★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100128
 
g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=  
 前へ
dGhQLjRSQk5RSlE= コメント履歴 No: 100128
http://www.asyura2.com/acat/d/dg/dgh/dGhQLjRSQk5RSlE=/100128.html
[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
4. 中川隆[-13556] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:27:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1348]

戦前の天皇一族は JPモルガンと、戦後はロックフェラー家と大の仲良し

天皇家と国際金融資本との関係

日本にもアメリカ軍の恒久的な軍事基地がいくつもあるが、これは中国やロシアを締め上げるための出撃基地。明治時代から日本はダーイッシュと同じように、アングロ-シオニストの傭兵として扱われてきた。

例外はアメリカでウォール街と対立していたニューディール派がホワイトハウスの主導権を握っていた期間だけだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709250000/


2017.08.26
94年前の9月1日に起こった関東大震災は虐殺事件を引き起こし、日本をJPモルガンの属国にした

8月も終わり、9月を迎えようとしている。

1923年9月1日、日本にとって大きな節目になる出来事が起こった。相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲い、10万5000名以上の死者/行方不明者を出し、その損害総額は55億から100億円に達したのだ。

震災対策の責任者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビ、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監だった。震災当日の夕方、赤池総監は東京衛戍(えいじゅ)司令官の森山守成近衛師団長に軍隊の出動を要請、罷災地一帯に戒厳令を布くべきだと水野内相に進言しているが、その頃、「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、翌日の夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電した。

そうした中、朝鮮人や社会主義者が虐殺され、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われて殺されそうになる。伊藤圀夫はその後「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、千田是也と名乗るようになった。アナーキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺されたのもこの時だ。この虐殺には治安当局が関係している疑いがあり、その意味でもこの時の犠牲者を追悼するという姿勢を東京都知事は見せてきた。それを止めるという意味は対外的にも重い。

震災後、山本権兵衛内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だった。

震災手形で日銀の損失が1億円を超えた場合は政府が補償することも決められたが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だ。

復興に必要な資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモントだ。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。

1932年にはアメリカでも大きな出来事が引き起こされている。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破ったのだ。

フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

このフーバーは1932年、駐日大使としてジョセフ・グルーを選び、日本へ送り込んだ。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーが結婚していたアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后である。

グルーの皇室人脈をそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

そうした人脈を持つグルーだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

当時、アメリカの大統領就任式は3月に行われていた。その前、2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミで開かれた集会で狙撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、ルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に弾丸が命中して市長は死亡した。

群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外した可能性があり、本来なら事件の背景を徹底的に調査する必要があるのだが、真相は明らかにされなかった。ザンガラは3月20日に処刑されてしまったのである。

そして1934年、名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、海兵隊のスメドレー・バトラー退役少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」でウォール街の大物たちによるクーデター計画を明らかにしている。少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチは、クーデター派が「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。

バトラーに接触してきた人物はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領を健康問題で攻撃し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して大統領をすげ替えることにしていたという。クーデター計画と並行する形で、ニューディール政策に反対する民主党の議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だった。

それに対し、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら自分は50万人以上を動かして対抗するとバトラーは応じた。内戦を覚悟するように警告したわけだ。そうしたこともあり、クーデターは実行されていない。クーデターを計画したとされた人々は誤解だと弁明、非米活動特別委員会はそれ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。捜査当局も動かなかった。

言うまでもなくジョセフ・グルーは第2次世界大戦後にジャパンロビーの中心的な存在となり、日本で進んでいた民主化の流れを断ち切り、天皇制官僚国家を継続させている。大戦前、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈は戦後も生き残った。これが「戦後レジーム」の実態であり、「戦前レジーム」とはウォール街の属国になることを意味している。そうした意味で、安倍晋三の言動は矛盾していない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708260000/


2017.10.21
選挙だけで国の行く末を変えることはできず、事態が悪化してきたことを過去の出来事は教えている

投票日が近づいているが、選挙だけで国の行く末を決められるとは言えない。「自由と民主主義の国」だと宣伝されているアメリカでは事実上、選択肢は民主党と共和党という大差のない政党だけ。この2党に属さない大統領が誕生する可能性があったのは2000年の選挙だが、このときは最有力候補と言われていたジョン・F・ケネディ・ジュニアが1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。

より露骨な形で排除されそうになったり、排除された大統領も存在する。例えば、ウォール街と対立関係にあったニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の選挙で大統領に選ばれると、33年から34年にかけてウォール街の大物たちはクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言、記録に残っている。金融資本、巨大鉄鋼会社、情報機関や軍の好戦派、イスラエルなど少なからぬ敵がいたジョン・F・ケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。

日本の場合、明治維新からイギリスやアメリカの強い影響下にある。アメリカの巨大金融機関JPモルガンが日本に君臨するようにあったのは関東大震災から。1932年にはウォール街の影響下にあったハーバート・フーバー大統領がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーを大使として日本へ送り込んできた。

このグルーが結婚したアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで九条節子、後の貞明皇后と親しくなったと言われている。

グルーは松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)のだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、その翌年6月に離日する直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

言うまでもなく、岸信介の孫が安倍晋三。安倍は「戦前レジーム」を復活させたいようだが、その体制とはウォール街に支配された天皇制官僚国家だ。ニューディール派が実権を握った期間だけ、この構図が崩れた。

第2次世界大戦後の日本を形作る司令塔的な役割を果たしたグループが存在する。ジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物がジョセフ・グルー。アメリカのハリー・トルーマン政権ががあわてて作った現行憲法の第1条は天皇制存続の宣言で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。「神聖にして侵すべからざる存在」から「象徴」へタグは取り替えられたものの、その本質に根本的な変化はなかった。

日本が降伏した直後はアメリカの影響力が圧倒的に強かったが、時間を経るに従って日本の戦争責任を追及するであろう国の影響が強まってくることが予想された。当然、天皇の戦争責任が問われることになる。その前に「禊ぎ」を済ませる必要がある。日本国憲法にしろ、東京裁判にしろ、「天皇制」の存続が重要な目的だったのだろう。

比較的日本に寛容だったと思われるアメリカ軍の内部にも厳しい意見はあった。そのターゲットのひとつが靖国神社。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していた。それをブルーノ・ビッテル(ビッター)の働きかけで阻止したというのだ。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

このビッターはカトリックの聖職者で、ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされている。ジョバンニ・モンティニ(後のローマ教皇パウロ六世)を除くと、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ最も重要な人物。ビッターもCIAにつながっている可能性は高い。

1953年秋にリチャード・ニクソン副大統領が来日、バンク・オブ・アメリカ東京支店のA・ムーア副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」と伝えられている。この席にビッターもいたという。ドワイト・アイゼンハワー大統領がニクソンを副大統領に選んだ理由は、ニクソンが闇資金を動かしていたからだと言われている。

そのビッターはニクソンと会談した2カ月後、霊友会の闇ドル事件にからんで逮捕されてしまう。外遊した同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だったが、ビッターが逮捕されたときに押収された書類はふたりのアメリカ人が警視庁から持ち去り、闇ドルに関する捜査は打ち切りになってしまう。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。

日本では天皇制官僚国家という型を壊すことは許されない。「左翼」とか「リベラル」というタグをつけていても、この型から抜け出さなければ許される。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710200000/


▲△▽▼


2017.11.08
祖父の岸信介の真似をしたのか安倍首相はトランプ米大統領とゴルフをしたが、岸はウォール街一派

安倍晋三首相とドナルド・トランプ米大統領は11月5日、プロゴルファーの松山英樹を引き連れて越谷市のゴルフ場でプレーしたようだ。

安倍首相が敬愛しているという祖父の岸信介もゴルフが好きだったようで、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃した翌年の1942年に岸は駐日大使だったジョセフ・グルーをゴルフに誘い、敗戦後の57年に首相としてアメリカを訪問した際にはドワイト・アイゼンハワー大統領、通訳の松本滝蔵、そしてプレスコット・ブッシュ上院議員とゴルフをしている。言うまでもなく、プレスコットはジョージ・H・W・ブッシュの父親、ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたる。

本ブログでは何度も書いてきたが、グルーは1932年、ハーバート・フーバー大統領が任期最後の年に大使として日本へ送り込んでいる。グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、グルー本人はモルガン人脈の中核グループにいたと言えるだろう。その人脈の中心には巨大金融機関のJPモルガンがあり、この金融機関は1923年にあった関東大震災の復興資金を調達したことから日本に大きな影響を及ぼすようになった。

また、グルーの妻であるアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代には日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そのときに親しくなった友人のひとりが九条節子、後の貞明皇后(大正天皇の妻)だという。

グルーを日本へ送り込んだフーバーはスタンフォード大学を卒業してから鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系の鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に見込まれて出世、大統領になった人物だ。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

1932年の大統領選挙でもJPモルガンをはじめとするウォール街の住人はフーバーを支援していたが、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。このグループは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大するという政策を打ち出し、植民地やファシズムにも反対していた。ウォール街とは対立関係にある人物が大統領に選ばれたわけである。そこで日米従属関係が揺らぐ。

その当時、大統領就任式は3月に行われていたが、その前の月にルーズベルトはマイアミで銃撃事件に巻き込まれている。大統領に就任した後にはウォール街のクーデター計画が待ち受けていた。

ウォール街のクーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に注目し、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」を研究、改憲して別の政府を設立するわけでなく、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の仕事を引き継ぐというシナリオだったという。クーデターを成功させるため、ウォール街の勢力は名誉勲章を2度授与され、人望が厚かった海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込みにかかるのだが、失敗してしまう。

計画に反発した少将はクーデター計画をジャーナリストのポール・フレンチに話し、そのフレンチは1934年9月にクーデター派を取材している。その時、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があると聞かされたと語っている。

それに対し、バトラー少将はクーデター派に対し、「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」と宣言、内戦を覚悟するように伝えている。(“Statement of Congressional Committee on Un-American Activities, Made by John W. McCormack, Chairman, and Samuel Dickstein, Vice Chairman, Sitting asa Subcommittee” / ”Investigation of Nazi Propaganda Activities and Investigation of Certain Other Propaganda Activities,” Public Hearings, Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, December 29, 1934)

その際、クーデター派は新聞を使い、「大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。そうすれば、彼を見て愚かなアメリカ人民はすぐに信じ込むに違いない。」とも話していたとしている。ルーズベルトは1945年4月、ドイツが降伏する直前に急死してウォール街がホワイトハウスで主導権を奪還した。その際、ルーズベルト大統領には健康に問題があったと宣伝された。

こうしたアメリカの権力バランスの変化は日本の占領政策にも影響、「逆コース」が推進される。その中心で活動していたのが1948年6月に設立されたACJ(アメリカ対日協議会)、いわゆるジャパン・ロビーである。そのACJの中心的な存在だったのがジョセフ・グルーにほかならない。

ACJはウォール街が創設した破壊工作(テロ)機関のOPCとも人脈が重なっているが、そのOPCはアレン・ダレスの腹心だったフランク・ウィズナーが率いていた。ちなみに、ふたりともウォール街の弁護士だ。

OPCの東アジアにおける拠点は上海に設置されたが、49年1月に解放軍が北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立するという展開になったことから日本へ移動している。日本では6カ所に拠点を作ったが、その中心は厚木基地に置かれた。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998)その1949年に日本では国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。つまり、7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。そして1950年6月に朝鮮半島で戦争が勃発する。朝鮮戦争だ。

この戦争でアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)は63万5000トンの爆弾を投下したと言われている。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トンであり、その凄まじさがわかるだろう。1948年から57年までSACの司令官を務め、日本での空爆も指揮しいたカーティス・ルメイは朝鮮戦争の3年間で人口の20%を殺したと認めている。

その後、ルメイやアレン・ダレスを含むアメリカの好戦派はロシアに対する先制核攻撃を計画、1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると​、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201711080000/


▲△▽▼


76年前の日本軍による真珠湾攻撃の原因を米国の制裁に求めるなら朝鮮に対する制裁も反対すべき

今から76年前、1941年12月7日の午前7時48分(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。ここは海岸が遠浅で攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。非常識とまでは言えないだろうが、攻撃のリスクは高い。それを厳しい訓練でクリアしたということだ。

アメリカ政府の対日制裁でやむなく攻撃した、あるいはアメリカ側は事前に攻撃を知っていたと主張する人がいるが、日本軍は実際に攻撃している。つまりアメリカによる偽旗作戦ではない。

日本に対する制裁には歴史的な背景がある。1872年の琉球併合から74年の台湾派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を本格化、米英の利権と衝突して対日制裁になるわけだ。こうした制裁が軍事行動を誘発すると考えている人は、例えば朝鮮に対する制裁にも反対しているのだろう。そうでなければ矛盾だ。あるいは朝鮮に圧力を加え、戦争を誘発したいと考えているのだろうか?

明治維新から1932年までの日本はイギリスとアメリカというアングロ・サクソン系の国に従属、その手先として動いた側面がある。明治維新はイギリスの思惑と違って内戦が早い段階で終結、徳川時代の人脈が生きていたので完全な属国にはならなかったが、大きな影響下に置かれたことは間違いない。

ここでいうアメリカとはウォール街を意味する。1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震、つまり関東大震災が発生、復興に必要な資金を調達するために日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガンだ。

この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモント。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

この政権が進めた政策はレッセ-フェール、つまり新自由主義的なもので、その責任者で「適者生存」を信じるある井上は失業対策に消極的。その結果、貧富の差を拡大させて街には失業者が溢れて労働争議を激化させ、農村では娘が売られると行った事態になった。一般民衆に耐え難い痛みをもたらすことになったわけだ。

当然のことながら、アメリカでもJPモルガンを中心とするウォール街の住人は強い影響力を持ち、1929年に大統領となったハーバート・フーバーもそのひとり。フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

ところが、1932年の大統領選挙でフーバーは負けてしまう。当選したのは巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。大きな力を持っていたとはいえ、今に比べるとアメリカ支配層の力はまだ小さく、選挙で主導権を奪われることもありえた。

このフーバーはホワイトハウスを去る少し前、1932年にJPモルガンと関係の深いジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。なお、この年に井上準之助は血盟団のメンバーに暗殺されている。

グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻で、グルーが結婚していたアリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后だという。

グルーの皇室人脈はそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

こうした人脈を持つグルーが日本軍の動向に関する機密情報を入手していても不思議ではないが、このグルーとルーズベルト大統領との関係が良好だったとは言えない。情報がきちんと伝えられていたかどうか疑問があるが、JPモルガンへは詳しく伝達されていただろう。

グルーが大使として日本へ来る前年、1931年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こした。この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だ。1932年には「満州国」の樹立を宣言するのだが、この年にアメリカでは風向きが変わっていた。本来なら日本はその変化に対応する必要があったのだが、そのまま進む。そして1937年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしたのだ。そして1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こし、惨敗した。

本ブログで何度か指摘したように、このソ連侵攻作戦はアングロ・サクソンの長期戦略に合致している。その作戦が失敗したことから南へ向かい、米英の利権と衝突するわけだ。ドイツ軍がソ連に対する大規模な軍事侵攻、いわゆるバルバロッサ作戦を開始したのはその2年後、1941年6月のことだ。

この作戦でドイツは軍の主力を投入したが、ドイツ軍の首脳は西部戦線防衛のために大軍を配備するべきだと主張、反対している。日本が真珠湾を攻撃する前で、アメリカは参戦していないが、それでもイギリスがその気になれば、西側からドイツを容易に攻略することができるからだ。この反対意見を退けたのはアドルフ・ヒトラー。この非常識な「判断」との関連で注目されているのがヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスの動きだということも本ブログでも指摘した。1941年5月10日にヘスは単身飛行機でスコットランドへ飛んでいるのだ。

ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まった。ここまではドイツ軍が圧倒的に優勢だったが、1942年11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲して43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。主力を失ったドイツ軍の敗北はこの時点で決定的だ。

その4カ月後、1943年5月に米英両国はワシントンDCで会談して善後策を協議、7月にアメリカ軍はイギリス軍と共にシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。このとき、アメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏した。ハリウッド映画で有名になったオーバーロード(ノルマンディー上陸)作戦は1944年6月になってからのことである。ノルマンディー上陸作戦の結果、ドイツ軍が負けたと思い込んでいる人も少なくないようだが、これはハリウッドによる洗脳の効果を証明している。

その一方、スターリングラードでドイツ軍が壊滅した後にアレン・ダレスなどアメリカ支配層はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部たちと接触を始めている。例えば、1942年の冬にナチ親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探るために密使をOSSのダレスの下へ派遣、ドイツ降伏が目前に迫った45年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だった親衛隊の高官、カール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)イタリアとスイスとの国境近くでウルフがパルチザンに拘束された際にはダレスが部下を派遣して救出している。(Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

ドイツは1945年5月に降伏しているが、その前の月にルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還した。副大統領から昇格したハリー・トルーマンはルーズベルトとの関係が希薄。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりとして知られている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712090000/


▲△▽▼


関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)


 本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。


 その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。


 バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。


 バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。


 クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。


 1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。


 一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。


 1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/


▲△▽▼


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)

 明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。


 その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。


 しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。


 イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。


 このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。


 このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。


 このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。


 1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。


 ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。


 そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。


 この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。


 それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。​その演習に中国軍は3200名を参加させている​。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。


 明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130001/


▲△▽▼


2018.09.21 自民党総裁選という茶番

 自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。


 アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。


 ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。


 アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。


 その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)


 1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。


 このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。


 唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。


 安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。


 1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。


 グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。


 グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。


 松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c4

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
5. 中川隆[-13555] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:29:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1349]
評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」

景気後退にもかかわらず、消費増税を断行。自分で自分の首をしめるがごとく、ことさらに不景気を造っている。

2020年2月号 BUSINESS by 中野剛志(評論家)

「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行


野心にとり憑かれた井上準之助蔵相


国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。

当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。

だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。彼の論理は、こうだった。政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。そうすれば、為替レートが上昇する。そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。

結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。

後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。
.

「緊縮財政」に松下幸之助の嘆き

最も有名なのは、言うまでもなく、高橋是清である。高橋がケインズ主義的な「高橋財政」を行ったのは、ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』が刊行される前のことだった。高橋は、ケインズの理論を知らずして、ケインズと同じ理解に達していたのである。例えば、高橋の次の言葉は、ケインズ経済学の有効需要の原理や乗数効果を先取りしたものとして、後世の研究者を驚かせたものである。

〈緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮にある人が待合へ行つて、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。(中略)即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。しかるに、この人が待合で使つたとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなつて働く。ゆゑに、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとつて、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなつて働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。茲が個人経済と、国の経済との異つて居るところである〉

高橋は、この洞察を経済理論からではなく、自身の豊富な実務経験から得たのであろう。だが、このような発想は高橋だけのものではなかった。政友会の大物政治家三土忠造も『経済非常時の正視』(1930年)の中で、緊縮財政が消費の減退とデフレを招くメカニズムを正確に示していた。

〈先づ政府が一番大きな消費者であり、次は地方公共団体である。この大なる消費者が急に財政を緊縮して事業の中止又は繰延を行ひ、物資の購入を激減し、事業に従事する多数の人々の収入を杜絶する結果として、生産者及商人に大影響を及ぼし、これ等の人々の購買力を減退せしめることは明かである。又政府の奨励に従つて多数国民が消費を節約することになれば、これが生産者及販売者の利益を減少せしめることも云ふを俟たない。即ち国家及び公共団体並びに多数国民が急に消費を減少するだけでも、経済上に相当大なる打撃を与へ、不景気を招来することは初めより明かであるが、それよりも更に不景気を深刻ならしめるものは、之に依つて起る所の物価先安見越である。(中略)苟も常識あるものは如何なる品物でも今買ふよりも後になつて買ふ方が利益であると云ふ打算をする。かくの如くにして物価先安見越が強くなつて来れば、一般に差当り止むを得ざるものゝ外は購入を見送る気味に一致する〉

実務家のセンスから、ケインズと同じ洞察に達したのは、高橋や三土のような政治家だけではない。かの松下幸之助も、当時、こう考えていたという。

〈緊縮政策もここまでくると、自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている(中略)物を使った上にも使ってこそ、新たなる生産が起り、進歩となって不景気が解消され、国民には生気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。それにはかかる政策はことごとくその反対の結果を招来するものである。私のような学理を知らない者にとっては不思議でならなかった〉

「学理を知らない」松下が訝しんだ緊縮政策を断行した井上は、エリート中のエリートであった。二高で高山樗牛と首席を争い、東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入り異例の昇進を遂げる。19年日銀総裁、23年には大蔵大臣、27年から28年にかけては再び日銀総裁を務めた。しかし、この経歴から明らかなように、井上もまた豊富な経験をもつ実務家であった。しかも奇妙なことに、彼は29年夏に民政党に入党する直前までは、金解禁は「肺病患者にマラソン競走をさせるようなものだ」と述べていたのである。それが、民政党政権で蔵相となるや、突然、金解禁論者の最右翼に豹変し、少なくとも公式には、死ぬまで自説を改めなかった。なぜ、井上はこのような頑迷な姿勢を貫いたのか。
.

「怨念」吸い上げるポピュリスト勢力

井上は、浜口内閣の蔵相に任命され、金解禁を政策課題として与えられた際、かつて誰も為し得なかった金解禁を実現して、歴史に名を刻みたいという野心にとり憑かれたのだ。そして、その政治的野心が、冷静な情勢判断を妨げたのである。金解禁後、その失敗が明らかとなったが、失敗を認めることは政治的敗北を認めることに等しい。批判の声が高まれば高まるほど、井上はますます己の立場に固執せざるを得なくなるというディレンマに追い込まれた(中村隆英『昭和恐慌と経済政策』)。

しかし、井上が自らの政治生命を守ることに執着したせいで、国民、特に中小企業と農民層が絶望的な困窮に追い込まれた。既存の支配層に絶望した彼らは、過激な右翼思想へと引き込まれていった。井上の緊縮財政がもたらした危機がファシズムを生み、日本を軍国主義へと駆り立てたのだ(長幸男『昭和恐慌:日本ファシズム前夜』)。
https://facta.co.jp/article/202002024.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c5

[近代史4] エゴン・シーレの世界 中川隆
1. 中川隆[-13554] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:56:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1350]

エゴン・シーレ(1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアのウィーン分離派の象徴主義、表現主義の画家。

シーレは28歳という若さで世を去ったがその短い生涯で大量のドローイングや水彩画、油彩画を残っている。

1906年はウィーン美術アカデミーに入学した。

1907年にクリムトとの出会って、シーレに初期の作品は影響を与えられた。

1909年、アカデミーを正式に退校して、本格的に独自の活動を開始した。
その後ゴッホやドイツ表現主義の画家達(ヤン・トーロップ、エドヴァルド・ムンク)の絵画を目の当たりにし、自らの芸術観に多大な影響を与えられた。

1910年から1911年に、女性だけでなく子供や自分ヌードの自画像も急増した。



エゴン・シーレ「Egon Schiele」(1912−1918) 絵画集 U



デッサンの魅力「エゴン・シーレ Egon Schiele」素描 裸婦




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/356.html#c1
[近代史4] エゴン・シーレの世界 中川隆
2. 中川隆[-13553] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:57:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1351]
戦争より恐れられた病 Posted October. 25, 2018 09:24,
http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85


昨今、インフルエンザは、1本のワクチン接種でそれほど心配しなくて済む病気だが、100年前までは、人類の歴史を揺るがした恐怖の病気だった。特に1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦とかみ合って流行し、5000万人以上の命を奪った大災害だった。オーストリアの将来を嘱望されていた若い画家エゴン・シーレも、その災いを避けることができなかった。

シーレは、クリムトを凌ぐ才能が認められた天才画家であり、赤裸々なエロヌード画で20世紀の初め、ウィーン美術界を揺るがした問題作家でもあった。死への不安と恐怖、性的欲望をよどみなく表わした彼のヌード画は、しばしば芸術とわいせつの間で激しい論争をまき起こした。

1915年、シーレは4年間一緒に暮らした貧しい恋人の代わりに、中間層出身のエディトと結婚した。結婚から4日後、第1次世界大戦に徴兵されたが、軍でも才能を認められ、いくつかの展示会に参加して名前を知らせた。1918年は彼の名声がピークに達した年だった。ウィーン美術界の巨匠クリムトの死亡後、3月に開催された「分離派」の展示会で、シーレは作家として大成功を収めた。絵の価格が高騰し、肖像画の注文が殺到した。ようやく経済的にも精神的にも安定した時期を迎えたのだ。さらに嬉しいことに、妻が結婚から3年ぶりに妊娠したことだった。この絵は、まもなく生まれてくる子供を待つ喜びで、シーレが描いた家族画である。母にすがりつく赤子と、その赤子と同じ場所から見つめる母、そして家長として家族を守るというジェスチャーを取っている画家自身の姿が描かれている。何もかけていない純粋で無邪気な家族の肖像である。

しかし、幸せもつかの間。同年10月28日、ウィーンにまで広がったスペイン風邪で、エディトが妊娠6カ月のお腹の子供と一緒にこの世を去った。3日後、シーレもインフルエンザに感染して、この世を去った。彼がわずか28歳の時だった。当時スペイン風邪の犠牲者数は、第1次世界大戦の死者の3倍を超えた。戦争より恐ろしい災害は、まさにインフルエンザだったのだ。

http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85


▲△▽▼

スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)

スペインかぜ(1918 flu pandemic, Spanish Flu)とは、1918年から1919年にかけ、全世界的に大流行したインフルエンザの通称。

当時20億人の世界人口の3割が感染して、5000万人が死亡したといわれるが、疫学研究者の説によれば、地球上のほぼ全員が感染した可能性がある

 発生源は、1918年3月のアメリカ・カンザス州の米軍基地。

 その後同年6月頃、ブレスト、ボストン、シエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった。


 新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会ではカナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとの推定が委員から説明されている。

 感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18〜20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では、基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では、大量の死者が出ている。


 日本では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡、米国でも50万人が死亡した。 これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。

 流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカ合衆国デトロイト市やサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍(第一次世界大戦における)と共に大西洋を渡り、5〜6月にヨーロッパで流行した。

 第2波は、1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり、重篤な合併症を起こし死者が急増した。

 第3波は、1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した。また、最初に医師・看護師の感染者が多く、医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。

このパンデミックは、今回の新型コロナウイルス流行と似ている。初期に、医療関係者の大規模な感染が起きて、医療体制が崩壊したことがパンデミックを招いている。

 また、病原体が次々に突然変異を起こして、どんどん致死性の強いものに変化し、免疫を持たない若者たちを直撃して大量死に追いやった。したがって、新型コロナウイルスの致死性・毒性は、これから急激に変化する可能性があることを意味している  


▲△▽▼


スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人

ギヨーム・アポリネール(文学者)
マックス・ヴェーバー(政治学者)
グスタフ・クリムト(画家)
エゴン・シーレ(画家)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家)
エドモン・ロスタン(劇作家)
チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家)
竹田宮恒久王(皇族)
末松謙澄(政治家、元内務大臣)
徳大寺実則(公爵、元内大臣)
島村抱月(劇作家)
村山槐多(画家)
野村朱鱗洞(俳人)
辰野金吾(建築家)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/356.html#c2

[近代史4] エゴン・シーレの世界 中川隆
3. 中川隆[-13552] koaQ7Jey 2020年3月22日 23:58:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1352]

額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月9日(木)19時15分〜19時30分
【司会】ふせえり


ここ数日、肌寒い日が続いていますが、もう直にジメジメと湿気の多い梅雨の季節になるのかと思うと、うっとおしい限りです。雨の日は美術館の来場者が減ってゆっくり絵画を鑑賞することができることが多いので、個人的に雨の日の美術館巡りを好んでいます。未だ病気が完全に本復した訳ではないので、家で美術館関係の映像を見て過しています。

https://f.hatena.ne.jp/bravi/20120613192142
エゴン・シーレ作「死と乙女」(1915年)

先日、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」等の作品について記事を書きましたが、今日はクリムトの愛弟子で世紀末ウィーンで活躍した表現主義の画家エゴン・シーレの「死と乙女」について書きたいと思います。最愛の恋人との別離を描いた「死と乙女」はエゴン・シーレの最高傑作と言われ、ゴツゴツした岩の上で抱き合う二人はシーレと彼のモデルで恋人でもあったヴァリー・ノイツィルを描いたものですが、1911年にシーレはクリムトから彼のモデルであったヴァリーを譲り受け、その後4年間に亘ってシーレのモデルを務めますが、この間にバリーの代表作の殆どが創作されています。


上述のとおり、この絵は最愛の恋人との別離を描いたもので、死と別離がテーマになっています。この絵の男性はシーレで「死」を象徴し、女性はヴァリーで「女神」(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)を象徴しています。シーレは跪いている男性モデルを正面から描写していますが、寝そべっている女性モデルは脚立の上から描写しています。この2つの異なる視点から描いた男性モデルと女性モデルを1つの絵として合体することによって、この絵を見る者に不安定な印象を与えています。これは2人の別れを暗示するために意図的にこのような描き方がされたものです。なお、この絵はシーレがヴァリーに別れを告げて、ヴァリーがシーレに泣きついているところを描いたものですが、男性の右手は女性を突き放そうとし、また、男性の背中に回している女性の両指はきつく結ばれず別れを拒絶していないように見えます。シーレは、他の資産家の娘(エディット)と結婚するためにヴァリーに別れを告げていますが、その際、毎年夏に一緒に休暇を過そう(即ち、愛人として関係を続けよう)とヴァリーに持ち掛けたところ、ヴァリーはこの提案をきっぱりと断って涙を見せずに立ち去ったそうです。これにシーレはショックを受けますが、この絵の男性モデルの見開かれた目はその時の驚きを表現したものです。このようにシーレは被写体の内面までもキャンバスに描き込んだ作家であり、この絵が見る者に強い印象(メッセージ性)を与える理由はそこにあるのかもしれません。


https://f.hatena.ne.jp/bravi/20090712074119
エゴン・シーレ作「縞模様の服を着たエディット・シーレ」(1915年)

※上掲の「死と乙女」と比べると、同じ作家が描いたとは思えないほど被写体によって画力に違いがあります。

なお、「死と乙女」という標題は、若い娘が清らかなままあの世に召されることを意味し、当時、絵画や文学の主題として数多く用いられてきましたが、その標題のとおり1917年にヴァリーは23歳の若さで従軍看護婦として戦地で病死します。(因みに、同年にクリムトも他界しています。)更に、その翌年、シーレの妻エディットがスペイン風邪で病死し、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去っており、この絵はシーレとヴァリーの運命も占っていた怖い絵とも言えそうです。「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、この絵はシーレとヴァリーの人生をも語る含蓄深い一枚と言えると思います。

https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/356.html#c3

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
298. 中川隆[-13551] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:18:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1353]
「新型コロナ暴落」で個人投資家が取るべき行動
「過去の暴落とは別物」と見なすべきなのか

平野 憲一 : ケイ・アセット代表、マーケットアナリスト 2020/03/23
https://toyokeizai.net/articles/-/338858

トランプ大統領は「最大2兆ドル規模」の経済対策を表明した。23日以降の株式市場はどう動くだろうか(写真:AP/アフロ)

2019年10月の消費税増税実施の際、安倍晋三首相は「リーマンショック級の事象が起きない限り、予定通り実施する」と念を押して、増税を強行した。
新型コロナ対策の「小出し」は避けよ

だが、まさに、そのリーマンショック級の事象が起きたのだ。その意味で言えば、消費税は元に戻すのが道理と言える。しかし、人の動きを止めている今、経済効果やシステム変更による現場の混乱を考えると、現実的ではない。

再び、2008年のリーマンショック時に行われた現金給付が取り沙汰されている。あの時は1万2000円だったが、実は筆者はもらった記憶がない。一方で、辞退した記憶もないので結局はもらったと思われる。つまり記憶に残っていないのだ。ここは記憶に強烈に残り「もらった実感」もわくように、10万円は欲しいところだ。

額の多寡などはさておき、「リーマンショック級の激震への対策」が必要なのは論を待たない。2008年秋以降を振り返ってみると、米リーマンブラザーズが9月に破綻した後、当時の政権は同10月に「生活対策」、同12月に「生活防衛緊急対策」と、矢継ぎ早に対策を出したはずだった。

だが、小規模対策だっただけに、まったくと言っていいほど効かず、翌2009年4月の経済危機対策でようやく底打ちを示したように、「様子を見ながらの対策」では効果がない。政策は1度に出すべきだ。当時は総事業費130兆円(財政支出30兆円)がトータルの数字だったが、今回も、この規模の対策を出せるかと市場は疑心暗鬼だ。

1つの希望は、当時、この小出しの政策を出したのは麻生内閣だったことだ。このときの経験を生かせるか。世界の政権中枢メンバーでリーマンショックを知っているのは、今や日本の麻生太郎財務相などわずかだ。

まさか麻生財務相のアドバイスを受けたとは思えないが、米トランプ政権が当初打ち出した「1兆ドルの経済対策」は、「最大2兆ドル」(約220兆円)に倍増される模様だ。現在、各州の移動制限措置はまさに「戒厳令」のような状態だ。第2次世界大戦下でも、ハワイ以外の本土にはまったく被害がなく、2001年の同時多発テロも、アメリカ人にとっての精神的ショックは大きかったが、経済的被害は今から考えれば限定的だった。

しかし今回は「アメリカ経済の約3割が事実上の休止状態(大手新聞)」とは、「さながら、3割の国土が火の中にある」と言った感じで、トランプ大統領が自身を「戦時下の大統領」と言う所以だろう。投資家が「アメリカ史上最大の危機」と感じても不思議はない。

また、ここへ来て伊藤忠商事が米国不動産ファンドを立ち上げるという。「緩和によって行き場をなくしたマネーの受け皿」ということで、次の展開を考えての戦略だ。「さすがは商社」と言ったところだが、これだけ世界的追加経済対策が多発すると、新型コロナウイルスと同じように、マネーもどんどん増殖していく。つまり、いずれはインフレになると考えられる。不動産も良いが、まずは株ではないか。


ショック時に株式投資を諦めるな

筆者が今まで経験した大きなショック安は、1973年の第1次オイルショック、1987年のブラックマンデー、1990年の平成バブル崩壊、2000年のハイテクバブル崩壊、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災ショック、2016年のチャイナショックなどだ。これらのほか、中規模な下落まで数えると十指に余り、ある程度の規模の下落は、かなり頻繁に起きていることになる。

そのたびに失望し、株式投資から手を引く投資家を見てきたが、一方で多くの投資家は今でも市場にとどまって投資を楽しんでいる(あるいは苦しんでいる)。こうした投資家たちは「下げた時、諦めないで我慢した人たち」であり、「安く買えると喜んだ人たち」だった。

今回のコロナショックは人知を超えているかに見える。だが、市場は人が作っており、過去の大きな下げと本質的には変わらない。

今回の救いのひとつは配当利回りだ。株価が1カ月前には予想もしなかったレベルに下がった結果、東証1部全銘柄の配当利回り加重平均で3%を超えた。4%を超える配当利回りの優良株も多くある。

つまり、5年の期間で考えれば、4%の配当がもらえる優良株は、配当が変わらないとすればだが、さらに(4%×5年=)20%下がっても、事実上実損はないということだ。筆者は、箪笥の引き出しからマネーを出して投資資金に継ぎ足すタイミングではないかと思う。


政策の効果が出るのは意外に早いかもしれない

もちろん、新型コロナの影響で減配なしとは言えず、すべての銘柄にあてはまるわけではない。だが、ここからもう大きく売られる可能性は少ないと見る。

昨年3月の日経平均株価の配当落ちは180円ほどだった。今週はその配当の権利が付いている最終週だ(3月末が権利確定日なら、最終日は27日)。今、価格を下げているのは株式や原油先物だけではない。安全資産とされていた金先物や債券先物も下げている。パニック状態の中で、今多くの投資家は先を争って現金化を急いでいる。同じことをやっていて良いのだろうか。

日米の対策の比較をしたが、例えば、イギリスは当面、レストラン、パブ、ジム、映画館その他全ての事務所の閉鎖を命じ、その間の従業員の賃金の80%を政府が肩代わりするという。

このように、次々に新しい政策が繰り出され、個人の人権が強い自由主義国家では難しいと思われていた都市封鎖や、戦時中のような戒厳令的行動制限が容認され、世界的に危機意識が共有された。結果が出るのは意外に早いのではないか。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c298

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
253. 中川隆[-13550] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:19:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1354]
「新型コロナ暴落」で個人投資家が取るべき行動
「過去の暴落とは別物」と見なすべきなのか

平野 憲一 : ケイ・アセット代表、マーケットアナリスト 2020/03/23
https://toyokeizai.net/articles/-/338858

トランプ大統領は「最大2兆ドル規模」の経済対策を表明した。23日以降の株式市場はどう動くだろうか(写真:AP/アフロ)

2019年10月の消費税増税実施の際、安倍晋三首相は「リーマンショック級の事象が起きない限り、予定通り実施する」と念を押して、増税を強行した。
新型コロナ対策の「小出し」は避けよ

だが、まさに、そのリーマンショック級の事象が起きたのだ。その意味で言えば、消費税は元に戻すのが道理と言える。しかし、人の動きを止めている今、経済効果やシステム変更による現場の混乱を考えると、現実的ではない。

再び、2008年のリーマンショック時に行われた現金給付が取り沙汰されている。あの時は1万2000円だったが、実は筆者はもらった記憶がない。一方で、辞退した記憶もないので結局はもらったと思われる。つまり記憶に残っていないのだ。ここは記憶に強烈に残り「もらった実感」もわくように、10万円は欲しいところだ。

額の多寡などはさておき、「リーマンショック級の激震への対策」が必要なのは論を待たない。2008年秋以降を振り返ってみると、米リーマンブラザーズが9月に破綻した後、当時の政権は同10月に「生活対策」、同12月に「生活防衛緊急対策」と、矢継ぎ早に対策を出したはずだった。

だが、小規模対策だっただけに、まったくと言っていいほど効かず、翌2009年4月の経済危機対策でようやく底打ちを示したように、「様子を見ながらの対策」では効果がない。政策は1度に出すべきだ。当時は総事業費130兆円(財政支出30兆円)がトータルの数字だったが、今回も、この規模の対策を出せるかと市場は疑心暗鬼だ。

1つの希望は、当時、この小出しの政策を出したのは麻生内閣だったことだ。このときの経験を生かせるか。世界の政権中枢メンバーでリーマンショックを知っているのは、今や日本の麻生太郎財務相などわずかだ。

まさか麻生財務相のアドバイスを受けたとは思えないが、米トランプ政権が当初打ち出した「1兆ドルの経済対策」は、「最大2兆ドル」(約220兆円)に倍増される模様だ。現在、各州の移動制限措置はまさに「戒厳令」のような状態だ。第2次世界大戦下でも、ハワイ以外の本土にはまったく被害がなく、2001年の同時多発テロも、アメリカ人にとっての精神的ショックは大きかったが、経済的被害は今から考えれば限定的だった。

しかし今回は「アメリカ経済の約3割が事実上の休止状態(大手新聞)」とは、「さながら、3割の国土が火の中にある」と言った感じで、トランプ大統領が自身を「戦時下の大統領」と言う所以だろう。投資家が「アメリカ史上最大の危機」と感じても不思議はない。

また、ここへ来て伊藤忠商事が米国不動産ファンドを立ち上げるという。「緩和によって行き場をなくしたマネーの受け皿」ということで、次の展開を考えての戦略だ。「さすがは商社」と言ったところだが、これだけ世界的追加経済対策が多発すると、新型コロナウイルスと同じように、マネーもどんどん増殖していく。つまり、いずれはインフレになると考えられる。不動産も良いが、まずは株ではないか。


ショック時に株式投資を諦めるな

筆者が今まで経験した大きなショック安は、1973年の第1次オイルショック、1987年のブラックマンデー、1990年の平成バブル崩壊、2000年のハイテクバブル崩壊、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災ショック、2016年のチャイナショックなどだ。これらのほか、中規模な下落まで数えると十指に余り、ある程度の規模の下落は、かなり頻繁に起きていることになる。

そのたびに失望し、株式投資から手を引く投資家を見てきたが、一方で多くの投資家は今でも市場にとどまって投資を楽しんでいる(あるいは苦しんでいる)。こうした投資家たちは「下げた時、諦めないで我慢した人たち」であり、「安く買えると喜んだ人たち」だった。

今回のコロナショックは人知を超えているかに見える。だが、市場は人が作っており、過去の大きな下げと本質的には変わらない。

今回の救いのひとつは配当利回りだ。株価が1カ月前には予想もしなかったレベルに下がった結果、東証1部全銘柄の配当利回り加重平均で3%を超えた。4%を超える配当利回りの優良株も多くある。

つまり、5年の期間で考えれば、4%の配当がもらえる優良株は、配当が変わらないとすればだが、さらに(4%×5年=)20%下がっても、事実上実損はないということだ。筆者は、箪笥の引き出しからマネーを出して投資資金に継ぎ足すタイミングではないかと思う。


政策の効果が出るのは意外に早いかもしれない

もちろん、新型コロナの影響で減配なしとは言えず、すべての銘柄にあてはまるわけではない。だが、ここからもう大きく売られる可能性は少ないと見る。

昨年3月の日経平均株価の配当落ちは180円ほどだった。今週はその配当の権利が付いている最終週だ(3月末が権利確定日なら、最終日は27日)。今、価格を下げているのは株式や原油先物だけではない。安全資産とされていた金先物や債券先物も下げている。パニック状態の中で、今多くの投資家は先を争って現金化を急いでいる。同じことをやっていて良いのだろうか。

日米の対策の比較をしたが、例えば、イギリスは当面、レストラン、パブ、ジム、映画館その他全ての事務所の閉鎖を命じ、その間の従業員の賃金の80%を政府が肩代わりするという。

このように、次々に新しい政策が繰り出され、個人の人権が強い自由主義国家では難しいと思われていた都市封鎖や、戦時中のような戒厳令的行動制限が容認され、世界的に危機意識が共有された。結果が出るのは意外に早いのではないか。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c253

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
277. 中川隆[-13549] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:40:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1355]
306名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/23(月) 00:48:43.27ID:9wBqifY1

日本人の地域差について

核ゲノム解読の結果分かったのは本土日本人の同質性が極めて高いということですが、 僅かに地域差があります。

もちろん地域差より個人差の方が大きいですが、あくまで地域別に平均化した話です。

本土日本人でも琉球民族やアイヌ民族に分類されるゲノムの人もいます。
以前より山間部や僻地に縄文の遺伝子が残っていると指摘されていましたが、それが実証された形です。

日本人のクラスターは渡来系の影響が強い「中央軸」と、比較的縄文の遺伝子が残っている「周辺部分」とに別れます。

今後さらに小さい地域単位ごとに調査していけばこの「中央軸」エリアでも縄文の遺伝子が強い集団が見つかったりすると思われます(特に山間部や島嶼)。

◆中央軸(南関東、関西、愛知、福岡、宮城、札幌)
一般に都市部とされる集団では遺伝的同質性が高く縄文由来の遺伝子が比較的少ない。特に東京人のゲノムは朝鮮民族に最も近い。

◆東北(宮城除く)
出雲人とゲノムが殆ど一致。九州人に次いで琉球民族に近い。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆出雲
東北人とゲノムが殆ど一致。東京よりも縄文要素を残している。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆九州(福岡除く)
本土日本クラスターの中では最も琉球民族に近い。従って本土日本人の中では最も縄文人に近い位置に来るとされる。また朝鮮半島よりも中国南部の影響を受けている。

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1576626259/l50
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c277

[近代史4] 日本人は本当に縄文人の子孫なのか? 中川隆
4. 中川隆[-13548] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:41:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1356]
306名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/23(月) 00:48:43.27ID:9wBqifY1

日本人の地域差について

核ゲノム解読の結果分かったのは本土日本人の同質性が極めて高いということですが、 僅かに地域差があります。

もちろん地域差より個人差の方が大きいですが、あくまで地域別に平均化した話です。

本土日本人でも琉球民族やアイヌ民族に分類されるゲノムの人もいます。
以前より山間部や僻地に縄文の遺伝子が残っていると指摘されていましたが、それが実証された形です。

日本人のクラスターは渡来系の影響が強い「中央軸」と、比較的縄文の遺伝子が残っている「周辺部分」とに別れます。

今後さらに小さい地域単位ごとに調査していけばこの「中央軸」エリアでも縄文の遺伝子が強い集団が見つかったりすると思われます(特に山間部や島嶼)。

◆中央軸(南関東、関西、愛知、福岡、宮城、札幌)
一般に都市部とされる集団では遺伝的同質性が高く縄文由来の遺伝子が比較的少ない。特に東京人のゲノムは朝鮮民族に最も近い。

◆東北(宮城除く)
出雲人とゲノムが殆ど一致。九州人に次いで琉球民族に近い。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆出雲
東北人とゲノムが殆ど一致。東京よりも縄文要素を残している。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆九州(福岡除く)
本土日本クラスターの中では最も琉球民族に近い。従って本土日本人の中では最も縄文人に近い位置に来るとされる。また朝鮮半島よりも中国南部の影響を受けている。

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1576626259/l50
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/402.html#c4

[近代史3] 弥生文化のルーツ 中川隆
1. 中川隆[-13547] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:42:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1357]
306名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/23(月) 00:48:43.27ID:9wBqifY1

日本人の地域差について

核ゲノム解読の結果分かったのは本土日本人の同質性が極めて高いということですが、 僅かに地域差があります。

もちろん地域差より個人差の方が大きいですが、あくまで地域別に平均化した話です。

本土日本人でも琉球民族やアイヌ民族に分類されるゲノムの人もいます。
以前より山間部や僻地に縄文の遺伝子が残っていると指摘されていましたが、それが実証された形です。

日本人のクラスターは渡来系の影響が強い「中央軸」と、比較的縄文の遺伝子が残っている「周辺部分」とに別れます。

今後さらに小さい地域単位ごとに調査していけばこの「中央軸」エリアでも縄文の遺伝子が強い集団が見つかったりすると思われます(特に山間部や島嶼)。

◆中央軸(南関東、関西、愛知、福岡、宮城、札幌)
一般に都市部とされる集団では遺伝的同質性が高く縄文由来の遺伝子が比較的少ない。特に東京人のゲノムは朝鮮民族に最も近い。

◆東北(宮城除く)
出雲人とゲノムが殆ど一致。九州人に次いで琉球民族に近い。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆出雲
東北人とゲノムが殆ど一致。東京よりも縄文要素を残している。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆九州(福岡除く)
本土日本クラスターの中では最も琉球民族に近い。従って本土日本人の中では最も縄文人に近い位置に来るとされる。また朝鮮半島よりも中国南部の影響を受けている。

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1576626259/l50
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/964.html#c1

[近代史4] 天皇一族は本当に朝鮮からの渡来人ではないのか? 中川隆
4. 中川隆[-13546] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:43:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1358]

306名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/23(月) 00:48:43.27ID:9wBqifY1

日本人の地域差について

核ゲノム解読の結果分かったのは本土日本人の同質性が極めて高いということですが、 僅かに地域差があります。

もちろん地域差より個人差の方が大きいですが、あくまで地域別に平均化した話です。

本土日本人でも琉球民族やアイヌ民族に分類されるゲノムの人もいます。
以前より山間部や僻地に縄文の遺伝子が残っていると指摘されていましたが、それが実証された形です。

日本人のクラスターは渡来系の影響が強い「中央軸」と、比較的縄文の遺伝子が残っている「周辺部分」とに別れます。

今後さらに小さい地域単位ごとに調査していけばこの「中央軸」エリアでも縄文の遺伝子が強い集団が見つかったりすると思われます(特に山間部や島嶼)。

◆中央軸(南関東、関西、愛知、福岡、宮城、札幌)
一般に都市部とされる集団では遺伝的同質性が高く縄文由来の遺伝子が比較的少ない。特に東京人のゲノムは朝鮮民族に最も近い。

◆東北(宮城除く)
出雲人とゲノムが殆ど一致。九州人に次いで琉球民族に近い。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆出雲
東北人とゲノムが殆ど一致。東京よりも縄文要素を残している。ずーずー弁話者の分布と一致。

◆九州(福岡除く)
本土日本クラスターの中では最も琉球民族に近い。従って本土日本人の中では最も縄文人に近い位置に来るとされる。また朝鮮半島よりも中国南部の影響を受けている。

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1576626259/l50
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/416.html#c4

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
6. 中川隆[-13545] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:48:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1359]

錬金術師と呼ばれたヒトラー総裁
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


ナチスの経済的錬金術


Germany 2Germany 11Germany 7
(左 : ハイパーインフレに苦しむドイツ人 / 中央 : 札束で遊ぶ子供たち / 右 : 紙幣を燃やして料理を作るドイツ人女性 )


  話を戻す。現在の日本はデフレ経済で苦しんでいるけど、こんな状態になるのは昔から分かっていたんじゃないか。筆者だって長谷川慶太郎の本を読んでいたから、「あぁ〜あ、こりゃ重症になるぞぉ〜」と思っていた。しかし、バブルが弾けた後の処方箋は比較的簡単で、民間企業が元気をなくしているなら、政府が公共投資を増やして景気を回復するしかない。小室直樹先生のファンなら、ケインズの経済学を想い出すかも知れないし、一番分かりやすいのはヒトラーの経済政策だ。
戦勝国から巨額の賠償金を課せられ、ルール地方まで奪われたドイツは、ハイパーインフレの嵐に見舞われ絶望の淵に沈んでいた。(それでも、李氏朝鮮よりマシだろう。) 極度の疲弊は歴史に刻まれている。例えば、

1923年のベルリンではパン1斤の値段が4千280億マルクで
1kgのバターを買うとなれば5兆6千億マルクを払わねばならない。

新聞を読もうとすれば「2千億マルクになります」
と言われ、ギョッとする。

電車賃でさえ1千500億マルクもしたんだからしょうがない。(Constantino Bresciani-Turroni, The Economics of Inflation : A Study of Currency Depreciation in Post-War Germany, G. Allen & Unwin Ltd., London, 1937, p.25.)
さらに、世界大恐慌で失業者が巷にドっと溢れ出したんじゃ、もう泣きっ面に蜂みたいで毎日が青色吐息。

企業の倒産や金融危機が荒れ狂うドイツでは、国内総生産がガタ落ちで、1932年の失業者数は約558万人に上ったそうだ。

(Deutsche Bundesbank, ed. Deutsches Geld und Bankwessen in Zahlen 1876-1975, Knapp, Frankfurt am Main, 1976.)

  このように滅茶苦茶になったドイツを救おうとしたのがヒトラーで、彼は1933年2月に新しい経済計画を発表する。この元伍長は、公共事業による失業者問題の解決や価格統制を通してのインフレ抑制を図ったのだ。一般の労働者を支持基盤にするヒトラーは四年間でドイツ経済を何とかすると約束し、その実現を目指して強権を発動した。

今の日本人はヒトラーを狂暴な独裁者とか、ユダヤ人を虐殺した悪魔と考えてしまうが、当時のドイツ庶民にしてみたら結構評判の良い指導者だった。ユダヤ人に対しては閻魔大王みたいだったけど、ドイツ人労働者に対しては親方みたいな存在で頼りになる。ヒトラーは偉大な救世主を目指したから、国民の福祉厚生に力を入れ、社会の底辺で苦しむ庶民の生活水準を上げようとした。

Schacht 2( 左 / ヒャルマー・シャハト)

  誰でも大々的な公共事業をやれば景気が良くなると分かっている。が、肝心要の「お金」が無い。傘が無ければ井上陽水に訊けばいいけど、資金が無ければ優秀な専門家を探すしかないから大変だ。

でも、ヒトラーは世界的に著名なヒャルマー・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht)博士に目を附けた。奇蹟の復興を目論む総統は、シャハトを口説き落とし、ドイツ帝国銀行の総裁および経済大臣になってもらうことにした。

ヒトラーの抜擢は功を奏し、シャハト総裁はその手腕を発揮する。ドイツ経済はこの秀才のお陰で潤滑油を得た歯車のようにグルグルと動く。

マルクの魔術師はドイツの経済状態を診断し、インフレを起こさない程度に国債を発行する。ナチスに元手が無ければ、ドイツ人が持つ「労働力」を担保にすればいい。

労働者を雇っている事業主が、その労働力に見合った手形を発行し、それを自治体が受け取り、銀行に割り引いてもらう。すると、銀行は自治体にお金を渡して、自治体は公共事業を請負業者に発注する。

こうして、仕事が増え、手形がお金に変わって、世の中をクルクルと回ればみんなハッピーだ。「すしざんまい」の木村社長みたいに笑顔がこぼれる。

  ドイツ人のみならずアメリカ人までもが、「シャハト博士は錬金術師か?」と思うほど、彼は金本位制からの脱却に成功した。戦前、通貨の発行は金の保有量を考慮せねばならず、政府が無闇矢鱈に欲しいだけ紙幣を刷るなんて暴挙だった。確かに、当時のドイツを観れば理解できよう。

1935年当時、ドイツの帝国銀行が保有する金は、たったの56mt(メートル・トン)しかないのに、通貨額は約42億マルクもあった。(換算すると1,800,441 troy ounces)

ちなみに、外国が持つ金の保有量を見てみると、

ブリテンが1,464mt、
フランスは3,907mt、
アメリカだと8,998mt、
ネーデルラントは435mt、
ベルギーが560mtで、
スイスは582mt

となっていた。(Timothy Green, World Gold Council and Central Bank Gold Reserves : A Historical Perspective Since 1845, November 1999を参照)

国債反対より、何に使うのかを議論せよ !

Hitler 7Hitler & kids 1
(写真 / ドイツの子供たちから歓迎されるヒトラー)

  ナチスの経済計画でドイツの国民総生産が増大したのは有名だが、注目すべきは公共事業費の流れ方だ。つまり、ヒトラーはアウトバーンなどのインフラ整備を目指したが、その際、末端の労働者に充分な賃金が行き渡るよう心掛けたという。
建設工事にかかる支出の約46%までが労働者の給料になったのだ。これにより、一般労働者の懐が温かくなり、前から欲しかった衣料品を帰るようになった。

日本だと、政府や議員がゼネコンに丸投げし、たっぷりピンハネしてから子会社に仕事を回すのが普通だ。そして、この中抜きには「続き」がある。子会社は更なるピンハネを行って、立場の弱い孫会社に分配するから、下っ端の職人が手にするのは雀の涙ていど。これじゃあ、地上波テレビ局と同じだ。例えば、ドラマを制作するためにスポンサーがフジテレビに1億円払えば、局がごっそりピンハネして、子飼いの制作会社に丸投げ。受注した制作会社もピンハネして孫会社に任せ、その孫請けが曾孫会社を使って実際の番組を作るんだから、出来上がった作品が貧相な代物になるのも当然だ。もしも、このドラマがブラック企業をテーマにした作品なら、お金を払って俳優を雇わず、社員の日常を撮影してドキュメンタリー・ドラマを作った方がいい。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c6

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
7. 中川隆[-13544] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:51:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1360]

ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持した理由

 マイナス金利政策を巡る顛末からも分かる通り、現在の日本が抱える問題は、
「特効薬が効かない!」 という話ではなく、普通の薬を飲まず、特効薬を追い求めている、という点に本質があります。

 と言いますか、ここまで一貫して普通の薬(財政政策)から目をそらし、効果のコミットができない特効薬を探し回る光景は、もはや喜劇です。普通の薬は、効果について事前にコミットできるにも関わらず、頑なにそこから目をそらす。

 実は、現在の日本や欧州同様に、主要国の政策担当者が病的なまでに財政均衡にこだわり、国民経済を貧困化させるという光景が、80年前にも見られました。

『[FT]21世紀におぼろに見えるドイツ帝国銀行総裁の影
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO97052220Y6A200C1000000/


 ジョン・ワイツによるヒャルマー・シャハトの伝記『Hitler’s Banker(邦訳:ヒトラーを支えた銀行家)』を読み返したら、これまで筆者が考えていなかった1930年代と現在の興味深い共通点に気づいた。
ヒトラーが再軍備計画の資金を賄うために、配下の中央銀行総裁だったシャハトに頼ったことは、よく知られている。

だが、ワイツは――そしてここが今日のユーロ圏に潜在的に関係するところだが――、シャハトがライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)で非伝統的な政策を追求できたのは、ひとえに独裁者の後ろ盾があったからだとも指摘している。(中略)
 欧州北部諸国に共有されているブリュッセルとフランクフルトの現在の正統的政策には、30年代に一般的だったデフレマインドとの類似点がいくつかある。

今日の政治家と中央銀行家は、財政目標と債務削減に固執している。30年代前半と同様に、正統的な政策には病的なところがある。今日の中央銀行家は、言うことが尽きると「構造改革」に言及するが、そうした改革が一体何を達成するのか決して口にしない。

 原則としては、ユーロ圏の経済問題を解決するのは難しくない。欧州中央銀行(ECB)が市民一人ひとりに1万ユーロの小切手を手渡せばいい。物価の問題はものの数日で解決されるだろう。あるいは、ECBは独自の「IOU(借用証書)」を発行することもできる。

シャハトが行ったのは、それだ。

または、欧州連合(EU)が債券を発行し、ECBがそれを買い上げてもいい。紙幣を印刷する方法はたくさんある。どれも皆、素晴らしい方法だ。そして違法でもある。(後略)』

 ナチスがドイツで政権を握ったのは、デフレーションで国民の間にルサンチマンが蔓延し、「攻撃的」な政党が喜ばれるという形で社会が歪んでしまったためです。

 とはいえ、ナチスが「支持された」のは、これはもう、ヒトラーとシャハトのコンビが、各国が財政均衡主義の魔物にとらわれ、緊縮財政政策を推進する中において、アウトバーン建設に代表される大規模景気対策を打ったおかげなのです。
ヒトラーが率いるナチスは、1932年には43%(!)だった失業率を、五年間で完全雇用に持ち込んでしまいました。

 それはもう、ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持したのも、無理もない話なのです。

 ちなみに、わたくしは別にナチスを賛美したいわけではなく、「人類」は歴史的に財政均衡主義を「愛し」、デフレ期の財政出動という普通の薬を飲むことができず、デフレの原因を(なぜか)、

「構造改革が不足しているから」

 という、意味不明というか逆効果(構造改革はインフレ対策)の政策を採用。
 緊縮財政と構造改革、つまりは需要縮小策と供給能力拡大策によりデフレを深刻化させ、

「国の借金で大変だ〜っ!」
「構造改革が足りないからだ〜っ!」

 と、バカの一つ覚えのように自縄自縛となる愚かな政策を繰り返してきたという話です。

 特に、デフレ期には単なる「債務と債権の記録」に過ぎないおカネに国民総じて固執し、政府が普通の薬(財政出動)を飲もうとすると、

「政府は無駄なカネを使うな!」

 と、やるわけです。結果、デフレギャップは埋まらず、国民が貧困化し、ルサンチマンが蔓延し、最後には「他の国民を攻撃する」ことで人気を博すポピュリスト政治家が権力を持ち、民主主義が壊れます。

 あるいは、貧困化が行き着くところまで行き着き、国家は虎の子の供給能力を失い、発展途上国化します。

 民主主義の破壊や、発展途上国化を回避するために必要なのは、「特効薬」でも「万能薬」でもありません。しつこいですが、普通の薬、財政出動を中心とした景気対策という普通の政策なのです。

 それにも関わらず、政治家や国民が「普通の薬」について議論しようとさえしない現状に、わたくしは恐怖すら覚えるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12128570302.html

▲△▽▼

現在の状況は、1930年代のヨーロッパとそっくりです。

 1929年のNY株式大暴落に端を発した大恐慌により、ドイツは失業率が43%(32年)に達してしまいました。国民のルサンチマンがピークに達した状況で、ナチス・ドイツが政権を握り、ヒットラーが首相の座に就きました。

 ナチスはヒャルマル・シャハト(ライヒスバンク総裁)の下で、大々的な財政出動を実施。アウトバーンや国道が建設され、WW2開戦までに、3860kmが建設されました。ナチス・ドイツという独裁的な政権の下で、ドイツ経済は瞬く間に回復。わずか五年間で、失業率が完全雇用の水準に至りました。

 当然ながら、ドイツ国民はナチスを熱狂的に支持します。

 妙な話ですが、現在や大恐慌期のような需要低迷期には、なぜか「民主主義国」の方が大々的な財政出動に踏み切れず、状況が悪化します。逆に、独裁国は政府が剛腕をふるい、財政を拡大し、国力を強化してしまうのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12137232005.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c7

[近代史4] ニーチェの世界 中川隆
2. 中川隆[-13543] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:53:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1361]

人間にとって猿とは何か。 哄笑の種、または苦痛にみちた恥辱である。

人間は超越せらるべき或物なり。 汝等は人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。
一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。

然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴は人間にとりて何物ぞ。哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。
曾て汝等は猿猴なりき。今も尚人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。

我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。
最も侮蔑すべきは末人なり。

嗚呼。人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。
嗚呼。遂に自ら卑むることはざる、最も卑むべき人間の時來らむ。

見よ。我は汝等に末人を示す。

「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 -- 末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。
彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。
http://web.archive.org/web/20040506045015/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html#c2

[近代史4] ニーチェの世界 中川隆
3. 中川隆[-13542] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:57:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1362]
ニーチェと超人思想〜超人と末人〜
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-251/


■末人

末人 ・・・ 不吉な響きをもつ言葉だが、何の目的もなく、人生を放浪し、生をむさぼるだけの人間。哲学者ニーチェはそれを末人とよんだ。さらに、ニーチェは、このような末人が「神が死んだ」終末に出現し、ノミのように地球にはびこると予言した。

なんとも暗い未来だが、根拠はあるのだろうか?

今から3000年前、古代ギリシャでオリュンピア祭が始まった。4年に一度の競技大会で、現代オリンピックの起源である。ただし、競技種目は今よりずっと少なかった。水泳競技はなく、トラック競技、やり投げ、レスリング、ボクシング ・・・ 早い話が「バトル(戦闘)」。つまり、スポーツの原点は疑似暴力(アグロ)だったのである。

ところで、オリュンピア祭で讃えられたのは?

もちろん、敗者ではなく、勝者。

つまり、この時代は、

・強者=価値が高い → 善
・弱者=価値が低い → 悪

だったのである。

じつは、「強者=善、弱者=悪」には科学的な根拠がある。そもそも、現実世界は「弱肉強食」。そして、われわれ人間が今あるのも弱肉強食のおかげ。弱肉強食セット「突然変異と自然淘汰」で、原始細胞から人間に進化したのだから。

ところが、この自然の摂理にかなった価値観をユダヤ教とキリスト教が逆転させたとニーチェはいう。

つまり、

・強者=価値が低い → 悪
・弱者=価値が高い → 善

なんのこっちゃ?だが、気を取り直して、ユダヤ教とキリスト教のバイブル「旧約聖書」をチェックしてみよう。

じつは、「旧約聖書」は一人で一気に書きあげたものではない。複数の予言者のメッセージを編集したものである。内容は、壮大で一大叙事詩の感があるが、中にはユダヤ教徒への教訓もある。

たとえば ・・・

ユダヤ民族は神に選ばれた民である。だから、唯一神ヤハウェを信仰せよ。そうすれば、神はユダヤ民族の敵をことごとく滅ぼしてくれる。

ところが、敵は滅びるどころか、増える一方だった。そして、1932年から1945年にかけて、歴史に残る「ユダヤ人の迫害」が起こる。ナチスドイツの強制収容所で、600万人のユダヤ人が殺害されたのである。震撼すべき犠牲者の数だが、「殺戮」視点でみれば、最悪でない。

というのも ・・・

米国の図書館員マシュー ホワイトの著書「ランキング・残虐な大量殺戮上位100位」によれば、歴史上、ナチスを超える大量殺戮は3つ存在する。

・チンギスハーン(約4000万人)
・中国の毛沢東(約4000万人)
・ソ連のスターリン(約2000万人)
(※1)

もうすぐ1億 ・・・ ここまでくると、残酷な殺戮も「数字」にしかみえない。

じつは、ユダヤ人を迫害したのはナチスだけではなかった。程度の差こそあれ、ヨーロッパ全土に蔓延していたのである(デンマークは例外)。

1894年、フランス、ユダヤ人将校の冤罪に端を発する「ドレフュス事件」。さらに、1940年、ナチスに占領されたフランス・ヴィシー政府は、過酷なユダヤ人政策を強行した。様々なユダヤ人法を成立させ、次々とユダヤ人を強制収容所に送り込んだのである。

特に、1942年7月に実施されたユダヤ人狩り「春風計画」は凄まじかった。フランス側官憲4500人がユダヤ人の住居を襲い、1万2884名を捕え、アウシュヴィッツ収容所に送り込んだのである。その徹底ぶりは本家ナチスを凌駕する。意外に思えるかもしれないが、フランスの反ユダヤ主義は歴史的にみて根が深いのである。

また、東ヨーロッパでもユダヤ人の迫害が横行した。たとえば、1930年代、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、リトアニア、ポーランドで大規模な暴力沙汰が起きている。ユダヤ人が路上で襲撃されたり、住居が放火されたり、店舗が破壊されたのである。

とくに、バルト海諸国やウクライナでは反ユダヤ感情が強かった。そのため、第二次世界大戦中、多くの住民がドイツ軍に協力した。たとえば、1941年6月28日、リトアニアで起きた「死の砦事件」。コヴノの第9要塞でユダヤ人8万人が虐殺されたのである。

さらに、キリスト教もユダヤ人を差別した。

1936年、ポーランドで、それを象徴するような事件が起きている。

まず、キリスト教イエズス会の機関誌にこんな記事がのった。

「われらの子弟が、ユダヤの低劣な倫理観に汚染されないよう、ユダヤ人学校を別にもうける必要がある」(※3)

さらに、ポーランドのカトリック教会のフロンド枢機卿は、

「ユダヤ人たちが詐欺行為を働き、高利貸しを仕事とし、白人売春婦の売買をもっぱらにしているのは事実である」(※3)

それが事実かどうかはさておき、神がユダヤ人を助けてくれなかったことは事実だ。

そこで ・・・

ユダヤ教の教えは変質した。力で勝ち目がないなら、道徳をでっちあげて、そこで優位に立とう。そして、このような価値観を集大成したのがキリスト教である ・・・ ニーチェはそう考えたのである。

ゴルゴダの丘で磔刑に課せられたとき、イエスはこうつぶやいた。

「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」

殺される弱者・イエスは、殺す強者・ローマ兵に哀れみをかけることで、「弱」から「善」に大変身したのである(命と引き替えに)。

つまり ・・・

相手が力づくできたら、負けてあげましょう。力で負けても、本当に負けたわけではないから。そもそも、力づくで思いを遂げようなんてサイテー。神の前では、力をふるう方が「悪」で、犠牲者は「善」なんだからね。

こうして、ユダヤ教とキリスト教の出現によって、「強善弱悪 → 強悪弱善」のコペルニクス的転回が起こったと、ニーチェは考えたのである。

ところで、よく考えると ・・・

「弱者=善」というのもヘンな話。

「強弱」は物理学、「善悪」は概念。属性が違うものをいっしょにしてどうするのだ?

■超人

ここで、ニーチェの哲理を一度整理しよう。

ユダヤ教とキリスト教は、現実世界で負けた恨みを晴らすために、精神世界で勝利しようとした。その仕掛けが「道徳」である。

つまり ・・・

弱者は協調的で優しいので「善」。一方、強者は自己中で強引なので「悪」。こうして、強者は表彰台から降り、かわりに、弱者が上ったのである。つまり、弱者が勝者にすりかわったわけだ。

それにしても ・・・

負けを素直に認めればいいものを、卑屈な話ではないか。そこで、ニーチェはこのような道徳を「奴隷道徳」とよんだ。奴隷道徳は、道徳の名を冠しているが、弱者を救済するための方便にすぎない。詭弁を弄して、正当化しようが、根源はひがみとねたみ。そこで、ニーチェはこのような価値観を「ルサンチマン(フランス語で「ひがみ・ねたみ」)」とよんで、忌み嫌った。

そして ・・・

ニーチェの鋭い批判は祖国ドイツにも向けられた。ドイツ人もルサンチマン化しているというのだ。実際、ニーチェは著書「偶像の黄昏」の中でこう書いている。

「かつて思索の民とよばれたドイツ人は、今日そもそも、思索というものをまだしているだろうか。近頃では、ドイツ人の精神にうんざりしている ・・・ ドイツ、世界に冠たるドイツ、これはドイツ哲学の終焉ではあるまいか、とわたしは恐れている。ほかのどこにも、ヨーロッパの『二大麻薬』、つまり、アルコールとキリスト教、これほど悪徳として乱用されているところはない」(※2)

アルコールとキリスト教は「二大麻薬」!?

やっぱり、ニーチェはナチスのお仲間?

というのも、1937年9月12日、ニュルンベルクで開催された第9回ナチス全国党大会で、ヒトラーはこんな演説しているのだ。

「ボリシェヴィキ(ロシア共産主義)は、人類がかつて経験したことのない最大の危機であり、キリスト教出現以来最大の危機である」

ボリシェヴィキとキリスト教は「二大麻薬」!?

つまり ・・・

ニーチェとナチスは、キリスト教(道徳)の天敵、そして、力の賛美者。だから、ニーチェとナチスはお仲間というわけだ。もちろん、ナチスは全体主義、ニーチェは個人主義という根本的な違いがあるのだが、ナチスの磁力があまりに強力なので、わずかな一致で、お仲間にされたのである。

ではなぜ、ニーチェはルサンチマンと道徳を否定したのだろう?

このような卑屈な考えは、人間本来の欲望を押し殺すと考えたから。

人間本来の欲望って?

今ハマっているアクションRPG「ディアブロ3」の世界なら、

・筋力:9999(最大値)
・敏捷性:9999(最大値)
・知力:9999(最大値)
・生命力:9999(最大値)

現実の世界なら、権力、金力、名誉!

ニーチェは、このような純粋で健全な欲望を「力への意志」とよんだ。そして、この意志を持ち続ける人間を「超人(ウーヴァーメンシュ)」とよんで、人間かくあるべしと鼓舞したのである。

ただし、ここでいう「超人」は、まれな資質を有し、困難な目標を成し遂げるスーパーマンではない。資質がイマイチで、成功の見込みがうすくても、自分の欲望から目をそらさず、挑戦する人間をいう。つまり、結果ではなく、意志。だからこそ、ニーチェは「力への意志」とよんだのである。

さらに、ニーチェは超人とルサンチマンがせめぎ合う未来を予言した。

ルサンチマンは、信仰によって骨抜きにされ、自分の欲望を直視することができない。さらに、自分というものがなく、「群れ」でしか生きられない。だから、本当は弱虫。ところが、それを認めず、道徳をでっちあげて、自分は上等だと言い張る。こんな独りよがりの妄想が、長続きするわけがないと。

その結果 ・・・

誰も神を信じなくなる。信じてもらえない神は、神ではない。ゆえに、神は死んだのだと。

その瞬間、道徳も崩壊する。なぜなら、道徳は神なくしてありえないから。

一神教の信者が道徳を守るのは、神罰を恐れるからである(少なくとも、そう教えられる)。ところが、神がいなくなれば、神罰もなくなる。つまり、「神が死んだ」瞬間、道徳も崩壊するのだ。

こうして、遠くない未来に、二大宗教的価値観「信仰と道徳」が崩壊する。そのとき、ルサンチマンはよりどころを失い、ただ生きながらえるだけの生き物になる。それが「末人」というわけだ。

一方、「超人」は、時代や環境に左右されることはない。自分で価値観をつくることができるから。だから、神が死のうが、既存の価値観が崩壊しようが、迷わず、まっすぐ生きていける。つまり、超人とは、何事にも束縛されない「自由」と、自己実現の「意志」を持った人間なのである。

これが、ニーチェの「超人思想」。

力強く、斬新で、カッコイイ。でも、暴力的で危険である。根っこにあるのは「背神」と「反道徳」、つまり、反宗教だから。

ところが、ニーチェは、初めは熱心なキリスト教徒だった。少年時代に、こんなことを書いている ・・・

「神はすべてにおいて、あやまちを犯さないよう、わたしを導いてくださった。だから、わたしは一生を神への奉仕に捧げようと決心した」

一体、何がニーチェを変えたのか?

おそらく、「狂気」。

ドーパミン過剰の激しい性質は、中庸と安定を好まず、左右のどちらかに振り切れる。その結果、既存の価値のことごとく破壊する。それで、新しい価値を生めばよし、破壊でおわれば、その先に待っているのは ・・・ 狂気の世界。

つまり、勇ましいニーチェの超人思想も、結末は超人か狂人か?

それを自ら体現してみせたのが、ニーチェ自身だったのである。

参考文献:

(※1)殺戮の世界史〜人類が犯した100の大罪 マシュー ホワイト著、住友進 訳 早川書房

(※2)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」 ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)

(※3)ヒトラー全記録 20645日の軌跡 阿部良男 (著) 出版社: 柏書房
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-251/


▲△▽▼


ニーチェとナチス〜レニの意志の勝利〜


■ワーグナーの信奉者

神は死んだ ・・・ ニーチェは自著「ツァラトゥストラはかく語りき」でかく語った。

この不用意な一言が、キリスト教徒の心情を逆なでにし、反キリストの烙印を押されたことは想像に難くない。大哲学者ニーチェも、熱心なキリスト教徒からみれば、ただの背信者なのだ。つまり、20億人が敵!?

さらに ・・・

ニーチェは「ナチスのシンパ(賛同者)」の嫌疑もかかっている。もし、それが本当なら、全人類が敵!?

歴史的名声をえているニーチェ像も、じつは薄氷の上にあり、いつ水没してもおかしくないわけだ。

では、本当のところはどうなのだろう?

第一の疑惑はワーグナーがからんでいる。

ワーグナーは、言わずと知れたドイツの大音楽家である。19世紀ロマン派歌劇の王様で、「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」など、荘厳かつ芝居がかった楽曲で名声をえている。

そのワーグナーの熱烈な信奉者がニーチェだったのである。ニーチェは、学生時代にワーグナーの楽曲に感銘をうけ、個人的な交流が始まった。その後、ワーグナーを讃える書を書いて、インテリからひんしゅくを買った。

そして ・・・

ヒトラーも熱心なワーグナー信奉者だった。ヒトラーは、17歳のとき、シュタイアー実科中学校を放校処分になり、ウィーンに旅行したが、そのとき、友人のアウグスト・クビツェクに絵葉書を送っている。そこにはこう書かれていた。

「僕は今、ワーグナーに夢中だ。明日は『トリスタン』を、明後日には『さまよえるオランダ人』を観るつもりだ」

ヒトラーは、その後、ドイツの総統にまで上りつめるが、ワーグナー熱が冷めることはなかった。定期的に劇場に出かけ、ワーグナーの荘厳な歌劇に酔いしれたのである。

ということで、ニーチェはワーグナーをハブに、ヒトラー(ナチス)のお仲間とみられたわけだ。とはいえ、音楽の趣味が同じだからといって、ナチスシンパ呼ばわりされてはたまらない。

ところが ・・・

ワーグナーは偉大な音楽家にみえるが、うさん臭いところもあった。天上天下唯我独尊で傲慢不遜、しかも、金遣いがあらく、年中金欠だったが、問題はそこではない。

彼の代表作「ニーベルングの指環」は、天界と人間界をまたぐ、壮大な戦争叙事詩だが、モチーフは北欧神話。つまり、神々と北欧ゲルマン人を讃える物語なのだ。

北欧ゲルマン?

じつは、ワーグナーは、北欧ゲルマン人至上を信じる偏屈な反ユダヤ主義者だった。しかも、彼の2度目の妻コージマも反ユダヤ主義者で、夫婦そろって人種差別主義者だったのである。

ゲルマン人最高&ユダヤ人最低?

ナチスの教義そのままではないか。

じゃあ、ワーグナー夫婦はナチス信奉者だった?

ノー!

この二人がナチス信奉者であるはずがない。ナチスが創設される前に死んでいるから。

それに、17歳のヒトラーがワーグナーに魅せられたのは音楽であって、偏屈な人種差別ではない。この頃、ヒトラーのユダヤ人に対する差別意識は、ヨーロッパ人としては平均的なものだった。驚くべきことに、21歳の時、ヒトラーには、ヨーゼフ ノイマンというハンガリー系ユダヤ人の親友がいた。彼に自分の描いた絵を売ってもらっていたのである。

ニーチェもしかり。はじめに、ワーグナーの楽曲に感動し、個人的なつき合いが始まり、彼の知性に魅了されたのである。

そもそも、ニーチェは人種差別主義者ではなかった。彼は「ユダヤ教」を嫌っていたが(厳密には一神教)、「ユダヤ人」を差別していたわけではない。

というわけで、ワーグナーをからめて、ニーチェを「ナチスシンパ」呼ばわりするのは正しくない。

ところが ・・・

やっかいなことに、そう思われてもしかたがない事実があるのだ。ニーチェは著書の中でこう書いている。

「ちっぽけな美徳やつまらぬ分別(道徳)、惨めな安らぎ(宗教)を求めることなかれ、強固な意志と不屈の精神で成し遂げるのだ」

つまり、「道徳」と「宗教」を否定し、内なる声に従い、雄々しく生きよと鼓舞したのである。

これがニーチェ哲学の根幹をなす概念「力への意志」である。そして、この勇ましい思想が、ナチスに利用されたのである。

■ナチスの映画

1934年、ナチスは党のプロパガンダ映画「意志の勝利」を制作した。1934年9月4〜5日に開催されたナチスの全国党大会の記録映画である。

タイトルといい、内容といい、ニーチェの「力への意志」を彷彿させる。

ところが、この映画は、現在、ドイツで上映が禁止されている。ドイツでは、映画であれ、TVであれ、Tシャツであれ、「ナチス」の露出は禁じられているのだ。

禁じられると、よけいに観たくなる!

心配無用。日本ではDVDがふつうに手に入る(amazonで3,730円)。

それにしても日本はいい国だ。言論・思想の自由とかで、言いたい放題、見せたい放題、何をしても許されるのだから(皮肉です)。そこで、DVD版「意志の勝利」(※1)を購入してみると ・・・ 暴力シーンやエロいシーンはゼンゼンない。むしろ、荘厳で美しく、芸術的(そして眠くなる)。

ということで、発禁の理由は、ひとえに「題材=ナチス」。

では、映画の内容はどうなのか?

「ナチス」がムンムン伝わってくる。

冒頭、いきなり、鷲と鉤十字をかたどった像の下に、「Triumph des Willens(意志の勝利)」が映し出される。

そして、重々しい文言 ・・・ 1934年9月5日、世界大戦勃発から20年後、ドイツの受難から16年が経過、ドイツの復興が始まって19ヶ月、アドルフ・ヒトラーは閲兵のため、ニュルンベルクを再訪した ・・・

シーンは変わって、飛行機のコックピット。眼前にみごとな大雲海が広がっている。重厚なサウンドと相まって、気分が高揚する。飛行機は徐々に高度を下げ、雲の割れ目から古都ニュルンベルクが見える。大聖堂をはじめ、荘厳な石造りの建物が整然と並ぶ。中世を思わせる美しい街だ。

飛行機がニュルンベルクの飛行場に着陸する。大勢の民衆が出迎え、歓声をあげている。ヒトラーが飛行機から降り立つと、「ハイル、ハイル、ハイル」の大合唱だ。

オープンカーで、ドイッチャー・ホーフ・ホテルに向かうヒトラー。その途中、道の両側の建物から鉤十字のナチス旗が垂れ下がり、人々が熱狂的に手を振っている。

ホテルに到着すると、母と娘がヒトラーに花束をわたし、笑顔でこたえるヒトラー。絵に描いたような演出だ。ヒトラーがホテルに入ると、

「われらの指導者、姿をみせて!」

の大歓声がわきおこる。ヒトラーが窓から姿をあらわし、それに笑顔でこたえる。強固な意志と不退転の決意を秘めながら、民衆には心を開く、我らが指導者というわけだ。

映像はモノクロだが、美しく、荘厳で、力強い。演出もカメラワークも、時代を考慮すれば新鮮だ。映画全体に一大叙事詩のような風格がある。こんな映画を撮れる監督はそういない。現代なら、スタンリー・キューブリック(故人)かリドリー・スコットか?

■レニ リーフェンシュタール

ところが ・・・

「意志の勝利」を撮ったのは、キューブリックやリドリースコットのような映画界の重鎮ではなかった。レニ リーフェンシュタール、当時まだ32歳の美しい女性だった。

この映画の2年前、1932年3月、レニ リーフェンシュタル監督兼主演の映画「青の光」が公開された。ヒトラーはこの映画をみて感動したのである。その後、レニはヒトラーの大のお気に入りになり、1938年のベルリンオリンピック「民族の祭典(オリンピア)」の監督も任されている。

「意志の勝利」は高い芸術性が評価され、数々の賞を受賞し、レニも栄光と名誉を手に入れた。ところが、戦後、評価は一変する。ナチスが全否定されたのだ。結果、「意志の勝利」は上映が禁じられ、レニ自身も、ナチスに協力した罪で訴えられた。最終的に無罪になったものの、誹謗中傷はその後もつづいた。

この不遇に対し、レニはこう反論した。

「わたしはナチスに加担したわけではない。美を追求しただけだ」

たしかに、レニの映像は「美」をねらっている。しかし、その「美」は穏やかな自然の美ではない。超越した力の美である。そして、脚本は明確に「ナチス礼賛」。これでは、「ナチスの協力者」と言われてもしかたがないだろう。もっとも、そうしないと、映画は完成しなかったのだが。実際、ナチス宣伝相ゲッベルスがあまりに口うるさいので、レニはヒトラーに苦情を訴えている。

ということで、レニはヒトラーから依頼されてこの映画を撮ったのだが、結果として、ナチスを利用して自己実現することになった。フォン ブラウンが、ナチスの超兵器V2ケットを利用して、ロケットの夢を叶えたのと同じように。

論より証拠、映画の内容を精査してみよう。

脚本と演出から、この映画のテーマは3つ確認できる。
1.ヒトラーは偉大な指導者
2.ドイツの若者は健全でパワフル
3.ナチスドイツは階級のない社会

では、この3つが映像でどう表現されているかみていこう。

【ヒトラーは偉大な指導者】

飛行場に到着したヒトラーを出迎える熱狂的な民衆。オープンカーで移動中、道すがらナチス式敬礼でヒトラーを讃える民衆。母娘から花束を渡され、笑顔でこたえるヒトラー ・・・ ヒトラーは国民から崇拝されると同時に、愛される指導者でもある。

さらに ・・・

ヒトラーの演説は分かりやすく、力強い。要点をしぼって、カンタンな言葉で何度も繰り返す ・・・ ヒトラーは頭がよくて、頼りがいがある。ドイツを再び繁栄に導いてくれるに違いない。

というわけで、ヒトラーの演出は「偉大な指導者」にフォーカスされている。

【ドイツの若者は健全でパワフル】

ニュルンベルク郊外に設営された無数のテント。ヒトラーユーゲント(青少年団)の野営地だ。ここで、多くの若者が共同生活をおくっている。

朝起きて、ヒゲをそり、顔を洗う、こんな日常でさえ、限りなく健全で明るい。水掛けをしてふざけあうカットも、民族の一体感を感じさせる。そして、みたこともない大鍋でスープをつくって、大量のソーセージを煮込んで、みんなでモリモリ食べる。調理と食事という日常の風景なのに、物量が多いだけで、力強さを感じさせる。

食事が終わると、相撲とボクシングをあわせたような格闘技や騎馬戦に興じる ・・・ じつは、スポーツは疑似暴力(アグロ)。

というわけで ・・・

ドイツの若者は、共同生活を楽しみ、スポーツを愛する。だから、健康的で、明るく、パワフル。心の病気などどこ吹く風だ。

そして ・・・

こんな若者にささえられたドイツの未来は明るい!

とはいえ、これが当時のドイツ青少年のスタンダードと言うわけではない。この映画が撮られた1934年、ドイツの若者がすべてヒトラーユーゲントとは限らなかったから。ところが、1936年、「ヒトラーユーゲント法」が成立し、すべての青少年の入団が義務づけられた。つまり、「ドイツの青少年=ヒトラーユーゲント」。

以前、265代ローマ教皇ベネディクト16世が、ヒトラーユーゲントの団員だったことが取り沙汰された。もちろん、的外れ。この時すでに、ヒトラーユーゲント法が成立していたから。

【ナチスドイツは階級のない社会】

民族衣装に身を包み、収穫の行進をする農民たち。ナチスは農業・農民を重視します!が映像からヒシヒシ伝わってくる。そもそも、ヒトラーが東方生存圏の拡大をもくろんだ理由は、ドイツの食料不足にあったのだから。

ヒトラーがドイツ労働者戦線指導者ロベルトライをともない、労働戦線の隊員たちを観閲する。続いて、ナチス幹部の労働者を讃える熱い演説。

この2つの映像は、ナチスドイツが農民と労働者を重視する、つまり、「階級のない社会」であることを示唆している。また、先の「ヒトラーユーゲントの野営地」の映像は、ナチスドイツが個人が全体に従属する「全体主義」であることを暗示している。

つまり、ヒトラーの狙いは、「階級のない社会=共産主義」と「個人より国家=全体主義」にあったのである。

そして ・・・

後者の「全体主義」は、おそらく、ヒトラーの戦争体験によっている。

1918年10月13日、第一次世界大戦中、イープルの前方の南部戦線で、イギリス軍は毒ガス「マスタードガス(ドイツ軍は黄十字ガスとよんだ)」を使用した。ヒトラーはその毒ガスをもろにあびたのである。

その時の苦悩と覚醒が、ヒトラーの著書「わが闘争」に記されている ・・・

ガスに倒れ、両眼をおかされ、永久に盲目になりはしないかという恐怖で、一瞬、絶望しそうになったときも、良心の声がわたしを怒鳴りつけたのだ。あわれむべき男よ、なんじは、幾千の者がなんじより幾百倍も悪い状態に陥っているのに、それでも泣こうとするのかと ・・・ わたしは、祖国の不幸にくらべれば、個人的な苦悩というものが、すべてなんと小さいものかということを知ったのだ(※2)。

まさに、全体主義 ・・・

でも、「共産主義+全体主義」なら、まんまボリシェビズム(レーニン式共産主義)では?

たしかにやってることは変わらない、では身もフタもないので、ムリクリ両者の違いを捻出すると ・・・ 憎む相手。

ボリシェビズムの敵は、資本家、つまり「階級」。一方、ナチスの敵は、ユダヤ人とスラヴ人、つまり「人種」。

ヒトラーは「ヨーロッパの新秩序」を掲げ、人種ヒエラルキー社会をもくろんでいたのである。それが、イデオロギーとよべるかどうかはさておき、上から順番に ・・・
第1位:ゲルマン人(ドイツ・オーストリア)
第2位:ラテン人(南ヨーロッパ)
第3位:スラヴ人(東ヨーロッパおよびロシア)
第4位:ユダヤ人

ヒトラーは、ドイツの資源不足(特に食糧)を憂慮していた。そこで、新たな生存圏を獲得するため、上記リストの下位の土地をねらったのである。ところが、第4位のユダヤ人は広い領土をもたない。一方、第3位のスラヴ人が住むロシアは広大で、天然資源は無尽蔵(特に鉱物資源は世界トップ)。そこで、ヒトラーはロシアを征服しようとしたのである。

ヒトラーは、「優れたドイツ人が狭い土地に住み、劣ったスラヴ人が広い土地に住むのはがまんならない」と側近にもらしていたという。その意識が、第二次世界大戦を招いたのである。

ただし、第二次世界大戦の直接原因はヒトラーにあるのではない。イギリス首相チェンバレンの愚策にある(イギリス議会の総意でもあったが)。ヒトラーはフランスはもちろん、ポーランドも侵攻するつもりはなかったのだから。

ということで、ナチズムもボリシェビズムも「敵を憎んでやっつけろ」が基本で、異民族や価値観の違いを認めて、折り合う気がさらさらない。だから、隣国にとってはハタ迷惑なのだ。

日本のお隣にも、お仲間がいるって?

否定はしませんけどね。

話をレニにもどそう。ゲッベルスにちゃちゃを入れられたか、身の危険を感じたか分からないが、結果として、映画は「ナチス礼賛」になってしまった。

その真骨頂が、ナチスの副総統ルドルフ・ヘスの演説だろう。映像を観ていると、歯が浮いてくる ・・・

わが総統 ・・・ 人々は理解することになるでしょう。我々生きるこの時代の偉大さを、我が国にとって、総統がいかに重要な存在であるかを。

あなたはドイツです。

あなたの指導のもと、ドイツは真の祖国となる目的を達成するでしょう。世界中すべてのドイツ民族のために。あなたは我々に勝利を約束なさった。そして、今、我々に平和を与えてくださる。ハイル・ヒトラー!ジークハイル!

それにつづく、「ジークハイル!」の大合唱。

ところが ・・・

このヘスの演説の合間に、2秒ほど、ナチスナンバー2のゲーリングの表情が映るのだが ・・・ その白けた顔。そこにはこう書いてある。

「よう言うわ」

これはカットですよ、レニ監督。

■ニーチェとナチス

というわけで、ニーチェの思想とナチスの教義は似ているが、共通するのはイケイケぐらい。そもそも、ニーチェの「力への意志」の核心は個人主義にあるが、ナチスは頭のテッペンからつま先まで全体主義。だから、根本が真逆なのだ。つまり、ナチスは、都合のよいところだけ、ニーチェ・ブランドを利用したのである。宗教的道徳を捨て、力を信じて、お国のために死んでくれ!と。

ところが、ヒトラーがニーチェを愛読していたという証拠はない。ヒトラーは大変な読書家だったが、ジャンルは歴史と地理と戦争物に限られていた。ただし、第一次世界大戦中、戦場でショーペンハウアーを読んでいたという記録がある。

ショーペンハウアーといえば、19世紀を代表する大哲学者だが、大学入試(大阪大学)の現国の問題にもなっているので、特別難解というわけではない。とはいえ、個人的には難解だし、そもそも陰気臭い。でも、ひとつだけ感動した言葉がある。

「人間、40才までが本文、それを過ぎたら注釈の人生」

偉人の名言の中でも、ひときわ目立っている。あまりのインパクトに卒倒しそうになった。

それはさておき、ショーペンハウアーは「意志」にからんで、ニーチェに影響を与えているので、ヒトラーの心をとらえた可能性はある。

一方、イタリアのファシスト党首ムッソリーニは、ニーチェを愛読していた。彼は自著「力の哲学」の中で、

「ニーチェは19世紀最後の4半世紀で、最も意気投合できる心の持ち主だ」

と持ち上げている。

ムッソリーニの「覇道の人生」を正当化しているのだから、無理からぬ話だ。とはいえ、ムッソリーニは、世間に流布されたような無教養で粗野な人物ではなかった。大変な読書家で、数カ国語をあやつるインテリだったのである。

というわけで、ヒトラーがニーチェの信奉者だった証拠はないが、お仲間のムッソリーニはそうだった。だから、ニーチェはファシズムを産んだわけではないが、加担したことは否定できない。

しかし、ニーチェの一番の問題はそこではない。

彼の理想と現実の埋めようのないギャップ。

■ニーチェの末路

ニーチェは読者にむかって ・・・

「己の内なる声に耳を傾けよ。その声に従って、生きよ。道徳やルールに惑わされてはならない」

と、危険な生き方を強要しておきながら、自分は35歳でニートになってしまった。体調不良で、大学の教授をやめたのである。その後、気候の良い土地を転々としながら執筆に専念した。早い話が在野の学者。

ところが、ニーチェの転落はここでとどまらなかった。45歳で、生きながらにして、アリ地獄に落ち込んだのである。

1889年1月3日、トリノの街を散歩中に、老馬が御者に鞭打たれるのをみて、突然、馬の首にしがみつき、泣き崩れてしまった。気が触れたのである。その後、実家のナウムブルクから近いイェーナの精神病院に入院した。

病室では、たいてい口をきかず、ふさぎ込んでいた。かとおもうと、突然、大声でわめきだし、自分を皇帝とか公爵とよんで、窓を叩き壊すこともあった。そして、頭痛がはじまると、看護人をビスマルクだと言って、ののしるのだった。

「私は愚かだから死んでいる。私は死んでいるから愚かだ」

と、芝居のセリフのような呪文を繰り返した。

これはうつ病レベルではない。重度の精神障害「統合失調症」である。

やがて、病院は回復の見込みがないことを認め、1890年5月、ニーチェは退院した。その後、ナウムブルクの実家にもどり、一度も回復することなく、55歳でこの世を去った。

じつは、ニーチェの狂気は、鞭打たれる老馬をみて、突然、発現したわけではない。子供の頃、すでに、予兆があったのだ。ニーチェはこう書いている。

「僕が恐ろしいと思うのは、僕の椅子の後ろの、ぞっとする姿ではなく、その声である。どんな言葉だって、その姿が発する声ほど、身の毛もよだつ、言葉にならない非人間的なものはない。人間がしゃべるように話してくれさえすればいいのだが」(※3)

幻聴や幻覚は統合失調症の典型的な症状である。誰もが子供のとき経験する夢想世界とは別ものだ。結局、ニーチェの幼少時の予兆は現実になったのである。

■クラーク博士の末路

ニーチェの理想と現実の人生をみると、

「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」

を残したクラーク博士を思いだす。

ウィリアム・クラークは、アメリカ合衆国の教育者で、札幌農学校(現北海道大学)の立ち上げに尽力した。先の名言は、これから巣立つ若者へのはなむけの言葉として有名である。

ところが、そのクラーク博士 ・・・

帰国後、大学の学長になり、順風満帆だったのに、自分の名言を実践することにした。学長を辞めて、新しい大学の創設、会社の創業に挑戦したのである。

「Old boys,be ambitious(中年よ、大志を抱け)」

ところが ・・・

結果はすべて失敗。最後は破産に追い込まれた。その後、心臓病をわずらい、寝たり起きたりで、59歳でこの世を去ったという。

大志を抱き、現実で失敗し、悲惨な末路をたどり、名声だけが残る ・・・ 詳細はさておき、大枠、ニーチェと同じではないか。

というわけで ・・・

挑戦する人生は素晴らしいが、身の丈を超えると、後が良くない。欲をかかず、つつましく生きるのも良き人生かな ・・・

■ゲーテの末路

ニーチェは、寄宿学校時代、文学サークル「ゲルマニア」をつくり、シェークスピアやゲーテをよみあさった。

そのゲーテだが、詩人、劇作家、小説家、科学者、弁護士にして政治家と、ニーチェの「力への意志」を地で行くような「攻め」の人生だ。

ところが ・・・

その「攻め」のゲーテが、晩年、こんな言葉を残している。

気持ち良い人生を送ろうと思ったら ・・・

済んだことをクヨクヨしないこと、
むやみに腹を立てないこと、
現実を楽しむこと、
人を憎まないこと、
そして、未来を神にまかせること。

人生は複雑である。

参考文献:

(※1)意志の勝利[DVD] 販売元:是空

(※2)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫) アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)

(※3)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳) 白水社
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-249/


_____


ニーチェとルサンチマン〜道徳の正体〜
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-250/


■ニーチェかサルトルか

昭和51年、日本の高度経済成長のまっただ中、こんなTV CMが流行した ・・・ 「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか〜、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか〜、みーんな悩んで大きくなった〜」 作家の野坂昭如が歌ったウィスキーのCMである。哲学者をまとめてコケにしたようなバチ当たりなCMだが、悪意は感じられない。彼の不思議なキャラのおかげだろう。野坂昭如は、言動はハチャメチャだが、どこか憎めない。何をしても許されそうな ・・・

そういえば、大島渚監督の結婚30周年パーティで、主役をグーで殴って大騒動になった。犯行映像も残っており、証拠は万全なのだが、訴えられたという話は聞かない。 とはいえ、彼のすべてが不真面目というわけではない。直木賞を受賞した「火垂るの墓」は何度もみても泣ける(ただしアニメ版)。

ところで ・・・ 冒頭のCMは、哲学者の有名どころはソクラテス、プラトン、ニーチェ、サルトルと言っているようなもの。つまり、ニーチェは日本でもポピュラーな哲学者なわけだ。 では、ニーチェと聞いて、何を思い浮かべるか? ツァラトゥストラはかく語りき 神は死んだ 超人思想 ・・・・ ニーチェの象徴、3大キーワードである。

ところが、この3つはすべて、ニーチェ哲学の重要な概念「力への意志」にからんでいる。 ニーチェは著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、「神は死んだ」と宣言し、人間のあるべき姿「超人思想」を提唱したから。 しかし ・・・ ニーチェが本当に言いたかったのは、「神は死んだ」ではなく「神は妄想である」だったのだ。

そこで、100年後、生物学者リチャード ドーキンスはニーチェを代弁した。彼は著書「利己的な遺伝子」で、生物は遺伝子の乗り物にすぎないと暴露し、さらに、著書「神は妄想である」で、人間を創造したのは進化の法則で、神ではないと言い切った。つまり、神と宗教を否定したのである。 ということで、ニーチェは哲学、ドーキンスは生物学、それぞれ異なったアプローチで同じ結論に到達したのである ・・・ 神は妄想ナリ。ところが、ロジックの鋭さと辛辣さでは、ニーチェが一枚上手。

■ルサンチマン

ニーチェ版「神は妄想」は用意周到である。まず、彼が最初に持ち出したのが「ルサンチマン」だった。 ルサンチマン? 響きはいいが、非常に危険な言葉である。フランス語で「恨み」とか「嫉妬」という意味だが、哲学用語としての意味は最悪 ・・・ 絶対にかなわない強者に対し、ねたむ、ひがむ、陰口をたたく ・・・ ここまでは想定内だが、ルサンチマンは陰湿でしつこい。相手を悪者に仕立てあげ、自分を正当化する。そして、ここが肝心なのだが ・・・ すべて想像の中で、行動は一切ナシ。

なんで?

立ち向かえば瞬殺されるから。 なんと惨めな。 「あんた立派だね。頑張れば ・・・」 ぐらいの皮肉の一つも言って、あきらめればいいのに。 ところが、ルサンチマンは、それでは腹の虫がおさまらない。卑屈というか、偏屈というか、いびつというか ・・・ 具体例をしめそう。 マイクロソフトは、OS(Windows)とOffice(Word、Excel)で成功し、ソフトウェア業界の王族として君臨している。革命でも起こらない限り、王座は安泰だろう。なぜなら、OSとOfficeは初めにやったもん勝ちだから。

たとえば、何か面白いアプリを思い付いて、開発するとしよう。どのOSを選ぶ? もちろん、Windows、次に余裕があれば、Macかな。もっとも、昨今は、タブレットやスマホが急伸しているので、AndroidかiOSかもしれない。つまり、普及しているOSほど、アプリが多いわけだ。だから、一旦、劣勢になったOSが挽回するのは不可能。

さらに、ビジネス現場ではWord、Excelがデファクトスタンダードになっている。外部とのデータのやりとりはPDFが多いが、Word、Excelのファイルを使うことも多い。だから、カネを惜しんで中国製のOffice互換ソフトを買ったところでさほど意味はない。 つまり、マイクロソフトの目を見張る成功は、実力ではなく、既得権益によっている。だから、どんなに優れた商品を開発し、どれほど広告を打とうが、勝ち目はないわけだ。これが、王族と言われるゆえんである。

さて、ここで、ルサンチマンの登場である ・・・ オデは知ってるぞ。マイクロソフトが成功したのはタナボタ、実力があったわけじゃない。1980年、IBMがパソコンに参入したとき、マイクロソフトのMS-DOSが採用され、「パソコンOS=マイクロソフト」が既成事実になったことがすべて。運というか、成り行きというか ・・・ 実際、あのとき、最有力はデジタルリサーチのCP/Mだったんだからな。

だから、マイクロソフトが市場を征服しようが、神様よりお金持ちになろうが、絶対に認めん。 じゃあ、WindowsとOfficeは使っていないの? あ、いや、使っているけど ・・・ 好きで使ってるわけじゃないぞ。みんなが使っているから、使っているだけだ。 では、WindowsとMacどっちがいい?

そりゃもう、Mac!

Appleと比べれば、マイクロソフトなんてゴミみたいなもんだ。いいか、よく聞け、オデはAppleには一目置いているけど、マイクロソフトなんか絶対に認めないぞ(Macを実際に使ったことあるのかな)。 それに ・・・ マイクロソフトはあんなに稼いでいるのに、WindowsXPのサポート打ち切りとか、ふざけたこと言いやがって。売るだけ売っておいて、無責任な話だ。たしかに、金持ちかもしれんが、性根はサイテーだ!

もう一声 ・・・ 創業者のビルゲーツも二代目CEOのスティーブンバルマーもユダヤ人っていうじゃないか。「ベニスの商人」の金貸しシャイロックだな。オデは、こんなエゲツナイ商売する連中とやり合うつもりはない。そこで、焼鳥屋をやることにした。あいつらと違って、オレは品があるからな。 これが、ルサンチマン。 では、ルサンチマンの逆は? たとえば、Google。 ボクたち、マイクロソフトがソフトウェア業界の王族だってことは認めるよ。大したもんだよ、ここまで来るのは。もちろん、ボクたちもイケてるけど、まともにやっては勝ち目はない。だけど、逃げたりはしない。土俵を変えて勝負するんだ。マイクロソフトはデスクトップのキングなら、僕たちはウェブのキング。そして、いつかウェブがデスクトップを超える日が来る。そのとき、マイクロソフトを打ち倒すんだ! その「いつか」だが、遠い未来ではなさそうだ。

ということで、ヘソ曲がりをのぞけば、100人中100人がGoogleを絶賛し、ルサンチマンを軽蔑するだろう。 とはいえ、ラッキーなマイクロソフトや、ルサンチマンなソフト会社や、今をときめくGoogleでたとえても、いまいちピンとこない。ところが、ニーチェが説く「ルサンチマン」は強烈だ。

■一神教と多神教

ニーチェは著書「道徳の系譜」の中でこう書いている ・・・ 「高貴な道徳」は、どれも誇らしげにみずからを肯定するところから発展するものだが、「奴隷道徳」は最初から外部のもの、異なっているもの、自分以外のものを否定する、この否定こそが、この道徳の創造的な行為なのだ。 まわりくどいので、カンタンにまとめると、 ・高貴な道徳 =社会の道徳 ・奴隷道徳  =宗教の道徳 そして、「奴隷道徳=宗教道徳」の本質は、自分以外を否定することにあると言っているのだ。ちなみに、ここでいう宗教とは「旧約聖書=ユダヤ教&キリスト教」に限定される。

では、なぜ、仏教やヒンズー教ではなく、「ユダヤ教&キリスト教」なのか? 一神教だから。 一神教は、他の神を一切認めない排他的な宗教である。たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 ・・・ じつは、この三大宗教には「唯一神」以外にも共通点がある。 旧約聖書をバイブルにしていること、「普遍的な道徳」をもつことである。ここで、「普遍的道徳」とは、国や民族を超えて有効な道徳をいう。たとえば、ユダヤ教の「十戒」。読んで字のごとく、10の戒めがあるのだが、両親を敬えとか、人を殺してはいけないとか、嘘をつくなとか ・・・ 誰でも理解・納得できるルールだ。

一方、一神教の反対言葉「多神教」は ・・・ 文字どおり、複数の神を包含する。さらに、多神教の神は、地域に根付いており、普遍性がない。たとえば、古代都市テオティワカンでは「ジャガー神」があがめられたが、ジャガーがいない地域では、宗教そのものが成立しない。 さらに、多神教は、普遍的道徳をもたない。それどころか、生贄(いけにえ)を要求する性悪の神までいた(決めたのは人間だが)。2012年人類滅亡説で話題になったマヤ文明はその最たるものだろう。生贄を制度化していたのだから。

また、古代では、地球上のいたる所でシャーマニズムが存在した(一部の地域では今も存在する)。霊と交信するシャーマンが、占いや儀式を取り行い、為政者を補佐するのだが、王を兼ねることもあった。邪馬台国の卑弥呼もその一人だろう。 というわけで、多神教やシャーマニズムは、太陽や星々、森や動物の霊など、自然をモチーフにしている。つまり、自然と結びついた「自然神」なのだ。ところが、一神教は抽象的な唯一神をつくりあげ、それを崇めるよう強要する。さらに、文明化の名のもとに、森林を伐採し、神々などいないことを証明する。つまり、多神教が「自然神」なら、一神教は「人工神」なのだ。

一方、日本は世界に類を見ない無神論の国である。もっとも、戦国時代までは、日本は熱心な仏教国だった。ところが、織田信長がそれを一変させた。信長は、宗教が政治に口出しすることを極端に嫌い、宗教勢力を根絶やしにしたのである。一向宗「本願寺」との熾烈な総力戦の果てに。 その結果、日本の宗教勢力は弱体化し、無神論の国となった。盆は仏壇の前でチーン(仏教)、クリスマスイヴはケーキをほおばり(キリスト教)、正月には神社(神道)でパンパン。はた目で見ると、花見と変わらない。

ところで、一神教で道徳が重視されるのはなぜか? 治安と秩序をたもつため。 じゃあ、一神教は性悪説!? イエス! そもそも、キリスト教の教えによれば、人間には七つの大罪があるという。ところが、人間は神が創造したというではないか。全知全能の神が罪を作った!?矛盾してません? それとも、神はあえて不出来な人間を造り、大罪で苦しむの眺めて楽しんでいる? やっぱり、この世界は神の見世物小屋かもですね。

話をもどそう。 宗教が治安と秩序に一役買っているとしたら、無神論の日本はどうなるのだ?日本の治安と秩序は世界最高なのに。 1946年、アメリカで、この謎を解く書が出版された。タイトルは「菊と刀」、著者は文化人類学者のルース フルトン ベネディクトである。若き日のエリザベステーラーを彷彿させる美人だが、文体は陰気くさく読みづらい。その中で、彼女はこう説明している。 西洋人は「罪の文化」で、神罪を恐れて悪いことをしない。一方、日本人は「恥の文化」で、「世間体」を気にして悪いことをしない。 たしかに、江戸時代のハラキリ、太平洋戦争中の玉砕をみるまでもなく、日本人は世間体を気にする。つまり、「恥の文化」は宗教同様、治安と秩序に貢献しているわけだ。もっとも、最近は「恥知らず」な犯罪が増えているので、新しい「××の文化」をつくる必要がありそうだ。

■奴隷道徳

「ルサンチマン」に話をもどそう。 ニーチェによれば ・・・ 宗教も神も、ルサンチマンというひねくれ者が作りだした「妄想」にすぎない。戦っても勝ち目はないので、想像上の復讐で埋め合わせしているだけ(身もふたもない)。 そして、ルサンチマンの源流はユダヤ教と言い切ったのである。 これは興味深い。さっそく、ユダヤ教の歴史をみてみよう。 ユダヤ人が最初に王国を築いたのは紀元前1021年のイスラエル王国である。その後、強国エジプト王国と共存しながら、ダビデとその子ソロモンの治世で全盛期をむかえた。ところが、ソロモン王が死ぬと、内部抗争がおこり、王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。

そして、ここからユダヤ人の苦難が始まる。 まず、紀元前597年、南方のユダ王国が新興の新バビロニアに滅ぼされた。さらに、ユダヤ民族の支配階級が新バビロニアに連行されたのである。歴史上有名な「バビロン捕囚」である。 ところが、バビロン捕囚には副産物があった。ユダヤ人が新バビロニアの優れた文化に接することができたのである。中でも、重要と思われるのがギルガメシュ叙事詩(古バビロニア版 or ニネヴェ版)である。 というのも ・・・ 後に、ユダヤ人が編纂する「旧約聖書」に、ギルガメッシュ叙事詩とソックリの部分があるのだ。 時間軸にそって説明しよう。 バビロン捕囚から60年後、ユダヤ人に転機が訪れる。紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロンに侵攻し、新バビロニアを滅ぼしたのである。ペルシアは異民族に寛大な帝国だった。王キュロス2世の命により、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたのである。その後、ユダヤ人は旧約聖書とユダヤ教を成立させた。 その旧約聖書の中に、「ノアの方舟」というエピソードがある。

じつは、それがギルガメシュ叙事詩の「ウトナピシュティムの洪水伝説」ソックリなのだ。というわけで、バビロン捕囚がユダヤ教成立に一役買ったの間違いない。 しかし、重要なのはそこではない。 イスラエル王国が滅亡し、現実世界で強者から弱者に転落したタイミングで、ユダヤ教が成立したこと。しかも、その教義というのが ・・・ 「ユダヤ民族は選ばれた民である。絶対神ヤハウェを信仰せよ、そうすれば、神が敵対する民族をすべて滅ぼしてくれる」 ところが、その後の歴史をみれば明らかだが、神はユダヤ民族を救ってはくれなかった。それどころが、第二次世界大戦まで、ユダヤ人の迫害が続いたのである。

そのユダヤ教の流れをくむのがキリスト教だが、初めから苦難の連続だった。創始者イエス キリストの受難から始まり、その後も、ローマ帝国で迫害されたのである。しかも、その迫害は常軌を逸していた。女子供を含む多数の信者が、コロッセウムに引きずり出され、ライオンに噛み殺されたのである。ところが、いくら祈っても、神はライオンを退治してくれなかった。 つまり、キリスト教は、創設当初から、強者に立ち向かう術を持たなかった。そのぶん、教義はパッシブであり、それはイエスの最期の言葉からもうかがえる。 イエスは、ゴルゴダの丘で手と足にクギを打ちつけられたときこう言ったという。

「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」

自分を殺そうとする敵をかばうのだから、慈悲深くみえる。しかし、見方を変えれば、勝ち目のない敵を蔑むことで、自分を上に置く、欺瞞(ぎまん)ともとれる。このように、現実では勝つことのできない弱者(キリスト教徒)が、精神世界での復讐のために創り出した価値観を、ニーチェは「僧侶的・道徳的価値観」とよんだ。そして、このような卑屈な負け惜しみをルサンチマンと呼んだのである。 つまり ・・・ 勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」、その手段が「奴隷道徳」なのである。そして、「奴隷道徳」こそが人間を堕落させたのだと。 なんという危険な思想だろう。 ニーチェは背神者であり、偶像破壊者であり、反逆者なのだ。

ところが、二ーチェは宗教と神を否定するだけのクレーマーではなかった。神が死んだ後、人間がどう生きるべきかを示したのである。 神を捨てて、オーヴァーマン(超人)たれ! これがニーチェの十八番「超人思想」である。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-250/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html#c3

[近代史4] ニーチェの世界 中川隆
4. 中川隆[-13541] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:58:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1363]

ヒトラーが愛読したツァラトゥストラ



ツァラトゥストラ歳三十の時、其郷里と郷里の湖とを去りて山に入れり。 其處《そのところ》に彼は、自らの精神と自らの孤獨を樂めり。十年を經て勞るることなかりき。 されど遂に彼の心機は一轉せり、 -- 或る日の朝、黎明と共に起き出でて、日輪の前に歩み寄り、 斯く彼は日輪に語りき。

『汝大なる星よ。汝が照らすところのものなきとき、何の幸福なることか汝にあらむ。十年の間、 汝は此我が洞に來りき。我と、我が鷲と、また我が蛇とのあるに非ずば、汝は其光と其道とに倦じたりしなるべし。

されど我等は朝毎に汝を待ち、汝の氾濫を受けて汝を祝せり。

見よ。我わが智慧に勞れたること、餘りに多くの蜜を集めたる蜜蜂のごとし。 我はこれを獲むとて差伸べらるる手を要《もと》む。

我は賢き人々が今一?d《たび》その愚なるを悦び、貧しき人々が今一?d《たび》その富めるを悦ぶに至るまで、 自ら有てるものを分ち與へむことを希ふ。

されば汝が夕々《ゆふべ》に、海のあなたへ降り行き、光を幽界に齎す時の如く、 我も亦深きところに降り行かざる可からず。汝、豐饒なる星よ。

我は汝の如く沒落せざるべからじ。我が降り行かむとする人々、 これに名けて沒落と云ふ。

されば汝、過大の幸福をも嫉まざる靜平の眼《まなこ》、我を祝せよ。

將に溢れむとする觴《さかづき》を祝せよ、金色なる水の此《これ》より流れ、 普く汝が悦樂の反照を及ぼさむが爲めに觴を祝せよ。

見よ、此觴は再び空しからむとす。而して、ツァラトゥストラは今一?d《たび》人間とならむとすなり。』 -- 斯くしてツァラトゥストラの沒落は始りき。



ツァラトゥストラはただ一人山を下りしが、途《みち》に相會ふものなかりき。 されど彼が森に來りし時、忽ち一人の老翁ありて其前に立ちぬ。食ふべき根を森林に求めむとて、 隱遁の庵を出でたりしなり。さてツァラトゥストラに語りて言ふ。
『此漂泊者は我が未だ知らざるの人に非ず,多くの年の前、彼は此處を過ぎぬ。ツァラトゥストラと呼べりき。 されど彼は變りたり。

かの時汝は、汝の灰を山に運びき。今汝は、汝の火を谷に運ばむとするか。汝は放火者の刑を恐れざるか。

然り、我はツァラトゥストラを認めたり。其眼は清く、其口の邊《あたり》には、何等の厭ふべき影もなし。 彼は舞踏者の如くして行くに非ずや。

ツァラトゥストラは變りぬ。ツァラトゥストラは小兒となりぬ。ツァラトゥストラは目覺めたり。 汝そも眠れるものの間に何をか爲さむとす。

汝海に住む如く孤獨に住みき。而して海は汝を運びき。嗚呼、汝いま陸に上らむとするか。 嗚呼、汝再び自らの身體を曵き行かむとするか。』

ツァラトゥストラ答へき、『我は人間を愛す』と。

聖徒は言へり、『如何なれば我は、森に行き、野に行きしか。人間を愛すること餘りに甚しかりしが故に非ずや。

今は我、神を愛して、人間を愛せず。人間は我に取りて、餘りに不完全なる事物なり。 人間に對する愛は、我を殺すべし。』

ツァラトゥストラ答へき、『我愛に就きて何を言ひしや。我は人間に施すべき物を齎せり。』

聖徒は言へり、『彼等には何物をも與ふるなかれ。寧ろ彼等より或物を取り、 彼等と共にこれを負へ。そが、汝にはただ悦ばしきのみなる時、彼等には最も悦ばしきならむ。

而して汝若し、彼等に與へむことを慾《ねが》はば、施物の外何物をも與へざれ。施物も亦、 彼等をして之を乞はしめよ。』

ツァラトゥストラ答へき、『否。我は施物を與へず。我は未だ施物をするほどに貧しからざるなり。』

聖徒はツァラトゥストラを笑ひて斯く言へり、『然らば、彼等をして汝の寳を受けしめむことに意を用ひよ。 彼等は隱遁者を猜疑するの心あり、我等の與へむとて來れることを信ぜざるなり。

我等の跫音《あしおと》は餘りに寂しく彼等の街に響く。乃ち夜彼等の床にありて、日出に長き前、 或る一人《いちにん》の行けるを聞かば、彼等自ら問うて言はむとす、 「かの盜人《ぬすびと》は何處《いづく》に行くや」と。

人間に行かずして、森林に留まれ。寧ろ禽獸に行け。汝如何なれば我の如く、 -- 熊の中なる熊、鳥の中なる鳥としてあるを慾はざるか。』

『さて聖徒は、森林にありて何をか爲す。』 -- ツァラトゥストラは問ひき。

聖徒は答へき、『我は歌を作りて、之を歌ふ。歌を作るとき、或は笑ひ、或は泣き、 或は低唱す。かくして神を讚ずるなり。

歌を歌ひて、泣きて、笑ひて、低唱して我が神なるかの神を讚ずるなり。されど汝は如何なる施物を我等に齎すや。』

ツァラトゥストラ此等の言葉を聞き、稽首して聖徒に言ふ、『我は汝に與ぶべき何物をか有たむ。 されど我も亦汝より何物をも受けざらむ爲め、我をして速かに去らしめよ。』 -- 斯くて老いたると若きとは、二人の童子の笑ふが如く笑ひて相別れき。

さあれ、ツァラトゥストラただ一人になりしとき、彼は斯く其心に言へり、『誰かよくその有り得べきを思ふものぞ。 此老いたる聖徒は森林にありて、未だ全く、神の死せるを聞かざるなり。』 --



ツァラトゥストラは森林に續く最寄りの市《まち》に來りし時、彼は多くの人々の市塲に集まれるを見き。 踏索者《つなわたり》の技を觀むとて集れるなりき。乃ちツァラトゥストラかく人に言へりき。
『我汝等に超人を教ふ。人間は超越せらるべき或物なり。 汝等は人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。

一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、 人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴は人間にとりて何物ぞ。哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。人間も超人にとりては同樣なるべし。 哄笑のみ。或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

汝等は蟲より人間に進みき。汝等の中なる多くは尚蟲なり。曾て汝等は猿猴なりき。 今も尚人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。汝等の中最も賢き者も、草木と幽靈との雜種に過ぎず。 されど我は汝等に、幽靈もしくは草木たらむことを命ずるものならむや。

聽け、我は汝等に超人を教ふ。

超人は地の意義なり。汝等の意志をして言はしめよ、超人が地の意義なるべきことを。

切に願ふ、我が兄弟よ、地の忠なれ。 而して汝等に天上の希望を説くところのものを信ぜざれ。彼等は、自ら知れると知らざるとを問はず茶毒者なり。

彼等は生命の侮蔑者なり。自ら頽敗し行くもの、自ら茶毒せられしもの、地は此等の人々に勞れたり。 されば彼等をして去らしめよ。

曾ては神を涜《けが》すこと、最大の褻涜なりき。されど神死したれば、此褻涜者も共に死したり。 今は最も恐るべきもの、地を涜すにあり、不可思議の内臟を地の意義の上に置くにあり。

曾て、靈魂は肉體を侮蔑しき。其時此侮蔑は最高のものたりしなり。 -- 靈魂は肉體の乏しきを、 忌はしきを、飢ゑたるを慾ひき。斯くして肉體と地とを脱れむことを思ひき。

あはれ、其靈魂こそは乏しく、忌はしく、飢ゑたりけれ。殘酷は其靈魂の耽樂なりき。

然《され》ど我が兄弟よ、汝等も亦我に語れ。汝等の肉體は汝等の靈魂に就きて何をか告ぐる。 汝等の靈魂は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに非ざるか。

實に人間は濁流なり。人自ら濁ることなくして濁流を容るるを得むが爲めには、須くまさに海となるべし。

見よ、我汝等に超人を教ふ。超人はかの海なり。汝等の大なる侮蔑はよく其中に陷沒す。

汝等がよく經驗するところの最も大なるものは何ぞや。大なる侮蔑の時是なり。 ただに汝等の幸福のみならず、汝等の理性と汝等の徳操とまたひとしく、汝等の嘔吐を促すの時是なり。

其時汝等は言ふ、「我が幸福に何の價値ありや。ただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とのあるのみなり。 されど我が幸福は其れ自ら這の存在の理由を提供せざるべからざりき」と。

其時汝等は言ふ、「我が理性に何の價値ありや。その智識を追ふこと獅子の其食を追ふが如きものありや。 そはただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに過ぎざるなり」と。

其時汝等は言ふ、「我が徳操に何の價値ありや。そは未だ我を狂暴に驅りしことなし。 我如何に我が善と我が惡とに疲れたるかな。其一切は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸となり」と。

其時汝等は言ふ、「我が正義に何の價値ありや。我は我が炎熱たり、炭塊たるを見ず。 されど正しき者は炎熱なり、炭塊なり」と。

其時汝等は言ふ、「我が憐憫に何の價値ありや。憐憫は人間を愛する者の磔けらるる十字架に非ずや。 されど我が憐憫は決して磔刑に非ず」と。

汝等已に此の如く語りしか。汝等已に此の如く[口|斗]びしか。嗚呼我、汝等のかく[口|斗]ぶを聞き得たりしならむには。

呪詛すべきは汝等の罪惡に非ずして、汝等の中庸なり。また汝等の罪惡に於ける汝等の吝嗇其物なり。

その舌をもて汝等を舐むるところの電光は何處にありや。それをもて汝等の接樹せらるべきかの亂心は何處にありや。

見よ、我は汝等に超人を教ふ。超人は其電光なり。超人は其亂心なり。』 --

ツァラトゥストラ斯く語りし時、群集の一人は[口|斗]びぬ。『我等踏索者に就きて聞きしこと足れり。 今我等をして彼を見せしめよ』と。人々皆ツァラトゥストラを笑ひき。されど、 踏索者と呼ばれしを自らの事なりと思へる踏索者は、頓《やが》て其業にとりかかりき。



されどツァラトゥストラは人々を視て驚きぬ。さて彼は斯く語りき。
『人間は禽獸と超人との間を繋ぐ一の索《なは》なり、 -- 深潭に懸れる一の索なり。

越ゆるも危し、越え了らざるも危し、顧るも危し、戰慄停留するも亦危し。

人間の大なるは、そが橋梁にして標的に非ざるところにあり。人間の愛すべきは、 そが一の過渡たり、沒落たるによる。

我はかの沒落の外に生くべき道を知らざる者を愛す。そは超越せむとする者なればなり。

我は大なる侮蔑者を愛す。そは大なる崇拜者なればなり、彼岸に對する憧憬の箭なればなり。

我はかの、沒落して犧牲となるべき理由を、星辰の彼方に求むることをせず、 寧ろ地が他日超人の手に歸せむ爲め、地に自らを獻ぐる者を愛す。

我はかの、認識せむが爲めに生き、他日超人の生きむが爲めに認識せむとする者を愛す。 斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、超人の爲めに家を建て、超人の爲めに地と、禽獸と、草木とを備へむとて勞作考案するものを愛す。 斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、自らの徳を愛するものを愛す。徳は沒落を慾ふの心、憧憬の箭なればなり。

我はかの、一滴の精神をも自らの爲めに保有することなく、寧ろ全く其徳の精神たらむことを意《おも》ふものを愛す。 斯く彼は、精神として橋梁を越ゆるなり。

我はかの、自らの徳を自らの性癖並びに自らの運命となすものを愛す。 斯くして彼は、自らの徳の爲めに生き、自らの徳の爲めに死す。

我はかの、餘りに多くの徳を追はざるものを愛す。一の徳は二の徳よりも更に徳なり。 そはより多く、その運命の繋るべき結節となるものなればなり。

我はかの、其靈魂の浪費せらるるもの、感謝を慾はず、報復を爲さざるものを愛す。 そは常に與へて、自ら貯へむことを慾はざればなり。

我はかの、僥倖なる骰子の投ぜらるる時耻づるものを愛す。その時彼は問うて言ふ、 「我は正の博奕者にあらずや」と。 -- 彼は沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、其行爲に先ちて金言を放ち、又其誓約よりも多くを踐《ふ》むものを愛す。 そは自らの沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、將來を辯護し、また過去を救濟するものを愛す。そは現實に依りて沒落せむことを慾ふものなればなり。

我はかの、其神を愛するのよりて、其神を懲戒するものを愛す。そは其神の怒の故に沒落すべければなり。

我はかの、負傷の際にも其魂の深きもの、一些事の爲めに能く沒落するものを愛す。 そは喜びて橋梁を越ゆべければなり。

我はかの、其魂の横溢せるによりて、自ら忘るるもの、一切の事物の其中に在るものを愛す。 斯く一切の事物は其沒落の因となる。

我はかの、自由なる精神と、自由なる心情とを有するものを愛す。斯く彼の頭腦は彼の心情の内臟たるのみ。 されど其心情は彼を沒落に驅る。

我はかの、人間を覆へる暗雲より、ひとつ〜落ち來る、重き滴《しづく》の如きもの一切を愛す。 彼等は電光の來るを告示し、告示者として沒落す。

見よ、我は電光の告示者なり、雲より落ち來る重き一滴なり。其電光に名けて超人と云ふ。』



此等の言葉を語りしとき、ツァラトゥストラ再び人々を視て默しき。彼は其心に語りき、 『彼等は立てり。彼等は笑へり。彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。
彼等が其眼をもて聞くことを學ぶに先ち、其耳を粉碎するの要あるか。 鑵鼓並びに齊日の説教者の如く怒罵するの要あるか。或は彼等ただ吃々として言ふ能はざるものをのみ信ずるか。

彼等は其誇とするところの物を有つ。其誇とするところの物に名けて何とか云ふ。 之に名けて教育と云ふ。彼等と牧羊者とを區別するもの是なり。

故に彼等は、自らの上に用ひられたる「侮蔑」てふ言葉を聞くことを悦ばず。 乃ち、我は彼等の誇とするところを藉《か》りて語らむとす。

乃ち我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。最も侮蔑すべきは末人なり。』

偖てツァラトゥストラかく人々に語りき。

『今は人自ら其目標を立つるの時なり。今は人自ら其最高希望の種子を植うるの時なり。

彼の土壤は、尚肥沃にして之をなすに足る。されど此土壤は早晩疲弊し去りて、喬木の生ずるものなきに至るべし。

嗚呼。人間が人間の彼方へ、其憧憬の箭を發《はな》つこと能はざるの時來らむ。 其?|弦《ゆみづる》の鳴るを忘るるの時來らむ。

我汝等に言ふ、人は舞ふところの星を産むことを得む爲めに、自ら混沌たるものなかるべからず。 我汝等に言ふ、汝等は尚自ら混沌たるものあるなり。

嗚呼。人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。嗚呼。遂に自ら卑むることはざる、 最も卑むべき人間の時來らむ。

見よ。我は汝等に末人を示す。

「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 -- 末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。 彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。

彼等はその生くるに難かりし地方を去りぬ。温熱を要すればなり。 人々尚隣人を愛して、之と相摩擦す。温熱を要すればなり。

病患と猜疑と、彼等にありては罪惡なり。人々細心に道を行く。然るに尚、岩石に躓き、人間に躓くものは愚なるかな。

聊かの毒藥は、時に快き夢を誘《いざな》ふ。而して多量の毒藥は、終に快き死滅に導く。

人々は尚勞作せり。勞作は娯樂なればなり。されど彼等は、這《こ》の娯樂によりて自らを害はざらむことを心に用ふ。

人々今や富裕となることなく、貧困となることなし。二者何れも煩はしきなり。 何人か尚統御せむとするものぞ。何人か尚服從せむとするものぞ。二者何れも煩はしきなり。

實に一人の牧者もなき畜群よ。各一樣に慾《ねが》ひ、各全く同等なり。 思ふところを殊にするものは、自ら進むで癲狂院に入る。

「曾ては世界を擧げて狂人なりき」。 -- 斯く言ひて最も智慧あるものは瞬《またた》きす。

人々聰明にして、凡べての出來事を知るにより、彼等の嘲笑は極ることなし。 彼等相爭ふと雖、直にまた相和す。 -- しかせざれば胃の腑を滅すべし。

彼等は日中に小歡をなし、夜間にまた小歡をなす。されど彼等は健康を尊重す。

「我等幸福を案出せり」 -- と言ひて、末人は瞬きす。』

斯くてツァラトゥストラが第一の演説、即ち『緒言』は此處に終りき。 此時群集の喧噪[口|喜;#1-15-18]戲彼を妨げければなり。『我等に其末人を與へよ、ツァラトゥストラよ』。 -- 斯く彼等は[口|斗]びき -- 『我等を其末人となせ。我等悦びて超人を棄てむ』。 かくて人々皆歡呼して其舌を鼓しぬ。されどツァラトゥストラは悲しくなりて、其心に言へけり。

『彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。

恐くは、我が山に住むこと長きに過ぎしならむ、我が細流と樹木とに聽くこと多きに過ぎしならむ。 今我が彼等に説くは、牧羊者に説くと異らず。

我が靈魂は不動にして、午前の山の如く朗なり。然るに彼等は我を目して冷酷なるもの、 恐しき諧謔を弄する嘲笑者となす。

偖て今彼等は、我を視て笑ふ。彼等の笑ふ時、彼等はまた我を憎む。彼等の笑には氷あり。』



されど頓て、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる事起りき。 即ち此時已に踏索者は其?ニ《わざ》を始めたりしなり。彼は小き戸を出でて、二の塔の間に、 市塲と人々との上に張り渡したる索《なは》を歩めり。彼恰も其中程にありし時、かの小さき戸は再び開き、 華かなる色の衣裳をつけし、道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》跳り出でて、足早に追行きぬ。 『進めよ、蹇《あしなへ》』と、其恐しき聲は[口|斗]びぬ、『進めよ、怠惰なる者、密賣者、白面者よ。 我我が踵をもて、汝を擽《くすぐ》ることのなからむ爲め進めよ、 汝何の用ありてか這《こ》の塔の間を行く。汝の處は塔にあり。汝は監禁の中にあるべかりき。 汝は汝に優れる者の、自由なる進路を阻む。』 -- 斯く言ひながら道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》は益々近きぬ。 されどそのお相去ること一歩の處に到るや、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる恐しき事起りぬ。 -- 其?ソ《をとこ》は魔の如き[口|斗]を發して、先《さきだ》てる踏索者を跳越えぬ。 競敵の勝利を見て、踏索者は其頭と索を失へり。彼は其竿を投げ、其竿よりも速かに、 手足の旋風の如く射下りぬ。市塲と群集とは荒立てる海の如くなり、人皆右徃左徃に逃げまどひぬ。 取り分け踏索者の落ち來るべきところは甚しかりき。
ツァラトゥストラは獨り其ところに留りたりしが、恰も彼の傍に踏索者は落ち來れり。 淺間しく姿變り、傷《きづつ》きたりしかど、尚ほ死せざりき。稍ありて息吹き返し、ツァラトゥストラのその傍に跪けるを見き。 『汝何をか爲せる』と、遂にツァラトゥストラに問ふ、『我は夙《つと》に、惡魔の我を飜弄すべきことを知れりき。 今彼は我を地獄に曵く。汝之を防がむとするか。』

『我が名譽によりて誓ふ、友よ。』 -- ツァラトゥストラは答へき。『汝が語るところの物は總て在ることなし、 惡魔もなし、地獄もなし。汝の靈魂は汝の肉體よりも速かに死せむ。是より後亦再び恐るること勿れ。』

踏索者は狐疑の眼をもて見上げしか、やがて言ふ、『汝若し眞《まこと》を語らば、 我は我が命を失ふとも何物をも失はざるなり。我はかの、毆打と食餌とによりて舞踏を教へらるる禽獸と、 多く異るところなきなり。』

ツァラトゥストラは言へり、『否、然らず。汝は危險を汝の職業となしぬ。何の卑むべきことかあらむ。 今汝は其職業の故に死す。されば我、我が手を以て汝を葬るべし。』

ツァラトゥストラは斯く言ひし時、臨終の人は答を爲さで、僅に其手を動しぬ。 そは宛《あたか》も、ツァラトゥストラに謝せむとて、其手を求むるものの如く見えき。



さる程に夕《ゆふべ》は來り、市塲は闇に包まれぬ。人々は散り行きぬ。好竒の心と恐怖の念とまた倦怠しければなり。 然れどツァラトゥストラは死者の傍に、地上に坐し、思ひ沈みて時を忘れぬ。遂に夜となりて、 冷き風は寂しき者の上を吹き渡りぬ。乃ち、ツァラトゥストラ起ちて其心に言へり 『實《げ》に今日のツァラトゥストラが漁《すなどり》は宜しかりしかな。彼は人間を捕へずして、死體を捕へたり。
人生は凄慘にして、しかも無意義なり。道化者《ちやり》は能く其運命となることを得む。

我は人間に其存在の意義を教へむとす。即ちそは超人なり、人間の黒き雲より來る電光なり。

然《され》ど尚ほ我は人間を遠ざかれり。我が心は彼等の心に語らず。我は尚ほ人間に取りて、愚人と死體との中間なり。

夜は暗し、ツァラトゥストラの道は暗し。いざ汝、冷き硬直の伴侶よ。 我は我が手をもて汝を葬るべきところに汝を運ばむ。』



ツァラトゥストラは斯く其心に言ひし時、死體を負ひて其途に出で立ちぬ。未だ百歩を行かざるに、人あり、 濳に追躡し來りて耳語す。 -- 而して見よ、 -- 語りしはかの塔の道化者《ちやり》なりき。 『ツァラトゥストラよ、此?s《まち》を去れ』と彼は言ふ、『此處には餘りに多くの人々汝を憎む。 善き人、正しき人は汝を憎み、汝を其仇敵と呼び、侮蔑者と呼ぶ。正しき信仰に忠なる人は汝を憎み、 汝を多數者の爲めに危險なるものと呼ぶ。笑はるるは汝の僥倖なり。而して眞《まこと》に汝は道化者《ちやり》の如く語る。 死したる犬と交はりしは汝の僥倖なり。斯く自らを卑うすることによりて、汝は今日自らを救へり。 されど此市を去れ、 -- 去らずは、明朝我汝を越えて跳ばむ、生きたるもの、死せるものを越えて跳ばむ。』 斯く言ひて道化者《ちやり》の姿は消えぬ。ツァラトゥストラはなほも暗き小路を辿りぬ。
市《まち》の門にて彼は塋穴掘《あなほり》と出で會ひぬ。彼等は炬火《たいまつ》をもて彼の面《おもて》を照し、 そのツァラトゥストラなるを認めて、太《いた》く嘲りぬ。『ツァラトゥストラは死したる犬を運び去る。 彼自ら塋穴掘《あなほり》となるこそよけれ。彼等の手は此燔肉に對して餘りに清ければなり。 思ふにツァラトゥストラは、惡魔の餌食を盜まむとするものか。亦可なり。 その晩餐の羔なかれかし。但だ恐る、かの惡魔がツァラトゥストラにも優れる盜人なることを、 -- 惡魔は、二者何れをも盜み、何れをも食ふ。』かく言ひて彼等は、笑み交はしながら頭を寄せぬ。

ツァラトゥストラは之に答へずして、其道を行けり。森林沼澤の間を行くこと二時《ふたとき》餘りにして、 餓ゑたる狼の頻りに咆ゆるを聞き、彼自らも餓を覺えぬ。乃ち彼は或る寂しき家に足を止《とど》めぬ。 家の中には燈《ともしび》燃えたりき。

ツァラトゥストラは言へり、『空腹は盜賊の如く我を襲ひぬ。森林沼澤の間に、夜深うして我が空腹は我を襲ひぬ。

我が空腹に竒異なる習癖あり。屡々食事の後始めて我に來る。而して此日は終日來ることなかりき。 何處《いづこ》に在りしや。』

かく言ひて、ツァラトゥストラは其家の戸を叩きぬ。間もなく一人の翁現はれぬ。 燈《ともしび》を携へ來りて問ふ、『我と我が惡しき眠とに來るものは誰ぞや』。

ツァラトゥストラは言へり、『生きたるものと、死したるものと。食ふべき物、飮むべき物を我に與へよ。 我は之を晝の間に忘れたり。飢ゑたる者に食はしむるは、自らの靈《たましひ》を養ふなり。 斯く智慧は言ふ。』

翁は一旦《ひとたび》去りて、復《また》歸り、麺包《パン》と葡萄酒とをツァラトゥストラに與へぬ。 而して言ふ、『飢ゑたる人々にとりては惡しき處なり。此故に我は留まるなり。禽獸と人間と、 隱遁者なる我に來る。されど汝の伴侶にも飮み且つ食はしめよ。彼は汝よりも勞れたり』。 ツァラトゥストラは答へぬ。『我が伴侶は死したり。彼をして飮み且つ食はしめむこと難し』。 『何の關《かゝは》るところぞ』と、不興氣に翁は言ふ、『我が家を訪るる者は、我が與ふる物を受けざるべからず。 之を食ひて行け。』

是《こゝ》に於てツァラトゥストラ更に行くこと二時間、道路と星辰の光とに信頼せり。 彼は夜行することに慣れければなり、眠れる者の面を見ることを好みければなり。されど夜の明けしとき、 ツァラトゥストラは深き森林の中に在り、已に行くべき道なかりき。乃ち空洞《うつろ》なる樹の内に、 己《おの》が頭に近く、死したる者を横へ、 -- 死したる者の狼に襲はれざらむ爲め、 -- さて自らも土と苔との上に横はりぬ。間もなく彼は、勞れたる體をもて、泰然たる魂をもて眠に就きぬ。



ツァラトゥストラは長く眠りぬ。ただに黎明のみならず、午前もまた其面上を過ぎ行きぬ。 されど遂に其眼は開きぬ。ツァラトゥストラは森林と靜寂を見て驚き、自らを省みて愕けり。 其時彼はかの、忽ち陸を見る水夫の如く、蹶起して歡呼しぬ。 彼は新しき眞理を見たればなり。され彼は斯く其心に語りき。
『我は一道の光明に接したり。我は伴侶を要す、我が行かむと慾するところに携ふる、 -- 死したる伴侶と死體とに非ざる、 -- 生きたる伴侶を我は要す。

我は我に從ひ行く、生きたる伴侶を要す。彼等は自ら、我が行かむと慾する處に從ひ行かむと慾すればなり。

我は一道の光明に接したり。ツァラトゥストラは民衆に説くべからず。寧ろ伴侶に説くべきなり。 ツァラトゥストラは群畜の牧人となり犬となること能はず。

群畜より多くのものを誘惑し去ること、 -- その爲めに我は來れり。民衆と群畜とは我を怒るべし。 ツァラトゥストラは牧人によりて盜賊と呼ばるるならむ。

我は彼等自らは善き人?`《たゞ》しき人と呼ぶ。我は彼等を牧人と呼べど、 彼等自らは正しき信仰に忠なる人と呼ぶ。

善き人義しき人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、 破壞者、犯罪者是なり。されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

總ての信仰に忠なる人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、 破壞者、犯罪者是なり。されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

創造者は伴侶を求めて、死體を求めず、また郡畜並びに信仰ある人をも求めず。 創造者と共に創造するもの、新しき卓子の上に新しき價値を創造するものを求む。

創造者は伴侶を求め、彼と共に收穫すべきものを求む。彼にありては一切の物成熟して收穫せらるるを待てばなり。 されど彼に百挺の刈鎌缺げたり。乃ち彼は穀物の穗を毟《むし》りて怒る。

創造者は伴侶を求め、その刈鎌を研《と》ぐことを知れるものを求む。 彼等は斷滅者と呼ばれ、善惡の侮蔑者と呼ばるべし。されど彼等は收穫者にしてまた祝賀者なり。

ツァラトゥストラは彼と共に創造するものを求む。ツァラトゥストラは彼と共に祝賀するものを求む。 郡畜と牧人と死體とによりて、彼はた何うぃか爲さむ。

さて汝、我が第一の伴侶よ、いざさらば。我は汝が空洞《うつろ》なる樹の内に、好く汝を葬りぬ。 我は狼を防ぎて、好く汝を隱したり。

然《され》ど我汝に別を告ぐ。時已に到れり。黎明と黎明との間に、新しき眞理は我に現はれぬ。 我は牧人たるべからず、塋穴掘《あなほり》たるべからず。我はまた再び民衆と語らざるべし。 之れ我が死したる者に語りし最終なり。

我は創造するもの、收穫するもの、祝賀するものと相交らむ。我は彼等に虹を示し、 超人のあらゆる階級を彼等に示さむ。

我は隱遁者に我が歌を歌はむ。而して未聞の事物に耳あるものの胸を、我は我が幸福をもて重くせむ。

我が標木に我は志す。我自らの道を我は行く。我は遷延遲滯するものを超えて躍進す。 かく我が進行をして彼等の沒落たらしめよ。』



ツァラトゥストラ斯く其心に言ひし時、日は正に午なりき。彼は怪みて天《そら》を見上げぬ。 鋭き鳥の[口|斗]を聞きければなり。而して見よ。鷲あり、大圓を書きて空中に翔べり。 纒《まつ》はるところの蛇は、餌食の如くならずして朋友の如し。其體を鷲の頸に卷きたればなり。
『彼等こそ我が動物《いきもの》なれ』と言ひて、ツァラトゥストラは心より悦びぬ。

『日の下にありて最も尊大なるもの、日の下にありて最も聰明なるもの、 -- 彼等は偵察の爲めに出でたるなり。

彼等は、ツァラトゥストラの尚ほ生きたるや否やを知らむことを慾《ねが》ふ。 實《げ》に、我は尚ほ生きたるか。

我が人間にあるは、動物の中にあるよりも危かりき。危き道をツァラトゥストラは行く。 我が動物よ、我を導け。』

ツァラトゥストラは斯く言ひし時、森林に見し聖徒の言葉を思出《おもひい》で、嘆息して其心に言ふ。

『更に聰明ならましかば。嗚呼若し、根本より、我が蛇の如く聰明ならましかば。

されど我は不可能の事を願ふなり。我は我が自負の、常に我が智慧と並行せむことを願ふなり。

乃ち、若し我が智慧の我を去ることあらば、 -- 動もすれば我を棄てて去らむとす、 -- 希くは、我が自負も亦、我が愚昧と共に我を棄てて去らむことを。』

斯く、ツァラトゥストラの沒落は始まりき。
http://web.archive.org/web/20040506045015/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html#c4

[近代史4] ニーチェの世界 中川隆
5. 中川隆[-13540] koaQ7Jey 2020年3月23日 08:59:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1364]

『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』著者:適菜収 なぜ日本人は騙され続けるのか? 【第3回】
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32408


『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』
著者:適菜 収
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062727560/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062727560


ニーチェは一八四四年にプロイセン(今のドイツ)で生まれました。

 幼少期から才覚を示したニーチェは名門のプフォルタ学院に進み、ボン大学で古典文献学の権威フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(一八〇六〜一八七六年)に師事します。その後、リッチュルの推薦により、二五歳の若さでスイスのバーゼル大学の古典文献学教授になりました。当時のニーチェは博士号も教員資格も取得しておらず、異例中の異例の抜擢でした。つまりニーチェは、世の中から天才として扱われていた。その後、体調を壊したこともあり、大学の教員を辞め、スイスやイタリアを周遊しながら執筆活動を進めていきます。

 一八八九年に発狂。一九〇〇年八月に肺炎で亡くなります。

 『ツァラトゥストラ』は、この周遊生活の中で書きあげられました。

 「ツァラトゥストラ」は、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前一一世紀〜紀元前一〇世紀頃)のドイツ語読みです。英語で読むと「ゾロアスター」になります。

 しかし、ゾロアスターの思想とニーチェの哲学は関係ありません。

 ゾロアスターと『ツァラトゥストラ』の主人公であるツァラトゥストラは別人です。


では、ツァラトゥストラとはなにか?

 ニーチェは著書『バイロイトにおけるヴァーグナー』について次のように述べます。

 「読者はあの本にヴァーグナーという語が出て来たら、それをかまわず私の名前か、あるいは『ツァラトゥストラ』という語かに読みかえてしまってよろしい」(『この人を見よ』)

 つまり、ニーチェはツァラトゥストラに自らの哲学を語らせたのです。

 『ツァラトゥストラ』の冒頭は物語になっています。後半になるにつれ、物語の要素は薄くなり、ツァラトゥストラが一方的に自分の哲学を語るようになります。

 この冒頭の物語は、近代大衆社会およびB層の問題を考えるうえで非常に重要です。

 そこでは《終末の人間》が描かれているからです。

 《終末の人間》は典型的なB層です。

 私なりの抄訳ですが、しばらく『ツァラトゥストラ』の世界にお付き合いください。

〈 ツァラトゥストラは三〇歳になると、故郷を捨てて山に入った。

 そして自分の精神と孤独に向き合った。それが一〇年間も続く。

 しかし、ついに、彼の心は変わった。

 ある日の朝、彼は夜明けの太陽に向かってこう語りかけた。

「太陽よ。もし、あなたが照らすものを持っていなかったら、あなたは幸福と言えるのか?」

 太陽は一〇年間、ツァラトゥストラの住居を照らし続けてきた。しかし、もしそこに誰もいなかったら、太陽だって退屈だろうというわけだ。

「わたしもまた自分の知恵に飽きてしまった。まるで蜜を集めすぎたミツバチのように。この能力を人間に贈り与えなければならない」

 というわけで、ツァラトゥストラは山を下りることにした。

「わたしは人間たちのところへ、下界へ下りていく」

 山を下りる途中で森に入ると、突然、老人の聖者が現れ話しかけてきた。

「いまさら山から下りて、眠っている者どもに対してなにをしようというのか?」

 ツァラトゥストラは答えた。

「わたしは人間を愛しています」

 老人の聖者が反論する。

「わしは神を愛している。人間を愛することはない。なぜなら、人間は不完全なものだからだ」

 ツァラトゥストラは一人になってから、つぶやいた。

「あの聖者は森の中に長年暮らしていたから、《神が死んだ》ことを知らないんだな」 〉

大衆はサル以下である

 ツァラトゥストラは久しぶりに会った町の人々に悪態をつきます。

〈 ツァラトゥストラは森からもっとも近い町に到着した。

 広場には大勢の人がいた。これから綱渡り師の公演が始まるようだ。

 ツァラトゥストラは、さっそく人々に語りかけた。

「あなたたちに《超人》について教えましょう。《超人》から見れば、人間なんてサル以下の存在なんですよ。昔、あなたたちはサルでしたが、今ではサル以下です」

 ツァラトゥストラはさらに語る。

「《超人》は大地そのものです。大地から離れた希望を信じてはいけません。そして、大地から離れた人の言うことを信じてはいけません。そこには毒があります。大地から離れた人間は、さっさと死ねばいいんです」

「あなたたちも似たようなものです。だから、わたしはあなたたちに《超人》について教える。それにより、あなたたちは《幸福》《理性》《徳》《正義》《同情》といったものを徹底的に軽蔑するようになるのです」


すると、群集の中の一人が叫んだ。

「そんな綱渡りみたいな話、もう聞き飽きたよ!」

 群集は、ツァラトゥストラのことをあざ笑いました。

 それを聞いていた綱渡り師は、自分のことを言われたのかと勘違いし曲芸にとりかかった。 〉

 ツァラトゥストラは、人間を一本の綱に喩えます。

 人間は動物と《超人》の間に張られた危険な綱を渡るべき存在であると。

 《超人》とは自らの高貴な感情と意志により行動する人間、健康で力強い人間です。

 ツァラトゥストラが愛するのは、今の世の中から離れていく者=没落していく者です。

 くだらないものを、くだらないと拒絶する者です。

 人間はもっと高いところを目指さなければならない。

 ツァラトゥストラは《綱を渡るべき人間》について具体的に挙げていきます。

〈 今の世の中が肌に合わない人。

 今の世の中を軽蔑している人。

 空想の世界より大地に身をささげる人。

 大地が《超人》のものになるように認識する人。

 《超人》のために家を建てる人。

 自分の徳を愛する人。

 自分から徳の精神になりきろうとする人。

 自分の徳を宿命とする人。

 あまりに多くの徳をもとうとしない人。

 気前がいい人。

博打で儲けたときに恥じる人。

 自分に約束したことを、それ以上に果たす人。

 未来の人たちを認め、過去の人たちを救う人。

 自分の神を愛するがゆえに、自分の神を責める人。

 ささやかな体験によって滅びることのできる人。

 魂が豊かな人。

 自由な精神をもつ人。

 雷を告げる人。

「見なさい。わたしは雷、そして《超人》を告げ知らすものです」 〉

 ツァラトゥストラが《高みを目指すべき人間》についてたくさん並べてみたものの、群集にはなんのことやらさっぱりわからない。まあ、当然のような気もしますが・・・。

 そこでツァラトゥストラは、今度は反吐が出そうな《終末の人間》を例に挙げてみることにしました。

〈 民衆はものごとを理解しない。

 彼らに聞く耳をもたせるにはどうしたらいいのだろうか?

 太鼓をたたいたり、懺悔を迫る説教師みたいに、がなり立てればいいのか?

 それとも、もっともらしくドモリながら話せばいいのか?

 いや、違う。

 彼らは自分たちの《教養》を誇りにしている。

 それなら、彼らの誇りに向けて話しかけよう。

彼らは軽蔑されることを嫌がっている。

 それなら、もっとも軽蔑されるべき《終末の人間》について話そう。 〉

 こうしてツァラトゥストラは、民衆に向かって再び語り始めます。

民衆が選んだもの

〈 皆さん、まず自分の目標を定めてください。まだ間に合います。

 しかし、いつの日か人間は可能性を失ってしまう。

 そして、軽蔑すべき《終末の人間》の時代がやってきます。

「愛とはなにか。創造とはなにか。あこがれとはなにか」などと生ぬるいことを言いだす。

 そのとき、大地は小さくなります。

 《終末の人間》は虫けら同然です。


 《終末の人間》は、ぬくぬくとした場所に逃げ込み、隣人を愛し、からだをこすりつけて生活している。

 やたらと用心深くなり、適度に働き、貧しくも豊かにもならない。

 支配も服従も望まない。そういうのは、わずらわしいと思っている。

 みんなが平等だと信じている。誰もが同じものをほしがり、周囲の人間の感覚と異なると思えば、自分から進んで精神病院に入ろうとする。

 ケンカもするけど、すぐに仲直りする。そうしなければ、胃が痛くなるからだ。

 一日中、健康に注意しながら、ささやかな快楽で満足する。

 これが《終末の人間》です。

 ツァラトゥストラがここまで話すと、民衆がニヤニヤしながら叫んだ。

 舌打ちをする者もいた。

「オレたちは、そういう《終末の人間》になりたい。オレたちを、そういう《終末の人間》にさせておくれよ! 《超人》はあんたに任せるからさ」

 ツァラトゥストラは悲しくなった。

 民衆はわたしをバカにして笑っている。笑いながら、わたしを憎んでいる。彼らの笑いの中には氷がある。

 わたしは、山の中であまりにも長く暮らしすぎたのだ。

 だから、彼らにはわたしの言葉が届かない。 


 ツァラトゥストラの意図に反して、民衆は《終末の人間》を選んでしまったのです。

 ニーチェは自分の言葉が民衆に届かないということを、物語で描いているわけですね。

 『ツァラトゥストラ』は一八八三〜八五年に刊行されましたが、そこで描かれた人々はB層そのものです。

 民主主義や平等が大好きで、グローバリズムと隣人愛を唱え、健康に注意しながらささやかな快楽で満足する。

 自分たちが《合理的》《理性的》《客観的》であることに深く満足している。

 こうした軽蔑すべき《終末の人間》の時代を、われわれは生きているのです。

ひとりで生きる人たちのために

〈 ツァラトゥストラは考え込みます。

「わたしはまだ、民衆の心に語りかけることができない・・・」

 ツァラトゥストラは星の光を頼りにして夜道を歩き始めます。

 空が白みかけたころ、ツァラトゥストラは深い森の中にいることを知った。

 もはや道は見つからなかった。

 ツァラトゥストラは森の中で眠り込む。

 ツァラトゥストラは長い時間眠った。

 朝が過ぎ、そして昼になった。

 彼はようやく目を覚まし、立ち上がった。

 そして喜びの声をあげた。

 一つの新しい真理を発見したからだ。

 わたしは悟った。

 わたしには道連れが必要なのだ。

 自分自身に忠実になった結果、わたしに従うようになる人。

 そして、わたしの目的に向かって一緒に進む道連れが必要なんだ。

 だから、民衆に話しかけても仕方がない。

わたしは、道連れに向かって語るべきなのだ!

 わたしは、畜群の牧人や番犬となるべきではない!

 それよりも、わたしは民衆や畜群から盗賊と呼ばれたい。

 奴らは自分たちを善人だと思っている。自分たちを正しい信仰の持ち主と呼ぶ。

 そして、奴らは、奴らの諸価値を破壊する者を憎むのだ。

 しかし、それこそが《新しい価値を創造する者》なのである。

 彼は道連れを求める。

 畜群も信者も求めない。

 共に創造し、新しい価値をつくりあげる人を求める。

 共に創造し、共に収穫し、共に祝う人をツァラトゥストラは求める。

 それ以外は、いらない。

 わたしは二度と民衆とは話すまい。

 そして仲間に対して語りかけよう。

 ひとりで生きる人たちのために、語りかけよう。

 これまで聞いたことのないことに対して聞く耳をもつ人たちのために。

 わたしは彼らに《超人》への階段のすべてを示す。 〉

バカを論破するのは不可能

 要するにバカになにを言っても無駄なのです。

 「非学者論に負けず」ということわざがあるように、バカは論破できません。

 貝に権利を認め、誠実に語りかけても意味がない。なぜなら、彼らは自分の殻に閉じこもっているからです。

 ニーチェもツァラトゥストラと同様、民衆に語りかけることを諦めます。

 「私は多年人々と交際してきて、私が心にかけている事柄についてはけっして語らないというほどにまで、諦めるにいたり、慇懃となった。いや、私はそういう仕方でかろうじて人々とともに生きてきたのだ」(『生成の無垢』)

 そしてニーチェは、自分の言葉が届くところに向けて語りかけようとします。

 しかし、聞く耳をもった人間はごく少数です。

ニーチェもそれを知っています。

 「今日誰もが私の説くことに耳をかさず、誰も私から教えを受けるすべを知らないということは、無理もないというだけでなく、むしろ至極当然のことだと私自身にも思える。(中略)私の著書を読んでもかいもくわからない純なる愚者となると、これは多すぎる!」(『この人を見よ』)

 「ああ! 私のツァラトゥストラはまだまだ長い間、読者を捜さねばならないことであろう!」(『この人を見よ』)

 今の世の中が肌に合わない人。

 今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。

 今の世の中を深く軽蔑している人。

 そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32408

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html#c5

[近代史4] ニーチェの世界 中川隆
6. 中川隆[-13539] koaQ7Jey 2020年3月23日 09:00:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1365]

ヒトラーが愛読したニーチェ『道徳の系譜』

ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫) – 1993/8/1
https://www.amazon.co.jp/dp/4480080813/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li3&tag=asyuracom-22&linkId=69210c63691be6bbe991350f0c4e78d2&language=ja_JP


▲△▽▼


ニーチェ『道徳の系譜』を解読する
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/


「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」
「この生」「この世界」をどう肯定できるか?


『道徳の系譜』(1887年)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年〜1900年)による著作だ。時代的には中期から後期の作品に分類される。

本書は『善悪の彼岸』が自分の思ったように受け取られず、ニーチェが自分の思想を解説する必要にせまられて発表したものだとされている。ここでニーチェは十八番のアフォリズムを封印し、論文形式で議論を展開している。なので読むのに多少の手間は掛かるが、言いたいポイントは分かりやすくなっている。

本書のテーマは道徳だ。冒頭でニーチェは次のように述べている。

(解読)
私は本書で、人びとがそもそも善悪の価値判断を考えだした理由は何か、そしてこの価値判断それ自体にどんな価値があるかを明らかにするつもりだ。

そのために私は、道徳の価値がなぜ、そしていかにして生まれ、発展してきたかについて見ていくことで、道徳的な価値それ自体がもつ価値を批判的に考察しようと思う。

(引用)
われわれは道徳的諸価値の批判を必要とする、これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ、—そのためには、これら諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきたもろもろの条件と事情についての知識が必要である(結果としての、徴候としての、仮面としての、偽善としての、病気としての、誤解としての道徳。が一方また原因としての、薬剤としての、興奮剤としての、抑制剤としての、毒物としての道徳など)。

かくしてニーチェは道徳が発展してきた過程をさかのぼり、それが成立するために必要だった条件を見て取ろうとする。本書が『道徳の系譜』と名付けられているゆえんだ。


気をつけておくべきは、ニーチェは史実にもとづいて道徳の起源を取り出そうとしているわけではなく、ひとつの仮説を置こうとしているにすぎないということだ。何らかの起源を想定すること自体、ニーチェの思想の構えに反する。「ニーチェの主張する事実は歴史上存在したことがない」と反論することは、ニーチェの議論に正面から答えることにならない。

本書は3つの論文から構成されている。それぞれのタイトルは次の通りだ。

•第1論文:「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」
•第2論文:〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども
•第3論文:禁欲主義的理想は何を意味するか?

まずは第1論文について見ていく。

第1論文 … 自己肯定の道徳とルサンチマンの道徳

ニーチェの道徳論のひとつの重心は、私たちは何が道徳であるかをしばしば「ルサンチマン」によって規定してしまう、という点に置かれている。

ルサンチマンは一般に「怨恨」という訳語が当てられているが、これでは意味がよく分からない。

なので言い換えてみると、ルサンチマンとは「ちぇっ!なんだよあいつ…」と舌打ちするときの心の感じを思い浮かべると分かりやすいかもしれない。アイツばかりモテやがって…とか、アイツばかり昇進しやがって…などの「ちぇっ!」が、ニーチェのいうルサンチマンの内実だ。


ルサンチマンが私たちの道徳の根本にあると言われると、私たちはドキリとする。「これこれすることはいいことだ」という確信が、自分より優れているヤツに対する「ちぇっ!」によって支えられているならば、私たちの道徳は実はまったくの偽善であることになってしまうからだ。

ニーチェいわく、「よい」という判断のおこりは、「よい人」たち自身が彼らより劣った人たちと比べて自分の行為を「よい」と評価したことにある。つまり「よい」の判断は自己肯定の表現として現れたのだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「よい」とは語源学的にいって、もともとどのような意味をもっていたのだろうか?

私が見るに、どの言語においても、身分的な意味での「貴族」とか「高貴」が基本概念であり、そこから派生して、貴族的とか卓越性としての「よい」が発展してきた。

しかしそれと並行してもうひとつの発展があった。つまり野暮とか低級といった概念が「わるい」schlechtの意味を持つようになってしまった。初めそれは単に素朴さ(schlechtwegsは「率直に」という意味をもつ)を指していたにすぎない。しかし次第にそれは現在の意味、つまり善と対置される「悪」das Böseへと意味を変化させていった。

(引用)
どの言語にあっても、身分上の意味での〈高貴〉・〈貴族的〉というのが基本概念であって、そこから精神的に〈高貴〉・〈貴族的〉とか、また〈精神的に高潔の資性をもつ〉・〈精神的に特権を有する〉とかいう意味での〈よい〉(優良)の概念が必然的に発展してくる。この発展とつねに平行してすすむ例のもう一つの発展があって、これは〈野卑〉とか〈賤民的〉とか〈低級〉とかいうのをついには〈わるい〉(劣悪)という概念に変えてしまう。

(解読)
身分的な意味でしか使われていなかった「よい」と「わるい」が次第にその意味を変化させる際には、「僧侶階級」が大きな役割を果たした。彼らは最初は政治的に最も高位にある階級にすぎなかった。しかし次第に精神的な面でも、最も優越していると考えられるようになった。

僧侶階級と対照的なのが「戦士階級」だ。僧侶階級が沈鬱的であり行動忌避的なのに対して、戦士階級は健康、力強さ、自由で快活であることを前提としている。

僧侶的民族であるユダヤ人は、敵対者である戦士階級に対して仕返しをするために、一切の価値の価値転換、すなわちルサンチマンによる価値創造を行った。ただし彼らは、これを現実の行為としてではなく、想像上の復讐として行ったのだ。

(引用)
道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。

「よい」のが悪い、「悪い」のがよい

ニーチェによれば、この過程で生み出されたのがルサンチマンの道徳だ。ニーチェはこれを奴隷道徳と呼び、それに対して、戦士階級の道徳、自己肯定の表現としての道徳を貴族道徳と呼ぶ。

(解読)
いっさいの貴族道徳は肯定から生まれてくる。これに対して奴隷道徳は否定から生まれてくる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンをもつ人間にとっては、否定そのものが価値を生む行為だからだ。自己肯定ではなく他者否定こそが、奴隷道徳の本質的な条件なのだ。

(引用)
すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれでるのに反し、奴隷道徳は初めからして〈外のもの〉・〈他のもの〉・〈自己ならぬもの〉にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定める眼差しのこの逆転—自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向—こそが、まさにルサンチマン特有のものである。

(解読)
ルサンチマンの人間は「悪人」を思い描き、それと対比して弱い自分を「善人」と見なす。それゆえ「善人」とはルサンチマンをもとに生み出された反動形成にすぎない。 ではルサンチマン道徳の「悪人」とは一体誰だろうか?これこそまさに貴族道徳での「よい者」、すなわち高貴な者、力強い者だ。

(引用)
ルサンチマンの人間が思い描くような〈敵〉を想像してみるがよい、—そこにこそは彼の行為があり、彼の創造がある。彼はまず〈悪い敵〉、つまり〈悪人〉を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこからしてさらにそれの模像かつ対照像として〈善人〉なるものを考えだす、—これこそが彼自身というわけだ!・・・

そもそもルサンチマン道徳の意味で〈悪い〉とされるのは一体誰であるか、ということが問われねばならない。これにたいし、いとも峻厳な答えをするなら、こうだ、—ほかならぬあの貴族道徳での〈よい者〉、つまり高貴な者・強力な者・支配者が、ルサンチマンの毒々しい眼差しによって変色され、意味を変えられ、逆な見方をされたにすぎないものこそが、まさにそれなのだ。

かつて「よい」は自然な自己肯定の表現だった。しかしルサンチマンは、「よい」のが悪く、「悪い」のが実はよいのだというように、価値基準をいつのまにか逆転させ、反動的に「善人」のイメージを思い描く。

「善人」は「悪人」の鏡として思い描かれたものだ。それは自然な自己肯定の現われではなく、「よい」人たちの価値基準を前提とすることで初めて成立するにすぎない。そうニーチェは言う。

ルサンチマンの人間は自分固有の価値基準をもっていない

ニーチェのいう貴族的人間とルサンチマンの人間の大きな違いは、ルサンチマンの人間が価値の基準をみずからの外部に求めるのに対して、貴族的人間はみずからのうちからそれを創りだすという点にある。

ルサンチマンの人間は、何がよく何が悪いかを判断するために、まず自分の外側へと向かっていく。その一方で貴族的人間は、自分の内面に価値尺度を備えている。彼は何がよいかを自分のうちで了解しており、他者の価値基準にビクつくことがない。こうした貴族的人間を、ニーチェは自由な人間と呼んでいる。

以上が第1論文だ。

第2論文 … 約束のできる人間に「良心」は宿る

次に第2論文について見ていく。

ニーチェによれば、「自由な人間」が登場した背景には「習俗の論理」の存在がある。習俗の論理は人間を一様に数え上げられるようにするが、最終的には、習俗の論理から再び解き放たれた個人、つまり「主権者的な個体」が現れるにいたるという。

「主権者的な個体」と言われると、王様や偉人のような人たちを思い描くかもしれないが、ニーチェのいう主権者とは、自分の意志をもち、約束をきちんと守り、相手も自分も裏切らないようなひとのことを指している。

(解読)
「主権者的な個体」は自律的で自己固有の意志をもつ人間だ。彼は自由の意識、自己と運命を支配する権力の意識に満ちあふれている。

そして大事なのは、彼は約束できる人間であることだ。 彼は責任についての強い自覚をもち、自分がしっかりと約束を守ることのできる能力があることを知っている。こうした能力がいわゆる**良心**のことだ。

(引用)
責任という格外の特権についての誇らかな自覚、この稀有な自由の意識、自己と命運とを支配するこの権力の意識は、彼の心の至深の奥底まで降り沈んでしまって、本能とまで、支配的な本能とまでなっているのだ。—もし彼にしてこれを、この支配的な本能を、一つの言葉で名づける必要に迫られるとすれば、これを彼は何と呼ぶであろうか?疑いの余地もなく、この主権者的な人間はこれを自己の良心と呼ぶ・・・

たとえば、友達と「明日10時にここで」と約束して、やっぱり面倒だなーと行きたくなくなったとき、「本当にそれでいいのか?」と引き止める感じが自分のうちからふつふつとわいてくることがあるだろう。

約束をした相手を裏切らず、しっかりと約束を守ろうとする自己確信、それがニーチェのいう良心の中身だ。この言い方は確かに納得感を与えてくれる。


ニーチェがいう権力感情とは、他人を制圧するための権力を求める欲求ではなく、むしろ相手を裏切らないだけの責任をもてるだけの自己コントロール(支配)能力のことを指している。権力感情と聞くと何だかアヤシク思えるが、その内実は「自分は責任をもってきちんと・・・ができる!」という「自負心」だと考えるとわかりやすい。

「負い目」に由来する疚しい良心

一方、ニーチェによれば、約束する能力に由来するのではない良心もある。それが疚しい(やましい)良心だ。


自負心による良心ではなく、後ろめたさや「罪障感」に支えられている良心、これがニーチェのいう疚しい良心だ。

では疚しい良心はどのようにして現れてくるのだろうか?ここで重要な役割を果たすのが「負い目」だ。なぜなら負い目をみずからの内面へと向け変えることによって疚しい良心が現れてくるからだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「負い目」(Schuld)は物質的な意味での負債(Schulden)に由来して現れてきた。

(引用)
これら在来の道徳系譜学者らは、たとえば〈負い目〉(Schuld)というあの道徳上の主要概念が、はなはだもって物質的な概念である〈負債〉(Schulden)から由来したものだということを、おぼろげなりと夢想したことがあるだろうか?

(解読)
その一方で、刑罰が報復に由来して現れてきた。

これまでしばしば、刑罰は負い目の感情や良心のやましさ、良心の呵責を呼び起こすための道具だと見なされてきた。しかしそれはまったくの誤りだ。むしろ事実としては、刑罰によって負い目の感情が発達しないように抑制されてきたのだ。

刑罰の本来の効果は次のところにある。つまり刑罰は自己批判を改善させる効果をもつ。それは恐怖と用心深さを増し、欲望を制御させることで、ひとを馴致させる。

ここで私はひとつの仮説を提示したい。それは、ひとは社会と平和によって束縛されていることを悟ったときに良心の疚しさにとらえられたという仮説だ。疚しい良心は、社会や国家がひとびとの自由の意識、つまり自律的に約束する能力から防御するために用意した刑罰によって、私たち人間の本能が内向したこと(人間の内面化)で生まれたのだ、と。

以上が第2論文だ。

第3論文 … 禁欲主義的理想で生を肯定する

最後に、第3論文について見ていく。

ここでニーチェは、禁欲主義的理想が生まれてきた背景について論じている。

ニーチェいわく、これまでの哲学者は概して官能を拒否し、禁欲主義的理想に対して愛着を見せてきた。禁欲主義的理想は哲学者が存在するための前提であり、哲学それ自体が存続するための条件でもあったとさえいう。

(引用)
哲学者らに特有の世界否定的な、生敵視的な、官能不信の、官能棄却的な厭離的態度は、つい最近にいたるまで固持されてきたものであり、かくてこれがほとんど哲学者の態度そのものと見なされるほどになっているが、—しかし、こうした態度は何よりもまず、哲学が一般に成立し存続するための不可欠な諸条件から生じた結果なのである。つまり、禁欲主義的な外被と被服がなく、禁欲主義的な自己誤解がなかったら、いとも長きにわたって哲学がこの地上に存在することなど到底できなかったであろう。

(解読)
禁欲主義者は、この生を「あの世」までの仮の生と見なす。彼はそれを否定されるべきもの、誤り、もしくは反駁されるべきものと見なす。これは人類の歴史上どこでも見られる事実のひとつだ。

しかし、ニーチェによれば、禁欲主義的な生はそれ自体が矛盾している。そこでは生の条件を抑圧しようとするルサンチマンが支配的であり、生きんとする力を押さえ込もうとするからだ、と。

(引用)
そもそも禁欲主義的な生というのは、一つの自己矛盾である。そこには比類のないルサンチマンが支配しているが、これは生のある部分をではなく生そのものを、生の最深かつ最強のもっとも基底的な諸条件を制圧しようとする飽くなき本能と権力意志とルサンチマンである。ここでは、力の源泉を閉塞するために力を利用するという読みがなされるのである。ここでは、生理的な発達そのものにたいし、とくにその表現や美や悦びにたいして嫉妬ぶかい陰険な眼差しがそそがれる。

「禁欲主義的僧侶」が弱者の味方となる

ここでニーチェは、いわゆる「禁欲主義的僧侶」がルサンチマンの方向転換を施し、疚しい良心を生み出したという説を立てる。

禁欲主義的僧侶?

禁欲主義的僧侶と聞くと、実際にそういう人たちがいたようなイメージをもつかもしれない。しかしこれは初期キリスト教の指導者、という程度に捉えるべきだ。誰か具体的に特定の人物を指しているわけではない。

(引用)
われわれは、禁欲主義的僧侶がいかに規則的に、いかに普遍的に、いかにほとんどあらゆる時代に出現するものかを、とくと考えてみるとしよう。禁欲主義的僧侶なるものは、個々の種族のいずれにも属するものではない。彼はいたるところに生えしげり、あらゆる階級から生えでる。

いずれにしても、ここでニーチェは、キリスト教は弱者のルサンチマンに呼応して現れ、これを助長することで、内面の価値尺度で良し悪しを判断する道徳のあり方を組織的に否定しようとしている、と言おうとしているのだ。

禁欲主義的僧侶は生を肯定する

(解読)
弱者たちは自分の苦痛の原因を外部に求めようとする。「私が苦しいのは誰かのせいだ」など。しかし僧侶は弱者たちに次のように告げる。「確かにそうだ。しかしそれはお前自身だ。お前自身が自分の苦痛の原因なのだ」、と。

(引用)
もしわれわれが僧侶的実存の価値をもっとも簡単な一句に言い表わそうとするなら、端的にこう言ってよかろう、僧侶とはルサンチマンの方向転換者である、と。

「私は苦しい、これは誰かのせいにちがいないのだ」—こうすべての病める羊は考える。ところが彼の牧者である禁欲主義的僧侶は、彼にむかって言う、「そのとおりだ、私の羊よ!それは誰かのせいにちがいないのだ。が、この誰かというのは、じつはお前自身なのだ。それはただお前だけのせいなのだ、—お前がこうなっているのに責めがあるのはお前自身だけだ!」

(解読)
このように見ると、禁欲主義的僧侶は生を否定しているかのように思えるかもしれない。

外見的にはそうだ。しかし実は禁欲主義的僧侶は、生を肯定する勢力のひとつだ。なぜなら禁欲主義的僧侶は「こうではなく別にありたい」とする願望、つまり禁欲主義的理想を思い描くことで、倦怠感や「死への願望」と闘う力を得ているからだ。

(引用)
事実を簡潔に述べれば、次のごとくである、—禁欲主義的理想は頽廃しつつある生の防御本能と救治本能とから生ずる、と。かかる生は、あらゆる手段をもって自己を保持しようと努め、自己の生存のために闘う。

じつは生は、この理想において、この理想を通じて、死と格闘し、死に抗して闘っているのである。禁欲主義的理想は、生の保持をはかる一つの策略なのである。

ただし、禁欲主義的僧侶は、苦悩を治癒しても、苦悩を生み出す原因については治癒することがない。禁欲主義は慰めでこそあれ、不快のもとを取り除くことはない。ニーチェいわく、ここに宗教の本質がある。それはつまり、生理的な抑圧感、沈鬱や不快を、ただ心理的・道徳的にのみ取り除くことにあったのだ、と。

(引用)
流行病とまでなるにいたった一種の疲労と重苦しさとに打ち克つことが、すべての大宗教にとっての主要問題だったからである。地上の特定の場所で時折りほとんど必然的にある生理的抑圧感が広範囲の大衆を支配するようになるにちがいないということは、はじめからありそうなこととして推定されうるところである。しかし、この抑圧感は、生理上の知識を欠いていることからして、そうしたものとしては意識されることがなく、したがってその〈原因〉も、それの治療も、ただ心理的・道徳的にだけ求められ試みられるにすぎない(—これこそがすなわち、通例〈宗教〉と呼ばれるものにたいする私のもっとも一般的な定式なのだ)。

(解読)
ここで宗教が取る方法は、機械的な活動に従事させること、隣人愛という「小さな喜び」を処方することだ。

機械的な活動によって苦悩を打ち消すことを、ひとは「勤労の祝福」と呼んでいる。たえず同じ行為を繰り返すので、苦悩に対する余地がほとんどなくなってしまうのだ。

隣人愛は、慈善や施しを通じて、共同体、畜群生活への意志を育む。それは弱者同士の相互扶助を促進する。禁欲主義的僧侶は弱者のそうした本能を見抜き、さらにこれを助長するのだ。

そこで禁欲主義的僧侶は負い目の感情を利用した。彼は悩める人間に対して、苦悩の原因を次のように説いた。

(引用)
「おまえは、その苦悩の原因を、おまえ自身のうちに、負い目のうちに、過去の一事情のうちに求めるがよい、おまえの苦悩そのものを一つの刑罰状態と心得るがよい」、と。

(解読)
こうして彼は、罪障感に支えられた疚しい良心を抱くようになるのだ。

「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」

では、なぜ人びとは禁欲主義的理想を受け入れ、禁欲主義的僧侶に従うのだろうか?なぜ彼を拒否しなかったのだろうか?

これについて、ニーチェは次のように言う。

(解読)
それは、これまで唯一禁欲主義的理想のみが人間に生の意味を与えることができたからだ。

彼が禁欲主義的理想を抱くようになった理由、それは人間が本質的にいって生の意味を求める存在だからだ。彼にとっては苦悩それ自体が問題なのではない。むしろ苦悩に意味が欠けていること、これこそが問題なのだ。

禁欲主義的理想は、人びとに苦悩の意味、目的を与えた。それによって人びとは何かを意欲することができるようになったのだ。

(引用)
人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない。いな、苦悩の意味、苦悩の目的(Dazu)が示されたとなれば、人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする。これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった。—しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ!それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。

人間は一つの意味をもつにいたった。それ以来人間はもはや風にもてあそばれる一枚の木の葉のごときものではなくなった、もはや無意味の、〈没意味〉の手まりではなくなった。いまや人間は何かを意欲することができるようになった、—何処へむかって、何のために、何をもって意欲したかは、さしあたりどうでもよいことだ。要するに、意志そのものが救われたのである。

(解読)
しかし禁欲主義的理想は、人間に苦悩の意味を与えると同時に、新たな苦悩をもたらした。「虚無への意志」がそれだ。動物的なものに対する憎悪、官能に対する、また理性に対する嫌悪、美に対する恐怖—そうしたものすべてが禁欲主義的理想によって生み出されたのだ。

(引用)
さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、—人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する・・・。

「この生」「この世界」をどう肯定できるか?

本書の流れを大まかにおさらいすると、次のような感じだ。


道徳、とりわけキリスト教的道徳が生まれた背景には人びとのルサンチマンがある。ルサンチマンが「よい」と「わるい」の価値秩序を逆転させてしまった。そうした人びとを導いているのが禁欲主義的僧侶だ。彼が人びとを内面化させ、疚しい良心(罪障感の良心)を生みだした。ところで人びとが禁欲主義的僧侶に従ったのは、人びとが生の意味を求めていたからだ。そこで人びとは禁欲主義的理想を手に入れ、みずからの苦悩には確かに意味があることを理解した。しかし同時に彼は「虚無への意志」に見舞われた。

ニーチェはこのように直観し、以後、生と世界を肯定するための価値を創造しようと自ら課題へとみずから取り組んでいく。しかしそれは完全な形では示されず、今日『権力への意志』として知られている草稿群のうちに断片的なアイディアとして残されるにとどまった。

道徳を「鍛え上げる」

部分部分を細かく見ると、確かに、ニーチェの議論には怪しいところもある。たとえばニーチェは国家、社会、文化を否定的に捉えすぎている向きがある。「それらは人間の自由の本能を抑制し、人びとを馴致する」という観点を前面に押し出しすぎているのは否めない。

それでもなお、ニーチェの議論は多くの納得感を与えてくれる。

私たちは油断するとついルサンチマンにやられてしまったり、ルサンチマンの力で生と世界を否定的に解釈してしまったりする。「自分の人生こんなはずじゃなかった…」とか「この世界はこうあるべきではない…」というように。

そこで反動的に「みな道徳的であるべきだ」とか「正しい生があるはずで、そこから外れた者はケシカラン」という感覚をもってしまうことがある。正しいのは自分で、間違っているのは世界の側だ、と。ニーチェを読むと、それがルサンチマンに発するねじ曲がった正義だということをズバリ指摘されたような感じを受ける。

素朴な正義はしばしば「この世界は間違っている!正しい世界を実現させるべきだ!」と主張する。しかしその理想はしっかりと確かめ直されてこそ、本当の意味で正義にかなうと言える。「その理想はルサンチマンに発していないだろうか?もしくは罪障感に支えられていたりしないだろうか?」、と吟味することによって、正義をより深く生かすことができる。ニーチェの議論はそのことを私たちに教えてくれる。
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/


▲△▽▼


『道徳の系譜』(どうとくのけいふ、Zur Genealogie der Moral)——副題:「一つの論駁書」("Eine Streitschrift")——は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作であり、先に公にされた『善悪の彼岸』の中で略述されたいくつかの新しい見解について詳論するという意図のもとに、1887年に執筆され、公刊された。

ニーチェの著作の中では、最も直接的な叙述がなされており、形式や文体の面でアフォリズム的な要素が最も少ないことから、ニーチェ研究者からは、確固たる明敏さと力強さをそなえた作品であり、ニーチェの代表作であるとみなされている。[1]

序言と三つの論文(Abhandlung)から成り、これら一連の論述を通して、道徳的諸概念の発展に関わる挿話を追っていくことによって、「道徳上の先入見」——とりわけキリスト教の道徳——を転覆することを目指す。


ニーチェの三つの論文の主題をなすのは、「道徳上の先入見の由来」についての彼独自の思想である。この思想は、彼が長期間にわたって作り上げてきたものであり、すでに『人間的な、あまりに人間的な』において簡潔に不完全な形で表現されている。ニーチェが自らの「仮説」を公刊しようと思ったきっかけとなったのは、友人パウル・レーの小著『道徳的感情の起源』(1877年)を読み、その中で「系譜論的仮説」が不十分な仕方で展開されているのを見出したことである。

かくして、ニーチェは、「道徳的諸価値の批判」こそが理に適っており、「これらの諸価値の価値こそそれ自身まずもって問題とされるべきである」と考えるに至る。この目的を果たすためには、レーのような(ニーチェが言うところの)「イギリス流心理学者」式の仮説的な説明よりも、実際の道徳史を提示することこそが必要不可欠である。


第一論文 「善と悪」・「よいとわるい」

この論文では、ニーチェが『人間的な、あまりに人間的な』以来ほのめかしてきた君主道徳と奴隷道徳の間の区別が説明される。これら二つの相異なる道徳様式は、それぞれ一対の対立概念に対応している。

ニーチェによると、特権階級は、自分たち自身の行為を「よい」("gut")と定義した。この場合の「よい」とは、「高貴な」、「貴族の」、「強力な」、「幸福な」等々という意味である。その一方で、彼ら君主たちは、他の卑しい人々の行為を「わるい」("schlecht")とみなした。ただし、この場合の「わるい」とは、「素朴な」("schlicht")、「平凡な」、「貴族でない」という意味であって、ことさらそれらの人々に対する非難のニュアンスが込められているわけではない。

特権階級に従属する卑しく、貧しくて不健康な人々、つまり「奴隷」によって価値の序列が逆転される。彼らの感情は、ルサンチマンに基づいており、彼らはまずもって他者を「悪人」、すなわち「悪しき敵」とみなす。そして、その後ではじめて、彼らはまさしく悪人に対立する者として、自分たち自身を「善人」と定義する。換言すると、彼らは「悪」("böse")でないがゆえに、「善」("gut")である。つまり、貴族にとっての「よい」という概念が能動的であるのに対して、奴隷の「善」概念は反動的なのである。

ニーチェは、二番目の価値様式をユダヤ教とキリスト教の内に見出し、第一の価値様式をローマ帝国、ならびにルネサンスやナポレオンに割り当てる。もっとも、これら二つの道徳様式の対立は、内的葛藤を抱えた一人一人の人間の中でも依然として闘争を繰り広げることになるとされる。今日でも、比較的高邁な精神の持ち主においては、両方の価値評価様式がともに存在し、相争っている。しかしながら、全体としては奴隷道徳のほうが勝利をおさめることとなった。ニーチェ自身は——無条件に、見境なしにというわけではないが——はっきりと「貴族的」な世界観のほうに強い共感を表明しており、自らの哲学によって「賤民的」な道徳に対する闘争が再開されうることを期しているように思われる。


第二論文 「負い目」・「良心のやましさ」・その他

ここで探求の対象となるのは、人間は何かに対して「責任」を負うことができるという考え方の由来、ならびに、人間に特有で動物界ではほとんど見られない記憶力一般である。ニーチェは、「負い目」という道徳的概念は債権者に対する「負債」という物質的な概念に基づいていると考える。彼は、刑罰がさまざまな文化の歴史の中で担ってきた多岐にわたる表向きの目的と真の目的を示唆する。刑罰は、あらゆる事態がそうであるように、支配体制が新しくなる度に、新たな解釈を与えられてきた。ニーチェによると、良心のやましさは、人間の文明化に起源をもつ。人間は、組織的な社会で生きるという重圧の下で、自らの攻撃的な衝動を内向させ、自分自身に向けるようになるのである。

なお、この論文の第12節は、「力への意志」に関する教説を比較的詳しく取り上げているという点で、鋭い示唆を含んでいる。


第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか

この論文は、すでにニーチェが序文で自ら指摘した形式的な特徴をよく表している。というのも、結論となる見解を最初の段落で簡潔なアフォリズムの形式で呈示しておいて——仮構の読者からの抗議に従って——論文本体において、そのアフォリズムを正確に敷延して完全な形で表現しているからである。

ニーチェは、禁欲主義的理想が、歴史の中や今日の社会の中で現れる際にまとってきたさまざまな形態、並びにその多様な目的を検討する(その中には、誤認された目的も実際の目的も含まれる)。ニーチェは、さまざまな人々——芸術家(リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』を例に)、哲学者(とりわけ、ショーペンハウアーの意志否定)、聖職者、ニーチェ自身が評価するところの「善人や義人」、聖人、そして現代において反-理想主義者と見誤られている人々、無神論者、科学者、批判的かつ反形而上学的な哲学者——における禁欲主義的理想の追求を解釈し評価する。そして、彼らの絶対的な「真理への意志」こそが、禁欲主義的理想の最後の純粋な形態であるとされる。そして、現代および将来のヨーロッパにおけるニヒリズムに関する考察に依拠して、ニーチェは、禁欲主義的理想がほとんど唯一の理想として尊崇されてきた究極の理由を示す。それは、つまるところ、より優れた理想がなかったからである。人間は「何も欲しない」ことができない。その結果、今日までの人間はむしろニヒリズムと禁欲において「無を欲し」てきたのである。

影響

「道徳の系譜」に影響を受けた人は、オスヴァルト・シュペングラー、ジャン=ポール・サルトル、ジークムント・フロイト、フランツ・カフカなどである。

また、ミシェル・フーコーは、この作品に影響を受け、狂気・性・懲罰について研究していた。

河出書房新社からは、この作品の標題を冠した叢書として「シリーズ・道徳の系譜」(1997年-)が刊行されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html#c6

[近代史4] ニーチェの世界 中川隆
7. 中川隆[-13538] koaQ7Jey 2020年3月23日 09:01:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1366]

ニーチェの思想 2006-07-10
https://blog.goo.ne.jp/journal008/e/c774a8819e1f564fac5d9c5324a64aaf


ソクラテス以前も含むギリシア哲学やスピノザやショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。近代の終焉を告げる思想家ともされる。

神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。

そのなかには、有名な永劫回帰(永遠回帰)説がある。古代ギリシアの回帰的時間概念を借用して、世界は何か目標に向かって動くことはなく、現在と同じ世界を何度も繰り返すという世界観をさす。これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。

「神は死んだ」と宣し、西洋文明が始まって以来、哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。

それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、恨みという負の感情ルサンチマンによって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩や矮小化の原因であり、それを超越した超人をめざすことによって解決されるべきとした。

その思想は、ナチスのイデオロギーに利用されたが、多くのニーチェ主義者が喝破していたように、それはニーチェ哲学の曲解、通俗化でしかなかった。そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いて叱責している。

お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対してもだ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic Correspondence Sheets』(引用者注:ニーチェの思想を歪曲して利用した反ユダヤ主義文書らしい)は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけのこの党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。

また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛てのおよそ気が確かだと思われる最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」で結んである。主著『善悪の彼岸』では「ドイツ的なもの」とその喧伝者への批判に一章を割き、死後に刊行された草稿ではドイツ人のいう「偉大な伝統」なるものを揶揄して「ユダヤ人こそがヨーロッパで最も長い伝統をもつ、最も高貴な民族である」と、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いており、ヒトラーはおろかナチス高官の誰一人としてニーチェをまともに読んですらいなかったことは自明である。

にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。しかし、たとえこれほどの悪意的な操作がなかったとしても、〈善悪の彼岸〉〈超人〉〈力への意志〉など、文字面だけを見れば強権に迎合するものとも見えかねないキーワードをニーチェ自身が多用していたことも問題を紛糾させた一因である。

ニーチェの思想がナチズムや反ユダヤ主義と相容れないものであるという主張は、第二次世界大戦前からすでになされており、比較的早いものとしてはジョルジュ・バタイユをはじめピエール・クロソウスキー、アンドレ・マッソン、ロジェ・カイヨワらによる同人誌『無頭人(アセファル)』(1936年 - 1939年)などが有名である。
https://blog.goo.ne.jp/journal008/e/c774a8819e1f564fac5d9c5324a64aaf

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html#c7

[近代史4] ユダヤ人とは関わらない方がいい理由 中川隆
2. 中川隆[-13537] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:01:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1367]

日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。


(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/562.html#c2

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
8. 中川隆[-13536] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:05:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1368]

ヒトラーがユダヤ人を嫌った理由


日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c8

[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
9. 中川隆[-13535] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:06:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1369]

ヒトラーがユダヤ人を嫌った理由


日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。

呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c9

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
6. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:10:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1370]

ワイダ カティンの森 Katyń (2007年)

監督 アンジェイ・ワイダ
脚本 アンジェイ・ワイダ ヴワディスワフ・パシコフスキ プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
原作 アンジェイ・ムラルチク
音楽 クシシュトフ・ペンデレツキ
撮影 パヴェウ・エデルマン
公開 2007年9月17日
製作国 ポーランド
言語 ポーランド語 ドイツ語 ロシア語


動画
https://www.nicovideo.jp/search/KATY%C5%83%20%20%2F7%20?f_range=0&l_range=0&opt_md=&start=&end=


キャスト

マヤ・オスタシェフスカ (Maja Ostaszewska):アンナ
アルトゥル・ジミイェフスキ (Artur Żmijewski):アンジェイ大尉 - アンナの夫、カティンで殺害される
ヴィクトリア・ゴンシェフスカ (Wiktoria Gąsiewska) : ヴェロニカ(通称ニカ) - アンジェイとアンナの娘
マヤ・コモロフスカ (Maja Komorowska):アンジェイの母
ヴワディスワフ・コヴァルスキ (Władysław Kowalski):アンジェイの父・ヤン教授 - ヤギェウォ大学教授、講演会を名目に大学に招集され、同僚とともに収容所に送られ、病死
アンジェイ・ヒラ (Andrzej Chyra):イェジ中尉 - アンジェイの戦友 - カティンで殺害されず帰還、のちに「カティンの森事件」について、ソ連側の証人となったことを恥じて自殺
ダヌタ・ステンカ (Danuta Stenka):大将夫人ルジャ
ヤン・エングレルト (Jan Englert):大将 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・グリンスカ (Agnieszka Glińska):イレナ - ピョトル中尉の妹
マグダレナ・チェレツカ (Magdalena Cielecka):アグニェシュカ - ピョトル中尉、イレナの妹
パヴェウ・マワシンスキ (Paweł Małaszyński):ピョトル中尉 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・カヴョルスカ (Agnieszka Kawiorska):エヴァ - 大将とルジャの娘
アントニ・パヴリツキ (Antoni Pawlicki):タデウシュ(トゥル) - アンナの甥、父カジミエシュはカティンで殺害される
アンナ・ラドヴァン (Anna Radwan) : エルジュビェタ - タデウシュの母
クルィスティナ・ザフファトヴィチ (Krystyna Zachwatowicz):グレタ - ドイツ総督府の法医学研究所関係者。イェジ中尉の依頼により、アンナにアンジェイ大佐の手帳をわたす
セルゲイ・ガルマッシュ (Sergei Garmash) : ポポフ大尉 - 同情的でアンナを秘密警察から匿った赤軍将校
スタニスワヴァ・チェリンスカ (Stanisława Celińska) : スタシア - 大将の使用人
クシシュトフ・グロビシュ (Krzysztof Globisz) : 医師 ドイツ総督府の法医学研究所で、カティンの森の事件の調査をしている。ポーランドがソ連により解放されることになり、自分の身の危険を感じている。


▲△▽▼


『カティンの森』(ポーランド語: Katyń)は、2007年(平成19年)製作・公開のポーランドの映画(en:Cinema of Poland)である。第二次大戦下に実際に起きた「カティンの森事件」を題材とした映画である。


自らの父親もまた同事件の犠牲者である映画監督アンジェイ・ワイダが、80歳のときに取り組んだ作品である[1]。原作は、脚本家でありルポルタージュ小説家でもあるアンジェイ・ムラルチクが執筆した『死後 カティン』(Post mortem. Katyń, 工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』)である。構想に50年、製作に17年かかっている。

撮影は『戦場のピアニスト』等でも知られるポーランド出身の撮影監督パヴェウ・エデルマン、音楽はポーランド楽派の作曲家クシシュトフ・ペンデレツキが手がけた。ポーランドでは、2007年9月17日に首都ワルシャワでプレミア上映され、同年同月21日に劇場公開された[2]。

翌2008年(平成20年)、第58回ベルリン国際映画祭でコンペティション外上映された[2]。

ワイダは、2010年(平成22年)4月7日、ロシアのウラジーミル・プーチン首相、ポーランドのドナルド・トゥスク首相が出席した「カティンの森事件」犠牲者追悼式典に参列した[3]。同月10日に開催予定であったがポーランド空軍Tu-154墜落事故のため中止となった「カティンの森事件」追悼式典のための大統領機には、搭乗してはいなかった[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE


1939年9月、クラクフのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)は娘を連れ、夫のアンジェイ大尉(アルトゥル・ジミイェフスキ)を探しに行く。一方、東から来た大将夫人(ダヌタ・ステンカ)はクラクフに向かう。アンジェイや仲間のイェジ(アンジェイ・ヒラ)たちは、ソ連軍の捕虜となっていた。アンジェイは、見たことすべてを手帳に書き留める決意をする。アンナはクラクフに戻ろうとするが、国境を越えられない。11月、アンジェイの父はドイツ軍の収容所に送られる。翌年初め、アンナと娘、アンナの義姉と娘は、ロシア人少佐の家に匿われていた。義姉親子は強制移住のため連れ去られるが、アンナたちは逃げ延びる。春、アンナと娘は義母のいるクラクフへ戻り、義父の死を知る。アンジェイはイェジから借りたセーターを着て、大将、ピョトル中尉らと別の収容所に移送される。1943年4月、ドイツは一時的に占領したソ連領カティンで、多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表する。犠牲者リストには大将、イェジの名前が記され、アンジェイの名前はなかった。大将夫人はドイツ総督府で夫の遺品を受け取り、ドイツによるカティンの記録映画を見る。1945年1月、クラクフはドイツから解放される。イェジはソ連が編成したポーランド軍の将校となり、アンナにリストの間違いを伝える。イェジは法医学研究所に行き、アンジェイの遺品をアンナに届けるよう頼む。イェジは大将夫人から“カティンの嘘”を聞き、自殺する。国内軍のパルチザンだったアンナの義姉の息子タデウシュは、父親がカティンで死んだことを隠すよう校長から説得されるが、拒否する。その帰り道、国内軍を侮辱するポスターを剥がした彼は警察に追われ、大将の娘エヴァと出会う。校長の妹はカティンで遺体の葬式を司った司祭を訪ね、兄ピョトルの遺品を受け取る。そして兄の墓碑にソ連の犯罪を示す言葉を刻み、秘密警察に狙われる。法医学研究所の助手グレタはアンナに、アンジェイの手帳を届ける。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=40518


▲△▽▼


カティンの森事件(ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦(ロシア共和国)のグニェズドヴォ(Gnyozdovo)近郊の森で約22,000人[1]のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソビエト内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。

NKVD長官ベリヤが射殺を提案し、ソビエト共産党書記長スターリンと政治局の決定で実行された[2]。

「カティン(カチンとも。Katyń)」は現場近くの地名で、事件とは直接関係ないものの、覚えやすい名前であったためナチス・ドイツが名称に利用した。


経緯

1939年4月にドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を廃棄し、同年8月にドイツとソ連の間で独ソ不可侵条約が締結された。同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻することで第二次大戦が始まり、9月17日にソ連も同様にソ連・ポーランド不可侵条約を廃棄してポーランドの東部に侵攻した。独ソ不可侵条約には秘密議定書があり、両国はそれに従ってポーランドへの侵攻と分割占領を行ったのである。


ポーランド人捕虜問題

1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両国によってポーランドは攻撃され、全土は占領下に置かれた。武装解除されたポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、ソ連軍に降伏した将兵は強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。

ポーランド政府はパリへ脱出し、亡命政府を結成、翌1940年にアンジェへ移転したがフランスの降伏でヴィシー政権が作られると、更にロンドンへ移された。

1940年9月17日のソ連軍機関紙『赤い星』に掲載されたポーランド軍捕虜の数は将官10人、大佐52人、中佐72人、その他の上級将校5,131人、下級士官4,096人、兵士181,223人となった。その後、ソ連軍は将官12人、将校8,000人を含む230,672人と訂正した[3]。ポーランド亡命政府は将校1万人を含む25万人の軍人と民間人が消息不明であるとして、何度もソ連側に問い合わせたが満足な回答は得られなかった。

1941年の独ソ戦勃発後、対ドイツで利害が一致したポーランドとソ連はシコルスキー=マイスキー協定(英語版)を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜はすべて釈放され、ポーランド人部隊が編成されることになった。しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかった。そこで亡命政府は捕虜釈放を正式に要求したが、ソ連側は全てが釈放されたが事務や輸送の問題で滞っていると回答した。12月3日には亡命政府首相ヴワディスワフ・シコルスキがヨシフ・スターリンと会談したが、スターリンは「確かに釈放された」と回答している。


捕虜の取扱い

ポーランド人捕虜はコジェルスク、スタロビエルスク(英語版)、オスタシュコフの3つの収容所へ分けて入れられた。その中の1つの収容所において1940年の春から夏にかけて、NKVDの関係者がポーランド人捕虜に対し「諸君らは帰国が許されるのでこれより西へ向かう」という説明を行った。この知らせを聞いた捕虜たちは皆喜んだが、「西へ向かう」という言葉が死を表す不吉なスラングでもあることを知っていた少数の捕虜は不安を感じ、素直に喜べなかった。彼らは列車に乗せられると、言葉通り西へ向かい、そのまま消息不明となる。


事件の発覚

スモレンスクの近郊にある村・グニェズドヴォ(Gnyozdovo)では1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂が絶えなかった。独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際にこの情報を耳にした。

1943年2月27日、ドイツ軍中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。報告を受けた中央軍集団参謀ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ将軍は「世界的な大事件になる」と思い、グニェズドヴォよりも「国際的に通用しやすい名前」である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として報告書を作成、これは中央軍集団からベルリンのドイツ国民啓蒙・宣伝省に送られた。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。


発見当初の動静

1943年4月9日、ゲッベルスはワルシャワ、ルブリン、クラクフの有力者とポーランド赤十字社に調査を勧告した。ポーランド赤十字社は反ソプロパガンダであるとして協力を拒否したが、各市の代表は中央軍集団司令部に向かい、調査に立ち会った。ドイツ側は赤十字社の立ち会いの後に事件を公表する予定であったが、1943年4月13日には世界各紙で「虐殺」情報が報道された。このため、ドイツのベルリン放送でカティンの森虐殺情報が正式に発表された。

1943年4月15日、ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し、1941年にソビエトに侵攻してきたドイツ軍によってスモレンスク近郊で作業に従事していたポーランド人たちが捕らえられて殺害されたと主張した。しかし、捕虜がスモレンスクにいたという説明はポーランド側に行われたことがなく、亡命政府はソ連に対する不信感を強めた。ポーランド赤十字社にも問い合わせが殺到し、調査に代表を派遣することになった。すでに回収された250体の遺体を調査した赤十字社は遺体がポーランド人捕虜であることを確認し、1940年3月から4月にかけて殺害されたことを推定した。1943年4月17日、ポーランド赤十字社とドイツ赤十字社はジュネーヴの赤十字国際委員会に中立的な調査団による調査を依頼した。

これを受けてソ連はポーランド亡命政府を猛烈に批判し、断交をほのめかした。ソ連の反発を見た赤十字国際委員会は全関係国の同意がとれないとして調査団の派遣を断念した。1943年4月24日、ソ連はポーランド亡命政府に対し「『カティン虐殺事件』はドイツの謀略であった」と声明するように要求した。ポーランド亡命政府が拒否すると、26日にソ連は亡命政府との断交を通知した。

ポーランド赤十字社はカティンに調査団を送り込み、また、ドイツもポーランド人を含む連合軍の捕虜、さらにスウェーデン、スイス、スペイン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ハンガリー、チェコスロバキア(ベーメン・メーレン保護領及びスロバキア)など各国のジャーナリストの取材を許可した。さらに枢軸国とスイスを中心とする国から医師や法医学者を中心とする国際調査委員会が派遣された。1943年5月1日、国際委員会とポーランド赤十字社による本格的調査が開始された。


第一次調査

調査はソ連軍がスモレンスクに迫る緊迫した状況下で行われた。国際委員会は遺体の発掘と身元確認と改葬を行い、現地での聞き取り調査も行った。ドイツ側は「12,000人」の捕虜の遺体が埋められていると発表していたが、実数はそこまでには至らなかった。

発掘途中の調査では、遺体はコジェルスクの捕虜収容所に収容されていた捕虜と推定された。遺体はいずれも冬用の軍服を装着しており、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っていた。遺体の脳からは死後3年以上経過しないと発生しない物質が検出されたことや、墓穴の上に植えられた木の樹齢が3年だったこと、遺体が死後3年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連の犯行を窺わせた。

また、調査に同行したアメリカ軍捕虜のジョン・ヴァン・ブリード大佐とスチュワート大尉は、捕虜の軍服や靴がほころびていないことからソ連軍による殺害であることを直感したと後に議会公聴会で証言している。

1943年5月になると現場付近の気温が上昇し、死臭が強まったために現地の労働者が作業を拒否するようになった。6月からは調査委員会と赤十字代表団が自ら遺体の発掘に当たった。明らかに拷問に遭った遺体や今までに見つからなかった8番目の穴が発見されるなど調査は進展したが、この頃になるとソ連軍がスモレンスクに迫り、委員会と代表団は引き上げを余儀なくされた。ポーランド赤十字社代表団は6月4日、委員会は6月7日に現地を離れた。

撤収までに委員会が確認した遺体の総数は4,243体であった。


西側連合国の対応

イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチス・ドイツが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。また当時ロンドンに移っていたポーランド亡命政府に対するイギリス大使であるオーウェン・オマレーが「事件がソ連によるものである」と結論した覚書を提出したが、ウィンストン・チャーチル首相はこれを公表しなかった[4]。

1944年、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はカティンの森事件の情報を収集するために、かつてブルガリア大使を務めていたジョージ・ハワード・アール(英語版)海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったが、ルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務から外され、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった[4]。また、事件の生存者であるユゼフ・チャプスキ(英語版)は、1950年から「ボイス・オブ・アメリカ」のポーランド向け放送を担当することになったが、その際には事件に対して言及することを禁じられている[4]。


ソ連による「真相究明」

1943年10月15日からNKVDは独自に再調査を開始した。さらにモスクワに調査委員会を設置し、事件の調査を開始した。しかし、この調査委員会は委員長のニコライ・ブルデンコをはじめとして全員がソ連人であり、最初から「ナチス・ドイツの犯行」であることを立証するためのものであった[5]。ブルデンコ委員会は独自の聞き取り調査によって「殺害は1941年8月から9月、つまり、ドイツ軍の占領中に行われた」とし、殺害に用いられた弾丸がドイツ製であったことを根拠として、ナチス・ドイツの犯行であったと結論付けた[5]。

さらにソ連はニュルンベルク裁判においてドイツ人を裁くため、さらに調査報告書を作成した。告発を行ったソ連の検察官は「もっとも重要な戦争犯罪の内の1つがドイツのファシストによるポーランド人捕虜の大量殺害である」と述べている。これに基づいて1946年7月1日に裁判でカティンの森事件について討議が行われた。しかしこの告発は証拠不十分であるとして、裁判から除外された[5]。


冷戦期のカティンの森事件問題

冷戦が激化し始めた1949年、アメリカでは民間の調査委員会が設立され、事件の再調査を求めるキャンペーンを行った[6]。1951年、アメリカ議会はカティンの森事件に対する調査委員会を設置した[5]。1952年にはアメリカ国務省がソ連に対して証拠書類の提供を依頼したが、ソ連はこれを誹謗であるとして抗議している。調査委員会はソ連の犯行であることが間違いないと結論し、アメリカ議会は1952年12月に「カティンの森事件はソ連内務人民委員部が1939年に計画し、実行した」という決議を行っている[5]。しかし東側諸国はもとより西側諸国の多くもこれに同調しなかった[6]。

1959年、ソ連国家保安委員会(KGB)のアレクサンドル・シェレーピン議長は、ニキータ・フルシチョフ第一書記に対して、ポーランド人捕虜処刑に関する文書の破棄を提案している[7]。戦後ポーランドを支配していたPZPR(ポーランド統一労働者党)の幹部たちはソ連の説明を公式見解として認定した[8]。亡命ポーランド人たちは事件の研究を続け、時には地下出版の形でポーランド国内に伝えた[9]。

また、1970年代後半のイギリスでは事件に関する関心が高まり、ロンドンに犠牲者のための記念碑を作る計画があったが、イギリス政府はこの事件が起こった日付が「1940年」となっている点に難色を示し、除幕式に代表を派遣しなかった[4]。


冷戦後の調査

ソ連では1985年に就任したゴルバチョフ書記長の下でペレストロイカが進み、グラスノスチ(情報公開)の風潮が高まると、ソ連においても事件を公表する動きがあらわれた。1987年にはソ連・ポーランド合同の歴史調査委員会が設置され、事件の再調査が開始された。1990年にはNKVDの犯行であることを示す機密文書が発見され、ゴルバチョフ書記長らはもはや従来の主張を継続することはできないという結論を下した。

1990年4月13日、ソ連国営のタス通信はカティンの森事件に対するNKVDの関与を公表し、「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明した[7]。同日、ポーランドのヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領がゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフはカティンの森事件に言及するとともに、発見された機密文書のコピーをポーランド側に渡し、調査の継続を伝えた[7]。これにはカティンと同じような埋葬のあとが見つかったメドノエ(Mednoe)とピャチハキ(Pyatikhatki)、ビコブニアの事件も含まれている。


1992年、ソ連崩壊後の新生ロシア政府は最高機密文書の第1号を公開した。その中には、西ウクライナ、ベラルーシの囚人や各野営地にいるポーランド人25,700人を射殺するというスターリン及びベリヤ等、ソ連中枢部の署名入りの計画書、ソ連共産党政治局が出した1940年3月5日付けの射殺命令や、21,857人のポーランド人の殺害が実行されたこと、彼らの個人資料を廃棄する計画があることなどが書かれたシェレーピンのフルシチョフ宛て文書も含まれている。しかし、公表された文書で消息が明らかとなった犠牲者はカティンで4421人、ミエドノイエで6311人、ハルキエで3820人、ビコブニアで3435人であり、残りの3870人は依然として消息不明のままである[10]。

2004年、ロシア検察当局の捜査は「被疑者死亡」、「ロシアの機密に関係する」などの理由で終結した[11]。さらにロシア連邦最高軍事検察庁は事件の資料公開を打ち切り、2005年5月11日に「カティンの森事件はジェノサイドにはあたらない」という声明を行った[12]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6


▲△▽▼

January 1, 2010
こんな映画を観た〜アンジェイ・ワイダ「カティンの森」

シアター・キノ代表の中島洋が正月映画に選んだ作品に間違いはないだろう。

こう考えて観た「カティンの森」(原題はカティン)、ソ連秘密警察によるポーランド将校の処刑シーンが延々と続いて終わるワイダ監督渾身の力作は、元日に観るべき映画として最良の選択だった。

カティンの森<事件>についてはウィキペディアが詳しい。カティンの森事件

しかしこの映画は「カティンの森事件」を伝えるためだけのものではない。実父をカティンで殺された経歴を持つワイダ監督の眼差しは、たとえば「存在の耐えられない軽さ」のような映画と同じ、犠牲者の側に立つのか、それとも生き延びるために加害者の欺瞞に迎合するのか、という非常に困難な問いに向けられている。そして、映画全体としてはソ連の犯罪の告発というより、夫の生還を信じて何十年も待ち続けたポーランドの女性たちへの痛切なグランプリになっている。

映画にはいくつかの役割がある。その中でも最も重要なものの一つは、歴史と人間の欺瞞を暴くことであり、もしかしたらすべてが欺瞞かもしれない歴史の中での人間の生き方を問うことである。

将校の妻たちは潔癖とも言える「拒否」の精神を発揮し、はた目には無意味に見える抵抗を続けていく。同じ状況におかれたとき、自分ならどうしただろうかと考えずにはいられないが、たぶん、現実に彼女たちはこういう生き方を貫いたのだ。処世術として迎合したふりをして時を待ち、組織化して反撃に転じるという発想はない。政治的にあまりにナイーブなのだ。すべては個人的な出来事に還元されてしまうようで、それを歯がゆくも感じる。

将校アンジェイの妻は、彼女とその娘の安全を心配する良心的な秘密警察幹部からの形式的な結婚話を断るが、思わず、なんて愚かなと思ってしまったほどだ。

しかし、これこそが女性特有の偉大さなのだ。極私的な「愛」しか信じるに値するものはない。一見、非歴史的で小市民的にみえるこの愚かといえば愚かな信念こそが、実はジェノサイドを不可避的に結果するあらゆる「政治」を解体する唯一の契機なのかもしれない。

大量の死体がブルドーザーで埋められていくシーンは圧巻で、自分が死体の一つとなって埋められていくかのような圧迫感がある。しかしそれは単に残酷なシーンというだけでなく、人間が本質的に持つ残酷さを感じさせて映像そのもの以上に恐ろしい。

バビ・ヤールでナチス・ドイツが行った大量処刑は機関銃によるものだったが、「カティンの森」ではソ連赤軍は一人ずつ確実にピストルで処刑したようだ。ほとんど証言が残されていないが、生涯最後となるかもかもしれない作品で、ワイダ監督はどんな細部にも細心の注意を払い、できるだけ事実に忠実に再現するように心がけたことだろうから、これがほぼ事実なのだろう。こうした「手工業的」な処刑方法には、いかにもスターリン型共産主義者らしい陰険さと小心さがうかがえる。

この大量虐殺の首謀者はスターリンとその片腕ベリヤであることが歴史的に明らかになっている。しかしこの「事件」は彼らの個人的な資質によって起きたものではなく、権力の集中によっていつでも起こりうることであり、現に起きていて、これからも起きていくことだろう。

最も軽蔑すべき人間たちによって最も優れた人間たちが粛清されてきたのが人類の歴史にほかならない。

その歴史を反転させる革命こそが待たれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/rzanpaku/diary/201001010000/


▲△▽▼

「カティンの森」アンジェイ・ワイダ監督 虐殺を今に問う 2009年12月19日
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

 祖国の悲劇と抵抗の歴史を描き続けるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」が東京・神保町の岩波ホールで公開中だ。冒頭、「両親に捧(ささ)げる」という字幕が出る。父の命を奪い、母を苦しめた第2次大戦中の虐殺を、改めて「今」に問う。

 ポーランドに、ナチス・ドイツとソ連が侵攻した1939年。アンナは、ポーランド軍大尉の夫がソ連軍捕虜として連行される姿を目撃する。3年半後、ドイツは「虐殺された多数のポーランド人将校の遺体を発見」と発表。アンナは夫の死を伝えられるが、事実を受け入れられない……。

 この虐殺は「カティンの森事件」と呼ばれる。ポーランド東部を占領したソ連が40年、捕虜にした1万5千人ともいわれるポーランド人将校を殺害した。監督が映画化を構想し始めたのは、それから半世紀後だった。戦後、ポーランドはソ連の強い影響下にあった。「冷戦期、この事件はドイツの犯罪とされていた」と監督。89年に共産主義政権が次々倒れた東欧革命が起きるまで、真相はほぼ闇に葬られていたという。

 以後、すぐ製作に取りかかろうと試みるが、事件自体が長くタブー視され、全容を示す資料も、事件を扱った小説も見つからなかった。「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」の「抵抗3部作」をはじめ、抑圧された人間像を切り出す原作を重厚に映してきた社会派の巨匠は、撮影までに長期をかけた。「見つかった将校の日記を参考にしたり、当時を知っている人にインタビューしたりした。映画は登場人物を含め、ほとんど実話だ」

 監督がつむぐ物語は、残された人たちを軸につづられていく。「特に、多くの女性の話を書くことが大事だった」と話す。監督自身、夫の生還を信じ続けた母親を見て育ったからだ。待つ側を物語ることで、残されて生きる者をも苦しませ続ける戦いの現実を強調したかった。犠牲になった兄のためにソ連の犯罪を意味する墓碑を建てようとする女性も登場する。

 手を縛り、後頭部を撃ち抜き、埋める――。終盤の虐殺場面は、まるで流れ作業のように残酷に映される。「この事件は戦争というより、スターリンの指示による官僚的、組織的な虐殺だろう」。独ソ双方が、相手側の犯罪としてプロパガンダ映画に利用するさまも象徴的に映される。

 劇中、アンナの夫の父にあたる大学教授はドイツの収容所で亡くなる。「言いたいことは一つ。独ソ両国ともポーランドを事実上、『消滅』させることで、同国を思うままに動かしたかった」と述べた。
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c6

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
7. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:12:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1371]

天皇一族が夜も眠れない程恐れたベリヤとは


ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤ(1899年3月29日 - 1953年12月23日)は、ソビエト連邦の政治家。

ヨシフ・スターリンの大粛清の主要な執行者(実際にベリヤが統轄したのは粛清の終結局面のみだったにせよ)とみなされている。

彼の影響力が最高潮に達したのは、第二次世界大戦後からスターリンの死後にかけてであった。「エジョフシチナ」として知られるニコライ・エジョフによる大粛清の恐怖と猛威のもとでエジョフを失脚させて権力を握り、自らも粛清に加担した。

スターリンの死後は第一副首相(en:First Deputy Premier of the Soviet Union of en:Council of Ministers (Soviet Union))として、自由化推進のキャンペーンを実施したが、このキャンペーンは、ニキータ・フルシチョフらとの政争の敗北によるベリヤの失脚、そして死刑執行とともに終焉した。


1953年6月のベリヤの逮捕後の裁判で、ベリヤによる著しい件数の強姦と性的暴行が明らかになった[19]。

ベリヤは大変な漁色家であり、誘惑を断ったが最後、その女性とその家族に身の破滅が待っていると恐れられた。暇さえあれば彼とその部下はモスクワ市内を車で廻り、気に入った女性をNKVD本部に拉致しては暴行する悪行を繰り返した[20]。流石に苦情が出たものの、スターリンも黙認していたため被害者は泣き寝入りせざるを得なかった。ある夜、ベリヤは通行人である未成年の女性をいつものように車に乗せ、本部に連行した後解放した。女性は帰宅しても何があったか両親に話そうとせず、結局その事件を苦に自殺してしまった。遺体を解剖した医師によれば、彼女の体にははっきりと暴行された形跡が見られたという。彼女の父親はベリヤの護衛を務めた警備隊長で、のちにベリヤが政争に敗れて処刑される際には処刑の執行人となりたいと嘆願したが、政府から「私刑は認められない」という理由で要望は聞き入れられなかった。また、米国の外交官と交際していた女性にベリヤが迫ったところ、ひどく嫌がられ関係を拒否されたため、彼は「収容所の埃となれ!」と言い放ち「米国のスパイ」という罪状で彼女を強制収容所送りにしてしまった。

ベリヤに対するこれら非難は近年まではソヴィエト連邦内外の政敵によるプロパガンダとして片付けられていたが、ベリヤが女性を暴行し、政治的な犠牲者を私的に拷問し、殺害していたという疑惑は歴史的な証拠を得つつある。ベリヤの性的暴行、性的サディズムの最初の嫌疑は、1953年7月10日のベリヤ逮捕の2週間後に党中央委員会本会議において共産党中央委員書記のニコライ・シャターリンによって告発された。シャターリンはベリヤが多くの女性と性的交渉を持ち、娼婦との関係の結果梅毒にかかったと述べ、ベリヤと交渉をもった25人の女性のリストについて言及した。やがてこの非難はより劇的な展開を迎える。フルシチョフは彼の死後に出版された回想録において「我々は100人以上の女性の名前を記したリストを見せられた。彼女たちはベリヤの部下によって、ベリヤの元へ連れて行かれたのだ。彼はいつも同じ手口を使った。女性が彼の家に到着すると、ベリヤは彼女をディナーに招待する。そしてスターリンの健康を祈って乾杯しようと持ち掛ける。その乾杯のワインには睡眠薬が混入されていたのだ」と述べている。

1980年代には、ベリヤが10代の女性たちを強姦したという噂まで出始めた。ベリヤの伝記を著したアントン・アントノフ=オフセーエンコ(Anton Antonov-Ovseenko)はあるインタビューにおいて、ベリヤが複数の若い女性たちの中から1人をレイプするために選び出す際、彼女たちに強いたといわれる明らかに倒錯した行為について語っている。このときに行ったとされる行為は、「ベリヤのフラワーゲーム」と名づけられている。それは、部下に5人ないし7人ほどの少女を連れてこさせ、靴だけ履かせたまま彼女たちに服を脱がせた上で、頭を中心に向けた四つんばいの姿勢で円陣を作らせるというものだった。ベリヤは歩き回りながら彼女たちを品定めして、そのうち1人の脚をつかんで引っ張り出して連れ去り、レイプしたという[21]。ここ数年の間にベリヤが私的に犠牲者を殴り、拷問し、殺害したという数多くの物語が流布している。

1970年代以降モスクワの子供たちは、ベリヤの以前の住居(現在はトルコ大使館)の裏庭、地下室、あるいは壁の中から骨が発見されたと言う話を繰り返し噂し合っている。2003年12月、ロンドンの日刊紙 デイリー・テレグラフは「(トルコ大使館で)キッチンのタイルが改装された際、大きな大腿骨と小さな足の骨が発見されたのは、ほんの2年前のことだった。この大使館で17年働いているインド人のアニルは、地下室で彼が発見した人間の骨が入ったプラスチックのバッグを見せてくれた」と報じた[21]。政治的に動機付けされた非難として、性的虐待とベリヤに対する強姦告訴については、妻のニーナ、息子のセルゴといった近親者と、元ソビエト情報部長官パヴェル・スドプラトフによる議論がある。

歴史学者のサイモン・セバーグ・モンテフィオーリによると、ベリヤは個人的知り合いであるアブハジアの指導者ネストル・ラコバが1936年末に粛清された後、その家族を拷問にかけた。彼の未亡人サリヤは独房で毎日拷問にかけられ、衰弱死。息子ラウフは死ぬほど叩かれ、その後強制収容所送りになったという[22]。後に生還している。モンテフィオーリは、ベリヤについて「強迫観念的な堕落行為をほしいままにする自身の力を利用した性犯罪者」と暴露している[23]。

ベリヤは小さな子供を拷問・強姦するために、自分の事務室に隣接した特別室を独占したという[24]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%A4


▲△▽▼


天皇一族が夜も眠れない程恐れたベリヤとは _ 3


ベリヤが支配した国はこうなる:

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c7

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
8. 中川隆[-13532] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:13:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1372]

【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。

この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。


筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ウクライナの人為的飢餓テロー犠牲者500万人

http://3rdkz.net/?p=405


1929年〜1933年にかけて餓死したウクライナ農民の死亡率。赤は25%以上。ほぼ全滅した村も多くあった。

1930年代初頭、第一次五か年計画、集団農場化を焦るスターリンは、反抗的なウクライナ農民を屈服させるために飢餓を利用した。

年間770万トンにも及ぶ血も涙もない食糧徴発作戦により、少なくとも500万人のウクライナ農民が人為的な飢餓に追い込まれて死亡した。

食料徴発隊は共産党員、コムソモール、地元の教員・学生、村ソヴィエトの理事や議員、OGPU(合同国家政治保安部)で構成された《ブリガーダ》と呼ばれる作業班で、ほとんど盗賊と変わらなかった。作業班は家から家へと渡り歩き、家の中を隅から隅まで探し、屋根裏や床を破壊し、庭を踏み潰し、棒を突っ込んで穀物を探した。

村でも街でも国の組織にハッパをかけられ、残虐行為が広がっていた。
http://3rdkz.net/?p=405


ある妊娠中の女性が小麦を引き抜いたとして板切れで打ちすえられ死亡した。
三人の子供を抱えた母親は集団農場のじゃがいもを掘り出したとして警備員に射殺された。子供たちは全員餓死した。
ある村では穀物をむしり取ったとして7人の農民と14歳と15歳の子供達3人が銃殺された。

《ブリガーダ》は狂ったように食物を探しまわり、飢餓によって手足の浮腫が生じていない農民の家を怪しんで捜索した。しまいにはサヤエンドウ、ジャガイモ、サトウダイコンまでも取り上げた。餓死したものたちも瀕死の者たちも一緒になって共同墓地に放り出された。

人々の餓死は1933年初春に最高潮に達した。


雪が解け始めたとき、本物の飢餓がやってきた。人々は顔や足や胃袋をふくらませていた。彼らは排尿を自制できなかった・・。今やなんでも食べた。ハツカネズミ、ドブネズム、スズメ、アリ、ミミズ・・骨や革、靴底まで粉々にした。革や毛皮を切り刻み、一種のヌードル状にし、糊を料理した。草が生えてくるとその根を掘り出し葉や芽を食べた。あればなんでも食べた。タンポポ、ゴボウ、ブルーベル、ヤナギの根、ベンケイソウ、イラクサ・・

33年の冬までに、ウクライナの農民人口2000〜2500万人のうち、4分の1から5分の1が死んだ。
彼らは孤独のまま、極めて緩慢に、なぜこんな犠牲になったのかという説明も聞かされずに、自分の家に閉じ込められ、飢えたまま置き去りにされ、ぞっとするような死に方をしていったのだ。



ある農家はまるで戦争であった。みんな他を監視していた。人々はパンのかけらを奪い合った。妻は夫と、夫は妻といがみ合った。母は子供を憎んだ。しかし一方では最後の瞬間まで、神聖犯すべからざる愛が保たれていた。四人の子供を持った母親・・彼女は空腹を忘れさせようとして子供におとぎ話や昔話を聞かせてやった。彼女自身の舌は、もうほとんど動かないのに、そして自分の素手の腕さえ持ち上げられないのに、子供らを腕の中で抱いていた。愛が、彼女の中に生きていた。人々は憎しみがあればもっと簡単に死ねることを悟った。だが、愛は、飢餓に関しては、何もできなかった。村は全滅であった。みんな、一人も残っていなかった。



大粛清ー犠牲者70万人以上

ウクライナ大飢饉が一息ついた1934年1月、ナチスドイツとポーランドが不可侵条約を結んだ。当時のソ連はドイツ、ポーランド、日本という3つの宿敵に囲まれている形であった。ドイツとポーランドが手を結んだ今、ソビエト領内のポーランド人や少しでもポーランド人と関わりを持つ者は全てスパイとなった。

同年12月、レニングラード党第一書記キーロフが暗殺された。彼はスターリンにつぐナンバー2の権力者だった。スターリンはこれを最大限利用し、国内に反逆勢力がいるということを強調した。あたかも陰謀が常に存在するかのように。だがキーロフ暗殺の黒幕はスターリンその人であることが疑われている。

また、スターリンは集団農場化の大失敗によって引き起こされたウクライナの大飢饉を、外国のスパイ勢力の陰謀のせいだと主張した。


1936年、スターリンの妄想に付き従うものは重臣たちにさえ多くなかった。そんな中、ポーランド人のニコライ・エジョフという男がスターリンによってNKVD長官に任命されると、この男は反体制派とされる人々を嬉々として自ら拷問にかけ、手当たり次第にスパイであると自白させて銃殺にした。

1937年にはスターリンに歯向かうものは国内にいなかったが、依然政敵のトロツキーは外国で健在であり、ドイツとポーランドと日本という、いずれもかつてはロシア帝国やソビエト赤軍を打ち負かした反ソ国家に囲まれていた。スターリンは疑心暗鬼に囚われた。ドイツとポーランドと日本が手を携えて攻めてくるかもしれない……トロツキーが(かつてレーニンがそうしたように)ドイツ諜報機関に支援されて劇的にロシアの大地に帰還し、支持者を集めるのではないか……今こそ一見無害に見える者たちの仮面をはぎ取り、容赦なく抹殺するのだ!1937年の革命20周年の記念日に、スターリンは高らかにそう宣言した。

ポーランド人やドイツ人、日本人、またはそのスパイと疑われた人々や、元クラーク(富農)や反ソ運動の嫌疑により、約70万人の国民がスターリンとエジョフのNKVDによって銃殺された。また数え切れないほどの人々が拷問や流刑の過程で命を落とした。

粛清の範囲は軍や共産党やNKVDにまで及び、国中がテロに晒された。

殺された一般国民は全員、荒唐無稽な陰謀論を裏付けるために拷問によって自白を強要された無実の人々であった。

大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


ソ連の場合、チェーカーやゲーペーウーを前身に持つエリートテロ組織であったNKVDや、革命初期の内戦期からテロの執行機関であった赤軍がヒトラーよりもっとうまくやった。

ソ連軍は9月中旬、50万の大軍勢を持って、既に壊滅したポーランド軍と戦うために、護る者が誰もいなくなった国境を超えた。そこで武装解除したポーランド将兵を「故郷に帰してやる」と騙して汽車に乗せ、東の果てへ輸送した。

ポーランド将校のほとんどは予備役将校で、高度な専門教育を受けた学者や医師などの知識階級だった。彼らを斬首することにより、ポーランドの解体を早めることが目的だった。

同じころNKVDの職員が大挙してポーランドに押し寄せた。彼らは10個以上の階級リストを作成し、即座に10万人以上のポーランド民間人を逮捕。そのほとんどをグラーグ(強制収容所)へ送り、8000人以上を銃殺した。またすでに逮捕されたポーランドの高級将校たちを片っ端から銃殺にし、ドイツの犯行に見せかけた。そして家族をグラーグへ追放した。銃殺された者は20000人以上、将校の関係者としてグラーグへ送られた者は30万人以上とされる。そのほとんどは移送中の汽車の中や、シベリアやカザフスタンの収容所で命を落とした。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


抵抗の果てに

戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。


戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。

1943年、ソ連軍がカフカスを奪還すると、NKVDがたった1日で7万人のカフカス人をカザフスタンとキルギスタンに追放した。更にNKVDはその年の12月には、2日間で9万人のカルムイク人をシベリアへ追放した。

1944年にはNKVD長官ベリヤが直接指揮を執って、47万人のチェチェン人とイングーシ人をわずか一週間で狩り集めて追放した。一人残らず連行することになっていたので、抵抗する者、病気で動けない者は銃殺され、納屋に閉じ込めて火を放つこともあった。いたるところで村が焼き払われた。


同年3月、今度はバルカル人3万人がカザフスタンへ追放され、5月にはクリミア・タタール人18万人がウズベキスタンへ強制移住させられた。11月にはメスヘティア・トルコ人9万人がグルジアから追放された。

このような状況であったから、ソヴィエトと共に戦ったウクライナやバルト諸国やポーランド、ベラルーシでもNKVDの仕事は同じだった。赤軍や新生ポーランド軍は、かつては味方だったパルチザンに対して牙をむいた。少数民族や民族的活動家はのきなみ捕えられ、同じように東の果てに追放されたのだった。その数は1200万人に及んだ!

おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。


激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c8

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
9. 中川隆[-13531] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:14:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1373]

ネオコンと呼ばれる集団の中には「元トロツキスト」が多いとも指摘されている。レオン・トロツキーの信奉者だったということだが、このトロツキーは謎の多い人物である。

 1917年3月にロマノフ朝が倒されているが、その「二月革命」(帝政ロシアで使われていたユリウス暦では2月)に参加した政党は立憲民主党(通称カデット)、社会革命党(エス・エル)、メンシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)だが、主導したのは資本家。革命の目的は資本主義体制の確立にあった。一気に社会主義を目指そうとしたボルシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)は幹部が亡命していたり、刑務所に入っていたことから事実上、参加していない。ウラジミール・レーニンはスイス、二月革命当時はまだメンシェビキのメンバーだったトロツキーはニューヨークにいた。

 この臨時革命政府は第1次世界大戦に賛成で、ドイツとの戦争を継続する意思を示していたのだが、ボルシェビキは即時停戦を訴えていた。そこで西と東、ふたつの方向から攻められていたドイツはレーニンたちボルシェビキの幹部をモスクワへ運んでいる。紆余曲折を経てボルシェビキは11月に実権を握った。これが「十月革命」だ。臨時革命政府の首相だったアレクサンドル・ケレンスキーは1918年にフランスへ亡命、40年にはアメリカへ渡っている。

 革命の象徴的な存在であるレーニンを1918年、エス・エルの活動家だったファニー・カプランが狙撃、重傷を負わせている。この暗殺未遂事件の真相は明らかにされていない。レーニンは1921年頃から健康が悪化して24年に死亡しているが、その死にも謎がある。

 トロツキーはヨシフ・スターリンとの抗争に敗れて1929年にソ連を離れ、40年にメキシコで暗殺された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803240000/


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c9

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
10. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:15:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1374]

スターリンは独立の悪党だった


信仰より現世を選ぶ神学生

  国家総力戦が起こった第20世紀には、それに相応しい梟雄(きょうゆう)が謀略を張り巡らしていた。その中でも、一、二を争う悪党と言えば毛沢東とスターリンである。一般的に、ユダヤ人や西歐人はヒトラーを巨悪の代名詞にするが、本当に兇悪なのはロシアの独裁者と支那の赤い皇帝だ。ユダヤ人の虐殺数から言えば、スターリンの方が遙かにヒトラーを上回るし、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた暴君の奸智は“超一流”としか言い様がない。戦争というのは政治「目的」を達成する為の「手段」であり、武力を使った「外政」の「延長」だから、最終的に戦争目的を達成した者が“勝者”である。大英帝国を没落させたチャーチル首相は、戦闘で勝ったとはいえ、外政上の「敗者」であるし、ソ連の東歐征服を助けたトルーマン大統領も「敗者」の側に片足を突っ込んでいるから、「勝者」とは言いづらい。翻って、毛沢東は日本軍対して劣勢だったけど、政治力学の秀才だったから、漁夫の利を得て「勝者」となった。この極悪人は単細胞の日本人を利用して蔣介石を追放し、宏大な支那大陸をまんまと手中に収めたんだから大したもんだ。一方、満座の席で笑われるのが我が国で、運搬方法も考えぬまま石油獲得のために東南アジアへと進出し、「大東亜解放」という妄想を叫んで米国と闘ってはみたものの、見事に惨敗。アジア諸国が独立できても、我が国は軍隊を失い、米国の属州になって未だに立ち直れない。深田祐介の解放論は「日本」を忘れているのだろう。 日本人は「自国の独立」を最優先にすべきだ。

Harry Truman 3Stalin 3winston churchill 3
(左: ハリー・トルーマン / 中央: ヨシフ・スターリン / 右: ウィンストン・チャーチル )

  第二次世界大戦で“最大の果実”をもぎ取ったスターリンは、毛並みの良い貴族でもなければ、名門大学出の御曹司でもなかった。後に「スターリン」と呼ばれるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリは、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町が故郷で、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。1879年と言えば、明治12年だから、スターリンは小説家の正宗白鳥や作曲家の瀧廉太郎、物理学者のアルバート・アインシュタインと同世代の人物となる。なるほど、同級生となるマルキストの河上肇はラッキーだろうが、大正天皇がお生まれになった年でもあるから、我々としては不愉快で気分が悪い。他人の命を平気で奪ったスターリンは結構しぶとく、1953年(昭和28年)に74歳で亡くなっているから、天の摂理は何とも不条理だ。大正天皇は1926年に崩御されたのに、この極悪人は吉田茂のバカヤロー解散くらいまで長生きしたんだから。


Stalin 6(左 / 青年時代のスターリン )
  スターリンと言えば泣く子も黙る大虐殺の達人であったが、少年時代はそれと全く異なり、周囲も認める優秀の神学生であった。世の中に尽くした偉人と同じく、悪党の経歴というのも意外性に満ちている。幼い頃、「ソソ」と呼ばれたスターリンは、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになったらしい。彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせたところ、ソソは優秀な成績で合格したという。しかも、月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得たというから、トップ・クラスに属する生徒であった事は間違いない。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年) 学級で一番の優等生になったソソは、記憶力が抜群に良かったというから、小さい頃からギャングの親玉になる素質があったのだろう。

  世界を揺るがす独裁者が、幼い頃とはいえ、教会で賛美歌を独唱していたなんて冗談みたいな話だが、冷酷な革命家で神学校出身の人物は珍しくない。例えば、フランス革命で指導的役割を果たしたマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien F. M. I. de Robespierre)は、オラトリオ修道会の神学校を経て、パリのルイ・ル・グラン学院に入ったし、権謀術数を駆使して警察長官にまで上り詰めたジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)も、オラトリオ修道会の神学校に通い、結構な知識を身につけた姦雄の一人であった。(このフーシェという革命家は煮ても焼いても食えない奴で、シュテファン・ツヴァイクの伝記に詳しいが、本当に狡賢い“クセ者”である。) 地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の俗世であった。ソソは旋毛(つむじ)に悪魔の刻印が出来る前に、民族意識が目覚めたようで、祖国解放の気概に満たこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えたそうだ。そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いていた。

Robespierre 2Joseph Fouche 2Karl Marx 1
(左: ロベスピエール / 中央: ジョセフ・フーシェ / 右: カール・マルクス )

  こうした野望に燃えた少年が退屈な聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示すのはロシア政府から禁じられていた書物であった。彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだそうで、バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通していたそうだ。こうして、禁書と革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いてくる。彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『ブルゾーラ(闘争)』という名前をつけると、その指導者になってしまった。メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだそうだ。

Kamenev 3(左 / カーメネフ)
  スターリンは神学生であったが、聖人が伝えた有り難い福音より、破壊分子の荒々しい雄叫びに興奮した。関根勤のギャグじゃないけど、「納得!」と言いたい。スターリンにとって、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えは、ナンセンスどころか愚の骨頂だ。それよりも、「憎い圧制者を容赦無く打倒せよ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」というスローガンの方が似合っている。社会主義と暴力革命に馳せ参じるスターリンは胸がときめき、「これが我が人生 !」と生き甲斐を感じていたんじゃないか。今では、東大の赤い学生でも「将来の職業は?」と訊かれて、「職業革命家です!」と答える馬鹿はいないけど、ロマノフ王朝時代のロシアでは、そこら辺に赤ヘルの卵がゴロゴロいた。敵をぶっ倒すことで生きて行けるなら、スターリンにとって格好の天国だ。「陰謀」と「暴力」は彼の十八番。破壊活動やストライキに参加して、官憲に追われる姿も結構「絵」になっている。ちなみに逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っていた。そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い。)

犯罪者に向いている革命家

  人には「向き不向き」というものがあるようで、チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位にまで昇ることができた。彼の才能は犯罪で開花する。例えば、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると悟っていた。しかし、あいにく党の金庫は空っぽで、印刷用の設備すら“無い”ときている。せっかく、グルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語のパンフレットを作成できるのに、それを刷ることができないなんて残念。だが、そんなことでヘコたれるコバではない。この策略家は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。ある日、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されるという事件が起きたそうだ。すると、「あら不思議 !」、コバのところに秘密印刷所が出来ました。(上掲書 p.28) さすが、スターリンは機転が利く。

Joseph Stalin 1(左 / 若い頃のスターリン )
  盗みが得意だったコバは、脱走の名人でもあった。官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアにある「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出することができた。人間の心理を察知するのが上手いコバは、クリスマス・イヴに脱走を図ったという。なぜなら、その神聖な夜であれば、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。確かに、ロシア人ならウォッカをがぶ飲みしてドンチャン騒ぎというのが目に浮かぶ。お祭りの日に真面目に働くロシア人なんて想像できない。今だって、サッカーやアイス・ホッケーの世界大会があれば、仕事をズル休みして会場に駆けつけるんじゃないか。それにしても、スターリンは強靱な体を持っていた。安全地帯のマカーロフ村まで20マイルもあるのに、極寒の中、気が遠くなるほどの道のりを歩いたんだから。しかも、途中には空腹を抱えた狼や熊までいたというから、いくら猟銃を所持していたとはいえ、随分と危険を冒したものである。スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったというから、悪人というのは本当に運が強い。

Leonid Krasin 2(左 / レオニード・クラーシン)
  ボリシェビキときたら威勢だけは良かったが、肝心の活動資金に困っていた。そこで、レーニンの腹心だったレオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案したそうだ。この「解決策」を実行するに当たり、白羽の矢が立ったのはコバ。というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いて故国へ派遣されることになった。大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に着目し、彼はこの点を突くことにしたという。待望の掠奪行為はある早朝に実行された。武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪したという。

  ところが、奪った金は危険過ぎて直ぐには使えなかった。なぜなら、掠奪したお札が全部、高額紙幣の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号の紙幣であったからだ。当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣なんて使ったら大変だ。コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかったという。

  コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。しかし、誰かの密告により捕まってしまう。この不運な男はロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られてしまうが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走できた。まったく、要領がいいというか、狡賢いというか、窮地に立たされても何とか抜け出してしまうんだから、スターリンは根っからの犯罪者である。巣鴨プリズンに収容されたA級戦犯は、みんな“しょげていた”というから、ちっとはスターリンを見倣うべきだ。ただし、服役者の中で岸信介だけが元気だった、というから長州出身の「元革新官僚」で、「昭和の妖怪」と呼ばれた豪傑は桁が違っていたのだろう。

  バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。大部分の指導者が警察に逮捕されていたし、党を運営する資金も底をついていた。でも、スターリンには心強い仲間がいた。といっても、強盗犯や前科者ばかりだったけど。お金が欲しいスターリンは、商店主や銀行家、実業者などりリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだそうだ。しかし、この「お願い」拒み、警察に訴える者がいると、「お礼参り」があったという。つまり、こんな「階級の敵」には容赦せぬとばかりに、ゴロツキどもが商店や邸宅を破壊したそうだ。それにもし、被害者がこの「仕返し」を警察に訴えようとすれば、「お前ばかりか、テメエの家族まで命をもらうことになるぞ」と脅したそうだから、何とも念が入っている。ロシア人やグルジア人の恐喝って、ヤクザの因縁よりも怖い。なんかエメリアエンコ・ヒョードルみたいな用心棒が出て来そうだもん。そう言えば、K-1チャンピオンのセーム・シュルトを破ったセルゲイ・ハリトーノフは驚愕を越えた恐ろしさを味わっていた。試合中、彼がシュルトの首に馬乗りとなり、その顔面に鉄槌を下したことがある。ハリトーノフの顔には、必殺仕掛人でさえ怯えるほどの狂気があった。案の定、シュルトの顔は鮮血まみれ。外人の格闘家さえ、そのドス黒く紫色に変わった顔面に驚き、ゾっとするような戦慄を覚えたくらいだ。ロシア人と比べたら、日本人の格闘家なんて温和な好青年である。

娼婦を搾取する共産主義者

  銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。今度は売春宿の経営だ。彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得したそうだ。やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡したそうだ。(上掲書 p.45) ところが、こうして売上げの一部を得ていたコバは、“ちゃっかり”と店の常連客になっていたというから、何とも図々しい野郎である。まぁ、後にローズヴェルトやチャーチルを騙すことになるんだから驚かないけど、“抜かりの無い”コバは、こっそりと上納金の一部をピンハネしていたそうだ。学校の先生は教えないけど、陰で“ほくそ笑む”スターリンって、とても「絵」になっている。

  仕事と趣味を両立してコバは満足だったが、この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。そりゃ、そうだ。建前でも、一応、革命家たちは「人間による人間の搾取」に反対していたのだ。それなのに、当の革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。(コバ自身はそんな矛盾をちっとも「悪い」とは思っておらず、娼婦の搾取など当然と考えていた。さすが、極道のスターリンは生きている次元が違う。) また、売春宿の運営実態は不透明で、帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。したがって、誠実なボルシェビキ党員がコバの遣り口を非難したのも当然だ。レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難したそうだ。綺麗事を好むインテリのレーニンは、自分でお金を稼がないくせに、スターリンが売春で仕送りしている事に文句を長けていたんだから、何となくスターリンの方が偉く思える。

  レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢したそうだ。なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。こうした改善を施してやったのだから、「いいじゃないか」というのがコバの主張である。こう聞くと、コバの言い分にも一理あると納得してしまうから不思議だ。まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。といっても、山口組の田岡組長とは違うぞ。ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとしたらしい。すると、「自分の関係無いことに首を突っ込むな !」と怒鳴られ、「お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅されたそうだ。それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかったという。

Lenin 2Trotsky 2Wilhelm II
(左: 若い頃のレーニン / 中央: トロツキー / 右: 皇帝ウィルヘルム2世)

  ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束したそうだ。コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたという。その代わり、彼は別の資金源を開拓した。街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたらしい。この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納したそうだ。でも、これって間接搾取じゃないのか? つまり、サラリーマンの源泉徴収みたいなものだ。企業の会計係が社員の給料から税金をピンハネし、この「抜き取った金」を税務署に上納する。税務署の役人は自らの手を汚さず、“きっちりと”年貢を集められるから楽なもんだ。

  スターリンはとんでもない悪党だけど、ある意味、レーニンやトロツキーなんかより凄い。なぜなら、お金に困れば“自力”で工面したからだ。口ばかりが達者な党の幹部連中は、活動資金を資本制国家の金融業者に求めた。レーニンたちが革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼ったことは有名だ。ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛け、ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい。) 本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。ヤコブ・シフから軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはない。たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしてはおおよそ満足だろう。ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品である。かくも現実は冷酷で厳しい。

Max Warburg 1Paul Warburg 1Jacob Schiff 1
(左: マックス・ウォーバーグ / 中央: ポール・ウォーバーグ / 右: ヤコブ・シフ )

  一般的に、インテリというのは口舌の徒で、演説は上手いが銭儲けに関しては素人だ。しかも、勇ましいことを述べても、いざ腕力で勝負となるや尻込みする。その点、スターリンは武闘派の革命家で、資金が無ければ強盗になるし、売春婦を使ってでも小銭を稼ごうとする。暗黒街で暮らしたスターリンにとっては殺人だって朝飯前だ。このような犯罪者は、実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができる。鮮血で濡れた手を見ても驚かず、帰って喜びを感じるのがスターリンみたいな男だ。この独裁者と比べたら、卑怯者の菅直人や、機動隊にボコボコにされた全共闘の学生、ソ連の赤軍を待ち望んだ野坂参三や宮本顕治なんか、母親の背後に隠れる稚児に等しい。日本の左翼には自分で自分の運命を切り開く気概が無いのだ。スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺するし、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥しようとする。自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にしてしまうんだから、ロシアの君主になる奴は只者じゃない。観念的な共産主義に憧れた近衛文麿は、本当に世間知らずの「お公家さん」だった。近衛家のお坊ちゃんには、人殺しや強盗など出来ないし、任せることさえ出来ない。『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネ役には、マーロン・ブランドーじゃなくて、ヨシフ・スターリンが適役だったのかもね。でも、アカデミー賞を授与するユダヤ人は複雑な気持ちだろうなぁ。  
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c10

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
11. 中川隆[-13529] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:16:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1375]


〜20世紀最大の殺戮者と言われた独裁者スターリンの狂気と悪夢〜


 20世紀は、戦争と革命の世紀だと言われている。国家の利害関係とイデオロギーが激しく火花を散らせてぶつかり合った世紀であった。事実、世界の各地で数えきれない革命や戦争が起き、多くの人間が犠牲となった。世界の半分以上を巻き込んだ二つの世界大戦は、何千万という人間の屍の山をいくつも築き上げ、計り知れない悲劇を生んだ。

 同時に、20世紀は、悪名高き独裁者が数多くあらわれた時代でもあった。しかし、ここに、異常なまでの人間不信と権力への飽くなき欲望を持ち、殺戮に明け暮れた独裁者がいた。彼の狡猾で冷酷非情な性格は、その後の世界史の行方を大きく左右し、その影響は今日も続いている。彼、スターリンこそは、ヒトラー以上の狂気を持ち、ヒトラーの悪業と比べても何ら見劣りしないばかりか、その殺戮した人間の数ではヒトラーをはるかに上回るのである。彼こそは、20世紀最大の狂気の殺戮者と言っていいだろう。

 ヨシフ・スターリン・・・彼の本名はヨシフ・ジュガシビリと言い、スターリンという名は、党の機関誌「プラウダ」の編集長をしていた時に考えたペンネームである。スターリンとは、鋼鉄の人という意味があり、考案者はレーニンだと言われる。ジュガシビリは、1879年12月21日、グルジア地方の貧しい靴直し職人の子供として生まれた。グルジアは、コーカサス南麓と黒海に挟まれた地域で、気候が温暖ながらも変化に富んだ地形は、現在でも風光明媚な名所として知られている。

 彼が生まれた家は、大変、狭く台所と小さな部屋が一つしかなかった。しかし、みすぼらしい窓から見える景色は絶景だった。

 コーカサスの雄大な景色が一望出来たのである。その上、春になれば、ラベンダーが山肌一面に咲き乱れ、印象派の絵画を見るようだった。そうした、美しい自然環境のもとで、彼は、三番目の男の子として出生した。

 上の二人の兄は、誕生して半年ほどで死んでしまっていた。それだけに、ジュガシビリが誕生した時は、母親は、特別な思いを持って育てられた。

グルジア地方の夏の景色(古い絵はがき)

 しかし、母親の期待に反して、彼は病気ばかりする虚弱児であった。しかも、彼は不具であった。少年時代に発病した天然痘により、左足の二つの指はくっついたままで、左腕もほとんど動かすことさえ出来ず、まるで義手をつけているようだった。顔にも無数の瘢痕があり、風采の上がらない小男であったという。

 母親は、将来、我が子を神学校に入れて神父にさせたかったが、十代後半から社会主義運動に異常な興味を持ったジュガシビリは、母親の期待に反して、革命家の道を歩み出してしまった。そして、様々な活動に参加しては、逮捕、流刑を何度も繰り返すことになる。

 やがて、神学校から見切りをつけられたジュガシビリは、退学処分とされてしまった。しかし、彼に取っては、その方が、むしろ、せいせいしたようで、もうその頃には、若干22才でありながら、彼は党の指導者的存在にまでなっていた。


20才頃のスターリン

 この頃、スターリンは初めてレーニンと会った。この時レーニンは30代半ば、彼は、一目見て若く精力的なスターリンを気に入り、革命運動の戦略家としての素質を見抜いていたという。その後、彼はレーニンらと強い結束のもと、ますます、革命推進の中心的メンバーとなっていくのである。

 1905年のロシア情勢は、余談の許さぬ状態だった。前年には、日露戦争が勃発し、一年半に渡る戦いの末、ロシアは疲弊してしまい、国内には不満が爆発、血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの反乱を引き起した。ロマノフ王朝の権威は地に堕ち、ついに第一次大戦の最中、ロシア革命を誘発するのである。


 その結果、ロマノフ王朝ニコライ2世は退位し、代わって、ボルシェビキ(ソ連共産党の前身)による新政府が樹立した。

 1924年、レーニンが脳梗塞で再起不能の状態になると、スターリンは、レーニンの後継者として名乗りを上げ、ついに、党の実権を把握し事実上の最高指導者の地位に躍り出ることになる。

血の日曜日事件、平和とパンを求めて、首都ペテログラード(後のレニングラード)の宮殿に押し掛けた民衆は、軍隊の発砲で多数の死者を出す流血事件に発展した。

 しかし、時が経つにつれて、彼は、急速に凶悪な独裁者の本性をさらけ出し始めた。対立者を巧妙で悪徳の限りを尽くした手段で倒していくのである。

 まず、最大のライバル、革命の功労者だったトロツキーを国外追放し、カーメネフ、ジノビエフなど自分と意見主張を異にする政敵たちを、除名処分にして党から追い出したのである。それが済むと、スターリンは、ゲ・ペ・ウと呼ばれる秘密警察を設立した。ボルシェビキ的規律と秩序を確立するのがその目的だったが、その実態は、権力を思いのままに操るために、彼の意にそぐわない人物を手足となって粛正してゆく組織だった。まもなく、独裁体制樹立と同時に、恐怖の鎌首をもたげ、計り知れない恐怖の原動力となって活動を開始するのだ。

 1929年、スターリンは、第一次五カ年計画の発動を命じた。農業国ロシアを工業国に変えるのがその目的であった。その要となる政策は、農民の強制集団化であった。すべての農民をコルホーズと呼ばれる集団農場に一括してまとめ、そこで収穫される穀物を国家がすべて徴発しようというのである。そこでは、農機具は共同で用いられ、一切の私有は禁じられるのである。こうした彼の強引なやり方は、これまで、着々と富と財を蓄えていたクラークと呼ばれた富農層から猛烈な反発を食った。彼らにしてみれば、これまでの財産をすべて失い、以後も財を貯めることも許されないからだ。

 しかし、スターリンは、農業集団化に従わない農民には、情け容赦のない弾圧を加えた。29年だけでも、1千万近い農民が、処刑されたり、シベリアなどに送られている。ある農民などは、見せしめのため、広場で自らの墓穴を掘らされた上、銃殺されたのである。しかし、これは、まだ序曲であった。血の粛清は、ますます本格化し、やがて凄惨なクライマックスに向かってゆくのである。まもなく、農民だけでなく、民族主義者、知識人など彼の体制に批判的な人間も、すべて、その対象になっていった。彼らは、「人民の敵」と名指しされ裁判にかけられた。否、それは、裁判とは名ばかりの大量処刑であった。容疑がかけられると、陰惨な拷問や薬によって強制的に自白させられ、即刻、銃殺刑かシベリアの強制収容所に送られるのである。時間のムダを省くために、トロイカ(三頭だての馬車を意味する)と呼ばれる機関が暗躍することになった。それは、被告も原告もいなくても、その場で判決が下せると言う簡易型の移動式裁判であった。多くの者は、一方的に死刑判決を言い渡されると、その場で、それこそ、10分以内に処刑されてしまった。全く、信じられないほどの素早さであったという。

「我々は、国家の福祉増進という高潔な目的のために、日夜努力せねばならない。国内の工業化を実現するためには、ある種の犠牲も覚悟せねばならず、国民は耐久生活に耐えねばならない」無論、これは体裁のよいスターリンの言葉である。しかし、その表向きと違って現実は、想像を絶っするほどひどく惨いものだった。

 日々の配給は、わずかパン数十グラム程度。これでは、大人一人生きていくことは、到底不可能だった。人々は餓死から逃れるためには、ありとあらゆる努力をしなければならなかった。路上には、パンを求める孤児の群れが溢れ返った。あるウクライナから帰って来た学生は、身の毛もよだつ話をした。彼らによると、飢饉のために、食べるものがなくなった地方では、人肉を食べていると言うのである。餓死したと思われた死体は、細かく切って解体され、商品のように売りさばける準備がなされていたということであった。当然、この二人は秘密警察に逮捕され、拷問の上、銃殺に処せられたのは言うまでもない。スターリンは、自らの考えをイメージダウンさせるものは、事実であろうが、すべて隠蔽し、片っ端から闇に葬っていたのだ。

 スターリンの女性関係は、かなり派手であったことが知られている。3度、結婚したが、その他にも、愛人、情婦など数えきれないほどいて、浮気は絶えることがなかったという。一度目の妻は、逃亡生活の隠れ家で知り合ったケケという女性だった。しかし、逃亡生活の無理がたたったのか、彼女は結核にかかり死んでしまった。

 二度目の結婚は、彼が40才の時で、相手は彼より22才も若いナジェージダという女性だった。しかし、結婚して14年後、彼女は、革命15周年記念の晩餐会の夜、謎の死を遂げてしまう。

 晩餐会が終わって二人の言い争う声を聞いたという証言もあるが、真相はわからない。死因にしても、夫スターリンに対する抗議の自殺だの、逆に、怒りを買ったスターリンに毒殺されただの言われるが、今となっては永遠に謎のままであろう。


結婚したての頃、ナジェージダと(1920年頃)


 三度目の妻はローザという女性で、スターリンよりも10センチほど背も高く、大変、利口で陽気な女性だった。彼女は、二番目の妻ナジェージダとの間に出来た二人の子供にも愛情を注ぎ、いつも優しく誠実だった。しかし、スターリンは、何が気に食わないのかローザとも離婚してしまった。その後、ドイツとの戦争中にもかかわらず、女優、バレーの踊り子、オペラ歌手、クレムリンのタイピストたちを次々と別荘に招いては、深夜の響宴に明け暮れる始末だった。

 私生活でも、彼は、大変な独裁者で、冷酷非情な面を、度々、見せている。彼は、美食家で、国民が飢餓に苦しんでいようとも、毎日、たらふく食べねば気がすまなかった。料理が気に入らないと言って、皿ごと床にぶちまけたこともあった。また、妻の寝室に情婦を連れ込んで来ることもあったし、酔うと粗暴な振る舞いが多かったという。愛人の浮気の現場を押さえた時など、ものすごい癇癪を起こして、何度も殴りつけた上、二人の髪の毛をわし掴みにして、裸のまま部屋から引きずり出し、監獄にぶちこんでやるとののしった。二人は、即刻、連行され、裏切り者として銃殺されてしまったという。また、スターリンは、女性の嫉妬という感情には耐えられない面があった。例え、献身的に尽くそうが、嫉妬ゆえに彼に疎ましく思われ、闇に葬られて消息を絶った女性はあまりにも多い。

 スターリンは、恐ろしいほどの強靭な記憶力の持ち主だった。彼の頭の中では、日々の細々した私的な事柄から、党や軍内部のあらゆることまでが最大漏らさず記憶し尽くされていたのだ。例えば、どこそこの将軍が、どこの生まれでどういう性格と遍歴を持ち、どういった成果をおさめたか? あるいは、ヘマをしでかしたかということなどがビッシリと整理されていたのである。また、霊感力もするどく、軍事や外交面では、機が熟したと見るや、すばやく行動を起こした。それはいつも抜け目なく、まるで、鳶が油揚げをかっさらうようなすばやさであった。

 第二次大戦戦争が始まり、ドイツ軍がポーランドを屈服させた時も、スターリンは、東からポーランドに侵入し、労せずしてこの国の半分を占領した。スターリンとヒトラーとの間には、秘密裏に血も凍るような悪魔の取引がなされていたのである。

 この時、連合国は我が身可愛さから、ポーランドが東西の独裁者によって、なぶり殺されていくのを手をこまねいていただけだった。どの国も自国の利益のみを考えていた。


 フランスは、マジノ要塞に閉じこもり、イギリスなどは何もしなかった。そして、ポーランドがヒトラーとスターリンに食い尽くされてゆくのをただ見守っていたのであった。しかも、狡猾なるスターリンは、世界中がヒトラーのこの派手なパフォーマンスに気を取られている隙に、どさくさに紛れてバルト3国を武力で併合してしまったのである。第二次大戦の終戦直前には、日ソ中立条約を破って、怒濤のように満州に南下、息も絶え絶えとなった日本から、強引に北方領土を奪い取ることもした。

 このように、領土拡張の野望を夢見るスターリンにとって、国際法を踏みにじることなど朝飯前のことだった。彼は、室内に大きな世界地図を飾っていて、領土が新しく増えていく度に、色を塗っていくのが何よりの楽しみであったという。そして、地図を見ながら、今度はここをやる、ここが欲しい、これは気に食わぬなどと言って党の幹部たちの前でよくつぶやいていたらしい。

 スターリンは、地上最高の権力者になることに、この上ないあこがれを抱いていた。そして、何か、ピラミッドのような巨大なモニュメントを後世に残すことが夢だった。彼は、中世ロシアの暴君イワン雷帝をこよなく愛し、自らをそのイメージにダブらせるのが好きだったようだ。確かに、彼の政権下で、何十万という人間が、殴られたり蹴られたりして強制労働に従事する様は、陰惨な中世ロシアの時代を彷彿とさせるものがあった。

 スターリンは矯正労働収容所と称して、シベリアなど、ロシア北西部に数えきれない収容所をつくっていた。その数、百カ所以上・・・彼は、囚人を矯正し魂を鍛え直す労働だと言い張っていたが、その実態は、恐怖の強制労働に他ならなかった。スターリンは、国家の工業化のために、大量のただ働きの奴隷労働者が欲しかっただけなのである。

 スターリンにとって、囚人はいくらでも代替のきく安価な消耗品でしかなかった。賃金など払う必要もなく、かろうじて生きられるだけの食料を与えておけばよかったのだ。過酷な重労働で囚人が、どれだけ凍死しようが餓死しようが、お構いなしなのであった。こうした国家建設のプロジェクトの担い手である労働力を大量に確保するために、彼は、抜け目なく、第58条という新しい条例をつくっていた。1926年に交付されたその条例によれば、政府の転覆、崩壊、もしくは革命的成果を崩壊、弱体化させる行為は、反革命的と見なされ祖国の裏切り者と見なされるというのである。

 しかし、人々の日常的行為で、この条例に引っかからないものなどあり得なかった。要するに、どうにでもデッチ上げることが可能だったのである。全く意味もない行為が、ねじ曲げられて解釈され、その挙句に祖国の裏切り者というレッテルを張られて自由をはく奪されることが往々にしてあった。かくして、数百万の無実の人間が、囚人呼ばわりされ、全財産を国家に没収された上、処刑されるか、過酷な重労働を強制されることになった。この条例の目的は、罪のない人々を囚人にでっち上げ、スターリン体制を維持するための奴隷を合法的につくり出すことなのであった。裏切り者のレッテルを張られた者には、銃殺刑か荒涼としたシベリアへの流刑が待っていた。

 シベリアに送られた囚人たちを待っていたのは、金鉱の採掘、運河や鉄橋の建設などの過酷な強制労働であった。その労働は、想像を絶するほどひどいもので、一日に16時間以上の重労働が課せられるのである。真冬ともなると、あらゆる物が凍りつき、気温は零下60度にも下がる。当然、多くの囚人が凍傷にかかった。医者が、まるで植木職人のような手さばきで、凍傷にかかった囚人の手足をパチンパチンとハサミで切り落としていった。激しい飢餓に耐えきれずに、死体置き場から死人の肉を切り取って食べた者も少なくない。

 何をするにも『ダバイ!(動け!)』の罵声が飛び、反抗的な態度を取ると、それこそ目の玉が飛び出るほど殴られた。囚人たちは、体力を消耗して、みるみるうちに痩せおとり死んでいった。死んでコチコチに変わり果てて凍った死体は、次々に運搬用のそりに投げ込まれて片付けられていくが、その時、まるで木と木がぶつかり合うような音がしたという。ものすごい寒さと重労働による疲労、飢えのために、ほぼ全員が一冬で死に絶え消滅した。夏になると、再び、新しい囚人の群れが送られてくるが、彼らも冬になると同じ運命をたどるのである。毎年、補充のために、数十万単位の囚人が薄暗い船倉や列車に閉じ込められてピストン輸送されるが、決して囚人数が増えることはなかったという。こうして、死に絶えては補充されるという死のサイクルは休むことなく繰り返されるのである。

 スターリンは、金に異常な執念を見せた独裁者でもあった。全く、それは凄まじいばかりのものであった。彼は、ことあるごとに、金の備蓄量を増やさねばならないと口にし続けていた。そうして金を国家戦略の最重要資源に位置づけし、支配国の共産党へ金の提供を義務づけたのである。そうして、金を採掘するために、数百万の囚人が集められ、牛馬のごとくこき使われたのである。

 かくして、50年代の初めには、国家が保有する貴金属は、金2千トン、銀3千2百トン、プラチナ30トンという莫大な量にまで跳ね上がったのであった。しかし、それらを採掘するために強制労働に従事した数百万の人々は、とうにシベリアの凍土と化していた。白海・バルト海運河が開通した時など、スターリンは、蒸気船「カール・マルクス」号で完成したばかりの白海からオネガ湖までの227キロを快適な船旅としゃれこむ計画を立てた。その際、多くの役人や作家連中も招待された。彼は、第一次五カ年計画の中心事業であった白海・バルト海運河をわずか2年で開通させた偉業を世界に誇示したかったのである。招待された百名以上の作家たちは、超一流ホテルでチョウザメや高級食材、各種ハム類、ウォッカ、シャンパンなどふんだんに振る舞われた後、スターリンと優雅な運河の船旅を体験したのである。皮肉にも、その時、ウクライナでは有無を言わさぬ食料調達によって数えきれない農民が飢餓に苦しみ、その挙句に埋められた死体を掘り起こし、人食いまで行われていたにもかかわらずである。

 彼らは、その後、「スターリン記念」と称する本を書き、その中で、彼の数々の偉業を美辞麗句を並び立てて絶賛し、囚人たちがいかに再教育されて鍛え直され、国家に貢献し得たかを賛美したのであった。しかし、実際は、工事期限を死守するために、運河はかなり浅く掘られ、役には立たない代物だったという。また、運河開通の担い手、30万の労働者の内、10万人がボロクズのようになって死に絶え、運河の土となったことなど一行も書かれることはなかった。

 スターリンは、後にこう述べている「反抗心のない無力な労働者を育成するには、密告を奨励し、給食を飢餓すれすれにして、ちょっぴり食い物を増やしてやると彼らにたきつけることだ。そうすれば、労働力を最大限に引き出せる。彼らの苦情など一切無視すればよい。そうすれば、人間の個性や主張など簡単に打ち砕くことが出来るのだ」これほど、人間の尊厳を侮辱し冒涜した言葉もないだろう。しかし、この方法は、後になって、ヒトラーやムソリー二など西側の悪名高き独裁者たちも、見習って借用したということである。

 第一次五カ年計画が終わる頃、農民の強制集団化で富農層をほぼ撲滅した彼は、さらなる粛清をもくろんでいた。スターリン独裁の陰では、トロツキー、カーメネフ、ジノビエフと言った反対勢力がまだ幅をきかせていたし、党の幹部の中には、粗暴なスターリンを嫌って排除しようという動きもあった。ここでスターリンは再び狡猾な手段に出る。かつて、党から、追放したはずのカーメネフ、ジノビエフらを再び党員に迎え、要職につけたのである。これは、どういうことなのか? こうしたスターリンの心境の変化を西側のメディアは、「ロシアの赤がピンクになった」などという表現を使って「雪解け現象来る?」と大見出しで報道した。

 しかし、これは、さらなる大嵐が来る前の凪(なぎ)のようなものだった。スターリンは、何かとてつもないことをしでかす前には、必ずと言っていいほど、相手を油断させるためのフェイントを演出したからである。事実、スターリンの胸の内は、これから行われる大粛清のための構図が出来上がっていた。これまでに彼に楯ついた者、恥を掻かせた者、気に入らぬ者などが、彼の強靭な記憶力の中にインプットされ続けていた。そして、それらは、膨大なリストに細かく区分けされて、逮捕、拷問、処刑の瞬間を待ちわびていたのである。後は、スターリン自身が、合図を送るだけであった。

 キーロフの暗殺が大粛清のきっかけとなった。キーロフは、共産党の中央委員でもあり、人気があった。実際、スターリンの後継者と見なす党員がほとんどだった。

 スターリンは、表向きは、キーロフを同志として信頼しているように振る舞っていたが、本心は、彼の存在が我慢ならなかった。

 結局、キーロフの暗殺は、カーメネフ、ジノビエフらの犯行ということになり、彼らは、即刻、銃殺刑にされた。しかし、これは、とんでもないでっち上げで、キーロフの暗殺を仕組んだのは、スターリンの仕業に他ならない。


セルゲイ・キーロフ

(1886〜1934)スターリンを上回る人気があり、嫉妬したスターリンによって暗殺されたと言われる。


 こうして、彼は、次期に自分のポストを奪いかねないキーロフを暗殺し、その罪をかつての政敵、カーメネフとジノビエフらに擦りつけ、一挙に両方とも片付けることに成功したのである。後は、さらなる大粛清を行い、自らの独裁を揺るぎないものにしてゆくことであった。

 粛清の死の嵐は、たちまちソ連全土に波及していき、37年には空前絶後の規模で行われた。「古い細胞を除去し、党は一新されねばならない」・・・スターリンは、大虐殺をこのように弁明し粛清の論理を正当化した。そのために、彼は密告を奨励した。自分の陰口をたたく者、不満を持つ者、体制に批判的な者を密告によって嗅ぎ分け、ことごとく粛清するのである。

 身に覚えのない密告が盛んに行われ、数えきれない人間が深夜に連行され銃殺された。いたいげな子供が親を密告したケースも少なくない。まだ善悪の判断すらつかぬ子供が、多くの人々の前で表彰を受け無邪気に喜ぶ場面もあった。一方、実の子に密告された親は、強制収容所に送られ悲惨な死を遂げたのである。

 夜がふけると、人々は、身を寄せ合って、夜が明けるのを息を殺して待つよりなかった。こうしている間にも、自分に恨みを持った人間が、復讐のため、あることないことを告げ口し、処刑隊が向かっているかもしれないのである。もう、誰も信用出来なかった。人々は疑心暗鬼に脅え、毎夜、恐怖に震えおののいた。それは、まるで、中世の魔女狩りそっくりであった。いつ何時、死神がドアをノックするかわからず、おちおち眠ることも出来なかった。死刑執行人、すなわち、秘密警察が現れるのは、決まって深夜か早朝だったからである。

 この年だけで何百万人も連行され、約半数が処刑されたと言われている。大戦前の5年間だけでも、2千万人近い人間が逮捕され、銃殺もしくは強制収容所送りにされているのである。大粛清は党や軍などあらゆる分野に及んだ。軍に至っては、将校の8割が処刑されたと言われている。そして、ついには粛清を執行した本人たちにも矛先が向けられていった。スターリン政権下30年間で換算すると、ロシアだけで実に4千万を下らない人間が連行され有罪判決を受けたことになる。ソ連全土ともなると、その数はもっと膨らみ、もはや推定する以外にはない。当局によって有罪判決を受けた者たちは、その半数以上が虫けらのように処刑されるか流刑先で悲惨な死を迎えたのである。しかし、悲劇はこれが、すべてではない・・・4年間に渡る独ソ戦の死傷者2千5百万人がその上に加わるからである。

 さらに、大戦中も、ソ連占領下の各地で、粛清の嵐は容赦なく吹き荒れた。ソ連領内の北カフカスでは、ある山岳民族が強制移住の名目で大虐殺の憂き目にあっている。この山岳民族は、戦前から、自分たちの伝統文化を頑に守り、スターリンの農業集団化に協力しようとしなかったのだ。2月の大雪が降り続く深夜、突如、10万の軍隊で村々を包囲した当局は、着の身着のままで、住民を叩き起こし、駅で待っていた家畜輸送用の貨車に詰め込んだのである。その際、老人、妊婦、子供は足手まといになるため、射殺されるか、崖から突き落としたのであった。貨車に乗り遅れたある老夫婦と幼い孫はその場で射殺された。人々は貨車から5メートルも離れると、問答無用で射殺されたという。

 また、期限内に計画達成困難と見た当局が、スターリンの怒りを買うのを恐れ、残った村の数百人の住民を納屋に閉じ込め、火を放ったこともあった。苦しみ抜いて煙にいぶし出され、はい出して来たところを一人一人狙い撃ちして皆殺しにしてしまったという。グルジアに住んでいたある少数民族などは、こうして地上から永遠に抹殺されてしまった。

 スターリンの狂気は、敵対する民族のみならず、捕虜や自軍にも向けられ、止まることを知らなかった。戦時中、スモレンスク郊外のカチンの森の中で、数千人のポーランド将校が虐殺されて埋められているのが発見された。


 遺体はどれも、おがくずを口に詰め込まれて、銃剣で刺し殺されるか、後頭部を銃で撃たれるというひどいものであった。このような惨い虐殺現場は、その後、次々と発見されていくのである。

 また、スターリンは、捕虜は祖国の裏切り者とみなして、その家族はことごとく逮捕させていた。戦場を少しでも離れる者があれば、即刻、銃殺されるか戦車で引き潰したという。将兵を、生きたまま地雷を踏ませるために行進させることもあった。

カチンの森の虐殺現場

 かくして、スターリングラードの攻防戦だけでも、1万4千名のソ連兵が自軍に殺されたのである。つまり、一つの師団丸ごとが味方の手によって抹殺された計算となるのだ。こうした死者数まで漏れなく加算していくと、あまりに現実離れした数字となり計量することは、もはや不可能となる。

 彼の犯した罪が、いかに巨大なものか、自ずからわかると言うものだ。恐怖の戦慄の果てに、全身総毛立つ思いがして来るのも当然であろう。

この遺体は後ろ手で縛られた上、絞め殺されていた

 このような犠牲者の累積は、1953年、スターリンが死ぬ瞬間まで、急上昇を描くようにカウントされつづけたのである。この年、スターリンの突然の死によって、ようやく長引いていた朝鮮戦争も終結に向かっていった。彼は、晩年、殺されるのではないかという強迫観念に取り付かれていた。何をするにも異常に疑い深くなり、食べ物はすべて毒味をさせ、自分が招いた客でさえも、深夜、こっそり入って来て、寝ているのを確認する始末だった。元々、若い頃から何事にも疑り深かったスターリンは、今では病的で、誰も信じられる者もなく、医者でさえ自分のそばに決して近寄らせなかった。そして、長寿の薬だと称して訳のわからぬ薬を飲んだり、ヨードを垂らした怪しげな水を飲んでいたという。

 独裁者の最期は、あっけないものだった。脳内出血を起こした彼は、パジャマ姿で食堂で転倒し、ほとんど、意志朦朧としたままで息を引き取ったのであった。ラジオは荘重な音楽を鳴らし、国民に4日間、喪に服することを伝えた。享年74才だったと言われる。

 スターリンが死んでもう半世紀にもなる。嘘やでっち上げで固められた政治体制、共産主義の腐敗と害毒、粛清の恐怖など・・・国民は、過去を払拭し忘れたいと思った。しかし、スターリンの残した負の遺産は、あまりにも強烈で、人々の心の奥深くに刻まれて今も存続し続けている。新生ロシアになっても、その悪影響は国家の負の遺伝子として溶け込み、断ち切ることは出来ないようだ。これほどまでに多くの人間を殺しまくり、死しても、その影響力は、依然、弱まりを見せてはいない。
 歴史上、これまでには、残虐な独裁者は数多く登場した。皇帝ネロ、カリグラ、チンギスカン、ポルポト、フセイン・・・しかし、彼、スターリンに比べると、いかなる殺戮者もちっぽけで色あせて見えるようだ。あのユダヤ人大虐殺で有名なヒトラーでさえも・・・

   旧ソ連から独立したラトビア共和国内のある歴史博物館には共産主義の墓と称するものがある。その墓碑銘には、「共産主義死す。1945ー1991年」という文字が彫られているという。
 
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_f.html


スターリンの、異常な人格については、さまざまに伝えられている。まず彼には、複雑な生い立ちから培われた「憎悪の心」が強かった。彼は田舎の、極貧の靴屋の息子として生まれたが、家庭には安らぎも楽しさも、まったくなかった。 

 父親は、短気で粗暴な男であった。スターリンは、父のひどい暴力に、いつも怯えていなければならなかった。幼い日の彼は、常に体のどこかが打ち身のあとで腫れていた。父の暴力がもとで、身体に障害も残ってしまった。彼は幼年にして、「憎む」ということを覚えた。環境を憎み、父親を憎み、すべての人間を憎むようになった。また、学校に入ると、友人たちが皆、自分より経済的に恵まれている、と悩んだ。自らの“生まれ”に対する劣等感は、他人への妬みとなって表れた。人が苦しむのを見て喜び、少しでも気に入らないと徹底的に暴力を振るった。彼にとって、人の不幸は“善”であり、人の幸福は“悪”であった。あわれにも、そのような見方が、染みついてしまったといわれる。自らの“育ち”に異常なまでの嫌悪を抱いていたせいであろうか。彼は、のちに権力を握ると、自分の幼少のころを知る人々を、次々に処刑している。人は自分の環境を克服して立派な人間になることもできる。しかし、彼は、環境に負けてしまったのである。
  
 また彼は、「自分さえよければいい」という卑怯な人間であった。彼の行動の基準は、“自分のため”という一点にしがなかった。自分がより大きな権力を得るためには、あらゆる人を利用し、多くの人々を平気で犠牲にした。若いころから革命運動に身を投じたが、常に「前進せよ、恐れるな」と、かけ声をかけるだけで、自分は決して危険な所へは現れなかった。事態が危うくなると、同志を見殺しにして、すかさず身を隠すのであった。三百人のデモ行進を指揮していたとき、リーダーの彼以外は全員、逮捕され、本人だけ逃走したということもあった。また、「進め!」という彼の号令で突撃した同志の多くが銃殺されたときも、彼はかすり傷ひとつ負わなかった。この卑劣な生き方は、生涯、変わることがなかった。 
  
 さてスターリンは、自分よりも優れ、恵まれている人に対しては、悪魔的ともいえる「嫉妬心」を抱いた。他人が勲章をもらうのを見れば、自分もそれを手にしなければ気がすまなかった。とにかく自分が一番にならなければ、おさまらないという性格であった。同時代のロシアの政治家であるブハーリン(のちにスターリンによって処刑された)は、こう語っている。

[スターリンは誰か他の人がもっているものは、自分も持たないと生きて行けないのだ」

(ロバート・コンクエスト著、片山さとし訳、三一書房刊、「スターリンの恐怖政治』上)と ― 。

  
 またスターリンは、極端な[幼児性」の持ち主であった。大変に“気まぐれ”で、ひとたび感情を害すると、すねて、数日間も会議に臨席しないことがよくあった。自分の思い通りにならないことに対しては、すぐさま“怒り”と“恨み”を抱いた。それゆえ彼は、他人と「対話」することができなかった。「納得」させるのではなく、自分の考えに反対する者には、すべて残忍な「暴力」を行使したのである。
  
 スターリンが競争相手を失脚させる常套手段は、「ウソ」を言いふらすことであった。巧みにウソをつき、「あいつは反レーニン主義者だ」などとレッテルを張り付け、攻撃したのである。また、自分を守り、飾り立てるためにも、多くのウソを作り出した。師ともいうべき立場のレーニンが死んだ時のことである。彼は、「スターリンは後継者として、ふさわしくない」としたレーニンの遺言をにぎりつぶした。その一方、レーニンと自分が仲良く並んで座っている写典を、新開やポスターなど、いたるところに掲げさせた。自分がレーニンの「正統の後継ぎ」であるかのような印象を、与えようとしたのである。しかも、その写真は、合成や修正を加えて作った偽物であったという。

自分の欲望のために、“師匠”をも利用したのである。多くの人が「おかしい」と思ったが、全部、封殺されてしまった。皆は知らないだろう、とウソをつく。事実をねじまげ、さも本当らしく、言いつくろう。だが、その場は、うまくごまかしたつもりでいても、真実は隠せない。隠せたところで、ウソはウソである。なかんずく仏法の世界においては、ウソは必ず、いつか自分への刃となって返ってくる。 

 スターリンは、民衆に対して、レーニンの死を深く悲しんでいるかのように見せかけた。しかし、実際は狂喜していた。彼の執務室に勤めていた職員は、「レーニンの死後の数日ほど、彼が幸せそうに見えたことはなかった」と語っている。彼は、権力の「座」にのぼりつめても、ウソをつき続けた。「スターリンは、レーニンの仕事の立派な後継者である」「スターリンは今日のレーニンである」と自ら宣伝した。自分に都合のいいように、歴史さえも「改ざん」していった。

  
 権力を手にしたスターリンは、自分の言うことは、すべて真実であるとした。あたかも神のごとく振る舞い、国民に「絶対的服従」を強いた。自分の思い通りになる人間しか認めず、人々の自由をうば奪い取ることで、絶対者として君臨したのである。思想統制にも力を入れた。出版物も厳しく制限。情報や表現の仕方まで、徹底して取り締まった。権力欲を満たすために、作家も利用した。自分の思いのままになる人間を作るために自分を礼賛する作品を書かせた。反対に、「絶対服従」しない者には、作品の出版を禁じ、すでに出版されていた作品も葬り去った。 
  
 スターリンは、人々の心から「安心」を取り除き、「恐怖」を植え付けることによって国民を支配した。秋谷会長が、現宗門を「恐怖政治」と呼んでいたが、まったく共通している。安心は信頼と自信を生み、人々を結び付ける。しかし恐怖は、疑いを生み、人々の間に「壁」を作る。圧政者に抵抗して結束することができなくなってしまう。彼は、そうした恐怖を与えるために、「密告制」を用いた。政府が一般市民の中から密告者を選ぶのである。町のいたるところに密告者がいた。家族や親友でさえ、密告者かもしれなかった。五人集まれば、そのうち一人は密告者だと言われるほどであった。そのうえ密告者は、告発された被害者の財産を分けてもらえた。だから、ますます密告に拍車がかかった。隣人の部屋や、同僚の仕事が欲しいと思えば、それが事実であろうとなかろうと、その人を、ただ告発しさえずればよかった。「だれも信じられない」世界は人々の欲望、嫉妬、憎悪をかきたてることで支配する。人間の最も醜い面を引き出す、やり方である。まさに、「魔性」であった。市民は、自分の身の安全と利益を守るために、心を閉ざすようになった。また、互いに敵意を抱き合い、公然と非難しあうようになっていった。
  
 当時の、さまざまなエピソードが残されている。裏側のページにスターリンの写真が載っていることに気づかず、新聞を空気銃で撃ち抜いた男性は、密告により懲役十年の刑に。また、ある集会で、スターリンの名が出ると、人々は一斉に拍手を始めた。三分、五分……拍手は、いっこうに鳴りやまない。やがて十分が過ぎた。一人が拍手をやめて席についた。その人は、翌日、逮捕された ― 。まさに「恐怖の世界」であった。 
  
 絶対者として振る舞う陰で、実はスターリンは驚くほど「臆病者」であった。常に暗殺の恐怖にとりつかれ、いかなる人間 ― 家族さえも信用することができなかった。例えば、何千人という護衛兵がいただけでなく、その一人一人に対しても、幾度も取り調べを行っていた。食事は、必ず検査室で調べさせ、そのうえで毒味をさせた。どんな時も、防弾チョッキを離さず、移動は、いつも装甲車で。屋敷の警備は、最も警戒が厳しい刑務所よりも厳重で、多くの錠や門、警備員、番犬などで守られていた。庭には地雷まで埋められていたという。しかも家の中は、暗殺者をまどわすために、同じ家具を備えつけた寝室をいくつも作り、毎晩、違う部屋で寝ていた ― 。
  
 スターリンは「自分を取り巻く、すべての人間が敵である」という妄想に、とりつかれていた。それは精神病の域にまで達していたといわれる。たった「一人」の狂気が、歴史に類を見ない大量の粛消をもたらしたのである。「狂った独裁者」を放置していてはならない。現代の“魂の大量虐殺者”も、断じて追放せねばならない。
  
 スターリンは、多ぐの無実の人々を捕らえては、拷問で“自白”させ、次々と処刑していった。彼は、こう語っていたといわれる。人の死は悲しいことであるが、それが百万人の死となると、単なる統計にすぎない」(アルバート・マリン著、駐文館訳刊、『スターリン』)  

 「自分の犠牲者を選び、自分の計画を詳しく練り、執念深く復讐をやって、それからベッドに入る……世の中にこれほど楽しいことはない」(前出、『スターリンの恐怖政治』上)と。 

 彼は、やがて、長年、自分に忠誠を尽くしてきた腹心の部下をも殺していった。だが、どんなことをしょうと、本当の安らぎを得ることは、決してなかった。最期は恐ろしい形相で、もだえ死んだという。
  
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/suta-rin.htm

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c11

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
12. 中川隆[-13528] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1376]
レーニンの実像  

ロシアではグラスノスチによって、神聖不可侵だったレーニンの実像を知る手がかりが次第に明らかにされつつある。共産党中央委員会が管理していたマルクス・レーニン主義研究所所属の古文書館に「秘密」のスタンプが押された3724点におよぶレーニン関連の未公開資料が保存されていたことも判明し、民主派の歴史学者の手によってその公開が進みつつある。

 これらの資料のうちの一部は、ソ連崩壊以前からグラスノスチ政策によって公開されていた。そのうちのひとつが、私が月刊『現代』91年10月号誌上で全文を公表した、1922年3月19日付のレーニンの秘密指令書である。改めてここでその内容を紹介しておこう(翻訳全文は拙著『あらかじめ裏切られた革命』に所収)。


 22年当時、ロシアは革命とそれに続く内戦のために、国中が荒廃し、未曾有の大飢饉に見舞われていた。そんな時期に、イワノヴォ州のシューヤという町で、ボリシェヴィキが協会財産を没収しようとしたところ、聖職者が信徒の農民たちが抵抗するという「事件」が起きた。報告を受けたレーニンは、共産党の独裁を確立する最大の障害の一つだった協会を弾圧する「口実ができた」と喜び、協会財産を力ずくで奪い、見せしめのための処刑を行い、徹底的な弾圧を加えよと厳命を下したのである。以下、その命令書の一部を抜粋する。


<我々にとって願ってもない好都合の、しかも唯一のチャンスで、九分九厘、敵を粉砕し、先ゆき数十年にわたって地盤を確保することができます。まさに今、飢えた地方では人をくい、道路には数千でなければ数百もの死体がころがっているこの時こそ、協会財産をいかなる抵抗にもひるむことなく、力ずくで、容赦なく没収できる(それ故、しなければならないのです>


<これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない>


おぞましい表現に満ちたこの秘密書簡は、『ソ連共産党中央委員会会報』誌90年4月号に掲載され、一般に公開された。党中央委ですら、90年の時点で、レーニンが直接命じた残忍なテロルの事実の一端を、公式に認める判断を下したわけである。

 アナトリー・ラトゥイシェフという歴史家がいる。未公開のレーニン資料の発掘に携わっている数少ない人物で、同じくレーニン研究に携わっていた軍事史家のヴォルコゴーノフが、95年12月に他界してからは、この分野の第一人者と目されており、研究成果をまとめた『秘密解除されたレーニン』(未邦訳)という著書を96年に上梓したばかりだ。モスクワ在住の友人を通じて、彼にあてて二度にわたって質問を送ったところ、氏から詳細な回答を得るとともに、氏の好意で著書と過去に発表した論文や新聞インタビュー等の資料をいただいた。以下、それらのデータにもとづいて、レーニンの実像の一端に迫ってみる(「 」内は氏の手紙および著書・論文からの引用であり、< >内はレーニン自身の書いた文章から直接の引用である。翻訳は内山紀子、鈴木明、中神美砂、吉野武昭各氏による)。

まずは、ラトゥイシェフからの手紙の一節を紹介しよう。


「残酷さは、レーニンの最も本質をなすものでした。レーニンはことあるごとに感傷とか哀れみといった感情を憎み、攻撃し続けてきましたが、私自身は、彼には哀れみや同情といった感情を感受する器官がそもそも欠けていたのではないか、とすら思っています。残酷さという点ではレーニンは、ヒトラーやスターリンよりもひどい」


「レーニンはヒトラーよりも残酷だった」という主張の根拠として、ラトゥイシェフはまず、彼自身が古文書館で「発掘」し、はじめて公表した、1919年10月22日付のトロツキーあての命令書をあげる。

<もし総攻撃が始まったら、さらに2万人のペテルブルグの労働者に加えて、1万人のブルジョワたちを動員することはできないだろうか。そして彼らの後ろに機関銃を置いて、数百人を射殺して、ユデニッチに本格的な大打撃を与えることは実現できないだろうか>

 ユデニッチとは、白軍の将軍の一人である。白軍との内戦において、「ブルジョワ」市民を「人間の盾」として用いよと、レーニンは赤軍の指導者だったトロツキーに命じているのである。

「ヒトラーは、対ソ戦の際にソ連軍の捕虜を自軍の前に立たせて『生きた人間の盾』として用いました」と、ラトゥイシェフ氏は私宛ての手紙に書いている。

「しかし、ヒトラーですら『背後から機関銃で撃ちながら突進せよ』などとは命令しなかったし、もちろん、自国民を『盾』に使うことはなかった。レーニンは自国民を『人間の盾』に使い、背後から撃つように命じている。ヒトラーもやらなかったことをレーニンがやったというのはこういうことです。しかも、『人間の盾』に用いられ、背後から撃たれる運命となった人たちは犯罪者ではない。あて彼らの『罪』を探すとすれば、それはただひとつ、プロレタリア階級の出身ではなかったということだけです。しかし、そういう人々の生命を虫ケラほどにも思わず、殺すことを命じたレーニン自身は、世襲貴族の息子だったのです」


レーニンが「敵」とみなしていたのは、「ブルジョワ階級」だけではない。聖職者も信徒も、彼にとっては憎むべき「敵」だった。従来の党公認のレーニン伝には、革命から2年後の冬、燃料となる薪を貨車へ積み込む作業が滞っていることにレーニンが腹を立て、部下を叱咤するために書いた手紙が掲載されてきた。


<「ニコライ」に妥協するのは馬鹿げたことだ。――ただちに緊急措置を要する。

 一、出荷量を増やすこと。

 二、復活祭と新年の祝いのために仕事を休むことを防ぐこと。>


「ニコライ」とは、12月19日の「聖ニコライの祭日」のことである。この日、敬虔(けいけん)なロシア正教徒は――ということは当時のロシア国民の大半は――長年の習慣に従って、仕事を休み、祈りを捧げるために教会へ足を運んだに違いない。レーニンはこの日、労働者が仕事を休んだのはけしからんと述べているわけだが、そのために要請した緊急措置は、この文書を読むかぎりとりたてて過激なものではないように思える。しかし実は、この手紙は公開に際して改竄(かいざん)が施されていた。古文書館に保存されていた、19年12月25日付書簡の原文には、先のテクストの「――」部分に以下の一文が入っていたのである。


<チェーカー(反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会=KGBの前身の機関)をすべて動員し、「ニコライ」で仕事に出なかったものは銃殺すべきだ>

 レーニンの要請した「緊急措置」とは、秘密警察を動員しての、問答無用の銃殺だったのだ――。


 この短い書簡の封印を解き、最初に公表したのは、今は亡きヴォルコゴーノフで、彼の最後の著書『七人の指導者』(未邦訳)に収められている。ラトゥイシェフは、私宛ての手紙で『七人の指導者』のどのページにこの書簡が出ているか示すとともに、こういうコメントを寄せてきている。


「この薪の積み込み作業に動員されたのは、帝政時代の元将校や芸術家、インテリ、実業家などの『ブルジョワ』層でした。財産を奪われた彼らは、着のみ着のままで、この苦役に強制的に従事させられていたのです。彼らにとって『聖ニコライの日』は、つかの間の安息日だったことでしょう。レーニンは無慈悲にも、わずかな安息を求め、伝統の習慣に従っただけの不幸な人々を『聖ニコライの日』から一週間もたってから、その日に休んだのは犯罪であるなどと事後的に言い出し、銃殺に処すように命じたのです」


内部に胚胎していた冷血


 ひょっとすると、このような事実を前にしてもなお、以下のような反論を試みようとする人々が現れるかもしれない。


――レーニンはたしかに「敵」に対しては、容赦なく、残酷な手段を用いて戦ったかもしれない。しかしそれは革命直後の、白軍との内戦時の話だ。戦争という非常時においては、誰でも多かれ少なかれ、残酷になりうる。歴史の進歩のための戦いに勝ち抜くにはこうした手段もやむをえなかったのだ――。

 いかにも最もらしく思える言い分だが、これも事実と異なる。レーニンの残酷さや冷血ぶりは、内戦時のみ発揮されたわけではない。そうした思想(あるいは生理)は、ウラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフが「レーニン」と名乗るはるか以前から、彼の内部に胚胎していたのだ。

 話は血なまぐさい内戦の時代から約30年ほど昔に遡る。1891年、レーニンが21歳を迎えたその年、沿ヴォルガ地方は大規模な飢饉に見舞われた。このとき、地元のインテリ層の間で、飢餓に苦しむ人々に対して社会的援助を行おうとする動きがわきあがったが、その中でただ一人、反対する若者がいた。ウラジーミル・ウリヤーノフである。以下、『秘密解除されたレーニン』から引用する。


「『レーニンの青年時代』と題する、A・ペリャコフの著書を見てみよう(中略)それによれば、彼(レーニン)はこう発言していたのだ。


『あえて公言しよう。飢餓によって産業プロレタリアートが、このブルジョワ体制の墓掘人が、生まれるのであって、これは進歩的な現象である。なぜならそれは工業の発展を促進し、資本主義を通じて我々を最終目的、社会主義に導くからである――飢えは農民経済を破壊し、同時にツァーのみならず神への信仰をも打ち砕くであろう。そして時を経るにしたがってもちろん、農民達を革命への道へと押しやるのだ――』」


 ここの農民の苦しみなど一顧だにせず、革命という目的のためにそれを利用しようとするレーニンの姿勢は、すでに21歳のときには確固たるものとなっていたのだ。

 また、レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中で自ら「ジャコバン派」と開き直り、党内の反対派を「日和見主義的なジロンド派」とののしっているが、実際に血のギロチンのジャコバン主義的暴力を、17年の革命に先んじて、1905年の蜂起の時点で実行に移している。再び『秘密解除されたレーニン』から一節を引こう。


「このボリシェヴィキの指導者が、(亡命先の)ジュネーブから、1905年のモスクワでの『12月蜂起』前夜に、何という凶暴な言葉で、ならず者とまったく変わらぬ行動を呼びかけていたことか!(中略)


『全員が手に入れられる何かを持つこと(鉄砲、ピストル、爆弾、ナイフ、メリケンサック、鉄棒、放火用のガソリンを染み込ませたボロ布、縄もしくは縄梯子、バリケードを築くためのシャベル、爆弾、有刺鉄線、対騎兵隊用の釘、等々)』(中略)


『仕事は山とある。しかもその仕事は誰にでもできる。路上の戦闘にまったく不向きな者、女、子供、老人などのごく弱い人間にも可能な、大いに役立つ仕事である』(中略)


『ある者達はスパイの殺害、警察署の爆破にとりかかり、またある者は銀行を襲撃し、蜂起のための資金を没収する』(中略)建物の上部から『軍隊に石を投げつけ、熱湯をかけ』、『警官に酸を浴びせる』のもよかろう」


「目を閉じて、そのありさまを想像してみよう。有刺鉄線や釘を使って何頭かの馬をやっつけたあと、子供達はもっと熟練のいる仕事にとりかかる。用意した容器を使って、硫酸やら塩酸を警官に浴びせかけ、火傷を負わせたり盲人にしたりしはじめるのだ。

(中略)そのときレーニンはこの子供達を真のデモクラットと呼び、見せかけだけのデモクラット、『口先だけのリベラル派』と区別するのだ」


彼の価値観はきわめて「ユニーク」で、「警官に硫酸をかけなさい」という教えだったのだ。

よく知られている話だが、1898年から3年間、シベリアへ流刑に処されたとき、レーニンは狩猟に熱中していた。この狩猟の趣味に関して、レーニンの妻、クループスカヤは『レーニンの思い出』の中で、エニセイ川の中洲に取り残されて、逃げ場を失った哀れなウサギの群れを見つけると、レーニンは片っ端から撃ち殺し、ボートがいっぱいになるまで積み上げたというエピソードを記している。


 何のために、逃げられないウサギを皆殺しにしなくてはならないのか?これはもはや、ゲームとしての狩猟とはいえない。もちろん、生活のために仕方なく行なっている必要最小限度の殺生でもない。ごく小規模ではあるが、まぎれもなくジェノサイドである。レーニンの「動物好き」とは、気まぐれに犬を撫でることもあれば、気まぐれにウサギを皆殺しにすることもある、その程度のものにすぎない。


「レーニンは疑いなく脳を病んでいた人でした。特に十月革命の直後からは、その傾向が顕著にあらわれるようになります。1918年1月19日に、憲法を制定するという公約を反古にして、憲法制定会議を解散させたあと、レーニンはヒステリー状態に陥り、数時間も笑い続けました。また、18年の7月、エス・エルの蜂起を鎮圧したあとでも、ヒステリーを起こして何時間も笑い続けたそうです。こうした話は、ボリシェヴィキの元幹部で、作家であり、医師でもあったボグダーノフが、レーニンの症状を診察し、記録に残しています」


 レーニンの灰色の脳は病んでいた。彼は「狂気」にとりつかれていたのだ。ここでいう「狂気」とはもちろん、陳腐な「文字的」レトリックとしての「狂気」でも、中沢氏のいう「聖なる狂気」のことでもない。いかなる神秘ともロマンティシズムとも無縁の、文字通りの病いである。

 頭痛や神経衰弱を訴え続けていたレーニンは、1922年になると、脳溢血の発作を起こし、静養を余儀なくされるようになった。ソ連国内だけでなく、ドイツをはじめとする外国から、神経科医、精神分析医、脳外科医などが招かれ、高額な報酬を受け取ってレーニンの診察を行った。そうした診察費用の支払い明細や領収書、カルテなどが、古文書館で発見されている。


 懸命な治療にもかかわらず、レーニンの病状は悪化の一途をたどり、知的能力は甚だしく衰えた。晩年はリハビリのため、小学校低学年レベルの二ケタの掛け算の問題に取り組んだが、一問解くのに数時間を要した。にもかかわらず、その間も決して休むことなく、彼は誕生したばかりの人類史上最初の社会主義国家の建設と発展のために、毎日、誰を国外追放にせよ、誰を銃殺しろといった「重要課題」を決定し続けた。二ケタの掛け算のできない病人のサイン一つで、途方もない数の人間の運命が決定されていったのである。

そしてこの時期、もう一つの重大事が決定されようとしていた。レーニンの後継者問題である。1922年12月13日に、脳血栓症の二度目の発作で倒れたあと、レーニンは数回に分けて「遺書」を口述した。とりわけ、22年1月4日に「スターリンは粗暴すぎる。そしてこの欠点は、われわれ共産主義者の間や彼らの相互の交際では充分我慢できるが、書記長の職務にあっては我慢できないものとなる」として、スターリンを党書記長のポストから解任するよう求めた追記の一節が、のちに政治的にきわめて重要な意味をもつこととなった。

 ラトゥイシェフはレーニンとスターリンの関係についてこう述べる。


「よく知られている通り、レーニンは『遺書』の中でスターリンを批判しました。そのため、レーニンは、スターリンの粗暴で残酷な資質を見抜いており、もともと後継者として認めていなかったのだという解釈が生まれ、それがスターリン主義体制は、レーニン主義からの逸脱であるとみなす論拠に用いられるようになりました。しかしこれは『神話』なのです。レーニンの『神話』の中で最も根強いものの一つです。

 レーニンがスターリンを死の間際に手紙で批判したのは、スターリンがクループスカヤに対して粗暴な態度をとったという個人的な怒りからです。スターリンがそのような態度をとったのは、衰弱の一途をたどるレーニンを見て、回復の見込みはないと判断して見切りをつけたからでした。しかしそれまではグルジア問題などで対立することはあっても、スターリンこそレーニンの最も信頼する”友人”であり、忠実で従順な”弟子”でした。レーニンが静養していたゴーリキーに最も足繁く通っていたのはスターリンであり、彼はレーニンのメッセージを他の幹部に伝えることで、彼自身の権力基盤を固めていったのです」

たしかに「遺書」では、レーニンはスターリンを「粗暴」と評しているが、別の場面では、まったく正反対に「スターリンは軟弱だ」と腹を立てていたという証言もある。元政治局員のモロトフは、詩人のフェリックス・チュエフの「レーニンとスターリンのどちらが厳格だったか?」という質問に対して、「もちろん、レーニンです」と答えている。このモロトフの言葉を『秘密解除されたレーニン』から引用しよう。


「『彼(レーニン)は、必要とあらば、極端な手段に走ることがまれではなかった。タンボフ県の暴動の際には、すべてを焼き払って鎮圧することを命じました。(中略)

彼がスターリンを弱腰だ、寛大すぎる、と言って責めていたのを覚えています。『あなたの独裁とはなんです? あなたのは軟弱な政権であって、独裁ではない!』と」


 あのスターリンを「軟弱だ」と叱責したレーニンの考えていた「独裁」とは、ではどういうものであったか? この定義は、何も秘密ではない。レーニン全集にはっきりとこう書かれている。


「独裁の科学的概念とは、いかなる法にも、いかなる絶対的支配にも拘束されることのない、そして直接に武力によって自らを保持している、無制限的政府のことにほかならない。これこそまさしく、『独裁』という概念の意味である」

 こんな明快な定義が他にあるだろうか。
 法の制約を受けない暴力によって維持される無制限の権力。これがレーニンが定式化し、実践した「独裁」である。スターリンは、レーニン主義のすべてを学び、我がものとしたにすぎないのだ。


 ラトゥイシェフはこう述べている。

「独裁もテロルも、レーニンが始めたことです。強制収容所も秘密警察もレーニンの命令によって作られました。スターリンはその遺産を引き継いだにすぎません。もっとも、テロルの用い方には、二人の間に相違もみられます。スターリンは、粗野で、知的には平凡な人物でしたが、精神的には安定しており、ある意味では『人間的』でした。彼は政敵を粛清する際には、遺族に復讐されないように、一族すべて殺したり、収容所送りにするという手段を多用しました。もちろん残酷きわまりないのですが、少なくとも彼には人間を殺しているという自覚がありました。しかし、レーニンは違う。彼は知的には優れた人物ですが、精神的にはきわめて不安定であり、テロルの対象となる相手を人間とはみなしていなかったと思われます。

彼の命令書には


『誰でもいいから、100人殺せ』とか

『千人殺せ』とか

『一万人を「人間の盾」にしろ』


といった表現が頻出します。彼は誰が殺されるか、殺される人物に罪があるかどうかということにまるで関心を払わず、しかも『100人』『千人』という区切りのいい『数』で指示しました。彼にとって殺すべき相手は匿名の数量でしかなかったのです。

人間としての感情が、ここには決定的に欠落しています。私が知る限り、こうした非人間的な残酷さという点では、レーニンと肩を並べるのはポル・ポトぐらいしか存在しません」

 ラトゥイシェフの言葉を細くすれば、レーニンとポル・ポトだけでなく、ここにもうひとり麻原彰晃をつけ加えることができる。麻原が指示したテロルには、個人を狙った「人点的」なものもあったが、最終的には彼は日本人の大半を殺害する「予定」でいたわけであり、これは「人間的」なテロルの次元をはるかに超えている。

暴力革命を志向するセクトやカルト教団の党員や信徒達は厳しい禁欲を強いられるものの、そうした組織に君臨する独裁者や幹部達が、狂信的なエクステリミストであると同時に、世俗の欲望まみれの俗物であることは少しも意外なことではない。サリンによる狂気のジェノサイドを命じた麻原は、周知の通り、教団内ではメロンをたらふく食う俗物そのものの日々を送っていたのであるが、この点もレーニンはまったく変わりはなかった。

 レーニンが麻原同様の俗物? そんな馬鹿な、と驚く人は少なくあるまい。レーニンにはストイックなイメージがあり、彼に対しては、まったく正反対の思想の持ち主でさえも、畏敬の念を抱いてしまうところがある。彼は己の信じる大義のために生命をかけて戦い抜いたのであり、私利私欲を満たそうとしたのではない、生涯を通じて彼は潔癖で清貧を貫いた、誰もがそう信じて今の今まで疑わなかった。そしてその点こそが、レーニンとそれ以外の私腹を肥やすことに血道をあげた腐った党指導者・幹部を分かつ分断線だった

 ところが、発掘された資料は、それが虚構にすぎなかったことを証明しているのである。1922年5月にスターリンにあてたレーニンのメッセージを公開しよう。


<同志スターリン。ところでそろそろモスクワから600ヴェルスト(約640キロメートル)以内に、一、二ヶ所、模範的な保養所を作ってもよいのではないか? 

そのためには金を使うこと。また、やむをえないドイツ行きにも、今後ずっとそれを使うこと。

しかし模範的と認めるのは、おきまりのソビエトの粗忽者やぐうたらではなく、几帳面で厳格な医者と管理者を擁することが可能と証明されたところだけにすべきです。

 5月19日     レーニン>


この書簡には、さらに続きがある。


<追伸 マル秘。貴殿やカーメネフ、ジェルジンスキーの別荘を設けたズバローヴォに、私の別荘が秋頃にできあがるが、汽車が完璧に定期運行できるようにしなければならない。それによって、お互いの間の安上がりのつきあいが年中可能となる。私の話を書きとめ、検討して下さい。また、隣接してソフホーズ(集団農場)を育成すること>

 


自分達、一握りの幹部のために別荘を建て、交通の便をはかるために鉄道を敷き、専用の食糧を供給する特別なソフホーズまでつくる。

こうした特権の習慣は、後進たちに受け継がれた。その結果、汚職と腐敗のために、国家の背骨が歪み、ついには亡国に至ったのである。その原因は、誰よりもレーニンにあった。禁欲的で清貧な指導者という、レーニン神話の中で最後まで残った最大の神話はついえた。レーニンは、メロンをむさぼり食らう麻原と何も変わりはなかったのである。

http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/nakazawa.htm




▲△▽▼

レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsatujin.htm

4年7カ月間で最高権力者がしたこと
1918年5月13日食糧独裁令〜1922年12月16日第2回発作


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c12

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
13. 中川隆[-13527] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:21:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1377]

2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退
レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c13

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
14. 中川隆[-13526] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:23:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1378]

パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05

石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。

『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。

それを含む、パリ・コミューン論を採録する。


『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。

パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。
 
「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。

「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)

「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。

 僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。

 パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。

 もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。

 変な話だと思いませんか?

 かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか? 

 少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。

 1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。

 今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。

 これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?

 以下はそれについての僕の暴走的思弁です。

「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。

 このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?

 (...)

 なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?

 それに対する僕の仮説的回答はこうです。

 パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。

 パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。

 パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。

 パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。

 それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。

 ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。

 マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。

 でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。

 「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)

 レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。

「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67−8頁、強調はレーニン)

 少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。

 レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。

「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74−75頁、強調はレーニン)
 
 法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。

 この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたるのだと主張します。

「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)
 
 ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。

「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、76―77頁、強調はレーニン)

 レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。

 これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。

 マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。

「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)

 マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。

「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、45―46頁、強調は内田)

「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。

 でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。

 勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。

 ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。

 レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。

 アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。

「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)

 僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html


▲△▽▼


革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c14

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
1. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:16:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1379]

ムンクはドイツ表現主義の種を植えた画家ともされ、ユングによれば、彼はアーキタイプのイメージと実存的な経験のシンボルを結晶化し、それを「叫び」に極限化したのだという。


1889年にはノルウェー政府の奨学金を得て正式にフランス留学し、レオン・ボナのアトリエに学んだ。パリではゴーギャン、ファン・ゴッホなどのポスト印象派の画家たちに大きな影響を受けた。パリに着いた翌月に父が死去。この頃から「フリーズ・オブ・ライフ」(生のフリーズ)の構想を抱き始める。

1892年、ベルリンに移り、この地で『叫び』などの一連の絵を描く。ファン・ゴッホとともに、この後、ドイツを中心に起こるドイツ表現主義の運動に直接的な影響を与えた1人と考えられている。

1892年、ベルリン芸術家協会で開いた展覧会はオープンから数日間で保守的な協会側から中止を要求され、スキャンダルとなった。
1890年代は、ベルリン、コペンハーゲン、パリなどヨーロッパ各地を転々とし、毎年夏は故国ノルウェーのオースゴールストランの海岸で過ごすのを常としていた。

このオースゴールストランの海岸風景は、多くの絵の背景に現れる。

有名な作品が19世紀末の1890年代に集中しており、「世紀末の画家」のイメージがあるが、晩年まで作品があり、没したのは第二次世界大戦中の1944年である。


「生命のフリーズ」
おもに1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品を、ムンクは「フリーズ・オブ・ライフ」(生命のフリーズ)と称し、連作と位置付けている。

「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」「死」そして愛と死がもたらす「不安」である。

1902年3月、第5回ベルリン分離派展に出品した際、「生命のフリーズ」の一連の作品(22点)を横一列に並べて展示した。その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は写真が現存している。それによると、展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている。

ムンクの意図は、これらを個別の作品ではなく、全体として一つの作品として見てほしいということであった。前述のベルリンの展覧会では、作品は「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられ、


「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』、

「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命のダンス』、

「生の不安」には『不安』『叫び』、

「死」には『病室での死』『メタボリズム』


などの作品が展示された。1918年、クリスチャニア(オスロ)のブロンクヴィスト画廊での個展で「生命のフリーズ」の諸作品が展示された際、新聞に「生命のフリーズ」という文章を寄せ、その中でこれらの作品を「一連の装飾的な絵画」であると明言している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF

2013年06月16日
今週の日曜美術館はムンクの特集でした。傑作10選で彼の本質について語られました。

最初の作品はもっともよく知られている油彩画"叫び"です。身悶えるように体をゆがめ耳をふさいでいます。その一方背後の道では無関心に何も起きていないかのように2つの人影が通り過ぎています。

ムンクの故郷はノルウェーのオスロです。彼の生誕150年ということで大規模な展覧会が開催されているそうです。この作品は街を見下ろすオスロの丘で実際に体験した想いを描いたのだとか。この人物は自分なのだそうです。"嵐"という作品の中で耳をふさぐ様子の人物を最初に描いています。目に見えない内面的な恐怖を描きたかったのだそうです。

次の作品は彼の中にある恐ろしいほどの不安を表す原点とも言える作品"病める子"です。死を迎えた姉と悲しみにくれる叔母の様子を描いています。この光景を生涯忘れることはなかったのでした。

1863年彼は医者の家の長男として生まれました。5人兄弟の賑やかな家庭でしたが5歳の時に母親が結核で亡くなります。幼い彼の心の支えとなったのが1歳違いの姉ソフィーでした。ところがソフィーも14歳の時に結核で亡くなります。"病める子"はこの時の記憶を絵に描いたのでした。1年もの時間をかけたのだそうです。

次の作品"思春期"は30歳を過ぎた頃の傑作です。生きることへの不安を描いたのだそうです。シーツにはうっすらと血が滲んでいます。

壁には黒く大きな影。姉の死後自らも結核になることを疑わず死の恐怖と戦い続けたのだとか。描くことでその不安をせきららに告白しようと考えたのでしょう。

女性は聖女でもありながら娼婦でもあり、彼を苦しめながらも創作の源にもなったのでした。20代の始めオスロの別荘地で女性に会いました。その時の絵が"声"です。海に写る月明かりを背に立ち尽くす女性。

手を後ろにまわしキスを求めるような様子です。しかし良く見ると目は暗く吸い込まれそうなほど不気味です。

描いたのはオスロの社交界で有名だったミリー・タウロウです。
引っ込み思案だった彼を誘惑したそうです。海辺で逢瀬を交わしのめり込みましたが彼女にとって彼は何人もいる愛人の一人だったそうです。


30歳を過ぎて新たな女性ダグニー・ユールと恋に落ちました。
彼女を描いた作品が"マドンナ"です。
かすかに膨らんだお腹は新しい命の象徴です。
一方で右腕は黒い闇に消え死を象徴しています。

彼は彼女を愛しますが彼女も彼のもとを去っていきました。


次の作品は石版画の傑作"ブローチの女"です。
モデルはイギリス生まれのバイオリニストです。演奏旅行の時にノルウェーで彼と出会ったのだとか。今までの女性と違って目をはっきり優しく描いています。恋に落ちるのが恐ろしいほど美しいと語ったそうです。

"キス"は実験的な要素が入っている傑作です。まるで1つになったかのようにキスをしています。当時の木版画は表面をきれいに削った板を使ったのですがあえてこの作品では木目を残しています。

次は"宇宙での出会い"です。漆黒の闇に浮かぶ男と女、その周りを精子が浮かんでいます。男女の出会いはまるで宇宙の中で出会うほど難しいと考えたのでしょうか。

次の作品は40歳の時の作品"地獄の自画像"です。10代の頃から自分自身を描きました。真っ赤に燃え盛る地獄の炎が彼の心の中を表しています。母と姉の死、病の恐怖、女性達との葛藤など消え去ることのない不安を抱えながら自画像を描き続けました。

最後の1枚は"時計とベッドの間の自画像"です。亡くなる数年前に描かれました。別途はやがて訪れる永遠の眠り、柱時計は残りの人生を表しています。死に直面する老人、しかしこの絵は昔とは異なり明るい色彩があふれています。
http://www.artistyle.net/i-03-nichiyou/post-2847.html

マドンナ(大原美術館特集)

マドンナと呼ぶには、あまりにも退廃的でどこか愁いの漂う作品。
大原美術館特集第5回は、エドヴァルド・ムンクの「マドンナ」です。

マドンナMadonna(1895-1902)Edvard Munch
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/s/u/e/suesue201/madonna_convert_20101204014602.jpg


左下に胎児、周りには精子。
中央には苦悶とも恍惚とも取れる表情の、影のある若い女性。

「マドンナ」のモデルとなったのは、ムンクが当時思いを寄せていたダグニー・ユールといわれています。

ダグニーはファム・ファタールと呼ぶにふさわしい、恋多き女。

そしてムンクにとっては手の届かない存在だったようです。
http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-180.html

何年か前の新日曜美術館(NHK教育の番組)でムンクを特集した回があり、それを録画していてムンク展観賞にあわせて見る。

番組はムンクの代表作「叫び」の前年に描かれた「二人の姉妹」という作品にスポットを当て、ムンクの創作の源泉となった女性ダグニー・ユールに注目する。

この「二人の姉妹」という作品はそれまで写実主義的であったムンクの作風が表現主義的、象徴主義的なものへと転換してゆく過渡期のものと位置づけられ、永らく日の目を見る事がなかった幻の作品であるとしています。

描かれた二人の女性は、正面を向いて唄っているのがラグンヒル・ユール、そして背を向けてピアノを弾いているのがダグニー・ユール。

このダグニー・ユールこそがムンクにとってファム・ファタール(宿命の女)として存在した女性。ムンク芸術に大いなる霊感を与えたと言われています。

ムンクがその芸術的才能を開花させたベルリン滞在時期、ストリンドベリ、プシビシュフスキー、そしてダグニー・ユールらと交友関係を結んだ。

ムンクは密かにダグニー・ユールに想いを寄せていたが、彼女はプシビシュフスキーと結婚してしまう。しかし、ダグニー・ユールは自由奔放な女性でありその行動は夫のプシビシュフスキーを大いに悩ませた。

ムンクの作品「嫉妬」の正面を向いた苦悩する男性はプシビシュフスキー、後景で褒賞する男女はダグニー・ユールとストリンドベリであるとも言われているそうだ。

ムンクは度々ファム・ファタールとしてのダグニー・ユールをモデルに絵を描いている。


半裸の女性に無数の手が伸びている「手」、

女性の聖女的、娼婦的、悲劇的側面を描いた「女性三相」、

女性の性と生そして死が同居しているかのような「マドンナ」


といった作品群である。

ムンクが死の床につくまでベットの横にあったというダグニー・ユールの肖像画、そんな彼女は恋人であったロシアの男性に銃殺されるという悲劇的な運命をたどったという。
http://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/fb21380850f2d00f19b4967e00b46542

ダグニー・ユール

まず、この一枚の絵をみていただこう ムンク作「嫉妬」

ムンク「嫉妬」

そして、この写真
ダグニー・ユールと夫ブシェビシュフスキー


左は、ムンクの友人ブシビシェフスキー、そして右がダグニー・ユール

明らかに、嫉妬の焔に身を焦がしているのは、彼
そして、背後に男性といるのは、ダグニー

「二人の姉妹」で、画家に後ろを向けてピアノを弾いていた女性である。

☆  ☆  ☆

1863年ノルウェイに生まれたムンクは父の血統から精神的な不安定さを、母の血統からは身体の虚弱を受け継いだ

画家を志し、修行に出たベルリンで「黒豚亭」という居酒屋に集まるグループに入り作家および神秘家のストリンドベリやブシビシェフスキーらと親交を結ぶようになる

このグループのミューズ的存在であったのが、ダグニー・ユールだった

裕福な医師の娘で、ノルウェイの首相の一族でもある彼女はその美貌と奔放な言動でグループ構成員の憧れの的だった。ムンクも、言わずもがな、である。

「二人の少女」に見られるように、ムンクと彼女の関係はある親密さをたたえたものだったと思われる。

家庭に入り込み、その妹を含めたくつろぎの時間を画架に留めていく
それはいつしか、自分とダグニーの「家庭」の光景に変わるかもしれない。
そうムンクはひそかに思い定めていたのではないだろうか。

ところが、彼女はブシビシェフスキーと結婚してしまう。
しかも、結婚の条件として、「性的な自由」を与えるという夫の言質をとって。

同じくノルウェイ出身のイプセンの「新しき女」がそれまでのヴィクトリア朝の四角四面の道徳に縛られた世界に大きな衝撃を与えたように彼女(ダグニー)も、「新しき女」として存在したかったのだろうか。

結婚した後も、ダグニーは幾人ものボーイフレンドをもち奔放な生活を謳歌したという

そして、悲劇が訪れる

ダグニーは、交際のもつれから、ボーイフレンドに射殺されてしまう。


ムンク「叫び」

ムンクにとって、世界は耐え難いものに変貌を遂げる。
彼の絵に繰り返し表れる女性の背信、死のイメージ、ねじまがった空間
それは、このファム・ファタル(運命の女)、ダグニーが齎したものではなかっただろうか。

そういえばその最初から、彼女は画家に背を向けて、その画像に姿を現していたのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/eyasuko/diary/200807040000/#comment

ベルリン分離派展(1902)で初めて展示された(生命のフリーズ〉の22点はムンクの代表作。

血のように赤い女の髪が蹲る蒼い顔の男を覆う(吸血鬼〉(1893ー94)。

左手で頭を押さえる蒼白の男と、両手を頭の上で組み、胸をはだけて赤い下着を露出させた女を左右に対比した(灰〉(1925ー29)。

精神を病んだ妹ラウラが椅子に坐る、丸テーブルの赤い模様が脳の断面図を想わせる(メランコリー、ラウラ〉(1899)。

赤い空と青灰色のフィヨルド、左上から右下へ斜断する橋の上の人物‥‥
(叫び〉(1893)と同じ構図と色彩で描かれた(絶望〉(1893ー94)と(不安〉(1894)。

両手を後ろで組んだ赤いドレスの女と、その左後ろで海を眺める白いドレスの金髪女を対比する(赤と白〉(1894)。

左にクリーム色のドレスの女(オーセ)、中央に脚を開いて両手を頭の後ろで組んだヌードの女、右に青白い顔の黒服女‥‥少女〜壮年〜老年期を象徴する3人の女たちが右端の男を誘惑する(女性、スフィンクス〉(1893ー94)。

全裸の男女(ムンクとトゥッラ)が「生命の木」の右と左に立つ(メタボリズム〉(1899ー1903)は凝った造りの木の額(上部に風景、下部に骸骨と木の根が描かれている)に填められている。

左に白いドレスの女(トゥッラ)、中央で黒服と赤いドレスの男女が踊り、右端の黒いドレスの女が(嫉妬の眼差しで)見つめる(その間の奥では欲情した男が女を抱きしめてキスを強要している)(生命のダンス〉(1925ー29)は、男女の自由恋愛の遍歴と苦悩を左から右へ描く。

両手を後ろに回して胸を突き出した女性が目を閉じてキスを誘う(声 / 夏の夜〉(1893)のモデルは、ムンクの初恋の人ミリー・タウロウ(遠縁の従兄の妻)‥‥

(生命のダンス〉にも描かれていた水面に映る黄色い月の光の柱、セックスを暗示する「魔術的なシンボル」(ウルリヒ・ビショフ)が輝く。
                    *
彼は彼女の腰に腕をまわして坐っていた──彼女の頭は彼のすぐそばだった──
彼女の眼や口や胸がこんなにぴったり寄せられているのは何とも奇妙な感じだった──
彼は1本1本のまつ毛を眺めた──眼球の緑がかった色あいを眺めた──
それは海のようにすきとおっていた──ひとみは大きくて、半ば暗くかげっていた──
彼は指先で彼女の口に触れた──やわらかな唇の肉は彼が触れるがままにへこんだ──そしてその唇はほほえみへと変わっていった 

その青灰色の大きな眼がじっと自分を見つめるのを感じているうちに──彼は赤い光を映している彼女のブローチをしげしげと眺めた──ふるえる指先で触ってみた
それから顔を彼女の胸に押し当てた──血管の中で血が激しく流れるのが感じられた──

彼女の鼓動に耳をすました──彼女の膝に顔を埋めた 

燃えるような2つの唇が首筋に触れるのが感じられた──凍えるような冷たさが身内をつらぬいた──

凍えるような欲情が──それから彼女を力いっぱい引き寄せた 自分の方へ
エドヴァルド・ムンク 「間奏曲」


(吸血鬼〉(1916ー18)は一番最初に展示されていた同名作品の野外拡大ヴァージョン。

ムンクは同じテーマやモティーフ、構図の絵画を繰り返し何回も描いているし、タイトルにも制作年にも頓着しない。

(吸血鬼〉は(愛と苦痛〉という題名をプシビシェウスキが「象徴派風のより煽情的なタイトルに変更したもの」である。

別れた女の金髪が長く靡いて失意の男に絡み着く(別離〉(1896?)。

紅い果樹の下で密会する男女(ムンクとダグニー)に嫉妬する夫スタチュ(スタニスラウ・プシビシェウスキ)を前景に描いた(嫉妬〉(1895)の続編とも言うべき(赤い蔦〉(1898ー1990)

──赤い不吉なアメーバに覆われたヒョステルー邸が気味悪い──は「ダグニー殺害を象徴的に記念する」。

左下に紫色のフードを被った男が描かれた(嫉妬、庭園にて〉(1916ー20)も、妻の浮気に嫉妬する夫というモティーフのヴァリエーションの1つでしょう。

青い色調が美しい(星月夜 1〉(1922ー24)。

「魂の絵画」の第1作目で「後に表現主義の最初の傑作として知られることになる」(病める子供〉(1925)の初期ヴァージョンがオスロ秋季展(1886)に展示された時は「物笑いの種」にされた。

《ムンクの気違いじみた絵の前に行って大笑いするのは市民のお気に入りの気晴らしとなった》(スー・プリドー)という。

籐椅子に坐っている瀕死の少女ソフィエの傍らで頭を下げて泣く母ラウラという構図だが、現実では娘の死の前に母親は既に病死している。母親役のモデルを務めたのはカーレン叔母で、ソフィエ役は赤毛の少女ベッツイ・ニールセン(12歳)である。

19世紀末のノルウェー市民や美術批評家の多くは、ムンクの20世紀的な「魂の絵画」を全く理解出来なかった。同じ主題の絵でも鑑賞者1人1人によって感じ方が違う。《ムンクは主観性の放棄を否定した》のである。

「人魚:アクセル・ハイベルグ邸の装飾」は1896年の夏、ムンクがハイベルグ邸に短期滞在して描いた人魚のパネルで、《月光が縞をなす海辺から人魚がオースゴールストランの浜辺に姿を現わす》というもの。

(リンデ・フリーズ〉はドイツ人の眼科医マックス・リンデ博士の4人の息子の子供部屋のために制作された横長の連作(11点)だったが、子供らしいテーマの風景画という依頼主の期待に応えられなかった。

なぜなら、性愛や孤独や死という実存テーマが隠れていたから‥‥。
実体験に基づく実存的な絵画しか描けないムンクに、子供たちに夢を与える絵を注文すること自体に無理があったのではないか。

(果物を収穫する少女たち〉(1904)も額面通りに受け取れない深淵が覗く。

(ラインハイト・フリーズ〉は劇団を主宰するマックス・ラインハルトの依頼で制作したテンペラ画12点で、小劇場2階のロビーに飾られた。

「オーラ:オスロ大学講堂の壁画」は創立100周年を記念して建設された講堂の壁画で、大小11点のフリーズが制作された。

海から昇る白い大陽が放射状の黄色い光線を放つ(太陽(習作)〉(1912)。

海辺で老人が幼い少年に「歴史」を語る(歴史〉(1914)。

「恵の母」「母校」という意味の(アルマ・マテール〉(1914)は《赤子を胸に抱く頑強そうな体格の若い母親が未来を象徴する》。

(フレイア・フリーズ〉はノルウェーのチョコレート製造会社フレイアの社員食堂のための装飾画。

《ムンクは「チョコレート好きの少女」たちが昼食をとりながら眺めて喜びそうなものをすべて採り入れて、心の浮き立つ陽気な浜辺の情景をフリーズに描いた》。

(労働者フリーズ〉はオスロ新市庁舎のための壁画プロジェクト。

(雪の中の労働者たち〉(1909ー10)、(疾駆する馬〉(1910ー12)、(労働者と馬〉(1920?)‥‥というタイトル通り、「労働者」と「馬」と「雪」が主役になっている。
                    *

宵に宵を継いで意識は流れ、夢は夢を生み、新しい詩、本、戯曲、あるいはカンヴァス、錬金術の実験、科学の発見をうながす霊感を呼び起こす。

そこで語られた話題は

夢、催眠術、連想、カラー写真、「モーターを駆動する空気中の電気」、
魔術、呪術、遠隔操作で敵を殺す方法、悪魔を呼び出す方法、
石炭からヨウ素を採取する方法、卑金属から金や銀を製造する錬金術、
植物には神経があるか(ストリンドベリは果実にモルヒネを注入して近在の果樹園主を仰天させた)、
光のスペクトル分析、物理学、蚕抜きに水性の絹を製造する方法、
象徴が作用する仕組み、脳に対するまじないと薬品の効き目、性愛の力学

などがある。かれらの試みはむこうみずなくらい大胆で、それなりの自己犠牲も伴った。度を越したことは、肉体、精神、心理にどのような負担を強いようともエネルギーを産む源と考えられていた。
    スー・プリドー 『ムンク伝』


ムンクに大きな影響を与えた2人の人物にも触れておこう。

ハンス・イェーガーは無政府主義のニヒリストで「クリスティアニア(現オスロ)のボヘミアン」の首領。同世代の若者を「堕落させるか自殺に追い込むのが目標」で、信奉者の1人ヨハン・セックマン・フレイシャーが書いた戯曲を貶して、彼をピストル自殺に追い遣った。

ボヘミアン・グループの9戒は

「1. 汝、自らの人生を記せ」‥‥「9. 汝、自らの生命を奪え」

である。

アウグスト・ストリンドベリはベルリンのワイン・バー「黒豚亭」の常連。

ムンクと意気投合して、お互いに絵画を「共同制作」するなど親密な交際を続ける。

黒豚亭では悪魔主義の占星術師スタニスラウ・プシビシェスキを中心に、夜を徹して白熱した議論が交された。ニーチェ、イプセン、マラルメ、ドストエフスキー‥‥もムンクの創作活動に影響を与えた。

若い頃の写真を見れば分かるように美青年のムンクは女性にモテた。

人妻のミリー・タウロウ、司法長官の娘オーダ・クローグ、医者の娘でノルウェー首相の姪のダグニー・ユール、絵描き仲間のオーセ・ヌッレガール、ヴァイオリン奏者のエヴァ・ムドッチ、ワイン商の娘トゥッラ・ラーセン‥‥

トゥッラはムンクを追い回して辟易させた(女ストーカー?)。

彼女たちは絵のモデルになって名を残したが、終の住処であるエーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後も、家政婦兼モデル志願の若い女性たちがムンクの許を訪れた。

カーレン・ボルゲン、インゲボルグ・カウリン(モスピッケン)、セリーヌ・クーヴィリエ、ヘルガ・ログスター、フロイディス・ミョルスタ、アンニ・フィエルブ、カティア・ヴァリエル、ビルギット・プレストー‥‥

《娘たちは玄関の呼び鈴を鳴らし続ける》。

ムンクは自分の絵を「子供たち」と呼び、売らずに手許に残して置きたがったが、「娘たち」にも恵まれていたわけである。
http://sknys.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01

Edvard Munch. By the Fireplace. 1890-94. Pencil and Indian ink. 35.1 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch79.html

By the Deathbed (Fever). 1893. Pastel on board. 60 x 80 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch89.html

Edvard Munch. Dagny Juel Przybyszewska. 1893. Oil on canvas. 148.5 x 99.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch90.html#note

Edvard Munch. The Scream. 1893. Oil, tempera and pastel on cardboard. 91 x 73.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch32.html

Edvard Munch. The Voice. 1893. Oil on canvas. 87.5 x 108 cm. The Museum of Fine Arts, Boston, MA, USA
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch19.html

Edvard Munch. Moonlight. 1893. Oil on canvas. 140.5 x 135 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch22.html

Edvard Munch. The Hands. c. 1893. Oil on board. 91 x 77 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch134.html

Edvard Munch. Stormy Night. 1893. Oil on canvas. 91.5 x 131 cm. The Museum of Modern Arts, New York, NY, USA.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch24.html

Edvard Munch. Anxiety. 1894. Oil on canvas. 94 x 73 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch93.html

Edvard Munch. Madonna. 1894-95. Oil on canvas. 91 x 70.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch18.html
https://www.google.co.jp/search?q=Edvard+Munch+-+Madonna&lr=lang_ja&sa=N&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=cdAVUsQPy_-UBfWkgJgI&ved=0CCgQsAQ4Cg&biw=1002&bih=919#fp=114a45c7fbf5bb70&hl=ja&lr=lang_ja&q=Edvard+Munch++Madonna&tbm=isch&tbs=lr:lang_1ja&imgdii=_

Edvard Munch. Puberty. 1894. Oil on canvas. 151.5 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch21.html

Edvard Munch. Eye in Eye. 1894. Oil on canvas. 136 x 110 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch74.html

Edvard Munch. The Day After. 1894-95. Oil on canvas. 115 x 152 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch27.html

Edvard Munch. Ashes. 1894. Oil on canvas. 120.5 x 141 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch28.html

Edvard Munch. The Three Stages of Woman (Sphinx). c. 1894. Oil on canvas. 164 x 250 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch29.html

Edvard Munch. Red and White. 1894. Oil on canvas. 93.5 x 129.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch173.html

Edvard Munch. Melancholy. 1894-95. Oil on canvas. 81 x 100.5. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch30.html

Edvard Munch. Salome Paraphrase. 1894-98. Watercolor, ink and pencil. 46 x 32.6 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch136.html

Edvard Munch. House in Moonlight. 1895. Oil on canvas. 70 x 95.8 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch23.html

Edvard Munch. Stanislaw Przybyszewski. 1895. Tempera on canvas. 75 x 60 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch103.html#note

Edvard Munch. Self-Portrait with Burning Cigarette. 1895. Oil on canvas. 110.5 x 85.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch2.html

Edvard Munch. Moonlight. 1895. Oil on canvas. 93 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch20.html

Edvard Munch. The Death Bed. 1895. Oil on canvas. 90 x 120.5 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch33.html

Edvard Munch. Death in the Sick Chamber. 1895. Oil on canvas. 150 x 167.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch34.html

Edvard Munch. The Kiss. 1895. Etching, aquatint and drypoint. 32.9 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch96.html

Edvard Munch. The Scream. 1895. Lithograph. 35.5 x 24.4 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch100.html

Edvard Munch. Self-Portrait with Skeleton Arm. 1895. 45.5 x 31.7 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch99.html

Edvard Munch. Jealousy. 1895. Oil on canvas. 67 x 100 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch101.html

Edvard Munch. Madonna. 1895. Lithograph. 443 x 434 mm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://hotelmagazine.dk/blog/articles/twin-peaks/
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch170.html

Edvard Munch. Vampire. 1895-1902. Combined woodcut and lithograph. 38.5 x 55.3 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch104.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c1

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
2. 中川隆[-13524] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:18:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1380]

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか 2019年4月19日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka


 ムンクの陰気な絵は、実は、ドストエフスキーの陰気な作品のために用意された挿絵なのではないかいう気はしないだろうか?我々はそんな気がする、それで、それはやはり何か理由があるという裏付けを探し出した。


 4月にトレチャコフ美術館で、世界的に有名なノルウェー人、エドヴァルド・ムンクのロシア初の大きな展覧会が開かれている。ロシアでは、ムンクの作品はそれほど多くは知られていないにもかかわらず、彼の創作は、我々が推定しうるよりももっとロシアと大きな結びつきがある。ムンクが崇拝し、彼にインスピレーションを与えたのはドストエフスキーだった。ムンクのもっとも有名な作品『叫び』は、ドストエフスキーの悪霊の一人を絵画の中に住まわせたかのようにも見える。


エドヴァルド・ムンク、「叫び」、1893


 オスロのムンク美術館と数年間にわたって交渉を行ってきたトレチャコフ美術館の館長は、芸術においてムンクが成し遂げたことは、文学においてドストエフスキーが成し遂げたことと同じだという。「人間の心を裏返し、その奥にあるものをすべて、人間を苛む熱情の深みを描写し、人間の本性の複雑さを見せてくれたんだ」

ムンクはドストエフスキーの文学の才能に酔いしれていた

 若きムンクもその一員だった1880年代のオスロのボヘミアンは、クリエイティヴなアナーキストたちの集まりで、ちょうどその頃ノルウェー語に訳されたドストエフスキーを貪るように読んでいた。


エドヴァルド・ムンク。彼のワークショップにて。ノルウェー、1938年。


 「いつ、誰があの時代を描写できるだろうか?ドストエフスキーが例えばロシアのシベリアの町でうまくやったように、かなりの説得力をもってクリスチャニア(オスロの古い名)のつまらない生活を描き出すには、ドストエフスキー本人か、せめて、クローグ(画家、ムンクの教師)とイェーゲル(スキャンダルを巻き起こしたアナーキスト作家)と私自身を混ぜ合わせたものが必要だろう、当時だけでなく、今現在も」とムンクは書いている。

お気に入りの作品は『おとなしい女』

 ドストエフスキーのあまり有名でない(ともかく、他の長編小説の栄光の陰に隠れている)中編の『おとなしい女』は、おそらく、ムンクにもっとも大きな影響を与えている。これは、貧しさゆえに、軽蔑している質屋と結婚した不幸な女性の自殺をめぐる短編だ。

 もっとも有名なムンクの自画像のひとつで、裸の女性の姿が描かれている『柱時計とベッドの間の自画像』を、実は鑑定人たちは『おとなしい女』の挿絵だと考えている。


エドヴァルド・ムンク。『柱時計とベッドの間の自画像』1940-1943。


 病人や貧窮した若い女性たちへの芸術的な弱さを描くことが、ムンクとドストエフスキーに共通の特徴だ。ムンクのもっとも有名な絵のひとつ――『病気の子ども』、または『病気の少女』は、“未完成”だとして批評家たちの不評の嵐を呼んだが、大好きだった姉の結核による死をめぐる画家の悲しみが反映されている。

エドヴァルド・ムンク。「病気の少女」、1885-1886。

 「もっとも、なぜ自分が当時、彼女にかかずらっていたのかわからないんだ。彼女がいつも病気だったからという気がする…。彼女が足をひきずっていたり、背中がひどく曲がっていたりしていたら、自分は、もっと彼女を愛せたような気がするんだ…」とラスコーリニコフは言った。

ムンクの絵は、ドストエフスキーの主人公のように苦しんでいた

 ムンクの伝記作家ステネルセンは奇妙な手法について記述している。それは、自分の絵を自身の子どもたちだとみなした画家が、それゆえに絵たちを「育てよう」としたが、うまくいかなかったというのだ。彼は、自分の絵を雨や風の中、雪の下に置き、いくばくかの時間が経ってから回収していた。まさにこうして彼は『別離』という作品を創作したため、この絵はひどく損傷していることはよく知られている。偶然に現れたシミ、例えば、鳥のフンの痕などが絵の一部になっている。

エドヴァルド・ムンク。「別離」、1896


 この手法を、ムンクは「ヘステクールhestekur」と呼んでいた、「馬の治療」という意味だ。鑑定人たちは、これはラスコーリニコフの夢を示唆していると考えている。その夢の中で幼い主人公は、男が弱りきった痩せ馬を、「自分のもの」だからというだけで殴っているのを見る。かたや野次馬は「くたばるまでぶったたけ」と言っている。

ムンクは自分を作家と同一視していた


エドヴァルド・ムンク、自画像


 ムンクはおそらく、現代ではファンアートと呼ばれる、小説のファンが好きな作品をもとに作る芸術を創作したのかもしれない。無数にある自分の自画像の中のひとつに、ムンクは骸骨の手をした自分の姿を描いている。この作品のインスピレーションをムンクに与えたのは、スイスの画家フェリックス・ヴァロットンが似た手法で描いたドストエフスキーの肖像だったという意見もある。

フェリックス・ヴァロットン。ドストエフスキーの肖像。

ムンクはドストエフスキーの本と共に亡くなってるところを発見された

 この展覧会には画家が所有していた小さな本が一冊展示されており、それはショーケースの中のディアギレフがムンクに宛てた手紙の横に置かれている。この本は『Djasvlene』――ノルウェー語で小説『悪霊』の題名だ。1944年、オスロ近くにある郊外の自身の領地で、まさにベッド横の小机の上にあったこの本と共にムンクは亡くなっているところを発見された。

*ロシア・ビヨンドは、この資料の準備を助けてくれた、文化学者でジャーナリストで公開公演局「プリャマヤ・レーチ」の講師、そしてポッドキャスト「少年のための芸術」の作家で司会でもあるアナスタシア・チェトヴェリコワに感謝を申し上げる。


https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c2

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
3. 中川隆[-13523] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1381]

世紀末の音楽 アルノルト・シェーンベルク 『浄められた夜』


Schonberg “Verklärte Nacht” Karajan & BPO, 1974



Arnold Schönberg Pelleas und Melisande, Op. 5 (Karajan, Berliner Philharmoniker)



Schonberg “Variations for Orchestra, op 31” Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker, 1974



▲△▽▼


Second Viennese School Orchestral Works [ H.V.Karajan Berlin-PO ] (1972~74)





1. Schoenberg "Pelleas und Melisande" (00:00)
2. Schoenberg "Variation for Orchestra" (43:25)
3. Schoenberg "Verklarte Nacht" (1:05:51)
4. Webern "Passacaglia for Orchestra" (1:35:39)
5. Webern "Six Pieces for Orchestra" (1:47:51)
6. Webern "Symphony" (2:00:51)
7. Berg "Three Pieces for Orchestra" (2:11:08)
8. Berg "Three Pieces from the 'Lyric Suite" (2:42:14)


▲△▽▼


Schoenberg Gurre 1988 08 08 Berlin Abbado - YouTube




8-8-1988 Philharmonie Berlin
Arnold Schönberg Gurrelieder
European Community Youth Orchestra; Gustav Mahler Jugendorchester; Enrst Senff Chor Berlin; Philharmonischer Chor Berlin; Wiener Jeunesse Chor
Claudio AbbadoClaudio Abbado

Jessye Norman (Sopran)
Brigitte Fassbaender (Mezzosopran)
George Gray (Tenor)
Helmut Wildhaber (Tenor)
Hartmut Welker (Bariton)
Barbara Sukowa (Sprecherin)

▲△▽▼
▲△▽▼

若い頃のシェーンベルクはブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。

『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。

これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。

1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


マーラー(1860年7月7日 - 1911年5月18日)と シェーンベルク(1874年9月13日 - 1951年7月13日)の関係

マーラーは14歳年下であるアルノルト・シェーンベルクの才能を高く評価し、また深い友好関係を築いた。

彼の『弦楽四重奏曲第1番』と『室内交響曲第1番ホ長調』の初演にマーラーは共に出向いている。

前者の演奏会では最前列で野次を飛ばすひとりの男に向かい「野次っている奴のツラを拝ませてもらうぞ!」と言った。この際は相手から殴りつけられそうになったものの、マーラーに同行していたカール・モル(英語版)が男を押さえ込んだ。男は「マーラーの時にも野次ってやるからな!」と捨て台詞を吐いた。

後者の演奏会では、演奏中これ見よがしに音を立てながら席を立つ聴衆を「静かにしろ!」と一喝し、演奏が終わってのブーイングの中、ほかの聴衆がいなくなるまで決然と拍手をし続けた。この演奏会から帰宅したマーラーは、アルマに対しこう語った。

「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」

シェーンベルクの側でも、当初はマーラーの音楽を嫌っていたものの、のちに意見を変え「マーラーの徒」と自らを称している。1910年8月には、かつて反発していたことを謝罪し、マーラーのウィーン楽壇復帰を熱望する内容の書簡を連続して送っている。

ある夜、マーラーがシェーンベルクとツェムリンスキーを自宅に招いたとき、音楽論を戦わせているうち口論となった。反発するシェーンベルクに怒ったマーラーは「こんな生意気な小僧は二度と呼ぶな!」とアルマに言い、シェーンベルクとツェムリンスキーはマーラー宅を「もうこんな家に来るものか!」と出て行った。だが、数週間後にマーラーは「あのアイゼレとバイゼレ(二人のあだ名)は、なぜ顔を見せないのだろう?」とアルマに尋ねるのだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC#%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


▲△▽▼


アルノルト・シェーンベルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874年9月13日 - 1951年7月13日)は、オーストリアの作曲家・指揮者・教育者。 調性音楽を脱し無調に入り、十二音技法を創始したことで知られる[1]。アメリカに帰化してから1934年以降は、「アメリカの習慣を尊重して」[2]"ö"(o-ウムラウト)を"oe"と表記したSchoenbergという綴り[3]を自ら用いた。アメリカでは「アーノルド・ショーンバーグ[4]」と呼ばれた。

父シャームエル・シェーンベルク(Sámuel Schönberg 1838年 - 1889年 [1])は代々ハンガリーのノーグラード県セーチェーニに住むユダヤ人で、靴屋を営んでいた。母パウリーネ・ナーホト(Pauline Náchod 1848年 - 1921年)もボヘミア(現・チェコ)プラハ出身のユダヤ人であった。

ウィーンにて生誕。初めはウィーン人らしくカトリックのキリスト教徒として育てられる。8歳よりヴァイオリンを習い始める。その後チェロを独学で学ぶ。15歳の時、父が亡くなり、経済的に立ち行かなくなった彼は、地元の私立銀行に勤め始め、夜間に音楽の勉強を続けていた。その後作品を発表し始めたころに彼の余りにも前衛的な態度のため、激怒した聴衆によってウィーンを追い出され、ベルリン芸術大学の教授に任命される時、プロテスタントに改宗、その後ナチスのユダヤ政策に反対して1933年、ユダヤ教に再改宗している。


無調への試み

若い頃の彼はブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。

1908年、弦楽四重奏曲第2番(1907年〜1908年)のソプラノ独唱付きの終楽章と、歌曲集『架空庭園の書』(1908年〜1909年)で初めて無調に到達した、とされることも多い。 1909年に書かれた『3つのピアノ曲』op. 11や『5つの管弦楽のための小品』op. 16、モノドラマ『期待』op. 17では、多少調性の香りを残していたが、無調の様々な可能性が試みれられた。『6つの小さなピアノ曲』op. 19(1911年)で、調性をほぼ完全に放棄するに至った、とする見解もある。これらの実験から傑作歌曲集『月に憑かれたピエロ』(ピエロ・リュネール)が生まれる。

『月に憑かれたピエロ』は『期待』の成果を更に推し進めて生み出されたと言ってよいかも知れないが、着想などは更にユニークである。ラヴェルやストラヴィンスキーに影響を与え、前者が『マラルメによる3つの歌』を、そして後者が紀貫之の短歌等による『日本の3つの抒情詩』を作るきっかけとなった。そして後のブーレーズらにも影響を与えた傑作である。物語の朗唱を室内楽で伴奏をするという方法が、かつてなかったとは言えないまでも、これほどにまで高められた作品は皆無で、またかつて無い効果をあげた伴奏の書法も全くユニークな傑作であった。

ただ、時代は無調の音楽に対する準備が出来ていたとは言えなかった。ストラヴィンスキーの『春の祭典』で大騒ぎとなるような時代で、無調の音楽は一部のサークルの中だけのことであった。ウィーンの私的演奏会で聴衆が怒り出してパニックになったり帰る人が続出したのは当然であった。しかし、指揮者のシェルヘンなどが積極的にこれらの音楽を後押しし、演奏してまわったことで、シェーンベルクなどの音楽が受け入れられるようになっていく。

同じ頃、弟子のアルバン・ベルクは『クラリネットとピアノのための5つの小品』op. 5や『管弦楽のための3つの小品』op. 6などで、無調(あるいは拡大された半音階主義)の作品を発表し、アントン・ヴェーベルンも師シェーンベルクにならって『6つの小品』op. 6を書いているが、シェーンベルクはバランス感覚に優れ、ベルクはより劇的で標題性を持ち、ヴェーベルンは官能的なまでの音色の豊穣さに特徴があり、明確な個性の違いがあるのは興味深い。

12音音楽の確立

1910年代後半、シェーンベルクは大作『ヤコブの梯子』に挑むが、第一次世界大戦で召集されたためにその他の多くの作品と共に未完のままに終わった。同じ頃、弟子のベルクは歌劇『ヴォツェック』Op.7を完成する。シェーンベルクらと始めた無調主義による傑作オペラの登場である。無調主義が次第に市民権を持ちはじめると共に、無調という方法に、調性に代わる方法論の確立の必要性を考えるようになっていった。それが12音音楽であった。

12の音を1つずつ使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディーや伴奏を作るのが12音音楽である。一つの音楽に使われる基本となる音列は一つであり、別の音列が混ざることは原則としてない。したがって、この12音音楽は基本となる音列が、調性に代わるものであり、またテーマとなる。そして音列で作っている限り、音楽としての統一性を自然と得られる仕組みとなっている。

この手法でシェーンベルクが最初に書いたのが、全曲12音技法で書かれた『ピアノ組曲』op.25(1921年〜1923年)の「プレリュード」(1921年7月完成)である。作品番号では『5つのピアノ曲』op.23(1920年〜1923年)が先立っているが、12音技法による第5曲「ワルツ」は1923年2月の完成とされている。ヴェーベルンも1924年、『子どものための小品』の中で12音音列を使った作品を書き、ベルクもすぐにその技法を部分的にとり入れた。

ただし、12音の音列による作曲法はシェーンベルクの独創とは言えない。ウィーンの同僚であったヨーゼフ・マティアス・ハウアーが、シェーンベルクより2年ほど前にトローペと言われる12音の音列による作曲法を考案している。1919年にハウアーが作曲した『ノモス』は、最初の12音音楽と見なされている。この年、シェーンベルクはこの作品を自身の演奏会で紹介しているが、ハウアーが12音音楽の創始者であることに固執したこともあり、シェーンベルクと、その理解者でベルクの弟子でもある哲学者・音楽学者のテオドール・アドルノの2人から酷評される。また、1930年代のナチスの台頭により退廃音楽家として排斥され、戦後に再評価されるまで全く忘却されてしまったこともあり、ハウアーが1920年代に果たした役割が過小評価されていることは否めない。

弟子のヴェーベルンが音楽をパラメータごとに分解してトータル・セリエリズムへの道を開き、形式上の繰り返しを否定し変容を強調したのに対し、シェーンベルクは無調ながらもソナタや舞曲など従来の形式を踏襲している。また初期の無調音楽は部分的には機能和声で説明できるものが多く、マーラーやツェムリンスキーなど高度に複雑化した和声により調性があいまいになっていた後期ロマン派音楽の伝統と歴史の延長線上に位置する。

厳格でアカデミックな(ただしかなり偏った解釈でもあった)教育方針は古典作品の徹底的なアナリーゼを基礎としていた。12音技法の開拓後はリズム、形式面で古典回帰が顕著で、彼自身も新古典主義との係わりを避けることは出来なかった。

美術をはじめとする芸術一般にも興味を持ち相互に影響した。シェーンベルクの描いた表現主義的な『自画像』は(メンデルスゾーンなどと同じく)画家としての才能も示している。ロシアの画家カンディンスキーはシェーンベルクのピアノ曲演奏風景をそのまま『印象・コンサート(1911年)』という作品にしている。

亡命と晩年

ナチス・ドイツから逃れて1934年にアメリカに移住する。移住後も南カリフォルニア大学(USC)とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にて教育活動を精力的に行い、弟子にはジョン・ケージ、ルー・ハリソンなど、アメリカ現代音楽を代表する作曲家も含まれる。(アメリカでの教育活動は、アメリカの音楽教育に大きな革新をもたらしたが、反対にある種「後遺症」ともいうべき偏ったアカデミズムが長く根付くこととなった。) USCには彼の名をちなんだリサイタルホールを擁する「アーノルド・シェーンバーグ研究所」(Arnold Schoenberg Institute)があり、UCLAには彼の生前の功績をたたえ、記念講堂が建造されているが、実際のアメリカのシェーンベルクの家財道具などにアメリカでは管理費などの寄付が全く集まらず、母国のオーストリアがすべて輸入して引き取り、現在ウィーン市にシェーンベルク・センターとして情報の公開に多大の寄与をしている。

移住後は、『室内交響曲第2番』『主題と変奏』などの調性を用いた先祖帰りの作品も作曲しているが、大半が旧作の完成か、アメリカの大学の委嘱などで学生でも演奏ができるように書いた作品である。

また、他界する直前まで合唱曲『現代詩篇』を作曲していたが、未完に終った。戦後始まった第1回ダルムシュタット夏季現代音楽講習会からも講師として招待されたが、重い病気のためキャンセルした。

1951年7月13日、喘息発作のために、ロサンゼルスにて死去した。76歳。故郷ウィーン中央墓地の区に葬られており、墓石は直方体を斜めに傾けた形状である。


主な作品

詳細は「シェーンベルクの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


歌劇

期待 op.17(1909)
幸福な手 op.18(1908-1913)
今日から明日まで op.32(1928-1929)
モーゼとアロン (1930-1932、未完)



管弦楽曲

交響詩「ペレアスとメリザンド」 op.5(1903/1913、1918改訂)
室内交響曲第1番 op.9(1906/1923改訂/1914、1935管弦楽版)
室内交響曲第2番 op.38(1906-1916、1939-1040)
5つの管弦楽曲 op.16(1909/1922改訂/1949小管弦楽版)
浄められた夜 op.4 (1917、1943弦楽合奏版)
管弦楽のための変奏曲 op.31(1926-1928)
映画の一場面への伴奏音楽 op.34(1929-1930)
組曲ト長調(弦楽合奏)(1934)
主題と変奏 op.43a(吹奏楽版:1943)/op.43b(管弦楽版:1944)




協奏曲

ヴァイオリン協奏曲 op.36(1934-1936)
ピアノ協奏曲 op.42(1942)



室内楽曲

浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版:1899)
弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 op.7(1905)
弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 op.10(1907-1908/1929弦楽合奏版) ※ソプラノ独唱付き、調性から無調への過渡期の作品
弦楽四重奏曲第3番 op.30(1927)
弦楽四重奏曲第4番 op.37(1936)
弦楽四重奏曲第5番(断片)
弦楽四重奏、五重奏、七重奏、三重奏の数々の断片
弦楽三重奏曲 op.45(1946)
鉄の旅団(1916)
セレナード op.24(1920-1923)
クリスマスの音楽(1921)
管楽五重奏曲 op.26(1923-24)
7楽器の組曲 op.29(1924-1926)
ヴァイオリンのためのピアノ独奏付き幻想曲 op.47(1949)



ピアノ曲

3つのピアノ曲 op.11(1909)
6つのピアノ小品 op.19(1911)
5つのピアノ曲 op.23(1920-1923)※無調から12音への過渡期の作品
ピアノ組曲 op.25(1921-1923)
ピアノ曲 op.33a(1928)
ピアノ曲 op.33b(1931)



独唱曲

月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール) op.21(1912)
2つの歌 op.14(1907-1908)
架空庭園の書 op.15(1908-1909)
心のしげみ op.20(1911)
4つのオーケストラ歌曲 op.22(1913-1916)
ナポレオンへの頌歌 op.41(1942)



合唱曲

地上の平和 op.13(1907)
グレの歌 (1900-1911)
ヤコブの梯子(1917-1922、未完)
4つの混声合唱曲 op.27(1925)
3つの風刺 op.28(1925)
6つの無伴奏男声合唱曲 op.35(1929-1930)
コル・ニドレ op.39(1938)
ワルシャワの生き残り op.46(1947)
千年を三たび op.50a(1949)
深き淵より op.50b(1950)



編曲
チェロ協奏曲ト短調(モンの協奏曲による)(1912)
チェロ協奏曲(モンのチェンバロ協奏曲による)(1932-1933)
弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲(ヘンデルの合奏協奏曲op.6-7による)(1933)
バッハ:コラール前奏曲BWV631の管弦楽編曲(1922)
バッハ:コラール前奏曲BWV654の管弦楽編曲(1922)
ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲の室内楽編曲(1925)
バッハ:前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552「聖アン」の管弦楽編曲(1928)
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番の管弦楽編曲(1937)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲の室内楽編曲(10人編成)



著作

ここでは日本で出版されたものを紹介する。
『和声学 第1巻』(山根銀二訳、「読者の為の翻訳」社、1929) 第2巻が出版されたかは不明。
『作曲法入門』(中村太郎訳、カワイ楽譜、1966)
『和声法』(上田昭訳、音楽之友社、1968、新版1982)
『作曲の基礎技法』(G.ストラング、L.スタイン編、山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1971)
『音楽の様式と思想』(上田昭訳、三一書房、1973) 1950年にアメリカで出版されたStyle and Ideaからの抄訳。
『対位法入門』(山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1978)
カンディンスキーと共著『出会い――書簡・写真・絵画・記録』(J.ハール=コッホ編、土肥美夫訳、みすず書房、1985)
『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』(上田昭訳、ちくま学芸文庫、2019)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c3
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
4. 中川隆[-13522] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:34:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1382]

詳細は

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c4

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
5. 中川隆[-13521] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:36:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1383]

シェーンベルクに一番強い影響を与えたのはブラームスですが、ブラームスは若い時から世紀末的な暗鬱で救いの無い音楽ばかり書いていたのですね:


ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html

ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html

ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/840.html

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html  



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c5

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
6. 中川隆[-13520] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1384]

ヨハネス・ブラームス 『余韻 Nachklang』


Brahms: Nachklang, op.59, No.4
Mischa Maisky - Song of the Cello





8 Lieder und Gesänge, Op. 59: No. 4, Nachklang





▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
Kathleen Ferrier Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2





Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.



▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms






Kathleen Ferrier, contralto
John Newmark, piano
Rec.12-14 July, 1950

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c6
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
7. 中川隆[-13519] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:01:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1385]

世紀末の音楽 ブラームス


brahms Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952)
ブラームス クラリネット三重奏曲 ウラッハ&クヴァルダ




brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ




brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper




brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第1番 ウラッハ&デムス




brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第2番 ウラッハ&デムス





ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111 アルバン・ベルク四重奏団 1998


https://www.youtube.com/watch?v=Qc7f1_2_oU4


brahms Trio in E flat major for Piano, Violin and Horn, Op. 40 - Busch - Brain - Serkin



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c7
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
8. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:15:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1386]

世紀末の画家 グスタフ・クリムト



愛と官能の画家 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」 絵画集





デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描 T 人物




デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描U 裸婦




テキスタイルの美「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」





グスタフ・クリムト(1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、オーストリアの世紀末ウィーンを代表する象徴主義、アール・ヌーヴォーの画家。ウィーン分離派の創始者の一人。

女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描く、センセーショナルな画家として知られるクリムトだが、多くの風景画も残しています。
この動画は人物画、風景画、写真など145点をまとめて紹介する動画になります。

グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテンで銅版彫刻家の家に生まれた。

クリムトは1894年にウィーン大学大講堂の壁画「医学」、「哲学」、「法学」を制作しました。その作品では闇と死、心の奥底に潜む不安を描き出し、クリムトの独自の世界観を表現しました。
1897年にクリムトを中心に新しい造形表現を追求したウィーン分離派が結成され、その初代会長を務めてました。

1900年以降、ラヴェンナの黄金モザイク壁画と日本の琳派に影響を受けました。
1902年に「ベートーヴェン・フリーズ」を始めとして、金箔などを用いる装飾的な独自の「黄金様式」を形成しました。その「黄金の時代」の体表作品「接吻」はよく知られます。

1905年に写実派との対立ため、ウィーン分離派を脱退しました。

晩年の作品には黄金色から華麗な色彩へ移しました。花のモティーフを基調とした肖像画、生命とエロスを主題としたものを主に制作しました。
1918年に55歳で脳梗塞と肺炎により亡くなります。

クリムトの絵画は、エゴン・シーレら弟子たちや20世紀の美術に大きな影響を与えました。




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c8
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
9. 中川隆[-13517] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:16:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1387]



世紀末の画家 エゴン・シーレ


天才画家 「エゴン・シーレ Egon Schiele」1906年−1911年の絵画まとめ






エゴン・シーレ「Egon Schiele」(1912−1918) 絵画集 U





デッサンの魅力「エゴン・シーレ Egon Schiele」素描 裸婦







エゴン・シーレ(1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアのウィーン分離派の象徴主義、表現主義の画家。

シーレは28歳という若さで世を去ったがその短い生涯で大量のドローイングや水彩画、油彩画を残っている。

1906年はウィーン美術アカデミーに入学した。

1907年にクリムトとの出会って、シーレに初期の作品は影響を与えられた。

1909年、アカデミーを正式に退校して、本格的に独自の活動を開始した。
その後ゴッホやドイツ表現主義の画家達(ヤン・トーロップ、エドヴァルド・ムンク)の絵画を目の当たりにし、自らの芸術観に多大な影響を与えられた。

1910年から1911年に、女性だけでなく子供や自分ヌードの自画像も急増した。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c9
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
10. 中川隆[-13516] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:18:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1388]

世紀末の画家 オーブリー・ビアズリー


「白黒ペン画の鬼才」オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)の挿絵集





オーブリー・ビアズリー(1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、耽美主義、アール・ヌーヴォーの代表的画家、イギリスの挿絵画家(イラストレーター)、詩人、小説家。

結核のゆえに25歳の若さで夭折した白黒のペン画天才。

ビアズリーの作品は、ラファエル前派の複雑な構成と装飾的な様式、
なめらかな線と、対照的な白黒、および日本の浮世絵のエロティックなデザインが特徴です。

この動画は挿絵白黒ペン画の先駆者、オーブリー・ビアズリーの挿絵、『イエロー・ブック』、『サロメ』、『女の平和』『ピエロの図書館』、『サヴォイ』誌創刊等を紹介する動画になります。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c10
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
11. 中川隆[-13515] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:21:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1389]

戦争より恐れられた病 Posted October. 25, 2018 09:24,


昨今、インフルエンザは、1本のワクチン接種でそれほど心配しなくて済む病気だが、100年前までは、人類の歴史を揺るがした恐怖の病気だった。特に1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦とかみ合って流行し、5000万人以上の命を奪った大災害だった。オーストリアの将来を嘱望されていた若い画家エゴン・シーレも、その災いを避けることができなかった。

シーレは、クリムトを凌ぐ才能が認められた天才画家であり、赤裸々なエロヌード画で20世紀の初め、ウィーン美術界を揺るがした問題作家でもあった。死への不安と恐怖、性的欲望をよどみなく表わした彼のヌード画は、しばしば芸術とわいせつの間で激しい論争をまき起こした。

1915年、シーレは4年間一緒に暮らした貧しい恋人の代わりに、中間層出身のエディトと結婚した。結婚から4日後、第1次世界大戦に徴兵されたが、軍でも才能を認められ、いくつかの展示会に参加して名前を知らせた。1918年は彼の名声がピークに達した年だった。ウィーン美術界の巨匠クリムトの死亡後、3月に開催された「分離派」の展示会で、シーレは作家として大成功を収めた。絵の価格が高騰し、肖像画の注文が殺到した。ようやく経済的にも精神的にも安定した時期を迎えたのだ。さらに嬉しいことに、妻が結婚から3年ぶりに妊娠したことだった。

この絵は、まもなく生まれてくる子供を待つ喜びで、シーレが描いた家族画である。母にすがりつく赤子と、その赤子と同じ場所から見つめる母、そして家長として家族を守るというジェスチャーを取っている画家自身の姿が描かれている。何もかけていない純粋で無邪気な家族の肖像である。

しかし、幸せもつかの間。同年10月28日、ウィーンにまで広がったスペイン風邪で、エディトが妊娠6カ月のお腹の子供と一緒にこの世を去った。3日後、シーレもインフルエンザに感染して、この世を去った。彼がわずか28歳の時だった。当時スペイン風邪の犠牲者数は、第1次世界大戦の死者の3倍を超えた。戦争より恐ろしい災害は、まさにインフルエンザだったのだ。
http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85

▲△▽▼

スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人

ギヨーム・アポリネール(文学者)
マックス・ヴェーバー(政治学者)
グスタフ・クリムト(画家)
エゴン・シーレ(画家)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家)
エドモン・ロスタン(劇作家)
チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家)

竹田宮恒久王(皇族)
末松謙澄(政治家、元内務大臣)
徳大寺実則(公爵、元内大臣)
島村抱月(劇作家)
村山槐多(画家)
野村朱鱗洞(俳人)
辰野金吾(建築家)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c11

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
12. 中川隆[-13514] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:22:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1390]

額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月9日(木)19時15分〜19時30分
【司会】ふせえり

ここ数日、肌寒い日が続いていますが、もう直にジメジメと湿気の多い梅雨の季節になるのかと思うと、うっとおしい限りです。雨の日は美術館の来場者が減ってゆっくり絵画を鑑賞することができることが多いので、個人的に雨の日の美術館巡りを好んでいます。未だ病気が完全に本復した訳ではないので、家で美術館関係の映像を見て過しています。


https://f.hatena.ne.jp/bravi/20120613192142
エゴン・シーレ作「死と乙女」(1915年)

先日、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」等の作品について記事を書きましたが、今日はクリムトの愛弟子で世紀末ウィーンで活躍した表現主義の画家エゴン・シーレの「死と乙女」について書きたいと思います。最愛の恋人との別離を描いた「死と乙女」はエゴン・シーレの最高傑作と言われ、ゴツゴツした岩の上で抱き合う二人はシーレと彼のモデルで恋人でもあったヴァリー・ノイツィルを描いたものですが、1911年にシーレはクリムトから彼のモデルであったヴァリーを譲り受け、その後4年間に亘ってシーレのモデルを務めますが、この間にバリーの代表作の殆どが創作されています。

上述のとおり、この絵は最愛の恋人との別離を描いたもので、死と別離がテーマになっています。この絵の男性はシーレで「死」を象徴し、女性はヴァリーで「女神」(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)を象徴しています。シーレは跪いている男性モデルを正面から描写していますが、寝そべっている女性モデルは脚立の上から描写しています。この2つの異なる視点から描いた男性モデルと女性モデルを1つの絵として合体することによって、この絵を見る者に不安定な印象を与えています。

これは2人の別れを暗示するために意図的にこのような描き方がされたものです。なお、この絵はシーレがヴァリーに別れを告げて、ヴァリーがシーレに泣きついているところを描いたものですが、男性の右手は女性を突き放そうとし、また、男性の背中に回している女性の両指はきつく結ばれず別れを拒絶していないように見えます。シーレは、他の資産家の娘(エディット)と結婚するためにヴァリーに別れを告げていますが、その際、毎年夏に一緒に休暇を過そう(即ち、愛人として関係を続けよう)とヴァリーに持ち掛けたところ、ヴァリーはこの提案をきっぱりと断って涙を見せずに立ち去ったそうです。これにシーレはショックを受けますが、この絵の男性モデルの見開かれた目はその時の驚きを表現したものです。このようにシーレは被写体の内面までもキャンバスに描き込んだ作家であり、この絵が見る者に強い印象(メッセージ性)を与える理由はそこにあるのかもしれません。

https://f.hatena.ne.jp/bravi/20090712074119
エゴン・シーレ作「縞模様の服を着たエディット・シーレ」(1915年)

※上掲の「死と乙女」と比べると、同じ作家が描いたとは思えないほど被写体によって画力に違いがあります。

なお、「死と乙女」という標題は、若い娘が清らかなままあの世に召されることを意味し、当時、絵画や文学の主題として数多く用いられてきましたが、その標題のとおり1917年にヴァリーは23歳の若さで従軍看護婦として戦地で病死します。(因みに、同年にクリムトも他界しています。)更に、その翌年、シーレの妻エディットがスペイン風邪で病死し、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去っており、この絵はシーレとヴァリーの運命も占っていた怖い絵とも言えそうです。「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、この絵はシーレとヴァリーの人生をも語る含蓄深い一枚と言えると思います。
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c12

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
13. 中川隆[-13513] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:27:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1391]

世紀末の音楽 グスタフ・マーラー

グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c13

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
14. 中川隆[-13512] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:30:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1392]


MAHLER - ADAGIETTO SYMPHONY 5 - BRUNO WALTER 1938.flv






Mengelberg Mahler : Symphony No. 5 W - Adagietto



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c14
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
15. 中川隆[-13511] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:34:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1393]

Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936)





【高音質復刻】Bruno Walter & VPO - Mahler: Das Lied von der Erde (1952.5.14-16)




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c15
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
16. 中川隆[-13510] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:36:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1394]

ブルーノ・ワルター指揮 マーラー 交響曲第9番

【高音質復刻】Walter & VPO - Mahler: Sym No 9 (1938.1.16)




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c16
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
17. 中川隆[-13509] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:53:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1395]

世紀末の作家 アントン・チェーホフ. Anton Chekhov.


戯曲『かもめ (The Seagull)』 第1幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull01.html

登場人物

アルカージナ:大袈裟でわがままで、年齢を超越してる大女優

トレープレフ:神経質で自意識の強い作家志望のマザコン息子

ソーリン:気弱で病弱で死にそうで、失望している退職ジジイ

ニーナ:華やかな世界を夢見る女優志望の、せっかちな田舎娘

シャムラーエフ:ごうつく張りで頑固で芝居好きの農場経営者

ポニーナ:若き日のあこがれを諦めきれない、不埒なオバサン

マーシャ:黒服にウォッカを飲み、嗅ぎタバコをする陰気な女

トリゴーリン:実生活を知らず、優柔不断で自信ない流行作家

ドールン:遊びすぎた人生に不足を感じている、冷めた町医者

ドヴェジェンコ:貧乏で内気でいじけた、理屈っぽい学校教師


場所

森と湖のある避暑地の、ソーリンの屋敷。


第1幕


劇場。湖に面している(らしい)。イス数脚に、ベンチなど。正面に組み立て中の仮設舞台。
黒い服の裏方たちが、ナグリを持って、灯体をもって右往左往している。騒々しい音。時間がなくて、イライラしている空気。


1 喪服


マーシャ、ここにいない誰かを探している。
メドヴェジェンコ、マーシャの心を探している。

メドヴェジェンコ:どうして? ねえ、どうしていつも黒い服なわけ?

マーシャ:人生お先真っ暗で、幸せなんかどこにもないからでしょ。

メドヴェジェンコ:そうなの? そうかなァ? だってあなた、病気じゃないし、お父さんは金持ち、ってわけでもないけど、でも苦労なんか知らないじゃない。僕なんかひどいよ。月二十三ルーブルの安月給から、保険だの退職金の積み立てだのさっ引かれてさ。それでも喪服なんか着ないよ。

マーシャ:お金の問題じゃないでしょ。貧乏してたって幸せな人はいるでしょ。

メドヴェジェンコ:理屈だなァ。そういう奴もいるかもしれない。けど、そうじゃないよ、現実は。僕なんか、おふくろと妹ふたりと、まだチビの弟といてさ、月たったの二十三ルーブルだよ。なのに人間、食わなきゃいけない、飲まなきゃいけない、ね。お茶もいる。お砂糖もいる。煙草も吸う。どうもこうも、どうにもならないんだよ。

マーシャ:(仮設舞台を見て)もうすぐ始まるわ。

メドヴェジェンコ:ああ、そうだね。主演はニーナ、作・演出はコースチャ。うまくやってるよなァ、あいつら。今夜はきっと、二人の魂が一つの芸術作品で結ばれるってわけだ。だけど、ねえマーシャ、僕と君の魂は……。ああ、チクショウ! 家にいても落ち着かなくってさ、行きに6マイル、帰りにも6マイル、毎日毎日エッチラオッチラやってきて、揚げ句の果てに無視されて。いいよ。わかってるよ。金はないし、家族は多いし、誰がこんな男と結婚するんだっていうんだろ?

マーシャ:バカみたい。(嗅ぎタバコを吸う)わかるけど、どうしようもないでしょう。(嗅ぎタバコを差し出して)どう?

メドヴェジェンコ:そんな気分じゃないよ。


間。

マーシャ:蒸すわね、今夜はきっと嵐だわ。理屈はもうたくさん。それから、お金の話も。貧乏じゃなくったって、世の中には不幸なことがいっぱいあるわ。みじめな生活のほうが五百倍も気が楽かもしれない。あなたになにがわかるのよ。

2 田舎暮らし

ソーリン、わがままな妹の不機嫌に、夢の中まで追い掛けられている。
トレープレフ、本番前の緊張と成功への期待に興奮している。

トレープレフ:(作業をしている裏方を見守っている)

ソーリン:わしゃホント苦手じゃ、田舎という奴ァ。(ステッキ突いて、うろうろしながら)これから先も、もう慣れるってことはないんじゃろうなってなあ。夕べだって10時には寝た。だのに目が覚めたのは9時だぞ。ハッハッハ! あんまり寝過ぎて、脳味噌が頭蓋骨の内側にくっついちまったわ! なのに昼メシ食ってからまた寝ちまって、結局疲れた。……悪夢というかなんちゅうか、まあ、そういうことじゃろ。

トレープレフ:おじさんは根っから都会的なんですよ。(マーシャとメドヴェジェンコに)言ったじゃないか! 始める時には呼ぶから、それまでは向こうに行っててくれ!

ソーリン:マーシャ。犬の鎖をほどくようにって、お父さんに言ってくれ。ああ吠えられた日にゃ、妹だって眠れやしない。

マーシャ:ご自分でおっしゃってください。ごめんだわ、あたしは。(メドヴェジェンコに)ホラ行くわよ!

メドヴェジェンコ:呼んでくれよ、始まる時には。


マーシャとメドヴェジェンコ、出ていく。

ソーリン:ってことはだ、また夜どおし吠えられるってわけか。なんていうか、ここじゃなにひとつ思う通りになりゃせん。昔もよく、バカンスといっちゃここへ来たもんだったが、いつもくだらんことにうんざりさせられてな。ハッハッハ! 着いたそうそうもう帰りたい! っちゅうかなんちゅうか、ホント、帰るとなったらそりゃあ嬉しくてなあ……、それがどうも、退職してからこっち、ほかに行き場がない。嫌でもここしかない、とまあそういうことじゃろ……。


トレープレフ:(裏方連中に)よーし! あと10分で本番だ! 休憩にしてくれ。


騒々しい音が止む。

トレープレフ:(仮設舞台を指して)さあ、これが僕の劇場です! カーテンと両袖だけ。装置はなにもなし! 一切なし! 見渡すかぎりの湖と地平線。開演は9時半だ。ちょうど月が昇る時刻。

ソーリン:立派なもんだ!

トレープレフ:でもニーナが遅れたら、すべてがオジャンだ。もう来てもいい時間なんだけど……。あいつ、親父とママ母がうるさくて、脱獄するみたく家を抜け出して来なくちゃならないんです。ひどいなあ、おじさん。その頭、グシャグシャだ。(と、ネクタイを直してやって)切ったほうがいいよ。

ソーリン:(クシで髪をなでつけながら)人生の悲劇ってやつじゃ。ハッハッハ! 若い時分から、酒飲みのロクデナシじゃったから! っちゅうかなんちゅうか、ちっとも女にゃモテんかった。(と、座る)妹の奴、今日はなんでああ不機嫌なんじゃろ?

トレープレフ:決まってますよ。退屈だからでしょう。(と、隣に座って)それに嫉妬。面白くないんです、僕のことが。僕の芝居が、僕の脚本が。なにもかも。主役がニーナで自分じゃないってだけで。まともに僕のものを読んだこともないくせに!

ソーリン:そりゃ、考え過ぎじゃろ。

トレープレフ:なんであたしじゃないの! あたしよ、注目されるべきなのは! フン。こんなちっぽけな舞台なのに。(と、時計を見て)心理学的にみても異常なんです、僕の母親って人は。確かに頭もいいし、才能もあるし、本を読めば泣いちまうし、ネクラーソフの詩なんかぜんぶ暗唱できるし、病人を思いやる心はまるで天使だ。……けど、他の女優の話でもしようもんなら、ウヘ! 話題になるのはあの人だけ。評価されるのもあの人だけ。あの人の「椿姫」だけが永遠にチヤホヤされて、いつまでも騒がれなくちゃ気にいらない。ところがどっこい。こんな田舎にはそんな、あの人を酔わせるような刺激はなにもない。だから退屈だ。ムシャクシャする。誰も彼もが気に入らない。……それにケチだし。知ってますよ、おじさん。あの人、オデッサの銀行に7万も預金があるんでしょ。なのに、ちょっと貸してくれって言っただけで、突然泣き出すんだ。

ソーリン:あいつがおまえの芝居を嫌ってるなんて、そんな、思い込みじゃろ。おまえの方こそ、勝手にふてくされてるっていうのがホントじゃないのかい? あいつはな、おまえが愛おしくってしようがないんだよ。

トレープレフ:(花びらをむしりながら)好き……嫌い……好き……嫌い……好き、ホラね! 見なよ! 当然さ。あの人は、生きたい、恋がしたい、きれいな服を着たい。……ところが息子の僕はもう25で、それだけで、若くないってことがばれちまう。僕がいなけりゃ、32でいられるところを、僕がいると43だ。だから嫌いなんですよ、僕のことなんか……

ソーリン:いやいや。

トレープレフ:僕はね、おじさん。劇場てものを否定してるんです。でもあの人は劇場が大好きで、自分の芸術が人類に貢献をしているんだと思い込んでる。でも僕に言わせりゃ今の劇場なんて! くだらない! ぜんぜん新しいことなんかない! 幕が開く。人工的な照明。部屋を囲こむ三枚の壁。俳優たちはみんなのあこがれで、キャーキャー騒がれて、やることといったら、空々しい会話、中味のないストーリー……観る方は、そんな中から、少しでも元気のでるところを持ち帰ろうと躍起になってて……バカバカしい! くだらない! みんなくり返しだ! ああ、僕は逃げ出したいんです! そんなことの一切から!

ソーリン:しかし劇場がなけりゃ、しようがないじゃろう?

トレープレフ:だから新しい形式なんですよ。新しい方法なんです。それがないなら、なにもないほうがマシですよ!(と、時計を見る)……それでも自分の母親ですから、そりゃ好きです。大好きです。でも、だけど、あの人の生活は一言で言えば、愚かです。あんな小説家とイチャついて、マスコミにいつもスキャンダルを叩かれて……。たまんないですよ、こっちは。

ソーリン:うんうん。(半分寝ている)

トレープレフ:でも、ときどき思うんです。自分の母親が女優なんかじゃなくって、人並みの、普通の女だったら、どんなに幸せだったろうって。……ねえ、おじさん。

ソーリン:ん? なんだい……?

トレープレフ:これ以上、不幸な境遇ってありますか? あの人の部屋にはいつも有名な芸術家たちが集まってた。作家やら俳優やら……。そいつらに囲まれて、僕だけがなんでもない人間だったんです。その場にいられるのも、あの人の息子だからだってだけで。いったい僕は誰ですか? 何者なんですか? 才能もなし、金もなし……。僕はもう、たまらなかった。僕を見る作家や俳優たちのまなざしに、おまえは無能だと言われてるような気がして……。

ソーリン:ところで、例のあの、作家さんじゃが、ありゃ、どういう御仁だい? ええ? どうにもつかみどころがなくってな、いつもだんまりで。

トレープレフ:頭のいい奴です。まあ、ちょっとメランコリックなところがあるけど。まだ40前にして、すでに作家としての地位は確立しているし、人生に飽きてるんでしょう。だけど書くものと言ったら、そう、トルストイやゾラを読んだ後じゃあ、ちょっと読む気になれないって程度のもんですよ。

ソーリン:いや、わしゃどうも若い時分から、作家ちゅうのに弱くてなあ。これでも昔は夢が二つあった。一つは女房をもらうこと。もう一つは作家になること。……じゃが、どっちも結局はだめだった、ってわけじゃ。まあ、売れんでもいいから、ちょっとした物書きにでもなれてたら、さぞや人生、面白かったろうがなァ……。まあそういうことじゃろ……。

3 僕の悪魔

ニーナ、牢獄から解放された自由を味わっている。

トレープレフ:(耳をすまして)あの足音!(伯父に抱きついて)おじさん。僕はあの子なしでは生きていけないんです。……ステキだ、足音までがステキだ……、ああ、僕はなんてしあわせなんだろう……頭が変になりそうだ……


トレープレフ、迎えに走る、とニーナが入ってくる。

トレープレフ:ああ、美しい、僕の悪魔! 僕の夢!

ニーナ:(大きな声で)あたし、遅れなかった? ねえ、遅れなかった?

トレープレフ:(手にキスして)大丈夫だよ、大丈夫。

ニーナ:今日一日、あたし、ずっとせかせかしちゃって、心配だったの。パパが出してくれないに決まってるから。でもさっき、やっと継母と出かけてくれて、でももう空は赤いし、月は昇りそうだったし、馬を駆け通し駆けさせて、もうタイヘン!(と、笑って)よかった!(と、ソーリンの手を握る)

ソーリン:(笑って)おやおや泣いてるのかい? 泣くことはないじゃろ。

ニーナ:違うわ。ホラ、息がこんなに上がっちゃってるだけ。ねえ、あたし、30分しかいられないの。急ぎましょ。引き止めちゃダメよ。パパには内緒で来てるんだから。

トレープレフ:とにかく、じゃあ始めよう。みんなを呼んで来なきゃ。

ソーリン:どれどれ、それじゃあわしが、と。(立って大声で)「全体、進め!」なんちゅってな。(と、シューマンの「二人の擲弾兵」を歌いながら去りかけて)……いつだったか、わしが歌い出したら、ある検事補佐官が、こう言いおったよ。「閣下。実に力強いお声でございますな」。でもそれからちょっと考えて、こうつけ加えたな。「しかし、なんとも、うっとおしい限りで」アッハッハ!(去る)

ニーナ:パパも継母もね、あたしがここに来ていること、知らないの。二人ともここはバカどもの集まりだって……、恐いのよ、あたしが女優になったりするんじゃないかって。でもあたしはここが好きなの。この湖が、かもめのように。(と、あたりを見回す)

トレープレフ:僕たち以外、誰もいないよ。

ニーナ:誰かいるみたい……。


二人、キスをする。

ニーナ:あの木、なんていう木?

トレープレフ:楡の木。

ニーナ:なんであんなに黒いの?

トレープレフ:黄昏れだから。なにもかもすべてが黒く見えるんだ。……なあ、急がなくてもいいだろ? 

ニーナ:ダメ。

トレープレフ:じゃあ僕のほうから行くってのは? 一晩中、君の部屋の窓の下で、君のことを眺めてるってのは?

ニーナ:無理よ。門番がいるわ。それにうちの犬はあなたに慣れてないから、吠えられるわよ。

トレープレフ:ねえニーナ、きみが好きだ。

ニーナ:シーッ、黙って……。

トレープレフ:(足音を聞いて)誰だ? ヤーコフか?

ヤーコフの声:(舞台裏から)へい!

トレープレフ:スタンバイしてくれ。始めよう。月は出てるかい?

ヤーコフの声:へい!

トレープレフ:アルコールは大丈夫か? 硫黄は? 赤い目玉のところだからな、あそこで硫黄の匂いを出すんだ。(ニーナに)さあ準備はOKだ。緊張してる?

ニーナ:だって、あなたのお母さま、いらっしゃるんでしょ……。ううん、あの人はいいの、大丈夫なの。でもあたし、トリゴーリンさんも来てるんでしょ? なんだか恥ずかしくって。有名な作家さんだし。まだ若い人なの?

トレープレフ:ああ、うん。

ニーナ:ドキドキしちゃうわ、あたし、あの人の小説読むと。

トレープレフ:(冷たく)そお? 僕は読んでないから。

ニーナ:だって、あなたの劇って、まるで生きてる人間が出てこないんだもの。

トレープレフ:なんだよお、生きてる人間て! ダメなんだよ! あるがままの人生なんか描いたって。いいかい、なによりも大切なのは、夢に見るように描くことなんだ。

ニーナ:でも動きがないでしょう、朗読みたいなんだもの。あたし、お芝居って絶対恋愛が要ると思うけどな!


二人、仮設舞台の裏側に消える。

4 人生の黄昏れ

ドールン、自分の人生でついぞつかめなかった何かを探している。
ポリーナ、自分の人生で結局つかめなかった何かを探している。
つまり、二人は「残りの人生」という暗闇の前にいるのだ。

ポリーナ:湿っぽくなってきたわ。戻ってコートを取ってきた方がよかない?

ドールン:暑いよ、僕は。

ポリーナ:もう。あなたって人は、自分の体にはぜんぜん気を配らないんだから。お医者さんなのに……、強情屋さん! 湿った風が、体に良くないことくらいわかってるくせに。そんなに、あたしに心配かけさせたいの? 夕べだって、これ見よがしに一晩中テラスに出てらしたりして。

ドールン:「♪言わないで、もう青春が終わったなんて……」

ポリーナ:楽しかった? ねえ、奥さまとのおしゃべりは? 寒いのも忘れるくらいだった? 白状しなさいよ。好きなんでしょ、奥さんのことが?

ドールン:僕はもう50過ぎだよ。

ポリーナ:だからなに? 男の人に年なんて関係あるの? あなたはまだステキだわ、まだ十分モテるわ。

ドールン:で、僕にどうしろって?

ポリーナ:だからよ、だからキレイな女の人の前に出るとすぐデレデレするのよ。いつだってそうなのよ、あなたは。

ドールン:「♪ああ、もう一度、あなたの前に跪き……」。まあ、よしんば世間がだ、俳優というものを贔屓にして、一般庶民なんかと差別して扱ったとしてもだ、それが自然の道理なんじゃないかな。……まあ、つまりは現実逃避なんだが。

ポリーナ:じゃ、女という女がみんな、あなたを求めて、あなたの跡を追い掛けたのも、あれも、現実逃避だったの?

ドールン:(肩をすくめて)さあ、どうかな? まあ確かに、僕は女には恵まれてきた。でもそれは、僕が一流の医者だったからだ。そうだろう。2、30年前までこの田舎には、まともな産婦人科医は僕しかいなかったんだから。それにもちろん、僕は誠実な人間だったしね。

ポリーナ:(ドールンの手を取って)ねえ、あなた……。

ドールン:シッ、誰か来る。

5〈みんな仲良く〉その1


アルカージナとソーリンが腕を組んで。続いてトリゴーリン。シャムラーエフ。メドヴェージェンコ。マーシャがやってくる。
アルカージナ、人の芝居を見るなんて、退屈で不機嫌。
シャムラーエフ、経営者として演劇通として我が者顔で得意気。

シャムラーエフ:いやァ、今でも覚えてますがね、73年のポルタヴァ祭り。あそこであの女優が見せた芝居ときたら、いやすごかった。あたしは震えましたねェ。(アルカージナに)奥さん、ところで、あのシャージンはどこでどうしてますかねぇ? あのシャージンは? 「クレチンスキーの結婚」で、主役をやらせたら右に出る者はいなかったなァ。サドーフスキーなんか目じゃなかったですよ。いやホント、奥さん。ああ、あわれ奴は、今いずこにかあらん?

アルカージナ:そんな大昔の話をなんであたしが?(と、座る)

シャムラーエフ:(大きな溜め息)ああ、シャージン! ああいう才能には、今やとんとお目にかかれなくなりましたなァ。演劇界もおしまいですかなァ。ねえ、奥さん。あの樫の木のごとく、天をつんざく才能の群れが、今やドングリの背比べ。

ドールン:まあ確かに、一時代を画するような天才はいなくなりましたが、中堅どころは全体にレベルが上がってますよ。

シャムラーエフ:反対ですなあ、その意見には。いや、好みの問題でしょうがね。森を見て、木を見ず、というやつですな。


トレープレフが仮設舞台の裏から出てくる。

アルカージナ:(息子に)まだなの?

トレープレフ:もうすぐです。

アルカージナ:「おお、ハムレットよ! もう何も言うな!
おまえはわたしの目を心の内へと向けさせる、
けれど、そこに見えるのは、ギラリとしたドス黒いシミ、
洗っても洗っても、決して落ちないわ!」

トレープレフ:「ええ、ママ。落ちるものですか。
脂ぎった体臭まみれのフシドの中で、欲望に駆られた
生活を送っている限りは。だって、抱いて抱かれる、
その相手は善悪の判断もつかぬ豚じゃないですか!」


プウォーと、開演を知らせる角笛の音。

さて、みなさん。始まりです。どうかお静かに!


間。

ソリャ!(と、バチで太鼓をドンドコドン!)オオ、怖レ多キ、イニシエノ影タチヨ! 夜毎コノ湖ヲサマヨウ、影タチヨ! イザ、我ラヲ眠リヘトイザナイタマエ! シテ、20万年後ノ世界ヲ夢見サセタマエ!

シャムラーエフ:20万年後には何もないだろうな。

トレープレフ:だからその、何もなっていうのがミソなんです!

アルカージナ:はいはい、どうぞ。あたしたちは寝てますから。


幕が上がると、湖の景色が立ち上がる。地平線の月が湖面に映っている。白い衣装のニーナ。

ニーナ:人もライオンもワシも雷鳥も、角のある鹿もガチョウもクモも、水の中の物言わぬ魚もヒトデも目に見えぬ微生物も……つまりは、命あるものすべて、すべてその悲しい輪廻から逃れて、消え失せて……もはや何千年もの間、この地球には生命は生まれず、あの哀れな月だけが虚しく明かりをともして久しい。草原には目覚めた鶴の声もなく、菩提樹の林にはコガネムシの羽音も絶えた。寒いよ。寒いよ……ああ、むなしいよ。むなしいよ……こわいよ。こわいよ。


間。

すべて肉体はチリと化し、永遠の物質がそれを石に、水に、雲に変えてしまったが、魂だけは溶け合わさって一つになった。唯一にして全なる魂、それが、私だ。この、私だ……アレクサンダー大王の魂も、シェークスピアの魂も、ナポレオンの魂も、ちっぽけなカエルの魂も、この、私とともにある! 私とともに、人の意識と動物の本能とが融合している! あらゆる、すべての個々の人生が、私の中で、新しく生き直されるのだ!


鬼火が現れる。

アルカージナ:(声をひそめて)なんだか、退廃的だわね。

トレープレフ:(訴えるように責めて)ママあ!

ニーナ:孤独だ! 百年に一度、口を開いてものを言うが、声は虚しく、虚空に響くだけ。聞く者もいない。……おまえもだ、青白い鬼火たちよ、おまえらとて、この声を聞いてはいないのだ。……夜明けと共に、沼の瘴気から生まれ、朝日がさすまで彷徨い歩くおまえたちには、考える力もなければ、意志もなく、命の揺らめきすらもない。悪魔は永遠の物質の父として、おまえたちの中に命の目覚めるのを怖れ、石や水と同じように、絶え間のない原子の組み替えを施している。だから、おまえたちは、いつまでも流転してゆくだけなのだ。森羅万象すべてのうちで、ただひとつ、魂だけが永遠不変、変わらないのだ!


間。

深い、なにもない井戸へと投げ込まれた囚人のように、わたしはどこにいるのか、これからどこへ行くのかを知らない。私にわかることは、悪魔との激しい戦いの中で、やがて物質の力に勝利した暁に、物質と精神との美しい調和、宇宙的意志の支配する王国がもたらされる、ということだけだ。しかしてそれは、千年の、またさらなる千年ののちの、あの月も、輝くシリウスも、地球もすべてチリと化した後のこと。それまではただ恐ろしい……。


間。湖の奥に二つの赤い点が現れる。

来たか! 我が宿敵、悪魔よ! まさに、身の毛もよだつ、あの二つの目!

アルカージナ:(鼻をつまんで)なにコレ、硫黄? こんなことする必要あるの?

トレープレフ:あるんです。

アルカージナ:アハハハ! そお! 舞台効果ってわけ?

トレープレフ:ママぁ!

ニーナ:奴は人間なしで、退屈なのだ……。

ポリーナ:(ドールンに)ダメよ、脱いじゃ。かぶりなさい。風邪を引くわ。

アルカージナ:ドクターも悪魔には脱帽ってわけね!

トレープレフ:(カッなって大声で)やめろ! もういい! もうたくさんだ! おわりにしよう!

アルカージナ:なに怒ってるの、この子は?

トレープレフ:もういいよ! おしまいだ! (床を踏んで)おしまい!


幕が下りる。

……失礼しました。僕は忘れてました、芝居を書いたり、演ったりするのは、少数の選ばれた人たちだけの特権だってことを。僕は、それを忘れて……僕は……僕は……(言葉が出なくなり、逃げるように手を振って去る)

アルカージナ:なに、あの子? どうしたの?

ソーリン:なあ、イリーナよくないよ、あんなふうに若い者のプライドを傷つけちゃあ……

アルカージナ:あたしがあの子に何を言ったっていうの?

ソーリン:傷つけたんだよ、あの子を。

アルカージナ:だってあの子、自分で言ったのよ、これはほんの余興だって。だからあたしはそのつもりだったの。

ソーリン:まあ、そういうことじゃが……

アルカージナ:それが蓋を開けてみたら、なに、たいへんな芸術作品だったってわけ! 冗談でしょ! なにが余興なもんですか。(と、まわりの空気を手で払って)こんな、硫黄の匂いまでプンプンさせて、あれであの子は、あたしたちに芝居の書き方と演じ方を、ご教授しようってつもり? うんざりだわ。なにかっていうと、いちいちつっかかってきて。どうやって我慢しろっていうの? あんな、自意識過剰のうぬぼれボウヤ!

ソーリン:おまえを喜ばせたかったんじゃろ、あいつは。

アルカージナ:あら、そうお? だったら、もっとマトモなものを見せてほしかったわ。あんな一人よがりを押しつけられたって。余興だったら、いくらだってつき合ってあげますけど。けど、新しい形式だの、新しい演劇だの、そんなタワゴトをわめかれたって、あんなもん、あたしに言わせりゃ、新しくもなんともないわよ、ただのへそ曲がりの屁理屈でしょ。

トリゴーリン:誰だって、書けることを書きたいように書くんだよ。

アルカージナ:ええどうぞ、書けることを書きたいように書いて結構。けどあたしの関係ないところでやってほしいわ。

ドールン:おお、わがジュピターよ! 怒りたもうな!

アルカージナ:あたしはジュピターじゃないわ、女よ。(煙草に火をつけて)それに怒ってもいないわ。腹立たしいだけよ……。若い人が暇つぶしにすることじゃないでしょ、あんな……、いいわ、別に、傷つけるつもりじゃなかったのよ。

メドヴェジェンコ:そもそも、魂と物質を分ける根拠はないんですよ。というもの、魂もまた原子の組み合わせでできているんですから。(と、勢いよく、トリゴーリンに)それよりもね、先生、お芝居にすべきは、われわれような生活じゃないですか、あ、私は教師をしてる者ですが、そりゃもう、しんどいですわ、ホントしんどいですわ。

アルカージナ:ホントそうね。さあ、お芝居の話も、原子の話もおしまい。……ステキな夜だなんだもの。ほら、聞こえて? 誰かが歌ってる……。


みんな、耳をすます。

いいわねえ。

ポリーナ:向こう岸からですわね。


間。

アルカージナ:(トリゴーリンに)ねえ、こっちに来て。この湖にはね、10年前までは、いつも音楽や歌声が流れていたの、ほとんど毎晩のように。……岸辺に地主のお屋敷が6つもあってね。……覚えてるわ、笑い声や、ざわめきや、銃声の響き……。それにいつだって、みんな恋をしていた、誰かにね……、そうそう、その恋愛ゲームの主役で、どこへ行ってもアイドルだったのが、紹介するわね、(ドールンにうなずいて)ドクター・ドールン。いまでもステキだけれど、往年はそれこそ、うっとりさせるような魅力があったのよ。……でも、あたし、なんだか今ごろになって気がとがめてきたわ、なんだってあの子のハートを傷つけたりしたんでしょう? 心配だわ。(大声で)コースチャ! ねえ、コースチャ!

マーシャ:あたし行って、探してきます。

アルカージナ:頼むわ。

マーシャ:コースチャ! コースチャ!


マーシャ、去る。ニーナが仮設舞台の裏から出てくる。

ニーナ:あの……、あたしもう、出てってもいいかしら? あ、はじめまして。(と、アルカージナとポリーナに挨拶する)

ソーリン:いやあ、よかったよかった!

アルカージナ:ステキだったわ! みんなであなたのこと誉めてたのよ。可愛らしいお顔をしてるし、声もいいし。ダメよ、こんな田舎にいたら。あなたには才能がある。うん、そうよ。あたしが保証してあげるわ。あなた、舞台に立つべきだわ!

ニーナ:え、あ、はい。それがあたしの夢なんです。でも、(溜め息)無理なんです。

アルカージナ:なに言ってるの。さあ、紹介するわ。こちらがトリゴーリン。ボリス・アレクセーエヴィッチ・トリゴーリン!

ニーナ:あ、はい、……あの、お会いできて光栄なんです。あたし、(どぎまぎして)いつもご本を拝見させてもらって……

アルカージナ:(ニーナを脇に座らせて)そんな、緊張しなくたっていいのよ。この人、有名人だけど、さばさばした人なんだから、ほら、彼のほうが緊張しちゃってるじゃない。

ドールン:もう幕を上げてもいいんじゃないかな、うっとしいだろう。

シャムラーエフ:(舞台奥に)ヤーコフ! 幕を上げろ!


幕が上がる。

ニーナ:(トリゴーリンに)変なお芝居だったでしょ?

トリゴーリン:さっぱり理解できませんでした。いや、けど楽しんで見させてもらいましたよ。あなたは真剣に演じてらしていたし、借景の湖も美しかったしね。


間。

魚がたくさんいそうだなあ。

ニーナ:はい。

トリゴーリン:僕は釣りが好きなんです。夕暮れ時に、川辺に腰をおろして、浮子を眺めていることくらい楽しいことはない。

ニーナ:でも、あたし、一度創造の楽しみを味わったら、それ以外の楽しみなんてなくなってしまうんじゃないかと思うんですけど。

アルカージナ:アッハッハッハ! ダメよ、そんなこと言っちゃ。この人、冷やかされるとカメみたく黙っちゃうんだから。

シャムラーエフ:そうです、そうです。いや、思い出しましたよ! いつだったかモスクワのオペラ座で、あの有名なバス歌手のシルヴァが、ものすごい低いドの音を出しましてねえ。ところが、偶然その夜の天井桟敷に、聖歌隊のバス歌手がいまして、それで、いやあ、あれはびっくりしたなあ、突然、天井桟敷から「ブラヴォー! シルヴァ!」って、さらにオクターヴ低いドの音で、いいですか、こんなふうに「ブラヴォー! シルヴァ!」って、それでもう、場内しーんと静まり返ってしまいましたよ!


間。

ドールン:お、天使が通った、かな。

ニーナ:あたし、もう帰らなきゃ。ごめんなさい。

アルカージナ:まあ、どうして? ダメよ。まだ早いわ。

ニーナ:父が待ってるんです。

アルカージナ:そう、ひどいお父さまね! 


二人、別れの挨拶をする。

アルカージナ:仕方ないわねえ。でもホント、本当に帰ってほしくないのよ。

ニーナ:ええ、残念ですけど。

アルカージナ:だけど、こんなにかわいいお嬢さんを一人で帰らせるわけにもいかないわね。

ニーナ:そんな、大丈夫です!

ソーリン:(ニーナに心から)まだいとくれよ……。

ニーナ:ダメなんです。

ソーリン:せめてあと一時間だけ、どうだい、っちゅうかなんちゅうか、なあ?

ニーナ:(しばらく考えて、悲し気に)ダメなんです。


ニーナ、ソーリンに手を取って離すと、走り去る。

アルカージナ:かわいそうな子なのよ。母親がたいへんな遺産を夫に残して死んだらしいんだけど、あの子にはぜんぜん。結局、父親は、全財産を連れの女に譲るつもりらしいから……。ひどい話だわ。

ドールン:ええ。あんなひどい男はいませんよ。

ソーリン:(冷えきった手をこすり合わせながら)そろそろ、どうだい? 湿っぽくなってきたし、脚も痛み出してきた。

アルカージナ:まあまあ! ピノキオだものね、お兄さんの脚は。……帰りましょう。かわいそうなピノ伯父さん!(手を取る)

シャムラーエフ:(ポリーナに腕を差し出して)行こうか。

ソーリン:また吠えてる。(シャムラーエフに)犬を、放すように言ってくれるとありがたいんだがね……。

シャムラーエフ:無理ですなあ、それは。穀物倉に泥棒が入るといけませんので。今、ちょうどキビが収まってるところでね。(と、メドヴェジェンコに、並んで歩きながら)いや、それがだぞ、完璧に1オクターブ低いドだなんだ。「ブラヴォ! シルヴァ!」って、……オペラ歌手じゃないんだから、ただの聖歌隊のメンバーだぞ!

メドヴェジェンコ:でも、聖歌隊ってどれくらいもらうんですか、給料?


一同退場。

6 魂の翼


ドールン、一人。

ドールン:なんなんだあ? ええ? どうしたんだ、俺は? 気が変になったのか? ……あの芝居が、どうやら気に入ってしまったらしい。何かがある、あそこには。あの娘が、孤独だと言った時、それからあの、悪魔の赤い目が現れた時、図らずも感動でこの手が震えた。新鮮な、見せ掛けだけじゃないものだった。……ン、こっちに来る。ちょっとでもいいから、慰めてやれるといいんだが……。


トレープレフ、入ってくる。

トレープレフ:みんな行きました?

ドールン:私以外はね。

トレープレフ:マーシャが、僕を探して、そこらじゅうをうろついてるんです。うっとうしいったらない!

ドールン:気に入ったよ、君の芝居。……いや本当にさ。確かにちょっと変わってるし、最後までは見られなかったけど、深い印象を受けた。君には才能がある、続けるベきだ。

トレープレフ:ああ!(と、思わず、ドールンの手を取って、抱きつく)

ドールン:ああ、なんて純粋な少年なんだ。涙まで浮かべて……、あん? 俺は何を言おうとしてたんだ? そう。そうだった、いいかい、君は抽象観念の世界に主題を選んだ。それは正しかった。なぜなら芸術は常に、本質的な思想を伝えなければならないからだ。より高い感覚を感じさせるものだけが美しいからだ。……どうした? 顔色が悪いぞ。

トレープレフ:僕は、続けるべきだと、そう言うんですね?

ドールン:そうだよ! でもいいかい、本当のことだけを、永遠のことだけを描かなくちゃダメだ。私の人生なんか、まあ確かに、退屈ではなかったし、自分らしいものではあったけれど、いや満足さえしてるんだが、だけどもしも、もしも芸術家が何かを創り出す時に味わうような、魂の高揚を経験できていたら、こんな体の、物質的な問題などすべて放り出して、僕の魂は翼が生えたように高みを目指していたことだろう。

トレープレフ:すみません。ニーナはどうしました?

ドールン:それともう一つ。書くべきものは、常に、明晰かつ判明な思想でもって裏づけられていなければならないってことだ。君は自分が書く目的をハッキリ知らなければならない。どこへ行き着くのかわからずにダラダラ書くだけじゃ、才能はいずれ枯れることになるからね……。

トレープレフ:(イライラして)ニーナはどうしたんでしょうか?

ドールン:帰ったよ、家に。

トレープレフ:(絶望が襲って)ああ、どうしよう? 会いたい。ニーナに会いたい。いや、会わなくちゃ……。


マーシャが入ってくる。

ドールン:(トレープレフに)おい君、落ち着きなさい。

トレープレフ:とにかく、行かなくちゃ。

マーシャ:うちに戻ってください。お母さまが心配してらっしゃいます。

トレープレフ:出かけたって言ってくれ! 頼むよ、マーシャ。おまえも、それに

んなも、僕のことは放っといてくれ! 放っといてくれよ! ついてくるな!

ドールン:君、……それはよくないよ、そんな言い方は……

トレープレフ:(泣きながら)すみません、ドクター。ありがとうございました。


トレープレフ、出ていく。

ドールン:(溜め息)ふう……、若さはみずからの道をゆく、か。

マーシャ:ほかにどうすることもできないと、みんな若さのせいにするんです。(と、嗅ぎタバコを吸う)

ドールン:(と、それを取り上げて、草むらに投げ捨てる)みっともない!


間。

さあ、うちに入ろう。

マーシャ:待ってください。

ドールン:なんだい?

マーシャ:あなたに、言いたいことがあるんです。……お話したいんです。(興奮して)あたし、父は嫌いなんです。でも、あなたのことはなんだか、……気になって、なぜだか、身近に思えて……。助けてください。助けて。でないとあたし、バカなことをしてしまいそうで、自分を見捨ててしまいそうで、めちゃくちゃにしてしまいそうで……、もう、こんなの嫌なんです!

ドールン:しかし、なにを、どう私に助けろと?

マーシャ:あたし、不幸なんです。誰にもわかってもらえないんです、あたしの、この不幸を。わたし、好きなんです……(と、彼の胸に頭をもたせかけて、ゆっくりと)トレープレフのことが……。

ドールン:かあ! どうなってるんだ、今夜は! 湖にかけられた魔法なのか! 誰も彼もが恋に狂ってる!(しかし、やさしく)……でもしかし、この僕になにができるだろう? 教えてくれ? なにができるんだ?


http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull01.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c17

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
18. 中川隆[-13508] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:55:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1396]

第2幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull02.html


真昼のまばゆい陽射し。湖の上。木陰の下、凍った水の上に、ベンチとイス。下手が家へ。


7 どっちが若い?


三人並んで、中央にアルカージナ、上手にドールン、下手にマーシャが、ベンチに座っている。
アルカージナ、妙にソワソワ。マーシャ、ボンヤリ。
ドールンは本を手に二人を見たり前を見たり……。

アルカージナ:(命令口調でマーシャに)立って。


二人、立つ。

並んで。あんたは22。あたしは、まあ、その倍。(間)ドクター、どっちが若く見えて?

ドールン:もちろん、あなたです。

アルカージナ:(嬉しい)ホラね! なぜだかわかる? 働いてるからよ! いろんな人に会って、気を使って、ポジティブに生きてるからよ! ところがあんたときたら、四六時中、家ン中にこもってて、ちっとも生きちゃいないのよ。あたしはね、先のことは考えないって主義なの! 年をとるったって、死ぬったって、なるようにしかならないんだから。

マーシャ:(ぼんやりと)なんだかあたし、自分が大昔から生きているような、ズルズル長いドレスの裾を引きずって生きてるような感じなんです……。ときどき生きてるのも嫌になって……(と、腰をおろす)いいんです、そんなこと。さ、気合い入れなきゃ、バシッと行こう、バシッと。

ドールン:「♪ことづてよ、おお、花々……」(オペラ「ファウスト」第三章、ジルベールのアリアより)

アルカージナ:それからね、あたしは自分に特別厳しいの。イギリス人みたいに、いつも背筋をシャンとさせて、服にも髪にもちゃんと気を使うのよ。今までに、あたしが外へ出るとき、こんな庭ですらよ、部屋着のままで、髪もボサボサで、なんてことあった? ないでしょ!(なかば観客に)そういうこと。そこいらのオバサンみたいにルーズになって、自分を甘やかせたりしないの。ほらあ、どう?(と、腰に手をあてて、スキップして)見て。小鳥のリズムよ。少女の役だってまだできるわ。

ドールン:ええっと、先を続けましょうか?(本を取って)粉屋とネズミのところでしたね?

アルカージナ:ちゅうちゅう、ネズミネズミ。続けましょう。(と、座って)貸して。あたしの読む番。(本を奪い取って、続きを探す)ネズミネズミと……、ちゅうちゅうちゅう……。「――だから当然、社交界のご婦人方が小説家を贔屓にして、これを身近に近づけるのは、粉屋が納屋にネズミを飼っておくようなものです。なのに依然として小説家はモテますし、女はこれぞとおぼしき作家に狙いをつけたら最後、彼を手なずけるまで、もう、お世辞、お愛想、お色気の限りを浴びせかけるのです――」……そうお? そうかしら? フランスじゃそうかもしれないけど、ロシアじゃあ、狙いもへったくれもないわよ。手に入れようなんて考える前に、自分のほうからメロメロになっちゃうんだから。そうでしょ? あたしとトリゴーリンがいい例よ……。


8 お昼寝日和(人生談義1)

下手から、ニーナとメドヴェジェンコに介助されて、ソーリンが杖を担いでやってくる。三人とも妙にハッピー。
ドールンとマーシャは、申し合わせたように席を立つ。

ソーリン:(孫を可愛がるジジイのように、ニーナに)ン、ン、ン? なんだいなんだい? そうかい! そりゃハッピーじゃろうなァ!(アルカージナに)いやいやハッピーなんじゃよ。そりゃそうさ、お父さんもお母さんもトヴェーリへ出かけて、まるまる3日も、この子は自由の身なんだぞ。

ニーナ:(アルカージナに隣に座って)そうなんです! あたし、みなさんとずっと一緒にいられるんです!

ソーリン:今日はまた一段と可愛らしいだろ、この子は。

アルカージナ:ホントね、ずいぶんオシャレして……。カワイイお嬢さんだこと。(とニーナにキス)誉めすぎると、幸運の女神が嫉妬するわね。トリゴーリンはどこかしら?

ニーナ:浜辺で釣りをしてました。

アルカージナ:まぁ、よくもあきずに。(と、本を開く)

ニーナ:なんですの?

アルカージナ:モーパッサンの「水の上」


と、ページを眺める。間。

まぁ、嘘ばっかり! ああ、落ち着かない!(閉じる)ねえ、どうしちゃったのかしら、うちの息子は? なんで、あんなにつまらなそうな顔でふさぎ込んでるの? 一日中ずっと湖で、あたし、ろくに顔も見てないわ。

マーシャ:ムシャクシャしてるんですわ。(やさしくニーナに)ねえ、あの人の戯曲をなにか読んでくれない?

ニーナ:(肩をすくめて)あたしがですか? つまんないですよ、あんなの?

マーシャ:(こみ上げてくる興奮を抑えながら)あの人! 自分で朗読すると、目が燃えるようになるのよ! 顔は青ざめて、悲しそうな、済んだ声はまるで本物の詩人だわ!

ソーリン:(いびき)グーグーグー。

ドールン:いい、お昼寝日和ですな。

アルカージナ:ねえ、ちょっと!

ソーリン:ン?

アルカージナ:寝てたの?

ソーリン:(慌てて)あいや、いやいや……。


間。

アルカージナ:ねえ、兄さん、ちゃんと治療は受けてるの? ダメよ、ほったらかしにしたら。

ソーリン:そりゃ、こっちが聞きたいよ! ドクター、あたしゃもう治療を受けるのも無駄ってことですか?

ドールン:(驚いて)治療? 60にもなって?

ソーリン:60だろうが80だろうが、生きたいに決まっとる!

ドールン:(吐き捨てるように)じゃあ、カノコ草でも飲んだらいい。

アルカージナ:どこか温泉にでも行ってきたらどうかしら?

ドールン:そう、それもいいでしょうが……、まあ、よくもないでしょう。

アルカージナ:よくわからないわね。

ドールン:わからないことはない。ハッキリしてますよ。


間。

メドヴェジェンコ:タバコをやめたらどうなの?

ソーリン:バカバカしいわい。

ドールン:バカバカしくはない。タバコも、酒も、あなたからあなた自身を奪い取るんです。ウォッカを一杯、タバコを一服。それであなたは、もはやソーリン・ニコライェヴィッチではなくなって、ソーリン・ニコライェヴィッチ、プラス誰かになってる。自分てものをなくして、どこか知らない誰かになってるんです。

ソーリン:ワッハッハ! 言いたいことをいいおるわ。自分はさんざ遊んで生きてきたくせに。じゃが、わしゃどうだ? 法務局に28年務め上げたァいいが、楽しいことなんかなんも、なんも知らんまんまじゃ、っちゅかなんちゅうか、まだまだ生きたいわい! 当たり前じゃろ。あんたはいいさ、あんたはそうやってのうのうと屁理屈並べてりゃいい。じゃが、わしゃまだ生きたいんじゃ。じゃから晩にはシェリーを飲むし、タバコもふかすんだ! それに……、まあ、そういうことじゃ。

ドールン:人生はマジメに生きるべきものですよ。こういっちゃなんですが、60にもなって治療してくれだの、若いときに遊べなかったのが口惜しいだの、愚かさですな。

マーシャ:そろそろお昼じゃないかしら?(と、立って、歩き出そうとして)あ……(と、よろよろする)足がしびれちゃった……。


マーシャ、去る。

ドールン:ああやって、食事の前に一杯だ。

ソーリン:「貧しき者こそ幸せなり」、なんて、どうせ嘘さね。

ドールン:なんてことを! それが法務省に務めていた人間の言うことですか?

ソーリン:そんなのはみんな人生に満足している者のセリフじゃ!

アルカージナ:ああ、つまらないわねえ! 何がつまらないって、この田舎のつまらなさに勝るものといったらないわね! 暑いし、静かだし、みんな何にもしないで、理屈ばっかりこね回してて……。あたし、みなさんと一緒にいるのは好きですし、みなさんのお話を拝聴してるのも、身にあまる光栄だとは思いますけど、ホテルの部屋で、台詞の稽古でもしてたほうがよっぽど有意義だわ。

ニーナ:(大きく)わかります! そうでなんでしょうね! 

ソーリン:(オロオロして)そりゃおまえ、あたりまえじゃろ。都会のデスクに座っててみ、取次ぎなしにゃ誰も通さんし、電話もあるし……、街にゃタクシーも走ってるしな、とまあ、そういうことじゃろ……

ドールン:「♪ことづてよ、おお、花々……」

9〈みんな仲良く〉その2

上手から、シャムラーエフ、入ってくる。追い詰められたその顔は、笑ってるのか、怒っているのかわからない。
それを追い掛けて、ポリーナ。

ポリーナ:ちょっと、あんた!

シャムラーエフ:(無視して)どうもみなさん! 本日はお日柄もよろしゅう。(と、アルカージナに挨拶して)いやいや、奥さんに置かれましては、実にご機嫌うるわしゅう。なんでも、今、家内に聞いたところよりますと、今日はまた、家内を連れて、町までお出掛けになるご予定で?

アルカージナ:ええそうよ、そういう予定よ。

シャムラーエフ:ホウ! それはそれは(周囲を見回し)、結構ですなあ……、しかし奥さん、いったいどうやってお出掛なさるおつもりで? いや、というもの今日は、わたくしどもみんな麦の荷出しにてんてこ舞いでして、いったいどの馬を使うおつもりで?

アルカージナ:どの馬なんて、そんなこと、あたしの知ったこっちゃないわ。

ソーリン:荷車用のがあるだろ、荷車用のが。

シャムラーエフ:(キレて)荷車用だあ? じゃあ、その馬具はどこにあるっていうんだ? ええ、いったいどこに? バカも休み休み言ってほしいもんだ。……ねえ、奥さん! あたしゃね、奥さんの才能にはまったく、真実、敬服しているもんですが、ああ、もう、残りの命を10年分、捧げてもいいと思ってるくらいですがねえ。でも、いっさい馬は出せませんよ!

アルカージナ:(笑って)でも、どうしても出掛けなくちゃいけないとしたら? バカじゃないの!

シャムラーエフ:奥さん! あなたには農場経営というものがてんでわかってない!

アルカージナ:(突然、烈火の如く)なによ、冗談じゃないわ! あたし帰るわ、モスクワに。村に行って馬を用意してちょうだい! でなきゃ駅まで歩くわよ!

シャムラーエフ:あたしだって、辞めますよ、こんなところ! 別の人間を雇えばいいんだ!


シャムラーエフ、上手へ出ていく。

アルカージナ:いつもこう! いつもいつもこうなのよ! 毎年毎年、なんであたしが侮辱されなきゃならないの! 二度と来ないわ、こんなところへは!


アルカージナ、下手へ出ていく。(この後、浜辺まで行ってトリゴーリンを連れて家へ戻る姿が見える、らしい)

ソーリン:(いまさらキレて)なんちゅうか、この……、まったく……、信じられんぞ! ええ! 馬という馬をいますぐここに連れて来い!

ニーナ:(一緒になって、ポリーナに)あの人は大女優なんですよ! わかってるんですか? あの人の言うことは、どんなお願いだって、たとえわがままだって、農場の経営なんかよりずっと大切なはずだわ! 

ポリーナ:(がっくりして)あたしに何ができるんです? あたしに?

ニーナ:信じられない!

ソーリン:(ニーナに)さあ、行って、あいつに、帰らないよう説得して来よう。(と、立ち上がろうとする)

ニーナ:(立とうとするソーリンを助けて)ええ。行きましょう。

メドヴェジェンコ:(オロオロしながらも同じく助ける)

ソーリン:(シャムラーエフの去った方を見て)ったく信じられん! なんて失礼な奴なんだ!

ニーナ:(ソーリンを抱えながら)ほんとサイテー!

ソーリン:サイテーじゃ。……じゃが、なあに辞めはしたりはせんさ、わしがまた、話をつけるよ……。


三人、下手へ去る。

10 人生の黄昏れ・


ドールンとポリーナ。

ドールン:騒々しい連中だ……。まあ、あんたの亭主は雇われてる身だから、追い出されて当然なんだが、結局は、あのピノキオじいさんと大女優の方で詫びを入れて収まるのがオチだよ。

ポリーナ:荷車用の馬まで畑に駆り出しちまったのよ、ウチの人……(ドールンに寄って)気が狂っちまうわ、あたし。毎日毎日こんなんで、病気になりそう。あの人は下品で、ガサツだし……(マジになって)ねえ、あたしを引き取ってちょうだい……、あたしたちの時間はもう残り少ないわ。お互い若くもないし、これ以上、人目を避けたり、嘘をついたりしたくないの、せめて生涯の終わりだけでも……。


間。

ドールン:僕はもう50過ぎだ。生活を変えるには、遅すぎるよ。

ポリーナ:そうやって逃げるのも、好きなヒトが他にもいるからなのね。みんないっぺんに引き取るわけにはいかないものね。わかってるわ。ごめんなさい。退屈でしょ、あたしなんか。


ニーナが遠くに現れ、花を摘んでいる。

ドールン:そうじゃないさ。

ポリーナ:嫉妬よ。あたし、嫉妬してるのよ。……わかってる、あなたはお医者さんだし、女の人を避けるわけにもいかないし……

ドールン:(近づいてくるニーナに)どうですか、むこうの様子は?

ニーナ:大女優さんは泣いてます。ピノおじさんは喘息の発作で……。

ドールン:(歩き出して)さて、行って、二人にカノコ草でも飲ませるとするか。

ニーナ:(ドールンに花を差し出して)あの、これ!

ドールン:やあ、ありがとう。

ポリーナ:(ドールンに寄って)まあ、可愛らしいお花ね!


ドールンとポリーナ、歩き出す。

(去り際で、声を落として)ちょっとよこしなさいよ! あたしによこしなさいってば!(花を奪って引きちぎると、投げ捨てる)


二人、去る。

11 カモメ


ニーナ一人、なかば観客に向かって。

ニーナ:変でしょお? 大女優があれしきのことで泣きわめいたりする? それに、あの作家さん。新聞にもよく出てるし、外国語に翻訳されたりもしてる作家さんなのに、一日じゅう釣り竿たらしてて、ちっちゃいフナ二匹。そんなんでいちいちはしゃいだりするの? あたし有名人て、もっとプライドが高くて、近づきにくい人種だって思ってた。一般人のことなんかこう、見下しててさ。お金だとか人づきあいだとか、狭いことに執着しているみんなをさ、こう、栄光と名声の高みから、見下して笑ってるんじゃないかって……、なのに、なにあれ。ぜんぜん、フツーじゃないの。


トレープレフがやってくる。銃とカモメの死体を持って。

トレープレフ:ひとり?

ニーナ:そうよ。


トレープレフ、カモメをニーナの足元に置く。

ニーナ:なにこれ、どういうイミ?

トレープレフ:今日、僕は恥ずべきことをした。このカモメを撃ち殺したんだ。これを君の足元に捧げよう。

ニーナ:あなた、どうしちゃったの?(と、カモメを取って眺める)


間。

トレープレフ:いまに僕は自分自身を撃ち殺すんだよ、こんなふうに。

ニーナ:……あなた、変わったわね。

トレープレフ:そうだよ! 君が変わったからだ。僕に対する君の態度。僕を見る君の冷たい目。今だってそうだよ、うっとうしいんだろ、僕の存在が。

ニーナ:それに怒りっぽくなったし、何を言いたいんだか、ちっともわからないし、こんな(と、カモメを見て)なにこれ? ごめんなさい、ぜんぜんわからない。(と、カモメをベンチに置いて)ついてけないわ、あたし単純だから。

トレープレフ:あの夜からだ。僕の芝居がコケにされた夜からだ……。女って奴は絶対に失敗を許さないんだ。あんな芝居、全部引き裂いて、焼き捨ててやった! ああ、僕が今、どんなにみじめか、わかるか! 信じられないよ! 君が急にそんなに冷たくなるなんて! まるである朝目が覚めたら、湖の水が全部干上がってたか、地面に吸い込まれてたみたいだ。(カモメを見て)……わからない? 単純だからついてこれないって? 単純だよ! あの芝居は失敗だった。だから君は、僕の才能を見限って、僕をそんじょそこらの低能と同じ目で見るようになった。単純じゃないか!(床を踏んで)クソ! クソ! クソ!(頭を抱えて)頭に釘を打ち込まれたみたいだ……、クソ! プライドがなんだ! クソだ! そんなもん!


トリゴーリンが見える。本を読みながらやってくる。

ホラ、本物の才能だ。本を片手に、まるでハムレットだ。(マネをして)「言葉……言葉……言葉……」それ見ろ、あの太陽の光のまだ届かぬうちに、君の顔はほころび始めた。まるでとろけそうだ。邪魔はしないよ。


トレープレフ、上手へ走り去る。

11 破滅


トリゴーリン:(手帳に書き込みをしながら)嗅ぎタバコを吸い、ウォッカを飲む女。うん。……いつも黒い服。……学校教師に好かれている。

ニーナ:こんにちは! トリゴーリンさん!

トリゴーリン:やあ。(と、笑ってニーナに近寄って)どうやら、僕ら今日中にここを発つことになりそうです。もうお会いできないかもしれませんね。(笑って)いや、あなたのような若いお嬢さんとお会いできるようなチャンスは、僕にはそう滅多にないもので……、自分が18、9だった頃のことなど覚えてもいないし、そのせいで僕の小説に出てくる女の子たちは、みんな作り物っぽいんです。一時間でもいい、あなたと入れ代われたら、あなたの考えていること、若いということはどういうことなのか、わかったのに、なんて思っていたんですが……。

ニーナ:あたしは、あなたと入れ代わってみたいなあ。

トリゴーリン:また、どうして?

ニーナ:有名で、才能のある作家になるのってどんな感じなのか知りたいの。どんな感じなんですか? 有名人って?

トリゴーリン:どんな感じって。(ちょっと考えて)どっちかでしょうね。あなたが僕の立場を大げさに考えているか、それとも僕が自分の立場に鈍感なのか。

ニーナ:でも、新聞とかで自分のことを読んだりしたら?

トリゴーリン:ホメられた時は嬉しいが、けなされれば2、3日は落ち込みますね。

ニーナ:いいなあいいなあ、うらやましいなあ! 

トリゴーリン:…………。

ニーナ:運命って人それぞれなんですね。クソ面白くもない、退屈な生活を引きずって生きている人たちもいるかと思えば、あなたみたいに、百万人に一人の、有意義な人生を生きている人がいる!

トリゴーリン:僕が?(肩をすくめて)有意義で、有名で、幸せな人生? そういう言葉は……、申し訳ないが、甘すぎるデザートと同じで、僕は絶対に口にしない。あなたは若い、それに優しすぎます。

ニーナ:ステキだわ、あなたの人生って!

トリゴーリン:どこが!(と、時計を見て)申し訳ありませんが、そろそろ仕事に戻らせてください。時間に追われているもので……。(と、立ち止まって)ハハハ、まいったな。痛いところを突かれた。どうも大人げもなく……、いいでしょう、お話しましょう、僕のその有意義な人生について。さて、どこから始めましょうか……。


間(二人はそれぞれの所在場所を発見する)。

強迫観念って、わかりますか? 昼も夜も四六時中、月なら月のことしか考えられなくなるっていうやつです。僕もそれなんですよ。いつも月に追われてるんです。書かなきゃ、書かなきゃ、書かなきゃって……。やっとの思いで書き上げたと思ったら、すぐにも次のに取りかからずにはいられない。そうやってまた次の、さらに次のと休む暇がない。教えてほしいくらいだ、こんな生活のどこが幸せなのか。むごい生活ですよ。……そう、今だって、君とこうして話しながら頭の中じゃ、机の上で待ってる書きかけの小説のことを考えてる。(例えば)ホラ、あそこにグランドピアノのような形の雲が見えるでしょう。僕はすぐ考える、あれはどこかに使えるって。「その時、空には、グランドピアノのような雲が浮かんでいた」。ホラ、このルリ草の匂い、これだって使える、「甘ったるい匂い……、未亡人が身にまとう紫色のドレス……、そして、夏の夕暮れ」。ね、こうして話しながら、飛び交う言葉の一言一句をつかまえては、片っ端から記憶の貯蔵庫にため込んでいるんです、いつか使えるだろうってね。……時には考えます、ひと仕事終えて、劇場に行ったり、釣りに行ったりすれば、のんびりと我を忘れていられるんだろうなあ。ところがそうはいかない、飛び込んで来た新しい素材が、頭の中で鉄の玉のように転がり始めると、やっぱり机に向かって書きまくってる。いつもこう。いつもいつも、こうなんです。名前も知らない読者のために、自分の大切な花を根こそぎにして、花びらをむしり取っては一生懸命、蜜をかき集めてるような、あわれな働きバチ……。これがマトモな人生だろうか? 友だちも親戚も、顔を会わせれば、きまって言うことは同じ。「書いてるかい?」「次はどんなのだい?」。たとえそれが、やさしい気遣いから出た言葉だったとしても、ぜんぶ見せかけに思えてくる。ある日突然、後ろから捕まえられて、ゴーゴリの「狂人日記」のように、精神病院に押し込められるんじゃないかと、不安に脅える日もある。……まださほど忙しくもない、かけ出しの新人だった頃も、そう、書くのは苦痛だったなあ。とにかく売れてないってだけで、自分が半端に思えてね。文学関係者のまわりをうろついては、相手にもされず、認められず、マトモに誰も見返せない。つらかったなあ、ホント、あれは苦痛だった。

ニーナ:でも、最高にしあわせな瞬間だってあるわけでしょ? インスピレーションが湧いて、ペンに勢いが乗ってる時とか。

トリゴーリン:うん。書いている時は楽しいし、校正も悪くない。けど……、ひとたび印刷されて本になると、もう耐えられない。こんなつもりじゃなかった、書くべきじゃなかった……。どうにも、みじめな気持ちになって……、ハハハッ、そんなものを読んで、世間じゃ言うんだ、「面白かった! よく書けてる! でもトルストイには及ばないかな」「いい作品だねぇ、でもツルゲーネフの『父と子』のほうが上だねぇ」。……きっと死ぬまで「いいねえ」「うまいねえ」のくり返し。死んだあとだって、友だちは僕の墓の前を通りながらこう言うだろう。「ここにトリゴーリン眠る。いい作家だったが、ツルゲーネフにはかなわなかった」


間。

ニーナ:(立って)あたし、聞いてられません。あなたきっと成功に甘えてるんです。

トリゴーリン:成功? この僕が? 作家としての自分に、不満ないのに? 気に入らないのに? ……ときどき、自分でも頭がボンヤリして、何を書いているのかわからなくなるのに……。だけど、こういう湖とか、木とか、空とか、僕は大好きだ。自然を見ていると書きたいという情熱が湧いてくる……。でも、僕は風景画家じゃない。世の中に揉まれて生きている、一人の人間なんだ。だから当然、作家として、世の中の苦しみや、みんなの将来のことを描きたいと思う。社会や科学のことを書きたいと思う。けど結局は、あっちへ逃げこっちへ逃げ、悪戦苦闘しているうちに、社会も科学もどんどん先へ進んでしまって、気がつくと、汽車に乗り遅れた田舎者のようにひとりホームに佇んでいる……。つまり、僕に書けるのは風景だけなんです。ほかはすべて嘘で固めた作り物。もう骨の随まで、偽物なんです。

ニーナ:仕事のしすぎなんじゃないでしょうか? あんまり急がしくって、自分の偉さを自覚できなくなってるんだと思います。自分で自分が気に入らなくったって、普通の人から見たら、あなたは断然、素晴らしいんです! 絶大な力を持ってるいるんです! ……もしも、私があなただったら、哀れな世の中のみんなのために、この命をぜんぶ捧げて一心不乱に仕事をするわ! そうしていつかみんなの現実が、私の描いた世界に追いついた時、きっと全世界が、私を担ぎ上げて国中をパレードするんだわ!

トリゴーリン:パレードかあ! まるでアガメムノンだ!


二人、ほほえむ。

ニーナ:あたし、作家とか女優とか、そういう幸せな人間になれるんだったら、家族に見放されたってかまわないわ。貧乏したって、苦労したって、屋根裏部屋で黒パンばかり齧ってたって! きっと最初は自分の未熟さにうんざりするかもしれない。けど、そんなの当たり前じゃない。そのかわり、あたしは要求するの! 栄光を! 本物の、目のくらむような栄光を……、(顔を手で覆って)ああ、くらくらする!

アルカージナ:(舞台裏から顔を出して遠くに呼び掛けるように)トリゴーリン!

トリゴーリン:お呼びだ。荷造りだな、きっと……、行きたくないなあ。(湖を見回して)ここは天国だ! ステキだよ!

ニーナ:向こう岸に家が見えるでしょ?

トリゴーリン:うん。

ニーナ:前はママのものだったの、死ぬまでは……。あたし、あそこで生まれたのよ。あそこで生まれて、ずっとこの湖のほとりで暮らしてきたの。

トリゴーリン:すばらしい。すばらしい場所だあ。(カモメに気づいて)これは?

ニーナ:カモメ。コースチャが撃ち殺したの。

トリゴーリン:美しい鳥だなあ。……ああ、行きたくない。もう少しいてくださいって、アルカージナを説得してくれないかな? ハハハ(と、手帳になにやら書き込む)

ニーナ:なにを書いてるの?

トリゴーリン:ちょっとね、浮かんだんだ。(手帳をしまって)短編の題材さ。子供の頃から湖のほとりで暮らしている、一人の少女、君のように、カモメのように、湖を愛して、自由で幸せだ。ところがある日、ふらりと現れた男が彼女に目をつけて、退屈まぎれに破滅させてしまう、ちょうどこのカモメのように。


間。


アルカージナ:(また顔を出して)トリゴーリン! どこなの?

トリゴーリン:いま行くよ!(歩き出すが、振り返ってニーナを見る。アルカージナに向かって)どうしたの?

アルカージナ:まだここにいることにするわ!


トリゴーリン、去る。

ニーナ:(舞台前に進んで、ちょっと考えて観客に)夢だわ!


http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull02.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c18

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
19. 中川隆[-13507] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:56:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1397]

第3幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull03.html


朝の光に包まれた食堂。食器棚とテーブルとイス。
窓が一つ。床には出発の準備を伝えるスーツケースなど。


12 あたしの先生

トリゴーリン、一人で最後の朝食を食べている。
マーシャ、ウォッカのグラスを手にホロ酔い気分。

マーシャ:せんせぇ……。

トリゴーリン:(食べながら)ン。

マーシャ:こんなことをお話しするのも、先生が作家だからなのよ。よかったら、どこかで使ってくれてもかまわないの。……正直言ってあたしね、あの人の傷がもっとひどかったら、生きていなかったかもしれない。けど、決めたの、頑張ろうって。この気持ちを自分の中から消そうって! 根こそぎ引っこ抜いてやろうって!

トリゴーリン:でも、どうやって?

マーシャ:結婚するのよ、メドヴェジェンコと。

トリゴーリン:あの学校教師と?

マーシャ:そう。

トリゴーリン:それで、なんとかなりますか?

マーシャ:さあ? わかんないけど。でも、いつまでも望みのない恋をしてたって、何年も何年もただ待ってたってさ……。愛はないけど、結婚すれば新しい悩みも出てきて、古い悩みなんかきっと忘れられるでしょ? それだけでも変化よ。もう一杯どう?

トリゴーリン:大丈夫かい?

マーシャ:あら!(二つのグラスになみなみ注ぎながら)そんなふうに見ないでくださる? 先生がご想像なさってるより、女ってお酒、飲むんですよ。まあ、あたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけど、でもみんな隠れて結構やってるわ。それも、たいていコニャックやウォッカ。(グラスを合わせて)お幸せに! あなたって親切な、いい方だわ。お別れするのが残念。


二人、飲む。

トリゴーリン:僕だって発ちたくはないんだ。

マーシャ:どうしてもっといようって言わないの?

トリゴーリン:ムダでしょう、今度ばかりは。息子があんなことをしでかしたんですから。……ピストル自殺の後、僕に決闘を申し込んだそうじゃないですか? なんともまあ、スネて、イジけて、最後は新形式のお説教だ。場所はまだ、たっぷりあるのに、新人にもベテランにも。なにもツノ突き合わせることはないんだ。

マーシャ:嫉妬もあるんだわ。……ま、あたしの知ったこっちゃないけどさ。


間。ニーナが入ってきて、窓辺に立つ。

……あたし、申し訳ないって気もするの。だって、あたしの、あの学校の先生は、頭は良くないけど、ノンキだし、貧乏だし、あたしのことが好きだから。……でも、じゃあね、せんせぇ、あたしのこと忘れないでね。(しっかりと握手して)いろいろとどうもご親切に。できたら今度、ご本を送ってくださいね、サインを添えて。

トリゴーリン:うん。

マーシャ:嫌よ、「敬愛なるマーシャさんへ」なんて、ありきたりじゃ。こう書いて、「生まれもわからず、なんのために生きてるのかもわからない、マーシャさんへ」って! さようなら!


マーシャ、出ていく。

13「昼と夜」


ニーナ:(トリゴーリンに握った片手を差し出して)偶数? 奇数?

トリゴーリン:偶数。

ニーナ:ハズレ。豆は一つ。あーあ、賭けてみたんだけどな、あたしが女優になれるかなれないか……、誰かハッキリさせてくれないかなぁ。

トリゴーリン:誰にもなんともできないでしょう、それは。


間。

ニーナ:お別れですね。……たぶん、あたしたちはもう二度と会えません。記念にコレ、あなたのイニシャルを彫らせたの。こっちには、あなたのご本のタイトル、「昼と夜」。

トリゴーリン:へえ、すごいなあ。(と、ペンダントにキスする)ありがとう。

ニーナ:ときどき思い出してね、あたしのこと。

トリゴーリン:思い出しますよ、とりわけあの晴れた日のあなたのことを。覚えてますか? 一週間ほど前、あなたは明るい色のワンピースを着ていた……。僕たちは話をしてて、ベンチには白いカモメが……。

ニーナ:(重々しく)そう、カモメが……。


間。

ダメ。誰か来る。行く前にあと2分、あたしにちょうだい、お願い!


ニーナ、上手に去る。

14 口笛吹いて


入れ代わりに、アルカージナとソーリンが入ってくる。
ソーリンは、燕尾服に勲章をつけている。

アルカージナ:家にいなさいよ。リューマチなんでしょ。そんなんで出歩く人がありますか。(トリゴーリンに)誰かいたの? ニーナ?

トリゴーリン:ええ。

アルカージナ:あーら、お邪魔だったかしら?(座って)ふう。なんとか荷造りは済んだようね。ああ疲れた。

トリゴーリン:(ペンダントの文字を読んで)「昼と夜」、121ページ、11、12行……? 何が書いてあったろう? (アルカージナに)この家に、僕の本あったかな?

アルカージナ:ええ。書斎の、角の本棚に。

トリゴーリン:121ページ、か……。


トリゴーリン、去る。

アルカージナ:ホントよ、家にいなさいよ。

ソーリン:家にいたって、つまらんよ、おまえは行っちまうし。

アルカージナ:町でなにかあるの?

ソーリン:特にはまあ、そういうことじゃが……(と、笑って)市庁舎の起工式があるわい! ……ちゅうかなんちゅうか、一時間でもいいんじゃ、こんな穴蔵で、古びたパイプみたいに埃をかぶってるよりゃ……、1時ンなったら、馬車を回すように言ってあるから、なあ、一緒に出掛けよう。


間。

アルカージナ:ここで暮らすよりほかないのよ、兄さんは。あんまり退屈がって、風邪なんかひかないでね。あの子のことはお願いします。面倒見てあげてちょうだい。


間。

……発ってしまえば、あの子がなぜ自殺なんかしようとしたのか、わからないままだわ。結局、嫉妬でしょ? だから少しでも早くここからトリゴーリンを連れ出したいのよ。

ソーリン:なんちゅうのかなぁ……、理由は他にもあったさ。そうじゃろ? あの子だってまだ若いし、才能もあるんだろうし、なのにこんな田舎で、金も地位も将来の見通しもないままじゃあ、なんもすることのないままじゃあ、腐ってくような気がするのさ、恐いのさ。わしゃ、あの子が好きじゃ。あの子もわしを慕ってくれとる。じゃがなんちゅうのかなぁ、ここにいるのが納得できないんじゃろなぁ、居候みたいな感じなんじゃろ。あの子にだってプライドがあるさ。

アルカージナ:ああ、ホント、苦労されられるわ!


間。

働きに出させたらどうかしら?

ソーリン:(あきれるが、ためらいがちに)それより何より……。なあ、おまえ、いくらかでも持たせてやったらどうじゃろ? 身なりをキチンとさせて、ちゅうか、見てごらん、年がら年中、同じ擦り切れたジャケットで、コートの一つも持っとらん!(と、笑って)旅行だって悪くないぞ。外国かどこかへ、なあ、金だってそんなにかからんじゃろうよ。

アルカージナ:そうねえ、着るものくらいだったら、でも外国となるとねえ……。ダメ。今はダメよ。着るものだって。(きっぱりと)お金なんかないわ。

ソーリン:(口笛を吹いて)

アルカージナ:ないのよ!

ソーリン:(口笛を吹いて)わかった。わかった。わしが悪かった。そうともさ、おまえは気立てのいい、やさしい女じゃよ。

アルカージナ:(泣いて)だってないんだから!

ソーリン:わしが持ってりゃなあ、それこそ、ポンと出してやるんだが、あいにくわしも一文なしだ。(と、笑って)わずかな年金も、牛だ、蜜バチだ、みんな農場に取られて、捨てるようなもんじゃ。牛は死ぬ、ハチも死ぬ、馬にすら使う金がない……。

アルカージナ:そりゃ少しはあるわ、でもあたしは女優よ。衣装代だけだって、破産しそうなのよ。

ソーリン:ああ、ああ、わかっとる、わかっとる、おまえの気持ちはわかっとるよ。そうともさ……、ああ、じゃがわしゃ何だか……(よろめいて)めまいが……(テーブルにもたれる)気分が悪い、とまあ、そういうことじゃろ!(倒れる)

アルカージナ:(驚いて)ちょっと!(助け起こそうとして)しっかりしてよ! (叫ぶ)誰か! 誰か来て!

15 ぼくのママ

頭に包帯を巻いて、コップの水を持ったトレープレフと、
杖を持った、メドヴェジェンコが駆けつける。

アルカージナ:気分が悪いって!

ソーリン:(起き上がって)なーんてな! ハッハッハ!(と、水を飲んで)ま、大丈夫大丈夫、そういうことじゃ。

トレープレフ:驚かなくてもいいよ、ママ。たいしたことじゃないんだ。このごろ伯父さん、すぐこうなるんだ。少し横になってれば、伯父さん?

ソーリン:うん、少しな……、でもわしゃ出かけるぞ、少し横になって、それから、出かけるんだ、だってそうじゃろう。


メドヴェジェンコから杖を受け取って立ち上がる。

メドヴェジェンコ:(ソーリンの腕を取って嬉しそうに)こんな謎なぞがあったね。朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足って。

ソーリン:それで夜にはバタンキューか! 一人で歩けるちゅうに。大丈夫じゃ、大丈夫大丈夫……。


メドヴェジェンコとソーリン、去る。

アルカージナ:驚かさないでよ、もう!

トレープレフ:田舎暮しがよくないんだ。気が滅入るんだよ。ママが突然、気前よくなって、2000くらい貸してあげたら、それで伯父さんも一年は町で暮らせるのに。

アルカージナ:ないわよ、お金なんか。あたしは女優よ、銀行家じゃないわ。


間。

トレープレフ:包帯を替えてくれない、ママ? ママは上手だから。

アルカージナ:(食器棚からヨードチンキと包帯を取り出して)遅いわね、ドクターも。

トレープレフ:10時には来るって言ってたんだけどな、もう12時だ。

アルカージナ:座りなさい。(頭の包帯をほどきながら)ふふふ、ターバンみたいね。昨日、お勝手に来てた人が、あんたのこと見て、あれは何人だって言ってたわよ。でも、ほとんど直ってる。ほんの少し、ほんのちょっと開いてるくらいだわ。(と、頭にキスして)あたしが行っちゃったら、あんなピストルごっこはもうしないで、いい?

トレープレフ:うん。あのときは本当に絶望しちゃって、自分でもどうしようもなかったんだ。二度と起こらないよ、あんなこと。(と、母の手にキスして)ちっちゃな、魔法の手だ……。ずっと昔、ママが国立劇場に出てて、僕はまだ子供だった頃、アパートの中庭でケンカがあったの、覚えてる? 一緒に住んでた洗濯屋の女の人がひどく殴られたの、覚えてる? あの人、気を失っちゃってさ……。ママ、何度もお見舞いに行ってあげてたよね。薬を持ってったり、子供たちを洗ってあげたり、覚えてない?

アルカージナ:そうねえ。(新しい包帯を巻いている)

トレープレフ:同じアパートにバレリーナが二人いて、よくお茶を飲みに来てたのは?

アルカージナ:それは覚えてる。

トレープレフ:二人とも、とても信心深かい人たちだったなあ。


間。

このところさ、ここ何日かさ、僕、ママのことが好きでしようがないんだ。子供の頃みたいに……。僕にはもう、ママしかいないんだ。なのに、なぜ、ママはあんな男と一緒にいるんだろう?

アルカージナ:あなたにはわかってないのよ。いい、あんなに立派な人はいないのよ。

トレープレフ:そのリッパな人が、僕に決闘を申し込まれたと聞くと、とたんに弱腰ンなって、逃げ出すんだもんなあ。情けねえよな!

アルカージナ:何言ってんのよ! あたしから出て行きましょうってお願いしたのよ!

トレープレフ:いやあ、リッパリッパ! そりゃ立派だねぇ! でも、こうやって僕たちが、あいつのことで言い合ってる間にも、あいつは客間か庭か、どこかそこらで僕たちのことをあざ笑ってるんだぜ。ニーナの頭に、自分がいかに立派かっていうことを吹き込もうとしてるんだぜ。

アルカージナ:あんた、そういうことを言って、自分が情けなくならないの? ……あたしは、彼を尊敬してるわ。信用しているんです。だから、あたしの前で、彼をけなすのはやめてちょうだい?

トレープレフ:でも、こっちはソンケイなんかしてませんから、あしからず。ママはあいつの才能を僕に認めさせたいんだろうけど、僕は嘘がつけなくってねえ! あいつの本なんかヘドが出るよ!

アルカージナ:負け犬の遠吠えねえ! 才能のないシロウトは、本物のプロフェッショナルを前にするとやたらめったら吠えるのよ。始末に負えないったらないわ!

トレープレフ:何がプロだぁ! 悪いけど、僕はおまえたちの誰よりも才能があるんだよ!(と、包帯を引き裂いて)カビのはえた、クソ石頭なおまえたちが、さんざおいしいところを独占して、自分たちだけを正当だと決めつけてるんじゃないか! それ以外のものは排除して、抹殺してるんじゃないか! 僕は認めないぞ、誰も! おまえも! あの野郎も!

アルカージナ:いいかげんになさい! 自分を何様だと思っての、このボウヤが? 退廃デカダンのくせに!

トレープレフ:てめえこそ、大好きな劇場にさっさと引っ込んで、みじめな三流芝居をやってろよ!

アルカージナ:悪いけどねえ、あたしゃ、そんな芝居に出た覚えは一度もないわ! あんたこそ、なにさ、マトモなコントの一つも書けないくせに! この、キエフの商売人! 貧乏人!

トレープレフ:ケチンボ!

アルカージナ:居候!

トレープレフ:ああっ……!(座り込んで静かに泣き出す)

アルカージナ:マザコンボウヤ!


アルカージナ、興奮して歩きまわる。

泣かないでよ……、泣かないで!(と、泣く)ねえ!(息子の額、頬、頭にキスキスキス!)お願いだから、いい子だから……。ひどい母親ね。かわいそうなのは、あたしなのよ……。

トレープレフ:(ママを抱いて)わかってよ、ママあ! 僕には何も残ってないんだ。ニーナは僕のことなんか愛してもいないし、僕にはもう何も書けないよ……。

アルカージナ:泣かないの! なにもかもよくなるからね。あの人がいなくなれば、あの子もまたおまえのところに戻ってくるわ。(涙をふいてやって)さあ、おしまい。仲直りよ。

トレープレフ:(ママの手にキスして)うん、ママ。

アルカージナ:(やさしく)彼とも仲直りしてね。もう決闘はなし。そうでしょ?

トレープレフ:うん……。でも、顔を会わせたくない。辛すぎるよ……。

16 私の王様

トリゴーリンがやってくる。

(それを見て)じゃあ……(急いで薬品を棚に戻しながら)後でドクターに巻いてもらうよ……。

トリゴーリン:(本をめくりながら)121ページ、11、12行……と、ここだ。「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして……」


トレープレフ、包帯を拾い上げて去る。

アルカージナ:(時計を見て)もうすぐ馬車が来るわよ。

トリゴーリン:(自分に)「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして」

アルカージナ:荷造りは出来てるの?

トリゴーリン:(イライラと)わかってるよ。(目を閉じて)この、純真な心の叫びの中に、俺には悲哀の声が聞こえる……。なぜだろう? なぜ、俺の胸はこんなにドキドキするんだろう?「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして」(アルカージナに)……ねえ、もう一日いよう!

アルカージナ:(首を振る)

トリゴーリン:あと一日、もう一日!

アルカージナ:わかってるわ、あなたが何に後ろ髪を引かれているのか。しっかりなさい! 酔ってるんでしょ。さあ、頭を冷まして。

トリゴーリン:きみこそ、頭を冷やしてくれ……。落ちついて、理性的になって、考えてくれ、本当の友だちとして。頼む。(と、アルカージナの手を握って)きみは自分を犠牲にできる、賢い女だ。そうだろう? 親友として、僕を自由にしてくれるだろう?

アルカージナ:(大きな声で)あんな田舎娘のどこがいいのよ?

トリゴーリン:魅かれてる! どうしようもなく! たぶん、僕には必要なんだ。

アルカージナ:あなた、自分を見失ってるわ……!

トリゴーリン:……人はときどき、歩きながら眠ることがある。こうして話をしながらも、僕はじつは眠っていて、あの子の夢を見ているのかもしれない……。うっとりとしながら、やるせない夢を……。お願いだ、行かせてくれ!

アルカージナ:(震えて)いやよ……、いやよ……、あたしは普通の女だわ……。やめて、そんな話し方……、あたしを苦しめないで、恐いの……。

トリゴーリン:その気になれば、きみだって賢い女になれるんだ……。ああ、夢のようにかぐわしい、狂おしい恋……。詩的でみずみずしい、魔力にあふれた愛……。ただそれだけ、ただそれだけがこの世でしあわせを与えてくれる。でもまだ、僕はそんな愛を味わったことがない……。若いころはあまりに忙しかったんだ。出版社の首にぶら下がって、ただただ貧乏と戦って……。それが今、向こうから手招きをして僕を誘っているんだよ。避ける理由がどこにあるんだ?

アルカージナ:狂ったのね!

トリゴーリン:それでもいい!

アルカージナ:ああ! なんで今日はみんなあたしをいじめるのォ!

トリゴーリン:(頭を抱えて)わかってくれない! わかってくれない!

アルカージナ:あたし、そんなにトシを取ったの? 醜くなったの? あたしの前で、平気で他の女の話をするなんて!(トリゴーリンを抱いて、キスして)気が狂ってしまったんだわ! あなた! ねえ、あなた! あたしの大事な、あなた! あたしの人生の最後の1ページ!(跪いて)あたしの喜び。あたしの誇り。あたしのしあわせ!(膝を抱いて)あなたに捨てられたら、一時間だって生きていけない。本当に気が狂ってしまう。あたしの大事な人、素敵なあなた、あたしの王様!

トリゴーリン:(びびって)誰か来るよ……。(女を起こそうとする)

アルカージナ:かまわないでしょう。あなたを愛することが恥ずかしいことなの?(男の両の手にキスして)宝物だわ。……あなたはバカなマネがしたいんでしょうけど、あたしが許しません。絶対に許しませんからね! ハッハッ! これはあたしのものよ! あたしのもの……、このおでこも、この目も、この柔らかい髪の毛も、全部あたしのもの……。あなたは本当の天才で、かしこくって、現代の最高の作家だわ。ロシアでただ一つの希望だわ。誠実で、まっすぐで、新鮮で、驚くようなユーモアがあって、たったひと筆で、風景や人間の本質を描き切る。あなたの描く人間は、生きている。読んで魅き込まれない人はいないくらい。嘘だと思うの? 見て、あたしの目を見て! これが嘘をついている目? どう! ……わかった? あたしだけよ、あなたの本当の価値を認めてあげられるのは。あたしだけ。あなたの真実を口にできるのは、そうでしょ。ステキよ、あなたは……。さあ、じゃ、一緒に行くわね?あたしを捨てないわね?

トリゴーリン:……俺には意志というものがないのか、俺には……。こんな、芯のない、愚にもつかない、なさけない男が、本当に女から愛されるのか? ……さあ、連れていけ、どこへなりと! だが一瞬でもそばから離すなよ!

アルカージナ:(小さく)これであたしのものだわ。(なにもなかったかのように)でも、行きたければ行ってもいいのよ? あたしは行くわ。あなたは後から来ればいいじゃない、一週間もしたら。急ぐ必要もないんでしょ?

トリゴーリン:いや、一緒に行くよ。

アルカージナ:お好きなように。……まあ、じゃ出かけましょ。


間。

トリゴーリン:(手帳を取り出して書きつける)

アルカージナ:なに?

トリゴーリン:今朝おもしろいフレーズを聞いたんだ、「処女の森」だってさ。これは使える……(伸びをして)あーあ、また汽車か。駅に、食堂車に、カツレツに、おしゃべりか……。

17 時間です!

シャムラーエフ、ごきげんに登場。
続いて、ポリーナ、メドヴェジェンコ、ソーリン、マーシャ。

シャムラーエフ:(なかば観客に)どうも、みなさん! 本日はご来場、マコトにお日柄もよく、残念ながらご報告申し上げねばなりません。奥さん、馬の用意ができました。時間です。さあ、駅へと向かいましょう。汽車の時間は2時5分。……ところで奥さん、お忘れではござんせんでしょうなあ、例の件。あの、「名優スーズダリチェフや、今どこに?」。ぜひともお調べくださるよう。はたして、奴は今も生きているのか? 健在なのか? いやあ、昔よく一緒に飲み歩いた仲でしてね。「郵便強盗」じゃあ、天下一品の芸を見せてくれたもんでした。よくコンビを組んでた、あの、悲劇役者のイズマイロフ、こいつもなかなかの男でしたが……、いやいや、そうお急ぎにならずとも、あと5分は大丈夫。……そうそう、とあるメロドラマでしたか、二人は逃げる謀反人、不意を襲われあわや、という場面、「しまった! フクロのネズミだ」と言うところを、さてものイズマイロフ、なにを焦ったか「フクローの寝過ぎだ!」(と、大笑い)ガッハッハ! フクローの寝過ぎだ! って、ねえ、そりゃないでしょ? ホー! ホー!


とこう、シャムラーエフが喋っている間に、ポリーナ、マーシャは荷物を用意し、アルカージナは帽子、コートなど、旅支度。

ポリーナ:(カゴを差し出し)これ、スモモを。汽車ン中じゃ、こういうものが召し上がりたくなるんじゃないかと思いまして……。

アルカージナ:まあまあ、気を遣わせてしまって。

ポリーナ:奥さま、どうぞお元気で。なにかと行き届かない点があったとは思いますが、どうかお許しくださいませ。(と泣く)

アルカージナ:(管理人の妻を抱いて)完璧だったわ、申し分なしよ。あんたが泣いたりしなきゃねえ!

ポリーナ:もう残り少ないんです! あたしたちの時間は……。

アルカージナ:まあね、どうしようもないわね……。


ソーリンが帽子をかぶり、ステッキを手に現れ、

ソーリン:時間じゃ時間じゃ! 遅れるぞ! わしゃ先に行っとるからな、とまあそういうことじゃ。(と、出ていく)

メドヴェジェンコ:僕も行かなきゃ、なんせ駅まで歩きなんで。ではでは。(と、出ていく)

アルカージナ:では皆さん、ごきげんよう! さようなら! もし元気でしたら、また来年の夏にお会いしましょう。(と、観客に)さようなら! さようなら! あたしのこと忘れないでね。(と、観客に)ホラあんたたち、コレお駄賃。三人で分けるのよ!

シャムラーエフ:ぜひお便りを! あなたもさようなら、トリゴーリンさん。

アルカージナ:だけど、コースチャったらどこに行ったのかしら? もう行くからって、あの子に言ってちょうだい。さよならを言わなくっちゃ。それじゃあね、みなさん! ちゃんと三人でわけるのよ!


一同、退場。
舞台には誰もいなくなる。
と、ポリーナが戻ってきて、置き忘れたスモモのカゴを取って、

ポリーナ:ン、もう!(と出ていく)


と、トリゴーリンが戻ってくる。

トリゴーリン:俺はステッキだ。テラスだったかな?


上手に出ていこうとして、やにわに入ってきたニーナとぶつかる。

やあ、君か。僕らもう……

ニーナ:もう一度会えるって思ってた!(興奮して)あたし、決めたの! 賭けよ! 舞台に出るわ! 明日ここを出て、パパを捨てて、すべてを捨てて、新しい生活を始めるわ。モスクワへ行くの。あなたと同じように。……あたしたち、また会えるでしょ?

トリゴーリン:(みんなの去った方をチラッと見て)スラヴヤンスキー・バザールに泊まってる。待ってるよ……、住所は、モルチャーノフスカ通りのグロホーリスキ館……。さあもう行かなくちゃ……。


間。

ニーナ:もう少しだけ……

トリゴーリン:(声を落として)きれいだ。夢みたいだ、またすぐ会えるなんて……

ニーナ:(彼の胸に頭をあずける)

トリゴーリン:この目にも、この、うつくしい、やさしい笑顔にも……、このかぐわしさ、柔らかさ、天使のような純粋さ! 素敵だ……


長い長い、キス。



http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull03.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c19

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
20. 中川隆[-13506] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:57:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1398]

戯曲『かもめ (The Seagull)』 第4幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull04.html


二年が過ぎる。
暗い、湖の底のような夕闇。吹きすざぶ風。木々のざわめき。
今はトレープレフの仕事部屋になっている居間。舞台正面が窓。
ゆっくりと暗闇に目が慣れるように、下手に机、中央奥にソファ、上手にテーブルとイスなどが浮かんでくる。机の上には、山のような本、本、本。
夜番の拍子木の音がして……。


18 帰ろうよ、マーシャ!

マーシャ、ここにいない誰かを探している。
メドヴェジェンコ、マーシャの心を探している。

マーシャ:(叫んで)コースチャ! コースチャ!(まわりを見て)どこに行ったのかしら?(と、メドヴェジェンコを見る)

メドヴェジェンコ:(マーシャを見る、がすぐに目をそらす)


間。

マーシャ:だって、ここのピノ伯父さんなんか、しょっちゅう、どこだ? どこだ? コースチャはどこだ? って、あの人なしにはもうダメなのよ。

メドヴェジェンコ:みんな恐いんだよ、一人になるのが。


耳をすます。ひときわ強く風。

(興奮して)ひどいな! もう二晩続けてこんな調子だ!

マーシャ:(部屋のそこここにあるのロウソクを点けながら)湖がごうごう言ってるわ。

メドヴェジェンコ:(窓の外を見ながら前へ進み)真っ暗だ。むき出しのままでさ、壊すように言えばいいのになあ、あの舞台。だって、ガイコツみたいだよ。幕なんかバサバサ言って、気味が悪いよ。夕べ通りかかったら、中で誰かが泣いてるのかと思った。

マーシャ:だからなに?


間。

メドヴェジェンコ:帰ろう、マーシャ。

マーシャ:今夜はダメ。泊まるの。

メドヴェジェンコ:(泣いて)帰ろうよ! ミーシャも泣いてるよ!

マーシャ:なによ。マトリョーシュカがいるでしょ。


間。

メドヴェジェンコ:でも、かわいそうだ。3日もママがいなかったら。

マーシャ:あんたもつまんない男になっちゃったわねえ! 昔はなんだかんだ、理屈言ってたじゃないのさ。それが今は、帰ろうよ、泣いてるよ、帰ろうよ、泣いてるよ……。他のことは言えないの?

メドヴェジェンコ:(プレッシャーを感じつつも)帰ろうよマーシャ!

マーシャ:一人で帰んな。

メドヴェジェンコ:僕ひとりじゃ、お父さんが馬を貸してくれないよ。

マーシャ:くれるわよ、頼んでみれば。

メドヴェジェンコ:うん、じゃあ頼んでみるけど、でも、明日は帰ってくるだろ?

マーシャ:フン。明日ね……、うるさいわねえ!

19 憂鬱なワルツ

トレープレフは枕と毛布を、ポリーナはシーツを持って入ってくる。二人、それらをソファに置く。トレープレフはそのまま、自分の机に向かって座る。

マーシャ:なにソレ、ママ?

ポリーナ:ピノおじさんがさ、コースチャのそばに寝たいってきかないんだよ。

マーシャ:あたしやるわ。(ソファにベッドの用意をする)

ポリーナ:(溜め息)やれやれ。年とともに、子供に返っていくもんなのかねえ……(机のところへ行き、ひじを突き、原稿を見やる)


間。

メドヴェジェンコ:じゃ、僕はこれで。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキス)おやすみ、お母さん(と義母の手を取ろうとして)

ポリーナ:さっさと帰っとくれ!

メドヴェジェンコ:おやすみ、コースチャ……。

トレープレフ:(黙ったまま手をあげる)


メドヴェジェンコ、去る。

ポリーナ:(原稿に目をやりながら)あんたがねえ、本物の作家さんになるなんて、誰が想像したろうねえ、コースチャ。今じゃ、雑誌社からお金が送られてくるんだからねえ、ありがたもんだねえ。(トレープレフの髪を撫でて)いい男になったしね……。ねえ、コースチャ、もう少しやさしくしてやっとくれ、マーシャにさ。

マーシャ:(ベッドを作りながら)ほっといてよ、ママ!

ポリーナ:あたしが言うのもなんだけど、いい娘なんだよ。


間。

女ってもんはねえ、コースチャ、ときどき優しく見つめてもらいさえすりゃ、あとはなんにもいらないんだ。このあたしがそうだったんだからさ。


トレープレフ、立って、何も言わずに出ていく。

マーシャ:ママあ! やめてよ! 嫌がってるでしょ。

ポリーナ:おまえが不憫でしょうがないんだよお。

マーシャ:大きなお世話よ。

ポリーナ:ああ、胸が痛むよ、この胸が! 何もかもお見通しさ、何もかもね。

マーシャ:やめてよ! 自分を甘やかしちゃダメなのよ。期待して待ってたって、潮の流れは変わらないわ! どっちにしたって、ウチの人、よそへ転勤になるらしいから、そうしたらあたし、ぜんぶ忘れる。なにもかもぜんぶこの胸から根こそぎ引っこ抜いてやるわ!


憂鬱なワルツが、向こうの部屋から聞こえてくる。

ポリーナ:コースチャだ、あの子も悲しいんだねえ。

マーシャ:(音も立てずにワルツを踊りながら)大切なのはね、ママ、目の前からあの人がいなくなるってこと! ウチの人が転勤したら、あたし、なにもかもひと月で忘れてみせるわ。みんな、みんな、くだらないことよ!

20 なりたかった男(人生談義2)

ドールンとメドヴェジェンコが、ウトウトしているソーリンを担ぎながら入ってきて、

メドヴェジェンコ:……だけど、ウチはいま六人家族なのに、小麦粉1キロ2コペイカもするんですよ。

ドールン:なるほど、そりゃタイヘンだァ。

メドヴェジェンコ:いいですよ、あなたは。笑ってられるんだから、お金があるんだから。

ドールン:お金ねえ? 僕かァね、きみ、この30年、昼も夜も人の言いなりになって、来る日も来る日も診察を続けてきてだよ、残った金なんか、ただの2000ルーブルだよ。それもこないだの外国旅行でスッカラカン。一文なしだ。


と、喋りながら二人、ソーリンをソファへ寝かせる。
ポリーナ、マーシャもソファへ寄って来て、みんな、なんとなくソーリンを中心に、しだいに記念写真を撮るような配置になっていく。

マーシャ:(夫に)帰ったんじゃなかったの?

メドヴェジェンコ:(申し訳なさそうに)だって、馬を出してくれないって。

マーシャ:(イラついて、低い声で)顔も見たくない!

メドヴェジェンコ:(ガックリして、マーシャの反対側へ逃げる)


夜番の拍子木の音。

ソーリン:(目を覚まして)妹の奴はどこじゃ?

ドールン:駅までトリゴーリンをお迎えです。すぐ戻りますよ。

ソーリン:お迎えは、わしもじゃろ、あんたが妹を呼び寄せたとなると……。


気まずい沈黙。

なのに、おかしいじゃろお! こん医者は! 薬のひとつもくれんで!

ドールン:さてさて、何をお望みで? カノコ草ですか? 炭酸ソーダ? それともキニーネで?

ソーリン:来た来た、屁理屈。やってられんよォ!(と、自分の居る場所を認識して)なに? ここで寝ろっちゅうのか?

ポリーナ:ご自分でこうしたいっておっしゃったんですよ。

ソーリン:そりゃそりゃ、どうもどうも。

ドールン:(聞き取れない声で)「♪月ノ光ハ夜空ニ浮カビ……」

ソーリン:どらひとつ、コースチャに小説のネタでもやろうかな! お題は、と……、うん。「なりたかった男」……。わしゃ、若い時分、作家になりたかった。じゃがなれんかった。喋りの上手い男にもなりたかった。じゃが、わしの喋りときた日にゃ(と、身振り手振り、自分をマネて)「……っちゅうかなんちゅうか……つまりは……とまあ、そういうことじゃろ……」てな具合でなァ。なかなか話のまとまりがつけられんで、ひや汗タラタラじゃったわ。ハッハッハッ! 女房も欲しかったが、それもかなわんかったし、最後にゃ、都会で暮らしたかったが、こうして田舎で終わろうとしとるし、……とまあ、そういうことじゃろ。

ドールン:あなたは法務局のお役人になりたかった、そして、なれた。

ソーリン:なりたくてなったわけじゃない。事故みたいなもんじゃ。

ドールン:62にもなって人生に不満を言ったって、こう言っちゃなんですが、愚かなだけですよ。

ソーリン:わからん奴じゃあ! わしゃ生きたいと言っとるだけじゃ!

ドールン:それが愚かだというんです。どんな命にも終わりがある。自然の法則です。

ソーリン:なにを! さんざ遊びまわった奴がよう言いくさるわ! てめえの腹はいっぱいなもんで、他人は死のうが生きようがどうでもっていいわけじゃろ! そうじゃろ! じゃがな、あんただっていざ死ぬって時にゃビビるに決まっとる!

ドールン:死を恐れるのは動物的な本能で、そんなものは克服できるんです。……ただ、永遠の命を信じている人たちだけが、本当に死を恐れるんですよ、自分の罪を恐れる人たちだけが……。でも、あなたはそうじゃない。あなたは信仰を持ってはいないし、それにどんな罪を犯したっていうんです? あなたは法務局に25年間務めた、それだけでしょう。

ソーリン:ハッハッハ! 28年じゃ!

21 世界霊魂

トレープレフが入ってきて、ソーリンの足元に座る。
マーシャはずっと彼を見ている。

ドールン:仕事のおジャマかな?

トレープレフ:かまいませんよ。

メドヴェジェンコ:(手を挙げて)はい。質問。ドクターは、どの国がいちばんよかったですか? 外国じゃ?

ドールン:……ジェノバだな。

メドヴェジェンコ:ジェノバ、なぜ?

ドールン:あの街は、庶民が生きてるんだ。……夕方、ホテルを出ると、大通りいっぱいに人の波でね、それに飲まれるように、あてどなく、気の向くままに流されていくと、いつしか彼らと生活を共にし、魂までが一つに融け合っているような気がしてくるんだなァ。そして、一つの世界霊魂というものが、……ちょうどそう、いつだったか、君のお芝居で、ニーナさんが演じたような、ああいうものが、存在しているんだなァということがわかる。……ところで、ニーナさんは? 今どうしてますか?

トレープレフ:元気ですよ、僕の知るかぎり。

ドールン:なんだか妙な具合になってるという話も聞いたけど、どうなの?

トレープレフ:話すと長くなりますよ。

ドールン:まあ、手短に頼むよ。


間。みんななんとなく姿勢を正す。

トレープレフ:彼女は家を出ました。それからトリゴーリンといっしょになって……、そこまでは知ってますね?

ドールン:知ってるよ。

トレープレフ:子供ができました。その子は死にました。トリゴーリンの彼女への愛は冷め、やがて元のさやへと収まりました。なにもかも最初から予想していた通りに。もっとも、あの男が元の女を捨てたためしなんかなくて、ただ気弱な性格からあっちにもこっちにも引きずられていただけなんです。まあ僕の知るかぎり、ニーナの生活は最低でした。

ドールン:舞台はどうだったの?

トレープレフ:もっとひどかったんじゃないかな。モスクワ郊外の小さな小屋で初舞台を踏んで、それから地方の旅に出たんです。そのころ僕はずっと目を離さずにいて、巡業先へはどこへでも追い掛けて行ったんですけど、デカい役ばかりもらってた割には、芝居は幼稚で大袈裟で、やたらめったらわめいてるだけでした。時折、叫んだり死んだりする瞬間に、ハッとすることもあったんですが、ほんの時たまだけで。

ドールン:でも、才能はあるんだろ?

トレープレフ:難しいところでしょうね。多分あるんでしょうけれど。こっちじゃ顔を見てるけど、向こうは会おうともしません。ホテルに行ってもメイドが通してくれなくて。ま、気持ちはわかりますからね、僕も無理に会おうとはしなかったけど……、


間。

あとはなんだろう? そう、家に戻ってから、手紙をもらいました。理知的で心のこもった、いい手紙でした。泣き言は一言もなくて。けど僕にはわかったんです、彼女の深い悲しみが。行間に滲んでいる痛んだ神経が……。頭も少しおかしくなってたかもしれません。サインがいつも「カモメ」なんです。プーシキンの「川の妖精」に、自分のことをカラスだという粉挽きじいさんが出てくるんですが、あんな感じで、手紙の中でも自分は「カモメ」だって……、ところで今、彼女ここに来てますよ。

ドールン:ここって?

トレープレフ:町にです。町のホテルにも4、5五日は泊まってます。僕も訪ねようとは思ってるんだけど、先に行ったマーシャによれば、誰にも会いたくないって。でも、(メドヴェジェンコに)昨日の夕方会ったんだろ? 原っぱで?

メドヴェジェンコ:会ったよ。町へ帰る途中みたいだったなあ。「みんなに会いにきてくださいよ」って言ったら、「そのうちに」って言ってたけど。

トレープレフ:来やしないさ。


間。

(立って机へ)父親も義理の母親も、もう知らん顔ですよ。家に近づかないようにって、見張りまで置いて……。

ドールン:(トレープレフを追う)


みんな、なんとなくバラける。

(ドールンに)小説と違って、現実は難しいもんですね。

ソーリン:いい子じゃったのになァ。

ドールン:なんです?

ソーリン:いい子じゃった。いっときは、この元法務局のピノじいさんまでがご執心じゃったわ!

ドールン:老いたるドンファンですか!

22〈みんな仲良く〉その3

吹き抜ける風の音。舞台裏からシャムラーエフの笑い声。

ポリーナ:お帰りになったんじゃないかしら?

トレープレフ:うん。ママの声だ。


アルカージナとトリゴーリンが入ってくる。続いて、シャムラーエフ。

シャムラーエフ:ハッハッハ! トシにゃ勝てませんなァ、まったく、自然の脅威ですなァ! ところがどうだ、奥さんはァ、相も変わらずお若い! 目の冴えるような、その小粋なブラウス、その優雅な物腰!

アルカージナ:嘘おっしゃい! 心にもないことを。

トリゴーリン:(ソーリンに)いやあ、お久し振りです、また何かご病気で? タイヘンだなァ!(マーシャを見つけて嬉しそうに)やあ、マーシャ!

マーシャ:覚えててくれました?(握手)

トリゴーリン:もう結婚したの?

マーシャ:とっくの昔にね。

トリゴーリン:いやあ、しあわせそうだなァ。


トリゴーリン、続けてドールンとメドヴェジェンコに挨拶して、ためらいがちにトレープレフのところへ。

アルカージナに聞ききましたが、もう昔のことは水に流していただけたようで……。

トレープレフ:(手を差し出す)

アルカージナ:(息子に)ホラ、おまえの新作が載ってるって、持ってきてくれたのよ。

トレープレフ:(雑誌を受け取って、トリゴーリンに)どうも、ご親切に。

トリゴーリン:(座りながら)いやあ、ペテルブルグでもモスクワでも、もうあなたの話で持ち切りですよ。いったい全体どんな人間なんだって。いつも聞かれるんです、いくつぐらいなんだ? おい、髪は黒いのか、明るいのか? それがどうしてだか、みんないい年のオヤジだと思ってるんです、あなたのことを。本名さえ知らないんですからねぇ。いつもペンネームを使うでしょ? どうにもミステリアスな存在ってわけですよ。

トレープレフ:しばらくいるんですか?

トリゴーリン:いや、明日にはモスクワに。しようがないんです。すぐにも仕上げないといけないのが一本あるし、短編集にも一つ書く約束をしてるし。まあ要するに、相変わらずですよ。


とこう話している間に、アルカージナとポリーナは、テーブルにトランプの用意。シャムラーエフはイスなどを並べている。

天気の方じゃ、僕を歓迎してないようですけどね。ひどい風だな。もしこれがおさまったら、明日は朝からまたコレ(釣り)に行きたいと思ってるんだけど、それにここの庭も見ておきたいし、ホラ、あのあなたがお芝居を演った場所、覚えてるでしょう? まあ、モチーフは固まってきてるんだけど、背景となる場所の記憶をもう一度新たにしておこうと思ってね……。

マーシャ:(父親に)パパあ、馬を出したげてよ、帰るって言ってるだから。

シャムラーエフ:(マネして)「馬を出したげてよ、帰るって言ってるだから」(きっぱりと)バカ言え、今駅まで行ってきたばかりだぞ。

マーシャ:ほかの馬だってあるじゃない……

シャムラーエフ:(娘を無視する)

マーシャ:(お手上げ)ムダだわ。

メドヴェジェンコ:大丈夫だよ、マーシャ、歩くよ……。

ポリーナ:(あきれて)歩く! この風ん中を!(テーブルについてトランプを並べ出す)さあどうぞ、皆さん。

メドヴェジェンコ:なに、たったの4マイルですから……、おやすみ(と妻の手にキス)。お母さんも……

ポリーナ:(しぶしぶ手を出してキスを受ける)

メドヴェジェンコ:あの……、みなさんにご心配はおかけたくないんですけどね、家で赤ん坊が待ってるもんで……(みんなに礼して)すみません。


メドヴェジェンコ、トボトボと帰っていく。

シャムラーエフ:なあに、歩けるさ! 将軍様じゃあないんだから!

ポリーナ:(テーブルを叩いて)さあさ、始めましょう! 時間をムダにしないように。すぐにお夜食の知らせが来ますからね!


シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、テーブルにつく。

アルカージナ:(トリゴーリンと一緒にテーブルへつきながら)秋の夜長にはね、ウチじゃいつもコレをやるの。あなたもどう? お夜食の前に。他愛のないゲームだけど、慣れるとそう悪くもないのよ。(と、みんなにカードを配る)

トレープレフ:(雑誌のページをめくりながら)自分のところは読んでるけど、僕のページは切ってもいない。(雑誌を机に置いて、上手へ。途中、母の頬にキスする)

アルカージナ:おまえもどう、コースチャ?

トレープレフ:気がのらないんで、ちょっとブラついて来ます。


トレープレフ、出ていく。

アルカージナ:掛け金は10コペイカからよ! ドクター、あたしの分、出しといて。

ドールン:はいはい。

マーシャ:みなさん、出しました? じゃあ行きましょう! 22!

アルカージナ:どうぞ!

マーシャ:3!

ドールン:来た来た!

マーシャ:よろしいですか、3で? 8! 81! 10!

シャムラーエフ:待てよ、早いぞ!

アルカージナ:大変な歓迎振りだったのよ、ハリコフじゃ! 頭がくらくらしたわ!

マーシャ:34!


憂鬱なワルツが、向こうの部屋から聞こえてくる。

アルカージナ:学生たちがもう総立ちの拍手! 花カゴ3つに、花輪が2つ! それにコレ見て。(胸のブローチをはずしてテーブルに投げる)

マーシャ:50!

ドールン:50ねぇ。

シャムラーエフ:こりゃこりゃ! 値打ちもんでしょう?

アルカージナ:ドレスだって最高だったのよ……、少なくとも着こなしは。

ポリーナ:あのピアノ、コースチャね。悩んでるんだわ、かわいそうに。

シャムラーエフ:新聞じゃ、だいぶ叩かれてたなァ。

マーシャ:77!

アルカージナ:気にすることないのよ!

トリゴーリン:まあ、運もあるんだが、まだ自分の文体も見つけてないんだな。変にあいまいなところがあって、ときどき狂人のたわごとのようになる。なにより人間が生きてない!

マーシャ:11!

アルカージナ:(ソーリンの方をうかがって)兄さん! 元気?


間。

寝ちゃってるわ!

ドールン:法務局のピノじいさんはご就寝と。

マーシャ:7! 

トリゴーリン:こんな、湖のほとりで暮らしてたら、僕はとてもモノを書こうなんて気にはなれないなあ。

マーシャ:90!

トリゴーリン:そんな情熱はうっちゃって、毎日釣り三昧だ。

マーシャ:28!

トリゴーリン:マスやスズキが上がる、しあわせだなァ!

ドールン:僕はコースチャを信じますね。奴には何かがある、何かが! 奴はイメージでもって考える。だから、奴の世界は鮮明で、色鮮やかで、力強い。しかし悲しいかな、何に向かって書いているのかがいま一つ曖昧なんだ。或る印象はあるんだが、それがこっちに差し迫って来ない。(アルカージナに)でも、どうですか? 作家の息子さんを持って嬉しいでしょ?

アルカージナ:それがね、まだ読んだことがないのよ、忙しくって。

マーシャ:26!


トレープレフ、足早に入ってきて、机に向かう

シャムラーエフ:(トリゴーリンに)ところでトリゴーリンさん、あなたからお預かりしてたものがございましたよ。

トリゴーリン:なんでしょう?

シャムラーエフ:かもめですよ、かもめ。いつぞやコースチャの撃ち落とした、あなた、あれを剥製にしてくれないかって……。

トリゴーリン:僕かァ、覚えてないなァ。(考えながら)いや。覚えてないよォ。

マーシャ:61! 1!


トレープレフが窓を開け放つ! 風がヒューと吹き込んでくる。

アルカージナ:コースチャ! 窓を閉めて! 風が吹き込むじゃない!


トレープレフ、閉める。

マーシャ:88!

トリゴーリン:揃ったァ! 

アルカージナ:(明るく)すごい! すごい!

シャムラーエフ:いやあ、お見事!

アルカージナ:この人ったらホントついてるのよ、いつでも、どこでも。(立って)さあ休憩! なんか食べましょ。このご高名な作家先生は、今日はまだマトモな食事をとっていらっしゃらないようよ。(机の息子に)コースチャ、ひと休みしてあなたも食べたら?

トレープレフ:いいよ、ママ。お腹すいてないんだ。

アルカージナ:なら好きにしなさい。(ソーリンを起こして)兄さん、お夜食よ。(ソーリンの腕を取って)ハリコフでの歓迎ぶりを話してあげましょうねえ……。


一同、上手から出ていく。
ポリーナ、ろうそくを消して、ドールンとともに出ていく。

23 十字架

トレープレフ、一人残される。

トレープレフ:(書こうとして、今まで書いたものに目を通して、なかば観客に)これまで、俺は、芸術に新しい形式を訴えてきました。それがだんだんとパターンにハマって来ている気がするんです。(読む)「壁のポスターが告知している……黒髪に縁取られた青ざめた顔」……告知している、……黒髪に縁取られた、……ダメだ!(線で消す)主人公が雨音の中で目覚めるとこからにしよう。あとはカットだ。月夜の描写も長ったらしいし、クドい。トリゴーリンだったらきっと、例の小技でやっつけちまうでしょう。「土手にきらめく割れた瓶と、水車の黒い影」……これで月夜ができちまう。なのに俺のは、たゆたう光、もの言わぬ星のまたたき、かぐわしい静寂の中に消えゆくピアノの調べ……。ああ、頭が痛い。


間。

見えて来た! そうなんだ! 形式が新しいとか古いとかじゃないんだ。形式なんかにとらわれずに、おのれの中から自由に湧き出てくるものを書けばいいんだ!


窓を叩く音がする。

なんだろう?(窓をのぞく)見えないな。(開けて庭を見まわす)だれだろ? 階段を降りてく。おーい?(出ていく)


しばらく間。
やがて興奮しながら、トレープレフがニーナを連れて戻ってくる。

ニーナ! ニーナ!

ニーナ:(トレープレフの胸に頭を預けて震えて泣いている)

トレープレフ:ニーナだあ! ニーナだあ! ニーナだあ! そんな予感がしてたんだ。(帽子とショールを取ってやって)僕の大事なニーナ! 大好きなニーナ! 帰ってきたんだね。泣くなよ! 泣くな!

ニーナ:誰かいる。

トレープレフ:誰もいないよ。

ニーナ:カギを閉めて、誰か入ってくる。

トレープレフ:誰も来ないって。

ニーナ:お母さまがいらしてるんでしょ、カギを閉めて。

トレープレフ:(下手のドアにカギを掛け、上手のドアまで行って)カギがないや。これで塞いどこう。(ドア前にイスを押し付けて)心配ないって。誰も来ないよ

ニーナ:(彼の顔をじっと見つめて)顔を見せて。(あたりを見まわして)あったかい。いいわね、ここは……。あたし、変わった?

トレープレフ:うん、そうだな。やせて、目が大きくなった。でも、ニーナ、変な感じだよ、君と会えるなんて! なぜ会ってくれなかったの? もっと早く来てくれればよかったのに。町にいたんだろ? 僕は君を訪ねて、一日に何度も宿まで行ったよ。宿の、君の窓の下に立って、呼んでたのに、乞食みたいに。

ニーナ:あなた、あたしのこと憎んでるでしょ……。恐かったのよ、毎晩夢の中で、あなたが、あたしを見ながらあたしだって気づいてくれないのよ。お願いわかって! ……ここに来てすぐ、湖のまわりを歩いてみたの、あなたの家のそばにも何度も来たの、でも入れなかったの。座りましょ。


二人、ソファに座る。間。

いいわねえ、ここはあったかくって、快適ねえ。


間。遠くで風の音。

……ツルゲーネフにこんなフレーズがあるわ、「仕合わせとは、こんな夜に身を守ってくれる屋根と、暖めてくれる平和な場所を持つ人のことだ」……あたしはかもめ……違う!(額をコシコシする)なんの話だっけ? そう、ツルゲーネフ、「だから、天よ、身寄りなき旅人を助けたまえ!」ああ!(とむせび泣く)

トレープレフ:泣かないでよ、ニーナ! 泣かないでよ!

ニーナ:大丈夫、これで楽になれるから……。この二年間、一度も泣かなくことなんかなかったけのに、あたし夕べ、庭をのぞきに来たの、あのあたしたちの舞台がまだあるかと思って、そしたら、まだあったのね、泣いちゃった、二年振りに。そしたらつかえたものがスーととれて楽になったの。ホラ、もう泣いてないでしょ。(彼の手を取る)で、あなたは作家になった。あなたは作家に、あたしは女優に。二人とも過酷な世界に身を投げ込んだ……。あたし、あのころは子供のように幸せだったのね。朝目が覚めるともう歌い出してた。あなたのことが大好きで、栄光への道にあこがれて……、でも今は? 明日の朝、あたしはイェレーツ行きの汽車に乗る、庶民的な、汚らしい三等車。そして、イェレーツへ着くと、厭らしいオヤジたちにつきまとわれる生活! 最低の生活!

トレープレフ:なんでイェレーツなんかに?

ニーナ:この冬のシーズンの契約をしたから、もう行かなくちゃ。

トレープレフ:ニーナ、たしかに僕は君を呪った、憎んだ、君の手紙も、写真も、ぜんぶ引き裂いた! でもいつも、魂がどこかで君とつながっているのを感じてた! 君を愛するのをやめるなんて不可能だ、ニーナ。……君を失って、自分の書いたものが活字になるようになって、僕にはもう、どうにも人生が耐えられなくなった、みじめだよ……。突如、若さを奪い取られて、もう100年もこの世に生きさらばえて来た老人のような気がする……。君の名前を呼びながら、君の歩いた大地にくちづけしながら、どこを見ても浮かぶのは、君の顔、やさしい微笑み、ああ、僕の人生の最高の瞬間……。

ニーナ:(動揺して)なんでそんなこと言うの! なんで!

トレープレフ:淋しいんだ。誰も僕を温めてくれない、誰も。僕は、冷たくひからびて墓穴の中で腐ってる死体だ。いくら何を書いたって、どこにも行き着かない、窒息しそうなんだ! いてくれ、ニーナ! お願いだ。でなきゃ僕が君と一緒に……。

ニーナ:(すばやく帽子とショールをつける)

トレープレフ:ニーナ! どうして? 頼むよ、ニーナ!(しかし、ただ、ニーナが身支度するのを見ている)


間。

ニーナ:門に馬車を待たせてありますの。送ってくださならなくっても結構よ。一人で行けますから。(泣いて)……水をちょうだい。

トレープレフ:(あわてて水をコップについで渡す)どこへ行くの?

ニーナ:町よ。


間。

お母さま、いらっしゃてるんでしょ?

トレープレフ:うん。火曜日に伯父さんが倒れて、それで電報で知らせたんだ。

ニーナ:……なんでそんなことを言うの? あたしの歩いた大地にくちづけしたなんて。あたしなんか殺されても仕方がないのに。(ふっとよろめいて、テーブルにもたれる)……疲れたの、少しだけ、休ませて……、少しだけ……。(と、頭をあげて)あたしはかもめ……違う! 女優よ、女優!

「アッハッハッハ!」という笑い声が聞こえる。アルカージナとトリゴーリンである。

(ハッとして、上手のドアまで行ってカギ穴からのぞいて)あの人もいるの!(トレープレフのところに戻りながら)そりゃそうよねえ! あたりまえだわ! あの人、芝居なんかまったく軽蔑してたのよ、いつもバカにしてたのよ、あたしの夢を。それでいつのまにか、あたしも疲れてしまって……、結局、恋だのなんだの、それに、子供のことだっていつも気掛かりで、だから、あたし、つまらない女になっちゃったのよ! 芝居だって最悪! 手の使い方も知らない、どう立ってればいいのかもわからない! 声ひとつ満足に出せやしない! わかる? ヒドいなって、演ってて自分でわかるのがどんな気持ちか? あなたにわかる? あたしはかもめ……違う! ……。覚えてる? かもめ、あなたが撃ち落とした……、「ふらりと現れた男が目をつけて、退屈まぎれに破滅させてしまう、一人の少女」「短編の題材だよ」……違う!(額をコシコシする)なんの話だっけ? そう、お芝居の話ね! フフフ、私は変わったのよ、もう女優なの、私は、本物の! だから、演じるのが好き! 大好き! 夢中なの。舞台に立つと、ゾクゾクして自分が美しいって思えるの。今もね、ここに来てから、歩いて、考えて、歩いて、考えて、一日一日、自分がたくましくなっていくのを感じてたわ……。それでね、コースチャ、あたしわかったの、あたしたちの仕事ってね、演じるのも書くのも、大切なのは……、有名になることでも、売れることでもない。どうやったら生き延びてゆけるかってこと。どうやったら自分の十字架を背負いながら、それを信じていけるかってこと。あたしは信じてる。だから辛くはないし、これが人生だと思えば、生きるのも恐くない。

トレープレフ:(悲しい)君は……、君の道を見つけたんだね。どうやって進めばいいのかもわかってるんだ。でも僕は、まだ夢と幻想の渾沌とした世界で、それがなんのためなのかもわからない。信じられない。これが人生だなんて、信じられない。

ニーナ:シーッ! もう行くわ。さようなら。いつか、私が大女優になったら、そしたら見に来て、約束よ……(彼の手を強く握る)あーあ、遅くなっちゃった。もう立ってるのがやっとって感じ。疲れてるし、お腹もすいてるし。

トレープレフ:待ってて、なんか持ってくるよ。

ニーナ:いらない。送ってくださならなくっても結構よ。一人で行けますから。馬車はすぐそこです。……お母さまが、あの人を連れてきたの? いいの、わかってるから、あの人には何も言わないで……、あたし、あの人が好き! 前よりもずっと好き! 短編の題材……、好きなのよ! どうしようなく好きなのよ! 死ぬほど好きなのよ! ……昔はよかったわねえ、コースチャ、覚えてる? のどかで、あたたかで、楽しくって、無邪気だった、わたしたちの人生。やさしい、あでやかな花のような感受性。覚えてる? ……「人人もライオンもワシも雷鳥も、角のある鹿もガチョウもクモも、水の中の物言わぬ魚もヒトデも目に見えぬ微生物も……つまりは、命あるものすべて、すべてその悲しい輪廻から逃れて、消え失せて……もはや何千年もの間、この地球には生命は生まれず、あの哀れな月だけが虚しく明かりをともして久しい。草原には目覚めた鶴の声もなく、菩提樹の林にはコガネムシの羽音も絶えた――」


発作的にトレープレフを抱きしめて、窓から走り去る。

トレープレフ:(しばらくぼんやりして)誰かに見つかって、ママに話されるとマズいなァ。またママが傷つく……。


そのまま二分間の沈黙。それから、トレープレフは黙ったまま、自分の原稿を引き裂くと引き出しに投げ込んで、下手へ出ていく。

24 破裂、あるいは本当の破滅


ドールン:(上手のドアを開けようとして)変だなァ。カギでもかかってるのかな?(イスを押しやって入ってくる)障害物競争だ。


アルカージナとポリーナ、みんなの飲み物を持ってマーシャ、続いてシャムラーエフ、トリゴーリンが入ってくる。

アルカージナ:あたしはワイン。(トリゴーリンに)ホラ、あなたのビールもあるわよ。今度は飲みながら行きましょうか。さあ、みなさん、座って!

ポリーナ:あとでお茶もお持ちしますわ。(ろうそくを点けて座る)

シャムラーエフ:(トリゴーリンを引っ張って行って)これですよ。さっきお話した。(かもめの剥製を持って)あなたから頼まれたんですから。

トリゴーリン:(剥製を見て)僕かァ、覚えてないなァ。(考えながら)いやあ、覚えてないよォ!


バンッ! 銃声。全員、立ち上がる。間。

アルカージナ:なにかしら?

ドールン:なんでもないでしょう。私のカバンの中で、何か薬品が破裂したんです。ご心配なく。(下手のドアから出ていく)


一同、不動のまま。やがてドールンが戻って来て、

思ったとおりでした。エーテルの瓶が飛び散ってました。


 一同、ホッとしてもとのなごやかさに戻る……。

(聞こえないような声で)「♪ああ、もう一度、あなたの前に……」

アルカージナ:(テーブルに座って)もうおどかさないでえ。あのときのことを思い出しちゃったわ。(両手で顔を覆って)一瞬目の前が暗くなったわよ。

ドールン:(雑誌のページをめくりながら、トリゴーリンに)これですが、2か月ほど前でしたか、これにある記事が載ってましてね、確かアメリカからのレポートだったんですが、ちょっとあなたにお聞きしたくって……(と、トリゴーリンの背中に腕を回して舞台前へと連れて来て)いや、どうにも気になりましてね。(声を落として)アルカージナさんを、どこかへ連れ出してください。実は、コースチャが自殺したんです……。(と、雑誌のページを閉じる)


幕 
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull04.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c20

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
21. 中川隆[-13505] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:08:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1399]
『かもめ』(ロシア語で「チャイカ」、Чайка)は、ロシアの作家アントン・チェーホフの戯曲である。

チェーホフの劇作家としての名声を揺るぎないものにした代表作であり、ロシア演劇・世界の演劇史の画期をなす記念碑的な作品である。

後の『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』とともにチェーホフの四大戯曲と呼ばれる。
その動きの少なさから、5プードの恋とチェーホフは述べた。


「モスクワ芸術座版『かもめ』」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワ芸術座版『かもめ』


湖畔の田舎屋敷を舞台に、芸術家やそれを取り巻く人々の群像劇を通して人生と芸術とを描いた作品で、1895年の晩秋に書かれた。

『プラトーノフ』(学生時代の習作)、『イワーノフ』、『森の精』(後に『ワーニャ伯父さん』に改作)に続く長編戯曲で、「四大戯曲」最初の作品である。

初演は1896年秋にサンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場(ru)で行われた[2]が、これはロシア演劇史上類例がないといわれるほどの失敗に終わった。その原因は、当時の名優中心の演劇界の風潮や、この作品の真価を理解できなかった俳優や演出家にあるともいわれている。チェーホフは失笑の渦と化した劇場を抜け出すと、ペテルブルクの街をさまよい歩きながら二度と戯曲の筆は執らないという誓いを立てた。妹のマリヤは後のチェーホフの結核の悪化の原因をこの時の秋の夜の彷徨に帰している。

しかし2年後の1898年、設立間もないモスクワ芸術座が逡巡する作者を説き伏せて再演する[3]と、俳優が役柄に生きる新しい演出がこの劇の真価を明らかにし、今度は逆に大きな成功を収めた。この成功によりチェーホフの劇作家としての名声は揺るぎないものとなり、モスクワ芸術座はこれを記念して飛翔するかもめの姿をデザインした意匠をシンボル・マークに採用した。

作品

主要な登場人物の一人であるニーナにはモデルがあり、妹のマリヤの友人のリジヤ・ミジーノワがその人である。リカと呼ばれたこの女性はチェーホフ家に出入りするうちにチェーホフに恋したが報われず、チェーホフ家で出会った別の妻子ある作家、イグナーチイ・ポターペンコと駆け落ちした。娘も生まれたもののやがてポターペンコに捨てられ、まもなくその娘にも死なれたこの女性をめぐる顛末が劇中のニーナの悲恋の元になっている。

このほかにも『かもめ』には作者の身辺に実際に起きた出来事がいくつも盛り込まれており、チェーホフの「最も私的な作品」とも呼ばれている。第3幕でニーナがトリゴーリンに作品のタイトルとページ数を記したロケットを贈るシーンは、チェーホフと一時恋愛関係にあった人妻の女流作家、リジヤ・アヴィーロワから実際にそうしたロケットを贈られた出来事を元にしている。また、劇中でトリゴーリンやコスチャなどによってたたかわされる芸術論はしばしば作者自身の芸術観を代弁するものとなっており、特にトリゴーリンが吐露する作家生活の内情はチェーホフ自身の姿が投影されたものである。

第1幕で上演されるコスチャの劇中劇は当時流行していたデカダン芸術のパロディといわれている。この劇中劇が受ける冷笑的な扱いは作者自身のこうした芸術への態度の表れでもあり、チェーホフは以前にも短篇小説「ともしび」(1888年)で登場人物にこうした虚無的思想傾向への批判を語らせていた。

ニーナがたどった運命と同様のテーマは、すでに中期の小説「退屈な話」(1889年)でも扱われていた。そこではやはり女優志望の若い娘、カーチャが挫折して絶望に陥り、養父の老教授に「私はこれからどうすればいいのか」と尋ねたのに対し、老教授は「私にはわからない」としか答えられず、カーチャは寂しく立ち去っていった。この結末は人生の意義を見失い疲弊した当時のチェーホフの心境を映し出すものでもある。

しかし『かもめ』におけるニーナはカーチャとは異なり、終幕において自分の行くべき道を見出している。名声と栄光にあこがれて女優を志したニーナが全てを失った後に終幕で語る忍耐の必要性は、まさにチェーホフが苦悶の末にたどり着いた境地にほかならない。カーチャからニーナへの成長は、サハリン島旅行(1890年)を経て社会的に目覚めていったチェーホフの進境を示すものであり、本作に提示された忍耐の必要性というテーマはさらに「絶望から忍耐へ」、「忍耐から希望へ」というモティーフへと発展を遂げ、後の作品に引き継がれていくことになる。

登場人物

コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ・トレープレフ
コスチャ。作家志望の青年。

イリーナ・ニコラーエヴナ・アルカージナ
トレープレフの母。大女優。

ボリス・アレクセーエヴィチ・トリゴーリン
流行作家。アルカージナの愛人。

ニーナ・ミハイロヴナ・ザレーチナヤ
裕福な地主の娘。女優志望。

ピョートル・ニコラーエヴィチ・ソーリン
アルカージナの兄。

イリヤ・アファナーシエヴィチ・シャムラーエフ
ソーリン家の支配人。退役中尉。

ポリーナ・アンドレーエヴナ・シャムラーエワ
シャムラーエフの妻。

セミョーン・セミョーノヴィチ・メドヴェージェンコ
教師。

エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ・ドールン
医師。

マリヤ・イリイニチナ・シャムラーエワ
マーシャ。シャムラーエフの娘。いつも黒い服を着ている。

ヤーコフ
下働きの男。

料理人

小間使い

あらすじ


第1幕

ソーリンの湖畔の領地、湖に面した屋外に急設された舞台の前。アルカージナが愛人のトリゴーリンとともに久しぶりに滞在している。コスチャが恋人のニーナを主役に据えた劇の上演を準備している。

メドヴェージェンコがマーシャに言い寄るが、マーシャはつれない。コスチャはソーリンに母への鬱屈した思いや芸術の革新の必要性について語る。「必要なのは新しい形式です。それがないくらいなら、何にもない方がましです」

両親の厳しい監視の目を抜け出してきたニーナが到着する。コスチャは二人きりになるとニーナにキスする。ポリーナとドールンが連れ立って現れる。ポリーナはドールンに色目を使うがドールンはやり過ごす。さらにアルカージナやトリゴーリンなど一同も姿を現し、観客が揃う。

折よく月も顔を出し、いよいよコスチャの劇が幕を開ける。「人も獅子も鷲も鸚鵡も、生きとし生けるものはみな、悲しい循環を終えて消えてしまった。もう何十万年もの間、大地は生命を宿すこともない…」

しかしアルカージナはコスチャの試みをまじめに受け取ろうとせず、芝居の趣向を揶揄する。度重なる嘲笑にコスチャはかっとなって芝居を中断し、いたたまれなくなって姿を消す。ニーナは芝居を続けなくてよくなったらしいことを確認すると一同の前に現れる。一同はニーナを喝采で迎え、アルカージナはぜひとも女優になるべきだとそそのかし、トリゴーリンに引き合わせる。

やがて一同が去り、ドールンが一人残っているところにコスチャが現れる。ドールンはコスチャの劇に可能性を感じたことを話し、創作を続けるよう励ます。感激して涙ぐむコスチャだが、ニーナが家に帰ったことを聞かされると打ちひしがれる。コスチャを探していたマーシャが現れて家に帰るよう言い聞かされるが、コスチャは邪険にはねつけて去っていく。マーシャはドールンにコスチャを愛していることを打ち明ける。

第2幕

真昼の屋外。

アルカージナ、ドールン、マーシャが話している。厳しい両親が旅行に出て束の間の自由を手にしたニーナがソーリンなどとともに現れる。アルカージナは外出用の馬車をめぐって支配人のシャムラーエフと口論になり、アルカージナは泣き出してモスクワへ帰ると言い出す。ポリーナは相変わらずドールンに言い寄っている。

一人になったニーナのもとに銃を持ったコスチャが現れ、撃ち落としたかもめをニーナの足元に捧げる。「今に僕はこんなふうに自分を撃ち殺すのさ。」コスチャは芝居の失敗の後に心変わりしたニーナを詰るが、ニーナは冷たく突き放す。トリゴーリンが現れるのを見たコスチャは立ち去る。

ニーナは名声への憧れをトリゴーリンに語る。「有名ってどんな心地がするものなんでしょう? ご自分が有名であることをどうお感じになります?」それに対しトリゴーリンは作家として生きることの苦渋に満ちた感慨を吐露する。「昼も夜も、一つの考えが頭から離れないのです。書かなければならん、書かなければならん、書かなければ…。何というすさんだ人生でしょう」

トリゴーリンはふと撃ち落とされたかもめに目を止めると、新しい短編の題材を思いつき手帳に書きとめる。「湖のほとりにあなたみたいな若い娘がかもめのように自由で幸せに暮らしている。ところがふとやってきた男が退屈まぎれにその娘を破滅させてしまう。このかもめのように」

アルカージナが現れ、モスクワへの出立を取りやめたことを告げる。



第3幕

ソーリン家の食堂、昼前。コスチャは自殺未遂をした後、トリゴーリンに決闘を申し込む騒ぎを起こしている。アルカージナはニーナとトリゴーリンを引き離すためにトリゴーリンとともにモスクワへ帰る算段をしている。

食事をするトリゴーリンに、マーシャがメドヴェージェンコと結婚する決意をしたことを打ち明ける。「この恋を胸から根こそぎ引き抜いてみせますわ。」

トリゴーリンが食事を済ませるとニーナがロケットを贈る。ロケットには彼の著作のタイトルとページ数、行数が書かれている。トリゴーリンは書棚に自分の本を探しに行く。

コスチャはアルカージナに包帯を取り替えてもらいながら打ち解けて話すが、話題がトリゴーリンのことに移ると途端に激しい口論になってしまう。泣き出すコスチャとなだめるアルカージナ。アルカージナはコスチャに決闘は思いとどまるよう諭す。

トリゴーリンは本の該当の場所を探し当てる。「もしいつか私の命が必要になったら、いつでも差し上げます。」トリゴーリンは滞在を引き延ばそうとするが、アルカージナはうまく丸め込んでその日のうちに発つことを承諾させる。
モスクワに発とうとするトリゴーリンに、ニーナは自分もモスクワに出て女優になる決心をしたことを告げる。トリゴーリンは自分のモスクワでの連絡先を教える。二人は長いキスを交わす。



第4幕

2年後、ソーリン家の客間。現在はコスチャの書斎として使われている。コスチャは作品が首都の雑誌に掲載されるようになり、気鋭の作家として注目を集めるようになっている。

メドヴェージェンコがマーシャに家へ帰って赤ん坊の面倒を見なければ、とさとすがマーシャは取り合わない。ポリーナは今もコスチャへの思いを捨て切れずにいる娘を不憫に思い、仲を取り持とうとするがコスチャの機嫌を損ねてしまう。マーシャは母の余計なお節介を詰る。「胸の中に恋が芽生えてきたら、捨ててしまうだけのことよ。」

コスチャはドールンに尋ねられニーナのその後を話して聞かせる。ニーナはトリゴーリンと一緒になり、子供をもうけたもののトリゴーリンに捨てられ、子供にも死なれてしまっている。女優としても芽が出ず、今は地方を巡業して回る日々を過ごしている。「手紙にはいつもかもめと署名してあるんです。彼女は今この近くにいますよ。」

ソーリンの容体が悪くなったために呼び寄せられたアルカージナがトリゴーリンとともに訪ねてくるが、ソーリンは小康を得ていて一同はロトに興ずる。シャムラーエフがトリゴーリンにコスチャが撃ったかもめを剥製にするよう頼まれていたことを話題にするが、トリゴーリンは思い出せない。

やがて一同は食事のために部屋を出ていくが、コスチャは一人残り仕事を続ける。かつて新しい形式の必要を訴えていたコスチャは、今では自分が型にはまりつつあることを感じとる。「問題は新しいとか古いとかいう形式にあるのではなくて、形式になんかとらわれずに書く、魂から自由にあふれ出るままに書くということなんだ。」

そこへ巡業で近くまで来ていたニーナが訪ねてくる。病的に張りつめた様子のニーナは何度も「私はかもめ」と繰り返し、トリゴーリンとのいきさつをほのめかす一方で、その度に「私は女優」と言い直す。「大切なのは名誉でもなければ成功でもなく、また私がかつて夢見ていたようなものでもなくて、ただ一つ、耐え忍ぶ力なのよ。私は信じているからつらいこともないし、自分の使命を思えば人生もこわくないわ。」片やコスチャは今も信じるべきものを見つけ出すことができずにいる。「僕には信じるものもなく、何が自分の使命なのかもわからずにいるんだ。」

何か食べるものを、というコスチャの申し出を断り、懐かしむように2年前の失敗した芝居のセリフをひとしきりそらんじてみせると、ニーナはコスチャを抱き締め、外へ駈け去っていく。コスチャはしばらくの沈思の後に自分の原稿を尽く引き裂き、部屋の外へ出て行く。

食事を終えた一同が部屋に戻るとシャムラーエフが完成したかもめの剥製を見せるが、それでもトリゴーリンは思い出せない。やがて外で一発の銃声が鳴り響く。調べに出て戻って来たドールンは「エーテルの薬瓶が破裂した」と説明して怯えるアルカージナを落ち着かせたあと、トリゴーリンに小声で「コンスタンティントレープレフが自分自身を撃った」と告げる。

本稿の参照文献

神西清訳 『かもめ・ワーニャ伯父さん』 新潮文庫、改版2004年。解説池田健太郎
近年刊の日本語訳書[編集]
浦雅春訳『かもめ』 岩波文庫[4]、2010年
沼野充義訳『かもめ』 集英社文庫、2012年
中本信幸訳『かもめ』 新読書社(新書版)、2006年
堀江新二訳『かもめ 四幕の喜劇』 群像社、2002年
小田島雄志訳『かもめ ベスト・オブ・チェーホフ』 白水社、1998年(英訳版をもとにした上演用訳書)
松下裕訳『チェーホフ戯曲選』 水声社、2004年。旧版は『チェーホフ全集(11)』(筑摩書房+ちくま文庫)

映画

映画化された作品は以下の通り。

『The Sea Gull』(1968年、監督:シドニー・ルメット)[5]
『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
『リリィ』(2003年、監督:クロード・ミレール。設定を現代のフランスに置き換えている)

https://ja.wikipedia.org/wiki/かもめ_(チェーホフ)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c21

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
22. 中川隆[-13504] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1400]

『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
Чайка / The Sea-Gull





スタッフ



監督
ユーリー・カラーシク

原作
アントン・チェーホフ

脚本
ユーリー・カラーシク

撮影
ミハイル・スースロフ

音楽
アレクサンダー・シニートケ


キャスト


Arkadina
アッラ・デミートワ

Treplev
ウラジミール・チェトヴェリコフ

Sorin
ニコライ・プロートニコフ

Nina
リュドミラ・サベーリエワ


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c22
[近代史4] チェーホフの世界 中川隆
1. 中川隆[-13503] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:50:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1401]

『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
Чайка / The Sea-Gull







スタッフ



監督
ユーリー・カラーシク

原作
アントン・チェーホフ

脚本
ユーリー・カラーシク

撮影
ミハイル・スースロフ

音楽
アレクサンダー・シニートケ


キャスト


Arkadina
アッラ・デミートワ

Treplev
ウラジミール・チェトヴェリコフ

Sorin
ニコライ・プロートニコフ

Nina
リュドミラ・サベーリエワ

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html#c1
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
23. 中川隆[-13502] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:53:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1402]

チェーホフ「かもめ」の劇中劇について 2010-01-21
https://blog.goo.ne.jp/khar_ms/e/c73cc06fb80002c5442b55e478dd08e4


ちょっと小難しいタイトルをつけましたが、まず前提となる解説をしておくと、チェーホフの書いた有名な戯曲「かもめ」の前半には、劇中劇が存在します。劇の中で上演される劇、ということですね。このことから、「かもめ」はしばしば『ハムレット』と比較されます。というのも、後者にもやはり劇中劇が存在するからです。

ロシア文学研究者の池田健太郎は、『「かもめ」評釈』において、チェーホフの劇中劇の特徴を3つ挙げています。

一つ目は、それがトレープレフ(劇中劇を書いた「かもめ」の主人公)の前衛性を示していること。具体的には、象徴主義の手法を取り入れていること。

二つ目は、そこにロシアの神秘哲学者ソロヴィヨーフの思想の一端が書き込まれていること。

三つ目は、それがチェーホフ自身の小説「ともしび」と関連性があること。

さらに補足として、ロシアの研究者エルミーロフの解釈を紹介しています。


劇中劇は、場合によってはその劇の本質や性格を縮約して表現しえていることがあり、見逃すことができませんが、「かもめ」の場合は、恐らくそういった解釈とは別の解釈が求められているような気がします。それはデカダン文学のパロディである、ということは多くの評者が指摘しているようですが、大いにありうることでしょう。象徴主義やデカダン文学が隆盛していたころに「かもめ」は執筆されているのです。

ただ、これはぼくの勝手な印象ですが、それだけではないような気もしています。この劇中劇は20万年後の世界が舞台であり、生あるものは流転した末に肉体は滅び、ただその霊魂だけが一つに集まって存在しています。ぼくはこの「流転」という点にひっかかっているのです。20世紀初頭のロシアで活躍した作家グループにオベリウというのがありますが、あるロシアの研究者は、オベリウの芸術思想とは「変転」という言葉で性格づけられるのではないか、という意味のことを言っています。変転というのは、ここではメタモルフォーゼや流転といった意味で使われているようです。一切は一切に変転しうる、という原始的な思想がそこにも認められると言うのです。

この流転という思想は、とても興味深い。もちろん輪廻転生とも関連してくるでしょう。オベリウのメンバーであるハルムスの仏教への関心をも考慮すれば、非常に重要なファクターであるように思えてきます。もしもオベリウにおいてメタモルフォーゼや流転といった概念が根幹にあるのだとしたら、それはなぜなのか。当時のロシア思想界にそのような概念が浸潤していたのか、もしくは生成される土壌があったのか。恐らく、ここにソロヴィヨーフの名前が挙げられる余地があります。彼の永遠の世界や時間の世界といった概念を検討してみる価値はありそうです。とすれば、チェーホフの劇中劇というのは、実はこの流転という考え方を焦点化したものではなかったのか、という仮説も生まれます。既に池田健太郎が述べているように、ここにはソロヴィヨーフの思想の一端が垣間見られるのであれば、それもありえそうなことです。

ということは課題としては、

1、流転の思想が19世紀末から20世紀初頭のロシア社会に芽生えていたのか。

2、ソロヴィヨーフの思想の検討。

3、オベリウと流転の思想との関連性。


などが挙げられます。当然フョードロフの思想も再検討してみなくてはいけないでしょうね。

かなり巨大なテーマですが、おもしろそうです。現段階では分からないことだらけですが、実際に調べてみる日も近い・・・のか?

https://blog.goo.ne.jp/khar_ms/e/c73cc06fb80002c5442b55e478dd08e4
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c23

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
24. 中川隆[-13501] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:56:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1403]

「かもめ」評釈 (中公文庫) 文庫 – 1981/4/10
池田 健太郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/product/4122008239/ref=as_li_tf_tl?camp=247&creative=1211&creativeASIN=4122008239&ie=UTF8&linkCode=as2&tag=asyuracom-22

三輪そーめん 5つ星のうち5.0

「かもめ」の演出ノート

遥か昔に絶版していますが、「かもめ」の評論本としては最高の本。

形式的には演出ノートっぽい作りになっています。
場面や台詞の区切りでかもめ本文(日本語訳)を切っていて、解説するという角川の「クラッシックスビギナーズ」のような構成になっています。

当時のロシアの社会情勢や風俗も少し書いてあります。

また、ニーナのモデルの女性や、「かもめ」初演(チェーホフ存命時)の記録レポなど資料性が高い作品。

難点を一つ言えば、各場面の登場人物の心理状況の解釈がやや著者の主観が入っていることでしょうか?

それも些細な欠点で、「かもめ」や著者を理解するのに非常に役に立つ御本です。

かもめの訳文は非常に読みやすいです。
著者の池田さんは神西清(新潮版「かもめ」の訳者)さんと親交があった所為か
神西さんの文体に近いものでした。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c24

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
25. 中川隆[-13500] koaQ7Jey 2020年3月23日 14:02:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1404]
読むだけで演技が上手くなる!チェーホフ作「かもめ」のあらすじ
https://shirokuroneko.com/archives/741.html


この「かもめ」という戯曲は、まさに演劇なんです!
初めて読んだ時はよく分からなかったのですが、役者として舞台に立つようになってから突然、読めるようになりました。

登場人物が(たくさん出てくるわけですが)みんなお喋りで、いつだって会話がかみ合わないのは、それぞれが別のことを考えているから。笑

「なんてみんな神経質なんだ!どこもかしこも恋ばかしだ」と嘆くセリフにもある通り、分かり合えない人達が同じ場所に集まっているせいで(笑)、、、男と女、大人と子供、恋人同士、母親、芸術家などなど、相手やその時の立場によってころころ変わる自分を、一つの場面で同時に演じなきゃならないわけです。(これは、忙しい!)

ただ心情を語るんじゃない。役者にとって最も豊かな台本と呼びたいです!
なので、本としてではなく、とりあえずでも人物に寄り添ってセリフとして読んでみてください。いつのまにか呼吸が合ってきて心が勝手に動いてしまうような、不思議な体験が待っているはずです。

■ 目次 [非表示]
1 普通じゃない!「かもめ」のあらすじ
2 第一幕
3 第二幕
4 第三幕
5 第四幕
6 おわりに
普通じゃない!「かもめ」のあらすじ

それでいて、ストーリーと呼べるものがあるのかどうか。

大まかに言いますと、湖畔の田舎屋敷を舞台に、芸術を志す若い男女(恋人同士)が、そこに集まって来る大人達に翻弄されるお話です。

この田舎屋敷というのが面白くて、とにかく何をしていても次から次へと人が入ってくる。笑
そして登場人物の大半がそれぞれ誰かに想いを寄せていて、まぁそのほとんどが片想い!
そんな、田舎の「風通しの良さ」に対して、みんなが信じられないほど「すれ違う」ことが物語の全てなんです。

普通の戯曲だったら、登場人物がストーリーに翻弄されることが多いと思うんですが、この戯曲では、登場人物がぐずぐずしているだけで、芸術を志すために乗り越えなければならない壁だとか、血の滲むような努力だとか、一世一代の大勝負だとか、ドラマチックなことは何も起きません。ちょっとした事件も、場面と場面の間で起っているせいで、見れないんです。笑

全部で四幕。ほぼ同じ場所。夏季休暇を田舎で退屈に過ごしている人達が、夢のように漂っている「かもめ」の世界を、一幕ずつご紹介したいと思います!

第一幕

とある有名女優アルカージナが、知り合いのこれまた有名作家トリゴーリンを連れて、田舎屋敷に夏季休暇として滞在しています。そこには、屋敷の所有者である兄と、自分の息子であるトレープレフ、ほか使用人達が住んでいます。

この日の夜は、劇作家志望のトレープレフが、庭先で自作の舞台を上演することになっており、家の者達や、昔から付き合いのある医者や、教員などが集まっています。

冒頭から、マーシャ(屋敷の管理人の娘)と、メドヴェージェンコ(マーシャに想いを寄せる教員)が不幸せについて話しているのですが、それぞれの思惑が違うため、会話がかみ合っていません。(終始、この調子だと思ってください!)

この後に登場する我らがトレープレフ(恐らく主人公と呼べる人物)は、劇作家を目指す青年で、伯父のソーリン(高齢で杖をついている)に対し、今から上演する演劇の新しさ、自分の悩み、母への愛や文句など、好き勝手に語るのですが、上演時間が迫っているため、ちょいちょい時計を気にしています。(とても演劇的です!)

そして、ソーリンが「自分も昔は・・・」と話しだした途端に、誰かが走って来る音が聞こえ、耳をすまします。(とても演劇的です!)

ここで息を切らして駆け込んで来るのがもう一人の主人公であり、今から上演する舞台の主役でもある我らがニーナ譲(トレープレフの恋人で大女優を夢見る少女)は、父親に内緒で来ており、30分で帰らなければならないと大急ぎ。

上演前、二人きりで接吻を交わすのですが、緊張はしてるし、急いでるし、周りは気になるしで、会話もおかしなことになってます。(演じたら絶対面白いですよ!)
しかも母が連れて来た有名作家の作品をニーナが誉めるものだから、トレープレフは不機嫌に。笑

まぁそれとは関係なく、いよいよ開演した舞台は大失敗!

みんなが(特に母が!)まじめに観てくれないので、トレープレフは怒って本番中に幕を下ろし、どこかへ行ってしまいます。

母親も母親で、息子がいなくなったあとも、舞台を全否定。
そして、みんなで普通にお喋り。話題が昔話になったところで、急に息子を思い出したのか、えらく心配を始めるという不完全な存在なのです。

そのうち、最初に出て来たマーシャ(管理人の娘)が、実はトレープレフを愛しているという相談をこそこそし始め、とても面倒くさい雰囲気が充満したところで第一幕が終わります。

第二幕
それから数日後の真昼。木陰のベンチで、数人がお喋りをしています。
退屈で、暑くて、静か。

起きることと言えば、町へ遊びに行くための馬車を出すか出さないかで、アルカージナと管理人が喧嘩したり、その管理人の妻から、屋敷の主治医が言い寄られていたり。
そんな昼下がり。(どんなに静かでも、火種は常にあるみたいです)

あの夜の舞台以降、トレープレフとニーナの関係はぎくしゃくしている様子で、そのせいなのか、トレープレフは「猟銃でかもめを撃ち落とした」と、ニーナの元に持って来るという意味不明な凶行に走ります。

屋敷へ遊びに来ていたニーナがちょうど、花摘みをしながら「芸術家(休暇を楽しむアルカージナ達の事)と言っても、泣いたり笑ったり、みんなと違わないわ」とつぶやいた直後でした。笑

トレープレフは、ぐずぐずと舞台の失敗の事や、有名作家への嫉妬を口にして去っていきますが、ニーナはニーナで、そんな事にはお構いなし。
トレープレフと入れ替わりでやって来た、有名作家トリゴーリンに夢中です。
夢見る少女と、忙しい日々に追われる作家の、かみ合わないやりとりの始まりです。

ここで、トリゴーリンの話す内容がとても面白くて、「こうやって話に夢中になりながらも、締め切りを気にして、後ろに見える背景を描写し、相手の言葉をストックしている自分がいて、心が休まらない」と語るのです。(演技の極意という気がします!)

さて、二人が少しだけ打ち解けたところで、撃ち落とされた「かもめ」を見つけたトリゴーリンが小説の短編を思いつきます。

「湖のほとりで幸福に暮らしている若い娘を、ふとやってきた男が退屈まぎれに破滅させてしまう。このかもめのようにね」

少しだけ、不穏な空気が漂ってきました。
このあと、アルカージナに呼ばれて立ち去るトリゴーリンが、ニーナの方を振り返るという、見事な三角関係が描かれて、第二幕は終了します。

第三幕

一週間が経ちました。ここは屋敷の食堂。バタバタとみんなが帰り支度をしています。
どうやら、トレープレフがピストルで自殺未遂をしでかしたので、母親がトリゴーリンを連れて、一刻も早くここから出て行こうというわけです。

トリゴーリンは、優雅にお食事中。
管理人の娘マーシャが、お給仕をしながら、教員の元へお嫁に行く決心をしたことを告げます。本当はこの屋敷のお坊ちゃん、トレープレフを愛しているのですが、こんな騒ぎがあったのでは身が持たないと思ったようです。

ところがそんな彼女らを尻目に、ニーナとトリゴーリンは急接近。
お別れにやってきたニーナが、トリゴーリンに贈り物を渡して去っていきます。
(この間にも使用人達が行ったり来たりしているので、この場所が常に周りに開かれていて、とても演劇的なんです!)

その頃、(頭に怪我をしている)トレープレフは、母親のアルカージナに包帯を直してもらいながら、トリゴーリンの事で大喧嘩。壮絶な罵り合いになります。笑
何とか仲直りをして息子は去りますが、入れ替わりでやってきたトリゴーリンが、どこからどう見ても恋をしていて、帰りたくないオーラが全開だったので、またもや危険な雰囲気に。

激情したアルカージナが、震えたり、怒ったり、泣いたりしながら、「あなたは、わたしのもの」と全力で説き伏せると、トリゴーリンも夢から覚めたように大人しくなって、一緒に帰ると言ってくれます。
(みんな何をやっているのか!?笑)

そうこうしている間に帰り支度も整い、お別れをしてようやく出発へ!
「ステッキを忘れた」と部屋に戻ってきたトリゴーリンの前に、再び現れたニーナがとんでもない事を言い出します。家を出て、一切を捨てて、モスクワで女優を目指す決心をしたので、またあちらでお目にかかりましょうと。

トリゴーリンは、周りを気にしながら滞在先だけ告げると急いで去ろうとしますが、ニーナの「もう一分だけ・・・」の一言に、再び火が付きます!

二人の愛が一瞬スパークしたところで、第三幕が終わります。

第四幕
あれから二年が経過しています。風の強い晩。
この日は、また第一幕のように、みんなが屋敷に集まっています。ニーナ以外は。

色々なことが変わっていて、管理人の娘マーシャには赤ん坊が生まれましたが、夫婦仲は昔以上に悪化しています。
トレープレフはなんと売れっ子小説家に。

どうも伯父のソーリンの具合があまり良くないらしく、それでみんなが集まっている様子。ソーリンは、自分も文学者になりたかったことや、もっと弁舌さわやかになりたかったこと、家庭を持ちたかったこと、都会で暮らしたかったことなどを語ります。
(だからと言って、特に何もありませんが。笑)
ソーリンは、いつもみんなをフォローしてくれる優しい伯父さんです。

ニーナの話題になると、どうやら地方巡業の女優をやっているようで、トリゴーリンとは別れ、生まれた子供とも死別したみたいなんです。
ところが、アルカージナもトリゴーリンも、トレープレフと普通に接してきます。

トレープレフももう怒ったりはしませんが、賑やかなお喋りから抜け出し、遠くで静かにワルツを弾いています。母親達はテーブルゲームに興じていて、マーシャだけがそれに耳を傾けているという悲しい夜。

そのうち、お夜食だと言ってみんないなくなり、一人、書斎で執筆するトレープレフ。筆は進まず。

そこへ、窓からこっそりニーナが訪ねてきます!

ニーナが周りを気にするので、ドアには鍵をかけ、椅子で塞ぎ、はじめて二人だけの空間に。
トレープレフは歓喜し再び恋心を訴えますが、ニーナには届きません。

「わたしは―――かもめ。・・・いいえ、そうじゃない。わたしは―――女優」
ニーナは今、「破滅するかもめ」と「女優」のはざまでもがき苦しんでいます。

自分の酷かった話をふり返りながらも、生きていくための信念と覚悟を見せつけるニーナと、自分が何者なのか分からずにいるトレープレフが対照的に描かれます。

ニーナは、それでもトリゴーリンを愛していることを告げ、昔は晴れやかで、清らかだったねと、二人で上演したあの日の舞台を再現してみせ、発作的にトレープレフを抱きしめると、ガラス戸から走り出て行きます。

幸か不幸か。密室に一人残されたトレープレフ。
物語は一発の銃声と共に唐突に幕を下ろします。

おわりに

とても書ききれませんが、他にもたくさんの登場人物が出てきて、それぞれの心情が複雑に絡み合います。
でも、そのほとんどが他愛のないエピソード!
だらだらとお喋りを続けるせいですれ違い、ふと日常が一変する様子がなんとも可笑しいのです。

このお話の決め手は、なんといってもニーナです。最初に駆け込んで来たのを覚えていますか?そして、最後には走り去って行きます。どうにもこうにもまっすぐに歩けない人達の中で、ニーナだけが走っていきます。
バランスがとれないなら走ればいいというシンプルな機動力!
彼女の足取りこそが、最も演劇的な瞬間だったのではないでしょうか。

それでは最後に、このお話で最も他愛のないシーンをご紹介します。

‐‐‐‐‐‐‐‐

ソーリン(アルカージナの兄)のいびきが聞こえる。

アルカージナ  「ねぇ?」
ソーリン  「ああ?」
アルカージナ  「寝てらっしゃるの?」
ソーリン  「いいや、どうして」

‐‐‐‐‐‐‐‐


参考文献
神西清訳 『かもめ・ワーニャ伯父さん』 新潮文庫


https://shirokuroneko.com/archives/741.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c25

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
37. 中川隆[-13498] koaQ7Jey 2020年3月23日 15:04:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1406]
2020年03月23日
中国はGDPマイナス10%をプラス5%成長と発表する


ソ連経済(赤)は意外に高成長だったが、すべて嘘でした

画像引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/92/Soviet_Union_GDP_per_capita.gif

マイナス成長を大幅プラスと発表する中国

1980年代末のソ連が発表する経済はアメリカに次ぐ世界2位だったが、現実には2位の日本の半分ほどしかなかった。

ソ連はアフガン侵攻を契機に国内経済活動が縮小し、マイナス成長だったのにプラス成長と発表していた。

21世紀の現代にソ連と同じことをしている国があり、それがコロナウイルスに見舞われた中国でした。


中国が新型ウイルスの存在を認めたのは19年12月末で1月20日に習近平の指示で対策を取り始めた。

2月のあらゆる指標全てが前年比マイナスで自動車販売は8割減まで落ち込んでいる。

3月に一部工場を再稼働させたが湖北省などの封鎖が続いており、2月並みの経済活動にとどまったとみられる。


にも拘わらず中国政府は1月から3月のGDPが3%台(もちろんプラス)になると予想し、年間GDPは目標の5%を達成するだろうと言っている。

一方アメリカは第一四半期のGDPがマイナス6%と予想し、これが1年間続くとアメリカのGDPは24%も縮小する。

欧州諸国も同様で外出禁止や自粛、都市の封鎖や企業活動禁止などで、年間2%から6%のマイナスになるでしょう。


イタリアやスペインは全土で外出禁止なのでマイナス10%以上もあり得るという状況です。

同じように外出禁止や都市封鎖、企業活動停止したのに欧米はGDPマイナス、中国だけプラス5%とはいったい何を「生産」したのでしょうか?

GDPは国内総生産または国民総所得で、物理的に何かを生産したり移動したりサービスする活動です。

中国は国として存続できない状況になる

「株を買ったら値上がりした」「不動産価格が上昇した」のような事はいくら値上がりしてもGDPに加算しません。

2008年から中国のGDPは盛り付けていたが、コロナショックでとうとうソ連末期の水準まで達した。

あらゆる経済活動すべてマイナスなのだからGDPもマイナスになるしかなく、発表された中国GDPを見て説明できる西側専門家は1人も居ないでしょう。


さてこのようにGDPを盛り付けた国はどうなるかですが、表向きのGDPを増やすことで良い効果があります。

マイナス5%よりプラス5%と発表した方が外国資本や外国企業は中国に投資し、撤退しようと思わないでしょう。

国連や国際会議では成長している国の方が発言力が強くなるので、外交上有利に働きます。


このように良い事だけだったら「じゃあ日本もGDPを表向き増やそう」となるがマイナス面もある。

中国の公的債務は50%に過ぎないが、公的債務に含めていない隠し債務を含めると200%を超えている。

もしGDPを50%過大に発表していたら債務のGDP比率は500%になり、もう国として存続できる水準ではない。


中国はコロナ感染者がゼロになったと発表しているが、多くの中国人告発者は真実ではないと言っている。

習近平の武漢訪問に合わせて湖北省がゼロと発表したが、多くの感染者を治療せず自宅に返しただけだった。

仮設病院や多くの隔離施設も「感染者がいなくなった」として閉鎖したが、実際には感染者の治療と検査をやめただけです。


こんな事をしたら感染者は急増しているはずで、もうとっくに10万人を超えて100万人も超えているかもしれません。

最近中国では1400万人もの携帯電話が解約され、その端末の一部は武漢の火葬場から発見されたと告発されている。

湖北省周辺で行方不明者が急増し人口が急激に減少しているようなのですが、いったいどこに消えたのでしょうか?

http://www.thutmosev.com/archives/82515700.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c37

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
9. 中川隆[-13497] koaQ7Jey 2020年3月23日 15:10:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1407]

2020年3月23日
【三橋貴明】第二次世界恐慌


【今週のNewsピックアップ】
第二次世界恐慌(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583165088.html

第二次世界恐慌(中編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583428190.html

第二次世界恐慌(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583662459.html


現在から振り返ってみると、
リーマンショックは「大不況」では
ありましたが、第二次世界恐慌
というわけではありませんでした。

第二次世界恐慌は、今から始まります。

リーマンショックは、
経済成長率が大幅に落ち込み、
その後「V字回復」しました。

恐慌の場合、経済成長率が
「落ちて、落ちて、落ちる」のです。

1929年10月のNY株式大暴落に
端を発する世界大恐慌期、
アメリカの経済成長率(名目GDP)は、

1930年 ▲12% 
1931年 ▲15%
1932年 ▲24%
1933年 ▲4%

と、凄まじい状況となり、最終的に
GDPが55%になってしまいました。

恐慌は、一度目のあまりに凄まじい所得の
落ち込みが、次の所得下落を引き起こす
ことで深刻化していきます。

現在、政府の自粛要請等により、
日本国民は消費を極端に減らし、結果的に
飲食業、宿泊業、タクシー業、イベント関連
など、売上が消滅する状況になっています。

所得を得られない人々は、当たり前ですが
消費を減らし、別の誰かの所得がまたもや
すさまじい落ち込みになる。

所得縮小のカタストロフィを食い止める
ことができるのは、政府しかありません。

『世界の財政出動、史上最大か
 金融危機上回る―新型コロナ対応
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032100427&g=int

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、
各国・地域が検討している財政出動額が
200兆円超と金融危機当時を上回り、
年間で史上最大規模に膨らむ見込みだ。
日米欧や中国の巨大経済圏で
ヒト・モノ・カネの流れが滞る前例のない
事態に発展し、景気後退が現実味を帯びる。
(後略)』

恐慌期には、物価と金利が低下するため、
政府の財政拡大の制約は消滅します。

特に、元々インフレ率や国債金利が低かった
我が国には、大規模財政拡大を制限するものは、
本来は何もないのです。

ところが、我が国には「プライマリーバランス
黒字化目標」という緊縮財政強要のルールが
あります。

また、ユーロ加盟国は通貨発行権
(国債のマネタイゼーション)がなく、
どこまで財政を拡大できるかは不透明です。

日本国は、第二次世界恐慌を受け、
緊縮財政の転換(ピボット)ができるのか。
日本国の運命は、国民や政治家の「意思」に
委ねられているのです。
https://38news.jp/economy/15566

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c9

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
26. 中川隆[-13496] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:04:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1408]
かもめ ЧАЙКА
――喜劇 四幕――
アントン・チェーホフ Anton Chekhov
神西清訳


人物
アルカージナ(イリーナ・ニコラーエヴナ) とつぎ先の姓はトレープレヴァ、女優
トレープレフ(コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ) その息子、青年
ソーリン(ピョートル・ニコラーエヴィチ) アルカージナの兄
ニーナ(ミハイロヴナ・ザレーチナヤ) 若い処女、裕福な地主の娘
シャムラーエフ(イリヤー・アファナーシエヴィチ) 退職中尉
ちゅうい
、ソーリン家の支配人
ポリーナ(アンドレーエヴナ) その妻
マーシャ その娘
トリゴーリン(ボリース・アレクセーエヴィチ) 文士
ドールン(エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ) 医師
メドヴェージェンコ(セミョーン・セミョーノヴィチ) 教員
ヤーコフ 下男
料理人
小間使

ソーリン家の田舎屋敷でのこと。――三幕と四幕のあいだに二年間が経過
[#改ページ]

第一幕

ソーリン家の領地内の廃園の一部。広い並木道が、観客席から庭の奥のほうへ走って、湖に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて、湖はまったく見えない。仮舞台の左右に灌木
かんぼく
の茂み。椅子
いす
が数脚、小テーブルが一つ。

日がいま沈んだばかり。幕のおりている仮舞台の上には、ヤーコフほか下男たちがいて、咳
せき
ばらいや槌
つち
音が聞える。散歩がえりのマーシャとメドヴェージェンコ、左手から登場。

メドヴェージェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェージェンコ なぜです? (考えこんで)わからんですなあ。……あなたは健康だし、お父さんにしたって金持じゃないまでも、暮しに不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛
つら
いですよ。月に二十三ルーブリしか貰
もら
ってないのに、そのなかから、退職積立金を天引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふたり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェージェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟――それで月給がただの二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台のほうを振向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェージェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレープレフ君の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。ところが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想
おも
っています。恋しさに家
うち
にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたのそっけない顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいときてますからね。食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なんかするものか?
マーシャ つまらないことを。(かぎタバコをかぐ)お気持はありがたいと思うけれど、それにお応
こた
えできないの。それだけのことよ。(タバコ入れを差出して)いかが?
メドヴェージェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩
おそ
くなって、ごろごろザーッときそうね。あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなのね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、あたしなんか、ボロを着て乞食
こじき
ぐらしをしたほうが、どんなに気楽だか知れやしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……

右手から、ソーリンとトレープレフ登場。

ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎
いなか
が苦手でな、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染
なじ
めまいよ。ゆうべは十時に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寝すぎたもんで、脳みそが頭蓋骨
ずがいこつ
に、べったりくっついたような気がした――とまあいった次第でな(笑う)。ところが昼めしのあとで、ついまた寝こんじまって、今じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃもちろん、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシャとメドヴェージェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今ここにいられちゃ困るな。暫時
ざんじ
ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いてやるように、ひとつパパにお願いしてみてはくださらんか。やけに吠

えるでなあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寝られなかった。
マーシャ ご自分で父におっしゃってくださいまし、あたしはご免こうむります。あしからず。(メドヴェージェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェージェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせによこしてください。

ふたり退場。

ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わたしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例
ため
しがない。前にゃよく、二十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら――とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着いたその日から、逃げ出したくなったよ(笑う)。引揚げる時にゃ、やれやれと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退

いてしまって、ほかに居場所がない――早い話がね。いやでも、ここに釘
くぎ
づけだ……
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那
わかだんな
、〔わっしら〕ちょいと一浴びしてきます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持ち場にいてくれよ。(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カーテン、袖
そで
が一つ、袖がもう一つ――その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっかり八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ飛んじまう。もうくる時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見張りがきびしいもんで、家
うち
を抜け出すのは、牢
ろう
破りも同様、むずかしいんですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯
ひげ
ももじゃもじゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは若い時分から、飲んだくれそっくりの風采
ふうさい
――とまあいった次第でな。ついぞ女にもてた例
ため
しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、おかんむりなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋
さび
しいんですよ。(ならんで腰をおろしながら)妬

けるんでさ。おっ母

さんはてんからもう、この僕にも、今日の芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演

るのが自分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、眼の敵
かたき
にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を回さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采
かっさい
を浴びるのが、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪
しゃく
のたねなんですよ。(時計を見て)ちょいと心理的な変り種でね――おっ母さんは。そりゃ才能もある、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラーソフの詩だって、即座に残らず暗誦
あんしょう
できるし、病人の世話をさせたら――エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノラ・ドゥーゼでも褒

めてごらんなさい。事ですぜ! 褒めるなら、あのひとのことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿姫
つばきひめ
』だの『人生の毒気』(訳注 ロシア十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの戯曲)だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激したりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。そこで、淋しいもんだから苛々
いらいら
する。われわれがみんな悪者で、親のカタキだということになる。おまけに、あの人は御幣
ごへい
かつぎで、三本蝋燭
ろうそく
(訳注 死人のほとりを照らす習慣)をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。しかも、けちんぼときている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは――僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもんなら、めそめそ泣きだす始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ――とまあいった次第だがな。案じることはないさ――おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き――嫌
きら
い、好き――嫌い、好き――嫌い。(笑う)そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭
いや
でも、自分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいられるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なんですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優たちが、人間の食ったり飲んだり、惚

れたり歩いたり、背広を着たりする有様を、演じてみせる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ちっぽけな、手っとり早い、ご家庭にあって調法――といった代物
しろもの
ばかりさ。そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの繰返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出すんです。エッフェル塔の俗悪さがやりきれなくなって、命からがら逃げ出したモーパッサン(訳注 その小説『さすらい』参照)みたいにね。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新しい形式が必要なんですよ。新形式がいるんで、もしそれがないんなら、いっそ何にもないほうがいい。(時計を見る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活は、なんぼなんでも酷
ひど
すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべたしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口ですよ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むらむらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なのが、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情けない、ばかげた境遇があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずらり顔をならべたもんです――役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だけが、名も何もない雑魚
ざこ
なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人の息子
むすこ
だからというだけのことに過ぎん。僕は一体誰だ? どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告によくある、例の「さる外部事情のため」(訳注 当時の雑誌などが、思想の弾圧のため発禁になった時に使う慣用句)って奴
やつ
でさ。しかも、これっぱかりの才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ――キーエフの町人と書いてある。なるほどうちの親父
おやじ
は、有名な役者じゃあったが、元をただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼
まなこ
を僕にそそいでくれるごとに、僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたいな気がした、――向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんですよ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全体何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メランコリックな男ですよ。なかなかりっぱな人物でさ。まだ四十には間

があるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめのご身分だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかなあ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこれでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になることなんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ (耳をすます)足音が聞える。……(伯父を抱いて)僕は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までがすばらしい。……僕は、めちゃめちゃに幸福だ! (足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、可愛
かわい
い魔女が来た、僕の夢が……
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れやしないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してはくれまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母
はは
といっしょに出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉
うれ
しいわ。(ソーリンの手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目
めめ
を、泣きはらしてござる。……ほらほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんでるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んでこなくちゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあいった次第でな。はいはい、ただ今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふたりづれ」(訳注 ハイネの『ふたりの擲弾兵』より)……(振返って)いつぞや、まあこういった具合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、こう言いおった――「いや閣下、なかなか大した喉
のど
ですな」……そこで先生、ちょいと考えて、こう付け足したよ――「しかし……厭
いや
なお声で」(笑って退場)

ニーナ 父も継母
はは
も、あたしがここへくるのは反対なの。ここは、ボヘミアンの巣窟
そうくつ
だって……あたしが女優にでもなりゃしまいかと、心配なのね。でもあたしは、ここの湖に惹

きつけられるの、かもめみたいにね。……胸のなかは、あなたのことでいっぱい。(あたりを見回す)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻
せっぷん

ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ にれの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急いで帰らないでください、後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜どおし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、番人にみつかるわ。それにトレゾール
うちのいぬ
は、まだお馴染
なじみ
じゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)誰だ? ヤーコフ、お前か?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ みんな持ち場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄
いおう
もあるね? 紅い目玉が出たら、硫黄の臭
にお
いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、支度はすっかりできています。……興奮
あが
ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは――平気ですわ、こわくなんかない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をするのは、あたしこわいの、恥ずかしいの。……有名な作家ですもの。……若いかた?
トレープレフ ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演

りにくいわ。生きた人間がいないんだもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少なくて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……(ふたり、仮舞台のかげへ去る)

ポリーナとドールン登場。

ポリーナ しめっぽくなってきたわ。引返して、オーバーシューズをはいてらしたら?
ドールン 僕は暑いんです。
ポリーナ それが、医者の不養生よ。頑固
がんこ
というものよ。職掌がら、しめっぽい空気がご自分に毒なことぐらい、百も承知でいらっしゃるくせに、まだ私をやきもきさせたいのねえ。ゆうべだって、わざと一晩じゅう、テラスに出てらしたり……
ドールン (口ずさむ)「言うなかれ、君、青春を失いしと」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)
ポリーナ あなたは、アルカージナさんと話に身が入りすぎて……つい寒いのも忘れてらしたのね。白状なさい、あのひと、お好きなのね……
ドールン 僕は五十五ですよ。
ポリーナ そんなこと――男の場合、年寄りのうちに、はいらないわ。まだそのとおりの男前なんだから、結構おんなに持てますわ。
ドールン そこで、どうしろとおっしゃる?
ポリーナ 相手が女優さんだと、いつだって平蜘蛛
ぐも
みたい。いつだってね!
ドールン (口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)……よしんば世間が、役者をひいきにして、商人なんかと別扱いにするとしても、まあ理の当然ですな。それが――理想主義というもので。
ポリーナ 女のひとが、いつもあなたに惚れこんで、首っ玉にぶらさがってきた。これもその、理想主義ですの?
ドールン (肩をすくめて)へえね? 婦人がたは、結構僕を尊重してくれましたよ。それも主として、腕のいい医者としてでしたな。十年、十五年まえには、ご承知のとおりこの僕も、郡内でたった一人の、産科医らしい産科医でしたからね。それに僕は、実直な男だったし。
ポリーナ (男の手をとらえる)ねえ、あなた!
ドールン シッ、ひとが来ます。

アルカージナがソーリンと腕を組んで、つづいてトリゴーリン、シャムラーエフ、メドヴェージェンコ、マーシャが登場。

シャムラーエフ 〔一八〕七三年のポルタヴァの定期市
いち
で、あの女優はすばらしい芸を見せましたっけ。ただ驚嘆の一語に尽きます! 名人芸でしたな! それから、これも次手
ついで
に伺いたいですが、喜劇役者のチャージン――あのパーヴェル・セミョーヌィチですが、あれは今どこにいますかな? ラスプリューエフ(訳注 スホーヴォ・コブイリンの喜劇『クレチンスキイの結婚』中の人物)を演

らせたら天下無類でね、サドーフスキイ(訳注 モスクワ小劇場の名優、一八七二年死)より上でしたな。いやまったくですよ、奥さん。あわれ彼、今いずくにか在る?
アルカージナ あなたはいつも、大昔の人のことばかりお訊

きになるのね。わたしが知るもんですか! (腰をおろす)
シャムラーエフ (ふーっとため息をして)パーシカ・チャージン! 今じゃあんな役者はいない。舞台の下落ですな、アルカージナさん! 昔は亭々
ていてい
たる大木ぞろいだったものだが、今はもう切株ばかしでね。
ドールン いかにも、光輝さんぜんたる名優は少なくなった。だがその代り、中どころの役者は、ずっとよくなったです。
シャムラーエフ お説には賛成しかねますな。もっとも、これは趣味の問題で。De gustibus aut bene, aut nihil
みるひとのこころごころに
ですて。(訳注 この引用句は、ラテンのことわざを二つ、つきまぜたおかしみがある)

トレープレフ、仮舞台のかげから登場。

アルカージナ (息子に)ねえ、うちの坊っちゃん、一体いつ幕があくの?
トレープレフ もうすぐです。ざんじご猶予
ゆうよ

アルカージナ (『ハムレット』のセリフで)おお、ハムレット、もう何も言うてたもるな! そなたの語
ことば
で初めて見たこの魂のむさくろしさ。何
なん
ぼうしても落ちぬ程
ほど
に、黒々と沁込
しみこ
んだ心の穢
けが
れ! (訳注 第三幕第四場逍遥の訳による)
トレープレフ (『ハムレット』のセリフで)いや、膏
あぶら
ぎった汗臭い臥床
ふしど
に寝
まろ
びたり、豕
いのこ
同然の彼奴
あいつ
と睦言
むつごと
……(訳注 おなじく。ただしこのくだり、チェーホフはかなり上品に言い直されたロシア訳を踏襲している。いま訳者は、シェイクスピアの原意に近い逍遥訳を採った)

仮舞台のかげで角笛の音。

トレープレフ さあ皆さん、始まります。静粛にねがいます。(間)では、まず私から。(細身の杖
つえ
を突き鳴らし、大声で)おお、なんじら、年ふりし由緒
ゆいしょ
ある影たちよ。夜ともなれば、この湖の上をさまよう影たちよ。わたしたちを寝入らせてくれ。そして、二十万年のちの有様を、夢に見させてくれ!
ソーリン 二十万年したら、なんにもないさ。
トレープレフ だから、そのないところを見させるんですよ。
アルカージナ どうともご随意に。わたしたちは寝るから。

幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐
すわ
っている。

ニーナ 人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚
さかな
も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音

ずれもない。寒い、寒い、寒い。うつろだ、うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶

け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂――それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル大王の魂もある。シーザーのも、シェイクスピアのも、ナポレオンのも、最後に生き残った蛭
ひる
のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、人間の意識が、動物の本能と溶け合っている。で、わたしは、何もかも、残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新しく生き直している。

鬼火があらわれる。

アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。そしてわたしの声は、この空虚
うつろ
のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ前、沼の毒気から生れたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなしに、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。だからお前は、絶えず流転
るてん
をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこまれた囚
とら
われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知らない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手の、たゆまぬ激しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統

べる一つの意志の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、永い永い歳
とし
つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この地球も、すべて塵
ちり
と化したあとのことだ。……その時がくるまでは、怖
おそ
ろしいことばかりだ。……(間。湖の奥に、紅
あか
い点が二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭
にお
いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほど、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶりなさい、風邪
かぜ
を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら! (とんと足ぶみして)幕だ! (幕おりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘れていたもんで。僕はひとの畠
はたけ
を荒したんだ! 僕が……いや、僕なんか……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)
アルカージナ どうしたんだろう、あの子は?
ソーリン なあ、おっ母さん、こりゃいけないよ。若い者の自尊心は、大事にしてやらなけりゃ。
アルカージナ わたし、あの子に何を言ったかしら?
ソーリン だって、恥をかかしたじゃないか。
アルカージナ あの子は、これはほんの茶番劇でと、自分で前触れしていましたよ。だからこっちも、茶番のつもりでいたんだけれど。
ソーリン まあさ、それにしたって……
アルカージナ ところが、いざ蓋
ふた
をあけてみたら、大層な力作だったわけなのね! やれやれ! あの子が、今夜の芝居を仕組んで、硫黄の臭いをぷんぷんさせたのも、茶番どころか、一大デモンストレーションだった。……あの子はわたしたちに、戯曲の作り方や演

り方を、教えてくれる気だったんだわ。早い話が、ま、うんざりしますよ。何かといえば、一々わたしに突っかかったり、当てこすったり、そりゃまああの子の勝手だけれど、これじゃ誰にしたってオクビが出るでしょうよ! わがままな、自惚
うぬぼ
れの強い子だこと。
ソーリン あの子は、お前のつれづれを慰めようと思ったんだよ。
アルカージナ おや、そう? そんなら、何か当り前の芝居を出せばいいのに、なぜ選

りに選って、あんなデカダンのタワ言を聴

かせようとしたんだろう。茶番のつもりなら、タワ言でもなんでも聴いてやりましょうけれど、あれじゃ野心満々、――芸術に新形式をもたらそうとか、一新紀元を画そうとか、大した意気ごみじゃありませんか。わたしに言わせれば、あんなもの、新形式でもなんでもありゃしない。ただ根性まがりなだけですよ。
トリゴーリン 人間誰しも、書きたいことを、書けるように書く。
アルカージナ そんなら勝手に、書きたいことを、書けるように書くがいいわ。ただ、わたしには、さわらずにおいてもらいたいのよ。
ドールン ジュピターよ、なんじは怒
いか
れり、か……(訳注 つづいて「されば非はなんじにあり」というラテンのことわざ。ドールンはこの句で、暗にアルカージナを諷したのであろうが、彼女は気づかずに――)
アルカージナ わたしはジュピターじゃない、女ですよ。(タバコを吸いだす)あたし、怒
おこ
ってなんかいません。ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ。あの子に恥をかかすつもりはなかったの。
メドヴェージェンコ 何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂にしてからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね。(語気をつよめて、トリゴーリンに)で一つ、どうでしょう、われわれ教員仲間がどんな暮しをしているか――それをひとつ戯曲に書いて、舞台で演じてみたら。辛
つら
いです、じつに辛い生活です!
アルカージナ ごもっともね。でももう、戯曲や原子のはなしは、やめにしましょうよ。こんな好

い晩なんですもの! 聞えて、ほら、歌ってるのが? (耳をすます)いいわ、とても!
ポリーナ 向う岸ですわ。(間)
アルカージナ (トリゴーリンに)ここへお掛けなさいな。十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきりなしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主屋敷が六つもあってね。忘れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……そのころ、その六つの屋敷の花形
ジュヌ・プルミエ
で、人気の的だったのは、そら、ご紹介しますわ(ドールンをあごでしゃくって)――ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前ですもの、そのころときたら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそうと、そろそろ気が咎
とが
めてきた。可哀
かわい
そうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せがれや! コースチャ!
マーシャ あたし行って、捜してみましょう。
アルカージナ ええ、お願い。
マーシャ (左手へ行く)ほおい! トレープレフさん!……ほおい! (退場)
ニーナ (仮舞台のかげから出てきながら)もう続きはないらしいから、あたし出て行ってもいいのね。今晩は! (アルカージナおよびポリーナとキスを交す)
ソーリン ブラボー! ブラボー!
アルカージナ ブラボー! ブラボー! みんなで、感心していたんですよ。それだけの器量と、あんなすばらしい声をしながら、田舎に引っこんでらっしゃるなんて罪ですよ。きっと天分がおありのはずよ。ね、いいこと? 舞台に立つのは、あなたの義務よ!
ニーナ まあ、あたしの夢もそうなの! (ため息をついて)でも、実現しっこありませんわ。
アルカージナ そんなことあるもんですか。さ、ご紹介しましょう――こちらはトリゴーリンさん、ボリース・アレクセーエヴィチ。
ニーナ まあ、うれしい……(どぎまぎして)いつもお作は……
アルカージナ (彼女を自分のそばに坐らせながら)そう固くならないでもいいのよ。有名な人だけれど、気持のさっぱりしたかたですからね。ほら、あちらが却
かえ
って、あがってらっしゃるわ。
ドールン もう幕をあげてもいいでしょうな、どうも気づまりでいかん。
シャムラーエフ (大声で)ヤーコフ、ちょっくら一つ、幕をあげてくれんか! (幕あがる)
ニーナ (トリゴーリンに)ね、いかが、妙な芝居でしょう?
トリゴーリン さっぱりわからなかったです。しかし、面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな。
ニーナ ええ。
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じっと浮子
うき
を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、いったん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみなんか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。このかた、ひとから持ちあげられると、尻
しり
もちをつく癖がおありなの。
シャムラーエフ 忘れもしませんが、いつぞやモスクワのオペラ座でね、有名なあのシルヴァ(訳注 イタリアの歌手)が、うんと低いドの音を出したんです。ところがその時、折も折ですな、クレムリンの合唱隊のバスうたいが一人、天井桟敷
さじき
に陣どって見物してたんですが、とつぜん藪
やぶ
から棒に、いやどうも驚くまいことか、その天井桟敷から、「ブラボー、シルヴァ!」と、やってのけた――それが完全に一オクターブ低いやつでね。……まず、こんな具合、――(低いバスで)ブラボー、シルヴァ。……満場シーンとしてしまいましたよ。(間)
ドールン 静寂
しじま
の天使とびすぎぬ。(訳注 一座が急にシーンとしたときに言うことば)
ニーナ わたし、行かなくちゃ。さようなら。
アルカージナ どこへいらっしゃるの? こんなに早くから? 放しちゃあげませんよ。
ニーナ パパが待ってますから。
アルカージナ なんてパパでしょうね、ほんとに……(キスを交す)じゃ、仕方がないわ。お帰しするの、ほんとに残念だけれど。
ニーナ わたしだって、おいとまするの、どんなに辛いかわかりませんわ!
アルカージナ 誰かお送りするといいんだけれど、心配よ。
ニーナ (おどおどして)まあそんな、いいんですの!
ソーリン (哀願するように彼女に)もっと、いてくださいよ!
ニーナ 駄目
だめ
なんですの、ソーリンさん。
ソーリン せめて一時間――とまあいった次第でね。いいじゃありませんか、ほんとに……
ニーナ (ちょっと考えて、涙声で)いけませんわ! (握手して、足早に退場)
アルカージナ 気の毒な娘さんだこと、まったく。人の話だと、あの子の母親が亡

くなる前、莫大
ばくだい
な財産を一文のこらず、すっかりご主人の名義に書きかえたんですって。それを今度はあの父親が、後添いの名義にしてしまったもので、今じゃあの子、はだか同然の身の上なのよ。ひどい話ですわ。
ドールン さよう、あの子の親父
おやじ
さんは相当な人でなしでね、一言の弁解の余地もありませんや。
ソーリン (冷えた両手をこすりながら)われわれももう行こうじゃありませんか、皆さん。だいぶじめじめしてきたわい。わたしゃ、脚
あし
がずきずきする。
アルカージナ あんたの脚は、まるで木で作ったみたい。歩くのもやっとなのね。さ、参りましょう、みじめなお爺
じい
さん。(彼の腕をささえる)
シャムラーエフ (妻に片手をさしのべて)マダーム?
ソーリン ほら、また犬が吠

えている。(シャムラーエフに)お願いだが、なあシャムラーエフさん、あの犬を放してやるように言ってくださらんか。
シャムラーエフ 駄目ですな、ソーリンさん、穀倉に泥棒がはいると困りますからな。なにしろわたしのキビが納めてあるんでね。(並んで歩いているメドヴェージェンコに)完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。
メドヴェージェンコ 給料はどれくらいでしょうかね、クレムリンあたりの歌うたいだと?

ドールンのほか一同退場。

ドールン (ひとり)ひょっとすると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅
あか
い目玉があらわれた時にゃ、おれは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ。……ほう、先生やって来たらしいぞ。なるべく気の引立つようなことを言ってやりたいものだ。
トレープレフ (登場)もう誰もいない。
ドールン 僕がいます。
トレープレフ 僕を庭じゅう捜しまわってるんだ、あのマーシャのやつ。やりきれない女だ。
ドールン ねえトレープレフ君、僕は君の芝居が、すっかり気に入っちまった。ちょいとこう風変りで、しかも終りのほうは聞かなかったけれど、とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんですね。

トレープレフはぎゅっと相手の手を握り、いきなり抱きつく。

ドールン ひゅッ、なんて神経質な。涙をためたりしてさ。……僕の言いたいのはね、いいですか――君は抽象観念の世界にテーマを仰いだですね。これは飽

くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必ず、何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美しい。なんて蒼
あお
い顔をしてるの!
トレープレフ じゃあなたは――続けろと言うんですね?
ドールン そう。……しかしね、重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。君も知ってのとおり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情
ふぜい
を失わずに送ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたって味わうような精神の昂揚
こうよう
を、ひょっと一度でも味わうことができたとしたら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上
うわ
っ面
つら
や、それにくっついている一切を軽蔑
けいべつ
して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ないな。
トレープレフ お話中ですが、ニーナさんはどこでしょう?
ドールン それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭
めいりょう
な、ある決った思想がなければならんということだ。なんのために書くのか、それをちゃんと知っていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しながら道を歩いて行ったら、君は迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼすことになる。
トレープレフ (じれったそうに)どこにいるんです。ニーナさんは?
ドールン うちへ帰ったですよ。
トレープレフ (絶望的に)ああ、どうしよう? 僕はあの人に会いたいんだ。……ぜひ会わなくちゃ。これから行ってこよう……

マーシャ登場。

ドールン (トレープレフに)まあ落着きたまえ、君。
トレープレフ とにかく行ってきます。行かなくちゃならんのです。
マーシャ うちへおはいりになって、ねトレープレフさん。お母さまがお待ちかねよ。心配してらっしゃるわ。
トレープレフ そう言ってください、ぼくは出かけたって。君たちみんなも、どうぞ僕をほっといてくれたまえ! ほっといて! あとをつけ回さないでさ!
ドールン まあまあまあ、君……そんな滅茶
めちゃ
な。……いけないなあ。
トレープレフ (涙声で)さようなら、ドクトル。感謝します……(退場)
ドールン (ため息をついて)若い、若いなあ!
マーシャ ほかに言いようがなくなると、みなさんおっしゃるのね――若い、若いって……(かぎタバコをかぐ)
ドールン (タバコ入れを取上げて、茂みの中へ投げる)けがらわしい! (間)うちの中では、カルタをやってるらしい。どれ、行くとするか。
マーシャ ちょっと待って。
ドールン なんです?
マーシャ もう一ぺん、あなたに聞いて頂きたいことがあるの。ちょっと聞いて頂きたいの。……(興奮して)わたし、うちの父は好きじゃないけれど……あなたには、おすがりしていますの。なぜだか知らないけれど、わたし心底から、あなたが親身
しんみ
なかたのような気がしますの。……どうぞ助けてください。ね、助けて。さもないとわたし、ばかなことをしたり、自分の生活をおひゃらかして、滅茶々々にしちまうわ。……もうこれ以上わたし……
ドールン どうしたんです? 何を助けろと言うんです?
マーシャ わたし辛
つら
いんです。誰も、誰ひとり、この辛さがわかってくれないの! (相手の胸に頭を押しあて、小声で)わたし、トレープレフを愛しています。
ドールン なんてみんな神経質なんだ! なんて神経質なんだ! それに、どこもかしこも恋ばかしだ。……おお、まどわしの湖よ、だ! (やさしく)だって、この僕に一体、何がしてあげられます、ええ? 何が? え、何が?
――幕――
[#改ページ]

第二幕

クロケットのコート。右手奥に、大きなテラスのついた家。左手には湖が見え、太陽が反射してきらきらしている。そこここに花壇。まひる。炎暑。コートの横手、菩提樹
ぼだいじゅ
の老木のかげにベンチが一脚。それにアルカージナ、ドールン、マーシャがかけている。ドールンの膝
ひざ
には、本が開けてある。

アルカージナ (マーシャに)じゃ、立ってみましょう。(ふたり立ちあがる)こうして並んでね。あんたは二十二、わたしはかれこれその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて?
ドールン あなたです、もちろん。
アルカージナ そうらね……で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事に感じるからよ、しょっちゅう気を使っているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。……それにわたしには、主義があるの――未来を覗
のぞ
き見しない、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの。
マーシャ わたしは、こんな気がしますの――まるで自分が、もうずっと昔から生れているみたいな。お儀式用のあの長ったらしいスカートよろしく、自分の生活をずるずる引きずってるみたいな気がね。……生きようなんて気持が、てんでなくなることだってよくありますわ。(腰をおろす)でも、くだらないわね、そんなこと。奮起一番、こんな妄念
もうねん
は叩
たた
きださなくちゃいけないわ。
ドールン (小声で口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……(訳注 グーノーの歌劇『ファウスト』第三幕、ジーベルの詠唱より)

アルカージナ それにわたしは、イギリス人みたいにキチンとしているわ。わたしはね、いいこと、いわばピンと張りつめた気持でね、身なりだって髪かたちだって、いつも Comme il faut
しゃんとして
いますよ。一あし家
うち
を出るにしたって、よしんば、ほら、こうして庭へ出る時でも、――部屋着
ブルーズ
のまま髪も結わずに、なんてことがあったかしら? とんでもない。わたしがこうしていつまでも若くていられるのは、そこらの連中みたいにぐうたらな真似
まね
をしたり、自分を甘やかしたりしなかったおかげですよ。……(両手を腰にあてて、コートを歩きまわる)ほらね、――ピヨピヨ雛
ひよ
っ子よ。十五の小娘にだってなって見せるわ。
ドールン まあまあ、それはそうとして、僕は先を続けますよ。(本を手にとって)ええと、粉屋と鼠
ねずみ
のとこでしたね。……
アルカージナ その鼠のところ。読んでちょうだい。(腰かける)でも、貸してごらんなさい、わたしが読むわ。こんどはわたし。(本をうけ取って、眼でさがす)鼠と……ああここだ。……(読む)「だからもちろん、社交界の婦人たちが小説家をちやほやして、これを身辺へ近づけるがごときは、その危険なること、粉屋が鼠を納屋
なや
に飼っておくのと一般である。にもかかわらず、小説家は依然としてヒイキにされる。かくて、女性がこれぞと思う作家に狙
ねら
いをつけて、これをサロンに手なずけておこうという段になると、彼女はお世辞、お愛想、お追従
ついしょう
の限りをつくして包囲攻撃を加える」……ふん、フランスじゃそうかも知れないけれど、このロシアじゃ、そんな目論見
もくろみ
もへったくれもありゃしない。ロシアの女はまず大抵、作家を手に入れる前に、自分のほうが首ったけの大あつあつになっちまう。いやはやだわ。手近なところで、たとえばこのわたしとトリゴーリンだっても……

ソーリンが杖
つえ
にたよりながら登場。ならんでニーナ。そのあとからメドヴェージェンコが、空っぽの肘
ひじ
かけ椅子
いす
(訳注 車のついた)を押してくる。

ソーリン (子供をあやすような調子で)ああ、そうなの? 嬉
うれ
しくって堪
たま
らないの? 今日はみんな浮き浮きってわけかな、早い話が? (妹に)嬉しいことがあるんだよ! お父さんと、ままおっ母

さんが、トヴェーリへ行っちまったんで、ぼくたちまる三日というもの、のうのうと羽根がのばせるんだ。
ニーナ (アルカージナの隣に腰かけ、彼女に抱きつく)わたしほんとに幸福! これでもうわたし、あなた方のものですわ。
ソーリン (自分の肘かけ椅子にかける)今日はこの人、じつにきれいだなあ。
アルカージナ おめかしして、ほれぼれするみたい。(ニーナにキスする)でも、あんまり褒

め立てちゃいけないわ、鬼が妬

きますからね。トリゴーリンさんはどこ?
ニーナ 水浴び場で、釣りをしてらっしゃるの。
アルカージナ よく飽きないものねえ! (つづけて読もうとする)
ニーナ それ、なんですの?
アルカージナ モーパッサンの『水の上』よ。(二、三行ほど黙読する)ふん、あとはつまらない嘘
うそ
っぱちだ。(本を閉じる)わたし、なんだか気持が落着かない。うちの子は、一体どうしたんでしょうねえ? どうしてあんなつまらなそうな、けわしい顔つきをしてるんだろう? あの子はもう何日も、ぶっ続けに湖へばかり行っていて、わたしおちおち顔を見る時もないの。
マーシャ くさくさしてらっしゃるんですわ。(ニーナに向って、おずおずと)ねえ、あの人の戯曲をどこか、読んでくださらない!
ニーナ (肩をすくめて)あら、あれを? とてもつまんないのよ!
マーシャ (感激をおさえながら)あの人が自分で何か朗読なさると、眼が燃えるようにきらきらして、顔が蒼
あお
ざめてくるんですわ。憂
うれ
いをふくんだ、きれいな声で、身のこなしは詩人そっくり。

ソーリンのいびきが聞える。

ドールン ごゆるりと!
アルカージナ ねえ、ペトルーシャ!
ソーリン ああ?
アルカージナ 寝てらっしゃるの?
ソーリン いいや、どうして。

間。

アルカージナ あなたは療治をなさらない、いけないわ、兄さん。
ソーリン 療治したいのは山々だが、このドクトルが、してやろうとおっしゃらん。
ドールン 六十の療治ですか!
ソーリン 六十になったって、生きたいさ。
ドールン (吐き出すように)ええ! じゃ、カノコ草
そう
の水薬(訳注 カノコ草の根から製した鎮静剤)でもやるですな。
アルカージナ どこか、温泉にでも行ったらいいんじゃないかしら。
ドールン ほほう? 行くのもよし、行かないのもまたよしですな。
アルカージナ ややこしいわね。
ドールン ややこしいも何もない。はっきりしてますよ。

間。

メドヴェージェンコ ソーリンさんは、タバコをやめるべきでしょうな。
ソーリン くだらん。
ドールン いや、くだらんどころじゃない。酒とタバコは、個性を失わせますよ。シガー一本、ウオトカ一杯やったあとのあなたは、もはやソーリン氏ではなくて、ソーリン氏プラス誰かしら、なんです。自我がだんだんぼやけて、あなたは自分に対して、あたかも第三者――つまり“彼”に対するような態度になるわけです。
ソーリン (笑って)あんたは勝手に理屈をならべるがいいさ。人生の盛りを楽しんだ人だからね。ところが僕はどうだ? 司法省に二十八年も勤めはしたが、まだ生活をしたことがない、何一つ味わったことがない、早い話がね。だからさ、生きたくって堪らないのは、わかりきった話じゃないですか。あんたは腹がいっぱいで、泰然と構えていなさる。それで哲学に趣味をもちなさる。ところが僕は、生きたいものだから、夕食にシェリー〔酒〕をやったり、シガーをふかしたり、とまあいった次第でさ。それだけの事ですよ。
ドールン 命というものは、もっと大事に扱うものです。六十になって療治をしたり、若い時の楽しみが足りなかったと悔んだりするのは、失礼ながら軽率というものですよ。
マーシャ (立ちあがる)もう午食
おひる
の時間よ、きっと。(だらけた気力のない歩き方をする)足がしびれたわ。……(退場)
ドールン ああして行って、午食の前に〔ウオトカを〕二杯ひっかけるんだ。
ソーリン わが身に仕合せのない娘

だからね、可哀
かわい
そうに。
ドールン つまらんことを、ええ閣下。
ソーリン そらそれが、腹いっぱい食った人の理屈さ。
アルカージナ あーあ、およそ退屈といったら、この親愛なる田舎
いなか
の退屈さに、まさるものなしだわね! 暑くて、静かで、誰もなんにもせずに、哲学ばかりやって。……ねえ皆さん、こうしてごいっしょにいるのもいいし、お話を伺ってるのも楽しいわ。だけど……ホテルの部屋に引っこもって、書き抜きを詰めこむ時のほうが――どんなにましだか知れやしない!
ニーナ (感激して)すばらしいわ! わたし、わかりますわ。
ソーリン むろん、都会のほうがいいさ。書斎に引っこんでる。取次ぎなしには誰も通しはせん。用事は電話……往来にゃ辻
つじ
馬車が通る、とまあいった次第でな……
ドールン (口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……

シャムラーエフ登場。つづいて、ポリーナ。

シャムラーエフ ほう、皆さんお揃
そろ
いだ。こんにちは! (アルカージナの手に、つづいてニーナの手に接吻
せっぷん
する)ご機嫌うるわしくて何よりです。家内の話では、あなたのお伴
とも
をして今日、町へ出かけるそうですが、ほんとでしょうか?
アルカージナ ええ、そのつもりなの。
シャムラーエフ ふむ。……それも結構ですが、しかし何に乗って行かれますかな、奥さま? 今日はライ麦を運ぶ日なので、男衆はみんな手がふさがっております。それに一体、どんな馬を使うおつもりですな、ひとつ伺いたいもんで。
アルカージナ どんな馬? 知るもんですか――そんなこと!
ソーリン うちには、よそ行きのやつがあるはずだが。
シャムラーエフ (興奮して)よそ行きの? では、頸輪
くびわ
はどうすればいいのです? どこから持ってくればよろしいんです? こりゃ驚いた! さっぱりわからん! ねえ奥さん! 失礼ながら、わたしはあなたの才能を崇拝して、あなたのためなら、十年の命を投げだすのもいといませんが、しかし馬は絶対ご用だてできません!
アルカージナ でも、わたしがどうしても出かけなけりゃならないとしたらどう? 妙な話だこと!
シャムラーエフ 奥さん! あなたはわかっておいでなさらん、農家の経営というものが!
アルカージナ (カッとして)また例の御託
ごたく
が始まった! そんならよござんす、わたし今日すぐモスクワへ帰るから。村へ行って、馬をやとってくるよう言いつけてください。それも駄目なら、駅まで歩いて行きます!
シャムラーエフ (カッとして)そういうことなら、わたしは辞職します! べつの支配人をおさがしなさい! (退場)
アルカージナ 毎とし夏になると、こうだわ。毎夏、わたしはここへ来て厭
いや
な目にあわされるんだわ! もうここへは足ぶみもしない! (左手へ退場。そこに水浴び場がある気持。やがて、彼女が家に歩いて行くのが見える。そのあとにトリゴーリンが、釣竿
つりざお
と手桶
ておけ
をさげてつづく)
ソーリン (カッとして)理不尽にもほどがある! 一体なんたることだ! つくづくもう厭になったよ、早い話がな。即刻ここへ、ありったけの馬を出させるがいい!
ニーナ (ポリーナに)アルカージナさんのような、有名な女優さんにさからうなんて! そのお望みとあれば、たとえ気まぐれにしたって、お宅の経営よりか大切じゃありませんの? 呆
あき
れて物も言えないわ!
ポリーナ (身も世もあらず)どうしろとおっしゃるの? わたしの身にもなってちょうだい、どうすればいいと仰しゃるの?
ソーリン (ニーナに)さ、妹のところへ行きましょう。……みんなで、あれが発

って行かないように、頼んでみましょう。ね、どうです? (シャムラーエフの去った方角を見やって)まったくやりきれん男だ! 暴君だ!
ニーナ (彼の立とうとするのを遮
さえぎ
りながら)坐
すわ
ってらっしゃい、坐って。……わたしたちがお連れしますわ。……(メドヴェージェンコと二人で椅子を押す)ああ、ほんとに厭だこと!……
ソーリン そう、まったく厭なことだ。……でもね、あの男は出て行きはしない。わたしが今すぐ、話をつけるからね。(三人退場。ドールンとポリーナだけ残る)
ドールン 厄介
やっかい
な連中だなあ。本来なら、あんたのご亭主をポイとおっぽり出せばいいものを、それがとどのつまりは、あの年寄り婆
ばあ
さんみたいなソーリン先生が、妹とふたりがかりで、詫

びを入れるのが落ちですよ。まあ見てらっしゃい!
ポリーナ あの人は、よそ行きの馬まで野良
のら
へ出したんですの。それに、こんな行き違いは毎日のことなのよ。そのためどれほどわたしが苦労するか、わかってくだすったらねえ! これじゃ病気になってしまうわ。ほらね、顫
ふる
えがついてるわ。……わたし、あの人のがさつさには愛想がつきた。(哀願するように)エヴゲーニイ、ね、大事ないとしいエヴゲーニイ、わたしを引取ってちょうだい。……わたしたちの時は過ぎてゆくわ、おたがいもう若くはないわ。せめて一生のおしまいだけでも、かくれたり、嘘
うそ
をついたりせずにいたい……(間)
ドールン 僕は五十五ですよ、今さら生活を変えようたってもう遅い。
ポリーナ わかってるわ、そう言って逃げをお打ちになるのも、わたしのほかに、身近な女の人が、幾らもおありだからよ。みんな引取るわけにはいきませんものね。わかってますわ。こんなこと言ってご免なさい、もう飽きられてしまったのにね。

ニーナが家のほとりに現われる。彼女は花を摘む。

ドールン そんなばかなことが。
ポリーナ わたし、嫉妬
しっと
でくるしいのよ。そりゃ、あなたはお医者さんだから、婦人を避けるわけにはいかない。それはわかるけれど……
ドールン (近づいて来たニーナに)どうです。あちらの様子は?
ニーナ アルカージナさんは泣いてらっしゃるし、ソーリンさんはまた喘息
ぜんそく
よ。
ドールン (立ちあがる)どれ行って、カノコ草の水薬でも、ふたりに飲ませるか。……
ニーナ (彼に花をわたして)どうぞ!
ドールン こりゃどうも
メルシ・ビエン
。(家のほうへ行く)
ポリーナ (いっしょに行きながら)まあ、可愛
かわい
らしい花だこと! (家のほとりで、声を押し殺して)その花をちょうだい! およこしなさいったら! (花を受けとり、それを引きむしって、わきへ捨てる。ふたり家にはいる)
ニーナ (ひとり)有名な女優さんが、それもあんなつまらないことで泣くなんて、どう見ても不思議だわねえ! もう一つ不思議と言えば、名高い小説家で、世間の人気者で、わいわい新聞に書き立てられたり、写真が売りだされたり、外国で翻訳まで出ている人が、一日じゅう釣りばかりして、ダボハゼが二匹釣れたってにこにこしてるなんて、これも変てこだわ。わたし、有名な人って、そばへも寄れないほどえばりくさって、世間の人間を見くだしているものと思っていた。家柄だの財産だのを、無上のものと崇
あが
め奉
たてまつ
る世間にたいして、自分の名誉やぱりぱりの名声でもって、仕返しをする気なのだろうと思っていた。ところがどうでしょう、泣いたり、釣りをしたり、カルタをやったり、笑ったり、一向みんなと違やしない。……
トレープレフ (無帽で登場。猟銃と、鴎
かもめ
の死骸
しがい
を持つ)一人っきりなの?
ニーナ ええ、そう。

トレープレフ、鴎を彼女の足もとに置く。

ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似
まね
をした。あなたの足もとに捧
ささ
げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を持ちあげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいるとさも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしない、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうやら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわからないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になった、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦
ゆる
しませんからね。僕はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじめだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷たくなったのが、僕は怖
おそ
ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目がさめてみると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面へ吸いこまれてしまっていたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわからない、と言いましたね。ああ、なんのわかることがいるもんですか あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡なくだらん奴
やつ
らといっしょにしてるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるんだ! 僕は脳みそに、釘
くぎ
をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の血をまるで蛇
へび
みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪
のろ
われるがいいんだ。……(トリゴーリンが手帳を読みながら来るのを見て)そうら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱり本を持ってね。……(嘲弄
ちょうろう
口調で)「言葉、ことば、ことば」か……まだあの太陽がそばへこないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
トリゴーリン (手帳に書きこみながら)かぎタバコを用い、ウオトカを飲む。……いつも黒服と。教師が恋する……
ニーナ ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
トリゴーリン ご機嫌よう。じつは思いがけない事情のため、われわれはどうやら今日発

つことになりそうです。あなたとまたいつお会いできるかどうか。いや、残念です。わたしは、ごくたまにしか若いお嬢さん――若くてしかもきれいなお嬢さんに、会う機会がないもので、十八、九の年ごろには一体どんな気持でいるものか、とんと忘れてしまって、どうもはっきり頭に浮ばんのです。だから、わたしの作品に出てくる若い娘たちは、大抵作りものですよ。わたしはせめて一時間でもいいから、あなたと入れ代りになって、あなたの物の考え方や、全体あなたがどういう人かを、とっくり知りたいと思いますよ。
ニーナ わたしは、ちょいちょいあなたと入れ代りになってみたいわ。
トリゴーリン なぜね?
ニーナ 有名な、りっぱな作家が、どんな気持でいるものか、知りたいからですわ。有名って、どんな気がするものかしら? ご自分が有名だということを、どうお感じになりまして?
トリゴーリン どうって? まあ別になんともないでしょうね。そんなこと、ついぞ考えたこともありませんよ。(ちょっと考えて)二つのうち、どっちかですな――わたしの名声をあなたが大げさに考えているか、それとも、名声というものがおよそ実感としてピンとこないかね。
ニーナ でも、自分のことが新聞に出ているのをご覧になったら?
トリゴーリン 褒

められればいい気持だし、やっつけられると、それから二日は不機嫌を感じますね。
ニーナ すばらしい世界だわ! どんなにわたし羨
うらや
ましいか、それがわかってくだすったらねえ! 人の運命って、さまざまなのね。退屈な、人目につかない一生を、やっとこさ曳

きずっている、みんな似たりよったりの、不仕合せな人たちがいるかと思うと、一方にはあなたのように、――百万人に一人の、面白い、明るい、意義にみちた生活を送るめぐり合せの人もある。あなたはお仕合せですわ。……
トリゴーリン わたしがね? (肩をすくめて)ふむ。……あなたは、名声だの幸福だの、何かこう明るい面白い生活だのと仰しゃるが、わたしにとっては、そんなありがたそうな言葉はみんな、失礼ながら、わたしが食わず嫌いで通しているマーマレードと同じですよ。あなたはとても若くて、とても善良だ。
ニーナ あなたの生活は、すてきな生活ですわ!
トリゴーリン べつにいいとこもありませんねえ。(時計を出して見る)わたしは、これから行って書かなければならん。ま赦
ゆる
してください、暇がないんです。……(笑う)あなたはね、世間で言う「人の痛い肉刺
まめ
」を、ぐいと踏んづけなすった。そこでわたしは、このとおり興奮して、いささか向っ腹を立てているんです。だがまあ、しばらくお話しましょうか。そのわたしの、すばらしい、明るい生活のことをね。……さてと、何から始めたものか? (やや考えて)強迫観念というものがありますね。人がたとえば月なら月のことを、夜も昼ものべつ考えていると、それになるのだが、わたしにもそんな月があるんです。夜も昼も、一つの考えが、しつこく私にとっついて離れない。それは、書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ……というやつです。やっと小説を一つ書きあげたかと思うと、なぜか知らんがすぐもう次のに掛からなければならん、それから三つ目、三つ目のお次は四つ目……といった具合。まるで駅逓
えきてい
馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに打つ手がない。そのどこがすばらしいか、明るいか、ひとつ伺いたいものだ。いやはや、野蛮きわまる生活ですよ! 今こうしてあなたとお喋
しゃべ
りをして、興奮している。ところがその一方、書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるんです。ほらあすこに、グランド・ピアノみたいな恰好
かっこう
の雲が見える。すると、こいつは一つ小説のどこかで使ってやらなくちゃ、と考える。グランド・ピアノのような雲がうかんでいた、とね。ヘリオトロープの匂
にお
いがする。また大急ぎで頭
ここ
へ書きこむ。甘ったるい匂
にお
い、後家さんの色、こいつは夏の夕方の描写に使おう、とね。こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱしから捕
つか
まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使えるかも知れんぞ! というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げだす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこい、そうは行かない。頭のなかには、すでに新しい題材という重たい鉄のタマがころげ回って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、われとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼりぼり食っているような気持です。何者か漠然
ばくぜん
とした相手に蜜
みつ
を与えようとして、僕は自分の選

り抜きの花から花粉をかき集めたり、かんじんの花を引きむしったり、その根を踏み荒したりしているみたいなものです。それで正気と言えるだろうか? 身近な連中や知り合いが、果してわたしをまともに扱ってくれてるだろうか? 「いま何を書いておいでです? こんどはどんなものです?」聞くことと言ったら同じことばかり。それでわたしは、知り合いのそんな注目や、讃辞
さんじ
や、随喜の涙が、みんな嘘っぱちで、寄ってたかってわたしを病人あつかいにして、いい加減な気休めを言っているみたいな気がする。うかうかしてると、誰かうしろから忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン(訳注 ゴーゴリの『狂人日記』の主人公)みたいに、気違い病院へぶちこむんじゃないかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、まだ若くて、生気にあふれていた時代はどうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続でしたよ。駆けだしの文士というものは、殊
こと
に不遇な時代がそうですが、われながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神経ばかりやたらに尖
とが
らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人たちのまわりを、ふらふらうろつき回らずにはいられない。認めてももらえず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと見る勇気もなく――まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといったざまです。わたしは自分の読者に会ったことはなかったけれど、なぜかわたしの想像では、不愛想な疑ぐりぶかい人種のように思えましたね。わたしは世間というものが恐
こわ
かった。ものすごい怪物のような気がした。自分の新作物が上演されるようなことになると、いつもきまって、黒い髪の毛の人は敵意を抱
いだ
いている、明るい髪の毛の人は冷淡な無関心派だと、そんな気がしたものです。思いだしてもぞっとする! じつになんとも言えない苦しみでした!
ニーナ ちょっとお待ちになって。でも、感興が湧

いてきた時や、創作の筆がすすんでいる時は、崇高な幸福の瞬間をお味わいになりません?
トリゴーリン それはそうです。書いているうちは愉快です。校正をするのも愉快だな。だが……いざ刷りあがってしまうと、もう我慢がならない。こいつは見当が狂った、しくじった、いっそ書かないほうがよかったのだと、むしゃくしゃして、気が滅入
めい
るんですよ。……(笑う)ところが、世間は読んでくれて、「なるほど、うまい、才筆だな」とか、「うまいが、トルストイには及びもつかんね」とか、「よく書けてる、しかしツルゲーネフの『父と子』のほうが上だよ」とか、仰
おお
せになる。といったわけで、結局、墓にはいるまでは、明けても暮れても「うまい、才筆だ」「うまい、才筆だ」の一点ばりで、ほかに何にもありゃしない。さて死んでしまうと、知り合いの連中が墓のそばを通りかかって、こう言うでしょうよ。「ここにトリゴーリンが眠っている。いい作家だったが、ツルゲーネフには敵
かな
わなかったね」
ニーナ でもちょっと。わたし、そんなお話は頂きかねますわ。あなたは、成功に甘えてらっしゃるんだわ。
トリゴーリン どんな成功にね? わたしはついぞ、自分でいいと思ったことはありませんよ。わたしは作家としての自分が好きじゃない。何よりも悪いことに、わたしは頭がもやもやしていて、自分で何を書いているのかわからないんです。……わたしはほら、この水が好きだ。木立や空が好きだ。わたしは自然をしみじみ感じる。それはわたしの情熱を、書かずにいられない欲望をよび起す。ところがわたしは、単なる風景画家だけじゃなくて、その上に社会人でもあるわけだ。わたしは祖国を、民衆を愛する。わたしは、もし自分が作家であるならば、民衆や、その苦悩や、その将来について語り、科学や、人間の権利や、その他いろんなことについても語る義務がある、と感じるわけです。そこでわたしは、何もかも喋
しゃべ
ろうとあせる。わたしは四方八方から駆り立てられ、叱
しか
りとばされ、まるで猟犬に追いつめられた狐
きつね
さながら、あっちへすっ飛び、こっちへすっ飛びしているうちに、みるみる人生や科学は前へ前へと進んで行ってしまい、わたしは汽車に乗りおくれた百姓みたいに、ずんずんあとにとり残される。で、とどのつまりは、自分にできるのは、自然描写だけだ、ほかのことにかけては一切じぶんはニセ物だ、骨の髄までニセ物だ、と思っちまうんですよ。
ニーナ あなたは過労のおかげで、自分の値打ちを意識するひまも気持も、ないんですわ。たとえご自分に不満だろうとなんだろうと、ほかの人にとってはあなたは偉大でりっぱな方なのよ! もしわたしが、あなたみたいな作家だったら、自分の全生命を民衆に捧
ささ
げてしまうわ。でも心のなかでは、民衆の幸福はただ、わたしの所まで向上してくることだと、はっきり自覚しますわ。すると民衆は、わたしを祭礼の馬車に乗せて引きまわしてくれるわ。
トリゴーリン ほう、祭礼の馬車か。……アガメンノンですかね、このわたしが! (ふたり微笑する)
ニーナ 女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲の者に憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに堪えてみせますわ。屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだってかまわない。その代り、わたしは要求するのよ、名声を……ほんとうの、割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする……ああ!
アルカージナの声 (家の中から)トリゴーリンさん!
トリゴーリン わたしを呼んでいる。きっと荷づくりでしょう。だが、発

ちたくないなあ。(湖の方を振返って)なんという自然の恩恵だ!……すばらしい!
ニーナ 向う岸に、家と庭が見えるでしょう?
トリゴーリン ええ。
ニーナ あれが、亡

くなった母の屋敷です。わたし、あすこで生れたの。それからずっと、この湖のそばで暮しているものだから、どんな小さな島でもみんな知っていますわ。
トリゴーリン ここはまったくすばらしい! (鴎
かもめ
を見とめて)なんです、これは?
ニーナ かもめよ。トレープレフさんが射

ったの。
トリゴーリン きれいな鳥だ。いや、どうも発ちたくないなあ。ひとつアルカージナさんを説きつけて、もっといるようにしてください。(手帳に書きこむ)
ニーナ なに書いてらっしゃるの?
トリゴーリン ちょっと書きとめとくんです。……題材が浮んだものでね。……(手帳をしまいながら)ほんの短編ですがね、湖のほとりに、ちょうどあなたみたいな若い娘が、子供の時から住んでいる。鴎のように湖が好きで、鴎のように幸福で自由だ。ところが、ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、娘を破滅させてしまう――ほら、この鴎のようにね。

間。――やがて窓にアルカージナが現われる。

アルカージナ トリゴーリンさん、どこにいらっしゃるの?
トリゴーリン 今すぐ! (行きかけて、ニーナを振返る。窓のそばでアルカージナに)なんです?
アルカージナ わたしたち、このままいることにしますわ。

トリゴーリン、家へはいる。

ニーナ (脚光ちかく歩みよる。やや沈思ののちに)夢だわ!
――幕――
[#改ページ]

第三幕

ソーリン家の食堂。左右にドア。食器棚
だな
。薬品の戸棚。部屋の中央にテーブル。旅行カバンが一つ、帽子のボール箱が幾つか。出立
しゅったつ
の用意が見てとられる。トリゴーリンが朝食(訳注 だいたい早おひるの時刻)をしたため、マーシャはテーブルのそばに立っている。

マーシャ これはみんな、作家としてのあなたにお話しするんです。お使いになってもかまいません。良心にかけて言いますけれど、あの人の傷が重傷だったら、わたし一分間たりと生きてはいなかったでしょう。でも、わたしはこれで勇気があります。だから、きっぱり決心しました。この恋を胸
ここ
から引っこ抜いてしまおうと。根ごと一思いにね。
トリゴーリン どんな具合にね?
マーシャ 嫁に行くんです。メドヴェージェンコのところへ。
トリゴーリン あの教師
せんせい
のところへね?
マーシャ ええ。
トリゴーリン わからんな。なんの必要があって。
マーシャ 望みもないのに恋をして、何年も何年も何か待っているなんて……。いったん嫁に行ってしまえば、もう恋どころじゃなくなって、新しい苦労で古いことはみんな消されてしまう。それだけでも、ね、変化じゃありませんか。いかが、もう一つ?
トリゴーリン 過ぎやしないかな?
マーシャ なあに、平気! (一杯ずつつぐ)そんなに人の顔を見ないでください。女というものは、あなたの考えてらっしゃるより、よく飲みますわよ。わたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけれど、こっそり飲むのは大勢いますわ。そうよ。しかもきまって、ウオトカかコニャックですわ。(杯を当てて)プロジット! あなたは、さっぱりした方ね。お別れするの残念ですわ。(ふたり飲みほす)
トリゴーリン わたしだって、発

ちたくはないんだが。
マーシャ だからあの人に、もっといるようにお頼みになったら。
トリゴーリン いや、もういるつもりはないでしょう。なにしろあの息子
むすこ
が、でたらめばかりやらかすんでね。ピストル自殺をやりかけたと思えば、今度はこのわたしに、決闘を申しこむとかなんとかいう話だ。一体なんのためかな? ふくれたり、鼻を鳴らしたり、新形式論をまくし立てたり……。いや、座席はまだたっぷりあいている。新しいものにも古いものにもね、――何も押し合うことはない。
マーシャ それに嫉妬
しっと
も手伝ってね。でも、わたしの知った事じゃないわ。

間。ヤーコフが左手から右手へ、トランクをさげて通る。ニーナが登場して、窓ぎわに立ちどまる。

マーシャ わたしのあの教師
せんせい
は、大してお利口さんじゃないけれど、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにとてもわたしを愛してくれるの。いじらしくなりますわ。年とったお母さんも、可哀
かわい
そうだし、では、ご機嫌よろしゅう。わるくお思いにならないでね。(かたく握手する)ご親切にいろいろありがとうございました。ご本が出たらお送りくださいね、きっと署名なすってね。ただ、「わが敬愛する」なんてしないで、ただあっさり、「身もとも不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」としてね。さようなら! (退場)
ニーナ (握り挙
こぶし
にした片手を、トリゴーリンのほうへさしのべながら)偶数? 奇数?
トリゴーリン 偶数。
ニーナ (ため息をついて)いいえ。手の中には、豆が一つしかないの。わたし占ってみたのよ、女優になろうか、なるまいかって。誰か、こうしたらと言ってくれるといいんだけれど。
トリゴーリン そんなこと、言える人があるものですか。(間)
ニーナ お別れですわね……多分もう二度とお目にかかる時はないでしょう。どうぞ記念に、この小さなロケットをお受けになって。あなたの頭文字
かしらもじ
を彫らせましたの……こちら側には『昼と夜』と、あなたのご本の題をね。
トリゴーリン じつに優美だ! (ロケットに接吻
せっぷん
する)何よりの贈物です!
ニーナ 時にはわたしのことも思い出してね。
トリゴーリン 思い出しますとも。その思い出すのは、あの晴れた日のあなたの姿でしょうよ――覚えてますか?――一週間まえ、あなたが薄色の服を着てらした時のことを……いろんな話をしましたっけね……それにあの時、ベンチに白い鴎
かもめ
がのせてあった。
ニーナ (物思わしげに)ええ、かもめが……(間)もうお話してはいられません、人が来ます。……お発ちになる前、二分だけわたしにくださいまし、お願い。……(左手へ退場。同時に右手から、アルカージナ、燕尾服
えんびふく
に星章をつけたソーリン、それから荷作りに大童
おおわらわ
のヤーコフが登場)
アルカージナ お年寄りは、ここにじっとしてらっしゃいよ。そんなリョーマチのくせに、お客に出あるく法があるものですか? (トリゴーリンに)いま出て行ったのは誰? ニーナですの?
トリゴーリン ええ。
アルカージナ 失礼
パルドン
、お邪魔しましたわね……(腰をおろす)さあ、どうにかすっかり片づいた。へとへとよ。
トリゴーリン (ロケットの字を読む)『昼と夜』、百二十一ページ、十一と二行。
ヤーコフ (テーブルの上を片づけながら)釣竿
つりざお
もやはり入れますんで?
トリゴーリン そう、あれはまだ要

るからね。本はみな誰かにやってくれ。
ヤーコフ かしこまりました。
トリゴーリン (ひとりごと)百二十一ページ、十一と二行。はて、あすこには何が書いてあったっけ? (アルカージナに)この家に、わたしの本があったかしら?
アルカージナ 兄の書斎の、隅
すみ
っこの棚にありますよ。
トリゴーリン 百二十一ページと……(退場)
アルカージナ ね、ほんとにペトルーシャ、ここにじっとしていらっしゃいよ……
ソーリン お前たちが発

って行くと、あとにぽつねんとしてるのは辛
つら
くてな。
アルカージナ じゃ、町へ行けばどうなの?
ソーリン 格別どうということもないが、だがやっぱりな……(笑う)県会の建物の建て前もあるし、とまあいった次第でな。……せめて一時間でも二時間でも、この穴ごもりのカマス(訳注 シチェドリーンの童話『かしこいカマス』より)みたいな生活から飛び出したいんだよ。そうでもしないと、わたしは古パイプみたいに、棚のすみですっかり埃
ほこり
まみれだからな。一時に馬車を回すように言いつけたから、いっしょに出かけよう。
アルカージナ (間をおいて)じゃ、ここでお暮しなさいね、退屈がらずに、お風邪
かぜ
を召さずにね。あの子の監督をおねがいしますよ。よく気をつけてやってね。導いてやってね。(間)こうしてわたしが発ってゆけば、なぜコンスタンチンがピストル自殺をしようとしたのか、それも知らずじまいになるのね。どうやらわたしには、おもな原因は嫉妬
しっと
だったような気がする。だから一刻も早くトリゴーリンを、ここから連れ出したほうがいいのよ。
ソーリン さあ、なんと言ったものかな? ほかにも原因はあったろうさ。論より証拠――若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎
いなか
ぐらしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないときてるんだからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮しが、恥ずかしくもあり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛
かわい
くてならんし、あれのほうでもわたしに懐
なつ
いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分がこの家の余計もんだ、居候
いそうろう
だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、だいいち自尊心がな……
アルカージナ あの子には、ほんとに泣かされるわ! (考えこんで)勤めに出てみたらどうかしら……
ソーリン (口笛を鳴らし、やがてためらいがちに)わたしはね、いちばんの上策は、もしもお前が……あの子に少しばかり金を持たしてやったらどうかと思うよ。何はさておき、あの子も人並の身なりはせにゃならんし、とまあいった次第でな。見てごらん、着たきり雀
すずめ
のぼろフロックを、これでもう三年ごし引きずって、外套
がいとう
も着てない始末じゃないか。……(笑う)それに若い者にゃ、少し気晴らしをさせるもよかろうて。……ひとつ外国へでも出してみるかな。……なあに、大して金もかかるまい。
アルカージナ でもねえ。……まあ、服ぐらいは作ってやれるでしょうけど、外国まではねえ。……いいえ、今のところは、服だって駄目だわ。(きっぱりと)わたし、お金がありません!

ソーリン笑う。

アルカージナ ないのよ!
ソーリン (口笛を鳴らす)なるほどな。いやご免ご免、堪忍
かに
しておくれ。お前の言うとおりだろうとも。……お前は気前のいい、鷹揚
おうよう
な女だからな。
アルカージナ (涙ぐんで)わたし、お金がありません!
ソーリン わたしに金さえありゃ、論より証拠、ぽんとあれに出してやるがな、あいにくとすってけてん、五銭玉一つない。(笑う)わたしの恩給は、のこらず支配人が取りあげおって、農作だ牧畜だ蜜蜂
みつばち
だと使いまわす。そこでわたしの金は、元も子もなくなっちまう。蜂は死ぬ、牛もくたばる。馬だって、ついぞわたしに出してくれたためしがない。……
アルカージナ それはわたしだって、お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣裳
いしょう
代だけでも身代かぎりしちまうわ。
ソーリン お前はいい子だ、可愛い女だ。……わたしは尊敬しているよ。……そうとも。……だが、わたしはまた、どうもなんだか……(よろめく)目まいがする。(テーブルにつかまる)気持が悪い、とまあいった次第でな。
アルカージナ (仰天して)ペトルーシャ! (懸命に彼をささえながら)ペトルーシャ、しっかりして……(叫ぶ)誰か来て。誰か早く!……

頭に包帯したトレープレフと、メドヴェージェンコ登場。

アルカージナ 気持が悪くなったのよ!
ソーリン いやなに、なんでもない……(ほほえんで、水を飲む)もう直った……とまあいった次第でな。……
トレープレフ (母親に)びっくりしないで、ママ、べつに危険はないから。伯父さんは近ごろちょいちょい、これが起るんです。(伯父に)伯父さん、少し横になるんですね。
ソーリン うん、ちょっぴりな。……だが、とにかく町へは行くよ。……ひと休みして出かける……論より証拠だ……(杖
つえ
にすがりながら歩く)
メドヴェージェンコ (腕を支えてやりながら)こんな謎々
なぞなぞ
がありますよ。朝は四つ足、昼は二本足、夕方は三本足……
ソーリン (笑う)そのとおり。そして、夜にゃ仰向けか。いやありがとう、もう一人で行けますよ……
メドヴェージェンコ ほらまた、そんな遠慮を!……(彼とソーリン退場)
アルカージナ ああ、びっくりした!
トレープレフ 伯父さんには、田舎ぐらしが毒なんだ。くさくさするんですよ。もしママが、気前よくポンと千五百か二千貸してあげたら、あの人まる一年は町で暮せるのになあ。
アルカージナ わたしにお金があるもんですか。わたしは女優で、銀行家じゃないもの。

間。

トレープレフ ママ、包帯を換えてくれませんか。あなたは上手
じょうず
だから。
アルカージナ (薬品戸棚からヨードホルムと包帯箱を取り出す)ドクトルは遅いこと。
トレープレフ 十時ごろって言ってたのに、もうお午
ひる
だ。
アルカージナ お坐
すわ
り。(彼の頭から包帯をとる)まるでターバンをしてるみたいだねえ。きのう、よそ者が台所へ来て、お前のことをなに人
じん
かと聞いていたっけ。でも、ほとんどもう癒
なお
ったようだね。あとはほんのちょっぴりだ。(彼の頭に接吻
せっぷん
する)わたしがいなくなってから、またパチンとやりはしないだろうね?
トレープレフ やりゃしませんよ、ママ。あのとき僕、とてつもなく絶望しちまって、つい自制できなかったんです。もう二度とやりはしません。(母の手に接吻する)ああ、この手――お母さんは、じつにまめな人ですね。おぼえてますよ、ずっと昔のこと、あなたがまだ国立の劇場に出ていたころ、――僕はほんの子供だったけれど、――アパートの中庭でけんかがあって、店子
たなこ
の洗濯女がひどくなぐられたことがあったっけ。ね、おぼえてますか? 気絶したその女を、みんなで抱きあげて……それからお母さんは、しじゅうその女を見舞いに行って、薬を持ってってやったり、子供たちに桶
おけ
で行水を使わしたりしましたね。あれ、おぼえてないかしら?
アルカージナ 忘れたわ。(新しい包帯を巻いてやる)
トレープレフ うちと同じアパートに、あのころバレリーナが二人住んでいて……よくお母さんのところへ、コーヒーを飲みに来たっけ……
アルカージナ それは、おぼえていますよ。
トレープレフ ふたりとも、じつに信心ぶかい人でしたね。(間)このごろ、あれ以来の幾日かというもの、僕はまるで子供のころに返ったみたいに、甘えたいような気持で、ただもう一すじに、お母さんを愛しています。あなたのほかに、今じゃ僕には誰ひとりいないんです。ただね、なんだってお母さんは、あんな男に引きずり回されるんです、なぜです?
アルカージナ お前は、あの人がわからないんだよ。えコンスタンチン。あの人は、人格の高いりっぱな人ですよ……
トレープレフ ところが、僕が決闘を申しこもうとしていると人から聞くと、人格者たちまち変じて卑怯者
ひきょうもの
になっちまったってね。いよいよ発

つんでしょう。見ぐるしい脱走だ!
アルカージナ ばかをお言い! ここを発つように頼んだのは、このわたしですよ。
トレープレフ 人格の高いりっぱな人か! やっこさんのおかげで、このとおり母子
おやこ
げんかになりかけてるというのに、今ごろご本人は客間か庭のどこかで、われわれをせせら笑っていることでしょうよ……ニーナを大いに啓発して、彼こそ天才だということを、徹底的にあの子の胸に叩
たた
きこもうと、大童の最中でしょうよ。
アルカージナ お前は、わたしに厭
いや
がらせを言うのが楽しみなんだね。わたしはあの人を尊敬しているのだから、わたしの前じゃあの人のことを悪く言わないでもらいたいね。
トレープレフ ところが僕は尊敬していない。お母さんは、僕にまであの男を天才だと思わせたいんでしょうが、僕は嘘
うそ
がつけないもんで失礼――あいつの作品にゃ虫酸
むしず
が走りますよ。
アルカージナ それが妬
ねた
みというものよ。才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ!
トレープレフ (皮肉に)ほんものの天才か! (憤然として)こうなったらもう言っちまうが、僕の才能は、あんたがたの誰よりも上なんだ! (頭の包帯をむしりとる)あんたがた古い殻
から
をかぶった連中が、芸術の王座にのしあがって、自分たちのすることだけが正しい、本物だと極

めこんで、あとのものを迫害し窒息させるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか! 断じて認めないぞ、あんたも、あいつも!
アルカージナ デカダン……!
トレープレフ さっさと古巣の劇場
こや
へ行って、気の抜けたやくざ芝居にでも出るがいいや!
アルカージナ 憚
はばか
りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わたしにはかまわないどくれ! お前こそ、やくざな茶番
ボードビル
ひとつ書けないくせに。キーエフの町人! 居候
いそろう

トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!

トレープレフ腰をおろして、静かに泣く。

アルカージナ いくじなし! (興奮してふらふら歩きながら)泣くんじゃない。泣かないでもいいの。……(泣く)いいんだよ。……(息子
むすこ
の額や頬や頭にキスする)可愛いわたしの子、堪忍
かに
しておくれ。……罪ぶかいお母さんを赦
ゆる
しておくれ。不仕合せなわたしを赦しておくれ。
トレープレフ (母親を抱いて)僕の気持がお母さんにわかったらなあ! 僕は何もかも、すっかり失

くしてしまった。あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……
アルカージナ そう気を落すんじゃない。……みんなうまく行きますよ。あの人は今すぐ発っていくし、あの子もまたお前が好きになるよ。(息子の涙を拭

いてやる)さ、もういい。これで仲直りよ。
トレープレフ (母親の手にキスして)ええ、ママ。
アルカージナ (やさしく)あの人とも仲直りしてね。決闘なんぞいるものかね。……ね、そうだね。
トレープレフ え、いいです。……ただね、ママ、あの男と顔を合せないで済むようにしてください。思っただけでも辛いんです……とても駄目なんです……(トリゴーリン登場)ほら来た。僕出ていきます。……(手早く薬品を戸棚にしまう)包帯はいずれ、ドクトルにしてもらいます……
トリゴーリン (本のページをさがしながら)百二十一ページ……十一と二行。……これだ。……(読む)「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」

トレープレフ、床の包帯をひろって退場。

アルカージナ (時計をちらと見て)そろそろ馬車が来ますよ。
トリゴーリン (ひとりごと)もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。
アルカージナ あなたの荷づくりは、もうできたでしょうね?
トリゴーリン (もどかしげに)ええ、ええ……(考えこんで)この清らかな心の呼びかけのなかに、なぜおれには悲哀の声が聞えるんだろう。なぜおれの胸は、切ないほどに緊

めつけられるんだろう?……もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。(アルカージナに)もう一日、いようじゃないか!

アルカージナ、かぶりを振る。

トリゴーリン ね、いようじゃないか!
アルカージナ あなた、何に後ろ髪を引かれてらっしゃるか、わたしちゃんと知っていますよ。でも、自制力がなくちゃ駄目。ちょっぴり酔ってらっしゃる、正気におなりなさい。
トリゴーリン 君もひとつ正気になってもらいたいな。聡明
そうめい
な、分別のある人間になって、お願いだから、この問題をじっくり見ておくれ、真実の友としてね。……(女の手を握って)君は犠牲になれる人だ。……僕の親友になってくれ、僕を行かせておくれ……
アルカージナ (すっかり興奮して)そんなに夢中なの?
トリゴーリン どうしても惹

きつけられるんだ! ひょっとすると、これこそ僕の求めていたものかも知れない。
アルカージナ たかが田舎娘の愛がね? あなたはなんて自分を知らないんでしょうね!
トリゴーリン 時どき人間は、歩きながら眠ることがある。まさにそのとおりこの僕も、こうして君と話をしていながら、じつはうとうとして、あの子の夢を見ているようなものだ。……なんともいえない甘い夢想の、とりこになってしまったんだ。……行かせておくれ。
アルカージナ (ふるえながら)厭
いや
、厭。……わたしは平凡な女だから、そんな話は、お門
かど
ちがいよ。……いじめないで、わたしを、ボリース。……わたし、こわい……
トリゴーリン その気になりさえすりゃ、非凡な女になれるんだ。幻の世界へ連れていってくれるような、若々しい、うっとりさせる、詩的な愛――この世でただそれだけが、幸福を与えてくれるのだ! そんな愛を、僕はまだ味わったことがない。……若いころは、雑誌社へお百度をふんだり、貧乏と闘ったりで、そんなひまがなかった。今やっとそれが、その愛が、ついにやってきて、手招きしているんだ。……それを避けなければならん理由が、どこにある?
アルカージナ (憤然と)気がちがったのね!
トリゴーリン それでもかまわん。
アルカージナ あんたがたは今日、言い合せたように、寄ってたかってわたしをいじめるのね! (泣く)
トリゴーリン (自分の頭をかかえて)わかってくれない! てんでわかろうとしないんだ!
アルカージナ ほんとにわたし、そんなに老

けて、みっともなくなってしまったの? わたしの前で、ほかの女の話を大っぴらにやれるなんて! (男を抱いてキスする)ああ、あなたは正気じゃないのよ! わたしの大事な、いとしいひと……。あなたこそ――わたしの一生の最後のページよ! (ひざまずく)わたしの悦
よろこ
び、わたしの誇り、わたしの無量の幸福……(彼の膝
ひざ
を抱く)たとえ一時間でもあなたに棄

てられたら、わたしは生きちゃいない、気がちがってしまう。わたしのすばらしい、輝かしい人、わたしの王さま……
トリゴーリン 人が来ますよ。(女をたすけ起す)
アルカージナ いいじゃないの。あなたを愛しているこの気持が、誰に恥ずかしいものですか。(男の両手にキスする)わたしの大事な宝もの、向う見ずな悪いひと、あなたはばかなまねがしたいんでしょうけれど、わたしは厭
いや
です、放しません。……(笑う)あなたは、わたしのものなの、わたしのものよ。この額
ひたい
もわたしのもの。この眼もわたしのもの。このきれいな、絹のような髪の毛も、やっぱりわたしのもの。……あなたはすっかり、わたしのもの。あなたは本当に天才で、聡明で、今のどの作家よりもりっぱで、ロシアのただ一つの希望なのよ。……あなたの筆には、まごころがこもって、じつにすっきりして、新鮮で、おまけに健康なユーモアがあるわ。……あなたはほんの一刷毛
はけ
で、人物や風景のカン所が出せるのね。あなたの人物は生きているわ。あなたのものを読んで、夢中になれずにいられるものですか! これがお世辞だと思うの? わたしのおべっかなの? さ、わたしの眼を見てちょうだい……よく見て……。わたしが嘘
うそ
つきに見えて? そらごらんなさい、あなたの偉さのわかるのは、わたしだけよ。本当のことをあなたに言うのも、わたしだけよ、ね、大事な、可愛
かわい
いひと。……発

つでしょうね? そうでしょ? わたしを棄てはしないことね?
トリゴーリン おれには自分の意志というものがない。……おれはついぞ、自分の意志をもった例
ため
しがないのだ。……気の抜けた、しんのない、いつも従順な男――一体これで女にもてるものだろうか? さ、つかまえて、どこへなり連れて行ってくれ。ただね、一足もそばから放すんじゃないぞ……
アルカージナ (ひとりごと)これで、わたしのものだ。(けろりと、どこを風が吹くといった調子で)でもね、もしお望みなら、お残りになってもいいことよ。わたしは一人で発つから、あなたはあとで、一週間もしたら帰ってらっしゃい。あなたはべつに、急ぐ用もないんですものね。
トリゴーリン いや、こうなったらいっしょに発とう。
アルカージナ お好きなように。いっしょならいっしょでいいわ。……(間)

トリゴーリン、手帳に書きこむ。

アルカージナ なんですの、それ?
トリゴーリン けさ、うまい言い方を聞いたもんでね。「処女の林……」だとさ。これは使える。(伸びをする)じゃ、出かけるんだね? また汽車か、停車場、食堂、カツレツ、おしゃべり……
シャムラーエフ (登場)まことに残念ながら、申しあげます、馬車をお回ししました。どうぞ奥さま、停車場へお出かけの時刻です。汽車は二時五分に着きます。それではアルカージナさま、おそれいりますが、役者のスズダーリツェフが今どこにいますか、お忘れなくお調べねがいますよ。生きているかな? 達者ですかな? むかしはいっしょに飲んだものでしたっけ。あの『郵便強盗』(訳注 十九世紀末のメロドラマの題)なんかやらせると、天下一品でしたな。……あれといっしょに、さよう、エリサヴェトグラードで悲劇役者のイズマイロフが出ておりましたが、これまたなかなかの傑物
えらぶつ
でしてな。……いや奥さま、そうお急ぎになることはありません、まだ五分は大丈夫です。あるメロドラマでね、連中が謀叛人
むほんにん
をやった時でしたが、不意に捕

り手が踏みこむところで「残念、ワナにかかったか」と言うべきところを、イズマイロフは――「残念、ナワにかかったか」とやってね……(哄笑
こうしょう
する)ナワにかかったか!

彼がしゃべっている間に、ヤーコフは旅行カバンの世話をやき、小間使は帽子やマントやコウモリや手袋を、アルカージナに持ってくる。皆々アルカージナの身支度を手伝う。左手のドアから料理人がのぞきこみ、しばらくためらった後、おずおずとはいってくる。ポリーナ、やがてソーリン、メドヴェージェンコ登場。

ポリーナ (手かごを持って)このスモモを、どうぞ道中めしあがって……。大そう甘うございますよ。何か変ったものも、欲しくおなりかも知れませんから……
アルカージナ まあ御

親切にね。ポリーナさん。
ポリーナ ご機嫌よろしゅう、奥さま! 不行届きのことがありましたら、お赦しくださいまし。(泣く)
アルカージナ (彼女を抱いて)みんな結構でしたよ、結構でしたよ。ただその、泣くのがいけないわ。
ポリーナ わたくしたちの時は過ぎて行きますもの!
アルカージナ 仕方のないことよ!
ソーリン (トンビに中折れ帽をかぶり、ステッキを持って左手のドアから登場。部屋を横ぎりながら)お前、もう時間だよ。おくれたら事だからな、早い話が。わたしは行って乗りこんでるよ。(退場)
メドヴェージェンコ 僕は停車場まで歩いて行きます……お見送りにね。ひとつ急いで……(退場)
アルカージナ さようなら、皆さん。……おたがい無事で達者だったら、また夏お目にかかりましょうね。……(小間使、ヤーコフ、料理人、それぞれ彼女の手にキスする)わたしを忘れないでね。(料理人に一ルーブリやって)この一ルーブリ、三人でお分け。
料理人 どうもありがとうございます、奥さま。道中ごぶじで! 何かとよくして頂きまして!
ヤーコフ どうぞ、ご息災で!
シャムラーエフ ちょいと一筆お手紙を頂きたいもので! ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
アルカージナ どこだろう、コンスタンチンは? わたしは発

ちますって、あの子に言っておくれ。お別れをしなくては。じゃ皆さん、悪く思わないでね。(ヤーコフに)コックさん一ルーブリ渡しましたよ。あれは三人分だからね。

一同右手へ退場。舞台空虚。舞台うらで、見送りによくあるざわめき。小間使がもどってきて、テーブルからスモモの籠
かご
をとり、ふたたび退場。

トリゴーリン (もどってくる)ステッキを忘れたぞ。たしかテラスにあるはずだが。(行きかけて、左手のドアのところで、はいってくるニーナに出あう)ああ、あなたか? われわれはもう発ちます。
ニーナ まだお目にかかれるような気が、していましたわ。(興奮して)トリゴーリンさん、わたしきっぱり決心しました。賽
さい
は投げられたんです、わたし舞台に立ちます。あしたはもう、ここにはいません。父のところを出て、一切をすてて、新しい生活を始めます。……わたしも、あなたと同じに……モスクワへ発ちます。あちらでお目にかかりましょう。
トリゴーリン (ちらと後ろを振返って)宿は、「スラヴャンスキイ・バザール」(訳注 モスクワの有名なホテル)になさい。……そしてすぐ僕に知らせて……モルチャーノフカ、グロホーリスキイ館。……いまは急ぐから……(間)
ニーナ もう一分だけ……
トリゴーリン (小声で)あなたは、なんてすばらしい……。ああ、またすぐ会えるかと思うと、じつに幸福だ! (彼女は男の胸にもたれかかる)僕はまた見られるのだ――この魅するような眼を、なんとも言えぬ美しい優しい微笑を……この柔和な顔だちを、天使のように清らかな表情を。……僕の大事な……(長いキス)
――幕――

◯第三幕と第四幕のあいだに二年経過。
[#改ページ]

第四幕

ソーリン家の客間の一つ。今はトレープレフが仕事部屋に使っている。右手と左手にドアがあって、それぞれ奥の間へ通じる。正面はテラスへ出るガラス戸。ふつうの客間用の調度のほかに、右手の隅
すみ
に書きものデスク、左手ドア寄りにトルコ風の長椅子
ながいす
、書棚。窓や椅子のそこここに本。――宵
よい
。笠
かさ
つきのランプが一つともっている。薄暗い。木立のざわめきや、煙突のなかで風のうなる音がする。夜番の拍子木
ひょうしぎ
の音。メドヴェージェンコとマーシャ登場。

マーシャ (呼ぶ)トレープレフさん! トレープレフさん! (見まわしながら)だあれもいない。爺
じい
さんたら、のべつ幕なしに聞きどおしなんだもの、コースチャはどこにいる、コースチャはどこにいるって。……あの人がいないじゃ、生きてられないのね……
メドヴェージェンコ 孤独がこわいんだ。(耳をすます)なんて凄
すご
い天気だ! これでもう二昼夜だからな。
マーシャ (ランプの火を大きくして)湖には波が立ってるわ。大きな波が。
メドヴェージェンコ 庭はまっ暗だ。ひとつ毀
こわ
すように言わなけりゃいかんな、庭のあの小劇場はね。むき出しで、醜く立っているざまは、まるで骸骨
がいこつ
だ。幕は風でばたついているし。ゆうべ僕があのそばを通りかかったら、誰かなかで泣いてるような気がしたよ。
マーシャ また、あんなことを……(間)
メドヴェージェンコ うちへ帰ろう、マーシャ!
マーシャ (かぶりを振る)わたし、ここに泊るの。
メドヴェージェンコ (哀願するように)マーシャ、帰ろうよ! 赤んぼがきっと、腹をすかしてるよ。
マーシャ 平気よ。マトリョーナが飲ませてくれるわ。(間)
メドヴェージェンコ 可哀
かわい
そうだ。もうこれで三晩、おっ母

さんの顔を見ないんだからな。
マーシャ あんたも、退屈な人になったものね。以前は、哲学の一つも並べたものだけれど、今じゃのべつ、赤んぼ、帰ろう、赤んぼ、帰ろう、なんだもの、――ばかの一つ覚えみたい。
メドヴェージェンコ 帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ ひとりで帰ったらいいわ。
メドヴェージェンコ お前のお父さん、僕にゃ馬を出してくれないよ。
マーシャ 出してくれてよ。願いますと言や、出してくれるわ。
メドヴェージェンコ まあ、頼んでみよう。じゃあすは帰るだろうね?
マーシャ (かぎタバコをかぐ)ええ、あしたはね。うるさいわねえ……

トレープレフとポリーナ登場。トレープレフは枕
まくら
と毛布を、ポリーナはシーツを持ちこみ、トルコ風の長椅子の上に置く。それからトレープレフは自分のデスクに行って、腰をおろす。

マーシャ それ、どうするの、ママ?
ポリーナ ソーリンさんが、コースチャの部屋に床
とこ
をとってくれとおっしゃるんだよ。
マーシャ わたしがするわ……(寝床をつくる)
ポリーナ (ため息をついて)年をとると、子供も同じだねえ……(デスクに近寄り、肘
ひじ
をついて原稿をながめる。間)
メドヴェージェンコ じゃ、僕は行こう。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキスする)おやすみなさい、お母さん。(しゅうとの手にキスしようとする)
ポリーナ (腹だたしげに)いいからさ! さっさとお帰り。
メドヴェージェンコ おやすみ、トレープレフさん。

トレープレフ黙って手を出す。メドヴェージェンコ退場。

ポリーナ (原稿をながめながら)ねえ、コースチャ、あなたが本当の文士になるなんて、誰ひとり夢にも思いませんでしたよ。それが今じゃ、ありがたいことに、方々の雑誌からお金がくるようになりましたものね。(彼の髪を撫

でる)それに、男前も一段とあがって、……ねえ、可愛
かわい
いコースチャ、いい子だから、うちのマーシャに、もう少し優しくしてやってくださいね!……
マーシャ (床をのべながら)そっとしておいたげてよ、ママ。
ポリーナ (トレープレフに)これで、なかなか好い子さんですよ。(間)女というものはね、コースチャ、優しい目で見てもらいさえすりゃ、ほかになんにも要

らないものよ。わたしも身に覚えがあるけど。

トレープレフ、デスクから立ちあがり、黙って退場。

マーシャ ほら、怒らしちまった。うるさくするからよ!
ポリーナ わたしはお前が不憫
ふびん
なんだよ、マーシェンカ。
マーシャ ありがたい仕合せだわ!
ポリーナ お前のことで、わたしは胸を痛めつづけてきたよ。すっかり見てるんだものね、みんなわかってるんだものね。
マーシャ みんな、ばかげたことよ。望みなき恋なんて、小説にあるだけだわ。くだらない。ただ、よせばいいのよ――甘ったれた気持になって、待てば海路の日和
ひより
だかなんだか、ぽかんと何かを待っている、そんな態度をね。……心に恋が芽を出したら、摘んで捨てるまでのことよ。うちの人を、ほかの郡へ転任させてくれるって話になってるの。そこへ移ってしまえば、――きれいに忘れるわ……胸から根こぎにしてしまうわ。

ふた部屋ほど向うで、メランコリックなワルツが聞える。

ポリーナ コースチャが弾いている。気がふさぐんだね。
マーシャ (音を立てずに、二回り三回りワルツを舞う)肝心なのはね、ママ、目の前に見えないということなのよ。うちのセミョーンが転任になりさえすりゃ、あっちへ行って、ひと月で忘れてみせるわ。みんな、くだらないことよ。

左手のドアがあいて、ドールンとメドヴェージェンコが、車椅子のソーリンを押しながら登場。

メドヴェージェンコ 僕のところは、今じゃ六人家族でしてね。ところが粉は一プード(訳注 十六キロ余)七十コペイカもするんで。
ドールン そこでキリキリ舞いになる。
メドヴェージェンコ あなたは笑っていればいいでしょう。お金のうなってる人はね。
ドールン お金が? 開業して以来三十年、いいかね君、しかも昼も夜

も自分が自分のものでない、落ちつかぬ生活をしてきて、蓄

めた金がやっと二千だぜ。それもこのあいだ、外国旅行で使ってしまった。僕は一文なしさ。
マーシャ (夫に)まだ帰らなかったの?
メドヴェージェンコ (済まなそうに)どうしたらいいのさ? 馬を出してくれないもの!
マーシャ (さも忌々
いまいま
しそうに、小声で)あんたみたいな人、見たくもないわ!

車椅子は、室内左手の中央でとまる。ポリーナ、マーシャ、ドールン、そのそばに腰をおろす。メドヴェージェンコは悄気
しょげ
て、わきへしりぞく。

ドールン しかし、ここも変ったものですなあ! 客間が書斎になってしまった。
マーシャ トレープレフさんには、ここのほうがお仕事には都合がいいの。好きな時に庭へ出て、ものが考えられますものね。

夜番の拍子木の音。

ソーリン 妹はどこかな?
ドールン トリゴーリンを迎えに、停車場へね。もうじきお帰りでしょう。
ソーリン あんたが妹をわざわざ呼び寄せられたところをみると、わたしの病気は危ないというわけですな。(ちょっと黙って)どうも妙な話だ、病気が危ないというのに、薬一服くれないんだからね。
ドールン じゃ、何がお望みなんです? カノコ草の水薬ですか? ソーダですか! キニーネですか?
ソーリン ほらまた哲学だ。ああ、なんの因果だろう! (長椅子をあごでしゃくって)それ、わたしの寝床かね?
ポリーナ あなたのですわ、ソーリンさま。
ソーリン それは忝
かたじけ
ない。
ドールン (口ずさむ)「月は夜ぞらを渡りゆく」……
ソーリン わしはコースチャに、ひとつ小説の題材をやりたいよ。題は、こうつけるんだな――『なりたかった男』。つまり『ロンム・キ・ア・ヴーリュ』さ。若いころ、わたしは文学者になりたかった――が、なれなかった。弁舌さわやかになりたかった――が、わたしの話しぶりときたら、いやはやひどいものだった。(自嘲
じちょう
的に)「とまあいった次第で、つまりそのありまして、そのう、ええと……」といったざまでな、なんとか締めくくりをつけよう、つけようとして、大汗かいたものさ。家庭も持ちたかった――が、持てなかった。いつも都会で暮したかった――が、それこうして、田舎
いなか
で生涯を終ろうとしている、とまあいった次第でな。
ドールン 四等官になりたかった――それは、なれた。
ソーリン (笑う)それは別に望んだわけじゃないが、ひとりでにそうなった。
ドールン 六十二にもなって人生に文句をつけるなんて、失礼ながら、――褒

めた話じゃないですよ。
ソーリン なんという、わからず屋だ。生きたいと言っているのに!
ドールン それが浅はかというものです。自然律によって、一切の生は終りなからざるべからずですからね。
ソーリン それ、それが、腹いっぱい食った人の理屈さ。君はおなかがくちいものだから、人生に冷淡で、どうなろうと平気なんだ。だが、いざ死ぬときにゃ、君だって怖
こわ
くなろうさ。
ドールン 死の恐怖は――動物的恐怖ですよ。……それを抑
おさ
えなければね。死を意識的に怖
おそ
れるのは、永遠の生命を信じる人だけです。自分の罪ぶかさが怖くなるのです。ところがあなたは、まず第一に、不信心者ですね。第二に――どんな罪がおありですかな? あなたは二十五年、司法省に勤続された――だけのことでね。
ソーリン (笑う)二十八年……

トレープレフ登場して、ソーリンの足もとの小さな腰掛にかける。マーシャは終始彼から眼をはなさない。

ドールン われわれがこうしていちゃ、トレープレフ君の仕事の邪魔ですな。
トレープレフ いや、かまいません。

間。

メドヴェージェンコ ちょっとお尋ねしますが、ドクトル、外国の町のうち、どこが一等お気に入りました?
ドールン ジェノアですね。
トレープレフ なぜジェノアなんです?
ドールン あすこの街を歩いている群衆がすてきなんです。夕方、ホテルを出てみると、街いっぱい人波で埋まっている。その群衆にまじりこんで、なんとなくあちらこちらとふらついて、彼らと生活を共にし、彼らと心理的に融

け合ううちに、まさしく世界に遍在する一つの霊魂といったものが、あり得ると信じるようになってきますね。つまりほら、いつか君の芝居でニーナさんが演じたあれみたいなね。ところで、ニーナさんは今どこでしょうね? どこに、どうしているでしょうね?
トレープレフ たぶん健在でしょう。
ドールン 僕の聞いたところでは、あの人は何か曰
いわ
くのある生活をしたそうだが、どういうことなのかな?
トレープレフ それは、ドクトル、長い話ですよ。
ドールン それを君、てみじかにさ。(間)
トレープレフ あの人は家出をして、トリゴーリンといっしょになりました。これはご存じですね?
ドールン 知っています。
トレープレフ 赤んぼができる。その子が死ぬ。トリゴーリンはあの人に飽きて、もとのキズナへ帰ってゆく――とまあ、当然の経路をたどったわけです。もっとも、あの男はこれまでも、ついぞ元の女を棄

てた例
ため
しはないんで、ただ持ち前のぐらぐらな性格から、そこここでちょいと引っかけるだけでね。僕の耳にはいったところから判断すると、ニーナの私生活は全然失敗でしたよ。
ドールン 舞台のほうは?
トレープレフ どうやら、もっとひどいらしい。モスクワ郊外の別荘地の小屋で初舞台をふんで、それから地方へ回りました。そのころ僕は、いつもあの人から目を放さないでいて、しばらくは行く先々へついて回ったものです。大きな役ばかり引受けていましたが、演技はがさつで、味もそっけもなく、やたらに吼

え立てる、大仰
おおぎょう
な見得を切る、といった調子でした。時たま、なかなか巧
うま
い悲鳴をあげたり、上手な死に方を見せたりしましたが、それも瞬間だけのことでね。
ドールン すると、とにかく才能はあるんだな?
トレープレフ そこはよくわかりませんでした。まあ、あるんでしょう。こっちじゃ顔を見てるんですが、向うでは僕に会いたがらず、宿へ訪ねてゆくと女中が通してくれないんです。あの人の気持はわかるので、僕もむりに会おうとはしませんでした。(間)さてと、まだ何を話したらいいのかな? やがて僕がうちへ帰ってから、手紙が何通か来ましたっけ。聡明
そうめい
な、あたたかい、なかなかいい手紙でした。べつに愚痴
ぐち
をこぼしてはないのですが、これは並大抵の不仕合せじゃないなと感じられるほど、一行一行、病的な神経が張りつめていました。頭の向きようも、ちょっと変なんです。何しろ署名が、「かもめ」というのですからね。『ルサールカ』(訳注 『水の精』――プーシキンの物語詩。ダルゴムージスキイのオペラがある)の水車屋のおやじは、自分は大鴉
おおがらす
だと言い言いしますが、あの人の手紙にも、自分は「かもめ」だと、のべつに書いてある。今あの人は、ここに来てますよ。
ドールン 来てるって、そりゃまたどうして?
トレープレフ 町のね、はたご屋にいるんです。もう五日ほど、そこに泊ってる。僕も行ってみようと思ったんですが、このマーシャさんが訪ねてみたら、いっさい誰にも会わないということでした。メドヴェージェンコ君の話では、きのう夕方ちかく、ここから二キロほどの原っぱで、あの人に出あったそうです。
メドヴェージェンコ ええ、出あいました。あっち、つまり町のほうへ、歩いて行くところでした。僕が挨拶
あいさつ
して、なぜ遊びに来ないのですと聞くと、そのうち行きますという返事でした。
トレープレフ 来るもんか。(間)親父
おやじ
さんも、まま母も、てんから知らん顔で通しています。それどころか、方々に見張りをおいて、一歩も屋敷へ近づけない算段なんです。(ドクトルといっしょに、デスクのほうへ歩を移す)ねえドクトル、紙の上で哲学者になるのは易
やさ
しいが、実際となるとじつに難
むずか
しいですね!
ソーリン チャーミングな娘だったがな。
ドールン え、なんです?
ソーリン チャーミングな子だった、と言うのさ。四等官ソーリン閣下までが、ひところあの子に惚

れていたものな。
ドールン 老いたる女たらし
ロヴレス
(訳注 リチャードソンの小説『クラリッサ・ハーロウ』の人物の名から)か。

シャムラーエフの笑い声が聞える。

ポリーナ 皆さん停車場からお帰りのようですよ……
トレープレフ そう、ママの声もする。

アルカージナ、トリゴーリン、つづいてシャムラーエフ登場。

シャムラーエフ (はいりながら)われわれはみな、自然の暴威のもとに老いさらばえていきますが、奥さんは相変らず、じつにお若いですなあ。……薄色の〔短〕上衣
うわぎ
を召して、颯爽
さっそう
としてらっしゃる。……典雅ですなあ……
アルカージナ ほらまた褒め立てて、鬼に妬

かせようとなさる、相変らずねえ!
トリゴーリン (ソーリンに)ご機嫌よう、ソーリンさん! また何かご病気ですか? いけませんなあ! (マーシャを見て、嬉
うれ
しそうに)やあ、マーシャさん!
マーシャ おわかりになって? (彼の手を握る)
トリゴーリン 結婚しましたか?
マーシャ もうとっくに。
トリゴーリン 幸福ですか? (ドールンやメドヴェージェンコと会釈
えしゃく
をかわしたのち、ためらいがちにトレープレフのほうへ歩み寄る)アルカージナさんのお話だと、あなたはもう昔のことは水に流して、ご立腹もとけたそうですが。

トレープレフ、彼に手をさし出す。

アルカージナ (息子に)ほら、トリゴーリンさんは、お前の新作の載っている雑誌を持ってきてくだすったんだよ。
トレープレフ (雑誌を受けながら、トリゴーリンに)おそれいります、ご親切に。(腰をおろす)
トリゴーリン あんたの崇拝者たちから、宜
よろ
しくとのことです。……ペテルブルグでもモスクワでも、概してあなたに興味をもっていて、僕はしょっちゅう、あんたのことを訊

かれますよ。どんな人だの、年は幾つだの、ブリュネットかブロンドかだの、といったふうにね。みんな、どうしたわけか、あなたを年配の人のように思っている。それに誰ひとり、あんたの本名を知る者がない。なにしろあんたは、いつもペンネームで発表するものだから。あんたは、あの『鉄仮面』(訳注 ルイ十四世の代にバスチーユで獄死した謎の人物。父デュマの小説などで有名)みたいに、神秘の人ですよ。
トレープレフ ずっとご逗留
とうりゅう
ですか?
トリゴーリン いや、あすはモスクワへ発

とうと思っています。やむを得ません。中編ものを一つ急いで書きあげなければならんし、ほかにまだ、ある選集にも何かやる約束になっているので、一口で言えば――相も変らず、ですよ。

彼らが話している間に、アルカージナとポリーナは部屋の中央にカルタ机をすえ、左右の翼
よく
を上げる。シャムラーエフは蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともしたり、椅子
いす
を並べたりする。戸棚からロトー(訳注 Loto 数字あわせの遊び。一から九〇までの数字を飛び飛びに記した盤を配っておき、一人が袋または筒から賽を一つずつ取出しながらそこに刻まれた数字を言う。盤上の数字が先に埋まった人が勝ち)の箱が取出される。

トリゴーリン せっかく来たのに、わるい天気にぶつかったものだ。すさまじい風ですな。あす朝もしおさまったら、湖へ釣りに出ますよ。ついでにお庭と、そらあの場所――ね、覚えてますか――あんたの芝居をやったあすこを、検分しなければならない。モチーフは熟しているんですが、ただ現場の記憶を新たにする必要があるんで。
マーシャ (父親に)パパ、うちの人に馬を出してやってちょうだい! うちへ帰らなくちゃならないんだから。
シャムラーエフ (口まねをして)馬を……帰らなくちゃ……(厳格に)その眼で見たろう――今しがた停車場へ行って来たばかりだ。そうそうこき使うわけにはいかん。
マーシャ ほかの馬だってあるじゃないの。(父親が黙っているのを見て、片手を振る)またけんかのたねね……
メドヴェージェンコ マーシャ、ぼく歩いて帰るよ。いいからさ……
ポリーナ (ため息をついて)歩いて、こんな天気に……(カルタ机に向って腰をおろす)さ、どうぞ、皆さん。
メドヴェージェンコ たかが六キロですからね。……(妻の手にキスをする)おやすみなさい、おっ母さん。(しゅうとはキスを受けるため渋々手を出す)僕はだれにも心配はかけたくないんですが、ただ赤んぼが……(一同に頭をさげる)おやすみなさい。……(退場。さも申し訳なさそうな物腰)
シャムラーエフ なんとか帰れるさ。将軍じゃあるまいし。
ポリーナ (机をたたく)さ、いかが、皆さん。時間が無駄ですよ、ぐずぐずしてると、お夜食をしらせに来ますわ。

シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、カルタ机につく。

アルカージナ (トリゴーリンに)秋の夜ながになると、ここではロトーをして遊ぶんですよ。ほらね、ずいぶん古いロトーでしょう。なにしろわたしたちが子供だったころ、亡くなった母がいっしょに遊んでくれた道具ですものねえ。お夜食まで、いっしょに一勝負なさらない? (トリゴーリンとともに席につく)つまらない遊びだけど、馴

れるとこれで、悪くないものよ。(一同に三枚ずつ紙の盤をくばる)
トレープレフ (雑誌をめくりながら)自分の小説は読んでるくせに、僕のはページも切ってやしない。(雑誌をデスクに置き、左手のドアへ行きかける。母親のそばを通りかかって、その頭にキスする)
アルカージナ どう、お前も、コースチャ?
トレープレフ ご免なさい、なんだかしたくないんです。……ちょっと歩いてきます。(退場)
アルカージナ 賭

け金は十コペイカよ。ドクトル、わたしの分、たて替えておいてちょうだい。
ドールン 承知しました。
マーシャ みなさん、お賭けになった? じゃ始め。……二十二!
アルカージナ はい。
マーシャ 三!
ドールン はあい。
マーシャ 三をお置きになって? 八! 八十一! 十!
シャムラーエフ まあそう急ぐな。
アルカージナ わたし、ハリコフで受けた歓迎ぶりを思い出すと、今でも頭がくらくらするわ、皆さん!
マーシャ 三十四!

舞台うらで、メランコリックなワルツのひびき。

アルカージナ 大学生が、お祭さわぎをしてくれてね……花籠
はなかご
が三つ、花束が二つ、それからほら……(胸からブローチをはずして、机上に投げだす)
シャムラーエフ なるほど、こりゃ大したものだ……
マーシャ 五十!……
ドールン 五十きっかり?
アルカージナ わたしの舞台衣裳
いしょう
ときたら、豪勢なものでしたよ。……なんといっても、着付けにかけちゃ、わたしゃ負けませんからね。
ポリーナ コースチャが弾

いている。気がふさぐのね。可哀
かわい
そうに。
シャムラーエフ 新聞でひどく叩
たた
かれてるね。
マーシャ 七十七!
アルカージナ 気にしないでもいいのに。
トリゴーリン あの人はどうも運が向かない。未
いま
だに、ほんとの調子が出ないんですな。何かこう変てこで、あいまいで、時によるとウワ言みたいなところさえある。人物がさっぱり生きてない。
マーシャ 十一。
アルカージナ (ソーリンをふり返って)ペトルーシャ、あなた退屈? (間)寝てるわ。
ドールン 四等官殿はおねんねだ。
マーシャ 七! 九十!
トリゴーリン わたしがもし、こんな湖畔の屋敷に住んだとしたら、とても物を書く気にはなりますまいな。そんな欲望はうっちゃりにして、魚ばかり釣ってるでしょうよ。
マーシャ 二十八!
トリゴーリン ボラやマスを釣りあげるのは――なんとも言えんいい気持だ!
ドールン しかし僕は、トレープレフ君を信じていますよ。何かがある! 何かがね! あの人はイメージでもって思索する。だから小説が絵画的で、鮮明で、僕は強烈な感じを受けますね。ただ惜しむらくは、あの人には、はっきりきまった問題がない。印象を生みはするが、それ以上に出ない。なにせ印象だけじゃ、大したことにはなりませんからね。アルカージナさん、作家の息子さんを持って、嬉しいでしょうな?
アルカージナ それがね、あなた、まだ読んだことがないの。ひまがなくてね。
マーシャ 二十六!

トレープレフ静かに登場。自分のデスクへ行く。

シャムラーエフ (トリゴーリンに)そうそう、トリゴーリンさん、あなたの物が残っていましたっけ。
トリゴーリン はてな?
シャムラーエフ いつぞやトレープレフさんが射落した鴎
かもめ
ね。あれを剥製
はくせい
にしてくれって、ご注文でしたが。
トリゴーリン 覚えがない。(しきりに考えながら)覚えがないなあ!
マーシャ 六十六! 一!
トレープレフ (窓をパッとあけて、耳をすます)なんて暗いんだ! なぜこう胸さわぎがするのか、どうもわからん。
アルカージナ コースチャ、窓をおしめ、吹きこむじゃないの。

トレープレフ、窓をしめる。

マーシャ 八十八!
トリゴーリン はい、揃
そろ
いました。
アルカージナ (うきうきして)うまい、うまい!
シャムラーエフ ブラボー!
アルカージナ この人はね、いつどこへ行っても運がいいのよ。(立ちあがる)じゃあちらで、何かちょっと頂きましょう。うちの有名な先生は、今日は夕飯ぬきでしたからね。お夜食のあとで、またやりましょう。(息子に)コースチャ、原稿はやめて、食堂へ行きましょう。
トレープレフ 欲しくないよ、ママ、おなかがいっぱいだから。
アルカージナ ご勝手に。(ソーリンをおこす)ペトルーシャ、お夜食ですよ! (シャムラーエフと腕を組む)話してあげるわね、ハリコフでどんなに歓迎されたか……

ポリーナ、カルタ机の上の蝋燭を消してから、ドールンといっしょに椅子を押して行く。一同左手のドアから退場。舞台には、デスクに向ったトレープレフだけ残る。

トレープレフ (書きつづけようとして、今まで書いたところに目を走らせる)おれは口ぐせみたいに、新形式、新形式と言ってきたが、今じゃそろそろ自分が、古い型へ落ちこんでゆくような気がする。(読む)「塀
へい
のポスターに曰
いわ
く……。蒼白
あおじろ
い顔が、黒い髪の毛にふちどられて……」曰く、ふちどられて……。ふん、なっちゃいない。(消す)いっそ主人公が、雨の音で目をさますところから始めて、あとはみんな切っちまおう。月夜の描写が長たらしく、凝りすぎている。トリゴーリンは、ちゃんと手がきまっているから、楽なもんだ。……あいつなら、土手の上に割れた瓶
びん
のくびがきらきらして、水車の影が黒く落ちている――それでもう月夜ができあがってしまう。ところがおれは、ふるえがちの光だとか、静かな星のまたたきだとか、しんとした匂
にお
やかな空気のなかに消えてゆくピアノの遠音だとか……いや、こいつは堪
たま
らん。(間)そう、おれはだんだんわかりかけてきたが、問題は形式が古いの新しいのということじゃなくて、形式なんか念頭におかずに人間が書く、それなんだ。魂のなかから自由に流れ出すからこそ書く、ということなんだ。(デスクに最寄
もよ
りの窓を、誰かが叩
たた
く)なんだろう? (窓を覗
のぞ
く)なんにも見えない。……(ガラス戸をあけて、庭を見る)誰か石段を駆けおりたな。(呼びかける)誰だ、そこにいるのは? (出てゆく。彼がテラスを足早に歩く音がする。半分間ほどして、ニーナを連れもどってくる)ニーナ! ニーナ!

ニーナは頭を彼の胸におし当て、忍び音にむせび泣く。

トレープレフ (感動して)ニーナ! ニーナ! 君か……君だったのか……。僕は虫が知らしたのか、朝からずっと、胸がきりきりしてならなかった。(彼女の帽子と長外套
がいとう
をとってやる)ああ、僕の可愛
かわい
い、大事なひとが帰ってきた! 泣くのはよそう、泣くのは。
ニーナ 誰かいるわ。
トレープレフ 誰もいやしない。
ニーナ ドアの錠をおろして。はいってくると困るわ。
トレープレフ 誰も来やしない。
ニーナ 知ってるわ、アルカージナさんが来てること。だから閉めて……
トレープレフ (右手のドアの鍵
かぎ
をかけ、左手のドアに歩み寄る)ここには錠前がない。椅子
いす
でふさいでおこう。(ドアの前に肘
ひじ
かけ椅子を据える)さ、もう心配しないで、誰も来ないから。
ニーナ (彼の顔をじっと見つめる)ちょっと、お顔を見させて。(あたりを見回して)暖かくて、いい気持。……あのころ、ここは客間だったのね。わたし、ひどく変ったかしら?
トレープレフ そう……だいぶ痩

せて、眼が大きくなったな。ニーナ、こうして君を見ていると、なんだか不思議な気がする。どうしてあんなに、僕を寄せつけなかったの? どうして今まで来なかったの? 僕は知ってますよ、君がもう一週間ちかく、この土地にいることは。……僕は毎日、なんべんも君の宿まで行っては、君の窓の下に立っていた。乞食
こじき
みたいにね。
ニーナ あなたがさぞ、わたしを憎んでらっしゃるだろうと、それが怖
こわ
かったの。毎晩おなじ夢を見るのよ――それは、あなたがわたしを見ているくせに、わたしとは気がつかないの。この気持、知ってくだすったらねえ! ここへ着いたその日から、わたしはあすこ……湖のへんを歩いていたの。お宅の近くにもたびたび来たけれど、はいる勇気がなかったわ。さ、坐
すわ
りましょう。(ふたり腰をおろす)坐って、思いっきり話しましょう。ここはいいわ、ぽかぽかして、居心地がよくって……。あの音は……風ね? ツルゲーネフに、こういうところがあるわ、――「こんな晩に、うちの屋根の下にいる人は仕合せだ、暖かい片隅
かたすみ
を持つ人は」わたしは、かもめ。……いいえ、それじゃない。(額をこする)何を言ってたんだっけ? そう……ツルゲーネフね……「主
しゅ
よ、ねがわくは、すべての寄辺
よるべ
なき漂泊
さすらい
びとを助けたまえ」……いいの、なんでもないの。(むせび泣く)
トレープレフ ニーナ、君はまた……ニーナ!
ニーナ いいの、これで楽になるわ。……わたし、もう二年も泣かなかった。ゆうべおそく、こっそりお庭へはいって、あのわたしたちの劇場が無事かどうか、見に行きました。あれは、まだ立っていますわね。それを見たとき、二年ぶりで初めて泣いたの。すると胸が軽くなって、心の霧が晴れました。ほらね、わたしもう泣いていないわ。(彼の手をとる)で、こうして、あなたはもう作家なのね。……あなたは作家、わたしは――女優。お互いに、渦巻
うずまき
のなかへ巻きこまれてしまったのね。……あのころのわたしは、子供みたいにはしゃいで暮していたわ――あさ目がさめると、歌をうたいだす。あなたを恋してたり、名声を夢みたり。それが今じゃどう? あしたは朝早く、三等に乗ってエレーツへ行くのよ……お百姓さんたちと合乗りでね。そしてエレーツじゃ、教育のある商人連中が、ちやほや付きまとってくれるでしょうよ。むごいものだわ、生活って。
トレープレフ なんだってエレーツへなんか?
ニーナ この一冬、契約をしたの。もう帰らなければ。
トレープレフ ニーナ、僕は君を呪
のろ
いもし憎みもして、君の手紙や写真を破いてしまった。それでいて、僕の心は永久に君と結びついていると、毎分毎秒、意識していました。あなたへの恋が冷

めるなんて、僕にはできないことだ、ニーナ。あなたというものを失い、作品がぼつぼつ雑誌に載りだしてからこっち、人生は僕にとって堪えがたいものになった――受難の道になった。……自分の若さが急につみとられて、僕はこの世にもう九十年も生きてきたような気がします。僕はあなたの名を呼んだり、あなたの歩いた地面に接吻
せっぷん
したりしている。どこを向いても、きっとあなたの顔が見えるんだ。ぼくの生涯の一ばん楽しかった時代を照らしてくれた、あの優しい微笑がね。……
ニーナ (当惑して)なぜあんなことを言いだすのかしら。なぜあんなことを?
トレープレフ 僕はひとりぽっちだ。暖めてくれる誰の愛情もなく、まるで穴倉のなかのように寒いんです。だから何を書いても、みんなカサカサで、コチコチで、陰気くさい。ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!

ニーナは手早く帽子と長外套を着ける。

トレープレフ どうして君は、ええニーナ? 後生だ、ニーナ……(彼女が身じたくするのを眺める。間)
ニーナ 馬車が裏木戸のところに待たせてあるの。送ってこないで、わたし一人で行けるから……(涙声で)水をちょうだいな……
トレープレフ (コップの水を与える)今からどこへ行くの?
ニーナ 町へ。(間)アルカージナさん、来てらっしゃるの?
トレープレフ そう。……この木曜、伯父さんの工合が変だったので、僕たちが電報で呼び寄せたんです。
ニーナ わたしの歩いた地面に接吻したなんて、なぜあんなことをおっしゃるの? わたしなんか、殺されても文句はないのに。(テーブルにかがみこむ)すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息! (首をあげて)わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ! (アルカージナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて、じっと耳をすまし、それから左手のドアへ走り寄って、鍵穴からのぞく)あの人も来ている……(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。……かまやしない。……そうよ。あの人は芝居というものを信用しないで、いつもわたしの夢を嘲笑
ちょうしょう
してばかりいた。それでわたしも、だんだん信念が失

せて、気落ちがしてしまったの。……そのうえ、恋の苦労だの、嫉妬
しっと
だの、赤ちゃんのことでしょっちゅうびくびくしたりで……わたしはこせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな演技をしていたの。両手のもて扱い方も知らず、舞台で立っていることもできず、声も思うようにならなかった。ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ。わたしは――かもめ。いいえ、そうじゃない……。おぼえてらして、あなたは鴎
かもめ
を射落
うちおと
したわね? ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、破滅させてしまった。……ちょっとした短編の題材……。これでもないわ。……(額をこする)何を話してたんだっけ?……そう、舞台のことだったわ。今じゃもうわたし、そんなふうじゃないの。……わたしはもう本物の女優なの。……わたしは楽しく、喜び勇んで役を演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き回って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。わたしは信じているから、そう辛
つら
いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。
トレープレフ (悲しそうに)君は自分の道を発見して、ちゃんと行く先を知っている。だが僕は相変らず、妄想
もうそう
と幻影の混沌
こんとん
のなかをふらついて、一体それが誰に、なんのために必要なのかわからずにいる。僕は信念がもてず、何が自分の使命かということも、知らずにいるのだ。
ニーナ (きき耳を立てて)シッ。……わたし行くわ。ご機嫌よう。わたしが大女優になったら、見にいらしてちょうだいね。約束してくださる? では今日は……(彼の手を握る)もう夜がふけたわ。わたしやっとこさで、立っているのよ。精も根も尽きてしまった、何か食べたいわ……
トレープレフ ゆっくりして行って、夜食ぐらい出すから……
ニーナ いいえ、駄目……。送ってこないでね、ひとりで行けるから。……馬車はついそこなんですもの。……じゃ、アルカージナさんはあの人を連れていらしたのね? なあに、どうせ同じことだわ。……トリゴーリンに会っても、なんにも言わないでね。……わたし、あの人が好き。前よりももっと愛しているくらい。……ちょっとした短編の題材か。……好きだわ、愛してるわ、やるせないほど愛してるわ。もとはよかったわねえ、コースチャ! なんという晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活だったでしょう。なんという感情だったでしょう――優しい、すっきりした花のような感情。……おぼえてらっしゃる?……(暗誦
あんしょう
する)「人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音ずれもない」……(発作的にトレープレフを抱いて、ガラス戸から走り出る)
トレープレフ (間をおいて)まずいな、誰かが庭でぶつかって、あとでママに言いつけると。ママは辛いだろうからな。……

二分間ほど、無言のまま原稿を全部やぶいて、デスクの下へほうりこむ。それから右手のドアをあけて退場。

ドールン (左手のドアを、うんうん押しあけながら)おかしいぞ。錠がおりてるのかな……(はいって、肘かけ椅子を元の場所におく)障碍物
しょうがいぶつ
競走だ。

アルカージナ、ポリーナ、つづいてヤーコフは酒瓶
さかびん
(訳注 複数)をもち、それにマーシャ、あとからシャムラーエフ、トリゴーリン、それぞれ登場。

アルカージナ 赤ブドウと、トリゴーリンさんのあがるビールは、このテーブルに置いてちょうだいな。ロトーをしながら飲むんだからね。さ、坐りましょう、皆さん。
ポリーナ (ヤーコフに)すぐお茶を出しておくれ。(蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともし、カルタ机に着席する)
シャムラーエフ (トリゴーリンを戸棚のほうへひっぱって行く)そらこれが、さっきお話しした品ですよ……(戸棚から鴎の剥製
はくせい
をとり出す)あなたのご注文で。
トリゴーリン (鴎を眺めながら)覚えがない! (小首をかしげて)覚えがないなあ!

右手の舞台うらで銃声。一同どきりとなる。

アルカージナ (おびえて)なんだろう?
ドールン なあに、なんでもない。きっと僕の薬カバンのなかで何か破裂したんでしょう。心配ありません。(右手のドアから退場して、半分間ほどで戻ってくる)やっぱりそうでした。エーテルの壜
びん
が破裂したんです。(口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」……
アルカージナ (テーブルに向ってかけながら)ふっ、びっくりした。あの時のことを、つい思い出して……(両手で顔をおおう)眼のなかが、暗くなっちゃった……
ドールン (雑誌をめくりながら、トリゴーリンに)これに二カ月ほど前、ある記事が載りましてね……アメリカ通信なんですが、ちょっとあなたに伺いたいと思っていたのは、なかでもその……(トリゴーリンの胴に手をかけ、フットライトのほうへ連れてくる)……なにしろ僕は、その問題にすこぶる興味があるもので……(調子を低めて、小声で)どこかへアルカージナさんを連れて行ってください。じつは、トレープレフ君が、ピストル自殺をしたんです。……
――幕――

底本:「かもめ・ワーニャ伯父さん」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年9月25日発行
   2004(平成16)年11月25日46刷改版
※楽譜は「世界文学大系46 チェーホフ」筑摩書房、1958(昭和33)年12月5日からとりました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51860_41507.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c26

[近代史4] チェーホフの世界 中川隆
3. 中川隆[-13495] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:05:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1409]

かもめ ЧАЙКА
――喜劇 四幕――
アントン・チェーホフ Anton Chekhov
神西清訳


人物
アルカージナ(イリーナ・ニコラーエヴナ) とつぎ先の姓はトレープレヴァ、女優
トレープレフ(コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ) その息子、青年
ソーリン(ピョートル・ニコラーエヴィチ) アルカージナの兄
ニーナ(ミハイロヴナ・ザレーチナヤ) 若い処女、裕福な地主の娘
シャムラーエフ(イリヤー・アファナーシエヴィチ) 退職中尉
ちゅうい
、ソーリン家の支配人
ポリーナ(アンドレーエヴナ) その妻
マーシャ その娘
トリゴーリン(ボリース・アレクセーエヴィチ) 文士
ドールン(エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ) 医師
メドヴェージェンコ(セミョーン・セミョーノヴィチ) 教員
ヤーコフ 下男
料理人
小間使

ソーリン家の田舎屋敷でのこと。――三幕と四幕のあいだに二年間が経過
[#改ページ]

第一幕

ソーリン家の領地内の廃園の一部。広い並木道が、観客席から庭の奥のほうへ走って、湖に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて、湖はまったく見えない。仮舞台の左右に灌木
かんぼく
の茂み。椅子
いす
が数脚、小テーブルが一つ。

日がいま沈んだばかり。幕のおりている仮舞台の上には、ヤーコフほか下男たちがいて、咳
せき
ばらいや槌
つち
音が聞える。散歩がえりのマーシャとメドヴェージェンコ、左手から登場。

メドヴェージェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェージェンコ なぜです? (考えこんで)わからんですなあ。……あなたは健康だし、お父さんにしたって金持じゃないまでも、暮しに不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛
つら
いですよ。月に二十三ルーブリしか貰
もら
ってないのに、そのなかから、退職積立金を天引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふたり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェージェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟――それで月給がただの二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台のほうを振向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェージェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレープレフ君の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。ところが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想
おも
っています。恋しさに家
うち
にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたのそっけない顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいときてますからね。食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なんかするものか?
マーシャ つまらないことを。(かぎタバコをかぐ)お気持はありがたいと思うけれど、それにお応
こた
えできないの。それだけのことよ。(タバコ入れを差出して)いかが?
メドヴェージェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩
おそ
くなって、ごろごろザーッときそうね。あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなのね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、あたしなんか、ボロを着て乞食
こじき
ぐらしをしたほうが、どんなに気楽だか知れやしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……

右手から、ソーリンとトレープレフ登場。

ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎
いなか
が苦手でな、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染
なじ
めまいよ。ゆうべは十時に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寝すぎたもんで、脳みそが頭蓋骨
ずがいこつ
に、べったりくっついたような気がした――とまあいった次第でな(笑う)。ところが昼めしのあとで、ついまた寝こんじまって、今じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃもちろん、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシャとメドヴェージェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今ここにいられちゃ困るな。暫時
ざんじ
ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いてやるように、ひとつパパにお願いしてみてはくださらんか。やけに吠

えるでなあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寝られなかった。
マーシャ ご自分で父におっしゃってくださいまし、あたしはご免こうむります。あしからず。(メドヴェージェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェージェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせによこしてください。

ふたり退場。

ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わたしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例
ため
しがない。前にゃよく、二十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら――とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着いたその日から、逃げ出したくなったよ(笑う)。引揚げる時にゃ、やれやれと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退

いてしまって、ほかに居場所がない――早い話がね。いやでも、ここに釘
くぎ
づけだ……
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那
わかだんな
、〔わっしら〕ちょいと一浴びしてきます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持ち場にいてくれよ。(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カーテン、袖
そで
が一つ、袖がもう一つ――その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっかり八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ飛んじまう。もうくる時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見張りがきびしいもんで、家
うち
を抜け出すのは、牢
ろう
破りも同様、むずかしいんですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯
ひげ
ももじゃもじゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは若い時分から、飲んだくれそっくりの風采
ふうさい
――とまあいった次第でな。ついぞ女にもてた例
ため
しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、おかんむりなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋
さび
しいんですよ。(ならんで腰をおろしながら)妬

けるんでさ。おっ母

さんはてんからもう、この僕にも、今日の芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演

るのが自分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、眼の敵
かたき
にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を回さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采
かっさい
を浴びるのが、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪
しゃく
のたねなんですよ。(時計を見て)ちょいと心理的な変り種でね――おっ母さんは。そりゃ才能もある、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラーソフの詩だって、即座に残らず暗誦
あんしょう
できるし、病人の世話をさせたら――エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノラ・ドゥーゼでも褒

めてごらんなさい。事ですぜ! 褒めるなら、あのひとのことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿姫
つばきひめ
』だの『人生の毒気』(訳注 ロシア十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの戯曲)だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激したりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。そこで、淋しいもんだから苛々
いらいら
する。われわれがみんな悪者で、親のカタキだということになる。おまけに、あの人は御幣
ごへい
かつぎで、三本蝋燭
ろうそく
(訳注 死人のほとりを照らす習慣)をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。しかも、けちんぼときている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは――僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもんなら、めそめそ泣きだす始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ――とまあいった次第だがな。案じることはないさ――おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き――嫌
きら
い、好き――嫌い、好き――嫌い。(笑う)そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭
いや
でも、自分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいられるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なんですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優たちが、人間の食ったり飲んだり、惚

れたり歩いたり、背広を着たりする有様を、演じてみせる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ちっぽけな、手っとり早い、ご家庭にあって調法――といった代物
しろもの
ばかりさ。そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの繰返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出すんです。エッフェル塔の俗悪さがやりきれなくなって、命からがら逃げ出したモーパッサン(訳注 その小説『さすらい』参照)みたいにね。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新しい形式が必要なんですよ。新形式がいるんで、もしそれがないんなら、いっそ何にもないほうがいい。(時計を見る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活は、なんぼなんでも酷
ひど
すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべたしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口ですよ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むらむらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なのが、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情けない、ばかげた境遇があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずらり顔をならべたもんです――役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だけが、名も何もない雑魚
ざこ
なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人の息子
むすこ
だからというだけのことに過ぎん。僕は一体誰だ? どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告によくある、例の「さる外部事情のため」(訳注 当時の雑誌などが、思想の弾圧のため発禁になった時に使う慣用句)って奴
やつ
でさ。しかも、これっぱかりの才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ――キーエフの町人と書いてある。なるほどうちの親父
おやじ
は、有名な役者じゃあったが、元をただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼
まなこ
を僕にそそいでくれるごとに、僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたいな気がした、――向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんですよ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全体何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メランコリックな男ですよ。なかなかりっぱな人物でさ。まだ四十には間

があるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめのご身分だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかなあ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこれでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になることなんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ (耳をすます)足音が聞える。……(伯父を抱いて)僕は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までがすばらしい。……僕は、めちゃめちゃに幸福だ! (足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、可愛
かわい
い魔女が来た、僕の夢が……
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れやしないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してはくれまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母
はは
といっしょに出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉
うれ
しいわ。(ソーリンの手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目
めめ
を、泣きはらしてござる。……ほらほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんでるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んでこなくちゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあいった次第でな。はいはい、ただ今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふたりづれ」(訳注 ハイネの『ふたりの擲弾兵』より)……(振返って)いつぞや、まあこういった具合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、こう言いおった――「いや閣下、なかなか大した喉
のど
ですな」……そこで先生、ちょいと考えて、こう付け足したよ――「しかし……厭
いや
なお声で」(笑って退場)

ニーナ 父も継母
はは
も、あたしがここへくるのは反対なの。ここは、ボヘミアンの巣窟
そうくつ
だって……あたしが女優にでもなりゃしまいかと、心配なのね。でもあたしは、ここの湖に惹

きつけられるの、かもめみたいにね。……胸のなかは、あなたのことでいっぱい。(あたりを見回す)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻
せっぷん

ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ にれの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急いで帰らないでください、後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜どおし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、番人にみつかるわ。それにトレゾール
うちのいぬ
は、まだお馴染
なじみ
じゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)誰だ? ヤーコフ、お前か?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ みんな持ち場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄
いおう
もあるね? 紅い目玉が出たら、硫黄の臭
にお
いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、支度はすっかりできています。……興奮
あが
ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは――平気ですわ、こわくなんかない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をするのは、あたしこわいの、恥ずかしいの。……有名な作家ですもの。……若いかた?
トレープレフ ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演

りにくいわ。生きた人間がいないんだもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少なくて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……(ふたり、仮舞台のかげへ去る)

ポリーナとドールン登場。

ポリーナ しめっぽくなってきたわ。引返して、オーバーシューズをはいてらしたら?
ドールン 僕は暑いんです。
ポリーナ それが、医者の不養生よ。頑固
がんこ
というものよ。職掌がら、しめっぽい空気がご自分に毒なことぐらい、百も承知でいらっしゃるくせに、まだ私をやきもきさせたいのねえ。ゆうべだって、わざと一晩じゅう、テラスに出てらしたり……
ドールン (口ずさむ)「言うなかれ、君、青春を失いしと」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)
ポリーナ あなたは、アルカージナさんと話に身が入りすぎて……つい寒いのも忘れてらしたのね。白状なさい、あのひと、お好きなのね……
ドールン 僕は五十五ですよ。
ポリーナ そんなこと――男の場合、年寄りのうちに、はいらないわ。まだそのとおりの男前なんだから、結構おんなに持てますわ。
ドールン そこで、どうしろとおっしゃる?
ポリーナ 相手が女優さんだと、いつだって平蜘蛛
ぐも
みたい。いつだってね!
ドールン (口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)……よしんば世間が、役者をひいきにして、商人なんかと別扱いにするとしても、まあ理の当然ですな。それが――理想主義というもので。
ポリーナ 女のひとが、いつもあなたに惚れこんで、首っ玉にぶらさがってきた。これもその、理想主義ですの?
ドールン (肩をすくめて)へえね? 婦人がたは、結構僕を尊重してくれましたよ。それも主として、腕のいい医者としてでしたな。十年、十五年まえには、ご承知のとおりこの僕も、郡内でたった一人の、産科医らしい産科医でしたからね。それに僕は、実直な男だったし。
ポリーナ (男の手をとらえる)ねえ、あなた!
ドールン シッ、ひとが来ます。

アルカージナがソーリンと腕を組んで、つづいてトリゴーリン、シャムラーエフ、メドヴェージェンコ、マーシャが登場。

シャムラーエフ 〔一八〕七三年のポルタヴァの定期市
いち
で、あの女優はすばらしい芸を見せましたっけ。ただ驚嘆の一語に尽きます! 名人芸でしたな! それから、これも次手
ついで
に伺いたいですが、喜劇役者のチャージン――あのパーヴェル・セミョーヌィチですが、あれは今どこにいますかな? ラスプリューエフ(訳注 スホーヴォ・コブイリンの喜劇『クレチンスキイの結婚』中の人物)を演

らせたら天下無類でね、サドーフスキイ(訳注 モスクワ小劇場の名優、一八七二年死)より上でしたな。いやまったくですよ、奥さん。あわれ彼、今いずくにか在る?
アルカージナ あなたはいつも、大昔の人のことばかりお訊

きになるのね。わたしが知るもんですか! (腰をおろす)
シャムラーエフ (ふーっとため息をして)パーシカ・チャージン! 今じゃあんな役者はいない。舞台の下落ですな、アルカージナさん! 昔は亭々
ていてい
たる大木ぞろいだったものだが、今はもう切株ばかしでね。
ドールン いかにも、光輝さんぜんたる名優は少なくなった。だがその代り、中どころの役者は、ずっとよくなったです。
シャムラーエフ お説には賛成しかねますな。もっとも、これは趣味の問題で。De gustibus aut bene, aut nihil
みるひとのこころごころに
ですて。(訳注 この引用句は、ラテンのことわざを二つ、つきまぜたおかしみがある)

トレープレフ、仮舞台のかげから登場。

アルカージナ (息子に)ねえ、うちの坊っちゃん、一体いつ幕があくの?
トレープレフ もうすぐです。ざんじご猶予
ゆうよ

アルカージナ (『ハムレット』のセリフで)おお、ハムレット、もう何も言うてたもるな! そなたの語
ことば
で初めて見たこの魂のむさくろしさ。何
なん
ぼうしても落ちぬ程
ほど
に、黒々と沁込
しみこ
んだ心の穢
けが
れ! (訳注 第三幕第四場逍遥の訳による)
トレープレフ (『ハムレット』のセリフで)いや、膏
あぶら
ぎった汗臭い臥床
ふしど
に寝
まろ
びたり、豕
いのこ
同然の彼奴
あいつ
と睦言
むつごと
……(訳注 おなじく。ただしこのくだり、チェーホフはかなり上品に言い直されたロシア訳を踏襲している。いま訳者は、シェイクスピアの原意に近い逍遥訳を採った)

仮舞台のかげで角笛の音。

トレープレフ さあ皆さん、始まります。静粛にねがいます。(間)では、まず私から。(細身の杖
つえ
を突き鳴らし、大声で)おお、なんじら、年ふりし由緒
ゆいしょ
ある影たちよ。夜ともなれば、この湖の上をさまよう影たちよ。わたしたちを寝入らせてくれ。そして、二十万年のちの有様を、夢に見させてくれ!
ソーリン 二十万年したら、なんにもないさ。
トレープレフ だから、そのないところを見させるんですよ。
アルカージナ どうともご随意に。わたしたちは寝るから。

幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐
すわ
っている。

ニーナ 人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚
さかな
も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音

ずれもない。寒い、寒い、寒い。うつろだ、うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶

け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂――それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル大王の魂もある。シーザーのも、シェイクスピアのも、ナポレオンのも、最後に生き残った蛭
ひる
のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、人間の意識が、動物の本能と溶け合っている。で、わたしは、何もかも、残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新しく生き直している。

鬼火があらわれる。

アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。そしてわたしの声は、この空虚
うつろ
のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ前、沼の毒気から生れたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなしに、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。だからお前は、絶えず流転
るてん
をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこまれた囚
とら
われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知らない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手の、たゆまぬ激しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統

べる一つの意志の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、永い永い歳
とし
つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この地球も、すべて塵
ちり
と化したあとのことだ。……その時がくるまでは、怖
おそ
ろしいことばかりだ。……(間。湖の奥に、紅
あか
い点が二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭
にお
いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほど、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶりなさい、風邪
かぜ
を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら! (とんと足ぶみして)幕だ! (幕おりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘れていたもんで。僕はひとの畠
はたけ
を荒したんだ! 僕が……いや、僕なんか……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)
アルカージナ どうしたんだろう、あの子は?
ソーリン なあ、おっ母さん、こりゃいけないよ。若い者の自尊心は、大事にしてやらなけりゃ。
アルカージナ わたし、あの子に何を言ったかしら?
ソーリン だって、恥をかかしたじゃないか。
アルカージナ あの子は、これはほんの茶番劇でと、自分で前触れしていましたよ。だからこっちも、茶番のつもりでいたんだけれど。
ソーリン まあさ、それにしたって……
アルカージナ ところが、いざ蓋
ふた
をあけてみたら、大層な力作だったわけなのね! やれやれ! あの子が、今夜の芝居を仕組んで、硫黄の臭いをぷんぷんさせたのも、茶番どころか、一大デモンストレーションだった。……あの子はわたしたちに、戯曲の作り方や演

り方を、教えてくれる気だったんだわ。早い話が、ま、うんざりしますよ。何かといえば、一々わたしに突っかかったり、当てこすったり、そりゃまああの子の勝手だけれど、これじゃ誰にしたってオクビが出るでしょうよ! わがままな、自惚
うぬぼ
れの強い子だこと。
ソーリン あの子は、お前のつれづれを慰めようと思ったんだよ。
アルカージナ おや、そう? そんなら、何か当り前の芝居を出せばいいのに、なぜ選

りに選って、あんなデカダンのタワ言を聴

かせようとしたんだろう。茶番のつもりなら、タワ言でもなんでも聴いてやりましょうけれど、あれじゃ野心満々、――芸術に新形式をもたらそうとか、一新紀元を画そうとか、大した意気ごみじゃありませんか。わたしに言わせれば、あんなもの、新形式でもなんでもありゃしない。ただ根性まがりなだけですよ。
トリゴーリン 人間誰しも、書きたいことを、書けるように書く。
アルカージナ そんなら勝手に、書きたいことを、書けるように書くがいいわ。ただ、わたしには、さわらずにおいてもらいたいのよ。
ドールン ジュピターよ、なんじは怒
いか
れり、か……(訳注 つづいて「されば非はなんじにあり」というラテンのことわざ。ドールンはこの句で、暗にアルカージナを諷したのであろうが、彼女は気づかずに――)
アルカージナ わたしはジュピターじゃない、女ですよ。(タバコを吸いだす)あたし、怒
おこ
ってなんかいません。ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ。あの子に恥をかかすつもりはなかったの。
メドヴェージェンコ 何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂にしてからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね。(語気をつよめて、トリゴーリンに)で一つ、どうでしょう、われわれ教員仲間がどんな暮しをしているか――それをひとつ戯曲に書いて、舞台で演じてみたら。辛
つら
いです、じつに辛い生活です!
アルカージナ ごもっともね。でももう、戯曲や原子のはなしは、やめにしましょうよ。こんな好

い晩なんですもの! 聞えて、ほら、歌ってるのが? (耳をすます)いいわ、とても!
ポリーナ 向う岸ですわ。(間)
アルカージナ (トリゴーリンに)ここへお掛けなさいな。十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきりなしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主屋敷が六つもあってね。忘れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……そのころ、その六つの屋敷の花形
ジュヌ・プルミエ
で、人気の的だったのは、そら、ご紹介しますわ(ドールンをあごでしゃくって)――ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前ですもの、そのころときたら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそうと、そろそろ気が咎
とが
めてきた。可哀
かわい
そうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せがれや! コースチャ!
マーシャ あたし行って、捜してみましょう。
アルカージナ ええ、お願い。
マーシャ (左手へ行く)ほおい! トレープレフさん!……ほおい! (退場)
ニーナ (仮舞台のかげから出てきながら)もう続きはないらしいから、あたし出て行ってもいいのね。今晩は! (アルカージナおよびポリーナとキスを交す)
ソーリン ブラボー! ブラボー!
アルカージナ ブラボー! ブラボー! みんなで、感心していたんですよ。それだけの器量と、あんなすばらしい声をしながら、田舎に引っこんでらっしゃるなんて罪ですよ。きっと天分がおありのはずよ。ね、いいこと? 舞台に立つのは、あなたの義務よ!
ニーナ まあ、あたしの夢もそうなの! (ため息をついて)でも、実現しっこありませんわ。
アルカージナ そんなことあるもんですか。さ、ご紹介しましょう――こちらはトリゴーリンさん、ボリース・アレクセーエヴィチ。
ニーナ まあ、うれしい……(どぎまぎして)いつもお作は……
アルカージナ (彼女を自分のそばに坐らせながら)そう固くならないでもいいのよ。有名な人だけれど、気持のさっぱりしたかたですからね。ほら、あちらが却
かえ
って、あがってらっしゃるわ。
ドールン もう幕をあげてもいいでしょうな、どうも気づまりでいかん。
シャムラーエフ (大声で)ヤーコフ、ちょっくら一つ、幕をあげてくれんか! (幕あがる)
ニーナ (トリゴーリンに)ね、いかが、妙な芝居でしょう?
トリゴーリン さっぱりわからなかったです。しかし、面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな。
ニーナ ええ。
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じっと浮子
うき
を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、いったん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみなんか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。このかた、ひとから持ちあげられると、尻
しり
もちをつく癖がおありなの。
シャムラーエフ 忘れもしませんが、いつぞやモスクワのオペラ座でね、有名なあのシルヴァ(訳注 イタリアの歌手)が、うんと低いドの音を出したんです。ところがその時、折も折ですな、クレムリンの合唱隊のバスうたいが一人、天井桟敷
さじき
に陣どって見物してたんですが、とつぜん藪
やぶ
から棒に、いやどうも驚くまいことか、その天井桟敷から、「ブラボー、シルヴァ!」と、やってのけた――それが完全に一オクターブ低いやつでね。……まず、こんな具合、――(低いバスで)ブラボー、シルヴァ。……満場シーンとしてしまいましたよ。(間)
ドールン 静寂
しじま
の天使とびすぎぬ。(訳注 一座が急にシーンとしたときに言うことば)
ニーナ わたし、行かなくちゃ。さようなら。
アルカージナ どこへいらっしゃるの? こんなに早くから? 放しちゃあげませんよ。
ニーナ パパが待ってますから。
アルカージナ なんてパパでしょうね、ほんとに……(キスを交す)じゃ、仕方がないわ。お帰しするの、ほんとに残念だけれど。
ニーナ わたしだって、おいとまするの、どんなに辛いかわかりませんわ!
アルカージナ 誰かお送りするといいんだけれど、心配よ。
ニーナ (おどおどして)まあそんな、いいんですの!
ソーリン (哀願するように彼女に)もっと、いてくださいよ!
ニーナ 駄目
だめ
なんですの、ソーリンさん。
ソーリン せめて一時間――とまあいった次第でね。いいじゃありませんか、ほんとに……
ニーナ (ちょっと考えて、涙声で)いけませんわ! (握手して、足早に退場)
アルカージナ 気の毒な娘さんだこと、まったく。人の話だと、あの子の母親が亡

くなる前、莫大
ばくだい
な財産を一文のこらず、すっかりご主人の名義に書きかえたんですって。それを今度はあの父親が、後添いの名義にしてしまったもので、今じゃあの子、はだか同然の身の上なのよ。ひどい話ですわ。
ドールン さよう、あの子の親父
おやじ
さんは相当な人でなしでね、一言の弁解の余地もありませんや。
ソーリン (冷えた両手をこすりながら)われわれももう行こうじゃありませんか、皆さん。だいぶじめじめしてきたわい。わたしゃ、脚
あし
がずきずきする。
アルカージナ あんたの脚は、まるで木で作ったみたい。歩くのもやっとなのね。さ、参りましょう、みじめなお爺
じい
さん。(彼の腕をささえる)
シャムラーエフ (妻に片手をさしのべて)マダーム?
ソーリン ほら、また犬が吠

えている。(シャムラーエフに)お願いだが、なあシャムラーエフさん、あの犬を放してやるように言ってくださらんか。
シャムラーエフ 駄目ですな、ソーリンさん、穀倉に泥棒がはいると困りますからな。なにしろわたしのキビが納めてあるんでね。(並んで歩いているメドヴェージェンコに)完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。
メドヴェージェンコ 給料はどれくらいでしょうかね、クレムリンあたりの歌うたいだと?

ドールンのほか一同退場。

ドールン (ひとり)ひょっとすると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅
あか
い目玉があらわれた時にゃ、おれは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ。……ほう、先生やって来たらしいぞ。なるべく気の引立つようなことを言ってやりたいものだ。
トレープレフ (登場)もう誰もいない。
ドールン 僕がいます。
トレープレフ 僕を庭じゅう捜しまわってるんだ、あのマーシャのやつ。やりきれない女だ。
ドールン ねえトレープレフ君、僕は君の芝居が、すっかり気に入っちまった。ちょいとこう風変りで、しかも終りのほうは聞かなかったけれど、とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんですね。

トレープレフはぎゅっと相手の手を握り、いきなり抱きつく。

ドールン ひゅッ、なんて神経質な。涙をためたりしてさ。……僕の言いたいのはね、いいですか――君は抽象観念の世界にテーマを仰いだですね。これは飽

くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必ず、何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美しい。なんて蒼
あお
い顔をしてるの!
トレープレフ じゃあなたは――続けろと言うんですね?
ドールン そう。……しかしね、重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。君も知ってのとおり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情
ふぜい
を失わずに送ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたって味わうような精神の昂揚
こうよう
を、ひょっと一度でも味わうことができたとしたら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上
うわ
っ面
つら
や、それにくっついている一切を軽蔑
けいべつ
して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ないな。
トレープレフ お話中ですが、ニーナさんはどこでしょう?
ドールン それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭
めいりょう
な、ある決った思想がなければならんということだ。なんのために書くのか、それをちゃんと知っていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しながら道を歩いて行ったら、君は迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼすことになる。
トレープレフ (じれったそうに)どこにいるんです。ニーナさんは?
ドールン うちへ帰ったですよ。
トレープレフ (絶望的に)ああ、どうしよう? 僕はあの人に会いたいんだ。……ぜひ会わなくちゃ。これから行ってこよう……

マーシャ登場。

ドールン (トレープレフに)まあ落着きたまえ、君。
トレープレフ とにかく行ってきます。行かなくちゃならんのです。
マーシャ うちへおはいりになって、ねトレープレフさん。お母さまがお待ちかねよ。心配してらっしゃるわ。
トレープレフ そう言ってください、ぼくは出かけたって。君たちみんなも、どうぞ僕をほっといてくれたまえ! ほっといて! あとをつけ回さないでさ!
ドールン まあまあまあ、君……そんな滅茶
めちゃ
な。……いけないなあ。
トレープレフ (涙声で)さようなら、ドクトル。感謝します……(退場)
ドールン (ため息をついて)若い、若いなあ!
マーシャ ほかに言いようがなくなると、みなさんおっしゃるのね――若い、若いって……(かぎタバコをかぐ)
ドールン (タバコ入れを取上げて、茂みの中へ投げる)けがらわしい! (間)うちの中では、カルタをやってるらしい。どれ、行くとするか。
マーシャ ちょっと待って。
ドールン なんです?
マーシャ もう一ぺん、あなたに聞いて頂きたいことがあるの。ちょっと聞いて頂きたいの。……(興奮して)わたし、うちの父は好きじゃないけれど……あなたには、おすがりしていますの。なぜだか知らないけれど、わたし心底から、あなたが親身
しんみ
なかたのような気がしますの。……どうぞ助けてください。ね、助けて。さもないとわたし、ばかなことをしたり、自分の生活をおひゃらかして、滅茶々々にしちまうわ。……もうこれ以上わたし……
ドールン どうしたんです? 何を助けろと言うんです?
マーシャ わたし辛
つら
いんです。誰も、誰ひとり、この辛さがわかってくれないの! (相手の胸に頭を押しあて、小声で)わたし、トレープレフを愛しています。
ドールン なんてみんな神経質なんだ! なんて神経質なんだ! それに、どこもかしこも恋ばかしだ。……おお、まどわしの湖よ、だ! (やさしく)だって、この僕に一体、何がしてあげられます、ええ? 何が? え、何が?
――幕――
[#改ページ]

第二幕

クロケットのコート。右手奥に、大きなテラスのついた家。左手には湖が見え、太陽が反射してきらきらしている。そこここに花壇。まひる。炎暑。コートの横手、菩提樹
ぼだいじゅ
の老木のかげにベンチが一脚。それにアルカージナ、ドールン、マーシャがかけている。ドールンの膝
ひざ
には、本が開けてある。

アルカージナ (マーシャに)じゃ、立ってみましょう。(ふたり立ちあがる)こうして並んでね。あんたは二十二、わたしはかれこれその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて?
ドールン あなたです、もちろん。
アルカージナ そうらね……で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事に感じるからよ、しょっちゅう気を使っているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。……それにわたしには、主義があるの――未来を覗
のぞ
き見しない、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの。
マーシャ わたしは、こんな気がしますの――まるで自分が、もうずっと昔から生れているみたいな。お儀式用のあの長ったらしいスカートよろしく、自分の生活をずるずる引きずってるみたいな気がね。……生きようなんて気持が、てんでなくなることだってよくありますわ。(腰をおろす)でも、くだらないわね、そんなこと。奮起一番、こんな妄念
もうねん
は叩
たた
きださなくちゃいけないわ。
ドールン (小声で口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……(訳注 グーノーの歌劇『ファウスト』第三幕、ジーベルの詠唱より)

アルカージナ それにわたしは、イギリス人みたいにキチンとしているわ。わたしはね、いいこと、いわばピンと張りつめた気持でね、身なりだって髪かたちだって、いつも Comme il faut
しゃんとして
いますよ。一あし家
うち
を出るにしたって、よしんば、ほら、こうして庭へ出る時でも、――部屋着
ブルーズ
のまま髪も結わずに、なんてことがあったかしら? とんでもない。わたしがこうしていつまでも若くていられるのは、そこらの連中みたいにぐうたらな真似
まね
をしたり、自分を甘やかしたりしなかったおかげですよ。……(両手を腰にあてて、コートを歩きまわる)ほらね、――ピヨピヨ雛
ひよ
っ子よ。十五の小娘にだってなって見せるわ。
ドールン まあまあ、それはそうとして、僕は先を続けますよ。(本を手にとって)ええと、粉屋と鼠
ねずみ
のとこでしたね。……
アルカージナ その鼠のところ。読んでちょうだい。(腰かける)でも、貸してごらんなさい、わたしが読むわ。こんどはわたし。(本をうけ取って、眼でさがす)鼠と……ああここだ。……(読む)「だからもちろん、社交界の婦人たちが小説家をちやほやして、これを身辺へ近づけるがごときは、その危険なること、粉屋が鼠を納屋
なや
に飼っておくのと一般である。にもかかわらず、小説家は依然としてヒイキにされる。かくて、女性がこれぞと思う作家に狙
ねら
いをつけて、これをサロンに手なずけておこうという段になると、彼女はお世辞、お愛想、お追従
ついしょう
の限りをつくして包囲攻撃を加える」……ふん、フランスじゃそうかも知れないけれど、このロシアじゃ、そんな目論見
もくろみ
もへったくれもありゃしない。ロシアの女はまず大抵、作家を手に入れる前に、自分のほうが首ったけの大あつあつになっちまう。いやはやだわ。手近なところで、たとえばこのわたしとトリゴーリンだっても……

ソーリンが杖
つえ
にたよりながら登場。ならんでニーナ。そのあとからメドヴェージェンコが、空っぽの肘
ひじ
かけ椅子
いす
(訳注 車のついた)を押してくる。

ソーリン (子供をあやすような調子で)ああ、そうなの? 嬉
うれ
しくって堪
たま
らないの? 今日はみんな浮き浮きってわけかな、早い話が? (妹に)嬉しいことがあるんだよ! お父さんと、ままおっ母

さんが、トヴェーリへ行っちまったんで、ぼくたちまる三日というもの、のうのうと羽根がのばせるんだ。
ニーナ (アルカージナの隣に腰かけ、彼女に抱きつく)わたしほんとに幸福! これでもうわたし、あなた方のものですわ。
ソーリン (自分の肘かけ椅子にかける)今日はこの人、じつにきれいだなあ。
アルカージナ おめかしして、ほれぼれするみたい。(ニーナにキスする)でも、あんまり褒

め立てちゃいけないわ、鬼が妬

きますからね。トリゴーリンさんはどこ?
ニーナ 水浴び場で、釣りをしてらっしゃるの。
アルカージナ よく飽きないものねえ! (つづけて読もうとする)
ニーナ それ、なんですの?
アルカージナ モーパッサンの『水の上』よ。(二、三行ほど黙読する)ふん、あとはつまらない嘘
うそ
っぱちだ。(本を閉じる)わたし、なんだか気持が落着かない。うちの子は、一体どうしたんでしょうねえ? どうしてあんなつまらなそうな、けわしい顔つきをしてるんだろう? あの子はもう何日も、ぶっ続けに湖へばかり行っていて、わたしおちおち顔を見る時もないの。
マーシャ くさくさしてらっしゃるんですわ。(ニーナに向って、おずおずと)ねえ、あの人の戯曲をどこか、読んでくださらない!
ニーナ (肩をすくめて)あら、あれを? とてもつまんないのよ!
マーシャ (感激をおさえながら)あの人が自分で何か朗読なさると、眼が燃えるようにきらきらして、顔が蒼
あお
ざめてくるんですわ。憂
うれ
いをふくんだ、きれいな声で、身のこなしは詩人そっくり。

ソーリンのいびきが聞える。

ドールン ごゆるりと!
アルカージナ ねえ、ペトルーシャ!
ソーリン ああ?
アルカージナ 寝てらっしゃるの?
ソーリン いいや、どうして。

間。

アルカージナ あなたは療治をなさらない、いけないわ、兄さん。
ソーリン 療治したいのは山々だが、このドクトルが、してやろうとおっしゃらん。
ドールン 六十の療治ですか!
ソーリン 六十になったって、生きたいさ。
ドールン (吐き出すように)ええ! じゃ、カノコ草
そう
の水薬(訳注 カノコ草の根から製した鎮静剤)でもやるですな。
アルカージナ どこか、温泉にでも行ったらいいんじゃないかしら。
ドールン ほほう? 行くのもよし、行かないのもまたよしですな。
アルカージナ ややこしいわね。
ドールン ややこしいも何もない。はっきりしてますよ。

間。

メドヴェージェンコ ソーリンさんは、タバコをやめるべきでしょうな。
ソーリン くだらん。
ドールン いや、くだらんどころじゃない。酒とタバコは、個性を失わせますよ。シガー一本、ウオトカ一杯やったあとのあなたは、もはやソーリン氏ではなくて、ソーリン氏プラス誰かしら、なんです。自我がだんだんぼやけて、あなたは自分に対して、あたかも第三者――つまり“彼”に対するような態度になるわけです。
ソーリン (笑って)あんたは勝手に理屈をならべるがいいさ。人生の盛りを楽しんだ人だからね。ところが僕はどうだ? 司法省に二十八年も勤めはしたが、まだ生活をしたことがない、何一つ味わったことがない、早い話がね。だからさ、生きたくって堪らないのは、わかりきった話じゃないですか。あんたは腹がいっぱいで、泰然と構えていなさる。それで哲学に趣味をもちなさる。ところが僕は、生きたいものだから、夕食にシェリー〔酒〕をやったり、シガーをふかしたり、とまあいった次第でさ。それだけの事ですよ。
ドールン 命というものは、もっと大事に扱うものです。六十になって療治をしたり、若い時の楽しみが足りなかったと悔んだりするのは、失礼ながら軽率というものですよ。
マーシャ (立ちあがる)もう午食
おひる
の時間よ、きっと。(だらけた気力のない歩き方をする)足がしびれたわ。……(退場)
ドールン ああして行って、午食の前に〔ウオトカを〕二杯ひっかけるんだ。
ソーリン わが身に仕合せのない娘

だからね、可哀
かわい
そうに。
ドールン つまらんことを、ええ閣下。
ソーリン そらそれが、腹いっぱい食った人の理屈さ。
アルカージナ あーあ、およそ退屈といったら、この親愛なる田舎
いなか
の退屈さに、まさるものなしだわね! 暑くて、静かで、誰もなんにもせずに、哲学ばかりやって。……ねえ皆さん、こうしてごいっしょにいるのもいいし、お話を伺ってるのも楽しいわ。だけど……ホテルの部屋に引っこもって、書き抜きを詰めこむ時のほうが――どんなにましだか知れやしない!
ニーナ (感激して)すばらしいわ! わたし、わかりますわ。
ソーリン むろん、都会のほうがいいさ。書斎に引っこんでる。取次ぎなしには誰も通しはせん。用事は電話……往来にゃ辻
つじ
馬車が通る、とまあいった次第でな……
ドールン (口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……

シャムラーエフ登場。つづいて、ポリーナ。

シャムラーエフ ほう、皆さんお揃
そろ
いだ。こんにちは! (アルカージナの手に、つづいてニーナの手に接吻
せっぷん
する)ご機嫌うるわしくて何よりです。家内の話では、あなたのお伴
とも
をして今日、町へ出かけるそうですが、ほんとでしょうか?
アルカージナ ええ、そのつもりなの。
シャムラーエフ ふむ。……それも結構ですが、しかし何に乗って行かれますかな、奥さま? 今日はライ麦を運ぶ日なので、男衆はみんな手がふさがっております。それに一体、どんな馬を使うおつもりですな、ひとつ伺いたいもんで。
アルカージナ どんな馬? 知るもんですか――そんなこと!
ソーリン うちには、よそ行きのやつがあるはずだが。
シャムラーエフ (興奮して)よそ行きの? では、頸輪
くびわ
はどうすればいいのです? どこから持ってくればよろしいんです? こりゃ驚いた! さっぱりわからん! ねえ奥さん! 失礼ながら、わたしはあなたの才能を崇拝して、あなたのためなら、十年の命を投げだすのもいといませんが、しかし馬は絶対ご用だてできません!
アルカージナ でも、わたしがどうしても出かけなけりゃならないとしたらどう? 妙な話だこと!
シャムラーエフ 奥さん! あなたはわかっておいでなさらん、農家の経営というものが!
アルカージナ (カッとして)また例の御託
ごたく
が始まった! そんならよござんす、わたし今日すぐモスクワへ帰るから。村へ行って、馬をやとってくるよう言いつけてください。それも駄目なら、駅まで歩いて行きます!
シャムラーエフ (カッとして)そういうことなら、わたしは辞職します! べつの支配人をおさがしなさい! (退場)
アルカージナ 毎とし夏になると、こうだわ。毎夏、わたしはここへ来て厭
いや
な目にあわされるんだわ! もうここへは足ぶみもしない! (左手へ退場。そこに水浴び場がある気持。やがて、彼女が家に歩いて行くのが見える。そのあとにトリゴーリンが、釣竿
つりざお
と手桶
ておけ
をさげてつづく)
ソーリン (カッとして)理不尽にもほどがある! 一体なんたることだ! つくづくもう厭になったよ、早い話がな。即刻ここへ、ありったけの馬を出させるがいい!
ニーナ (ポリーナに)アルカージナさんのような、有名な女優さんにさからうなんて! そのお望みとあれば、たとえ気まぐれにしたって、お宅の経営よりか大切じゃありませんの? 呆
あき
れて物も言えないわ!
ポリーナ (身も世もあらず)どうしろとおっしゃるの? わたしの身にもなってちょうだい、どうすればいいと仰しゃるの?
ソーリン (ニーナに)さ、妹のところへ行きましょう。……みんなで、あれが発

って行かないように、頼んでみましょう。ね、どうです? (シャムラーエフの去った方角を見やって)まったくやりきれん男だ! 暴君だ!
ニーナ (彼の立とうとするのを遮
さえぎ
りながら)坐
すわ
ってらっしゃい、坐って。……わたしたちがお連れしますわ。……(メドヴェージェンコと二人で椅子を押す)ああ、ほんとに厭だこと!……
ソーリン そう、まったく厭なことだ。……でもね、あの男は出て行きはしない。わたしが今すぐ、話をつけるからね。(三人退場。ドールンとポリーナだけ残る)
ドールン 厄介
やっかい
な連中だなあ。本来なら、あんたのご亭主をポイとおっぽり出せばいいものを、それがとどのつまりは、あの年寄り婆
ばあ
さんみたいなソーリン先生が、妹とふたりがかりで、詫

びを入れるのが落ちですよ。まあ見てらっしゃい!
ポリーナ あの人は、よそ行きの馬まで野良
のら
へ出したんですの。それに、こんな行き違いは毎日のことなのよ。そのためどれほどわたしが苦労するか、わかってくだすったらねえ! これじゃ病気になってしまうわ。ほらね、顫
ふる
えがついてるわ。……わたし、あの人のがさつさには愛想がつきた。(哀願するように)エヴゲーニイ、ね、大事ないとしいエヴゲーニイ、わたしを引取ってちょうだい。……わたしたちの時は過ぎてゆくわ、おたがいもう若くはないわ。せめて一生のおしまいだけでも、かくれたり、嘘
うそ
をついたりせずにいたい……(間)
ドールン 僕は五十五ですよ、今さら生活を変えようたってもう遅い。
ポリーナ わかってるわ、そう言って逃げをお打ちになるのも、わたしのほかに、身近な女の人が、幾らもおありだからよ。みんな引取るわけにはいきませんものね。わかってますわ。こんなこと言ってご免なさい、もう飽きられてしまったのにね。

ニーナが家のほとりに現われる。彼女は花を摘む。

ドールン そんなばかなことが。
ポリーナ わたし、嫉妬
しっと
でくるしいのよ。そりゃ、あなたはお医者さんだから、婦人を避けるわけにはいかない。それはわかるけれど……
ドールン (近づいて来たニーナに)どうです。あちらの様子は?
ニーナ アルカージナさんは泣いてらっしゃるし、ソーリンさんはまた喘息
ぜんそく
よ。
ドールン (立ちあがる)どれ行って、カノコ草の水薬でも、ふたりに飲ませるか。……
ニーナ (彼に花をわたして)どうぞ!
ドールン こりゃどうも
メルシ・ビエン
。(家のほうへ行く)
ポリーナ (いっしょに行きながら)まあ、可愛
かわい
らしい花だこと! (家のほとりで、声を押し殺して)その花をちょうだい! およこしなさいったら! (花を受けとり、それを引きむしって、わきへ捨てる。ふたり家にはいる)
ニーナ (ひとり)有名な女優さんが、それもあんなつまらないことで泣くなんて、どう見ても不思議だわねえ! もう一つ不思議と言えば、名高い小説家で、世間の人気者で、わいわい新聞に書き立てられたり、写真が売りだされたり、外国で翻訳まで出ている人が、一日じゅう釣りばかりして、ダボハゼが二匹釣れたってにこにこしてるなんて、これも変てこだわ。わたし、有名な人って、そばへも寄れないほどえばりくさって、世間の人間を見くだしているものと思っていた。家柄だの財産だのを、無上のものと崇
あが
め奉
たてまつ
る世間にたいして、自分の名誉やぱりぱりの名声でもって、仕返しをする気なのだろうと思っていた。ところがどうでしょう、泣いたり、釣りをしたり、カルタをやったり、笑ったり、一向みんなと違やしない。……
トレープレフ (無帽で登場。猟銃と、鴎
かもめ
の死骸
しがい
を持つ)一人っきりなの?
ニーナ ええ、そう。

トレープレフ、鴎を彼女の足もとに置く。

ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似
まね
をした。あなたの足もとに捧
ささ
げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を持ちあげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいるとさも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしない、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうやら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわからないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になった、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦
ゆる
しませんからね。僕はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじめだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷たくなったのが、僕は怖
おそ
ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目がさめてみると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面へ吸いこまれてしまっていたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわからない、と言いましたね。ああ、なんのわかることがいるもんですか あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡なくだらん奴
やつ
らといっしょにしてるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるんだ! 僕は脳みそに、釘
くぎ
をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の血をまるで蛇
へび
みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪
のろ
われるがいいんだ。……(トリゴーリンが手帳を読みながら来るのを見て)そうら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱり本を持ってね。……(嘲弄
ちょうろう
口調で)「言葉、ことば、ことば」か……まだあの太陽がそばへこないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
トリゴーリン (手帳に書きこみながら)かぎタバコを用い、ウオトカを飲む。……いつも黒服と。教師が恋する……
ニーナ ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
トリゴーリン ご機嫌よう。じつは思いがけない事情のため、われわれはどうやら今日発

つことになりそうです。あなたとまたいつお会いできるかどうか。いや、残念です。わたしは、ごくたまにしか若いお嬢さん――若くてしかもきれいなお嬢さんに、会う機会がないもので、十八、九の年ごろには一体どんな気持でいるものか、とんと忘れてしまって、どうもはっきり頭に浮ばんのです。だから、わたしの作品に出てくる若い娘たちは、大抵作りものですよ。わたしはせめて一時間でもいいから、あなたと入れ代りになって、あなたの物の考え方や、全体あなたがどういう人かを、とっくり知りたいと思いますよ。
ニーナ わたしは、ちょいちょいあなたと入れ代りになってみたいわ。
トリゴーリン なぜね?
ニーナ 有名な、りっぱな作家が、どんな気持でいるものか、知りたいからですわ。有名って、どんな気がするものかしら? ご自分が有名だということを、どうお感じになりまして?
トリゴーリン どうって? まあ別になんともないでしょうね。そんなこと、ついぞ考えたこともありませんよ。(ちょっと考えて)二つのうち、どっちかですな――わたしの名声をあなたが大げさに考えているか、それとも、名声というものがおよそ実感としてピンとこないかね。
ニーナ でも、自分のことが新聞に出ているのをご覧になったら?
トリゴーリン 褒

められればいい気持だし、やっつけられると、それから二日は不機嫌を感じますね。
ニーナ すばらしい世界だわ! どんなにわたし羨
うらや
ましいか、それがわかってくだすったらねえ! 人の運命って、さまざまなのね。退屈な、人目につかない一生を、やっとこさ曳

きずっている、みんな似たりよったりの、不仕合せな人たちがいるかと思うと、一方にはあなたのように、――百万人に一人の、面白い、明るい、意義にみちた生活を送るめぐり合せの人もある。あなたはお仕合せですわ。……
トリゴーリン わたしがね? (肩をすくめて)ふむ。……あなたは、名声だの幸福だの、何かこう明るい面白い生活だのと仰しゃるが、わたしにとっては、そんなありがたそうな言葉はみんな、失礼ながら、わたしが食わず嫌いで通しているマーマレードと同じですよ。あなたはとても若くて、とても善良だ。
ニーナ あなたの生活は、すてきな生活ですわ!
トリゴーリン べつにいいとこもありませんねえ。(時計を出して見る)わたしは、これから行って書かなければならん。ま赦
ゆる
してください、暇がないんです。……(笑う)あなたはね、世間で言う「人の痛い肉刺
まめ
」を、ぐいと踏んづけなすった。そこでわたしは、このとおり興奮して、いささか向っ腹を立てているんです。だがまあ、しばらくお話しましょうか。そのわたしの、すばらしい、明るい生活のことをね。……さてと、何から始めたものか? (やや考えて)強迫観念というものがありますね。人がたとえば月なら月のことを、夜も昼ものべつ考えていると、それになるのだが、わたしにもそんな月があるんです。夜も昼も、一つの考えが、しつこく私にとっついて離れない。それは、書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ……というやつです。やっと小説を一つ書きあげたかと思うと、なぜか知らんがすぐもう次のに掛からなければならん、それから三つ目、三つ目のお次は四つ目……といった具合。まるで駅逓
えきてい
馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに打つ手がない。そのどこがすばらしいか、明るいか、ひとつ伺いたいものだ。いやはや、野蛮きわまる生活ですよ! 今こうしてあなたとお喋
しゃべ
りをして、興奮している。ところがその一方、書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるんです。ほらあすこに、グランド・ピアノみたいな恰好
かっこう
の雲が見える。すると、こいつは一つ小説のどこかで使ってやらなくちゃ、と考える。グランド・ピアノのような雲がうかんでいた、とね。ヘリオトロープの匂
にお
いがする。また大急ぎで頭
ここ
へ書きこむ。甘ったるい匂
にお
い、後家さんの色、こいつは夏の夕方の描写に使おう、とね。こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱしから捕
つか
まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使えるかも知れんぞ! というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げだす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこい、そうは行かない。頭のなかには、すでに新しい題材という重たい鉄のタマがころげ回って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、われとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼりぼり食っているような気持です。何者か漠然
ばくぜん
とした相手に蜜
みつ
を与えようとして、僕は自分の選

り抜きの花から花粉をかき集めたり、かんじんの花を引きむしったり、その根を踏み荒したりしているみたいなものです。それで正気と言えるだろうか? 身近な連中や知り合いが、果してわたしをまともに扱ってくれてるだろうか? 「いま何を書いておいでです? こんどはどんなものです?」聞くことと言ったら同じことばかり。それでわたしは、知り合いのそんな注目や、讃辞
さんじ
や、随喜の涙が、みんな嘘っぱちで、寄ってたかってわたしを病人あつかいにして、いい加減な気休めを言っているみたいな気がする。うかうかしてると、誰かうしろから忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン(訳注 ゴーゴリの『狂人日記』の主人公)みたいに、気違い病院へぶちこむんじゃないかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、まだ若くて、生気にあふれていた時代はどうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続でしたよ。駆けだしの文士というものは、殊
こと
に不遇な時代がそうですが、われながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神経ばかりやたらに尖
とが
らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人たちのまわりを、ふらふらうろつき回らずにはいられない。認めてももらえず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと見る勇気もなく――まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといったざまです。わたしは自分の読者に会ったことはなかったけれど、なぜかわたしの想像では、不愛想な疑ぐりぶかい人種のように思えましたね。わたしは世間というものが恐
こわ
かった。ものすごい怪物のような気がした。自分の新作物が上演されるようなことになると、いつもきまって、黒い髪の毛の人は敵意を抱
いだ
いている、明るい髪の毛の人は冷淡な無関心派だと、そんな気がしたものです。思いだしてもぞっとする! じつになんとも言えない苦しみでした!
ニーナ ちょっとお待ちになって。でも、感興が湧

いてきた時や、創作の筆がすすんでいる時は、崇高な幸福の瞬間をお味わいになりません?
トリゴーリン それはそうです。書いているうちは愉快です。校正をするのも愉快だな。だが……いざ刷りあがってしまうと、もう我慢がならない。こいつは見当が狂った、しくじった、いっそ書かないほうがよかったのだと、むしゃくしゃして、気が滅入
めい
るんですよ。……(笑う)ところが、世間は読んでくれて、「なるほど、うまい、才筆だな」とか、「うまいが、トルストイには及びもつかんね」とか、「よく書けてる、しかしツルゲーネフの『父と子』のほうが上だよ」とか、仰
おお
せになる。といったわけで、結局、墓にはいるまでは、明けても暮れても「うまい、才筆だ」「うまい、才筆だ」の一点ばりで、ほかに何にもありゃしない。さて死んでしまうと、知り合いの連中が墓のそばを通りかかって、こう言うでしょうよ。「ここにトリゴーリンが眠っている。いい作家だったが、ツルゲーネフには敵
かな
わなかったね」
ニーナ でもちょっと。わたし、そんなお話は頂きかねますわ。あなたは、成功に甘えてらっしゃるんだわ。
トリゴーリン どんな成功にね? わたしはついぞ、自分でいいと思ったことはありませんよ。わたしは作家としての自分が好きじゃない。何よりも悪いことに、わたしは頭がもやもやしていて、自分で何を書いているのかわからないんです。……わたしはほら、この水が好きだ。木立や空が好きだ。わたしは自然をしみじみ感じる。それはわたしの情熱を、書かずにいられない欲望をよび起す。ところがわたしは、単なる風景画家だけじゃなくて、その上に社会人でもあるわけだ。わたしは祖国を、民衆を愛する。わたしは、もし自分が作家であるならば、民衆や、その苦悩や、その将来について語り、科学や、人間の権利や、その他いろんなことについても語る義務がある、と感じるわけです。そこでわたしは、何もかも喋
しゃべ
ろうとあせる。わたしは四方八方から駆り立てられ、叱
しか
りとばされ、まるで猟犬に追いつめられた狐
きつね
さながら、あっちへすっ飛び、こっちへすっ飛びしているうちに、みるみる人生や科学は前へ前へと進んで行ってしまい、わたしは汽車に乗りおくれた百姓みたいに、ずんずんあとにとり残される。で、とどのつまりは、自分にできるのは、自然描写だけだ、ほかのことにかけては一切じぶんはニセ物だ、骨の髄までニセ物だ、と思っちまうんですよ。
ニーナ あなたは過労のおかげで、自分の値打ちを意識するひまも気持も、ないんですわ。たとえご自分に不満だろうとなんだろうと、ほかの人にとってはあなたは偉大でりっぱな方なのよ! もしわたしが、あなたみたいな作家だったら、自分の全生命を民衆に捧
ささ
げてしまうわ。でも心のなかでは、民衆の幸福はただ、わたしの所まで向上してくることだと、はっきり自覚しますわ。すると民衆は、わたしを祭礼の馬車に乗せて引きまわしてくれるわ。
トリゴーリン ほう、祭礼の馬車か。……アガメンノンですかね、このわたしが! (ふたり微笑する)
ニーナ 女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲の者に憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに堪えてみせますわ。屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだってかまわない。その代り、わたしは要求するのよ、名声を……ほんとうの、割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする……ああ!
アルカージナの声 (家の中から)トリゴーリンさん!
トリゴーリン わたしを呼んでいる。きっと荷づくりでしょう。だが、発

ちたくないなあ。(湖の方を振返って)なんという自然の恩恵だ!……すばらしい!
ニーナ 向う岸に、家と庭が見えるでしょう?
トリゴーリン ええ。
ニーナ あれが、亡

くなった母の屋敷です。わたし、あすこで生れたの。それからずっと、この湖のそばで暮しているものだから、どんな小さな島でもみんな知っていますわ。
トリゴーリン ここはまったくすばらしい! (鴎
かもめ
を見とめて)なんです、これは?
ニーナ かもめよ。トレープレフさんが射

ったの。
トリゴーリン きれいな鳥だ。いや、どうも発ちたくないなあ。ひとつアルカージナさんを説きつけて、もっといるようにしてください。(手帳に書きこむ)
ニーナ なに書いてらっしゃるの?
トリゴーリン ちょっと書きとめとくんです。……題材が浮んだものでね。……(手帳をしまいながら)ほんの短編ですがね、湖のほとりに、ちょうどあなたみたいな若い娘が、子供の時から住んでいる。鴎のように湖が好きで、鴎のように幸福で自由だ。ところが、ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、娘を破滅させてしまう――ほら、この鴎のようにね。

間。――やがて窓にアルカージナが現われる。

アルカージナ トリゴーリンさん、どこにいらっしゃるの?
トリゴーリン 今すぐ! (行きかけて、ニーナを振返る。窓のそばでアルカージナに)なんです?
アルカージナ わたしたち、このままいることにしますわ。

トリゴーリン、家へはいる。

ニーナ (脚光ちかく歩みよる。やや沈思ののちに)夢だわ!
――幕――
[#改ページ]

第三幕

ソーリン家の食堂。左右にドア。食器棚
だな
。薬品の戸棚。部屋の中央にテーブル。旅行カバンが一つ、帽子のボール箱が幾つか。出立
しゅったつ
の用意が見てとられる。トリゴーリンが朝食(訳注 だいたい早おひるの時刻)をしたため、マーシャはテーブルのそばに立っている。

マーシャ これはみんな、作家としてのあなたにお話しするんです。お使いになってもかまいません。良心にかけて言いますけれど、あの人の傷が重傷だったら、わたし一分間たりと生きてはいなかったでしょう。でも、わたしはこれで勇気があります。だから、きっぱり決心しました。この恋を胸
ここ
から引っこ抜いてしまおうと。根ごと一思いにね。
トリゴーリン どんな具合にね?
マーシャ 嫁に行くんです。メドヴェージェンコのところへ。
トリゴーリン あの教師
せんせい
のところへね?
マーシャ ええ。
トリゴーリン わからんな。なんの必要があって。
マーシャ 望みもないのに恋をして、何年も何年も何か待っているなんて……。いったん嫁に行ってしまえば、もう恋どころじゃなくなって、新しい苦労で古いことはみんな消されてしまう。それだけでも、ね、変化じゃありませんか。いかが、もう一つ?
トリゴーリン 過ぎやしないかな?
マーシャ なあに、平気! (一杯ずつつぐ)そんなに人の顔を見ないでください。女というものは、あなたの考えてらっしゃるより、よく飲みますわよ。わたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけれど、こっそり飲むのは大勢いますわ。そうよ。しかもきまって、ウオトカかコニャックですわ。(杯を当てて)プロジット! あなたは、さっぱりした方ね。お別れするの残念ですわ。(ふたり飲みほす)
トリゴーリン わたしだって、発

ちたくはないんだが。
マーシャ だからあの人に、もっといるようにお頼みになったら。
トリゴーリン いや、もういるつもりはないでしょう。なにしろあの息子
むすこ
が、でたらめばかりやらかすんでね。ピストル自殺をやりかけたと思えば、今度はこのわたしに、決闘を申しこむとかなんとかいう話だ。一体なんのためかな? ふくれたり、鼻を鳴らしたり、新形式論をまくし立てたり……。いや、座席はまだたっぷりあいている。新しいものにも古いものにもね、――何も押し合うことはない。
マーシャ それに嫉妬
しっと
も手伝ってね。でも、わたしの知った事じゃないわ。

間。ヤーコフが左手から右手へ、トランクをさげて通る。ニーナが登場して、窓ぎわに立ちどまる。

マーシャ わたしのあの教師
せんせい
は、大してお利口さんじゃないけれど、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにとてもわたしを愛してくれるの。いじらしくなりますわ。年とったお母さんも、可哀
かわい
そうだし、では、ご機嫌よろしゅう。わるくお思いにならないでね。(かたく握手する)ご親切にいろいろありがとうございました。ご本が出たらお送りくださいね、きっと署名なすってね。ただ、「わが敬愛する」なんてしないで、ただあっさり、「身もとも不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」としてね。さようなら! (退場)
ニーナ (握り挙
こぶし
にした片手を、トリゴーリンのほうへさしのべながら)偶数? 奇数?
トリゴーリン 偶数。
ニーナ (ため息をついて)いいえ。手の中には、豆が一つしかないの。わたし占ってみたのよ、女優になろうか、なるまいかって。誰か、こうしたらと言ってくれるといいんだけれど。
トリゴーリン そんなこと、言える人があるものですか。(間)
ニーナ お別れですわね……多分もう二度とお目にかかる時はないでしょう。どうぞ記念に、この小さなロケットをお受けになって。あなたの頭文字
かしらもじ
を彫らせましたの……こちら側には『昼と夜』と、あなたのご本の題をね。
トリゴーリン じつに優美だ! (ロケットに接吻
せっぷん
する)何よりの贈物です!
ニーナ 時にはわたしのことも思い出してね。
トリゴーリン 思い出しますとも。その思い出すのは、あの晴れた日のあなたの姿でしょうよ――覚えてますか?――一週間まえ、あなたが薄色の服を着てらした時のことを……いろんな話をしましたっけね……それにあの時、ベンチに白い鴎
かもめ
がのせてあった。
ニーナ (物思わしげに)ええ、かもめが……(間)もうお話してはいられません、人が来ます。……お発ちになる前、二分だけわたしにくださいまし、お願い。……(左手へ退場。同時に右手から、アルカージナ、燕尾服
えんびふく
に星章をつけたソーリン、それから荷作りに大童
おおわらわ
のヤーコフが登場)
アルカージナ お年寄りは、ここにじっとしてらっしゃいよ。そんなリョーマチのくせに、お客に出あるく法があるものですか? (トリゴーリンに)いま出て行ったのは誰? ニーナですの?
トリゴーリン ええ。
アルカージナ 失礼
パルドン
、お邪魔しましたわね……(腰をおろす)さあ、どうにかすっかり片づいた。へとへとよ。
トリゴーリン (ロケットの字を読む)『昼と夜』、百二十一ページ、十一と二行。
ヤーコフ (テーブルの上を片づけながら)釣竿
つりざお
もやはり入れますんで?
トリゴーリン そう、あれはまだ要

るからね。本はみな誰かにやってくれ。
ヤーコフ かしこまりました。
トリゴーリン (ひとりごと)百二十一ページ、十一と二行。はて、あすこには何が書いてあったっけ? (アルカージナに)この家に、わたしの本があったかしら?
アルカージナ 兄の書斎の、隅
すみ
っこの棚にありますよ。
トリゴーリン 百二十一ページと……(退場)
アルカージナ ね、ほんとにペトルーシャ、ここにじっとしていらっしゃいよ……
ソーリン お前たちが発

って行くと、あとにぽつねんとしてるのは辛
つら
くてな。
アルカージナ じゃ、町へ行けばどうなの?
ソーリン 格別どうということもないが、だがやっぱりな……(笑う)県会の建物の建て前もあるし、とまあいった次第でな。……せめて一時間でも二時間でも、この穴ごもりのカマス(訳注 シチェドリーンの童話『かしこいカマス』より)みたいな生活から飛び出したいんだよ。そうでもしないと、わたしは古パイプみたいに、棚のすみですっかり埃
ほこり
まみれだからな。一時に馬車を回すように言いつけたから、いっしょに出かけよう。
アルカージナ (間をおいて)じゃ、ここでお暮しなさいね、退屈がらずに、お風邪
かぜ
を召さずにね。あの子の監督をおねがいしますよ。よく気をつけてやってね。導いてやってね。(間)こうしてわたしが発ってゆけば、なぜコンスタンチンがピストル自殺をしようとしたのか、それも知らずじまいになるのね。どうやらわたしには、おもな原因は嫉妬
しっと
だったような気がする。だから一刻も早くトリゴーリンを、ここから連れ出したほうがいいのよ。
ソーリン さあ、なんと言ったものかな? ほかにも原因はあったろうさ。論より証拠――若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎
いなか
ぐらしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないときてるんだからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮しが、恥ずかしくもあり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛
かわい
くてならんし、あれのほうでもわたしに懐
なつ
いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分がこの家の余計もんだ、居候
いそうろう
だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、だいいち自尊心がな……
アルカージナ あの子には、ほんとに泣かされるわ! (考えこんで)勤めに出てみたらどうかしら……
ソーリン (口笛を鳴らし、やがてためらいがちに)わたしはね、いちばんの上策は、もしもお前が……あの子に少しばかり金を持たしてやったらどうかと思うよ。何はさておき、あの子も人並の身なりはせにゃならんし、とまあいった次第でな。見てごらん、着たきり雀
すずめ
のぼろフロックを、これでもう三年ごし引きずって、外套
がいとう
も着てない始末じゃないか。……(笑う)それに若い者にゃ、少し気晴らしをさせるもよかろうて。……ひとつ外国へでも出してみるかな。……なあに、大して金もかかるまい。
アルカージナ でもねえ。……まあ、服ぐらいは作ってやれるでしょうけど、外国まではねえ。……いいえ、今のところは、服だって駄目だわ。(きっぱりと)わたし、お金がありません!

ソーリン笑う。

アルカージナ ないのよ!
ソーリン (口笛を鳴らす)なるほどな。いやご免ご免、堪忍
かに
しておくれ。お前の言うとおりだろうとも。……お前は気前のいい、鷹揚
おうよう
な女だからな。
アルカージナ (涙ぐんで)わたし、お金がありません!
ソーリン わたしに金さえありゃ、論より証拠、ぽんとあれに出してやるがな、あいにくとすってけてん、五銭玉一つない。(笑う)わたしの恩給は、のこらず支配人が取りあげおって、農作だ牧畜だ蜜蜂
みつばち
だと使いまわす。そこでわたしの金は、元も子もなくなっちまう。蜂は死ぬ、牛もくたばる。馬だって、ついぞわたしに出してくれたためしがない。……
アルカージナ それはわたしだって、お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣裳
いしょう
代だけでも身代かぎりしちまうわ。
ソーリン お前はいい子だ、可愛い女だ。……わたしは尊敬しているよ。……そうとも。……だが、わたしはまた、どうもなんだか……(よろめく)目まいがする。(テーブルにつかまる)気持が悪い、とまあいった次第でな。
アルカージナ (仰天して)ペトルーシャ! (懸命に彼をささえながら)ペトルーシャ、しっかりして……(叫ぶ)誰か来て。誰か早く!……

頭に包帯したトレープレフと、メドヴェージェンコ登場。

アルカージナ 気持が悪くなったのよ!
ソーリン いやなに、なんでもない……(ほほえんで、水を飲む)もう直った……とまあいった次第でな。……
トレープレフ (母親に)びっくりしないで、ママ、べつに危険はないから。伯父さんは近ごろちょいちょい、これが起るんです。(伯父に)伯父さん、少し横になるんですね。
ソーリン うん、ちょっぴりな。……だが、とにかく町へは行くよ。……ひと休みして出かける……論より証拠だ……(杖
つえ
にすがりながら歩く)
メドヴェージェンコ (腕を支えてやりながら)こんな謎々
なぞなぞ
がありますよ。朝は四つ足、昼は二本足、夕方は三本足……
ソーリン (笑う)そのとおり。そして、夜にゃ仰向けか。いやありがとう、もう一人で行けますよ……
メドヴェージェンコ ほらまた、そんな遠慮を!……(彼とソーリン退場)
アルカージナ ああ、びっくりした!
トレープレフ 伯父さんには、田舎ぐらしが毒なんだ。くさくさするんですよ。もしママが、気前よくポンと千五百か二千貸してあげたら、あの人まる一年は町で暮せるのになあ。
アルカージナ わたしにお金があるもんですか。わたしは女優で、銀行家じゃないもの。

間。

トレープレフ ママ、包帯を換えてくれませんか。あなたは上手
じょうず
だから。
アルカージナ (薬品戸棚からヨードホルムと包帯箱を取り出す)ドクトルは遅いこと。
トレープレフ 十時ごろって言ってたのに、もうお午
ひる
だ。
アルカージナ お坐
すわ
り。(彼の頭から包帯をとる)まるでターバンをしてるみたいだねえ。きのう、よそ者が台所へ来て、お前のことをなに人
じん
かと聞いていたっけ。でも、ほとんどもう癒
なお
ったようだね。あとはほんのちょっぴりだ。(彼の頭に接吻
せっぷん
する)わたしがいなくなってから、またパチンとやりはしないだろうね?
トレープレフ やりゃしませんよ、ママ。あのとき僕、とてつもなく絶望しちまって、つい自制できなかったんです。もう二度とやりはしません。(母の手に接吻する)ああ、この手――お母さんは、じつにまめな人ですね。おぼえてますよ、ずっと昔のこと、あなたがまだ国立の劇場に出ていたころ、――僕はほんの子供だったけれど、――アパートの中庭でけんかがあって、店子
たなこ
の洗濯女がひどくなぐられたことがあったっけ。ね、おぼえてますか? 気絶したその女を、みんなで抱きあげて……それからお母さんは、しじゅうその女を見舞いに行って、薬を持ってってやったり、子供たちに桶
おけ
で行水を使わしたりしましたね。あれ、おぼえてないかしら?
アルカージナ 忘れたわ。(新しい包帯を巻いてやる)
トレープレフ うちと同じアパートに、あのころバレリーナが二人住んでいて……よくお母さんのところへ、コーヒーを飲みに来たっけ……
アルカージナ それは、おぼえていますよ。
トレープレフ ふたりとも、じつに信心ぶかい人でしたね。(間)このごろ、あれ以来の幾日かというもの、僕はまるで子供のころに返ったみたいに、甘えたいような気持で、ただもう一すじに、お母さんを愛しています。あなたのほかに、今じゃ僕には誰ひとりいないんです。ただね、なんだってお母さんは、あんな男に引きずり回されるんです、なぜです?
アルカージナ お前は、あの人がわからないんだよ。えコンスタンチン。あの人は、人格の高いりっぱな人ですよ……
トレープレフ ところが、僕が決闘を申しこもうとしていると人から聞くと、人格者たちまち変じて卑怯者
ひきょうもの
になっちまったってね。いよいよ発

つんでしょう。見ぐるしい脱走だ!
アルカージナ ばかをお言い! ここを発つように頼んだのは、このわたしですよ。
トレープレフ 人格の高いりっぱな人か! やっこさんのおかげで、このとおり母子
おやこ
げんかになりかけてるというのに、今ごろご本人は客間か庭のどこかで、われわれをせせら笑っていることでしょうよ……ニーナを大いに啓発して、彼こそ天才だということを、徹底的にあの子の胸に叩
たた
きこもうと、大童の最中でしょうよ。
アルカージナ お前は、わたしに厭
いや
がらせを言うのが楽しみなんだね。わたしはあの人を尊敬しているのだから、わたしの前じゃあの人のことを悪く言わないでもらいたいね。
トレープレフ ところが僕は尊敬していない。お母さんは、僕にまであの男を天才だと思わせたいんでしょうが、僕は嘘
うそ
がつけないもんで失礼――あいつの作品にゃ虫酸
むしず
が走りますよ。
アルカージナ それが妬
ねた
みというものよ。才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ!
トレープレフ (皮肉に)ほんものの天才か! (憤然として)こうなったらもう言っちまうが、僕の才能は、あんたがたの誰よりも上なんだ! (頭の包帯をむしりとる)あんたがた古い殻
から
をかぶった連中が、芸術の王座にのしあがって、自分たちのすることだけが正しい、本物だと極

めこんで、あとのものを迫害し窒息させるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか! 断じて認めないぞ、あんたも、あいつも!
アルカージナ デカダン……!
トレープレフ さっさと古巣の劇場
こや
へ行って、気の抜けたやくざ芝居にでも出るがいいや!
アルカージナ 憚
はばか
りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わたしにはかまわないどくれ! お前こそ、やくざな茶番
ボードビル
ひとつ書けないくせに。キーエフの町人! 居候
いそろう

トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!

トレープレフ腰をおろして、静かに泣く。

アルカージナ いくじなし! (興奮してふらふら歩きながら)泣くんじゃない。泣かないでもいいの。……(泣く)いいんだよ。……(息子
むすこ
の額や頬や頭にキスする)可愛いわたしの子、堪忍
かに
しておくれ。……罪ぶかいお母さんを赦
ゆる
しておくれ。不仕合せなわたしを赦しておくれ。
トレープレフ (母親を抱いて)僕の気持がお母さんにわかったらなあ! 僕は何もかも、すっかり失

くしてしまった。あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……
アルカージナ そう気を落すんじゃない。……みんなうまく行きますよ。あの人は今すぐ発っていくし、あの子もまたお前が好きになるよ。(息子の涙を拭

いてやる)さ、もういい。これで仲直りよ。
トレープレフ (母親の手にキスして)ええ、ママ。
アルカージナ (やさしく)あの人とも仲直りしてね。決闘なんぞいるものかね。……ね、そうだね。
トレープレフ え、いいです。……ただね、ママ、あの男と顔を合せないで済むようにしてください。思っただけでも辛いんです……とても駄目なんです……(トリゴーリン登場)ほら来た。僕出ていきます。……(手早く薬品を戸棚にしまう)包帯はいずれ、ドクトルにしてもらいます……
トリゴーリン (本のページをさがしながら)百二十一ページ……十一と二行。……これだ。……(読む)「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」

トレープレフ、床の包帯をひろって退場。

アルカージナ (時計をちらと見て)そろそろ馬車が来ますよ。
トリゴーリン (ひとりごと)もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。
アルカージナ あなたの荷づくりは、もうできたでしょうね?
トリゴーリン (もどかしげに)ええ、ええ……(考えこんで)この清らかな心の呼びかけのなかに、なぜおれには悲哀の声が聞えるんだろう。なぜおれの胸は、切ないほどに緊

めつけられるんだろう?……もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。(アルカージナに)もう一日、いようじゃないか!

アルカージナ、かぶりを振る。

トリゴーリン ね、いようじゃないか!
アルカージナ あなた、何に後ろ髪を引かれてらっしゃるか、わたしちゃんと知っていますよ。でも、自制力がなくちゃ駄目。ちょっぴり酔ってらっしゃる、正気におなりなさい。
トリゴーリン 君もひとつ正気になってもらいたいな。聡明
そうめい
な、分別のある人間になって、お願いだから、この問題をじっくり見ておくれ、真実の友としてね。……(女の手を握って)君は犠牲になれる人だ。……僕の親友になってくれ、僕を行かせておくれ……
アルカージナ (すっかり興奮して)そんなに夢中なの?
トリゴーリン どうしても惹

きつけられるんだ! ひょっとすると、これこそ僕の求めていたものかも知れない。
アルカージナ たかが田舎娘の愛がね? あなたはなんて自分を知らないんでしょうね!
トリゴーリン 時どき人間は、歩きながら眠ることがある。まさにそのとおりこの僕も、こうして君と話をしていながら、じつはうとうとして、あの子の夢を見ているようなものだ。……なんともいえない甘い夢想の、とりこになってしまったんだ。……行かせておくれ。
アルカージナ (ふるえながら)厭
いや
、厭。……わたしは平凡な女だから、そんな話は、お門
かど
ちがいよ。……いじめないで、わたしを、ボリース。……わたし、こわい……
トリゴーリン その気になりさえすりゃ、非凡な女になれるんだ。幻の世界へ連れていってくれるような、若々しい、うっとりさせる、詩的な愛――この世でただそれだけが、幸福を与えてくれるのだ! そんな愛を、僕はまだ味わったことがない。……若いころは、雑誌社へお百度をふんだり、貧乏と闘ったりで、そんなひまがなかった。今やっとそれが、その愛が、ついにやってきて、手招きしているんだ。……それを避けなければならん理由が、どこにある?
アルカージナ (憤然と)気がちがったのね!
トリゴーリン それでもかまわん。
アルカージナ あんたがたは今日、言い合せたように、寄ってたかってわたしをいじめるのね! (泣く)
トリゴーリン (自分の頭をかかえて)わかってくれない! てんでわかろうとしないんだ!
アルカージナ ほんとにわたし、そんなに老

けて、みっともなくなってしまったの? わたしの前で、ほかの女の話を大っぴらにやれるなんて! (男を抱いてキスする)ああ、あなたは正気じゃないのよ! わたしの大事な、いとしいひと……。あなたこそ――わたしの一生の最後のページよ! (ひざまずく)わたしの悦
よろこ
び、わたしの誇り、わたしの無量の幸福……(彼の膝
ひざ
を抱く)たとえ一時間でもあなたに棄

てられたら、わたしは生きちゃいない、気がちがってしまう。わたしのすばらしい、輝かしい人、わたしの王さま……
トリゴーリン 人が来ますよ。(女をたすけ起す)
アルカージナ いいじゃないの。あなたを愛しているこの気持が、誰に恥ずかしいものですか。(男の両手にキスする)わたしの大事な宝もの、向う見ずな悪いひと、あなたはばかなまねがしたいんでしょうけれど、わたしは厭
いや
です、放しません。……(笑う)あなたは、わたしのものなの、わたしのものよ。この額
ひたい
もわたしのもの。この眼もわたしのもの。このきれいな、絹のような髪の毛も、やっぱりわたしのもの。……あなたはすっかり、わたしのもの。あなたは本当に天才で、聡明で、今のどの作家よりもりっぱで、ロシアのただ一つの希望なのよ。……あなたの筆には、まごころがこもって、じつにすっきりして、新鮮で、おまけに健康なユーモアがあるわ。……あなたはほんの一刷毛
はけ
で、人物や風景のカン所が出せるのね。あなたの人物は生きているわ。あなたのものを読んで、夢中になれずにいられるものですか! これがお世辞だと思うの? わたしのおべっかなの? さ、わたしの眼を見てちょうだい……よく見て……。わたしが嘘
うそ
つきに見えて? そらごらんなさい、あなたの偉さのわかるのは、わたしだけよ。本当のことをあなたに言うのも、わたしだけよ、ね、大事な、可愛
かわい
いひと。……発

つでしょうね? そうでしょ? わたしを棄てはしないことね?
トリゴーリン おれには自分の意志というものがない。……おれはついぞ、自分の意志をもった例
ため
しがないのだ。……気の抜けた、しんのない、いつも従順な男――一体これで女にもてるものだろうか? さ、つかまえて、どこへなり連れて行ってくれ。ただね、一足もそばから放すんじゃないぞ……
アルカージナ (ひとりごと)これで、わたしのものだ。(けろりと、どこを風が吹くといった調子で)でもね、もしお望みなら、お残りになってもいいことよ。わたしは一人で発つから、あなたはあとで、一週間もしたら帰ってらっしゃい。あなたはべつに、急ぐ用もないんですものね。
トリゴーリン いや、こうなったらいっしょに発とう。
アルカージナ お好きなように。いっしょならいっしょでいいわ。……(間)

トリゴーリン、手帳に書きこむ。

アルカージナ なんですの、それ?
トリゴーリン けさ、うまい言い方を聞いたもんでね。「処女の林……」だとさ。これは使える。(伸びをする)じゃ、出かけるんだね? また汽車か、停車場、食堂、カツレツ、おしゃべり……
シャムラーエフ (登場)まことに残念ながら、申しあげます、馬車をお回ししました。どうぞ奥さま、停車場へお出かけの時刻です。汽車は二時五分に着きます。それではアルカージナさま、おそれいりますが、役者のスズダーリツェフが今どこにいますか、お忘れなくお調べねがいますよ。生きているかな? 達者ですかな? むかしはいっしょに飲んだものでしたっけ。あの『郵便強盗』(訳注 十九世紀末のメロドラマの題)なんかやらせると、天下一品でしたな。……あれといっしょに、さよう、エリサヴェトグラードで悲劇役者のイズマイロフが出ておりましたが、これまたなかなかの傑物
えらぶつ
でしてな。……いや奥さま、そうお急ぎになることはありません、まだ五分は大丈夫です。あるメロドラマでね、連中が謀叛人
むほんにん
をやった時でしたが、不意に捕

り手が踏みこむところで「残念、ワナにかかったか」と言うべきところを、イズマイロフは――「残念、ナワにかかったか」とやってね……(哄笑
こうしょう
する)ナワにかかったか!

彼がしゃべっている間に、ヤーコフは旅行カバンの世話をやき、小間使は帽子やマントやコウモリや手袋を、アルカージナに持ってくる。皆々アルカージナの身支度を手伝う。左手のドアから料理人がのぞきこみ、しばらくためらった後、おずおずとはいってくる。ポリーナ、やがてソーリン、メドヴェージェンコ登場。

ポリーナ (手かごを持って)このスモモを、どうぞ道中めしあがって……。大そう甘うございますよ。何か変ったものも、欲しくおなりかも知れませんから……
アルカージナ まあ御

親切にね。ポリーナさん。
ポリーナ ご機嫌よろしゅう、奥さま! 不行届きのことがありましたら、お赦しくださいまし。(泣く)
アルカージナ (彼女を抱いて)みんな結構でしたよ、結構でしたよ。ただその、泣くのがいけないわ。
ポリーナ わたくしたちの時は過ぎて行きますもの!
アルカージナ 仕方のないことよ!
ソーリン (トンビに中折れ帽をかぶり、ステッキを持って左手のドアから登場。部屋を横ぎりながら)お前、もう時間だよ。おくれたら事だからな、早い話が。わたしは行って乗りこんでるよ。(退場)
メドヴェージェンコ 僕は停車場まで歩いて行きます……お見送りにね。ひとつ急いで……(退場)
アルカージナ さようなら、皆さん。……おたがい無事で達者だったら、また夏お目にかかりましょうね。……(小間使、ヤーコフ、料理人、それぞれ彼女の手にキスする)わたしを忘れないでね。(料理人に一ルーブリやって)この一ルーブリ、三人でお分け。
料理人 どうもありがとうございます、奥さま。道中ごぶじで! 何かとよくして頂きまして!
ヤーコフ どうぞ、ご息災で!
シャムラーエフ ちょいと一筆お手紙を頂きたいもので! ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
アルカージナ どこだろう、コンスタンチンは? わたしは発

ちますって、あの子に言っておくれ。お別れをしなくては。じゃ皆さん、悪く思わないでね。(ヤーコフに)コックさん一ルーブリ渡しましたよ。あれは三人分だからね。

一同右手へ退場。舞台空虚。舞台うらで、見送りによくあるざわめき。小間使がもどってきて、テーブルからスモモの籠
かご
をとり、ふたたび退場。

トリゴーリン (もどってくる)ステッキを忘れたぞ。たしかテラスにあるはずだが。(行きかけて、左手のドアのところで、はいってくるニーナに出あう)ああ、あなたか? われわれはもう発ちます。
ニーナ まだお目にかかれるような気が、していましたわ。(興奮して)トリゴーリンさん、わたしきっぱり決心しました。賽
さい
は投げられたんです、わたし舞台に立ちます。あしたはもう、ここにはいません。父のところを出て、一切をすてて、新しい生活を始めます。……わたしも、あなたと同じに……モスクワへ発ちます。あちらでお目にかかりましょう。
トリゴーリン (ちらと後ろを振返って)宿は、「スラヴャンスキイ・バザール」(訳注 モスクワの有名なホテル)になさい。……そしてすぐ僕に知らせて……モルチャーノフカ、グロホーリスキイ館。……いまは急ぐから……(間)
ニーナ もう一分だけ……
トリゴーリン (小声で)あなたは、なんてすばらしい……。ああ、またすぐ会えるかと思うと、じつに幸福だ! (彼女は男の胸にもたれかかる)僕はまた見られるのだ――この魅するような眼を、なんとも言えぬ美しい優しい微笑を……この柔和な顔だちを、天使のように清らかな表情を。……僕の大事な……(長いキス)
――幕――

◯第三幕と第四幕のあいだに二年経過。
[#改ページ]

第四幕

ソーリン家の客間の一つ。今はトレープレフが仕事部屋に使っている。右手と左手にドアがあって、それぞれ奥の間へ通じる。正面はテラスへ出るガラス戸。ふつうの客間用の調度のほかに、右手の隅
すみ
に書きものデスク、左手ドア寄りにトルコ風の長椅子
ながいす
、書棚。窓や椅子のそこここに本。――宵
よい
。笠
かさ
つきのランプが一つともっている。薄暗い。木立のざわめきや、煙突のなかで風のうなる音がする。夜番の拍子木
ひょうしぎ
の音。メドヴェージェンコとマーシャ登場。

マーシャ (呼ぶ)トレープレフさん! トレープレフさん! (見まわしながら)だあれもいない。爺
じい
さんたら、のべつ幕なしに聞きどおしなんだもの、コースチャはどこにいる、コースチャはどこにいるって。……あの人がいないじゃ、生きてられないのね……
メドヴェージェンコ 孤独がこわいんだ。(耳をすます)なんて凄
すご
い天気だ! これでもう二昼夜だからな。
マーシャ (ランプの火を大きくして)湖には波が立ってるわ。大きな波が。
メドヴェージェンコ 庭はまっ暗だ。ひとつ毀
こわ
すように言わなけりゃいかんな、庭のあの小劇場はね。むき出しで、醜く立っているざまは、まるで骸骨
がいこつ
だ。幕は風でばたついているし。ゆうべ僕があのそばを通りかかったら、誰かなかで泣いてるような気がしたよ。
マーシャ また、あんなことを……(間)
メドヴェージェンコ うちへ帰ろう、マーシャ!
マーシャ (かぶりを振る)わたし、ここに泊るの。
メドヴェージェンコ (哀願するように)マーシャ、帰ろうよ! 赤んぼがきっと、腹をすかしてるよ。
マーシャ 平気よ。マトリョーナが飲ませてくれるわ。(間)
メドヴェージェンコ 可哀
かわい
そうだ。もうこれで三晩、おっ母

さんの顔を見ないんだからな。
マーシャ あんたも、退屈な人になったものね。以前は、哲学の一つも並べたものだけれど、今じゃのべつ、赤んぼ、帰ろう、赤んぼ、帰ろう、なんだもの、――ばかの一つ覚えみたい。
メドヴェージェンコ 帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ ひとりで帰ったらいいわ。
メドヴェージェンコ お前のお父さん、僕にゃ馬を出してくれないよ。
マーシャ 出してくれてよ。願いますと言や、出してくれるわ。
メドヴェージェンコ まあ、頼んでみよう。じゃあすは帰るだろうね?
マーシャ (かぎタバコをかぐ)ええ、あしたはね。うるさいわねえ……

トレープレフとポリーナ登場。トレープレフは枕
まくら
と毛布を、ポリーナはシーツを持ちこみ、トルコ風の長椅子の上に置く。それからトレープレフは自分のデスクに行って、腰をおろす。

マーシャ それ、どうするの、ママ?
ポリーナ ソーリンさんが、コースチャの部屋に床
とこ
をとってくれとおっしゃるんだよ。
マーシャ わたしがするわ……(寝床をつくる)
ポリーナ (ため息をついて)年をとると、子供も同じだねえ……(デスクに近寄り、肘
ひじ
をついて原稿をながめる。間)
メドヴェージェンコ じゃ、僕は行こう。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキスする)おやすみなさい、お母さん。(しゅうとの手にキスしようとする)
ポリーナ (腹だたしげに)いいからさ! さっさとお帰り。
メドヴェージェンコ おやすみ、トレープレフさん。

トレープレフ黙って手を出す。メドヴェージェンコ退場。

ポリーナ (原稿をながめながら)ねえ、コースチャ、あなたが本当の文士になるなんて、誰ひとり夢にも思いませんでしたよ。それが今じゃ、ありがたいことに、方々の雑誌からお金がくるようになりましたものね。(彼の髪を撫

でる)それに、男前も一段とあがって、……ねえ、可愛
かわい
いコースチャ、いい子だから、うちのマーシャに、もう少し優しくしてやってくださいね!……
マーシャ (床をのべながら)そっとしておいたげてよ、ママ。
ポリーナ (トレープレフに)これで、なかなか好い子さんですよ。(間)女というものはね、コースチャ、優しい目で見てもらいさえすりゃ、ほかになんにも要

らないものよ。わたしも身に覚えがあるけど。

トレープレフ、デスクから立ちあがり、黙って退場。

マーシャ ほら、怒らしちまった。うるさくするからよ!
ポリーナ わたしはお前が不憫
ふびん
なんだよ、マーシェンカ。
マーシャ ありがたい仕合せだわ!
ポリーナ お前のことで、わたしは胸を痛めつづけてきたよ。すっかり見てるんだものね、みんなわかってるんだものね。
マーシャ みんな、ばかげたことよ。望みなき恋なんて、小説にあるだけだわ。くだらない。ただ、よせばいいのよ――甘ったれた気持になって、待てば海路の日和
ひより
だかなんだか、ぽかんと何かを待っている、そんな態度をね。……心に恋が芽を出したら、摘んで捨てるまでのことよ。うちの人を、ほかの郡へ転任させてくれるって話になってるの。そこへ移ってしまえば、――きれいに忘れるわ……胸から根こぎにしてしまうわ。

ふた部屋ほど向うで、メランコリックなワルツが聞える。

ポリーナ コースチャが弾いている。気がふさぐんだね。
マーシャ (音を立てずに、二回り三回りワルツを舞う)肝心なのはね、ママ、目の前に見えないということなのよ。うちのセミョーンが転任になりさえすりゃ、あっちへ行って、ひと月で忘れてみせるわ。みんな、くだらないことよ。

左手のドアがあいて、ドールンとメドヴェージェンコが、車椅子のソーリンを押しながら登場。

メドヴェージェンコ 僕のところは、今じゃ六人家族でしてね。ところが粉は一プード(訳注 十六キロ余)七十コペイカもするんで。
ドールン そこでキリキリ舞いになる。
メドヴェージェンコ あなたは笑っていればいいでしょう。お金のうなってる人はね。
ドールン お金が? 開業して以来三十年、いいかね君、しかも昼も夜

も自分が自分のものでない、落ちつかぬ生活をしてきて、蓄

めた金がやっと二千だぜ。それもこのあいだ、外国旅行で使ってしまった。僕は一文なしさ。
マーシャ (夫に)まだ帰らなかったの?
メドヴェージェンコ (済まなそうに)どうしたらいいのさ? 馬を出してくれないもの!
マーシャ (さも忌々
いまいま
しそうに、小声で)あんたみたいな人、見たくもないわ!

車椅子は、室内左手の中央でとまる。ポリーナ、マーシャ、ドールン、そのそばに腰をおろす。メドヴェージェンコは悄気
しょげ
て、わきへしりぞく。

ドールン しかし、ここも変ったものですなあ! 客間が書斎になってしまった。
マーシャ トレープレフさんには、ここのほうがお仕事には都合がいいの。好きな時に庭へ出て、ものが考えられますものね。

夜番の拍子木の音。

ソーリン 妹はどこかな?
ドールン トリゴーリンを迎えに、停車場へね。もうじきお帰りでしょう。
ソーリン あんたが妹をわざわざ呼び寄せられたところをみると、わたしの病気は危ないというわけですな。(ちょっと黙って)どうも妙な話だ、病気が危ないというのに、薬一服くれないんだからね。
ドールン じゃ、何がお望みなんです? カノコ草の水薬ですか? ソーダですか! キニーネですか?
ソーリン ほらまた哲学だ。ああ、なんの因果だろう! (長椅子をあごでしゃくって)それ、わたしの寝床かね?
ポリーナ あなたのですわ、ソーリンさま。
ソーリン それは忝
かたじけ
ない。
ドールン (口ずさむ)「月は夜ぞらを渡りゆく」……
ソーリン わしはコースチャに、ひとつ小説の題材をやりたいよ。題は、こうつけるんだな――『なりたかった男』。つまり『ロンム・キ・ア・ヴーリュ』さ。若いころ、わたしは文学者になりたかった――が、なれなかった。弁舌さわやかになりたかった――が、わたしの話しぶりときたら、いやはやひどいものだった。(自嘲
じちょう
的に)「とまあいった次第で、つまりそのありまして、そのう、ええと……」といったざまでな、なんとか締めくくりをつけよう、つけようとして、大汗かいたものさ。家庭も持ちたかった――が、持てなかった。いつも都会で暮したかった――が、それこうして、田舎
いなか
で生涯を終ろうとしている、とまあいった次第でな。
ドールン 四等官になりたかった――それは、なれた。
ソーリン (笑う)それは別に望んだわけじゃないが、ひとりでにそうなった。
ドールン 六十二にもなって人生に文句をつけるなんて、失礼ながら、――褒

めた話じゃないですよ。
ソーリン なんという、わからず屋だ。生きたいと言っているのに!
ドールン それが浅はかというものです。自然律によって、一切の生は終りなからざるべからずですからね。
ソーリン それ、それが、腹いっぱい食った人の理屈さ。君はおなかがくちいものだから、人生に冷淡で、どうなろうと平気なんだ。だが、いざ死ぬときにゃ、君だって怖
こわ
くなろうさ。
ドールン 死の恐怖は――動物的恐怖ですよ。……それを抑
おさ
えなければね。死を意識的に怖
おそ
れるのは、永遠の生命を信じる人だけです。自分の罪ぶかさが怖くなるのです。ところがあなたは、まず第一に、不信心者ですね。第二に――どんな罪がおありですかな? あなたは二十五年、司法省に勤続された――だけのことでね。
ソーリン (笑う)二十八年……

トレープレフ登場して、ソーリンの足もとの小さな腰掛にかける。マーシャは終始彼から眼をはなさない。

ドールン われわれがこうしていちゃ、トレープレフ君の仕事の邪魔ですな。
トレープレフ いや、かまいません。

間。

メドヴェージェンコ ちょっとお尋ねしますが、ドクトル、外国の町のうち、どこが一等お気に入りました?
ドールン ジェノアですね。
トレープレフ なぜジェノアなんです?
ドールン あすこの街を歩いている群衆がすてきなんです。夕方、ホテルを出てみると、街いっぱい人波で埋まっている。その群衆にまじりこんで、なんとなくあちらこちらとふらついて、彼らと生活を共にし、彼らと心理的に融

け合ううちに、まさしく世界に遍在する一つの霊魂といったものが、あり得ると信じるようになってきますね。つまりほら、いつか君の芝居でニーナさんが演じたあれみたいなね。ところで、ニーナさんは今どこでしょうね? どこに、どうしているでしょうね?
トレープレフ たぶん健在でしょう。
ドールン 僕の聞いたところでは、あの人は何か曰
いわ
くのある生活をしたそうだが、どういうことなのかな?
トレープレフ それは、ドクトル、長い話ですよ。
ドールン それを君、てみじかにさ。(間)
トレープレフ あの人は家出をして、トリゴーリンといっしょになりました。これはご存じですね?
ドールン 知っています。
トレープレフ 赤んぼができる。その子が死ぬ。トリゴーリンはあの人に飽きて、もとのキズナへ帰ってゆく――とまあ、当然の経路をたどったわけです。もっとも、あの男はこれまでも、ついぞ元の女を棄

てた例
ため
しはないんで、ただ持ち前のぐらぐらな性格から、そこここでちょいと引っかけるだけでね。僕の耳にはいったところから判断すると、ニーナの私生活は全然失敗でしたよ。
ドールン 舞台のほうは?
トレープレフ どうやら、もっとひどいらしい。モスクワ郊外の別荘地の小屋で初舞台をふんで、それから地方へ回りました。そのころ僕は、いつもあの人から目を放さないでいて、しばらくは行く先々へついて回ったものです。大きな役ばかり引受けていましたが、演技はがさつで、味もそっけもなく、やたらに吼

え立てる、大仰
おおぎょう
な見得を切る、といった調子でした。時たま、なかなか巧
うま
い悲鳴をあげたり、上手な死に方を見せたりしましたが、それも瞬間だけのことでね。
ドールン すると、とにかく才能はあるんだな?
トレープレフ そこはよくわかりませんでした。まあ、あるんでしょう。こっちじゃ顔を見てるんですが、向うでは僕に会いたがらず、宿へ訪ねてゆくと女中が通してくれないんです。あの人の気持はわかるので、僕もむりに会おうとはしませんでした。(間)さてと、まだ何を話したらいいのかな? やがて僕がうちへ帰ってから、手紙が何通か来ましたっけ。聡明
そうめい
な、あたたかい、なかなかいい手紙でした。べつに愚痴
ぐち
をこぼしてはないのですが、これは並大抵の不仕合せじゃないなと感じられるほど、一行一行、病的な神経が張りつめていました。頭の向きようも、ちょっと変なんです。何しろ署名が、「かもめ」というのですからね。『ルサールカ』(訳注 『水の精』――プーシキンの物語詩。ダルゴムージスキイのオペラがある)の水車屋のおやじは、自分は大鴉
おおがらす
だと言い言いしますが、あの人の手紙にも、自分は「かもめ」だと、のべつに書いてある。今あの人は、ここに来てますよ。
ドールン 来てるって、そりゃまたどうして?
トレープレフ 町のね、はたご屋にいるんです。もう五日ほど、そこに泊ってる。僕も行ってみようと思ったんですが、このマーシャさんが訪ねてみたら、いっさい誰にも会わないということでした。メドヴェージェンコ君の話では、きのう夕方ちかく、ここから二キロほどの原っぱで、あの人に出あったそうです。
メドヴェージェンコ ええ、出あいました。あっち、つまり町のほうへ、歩いて行くところでした。僕が挨拶
あいさつ
して、なぜ遊びに来ないのですと聞くと、そのうち行きますという返事でした。
トレープレフ 来るもんか。(間)親父
おやじ
さんも、まま母も、てんから知らん顔で通しています。それどころか、方々に見張りをおいて、一歩も屋敷へ近づけない算段なんです。(ドクトルといっしょに、デスクのほうへ歩を移す)ねえドクトル、紙の上で哲学者になるのは易
やさ
しいが、実際となるとじつに難
むずか
しいですね!
ソーリン チャーミングな娘だったがな。
ドールン え、なんです?
ソーリン チャーミングな子だった、と言うのさ。四等官ソーリン閣下までが、ひところあの子に惚

れていたものな。
ドールン 老いたる女たらし
ロヴレス
(訳注 リチャードソンの小説『クラリッサ・ハーロウ』の人物の名から)か。

シャムラーエフの笑い声が聞える。

ポリーナ 皆さん停車場からお帰りのようですよ……
トレープレフ そう、ママの声もする。

アルカージナ、トリゴーリン、つづいてシャムラーエフ登場。

シャムラーエフ (はいりながら)われわれはみな、自然の暴威のもとに老いさらばえていきますが、奥さんは相変らず、じつにお若いですなあ。……薄色の〔短〕上衣
うわぎ
を召して、颯爽
さっそう
としてらっしゃる。……典雅ですなあ……
アルカージナ ほらまた褒め立てて、鬼に妬

かせようとなさる、相変らずねえ!
トリゴーリン (ソーリンに)ご機嫌よう、ソーリンさん! また何かご病気ですか? いけませんなあ! (マーシャを見て、嬉
うれ
しそうに)やあ、マーシャさん!
マーシャ おわかりになって? (彼の手を握る)
トリゴーリン 結婚しましたか?
マーシャ もうとっくに。
トリゴーリン 幸福ですか? (ドールンやメドヴェージェンコと会釈
えしゃく
をかわしたのち、ためらいがちにトレープレフのほうへ歩み寄る)アルカージナさんのお話だと、あなたはもう昔のことは水に流して、ご立腹もとけたそうですが。

トレープレフ、彼に手をさし出す。

アルカージナ (息子に)ほら、トリゴーリンさんは、お前の新作の載っている雑誌を持ってきてくだすったんだよ。
トレープレフ (雑誌を受けながら、トリゴーリンに)おそれいります、ご親切に。(腰をおろす)
トリゴーリン あんたの崇拝者たちから、宜
よろ
しくとのことです。……ペテルブルグでもモスクワでも、概してあなたに興味をもっていて、僕はしょっちゅう、あんたのことを訊

かれますよ。どんな人だの、年は幾つだの、ブリュネットかブロンドかだの、といったふうにね。みんな、どうしたわけか、あなたを年配の人のように思っている。それに誰ひとり、あんたの本名を知る者がない。なにしろあんたは、いつもペンネームで発表するものだから。あんたは、あの『鉄仮面』(訳注 ルイ十四世の代にバスチーユで獄死した謎の人物。父デュマの小説などで有名)みたいに、神秘の人ですよ。
トレープレフ ずっとご逗留
とうりゅう
ですか?
トリゴーリン いや、あすはモスクワへ発

とうと思っています。やむを得ません。中編ものを一つ急いで書きあげなければならんし、ほかにまだ、ある選集にも何かやる約束になっているので、一口で言えば――相も変らず、ですよ。

彼らが話している間に、アルカージナとポリーナは部屋の中央にカルタ机をすえ、左右の翼
よく
を上げる。シャムラーエフは蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともしたり、椅子
いす
を並べたりする。戸棚からロトー(訳注 Loto 数字あわせの遊び。一から九〇までの数字を飛び飛びに記した盤を配っておき、一人が袋または筒から賽を一つずつ取出しながらそこに刻まれた数字を言う。盤上の数字が先に埋まった人が勝ち)の箱が取出される。

トリゴーリン せっかく来たのに、わるい天気にぶつかったものだ。すさまじい風ですな。あす朝もしおさまったら、湖へ釣りに出ますよ。ついでにお庭と、そらあの場所――ね、覚えてますか――あんたの芝居をやったあすこを、検分しなければならない。モチーフは熟しているんですが、ただ現場の記憶を新たにする必要があるんで。
マーシャ (父親に)パパ、うちの人に馬を出してやってちょうだい! うちへ帰らなくちゃならないんだから。
シャムラーエフ (口まねをして)馬を……帰らなくちゃ……(厳格に)その眼で見たろう――今しがた停車場へ行って来たばかりだ。そうそうこき使うわけにはいかん。
マーシャ ほかの馬だってあるじゃないの。(父親が黙っているのを見て、片手を振る)またけんかのたねね……
メドヴェージェンコ マーシャ、ぼく歩いて帰るよ。いいからさ……
ポリーナ (ため息をついて)歩いて、こんな天気に……(カルタ机に向って腰をおろす)さ、どうぞ、皆さん。
メドヴェージェンコ たかが六キロですからね。……(妻の手にキスをする)おやすみなさい、おっ母さん。(しゅうとはキスを受けるため渋々手を出す)僕はだれにも心配はかけたくないんですが、ただ赤んぼが……(一同に頭をさげる)おやすみなさい。……(退場。さも申し訳なさそうな物腰)
シャムラーエフ なんとか帰れるさ。将軍じゃあるまいし。
ポリーナ (机をたたく)さ、いかが、皆さん。時間が無駄ですよ、ぐずぐずしてると、お夜食をしらせに来ますわ。

シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、カルタ机につく。

アルカージナ (トリゴーリンに)秋の夜ながになると、ここではロトーをして遊ぶんですよ。ほらね、ずいぶん古いロトーでしょう。なにしろわたしたちが子供だったころ、亡くなった母がいっしょに遊んでくれた道具ですものねえ。お夜食まで、いっしょに一勝負なさらない? (トリゴーリンとともに席につく)つまらない遊びだけど、馴

れるとこれで、悪くないものよ。(一同に三枚ずつ紙の盤をくばる)
トレープレフ (雑誌をめくりながら)自分の小説は読んでるくせに、僕のはページも切ってやしない。(雑誌をデスクに置き、左手のドアへ行きかける。母親のそばを通りかかって、その頭にキスする)
アルカージナ どう、お前も、コースチャ?
トレープレフ ご免なさい、なんだかしたくないんです。……ちょっと歩いてきます。(退場)
アルカージナ 賭

け金は十コペイカよ。ドクトル、わたしの分、たて替えておいてちょうだい。
ドールン 承知しました。
マーシャ みなさん、お賭けになった? じゃ始め。……二十二!
アルカージナ はい。
マーシャ 三!
ドールン はあい。
マーシャ 三をお置きになって? 八! 八十一! 十!
シャムラーエフ まあそう急ぐな。
アルカージナ わたし、ハリコフで受けた歓迎ぶりを思い出すと、今でも頭がくらくらするわ、皆さん!
マーシャ 三十四!

舞台うらで、メランコリックなワルツのひびき。

アルカージナ 大学生が、お祭さわぎをしてくれてね……花籠
はなかご
が三つ、花束が二つ、それからほら……(胸からブローチをはずして、机上に投げだす)
シャムラーエフ なるほど、こりゃ大したものだ……
マーシャ 五十!……
ドールン 五十きっかり?
アルカージナ わたしの舞台衣裳
いしょう
ときたら、豪勢なものでしたよ。……なんといっても、着付けにかけちゃ、わたしゃ負けませんからね。
ポリーナ コースチャが弾

いている。気がふさぐのね。可哀
かわい
そうに。
シャムラーエフ 新聞でひどく叩
たた
かれてるね。
マーシャ 七十七!
アルカージナ 気にしないでもいいのに。
トリゴーリン あの人はどうも運が向かない。未
いま
だに、ほんとの調子が出ないんですな。何かこう変てこで、あいまいで、時によるとウワ言みたいなところさえある。人物がさっぱり生きてない。
マーシャ 十一。
アルカージナ (ソーリンをふり返って)ペトルーシャ、あなた退屈? (間)寝てるわ。
ドールン 四等官殿はおねんねだ。
マーシャ 七! 九十!
トリゴーリン わたしがもし、こんな湖畔の屋敷に住んだとしたら、とても物を書く気にはなりますまいな。そんな欲望はうっちゃりにして、魚ばかり釣ってるでしょうよ。
マーシャ 二十八!
トリゴーリン ボラやマスを釣りあげるのは――なんとも言えんいい気持だ!
ドールン しかし僕は、トレープレフ君を信じていますよ。何かがある! 何かがね! あの人はイメージでもって思索する。だから小説が絵画的で、鮮明で、僕は強烈な感じを受けますね。ただ惜しむらくは、あの人には、はっきりきまった問題がない。印象を生みはするが、それ以上に出ない。なにせ印象だけじゃ、大したことにはなりませんからね。アルカージナさん、作家の息子さんを持って、嬉しいでしょうな?
アルカージナ それがね、あなた、まだ読んだことがないの。ひまがなくてね。
マーシャ 二十六!

トレープレフ静かに登場。自分のデスクへ行く。

シャムラーエフ (トリゴーリンに)そうそう、トリゴーリンさん、あなたの物が残っていましたっけ。
トリゴーリン はてな?
シャムラーエフ いつぞやトレープレフさんが射落した鴎
かもめ
ね。あれを剥製
はくせい
にしてくれって、ご注文でしたが。
トリゴーリン 覚えがない。(しきりに考えながら)覚えがないなあ!
マーシャ 六十六! 一!
トレープレフ (窓をパッとあけて、耳をすます)なんて暗いんだ! なぜこう胸さわぎがするのか、どうもわからん。
アルカージナ コースチャ、窓をおしめ、吹きこむじゃないの。

トレープレフ、窓をしめる。

マーシャ 八十八!
トリゴーリン はい、揃
そろ
いました。
アルカージナ (うきうきして)うまい、うまい!
シャムラーエフ ブラボー!
アルカージナ この人はね、いつどこへ行っても運がいいのよ。(立ちあがる)じゃあちらで、何かちょっと頂きましょう。うちの有名な先生は、今日は夕飯ぬきでしたからね。お夜食のあとで、またやりましょう。(息子に)コースチャ、原稿はやめて、食堂へ行きましょう。
トレープレフ 欲しくないよ、ママ、おなかがいっぱいだから。
アルカージナ ご勝手に。(ソーリンをおこす)ペトルーシャ、お夜食ですよ! (シャムラーエフと腕を組む)話してあげるわね、ハリコフでどんなに歓迎されたか……

ポリーナ、カルタ机の上の蝋燭を消してから、ドールンといっしょに椅子を押して行く。一同左手のドアから退場。舞台には、デスクに向ったトレープレフだけ残る。

トレープレフ (書きつづけようとして、今まで書いたところに目を走らせる)おれは口ぐせみたいに、新形式、新形式と言ってきたが、今じゃそろそろ自分が、古い型へ落ちこんでゆくような気がする。(読む)「塀
へい
のポスターに曰
いわ
く……。蒼白
あおじろ
い顔が、黒い髪の毛にふちどられて……」曰く、ふちどられて……。ふん、なっちゃいない。(消す)いっそ主人公が、雨の音で目をさますところから始めて、あとはみんな切っちまおう。月夜の描写が長たらしく、凝りすぎている。トリゴーリンは、ちゃんと手がきまっているから、楽なもんだ。……あいつなら、土手の上に割れた瓶
びん
のくびがきらきらして、水車の影が黒く落ちている――それでもう月夜ができあがってしまう。ところがおれは、ふるえがちの光だとか、静かな星のまたたきだとか、しんとした匂
にお
やかな空気のなかに消えてゆくピアノの遠音だとか……いや、こいつは堪
たま
らん。(間)そう、おれはだんだんわかりかけてきたが、問題は形式が古いの新しいのということじゃなくて、形式なんか念頭におかずに人間が書く、それなんだ。魂のなかから自由に流れ出すからこそ書く、ということなんだ。(デスクに最寄
もよ
りの窓を、誰かが叩
たた
く)なんだろう? (窓を覗
のぞ
く)なんにも見えない。……(ガラス戸をあけて、庭を見る)誰か石段を駆けおりたな。(呼びかける)誰だ、そこにいるのは? (出てゆく。彼がテラスを足早に歩く音がする。半分間ほどして、ニーナを連れもどってくる)ニーナ! ニーナ!

ニーナは頭を彼の胸におし当て、忍び音にむせび泣く。

トレープレフ (感動して)ニーナ! ニーナ! 君か……君だったのか……。僕は虫が知らしたのか、朝からずっと、胸がきりきりしてならなかった。(彼女の帽子と長外套
がいとう
をとってやる)ああ、僕の可愛
かわい
い、大事なひとが帰ってきた! 泣くのはよそう、泣くのは。
ニーナ 誰かいるわ。
トレープレフ 誰もいやしない。
ニーナ ドアの錠をおろして。はいってくると困るわ。
トレープレフ 誰も来やしない。
ニーナ 知ってるわ、アルカージナさんが来てること。だから閉めて……
トレープレフ (右手のドアの鍵
かぎ
をかけ、左手のドアに歩み寄る)ここには錠前がない。椅子
いす
でふさいでおこう。(ドアの前に肘
ひじ
かけ椅子を据える)さ、もう心配しないで、誰も来ないから。
ニーナ (彼の顔をじっと見つめる)ちょっと、お顔を見させて。(あたりを見回して)暖かくて、いい気持。……あのころ、ここは客間だったのね。わたし、ひどく変ったかしら?
トレープレフ そう……だいぶ痩

せて、眼が大きくなったな。ニーナ、こうして君を見ていると、なんだか不思議な気がする。どうしてあんなに、僕を寄せつけなかったの? どうして今まで来なかったの? 僕は知ってますよ、君がもう一週間ちかく、この土地にいることは。……僕は毎日、なんべんも君の宿まで行っては、君の窓の下に立っていた。乞食
こじき
みたいにね。
ニーナ あなたがさぞ、わたしを憎んでらっしゃるだろうと、それが怖
こわ
かったの。毎晩おなじ夢を見るのよ――それは、あなたがわたしを見ているくせに、わたしとは気がつかないの。この気持、知ってくだすったらねえ! ここへ着いたその日から、わたしはあすこ……湖のへんを歩いていたの。お宅の近くにもたびたび来たけれど、はいる勇気がなかったわ。さ、坐
すわ
りましょう。(ふたり腰をおろす)坐って、思いっきり話しましょう。ここはいいわ、ぽかぽかして、居心地がよくって……。あの音は……風ね? ツルゲーネフに、こういうところがあるわ、――「こんな晩に、うちの屋根の下にいる人は仕合せだ、暖かい片隅
かたすみ
を持つ人は」わたしは、かもめ。……いいえ、それじゃない。(額をこする)何を言ってたんだっけ? そう……ツルゲーネフね……「主
しゅ
よ、ねがわくは、すべての寄辺
よるべ
なき漂泊
さすらい
びとを助けたまえ」……いいの、なんでもないの。(むせび泣く)
トレープレフ ニーナ、君はまた……ニーナ!
ニーナ いいの、これで楽になるわ。……わたし、もう二年も泣かなかった。ゆうべおそく、こっそりお庭へはいって、あのわたしたちの劇場が無事かどうか、見に行きました。あれは、まだ立っていますわね。それを見たとき、二年ぶりで初めて泣いたの。すると胸が軽くなって、心の霧が晴れました。ほらね、わたしもう泣いていないわ。(彼の手をとる)で、こうして、あなたはもう作家なのね。……あなたは作家、わたしは――女優。お互いに、渦巻
うずまき
のなかへ巻きこまれてしまったのね。……あのころのわたしは、子供みたいにはしゃいで暮していたわ――あさ目がさめると、歌をうたいだす。あなたを恋してたり、名声を夢みたり。それが今じゃどう? あしたは朝早く、三等に乗ってエレーツへ行くのよ……お百姓さんたちと合乗りでね。そしてエレーツじゃ、教育のある商人連中が、ちやほや付きまとってくれるでしょうよ。むごいものだわ、生活って。
トレープレフ なんだってエレーツへなんか?
ニーナ この一冬、契約をしたの。もう帰らなければ。
トレープレフ ニーナ、僕は君を呪
のろ
いもし憎みもして、君の手紙や写真を破いてしまった。それでいて、僕の心は永久に君と結びついていると、毎分毎秒、意識していました。あなたへの恋が冷

めるなんて、僕にはできないことだ、ニーナ。あなたというものを失い、作品がぼつぼつ雑誌に載りだしてからこっち、人生は僕にとって堪えがたいものになった――受難の道になった。……自分の若さが急につみとられて、僕はこの世にもう九十年も生きてきたような気がします。僕はあなたの名を呼んだり、あなたの歩いた地面に接吻
せっぷん
したりしている。どこを向いても、きっとあなたの顔が見えるんだ。ぼくの生涯の一ばん楽しかった時代を照らしてくれた、あの優しい微笑がね。……
ニーナ (当惑して)なぜあんなことを言いだすのかしら。なぜあんなことを?
トレープレフ 僕はひとりぽっちだ。暖めてくれる誰の愛情もなく、まるで穴倉のなかのように寒いんです。だから何を書いても、みんなカサカサで、コチコチで、陰気くさい。ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!

ニーナは手早く帽子と長外套を着ける。

トレープレフ どうして君は、ええニーナ? 後生だ、ニーナ……(彼女が身じたくするのを眺める。間)
ニーナ 馬車が裏木戸のところに待たせてあるの。送ってこないで、わたし一人で行けるから……(涙声で)水をちょうだいな……
トレープレフ (コップの水を与える)今からどこへ行くの?
ニーナ 町へ。(間)アルカージナさん、来てらっしゃるの?
トレープレフ そう。……この木曜、伯父さんの工合が変だったので、僕たちが電報で呼び寄せたんです。
ニーナ わたしの歩いた地面に接吻したなんて、なぜあんなことをおっしゃるの? わたしなんか、殺されても文句はないのに。(テーブルにかがみこむ)すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息! (首をあげて)わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ! (アルカージナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて、じっと耳をすまし、それから左手のドアへ走り寄って、鍵穴からのぞく)あの人も来ている……(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。……かまやしない。……そうよ。あの人は芝居というものを信用しないで、いつもわたしの夢を嘲笑
ちょうしょう
してばかりいた。それでわたしも、だんだん信念が失

せて、気落ちがしてしまったの。……そのうえ、恋の苦労だの、嫉妬
しっと
だの、赤ちゃんのことでしょっちゅうびくびくしたりで……わたしはこせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな演技をしていたの。両手のもて扱い方も知らず、舞台で立っていることもできず、声も思うようにならなかった。ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ。わたしは――かもめ。いいえ、そうじゃない……。おぼえてらして、あなたは鴎
かもめ
を射落
うちおと
したわね? ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、破滅させてしまった。……ちょっとした短編の題材……。これでもないわ。……(額をこする)何を話してたんだっけ?……そう、舞台のことだったわ。今じゃもうわたし、そんなふうじゃないの。……わたしはもう本物の女優なの。……わたしは楽しく、喜び勇んで役を演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き回って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。わたしは信じているから、そう辛
つら
いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。
トレープレフ (悲しそうに)君は自分の道を発見して、ちゃんと行く先を知っている。だが僕は相変らず、妄想
もうそう
と幻影の混沌
こんとん
のなかをふらついて、一体それが誰に、なんのために必要なのかわからずにいる。僕は信念がもてず、何が自分の使命かということも、知らずにいるのだ。
ニーナ (きき耳を立てて)シッ。……わたし行くわ。ご機嫌よう。わたしが大女優になったら、見にいらしてちょうだいね。約束してくださる? では今日は……(彼の手を握る)もう夜がふけたわ。わたしやっとこさで、立っているのよ。精も根も尽きてしまった、何か食べたいわ……
トレープレフ ゆっくりして行って、夜食ぐらい出すから……
ニーナ いいえ、駄目……。送ってこないでね、ひとりで行けるから。……馬車はついそこなんですもの。……じゃ、アルカージナさんはあの人を連れていらしたのね? なあに、どうせ同じことだわ。……トリゴーリンに会っても、なんにも言わないでね。……わたし、あの人が好き。前よりももっと愛しているくらい。……ちょっとした短編の題材か。……好きだわ、愛してるわ、やるせないほど愛してるわ。もとはよかったわねえ、コースチャ! なんという晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活だったでしょう。なんという感情だったでしょう――優しい、すっきりした花のような感情。……おぼえてらっしゃる?……(暗誦
あんしょう
する)「人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音ずれもない」……(発作的にトレープレフを抱いて、ガラス戸から走り出る)
トレープレフ (間をおいて)まずいな、誰かが庭でぶつかって、あとでママに言いつけると。ママは辛いだろうからな。……

二分間ほど、無言のまま原稿を全部やぶいて、デスクの下へほうりこむ。それから右手のドアをあけて退場。

ドールン (左手のドアを、うんうん押しあけながら)おかしいぞ。錠がおりてるのかな……(はいって、肘かけ椅子を元の場所におく)障碍物
しょうがいぶつ
競走だ。

アルカージナ、ポリーナ、つづいてヤーコフは酒瓶
さかびん
(訳注 複数)をもち、それにマーシャ、あとからシャムラーエフ、トリゴーリン、それぞれ登場。

アルカージナ 赤ブドウと、トリゴーリンさんのあがるビールは、このテーブルに置いてちょうだいな。ロトーをしながら飲むんだからね。さ、坐りましょう、皆さん。
ポリーナ (ヤーコフに)すぐお茶を出しておくれ。(蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともし、カルタ机に着席する)
シャムラーエフ (トリゴーリンを戸棚のほうへひっぱって行く)そらこれが、さっきお話しした品ですよ……(戸棚から鴎の剥製
はくせい
をとり出す)あなたのご注文で。
トリゴーリン (鴎を眺めながら)覚えがない! (小首をかしげて)覚えがないなあ!

右手の舞台うらで銃声。一同どきりとなる。

アルカージナ (おびえて)なんだろう?
ドールン なあに、なんでもない。きっと僕の薬カバンのなかで何か破裂したんでしょう。心配ありません。(右手のドアから退場して、半分間ほどで戻ってくる)やっぱりそうでした。エーテルの壜
びん
が破裂したんです。(口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」……
アルカージナ (テーブルに向ってかけながら)ふっ、びっくりした。あの時のことを、つい思い出して……(両手で顔をおおう)眼のなかが、暗くなっちゃった……
ドールン (雑誌をめくりながら、トリゴーリンに)これに二カ月ほど前、ある記事が載りましてね……アメリカ通信なんですが、ちょっとあなたに伺いたいと思っていたのは、なかでもその……(トリゴーリンの胴に手をかけ、フットライトのほうへ連れてくる)……なにしろ僕は、その問題にすこぶる興味があるもので……(調子を低めて、小声で)どこかへアルカージナさんを連れて行ってください。じつは、トレープレフ君が、ピストル自殺をしたんです。……
――幕――

底本:「かもめ・ワーニャ伯父さん」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年9月25日発行
   2004(平成16)年11月25日46刷改版
※楽譜は「世界文学大系46 チェーホフ」筑摩書房、1958(昭和33)年12月5日からとりました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51860_41507.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html#c3

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
27. 中川隆[-13494] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:15:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1410]
チェーホフの『かもめ』における ニーナとトレープレフの運命
内 田 健 介

はじめに

アントン・チェーホフの戯曲『かもめ』は、その題名として用いられているカモメが2 人の主人公が歩む未来の象徴になっている。自らが猟銃で撃ち落としたカモメのように最 終的に拳銃自殺を遂げるトレープレフ、そしてそのトレープレフが撃ち落としたカモメを 短編の題材として思いついた物語、男に騙されてカモメのように不幸になるという短編を なぞるように不幸を経験するニーナである。 第1幕において恋人同士だったトレープレフとニーナは、トレープレフの母である女優 アルカージナとその恋人である作家トリゴーリンに翻弄され、互いの生き方を変えられて いく。作家としての名声を得ているトリゴーリンに惹かれたニーナはトレープレフの元を 離れ、トレープレフはニーナを奪われたショックなどから自殺未遂を引き起こす。その 後、ニーナはトリゴーリンを追ってモスクワに旅立ち女優になるという夢を叶え、2年が 経過した第4幕ではトレープレフも小説家としての夢を叶えている。 こうして作家志望と女優志望という立場から、作家と女優という立場で2人は最後の場 面で再会する。だが、2人の関係は再び元通りの恋人同士になるのではなく、ニーナはト レープレフを残して地方回りの女優として生きるために去っていく。そして、ニーナを見 送ったトレープレフが自殺し、『かもめ』は幕を閉じる。 互いに女優と小説家という夢を叶えた2人だが、ニーナは女優としては落ちぶれながら も耐え忍び生きることを選択するのに対し、トレープレフはトリゴーリンと同じ雑誌に掲 載されるほどの小説家になったにもかかわらず死を選択してしまう。象徴としてのカモメ に抵抗して生きるニーナと、象徴としてのカモメのように自殺するトレープレフ。これが 『かもめ』の結末である。 この2人の結末の差はいったい何が原因で生じたのか、この点について登場人物たちが 持っている「属性」 1 に着目することを一つの糸口としてこれまで様々な角度から論じられ てきた『かもめ』を新たに読み解いてみたい 2 。


1.トレープレフとニーナにおける家族という属性

『かもめ』の登場人物たちは、様々な属性を有している。例えばトレープレフはニーナ との関係においては「男」であり、アルカージナとの関係においては「息子」として存在 している。さらに彼はこうした人間関係によって生じる属性以外にも職業としての属性、 つまり「劇作家」という夢を登場時に持っており、第四幕に至ると実際に作家として活動 を開始している。こうした複層的な属性を『かもめ』の登場人物たちは持っており、さら にその属性に対してそれぞれが異なった価値観を持っている。 幕開きの時点で恋人同士であるトレープレフとニーナの家族という属性にまず注目する と、2人が似たような境遇にあることが分かる。その一つ目の特徴が、2人とも片親を亡 くしているという点である。トレープレフは父親を、ニーナは母親を亡くしており、その どちらの親も相手が死んだあとに新しい関係性を築いている。アルカージナはトリゴーリ ンと内縁の関係にあり、ニーナの父親は再婚している。 こうした環境のためかトレープレフとニーナは、自分たちの親に対して強い感情を抱い ている。浦雅春氏はトレープレフのアルカージナに対する態度について「母親に寄せるト レープレフの愛情は尋常ではない」 3 と指摘しているが、それは彼が最後に語る台詞に端 的に現われている。ニーナが去った後、これから拳銃自殺をしようとするトレープレフ は「もし誰かが庭でニーナに会ってママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうか ら…」 4 と今しがた去っていったかつての恋人ではなく、最後に母親のことを気にかけなが ら死を選ぶのである。 トレープレフの母親アルカージナに対する愛情は、その彼の登場する場面から既に始 まっている。伯父ソーリンと現われたトレープレフが最初に口にするのは、やはり母親に ついてである。「確かな才能があり、賢くて、本を読んですすり泣くこともできる。ネク ラーソフの詩をどこからだって暗誦できる。病人を看病させれば天使のようだ」 5 と彼女の 才能を認め、「僕は母を愛している、強く愛している」 6 とアルカージナへの愛を語り始め る。そして、彼は花占いで恋人のニーナとではなく、母親アルカージナとの関係を占うの である。 しかし、こうした愛情を示す一方で、トレープレフはスポットライトを浴びていなけれ ば我慢できないような母親の性格や、金を貯め込む蓄財癖を非難し始める。そして、彼は 母親にトリゴーリンという小説家の愛人がいることに対して強い嫌悪感を抱いていること を語り始める。彼は母親の才能は認めるものの、有名な女優であることや未だに恋をする 女であることに耐えられないのである。この初めてトレープレフが登場する場面ですでに 彼がアルカージナの持つ属性に対してどういった態度を取っているのか簡潔に示されてい る。トレープレフはアルカージナに「女優」という職業や愛人を持つ「女性」としてでは なく、「母親」としてのアルカージナを一番に求めているのである。トレープレフは「ぼ くの母は有名な女優だけど、もし母が普通の女性だったら僕はもっと幸せだったんじゃな いかって思うよ」 7 と語るが、まさにこれが彼の本心を示していると言えるだろう。


こうした背景を踏まえて考えると、トレープレフが新しい形式を求め、アルカージナが 女優として生きる舞台を旧時代と批判するのは、新しい形式を用いた作家になりたいとい う欲求だけでなく、彼女に母親として生きて欲しいという別の欲求も含まれているように 思われる。 母親に強い愛情を抱くトレープレフに対し、その恋人であるニーナは家族に対してどの ような態度を取っているのであろうか。ところが、彼女の家族は舞台上には登場せず、他 の登場人物たちの会話の中でその存在が示されるのみである。ニーナの父親について登場 人物の一人医師ドールンは悪党だと罵るが、その理由は男がニーナの母親が死んだあとに 新しい女性と結婚し財産を新しい妻に全て相続させてニーナから全てを奪い取ったためで ある。こうして新しい妻を得た父親は死んだ前妻の娘であるニーナの存在を疎ましく感じ ている。しかしながら、こうした父親に対してニーナが憎しみや怒りといったような感情 を抱いているわけではない。第一幕の劇中劇が終わって帰る際に彼女は「私をパパが待っ ているから」 8 と言って去っていく。また、第三幕ではトリゴーリンに対し女優になる決意 を語る場面でニーナは「明日になればもうここにはいません。父親の元を離れて、新しい 生活を始めます」 9 とわざわざ父親の元を離れるという言葉を使っている。こうした台詞は 彼女にとって父親の存在が大きなものであることを示している。トレープレフは母アル カージナに対して女優や女としてではなく母親としての存在を求めていたが、ニーナも同 じように父親に対し新しい妻を娶った男としてではなく自らの父親としての存在を求めて いるのかもしれない。 また、先ほど指摘したようにニーナの父親は舞台に登場しないが、他にも舞台に登場し ないトレープレフとニーナの家族が存在する。それが、既に死んだトレープレフの父親と ニーナの母親である。シェイクスピアの『ハムレット』では父親が亡霊となって息子の前 に登場するが、彼らの親は亡霊として現われることはない。しかし、トレープレフとニー ナの亡き親は、その死後も亡霊のように大きな影響を子供たちに与えている。 まずニーナが父親に財産を奪われるきっかけを作ったのは、死んだ彼女の母親である。 彼女が自分の財産を全て夫に相続させなければ、その財産はニーナに渡るはずであった 10 。 ところが、彼女は娘のニーナを相続人として選ばず、夫を相続人として選んだのである。 そして、その財産を受け取ったニーナの父親は、正当な相続人の娘ではなく新しい妻に渡 そうと考えている。もしニーナの母親がこのような遺言を残さなければ、財産は全てニー ナに渡るはずであった。現在置かれている彼女の複雑な状況の原因を作ったのは死んだ母 親なのである。 第二幕のトリゴーリンとの会話の中で、ニーナは湖の向こうにある自分の家を「あれが 亡くなった母の屋敷です」 11 と回りくどい表現をする。通常、自分の家という表現する部分 を彼女はわざわざ「死んだ母親の屋敷」という言葉を使うのである。恐らく、その家は自 分のものではないことを彼女が強調しているのだと考えられる部分である。浦氏はチェー ホフ作品に描かれた家について「チェーホフの「家」は決して単純なる「家」ではない。 (中略)異質性、コミュニケーションの不在を顕在化させる場」 12 であると述べているが、舞台上には登場しないニーナの家もまさに異質性やコミュニケーションの不在を顕在化さ せる場なのである。 一方、トレープレフもニーナと同じように、亡くなった父親から強い影響を受けてい る。それが彼の持つ属性の一つ「階級」である。トレープレフは父親について「そりゃ僕 の父は有名な役者だったとはいえ、キエフの町人なんだ」 13 と、貴族よりも低い身分である ことを語っている。ロシアでは父親の身分を引き継ぐため、トレープレフも父親と同じく 町人階級である。それに対し、母親のアルカージナは貴族階級であり、2人は血の繋がっ た親子でありながら所有する「階級」が異なっている。この身分の差はトレープレフのコ ンプレックスの原因の一つとなっており、彼は自分が有名な女優の息子としてしか周囲に 見られないことに苛立ちを感じている。 ニーナは母親から与えられるはずの遺産を受け継ぐことができず、トレープレフは母よ りも低い身分を父親から受け継いでしまった。2人は片親を亡くしたという境遇だけでな く、その既にこの世を去った親から不利益を被っているという共通点も持っているのであ る。彼らが残された親に対して執着するのは、自らが疎外されている家族という関係を修 復しようとするためだと考えられる。


2.親から見た子供たちの存在

トレープレフとニーナにとって残された親は大きなものであるが、対する親側からみた 子供の存在は作品の中でどのように扱われているのであろうか。ニーナの父親については 若い妻と結婚後、前妻の娘であるニーナを邪魔者扱いし、財産を全て奪っているように全 くと言っていいほど娘に対して愛情を注いでいないことは明らかである。 そして、トレープレフの母であるアルカージナが息子に対してどのような態度を取って いるのかに注目すると、彼女もニーナの父親ほどではないものの息子に対する愛情は薄い ことが分かる。そうした態度がはっきりと現れているのが、トレープレフの作った劇に対 するアルカージナの態度である。彼女はトレープレフの劇が始まるとすぐに口を挟み始 め、劇が進行中にもかかわらず演出や脚本に文句を付けてヤジを飛ばし、最終的に怒った トレープレフは劇を途中で中断しその場を立ち去ってしまう。常識的に考えれば、息子の 自作の劇を披露しようとしたことに対して、母親が野次を飛ばして妨害するのは異常な行 動である。それでは、なぜアルカージナは息子の劇に対して妨害としか思えないような行 為を取ったのであろうか。その背景には彼女が持つ「女優」という属性が大きく関わって いる。 それはトレープレフが言うような女優として舞台に立っているニーナに対しての嫉妬で はない。これは彼女による批判が全て演出に対するものであり、ニーナの演技に対してで はないことから判断できる。このとき明らかに彼女の敵意はニーナではなくトレープレフ に向いているのである。トレープレフが披露した劇はアルカージナがデカダンだと言うよ うに彼女が所属している舞台の世界を旧時代のものとして真っ向から否定し、新しい形式を求めた作品である。その自分の女優として生きる世界に対する挑戦が、例え息子であっ たとしても彼女は許せなかったのである。 トレープレフがアルカージナに対して「母親」としての存在を強く求めていることを先 ほど指摘したが、アルカージナにとって「母親」という属性は他の「女優」や「女性」と しての属性よりも優先順位が低いものとして扱われている。それは劇中の彼女の関心と行 動の推移によって示されている。第一幕の劇中劇が中断されたあと、アルカージナはまず 上演された劇に対する批判を始める。ここで、ドールンが冗談交じりに「ジュピターよ。 汝は怒れり…」 14 と言うと、アルカージナは怒って「私は女です」と答える。ここから「女 性」としてのアルカージナの語りが始まり、湖の向こうから聞こえる音楽をきっかけに過 去のロマンスを周りに語り始める。彼女が舞台を中断して立ち去った息子を「母親」とい う立場で気にかけるのはこの舞台と恋の話が終わってからである。 これは第二幕の冒頭でも繰り返されている。第二幕の幕開けは次のようになっている。 最初にアルカージナはドールンに自分とマーシャのどちらの方が若く見えるのかとドール ンに質問する。このときのドールンの本心は定かではないが、彼はアルカージナの方が若 く見えると答える。すると上機嫌になったアルカージナは、その原因が女優として働いて いるためだとマーシャに働くことの重要性を説き始める。その後、持っていた本を読み始 めたアルカージナは、女優と小説家の恋を書いた小説に触発されて、トリゴーリンと自分 の関係についての話を始める。ここでも彼女の関心は、女優としての自分、恋をしている 自分の順番で流れていき、ようやく彼女が息子トレープレフのことを話題にするのは、そ の本を閉じた後である。演劇作品では小説とは異なり物語の書かれた文章を戻って読むこ とはできないため、時間の流れが重要な意味を持っている。チェーホフはアルカージナが 女優、恋愛、家族といった順番で関心を推移させていくことで、彼女が自分の持つ属性を どのような順番で重要視しているかを示しているのだと考えられる。 このように母親としての属性を求めるトレープレフと、女優として女性として生きるこ とを重要だと考えるアルカージナの2人は決して分かりあうことができない。劇中の彼ら の噛み合わない会話には、2人の属性に対する価値観の隔たりが背景にあるのである。 そして、劇中においてこの母と子の会話は第二幕では一切なく、第一幕と第四幕の会話 もわずかしかない。2人の会話は親子が2人きりになる第三幕の包帯を替える場面に集中 している。アルカージナと2人きりになったトレープレフが母親に対して包帯を新しくし て欲しいと頼むと、彼女はその頼みを聞き入れて新しい包帯を息子の頭に巻き始める。こ の場面でトレープレフは母親に包帯を替えてもらいながら、かつて家族で一緒に住んでい た頃の話を始める。しかし、2人の記憶は噛み合わない。トレープレフが覚えているのは 当時の優しかった母の思い出だが、当人のアルカージナは全く覚えておらず、彼女の記憶 にあったのは自分と同じ劇場に上がるバレリーナのことだけである。やはり、古い記憶の 中でもトレープレフは母親として、アルカージナは女優としての記憶を持っている。 ここでトレープレフが頭に巻いている包帯は、第二幕と第三幕のあいだに自殺未遂を起 こしたことを示している。この自殺未遂について「母親の愛情をつなぎ止めようとするだだっ子の甘えの行動とも取れる」 と浦氏は述べているが、この場面の2人のやり取りはこ の指摘を証明するものとなっている。 包帯を巻く母親に対しトレープレフは「近頃、あの子供の頃のようにママをたまらなく 愛しているんだ。ママ以外、僕にはもう誰もいない」 16 と語りかける。第一幕での劇中劇で の失敗からニーナの心はトレープレフから離れ、小説家として活躍しているトリゴーリン の方へ向いてしまった。彼はニーナをトリゴーリンに奪われたことで男としても作家とし ても負けたのである。そのため、彼に唯一残された立場は、「息子」という属性だけであ る。トレープレフの「ママ以外、僕にはもう誰もいない」という言葉は、まさに彼が「作 家」としての属性と「男性」としての属性を失い、息子としての属性に拠り所を見出して いることを示している。だがしかしアルカージナにとって「母親」という属性はここまで 見てきたように他の属性よりも低い位置を占めている。そのためトレープレフがトリゴー リンに対する非難を口にしたとたん彼女の態度は豹変し、2人は言い争いを始めてしまう。 結局、トレープレフが求める「母親」としてのアルカージナと実際のアルカージナの生き 方には大きな隔たりが存在しているため重なりあう部分は無く、2人の争いはトレープレ フの涙によって幕が降りる。彼は「自分が何者なのか」という問いを発しているが、彼は 男にも劇作家にもなれず、息子であることすらできなかったのである。

3.定められた属性によって人生の喪服を着るマーシャ

『かもめ』にはニーナとトレープレフ以外にも、数多くの重要な役割を持った人物が登 場する。その一人がいつも黒い服を着たマーシャである。彼女には父親シャムラーエフと 母親ポリーナという家族が存在し、そのため「娘」という属性をマーシャは有している。 トレープレフやニーナにとって家族の中の「子供」であることは大きな意味を持っていた が、マーシャにとって「家族」は逆に嫌悪する対象となっている。母のポリーナは夫シャ ムラーエフを愛しておらず、医師ドールンを愛しており既に夫婦関係は崩壊している。そ うした冷め切った夫婦関係を示すように、舞台上で2人が会話を交わす場面は、劇全体を 通して一度も存在していない。また、マーシャも母と同じように父親を愛しておらず、第 一幕の終わりでドールンに恋の相談するさいに「私は自分の父が好きではありません」 17 と 口にしている。 このマーシャを愛しているのが教師のメドヴェジェンコである。『かもめ』はメドヴェ ジェンコのマーシャに対する愛の告白から始まっている。しかし、第一幕の終わりでドー ルンに告白しているように彼女はトレープレフを愛しているため、メドヴェジェンコの告 白に答えようとはしない。 ロシアのチェーホフ研究者パペルヌイはメドヴェジェンコとトレープレフを正反対の 人物として捉え、「トレープレフにとって人生が夢であるとすれば、メドヴェジェンコに とっての人生とはひとかけらのパンに心を砕くことだ」 18 と述べている。確かに作家という 希望を持ったトレープレフと生活のことに愚痴をこぼしてばかりのメドヴェジェンコでは、天秤にかけるまでも無いことであろう。 マーシャにとってメドヴェジェンコの結婚の申し込みは苦痛でしかない。自分自身の家 庭が崩壊しているマーシャにとって、新しい家庭を作る結婚という行為は望んでいなかっ たはずだからである。そうしたマーシャにメドヴェジェンコは「あなたは健康だし、お父 さんだって大金持ちではないけれど十分な暮らしだ」 19 と彼女が嫌う父を話題に出してし まっている。 また、メドヴェジェンコはマーシャが人生の喪服として黒い服を着ていることを理解し ようともしない。パペルヌイはトレープレフとメドヴェジェンコにとっての人生が対極で あることを指摘していたが、マーシャにとって人生とは彼女の喪服が示すように既に死ん でいるのである。なぜなら、彼女は作家を目指すトレープレフや女優を志すニーナのよう な夢や希望を持っていない。彼女は学校に行っているわけでも、働いているわけでもない ためである。第二幕の冒頭で彼女はアルカージナに働くことの重要性を説かれるが、彼女 は働こうにもその可能性を最初から有していない。池田健太郎氏はマーシャを『ワーニャ 伯父さん』のエレーナと同様に無為な女性と考えているが 20 、女学校に通っていたエレーナ と田舎でそうした機会も無く生きているマーシャを同じように考えるのは明らかに誤って いる。マーシャに残された道とは、誰かと結婚することぐらいなのである。つまり、メド ヴェジェンコの結婚の申し込みは、彼女に選択の余地の無い残酷な未来を突きつけている も同然と言える。 ところが、最終的にマーシャはメドヴェジェンコとの結婚を選択してしまう。彼女は母 親ポリーナと同じく、愛情の無い結婚をするという過ちを繰り返すのである。第三幕から 2年の月日が経過した第四幕では、結婚したマーシャとメドヴェジェンコのあいだに子供 が生まれている。しかし、2人の関係は2年前と全く変わっておらず、夫婦関係が順調で ないことは、最初に繰り広げられる会話が2年前とほぼ変わっていないのを見れば明らか である。マーシャはトレープレフへの恋心を、メドヴェジェンコとの結婚によって捨てら れると考えていたが、結局トレープレフに対する愛情を捨て切れず、かつてメドヴェジェ ンコがマーシャと会うために通った6キロの道をやって来ているのである。その後、彼女 は夫の転勤によってこの地を離れることでようやく自分の恋に決着を付けられると語って いるが、彼女の恋の決着はトレープレフの死によって訪れてしまった。 トレープレフは「息子」という家族の中での属性が得られないという苦しみを味わって いたが、マーシャは逆に「娘」から「妻」そして「母親」という属性から逃れられないと いう運命に苦しめられている。

4.『かもめ』における家族について

『かもめ』に登場する女性に注目すると、その全員が母親という属性を有していること に気がつかされる。アルカージナがトレープレフの母親であることはもちろんのこと、ポ リーナもマーシャの母親である。その娘マーシャも第四幕では子供が生まれ、母親としての役割を得ている。そして、ニーナも女優を目指して旅立ったあと、トリゴーリンとの間 に子供が産まれ母親となっている。アルカージナ、ポリーナ、マーシャ、ニーナ、この 『かもめ』に登場する4人の女性は必ず一度は母親になっているのである。 ところが、彼女たちの行動に着目すると、共通して母親としての立場を重要視していな いことが分かる。アルカージナについてはこれまで論じてきた通りで、息子トレープレフ よりも女優としての生活やトリゴーリンとの関係の方が重要である。この特徴はポリーナ とマーシャについても当てはまる。ポリーナは家庭よりもドールンとの関係を、マーシャ もメドヴェジェンコと結婚したにもかかわらずトレープレフとの関係を家庭よりも重要に 考えている。彼女たちは生物学的には「母親」という属性を得るのだが、母親という属性 よりも別の属性を優先して考えているのである。堀江氏や浦氏はチェーホフ作品には父親 の存在が欠けていると指摘しているが 21 、『かもめ』では指摘されているような父親の存在 が希薄なだけでなく、母親としての役割を果たしている人物がいないと言えるだろう。 そして、その母親よりも女性としての立場を重要視する『かもめ』の女性たちが愛情を 抱く相手の男性たちにも一つの共通点を有している。ポリーナの愛するドールン、マー シャの愛するトレープレフ、アルカージナとニーナが愛するトリゴーリン、その全員が家 庭とは無縁な男という点である。逆に、夫として家庭を持つシャムラーエフとメドヴェ ジェンコは誰からも愛されていない。 また、アルカージナと家族関係にあるトレープレフだけでなく、兄のソーリンも孤独な 存在である。大臣としての職をまっとうしたソーリンだが、本当にやりたかったことは何 一つ実現せず、田舎で「なりたかった男」として一生を終えようとしている。『かもめ』 における男性たちは、劇中家族関係のあいだでは他の人物から話を聞いてもらえない。 チェーホフ劇に特徴的な噛み合わない会話だが、その多くは彼ら孤独な男性たちによる台 詞である。

5.トレープレフとニーナが迎える結末

『かもめ』では第三幕と最終幕となる第四幕のあいだに2年の時間が経過し、その舞台 上では見ることのできない時間でマーシャとメドヴェジェンコの結婚など様々な出来事が 起こっている。そして、ニーナとトレープレフは女優と小説家という夢を実現させ、2年 前とは違った立場で再会する。だが、2人が迎える結末はあまりに異なったものである。 トレープレフが拳銃自殺するのに対し、ニーナは女優としては落ちぶれながらも耐え忍び 生き続けることを選択する。 『かもめ』では第四幕に至るまでにトレープレフとニーナはそれぞれの運命が「カモメ」 によって象徴されていた。トレープレフは第二幕で「カモメ」を撃ち落とし、いつの日か その「カモメ」のように自分を撃ち殺すだろうとニーナに語る。そして、彼はその通り拳 銃自殺を遂げてしまう。一方、ニーナはその「カモメ」をヒントにしてトリゴーリンが思 いつく物語、若い女性がこの撃ち落とされた「カモメ」のように男に破滅させられるという物語によって運命が暗示され、実際にそのトリゴーリン本人によって破滅させられてし まう。しかし、ニーナは最後にその「カモメ」に象徴された人生ではなく、「私は女優」 という言葉を残して旅立っていく。彼女は「カモメ」に象徴された破滅するという物語に 抵抗し、耐えて生き続けることを選択するのである。 また、トレープレフの自殺は彼が撃ち落とした「カモメ」だけではなく、ニーナが経験 した赤ん坊の死によっても重ねて暗示されている。ニーナは女優になるためにトリゴーリ ンを追ってモスクワに行き、そこでトリゴーリンとの赤ん坊を産んでいる。この彼女の軌 跡は、『かもめ』に登場する別の女性の軌跡と良く似ている。それがトレープレフの母ア ルカージナである。アルカージナがトレープレフを産んだのは、トレープレフが25歳で ありアルカージナが43歳あることから、18歳の時であることが分かる。ニーナはまさに この18歳の乙女として登場する。もしニーナとトリゴーリンのあいだに産まれた子供が モスクワに彼女が行った年に産まれたならば、18歳で子供を産んだアルカージナと重な るのである。そして、アルカージナはトレープレフの父親と正式な結婚をせずに子供を産 んだ可能性についてロシアのチェーホフ研究者ヴォルチケヴィチが指摘しているが 22 、これ はニーナとトリゴーリンにおいても同じように正式な婚姻関係は結ばれていなかったと考 えられる。こうした共通点から、ニーナの赤ん坊の死もトレープレフの死の暗示する一つ の出来事として考えることができる。 それでは、なぜニーナが耐え忍び生きることが可能だったのに、トレープレフは耐え忍 び生きることができずに自殺を選択したのであろうか。イギリスのロシア文学研究者のマ ガーシャクはトレープレフの自殺の原因を「ニーナが彼の愛に報いて救ってくれるという 最後の希望に破れて自殺する」 23 とニーナにその最終的な原因を求めているが、はたしてそ うなのであろうか。もしニーナを失ったことがトレープレフの自殺の根本的な原因である のならば、トリゴーリンにニーナを奪われた第三幕の自殺未遂は失敗に終わらず成功して いたはずである。 一方、トレープレフが起こした2度の自殺についてチェーホフ研究者のエルミーロフ は「最初の自殺は不幸な、かなわぬ恋のテーマに関連していた。二回目の自殺はすでに別 のテーマ――不幸な、かなわぬ才能のテーマ」 24 と違いを指摘している。つまり、トレープ レフの小説家としての才能とニーナの女優としての才能の差が、2人の結末を分けたとエ ルミーロフは考えているのである。しかしながら、地方回りをするような三流女優にまで 落ちぶれたニーナとトリゴーリンと肩を並べて同じ雑誌にまで掲載されるようになったト レープレフを比べた場合、才能を持っているのはニーナよりもトレープレフの方であるよ うに思われる。 むしろ問題は2人の才能ではなく、2人にとって女優と作家という夢の持っていた意味 に差があったことが最終的に2人の運命を分けた原因なのではないだろうか。2年の月日 はトレープレフとニーナに作家と女優という属性を与えたが、2人はそれ以外の属性を全 て失ってしまっている。物語が進む中でトレープレフはトリゴーリンに母アルカージナと 恋人ニーナを奪われたことで「息子」という属性と「男」としての属性を奪われてしまっている。一方のニーナもトリゴーリンを追ってモスクワに旅立ったあと男に棄てられ、ト リゴーリンとのあいだに産まれた子供も死んでしまっている。彼女も「女」そして「母 親」という属性を失っているのである。また、これは最終幕でも繰り返されている。第四 幕でアルカージナは作家となった息子トレープレフと再会するが、彼女はそのことにわず かばかりの関心も無く、夢を叶えた息子の作品を読んだことすらないことが明らかにされ る。そして彼女はトレープレフの弾く悲しげなワルツに耳を傾けようともしない。一方で 2年ぶりに故郷に帰って来たニーナについても、親たちが彼女を屋敷に近づかせないよう に計らっていることがトレープレフによって観客に知らされる。2人が親から愛されてい ないことが最終幕では再び示されている。そもそもかつて恋人を奪い子供まで産ませた男 を連れてくるアルカージナの配慮の無さは異常としかいいようがない。第四幕で再会する 彼らに残されたものは、作家と女優という職業的属性だけが残っているのみである。 トレープレフと再会したニーナは、自分が女優として生きていくことを信じ、その使命 を思えば人生も怖くはないと語りかける。女優以外の属性を失ったニーナだが、最後に 残った女優という立場が彼女を支え生き続けることを可能にしているのである。対するト レープレフはこの彼女の言葉を受けて「僕は何が自分の使命なのか分からないし、それを 信じることもできない」 25 と答える。つまり、トレープレフにとって作家という属性は彼を 支えることができなかったのである。チェーホフ研究者のベールドニコフはこのトレープ レフの言葉に対し、「自分の内部に復活の可能性をまったく見出せなかった」 26 と述べてい るが、この自己の内部という指摘は2人が得た女優と作家という属性が自分自身の存在に かかっているものであることに気が付かせてくれる。2人が失った家族の中での立場や男 や女という属性は、自分だけではなく他の誰かとの関係性によって生じるものである。そ れに対し、作家や女優という立場は他の誰かに左右されるものではなく、自分自身によっ て得ることができるものである。トレープレフは信念を語るニーナの言葉に対し、自分の ことが「何のために必要なのか、誰のために必要なのか分からない」 27 と答えているが、そ れを必要とすべきなのはトレープレフ自身なのである。ニーナとトレープレフの運命を最 終的に分けたものは、それぞれが作家と女優という属性を信じることができたかどうか だったのである。 実はこのことをトレープレフはニーナが部屋を訪れる前に自分で気が付いている。ロト 遊びをしていたアルカージナたちが食事に向かった後、トレープレフは自室で原稿を書き 始める。そこでトレープレフは小説を書くことについて「問題は形式が新しいか古いか じゃない。人は形式について何一つ考えずに、その魂から自由に流れ出るからこそ書くん だ」 28 と自分の内部から湧き上がるものに従って書けばいいということに気が付いているの である。しかしながら、この発見もトレープレフを自殺から救うことはできなかったこと になる。それゆえ、トレープレフが自殺を選択した理由を導き出すために、彼の湧き上が る源泉について目を向ける必要があるだろう。 自殺する直前、トレープレフは最初に指摘した通り、「もし誰かが庭でニーナに会って ママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうから…」 29 とつぶやき、原稿を破り捨て部屋から出ていく。死を決意した最後の瞬間に彼が口にしたのは、ニーナのことではなく 母アルカージナのことである。このトレープレフの最後の台詞はいくつかの疑問を呼び起 こす。なぜ彼は母親が悲しむと考えたのか、そして、母親を悲しませるものとはいったい 何なのかという疑問である。 一見すると、ここでトレープレフが母親を悲しませると考えているものは、自分がこれ から起こす自殺のことのようにも思える。しかし、トレープレフは自らの死が母親を悲し ませるとは考えていないはずである。なぜならば自分の存在が彼女にとって重要ではない ことは、これまでの経験によって明らかになっている。小説家になるという夢を叶え、ト リゴーリンと同じ雑誌に載るようになっても母親の態度はまったく変わらず、自分に対し て目を向けてくれることは全くなかった。今でも母親にとって重要なのは女優としての職 業やトリゴーリンの存在だけである。それゆえ、母親を悲しませるものは自らの死ではな く、台詞にあるニーナの存在だとトレープレフは考えていたのではないだろうか。2年前、 ニーナはアルカージナから愛人のトリゴーリンを奪い、その子供まで産んだ恋敵である。 そして、彼女がモスクワの舞台に立つことができたのは、トリゴーリンの後ろ盾があった ためであろう。これは女としても女優としてもアルカージナにとって大いなる屈辱だった に違いない。もし母がニーナが来ていたことを知れば、かつて味わった屈辱を再び思い出 させてしまうことになる。それこそがトレープレフの心配だったのではないだろうか。そ して、最後の最後まで母親について気にかけながら死ぬほど、トレープレフにとってアル カージナの存在は大きかったのである。 そもそも、トレープレフがなぜ劇作家を目指し、ニーナを主役にした舞台を披露しよう としたのかを考えると、それは女優である母親に認められるためであり、作家として愛人 のトリゴーリンよりも才能があることを示すためだったと考えられる。何より彼が作家と して初めての作品を披露したのは、一般の観客ではなく自分の母親に対してである。不可 思議なトレープレフの作った象徴的な劇も、その対象が自らを愛してくれない母親だと考 えればそこには彼が感じている孤独感に満たされている。 また、このトレープレフの舞台は、才能を認められるためだけではなく、新しい象徴的 な戯曲や演出によって新たな形式を古い演劇の代表者である母親に見せつけるという反抗 としての意味合いも持っている。父親の束縛から逃れるようにして舞台に立つニーナと女 優である母親に対して挑戦するトレープレフ、舞台はこの2人の若者の親に対する反抗な のである。ところが、トレープレフはアルカージナから浴びせられるヤジに耐えかねて、 ニーナが演じているにもかかわらず劇を中断してしまう。メドヴェジェンコは舞台が始ま る前のマーシャとの会話の中で、この舞台でトレープレフとニーナの魂が一つに溶け合う のだと語っているが、トレープレフは自らの手でその機会を壊してしまったのである。そ して、自らの初舞台を途中で止められてしまったニーナは、このときトレープレフにとっ て自分よりも母親の存在の方が重要であることに気が付いたに違いない。ニーナのトレー プレフに対する恋心が一瞬で冷めきったのは当然である。 このようにトレープレフの作家としての夢は、その出発点から母アルカージナやその愛人トリゴーリンと関わっている。多少うがった見方だが、彼が劇作家ではなく小説家とわ ずかな方向転換をして表現媒体を変えているのは、一度失ったニーナとアルカージナの目 を再び自分に向けさせようという意図が彼の心の中にあったためと考えることもできる。 彼の夢であったもの、そして現実に手に入れた作家という属性は独立したものではなく他 の属性に依存したものなのである。 それに対し、ニーナがかつて夢見ていた、そしてこれからも歩み続ける女優の道は彼女 自身が選んだものであり、誰かのためのものではない。家族のもとを離れて一人で生きて いくために自ら選んだ道である。彼女は第二幕でトリゴーリンに対して芸術家の使命を語 り、第四幕ではトレープレフに対して女優としての使命やあるべき姿を語る。それは、誰 のためでもなく、自分自身のためである。最後のトレープレフとの会話で彼女は、自分が 女優として失敗を繰り返し満足できなかった時期について悲壮な様子で語り続ける。彼女 の「私はかもめ。いいえ、私は女優」 30 という台詞からは、彼女がトリゴーリンの小説の題 材という呪縛から逃れ、自分自身の道を進もうと必死にあがいていることが分かる。家族 から疎ましく思われ、男に捨てられ、子供にも死なれた彼女に残されたものは女優として の己だけなのである。 ニーナが自分自身の手で掴んだ女優という属性は彼女が耐え忍び生きる力を与えたのに 対し、息子や男としての立場に依存した彼の作家という属性はトレープレフが生き続ける ことを支える力を持っていなかった。トレープレフは最後の最後に、作家は形式など気に せず魂から流れ出るように自由に書けばいいと気が付くのだが、その流れ出る源泉はすで に枯れてしまっていたのである。母親は自分の小説を読みもせず、ニーナはトリゴーリン を変わらず愛していると言って去っていく。彼はもう息子としても男としてもいられない ことを再度突きつけられ、彼に残されたものは小説家としての存在だけである。それを必 要としているのは他の誰でもなくトレープレフ自身である。だが、小説家として生きよう とする信念が独立したものではないゆえに、トレープレフは生きる意味を見出すことがで きず死を選んでしまうのである。

結  論

トレープレフの自殺とニーナの旅立ちによって幕が降りる『かもめ』。そのトレープレ フとニーナの運命を分けた背景には2人が持つ様々な属性が大きく関わっていた。物語が 進むにつれ2人は所有していた属性を次第に失い、最後には女優と作家という立場しか残 されていない状況に追い込まれてしまう。しかし、この2人にとって最後に残ったこの属 性は、その根本の部分で大きく異なっている。ニーナにとって女優であることは生きてい くことそのものであり、女優としての存在を他の誰でもない自分自身が必要としているこ とで苦しみに耐え生き続けることを可能にしている。だが、トレープレフの作家という夢 は他の存在を求めるため、それ自体が単独で彼を支えることができなかった。それゆえ、 彼はニーナと違い作家という存在を自分自身に求めることができずに死を選択してしまうのである。 本論で明らかにしてきたような属性に対する視線やその関係性の活かし方は『かもめ』 においてのみ際立ったものである。『かもめ』以外の戯曲作品である『ワーニャ伯父さん』 や『三人姉妹』、また小説作品を見ても職業や階級、性別などの属性がテーマとして扱わ れることはあるものの『かもめ』において見られたような属性の活用は含まれてはいな い。この『かもめ』における属性の活用が、構想や創作段階において作者チェーホフが意 識的であったのかについては彼自身何も語っていないのではっきりとした結論を出すこと はできない。だが、夢を抱き共に一つの舞台を作り上げようとした若者に、生と死という 対極の結果を与えたこの『かもめ』の結末とそこに至る過程には、才能や人間の生き方に 対する作者チェーホフの考えが凝縮されていると言えるだろう。

注 1 本論で用いられている属性という言葉は哲学分野で用いられる「否定しうることのできな い存在の性質」という意味ではなく、人物の持つ性別、家族、階級、職業といった特性や性 質を示す意味で用いている。 2 『かもめ』に対する研究はまずバルハートゥイ( БалухатыС ЧеховдраматургМ
 Художе стве нн ая  литер атур а1936)、エルミーロフ( ЕрмиловВ Др аматур гия Чехо ва М
 Со в е т с кий  пи с а т е л ь 1948)、ベールドニコフ( БердниковГ Чехо в др аматур гЛ
Искус ство  1957)というソ連時代を代表するチェーホフ研究者による研究が挙げられる。これらの研究 では『かもめ』一作品だけではなく他の劇作品とあわせた分析を通じてチェーホフの劇作品 の評価や批評が行われており、『かもめ』のテクスト分析よりもその作品が持つ社会的意義や 劇作の特徴の分析に重点が置かれている。『かもめ』のテクストや内容に関しての研究は主な ものとしてマガーシャク(.BHBSTIBDL%5IF3FBM$IFLIPW"O*OUSPEVDUJPOUP$IFLIPWT-BTU 1MBZT-POEPO(FPSHF"MMFO6OXJO
-UE1972)、池田健太郎(『「かもめ」評釈』中央公論社、 1978)、パペルヌイ( ПаперныйЗ jЧайкаxАПЧеховаМ
Художе ственная  литератул а 1980)による研究が挙げられる。また本論で扱った家族について論じた先行研究として浦雅 春(『チェーホフ』岩波新書、2004。「チェーホフ:その「家」のクロノトポス」『ポリフォ ニア』第2号、1989年。浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」『ロシア手帖』第34号、ロシ ア手帖の会、1992。)、キャロル($BSPM"5IF4FBHVMM5IFTUBHFNPUIFS
UIFNJTTJOHGBUIFS
BOE UIFPSJHJOTPGBSU.PEFSOESBNBWPM421999)、ヴォルチケヴィチ( Волчкевич М А jЧайкаx комедия  з аблуждений М
Муз ей  чел о века2005)による研究に多くの示唆を与えられた。 3 浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」『ロシア手帖』第34号、ロシア手帖の会、1992、54 頁。 4  ЧеховАП Полное  собрание  сочинений  и  писем  в 30ти  томах
сочинения Том 13М
 Наука
1978С 59 5 Там  же С7 6 Там  же С8 7 Там  же  8 Там  же$17 9 Там  же С44


10 この時代のロシアでは血族で財産が相続されるため、血の繋がりのない夫よりも血の繋が りのある娘が遺産相続では優先される。 11 Чехо в АППолно е  с обр ание  с очиненийТом 13С31 12 浦雅春「チェーホフ:その「家」のクロノトポス」『ポリフォニア』第2号、1989、9頁。 13  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С9 14 Там  же С15 15 浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」、54頁。 16  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С38 17 Там  же С20 18  ПаперныйЗ jВопр еки  вс ем  пр авил амxПь е сы  и  воде вили Чехо ваМ
Искус ство 1982 С134 19  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С 5 20 池田健太郎『「かもめ」評釈』中公文庫、1981、15頁。 21 浦雅春『チェーホフ』岩波新書、2004、28頁。堀江新二『演劇のダイナミズム・ロシア史 の中のチェーホフ』東洋書店、2004、24頁。井桁貞義編『はじめて学ぶロシア文学史』ミネ ルヴァ書房、2003、255頁。 22  ВолчкевичМ А jЧайкаxкомедия  з аблужденийМ
Муз ей  чел о века2005С7¦8 23 .BHBSTIBDL%5IF3FBM$IFLIPW"O*OUSPEVDUJPOUP$IFLIPWT-BTU1MBZT-POEPO(FPSHF "MMFO6OXJO
-UE1972Q69 24 エルミーロフ(牧原純訳)『チェーホフの四大戯曲』未来社、1960、116頁。 25  ЧеховА П Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С58¦59 26 ベールドニコフ(芹川嘉久子訳)『劇作家チェーホフ』未来社、1965、137頁。 27  ЧеховА П Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С59 28 Там  же С56 29 Там  же С59 30 Там  же С58
※本論文は文部科学省「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」("09351900)平成23年度公 募研究「近代日露交流とその文脈」(研究代表者:上田洋子)による研究成果の一部である。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c27

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
28. 中川隆[-13493] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:17:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1411]

私かもめなの。ニーナの叫びは日本語に訳せるのか。

utiken (内田健介)2019/02/07


Я - чайка. 私はかもめ。チェーホフの戯曲『かもめ』に登場するヒロインニーナのあまりにも有名な台詞だ。

主人公トレープレフは恋人のニーナを、母親の愛人トリゴーリンに奪われるという寝取られ作品の『かもめ』。

トレープレフは空を飛んでいるカモメを撃ち落とし、ニーナの前に横たえる。振られたことに対する単なる嫌がらせだが、それを見つけた小説家のトリゴーリンは、一人の破滅する若い女性を描く作品を思いつく。この死んだカモメのように、美しく羽ばたいていた女性が撃ち落とされる物語。

その作品はニーナに強い印象を残し、実際にトリゴーリンに捨てられてドサ回りをするような落ちぶれた女優になった彼女は、かつての恋人トレープレフにかもめと署名した手紙を送る。

そして、2年後にトレープレフと再開したニーナは、私はかもめ、いいえ、違う、私は女優。と口にし、精神的にかなり衰弱している様子が誰の目にも明らかになる。
長々と書いてきたが、今回の話題は、この「私はかもめ」という台詞だ。ロシア語を訳すとすると、これ以外に訳しようがないのだが、ロシア語が持っているニュアンスが、日本語にしたときに抜け落ちてしまっているのではないかと、最近ロシア語を教えるようになって考えたのだ。

仮定法という文法を英語の授業で習ったと思うのだが、ロシア語にも仮定法は存在する。助詞のбыを付けて、時制をわざと過去にして間違うことで、現実ではないことを表す表現方法だ。英語でも時制を過去にしてわざと間違うことで違和感を呼び、現実ではないことを表現するが、ロシア語もほぼ同じ構造を持っている。

もちろん、ニーナは女優であれど、人間であって、かもめなわけはない。だから、ここでそのまま、私はかもめ、という言葉それ自体が持つ意味が仮定法のある言語と無い言語では、かなり感じるものが違うのではないかと思ったのだった。

これは、チェーホフの別の作品「熊」でも言えるかもしれない。あなたはまるで熊よ、ではなく、あなたは熊よ! と言われた際の侮辱度は全然違うのではないだろうか。

こうした各言語の特徴的な文法が使われた文章の翻訳について、その意味をより正確に翻訳しようとする場合、どうやって解決できるのだろう。

https://note.com/utiken/n/n9e9e06ca6265
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c28

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
29. 中川隆[-13492] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:21:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1412]
チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載@
清水 正
https://www.shimi-masa.com/?p=350

チェーホフの戯曲『かもめ』を読む
2006年6月17日(土曜)

『かもめ』を読み終わったのは二〇〇六年四月三十日。『ワーニャ伯父さ
ん』も同年四月三十日。『三人姉妹』は同年五月二日。『桜の園』は同年
五月四日に読み終えた。今回初めてチェーホフの戯曲をまとめて読んで、
すぐに批評衝動に駆られ、『イワーノフ』に関してはすでに書き終えた。
次に『かもめ』を批評しようとして、面白いことに気づいた。単なるボケ
現象と言ってしまえばそれだけのことであるが、『かもめ』の内容を何一
つ思い出せない。読んでいる時は確かに、これは面白いと思ったはずなの
に、いざ批評しようとして何一つ思い出せないというのはどういうことだ
ろう。「かもめ」は鳥である。それしか想像できないというのは余りにも
面白い。ここに何か、チェーホフの戯曲の特質性が潜んでいるのではない
かと思えるほどだ。何も思い出せない状況の中で、批評を展開してしまお
う。

チェーホフの戯曲は〈夢〉と似ているのではないか。〈夢〉は、それを
見ている時には実によくその内容が分かっているのに、いざ眼がさめると
さっぱり思い出せないことがある。一度、記憶が失われた〈夢〉の内容を
思い起こすのは容易ではない。むかし、もう三十年近くにもなるが、赤ん
坊のように睡眠時間をとって〈夢〉を見、起きたらその〈夢〉を記述する
ことに情熱を傾けていた男がいた。彼は〈夢〉の記述に関して、その極意
を語ったことがある。すぐに起きてはいけない。ゆっくり、なだらかに、
〈夢〉の世界から、〈現実〉の世界へと移行しなければいけない。とつぜ
ん目覚めたりすると、〈夢〉の世界はたちまち消えてしまうというのであ
った。彼は一日十五時間以上寝て、大半の時間を〈夢〉の世界に遊んでい
た。おそらく彼にとっては現実の世界もまた夢の延長のような世界だった
のだろう。今、彼がどのように生きているのか、すでに死んでしまったの
か、さっぱり分からない。もし、生きているのだとすれば、彼は現実の世
界をしっかりと生きているはずである。六十近くなった男を、いつまでも
夢みさせておくほど現実は甘くない。もし死んでしまったのなら、彼は生
の世界から死の世界へとなだらかに移行したのかもしれない。
〈夢〉は奇妙に現実的であり、現実よりもはるかに先鋭的であったりす
る。チェーホフの戯曲は、読み終えてすぐに、その内容をしかと確認し、
その上で批評しなければ、アッという間に、忘却の彼方へと消え去ってし
まうのかもしれない。空を飛ぶ「かもめ」が、空の色に溶け込み、その姿
を消してしまうようにである。
思い出せない〈夢〉は、もう取り返しがつかないが、『かもめ』は戯曲
であるから、たとえきれいさっぱりその内容を忘れてしまっても、再び読
めば、その内容を知ることはできる。このまま放っておきたい気持もある
が、チェーホフの五大戯曲に関しては、徹底的に批評すると決めてしまっ
たので、これからはテキストに沿って『かもめ』の世界を検証することに
したい。
第一幕、教員のメドヴェーヂェンコと、ソーリン家の支配人シャムラー
エフの娘マーシャの対話を見てみよう。
2006年6月18日(日曜)
メドヴェーヂェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわ
けです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェーヂェンコ なぜです?(考えこんで)わからんですなあ。…
…あなたは健康だし、お父さんにしたって、金持じゃないまでも、暮しに
不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛いですよ。
月に二十三ルーブリしか貰ってないのに、そのなかから、退職積立金を天
引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふ
たり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェーヂェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは
行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟・・それで月給
が只の二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖
もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台の方を振り向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェーヂェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレーブレフ君
の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、
同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。とこ
ろが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想っています。
恋しさに家にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来
ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたの素気ない
顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいと
来ていますからね。……食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なん
かするものか?
マーシャ つまらないことを。(嗅ぎタバコをかぐ)お気持ちは有難い
と思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ。(タバコ入
れを差出して)いかが?
メドヴェーヂェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩くなって、ごろごろザーッと来そうね。
あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなの
ね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、
あたしなんか、ボロを着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れ
やしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……
メドヴェーヂェンコはマーシャが好きで、できれば結婚したいと願って
いる。しかしマーシャにはその気はない。メドヴェーヂェンコの言葉を借
りれば「僕とあなたの魂には、共通の接点がない」ということになる。二
人の魂に共通の接点がないのに、なぜメドヴェーヂェンコはマーシャを好
きになってしまったのか。魂に何の共通点などなくても、男は女を、女は
男を好きになる場合がある。メドヴェーヂェンコの場合もそうだったのだ
ろう。ここに引用した場面に限れば、マーシャはメドヴェーヂェンコを愛
してはいないが、友達の一人としては心を許していたのであろう。
メドヴェーヂェンコはマーシャが結婚を承諾しない理由を、彼の貧しさ
にあると考えている。母と妹二人と小さい弟の生活は彼一人の稼ぎにかか
っている。月給二十三ルーブリで一家五人が暮らしていくのは容易ではな
い。マーシャは「貧乏人だって、仕合せにはなれるわ」と言うが、メドヴ
ェーヂェンコにはそれは恵まれた者の理屈としか思えない。金を優先させ
るメドヴェーヂェンコと、金よりも精神的なことを優先させるマーシャが、
お互いに深く理解しあえるはずはない。マーシャはメドヴェーヂェンコに
面と向かって「あなたはしょっちゅう、理窟をこねるか、お金の話か、そ
のどっちかなのね」と言う。
世の中には金がなくてもそのことをあまり気にもせずに、自分の〈仕
事〉に没頭するタイプの人間がいる。芸術家や文学者が、金を意識しだし
たらろくなものを創造できないだろう。昔から芸術・学問と貧乏はセット
であった。結果として金が入る場合もあろうが、芸術・学問が金目当てに
なってしまったら、自分で自分の首をしめるようなものである。メドヴェ
ーヂェンコは教師であるから、子供たちに対する教育に情熱を注がなけれ
ばならない。しかし、この場面における彼の発言は、マーシャの言うよう
に金にまつわるつまらない話ばかりである。まずこういう男は女に持てな
い。マーシャに恋い焦がれて毎日一里半の道を通ってきても、決してマー
シャの魂を虜にすることはできない。マーシャがメドヴェーヂェンコに魅
力を感じないのは、彼に財産がないからでも、大勢の家族がいるからでも
ない。理窟をこねるか金の話しかできない男は、暮らしに何不自由のない、
若くて健康な娘、にもかかわらず自分を〈不仕合せな女〉と見なしている
娘の魂を震わせることはできない。メドヴェーヂェンコは一口で言ってし
まえば詰まらない男なのである。
マーシャは自分との結婚を願っている男に対して「お気持ちは有難いと
思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ」と言っている。
このセリフは穏やかな口調で発せられているが、それだけに拒否の意志は
決定的である。ここまで言われても、友達感覚で一里半の道のりを通って
くるメドヴェーヂェンコには、単なる詰まらない男を越えて、どこか押し
の強いずうずうしさを感じる。ソーニャに冤罪事件を仕掛けたルージンの
ような卑劣漢ではないにしても、メドヴェーヂェンコが俗物中の俗物、神
の口から吐きだされてしまう〈生温き〉教師であることは疑いない。
2006年6月19日(月曜)
さて、この『かもめ』の最初の場面からしてまったくわたしの記憶にと
どまっていないのはどういうことだろうか。これは単にボケ現象がはじま
ったというよりも、ここに書かれたようなこと、つまり余りにも日常的な、
おそらく世界のいたるところで交わされているようなありふれた会話に、
脳が敢えて記憶する必要を感じなかったのではないかと思う。『イワーノ
フ』でイワーノフとアンナは熱烈な恋愛の最中に〈永遠の愛〉を誓って結
婚した。しかしチェーホフは二人のその熱烈な場面をいっさい描かなかっ
た。描かなくても、若い男女の熱烈な愛の姿など似たり寄ったりであるか
ら、読者は十分にそのことを想像することができる。ここに描かれたメド
ヴェーヂェンコとマーシャの対話なども、別に新しいことは何一つない。
男は相手の女を想って通い詰めるが、当の女は男に友情以外の感情を抱い
ていない。こんな男女の関係など世界には吐き捨てるほどある。別にチェ
ーホフの戯曲を読まなくても、現実のいたるところに転がっている、実に
ありふれた関係である。
わたしは長いことドストエフスキーを読んできた。そこには主人公の発
狂やら人殺しやらが描かれている。まさにドストエフスキーの文学は非日
常的な出来事の宝庫で、読者は否応もなく、そのカオスの世界へと巻き込
まれていく。主人公の狂気や殺意は読者にも感染する強烈な毒を持ってい
て、油断も隙もない。ところがチェーホフの文学においては、舞台は日常
と地続きの所に設置されている。時代や民族、宗教は異なっていても、メ
ドヴェーヂェンコとマーシャは、時空を越えた〈お隣さん〉なのである。
それでは再び〈お隣さん〉の世界へと舞い戻ることにしよう。メドヴェ
ーヂェンコの悩みの種は大勢の家族と薄給、そのために愛するマーシャと
の結婚が阻まれていると考えていることにある。一方、マーシャは「ボロ
を着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れやしない」と考えて
いる。ということは、マーシャは〈貧乏〉などは取るに足らない、彼女の
心を悩ます問題を抱えているということである。マーシャは〈……〉の後、
「あなたには、わかってもらえそうもないけど……」と続けて口を閉ざす。
メドヴェーヂェンコが想像力のある感性豊かな青年であったなら、マーシ
ャのこの言葉に込められた様々なメッセージを読むことができたろう。し
かし、メドヴェーヂェンコには決定的にこの想像力が欠けている。彼はマ
ーシャの内部世界に参入することができない。
メドヴェーヂェンコは最初に「あなたは、いつ見ても黒い服ですね。ど
ういうわけです?」とマーシャに訊いた。マーシャは「わが人生の喪服な
の。あたし、不仕合せな女ですもの」と答えていた。もしメドヴェーヂェ
ンコに豊かな想像力が備わっていたなら、すぐにマーシャの〈不仕合せ〉
の内実に肉薄し、その核心を掴むことができたであろう。しかしメドヴェ
ーヂェンコは人間の幸、不幸を外的条件で推し量ろうとし、精神世界に求
めようとしない。この時点でメドヴェーヂェンコはマーシャの女心をつか
むことはできない。メドヴェーヂェンコにできるのは薄給や退職積立金の
話などで、つまり彼が関心を持っているのは日々の辛い暮らし向きのこと
ばかりなのである。こんな話はマーシャにとっては退屈以外のなにもので
もない。ところがメドヴェーヂェンコには想像力が欠けているから、相手
が自分の話に飽き飽きしていることにも気づかない。こういう男は、いつ
も相手の柵の外側にいて、自分の不幸を嘆いているよりほかはない。
次の場面を見てみよう。
ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎が苦手で
な、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染めまいよ。ゆうべは十時
に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寐すぎたもんで、脳
味噌が頭蓋骨に、べったり喰っついたような気がした・・とまあいった次
第でな。(笑う)ところが昼めしのあとで、ついまた寐込んじまって、今
じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃ勿論、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシ
ャとメドヴェーヂェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今こ
こにいられちゃ困るな。暫時ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いて
やるように、ひとつパパにお願いしてみては下さらんか。やけに吠えるで
なあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寐られなかった。
マーシャ 御自分で父に仰しゃって下さいまし、あたしは御免こうむり
ます。あしからず。(メドヴェーヂェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェーヂェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせに
よこして下さい。(94〜95)
ソーリンは主人公アルカージナの兄、トレープレフはアルカージナの息
子である。舞台はソーリン家の田舎屋敷に設定されている。ソーリンは田
舎が苦手と嘆き、甥のトレープレフは「伯父さんは都会に住むひと」だと
言う。今のところ、なぜソーリンが田舎にとどまっているのかその理由は
分からない。分かっているのは、ソーリンが自分の望むこととは裏腹な生
活を強いられているということである。マーシャは健康で金に不自由のな
い生活の中にあって〈不仕合せ〉であり、メドヴェーヂェンコは愛するマ
ーシャに拒まれていることで不仕合せである。どうやら、この戯曲の登場
人物たちは、少なくともメドヴェーヂェンコ、マーシャ、そしてソーリン
の三人は自分を〈不仕合せ〉と思っているらしい。
次の場面を見てみよう。
ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わ
たしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例しがない。前にゃよく、二
十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら・・
とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着い
たその日から、逃げだしたくなったよ。(笑う)引揚げる時にゃ、やれや
れと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退いてしまって、ほかに居場所
がない・・早い話がね。いやでも、ここに釘づけだ……(95)
ソーリンがマーシャに犬の鎖を解いてくれるようパパに頼んでくれ、と
言ったそのパパとはマーシャの父親シャムラーエフでソーリン家の支配人
である。マーシャは直接、父に頼んでくれと言ってにべもなく断る。ソー
リンは自分の領地に住んでいて、なぜ支配人に遠慮しなければならないの
であろうか。マーシャは、なぜソーリンの要望を無下に拒否できるのであ
ろうか。領主と支配人が、すでに主従の関係を保てなくなっていたのであ
ろうか。いずれにせよ、ソーリンは犬の吠え声に悩まされなければならな
い。ソーリンは、かつては骨休みのために二十八日の休暇をとって田舎の
屋敷に来たこと、しかしすぐに逃げ出したくなったと語る。おそらく都会
で何らかの役職に就いていたのであろう。田舎に飽きれば、すぐに都会へ
と舞い戻ることができたソーリンも、今や役を退いて、この田舎屋敷の他
には〈居場所〉がない。唯一の〈居場所〉が居心地のいい所であれば何ら
問題はない。ソーリンは決して馴染むことのできない田舎の領地にとどま
って、様々な不満を抱えて生きていく他はない。夜通し犬の吠え声に悩ま
されるのは、一種の刑罰であり地獄である。ふつうなら、どう考えても領
主を慮って犬の鎖を解くなり、他に移すなりするだろう。支配人のシャム
ラーエフの無配慮と、その娘マーシャの拒絶は、まさに領主を領主とも思
わぬ輩のすることと同じである。ソーリンは領地の者に対する支配力をま
ったく失った名ばかりの領主であったのだろうか。
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那、〔わっしら〕ちょいと一浴びし
て来ます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持場にいてくれよ。
(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カ
ーテン、袖が一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもな
い。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっか
り八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ
飛んじまう。もう来る時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見
張りがきびしいもんで、家を抜け出すのは、牢破りも同様、むずかしいん
ですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯ももじゃも
じゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは
若い時分から、飲んだくれそっくりの風采・・とまあいった次第でな。つ
いぞ女にもてた例しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、お冠
りなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋しいんですよ。(ならんで腰をおろし
ながら)妬けるんでさ。おっ母さんはてんからもう、この僕にも、今日の
芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演るのが自
分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、
眼の敵にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を廻さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采を浴びるの
が、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪のたねなんですよ。(時計
を見て)ちょいと心理的な変り種でね・・おっ母さんは。そりゃ才能もあ
る、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラ
ーソフの詩だって、即座に残らず暗唱できるし、病人の世話をさせたら・
・エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノ
ラ・ドゥーゼでも褒めて御覧なさい。事ですぜ! 褒めるなら、あの人の
ことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿
姫』だの『人生の毒気』〔ロシヤ十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの
戯曲〕だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激し
たりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。
そこで、淋しいもんだから苛々する。われわれみんな悪者で、親のカタキ
だということになる。おまけに、あの人は御幣かつぎで、三本蝋燭〔死人
のほとりを照らす習慣〕をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。し
かも、けちんぼと来ている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは
・・僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもん
なら、めそめそ泣き出す始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、
頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ・・とまあいった次第だがな。
案じることはないさ・・おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き・・嫌い、・・好
き・・嫌い、好き・・嫌い。(笑う)そうらね、お母さんは僕が嫌いだ。
あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が期待。とこ
ろがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭でも、自
分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいら
れるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なん
ですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。
あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、
奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場という
やつは、型にはまった因習にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明
に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優た
ちが、人間の食ったり飲んだり、惚れたり歩いたり、背広を着たりする有
様を、演じて見せる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、
なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ち
っぽけな、手っとり早い、御家庭にあって調法・・といった代物ばかりさ。
そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの
繰り返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出
すんです。エッフェル塔の俗悪さがやり切れなくなって、命からがら逃げ
出したモーパッサン〔その小説『さすらい』参照〕みたいにね。(全集95
〜98)
第一幕が始まる前に次のような舞台説明の文章があった・・「ソーリン
家の領地内の庭園の一部。広い並木道が、観客席から庭の方へ走って、湖
に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて。湖は
まったく見えない。仮舞台の左右に灌木の茂み。椅子が数脚、小テーブル
が一つ」。この舞台構成は、この戯曲の本質的なテーマを端的に表してい
ると言えよう。湖へと続く並木道をふさいでいるのは家庭劇を演ずるため
の仮舞台である。〈湖〉を平和、和解、明るい未来などの隠喩と見れば、
そこへと続く長い一本道が仮舞台によってふさがれているということは意
味深である。
2006年6月20日(火曜)
いったいこの仮舞台においてどのような家庭劇が演じられることになるの
か。演じられる前にすでに、トレープレフとその母アルカージナの確執が
露になっている。トレープレフは仮舞台を見て「これが僕の劇場だ」と言
っているから、舞台演出家なのであろうか。母親アルカージナはいつも自
分が讃美と喝采を浴びていなければ満足できないような女優である。とこ
ろが息子のトレープレフが主役に抜擢したのは裕福な地主の娘ニーナであ
る。読者・観客はこのニーナという〈女優〉の姿をまだ見ることはできな
い。読者・観客の言葉によれば、開幕はきっかり八場半ということである
から、それまでには必ず登場するであろう。ニーナが登場するまでに、ト
レープレフは母親について多弁を弄し、彼女の自己中心的な性格、ケチ、
劇場否定論者の彼に対する反感などを読者・観客にしっかりと植えつける。
どうやらトレープレフと母親との間にも修復不能の亀裂が走っているらし
い。まったくこの戯曲には、愛し愛される関係にある人物は一人も登場し
てこないのであろうか。否、メドヴェーヂェンコのセリフによれば、脚本
を書いたトレープレフと主演のニーナは〈恋仲〉で、今日は二人の魂が融
合するということであった。はたしてこの〈魂の融合〉はどこまで永遠性
を獲得できるのであろうか。何しろ『イワーノフ』においてはイワーノフ
とアンナの〈永遠の愛〉はわずか四年しかもたなかたのであるから。
劇場否定論者のトレープレフと、劇場大好き女優のアルカージナとの対
立・確執は、演劇における保守勢力と改革派の対立・確執のミニチュア版
といったところであろうか。トレープレフは仮舞台を見やりながら「カー
テン、袖が一つ、袖がもう一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなん
か、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線が開けるんだ」と言ってい
る。トレープレフの演劇にはたいそうな建築物としての劇場などいっこう
に必要としないらしい。彼は自然(ここでは湖まで続くまっすぐな並木道
や、月など)を巧みに利用すれば、舞台に大金をかけることはないと考え
ている。彼は「当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない」
と言い、観客は「俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ
出そうと血まなこだ」と批判する。彼は、新しい演劇の形式と、新しい観
客を求めて格闘しているらしい。劇場派の母親アルカージナは、トレープ
レフが戦わなければならない保守的陣営のシンボルでもある。従ってニー
ナが望む望まないにかかわらず、彼女もまたトレープレフの新思想のもと
にアルカージナと対立・葛藤しなければならないことになろう。未だ、ニ
ーナは登場していないが、はたしてどのように演技を展開するのか読者・
観客の興味は募る。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新らしい形式が必要なんですよ。新形式がいる
んで、もしそれがないんなら、いっそ何にもない方がいい。(時計を見
る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活
は、なんぼなんでも酷すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべ
たしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口です
よ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むら
むらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なの
が、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸
福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情ない、馬鹿げた境遇
があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずら
り顔をならべたもんです・・役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だ
けが、名も何もない雑魚なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人
の息子だからというだけのことに過ぎん。僕は一体だれだ?
2006年6月22日(木曜)
どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告に
よくある、例の「さる外部事情のため」〔当時の雑誌などが、思想の弾圧
のため発禁になった時に使う慣用句〕って奴でさ。しかも、これっぱかり
の才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ・・キーエフの町
人と書いてある。なるほどうちの親父は、有名な役者じゃあったが、元を
ただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間
で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼を僕にそそいでくれるごとに、
僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたい
な気がした、・・向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんです
よ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全
体に何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、
メランコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間が
あるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分
だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかな
あ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイや
ゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこ
れでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になるこ
となんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、
なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ(耳を澄ます)足音がきこえる。……(伯父を抱いて)僕
は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までが素晴らしい。……
めちゃめちゃに幸福だ!(足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、
可愛い魔女が来た、僕の夢が……(98〜99)
アルカージナは大女優、息子のトレープレフは大学を三年で飛びだした
〈名も何もない雑魚〉である。トレープレフは母親に嫉妬し、母親の前で
自分が一匹の〈雑魚〉であることを不断に思い知らされている。トレープ
レフは息子として母親を誰よりも愛しているが、同時に「のべつ新聞に浮
名をながしている」母親に反感を抱いている。アルカージナは世間体など
気にせずにマイペースで生きている〈有名な女優〉で、彼女の客間には
〈天下のお歴々〉が顔を並べている。トレープレフはいつも肩身の狭い思
いで小さくなっている。トレープレフはソーリンに自分の母親に対する思
いを正直に話している。
トレープレフが新しい形式の演劇を模索し、将来、演劇界で活躍する野
望を抱いていたのであれば、アルカージナという女優は打倒しなければな
らない敵側の一人ということになる。おそらくトレープレフは素人娘のニ
ーナを抜擢することで保守的な大女優アルカージナに反抗し、新しい演劇
の夜明けを目指したのであろう。今後、その試みがどのような展開を見せ
るのか、観客の注目を集めるだけ集めたところで、いよいよトレープレフ
の〈夢〉である、〈可愛い魔女〉ニーナの登場とあいなる。
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れや
しないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してく
れまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母と一緒に
出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生
けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉しいわ。(ソーリンの
手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目を、泣きはらしてござる。……ほら
ほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんで
いるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから
引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んで来なくち
ゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあ言った次第でな。はいは
い、只今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふ
たりづれ。」〔ハイネの『ふたりの擲弾兵』より〕……(ふり返って)い
つぞや、まあこういった工合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、
こう言いおった・・「いや閣下、なかなか大した喉ですな。」……そこで
先生、ちょいと考えて、こう附け足したよ・・「しかし……厭なお声で
。」(笑って退場)
ニーナ 父も継母も、あたしがここへ来るのは反対なの。ここはボヘミ
アンの巣窟だって……あたしが女優ににでもなりゃしまいかと、心配なの
ね。でもあたしは、ここの湖に惹きつけられるの、かもめみたいにね。…
…胸のなかは、あなたのことで一ぱい。(あたりを見まわす)
2006年6月26日(月曜)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻)
ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ ニレの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急い
で帰らないで下さい。後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜ど
おし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、万人に見つかるわ。それにトレゾールは、まだお馴染じ
ゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)だれだ? ヤーコフ、お前か?
トレープレフ みんな持場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄もあるね? 紅い目
玉が出たら、硫黄の臭いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、
支度はすっかり出来ています。……興奮ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは・・平気ですわ、こわくなんか
ない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をす
るのは、あたしこわいの、恥かしいの。……有名な作家ですもの。……若
いかた?
戸 ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人間がいないん
だもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけ
ない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくち
ゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少くて、読むだけなんですもの。戯曲
というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……
(ふたり、仮舞台のかげへ去る)(全集12・99〜101 )
2006年6月27日(火曜)
トレープレフの〈可愛い魔女〉〈夢〉であるニーナが登場。読者・観客
はニーナの発する言葉によって彼女の置かれている状況を把握する。母親
は継母で、父親はニーナのしつけに厳しく、夜に娘が外に出ることなど絶
対に許さない、たまたま両親が揃って出掛けた隙に馬を追い立てて約束の
場所へと着いたことになる。つまりニーナは父親に内緒でトレープレフの
所へと駆けつけ、約束の芝居をしてすぐに戻らなければならない。ニーナ
の両親は娘がトレープレフと付き合うことに反対している。両親にとって
トレープレフの所は〈ボヘミアンの巣窟〉で、ニーナが〈女優〉になるこ
となど大反対なのである。
しかしトレープレフとニーナは愛し合っている。愛する男と逢うために
親の眼を盗み、嘘をつくことなどどこの娘もしていることだ。ニーナの情
熱を、トレープレフの愛情を誰も押さえ込むことはできない。しかし、す
でにわたしは『イワーノフ』を読んでいる。あの〈永遠の愛〉を誓ってお
きながら、その誓いに背いたイワーノフの運命を知っている。どのような
熱烈な愛も、それが男と女の間に通う愛なら、時の流れの中でその熱を失
い、冷えきってしまうこともある。男と女の間に〈永遠の愛〉など存在し
ないからこそ、二人は〈誓い〉をたてて、お互いの心を縛りあうと言って
もいい。しかし、熱烈な愛の直中にある時の〈誓い〉は重荷ではないが、
冷めきった後ではその〈誓い〉が己の首をしめることになる。イワーノフ
はアンナの顔を見るだけでもうざったく、とにかく彼女の前から逃亡をは
かり、あげくのはてにはピストル自殺してはてた。イワーノフの陥った憂
鬱は、新たな恋によっては解消せず、結局、自ら命を絶つことによって彼
自身はその虚無の淵からの脱出に成功したが、残された者には確実にその
〈憂鬱〉のウィルスをまき散らした。特にイワーノフの更生にかけていた
サーシャなどは、夫に裏切られた妻アンナ以上のショックを受けたに違い
ない。
チェーホフの読者・観客は、従ってトレープレフとニーナの愛に関して
も、冷やかな眼差しをぬぐい去ることはできない。いったいトレープレフ
の〈可愛い魔女〉が、いつまで彼の〈夢〉たり得るのか。それは文字通り
〈夢〉に終わってしまうのではないのか。トレープレフの母親、トレープ
レフが演劇上、いつかは徹底してぶちのめさなければならない大女優アル
カージナに、はたしてニーナはどこまで喰い入ってくれるのか。ニーナは
ただただトレープレフにお熱をあげているだけの小娘で、一時、トレープ
レフの影響に感染して演劇熱に浮かされているだけではないのか。
2006年6月29日(木曜)
ニーナは未来に暗い予感を感じている。それはトレープレフとの関係に
明るい未来を想定できないことを示している。ニーナはニレの木を見て
「どうして、あんなに黒いのかしら?」と訊ねる。トレープレフは「もう
晩だから、物がみんな黒く見えるのです」と答える。しかし、このトレー
プレフの返事はニーナの疑問に答えていない。ニーナは全く別のことを訊
いているのだ。〈ニレの木〉の黒さ、それはトレープレフが抱え込んでい
る闇の隠喩であり、愛し合っている二人の破滅的未来を暗示しているかも
知れないではないか。少なくとも、父親からトレープレフとの交際を禁じ
られているニーナにとって、未来は決して明るくはない。湖へと続く一本
道が仮舞台によって遮られていることが二人の未来を端的に暗示している
とも言える。ニーナは「あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人
間がいないんだもの」と言う。この言葉の中にすでに二人の破綻が予告さ
れている。トレープレフの〈可愛い魔女〉は、実は母親の大女優アルカー
ジナよりも、実は手ごわい相手であったのかも知れない。いちど自分の心
の内に入り込んだ〈魔女〉を排除することは容易ではない。ニーナの口に
するセリフは、誰にも妥協しない力強さがある。「あなたの戯曲は、動き
が少くて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がな
くちゃいけないと、あたしは思うわ」・・ニーナの言葉には誰にでも分か
る具体性がある。一方、トレープレフのそれは抽象的である。彼は〈生き
た人間〉〈人生〉を描くには「あるがままでもいけない、かくあるべき姿
でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ」と言う。はたして
この言葉を正確に理解できる者が何人いるのだろうか。〈自由な空想にあ
らわれる形〉・・これは難解な言葉である。トレープレフが自らの演劇で
狙う〈生きた人間〉の姿をこのような言葉で表現されても、なかなかすぐ
には理解できないのである。はたして相手のニーナにどこまで正確に伝わ
ったであろうか。トレープレフの〈抽象〉とニーナの〈具象〉はやがて、
はっきりとした意見の相違となって二人の関係を破綻の方向へと押しやっ
ていくのではなかろうか。今はまだ余りにも小さい溝で、二人とも、その
溝の深さに気づいていないだけのような気がする。
2006年7月1日(土曜)
いよいよ幕があがって、湖の光景が開ける。月は地平線を離れ、水に反
映している。岩の上に白衣のニーナが座っている。ニーナの長い独白が続
く。
ニーナ 人も、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、
蜘蛛も、水に棲む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった
微生物も、・・つまりは一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲しい
循環をおえて、消え失せた。……もう、なん千世紀というもの、地球は一
つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火をともして
いる。今は牧場に、寐ざめの鶴の啼く音も耐えた。菩提樹の林に、こがね
虫の音ずれもない。寒い、寒い。うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味
だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。
永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊
魂だけは、溶け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂・・
それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル
大王の魂もある。シーザーのも、シェークスピアのも、ナポレオンのも、
最後に生き残った蛭のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、
人間の意識が、動物の本能と溶けあっている。で、わたしは、何もかも、
残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新らしく生
き直している。
鬼火があらわれる。
アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。
そしてわたしの声は、この空虚のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞
く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ
前、沼の毒気から生まれたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、
思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、
命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなし
に、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。
だからお前は、絶えず流転をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のも
のがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこま
れだ囚われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知ら
ない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手
の、たゆまぬ烈しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質
と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志
の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、
永い永い歳つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この
地球も、すべて塵と化したあとのことだ。……(間。湖の奥に、紅い点が
二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖
ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほどね、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶ
りなさい、風邪を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱
帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ!
幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら!(とんと足ぶ
みして)幕だ!(幕がおりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演し
たりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘
れていたもんで。僕はひとの畠を荒らしたんだ! 僕が……いや、僕なん
か……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)(全集12・10
4 〜106 )

ニーナはトレープレフが書いた脚本をそのまま口にしているだけのこと、
このセリフにはたしてどれほどの演技力が必要とされたのか。もし、この
セリフ自体にトレープレフが意味をこめていたのだとすれば、何も劇仕立
てにしてくれずとも、脚本をそのまま読めばいいということになる。舞台
での長いセリフは観客の耳にそのまま正確に伝わるとは限らない。なのに
なぜトレープレフは、脚本を書いてそれを活字で発表することだけに満足
せず、さらに俳優を集め、演出し、観客動員に駆け回る、そんなこんなの
苦労を重ねてまで舞台作りに精をだすのだろうか。
https://www.shimi-masa.com/?p=350
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c29

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
30. 中川隆[-13491] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:22:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1413]
チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載A
清水 正
https://www.shimi-masa.com/?p=351


2006年7月2日(日曜)
トレープレフはこの芝居でいったい何を言いたかったのであろうか。ニ
ーナが背負っている役は「一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲し
い循環をおえて、消え失せた」後の「世界に遍在する一つの霊魂」である。
この〈霊魂〉にトレープレフの思いのすべてが託されている。チェーホフ
の人物の大半は、自分の存在を未来の時点から見つめる視点を持っている。
ここでトレープレフは〈なん千世紀〉という未来時点に存在する〈世界に
遍在する一つの霊魂〉を描いているが、これはその未来時点から今現在を
見ていると言ってもいい。トレープレフはここで、単なる人間、単なる民
族の滅び行く運命ではなく、〈一さいの生き物〉が消え失せた地球を、す
なわち悠久の時を視野に入れている。人間はどんなに養生しても百年も二
百年も生きられるものではない。この世に誕生した者は、ただ一人の例外
もなく死んでいかなければならない。しかも人間はどこから来て、どこへ
行くのかを知らない。人生を真剣に考えれば考えるほど、わたしたちの存
在は或るなにものかによって愚弄されているようにも感じる。或る限定さ
れた時間の枠の中で、喜んだり悲しんだりしながら、結局は死の淵へと追
いやられてしまう人間。それでも今現在に没頭できる人間は、それなりに
生を享受できる。ところが、不断に今現在の自分の存在を死後の時点から
見つめるような眼差しを持った人間は、どうしてもしらけてしまう。どの
ように生きようと、結局は死んでしまうのだとすれば、この世の束の間の
生にいったいどのような意味があるのか。イワーノフの内部に侵入した空
虚、倦怠、憂鬱は、決してイワーノフだけに特有のものではない。自分の
存在を未来時点から眺める者はすべて空虚と倦怠の卵を抱いて生きている。
ここでトレープレフが設定した〈世界に遍在する一つの霊魂〉は〈わた
し〉という主体的な存在で、人間と同様の〈孤独〉を抱えている。この
〈わたし〉は〈永遠の物質の父なる悪魔〉とは対極にある存在で、この悪
魔をも包み込んだ〈霊魂〉ではない。〈わたし〉は〈物質の力の本源たる
悪魔〉と〈たゆまぬ激しい戦い〉をしなければならない存在である。ただ
し〈わたし〉はこの悪魔との戦いに勝利すること、「やがて物質と霊魂と
が美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志の王国が
出現する」ことを予言している。〈わたし〉は悪魔と勝つか負けるかの、
賭博のような戦いをしているわけではない。〈わたし〉は勝利を約束され
た〈霊魂〉なのである。ならば、何故に〈わたし〉は孤独を感じるのであ
ろう。
〈世界に遍在する一つの霊魂〉は、トレープレフが想像し創造した〈霊
魂〉で、多分にトレープレフ自身の内的世界を反映している。〈わたし〉
は「宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ」と
言い、さらに「うつろな深い井戸へ投げこまれた囚われびとのように、わ
たしは居場所も知らず、行く末のことも知らない」と言う。この言葉から
分かるのは、トレープレフは人間は死んだら死りっきりとは思っていなか
ったということである。死んだ人間の身体は腐敗し、大地に溶けこんでし
まうが、霊魂は依然として存在するという考えである。そして人間を含む
〈一さいの生き物〉の霊魂が溶け合わさって一つになったものが〈わた
し〉であり、〈わたし〉はやがて〈世界を統べる一つの意志の王国〉が出
現することを信じている。この〈意志の王国〉に或る限定された生物の固
体はどのように復活してくるのであろうか。例えば、今現在を芝居に熱中
しているトレープレフは、〈意志の王国〉が出現した時に、どのような姿
形を持って蘇生してくるのであろうか。もし、姿形はもとより、すべてが
今現在のトレープレフと違ったものとして蘇生するのであれば、死後も存
在し続ける〈霊魂〉の意味はどこにあるのだろうか。
トレープレフは何と戦っていたのだろうか。母親のアルカージナと戦っ
ていたのであろうか。否、トレープレフが何よりも一番に戦っていた相手
とは〈時間〉である。トレープレフは〈時間〉を超脱しようとしている。
人間は時間の枠の中で生存している。時間の枠から逃れる唯一の方法は死
しかない。死んでも〈霊魂〉が存続するというのであれば、その〈霊魂〉
が存続する〈時間〉が想定されなければならない。しかし、自分が自分で
あることを認識するには意識が必要である。たとえ死んでも、いきのびた
〈霊魂〉が「自分は自分である」という自己同一性の意識を持っていなく
てはならないことになる。トレープレフは生きており、死んだ後の〈霊
魂〉の存在を証明してはいない。トレープレフに可能なことは芝居の脚本
を書いて、自分の考えを観客に伝えることだけである。ニーナの口を通し
て語られたトレープレフの考えは死後においても〈霊魂〉が存在すること、
やがては物質と霊魂が溶け合って世界を統べる一つの意志の王国が出現す
るということである。この確信は、言わばトレープレフの信仰のようにも
のである。、が、この信仰をもってしてもどうにもならない事実がある。
それは〈時間〉である。〈世界に遍在する一つの霊魂〉である〈わたし〉
もまた時間を超越することはできない。それは〈永遠の物質の父なる悪
魔〉もまた同様である。〈世界に遍在する一つの霊魂〉に意志があり、
〈永遠の物質の父なる悪魔〉に意志があったにしても、〈時間〉そのもの
をどうこうする力はない。〈時間〉そのものに意志があるとすれば、〈霊
魂〉も〈悪魔〉もその意志をどうすることもできない。〈時間〉の支配下
におかれたモノの〈意志〉など、はたして意志と呼べるものかどうか。
トレープレフのヴィジョンにはニーチェの永劫回帰説やショーペンハウ
エルの盲目的な宇宙意志、キリスト教の復活説などが反映している。しか
しここでトレープレフの〈世界に遍在する一つの霊魂〉や〈永遠の物質の
父なる悪魔〉、〈世界を統べる一つの意志の王国〉の実体などを考察する
よりは、このような戯曲を書かざるを得なかった彼の〈孤独〉に照明を与
えることにしよう。トレープレフの実存の特徴は〈世界に遍在する一つの
霊魂〉の口から出た〈寒い〉〈うつろ〉〈不気味〉〈孤独〉〈空虚〉とい
った言葉に端的に表れている。〈世界に遍在する一つの霊魂〉は「人間が
いないので、退屈なのだ」と言う。まさに、この〈霊魂〉はいっさいの生
き物の霊魂が一つに溶け合ったものというより、人間の一人であるトレー
プレフ自身の内的世界を投影している。トレープレフは孤独で、しかも退
屈なのだ。おそらくトレープレフは愛するニーナの存在によってもその孤
独と退屈から脱することはできないであろう。なにしろトレープレフは救
い難き憂鬱症に陥ったイワーノフの後に登場してきた人物なのである。
トレープレフがカッとなって「芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろ
せ!」と怒鳴った場面に注目しよう。トレープレフの怒りがとつぜん爆発
したのは、医師ドルーンが帽子を脱いだときに、母親のアルカージナは
「それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったの
さ」と説明した直後である。どうしてこのアルカージナの説明がトレープ
レフの怒りを誘発したのか。ここには何かひとには言えない秘密が隠され
ているのであろうか。
トレープレフは怒りにまかせて「失礼しました! 芝居を書いたり、上
演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つ
い忘れていたもんで」と皮肉を飛ばす。しかし、この辛辣な皮肉が皮肉と
してアルカージナに伝わっていないところにトレープレフの孤独と滑稽が
ある。アルカージナの兄ソーリンは「若い者の自尊心は、大事にしてやら
なけりゃ」と言う。ソーリンから見れば、アルカージナの言葉は、新しい
芝居に情熱を傾けるトレープレフの自尊心を著しく傷つけたように思えた
のであろう。しかし肝心のアルカージナにそういった自覚はまったくない。
彼女はある意味、天真爛漫な女優であり、感じたこと、思ったことを率直
に口にしているに過ぎない。〈世界に遍在する一つの霊魂〉の前に強敵の
悪魔がやって来た、まさにその時、トレープレフは〈硫黄の臭い〉を漂わ
せる。すかさずアルカージナはトレープレフに「こんな必要があるの?」
と訊いている。これは皮肉ともあてこすりともとれなくはないが、アルカ
ージナに対抗して新しい演劇を展開しようとする者が、そんな言葉にいち
いちカリカリしていてはいけないだろう。
2006年7月3日(月曜)
トレープレフは「芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれ
た人たちのすることだ」と本気で考えていたのだろうか。おそらくアルカ
ージナは多くの観客を楽しませ感動させるために芝居はあり、自分はその
主役女優だと思っていたに違いない。いつの時代でも、どんな芸術の分野
でも、トレープレフとアルカージナにおける意見の相違は存在する。文学
に限っても純文学と大衆文学がある。演劇の場合は、或る一定の場所(舞
台)に、或る限定された時間内に多くの観客を集めなければならない。小
説の読者のようなわがまま(どんな時間にどれだけ読むかは読者の自由で
ある)は、原則として演劇の観客には許されていない。興行主は、経営上
の問題からも、なるべく多くの観客が集まるような芝居を打ちたいし、俳
優を使いたいと思うのが当然である。トレープレフのような考えを持った
脚本家や演出家は、利益優先の興行主には嫌われるだろう。もしトレープ
レフが自分の主張をまげずに演劇活動を展開しようとするなら、興行費用
は自分で負担しなければならないことになる。トレープレフの演劇論に賛
同する同志的俳優やスタッフが経費を自己負担でもしなければ、とうてい
興行は続けられないことになる。いつの時代でも、新しいことを展開する
ためには、旧世代や旧理論と壮絶な闘いをしなければならないし、自分た
ちの主張が受け入れられるまでにそうとうの苦労を積み重ねなければなら
ない。アルカージナにちょっとばかりチャリを入れられたぐらいでヒステ
リーを起こし、芝居を中断するようではトレープレフの前途は決して明る
くはない。
アルカージナに言わせればトレープレフは「わがままな、自惚れの強い
子」であり、トレープレフの野心満々な演劇の新形式も、ただの〈根性ま
がり〉に過ぎない。要するにアルカージナは息子が〈何か当り前の芝居〉
を出さずに、〈デカダンのたわ言〉を上演したことに不満なのである。
〈世界に遍在する一つの霊魂〉と〈永遠の物質の父なる悪魔〉との闘いも、
〈世界を統べる一つの意志の王国〉の出現も、アルカージナにとっては根
性まがりのデカダンであり〈退屈な暇つぶし〉に過ぎない。哲学の問題は
哲学者が、神学の問題は神学者が頭を悩ませばいい。芝居は皆が喜び、興
奮する一時の娯楽であればいい。演出家や俳優は大衆の娯楽に奉仕すれば
いいのであって、舞台上で自己満足的な理屈をこねまわすことではない。
おそらくアルカージナが考えているのはこういうことであろう。
確かにアルカージナの言は説得力がある。トレープレフがニーナに語ら
せたセリフは脚本を読めばそれですんでしまうことで、敢えて舞台にかけ
る必然性があるとは思えない。アルカージナの感想は、この場に観客とし
て集まった者たちの大半の賛同を得たことだろう。トレープレフの演劇の
新形式に賭ける情熱に水をさすつもりはないが、〈世界に遍在する一つの
霊魂〉の独白は、ひとり書斎で読んでもいい性格のものである。というよ
り、その方が聞き逃しもなく、正確に読み取ることができよう。チェーホ
フ作の『かもめ』は、トレープレフ作の〈デカダンのたわ言〉をも内包す
ることで、観客の退屈を回避することが可能となっている。
アルカージナがトレープレフの芝居の中身について何らコメントを出さ
ず、言わば外側からトレープレフの野心満々を〈デカダンのたわ言〉〈退
屈な暇つぶし〉と切って捨てたのに対し、教師のメドヴェーヂェンコは
「何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂に
してからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね」と一応、中身
に関するコメントを発している。いずれにしても、トレープレフが自ら中
断した芝居は理屈が勝ったもので、一般の観客には理解できず、退屈きわ
まりないものと化したことだろう。二十一世紀の今日においても、トレー
プレフ的理屈の勝った芝居を打っている劇団は多い。主催者側がいくら自
己満足しても、観客にとってはただただ眠いだけの朗読劇のようなものは
なんとかならないものか。もし脚本のセリフ勝負というのなら、それに相
応しい役者を抜擢してもらわなければならない。そうでなければ脚本を静
かな場所でじっくり読んだほうがどれほどましであろうか。
メドヴェーヂェンコは文士トリゴーリンに「で一つ、どうでしょう、わ
れわれ教員仲間がどんな暮らしをしているか・・それをひとつ戯曲に書い
て、舞台で演じてみたら。辛いです。じつに辛いです!」と言う。アルカ
ージナは戯曲や原子の話はもうやめにして、向う岸から聞こえてくる歌に
耳をすまそうと言う。彼女はトリゴーリンに向かって次のように言う。
十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきり
なしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主貴族が六つもあってね。忘
れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっ
ちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……その頃、その六つの屋敷の花形
で、人気の的だったのは、そら、御紹介しますわ(ドールンをあごでしゃ
くって)・・ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前です
もの、その頃と来たら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそ
うと、そろそろ気が咎めてきた。可哀そうに、なんだってわたし、うちの
坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せ
がれや! コースチャ!
2006年7月4日(火曜)
こういった場面で分かるのは、アルカージナが過去に思いをいたすタイ
プであること、つまり未来よりは積み重ねた過去の時間の方に重きを置い
て生きているということである。アルカージナからかつて花形であったと
紹介されたドクトル・ドールンもまた基本的には同じである。アルカージ
ナは第二幕のはじめに「わたしには、主義があるの・・未来を覗き見しな
い、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがな
いわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの」と語っている。この言
葉で彼女は自分の人生に対する基本的な姿勢を端的に示している。名もな
い、駆け出しのトレープレフは自分の仕事を未来に託すほかはない。かれ
にとって現在は未来へ向かって投企されている。だからこそ未来へと続く
現在が否定されることは、トレープレフにとって何よりも痛い。彼は意識
のうえではアルカージナを過去の人として葬り去りながら、しかし依然と
して彼女の言葉が重くのしかかっている。ところがアルカージナは、すで
に女優としての絶頂期を終えている。彼女にとって過去よりも、現在より
もすばらしい未来が待機しているようには思えない。すでにアルカージナ
は未来を覗き見して一喜一憂する乙女のような心持ちでいきることはでき
ない。彼女は過去をなつかしく思い出すことはあっても、別にその過去に
過剰とらわれることもないし、未来に過剰に期待することもない。彼女は
現在を精一杯、感じ、働き、生きることを信条としている。それは一つの
理想的な生き方である。
ところでアルカージナのこういった現在優位の生き方は自分に自信があ
るからこそ可能だとも言える。現在に絶望し、未来になんの期待も寄せら
れない人間に可能なのは、現在よりはましだった過去への追憶に時を費や
すことであったり、死後の世界に希望を抱くほかはないだろう。アルカー
ジナは過去の名声を現在へまで繋げている大女優である。もし彼女が自分
を一歩前面から退く謙虚さをもって後進の指導にあたることができるよう
なタイプであれば、息子トレープレフの自尊心をいたく傷つけることもな
かったであろう。しかしそういった謙虚さや指導力を彼女に期待すること
はできない。トレープレフは母親の性格を的確に認識している。アルカー
ジナについて先に彼は「褒めるなら、あの人のことだけでなくてはならん。
劇評も、あの人のことだけ書けばいい」とソーリンに言っていた。舞台女
優で名声を博したような者は、たいがい傲慢でひとりよがりと思っていれ
ば間違いないということであろうか。女優に必要とされるのは謙虚さなど
より、むしろ見栄や虚勢であるのかも知れない。自分が世界一の女優だと
心の底から思わなければ、舞台に華やかさをもたらすことはできず、観客
を大きな感動の渦へと誘う力も失せてしまうのかもしれない。喝采を独り
占めするくらいの勢いで舞台に登場しなければ女優はつとまらない。しか
も女優は私生活においても派手な立ち居振る舞いで人々の注目を集めてい
なければならない。というよりか、もともとそういった派手で目立ちたが
り屋でなければ女優としては大成しないのであろう。ドストエフスキーの
人物の中に〈女優〉を探すなら、二人の女の頭上に斧を振り下ろして殺害
したラスコーリニコフの妹ドゥーニャや、ロゴージンとムイシュキン公爵
の間を揺れ動いたあげく殺害されたナスターシャなどを見出すことができ
よう。前者は殺人者の兄ラスコーリニコフの妹にふさわしく、スヴィドリ
ガイロフに銃弾を発射することのできる誇り高き美女であり、後者もまた
傲慢で気まぐれな誇り高き絶世の美女である。こういった荒馬を調教し、
演出できる監督がいれば、彼女たちはさらに美しく輝いたはずである。
『罪と罰』のソーニャのような、運命に従順な、静かな女は、信仰を得て
強い女にはなれても、決して舞台女優にはなれないのである。彼女のよう
な存在は、ドストエフスキーという偉大な小説家のペンによってのみ誰よ
りもすばらしい、輝ける聖なる存在へと高められるのである。つまり小説
世界の中で輝きを増す存在が、即、舞台女優としてその才能を発揮するこ
とはないのである。
ただしアルカージナは女優であると同時にトレープレフの母親でもある。
どんなにトレープレフが演劇の新形式で彼女の牙城に迫ろうとも、母親と
して息子を想う気持が失せることはない。と言うよりアルカージナは未だ
トレープレフを手ごわい相手とは見ていない。ところで医師ドールンのみ
はトレープレフの芝居を高く評価している。彼は独りごちる「ひょっとす
ると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、
とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独
のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅い目玉があらわれた時にゃ、お
れは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ」と。ドールンはトレー
プレフに向かってもはっきりと「僕はきみの芝居が、すっかり気に入っち
まった。ちょいとこう風変りで、しかも終りの方は聞かなかったけれど、
とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんで
すね」と言って励ましている。トレープレフはドールンの手を強く握り、
いきなり抱きついて、目には涙までためて感激する。ドールンはさらに言
葉を続ける「いいですか・・きみは抽象観念の世界にテーマを仰いだです
ね。これは飽くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必らず、
何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美し
い」「重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。きみも知ってのと
おり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情を失わずに送
ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたっ
て味わうような精神の昂揚を、ひょっと一度でも味わうことができたとし
たら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上っ面や、それにくっつい
ている一さいを軽蔑して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ない
な」「それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭な、ある決った思想が
なければならんということだ。何のために書くのか、それをちゃんと知っ
ていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しなが
ら道を歩いて行ったら、きみは迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼ
すことになる」と。
かつて六つの貴族の屋敷で、花形として人気の的であったドールンの言
葉が、どれだけトレープレフを勇気づけ励ましたであろう。若い有能な才
能には讃美と励ましが必要である。放っておいても育つ才能があり、厳し
い指導によってのみ伸びる才能がある。しかし大抵の場合は、理解者が側
にいて励ます必要がある。確かに中途半端な称賛はよくないが、真に理解
し、真に励ます者がいることは、芸術家の誰もが望ところであろう。アル
カージナにチャチャを入れられたくらいで、怒りを爆発させて芝居を中断
するほどナイーヴなトレープレフに必要なのは、ドールンのような勇気づ
けなのである。
2006年7月5日(水曜)
さて、トレープレフとニーナの恋はどうなっただろうか。わたしは先に
二人の破綻は目に見えているかの如く書いた。トレープレフは自分の思い
入れの中でニーナを偶像化した。ニーナは美しい女であったかも知れない
が、トレープレフの精神世界の理解者ではない。皮肉を飛ばすことができ
るだけ、母親のアルカージナの方がよほど息子を理解している。ニーナは
所詮は田舎育ちの、有名な女優や作家に憧れているお嬢さんの域を一歩も
出ていない。トレープレフはただ自分に仕えてくれるだけの、従順な女性
を求めているのではない。自分の新しい演劇理論を理解し、共に同志とし
て闘ってくれる伴侶を求めている。しかし、芝居が失敗に終わり、ニーナ
はトレープレフに冷たい態度をとっている。
次にトレープレフが自分が猟銃で撃ち落とした鴎の死骸をニーナの足元
に置いた、その直後の場面を見てみよう。
ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似をした。あ
なたの足もとに捧げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を餅あげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺
すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度
は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいると
さも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしな
い、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうや
ら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎
をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわか
らないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になっ
た、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦しませんからね。僕
はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじ
めだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷めたくなったのが、僕は
怖ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目が覚めてみ
ると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面に吸いこまれてしまって
いたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわか
らない、と言いましたね。ああ、何のわかることがいるもんですか?!
あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、
あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡な下らん奴らと一緒にし
てるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるん
だ! 僕は脳みそに、釘をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の
血をまるで蛇みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪われる
がいいんだ。……(トリゴーリンが手帖を読みながら来るのを見て)そう
ら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱ
り本を持ってね。……(嘲弄口調で)「言葉、ことば、ことば」か……ま
だあの太陽がそばへ来ないうちから、あなたはもうにっこりして、目つき
まであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
(全集12・123 〜124 )
トレープレフはなぜニーナに対して腹をたてているのであろうか。それ
は彼の〈可愛い魔女〉が〈可愛い魔女〉でなくなり、彼の〈夢〉が彼の
〈夢〉でなくなったからである。ニーナはトレープレフの内的世界をなん
にも理解できない。ニーナが芝居に望んでいることは、トレープレフの新
形式ではなく、むしろアルカージナの方にある。芝居は男と女のロマンス
を具体的に、分かりやすく演じなければならない。それこそ大衆が、多く
の芝居好きの観客が望むところであり、哲学的な〈デカダンなたわ言〉が
延々と続くような独白劇ではない。〈世界に遍在する一つの霊魂〉だの
〈永遠の物質の父なる悪魔〉などは、頭でっかちの文学青年が一人自分の
小部屋で読むか呟いていればいいことで、多くの観客を巻き込んで彼らの
単純な頭脳を苦しめることはない。ニーナは自分でも言っているように
〈単純〉なお嬢さんで、トレープレフが演劇の新形式を舞台上で体現させ
るような存在ではなかったのである。トレープレフはニーナをよく観察し
分析した上で彼女を好きになったわけではない。トレープレフがニーナに
求めるものと、ニーナがトレープレフに求めるものは違っている。その違
いにニーナは気づいているが、トレープレフは気づいていない。
ニーナはトレープレフに言われた通り、芝居をした。が、ニーナ自身は
自分が口にしているセリフを何一つ理解していない。トレープレフがアル
カージナの皮肉に我慢がならず、芝居を中止して姿を消してしまった後、
ニーナは仮舞台のかげから出てきてアルカージナとキスをかわし、話をす
る。この時ニーナはアルカージナにトリゴーリンを紹介される。ニーナは
嬉しさいっぱいでどぎまぎしながら、トリゴーリンの作をいつも拝読して
いる意味の言葉を発する。続いてニーナは「ね、いかが、妙な芝居でしょ
う?」と言い、トリゴーリンは「さっぱりわからなかったです。しかし、
面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置
も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな」
と答える。この短い会話の中に、トリゴーリンとニーナの凝縮された思い
がこめられている。ニーナはトリゴーリンに憧れている。トリゴーリンは
すでに作家としての名声を博しており、トレープレフのような野心も焦燥
もない。トレープレフはアルカージナの愛人であるトリゴーリンをおもし
ろくないと思っているし、彼の作品を評価したくもない。ところがトレー
プレフの〈可愛い悪魔〉は、トレープレフなどよりはるかにトリゴーリン
に魅力を感じて憧憬の眼差しを向けている。ニーナがトリゴーリンに向か
って「妙な芝居でしょう?」と語りかけている、その時点で彼女のトレー
プレフに対する思いは、トレープレフに恋する乙女のものでないことは明
白である。ニーナの乙女心は眼前のトリゴーリンに夢中である。トリゴー
リンの「さっぱりわからなかったです」は「妙な芝居でしょう?」とその
同意を求めたニーナの問いに対する如才のない返答であり、田舎娘ニーナ
の乙女心を一挙にとらえたと言えよう。しかもトリゴーリンはニーナの演
技の真剣さに関してはさりげなく、しかしはっきりと讃美している。こん
な短い言葉でありながら、トリゴーリンはすっかりニーナの魂を鷲掴みし
てしまったのである。しばらく間をおいて、トリゴーリンは芝居から湖の
魚へとさりげなく話題を変換している。チェーホフは省略の美学を存分に
発揮して、憧れの作家から自分の演技を褒められたニーナの内心の歓喜を
いっさい表現していないが、おそらく(間)のあいだの、喜びにうち震え
ているニーナの気持を十分に汲み取ったうえでトリゴーリンは魚の話を持
ち出している。トリゴーリンがどれほどの小説家であるかは分からないが、
女心に精通した男であることに間違いはなさそうである。
2006年7月6日(木曜)
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じつ
と浮子を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、一たん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみな
んか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。
このかた、ひとから持ちあげられると、尻もちをつく癖がおありなの。
(109 )
トリゴーリンのさりげない釣りの話がいい。ニーナの顔を見れば新しい
演劇について理屈をこね廻しているトレープレフよりは、はるかにおしゃ
れでダンディである。名声や才能に憧れる田舎のお嬢さんにとって、トリ
ゴーリンとの出会いは決定的な何かを植えつけてしまった。それこそ尊敬
の念に隠れた密かな恋心であったかもしれない。女が新しい恋に目覚めれ
ば、今朝の恋心さえ古臭く思われるものである。ニーナは『可愛い女』の
オーレンカのように、過去にとらわれず、未来に思いを寄せず、ただひた
すら現在を生きるのである。その意味では、歳をくっている分、過去にこ
だわりはするが、基本的に今現在を燃焼して生きようとするアルカージナ
と似ていると言えよう。今を生きる女は、その〈今〉から脱落した者のこ
となど振り向きもしない。トレープレフはあっという間に、ニーナの〈
今〉から振り落とされてしまった。トレープレフは恨ましい眼差しでニー
ナとトリゴーリンの関係を見ているほかはない。初めての実験的な芝居に
失敗し、同時にニーナという〈夢〉も失ってしまったトレープレフ。が、
ニーナはトレープレフになんの同情も憐れみも感じることはない。まさに
ニーナは〈魔女〉であり、トレープレフに対しても情容赦無く存分にその
魔性を発揮している。
トレープレフはニーナの心がトリゴーリンに移ってしまったのを感じて
いる。ニーナの態度はまさにがらりと変わってしまったのだ。ニーナは自
分が単純すぎてトレープレフの言うことが「わからない」と正直に語って
いる。ニーナは単純で正直で、従って残酷である。ニーナは「わからな
い」という言葉でトレープレフを拒んでいる。トリゴーリンという存在を
知ってしまったニーナは、もはやトレープレフを理解しようという気持が
起きない。トレープレフは「僕がどんなにみじめだか、あなたにわかった
らなあ!」と言う。これは泣き言であり、愚痴である。こういう言葉を口
にする男を女は好かない。ましてや心が他の男に移ってしまったニーナに
とってはなおさらである。トレープレフは自分の作品に自信が持てないの
であろうか。「僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そ
のへんにうようよしている平凡な下らん奴らと一緒にしてるんだ」これは
もはや叫びである。傷つけられた自尊心が真っ赤な血を噴き出して、誰も
それをとめることはできない。トレープレフは行くところまで行くしかな
いだろう。もともとトレープレフの思想を、その感性を共有できないお嬢
さんを好きになって、あたかも自分の〈夢〉を体現する救世主のごとく偶
像化してしまったところに間違いがあった。ニーナはニーナ、トリゴーリ
ンのような名声のただなかにある男に魅力を感じるような女なのである。
トレープレフは手帖を読みながら歩いてくるトリゴーリンを見て「そう
ら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ」と揶揄
している。が、トリゴーリンよりはるかにトレープレフ自身の方が悩める
ハムレット風である。「言葉、ことば、ことば」ハムレットのセリフに誰
よりも共感を寄せているのはトレープレフである。単なる言葉、されど言
葉、所詮は言葉、されど言葉……言葉の虚無を抱え持った者のみが呟くこ
とのできるセリフである。トレープレフはなんの説明もしていないが、彼
は彼流に「言葉、ことば、ことば」のはてしない空虚と、空虚に包まれた
情熱を、その情熱を包む空虚を感じている。トレープレフは「まだあの太
陽がそばへ来ないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの
光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ」と言って足早に退場する。
トレープレフはアルカージナに対してと同様、トリゴーリンとも闘う姿勢
を見せない。
2006年7月7日(金曜)
トレープレフは自分が撃ち殺した鴎をニーナの眼前に捧げて、それが自分
の姿だと言う。トレープレフは母親から、ニーナから、トリゴーリンから、
さらに自分自身からも逃げて、いずれは自殺することを考えている青年な
のである。確かにトレープレフはイワーノフの憂鬱症の血を引き継いでい
る。彼は偉大な希望を抱いて邁進することのできる青年であるが、同時に
ちょっとした失敗で絶望し、すべてに嫌気がさしてしまうような青年でも
ある。イワーノフはサーシャという新しい若い恋人ができてさえ、新生活
を築くことよりはピストル自殺を選んでしまった男であったが、ニーナと
いう〈夢〉を奪われたトレープレフは今後どのような選択に迫られるので
あろうか。
2006年7月13日(木曜)
アルカージナの「未来を覗き見しない」という主義は一つの人生に対す
る確固たる態度である。彼女は「年のことも死のことも、ついぞ考えたこ
とがない」と言う。彼女のうちには「どうせ、なるようにしかならない」
という諦念が潜んでいる。チェーホフの文学全体にこの諦念の空気が漂っ
ており、この空気に馴染むことのできない者、たとえばイワーノフやトレ
ープレフは自殺して果てるしかない。なるようにしかならない、どうでも
いい、という虚無を抱えて、この現実の大海を泳ぎ続けるにはそれなりの
工夫と希望が必要である。年のことも死のことも考えたことのないアルカ
ージナは、それでも愛するトリゴーリンのことをいつまでも自分の側にお
いておきたいと思っている。アルカージナに尊敬され愛されている作家の
トリゴーリンは「書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ」と
いう脅迫観念にとらわれている。彼になぜ小説を書きつづけるかと問えば、
おそらくニコライ教授のように「わからない」と答えるだろう。本質的な、
根源的なことを聞かれて分かったような口をきかないのがチェーホフの人
物たちである。「まるで駅逓馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに
打つ手がない」とトリゴーリンは言う。トリゴーリンのセリフには若い頃
から生活費を得るために小説を書きつづけてきたチェーホフの思いがその
まま込められている。しばしニーナ相手のトリゴーリンの言葉に耳を傾け
てみよう。
今こうしてあなたとお喋りをして、興奮している。ところがその一方、
書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるん
です。(略)こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱ
しから捕まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使え
るかも知れんぞ!というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げ
だす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこ
い、そうは行かない。頭のなかには、すでに新らしい題材という重たい鉄
のタマがころげ廻って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、
大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、わ
れとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼ
りぼり食っているような気持です。(略)うかうかしてると、誰かうしろ
から忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン〔ゴー
ゴリの『狂人日記』の主人公〕みたいに、気違い病院へぶちこむ んじゃな
いかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、
まだ若くて、生気にあふれていた時代は
どうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続で
したよ。駈けだしの文士というものは、殊に不遇な時代がそうですが、わ
れながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神
経ばかりやたらに尖らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人た
ちのまわりを、ふらふらうろつき廻らずにはいられない。認めてももらえ
ず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと
見る勇気もなく・・まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといっ
たざまです。
2006年7月15日(土曜)
なんのために書くのか。生活の糧を得るため、と答えていられるうちは
まだいい。純粋に書く理由を発見できる作家がはたして何人いることか。
トリゴーリンがいう脅迫観念はよく分かる。なぜこういった脅迫観念が生
じるのか。ドストエフスキーの地下男の言うように、書くことは何かしら
仕事をなしているような実感がともなうからかもしれない。作家としての
名声や評価を得るためなどと思っているやからは、そのうち放っておけば
自然に消えてしまうだろう。トリゴーリンがここでニーナに語っているこ
とは、彼の率直な思いであり、微塵のてらいもない。「どうでもいい」
「わからない」を連発するチェーホフが、書くことにおいては馬車馬のよ
うに駆けつづけた。チェーホフからペンを奪ったらいったいどうなってい
たのだろう。
書くという行為が、自分自身との対面であることは間違いない。書いて
いる以上は、世界や自分を置き去りにするわけにはいかない。書く行為は
自分という存在の神秘に直面することである。ドストエフスキーは人間は
謎であり、その謎を解くために一生を費やしても悔いはないと書いた。チ
ェーホフは人間の謎を解くために書きつづけたのであろうか。否、チェー
ホフは人間の謎をそのままに提示することに止まろうとしているように思
える。わからないことをわかったつもりになって説教するような愚者が主
人公として登場することはない。大学教授として情熱的な講義を続けたニ
コライ・ステパーノヴィチは、彼を追ってきた必死のカーチャに「わから
ない」「朝飯を食べよう」としか言えない。彼は自分の無知であること、
愚かであることを相手にさらけ出すことを恥とはしない。
2006年7月16日(日曜)
ニコライは「私の愛する宝」と共に人生を歩
むことができない。死をも超えた愛で相手を包むこともできない。ニコラ
イは孤独であり、この孤独を二人で分かち合うことはできない。カーチャ
が唯一納得したとすれば、それは彼女自身もまた己の孤独を生きるほかは
ないということである。いずれにしてもニコライとカーチャに明るい未来
はない。憂鬱症に陥ったイワーノフにも希望はなかった。彼に残された唯
一の希望は、自らのこめかみに向けてピストルの引きがねを引くことだけ
であった。トリゴーリンは書き続けるという脅迫観念に支配されているこ
とによって辛うじて自殺を免れている。トリゴーリンはアルカージナとい
う女に庇護されているし、その時々の恋に身をまかせる柔軟さも備えてい
る。ニーナはうぶな田舎娘で、有名な作家や女優に己の過剰でロマンチッ
クな夢を乗せることができる。未だ破綻を知らない乙女の夢は、言わば怖
いものしらずである。ニーナのトリゴーリンに対する態度は、トレープレ
フに対するものとは明らかに違う。トレープレフはすでに過去のものとな
り、彼女の現在と未来を見つめる眼差しがとらえているのはトリゴーリン
ただ一人である。イワーノフに熱愛して両親を捨てたアンナのように、ニ
ーナはトリゴーリンのためなら両親でも何でも捨て去ることができるので
ある。トリゴーリンは物書きとしての自分のあるがままの姿をさらけ出し
ただけでニーナの魂を鷲掴みにしてしまった。一度、恋に落ちた女にとっ
て、相手の男はいつでも星の王子様なのである。年齢の違いや、地位や名
声や財産など、すべての差異を一気に飛び越えて男と女は結びつくのであ
る。ニーナはトレープレフと恋愛状態にあったときから、冷静に二人の間
に存在する溝に気づいていた。この溝は双方のいかなる努力によっても埋
めることはできない。ニーナが選択したのは、この溝を一挙に飛び越える
こと、すなわち自分が心の底から納得できる男の胸へと飛び込むことであ
った。ニーナはその先に何が待ち受けているのか、そこまで汁ことはでき
なかった。しかしニーナにとっては最初の飛び越えこそが必要であった。
ニーナは田舎に閉じこもって、やがては確実に老いていく父や継母の面倒
を見るためにこの世に誕生したのではない。ニーナは自らの夢(それはと
りあえず舞台女優となって脚光を浴びることである)を実現するために、
その一つの大きな跳躍台としてトリゴーリンを選んだのである。ニーナは
トレープレフの理屈の勝った演劇理論に共鳴することはできなかったし、
彼と共に〈彼の夢〉を実現する気もなかった。トレープレフはニーナに自
分の夢を託したが、その〈夢〉は相手の正体を見定めることのできなかっ
た愚かな男の妄想と化してしまった。未来の才能のある若者は、現に社会
的名声を博している既成の作家よりもはるかに強烈な光を発していなけれ
ばならない。ニーナは〈未来の才能ある若者〉トレープレフよりも、トリ
ゴーリンの方に強烈な、魅惑的なオーラを感じてしまっている。ニーナは
冷徹な審判者としてトリゴーリンに勝利の旗を挙げている。トレープレフ
に勝利の女神が微笑むためには、〈可愛い魔女〉ニーナを即座に捨て去る
冷酷さが必要である。トリゴーリンを選んだ〈可愛い魔女〉の、その浅薄
さを笑いのめし、踏みにじるだけの自信がなければ、トレープレフに勝利
の道は開けない。トレープレフは母親のアルカージナがよく了承していた
ように、傷つきやすいナイーヴな青年で、己の才能を過信しているが、同
時にそれは極度の不安の上に成り立っていた。トレープレフが自殺未遂し
た時、アルカージナはその原因をトリゴーリンに対する〈嫉妬〉とみなし
た。本当に自信のある者は嫉妬などしない。嫉妬の感情がわき上がったそ
の時点ですでに敗北である。トレープレフはソーリンに聞かれて、トリゴ
ーリンを「あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メラ
ンコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間がある
のに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分だ」
と言っていた。しかしこの言葉は決してトリゴーリンを褒めたたえている
のではない。ここにはトリゴーリンに対する極度に押し込んだ悪意や嫉妬
の感情がのぞいている。母親の愛人であるトリゴーリンを素直に認めるほ
ど、トレープレフはお人好しではない。2006年7月17日(月曜)
若い才能のある者が同時代を生きる先行者の作品を正当に評価することは
極めて困難である。ライバル心や嫉妬が常につきまとうからである。トレ
ープレフは先の言葉に続けて「書くものはどうかと言うと……さあ、なん
と言ったらいいかな? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし
……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね」
と言っている。トレープレフはどんなことがあってもトリゴーリンの才能
やその作品を素直に肯定することはないだろう。アルカージナに言わせれ
ば、息子のトレープレフは「わがままな、自惚れの強い子」なのである。
アルカージナとトレープレフが顔を突き合わせるたびに口喧嘩してしまう
のも、トリゴーリンの存在が大きい。トレープレフにとってトリゴーリン
は自分の母親を奪い取った張本人であり、同時に彼の唯一の〈夢〉であっ
たニーナの魂をも魅了してしまった憎っくき伊達男である。ニーナを奪わ
れ絶望にかられたトレープレフは自殺をはかるが、幸か不幸か未遂に終わ
る。憤懣やるかたなくトリゴーリンに決闘を申し込めば、相手は卑怯にも
脱走を企てる。未だ母親に甘えたい気持のあるトレープレフではあるが、
肝心のアルカージナはトリゴーリンを〈人格の高い立派な人〉と見なし、
自分の前で尊敬するトリゴーリンの悪口は謹んでくれと釘をさす。トレー
プレフはついに我慢がならず「お母さんは、僕にまであの男を天才だと思
わせたいんでしょうが、僕は嘘がつけないもんで失礼・・あいつの作品に
ゃ虫酸が走りますよ」と言ってしまう。売り言葉に買い言葉、気の強いア
ルカージナも黙ってはいない・・「それが妬みというものよ。才能のない
くせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はな
いからね。結構なお慰みですよ!」と。この後も実の母と子とは思えない
ほどの凄まじい言葉のやりとりが展開される。トレープレフはアルカージ
ナやトリゴーリンは〈古い殻をかぶった連中〉であるとして「自分たちの
することだけが正しい、本物だと極めこんで、あとのものを迫害し窒息さ
せるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか!」と怒鳴る。しばし二
人のやりとりを見てみよう。
アルカージナ デカダン!……
トレープレフ さっさと古巣の劇場へ行って、気の抜けたやくざ芝居に
でも出るがいいや!
アルカージナ 憚りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わ
たしには構わないどくれ! お前こそ、やくざな茶番ひとつ書けないくせ
に。キーエフの町人! 居候!
トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!
トレープレフは実の母親から〈デカダン〉〈居候〉〈宿なし〉と罵られ
ている。トレープレフは二十五歳である。既に経済的にも自立していてい
い歳であり、少なくとも母親に甘えて〈居候〉していていい歳ではない。
もちろんトレープレフは誰に言われるまでもなく、そのことをよく承知し
ていて、不断にプライドが傷つけられている。こういったナイーヴな点を
伯父のソーリンはよく理解していて、トレープレフの自殺未遂の原因につ
いて次のように語っていた・・「若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎ぐ
らしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないと来てるん
だからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮らしが、恥かしくも
あり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛いくてならんし、あ
れの方でもわたしに懐いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分
がこの家の余計もんだ、居候だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、
だいいち自尊心がな……」と。

https://www.shimi-masa.com/?p=351
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c30

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
31. 中川隆[-13490] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:23:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1414]

清水正のチェーホフ論 | 清水 正研究室
https://www.shimi-masa.com/?cat=5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c31
[近代史4] チェーホフの世界 中川隆
4. 中川隆[-13489] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:24:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1415]

清水正のチェーホフ論 | 清水 正研究室
https://www.shimi-masa.com/?cat=5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html#c4
[近代史3] アメリカのロビイストは政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける 中川隆
2. 中川隆[-13488] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:26:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1416]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層


大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。


だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。

政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/530.html#c2

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
61. 中川隆[-13487] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:31:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1417]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c61

[近代史3] “独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない 中川隆
2. 中川隆[-13486] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:31:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1418]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html#c2

[近代史3] 国家を亡ぼす「狂った税制」 中川隆
9. 中川隆[-13485] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:33:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1419]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/730.html#c9

[近代史3] ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの正体 中川隆
3. 中川隆[-13484] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:33:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1420]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html#c3

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100128  g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。