紀行」 P203〜P204より

大食ということに関しては、どの階級も似たり寄ったりである。食事のよさは質より量で決められ、一日四ポンドのごはんを食べても困らないよう、胃にできるかぎりの容量と伸縮性を持たせるのが幼いころからの人生目標のひとつなのである。

ゆとりのある身分の人々は酒を飲み、大量のくだもの、木の実、糖菓を食間にとるが、それでもっぎの食事には一週間もひもじい思いをしていたかのような態度でのぞむ。

裕福な家では牛肉と犬の肉は大皿に盛る。また客のごちそうは銘々膳で供されるので、もてなす側は特別大事な客にはふんだんにふるまい、ほかの客には最小限度に抑えておくことができる。

わたしは朝鮮人が一度の食事で三ポンドはゆうにある肉を食べるのを見たことがある。

「一食分」が大量なのに、一日に三食か四食とる朝鮮人はめずらしくなく、一般にそれを慎む人々は好きなように食事もできないほど貧しい人と見なされかねない。

一度の食事で二〇個から二五個のモモや小ぶりのウリが皮もむかれずになくなってしまうのはざらである。

赤ん坊にまで食べさせる莫大な消費量の赤トウガラシがこの大食ぶりを助けているのはまちがいない。

朝鮮人には消化不良のたぐいの疾患が多いというのもうなずける。
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181:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 21:40:24 ID:cYc2nMmu0

人口増加ってのがあるけど、あれは豊かになったから人口が増加するのではなく、
貧しいからこそ人口が増加するんだよな。

 人口爆発を起こしている国々をみてみると、かつて先進国の植民地となり、なかば強制的に換金作物(お金に換えるための作物。例えばコーヒー、紅茶、ゴムなど)を栽培させられた経験のある国々だということがわかります。

この換金作物こそが人口爆発の原因を探る大きな鍵となります。

 かつてこれらの国々が自給自足を行っていた頃は、貧しいながらも人口は安定していました。

食糧の供給量以上に人口は増えることができなかったからです。

しかし先進国の登場によって換金作物の栽培が始まると、換金作物を売ることで一時的には食料の供給が増えて人口が増加します。

人口が増えた結果、再び食料が不足しますから、作物の収穫量を上げるためにさらに無理な生産をします。

けれどもそのために地力が落ち、次第に人口を養うだけの作物が収穫できなくなり、不自然な人口爆発だけが残されるのです。


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朝鮮人の米消費量、食習慣、などから考察すると、産米増殖計画によって、朝鮮人の大食習慣が失われ、人口増加による貧困の増加、米消費量の低下(途中で改善はされてはいるものの)、結局 朝鮮農民は飢餓線をさまよう状態になった。


184:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 01:49:49 ID:5/Okf5Sz0
その増えた人口の面倒を見切れず、数十万の朝鮮人が半島外へ流出

http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


米はいうまでもなく日本の統治時代以降は朝鮮でも主食になりました。したがって、米の消費量は当時の生活水準のバロメータになるので、この統計をみることにします。

         朝鮮の米穀輸出・消費量

年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版

  この表から、朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加
にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向にあることがわかり、
植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。

これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定さ
れました。その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。

  日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢
性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。それに加え、タ
イなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。

  こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し
「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億85
00万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石
の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道
や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしん
りき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さら
に栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しまし
た。
   こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、か
の江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考え
をある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消
費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187

即ち、日本の搾取がなければ朝鮮人が食ってけなくなって日本に移民してくる事もなかった。




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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 6

日本人はアホだから、美味しい所はすべて英米に持って行かれた


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html




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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 7

 

 

 日本統治のせいで朝鮮の古き良き文化が堕落した

淫売婦が日本の最大の輸出品となっているのは、衆目の認めるところである。日本人の行くところ、いかなる土地でも売淫の市が開かれないところはないが、わが国においてはとくに甚だしい。その淫風は、わが国古来の礼俗を破壊し、わが人命を害し、風紀を乱すことこのうえないものになっている。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

日本国内どこの大衆浴場でもみられる風景を、はじめて見る韓国人が驚くことがある。日本の銭湯の番台は、男女に分かれている脱衣場のどまんなかの高台で両方を眺望することができるからである。われわれの知る「男女七歳不同席」の儒教の原則は、日本では通じないのだ。
[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本のテレビでは、昼間でも女性の裸が見られる。それどころか、主婦向けの朝の番組でも、女性の上半身ヌードをよく見かける。(略)

夜11時過ぎると、成人用ビデオ女優がパンティー姿で現れ、服を着た男性タレントとセックスする素振りを見せる。

ただそのものズバリを見せないだけのことで、これではまるごとポルノ映画だ。むしろポルノ映画以上のいやらしい身の動き、そして水準以下の幼稚なセリフがテレビには溢れている。
[田麗玉『悲しい日本人』1994年]


この地球上、女性を裸にして金を儲けようとしない国は一つもないといっても、いいすぎではない。(略)だが日本の場合は、その異常さに問題がある。

彼らが好む対象は幼児であったり、体の一部に支障のある女だったり、あげくには知能の低い白痴女だったりする。一言でいって、社会的、精神的意味で徹底的に弱い者をセックスの対象と考えるのだ。

セックスに異常な関心をもっている日本人は多くのマスメディアを通して、女性をただのおもちゃとして売り、買い、もてあそぶ。そんなものを見る時私は日本社会独特の非人間性に怒りを感じる。弱者を残忍かつ執拗にもてあそぶ日本の一面を見たような思いがするからだ。[同]

(日本という)出版大国の底辺にはものすごい量の低質、ポルノ本が乱舞している。(略)以前、韓国のスポーツ新聞がこのような方向に流れたと言って物議をかもしたことがあるが、日本のスポーツ新聞を見ると本当に韓国は道徳君子の国だということを再度感じる。
[金永明『日本の貧困』1994]

日本女性の多くが韓国の女性に比べて顔がまずく、特に歯並びが悪い女性が大部分で、これは日本の風土病の一種ではないかと思われる程である
[シン・ピョン『日本の地、日本の風』1990年]


我々と異なり、日本人には歯並びがひどく悪い人が多い。専門分野ではないから確言はできないが、先天的に我々より歯並びが悪い民族であるようだ。
[金燦「一事一言」朝鮮日報 1994年11月8日]

日本が三国の圧力に屈服すると、朝鮮では明成皇后[閔妃]を中心に日本の勢力をくいとめるためにロシアに接近する動きがあらわれた。これに日本は、彼らの勢力をばんかいするために軍隊を先頭にして宮中に侵入し、明成皇后を殺害する野蛮な行為を犯した。これを乙未事変という(1895)。
[中学国史 1996年版]

刺客は、各部屋をすみずみまであまねく捜索し、ついに王后を刺して弑逆した。遺体は緞衾につつみ、松坂の上に安置し、殿庭から鹿園の林の中に運び出し、遺体の上に薪をのせて油をそそぎ、これを焼いた。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

八月二十日、ニ、三十人の日本の大陸浪人が、景福宮の閔妃の寝所に踏み込んで斬殺した。それは三浦の命令であった。一国を代表する公使が、外国の王妃斬殺計画の首謀者になるとは、世界史でも稀な事件である。しかも、斬殺した屍体に石油をかけて、王宮の庭で焼いてしまうという蛮行を重ねた。
[金両基『物語韓国史』1989年]


少女の柳寛順は日本の警官や憲兵の銃剣の前にたってもひるまず、後に韓国のジャンヌ・ダルクと称えられた。彼女は水原の警察でひどい拷問にあいながら、「独立万歳」を叫びつづけ、殺されていった。[同]

ソウルで独立運動が展開された日、まだ年のいかない女学生が、右手に国旗をもち「万歳」を叫んだ。

日本兵は、剣をもち、その右手を切りおとした。女学生はさらに左手で旗をあげて「万歳」を叫んだ。

日本兵はまたその左手を切りおとしたが、女学生はなお「万歳」の連呼をやめなかった。
日本兵はその頭をつき刺してこの女学生を殺した。[同]


日本兵二名が左右にあって、一人は女学生の手をきつくにぎり、一人は竹針をたばねて頭に刺した。しかし、それでもなお屈服せず、激烈となり、かえって日本人を怒りののしった。

日本兵はいよいよ怒り、刀をぬいて唇をさこうとしたが、長官が引きとめ、「顔の表面は傷つけてはいけない」と言った。[同]

日本の野蛮人どもは、女学生のうち美貌の者何人かをえらび、輪姦をかさねた。(略)

日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて盧永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(苽)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。

そこでまた他の十字架にうつし、四肢と頭髪など五ヵ所を縛り、天空に架けて仰臥させ、膏薬を火に溶かしたものを頭髪と陰門と左右両腋とにねばりつけ、冷却させた後に強い力で急に引っぱった。髪の毛も皮膚もともに剥げおちて、血があふれるように流れ、大地を染めた。

日本の野蛮人どもは、大笑してこの残虐を楽しんだ。[同]


平壌では、拘留され入獄した女学生に対し、日本の野蛮人どもは、焼きごてをかの女らの陰部にあて、「男は何人いるか」など質問し、拷問を加え、いいしれぬ恥辱を与えた。[同]

朝鮮人女子は、監獄に入るとかならずはだかにされて訊問を加えられた。すでに判決をうけた女学生も、かならず日本人の姦淫暴虐をうけた。(略)

女子をはだかで仰臥させ、その腋毛、陰毛をぬいた。

また膏薬を煮解かし、女子の陰部にそそぎ、冷却して固まってから、いきなりこれをぬきとった。その陰毛はことごとく脱落した。[同]


1942年から始まった朝鮮での徴用の無慈悲さに就ては今更に喃々喋々を要しないであろう。戦時中朝鮮の官憲は日本への食糧供給を確保する為の「米穀供出」に狂奔し農家の糞溜の底まで目を光らした。

「労力供出」も之に劣らない方法、例えば市場とか村落をトラックを以て急襲して手あたり次第に捕えては頭数を揃えるとか、徴用逃亡者の為に山狩りをするとか等々の奴隷狩りを彷彿させる方法が取られた。
[朴在一『在日朝鮮人に関する綜合調査研究』1957年]

とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期にいたって、日本帝国主義は戦時労働力の不足を打開するために、朝鮮人民を強制的に大量徴用した。

日本帝国主義は当時朝鮮人を連行するにあたり、夜中に農家を襲撃し、白昼にトラックを横付けして畑で働いている朝鮮の青壮年たちを手当たりしだいに拉致していくなど、文字どおりの「朝鮮人狩り」をおこなった。
[朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』1965年]

日帝が太平洋戦争末期の一九四五年、教師らを動員、一二歳の国民学校少女までも挺身隊に引きずっていった事実が一国民学校の学籍簿で確認された。

この学籍簿には七六年に廃校になったバンサン国民学校(戦前の京城第二公立小学校)六年制の担任だった池田正枝(六八・日本生駒市居住)氏が過去、子供たちを挺身隊に送った後、良心の呵責を感じて昨年八月、日本フジテレビの取材チームとともにバンサン国民学校卒業生学籍簿を保管中だったソウル江南区逸院洞永禧国民学校を訪問し発見した。

一四日、永禧国民学校が公開した池田氏が直接作成した学籍簿には、池田氏が担任だった六年生四班(女学生班)生徒七〇名余りのうち一名が四四年二月二五日に、五名が七月二日に富山不二挺身隊として出発したと記録されている。[朝鮮日報 1991年1月15日]


私自身が絶対に許せないのは、その悪の制度化だ。人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。

強姦が犯罪なら、日本は集団的強姦を制度化したまれな国である。

私は、従軍慰安婦というのは日本がわが国の女性の全てを集団で強姦したようなものだと思う。おそらく日本はその血の代価をこれからずっと払い続けねばならないだろう。
[田麗玉『悲しい日本人』1994年]
http://www7.plala.or.jp/juraian/panil.htm



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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 8


『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981


1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが 、村長は耳を貸さない。

この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ 。

村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を 渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://194586245.web.fc2.com/11.html

従軍慰安婦は売春婦か?

1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。

日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、朝鮮における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。

この傾向は、韓国を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。

http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090728170811
http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080628173338


「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。

日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。


研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。


名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東


*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1


朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。

慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/

『慰安婦』にされた年齢


尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。


11歳  1名
12歳  1名
13歳  1名
14歳  3名
15歳  5名
16歳 16名  ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳  7名  ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳  3名  ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳  3名
20歳  -
21歳  1名  ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳  -
23歳  1名
29歳  1名


*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。

*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)

*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』

コメント一覧


貧寒 2008/09/27 11:07

韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。

2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。

おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。

Stiffmuscle 2008/09/27 21:47

子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。

なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?

相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。

Allen 2008/09/28 16:21

ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・

東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・

日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。

Stiffmuscle 2008/09/29 00:59

「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。

当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。

その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。

まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1


 日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm

『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。

http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html

日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm

朝鮮人「慰安婦」の証言


12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした


 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。


(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)

http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101200.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/


拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
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12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。


 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
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使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。


(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
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チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。


○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
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ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html

ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html

朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2


李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。


十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。


 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。


 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。


 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。
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金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。


 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/





アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6


わたしを犯さず、やさしくしてくれた特攻隊員が一人いた。
彼はわたしに何度もいった。

『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きなければならない』


 元「従軍慰安婦」、イ・ヨンスさんが証言 ルモンド東京支局長、フィリップ・ポンス氏が取材し報道 


 フランスのルモンド紙の東京支局長で、日本の歴史文化に明るいフィリップ・ポンス記者が3月5日、先にワシントンの連邦議会下院小委で証言したイ・ヨンス(李容洙)さん(78歳)と都内の韓国レストランで会い、彼女の話を聞いて記事にした。

 ポンス記者はこう書いている。
 
 「現在の韓国南東部、大邸に近くで生まれたイさん(マダム・イ)が14歳のときだった。

『1944年の秋のある朝のことです。寝ていると、わたしを呼ぶ女の声がします。出て行きました。日本兵がひとりいて、わたしを捕まえ、力ずくでわたしを連行したのです』。

汽車は彼女をピョンヤンから中国の大連へと運んだ。大連で彼女は台湾行きの船に乗せられ、自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された」

 台湾の特攻機地の慰安所での体験を、イさんはポンス記者にこう語っている。

 「(慰安所になった)船上で、わたしたち5人は300人の兵にあてがわれました。年上のお姉さんがわたしを隠してくれました。その基地で、わたしは殴られ、犯され、死ぬまで放置されました。わたしの手は針金で縛れていました」

 そんな地獄の日々のなかで、イさんはひとりの特攻隊員(パイロット)に会った。

 「ひとりのパイロットがわたしにやさしくしてくれました。彼はわたしに何度も言いました。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きねばならない』と。その人だけが、わたしを犯しませんでした」

 イさんの証言は続く。

 「何ヶ月かが過ぎていきました。わたしがあてがわれた小さな船室には毎日、10人の兵士がやって来ました。船室には寝床と布団と消毒液がありました。

最後の任務(自殺攻撃)に出て行った彼らは、(わたしの部屋に)長居していました。(特攻隊員の)彼らもまた犠牲者だったのです」


 そして、ついに光復の日が……。

 「ある朝、日本兵が突然、いなくなりました。街の方から中国語の叫び声が湧き上がりました。『戦争は終わった』と」
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/992.html



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日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 9

天皇家の教育を任されていた福沢諭吉一派は朝鮮人を人間だと思っていなかった:


福沢諭吉の実像は、日本の民主化への貢献というよりは、軍国主義を煽ったことの方にありました。


「時事小言」の社説で、


「印度・支那の御(ぎょ)し方を英人に見習うのみならず、その英人をも苦しめて、東洋の権柄を我が一手に握るべし」


とか


「滅亡こそ朝鮮人民の幸福」


などという非常識で勇ましい文章を書きなぐっていました。(このことは安川寿之輔氏の研究に詳しく書いてあります。)


この福沢の実態の見落としは、単なる軽率と済ませられるものではなく、丸山思想の根本的欠陥と見るべきと考えます。


福沢諭吉が日本の侵略主義を煽ったのは、自分の国は自分で守る気概を持った国民を作ること、つまり国民国家を作るためでした。こういう「国民」を作り出すためには、民族の一員としての平等感と国政への参加意識を持たせる必要がある、と考えました。

これが人民主権(民主主義)の思想の役割でした。

福沢にとって独立日本国を作ることが第一義で、民主化はそのための方便という二義的な意味しか持っていませんでした。


ところが丸山は「国民国家を作るための民主主義」という思想構造を理解できなかったために、福沢の民主主義の部分だけしか見えず、一方では福沢が重視した侵略思想の方を見落としたものです。


しかしながら福沢のこの思想は、福沢の性格のゆがみとか間違いというような個人的なものではなくて、明治期の時代の空気であったことに留意する必要があります。


この侵略思想は、自由民権運動の中にも顕著に現れていることは、板垣退助、大井憲太郎などの過激な侵略思想を見れば明らかです。福沢や民権派の運動の効果もあって、この思想が順次政府によって実行されて、挙句の果てに昭和の戦争を招いたものであり、長い眼で見れば、彼らは昭和軍国主義の先駆者ということが出来ます。


しかし福沢や民権派の人々が、この日本近代の侵略主義を作りだしたと言ってしまっては、彼らの力の過大評価になります。

彼等はこういう日本の近代化の時代の空気を代表して表現しているに過ぎません。

問題は日本の近代化という大きな流れの方にあるといえます。

この時代の空気を丸山は分析的に見ることが出来なかったのですから、思想家としては失格だったと言えます。

結論として、丸山は近代化の持つ暗黒面に気がつかなかったという意味で、「近代と言うものが理解できなかった近代主義者」だった、と言えます。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-79b8.html


岩上「続いて、福沢による他民族差別の言説を見て行きたいと思います。清国に対して、『チャンチャン』『豚尾』『豚尾児』『豚屋』『孑孑』などと、ヘイトスピーチの限りを尽くしています」

杉田氏「当時の辮髪を差して、『豚』と呼んでいるわけですね」

杉田氏「福沢の場合、こうした言葉が、漫言だけでなく、新聞の社説や著書にも出てきます。『豚尾の兵隊』『豚尾児』『豚尾奴』『豚尾兵と名づくる一種の悪獣』といった表現が出てきます」

岩上「他にも、中国人に対するヘイトスピーチはたくさんあります。『流民乞食』『彼(=支那)の国民の骨に徹したる淫欲の余毒』『半死の病人…豚狩り』などなど」

杉田氏「福沢は他の所で『こんなこと言ってはいかん』と、なんの反省もなく自己合理化しています」

岩上「朝鮮人に対するヘイトスピーチもたくさんありますね。『儒教主義に飽満して腐敗を致したる』『上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群衆』など」

杉田氏「朝鮮人に対しては、一貫して『腐儒』という言葉を使いますね。福沢の底流には儒教主義があるのですが」

岩上「こういう言説を見ていると、明治の時代精神とはこんなものなのか、と暗澹たる気持になります。


杉田氏「福沢が朝鮮や中国、台湾に対してどのような態度を取ってきたか、見ていきたいと思います。金玉均らが起こした甲申政変に、福沢が関与しています。しかし福沢はその後、この事実を執拗に隠すんですね。しかし、福沢が援助した事実が残っています」

岩上「金玉均や朴泳孝による甲申政変に関して、『自ら進んで役者を選び、役者を教え、また道具立其他万端を差図せられた事実がある』という文言が残っているわけですね。他国の政変を工作するなんて、とんでもないことです」

杉田氏「武器まで提供しています」

杉田氏「金玉均は、日本に来て福沢に対し『誠に申し訳ありません』と謝っています。福沢の期待通りに事を運べなかったことに対し、謝罪しているわけです。このことからも、どれだけ福沢が甲申政変に深く関与していたか、分かるかと思います」

杉田氏「甲申政変の段階で、井上馨による外交交渉が行われているなか、福沢諭吉は『我政府に於ても、止むを得ず曲直を兵力に訴るの外なかる可し』と、戦争を仕掛けろ、と鼓吹しています。日本人が殺されたことの弁償をしろ、という理屈です」

杉田氏「自分で仕掛けておきながら、支那と朝鮮が加害者だ、と福沢は言います。さらに、『御親征の挙、断じて行う可きなり』と言います。天皇が自ら乗り込んで戦争しろ、ということですね」

杉田氏「有名な『脱亜論』はこの時期に書かれます。この論説で明瞭なのは、列強によるアジアの分割に加わるべきだ、ということです。アジアの土地を奪え、遠慮はいらない、といった調子ですね」

岩上「次が台湾です。台湾に対してはよりあからさまです。『一人も残さず殲滅して』などということを書いています」

杉田氏「台湾で次から次に抵抗運動が起こります。そのたびごとに、台湾人を殺戮するよう煽る文章を発表しています」

杉田氏「時事新報に『雑報』という欄があります。この中に、『自分が見切れないで、とんでもないものが出てしまった』と書いています。しかし、台湾人の殺戮を煽っているような文章は、社論として書いています。平山洋さんが言うように、弟子が書いたものではない」

視聴者からの質問「福沢諭吉は病んでいるとしか思えない」

杉田氏「福沢としては、貧知者が生まれないように、かなり自覚的に差別を行っているのだと思います。それは、アジアに対しての視線でも共通しています」

岩上「最後に、日清戦争後に日本が膠州湾を租借した後の福沢の言動を見ていきたいと思います」

杉田氏「支那人の支配には日本人が最適だ、ということを言います。日清戦争の時にいかに日本が手際よく清国を倒したか、ということを強調しています」

岩上「今日の安倍政権が、改憲の動きや戦争法案の制定に動き出しています。さらに、安倍総理は『ポツダム宣言』は読んでいない、と」

杉田氏「これは、表立って否定する段階ではまだない、ということだと思います。すぐ、次の段階がくるでしょう」

杉田氏「集団的自衛権も含めて、かつての自民党ができなかったことを次々とやれるようになってきています。『ポツダム宣言を読んだことがない』というのも、かなり意識的に言っているのだと思います」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17437.html


福沢諭吉は朝鮮や台湾の人びとのことをどう述べているか:


「朝鮮……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、

「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……

朝鮮人は唯頑固の固まり」(本書121頁)


朝鮮は、野蛮な国であり、朝鮮人はただ頑固なだけであり、台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。


「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……

「朝鮮……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……

「土人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」

「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……

「支那兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」

(本書160−161頁)


なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。……甲申政変の際にさえ


「京城の支那兵を鏖(みなごろし)に」


と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅」「誅戮」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁)


中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。


なんという怖ろしい「啓蒙思想家」だろう。戦争にあたって、相手国の人間を、人間以下に描き出すことは、侵略する側のひとびとが決まって行なってきたことである。かつてアメリカも、日本と戦争をするにあたって、日本人がいかに「人間以下」であるかをさまざまな方法でアメリカ国民に対して啓蒙した。

それにしても、これらの発言は、福沢に対するイメージを一変させるのではないか。


「目に付くものは分捕品の外なし。

何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚へて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替までも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ。

其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、凱陣の上は参謀本部に御払下を出願して一儲け……」


という私有物の強奪の勧めを書いた。さらに


「生擒(いけどり)」にした捕虜の「老将」軍を「浅草公園に持出して木戸を張り……木戸銭」をとり、

老将軍に「阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します」


という慰み物にして金儲けをする提案までした。」(163頁)


目についたものは、すべて分捕ってくるといい、などと言っている。 しかも、捕虜にした中国の老将軍を、浅草公園に連れてきて、見世物にしてしまおう、と言っている。 ここに見られるのは、「啓蒙思想家」としての姿ではなく、強盗・殺人を奨励する単なる「極悪人」の姿である。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

こんな言葉で知られる福沢の思想は、決して日本の民主主義の立役者でも何でもなかった。


「天」に代わって日本「人の上に」天皇制と「帝室の藩屏(はんぺい)」としての華族制度をつくりだした福沢諭吉は、

その日本「人の下に」被差別部落民の存在する事実になんらこだわることなく、

『東洋政略論』で日本「人の下に」アジア諸国民を置き、

百篇をこす論稿で男性「の下に」女性をおく家父長制的女性論を体系化し、

金持ち「の下に」貧乏人を位置づけた教育論を構築した。


たとえば、「今の世」で「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」という考えに基づき、

“貧智者”の出現阻止のために官立大学を廃止して私学に改変することを主張したり、

学問・教育も一種の商品だから


金持ちが「子の為に上等の教育を買ひ」中等は中等の教育、貧民は下等の教育を購入する


という貧富に応じた複線型学校論を主張し、それを合理化するために、


豪農・豪商・旧藩士族の「良家の子弟(男子)は「先天遺伝の能力」をもつ


という遺伝絶対論も主張した。こうした貧民無視の罪滅ぼしに、


「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」


と言って、貧民を宥(なだ)め眠らせるために、自らは信じない宗教の振興論を百篇以上書いた。(235頁)


筆者は、福沢諭吉を、「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」と結論づけている。福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。
http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200804/article_14.html


福沢諭吉のアジア認識 安川 寿之輔


1.戦後福沢諭吉研究のいい加減さ−「民主主義の先駆者」の虚像


 1万円札の肖像、慶應義塾の創設者、『学問のすすめ』の著者、福沢諭吉は前向きのイメージで見られ、国民作家、司馬遼太郎の「明るい明治」の歴史観とも重ね合わせて、偉大な啓蒙思想家として教えられています。しかし、アジア諸国からは侵略主義者とみられ、たとえば台湾では「最も憎むべき民族の敵」と呼ばれているのも事実です。

実は、民主的啓蒙思想家のイメージは、丸山眞男ら戦後の民主主義を追求をした学者たちが、福沢諭吉全集から自説に都合のいいところを、福沢の文脈とは無関係に抜き出して作り上げた虚像なのです。

たとえば、丸山さんは福沢の天皇制論を「天皇は政治に関与してはならないと主張し、生涯それを貫いた」と述べましたが、


福沢は朝鮮の甲申政変の時は天皇の「御親征」を主張、

日清戦争の時は大本営を旅順に移し天皇の「海外出陣」さえ要求したのです。


天皇は「正宗の銘刀」であるから「深く鞘に収め」と言ったのは、抜きっぱなしでは効用がないから日常的には政治に関与すべきでないという意味でした。


また、『学問のすすめ』の

「一身独立して一国独立する」

は、

「個人の自由が確立しなければ国の独立はない」


と解釈されましたが、これは福沢研究史上最大の誤読です。


理想はそうだが、国の独立が最優先課題であるから民衆の自由の確立は「他日為す所あらん」、すぐにはできないと言ったのであり、やがて「自由民権運動」に出合うと「一身独立」は放り投げ、逆に封建的な制度を擁護する側に回ったのです。

さらに、福沢は無神論者でしたが、民衆に対する啓蒙を放棄するや、


「馬鹿と片輪に宗教、丁度良き取り合わせ」、


すなわち民衆の支配には宗教が有効だとして、「経世の要具」としての宗教の必要性を100編以上の論説で主張したのです。丸山さんは福沢を「原理原則がある哲学をもった思想家」と最大限に持ち上げましたが、上の例から福沢は原理原則に筋を通す思想家などではないことがわかります。


 なぜこのようないい加減な福沢研究が学問の名の下にまかり通ったのか。それは戦後の研究者たちが、民主主義の追求に目を奪われて、昨日まで続いていた日本の侵略戦争、植民地支配の責任を放置し、日本にも「明るい明治」期には福沢のような先駆者がいたのだと、福沢を民主主義のチャンピオンに仕立てたのです。戦後の学問のいいかげんさは戦争責任を忘却したことの結果であり、その罪は重いと言わねばなりません。


2.福沢諭吉の国際関係認識−侵略路線への逸脱


 福沢の幕末維新期の国際関係認識は「国家平等観」に立脚していたというのが定説ですが、これは丸山さんらが、福沢が建て前論として言った部分のみを取り上げて導いた結論です。

福沢は国際関係を「傍若無人」、「切り捨て御免」、「無情残酷」、「パワーイズライト」と認識していました。

また同じ時期の、「台湾出兵」について


「こんなにお祝いすべきことはない」、

「そもそも戦争は国の栄辱の関する所、国権の由て盛衰の致す所」


と述べ、「江華島事件」では


「小野蛮国」の朝鮮が「来朝し、我が属国になるも我の悦ぶに足らず」


と述べました。先行の研究者たちは、こういった不都合な記述を全く取り上げることなく「国家平等論者」だと結論したのです。


 福沢は国際帝国主義の時代状況を「弱肉強食」の関係だと認識すると、『文明論之概略』の中で、自国の独立確保を至上最優先の課題に設定し、『学問のすすめ』の中では


「一国独立」は「国の為には財を失うのみならず、一命を擲ても惜しむに足ら」ない「報国の大義」だ


と書きました。上述したように丸山さんらは「一身独立して一国独立する」を読み間違えたのです。

さらに国の独立確保を最優先するためには

「…、君臣の義、先祖の由緒、上下の名分、本末の差別のごとき…文明の方便」

であるから積極的に活用しなければならないと、日本の近代が封建的なさまざまなものを取り組んでいく道を提示したことも極めて重要です。


 中期以降、先進資本主義国が社会主義や労働運動に直面し、「狼狽して方向に迷う」という現実認識が加わると、「富国強兵」ではだめで「強兵富国」でなければならないと唱え、「軍備拡大」、「対外侵略」路線へと踏み出して行きました。そして歴史的現実主義という名の「清濁併呑」路線、すなわち


「世の中そんなに急に変わらないから、民衆があほなら民衆のあほに依拠してやっていく」、


また「権謀術数」的な「内危外競」路線へと傾斜していきました。何よりも見事なのは、天皇制を「愚民を籠絡する詐術」、馬鹿な国民をたぶらかす政治装置だ、と見抜いたことです。その一方で、軽率にも日本人は「完全な文明開化人」になったという宣言をし、「文明史観」の下での対外侵略の合理化を行い、同時代人から


「法螺を福沢、嘘を諭吉」


と非難されました。元外交官の吉岡弘毅からは、「我が日本をして強盗国に変ぜしめんと謀る」道のりは「不可救の災禍を将来に遺せん事必せり」と厳しくも適切な批判を受けたのです。


3.日清戦争と福沢諭吉


 この時期、朝鮮の背後には中国がいるという理由で、一気に北京攻略まで要求し、あまりに激烈な開戦論のために、『時事新報』の福沢の社説は2度検閲で削除され、さらに『時事』は発行停止処分まで受けました。

リベラルなイメージから良識派と考えられがちですが、実像は明治政府を戦争へと誘導、先導する立場だったのです。

 「日本は日清戦争を経ずに近代化の路線を歩むことはできなかったか?」というのは大変に重要なテーマです。実は、当時の権力中枢、山縣有朋や井上毀らは、直接朝鮮半島を支配する野望は持っていたけれども、国際関係等からいきなりは無理であろうから、暴力的にではあってもスイスのように「永世中立国」にすれば、朝鮮を中国の支配からは離脱させられるという考え方をもっていました。日清戦争開戦1ヶ月前の閣議まで、日本が選びうる3つの選択肢の中には「朝鮮の中立化」は存在していたのです。ところが


福沢は日中両国が違いに連携することなど「空想」だと切り捨て、終始一貫、対支強硬論と軍備拡大要求を続けていました。

明治政府よりも右よりで開戦へと誘導・先導する立場だったのです。


4.丸ごとのアジア蔑視と『暴虐のすすめ』


 福沢は侵略合理化のために「文明」という言葉を論説で乱舞させました。すなわち


他国の「国事を改革」したり「国務の実権」を握ることは内政干渉ではない、


「あいつらはばかだから、がつんとやらないとわからないのだ」


という厚顔無恥そのものの論理です。同時にアジアへの蔑視・侮蔑・マイナスの評価はこの時期から悪化の一途をたどりました。初期にもアジア蔑視観は出ていますが、たとえば中国の民族的英雄林則除を「アヘンを焼き捨てた、思慮のない短気者」と侮辱したように、個々の政策を批判するだけだったのです。ところがこの時期になると、中国は、朝鮮はと、丸ごと総体的に侮蔑する言葉を垂れ流すようになりました。


「朝鮮人…上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群衆」、

「朝鮮は国にして国に非ず」、

「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」、

「朝鮮人 南洋の土人に譲らず」、


朝鮮人は豚や犬だというのです。


「支那兵…豚狩りのつもりにて」、

「チャンチャン…皆殺しにするは造作もなきこと」、


中国人をやっつけることなど簡単なことだとはっきり書いています。後に日本軍はその通りのことをやったわけです。


中国人を「チャンコロ」呼ばわりすることを、彼は4回書いています。


このような聞くに堪えない侮蔑の言葉を垂れ流すさまは痛々しいとすらいえます。 『時事』の『漫言』では兵士に向けて


「…目につくものは分取り品の田無、なにとぞ今度は北京中の金銀財宝を書き更え…一儲け」


と戦時国際法が禁止する私有物略奪を呼びかけました。 「三光作戦」の勧めです。


 この時期、広島にあった大本営で90回におよぶ御前会議に立った明治天皇を賞賛し、福沢は海外出陣の可能性を提言しました。史実はその4ヶ月後に陸軍内で大本営を旅順に移す案が出て、明治天皇も了解したのですが、知恵者の伊藤博文の反対で流産しました。また「靖国」の思想も先駈けて打ち出していました。


「死を鴻毛より軽しと覚悟」する「軍人勅諭」の「大精神」が勝利の「本源」
であり、

「…益々この精神を養うことこそ護国の要務にして、これを養うには及ぶ限りの栄光を戦死者並びにその遺族に与えて、もって戦場に倒るるの幸福なるを感じせしめるべからず」


と書きました。


 「朝鮮王宮占領事件」、「旅順虐殺事件」、「閔后殺害事件」、「台湾征服戦争」など日清戦争の不義・暴虐を象徴する事件について、ジャーナリストとしての福沢は終始隠蔽・擁護・合理化・激励する最悪の戦争報道を行いました。

私たち「南京大虐殺」を追求する者にとって重大な意味をもつ「旅順虐殺事件」はアメリカやイギリスの新聞に大きく報道され、何よりも『時事』の特派員報告でも出たのでした。しかし、日本が「文明の戦争」ということで世界に登場しようとしていた時期に、市民を含む2万人近い無抵抗の中国人を殺害したことは、伊藤首相と陸奥外相の判断で不問に付すことになったのです、

福沢は虐殺を「実に跡形も無き誤報・虚言」と切り捨て事実隠蔽のお先棒を担いだのです。

その「結果、日本軍の軍紀には覆うべからざる汚点を生じ、残虐行為に対する罪悪感は失われ、その後この種の事件を続発させることに」なったと『日清戦争』の藤村道夫は述べています。すなわち「南京大虐殺」にいたる道が敷かれたわけです。


5.「日本の近代化=アジア侵略」の「お師匠様」


 福沢は有名な『自伝』の中で、「明治政府のお師匠様」を自負していましたが、彼は「明治政府」に止まらず、アジア太平洋戦に至る日本の近代化の道の総体にわたる「お師匠様」と位置づけるのが正しいと思います。アジア太平洋戦争の有名なキャッチフレーズ「満蒙は我生命線」は後の外相松岡洋右の演説ですが、その先駈けになったのは福沢の「今、日本島を守るに当たりて最近の防御線は朝鮮地方たるや疑いを入れず」です。これは山縣有朋が同じことを主張するよりも3年早くなされたものでした。日本が大東亜共栄圏の盟主だということも福沢は明確に主張しています。

 家永三郎は名著『太平洋戦争』の中で、「日本の民衆が15年戦争を何故阻止できなかったのか」の重要な要素として「隣接アジア諸民族への謂われのない区別意識」を挙げていますが、この蔑視感の形成の先頭に立ってきたのが福沢だったわけです。そしてこの蔑視感は今の日本の有り様にも繋がっております。自分では「偽りにあらずして何ぞや」と冷静に認識しながら、天皇制を「愚民を籠絡するの詐術」と見抜くと、


天皇崇拝は「日本人固有の性」、


「一般の臣民…雖も帝室の為とあらば生命を惜しむ者なし」


とうそぶくしたたかさを持っていました。その福沢諭吉の力もあって「愚民を籠絡する」天皇制は日の丸・君が代とともに今なお健在です。このしたたかな福沢諭吉にどう対抗し乗り越えるのか、それが私たちの課題として問われています。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/news10-3.html

◆私は、十五、六歳のころ、「何になりたいか」と兄に聞かれて、「日本一の金持ちになりたい」といった(「福翁自伝」).


 金持ちになるためには、国民をだまして「金と命を出させて、近隣諸国の領土・資源・労働力・文化財を奪うことが必要だ」と考えた.

 そのためには、教育と報道で世論をつくることが必要であった.教育では慶応義塾を、報道では時事新報を創設した.

 そして台湾・朝鮮半島・中国全土を植民地化するためには、戦力を持ち、「国権を皇張すること」が必要と宣伝した.(1881「時事小言」)

 それが成功して、日清戦争(1894-1895)では、台湾の植民地化を達成し、同時にそれを報道した「時事新報」の発行部数を伸ばして、「金持ちになる夢」に大きく近づいた.

諭吉は、天皇家の先生だった!


昭和天皇は、皇太子(2009年3月現在の天皇)の教育に小泉信三をあてました(1946年4月〜1958年).

小泉信三は、福沢諭吉の「帝室論」を教材に、青年時代の現天皇の教育をおこないました(小泉信三「ジョオジ五世伝と帝室論」).


皇太子の家庭教師役を任命されたとき、小泉信三は慶応義塾の塾長(1933年〜1947年)でした. 彼の父親も、慶應義塾の第二代の塾長(1887年〜1890年)でした.慶応義塾は、諭吉が創設し、第1代塾長は諭吉でした.
彼は、「政府の影のお師匠様」(注)であり、天皇家の先生でもあったのです.


(注)「福沢諭吉全集」(第20巻414頁)


「立君の政治」は「人主が愚民を篭絡するの一欺術」

(天皇制は「支配者が、バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」)

(1881年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)


小泉信三は、「そう指摘されたら、どう答えるか」を若き現天皇に教えていたのです.(注)

現天皇は、皇太子に何を教えたのでしょうか?


(注)

「福沢諭吉の『帝室論』を読むために、殿下も私も、それぞれ福沢全集の一冊をこの一隅に持ち込んだこともある」
 
「部屋の大きさは二十畳ぐらい」

「両陛下がお出ましになったときにもここへお通りになる」

「壁に寄せて直立ピアノが置いてある」

「皇太子殿下は主にその二階にお住居になっている」

(小泉信三「ジョオジ五世と帝室論」)

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post.html

天皇制は「支配者が愚民を篭絡するの一欺術」


(天皇制は「支配者が、バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」)
(1882年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)

天皇を頂点とする利権・既得権益の体系、それが「天皇制」の本質ではないか?

それは、天皇制を支持する人びとを見ればわかる.彼らは、何らかの権益をもっている.(反論できる人はいないようだ)

もう一つの証拠は、昭和天皇だ.彼は、終戦の詔勅(ラジオ放送)で、「ここに国体を護持し得て」といった.

天皇制の維持・存続の希望を出し、結果として戦争責任から逃れ、「日本国憲法」第1章に「天皇」を書き込ませたのだ.歴史に残る戦略家というべきではないか?

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post_7753.html

「馬鹿と片輪(かたわ)に宗教、丁度よき取り合わせ」

靖国神社が作られた頃の諭吉の文章です.
(福沢諭吉全集 第20巻232頁)

諭吉は、靖国神社の本質をよく理解していた


「国民はだまされて、国のために死んでくれ!」

その諭吉を、一万円札の肖像として毎日拝ませる人たちがいる!

日本の「文化と伝統」は、「だまされること」ではないはずです!

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post_14.html


「天皇が、ヤスクニ神社を参拝するべきだ」 (福沢諭吉)

「靖国神社の臨時祭には、辱(かたじ)けなくも天皇陛下の御臨席さへありて、・・・。 
・・・大に遺族のものに給与して死者の功労に酬ひん(むくいん)こと我輩の切望・・・」
(死者に厚くす可し」 

 (1895年 福沢諭吉全集 第15巻341頁)


(天皇陛下が、死者の功労に十分あつくむくいれば、遺族も悲しまないだろう. そうしてほしい. そうすれば国民は、天皇と国のために、喜んで死ぬだろう)

福沢諭吉の時代には、憲法は国の機関の宗教活動を禁じてはいませんでした.

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post_15.html


英国もフランスも、人の土地を奪っている! 
(対中侵略15年戦争の諭吉の布石)


「今は英国もフランスも、競争して人の土地を奪っている」

「今は競争世界で、英国なり、仏国なり、・・・

皆吾れ負けじと、人の隙に付け入らんとするの時節なれば、理非にも何も構ふことはない、

少しでも土地を奪へば、暖まりこそすれ・・・遠慮に及ばぬ、「さっさ」ととりて暖まるがよい」

(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第19巻711頁 「福沢諭吉のアジア認識」299頁)


「支那と戦に及ぶこともあらば、・・・真一文字に進て其喉笛に喰付くこと緊要・・・北京、是なり」

(1882年 「喉笛に喰付け」全集第8巻260頁)


「支那国果たして自立を得ずして諸外国人の手に落ちることならば、我日本人にして袖手傍観するの理なし. 我も亦奮起して共に中原に鹿を逐わんのみ」

(1882年 全集第5巻313頁)


「朝鮮は固より論ずるに足らず、我目ざす当の敵は支那なるが故に、先ず一隊の兵を派して朝鮮京城の支那兵を塵(みなごろし)にし、・・・. ・・・両国の戦争となることあらば、・・・日本の勝利必然なり」

(1884年 「戦争となれば必勝の算あり」(全集第10巻159〜)


「目につくものは分捕品の外なし.

何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚えて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替えまでも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ. 

其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、・・・ 一儲け ・・・. 


・・・其老将等が、生擒の仲間で幸にまだ存命にてあらんには、・・・

之を浅草公園に持出して木戸を張り、・・・之に阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します、・・・御慰み」

(1894年 「漫言」全集第14巻570頁)


この諭吉の教えにしたがって、日露戦争(1904〜1905)年の後、旧日本軍が「対中継続的侵略の決意」として、大連近郊より持ち帰った唐時代の文化遺産「鴻臚井(こうろせい)の碑」があります.


それは、1300年ほど前に作られた石碑で、その時代のその地方の唐の統治を示す歴史的な記念碑です(朝日新聞 2006年5月28日). おそらく、旧日本軍は、中国の統治を日本が奪うという意思の確認のために、略奪して日本に持ち帰ったものと考えられます.

この碑は、明治天皇に献上され、21世紀の現在でもひそかに他の略奪物と共に、宮中に保管されています.

日本政府あるいは天皇家は、これらの文化財を含む略奪品を中国へ返還する意思を表明していません. まさか、永久に返還する意思はないということではないとは思いますが.

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/1881711299.html


福沢諭吉:
 
「金と兵は有る道理を保護するの物に非ずして、無き道理を造るの器械なり ・・・
本編(1881年「時事小言」)立論の主義はもっぱら武備を盛んにして国権を皇張するの一点にあり。 

事情切迫におよぶときは、無遠慮にその地面(アジア諸国)を押領して、わが手をもって新築するも可なり」

(福沢諭吉全集第5巻108ページ〜)

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post.html


私(福沢諭吉)は、「暗に政府のお師匠様」であった

1897年8月22日「時事新報」(社主・福沢諭吉)から 


「王政維新の前後に日本国中の人が専ら老生の著訳書ばかり読んで文明の新知識を得たるは紛れもなき事実にして、或いは維新政府の新施設も拙著の書を根拠にして発表したるもの多く、暗に政府のお師匠様たりしことは、故老の忘れざるところなり」
(福沢諭吉全集第20巻)


その諭吉は、天皇制について「愚民を篭絡するの一欺術」といっています.(全集第5巻)

また、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」といっています.(全集題20巻)

東京招魂社が、靖国神社になったころです.


「日本は天皇を中心に歴史が作られてきた. 
国が強くなることが大切、近隣諸国の領土・資源・労働力・文化遺産を奪いとれ.

天皇のため、国のためには、『カネ』も出せ、命も出せ!

死んだ後には靖国神社がある」 


諭吉は、国民を馬鹿と見て、これをだまして税金と命を取る、そのダマシのシステムが天皇制と靖国神社だと考えていたのでしょう.

真に賢い師匠でした.今の日本も、その師匠を一万円札の肖像として、毎日拝ませています.

ダマス者が賢く、国民は愚民!
それが、日本の伝統と文化でした.


___________


「天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための一つの手段だ」 ─ 福沢諭吉の理解!

 「立君の政治」は、「人主が愚民を篭絡するの一欺術」 
(福沢諭吉全集 第5巻271ページ)


諭吉は、こう書いています.


「天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための一つの手段だ」という意味です.(「そういわれたら、『それは、政治を知らない』と答えよ」といっています)


なぜ、彼はそう書いたのか?
それは、次の理由によります.


◆自分は金持ちになりたい.(「日本一の大金持ちになりたい」
これが、彼の少年時代の夢だった(岩波文庫「福翁自伝」)

◆金持ちは、多数の者の生命と財産の犠牲の上に可能となる


◆支配者が国民の生活を犠牲にして、初めて金持ちが可能となる


◆自分は、支配者の側に立ちたい.
門閥制度で一生下級武士はいやだ!


◆一方国民は、だまって生活を犠牲にはしてくれない.


◆だから、国民をだまさなければならない.


◆国民をだますためには、天皇制をもってくるのが一番よい.


◆天皇のために、命も財産も投げ出す.「お国のため、大義のために死ぬ」ということができる.
(若くして殺された特攻隊員がそうだった)


◆彼らと遺族が、がっかりしないように靖国神社(1879年)をつくっておこう.


◆自分は表向き、教育(慶応義塾)と新聞(時事新報)の責任者ということで行こう.


◆実際には「暗に政府のお師匠さま」(全集第20巻頁)として、侵略戦争を推し進め、そこで上前をはねよう.(実際に戦争報道で大もうけをした)


これが、福沢諭吉の真実です.


福沢諭吉は、少年時代の「大金持ちになりたい(福翁自伝)」夢を実現するためには、天皇制を支持したのだ.


◆「大金持ち」になるためには、略奪・侵略・殺戮・戦争が必要だ.

◆「お前たちが死んで、私たちが略奪物を取るから、戦争に行け」では、賛成してもらえない.

◆そこで、天皇制を利用しよう.

◆「私たちのため」ではなく、「天皇のため」「国のため」「大義のため」に死んでもらおう.

◆そのために、靖国神社も用意しておこう.「英霊になる」なら、死んでも文句はないだろう.

◆そこで、彼は、天皇制についてこういった.

◆「立君の政治」は、「人主が愚民を篭絡するの一欺術」 (天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための手段だ)
(福沢諭吉全集 第5巻271ページ)

◆彼は、そのリクツを実行して、台湾・朝鮮の植民地化、対中侵略戦争を教育・宣伝して、日清戦争では自分の新聞の発行部数を大いに伸ばして大もうけをした!

◆彼の教えは、日清・日露戦争から、対中侵略15年戦争・太平洋戦争を通じて、2009年の現在にいたるまで続いている.(指導者としての立場は、一万円札の肖像として認められている)


日本では、まだ諭吉の教え子たちが「人主」として生きている.


 
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福沢諭吉は、天皇制を「天皇制は、国民をだますための手段」だと理解していました.


「立君の政治」は、人主が愚民を篭絡するの一欺術」

(天皇制は「バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」)という人がいるが、「それに対しては、『政治を知らない者がいうことだ』と答えればよい」と教えています.

(1881年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)


国を富まし、強くするためには、台湾・朝鮮の植民地化だけではなく、対中国侵略こそ「本命」であると主張していました.


「支那と戦に及ぶこともあらば、・・・真一文字に進で其(その)喉笛に喰付くこと緊要)・・・北京是なり」

(1882年「喉笛に喰付け」全集第8巻260ページ)


中国の領土、資源、労働力をすべて奪いとれ、これが1882年に彼が教えたことです.

国を強くするには、命を捨てろ、天皇のために死ぬことは美しいことだ.


「国のためには財を失ふのみならず、一命を抛て惜しむに足らず」
(1873年「学問のすすめ」第三編 全集第3巻43ページ〜)


(そして、諭吉を含む一部の者が大金持ちになるのです)

日本政府と国民は、この教えを忠実に守り、50年後(1931年)対中国侵略15年戦争に突き進み、太平洋戦争を経て、2009年の現在、諭吉を最高額紙幣の肖像として、毎日拝んでいます.このように、明治以来「ダマシのシステム」はつづいています.
http://hibari-yukichi.blogspot.com/


福沢のアジア侵略思想の歩み


 1880年代前半に福沢が『時事小言』、「東洋の政略果たして如何せん」などにおいてすでにアジア侵略の強兵富国  政策を提起していたが、日清戦争が近づいた1894年に書いた論説「日本臣民の覚悟」では、


「我国四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽くし、・・・・事切迫に至れば財産を挙げて之を擲つは勿論、老若の別なく切死して人の種の尽きるまで戦ふの覚悟」


を呼びかけた。ここに至って、福沢のかつての一身独立論は国家への滅私奉公の前に完全に呑み込まれ、跡形なく消失したといえる。


 また、これに続けて福沢は、


「戦争に勝利を得て・・・・吾々同胞日本国人が世界に対して肩身を広くするの愉快さえあれば、内に如何なる不平等条理あるも之を論ずるに遑あらず」


と公言して憚らなかった。


 さらに、福沢は旅順の占領も終わり、日清戦争の勝利が見えてきた1895年1月に書いた論説(「朝鮮の改革・・・・」)において、


「主権云々は純然たる独立国に対する議論にして、朝鮮の如き場合には適用す可らず。・・・・今、日本の国力を以てすれば朝鮮を併呑するが如きは甚だ容易にして、・・・・・」


と記し、その後の韓国併合の可能性を予見するかのような主張をしていたことに安川さんは注目を喚起された。


 こうした福沢の言動は安川さんも指摘されたように、『坂の上の雲』において司馬が日本にによる朝鮮出兵を「多分に受け身であった」と記しているのがいかに史実に悖る虚言かを、同時代人の言説を通して物語るものといえる。 

また、NHKは『坂の上の雲』の第一部で毎回、冒頭に「まことに小さな国日本が」というフレーズを流したが、上の福沢の言説は当時の日本が少なくとも対朝鮮との関係では「小国」どころか、何時でも朝鮮を呑みこめる国力を持った強兵富国の大国であったことを意味している。

植民地として統治された相手国の認識を等閑に付して、武力で近隣国を占有した自国を「小さな国」などと呼号するのは、過去に自国が犯した罪に対していかに無邪気かを物語っている。


5.福沢評価をめぐる明治の同時代人と戦後の「進歩的」論者の間の大きな懸隔


 私が安川さんの講演から(正確には安川さんの後掲の3部作から)感じた福沢評価をめぐる明治の同時代人と戦後の「進歩的」論者の間に大きな懸隔が生まれたのはなぜかということを考えておきたい。


 まず、安川さんの資料から同時代人の評価として私の印象に強く残った論評を2点だけを紹介しておきたい。


 吉岡弘毅(元外務権少丞):

「我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル」・・・・のは「不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ」


 徳富蘇峰:

「主義ある者は漫りに調和を説かず。進歩を欲する者は漫りに調和を説かず。調和は無主義の天国なり」


 福沢が執筆した(『時事新報』の社説等を含む)全著作を吟味する限り、同時代人の評価が適正な福沢評であることは否めない。


にも拘わらず、それと対極的な評価があろうことか、戦後の「進歩的」知識人の間に広まった理由は、安川さんが精根込めた考証で明らかにしたように、

丸山真男の福沢誤読――『文明論の概略』など初期の著作のみを題材にした雑駁な読解に依拠し、

福沢の政治論、天皇制論、アジア統治論などがもっとも鮮明に記されたその後の論説を顧みない文献考証の重大な瑕疵――

とそれに多くの「進歩的」知識人が事大主義的に追随したことにあったといってよい。


 かくいう私も丸山神話に侵された一人だった。3月20日に私の退職送別会を兼ねて開かれたゼミのOB&OG会に参加した第1期生がスピーチの中で、夏休みのレポート課題として私が丸山真男『『文明論之概略』を読む』を挙げたことを懐古談として話した。自分では忘れていたが、そう言われて記憶が蘇ってきた。2次会でそのゼミOB生と隣り合わせ、今では自分自身、福沢に対する見方がすっかり変わってしまったことを釈明した。


 戦後日本の「民主陣営」に浸透した丸山神話は、過去のことではない。

権威主義、事大主義が今日でもなお「進歩的」陣営の中でも、陣営の結束を図るのに「便利な」イデオロギーとして横行している現実が見受けられる。

しかし、そうした個の自律なき結束は、陣営の外にいる多数の市民の支持を得るのを困難にし、長い目で見れば破綻の道をたどる運命にある。だから私は楽屋落ちの議論や個人の自律を尊ばない組織や運動を拒むのである。







http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c1

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
2. 中川隆[-7726] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:11:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 10


関東震災後の朝鮮人虐殺の黒幕は警視庁だった


■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm


〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667


歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。
http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html


震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm


1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm


 正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-7.html


「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-8.html


留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

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「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

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「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

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「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-6.html


後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-7.html


「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-8.html


戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html





http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c2

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
3. 中川隆[-7725] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:14:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 11


天皇一族はソウル近くの寒村に住んでいた朝鮮人だった


もう20数年前のことである。考古学者の江上波夫が、昭和天皇に質問した。
昭和天皇は、オフレコならばと前置きして答えられた。


Q:天皇家の先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックというものがある。
  これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。
http://akirakakun.iza.ne.jp/blog/entry/1574364/


民俗学的考古学的に調査を行った話としては、

天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 知らない方が良いこともあるのだ と答えたという研究者の話が伝わっています。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html

古代朝鮮からの侵略部族が、一貫して日本を支配してきた 

古代日本、とりわけ朝鮮半島が戦乱にあけくれた2世紀〜6世紀に 、彼らは日本にやってきた。当時南朝鮮は、部族連合から国家への 移行期であり、激しい戦いを繰り広げ、そこから押し出された部族 が、一族郎党で武装のまま新天地の日本にやってきたのだった。

彼らは既に鉄製の剣を持ち、戦慣れした武装勢力であり、当時の縄文人・弥生人が敵う相手ではない。西日本に侵略部族による国が、あっという間に出来 あがる。

その後も、蘇我氏(高句麗からの侵略部族、神社を持たず仏教を導入)などが相次いだ。特に6世紀中ごろの任那滅亡、7世紀中ごろの百済滅亡の際には、任那・百済の支配部族の中核・大半が日本に移住した。
http://blog.trend-review.net/blog/2008/08/000801.html


天皇家の神話は朝鮮の神話そのものだった


百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。

百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。

百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。

新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。


 共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。

同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。

伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。

 「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。

そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。

伽耶の国の建国神話があります。[史料4]

「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。

禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。

「所居北亀旨(クシ)」。

今も首露を祀っている廟があります。

「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。

変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。

「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」

と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。


 天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html




__________

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 12

京都・奈良・大阪・神戸の住民の遺伝子は朝鮮人と全く同じだった

★京都人は日本人ではありません。

★遺伝的にも朝鮮人であると完全に証明されています。

▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』

▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』

▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』

▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』

▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』

▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』

▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』

▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』

▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『京都を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』

▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』

▼手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との遺伝的距離 (山口敏『日本人の顔と身体』より)

0.000…朝鮮半島 ←★チョン★
0.007…近畿地方 ←★チョン★
- - - - - - - - - - -
0.012…中部地方
0.035…中国地方
0.035…九州地方
0.038…四国地方
0.048…関東地方
0.068…東北地方

▼各地の男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)※数値が高いほど朝鮮に近い

+2.12…畿内 ←★チョン★
+1.08…四国
+0.76…東中国
+0.70…西中国、北東九州
+0.51…関東、東北
+0.40…北陸
-0.87…西九州、南東九州 ←★天皇家★


▼身体的特徴から求めた朝鮮人との遺伝的近似性(小浜基次・阪大教授による)

     頭示数 比肩峰幅 比上肢長 比下肢長
蝦夷人  76.55   23.65   44.60   55.14(小顔・足長の美しい日本人DNA)
東北人  80.16   23.07   44.46   54.33(小顔・足長の美しい日本人DNA)
畿内人  84.98   22.67   43.99   54.23(顔デカ・胴長短足の醜い朝鮮人DNA)
朝鮮人  85.16   22.35   43.30   53.48(顔デカ・胴長短足の醜い朝鮮人DNA)


62 :実名攻撃大好きKITTY:2012/03/10(土) 17:57:52.11 ID:vzRVNzqX0

☆B44-DR13の分布
朝鮮半島   7.0% ←
近畿地方   6.6% ←
関東地方   5.7% ←


★B54-DR4の分布
朝鮮半島   4.4% ←
近畿地方   6.6% ←
関東地方   7.5% ←


☆B44-DR13→近畿で頻度が高い。
『モンゴロイドへの道』(朝日選書)

日本人はるかな旅展(国立科学博物館)

赤色 縄文系の人々
黄色 渡来系の人々(朝鮮半島周辺)

(図1)縄文時代
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_17_01.jpg
(図2)弥生〜古墳時代
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_17_02.jpg
(図3)歴史時代
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_17_03.jpg

赤色→北海道、沖縄、北東北、鹿児島
中間→南東北、関東、新潟、九州
黄色→近畿

仮想混血集団の混血率
http://www.geocities.jp/k_saito_site/abc2.gif

       縄文系 弥生系
中国地方   2    8
近畿地方   1    9
関東地方   3    7

今日朝鮮半島からの大規模な人の移動を示す遺物として朝鮮系の土器に注目されるが、それらの故地や、流入時期、分布状況に際立った特徴のあることが指摘されている。 それによれば、

土器の故地は加耶諸国を中心とし、それらの流入は五世紀中葉から六世紀初頭に限られる時期に最も多いとされる。

また列島内における分布は、畿内の河内、大和にとりわけ多く、吉備、筑紫地方がこれに次ぎ、半島からの地理的な距離にかかわらない偏在性が強く認められる。

(『アジアからみた古代日本』、『橿原考古学研究所論集』九)


67 :実名攻撃大好きKITTY:2012/03/10(土) 22:14:49.76 ID:vzRVNzqX0


▼解剖学者・松村博文先生(兵庫出身)の常識的見解
http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1721.pdf

『近畿人は胴長短足、朝鮮人も胴長短足』
『近畿人は短頭、朝鮮人も短頭』
『近畿人は乾燥耳垢、朝鮮人も乾燥耳垢』
『近畿人は耳たぶが痩せている、朝鮮人も耳たぶが痩せている』
『近畿人は髭が薄い、朝鮮人も髭が薄い』
『近畿人は一重まぶた、朝鮮人も一重まぶた』
『近畿人は蒙古襞、朝鮮人も蒙古襞』
『近畿人と朝鮮人は歯の形が同じ』


筑波大の原田先生(鹿児島出身)の研究

渡来人は中央権力のあった近畿地区を目指して移り住んだ。だから、そのルートには下戸が多いと推理する
http://27.media.tumblr.com/tumblr_l5mx3u4UoG1qz7zrao1_400.jpg

都道府県別アセトアルデヒド分解酵素活性型遺伝子の保有率上位分布状況
http://www.geocities.jp/k_saito_site/sake.gif

各地方毎のALDH2*1頻度と飲酒量
http://homepage1.nifty.com/koutarou/insyuryou.jpg

__________

6:名無しさん@涙目です。(WiMAX):2011/10/28(金) 18:06:18.76 ID:RNVRwNQp0
貴族遊びまくり庶民餓死しまくり
貴族が牛車で呑気におでかけする脇道には死体がゴーロゴロ

17:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/28(金) 18:13:14.61 ID:j5KVDQzL0
>>6
あいつら死体が道に落ちてたらソッコーで家に帰って清めするだろ

41:名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/28(金) 18:22:19.86 ID:T8Am9NQl0
武家政権になってからは常にトップは色々考えてるし、平時の趣味も座禅や弓矢やら硬派だぞ

53:名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/28(金) 18:26:59.80 ID:T8Am9NQl0
精神を鍛錬して武芸を磨いてたおかげで元に勝ったわけで
貴族の和歌よりはよっぽど役に立つ


210:名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/28(金) 21:53:29.65 ID:5UrmWtqv0
武家政権が一番強固な時代だったしね。
ラッキーだったとしか思えん。
ぬるま湯平安時代とかにやってきたらボコボコにされてたろうな。

28:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/28(金) 18:15:52.73 ID:+z8ty5Br0
平安時代は和歌とか紫式部とかのほほんとした平和なイメージだけど あれは貴族の話。
一般市民は餓死しまくりで路上に死体が転がっていて政治機能はマヒだから次の時代に武家社会が到来した


37:名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/28(金) 18:20:58.16 ID:T8Am9NQl0
藤原家の奴とか大体和歌詠んでは天皇や上皇にゴマすってるだけで何にもしてないよな


45:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/28(金) 18:23:39.06 ID:j5KVDQzL0
>>37
あいつら道端に猫の死骸がありましたとかで仕事休むからな
自分とこの荘園管理以外仕事してないな

4 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:47:12
平安期の貴族は糖尿病と見られる症状が出ていたらしい。 世界の貴族と同じ。
だが、後に日本の支配者となった武家にはそのような記録はほとんどないはず。


86 :日本@名無史さん:2007/05/02(水) 15:34:48
平安時代の貴族は糖尿病が多い。
史料には「飲水病」と書かれ、水を異常に欲しがる様子が描かれ、糖尿病のことらしい。

後一条天皇、藤原伊周などはこれで死んだらしい。


131 :日本@名無史さん:2007/06/08(金) 02:52:26

NHK 知るを楽しむ 『歴史に好奇心』 教育テレビ 6月7日 午後10:25〜10:50
「藤原道長の食卓・衝撃の偏食」

平安時代、宮廷や貴族の祝宴で出された「大饗料理」は、第一に見せる料理である。

塩辛い「乾きもの」が多く、味付けはいたってシンプルだったが、素材の切り方、盛り付け方には異様なほど神経を使った。

「この世をば我が世とぞおもう」の藤原道長は毎日のように大饗料理を食べ、糖度35パーセントという猛烈に甘い日本酒を愛飲して中年期から糖尿病に苦しんだ。

しかも牛乳を濃厚なチーズ状にしたものにたっぷりと蜜をかけた「道長スペシャル」ともいうべきデザートを手放せず病気を悪化させていく。見栄えは良いが多すぎる塩分と糖分で生活習慣病を頻発させた平安貴族の食生活を描く。


29 : 風吹けば名無し: 2011/10/18(火) 23:28:42.30 ID:kIPo3rgn [3/3回発言]
NHKで平安貴族の食事を再現してて酒がありえないくらい糖分でドロドロだった。
見た目からして糖尿病まっしぐら。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1331048080/


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
________    /,/\ヾ\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|__|__|__|_   __((´∀`\ )< というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
||__|        | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\  /   ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 =

要するに、

@ 京都人は奈良時代まで途絶える事無く続いた渡来人の流入の為に、遺伝子も容姿も考え方も日本人とは全く違ってしまった。

A 長い間の特権的地位や文化の為に日本人を差別し、搾取の対象としか見なくなった。


という事でしょう。 インドのアーリア人と土着民族との関係と全く同じですね。





http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c3

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
4. 中川隆[-7724] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:16:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 13

在特会が広めた朝鮮進駐軍のデマで問題にされた事件の被害者は在日朝鮮人だけだった


浜松事件は死者数人・負傷者約300人
それも日本のヤクザ「小野組」が朝鮮人を挑発したのが原因

主犯は県議会議員となった服部治助の跡を継いでいた「小野組」小野近義


在特会の「朝鮮進駐軍」デマを検証してみた

レイシスト、ファシスト集団である「在特会」が、最近のデモ行動のなかで撒き散らしているらしいビラ「『朝鮮進駐軍』をご存知ですか?」を、ネットで目にした。


在特会サイト
http://www.zaitokukai.info/modules/wordpress/index.php?p=170

を開き、最初の「朝鮮進駐軍をご存知ですか?」の上のURL
http://www.eonet.ne.jp/~hi-kitty/hirakatakyuhu.pdf


をクリックしてください。

1945 年(昭和20年)以後に、現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または、半島に帰国した朝鮮人によって作られた犯罪組織を指します。 終戦後彼らは、日本各地で婦女暴行・窃盗・暴行・殺人・略奪・警察署や公的機関への襲撃・土地建物の不法占拠・鉄道や飲食店での不法行為など様々な犯罪を引き起こしました。 自称「戦勝国民」であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り、各地で徒党を組んで暴れ、凶悪事件を起こしました。 GHQ(連合国総司令部)の資料にあるだけでも最低4千人の日本人市民が、朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされています。

3万人もの朝鮮進駐軍は戦後の混乱を利用し、旧日本軍から盗んだ銃や日本刀で武装し、軍服を着込み全国で組織化を行いました。 「在日朝鮮人連盟総本部」(上写真)は後の「在日本朝鮮人連盟」で、更にこれが「在日本大韓民国民団」と「在日本朝鮮人総聯合会」に分かれ、これが現在の「民団」と「朝鮮総連」となります。
当時の日本は、戦場に男が駆り出され男手不足であったり、都市部でも疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いており、警察も武器の使用が認められないという、戦後特有の制限が有りました。 目の前で白昼堂々、日本人婦女子が暴行を受け助けを求めていても、銃で武装する彼らには警察すらも成す術が無かったのです。

「おれ達は戦勝国民だ! 敗戦国の日本人が何を言うか!」と小突き回され、暴行され瀕死の重傷を負った警官も数多くおられました。

戦後に朝鮮人犯罪が増加の一途を辿った背景には、この様な、犯罪に対する抑止力の空白化が背景に有りました。略奪・窃盗・密売・土地の強奪等にも組織的に関与しており、一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後パチンコや、サラ金、風俗行(ママ)などへの資金源として利用されていきました。

「生田警察署襲撃事件」「長崎県警察本部襲撃事件」「「首相官邸襲撃事件」」「阪神教育事件」など様々な凶悪事件を日本各地で起こし、とうとうGHQのマッカーサー最高司令官は、「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり。」と発表し、軍を出し日本の警察と合同で鎮圧に当たりました。

その後、余りに危険な「在日朝鮮人連盟総本部」は解散させられるのですが、その後「総連」と「民団」に姿を変え、今なお組織ぐるみで、理不順(ママ)な「在日特権」を要求し続けているのです。


_______


「朝鮮進駐軍」なるものが存在したなどということは初耳で、どうせ在特会が言うこと、「デマに間違いはなかろう」と思って、いろいろ調べてみた。

「朝鮮進駐軍」で検索をかけると、出てくるのは排外主義者どもの差別サイトばかり。

頭の先から足の先まで「朝鮮人憎し」しかない、「妄想」と「憎悪」だけがすべての思考や行動の源となっている陋劣なヤカラが、日本人のなかに、これだけもいるという情けない事実に、絶望的になるだけだった。

やはり、いくら探したところで、「朝鮮進駐軍」の実在を示す客観的な資料は出て来ず、デマとファシストの親和性を、あらためて確認した次第である。


しかし、この「朝鮮進駐軍」、最近までwikiにその項目があったようである。
以下はその内容。長いので、HTMLファイルとしてアップしてみた。

http://blog-imgs-32.fc2.com/e/i/j/eiji008/koreaArmy.html


wikiでこれだけのものを読めば、いかにも「朝鮮進駐軍」というものすごい、極悪非道の武装犯罪組織が実在しているように思うだろう。後半に列記された事件の多さに圧倒され、誰しも「事実」と信じてしまうに違いない。

しかし、これらの事件が起きた時期を確認すると、日本が敗戦した年から翌年にかけて集中していることに気づく。あとは1952年まで散発的に、年に2〜3度、起きているに過ぎない。

それぞれがどういう事件だったか、ひとつひとつ検索すれば、たいがい、wikiにその項目がある。植民地従属国である朝鮮の民衆が、祖国で食い詰め、あるいは強制的に「徴用」されて日本に渡ってきて、過酷な労働や差別に耐えながら戦時下を生き抜いてきた。それが日本の敗戦で解放され、それまでの鬱憤を晴らそうと、一部がアウトローのならず者となって、非道なことを仕出かしはじめた。

それが、闇市の利権をめぐる抗争であったり、密造酒を作るところを摘発に来た官憲との闘争であったり、逮捕された仲間の釈放を要求する集団抗議行動であったり、要するに列挙された事件はそういうものであり、背後に「朝鮮進駐軍」なるものが存在し、組織的、系統的に「指導」していたなどということの根拠を示す事実は、なにも提示されているわけではないのだ。

さすがに、問題が多いとの声があり、このwikiでの「朝鮮進駐軍」の項目は、当然のことながら、削除されてしまった。


「朝鮮進駐軍」なるものをネット検索してもヒットするのはいわゆる嫌韓厨といわれる面々によるプロパガンダサイトのものばかりで、百科事典記事作成に当たって信頼に足る情報源が見当たらない。

参考文献節に列挙された文献で「朝鮮進駐軍」を表題に掲げたものはなく、全体が[1]の丸写しであり、本記事執筆のIP:122.27.1.205(会話 / 履歴 / ログ / Whois)はWikipedia:削除依頼/122.27.1.205氏による外部からの持込で対象とされた記事も同じ外部サイトから丸写ししており、IPの記事作成の傾向からして記事解説記述が参考文献節の文献を参考にして作成したとは到底考えられない。

朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。

構成員を現在日本国内に居住する朝鮮人に結びつけた定義を展開しているが、これも前述のとおり根拠不明なトートロジーに過ぎない。

「朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)」は後の在日本朝鮮人連盟の前身であると記述しているが、「在日朝鮮人連盟総本部」なる組織の存在は確認できず、これが後継組織に引き継がれたとも立証されない。

「組織では…各地域ごとに部隊名をつけ」とあるが、参考文献があると称するにも関わらず具体的な部隊を挙げていないなど、事実に関して出典による証明が無い。

当時の在日朝鮮人が暴力事件を起こし、それを進駐軍にならって例えたというような事実はあったかもしれないが、それすら出典付きで記述できていない。そればかりか、意見・解説の類にも個々に出典は無く、{{独自研究}}状態に終始している。
朝鮮人による犯罪節と主な事件一覧節に列記した事件で朝鮮進駐軍により組織的に引き起こされたと断定されたものがない。


以上、記事全体を通じて事実であることが証明されないばかりか、あまつさえ虚偽や誹謗に類することを並べたてており、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の「本文が検証可能性を満たさない内容に終始している場合」「独自の研究結果の発表」「広告またはスパム(嫌韓厨プロパガンダ)」「完全に異質な記事」に該当する。

 (wiki「朝鮮進駐軍」ノート)  


「4000人の日本人が犠牲になった」とされるGHQの資料は提示されず、「白昼の路上で日本人婦女が暴行された」という「事実」の唯一のソースが、山口組三代目、田岡一雄の自伝のみという体たらくでは、朝鮮進駐軍が存在したという話は、到底、信じられるものではなく、それが常識というものだろう。


そこで、最初に掲げたビラにある写真をもう一度見てほしい。

在特会サイトを開き、最初の「朝鮮進駐軍をご存知ですか?」の上のURLをクリックしてください。

とくに2枚目の写真にこういう解説がつけくわえられている。

「朝鮮総連本部を警備する短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」

「朝鮮進駐軍」とは、こういう警官みたいな制服を着ていたのか!?

そう驚く者もいるだろうが、マトモな思考能力と感性を持った者はこう思うだろう。

 「これって、日本の警官じゃん!」 

残念ながら、そのとおりであったようだ。
以下は毎日新聞の報道写真を売るサイトのようだが、

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php
(「朝連」で検索して、いちばん右下の写真をクリックしてください)

その最後の写真が、このビラの2枚目に使われた写真であることは一目瞭然である。
朝連本部を「平穏に接収」するのは、日本の警官隊が行ったことである。

こういうペテンをするようなビラに書かれた内容が、寸毫も信用できないことは、いうまでもない。
http://eiji008.blog19.fc2.com/blog-entry-129.html

「朝鮮進駐軍」のまぼろし
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/07/221030


代表的な嫌韓デマのひとつである「朝鮮進駐軍」。

はすみ本では「オレたち朝鮮進駐軍」と題してイラストとデタラメな「解説」が掲載されている[1]。


『いわゆる「朝鮮進駐軍」とは、敗戦直後に在日朝鮮民族(敗戦直後その時点では、まだ国籍は日本)によって結成された犯罪組織のことである。日本各地で暴行、略奪、殺人など凶悪犯罪を繰り返し、多くの日本人が虐殺されたという。この時機に財産を築いた在日は少なくなかった。駅前一等地にパチンコ屋が多いのは、そういう理由もあるという。』


このデマは、最初は山野車輪あたりが言い出したらしいが、その後、ヘイト集団「在特会」がデモで悪質なアジビラを撒き、ネットにも掲載したことで一気に広まった。在特会のアジビラにはこう書かれている。


『1945 年(昭和 20 年)以後に、現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または、半島に帰国した朝鮮人によって作られた犯罪組織を指します。

終戦後彼らは、日本各地で婦女暴行・窃盗・暴行・殺人・略奪・警察署や公的機関への襲撃・土地建物の不法占拠・鉄道や飲食店での不法行為など様々な犯罪を引き起こしました。

自称「戦勝国民」であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り、各地で徒党を組んで暴れ、凶悪事件を起こしました。

GHQ(連合国総司令部)の資料にあるだけでも最低 4 千人の日本人市民が、朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされています。

3 万人もの朝鮮進駐軍は戦後の混乱を利用し、旧日本軍から盗んだ銃や日本刀で武装し、軍服を着込み全国で組織化を行いました。 「在日朝鮮人連盟総本部」(上写真)は後の「在日本朝鮮人連盟」で、更にこれが「在日本大韓民国民団」と「在日本朝鮮人総聯合会」に分かれ、これが現在の「民団」と「朝鮮総連」となります。』


敗戦直後の混乱期、警察力の弱体化に乗じて、旧来のヤクザや愚連隊、さらには敗戦に伴う価値観の急変で居場所をなくした特攻隊の生き残り(いわゆる「特攻くずれ」)などまでが、毎日のように盛り場で暴れ回り、闇市の利権を争っていた。その中に一部の在日もいたことは事実である[2]。


『公平を期すために付記しておくと、終戦直後に一部の在日コリアンがアウトロー化したのは事実である。私は彼らの手による犯罪がなかったなどと言うつもりはまったくない。実際に、終戦直後の日本では、国内各地でヤクザ組織と朝鮮人との間で職烈な縄張り争いがあった。

朝鮮半島にも日本社会にも基盤を持たない外国人は、とりあえず、いまいる場所で、拳を使って生き抜くしかなかった。なかでも徴用によって各地の炭鉱、鉱山などで働いてきた朝鮮人労働者にとって解放は、同時に失職をも意味したのである。

(略)

 この時期、愚連隊と化した一部の朝鮮人・台湾人と日本のヤクザとの抗争は常態化していた。東京渋谷では台湾人組織とヤクザが銃撃戦を展開、日本人警官1名、台湾人7名が死んでいる。

また、新潟県直江津では列車内のトラブルから、闇米ブローカーの朝鮮人3人が日本人乗客の1人をスコップで殴り殺した「直江津事件」も起こっている。これらの事件は、“在日事件史”の重要なファクターとして、在特会などもしばしば取り上げる。』


しかし、在特会が言うような、「朝鮮進駐軍」を自称する大規模犯罪組織など、どこにもなかった。山野や在特会がでっち上げたマボロシなのである。ビラが根拠だと主張する「GHQの資料」なるものも実在しない。また、ビラでは軍服のようなものを着た集団が民族団体本部を守っているかのように見える写真を掲載して事実らしく見せかけているが、これは実際にはまったく別の写真を転用したものである[3]。


『在特会サイトを開き、最初の「朝鮮進駐軍をご存知ですか?」の上のURLをクリックしてください。

在特会
http://www.zaitokukai.info/modules/wordpress/index.php?p=170

とくに2枚目の写真にこういう解説がつけくわえられている。

「朝鮮総連本部を警備する短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」

「朝鮮進駐軍」とは、こういう警官みたいな制服を着ていたのか!?

そう驚く者もいるだろうが、マトモな思考能力と感性を持った者はこう思うだろう。


 「これって、日本の警官じゃん!」 


残念ながら、そのとおりであったようだ。

以下は毎日新聞の報道写真を売るサイトのようだが、

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

(「朝連」で検索して、いちばん右下の写真をクリックしてください)


その最後の写真が、このビラの2枚目に使われた写真であることは一目瞭然である。

朝連本部を「平穏に接収」するのは、日本の警官隊が行ったことである。

こういうペテンをするようなビラに書かれた内容が、寸毫も信用できないことは、いうまでもない。』


注:

毎日フォトバンクのサイト
https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

を「朝連本部」で検索すると見つかる4枚の写真のうち、真ん中の2枚が在特会のビラで使われたものである。


なお、このアジビラ(またはその元ネタ)を作った本人は、なにしろわざわざ日本の警官隊が写っている写真を入手して、それにインチキなキャプションを付けて転用したのだから、「朝鮮進駐軍」などデマであることを知っていたはずである。嘘だと分かっていてデマを拡散する。実に悪質な差别扇動行為である。

はすみがやっているのは、山野が持ち出し、在特会が拡散したヘイトデマを、とっくにその嘘がバレた今になって再拡散しようとする行為だ。周回遅れのちんけなプロパガンダなのである。


[1] はすみとしこ 『そうだ難民しよう』 青林堂 2015年 P.15

[2] 安田浩一 『ネットと愛国』 講談社 2012年 P.219-220

[3] 世に噛む日々 『在特会の「朝鮮進駐軍」デマを検証してみた』 2010.5.24
http://eiji008.blog19.fc2.com/?q=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D&charset=utf-8


http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/07/221030

在特会支部の宣伝における朝鮮進駐軍

団体等規正令に基づき朝連ビル(在日本朝鮮人連盟中央総本部)が強制捜索された際に入り口を封じる警視庁予備隊、1949年9月8日。

在特会のビラには本写真が“朝鮮進駐軍の部隊”として例示されている。


右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の「大阪支部」は、

「『朝鮮進駐軍』をご存知ですか?」

というチラシを配布し、その中で3万人の朝鮮人からなる犯罪組織「朝鮮進駐軍」「祖国防衛隊 (在日朝鮮人団体)」が、戦後の混乱期に強姦、殺人、公的機関への襲撃、不動産の不法占拠などの犯罪を起こし、「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料」にあるだけでも4,000人以上の日本人が殺されたとしている[5]。2009年に在特会が起こした京都朝鮮学校公園占用抗議事件では、これを「(学校の土地は)朝鮮人に奪われた」

というアジテーションの根拠としている。ビラの配布のみならず、インターネット上では、会の活動を支持するブロガーらによりブログや電子掲示板などで流布が行われた。

しかし、4,000人以上の日本人が殺されたとする「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料」の出典は明かにされておらず、朝鮮進駐軍を写したと言うチラシの写真は、新聞社が1949年に撮影した朝鮮人団体の本部の捜索を行う日本の武装警察官の写る写真に、「武装集団在日朝鮮人集団」「短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」といったキャプションをつけたものであった。

朝鮮進駐軍が起こした凶悪事件として例に挙げられているものには、1946年の首相官邸デモ事件と1948年の阪神教育事件のような実在の確認できるものあるが、どちらも大規模なデモ行進が騒擾事件に発展した政治的事件である。

首相官邸デモは「在日朝鮮人生活権擁護委員会」、阪神教育事件のデモは「在日本朝鮮人総聯合会」(在日朝鮮統一民主戦線)が開催したもので、朝鮮進駐軍なる組織ではない。

事件の犠牲者についても、首相官邸デモ事件では死者は出ておらず、阪神教育事件では犠牲者は出たが、それは在日朝鮮人側の少年であり、主張されるものとは大きく異なるとされる。

元副会長の川東大了は自らが広めたたデマであると発言している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D

「朝鮮進駐軍」なるデマビラについて 2010年5月23日 (日)


 去年あたりから「在日特権を許さない市民の会」なる差別排外主義・レイシズムを煽る一種のネオナチが台頭し始めた。その手口は有りもしない「在日特権」なる物をでっち上げフィリピンから来日した夫婦の子供(中学生)を対象に露骨なヘイトスピーチを行い、朝鮮人学校の小学生に脅しをかけるという非常に醜いもので、「右翼」や「保守」の間からすら批判の声が高まっている。

年明けくらいには拙ブログにも「朝鮮進駐軍を知っていますか」なるトラックバックを送ってきた。そもそもの切っ掛けはWikipediaに掲載されていた「朝鮮進駐軍」なる項目が出典も一次史料も二次史料も示すことが出来ず、Wikipediaの編集方針に反するために削除されたことに拠ると思われる。

 こんなことを書くと常連のROM人さんあたりが噛み付いてきそうなので予め言っておくと、南京大虐殺や戦時性奴隷(従軍慰安婦)など左右の間で論争となる歴史的事実の殆どは被害者の証言もそれを裏付ける各種公文書、当時の報道などが実在する。論じられているのは規模の大小であったり軍部が関与したかどうかなどである。

ネトウヨなどの歴史修正主義者は実在を抹殺するために躍起となっているが、ナチスによるユダヤ人虐殺、アメリカ合州国によるネイティブアメリカン虐殺・ベトナム戦争当時のソンミ村虐殺、ソ連スターリン主義によるカチンの森虐殺、中国スターリン主義によるチベット民族抹殺政策同様否定できない事実である。矮小化の努力は常に為されているが。

 加入しているmixiのコミュニティーに「『在特会』を許さない市民の会」と言う物があって、そこで1週間ほど前から「罪特デマビラ『朝鮮進駐軍』」と言うトピックスが設けられ批判・検証が行われている。公開されいるためにザイトク会副会長なる人物や支持者とおぼしき輩も登場して来るのであるが、彼らは「朝鮮進駐軍」が実在したという歴史的事実を示すことが出来ていない。

唯一山口組三代目田岡組長の「自伝」的映像の中に使用されていたというのが根拠である。どうやら東映ヤクザ映画に影響され、それを真実だと思い込んでしまったらしい。[追記]約1000のコメントに対して私の書き込みは10ほどである。ザイトクを追い込み、ついにはデマであったことを認めさせたのは多くのコミュ参加者の功績による。

 私の父方の祖父は新潟出身で越山会会員、父は祖父の後を継いで土建屋を営んでいたため熱心な自民党支持者であった。子供の頃に見るテレビと言えば戦争映画・西部劇映画にアニメではテレメンタリー「決断」。尊敬する人物は山本五十六(連合艦隊司令長官)・山口多聞(第二航空戦隊司令官)・坂井三郎(台南航空隊を経てラバウル入りをし、生涯撃墜機数64のエースパイロット)というバリバリの右翼少年であったのだが、その私が全く知らずに来た「事実」である。

更に言えば中学くらいから更正して左翼になっていくが、二十歳の時に全学連と接触し、反戦青年委員会を経てマルクス主義青年労働者同盟に加入し20年ほど活動歴がある。その私が論敵である右翼・保守の連中から「朝鮮進駐軍」なる単語を唯の一度も聞いたことがない。

 では以下に「罪特デマビラ『朝鮮進駐軍』」トピで論争になった出来事を、コミュ参加者の中で同意を得られた方と、本来存在証明を果たす責任・立証責任があるザイトク会及びその支持者の引用を交えて紹介したい。

 ザイトク支持者は戦後革命期に行われた様々な闘争や闇市を巡る日本各地での抗争に在日朝鮮人が参加していたことをもって「朝鮮進駐軍」が存在したと主張する。

「3 2010年05月17日 10:02 打倒人民解放軍@京香

主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

* 大阿仁村事件(1945年10月22日)
* 生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
* 直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
* 富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
* 長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
* 富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
* 坂町事件(1946年9月22日)
* 新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日〜29日)
* 首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
* 尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
* 阪神教育事件(1948年4月23日〜25日)
* 評定河原事件(1948年10月11日〜12日)
* 宇部事件(1948年12月9日)
* 益田事件(1949年1月25日)
* 枝川事件(1949年4月6〜13日)
* 高田ドブロク事件(1949年4月7日〜11日)
* 本郷村事件(1949年6月2日〜11日)
* 下関事件(1949年8月20日)
* 台東会館事件(1950年3月20日)
* 連島町事件(1950年8月15日)
* 第二神戸事件(1950年11月20〜27日)
* 四日市事件(1951年1月23日)
* 王子事件(1951年3月7日)
* 神奈川事件(1951年6月13日)
* 下里村役場事件(1951年10月22日)
* 福岡事件(1951年11月21日)
* 東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
* 半田一宮事件(1951年12月3日〜11日)
* 軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
* 日野事件(1951年12月18日)
* 木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日〜23日)
* 姫路事件(1952年2月28日)
* 八坂神社事件(1952年3月1日)
* 宇治事件(1952年3月13日)
* 多奈川町事件(1952年3月26日〜30日)
* 田川事件(1952年4月19日)
* 岡山事件(1952年4月24日〜5月30日)
* 血のメーデー事件(1952年5月1日)
* 上郡事件(1952年5月8日)
* 大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日〜25日、11月9日〜12日)
* 広島地裁事件(1952年5月13日)
* 高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
* 奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
* 万来町事件(1952年5月31日〜6月5日)
* 島津三条工場事件(1952年6月10日)
* 醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
* 葺合*長田事件(1952年6月24日)
* 吹田*枚方事件(1952年6月24日〜25日)
* 新宿駅事件(1952年6月25日)
* 大須事件(1952年7月7日)
* 舞鶴事件(1952年7月8日)
* 五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日〜26日)

参考文献

* 法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
* 横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
* 篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
* 大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
* 新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
* 名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
* 瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
* 山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
* 宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
* 大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
* 警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
* 兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
* 愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
* 青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
* 坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
* 警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
* 思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
* 仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
* 長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
* 李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
* 福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
* 山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
* 警察文化協会編『戦後事件史』1982年
* 日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
* 講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
* 朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
* 百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
* 金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
* 荒敬『日本占領研究序説』1994年
* 百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
* 竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
* 『秋田魁新報』1945年
* 『神奈川新聞』1951年
* 『西日本新聞』1951年
* 『中部日本新聞』1951年、1952年
* 『大阪新聞』1952年
* 『京都新聞』1952年
* 『神戸新聞』1952年
* 『山陽新聞』1952年
* 『中国新聞』1952年

こんな感じですよ。。 皆様。。」

 図書館に足を運んで調べる余裕がないので列挙された事件をWikipediaで調べてみたのであるが、どの事件にも「朝鮮進駐軍」なる単語は登場しない。組織的関与も記載されていない。勿論在日朝鮮人による犯罪がなかったなどと言うつもりはない。更に言えば戦後革命期に日本「共産」党の様々な闘争を最も献身的に闘い抜いたのは朝鮮人党員であるから、逮捕者が多数いるのは当然の出来事である。

「92自分のコメントを削除する 2010年05月17日 21:38 アッテンボロー

「朝鮮進駐軍」なる有りもしないデマを信じる単純なお嬢さん、戦後革命期の朝鮮人の闘いがどの組織によって行われていたか、歴史的事実を勉強してね。

「自主独立の党」である日本「共産党」はコミンテルン(国際共産党)日本支部として結成されました。当時コミンテルンは「一国一党」という方針から日本の植民地である朝鮮には支部を認めず日本支部の一員として活動するように指導した。

民族独立を願う朝鮮人共産主義者達は最も英雄的に日本国内で反戦運動や労働運動に取り組んだ。宮本賢児(「顕治」が正しい)など日本「共産」党指導部は危険な任務の殆どを朝鮮人党員に命じた。中野重治(詩人・「共産」党員で後に共産主義者たらんとして離党だか除名)の詩にも「日本革命の前盾、後ろ盾」なる語句が有り、日本「共産」党による利用主義の顕れとして社会主義者・共産主義者・ブルジョア民主主義者らから批判の対象となる。

戦後朝鮮人は「朝鮮人民共和国」を建国する計画を持っていたが、大日本帝国陸軍の管轄を元に三十八度線の南には朝鮮軍に代わり米軍、北には関東軍に代わってソ連軍が駐留する。

当時坑日パルチザンなどの戦いの影響で統一選挙をすれば親ソ政権誕生が有力視されていた為南で単独選挙を強行し、反共主義者である李承晩を大統領とする大韓民国を成立させる。これに対抗しソ連は北に朝鮮民主主義人民共和国を建国し何処の誰か知らないが「金」姓の党員に坑日パルチザンの英雄「金日成」の名を襲名させて総書記とする。

お嬢さんの言う太極旗引きずり下ろしは坑日パルチザンの中の一部である「金日成」派やソ連の影響を受けない大部分が何もしなかった李承晩ら親米派より支持されていた背景無しには考えられない。ソ連軍占領下の北でも同様な引きずり下ろしが有ったかどうか? 少なくともソ連は亡命政権を承認しており、戦後処理の会議に参加する事を了承していた。アメリカ合州国政府の反対により出席できなかったのだ。

つまり当時は朝鮮を戦勝国とする国々も存在していた。

中国の国共内戦における中国「共産」党の勝利と中華人民共和国成立や朝鮮戦争前夜のGHQの方針転換により戦争犯罪人の公職復帰とレッドパージが行われると日本支部は朝鮮人党員を追放し、同時に団体規制令に従い党員名簿を政府とGHQに提出して弾圧回避を狙う。

ソ連及び中国の「共産」党が朝鮮労働党の半島統一戦争を支援したのに対し、この頃から「自主独立」路線が芽生えていた日本支部は朝鮮戦争反対をスポイルした。後方支援基地である日本全土が軍事監獄と化す中で反共労働運動として組織された総評が「鶏からアヒルへ」と呼ばれる路線転換を行い、引きずられた社会党が左傾化する。

朝鮮戦争後ソ中両党に軍事組織も無く軍隊工作もせず武装闘争もしない事を批判されるや「山村工作隊」「中核自衛隊」を編成し火炎瓶闘争などを行う。

お嬢さんらが信じた「朝鮮進駐軍」なるデマは日本「共産」党による武装闘争や植民地支配に対する個人的反発、生きるために日本各地が闇市を巡る抗争に明け暮れていた時代の一勢力に過ぎない在日朝鮮人を一緒くたにして妄想に浸る行為だよ。

ついでに言うと、日本「共産」党からは大歓迎される主張だろうね。彼らは六全協で武装闘争路線を放棄し、今は「暴力反対」を唱えているから武装闘争の全てを朝鮮人のした事に出来る。」

 ザイトク支持者は盛んに朝鮮人が戦勝国を僭称したと言うのであるが、大韓民国臨時政府(1919年に上海で設立された大韓帝国の亡命政府)が組織した韓国光復軍(1940年に重慶で創設)が連合軍の一員として米政府の一機関による訓練を受けていた事実は知らないらしい。更に言えば抗日パルチザンなどの一連の独立闘争が存在していた。ただし大韓民国臨時政府を枢軸国・連合国共に国家としては承認していない為、朝鮮人の連合国の一員であり「戦勝国」であるとの主張に食い違いが出る。「 大韓民国臨時政府対日宣戦声明書 大韓民国臨時政府主席 金九と 外務部長趙素昴名で大韓民国 23年12月10日に宣言したが、日本政府に布告文書は通達されておらず、実効性は皆無。」(Wikipedia「大韓民国臨時政府」の項目の脚注より引用) 米帝が南米でコントラなどの反共勢力に軍事援助や資金援助をを行っていたのと同様で、朝鮮人からすれば亡命政権が承認されていたと錯覚するのも当然である。第2次大戦中のシャルル=ドゴールの「自由フランス国民委員会」の例も有る。

 ザイトク支持者の主張によると「朝鮮進駐軍」なる言葉は在日朝鮮人が作り出したもので日本人の感覚からは生まれるはずがないとのことである。そもそも「進駐軍」なる言葉は「占領軍」と言う言葉を嫌った日本政府の造語であるという事実を知らないらしい。

「1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織」(2010年05月17日 10:01 打倒人民解放軍@京香 )

 まずここで事実誤認が甚だしいのは国籍が韓国の人については「特別永住権」であるが朝鮮籍の人の場合は「協定永住権」と言う。これは元々敗戦まで日本国朝鮮・日本国台湾という行政区分の土地、つまり旧植民地出身者の日本国籍を1952年のサンフランシスコ条約による日本の独立回復と同時に剥奪した(昭和27年4月19日法務府民事局長通達 民事甲第438号「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」)際に勅令で永住権を定めたことが発祥。

「戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。」(2010年05月17日 10:01 打倒人民解放軍@京香 )

 戦後しばらくは帰還兵などが持ち帰った銃器や軍刀は至る所に存在していたし、旧軍の物資を盗んだのは日本人も同じ。山口組や稲川会・住吉会が武装していたのはどこから入手したのか? 日本人の多くが武器を所持していた。更に歴史上日本に空軍は存在しない。「さて、お嬢ちゃんに対する指摘として、「日本空軍」なる物も未だかつて存在したことはないと言っておこう。事実上の日本空軍である航空自衛隊の創設は1954年7月1日で当初は陸軍航空隊と海軍航空隊との混成。当然皇軍、天皇の軍隊は「帝国陸海軍」しか存在していない。デマ情報仕入れる前にせめて防衛省や航空自衛隊のサイトくらい見ようね。

 それから闇市で「空軍の軍服」を来た人々が暴れていたことだけど、「飛行服」を着ていると、死をも恐れぬ特攻隊帰りと言うことで幅を利かせることが出来たし、実際特攻隊帰りの中には自暴自棄になって暴れるのがいたからね。ただし比率は圧倒的に日本人だよ。大山倍達(おおやまますたつ 極真空手の創始者)の様に植民地出身の特攻隊帰りもいたのは事実だけど。」(2010年05月17日 23:37 アッテンボロー)

「この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。」(2010年05月17日 10:01 打倒人民解放軍@京香 )と有るのだが、植民地出身者の殆どが創始改名によって、或いは右翼の主張では皇民化教育により自ら進んで日本名を名乗っていたのであるが、敗戦直後に民族名を名乗っていたという根拠は示されていない。ついでに言えば日本国民として戸籍に記載されていたのであるから、1952年の国籍剥奪までは「通名」ではなく本名である。

 さて、進駐軍である米軍などによる強姦などの婦女子暴行は日常茶飯事であったし。様々な横暴な行為を働いた。

「「慰安所」の設置 [編集]
終戦直後の8月18日に、内務省は全国の警察に対して連合国軍の将兵向けの慰安所の設置を指令し、8月20日には近衛文麿国務相が「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。「(連合国軍の将兵による)性犯罪から子女を守るため」という大義名分を基に、日本各地に慰安所が設置された。」(Wikipedia「連合国軍最高司令官総司令部」より) この「慰安所」の発想やノウハウがどこから出てきたかは言うまでもない。

「318 2010年05月19日 11:38
打倒人民解放軍@京香 朝鮮進駐軍と言う名前は、朝鮮人の発想からしか生まれません。。」

 1871年に(明治4年)8月28日の太政官布告(解放令)が出されると解放令反対一揆というのが散発したのであるが、今まで差別視したり格下扱いしていた人々が解放されることに対して差別者の側は「増長」と感じる。単純に対等に近くなるだけだが、その事が在日朝鮮人をまるで「朝鮮進駐軍」だと日本人が表現した可能性は考えられる。少なくともザイトク会及び支持者の根拠ならざる「根拠」は東映ヤクザ映画しか例示されていない。

 ザイトク支持者に対して「512自分のコメントを削除する 2010年05月19日 22:17 アッテンボロー  騙されやすい京香お嬢ちゃん、お嬢ちゃんが今までにだらだらとコピペした様々な事件の調書を読んでみたらどうかな? 僕はお嬢ちゃんほど暇ちゃうからわざわざお子ちゃまの為に調べて引用してやる無駄な時間はないから。ここまで散々みんなが事実の調べた方や立証方法などを親切丁寧に教えていても、学習能力のないお嬢ちゃんには理解できないみたいだから。

 で、ヒントだけ。犯罪報道などで「自称○○こと××」とか有るだろ。報道機関が独自に調べることは殆ど無くて警察発表の垂れ流しだから。

 裁判になっている以上、逮捕されたり起訴されたりした人間の調書が警察・検察・裁判所に公文書として存在している。もし本当に「朝鮮進駐軍」なる組織が実在した場合必ず記載がある。お嬢ちゃんが騙されている様に「3万人」規模の組織が存在したのなら載っていないはずがない。ヤクザや右翼の場合構成員が一人であっても「暴力団○○組構成員××」とか「在特会構成員京香」とか証明してくれるよ。」

 裁判資料などは極普通に公開されているのだが、ザイトク会及びザイトク支持者は調べて根拠を示す能力がないらしい。日本政府の公文書あるいは米政府の公文書で公開されている物は少なくない。国立国会図書館で閲覧・コピーを取ることも出来るし、それらを第一次史料として使用した文献やサイトなども有るだろう。

 ザイトク会及びザイトク支持者自らが「朝鮮進駐軍」が存在しなかったと表明していることを引用しておく。


「100 2010年05月17日 22:50
打倒人民解放軍@京香
朝鮮進駐軍ってものは本来は無いし、、
昔の誰かがこの様な犯罪者民族につけたんでしょ。。
それが広まったんではないのかな〜。。
そして、犯罪者集団南北朝鮮人は、我々は朝鮮進駐軍だといえば、怖がられて脅しにでも使っていたんでしょうね。。 」

「276 2010年05月19日 10:09
打倒人民解放軍@京香
当たり前でしょ。。
朝鮮人は進駐していないんですから、警察は進駐軍などと言うはずはないでしょ。。
朝鮮人が嘘をつき、朝鮮進駐軍と名乗って 暴れていた証拠。。だと言うこと。。」

「2010年05月19日 10:35
打倒人民解放軍@京香

>その事件の過程において、警察署に乗り込んだ朝鮮人が自分たちのことを「進駐軍だと言った」のですか?それともあなたの推測ですか?
憶測? 

キミの方が憶測でしょ。。 これだけ犯罪履歴を出してもいいえと言っているんですから。。
>日本の警察は「朝鮮進駐軍」という「犯罪組織」が存在したことを認めてないってことですね?
当たり前。
朝鮮人が自ずから戦勝国民だ。我々は進駐していると警察に言っても、キチガイ扱いですよ。。 」

「326 2010年05月19日 11:48
打倒人民解放軍@京香
(一部ハンドルネーム削除)
朝鮮進駐軍という名前の組織ではなく、、
各自で、朝鮮進駐軍と名乗って、警察署襲撃や婦女暴行、強盗、殺人、窃盗、などをしていたんでしょ。。 」

「346 2010年05月19日 12:23
打倒人民解放軍@京香
>そんなものは一度も出ていません。

ごまかさなくてもいいよ〜
http://www.tamanegiya.com/tyousennjinntohann19.11.26.html
文句を言いたければ神戸にGO〜。 」

 上記のURLをクリックしてみると
「戦後、朝鮮人がやっていたこと 「田岡一雄自伝」より

平成19年11月24日土曜日晴れ ××××

 手元にある「田岡一雄自伝 電撃篇」(田岡一雄 一九七一年初版 徳間書店)よりの引用

 (その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。

 敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
 その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。

 終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。

 略)

 三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。

 通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。

 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。

  警官が駆けつけてきても手も足も出ない。

「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」

  警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 >p一九〇〜十九三

 (昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
 一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。

「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」

少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。

「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の、三国人の男たちだった。
 彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
(汚ねえ・・・・>
 うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>p一九四

(昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
 そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。>p二一四

 田岡氏の著書に出てくる「三国人」とははほとんどが朝鮮人です。
それは、下記のような箇所の記述からわかります。
(朝鮮人同盟からの果たし状だ>P二一二
(やはり三国人との抗争事件で丹波篠山へ朝鮮人征伐にでかけた>P二二六

 差別だ、差別だ、と騒いでいる朝鮮人がどのようなことをわが国で戦後やってきたか。一つの事例です。

 ちなみに、この本には、田岡氏の昭和二一年夏の山口組三代目襲名式には当時の自民党代議士・佃良一氏が出席(P二三二)と記されているが、自民党は昭和三〇年(一九五五年)に自由党と日本民主党が合併してできたものですから、昭和二一年当時は自民党がまだないので、自由党か日本民主党かの間違いでしょう。」とある。[追記 pippoさんの指摘ではザイトク会及びザイトク支持者が羅列した一連の事件の中には含まれていない「国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪」なる事件が登場している。北海道深川市にある深川駅なのか、滋賀県甲賀市の深川駅(現甲南駅)なのか、熊本県水俣市にあった肥後深川駅なのか? はたまた神戸にも「深川駅」が存在したことがあるのか?  広島県安佐市の下深川駅・中深川駅・上深川駅なのか? 一応Wikipediaで近畿地方の廃駅まで調べたが神戸には「深川駅」なる物はなかった様だ。私鉄・市鉄にも無かった。文脈からすると1945年(昭和20年)8月15日に神戸市内に「深川駅」が存在しないといけないから自伝の記述その物の信憑性が低下する。また「闇市を掌握」していたのは山口組ではなかったのか? 「旧日本軍の飛行服」は京香が誤読した部分である。更に「不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃」と有るがWikipediaにはそのような事件は記載されていない。生田警察署襲撃事件は有るが、こちらは襲撃者の規模が1回目1945年12月24日「50名を超える」2回目、1946年1月9日「30〜40人」となっている。]      

 唯の一言も「朝鮮進駐軍」なる言葉は出てこない。寧ろ文末の自民党についての記述にある様に田岡の自伝がキチンと当時の時代背景を記述していない事が明らかである。例えば山口組最強の殺しの軍団である柳川組が在日朝鮮人で組織されていたことなどはここでは触れられていない。(右翼やヤクザに詳しいアンチザイトク会コミュ参加者の方による)

「386 2010年05月19日 13:38
打倒人民解放軍@京香
>そういえば、闇米食べなくて餓死された方いましたよね。
人のものを強奪したもので生き恥をさらすのはいやだったんでしょうね。。
闇米=泥棒もの。。 日本人らしいひとですね。。 」

 ここでも無知がさらけ出されている。食管法による統制から外れて流通した米は全て闇米だった。田舎に住む親戚や知人に分けて貰った場合でも供出されていない以上それは闇米である。

「408 2010年05月19日 14:12
打倒人民解放軍@京香
配給米で生きている状態のどの辺が「普通」だよ
泥棒米で足元見て高額なお金を要求していたことが普通なんでしょうか〜。。」

 一行目はザイトク支持者に対する批判を引用符を使わずに地の文と同じ書き方で掲載しているので分かりにくい。年配の方や戦中戦後の歴史を少しでも知っている人であれば「竹の子生活」という言葉を知っているはずである。着物や宝石を米など僅かの食料品と交換して糊口をしのいだ事である。日本の都市住民と日本人農民との間で行われた不等価交換であり、小作農から自作農になった戦後の農家が経済的に豊かになったきっかけの一つでもある。

「534 2010年05月20日 10:31
打倒人民解放軍@京香
>立証から逃げてる人間が、デマじゃないという資格はないですね。
朝鮮人の犯罪≠朝鮮進駐軍の存在
という図式なんですから、いくら「日本国内朝鮮民族の犯罪履歴」を調べたところで、
過日のリスト程度しか記録がないようですし、「朝鮮進駐軍の存在」は立証できないと思いますけどね。

だから 朝鮮進駐軍と言う言葉はあるといっているじゃん。。
日本人はこんな馬鹿げた言葉は使わないの。。
李承晩が勝手に戦勝国民だと騒いでいただけ。。
それをバカ在日が聞き、戦勝国民だ 我々は進駐軍だといってやりたい放題したわけ。。
わかる李承晩って言う人? 超反日民族活動家。。 」

 またしても引用中の一行目から五行目までは他者の引用であるが区別を付けずに地の文と同じ表現をしている。このザイトク支持者は殆どの場合引用と自らの文章との区別を示す書き方が出来ない。因みに隣国の大統領を名指しして「超反日民族活動家」とのたまう。李承晩は反日の民族主義者であるが同時に熱烈な反共主義者でもあり韓国民衆を大量殺戮した。今現在の韓国における評価がどの様になっているか知らないが少なくとも日本の左翼の間では批判の対象であり、李承晩を打倒した1960年の4・19学生革命が日本の安保闘争に与えた影響は絶大である。闘えば勝てるという自信に繋がり岸内閣を退陣に追い込んだ。

 問題なのは「だから 朝鮮進駐軍と言う言葉はあるといっているじゃん。。 」と言う部分である。当初は「朝鮮進駐軍」なる3万人を組織する武装組織が存在し日本人4000人を殺害したと主張していたのであるが、いつの間にやらそれは「朝鮮進駐軍」と称する朝鮮人の犯罪があったとなり、ついには「言葉はある」となっている。これは自らが「朝鮮進駐軍」の存在を否定したと捉えて良いだろう。

「542 2010年05月20日 12:47
pippo
>>534 京香ちゃん
>日本人はこんな馬鹿げた言葉は使わないの。。

おやや
ここMixiでは、
京香ちゃんが一番熱心に
「朝鮮進駐軍」この言葉をつかってるんだけど。

あと、こんな馬鹿げた言葉「朝鮮進駐軍」を熱心に使っているのは、

高槻で 中曾千鶴子(おつる日本シルクロード科学倶楽部会長)
神戸で 望月紀李(そよかぜ関西会長)
姫路で 荒巻靖彦(全主権回復関西支部会計)
東京で 桜井 誠(全日本在特会会長)
大阪で 川東大了(全日本在特会副会長・全関西支部長)

罪涜界では、偉い身分のヒトが多いんだね。

京香ちゃんがユカイユカイなのは
こういう楽しいことも言ってくれるからだ。

>李承晩が勝手に戦勝国民だと騒いでいただけ。。
>それをバカ在日が聞き、戦勝国民だ 我々は進駐軍だといってやりたい放題したわけ。。
>わかる李承晩って言う人? 超反日民族活動家。。

そうすると、
君の言う「朝鮮進駐軍」とは、
朝鮮戦争前後に米軍やGFQにベッタリだった
反共南朝鮮系団体のことなんだね

北朝鮮系の在日朝鮮人連盟(朝連)は何も関係ないんだ、
そうなんだ、へぇ
京香ちゃんの説だとそうなる(笑)
京香ちゃんが最初の方でズラズラと列挙した
事件の数々も全て関係ない、と。

京香ちゃんは分かってるのかなあ、
南の大統領李承晩は北の主席金日成と犬猿の仲、
朝鮮戦争で互い指導者として、死に物狂いで闘い合ったということを。
その時の日本政府、吉田茂内閣が
米軍や李承晩を応援したことも。

おじさん、心配になってきちゃったよ。

でも、学校の歴史の時間では、
なかなか教えてもらえないからなあ、
しかたないのかも。

今は、総連と民団が喧嘩腰じゃあないから、
戦後直ぐから仲が良かった、と京香ちゃんは思いこんじゃったんだね。
嫌韓流に進駐された脳みそで考えると、そうなるのも
仕方ない、しかたない。

(「在脳嫌韓流進駐軍」ってか)
543 2010年05月20日 12:53
pippo
訂正
全関西支部長→前関西支部長
GFQ→GHQ」

 引用にあたりpippoさんには事前の了承を得ている。

「555 2010年05月20日 16:15
打倒人民解放軍@京香
(ハンドルネーム削除)
イースンマン?
これは南鮮人が使う言葉だね〜。。
私たちと同じ??
私たちからすれば左派じゃん。。 極左、、 超反日。。 
バカじゃないの。。 あんた。。 チンカスヤロウ。。」


 読み方が分かれば朝鮮や韓国や中国の要人をその言語に習って表記するのは普通である。私が中学の頃は「りしょうばん」と習ったが、今はイスンマンと呼ぶことが多い。ザイトク支持者はアメリカは日本に勝ったのであるから強姦などの婦女子暴行をしたって当たり前という趣旨のことを書き込んでいるが、アメリカ合州国で日本人女性が「イエローキャブ」と揶揄されるのもむべなるかな。日本政府自体が明治以来パスポートなどで氏名の表記を名前を先に書く欧米言語に従うのだからしょうがないか。

「746 2010年05月22日 16:17
群青
■□◇■とりあえず、自分の結論■◇□■

1、
「朝鮮進駐軍」はよくわからないが、戦後の混乱期に様々な衝突はあった。
 朝鮮人や台湾人のアウトローが暴れ、日本人ヤクザと衝突した。一般人を巻き込んだ悲惨な事件もあっただろう。

2、
 しかし過去の事件を口実に、当事者世代ではない人間を追い詰めるのは、最低の人間がやることである。
 そういうやり方は、右も左ももうやめようぜ。

3、
 一方的で卑劣な集団暴力は、朝鮮人主体のものであれ、日本人主体のものであれ、許さない。
 つまり、「朝鮮進駐軍」のようなものが現在あれば、日本人も朝鮮人も、俺たちは一緒になって反対する。
 在特会に対しても同じ。日本人と朝鮮人が一緒になって奴等と闘う。」

「788自分のコメントを削除する 2010年05月23日 00:10
アッテンボロー  

未だに恥知らずな京香嬢ちゃんが彷徨いているね。いい加減立証責任果たしたら。
「朝鮮進駐軍とやらが実在したのなら証拠を示せや。ここは「朝鮮進駐軍」と言うザイトクのデマを検証するトピなんだから。戦時性奴隷=従軍慰安婦問題にすり替える卑劣な手法はいい加減に日本人の恥だから止めてね。」

「792 2010年05月23日 00:16
打倒人民解放軍@京香
アッテンボロー
まだ 屁理屈捏ねてるんだ〜。
あんたに恥と言われる筋合いは無い。。
誰も摩り替えてないよ。。 朝鮮進駐軍はあったと言って田岡さん自伝の映画も以前に紹介してあげたでしょう。
それに、日本人は朝鮮人を進駐軍と認めておりませんので、日本人が使う言葉ではないといってますけどね〜。。 」

「803自分のコメントを削除する 2010年05月23日 00:49
アッテンボロー  
お嬢ちゃんの書き込みに「朝鮮進駐軍」の実在を示す証拠が何一つ無いけど。
 証拠を示せ、と言うのが「屁理屈」なんだとしたらお嬢ちゃんの知的水準は幼稚園児並なんだね。ザイトクはこんなんばかりなんだ。
 ご愁傷様。」

「806 2010年05月23日 00:58
打倒人民解放軍@京香
アッテンボロー

>お嬢ちゃんの書き込みに「朝鮮進駐軍」の実在を示す証拠が何一つ無いけど。

田岡さんと言う証言をしている人のビデオ載せているでしょ。。
嘘だというなら山口組に抗議したらとまで言ってますよ。。私。。」

 「朝鮮進駐軍」が存在したと主張するザイトク支持者に対して立証を求めるのが屁理屈だそうである。当人が有ったと信じ込んだ時点で客観的な証拠は必要なくなると言うのが彼女の主張である。一種の宗教だね。一般人に害を為す犯罪組織である山口組からすれば田岡が脚色したのか東映が脚色したのか知らないがイメージアップのために利用するだろう。問題なのは田岡自伝の中に「朝鮮進駐軍」なる言葉が登場するのかどうかである。有れば引用して貰いたい物だ。


「813自分のコメントを削除する 2010年05月23日 01:11
アッテンボロー  
○○○○○さん、了解です。幼稚園児や保育園児に失礼でした。京香の知的水準は2〜3歳児程度ですね。

 ひょっとしたら争点をすり替える手口だけはザイトククオリティーで大人並みなのかも知れませんが。

 で、お嬢ちゃん。田岡の自伝しか「根拠」が無いんだろ。「自伝」ってのは歴史資料の中でも最も信憑性が低い類だよ。

 そもそもお嬢ちゃんはザイトク会が提示した「血のメーデー事件」など数十件の歴史的事件を根拠に出してきたよね。その史料中に「朝鮮進駐軍」なる語句が唯の一つも存在しない。

 要は有りもしない「根拠」を提示し、その原史料ないしは二次史料に触れた人々によって嬢ちゃんが信じるザイトクの主張に何ら根拠が無いことが立証されたわけだ。

 極論で言えば、自伝ってのは言い訳の羅列なんだよ。

 裁判で被告人がいくら無罪を主張してもそれを証明できない限り日本の裁判制度では無罪にならない。お嬢ちゃん達は無罪を立証することが出来なかった。以上でアンタらの敗北決定。」

「881 2010年05月23日 02:47
打倒人民解放軍@京香
○○○○さん
朝鮮進駐軍という言葉について、私は全く持ってデマだとは思っていないからここにコメントさせていただいてます。。
上にも書いたように、私の意見として話しているんです。。
あなた方は全く無いと否定しますが、それも根拠の無い事ですよ。。 」

「朝鮮進駐軍という言葉について」である。組織についての立証は何もない。

 最後にトピ主さんのまとめを引用しておく。

「913 2010年05月23日 06:41
pippo
====================
「朝鮮進駐軍」という言葉の出典について
====================

>>782ヨンミー さん

>「朝鮮進駐軍」という言葉は田岡一雄自伝が出典であるとのことですが、本当ですか?
本当ではないでしょう。田岡一雄自伝に「朝鮮進駐軍」という言葉があるというWEB上の書き込みすらみつかりません。田岡一雄自伝に「朝鮮進駐軍」という言葉があれば、喧伝するはずだと思います(笑)?

いまのところ、田岡一雄自伝のヒデオ?からそう感じた、と「京香」が言ってるだけです。

>ここを見ると「(当時を生きた北斗星さんの談話>一部略」というパートが田岡一雄自伝にあるように思えるのですが、

ありえないと思います。まったく同じ内容が、(当時を生きた北斗星さんの談話>ではなく、(別人>による(聞き書き>としてそれ以前に登場しています。ブログで詳述するつもりです。

http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/kyouseirenkouuso.html
>ここには「北斗星さんの談話」は日本会議メンバーのHPに載せられていた取材記録とあります。

「日本会議メンバーのHPに載せられていた取材記録」は不正確です。そのサイトはおそらく伝言ゲームの末端ではないかと思います。

実際は、2000年のはじめ、あるMLへのある人物の「聞き書き}がある掲示板に転載されたもの、それがいまのところ最古です。それが、数ヵ月後に日本会議掲示板に「北斗星さんの談話」として、模様替えされて再登場しています。もともとが創作物でソースなき「怪文書」だからだと思います。「何か文章」を切り取ったもので、ソースである「何か文章」の出自を示したくないもののようです。別途詳述します。

「朝鮮進駐軍を自称する朝鮮人が犯罪を犯した」ということについても、その「自称現場」事例を記したソースは、いまのところありません。 上記「怪文書」の切り取られて外された前段は見つかりません。(見つける責任は在特会にあるのですが〜笑)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2010/05/post-d6fc.html


____

終戦直後、進駐軍(在日米軍)による犯罪が多発した。

日本人がこの時期「売春」について,本気で論議した。

占領軍が,略奪,強姦をするのは歴史の常である。

これに終戦後の闇市に「暴力団と朝鮮人の勢力争い」が実際にあったことから,進駐軍の犯罪に朝鮮をくっつけて,朝鮮進駐軍という架空の団体を捏造したんだろうね。


在日米軍の在日特権が,「在日朝鮮人の在日特権」に化けたり,

在日米軍の犯罪が   「在日朝鮮人の犯罪」に化けたり,

在日米軍のレイプが, 「在日朝鮮人のレイプ」に化けたり,

(米兵によるレイプは沖繩で多発したんだよね)

「アメリカの女性議員が,私個人は死刑反対論者だが,
                       
この事件については死刑を求刑したい。」と述べるなど全世界のアメリカ軍兵士が,謹慎したぐらいに大きな問題となった。


ネット右翼って,学歴社会の日本人にあって,学歴がない

        仕事社会の日本にあって,仕事をしていない

・・・・・これって結構きついんだろうね。

だから,自分たちよりも更に下層にある,「恐ろしく低知能で,恐ろしく人格障害で,恐ろしく法律を無視する」’空想上の朝鮮人’をつくり出し,それを必死に攻撃している。

・・・・・そうしないと,自分が逃げ場のない劣等感だらけの人間,になってしまう。






http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c4

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
5. 中川隆[-7723] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:20:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 14


議論で反論できなくなった場合には、相手を「朝鮮人認定」さえすれば、論破したと判断してくれる時代になった

インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」の効果
https://kuantan2007.wordpress.com/2009/09/29/%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ab%e6%b0%be%e6%bf%ab%e3%81%99%e3%82%8b%e5%b7%ae%e5%88%a5%e4%b8%bb%e7%be%a9%e7%9a%84%e3%81%aa%e7%99%ba%e8%a8%80%e3%80%80%e3%80%8c/


人権や平等を擁護するような主張をすると「お前は朝鮮人だから」「在日の利害から」などと勝手に決め付けて来る者がネットには多い。

たとえば、タイヲタ右翼(右よりのタイ偏愛者)連中は、海外旅行の掲示板などに巣食っていて、長年「タイが嫌いだというやつは朝鮮人だ」、「タイを批判するのは朝鮮人だ」というレッテル貼りを続けている。その根拠といえば、「タイは親日国だから」とか「朝鮮には王室がないから王室や皇室がある国を嫉妬しているのだ」というような荒唐無稽で下品なものばかり。彼らはおそらくタイ旅行関係の業者だと思われるが、「朝鮮人認定されたくない」という一般の意識を利用してタイに対するネガティブな書き込みを一切許さないようにしようとする。(彼らのタイ美化の情熱もカルトめいている)。

一度「朝鮮人認定」されてしまうと実際に面倒なことがある。たとえば、タイでは他の国ではめったに見ないようなひどい白人崇拝や人種差別を見ることが多いが、そういうことを指摘すると、「朝鮮人認定」されている場合には、「それはお前が朝鮮人だから、朝鮮人はタイでも嫌われているからだ」といわれて終りである。これでは議論にならないし、実態を知らない人はそういうものかと思ってしまうだろう。このように、「朝鮮人認定」というのはネット言論では実際に効果を発揮することがあるのである。議論にもならなくなるから、誰でもできればデタラメな朝鮮人認定はされたくない。

「不用意な発言をすると朝鮮人認定される」という雰囲気を掲示板やブログの世界に作り出すことによって、「朝鮮人認定されるようなことは言わないほうが良い」という自己規制を利用して、ネットの言論を誘導し操作しようとしてきた連中がいるのも確かだろう。

ネットで「朝鮮人認定されると発言の信憑性が薄くなる」という現実自体、差別的な意識の現われといえるが、インターネットを熱心に利用して世論を作ろうとする人々には、それ以外の人々に比べて差別主義的な人間が多いのも事実なようだ。

なお、「朝鮮人認定」の問題は、実名か匿名かの問題とは関係がない。プライバシーをさらけ出している有名人でさえデタラメな「朝鮮人認定」「在日認定」を受けているのである。Googleで有名人の名前をランダムに検索してみればわかるだろう。




84. 中川隆[7217] koaQ7Jey 2017年3月20日 10:38:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7688]

▲△▽▼

インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」

在日認定とは、ある人物が在日コリアンであると一方的に認定することである。


一部の日本人の「こんなおかしな奴は日本人じゃない。きっと在日だ」という発想から、親韓だったり、反日的な言動を取る人物によく認定される。

インターネット上で不人気の著名人(特に芸能界)の多くは、真偽の検証をされる事無く、同和か創価学会員か在日かのどれか(或いは全て)であると言われる。上記の韓国人による認定を真に受けるケースもあり、芸能人は無条件で在日認定がされる事も多い。

例として、以下のような人物が挙げられる。


内柴正人
小沢一郎
菅直人
土井たか子
福島瑞穂
池田大作
島田紳助
井筒和幸
清原和博
草なぎ剛
松井玲奈
山本彩
野々村竜太郎


この他、凶悪犯罪者や大阪・愛知・福岡・広島など地方都市の人間は些細なきっかけでも在日認定されがちである。

また近年では、容疑が固まっていなかったり、罪状が軽微である事件など、何らかの理由で実名報道されない容疑者全員を在日認定する者する者もちらほら見かけられる。これは、反日と認定している新聞紙等が「在日韓国人であることを理由に氏名を伏せ、悪い印象を与えないように情報操作している」という根拠の無い思い込みから来ているものである。

この場合の在日認定における「在日」とは、国籍や血筋が韓国・朝鮮系であるかということよりも「その人自身の思想や言動、倫理観がどうか」を問うていることが多いため、日本人でしかあり得ない家系や職業に就いている者であっても(皮肉や遊び半分で)在日認定されることはよくある話である。ゆえに、在日認定されている者のことを本気で血筋が韓国・朝鮮系であると確信してしまうと誤った認識に陥りやすいので、注意する必要がある。

中にはあまりにも繰り返し在日認定されることを理由に、自分自身が出演しているテレビ番組「せやねん!」(毎日放送)の生放送中に在日説を否定し、日本人であることを公言したトミーズ雅のような例がある。

「見た目それっぽい・大阪市生野区出身(人口の約20%が在日韓国人という地域)・北村姓(在日韓国人が通名として使う例が比較的多い)」という3連コンボが一見成立しているかのように見えるが、雅の父親が兵庫県北部出身で母親は大阪市内の菓子問屋のお嬢さんであった、という反証材料(両親が韓国籍とは縁遠い地域や家柄の出身)があり、一見それらしき事実を並べ立てただけでは断定できないことを如実に物語っている事例であると言えよう。

ちなみにこのとき雅は創価学会員説も同時に否定している。

また、苗字が韓国性に似ている、通名で多用される(金、林、張など)、苗字が左右対称であるという理由で在日認定されてしまうことも多いが、例えば金姓などは金子や金丸など日本に古くから存在する姓名も多く(日本が黄金の国と呼ばれていたように一時期は金銀の算出が世界でも群を抜いており、鉱山関係者や勘定奉行など金に関わる姓名は非常に多い)、また特定の苗字に在日が多いというイメージも都市伝説であり、著名な在日に目立つという程度の印象だけで、統計的な根拠があるわけではなく、実際に在日の名乗る苗字はもともと日本に多い苗字(佐藤とか鈴木とか)を筆頭に、分散しているので「〜という苗字に在日が多い」というのは意味のない推論であると言わざるを得ない。

(苗字その真実)http://michiroku.atwebpages.com/

他に「金」と書いて「こん」と読んだり、「李」と書いて「すもも」と読んだりする姓の日本人も居るため、字面だけで判断しないことも大事である。[1]

[2]

脚注1.*
ちなみにナチス前夜、ナチス下のドイツにおける反ユダヤ主義においても、名前が「ユダヤっぽい」という理由で「ユダヤ認定」がなされた例は数多ある。


脚注2.*
反ユダヤ新聞シュテルマー主筆のユリウス・シュトライヒャーは、ニュルンベルク裁判においてアメリカ人検察官ロバート・ジャクソンを指して「彼はジャクソンと名乗っているが、私に言わせればジェイコブソン(ユダヤ名)でありユダヤ人だ。

外見を観察していれば解かる」とユダヤ人認定をしたり、かのラインハルト・ハイドリヒは祖母の再婚相手の性が「ユダヤっぽい」ことでユダヤ人混血であることを疑われ、そのコンプレックスの反動から、激烈な反ユダヤ主義に傾向していったとも言われている。


___


更には、最近では創作分野における在日認定もあり、けいおん!、ローゼンメイデン、アマガミ、じゃりン子チエなどの一部登場人物も「名前がそれっぽい」「顔がそれっぽい」といった理由で在日認定される事があるが、大半の場合はネタの領域でいじられているに過ぎない。[3]


脚注3.*

秋山澪(けいおん!)→チェ・サンジュ

金糸雀(ローゼンメイデン)→キム・シジャン(김 사작) 

暁美ほむら(まどマギ)→ヒョ・ミヨム

塚原響(アマガミ)→顔がそれっぽい

じゃりン子チエ→出身地がそれっぽい


__


企業の在日認定

「データセンターを韓国に作った」「韓国企業と提携した」など、韓国や北朝鮮に対して有益な行動を行っているという推測から、法人そのものが在日・反日認定される事がある。人物同様、他の先進国や途上国と関わりを持っても、在日認定を受けることは滅多にない。ごく稀に、財務省や文化庁など、日本の省庁も在日認定をされることがある。


在日認定を受けた事のある企業

ソフトバンク
花王
ドコモ
電通
ソニー
吉本興業
ロート製薬
サントリー
キリンビバレッジ
ヤマダ電機
アサヒビール
エイベックス
イオン
マスコミ四媒体に属する各企業(フジテレビ、毎日新聞など多数)



インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」

チョンノート〜在日認定リスト〜
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/zainiti_nintei/zainiti_nintei_index.html


チョンノートルール


○有名人はすべて韓国系である。

○本人が否定しない場合は在日認定。

○本人が否定した場合でも韓国系と明かさない場合があるので在日認定。

○帰化していても少しでも韓国人の血が混ざっていれば韓国系とし在日認定できる。

○外国でもこの法則は適応される。

○韓国系ということが確認されなければ韓国系である。

○本人が韓国系であることを否定しない限り韓国系である。

○韓国系であることを強く否定すると回避できる。

○韓国人に嫌われると回避できる。


 在日認定とは?
 日本人には冗談みたいな話だが・・・

 韓国では『日本で活躍する人はすべて在日韓国人、もしくは韓国系である』という妄想がある。

 その妄想はネットの噂から新聞報道までいろんなところで語られているのだが、

 中には『おいおいそりゃないだろう('A`)』と言うのがたびたび登場し、笑いを提供してくれるのだ。

 その多くが本人に知られないまま、いつのまにか韓国での常識としてなってしまう場合も多い。

 え?あの人が?え?この人も?嘘か誠か在日認定の数々。


日本女子フィギュアスケート公認ブック2007-2008 安藤美姫 (あんどう みき)

本名:安藤 美姫
生年月日:1987年12月18日
職業:女性フィギュアスケート選手
ソース:朝鮮日報
  名字の「藤」の字を取り、韓国語読みすれば「安美姫(アン・ミヒ)」という韓国人風の名前になるため、韓国人なのに名前をひそかに日本式にしたのではないか、というもっともらしい説も流れた。本人も否定したが韓国系だとしても明らかにしなかった可能性もあるので在日認定(丶`∀´>ニダ


乃木希典―高貴なる明治 乃木希典 (のぎ まれすけ)

本名:乃木 希典
生年月日:1849年12月25日
職業:軍人
ソース:神戸新聞
 東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」とも呼ばれた。日露戦争・旅順攻略戦が有名。乃木希典の祖先が、城崎郡城崎町の野木谷に住んだ朝鮮人捕虜だったというこれまで公になることがなかった説があるのです。否定する根拠がないので在日認定(丶`∀´>ニダ


米田哲也 (よねだ てつや)

本名:米田 哲也
生年月日:1938年3月3日
職業:野球選手
ソース:スポーツ2.0
  『韓国系に化けた稲尾和久』記事内で「日本のスカウトから「阪急ブレーブス(オリックスの前身)に入団した米田哲也も韓国系」という言葉は聞いた記憶がある」と在日認定。「米田は死ぬまで自分が韓国系なのか否かを言わなかった。」と記事にはあるが本人はまだ生きている。そんなことはケンチャナヨで本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


神様、仏様、稲尾様 稲尾和久メモリアル 稲尾和久 (いなお かずひさ)

本名:稲尾 和久
生年月日:1937年6月10日
職業:野球選手
ソース:NAVER/OSEN
 稲尾氏が亡くなったときに『稲尾さんに関して韓国系という噂が流れ、本人がこれを正式には明らかにしなかったが、骨格やスタイルから見て韓国系だと誰も分かっていた』と在日認定。しかし後日作る会のメンバーだと解ると『韓国系に化けた稲尾和久投手』と在日説を否定する報道をした。アイゴー!!作る会のメンバーが在日のはず無い(丶`Д´>ニダ


真説「たけし!」―オレの毒ガス半生記 (講談社プラスアルファ文庫) ビートたけし (ビート たけし)

本名:北野 武
生年月日:1936年2月20日
職業:お笑いタレント
ソース:スポーツ韓国
 本人が勘違いしてクォーター発言。後に母自ら否定し、間違いだったと雑誌などで証言するも、『韓国系であるキタノ・タケシ(北野武・60)監督が日本を代表する文化人に選定された』などの報道がされている。 本人が否定してるが、強く否定してないのでいないので在日認定(丶`∀´>ニダ


21世紀への伝説史 長嶋茂雄 長嶋茂雄 (ながしま しげお)

本名:長嶋 茂雄
生年月日:1936年2月20日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 ミスタージャイアンツこと長島茂雄も韓国系という説が公然の事実として知られていると報道。他の記事などでも多く見られる。本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ

金田 正一 (かねだ まさいち)

本名:金田 正一
生年月日:1933年8月1日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で、日本プロ野球通算最多勝記録保有者である金田正一が代表的な韓国系選手だった。韓国名はキム・ジョンイルで去る1969年引退した。と報道。本人も認めているので当然在日認定(丶`∀´>ニダ


林 昌範 (はやし まさのり)

本名:林 昌範
生年月日:1983年9月19日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で、イム・チァンボムという韓国名を持つことが知られた林はハンサムな顔で、韓国でもすでに多くのファン層が形成されている。 と報道。本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


金本知憲 祝!2000本安打達成(仮) 金本 知憲 (かねもと ともあき)

本名:金本 知憲
生年月日:1968年4月3日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で金本知憲の親はどちらも在日韓国人、韓国名キム・ジホンだ。と報道。他にも朝鮮日報などで『金本は両親が韓国人である韓国系3世で、日本のマスコミにも自ら韓国系であることを明らかにしてきた。』と報道されている。帰化しているようだけど本人も認める韓国系なので在日認定(丶`∀´>ニダ


金田 政彦 (かねだ まさひこ)

本名:金田 政彦
生年月日:1969年4月30日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で金田政彦の韓国名はキム・ジョンオンだと韓国系と紹介。 本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


ホームランアーチスト 清原和博 500本塁打の軌跡 清原 和博 (きよはら かずひろ)

本名:清原 和博
生年月日:1967年8月18日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち 』という記事で韓国系と紹介。本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


シンプル・リーダー論―命を懸けたV達成への647日 (文春文庫) 星野 仙一 (ほしの せんいち)

本名:星野 仙一
生年月日:1947年1月22日
職業:野球選手
ソース:OSEN/Yahoo!Koreaニュース
 Yahoo!ジャパンプロ野球・知恵袋に『星野監督が韓国系だという話があるが本当か? 本当なら、日本代表チーム監督として韓国戦は情が入り込んで不安だ』という質問を『星野が韓国系だという話は、これまで常に申し立てられてきた』と報道。その後、朝鮮日報でも『韓国系として知られる星野監督』と報道するも、こちらは数時間で削除された。本人もそうではないと否定しているが、強く否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


レッドソックス・松坂大輔 2008年カレンダー 松坂 大輔 (まつざか だいすけ)

本名:松坂 大輔
生年月日:1980年9月13日
職業:野球選手
ソース:ボストン・レッドソックス掲示板
 松坂がボストン・レッドソックス移籍した際に 『なぜ松坂はコリアンなのか?』の理由を5つ上げて韓国系とした。 1.イチローは韓国野球を軽んじたが松坂は何も言わなかった。2.彼はキムビョンヒョンを尊敬している。 3.日本人女性のほとんどが韓国人と結婚したがっている、そして松坂の妻は日本人だ。 4.松坂の祖父は強制連行で日本に来たと聞いたことがある。 5.アジアでは優秀な人は全て韓国人の子孫だ。松坂は優秀なので韓国人。この理由を見たアメリカ人からも『それはおかしい』と言われるも本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


孔子の一生 孔 子 (こうし)

本名:孔子
生年月日:紀元前551年
職業:春秋時代の中国の思想家
ソース:ソウル大学教授
 孔子の生地とされる現在の中国・山東省曲阜が、韓国によれば、かつての韓国領だった。さらに朝鮮で最初の国家と思われている『箕子朝鮮』の王・箕子と孔子が同じ血脈だったので在日認定。そもそも箕子が中国・商王朝の王族、すなわち中国人であることを無視し、箕子が韓国人の始祖ならその箕子と孔子を同じ血脈にすれば孔子も韓国人だ、という実に無茶苦茶なこじつけだが、否定する証拠がないので在日認定(丶`∀´>ニダ


サムシング~オリジナルアルバム 原 辰徳 (はら たつのり)

本名:原 辰徳
生年月日:1958年7月22日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 漢字氏名「原辰徳」を韓国の発音でそのまま読めば「ウォン・ジンドク」となるという理由から韓国系との噂が広がる。巨人の選手として契約したイ・スンヨプが本人に確認するも「違う」と否定されるが、もちろん韓国系だとしても明らかにしなかった可能性もあるので在日認定(丶`∀´>ニダ。


卓上 斉藤和巳(ソフトバンクホークス) 2008年カレンダー 斉藤 和巳 (さいとう かずみ)

本名:斉藤 和巳
生年月日:1977年11月30日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 日本プロ野球ソフトバンクのエース斉藤和巳(29)が歴代11番目の投手四冠王(平均自責点、最多勝、奪三振、勝率いずれも1位)とる際に紹介した記事にて、『2003年帰化した韓国系選手として知られている』と報道。
そんな事実を知られているわけではないがご本人が否定していないため在日認定(丶`∀´>ニダ。

森本 稀哲 (もりもと ひちょり)

本名:森本 稀哲
生年月日:1973年10月25日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 コナミカップアジアシリーズに出場する日ハムの警戒バッターを紹介する際、韓国式氏名そのままである‘フィチォル(稀哲)’と表記して日本式発音は‘ヒチォリ’だ。と報道。
在日韓国人の父と、日本人の母を持つため、韓国系で間違いない(丶`∀´>ニダ。

小笠原 道大 (おがさわら みちひろ)

本名:小笠原 道大
生年月日:1973年10月25日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 コナミカップアジアシリーズに出場する日ハムの警戒バッターを紹介する際、2004アテネオリンピック予選直前に日本へ帰化して日本代表チームに加わった。と報道。
本人が否定していないため在日認定(丶`∀´>ニダ。

安倍晋三物語 安倍 晋三 (あべ しんぞう)

本名:安倍 晋三
生年月日:1954年9月21日
職業:政治家  
ソース:プレシアン
 陶磁器宗家を成すまでになった沈寿官家門の14代子孫が佐藤栄作から壬辰の乱以後日本に渡って来た韓国系であることを直接告白したため安倍も在日。証拠などなく又聞きの話だが本人の否定がないので在日認定(丶`∀´>ニダ。
ただし、安倍氏は靖国問題などで半島に強い態度をとっていたためそれほど一般的ではないようだ。

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫) 中田 英寿 (なかた ひでとし)

本名:中田 英寿
生年月日:1977年1月22日
職業:サッカー選手  
ソース:朝鮮日報(スポーツ朝鮮)
 朝鮮日報(スポーツ朝鮮)がW杯日本代表の中田英寿を韓国系3世と報じる。その後『噂の真相』が「朝日新聞と週刊ポストがこの"事実"をつかんでいたが結局ボツにした」という"スポーツジャーナリスト"氏の証言を使い、国籍タブーの偏見を追及した記事にしたが、そもそも『中田英寿を韓国系3世』と言うのが捏造記事のため「スポーツ朝鮮」「噂の真相」ともに訂正記事が載ることになった。


2000 BEST 山口百恵 ベスト・コレクション 山口 百恵 (やまぐち ももえ)

本名:三浦 百惠
生年月日:1959年1月17日
職業:歌手、女優  
ソース:聯合ニュース
中国の黒竜江日報が発行する「生活報」が『山口百恵は韓国人の父を持つ韓国系だ』と紹介した。と報道。
本人の否定がないので在日認定(丶`∀´>ニダ。

駅 STATION 高倉健 (たかくら けん)

本名:小田 剛一
生年月日:1931年2月16日
職業:映画俳優、歌手
ソース:掲示板など
  日本を代表する映画スターのひとり。名前に「高」が付くため在日認定するも、江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前の庄屋の内儀・小田宅子(おだいえこ)は先祖にあたるためその可能性は低い。 しかし本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2007 Baby’s breath 松田聖子 (まつだ せいこ)

本名:蒲池 法子
生年月日:1962年3月10日
職業:歌手、女優
ソース:掲示板など
  1980年代を代表するアイドル歌手の一人。デビューから四半世紀を過ぎ、結婚、出産、二度に渡る離婚を経てもなお、「アイドル」というスタンスを保ち続けている希有な存在である。実家の蒲池家は地元で数百年続く家のためその可能性は低い。 しかし本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


DA・DI・DA(ダ・ディ・ダ)/松任谷由実 松任谷由実 (まつとうや ゆみ)

本名:荒井 由実
生年月日:1954年1月19日
職業:シンガーソングライター
ソース:掲示板など
  数々の名曲を生み出したシンガーソングライター。愛称はユーミン (Yuming)。実家が八王子の老舗「荒井呉服店」のため在日の可能性は低い。しかし本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


MLB イチロー ~シアトル・マリナーズ~ イチロー (イチロー)

本名:鈴木 一朗
生年月日:1973年10月22日
職業:野球選手
ソース:朝鮮日報など
  驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称される。数々の記録を名選手。メジャーリーグに挑戦する頃から言われてきた。イチローは韓国料理が好きで最多安打更新という偉大な記録には「韓国パワー」も大きな役割を果たしたなどの記事を掲載していたがWBC(ワールドクラシックベースボール)にてイチローが「今度のWBCで、戦った相手が“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたいと思う」と言う発言がなぜか『事実上、韓国に向けての発言と受取られる』と考えられ在日説はなくなった。 こんな発言する奴が在日のはずない(丶`Д´>ニダ


ONE LIFE 倉木麻衣 (くらき まい)

本名:倉木 麻衣
生年月日:1982年10月28日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 1999年に17歳でリリースしたデビューシングル『Love, Day After Tomorrow』が売上140万枚の大ヒットとなり、一気に人気アーティストとなった。 在日コリアンの青年五団体が主催するイベントに参加していたことから在日認定。本人も否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


石川梨華写真集「風華」 [DVD付] 石川梨華 (いしかわ りか)

本名:石川 梨華
生年月日:1985年1月19日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 ハロー!プロジェクト所属の女性歌手グループ、女性アイドルグループの美勇伝のリーダーで、元モーニング娘。の第4期メンバー。某掲示板などで在日認定されるもミュージックステーションでパスポートを公開した際は日本人だった。しかし、韓国系である可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


YOUR SONGS4 矢沢永吉 (やざわ えいきち)

本名:矢沢 永吉
生年月日:1985年1月19日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 広島県広島市出身のロックミュージシャン。インタビューにて在日と答えたという噂が広がるもソースなどはいまだ出されていない。しかし、本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


松井稼頭央 2005年度 カレンダー 松井稼頭央 (まつい かずお)

本名:松井 稼頭央
生年月日:1975年10月23日
職業:野球選手
ソース:掲示板など
 走攻守に優れたスイッチヒッター。西武で活躍後メジャーリーグに挑戦。『稼頭央』という珍しい名前のため在日の噂が広まった模様。2004年アテネ五輪日本代表メンバーに選出されたことからも日本国籍であることは間違いないが、韓国系であることは否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


C’est joli 石田ゆり子 (いしだ ゆりこ)

本名:石田 百合子
生年月日:1969年10月3日
職業:女優
ソース:掲示板など
 『101回目のプロポーズ』、『Dr.コトー診療所』など出演した女優。妹は石田ひかり。父親の仕事の関係で台湾に在住していたこともあり中国語が話せることから在日認定したようだ。小学生時代水泳でジュニアオリンピックに出場しているため在日ではないが韓国系であることは否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


ゆり子・ひかり きせき 1987‐1996 石田ひかり (いしだ ひかり)

本名:石田 ひかり
生年月日:1972年5月25日
職業:女優
ソース:掲示板など
 『あすなろ白書』、『ひらり』など出演した女優。姉は石田ゆり子。父親の仕事の関係で台湾に在住していたこともあり中国語が話せることから在日認定したようだ。姉が小学生時代水泳でジュニアオリンピックに出場しているため在日ではないが韓国系であることは否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


エッセンシャル・ベスト布施明 布施明 (ふせ あきら)

本名:布施 晃
生年月日:1947年12月18日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 紅白の常連歌手。代表曲は『シクラメンのかほり』『君は薔薇より美しい』など。オリヴィア・ハッセーとの結婚により在日の噂が広がる。本人も否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


全曲集 スーパーヒットコレクション 五木ひろし (いつき ひろし)

本名:松山 数夫
生年月日:1948年3月14日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 紅白の常連の大物演歌歌手。代表曲は『よこはま・たそがれ』『長崎から船に乗って』など。韓国でのイベントに参加していたことから在日の噂が広がる。徹子の部屋で息子は日本とアルゼンチンのハーフと発言したことからも日本人だと考えられるがが韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


美空ひばり (みそらひばり)

本名:加藤 和枝
生年月日:1937年5月29日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 数々のヒット曲を歌い銀幕スターとして多数の映画に出演した昭和の歌謡史を代表する日本の歌手であり、女優。 弟の暴力団とのいざこざが原因(?)で在日の噂が広がる。両親とも日本人とのことだが韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


Reading 『椿姫』with 草g剛 [voice] 〜私が愛するほどに私を愛して [CD付き] 草g 剛 (くさなぎ つよし)

本名:草g 剛
生年月日: 1974年7月9日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 男性アイドルグループSMAPのメンバー。日常会話に不自由ないほどレベルの韓国語を話せ、チョナン・カンとして韓国デビューをしたことがあるなど親韓的なことから在日の噂が広がる。草gの”g”の文字は帰化人では使えない文字なので日本人には間違いないのだが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


稲本潤一 1979‐2002 稲本潤一 (いなもと じゅんいち)

本名:稲本 潤一
生年月日: 1979年9月18日
職業:サッカー選手
ソース:掲示板など
 大阪育ちのサッカー選手。日韓W杯で活躍後は海外に移籍した。日韓W杯では得点を上げる活躍をしたことにより在日との噂が広がる。両親ともに国体に出場した経験があるため日本人であるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


大相撲 秘蔵映像で綴る、伝説の名勝負・名力士全集(2) 貴ノ花 (たかのはな)

本名:貴ノ花 利彰
生年月日: 1950年2月19日
職業:元大相撲力士
ソース:掲示板など
 青森県弘前市出身で二子山部屋所属の元大相撲力士。若乃花と貴乃花の父。中学時代水泳で全国選抜水泳大会で記録を更新しオリンピックの候補に選ばれているため日本人と思われるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


ロングバケーション 木村拓哉 (きむら たくや)

本名:木村 拓哉
生年月日: 1972年11月13日
職業:俳優、歌手
ソース:掲示板など
 男性アイドルグループSMAPのメンバー。根拠はないもののSMAPのメンバーの中でも一番の人気を誇るため在日との噂が広がる。弟はフットボールの日本代表でW杯に出場してるため日本人だと考えられるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


椎名桔平―新世紀のスピリチュアル・アクターズシリーズ (キネ旬ムック―アクターズ・ファイル) 椎名桔平 (しいな きっぺい)

本名:岩城 正剛
生年月日: 1964年7月14日
職業:俳優
ソース:掲示板など
 三重県出身の俳優。主な出演作品は『いつかまた逢える』、『BLACK OUT』、『Age,35 恋しくて』など。顔が半島系などの理由で在日との噂が広がる。高校時代サッカーで国体に出場しているので日本人だと思われるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


デビット・ベッカム サクセスストーリー【1991-2007】 デビッド・ベッカム (デビッド ベッカム)

本名:デイヴィッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム
生年月日: 1975年5月2日
職業:サッカー選手
ソース:朝鮮日報?
 イギリス(イングランド)出身のサッカー選手。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムズ。精度の高いで鋭く曲がるFKを持つ世界屈指のプレースキッカー。日韓のW杯の時には甘いマスクで日本の女性からも大人気となった。ベッカムという名前はイギリスでは珍しいと言うことで在日との噂が広がる。実際に記者が聞いたところ否定しなかったことからも在日認定(丶`∀´>ニダ


画像なし カール・ルイス (カール・ルイス)

本名:フレデリック・カールトン・“カール”・ルイス
生年月日: 1961年7月1日
職業:陸上選手
ソース:前田日明のおばあちゃん
 アメリカの陸上選手。オリンピックには4大会連続で出場し、通算10個のメダルを獲得。そのうち9個が金メダルというゴールドメダリスト。在日と明かしている前田日明がインタビューで「うちのおばあちゃんはカールルイスは在日だ」と話している。本人が否定したという話を聞かないので在日認定(丶`∀´>ニダ


画像なし キモラ・リー・シモンズ (キモラ・リー・シモンズ)

本名:Kimora Lee Simmons
生年月日: -
職業:モデル
ソース:ネーバーニュース
 アメリカの美女モデル社長。彼女のミドルネームが”リー”のことから韓国系との噂が広がる。本人が否定したという話を聞かないので在日認定(丶`∀´>ニダ


  Λ_Λ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (丶`∀´> ( 日本人の起源は韓国人なので
 (    )  │すべて在日とも言えるニダ
 | | |   \__________
 〈_フ__フ

http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/zainiti_nintei/zainiti_nintei_index.html


韓国人認定された人物一覧

韓国人認定の事例は数え切れないほどあるため、ここでは代表的な事例の一部を紹介する。


東郷茂徳

A級戦犯の一人だが先祖が秀吉の朝鮮出兵で捕虜となって連れて来られた陶芸職人であり、かつ戦争終結に尽力した形跡があるため、戦犯でありながら韓国人から韓国人認定されることが多い。戦犯のお墨付きを与えたアメリカ人は「まるで理解できない」と言及している。


王貞治

在日台湾人が在日韓国人に認定された稀有な事例である。


氏名が左右対称の文字で構成されている人物、姓に「金」が入っている人物

金田某さんや金山某さん、森田某さん、高田某さん、米田某さんなどが認定されている。

この伝で行ったら青木功や小林某さん、小川某さん、山口某さんに土田某さん、山田某さんに真田某さんに平山某さん、金田一某さんに山本某さん、大山某さんに田中某さんに谷口某さん、ロッテ会長・社長と同姓の重光葵も認定されなければおかしいのだが。この調子で言い続けると平清盛や森蘭丸や真田幸村まで韓国系扱いにされるのは時間の問題であろう。


笛木優子

女優。流暢に韓国語を操る上、「ユミン」というハングルの芸名を通し続けたため、近年覆面を取るまで生粋のコリアンだと信じられて来た。


日本人の凶悪犯罪者

前述のとおり、「善良な日本人がそんな凶悪な犯罪を犯すわけがない」からだそうで。


原辰徳

認定者いわく「この名前をそのまま韓国読みすると『ウォン・ジントク』になるため、名前だけ見ても彼が韓国系なのは明らかだ」。
ちなみに、韓国に「原」という姓はない。


秋山 澪(あきやま みお)

在日認定されたアニメキャラの代表例である。
認定者によると、彼女の本名(韓国名)は「秋 山澪(チュ サンジュ)」とされている。彼女が認定された理由は、その短気さとツリ目によるものとみられる。しかし、アニメ2期27話にて日本のパスポートを取得しているため、彼女の在日疑惑は公式に否定された。


イギリス人

韓国人認定の最たる一例である。認定者によると「イギリス人の起源は韓国人である」とされている。イギリス人そのものをも韓国人認定してしまうその神経に、世界があきれ返ったのは言うまでもない。


中田英寿

苗字が左右対称だから…というわけではなく、1998年3月に韓国スポーツ紙は「中田英寿は韓国系3世」と報じた。しかし翌月「噂をもとに、作成した推測記事だった」という電波民族らしい謝罪訂正を行う。2002年には韓国紙のインタビューで中田氏本人から韓国人認定を否定され、2009年にも、インターネットメディアで中田氏本人からまたまた韓国人認定を否定されたにも拘らず、編集者の注釈で勝手に韓国人認定をされている。懲りない電波民族である。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E8%AA%8D%E5%AE%9A


まあ、>>3 の様に

京都・奈良・大阪・神戸の住民の遺伝子は朝鮮人と全く同じなので、近畿地方出身者が一度でも在日だと言われたら、自分が本物の日本人だと証明するのは難しいのですけどね。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c5

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
6. 中川隆[-7722] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:26:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

御用学者 渡部昇一に朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一

朝鮮部落なんか存在しない伊那の田舎出の本多勝一を在日朝鮮人とか、笑っちゃうね

本多勝一みたいに体制側に都合の悪い真実を明らかにすると、何一つ反論できないから朝鮮人認定して真実を否定しようとするのですね:


【南京大虐殺を捏造した】本多勝一は在日です【在日確定】日本の国難は全部朝日新聞のデマから
2014年09月22日

【新春特別対談】渡部昇一氏に聞く[桜H26-1-2] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=axqdVqS1SLw


2014/01/02 に公開

安倍政権発足から一年を経て国全体に明るい兆しも見えてはいるものの、「戦後日本」からの脱却はなお容易ではなく、草莽一人ひとりの覚悟がますます問われている。これから日本は何処へ向かうのか?真に国を想うその信念に従い、政治家として日々奮闘している国会議員諸氏と、優れた洞察力で時代を先見し、有為な視点を示してきた保守の重鎮達それぞれにお話を伺う新春特別対談です。

ゲスト:渡部昇一(上智大学名誉教授)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。


「私の友達が調べたんですが、本多勝一は在日です」

渡部:朝日新聞は文化大革命を人類の壮大な実験なんて評していました。
人殺しが実験なら苦労しません。

不思議なことに朝日新聞が反省している様子がないんです。
僕はね朝日新聞の中に反日勢力が入っているんじゃないかと思います。

日本を苦しめた国難みたいに、従軍慰安婦問題と南京大虐殺があった。
両方ともいんちきなことは日本人は良く知ってるんですよ。しかし世界中では
南京大虐殺があったと思ってるし、従軍慰安婦も日本人がやっていると思っている。
  
しかし、発火点は全部朝日新聞なんですよ。南京虐殺のことを盛り上げた、
爆発させた本多勝一は、私の友人の調査によれば、在日です。

それがうまく当時の「自分の先祖が中国である」ということを言ってる
朝日新聞の広岡知男社長がやらせたという感じです。
  
そして従軍慰安婦問題も朝日新聞の記者が韓国人と結婚して、
その女性のお母さんが反日家で、その反日家が言っていることを持っていって
デスクがよく調べもせずに記事にした。

だから、日本の国難ということは、全部朝日新聞のデマから出てるんですよ。
しかもデマの発祥地は反省しない。
http://hosyusokuhou.jp/archives/40319566.html

朝日の「南京大虐殺」説は“朝鮮人”記者が書いた? 2011-07-14


朝日新聞に「南京で捕虜・市民30万人が日本軍に虐殺された」と虚偽を書いた本多勝一、本名は崔泰英

生年が著書により1931年、1932年、1933年と3通りある不可解さ

著書名 記された生年月日

「中国の旅」1933年生まれ
「殺される側の論理 」1933年生まれ
「南京への道」1931年生まれ
「裁かれた南京大虐殺」1933年生まれ
「天皇の軍隊 」1932年生まれ
「南京大虐殺の研究」1933年生まれ
「貧困なる精神Z集」1932年生まれ
「ジャーナリズムと歴史認識」1931年生まれ

他に生年月日抜きで発表されたのは「中国の日本軍」
「南京大虐殺否定論13のウソ」

この本多勝一、 本名は崔泰英 としてあちこちで目にします。
(じっくり調べてみます。諸説あり、いまだ確定には至っていません)

仮に事実なら、朝鮮人記者が朝日新聞という中国密着新聞に中国共産党の言うまま、検証も無しに記事を掲載、 「南京大虐殺」の「広宣流布」に大きな役割を担ったということですが。

もし日本人だとしてもその精神性に於いて大いなる疑義を抱かざるを得ません。
虐殺30万人が真実なら報道されることになんの異議もありませんが
さまざまな角度から検証してみるに、まずもって「物理的に無理」が結論です。


【この事実に注目】

日本の中学校教科書に初めて「南京大虐殺」が記述されたのは、
昭和53年(1978年)。

しかし中華人民共和国の教科書には「南京大虐殺」の記載はこの時点でも無かった。

  「南京大虐殺」の1937年から実に43年間、中共の教科書にさえ記載されていない、
という事実に着目。  

「南京大虐殺」は「朝日新聞」(1987年)の虚構報道により、更に広く日本国民に「事実」として
認識され、中共に利用されるに至りました。

もう一度言います。 「南京事件」の1937年から実に43年間、中共の教科書にさえ載ってはいません。事実なら、あの中共が43年間もこの事件に触れないでいるでしょうか。

場合によったら、ですが日本人のふりをした朝鮮人によって捏造された事件を中共が利用し始めて現在に至るという

構図ではないでしょうか。南京大虐殺館建設にお金を出したのも極左の日本人・元日本社会党委員長、田辺誠です。
その物理的出自のいかんを問わず彼らは「日本人ではない」。少なくともこの日本を護る立場には
あらず何らかの理由で毀損に走った人物だと思われます。

「30万人は学術的に根拠はなく、中国の研究は、日本で高まった南京事件否定説に対抗するイデオロギー的なもので、
自分が当館を経営していれば、この数字は使わない」(張連紅・南京師範大教授)

【備考】南京重慶に従軍していた父を持つ方のレポート。

父が南京重慶方面に従軍しており、話を聞いております。 あまりに捏造なので代わって抗議します。
 これだけの人数を銃殺処分するとなると当時は、英国などの記者も­沢山在所していたので、
川に流したとしても絶対に写真が海外に出­る。 写真がないのは事実がないからだ。 

川辺は沼地状態で万単位の捕虜を確保はできない場所で、多くの住­民が目撃可能な場所だ。 
この話が本当の話なら、そんな危ない街の南京の人口が数ヶ月で何­故急増したのか? 
馬賊も出没しなくなり、安全になったからだ。 
また、この元兵士の「日記」だが、このような詳細な軍行をしかも­いち兵隊が書いて残していたら、
憲兵に発見されたら軍律違反で銃­殺もの。 

もっと云えば、引き揚げ上げ時には身体検査があり、絶対に持ち出­せない筈。
 若い人達はテレビにウソばかり教えられている。 ウソである。 
この兵隊も本当なら実名で名乗れる筈だ。 また連体は2000人前後の旅団で65連体など存在しない。 
当時の出兵記録を調べたら分かる 以上 

「反日グループ」週刊金曜日のメンバーとしても本多勝一は名を連ねています。

石坂啓 永六輔 中山千夏 落合恵子 佐高信 椎名誠 (故)筑紫哲也 本多勝一 石倉直樹

*筑紫哲也も朝鮮名がしきりに出まわっていますが、こちらも未確認です。諸説あり。
最近、その遺産隠しが露見して修正申告(という名の)“脱税”が報じられました。

動画で見る本多勝一

本多勝一さん週刊金曜日創刊のころ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9e6O49Q4LsI


こいう講演をわざわざ聴きに行き、なごやかに笑っている人たち、何者。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/819f12c54bc6165c57fa69c51a35e248

本多勝一を応援する読者会のページ
http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hod/


本物のプロの取材方法とは

 本多勝一氏の取材方法は、ひたすら歩いて、見て、聞いて、ノートを取る。

インタビュー相手の話が脱線しても、既知の話題が出ても、相手を遮ることはせず、とにかく聞く。

はっきりとしない部分は通訳を通じて何度も聞き直す。そして写真撮影。

本多勝一氏と巡るハーレム 32年振りの再訪
http://www.nybct.com/2-62-honda.html


 今から32年前の1969年。当時、朝日新聞の記者だった本多勝一氏は、アメリカの主に黒人とネイティブ・アメリカンをルポするために単身渡米し、ハーレムや南部を半年に渡って取材。その記事はまず朝日新聞に連載され、後に1冊の本にまとめられて「アメリカ合州国」として出版された。当時、アメリカの黒人社会にここまで深く潜入して書かれた本は、日本ではほとんど出版されておらず、大きなセンセーションを巻き起こした。


 その本多氏が2001年にハーレムを再び訪れた。あれから32年、その間にハーレムの何が変わって、何が変わらずにいるのかを取材するために。前回の取材時はハーレムに住む“ブラウン君”という黒人青年がガイド役を務めているのだけれど、そのブラウン君の行方を探すことはもはや不可能で、今回、私がブラウン君に代わって本多氏を案内することとなった。


・・・・・


 本多勝一と言えば、まさに硬派ジャーナリストの代名詞のような存在。かつては敏腕新聞記者として世界各地を巡って数々のルポを書き、それらは今も書店の棚に並んでいる。また戦争やジャーナリズムについてなど、議論を呼ぶこと必至の著作も多く、論争や非難の渦中にあったことも数知れず。さらに朝日新聞を退社後は「週刊金曜日」という、これもまた硬派な週刊誌を立ち上げ、そこからは「買ってはいけない」のベストセラーも出ている。


 ところが、ハーレムにほど近いホテルの朝食ルームでお会いした本多氏は、いたって温和で物静か。取材用のノートとカメラを肌身離さずに持ってはいるものの、とても辣腕ジャーナリストには見えない。「初めまして。本多といいます。今回はよろしくお願いします。ところで、どこかカバンを買えるところはありますか? カメラを入れるカバンを成田で買おうと思っていたんですが、時間がなくて …」と、本多氏はケースにも入れていない、剥き出しのカメラを携えて丁寧な挨拶をされた。


・・・・・


 32年前、本多氏はハーレムYMCAに宿泊して取材をしたと「アメリカ合州国」にもある。今回の取材では、そのYMCAも含め、前回訪れた場所を再訪したり、現在のハーレムを良く知る人たちをインタビューして1969年のハーレムと、2001年のハーレムとの比較にポイント置いているとのことだった。


 本多氏の取材方法は、ひたすら歩いて、見て、聞いて、ノートを取る。インタビュー相手の話が脱線しても、既知の話題が出ても、相手を遮ることはせず、とにかく聞く。はっきりとしない部分は通訳を通じて何度も聞き直す。そして写真撮影。


 数日間に渡るハーレムの取材を終えた本多氏は、通訳兼アシスタントの“カズ君”と共にアメリカ南部の取材へと旅立って行った。この一連の取材の成果は「週刊金曜日」に連載されるとのことなので(時期は未定)、ハーレムの変化に興味のある方は「アメリカ合州国」と読み比べてみられてはいかがでしょうか。


●本多勝一「アメリカ合州国」朝日文庫 ¥544
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E5%B7%9E%E5%9B%BD-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/402260803X


1969年に単身アメリカに渡った本多氏が、ハーレムやアメリカ南部諸州をまわり、主に黒人の生活や人種差別の実態について書いたルポ。ハーレムではYMCAや廃虚のようなアパートに暮らし、人は良いけれどお金にだらしのない“ブラウン君”と共にハーレムを取材。南部紀行では、自身が激しい人種差別に遭遇。また戦後に黒人兵と結婚して渡米した日本人女性も取材している。なお、ハーレムの章の写真撮影は、氏の友人でもある吉田ルイ子氏。

●今回、プロのジャーナリストである本多氏の取材に同行できたことは、とても幸運でした。何よりプロの取材方法を真近で見ることができましたし、ハーレムを案内しているあいだに、私自身がハーレムの“今の姿”を再認識できました。

今、南部を旅行中の本多さん、どうもありがとうございました。また今回、私を本多氏に紹介してくださった中澤まゆみ氏にも感謝いたします。中澤さん、どうもありがとうございました。
http://www.nybct.com/2-62-honda.html


チャンネル桜が本多勝一が在日朝鮮人だというデマを流したのは この本を読まれると困るからだね:

中国の旅 (朝日文庫) 本多 勝一
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4022608056/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=0&sortBy=recent#R2NV3WY7ECK8F2


本多勝一は、ベトナム戦争に従軍し、精力的に記事にした。そこでは、南ベトナム軍も民族解放軍も、更には米軍でさえ虐殺していた。ならば、中国で日本軍は何をしたのか?

投稿者イエスちゃん!2015年5月2日


本多勝一は、ベトナム戦争に従軍し、精力的に記事にした。敵の北ベトナム側にも取材に行っている。

そこでは、南ベトナム軍も、反政府・民族解放軍ベトコンも、更には米軍でさえ、膨大な農民、老人、女、子供を虐殺していた。

それならば、先の日中戦争では、中国において日本軍は何をしたのか?に、記者として関心が高まった。

ベトナム戦争において、多数の証言者に対して、証言者の内容が信頼できるかどうか、吟味する方法を習得していった。

実際に本人が体験した証言と、単に人から聞いた証言・うわさ証言では、明確に差が出て来る。

証言者は多くは農民で、初めての取材であり、慣れていない。順序だって論理的に時系列で話す訳ではない。

最初に、自分の伝えたいことを先に話し、証言はいろいろと脇道に飛び、発生した時間の流れを前後する。

その膨大な部品・ピース・断片を、本多勝一は、自分の頭の中で、整理して、全体を再構成する。

そこで、まだ聞いていない部分・空白の部分を、何度も質問して、少しづつ埋めて完全に近づけていく。

もしも、証言者が自分の体験ならば、まだ話していないだけで、いくらでもその事について詳細に証言できる。

この過程で、記憶があいまいな証言者は、記事として使えないとして、外していった。

つまり、新聞記者のプロの眼で、情報の確度の選別、吟味をしている。
(なお、北ベトナムでの取材でも、共産主義の国だから、証言者は北ベトナム政府が、記事の希望に沿って、探し出したものである。)

結論から言って、日本軍も、中国において、多くの虐殺を行っていた。
この事実を認めることから、和解と再発の防止ができる様になる。
是非、多くの日本人に読んでもらいたい。


● ● ●

なお、平頂山事件は、精神的に異常な一人の軍人が起こした虐殺事件である。

(妻の自害の真の理由が不明、自分の為に死んだ妻の葬式も出さずに満洲に)
『撫順の守備隊の<一大尉>が、匪賊を匿うたとの廉で、部落の『婦女子』を集めて機関銃で掃射鏖殺したとのことであった。

この事件のあった少し前、内地の一新聞に満州へ出征した一大尉の夫人が、夫君に後顧の憂いなく御奉公するようにとの遺書を残して白装束で自害したとの記事があり、戦時婦人の典型だとて評判になっている旨を伝えていたが、件の大尉こその婦人の夫であった。』
(森島守人『陰謀・暗殺・軍刀--外交官の回想』)

それに対して、戦後、蒋介石の戦犯軍事裁判で、無実の撫順炭鉱の所長が、でっち上げ冤罪で、死刑にされた。

(この真の戦争犯罪者・軍人は、当時、満洲にはいなかった。戦後も、日本にて、生きながられた。運命は不公平である。)

この死刑は、復讐そのものであり、別の新しい犯罪行為である。中国側は、このことも知る必要がある。
両方とも追及・糾弾して、再び起こらない様にする必要がある。
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4022608056/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=0&sortBy=recent#R2NV3WY7ECK8F2

1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。


”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  


チャンネル桜は南京大虐殺が捏造だというデマを必死に流していますが、
当時の記録がちゃんと残っているので30万人虐殺は絶対に否定できないのですね:


30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。
2002/12/21 09:31 【共同通信】

南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は

「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」

と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日


ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html


日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少 2014年01月08日


吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。

同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA)

 「人民網日本語版」2014年1月8日
http://j.people.com.cn/94474/8507124.html


【拡散】南京大虐殺を捏造した朝日新聞の本多勝一は【 在日 】確定!!! 2014.09.21


「俺は知っている。やつは在日だ。」
で、なんの証拠も提示しないというw
渡部もこのサイトも訴えられればいいよ。
Posted by 名無し at 2014年09月22日 10:05


○○は在日詐欺もう飽きた
つか、明確なソース無しかよ
Posted by 名無し at 2014年09月22日 11:31


権威のある人の意見を鵜呑みにして、無条件で信じてしまういい例だと思います。

教授も「友人が調べたら在日らしい〜」と言ってる時点で、ソースが不確かな情報でしかないと言い様がありません。

別に自分は本多勝一を擁護するつもりは一切なく、単に間違っているのではないかと思うのでから書かさせてもらいます。

本多勝一は日本人です。
ソースは小学生の頃、本多勝一と同級生だった自分の父親。

自分の父親は昭和6年生まれで、信州伊那谷のとある町の出身。

本多勝一が子供の頃に在日だからいじめられていたという事実は一切無いそうです。
いじめられていた理由は、妹が障害者であったため、それが原因でいじめられていた事はあったそうです。

戦前の生まれで、排他的な地域の出身である事を考えると、在日である可能性は極めて低いです。

ちなみに親父の実家周辺がどれくらい排他的な所かと言うと、自分が25年ほど前レーサーレプリカのバイクで皮つなぎを着てツーリングがてら親父の実家に立ち寄った事があったんですが、それを見た近所の人が「○○の家にチンピラが来た!」と、その後に噂になったと、祖母から文句を言われました。
Posted by 在日じゃない at 2014年09月22日 08:06


父親が本多勝一の同級生で、彼を日本人だと書いた者です。

自分の父親が本多勝一と同級生であったと言うソースは父親の証言だけでなく、以前に父親が出席した同級会から帰ってきた折、

「おまえ本多勝一って知ってるか?」

と聞いてきたので、自分が知ってるという旨の発言をした所、おもむろに同級会で貰ってきたお土産の中から「六十歳の記念に登った山山 本多勝一著 悠々社」の本を取り出し、

「こいつ同級生で、同級会でみんなにこの本を配ったんだよ」

と見せてくれました。

その本には、直筆サインと本多勝一の落款が・・・って落款押してあるって・・・。

これこそ父親と本多勝一が同級生だった事を思わせる一品だと思います。

今も自分の手元にあるので直筆サインと落款に興味がある方がいたら写真に撮ってどこかにうpしてもいいかなw
Posted by 在日じゃない at 2014年09月22日 20:10
http://www.news-us.jp/article/405772710.html


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土井たか子元衆議院議員に対する在日認定


訴訟の原因となったのは、元産経新聞編集部長の花岡信昭が論壇誌 WiLL 2006年5月号に寄稿した「拉致実行犯辛光洙釈放を嘆願した“社民党名誉党首”」と題する記事である。

記事の中で花岡は

「土井たか子は朝鮮半島出身で本名は『李高順』である」

と土井に対する在日認定を行った上で、

「そのことが土井の拉致事件を見る目を曇らせたのか、すべて知った上で政治的演技をしていたのか」

と論じ、祖国・北朝鮮の利益を図るために日本の利益を蔑ろにしたのだと土井を婉曲的に糾弾した。

戸籍謄本および改製原戸籍謄本の記載によると土井は日本人夫婦の次女として兵庫県神戸市に生まれており、花岡による在日認定は事実に反していた。

また花岡は土井に対する取材等の裏付けを全く行わず、インターネット上で流布されていた情報のみに基づいて在日認定を行っていた。

これに対して土井は記事によって名誉感情や信用を含む人格的権利を侵害されたとして、2007年4月18日、WiLL を出版するワック・マガジンズと同社代表取締役(当時)の花田紀凱、記事を執筆した花岡の三者を相手取り、1000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める民事訴訟を起こした。

神戸地裁尼崎支部は 2008年11月13日、記事はあたかも土井が朝鮮人であるがゆえに日本以外の本国の利益を優先して、日本国民の安全などの利益を蔑ろにするという日本の政治家としてあるまじき行為をしていたかのような印象を与えるものであり、土井の社会的評価を低下させたとして名誉権の侵害を、

また虚偽の在日認定について以下のように述べて名誉感情および人格的利益の侵害をそれぞれ認め、被告らに対して200万円の賠償を命じた。

謝罪広告については記事の影響力の小ささを理由に退けた。


被告らは判決を不服として大阪高裁に控訴したが棄却され、さらに最高裁に上告したものの、2009年9月29日に上告を退ける決定が下された。

これにより神戸地裁の判決が確定した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A


2007/06/03 筑紫哲也(朴三寿)というデマ
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.html


2chで以下のような真偽の定かでないマルチコピペを見たことある人は多いと思う。


池田大作(→父:ソンジャンチョク、帰化人) (在日への選挙権推進、韓国での反日活動の実績)

土井たか子(→李高順(帰化前の本名)北朝鮮に親族多数

五島昌子(土井の秘書)本名、渡辺昌子は通名、つまり、在日朝鮮人(元社青同活動家の話より)

辻元清美(帰化人、赤軍派)

筑紫哲也(→朴 三寿:元朝日記者、共産キャスター)

本多勝一(→崔 泰英:「南京大虐殺」虚報の中共工作員記者)

佐高信 (→韓 吉竜:極左評論家)

福島瑞穂(→趙 春花、帰化前の本名:中核派)

永六輔(帰化人。反日活動、言動多し)


例えばこの中の

■土井たか子=李高順 説は?

月刊WiLL2006年5月号で元産経新聞記者・花岡信昭が、土井たか子=李高順という2chで流されたデマを事実のように書き、土井は花岡の記事を「事実無根の捏造 (ねつぞう)記事で、土井氏に対する取材に基づかない一方的な推測で作成したもので,名誉を毀損された」として、2007年4月18日、全国紙への謝罪広告の掲載と損害金1万円を求める訴えを神戸地裁に起こしている。


つーことでこの件はデマ確定 調査終了


■次に、筑紫哲也=朴三寿 説は?

【筑紫】 朴 三 寿 【哲也】(魚拓)より以下、抜粋する。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1127868368/


28 :文責・名無しさん:2005/11/15(火) 22:46:50 ID:d3V7cvUI
朴三寿ってのはオレが数年前にメガBBSに書いたネタだった思う。
確か「有名人の本名を晒そう」みたいなタイトルのスレだった。
他にも本多勝一や佐高信なんかの韓国名もでっちあげてやったんだ。
まさかこんなところでお目にかかるとはなw


30 :28:2005/11/16(水) 22:54:24 ID:rInX2H7E
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=perform&vi=1027871248

元ネタはこのスレの124だ。
よく見たら数年前じゃなく去年だったが


(※ちなみに、これがリンク先)


筑紫哲也=朴三寿という在日認定を2004/06/04以前にしているブログが一切無いことから、これが元ネタとみてまず間違いない。

↓以下は同スレより筑紫哲也が在日ではないことを補足する書き込みを抜粋する。


54 :文責・名無しさん:2006/03/18(土) 11:45:56 ID:hUhDYHbR
代々、九州の医者の家系で滝廉太郎の親戚とか言うけど
実は筑紫の故郷には筑紫という姓の人間がいない
つまり架空の日本名をこしらえたってことさ


58 :文責・名無しさん:2006/03/21(火) 23:37:20 ID:iPNZ4lbX
>>54
筑紫姓はいるよ。

筑紫氏
筑紫君、筑紫国造、筑紫連、筑紫史、藤原秀郷流武藤氏族、
清和源氏、桓武平氏等。


62 :文責・名無しさん:2006/03/22(水) 12:58:26 ID:s1CTwA8y
>筑紫の大伯父は滝廉太郎だから

ソース出せや


64 :文責・名無しさん:2006/03/22(水) 20:08:57 ID:VPz1iqiD
>>62
国際メンデルスゾーン基金の公式サイトより
http://www.mendelssohn-kikin.jp/frmset_taki.htm

>嘱望を受けながら留学した瀧廉太郎は、留学中に病(結核)におかされ、
>翌1992年に青雲の志空しく帰国した。 帰国後は、故郷の竹田市で療養後
>100年前の1903年に23歳10ケ月で没している。療養した家は、「瀧廉太郎
>記念館」として公開されている。同記念館は、瀧廉太郎の姉の孫にあたる、
>筑紫哲也が名誉館長である。


89 :文責・名無しさん:2006/04/16(日) 21:33:55 ID:jxI3E12R
滝廉太郎の妹トミは筑紫の祖母って書いてるぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

何か見た目や思想だけで言ってるだけだろ。


115 :文責・名無しさん:2006/05/19(金) 23:45:22 ID:GxkkCoNF
>>113
筑紫哲也は瀧廉太郎の姉の孫で、その縁で 「瀧廉太郎記念館」の名誉館長だ。
下記のページに電話番号が載っているから、嘘だと思うなら聞いてみなよ。
http://machi.goo.ne.jp/snd/spotID_%20TO44000491/leisure/details.asp


122 :文責・名無しさん:2006/05/21(日) 08:20:56 ID:Ubf6/77H

メンデルスゾーン基金のサイト情報が一番確かだな。
当人も日本名を名乗っているし、万が一彼が朝鮮人の妾の子だったとしても、
日本人であることにかわりはない。
そもそも朝鮮人の血などそれほど「濃い」ものではないだろ?
名前からして基本は中国式だし、それが日本式の筑紫哲也に変わっただけだ。(笑

俺自身は、筑紫の政治観は幼稚だと思っているがね。


156 :文責・名無しさん:2006/07/08(土) 12:15:25 ID:Sbii/mJV
先祖は大分県・日田藩。漢学者の広瀬淡窓が開いた咸宜園で学んだと聞いた。広瀬の子孫が今のテレ朝会長、大分県知事の兄弟。


95 :文責・名無しさん:2006/09/11(月) 15:42:20 ID:kSuz5YS6
大分県日田市に筑紫姓があるのかどうかだが、
>>58のソースは「日本の苗字7000傑」というHPから。
その中の"筑紫国造"の中に"筑紫国造磐井"という人物がいる。
この人物は(大分県がある)九州北部の有力者と「Wikipedia - 磐井の乱」に書いてある。
だから、筑紫哲也の祖先はこれと思われる。
ちなみに、「岩戸山古墳−筑紫国造磐井の墓−」というHPには、
"筑紫国造磐井"を含む「筑紫の君」一族は渡来人の末裔ではないか
と書いてある。


96 :文責・名無しさん:2006/09/11(月) 17:26:05 ID:kSuz5YS6
つまり、筑紫哲也のルーツとは、

筑紫国の「筑紫の君」一族の末裔で、
筑紫国は、後に筑前国・筑後国に分割された。
このことは「Wikkpedia - 筑紫国」に書いてある。

そして筑紫哲也の出身地である日田市は、
筑後川水系にあるため、筑前・筑後と歴史的につながりが強い。
このことも「Wikipedia - 日田市」に書いてある。

結論 「筑紫哲也は帰化人ではない。しかし、祖先は渡来人の末裔である。」

これで解決したな。

(以上)


つーことでデマ確定 調査終了 


このように少しググっただけで、土井たか子と筑紫哲也は確実に在日ではなく、本多勝一、福島瑞穂、佐高信もおそらく違うだろうな、ということがわかる。

にもかかわらず、情報元を確認することすらしないリテラシーの低い、嫌韓・ネトウヨ厨は、今だに訂正すらせずにブログ上で事実として取り上げている。

例えば「筑紫哲也 朴三寿」で検索すると約9,350件ヒット、「朴三寿」では約11,100件もヒットする。

デマだとわかっても訂正すらしない確信犯的なデマブログの1つに、ランキング偽装疑惑のある「博士の独り言」がある。


2006/12/01(金)「博士の独り言」より以下一部抜粋する。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-asyuracom-221.html

この集会で挨拶した本多勝一(本名・崔 泰英)、司会を演じた佐高信(韓吉竜)の2名はいずれも在日朝鮮人。永六輔は半島からの帰化人。関与した矢崎泰久、中山千夏は、昭和52年に、ばばこういちを中心に結成した「革新自由連合」の仲間であり、新左翼系の自称・文化人である。

良識以前に、最低限度の人倫すら問われるこの「芝居」は、これらの人物の「日本に対する怨念」が凝縮されている。それほど日本が恨ましいのであれば、日本にいていただいても百害千害万害を垂れ流すだけである。日本から出て行け!
---------- ---------- ----------
【筆者記】
なりすましのメディア人、文化人、政治家の言動にはおぞましいものがある。上記の他に、朴三寿(筑紫哲也)、社民党の李高順(土井たかこ)、趙春花(福島瑞穂)等々。実に紛らわしい。反日活動においては、通名ではなく、本名を名乗るべきである。

(ここまで)


いい歳こいたおっさんが、左翼=在日=朝鮮人で思考停止か


ダッセーなぁ。。。恥辱まみれなデマ博士


あんた、マジかっこわりぃYO!

土井さんが党首の時に社民党に質問したんですよね。
そしたら丁重な回答が寄せられました。

曰く事実無根なんだそうです。

とにかく、気に入らないのはみんな朝鮮人にするんだから困ったもんですよね。
ただ、朝鮮人といわれて名誉毀損てのはどうなんでしょうね。

朝鮮人が悪い連中だと土井さんが認めた事になるんじゃないでしょうかね。
朝鮮人が何故怒らないのかが判らないですね。

土井たか子の家系についてはすでに共同通信の田中章記者が取材ずみ。

それによると、祖父は広島県の土井好太郎、父はその次男で仁良市、現京都府立医大卒、母は京都の職業軍人の長女で貴代、姉は和賀子、妹が睦子で武蔵野音大、弟が良博、顕とのこと。

父は内科小児科を神戸市長田区野田で開業していた開業医であった。


ハッキリと否定しないの筑紫氏だけでなく上記に名前のあがっているサヨク全般に言えるでしょうね。まぁ、くだらな過ぎて相手にしてないんだと思います。

それと、そんなに疑う理由がよくわかりませんが、このエントリーを書いたとき週刊金曜日の方に連絡したんですが、石坂啓、落合恵子、佐高信、椎名誠、筑紫哲也、本多勝一は在日ではないとハッキリ言われました。


本多勝一さんは日本人
本多さんの友人と親しいし、会ったこともある。

長野県飯田市に行って調べれば直ぐに分かるよ。旧制飯田中学-->飯田高校。

悪魔の証明

言い出しっぺの在日朝鮮人で"ある"と言っている側には信用できる証拠を全く求めずにコピペを垂れ流し、在日朝鮮人で"ない"と言っている側にだけ「もっと信用できる証拠」を出せと言い続けるネトウヨの論理性には苦笑してしまう。
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c6

[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
23. 中川隆[-7721] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:30:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人が反日になった理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c23
[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
7. 中川隆[-7720] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:40:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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24. 中川隆[-7719] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:41:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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8. 中川隆[-7718] koaQ7Jey 2017年5月08日 06:43:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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これも読んでね

原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
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2. 中川隆[-7716] koaQ7Jey 2017年5月08日 07:36:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>ウォーレン・バフェット、ジム・ロジャース、ジョージ・ソロス。
そう、世界の三大投資家の名前です。彼らは3人とも、スポーツ選手どころではない>巨額の富を自分の頭脳ひとつで稼いでいる人たちです。彼らの資産は100兆円を超えているともいわれます。


全然わかってないアホだな

株式投資はアメリカ株以外は絶対に儲からないんだよ:


アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い
投資の神様・バフェットの真似をしても損する理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c8


http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/552.html#c2

[政治・選挙・NHK225] 安倍晋三の配下として、北朝鮮の危機を煽りたがる人たちの井戸端会議。危機を否定する奴は、沖縄の政治家か朝鮮でハニートラップ 赤かぶ
3. 中川隆[-7716] koaQ7Jey 2017年5月08日 08:58:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
読んでね:


アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

結論として、阿修羅掲示板の主流派の意見というのはCIA工作員と中国・朝鮮工作員が扇動して作ったものなのですね
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/390.html#c3

[政治・選挙・NHK225] ある日の首相動静。ネトウヨの方、必読  赤かぶ
41. 中川隆[-7715] koaQ7Jey 2017年5月08日 09:01:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
読んでね:


アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

結論として、阿修羅掲示板の主流派の意見というのはCIA工作員と中国・朝鮮工作員が扇動して作ったものなのですね
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/357.html#c41

[政治・選挙・NHK225] <菅野完氏、NHK、本気出し過ぎだろw> NHKスペシャル 日本国憲法 70年の潮流 〜その時、人々は〜  赤かぶ
30. 中川隆[-7714] koaQ7Jey 2017年5月08日 09:02:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
読んでね:


アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

結論として、阿修羅掲示板の主流派の意見というのはCIA工作員と中国・朝鮮工作員が扇動して作ったものなのですね
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/360.html#c30

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
8. 中川隆[-7713] koaQ7Jey 2017年5月08日 09:19:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

自殺者遺族に高額請求、北海道でも相次ぐ 帯広のアパート、父親に700万円 明確基準なし「ルールを」

北海道新聞 5/8(月) 6:30配信 tq


「評価額減損失」480万円

 共同住宅で自殺した人の遺族が、住宅の所有者側から高額の請求を受けるケースが北海道内でも起きている。帯広市内の家賃月2万5千円の賃貸アパートで自殺した男性の父親は、700万円を超す請求を受けた。こうした事例が全国で問題化する中、政府は自殺総合対策大綱で対応を検討する方針を示したが、明確な基準はまだない。専門家は「何らかのルール作りが必要」と指摘している。

 「そんなに高いとは…」。千葉県に住む50代男性は3月下旬、帯広市内の自室で1月に自殺した長男=当時(27)=のアパートの代理契約人である帯広の不動産管理会社からの見積もり通知に頭を抱えた。

 長男は昨年6月に入居。精神疾患があり、薬物を大量摂取して自室で死亡しているのが見つかった。父親は長男が賃貸契約する際、連帯保証人になっていた。

 届いた見積額は約724万円。内訳は「評価額減損失」480万円、「原状回復費」約174万円、「空室経済的損失」約65万円、「お祓(はら)い費用」5万円となっていた。説明資料には、アパート(築約25年、20戸)は売却を前提としており、評価額が4800万円から1割下がったと見込まれる分を加算したことなどが記されていた。
.

「借り手がつかなくなる」

 この会社は取材に対し「所有者の意向で、売却の際に損失が見込まれる額を請求した」と話した。

 札幌市内の不動産業者は「居住者が自殺すると『事故物件』になり、借り手がつかず家賃を下げざるを得ない。所有者側にとっては大きな痛手になる」と話す。そのため請求が高額になり、トラブルを生んでいる事情がある。

 全国自死遺族総合支援センターの杉本脩子(なおこ)代表は「自死は誰にでも起こり得るという認識を社会全体が持ち、法整備を含めた対策を進めるべきだ」と訴える。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c8

[原発・フッ素47] ますます深刻化する健康被害 (20) 2017年4月 葬式続きですっかり葬式慣れした人も  魑魅魍魎男
6. 中川隆[-7712] koaQ7Jey 2017年5月08日 09:55:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

典型的なキチガイの被害妄想だね
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/876.html#c6
[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
474. 中川隆[-7712] koaQ7Jey 2017年5月08日 10:08:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/428.html#c474
[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
98. 中川隆[-7711] koaQ7Jey 2017年5月08日 10:25:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


自宅が竹島状態? 作家・岩井志麻子に聞く「半島の隣人との付き合い方」[2012年08月29日]
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/08/29/13689/



「金正男がゲイバーを開いたら、李明博大統領も歌舞伎町で韓流ホストクラブをやってくれればいいんですよ」と語る岩井センセー


韓国人の“ムスコ”を味わい尽くした経験値は日本人トップクラスと噂される、作家・岩井志麻子センセー。コリアン男子の生態・思考法について熟知してそうなこの人に、竹島問題の解決法を聞いてみた!

***

―岩井センセー! 韓国人のご主人と、竹島問題について激しく衝突することはないんですか?

岩井 ジョンウォン君(夫のこと)が日本に来るときに「飛行機代と、お洋服のお金をくだしゃい」と電話してくるので送金すると、彼から「竹島しゃん、ありがとう♪」って電話してきますよ。お金もらうときは、私のこと「竹島しゃん」って呼びますから、ハッハッハ。

―まさに現金な人ですね。

岩井 こないだもクルマ買ってとか言うから、「なあなあ、竹島ってどこの領土?」って聞いたら、即答で「日本、日本!」って言うから、思わず、「貴様、それでも韓国人か! クルマのために国を売る気か!」って怒ったんですよ。よく考えたら、私が怒ることないんですけどね。うちでは竹島は完全にギャグですよ。そんなことしていいのかって思いますけど(笑)。

―岩井センセーは、ヤバいこともズバズバ言いますもんね。

岩井 私の場合、夫が韓国人ということでなんか許されるところがある。なんぼボロクソ言っても、「韓国嫌いだったら、韓国人と結婚するわけないじゃない。根底には愛があるのよ」って言えますから。もしかしたら、私は韓国をネタにするために韓国人と結婚したのかもしれない。じゃなきゃ、怖くて言えないですよ。

―家では、岩井センセーがご主人を尻に敷いてるんですか?

岩井 いや、もうわが家が竹島状態っていうか。新宿にあるマンションはもちろん私の名義だし、電化製品からすべて私のものだし、光熱費も当然、私が払ってる。なのに、あやつにすべてのチャンネル権とか優先権があるんですよ。ジョンウォンが寝っ転がってテレビ見てる横で、私が掃除、洗濯して、ご飯作って原稿書いてるんですよ。竹島やん、うちは!って。

―実効支配されてますね。

岩井 ただね、そこは立ててやらんと。年齢も収入も、あらゆる面で私のほうが立場が上なんですよ。そこへきて、「なんだおめえ、私の10分の1も収入ねえくせに!」って言ったらおしまいでしょ。さすがにかわいそうで、よう言いまへんよ、そんなこと。

―面子(メンツ)を立ててあげると。

岩井 面子というか、とにかく韓国人って自信満々なんですよ。なんでそんなに自信満々なのか聞いたことがあるんです。そしたら「韓国の男が自信を失ったらすべてを失う」って言うわけですよ。日本の男は、例えば、いい学校に行ってなくても、オレにはこの能力があるんだとか言える。でも、韓国の男の価値観って、いい大学入って、いい会社に就職して高収入。これだけ。挫折から立ち上がって成功するみたいなのもなくて、韓国の男は一点がダメならすべてがダメなんです。日本とは全然違う。

―セックスも、日本人とは違うみたいですね。

岩井 日本人は技においての芸術点は相当高いですよ。それに比べて、韓国の男は回数をこなせるのが偉いと思ってる。「強い」って言われなきゃダメなんです。セックスの価値観もそれしかない。

―韓国人が竹島問題に躍起になるのが、なんとなくわかります。

岩井 小さな頃から抗日教育を受けてますからね。竹島を日本の領土だと認めてしまったら、韓国のすべてを否定されることになるんでしょうね。だから、奴らは絶対に強気を崩さないはずですよ。


■北朝鮮ゲイバーを新宿に誘致すべき!

―竹島問題で、日本は今後どうすればいいんでしょうか?

岩井 今回のことで笑うたのが、一連の事件を北朝鮮が冷笑してるって記事があったこと。「人気取りのパフォーマンスにしょうもないことやりやがって、フフン」みたいな。北朝鮮が冷静なことを言うって、下ネタを言わない岩井志麻子みたいなもんで(笑)。

でも、それがチャンスなんですよ。いまこそ、北朝鮮を取り込むべきです。韓国にあれだけ美男子がいるんだったら、北にいないわけがない。今度は、北ブームを起こして、埋もれてる原石を掘り起こすんです。しかも、大金を積まなくても、おにぎりとかで日本に連れてこれそうだし(笑)。

それで、金正恩(キムジョンウン)の母親違いのお兄さんに金正男(キムジョンナム)っていう、杉作J太郎さんみたいなのがいるでしょ。あの“J太郎”、実は新宿2丁目では“地上に降りた僕らの天使”って大騒ぎになったんですよ。ヒゲでぽっちゃりで、超セレブでしょ。ゲイって、そういうのに弱いから。あの“J太郎”を2丁目に連れてきて、2丁目に北の王国を作るんですよ。ゲイバー「ピョンヤン男児」とかね(笑)。

―あの〜、それで解決の道は?

岩井 あのね、韓国チャンが一番つらいのは、「私、あんたに興味ないから」って言われることだと思います。「おまえが嫌いだ」と言われるよりも、「あ、いたの。私、あんたに興味ないから気がつかなかったよ」みたいな。

―韓国人の自信が崩れそうです。

岩井 すかさず、「それより私、北のほうが好きなんだけど。カッコいいよね、ピョンヤン男児」みたいなこと言えば、韓国はキーキーなりますよ。彼らが一番恐れているのは、興味ないって言われること、無視されることなんですよ。

―日本外交は弱腰で、さすがにそれはないとは思います……。謝るのはマズいんですか。

岩井 それは絶対にダメ! 前にジョンウォンに浮気疑惑があったんです。ソウルの家に見慣れない化粧水があって、「これどうしたの?」って聞いたら、「これは志麻子のだよ。志麻子は年寄りだから忘れてるんだよ」って予想もつかない切り返しに、うっかり、「私も疑って悪かった」と言ったら、すかさず、「私とっても傷ついたよ! 志麻子、おわびにお洋服買って」って。そこで私も買ってしまった。

でも、よう考えたら、なんで!?って話ですよね。私が浮気されて、年寄りとまで言われ、洋服も買って。あやつは韓国の持てる技を全部出してきた。開き直り、逆ギレ、被害者意識で賠償するニダよって。韓国人には絶対に謝っちゃダメですよ!

(取材・文/頓所直人 撮影/下城英悟)

●岩井志麻子(いわい・しまこ)
1964年生まれ、岡山県出身。テレビ番組『5時に夢中!』(TOKYO MX、平日17〜18時)木曜日コメンテーター。主な著書に『ぼっけえ、きょうてえ』(第6回日本ホラー小説大賞、角川文庫)、『韓流不貞女』(宝島社)など

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c98

[リバイバル3] 原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ 中川隆
1. 中川隆[-7710] koaQ7Jey 2017年5月08日 10:36:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

原発板の〇〇〇〇〇先生みたいな統合失調症の隣人にはみんなが困っている

実家の斜め向かいの家のおばさんが統合失調症のようなのです。


まず、いつも家の外にでてうちを見てきます。酷いときには窓のところまで来て家の中をのぞいてきます。

車に乗って出かけようとするときも、帰ってきたときも結構な確率で車の中をのぞいてきます。

大きな声で「あの家の人間は頭がおかしい」とうちに対する一方的な文句?を言ってきて耐え切れなかった母がこの人と直接話したときには文句のことは一言も触れず

「あなたはいつも私を監視している」

「出かけるときは車で追いかけてくるし、買い物をしていると必ず隣にいて私を監視している」

「あなたがこの近所で頭のおかしい人だっていうのはみんな知っているし噂されている」

「気持ちが悪い」

と言って来たそうです。(母は働いているので家にいる時間自体すくない)


また、姉に対しても

「あなたの子どもが父親違いなのをしっているのよ」

「この前旦那とは違う人と抱き合っているのをみたわ」

と言ったそうです。(もちろん事実無根)


あるときには、言いがかりをつけてきたときにこのおばさんの旦那もいたそうなのですが、このおじさんは母に対して罵声を浴びせるおばさんのことを止めることもなくただ黙ってみていたそうです。

私も、夏季冬季に実家に戻ったときこのおばさんが執拗に家をのぞいてくるのをみています。

それに「なんで私が出かけようとすると家族総出で私のことを監視してくるのよ!!!」と言われたこともあります。

直接物を壊されたわけでも傷つけられたわけでもないのでどうしたらいいのかわかりません。

家族が被害を受けていると、病気だからしょうがないとも思えないです。
実際にこの病気を治している方もいるわけですし。

このおじさんが普通の人なのかわかりませんが、罵声を浴びせている時点で代わりに謝罪などをしてもいいと思いますがそれもない。

こちらから関わることは一切ないのですがこのまま嫌がらせされ続けるのも腹が立ちます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1290478552


うちの2軒となりに統合失調症の患者がいます。

過去5年に警察が介入した措置入院1回、保護者の同意のもとでの入院が数回ありました。

薬が効いている頃は安定しているのですが、ここ最近また近所で揉めています。
現に、知っているだけでも近所の3軒が今までに引っ越していきました。

うちも引越しを考えましたが、まだ身体的危害は与えられていないので我慢しています。

患者の特徴を挙げると、

・年中昼夜問わず帽子、サングラス、マスク着用(俗に言う不審者)

・他人の家の前で一人怒鳴る

・近所の人に会うと大声で怒鳴る

・まれに、死ね、殺すぞ等の暴言あり

・すれ違い様に何処の人ですかと聞くなど、何かと個人情報を聞きたがる

・車の音楽がヤン車並に爆音

など、精神的には結構キツいです。近所では周知の事実です。

統合失調症ならどれも罪にならないのかと考えると、敗北感しか有りません。

ちなみに、その患者には保護者(実親)の死後、後見人が近所にいたのですが、その人ですら引っ越していきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14111783424

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html#c1

[リバイバル3] 原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ 中川隆
2. 中川隆[-7709] koaQ7Jey 2017年5月08日 10:45:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

原発板の〇〇〇〇〇先生みたいな統合失調症の隣人にはみんなが困っている 2

隣人の被害妄想について…

先日アパートの隣人の方がインターホンを鳴らしてきたので出てみると「あなたが天井裏から侵入してガタゴト音を鳴らしたり、上から水をかけてくるので迷惑している」とのことでした。

この時点で統合失調症とかそういう精神疾患のある方なのでは、と思いました。

怖いのでとりあえず相手の言うことを否定せずにじっくり聞いてから誤解をときました。ちなみに部屋の中も見せて、どこからも天井裏に侵入などできないことをお見せしました。そのときは隣人の方も納得されて、申し訳なかったと謝ってくれたのですが、後日またインターホンがなり「本当にやってないですか?」と来ました。

隣人の方は自分の部屋にカメラや人感センサーをつけているとのことでした。それに反応するので絶対に人が入ってきていると。私も見せてもらいましたが、どこからも侵入できるようなところはありません。カメラやパソコンは遠隔操作で壊されたと言っています。

ちなみに「前のアパートではどうでしたか?」と聞くと

「前もやられた。そいつがここまで来て嫌がらせをしているか、ここのアパートの住人とグルになっている」とのこと。

あなたの部屋には誰も絶対に入れないといくら説明しても

「すごい技術持ってんだよ、きっと」

「しかしここまでやるかなあ普通」

と完全に妄想を確信している状態です。

性格自体は温和な方で、声を荒げたりはしないので、最初は丁寧に対応していたのですが、なんども疑われるのでしんどくなってしまいました。

説明してもキリがないですし、存在しない犯人の証拠なんて掴めるわけがありません。

どう対応するのが良いか、アドバイスをお願いいたします。
管理会社には連絡済みですが何も変化なしです。

そもそも、その人自身が管理会社や、警察に対して被害(実際には妄想)を報告しています。

ちなみに今その方の部屋から防犯チェックなのか何なのかガタガタ音を鳴らしています。本人が一番うるさいです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14156400629


隣に住んでる人が最近おかしいです。

この家の人から前に自分の反対隣の家から嫌がらせを受けると言われました。

たしかポストを荒らされたあとがある。テレビを見てたら隣の家も同じチャンネルにして「同じのみてるわー」と言われたりしたそうです。

この時は大変だなあと思ってました。
そしてここ1ヶ月はうちが似たような嫌がらせをしてくるというのです!

深夜に徘徊して家の内情を探っている。

夜中トイレにいったらうちの嫁がベランダから「音がするーこっちこっち」と叫んでる。

廊下を歩いてたらその音を聞いてうちの母親が「おーきたきた」と言ってくる。

スーパーで鉢合わせした場合は何を買うか探るためにつけてきているだろ!

という内容でした。わけわかりません。

まず深夜に徘徊してないし家もでていません。そして夜中にベランダにも誰もでていません。あと母親はみみが遠いので廊下の音なんて聞こえないというか外から廊下の歩く音なんて誰も聞こえないと思います。

証拠はないようです。

隣は60代くらいの夫婦の二人暮らしで子供はいません。時に奥さんのほうがいってきますが先日は旦那のほうも言ってきてどっちも話になりませんでした。

うちには子供が二人いてとても不安です。少し刺激与えたら包丁もってやってくる時代ですからね。

相手の家には話が通る人がいないしどうやって対処すればいいでしょうか?
ほんと困っています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10133171780
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html#c2

[リバイバル3] 原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ 中川隆
3. 中川隆[-7708] koaQ7Jey 2017年5月08日 10:53:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

原発板の〇〇〇〇〇先生みたいな統合失調症の隣人にはみんなが困っている 3

精神的に異常と思われる隣人をなんとかしたい

マンションの裏玄関の向かいに40代位の独身男性が住んでいます。
ひとりで住むには大きすぎる家で、かつては親と同居していたようです。

親は「士」のつく職業のかたでマトモだったようですが、
このご本人はどうやら精神的に普通ではないようで、困っています。

マンションのせいで電波障害があり、テレビが見られない、とわめきたててきます。

そもそも当マンションの建設当初(12年ほど前です)からトラブルはあったようで、当時は管理会社がこの男からの訴えを一切引き受けていたのですが、管理費の問題から管理会社を変更したところ、新しい管理会社はこの問題には関知せず、相手にされなくなった男がクレームの矛先を住民に向けて来るようになりました。

具体的な行動が始まってから3〜4年になります。

内容としては、

○裏玄関のオートロックキーボードの部屋番号を手当たり次第に押して、
出てきた住民にわめき散らす。

○ゴミ捨てなどに出てくるのを待ち構えて声をかけてくる→そのうち興奮してわめき散らす。

○外の開放廊下を誰かが通るたびに自分の家の中から大声で話しかけてくる。
・・・といった具合です。


わめく内容は、

「電波障害の件はどうなっているんですか!?」

「話し合いの場を持ってください!」

「私にはTVを見る権利はないんですか!?」

といったことで、始まってから内容は一切変わっていません。

すでに何十度も警察に通報済み、実は結構な有名人なので担当の刑事も決まっています。

ちなみに、男の言う電波障害は存在せず、テレビもちゃんと見えていることを確認済みです。

なんとCS放送のパラボラまで付いてます(笑)。

1年ほど前、警察に連行された際に

「電波障害はありません。これからは声をかけたりしません。」

という内容の男の自筆の念書を警察立会いの下で書かせ、差し入れられました。

が、相変わらずわめき散らしは続いています。

変な知識があるのか、決して物を壊したり、手を出したりはしてきません。

が、やはり気持ちが悪いので、外をうかがいながら出入りをしたり、
小さい子がいるお家では学校への送り迎えなどもしています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1143759851

隣に住む50代ぐらいの女性に統合失調症の疑いがあります。

家の窓からこちらを覗き見ていることや、塀に登って叫んだり、うちのアパートの住人や来客などに罵声を浴びせるなどで、最初の頃は奇行の多い人だな…と思っていました。

数年が経って、アパートの敷地内にも入ってくるようになり、それをたまたま見かけた私は、女性が手にカメラを持っていたことに気付き、「何やってるんですか!?」と、声をかけてしまいました。女性は無言でバツが悪そうに退散していかれました。

それからは、私の姿を見かける度に何か嫌がらせのような文句をいうので、その時はまだ無知だった私も「いい加減にしてください!」などと反論したりもしてしまいました。


そのせいもあってか、毎日、隣家の庭から私を名指しで罵倒を続けられています。

その言葉が呪いのような口調と内容なので、一時期、これは私の幻聴なのではないか…とも思いましたが、どうやらそうではなく、他のアパートの住民にも聞こえているそうで、アパート全体が緊張感に包まれており、隣家に一番近い部屋は人が入ってもすぐに引っ越して行かれます。

隣家の女性の口調は

「ふ〜ん、また◯◯してるんだ、へぇ〜」

などで、独特の低い恐い声で話されます。

他にも「危険!危険!」と繰り返しています。


危険が及んでいるような幻聴が聞いているのかとも思いますが、お気の毒なお病気だと思っていても、こちらに危険が及んでいるような気になり、特に名指しで私のことを指しているので、不安でもあり、大変迷惑です。


ところが、ひとつ疑問が生まれました。

近所の方の話だと離婚して自宅に戻ってきてから様子がおかしいそうなので、おそらく10数年前に奇行は始まり、ここ数年はずっとこの調子なのです。毎朝決まった時間に起きて、日課のように罵倒が始まります。

統合失調症は悪化するものだと聞いていましたが、ここ5年ぐらい言動に変わりがありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11159615376

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html#c3

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
194. 中川隆[-7707] koaQ7Jey 2017年5月08日 13:03:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

87. 2017年5月07日 12:52:49 : CCSjVj0Kps : 5QyJ0froqLQ[6]

汁や魑魅尊師や、バカかぶが初期非表示権持ってるのだから、単なる力関係の問題だよ
おまえらが黒塗りすればするほど阿修羅掲示板の信用度は下がっていくんだぜw

墓穴を掘ってるってわからないのか?

まあ、わからなくてかまわない

どんどんおやりなさい





91. 2017年5月07日 23:07:06 : 3ewhtRlL2I : htbWy6r3WVM[5]
>>87さん
>黒塗り掲示板 一般人が見たらどう思うかよく考えなよ

阿修羅にコメントするようになってから7、8年。
私がその一般人の定義に入るのかどうかは分からないが、
黒塗り掲示板とそれを擁護する人の意見は見るに堪えない。
もう無理。
阿修羅のみなさん、さようなら。






93. 2017年5月07日 23:22:34 : nIEP3VSHUI : @6ikYZKjDpA[3]

毀誉褒貶は激しいが、小出氏が反原発にそれなりの功績があるのは事実
をの小出氏を批判する者を小出ガーとレッテル貼りして、小出氏をも晒し者にした魑魅尊師、汁、ボケ老人、けろりん、大根百姓など阿修羅掲示板の運営グループ

こいつらは小出氏に比べると何の功績もないただのデマ流し犯罪者 魑魅魍魎男に対して一言の批判もしない

それどころか、魑魅尊師攻撃者に対して魑魅魍魎男ガーとレッテル貼りした者はひとりもいない

なんで魑魅魍魎男ガーと誰も言わないのか

こいつらは同じ組織の人間なのか

一連のデマ流し、初期非表示は組織的犯行なのか?



94. 2017年5月07日 23:57:33 : Ew5Bf4Dtx2 : JqLR97_SHdo[3]

以前に比べるとツイートで阿修羅原発板へリンクを張る人はかなり減っていますし、阿修羅原発板を経由せずに元記事に直リンクを張る人が多くなっています。
私は反原発ですが、この傾向は非常に結構なことだと思っています。有用なものは残り、そうでないものは廃れていく。それだけのことです。

魑魅魍魎男に同調しない私としては、原発関連情報は「ワイヤサービス的なもの」や「しっかりと根拠を示しているもの」だけを見ていくつもりです。

根拠を示さない話に付き合うのは時間の無駄ですから。

102. 2017年5月08日 07:15:28 : nIEP3VSHUI : @6ikYZKjDpA[8]

デマ流し犯 魑魅魍魎男を批判する

多摩散人
茶色のうさぎ
中川隆
その他魑魅魍魎男ガー

が全て初期非表示にされている

デマ流し犯魑魅魍魎男は運営集団の大物なのか、大口スポンサーなのか、推進派の工作員なのか
いずれにしてもこのままだと阿修羅掲示板は共犯ということになるぞ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#cbtm

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c194

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
195. 中川隆[-7706] koaQ7Jey 2017年5月08日 13:10:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

結局、反原発や護憲みたいな阿修羅掲示板の主流派の意見というのはCIA工作員と中国・朝鮮工作員が扇動して作ったものなのですね :


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html

マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html


http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c195

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
103. 中川隆[-7705] koaQ7Jey 2017年5月08日 13:16:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

結局、反原発や護憲みたいな阿修羅掲示板の主流派の意見というのはCIA工作員と中国・朝鮮工作員が扇動して作ったものなのですね :

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

原発板の 〇〇〇〇〇先生は精神分裂病のアホ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/700.html

マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c103

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
9. 中川隆[-7704] koaQ7Jey 2017年5月08日 13:40:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E6%9C%9D%E9%AE%AE

宮脇淳子 韓国を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E9%9F%93%E5%9B%BD

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8

『暗黒半島・李氏朝鮮』宮脇淳子 AJER2012.12.20(3)
http://www.youtube.com/watch?v=n1JiT9pthh4
http://www.youtube.com/watch?v=QPtwlT-K7uE

『朝鮮から見た日清戦争』宮脇淳子 AJER2013.1.10(3)
http://www.youtube.com/watch?v=p3QyQm8ZPN4
http://www.youtube.com/watch?v=ia7ShL06zhM

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c9

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
99. 中川隆[-7703] koaQ7Jey 2017年5月08日 13:41:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E6%9C%9D%E9%AE%AE

宮脇淳子 韓国を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E9%9F%93%E5%9B%BD

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8

『暗黒半島・李氏朝鮮』宮脇淳子 AJER2012.12.20(3)
http://www.youtube.com/watch?v=n1JiT9pthh4
http://www.youtube.com/watch?v=QPtwlT-K7uE

『朝鮮から見た日清戦争』宮脇淳子 AJER2013.1.10(3)
http://www.youtube.com/watch?v=p3QyQm8ZPN4
http://www.youtube.com/watch?v=ia7ShL06zhM

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c99

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
387. 中川隆[-7716] koaQ7Jey 2017年5月08日 15:59:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>344, >>335, >>232, >>312, >>313, >>314 の続き


投資家の期待と現実収支のギャップは2倍以上
http://www.thutmosev.com/archives/70805306.html


夢を売る商売という点で、投資と宝くじは似ている
引用:よく当たる宝くじ売り場で夢を買う
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f1/0e88d154d62fa020ae726d1eb726adac.jpg


投資家の期待と現実の差

米国のニュースによると投資家が「このくらい儲かるだろう」と考えている収益と、現実の結果には大きな落差があった。

投資家(かなりの資産家が対象)自身は実質で年8%以上の利益を期待しているが、アメリカは年2%以上のインフレ率なので、名目で10%以上勝たなくては成らない。

米株式市場の上昇率は7%程度だが、これは先進国の中でも抜群に高い数字だった。

     

株価上昇率が7%で、投資家が実質8%の利益を得たいと思うのは妥当に思えるが、実際には不可能な数字です。

破産しない為には安全投資とハイリスクを組み合わせ、安全投資の方を多くしなくては成らないが、当然安全な投資ほど得られる利益は低い。

米国債金利や安全投資の利回りは3%以下なので、全体で8%儲けるには、株式投資などで年15%以上も勝たなくてはならない。


株価上昇率が7%の国で、上昇率と同等かもっと儲けるためには、全額をハイリスク投資に投入する必要があり、かなり無謀な投資になる。

結局のところ米国の資産家は分散投資をすると、希望の半分程度の年4%台の投資成績に落ち着く。

客観的に数字を見れば8%など有り得ないのだが、投資の世界ではこうした「ありえない事」が有り得るかのように語られている。


Wバフェットに代表されるような「勝ち組」が存在するのは事実だが、考える必要があるのは平均的投資家のケースです。

もしその年の投資市場全体で1兆円の利回りしかなく、バフェットのような成功者が半分の5000億円を獲得したら、平均的投資家の取り分が減ります。

投資雑誌が取り上げるような成功者が増え、彼らが成功するほど「平均的投資家」の投資成績は下がります。

なぜなら投資は他人の金を奪う行為だからです。

投資は夢を売る商売

しかもあらゆる投資は資金を多く持っている人に有利で、小額投資をする平均的投資家には不利なルールになっています。

そう考えると株価上昇率が7%だとしたら、普通の人が期待できるのは6%程度というところです。

しかも安全資産の低利回り商品に多くを配分するので、普通の人の本当の期待利回りは4%程度になります。


日本でも同じ事で、SNSや掲示板では投資で成功する方法や成功者が溢れていますが、現実とは乖離していると思います。

株価が上昇しているとしても今後は下がるかも知れないので、全額を狙った株式銘柄に投入するなど無謀です。

株式投資に失敗しても破産しない為には、実質利回り1%以下の安全な投資に分散せざるを得ません。


アナリストとかフィナンシャルプランナー、専門家と名乗る人達は、早い話証券会社や業界の宣伝マンに過ぎません。

彼らはお金を払ってくれるスポンサーの為に「投資は儲かりますよ」と言っているので、顧客の為なんかではない。

こうしたアドバイザーが例として持ち出す数字は、必ず素晴らしい結果になっているのだが、平均的投資家がそれをやっても同じ結果は得られません。


投資家が上げうる現実の収支は、せいぜい頭の中でシミュレーションした数字の半分という所なのです。

賢明な人でも事前の計算では「儲かった時だけ」を都合よく抽出し、連続で損失を出す可能性は「ありえない」と排除してしまうからです。

ところが投資をやっていると毎月のようにこの「ありえない」事が起こります
http://www.thutmosev.com/archives/70805306.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c387

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
109. 中川隆[-7715] koaQ7Jey 2017年5月08日 16:22:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>106
>シーアイエーの人から連絡有ってね、なかがわたかし君の話になったんだよ。前も言った通り、こんなことになる前にはスカウトの可能性もあったんだけどって、でも最近の状況知りたいから近々直接会いに行くって言ってたよ。


要するに、僕はもうすぐ『自殺する』という事だね

自動車事故で死ぬのかもしれないね
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c109

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
110. 中川隆[-7715] koaQ7Jey 2017年5月08日 16:46:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

これから出歩く時は必ず登山用ナイフとピッケルを持って歩く事にするね
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c110
[近代史02] 小沢一郎先生を襲った恐怖とは 中川隆
43. 中川隆[-7714] koaQ7Jey 2017年5月08日 17:00:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

石原慎太郎氏 「尖閣購入時にオバマがCIAに私の暗殺命令」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170508-00000017-pseven-soci
週刊ポスト2017年5月19日号


 アメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の予測不能なやり合いを見ていると、これまでの国際政治の常識が通じなくなっているのを痛感する。こんな規格外の時代には、規格外の発想で対応するしかない。日本の現状を憂う石原慎太郎氏(84)と亀井静香氏(80)、2人の“不良老人”が、大胆提言でこの国の進むべき新たな道を示した。

亀井:トランプは、下手な鉄砲を振り回しているカウボーイみたいな男だね。みんなそれに怯えて、うろちょろしている。

石原:アメリカはなぜさっさと金正恩を暗殺しないのかね。

亀井:おいおい(笑い)。

石原:だって、カダフィーもビン・ラーディンも、綿密に計画して殺したでしょう。彼らは暗殺が得意なんだよ。東京都が尖閣諸島を買おうとしたときも、オバマはCIAに「日本にいる中国人を使って、交通事故に見せかけて石原を殺せ」と命じたそうだよ。まあ、それはおいといて、トランプが北を攻撃するかどうかはわからないな。

亀井:トランプはいまの状況に困っているんだ。

石原:私もそう思う。

亀井:下手な鉄砲をくるくる回しているが、撃てないんだよ。撃ったらやり返されるから。米軍の力は圧倒的だけど、窮鼠猫を噛むという状況が起きますよ。ミサイル基地を含めて38度線に展開してる部隊を一挙に殲滅できれば別だが、そんなことは不可能。在韓米軍と交戦になり、韓国は火の海になる。さらに、岩国基地には今年3月に発射実験をしたあの弾道ミサイルが飛んでくる。

石原:1000キロ飛ぶそうだからね。

亀井:岩国に届くということは、おそらく東京にも届くんです。

石原:今、アメリカが原爆を投下して、世界が許容する国というのは、唯一、北朝鮮だろうな。核兵器で北の指導者が全滅しても、世界は文句を言わないと思う。

亀井:国際世論は支持するかもしれないけど、現実には核爆弾で指導層や北朝鮮軍を同時に殲滅することはできません。

石原:そうなると、一番早いのは、やはり金正恩を暗殺することだろうな。今、米韓軍事演習で何をやっているかというと、その一つはボートや小潜航艇で北朝鮮の川をさかのぼって、平壌に潜入して要人を暗殺する訓練です。金正恩もそれを非常に警戒している。

亀井:先日、韓国に行ってその川を見てきましたよ。

石原:ああ、そう。

亀井:今のところは穏やかなものでしたが。暗殺にしたって、一瞬で結着つけないと、韓国は火の海で、日本にもミサイルが飛んでくる。一度に何十発も撃たれると、イージス艦やPAC3で全部撃ち落とすことはできなくて、何発かは本土に到達する。

石原:しかし、暗殺が一番安上がりで、かつ、アメリカが非難されずに済む方法じゃない。

亀井:いくらCIAや米軍の特殊部隊が有能でも、相手も必死で守るわけで、限界がある。だから、トランプは手出しできない。一方で、北のほうも経済制裁で追い詰められていくから、困っていることは事実。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/296.html#c43

[政治・選挙・NHK225] 石原慎太郎氏 「尖閣購入時にオバマがCIAに私の暗殺命令」(週刊ポスト) 赤かぶ
1. 中川隆[-7713] koaQ7Jey 2017年5月08日 17:01:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アメリカに逆らった政治家の運命1


日本の首相といえども、アメリカのいうことを聞かない人物はMP(憲兵)が連れていって、ヘリコプターで吊して脅迫するようなことまでされるということです。

  現に故・竹下登元首相は横田基地のMPに連れて行かれて、飛行機に乗せられ、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」と脅迫されたことが実名で紹介されています。さらに「今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです」とあるのは誰のことを指しているのでしょうか。

  これこそ、病名も分からないまま意識不明となって突然死した小渕元首相のことでしょう。さすがに「横田基地のMPが拉致して行って、海に顔をつけて殺した」とは書けませんので、ここは実名は伏せてあります。しかし、「顔を海に何回も浸ける」とか、「海水が入って頭がおかしくなる」といった大変具体的な表現は、まさに実際に誰かがそのようにされたことを表しています。当時の小渕首相のボディーガードも一緒に同行させられて、その様子を目撃した(させられた)のでしょう。そうすることによって、次の首相に対する“警告”の効果もあるからです。

  実は、この「小渕元首相の拉致・暗殺説」を裏づけするような書籍があるのです。  それは、元民主党の参議院議員だった平野貞夫氏が、政界のドロドロとした裏話を綴った『亡国』(展望社)というタイトルの本です。平野貞夫氏は、2004年に政界を引退しています。


それにしても、平野氏はよくここまで暴露する記事を書けたものだと、その勇気に感心しています。ただ、日本の政治をコントロールしている“アメリカの影”についてはまったく触れていませんので、やはりタブーとされる部分は避けていることがうかがえます。
 
小渕首相が病院に担ぎ込まれたときは、明らかに小渕さんの意識はなかった。ところが翌日、官房長官の青木幹雄氏が記者会見を開いた。

  「万事頼むと口頭で言われました。首相を臨時に代行いたします」
  これで青木氏はまんまと臨時の首相代理に就任することになった。後に医師団は、小渕首相は青木氏に意思を伝えるのは医学的に不可能な状態だったと証言している。

  本来なら、翌日、小渕首相の担当医師団に記者会見させ、正式な状況を国民に知らせ、それから憲法の規定に沿って収拾を図らなければならなかった。しかし、あの重大な局面にもかかわらず、医師団が正式に記者会見をしたのは1カ月後だった。

  青木官房長官が臨時首相代理になったのは、意識のない小渕首相から後事を託されたと言って嘘をついた結果だ。国民に対しての大きな欺瞞である。

  青木氏が記者会見をした同じ日に、都内のホテルに自民党の大物議員が秘かに集まった。森喜朗幹事長、野中広務副幹事長、亀井静香政調会長、村上正邦参議院議長、青木官房長官の5人組である。この5人が談合して森喜朗を総理に決めた。

平野氏が予算委員会などの公式の場で「首相が拉致された」という比喩を何度も使ったことには意味があると思うのです。普通なら考えつかないような奇想天外な例えになっているからです。これは小渕氏が重態となって病院に担ぎこまれた原因が、決して病気ではなかったことを平野氏がうすうす知っていたからではないかと思われます。

  もちろん青木氏はその重態の原因がただならぬものであるため、その後の首相選びの方法も憲法に違反するような不自然な内容になったのでしょう。呼び集められた5人の実力者がそのことに反発しなかった(できなかった)ことにも、見えない大きな力が働いていたと考えられます。つまり、私が申し上げた「アメリカの意志」です。

  小泉首相誕生のイントロとして、首相など務まるはずのない森氏を首相として祭り上げ、マスコミによって徹底的に人気を落とした後で、小泉「改革派」首相がさっそうと登場するというシナリオができあがっていたのでしょう。

小泉純一郎首相でなくとも、アメリカの横田基地からMP(憲兵)が自分を拘束しにくるかも知れないと考えれば、アメリカの言うことに逆らうことはできないでしょう。「靖国神社に参拝することを公約せよ」「竹中平蔵を財務大臣にせよ」「郵政を民営化せよ」といった注文には、ただただ従うしかないのかも知れません。少なくとも自分の命(政治生命であれ、肉体生命であれ)が惜しい人間であれば‥‥。

  アメリカの意志に逆らって命(政治生命または肉体生命)を失ったと思われる政治家は、田中角栄元首相(ロッキードスキャンダルのあと病死)を皮切りに、大平正芳元首相(病死)、中川一郎氏(自殺)、安倍晋太郎氏(病死)、梶山静六氏(病死)、そして竹下登氏(リクルートスキャンダルのあと病死)、小渕恵三氏(病死)などではないかと思っています。実際にMPに拉致されたのは竹下登元首相と小渕恵三元首相。拉致されて殺害されるという仕打ちを受けたのは小渕元首相だけでしょう。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki006.html


アメリカに逆らった政治家の運命2


長崎市長暗殺事件どう見るか 「テロ撲滅」騒がぬ権力側 

この事件の不思議さがだいぶ浮き彫りになりつつある。

 A いくつかの疑問がある。どうしてあの程度の動機で殺人までするのか。ああいう行政トラブルなんていくらでもある。犯人がテレビ局にまで手紙を書き、報道がどうなっているかを気にするなど、どうして個人的動機を世間に認めさせるのに熱心なのか。純粋の個人的感情の高ぶりだったら、どうして背後からしかもとどめを撃つようなことをするのか。暴力で飯を食うプロであるヤクザが金にならない人殺しをどうしてするのか。普通チンピラにやらせるのにどうして組長がやったのか。また、どうして選挙中の投票4日前というタイミングでやったのか。さまざまある。

 E 4年前のことをいまになって思い出したように犯行に及ぶというのが不可解だ。ヤクザを知っている人の話だが、背後からではなくて正面からドスで襲うのが普通だといっていた。それほど面子にこだわった恨みの純粋感情による行動なら、相手に思い知らせるという意味でもなおさら正面からだろうと思う。伊藤市長は誰からなぜ殺されたか分からないような殺され方だった。これは背後勢力に金で雇われた「殺し屋」だと見なすなら説明がつく。

 B この犯人は個人的動機を世間に認めさせるのに熱心だ。殺した後、真相は個人的恨みということを貫き通して、真相については明かさないという条件で契約した「殺し屋」ではないか。それだったら、どうして組長がやって、チンピラを使わなかったかという説明がつく。チンピラだったらペラペラ喋りかねない。それは背後勢力としては困るということではないか。

犯人は8500万もの借金を抱え、市長を殺すことでチャラにされたのではないかといわれている。食いあぶれている暴力団が金にもならないのに市長を殺すわけがない

選挙が終わり、改めて伊藤市長の銃殺問題の真相が注目されている。逮捕された犯人が発散する空気は異様である。「死のうと思った」といっていたが舌をかみ切るなどの様子もない。護送される写真もむしろ威張ったような雰囲気で、捜査当局がよっぽど大物扱いしているかのような印象を与えている。そして個人的恨みの単独犯行であることを理路整然と説明し、それがどう報道されているかを気にするほどである。


これは疑いなく背後勢力に雇われた殺し屋の仕業だというのが常識として語られている。そしてこの暗殺計画は、「個人的な恨み」で世間を納め、誰の仕業かは分からぬようにするという、真に卑劣な陰険さまでもっている。

事件の効果としては岩国・井原市長が米軍再編問題で反対してきたのがフラフラとなって条件交渉にはいるといったが後に取り消したり、広島・秋葉市長が公務中の警備を警察に頼んだりしている。全国の首長たちにとっては人ごとでない心境で受けとめられることとなった。

「下手に逆らうと殺される時代になった」という受け止めだ。インテリ層とか革新勢力もおとなしくチンとしている。これはいったい何かだ。今度の事件は、そういうことが全国的に見た最大の問題ではないか。恐怖心を持たせてものがいえなくさせていく。


暗殺は米国の手口 対日戦争も同じ

日本で暗殺とか謀略というのは珍しいことではない。敗戦後、中国革命が発展し朝鮮戦争をはじめようという時期、官公労働者の大量首切りをやり、共産党員とその支持者のレッドパージをやる時期、列車転覆の松川事件、下山総裁轢殺の事件を起こした。占領軍がやっていて、それを国鉄労組、共産党員がやったとでっち上げた事件だ。安保斗争後に、「アメリカは日中両国人民の敵だ」といった浅沼稲次郎が暗殺され、中央公論死傷事件も起きた。

今度の政治テロ、謀略というのは、アメリカのやり方だ。以前リビアで、カダフィの自宅をアメリカがいきなり空爆したことがあった。イラクでもフセインの家族がやられた。金正日も姿を隠したといわれていた。逆らう国の元首をピンポイント空爆で暗殺し、政権転覆をやるというのはアメリカの常套手段だ。

 D パキスタンのブットという大統領がいたが、暗殺された。なにが原因かといえば、原子力エネルギーを開発して工業近代化、自立の方向を目指した。これが許せないと殺された。イタリアのモロ首相は「赤い旅団」に殺された。「赤い旅団」は左翼の過激派だ。アメリカの都合に合わない人間の暗殺例はいくつもある。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/nagasakikikikizadannkai.htm


アメリカに逆らった政治家の運命3

CIA、カストロの暗殺をマフィアに依頼

【ワシントン=立尾良二】米中央情報局(CIA)は二十六日、一九五〇−七〇年代の海外要人暗殺計画や幻覚作用を起こすLSDなどの民間人投与試験、ジャーナリストの電話盗聴など極秘の非合法活動の詳細をまとめた報告書を公開した。

 中でも際立っているのが、キューバのカストロ国家評議会議長の暗殺計画。六〇年八月、CIAに雇われた米連邦捜査局(FBI)の元捜査官ロバート・マヒュー氏がギャングのジョニー・ロッセリ氏に接近。カストロ議長暗殺の報酬に十五万ドルを提示されたロッセリ氏はマヒュー氏に「サム・ゴールド」と「ジョー」を紹介した。

 この二人は、捜査当局が追っていた最重要指名手配者リストの十指に入るギャング。シカゴのアル・カポネの後継者モモ・ジアンカナとサントス・トラフィカントで、CIAから毒薬を六錠渡された二人は、数カ月かけて人を使いカストロ議長の食べ物に毒薬を混入させようとしたが失敗した。

 この計画は六一年四月、米国に支援された亡命キューバ人兵士らがカストロ政権転覆を図ってキューバに侵攻した「ピッグズ湾事件」の後、取りやめになったが、その後も、カストロ議長に対し別の暗殺が企てられたという
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/577.html

CIAがリリースした1950年代から1970年代にかけての機密文書「家族の宝石」の中には、1970年代にヘンリー・キッシンジャーが関与したキプロスとチリのクーデターについても書かれている。

1974年、キッシンジャーは、ギリシアのキプロスへの介入を推進したこと、また1970年、チリの総選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選しそうになっていた時、キッシンジャーが中心となって「反アジェンデ」のプロパガンダを開始し、チリにおける左翼政権の誕生を妨害。

クーデターでアジェンデは射殺され、ピノチェトの軍事政権が成立したが、このことを促進し、ピノチェトを強くサポートしたのも彼であったこと、なども今回公開された文書には書かれている。
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/591.html


民主党の小沢代表がマスコミに公開の形でシーファー大使と会談に応じましたが、秘密会談の形で行なうとアメリカのブラフにあって日本の政治家は譲歩を迫られてしまう。

アメリカ大使館の中には日本の政治家や官僚を吊るし上げる拷問部屋があるという話ですが、日本の政治家がアメリカ大使館に呼びつけられたら小沢代表のように避けた方がいい。アメリカ人は一皮向けば囚人の祖先の血がながれた無法者なのだ。

小沢代表が公開の席でアメリカ大使と会談したのはアメリカの恫喝を避けるためなのだ。

ブッシュ親子にしても見た目は紳士だが先祖をたどれば麻薬の売人であり人身売買や強盗や殺人を繰り返してきた無法者なのだ。これではまともな日本人は太刀打ちできない
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/374.html


因みに,小渕元首相を意識不明の重体にした拷問はこれに近そうですね:

米CIA、容疑者の口や鼻に水を注ぎ自白を迫る「水責め」による尋問を中止

米ABCテレビは14日、中央情報局(CIA)がこのほど、テロ容疑者の口や鼻に水を注ぎ死の恐怖を
植え付けて自白を迫る「ウオーターボード」と呼ばれる尋問方法を中止したと伝えた。

 この尋問方法は2001年9月の米中枢同時テロ以降、テロ容疑者取り調べの際にCIAなどが用いてきた。
しかし人権保護団体などは、この方法は拷問に当たり、捕虜の人道的な扱いを定めたジュネーブ条約に
違反しているとして中止を求めていた。

 ブッシュ大統領は今年7月、テロ容疑者に対する過酷な尋問を禁止する大統領令に署名している。(共同) (2007/09/15 12:24)


「傾いたボードに足を上にして頭がの少し下にくる角度で囚人を縛りつけて」おいてから「囚人の顔をセロファンでくるんで水を流し込み」「溺死のおぞましい恐怖」を引き起こすウォーターボード
http://www.geocities.jp/left_over_junk/krugman_clm_2006-09-18.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/406.html#c1

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
112. 中川隆[-7712] koaQ7Jey 2017年5月08日 17:59:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

テーマと関係リンク先は毎朝 メイルで受け取ってるよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c112
[] 「覚醒剤」
75. 中川隆[-7711] koaQ7Jey 2017年5月08日 19:04:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

違法薬物販売も!インターネットの3割は非合法の闇世界(女性自身)
http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/559.html

 

匿名性の高いTORを本格的に利用した違法薬物販売サイトがあった


違法薬物販売も!インターネットの3割は非合法の闇世界
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170508-00010007-jisin-soci
女性自身 5/8(月) 16:01配信


 インターネットによって構築されたサイバー空間は、大きく三つの領域に区分される。

 私たちは、日常的にグーグルなどの検索エンジンで探索し、目指すサイトを探し出すことができる。この領域は「表層ウェブ」と呼ばれる。ここでは、事前にアップされているホームページなどの掲載内容を見ることができる。何度アクセスしても用意された内容が繰り返し表示されるだけなので、「静的ウェブ」とも呼ばれることがある。

 これに対して、訪問するたびに動作するウェブがある。これは「動的ウェブ」と呼ばれる。政府機関や大学のデータベース、あるいはグーグルやアマゾンもこの領域に存在しているから、私たちにとってもそれほど目新しい領域ではない。

 そして最後に、「深層ウェブ」と呼ばれる三つ目の領域がある。まず一般人ではアクセスできない、あるいはすべきでない領域だ。そこは特殊なアプリを通してだけアクセスが可能な領域であり、犯罪者やテロリストなどが多く利用することから、「ダーク・ウェブ」とも呼ばれている。

 表層ウェブ、動的ウェブ、そして深層ウェブ。それぞれがワールド・ワイド・ウェブ(WWW)全体に占める割合は、表層ウェブがわずか1%、動的ウェブが67%を占め、残りの3割強を深層ウェブが占めているものと考えられている。

 深層ウェブには、通常の検索アプリではなく、特殊なアプリを利用しなければアクセスすることはできない。そのアプリは、TOR(トーア)ブラウザと呼ばれる。

 匿名性の高いTORを本格的に利用した違法薬物販売サイトがあった。サイトの名は「シルクロード」。「薬物のアマゾン」と呼ばれるほどの繁盛ぶりを示したサイトだが、主宰者のウルブリヒトが逮捕され閉鎖された。

 驚くべきは、逮捕された2013年7月時点でのサイトの登録ユーザー数がなんと95万7000人だったことだ。

 まず手始めに、ウルブリヒトは幻覚作用のあるキノコを自家栽培して、自前で出店販売することから始めようと、いくつかのネットフォーラムや掲示板に自ら宣伝告知を送った。

「シルクロードというサイトを見つけたよ。TORサービスなので、あらゆるものを匿名で売買できるらしいよ」

 開設から数日後、客はすぐ付いた。シルクロードはまことによくできたサイトで、アマゾンのように購入者には購入履歴や購入者のレビューが用意されており、他方、販売者には商品の取り扱いに関する詳細なガイドが提供されていた。

 例えば、注文された薬物の輸送において麻薬探知犬をどう撹乱(かくらん)するか、そのテクニックをまとめた麻薬探知犬対策マニュアルがあったという。

 さらにシルクロードが利用者から注目を集めたもうひとつの理由は、匿名性の高いビットコインを決済に使ったからだ。シルクロードは、TORとビットコインという匿名性と秘匿性においてトップクラスの技術を用いた点が評価され、ビジネスの成功を収めた。

 では、FBIはどのようにして、その匿名性や秘匿性を突破することができたのだろうか。結論から言えば、FBIは、TOR暗号を突破してはいなかった。実は、捜査が始まってすぐに暗号の壁に阻まれ、お手上げ状態だった。

 それでも潜入捜査にはなんとか成功し、捜査官はウルブリヒトとメールでやりとりを行うまでになっていたが、彼のガードは思いのほか固く、捜査はその方向からも暗礁に乗り上げていたのだ。

 解決の糸口は、偶然目に留まったひとつのIPアドレス(通信機器などに割り振られる識別番号)だった。それはシルクロードの利用者が誤って流出させたもので、そのIPアドレスをたどっていくと、アイスランドのデータセンターの存在が浮かび上がった。

 早速アイスランドに捜査協力を得て、FBIの捜査官たちが現地に派遣された。そこでサーバーに保管されていた半年分の取引データが発見され、これがFBIによる事件解決の突破口となった。

 そこからは早かった。押収したデータの解析からシルクロードのサイトの運営管理者間の通信ネットワークの関係が次々に明らかとなり、ついに通信の終点、すなわちシルクロードの主宰者が利用するIPアドレスが、サンフランシスコのサクラメントの「カフェ・ルナ」にあることが突き止められ、そして逮捕状が申請された。

 逮捕当日、カフェの客はすべて張り込みの捜査官だった。そんなこととはつゆ知らず、ノートPCを操作するウルブリヒトの後ろを、すり抜けざまにアベックに扮した捜査官が画面を覗き込んだ。シルクロードの管理者権限の画面を操作していたウルブリヒトは、その場で現行犯逮捕された。

http://www.asyura2.com/0310/dispute13/msg/126.html#c75

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
14. 中川隆[-7710] koaQ7Jey 2017年5月08日 19:17:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

マスコミの偽情報は誰が流しているのか?

アメリカによるメディア支配 2005/10/01
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98328

アメリカからの圧力は硬軟両面から行われている。

◆1.外資系金融業の広告が急増している
昨年の外資系金融業の広告宣伝費の増加は武富士のCM自粛を補って余りあるようだ。

◇金融・保険(前年比113.9%、構成比7.9%)
消費者金融が引き続き大きく減少したが、外資系を中心に医療保険を含む生命保険の増加が非常に大きく、外資系の自動車保険が活況の損害保険、個人口座や国債などで活況の証券、ICカード化したプリペイドカードなどが大きく増加した。
媒体別では、保険や証券の伸びの大きいテレビが大きく増加している。

郵政民営化で外資参入の増加はマスコミ業界にとっては願っても無い増収になるだろう。
仮に手数料収入が資産の2%、売上に対する広告費の割合が1%とすると、郵便貯金370兆円の1割が外資に流れるだけでも74億円の広告費が見込め、現郵政公社も民営化され競争が激化するとさらなる広告費の増加が期待できるのだ。

◆2.買収圧力
ライブドアのニッポン放送買収騒動は記憶に新しいが、最終的にソフトバンクの関連会社がフジテレビの筆頭株主になったことを覚えている人は少ないのではないか。
96年に米FOXテレビを持つメディア王マードックと提携してテレビ朝日を買収(資本参加と表現されていた)に加わったのがソフトバンクである。当時は朝日新聞が株を買い受けることで和解したが、今回もライブドアに金と知恵をつけたといわれるリーマンブラザーズの背後にマードック+ソフトバンクがいるとも囁かれている。彼らはいつでも買収可能な体勢にあり、今回は脅しだけでも十分、マスコミに圧力が加わっていることだろう。

ちなみに米FOXテレビはイラク戦争報道においてもブッシュ翼賛報道を貫き、ニュース番組では3大ネットワークを越えた視聴率を獲得している。

この間の選挙・政局報道を見ていると、既にマスコミは支配を受けていると見て間違いないだろう。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98328

電通を媒介にしたアメリカによるメディア支配 2005/10/05
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98551

>この間の選挙・政局報道を見ていると、既にマスコミは支配を受けていると見て間違いないだろう。

マスコミ支配の取りまとめ役として広告代理店の電通が重要な役割を担っていたようです。

以下の引用は、選挙前の7月下旬から8月上旬にかけての森田実氏の政治日誌より引用したものです。アメリカによる電通を通じてのメディア支配について、そして選挙運動中のマスコミの動きをかなり正確に予見している点で注目できると思います。
また、より支配を完成させるために、国民の受信料から成り立っているNHKに対する策動も始まっていることが見て取れます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
7月28日の日誌より

>日米関係に通じている友人によると、米国は日本を思うように動かすためにはまずマスコミを握らなければならないと考え実行してきた。そして、民放についてはほぼ目的を達した。民放を支配するのは比較的簡単だったという。広告業界が一元化されており、広告の巨大独占体である電通を押さえれば、民放を支配できる、というのである。
 民放で働いている知人は、「電通に睨まれたら民放はやっていけなくなる。個人的にも電通に睨まれたら民放では働く場所がなくなる」と語っている。
 電通を媒介にした米国による民放支配はほぼ完了した、といわれている。民放の報道番組はブッシュ政権と小泉政権の広告塔になった、というのが米国在住の友人の見方である。

8月8日の日誌より
>日本の広告業界は、事実上、丸ごと、アメリカに買収された。日本の広告業界は巨大独占体のもとに一元化されている。この巨大独占体がアメリカ巨大資本に事実上買収され、アメリカのコントロール下に置かれれば、日本のマスコミを自由に操ることができる。マスコミ企業は広告巨大独占体に睨まれたら倒産させられてしまう。生きるためには巨大独占体の言うとおりにしなければならない。いまや巨大独占体はアメリカそのものといって過言ではない。ブッシュ政権の意向は、日本の広告業界、マスコミ界にそのまま通るようになっている。

>例外はNHKのみ。公共放送だからだ。NHKだけはアメリカも直接支配できないから、一方で政府・自民党を通じてNHKの政治報道に圧力をかけながら、他方で大新聞と民放テレビと雑誌ジャーナリズムを使ってNHKを解体させようとしている。NHKの民放化に成功すれば、NHKもアメリカと一体化した巨大独占体の支配下に組み入れられる。これが、NHKをめぐる事件の本質だ。NHKの最近の混乱の裏側で外国の諜報機関が暗躍したことは、関係者の間ではよく知られている。

>小泉首相はブッシュ大統領にとって最良のジュニア・パートナーである。したがって日本の広告独占体もブッシュ世界戦略の道具と化している。
>小泉内閣はいまや衆院解散・総選挙に向かって突進している。9月4日か11日が投票日だ。ここで小泉首相を勝たせるため、アメリカと日本の巨大独占体は各テレビ局と大新聞に対して、小泉を勝利させるために総力をあげるよう工作を強めている。

各テレビ局と大新聞は、この要求を受け入れ、全力をあげることを誓った、との情報が広告業界とテレビ界で流れている。 これから日本の民放テレビ、大新聞は、広告巨大独占体の指導のもとに、総選挙で小泉政権を勝利させるため大キャンペーンを行うことにしている。同時に反対派に対するネガティブキャンペーンを準備している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一方で電通と政府・自民党との関係は古く

>電通のもう一つの機能は、官僚および自民党のPR活動をしたり、《世論調査》を通して国民の《伝統的な価値》を支えることである。電通は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して《世論》を作り上げる手伝いをする。自民党の選挙キャンペーンというもっとも手のこんだ部門は、電通が引き受けている。原子力発電所の安全性の宣伝や、さまざまな省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。
 このような官庁および自民党のための仕事は、主に電通の《第九連絡局》でおこなわれ、ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。公式には民営化されたが実際には以前とほとんど変わっていないNTTやJRなどの公共企業も、この局が扱っている。この第九連絡局は、総理府の広報予算の三分の一以上、他の省庁の同四〇パーセントを吸収する〔原注3〕。また、自民党の広報宣伝予算についても、電通が独占に近い形で自由に使っている。
以上参照:
リンク
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/182.html


電通のアメリカ→小泉支援は、直接的には顧客としての政府・自民党や、今後顧客として期待される外資系、大顧客としてのトヨタなど輸出産業・・・の意向が働いているのではないかと思われます。

どうもはっきりしないのですが、アメリカと電通とは直接的に何か(ビジネスを通じた取引?)関係がある感じもします。
 
 また各マスコミに記事を配信する共同通信社や時事通信社が電通の株主であり、そこを通じたメディア支配や配信元である国際的な通信社との関係も気になるところです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98551

2013.02.19 電通の親会社について
http://golden-tamatama.com/blog-asyuracom-224.html

最近はなんだか、原発事故も収束したことになってしまって人々の関心も薄れてきてます。
まぁ、しかし。
ワタスも含めて皆さんの危機感が薄れているのも、別に皆さんが悪い訳じゃない。
マスゴミ総出で危機は去ったという雰囲気を醸成してるせいなのですた。

ひとたび、マスゴミが危険と報道し始めれば、あっという間にそういう雰囲気が作り上げられる。
何が危険か安全かはマスゴミが決めている。

以下、面白い動画です。

やらせインタビュー(テレビを信じちゃいけないよ) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=33TsdMMY74A

テレビなどで道を歩く人に意見を聞いたりする街頭インタビュー。
町を歩く人に無作為にインタビューしてると思いきや。
なんと同じ人物が使いまわされてるという指摘。
面白いので見てみて下さい。

バカバカしい。
毎度書いているようにグルでグルグルやってるのです。

以下に面白い記事がありますた。

カレル・ヴァン・ウォルフレン”著『日本権力構造の謎』(原題 THE ENIGMA OF JAPANESE POWER)上巻。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABNF-%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3/dp/4150501777


影のメディア・ボス

電通ほど一手に、直接、あるいは多数の下請けを使って大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、ほかにない。万国博やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこのカイシャが総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。電通はまた、政治的に活発な動きを見せる。これについては、すぐ後で詳細に考えよう。

 電通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの
割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。多数の子会社や下請け会社を通じて行使する統制力については、
いうまでもないだろう。約百二十の映像プロダクション、四百以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。
午後七時〜十一時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握っているからだ。

番組制作者たちは、冗談めかして、電通の事を“築地編成局”と呼ぶ(電通の巨大な本社は東京の築地にある)
(21)。日本では、扱い高が即、政治力になるので、電通はこうした役割を演じられるのである。
このような状況下では、電通に気をかけて扱ってもらえることが一種の特権となり、立場が逆転して広告主が電通の指示に従うことになる。商業テレビ局にとっても事情は同じで、電通に極度に依存する形になっている。

その結果、電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、
強力なマスメディアを通しての社会統制力になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。
テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない。また、その中毒症状がこれほど強く蔓延
しているところも他にない。レストラン、各種の店、観光バスの中、タクシーの中にまでテレビが備えつけられ
ている。テレビ番組の相対的な質の高さを誇れる国は、あったとしてもきわめて少ない。だが、テレビが全世界
的に文化を砂漠化しているとしても、その悲惨さの程度はかなりの差がある。皮肉な事に、NHKが、官界と
もっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題について掛け値なしの疑問を投げかける、
まじめな番組を放映することがある。それ以外はNHK定食番組にみられるように疑似学術的で無害の、論争を注意深く避けた番組をはじめとし、風刺漫画に近い日本人好みの社会風俗を描くホームドラマがあり、そして頭がまったく空っぽのショー番組までどの局にも揃っている。

 クイズ番組や素人のど自慢は外国のもの真似番組であるが、日本ではこの種の番組は愚神礼賛の域に達している。人気“スター”は大量生産され、その“キャリア”はめったに二年以上もたない。彼らは、単に有名であるがゆえに有名だという欧米諸国の芸能人現象の拙劣な劇画といえる(22)。

..中略

今ここで我々が検討しているのは、ほぼ完全に他者を締め出して、大衆文化の質の向上を抑制したり拘束できるだけの力を持つ組織のことである。
6章 従順な中産階級 485Pより

日本では電通が全てを握って、このスカポンチンな社会の雰囲気を醸成しているのですた。
さて、一部の人は知っているかもしれませんが。
電通の親会社があるのはご存知でしょうか?
まぁ、事実上の親会社なのですが。

聞いたことがあるかもしれませんがオムニコム社です。
オムニコムというのはカナダに本拠地がある世界最大手の広告会社です。

http://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/images/omunicom_group.jpg?x45209
http://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/images/20130219183949ddf.jpg?x45209


ちなみにオムニコム社は、日本ではI&S BBDOという怪しい子会社を持っています。


WIKI I&S BBDO
https://ja.wikipedia.org/wiki/I&S_BBDO

I&S BBDO(アイアンドエス・ビービーディオー)は、東京都中央区に本社を置く外資系広告代理店。売り上げは非公開。
1947年6月に第一広告社として設立された。その後、1986年10月に読売グループとなっていた第一広告社とセゾングループのエスピーエヌが対等合併し、新社名I&Sとなった。
1998年にはアメリカの大手広告代理店オムニコムグループと資本提携し傘下に収まり、I&S BBDOになる。

民主党も自民党もこの良く分からない広告代理店に選挙広告を依頼したりしています。
選挙の裏にはこのI&S BBDOが暗躍している。
このオムニコム野郎が世間の雰囲気を醸成に一役買っているのですた。

さて、このオムニコム野郎のさらに上。さらに遡るとどこに行くでしょうか。
そのまた上の親会社というのがカナダのホリンジャーグループ(Hollinger Inc、今は倒産して別会社)ですた。

ボリンジャーグループというのは、聞いたことはないかもしれませんが。
世界最大規模のメディア企業ですた。
配下にイギリスのデイリー・テレグラフ、イスラエルのエルサレム・ポストなどなど。
新聞社80社、週刊誌を115所有する経営グループです。

さて、この経営一族は誰でしょうか。
このブログでもかなり前に取り上げましたが、カナダのブロンフマン一族。
このブロンフマンさんというのはイーディシュ語で酒屋という意味なのです。
つまり酒屋さん一族ということですね。


ブロンフマンさんはシーグラム社というカナダの酒造メーカーをやってるのです。
ミネラル・ウォーター ボルビックを販売してる有名な会社ですよね。

このブロンフマンさんは核兵器企業SRC(スペース・リサーチ社)の経営もしています。(この会社はソシエテ・ジェネラル・ド・ベルシックの子会社でもあります。ド・ベルシックというのはつまりベルギーの王族の会社ということです。そちらとのつながりもあるということです)

皆様はアルカポネは知ってますよね。
アメリカのギャング映画に出てくる有名な人ですが。
あのカポネさんもブロンフマンさんの手下の一人ですた。

1920年代アメリカ。当時、アメリカは禁酒法といってお酒が法律で禁止されていたのですた。
ブロンフマンさんは禁酒法時代に、カポネさんなどのギャグを使って天文学的なお金を稼いだと言われています。

つまり電通をずっと遡ると、カナダの酒屋さんに行きついた。
ブロンフマンさんは、そして世界ユダヤ人会議(略称WJC)の議長をやったりしています。

毎度のことにこのブロンフマンさんもロスチャイルドさんと親戚関係にあります。
つまりはいつものごとく奴らがメディアの大元というグルでグルグルの話ですた。

あの時代。お酒を禁止するなどという無理な禁酒法。
そういう悪法に逆らってお酒を販売してくれた優しいブロンフマンさん一族。
そして現代も放射能汚染に逆らって楽しい雰囲気を醸成してくれる。
お酒とメディアで楽しい雰囲気を醸成するブロンフマンさん。

昔も今も変わらない。

ブロンフマンさんのお陰で楽しい毎日が送れる。
ヒャッハーーーー!

酒屋のブロンフマンさんに完敗!
じゃなかった乾杯。
吉祥寺で、金玉ナイトで一緒に酒を飲みながら彼らの偉業を称えたいと思っています。

※ちょっと突っ込んだことを書き過ぎたので、もしかしたらこの記事はさっさと消すかもしれません。
http://golden-tamatama.com/blog-asyuracom-224.html

2016.05.19
電通の正体=カナダマフィア(ブロンフマン)の手下 ヤクザの上はマフィアのお話
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2384.html

さて、東京オリンピック色々騒がれてますね。

その昔、猪瀬知事の時にトルコと競り合って東京オリンピック当選。
猪瀬やったなぁおい。
滝川クリステルさんも上機嫌だったのに。

しかし、なんのことはない。
日本は賄賂を払ったから当選したのか。。
トルコは払わなかったから落選した。

そういう話だったのか。。
それも電通が勝手にやったのだとか。


これは海外(ガーディアン紙)の説明図。

↓ 1.6億円(130万ユーロ)の賄賂

国際陸上競技連盟会長、国際オリンピック委員会会長のディアク氏の息子

これをもうちょっと分かりやすく書いた図

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2384.html

それにしても電通。
以下のように日本の報道では電通がまったく出てこない。

海外では普通に報道されてるのに、日本の新聞各社は絶対に電通の名前は出さない。

霞が関の官僚も電通の名前は絶対に出さない。

田中龍作ジャーナル 【五輪招致疑惑】 電通は霞が関でもタブーだった
http://tanakaryusaku.jp/2016/05/00013662


大西健介議員「電通からは事情を聴くのか?」

文科官僚「そ、それは 〜〜 や、やらない」

玉木雄一郎議員「電通からブラック・タイディング社のことを聞いて下さい。資料を取り寄せて下さい」

文科官僚「そ、そこまですることは考えていない」

文科官僚は声を上ずらせながら、苦しい表情で答えた。やたらと手振りを交え、時折ツバを飲み込んだ。

何に怯えているのか? 文科官僚は滑稽なほど緊張しながら「知らぬ存ぜぬ」を繰り返した。

おいおい。
いったい電通ってどんだけ力があるでしょうか?

そもそもパナマ文章だって、風評被害でもないのに風評被害だ!
強引にマスコミ各社に風評被害と言わせてしまえる力。
マスコミ、大メディアが恐れ慄き、官僚すらおびえて泣きだす権力。

なぜそんなにも日本のマスメディアは電通を恐れるのか。
電通とはなんなのか。
電通の正体。

その昔書いた話でちょっと古いのですが再掲しときましょう。

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えて下さい。

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前身は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。


「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。

wiki 成田豊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E8%B1%8A


在日の記述も昨今は、改ざんが進み WIKI からも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)


広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%90%88%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

そして以下はだいたいの人が理解している日本の支配構造図。

http://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/images/d158j2014_00002150.jpg?x45209

一部の人は知っているかもしれませんが。
この在日朝鮮人の上にいるのが偽ユダヤです。(ユダヤ人のふりをしているがユダヤ人とまったく関係ない人種)

で、メディア界担当の偽ユダヤが

カナダの一族。ブロンフマン一族です。

ぇー。カナダ?
意外や意外ですね。

カナダというのはカエデの葉っぱの大人しい国だと思いきや意外です。
メディア界を牛耳ってるのですね。
驚きです。

皆様はオムニコム社は聞いたことがあるでしょうか。
オムニコムというのはカナダに本拠地がある世界最大手の広告会社です。

http://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/images/20130219183949ddf.jpg?x45209

これは2012年の広告企業売り上げランキング

これは2014年のランキング。
電通は5位です。OMC=オムニコムです。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2384.html


オムニコム(OMC)は電通をはるかにしのぐ巨大企業です。

オムニコム社は、日本ではI&S BBDOという怪しい子会社を持っています。
読売グループの第一広告社とセゾングループのエスピーエヌ社が合併した子会社です。

WIKI I&S BBDO
https://ja.wikipedia.org/wiki/I&S_BBDO

I&S BBDO(アイアンドエス・ビービーディオー)は、東京都中央区に本社を置く外資系広告代理店。売り上げは非公開。

1947年6月に第一広告社として設立された。その後、1986年10月に読売グループとなっていた第一広告社とセゾングループのエスピーエヌが対等合併し、新社名I&Sとなった。
1998年にはアメリカの大手広告代理店オムニコムグループと資本提携し傘下に収まり、I&S BBDOになる。

選挙の時にはこのI&S BBDOが暗躍したりしているのです。


「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図
www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/805.html

とにかくこのオムニコムが電通を操っているのでした。
で、このオムニコム社の上にいるのがカナダのブロンフマン一族です。

ちなみにこのブロンフマンさんというのはイーディシュ語で酒屋という意味です。
つまり酒屋さん一族ということですね。

1920年代アメリカ。
当時、アメリカは禁酒法といってお酒が法律で禁止されていたのですた。

ブロンフマンさんは禁酒法時代に、カポネさんなどのギャグを使って天文学的なお金を稼いだと言われています。

皆様はアルカポネは知ってますよね。
アメリカのギャング映画に出てくる有名な人ですが。
あのカポネさんもブロンフマンさんの手下の一人です。

ブロンフマンさんは、

世界ユダヤ人会議(略称WJC)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E4%BC%9A%E8%AD%B0

の議長をやったりしています。

今ではブロンフマンさんはシーグラム社というカナダの酒造メーカーをやっています。
ミネラル・ウォーター ボルビックを販売してる有名な会社ですよね。
キリンと合併してキリン・シーグラムも作ったことがあります。

このブロンフマンさんはベルギーの王族の子会社とも関係があり、またロスチャイルドさんとも親戚関係にあります。
そもそもブロンフマンさんは、あのデュポンの経営一族で知られているのです。

ブロンフマン一族は奴らの中でも強硬派、過激派です。
とにかくちょっとでも逆らったらすぐ殺してしまう。

つまり電通をずっと遡ると、朝鮮人ヤクザがいてその上は?
と見ると恐ろしいカナダの酒屋マフィアに行きついた。
それもアルカポネの親分のマフィアだった。

ちなみにマフィア業界で殺人数ランキング。

1位はあの伝説のマフィア。マイヤー・ランスキー一族です。
そして2位がブロンフマン一族です。

電通の親分は殺人数第2位のマフィアだった。
これでは新聞や官僚が電通の名前を聞いて失禁する訳ですね。。

メディア業界というのは上はヤクザでその上はマフィアなのです。
これは裏を知ってる人の常識です。

残虐。凶悪の殺人集団がニュースや芸能界をプロモートしている。
まぁ、前から皆様も何となく気づいていた通りの話です。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2384.html

「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図<改訂版>
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/860.html
投稿者 シチズン 日時 2009 年 8 月 27 日 02:10:47: 5ciTDWA0eEak2
 

 





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「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図 改訂版
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/881.html

〜エゴポイントも、東京オリンピックも、世界陸上も、自民党・公明党の政府広報費も、みーんな「電通」の利権です!〜

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(第1章)「電通」と自民党・公明党・CIAの歴史


参考
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-1.html

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-2.html

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-3.html

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-4.html

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-6.html

http://blog.goo.ne.jp/nande_ya/e/efaf6c4fa9c64880684b4423f94d753b


1895年(明治28)

11月、瀬木博尚によって教育雑誌の広告取次店として「博報堂」が創業。
社名の由来は、瀬木博尚の経営理念「博く、華客に奉仕報酬する」から付けられた。


1901年(明治34)

広告代理業「日本広告株式会社」の併設機関として、通信業「日本電報通信社(電通)」を創立。


≪黎明期の「電通」≫

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003431.html

1935年(昭和10)の2.26事件が起きる前年、吉田秀雄は上海に渡り、排日運動が熾烈を極める中で、
邦字新聞、日系漢字新聞など、中国市場の媒体の殆どを電通扱いにしている。

この吉田秀雄の快挙の背後には、
当時の中国市場、ことに情報機関を完全に掌握していた日本軍との、何らかの連携があったに違いないが、
そのあたりのことは、現在の「電通」幹部は、全く知らないようだ。
ただ一つ、はっきりしているのは、この時、上海で吉田秀雄は塚本 誠なる人物と懇意になっている、ということだ。

この人物は、戦後、吉田秀雄に迎えられて「電通」に入社し、取締役になっている(1975年8月死去)。

塚本 誠は、元憲兵大佐であり、戦前は、上海で有名な影佐禎昭大佐の「梅工作機関」など、いわゆる特務機関と連携し、
或いは特務機関の束ね役として、反日運動などの弾圧の指揮をし、汪精衛の南京政府づくりの舞台裏でも活躍したようだ。

実は、吉田秀雄が上海で塚本 誠(岸 信介と同じく、A級戦犯だったがGHQによって釈放)と懇意になったのは、
こうした時代、つまり塚本 誠が中国市場の情報関係の人間たちに絶大な力を持っていた時代なのだ。

尚、塚本 誠は、東条英機が政権をとると憲兵特高課長に迎えられているが、
一方では近衛文麿と、彼をとりまく学者、ジャーナリストたちとも親しく、憲兵特高課長という顔の他に、
ジャーナリズムとの根回し役も務めていたようだ。

この時代、吉田秀雄は、「読売」の正力松太郎、「同盟」の松本重治、「毎日」の吉岡文六、田中香苗、
そして、「朝日」の団野信夫、宮崎世龍などと懇意になっている。

1936年(昭和11)、2.26事件が起き、日独伊防共協定が締結されるなど、日本が、破滅への途を選んだ運命の年だが、
「電通」にとっても、大きな選択を、それも無理矢理に強要された年だった。

報道管制が行われ、日本政府、そして日本軍は、報道調整という言葉を使った。
報道を掌握するには、情報チャンネルの一元化が必要で、そこで先ず、新聞に内外の情報を提供する通信社を統合して、
単一の国策通信社をつくることを考えたのである。

国家にとって都合の悪い情報は遮断する。情報整理、そして情報操作。
1936年(昭和11)1月、政府は、地方新聞など反対派を強引に封じ込んで国策通信社である社団法人・同盟通信社を発足させた。
そしてこの時から、「電通」は、通信社部門を失い、広告代理行専業の会社になったわけだ。

1906年(明治39)

「南満州鉄道」設立(初代総裁は、後藤新平)。

後藤新平は、現「NHK」の初代総裁であり、正力松太郎に資金援助し読売新聞を買い取らせた人物であり、
通信社を独立させ、翌年には逆に通信社が広告会社を合併。
「電通」はこの年、ロスチャイルドと関係の深い「ロイター(1871年、既に長崎・横浜に支局開設)」と契約。


1907年(明治40)

「満鉄調査部」設置、米国に創立された「UP(現在のUPI)」と契約。


1931年(昭和6)

満州事変が勃発

→注.謀略で起こされた満州事変とメディア(「満州国通信社」)pdf
http://maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/08.pdf


1932年(昭和7)

満州国建国。国策通信社「満州国通信社」初代社長には、里見 甫(さとみはじめ)が就任。

里見 甫は、裏社会とつながりがあり、満州国高官だった岸 信介の命によって、
アヘンの密売であげた巨額の利益を、関東軍の資金にする犯罪行為の一端を担っていた人物。

「満州国通信社」は、当時の軍国主義下の国策通信社であり、その阿片マネーから、児玉誉士夫、笹川良一といった人間に繋がり、
阿片を利用し戦争指揮をとった東条英樹、「満州は、私の作品」と豪語する岸 信介、そして、日本の右翼勢力とも元々密接な関係があり、
更には、中国の裏社会(マフィア)との繋がりもあった。


1934年(昭和9)

後に「電通」第4代社長に就任する吉田秀雄は、上海にて中国進出し、中国市場の媒体の殆どを「電通」扱いとした。


1936年(昭和11)

「日本新聞聯合社(聯合)」と「電通」の通信部門合併により、「同盟通信社」を設立。
その際、「電通」の広告部門は、「日本新聞聯合社(聯合)」の広告部門を吸収し、広告のみを扱うという現在の姿の原型が完成。

同年10月に、岸 信介が、満州国の国務院(満州国における行政機関。満州国は議会を持たなかった為、国政の最高機関であった)
の実業部総務司長に就任している。

1945年(昭和20)

敗戦に伴い、「同名通信社」は解体され、
政治、社会、一般ニュースを扱う「社団法人共同通信社」と、経済報道を扱う「株式会社時事通信社」に分社化。

しかし現在では、「共同通信社」、「時事通信社」、「電通」は株式を持ち合い、設立当初の寡占状態を回復している。


1947年(昭和22)

吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任。
この頃から、「日本電報通信社(電通)」は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。

吉田秀雄は、戦犯として公職追放された政財界人、満州や上海から引き上げてきた旧軍人、「満鉄(満鉄調査部、満州国通信社)」関係者などを
大量採用し、これが、「電通」が“満鉄調査部の後身”と言われる所以である。当時の電通ビルは、“第二満鉄ビル”と呼ばれていた。
彼らは、広告のノウハウは無かったものの、実質フィクサーとして活動し、現在の日本支配の礎を築きあげていった。
また、吉田秀雄はこの頃から、米国式広告=“プロパガンダ”手法を導入。


≪終戦直後の「電通」≫

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003431.html

1947年(昭和22)5月、前社長の公職追放により、吉田秀雄が社長となった。
この経営危機の時期に、吉田秀雄は、何故か旧軍人、軍属、或いは「満州鉄道」関係者をどんどん採用しているのである。

市川 敏(満州国弘報処長)、小沼治夫(陸軍少将)、島崎千里(産業経済新聞)、高橋 渡(満州日報業務局長)、
高橋威夫(満鉄文書課長)、塚本 誠(憲兵大佐)、松本豊三(満州日報理事長)、古賀 叶(満鉄錦州鉄道局長)、
高田元三郎(毎日新聞社)、森山 喬(大陸新報理事)、森崎 実(満州日報編集局長)、芝田研三(南満州鉄道)、
金沢覚太郎(満州電信電話)、古瀬甲子郎(満州日報営業局次長)、峯間信太郎(天津米穀統制会理事長)、
白川威海(毎日新聞社)、山名文夫(資生堂意匠部)、蜂谷輝雄(台湾総督府外事部長)、東郷青児(画家)、
中西寅雄(東大教授・陸軍嘱託)、宮崎博史(三越宣伝部長)、小滝 彬(外務省情報部長)、新田宇一郎(朝日新聞社取締役)、
新保民八(花王石鹸取締役)

広告業界の連中は、誰もが電通ビル(旧電通ビル、中央区銀座七−四)を“第二満鉄ビル”と呼んだ。
あまりに満鉄関係者が多かったからである。

吉田秀雄は、経営が危機に瀕していた時期に、何故、広告のことを皆目知らない、言わば使いものにならない連中をこれ程集めたのか、
吉田秀雄は、旧軍人、満鉄関係者たちを社員として採用しただけではなく、公職追放となった政治家や財界人、新聞人などの為に、
「旧友会」という、言わば“サロン”をつくって、彼らが、月一回集まって食事をしながら、心置きなく談笑出来るように設え、
そればかりではなく、彼らの為に「ユニバーサル広告社」という会社までつくっているのである。

戦後、「電通」が大きく躍進出来た原因の一つが民間ラジオ放送で、もう一つが民間テレビ放送だと言われている。

テレビに執念を燃やしたのは、吉田秀雄よりも正力松太郎(読売新聞社主)のほうで、ついに「日本テレビ(読売)」開局に漕ぎつける。

NHK編の『放送五十年史』は、正力松太郎のテレビ計画を、
「講和、独立を控えた特殊な情勢の下で、米国の極東戦略に深く関連しながら、全国のテレビ網を一挙に手中に収めようとした」
と、極めて含みの多い表現で説明している。

正力松太郎のテレビ計画の周辺を取材すると、旧軍人たち、それもGHQとの関わりの深い情報プロたちの影が、何人も浮かび上がってくる。
そして、旧情報将校たちが米国に足繁く通う中で、折から、公職追放中だった正力松太郎が、何故か突如追放解除となり、
それをきっかけに、テレビ開局計画が急ピッチで具現化するのだが、そのキーマンとして動いたのが、カール・ムントという人物なのである。

カール・ムントは、米上院議員であり、カール・ムントは、1951年4月、米上院で、次のような演説を行っている。

「共産主義は、“飢餓”と“恐怖”と“無知”という三大武器を持っている。こうした共産主義に対する闘いにおいて、
米国が持っている最大の武器はテレビである。我々は『米国のビジョン』なるテレビ・ネットワークを海外に普及させる必要がある。
それを最初に試験的にやるべき地域は、ドイツと日本で、
例えば、日本の隅から隅まで行き渡らせる為のテレビ網建設費は460万ドル。これはB29爆撃機を2機つくるのと同じ金額である」

テレビは、共産主義勢力に対する武器としては軍事力などより遥かに強力で、しかも安いというわけだが、
このムント構想が打ち出されるや、直ちに正力松太郎の密使が米国に飛び、ムント議員と接触している。
その密使が、柴田秀利(後に日本テレビ専務取締役)である。

柴田秀利は、GHQの新聞課長インボデン少佐にも、関係者たちの話では、「かなりどろどろした手段を使って」深く食い込み、
正力松太郎を、共産主義殲滅の代理人にさせる、との約束を取りつけたようだ。

「米国が、直接行なうと、情報支配の形があまりに露骨で、日本人の神経を逆なでする。日本人の手でやらせた方が遥かに効果的だ」
との柴田秀利の説得が功を奏したものらしい。

「電通」が、戦後、初めて商売として政治と関わりを持ったのは、1952年10月、日本が独立した最初の総選挙の時だった。
吉田 茂(麻生太郎の祖父)自由党としては、国民に対して大PR作戦を展開することにし、その大きな柱の一つとして、
戦後初めて全国の主要新聞に大々的な広告を打つことになったのだが、そのプロデューサー役を演じたのが「電通」だった。

関わりが深まるにつれて、政治は次第に、吉田秀雄「電通」にとって、商売の対象だけではなくなってきたようだ。
それが、一つの頂点に達したのが、1960年の安保騒動だった。
革新陣営に「これで新聞は死んだ」と嘆かせた、所謂、「七社共同宣言」のフィクサーも、実は吉田秀雄だったと言われている。

「七社共同宣言」とは、東大生だった樺美智子が殺された直後、1960年6月17日に、
全国紙五紙(「朝日」、「毎日」、「読売」、「日経」、「産経」)と「東京新聞」、「東京タイムズ」の七紙が、
「暴力を排し議会主義を守れ」との声明文を掲載したもので、この共同宣言は、反安保の盛り上がりに水を浴びせる役割を果たした。


≪不起訴により釈放され、裁判を免れたA級戦犯被指定者≫

青木一男、安倍源基、天羽英二、安藤紀三郎、石原広一郎、岩村通世、岸 信介、葛生能世、児玉誉士夫、後藤文夫、
笹川良一、正力松太郎、須磨弥吉郎、高橋三吉、多田 駿、谷 正之、寺島 健、梨本宮守正王、西尾寿造、本多熊太郎、
真崎甚三郎、近衛文麿(自殺)、小泉親彦(自殺)、橋田邦彦(自殺)、本庄 繁(自殺)、徳富蘇峰(不起訴により自宅拘禁解除)

尚、A級戦犯に指名されながら、釈放された者は少なくとも70名強存在するが、網羅的な資料が存在せず、その人数は確定出来ない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF


1952年(昭和27)

10月の総選挙で、自由党・吉田 茂首相が「電通」にキャンペーンを依頼したことが発端となり、「電通」と吉田 茂、「電通」と自民党の関係が深まっていく。
元々、旧軍が中心だった「電通」の人脈は、政党政治家に拡大していき、「電通」は反共・安保擁護の為の保守体制に組み込まれることになった。

更には、吉田 茂を介した政界浸透や、「電通」で採用していた旧軍人・満鉄関係者の公職追放解除に伴う政府要職復帰、
コネ採用による有力者の子弟の取り込みなどにより、電通人脈は更に強力に、日本中に張り巡らされていくことになった。

こうした吉田秀雄の人脈戦略は大きな成功を収めることとなり、「電通」は総理府の宣伝予算をほぼ独占、
“影の情報局” “築地のCIA”と呼ばれるほど威力を拡大し、現在に至っている。


1953年(昭和28)

「電通」は、テレビ放送開始に着目し、多くのラジオ局・テレビ局の設立に関与、吉田秀雄は、幾つかの放送局で取締役に就任。
中でも「TBSテレビ」は吉田秀雄の関与が深く、現在でも、民放で最も電通と親密だと言われている。

何故、日本テレビの社名は「日本テレビ放送網」となっているのか?「網」の字にはどんな意味があるのか?その理由は設立時の秘密にある。
実は、日本へのテレビの導入は、米国による情報戦の一環だった。
テレビ放送網は、そのまま「反共の防波堤」であり、更に軍事通信網にもなるはずだったのである。

「テレビの父」である正力松太郎のテレビ構想は、米国側に巧みに利用されたものに過ぎない。
CIAは正力松太郎に、「ポダム」という暗号名まで付けていたのである。


http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/11/post_9600.html

結局、ラジオ・テレビ化の流れにいち早く対応出来た「電通」、そして少し遅れて進出した「博報堂」が、
戦後広告業界の1位2位として固定し続けることになる。
1950年代始めは、現代の広告代理店業界地図の枠組みが出来上がった時期と言える。

3S政策とテレビ放送
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060315

1955年(昭和30)

「森永乳業」の粉ミルクに砒素が混入する事件(砒素ミルク事件)が発生。

死亡者は138人、被害者は1万人以上を数えたが、「電通」は、クライアントだった「森永乳業」を守る為に報道統制を行ったが、
後にそれが明るみに出て、「電通」は世論の激しい非難を浴びることになった。
何故、「電通」がメディアの報道を統制出来たか?と言えば、1951年に「新聞用紙割当統制」が解除された結果、
新聞紙の自由競争時代に入り、新聞社・雑誌社間の広告獲得競争が厳しくなったことに起因しており、
競争が激しくなった結果、多くのメディアは「電通」の存在に依存するようになり、自力での広告獲得能力を失ってしまった。

「電通」は、広告主の“宣伝” “媒体探し” “広報対策”を引き受ける一方で、
マスメディア側の“広告集め” “広告主対策”なども一手に引き受けていた為、広告業のノウハウ・情報が一元的に「電通」に集まってしまった。
その為、新聞社の中には、朝日新聞のように「電通」と資本関係を結んで、緊密な関係になるものまであった。

こうなった最たる原因は、「電通」が余りにも巨大になり過ぎたことにあり、
更には、関連会社の「共同通信」と「時事通信」が、新聞記事のネタ元になる通信記事を配信しており、
広告だけでなく、ニュースにおいても寡占状態にあることがこれを後押しした。

その上、メディアは本格的なテレビ時代を迎え、徐々に放送内容への「電通」の介入が当たり前のことになっていった。

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-3.html


1961年(昭和36)

現在広告代理店業界4位の「東急エージェンシー」が、東急グループ総帥五島昇の肝煎りで設立。

「電通」が「第九連絡局」を介して官僚から仕事を取るのに対して、「東急エージェンシー」は首脳間のやり取りに負うところが大きい受注の構造
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-5.html


1964年(昭和39)

「電通」は東京五輪の広告主の協賛活動の支援を行い、国策イベントであるオリンピックに深く関与。

この経験を基に「電通」は、スポーツ・ビジネスの可能性を開拓し、
1980年のロスオリンピック以降、五輪そのものが商業化したことと併せて、スポーツ・ビジネスを確立させていった。

現在、「オリンピック」、「ワールドカップ」、「アジア大会」、「世界陸上」、「世界水泳」など、テレビ放映している主だったスポーツ大会の殆どで、
「電通」は諸権利を有しており、一方で、「博覧会」という新たなイベントにも関与を深めている。

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-3.html

オリンピックマーケティングの権利構造
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200411/11toku1.html


1965年(昭和40)

「大正製薬」の風邪薬ショック死事件が発生、
「電通」は、1955年の砒素ミルク事件と同じように、クライアントだった「大正製薬」を守る為の報道統制を行った。
「電通」にとっての大きな金づるであった「大正製薬」の、自社生産の風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを「電通」が検閲し、
内容を変えさせたことが発覚したが、森永砒素ミルク事件ほどの社会的ムーブメントにはならなかった。


1970年(昭和45)

「電通」は、この年の「大阪万博」を皮切りに、「沖縄海洋博覧会」・「つくば科学万博」・「大阪花博」に参画。

「愛知万博(愛・地球博、別名・“トヨタ博”)」も「電通」が取り仕切ったが、「愛知万博」の成功の背景には、「電通」と「トヨタ」の二大企業のタッグがあった。
報道管制力を持つ「電通」と、巨額の広告費を持ち、批判はクライアントタブーである「トヨタ」が組めば、マスコミは完全に沈黙してしまう。


1971年(昭和46)

「公共広告機構(AC)」の前身となる、任意団体「関西公共広告機構」が大阪市で設立。
発起人は、佐治敬三・「サントリー」社長(当時)で、当初の活動は、近畿地方が中心だった。
設立時に模範とされたのは、米国の「アド・カウンシル(Ad Council)」。


1973年(昭和48)

「電通」、取扱高世界一を達成


1975年(昭和50)

「電通」の取扱高が3000億円を突破、
高度成長の波を受け、「電通」は名実ともに巨大資本としてマスコミ界に君臨。

任意団体「関西公共広告機構」が社団法人化され、「公共広告機構(AC)」と改称し、全国組織となる。
主な業務内容は、様々なメディアを通した公共広告により啓発活動を行うこと。
広告を取り扱う企業を会員とし、会員から集めた資金で運営されており、会員社数は、放送業界・新聞業界・広告業界など1356社(2004年度)。


1982年(昭和57)

「電通」は、「adidas」2代目会長であるホルスト・ダスラーと共同でスイスに「ISL(International Sports and Leisure)」を設立。
「ISL」は、「FIFAワールドカップ」、「UEFAヨーロッパ選手権」、「UEFAヨーロッパ・クラブ選手権」などの権利を抱きあわせで販売する
「INTERSOCCER 4」の権利保持者となっていた。
この手法を快く思わないUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の第3代会長であるアルテミオ・フランキとホルスト・ダスラーは激しく対立。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/worldcupbiz/060623_5th/index.html

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/other/isl/column/ZZZL9SSJSPC.html


1983年(昭和58)

UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の第3代会長であるアルテミオ・フランキが非業の事故死。暗殺説が囁かれる。
紆余曲折の末、「電通」と「adidas」が合同出資した「ISL」は、1980〜1990年代を通じて、スポーツマーケティング業界の一大勢力となっていく。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/worldcupbiz/060623_5th/index.html

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/worldcupbiz/060713_6th/


1986年(昭和61)

同年4月、「テレビ東京」が踏み切ったのをきっかけに、各放送局が自粛していた消費者金融の広告・放送が解禁された。
最後まで自粛していた「TBSテレビ」も2001年から流している。
新聞でも、「朝日新聞」が最後まで抵抗していたが、結局、解禁した(この時の「電通」側の人物が成田 豊)。
消費者金融の最大手である「武富士」の年間広告費は、2002年度が151億円で、この大半を「電通」が取り扱った。
「電通」の“天皇”成田 豊と、武富士の創業者である“天皇”武井保雄は、一緒にゴルフをする仲だった。


また、同年10月、読売グループの「第一広告社」と、セゾングループの「エスピーエヌ」が合併し、「I&S」となった。


1993年(平成5)

8月9日、細川護煕・日本新党代表を首班とする、非自民・非共産8党派連立内閣(細川内閣)が発足される。
9月16日、日本新党と民主改革連合が、参院会派「日本新党・民主改革連合」を結成、
更に11月18日には、新生党も加わって、参院会派「日本・新生・改革連合」を結成する。

この年、羽田 孜・小沢一郎ら羽田派(改革フォーラム21)らの賛成もあって、宮澤内閣へ不信任決議が可決され、
第40回衆議院議員総選挙で自民党は過半数を割った。小泉純一郎は、宮澤喜一の責任や退陣を閣僚懇談会でも要求し、郵政大臣の職を辞職。

郵政民営化は、小泉純一郎の自論などではない
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/06/post-468f.html

http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html


1994年(平成6)

4月25日、細川内閣総辞職。新生・日新・民社・自由党・「改革の会」が衆院会派「改新」を結成。
4月26日、社会党が連立政権から離脱。
4月28日、羽田 孜内閣発足するが、2ヶ月の6月25日には総辞職となる。
6月30日、自民・社会・さきがけによる村山富市内閣が発足し、日本新党は下野する。
12月9日、日本新党は解散、翌日10日、新進党結成される。
「自民・社会・さきがけ」の枠組は、第2次橋本内閣改造内閣が終了する1998年(平成10)半ばまで引き継がれる。


1996年(平成8)

同年4月、電通グループの広告制作会社「電通テック」が設立。
この「電通テック」の前身となったのは、
1943年(昭和18)に設立された、広告イベント・スペース・CM・映像制作会社「電通プロックス(旧電通映画社)」と、
広告印刷会社「電通印刷株式会社(電通アクティス)」と、広告製本会社「電通コーテック」の3社である。

「電通テック」は、広告プロダクションとしては世界最大規模と売り上げを誇る、文字通り、世界最大の広告制作会社。
「オリンピック」、「ワールドカップ」、「愛知万博」など、メガイベントの実制作も手がけている。

http://www.dentsutec.co.jp/


1997年(平成9)

→注.オムニコムグループの参入は、郵政民営化をはじめとする規制緩和・民営化を後押しする為のものと考えられる。

同年10月、現地法人「フライシュマン・ヒラード・ジャパン」が設立。
「フライシュマン・ヒラード」は、1946年(昭和21)に創設され、本社をセントルイスに置き、現在世界35ヵ国、33の現地法人を含む
83に及ぶPR拠点を持つグローバルなコミュニケーションコンサルティング会社。
「フライシュマン・ヒラード」は、米国の大手広告代理店グループである「オムニコムグループ」傘下の会社である。

http://fleishman.co.jp/hc/unit/index.html

1946年と言えば、吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任する前年であり、
その頃から、「日本電報通信社(電通)」は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。


郵政選挙における「電通」・「BBDO」・「フライシュマン・ヒラード」の関係と役割
http://amesei.exblog.jp/2879210/

http://amesei.exblog.jp/9729548/


1998年(平成10)

同年3月、「I&S」(1986年参照)が、米国の大手広告代理店グループである「オムニコムグループ」と資本提携・傘下に収まり、
同年6月、「オムニコムグループ」傘下の「BBDOワールドワイド」と業務提携。

2000年4月には、オムニコム/BBDOグループの明確化の為に、「I&S/BBDO」に社名変更する。
2003年4月には、「BBDO」ネットワーク統一ロゴマーク導入により再度社名変更し、現社名の「I&S BBDO」になる。
(但し、現在も「読売グループ」・「セゾングループ」との資本関係は続いている)
「BBDO」という広告会社は、現在、日本では「電通」・「博報堂」と並ぶ広告代理店「アサツーDK(ADK)」を吸収する形で日本に進出しており、
この会社のクライアントには、自民党もしっかりと入っている。森田 実氏の話では、電通もこの「BBDO」に乗っ取られつつあるということだ(2006年時)。
尚、「アサツーDK(ADK)」は、1991年に中華人民共和国の「新華社」と業務提携している。


http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/199812/12toku1.html

http://www.isbbdo.co.jp/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%84%E3%83%BC_%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4

郵政選挙における「電通」・「BBDO」・「フライシュマン・ヒラード」の関係と役割
http://amesei.exblog.jp/2879210/

http://amesei.exblog.jp/9729548/


1999年(平成11)

同年5月、与野党ともに「郵政民営化」がタブー視されていた当時、超党派の国会議員で構成される「郵政民営化研究会」が立ち上げられた。
会長を小泉純一郎(神奈川県横須賀市、清和会)が、事務局長を松沢成文(現・神奈川県知事、松下政経塾)がそれぞれ務め、
メンバーには中田 宏(前・横浜市長、松下政経塾)、前原誠司(松下政経塾)、堂本暁子、上田清司らの名前があった。
「郵政民営化研究会」では、郵政民営化の実施計画として、
郵政持株会社の傘下に郵便会社、地域別の郵貯銀行、地域別の簡保会社をそれぞれ設ける案を提示していた。

郵政民営化の正体
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html

「米国年次改革要望書」と「日本道路公団の民営化」の関係
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/485.html

「郵政民営化研究会」再結成の動き?
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/884.html

手鏡事件と郵政民営化
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/526.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E6%94%BF%E6%B0%91%E5%96%B6%E5%8C%96


2000年(平成12)

青木幹雄、野中広務らの支持により、幹事長だった森 喜朗が自民党の総理・総裁に就任。
同時に、清和会所属議員である小泉純一郎が、「清和政策研究会(当時、森派)」の会長に就任。
小泉純一郎は、“加藤の乱”を潰した功績によって、自民党内での評価を上げた。

http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/590.html

2001年(平成13)

森 喜朗が退陣した後を受け、同年4月の自民党総裁選で、小泉純一郎が自民党総裁に選出され、
4月26日の首班指名で第87代内閣総理大臣に就任。

「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫など特殊法人の民営化など、
小さな政府を目指す改革(「官から民へ」というスローガン)と、国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」というスローガン)を含む、
「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」と位置付けた。

郵政民営化の正体
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html

「米国年次改革要望書」と「日本道路公団の民営化」の関係
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/485.html

「郵政民営化研究会」再結成の動き?
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/884.html

手鏡事件と郵政民営化
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/526.html

同年10月26日、「博報堂」は、「大広」・「読売広告社」と経営統合し、「博報堂DYホールディングス」を設立。
1兆円グループとして、国内第1位の「電通」や海外広告会社と対峙している。
また、経営統合に伴い、「博報堂」を含め3社のメディア枠仕入れ部門は、「博報堂DYメディアパートナーズ」に移管された為、
「博報堂DYグループ」の1社として、媒体社に対してより大きな影響力を持つこととなった。

2002年(平成14)

日韓共同開催の「ワールドカップ」で「電通」は、スポンサー権の国内販売権を独占、
更には公式マスコットなどキャラクターの商品化権(ライセンス)に関する代理店契約を結んでいる。
長野五輪の中継番組はCMも含めて、「電通」の一括買い取りだった為、メディアも「電通」へのゴマすりに必死となった。

12月には、「劇団四季」専用の劇場が、電通本社ビルにオープン。
「劇団四季」創設者の一人で芸術総監督である浅利慶太は、中曽根康弘のブレーンとしても知られていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E5%8A%87%E5%A0%B4%EF%BC%BB%E6%B5%B7%EF%BC%BD

2003年(平成15)

「ホンダ」、「日本マクドナルド」といった企業が、「博報堂」「アサツーDK(ADK)」などの複数社の扱いから、事実上、「電通」の一社扱いになった。
「ホンダ」を「電通」にとられた「博報堂」では、“ホンダチーム”が解体された。

サラ金大手の「武富士」の盗聴事件が発生。
警察が、収集した個人情報を「武富士」に渡していたという、情報漏洩事件の取材を行っていたジャーナリストたちが、
「武富士」によって盗聴されていた、として告訴合戦に至った事件。

「武富士」は、武井保雄会長が盗聴で有罪確定となる前から、一部のマスコミに“盗聴疑惑”で叩かれたが、
「電通」は、“武富士報道潰し”に動いていた。
2003年初め頃、武井保雄に頼まれた成田 豊は、2003年4月に「電通」から数人を「武富士」に出向させた。
しかし、2003年12月2日に武井保雄が逮捕されたことによって、「武富士」のCM放送中止が相次ぎ、
在京の民放各局は同日2日、広告代理店などの要請で、同社CMの放送を当面取りやめる方針を相次いで決め、同日以降のCMを差し替えた。
「武富士」側も、世間を騒がせたとして、新聞広告やテレビCMをしばらくの間、自粛すると発表。

後に、「武富士」のCM自粛は解禁され、再び放送されるようになったのだが、これを許したのが、日本経団連という構図のようである。

同年4月には、、「I&S/BBDO」が、「BBDO」ネットワーク統一ロゴマーク導入により再度社名変更し、現社名の「I&S BBDO」になる。
(但し、現在も「読売グループ」・「セゾングループ」との資本関係は続いている)
「BBDO」という広告会社は、現在、日本では「電通」・「博報堂」と並ぶ広告代理店「アサツーDK(ADK)」を吸収する形で日本に進出しており、
この会社のクライアントには、自民党もしっかりと入っている。森田 実氏の話では、電通もこの「BBDO」に乗っ取られつつあるということだ(2006年時)。
尚、「アサツーDK(ADK)」は、1991年に中華人民共和国の「新華社」と業務提携している。


2004年(平成16)

「セブンイレブン・ジャパン」が、「東急エージェンシー」から「電通」に移った。
「電通」の連結売上高が、1兆9104億円に達する。

8月20日、東京の築地本願寺で田原総一郎の妻の通夜が営まれ、
小泉純一郎首相(当時)をはじめとする政財界の有名人、「サンデープロジェクト」の出演者などが駆けつけていた。
その中にの姿もあったが、成田 豊の場合は、この葬儀を仕切る「葬儀委員長」として築地本願寺にいたのであった。
つまり、それは田原総一朗と成田 豊の親密な関係を意味する。

田原総一朗
「成田さんには僕が頼んだ。何故かというと、顔が広いから。
まさか政治家に頼むわけにはいかないし、いろいろな人が来た時に、彼ならみんな知っているだろうし、挨拶が出来る人がいいと思って頼んだ。
但し、「電通」で来たのは成田さんだけ。具体的に仕切ったのは「テレビ朝日」のスタッフだった」


2004年(平成16)

同年10月21日、「電通」は、2004年9月中間期の単独経常利益が、前年同期比35%増の252億円になったと発表した。
従来予想を30億円上回った。五輪効果で広告事業が好調だった上に、粗利益率も期初見込みより0.2ポイント改善。
IT(情報技術)関連の開発費が計画より少なくなり、販管費を抑えたことも寄与した。

http://mediainsight.jp/clip/2004/10/35.html


2005年(平成17)

日韓友情年

「電通」は、「韓流ブーム」を盛り上げるなど、メディアミックス的戦略を展開。
「電通」の“天皇”成田 豊が、日韓友情年の副委員長が務めていた。

総選挙となる8月5日の3日前の8月2日、
米国の広告代理店業界のドンである、アレン・ローゼンシャイン Allen Rosenshine が、突如首相官邸を訪れ、
小泉純一郎首相と極秘会談を持った。

http://amesei.exblog.jp/d2005-08-11

この年、郵政解散・郵政選挙が行われた。

総選挙実施日が米国同時多発テロ事件(2001年)が起きた9月11日であることなどから、“自爆テロ解散”、
自民党が分裂選挙で大敗するとの予想から、“やけっぱち解散”などと揶揄されたが、選挙後は“郵政解散”というネーミングで定着。
投票率は、小選挙区が67.51%(前回衆院選59.86%)、比例代表が67.46%(同59.81%)と上昇した。
期日前投票は、8,962,955人(有権者のうち8.67%)と国政選挙で最高を記録し、国民の関心の高さを窺わせた。

開票結果は、与党が327議席(自民党が296議席・公明党が31議席)と圧倒的勝利を収めた。
一方、野党は、民主党が113議席と選挙前の177議席から大幅に議席を減らす惨敗を喫し、
党代表だった岡田克也は責任を取って辞任し、後任には、民主党内の最右派・前原誠司(郵政民営化研究会、松下政経塾)が就任。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC44%E5%9B%9E%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B7%8F%E9%81%B8%E6%8C%99

また、同年、「オリンピック」の肖像権が選手個別に管理されることになり、
選手が「日本オリンピック委員会(JOC)」と契約せず、CM出演など、より自由な商業活動を希望した場合は認めることになった。
また、それまで広告代理店4社と契約していたマーケティング活動は、2005−2008年の次期システムでは、
36億円の収入を最低保証として提示した「電通」を基本的に専任とすることで一致した。

http://www.47news.jp/CN/200311/CN2003112801000339.html

2006年(平成18)

同年8月、「博報堂」は、世界最大の広告会社グループである「オムニコムグループ」の系列会社「TBWA」と共同出資し、
外資系広告代理店「TBWA/Hakuhodo」を東京に設立。出資比率は、「TBWA」が40%、「博報堂」が60%。

http://ja.wikipedia.org/wiki/TBWA%5CHAKUHODO

また、同年10月24日から携帯電話番号ポータビリティが実施された。


携帯の番号継続制度は「KDDI」の独り勝ちと言われているが、収益面から見ると、独り勝ちと手放しで言えるような状態ではなく、

本当の勝者は、急増したテレビCMなどの広告を一手に引き受けた“電通”である。

更に、「ソフトバンク」がブランド変更を契機に広告会社を「電通」に変えたことに加えて、番号継続制度導入による広告量の急増で、

収益面でも大幅な上積みがあった。

2007年(平成19)

「日本郵政株式会社」のグループ会社である「郵便事業株式会社(日本郵便)」と、
「電通」及び「電通テック」が、新しい郵便メディアの開発と関連事業の展開の為に、合弁会社を設立することで同意。

http://markezine.jp/article/detail/2080

同年6月30日、「日本 eスポーツ協会設立準備委員会」が発足。
この委員会は、「電通スポーツ事業局」企画業務推進部長の平方 彰が委員長補佐を務めており、
特別顧問には、「日本体育協会」会長である森 喜朗・元総理も参加している。

http://www.negitaku.org/news/10926/


また、同年12月、
「日本テレビ放送網」、「セブン&アイ・ホールディングス」、「電通」、「セブン・イレブン・ジャパン」、「イトーヨーカ堂」、「セブンアンドワイ」の6社は、
「メディアと消費の融合」をテーマに、テレビ・インターネット・小売業を結びつけた次世代型の「ショッピングポータルサイト」を運営する会社
「株式会社日テレ7」を共同出資で設立。
資本金は4億8000万円で、筆頭株主は、株式の51%を保有する「日本テレビ」である。
これまでにない番組視聴スタイルや商品購入スタイルを創造し、新たな販促&コミュニケーション市場を開拓するとしており、
2008年4月より、本格的なサービス開始が始まった。

尚、「セブン&アイ・ホールディングス」とは、2005年9月、
「セブン・イレブン・ジャパン」、「イトーヨーカ堂」、「デニーズジャパン」の3社が株式移転により、3社の持株会社として設立した会社。


2008年(平成20)

社団法人「公共広告機構(AC)」を「ACジャパン」と改称すると発表、
それに伴い、ロゴの下にあった「公共広告機構」の文字を「よりよい社会をめざす民間の広告ネットワーク」に変更。
改称の理由は、「公共広告機構」という官庁の組織のような名称によって生じる「公共広告機構は政府の機関である」という誤解を払拭する為。

企業広告を放送しない「NHK」も「ACジャパン」の会員企業であり、
2000年には「NHK」との共同による啓発キャンペーンとして公共広告を放送した実績がある。
尚、「NHK」で放送する場合に、ACのロゴは「公共放送 NHK」や「NHK環境キャンペーン」等に差し替えられるか、カットされる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E5%BA%83%E5%91%8A%E6%A9%9F%E6%A7%8B

2008年5月、「博報堂」は、赤坂サカスにある赤坂Bizタワーに本社を移転。
先に移転を完了していた「博報堂DYメディアパートナーズ」との連携を強めた。その後も、グループ企業が赤坂に集結している。


その後、同年11月、「博報堂」は、障害者団体の定期刊行物に適用される郵便料金割引制度を不当に利用し、
家電量販店のチラシを2年半にわたり計約1100万通送っていたことが判明。顧客から「問題があるのでは」と指摘され取りやめた。
この制度の利用は、「博報堂」関連会社である「博報堂エルグ(福岡県本拠)」が提案し、勧めた為、企業が採用したが、
その後、大阪地方検察庁特別捜査部によって、翌年春にこの事案に関与した幹部らが逮捕起訴された。
これを受けて、内部処分も同時に行われた。


2009年(平成21)


6月3日、政府は、省エネ家電の購入支援策「エコポイント」の運営事務局に「電通」や「凸版印刷」などによる6社連合を選定した。
運営事務局に決まった「グリーン家電普及推進コンソーシアム」は、
「電通」、「凸版印刷」、郵便事業会社の子会社「JPメディアダイレクト」、「JP物流パートナーズ、コールセンター大手の「ベルシステム24」、
「トランスコスモス」で構成する。
事務局には7件の応募があり、第三者による評価委員会が審査して決めたという(が、恐らく随意契約)。

併せて、エコポイントと交換出来る商品の募集も、6月1日から始めた。
商品券やプリペイドカードのほか、地域産品、省エネ・環境に配慮した製品の提供事業者を11日まで募集し、
第三者委員会が6月中旬に決定する。

7月10日、2016年夏のオリンピックが米国になることを見越してか、「電通」は、ニューヨーク州に新会社「電通スポーツアメリカ」を設立。

http://markezine.jp/article/detail/7793

また、同年5月、「電通」は、連結子会社の「サイバー・コミュニケーションズ(CCI)」を完全子会社化する為、
株式交換契約を結んだ。
「CCI」は、「電通」と「ソフトバンク」の合同出資で1996年に設立。

→注.お父さん犬も、「電通」生まれ
http://www.j-cast.com/2007/12/07014303.html

http://journal.mycom.co.jp/articles/2009/07/24/dentucm/index.html

インターネット広告を手がけるメディアレップ(代理店)事業を展開し、メディアと広告主を結び付けてきた。
電通グループは、インターネットを中心とするデジタル事業領域を重視し、激化するインターネット広告の競争に本格参入。

http://amesei.exblog.jp/10131849/

これとまったく無関係ではないと思われるが、

同年8月の衆議院総選挙では、与党である自民党・公明党の圧倒的不利が伝えられる中、
本来、公職選挙法142条で禁じられているはずの、選挙運動でのインターネット活用を公然と行っている。
劣勢が伝えられる自民党は、民主党を痛烈に批判する所謂、「ネガティブ・キャンペーン」をホームページ上で展開、
18日の公示後も更新を続けている。
また、これらの誹謗中傷を書き連ねた資料は、党公認候補の事務所や、演説会で配布したり、
各選挙区のマンションなど、戸別にまで投函するなどして配布している。

また、ネット上では、新しい動画CMを公示後に流している。

http://www.yomiuri.co.jp/net/report/20090825-OYT8T00569.htm

共産党以外の各党は、献金以外にも、政党交付金を毎年受け取って党運営を行っているが、政党交付金は税金(贅金ではない!)である。
つまり、我々一般国民から徴収した税金で、このような悪質で陰湿なエゴに塗れた宣伝物(汚物)を、
「電通」と自民党が作って、ばら撒いているのを思うと、本当に許せない気持ちになります。


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【2005年までの10年間に各党が受け取った政党交付金】

自由民主党 1470億2100万円

民主党 619億5000万円

社会民主党 266億5400万円

公明党 211億1800万円

その他政党(二院クラブ、新社会党、新党護憲リベラル、自由連合、無所属の会など) 558億5400万円

※日本共産党は、政党交付金(政党助成金)の受け取りを拒否している。


【2005年の政党交付金支給額】→郵政選挙の年ですから、当然、選挙資金になってます。

自民党 157億7951万4000円

民主党 117億6529万8000円

公明党 29億4374万1000円

社民党 10億2242万2000円

自由連合 1億1950万5000円

国民新党 6094万7000円

新党日本 4003万円


【2006年の政党交付金支給額】()内は前年比

自民党 168億4600万円(+14億2700万円)

民主党 104億7800万円(−17億1400万円)

公明党 28億5800万円(−1億1300万円)

社民党 10億600万円(−2200万円)

国民新党 2億6600万円

新党日本 1億6000万円


【2007年の政党交付金支給額】

自民党 165億9583万7000円

民主党 110億6382万4000円

公明党 28億0607万円

社民党 9億6822万3000円

国民新党 3億2940万3000円

新党日本 1億7863万9037円


【2006年の日本経団連から政党への献金】

総額は26億1000万円で、前年より1億3000万円増加した。
自民党向けが25億3000万円(前年比1億1000万円増)、民主党向けが8000万円(同2000万円増)だった。

http://blogs.yahoo.co.jp/sekaiisanjapan/36935394.html


【2007年の日本経団連から政党への献金】

日本経団連から政党への献金総額は、前年比3億9000万円増の29億9000万円に伸びた。
但し、自民党向けが29億1000万円と大半を占め、民主党への献金は8300万円と、ほぼ横ばいに留まった。

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080913/biz0809130025004-n1.htm

ネット選挙運動解禁の可能性
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0509/05/news013.html


【2007年の政党献金を自民党と民主党で比較】

2007年の政党献金を自民党と民主党で比較すると、
自民党が、総額224億円、民主党 総額40億円で、その差額は約184億円にもなる。

また、企業献金と個人献金の内訳で比較すると、
自民党が、企業献金168億円、個人献金56億円であるのに対し、民主党は、企業献金が18億円、個人献金が22億円となる。
企業献金の差額は、なんと150億円にもなり、また、個人献金はそれと比べれば開きは少ないが、それでも34億円の差額がある。

尚、日本経団連加盟企業を通じる企業献金を、自民党と民主党の比較で見てみると、
自民党が29億1000万円にも上るのに対して、民主党は8000万円と圧倒的に少ない。
日本経団連と自民党の癒着構造については、日本経団連の公式サイトの、国民意識に反した政党評価にもよく顕れている。

日本経団連が金で買う、政治への発言力
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/seiji.html


【2003年〜2008年 自民党・民主党に対する日本経団連から献金額と評価を比較】

http://www.sasaki-kensho.jp/gijiroku/download.php?f=upfile/1246725951-1.pdf&n=090702siryou.pdf

日本経団連が金で買う、政治への発言力
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/seiji.html

日本経団連の政治献金は贈収賄にあたらないのか?
http://www.amakiblog.com/archives/2007/12/12/

自民党と民主党の台所比較(グラフ表示)
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_politics-jimin080911j-05-h420

≪補足≫

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003427.html

Karel van Wolferen著『日本/権力構造の謎 上巻』(1994年)から、記事を以下引用します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3

尚、中曾根康弘は政界引退後、「電通」の顧問になっています。
民主党の広告は、以前は「博報堂」がやっていましたが、今は多分、外資系の広告代理店だと思います。

→注.現在も「フライシュマン・ヒラード」?

以下の文中に登場する「視聴率調査会社」は、
この文が書かれた頃には外資系の「ニールセン」と「電通」の子会社「ビデオ・リサーチ」の2社がありましたが、
現在は、「電通」の子会社「ビデオ・リサーチ」1社しかありません。


「電通」ほど一手に、直接或いは多数の下請けを使って、大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、他にない。
「万国博」やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこの会社が総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。

「電通」は、日本の全テレビ・コマーシャルの3分の1の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して
実質的に独占的決定権をもつ。
約120の映像プロダクション、400以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。
午後7時〜11時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主(クライアント)は、電通を通すしかない。
スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を、「電通」が握っているからだ。

日本では、扱い高が即、政治力になるので、「電通」はこうした役割(事実上の編成局)を演じられるのである。
その結果、「電通」の影響力は、日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、
強力なマスメディアを通しての、社会統制になる。

そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が、日本ほど見事に利用されている国は他にない。


「電通」の広告扱い高は、日本の総広告費の約4分の1に当たる。
大手新聞の広告の5分の1強、主要雑誌の広告のおよそ3分の1が「電通」扱いである。残りの4分の3を、約3000社の中小広告代理店が分け合っている。

「電通」が、これほど無敵の存在になれたのは、その人脈のおかげである。
同社の社員採用方針で常に目指してきたのは、
テレビ界や出版界のトップ・クラスの管理者や幹部役員、及び特別な広告主、プロの黒幕などの息子たちや近親者からなる人材プールを維持拡充することであった。
彼らを指して、大きなスポンサーと良好な関係を保つ為の“人質”だとは、「電通」のある役員が例え話に言った言葉である。

「電通」出身者の落ち着き先(天下り先)の1つは、テレビ番組の人気度を評価する視聴率調査会社「ビデオ・リサーチ」社である。

管理者たちに不評なテレビ番組を解除するのにも活用される。
論争の的になる時事問題(例えば、部落問題、文部省による教科書検定、税制など)を扱った『判決』という番組は、
低視聴率という口実をもって、放送が打ち切られた。

「電通」は、消費者の追及から大企業を庇ったりもする。
「電通」のある幹部は、米国の消費者運動活動家ラルフ・ネーダーを日本に招いた「読売新聞」が、
「電通」の警告に応じて、同紙の予定していた、ネーダーについての二面抜きの特集記事を小さな記事に分割し、しかも調子を落としたと、
スピーチで誇らしげに語った。
また同じ頃、「毎日新聞」が、これも「電通」の指示のもとに、消費者運動についての記事を穏当なものに変えた。

「電通」は、報道媒体に強大な圧力をかけ、「電通」の広告主(クライアント)の名声に傷がつくような出来事は、
報道させないか、報道に手心を加えさせることも出来る。
1955年、「森永乳業」の砒素入りミルクについてのニュースを「電通」が統制したケースは有名である。
また、1964〜1965年には、
大正製薬が製造した風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを、「電通」が検閲し、内容を変えさせた。

「電通」が報道関係を巧みに検閲出来るのは、財政的な力に起因するだけではない。
1936年から1945年まで、独占的な政府の宣伝機関だった「同盟通信社」と一体だったこと、
また、どちらも戦時中の「同盟通信社」の末裔である「共同通信社」と「時事通信社」という、
日本の二大通信社と非常に緊密な関係にあることにも起因する。この繋がりは、株式の相互持ち合いによって強化されている。
「共同通信社」が扱うニュースについては、常に「電通」に情報が入る。

「電通」のもう1つの機能は、官僚及び自民党のPR活動をしたり、世論調査を通して国民の“伝統的な価値”を支えることである。

「電通」は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して“世論”を作り上げる手伝いをする。
自民党の選挙キャンペーンという最も手の込んだ部門は、「電通」が引き受けている。
原子力発電所の安全性の宣伝や、様々な省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。

1970年代後半に、一連の野党系市長や知事を退陣させる政治的策動を取り纏め、
政治的に重大な地方消費者運動や反公害運動に対抗する反キャンペーンを展開したのも、「電通」である。

このような官庁及び自民党の為の仕事は、主に電通の「第九連絡局」でおこなわれ、
ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。
公式には民営化されたが、実際には以前と殆ど変わっていない「NTT」や「JR」などの公共企業も、この局が扱っている。

この「第九連絡局」は、総理府の広報予算の3分の1以上、他の省庁の同40%を吸収する。
また、自民党の広報宣伝予算についても、「電通」が独占に近い形で自由に使っている。

自民党と「電通」とが、このような親密な関係を保てる理由の一つは、
「電通」は寡占によって、実業界の顧客から非常に高い手数料を取れる、
従って、いつも政治資金の足りない自民党は、安くしてもらったり、支払いを急がなくてもよいからである。

「電通」の「第九連絡局」は、1972年、田中角栄内閣発足直後に作られた。
その一年後に、「電通」は注目すべき『自民党の広報についての一考察』という報告書を刊行し、
その中で、自民党は既に「記者クラブ制度」を通じて、大手新聞、テレビ、ラジオの記者とはかなり有利な関係を保っていたが、
新聞社発行以外の主要週刊誌との関係は、まだ十分に決められたルールに基づくものではなかったと、よく引用される主張をしている。

「電通」のおよそ40%に当たる売上高を持つ、日本で2番目に大きい広告代理店「博報堂」もまた、
管理者、とくに財政金融界の管理者たちの間に安住している。
この会社の社長が二代続いて、また他にも数名の取締役が大蔵省からの天下りであるから、当然ともいえる。

だが、もう少し小規模で、官僚の為に宣伝活動を展開して、最も興味をひくのは、非常に積極的な「東急エージェンシー」である。
「電通」は、通常、官僚を通じて仕事の注文を受けるのだが、
中曾根康弘が首相在任中は、彼自身が直接、「東急エージェンシー」に電話をかけて指示した。
このような緊密な繋がりがあるのは、東急グループの総帥で、1987年まで「日本商工会議所」の会頭だった五島 昇(1989年死去)が、
東大の同期生・中曾根康弘を、彼の人脈の頂点に置いていたからである。

「東急エージェンシー」が担当した最大の仕事は、中曾根康弘が戦後のタブーを排除する計画の一部として遂行し論争の的となった、
建国記念の日に関連する祝賀イベントである。
対象範囲が更に広いものとしては、中曾根康弘の行政改革案に関連し、全国で展開された宣伝キャンペーンがある。
このキャンペーンでは、主婦組織などから参加者を募って圧力団体を作り、市中行進や国会前デモを組織した。
1983年3月には、15000人のデモ隊動員に成功している。

このような大きな仕事を担当して、金銭的には損失があったが、人脈の繋がりがいっそう強固なものになったおかげで、
「東急エージェンシー」は急成長する広告代理店になった。

自民党政府が次々と出す「政策要綱」は、大抵、広告コピーのように聞こえるのだが、
それは具体的な政治理念の代わりに出てくるスローガンが、前記の代理業者のどれかで作られたものだからである。


(下記、追加)

戦後、GHQとの関係をきっかけに、
CIAとも綿密な関係を持つに至り、「電通」は、日本国内の最大最強のCIAエージェント(諜報機関)とも言われており、
また、山口組を始めとする暴力団との裏のコネに豊富で、「電通」の“実力行使”の為に、
毎年かなりの金額が暴力団に第三者を通じて流れている、と言われています。

http://ofureko.exblog.jp/9158601/

「日本を思うように動かす為には、先ずマスコミを掌握しなければ」
その結果、現在、「電通」を媒介にして米国による民放支配はほぼ完了しました。

公共放送である「NHK」は、米国も直接支配が出来ないので、政府・自民党を通じて、「NHK」の政治報道に圧力をかけつつ、
もう一方で、大新聞・民放テレビ・雑誌ジャーナリズムを使って、「NHK」を解体させようとしているようです。

小泉純一郎首相は、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領にとって、最良のパートナーでした。
その小泉政権下で、日本の広告独占体(電通)は“ブッシュ世界戦略”の道具と化し、
米国と、日本の広告巨大独占体(電通)は、各テレビ局と大新聞に対して、小泉を勝利させる為に総力をあげるよう工作、
各テレビ局と大新聞は、この要求を受け入れ、全力をあげることを誓わされました。

日本の民放テレビ、大新聞は、広告巨大独占体(電通)の指導のもと、
郵政選挙で小泉政権を勝利させる為に大キャンペーンを行い、同時に、郵政民営化反対派に対する、ネガティブキャンペーンを行いました。


Benjamin Fulford氏などによれば、郵政選挙でCIAが「電通」に対し多額の資金を注入し、
「電通」が各マスコミに働きかけることで、小泉純一郎を全面的にバックアップしたと言われています。


http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/03/post-11.html

藤原 肇著『朝日と読売の火ダルマ時代』より、「秘密の鍵はニューヨークにある」
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410030000/

http://ofureko.exblog.jp/9076799/

また、2000年7月16日付「琉球新報」によると、
1968年11月に行われた、沖縄の日本“返還”後初の「沖縄知事選挙」において、
米国CIAが、自民党の知事候補に選挙資金を援助し、自民党を勝たせるように裏工作していた事実が報道されています。

この記事では、
米国大使館から出された「自民党にCIA資金を選挙の裏金として渡すよう」指示した、1968年8月16日付の電文がスクープ掲載されています。

尚、この「沖縄知事選挙」で、自民党幹部職員として選挙を担当していた金尚氏によると、
CIAの代理人として、沖縄でCIA資金2000万円の授受を担当していたのは、小泉純一郎・元首相その人です。
(週刊文春2002年8月15日、22日合併号)

つまり、このことから小泉純一郎・元首相は40年前から既にCIA工作員であった、ということが窺えます。

(第2章)米国の占領政策


第二次世界大戦直後の米国による日本占領政策は、3R、5D、3S政策と言われました。3Rは基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。

3Rの第1は、復讐(Revenge)。第2は、改組(Reform)。日本の従来の組織を抜本的に組み替えること。
第3は、復活(Revive)。改革したうえで復活、つまり独立させるということです。

5Dの第1は、武装解除(Disarmament)。第2は、軍国主義の排除(Demilitalization)。この2つが憲法九条の目的です。
第3は、工業生産力の破壊(Disindustrialization)。軍国主義を支えた産業工業力を打ち壊すというもの。
第4は、中心勢力の解体(Decentralization)。財閥の解体。内務省を潰す。警察を国家警察と地方警察に分解する。
第5は、民主化(Democratization)。日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除し、米国的に民主化する。

その為に日本帝国憲法を廃棄し、天皇を元首から降ろす。新憲法を制定して、天皇を象徴にする。
皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す。国旗の掲揚を禁止し、教育勅語を廃止する。

以上の5D政策を円滑、或いは活発に行わしめる補助政策として、3S政策というものがあります。
第1のSは、セックスの解放。第2のSが、スクリーン。つまり映画・テレビ等を活用する。音楽もこれに含まれます。
第3のSが、スポーツの奨励。

これらを楽しんで、大衆は無知蒙昧なままでいろ。政治に関心を持つな、という政策でもあり、今の日本人は3S政策にすっかり
嵌ってしまっています。まさに「電通」が生業としているのが、この3S政策の分野なのです。

日本占領政策の一環として、今ある社会の娯楽があることを理解して物事を見れば、それまでと違った感じ方が出来るように
なるのではないでしょうか。

これらの日本占領政策の最終目的は何でしょうか?

それは、次に紹介するサイトに答えがある気がします。その中でも、このページが“洗脳”の理由としてわかりやすいのではないかと
思います。


『私たちは気づかぬうちに搾取されている』、『新階級社会へ』、『至高の武器“おカネ”』、『私たちに何が出来るのか?』
http://www.anti-rothschild.net/main/08.html←重要です。

日本はサンフランシスコ講和条約で独立国として承認されていなかった!?(苫米地英人著『脳と心の洗い方』より抜粋)
http://www.anti-rothschild.net/material/36.html


もし、「自分は物知りだ」と思っている人間君は、一度振り返ってみて欲しいワン。
実は、自分が得た知識って、殆どがテレビや本など、マスコミを通して知ったものばかりのはず(最近はインターネットも多いらしいね)。
自分の持っている知識のうちの何パーセントが、自分が実際に見たり体験したりして得た知識だい?
実はその殆どは、実際に自分で見聞きしたモノじゃないでしょ?
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061212


日本独立の気概は、どこで失われたのか?
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070329

CIAの「日本のTV放送監視機関」→CIAは米国の対外諜報機関なので、当然と言えますが・・・
http://alternativereport1.seesaa.net/article/120037441.html

「CIA(Central Intelligence Agency)」とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80

「電通」のインターネット・監視ビジネスは、軍隊のサイバー部隊の行っている仕事の民営化版である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/104938130.html

http://alternativereport1.seesaa.net/article/119303675.html

(第3章)「電通」と東京オリンピック誘致、世界陸上などの利権


◆「電通」と東京オリンピック誘致の利権


2016年夏のオリンピック招致にむけて東京都(不本意な石原都政)が、「電通」に委託事業費の86.5%を独占させていたことが
2009年3月11日、東京都議会予算特別委員会で明らかとなり、
その結果、2006年度から2008年度にかけて東京都(不本意な石原都政)が発注した委託事業費30億1059万円のうち、
「電通」に、26億345万円(全体の86.5%)を発注したことが判明。

また、東京都(不本意な石原都政)の招致本部が「電通」との契約を、競争入札なしで特定の企業の指定を行う「特命随意契約」で行い、
他企業に発注出来るはずの都バス車体広告、機運を盛り上げる為のTOKYO体操の企画まで「電通」に委託していたことが明らかとなった。

知事本局が2005年11月に、オリンピック招致事業の基礎調査の発注にあたり、
「博報堂」など他の広告大手と企画競争をさせず、「電通」のほか人材派遣会社など4社を指名した企画提案の審査の結果、入札なしで「電通」に発注。
これを契機に都招致本部は、重要な委託事業をすべて「電通」に特命随意契約で発注してきた。

更に、都生活スポーツ局の事業委託でも、「電通」の占める割合が51.8%(7億1000万円)もあったことが判明した。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-03-12/2009031201_04_0.html

北京オリンピックの視聴率の結果、オリンピック・各大会の放映権料と視聴率を比較
http://d.hatena.ne.jp/longlow/20080825

2004年10月21日、「電通」は、2004年9月中間期の単独経常利益が、前年同期比35%増の252億円になったと発表した。
従来予想を30億円上回った。五輪効果で広告事業が好調だった上に、粗利益率も期初見込みより0.2ポイント改善。
IT(情報技術)関連の開発費が計画より少なくなり、販管費を抑えたことも寄与した。

http://mediainsight.jp/clip/2004/10/35.html

2005年、「オリンピック」の肖像権が選手個別に管理されることになり、
選手が「日本オリンピック委員会(JOC)」と契約せず、CM出演など、より自由な商業活動を希望した場合は認めることになった。
また、それまで広告代理店4社と契約していたマーケティング活動は、2005−2008年の次期システムでは、
36億円の収入を最低保証として提示した「電通」を基本的に専任とすることで一致した。

http://www.47news.jp/CN/200311/CN2003112801000339.html

http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200411/11toku1.html

石原慎太郎都知事は、東京オリンピック招致委員会に独自の調査をさせ、「東京オリンピックの招致を望む声は70%ある」としていた。
(2009年6月4日)

→注.つまり、「電通」がアンケート調査のうちで、「招致開催賛成の多い」サンプルだけを意図的に取り出して発表したようだ。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20090604


YouTube - 東京五輪誘致は「電通」のマッチポンプ
http://www.youtube.com/watch?v=jJjU_r2qstM&eurl=http%3A%2F%2Fmontagekijyo%2Eblogspot%2Ecom%2F2009%2F04%2Fblog%2Dpost%2Ehtml&feature=player_embedded#t=12

2016年夏のオリンピックが米国になることを見越してなのか、
2009年7月10日、「電通」は、ニューヨーク州に新会社「電通スポーツアメリカ(「電通アメリカ」とは別)」を設立。
http://markezine.jp/article/detail/7793

◆石原慎太郎が「東京オリンピック誘致」で誤魔化したい案件 その1


「新銀行東京」の累積損失(グラフ)
http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20090707

http://wanwanlapper.seesaa.net/article/123030575.html


◆石原慎太郎が「東京オリンピック誘致」で誤魔化したい案件 2

「臨海部副都心開発基本計画(1988年3月策定)」の莫大な負債額は、2兆4466億円

→注.この計画の予算は当初計画で4兆1000億円とされており、最終的な総事業費は10兆円と見込まれていました。

http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/enshu/Resumes/lec03.pdf

http://www.jichiroren-toshokuro.com/tocyou/yosan/10.pdf

石原慎太郎が「東京オリンピック誘致」でインフラ整備などに投資したお金は、総額8兆5415億円!!

→注.開発費用ですから、ここには「電通」分の経費(広告全般など)は計上されません。

http://esashib.hp.infoseek.co.jp/chintaro04.htm

◆「電通」と世界陸上の利権


参考
http://olympico.cocolog-nifty.com/olympic_plus/2007/08/post_d525.html

http://olympico.cocolog-nifty.com/olympic_plus/2006/06/w_5e5d.html


下記、一部引用、

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≪IAAF 世界陸上2007 大阪大会 組織委員会 理事・監事≫


最高顧問:森 喜朗 財団法人「日本体育協会」会長

最高顧問:御手洗冨士夫 社団法人「日本経済団体連合会」会長

名誉会長:青木半治 財団法人「日本陸上競技連盟」名誉会長

理事(会長):河野洋平 財団法人「日本陸上競技連盟」会長

理事(副会長):井上 弘 株式会社「東京放送」代表取締役社長

理事(副会長):太田房江 大阪府知事

理事(副会長):下妻 博 社団法人「関西経済連合会」会長

理事(副会長):關 淳一 大阪市長

理事(副会長):帖佐寛章 財団法人「日本陸上競技連盟」名誉副会長

理事(副会長):俣木盾夫 株式会社「電通」代表取締役会長

(以下略)

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日本で「世界陸上」を独占中継しているのは「TBSテレビ」であり、1999年のセビリア大会から5回目となる。
、「国際陸上競技連盟(IAAF)」と「TBSテレビ」が直接交渉したのは、最初の1999年だけであり、以後は「TBSテレビ」ではなく「電通」が直接の窓口になっている。

1999年に「電通」は、「国際陸上競技連盟(IAAF)」主催の全47大会の、2000〜2009年の10年分の国内放映権を一括して獲得。
その金額は80億円〜90億円と推定されており、放送権は、地上波に加え、衛星、ケーブル、ラジオまで含んでいる。

「電通」は、スポーツの放送権を長期で獲得し、国内で転売するビジネスを強化しており、商社のように放送権を転売することによって儲けを出す仕組みだ。
「世界陸上」は奇数年に開催されるが、これは、偶数年の「夏季五輪(オリンピック)」や「サッカー・ワールドカップ」が開催されない年にいかに稼ぐか、を考えてのことだ。

「電通」が持っている、「国際陸上競技連盟(IAAF)」主催の国際大会の権利は、「世界陸上」以外には次のようなものがある。

「世界室内陸上選手権」、「ワールドカップ陸上大会」、「世界ジュニア選手権」、「世界ユース選手権」、「グランプリ・ファイナル」、
「世界クロスカントリー選手権」、「世界ハーフマラソン選手権」、「ワールドカップ競歩選手権」

I、「国際陸上競技連盟(IAAF)」にとってみれば、売り難い商品を抱き合わせにして一括で売っている訳で、
こうした大会は、実は「TBSテレビ」で誰も見ていない日曜の深夜などに放送されている。

昨年2006年3月には、「読売新聞」に次のような記事が載った。

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「電通」は18日、「サッカー・ワールドカップ」の2010年南アフリカ大会と、2014年の大会(開催地未定)に関する、
(日本を除く)アジア地域での放映権を獲得したと発表した。国外での放映権取得は初めて。国内分は既に2005年3月に獲得している。
2007〜2014年に行われる「国際サッカー連盟(FIFA)」主催のすべての大会の放映権も含まれている。契約金額は公表していない。

対象となるのは、テレビ、ラジオ、インターネット、携帯電話に関する分野。
1999年に「電通」が「IAAF」と契約したときには明記されていなかったインターネット、更には携帯電話がはっきり明記されていることに注目したい。

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1979年の「ワールドユース」で、初めて国際放送権の交渉も手がけた。
そして現在、「電通」は、「国際サッカー連盟(FIFA)」のマーケティング部門の一翼を担っている。
1990〜1998年の3大会の放送権は306億円だったが、2002、2006年の放送権は、2大会で計2500億円と言われる。
「電通」は、2014年大会までの国内向け放送権を既に獲得済である。


「夏季五輪(オリンピック)」テレビ放映権料(1998年〜2008年)、「サッカー・ワールドカップ」テレビ放映権料(1974年〜2006年)
http://olympico.cocolog-nifty.com/olympic_plus/2006/06/w_5e5d.html


◆「電通」と北京オリンピックの利権

参考
http://markezine.jp/article/detail/2014

http://markezine.jp/article/detail/2527

下記、一部引用、

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「電通アメリカ(「電通スポーツアメリカ」とは別)」は、2007年10月29日、米国と英国に拠点を持つ、広告代理店「ATTIK」を買収したことを発表。

「ATTIK」は、1986年にSimon NeedhamとJames Sommervilleの2人が英国に設立。
活動を始めた当初は、James Sommerville氏の祖母の家の屋根裏(attic)にある寝室が彼らのスタジオだったという。
その後、マッキントッシュを使った斬新なグラフィックデザインによって注目され、米国にも進出。
ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンジェルスに拠点を持つ。

「ATTIK」は、「Ford」、「NIKE」、「Adobe」、「AOL」、「トヨタ」などのグローバル企業を多数クライアントに持ち、
中でも、「トヨタ」の小型車Scionについては、ブランディングから広告クリエイティブまでを担当。

広告業界情報サイト「AD WEEK」は、
日米「トヨタ」の役員から2006年に「電通アメリカ」のCEOに就任したTimothy Andree氏が今回の買収に動いたと伝えている。


また、「電通」と中国屋外広告最大手の「分衆伝媒(フォーカスメディア)」傘下の「華光広告(香港)」は共同出資で、
ネット広告企業「電衆数碼(北京)」を2008年3月、北京で設立することで合意。

新規合弁会社の役員会メンバーは「電通」より任命され、既存の北京市・上海市のネット広告業務を新規合弁会社に移転させる予定。

2007年12月時点での中国ネット利用者は、前年比53.3%増の2億1000万人に達し、
インターネット広告市場は2007年には約1400億円、2010年には約4000億円に成長することが見込まれている。

中国電通グループ(「北京電通」・「上海東派」・「北京東宝日海」)の3社は、
ソリューション向上やメディアとの交渉力を高める為に、新しく設立するインターネット広告の専門会社に業務を集約。
中国電通グループのインターネット広告事業の作業委託・集約先として機能すると同時に、直営業による新規得意先の開発などを行う。

新会社は北京市に設立し、株式の比率は、「電通」67%、「分衆伝媒」傘下の「華光広告(香港)」33%となっている。
今回、共同出資社となる「華光広告」の親会社「フォーカスメディア」は、
米ナスダック市場に上場し、屋外メディア、インターネット広告、モバイル広告の3分野で事業を展開。
フォーカスメディアグループが開発したインターネット広告の配信ソフトの市場シェアは、80%を超えるという。

電通グループは2007年、デジタル化とグローバル化への取り込みが不可欠として、「オプト」社との資本業務提携の強化、
米・英「アティック」社の経営権の取得を進めてきたが、今後も引き続き多面的な投資や事業拡大を図るとしている。

http://markezine.jp/article/detail/2392


---引用終わり---


参考
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/marketing/article/111

下記、一部引用、

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『ロイター』の報道によると、「IOC(国際オリンピック委員会)」が手にする北京オリンピック関連の放映権料は、25億ドル(約2600億円)。
前回のアテネ大会における「IOC(国際オリンピック委員会)」の収入総額は40億ドル、そのうち53%の21.2億ドルが放映権料収入だったと報告されており、
15%の値上がりとなっている。
更に、2012年に予定されているロンドン大会の放映権料は、30億ドルを超すと見込まれており、高騰が続く傾向にある。

1984年のロサンジェルス大会が、オリンピック・ビジネスの幕開けと言われており、
この大会から「IOC(国際オリンピック委員会)」にも、開催地域に「オリンピック」により収益が期待出来るようになった。
スポンサーを1業者1社に絞り、清涼飲料水メーカーで、オリンピックマークを使えるのは世界で1社のみとしたことで、
「コカコーラ」と「ペプシコーラ」が競い合ってスポンサー料金が高騰。他にも様々な施策を行って、1セントも税金を使わずに「オリンピック」を成功させた。

このロス五輪から、アテネ五輪までで、放映権料はおよそ5倍に膨らんだ。
「サッカー・ワールドカップ」ドイツ大会では16億ドルの放映権が「FIFA」に入った。
参加選手数も多く、毎日たくさんの競技が行われているだけに「オリンピック」の放映権が高いのも頷けるが、流石にここまで高騰するとなると、
TV局にとっての負担は相当なものだ。

日本は、「オリンピック」を放送するのに、198億円を「IOC(国際オリンピック委員会)」に支払っているのだが、
放映権は、「ジャパン・コンソーシアム」が、「IOC(国際オリンピック委員会)」から放映権を一括購入して、
加入放送局と協議をして、放送協議の振り分けなどを行っている。
また、「ジャパン・コンソーシアム」は、「オリンピック」だけでなく、「サッカー・ワールドカップ」の放映権購入も行っている。

この198億円は、「IOC(国際オリンピック委員会)」の代理人を行っている「電通」に、「ジャパン・コンソーシアム」が支払っている。
「電通」が、オリンピック放映権販売手数料をいくらとっているかは不明。

「電通」は、この高い放映権料金を回収する為の、CMスポンサー探しも行っている。
「電通」は「オリンピック」の放映権だけで、CMスポンサー→TV局、TV局→「IOC(国際オリンピック委員会)」と2度手数料を得ることが出来る。

ソウル大会以降の放映権料、他のスポーツとの放映権料の金額の比較
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/marketing/article/111


---引用終わり---


他、上記内容とは前々関係ありませんが、「電通」のスポーツ事業では、次のような問題点の指摘もあります。

異議っ! ジャニーズだらけのスポーツ中継
http://www.cyzo.com/2008/04/post_468.html

◆石原慎太郎と「電通」

参考
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10129698842.html


2009年8月19日の「日本経済新聞」朝刊『私の履歴書』に、
「電通」の“天皇”成田 豊による、33年前の石原慎太郎・都知事選出馬(落選)での広告戦略の裏話が掲載された。

http://ameblo.jp/garbanzo04/image-10129698842-10086171887.html

1975年4月12日、都知事選の前日に、当時はまだリベラルだった「朝日新聞」に対して、
石原慎太郎を優勢にする為の、プロパガンダ広告を掲載させるように工作(相談と書いてありますが)をして、
そこに深く絡んでいたのが浅利慶太であり、その後、浅利慶太は記事にあるように、長野オリンピックで開会式を演出した。
浅利慶太は、「劇団四季」創設者の一人で芸術総監督であり、中曽根康弘のブレーンとしても知られていた。
その「劇団四季」と言えば、2002年12月、「劇団四季」専用の劇場が、電通本社ビルにオープンしている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E5%8A%87%E5%A0%B4%EF%BC%BB%E6%B5%B7%EF%BC%BD

東京の都市計画と、築地立ち退きの関連年表
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10125747752.html

(第4章)「電通」とエゴポイント


◆煩雑化することによって、天下り法人を潤わせ、利権を作るという賤しさ
(こいつらが貪っているのは、緊急であるはずの補正予算であり、しかも、国の借金です!それを後々、消費税大増税で補うなど
絶対に許すべきではない!)


どうやら、エゴポイントをわざわざ煩雑なシステムにし、利益をいちばん貪っているのは、他ならぬ「電通」のようです。

http://www.eco-action-point.go.jp/index.php5?var=vote/Z02

http://www.eco-action-point.go.jp/business/2009/dentsu_21.html

「電通」が考えた大義名分がこれか?例のB層狙いの資料と殆ど同じレベルだ
http://www.eco-action-point.go.jp/download_data/ecopoint-dentsu.pdf

比較参考、
http://tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdf

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エコポイントの登録・商品交換申請手続き(個人)[エコポイント事務局HP]
http://eco-points.jp/EP/apply/index.html

エコポイントの登録・商品交換申請手続き(法人及び個人事業主の方)[エコポイント事務局HP]
http://eco-points.jp/EP/information/090728_1.html

上記、2つの手続きを前提とした、基金設置法人及び事務局の事務費用の見込み


◎基金設置法人:環境パートナーシップ会議基金管理及び事務局指導監督業務(3年間分)→1億2000万円

◎エコポイント事務局(グリーン家電普及推進コンソーシアム 主幹事は「電通」)→68億円


【68億円の内訳】

・事務局費(事務局人件費、事務所・作業所等賃料)→4億4000万円

・申請処理等業務費
(申請受付・入力・通知費、交換商品の受付・発注経費、コールセンター関係費、
申請書・通知ハガキ・交換商品リスト等印刷物制作費、システム関係費、広報関係費等)→57億4000万円

・交換事業者への支払関係経費(振込手数料)→3億円

・消費税→3億2000万円


http://www.env.go.jp/policy/ep_kaden/090601a.html

→注.大体、このエゴポイント用のHPだって、いくらかかっているのかわかったもんじゃない。

http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200809/07/02/f0180002_1052677.jpg


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2009年6月3日、政府は、省エネ家電の購入支援策「エコポイント」の運営事務局に「電通」や「凸版印刷」などによる6社連合を選定した。
運営事務局に決まった「グリーン家電普及推進コンソーシアム」は、
「電通」、「凸版印刷」、郵便事業会社の子会社「JPメディアダイレクト」、「JP物流パートナーズ、コールセンター大手の「ベルシステム24」、
「トランスコスモス」で構成する。
事務局には7件の応募があり、第三者による評価委員会が審査して決めたという(が、恐らく随意契約)。

併せて、エコポイントと交換出来る商品の募集も、6月1日から始めた。
商品券やプリペイドカードのほか、地域産品、省エネ・環境に配慮した製品の提供事業者を11日まで募集し、第三者委員会が6月中旬に決定する。

http://japanimate.com/Entry/956/

電通が2009年6月9日に纏めた「夏のボーナスの使い道調査」
http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200906100042a.nwc

エゴポイント、怪しいよ
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-1622.html

エゴポイント、「日本経団連」と政府の深い癒着
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=210204

国策エゴポイントが胡散臭い
http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10241627420.html

仕組みを複雑にすればするほど仕事が増える、ということ
http://blog.goo.ne.jp/thiroi/e/3522b6bfa6323be78b236f1ab706511c

「セブンイレブン」のみの「NANACO」がよくて、青木や九十九等やヤマダ電機全店等で使える「YAMADA」のポイントがダメというのは何故?
http://reveryearth.blog.so-net.ne.jp/2009-06-21

→注.「セブン・イレブン・ジャパン」の広告代理店が「電通」だからです。

エコポイントにダマされるな!テレビを買っても庶民は4万円も損をする
http://gendai.net/?m=view&g=wadai&c=050&no=19804

(第5章)「電通」と自民党・公明党の政府広報費


聖域なき「構造改革」の聖域は、内閣・政府広報費
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/36c99b217fef54cf354548d387564fb8

http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200809/07/02/f0180002_1052677.jpg


(第6章)満州国―岸 信介―阿片ビジネス=?ミャンマー、「電通」、小泉進次郎、タレント事務所、みーんな疑ってみよう


→注.この章は前回、編纂した『「酒井法子容疑者」の事件と「押尾 学容疑者」の事件と、森 喜朗の、点と線』に繋がります。
相互に補完する二本立てにする為に、今回、「電通」に関する資料を纏めました。ちなみに偶然ですが、ブッシュを日本語にすると、森ですね・・・。

http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/590.html

アヘン戦争の再来という妄想
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-72.html

麻生太郎の資金源?―ジャーディン・マセソン
http://alternativereport1.seesaa.net/article/111019486.html

http://alternativereport1.seesaa.net/article/106592726.html

麻生太郎の資金源?―ブルーム=オッペンハイマー
http://alternativereport1.seesaa.net/article/110564901.html

◆安倍晋三の祖父であり、清和会の源流である、CIAのエージェント・岸 信介が麻薬取引に関与していた可能性


参考
http://taygeta.sagafan.jp/e6883.html

http://anarchist.seesaa.net/article/18290735.html


下記、一部引用、

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北朝鮮による覚醒剤密輸事件が新聞を賑わしているが、大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイものだ。

以下、久保井規夫著『戦争と差別と日本民衆の歴史』より引用、

ケシ類未熟果実に傷をつけて、滲出する乳液を乾燥乾固したものが、阿片だ。
阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。
しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。

モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。
中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。
この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。
国家自体が関わって、中国へ密輸したのが、オランダと英国、そして日本なのだ。

1840年、英国は、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止されたことに、貿易の自由を妨害したなどという口実で阿片戦争を仕掛けた。
中国は敗北し、英国の阿片の毒牙は、ますます中国民衆を蝕んでいった。
中国の弱体を見て、欧米列強は、清王朝に対して不平等条約を強要し、清王朝は、阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。

麻薬中毒の恐ろしさに、1912年に「ハーグ阿片条約」、1925年には国際連盟による「ジュネーブ阿片条約」が結ばれたが、
欧米の帝国主義者たちは、自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。

中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。
輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。

1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。

日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。
しかし直ぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。
やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。
日清戦争後に、台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。

大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、
台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善する為、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。
モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、
大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。

更に、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。
医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、
中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。

この時、陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。
戦後右派の黒幕となり、日本を動かしていく曲者たちは、阿片で莫大な財産を手中にする。戦後、岸 信介などが作った自民党は、
元々は阿片の金で動いていた麻薬党なのである。

拡大した市場は、もはや英国の阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。

植民地だった朝鮮半島でも、中国への阿片輸出の為、
3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。
阿片・麻薬の需要は増大し、「三井物産」と「三菱商事」が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。

英国とフランスによって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。
実に欧米に成り代わった日本は、大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、「三井物産」・「三菱商事」の阿片船がアジアを往来した。
「三井物産」は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。
「三菱商事」は、「三井物産」の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。

南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、更に日中戦争へと突入する。

日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。
これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。

傀儡政権の満州・内蒙古では、堂々とケシが大量栽培されていた。
満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。

阿片王と呼ばれた二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。
長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。
中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで、吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったという。


内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。
阿片・塩・鉱山物が、政府の重要な財源となっていたのだ。
日本の占領地経済を纏めていた興亜院が、阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。
日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売した為、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。


流石に、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。
国際連盟阿片諮問委員会議事録には、エジプト代表ラッセル・パッシャの陳述も残っているが、
何とも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。

安倍晋三の祖父・岸 信介は、1936年10月、
満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかった為、国政の最高機関であった)に就任。
満州時代、関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。
阿片による莫大な金が岸 信介に動いたことは容易に想像出来る。


---引用終わり---


更に詳細について書かれているのが下記、

戦後秘史、伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen.html

里見 甫は、A級戦犯として巣鴨プリズンに入りながら、無罪で釈放された。そして言葉少なに、こう語っているという。
「米国の関係者が、利用価値があると見て、釈放してくれたのではないか」
「法廷に提出されたのは供述調書の1部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽された」

http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-7.html

阿片と聞いてはじめに思い浮かべたのは、ミャンマー、タイ、ラオスにまたがる世界有数の麻薬生産地である「黄金の三角地帯」で
長らく「麻薬王」の異名を取ってきたクン・サーだった。
http://blog.livedoor.jp/timeless01/archives/50393047.html


◆「黄金の三角地帯」


「黄金の三角地帯」とは、東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州に属する。
別名「黄金の三角地帯(Golden Triangle)」といい、
アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近の「黄金の三日月地帯(Golden Crescent)」と並ぶ世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯であった。
現在では、経済成長や取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にあり、
逆にミャンマーのシャン州では、いくつかの軍閥が麻薬生産ばかりでなく、覚醒剤の製造も行ない、更には合法ビジネスを行うなど二極化の傾向にある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%9C%B0%E5%B8%AF

http://park10.wakwak.com/~asian_travel_1/Northern_Thai/sub11_5_03.htm

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1850/essays/02.html

バンコク週報、
タイ商工会議所が実業家を対象に実施した世論調査によれば、麻薬一掃キャンペーンの支持率は84.75%にのぼった。
http://www.bangkokshuho.com/archive/2003/daily/03archives/030303.htm

2009年7月30日、日本政府、ミャンマー難民キャンプにおける職業訓練を支援
http://www.th.emb-japan.go.jp/jp/jis/2009/0945.htm

対ミャンマー援助で日本政府が困難な立場に
http://www.afpbb.com/article/politics/2295836/2222650


『ミャンマーの軍事政権の背後に居るのは誰か?』オルタナティブ通信

http://alternativereport1.seesaa.net/article/61925826.html

下記、一部引用、

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中国とミャンマーの国境線に沿い、
監視カメラ、通信衛星、赤外線センサー等を組み合わせた「電子監視所」が多数、設置され始めた。

通信衛星を使用していることは、言うまでもなく欧米政府(主に米国)がこの件に深く関与している事を示しているが、
この国境地帯は、アフガニスタンに次ぐ世界第2位の麻薬生産地帯であり、
栽培されている阿片盗難防止と、中国・ミャンマー両国政府間で推進されているこの地域のガス田開発の警備強化が、「電子監視所」設置の名目となっている。

これはまた、ミャンマーの軍事政権からの弾圧を逃れ、中国への亡命者が多発していることを示している。

同時に、ミャンマーの軍事政権と中国政府が、この地域の麻薬を資金源として来た事実、
その麻薬を近年「盗んで売り、資金源とする」反政府勢力(つまり、スーチー女史の勢力)が出てきていること、
政府と反政府の間で、麻薬の「奪い合い」が起こっていることを示している。

ここには、麻薬を支配した者が政治資金を支配し、政治権力を握るという、中国、ミャンマーの「権力メカニズム」が明確に出ている。
そして、麻薬盗難の監視が、ガス田開発の警備として行われていることは、麻薬の売上がそのままガス田開発に注入されている構造が透けて見える。

この中国政府、ミャンマー政府の強力なバックアップで、と言うよりも、中国政府・ミャンマー政府“そのものとして”、
麻薬生産、ガス田開発を担当し、「電子監視所」を次々設置、運営しているガス会社が、「キッシンジャー・アソシエーツ」である。

1977年、ヘンリー・キッシンジャーは、フォード政権の国務長官を退任後、国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立し、社長に就任。
同社には、ジョージ・ブッシュ(父)政権で国務副長官を務めたローレンス・イーグルバーガー(後に国務長官)や、
国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフトなどが参加している。
また、バラク・オバマ政権で財務長官に就任したティモシー・ガイトナーも、一時同社に籍を置いていた。

最近では、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権において、指南役として活躍した。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュは、ヘンリー・キッシンジャーとは定期的に会談の機会を設けており、政権外で最も信頼する外交アドバイザーであった。
ヘンリー・キッシンジャーは、ブッシュ政権下で行われているイラク戦争も基本的に支持していた。


ヘンリー・キッシンジャー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

ティモシー・ガイトナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC

http://www.afpbb.com/article/politics/2541782/3548905

◆小泉進次郎と、CSIS(戦略国際問題研究所)と、ミャンマー


小泉純一郎の後継者、次男・小泉進次郎は、大学卒業後、フリーターをしながら英語を学び、米国コロンビア大学に留学、
2006年6月〜2007年6月まで、ワシントンのシンクタンク「CSIS(戦略国際問題研究所)」に補助調査員として勤務。
「CSIS」は、クリントン、ブッシュ両政権の元幹部が勤務する他、日本から官僚が出向する日米両政府と緊密な関係にある。
小泉純一郎と旧知の間柄である、米国国家安全保障会議アジア上級部長だったマイケル・グリーンが、「CSIS」日本部長に就任しただけに、
コネ就職ではないか?と取り沙汰された。

http://amesei.exblog.jp/4035138/

政治評論家・有馬晴海は、「小泉氏の息子というのは受け入れ側にとって非常にメリットが大きいことを考えると、コネと考えるしかない」と指摘。
「小泉氏が一々関与しているとは言わないが、小泉家が戦略的に進次郎氏を再生させる道を作り、それが成功したと言えるだろう」と分析する。

ワシントンのジョージタウン大学内にある、「CSIS」は元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。
エドマンド・ウォルシュは、ナチス・ドイツの地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、ナチス地政学を米国に“移植”する為、「CSIS」を創立した。

「CSIS」は、ヘンリー・キッシンジャー、ブレント・スコウクロフトが、顧問として名前を連ねており、
ズビグニュー・ブレジンスキー(バラク・オバマのブレーン)が理事を務めている。

小泉進次郎とミャンマーの線について、中田安彦さんの『ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報』から下記、抜粋、

-------------------------------------------------

今日の『日刊ゲンダイ』に「小泉Jr.が書いた怪しい英語論文の中身」と題する記事。

要するに、マイケル・グリーンと小泉首相の次男・進次郎が共同執筆論文を発表したと内容。
論文といってもpdfで9ページ程度のもので「ブリーフィング・ペーパー」のようなもの。研究員として何かのノルマがあるのでしょう。

小泉Jr.が「CSIS(戦略国際問題研究所)」で働き始めたのは今年の6月。
内容は、『ゲンダイ』で天木直人さんが言っているようにたいしたことはないのだが、一点だけ気になる記述を発見。

それは、レポートの後半にある「イランとミャンマー」という項目。

この中でイランについては、例のアザデガン油田について述べており、
「日本はイランの各開発問題のゆえに、実質的な油田権益を守ろうとする方向からシフトしつつある」と述べているのだが、
問題はミャンマーのところ。

最近、「アッキー」こと安倍昭恵さんが、
月刊誌や女性週刊誌で「アジアのミャンマーに学校を作る運動に参加している」という記事がいくつか出ていますが、

http://www.akie-abe.jp/index.php?ID=130

日本のミャンマー戦略というのは、小泉Jr.とマイケル・グリーンが書いたペーパーによれば、
「この6月末の会談で、麻生外相とコンディ・ラス国務長官は、国際社会はミャンマーの民主化を進めることで圧力を一致して掛けなければならない」
と一致したという。
9月15日には、米、英、仏を含めて日本はミャンマー問題を国連の議題に挙げることで一致、
その背景には「法と自由の民主主義の原則を徹底させる」という小泉・安倍内閣の一致したスタンスがあると指摘している。

そんなにミャンマーに拘るのは何か理由があるのか?と思って調べてみました。

ミャンマー、天然ガスへの依存を強めるミャンマー経済
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Asia/Radar/Myanmar/20060801.html

その他、レアメタルとしてのニッケルの産出もあるようですが、
基本的には天然ガスのパイプラインを中国に向けてだけ引かせるわけには行かないという判断でしょう。
東南アジアで中国の資源戦略に楔を入れておくという意味があるようです。

→注. ミャンマーにおける鉱物資源と投資動向(pdf)
http://www.jogmec.go.jp/mric_web/kogyojoho/2001-09/2001-09-04.pdf

また、植物資源国でもある(勿論、ケシなども植物)
http://www.jica.go.jp/myanmar/activities/project/12.html

→注.ビルマ(ミャンマー)の歴史
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25782658.html


小泉Jr.のレポートは後半は4枚ほど日米関係のここ数年の出来事一覧表が載っておりまして、事実上このレポートは5枚ということになりますな。
マイケル・グリーンもこんなJr.の指導係を引き受けさせられて大変だなあと思います。

(略)

----引用終わり---

小泉純一郎の後継者、小泉進次郎の正体
http://alternativereport1.seesaa.net/article/107318894.html

地政学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6

ロバート・ゲーツ元CIA長官と、ブレント・スコウクロフト
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/sunohara/20061110n99ba000_10.html

「CSIS(戦略国際問題研究所)」には、レーガン政権元国防次官であり、「核の神学者」であるフレッド・チャールズ・イクレも名を連ねている

http://www.foreignaffairsj.co.jp/archive/yoshi/1996_02.htm

広瀬 隆著『赤い楯−ロスチャイルドの秘密 下巻』集英社、1991

1988年、27億スイス・フランの麻薬資金洗浄疑惑。
司法大臣・警察大臣を兼務するエリザベート・コップは、捜査内容を銀行経営をする夫ハンスに連絡。ハンスは容疑者。
エリザベート・コップ、旧姓イクレ。レーガン政権下国防次官フレッド・チャールズ・イクレもスイス出身。
当時CIAの秘密口座がクレディ・スイスに作られた事を思えば、イラン・コントラ武器密輸と無関係とは言えない。

http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/in/b_rothschild3.htm

◆世界最大の麻薬販売企業CIAと、世界の麻薬王ブッシュ(小泉純一郎の親友?)


http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200611-1.html

下記、一部引用、

-------------------------------------------------

1. 「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるタイ、ラオス、ミャンマー国境の麻薬生産地帯、そこを支配する麻薬マフィアのボス、クン・サーは言う。
「生産した麻薬は、全て米国政府が買い取ってくれる」

クン・サーの言う米国政府とはCIAの事で、中国共産党に追放された中国国民党を武装させ、中国共産党を倒す為、
再び中国政府と台湾政府、そして「ゴールデン・トライアングル」の反共産軍に戦争を行わせる。

その武器購入の資金源としてCIAが、この地域で50年前から麻薬生産を推し進めてきた。
かつて、世界最大の麻薬生産地帯だった「ゴールデン・トライアングル」を育ててきたのはCIAであり、
その中心、アジア麻薬の父が、ブッシュの前国防次官リチャード・アーミテージである。

同様の事は、かつてソ連と米国が戦ったアフガニスタンでも行われた。米国側ゲリラの武器購入費用捻出の為、CIAがアフガンで麻薬生産を推進して来た。
現在では、「ゴールデン・トライアングル」を上回る麻薬生産地であるアフガンも、CIAが育成して来たのである。

(トウ賢著『ゴールデン・トライアングル秘史』NHK出版 P144、154、167、177)


2. 米国に大量に麻薬が流入し始めた70年代、
コロンビアからの麻薬密輸業者であり、マネーロンダリング(麻薬資金洗浄)の草分け的存在でもあった伝説の人物、アイザック・カッタンは、
銀行デューク・ベレラの全米支店を利用し、麻薬密売の代金を回収していた。「ベレラ」社は麻薬資金と知りながら、カッタンに協力し続けていた。

(ロバート・ポウィス著『マネーロンダリング』西村書店 上巻 P110〜113)


3. 「ベレラ」社の創立者ニコラス・デュークは、CIAの創立者であり、デュークは第二次大戦中、児玉誉士夫と共に中国でアヘン売買を行っていた。
アヘン密売業者がCIAを創立し、米国の麻薬の黎明期、麻薬密売代金を回収して来たのもCIA創立者の銀行だった。

(アルフレッド・マッコイ著『ヘロイン』サイマル出版 上巻 P19)


4. デュークは、同時に世界最大の産金業者、南アフリカの「ニューモント・マイニング」社の創立者であり、
ブッシュ一族の経営する「ハリマン銀行」は、「ニューモント・マイニング」社の傘下企業である。

(メンシコフ著『アメリカ金融寡頭制の構造』ミネルヴァ書房 P363)


5. 父ブッシュは、麻薬商人ベレラの「ニューモント・マイニング」社のカナダ支部「バリック・ゴールド」社の取締役である。
ブッシュの大統領補佐官ブレント・スコウクロフトは、「ニューモント・マイニング」社の取締役であると同時に、
ブッシュの経営する軍事産業投資会社カーライルの取締役である。
スコウクロフトは、「ライブドア」の親会社「リーマン・ブラザース」の取締役でもあり、次期大統領候補コンドリーザ・ライスの恩師・先生である。
つまり全員、麻薬業者、CIA創立者の傘下に居る事になる。


6. 70年代から30年間に渡り、ゴールデン・トライアングルから麻薬を米国に運んでいたのは、CIAの輸送会社「エア・アメリカ」だった。
この会社は、ブッシュの部下オリバー・ノースが経営していた。
父ブッシュは90年代、大統領命令でベネズエラから1トンもの大量のコカインを米国に輸入し、街頭で販売していた。

(ジェフリー・ロビンソン著『マネーロンダリング』三田出版会 P388)


7.「エア・アメリカ」で運び込まれる麻薬は、CIAの銀行「BCCI」で支払いが決済されていた。
この銀行を使い、CIAは世界に米国製武器を密売し、麻薬資金を回収し、テロリスト、ウサマ・ビン・ラディンに資金を提供していた。

現在、インターネット上でのやり取り、電話の会話を盗聴している「軍事衛星エシェロン」に使用されているバックドア付き(盗聴システム付き)の軍用ソフト「プロミス」も、
この銀行を通じ、ブッシュとCIAにより世界中に販売されて来た。

(ジョナサン・ビューティー著『犯罪銀行BCCI』ジャパンタイムス刊)


8. ブッシュとCIA、「BCCI」の武器密売が明るみに出たのが、89年のイラン・コントラ事件だった。ブッシュとCIAは、敵国イランとニカラグアに武器を売り、
代金を受け取っていた。代金は一部現金で「BCCI」に振り込まれ、特にイランからは麻薬の形で代金が支払われた。
イランから支払われた麻薬は、ブッシュとCIAにより米国の街頭で若者に販売された。

(ジャン・ジグレル著『スイス銀行の秘密』河出書房新社 P155〜157)


9. ブッシュとCIAの下部組織として麻薬を街頭で販売しているのが、イタリア・マフィア、「コーサ・ノストラ」である。
第二次大戦中、イタリアのムッソリーニと戦う米軍のイタリア系兵士が、祖国イタリアに忠誠を誓い、米軍の軍事情報をムッソリーニに横流する事態が横行した。
困った米軍はCIAに依頼し、イタリア・マフィアにイタリア系兵士多数の身辺監視を依頼した。
それ以後、CIAと「コーサ・ノストラ」は一体化する事になる。互いの利益は麻薬販売という点で一致した。
「コーサ・ノストラ」は、麻薬の利益をCIA銀行「BCCI」から本国イタリアの「アンブロシアーノ銀行」に送金し続けた。

(リチャード・ブルム著『オフショア市場の犯罪』東洋経済新報社 P294)


10. 銀行を支配する持ち株会社「インター・アルファ・グループ」の中に、「アンブロシアーノ銀行」とブッシュの「ハリマン銀行」はあり、
この2つの銀行は、同一組織の手足である。

(布目真生著『ユーロバンキング』日本経済新聞社 P133〜135)


11. 世界最大の麻薬販売企業はCIAである。
アフガン戦争は、麻薬生産を拒否するタリバン政権を倒し、米国内の麻薬不足、CIAの裏金不足解消も目的の1つだった。

(Alfred. W. McCoy The Politics of Heroin:CIA Complicity in the Global Drug Trade. Lawrence Hill Books. P18〜19. 162〜163. 222〜223. 436〜437)


---引用終わり---


綿花の流通ルートは、ヘロインの流通ルートであり、CIAの活動ルートである
http://alternativereport1.seesaa.net/article/75055908.html

(第7章)「電通」と各テレビ局、各新聞、クライアント(外資企業、日本経団連企業)、報道規制、言論封殺、世論操作、圧力など

参考
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1143887


「電通」について語る際、どうしても外せないのがこのコネ入社の実態だ。その大半が政官財の有力子弟または関係者だといっていい。
『噂の真相』が1990年代に調査しただけでも、
「西友」、「資生堂」、「カネボウ」、「レナウン」、「味の素」、「ライオン」、「日立製作所」、「三菱自動車」、「野村證券」、
「グリコ協同乳業」、「JAL」、「第一生命」等々、日本の一流企業と言われる幹部の子息が勢揃いしたかのように、「電通」に席を置いた経験があるのだ。
自民党の安倍晋三の妻である(森永製菓社長令嬢)も、「電通」に勤務していた過去がある。
広告主企業だけではなく、マスコミの舎弟も積極的に取り込んでいる。

「電通」の顧問には、成田 豊をトップに、中曽根康弘・元首相が政界を引退後、密かに就任している。
「電通」が手がけた沖縄サミットで、警備の責を担った元警察庁警備局長の金重凱之も2001年6月に顧問に就任。
2001年の東証上場に際しては、「日銀」理事・「日本輸出入銀行」副総裁を歴任した南原 晃を社外顧問に迎え入れた。
ロサンゼルスオリンピックの組織委員会委員長を務め、現在は米オリンピック委員会の専務理事であるPeter Ueberrothという人物もいる。

テレビ界では、「テレビ朝日」と「TBSテレビ」に対する「電通」の資本投下が露骨である。
2003年の『会社四季報(東洋経済)』によると、
「電通」による出資は、「テレビ朝日(証券コード:9409)」で1.2%、「TBSテレビ(証券コード:9401)」で2.5%(=日マスト信信託口)となっている。

各テレビ局の広告収入における「電通」の占有率を見ると、
「TBSテレビ」、「テレビ朝日」、「日本テレビ」、「テレビ東京」、「フジテレビ」という順番になっている。
各キー局単体の売上高に占める割合は、「TBSテレビ」・「日本テレビ」・「テレビ朝日」は40%を上回り、「フジテレビ」でも33.4%になるという。
この収益構造からして、民放テレビ局は実質的に「電通」の支配下にある、と言える。
国内第二位の「博報堂」ですら、「電通」の半分から3分の1に過ぎないらしい。

→注.「電通」が2007年 日本の広告費を発表、テレビは2兆円を切る。同時に2008年も、新聞・テレビ広告などの減少傾向は続くと見ている。
http://news.livedoor.com/article/detail/3519013/

→注.「電通」日本の広告費を発表、2007年総広告費は7兆円台、ネット広告費は前年比124%の6000億円突破。(わかりやすい図解あり)
http://markezine.jp/article/detail/2749

→注.2008年はネット利用者の伸びについては以前ほどの伸長はなく、インターネットの総PV数の伸びは鈍化の傾向。
しかし、その一方で動画視聴などは増加して総利用時間は延びるといったこれまでとは違う質的な変化が見られるようになった。
一般的な傾向としては、PC よりもモバイルの伸長率が高く、またバナーなどのディスプレイ広告に比べて検索連動広告の伸長率が高い。
但し、2008年の年末になってからは、景気後退の影響を受けて全般に成長の鈍化が見られるようになったようだ。
http://japan.internet.com/wmnews/20090224/4.html


そんな「電通」の実力を垣間見るのが、企業絡みのスキャンダル、批判を報道する際の圧力だろう。
大手企業のスキャンダルに際し、広報に取材を申し込んだ途端、何故か企業の広告担当者だけでなく、「電通」からも担当者がすっ飛んでくる、
というエピソードは日常茶飯事、掃いて捨てるほどよくある話だ。

「勿論、企業絡みの記事に関し、現在でも「電通」からの直接の圧力はあります。
しかし、今では「電通」絡みの大スポンサーに関する事件なんて、余程の大事件でないとこちらも記事はおろか、取材さえもしませんよ。
どうせ取材しても潰れるだけですから、自粛しちゃいます。まあ、警察発表があったり、検察が動くような企業事件だけは別ですけどね」
(現役週刊誌記者)

広告主に絡む不祥事があった場合は、マスコミは報道出来ない、或いは自粛せざるを得ない、という話である。
不祥事を葬り去るのも、「電通」担当者の仕事のうちだ。

→注.宣伝費でマスメディアを支配する影武者「電通」の視えないタブー
http://www.asyura.com/0502/senkyo8/msg/662.html


「もし、50年後や100年後の歴史家が、今のテレビ番組を1週間分見たとする。彼らの目に映るのは、恐らく、今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。
アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも表れている。
だが、我々はテレビの状況を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。
それに気づかなければ、スポンサーも視聴者も製作者も、きっと後悔することになる」

エドワード・R・マロー(映画『グッドナイト&グッドラック』、1958年 E・マローを讃える会でのスピーチより抜粋)

◆「TBSテレビ」

「電通」は、テレビ放送開始に着目し、多くのラジオ局・テレビ局の設立に関与、吉田秀雄は、幾つかの放送局で取締役に就任。
中でも「TBSテレビ」は吉田秀雄の関与が深く、現在でも、民放で最も電通と親密だと言われている。

「TBSテレビ」と「フジテレビ」が「電通」との関係強化の為、
「電通」株を3万株ずつ取得、「電通」株の2005年12月1日の終値は1株33万8000円、取得金額は各100億円程度、
「電通」への出資比率は、それぞれ1.44%、1.37%になった(2005年12月1日)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5300/news/20051201i212.htm

現在、「総力報道!THE NEWS」でメインキャスターを務める後藤謙次は、小沢さんを潰す為に作られた「三宝会」の世話人だった。
http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10262149034.html

http://www.rondan.co.jp/html/news/0007/000726.html

「TBSテレビ」の役員一覧
http://www.tbs.co.jp/company/information/yakuin.html

◆「日本テレビ放送網(読売)」

何故、「日本テレビ」の社名は「日本テレビ放送網」となっているのか?「網」の字にはどんな意味があるのか?
その理由は設立時の秘密にある。
実は、日本へのテレビの導入は、米国による情報戦の一環だった。テレビ放送網は、そのまま「反共の防波堤」であり、
更に軍事通信網にもなるはずだったのである。
「テレビの父」である正力松太郎のテレビ構想は、米国側に巧みに利用されたものに過ぎない。
CIAは正力松太郎に、「PODAM」という暗号名まで付けていたのである。

http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/11/post_9600.html

CIA文書には、本人に知られないように、「PODAM(=正力松太郎)」を、「ポダルトン(全国的マイクロ波通信網建設)作戦」に使うと書いてある。

http://www.f.waseda.jp/tarima/pressrelease.htm


「日本テレビ放送網」は、2006年6月1日、200人以上の社員を擁する報道局のトップに、創価学会員の石井修平を抜擢する人事を発令。
石井修平は1969年(昭和44)「日本テレビ放送網」入社、政治部記者からニュース編集部長などを歴任し、3年前に報道部長に昇格、
この抜擢は、先輩2人を飛び越す異例の人事だった。

読売グループの渡邉恒雄と創価学会の秋谷栄之助会長は、2005年9月に密会がスクープされており、
「日本テレビ」の氏家齊一郎社長も公明党の藤井富雄常任顧問らと親しいとされる。
今回の創価学会員の異例の大抜擢に、中立公正は保たれるのかと「日本テレビ放送網」社内でも声が出ている。


「日本テレビ放送網」の役員一覧
http://www.ullet.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81%E7%B6%B2/%E5%BD%B9%E5%93%A1

「日本テレビ放送網」の大株主一覧
http://www.ullet.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81%E7%B6%B2/%E5%BD%B9%E5%93%A1#%E5%A4%A7%E6%A0%AA%E4%B8%BB

◆「フジテレビ」

「TBSテレビ」と「フジテレビ」が「電通」との関係強化の為、
「電通」株を3万株ずつ取得、「電通」株の2005年12月1日の終値は1株33万8000円、取得金額は各100億円程度、
「電通」への出資比率は、それぞれ1.44%、1.37%になった(2005年12月1日)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5300/news/20051201i212.htm

「フジ・メディア・ホールディングス」の役員一覧
http://www.ullet.com/4676.html#official

「フジ・メディア・ホールディングス」の大株主一覧
http://www.ullet.com/4676.html#stock


◆「テレビ朝日(朝日)」


「報道ステーション」の番組のスポンサー獲得も、全面的に「電通」が行なっている。

湾岸戦争が米国の謀略であることを裏付ける「CIA密約文書」の存在を報道したのは、テレビ朝日『ザ・スクープ』(1991年7月26日放送)だけだった。
アドルフ・ヒトラー曰く、
「戦争を始める為には、それがいかに正義であるかということを、繰り返し述べねばならぬ。一旦勝ってしまえば、その戦いが正義であったか否かを
問い質す者はいない」

(1991年頃はまだ、今のような「テレビ朝日」の読売化は進んでいなかったようだ)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-19.html

石原軍団とテレビ朝日
http://www.cyzowoman.com/2009/07/post_717.html

「テレビ朝日」の役員一覧
http://www.ullet.com/9409.html#official

「テレビ朝日」の大株主一覧
http://www.ullet.com/9409.html#stock


◆「読売新聞社」

政府広報でも「電通」がダントツで、政府御用達広報を殆ど独占しており、
新聞広告の圧倒的なものは「電通」を仲介にして、もたれ合いで安易な営業をしています。
そこには読者なんて存在しておらず、広告を受け取り宣伝を流す対象として、マスに対してのメディアがあるだけです。
「読売新聞」や「毎日新聞」の幹部の子弟たちが「電通」社員、
「朝日新聞」の中江社長の息子も「電通」に入社しているが、飛び降り自殺をした事件が起きた時も、「電通」が工作して新聞記事にならなかった。
それくらい日本のメディアは、「電通」に押さえられ、世界有数の発行部数を誇る大新聞でも、手も足も出ない状態なのである。

「読売新聞グループ」本社の株主構成は、非公開なので詳細はわからないが、取締役社主である正力 亨(正力松太郎の長男)が大株主か?


◆「朝日新聞社」

政府広報でも「電通」がダントツで、政府御用達広報を殆ど独占しており、
新聞広告の圧倒的なものは「電通」を仲介にして、もたれ合いで安易な営業をしています。
そこには読者なんて存在しておらず、広告を受け取り宣伝を流す対象として、マスに対してのメディアがあるだけです。
「読売新聞」や「毎日新聞」の幹部の子弟たちが「電通」社員、
「朝日新聞」の中江社長の息子も「電通」に入社しているが、飛び降り自殺をした事件が起きた時も、「電通」が工作して新聞記事にならなかった。
それくらい日本のメディアは、「電通」に押さえられ、世界有数の発行部数を誇る大新聞でも、手も足も出ない状態なのである。

「朝日新聞社」の株主構成(2005年3月31日時)は、以下のようになっている。


村山美知子 元「朝日新聞社」国際本部副部長 神戸市東灘区 36.46%
上野尚一 東京都目黒区 12.82%
村山富美子 大阪市北区 8.57%
朝日新聞社従業員持株会 8.19%
上野克二 「日本放送協会」金沢放送局長 神戸市東灘区 3.34%
上野信三 「電通サドラー&ヘネシー」取締役相談役、多摩大学大学院客員教授 東京都渋谷区 3.34% ←
朝日新聞社役員持株会 2.18%
小西勝彦 鎌倉市二階堂 1.11%
塩谷律子 東京都世田谷区 1.03%


御覧のように村山家と上野家の「私物」になっているのが朝日新聞の実態だが、3.34%を所有する上野信三氏の経歴に注目したい。

==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--

慶応義塾大学法学部卒業。シラキュース大学大学院ジャーナリズムスクール修了。
「電通」で新聞局、営業局を経て、「電通コーポレーション・オブ・アメリカ (DCA)」執行副社長、
「電通ヤング&ルビカム(DY&Rネットワーク 日米合弁多国籍広告会社)」米国本社執行副社長、
「電通ヤング&ルビカム(DY&Rネットワーク 日米合弁多国籍広告会社)」アジア太平洋リジョナルディレクター、
「電通ヤング&ルビカム(DY&Rネットワーク 日米合弁多国籍広告会社)」ワールドワイド会長、
「電通サドラー&ヘネシー」社長・会長を歴任。
2005年時、「DY&Rネットワーク」名誉会長、兼「電通サドラー&ヘネシー」取締役相談役。多摩大学大学院客員教授。

==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--

「電通」の超エリートのようだ。「電通」の生え抜きエリートが、「朝日新聞」の大株主になっているわけだ。


また、2006年6月26日から「朝日新聞」の主筆(一般記事と社説など論説の双方を統括する職)に就任している船橋洋一は、
下記のようなものを書いている。

アメリカとわたし 船橋洋一
http://www.jpf.go.jp/cgp/info/article/america002.html

http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20080825

船橋洋一は、秋山耿太郎社長の改革路線により、広岡知男以来30年間空席だった、4本社編集局長と論説主幹の上に立つ主筆のポストに起用された。
秋山耿太郎社長に関しては、2006年3月、長男・秋山竜太が大麻所持で逮捕されている。

http://ja.wikinews.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE%E7%A4%BE%E9%95%B7%E3%81%AE%E9%95%B7%E7%94%B7%E3%81%8C%E5%A4%A7%E9%BA%BB%E6%89%80%E6%8C%81%E3%81%A7%E9%80%AE%E6%8D%95

戦後に遡れば、戦前「朝日新聞」主筆だった緒方竹虎(CIAのエージェント)のことに触れないわけにはいかないだろう。
敗戦後、緒方竹虎は、岸 信介同様にしてGHQに釈放されたのち、第4次吉田 茂内閣で当選1回ながら、国務大臣・内閣官房長官に任命され、
1953年(昭和28)5月成立の第5次吉田 茂内閣で副総理に就任。

緒方竹虎は、内閣官房長官であった時、内閣官房内に「調査室」という名称の小さな情報機関を設立した。
これが、現在の「内閣情報調査室」の源流であり、その後、日本版CIA(安倍晋三も頓挫した)を創設しようとしたが、外務省や世論の反対により挫折した。
しかし、この緒方竹虎の動きに目を付けた米国のCIAは、緒方竹虎を日本の首相にさせようと政治工作を行うようになる。

米国側は緒方竹虎(CIAのエージェント)を「POCAPON」という暗号名で呼んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E6%96%B9%E7%AB%B9%E8%99%8E

http://www.asahi.com/national/update/0724/TKY200907230394.html

http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/51604278.html

朝日新聞グループの親米化
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/231434.html

◆「日本経済新聞社」

「日本経済新聞社」の株主構成(2005年2月21日時)は、
『My News Japan』によると、社員とOBだけで全株式を保有。株式の流通を目的とした「日本経済新聞共栄会」があり、株式の約15%を保有。

http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1143887

企業の叩き売りに加担した「日本経済新聞」、滑稽で悲惨なIT関連記事
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070401

日本を「安値」で買う為の構造改革(上記記事と関連して)
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060627

◆「毎日新聞社」


「毎日新聞社」の株主構成(2005年2月21日時)は、以下のようになっている。

「毎日新聞社」従業員持株会 12.96%
株式会社「下野新聞社」 3.61%
「毎日新聞」東京懇話会持株会 3.32%
株式会社「王子製紙」 3.13%
株式会社「UFJ銀行」 3.13%
株式会社「毎日放送」 2.89%
株式会社「日本製紙」 2.72%
株式会社「東京三菱銀行」 2.65%
株式会社「毎日広告社」 2.38%
株式会社「みずほコーポレート銀行」 2.17%


◆「内閣官房報償費」


「内閣官房報償費」は、国政の運営上必要な場合に、内閣官房長官の判断で支出される経費であり、「内閣官房機密費」とも呼ばれる。
会計処理は、内閣総務官が所掌(閣議決定等に基づく各本部等については当該事務局が分掌)する。
支出には領収書が不要で、会計検査院による監査も免除されていて、原則、使途が公開されることは無い。毎年約12億円ほどが計上されている。

以前から「権力の潤滑油」などと呼ばれ、不透明な支出に疑惑の目を向けられていた。
しかし、近年の外務省や都道府県警察本部の「捜査報償費」が裏金としてプールされたり、横領されていた問題の発覚を受け、
元内閣官房長官塩川正十郎が、
「外遊する国会議員に餞別として配られた」、「政府が国会対策の為、一部野党に配っていた」、
「マスコミ懐柔の為に一部有名言論人に配られていた」などと「内閣官房報償費」の実態をテレビで暴露する。

報償費に使い方にマスゴミや一部野党による批判や追及が激しくなり、
与野党政治家主催のパーティー券購入や会食、紳士服の購入、更には官房長官による私的流用疑惑なども噴出する。
これを受け、会計検査院も管理が不十分と指摘、政府は1998年には支出の基準(内規)を設けた(ことになっている)。
報償費には、この他にも、「外務省報償費」「捜査報償費」がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E5%AF%86%E8%B2%BB

http://archive.mag2.com/0000154606/20090513080345000.html

社民党代表の福島瑞穂は、2001年1月24日に開かれた参議院決算委員会で、「内閣官房報償費」、「外務省報償費」について追及している。
http://www.mizuhoto.org/seisaku/09back/0124.html

また、日本共産党委員長の志位和夫が、1987年〜2001年までに使われた「内閣官房報償費」の詳しい金額を暴露している。

http://www.shii.gr.jp/pol/2001/2001_02/2001_0218.html


◆クライアント(外資企業、日本経団連企業)


先ず、広告業界、放送業界、新聞・出版業界、イベント業界、インターネット業界の背後には、「広告代理店」が存在する。

この「広告代理店」の基本的な企業形態は、
“各種のメディアの広告枠を必要とするクライアントに売り、手数料をとるという業態”で、“広告そのものを制作する”こともある。

日本で有名なのは、「電通」、「博報堂」、「読売広告社」、「大広」。
日本では、第二位の「博報堂」の倍の売上げがある「電通」が寡占・独占し、マスコミ、マスメディアをほぼ支配下に収めている。

日本に限らず、マスコミ・マスメディア業界の全ての経営は、広告部門の収益営によるもので、広告収入が経営の全ての鍵を握っている。
よって、報道部門さえも、スポンサーの意向に背けないという構造がある。

日本におけるそのスポンサーは、今やすべて、経団連と米国の巨大ハゲタカファンドであり、
巨大ファンドと通じている米国・ネオコンからの支配を受けているようである。


「電通」はクライアントを三つに分けている。

A.広告売上げが年に100億円を超える企業。「トヨタ自動車(年に1000億円)」、「松下電器産業」、「花王」、「NTT」など。
→これらの企業の為には、「電通」はエース級の社員でチームを編成し、全社をあげて取り組む。

B.「大塚製薬」、「明治乳業」、「三共製薬」、「KDDI」などの中堅どころの企業。
→このランクがもっとも層が厚く、「落としても、代わりの社を取れば問題なし」という扱い。

C.いつ関係が途切れるかわからない会社。
→「電通」は粗利を支える為、躊躇うことなく引き受けるものの、
テレビ局にとっては「電通」が最優先であり、スポンサーが降りるなどして空きが出た場合、テレビ局は、先ず「電通」用にスポット枠をとっておく。

一方、ニュースの問屋と言われる通信社は、日本では、社団法人の「共同通信社」、民間の「時事通信社」などがある。

現在、「時事通信社」は経営が悪化し、「共同通信社」にシェアを譲っている。
また、株式会社「時事通信社」と社会法人「共同通信社」は、電通株をそれぞれ、12.4%、10.6%持ち、1、2位を争う株主であり、役員を派遣している。

近年の通信社の経営状況は、外資系通信社との競合や加盟社からの収入源により、かなり厳しくなっているので、
経営状況のよい「電通(年間売上1.4兆円以上)」が、電通株を手放せない通信社(資本金5億程度)に対して、
報道やニュースソースを制御することは安易である。

こうして「電通」は、広告、新聞・出版、放送業界、また、報道を掌る通信社全般を、背後の米国ファンドの力を借りて統制をとっている、
という構造が理解出来る。

一般企業の広告枠を牛耳るのも「電通」であり、その広告枠を統制すれば、企業は「電通」に頭を下げざるを得ない。

また、視聴率調査会社で知られる株式会社「ビデオリサーチ」も「電通」グループであり、民放で「電通」の出資の多い放送局は、「TBSテレビ」である。


株式会社「ビデオリサーチ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81

テレビタレントイメージ調査
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB

財団法人「日本世論調査協会」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/japor/index.htm

株式会社「電通リサーチ」
http://www.dentsuresearch.co.jp/privacy/policy.html

(第8章)「電通」と創価学会


◆「電通」と公明党

http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200712170002/


◆「日本テレビ」と創価学会、クライアント、創価大学のCM

「日本テレビ」は、2006年6月1日、200人以上の社員を擁する報道局のトップに、創価学会員の石井修平を抜擢する人事を発令。
石井修平は1969年(昭和44)「日本テレビ放送網」入社、政治部記者からニュース編集部長などを歴任し、3年前に報道部長に昇格、
この抜擢は、先輩2人を飛び越す異例の人事だった。

読売グループの渡邉恒雄と創価学会の秋谷栄之助会長は、2005年9月に密会がスクープされており、
「日本テレビ」の氏家齊一郎社長も公明党の藤井富雄常任顧問らと親しいとされる。
今回の創価学会員の異例の大抜擢に、「日本テレビ」の中立公正は保たれるのかと「日本テレビ」社内でも声が出ている。

http://silver.ap.teacup.com/punisher/34.html

http://www.forum21.jp/contents/03-9-1.html


→注.丹波雄哉が、読売新聞の渡辺恒雄と、創価学会の秋谷栄之助会長との会談を画策したらしい。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_giminto_nakasoneron.htm

http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/kok_website/fireworks4/main_pages_sub/OUMUNOSEIRISEITON_PAGE8_4.HTM

(第9章)麻生太郎の祖父・吉田 茂とGHQによってつくられた、「地検特捜部」について


◆「地検特捜部」は、麻生太郎の祖父・吉田 茂とGHQが、赤狩りを目的として創設した機関


「地検特捜部」は、麻生太郎の祖父・吉田 茂とGHQが、赤狩りを目的として創設した機関であり、
そもそも反体制分子を取り締まる為の、極めて権力に迎合した政治的な機関なのです。飼い主には決して噛みつきません。

「地検特捜部」とは、敗戦後の翌々年、1947年(昭和22年→総理は吉田 茂)に
旧日本軍の軍需物資の隠匿を取り締まるという名目で、軍需物資を接収する為に、実質GHQが創設した組織である。

当時、敗戦国の日本は、GHQ(連合国軍総司令部)の管理下にあった。

GHQとは、無条件降伏した日本に対するポツダム宣言条項を執行する為に1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)まで
日本に設置された連合国の機関である。つまり、占領下において「地検特捜部」はつくられた。


→注.日本は「サンフランシスコ講和条約」で独立国として承認されていなかった?(苫米地英人著『脳と心の洗い方』より)
http://www.anti-rothschild.net/material/36.html

「地検特捜部」は、1947年(昭和22年→総理は吉田 茂)、「隠退蔵物資事件」を契機に、
「隠匿退蔵物資事件捜査部(通称「隠退蔵事件捜査部」)」として発足した。

「隠退蔵物資事件」とは、
敗戦後、軍需物資の燃料・アルミ・銅・貴金属・食料約2400億円相当(現在の数十兆円)が行方不明となった事件であり、
それを受けて、

1947年(昭和22年→総理は吉田 茂)3月、日本自由党の世耕弘一(清和会・世耕弘成の祖父)が、
「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。
この発言を契機に、GHQ経済科学局長のマーカット中将の指揮の下、日銀の地下金庫を捜索してダイヤモンドや貴金属類を押収し、
「(衆議院)不当財産取引調査特別委員会」は実態を調査することになった。

「不当財産取引調査特別委員会」が調査を開始したところ、その金の一部が大物フィクサー・辻 嘉六に渡り、
大物政治家に金をばら撒き、政界への発言力を増して、自身に有利な事業展開を図ったことが判明した。

この事件を契機に、
GHQの指揮下にあった検察庁に、「隠匿退蔵物資事件捜査部(現・特別捜査部)」が設置された。

「地検特捜部」から発動される指令を制御する背後組織は今も昔も変わらず、「地検特捜部」の本質は、CIAの出先機関ということだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E9%83%A8


≪地検特捜部が言う“正義”とは、“絶対権力による指令”のことか?≫

(田中派→経世会)田中角栄 ロッキード事件で逮捕 ←東京地検特捜部
(経世会)竹下 登 リクルート事件で失脚 ←東京地検特捜部
(経世会)金丸 信 佐川急便献金・脱税で失脚、逮捕 ←東京地検特捜部&国税
(経世会)中村喜四郎 ゼネコン汚職で逮捕 ←東京地検特捜部
(経世会)小渕恵三 急死
(経世会)鈴木宗男 斡旋収賄で逮捕 ←東京地検特捜部
(経世会)橋本龍太郎 日歯連贈賄事件で議員辞職 ←東京地検特捜部
(経世会)小沢一郎 西松不正献金事件 ←東京地検特捜部
(経世会)二階俊博 西松不正献金事件 ←東京地検特捜部

http://www.forum-j.com/article073.html

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/94dc6a673f6e11740fd34aaf18c040bb

対して、

(清和会)岸 信介 ダグラス・グラマン事件 ←安泰
(清和会)福田赳夫 ダグラス・グラマン事件 ←安泰
(佐藤栄作の周山会)松野頼三 ダグラス・グラマン事件 ←安泰
(清和会)安倍晋太郎 リクルート事件 ←安泰
(清和会)中曽根康弘 ダグラス・グラマン事件、リクルート事件 ←安泰
(清和会)森 喜朗 日歯連贈賄事件、西松不正献金事件 ←安泰
(清和会)三塚 博 国際航業事件、博栄会によるゼネコン疑惑、日歯連贈賄事件 ←安泰
(清和会)塩川正十郎 外交機密費と官房機密費との流用、日歯連贈賄事件 ←安泰
(清和会)小泉純一郎 日歯連贈賄事件 ←安泰
(清和会)尾身幸次 西松不正献金事件 ←安泰

CIAの方針は、「民族主義者(愛国者)を潰せ!」である。

田中角栄元首相は、中国との国交回復をし、更には日本独自の中東外交を展開しようとした。だから抹殺された。
意に反する者は簡単に潰されるのだ。

摘発された中には、自民党の有力派閥で親米、タカ派の「清和会(現在の町村派)」のメンバーはいない。
「清和会」が品行方正なのか、それとも「地検特捜部」の手が緩いのか?

「ロッキード事件」では田中角栄が逮捕され失脚となった。
一方の「ダグラス・グラマン事件」では、「清和会」の岸信介、福田赳夫、中曽根康弘などの名前が挙がっていたが、
起訴はおろか事情聴取すらされなかった。

また最近では、
CIAのエージェント(諜報員)だったことが、米国外交文書の公開によって発覚した岸 信介元首相など、
国益を著しく損なったであろう前代未聞な事件で、「地検特捜部」は知らぬ顔をしていたことになる。

「西松違法献金事件」をみても、怪しい自民党議員は多数いるが、メディアを通じた“小沢潰し”の動きが顕著に見える。

→注.自民党側が仕掛けた策略であることが、ありありとわかる。
http://www.forum-j.com/article073.html

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/94dc6a673f6e11740fd34aaf18c040bb

小泉純一郎元総理はかつては福田赳夫の秘書であった。
安倍晋三、福田康夫は、岸 信介>福田赳夫>森 喜朗に続く系統である。
“郵政民営化”は、貯金の行方や「かんぽの宿」など、大がかりな何かがありそうだが、未だ事件にはなっていない。

共同通信記者出身のジャーナリスト・春名幹男さんの著書に、「秘密のファイル CIAの対日工作(上・下)」(共同通信社)がある。
下巻第八章「政界工作」第1節に「日本情報機関の父・吉田 茂」とある。

吉田 茂首相は、第三次吉田内閣が発足して1ヵ月半後の1949年(昭和24年)3月、
GHQ参謀第1部チャールズ・ウィロビー少将宛てに以下の内容の書簡を送っている。

「日本の共産主義者の破壊的かつ反逆的な行動を暴露し、彼らの極悪な戦略と戦術に関して国民を啓発することによって、
共産主義の悪と戦う手段として、
私は長い間、米議会の非米活動委員会をモデルにした「非日活動委員会」を設置することが望ましいと熟慮してきた」

時代は米国で赤狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れているころのことだったという。
この延長上に1952年(昭和27年)7月、「破壊活動防止法(破防法)」公布と同時に、「公安調査庁」が発足し、
同時期に「内閣調査室」が発足した。

「内閣調査室」は、吉田 茂首相が自分の元秘書官で警察官僚の村井 順に命じて設置した情報機関であることが、上記著書に記されている。
同書は更に、「公安調査庁、内閣調査室とも、米中央情報局(CIA)との友好的な協力関係を今も続けている」、
「CIAとこれら日本の情報機関との協力関係の基礎をつくったのが吉田 茂である」と記述する。

◆世耕弘成(清和会、自民党のゲッベルス)とはどういう人物か?


世耕弘成・自民党議員の祖父である、世耕弘一・元経済企画庁長官は、吉田 茂とGHQが検察特捜部を作る為に、
「隠退蔵物資事件」を演出した人物。
その後、吉田 茂とGHQ(→撤退後はCIA)のやりとりが記載された公文書公開により、“赤狩り”の為に特捜部が創設された事実が明らかとなっています。

また、世耕弘成・自民党議員の伯父である、世耕政隆・元自治大臣は国家公安委員長を兼任していました。
国家公安委員会もGHQ(→撤退後はCIA)によって創設された機関です。

「世耕弘成」自民党議員は森派、つまり「清和会」の一員であり、「清和会」は現在は町村派と名乗っています。

http://www.seiwaken.jp/member/member.html

2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で、自民党広報本部長代理及び自民党幹事長補佐として、
自民党の“メディア戦略”を担当した、ということで注目されました。
総選挙後の雑誌のインタビュー(論座』2005年11月号)では、民間の広告会社と協力しながら、マスメディア対策を事細かに指揮していたことを明らかにしました。
これらの活躍から、“自民党のゲッベルス”との異名で、呼ばれていたそうです。

また、党の「コミュニケーション戦略チーム」で広報戦略・IT戦略を担当し、ホームページ上で募集している後援会員組織「チーム世耕」を擁しています。
恐らく、麻生政権においても、世耕弘成が暗躍しているのでは?と思われます。(表向きはどういう党内相関図を演じているかわかりませんが・・・)
何故なら、郵政選挙と手法があまりにも酷似しているからです。

小泉家しかり、吉田―麻生家しかり、こうした血脈をどう捉えるか?はそれぞれの解釈だと思いますが、
個人的な見解としては、「つまり、こうやって“CIAの飼い犬”としての血脈は脈々と続いていくんだな」というのが正直な感想です。

利権を得る為の政略結婚で繋がった売国奴一族に、いつまでも日本を支配されて、騙され続け、「借金奴隷」として搾取されていくのは不愉快極まりない思いです。
今の「清和会」自民党と創価学会党による国民を欺く策略政治、
政府の広報機関である「電通」と経団連・外資スポンサーに牛耳られたマスメディアの世論操作、
“赤狩り”の為に創設され、現在は、“愛国者”を貶める為の機関「特捜部」による国策捜査、など、
「米国年次改革要望書」と官僚の利権の為の、“改革” “景気対策”を見ていると、ナチス・ドイツのゲッベルス宣伝大臣の言葉を思い出します。

「嘘も100回繰り返せば真実になる」

ゲッベルスが発明したナチス・ドイツの“国民洗脳技術”は、戦後CIAに引き継がれました。
そして、ブッシュ共和党政権下で、「大量破壊兵器」「テロとの戦い」「ならずもの国家」などナチスを手本としたプロパガンダの手法を手本としたのです。
そのCIAとつるんで売国奴政治を続けてきたのが、「清和会」自民党なのです。

小泉政治によって国民の借金は増大しました。それなのに、「消費税増税は必要」というのはどうかと思います。
恐らく、次の選挙で政権交代が出来なければ、消費税を大増税したのに借金が倍増した、なんてことになるのでしょう。国民のお金はどこに消えたのでしょうか?


世耕弘一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%80%95%E5%BC%98%E4%B8%80


隠退蔵物資事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E9%80%80%E8%94%B5%E7%89%A9%E8%B3%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6


ヨーゼフ・ゲッベルスの末路
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9

麻生太郎首相の消費税こだわりの裏に財務省との「密約」あり?
http://www.news.janjan.jp/government/0812/0812254159/1.php

岸 信介元首相がCIAに買収されていた事実が証明された!
http://www.news.janjan.jp/government/0902/0902107157/1.php

http://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/37196410.html

小泉純一郎は、岸信介と同じくCIAのエージェント
http://alternativereport1.seesaa.net/article/114475849.html


(文章終わり)
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/881.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c14

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