2018.03.20 自国を破壊しようとしている敵が存在すると認識した上で自重してきた露政府が反撃の意思を明確に 言うまでもなく、ロシア政府は自国を破壊しようとしている敵が存在していることを認識している。ウラジミル・プーチン露大統領の側近として知られるセルゲイ・グラジエフはそうした状況を繰り返し語ってきた。それでもプーチン政権はアメリカをはじめとする西側の挑発に乗らず、ルールに従って行動してきたのである。
それに対し、アメリカは何をしでかすかわからない国だと思わせれば自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考え、イスラエルは狂犬のようにならなければならないと同国のモシェ・ダヤン将軍は語ったという。脅せば屈すると信じているのだろう。
1991年1月にアメリカ主導軍がイラクを攻撃しているが、ジョージ・H・W・ブッシュ米大統領はイラクのサダム・フセイン大統領を排除しないまま2月に停戦してしまった。1980年代からフセインを排除してイラクに親イスラエル体制を築こうとしていたネオコンは怒る。
そうしたネオコンのひとり、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)も怒り、イラク、シリア、イランを殲滅すると口にするわけだが、そのときにソ連軍が出てこなかったことから、アメリカはソ連(後にロシア)を気にすることなく軍事侵略できると確信したと言われている。
1991年12月にはアメリカの傀儡だったロシアのボリス・エリツィン大統領が独断でソ連を消滅させ、その直言にネオコンは国防総省のDPG草案という形で世界制圧プランを作成した。これがウォルフォウィッツ・ドクトリン。これが作成された当時、アメリカ支配層はライバルが消滅、唯一の超大国になったアメリカに手向かう国は存在しないという認識から単独行動を打ち出している。
エリツィンが大統領だった1990年代にロシアでは軍事力も低下、そうした状態は21世紀なっても続いていると西側では考えられていた。例えばフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張している。
この推測をロシア軍は行動で否定する。2008年、北京オリンピックに合わせてアメリカとイスラエルの支援を受けたジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃したのだが、その侵攻軍をロシア軍が粉砕してしまったのだ。
シリア政府の要請を受けてロシア軍は2015年9月30日から軍事介入、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする侵略勢力の傭兵、つまりアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)というタグをつけた武装勢力を本当に攻撃、その支配地を急速に縮小させた。その際、ロシアが保有する兵器の性能がアメリカを上回ることを示している。軍事介入の直前、アメリカでは国防長官と統合参謀本部議長を好戦派に交代、戦争の準備を整えていた。
そして今年3月1日、プーチン大統領はロシアやロシアの友好国が国の存続を揺るがすような攻撃を受けた場合、ロシア軍は攻撃してきた拠点を含めて反撃すると宣言した。地中海に配備されたアメリカの艦船からミサイルが発射されたなら、その艦船を撃沈するということだと理解されている。ロシアにはそうした攻撃を可能にする高性能ミサイルが存在している。
そうしたプーチンの演説をはったりだとアメリカのジェームズ・マティス国防長官は3月10日に語ったが、同じ日にロシアはミグ31が2000キロメートルの距離をマッハ10で飛行するキンザルと名づけられたミサイルを発射する映像を公表した。
こうした高性能兵器の発射実験をロシアは昨年の終盤に実施、成功させている。兵器の完成をロシア政府は待っていた可能性もあるだろう。それらの実戦配備が進む前に攻撃しようというグループもアメリカには存在するだろうが、すでに配備が進んでいる兵器もある。
アメリカでは1950年代からソ連に対する先制核攻撃の準備を進めていた。1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600発から700発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという作戦を作成、さらに300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというドロップショット作戦も計画している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
また、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなど好戦派は1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。この攻撃を成功させるためにもアメリカ軍はキューバを制圧する必要があった。ソ連の反撃を封じるため、キューバから中距離ミサイルを排除する必要があったのである。
こうした計画を阻止したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺され、その責任をキューバやソ連になすりつけて戦争を始めようとする動きもCIA内にあったが、これはFBIからリンドン・ジョンソン新大統領へ伝えられた情報で実行されなかった。
アメリカの好戦派は圧勝できると考えたとき、核戦争を始めようとする。彼らにとって核兵器は「槍」であり、「傘」ではない。エリツィンがロシア大統領だった時期にアメリカの好戦派はそうした心理になった。ユーゴスラビアを手始めに、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなどを侵略、ロシアを核戦争で脅しはじめたわけだ。
すでに西側でもアメリカの軍事力がロシアや中国を圧倒しているわけでないことは認識されているが、核戦争でロシアや中国を脅すという行為は続いている。ここで立ち止まると自分たちの支配システムが崩壊すると考えているのだろう。米英の支配層はブラフで勝負に出ている。
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最終更新日 2018.03.20 15:42:24
2018.03.19 ベトナム戦争で米軍はソンミ村の住民を虐殺、それから50年になるが、同じことを繰り返している
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ベトナム戦争の最中、1968年3月16日に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において住民がアメリカ軍の部隊によって虐殺されるという出来事があった。アメリカ軍によると、犠牲になった村民の数はミライだけで347人、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504人だされている。それから50年が経つが、同じことをアメリカは今でも繰り返している。 ソンミ村での虐殺を実行したのは、アメリカ陸軍第23歩兵師団の第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の第1小隊。その小隊を率いていた人物がウィリアム・カリー中尉だ。
このケースが発覚した一因は、作戦に無関係なアメリカ兵に目撃されたことにある。虐殺の最中、現場近くを通りかかった偵察ヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉が村民の殺害を止めたのである。トンプソンは同僚に対し、カリーの部隊が住民を傷つけるようなことがあったら、銃撃するように命令していたと言われている。第11軽歩兵旅団のロナルド・ライデンアワーのように告発した兵士もいたが、議員の反応は鈍い。虐殺を目にしたはずの従軍記者、従軍カメラマンは報道していない。
しかし、兵士による告発もあって虐殺の話はアメリカ本国で流れ、1969年3月には記事になるが、これは話題にならなかった。人々が注目したのはその年の11月にシーモア・ハーシュの記事をAPが配信してからだ。
ソンミ村での虐殺はCIAが特殊部隊と組んで展開していた秘密作戦、フェニックス・プログラムの一環だった。このプログラムはリンドン・ジョンソン大統領の特別補佐官だったロバート・コマーが1967年に発案したCIAとMACV(ベトナム軍事支援司令部)の統合プログラムICEXとして始まる。すぐ名称はフェニックスへ変更された。
この作戦を現場で指揮した経験のあるウィリアム・コルビーはCIA長官時代に議会でこれについて証言、自身が指揮していた「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と明らかにしている。それに対し、解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人だとする推測もある。
ソンミ村での虐殺から10日後、ウィリアム・ウエストモーランド陸軍参謀総長は事件の調査をウィリアム・ピアーズ将軍に命令した。ピアーズに白羽の矢が立ったのは彼が陸軍士官学校出身ではなかったからだとする話が流されているが、真の理由は彼がCIAと緊密な関係にあったからだと推測する人も少なくない。
ピアーズは第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIAの台湾支局長を務めていた。要するにピアーズは軍事というよりCIAの人間。彼の調査で事件とCIAとの関係が浮上するはずはなかった。
それでも報告書には事件の容疑者として30人の名前があがっていたのだが、告発されたのは16人、裁判を受けたのは4人、そして有罪判決を受けたのはカリー大尉だけだった。そのカリーもすぐに減刑されている。
ジョージ・W・ブッシュ政権の国務大臣、コリン・パウエルは1968年に第23歩兵師団の将校として南ベトナムへ入っている。2004年5月4日にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、自分が所属した第23歩兵師団がソンミ村での虐殺、その後で現場へ自分も入ったことを明らかにし、戦争でそうしたことは珍しくないと弁明している。確かに、フェニックス・プログラムでは珍しくないだろうが、虐殺を止めたり告発した兵士はそう考えなかった。ジャーナリストのロバート・パリーらによると、パウエルはこうした兵士の告発を握りつぶし、上官が聞きくない話は削除する仕事をしていたという。その仕事ぶりが評価され、「異例の出世」をしたのだろう。
フェニックス・プログラムに参加していた人々は1980年代にイラン・コントラ事件で名前が浮上する。そのひとりがリチャード・アーミテージ。パウエルの友人だという。
ところで、第2次世界大戦中、アメリカ政府はホー・チミンが率いるベトミン(ベトナム独立同盟会)と手を組んでいた。当時のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトが植民地に反対するという政策を抱えていたからだ。
アメリカから支援を受けていたベトミンは日本降伏後に独立を宣言するが、イギリス軍は日本軍を再編成してサイゴン(現在のホー・チミン市)を制圧する。ルーズベルトは1945年4月に急死していた。
その後、インドシナを再植民地化する目的でフランスは戦争をはじめるものの、1954年5月にフランス軍はディエンビエンフーの戦いで敗北、7月に休戦が成立してフランスは撤退する。
フランス軍がディエンビエンフーで包囲されて2カ月後の1954年1月にアメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。
1950年6月から朝鮮半島でアメリカは戦争していたが、半島全域を制圧できないまま53年7月に休戦している。その間、1951年4月にCIAは約2000名の国民党軍を率いて中国領内に侵入、一時は片馬を占領したが、人民解放軍に追い出された。翌年の8月にもCIAと国民党軍は中国へ軍事侵攻したが、この時も失敗に終わる。アメリカにとっても中国にとっても朝鮮戦争は自分たちの戦い。朝鮮半島を舞台にした米中戦争にほかならない。朝鮮半島の後、アメリカ支配層の選んだ戦場はベトナムだった。1953年2月からCIA長官はジョン・フォスターの弟、アレン・ダレスが務めている。
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最終更新日 2018.03.19 11:12:21
2018.03.18 英政府が御伽話で露国を挑発する一方、米政府は化学兵器を使った偽旗作戦でシリアを攻撃する可能性 カテゴリ:カテゴリ未分類
ロシア外務省は3月17日にイギリス大使を呼び出し、同国の外交官23名を国外へ追放すると伝えた。該当者は1週間以内に出国するように求められている。また英国文化振興会の閉鎖、サンクト-ペテルブルグのイギリス領事館を再開させる合意を取り消すとも通告されたようだ。 勿論、これはイギリス政府が行ったロシア外交官23名の国外追放とロシア人の資産凍結に対する報復。ボリス・ジョンソン英外相は、ロシアのエージェントが神経ガスで元GRU(ロシア軍の情報機関)大佐のセルゲイ・スクリパリとその娘のユリアを3月4日に攻撃したと主張しているが、その証拠、根拠は示されていない。自分たちを神だとでも思っているのか、例によって「我々を信じろ」という態度だ。
スクリパリ親子の事件が起こる3日前、ロシアのウラジミル・プーチン大統領はロシアやその友好国が存亡の機を招くような攻撃を受けた場合、ロシア軍は反撃するとロシア連邦議会で演説している。中国、シリア、イランなどが攻撃されたならロシアが報復するということだ。
その報復手段として、原子力推進の低空で飛行するステルス・ミサイル、海底1万メートルを時速185キロメートルで航行して射程距離は1万キロに達する遠隔操作が可能な水中ドローン、2000キロメートルの距離をマッハ10で飛行、軌道を操作できて正確に目標を捉えられるミサイルであるキンザル、マッハ20で飛行する大陸間ミサイルRS-26ルビエシュを含む兵器を示した。レーザー兵器の存在も明らかにしている。 アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いとするキール・リーバーとダリル・プレスの論文が掲載されたのはフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号。アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通しているのだが、これが間違いだというはアメリカとイスラエルの支援を受けたジョージア軍が2008年、北京オリンピックに合わせて行った南オセチアへの奇襲攻撃で明確になっている。
ロシア軍は2015年にシリア政府の以来で軍事介入、そこでも戦闘能力の高さを示した。アメリカの高額兵器はロシアの高性能兵器に太刀打ちできない。ロシアやその友好国がアメリカやその同盟国に攻撃された場合、その高性能兵器を報復のために使うとプーチンは宣言したのだ。
その直前、アメリカ政府内でシリア攻撃について話し合われたと伝えられている。アメリカをはじめとする侵略勢力の傭兵がダマスカスを攻撃する拠点にしてきた東グータに対する政府軍の制圧作戦が進む中、それを止めようとする動きがあり、その話し合いはその延長線上にあると言えるだろう。
攻撃の口実は例によって化学兵器の使用。何度も同じようなストーリーが語られ、その後の調査で否定されてきたが、アメリカはそれを繰り返す。すでに庶民を騙そうという熱意を失い、意味を失った呪文として口にしている。
アメリカ国務省のヘザー・ナウアート報道官は2月上旬にシリア政府軍が化学兵器を使用したと主張、それを口実にしてアメリカ、イギリス、フランスはダマスカスを空爆する姿勢を見せていたが、アメリカ国防省のダナ・ホワイト報道官はそうしたことを示す証拠を見たことがないと発言、ジェームズ・マティス国防長官は化学兵器を政府軍が使ったとするNGOや武装勢力の主張を裏付ける証拠は確認していないとしている。ドナルド・トランプ政権内で戦争を望んでいるのは国務省とCIAだ。国防長官も納得していないような「おとぎ話」で世界を核戦争で破壊しようとしている。
マティス国防長官は3月10日、プーチン大統領が3月1日の演説で示した兵器の実戦配備は何年も先だと語った。ショックを和らげようとしたのかもしれないが、その日にロシアはミグ31がキンザルを発射する映像を公表した。このミサイルは昨年12月に発射実験を成功させていると言われ、これが事実ならアメリカを含む西側の軍や情報機関はその時点である程度の性能を把握していただろう。3月10日のテストは無視しようとする西側支配層への警告だとも理解できる。
ロシア外務省がイギリス大使に外交官追放などを伝えた3月17日、ロシア国防省はアメリカ人教官がタクフィール主義者に化学兵器の使い方を教え、偽旗作戦を実行しようとしていると主張している。シリア政府軍が化学兵器を使ったとしてアメリカ主導軍が直接、シリアを攻撃しようと目論んでいるという警告だ。現代のタクフィール主義者はサラフィー主義から派生、サウジアラビアの支配体制と深く結びついている。
また、セルゲイ・ラブロフ露外相はシリア国内へアメリカ、イギリス、フランスを含む国々の特殊部隊が侵入、すでに「代理戦争」ではなくなっていると3月17日に語った。こうした国々は2011年3月にシリアへの侵略戦争を始めた当時から特殊部隊を入れているのだが、ロシアはそうした事実を口にしなかった。ロシア政府は西側との話し合いは無駄だと悟った可能性がある。
特殊部隊をシリアへ侵入させ、空爆を勝手に始めたバラク・オバマ大統領は地上部隊を派遣しないとしていた。が、これが嘘だったことは本ブログでも指摘してきた。手先のダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)やアル・カイダ系武装集団の敗北が見通されるとアメリカ軍は自らがシリアへ侵入、基地を建設してきた。トルコ政府によると、アメリカ軍が建設した基地の数は13だが、その後、ロシアの安全保障会議はアメリカ軍は20カ所に基地を作ったとしている。
こうした基地をアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍だけでなく手先の武装勢力の拠点として利用、周辺のクルド勢力とも連携する計画だったのだが、トルコ軍がシリア北西部のアフリンを攻撃、その計画が揺らいでいる。NATOの一員であり、戦略的に重要な位置にあるトルコとアメリカは戦争するわけにいかず、アフリンのクルドは見捨てられた状況。助けに入ったのはシリア政府側だ。イラクのクルドは指導者たちが1960年代からイスラエルの影響下にあり、イスラエルがイラクを揺さぶる道具として機能していた。シリアのクルドはシリア政府と友好的な関係にあったが、ロシア軍が介入した後、その指導層がアメリカ側の影響下に入ったことで厳しい状況に陥った。
そうした状況をクルドが理解したなら、アメリカは扱いにくくなる。自分たちが出て行くしかないということだ。イラクに続いてシリアとイランを潰すというプランは1991年にポール・ウォルフォウィッツが口にしていたことを本ブログでもしつこく書いてきた。それがウォルフォウィッツ・ドクトリンにつながり、ジョージ・W・ブッシュ政権の政策になり、9/11によって軍事侵略が始まった。このドクトリンを実現しようとすれば、全面核戦争の可能性は高まる。
1950年代に具体化したソ連に対する先制核攻撃の計画はジョン・F・ケネディ大統領が反対したこともあって実行されず、「冷戦」という形になった。今回も冷戦に持って行こうとする動きもあるようだが、当時と違ったアメリカに生産能力はない。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803200000/
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