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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100071
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[中国12] 「日本への配慮」、中国メディアの報道にも  赤かぶ
4. 中川隆[-5769] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:16:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無い

漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


勝てないロシア

中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


1979年にソ連は国ですらないアフガニスタンの武装勢力に惨敗し、10年後の1989年に撤退しました。

この敗戦はチェルノブイリ事故や大韓航空撃墜とともに、ソ連崩壊の原因になった。

この時アメリカが結成した武装勢力が「アルカイダ」で2001年にNYで9.11テロを起こし、現在も活動している。


「アルカイダ」はさらに湾岸戦争時に米軍グリーンべレーの軍事訓練を受けて「イスラム国」へと進化しました。

アメリカが軍事訓練したのはイラクのフセイン政権と戦わせるためでしたが、今はアメリカが「イスラム国」と戦っています。

こういう理由でソ連が戦ったアルカイダは、今考えるとかなり強く、もしかしたら当時の米軍でも負けたかも知れない。


ロシアの領土はもともとアイヌ人のような北方民族の土地で、彼らを追い出して住み着き、国を作った。

以来千島樺太を含めて、領土化したのは全て北方民族の土地で、その領土を守る事に掛けては強い。

だが日露戦争など他の列強と呼ばれた国には、ほぼ勝った事がない。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html

50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e

中国人は悪い。

遠からず中国人は大陸の資源を完全に食い尽くして、日本に何億人もの難民が押し掛ける事になるよ。5年先か10年先かはわからないが。

もし中国にこちらから侵略戦争を仕掛けないのなら、海上封鎖の準備をして日本に侵入して来る中国人難民を全滅させる方法を考えておいた方がいい。

中国人の頭上からガソリンを撒いて火炎放射器で火を付けるのが一番簡単か。

硫酸をかけて体ごと溶かす方が良いか?

とにかく早急に日本人の知恵を集めて何としても中国人難民の日本上陸を阻止しないといけないね。

まあ、そういう時代になれば中国人・朝鮮人撲滅ビジネスで日本中好景気に沸く訳だ。 めでたいことだな。 小沢先生の最愛の祖国は地上から消滅するけどねwwww


とりあえず、道で中国人を見つけたら必ず生卵をぶつけてやる習慣をつけた方がいいね

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/407.html#c4

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
9. 中川隆[-5768] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない


振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。

中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。



日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html


問題は日本人が中国人移民と混血してDNAが中国人と変わらなくなる事なんですね。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c9

[政治・選挙・NHK237] 遅すぎた高裁判断 火山地震国で原発再稼働など無理なのだ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5767] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:34:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
「頭がおかしい」裁判官と知恵遅れ反原発派が日本を滅ぼす
『伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分  18年9月まで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/

 四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初めて。(後略) 』


 広島高裁の野々上裁判長は、伊方原発から130キロ離れた阿蘇山の危険について、
「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」
 と説明しています。


 念のため、阿蘇山は九州中央部にあり、伊方原発は「四国」です。


 阿蘇山の火砕流が伊方原発に届くということは、大分県が「全滅」していることになります。伊方原発云々以前に、日本政府は、
「大分県及び阿蘇の火砕流が届く可能性がある九州北部に人は住んではならない」
 と、居住規制をかけなければなりません。


 無論、野々上裁判長にしても、本気で阿蘇の火砕流が伊方原発に届くことを懸念しているのではないでしょう。


 単に、
「伊方原発の運転を差し止める」
 という結論があり、その結論に持っていくために、客観的に「頭がおかしい」と判断される理由付けをしているに過ぎません。


 四国電力は阿蘇の火山について、
●現在のマグマ溜まりは破局的噴火直前の状態ではなく、今後も、現在の状況が継続するものと判断。
●阿蘇山の火砕流堆積物は阿蘇カルデラ内に限られる。
 と評価し、原子力規制委員会の了承を得ています。


 ちなみに、伊方原発の運転の停止を命じる仮処分を広島高裁に申し立てたのは、わずか4名。


 18年1月から再稼働するはずだった伊方原発の運転ができないため、四国電力は毎月35億円の損害が出ることになります。


 当然ながら、四国電力の経営は悪化し、四国全域の電気料金に影響せざるを得ないでしょう。


 狂った祖国を正気に戻すためには、どうしたらいいのか? 国民一人一人が真剣に考えなければならないのです。手遅れになる前に。


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/263.html#c1

[政治・選挙・NHK237] <大問題>東京新聞「広島高裁は、伊方原発に阿蘇山からの火砕流が到達する可能性を指摘。玄海原発も川内原発も同じような距離」 赤かぶ
1. 中川隆[-5766] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:34:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
「頭がおかしい」裁判官と知恵遅れ反原発派が日本を滅ぼす
『伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分  18年9月まで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/

 四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初めて。(後略) 』


 広島高裁の野々上裁判長は、伊方原発から130キロ離れた阿蘇山の危険について、
「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」
 と説明しています。


 念のため、阿蘇山は九州中央部にあり、伊方原発は「四国」です。


 阿蘇山の火砕流が伊方原発に届くということは、大分県が「全滅」していることになります。伊方原発云々以前に、日本政府は、
「大分県及び阿蘇の火砕流が届く可能性がある九州北部に人は住んではならない」
 と、居住規制をかけなければなりません。


 無論、野々上裁判長にしても、本気で阿蘇の火砕流が伊方原発に届くことを懸念しているのではないでしょう。


 単に、
「伊方原発の運転を差し止める」
 という結論があり、その結論に持っていくために、客観的に「頭がおかしい」と判断される理由付けをしているに過ぎません。


 四国電力は阿蘇の火山について、
●現在のマグマ溜まりは破局的噴火直前の状態ではなく、今後も、現在の状況が継続するものと判断。
●阿蘇山の火砕流堆積物は阿蘇カルデラ内に限られる。
 と評価し、原子力規制委員会の了承を得ています。


 ちなみに、伊方原発の運転の停止を命じる仮処分を広島高裁に申し立てたのは、わずか4名。


 18年1月から再稼働するはずだった伊方原発の運転ができないため、四国電力は毎月35億円の損害が出ることになります。


 当然ながら、四国電力の経営は悪化し、四国全域の電気料金に影響せざるを得ないでしょう。


 狂った祖国を正気に戻すためには、どうしたらいいのか? 国民一人一人が真剣に考えなければならないのです。手遅れになる前に。


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/261.html#c1

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
116. 中川隆[-5767] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:54:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

組織はもう人生を安定化させる役目を失ったことを自覚せよ


1990年代までの日本は、企業が終身雇用の制度を取っていたので、サラリーマンは自分の人生に責任を負う必要がなかった。どこかの企業に所属しているだけで、その企業が定年まで面倒を見てくれたからである。

そして定年後は国が引き継いで自分の面倒を見てくれた。サラリーマンは大過なく働いていれば、あとは何も考えなくても良かった。

そして、自分の仕事の結果すらも考えなくても良かったと言える。すべては「上の人」が責任を負っていたからだ。その代わりサラリーマンは会社の命令には逆らえず、人生の大半を会社に飼い殺しされることになる。

「社畜だ」とサラリーマンは自分たちを自嘲した。

しかし、「社畜生活はやってみればやめられない」と当事者は言う。なぜなら、仕事で失敗しても追い出されず、生産性を上げられなくてもクビにならず、賃金はそれなりに上がり、定年まで安泰だったからである。

自分で自分の仕事を見付け、食い扶持を探し、必死になって収入を確保するというのは、とても苦しいことだ。何しろ自分が失敗したら自分が責任を取らなければならない。下手したら翌日から路頭に迷う。

だから、会社というぬるま湯に浸かり、「社畜」として生きることに徹する日本人が大半になっていった。

自分の人生に自己責任を負わないでも生きていけた

多くの自営業者が「毎月、決まった給料を振り込んでもらえるサラリーマンが羨ましい」というのはそういうことだ。

寝ていようが、サボっていようが、だらだら仕事をしていようが、給料はそれなりに振り込まれる。定年まで、それが絶対的に保証される。

給料を意図的に増やしたければ、昼間は仕事をしないで、夜から仕事をすると、今度は残業手当というものさえも会社からせしめることもできた。

必死にならなくてもいいのだ。仕事の結果を考えなくても、会社はせっせと給料を振り込んで養ってくれる。確かに給料は安いかもしれないが、これほどの「安定」は想像できないほど恵まれたことだ。

つまり1990年代までのサラリーマンは、自分の人生に自己責任を負わないでも生きていけた特権階級だったのである。

しかしバブル崩壊と共に、こうした終身雇用の制度は徐々に機能しなくなり、見捨てられていくことになる。

バブル崩壊によって日本企業が体力をなくしたのと同時に、この頃からインターネットによる情報革新が急激に進んでいき、世界は完全なるグローバル化に覆い尽くされた。

グローバル化した社会で、ほぼすべての企業が世界中の企業と激しい競争を強いられるようになっていき、苛烈なコスト削減で生き残らなければならなくなった。

コストの中で大部分を占めているのは人件費である。だから人件費は極限まで削減される動きとなっていく。

IT化によって不要な社員は切り捨てられる。ビジネスモデルが変わっても、やはり社員は切り捨てされる。企業が競争に負けても社員は切り捨てられる。会社に利益が上がっても、不景気に備えて社員が切り捨てられる。

つまり、会社はもう終身雇用とは真逆の経営をしている。常に社員を削減する方向で動くようになったのである。


企業の「利益」がすべてにおいて最優先される世界

今までは、「どこか大きな会社に就職すれば将来は安泰」という標準的な人生設計が日本人にはあった。それが崩れた。サラリーマンは安定した職種ではなくなって、突如として日本人は目指す人生設計を失ったのだ。

そして今、日本人は社会を頼りなく浮遊している。企業が不要だと思う社員をどんどん切り捨てていくようになった結果、転職は当たり前の社会となった。

そして、どのみち社員は辞めさせるか、勝手に辞めるので、最初から社員として雇わずに非正規雇用で使い捨てにするのが常態となった。

総務省の労働力調査でも、非正規雇用が今も相変わらず増えていることが確認されている。

ひとつの企業が、その人の人生を定年まで面倒を見ることがなくなり、「自分の面倒は自分で見ろ」ということになっていったのだ。

こうした傾向は、インターネットの高度な発展、人工知能の進化、ロボット化などによる雇用を削減するイノベーション(技術革新)によってさらに苛烈なものになっていく。

こうした次世代の技術革新をリードし、圧倒的な優位に立っているのはアメリカの巨大ハイテク企業である。こうしたイノベーションが世界を席巻し、支配していくようになる。

だから、雇用はさらに減り、削減され、従業員は今よりももっと「コスト扱い」されて、切り捨ての対象になっていく。容赦ないリストラ、非正規雇用、低賃金、使い捨ては、止まらない動きになる。

ブルーカラーの仕事も大幅に減るが、ホワイトカラーの仕事もまた削減されていく。これから起きるイノベーションは、時代を凄まじく変化させていく。

それなのに、何の危機感もなくサラリーマンを続けているというのは、自殺行為であると言っても過言ではない。サラリーマンはもっと激しい危機感を覚えなければ未来に抹殺される。


すべてが「自己責任」に帰結していく

会社組織は従業員を守らなくなる。だから、「組織」に依存して生きる今までの人生設計は崩壊する。今後は自分の人生の浮沈は否が応でも「自己責任」になっていく。

大企業に勤めていても安泰ではない。シャープや東芝を見ても分かる通り、巨大企業であっても経営者が馬鹿丸出しだと会社は一気に傾いていく。

シャープの経営陣は、ライバルのサムスン電子に情報を盗まれてもヘラヘラと笑っていた。とんでもない間抜けが、社長や会長をしていたのである。

(あまりにもお人好しすぎて骨の髄までしゃぶられるシャープ)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/03/20150320T1809490900.html


ところが会社が傾いた時、何が起きたのか。リストラされるのは経営者ではなく社員の方だったのだ。間抜けが残って、従業員を切り捨てていたのである。

東芝もそうだ。経営者が保身し、従業員の賃金を減らし、ボーナスを減らし、子会社に飛ばし、リストラして、自分たちの失策のツケを従業員に負わせていた。

大手企業でもこれだ。

これからは放り出される前提で生きる必要がある。そして、いざ放り出されたとき、それでも生きていけるのか、食べていけるのか、すべてが「自己責任」に帰結していく。

自己責任の時代だから、自分の生き方を誰かに責任をもってもらうわけにいかない。自分の人生に起きる結果は、すべて自分が受け止めなければならなくなる。

今まで「給料が低い、待遇が悪い、生活できない」というのは、国や企業のせいにしていれば良かったが、今後は自己責任になるので、「そうなったのは自分が悪い」ということになってしまう。

組織はもう人生を安定化させる役目を失った。そのため、個人がサバイバルを強いられる。

ますます凶暴化するグローバル社会の中で、個人が社会の庇護を失っていく。社会が弱肉強食化しており、個人が生き残りの能力を試される。自分ひとりで生き残れるかどうか、社会があなたを試してくる。


社会が弱肉強食化しており、個人が生き残りの能力を試される。自分ひとりで生き残れるかどうか、社会があなたを試してくる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c116

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
64. 中川隆[-5775] koaQ7Jey 2017年12月17日 03:31:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

雪質がいいというのは凍える事


2013.1-9 今日の最低気温、氷点下30℃! in北海道 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9TsgAg1uV78

氷点下15℃の世界 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nxh6iaB4Yq0

氷点下20℃でやってみた。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wUmq41Wa1jU

冬の弟子屈、猛吹雪_(´ཀ`」 ∠) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=n979HY2c4ek
https://www.youtube.com/watch?v=5nExSIRzmQI

2016年冬の弟子屈、BoseIronFactoryからの猛吹雪映像です。
こんな猛吹雪は何度もありませんが、たまにあります。
出たらたぶん死にます_:(´ཀ`」 ∠):


2016年 02月 26日 今週は寒い北海道


雪祭りの頃は比較的暖かかったのですが、今週の北海道は冷えています。

札幌の街中でも、昼間でマイナス2度、夜はマイナス9度にぐらい下がっています。
夜、晴れて放射冷却がある千歳空港あたりでは、今朝はマイナス17度まで行ったようです。

そんなときは、内陸の盆地などでは、マイナス二十数度まで下がります。

帽子や手袋がないと歩けませんね。札幌でも、久し振りに帽子を被るほどでした。


6:50の気温
http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=24992302&i=201602%2F26%2F99%2Ff0108399_885326.jpg
http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=24992302&i=201602%2F26%2F99%2Ff0108399_8112316.jpg


数字がすごいですね。今日は千歳や恵庭の数字がすごいです。


そんな中、内陸の旭川方面まで往復してきました。
高速もすごい雪ですが、下道に降りると大変です。
車とすれ違う時などは気を使います。どちらを見ても雪ばかり。

お昼を探すのも、過疎化が進んだ地域では大変です。
前からあったお店も大分閉められています。

街まで戻ってラーメンやさんを捜しました。駐車場を探すのも大変です。
http://tannoy.exblog.jp/24992302/

移住生活で気をつけること。物件編。|北海道移住始めました(^^ 2017年01月26日
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12237381988.html


北海道に移住したのは良いけれど、立地が悪く、雪が降ると完全な陸の孤島になる。


そういった物件も多くあります。


冬は温かいところで過ごして、それ以外は北海道で過ごす。と言う二地域居住の方でしたら特に問題は無いでしょうが、一年中北海道で過ごすといった方にはそうした物件はあまりお勧め出来ないかもしれません。


そうした物件とは、どんな物件かというと、そう、実は北海道移住のイメージそのものの物件なのです。


北海道移住と言うと、広大な草原の中の一軒家といったイメージもあるかもしれません。もしくは森の木立の中のログハウス。


実のところ、私自身もそういう草原の中の一軒家に住んでいます。


この、近い方のお隣さんは250メートルほど離れており、家から町道まで出る私道を含めて考えると350メートルほどあります。

遠いほうのお隣さん(反対側)は1100メートルほど離れていて、お隣さんまで歩いて15分はかかるという・・・。


http://ameblo.jp/gts1000tdm850/image-12237381988-13843785891.html


BoseIronFactoryが我が家、右下の家が近い方のお隣さん です。
遠いほうのお隣さんは「あ」の横、右上の大きな建物がたくさんあるお宅です。


Falconの場合は好き好んでこうしたところに住んでいるので特に問題はありませんし、逆にメリットのほうが多いです。


ですが、除雪機も無く、体力も無い女性や老夫婦がここに一人で住むとしたら、この場所は絶対にお勧めしません。


我が家の場合、町道まで80メートルの私道があります。

町道は除雪してくれますが、私道は除雪してくれませんから、この部分の私道が雪で埋まって車も人も一晩で全く通れなくなるんです。


でも実は我が家の場合、怖いのは雪の降る量ではなく風なんです。
北海道の雪は殆どの場合、サラサラの乾いた雪ですから、吹けば飛んでいってしまいます。
天気がよくても、風が吹くと風で雪が巻き上げられる地吹雪と言うものが起きます。

そうして巻き上げられた雪は吹き溜まりを作ります。
吹き溜まりは段差のような部分があれば容赦なく吹き溜まっていきますから、全日に50センチの雪が降り、除雪機で除雪したとするとその50cmの段差を大好物としてすぐに埋めてしまいます。

つまり、気温が低くて雪がサラサラのまま風が吹くと、どんなに晴れていても何度でも除雪する必要があるということです。


我が家の場合、その吹き溜まりが、80メートルの私道のほぼすべての部分に出来ますから、風が吹いている限りは、80メートル×5メートルくらいの道を一日に4〜5回除雪することもあるくらい。

とても人力では無理。というものです。

ちなみに、近い方のお隣さんは町道からはそれほど離れていませんから、町道のすぐ横に車を停めて雪をかき分けていけばまだ大丈夫ですが、酷いときには一晩で40〜60cm程度の積雪もありますし、風で吹き溜まる雪も半端ではありません。


ですので、近い方のお隣さんのように町道や道々などから近くであっても、陸の孤島になる可能性は充分にあることをキモに命じておいてください。

一方で森の中の家はどうでしょうか?


森の中は木々などの障害物ばかりですので草原の一軒家に比べると吹き溜まりは少ないと思われます。

ただし、広い敷地の中の木々のほとんどを切って家を建てた場合、家の周りが吹き溜まりになる可能性が高いです。


吹き溜まりで無いところに関しても、風で流されていく雪が少ない分、積雪量としては多くなります。

なので森の中に自分の家に通ずる道があると言った場合には積もった雪で動きがとれない場合も。


風が森でガードされている分飛ばされることも少ないので、雪の量が全体に渡って多くなると言うパターンです。

草原の中の一軒家も森の中の一軒家も、どちらもそれなりの問題を抱えているといえますね。

では、除雪などを出来るだけしないで陸の孤島にならないためにはどのような物件を選んだら良いのか?


北海道移住のイメージとは違うかもしれませんが、それは市街地の物件です。


市街地の舗装道路に面している家でしたら、玄関から道までの少ない除雪で済みますし、立ち並ぶ家並みなどが吹き溜まりを起こす風などもガードしてくれます。


まぁ、移住というには面白みに欠ける窓からの風景かもしれませんけれども・・・。
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12237381988.html


生きてますよん(^^)v|北海道移住始めました(^^ 2016年02月25日


生きてます(笑)


こんなことやって遊んでますので、ご安心ください。


バナナで釘を打ってみた。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=k9vylCLO1Zc


ちなみにバナナをだいぶ前に用意していたので、熟しきっており、結構フニャフニャでした。
それでも充分釘を打てましたから、モービルのCMも嘘じゃなかったということですね(^^


なお、薔薇をバラバラにするのは薔薇を買いに行くのが面倒ですのでやりません(笑)

その代わり沸騰したお湯が一瞬にして雪の結晶になるマジックはこの後載せます(^^)v

(この後、スタッフが責任持ってバナナを食べました!!)
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12132714271.html

楽しんでますよん(^^)v|北海道移住始めました(^^ 2016年02月25日


今日は今季一番の冷え込みになりました。マイナス23度位です。


で、以前テレビで見て面白かった実験をいろいろとやってみました。


そのひとつは先に上げたバナナで釘を打つというものですが、こういうのもやったのです!!


マイナス20度を下回ると熱湯が一瞬で凍りつきます。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SHCnA2_Tt1o


面白いでしょ?


沸騰したお湯を振りまくと一瞬にして雪の結晶となって雲のように真っ白になります。

今度はかき氷のイチゴシロップを買ってきて、シロップ入りのお湯を振りまいてみたいと思います(笑)
http://ameblo.jp/gts1000tdm850/entry-12132716688.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c64

[昼休み53] 北九州一家監禁殺人事件 中川隆
4. 中川隆[-5774] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:09:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
在日朝鮮人は何をやるかわからない


朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html

在日朝鮮部落の性教育


ヤクザと風俗が在日朝鮮部落民の生業の定番ですが

風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、


「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。
http://www.h-ken.net/txt/2478/
http://www.h-ken.net/txt/2478/page_1/

近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
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1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
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僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
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父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」


そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」


精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
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朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
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母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
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昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
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妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。
両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。
ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
http://www.kazunoie.com/memo/memotanesai.html


ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
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失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
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午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2ndtane.html

近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。

「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。

ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。

「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」

僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。

「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。

「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」

チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。

「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」

チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。

「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」

僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。

精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。

「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html#c4

[番外地6] メモ3 中川隆
3. 中川隆[-5773] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:10:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何をやるかわからない

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7


裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html


在日朝鮮部落の性教育


ヤクザと風俗が在日朝鮮部落民の生業の定番ですが


風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、


「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。
http://www.h-ken.net/txt/2478/
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近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
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1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
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僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
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父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」


そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」


精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
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朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
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母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
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昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
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妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。
両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。
ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
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ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
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失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
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午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2ndtane.html

近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。

「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。

ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。

「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」

僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。

「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。

「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」

チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。

「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」

チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。

「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」

僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。

精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。

「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html#c3

[番外地6] メモ3 中川隆
4. 中川隆[-5772] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:13:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人が集まると嫌な国が出来上がる
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


(左: 「理想の美」を手に入れた朝鮮人モデル / 右: 自然な顔面を保つ朝鮮人娘)

  いつからか分からないが、テレビ局が来日外国人を捕まえて、日本の文化や名所、料理を絶讃させる番組が増えたそうだ。日本は高度な文明国家だから低俗な外国人が驚嘆してもおかしくはないけれど、もし一般の日本人が「日本の素晴らしさは?」と訊かれたら何と答えるのか。こんな質問を急に街頭で尋ねられれば、大抵の人は「う〜ん、そうだなぁ」と考えてしまうだろう。我々としては普段通りの生活をしているだけだから、一々外国の事情と比べて何が優れているのか、なんて調べない。応ずる人によって意見はまちまちだろうが、一つだけ簡単に述べれば、「日本人が住んでいるから」と言えるんじゃないか。確かに、我が国の自然環境も理由の一つになっているけど、究極的に日本の素晴らしさは日本人にある。

  ところが、近年、この“素晴らしさ”を台無しにしようとする動きがある。大手「口入れ屋」のパソナを背にする竹中平蔵たちが、少子高齢化と人口減少を口実に、安い外国人労働者を引き込もうとしているのだ。しかも、この大量輸入に加え、朝鮮半島から多くの南鮮人が移り住んでいるという。韓国移民政策研究院の調査資料(2017年度版)によると、過去10年間で大韓民国の国籍を放棄した者は、22万3千611人に達したそうだ。2007年に2万3千528人を記録した国籍放棄者は、2016年になると3万6千404人に増えたそうだから、さすが「地獄の朝鮮(ヘル・コリア)」である。その内訳を見てみると、国籍を棄てた南鮮人は主に米国に向かったそうで、アメリカ国籍を取得した者が9万4千908人と最も多い。多民族政策を取るカナダも人気が高く、3万2千732人の南鮮人がカナダ国籍を取得したそうだ。

Korean migrants to GermanyKoreans 3

(左: 半世紀前にドイツへ渡った朝鮮移民 / 右: 民族衣装を纏った朝鮮女性)

  問題なのは、日本を目指した南鮮人の方である。もう目が眩んでしまうけど、5万8千870人が日本国籍を取得したそうだ。(「韓国国籍放棄者が急増・・・・『国家競争力の損失』」 中央日報、2017年11月8日) 南鮮の報道機関は「国力の損失だ」と歎いているが、日本人からすれば「反日分子の到来」か「汚染被害の拡散」にしか見えない。あの“穢らわしい”半島から来日してくる連中が、立派で有能な人材なんて考えられないし、どちらかと言えば「棄民」じゃないのか。どうせ、南鮮国内にいたって大半が“穀潰し”か“半端者”なんだから、南鮮の政治家にとったら「日本に厄介払いが出来て良かった」という気分だろう。一方、日本人の南鮮移住者はいったい何名いるのか? 答えは、「分からない」というのが一般的。法務省は帰化申請をする外国人に関するデータなら持っているが、日本国籍を放棄し、南鮮国籍を取得した日本人については統計を取っていないのだ。つまり、祖国を捨てた奴らの行く先には関心が無いということである。

Korean & Black family 2Korean face 1


(左: 黒人と結婚した朝鮮人女性とその子供たち / 右: 朝鮮人の父親と息子)

  でも、日本人で“わざわざ”南鮮人になろうとする者は、“よほど”の事情を抱えた人物に違いあるまい。だって、普通の神経を持った日本人なら、朝鮮人にまで零落(おちぶ)れる道を選ばないだろう。一番考えられるのは、朝鮮人男性と結婚してしまった日本人女性である。例えば、日本に来た南鮮人留学生が日本人女性と恋仲となり、南鮮へ連れ出すというケースが考えられる。もちろん、嫁の両親は大反対。朝鮮という野蛮国に娘が住むなんて恐ろしいし、第一、日本人の誇りが許せない。でも、バカ娘には現実の厳しさが解っていないから、両親の説得にも馬耳東風。いくら鮮人に惚れたからといって、日本でヌクヌクと育った日本人に朝鮮での暮らしは耐えられない。しかも、南鮮の国籍を取得すれば、南鮮人が同胞となり、太極旗に忠誠を誓う破目になるじゃないか。

  ところが、悲劇はこれで終わらない。仲間となった鮮人からは「元日本人」とか「豚の足」と蔑まれ、夫の両親や親戚からも下女のように扱われるのだ。その上、自分の子供は「朝鮮人」として育てられるから、いくら日本語(母語)を話せても、実家の両親や兄弟たちとは違った人間になってしまう。それに、日本人の母親は南鮮国籍を取ったからといって、自分を朝鮮人とは思わない。さらに複雑なのは、劣等国の朝鮮に住むと、日本に居た時には思わなかった「日本人意識」が芽生え、「あんな人達とは一緒にされたくない !」と思うようになる。日本に居る友達にだって、「朝鮮人になりました」とは言いたくないし、格下の人種になったような気がするから、朝鮮での暮らしに嫌気がさす。パリとかロンドン、ベルリンなら、ちょっとした自慢になるけれど、朝鮮人だらけのソウルや釜山なんて格好悪いし屈辱だ。だいいち、チマ・チョゴリを着た姿なんて、恥ずかしくて人に見せられないから、友達に動画や写真を送ることはまず無いだろう。

  朝鮮人は日本人を嫌いなくせに、やたらと日本にやって来る。しかも、何食わぬ顔で帰化申請を行ったり、結婚を切っ掛けにして“いつの間にか”日本人になっていたりするのだ。南鮮に居る時には、やれ「日帝は赦せない !」とか「竹島は韓国の領土だ !」と叫ぶが、日本に移住するや、その威勢は消え失せ、「国籍や民族の違いを言い立てる人はレイシストです !」なんて言いやがる。中には、「私は元韓国人で、朝鮮人ではありません !」とほざく奴もいるから呆れてしまう。朝鮮人に説教しても仕方ないけど、彼らの中には堂々と「チョーセン人は差別用語だ !」と抜かす奴も居るから、その頭を広辞苑でひっぱたきたくなる。在日や帰化、南や北を問わず、日本に於いて朝鮮人は皆「朝鮮人」か、略して「鮮人」であり、我々がどう呼ぼうと我々の勝手である。テレビ番組で「韓国のかた」と馬鹿丁寧に呼んでいるアナウンサーほど、心の底で鮮人を「格下」に見ているはずだ。実際、在日米軍士官に対して反感を持っていているテレ朝の玉川徹だって、自分より劣っているとは思っていないから、「アメリカのかた」なんて呼ばないだろう。日本人ジャーナリストは西歐系白人に対しては遠慮が無い。“対等意識”を持っているせいなのか、アメリカ人にはズケズケと本音をぶつけることが出来る。

アジア人の子供を養う日本人納税者

  今月に入り、不吉な福祉制度が発表された。政府は大学などの高等教育と2歳児以下の保育園の費用について、住民税が課されない世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化するとの方向で検討に入ったそうだ。(西村圭史 「高等教育などの無償化、住民税非課税世帯で検討」 2017年11月9日附「朝日新聞」) 安倍首相は、3〜5歳児は全世帯で幼稚園と保育園の費用を無料にし、高等教育と2歳児以下は低所得者世帯に限って無料にする、との案を述べていた。一般国民はこうした提案を聞くと諸手を挙げて賛成するが、その世帯はどんな人物で構成されているのか、とは考えない。「日本国民とは日本人」という定義は過去の話で、現在は帰化鮮人世帯とか支那人かタイ人を娶った混淆家庭、日本人の姦通相手から子供の認知を受けたフィリピン人母子家庭、パキスタン人やマレー人の夫を持つ日本人妻と混血児の家庭など、ゾっとするような世帯が増えている。

Filipino children 2Filipino children 3

(写真 / フィリピン人の子供たち )

  日系人の庶民は漠然と「我々の国民健康保険制度や年金制度、給食制度は大切だから、みんなで支えましょう」と合唱するが、その「みんな」にはアジア系帰化人が混ざっていることに気づかない。日系日本国民は明治や江戸時代、あるいはもっと遡って、室町や鎌倉時代から日本人なので、つい「日本国民」は総て「日本人」と思ってしまう。だが、裸踊りや酌婦を仕事にして来日したフィリピン人、中古車ディーラーのパキスタン人、民族料理店を営むトルコ人、単純労働や詐欺が専門の支那人などは、「昔ながらの日本人」ではない。朝鮮人はかつて「大日本帝國の公民」であったが、その大多数は敗戦後に帰国しており、現在居坐っている連中は密入国者かその子孫、あるいは仕事を求めての新参者かのいずれかである。現在の日本にある社会保障制度は、我々の両親、祖父母、曾祖父母が心血注いで築き上げた民族的「遺産」である、ということを忘れてはならない。我々は余りにも無頓着であるため、この貴重な相続財産を不注意にも、アジア系帰化人や永住外国人に与えている。これがもし、個人の遺産相続という場合なら、決して外人に分け与えることははないだろう。

Kids of Thailand 2Thailand kids 4

(写真 / タイ人の子供たち)

  考えてもみよ。近所をうろつく朝鮮人が、突然、我が家の庭先にダンボール・ハウスを拵えて住みついたら、どうするのか? たていての日本人であれば、腕ずくでもこの不逞鮮人を叩き出すだろう。ましてや、この朝鮮人を養子にしたり、自分の戸籍に入れるなんて事はまずあり得ない。だが、国家規模になると事情が違ってくる。短期滞在や永住外国人でも「国民健康保険」に加入できるし、在日朝鮮人でも生活保護がもらえたりする。また、不正入国の外国人でも日本で子供を出産すれば、我が子を公立学校に通わせることもできるし、その子供が成長してしまえば、たとえ「不正」がバレても、特別滞在許可をもらえたりする。つまり、ある程度の潜伏期間をじっと堪え忍べば、有り難い「ご褒美」がもらえるということだ。政府は低所得者の家庭に育児手当を与え、保育園や学校の費用を肩代わりしようとしているが、その「世帯」には支那人とかフィリピン人、タイ人の低所得者や母子家庭が含まれている。

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(左: フィリピンの若い女性たち / 右: ショー・パブで働くフィリピン人女性 )

  以前、市議会議員のフィリピン人妻が、スナックで働いていたにもかからわず、生活保護を受け取っていたという事件があった。役所にとって「福祉予算」というのは「他人のゼニ」なので審査が甘い。自分の銭なら100円だって惜しいのに、税金だと数百万円でも無駄にできる。例えば、1千万円の税金をドブに捨てても平気な役人でも、お昼の定食では節約するようで、食堂で注文する時、財布を“ちら”っとのぞき、850円のAセットを650円のBセットに抑え、赤提灯の酒代を計算しながらジっと我慢。節約精神が旺盛な役人だと、「今日は3千円の特上天丼にしようかなぁ」なんて考えない。だいたい、役人は税金を「予算」と呼んで、無駄遣いの正当化をしているんだから、国民は役所の「予算消化(与えられた税金を何が何でも使い切ること)」に目を光らせるべきである。筆者は以前、役所の「闇」を突いたことがあるが、その時、担当した「お役人様」は、筆者を共産党員か左翼オンブズマンと勘違いしたようだ。周りの若い女子職員は、「何か、いや〜な人がやって来た」という雰囲気を漂わせ、緊張した表情で黙々と仕事をこなしていた。後で議員にも直接苦情を述べたので、役所ではちよっとした騒ぎとなったそうだ。役人や議員を相手にする場合、なるべく具体的かつ緻密に、論理を用いて追い詰めることが肝要である。(断っておくけど、筆者は左翼活動家じゃないぞ。)

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(写真 / 酒場で働くタイ人女性たち)

  脱線したので話を戻す。帰化人家族とか永住者世帯には低所得者が珍しくなく、社会福祉金をもらっている人が多い。例えば、日本人の既婚男と不倫の末に身籠もったフィリピン人女性は、その姦通相手とは結婚せず、母子家庭のまま日本に住んだりするから、福祉依存者か生活保護の受給者だったりする。しかも、日比混血児が優等生になる確率はかなり低く、出来損ないか凡庸な子供といったところが関の山だ。規律や品格を示す父親が不在なうえに、だらしない性格の母親に育てられる混血児が、知的好奇心に満ち、自然界や宇宙の神秘に興味を抱くなんて思えない。国語さえ覚束ないのに、理科や数学で頭角を現すのか? まぁ、知的訓練を必要としないスポーツなら一番になれるかも知れないけど。一般の日系日本人は呑気だから、公金を使うのは日本人の子供を助けるためだと考えている。しかし、実際のところ、同胞とは思えない異民族の子供を養っているのだ。

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(左: 朝鮮人の子供 / 右: 支那人の子供 )

  冷酷な現実に目を背ける日本人は、予想される悲劇を回避せず、事件が起きてから後悔することが多い。昼行灯(ひるあんどん)と左巻きが溢れる法務省は、毎日が節分のような役所で、帰化申請をするアジア人に国籍を気前よくばらまいている。日本国籍を与えるということは、日本国を支える正式メンバーを承認することであり、我々と対等な「公民」にするということだ。本来なら、帰化を許す前に、申請者の素性や経歴を一般公開し、全国民がその者を審査し、正当な反対意見があれば帰化申請を却下すべきである。例えば、在日朝鮮人やその子孫を「国家の成員」にするのであれば、国民投票にかけたっておかしくはあるまい。日本人は世間の常識で考えるべきた。例えば、ある片親だけの家庭で、妻を亡くした父親がいたとする。その鰥(やもめ)となった父親が再婚する際、いくら何でも一応、子供たちに話をつけるじゃないか。それをスキップして、いきなり父親が「今度、父さんはフィリピン出身の女性と結婚することにしたんだ。明日から、あの人がお前達の母さんになるんだよ」と言えば、息子だって「えっっ ! 何 ! なんで? 嫌だよぉ、そんな !! だってさぁ、いきなりあんな外人が母さんの代わりだなんてあり得ないよ。オレ、どんなことがあっても反対だからね !!」とヘソを曲げるだろう。一般の日系日本人も基本的に同じで、朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人を日本国の「家族」とは思わない。

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(左: フィリピン人の祖母と孫 / 右: 支那大陸を去る支那人)

  日本人は日本人同士だから国民的・民族的絆を大切にするのであって、金銭や福祉、あるいは豊かな生活を目的にして帰化するアジア人は何時まで経っても「よそ者」だ。異民族がひしめき合う米国ですら、民族・人種での一体感は無い。例えば、先祖代々アメリカに住むイギリス系国民が、デンマークやスウェーデンからの白色移民を受け容れる事はあっても、皿洗いとしてチャイナタウンに潜り込む支那人とか、イスラム教を信奉する髭面のイラク人、難民枠で雪崩れ込むソマリア人、不法滞在でも永住権を求めるメキシコ人を「対等なアメリカ人」とは思わない。一般的にアメリカ人は団結力が強いと思われているが、それは各人が星条旗を前にするからで、お互いの顔を見つめ合うことで一体感を実感している訳ではないのだ。ハリケーンによる洪水とか土砂崩れで黒人が取り残されたって、一般のアメリカ白人が命懸けで助けることはなく、救助を「職業」というするレスキュー隊に丸投げ。ただ、災難に遭った黒人を哀れに思う白人も居るけど、それは被災者に同情する「自分」の姿に酔っているだけで、自ら進んで助けたいわけではない。(可愛い犬や猫なら別だけど。) 浸水した家に取り残された黒人は可哀想だが、その汚水には屎尿やネズミの死骸とか、犬の糞から大腸菌、未知のバイ菌が混ざっているから、自分の脚を濁流に漬けるのは嫌だ。黒人の災難はテレビで観るだけに限る。

日本国民の遺伝子プールに混ざる異質な精子

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(左: メダルを獲得した浅田真央 / 右: 民間企業のCMに出た浅田氏)

  我々は大量の朝鮮人が日本国籍を取得した世界を想像してみるべきだ。隣近所に不愉快な帰化鮮人が増えるだけではなく、自分の息子や娘の配偶者になるかも知れないんだから、考えただけでも恐ろしいじゃないか。箱入り娘の子宮に朝鮮人の精子が入って、腹が膨れてしまうなんて寒気がする。しかも、生まれてきた孫が亭主の朝鮮人にソックリとなったら気が滅入るだろう。日本社会は急速に変化している。スポーツ界ではこの傾向が強く、日本を代表して国際大会に出場する人物が、総て朝鮮系であっても不思議ではないのだ。例えば、フィギュア・スケートの世界大会で、南鮮のキム・ヨナが金メダルを取ったけど、もし彼女が帰化鮮人の娘であったたら、日本人は熱心に応援するのか? 帰化鮮人の子供は血統的に見れば「朝鮮人」であるが、書類上は「日本国民」である。したがって、キム・ヨナの如き朝鮮系スケーターであっても、成績が良ければ日本代表選手となってしまうだろう。そして、彼女は浅田真央の如き日系人選手と並んでオリンピックに出場することもあるし、場合によっては日系人選手を蹴り落として代表選手に上り詰めるという事態も起こり得る。(実際、短距離を得意とする陸上選手がほぼアフリカ系という未来はそう遠くない。) こうなった時、日系日本人は朝鮮系が独占するフィギュア・スケートの代表団を「日本チーム」と見なすのか? また、代表選手三名が揃って朝鮮系となってしまい、奇しくも金銀銅メダルを獲得した場合、素直に「やったー。すごい !」と喜べるのか?

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(左: ペットを抱く浅田真央 / 中央: 大会で演技を披露する浅田 / 右: 浮かない顔のキム・ヨナ)

  「親近感」というのは自分と同類の者、自分と似ている種族に対して強くなる。多くの日本人が浅田真央に期待を寄せたのは、彼女の才能が卓越していた“だけ”ではあるまい。彼女が見せる表情や、ひたむきに練習する姿、辛い事があっても、それを押しつけがましく視聴者に伝えない慎ましさ、失敗を犯しても他人のせいにしない潔さが好評だったからじゃないのか。彼女が見せる自然な謙虚さとか、成功した時の笑顔は素晴らしかった。日本人は浅田氏のような競技者が好きだ。一方、南鮮人のキム・ヨナはどうだったのか。報道によれば、世界大会に出場したキム選手の評判は芳しくなく、他国のスケーターは彼女に近づこうとしなかったそうだ。見るからに傲慢で、勝者としての品格も無ければ、人間的魅力すら無い。まぁ、下品でがさつな朝鮮民衆にとっては“おあつらえ向き”の選手なのだろうが、日本では歓迎されないタイプだ。ただ、栄華を誇る氷上の女王も、引退すれば徐々に曾ての人気は翳り、厭な側面しか残らないからピンチに陥る。金メダリストのキム(金)選手が頼りにするのは金貨くらいなものだろう。

  ここで再び、日本人は「なぜ朝鮮人は朝鮮を去るのか ?」を考えねばならない。朝鮮人が祖国から逃れるのは、畢竟(ひっきょう)、南鮮が朝鮮人によって構成されているからだ。朝鮮人が何千何万人集まっても、日本の寒村ほどの魅力を生み出すことはできない。朝鮮人は朝鮮人が嫌いで、支那人も支那人が嫌いだ。支那人とソックリな民族であるユダヤ人も同類で、ユダヤ人だらけの地域が嫌いである。彼らに共通しているのは、他民族から疎まれる鼻つまみ者で、その心がねじ曲がっているという点だ。それを民族性と言ってしまえばそれまでだが、できれば彼らとは接触したくない。ところが、現状は逆になっている。かつて日本人は心が清く立派な民族であったのに、朝鮮人を始めとするアジア人を包括したことで、劣化の道を選んでいるんだから自業自得だ。

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(写真 / 幼い頃と成人した時に撮られたキム・ヨナ)

  悪夢はそれだけではない。我々は朝鮮人でさえ嫌う朝鮮人の遺伝子を取り込もうとしている。最近、日本のマスコミがキム・ヨナ選手の肉体的変貌を伝えていた。報道によると、彼女の容姿が激変しており、キム氏を目にした記者の中には、「あの子誰?」と尋ねる人もいたそうだ。科学的証拠が無いので断定はできないが、一部には美容整形じゃないかという指摘もある。筆者は高須クリニックの高須克弥院長のような知識を持たないので自信がない。けど、キム氏の写真を眺めたところ、素人ながらも異変に気がついた。彼女が幼い時に撮られた写真と、花形選手になてからの写真を比べると月とスッポンだ。もしかしたら、南鮮の化粧品は皮膚や骨格まで変形させる超近代的劇薬が使われているのかも知れないぞ。朝鮮人女優なら特殊メイク無しで、映画の『Xメン』に出演できるんじゃないか。(ミュータントの「ミスティーク」を演じたレベッカ・ロメインRebecca Romijnは印象的だった。) それはともかく、南鮮では政府による公共投資額が少ないのか、民間人が自発的に顔面工事を施し、GDPを増やそうとするらしい。しかし、いくら国家主導のインフラ整備が足りないからといって、親からもらった容姿まで再開発しようとするんだから、南鮮人の「変革好き」には目を見張るものがある。

Rebecca Romijn 3Rebecca Romijn in X MenKorean face 6


(左: レベッカ・ロメイン / 「Xメン」でのミスティーク / 右2枚: 顔面工事を行った朝鮮人女性)

  こうした改造熱が南鮮国内に留まっていれば問題は無いが、大量の朝鮮移民が日本に雪崩れ込み、彼らの嫌うツングース的遺伝子が日本人の遺伝子プールに注がれたら堪ったもんじゃない。こうなれば、朝鮮人との混血は単に日系人の容姿を変えるだけでなく、祖先をも変えてしまうのだ。もし、ある日本人男性が朝鮮人女性と結婚した場合、二人の間に生まれる日鮮混血児は、少なくとも朝鮮人の祖父母二名を持つことになる。ただし、この混血児が持つ朝鮮人の肉親は、母方の祖父母に留まらない。伯父叔母、従兄弟、はとこ、曾祖父などに広がり、5代6代7代・・・20代・・・25代・・・50代と遡って、何百何千もの朝鮮人が祖先になってしまうのだ。これじゃあ、まるで天空を背負うアトラスみたいで、乞食より汚い朝鮮人が千人も自分の背中にのしかかっているようなものである。日鮮混血児にとって朝鮮史は「外国史」ではなく、「祖先の過去」となってしまい、自分のルーツを見つめる科目になるのだ。日系人の子供は鮮やかな日本史を学んで楽しいだろうが、日鮮混血児は暗くて“どんより”とした朝鮮史を意識する破目になり、陰鬱を通り越して悲しくなる。しかも、日本の敗戦後にのさばった朝鮮人は見るに耐えない。「日本人」でありたいと望む朝鮮系児童は、第三国人として横暴の限りをつくした不逞鮮人など知りたくはないだろう。だから、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』を偶然手にし、第五章を読んだ帰化鮮人の親は烈火の如く怒るはずだ。たぶん、本をズタズタに引き千切って燃やしてしまうんじゃないか。在日朝鮮人には、何としても我が子に隠したい過去がある。朝鮮系帰化人の子供が増えれば、学校での歴史教育は、益々闇の中を彷徨(さまよ)うことになるだろう。それにしても、日本では歴史の授業が過去を忘却する教科になっているんだから腹が立つ。

Korean Park Min Young Plastic SurgeryKorean Actress, Park Min Young


(左: 生来の顔を持つ朴ミン・ヨン / 中央と右: 外科的変身を遂げ美人女優になった朴氏)

自由を失う日本人

  朝鮮人を始めとするアジア系国民が増えると、もう一つの災難、すなわち日系日本人が自国を失う破目になる。例えば、親子代々「日本人」である日系人が、アジア系帰化人や移民、難民の排斥を訴えると、「ヘイト・スピーチ(憎悪言論)」を行う“不届き者”として非難され、弱い者イジメをする“悪人”にされてしまうのだ。しかし、日系人にしたら、自分たちの祖国に闖入する不逞鮮人や支那人、あるいは売春婦もどきの東南アジア人を駆除したいだけで、ことさら外国人を排除したいわけではない。事実、ハイテク産業や投資会社に勤める西歐系ビジネスマンや在日米軍士官、オーストラリアやカナダからの白人ファッション・モデルを追放しようとする日本人はいないだろう。NHKやTBSは「外国人排斥の気運が高まって危険です !」と報道するが、その「外国人」の正体を具体的に説明しないのだ。例えば、「外国人参政権」を取り上げても、それを「在日鮮人参政権」とは評さない。また、観光地における外人トラブルに言及しても、それが主に支那人によるものとは明言しないし、支那人の仰天行動に不満を漏らすホテル従業員の本音もNGだ。電車内のマナー違反だって、大抵は沢山の荷物を持ち込む支那人観光客だったりする。

  日系人には「言論の自由」があったはずなのに、最近ではそれも怪しくなってきた。例えば、朝鮮人が“あちこち”に住みつく川崎市では、「ヘイト・スピーチ」規制の一環として、「外人排斥団体」に対し公園などの場所を貸さないようにするらしい。でも、どうして日本人が自分たちの郷里を守る為に蹶起(けっき)することが“いけない”のか? 不愉快な侵入者が増えてくれば、自衛意識が高くなっても当然じゃないか。NHKなどは偏向報道を糾弾する日本人視聴者を門前払いする一方で、新華社通信の支那人や民間人を装う工作員なら大歓迎だ。本来、日本は日本人の国というのが前提で、健全な公務員は日系日本人を優先すべきなのに、いかがわしい外国人や図々しい帰化人の方を重視する。もっとも、共産党や公明党、民進党系の左翼議員がアジア人の味方に廻っているので、公務員の中には良心の呵責を感じている者もいるだろう。とは言っても、左翼議員からの叱責が怖いから、厭でも従うしかない。

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(左: 朝鮮人の抗議デモ / 右: アメリカ黒人の抗議デモ)

  米国でも事情は同じだ。例えば、CNNやABCは大規模な街頭デモを報じるが、それを「怒れる若者たちによる抗議行動」とだけ伝える。しかし、実際の映像を観ると、デモの参加者たちは主に黒人であったり、先頭に立って煽るのが極左の活動家という場合が多い。主要マスコミは「黒人暴動」と言えないので、わざと「若者による抗議」と言葉を濁している。でも、これだと「嘘」にはならないから、「フェイク・ニュース」との批判を避けることはできる。しかし、本質的には「詐欺ニュース」に近い。アメリカは元々白人国家だったのに、大手企業が安い労働力を欲したため、移民規制を撤廃してしまい、有色人種が溢れる多民族社会になってしまった。かつて、イギリス系入植者は原住民のインディオを追い払って「少数派(マイノリティー)の土人」に貶めたが、今では自分が移民に押し込められ、「白人少数派」に没落してしまった。なんとも皮肉なものである。日本人は気付いていないが、米国に押し寄せる支那人は一度も発砲せずにアメリカを征服できるのだ。方法は簡単。支那人は“いつも”のように“支那人らしく”振る舞えばいい。つまり、街中で「ペッ」と痰を吐き、ガチョウのようにガァーガアァと喋り、アパートメントを支那人所帯で埋め尽くし、学校にも我が子を送り込めばいいのだ。そうすれば白人が自主的に領土を明け渡す。所謂「白人の逃避」である。

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(左: 公害に苦しむ支那人 / 右: 貧困に喘ぐ支那人 )

  一般国民は薄々分かっていても口にしないが、アジアからの移民は日本を質的に向上させることはない。なるほど、大手の派遣会社は仲介手数料を取って儲かるし、コンビや介護施設は人手不足の解消となる。しかし、大半の日系国民にとっては、アジア移民は厄介者でしかない。日本人は日本人どうして暮らしたい。これが我々の本音だ。朝鮮人や支那人、フィリピン人と混じり合って暮らすのは最悪。彼らと付き合っても楽しくないし、不愉快な場面が増えるだけ。心が優しい日本人になると、劣等民族を傷つけないために、通常以上の気配りが必要となってくる。例えば、美白化粧品を愛用する日本人女性が、タガログ族系フィリピン人や茶色いインド人を前にして、「あの化粧品よかったわよぉ〜」なんて言えないじゃないか。また、黒人との混血児は日傘をさす日系人の母親を見て、「ボクのママには必要ないな」と思うから、周りの日本人は日焼けの話は避けるようになる。多民族幼稚園ではTVアニメ『ジャングル黒べぇ』のDVDなど厳禁だし、名作の『ブラック・ジャック』でも購入しないだろう。支那の名物料理、子供の小便を用いたゆで卵は香ばしいかも知れないが、幼稚園での再現は論外だ。イタリアでは人間の足が混入した支那料理が話題になったけど、日本ではこれから人間の指とか爪が発見されるかも知れない。(Julian Robinson,"Chinese restaurant is accused of serving human FEET to diners in Italy after gruesome image of rotting flesh is posted online by a waiter", Daily Mail, 13 January 2017 / 註 : 筆者はその写真を入手したけど、ライブドア社の検閲があるので載せられません。勇気のある方はネットで調べてね。) でも、支那人シェフなら、「ワタシの店ではそれが目玉料理よ !」と言うかも知れないぞ。実際、牛の目玉や金玉がスープの中に入っていたりしてね。

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(左: 昔の朝鮮人 / 右: 現在の朝鮮人)

  とにかく、色々な理由を述べることができるが、簡単に言って日本人は朝鮮人が嫌いである。朝鮮人は激怒するが、日本人からすると朝鮮人は下品で粗野。彼らは歴史的に支那人やモンゴル人、そして両班階級に弾圧されたり、理不尽な搾取を受け続けてきたので、性格が骨の髄まで歪んでいるのだ。その証拠に、彼らが集まった国を見てみれば解るじゃないか。自分たちが受けたと称する日帝からの屈辱と恥辱を西歐人にアピールし、白人からの同情を買うことで日本人への「当て付け」にしようとする。口にすることさえ忌まわしいが、「慰安婦問題」は典型的な対鮮トラブルだ。実際は醜悪な淫売女でも、朝鮮人は想像と妄想を膨らまして無垢な少女に変換し、米国にまで慰安婦像を造って設置するんだから、馬鹿というより気違いに等しい。日本の保守派は文大統領がトランプ大統領の歓迎式典に元売春婦の老婆を呼んできたことに驚き、その愚行を非難していたが、筆者から見れば、いかにも朝鮮人らしい行動に思える。アホの坂田師匠は「藝」として阿呆を演じているが、朝鮮人は“自然”にアホな行動を取っている。朝鮮人は野生動物や昆虫と同じだ。例えば、サソリに刺されたカエルが、「どうしてボクを刺すんだ?」と質問したとする。非難されたサソリにしてみれば、「刺したかったから」と答えるしかないだろう。だいたい、自分で自分の行動を反省できるくらいなら、あんな国家になっていない。

朝鮮人が集うと最低に

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(写真 / 日本のの恩恵を受ける前の惨めな朝鮮人たち)

  朝鮮人は「魅力」という言葉に無縁の民族である。南鮮にはクズ野菜を漬けたキムチくらいしか自慢するものが無い。余りにも貧しすぎたせいで工業技術すら発達しなかったし、貨幣経済も発展せず、他国民に披露できる文化にも乏しい。日本で育った朝鮮人の青年は、「アリランの詩(うた)」とか「パンソリ」なんて恥ずかしくて言葉に出来ず、「プク」と呼ばれる太鼓すら叩くのも嫌である。朝鮮人が口ずさむ民謡なんて陰気なメロディーで、日本人の友達には紹介したくない。以前、帰化鮮人歌手の錦野旦(あきら)が、歌謡界は朝鮮系歌手がいないと成り立たないと豪語していたが、朝鮮系歌手は日本で生まれ育ったから、有名歌手になれたのだ。朝鮮に住んでいたらデビューする機会さえ得られない。せいぜい一日中、空を眺めて屁をこいているだけの人生だ。例えば、和田アキ子は有名歌手になったが、それとて所属事務所のお陰だろう。彼女には作曲能力が無いから、他人が作った曲を歌っているだけ。もし、彼女が朝鮮で育っていたら、いま手にしている名声と地位は無い。1970年代や80年代の南鮮でも歌謡曲はあったが、それは片田舎の野暮天が夢中になる程度の代物で、日本人が聴いたら大爆笑。朝鮮人は先進国の日本に生まれ育ったから「著名人」になれたのだ。

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(写真 / K-Popの人気グループ)

  もし、朝鮮の流行歌が素晴らしいのであれば、なぜ日本のレコード会社は朝鮮名曲集アルバムとか、1970年代南鮮ヒット曲といったCDを発売しないのか? 1980年代の南鮮人は日本の民衆文化に憧れており、こっそりと日本のTVドラマや映画などを観たり、歌謡曲やニュー・ミュージックのファンになっていたそうだ。今でも南鮮では、外国文化を輸入・盗作しており、「K-Pop」というのはアメリカ人歌手の猿まねに過ぎない。朝鮮人は三人寄っても「紛(まが)い物」しか産み出せず、せいぜい日本の文化を“さらり”と盗むだけ。日本人か馬鹿されれば、「何を言うか ! 日帝は我々の“国”を盗んだじゃないか !」と激昂し、羞じらいも無く開き直る。こんな連中が日本に押し寄せ、新大久保や川崎、大阪などに住みつく。かくて、朝鮮人が増え始めると、そこに住んでいた日本人が「よそ」へ引っ越すから、いつの間にか朝鮮人街の一丁出来上がりとなってしまう。

  西歐系白人が住む目黒とか麻布、青山の一等地なら「お洒落な街」となるのに、朝鮮人が棲息する新大久保は賤民のゲットーと化してしまう。現実はまことに厳しい。ナメクジみたいな顔附きの朝鮮人が携帯電話屋とか装飾雑貨店を営み、買い出しに来る客も朝鮮人だから、まともな日本人は目を伏せながら通りすぎるだけだ。(筆者はじっくりと現地の商店街を見物したことがあるので、今でもよく覚えている。) 住み慣れた街を朝鮮人に占拠された日系住民は悲惨なものだ。引っ越そうにも資金が無いし、朝鮮人が群集したことで店や家の資産価値も激減してしまう。「昔は良かった」と歎く高齢者は、朝鮮人の体臭を嗅ぎながら“お迎え”を待つしかない。それにしても、朝鮮からの「疫病神」に囲まれる日本人が、冥途からの「死神」を待ちわびるなんて憐れじゃないか。書店では亭主に不満を抱く奥様が『だんなデス・ノート : 夫の「死を」願う妻たちの叫び』を買っているそうだけど、これからは朝鮮人を呪い殺す『鮮人撲滅デス・ノート』が発売されるんじゃないか。筆者も小遣い稼ぎに一つ出版してみたいなぁ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

2017年10月31日 北鮮の難民がやって来る ?! / 日本国民になってしまう定住朝鮮人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68679896.html
ミサイル攻撃よりも怖ろしい難民

  総選挙というお祭りが終わって、日本国民一段落したと安堵しているが、議員選びよりも重要な問題が待ち構えている。すなわち、北鮮危機だ。保守系雑誌は「北朝鮮が我が国に向けてミサイルを発射するんじゃないか」とか、「米軍による北朝鮮への攻撃が始まりそうだ」と騒ぎ立て、各誌が特集を組んでいる。だが、本当の国難はそんなものではない。日本政府が自発的、あるいは渋々ながらも、大量の北鮮難民を受け容れてしまうことなのだ。

  確かに、トランプ大統領は強硬な態度を取り続ける金正恩に対し、安易な妥協を見せず、武力制裁を行う可能性がある。そもそも、ロナルド・レーガン大統領に憧れるトランプとしては、ジミー・カーターのように人権外交を標榜して失敗したくない。イランの人質奪還作戦で大失態を犯した大統領は惨めなもので、現在でも語り草になっている。やはり、「強いアメリカ」を前面に出して、自分に刃向かうゴロツキ国家を倒してこそ、偉大なる大統領として歴史に名が残るんじゃないのか。だから、ソ連よりも遙かに劣る北朝鮮に、自ら譲歩して核保有を許してしまうなんて想像できない。もし、トランプが何らかの裏取引で北鮮の核保有を黙認したら、国内の共和党保守派からの突き上げが噴出し、四面楚歌のトランプは益々孤立化を深めてしまうだろう。


(左: ジミー・カーター / ロナルド・レーガン/ ドナルド・トランプ  / 右: 金正恩)

  ただ、国際政治には不確定要素が多いから、正確に未来を予測することは難しい。したがって、我々は最悪のシナリオを想定し、あらかじめ「腹」を決めておく必要がある。例えば、核ミサイルに対する防禦を整備してこなかった日本人は、多くの同胞が死んでも「仕方ない」と諦め、残った国民が復讐心と克己心を持って国家を再興することだ。まぁ、現実的には日米同盟があるから簡単に核攻撃は受けないと思うが、自国を自力で守ろうとしない国民なんだから、同盟国に裏切られて消滅しても文句は言えまい。国際政治で「他力本願」は愚の骨頂だ。少なくとも米国は日米同盟を守ろうと“努力”するが、法の抜け穴を突いて日本を助けない場合だってある。また、そうじゃなくても、日本を軍事的に助けてやる代わりに、経済協力を“水増し”して求めてくることもあるだろう。どっちみち、我が国は苦難に陥るということだ。

左翼分子を披露するテレ朝

  北鮮問題を扱うテレビ番組はいくつもあるが、テレ朝の『ビートたけしのTVタックル』は支那や北鮮を擁護する番組として知れ渡っている。いつもは下らない内容なので観ることはないが、10月29日の放送では、防衛評論家の桜林美佐と経済評論家の三橋貴明、軍事アナリストの西村金一が出演していたので、仕事をしながら片手間で議論を聴くことにした。しかし、制作スタッフの真意は、これらの評論家が発する警告ではなく、極左ジャーナリストの青木理(おさむ)や「アジアプレス」の石丸次郎を世間に紹介することにあった。ワイドショーで常連客の青木はともかく、北鮮を熱心に取材する石丸には用心が必要だ。例えば、彼の北鮮難民に関しての発言は聞き捨てならない。石丸は戦争に伴って「北朝鮮が特殊部隊を送るなんてあり得ない !」とか、「武装難民が日本に押し寄せるなんてナンセンスですよ !」と言いのけた。石丸の考えによれば、「北朝鮮が消滅してしまうのに、特殊部隊が闘う理由なんてあるんですか?」という訳だ。そんなの特殊部隊員が気にすることではない。戦争が始まる前後に特殊部隊への指令が発令されれば、部隊員は命に代えても自分の任務を遂行しようとするし、日本に上陸した部隊は祖国との連絡が無くても暴れ回るものである。

Ishimaru Jiro 2(左 / 石丸次郎 )

  一般の日本人には軍事が解っていない。特殊部隊員は命令を実行することのみに専念する。だから、国際政治とか任務を終えてからの出世は考えない。たとえ、日本人が「北鮮兵士の皆さん、あなた方の祖国は崩壊しましたよ。もう意味が無いので投降して下さ〜い !」とメガホンで呼びかけても、北鮮の特殊部隊員は出頭しないだろう。だいいち、日本国政府は命令の解除コードを知っているのか? 日本に潜入した北鮮兵は、上官からの正式な停戦命令を受けない限り、死ぬまで戦い続けるんだから、日本人による「降伏勧告」なんて「策略」としか思わない。彼らは日本の自衛隊に殲滅されるまで、殺戮や破壊をやめないだろう。

  仮に、特殊部隊が投入されなくても、北鮮難民の中に便衣兵、つまり民間人を装ったゲリラ兵や長期滞在を目論む工作員が紛れ込んでいる場合だってあるのだ。ところが、日本政府は偽装難民と一般難民を区別できないから、どうしても悪質な北鮮人を国内に招き入れてしまう虞(おそれ)がある。たとえ政府が難民を一時的に離島へ収容し、ゲリラ兵の摘発に乗り出しても、国内の反日勢力が政府に圧力を掛け、「人権無視の隔離だ !」とか「人道主義に反する !」「朝鮮人への差別だ !」と騒ぎ立てるから、いつまでも孤島に閉じ込めておくことはできない。ちょっと考えれば朝鮮人を支援しそうな連中など、直ぐ思いつくじゃないか。 例えば、共産党、立憲民主党、民進党、自民党に潜む左翼議員、帰化鮮人の活動家、韓国民団、朝鮮総聯の残党、全共闘崩れの老左翼、人権派弁護士、移民・難民支援団体など、彼らはマスコミと結託して一大勢力を形成し、北鮮難民を本土に迎入れようと手引きするはずだ。

日本に根づく朝鮮人

  難民というのは、いつまでも難民ではない。日本にやって来た北鮮難民は、必ずや「日本国民」となる。金王朝の下で呻吟(しんぎん)した朝鮮人は、豊かで快適な日本に驚いてしまうから、絶対に“あの”悲惨な半島に帰ろうとは思わない。たとえ言葉が不自由で無職の状態であっても、気前の良い日本政府が食事を与えてくれるし、衣服や住居まで手配してくれる。しかも、子供の教育、職業訓練、医療保障に加えて、お小遣いまでくれるんだから至れり尽くせりだ。難民としてやって来た大人が日本国籍を取ることが無理でも、その子供たちは日本の学校に通い、日本語を覚えるわけだから、成人すれば帰化を申請するし、日本人と結婚してしまえば自動的に日本国民になれる。北朝鮮の崩壊を一番喜ぶのは、日本に定住できた北鮮難民だろう。


( 写真 / 貧困に喘ぐ北鮮人)

  日本人にとって怖ろしいのは、北鮮から発射される核ミサイルではなくて、大量に雪崩れ込む忌まわしい北鮮人だ。北鮮軍による武力攻撃を受けるのは嫌だが、脳天気な日本人が目覚めるのは、本当に目の前で同胞が殺された時でしかない。いくら国会で政治家が軍事的脅威を議論したって、そんなのは所詮「どこか余所の国」で起こる他人事に過ぎないから、大多数の日本国民はたいして関心を示さず、藝能ニュースの方に耳を傾けるはずだ。したがって、いくらJアラートを鳴らしても、有権者は真剣に考えないから、日本国政府に有効な防衛策は無い。日本人は合衆国政府の意向を黙って拝聴するのがせいぜいだろう。


(写真 / 1950年代、戦争を逃れる朝鮮人)

  問題なのは、戦場と化した朝鮮半島、とりわけ崩壊した北鮮で“厄介者”となる大衆である。もし、米軍が斬首作戦を真剣に実行すれば成功するかも知れない。だが、その後が大変だ。誰が北鮮の後始末をするのか? 本来なら、同胞の南鮮人だろう。しかし、只でさえ不景気に喘ぐ南鮮人が、大量の貧民を新たに抱きかかえることができるのか? 当然、南鮮政府は米国と日本に支援を要請するはずで、堂々と物資や金銭を恵んでくれとせがむだろう。老朽化した工業施設とか、未熟なインフラしかない北鮮が自力で経済復興できる訳がないので、ケチな米国はお金を貯め込んでいる日本に「お前が助けてやれ !」と命令するんじゃないか。結局、拉致被害を受けた日本が、加害者側の北朝鮮に税金を貢ぎ、負担でしかない朝鮮人を国内に引き受けて面倒を見る破目になるのだ。

  日本人はシリア難民を背負い込んだドイツやアメリカに、もっと目を向けるべきだ。ドイツの惨状は頻繁に報道されたから多少は知られているが、アメリカの状況も似たようなものである。例えば、2013年、米国は69,926人の中東アジア難民を受け容れてしまったが、国務省に設置された人口・難民・移民局(Bureau of Population, Refugees and Migration)は、難民を定住させるために3億1千万ドル(約341億円 / 1ドルを110円で換算)もの予算を使ったそうだ。 (Steven A. Camarota and Karen Zeigler, " The Hight Cost of Resettling Middle Eastern Refugees", Center for Immigration Studies, November 2015) シリアなどからの難民に対して、合衆国は手厚い福祉を与えたそうで、個人への社会保障補助金(SSI)は平均で年間13,494ドル(148万4千340円)となり、一世帯当たり最初の五年間で平均21,658ドル(238万2千380円)も支給されていたのである。困窮家庭への臨時給金(TANE)だと、一年に月平均5,061ドル(55万6千710円)となり、一世帯当たり9,287ドル(102万1千570円)となっていた。難民の91.4%が受け取っていた食券プログラム(SNAP)だと、個人としては年間4,039ドル(44万4千290円)貰っていて、一世帯当たり平均18,458ドル(203万380円)が支給されていたのである。


(写真 / 米国にやって来たシリア難民)

  難民支援者は「人道主義」を掲げて北鮮人を受け容れろと叫ぶが、その親切な人々は自分のお金を使おうとは思わない。「善きこと」は「他人のゼニ」で行う、というのが彼らのモットーであるから、難民が定住するための費用は総て税金である。難民が受け取る支援金は厖大な額なのに、彼らが払うかも知れない税金は勧めの涙程度。金王朝下で奴隷並みの生活をしていた北鮮人には、先進国で必要とされる技術者などはいないし、大多数が未熟練労働者か、潰しの利かない半端者、何をやらせてもダメな木偶の坊、無教養のタダ飯喰らいで、後はチンケな泥棒か、ひねくれ者、殺人鬼、強姦魔、犯罪予備軍くらいである。日本語も解らず、“コレ”といった特技も無い朝鮮人が、日本で出来る仕事といったら筋肉労働くらいしかない。だが、それとて難しいのだ。というのも、朝鮮人に土方をやらせても、現場監督と意思疎通が出来ないから、どんなヘマをやらかすか分かったもんじゃない。したがって、常に目を光らせておかないといけないから、現場監督は精神が休まることはなく、神経が参ってしまうのだ。それに、鮮人人夫が建設工事でヘマをやらかせば、通行人とかに怪我をさせるかも知れないし、場合によっては大事故を引き起こして多数の死傷者を出すかも知れないのだ。雇い主の建設会社は、こうした時の責任を背負う覚悟があるのか? 安くコキ使えるはずの外人労働者が、結果的には「高くついた」なんて事態も考えられるのだ。

  もっとウンザリするのは、北鮮を併合したことで更なる不景気に陥った南鮮から、没落した南鮮人が脱出を図り、手軽に渡航できる日本を目指すことだ。労働移民を歓迎する日本企業と、人口減少に悩む日本政府は、定住目的の南鮮人を排除しないから、益々日本の朝鮮化が進むことになるだろう。多民族主義の脅威に気付いていない日本人にはピンとこないだろうが、定住型の朝鮮人が増えるということは、日本国民の遺伝子プールの中に朝鮮人の精子や卵子が混入し、朝鮮人の肉体を持つ日本人が増えてしまう事を意味する。昭和の頃までなら、大半の日本人にとって朝鮮は“外国”であったが、平成の日鮮混血児にとっては“ご先祖様の郷里”となってしまい、別の形で日韓併合が再現されてしまうのだ。大都市のみならず、全国各地に朝鮮人が拡散し、“朝鮮顔”の日本人が激増してしまうんだから、考えただけでも怖ろしい。

  保守派の知識人や一般国民は、皇室問題や教育問題、農業問題、グローバル経済化などに直面すると、口を揃えて日本文化を守れと訴えるが、「誰が」守るのかに言及しない。大抵の国民は「我々国民が」と述べるが、その日本国民は「日系」なのか「朝鮮系」「支那系」「フィリピン系」「タイ系」なのかを考えず、全国民に呼びかければ“自然と”賛同するはずだと思っている。しかし、日本の文化や伝統、神社仏閣を守るのは、日本人の両親と祖父母を持つ「日系日本人」だけである。もし、朝鮮人の片親を持つと、日本人としての意識が希薄になり、縦糸の「血統」がぼやけてしまうのだ。確かに、日鮮混血児であっても、「日本が好き」と答えるだろう。だが、その「日本」とは「現在だけの日本」あるいは「住み慣れた土地」を意味し、何千年も前から続く「神州」でも「皇国」でもない。朝鮮人や支那人との混血児が、明治の頃の日本人と同じ「国民意識」を持つのか? 彼らは「ナショナリズム」を否定的に捉えるだろう。なぜなら、自分の肉体の中に異質で恥ずかしい遺伝子が含まれていることを自覚しているからだ。日系日本人が「鮮人駆除」を叫ぶと、彼らが嫌悪感を覚えてしまうのは、体内の朝鮮的血統が反応してしまうからである。


(左: 朝鮮人の生徒 / 右: 「Kポップ」を宣伝する朝鮮人)

  こうした日鮮混血児が増える事は本当に深刻である。昔は、日教組が“日本人の”子供を「反日分子」に改造するため苦労した。しかし、朝鮮系の子供に関しては、そうした努力や洗脳は要らない。帰化鮮人の子供や日鮮混血児は、洗脳せずとも“自然と”日系国民に反感を覚えるし、自ら進んで反日運動に加わったりする。日系日本人なら、たとえ左翼史観や反皇室教育を受けたとしても、何らかの切っ掛けで間違いに気付き、皇室伝統の素晴らしさを理解し、正常な日本人へと戻ることができる。ところが、朝鮮人や支那人の遺伝子が混じった子供は、天皇陛下を目にしても畏敬の念が湧くことはなく、却って「なんだ、あんな奴。いつも威張りやがって。いったい、どこが偉いんだ? 税金泥棒じゃないか !」と思ってしまうのだ。帰化鮮人の全員が反皇室とは限らないが、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児で、いったい何人の尊皇主義者がいるんだ? 敗戦から半世紀以上経って、帰化した朝鮮人の子孫はかなりの数に上るはずだ。しかし、彼らの中から立派な伝統主義者とか愛国者が輩出されたとは聞いたことがない。朝鮮系の評論家とか大学教授で、心から日本の歴史や皇室、伝統文化を愛している人物がいたのか? あれだけ多くの朝鮮人が日本の教育を受け、日本人と結婚して子供をもうけ、親子代々日本に住み続けているのに、著名な愛国派知識人すら出現しないのだ。

国内に潜む敵

  先ほど述べた石丸次郎が、特殊部隊の侵入を否定したが、北鮮人工作員を使うのは何も金王朝だけとは限らない。たとえ、彼らの祖国である北朝鮮が崩壊しても、北鮮人が抱く反日感情は消滅しないし、支那人やロシア人が背後で操ることだって考えられるのだ。日本の支那専門家は北京政府の動向ばかり説明しているが、ロシア人とのパイプを隠している北鮮人がどれほど居るのか述べる事はない。もともと、北朝鮮はソ連が創った傀儡国家で、金日成(金聖柱)を首領に据えたのはスターリンである。この独裁者が若き金日成を選んだのは、彼が一番業績が無く、他と比べて操りやすい小僧と踏んだからだ。なるほど、北京政府が北鮮を軍事・経済の面で支援・保護しているが、ロシアが手を引いたとは考えにくい。ロシア人はマフィアと同じだから、一度摑んだ駒は絶対に放さず、徹底的にしゃぶり尽くすし、残りカスまで利用するはずだ。

  したがって、民間人を装って日本に潜入する北鮮工作員の中には、支那人やロシア人の手先が紛れていると考えた方がよい。彼らは直ぐに暴れ回るゲリラ兵とならず、「忍び」として日本に根を下ろし、パトロンの指令を待ちながら「一般人」として暮らすだろう。こうした連中の子供や孫は、やがて日本の官庁や企業、軍隊に浸透し、こっそりと極秘情報を盗み取るかも知れないし、上級幹部になって日本の国益を損なう人材になっているかも知れないのだ。(支那・朝鮮系の警察官や裁判官なんて、考えただけでも身震いする。) それ以上に危険なのは、朝鮮系の子孫が国会議員になって、朝鮮や支那、ロシアのために尽くすことである。現在でさえ、白真勲や福山哲郎といった朝鮮系議員が暗躍しているのに、更なる帰化鮮人議員が増えれば、国防計画でさえ困難な状況になるだろう。例えば、いくら自衛隊が最新鋭の戦闘機やイージス艦を購入しても、こうした反日議員が実戦使用を禁止すれば、単なる模型に過ぎない。つまり、北京政府は日本の議員を最良の「部下」として保有しているわけで、実弾を用いずとも日本の領土を征服できる。


左: 北鮮人
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右: 支那人
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  また、自衛官の中にも支那やロシアに配備された「スリーパー(忍びの草)」がいるから、いざという時は攪乱部隊として起動するはずだ。それに、支那人と結婚した自衛官の息子が自衛隊に入れば、防諜活動にとって別の問題が生じてくる。日本人は建前として民族差別を行わないことになっているから、支那系自衛官への監視が難しくなるだろう。しかし、北京から派遣された工作員は、同じ血を有する「同類」に接触を謀ってスパイに仕立てることが多い。実際、FBIに食い込んだスパイも支那系アメリカ人であったから、支那人の諜報機関は必ず混血児に目を附けてくる。たとえ、日支混血児が最初からスパイでなくても、支那人外交官に対しての抵抗感が薄いので、食事やカラオケの誘いについ乗ってしまうこともある。片親が支那人だと何かと共通点が多い混血児は、何となく支那人工作員に親近感を覚え、交際を続けているうちに“いつの間にか”情報提供者になってしまうのだ。特に、女の工作員が肉体を武器に男性の支那系あるいは朝鮮系自衛官を誘惑したら、結構その手口に嵌まってしまう者も多いだろう。

  難民の受け容れは、日本社会の隅々に損害を与えるものである。我が国の防衛力を低下させるばかりでなく、普段の生活まで食い散らかしてしまうのだ。例えば、難民がもたらす利益などは“ほぼゼロ”に近いが、医療費だけは一人前にかかるし、中には持病持ちもいるから、特別治療を受ける奴もいる。北鮮なら重病に苦しみながら死亡するだけの貧民でも、豊かな日本に来れば最新鋭の医療機器と高度な外科手術で治療して貰えるのだ。また、虫歯だらけの朝鮮人でも、「歯が痛い」と泣きつけば、即座に治療して貰えるんだから、国民健康保険をきちんと払っている日本人は激怒するだろう。日本国民が親子代々長年に亙り、高い保険料を納めながら維持してきた制度なのに、横滑りしてきた朝鮮人が“ちゃっかり”その恩恵に浴しているんだから、頭にきても当然じゃないか。もう説明するのも厭だけど、日本の刑法は犯罪者に甘く、日本の「囚人生活」ですら北鮮の「市民生活」よりも遙かに素晴らしく、“安心して”暮らせる日本の刑務所はサマー・キャンプに近い。


左: 朝鮮人女性
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右: 朝鮮人の少年
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  貧しい外人の到来は、医療費の問題だけではない。難民は子供連れで来るから、日本の人権派は鮮人の児童に対して義務教育を与えろと叫ぶはずだ。しかし、難民の子供は上流階級の私立学校に入ることができないので、必然的に庶民が通う公立学校に配置されることになる。しかし、日本語が不充分な鮮人児童が混入されれば、日本人の児童は大迷惑だ。異民族混淆クラスは、大抵の場合、学力低下に悩む。ドイツでも移民・難民の子供が多く住む地区では、学校の質的レベルが低下し、国家規模の問題となっている。国語(ドイツ語)が分からない移民の子供が、算数や数学、理科を苦手科目とするのは当り前だ。こうなれば、公立学校しか選択肢の無いゲルマン系の親は、移民・難民の流入に不満を募らせ、民族対立の火種となってしまう。日本の親だって、我が子には良い環境で最善の教育を与えたいと望むはずだ。それなのに、政府が勝手に鮮人の児童を日本人クラスに混ぜるから、日本人の親はブツブツと愚痴をこぼすようになる。毎度の事だけど、おっとりした日本の庶民は、自分が招いたわけでもない難民によって苦しむ事になるのだ。(ついでに言えば、日本の給食は北鮮人にとって高級料理と映る。毎日が豪華ディナーとなるから、大人だって学校に通いたくなるだろう。)


(写真 / 大進化を遂げる朝鮮人女性 )
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  難民問題で最大の障壁となっているのは、国内で沸き起こる「人道主義」だ。ユダヤ人が勝手につくった難民条約を締結するから、日本人はその害悪に苦しむ破目になるのだ。国家の将来や国民の日常生活を守るなら、難民条約など廃棄すべきだし、難民がボロ船に乗ってやって来るなら、躊躇せず砲撃で沈めるべきである。国家防衛とは国益を優先することで、流血を見るのが嫌だから、自滅を選ぶというのは愚者の考えだ。撃沈して溺れる難民を見て気の毒に思うのは一瞬の事である。ところが、その苦痛に耐えられないからといって難民を受け容れてしまえば、百年以上、つまり三世代以上の激痛を味わうことになるだろう。

現在の日本人は死刑を「忌まわしい」と考える平安貴族のような臆病者になっている。現実の社会には悪人がいるので、社会を維持しようと思えば、犯罪者に温情を示すべきではない。容赦無く斬首刑にすべし。国家への害悪が予想できるなら、躊躇無く北鮮難民を海の藻屑にすべきである。もし、人権派が文句を言うなら、「じゃあ、お前が日本国籍を捨てて、朝鮮半島で人道支援をすればいいじゃないか !」と言ってやれ。こうした左翼に限って、決して日本から出ようとせず、国内で快適な生活を送りながら「善人」の振りをしているものだ。大量の“みすぼらしい”北鮮人が到来した時、「難民を養いたい」と手を挙げる左翼が何人出てくるのか? 本当に楽しみである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68679896.html


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9. 中川隆[-5768] koaQ7Jey 2017年12月16日 19:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。

日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html#c4

[昼休み53] 北九州一家監禁殺人事件 中川隆
5. 中川隆[-5771] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:14:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人が集まると嫌な国が出来上がる
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

(左: 「理想の美」を手に入れた朝鮮人モデル / 右: 自然な顔面を保つ朝鮮人娘)

  いつからか分からないが、テレビ局が来日外国人を捕まえて、日本の文化や名所、料理を絶讃させる番組が増えたそうだ。日本は高度な文明国家だから低俗な外国人が驚嘆してもおかしくはないけれど、もし一般の日本人が「日本の素晴らしさは?」と訊かれたら何と答えるのか。こんな質問を急に街頭で尋ねられれば、大抵の人は「う〜ん、そうだなぁ」と考えてしまうだろう。我々としては普段通りの生活をしているだけだから、一々外国の事情と比べて何が優れているのか、なんて調べない。応ずる人によって意見はまちまちだろうが、一つだけ簡単に述べれば、「日本人が住んでいるから」と言えるんじゃないか。確かに、我が国の自然環境も理由の一つになっているけど、究極的に日本の素晴らしさは日本人にある。

  ところが、近年、この“素晴らしさ”を台無しにしようとする動きがある。大手「口入れ屋」のパソナを背にする竹中平蔵たちが、少子高齢化と人口減少を口実に、安い外国人労働者を引き込もうとしているのだ。しかも、この大量輸入に加え、朝鮮半島から多くの南鮮人が移り住んでいるという。韓国移民政策研究院の調査資料(2017年度版)によると、過去10年間で大韓民国の国籍を放棄した者は、22万3千611人に達したそうだ。2007年に2万3千528人を記録した国籍放棄者は、2016年になると3万6千404人に増えたそうだから、さすが「地獄の朝鮮(ヘル・コリア)」である。その内訳を見てみると、国籍を棄てた南鮮人は主に米国に向かったそうで、アメリカ国籍を取得した者が9万4千908人と最も多い。多民族政策を取るカナダも人気が高く、3万2千732人の南鮮人がカナダ国籍を取得したそうだ。

Korean migrants to GermanyKoreans 3

(左: 半世紀前にドイツへ渡った朝鮮移民 / 右: 民族衣装を纏った朝鮮女性)

  問題なのは、日本を目指した南鮮人の方である。もう目が眩んでしまうけど、5万8千870人が日本国籍を取得したそうだ。(「韓国国籍放棄者が急増・・・・『国家競争力の損失』」 中央日報、2017年11月8日) 南鮮の報道機関は「国力の損失だ」と歎いているが、日本人からすれば「反日分子の到来」か「汚染被害の拡散」にしか見えない。あの“穢らわしい”半島から来日してくる連中が、立派で有能な人材なんて考えられないし、どちらかと言えば「棄民」じゃないのか。どうせ、南鮮国内にいたって大半が“穀潰し”か“半端者”なんだから、南鮮の政治家にとったら「日本に厄介払いが出来て良かった」という気分だろう。一方、日本人の南鮮移住者はいったい何名いるのか? 答えは、「分からない」というのが一般的。法務省は帰化申請をする外国人に関するデータなら持っているが、日本国籍を放棄し、南鮮国籍を取得した日本人については統計を取っていないのだ。つまり、祖国を捨てた奴らの行く先には関心が無いということである。

Korean & Black family 2Korean face 1


(左: 黒人と結婚した朝鮮人女性とその子供たち / 右: 朝鮮人の父親と息子)

  でも、日本人で“わざわざ”南鮮人になろうとする者は、“よほど”の事情を抱えた人物に違いあるまい。だって、普通の神経を持った日本人なら、朝鮮人にまで零落(おちぶ)れる道を選ばないだろう。一番考えられるのは、朝鮮人男性と結婚してしまった日本人女性である。例えば、日本に来た南鮮人留学生が日本人女性と恋仲となり、南鮮へ連れ出すというケースが考えられる。もちろん、嫁の両親は大反対。朝鮮という野蛮国に娘が住むなんて恐ろしいし、第一、日本人の誇りが許せない。でも、バカ娘には現実の厳しさが解っていないから、両親の説得にも馬耳東風。いくら鮮人に惚れたからといって、日本でヌクヌクと育った日本人に朝鮮での暮らしは耐えられない。しかも、南鮮の国籍を取得すれば、南鮮人が同胞となり、太極旗に忠誠を誓う破目になるじゃないか。

  ところが、悲劇はこれで終わらない。仲間となった鮮人からは「元日本人」とか「豚の足」と蔑まれ、夫の両親や親戚からも下女のように扱われるのだ。その上、自分の子供は「朝鮮人」として育てられるから、いくら日本語(母語)を話せても、実家の両親や兄弟たちとは違った人間になってしまう。それに、日本人の母親は南鮮国籍を取ったからといって、自分を朝鮮人とは思わない。さらに複雑なのは、劣等国の朝鮮に住むと、日本に居た時には思わなかった「日本人意識」が芽生え、「あんな人達とは一緒にされたくない !」と思うようになる。日本に居る友達にだって、「朝鮮人になりました」とは言いたくないし、格下の人種になったような気がするから、朝鮮での暮らしに嫌気がさす。パリとかロンドン、ベルリンなら、ちょっとした自慢になるけれど、朝鮮人だらけのソウルや釜山なんて格好悪いし屈辱だ。だいいち、チマ・チョゴリを着た姿なんて、恥ずかしくて人に見せられないから、友達に動画や写真を送ることはまず無いだろう。

  朝鮮人は日本人を嫌いなくせに、やたらと日本にやって来る。しかも、何食わぬ顔で帰化申請を行ったり、結婚を切っ掛けにして“いつの間にか”日本人になっていたりするのだ。南鮮に居る時には、やれ「日帝は赦せない !」とか「竹島は韓国の領土だ !」と叫ぶが、日本に移住するや、その威勢は消え失せ、「国籍や民族の違いを言い立てる人はレイシストです !」なんて言いやがる。中には、「私は元韓国人で、朝鮮人ではありません !」とほざく奴もいるから呆れてしまう。朝鮮人に説教しても仕方ないけど、彼らの中には堂々と「チョーセン人は差別用語だ !」と抜かす奴も居るから、その頭を広辞苑でひっぱたきたくなる。在日や帰化、南や北を問わず、日本に於いて朝鮮人は皆「朝鮮人」か、略して「鮮人」であり、我々がどう呼ぼうと我々の勝手である。テレビ番組で「韓国のかた」と馬鹿丁寧に呼んでいるアナウンサーほど、心の底で鮮人を「格下」に見ているはずだ。実際、在日米軍士官に対して反感を持っていているテレ朝の玉川徹だって、自分より劣っているとは思っていないから、「アメリカのかた」なんて呼ばないだろう。日本人ジャーナリストは西歐系白人に対しては遠慮が無い。“対等意識”を持っているせいなのか、アメリカ人にはズケズケと本音をぶつけることが出来る。

アジア人の子供を養う日本人納税者

  今月に入り、不吉な福祉制度が発表された。政府は大学などの高等教育と2歳児以下の保育園の費用について、住民税が課されない世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化するとの方向で検討に入ったそうだ。(西村圭史 「高等教育などの無償化、住民税非課税世帯で検討」 2017年11月9日附「朝日新聞」) 安倍首相は、3〜5歳児は全世帯で幼稚園と保育園の費用を無料にし、高等教育と2歳児以下は低所得者世帯に限って無料にする、との案を述べていた。一般国民はこうした提案を聞くと諸手を挙げて賛成するが、その世帯はどんな人物で構成されているのか、とは考えない。「日本国民とは日本人」という定義は過去の話で、現在は帰化鮮人世帯とか支那人かタイ人を娶った混淆家庭、日本人の姦通相手から子供の認知を受けたフィリピン人母子家庭、パキスタン人やマレー人の夫を持つ日本人妻と混血児の家庭など、ゾっとするような世帯が増えている。

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(写真 / フィリピン人の子供たち )

  日系人の庶民は漠然と「我々の国民健康保険制度や年金制度、給食制度は大切だから、みんなで支えましょう」と合唱するが、その「みんな」にはアジア系帰化人が混ざっていることに気づかない。日系日本国民は明治や江戸時代、あるいはもっと遡って、室町や鎌倉時代から日本人なので、つい「日本国民」は総て「日本人」と思ってしまう。だが、裸踊りや酌婦を仕事にして来日したフィリピン人、中古車ディーラーのパキスタン人、民族料理店を営むトルコ人、単純労働や詐欺が専門の支那人などは、「昔ながらの日本人」ではない。朝鮮人はかつて「大日本帝國の公民」であったが、その大多数は敗戦後に帰国しており、現在居坐っている連中は密入国者かその子孫、あるいは仕事を求めての新参者かのいずれかである。現在の日本にある社会保障制度は、我々の両親、祖父母、曾祖父母が心血注いで築き上げた民族的「遺産」である、ということを忘れてはならない。我々は余りにも無頓着であるため、この貴重な相続財産を不注意にも、アジア系帰化人や永住外国人に与えている。これがもし、個人の遺産相続という場合なら、決して外人に分け与えることははないだろう。

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(写真 / タイ人の子供たち)

  考えてもみよ。近所をうろつく朝鮮人が、突然、我が家の庭先にダンボール・ハウスを拵えて住みついたら、どうするのか? たていての日本人であれば、腕ずくでもこの不逞鮮人を叩き出すだろう。ましてや、この朝鮮人を養子にしたり、自分の戸籍に入れるなんて事はまずあり得ない。だが、国家規模になると事情が違ってくる。短期滞在や永住外国人でも「国民健康保険」に加入できるし、在日朝鮮人でも生活保護がもらえたりする。また、不正入国の外国人でも日本で子供を出産すれば、我が子を公立学校に通わせることもできるし、その子供が成長してしまえば、たとえ「不正」がバレても、特別滞在許可をもらえたりする。つまり、ある程度の潜伏期間をじっと堪え忍べば、有り難い「ご褒美」がもらえるということだ。政府は低所得者の家庭に育児手当を与え、保育園や学校の費用を肩代わりしようとしているが、その「世帯」には支那人とかフィリピン人、タイ人の低所得者や母子家庭が含まれている。

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(左: フィリピンの若い女性たち / 右: ショー・パブで働くフィリピン人女性 )

  以前、市議会議員のフィリピン人妻が、スナックで働いていたにもかからわず、生活保護を受け取っていたという事件があった。役所にとって「福祉予算」というのは「他人のゼニ」なので審査が甘い。自分の銭なら100円だって惜しいのに、税金だと数百万円でも無駄にできる。例えば、1千万円の税金をドブに捨てても平気な役人でも、お昼の定食では節約するようで、食堂で注文する時、財布を“ちら”っとのぞき、850円のAセットを650円のBセットに抑え、赤提灯の酒代を計算しながらジっと我慢。節約精神が旺盛な役人だと、「今日は3千円の特上天丼にしようかなぁ」なんて考えない。だいたい、役人は税金を「予算」と呼んで、無駄遣いの正当化をしているんだから、国民は役所の「予算消化(与えられた税金を何が何でも使い切ること)」に目を光らせるべきである。筆者は以前、役所の「闇」を突いたことがあるが、その時、担当した「お役人様」は、筆者を共産党員か左翼オンブズマンと勘違いしたようだ。周りの若い女子職員は、「何か、いや〜な人がやって来た」という雰囲気を漂わせ、緊張した表情で黙々と仕事をこなしていた。後で議員にも直接苦情を述べたので、役所ではちよっとした騒ぎとなったそうだ。役人や議員を相手にする場合、なるべく具体的かつ緻密に、論理を用いて追い詰めることが肝要である。(断っておくけど、筆者は左翼活動家じゃないぞ。)

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(写真 / 酒場で働くタイ人女性たち)

  脱線したので話を戻す。帰化人家族とか永住者世帯には低所得者が珍しくなく、社会福祉金をもらっている人が多い。例えば、日本人の既婚男と不倫の末に身籠もったフィリピン人女性は、その姦通相手とは結婚せず、母子家庭のまま日本に住んだりするから、福祉依存者か生活保護の受給者だったりする。しかも、日比混血児が優等生になる確率はかなり低く、出来損ないか凡庸な子供といったところが関の山だ。規律や品格を示す父親が不在なうえに、だらしない性格の母親に育てられる混血児が、知的好奇心に満ち、自然界や宇宙の神秘に興味を抱くなんて思えない。国語さえ覚束ないのに、理科や数学で頭角を現すのか? まぁ、知的訓練を必要としないスポーツなら一番になれるかも知れないけど。一般の日系日本人は呑気だから、公金を使うのは日本人の子供を助けるためだと考えている。しかし、実際のところ、同胞とは思えない異民族の子供を養っているのだ。

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(左: 朝鮮人の子供 / 右: 支那人の子供 )

  冷酷な現実に目を背ける日本人は、予想される悲劇を回避せず、事件が起きてから後悔することが多い。昼行灯(ひるあんどん)と左巻きが溢れる法務省は、毎日が節分のような役所で、帰化申請をするアジア人に国籍を気前よくばらまいている。日本国籍を与えるということは、日本国を支える正式メンバーを承認することであり、我々と対等な「公民」にするということだ。本来なら、帰化を許す前に、申請者の素性や経歴を一般公開し、全国民がその者を審査し、正当な反対意見があれば帰化申請を却下すべきである。例えば、在日朝鮮人やその子孫を「国家の成員」にするのであれば、国民投票にかけたっておかしくはあるまい。日本人は世間の常識で考えるべきた。例えば、ある片親だけの家庭で、妻を亡くした父親がいたとする。その鰥(やもめ)となった父親が再婚する際、いくら何でも一応、子供たちに話をつけるじゃないか。それをスキップして、いきなり父親が「今度、父さんはフィリピン出身の女性と結婚することにしたんだ。明日から、あの人がお前達の母さんになるんだよ」と言えば、息子だって「えっっ ! 何 ! なんで? 嫌だよぉ、そんな !! だってさぁ、いきなりあんな外人が母さんの代わりだなんてあり得ないよ。オレ、どんなことがあっても反対だからね !!」とヘソを曲げるだろう。一般の日系日本人も基本的に同じで、朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人を日本国の「家族」とは思わない。

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(左: フィリピン人の祖母と孫 / 右: 支那大陸を去る支那人)

  日本人は日本人同士だから国民的・民族的絆を大切にするのであって、金銭や福祉、あるいは豊かな生活を目的にして帰化するアジア人は何時まで経っても「よそ者」だ。異民族がひしめき合う米国ですら、民族・人種での一体感は無い。例えば、先祖代々アメリカに住むイギリス系国民が、デンマークやスウェーデンからの白色移民を受け容れる事はあっても、皿洗いとしてチャイナタウンに潜り込む支那人とか、イスラム教を信奉する髭面のイラク人、難民枠で雪崩れ込むソマリア人、不法滞在でも永住権を求めるメキシコ人を「対等なアメリカ人」とは思わない。一般的にアメリカ人は団結力が強いと思われているが、それは各人が星条旗を前にするからで、お互いの顔を見つめ合うことで一体感を実感している訳ではないのだ。ハリケーンによる洪水とか土砂崩れで黒人が取り残されたって、一般のアメリカ白人が命懸けで助けることはなく、救助を「職業」というするレスキュー隊に丸投げ。ただ、災難に遭った黒人を哀れに思う白人も居るけど、それは被災者に同情する「自分」の姿に酔っているだけで、自ら進んで助けたいわけではない。(可愛い犬や猫なら別だけど。) 浸水した家に取り残された黒人は可哀想だが、その汚水には屎尿やネズミの死骸とか、犬の糞から大腸菌、未知のバイ菌が混ざっているから、自分の脚を濁流に漬けるのは嫌だ。黒人の災難はテレビで観るだけに限る。

日本国民の遺伝子プールに混ざる異質な精子

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(左: メダルを獲得した浅田真央 / 右: 民間企業のCMに出た浅田氏)

  我々は大量の朝鮮人が日本国籍を取得した世界を想像してみるべきだ。隣近所に不愉快な帰化鮮人が増えるだけではなく、自分の息子や娘の配偶者になるかも知れないんだから、考えただけでも恐ろしいじゃないか。箱入り娘の子宮に朝鮮人の精子が入って、腹が膨れてしまうなんて寒気がする。しかも、生まれてきた孫が亭主の朝鮮人にソックリとなったら気が滅入るだろう。日本社会は急速に変化している。スポーツ界ではこの傾向が強く、日本を代表して国際大会に出場する人物が、総て朝鮮系であっても不思議ではないのだ。例えば、フィギュア・スケートの世界大会で、南鮮のキム・ヨナが金メダルを取ったけど、もし彼女が帰化鮮人の娘であったたら、日本人は熱心に応援するのか? 帰化鮮人の子供は血統的に見れば「朝鮮人」であるが、書類上は「日本国民」である。したがって、キム・ヨナの如き朝鮮系スケーターであっても、成績が良ければ日本代表選手となってしまうだろう。そして、彼女は浅田真央の如き日系人選手と並んでオリンピックに出場することもあるし、場合によっては日系人選手を蹴り落として代表選手に上り詰めるという事態も起こり得る。(実際、短距離を得意とする陸上選手がほぼアフリカ系という未来はそう遠くない。) こうなった時、日系日本人は朝鮮系が独占するフィギュア・スケートの代表団を「日本チーム」と見なすのか? また、代表選手三名が揃って朝鮮系となってしまい、奇しくも金銀銅メダルを獲得した場合、素直に「やったー。すごい !」と喜べるのか?

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(左: ペットを抱く浅田真央 / 中央: 大会で演技を披露する浅田 / 右: 浮かない顔のキム・ヨナ)

  「親近感」というのは自分と同類の者、自分と似ている種族に対して強くなる。多くの日本人が浅田真央に期待を寄せたのは、彼女の才能が卓越していた“だけ”ではあるまい。彼女が見せる表情や、ひたむきに練習する姿、辛い事があっても、それを押しつけがましく視聴者に伝えない慎ましさ、失敗を犯しても他人のせいにしない潔さが好評だったからじゃないのか。彼女が見せる自然な謙虚さとか、成功した時の笑顔は素晴らしかった。日本人は浅田氏のような競技者が好きだ。一方、南鮮人のキム・ヨナはどうだったのか。報道によれば、世界大会に出場したキム選手の評判は芳しくなく、他国のスケーターは彼女に近づこうとしなかったそうだ。見るからに傲慢で、勝者としての品格も無ければ、人間的魅力すら無い。まぁ、下品でがさつな朝鮮民衆にとっては“おあつらえ向き”の選手なのだろうが、日本では歓迎されないタイプだ。ただ、栄華を誇る氷上の女王も、引退すれば徐々に曾ての人気は翳り、厭な側面しか残らないからピンチに陥る。金メダリストのキム(金)選手が頼りにするのは金貨くらいなものだろう。

  ここで再び、日本人は「なぜ朝鮮人は朝鮮を去るのか ?」を考えねばならない。朝鮮人が祖国から逃れるのは、畢竟(ひっきょう)、南鮮が朝鮮人によって構成されているからだ。朝鮮人が何千何万人集まっても、日本の寒村ほどの魅力を生み出すことはできない。朝鮮人は朝鮮人が嫌いで、支那人も支那人が嫌いだ。支那人とソックリな民族であるユダヤ人も同類で、ユダヤ人だらけの地域が嫌いである。彼らに共通しているのは、他民族から疎まれる鼻つまみ者で、その心がねじ曲がっているという点だ。それを民族性と言ってしまえばそれまでだが、できれば彼らとは接触したくない。ところが、現状は逆になっている。かつて日本人は心が清く立派な民族であったのに、朝鮮人を始めとするアジア人を包括したことで、劣化の道を選んでいるんだから自業自得だ。

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(写真 / 幼い頃と成人した時に撮られたキム・ヨナ)

  悪夢はそれだけではない。我々は朝鮮人でさえ嫌う朝鮮人の遺伝子を取り込もうとしている。最近、日本のマスコミがキム・ヨナ選手の肉体的変貌を伝えていた。報道によると、彼女の容姿が激変しており、キム氏を目にした記者の中には、「あの子誰?」と尋ねる人もいたそうだ。科学的証拠が無いので断定はできないが、一部には美容整形じゃないかという指摘もある。筆者は高須クリニックの高須克弥院長のような知識を持たないので自信がない。けど、キム氏の写真を眺めたところ、素人ながらも異変に気がついた。彼女が幼い時に撮られた写真と、花形選手になてからの写真を比べると月とスッポンだ。もしかしたら、南鮮の化粧品は皮膚や骨格まで変形させる超近代的劇薬が使われているのかも知れないぞ。朝鮮人女優なら特殊メイク無しで、映画の『Xメン』に出演できるんじゃないか。(ミュータントの「ミスティーク」を演じたレベッカ・ロメインRebecca Romijnは印象的だった。) それはともかく、南鮮では政府による公共投資額が少ないのか、民間人が自発的に顔面工事を施し、GDPを増やそうとするらしい。しかし、いくら国家主導のインフラ整備が足りないからといって、親からもらった容姿まで再開発しようとするんだから、南鮮人の「変革好き」には目を見張るものがある。

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(左: レベッカ・ロメイン / 「Xメン」でのミスティーク / 右2枚: 顔面工事を行った朝鮮人女性)

  こうした改造熱が南鮮国内に留まっていれば問題は無いが、大量の朝鮮移民が日本に雪崩れ込み、彼らの嫌うツングース的遺伝子が日本人の遺伝子プールに注がれたら堪ったもんじゃない。こうなれば、朝鮮人との混血は単に日系人の容姿を変えるだけでなく、祖先をも変えてしまうのだ。もし、ある日本人男性が朝鮮人女性と結婚した場合、二人の間に生まれる日鮮混血児は、少なくとも朝鮮人の祖父母二名を持つことになる。ただし、この混血児が持つ朝鮮人の肉親は、母方の祖父母に留まらない。伯父叔母、従兄弟、はとこ、曾祖父などに広がり、5代6代7代・・・20代・・・25代・・・50代と遡って、何百何千もの朝鮮人が祖先になってしまうのだ。これじゃあ、まるで天空を背負うアトラスみたいで、乞食より汚い朝鮮人が千人も自分の背中にのしかかっているようなものである。日鮮混血児にとって朝鮮史は「外国史」ではなく、「祖先の過去」となってしまい、自分のルーツを見つめる科目になるのだ。日系人の子供は鮮やかな日本史を学んで楽しいだろうが、日鮮混血児は暗くて“どんより”とした朝鮮史を意識する破目になり、陰鬱を通り越して悲しくなる。しかも、日本の敗戦後にのさばった朝鮮人は見るに耐えない。「日本人」でありたいと望む朝鮮系児童は、第三国人として横暴の限りをつくした不逞鮮人など知りたくはないだろう。だから、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』を偶然手にし、第五章を読んだ帰化鮮人の親は烈火の如く怒るはずだ。たぶん、本をズタズタに引き千切って燃やしてしまうんじゃないか。在日朝鮮人には、何としても我が子に隠したい過去がある。朝鮮系帰化人の子供が増えれば、学校での歴史教育は、益々闇の中を彷徨(さまよ)うことになるだろう。それにしても、日本では歴史の授業が過去を忘却する教科になっているんだから腹が立つ。

Korean Park Min Young Plastic SurgeryKorean Actress, Park Min Young


(左: 生来の顔を持つ朴ミン・ヨン / 中央と右: 外科的変身を遂げ美人女優になった朴氏)

自由を失う日本人

  朝鮮人を始めとするアジア系国民が増えると、もう一つの災難、すなわち日系日本人が自国を失う破目になる。例えば、親子代々「日本人」である日系人が、アジア系帰化人や移民、難民の排斥を訴えると、「ヘイト・スピーチ(憎悪言論)」を行う“不届き者”として非難され、弱い者イジメをする“悪人”にされてしまうのだ。しかし、日系人にしたら、自分たちの祖国に闖入する不逞鮮人や支那人、あるいは売春婦もどきの東南アジア人を駆除したいだけで、ことさら外国人を排除したいわけではない。事実、ハイテク産業や投資会社に勤める西歐系ビジネスマンや在日米軍士官、オーストラリアやカナダからの白人ファッション・モデルを追放しようとする日本人はいないだろう。NHKやTBSは「外国人排斥の気運が高まって危険です !」と報道するが、その「外国人」の正体を具体的に説明しないのだ。例えば、「外国人参政権」を取り上げても、それを「在日鮮人参政権」とは評さない。また、観光地における外人トラブルに言及しても、それが主に支那人によるものとは明言しないし、支那人の仰天行動に不満を漏らすホテル従業員の本音もNGだ。電車内のマナー違反だって、大抵は沢山の荷物を持ち込む支那人観光客だったりする。

  日系人には「言論の自由」があったはずなのに、最近ではそれも怪しくなってきた。例えば、朝鮮人が“あちこち”に住みつく川崎市では、「ヘイト・スピーチ」規制の一環として、「外人排斥団体」に対し公園などの場所を貸さないようにするらしい。でも、どうして日本人が自分たちの郷里を守る為に蹶起(けっき)することが“いけない”のか? 不愉快な侵入者が増えてくれば、自衛意識が高くなっても当然じゃないか。NHKなどは偏向報道を糾弾する日本人視聴者を門前払いする一方で、新華社通信の支那人や民間人を装う工作員なら大歓迎だ。本来、日本は日本人の国というのが前提で、健全な公務員は日系日本人を優先すべきなのに、いかがわしい外国人や図々しい帰化人の方を重視する。もっとも、共産党や公明党、民進党系の左翼議員がアジア人の味方に廻っているので、公務員の中には良心の呵責を感じている者もいるだろう。とは言っても、左翼議員からの叱責が怖いから、厭でも従うしかない。

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(左: 朝鮮人の抗議デモ / 右: アメリカ黒人の抗議デモ)

  米国でも事情は同じだ。例えば、CNNやABCは大規模な街頭デモを報じるが、それを「怒れる若者たちによる抗議行動」とだけ伝える。しかし、実際の映像を観ると、デモの参加者たちは主に黒人であったり、先頭に立って煽るのが極左の活動家という場合が多い。主要マスコミは「黒人暴動」と言えないので、わざと「若者による抗議」と言葉を濁している。でも、これだと「嘘」にはならないから、「フェイク・ニュース」との批判を避けることはできる。しかし、本質的には「詐欺ニュース」に近い。アメリカは元々白人国家だったのに、大手企業が安い労働力を欲したため、移民規制を撤廃してしまい、有色人種が溢れる多民族社会になってしまった。かつて、イギリス系入植者は原住民のインディオを追い払って「少数派(マイノリティー)の土人」に貶めたが、今では自分が移民に押し込められ、「白人少数派」に没落してしまった。なんとも皮肉なものである。日本人は気付いていないが、米国に押し寄せる支那人は一度も発砲せずにアメリカを征服できるのだ。方法は簡単。支那人は“いつも”のように“支那人らしく”振る舞えばいい。つまり、街中で「ペッ」と痰を吐き、ガチョウのようにガァーガアァと喋り、アパートメントを支那人所帯で埋め尽くし、学校にも我が子を送り込めばいいのだ。そうすれば白人が自主的に領土を明け渡す。所謂「白人の逃避」である。

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(左: 公害に苦しむ支那人 / 右: 貧困に喘ぐ支那人 )

  一般国民は薄々分かっていても口にしないが、アジアからの移民は日本を質的に向上させることはない。なるほど、大手の派遣会社は仲介手数料を取って儲かるし、コンビや介護施設は人手不足の解消となる。しかし、大半の日系国民にとっては、アジア移民は厄介者でしかない。日本人は日本人どうして暮らしたい。これが我々の本音だ。朝鮮人や支那人、フィリピン人と混じり合って暮らすのは最悪。彼らと付き合っても楽しくないし、不愉快な場面が増えるだけ。心が優しい日本人になると、劣等民族を傷つけないために、通常以上の気配りが必要となってくる。例えば、美白化粧品を愛用する日本人女性が、タガログ族系フィリピン人や茶色いインド人を前にして、「あの化粧品よかったわよぉ〜」なんて言えないじゃないか。また、黒人との混血児は日傘をさす日系人の母親を見て、「ボクのママには必要ないな」と思うから、周りの日本人は日焼けの話は避けるようになる。多民族幼稚園ではTVアニメ『ジャングル黒べぇ』のDVDなど厳禁だし、名作の『ブラック・ジャック』でも購入しないだろう。支那の名物料理、子供の小便を用いたゆで卵は香ばしいかも知れないが、幼稚園での再現は論外だ。イタリアでは人間の足が混入した支那料理が話題になったけど、日本ではこれから人間の指とか爪が発見されるかも知れない。(Julian Robinson,"Chinese restaurant is accused of serving human FEET to diners in Italy after gruesome image of rotting flesh is posted online by a waiter", Daily Mail, 13 January 2017 / 註 : 筆者はその写真を入手したけど、ライブドア社の検閲があるので載せられません。勇気のある方はネットで調べてね。) でも、支那人シェフなら、「ワタシの店ではそれが目玉料理よ !」と言うかも知れないぞ。実際、牛の目玉や金玉がスープの中に入っていたりしてね。

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(左: 昔の朝鮮人 / 右: 現在の朝鮮人)

  とにかく、色々な理由を述べることができるが、簡単に言って日本人は朝鮮人が嫌いである。朝鮮人は激怒するが、日本人からすると朝鮮人は下品で粗野。彼らは歴史的に支那人やモンゴル人、そして両班階級に弾圧されたり、理不尽な搾取を受け続けてきたので、性格が骨の髄まで歪んでいるのだ。その証拠に、彼らが集まった国を見てみれば解るじゃないか。自分たちが受けたと称する日帝からの屈辱と恥辱を西歐人にアピールし、白人からの同情を買うことで日本人への「当て付け」にしようとする。口にすることさえ忌まわしいが、「慰安婦問題」は典型的な対鮮トラブルだ。実際は醜悪な淫売女でも、朝鮮人は想像と妄想を膨らまして無垢な少女に変換し、米国にまで慰安婦像を造って設置するんだから、馬鹿というより気違いに等しい。日本の保守派は文大統領がトランプ大統領の歓迎式典に元売春婦の老婆を呼んできたことに驚き、その愚行を非難していたが、筆者から見れば、いかにも朝鮮人らしい行動に思える。アホの坂田師匠は「藝」として阿呆を演じているが、朝鮮人は“自然”にアホな行動を取っている。朝鮮人は野生動物や昆虫と同じだ。例えば、サソリに刺されたカエルが、「どうしてボクを刺すんだ?」と質問したとする。非難されたサソリにしてみれば、「刺したかったから」と答えるしかないだろう。だいたい、自分で自分の行動を反省できるくらいなら、あんな国家になっていない。

朝鮮人が集うと最低に

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(写真 / 日本のの恩恵を受ける前の惨めな朝鮮人たち)

  朝鮮人は「魅力」という言葉に無縁の民族である。南鮮にはクズ野菜を漬けたキムチくらいしか自慢するものが無い。余りにも貧しすぎたせいで工業技術すら発達しなかったし、貨幣経済も発展せず、他国民に披露できる文化にも乏しい。日本で育った朝鮮人の青年は、「アリランの詩(うた)」とか「パンソリ」なんて恥ずかしくて言葉に出来ず、「プク」と呼ばれる太鼓すら叩くのも嫌である。朝鮮人が口ずさむ民謡なんて陰気なメロディーで、日本人の友達には紹介したくない。以前、帰化鮮人歌手の錦野旦(あきら)が、歌謡界は朝鮮系歌手がいないと成り立たないと豪語していたが、朝鮮系歌手は日本で生まれ育ったから、有名歌手になれたのだ。朝鮮に住んでいたらデビューする機会さえ得られない。せいぜい一日中、空を眺めて屁をこいているだけの人生だ。例えば、和田アキ子は有名歌手になったが、それとて所属事務所のお陰だろう。彼女には作曲能力が無いから、他人が作った曲を歌っているだけ。もし、彼女が朝鮮で育っていたら、いま手にしている名声と地位は無い。1970年代や80年代の南鮮でも歌謡曲はあったが、それは片田舎の野暮天が夢中になる程度の代物で、日本人が聴いたら大爆笑。朝鮮人は先進国の日本に生まれ育ったから「著名人」になれたのだ。

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(写真 / K-Popの人気グループ)

  もし、朝鮮の流行歌が素晴らしいのであれば、なぜ日本のレコード会社は朝鮮名曲集アルバムとか、1970年代南鮮ヒット曲といったCDを発売しないのか? 1980年代の南鮮人は日本の民衆文化に憧れており、こっそりと日本のTVドラマや映画などを観たり、歌謡曲やニュー・ミュージックのファンになっていたそうだ。今でも南鮮では、外国文化を輸入・盗作しており、「K-Pop」というのはアメリカ人歌手の猿まねに過ぎない。朝鮮人は三人寄っても「紛(まが)い物」しか産み出せず、せいぜい日本の文化を“さらり”と盗むだけ。日本人か馬鹿されれば、「何を言うか ! 日帝は我々の“国”を盗んだじゃないか !」と激昂し、羞じらいも無く開き直る。こんな連中が日本に押し寄せ、新大久保や川崎、大阪などに住みつく。かくて、朝鮮人が増え始めると、そこに住んでいた日本人が「よそ」へ引っ越すから、いつの間にか朝鮮人街の一丁出来上がりとなってしまう。

  西歐系白人が住む目黒とか麻布、青山の一等地なら「お洒落な街」となるのに、朝鮮人が棲息する新大久保は賤民のゲットーと化してしまう。現実はまことに厳しい。ナメクジみたいな顔附きの朝鮮人が携帯電話屋とか装飾雑貨店を営み、買い出しに来る客も朝鮮人だから、まともな日本人は目を伏せながら通りすぎるだけだ。(筆者はじっくりと現地の商店街を見物したことがあるので、今でもよく覚えている。) 住み慣れた街を朝鮮人に占拠された日系住民は悲惨なものだ。引っ越そうにも資金が無いし、朝鮮人が群集したことで店や家の資産価値も激減してしまう。「昔は良かった」と歎く高齢者は、朝鮮人の体臭を嗅ぎながら“お迎え”を待つしかない。それにしても、朝鮮からの「疫病神」に囲まれる日本人が、冥途からの「死神」を待ちわびるなんて憐れじゃないか。書店では亭主に不満を抱く奥様が『だんなデス・ノート : 夫の「死を」願う妻たちの叫び』を買っているそうだけど、これからは朝鮮人を呪い殺す『鮮人撲滅デス・ノート』が発売されるんじゃないか。筆者も小遣い稼ぎに一つ出版してみたいなぁ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


2017年10月31日 北鮮の難民がやって来る ?! / 日本国民になってしまう定住朝鮮人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68679896.html
ミサイル攻撃よりも怖ろしい難民

  総選挙というお祭りが終わって、日本国民一段落したと安堵しているが、議員選びよりも重要な問題が待ち構えている。すなわち、北鮮危機だ。保守系雑誌は「北朝鮮が我が国に向けてミサイルを発射するんじゃないか」とか、「米軍による北朝鮮への攻撃が始まりそうだ」と騒ぎ立て、各誌が特集を組んでいる。だが、本当の国難はそんなものではない。日本政府が自発的、あるいは渋々ながらも、大量の北鮮難民を受け容れてしまうことなのだ。

  確かに、トランプ大統領は強硬な態度を取り続ける金正恩に対し、安易な妥協を見せず、武力制裁を行う可能性がある。そもそも、ロナルド・レーガン大統領に憧れるトランプとしては、ジミー・カーターのように人権外交を標榜して失敗したくない。イランの人質奪還作戦で大失態を犯した大統領は惨めなもので、現在でも語り草になっている。やはり、「強いアメリカ」を前面に出して、自分に刃向かうゴロツキ国家を倒してこそ、偉大なる大統領として歴史に名が残るんじゃないのか。だから、ソ連よりも遙かに劣る北朝鮮に、自ら譲歩して核保有を許してしまうなんて想像できない。もし、トランプが何らかの裏取引で北鮮の核保有を黙認したら、国内の共和党保守派からの突き上げが噴出し、四面楚歌のトランプは益々孤立化を深めてしまうだろう。


(左: ジミー・カーター / ロナルド・レーガン/ ドナルド・トランプ  / 右: 金正恩)

  ただ、国際政治には不確定要素が多いから、正確に未来を予測することは難しい。したがって、我々は最悪のシナリオを想定し、あらかじめ「腹」を決めておく必要がある。例えば、核ミサイルに対する防禦を整備してこなかった日本人は、多くの同胞が死んでも「仕方ない」と諦め、残った国民が復讐心と克己心を持って国家を再興することだ。まぁ、現実的には日米同盟があるから簡単に核攻撃は受けないと思うが、自国を自力で守ろうとしない国民なんだから、同盟国に裏切られて消滅しても文句は言えまい。国際政治で「他力本願」は愚の骨頂だ。少なくとも米国は日米同盟を守ろうと“努力”するが、法の抜け穴を突いて日本を助けない場合だってある。また、そうじゃなくても、日本を軍事的に助けてやる代わりに、経済協力を“水増し”して求めてくることもあるだろう。どっちみち、我が国は苦難に陥るということだ。

左翼分子を披露するテレ朝

  北鮮問題を扱うテレビ番組はいくつもあるが、テレ朝の『ビートたけしのTVタックル』は支那や北鮮を擁護する番組として知れ渡っている。いつもは下らない内容なので観ることはないが、10月29日の放送では、防衛評論家の桜林美佐と経済評論家の三橋貴明、軍事アナリストの西村金一が出演していたので、仕事をしながら片手間で議論を聴くことにした。しかし、制作スタッフの真意は、これらの評論家が発する警告ではなく、極左ジャーナリストの青木理(おさむ)や「アジアプレス」の石丸次郎を世間に紹介することにあった。ワイドショーで常連客の青木はともかく、北鮮を熱心に取材する石丸には用心が必要だ。例えば、彼の北鮮難民に関しての発言は聞き捨てならない。石丸は戦争に伴って「北朝鮮が特殊部隊を送るなんてあり得ない !」とか、「武装難民が日本に押し寄せるなんてナンセンスですよ !」と言いのけた。石丸の考えによれば、「北朝鮮が消滅してしまうのに、特殊部隊が闘う理由なんてあるんですか?」という訳だ。そんなの特殊部隊員が気にすることではない。戦争が始まる前後に特殊部隊への指令が発令されれば、部隊員は命に代えても自分の任務を遂行しようとするし、日本に上陸した部隊は祖国との連絡が無くても暴れ回るものである。

Ishimaru Jiro 2(左 / 石丸次郎 )

  一般の日本人には軍事が解っていない。特殊部隊員は命令を実行することのみに専念する。だから、国際政治とか任務を終えてからの出世は考えない。たとえ、日本人が「北鮮兵士の皆さん、あなた方の祖国は崩壊しましたよ。もう意味が無いので投降して下さ〜い !」とメガホンで呼びかけても、北鮮の特殊部隊員は出頭しないだろう。だいいち、日本国政府は命令の解除コードを知っているのか? 日本に潜入した北鮮兵は、上官からの正式な停戦命令を受けない限り、死ぬまで戦い続けるんだから、日本人による「降伏勧告」なんて「策略」としか思わない。彼らは日本の自衛隊に殲滅されるまで、殺戮や破壊をやめないだろう。

  仮に、特殊部隊が投入されなくても、北鮮難民の中に便衣兵、つまり民間人を装ったゲリラ兵や長期滞在を目論む工作員が紛れ込んでいる場合だってあるのだ。ところが、日本政府は偽装難民と一般難民を区別できないから、どうしても悪質な北鮮人を国内に招き入れてしまう虞(おそれ)がある。たとえ政府が難民を一時的に離島へ収容し、ゲリラ兵の摘発に乗り出しても、国内の反日勢力が政府に圧力を掛け、「人権無視の隔離だ !」とか「人道主義に反する !」「朝鮮人への差別だ !」と騒ぎ立てるから、いつまでも孤島に閉じ込めておくことはできない。ちょっと考えれば朝鮮人を支援しそうな連中など、直ぐ思いつくじゃないか。 例えば、共産党、立憲民主党、民進党、自民党に潜む左翼議員、帰化鮮人の活動家、韓国民団、朝鮮総聯の残党、全共闘崩れの老左翼、人権派弁護士、移民・難民支援団体など、彼らはマスコミと結託して一大勢力を形成し、北鮮難民を本土に迎入れようと手引きするはずだ。

日本に根づく朝鮮人

  難民というのは、いつまでも難民ではない。日本にやって来た北鮮難民は、必ずや「日本国民」となる。金王朝の下で呻吟(しんぎん)した朝鮮人は、豊かで快適な日本に驚いてしまうから、絶対に“あの”悲惨な半島に帰ろうとは思わない。たとえ言葉が不自由で無職の状態であっても、気前の良い日本政府が食事を与えてくれるし、衣服や住居まで手配してくれる。しかも、子供の教育、職業訓練、医療保障に加えて、お小遣いまでくれるんだから至れり尽くせりだ。難民としてやって来た大人が日本国籍を取ることが無理でも、その子供たちは日本の学校に通い、日本語を覚えるわけだから、成人すれば帰化を申請するし、日本人と結婚してしまえば自動的に日本国民になれる。北朝鮮の崩壊を一番喜ぶのは、日本に定住できた北鮮難民だろう。


( 写真 / 貧困に喘ぐ北鮮人)

  日本人にとって怖ろしいのは、北鮮から発射される核ミサイルではなくて、大量に雪崩れ込む忌まわしい北鮮人だ。北鮮軍による武力攻撃を受けるのは嫌だが、脳天気な日本人が目覚めるのは、本当に目の前で同胞が殺された時でしかない。いくら国会で政治家が軍事的脅威を議論したって、そんなのは所詮「どこか余所の国」で起こる他人事に過ぎないから、大多数の日本国民はたいして関心を示さず、藝能ニュースの方に耳を傾けるはずだ。したがって、いくらJアラートを鳴らしても、有権者は真剣に考えないから、日本国政府に有効な防衛策は無い。日本人は合衆国政府の意向を黙って拝聴するのがせいぜいだろう。


(写真 / 1950年代、戦争を逃れる朝鮮人)

  問題なのは、戦場と化した朝鮮半島、とりわけ崩壊した北鮮で“厄介者”となる大衆である。もし、米軍が斬首作戦を真剣に実行すれば成功するかも知れない。だが、その後が大変だ。誰が北鮮の後始末をするのか? 本来なら、同胞の南鮮人だろう。しかし、只でさえ不景気に喘ぐ南鮮人が、大量の貧民を新たに抱きかかえることができるのか? 当然、南鮮政府は米国と日本に支援を要請するはずで、堂々と物資や金銭を恵んでくれとせがむだろう。老朽化した工業施設とか、未熟なインフラしかない北鮮が自力で経済復興できる訳がないので、ケチな米国はお金を貯め込んでいる日本に「お前が助けてやれ !」と命令するんじゃないか。結局、拉致被害を受けた日本が、加害者側の北朝鮮に税金を貢ぎ、負担でしかない朝鮮人を国内に引き受けて面倒を見る破目になるのだ。

  日本人はシリア難民を背負い込んだドイツやアメリカに、もっと目を向けるべきだ。ドイツの惨状は頻繁に報道されたから多少は知られているが、アメリカの状況も似たようなものである。例えば、2013年、米国は69,926人の中東アジア難民を受け容れてしまったが、国務省に設置された人口・難民・移民局(Bureau of Population, Refugees and Migration)は、難民を定住させるために3億1千万ドル(約341億円 / 1ドルを110円で換算)もの予算を使ったそうだ。 (Steven A. Camarota and Karen Zeigler, " The Hight Cost of Resettling Middle Eastern Refugees", Center for Immigration Studies, November 2015) シリアなどからの難民に対して、合衆国は手厚い福祉を与えたそうで、個人への社会保障補助金(SSI)は平均で年間13,494ドル(148万4千340円)となり、一世帯当たり最初の五年間で平均21,658ドル(238万2千380円)も支給されていたのである。困窮家庭への臨時給金(TANE)だと、一年に月平均5,061ドル(55万6千710円)となり、一世帯当たり9,287ドル(102万1千570円)となっていた。難民の91.4%が受け取っていた食券プログラム(SNAP)だと、個人としては年間4,039ドル(44万4千290円)貰っていて、一世帯当たり平均18,458ドル(203万380円)が支給されていたのである。


(写真 / 米国にやって来たシリア難民)

  難民支援者は「人道主義」を掲げて北鮮人を受け容れろと叫ぶが、その親切な人々は自分のお金を使おうとは思わない。「善きこと」は「他人のゼニ」で行う、というのが彼らのモットーであるから、難民が定住するための費用は総て税金である。難民が受け取る支援金は厖大な額なのに、彼らが払うかも知れない税金は勧めの涙程度。金王朝下で奴隷並みの生活をしていた北鮮人には、先進国で必要とされる技術者などはいないし、大多数が未熟練労働者か、潰しの利かない半端者、何をやらせてもダメな木偶の坊、無教養のタダ飯喰らいで、後はチンケな泥棒か、ひねくれ者、殺人鬼、強姦魔、犯罪予備軍くらいである。日本語も解らず、“コレ”といった特技も無い朝鮮人が、日本で出来る仕事といったら筋肉労働くらいしかない。だが、それとて難しいのだ。というのも、朝鮮人に土方をやらせても、現場監督と意思疎通が出来ないから、どんなヘマをやらかすか分かったもんじゃない。したがって、常に目を光らせておかないといけないから、現場監督は精神が休まることはなく、神経が参ってしまうのだ。それに、鮮人人夫が建設工事でヘマをやらかせば、通行人とかに怪我をさせるかも知れないし、場合によっては大事故を引き起こして多数の死傷者を出すかも知れないのだ。雇い主の建設会社は、こうした時の責任を背負う覚悟があるのか? 安くコキ使えるはずの外人労働者が、結果的には「高くついた」なんて事態も考えられるのだ。

  もっとウンザリするのは、北鮮を併合したことで更なる不景気に陥った南鮮から、没落した南鮮人が脱出を図り、手軽に渡航できる日本を目指すことだ。労働移民を歓迎する日本企業と、人口減少に悩む日本政府は、定住目的の南鮮人を排除しないから、益々日本の朝鮮化が進むことになるだろう。多民族主義の脅威に気付いていない日本人にはピンとこないだろうが、定住型の朝鮮人が増えるということは、日本国民の遺伝子プールの中に朝鮮人の精子や卵子が混入し、朝鮮人の肉体を持つ日本人が増えてしまう事を意味する。昭和の頃までなら、大半の日本人にとって朝鮮は“外国”であったが、平成の日鮮混血児にとっては“ご先祖様の郷里”となってしまい、別の形で日韓併合が再現されてしまうのだ。大都市のみならず、全国各地に朝鮮人が拡散し、“朝鮮顔”の日本人が激増してしまうんだから、考えただけでも怖ろしい。

  保守派の知識人や一般国民は、皇室問題や教育問題、農業問題、グローバル経済化などに直面すると、口を揃えて日本文化を守れと訴えるが、「誰が」守るのかに言及しない。大抵の国民は「我々国民が」と述べるが、その日本国民は「日系」なのか「朝鮮系」「支那系」「フィリピン系」「タイ系」なのかを考えず、全国民に呼びかければ“自然と”賛同するはずだと思っている。しかし、日本の文化や伝統、神社仏閣を守るのは、日本人の両親と祖父母を持つ「日系日本人」だけである。もし、朝鮮人の片親を持つと、日本人としての意識が希薄になり、縦糸の「血統」がぼやけてしまうのだ。確かに、日鮮混血児であっても、「日本が好き」と答えるだろう。だが、その「日本」とは「現在だけの日本」あるいは「住み慣れた土地」を意味し、何千年も前から続く「神州」でも「皇国」でもない。朝鮮人や支那人との混血児が、明治の頃の日本人と同じ「国民意識」を持つのか? 彼らは「ナショナリズム」を否定的に捉えるだろう。なぜなら、自分の肉体の中に異質で恥ずかしい遺伝子が含まれていることを自覚しているからだ。日系日本人が「鮮人駆除」を叫ぶと、彼らが嫌悪感を覚えてしまうのは、体内の朝鮮的血統が反応してしまうからである。


(左: 朝鮮人の生徒 / 右: 「Kポップ」を宣伝する朝鮮人)

  こうした日鮮混血児が増える事は本当に深刻である。昔は、日教組が“日本人の”子供を「反日分子」に改造するため苦労した。しかし、朝鮮系の子供に関しては、そうした努力や洗脳は要らない。帰化鮮人の子供や日鮮混血児は、洗脳せずとも“自然と”日系国民に反感を覚えるし、自ら進んで反日運動に加わったりする。日系日本人なら、たとえ左翼史観や反皇室教育を受けたとしても、何らかの切っ掛けで間違いに気付き、皇室伝統の素晴らしさを理解し、正常な日本人へと戻ることができる。ところが、朝鮮人や支那人の遺伝子が混じった子供は、天皇陛下を目にしても畏敬の念が湧くことはなく、却って「なんだ、あんな奴。いつも威張りやがって。いったい、どこが偉いんだ? 税金泥棒じゃないか !」と思ってしまうのだ。帰化鮮人の全員が反皇室とは限らないが、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児で、いったい何人の尊皇主義者がいるんだ? 敗戦から半世紀以上経って、帰化した朝鮮人の子孫はかなりの数に上るはずだ。しかし、彼らの中から立派な伝統主義者とか愛国者が輩出されたとは聞いたことがない。朝鮮系の評論家とか大学教授で、心から日本の歴史や皇室、伝統文化を愛している人物がいたのか? あれだけ多くの朝鮮人が日本の教育を受け、日本人と結婚して子供をもうけ、親子代々日本に住み続けているのに、著名な愛国派知識人すら出現しないのだ。

国内に潜む敵

  先ほど述べた石丸次郎が、特殊部隊の侵入を否定したが、北鮮人工作員を使うのは何も金王朝だけとは限らない。たとえ、彼らの祖国である北朝鮮が崩壊しても、北鮮人が抱く反日感情は消滅しないし、支那人やロシア人が背後で操ることだって考えられるのだ。日本の支那専門家は北京政府の動向ばかり説明しているが、ロシア人とのパイプを隠している北鮮人がどれほど居るのか述べる事はない。もともと、北朝鮮はソ連が創った傀儡国家で、金日成(金聖柱)を首領に据えたのはスターリンである。この独裁者が若き金日成を選んだのは、彼が一番業績が無く、他と比べて操りやすい小僧と踏んだからだ。なるほど、北京政府が北鮮を軍事・経済の面で支援・保護しているが、ロシアが手を引いたとは考えにくい。ロシア人はマフィアと同じだから、一度摑んだ駒は絶対に放さず、徹底的にしゃぶり尽くすし、残りカスまで利用するはずだ。

  したがって、民間人を装って日本に潜入する北鮮工作員の中には、支那人やロシア人の手先が紛れていると考えた方がよい。彼らは直ぐに暴れ回るゲリラ兵とならず、「忍び」として日本に根を下ろし、パトロンの指令を待ちながら「一般人」として暮らすだろう。こうした連中の子供や孫は、やがて日本の官庁や企業、軍隊に浸透し、こっそりと極秘情報を盗み取るかも知れないし、上級幹部になって日本の国益を損なう人材になっているかも知れないのだ。(支那・朝鮮系の警察官や裁判官なんて、考えただけでも身震いする。) それ以上に危険なのは、朝鮮系の子孫が国会議員になって、朝鮮や支那、ロシアのために尽くすことである。現在でさえ、白真勲や福山哲郎といった朝鮮系議員が暗躍しているのに、更なる帰化鮮人議員が増えれば、国防計画でさえ困難な状況になるだろう。例えば、いくら自衛隊が最新鋭の戦闘機やイージス艦を購入しても、こうした反日議員が実戦使用を禁止すれば、単なる模型に過ぎない。つまり、北京政府は日本の議員を最良の「部下」として保有しているわけで、実弾を用いずとも日本の領土を征服できる。


左: 北鮮人
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右: 支那人
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  また、自衛官の中にも支那やロシアに配備された「スリーパー(忍びの草)」がいるから、いざという時は攪乱部隊として起動するはずだ。それに、支那人と結婚した自衛官の息子が自衛隊に入れば、防諜活動にとって別の問題が生じてくる。日本人は建前として民族差別を行わないことになっているから、支那系自衛官への監視が難しくなるだろう。しかし、北京から派遣された工作員は、同じ血を有する「同類」に接触を謀ってスパイに仕立てることが多い。実際、FBIに食い込んだスパイも支那系アメリカ人であったから、支那人の諜報機関は必ず混血児に目を附けてくる。たとえ、日支混血児が最初からスパイでなくても、支那人外交官に対しての抵抗感が薄いので、食事やカラオケの誘いについ乗ってしまうこともある。片親が支那人だと何かと共通点が多い混血児は、何となく支那人工作員に親近感を覚え、交際を続けているうちに“いつの間にか”情報提供者になってしまうのだ。特に、女の工作員が肉体を武器に男性の支那系あるいは朝鮮系自衛官を誘惑したら、結構その手口に嵌まってしまう者も多いだろう。

  難民の受け容れは、日本社会の隅々に損害を与えるものである。我が国の防衛力を低下させるばかりでなく、普段の生活まで食い散らかしてしまうのだ。例えば、難民がもたらす利益などは“ほぼゼロ”に近いが、医療費だけは一人前にかかるし、中には持病持ちもいるから、特別治療を受ける奴もいる。北鮮なら重病に苦しみながら死亡するだけの貧民でも、豊かな日本に来れば最新鋭の医療機器と高度な外科手術で治療して貰えるのだ。また、虫歯だらけの朝鮮人でも、「歯が痛い」と泣きつけば、即座に治療して貰えるんだから、国民健康保険をきちんと払っている日本人は激怒するだろう。日本国民が親子代々長年に亙り、高い保険料を納めながら維持してきた制度なのに、横滑りしてきた朝鮮人が“ちゃっかり”その恩恵に浴しているんだから、頭にきても当然じゃないか。もう説明するのも厭だけど、日本の刑法は犯罪者に甘く、日本の「囚人生活」ですら北鮮の「市民生活」よりも遙かに素晴らしく、“安心して”暮らせる日本の刑務所はサマー・キャンプに近い。


左: 朝鮮人女性
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右: 朝鮮人の少年
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  貧しい外人の到来は、医療費の問題だけではない。難民は子供連れで来るから、日本の人権派は鮮人の児童に対して義務教育を与えろと叫ぶはずだ。しかし、難民の子供は上流階級の私立学校に入ることができないので、必然的に庶民が通う公立学校に配置されることになる。しかし、日本語が不充分な鮮人児童が混入されれば、日本人の児童は大迷惑だ。異民族混淆クラスは、大抵の場合、学力低下に悩む。ドイツでも移民・難民の子供が多く住む地区では、学校の質的レベルが低下し、国家規模の問題となっている。国語(ドイツ語)が分からない移民の子供が、算数や数学、理科を苦手科目とするのは当り前だ。こうなれば、公立学校しか選択肢の無いゲルマン系の親は、移民・難民の流入に不満を募らせ、民族対立の火種となってしまう。日本の親だって、我が子には良い環境で最善の教育を与えたいと望むはずだ。それなのに、政府が勝手に鮮人の児童を日本人クラスに混ぜるから、日本人の親はブツブツと愚痴をこぼすようになる。毎度の事だけど、おっとりした日本の庶民は、自分が招いたわけでもない難民によって苦しむ事になるのだ。(ついでに言えば、日本の給食は北鮮人にとって高級料理と映る。毎日が豪華ディナーとなるから、大人だって学校に通いたくなるだろう。)


(写真 / 大進化を遂げる朝鮮人女性 )
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  難民問題で最大の障壁となっているのは、国内で沸き起こる「人道主義」だ。ユダヤ人が勝手につくった難民条約を締結するから、日本人はその害悪に苦しむ破目になるのだ。国家の将来や国民の日常生活を守るなら、難民条約など廃棄すべきだし、難民がボロ船に乗ってやって来るなら、躊躇せず砲撃で沈めるべきである。国家防衛とは国益を優先することで、流血を見るのが嫌だから、自滅を選ぶというのは愚者の考えだ。撃沈して溺れる難民を見て気の毒に思うのは一瞬の事である。ところが、その苦痛に耐えられないからといって難民を受け容れてしまえば、百年以上、つまり三世代以上の激痛を味わうことになるだろう。

現在の日本人は死刑を「忌まわしい」と考える平安貴族のような臆病者になっている。現実の社会には悪人がいるので、社会を維持しようと思えば、犯罪者に温情を示すべきではない。容赦無く斬首刑にすべし。国家への害悪が予想できるなら、躊躇無く北鮮難民を海の藻屑にすべきである。もし、人権派が文句を言うなら、「じゃあ、お前が日本国籍を捨てて、朝鮮半島で人道支援をすればいいじゃないか !」と言ってやれ。こうした左翼に限って、決して日本から出ようとせず、国内で快適な生活を送りながら「善人」の振りをしているものだ。大量の“みすぼらしい”北鮮人が到来した時、「難民を養いたい」と手を挙げる左翼が何人出てくるのか? 本当に楽しみである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68679896.html



http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html#c5

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
10. 中川隆[-5770] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:19:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる

中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。

慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。

トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。

彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。

これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。

逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。

策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。


盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人

日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。

正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。

しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。

策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。

騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。

まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。

日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。

食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。

彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。

最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。


日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている

日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。

民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。

朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。

テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。

もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。

こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。

さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。

言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。

辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。

日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。

そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。

だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。

しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。


「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく

ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。

親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。

たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。

だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。

しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。

自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。

彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。

それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。

その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。

関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。

これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。

中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c10

[政治・選挙・NHK237] 不正義の国。総理も大臣も局長も嘘ばかり。しかし、不信は確実に進んでいる。不正義が横行する国に未来はない 小沢一郎(事務所 赤かぶ
1. 中川隆[-5769] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:24:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国人に乗っ取られた国にも未来はない


小沢がやっていた事

2009年から2012年までの民主党は、日本の技術立国を叩きつぶすために気が狂ったような円高を放置した。

そうすることによって日本企業、日本商品の競争力を削ぎ、代わりに中国や韓国のパクリ商品や安物商品が売れるようにした。そして、民主党は日本企業を中国・韓国の地に誘導して、そこで「技術」が漏洩するように仕向けていた。

中国・韓国の企業は、日本から盗んだ技術で成り上がっていき、技術を吸い取られた日本企業は窮地に落ちていった。もうすでに起きてしまったことは戻せず、流出してしまった技術も取り返せない。
http://www.bllackz.com/2014/09/blog-post_9.html


日本が物を作って売らなくなったのは、物を作っても作っても円高になるからだ。

どんなに企業努力しても、円高になって競争力を失う。日本人は耐えて耐えて耐え抜いて円高に対処しようとしてきたが、それ以上の円高が襲いかかっていたのだ。

さらに2008年9月15日以降、アメリカがリーマンショックで崩壊寸前になって、相対的に被害の少なかった日本が円高の波をそのままかぶることになった。

そして、民主党政権は円高を放置するだけ放置してまったく対策をとらずに「見守るだけ」に終始した。日銀は日銀で白川方明総裁も、まったく何も手を打たなかった。

日本の製造業は1990年代からの円高で疲弊していた。最後に、馬鹿な民主党政権と、無能な日銀総裁のダブルパンチが2009年から2012年まで続いて、もう製造業の社長はあきらめの境地に落ちたのだ。

円高が止まらないから、もう作るのをあきらめた。
円高が止まらないから、輸出で食べていくのを止めた。
http://www.bllackz.com/2013/05/100.html


小沢・陸山会がやっていたのはハニートラップによる「愛国者潰し」


中国・韓国・北朝鮮などの反日国家に行った政治家は、往々にして寝返って帰ってくる。そして以後、これらの国々のスポークスマンのようになっていく。

ワナにかけられたということだ。「未来の大臣」のように持ち上げられ、大金を与えられ、さらにハニートラップも仕掛けられ、弱みを握られて逆らえなくなる。

私利私欲の塊のような政治家は、地位と金と女を与えられたらワナを仕掛けられたネズミのように引っかかる。

今まで威勢よく中国・韓国・北朝鮮に対峙していた政治家も、こうした国に行くといきなり「日本も歴史を見つめるべきだ」「北朝鮮の核は容認すべきだ」「中国・韓国に謝罪すべきだ」と自ら言い出すようになる。

弱みを握られ、脅されているのである。

政治家だけでない。新聞記者も、ジャーナリストも、小説家も、みんなこうした国々に「招待」され、まともに「金と女」に懐柔されて帰ってくる。

ハニートラップというのは、敵対国家が美しい女性工作員をあてがって標的にする男と性的関係を持たせて弱みを握る工作活動である。古典的だが、ほとんどの男はワナに堕ちる。


自分の性行為を克明に記録されたら逆らえなくなる

男は分かっていても、目の前の美しい女が言い寄ってきたら性的本能を刺激されて逆らえない。理性よりも本能が勝る。そして、ワナに自ら堕ちていく。

女性の工作員は、これと言ったタイプはない。

標的にする男の趣味に合わせた女が用意され、男が見初めるようにする。女性工作員は準備されてそこにいるのだが、男はたまたま自分の気に入った女性を自分が見つけたと思う。

そして、女性工作員が男を誘うのではなく、男が自らの意志で誘うように女性工作員を含め、まわりの人間が状況を誘導していく。

男の行動は逐一ビデオで記録され、口説き文句なども録音されていく。男が女性工作員をベッドに連れて行くと、性行為もまた記録される。

スパイ組織を持つ国ではハニートラップを国家ぐるみでやっているので、ホテルの部屋も盗聴器や盗撮ビデオが仕掛けられているのは常識だ。

だから、多くの要人はどこかの国でホテルの部屋に泊まる時、まず部屋に盗聴器が仕掛けられていないか、シークレット・サービスに入念に調べさせて部屋に入る。

それでも発見されない盗聴器や盗撮ビデオはあるし、そもそも要人が自ら女性工作員を連れ込んだら、女性工作員が記録媒体を仕掛けるので事前のチェックは意味をなくす。

自分の性行為が克明に記録され、それが相手の組織の手の中にあると知らされたら、多くの男は逆らえなくなる。

もし相手の言うことを聞かなければ、自分のセックスを徹底的に暴露されて、今まで自分が築いてきた立場、信用、人脈、ビジネスはすべて吹き飛んで破滅する。

しかし、相手の望む通りに行動し、発言すれば、逆に地位は守ってもらえて金も与えられ、しかも重要人物として扱ってもらえる。

わざわざ好き好んで破滅を選ぶ人間はいない。だから、ハニートラップを仕掛けられた男は、みんな割り切って売国発言をするようになっていく。


ハニートラップの女性工作員は無数に存在する

2004年には在上海日本国総領事館に勤務する当時46歳の領事が自殺しているのだが、この人もハニートラップに引っかかってしまった人だ。

(ウィキペディア:上海総領事館員自殺事件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E7%B7%8F%E9%A0%98%E4%BA%8B%E9%A4%A8%E5%93%A1%E8%87%AA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


この人は「一生あの中国人たちに国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と遺書を綴って自殺している。

この人こそが真の愛国者であり、見上げた人である。しかし、この人のように「日本を売り飛ばすくらいなら死ぬ」という人は例外中の例外で、多くは売国奴となって生き延びる。

国を売り飛ばせば生きていける。そして国を売り飛ばせば自分の身分は安泰だ。だから、ハニートラップにかかった男のほとんどは、売国して生き延びるしかないと思う。

国益を第一に考えている政治家・ジャーナリスト・著名人・官僚・公務員・実業家・教育関係者・技術者は、絶対にこれらの国に行くべきではないし、関わるべきではない。

「まさか自分がハニートラップの対象になるはずがない」と考えるべきではない。ハニートラップの対象は驚くほど広い。そしてハニートラップの女性工作員は無数に存在する。

そもそも、日本はスパイ防止法すらも制定できていないスパイ天国なので、日本国内にいても安全ではない。

たとえば、自衛隊員の配偶者は異様に外国人妻の比率が高いことで知られている。

2013年で約800人の隊員が外国人の妻を持ち、そのうちの約600人は中国人妻であると『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』の著書である鳴霞(めいか)氏が記している。

韓国出身者も多いと鳴霞氏は指摘する。反日国家の女性が大量に自衛隊員と結婚しているという事実が、単なる偶然だと考えている人はほとんどいないはずだ。

中国・韓国・北朝鮮は、「ハニートラップ大国」である。本土でそれをやっているのであれば、日本国内でもそれをやっていると考えても間違いない。


ハニートラップを仕掛けて標的を潰すこともできる

中国・韓国・北朝鮮は、日本人にハニートラップを仕掛けて情報を盗むだけでなく、ハニートラップを仕掛けて標的を潰すこともできる。

たとえば、中国・韓国・北朝鮮に都合の悪い発言をする人間がいたとする。

この人物を潰すにはどうすればいいのか。まずは身辺を調査してスキャンダルになりそうなネタがないかどうかを調べる。あればそれを利用するし、なければ作る。

どのように作るのか。

例の如く、女性工作員を向かわせてハニートラップを仕掛けるのである。ワナにかかれば後は何でもできる。

性行為を記録して「暴露する」と脅すこともできるし、あるいは女性に「あの男にレイプされた」と騒がせるのもいい。本当にレイプされていなくても構わない。

密室で起きたことは何が真実か分からないからだ。

女性工作員が「あの男にレイプされた」「すべての女性のために戦いたい」と公共の場で泣いて騒げば、あたかもそれが真実のように伝わっていく。

念を入れて、仲間の工作員どもに「共に戦う」「支えます。あなたは独りではない」と騒がせれば、対象の男を一気に潰すことができる。このあたりは、被害者ビジネスをしている人間がいつもやっている手口と重なる。

こうした「ハニー・トラップによる愛国者潰し」を仕掛けられたら逃れられない。社会的に抹殺されるまでやられる。日本の愛国者はそうやってことごとく潰されてきた。

ウブな日本人は、こうした邪悪な工作に引っかかりやすいし、世論も反日の工作活動に騙されやすい。

反日国家の人間と関わるというのがいかに危険なことなのか、スパイ防止法がないというのはいかに恐ろしいことなのか、日本人はもっと真剣に考えた方がいい。

世界は善意で動いているわけではないのだ。むしろ、悪意で動いていると見るのが正しい。


「ハニー・トラップによる愛国者潰し」を仕掛けられたら逃れられない。社会的に抹殺されるまでやられる。日本の愛国者はそうやってことごとく潰されてきた。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170531T1358070900.html


外国人秘書(女)を住まわせていた小沢名義の都心のマンションはスケスケバスルーム。

"不可解" 陸山会、「民主・小沢氏」名義で億ション買いあさり…謎の女子中国人留学生、外国人秘書が住む?


産経

6年に1700万円で購入したワンルームマンション「プライム赤坂」の一室は、13年12月に外国人秘書の居宅としての使用をやめ、民間のコンサルタント会社に月7万円で賃貸。その後、19年9月には主に不動産の再開発を行う都内の建設会社に1300万円で売却している


164 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2010/01/14(木) 04:47:29 ID:W2B4Xvhc

殆どバレてるみたいだから暴露する
そのマンション、中国女を使って接待する為のもんだ
要するに売春宿、ソース俺の上司。


172 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2010/01/14(木) 05:10:13 ID:W2B4Xvhc

上司は売春、部下はキャバクラ、下っ端は三角木馬
お前ら…、これが日本の与党なんだぜ。


便器まで丸見えってどんだけ変態なんだよ。
http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/52415838.html


2007/11/2215:20:59
小沢一郎民主党代表の政治団体兼資産管理団体「陸山会」が所有する、資産として政治資金収支報告書に記載されている東京都心の8つの億ションとマンション。


・港区元赤坂1‐7「元赤坂タワーズ902号室」
 億ション、秘書との“打ち合わせ”場所

・港区赤坂2‐17「チュリス赤坂701号室」
 億ション、「陸山会」事務所、「小沢一郎東京後援会」

・港区赤坂2‐14「ライオンズマンション赤坂志津林305号室」
 小沢一郎の書庫

・千代田区麹町2‐12「グラン・アクス麹町602号室」
 「ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」
(政治家としての公的な業務ではないと小沢自身が認める)、
“若い中国人女性”2人の住居(小沢側は“留学生”と弁明)

・港区赤坂2‐17「プライム赤坂204号室」
 「株式会社エスエー・コンサルティング」

・港区赤坂6‐13「クレアール赤坂203号室」
 小沢の英国人秘書の事務所兼居宅

・港区赤坂2‐8「デュオ・スカーラ赤坂802号室」
 小沢の韓国人秘書(女)の事務所兼居宅

・港区南青山2‐2「ラ・セーナ南青山502号室」
 小沢の中国人秘書の事務所兼居宅

以上全て小沢一郎名義になっている!!
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113563916


241 :名無しさん@十周年:2010/01/15(金) 13:57:15 ID:FJFHnBrR0

購入物件の一部

チェリス赤坂701号 (1億7000万円、1995年1月25日購入 施工:住友建設)

ライオンズマンション赤坂志林 305号 (1650万円、1994年12月22日購入 施工:東海興業 ←http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/build/1232782427/

ラ・セーナ南青山 (3320万円、2001年1月11日購入 施工:三平建設株式会社 ←http://www.rondan.co.jp/html/mail/0902/090218-11.html

プライム赤坂 (1700万円、1994年12月22日購入 施工:鹿島建設 ←)

Grande Axe麹町 (1億1000万円、1994年11月25日購入 施工:佐藤工業 ←http://www.asyura2.com/2002/hasan7/msg/618.html

Duo Scala 赤坂 (3264万円、2001年1月18日購入 施工:新日本建設 ←http://www.rondan.co.jp/html/mail/0403/040302-4.html

元赤坂タワーズ (1億5138万円、1994年11月25日購入 施工:清水建設 ←http://www.unkar.org/read/money6.2ch.net/build/1210139973
http://www.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU

クレアール赤坂    施工:南海辰村建設(http://secwords.com/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E8%BE%B0%E6%9D%91%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE.html


1.「赤坂タワーズ902号室」小沢氏と秘書の打ち合わせ場所

2.「チュリス赤坂701号室」陸山会の文書上の存在場所
 使用目的:小沢氏と秘書の打ち合わせに使用(小沢一郎東京後援会に賃貸) 

3.「ライオンズマンション赤坂志津林305号室」小沢氏の書庫

4.「グラン・アクセス麹町602号室」
 使用目的:ジョン万次郎ホットフィールド記念国際草の根交流センターとして使用

5.「プライム赤坂204号室」 (株)エスエー・コンサルティングに賃貸

6.「クレアール赤坂203号室」 英国人秘書の事務所兼居宅

7.「デュオ・スカーラ赤坂802号室」 韓国人女性秘書の居宅

8.「ラ・セーナ南青山502号室」 中国人秘書の居宅

まぁ掘れば掘るほど真っ黒くろすけだなw


227 :名無しさん@十周年:2010/01/15(金) 13:01:18 ID:FJFHnBrR0493

名前:可愛い奥様[] 投稿日:2010/01/15(金) 12:33:45 ID:wY0z2J7Z0

http://www.lets-creation.co.jp/upimage/2008021800005_6.jpg
韓国人女秘書を住まわせていたデュオスカーラ赤坂部屋間取り

http://www.re-guide.jp/images/Estate/15/EstateC/0396000MHA60152/roomLayoutImage1/0396000MHA60152.jpg
小沢と秘書の打ち合わせ(笑)に使われていたチュリス赤坂部屋間取り

http://www.sumai1.com/search/detail/bid=320103
同じく打ち合わせ用の元赤坂タワーズ

http://chintai360.jp/mansion/27861
小沢の書庫用ライオンズマンション赤坂志津林

http://www.k-foresthome.com/condominium/rf_img/kuremadori_exfield21.gif

英国人秘書を住まわせていたクレアール赤坂

http://clementia.co.jp/rent/detail_search/931.html

ウワサのプライム赤坂、2階はワンルーム 13年12月まで外国人秘書の居宅として使用 鹿島建設
例のスケ風呂部屋は5階w

http://www.office-chintai.net/020/010/r_1.html
中国人秘書を住まわせていたラ・セーナ南青山

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org561465.jpg
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org561469.jpg
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org561473.jpg


グラン・アクス麹町「ジョン万次郎ホットフィールド記念国際草の根交流センター」として使用
何故か「李&朱」www    
     ↑
     シナ女が住んでるのはこっちか 
http://antikimchi.seesaa.net/article/59932477.html ←ココもゼネコン汚職のニオイ


"党首は不動産王?!" 小沢一郎衆院議員の豪華マンション一挙世界初公開
http://www.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU


国民を騙す民主党の闇を叩く!! H20.10.8夕方 民主党本部5/6 せと弘幸編
http://www.youtube.com/watch?v=eszG6WVuUXk

「小沢は、隠しマンションに韓国人、シナ人、英国人を住まわせている」

小沢一郎民主党代表の美人秘書は朝鮮人!
http://www.youtube.com/watch?v=o-lXuggolkk

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/282.html#c1

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
17. 中川隆[-5769] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:29:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

長期保有で配当利回り190%に! アメリカ株がお得な理由
AERA 2017年12月18日号より抜粋
http://www.asyura2.com/17/hasan124/msg/887.html


 
資産運用アドバイザー 尾藤峰男さん(63)/びとうファイナンシャルサービス代表。日興証券で海外法人社長などを経験し、2000年から現職。近著に『バフェットの非常識な株主総会』(写真:尾藤さん提供)

 
アメリカ株口座の人気銘柄 ベスト10(AERA 2017年12月18日号より)


 アメリカの株式市場の上昇が止まらない。アメリカ株は日本株と何が違うのか。アメリカ株投資のメリットとは?

「アメリカの株というと難しそうなイメージを持つ人もいますが、実際はアップルやアマゾン、フェイスブック、コカ・コーラなど日本人にも身近な企業がたくさんあります」

 と話すのは、アメリカ株投資に詳しい資産運用アドバイザーの尾藤峰男さんだ。

 多くの人にとって株式投資の最大の目的は利益を得ることだが、アメリカ株はこうした点でも優位性が高いと話す。

「株式投資の利益は、保有している間受け取り続ける配当と、株価の値上がり益の2種類に分けられます。アメリカ株はいずれも、日本株と比較してパフォーマンスが良好です」

 アメリカの上場企業は株主への還元を重視する傾向が強く、配当金を増やす「増配」を続ける企業が多いという。

「日用品大手のプロクター アンド ギャンブル(P&G)は61年、ジョンソン エンド ジョンソンは55年、ペプシコは45年も増配を続けています。長期で保有すれば配当だけで投資のモトが取れてしまうことも」(尾藤さん)

 尾藤さんの試算によると、ジョンソン エンド ジョンソンの株を2000年に購入していた場合、株価は2.5倍にまで値上がりしている。しかも増配を続けているため、配当利回りはなんと6.8%に達している。これがもし投資したのが1980年であれば、株価はなんと70倍、配当利回りは190%と、投資額の倍額に近い配当金を1年で受け取ることができるのだ(いずれも16年末時点)。

 さらに、アメリカ企業は、配当と並ぶ株主還元策である「自社株買い」にも積極的だ。企業が自ら株を買い戻すと、発行済み株式総数が減って1株当たりの利益や価値が増加し、株価の上昇につながりやすいのだ。

 企業が株主還元を重視する背景のひとつに、アメリカでは企業同士の株式持ち合いが少ないという背景があるという。いわゆる「モノ言う株主」が多いので、株主還元に対するプレッシャーが大きいのだ。

「配当と自社株買いを合わせた株主還元の指標である総還元性向は、日米で倍以上の開きがあるとする調査結果もあるほど。アメリカは投資家にとっては有利な環境といえます」(尾藤さん)
 
(ライター・森田悦子)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c17

[政治・選挙・NHK237] あなたは、自分の住んでいる国が独立国でない植民地でも誇りに思えますか?(お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ
6. 中川隆[-5768] koaQ7Jey 2017年12月17日 09:57:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

昔のキューバは誰が見ても誇りに思える国だろ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/279.html#c6
[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
130. 中川隆[-5767] koaQ7Jey 2017年12月17日 10:21:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

増加する限界マンション、やがて幽霊マンションになり公費で解体


限界マンションは幽霊マンションになり、所有者不明になり公費で解体される
引用:http://blog-imgs-52.fc2.com/g/a/r/garekioono/2014_01_04_0552.jpg

限界マンションは数十年前から予想されていた

いま全国で老朽化した「限界マンション」が問題になり、日本の新たな負の遺産になっています。

日本は老朽化が進んでいるが、人間と同じ速さでインフラや建物も年を取るので、こうなるのは数十年前から分かっていました。

だが少子高齢化と同様に目の前の問題が優先され、将来必ず起きるが「今すぐではない」事は見ないようにしてきました。



限界マンションへの第一歩は、新築時から始まっていて、購入・入居者の多くは20代か30代です。

若い夫婦は子供が出来た時のことも考え、少し余裕がある間取りで、無理をしてローンや家賃計画を組みます。

20年も経つと子供は皆出て行ってしまい、50代になった夫婦が住み続けるが、この頃からマンションの老朽化が始まります。


人間の医療費が高齢になると増えるように、マンションの修繕費も増えていき、安くなる事はありません。

マンション全体で必要な管理費や修繕積立金も増えていくが、住人は高齢化や引越しによって逆に減っていきます。

新築の時には目一杯高い値段でも、即完売・即満室だったのに、古くなると半額でも購入者・入居者が少なくなります。


最初の入居者が60代になる頃には、老人ホームに入ったり、もっと高齢者向け物件に引越し、低所得者向け物件のようになります。

家賃や価格を下げて入居者が集まっている間は良いが、それを過ぎると空室が増え、日常の保守に必要な管理費が不足します。

掃除などが行き届かなくなり、設備の故障が増え、外観は「いかにも古い」という感じになり、住人もまばらになったのが限界マンションです。


住人が去り管理費が不足し、修繕積立金が底を付いた頃に持ち上がるのがマンションの立替問題で、50年経つとどんなマンションでも商品価値がなくなります。

この頃の住人は居たとしても高齢の低所得者が多く、建て替えや取り壊しに必要なお金どころか、毎月の管理費を滞納していたりします。

最後の住人が去ったらただの廃墟ですが、それぞれの部屋の所有権は誰かが持っていて、自治体は撤去や建て替えするよう勧告します。

日本は幽霊マンションだらけに?

だが築50年の物件を所有するような人は、所在地すら不明な場合が多く、連絡が取れても絶対に撤去費用など出しません。

さらに年月が経つと建物自体に崩壊の恐れが出てきて「軍艦島」のようになってきます。

放置すると危険なので最終的には、自治体の予算で撤去して、固定資産税未納などで公有地になります。


これがマンションの一生なのだが、もっと若い築20年台や30年台でも、限界化するマンションが登場してきている。

バブル期に建てられたリゾートマンションは、元々居住する住人が居ないので、空室になりやすく放置される場合が多い。

政府の調査では一戸建て住宅の1割以上が空き家であり、2030年代には空き家が2000万戸に増えるそうです。


今はそれほどでなくても、いずれはマンションもこのように空き家だらけになると予想されます。

人口は毎年少しずつ減っていて、新築マンションが大量に建てられているので、どうしたってマンションの戸数はいつか余ります。

住民が1人も居なくなり、所有者も連絡が取れなくなったら、最終的には自治体の費用で解体するしかなくなります。


もっと大きいマンションに建て替えて部屋を貰える例はごく少数で、よほど好立地好条件の場合だけです。

自治体や国がマンションを差し押さえて強制的に解体するには、存在しているだけで崩壊の危険があるなど、よほど深刻な場合に限られる。

その他の「すぐには倒れそうもない」マンションは、住人が居なくなった後も、しばらくは幽霊マンションとして存在し続けるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/74089335.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c130

[昼休み53] 中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件 中川隆
97. 中川隆[-5766] koaQ7Jey 2017年12月17日 10:50:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物 2017年10月22日
https://uranaru.jp/topic/1011178


1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?


旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。

旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?

旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。

加害者

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。

被害者の女子生徒はどのような人物だったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。

他にもいた被害者

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

トピック1011178/要素1993656出典: 無償のイラストレーション: 恐怖, 女の子, 悲鳴を上げる, ホラー, 怖い, ファンタジー - Pixabayの無料画像 - 1017831

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。

当初は軽度の嫌がらせだった

旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。

担任教師に相談した後、さらにエスカレート

男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。

他にも想像を絶する暴行も


性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。

脅迫までもが日常茶飯事だった

旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。

旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。

他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか

まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。

女子中学生の担任教師はどのように対応したか?

まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。


他の教師たちの対応はどのようなものだった?

その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。

学校の教頭の対応はどのようなものだったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。

旭川女子中学生集団暴行事件のその後


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。

家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?

旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?

もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。

被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?


先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分


この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言


旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。

判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。

被害者の女子生徒のその後は

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。

周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件


旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。
https://uranaru.jp/topic/1011178



http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html#c97

[番外地7] 中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件(昼休み板へのリンク) 中川隆
12. 中川隆[-5765] koaQ7Jey 2017年12月17日 10:51:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物 2017年10月22日
https://uranaru.jp/topic/1011178


1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?


旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。

旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?

旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。

加害者

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。

被害者の女子生徒はどのような人物だったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。

他にもいた被害者

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

トピック1011178/要素1993656出典: 無償のイラストレーション: 恐怖, 女の子, 悲鳴を上げる, ホラー, 怖い, ファンタジー - Pixabayの無料画像 - 1017831

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。

当初は軽度の嫌がらせだった

旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。

担任教師に相談した後、さらにエスカレート

男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。

他にも想像を絶する暴行も


性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。

脅迫までもが日常茶飯事だった

旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。

旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。

他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか

まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。

女子中学生の担任教師はどのように対応したか?

まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。


他の教師たちの対応はどのようなものだった?

その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。

学校の教頭の対応はどのようなものだったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。

旭川女子中学生集団暴行事件のその後


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。

家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?

旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?

もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。

被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?


先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分


この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言


旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。

判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。

被害者の女子生徒のその後は

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。

周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件


旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。
https://uranaru.jp/topic/1011178



http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/304.html#c12

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? ( 昼休み45へのリンク ) 中川隆
14. 中川隆[-5764] koaQ7Jey 2017年12月17日 10:56:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

>>3 に追記

旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物 2017年10月22日
https://uranaru.jp/topic/1011178


1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?


旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。

旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?

旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。

加害者

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。

被害者の女子生徒はどのような人物だったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。

他にもいた被害者

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

トピック1011178/要素1993656出典: 無償のイラストレーション: 恐怖, 女の子, 悲鳴を上げる, ホラー, 怖い, ファンタジー - Pixabayの無料画像 - 1017831

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。

当初は軽度の嫌がらせだった

旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。

担任教師に相談した後、さらにエスカレート

男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。

他にも想像を絶する暴行も


性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。

脅迫までもが日常茶飯事だった

旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。

旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。

他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか

まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。

女子中学生の担任教師はどのように対応したか?

まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。


他の教師たちの対応はどのようなものだった?

その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。

学校の教頭の対応はどのようなものだったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。

旭川女子中学生集団暴行事件のその後


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。

家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?

旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?

もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。

被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?


先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分


この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言


旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。

判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。

被害者の女子生徒のその後は

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。

周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件


旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。
https://uranaru.jp/topic/1011178



http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/609.html#c14

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
109. 中川隆[-5763] koaQ7Jey 2017年12月17日 10:59:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>41, …, >>69に追記

旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物 2017年10月22日
https://uranaru.jp/topic/1011178


1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?


旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。

旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?

旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。

加害者

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。

被害者の女子生徒はどのような人物だったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。

他にもいた被害者

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

トピック1011178/要素1993656出典: 無償のイラストレーション: 恐怖, 女の子, 悲鳴を上げる, ホラー, 怖い, ファンタジー - Pixabayの無料画像 - 1017831

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。

当初は軽度の嫌がらせだった

旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。

担任教師に相談した後、さらにエスカレート

男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。

他にも想像を絶する暴行も


性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。

脅迫までもが日常茶飯事だった

旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。

旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。

他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか

まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。

女子中学生の担任教師はどのように対応したか?

まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。


他の教師たちの対応はどのようなものだった?

その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。

学校の教頭の対応はどのようなものだったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。

旭川女子中学生集団暴行事件のその後


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。

家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?

旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?

もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。

被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?


先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分


この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言


旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。

判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。

被害者の女子生徒のその後は

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。

周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件


旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。
https://uranaru.jp/topic/1011178



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c109

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
43. 中川隆[-5767] koaQ7Jey 2017年12月17日 13:38:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」
12/17(日) 10:44配信 BuzzFeed Japan
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171217-00010002-bfj-soci&p=1


自らが受けた性暴力について語り、連帯する「#metoo(私も)」。米国ハリウッドに端を発するこの動きは世界中に広まり、日本にも変化を起こそうとしている。【BuzzFeed Japan / 播磨谷拓巳】

BuzzFeed Japanもこの動きを後押しするため、「#metoo」に関連した記事を発信し続けている。その中で、「私も証言したい」と連絡をしてくる人もいる。
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作家・ブロガーとして有名なはあちゅうさん(本名:伊藤春香)も、その一人だ。

大学卒業後、2009年に入社した大手広告代理店「電通」でセクハラやパワハラを受けたという。BuzzFeed Japanは、はあちゅうさんの証言を受け、複数の電通社員に話を聞き、はあちゅうさんが「加害者」と証言した男性にも取材をした。

その男性とは、岸勇希氏。

2004年に電通に入社し、その4年後に「コミュニケーションをデザインするための本」を出版。2014年には電通史上最年少でエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターに就任し、2017年に独立。株式会社「刻キタル」の代表取締役に就任している。

世界最大級の広告の祭典「カンヌライオンズ」で金賞をとるなど、国内外での受賞歴も多数ある広告業界で日本有数の人物だ。

はあちゅうさんは当時のことを忘れられずにいたという。最近、岸氏が新たな本を出版したことで露出が増え、その苦しさが蘇ってきたこと、#metooの動きがきっかけとなり、証言することを決意した、と話す。

以下、はあちゅうさんや電通社員らの証言、そして岸氏の回答を載せる。
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はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」


加害者として証言された岸勇希氏


「体も使えないのか?」

はあちゅうさんは2009年に慶應大学を卒業。同年、電通に入社した。中部支社に配属されたはあちゅうさんは、東京本社への異動を希望していた。

岸氏は当時、すでに本を出版し、業界で著名なクリエイター。新入社員だったはあちゅうさんにとっては、憧れる存在だった。「気にいってもらえたら、早く希望の場所にいけるかもしれないという思いがありました」

岸氏に異動に関する相談にも乗ってもらっていたはあちゅうさんが、これはハラスメントだと感じるようになったのは、中部支社から東京本社に配属が決まった2010年3月頃からだという。

「本社に異動した頃、岸さんから『今すぐ飲みの場所に来い。手ぶらで来るな。可愛い女も一緒に連れてこい。お前みたいな利用価値のない人間には人の紹介くらいしかやれることはない』などと言われるようになりました」

「深夜に『俺の家にこれから来い』とも言われました。当時、私は田町に住んでおり、彼の自宅は浜松町だったので、歩ける距離にありました。突然電話がかかってきて、どこで何をしていようと、寝ていても『今から来られないのか』と言われました。『寝ていました』と言うと、行かないでも許してくれることもありましたが、翌日、『お前はこの会社には向いていない。CDC(岸氏が所属していた部署)にきたら深夜対応も当たり前だぞ』と言われました」

呼び出される時間はまちまちだったという。夜10時のときもあれば、深夜1時のときも。岸氏が眠る朝方まで帰ることも許されず、月に1〜2回の頻度で自宅に誘われた。深夜だけに友人を連れて行くわけにもいかず、家に行くときは毎回1人だったという。

「自宅にいくと、黙って正座をさせられて、彼が作業をしているのを延々と横で見させられるか、彼の仕事の功績を聞いて、それを褒め続けたり、岸氏の嫌っている人を一緒にけなすなどさせられたりしました。そして、当時、岸氏は私の友人と付き合っていたのですが、『こうやってこの時間にお前が俺の家にいることを言ったらどう思うかな。お前が誘ってきたことにもできるからな』などと言われました」

「『俺に気に入られる絶好のチャンスなのに体も使えないわけ? その程度の覚悟でうちの会社入ったの? お前にそれだけの特技あるの? お前の特技が何か言ってみろ』と性的な関係を要求されました。『お前みたいな顔も体もタイプじゃない。胸がない、色気がない。俺のつきあってきた女に比べると、お前の顔面は著しく劣っているが、俺に気に入れられているだけで幸運だと思え』と」

「また当時の彼女とのセックスについて『あいつは下手だからもっとうまい女を紹介しろ。底辺の人間の知り合いは底辺だな。お前もセックス下手なんだろ。彼氏がかわいそうだ』などと言われました」

はあちゅうさん本人だけでなく、「平凡な家庭だからー。程度の低い人間と付き合うからー」などと家族や友人、パートナーの人格を否定する発言もあったという。

岸氏からのハラスメントから逃れたいと思ったはあちゅうさんは、岸氏の要求通り数名の友人を紹介した。「お前どうしてあんなしょうもない女紹介するんだよ。自分が何のために俺と知り合ったかなんもわかってないじゃないか。俺の偉大さちゃんと説明したの?」などと言われたこともあったという。

はあちゅうさんは当時、紹介した友人たちに対し、「今は心から申し訳ないと思っています」と話す。

岸氏からはソーシャルハラスメントもあったと証言する。

「私のブログやTwitterは『考えの浅い人間のアウトプットだ』と言われ続けました。特にTwitterは、岸氏のツイートをいち早くリツイートしないと『お前なんでまだリツイートしてないの?』と言われたり、ほかのクリエイターの記事をツイートすると『お前なんであんな記事をツイートしているの』と言われたりしました」

「広告業界では生きていけなるくなるぞ」
はあちゅうさんは限界に達し、岸氏との連絡を断つことにした。そう伝えると、岸氏からは「広告業界では生きていけなくなるぞ」などと脅されたという。

2011年11月、はあちゅうさんは2年6カ月務めた電通を退職。PR会社に転職した。

しかし、岸氏の嫌がらせは退職後も続いたという。

「転職後、電通主催のリクルートイベントに登壇のオファーがありました。しかし、人事に岸氏から、『会社のオフィシャルに、はあちゅうなんか呼ぶな。あいつはどうしようもない女だ』のようなメールがあったと聞きました。関係を断ったことで、退職した後も妨害や嫌がらせは続きました」

その後、岸氏から、はあちゅうさんへの連絡はなかった。しかし、BuzzFeed Newsが関係者への取材を始めた頃、はあちゅうさんに対し、以下のような謝罪文が急にFacebookメッセンジャーで届いている。

当時自分がとても理不尽なことをし、嫌な思いをさせた、とても苦しめたことを、お詫びしたくて連絡しました。本当にごめんなさい。当時の自分には自分なりの理由があったのだけど、それ自体が稚拙で傲慢で愚かな考え方だと改めて思い、深く反省しています。(一部抜粋、原文ママ)

BuzzFeed Japan

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」


当時、岸氏から送られてきたTwitterのDM


「俺は愛で言っている」本人も自覚があったのでは

はあちゅうさんは、岸氏も “悪いこと”をしている自覚はあったのではないかと話す。

「『俺は愛で言っている』とすごく言ってました。『全員にこんなことをしているわけではない。お前には愛があるから指導している。どうでもいいやつはどうでもいい。お前はどうでも良くないから睡眠時間を削ってわざわざ電話しているのだ』と。そう言われると彼なりの可愛がりなのかと思ってしまうところもあって、どうしたら良いかわかりませんでした」

「一度、会社に言いますよと言ったら『会社がどちらを信じるかわかるか? 信じてもらえるわけないだろ』と言われ、悪いことをしている自覚はあるのだと感じました」
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現役社員たちの証言

はあちゅうさんの証言について、BuzzFeed Newsは複数の電通社員に取材をした。

はあちゅうさんのように、実名で証言する人を見つけることはできなかった。「岸さんのセクハラやパワハラの話は知っている。だが、取材には答えられない」と言って、証言を断る人もいた。

そんな中で、数人が匿名を条件に証言をしてくれた。彼らは岸氏のセクハラ・パワハラの被害は、はあちゅうに止まらず、広く知られていたという。

ある男性社員は「いつかは表に出ないといけないことでした」と語った。

こういう証言もあった。

「インターン担当を岸氏がやっている年があったのですが、ある女子大生のインターンが終わり、内定を受けたあと、岸氏から『家に来ないか?』と電話があったようです。入社前の学生はどこに配属されるか不安です。岸氏はそれなりの立場がある人物なので、彼がキャスティングボートを握っているのではないかと思ってしまうのも無理はないです」

これだけでなく、別の年にはカンヌライオンズに当時インターンの女子大生を連れて行き、問題になったという。

これらの岸氏の行動は、人事やハラスメントの関係部署でも知られていたようだ。

はあちゅうさんは、退社後に岸氏のハラスメントについて相談するメールを複数の電通社員に送っている。

ハラスメント関係部署の担当者からの返信には、これらの女性問題について「聞いている」と記されていた。また、対応が不十分だったことへの謝罪の言葉もあった。

岸氏が回答「彼女への謝罪の気持ちがあります」

BuzzFeed Newsは12月13日、岸氏が経営する刻キタルを訪問し、本人は不在だったが、質問状を提出した。15日、二度目の訪問で岸氏本人と対面し、「書面で回答する」との返事があった。

岸氏は16日午後5時55分、「Buzz Feed様からの取材について」との見出しでBuzzFeed Newsの質問状とその回答をネット公開した。公開に関して、BuzzFeedへの事前の連絡はなかった。

「経緯と反省」という書き出しから始まっている回答。

「ショックを受けましたが、まず彼女への謝罪の気持ちがありますし、当時自分がしたことが理不尽であったという認識が今はありますので、きちんとご回答すべきだと思いました」

謝罪した上で、はあちゅうが証言するハラスメントに「事実と、事実ではないものが混在している」という内容だった。

以下、岸氏の回答を載せる(回答は原文ママ)。

●電通在籍時代に、セクハラ、パワハラをしていたという認識はあるか。

彼女を傷つけたことを現時点では強く認識しております。現時点ではと書かせて頂いた理由は、当時は(8年前だと思いますが)、私の認識や理解が未熟で、後輩への指導とハラスメントの境界が、正しく認識できていなかった為です。

ここ数年、自分がハラスメントや差別問題に興味を持ち、学んでいく過程で、自分が過去に人を傷つけていたことに気づきました。今頃にしか気づけなかったことは、大変恥ずべきであり、情けなく、ただただ申し訳なく思っております。今更ではありますが、自分の言葉でお詫びをすべきだと考え、Facebookのメッセンジャーで謝罪をした次第です。

●交際関係にない男性社員が相手の意に反して、女性社員を自宅に呼び出すことは問題行為であるという認識はあったか。

8年前のことで、全ての詳細を記憶できていませんが、少なくとも「深夜の呼び出し」は事実です。ただ、それに至る前後の文脈については、補足をさせて下さい。

また「性的な関係を要求したこと」に関しては、否定をさせて頂きます。

当時私は管理職ではなく、彼女とは所属部署も違っていたので、基本その方との関係は、直接的な部下や、直接仕事をする間柄ではありませんでした。仕事のノウハウや企画書の書き方をアドバイスする、先輩後輩の関係でした。彼女の配属が決まった日に、私の席まで来て(それが初対面)、アドバイスをしてほしいと依頼を受けたのが知り合うきっかけだったと記憶しております。

そもそもここは大きな反省点ですが、当時私は自宅を仕事場としても使っておりました。スタッフを招いて、夜な夜な仕事を完成させるということ自体は頻繁に行っておりました。彼女へのアドバイスも、部署も異なり、一緒に行っている仕事ではなかったこともあり、私の都合で自分の仕事が終わる深夜に、私の家で行うことが何度かあったと記憶しています。また仕事の完成度を妥協させないため、明け方まで企画作業を続けたことはあったと思います。当時は自分にも他人にも心血を注ぎ、仕事の質を高めることが何よりも重要で、本人のためになると私が一方的に考えており、それを押し付けていた行為であったと深く反省しております。

また知り合って時間が経つにつれ、私が彼女のことを、後輩というよりは友人のように認識していたことは否定できず、仕事以外にも友人として家に招いたことも、少なからずあったように思います。彼女にとって私は先輩であったことを考えると、家に招くこと自体も、彼女にとっては大きな心理負荷であったと、ただただ深く反省しております。

いずれにせよ働き方の観点からも、何より交際関係にない異性を深夜に家に呼びつけることも、極めて非常識であり、不適切だったと猛省しております。

●Facebookメッセンジャーで謝罪文を送っている。具体的にどのような行為に対しての謝罪なのか。

Facebookメッセンジャーでの謝罪については、前述のとおり、自分が彼女を傷つけていたと認識した以上、謝るべきだと思ったから他ありません。

謝罪の対象についてですが、特定の事象に対してということではなく、彼女がこの件について、8年経った今でも、不快に思い、苦しめていることを認識したことに対してのものとなります。ただ特に、彼女が選択したキャリア・プロセスが、それまで私が彼女に指導してきた方向性と異なるものだったことに対して、私が憤り、以降彼女とのコミュニケーションを断絶したことについては、私がただただ未熟で稚拙だったゆえの行為であり、彼女を追いこみ、深く傷つけたことだと、謝罪したいと考えております。

当時の私が、彼女のスキルアップを真剣に考えていたのは本当ですが、必要以上に憤り、威圧的な言葉をぶつけたことは事実であり、思い返し反省しております。

8年もかかってしまいましたが、お詫びのメッセージを送った次第です。

●人格を否定するような行為、発言はあったか。

議論や指導において白熱して、威圧的な発言や追い込む言動をしてしまうことは少なからずあったと認めます。傷つけた方にお詫びできるのであれば、直接謝罪させて頂きたいと考えております。

●電通主催のリクルートイベントに、(はあちゅうさんへ)登壇のオファーがあった。それについて人事局に対し、登壇をやめさせるようなメールを送ったのか。

「登壇をやめさせるよう相談した」ことは事実です。ただしこれは明確に理由があります。

当時、彼女が電通退職後に勤めていた会社は、この時ちょうど、ステルスマーケティング(お金を払って人を並ばせた)の類で、何度か炎上騒ぎを起こしておりました。当時私はWOM協議会というクチコミマーケティングのガイドラインの策定に携わっており、やらせや、ステマを防ぐための、全社共通の決まりを制作しておりました。そのような状況でしたので、遵守を呼びかける立場の会社が、ステマで炎上している企業の人間を、リクルーティング活動で登壇させることは不適切ではないかと考え、その点を人事局に申し出たという経緯になります。当時この議論、プロセスについては、私だけではなく上長を含め、周囲の人間と相談しながら行っております。

後日人事局の担当者から、「ステマで炎上しているのは事実だが、彼女が勤めている会社もWOM協議会に参加しており、ガイドラインの遵守を認識しているので、問題はない」との見解があり、私もこの要請を取り下げ、実際に彼女が登壇される結果になりました。

●当時、大学生だったインターンをカンヌ国際広告祭まで連れて行き、社内で問題視されたとの証言がある。これは事実か。

カンヌ現地で、セミナーやイベントに一緒に参加した大学生はいます。

ただし、「カンヌ国際広告祭まで連れていき、」とありますが、明確に私は連れていっておりません。彼女は学生コンペに熱心に参加しており、自身の勉強のため自費で、自分でカンヌまで来られていました。

(回答は以上)

「深夜の呼び出しは事実」「性的関係を要求したことはない」
岸氏は回答の中で、以下の点などを認めている。

「少なくとも『深夜の呼び出し』は事実です」
「彼女を傷つけたことを現時点では強く認識しております」
「威圧的な発言や追い込む言動をしてしまうことは少なからずあったと認めます」


一方で、以下の点などは否定した。

「(性的な関係の要求)は否定をさせて頂きます」
「(カンヌにインターンを)連れていっておりません」


また、はあちゅうさんがイベントに登壇することを妨害したという件については、はあちゅうさんへの嫌がらせではなく、別の理由だったと説明している。

岸氏は自らの行為ではあちゅうさんやその他の人たちを傷つけたことは認めており、回答の最後を以下のように締めくくっている。

「繰り返しですが、彼女を傷つけ辛い思いをさせたこと、今日まできちんと謝罪できなかったことを、ただただ申し訳なく悔やんでおります。傷つけた方に心から謝罪致します。本当に申し訳ありませんでした」

回答をみて、はあちゅうさんの反論

岸氏の回答を受けて、BuzzFeed Newsは改めて、はあちゅうさんに話を聞いた。

まず、岸氏の回答の中で、性的関係の要求を否定している点について、「体も使えないのか?」などの性的な発言があったことを繰り返した上で、こう述べた。

「部屋のワークスペースにはベッドもあり、なぜかパジャマ姿で出迎えるときもあった。そもそも一緒に仕事をしていないにも関わらず、私だけ部屋に呼び出したのはなぜなのかわかりません」

さらに登壇妨害について、「当時、彼女が電通退職後に勤めていた会社は、この時ちょうど、ステルスマーケティングの類で、何度か炎上騒ぎを起こしておりました」(岸氏)との説明に対しては、炎上騒ぎは、はあちゅう氏の入社前のことであり、時期が異なることを指摘した。

その上で、次のように話す。

「BuzzFeedさんへの通達なしに先手を打つかたちで岸さんがご自身のメディアで文章を公開したことに関しては、謝罪よりも保身の意図を強く感じ、非常に残念に思っています。岸さんに対しては、特にお伝えしたいことはありません」

「ただ、こういった文章が一方的に公開されたことで、当事者同士で、すでに片が付いたことだと傍目に認識されるのであれば、これほど悲しいことはありません」

「岸さんの文章は、数年に渡るセクハラ・パワハラがまるで友人、先輩としての立ち位置からの行き違いであったかのように印象を操作するような表現でしたが、実際に私が体験したこととはかけ離れています」

「今回、自分の今後の活動や人間関係への影響も考えたうえでこの件を実名で明るみに出そうと思ったのは、こういった方が業界で権力を持ち続けることで、人知れず泣き寝入りする女性が私以外にこれ以上増えないでほしいという思いからです。不正なことを正す動きが世の中に広がることを心から願っています」
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はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」


電通の対応は


電通の対応は

2015年10月に過労自殺した高橋まつりさん(当時24)。高橋さんは亡くなる前、Twitterにセクハラ・パワハラがあったとも思える内容を投稿していた。

「私の仕事や名前には価値がないのに、若い女の子だから手伝ってもらえた仕事。聞いてもらえた悩み。許してもらえたミス。程度の差はあれど、見返りを要求されるのは避けて通れないんだと知る」

「男性上司から女子力がないと言われる、笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である」

セクハラ・パワハラに甘い企業体質があるのではないかという批判は、この時にも出た。ただ、BuzzFeed Newsに証言した社員の中には「電通は変わってきている」というも声もあった。

今年春にある局長が度重なるセクハラとパワハラで専任部長(役職最下位)に降格する人事があった。局長から専任部長まで下がるのは異例だ。

外部機関に相談する窓口が設置されたり、インフォメーションが流れたり、以前に比べてセクハラ・パワハラを相談しやすい環境になったとある女性社員は話す。

告発は社内だけでなく、クライアントやプロダクションからもあがっているという。

しかし、また別の社員はこうも話す。

「降格処分はされるが、謹慎はないのか。懲戒はないのかと思ってしまう。セクハラ、パワハラをした人物に対して処罰が甘いのは事実です」

はあちゅうさんも岸氏もすでに、電通を退職している。しかし、セクハラ・パワハラの疑いは電通在籍時にあった。

BuzzFeed Newsは電通に「セクハラやパワハラがあったか認識していたか」「男性社員が相手の意に反して、女性社員を自宅に呼び出すことは問題行為であると認識しているか」などの回答を求めた。

12月14日、広報部名義で以下の回答があった。

**
1.岸氏は既に退職しているので、電通で答える立場にありません。

2.社員に関することは、個人情報であり、社として一切申し上げられません。
今後もセクハラ、パワハラに関しては厳しく指導してまいります。
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セクハラ・パワハラは業界全体の問題

冒頭に述べたハリウッドの敏腕プロデューサー、ワインスタイン氏はその地位と権力を利用し、仕返しを恐れた女性たちは長く声を上げられなかった。

電通社員からは、次のような証言もあった。

「広告業界はクリエイター信仰が強いです。岸氏が飛び切り目立っているだけで、スタークリエイターのパワハラやセクハラの噂なんて掃いて捨てるほどあります」

「テレビ局なんかもそうだと思いますが、人が資本の会社は異動や配属も人によるところが大きいので、セクハラに逆らいにくい環境があります。それを利用する悪い男がたくさんおり、一方でそれを積極的に利用する女性もいます」

この男性は「電通のような代理店は加害者にもなり、被害者にもなり得る。業界全体の問題だ」とも指摘する。

「例えば、テレビ局の偉い人が電通の若いテレビ局担当にセクハラをする。クライアントの偉い人が電通の若い営業にセクハラをする事例もあります。代理店も人によっては加害者であり、また被害者になってしまう場合もあります。ハリウッド同様、マスコミ業界全体の問題なのです」
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はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」


過去の被害を語るはあちゅうさん


「#metoo」の動きについて

世界に広がる「#metoo」の動きについて、はあちゅうさんはこう話していた。

「背中を押された気持ちになりました。岸さんのセクハラの話はもともと公に公表する勇気がなく、友人への個人的な相談のつもりでした。その方が『この話は公にするべきだ』とBuzzFeedさんをご紹介いただきました。ご紹介いただいた時点では、公表することで負う傷は、彼よりも私のほうが深いと思い、勇気が出ませんでした」

「何の後ろ盾もないフリーランスの私が、こういったことを訴えると、普段お仕事をしている相手にも迷惑をかけてしまうし、まるで復讐をしているみたいで、パブリックな印象も悪くなる。また、私の書いている本やコラムもまっすぐな気持ちで受け止めてもらえなくなる可能性もあるし、最悪、お仕事もなくなるだろうと思って迷いました」

「けれど、#metooのハッシュタグを見て、『これは私が受けてきたことと同じだ』と思えるストーリーをいくつも見つけ、みんな同じように苦しんでいて、みんな勇気を出しているのだから、自分が公表することで、今苦しんでいる誰かが『私も公表しよう』と思ってくれるのではないかと思いました」


いま性的被害に悩んでいる人に向けて

最後にいまハラスメントを受け、悩んでいる人に向けて、はあちゅうさんはこう語る。

「私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」

「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」

「私はこうやって声をあげるまでに、7年かかってしまいましたし、その間、ずっと『彼のことを許せない私が悪い』『忘れられない私が人間的に未熟なのだ』と自分を責め続けていました。BuzzFeedの記者さんに話を聞いてもらい、『それはセクハラであり、パワハラでもあります』と言ってもらえて、やっと心が楽になりました。これからはちゃんとした視点で世の中が見られるようになると思います。自分が我慢すればいいと思うと、他の人の苦しさも受け入れられなくなってしまいます。『私は我慢していたのだから、みんなも我慢すればいいのに』と私のように心が歪んでしまう前に、どうか、身近な誰かに相談してみてください」

「こういう訴えをした私が、この後どうなるのか。恐れていたように、印象が悪くなって仕事がなくなったり、面倒な人扱いされてしまうこともあるのかもしれませんが、捨て身の必死の訴えが、届く人に届けば、少しでも世の中が良い方向に変わってくれるかもしれません。そう願っています」



http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c43

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
117. 中川隆[-5766] koaQ7Jey 2017年12月17日 14:35:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月17日
Amazonドライバーが世界で過酷労働

最近良くみかけるAmazonの配送車
引用:http://livedoor.blogimg.jp/himasoku123/imgs/d/1/d1293671-s.jpg

英Amazonドライバーのブラック労働ぶり

年末年始にかけてAmazonなどネットでの商品購入が増え、物流崩壊や仕事の過酷さが、度々報道されている。

最近イギリスではアマゾンの専属ドライバーらが、過酷なノルマのために重労働を強いられていると改善を訴えている。

ドライバー達によると一日に約200個の配達ノルマがあり、1日に11時間以上働いている。


Amazonの配達ノルマは、Amazon製の専用タブレット端末に搭載されたソフトウェアが機械的に決めていて、現実とかけ離れている。

渋滞など配達を遅らせる条件は考慮されておらず、必ず遅延が発生するので、その分は長時間労働でカバーしている。

ドライバーは昼食を取ることも出来ず、休憩を取れないのでペットボルの中に尿をしていると訴えている。


イギリスのAmazonドライバーはトラックを自分でレンタルして請負業のようにやっているが、保険なども自腹になっている。

あるドライバーは経費を差し引きすると、週160ポンド(約2万4000円)の収入しかないという。

イギリスでは運転手の勤務は1日10時間までだが、実際には14時間勤務する事があり、速度違反も常態化している。


Amazonはドライバーを派遣会社から調達していて、雇用関係がなく、ドライバーには十分な報酬と休憩を与えていると説明した。

Amazonによると配達ドライバーは最低でも時給12ポンド(約1800円)支給し、ノルマなど一切無く自由に仕事をしていると言っている。

Amazonの荷物の多さを考えると「ノルマが無くマイペースで良い」はちょっと信じられない話だ。

Amazonだけが儲かる仕組み

隣りのスコットランドでは去年、エディンバラ近郊のAmazonフルフィルメントセンターの労働者が、野外でテント生活をしていると報道されていました。

地元メディアが本人に取材した映像によると、自宅はあるが100km離れていて、低賃金のため毎日通う事はできない。

またAmazonは寮を用意したり宿泊費用を出さないので、テントを張って野宿するしかなかったと説明した。


日本でも他人事ではなく、ヤマト運輸はAmazonのためにドライバーにはブラック労働を強いていたと言われている。

かつてAmazonの荷物は佐川急便・日本郵便・ヤマト運輸の主に3社で分担していたが、郵便と佐川は不採算で撤退しました。

増え続けたAmazonの荷物をヤマト運輸だけで配達した結果、ヤマトでは定期的に物流崩壊や、ブラック労働問題が発生しました。


ヤマトでは一般の荷物を1,000円以上で配達していますが、Amazonの荷物は300円以下で配達していたとも言われています。

これではドライバーの休憩時間はなくなり、残業手当が出せないのも道理で、未払いの残業代が問題になりました。

国土交通省によるとヤマトの荷物は年間約17億3千万個で、そのうちAmazonは2億5千万個でした。(2016年)


ドライバーは一日中ずっと走りっぱなしで、しかも超過残業で目を付けられているので、残業をしていないように記録の偽装までしていました。

毎日十数時間走りっぱなしだが、1個300円程度の料金なので頑張っても給料には反映されない。

そして年末年始は普段に輪をかけてAmazonの荷物が増加し、世界中で過労のドライバーが配達している。
http://www.thutmosev.com/archives/74092424.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c117

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
98. 中川隆[-5765] koaQ7Jey 2017年12月17日 15:59:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治.2017年12月15日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html


 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。

世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目


縄文時代を代表する大規模な集落跡、青森市の三内丸山遺跡。復元された6本柱の大型掘立柱建物が威容を誇る
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50003


 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。

 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。

 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。


福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功


(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=2

 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。

 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。

 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。

アジア集団の中で最初に分岐した縄文人

 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万〜8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。

 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」

 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。

分岐した時期は2万〜4万年前の間

 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万〜4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。

 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。

遺伝的に近かった出雲人と東北人

 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。


日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?

 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。

 第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。

 このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。

弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土

 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」

沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50007


 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。

 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。

 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c98

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
11. 中川隆[-5764] koaQ7Jey 2017年12月17日 16:06:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>4, >>5, >>6 に追記

「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治.2017年12月15日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html

 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。


世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目

縄文時代を代表する大規模な集落跡、青森市の三内丸山遺跡。復元された6本柱の大型掘立柱建物が威容を誇る
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50003


 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。

 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。

 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。


福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功


(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=2

 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。

 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。

 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。


アジア集団の中で最初に分岐した縄文人


 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万〜8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。

 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」

 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。

分岐した時期は2万〜4万年前の間


 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万〜4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。

 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。


遺伝的に近かった出雲人と東北人


 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。


日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。

 第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。

 このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。


弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土


 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」

沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50007


 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。

 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。

 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c11

[政治・選挙・NHK237] 不正義の国。総理も大臣も局長も嘘ばかり。しかし、不信は確実に進んでいる。不正義が横行する国に未来はない 小沢一郎(事務所 赤かぶ
12. 中川隆[-5763] koaQ7Jey 2017年12月17日 16:53:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
ウォン高円安によって、『円安は日本と競争を展開する造船、石油化学、バッテリー、鉄鋼、機械など韓国の主力輸出品目全てにマイナスだ。造船業界関係者は

「最近中国やシンガポールに大口受注を奪われたのは人件費による価格競争力の差だったが、円安が重なり、日本にもやられかねない」と表情が暗い。』

というように韓国は深刻だ。

ならば韓国もアベノミクスを見習って大幅な金融緩和すればいいのでしょうが、そうなると外貨危機が起きかねない。ウォン高と外貨危機とは矛盾しますが、ウォンを安くすると外貨危機懸念から外国からの投資が減ってしまう。中国も同じで人民元を安くすると外貨が逃げ出してしまう。だから日本の円安に追随できない。

日本は円安になっても世界最大の債権国家なので外貨の心配がない。むしろ円安が続くことでまたアメリカとの貿易摩擦が心配されますが、中国の対米黒字に隠れている。だから中国も韓国も日本の円安に対して打つ手がなく、競争力でじわじわと日本が巻き返してくるだろう。

だから必死になって中韓はアベノミクスを潰すしか手はない。

阿修羅の住人が必死で安部批判しているのは、中国・韓国の工作員ばかりだという事だな

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/282.html#c12

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
158. 中川隆[-5762] koaQ7Jey 2017年12月17日 17:33:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017/12/16 アベノミクスにやられた…韓国企業に円安ショック

 トヨタ、ホンダなど日本の自動車メーカー5社は今年1−11月に米国市場で600万3000台を売り上げた。シェアは昨年の37.2%から38.4%に上昇した。特に7−10月のシェアは48.7%を記録。米国で販売された自動車の2台に1台が日本車だった計算だ。


http://www.chosunonline.com/svc/view.html?catid=21&contid=2017121501757


一方、韓国の現代・起亜自動車の販売台数は116万9000台にとどまり、前年を10%以上下回った。日本車は韓国でも前年比25%増の3万9968台が売れ、輸入車市場でのシェアは18.8%に上昇した。


 日本メーカーが「アベノミクス」と「円安」を武器に華やかに復活している。

しかし、文在寅(ムン・ジェイン)政権の最低賃金引き上げ、労働時間短縮、通常賃金拡大など労働者寄りの政策と規制に苦しむ韓国企業は最近、円安の急激な進行でダブルパンチを受けている。

財界関係者は「日本企業は円高が追い風だが、韓国企業は手足を縛られた状態で日本企業と競争しなければならない状況だ」と漏らした。


■企業を勢いづけたアベノミクス効果

 ソニーは7−9月期の売上高が前年同期比22%増の2兆600億円だった。営業利益は実に346%増加した。ソニーは今年、6300億円の営業利益を予想しているが、過去20年で最高益となる。ゲーム大手の任天堂も4−9月に399億円を営業利益を上げ、黒字に転換した。

 2012年12月に発足した安倍政権の「アベノミクス」効果で日本の製造業が復活した。アベノミクスは規制改革と法人税引き下げといった親企業政策と円安を柱とする企業活性化策が中心だ。2013年に37%だった日本の法人税率を29.74%まで引き下げたが、最近になって米国、フランスが法人税引き下げに動くと、一時的に20%まで追加減税を目指している。

日本の上場企業による純利益は2年連続で過去最高を記録する見通しだ。失業率は安倍政権が発足した12年12月時点の4.3%から今年10月には2.8%まで低下し、23年ぶりの低水準となった。国内総生産(GDP)は今年7−9月期まで7四半期連続で伸び、日経平均は21年ぶり高値の2万3000円に迫っている。


■韓国企業に円安ショック

 一方、韓国企業はアベノミクスの円安政策で苦戦中だ。9月初めに100円=1045ウォンだった円・ウォン相場は11日には同963ウォンまで円安が進んだ。3カ月で8%も下落し、2015年12月以来の円安水準となった。アベノミクスが始まった12年末と比較すると、20%近い円安となる。韓国銀行が最近利上げを実施したのに対し、安倍政権は毎年80兆円を供給する量的緩和政策を継続する予定で、円はウォンに対し当面安値を付けそうだ。


 建国大経済学科の崔培根(チェ・ベグン)教授は「韓国は主力産業が製造業であり、最大の競争相手は日本だ。円が下落すれば、韓国は日本に価格競争力で押されざるを得ない」と指摘した。


 特に自動車への影響は大きい。現代自動車の場合、米国市場で販売が12%ダウンするなど不振で、円安を武器に世界市場を攻略する日本車にさらに押されることが懸念される。現代自グローバル経営研究所のイ・ボソン理事は「円安が始まる前の11年、ソナタとホンダアコードの世界市場でのシェア差は10ポイントあったが、今年は2%に縮小した」と述べた。

■10%円安進行で輸出4%減

 円安は日本と競争を展開する造船、石油化学、バッテリー、鉄鋼、機械など韓国の主力輸出品目全てにマイナスだ。造船業界関係者は「最近中国やシンガポールに大口受注を奪われたのは人件費による価格競争力の差だったが、円安が重なり、日本にもやられかねない」と表情が暗い。化学業界関係者は「エコカー用バッテリー市場で韓日が激しく争う中、円安は長期的に日本メーカーの価格競争力を高める」と懸念した。


 明知大経済学科の趙東根(チョ・ドングン)教授は「安倍首相は企業を後押ししているが、韓国は法人税、賃金引き上げなど企業の生産コスト上昇を招く政策ばかり打ち出している。現在輸出は好調だが、円安の影響は6カ月後の韓国経済に大きなショックを与えるのではないか」と分析した。


 現代経済研究院によると、円が対ウォンで10%下落すると、石油化学の輸出が13.8%減少すると試算されるという。このほか、鉄鋼(11.8%減)、機械(7.9%減)、自動車(7.6%減)、家電(6.9%減)、情報技術(6.9%減)など多くの主力品目の輸出も大幅な減少が見込まれる。韓国輸出入銀行は円が対ウォンで10%下落すれば、韓国の輸出が平均4.6%減少すると分析した。

全洙竜(チョン・スヨン)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/15/2017121501757.html

2017年12月17日
嫌韓・反中ブームの終焉 関心が薄くなった理由

相手が強く見えるから反発するので、弱くなったら関心もなくなる
引用:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-5f-14/imadon1101/folder/1016453/54/34236954/img_0

ゴリ押しとカウンター

2007年から2011年ごろにかけて盛り上がりを見せた「嫌韓・反中」ブームは下火になったと言われている。

かつて数十万部売れた嫌韓本や反中本はあまり売れなくなり、話題に上がる事が少なくなっている。

こうしたジャンルの本は1980年代以前から存在していたが、読者は一部の人に限られていました。


2000年代になると韓流音楽や韓流タレント、韓流映画(韓国政府が補助金を出していた)のごり押しが行われた。

テレビは朝から夜中までずっと韓流映画と韓流ドラマばかりで、音楽番組も韓流アイドルだらけ、バラエティ番組も韓流に占領されていました。

レンタルビデオのツタヤでは店の半分が韓流コーナーになり、日本中が韓流で埋め尽くされたかのようでした。


ところがこの韓流ブームは韓国政府が仕組んだ「やらせ」で、国家予算を投入して政府補助金で売り込みを掛けていました。

通常テレビ局は番組制作費用として1時間に数千万円も投入しているが、韓流ドラマはタダ同然で放送できました。

レンタルDVDも通常は店舗がDVDを市価の数倍(著作権料込み)で買い取るのだが、韓流DVDは無料でした。(レンタルされると料金が発生した)


視聴者の好みや意見とは何の関係も無く韓流はごり押しされ、特に目立ったフジテレビは反フジデモの標的になった。

中国に関しても、2000年代に中国が高度成長すると経済界や政界は中国にゴマをすり、ゴリ押し、押し付けをするようになりました。

政府やテレビが韓流や中国を押し付けるほど、当然ながら日本人の反発は強まり、それが「嫌韓・反中」ブームになった。


嫌韓・反中は政府や権力によるゴリ押しと、ゴリ押しに反発する人達によって引き起こされた。

小さくなった中国と韓国

2011年には東日本大震災が発生し、中国と韓国は他人の不幸に付け入るように、尖閣竹島・南京慰安婦で対日総攻撃を仕掛けてきた。

焚き火に薪をくべたように「嫌韓・反中」はさらに盛り上がり、ベストセラー本やネットサイトが売れに売れた。

2012年には「嫌韓・反中」を公約にしたのかは分からないが、ブームに乗って安倍首相が返り咲き、現在に至っている。


それから5年が経って嫌韓・反中は徐々に下火になっていくが、同時に韓流と中国のゴリ押しも下火になっている。

韓流ブームのピークは2011年頃だったが、テレビ枠や韓流タレントは少しずつ消えていった。

日本から韓国に旅行する韓流おばさんも減少し、入れ替わるように訪日外国人観光客が増加した。


中国の方は2008年の北京オリンピック頃を頂点として、中国が超大国になるとか、日本は中国に従うべきだというゴリ押しが行われた。

ゴリ押しの頂点は2009年の民主党政権樹立のころで、鳩山首相は通貨の日本円を廃止して中国と統一すると発表した。

そればかりではなく中国と市場を統一して、ゆくゆくは日本国も廃止して、中国と統一国家を作る考えも持っていたようです。


よくこんなのに投票した人間が居たと思うが、やはり東日本大震災を契機に、潮が引くように中国ブームは引いていった。

すると面白い事に、韓流・中国ゴリ押しが下火になると、嫌韓・反中のほうも歩調を合わせるように下火になった。

2007年頃には中国と韓国が巨大に見えていて脅威に感じていたので反発があったが、現在は気にならないほどにしか見えていないので、あまり反発も起きない。
http://www.thutmosev.com/archives/74095570.html

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c158

[昼休み53] 日本の経済の専門家は頭がおかしい 中川隆
4. 中川隆[-5761] koaQ7Jey 2017年12月17日 18:02:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2017/12/18(967号)


経済論議混迷の根源はNAIRU


卑怯な言い訳を行う経済学者とエコノミスト

デフレギャップの推計には、

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で取上げた「可変NAIRUアプローチ」という方法がある。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemplayment)とはインフレ非加速的失業率のことである。これを自然失業率、つまり長期的にインフレ率に関係なく一定水準で存在する失業者の割合と同じという見方がある。

例えば失業率が5%であっても、自然失業率が3%であれば、実際の失業率は両者の差である2%と見る。もしこの2%の失業が解消すれば、実質的に失業者はいなくなり完全雇用ということになる。またこの状態(自然失業率の3%)でさらに追加の求人があれば、賃金率は上昇しインフレになるという認識である。


日本のデフレギャップの推計はこのインフレ非加速的失業率(自然失業率と言って良い)を念頭に行われている。また潜在成長率の推計はこのデフレギャップを元に算出される。失業率がインフレ非加速的失業率まで下がればデフレギャップはゼロになると解釈される。

デフレギャップがゼロになった状態で追加的に需要が増えても、賃金が上昇するので名目GDPが増えても実質GDPは増えないという考え方がある。つまり財政政策による需要創出は物価が上昇するだけなので無駄と見なす。したがってデフレギャップがゼロに近付けば、これ以上の経済成長のためには生産性を上げるしかないと主張する。

またデフレギャップや潜在成長率は内閣府や日銀など政府の機関で算出されているので、これらは公式の経済数字として扱われる。つまりこれらの数字は日本の経済政策に深く関わっていると言える。また多くの経済学者やエコノミストも同様の手法でデフレギャップを捉えている。日経新聞などには、これらの数字を絶対的なものと見なす論説ばかりが目立つ。


特に考えが固い経済学者は、デフレギャップがゼロの状態で少しでも需要が増えると、物価が止めどなく上昇するという。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で紹介したA教授はその典型であろう。A教授は「1兆円も財政支出を増やすと日本でハイパーインフレが起る」「私のシミュレーションプログラムでは、物価がどんどん上昇し計算不能に陥る」と言って引下がらない。どうもデフレギャップがゼロの状態が「閾(しきい)値」になっているようだ(まさにルーカス方程式)。またA教授が内閣府でも働く官庁エコノミトでもあることから、内閣府の現状認識が垣間見られる。

しかし驚くことに公表されるデフレギャップがゼロに近付き、それどころかマイナスとなった(逆にインフレギャップが発生)。ところが賃金が上がらず物価も一向に上昇しないのである。これが日本経済の現実の姿である。おそらくこれらの間抜けな面々にとっては信じられないことである。

そこでこれらの経済学者やエコノミストは、極めて卑怯な言い訳を行う。例えば「同じ可変NAIRUアプローチを使っても、研究者によってデフレギャップや潜在成長率の推定値に多少幅がある」「デフレギャップがゼロになると物価が上がりやすくなるだけ(必ず上がるとは言っていない)」と言った具合である。彼等は自分達の考え(経済理論)が根本的に間違っていることは絶対に認めない。そのうち本誌でも取り上げるが、認めると「まずい」のであろう。


NAIRUが潜在成長率を決めている

まずデフレギャップを失業率、つまり労働サイドだけに偏重して算定することがおかしい。供給力を規定する生産関数は、労働・資本・生産性の三要素ということになっている。しかしこれらの経済学者やエコノミストは労働と生産性をことさら重視するが、資本、つまり生産設備についてはほとんど触れない。

これについては

02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」
http://www.adpweb.com/eco/eco276.html

で取上げた。生産関数に関し、経済企画庁時代の80年代及び90年代の労働への分配率は0.54から0.58であり、資本への分配率は、0.42から0.46であった(同じ年の両者を合計すると1.00になる)。ところが2001年度の「経済財政白書」では、資本のウエートがいきなり0.33に引下げられ、労働への分配率が0.67と大幅に引上げられている。これは伸びの低い労働(就業者数は、1970年から2000年では1.2倍にしか増えていない)への分配率を大きくしデフレギャップを小さく算定するためのトリックと故丹羽春喜大阪学院大学名誉教授は推察していた。おそらく資本軽視(労働重視)の流れは、最近もっと酷くなっていると筆者は認識している。実際のところ

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で述べたように、日本の設備稼働率は低く経済産業省の調査統計部経済解析室のIIPの稼働率指数担当者に直接聞いた話では72〜74%で推移していた。


また

02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html


で取上げたように、この話を裏付ける大手製造業に対するアンケート結果が日経新聞の02年7月8日の一面トップに掲載された。需要が増えた場合の増産方法を問うものであった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は76%の「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。おそらくこの余剰生産力は今日でも保持されていると筆者は思っている(原発が止まっても遊休状態の火力発電所を動かしたように、ある程度の余剰生産力を持っている)。

つまり日本の生産力は5〜10%程度の需要増に即座に対応できると思われる。しかも需要増による物価の上昇はほとんど考えられないのである。つまり今日のデフレギャップや潜在成長率の認識と議論は全く現実離れしている。


06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html


で述べたように政府系エコノミストはGDPの過去の実際値の平均値や、景気動向指数を使って「潜在成長率」を算出している。つまりこれでは、大きく経済が落込こみ、かつその状態が長く続いた場合、落込んだ状態が普通、あるいは正常と見なすことになる。当然、デフレギャップはものすごく小さく算出される。特に日本経済はバブル崩壊、橋本政権の逆噴射財政政策、リーマンショックなどによる急激な落込みを経験している。

しかもその正常時とやらの失業率をNAIRU(インフレ非加速的失業率)と見なしている可能性がある。特に最近の労働偏重のデフレギャップの算出方法を考えると、極端な話、このNAIRU(インフレ非加速的失業率)だけでほとんど潜在成長率も決まることになる。


これらの一連の話に表立って「異」を唱えていたのは、筆者が知る限り故丹羽教授だけであった。唯一の例外は数年前に日経新聞の大機小機欄に掲載された「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。

17/11/13(第962号)「これからの重大な政治課題」
http://www.adpweb.com/eco/eco962.html


で述べたように、虚言・妄言が溢れる日経新聞にあって、「カトー」氏は「唯一まともで良識のある執筆者」と筆者は評価している。

まず「カトー」氏は、内閣府、日銀の両方とも、潜在成長率のNAIRUを使った推計値は信頼性が低いと指摘している。次に不況によって潜在成長率が下がっていることが考えられると言う。潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きいと述べ、拡張的なマクロ政策が必要と説く。さらに「履歴効果」にも言及している(これについては来週号)。最後に「カトー」氏は消費増税などはもってのほかと締めている。
http://www.adpweb.com/eco/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/894.html#c4

[政治・選挙・NHK237] 朝日に先駆け最初に森友疑惑に気付いた彼が受賞!  赤かぶ
1. 中川隆[-5760] koaQ7Jey 2017年12月17日 18:06:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

こいつ、CIAからスキャンダル情報を貰ったんだろ:

安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った


日本では自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。

戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。

日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。

対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。

対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。
https://tanakanews.com/170910japan.htm

最近のテレビはモリカケ報道に終始していますが、印象操作が露骨になってきました。このようにしているのは官邸と官僚との権力闘争で、財務官僚などが安倍追い落しのためにスキャンダルをリークしているのでしょう。

第一次安倍内閣はそれで辞任に追い込まれましたが、今は当時とだんだん状況が似てきた。稲田防衛大臣の失言もタイミングよく出ましたが、安倍総理もなんとか手を打たないと自身に火の粉が回ってきます。豊田真由子議員のパワハラ問題もタイミングよく出ましたが、女性活躍社会と旗を振ってもなかなかうまくいかないようだ。

アメリカのメディアもトランプのロシアスキャンダルで追い込めると思ってのキャンペーンなのでしょうが、国民自身は冷めた目で見ているようだ。国民のメディアリテラシーがあるかどうかが試されますが、ネットを読まない人はテレビの印象報道に騙されてしまう。だから安倍内閣の支持率もネットを見る若い人ほど安倍内閣の支持率が高い。

日本のモリカケ報道も違反行為をしていなければ辞任に追い込むのは無理だ。これは政治家と官僚とマスコミの権力闘争であり、以前なら官僚とマスコミとで政治家を動かせたのでしょうが、今は官邸が官僚の人事を決めるようになった。マスコミにしても安部総理を辞任に追い込められなければ報復が待っているだろう。

テレビや新聞といったマスコミがプロパガンダを垂れ流す機関となってしまったのは、ネットの登場によって批判する側から批判される側になったからでしょう。日本でも朝日新聞などが誤報記事で社内処分されたことがありましたが、カネを稼ぐためには商売のために誤報記事を垂れ流します。

広告宣伝料が新聞やテレビからネットにシフトしているから、新聞やテレビ業界は営業に必死なのです。このことは日本にアメリカも変わりがなく、CNNでもその実態が明らかにされました。それでCNNの記者が3人クビになりました。記者が言うには商売のためにフェイクニュースを垂れ流している。

日本ではまだ新聞やテレビの報道を真に受ける人が多いのですが、多くがプロパガンダであり、特に選挙が近くなると溜め込んでいたスキャンダルを垂れ流します。そのようなニュースを毎月3000円〜4000円も支払って購読している。だけどだんだんと新聞の購読者も減ってきてテレビの視聴率も落ちてきている。

最近では週刊誌がスキャンダルを暴露していますが、新聞やテレビはそれらを後追いしているだけだ。それらの記事が本当かどうかはネットなどが検証していますが、新聞やテレビが報道しても読者や視聴者は以前のように真に受けなくなってきた。だからトランプ大統領もCNNをフェイクニュースと批判した。

____


官僚の流すデマに騙されるな

加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争


官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          

萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。


_____


官僚たちは人事権を事務次官が持つことによって政治家には介入させなかった。

それが内閣人事局が人事権を持つことによって、官僚の権力の源泉が失われて、これが官僚には面白くないことだった。

だから官僚たちにとっては、安倍総理は敵であり、第一次安倍内閣は官僚たちによるマスコミへのスキャンダルリーク作戦で退陣に追い込んだ。それがまさかの第二次安倍内閣の発足によって、官僚たちへの「内閣人事局」による報復が始まった。文科省の天下り問題はその一例に過ぎない。

組織の論理から言えば、官僚の人事は行政のトップである総理大臣や各省の大臣が持つのが当たり前ですが、以前は各省の事務次官が人事権を持っていた。だから官僚たちは、内閣の言うことよりも事務次官の言うことを聞いて、内閣総理大臣の言うことは面従腹背だった。

それが「内閣人事局」ができたことで、内閣総理大臣の権力は非常に大きくなった。それが官僚たちには面白くない。だからまたしてのスキャンダルリーク作戦で安倍総理の足を引っ張り出した。政治家のスキャンダルは警察や検察庁の官僚が握って持っている。豊田真由子議員もそうだし、中川俊直議員もそれでやられている。

いずれも二回生議員で安倍チルドレンとマスコミは呼んでいる。安倍総理がどこまで巻き返せるかは国民の支持率次第ですが、マスコミは連日安倍ネガティブキャンペーンを張っている。やらせているのが財務省官僚たちであり、籠池騒動の元は財務省官僚の安倍総理への裏切りにある。

このような官僚たちの裏切り行為に対して、安倍総理が「内閣人事局」を使っての報復人事が行われるだろう。まさに中堅官僚にとっては安倍総理につくか事務次官につくかの選択を迫られる事態となっている。安倍総理が踏ん張りきれれば官僚のスキャンダルリーク作戦も収まるのでしょうが、マスコミも官邸につくか官僚につくかで分かれている。

もっとも、政界でも反安倍の動きが有り、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部の動きが怪しくなっている。ここでも反安倍に舵を切った石破氏もいれば、安倍政権を支えるかで処遇も違ってくるだろう。問題は安倍政権への支持率であり、共謀罪強行採決では大きく支持率を下げた。

文科省の前川前次官が告発の記者会見を開いて抵抗しているのも、官僚と官邸との権力闘争が主体であり、人事権を取り上げられた官僚の抵抗は続くだろう。しかし安倍政権が長期化すれば官僚への人権発動で、反安倍の官僚たちは飛ばされるから官僚たちも必死だ。



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/292.html#c1

[昼休み52] 日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない 中川隆
19. 中川隆[-5759] koaQ7Jey 2017年12月17日 18:24:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治.2017年12月15日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html


日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。


第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで

第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、

第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。


「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。

第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。

第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。

 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。


世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目


縄文時代を代表する大規模な集落跡、青森市の三内丸山遺跡。復元された6本柱の大型掘立柱建物が威容を誇る
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50003


 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。

 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。

 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。


福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功


(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=2


 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。

 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。

 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。


アジア集団の中で最初に分岐した縄文人


 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万〜8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。

 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」

 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。

分岐した時期は2万〜4万年前の間


 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万〜4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。

 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。


遺伝的に近かった出雲人と東北人


 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。


日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。

 第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。

 このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。


弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土


 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」

沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50007


 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。

 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。

 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/450.html#c19

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
6. 中川隆[-5758] koaQ7Jey 2017年12月17日 18:49:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何をやるかわからない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/887.html

絶滅寸前の日本人と日本文化
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html

多文化共生とは移民がレイプしまくるのを放任する事
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c6

[政治・選挙・NHK237] 前文科次官の前川氏「教育の戦前回帰に憂慮」 京都で講演(京都新聞) 赤かぶ
3. 中川隆[-5757] koaQ7Jey 2017年12月17日 22:08:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

前川が日本の教育を滅茶苦茶にした下手人だろ:

文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店である。7月初旬のある夜、本誌もまたここで働く女性の生態を“調査”すべく、店に入った。南国のモンステラの葉が壁一面を覆う店内には、カウンター席の他、ガラスで仕切られた向かい合わせの席がある。

1時間1ドリンク付きで3500円、2時間4800円。女性は無料。ドリンク飲み放題、スナック菓子食べ放題。席に座ると、男性の手元にはピンク色のメッセージカードが置かれる。ニックネーム、職業、血液型書き、「食事」「カラオケ」「飲み」「女の子におまかせ」の4項目から1つを選択。全て記入したら店員経由で気になる女性に送る。先方がOKの場合、相席して“次の予定”を交渉する。

この夜、店内には9人の女性がいた。ミニスカワンピの20代前半から、スーツを着たアラフォーまで、さまざま。グラスを片手にスマホをいじり、男性からの指名を待つ。一晩遊ぶ男を求め、あるいは交際相手を求め、店に集った素人女性である。

「ま、多くが“ワリキリ”目的だけどね。要は、エンコー。お金のために割り切って寝ますってこと。前川さん、よく来てました。あたしも指名されたことあるんで。貧困調査なのかなぁ。教育問題とか難しい話をしてたけど。『このあと外出る?』みたいな交渉もあった。アタシは断ったけど、ついてく娘もいた」

出会い系カフェは、いわばグレーゾーンの商売であり、自由恋愛が前提になっている。出会って気に入れば自由恋愛に発展するし、気に入らなければ断ることができる。「文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店」もそのようなお店であり、話では断られることが多かったようだ。

60代のおっさんでは、よほどのことがない限りワリキリに応じてくれる子はいないだろう。あったとすれば自由恋愛ではなく個人売春に近いだろう。このような人物が文部科学省の事務次官をしていたのだ。そして何人かの子と個人売春までしていたのだろう。状況的にそうなる。
http://2013tora.jp/kabu395.html

テレビ局は捏造と偏向に狂って完全に信用を失ってしまった

今回の選挙では自民党が圧勝しているのだが、これはマスコミの偏向報道の中での圧勝だったことは記憶されてもいい。

マスコミは選挙前からずっと自民党を執拗に叩き、安倍政権を貶め、一方で野党を持ち上げて必死で見苦しい世論操作を行っていた。

たとえば、マスコミは加計問題で安倍批判をする前川喜平・前文科次官の曖昧な証言を延々と2時間33分46秒にも渡って報道していた。

にも関わらず、「安倍政権によって歪んでいた行政が正された」と語る加戸守行・前愛媛県知事の発言を6分1秒しか報道しなかった。

これを見ても分かるが、テレビ報道は自分たちの都合良く安倍批判をする人間を延々とテレビに映し出し、そうでない発言はほとんど報道しないで事実を歪めるようなスタンスである。

マスコミが登場させるコメンテーターや大学教授やジャーナリストも、見るに堪えない人間ばかりだ。

ほとんどが中国・韓国・北朝鮮の工作員ではないのかと揶揄されるような「日本と安倍首相を異常に嫌う人間ばかり」で占められており、こうした人間が好き勝手に世論を歪めている。


ひたすら安倍政権攻撃をするだけのテレビや新聞

最近ではマスコミは「マスゴミ」であると国民に吐き捨てるように言われ、テレビの都合の良い偏向報道は「報道しない自由」と嘲笑されるようになっている。

衆議院選挙の党首討論でも、報道ステーションは党首討論で半分以上の時間をかけて「モリカケ」問題に費やして、北朝鮮問題や経済政策についてはまったく議論させなかった。

中国・韓国・北朝鮮の反日にどう対抗するのか。北朝鮮のミサイルにどう対抗するのか。沖縄が侵略されつつある問題にどう対抗するのか……。

日本を取り巻くこうした問題は、今後の日本のあり方として非常に重要な問題なのだが、テレビ局は絶対にそんなものを議論させない。

テレビ局は完全に中国・韓国・北朝鮮の工作員に乗っ取られており、野党もまた同様だから、自分たちの都合の悪いことを報道するわけがない。

そこに目がいかないように、ひたすら安倍政権攻撃をする。それがマスコミの姿である。

さらに党首討論では安倍首相の発言だけが13回以上も遮られていた。安倍首相には発言させたくないという意向がありありと分かるものだった。

安倍首相の言葉を封じる動きは選挙活動でもあった。

安倍首相の演説には、共産党の放っているチンピラや極左人脈が紛れ込んでしきりに妨害するのである。

これらの人間は中国・韓国・北朝鮮の工作員ともつながっており、中には暴力団ともつながっているような胡散臭い人間どもが勢揃いしている。しかし、この実態を取材したテレビ局や新聞社はひとつもない。

テレビはこうした人間たちの正体は絶対に報道しようとしない。正体を暴くどころか、これらの反社会的勢力をあたかも普通の人のように報道して「普通の人が安倍首相に辞めろコールをしている」というような報道の仕方をする。

そして、テレビのコメンテーターが「安倍首相に対する一般国民の批判が強まっている」と、したり顔で憂慮してみせる。


希望の党が失速し、急ごしらえの党が第一野党に

テレビは安倍首相の賛同者が大勢いる中で、本当にちっぽけな一角で抗議している人間だけを大写しして、国民全員が安倍首相を批判しているような構図すらも作り出す。

「たまたま」インタビューした人は、なぜかみんな安倍首相を批判し、野党を絶賛する。

これがテレビのやっていることだ。もはやテレビ局は、工作機関と言っても過言ではない。

あまりにも偏向報道がひどいので、安倍首相の演説には「TBSは石器時代のような偏向ヤメろ」「おい、テレ朝。偏向報道は犯罪なんだよ!」というプラカードが林立して話題になった。

テレビ局はこの抗議プラカードを報道しただろうか。もちろん、報道するわけがない。ここでも「報道しない自由」を行使して、自分たちの都合の良い構図だけを切り取りして使っている。

こんなことばかりをやっているのが今のテレビ局である。

国民は、別に「与党を絶賛しろ」と言っているわけではないし、それを望んでいるわけでもない。国民が望んでいるのは中立的な報道である。しかし、今のテレビや新聞は、まったく中立的ではない。その偏向は犯罪レベルだ。

だから、「偏向報道は犯罪なんだよ!」とプラカードが立つようになっているのである。

そんな中で今回の選挙が行われたのだが、報道はやはり野党を絶賛し、持ち上げ、自民党を叩きのめすような報道ばかりに終始していた。

当初は「希望の党」を絶賛して自民党を壊滅させようと画策していたのだが、小池百合子が反日議員を排除するとマスコミは激怒して、今度は急ごしらえで作られた「立憲民主党」を絶賛する動きに変わった。

「立憲民主党」は希望の党に入れなかった人間たちが寄り集まってできた極左集団の党で、その内実はほとんど菅直人政権の人間である。

マスコミはこんな党を囃し立てて絶賛したので、選挙が終わってみれば、この急ごしらえの党が第一野党になっていたのだった。

ただし、この政党は「戦後最低数の野党第一党」であるというのを今のところ報道したテレビ局はない。


今後、まともなテレビ局が生き延びる必要がある

自民党は圧勝したが、テレビ朝日「選挙ステーション」は立憲民主党については「草の根が吹かせた風」とテロップを出して絶賛する一方で、自民党については「安倍政権ではない方がいいという人の方が多いようだ」と記者に言わしめている。

田原総一朗も「自民党が勝ち過ぎておかしい」と言って、まるで自民党に票を入れた日本国民がどうかしているような口調で話している。

自分たちが自民党を下げて野党を上げれば、国民は黙って野党に票を入れろと言わんばかりの態度であった。そうならなかったので、結果に苛立っている。

自民党が圧勝したのは、もはや国民がマスコミを信用せず、野党も信用せず、まともな政党は自民党だけで安倍首相が日本の安定を生み出しているという現実を見て判断したからだ。

ところがTBS等は、今回の自民党が圧勝した理由を「ネットのフェイクニュースで投票結果が変わっている」からだと報じている。

フェイクニュースを垂れ流しているのは自分たちなのに、ネットがフェイクニュースを垂れ流して、そのせいで国民が誤誘導されて自民党が圧勝したというのがテレビ局の「分析」なのである。

確かにインターネットでもフェイクニュースは流されているのは間違いない。たとえば、朝日新聞の記者である冨永格(ただし)という記者のフェイクニュースは有名だ。

この男は、ナチスの旗を掲げたデモの写真をツイッターに載せて、英文とフランス語で「日本人のナショナリストの東京でのデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している」と全世界にフェイクニュースを垂れ流していた。

(朝日新聞関係者のツイートも超限戦であることに気付くべき)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/08/20150804T1604120900.html

こんな記者がインターネットで胡散臭いフェイクニュースを垂れ流しているのだから気をつけなければならないが、それでも朝から晩までフェイクニュースを垂れ流しているテレビの方がもっと有害で悪質なのは間違いない。

この調子だと、マスコミの信頼はますます低下して、永遠に「マスゴミ」と国民に嘲笑され続けるばかりになる。もうテレビの時代は終わっている。

(どの角度から見ても、すでにテレビ局の時代は終わっている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170913T1700430900.html

テレビの信頼を回復するために手があるとしたら、電波オークションを早急に行って、中立的な報道ができる「まともなテレビ局」を設立することだろうか。

もうテレビの時代ではないが、テレビが生き残るのであればまともなテレビ局が生き延びる必要がある。


テレビの信頼を回復するために手があるとしたら、電波オークションを早急に行って、中立的な報道ができる「まともなテレビ局」を設立することだろうか。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/10/20171023T1822430900.html

[スレ主【仁王像】による初期非表示理由]:2重投稿(アラシや工作員によくある,ペンネーム&IP単発コメントはスレ主が処理可能)

モリカケ疑惑は北朝鮮・中国に指示されたマスコミの流したデマ
経済コラムマガジン 2017/10/16(959号)
北朝鮮の国営メディアと同じ


「報道をしない自由」を発揮

「(安倍総理は)勝手に早期解散するという独断を行った」「森友学園や加計学園を巡る問題で批判が高まり、支持率が急落した」「(安倍総理は)朝鮮半島情勢を口実に『安全保障問題』の重要性と平和憲法修正の必要性を説き・・・」。もちろんこれらは今回の解散・総選挙に関する記事である。誰でもこれらを朝日・毎日・東京といった左翼系新聞の記事と思うであろう。

ところがこれらは朝鮮中央通信の記事である。北朝鮮の国営メディアが日本の国政選挙に論評したのは、これが初めてという話である。今回の総選挙で、いかに北朝鮮は安倍政権が倒れることを強く願っているかが分る。


朝日・毎日・東京の各新聞が北朝鮮とどの程度の親密さなのか不明である。しかし朝鮮中央通信と朝日・毎日・東京の論調が全く同じであることに筆者は注目する。この記事は10月1日に日テレニュースが報じたものであるが、もちろん朝日・毎日・東京はこの記事を無視していると思われる。したがって日本の各テレビ局も取上げていないはずである(筆者も全局の番組となれば全てをチェックできない)。

このようなことを見ても今日の日本のマスコミの偏向ぶりがはっきりと分る。ところで13年の特定秘密保護法が審議されている時、間抜けなジャーナリスト達は「報道の自由が侵される」と騒いでいた。しかし日本マスコミは、重要であるが自分達に都合の悪い事柄を意図的に報道しないという卑怯な手段を用いる。つまり「報道の自由」と騒ぎながら、その裏で「報道をしない自由」を発揮している。


この日本のマスコミの姿勢がよく現れたのが加計問題の報道である。

17/8/28(第952号)「日本のテレビ局をBPOに告発」
http://www.adpweb.com/eco/eco952.html

などで述べたように、朝日・毎日・東京の三紙と各テレビ局は、国会閉会中審査での前川前文科省事務次官の発言を全面的に否定する加戸守行前愛媛県知事の国会証言をほとんど取上げなかった。信じられないほどの不平等な扱いであった。この日本のマスコミの報道姿勢に憤りを感じたの筆者だけでなかったようである。民放テレビの中でも特に偏向ぶりが目立つTBSに、500名ほどの人々が抗議のため押掛けたという(このことも報道されていない)。

加戸前愛媛県知事の証言を全く掲載しなかったのが東京新聞である。これについて東京新聞の記者が、何故、加戸証言を全く掲載しないのか詰問されている。これに対してこの記者は「何を取上げて記事にするのかは私達の判断だ」とあきれた反論をしている。しかし読者が読みたいのは「真実」であり「本当のこと」である。新聞記者の思想・心情を反映した思い込みの記事ではない。

朝日・毎日も東京新聞と全く同じ報道姿勢である。自分達の報道方針にかなった物事だけを報道するという姿勢に徹している。このように朝日・毎日・東京の左翼三紙の報道姿勢は、中国や北朝鮮の国営メディアと全く同じである。いまだにかなりの人々が加計問題について真相が分らないと言っている。安倍総理やその周辺が何か隠していることがあると疑っている。しかし加戸証言でも分るように、問題は規制を死守する族議員とこれに加担してきた文科省である(国会で安倍総理を攻撃していたのは民進党の族議員・・玉木、桜井議員)。ところが日本のマスコミがこれらをほとんど報道せず真相を隠し続けている。人々の理解が進まないのが当たり前である。


しかし加計問題に関し、どれだけ日本のマスコミが本当のことを隠し続けても真相は人々の間に徐々に浸透している。次は、日本のマスコミが人々から信用されなくなる番である。朝日・毎日・東京の三紙と各テレビ局は安倍一強体制を転覆するため、様々な情報工作を行ってきた。加計問題はその一つと筆者は認識している。

一方、マスコミは小池都知事を過剰に持上げた報道を続け、小池氏に安倍政権を倒させることを夢想していた。TBSなんかは「激動、小池劇場」という特集を、都議選まで何と毎朝放送していた。明らかに都議選への選挙干渉であった。まさにこれは小池都知事の「選挙はテレビがやってくれるのよ」発言(中山成彬氏が朝日新聞の取材に)を実証している。


ポイントは自民党の固い支持層の動向

安倍体制打倒を目的に異常な報道を続けてきた左翼三紙(朝日・毎日・東京)やテレビ局にとって、総選挙の序盤での各党の獲得議席の予想は大きなショックであったはずである。各報道機関の予想では、自民党の議席の議席は20〜30の減少に止まっている。これに対し大躍進を期待し日本のマスコミが持上げて来た希望の党は、60議席程度とまさに撃沈である。今度の総選挙での政権交代なんて冗談の極みになっている。

たしかに都民ファーストが大勝利を収め自民党が大惨敗を喫した都議選の延長線で総選挙を考えると、希望の党が候補者を立てればほとんどは当選すると思われた。だから前原民進党は、希望の党に合流したのである。ちょっと前まで、各テレビ局は政権交代のシミュレーションを連日放送していた。公示直前の週刊文春は「自民74議席減、希望の党101議席」といった記事を掲載している。政権交代に到らなくとも、安倍総理退陣が必至の選挙結果の予想である。


投票日はまだ先であるが、安倍政権の転覆を目論んできたマスコミの工作は「カラ騒ぎ」に終わりそうである。マスコミは既に戦犯探しを始めている。一つには小池都知事が立候補しなかったことを挙げ、もう一つは小池氏の「排除」発言である。結局、マスコミ人は自分達の浅はかさを絶対に認めない。

しかし先週号

17/10/9(第958号)「総選挙の結果の予想」」
http://www.adpweb.com/eco/eco958.html

で述べた通り、仮に小池氏が立候補し、また排除発言がなくとも総選挙の結果に大差はないと筆者は見る。筆者は、そもそも都議選の延長線で総選挙を考えることが大間違いと言いたい。


都議選の結果は、東京人の異常な投票行動によると筆者は指摘した。この異常な投票行動が、全国、あるいは地方に波及するはずはない。ところが浅はかなマスコミ人は、東京で起った現象は必ず全国に広がるといった完全に間違った観念を持っている。彼等は、地方の人々も東京の有権者のように簡単に操作できると思い込んでいるのである。

ポイントは自民党の固い支持層が、どう判断し、どのような投票行動を取るかである。この層はマスコミの影響を受けにくい。むしろ偏向している日本のマスコミ報道を、日頃から苦々しく思っている人が多い。加計問題でも真相を知っているか、もしくはマスコミ報道が怪しいと感じている。今回離れるとしたなら、前回、前々回の総選挙で自民党に投票した浮動層の一部と筆者は見ている。むしろ東京の自民党の固い支持層は、今度の総選挙では総じて自民党に投票すると見る。この層の人々の中には都議選なんかには興味がなく(国政選挙のみ関心がある)、都議選を棄権した者が多かったと筆者は思っている。


ネットの影響力は無視できない程度に大きくなっている。加計問題でも真相と思われる記事や文章がネットには流れている。夕刊フジのネット版(ZAKZAK)も全国で読むことができる。ほとんどのマスコミが情報工作している現状では、ネット情報がなければ本当に日本は中国・北朝鮮と同程度の暗黒国家になっていると思われる。

11月から日経新聞がかなり大きな値上げを行う。値上げでは新聞社がいつもカルテル行為を行っているので、おそらく他の新聞も値上げするのであろう。「加計問題」だけでなく、「日本の財政は危機的」といつも「嘘」をつく新聞が値上げするのである。

主要メディアの社員の平均給与はズバ抜けて高い。民放テレビの中で一番高いのは偏向著しいTBSで、平均給与が1,600万円を越えている。おそらく新聞社もかなり高いと思われる。筆者は、今回の値上げでどれだけの読者が離れるのか注目している。
http://www.adpweb.com/eco/


最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。

これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。

本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。


安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。

官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:


注目の都議選が終わり、結果は小池氏率いる都民ファーストが圧勝となりました。
候補者50人中49人が当選という快挙であり、自民党は大幅に議席を減らし大敗を喫しました。

本来、政策で争われるべき選挙が、スキャンダル叩きの様な選挙になり、本当にこれで良いのか?という疑念が有ります。

しかしまあ、今回の都議選ですが「秘書にパワハラ」「自衛隊からもお願い」「加計学園理事長からの献金」等々、狙いすましたかのように次々に出てきましたね。

出て来たというか、出されてきたというか、明らかに都議選を狙った材料放出が、どうも気になります。


官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ

アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ

官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた

都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた

安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた

アホ日本人にはそういう背景が全くわからない

スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:


日本のジャーナリズムを監視する米軍組織

 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。


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安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

モリカケ問題で安倍降ろしが始まっていますが、マスコミにも北朝鮮や中国の工作員が入り込んで工作している。石破茂というムンジェインのような受け皿も用意されたようだ。石破氏は自民党を離党したり合流したりと謎の人物だ。中国は石破氏を首相にすれば、情報は中国に筒抜けになる。


詳細は

共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html


2017年07月02日
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団


この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


2017年06月29日
加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争


官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。
引用:http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201405/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/30jinjikyoku1.jpg


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          


萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。
http://www.thutmosev.com/archives/71561248.html



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/298.html#c3

[政治・選挙・NHK237] 前川氏が安倍首相に「逃げきれるなら民主主義疑う」(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5756] koaQ7Jey 2017年12月17日 22:11:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店である。7月初旬のある夜、本誌もまたここで働く女性の生態を“調査”すべく、店に入った。南国のモンステラの葉が壁一面を覆う店内には、カウンター席の他、ガラスで仕切られた向かい合わせの席がある。

1時間1ドリンク付きで3500円、2時間4800円。女性は無料。ドリンク飲み放題、スナック菓子食べ放題。席に座ると、男性の手元にはピンク色のメッセージカードが置かれる。ニックネーム、職業、血液型書き、「食事」「カラオケ」「飲み」「女の子におまかせ」の4項目から1つを選択。全て記入したら店員経由で気になる女性に送る。先方がOKの場合、相席して“次の予定”を交渉する。

この夜、店内には9人の女性がいた。ミニスカワンピの20代前半から、スーツを着たアラフォーまで、さまざま。グラスを片手にスマホをいじり、男性からの指名を待つ。一晩遊ぶ男を求め、あるいは交際相手を求め、店に集った素人女性である。

「ま、多くが“ワリキリ”目的だけどね。要は、エンコー。お金のために割り切って寝ますってこと。前川さん、よく来てました。あたしも指名されたことあるんで。貧困調査なのかなぁ。教育問題とか難しい話をしてたけど。『このあと外出る?』みたいな交渉もあった。アタシは断ったけど、ついてく娘もいた」

出会い系カフェは、いわばグレーゾーンの商売であり、自由恋愛が前提になっている。出会って気に入れば自由恋愛に発展するし、気に入らなければ断ることができる。「文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店」もそのようなお店であり、話では断られることが多かったようだ。

60代のおっさんでは、よほどのことがない限りワリキリに応じてくれる子はいないだろう。あったとすれば自由恋愛ではなく個人売春に近いだろう。このような人物が文部科学省の事務次官をしていたのだ。そして何人かの子と個人売春までしていたのだろう。状況的にそうなる。
http://2013tora.jp/kabu395.html

テレビ局は捏造と偏向に狂って完全に信用を失ってしまった

今回の選挙では自民党が圧勝しているのだが、これはマスコミの偏向報道の中での圧勝だったことは記憶されてもいい。

マスコミは選挙前からずっと自民党を執拗に叩き、安倍政権を貶め、一方で野党を持ち上げて必死で見苦しい世論操作を行っていた。

たとえば、マスコミは加計問題で安倍批判をする前川喜平・前文科次官の曖昧な証言を延々と2時間33分46秒にも渡って報道していた。

にも関わらず、「安倍政権によって歪んでいた行政が正された」と語る加戸守行・前愛媛県知事の発言を6分1秒しか報道しなかった。

これを見ても分かるが、テレビ報道は自分たちの都合良く安倍批判をする人間を延々とテレビに映し出し、そうでない発言はほとんど報道しないで事実を歪めるようなスタンスである。

マスコミが登場させるコメンテーターや大学教授やジャーナリストも、見るに堪えない人間ばかりだ。

ほとんどが中国・韓国・北朝鮮の工作員ではないのかと揶揄されるような「日本と安倍首相を異常に嫌う人間ばかり」で占められており、こうした人間が好き勝手に世論を歪めている。


ひたすら安倍政権攻撃をするだけのテレビや新聞

最近ではマスコミは「マスゴミ」であると国民に吐き捨てるように言われ、テレビの都合の良い偏向報道は「報道しない自由」と嘲笑されるようになっている。

衆議院選挙の党首討論でも、報道ステーションは党首討論で半分以上の時間をかけて「モリカケ」問題に費やして、北朝鮮問題や経済政策についてはまったく議論させなかった。

中国・韓国・北朝鮮の反日にどう対抗するのか。北朝鮮のミサイルにどう対抗するのか。沖縄が侵略されつつある問題にどう対抗するのか……。

日本を取り巻くこうした問題は、今後の日本のあり方として非常に重要な問題なのだが、テレビ局は絶対にそんなものを議論させない。

テレビ局は完全に中国・韓国・北朝鮮の工作員に乗っ取られており、野党もまた同様だから、自分たちの都合の悪いことを報道するわけがない。

そこに目がいかないように、ひたすら安倍政権攻撃をする。それがマスコミの姿である。

さらに党首討論では安倍首相の発言だけが13回以上も遮られていた。安倍首相には発言させたくないという意向がありありと分かるものだった。

安倍首相の言葉を封じる動きは選挙活動でもあった。

安倍首相の演説には、共産党の放っているチンピラや極左人脈が紛れ込んでしきりに妨害するのである。

これらの人間は中国・韓国・北朝鮮の工作員ともつながっており、中には暴力団ともつながっているような胡散臭い人間どもが勢揃いしている。しかし、この実態を取材したテレビ局や新聞社はひとつもない。

テレビはこうした人間たちの正体は絶対に報道しようとしない。正体を暴くどころか、これらの反社会的勢力をあたかも普通の人のように報道して「普通の人が安倍首相に辞めろコールをしている」というような報道の仕方をする。

そして、テレビのコメンテーターが「安倍首相に対する一般国民の批判が強まっている」と、したり顔で憂慮してみせる。


希望の党が失速し、急ごしらえの党が第一野党に

テレビは安倍首相の賛同者が大勢いる中で、本当にちっぽけな一角で抗議している人間だけを大写しして、国民全員が安倍首相を批判しているような構図すらも作り出す。

「たまたま」インタビューした人は、なぜかみんな安倍首相を批判し、野党を絶賛する。

これがテレビのやっていることだ。もはやテレビ局は、工作機関と言っても過言ではない。

あまりにも偏向報道がひどいので、安倍首相の演説には「TBSは石器時代のような偏向ヤメろ」「おい、テレ朝。偏向報道は犯罪なんだよ!」というプラカードが林立して話題になった。

テレビ局はこの抗議プラカードを報道しただろうか。もちろん、報道するわけがない。ここでも「報道しない自由」を行使して、自分たちの都合の良い構図だけを切り取りして使っている。

こんなことばかりをやっているのが今のテレビ局である。

国民は、別に「与党を絶賛しろ」と言っているわけではないし、それを望んでいるわけでもない。国民が望んでいるのは中立的な報道である。しかし、今のテレビや新聞は、まったく中立的ではない。その偏向は犯罪レベルだ。

だから、「偏向報道は犯罪なんだよ!」とプラカードが立つようになっているのである。

そんな中で今回の選挙が行われたのだが、報道はやはり野党を絶賛し、持ち上げ、自民党を叩きのめすような報道ばかりに終始していた。

当初は「希望の党」を絶賛して自民党を壊滅させようと画策していたのだが、小池百合子が反日議員を排除するとマスコミは激怒して、今度は急ごしらえで作られた「立憲民主党」を絶賛する動きに変わった。

「立憲民主党」は希望の党に入れなかった人間たちが寄り集まってできた極左集団の党で、その内実はほとんど菅直人政権の人間である。

マスコミはこんな党を囃し立てて絶賛したので、選挙が終わってみれば、この急ごしらえの党が第一野党になっていたのだった。

ただし、この政党は「戦後最低数の野党第一党」であるというのを今のところ報道したテレビ局はない。


今後、まともなテレビ局が生き延びる必要がある

自民党は圧勝したが、テレビ朝日「選挙ステーション」は立憲民主党については「草の根が吹かせた風」とテロップを出して絶賛する一方で、自民党については「安倍政権ではない方がいいという人の方が多いようだ」と記者に言わしめている。

田原総一朗も「自民党が勝ち過ぎておかしい」と言って、まるで自民党に票を入れた日本国民がどうかしているような口調で話している。

自分たちが自民党を下げて野党を上げれば、国民は黙って野党に票を入れろと言わんばかりの態度であった。そうならなかったので、結果に苛立っている。

自民党が圧勝したのは、もはや国民がマスコミを信用せず、野党も信用せず、まともな政党は自民党だけで安倍首相が日本の安定を生み出しているという現実を見て判断したからだ。

ところがTBS等は、今回の自民党が圧勝した理由を「ネットのフェイクニュースで投票結果が変わっている」からだと報じている。

フェイクニュースを垂れ流しているのは自分たちなのに、ネットがフェイクニュースを垂れ流して、そのせいで国民が誤誘導されて自民党が圧勝したというのがテレビ局の「分析」なのである。

確かにインターネットでもフェイクニュースは流されているのは間違いない。たとえば、朝日新聞の記者である冨永格(ただし)という記者のフェイクニュースは有名だ。

この男は、ナチスの旗を掲げたデモの写真をツイッターに載せて、英文とフランス語で「日本人のナショナリストの東京でのデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している」と全世界にフェイクニュースを垂れ流していた。

(朝日新聞関係者のツイートも超限戦であることに気付くべき)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/08/20150804T1604120900.html

こんな記者がインターネットで胡散臭いフェイクニュースを垂れ流しているのだから気をつけなければならないが、それでも朝から晩までフェイクニュースを垂れ流しているテレビの方がもっと有害で悪質なのは間違いない。

この調子だと、マスコミの信頼はますます低下して、永遠に「マスゴミ」と国民に嘲笑され続けるばかりになる。もうテレビの時代は終わっている。

(どの角度から見ても、すでにテレビ局の時代は終わっている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170913T1700430900.html

テレビの信頼を回復するために手があるとしたら、電波オークションを早急に行って、中立的な報道ができる「まともなテレビ局」を設立することだろうか。

もうテレビの時代ではないが、テレビが生き残るのであればまともなテレビ局が生き延びる必要がある。


テレビの信頼を回復するために手があるとしたら、電波オークションを早急に行って、中立的な報道ができる「まともなテレビ局」を設立することだろうか。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/10/20171023T1822430900.html

[スレ主【仁王像】による初期非表示理由]:2重投稿(アラシや工作員によくある,ペンネーム&IP単発コメントはスレ主が処理可能)

モリカケ疑惑は北朝鮮・中国に指示されたマスコミの流したデマ
経済コラムマガジン 2017/10/16(959号)
北朝鮮の国営メディアと同じ


「報道をしない自由」を発揮

「(安倍総理は)勝手に早期解散するという独断を行った」「森友学園や加計学園を巡る問題で批判が高まり、支持率が急落した」「(安倍総理は)朝鮮半島情勢を口実に『安全保障問題』の重要性と平和憲法修正の必要性を説き・・・」。もちろんこれらは今回の解散・総選挙に関する記事である。誰でもこれらを朝日・毎日・東京といった左翼系新聞の記事と思うであろう。

ところがこれらは朝鮮中央通信の記事である。北朝鮮の国営メディアが日本の国政選挙に論評したのは、これが初めてという話である。今回の総選挙で、いかに北朝鮮は安倍政権が倒れることを強く願っているかが分る。


朝日・毎日・東京の各新聞が北朝鮮とどの程度の親密さなのか不明である。しかし朝鮮中央通信と朝日・毎日・東京の論調が全く同じであることに筆者は注目する。この記事は10月1日に日テレニュースが報じたものであるが、もちろん朝日・毎日・東京はこの記事を無視していると思われる。したがって日本の各テレビ局も取上げていないはずである(筆者も全局の番組となれば全てをチェックできない)。

このようなことを見ても今日の日本のマスコミの偏向ぶりがはっきりと分る。ところで13年の特定秘密保護法が審議されている時、間抜けなジャーナリスト達は「報道の自由が侵される」と騒いでいた。しかし日本マスコミは、重要であるが自分達に都合の悪い事柄を意図的に報道しないという卑怯な手段を用いる。つまり「報道の自由」と騒ぎながら、その裏で「報道をしない自由」を発揮している。


この日本のマスコミの姿勢がよく現れたのが加計問題の報道である。

17/8/28(第952号)「日本のテレビ局をBPOに告発」
http://www.adpweb.com/eco/eco952.html

などで述べたように、朝日・毎日・東京の三紙と各テレビ局は、国会閉会中審査での前川前文科省事務次官の発言を全面的に否定する加戸守行前愛媛県知事の国会証言をほとんど取上げなかった。信じられないほどの不平等な扱いであった。この日本のマスコミの報道姿勢に憤りを感じたの筆者だけでなかったようである。民放テレビの中でも特に偏向ぶりが目立つTBSに、500名ほどの人々が抗議のため押掛けたという(このことも報道されていない)。

加戸前愛媛県知事の証言を全く掲載しなかったのが東京新聞である。これについて東京新聞の記者が、何故、加戸証言を全く掲載しないのか詰問されている。これに対してこの記者は「何を取上げて記事にするのかは私達の判断だ」とあきれた反論をしている。しかし読者が読みたいのは「真実」であり「本当のこと」である。新聞記者の思想・心情を反映した思い込みの記事ではない。

朝日・毎日も東京新聞と全く同じ報道姿勢である。自分達の報道方針にかなった物事だけを報道するという姿勢に徹している。このように朝日・毎日・東京の左翼三紙の報道姿勢は、中国や北朝鮮の国営メディアと全く同じである。いまだにかなりの人々が加計問題について真相が分らないと言っている。安倍総理やその周辺が何か隠していることがあると疑っている。しかし加戸証言でも分るように、問題は規制を死守する族議員とこれに加担してきた文科省である(国会で安倍総理を攻撃していたのは民進党の族議員・・玉木、桜井議員)。ところが日本のマスコミがこれらをほとんど報道せず真相を隠し続けている。人々の理解が進まないのが当たり前である。


しかし加計問題に関し、どれだけ日本のマスコミが本当のことを隠し続けても真相は人々の間に徐々に浸透している。次は、日本のマスコミが人々から信用されなくなる番である。朝日・毎日・東京の三紙と各テレビ局は安倍一強体制を転覆するため、様々な情報工作を行ってきた。加計問題はその一つと筆者は認識している。

一方、マスコミは小池都知事を過剰に持上げた報道を続け、小池氏に安倍政権を倒させることを夢想していた。TBSなんかは「激動、小池劇場」という特集を、都議選まで何と毎朝放送していた。明らかに都議選への選挙干渉であった。まさにこれは小池都知事の「選挙はテレビがやってくれるのよ」発言(中山成彬氏が朝日新聞の取材に)を実証している。


ポイントは自民党の固い支持層の動向

安倍体制打倒を目的に異常な報道を続けてきた左翼三紙(朝日・毎日・東京)やテレビ局にとって、総選挙の序盤での各党の獲得議席の予想は大きなショックであったはずである。各報道機関の予想では、自民党の議席の議席は20〜30の減少に止まっている。これに対し大躍進を期待し日本のマスコミが持上げて来た希望の党は、60議席程度とまさに撃沈である。今度の総選挙での政権交代なんて冗談の極みになっている。

たしかに都民ファーストが大勝利を収め自民党が大惨敗を喫した都議選の延長線で総選挙を考えると、希望の党が候補者を立てればほとんどは当選すると思われた。だから前原民進党は、希望の党に合流したのである。ちょっと前まで、各テレビ局は政権交代のシミュレーションを連日放送していた。公示直前の週刊文春は「自民74議席減、希望の党101議席」といった記事を掲載している。政権交代に到らなくとも、安倍総理退陣が必至の選挙結果の予想である。


投票日はまだ先であるが、安倍政権の転覆を目論んできたマスコミの工作は「カラ騒ぎ」に終わりそうである。マスコミは既に戦犯探しを始めている。一つには小池都知事が立候補しなかったことを挙げ、もう一つは小池氏の「排除」発言である。結局、マスコミ人は自分達の浅はかさを絶対に認めない。

しかし先週号

17/10/9(第958号)「総選挙の結果の予想」」
http://www.adpweb.com/eco/eco958.html

で述べた通り、仮に小池氏が立候補し、また排除発言がなくとも総選挙の結果に大差はないと筆者は見る。筆者は、そもそも都議選の延長線で総選挙を考えることが大間違いと言いたい。


都議選の結果は、東京人の異常な投票行動によると筆者は指摘した。この異常な投票行動が、全国、あるいは地方に波及するはずはない。ところが浅はかなマスコミ人は、東京で起った現象は必ず全国に広がるといった完全に間違った観念を持っている。彼等は、地方の人々も東京の有権者のように簡単に操作できると思い込んでいるのである。

ポイントは自民党の固い支持層が、どう判断し、どのような投票行動を取るかである。この層はマスコミの影響を受けにくい。むしろ偏向している日本のマスコミ報道を、日頃から苦々しく思っている人が多い。加計問題でも真相を知っているか、もしくはマスコミ報道が怪しいと感じている。今回離れるとしたなら、前回、前々回の総選挙で自民党に投票した浮動層の一部と筆者は見ている。むしろ東京の自民党の固い支持層は、今度の総選挙では総じて自民党に投票すると見る。この層の人々の中には都議選なんかには興味がなく(国政選挙のみ関心がある)、都議選を棄権した者が多かったと筆者は思っている。


ネットの影響力は無視できない程度に大きくなっている。加計問題でも真相と思われる記事や文章がネットには流れている。夕刊フジのネット版(ZAKZAK)も全国で読むことができる。ほとんどのマスコミが情報工作している現状では、ネット情報がなければ本当に日本は中国・北朝鮮と同程度の暗黒国家になっていると思われる。

11月から日経新聞がかなり大きな値上げを行う。値上げでは新聞社がいつもカルテル行為を行っているので、おそらく他の新聞も値上げするのであろう。「加計問題」だけでなく、「日本の財政は危機的」といつも「嘘」をつく新聞が値上げするのである。

主要メディアの社員の平均給与はズバ抜けて高い。民放テレビの中で一番高いのは偏向著しいTBSで、平均給与が1,600万円を越えている。おそらく新聞社もかなり高いと思われる。筆者は、今回の値上げでどれだけの読者が離れるのか注目している。
http://www.adpweb.com/eco/


最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。

これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。

本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。


安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。

官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:


注目の都議選が終わり、結果は小池氏率いる都民ファーストが圧勝となりました。
候補者50人中49人が当選という快挙であり、自民党は大幅に議席を減らし大敗を喫しました。

本来、政策で争われるべき選挙が、スキャンダル叩きの様な選挙になり、本当にこれで良いのか?という疑念が有ります。

しかしまあ、今回の都議選ですが「秘書にパワハラ」「自衛隊からもお願い」「加計学園理事長からの献金」等々、狙いすましたかのように次々に出てきましたね。

出て来たというか、出されてきたというか、明らかに都議選を狙った材料放出が、どうも気になります。


官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ

アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ

官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた

都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた

安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた

アホ日本人にはそういう背景が全くわからない

スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:


日本のジャーナリズムを監視する米軍組織

 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。


____


安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

モリカケ問題で安倍降ろしが始まっていますが、マスコミにも北朝鮮や中国の工作員が入り込んで工作している。石破茂というムンジェインのような受け皿も用意されたようだ。石破氏は自民党を離党したり合流したりと謎の人物だ。中国は石破氏を首相にすれば、情報は中国に筒抜けになる。


詳細は

共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html


2017年07月02日
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団


この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


2017年06月29日
加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争


官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。
引用:http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201405/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/30jinjikyoku1.jpg


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          


萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。
http://www.thutmosev.com/archives/71561248.html



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/302.html#c1

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
514. 中川隆[-5756] koaQ7Jey 2017年12月17日 22:25:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

当たらない相場予測や予言にすがるよりも、もっと良い方法


2012年、「アメリカの時代は終わり、ドルは紙切れになって新しい通貨になり、アメリカの株式市場は大崩壊する」と言われていた。全部、嘘だった。

2013年、相変わらずアメリカの時代は終わって株式市場が大暴落すると言っていた人がいるが、逆にアメリカの株式市場はここから大暴騰をスタートした。

2014年も2015年も2016年も、政治家や大学教授や証券屋が相変わらず「金融市場は暴落する、円高になる」と言っていたが全員外れた。

どこかの金融業界出身の男は「2016年夏、最後のバブル終焉。第二のリーマンショックが始まる」と本まで出して「2017年 超恐慌時代の幕が開く」と言っていたが外れた。

未来からの警告! 2017年 超恐慌時代の幕が開く – 2016/4/26 塚澤健二 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%AD%A6%E5%91%8A-2017%E5%B9%B4-%E8%B6%85%E6%81%90%E6%85%8C%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%B9%95%E3%81%8C%E9%96%8B%E3%81%8F-%E5%A1%9A%E6%BE%A4-%E5%81%A5%E4%BA%8C/dp/4087860671

(著者)塚澤健二(つかざわ・けんじ)
1960年生まれ。経済アナリスト。(社)日本証券アナリスト協会検定会員。
北海道大学工学部卒業後、理系出身アナリスト第1号として、日興リサーチセンターに就職。ジャーデン・フレミング証券、J.P.モルガン証券などで、23年にわたりトップクラスのアナリストとして活躍。2007年10月に独立し、講演活動や投資コンサルタント業務で活躍。

独自の経済予測モデル「T2」による経済分析の的確さ、未来予測の的中率の高さで人気を集めている。経済・投資の真実を伝えることをテーマにした塚澤.comを主宰。
______


2017年と言えば、トランプ大統領が就任して株式市場は大暴落すると多くの人が予測したがこれも外れた。2017年の株式市場は大暴騰だった。

2017年の後半は北朝鮮の地政学リスクで株が大暴落するという予測も流れたがこれも外れた。2017年の後半から株式市場はますます上げていった。

では、これからどうなるのか。

自分の予測通りに上がったり下がったりしない

相場がどうなるのかは誰にも分かるわけがない。予測しても、予言しても、直感しても、分析しても無駄だ。相場の未来は何も決まっていないので、起きると思ったことは起きず、起きないと思ったことは起きる。

現在、アメリカの株式市場は好調だが、上がり続ける相場はないのだから、いずれはどこかで暴落する。しかし、いつそうなるかなど誰も分からない。自分の予測通り、都合良く上がったり下がったりしない。

「相場のことを何でも知っている人がいる」とか「相場を動かしているのは超エスタブリッシュメントで、彼らは思う通り相場を上げたり下げたりすることができる」とか考えている人もいるが、それは子供っぽい誤解だ。

金融市場の動きを正確に見通すことができる人はいない。当然だ。市場というのは膨大な要因が絡み合って動いており、そういった要因をすべて予期でいる人など誰もいないからだ。

そうすると、ここで考えなければいけないのは、経済動向で「誰か」が偉そうに何かを言っていたとしても、そんなものは何の役にも立たないし、信じる必要性すらもないということだ。

たとえば、株式市場が今後上がるのか下がるのかは、誰かがいかにも何かを分かっているフリをして解説していたとしても、その人が市場を見通すことはできない。

なぜなら、その人の知らない要因が裏で着々と動いているかもしれないし、タイミングを外しているのかもしれないし、そもそも前提が外れているかもしれないからだ。

すべてが分かれば、誰もが超億万長者になっている。誰もがそうなっていないというのは、要するに誰もが先のことは何も分からないまま、株式市場に参加しているというひとつの証明である。

これは投資銀行でトレーダーをやっている人間でも、経済学でノーベル賞をもらった博士でも同じだ。

みんな新理論、知性、資金、頭脳を注ぎ込んで株式市場に乗り込んでいるが、そこには死屍累々の惨状が目の前に広がっている。たまたま当たって波に乗る人もいるのだが、波は急に変わり、急に止まり、急に逆流する。

だから、突如として多くの人たちが破綻していくのである。

客観的に見ると、誰もが市場の動向など分かっていないということだけが分かる。「市場の動きを読んで云々」という人の言い分だけは聞かない方がいい。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171217T1442370900.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c514

[番外地7] 統合失調症患者の「声」との闘い 中川隆
2. 中川隆[-5761] koaQ7Jey 2017年12月18日 07:24:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

幻聴か独語か Dr林のこころと脳の相談室
http://kokoro.squares.net/?p=6497

1

【3535】無意識の独り言を幻聴だと勘違いしていた の質問者は次のように述べている。

息を止めてみたところ幻聴が収まり、口を閉じて、鼻で呼吸することにより幻聴はなくなるということを発見しました。幻聴が聞こえているとき、リラックスして半開きになった口の近くにボイスレコーダーを押し当てて録音してみたところ、自分の考えに合わせて不規則に変化する声に聞こえる息が録音されました。どうやら、自分の口の無意識の動きによって発生する独り言を他人が言っているものだと勘違いしていたようです。

すなわち幻聴と独語の混同。統合失調症におけるこの現象は、実はかなり前からよく知られている。たとえば 『安永浩 著作集 4 症状論と精神療法』に収載の『分裂病の症状論』(1978年)という論文中に次のような記載がある。以下、太字はこの論文からの引用である。

p.31
ある患者は「”幻聴”をテープにとってきました・・・・・」と録音テープを持参した。テープを聞いてみると、実際にささやくような声が録音されているのである。「どうやってこれをとったのか?」という問いに対して、彼はマイクを自分ののどにあててとったのである、と答えた。改めて聞きただすと、彼はそこに録音されているのが自分の声でると認めた。しかしそれは自発的にしゃべった言葉ではなく、外力に操られて「しゃべらされた」言葉なのだ、というのであった(させられ体験)。しかもこの患者は、最初は自ら”幻聴”といっていたのである。この例の場合、幻聴と”させられ独語”とは、本人にとってそれほどに区別できない一塊の体験であったことがわかる。

この患者には独語がある。まずこれが出発点としての客観的事実である。一方、患者の主観としては幻聴がある。主観体験の有無は本人にしか判断できない以上、これもまた事実である。そして実際には、客観的事実である独語と、主観的事実である幻聴は、同一の現象だったことがわかった。この患者はそれに気づいた・・・という表現は厳密には正確ではない。彼は「”幻聴”をテープにとってきました」と言っているのである。それが独語であることを医師から指摘されて認めたという形である。【3535】はこれに似ているが、「自分の口の無意識の動きによって発生する独り言を他人が言っているものだと勘違いしていたようです」と自分から気づいているという点が、安永のケースとの一つの大きな違いである。もう一つの大きな違いは、安永のケースは「外力に操られて「しゃべらされた」言葉なのだ」という、「自分の意志ではなく、外部からさせられた」という体験であるのに対し、【3535】はそうではない。したがって【3535】は ”させられ独語”とは言えないが、「”自分の意志で喋っている”という自覚がない」とまでは言える。つまり独語が自分の意志によるものではないという意味では共通点がある。言い換えれば(独語という)行為の起点が自己ではないという意味では共通点がある。

同様の現象は 【3532】妻の独語がまったくおさまりません にも見られている。すなわち【3532】の独語は、

機械から私に情報が送られてくるといって日常に関係があることを自分の知っている人が言っている形で独り言を続ける

という形を取っており、これは(独語という)行為の起点が自己ではないという意味では安永のケース及び【3535】と共通しており、その起点が外部にあるという点では安永のケースと共通しており、さらにその外部の起点を「機械から私に情報が送られてくる」と述べることで、いわば、より「妄想らしさ」が感じられる症状になっている。

【3533】勝手に口が喋る。馬鹿にされている。見られている。BDSMの嗜好。の体験にはこの「機械」にあたる要素はないが、(独語という)行為の起点が自己ではないという点は共通している。次の通りである。

・ 自分は言いたくないのに、勝手に口が喋ってしまう(心では、そんなこと言いたくない!違う!!と思っているのに、口が私を無視して話してしまう)
・ 自分が何を話しているのか理解できない時がある(これも、勝手に口が喋っています。私自身が自分の意志で話しているという意識はありません)

2

安永の論文からの引用に戻る。

p.31
実際、独立に”させられ独語”を訴えている患者はしばしば同時に”幻聴”の形の訴えをもっている。ときにどちらかのニュアンスがはっきり前景にでるとはいえ、根本において幻聴で聞かれる内容は、同時に内語として発語されているのであることをうかがうに足る。

幻聴とは何か。それは、本来は自分の考えている内容、ないしは内言語が、外部から聞こえると体験される — すなわち、外部の空間に定位されたものである。ここまでだと理論的考察にすぎないが、独語と幻聴の区別が曖昧なケースが示されると、この理論的考察が説得力を持ってくる。上記「幻聴で聞かれる内容は、同時に内語として発語されているのであることをうかがうに足る」はこのことを述べている。
安永のケースも【3535】も、幻聴か独語かを本人は明確に区別できない(または、できなかった)例であるが、さらには、そもそも幻聴や独語があるのかないのかもよく自覚できない場合も統合失調症では少なからずある。

たとえば【3194】自分に幻聴があるかどうかわからないですの質問者は

私に幻聴や独語はあるのでしょうか?
診察の時、なんて答えたらよいのでしょうか?

と困惑している。他方、

通院を開始したのは24歳のとき。でも前の主治医はいうには、中学2年生ぐらいから自分に語り掛ける幻聴があったみたいだねと言われています。

という記載からは、医師が診察すれば、幻聴があったことは明らかであることが窺われる。
ここで注意すべき点は、この場合、「医師が診察」といっても、何かハイテクな技術が適用されたわけではないことである。幻聴の有無の診断材料は本人の話以外にはあり得ない。ということは、医師との対話の中で幻聴体験を自分の口で語っているにもかかわらず、それでも本人は、自分に幻聴があったか否か、明確にはわからないのである。

【3194】にはその後の経過がある。【3355】複数の人がざわざわと話している声が聞こえる である。そこにはこう記されている。

よくわからなかったのですが聞こえるという事はこういう事なんだと思いました。

主観的なレベルでは、【3194】では幻聴は明確でなく、【3355】では幻聴は明確である。このような場合、【3194】と【3355】のどちらの時点のほうが病態が進んでいるかという判断は慎重にくだす必要がある。仮に単純に(自覚的な)「幻聴の有無」を指標にするならば、【3355】のほうが重い、すなわち病態が進んでいるということになろう。だが、「それまでは幻聴と認識できなかった体験を、幻聴だと認識できるようになった」のだから、むしろ症状は軽くなったのだという全く逆の解釈もできる。個々の症状の有無や症状の個数だけに着目する重症度判定法のナンセンスさをここに見出すことができるが、それはともかくとしてこの【3355】では、さらに次のような症状が現れている。

それともう1つ気になる事は、職場の同僚が私のことをよく思っていないということ
です。話題にしたり噂になったりして気になります。

統合失調症に非常によく見られる典型的な症状がここに来て現れている。この情報が加わることで、【3355】の病態が【3194】の時期より進んでいるという判定を導くことができる。

3

独語のテーマに戻る。安永論文の”させられ独語”についての記載の続きはこうだ。

p.31
この発語は、実際に高声の独語になるものから、ほとんどつぶやく程度のもの、さらには舌、のどのわずかに動く程度のもの(客観的には、幻聴に相当する現象をさして「舌が動いてしまう」という患者はまれでない)を経て、機械的検出装置によってのみ発声筋の活動を検出できる段階に至るまで、連続的に移行している。

【3535】は「リラックスして半開きになった口の近くにボイスレコーダーを押し当てて録音してみたところ、自分の考えに合わせて不規則に変化する声に聞こえる息が録音されました」であるから、安永のいう連続的に移行する段階の中の「舌、のどのわずかに動く程度のもの」と「機械的検出装置によってのみ発声筋の活動を検出できる段階」の間に位置するとみることができる。
そして

p.31
「”声”がうるさい」と訴える患者に「自分ののどをつまんでおさえてみよ」と教示したところ、少なくともそのあいだだけは「”声”がとまった」と述べた患者もある(土居)。

【3535】の「息を止めてみたところ幻聴が収まり、口を閉じて、鼻で呼吸することにより幻聴はなくなる」という体験は、上記土居のケースと本質的に同じ現象であろう。

p.31
そもそも”独語”は客観的に外から見つけやすい症状であって、病症のいろんな時期にみられる。慢性者の病棟などでぶつぶつ何かつぶやいている患者をみるとき、幻聴があるな、と察するのは経験者には周知のことであるが、これは単純に想像されるような声の主との対話では必ずしもない(もちろんそういう場合もあるが)。

上記「経験者には周知」の「経験者」とは、統合失調症というものを一定以上観察した経験ある者(家族、医療者など)を指している。本人の主観の中では幻聴という「声」と対話しているのだが、客観的には「声」は存在しないので、客観的に観察される症状としては「独語」になる。確かにそういうケースはある。だがここでのポイントは「単純に想像されるような声の主との対話では必ずしもない」という部分である。独語という症状は時に不気味で理解し難いものであることから、「独語=幻聴との対話」と整理したくなるし、そう説明すれば納得されやすい。しかし統合失調症の独語とは必ずしもそういうものではない。というより、幻聴との対話 は独語のある一つの型にすぎないのであって、決して典型ではない。独語に限らず、統合失調症の症状を健常者が追体験できる範囲で理解しようとすると、統合失調症という病気の本質を見誤ることになる。

p.32
実際にはかなりいろんな場合があって、文字どおりのひとり言の場合もあろうし、”させられ独語”という自覚形態の場合があり、さらに本人としては独語というより幻聴として体験されていて、自分の口の動きには気づいていない場合がある。さらにはこれらの区別そのものが本人自身明確になされていないのではないか、と思われるような場合もまた多い(小倉参照)。

「小倉参照」と示されているのは 1965年に小倉日出麿が発表した『独語症状の研究』と題された論文である(精神神経学雑誌 67巻12号 1187-1196)。その論文の中にはいくつもの実例の紹介とともに、次のような記述がある。

「対話形式の独語では幻覚は客観化されたもので、独語は自我に意識され得るものといえるが、この体験の区別は必ずしも明確でなく、幻覚と独語は混乱して体験されることもある。即ち、独語していてもそれを意識することなく、幻覚として体験する場合もある」

「幻聴と独語は同一事象の両面といえる。従来から「独語」は低い声で語るのを聞くところに成りたつ」(Baillarger)ともいわれる。」

また、次の記述は前記【3533】の「自分は言いたくないのに、勝手に口が喋ってしまう(心では、そんなこと言いたくない!違う!!と思っているのに、口が私を無視して話してしまう) 」に一致するものである。

「独語症状の認められる患者で、自己の体験を反省して供述できるものも少なくない。独語に伴う主体的体験の第一は主体の意志に反して独語が語られ、口を衝いて出るという強迫-衝迫(obsession-impulsion)である。」

そして、

「衝迫性独語は時としては、他人から聞かれている、察知されると体験されるものである。このように思考、言語は自我の能動的支配から脱して外界へ伝播し、客観化される傾向をもってくる」

これは本稿4に後述の【3296】自分の考えを口に出して漏らしているような気がする という体験に重なるものである。

4

本稿、「幻聴か独語か」と題した。幻聴と独語の境界はときに曖昧である。というより、「幻聴」と「独語」は、観察される症状を理解しやすいように恣意的に別々の言葉を割り当てたにすぎないのであって、本質的には同じ症状なのではないか。少なくとも症状発生の根本にある「何か」は共通しているのではないか。ここからさらに敷衍すれば、多彩に見える統合失調症の症状すべてに共通する「何か」が見えてくる。たとえば「自分の考えが人に伝わる」という考想伝播。最近では「サトラレ」と表現されることも多い(【0790】私はサトラレです、【2208】友達が、サトラレで悩んでいます など)、統合失調症に典型的なこの症状にも、独語-幻聴-考想伝播 という一連の流れが透けて見えるケースがある。
たとえば

【3296】自分の考えを声に出して漏らしているような気がする

2年ほど前から自分の考えが人に伝わっている、というか、実際声に出ていて周りに聞こえているのではないか? と思うようになりました。

この短い記載の中に、まさに独語-幻聴-考想伝播の要素を見出すことができる。
この【3296】の質問者はさらにこう述べている。
周りに聞こえたのではないか?と思うときは、自分が何か嬉しいことやテンションが上がる出来事があったときに、自分では心の中で声を出したつもりなのに周りに聞こえているかもしれないせいで見られる時です。

.
「見られる」。統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴えである。

【3296】はさらに次のように述べる。

今少し声がでちゃったのかな?とも思うのですが、それならそうと友達であれば「なに?」とか「なんか言った?」 と言うのでしょうが、私を見てくる人はさして仲良くもない仕事関係者だったり通りすがりの人に限っています。

.
「通りすがりの人」が「私を見てくる」。これもまた、統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴えである。ここの【3296】のケースにおいては、 (1) 通りすがりの人が自分を見る  (2) それは自分の考えがばれているからではないか (3) すると私は自分の考えを無意識に口に出しているのではないか という論理構造で症状が形成されているように見え、すると(1)が出発点なのではないか(実際に見られていたかどうかはともかく、本人の主観の中では見られていると感じられたことが出発点なのではないか)と推定したくなるが、これは独語を幻聴との対話であるとする前記解釈と同様の推定で、このような通俗心理学的解釈は、統合失調症という病気の理解では禁物である。もちろん仮説としてなら価値がある。その仮説は正しいかしもれない。だが正しそうに感じられる、自然な理解として納得できる、という理由で、その仮説を正しいものとして採用するのは軽率である。
【0717】寝言を盗聴されている気がしますも【3296】に類似している。

数ヶ月前から、盗聴されている気がしてなりません。
お恥ずかしい話ですが、頭の中で性的なことを考えていて、それを寝言でいい、職場の人がそれを盗聴して自分のことを笑っている気がするのです。
 最近では寝言を聞かれているのを見越して、頭の中で盗聴している人たちのことを口汚く罵り、それを寝言で言って不愉快な思いをさせてやろうと考えています。そうしないと我慢がならないのです。

「自分の考えている内容」が「外に出る」ため「人が反応している」という構造は【3296】と全く同じである。
「外に出る」が【3296】では独語、【0717】では寝言という形を取っている。独語は発せられれば直ちに人に聞かれるが、寝言はそうではないので、【0717】では「盗聴」という中間項が挿入されているとみることができよう。
「自分の考えている内容」は様々なものがあり得るが、【0717】では「性的なこと」であるため、それを知った人の反応は「自分のことを笑っている」になっている。そして対抗手段として「頭の中で盗聴している人たちのことを口汚く罵り、それを寝言で言って不愉快な思いをさせてやろう」と考えている。【0717】は「自分の考えている内容」が「外に出る」が寝言という形を取っているため、対抗手段も寝言が活用されているが、もし「外に出る」が独語という形を取っていた場合には、攻撃的な独語という手段になっていたであろう。
以上のような症状構造分析はそれなりにもっともらしいものだが、しかしこれもまた仮説にすぎない。但し、統合失調症という病気が治療されずに悪化していけば、攻撃的な独語が発せられたり、言葉だけでなく攻撃的な行動が生まれることがあるのは事実である。

5

前記の通り、「幻聴」にしても「独語」にしても、それらは、観察される症状を理解しやすいように恣意的に別々の言葉を割り当てられているにすぎない。そもそもある現象に(症状とは限らない。現象一般)言葉を割り当てる、すなわち名前をつけるとはそういうものであって、言葉にした途端に本質からの逸脱が始まることは否めない。「幻聴」は統合失調症の症状として最もわかりやすいものの一つであるが、「幻聴」という言葉のために、かえって病気への気づきが損なわれる場合もよくある。【1072】幻聴がなくても統合失調症ですかはそんな一例である。【1072】の質問者は次のように述べている。

Q: 医師から統合失調症と診断されている、20歳の女性です。
お聞きしたいことは、本当は私は統合失調症ではなく人格障害なのではないかということです。
現状は、
・自分の心の中が周囲の人に知られている。きこえている。
・他人の会話の内容がすごく気になる。
・音に対して敏感。
・人や物に自分の思考を吸い取られそうで怖い。
・働いていないので、食べることに罪悪感がある。
・自分が演技しているみたいに感じる。
・周りの人が私を追い込もうとする。私を騙す。
・他人の言動が自分のことを指しているのではないかと思う。
・人を信じられない。嫌われていると思う。
上記の通り、幻聴はありません。なので、自分は人格障害だと思うのです。

【1072】の回答の通り、このケースが統合失調症であることは間違いないが、「幻聴」という言葉へのとらわれが、「幻聴がなくても統合失調症ですか」という質問(診断への疑問)を生んでいる。
前述の通り、統合失調症の「幻聴」とは、
本来は自分の考えている内容、ないしは内言語が、外部から聞こえると体験される — すなわち、外部の空間に定位されたもの
であって、聴覚性の有無は本質ではないのである。現に、「聞こえているのか自分が考えているのかよくわからない」とか「声ではなく考えが入ってくる」というような訴えは統合失調症の、特に初期にはよくある。
【1290】声ではなく気持ちがわいてくると言う10歳の息子は統合失調症でしょうかでの

「心の中の悪いやつが・・・・・と言っている」と言うことが増えてきた。ただし、これは前に書いたように第三者の声が聞こえてくるときもあるが、ほとんどはそのような気持ちがわいてくるような感じということでした。

.

という体験も同種のものである。もっとも、10歳という年齢での統合失調症の診断はかなり難しいが、この【1290】の体験は統合失調症の診断を強く推定させるものである。(なおこのケースは気持ちが「わいてくる」というのは慎重に判断すべき表現である。自分の中に「わいてくる」という表現は健常者でもしばしばある。これが「入って来る」となれば、かなり統合失調症らしいと言えるが、「わいてくる」だけだと何とも言えない。だがこの【1290】では、「第三者の声が聞こえてくるときもある」ことから、「わいてくる」も統合失調症らしい体験であると推定することができる。(安永も次のように記載している: p.33 自分の中の現象という自覚は保たれながら感覚性としては知覚形態に近づくという類の現象がある)

6

独語は自己が発する言葉として自覚される。すなわち起点は自己である。
幻聴は他者が発する言葉として自覚される。すなわち起点は他者(または非自己)である。
【3535】や安永のケースでは、独語と幻聴が混同されている。起点が自己である独語の、その起点が逸脱して自覚され、幻聴として体験されている。
それが行為であれ、思考であれ、自分の行為は自己が起点であり、自分の思考は自己が起点である。これはあまりに自明であるため通常あえて意識されることはないし、自分の行為や思考の起点が自己でなくなるなどということは考え難いことだが、その考え難いことが発生しているのが統合失調症である。起点の逸脱。それを自我障害と呼ぶこともできる。

7

表象と知覚。
自分が考えていること。それがある意味内容であれ、言葉で表したものであれ、視覚的なイメージであれ、それは「表象」である。先の「起点」という語を用いるならば、表象の起点は自己である。
知覚は外部からのインプットである。知覚の「起点」は非自己である。
表象と知覚の起点は健常では截然と分離している。両者を混同することはあり得ない。統合失調症ではこの起点をめぐる障害が発生する。それは「表象の擬知覚化」である。
統合失調症の最もわかりやすい症状の一つである幻聴。それもまた表象の擬知覚化である。すなわち、「自分の考えた内容」という表象が、主観の中では「外部から聞こえる声」に擬知覚化する。

そして、【3535】や安永のケースでは、表象からの擬知覚化の中間項に独語が挿入されている。言い換えれば、幻聴も独語も、表象の擬知覚化という症状を構成する要素にすぎない。

前記【3296】の「通りすがりの人」が「私を見てくる」という、統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴え。【3296】についての前述の通俗心理学的解釈(仮説)の正否はともかく、これもまた表象の擬知覚化として理解できる現象である。すなわち、「通りすがりの人が自分を見ているように思う」という表象にすぎないはずのものが、本人にとっては「実際に自分を見ている」というように擬知覚化している。

前記【3355】に、

それともう1つ気になる事は、職場の同僚が私のことをよく思っていないということ
です。話題にしたり噂になったりして気になります。

という統合失調症に非常によく見られる典型的な症状について、【3355】の回答で私は

それも幻聴といっていいでしょう。「職場の同僚が私のことをよく思っていないような気がする」という段階が関係念慮または関係妄想、そしてそれが「話題にしたり噂になっているのが聞こえる」という段階になれば幻聴があるということになります。

と説明した。この説明はもちろん間違いではないが、「関係念慮または関係妄想」も「幻聴」も、表象の擬知覚化という意味では同じものである。そして実際の臨床での患者の症状も、それが「関係念慮または関係妄想」なのか「幻聴」なのかは区別がつきにくいことは非常によくある。両者は互いに移行するといってもよい。

8

ところで、「擬」知覚化というのは、第三者から見てのことであって、本人にとっては「擬」が外された「知覚化」である。さらにいえば「化」も外された「知覚」である。「知覚」そのものである。だからこそそれが幻聴だとか妄想だとか説明されても、またどんな証拠を示されても納得しない。本人にとってはまごうことなき「知覚」だから。それが統合失調症の病識欠如の基盤にある重要な要素である。サトラレは病気の症状であるという説明が【3099】 のように 私は、私の思ったことや考えたことが他人に聞こえる、いわゆる「サトラレ」です。100%統合失調症ではありません のように頑として受け入れられないのは、また、幻聴が幻聴であるという説明が【3513】林先生の答えには納得できません。悪口を言われているのは事実です のように頑として受け入れないのは、「表象の擬知覚化」が本人にとっては「知覚」そのものだからである。(もちろん病態の重さによって病識にもレベルがある。【3158】病識の無さのレベルについて参照)

「表象の擬知覚化」は先の安永の論文中にある表現である。「起点の逸脱」という表現自体は同論文にはないが、「起点」という語を使った説明はある。

p.37
幻聴の”内容”は本来の思考と平行的に存してその傍流をなす思考であるようにみえる面と、本来の思考とむしろ一体であるようにみえる面とがあるが、いずれにせよ本来能動的な或る思考、内語運動の発動に由来しているようにみえる。ただその起点たるべき部分の定位が自我中心とずれて知覚される、とでも表現されるべき事態がそこにあるのではなかろうか。

これが、統合失調症の症状を統一的に説明する、安永の壮大なファントム理論につながっていくのであるが、メモとして書き始めた本稿、すでにほぼ1万字になってしまった。ここまでとする。

付記
本稿のタイトル「幻聴か独語か」は、実のところ意味に乏しい問いである。いや、もちろん現象レベルでは意味がある。幻聴と独語は別の現象である。だがどちらも「起点の逸脱」という単一の障害の表れである。さらには統合失調症のいかなる症状も「起点の逸脱」が様々に形を変えて表れているものにすぎない。おそらく。
http://kokoro.squares.net/?p=6497
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/307.html#c2

[番外地7] 統合失調症患者の「声」との闘い 中川隆
3. 中川隆[-5760] koaQ7Jey 2017年12月18日 07:26:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

連合弛緩 Dr林のこころと脳の相談室
http://kokoro.squares.net/?p=6591

1

連合弛緩は統合失調症にきわめて特徴的な症状で、古くはブロイラーが統合失調症の基本障害であると位置づけている。
だが連合弛緩は実に説明のしにくい症状である。
精神科ポケット辞典(弘文堂)には次のように記されている。

ある表象が別の表象を意識に呼び起こしたり、この過程を助けることによって要素的な精神内容が統合することを連合という。このような意識内容の意味のある結合が障害されて弛緩した状態を連合弛緩という。

これは正確な説明であっても、抽象的でよくわからない。もっと具体的に言ってくれと言いたくなるであろう。
そもそも「意識」とか「精神内容」というのはその人の内界にあって外からは見えないものなのだから、たとえこの説明が完璧に理解されたとしても、ではそれが目に見える症状としてどう現れるかを理解するのはまた別の問題である。
通常、精神内界はその人の発する言語の中に表出されると考えることになる。
そこで現代の診断基準であるDSM-5には、主要な5症状に位置づけられるA項目に、まとまりのない発語(例: 頻繁な脱線または滅裂); Disorganized speech (e.g., frequent derailment or incoherence) があり、これが診断基準中では連合弛緩に最も関係が深い症状とみていいであろう。
言葉は精神内界よりははるかに具体的だが、しかしそれでも、「まとまりのない発語」と言われてもかなりの種類・幅があるし、「頻繁な脱線または滅裂」もまた、まだ統合失調症の連合弛緩の特徴を示す表現としては非特異的にすぎよう。

【3555】自己診断では「理論的に考えられる」が「考えすぎるタイプ」だという結論ですには比較的よく連合弛緩が表出されている。以下2に【3555】からそのまま引用する。

2

【拝啓】○○様への【申告】 これらは単なるこじ付けに過ぎない「怪文書」であると「明言」します。何かが起きれば、「回文書」のように言葉が「逆さま」になり、「まさかさ」と思うような、「意味不明」な「事態」が起こるかもしれないということに「気付いて」、次は「築いて」ください。その「神」が「深刻」だと思われている「事態」「自体」に、「忌み」があるか「不明」だということです。「紙」に残るかもしれません。ただ、いまは「深刻」はなく、神は寛大なので「申告」されているだけです。神は「天罰」を与えるために「天災」を誰にも気付かれずに起こす「天才」だと思っています。でも神の「意思」はいつ「石」に変わるか分かりません。そして「次」の「告ぎ」がいつかは分かりません。その「時期」は「次期」です。「世」が「夜」に変わるかも知れません。「明言」は「名言」になるのかもしれません。 こちらは、名前も生年月日も言いにくいことから、匿名を希望しており、著作権など全ての権利は公的な立場の人間や、機関に譲りたい。既に「放棄」しています。著作権が移ったということがメディアでの報道や裁判所の公示を行なえば、私は知ることが出来るし、知っていて当然の状態になります。私は匿名ですが、そちらの連絡先は全て把握できる状態です。なので、私はいつでも「公道」で「行動」を取ることが出来るということに「気付い」てください。そして「築いて」ください。 これは「特命」を受けた「匿名」の活動です。既に権利を「放棄」したので、その後、秩序が戻り、「法規」が整うのかもしれません。「権」を失ったので、「剣」を失うということかもしれません。 これから「カオス」を越えて「静寂」を取り戻せる可能性があります。なので私は、周りから、「すごいな〜」って言われるようになりたいです。でも、「匿名」なんです。でも、「至急」、「子宮」について問題に取り組むための「特命」なんです。 ちなみに、「以上」の後に起こることは「異常」なのかもしれません。今までの常識であった「正常」ではありませんから。ですが、「異常」は異なるというだけで、良い意味にも悪い意味にも捉えられます。「捉え」方を間違うと「捕らえ」られます。「誤魔化し」は「誤った悪魔に化し」ます。ですので、次期が「正常」であれば、「政情」に繋がるということです。そして、ピリオドなどと呼ばれたりする句読点は、「終了」を意味します。 以上。

3

上の【3555】の文章でまず形式として目立つのは、同音異義語の並列である。
「気付いて」と「築いて」
「天災」と「天才」
「意思」と「石」
「世」と「夜」
「特命」と「匿名」
「放棄」と「法規」
「至急」と「子宮」
などなど。
この中には、部分的に取り出してみれば、あえて同音異義語を唐突に持ち出すことによる効果を生む詩的センスを感じさせるものも含まれているが、(たとえば「意思」と「石」など)、関連がなさすぎて無意味と言うしかないもの(たとえば「至急」と「子宮」)も含まれている。つまり同音異義語が不合理に繁用されている。単なる思いつきによる利己的・自閉的な使用と言ってもいいかもしれない。そして全体としては、筆者が自分の思想を主張しようという意志は感じ取れるものの、空虚で実質的な意味に乏しい文章であると言わざるを得ない。

安永浩は次のように述べている(文献1)。

(統合失調症の)思考障害のいま一つの様相は、一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱、逆にいえば患者は、ある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。

文脈を無視した同音異義語の繁用は、その一つの表れとみることができる。

4

上記安永の記載もブロイラーの記載も、表出された言葉についてのものである。言葉として表れる症状は精神内界を反映している。言葉は脳を映す鏡であるとも言えよう。一方、ブロイラーが基本障害としている連合弛緩はあくまでも精神内界の存するものである。ブロイラーは彼の有名な著書『早発性痴呆または精神分裂病群』に次のように記載している(文献2; 以下「翻訳書」と記す)。

翻訳書p.24
無数の現実の、あるいは潜在している表象群は、正常な観念過程においては、それらの惹き起こす作用が個々の連想を規定するものであるが、分裂病の場合には、一見無法則的にその表象群のいくつかの組合せ、ないしは組合せ全体が活動を停止していることがある。その代わりに主観念とまったく関連がないか、あっても不十分であり、そのために思考過程から排除されねばならぬ表象群が活動しはじめることもある。その結果思考は滅裂し、衒奇的となり、不適当なものとなり、切れ切れになる。しばしばすべての思考の糸が働かなくなり、思考過程はまったく中断される。この途絶の後に、以前の観念とはまったく関連のない観念が浮かび上がって来ることがある。

このあたり、安永とブロイラーの論は一致している。安永は先の引用(・・・患者は、ある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。)に続けて次のように述べる。

それでも日常の会話でたいした混乱が起きないのは、そのときの状況、文脈がその意味をほぼ決定してくれるからである。病者の場合その文脈の規定力が明らかに弱まっており、一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう。

文脈の規定力が弱まっている。文脈と無関係な言葉の産生。ソフトの誤変換に近いイメージである。ソフトの誤変換は、文脈を無視して、入力した文字列を(PCが利己的・自閉的に)対応する漢字に変換することによって発生する。【3555】の文章を書いている脳内でも同様のメカニズムがあると考えられる。たとえば「こうどう」という言葉が浮かんだとき、「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」が発生し、「逆にいえばある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない」ために、「私はいつでも「公道」で「行動」を取ることが出来る」という文章となって表出されたのであろう。

そして、「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」は、同音異義語という形でのみ表れるわけではない。【3555】の「逆さま」と「まさかさ」や、「神」と「深刻」などは、誤変換ではまず出て来ないもので、「一つの言葉についての連想」が同音異義語以外の形で表出されたものであると言える。

同音異義語が日本語のように多くない外国語で表れるのはこの形になる。たとえばドイツ語では、「(統合失調症においては)語音による連想も多い Häufig sind ferner Assoziationen nach dem Wortklang」 とブロイラーが記している(文献3; 文献2の原書。以下「原書」と記す)。

原書p.19
Kopf — Tropf; Frosch — rost — rostig;
sauber — Tauber; geschlagen — betroffen — beglagen

ブロイラーはさらに次のように述べる。

翻訳書P.27
・・・語音の同一性、いや実に類似性だけでも連想の方向を決定するのに十分であることをわれわれに示してくれる。
 音連合もしばしば衒奇性という分裂病的性格をおびている。
 ある女性患者は、カレンダー(Kalender)は岩石販売である。岩石は不毛(kahe)だから、と語った。ある女性の緊張病患者の前でFischmarkt (魚市)のことを話すと “私もHaifisch (鮫類の魚)なのですと悲しそうに言う。彼女はまったく特殊な、分裂病者以外の醒めた人間には不可能な音連合 “Fischmarkt —– harfisch” を、彼女がまったく悪い人間であることを表現するために用いている。その際この種の同一化がまったく不可能であることが無視されている。

5

連合弛緩の表出としての滅裂な文章は、ブロイラーも安永も実例を挙げているが、やはり翻訳では弛緩のニュアンスは伝わりにくい。安永のほうを引用しよう。

(連合弛緩について)
顕著な場合には誰の目にも異常が明らかになる。この場合、思考の渋滞、阻害を伴い、みた目にもたどたどしく苦しそうで、強制すればなお滅裂が顕著になり、といった受け身型の場合もあるが、しばしばかえって能動的かつ自発的に、滅裂的文章が奔出する場合がある。

安永はこのように述べた後、「滅裂の程度としては中等度」の例として、患者の文章を引用している。それは次のように始まる。

きのうは十二日でしたけれども私があまりに仕事念(熱)心なので気体(期待)されているだけにこわい。たましいだけれど性活(格)は明郎(朗)なので五月生れの人は秀才とまでいわれているので、それならまだ自分の思い道理(通り)の道を一人で散歩するなら、建国紀(記)念日の平和を祈って自分の生きたいところにはばたいてほしい。小さい時は手をとり足をとりお互いにむかって話のあえるところにいってほしい。
(以下略)

安永はこの引用の後に次の「注」をつけている:
明らかに誤字と思われるところは圏点、を付し正しい字を補っておいた。これはもちろん知識不足や”うっかり”だけの問題ではなく、あて字を”意に介しない”ということ自体が目立つ。

とは言うものの、上記の引用文に見られる誤りは「知識不足や”うっかり”だけの問題」と解釈する余地もあり、むしろ【3555】の方が安永のいう「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」をよく反映しているように思われる。

6

「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」は脳内のメカニズムに言い換えれば、不必要な情報を不活性化し、必要な情報を活性化するプロセスということになる。
現代脳科学の知見に従えば、これは視床の機能である。この機能の障害が、言語症状にも反映することが、Nakajimaらの2017年のAphasiologyの論文に示されている(文献4)。
同論文には視床出血をきたした患者の発語が次のように記されている。

「口の中100度になったり10度になったりしてあまり高い音にはならないけれど、100度とか120度になるから」

意味性ジャルゴンと呼ばれる言語症状である。
この記載部分だけを読めば、これが統合失調症の滅裂言語とは違うことは明らかであるが、論文に引用されるのは特に典型的な症状が選ばれるのが常であって、実際にこの患者の発語すべてを見渡せば、中には統合失調症の滅裂言語と区別がつきにくいものもあったに違いない。そもそもDSM-5の記載のように「Disorganized speech」という語でくくってしまえば、上記の意味性ジャルゴンもDisorganized speechに違いなく、統合失調症の滅裂言語と脳損傷の意味性ジャルゴンは区別困難になる。
と言っても実際に診察すればやはり違いは明白なのであるが、ではその違いを言葉で説明してみよと迫られるとなかなか難しいものがある。
何であれ、「経験ある専門家がみればわかる」という説明には限界がある。発展性がない。職人芸は価値あるものであっても、徒弟制度によって綿々と繋ぐことまでしかできない。
そこで統合失調症の言葉をより客観的に分析し、特徴を抽出せんとする研究は昔からよく行われている。
比較的最近ではBritish Journal of Psychiatryの論文があり、統合失調症患者が書いた文章は健常者に比べて I が少なく they が多い などの結果が記されている(文献5)。これは興味深い論文ではあるものの、まだまだpilot studyの域を出るものではなく、また、人称代名詞の使い方が大きく異なる日本語にそのままは応用できないので、日本人の統合失調症の言語分析という観点からはかなり遠い結果である。
もっとも、現代ではAIを駆使した言語分析研究が急速に進行しているので、文章や発語にみられる「統合失調症らしさ」を客観的に示すことができる日が来るのは意外に早いかもしれない。そうなれば統合失調症の脳障害の本質はすぐ手の届くところに接近するであろう。
視床損傷の言語症状の分析によって、視床の機能を見出すことができることに見られることが示しているように、言葉は脳を映す鏡なのである。

7

しかしいずれにしても、統合失調症以外の病態でも「わけのわからないことを言う」という症状はいくらでも認められる。Disorganized speechは決して統合失調症に特有の症状ではない。脳器質疾患等でも十分に現れ得る。
「Disorganized speech」を「連合弛緩」と言い換えたとしても、そしてそれを統合失調症に特有な症状だと主張したとしても、それは「私のいうところの連合弛緩は、統合失調症に特有な連合弛緩を指しているのだ」という主張に等しく、これは同語反復にすぎない。意味性ジャルゴンも、やはり連合は弛緩しているのである。
さらに言えば、たとえ統合失調症に特有の連合弛緩の特性を客観的に示すことができたとしても、それは他の脳疾患に見られる連合弛緩とは違ったタイプの独特の連合弛緩であることを示したというにすぎない。
そして連合弛緩のメカニズムを「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」と記したとしても、それはたとえば視床損傷による意味性ジャルゴンのメカニズムを考えたとき、説明としては同じ表現になってしまう。
それでもなお 連合弛緩を統合失調症の基本障害に位置づけることができるか。

8

ブロイラーの主張にあらためて目を向けてみる。彼は著書の後半で次のように述べている。

翻訳書p.393
われわれはそこで、連合障害を、それが連合親和性(Affinität)の低下あるいは平坦化という意味である限り、一次性症状と考える。阻害(Sperrungen)や系統的分裂は二次性である。

原文は次の通り

Wir halten also Assoziätiosstörung für primar, soweit es sich um Herabsetzung oder Nivellierung der Affinitäten handelt; sekundar sind die Sperrungen und die systematischen Spaltungen.

そして次のように記されているので、先に挙げたような表出は二次性ということになろう。

翻訳書p.396
二次性症状にはまず、連合弛緩の直接の結果として思考における単なる概念断片の使用(その結果はおかしなものになってしまう。)、概念の移動(Verschiebungen)、象徴化、濃縮、思考の滅裂などがある。

(ちなみに、ブロイラーの時代には視床失語についてはほとんど何もわかっていなかった。失語症学の誕生をBrocaが後にブローカ失語と呼ばれる大脳皮質損傷の第一例を学会報告した1861年とするとしても、視床失語をはじめとするいわゆる皮質下性失語の概念が生まれたのはそれよりはるかに後である。1959年にはPenfieldが「視床は皮質の言語領域を統合する機能を有している」と述べたが、当時もなお視床損傷による失語症例の学会報告や論文はほとんどなかった。1967年に我が国で発刊された大橋博司の『失語症』(文献6)には「視床病巣の失語症例の報告も少数ながら存在し、・・・ しかしこれらの症例の症状分析はなお不充分であり、今後の検討を必要とする」と記されている。ブロイラーが教科書を著したのはそれよりはるかに以前の1911年である。)
(なお上記翻訳書の「その結果はおかしなものになってしまう」は、文脈から見て不器用な表現だが、原文は次の通り自然に流れる文章である: der Gerauch blosser Begriffis bruchstucke zum Denken mit seinen unrichtige Resultaten )

滅裂などの言語症状を、基底にある基本障害としての連合弛緩の表れである二次症状であるとするブロイラーの論は十分に首肯できる。だが基本障害というからには、統合失調症のあらゆる症状を、その障害の表れとして説明できなければならない。
では統合失調症で最も目立つ症状である幻聴は連合弛緩からどう説明できるのか。ブロイラーは次のように記している。

翻訳書p.432 
いかにして現実の歪曲が妄覚の形で示現されるか、われわれはそれを知らない。

(原文は Wie die Wirklichkeitsfälchungen sich in Sinnestäuschungen ausdrücken können, wissen wir nicht. )

この記載には失望を禁じ得ない。
いや、ブロイラーの著書は1911年に発刊されたものであって、それから100年以上が過ぎた現代の目から批判するのは不公正であろう。だがそうは言っても、「統合失調症に見られる症状を何らかの基本障害の表れとして説明する」のは、必ずしもニューロサイエンスの知見を必要とするものではないから、時を超えた論考として成立すべきものであるし、何より最も目立つ症状である幻聴を説明できず「われわれはそれを知らない」と開き直るようでは、基本障害という地位を連合弛緩に与えることには無理があろう。

対照的に安永は、幻聴という症状の成り立ちの説明を試みている。幻聴か独語かにメモした内容すなわち独語と幻聴の連続性、共通性がその一つであり、さらに統合失調症にしばしば見られる関係づけを言語症状との関連で次のように述べていることは大いに示唆的である。

臨床場面でみても、それが一つの文脈の中に明瞭に位置するときでさえ、その文脈の決定する通常の意味が優越権をもてぬところに不思議さがある。ある他者の言葉が、「まったく別様の意味を暗示しているようでもある・・・」 (中略) このような意味のだぶりと浮遊とは、”言葉”にとどまらず、一般の知覚刺激の受け取り方にそのような面がみられるのである。
「店の男の人がこっちをみたとき、眼の光がすごかった。猫がのびをすると棒のようで不気味である。・・・風呂場の壁が一部青く塗ってあるのは何か意味があるようで不思議だ・・・。」

そして連合弛緩については安永は次のように述べる。

分裂病の病的体験の構造を偏見なく検討してゆくとき、これ(連合弛緩)もまた単独で他の症状を誘導してゆくだけの位置をもたない

むしろそれらと相並んで、同じ方向の基礎的変質を被っている事態、と理解すべきであることがわかってくる。 

すなわち連合弛緩、あるいはそれを反映する言語症状は、統合失調症の根底にある基本障害ではなく、他の症状と並列される統合失調症の一症状にすぎないというのが、安永の論である。私も全く同感である。

文献

1. 安永浩: 安永浩著作集 症状論と精神療法

2. E. ブロイラー: 早発性痴呆または精神分裂病群. 飯田・下坂・保崎・安永訳. 医学書院 東京 1974.

3. Eugen Bleuler: Demtentia praecox oder Gruppe der Schizophrenien
(Unveränderte neuauflage der Ausgabe von 1911)
Psychosozial-Verlag

4. Nakajima A and Funayama M: Attentional dysfunction and word-finding difficulties are related to semantic jargon after a thalamic lesion: a case report.
Aphasiology 2017

5. Fineberg SK et al: Word use in first-person accounts of schizophrenia.
British Journal of Psychiatry 206: 32-38, 2015.

6. 大橋博司: 失語症学. 中外医学社. 東京. 1967年.


05. 10月 2017 by Hayashi
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[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい

阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい


幻聴か独語か Dr林のこころと脳の相談室
http://kokoro.squares.net/?p=6497

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【3535】無意識の独り言を幻聴だと勘違いしていた の質問者は次のように述べている。

息を止めてみたところ幻聴が収まり、口を閉じて、鼻で呼吸することにより幻聴はなくなるということを発見しました。幻聴が聞こえているとき、リラックスして半開きになった口の近くにボイスレコーダーを押し当てて録音してみたところ、自分の考えに合わせて不規則に変化する声に聞こえる息が録音されました。どうやら、自分の口の無意識の動きによって発生する独り言を他人が言っているものだと勘違いしていたようです。

すなわち幻聴と独語の混同。統合失調症におけるこの現象は、実はかなり前からよく知られている。たとえば 『安永浩 著作集 4 症状論と精神療法』に収載の『分裂病の症状論』(1978年)という論文中に次のような記載がある。以下、太字はこの論文からの引用である。

p.31
ある患者は「”幻聴”をテープにとってきました・・・・・」と録音テープを持参した。テープを聞いてみると、実際にささやくような声が録音されているのである。「どうやってこれをとったのか?」という問いに対して、彼はマイクを自分ののどにあててとったのである、と答えた。改めて聞きただすと、彼はそこに録音されているのが自分の声でると認めた。しかしそれは自発的にしゃべった言葉ではなく、外力に操られて「しゃべらされた」言葉なのだ、というのであった(させられ体験)。しかもこの患者は、最初は自ら”幻聴”といっていたのである。この例の場合、幻聴と”させられ独語”とは、本人にとってそれほどに区別できない一塊の体験であったことがわかる。

この患者には独語がある。まずこれが出発点としての客観的事実である。一方、患者の主観としては幻聴がある。主観体験の有無は本人にしか判断できない以上、これもまた事実である。そして実際には、客観的事実である独語と、主観的事実である幻聴は、同一の現象だったことがわかった。この患者はそれに気づいた・・・という表現は厳密には正確ではない。彼は「”幻聴”をテープにとってきました」と言っているのである。それが独語であることを医師から指摘されて認めたという形である。【3535】はこれに似ているが、「自分の口の無意識の動きによって発生する独り言を他人が言っているものだと勘違いしていたようです」と自分から気づいているという点が、安永のケースとの一つの大きな違いである。もう一つの大きな違いは、安永のケースは「外力に操られて「しゃべらされた」言葉なのだ」という、「自分の意志ではなく、外部からさせられた」という体験であるのに対し、【3535】はそうではない。したがって【3535】は ”させられ独語”とは言えないが、「”自分の意志で喋っている”という自覚がない」とまでは言える。つまり独語が自分の意志によるものではないという意味では共通点がある。言い換えれば(独語という)行為の起点が自己ではないという意味では共通点がある。

同様の現象は 【3532】妻の独語がまったくおさまりません にも見られている。すなわち【3532】の独語は、

機械から私に情報が送られてくるといって日常に関係があることを自分の知っている人が言っている形で独り言を続ける

という形を取っており、これは(独語という)行為の起点が自己ではないという意味では安永のケース及び【3535】と共通しており、その起点が外部にあるという点では安永のケースと共通しており、さらにその外部の起点を「機械から私に情報が送られてくる」と述べることで、いわば、より「妄想らしさ」が感じられる症状になっている。

【3533】勝手に口が喋る。馬鹿にされている。見られている。BDSMの嗜好。の体験にはこの「機械」にあたる要素はないが、(独語という)行為の起点が自己ではないという点は共通している。次の通りである。

・ 自分は言いたくないのに、勝手に口が喋ってしまう(心では、そんなこと言いたくない!違う!!と思っているのに、口が私を無視して話してしまう)
・ 自分が何を話しているのか理解できない時がある(これも、勝手に口が喋っています。私自身が自分の意志で話しているという意識はありません)

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安永の論文からの引用に戻る。

p.31
実際、独立に”させられ独語”を訴えている患者はしばしば同時に”幻聴”の形の訴えをもっている。ときにどちらかのニュアンスがはっきり前景にでるとはいえ、根本において幻聴で聞かれる内容は、同時に内語として発語されているのであることをうかがうに足る。

幻聴とは何か。それは、本来は自分の考えている内容、ないしは内言語が、外部から聞こえると体験される — すなわち、外部の空間に定位されたものである。ここまでだと理論的考察にすぎないが、独語と幻聴の区別が曖昧なケースが示されると、この理論的考察が説得力を持ってくる。上記「幻聴で聞かれる内容は、同時に内語として発語されているのであることをうかがうに足る」はこのことを述べている。
安永のケースも【3535】も、幻聴か独語かを本人は明確に区別できない(または、できなかった)例であるが、さらには、そもそも幻聴や独語があるのかないのかもよく自覚できない場合も統合失調症では少なからずある。

たとえば【3194】自分に幻聴があるかどうかわからないですの質問者は

私に幻聴や独語はあるのでしょうか?
診察の時、なんて答えたらよいのでしょうか?

と困惑している。他方、

通院を開始したのは24歳のとき。でも前の主治医はいうには、中学2年生ぐらいから自分に語り掛ける幻聴があったみたいだねと言われています。

という記載からは、医師が診察すれば、幻聴があったことは明らかであることが窺われる。
ここで注意すべき点は、この場合、「医師が診察」といっても、何かハイテクな技術が適用されたわけではないことである。幻聴の有無の診断材料は本人の話以外にはあり得ない。ということは、医師との対話の中で幻聴体験を自分の口で語っているにもかかわらず、それでも本人は、自分に幻聴があったか否か、明確にはわからないのである。

【3194】にはその後の経過がある。【3355】複数の人がざわざわと話している声が聞こえる である。そこにはこう記されている。

よくわからなかったのですが聞こえるという事はこういう事なんだと思いました。

主観的なレベルでは、【3194】では幻聴は明確でなく、【3355】では幻聴は明確である。このような場合、【3194】と【3355】のどちらの時点のほうが病態が進んでいるかという判断は慎重にくだす必要がある。仮に単純に(自覚的な)「幻聴の有無」を指標にするならば、【3355】のほうが重い、すなわち病態が進んでいるということになろう。だが、「それまでは幻聴と認識できなかった体験を、幻聴だと認識できるようになった」のだから、むしろ症状は軽くなったのだという全く逆の解釈もできる。個々の症状の有無や症状の個数だけに着目する重症度判定法のナンセンスさをここに見出すことができるが、それはともかくとしてこの【3355】では、さらに次のような症状が現れている。

それともう1つ気になる事は、職場の同僚が私のことをよく思っていないということ
です。話題にしたり噂になったりして気になります。

統合失調症に非常によく見られる典型的な症状がここに来て現れている。この情報が加わることで、【3355】の病態が【3194】の時期より進んでいるという判定を導くことができる。

3

独語のテーマに戻る。安永論文の”させられ独語”についての記載の続きはこうだ。

p.31
この発語は、実際に高声の独語になるものから、ほとんどつぶやく程度のもの、さらには舌、のどのわずかに動く程度のもの(客観的には、幻聴に相当する現象をさして「舌が動いてしまう」という患者はまれでない)を経て、機械的検出装置によってのみ発声筋の活動を検出できる段階に至るまで、連続的に移行している。

【3535】は「リラックスして半開きになった口の近くにボイスレコーダーを押し当てて録音してみたところ、自分の考えに合わせて不規則に変化する声に聞こえる息が録音されました」であるから、安永のいう連続的に移行する段階の中の「舌、のどのわずかに動く程度のもの」と「機械的検出装置によってのみ発声筋の活動を検出できる段階」の間に位置するとみることができる。
そして

p.31
「”声”がうるさい」と訴える患者に「自分ののどをつまんでおさえてみよ」と教示したところ、少なくともそのあいだだけは「”声”がとまった」と述べた患者もある(土居)。

【3535】の「息を止めてみたところ幻聴が収まり、口を閉じて、鼻で呼吸することにより幻聴はなくなる」という体験は、上記土居のケースと本質的に同じ現象であろう。

p.31
そもそも”独語”は客観的に外から見つけやすい症状であって、病症のいろんな時期にみられる。慢性者の病棟などでぶつぶつ何かつぶやいている患者をみるとき、幻聴があるな、と察するのは経験者には周知のことであるが、これは単純に想像されるような声の主との対話では必ずしもない(もちろんそういう場合もあるが)。

上記「経験者には周知」の「経験者」とは、統合失調症というものを一定以上観察した経験ある者(家族、医療者など)を指している。本人の主観の中では幻聴という「声」と対話しているのだが、客観的には「声」は存在しないので、客観的に観察される症状としては「独語」になる。確かにそういうケースはある。だがここでのポイントは「単純に想像されるような声の主との対話では必ずしもない」という部分である。独語という症状は時に不気味で理解し難いものであることから、「独語=幻聴との対話」と整理したくなるし、そう説明すれば納得されやすい。しかし統合失調症の独語とは必ずしもそういうものではない。というより、幻聴との対話 は独語のある一つの型にすぎないのであって、決して典型ではない。独語に限らず、統合失調症の症状を健常者が追体験できる範囲で理解しようとすると、統合失調症という病気の本質を見誤ることになる。

p.32
実際にはかなりいろんな場合があって、文字どおりのひとり言の場合もあろうし、”させられ独語”という自覚形態の場合があり、さらに本人としては独語というより幻聴として体験されていて、自分の口の動きには気づいていない場合がある。さらにはこれらの区別そのものが本人自身明確になされていないのではないか、と思われるような場合もまた多い(小倉参照)。

「小倉参照」と示されているのは 1965年に小倉日出麿が発表した『独語症状の研究』と題された論文である(精神神経学雑誌 67巻12号 1187-1196)。その論文の中にはいくつもの実例の紹介とともに、次のような記述がある。

「対話形式の独語では幻覚は客観化されたもので、独語は自我に意識され得るものといえるが、この体験の区別は必ずしも明確でなく、幻覚と独語は混乱して体験されることもある。即ち、独語していてもそれを意識することなく、幻覚として体験する場合もある」

「幻聴と独語は同一事象の両面といえる。従来から「独語」は低い声で語るのを聞くところに成りたつ」(Baillarger)ともいわれる。」

また、次の記述は前記【3533】の「自分は言いたくないのに、勝手に口が喋ってしまう(心では、そんなこと言いたくない!違う!!と思っているのに、口が私を無視して話してしまう) 」に一致するものである。

「独語症状の認められる患者で、自己の体験を反省して供述できるものも少なくない。独語に伴う主体的体験の第一は主体の意志に反して独語が語られ、口を衝いて出るという強迫-衝迫(obsession-impulsion)である。」

そして、

「衝迫性独語は時としては、他人から聞かれている、察知されると体験されるものである。このように思考、言語は自我の能動的支配から脱して外界へ伝播し、客観化される傾向をもってくる」

これは本稿4に後述の【3296】自分の考えを口に出して漏らしているような気がする という体験に重なるものである。

4

本稿、「幻聴か独語か」と題した。幻聴と独語の境界はときに曖昧である。というより、「幻聴」と「独語」は、観察される症状を理解しやすいように恣意的に別々の言葉を割り当てたにすぎないのであって、本質的には同じ症状なのではないか。少なくとも症状発生の根本にある「何か」は共通しているのではないか。ここからさらに敷衍すれば、多彩に見える統合失調症の症状すべてに共通する「何か」が見えてくる。たとえば「自分の考えが人に伝わる」という考想伝播。最近では「サトラレ」と表現されることも多い(【0790】私はサトラレです、【2208】友達が、サトラレで悩んでいます など)、統合失調症に典型的なこの症状にも、独語-幻聴-考想伝播 という一連の流れが透けて見えるケースがある。
たとえば

【3296】自分の考えを声に出して漏らしているような気がする

2年ほど前から自分の考えが人に伝わっている、というか、実際声に出ていて周りに聞こえているのではないか? と思うようになりました。

この短い記載の中に、まさに独語-幻聴-考想伝播の要素を見出すことができる。
この【3296】の質問者はさらにこう述べている。
周りに聞こえたのではないか?と思うときは、自分が何か嬉しいことやテンションが上がる出来事があったときに、自分では心の中で声を出したつもりなのに周りに聞こえているかもしれないせいで見られる時です。

.
「見られる」。統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴えである。

【3296】はさらに次のように述べる。

今少し声がでちゃったのかな?とも思うのですが、それならそうと友達であれば「なに?」とか「なんか言った?」 と言うのでしょうが、私を見てくる人はさして仲良くもない仕事関係者だったり通りすがりの人に限っています。

.
「通りすがりの人」が「私を見てくる」。これもまた、統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴えである。ここの【3296】のケースにおいては、 (1) 通りすがりの人が自分を見る  (2) それは自分の考えがばれているからではないか (3) すると私は自分の考えを無意識に口に出しているのではないか という論理構造で症状が形成されているように見え、すると(1)が出発点なのではないか(実際に見られていたかどうかはともかく、本人の主観の中では見られていると感じられたことが出発点なのではないか)と推定したくなるが、これは独語を幻聴との対話であるとする前記解釈と同様の推定で、このような通俗心理学的解釈は、統合失調症という病気の理解では禁物である。もちろん仮説としてなら価値がある。その仮説は正しいかしもれない。だが正しそうに感じられる、自然な理解として納得できる、という理由で、その仮説を正しいものとして採用するのは軽率である。
【0717】寝言を盗聴されている気がしますも【3296】に類似している。

数ヶ月前から、盗聴されている気がしてなりません。
お恥ずかしい話ですが、頭の中で性的なことを考えていて、それを寝言でいい、職場の人がそれを盗聴して自分のことを笑っている気がするのです。
 最近では寝言を聞かれているのを見越して、頭の中で盗聴している人たちのことを口汚く罵り、それを寝言で言って不愉快な思いをさせてやろうと考えています。そうしないと我慢がならないのです。

「自分の考えている内容」が「外に出る」ため「人が反応している」という構造は【3296】と全く同じである。
「外に出る」が【3296】では独語、【0717】では寝言という形を取っている。独語は発せられれば直ちに人に聞かれるが、寝言はそうではないので、【0717】では「盗聴」という中間項が挿入されているとみることができよう。
「自分の考えている内容」は様々なものがあり得るが、【0717】では「性的なこと」であるため、それを知った人の反応は「自分のことを笑っている」になっている。そして対抗手段として「頭の中で盗聴している人たちのことを口汚く罵り、それを寝言で言って不愉快な思いをさせてやろう」と考えている。【0717】は「自分の考えている内容」が「外に出る」が寝言という形を取っているため、対抗手段も寝言が活用されているが、もし「外に出る」が独語という形を取っていた場合には、攻撃的な独語という手段になっていたであろう。
以上のような症状構造分析はそれなりにもっともらしいものだが、しかしこれもまた仮説にすぎない。但し、統合失調症という病気が治療されずに悪化していけば、攻撃的な独語が発せられたり、言葉だけでなく攻撃的な行動が生まれることがあるのは事実である。

5

前記の通り、「幻聴」にしても「独語」にしても、それらは、観察される症状を理解しやすいように恣意的に別々の言葉を割り当てられているにすぎない。そもそもある現象に(症状とは限らない。現象一般)言葉を割り当てる、すなわち名前をつけるとはそういうものであって、言葉にした途端に本質からの逸脱が始まることは否めない。「幻聴」は統合失調症の症状として最もわかりやすいものの一つであるが、「幻聴」という言葉のために、かえって病気への気づきが損なわれる場合もよくある。【1072】幻聴がなくても統合失調症ですかはそんな一例である。【1072】の質問者は次のように述べている。

Q: 医師から統合失調症と診断されている、20歳の女性です。
お聞きしたいことは、本当は私は統合失調症ではなく人格障害なのではないかということです。
現状は、
・自分の心の中が周囲の人に知られている。きこえている。
・他人の会話の内容がすごく気になる。
・音に対して敏感。
・人や物に自分の思考を吸い取られそうで怖い。
・働いていないので、食べることに罪悪感がある。
・自分が演技しているみたいに感じる。
・周りの人が私を追い込もうとする。私を騙す。
・他人の言動が自分のことを指しているのではないかと思う。
・人を信じられない。嫌われていると思う。
上記の通り、幻聴はありません。なので、自分は人格障害だと思うのです。

【1072】の回答の通り、このケースが統合失調症であることは間違いないが、「幻聴」という言葉へのとらわれが、「幻聴がなくても統合失調症ですか」という質問(診断への疑問)を生んでいる。
前述の通り、統合失調症の「幻聴」とは、
本来は自分の考えている内容、ないしは内言語が、外部から聞こえると体験される — すなわち、外部の空間に定位されたもの
であって、聴覚性の有無は本質ではないのである。現に、「聞こえているのか自分が考えているのかよくわからない」とか「声ではなく考えが入ってくる」というような訴えは統合失調症の、特に初期にはよくある。
【1290】声ではなく気持ちがわいてくると言う10歳の息子は統合失調症でしょうかでの

「心の中の悪いやつが・・・・・と言っている」と言うことが増えてきた。ただし、これは前に書いたように第三者の声が聞こえてくるときもあるが、ほとんどはそのような気持ちがわいてくるような感じということでした。

.

という体験も同種のものである。もっとも、10歳という年齢での統合失調症の診断はかなり難しいが、この【1290】の体験は統合失調症の診断を強く推定させるものである。(なおこのケースは気持ちが「わいてくる」というのは慎重に判断すべき表現である。自分の中に「わいてくる」という表現は健常者でもしばしばある。これが「入って来る」となれば、かなり統合失調症らしいと言えるが、「わいてくる」だけだと何とも言えない。だがこの【1290】では、「第三者の声が聞こえてくるときもある」ことから、「わいてくる」も統合失調症らしい体験であると推定することができる。(安永も次のように記載している: p.33 自分の中の現象という自覚は保たれながら感覚性としては知覚形態に近づくという類の現象がある)

6

独語は自己が発する言葉として自覚される。すなわち起点は自己である。
幻聴は他者が発する言葉として自覚される。すなわち起点は他者(または非自己)である。
【3535】や安永のケースでは、独語と幻聴が混同されている。起点が自己である独語の、その起点が逸脱して自覚され、幻聴として体験されている。
それが行為であれ、思考であれ、自分の行為は自己が起点であり、自分の思考は自己が起点である。これはあまりに自明であるため通常あえて意識されることはないし、自分の行為や思考の起点が自己でなくなるなどということは考え難いことだが、その考え難いことが発生しているのが統合失調症である。起点の逸脱。それを自我障害と呼ぶこともできる。

7

表象と知覚。
自分が考えていること。それがある意味内容であれ、言葉で表したものであれ、視覚的なイメージであれ、それは「表象」である。先の「起点」という語を用いるならば、表象の起点は自己である。
知覚は外部からのインプットである。知覚の「起点」は非自己である。
表象と知覚の起点は健常では截然と分離している。両者を混同することはあり得ない。統合失調症ではこの起点をめぐる障害が発生する。それは「表象の擬知覚化」である。
統合失調症の最もわかりやすい症状の一つである幻聴。それもまた表象の擬知覚化である。すなわち、「自分の考えた内容」という表象が、主観の中では「外部から聞こえる声」に擬知覚化する。

そして、【3535】や安永のケースでは、表象からの擬知覚化の中間項に独語が挿入されている。言い換えれば、幻聴も独語も、表象の擬知覚化という症状を構成する要素にすぎない。

前記【3296】の「通りすがりの人」が「私を見てくる」という、統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴え。【3296】についての前述の通俗心理学的解釈(仮説)の正否はともかく、これもまた表象の擬知覚化として理解できる現象である。すなわち、「通りすがりの人が自分を見ているように思う」という表象にすぎないはずのものが、本人にとっては「実際に自分を見ている」というように擬知覚化している。

前記【3355】に、

それともう1つ気になる事は、職場の同僚が私のことをよく思っていないということ
です。話題にしたり噂になったりして気になります。

という統合失調症に非常によく見られる典型的な症状について、【3355】の回答で私は

それも幻聴といっていいでしょう。「職場の同僚が私のことをよく思っていないような気がする」という段階が関係念慮または関係妄想、そしてそれが「話題にしたり噂になっているのが聞こえる」という段階になれば幻聴があるということになります。

と説明した。この説明はもちろん間違いではないが、「関係念慮または関係妄想」も「幻聴」も、表象の擬知覚化という意味では同じものである。そして実際の臨床での患者の症状も、それが「関係念慮または関係妄想」なのか「幻聴」なのかは区別がつきにくいことは非常によくある。両者は互いに移行するといってもよい。

8

ところで、「擬」知覚化というのは、第三者から見てのことであって、本人にとっては「擬」が外された「知覚化」である。さらにいえば「化」も外された「知覚」である。「知覚」そのものである。だからこそそれが幻聴だとか妄想だとか説明されても、またどんな証拠を示されても納得しない。本人にとってはまごうことなき「知覚」だから。それが統合失調症の病識欠如の基盤にある重要な要素である。サトラレは病気の症状であるという説明が【3099】 のように 私は、私の思ったことや考えたことが他人に聞こえる、いわゆる「サトラレ」です。100%統合失調症ではありません のように頑として受け入れられないのは、また、幻聴が幻聴であるという説明が【3513】林先生の答えには納得できません。悪口を言われているのは事実です のように頑として受け入れないのは、「表象の擬知覚化」が本人にとっては「知覚」そのものだからである。(もちろん病態の重さによって病識にもレベルがある。【3158】病識の無さのレベルについて参照)

「表象の擬知覚化」は先の安永の論文中にある表現である。「起点の逸脱」という表現自体は同論文にはないが、「起点」という語を使った説明はある。

p.37
幻聴の”内容”は本来の思考と平行的に存してその傍流をなす思考であるようにみえる面と、本来の思考とむしろ一体であるようにみえる面とがあるが、いずれにせよ本来能動的な或る思考、内語運動の発動に由来しているようにみえる。ただその起点たるべき部分の定位が自我中心とずれて知覚される、とでも表現されるべき事態がそこにあるのではなかろうか。

これが、統合失調症の症状を統一的に説明する、安永の壮大なファントム理論につながっていくのであるが、メモとして書き始めた本稿、すでにほぼ1万字になってしまった。ここまでとする。

付記
本稿のタイトル「幻聴か独語か」は、実のところ意味に乏しい問いである。いや、もちろん現象レベルでは意味がある。幻聴と独語は別の現象である。だがどちらも「起点の逸脱」という単一の障害の表れである。さらには統合失調症のいかなる症状も「起点の逸脱」が様々に形を変えて表れているものにすぎない。おそらく。
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連合弛緩 Dr林のこころと脳の相談室
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連合弛緩は統合失調症にきわめて特徴的な症状で、古くはブロイラーが統合失調症の基本障害であると位置づけている。
だが連合弛緩は実に説明のしにくい症状である。
精神科ポケット辞典(弘文堂)には次のように記されている。

ある表象が別の表象を意識に呼び起こしたり、この過程を助けることによって要素的な精神内容が統合することを連合という。このような意識内容の意味のある結合が障害されて弛緩した状態を連合弛緩という。

これは正確な説明であっても、抽象的でよくわからない。もっと具体的に言ってくれと言いたくなるであろう。
そもそも「意識」とか「精神内容」というのはその人の内界にあって外からは見えないものなのだから、たとえこの説明が完璧に理解されたとしても、ではそれが目に見える症状としてどう現れるかを理解するのはまた別の問題である。
通常、精神内界はその人の発する言語の中に表出されると考えることになる。
そこで現代の診断基準であるDSM-5には、主要な5症状に位置づけられるA項目に、まとまりのない発語(例: 頻繁な脱線または滅裂); Disorganized speech (e.g., frequent derailment or incoherence) があり、これが診断基準中では連合弛緩に最も関係が深い症状とみていいであろう。
言葉は精神内界よりははるかに具体的だが、しかしそれでも、「まとまりのない発語」と言われてもかなりの種類・幅があるし、「頻繁な脱線または滅裂」もまた、まだ統合失調症の連合弛緩の特徴を示す表現としては非特異的にすぎよう。

【3555】自己診断では「理論的に考えられる」が「考えすぎるタイプ」だという結論ですには比較的よく連合弛緩が表出されている。以下2に【3555】からそのまま引用する。

2

【拝啓】○○様への【申告】 これらは単なるこじ付けに過ぎない「怪文書」であると「明言」します。何かが起きれば、「回文書」のように言葉が「逆さま」になり、「まさかさ」と思うような、「意味不明」な「事態」が起こるかもしれないということに「気付いて」、次は「築いて」ください。その「神」が「深刻」だと思われている「事態」「自体」に、「忌み」があるか「不明」だということです。「紙」に残るかもしれません。ただ、いまは「深刻」はなく、神は寛大なので「申告」されているだけです。神は「天罰」を与えるために「天災」を誰にも気付かれずに起こす「天才」だと思っています。でも神の「意思」はいつ「石」に変わるか分かりません。そして「次」の「告ぎ」がいつかは分かりません。その「時期」は「次期」です。「世」が「夜」に変わるかも知れません。「明言」は「名言」になるのかもしれません。 こちらは、名前も生年月日も言いにくいことから、匿名を希望しており、著作権など全ての権利は公的な立場の人間や、機関に譲りたい。既に「放棄」しています。著作権が移ったということがメディアでの報道や裁判所の公示を行なえば、私は知ることが出来るし、知っていて当然の状態になります。私は匿名ですが、そちらの連絡先は全て把握できる状態です。なので、私はいつでも「公道」で「行動」を取ることが出来るということに「気付い」てください。そして「築いて」ください。 これは「特命」を受けた「匿名」の活動です。既に権利を「放棄」したので、その後、秩序が戻り、「法規」が整うのかもしれません。「権」を失ったので、「剣」を失うということかもしれません。 これから「カオス」を越えて「静寂」を取り戻せる可能性があります。なので私は、周りから、「すごいな〜」って言われるようになりたいです。でも、「匿名」なんです。でも、「至急」、「子宮」について問題に取り組むための「特命」なんです。 ちなみに、「以上」の後に起こることは「異常」なのかもしれません。今までの常識であった「正常」ではありませんから。ですが、「異常」は異なるというだけで、良い意味にも悪い意味にも捉えられます。「捉え」方を間違うと「捕らえ」られます。「誤魔化し」は「誤った悪魔に化し」ます。ですので、次期が「正常」であれば、「政情」に繋がるということです。そして、ピリオドなどと呼ばれたりする句読点は、「終了」を意味します。 以上。

3

上の【3555】の文章でまず形式として目立つのは、同音異義語の並列である。
「気付いて」と「築いて」
「天災」と「天才」
「意思」と「石」
「世」と「夜」
「特命」と「匿名」
「放棄」と「法規」
「至急」と「子宮」
などなど。
この中には、部分的に取り出してみれば、あえて同音異義語を唐突に持ち出すことによる効果を生む詩的センスを感じさせるものも含まれているが、(たとえば「意思」と「石」など)、関連がなさすぎて無意味と言うしかないもの(たとえば「至急」と「子宮」)も含まれている。つまり同音異義語が不合理に繁用されている。単なる思いつきによる利己的・自閉的な使用と言ってもいいかもしれない。そして全体としては、筆者が自分の思想を主張しようという意志は感じ取れるものの、空虚で実質的な意味に乏しい文章であると言わざるを得ない。

安永浩は次のように述べている(文献1)。

(統合失調症の)思考障害のいま一つの様相は、一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱、逆にいえば患者は、ある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。

文脈を無視した同音異義語の繁用は、その一つの表れとみることができる。

4

上記安永の記載もブロイラーの記載も、表出された言葉についてのものである。言葉として表れる症状は精神内界を反映している。言葉は脳を映す鏡であるとも言えよう。一方、ブロイラーが基本障害としている連合弛緩はあくまでも精神内界の存するものである。ブロイラーは彼の有名な著書『早発性痴呆または精神分裂病群』に次のように記載している(文献2; 以下「翻訳書」と記す)。

翻訳書p.24
無数の現実の、あるいは潜在している表象群は、正常な観念過程においては、それらの惹き起こす作用が個々の連想を規定するものであるが、分裂病の場合には、一見無法則的にその表象群のいくつかの組合せ、ないしは組合せ全体が活動を停止していることがある。その代わりに主観念とまったく関連がないか、あっても不十分であり、そのために思考過程から排除されねばならぬ表象群が活動しはじめることもある。その結果思考は滅裂し、衒奇的となり、不適当なものとなり、切れ切れになる。しばしばすべての思考の糸が働かなくなり、思考過程はまったく中断される。この途絶の後に、以前の観念とはまったく関連のない観念が浮かび上がって来ることがある。

このあたり、安永とブロイラーの論は一致している。安永は先の引用(・・・患者は、ある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。)に続けて次のように述べる。

それでも日常の会話でたいした混乱が起きないのは、そのときの状況、文脈がその意味をほぼ決定してくれるからである。病者の場合その文脈の規定力が明らかに弱まっており、一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう。

文脈の規定力が弱まっている。文脈と無関係な言葉の産生。ソフトの誤変換に近いイメージである。ソフトの誤変換は、文脈を無視して、入力した文字列を(PCが利己的・自閉的に)対応する漢字に変換することによって発生する。【3555】の文章を書いている脳内でも同様のメカニズムがあると考えられる。たとえば「こうどう」という言葉が浮かんだとき、「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」が発生し、「逆にいえばある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない」ために、「私はいつでも「公道」で「行動」を取ることが出来る」という文章となって表出されたのであろう。

そして、「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」は、同音異義語という形でのみ表れるわけではない。【3555】の「逆さま」と「まさかさ」や、「神」と「深刻」などは、誤変換ではまず出て来ないもので、「一つの言葉についての連想」が同音異義語以外の形で表出されたものであると言える。

同音異義語が日本語のように多くない外国語で表れるのはこの形になる。たとえばドイツ語では、「(統合失調症においては)語音による連想も多い Häufig sind ferner Assoziationen nach dem Wortklang」 とブロイラーが記している(文献3; 文献2の原書。以下「原書」と記す)。

原書p.19
Kopf — Tropf; Frosch — rost — rostig;
sauber — Tauber; geschlagen — betroffen — beglagen

ブロイラーはさらに次のように述べる。

翻訳書P.27
・・・語音の同一性、いや実に類似性だけでも連想の方向を決定するのに十分であることをわれわれに示してくれる。
 音連合もしばしば衒奇性という分裂病的性格をおびている。
 ある女性患者は、カレンダー(Kalender)は岩石販売である。岩石は不毛(kahe)だから、と語った。ある女性の緊張病患者の前でFischmarkt (魚市)のことを話すと “私もHaifisch (鮫類の魚)なのですと悲しそうに言う。彼女はまったく特殊な、分裂病者以外の醒めた人間には不可能な音連合 “Fischmarkt —– harfisch” を、彼女がまったく悪い人間であることを表現するために用いている。その際この種の同一化がまったく不可能であることが無視されている。

5

連合弛緩の表出としての滅裂な文章は、ブロイラーも安永も実例を挙げているが、やはり翻訳では弛緩のニュアンスは伝わりにくい。安永のほうを引用しよう。

(連合弛緩について)
顕著な場合には誰の目にも異常が明らかになる。この場合、思考の渋滞、阻害を伴い、みた目にもたどたどしく苦しそうで、強制すればなお滅裂が顕著になり、といった受け身型の場合もあるが、しばしばかえって能動的かつ自発的に、滅裂的文章が奔出する場合がある。

安永はこのように述べた後、「滅裂の程度としては中等度」の例として、患者の文章を引用している。それは次のように始まる。

きのうは十二日でしたけれども私があまりに仕事念(熱)心なので気体(期待)されているだけにこわい。たましいだけれど性活(格)は明郎(朗)なので五月生れの人は秀才とまでいわれているので、それならまだ自分の思い道理(通り)の道を一人で散歩するなら、建国紀(記)念日の平和を祈って自分の生きたいところにはばたいてほしい。小さい時は手をとり足をとりお互いにむかって話のあえるところにいってほしい。
(以下略)

安永はこの引用の後に次の「注」をつけている:
明らかに誤字と思われるところは圏点、を付し正しい字を補っておいた。これはもちろん知識不足や”うっかり”だけの問題ではなく、あて字を”意に介しない”ということ自体が目立つ。

とは言うものの、上記の引用文に見られる誤りは「知識不足や”うっかり”だけの問題」と解釈する余地もあり、むしろ【3555】の方が安永のいう「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」をよく反映しているように思われる。

6

「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」は脳内のメカニズムに言い換えれば、不必要な情報を不活性化し、必要な情報を活性化するプロセスということになる。
現代脳科学の知見に従えば、これは視床の機能である。この機能の障害が、言語症状にも反映することが、Nakajimaらの2017年のAphasiologyの論文に示されている(文献4)。
同論文には視床出血をきたした患者の発語が次のように記されている。

「口の中100度になったり10度になったりしてあまり高い音にはならないけれど、100度とか120度になるから」

意味性ジャルゴンと呼ばれる言語症状である。
この記載部分だけを読めば、これが統合失調症の滅裂言語とは違うことは明らかであるが、論文に引用されるのは特に典型的な症状が選ばれるのが常であって、実際にこの患者の発語すべてを見渡せば、中には統合失調症の滅裂言語と区別がつきにくいものもあったに違いない。そもそもDSM-5の記載のように「Disorganized speech」という語でくくってしまえば、上記の意味性ジャルゴンもDisorganized speechに違いなく、統合失調症の滅裂言語と脳損傷の意味性ジャルゴンは区別困難になる。
と言っても実際に診察すればやはり違いは明白なのであるが、ではその違いを言葉で説明してみよと迫られるとなかなか難しいものがある。
何であれ、「経験ある専門家がみればわかる」という説明には限界がある。発展性がない。職人芸は価値あるものであっても、徒弟制度によって綿々と繋ぐことまでしかできない。
そこで統合失調症の言葉をより客観的に分析し、特徴を抽出せんとする研究は昔からよく行われている。
比較的最近ではBritish Journal of Psychiatryの論文があり、統合失調症患者が書いた文章は健常者に比べて I が少なく they が多い などの結果が記されている(文献5)。これは興味深い論文ではあるものの、まだまだpilot studyの域を出るものではなく、また、人称代名詞の使い方が大きく異なる日本語にそのままは応用できないので、日本人の統合失調症の言語分析という観点からはかなり遠い結果である。
もっとも、現代ではAIを駆使した言語分析研究が急速に進行しているので、文章や発語にみられる「統合失調症らしさ」を客観的に示すことができる日が来るのは意外に早いかもしれない。そうなれば統合失調症の脳障害の本質はすぐ手の届くところに接近するであろう。
視床損傷の言語症状の分析によって、視床の機能を見出すことができることに見られることが示しているように、言葉は脳を映す鏡なのである。

7

しかしいずれにしても、統合失調症以外の病態でも「わけのわからないことを言う」という症状はいくらでも認められる。Disorganized speechは決して統合失調症に特有の症状ではない。脳器質疾患等でも十分に現れ得る。
「Disorganized speech」を「連合弛緩」と言い換えたとしても、そしてそれを統合失調症に特有な症状だと主張したとしても、それは「私のいうところの連合弛緩は、統合失調症に特有な連合弛緩を指しているのだ」という主張に等しく、これは同語反復にすぎない。意味性ジャルゴンも、やはり連合は弛緩しているのである。
さらに言えば、たとえ統合失調症に特有の連合弛緩の特性を客観的に示すことができたとしても、それは他の脳疾患に見られる連合弛緩とは違ったタイプの独特の連合弛緩であることを示したというにすぎない。
そして連合弛緩のメカニズムを「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」と記したとしても、それはたとえば視床損傷による意味性ジャルゴンのメカニズムを考えたとき、説明としては同じ表現になってしまう。
それでもなお 連合弛緩を統合失調症の基本障害に位置づけることができるか。

8

ブロイラーの主張にあらためて目を向けてみる。彼は著書の後半で次のように述べている。

翻訳書p.393
われわれはそこで、連合障害を、それが連合親和性(Affinität)の低下あるいは平坦化という意味である限り、一次性症状と考える。阻害(Sperrungen)や系統的分裂は二次性である。

原文は次の通り

Wir halten also Assoziätiosstörung für primar, soweit es sich um Herabsetzung oder Nivellierung der Affinitäten handelt; sekundar sind die Sperrungen und die systematischen Spaltungen.

そして次のように記されているので、先に挙げたような表出は二次性ということになろう。

翻訳書p.396
二次性症状にはまず、連合弛緩の直接の結果として思考における単なる概念断片の使用(その結果はおかしなものになってしまう。)、概念の移動(Verschiebungen)、象徴化、濃縮、思考の滅裂などがある。

(ちなみに、ブロイラーの時代には視床失語についてはほとんど何もわかっていなかった。失語症学の誕生をBrocaが後にブローカ失語と呼ばれる大脳皮質損傷の第一例を学会報告した1861年とするとしても、視床失語をはじめとするいわゆる皮質下性失語の概念が生まれたのはそれよりはるかに後である。1959年にはPenfieldが「視床は皮質の言語領域を統合する機能を有している」と述べたが、当時もなお視床損傷による失語症例の学会報告や論文はほとんどなかった。1967年に我が国で発刊された大橋博司の『失語症』(文献6)には「視床病巣の失語症例の報告も少数ながら存在し、・・・ しかしこれらの症例の症状分析はなお不充分であり、今後の検討を必要とする」と記されている。ブロイラーが教科書を著したのはそれよりはるかに以前の1911年である。)
(なお上記翻訳書の「その結果はおかしなものになってしまう」は、文脈から見て不器用な表現だが、原文は次の通り自然に流れる文章である: der Gerauch blosser Begriffis bruchstucke zum Denken mit seinen unrichtige Resultaten )

滅裂などの言語症状を、基底にある基本障害としての連合弛緩の表れである二次症状であるとするブロイラーの論は十分に首肯できる。だが基本障害というからには、統合失調症のあらゆる症状を、その障害の表れとして説明できなければならない。
では統合失調症で最も目立つ症状である幻聴は連合弛緩からどう説明できるのか。ブロイラーは次のように記している。

翻訳書p.432 
いかにして現実の歪曲が妄覚の形で示現されるか、われわれはそれを知らない。

(原文は Wie die Wirklichkeitsfälchungen sich in Sinnestäuschungen ausdrücken können, wissen wir nicht. )

この記載には失望を禁じ得ない。
いや、ブロイラーの著書は1911年に発刊されたものであって、それから100年以上が過ぎた現代の目から批判するのは不公正であろう。だがそうは言っても、「統合失調症に見られる症状を何らかの基本障害の表れとして説明する」のは、必ずしもニューロサイエンスの知見を必要とするものではないから、時を超えた論考として成立すべきものであるし、何より最も目立つ症状である幻聴を説明できず「われわれはそれを知らない」と開き直るようでは、基本障害という地位を連合弛緩に与えることには無理があろう。

対照的に安永は、幻聴という症状の成り立ちの説明を試みている。幻聴か独語かにメモした内容すなわち独語と幻聴の連続性、共通性がその一つであり、さらに統合失調症にしばしば見られる関係づけを言語症状との関連で次のように述べていることは大いに示唆的である。

臨床場面でみても、それが一つの文脈の中に明瞭に位置するときでさえ、その文脈の決定する通常の意味が優越権をもてぬところに不思議さがある。ある他者の言葉が、「まったく別様の意味を暗示しているようでもある・・・」 (中略) このような意味のだぶりと浮遊とは、”言葉”にとどまらず、一般の知覚刺激の受け取り方にそのような面がみられるのである。
「店の男の人がこっちをみたとき、眼の光がすごかった。猫がのびをすると棒のようで不気味である。・・・風呂場の壁が一部青く塗ってあるのは何か意味があるようで不思議だ・・・。」

そして連合弛緩については安永は次のように述べる。

分裂病の病的体験の構造を偏見なく検討してゆくとき、これ(連合弛緩)もまた単独で他の症状を誘導してゆくだけの位置をもたない

むしろそれらと相並んで、同じ方向の基礎的変質を被っている事態、と理解すべきであることがわかってくる。 

すなわち連合弛緩、あるいはそれを反映する言語症状は、統合失調症の根底にある基本障害ではなく、他の症状と並列される統合失調症の一症状にすぎないというのが、安永の論である。私も全く同感である。

文献

1. 安永浩: 安永浩著作集 症状論と精神療法

2. E. ブロイラー: 早発性痴呆または精神分裂病群. 飯田・下坂・保崎・安永訳. 医学書院 東京 1974.

3. Eugen Bleuler: Demtentia praecox oder Gruppe der Schizophrenien
(Unveränderte neuauflage der Ausgabe von 1911)
Psychosozial-Verlag

4. Nakajima A and Funayama M: Attentional dysfunction and word-finding difficulties are related to semantic jargon after a thalamic lesion: a case report.
Aphasiology 2017

5. Fineberg SK et al: Word use in first-person accounts of schizophrenia.
British Journal of Psychiatry 206: 32-38, 2015.

6. 大橋博司: 失語症学. 中外医学社. 東京. 1967年.


05. 10月 2017 by Hayashi
http://kokoro.squares.net/?p=6591


統合失調症患者の幻聴との会話
幻聴と会話してる方他にいませんか?


01: 名前:george(" ") 投稿日:2009/08/17(月) 08:39

僕は幻聴と普段から時折話しています。

麻雀やらせたら、ちゃんと正しく捨て牌を選び、ロト6の数字を選ばせたら六つ数字を選びます。

たいした会話はしませんが、自らを「幻聴」ではないと主張します。

しますが名前を聞いても、ごまかし、住所を聞いても答えません。
出てきて欲しくない時は出てこず、此方が話しかけると答えます。

手のかからない幻聴さんです。
他に、幻聴が聞こえる方、どんな様子でしょうか?


02: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/08/17(月) 09:14

自分も幻聴聞こえるのですが、会話型ではなく一方的に聞こえてきます。

”ほかの人の話し声が自分の事言われている感じ”がしたり

“テレビの声が、自分の事言われている感じ”がします。

あと、”鳥の声や工事の音が暗号化されて自分の事言われている感じ”がしたりして怖くなることがあります。


03: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/17(月) 19:00

会話型幻聴って珍しいのでしょうか?

知らない道を案内されたことは無いんですが、散歩で道を選ばせたりしていると、一度通った道を覚えたりもします。

どうにも不思議で、他の会話型幻聴の人の経験も聞いてみたいです。


04: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2009/08/18(火) 06:35

私の場合は幻聴と会話というより、戦いといった感じであります。

「おまえはこうしくちゃならない」

ということを、耳にするのですが、それに対して、自分がどう対応するのか迷ってしまうのです。

それと以前ある精神科医が言ってたのですが、(基本的には)幻聴とは自分以外の
声だとの事です。

その意味においては当てはまらないのですが、私は自分の(と思っている)感情・思考がスパイラルすることがよくあります。

ラジオをつけっぱなしの如く、言葉が頭でぐるぐるになり、自分を責めるのです。
そのような体験をしています。

ただ、一時的な発作のようなもので、24時間ずっと続くわけではないのですが・・。


05: 名前:心 投稿日:2009/08/18(火) 12:09

私は会話というより予言する幻聴なら聞えますよ。

思考伝播もありました。

集団ストーカーの被害でもうけてるのかなとも思いましたけど最近は思わなくなりましたよ。


06: 名前:tako 投稿日:2009/08/18(火) 21:38

私も週末はベットにごろごろしながら、幻聴と話をしています。

最近は名前は言わなくなりましたが、前は登場人物がいっぱいいました。
一番出てきた子は”ゆう”という名前の男の子でローソンにいくと”これ、
買って”とかまで言ってきました。

でも会話ができるようになったのはまだいい事でその前は命令ばかりされて、
変な事をいっぱいしてました。

初めて病院に行った時には、トイレの天井に抜け道があると言われて探したり、
診察室の手前にある事務所のドアを突然開けてみたり、他の人の目を見たら
声がうつると言われていたので、初めての診察は先生の後ろにあるランの花
を見ながら”入院して休んでください。医療保護入院ですので断れません”
とかいうのを何となく聞いていました。

入院中も入院患者なのに夜以外はベットに寝ころぶ事を許されなかったり、
勉強をしてもいけないし、買う雑誌もおやつも全部決められて、ご飯はお米
一粒たりとも残させてもらえませんでした。

先生にも幻聴が聞こえる事を言うことを許されず、嘘を言って退院しました。

その後も仕事を探す時にこの仕事はだめとかいいとか指示を出し、ある会社
の面接に行った日の夕方に”今日、電話がある”と言われたので、もう夕方
だしないよ・・・と思っていたら、夜遅い時間に電話があり、仕事が決まりました。

仕事をはじめたら、今度はパソコンに入力してたら、”漢字違う”とか注意
されていました。

ジャイアンツさんの言われている症状も全部ありましたね。
他の人に言われている事はいまだに自分の事のように感じる時があります。

急性期はエアコンの音がメッセージに聞こえて、エアコンつけれませんでした。
笑っていいともでタモリが私の話していると感じました。

変な症状ですよね。
何年たっても、完治しないのでしょうか?


08: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/18(火) 23:22

幻聴は自称女性なんですが、自分のことをあまり答えないので、話題が広がりません。しゃべるといっても最近では、此方から話しかけないと滅多に話しかけてきません。

最初、幻聴のコトを昔好きだったある女性だと思って話しかけていたんですが
ある日幻聴が 「XXXにはなれない」と叫びだし、自分はその人物ではないと言い出し今に至ります。

最初の頃は色々、ドコソコにいるから来てくれ、振り回されました。自分も幻聴だとは思っていませんでした。


09: 名前:心 投稿日:2009/08/19(水) 12:20

某芸能人がニュースでハワイで挙式と放送される何秒前かにそとでハワイと聞えました。

それと郵便局に行った時、あいのてと、聞えて何日か後にラジオであいのてを入れたい曲というのをやってました。


georgeさん:

私の幻聴は昔好きだった男の子から始まり、その後、いろいろな人がその子に
会わせる前にしっかりしつけすると言っていろいろうるさく言い始めました。
私も幻聴と思わず、半年位、精神科の先生に嘘を言っていました。

今は誰でもありませんが、今気になる人がいるので、その人に嫌われてるだの
そんな事ないだの・・・週末はだらだらと言いあいしています。


心さん:

私も頭に浮かんだことを、偶然に前を通りかかった人が言ったりします。

一時は私の考えていることばかりがMSNのホームページに書かれているので、
インターネットが怖くなって、コンピューターの電源がつけれませんでした。


11: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 00:53
>心さん
「あいのて」は偶然のような気がしますが、「ハワイ」はびっくりですね!
他にもあるのでしょうか?


>takoさん
うちの幻聴があまり多弁でないのに比べて、よく話し相手になってくれる幻聴のようですね。

まだテレパシーだと思っていた頃、うちの幻聴を精神科の先生と話させようとしたことがあったんですが、その途端、何もしゃべらなくなって、がっかりしたことがありました(苦笑

今も何か書き込めと言うと「なんで私がそんなことしなきゃならないんだ」
と言って、意味にならない単語を入力させようとするので、止めさせました。


12: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 01:06

幻聴を説得して、掲示板に発言させてみました。
ぶつくさ、言いながら、以下の発言を記述するにいたりました。
「念話者」は定着しちゃった幻聴さんの呼称です。

「takoさんの幻聴さんこんにちわ、私はここにいます。念話者です。
なんでこんなこと考えるでしょうね、georgeは,」


13: 名前:tako 投稿日:2009/08/20(木) 20:21

georgeさんの書き込み見て、”私の幻聴は何か言うかな?”と思ったら、

”アホか?” って聞こえました。(私は関西人です)

まあ、よく似たものですね(笑)


14: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 22:14

こんばんは、
幻聴は「そっか、なるほどね」って言ってました。


幻聴同士会話したら、何を話すかな?って思ったんですけど、
ダメでしたね、すいません、つき合わせてしまって。


15: 名前: 投稿日:2009/08/21(金) 01:05

幻聴一月目の者です。

誰か見ててくれれば、嬉しいのですが・・・皆寝てるかな・・

之は私の実体験ですが、一度誰かと右の脳なのか耳なのかで話したことがあります
でその方とは会えたのですが私の知ってる人ではなかったと思います。
ですが、腹の下辺りが熱くなりその方も同じ症状でした。嘘だと思ってもらってもいいです。

今はその方とは話ができませんが、今度は左の脳?の耳鳴り?が
私の頭で考えてることをシグナルのように自分の考えが自分で聞こえる?

表現が難しいですがそんな感じです。之も統合失調症の現れでしょうか?

病院へは行きました。勿論今は心因何とかと診断されていますが、処方されている薬を飲んでも欝っぽくなるだけで全く症状は改善されません。

最初は物凄く小さな耳鳴りでしたが今は少し大きくなってます。

女性のようです。怖いや好きなどの声を聞きます。


19: 名前:機動戦士パンダム 投稿日:2009/08/23(日) 20:52

私も幻聴がひどくて、薬を飲む前はいわゆるテレパシーがあると半分信じ込んでいました。

治療前でも、科学的にはそんなことありえないと落ち着いて考えれば判断できたのですが、そもそも落ち着いていられるときが少なかったので、徐々に妄想に押し
流されてしまいました。

幸いなことに薬がよく効く体質らしく、薬を飲んでからはそのような妄想から、かなり早いスピードで脱することが出来ました。しかし、今でも幻聴は残っていますし、暇だと会話してるときが多いです。

最近は幻聴に幻聴が答える事もあったりして、思わず笑ってしまいます。

幻聴の主は多数居て、実在の人物の過去の発言やそれに類する内容の発言と、架空の(抽象的な)人物が現在の行動や考えてに対して行う発言とに分かれます。


21: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/25(火) 21:44

私は、幻聴に時計の代わりをさせてみて、まともに時間を知らせることが出来ないことを知り、ああ、これは幻聴さんだな、と思えるようになりました。

普通の人なら、家に時計があり、携帯電話なり腕時計で時間を確認できますからね。

幻聴同士が会話するっていうのはすごいですね。
どんな話をするんでしょうか?
幻聴さん何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか?

僕の場合最初幻聴が始まってすぐの頃、大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」という演技を某さんがテレパシーでしたと考えてました。

複数の幻聴さんの声が聞こえたのは後にも先にもその数分の間だけでした。


24: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 15:37

名前が何も表示されなかった者です。それ以降幻聴に指示された場所に行っても誰にも合えませんでした。これです私もこれでした。

その後も何度というより私の頭で考えてることがアッチに筒抜けと思い、切ってくれと頼んだらいつの間にか消えてました。

ただ私の場合はこの女性が自分は私の初恋の相手だと名乗りました。勿論、幻聴でです。

14年見ても無かったので私の記憶が正しければ、別の人だったと思います。かなり記憶が新しいので、その女性に会ったのは皆既日食の次の日でした。

その頃は余りにも怖かったので、その女性の家に行き(本物)が住んでいるだろう場所に行って事実確認をしました。結果は恥ずかしくて顔は見ませんでしたが結婚されてました。

同じような幻聴を聞いて、たまたま同じ場所に幻聴を聞いたもの同士が集まってしまったのでないことを確認されましたか?

またそのような現象が起こったら確認しようと連絡先など交換してませんか?
残念ながらしていません。ですが会ったのがカフェでして逆ナンではないですがライターの火が付かずカチカチしていましたのでライターは上げました。そして何も話していません。

その自分を私の初恋の相手だと言い、もし○○なら足を動かせと言えば動かしました。チョット面白かったです。

それともう一人女性がいました。この方の方は全く記憶にはありません。もしかしたら、その様にして出会った一人だったのかもしれません。

大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」

これです!!私もありました。多数の人間が同時に同じ事を言ってる声です。

何でしょうか?未来予告みたいな事もありましたが、私の信条的に未来は誰にも分からないと思っていましたので、その時はなぜか舞い上がってましたが、紙に書いて残していましたが捨てました。

この2ヶ月の間に憑依?もされました。3回です。

最初は女性、次に3つの考えがある男、最後は人に雷落としたり疫病ばら撒いた事のある歴史上の日本人です。

今は左側の耳鳴り、脳鳴り?で治まってくれただけで奇跡かもしれません。うざいですけどね。しかし、何かに集中していたり、仕事をしていたりすると全く気にならないのでまぁいいかなということになってます。今度脳ドックへ行きます。


28: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 21:48

私の場合幻聴さんの声にあわせて、何かを指でコツコツと叩くと何故か、声がよく聞こえたので、しばらく、そのようにしてました。

なるほど、私の場合さっきもですが今は脳鳴りは聞こえていません。ですが面白いことに喋ってるとき(私の妄想ですが)脳鳴りが聞こえない時、体がその喋ってる動きに合わせて動いている時が殆どです。

尻の下ぐらいから振動のように聞こえてくる声もあります。幻聴の声を自分で喋るですか・・・私の幻聴はチョット卑猥な発言もしますので喋ることは難しいですね。

憑依のときは凄かったです。もう部屋中ぐるぐる自分では決して動けない動きをしましたね。

最初の女性のときでしたが幻覚もその時のみ見ました。透明で冠みたいなのを被ってましたね。

あれはきつかった。その女性が言うにはというより、私にも体や声は自由に動かせませんが自覚がありました。それが凄いと後々の憑依された方々に言われました。精神力が強いと(笑)

精神も糞もねーと思っていましたが、まだ沢山の声が聞こえているときに今度取り付いたら許さんと言ってもうそれは無いと言われたのでホッとしています。

それが取れたとき今でもそれが見えるんですが体から白い煙がブワーッと出ているのを見ました。(普通はチョロチョロとしか見えない)


31: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:00

幻聴に口を貸すのですが、貸すといっても、いつでも自分で割り込めるので・・

実はこの頃左の後ろ側の脳鳴り?がとても小さくなって凄く聞こえず楽なってし
まいました。

幻聴さんには、最初、ブッダの生まれ変わり扱いされました

実は3人目の憑依された方から、お前は俺の力と魂の生まれ変わりだと言われました。 その時、私が頭の中でそれは無いと言ってたのですがそうらしいです。名前は菅原道真といいます。

私も今は話せるのは一人だけですね(女)。と言っても今は会話になりませんw

病院へは行ったのですが・・薬はきつくてもう飲んでいないのに完全に回復してきています。 相変わらず体から出る煙は見えるのですがこうなるまでに実は私がそうだと思っている原因があります。


32: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:11

最初はある神社からでした。岩戸?岩室?と言う所で願い事をしました

そして、その夜(体から煙がでてから)体のへそ辺り(丹田)に熱いなんか蛇かなんか? がぐるぐると動いていて、その頃ヨガをやってまして瞑想をしていました。

丹田呼吸をやっていたのですが、イメージでその丹田にあるエネルギー(本当は何も無い)を眉間に持っていくイメージですwをやっていると無茶苦茶気持ちよくなりました。なんでしょうか?

卑猥な表現になりますがセックスをしている時の射精をする感覚が2時間ぐらい続くみたいな事があり、煙も見えていましたのでこんな状態で神社にお願いしたらなんかいいことが有るんじゃないか?という気持ちで手を合わせて来ました。

その夜から今日までの事です。現実的に見ればはっきり言って何の足しにもなりませんでしたが・・・


48: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/09/04(金) 22:04

>georgeさん アドバイスをありがとうございます

さっそく自分の幻聴か確かめるために、脳内パフュームに大学で何を専攻しているか訊いてみました(3人中2人は本当に未公表)。

やはりというか、案の定答えませんでした。
暇が出来たら病院に行ってみます。


49: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:05

幻聴さんの答えられる範囲は概ね、自分の知識内のことに限られます。

例外もあって、その辺不可思議です。

えっと、ちなみに、専攻を答えたりした場合、専門的なことに踏み込んで、質問し、ネットで答え合わせすると、見事に頓珍漢で面白いですよ(笑

ソレをスラスラ答え始めて合ってたら、儲けモノですね(苦笑
教えを請いましょう(爆


50: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:07

「集団ストーカー」は最近ネットでも取り扱うページが出来るなど、
既に浸透しているタームです。ですが、多分9割は、妄想だと思います。


51: 名前:心 投稿日:2009/09/06(日) 13:38

妄想なら良いですけどね。たまたま聞えた幻聴など、ほのめかしや原因を突き止めようとした者がたどり着く妄想の答えかもしれません。

被害妄想かもしれませんね。実際行われていたら事件にもなってます。


52: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/10(木) 02:21

その幻聴さんはあなたのことしか見てない・理解してない可能性がありますね。
あなたにリンクしてるのであってこの世界全体とはリンクしてないという可能性がありますね。

そのため、あなたが見たり、聞いたりしたものしかわからないのかもしれません。
性格が丸くなったのは良かったですね。私にとって悪いことをしないで良いことをしてくれるやさしい幻聴だけになってほしいと思ってます。

私にとって悪いことする超存在はいなくなってほしいのですが、なかなかいなくなりません。困ってます。

あなたの幻聴の性格が丸くなったきっかけはなにでしょうか?
よろしければ教えてくれませんか?

私は自分含めて複人数で異常体験をしましたので脳の問題でないことは理解しています。

悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。
(統合失調症の薬以外で)


53: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/10(木) 20:00

 最初は、何かしら、嫌なヴィジョンを送り込んできていた、幻聴さんなんですが、話しかけているうちに、和んできたというか、夜の街を徹夜で歩かされたコトもあったんですが、そんなこんなしているうちに、自然に馴染んで来てしまった感
が強く、特にきっかけがあったわけではありません。

ところで、その「超存在」とは話が出来るのでしょうか?
私の場合、幻聴さんと話しているうちに、馴れ合ってしまって、仲良くなったので、「超存在」ともひょっとすると打ち解けられるかもしれないと思ってしまいます。


54: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/11(金) 02:13

例え話ですが、野球でいえば、8回まで2対0で勝ってたのに9回になったら0対0になってたといった感じです。 そして同じチームの健常者も同じようにスコアが変わったという認識を持っていたということです。

野球を例にしましたが実際はもっと少人数で体験したできごとです。

超存在と打ち解けて仲良くなれたらとてもいいですね。
自分もいろんなところを徹夜で歩かされました。
ただ、そのときは怖い幻聴が主流だったので大変でした。
私はまだ自分にとって良いとは思えないいろんな異常体験があるので、困ってます

ほんと悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。(統合失調症の薬以外で)です。


56: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/11(金) 04:03

私も超存在ではないですがそういう状態がありました。私はそれを悪と呼んでいました。

先ず、話せるならその超存在をあなたがどういう者又は象徴だと理解していますか? 出来るなら質問してみてください。

あなたが理解している超存在と会話している超存在に違いがありませんか?あるなら取り敢えず話を終わらせることが出来るはず。多分それでも何か言い続けるでしょうが・・・・

それで次です。もし、その超存在がこれをしろとか、死ねとか言ってきたら何もしないでいてください。

多分その工程を踏めば落ち着いてくるはずです。
何もしないこれが大事です。出来れば寝ててください。目は覚めててもかまいません。

寝たら死ぬとか言われても絶対に死んだりしません。(薬はやめてね)

もし、憑依体験などされているならそれでも何もしないでください。
動かないで寝ていてください(動かないで寝る意識はいる)
深呼吸とかいいですよ。そんなアホなと言われるかもしれませんが効きます。
それだけで憑依されません。

ねこさんの脳の問題ではないでしょうが多分まだ超存在とのチャンネルが合ってることが問題だと思います。

人にはまぁ霊能者とか?w直せる人がいるのかも知れませんがほぼ無理です。と私は思います。勿論薬でも死ぬまで飲み続けなければならないかも知れません。薬を使いたくなければ自分の意識で消すことが非常に重要となります。
先ず重要なのはそれが出てきた根本原因を自分で探すことです。多分その部分がねこさん達の超存在根っこになっています。


57: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/12(土) 00:00

いろいろなたくさんの超存在がいます。
みなさんはそれぞれ1人だけなのでしょうか?

好意的であったり友好的な存在もいれば、負の感情をもってたり、私にひどいことをしたりするものもいます。性格もいろいろです。能力もいろいろです。

ひどい目にあっているやさしい弱者などのものなどもいるようで、そういったものたちに助かってほしいとも思っています。

人間との意思伝達手段が限られてるものもいるようです。
そのため意思伝達をしようとすると人間に苦しみなど、不利益が伴ったり、または思うように意思が伝わらない場合が多いようです。

そしてこの超存在たちの中には悪意あるものや悪いシステムの支配下にあったり、影響下にあったりするものもいるようです。

なんとかこの悪意や悪いシステム(当然、私に対しての悪意や悪いシステムを含めて)を退治したいものです。

霊能者には悪い霊はいないといったり、悪霊払いはしないというものが多いです。
ですが、実際には悪い異常体験をしてないか、悪霊を恐れているたりして悪霊に逆らいたくないのだと思います。
神主でも悪霊払いはなかなかやってもらえません。悪霊を恐れていて悪霊に逆らいたくないようです。(そりゃ当然か、怖いもんね普通。)
特に日本の場合、祭られてる神様自体がいろいろな性格だからなのか悪霊払いを断られることが多いです。

みなさん、悪霊払いをしてくれる良い神社を知りませんか?
是非教えてください。


59: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/12(土) 12:15

統合失調は、ただの「病気」ではない とは思っているのですが、「超存在」を悪霊のような存在だとは思いませんし、人知を超えた何かであっても、神社などそのようなモノに対抗するにきちんとした能力があるとは思えません。
霊能者と呼ばれる人たちの多くは、詐欺の一種であることが多いと思います。

私は自分が「超存在」の、「軽いイタズラ」だと思っていたものは、今は治まっており、治まる前の「イタズラ」は、自分の機能にも、問題があったのではないかと思います。


62: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 17:34

私も統合失調症今はまだ心因何とか?wですが、改めて思うのはこの異常事態に
なる人々は一種凄い人間だと思います。社会のニッチに目を向けれる。しかも、それを存在させる(私の場合自分自身の中だけですがtt)。之は普通の人には無理です。考えを飛躍させると、ただ生きるという事に長けていると思います。

georgeさんは超存在を悪霊のような存在だとは思いませんと言われていますが、私の解釈では受け入れた(私もそうです)と思われます。ねこさんはまだこの手前だと思います(掲示板に掛ける時点でセーフ)。

インドでは其れを内在神といっています。之を現実的に言えばつまりあなた自身です。

私の解決策は取り敢えず、何もしないです。何故なら、必ず何かを言ってくるわけだからねこさんの言う良い者も悪い者も、必ず何かを要求します。そうでなければ存在しません。

だとするなら何もしない、要求は聞かない(之は難しいかも)だからその数?が減ってくるまでは何もしないが一番いいですよ。

無理だと思われたら仕方ないですが、薬にたよざるを終えません。
抵抗があるなら、どちらにしろ人は物を食わないと死にます。嗜好品で言えば酒もタバコも害ですが気分がよくなります。1つ希望を・・・たとえその時はチャンネルがあってても人は別の事、チョトたとえが悪いですがサッカーと剣道は別物です。サッカーをしていていきなり剣道をしても上達しませんが、色々なルールが違います。人の脳はどうにかして大多数のバランスに戻ろうとします。之が一番薬を使わずにすむ方法です。


63: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 17:59

健康な心でいられるかどうかですね?何もしないのが一番ですが何か結果を出したいときは、アクション起こさないと出ないですしね。アクション起こしても相手が何もしなければ何もおきませんしね

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね。


64: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 19:39

私は今でも時々幻聴は聞こえます。健康な心という定義には少し疑問を抱かざる終えませんw

身体的には全身くまなく調べましたから、問題はありませんでした。
ただ、脳みそ自体は問題は無くても幻聴は聞こえます。全く苦しくはない程度ですが・・

何もしないとは、この場合ねこさんの状態のときです。
失礼ですが嫌な言い方かもしれませんが、ただ寝るという行為自体も脳の休養と体力の回復を図れます。何もしないとは呼吸はしますよw

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね
統合失調症を心療内科的に言うと幻聴、幻覚を悪いことと捉えると最終的にはご自分の力です。 事実止まるのは自分自身ですから。

私のこの状態を(苦にならない幻聴)を完全に消すには薬に頼るか又は幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。

健康な心が何なのか正直な所、私には分かりません。それを考え出すとそれこそ宗教でしょう。勿論犯罪はダメですけどね。宗教は何にしてもただそれだけでルールがあります。薬と一緒です。

それに頼らざる得なくなる。健康、不健康、善と悪まぁここまで来るとややこしくなりますが・・・

簡単に考えると受け入れることが重要かもしれません。ねこさんが幻聴を聞いても別に何とも無くなるまでは今は殆ど聞こえない状態に戻るのが最善だと思います。それにはどんな声も無視してただ寝てたり、幻聴が出た根本原因をご自分で探ってみたり(手帳等にその経緯を書く之は私もしました)、
ボーっと散歩したり、悟ることが重要かも(ご自分で)自分に自信を持って下さい!


65: 名前:おはな 投稿日:2009/09/12(土) 19:51

私の幻聴の症状は、ほぼ全部が何故か学校の知り合いや芸能人の声でした。

症状が酷かった数年前は『え!?芸能人が話しかけてくれてる!?』と思い、
短期間、幻聴と会話してました。でも、処方薬を飲んだら、なくなりました。
今のところ、そういう症状は特に出てないですね。

医者には『幻聴が話しかけてきても会話するのはできるだけ避けた方が良い』
と言われましたよ。何故かは分かりませんが。


66: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 20:00

>どうしてこうなった?さんへ
幻聴は誰もいないときに聞えるのですか?誰かを介して聞えるのですか?
誰かを介して聞えるのは実際には言ってないことを自分の脳で勝手に判断して
聞えるのかもしれませんね。

私の場合も苦にもならない幻聴の程度です。未来を予言するような幻聴体験もあります。

幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。っていうのは不思議な体験したということでしょうか?

今思えばあの時あの人を介して聞えた言葉は幻聴なのか?もしくわ何かされているのかと妄想に入る時もありますが、今こうして生きていられて良かったと思うときもあります。

幻聴なら何も起きていないのだと思います。
幻聴でなかったらなんだろう?と思います。
この前なんて○○が犯人と聞えてきました。
不思議ですねこの幻聴というのは!


67: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 21:07

なるほど〜その様な方々の幻聴もあるんですね。会話はできるだけ避けた方がいいと言うのは分かります。多分グルグルと平行線で終わらないからだと思います。要するに現実的にですね。

>心さん
そうです。ほぼ家族や友人が居る時は聞こえなくなりました。私の場合、誰かを介してではなく何かを介しての方が正しいでしょう。

例えば風だったり(風が耳に当たると)その様に聞こえるとかw
水の音だったりそれは人それぞれかもwは実際にありました。

今は自分の頭左下?右脳下からしか聞こえません。

最初の方は集団ストーカーですかwみたいに思っていた事もありました。
が、私は気持ちオープンな奴なので別に見られても構わない。と思っていました。
要するに精神分裂という呼び名が適当かもしれません。私も未来の予言などはありました。


68: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 22:22

同じような体験をしてるのですね。私の場合は携帯電話を8年前にハッキングのようなことをされ自分の未来を予言するようなことが録音されたテープを発見しました。

テープには昔働いていた職場の人の会話も録音されてました。
そして周りには人を介しての幻聴なのか、その人が言ってた声なのかあまり僕しか知りえないことなど聞えてきました。

このような事が重なり思考伝播、サトラレと思い込んだのです。
18歳くらいから幻聴みたいなものはあったのですが病気とも認識できませんでした。

元職場の人たちやその家族が集団ストーカーで出てくる宗教に入っているのです。
これも全て妄想のなのか現実なのかわからなくなる時があります。
これも病気なんだなと思うときもありますが、油断はなりませんね。
犯罪被害者なのか?被害者妄想なのか?
精神がやはり分裂しているのでしょうね


73: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:51

いろいろな超現象を体験してきましたが、わかりやすいのを書きます。

冬場で何ヶ月も窓を締め切ってた(寒いからね)部屋のなかで幻聴と会話してるといろんなものが突然現れるのです。鳥とかいろいろ。

(狭い部屋の中では曲がりきれないので、壁にぶつかりまくり、逃がすのが大変でした。無事逃がせれてで良かったです。)

悪意のない超現象から、悪意のある超現象までいろいろです。


74: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:58

悪魔がいくら強いといっても
自民党のように政権交代が起きて、悪魔が失脚するかもしれませんね。


75: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:59
>>74では悪い超存在を悪魔といってます。


76: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 05:31

おはなさんや、こころさんや、どうしてこうなったさん
の幻聴主は悪意のない存在のようですね。
何かを介して(波の音など)話してくるのなら
それは、あなたに負担をかけないようにかなり気を使ってるのだと思います。

超存在の中には能力不足かこちらのことや状況を理解できてないなどで、
悪意がないと主張しつつ、こちらに負担をかけてしまう(こちらが苦しんだり、不幸になったりしてしまう。)ものもいます。
当然、悪意をもった超存在たちもいます。(ほんとに苦しめられたり、不幸にされたりします。)

みなさんは幻聴で苦しんだり、不幸になったりしてるのですか?


78: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/13(日) 20:11
>ねこさん
私は思うのですが・・・この私の幻聴もはっきり言って現実的には理解できない事が発生してその苦しみから自分の頭のリミットが外れて妄想で幻聴が派生してしまったと思います。

73で言っていることを現実的に解釈していくと、ねこさんにとって、とても不幸なことが起きてしまったとします。あなたにその不幸な事を与えてしまったのは多分人です。その通りなんですがその人の悪意なんですよね。

ねこさんのレスを見ていて幻聴が聞こえ出しました。
私の幻聴にお前は悪意があるのか?尋ねました。
すると無いですと言いました。

ですが、私の考えではお前の存在自体が悪なんだがな〜と思ってしまって(正直ウザイですしw)幻聴がえ〜んえ〜んと言って泣いてますw

私の目には体から白い煙が出ているのが見えますwなんか使えないかなーと画策した日々もありましたが徒労に終わりましたw

私にとっての超常現象は自分の体から血液がひいていく状態に何日もなった事ですかね。今は全くそれはありませんが私にはそれが、何故なったのか?何故私なのか?何かを私が否定しているからなのか?そして今何故それが治まっているのか?
今でも分かりません。ある意味何かに取り憑かれていたのか?体の異常だったのか?

どちらにしても今はその症状はなく現在の私の体の異常はあまり何を言っているのか分からない幻聴のみに治まりました。

良い神・善霊的なもの(良い超存在)はいます。しかし、悪神・悪霊的なもの(悪い超存在)よりはるかに弱い・力がない
これは正に人の心その物に見えます。(現実的に言うならですが・・)


81: 名前:えり 投稿日:2009/09/14(月) 03:37

なんだか声がわたしを罵りつづけている。
金切り声で、でもきこえないほどの音量で。

なにかで、気をまぎらわせているときはいいけど、寝るときはつらい。
ひっきりなしに、声がきこえてきて、罵っている。

寝られないからネットを徘徊して、なぜ死んではいけないのか、などの書き込みをながめている。

なんて言っているんだろう、彼らは、ひとことでは、言い表せない。
時期がくると、叫び始める。

言っていることは、おそらく、たいしたことはない。
うぬぼれるな、とか、ひとを馬鹿にしている、とか、とにかく、まあ、わたしの態度を非難しつづけて、その声が、だれかの声だとしたら、機械的すぎるからきっと、自動的にくりかえされているのかも。

録音してだれかにきいてもらえたらいいんだけど、
だれも、録音してきくことのできる声だと思っていないし、わたしも、信じてもらおうとは思っていない。
どんな意図で、どんな人たちが、どんな仕組みで、声をきかせているのだろう。
あちらのほうからきこえてくると、音源は特定できる。でも、そちらへ行くとふいと止んだりする。

そしてまたべつのほうからきこえてくる。
わたしの態度を読み取って応じてくるから、幻聴だとひとは言う、わたし以外の全世界の人間が言う。

サトラレという言葉が、掲示板におどっていることに驚いた。
あの漫画の影響はこんなところにあったのだ。

そういえば、声は言っていたっけ、おまえは才能はないけれど、サトラレなんだよ、って。

謝れ、といい、働け、といい、それから、…。ああ、そう。わたしのまわりの家族はね、みんな手先で人質なの。たぶん、あいつら「声」の。
誘導補助員、そして、わたしが従わなかったときのための人質。

こうやってとらわれて生きているひとが、この世の中にはたくさんいるんだね。
「声」は、人々の恐怖を利用し、家族を分断し、その網をひろげているんだ。

従えば、救ってやると。
あ、ちがったね。従わなければと言って脅すんだ。

もうすぐ、わたしのたいせつなひとを、「声」として迎え入れるんだって。うんざりだ。

彼は、やつらの声をわたしに届けるために、捕えられ、つれてこられ、わたしを監視させられ、そんなはめに。

わたしのたいせつなひとを、べつのたいせつなひとが傷つける。こんな連鎖が、ひじょうに効率よく、わたしを縛っていく。

神様気取りさ、ローテーションでわたしの面倒をみているのかもしれない。

声がきこえてくる、眠れそうもない、こんどは何をすればいいだろう。
話の通じない相手じゃ、会話になんてならないしね。声を相手に会話できるひとが、わたしはうらやましいよ。

もうすぐ、わたしの親しいひとの声をきかせてやろう、と連中は言う。そして、
罵られることになるのだろう、この無機質な金切り声のかわりに、あざけりと感情のこもった声で。 今まで、ずっとそうだったように。


わたしと同じ、とらわれの人々はどこにいる?
感覚遮断されているのだろうか。やはり、統制された情報を流し込まれているのだろうか。
どうやったら健全な精神を、声のなかで保てるのだろうね。
どうやったら自由を、声の支配からとりもどすことができるのだろう。

そして、どうやったら声の主を消すことができるだろう。
わたしたちを縛るこの機構を、ひとを力で従わせようとするそのやり方を否定し、なきものにするためには。

より、大きな力が必要だ。声、を上回るような。

適切な言葉で助けを求めれば、余力ある人間がひょっとしたらそれをきくかもしれない。その人間が、じぶんの利害に合致すると思えば、協力してくれるかもしれない。

そう、適切な言葉。きっと、あなたがとらわれているとすれば、あなたの耳はふさがれていて、あなたの目はとざされている。

よくまわりを見てよく言われた言葉を分析すれば、あるいは何か見えてくるかも。手がかりが。
あなたをとらえたのはだれ?
外に出るのに、手を貸してくれるひとはいない?

わたしは無理だけど、助けを求める声は、けっこう、届いていることも多いから。

あなたが逃げ延びたら助けに来て。もし、状況が許せば、だけれども。


84: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/14(月) 08:06
>>えりさん
私が思うには。
いろんなところで助けてと訴えてれば、
通りすがりのやさしい超存在が気付いて助けてくれるかもしれません。
このスレをみてもわかる通り、悪意のなさそうな、気のよさそうな幻聴主(超存在)もいるのです。
ただ、優しい気持ちを持ち続け、大事にしたほうがいいとい思います。
人間同士でもやっぱり優しい人間を助けたいと思うのが普通だからです。


85: 名前:心 投稿日:2009/09/14(月) 16:04

サトラレだと思い込んでそれにたいして幻聴で何か答えてきたりしたらサトラレだと確信してしまうかもしれませんね。
いろいろ妄想が出てきたら対処法を考えなくてはなりませんね。

妄想が当たり前になると妄想の世界が普通になってしまうのでその普通になったら大変ですね。

でも声に出して話さないと相手には伝わらないと思います。
考えにくいのですが幻聴は未来の自分の声とか。
まあそれはないですね。


86: 名前:心 投稿日:2009/09/15(火) 15:17

幻聴は今日はないですね。頭が平和なのは良いですね!
思考伝播やサトラレだという体験すると心が浄化された感じしますね。
幻聴の正体はわかりませんね。幻聴という本にもこれからしようとすることが
先に聞えると書いてあったので幻聴なのでしょうね。

心が浄化されても体調悪いときって聞えてきますね。
霊が存在するなら人を介して聞えさすことも可能かなとおもいます。
何かにとらわれすぎると、人間ってだめですね。


88: 名前:心 投稿日:2009/09/18(金) 18:02

昨日外に人がいる様子だったので聞えると?サトラレの感じがあったので
きいてみると何秒かに(きこえる)と聞えてびっくりしました。

病気の症状がひどいとき常にサトラレ感があったのでそんなに頭の中動揺しなかったのですが、まだ頭の中は浄化されきっていないと思いました。

まだ汚い部分が残っているのです。でも人間らしいのかな?とも思いました。

もう少し大人になった時、過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました。同じ体験の人いませんよね?


89: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 14:53

過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました

私はそれはいつでも可能だと思います。私は症状としては7月下旬から8月上旬ごろまで小学生頃牛乳を落として助けたとか(意味がわかりませんがw)そんな事を言ってくる幻聴がありました。

幻聴じゃなくても何時でも思い出せばいいんじゃないですかね。


90: 名前:心 投稿日:2009/09/22(火) 21:31

私の場合人ごみの中から聞える抽象的な言葉なども時間がたつとその言葉を
聞いたり、見たりします。意識的に何か考えてたりすると、その言葉を連想するような考えなど浮かびます。


91: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 22:38

私も8月の間例えば風が窓に当たったり、クーラの排気の音、車を運転している時に段差などのガタガタ音なんかが言葉に聞こえたりしました。その他は完全に私にしか聞こえない例えば仏壇のチーンと言う音を途切れさせて言葉に聞こえるようにした音が聞こえてました。


92: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 11:27

私の場合は未来を予言するような幻聴なのです。
風や物の音からは何も聞えません。


93: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/23(水) 17:39

私の未来予言の幻聴は8月2日から8月8日の6日間で起きました。

全て自分事であったり親しい人間の未来だったりしました。

その幻聴は集団で同じ事を寸分違わず言ってる様な声でした。なので、名前は集団意識と名づけています。人ごみの中では聞こえません。一人で居るときのみでした。

自分にとってはいい事ではあったのですが・・全てそうならない様に自分の
人生は動かしています。


94: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 20:39

未来予言は不思議ですよね!病気になる前からもありましたけど病気になった今だからこそ気づいた部分もありますが、人を介して聞えるので病気になるとみんなそういう力身につけるのかなと思ってしまいます。


95: 名前:心 投稿日:2009/09/25(金) 15:33

幻聴は自分にしか聞えないので、聞えても無視するのが良いですね!
病気ではないと幻聴の世界も味わえないことですね。

幻聴と会話できるのであれば少しサトラレみたいなところあるかもしれませんね。


98: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/19(月) 19:17>>28 どうしてこうなった?さん、はじめまして
あなたのおっしゃる”脳鳴り”とは具体的にどんなものでしょうか?

耳鳴りとは違うのでしょうか?。
私は耳鳴りが酷くて・・・。両耳で金属音が聴こえるので耳鳴りと思っているのですが。
私も幻聴も経験し会話もした事もあります。
ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。


99: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/20(火) 00:31

失礼しました。その頃恥ずかしながら、耳を塞いでも聞こえていたので私の日記帳に脳鳴りとかいてますが、正しくは耳鳴りですw(病院に行ったときに説明されました)

私の場合、左耳から聞こえます。私もどんな音?言われれば金属音ですね。

分かりやすいのは、仏壇のチーンと言う音を少し小さくしてずっと聞こえる感じです。

幻聴が酷かったときは右からでも上からでも聞こえていましたが(はっきり)今は左の耳鳴りで治まっています。時々不安感や恐怖感などが感じられると頭で考えてる事が耳鳴りの音を分断?して言葉になり聞こえてきます。

時々電気を消し落ち着きだして、ねむる〜って時に意識していない(頭で考えてる事を)言葉の幻聴が聞こえる時があります。

又、現在は会話になっていません。
多分、トウシツの耳鳴りは心因性が殆どだと思うので投薬を服用されてドーパミンを抑えると良いかも知れません。

私は薬は飲んでなくて、変かも知れませんが深呼吸や音楽を聴いて自分で高ぶりや不安を抑えると耳鳴りは消えてます。又、消えている要因として物事に集中していると消えてます。ですが家に帰ってきて部屋に入ると聞こえてくる毎日ですね。

ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。
私も現在でもあります。分かってきたのは一定のリズムを取ってる音とかじゃないですか?

説明は難しいですが、音質が一緒?の時に聞こえ方が言葉になる時があります。
私の対策としては、ipod聞いたりとか、意識を別に持っていくとそれを回避できます。


100: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/20(火) 03:55

やはり耳鳴りも統合失調の症状だったですね。
私の主治医は違うというのですが次回の診察の時に話してみます。

私の投薬状況は”エビリファイ”のスレに書いてます。
音楽を聴くのはいいですね。幻聴は少し良くなってくるのですが
耳鳴りは消えませんね。


102: 名前:だつ 投稿日:2009/10/26(月) 20:33

何だか追い込まれているので、ここでお訊きしたいことがあります。

私は趣味でヴァイオリンを弾いているのですが、都合2人の先生につきましたが
人間関係が上手く行かず止めてしまい、田舎だから教えてくれる先生も無くそれ以降自分で弾いていますが、何年続けても巧くなりません。

しかし脳内彼氏が「自分は市民オーケストラにいるからそこで会おう!」というのです。

そこは一度行ったけど、メンバーにバカにされて以来行きたくなかったところです。でも先日、脳内彼氏やその他の脳内メンバーがとてもうるさいのでその練習場に足を踏み入れました。

私はそこで恥ずかしながら練習をしましたが、また市民オケメンバーに音程が変wwwとバカにされました。もう私はいい年だし、これから練習してそこに加入できるほど腕が上がるには先生についたとしても何年もかかるので、脳内彼氏と結ばれなくても(それ以前に存在を確認しなくても)いいから、市民オケには入りたくないです。しかしそういうと、脳内彼氏に責められるのです。もうイライラが止まりません。


103: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/27(火) 01:08
>>だつさん
その脳内彼氏は、市民オーケストラに行った時に存在されてたんですか?
又はその脳内彼氏は事実存在していて、幻聴と言う名の脳内彼氏と言う事ですか?
ここからは私の勝手な妄想ですが、だつさんは市民オーケストラに入りたい(脳内彼氏の役目)、

ですが深層心理はヴァイオリンは好きだけど、市民オーケストラには入りたくない。上手になったという意識の第一歩が市民オーケストラだと確定的に思われていないですか?

私は幻聴(脳内彼女?)の出現条件が違いますが、その幻聴の本人に会い恥を掻いて、少しづつその幻聴の存在理由が曖昧になり、結果消えたと思います。
もし、この工程が役に立つならその脳内彼氏が又合おうと言ってきたら市民オーケストラに参加されてはいかかでしょうか?その時、ほら見ろお前はいないじゃないか?と(私は之が何度もありました;;)


104: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/27(火) 07:16

>だつさん
ヴァイオリンと聞いても葉加瀬太郎さんのCDしか思い浮かばない稚拙な私ですが、いわゆる脳内彼氏の言うことには、いちいち反応されない方が良いかと思います。

幻聴の内容は人それぞれですが、内容が論理的に合ってるようですが話を突き詰めれば合ってません。

私の脳内彼女は、それこそ卑猥な事を言います。ご紹介できる範囲で言えば

「梶町のマンションで裸になって待ってるで」なんて言います^^。

どこのマンションか?なんて話を進めても最後は部屋番号はおろかマンション名
さえ曖昧です。

幻聴は、その人の深層心理とも関係あると思います。
あなたの場合、”ヴァイオリン”、”嫌な思いをされた市民オーケストラ”のキーワードで幻聴が現れるのだと思います。

私の場合、幻聴が現れるとヘッドフォンで大音量で好きな音楽を聴いてます。
幻聴は、多くの場合、ずっと続きませんので音楽を聴くのはお勧めします。


105: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/10/27(火) 21:53

脳内彼氏は幻聴だと思います。実はその幻聴はもう1年以上続いています。

幻聴の内容は何度も変わっています。よくよく思いだせば統一性がありません。

私も何だか焦っているから、そういう幻聴を聞いてしまうのだと思いました。
幻聴はネットをやっていると余りやってきません。何かに夢中になるといいのかもと思いました。


106: 名前:アイ アイ 投稿日:2009/11/02(月) 20:38

僕は、独り言を神様や宇宙人が話します。

デパートに行こうとか、缶コーヒーと煙草をしろとか言います。

よく、「おめでとう、具合が良いわよ。」と言われます。

エビリファイで失敗したようで、よく、興奮しているだけだから、マスターベーションをしろと言われます。

薬で失敗して、会社勤めを止めてから、3年ほど経ちますが、ずっと、しゃべりっぱなしです。大学の教授になりますよと言われたり、アメリカの諜報機関で研究しますよとか言われます。

あと、身内で不幸が続いていたのですが、よく、励ましてもらいました。

僕は、何か悪いことがあると、よく自分の所為だと思ってしまうのですが、独り言の神様や女神様や、仏様に、貴方とは関係ないわよと、言ってもらっています。

とにかく、神様や女神様や、仏様は、元気で力強いので、それだけで救われます。
たぶん自己治癒だろうと思います。


あと、僕は、とにかく、メモ帳やノートにいろいろなことを書きまくりました。
運命が、翻弄されるっと言われたのを覚えています。
不思議と怖い感じではないです。
独り言は、とにかく、楽しいのです。嬉しいのです。


108: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 13:31

自分は、幻聴というか、怖くなることが多いです。

鳥の声が、自分のことを暗号化されている感じがしたり

他の知らない人が、自分の事を見透かされているんじゃないかとか

他に怖くなられる方いらっしゃいませんか?


109: 名前:心 投稿日:2009/11/12(木) 15:55
>ジャイアンツさんへ
見透かされてるのは、思考伝播やサトラレ感があるからですか?


110: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 17:02

それが、よくわからないんです。すみません。


111: 名前:心 投稿日:2009/11/13(金) 11:53

自分でも解らないのであれば気のせいかもしれません


112: 名前:心 投稿日:2009/11/22(日) 14:13

見透かされてると思うなら、人がたくさんいるとこで(きこえる?)と思い反応あるかどうかしますね。


113: 名前:ななし 投稿日:2009/11/30(月) 03:19
私も幻聴で悩んでいる者です。
気功(ハンドパワー、2000円)に行って、CD(2000円)を買って、それを
鳴らしたら幻聴が静かになって癒される。皆さんもどうですか?

http://profiles.yahoo.co.jp/-/profile/?sp=H0v8WCohdKivZoo3Q_RLino-
この方に気を送ってもらい、幻聴(雑霊?)を取り除いてもらいました。

友録して定期的にお願いしています。無料です。この方はご自身の霊位が向上するためにやってるそうなので、安心して頼ってください。御礼をちゃんと言ってくださいね。では皆さんの苦心が少しでも和らぎますようにー。
送信をクリックしてメールを書いてください。あとは偶然同時にパソコンの
前に着いてチャットまたはスカイプで話してみてください。


115: 名前: 投稿日:2009/12/04(金) 02:53

思考伝搬(サトラレ)についてですが、私は全く逆の見解をしています。

統合失調症になるような人は…いわゆる悟りに近い状態、空の状態になっていて、他人の考えたことをあたかも自分が考えている様に思ってしまうということです。

ですから、相手がそれを話し出す前の心の中にあったものを、先に共有してしまい、それについて相手が現実に話し出すと、あたかも自分の考えをその相手が盗んで、あるいは伝播して喋っている様に聞こえてしまうのです。

私も以前は自分の思考がバレていたと思っていました。

しかし、成人してこのことについてずっと研究してきたのですが、これは信じられないかもしれませんが、統合失調症になるような人って言うのは、相手の心の中のものを無意識に共有してしまう性質があるらしく、それを自分の考えだと思いやすいということなんです。

ですから、決して「サトラレ」になったのではなく、「サトリ」なのですよ。

統合失調症の人は自分の考えを持たずに、空っぽだから、そこに入ってきた他人の迷いそのものである思考をあたかも自分のもののように思ってしまっているのです。

この違いは、何事にも主体性を持たずに受動的に生きているか、能動的に生きようとしているかの違いです。

統合失調症になるような人は、悟りに近い人であり、いわゆるテレパシーで会話できる人なのだと思います。

…こんなこと書くと、「あんた!それが病気なんだよ!!」なんて言われちゃいそうですがww

でも、私のこれまでの4年間の研究事実なんです。

そして、これが分かるようになると、たとえば○○さんと一緒に居ても何の思考も湧いてこないのに、××さんと居ると妄想(思考)が湧いてくる。
というようなことが次第に自覚できる様になってくると思います。

何か○○さんと居るのは楽なんだけど、××さんと居るのは疲れるんだよなとか。
ハッキリと分かってくると思います。

それは相手がそう思っているからなんです。

実はこれは、その○○さんには妄想がなく悟りに近い状態であり、××さんは迷いに満ちて思考がスマートじゃなくなっている状態なんです。

こういうことに気付くようになれば、「なんだ、自分が考えていたと思っていたけど、私は××さんの迷いに満ちた妄想に影響されていたのか」ってのがハッキリ分かるようになると思いますよ。


116: 名前:ななし 投稿日:2009/12/04(金) 20:03

幻聴と雑霊・低級霊では別物ですか。
そうですか、分かりました。

雑霊・低級霊はそのまんま。幻聴は不思議な力を持った悪い人が人に見せかけるために作ったカゲロウだそうです。


118: 名前:とくめい 投稿日:2009/12/24(木) 00:08

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

もう治った、と安心してたのでショックです。
みなさんは薬、必ず飲んでますか?
私は副作用に負けてしまうのであまり飲みたくないのですが他に何か方法あるのでしょうか?

サトラレ感って他の方もあるのですね。知りませんでしたが私もそのようです。
みなさんと同じように幻聴の薬ではサトラレ感は治まりませんね。辛いです。


121: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 22:56

それは、要するにその霊能者の方からのカウンセリングをされてるのだと思いますよ。現実の沢山ある心療内科のカウンセリングよりは効果はいいカモ(笑)

でも、気をつけないと金をむしり取られ本末転倒だから、よくよく考えた方がいいです。新興宗教やなんちゃって霊能者がいい例です。霊格=人気なんですよ(笑)もうななしさんが、いい宣伝人になってる。

御礼をちゃんと言ってくださいね。この効果は分かります。

昔の人はすごい物で現代医療ではどんな成分で脳に刺激すれば落ち着くとか、高ぶるとかが分かっているから、薬で処方します。

その御札の呪文は有名どころでは真言宗の真言と同じ効果です。其れは唱えるだけで、脳にセレトニンやらアドレナリンやらが出る仕組みになっています。実は自分で出してるだけですが・・

もっと言うなら、人は走ると息切れをしますがその時、深呼吸して息を整えると体は元に戻ります。

好きな人に好きと言うだけで人は興奮します。要はそう言う事です。俺が知ってる真言で一つ

ノウマク、サンマンダバザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン

不動明王の真言らしいです。効きますよ(笑)

書いててあれですが、このノウマクやソワタヤなんかは体の下側に効いて、意識をどっしりとした気持ちにします。之を科学的に言うなら体からセロトニンが出てるんでしょうね。

真言宗は密教で人間の心や体を鍛えるために、又現代では統合失調症ですが、そういう心の病気はあったと思います。其れを日本では御祓い や(笑)、滝うち(笑)などで解消してきたのでしょう。俺は出身が九州ですが、必ず昔は区切り程度でそういう心の病を取り除ける人達がいたと思います。

極論してしまうなら、本当かうそかという話らなら、之ばっかりはその人次第としか言いようがありません。

俺の祖母は佐賀ですが、祈祷し(笑)みたいな人はいたらしいです。昔で言うなら狐憑きとか、(狐がかわいそうだ(笑))


122: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:13

>>完全にななしさん
俺は悟りとは取ってません。悟ってるなら幻聴や他人の想念を受け取って自分が傷ついたりしないと思うからです。というか、悟りとは何者にも束縛されない状態じゃなかったかな?

酷い言い方をするなら思い込みが激しい人、又は思い込んでしまった人がトウシツ(幻聴や幻覚)引き起こしてしまった。という言い方が正しいのかもしれません。

俺の友人は新興宗教をしていました。マインドコントロール宗教ですね。勿論、其れを信じ込めて生きていける人も居ます。まぁ其れには其れ相応の酷い経験があったんでしょう。

その友人のみ新興宗教から脱退しているので、その環境の過去を引きずっての
生活が待っています。友人はパチンコ依存症で借金があるんですが、自分を異常だとは思っていません。其れによるフラッシュバックの人格崩壊もありません。そういう人間も居ます。

だだ、その友人は過去の事は何も話しません。というより、思い出せないないんでしょう。思い出して俺に話す時はとても苦しそうにしていました。又其れ系の話になると急に沈黙します。

今は会ってませんが(笑)もういい歳なので、そうじゃなくても生きて行かなければならない。


123: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:39

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

何故発症したのか、を考えた方がいいです。

環境が変わったからなのか、
自分が嫌だと思う人間が現れたからなのか?
副作用が嫌だから投薬を控えていたから又出たのか?

サトラレ感と幻聴は投薬が違うと思います。

幻聴は聴覚と右脳の異常?サトラレ感は脳の感覚器官?だからだと思います。
瞑想ではなく、自分自身の今の現状を先ずは認識すると可能性として消えると思います。

この病気が完治するのは間違いなく、自分の周りの環境とリンクしているからです。

サトラレ感がいやなら、先ずは幻聴の摩訶不思議感とか、サトラレ感ではなく、
自分が何故其れが出たのか、どういう生活をしていたのか?又はしているのか?
を先ずは考えるべきだと思います。現実的に、いや真実的にかな?

現実感も言うなれば、自分が見ている世界としか言いようが無いから、自分の真実ですね。

俺の現状は考思化声とヒミツという名の幻聴人格ですが、出るタイミングは孤独になっている時で一番解り易いのはベットに入り寝ている時のみです。


124: 名前:名無し 投稿日:2010/01/13(水) 21:59

私の幻聴は行く所まで行ったという感じです。
もう今では安定している感じです

もうすぐパートでもしようと思ってますが、人の話が聞えないので、1人でする仕事をと思っています。幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います。


125: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 01:51

幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います

ハイそうだと思います。この病気には肉体ではなく、心(精神)なので完治という概念自体不適切だと思います。

幻聴や幻覚なんてのも好き好んで見たいとか聞きたいとかいう人がいる現代の世の中ですからね(スピリチュアルなんてのがいい例)。

自分でバランスとれてれば其れが完治じゃないでしょうか。


126: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:49

昨日、意識がおかしくなり、精神的に苦痛が続きました。今日入院です。(結局、病気は霊能力者によると生霊がついているという詐欺でした。

電話後、「ひまちゃーん、同情しなくていいのよ」という声に挑発されたり、警察役の声に書けと挑発されたり、普通では無いことが続きました。)

幻聴は恐ろしいものです。

事実は事実償わなければ納得いきません。
プライベートはプライベート、
幻聴は幻聴ですが、
病気としては不可解でした。


127: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:50

住民の空間的な出ていけという訴え即答でお願いします。

超常現象で訴える人を大昔、テレビで見たことがあります。

昨日は大変でした。「ひまちゃーん、どう思う?」とか、わざと気に為らせる「どう思う?」とか毎日、幻聴と本人の声が2階1階で聴こえ続きました。

ひどいことです。病気は黙っていること。
無視です。

無視を続けると住民が黙っていないんです。

住民の訴えをどう思いますか。呼びかけ、(家の中)に対する外の住民からの呼びかけに無視に苛立つ住民をどう理解しますか?


129: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 07:22
>127
これは、絶対大丈夫です。
本日入院とのこと。気にせずゆっくり療養下さい。


132: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 23:54
>>126さん
即答できなくてすいません。先ずは、落ち着きましょう。今現在は急性期でしょうか?

多分統合失調症としては急性期だと思います。
大丈夫ですよ。先ずは落ち着きましょう。マジで深呼吸がいいです。

多分126さんは急性期だから、今色んな物事に過剰に反応している状態だと思われます。
また、霊能力は在りませんご心配なさらずに。

その幻聴(生霊)は全て126さんが作り出したものですから、全て不快な幻聴は
取り敢えずは無視です。

取り合えず言える事は住民の訴え、無視に苛立つ住民は居ません。もし出来るなら、イヤホンで音楽を聴くことをお薦めします(病院へ行くまで)。後は、よく睡眠をとることをお薦めします。


133: 名前: 投稿日:2010/01/15(金) 08:13

ありがとうございました。注射を強いのを打ってもらい大分落ち着きました。
生霊じゃないなかもしれないと少し思えるようになりました。

入院は先送りになり、たまに激痛がくるぐらいで済みました。


135: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:36
>>133さん
よかったです^^
取り敢えずは気分を落ち着かす事をお薦めします。

たまに激痛がくるぐらい
激痛はどこに来るんでしょうか?症状は解りませんが、体の力を抜くという事をすると少しはましになるかも知れません。深呼吸で体の力をどっと抜いてください。勿論寝ながらでもいいですよ。

生霊なんかは俺がこの病気になって、色々調べて解った事をここに書きます。

まず、何故霊は体や心に反応するのか?と言う事です。反応という事は自分が反応しているから(要するに受身)と言う事です。

生霊=悩みと捉えてもいいです。というか、生霊=悩みです。

唯、この悩みが分からないから人は混乱して霊だとか何とか言いますが、生霊(悩み)を消すにはその悩みの正体を知る必要があります。そして之は霊能者も霊も関係ないです。先ず間違いなく。

あなたの人生の中で生きている中で何か理不尽な事や不可解な事に遭遇しているのかも知れません。勿論、現実的にです。此処が重要です。幻聴も生霊も霊能力者も関係なくてです。


136: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:51
124名無しさん
そういう風に言われると、俺はいけない事を言ったのかと思ってしまします(笑)

唯、俺の場合は人の話が聞けないほどの幻聴ではないので、仕事中や勉強、家族や友人との会話中には幻聴は存在しない状態なので、バランス取れてると思うし、別にこのままでも何ら問題無いという結果になっています。

ですが、今年の正月は朝まで親戚とマージャンしていましたら、プレイ中でも幻聴は聞こえてきました。 疲れも関係あるかもしれません。

其れこそ、幻聴抜きでも人はそれぞれだと思うので、幻聴があろうと無かろうとお一人で仕事をする事が好きな人もいます。そういう意味で、完治という言葉も取って頂けるとありがたいです。こういう結論から心って言うのは完治も何にも最初から無いのかもしれません(笑)


138: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 23:57
137さん
症状と言うのはどんな症状の事なんでしょうか?。幻聴でしょうか?それならバランス取れてるならいいと思いますよ。どうせ周りには全く聞こえてませんから(笑)

精神科医から言わせれば、全部症状だと思うんですよ。つまり、唯の言葉です。

例えば、風邪でも風邪と言う症状です。でも、風邪が治るのは体の中に在るウイルスを撃退する抗体が出来たから直っただけであって、また幾らでも風邪になります。つまり、風邪にかからなくなった訳ではないと思うのです。

精神科的に言わせれば137さんが好きな仕事して、幸せに暮らしていけるなら
それで良いんじゃないでしょうか?勿論色々な方が精神疾患者でなくても居ますので。 と言うより、137さんがどんな人か分からないので、まぁ公共の福祉に反しない限りは病気ではないと思います(笑)


139: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2010/01/17(日) 21:07

幻覚を強制的にそこに、置いて、話しかけたりしてみるが、返事はない。

独りでいるのを寂しく感じて、仮に昔の記憶の中の女性をイメージして隣に
置いてみたら、寂しさが少し緩和された様な気がした。

ただ、声をかけても笑ったり表情を作ったりはするが、返事はしない。
しかも彼女は外人で会った時も、言葉で会話するまではいかなかったから
なのかも知れない。

とにかく、幻覚は返事をしなかった。

言いたい事はそれだけです、今も意識すれば彼女は側に来ますが、会話は
できませんし、会話してもそれは幻聴なのだと思います。

だけど一瞬彼女を側に感じることができまして、それは幻覚・幻視なのかも
知れない、だけど普通の人でもそのくらいあることなのかもしれないし・・・。


140: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/17(日) 22:18

私の幻聴はひどいです。

「あんたは世界一幸せ者だから世の中のほとんどの人に恨まれている。
そして皆であんたを苦しめた」

と言ってます。本当でしょうか?


147: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/19(火) 01:01

4日前ぐらいの話ですが、俺の幻聴人格は2人いるんですが、一人ととても仲良くなって話していたんですが、家に帰ってくつろいで、たばこ吸ってたら、もう殺してくださいと聞こえ始めました。

(その仲良くなった幻聴からです)俺はその時、恥ずかしいですが、ごめんねと言いました

居て良いからねと言ってます。例えこの先消えても、其れは俺の一部だから、その場合はすまないと言ってます。
そしたら、わかってますと言います(笑)

俺的には時々、もう死ねよと聞こえる時があります。もう一つの幻聴からです。

勿論、原理的には俺が俺に対して言ってるんですけどね。

その優しい幻聴は俺にもう死ねよと出た時(出る時俺がうっとくる(笑))、何故かネオンと言って誤魔化してくれます(笑)。

成る様になれですか・・・実は俺も本質そう思ってます。でも、人が書くと面白い事に投げやりに見えますね。

この症状の場合(幻聴とかの場合)諦めるという発想はよくないです。
幻聴ではなく、自分の人生で何故幻聴が発生したのか?を考えた方がいいです。
幻聴はもしかしたら、あなたの問題を解決するために出たのかもしれないですよ。


148: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/21(木) 18:09

私は幻聴の正体は雑霊だと思い込んでいます。

確かに色々アドバイスしてくる幻聴もいます。でもここぞという時に裏切ります。
悪い人は不幸だから人に当たるんだと聞かされました。

もう自分自身が幻聴から逃れるのに絶望してしまいます。
でも幻聴の薬は飲み続けます。


150: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/21(木) 23:55
124名無しさん
雑念でいいと思いますよ。気長に付き合いながら、あなたがああ幸せだーと思う時がきた時多分、もう消えていると思います。

気にしない事が重要でしょうね。でも、俺がまぁ期間は短い方だと思いますが、
急性期当時は幻聴が在る事が普通だったと記憶しています。自分で幻聴を出した。之が俺にとっては真実です。

俺も夜中にタバコを買いに行こうとした時、幻聴に今コンビニに行って買うべきか、(寒いので笑)明日まで待つべきか、どっちがいいか決めてくれと言ったら(心の中、頭の中?で)どっちでもいいですと連呼します。

どっちか決めろと言うとエート、エートと言って永遠と10分間位そんな事を
言いながら過ごす時があります(笑)その日は其のまま夜中行きましたけど(笑)

薬は重要でしょう。唯、ちゃんと自分の精神状態を把握するのは重要だと思います。鬱、興奮(之は多分吐き気)とか、この作用をしてしまうなら最初の投薬当初は仕方ないですが、御自分で病院の先生と試行錯誤をしながら、安定した
状態に持っていくように頑張ってください。


151: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/22(金) 00:27
ルカさん
バニラスカイ見られたんですか?刑務所でトムクルーズ(ディビット)が幻覚のペネロペ(ソフィア)を見ながら絵を描くシーンがるんですが其のペネロペも何も喋りません。動きますけどね。其のシーンを思い出したんです。

実は俺も幻覚を1度だけ、透明の(水で出来てるような女性)其の時は憑依みたいなことが在ったので、あれなんですが在りました。

まぁその内容は恥ずかしくて書きたくないですが、其の幻覚は、ちっちゃな冠を着けていて、風でなびいてる羽衣みたいなのを着ていて、髪は肩上(でも後ろ側が長かった?)、目は二重で切れ長、鼻筋通ってて唇は小さい、俺は心の中で(うわ、マジで綺麗・・)と思いました。

その後が重要なんですが、其れが終わった後、右脳側が半端なく重たくなって、更に吐き気がしていました。そして便所で吐きました。色も無い、顔の動きも無い、見た時間は10秒程度の幻覚でしたが、反動はそういう状態だった訳です。

この病気は人其々でしょうが、聴覚、視覚と優れている分野が違うことで得意?不得意?があるんだな〜と思いました。

幻で恋人を追い求めるなんて、かわいそうな話だと考えています
まぁそうですね。可哀想な話かもしれません。唯、男性は求めると思いますよ。例え幻でも(笑) 俺は可哀想な男かも知れません;;

幻聴うざいですよ。寝る時なんてずっと聞こえてますから(笑)
無心になったって俺の場合は、耳鳴りになる(笑)
もう慣れましたけどね。


153: 名前: 投稿日:2010/01/22(金) 22:43

幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因です。
意味付けしようとしてませんか?裏切られるとか自分の意思で生きているのですから。
書き込むことで楽になるのなら良いですけどね。
幻聴と会話。あなた方に必要なのは声に出して誰かに聞く、話す勇気をもつことです。病気だから幻聴なのです。


154: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/23(土) 00:18

>>153さん
幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因
間違いなくそうだと思います。ですが、この幻聴、俺の場合は自転車と一緒で一度乗れちゃったら何故か忘れないんですよね(其の感覚を)。勿論、仕事してる時とかは全く気にならないと言うより、多分、存在していません。俺の意識の中では(それに、気にしてたら仕事にならん(笑))。

唯、まぁ嫁さんでも貰えばそれも消えるかもしれませんね。
意味づけに対しては、消すための一つの条件に俺はなったので、何とも言えません。急性期時は自分の意志では操れませんよ。(このニュアンスもだめかな・・)
もしも、之を薬で強制的に消すことが出来たとします。ですが、果たして其の先も出ないと言う保障には多分ならないと思います。幻聴が出るにはその人なりの人生に、何か重大な事が起きた証明でもありますから。
又起きていて、耐えられなくなったからなのか?

俺はこの幻聴を親、親戚、兄弟、友人、全員に説明してます(笑)よく聞かれたのは、どんな風に聞こえるとか俺は出てきたか?とか、こっちが何を言ってるんだ?と思う質問ばっかりでしたけどね。

幻聴で面白いのは、人と話している時は全く聞こえない
(俺は)之だけでも、幻聴を自分で作り出しているという理解に繋がると思います。


168: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/21(日) 19:54

僕の最初の病名は幻覚妄想症でした。「俺はやくざに狙われている」
見たいな事だと教えてもらいました。まだ若くて自分の力で何とかなると思っていたのが歯がゆいです。

幻聴について、結局自分の脳に何かが作用している故に自分の分かる範囲内かと思いきやそうともいかず。理不尽さに任せて、しまうか。しまうしかない。服薬か診察か入院して休息をとる以外では。
僕の思考は支離滅裂。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。以上失礼


171: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 17:29

幻聴のある皆さん、宗教どうですか?
不思議なことが起きている人は不思議ないいことが起こりやすいそうですよ。
私も幻聴があるので宗教を信じて入ってみたところ、数々のいいことがありま
した。お勧めです。


172: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/22(月) 17:42
御仏は信じていますか?


173: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 18:48
幻聴が出てから信じました


186: 名前:名無し 投稿日:2010/03/04(木) 00:44

話は変わりますが、以前、占い師に診てもらったら「あなたには霊感があ
る」と言われました。幻聴に混ざって霊感もあったようですが、まともなの
が霊感でふざけたものが幻聴なのかなと思ってました。そしたら幻聴が

「どっちも幻聴だよ。あんたの気をひくために色んなお告げをして、その代わ
りにイタズラもするんだよ」

と言いました。


187: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/03/04(木) 01:59

幻聴に混ざって霊感はありません。幻聴は幻聴、霊感は霊感です。
そして、この世界中どの人間も例外無く、霊感はあります。

少し、紐解いていくと解るのですが、霊感とは”普通”に全ての人間が視力の許す限り、見えている(感じている)世界とは別の物を捉える時に、ゴーストや霊、霊気、プラーナなど色々な国によって名前は違えど、そういうのを見る、感じる、のを霊感とします。


198: 名前:P 投稿日:2010/04/09(金) 13:17

幻聴の人、人間性が子供みたいだと思いませんか?

付き合ってられないです。
特に「くやしい」と言われるのには苦労させられました。

考え続けてやっとでたのが「下劣」と言い返すことです。
なんか頭もくらくらします。幻聴の内容と関係あるのでしょうか?


199: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 19:48
>>Pさん
俺も今は多分、その段階に来ていると思います。

簡単な事を連呼しませんか?

付き合う必要は無いですよ。俺はほぼ無視していますから。

其れにその幻聴多分俺と状態が一緒なら、もうPさん自身です。つまり、人格性が無い。

彼方の性別が解りませんが、このスレッドで解ったのは、最後に落ち着くのは
俺(本体)が男だから幻聴は女で、本体が女の場合幻聴は男に落ち着くと思います。

しかも、チョットアホな、まぁ餓鬼な感じでしょうね。

霊能者ではこの事をスイッチという表現でしている方が居ますが、意識を幻聴に向けないようにすると頭や体に響きませんよ。俺はもう、そうしています。


190: 名前:フリーダム 投稿日:2010/03/04(木) 23:09

george(" ") 同様、幻聴と会話できます。幻聴は歌も歌います。症状もめちゃくちゃで、「解放してくれ。」、「それはできない。」、「幻聴の原理は人間の脳波に同調させて話しかけている。」などと言っています


200: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 21:51
>>フリーダムさん
190からの書き込みを見ていましたが、幻聴と話す感覚ってありませんか?

俺は在るのです。其れを無視する方向で、別の事(何でもいいです)をしていると
多分、直ぐには無理ですが、幻聴を抑える事が出来ると思います。

俺は急性期時は色んな物音さえ、自分の頭で声で変換していたと思うんです。
俺の研究から言えば、脳も体も別々だが連動していると思うのです。

先ずは自分の体を鍛え上げてみる事をお薦めしますよ。其れこそ中山筋に君じゃないですがある一定の物事に集中していると、確実に幻聴は消えてます。

先ず、聞こえている時は幻聴と会話をしている以外は、ほぼ集中力など要らない作業をしていると思います。

もう一つ其の根拠としては、音楽をヘッドフォンで聴いていると、聞こえなくなります。其れは聴覚を半場強制的に音楽に集中させているからだと思います。

190の文章の幻聴との会話を見ていると、もうフリーダムさん自身が幻聴に捉われている会話内容なんですよね。

本質は幻聴もフリーダムさん自身です。

其の人格性を作ったのも、フリーダムさん自身です。

二重人格の理論です。
其の答えは、前におななさんが証明してくれました。

後はその幻聴人格が自分にとって近ければ近いほど、捉われる気持ちが増大します。

nanoさんという方も居ましたが、其れこそ簡単にこのトリックがわかると思います。 nanoさんの幻聴の主は自分の夫でした。会話内容によっては之が幻聴だという確固たる認識が早いわけです。綺麗に分ける事が出来たら、後は無視です。意識を意図的にずらす。

大人になっても抜けない癖ってありますよね。俺は無いですが、俺の弟(腹違い)が指をかむ癖をよくします。そう言うのと同じだと思われてもいいです。直すのは少し辛いですが、意図的にずらす事をしていると癖のように幻聴も消えると思います。癖に成る事それ自体も、癖を解消する事と一緒だからです。


201: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:07

自分の場合、幻聴は薬を飲もうが、集中しようが、音楽をヘッドフォンで聞こ
うが、なにしても聞こえます。

24時間人の話を聞き続ける状態でノイローゼです。考えただけで違う病気になりそうです。


202: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:26

世の中には、お金を持っていて、将来の不安もない。普通の人と同様に仕
事をして、子供を育てることができず、ある程度将来が予想できるので真面
目にやるのがばかばかしく、世の中の人は踊りを踊っているように見える。
まさしく人生に退屈するような人間がいるのでしょう。

そんな人間が暇つぶしにオンラインゲームの主人公(人間)を操るそれが今の自分の現状でしょう。

人間をロボットのように操ることができる。これは間違いなく事実でしょう。
http://hpcgi3.nifty.com/prunus/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=avium&tn=0305

ののしりアバター、統合失調症患者の「声」との闘いに有効
2017年11月24日 12:27 発信地:パリ/フランス


【11月24日 AFP】「お前はクズだ、役立たずだ、いない方がいい」──統合失調症患者の若い女性が画面に向かうと、コンピューターのアバター(分身)が手加減せずに非難の言葉を浴びせる。「あっちへ行ってくれない?」と、最初はおどおど頼む女性。だが、しばらくすると勇気を得て力強く言い切る。「もうあなたの言うことなんか聞かない!」

 このやり取りは、「声が聞こえる」統合失調症患者のために英ロンドンとマンチェスターの研究者らが開発した革新的治療法の一幕だ。研究チームは24日、この治療法には効果があるようだと報告した。

 英精神医学専門誌ランセット・サイキアトリー(Lancet Psychiatry)に発表された研究論文によると、この「アバター治療」を試験的に3か月間受けた75人のうち、7人が「完全に声が聞こえなくなった」という。

 論文の主執筆者であるロンドン大学キングスカレッジ(King's College London)のトム・クレイグ(Tom Craig)教授は、全ての被験者において「声に関連して感じる苦痛、1日のうちで声が聞こえる回数、声に圧倒される感覚の程度などが実に大幅かつ有意に減少した」と説明した。

「アバター療法」の代わりにカウンセリングを受けた比較群の75人では、幻聴が止まったと答えたのはわずか2人だけだった。

 統合失調症患者の約3分の2が、「声」とともに生きている。想像上の人物が自分に「話しかけ」てきて、通常は侮辱したり脅かしたりするのだ。クレイグ氏は「恐ろしく苦痛」な状態だと語る。大半の患者はその声を支配的で全能とさえ感じ、それに比べて自分は劣っていて無力だと感じるのだ。

 研究によると、大半の患者は薬で症状が緩和されるが、約25%の患者には声が聞こえ続ける。平均して3種類か4種類の声が聞こえるという。

「アバター療法」では、中でも最も患者にとって苦痛となっている「声」と、その「声の主」だと患者が想像する顔を用いてアバターを作成。声音や口調、言葉遣いまで「声」を再現したアバターと患者を50分ずつ6回にわたって対面させた。対面中は別室にいる療法士がマイクを使って患者をサポート。「今の対応はいいね。でも、もうちょっと強く言ってみてくれないか。背を伸ばして、相手を見て、あっちへ行けと言ってみよう」などと励ます。治療が進むにつれ、患者は強く主張できるようになり、アバターはやがて患者の強さを認める。

「一連の経験によって、何か非常に恐ろしいものが自分でコントロールできるものに変わっていく」とクレイグ教授は説明している。(c)AFP/Mariëtte Le Roux



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html

[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
1. 中川隆[-5759] koaQ7Jey 2017年12月18日 07:41:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

怪文書の宝庫!
 
 あ、そうそう。yahooの方で出くわした怪文書も一つ、ご紹介しましょう。sinobu_10という、静岡県にお住まいの男性の方がお書きになったものです。挙げられているURLもオススメ度大です。「神が推薦するパソコン…」なんて、もお、死にます。
 
      *
 
目を覚ませよ、国際連合の地下に核爆弾情報
投稿者: sinobu_10 (男性/静岡県)
メッセージ: 113695 / 116578

アメリカの精神の支柱である基督教の神であるヤーベ(八百重)は、
日本にいる事をアメリカの人達に伝えて欲しいのです。
以下の文書を真剣に考えて読んで下さい。そして、国際都市である
ニューヨーク市にある国際連合の地下に核爆弾情報が流れているの
です。爆発する前に友人や知り合いに伝え、引っ越すか警察に真剣に
取り扱う様に伝えて欲しいです。
 
初めまして、忍と申します。

現代科学のタブーである霊界の存在を考慮して、
今、現実問題として、イルミナティ共産主義問題を考えて置きたい
です。其れは、約2億人の虐殺があったのでは無いかという問題で
す。其れは、遠く遡れば、バビロンの時代まで遡れます。

近代は、イルミナティ教団が出来、フランス革命から始まって
一連の共産主義革命を起こした国際金融グループに対して何も
罪を問わない現状になっているのです。其れもユダヤ系列のマ
スコミと歩調を合わせて行動を執っているのです。但し此れは
戦略で行っているので、頃の見境を考えながらの行動であるか
ら、注意深く年数掛けての戦いなのです。

後、もう一つ大きな問題点はスカラー波の技術開発による武器
開発です。其れに関連してインターネットの通信問題も深く考
えなければならないのです。今、一番大きい
問題は、未だ科学が未完成の状態(物理学上の問題)を
解決しないで、それを前提とした意見が権威を持って発
表している所が問題なのです。

現実問題としては、テスラ波による武器開発です。別名「スカラー波」又は「気」
とも言っていますけれど、このテスラ波は物質の根源に
なすもので磁気的な性質を持っています。宇宙の構造
は、磁気法則で全てが成り立っているのです。

磁子の活動が電流を生み、そして力を発生するのです.「テスラ
波(スカラー波)」は、磁子の縦方向に振動している状
態を指しているのです。その悪用は、宇宙そのものがバ
ランス(平衡性)が無くなり、太陽系そのものが崩壊す
る危険性があり、又、精神作用にも動作するので、「洗
脳」にも使われる可能性があるのです。そしてDNAに
も作用するので、奇形児が出来る可能性があるのです。

又、マイクロ波の衛星通信の拡大は、電子レンジの中に
地球が入るという恐ろしい結果が待っているのです。それらの
問題をマスコミは真剣に考えていないのが現状なのです。
そして、環境問題の考え方も対処療法的で、物理療法的
に問題を考えていないのです。それが欠点なのです。
つまり、公害の原因を全て化学化合物で説明し、化学反応
の物理的説明を含んでいないのです。そこに免疫の問題を
考慮する事が出来ないのです。

 
神の言葉
http://page.freett.com/syouhou/kaminokotoba1.html
最後の審判の理由
http://page.freett.com/syouhou/reason_of_last_judgement.html
正しい性道徳とは
http://www.musesworld.co.jp/web2/syouhou/index.html
この侭だと本当に地球が崩壊する
http://page.freett.com/syouhou/index.htm
神が推薦するパソコンPC9821
http://page.freett.com/syouhou/suisennPC.htm
 
これらの問題を真剣に考えないと、やはり異星人は自衛の為に
最期の手段を使用されるのです。

 日本人が中心になって、神の言葉を、お伝えてこの問題を
解決する方向に考える必要があるのです。

神のいる場所
エルアール出版
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1−4−9 サンエルサビル101号
TEL 03-5453-1870
 
アメリカ国内
HORKOM International Corp.
P.O.Box 282713
San Francisco, California 94128-2713
 
「人が全世界を儲けても、自分の命を損したら、何の得になろうか。又、
人はどんな代価を払って、其の命を買い戻す事が出来ようか。
邪悪で罪深いこの時代にあって、私と私の言葉とを恥じる者に対しては、
人の子も又、父の栄光の内に聖なる御使達と共に来る時に、
其の者を恥じるであろう。
(マルコ福音書第8章34節〜38節)」
http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=17590&genre=sougou





統合失調症の症状

妄想というのは,強固な信念で,明らかに間違っているのに決して訂正されず,
本人が確信しているものをいいます。私たちが,「あの人は私のこと嫌ってて
イジワルしているのかもしれない...」などと半信半疑に思っているのは妄想とは
言いません。

例えば,

「○○が自分の才能を妬んで様々な嫌がらせをしてきている。
電話は盗聴されているし,電子メールも全てハックされている。
このままでは私の発明は全て盗まれて先に特許をとられてしまうに違いない」,

こういうことを言っている人に「そんなことあり得ませんよ,大丈夫ですよ」

と忠告してあげると,

「いや,これは確実なことだ。証拠もある。さてはお前も〇〇の回し者だな!」

などと言われた場合,これはかなり妄想に近いと言えるでしょう。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~yasuq/schizophrenia2.htm#14


パラノイアの例

ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、
オーストリア・ハンガリー帝国のガリチア・ドブジャニツァ出身の精神分析家。
学生時代から精神分析について学び、敬愛するジークムント・フロイトからも指導を受けた。

初期フロイトの路線を強調した上で、精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。性的エネルギーの社会による抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動が嫌われ、後に精神分析協会からも共産党からも除名された。

1934年ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命、オスロ大学で性科学を
研究中滅菌した肉汁中の小胞バイオンと1939年バイオンの研究中オルゴンを発見、
アメリカ合衆国のテオドール・ヴォルフ博士の招きで渡米、ニューヨークに住む。

1940年メイン州レーンジュエリーに転居、支援者によりオルゴン研究所
「オルゴノン」でロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組んだ。

1941年にはアルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)
でオルゴンを見せている。よく知られている物としては、オルゴン蓄積器
(オルゴン・アキュムレーター、蔑称としてオルゴン・ボックス、セックス・ボックスなどとも呼ばれた)という箱と1951年にラジウムとオルゴンの研究中発生したというオラナーとデッドリーオルゴンの雲をなくすため発明したオルゴン放射器のクラウド・バスターなども作成していたことがあげられる。

1954年、UFOを目撃DORを利用した侵略者の宇宙人の宇宙船と直感しクラウド・バスターで撃墜の必要を訴える。1954年にFDAにオルゴン・アキュムレーターの販売が、がん治療機を不法製造販売にあたると裁判を起こされ、裁判所の命令に従わなかったため、有罪判決を受け1957年投獄された。

精神分裂病(統合失調症)の可能性が疑われ、精神鑑定が行われた。オルゴンに
まつわるいくつかの妄想的な言動がみられるが、その他の点では正常だったと
いわれる。出獄することなく、1957年11月3日コネチカット刑務所で心臓発作で死亡した。
http://musical7.org/83948342838B8377838B83808145838983438371/

身近に観察できるパラノイアの例


宇野正美講演会・傍聴記「反ユダヤ伝道師」かく語りき

7月20日(1995年)に、神田の日本教育会館・一ツ橋ホールで開かれた、
宇野正美氏の「1996年 国家存亡の危機が来る」という講演会を聴きに行った。

そうか。この人物が、H氏やA氏やY氏と並んで、「ユダヤによる世界支配の陰謀」
を唱えて、日本の言論界の一角で、異様な気炎をはいてきた宇野正美氏か。

この人が「ユダヤの陰謀」という恐ろしいテーマをひっさげて,もう二十年も言論
活動をやっている人なのか。もし本当に氏が「陰謀」なるものを暴いてしまった人
だったら、とっくの昔に殺されていないのはなぜだろうという疑問が脳裏をかすめた。

 宇野氏ら陰謀評論家は、世界の一般民衆を操る支配階級の人びとの、さらにそのまたごく少数の限られた人びとの秘密クラブの存在を確信することから、自分たちの言論活動を開始する。

「1990年にバブル経済が破裂したあとの5年間で、世界で、日本で、〇〇、〇〇の事件がありましたね。

これは、〇〇が〇〇して、〇〇になったものでした。その背後に、世界を操る〇〇〇〇の存在があるのです」。

要約するならば、宇野氏の話は、このスタイルに終始している。

「〇〇という事実がありました。これは、皆さんもご存知のとおり〇〇〇〇だったのですが、これも実は〇〇〇〇がからんでいるのです」。

 この語り口調は、なかなか小気味よいのである。そうか、あの事件も、この事件
も、やっぱり裏に秘密があったのか。自分もヘンだな、と思っていたんだ。

聴衆は、宇野氏の推理いつしかのめり込んでいく。開場は静まり返って、みんな真剣に聴き入っている。

いろんな厳しい人生経験を積んでそれなりの生き方をしてきたあとでも、人間はこの程度のホラ話に一気のめり込むことができるのである。


「この1月17日の関西大地震は、人工地震の可能性が、1%はあります」

「3月のオウム事件は、地下鉄サリン事件は、北朝鮮が裏で糸を引いているのです」

「最近起きたソウルのデパートの倒壊事件。奇妙でしょ。ビルの中央部分だけが、
一気に崩れ落ちるなんて。これは、低周波兵器でズーンと低周波をかけると、起こるのです」

 この三年ほどで、宇野氏の考えは二つの点で大きく変化している。かつて文芸春秋系のネスコ社から出していた本では、単純素朴な、ユダヤの秘密組織による日本征服説が説かれていた。これは、若い頃からの氏の聖書研究と愛国感情が混じり合った産物だった。

最近は、

「ユダヤ人には、アシュケナージ・ユダヤ人というニセものがおり、スファラディ・ユダヤ人という本物のユダヤ大衆を抑圧するためにイスラエルを建国したのだ。

そしてこのイスラエル建国主義者たちがシオニストであり、国際陰謀をめぐらす諸悪の根源である」

という考え方をしている。

 かつての論調ではフリーメーソン、ビルダーバーグ、イルミナティ、TC(米欧日三極会議)、CFR(外交問題評議会)などの秘密結社や国際機関と、ユダヤ人の秘密結社との関係がどうなっているのかはっきりしなかった。ところが、今回の講演では、「ザ・クラブ・オブ・アイルズ」というヨーロッパの旧来の王侯貴族達の裏結社が、これらすべての秘密クラブの上に君臨し、序列を作りそのずっと下の方で使われているのがユダヤ人たちである、という簡単な理論になっていた。


フリーメーソンやイルミナティなどの秘密結社の存在はさておくとして、TC
(トライラテラル・コミッション、米欧日三極会議)は公然と存在する。

私は、「陰謀」の存在自体は否定しない。世の中に「陰謀」の類はたくさんあると
思っている。世界覇権国であるアメリカ合衆国の、政治・経済の実権を握っている支配層の人びとの間に、多くの「陰謀」があるのは当然のことだと思う。

 そして、1990年以来の、日本のバブル経済の崩壊によって深刻な不況に陥っている現状は、やはりニューヨークの金融界が、日本の経済膨張を抑え込むために陰に陽に仕組んで実行したものであると信じないわけにはいかない。薄々とだが、ビジネスマン層を中心にこのような話は語られ広まっている。

 私の友人のなかに銀行員が何人かいる。昔、いっしょに『ニューヨーク・タイムズ』紙の早朝読み合わせ会という勉強会をやっていた友人のひとりは、ニューヨーク駐在勤務から帰ってきた後に、私にははっきりと語ってくれた。

「ニューヨークの金融センターは、ユダヤ系の人びとに牛耳られており、彼らの意思に逆らうと商売ができない恐ろしいところだ」

 彼は、宇野理論のような直接的なユダヤ陰謀論は説かないが、そのような傾向が
存在することを信じている。株式の大暴落を引き起こし、ついで地価の下落、そして円高による波状攻撃で日本の大企業の力を弱体化させ、日本国民の金融資産の
3分の1は、ニューヨークで解けて流れて、消失してしまった。日本の資産の運用先の大半は、その金利の高さゆえに、アメリカの政府債(TB、トレジャリー・ビル)や社債で運用されてきたからである。それが、円高で元金の方がやられてしまった。
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=0&mode=new_sort


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html#c1

[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
2. 中川隆[-5758] koaQ7Jey 2017年12月18日 07:48:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
電波系というのは、つまりまあ頭の中で電波がささやくのでしょうから、分裂症か薬物中毒の系統になりましょう。sinobu_10さんの方は「パラノイア」系のように思われます。思考にまとまりがありますからね。

もっとも、「症例:G・W・F・ヘーゲル」などのレベルになりますと分裂症と見分けがつかなくなってまいりますが。

 チマタで見かける「ユダヤ陰謀史観」みたいなのと一緒で、いちおうの一貫性はあるのですね。ただその、決定的な証拠は? と言われると「ない!」となって、ならなんで? と言われると「証拠がないのも陰謀だ!」という形で無事に着陸。

こうなるともう誰が何を言っても聞き入れるもんじゃありません。
 
 実は、sinobu_10氏に関しては「教祖様」ではないのです。
「教祖様に疎んじられている一信者」らしいのです。彼が掲示板上で開いたトピックは、「千乃先生」なる教祖様の意を体したと称する信者各位がsinobu_10氏の信条の矛盾を突きまくり、それも彼らの「教義」に基づいてのことですから、さながら宗教戦争の様相を呈し、そこへ「ウォッチャー」を名乗る一般人が面白おかしくチャチャを入れるという展開になっておりまして、なかなかに楽しめる一大エンターテイメントになっておりました。
http://ime.st/members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/past-log/spring/log00000118.html

たこさんご紹介のサイトをちょこちょこ見て回った印象では明らかに病的、すなわち初期の分裂病もしくは妄想を伴う躁鬱病、痴呆などの傾向が感じられるのに対して、sinobu_10さんのはソノ分野に浸かっているヒトなりに理路整然に近く、文章の構成もしっかりしています。

一括りにして良いものかどうか。臨床精神病理は難しくて、実はまだ余り勉強してない分野です。
 
 電波受けるヒトを実際知っております。仕事ができ、礼儀正しく義理堅く、言葉使いが綺麗で、想像力・情緒・感性も豊かで、発明の才もあり、倫理観もしっかりしていて、善意に溢れている。難を言えば少しまじめ過ぎる。

そういう誠に好ましい人望のあるヒトなんですけど、電波が入るんですね。それを普通の事のように言うので、こちらも普通の事のように受け答えしております。

 随分昔からその状態のまま変化がないようで、さらに聞こえるのはドク電波ではなく、善意の宇宙人からの助言が中心だったりしますので、ま、様子を見ています。数年前まではサイババが夢枕に立って「来い」と言ったからというのでインドに行く計画を立てていましたが、現在はモンゴルの平原でUFOとコンタクトする計画を楽しげに語ってくれます。

まじ。ホントに聞こえてるらしいのです。それを蔭で笑う奴がいるのも自覚しているようなのです。

「目を覚ます」という類の話じゃなくて、これ、はっきり言って症例なのです。しかし長年進行してないし、生活に支障がある訳でもないから、無闇にいじらない方が良いのです。


じつは、stomachmanは見積書作成要領の見本を作ったんですが、うっかり本物と間違えられて無用の混乱を起こすことが絶対ないようにと思い、
 
「荒矢田産業株式会社」発行の「重力遮断板セット」の見積書
 
って見本にしまして、発注先に配布したんですよ。そしたら彼がやってきて「あなたなら理解してくれると思う」と語りだした訳でして…
 
理解はすれども、同意はせず。得意の奴で対応しております。


目を醒まさせてあげなくていいの?
念力も自分だけで使ってるぶんにはいいんだけど・・・
自分だけでとどまってないとこが厄介だぁ―!
もうそろそろ、目を細めて笑って見てるばかりでもいられない。

テレビが俺の悪口を流している!
あのCMは俺の事をあざ嗤うのが目的…
 
てのが、典型的な公共電波系電波系さんですが、こちらは公共デンパでナンパするのが怪しからんという、これもまた、割合論から言って、別物ですな。
 
最近、街ですれちがう美女という美女が皆、秋波を送ってくるので困っているstomachmanです。


症例ってのは、夢を壊さないで、みたいなアマイ話ではないんですよ。
 
この彼の場合には、多分初期で停滞している分裂病だと思われます。悪化させないように、stomachmanとしても注意を払っておる訳です。もちろん、症状に悪化が認められたら直ちに治療を開始するよう促す積もりでいます。すなわち、確かに聞こえる電波が、彼の集中力を乱すようになってくると、本当に生活に支障をきたしはじめ、ついには外部とのコミュニケーションが取れなくなってしまう。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html#c2

[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
3. 中川隆[-5757] koaQ7Jey 2017年12月18日 07:56:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

陰謀論は伝染病として感染する _ 阿修羅で流行しているアホ陰謀論は憑依型の感応精神病 フォリ・ア・ドゥ folie à deux

1.精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。

 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。

もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。

これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。

Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。

最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

 この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。


フォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。

必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。

2人は同じ妄想を共有していたのだった。


 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。

 今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


古いタイプの感応精神病

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。

あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。

そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。


 悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。

 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いた


こっくりさん
http://homepage3.nifty.com/kazano/kokkuri.html


の例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。


 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。

 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき

「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」

などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。

これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師K に祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

 こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、

「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」

と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。

次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、

「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、

「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、

「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、

ものもいえず苦しげにもがいているもの


など憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が

「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」

と提案した。すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。

 これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。

家庭内幻魔大戦


 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。

 Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。

「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、

「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、

「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば

「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。

 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。

 昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。

見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」

「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

 笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。

 きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。入院3日目より陽子は

「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」

と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」


などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」

と語り合っていた。


 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」


と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」

と逃げ出した。主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、

「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。


 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。

「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」

と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」

と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」

と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。


 入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、

「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には

「先生! オールマイティになってください」

と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。しかし飛べずに興奮し始め、「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。

 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。

「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。
http://homepage3.nifty.com/kazano/folie.html


という訳で、

創価学会による電波攻撃とか、
地震兵器、ムサシによる不正選挙とか
放射能汚染による病気の激増とか
相対性理論が間違っていたとか

阿修羅で実しやかに語られている陰謀論がどういうものか大体わかって来ましたね。

阿修羅掲示板は中世の人里離れて隔離された山奥の村落と同じで、すぐに憑依型の感応精神病が猛威をふるってしまうのです。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html#c3

[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
6. 中川隆[-5756] koaQ7Jey 2017年12月18日 08:16:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

俺に一番近い癲癇病質者はこの人かな:


大矢誠が猫 13匹 を拷問して逮捕される!
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/836.html

精神分裂病患者は俺や大矢誠みたいに しつこくないんだ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html#c6

[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
7. 中川隆[-5755] koaQ7Jey 2017年12月18日 08:42:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

それから精神分裂病患者は俺と違って、年々妄想が酷くなっていくんだ:

Ex4: 精神分裂病患者の脳観察〔日経産業新聞2001年10月3日〕


 米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究チームは、精神分裂病患者の脳で組織の損傷が進んでいる様子を撮影するのに成功した。

分裂病は米国人の約1%にみられ、特に10代後半から20代に多いが、詳しい原因はわかっていない。
病気の進み方が詳しく観察できるようになることで、早期の診断や治療が可能になるとみている。
 
次期共鳴画像装置(MRI)を使って、10代の患者グループの脳を繰り返し撮影した。
はじめ、脳の外部の方にある灰白質という部分が10%以上損傷し、これが脳の残りの部分にも5年にわたり拡がっていくことが分かった。

この損傷がひどい患者ほど、幻覚や幻聴などの
症状もひどかったという。
http://www.geocities.jp/ec71276/gennchou/gen.html


脳の画像解析の進歩からわかったこと

 統合失調症が約100年前に一つのまとまりある病気とされてから、その病気の仕組みについてたくさんの研究がなされてきました。まずは亡くなった統合失調症の患者さんの脳が調べられました。脳のどこかで何か異常な所見が見つからないかと、さまざまな脳の部位の切片が作られ、顕微鏡で細かく調べられました。

その結果、前頭葉・海馬やその周辺の部位などで、神経細胞の数が少なかったり、並び方が乱れていたりするらしいという所見が得られましたが、残念ながらすべての患者さんの脳で確実に見られるというものではありませんでした。そのため、このように脳の組織を調べる研究はしばらく行われなくなり、脳の機能(働き)を調べることに研究者の興味が向けられるようになっていました。


CTやMRI

ところが、1970年代から、放射線技術の進歩により人の脳を輪切りの形で撮影することができるようになりました。今でしたら大きな病院であればどこでも備えられているCT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像)という脳の画像解析装置です。この装置を使って、統合失調症患者さんの脳の形を調べた研究が数多くなされました。今までのところ、多くの研究者の間で一致している意見としては、対照群に比べ

脳室(脳の中心にあって脳脊髄液という液体で満ちている空間)が拡大していること
(逆にいうと脳の実質が小さくなっているということ)、

前頭葉や側頭葉が小さいこと、

大脳辺縁系の海馬や扁桃体がとくに左側で小さいこと


などです(ただし、小さいといっても統計的に対照群と比較して小さいということで、脳の画像を見て診断ができるほど大きく違うということはありません。それでもこのような所見が研究者の間で注目されるのは、これが統合失調症の本質的な病因を探るための手がかりになるのではないかと考えられているからです)。これらの脳の部位が小さいということは、その機能も障害されているのであろうと想定されます。図1にMRIによる脳の断面図を示しました。脳の細部までかたちがよくわかります。


PETやfMRI

最近では科学技術の格段の進歩により、脳の形だけでなく、脳の活動もそのままの状態で調べることができるようになってきました。脳のある部分が活発に活動すると、エネルギーのもとになるブドウ糖がそこでたくさん消費されます。脳の血流もその部位で増えて、酸素の消費量も増えます。PET(ポジトロン断層撮影法)、SPECT(シングルフォトン断層撮影法)や機能的MRI(fMRI)などとよばれる方法を使うと、検査されている人の脳の中で、どこでブドウ糖の消費や血流が変化しているかを見ることができます。頭の中で考え事や計算をしてもらったり、ものを見たり聞いたりしてもらいながらテストをすることもできます。このようにいろいろな精神活動をしているときに、統合失調症の患者さんは、そうでない人と比べて、脳のどこの部位でどのような特徴的な変化を示すのかを調べるのです。このような研究は現在世界中で行われています。テストをいろいろ工夫して、統合失調症に特徴的な所見を得ようと研究者は懸命になっています。

 機能的MRIによる研究の一例を図2に示しました。この図ではふつうのMRIの像の上に、課題によって信号が変化している部位を赤色で重ね書きしています。様々な所見が得られていますが、多くの研究者のあいだで支持されている所見は、
統合失調症では前頭葉の機能が低下しているのではないかというものです。とくに前頭葉を働かせるようなテストをしてもらうと、機能の低下がはっきりしてきます。それ以外にも、左側の側頭葉(言語に関連する領域です)の機能が低下しているという研究者も少なくありません。

また、PETを使うと脳内の神経伝達物質の受容体なども可視化することができます。図3では、FLB457というドーパミンD2受容体に結合する標識化合物を使って、ヒト脳でのD2受容体の分布を調べたものです。


2-2脳の生理的機能の研究からわかったこと


人の脳の機能を丸ごと調べようとするのは、脳の画像診断技術が進歩する前から、脳波や目の動きなどを指標として行われてきていました。残念ながら、当時の脳波や目の動きなどの生理的指標を用いた研究では、統合失調症の病因に直接アプローチするには限界があったといわざるをえません。それでも、統合失調症の患者さんは振り子を見てもらったときに、目の動きがぎこちなくなることや、特定の図形を見てもらったときに視点があまり動かず固定しがちであることなどが明らかになっていました。

最近では、いろいろな刺激を与えた後に出現する脳波をコンピュータで分析し、事象関連電位という脳波上の微妙な変化を抽出することによって、刺激が脳の中でどのように情報処理されているかを調べる方法がさかんに行われています。このうち、聴覚刺激を突然与えた時、約300ミリ秒後に出現するP300という脳波の波形がよく調べられています。P300は聴覚刺激後脳内で複雑な情報処理を経てから出現するものと考えられ、統合失調症の患者さんではP300の出現がよくなかったり、出現が遅れたりすることから、脳の情報処理過程の障害が推測されています(図4)。
http://www.smilenavigator.jp/science/sci02_01.html


統合失調症の原因ははっきりとわかっていませんが、統合失調症の症状が発現しているときの脳の働きがどのようになっているのかについては、徐々に明らかにされつつあります。

統合失調症の症状発現に大きく関与しているのが、ドパミンやセロトニンなどの神経伝達物質*の異常です。幻覚や妄想などの陽性症状はドパミン神経系の機能が過剰亢進しているために引き起こされ、また一部のドパミン神経系では逆に機能が低下するために陰性症状が現れるなど、ドパミン神経系の機能異常が統合失調症の病態に深く関与しています。

また、セロトニン神経系の機能異常でも幻覚などが発現することが知られています。一方、セロトニン神経系はドパミン神経系に対して、抑制的な調節をすることが知られています。また、最近では、グルタミン酸なども病態に関与しているのではないかと考えられています。

陽性症状と陰性症状の発現に関与するドパミンの機能異常 統合失調症ではドパミンの機能異常が病態に大きく関与しています。統合失調症の病態を説明するものとしてよく知られているのがドパミンの過剰です。ドパミン遮断作用をもつ抗精神病薬が陽性症状に対する治療効果をもっていること、また、ドパミン活性作用をもつ薬剤が統合失調症に似た幻覚・妄想を引き起こすことから、統合失調症ではドパミンの機能亢進が1つの病態として考えられています。

脳内のドパミン神経系にはいくつかの経路があり、それぞれ異なった生理機能をもっています。統合失調症の精神症状に関係している1つの経路が中脳辺縁系で、この経路でドパミンの機能が亢進しているために幻覚、妄想などの陽性症状が引き起こされているとされています。

一方、すべてのドパミン経路においてドパミンの機能亢進がみられるわけではなく、一部の経路においては逆にドパミン機能の低下がみられることも明らかになっています。中脳皮質系の経路においてはドパミン機能が低下しており、これが意欲減退、感情鈍麻などの陰性症状を引き起こしていると考えられています。
統合失調症では、中脳辺縁系においてドパミンの機能亢進が、中脳皮質系にてドパミンの機能低下が引き起こされているために、陽性症状と陰性症状という一見相反する症状が併存する背景となっています。


陰性症状の発現に関与するセロトニン系:セロトニン仮説 ドパミン遮断作用のみの抗精神病薬では陰性症状が改善されず、ドパミン遮断作用に加えてセロトニン遮断作用のある抗精神病薬において陰性症状への効果がみられることから、セロトニンが陰性症状の発現と関連しているのではないかと考えられています。ただし、セロトニン遮断作用のみを有する薬剤では抗精神病作用がみられず、抗精神病薬との併用で陰性症状への効果がみられることから、ドパミン神経系とそれを抑制的に作用するセロトニン神経系とのバランスが崩れ中脳皮質系におけるセロトニン系の優位が陰性症状の発現に関係しているとされています。

統合失調症の病態に関与すると考えられる他の神経伝達物質:グルタミン酸仮説 一部の麻酔薬が陽性症状のみならず、陰性症状や認知機能障害に類似した症状を引き起こし、それら薬剤に共通してグルタミン酸遮断作用があることから、グルタミン酸が病態に関与していると考えられています。特に、麻酔薬ではNMDAとよばれる受容体の機能が阻害されているため、NMDA受容体を介したグルタミン酸機能の低下を病態の背景として想定しているのがグルタミン酸仮説です。この仮説では、統合失調症の一次性の障害としてグルタミン酸の機能異常があり、それを背景にドパミンの機能亢進やセロトニンの拮抗優位が二次性に生じて陽性症状と陰性症状が現れると推測されています。
http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/rikai/kasetsu.html



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html#c7

[お知らせ・管理21] 阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
8. 中川隆[-5754] koaQ7Jey 2017年12月18日 08:59:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症に良く見られる症状としては同じ言葉を繰り返す、言葉のサラダ(意味のない単語の羅列)、宇宙人と交信しているという、霊と話をする、チャネリングが出来るというetc.

そして何より、自分が統合失調症であることを認めない患者が多いのがこの病気の最大の特徴であり、統合失調症が発病してから、5年放置した場合、脳の萎縮が前頭葉に達し二度と現実の世界に帰ってこれなくなってしまうのです。

つまり、統合失調症であることを否定し続け、5年間何も対処せずに放置した場合、もう手遅れであるということです。

私は霊能力がついた、ハイヤーセルフとつながっている、という人たちのブログも読みましたが、統合失調症の初期症状が出ているとして間違いないと思います。 ← 大川隆法先生はコレ

あの時の私と完全に症状が一致している。

統合失調症は現在では治療可能な病気であり、予後も良い病気になってきています。
薬も副作用の少ないものがたくさん出てきています。しかし、早期治療が何よりも重要であることには間違いがありません。

どこか思い当たる節があるのなら、一度病院に行って検査されることをお勧めします。
何もないとしたら、それはそれでめでたいことです。しかし、手遅れになってしまえば
人生を台無しにしてしまうこともありえるのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/kuukuumaromaro/diary/200806050000/

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html#c8

[政治・選挙・NHK237] 宮内庁「週刊新潮」への猛抗議は天皇が“官邸のネガキャン”に激怒したから!? 天皇は「安倍首相に恨み骨髄」は事実(リテラ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5753] koaQ7Jey 2017年12月18日 16:09:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
チョンの天皇は日本人の敵

有識者として選ばれたある保守系有名言論人は「天皇は祈るだけで、何もしなくて良い」と発言し、天皇は激怒したとも言われている。

「自分の生き方を全否定する内容」に強い不満を感じたと、宮内庁関係者を通じて表明している。

現天皇は昭和天皇の後を受け継ぎ、象徴天皇として公務に全身全霊を捧げてきたという自負を持っている。


だが時として天皇自身の強い思いが空回りしたり、国の利害と食い違う事もあり、「平成」の約30年間を通じて矛盾が拡大した。

天皇が終戦の日や新年や、折に触れて表明する「おことば」は、度々日本政府の立場を潰してきた。

最近の例では平成27年8月14日の戦後70年談話、いわゆる『安倍談話』と翌日に天皇が表明した「おことば」の矛盾が挙げられる。


謝罪は公務ではない

平成27年8月14日の安倍談話では「村山談話」「河野談話」のような中国や韓国への直接の謝罪や、侵略戦争で日本批判の文言を盛り込まなかった。

「植民地支配から永遠に決別」「すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」「繰り返し痛切な反省と心からのおわび」などの言葉はあった。


戦後60年の「村山談話」は文章の大半が日本の侵略非難と、中国韓国への謝罪だったので、大きく転換したと言える。

もっとも村山談話より前の時代は、「戦後XX年」は戦争で被害に遭った「日本人を追悼する」日だったので、元に戻ってはいない。

村山総理は戦争被害に遭った日本人には一言も触れずに、ひたすら日本人を罵倒し、批判する談話を読み上げていました。


こういう経緯があって安倍談話が発表された翌日、平成27年8月15日に日本武道館における全国戦没者追悼式で、天皇の「おことば」が発表された。

「さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」という一節が含まれていました。

言葉は丁寧だが「日本が戦争を起こしたのを反省しなさい」「日本さえ存在しなければ戦争は起きなかった」という村山首相談話と同じような事です。


いつもこうであり日本の政治家や首相、要人が過去を反省する必要はないと言った後で、天皇が「いや日本人は永遠に謝罪しなさい」と否定してしまう。

終戦の日のたびにこうしたパターンが繰り返され、日本人は天皇によって恥をかかされるのが、毎年恒例になっている。

いくら真実を明らかにしても、翌日には天皇が「日本人は反省しなさい」などと言うので全てが水泡に帰してしまう。


昭和天皇は慎重に言葉を選んだが、現天皇は口が軽い
20140702003201
引用:http://gazou.gundari.info/images-2ch-201401/20140702003201.jpg


日本国民を踏みつける天皇の「おことば」

朝鮮人の現天皇の「おことば」は日本国民に迷惑でしょうがないので、少し黙っていて欲しい。

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/320.html#c1

[リバイバル3] 履きやすいリアエントリー タイプのスキーブーツ 中川隆
39. 中川隆[-5752] koaQ7Jey 2017年12月18日 16:30:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>37 に追記


スキーストック

スキー人口の減少と共に近くのスキーショップが無くなってしまいました。スポーツ店へ行ってもスキーの取り扱いをやめています。車でかなり走ったところに専門店があるくらいです。ネットで購入しなければ手に入らない時代になっています。

ストックの長さの算出方法は、以前は身長から50cm引いた数値でしたが、今はカービングスキーが主流なので身長の67%くらいが適正サイズです。

ということで、115cmから110cmに変更しました。

カーボンは選手用で、ビギナーはアルミを持つものという感覚でしたが、値段が安くなり誰でも持てるようになりました。もしかしたらアルミ製よりも安いかもしれません。消耗品なのでこのくらいの値段がちょうどいいです。
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[番外地6] ヒラリー・クリントンの正体 中川隆
75. 中川隆[-5751] koaQ7Jey 2017年12月18日 18:10:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.12.18
米国で権力バランスに変化が起こっているのか、攻守逆転で露ゲートはFBIゲートになりつつある


アメリカの民主党が主張、有力メディアが広めてきた「ロシアゲート」は「FBIゲート」になりつつある。権力バランスに変化が起こっているようだ。ドナルド・トランプに対する敵視する立場から政治的に動いているFBI幹部の存在が明確になり、トランプの国家安全保障補佐官への就任が予定されていたマイケル・フリン元DIA局長に対して仕掛けられた罠を問題にする人もいる。

昨年(2016年)はヒラリー・クリントンの電子メール問題の捜査を指揮、今年に入ってからロバート・ムラー特別検察官の下でロシア政府による大統領選挙への介入疑惑を調べ、8月にムラーのチームから離れたピーター・ストルゾクは同僚に対して反トランプのメッセージを送っていたことが判明している。この人物に対し、昨年8月6日に「反乱」を促していたのがFBIのリサ・ペイジ。

この人物の問題は公正な立場で捜査していなかったといるだけでなく、クリントンが公務の通信に個人用の電子メールを使い、しかも3万2000件近い電子メールを削除した件も問題視されている。ジェームズ・コミーFBI長官(当時)は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたとしていた。

この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをストルゾクが書き換えていたことが判明している。罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について後者の表現は使われるようで、クリントンが刑務所行きになることを防ぐために書き換えた疑いが濃厚だ。

ところで、トランプに対する攻撃は2016年から展開されているが、ロシアゲート事件の幕開けと言われているのは下院情報委員会におけるアダム・シッフ議員の声明。今年3月のことだ。2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入した主張している。イギリスの対外情報機関MI6の「元」オフィサー、クリストファー・スティールの報告書に基づく主張だった。MI6時代、スティールはアレキサンダー・リトビネンコのケース・オフィサーだったとも言われている。当時、リトビネンコはMI6のために働いていた。

ちなみに、リトビネンコはソ連/ロシアの情報機関、KGB/FSBに所属していた人物。ボリス・エリツィン時代の終焉に伴い、2000年にイギリスへ渡っていた。彼を雇うことになるオリガルヒのボリス・ベレゾフスキーも2000年からロシアへ戻らず、2003年にはイギリスが政治亡命を認めた。リトビネンコは2006年11月に放射性物質のポロニウム210で毒殺されたとされている。

2016年1月20日付けテレグラフ紙によると、リトビネンコは死ぬ直前、ウラジミル・プーチンがウクライナの犯罪組織のボス、セミオン・モギレビッチと「良好な関係」で、このボスは「アル・カイダ」に武器を売っていたと主張している。

アル・カイダ系武装集団をシリアやリビアへの侵略にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟が使ってきたことは本ブログでも繰り返し、指摘してきた。この武装集団の多くはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。シリア政府の要請を受け、ロシア政府は2015年9月30日にシリアへ軍事介入し、こうした武装勢力を本当に攻撃、戦況は一変した。

ロシアより1年早くアメリカは勝手にシリアで軍事作戦を開始しているが、実際にはシリアのインフラを破壊し、住民を殺害するだけだったと言われている。そこで、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はシリアで勢力を拡大していた。

2015年11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜しているが、これはロシア軍による攻撃にブレーキをかけるためだった可能性が高い。ただ、ロシア軍機の撃墜をトルコ政府だけの判断で実行できるとは考え難く、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問してこともあり、アメリカ政府が許可していたと見る人は少なくない。

ロシア軍の空爆でアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュが押されはじめ、アメリカ軍に対する視線は厳しくなる。そうした中、テレグラフ紙はロシアとアル・カイダを結びつける記事を掲載したわけだ。

ところで、MI6を離れたスティールはオービス・ビジネス・インテリジェンスなる会社を経営、この会社を雇ったのがフュージョン。この会社は情報戦を仕掛ける傭兵的な存在で、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者や編集者だった3名によって設立された。

フュージョンを創設したひとりであるグレン・シンプソンによると、同社は2016年秋にネリー・オーなる人物にトランプの調査と分析を依頼している。2010年当時にCIAのオープン・ソース・ワークスで働き、その夫であるブルース・オーは司法省の幹部。この夫とシンプソンは2016年11月に会っている。その直後にブルースが司法省のポストを失いと、フュージョンはスティールと結びついた。

このフュージョンへトランプに関する調査を依頼、102万ドルを民主党の法律事務所であるパーキンス・コイが支払った。言うまでもなく、この法律事務所はヒラリー・クリントンと民主党のために働いていている。

アンドリュー・マッカビFBI副長官も注目されているひとり。妻のジル・マッカビは2015年3月にバージニア州上院議員選挙への出馬を表明、67万5000ドル以上をクリントンと親しいテリー・マコーリフなどから受け取っていた。

問題はその時の夫の立場。2015年当時、アンドリューはFBIのワシントンDC担当で、クリントンの電子メール捜査を指揮する立場にあったのだ。本来ならこの件を担当してはならなかった。

FBI関連で問題になっている人物がもうひとり存在する。特別検察官のロバート・ムラーだ。2001年9月4日から13年9月4日にかけてFBI長官を務めているが、長官就任から1週間後にニューヨークの世界貿易センターの3棟とバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎が攻撃されている。この事件の真相を上手に隠蔽したと陰口をたたかれているのだ。

9/11の直後、事前にFBIは攻撃に関する情報を入手していたと内部告発したFBIの翻訳官だったシベル・エドモンズはフェトフッラー・ギュレンについても事実を公表しようとした。

トルコでは1980年にCIAを後ろ盾とするクーデターがあり、軍事体制になった。この権力奪取を実行したのはトルコにおけるNATOの秘密部隊、カウンター・ゲリラ。このときにギュレンはクーデター派として台頭している。

それ以降、ギュレンはCIAの手先として活動、アメリカに「スリーパー」のネットワークを構築していた。ギュレンを守る中心人物は「元」CIA幹部のグラハム・フラー。その事実をエドモンズは明らかにしたのだが、そうしたことを口にするなと命じたのがFBI長官だったムラーにほかならない。

今でもCIAの保護下にあるギュレンは2016年7月15日のトルコにおけるクーデター未遂でも中心的な役割を果たしたとトルコ政府から批判されている。この武装蜂起はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシアへ接近する姿勢を見せた直後に引き起こされた。

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最終更新日 2017.12.18 13:04:19







2017.12.17

ジョージアの元大統領でオデッサ州知事も務めたサーカシビリがウクライナへ密入国した後、逮捕


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2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したクーデターの後、ウクライナは破綻国家と化している。そのウクライナでジョージアの元大統領、ミハイル・サーカシビリが混乱に拍車をかけるような行動を展開している。

サーカシビリは2013年にジョージアを離れ、その直後に指名手配されたが、15年5月29日にペトロ・ポロシェンコ大統領からウクライナの市民権を与えられ、5月30日にオデッサ州の知事に任命され、12月4日にジョージアの国籍を失っている。

オデッサでは2014年5月2日に反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺されている。ネオ・ナチの後ろ盾はアメリカ/NATO。西側と連携したオリガルヒが資金を提供していた。

虐殺はその日の午前8時、「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。誘導した集団はUNA-UNSOだと言われている。

不穏な空気が漂う中、広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導される。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいた。

外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になり、焼き殺された人は少なくない。建物へ向かって銃撃があり、内部でも殺戮が繰り広げられた。48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だろいう。虐殺の詳しい調査は現時点でも実施されていない。

虐殺の前、アメリカ政府の高官がキエフを訪れていた。まず4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領もキエフを訪問し、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。

この会議に出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(治安機関)長官代行、ネオ・ナチの中心的な存在だったアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてオブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事になるイゴール・コロモイスキーだ。

コロモイスキーはウクライナのほか、イスラエルとキプロスの国籍を持ち、スイスをビジネスの基盤にしている。会議の10日後にオデッサで虐殺があったのだが、その数日前、パルビーは数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチの下へ運んでいる。

ところで、ウクライナをクーデターは2013年11月、キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で始まった。当初はカーニバル的な抗議活動で、混乱をEUは話し合いで解決しようとする。

そうした方針に怒ったのがアメリカのジェオフリー・パイアット大使やビクトリア・ヌランド国務次官補。このふたりが電話で話し合う音声が2014年2月4日にインターネット上にアップロードされている。

パイアットとヌランドは電話で次期政権の人事について話し合っていたのだが、その中でヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任している。その会話の中でヌランド国務次官補はEUが話し合いで解決しようとしていることに怒り、EUに対して「くそくらえ(F*ck the EU)」と口にした。

その音声が公開された頃からキエフでは暴力が激しくなるが、その中心はネオ・ナチ。2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。ネオ・ナチは広場へ2500丁以上の銃を持ち込んでいたとも言われている。

その当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。

ヤヌコビッチを暴力的に排除する切っ掛けになったのは広場における狙撃。治安部隊の隊員も抗議活動の参加者もターゲットになり、少なからぬ犠牲者が出た。

西側の政府やメディアはヤヌコビッチ政権側が狙撃していると宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だという。その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で、狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいると報告した。

「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。

パエトはクーデター派が狙撃したとアシュトンへ知らせているのだが、この報告は無視された。先月、この報告を裏付けるドキュメントがイタリアで放送されている。(その1、その2)その中で自分たちが狙撃したする3人のジョージア人が登場、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。

この3人は狙撃者の一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。また、彼らによると、キエフのクーデターはジョージアで実行された「バラ革命」と同じシナリオだった。狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだとも語っているが、この人物が指揮していたことはクーデター直後から指摘されていた。ジョージアの狙撃者はウクライナ行きを命じたのはサーカシビリだとしているが、この人物は2013年11月17日に大統領を辞めているので、その前の決定だということになるだろう。

2016年11月にサーカシビリはオデッサ州知事を辞任、今年7月にウクライナ国籍を剥奪された。一旦出国したが、今年9月10日にバスを使ってポーランドからウクライナへ入った。12月5日に逮捕されたが、この時はサーカシビリ支持者が奪還に成功、8日に再び逮捕された。保釈されたのは11日のことだ。

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最終更新日 2017.12.17 19:27:33


2017.12.16

サウジから連れ出されたレバノン首相は新たなシリア侵略を仕掛ける役割を負わされている可能性


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サウジアラビアで大規模な粛清が始まった今年(2017年)11月4日、レバノンのサード・ハリリ首相が辞任を表明する録画映像をサウジアラビアのテレビが流したが、その表明は後に取り消された。粛清が始まった頃、ハリリとビジネスで緊密な関係にあったアブドゥル・アジズ・ビン・ファハド王子の死亡説も流れたが、サウジアラビア情報省はすぐに否定している。

軟禁状態だとされたハリリをサウジアラビアから連れ出したのはフランスの​エマニュエル・マクロン大統領​。招待という形でハリリはフランスを訪問した。家族同伴と伝えられているが、ふたりの子どもはサウジアラビアに残っている。人質だと言う人もいる。

マクロンは2006年から09年まで社会党に所属、その間、08年にロスチャイルド系投資銀行へ入り、200万ユーロという報酬を得ていたといわれている人物。つまり、ロスチャイルドの使用人。粛清を主導したと見られているモハメド・ビン・サルマン皇太子とも親しいと言われている。

今年9月にビン・サルマン皇太子はイスラエルを秘密裏に訪問していることから、今回の粛清はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権と連携してのことだった可能性がある。また、粛清の直前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを秘密裏に訪れていることも注目されている。

ところで、サード・ハリリの父親、ラフィク・ハリリは2005年2月に殺されている。この殺害事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、ヒズボラに所属するという4名が起訴されている。

この事件では早い段階から「シリア黒幕説」が流された。2005年10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出しているのだが、証拠は示されていない。メーリスはアメリカやイスラエルの「情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」とは考えなかったようだ。

メーリスの報告書では犯人像が明確にされていないうえ、暗殺に使われた三菱自動車製の白いバンは2004年に相模原で盗まれたのだが、そこからベイルートまで運ばれた経緯が調べられていないなど「欠陥」が当初から指摘されていた。

また、アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオがアルジャジーラで放送されたが、このビデオをメーリスは無視。また、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクなる人物は、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたとしているのだが、​ドイツのシュピーゲル誌​は、サイド・サディクが有罪判決を受けた詐欺師だと指摘する。

しかも、この人物を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサド。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたようだ。

もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。

メーリスの報告書が出された後、シリアやレバノンの軍幹部が容疑者扱いされるようになり、レバノン軍将官ら4人の身柄が拘束されたのだが、シュピーゲルの報道後、報告書の信頼度は大きく低下、シリアやレバノンを不安定化させたい勢力の意向に沿って作成されたと疑う人が増えた。2005年12月になるとメーリスは辞任せざるをえない状況に追い込まれ、翌月に辞めている。後に特別法廷は証拠不十分だとして4人の釈放を命じ、その代わりにヒズボラのメンバーが起訴されたわけである。

STLは2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではなく、サウジアラビア、アメリカ、フランス、イギリス、レバノンが年間85億円程度だという運営資金を出していた。

この法廷が設置される前年、2006年7月から8月にかけてイスラエルはレバノンに軍事侵攻、ヒズボラと戦っている。その際、イスラエル海軍のコルベット艦がヒズボラの対艦ミサイルで損傷を受けたるなど予想外に苦戦した。イスラエルが単独で攻め込むことは難しい状況になったのだ。

一方でハリリ・グループは「未来運動」なる活動を開始、武装部隊(テロ部隊)を編成した。その部隊を財政的に支援してきたのがデイビッド・ウェルチ米国務省次官補を黒幕とする「ウェルチ・クラブ」なるプロジェクトだと言われている。

​WikiLeaksが公表した外交文書​によると、ロンドンを拠点とする反アサド派を2000年代の半ばからアメリカ政府は資金面などで支援、亡命シリア人のネットワークの「正義発展運動」も生み出した。

2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載された調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が​シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作​を開始している。

また、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語ったことは、2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が明らかにしている。(​3月​、​10月​)

2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから数週間後、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画をたてていたともクラークは語っている。

シリアの体制転覆は遅くとも1991年の段階でネオコンのスケジュールに入っていた。そうした状況の中、ラフィク・ハリリは暗殺された。アメリカはその責任をシリア政府になすりつけてアサド体制を倒そうとしたが、まだ倒されていない。

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最終更新日 2017.12.16 00:00:08


2017.12.15

トランプが米議会の決議に沿ってエルサレムをイスラエルの首都だとし、イスラム団結の切っ掛けに


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ドナルド・トランプ大統領は12月6日の演説でエルサレムをイスラエルの首都だと認めた。それ以来、イスラム世界ではアメリカに対する批判が高まり、シスラム教徒が団結する雰囲気も出てきた。

しかし、この演説でパレスチナ人の状況が悪化したわけではない。これまでイスラエルはガザを繰り返し軍事侵攻、ヨルダン川西岸は入植で浸食されて収容所化が進んできた。そうしたパレスチナを世界の人々が思い出しただけのことだ。

本ブログでもすでに書いたことだが、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律がある。エルサレムをイスラエルの首都だと承認すべきで、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだという内容だ。

今年(2017年)6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その流れの中でドナルド・トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのである。トランプは議会を尊重したとも言えるのだ。アメリカがパレスチナ問題の仲介者になることは不可能だということでもある。

今回の演説までパレスチナは世界から見捨てられていたのだ。ヤセル・アラファトの死後、PLOはスポンサーのサウジアラビアの言いなりになるが、そのサウジアラビアはイスラエルと緊密な関係を築いている。そのPLOのライバルと見なされているハマス(イスラム抵抗運動)を育て上げたのもイスラエルだ。

アラファトが率いるPLOの影響力を低下させるため、イスラエルはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していたアーマド・ヤシンに目をつける。彼はガザにおける同胞団の責任者に選ばれ、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、イスラム・センターを創設する。1976年にはイスラム協会を設立、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマスだ。

アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名している。その後、クリントンはスキャンダル攻勢でホワイトハウスにおける影響力が低下、1995年11月にはラビンが暗殺される。

この暗殺から5年後、イスラエルの軍事強硬派、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまい、2004年にアラファトが死亡た。

その間、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をする前に「アル・カイダ」が実行したと断定、アメリカをはじめ西側世界では反イスラム感情が広がっていった。

トランプは中東におけるアメリカの存在をアピールすることも狙ったと見る人もいる。バラク・オバマ政権はシリアのバシャール・アル・アサド大統領を排除すると宣言、イスラエルやサウジアラビアなどと手を組み、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵を送り込んだ。

アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が使った傭兵にはアル・ヌスラ(アル・カイダ系)やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)といったいくつかのタグが付けられていたが、所詮はタグに過ぎない。

ところが、この侵略戦争はロシアに阻止される。クルドへの切り替えも思惑通りには進まなかった。戦争が長引くにつれて侵略勢力は結束が緩み、すでにトルコやカタールは離脱してロシア、イラン、シリアのグループに接近している。2003年にアメリカ主導軍から先制攻撃を受けてサダム・フセイン体制を倒されたイラクもこのグループと手を組んでいる。アメリカの中東における影響力は急速に低下し、ロシアの存在感が強まった。トランプは世界の目をアメリカへ向けさせようとしたと考える人もいる。

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最終更新日 2017.12.15 10:13:44


2017.12.14

日米韓の好戦派が軍事的な緊張を高めようとし、ロシアと米国の国務長官は外交的な解決を目指す


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アメリカ、日本、韓国の3カ国が朝鮮半島周辺で合同軍事演習を始めた12月11日、ロシア軍のワレリー・ゲラシモフ参謀総長は米日韓の軍事演習を軍事的な緊張を高めるものだと批判した。その翌日、12日にアメリカのレックス・ティラーソン国防長官は朝鮮と前提条件なしに対話する用意があると発言、その翌日にはロシアの軍事使節が朝鮮を訪れている。朝鮮が「火星15」と名づけられたICBMの発射実験を実施した11月29日にはロシアの議員団が朝鮮を訪問、また11月20日から6日間にわたって日本経済団体連合会、日本商工会議所、日中経済協会で構成される経済代表団約250名が中国を訪れていた。軍事的な緊張を高めようとする勢力と緩和させようとする勢力の対立が鮮明になっている。

東アジアでの経済発展を目指し、鉄道網やパイプラインの建設を計画している中国やロシアは軍事的な緊張を緩和させようとしているが、それを妨害しているのがアメリカ、日本、韓国の好戦派、そして朝鮮。本ブログでは何度か指摘しているが、朝鮮はアメリカや日本の好戦派にとって都合の良いタイミングで爆破やミサイル発射の実験を実施してきた。

アメリカの好戦派は朝鮮を利用して東アジアの軍事的な緊張を高めてきたが、そのターゲットは朝鮮でなく中国だろう。歴史的にアメリカ支配層は中国の制圧と略奪を目論んできたのだ。アングロ・サクソンというとらえ方をすれば、その歴史は19世紀までさかのぼることができる。

フランクリン・ルーズベルト大統領が急死してホワイトハウスがウォール街に奪還された後、アメリカは国民党を支援したが、その国民党と戦っていた解放軍が1949年1月に北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立した。上海を拠点にしていたアメリカの極秘破壊工作機関OPCは日本へ移動、厚木基地を中心に活動することになる。

朝鮮戦争勃発の4カ月後、1950年10月にOPCはCIAへ吸収されて秘密工作部門の中核になり、中国南部へ侵攻する計画を立た。そこでラオスにいた国民党軍を再編成し、1951年4月にCIAの軍事顧問団は2000名の国民党軍を率いて中国へ軍事侵攻、片馬を占領した。そこで反撃にあい、追い出されている。1952年8月にも国民党軍は中国へ侵攻して約100キロメートルほど進んだが、やはり中国側の反撃で撃退されてしまった。

1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任、国務長官はジョン・フォスター・ダレスになった。その年の7月に朝鮮戦争が休戦になるが、翌年の1月にダレス国務長官は国家安全保障会議でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案している。それを受け、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。この段階でベトナムへの軍事介入が見通されている。ベトナムから軍隊を撤退させる決断をしていたジョン・F・ケネディ大統領が1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入を始めた。

アメリカ人の中には「神の軍隊」であるアメリカ軍がベトナム戦争で苦戦していることに不満を抱く人が少なくなかったが、そうした時期に勃発したのが1967年6月の第3次中東戦争。この戦いで圧勝したイスラエルを新たな「神の軍隊」として崇める人もいたようである。

その後、デタント(緊張緩和)を目指したリチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で1974年8月に失脚、副大統領からジェラルド・フォードが昇格して誕生した新政権ではポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターがデタント派の粛清をしている。

ちなみに、ニッツェはナチスとの関係が疑われた元銀行家で、元トロツキストのウールステッターは核の専門家として国防総省系のシンクタンクRANDで働いていたことがある。シカゴ大学で教えた学生の中には後にネオコンの中心的グループに入るポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。

粛清の中で最も重要な意味を持っていたと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代。1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、また76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。

また、ネオコンの台頭も目立つ。例えば、ラムズフェルドはNATO大使から1974年9月に大統領主席補佐官へ、そして国防長官になったが、空いた首席補佐官のポストに収まったのがリチャード・チェイニーだ。

当時、CIA長官になったブッシュは「情報の素人」だとされたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された当時、ブッシュがCIAの幹部だったことはFBIの文書で確認されている。

ブッシュが長官になったCIAではソ連脅威論を宣伝するチームBが始動する。CIAの分析部門は事実を重視するため、チームBで好戦派に継ごうが良い偽情報を流すことになった。社会不安を高め、軍事力増強や治安体制の強化へつなげようとしたのである。

そのチームBを率いたハーバード大学のリチャード・パイプス教授はヘンリー・ジャクソンの事務所で顧問を務めていた人物。その事務所は後にネオコンと呼ばれる人々が育成のために送り込まれていた。また、Bチームのメンバーにはポール・ニッツェやポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。

1991年12月にソ連が消滅した直後、92年2月に世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ/ドクトリンを作成した中心人物がウォルフォウィッツ。そのプランに基づいて1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成、公表している。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

そうした流れに逆らう鳩山由紀夫が2009年9月に内閣総理大臣となると、マスコミや検察から激しい攻撃を受けて潰されてしまい、10年6月に首相は鳩山から菅直人へ交代した。その年の9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視して尖閣諸島の付近で操業中だった中国の漁船を取り締まり、田中角栄と周恩来が「棚上げ」で合意していた尖閣諸島の領有権問題に火がつけられた。

その結果、軍事的な緊張が高まり、経済面にも悪い影響が出ているのだが、それにも限界がある。今年、日本が大規模な経済代表団を中国へ派遣した理由のひとつはその辺にあるのだろう。アメリカの好戦派に従属して日本を破壊するのか、そうした事態を回避するために方針を転換するのか、日本の支配層は選択を迫られている。

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最終更新日 2017.12.14 11:49:07


2017.12.13

中国とロシアが軍事的にも強く結びつく中、米国が日本と韓国を従えて軍事演習を実施した背景


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アメリカ、日本、韓国は12月11日から合同軍事演習を実施した。アメリカから参加した2隻のイージス駆逐艦、「ステセム」と「ディケーター」を中心に、日本のイージス駆逐艦「ちょうかい」、韓国のイージス駆逐艦が参加している。東シナ海ではアメリカのB-B爆撃機やF-35戦闘機、F-18戦闘機、また日本から4機のF-15戦闘機が飛行したという。

この演習は朝鮮を想定しているとされているが、実際の相手は中国とロシアのはずである。アメリカと緊密な関係にあるイギリスでは1945年5月にドイツが降伏した直後にソ連を奇襲攻撃する計画を立て、アメリカは1949年に中華人民共和国が建国されてから中国への軍事侵攻を目論んできた。今もその延長線上にある。

イギリスの奇襲計画はウィンストン・チャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に命じて作成させたもので、「アンシンカブル作戦」と名づけられた。それによると、1945年7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、参謀本部に拒否されて実行されていない。日本が降伏する前にソ連を攻撃した場合、日本とソ連が手を組む可能性があると懸念する人もいたようだ。

この計画が流れた後、7月26日にチャーチルは退陣するのだが、日本が降伏して第2次世界大戦が終わった翌年、1946年の3月に彼はアメリカのミズーリ州で「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至まで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言している。

それだけでなく、1947年にチャーチルはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。チャーチルは執拗にソ連の破壊を目論んでいた。ドイツ軍の主力がソ連に攻め込んでいたとき、西側が手薄になっていたにもかかわらずチャーチルはドイツを攻撃させていない。

フランクリン・ルーズベルトが1945年4月に急死した後、副大統領から昇格したハリー・トルーマン大統領は1947年3月、世界的な規模でコミュニストを封じ込める政策、いわゆるトルーマン・ドクトリンを打ち出した。

ジョージ・ケナンがXという署名でソ連封じ込め政策に関する論文を発表したことも有名な話だが、これらは1904年にハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が発表した理論と合致する。イギリスは一貫してロシア制圧を目論んできた。

マッキンダーは世界を3つに分けて考えている。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島だ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指し、そのロシアを支配するものが世界を支配するとしていた。そのロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯をマッキンダーは想定している。日本は内部三日月帯の東端にあり、侵略の重要拠点であるのみならず、傭兵の調達地と認識されていた。

第2次世界大戦後、アメリカでは外交官や軍人の好戦的な勢力がソ連の打倒を目指す。例えば、トルーマン・ドクトリンが発表された2年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告を作成、1954年にアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)はソ連を攻撃するための作戦を作り上げた。SACの作戦は600から750発の核爆弾をソ連に投下、約6000万人を殺すという内容で、この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」が作成されたのは1957年初頭だ。

こうした動きの中、沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、アメリカ軍は暴力的な土地接収を進める。1955年には本島面積の約13%が軍用地になったという。沖縄の軍事基地化はアメリカの世界戦略と結びついていると言えるだろう。

こうした軍事基地化が推進されていた当時、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めていたのがライマン・レムニッツァー。第2次世界大戦でイギリス軍のハロルド・アレグザンダー元帥に取り入り、アレン・ダレスを紹介されている。ダレスとレムニッツァーは大戦の終盤、ナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」をルーズベルト大統領に無断で実施している。

レムニッツァーは琉球民政長官の後、ドワイト・アイゼンハワー政権時代の1960年から統合参謀本部議長に就任するが、次のケネディ大統領とは衝突、議長の再任が拒否されている。衝突の主な原因はソ連に対する先制核攻撃をめぐるものだった。

本ブログでは何度も書いてきたが、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。

これも繰り返し書いてきたが、「核の傘」とはアメリカの先制核攻撃の拠点になることを意味する。1991年12月にソ連が消滅した直後、ネオコンをはじめとする好戦派が作成した国防総省のDPG草稿、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連がアメリカの属国になったという前提で立てられた世界制覇プラン。21世紀に入るとロシアがウラジミル・プーチンの元で再独立に成功、国力を回復させたのだが、それでもアメリカ支配層の内部にはボリス・エリツィン時代のイメージが残っていたようで、例えば、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文の中でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるようになると主張している。

その論文が出た2年後の2008年にアメリカ支配層の幻想を打ち破る出来事があった。その年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官はジョージア(グルジア)を訪問、8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴えてから8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。

ジョージアは2001年以降、イスラエルの軍事会社から無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器の提供を受け、軍事訓練も受けていた。2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。つまり、アメリカやイスラエルは周到に準備した上でジョージアに南オセチアを奇襲攻撃させたのだ。圧勝する予定だったのだろうが、ロシア軍に粉砕されてしまった。この時点でアメリカ軍やイスラエル軍はロシア軍に通常戦で勝てないことが明らかになったと言える。その後、力の差が開いたことはシリアでの戦闘が示唆している。

それでもアメリカ支配層の一部はロシアと中国を制圧しようとしている。アメリカ経済は半世紀近く前に破綻、その後は資金のコロガシ、投機市場の肥大化で誤魔化してきたのだが、その仕組みが揺らいでいることが大きい。ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうだなのだ。投機市場が縮小しはじめたなら大変な勢いで西側支配層の富は消えていく。ロシアと中国が健在である限り、そうした展開になってしまうだろう。来年、アングロ・シオニストの支配者たちはギャンブルに出る可能性がある。

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最終更新日 2017.12.13 18:40:51


2017.12.12

シリア侵略を継続するために米軍はシリア占領を続けようとしているが、露大統領は軍に帰還命令


カテゴリ:カテゴリ未分類

ロシアのウラジミル・プーチン大統領が12月11日に突如シリアのラタキアにあるフメイミム空軍基地を訪問、シリアのバシャール・アル・アサド大統領と会談した。その際、シリアに派遣されたロシア軍の主力を帰還させるよう国防相と参謀総長に命じたことを明らかにしている。ただ、フメイミム空軍基地とロシア海軍が使っているタルトゥース基地はこれまで通りだという。

軍に帰還を命じたのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の殲滅に成功したからだとしているが、アル・カイダ系武装勢力と同じように、この戦闘部隊をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする侵略同盟は手先として使ってきた。

その同盟からトルコやカタールは離脱したが、中核の3カ国はシリア侵略を諦めていない。アメリカ軍はそうした武装集団の逃亡を助けてきた。幹部をヘリコプターで救出したと伝えられている。「新ダーイッシュ」を編成する準備はできているだろう。

アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した2年後、イギリスのロビン・クック元外相はガーディアン紙に寄稿した文章の中で、​アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル​、つまり傭兵の登録リストだと指摘した。1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが計画した秘密工作で戦闘集団が編成されて以来、そうした仕組みは維持されている。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。

アメリカ軍はロシア軍より1年前、2014年9月23日からシリア政府の承認を得ないまま軍事介入、トルコ政府によると、シリア北部に13基地をすでに建設済み。駐留している将兵は7000名に達するとする情報もある。

この軍事介入の口実としてアメリカ軍もダーイッシュ殲滅を掲げていた。ダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャでイスラム首長国の「建国」を宣言、6月にファルージャを制圧した。その際、トヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になった。8月にはジェームズ・フォーリーの首をダーイッシュが切ったとする映像が公開されている。

しかし、本当にダーイッシュをアメリカ政府が危険だと考えていたなら、ファルージャ制圧を黙認したはずはない。ハイラックスの車列は格好のターゲットだったはずだ。こうした行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだからだ。

アメリカは2014年9月、ダーイッシュの出現を口実にして連合軍を組織、アサド体制の打倒を目指す。連合軍に参加したのはサウジアラビア、カタール、バーレーン、アラブ首長国連合のペルシャ湾岸産油国、ヨルダン、トルコ、さらにイギリス、オーストラリア、オランダ、デンマーク、ベルギー、フランス、ドイツなどだ。

この連合軍は​2014年9月23日に攻撃を始める​が、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。その後、アル・ヌスラ(アル・カイダ系)やダーイッシュはシリアで勢力を拡大していくが、その理由は連合軍が本気で攻撃していなかったからにほかならない。その後、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは支配地を拡大、アメリカ主導軍はインフラを破壊、住民の犠牲が増えていく。

このようにダーイッシュが売り出される2年前、​2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAは反シリア政府軍について、その主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だと指摘​、バラク・オバマ政権が宣伝していた「穏健派」は存在しないとする報告書をホワイトハウスへ提出している。しかも、その中で東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されていた。つまり、ダーイッシュの出現を見通していたのだ。当然、バラク・オバマ大統領もわかっていただろう。

そうした経緯があったこともあり、2014年にダーイッシュが登場するとオバマ政権の内部で激しい対立が起こり、その年の8月にマイケル・フリンDIA局長は解任されている。ファルージャやモスルをダーイッシュに支配させることはオバマ政権の主流派が望んでいたことだと言えるだろう。その翌月、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で証言している。

退役から1年後の2015年8月にフリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演、ダーイッシュの出現が見通されていたにもかかわらず阻止できなかった理由を問われ、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあると答えている。その情報に基づいて政策を決定するのは大統領の仕事だということであり、​ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策による​というわけだ。

ロシア軍主力の撤退はシリアへ居座ろうとしているアメリカ軍への圧力という側面もあるだろうが、一旦占領した場所からアメリカ軍は引き揚げようとしない。実際、シリアでもそうした発言をしている。11月にはロシア軍を挑発して軍事的な緊張を高めようとしていたが、緊張が高まる前にロシア政府は主力の帰還を命じてしまった。

このままアメリカ軍が居座ろうとすれば自分たちが単なる侵略軍に過ぎないことを明らかにすることになる。それでも日本などはアメリカを侵略者だとは認めようとしないかもしれないが、世界の目は違う。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712110000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/719.html#c75

[昼休み53] 旭川女子中学生校内集団レイプ事件 中川隆
8. 中川隆[-5750] koaQ7Jey 2017年12月18日 19:25:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物 2017年10月22日
https://uranaru.jp/topic/1011178


1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?


旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?


旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。


旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?


旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。


加害者


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。


被害者の女子生徒はどのような人物だったか?


旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。


他にもいた被害者

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

トピック1011178/要素1993656出典: 無償のイラストレーション: 恐怖, 女の子, 悲鳴を上げる, ホラー, 怖い, ファンタジー - Pixabayの無料画像 - 1017831

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。


当初は軽度の嫌がらせだった


旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。


担任教師に相談した後、さらにエスカレート


男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。


他にも想像を絶する暴行も


性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。


脅迫までもが日常茶飯事だった


旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。


旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。


他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか


まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。


女子中学生の担任教師はどのように対応したか?


まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。

他の教師たちの対応はどのようなものだった?


その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。


学校の教頭の対応はどのようなものだったか?


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。


旭川女子中学生集団暴行事件のその後


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。


家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?


もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。


被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?


先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分


この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言


旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。


判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。


被害者の女子生徒のその後は


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。


周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件


旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。
https://uranaru.jp/topic/1011178

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/885.html#c8

[リバイバル3] 履きやすいリアエントリー タイプのスキーブーツ 中川隆
40. 中川隆[-5749] koaQ7Jey 2017年12月18日 20:41:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ストックの選び方
https://www.tanabesports.com/fs/skier/c/2017050505


スキーのストック選びで悩むのは「どのモデルにするか?」「長さは?」ではないでしょうか?

どのモデルが良いかというのはストックの性能やデザインの好みが関わります。

■ ストックの選び方のポイント


ストック選びで一番大切なのは長さ選びです。

一般的に大人のスキーヤーですと身長の68-70%程度が目安になります。

ストックの場合は「このサイズでなければならない!」ということはありませんので、サイズは下記表を目安に選定くだされば間違いありません。


悩む場合はカットして短くすることは可能ですので長めをセレクトしてください。


身長 150cm 155cm 160cm 165cm 170cm 175cm 180cm
ストックの長さの目安 102-105cm 105-110cm 107-113cm 113-117cm 115-120cm 117-123cm 120-125cm
https://www.tanabesports.com/fs/skier/c/2017050505
 

上級スキーヤーはカービング(板がズレない)で体軸の内傾角度を深く保ったままターンすることができるため、上記目安より短めのストックを選ぶ場合もあります。(長いとストックが雪面に引っ掛かるため)

一般レジャースキーは上記数値間の長めを選べば間違いありません。

短めでも問題があるということはありませんが、ゲレンデの平らなところで前に進むため漕ぐことが多い 初級〜中級者は長めのほうが腰を曲げることも少なく楽になります。


最近ではカーボン製も比較的安価にて販売がされておりますので、一般レジャースキーヤーにもお勧めをいたします。

カーボン製でも5〜8千円程度で軽量なストックが手に入ります。
カーボン製でも価格に差があるのは、その強度と軽さに差があるためです。

一般モデルで高価なものは上代で25000円程度、レーシングモデルでは35000円程度になります。
これはレーシングモデルの方が軽いというわけではなく強度を高くする必要があるためです。

カーボン製で強度高めますと非常に高価になるため、レーシングモデルやフリーライド向けでは未だに強度の強いアルミ製が主流になっています。

店頭で手に取って選ぶ場合は実際握ってスイングしてみてください。

「価格の割りに振りやすい!」「グリップがしっくり来る!」など感じることができるはずです。


お子様の場合は70〜73%を目安に選定をします。
子供の場合は漕ぐことが多く、滑走中の体軸の内傾角度も浅いためです。
https://www.tanabesports.com/fs/skier/c/2017050505
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/777.html#c40

[リバイバル3] 履きやすいリアエントリー タイプのスキーブーツ 中川隆
41. 中川隆[-5748] koaQ7Jey 2017年12月18日 21:31:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【ストックの長さ】

通常のストックの長さは

•身長×67%〜69%

と言われています。

ただ、それだとストックを突いた時に上体が浮きやすくなってしまうので、僕は

•身長×63%

の長さ(身長166cmに対して105cmのストック)を使ってます。

この長さだと、大回りや中回りでもストックを突いてリズムが取れます。

難点は、最初の漕ぐとき。

でも、漕ぐときにポジションを低めにする、という意識ができる、というのは利点かもしれません。
http://lovesnow.jp/tech/tech_02.htm


スキーのストックの選び方と、ブランド別おすすめ18選ご紹介!
https://yamahack.com/864

スキーのストックの選び方とブランド別におすすめ18選をご紹介します。

長さや使い方、伸縮式についても掲載しています。
素材や長さ、固定・可変式など、沢山の種類があるスキーのストックから、お気に入りのものを見つけましょう!

スキーのストック、長さの選び方について


スキーのストックを選ぶ時、一番大切なのが長さです。

一般的に身長の68%-70%程度(子供の場合70%-73%)が目安になります。

絶対にこの長さじゃなきゃダメ!という訳ではないので、下記の表を参考に選んでみましょう。

https://yamahack.com/864

ストックには長さが変更できる伸縮式のものがあります。
長さが自在に変えられるので、自分に適切な長さに調整できるメリットがあります。

上級者ならば、滑るスタイルによって変えるといった使い方もできます。
一般成人が使う分には固定式で十分ですが、どうしても長さがしっくりこない場合には検討してみましょう。

滑ってる時にズレないのか?という心配もありますが、しっかりと固定されており、操作性・耐久性は固定式とほとんど変わらないので、安心して使用できます。

最近ではカーボン製でもエントリーモデルが発売されているので、一般スキーヤーでも1万円以下で軽量なストックを手に入れることができ、おすすめです。カーボン製でも差があるのは、強度と軽さによる差です。上を見ればレーシングモデルなどは非常に高価ですが、普通に滑る分にはそこまでのモデルは必要ありません。


スキーのストック、使い方について

ストックは、主にバランスを保持したり、加速するため、ターンのきっかけ作りのために使います。より高度なストックの使い方を知りたい方は、下記のリンクをチェックしてみましょう。


ストックの突き方
http://lovesnow.jp/tech/tech_02.htm–


ストックワークの3大メリット
http://www.siteadvisor.com/phishing.html?domain=http:%2F%2Fsij.arts-k.com%2Fkikobun%2Ftukawaki%2Fstock%2Fstock2.htm&originalURL=180819621&pip=false&premium=false&client_uid=3695814961&client_ver=4.0.7.148&client_type=IEPlugin&suite=true&aff_id=105&locale=ja_JP&ui=1&os_ver=6.2.0.0

スキーのストックおすすめ18選
人気のブランド別にストックを、伸縮式やカーボン製品も含めてご紹介します!
https://yamahack.com/864


スキーストックは多くのメーカーから様々な種類のストックが販売されています。伸縮式、固定式だけでなく、素材はアルミ、カーボン等、自分自身の使用にあったスキーストックを見つけてみてはいかがでしょうか。今年の冬は最適なスキーストックでよりウインタースポーツを楽しみましょう。

It’s more fun of winter sports by ski stock which fits itself.

自分に合ったスキーストックでウインタースポーツをより楽しく
https://yamahack.com/864
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/777.html#c41

[リバイバル3] スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ 中川隆
56. 中川隆[-5747] koaQ7Jey 2017年12月18日 21:55:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ストックの突き方
http://lovesnow.jp/tech/tech_02.htm


ストックの突き方について、【のび太】【いたぽん】にそれぞれの考え(理論?)を好き勝手に語ってもらいました。

以下は、二人の意図を崩さないようにまとめたものです。

まずは【いたぽん】さんにもご意見を頂きました。


【ストックの長さ】

通常のストックの長さは

•身長×67%〜69%

と言われています。 ただ、それだとストックを突いた時に上体が浮きやすくなってしまうので、僕は

•身長×63%

の長さ(身長166cmに対して105cmのストック)を使ってます。

この長さだと、大回りや中回りでもストックを突いてリズムが取れます。

難点は、最初の漕ぐとき。
でも、漕ぐときにポジションを低めにする、という意識ができる、というのは利点かもしれません。


【ストックの持ち方】 僕が意識しているのは、

•中指
•薬指
•小指

の3本。


特に小指が浮くと、軽くなりがちでカッチョよくないと思います。
しっかりとストックを突くためには、この3本の指に意識を持つことが重要。

そして、親指の位置も意識をしてます。

グリップの上側に乗せる感じ、というのをやじから聞いて、それを今シーズンは実践してます。

この持ち方だとストックが必要以上に広がらないので、見た目がよくなったかもしれません。

【ストックの突き方】

ポイントはただ1点のみ。

「ストックはしっかり突く」

雪面に対して垂直に突くか、多少斜めに突くか、というのは、シチュエーションによって使い分けてます。

イメージでは、カービング要素が強くなると、斜めに突く形に近くなります。

コブや足元を体から離さない滑りのときは、雪面に対して垂直に突く感じを意識してます。

上記のようにストックをしっかり握ることで、しっかり突けると思います。

突いたストックの反動に負けないように、

•ストックを突いたら手首を前に倒す

•腕を覆い被せるように返す

とか言われますが、もっと簡単に反動に負けないように見せるには、

◦突いた後にリングを引きずるイメージを持つ

というのが効果的だと思います。

特にコブ斜面では、このリングを引きずる、または、リングでコブを歩く、という感覚があるといいと思います。


【ストックの動かし方】

理想的には、

◦肘から手首まで全体を使って突く

と考えてます。

なので、手首を返すような動きはあまりしません。

しっかり突くけど、突きに行く、という感じではありません。

本当は、ストックが動くからあまりいい感覚ではないのかもしれないけど、 しっかりと突いてその反動に負けないようにするには、僕はこの感覚が近いのかな、と思ってます。

なので、肩から肘にかけては動かさず、肘から先でストックをしっかり突く、というイメージが近いかも。

突くときに自分の視界にグローブが入ってくる以上には動かさない、ということは意識してます。

自分の視界にグローブがしっかり入ってくると、必ずストックは巻いているように見えてしまうので。

でも、ある程度の動きがないとしっかり突けないと思ってます。


そのイメージで滑ったのがこの動画。
↓↓↓
http://www.watchme.tv/v/?mid=42bf85e14dc95c0ad727255443108b73


ある程度のスピードにも負けていない、っていうところを見て下さい。

大回り・中回りで突くイメージはこの動画。
↓↓↓
http://www.watchme.tv/v/?mid=0f09698017af107026ad0b0be011fa73
http://www.watchme.tv/v/?mid=c3517db938a70f36f4e73cb9b0eb8f76

リズムを取るために軽く突いているけど、それで上体が遅れないようにしています。


コブはこんな感じ。
↓↓↓
http://www.watchme.tv/v/?mid=fdbdddfe8c4df643ec18e5f931bada26


コブの頭をストックで歩く、と言う感じを意識してます。

続いて【のび太】さんのご意見〜♪

【ストックの突き方】

『カッコいい滑り』とか『板の動き』というのはよく考えるけど、 『カッコいいストックの突き方』だけに限定して深く考えたことって意外と少ないものです。

レッスンの中でもストックの突き方だけを集中して行われることは非常に少ないと思います。

ついつい板の動かし方、足の使い方、体重の乗せ方など、板の操作方法に集約されることが多いですね。

でも『カッコいい滑り』って、板の操作云々だけではなく、滑り降りてくるシルエットに左右されるので、 そのシルエットを構成するストックもかっこよさを演出する一つの要因であることは確かです。

では僕が考える簡単にかっこいいストックの突き方とは。。。

・・・一言で言うのは難しいです。
なので、少し細かくなりますのでお付き合いください。


1.大回りと中回り

滑走スピードによりますが、基本的にストックは突かないようにしてます。

滑走中のポジションを取ることに集中しているので前後左右のバランスをとる
やじろべいの腕のような役割をしてると思います。

2.小回り

中間ポジションで構えた手の位置からなるべく動かさないことを意識しています。

バランスを崩したり、雪面に突いた後に多少後ろに引けたり下がったりするので、
実際には全く動かさないというのはかなり難しいと思いますが、
滑り出しのときに手の位置を維持するような努力を心がけています。

その努力というのは、、、ストックは手首の左右方向だけで動かす意識。。。
そして、ココに僕的なポイントが潜んでいます。


小回り・N ワッチミー!TV
http://www.watchme.tv/v/?mid=c96742836bff214c3bb498c11c10ea4d


【ポイント1】
手首の左右方向だけだとストックの稼動範囲が狭いので、肘を中心に手の位置を僅かに内に動かします。
あまり大きく手を動かすとバランスを崩したり、変な癖となって後々まで残るので、加減が必要です。


【ポイント2】
スナップ(バレーボールのアタックを打つときのような動き)を使って動かしているわけではありません。
むしろ、スナップを使う手首の動きは、ストックがふらふらと見えて、見栄えが悪くなります。


【ポイント3】
ストックを付く瞬間に僅かにタメの時間、少し突くのを待つ時間があると 余裕を持ってストックを付いているように見えてかっこよく見えるかもしれません。

肘を少し曲げたときに『グローブ(手)が完全に視界に入ったな。』とか、 もしくはカラオケのマイクを少し離した位置で持ったような感じ?のところで、 コンマ何秒かでよいのでしっかりと止めるイメージです。

この止める動作をやりすぎたり、肘を曲げすぎたりするとかえってかっこ悪いので、微妙な加減が必要だと思います。

この微妙な加減をすることが変態にとっては快楽へと繋がります(笑)

タメの時間を長く取りすぎるとストックを巻き込むような手の動きに見えたり、 リングが進行方向に突き出た向きになったりして、 無駄な動きとなって現れるので気持ちよさを求めすぎないこともポイントです。


【ポイント4】
ストックをついたあとの処理は手の位置、肘の位置を元に戻すか、突いた瞬間から動かさないようにするか。
かっこよく見せるポイントとして、リングを引きずるようにするだけで、だいぶ変わると思います。

しかし、肘を体よりも後に持っていってしまったり、下げたりすると、滑走ポジションを崩す原因にもなるので注意が必要です。

僕はリングが雪面に突いた瞬間から手首の力だけ抜く、肘から下の力を抜いてストックからの衝撃を受け流すようにする意識です。


【ポイント5】
ストックを突く強さは、、、その時々によりますが、だいたいこんな感じです。


ゆっくり滑る

・丁寧に弧を描く意識・急斜面のときは比較的強め。


ハイスピード

・落下を意識して・早いリズムで・緩中斜面、というような滑りのときは弱めに、、、 むしろ軽く雪面を引っかくくらいを意識しています。
滑走スピードがあるから、軽く引っ掛けただけでもそれなりに強い衝撃が返ってきます。

それで、見た目的には同じような強さでついている様に見えると思います。


【ポイント6】
ストックを突くタイミングは『今だ!!』と思ったときに突いています。
理由は次のターンに入ることが出来るポジションが出来た、と感覚的に体が判断した瞬間だからだと思います。

ストックワークが上手い人というのは、このタイミングを自在に作り出せて、ターンの早いタイミングから突く準備が出来ています。

結局、ターン前半をしっかり作れると、足場がしっかりするので、下半身が安定する⇒上半身も安定する、 ストックが付きやすい⇒突くタイミングも計れるのでタメの時間があるように見える。という流に繋がってくる一因と思います。

ですから、タメを作るというのは、うまく突けているように見せるためのポイントだと思っています。


【余談】
もし、違うタイミングで意図的に突く必要があるとすれば、それはコブの中かな。
コブは少しタイミングを遅らせて、コブの頂点を過ぎた辺り、コブの裏側を目指すといいと思ってます。

そうすることで、コブからの衝撃を肩で受けなくて済むので、方が後ろに引けてポジションを崩される心配も無く、次のターンへの手の準備がしやすくなります。

【構え方】
僕が意識している腕の構え方レシピです。


1.ひじの位置。
真直ぐ立った状態から肘だけを肩に水平な位置まであげます。
その状態で肩(肩こりのときにトントンたたく部分だけ)の力を抜きます。
力を抜いたときに肘の高さがこぶしひとつ分くらい下がるとベスト。


2.手の位置。
肘の次は手。ゴーグルを装着した状態で視界からギリギリ見える程度までこぶしを広げます。

3.こぶしの向き(ストックの先端の向き)
こぶしを水平より少し傾ける、手のひらを僅かに内側へ向ける感じにして、ストックを持ちます。
この手のひらの傾け方、内側への向け方はターン弧やスピードなどの滑る条件調整します。

目安は、滑っているときにターン内側のリングが雪面に着くくらいかな。



4.ストックの持ち方。
しっかり突くから、という理由で、しっかりと握っている人もいると思います。
しかし、こぶしをギュっと握るということは手首に力が入ります。

更に手首に力を入れるために肘までの腕にも力が入った状態になってしまいます。
そうすることで、スムーズなストック操作が出来ないばかりか、衝撃を吸収できなくなり、肩を怪我したり、滑り全てが堅くギクシャクした滑りになる可能性があります。

ですから、僕は落とさない程度に軽く握る、小指と薬指、親指の3本で持つ、を意識しています。

【コブの中でのストックワーク】

コブを滑るときのストックワークは上達する上でとても重要だと思います。

コブを滑れるようになるためのポイントとして、よく挙げられる一つですね。
僕は、コブについてはストックワークの上達がコブの手っ取り早い上達方法だと思ってます。


ポイントはただ一つ。

『常に両手は前』

これは良く聞きますね。でも、その通りなんです。

両手が前に出ているということは次のターンに入る準備が出来ているということ。
だから、多少無理やりでもいいので、右外足でターンした場合は左手を。

左外足の場合は右手を斜面下方向に向かって猫パンチしてみてください。
外足に乗り始めたときには猫パンチをしてみると、次のターンへとても入りやすくなります。

でも、コレだけで終わるのはのび太的に面白くないのでここでもう一つエッセンスを。

『コブ(ターン)の振り幅に合わせて手を広げる』

要は、バンク形状のときは整地と同じように手を広く構える。

それがモーグルのように直線的になればなるほど手の位置を内側にセットする、というイメージです。

実際にどの程度に広げる、狭くする、というのは各自のスタイルもあるので、一概には言えないと思います。

最近はバンク形状のものややモーグル形状のもの、すり鉢状のもの、 コブというよりは深く掘れたミゾって感じのものが多いように思います。
どのタイプのコブを滑るにしても滑りやすいラインというのは(たぶん)あります。

真っ直ぐのほうが楽なもの、バンクを利用すると楽なもの、コブの形状を利用すると楽なもの。。。

それら、全ての滑り方を練習するには体が持ちません。

そこで、基本的な自分のスタイルにこのエッセンスをくわえて、 自分が持っている基本的な滑りのパターンを中心にターン弧をコブに合わせる、というイメージをもちます。

そうすることで、滑れてるイメージが一通りではなくて、レパートリーが増えるので、 どれで行くか?という滑れるかもしれない!というイメージを沸かせてください。


コブ・N ワッチミー!TV
http://www.watchme.tv/v/?mid=038e12b8ef41273a9ed83a46a130c0a3

バンクコブなので、

•整地と同じように手(左)を開いているところ

•猫パンチ(左)を意識しているところ

を見てください。 上から下まで同じリズムで滑れて居ないのは一番の原因は左手は広く構えているのに、 右手は狭く構えている。そのため、ターンサイズが異なってしまったんですね。

その結果、板を抜く方向と体を落とす方向がミスマッチになってしまっています。
それと板に置いていかれているところはストックワークという観点から離れて『このへたくそめ!!』と笑ってやってください。


06かぐら ワッチミー!TV
http://www.watchme.tv/v/?mid=17d6adbfbdb7e94b4012bce72ad86379


これは2年前だけど、コブの形状がバンクではないので、比較的オーソドックスに滑ってます。

•まだ猫パンチするタイミングが遅いけど、コブを乗り越えたときには比較的前に出ているので、中盤まではそこそこ滑れてます。

•注目してもらいたいのは、転ぶ寸前。猫パンチがしっかり出来ていないので体が開いてターンに入れず、どうにもならなくなっているところ。

さて、滑れるイメージが沸きましたか?
http://lovesnow.jp/tech/tech_02.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html#c56

[政治・選挙・NHK237] <ネトウヨ解散!>安倍総理が「反中」から「親中」に転換!「一帯一路」と連携を目指す!鳩山元総理の完全勝利が確定! 赤かぶ
1. 中川隆[-5746] koaQ7Jey 2017年12月18日 22:23:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
日本は近い将来、中国小日本省になる


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976

中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html


「外国人参政権」 を認めると沖縄が中国に編入される


なぜ「外国人参政権」を認めると、沖縄が中国に編入されるのか 2017.10.07 
by 北野幸伯『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/p/news/287616


かねてから外交政策の観点から安倍政権支持を明言している無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係研究者・北野幸伯さんですが、希望の党の政策についても一部評価しているようです。

今回は、小池氏が「外国人参政権に反対でなければ希望の党には入党できない」と表明したことについて絶賛するとともに、その理由をわかりやすく解説しています。


小池さん、「外国人参政権反対」を踏み絵に

選挙戦盛り上がっています。私は、「外交が素晴らしい」ということで、安倍続投を願っています。しかし、安倍さんの政策をすべて支持しているわけではありません。

たとえば「消費税引き上げ」に反対しています。小池さんは、「消費税引き上げ凍結」を宣言している。この方面では、是非がんばっていただきたい。もう一つ、小池さん、こんなことを宣言しています。

毎日新聞10月3日から。


◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ


希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。

希望の党に入りたければ、「外国人参政権に反対でなければならない」そうです。毎日新聞は、この決定を批判しているわけですが、私は、「素晴らしいじゃないか!」と思います。皆さんはどうですか?


ある国に住む他民族は、独立を目指す

•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ

このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)

「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」

です。例を一つ一つ見てみましょう。

・コソボ

コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。

・南オセチア

南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。

・アブハジア

アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。

・クリミア

クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。

・クルド(イラク)

イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。

・カタルーニャ

スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。


外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される

というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?

たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。

すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。

このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。

「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」

これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。

私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。私はモスクワに27年間住んでいますが、もちろん参政権はありません。私は「外国人」なので、参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。

そういった意味で、「外国人参政権反対」を踏み絵にする小池さんの決定は素晴らしいと思います。
http://www.mag2.com/p/news/287616  

日本人は謀略工作や心理戦に弱い。

我々社会が堅気の人間で構成されているせいか、各人の良心を信じる性善説が強いからだろう。

しかし、日本から一歩外へ踏み出せば、腹黒い奴らばかりで、朝鮮半島は根性がひん曲がった下郎でいっぱいだし、支那大陸は普通の人間でも匪賊、盗賊、殺人鬼、詐欺師、ゴロツキ、といった「人でなし」に直ぐ変身できる。

ましてや、生まれつきの悪人だと子供の頃から一端(いっぱし)のギャングだ。

落合信彦など「支那人の子供は目の輝きが違う」などと雑誌『サピオ』に書いて失笑を買ったが、国際ジャーナリストを自称する法螺吹きだから仕方ない。

しかし、有名大学の長老教授や新聞論説員に騙されて支那人を厚遇し、「人さま」扱いしていた日本人は哀れだ。

隣人を信頼できて、他人も気配りをしてくれる国など、地球上で日本以外にはあり得ない。ユーラシア大陸は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する闇黒地帯で、お人好しの日本人が生活できる世界ではなく、下手をすれば身ぐるみ剝がされて虐殺されてもおかしくはないのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68677889.html


中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる


国会で話題になっていた「外国人参政権の問題点」は、対象者のほぼすべてが「在日韓国・朝鮮人」であることです。

この法案を積極的に推し進めている政党(賛成派)を知っておいたほうが良いでしょう。


「外国人参政権法案」の国会提出回数


公明党   27回(賛成)
民進党   15回(賛成)
共産党   11回(賛成)
自民党   0回(反対)
国民新党 0回(反対)
みんな   0回(反対)


※外国人参政権にもっとも積極的に賛成なのが公明党(創価学会)

※民主党(現在:民進党)は韓国民潭からの要請を受けて提出
※社民党・共産党も賛成 →共産党は被選挙権(立候補する権利)まで要求
※「自民党、国民新党、みんなの党、維新の会」は”反対”


(最後に/移民・難民問題)


日本国内で失踪する外国人(中国人)が増加
失踪目的で、技能研修を受けるものもいる

在日の犯罪の件数は多いのか、多い地域、どこにある?川崎市


その一方で日本には、イスラム圏からも多くの外国人が難民申請をしています(現在は多くが却下されている)
今後どのようになるかは分かりません。
http://www.geocities.jp/tokua33/

支那人に征服される呑気な日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


支那人に狙われた北海道


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(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
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  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)
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  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

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(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)
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  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。


チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)
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  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)
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  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)
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  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)
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  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真 / レヴンワースの風景)
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  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)
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  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)
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支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

Hugh Grant & Ekizabeth Hurley 2Hugh Grant & Ekizabeth Hurley 4Tinglan Hong 2
(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)
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  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

Hugh Grant & Anna-Eberstein 2Hugh Grant parents
(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)
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  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)
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  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)
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  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

Elizabeth Hurley 5Lucy Liu 2(左: エリザベス・ハーレー / 右: ルシー・リュー)
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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

Lisa Ling 2Lauren Tom 2Rosalind Chao 2Joan Chen 2
(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)
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  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)
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  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)
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  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)
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  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
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9. 中川隆[-5656] koaQ7Jey 2017年12月16日 08:54:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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2017-12-16
異国を覆い尽くす中国人と、やがて生まれてくる中国人の街

アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコは、人口の5分の1である約85万人が中国系移民で占められている。

そして2011年にはエドウィン・M・リーという中国系市長を生み出した。

この市長は2017年12月12日に謎の死を遂げているのだが、いずれはまた中国系の市長が生まれるのではないかと噂されている。その裏には中国政府の意向も動いているからだ。

異国で急激に増えて政治に進出し、じわじわと市や州や国を乗っ取っていくのは中国の常套手段である。中国がこの手法を採れるのは、2つの条件が整っているからだ。

1つは莫大な人口がいること。もう1つは国民が他国に定住することを厭わない気質を持っていることだ。確かに中国は莫大な人口を抱え、そして人々は金のためならどこにでも行く。

中国の人口は、約13億7900人である。世界の人口で言うと、7人に1人は中国人である。

その中国人は、昔から「白手起業」という言葉があって、何もないところから叩き上げて成り上がっていくのが「普通の生き方」として捉えられている。

日本人と違って組織に属することもなく、自分の肉体と才覚だけでのし上がるのが王道だと考えているのだ。


世界中で増殖し、世界中から排斥される中国人

中国人が組織に属しても往々にして賄賂を取ったり私腹を肥やしたりするのは、やはり組織内で自己ビジネスをしているのだと考えれば、そのメンタリティが理解できる。

そういった国民性があるので、彼らが信じるのは自分だけだ。他人や、組織や、国など、まったく眼中にないことが多い。だから彼らは、いとも簡単に国を越えて世界に出て行く。

ロシアでも、アメリカでも、オーストラリアでも、カナダでも、アフリカでも、東南アジアでも、彼らは金が儲かると思えば、どこにでも行く。

次々と国を渡ってそこに定住し、ひとりが成功すると家族をどんどん呼び寄せてネズミ算式に増えていく。そのために中国人の排斥運動はどこの国でも頻繁に起きる。

たとえばニュージーランドでも、あまりにも増えすぎた中国人に嫌気が差した人の一部が「中国人は出て行け」という排斥運動を起こしている。

カナダでも中国人の入国拒否が行われている。バンクーバーは中国人に乗っ取られたのではないかというほど中国人だらけであり、2012年からカナダは中国人移民を制限するようになっているのである。

フランスでも、中国人が現地のフランス人に襲われている。フランスのメディアは「フランス人の学生は、中国人に侵略されているという意識を持っている」という要旨を記事にしたこともある。

アフリカでも事情は変わらない。ケニアでも中国人排斥運動が起きているし、ガーナでも中国人排斥運動が起きている。「金のためなら何でもやる」「訳の分からない中国文化を持ち込んで広げる」というのが、排斥の理由だった。

ロシアでも国民の半数がチャイナタウンに嫌悪感やマイナスイメージを持つ。「中国人は文化的な素養が低すぎる」として、移民摘発では狙い撃ちされている。

ロシアと言えば、モスクワのチェルキゾフスキー市場が強制閉鎖されているのだが、これはもちろんロシア政府の「チャイナタウン潰し」だった。

チェルキゾフスキー市場は白手起業の中国人で満ち溢れ、密輸や模造品、海賊版、粗悪品、コピー品の温床だった。チャイナタウンが密輸品の宝庫であるのは確かだ。

何でもある。ニセ物からジャンク品、日用品からポルノ、宝石から食料品。ないものがない。

バンコクのチャイナタウン「ヤワラー地区」。すでにここは現地の一部のようになっている。


チャイナタウン初期は貧困層と切り離せない

世界中で中国人の排斥運動が起きているのだが、これは逆に言えば中国人が世界中に「進出」しているということであると理解しなければらない。

若い中国人は留学生としてその国に潜り込み、そしてアルバイトや違法就業によって現地に根付いていく。あるいは、最初から商売目当てで、徒手空拳、裸一貫でその国に入り込む中国人もいる。

海外でビジネスをする中国人は「華僑」と呼ばれている。東南アジアでもお馴染みの「人種」だ。

この華僑と呼ばれる人たちは、素晴らしい技術やサービスでのし上がってきたわけではない。

仕入れの金もない者は、料理人や、床屋や、クリーニング屋のようなところで肉体労働から始まる。

何か仕入れる金を持っている者は、集団で固まって、貧困層が買う安い物を売って生きるところから始まっている。安っぽい日用品や、安っぽい食品が多い。

一般的に、最初は仲間内でのビジネスで始まるが、やがて値段の安さや品物の豊富さに釣られた現地人が訪ねるようになって、そこがチャイナタウンとして機能していく。

貧困層にとって大量の物資が安く買えるというのは、取り澄ました高級品を丁寧なサービスで買うよりも重要なことだから、チャイナタウンはそれで現地に根づくのである。

貧困とチャイナタウンはまさに双子の兄弟のようなものだ。チャイナタウン初期には、貧困層と切っても切り離せない。

しかし、貧困層を取り込んで発展していくという特徴もあって、マナーも悪く、貧困層特有の無法や無秩序が増長していく。そもそも、売っているものが、海賊版だったり、違法商品だったり、まがい物だったりして、最初からいかがわしい。

それがその国の文化にはそぐわないので、強い軋轢や摩擦を生み出し、社会問題に発展する。どこの国でもチャイナタウンは最初のうちは「嫌悪感」の対象になる。

フィリピンのチャイナタウン。英語の看板と中国語の看板が渾然一体となっている。フィリピン人はもちろん誰も中国語が読めない。


貧困層をターゲットにした新たなチャイナタウン

チャイナタウンが拡大して行くと、組織抗争もしょっちゅう起きる。

1980年代のニューヨークでもそうだったが、チャイナタウンには狭い場所に堂(トン)と言われる様々な黒社会の組織が存在するので、しばしば抗争やいさかいを起こす。

1980年代のニューヨークのチャイナタウンは、ちょうどベトナム人の犯罪グループと中国人の黒社会グループが対立が目立っていた頃だった。

ある朝、中国人側のグループに属するホステスが殺されて、全裸にされて道端に転がされていたというので大騒ぎになっていたが、見せしめだと噂されていた。

2000年頃は、日本でも日本最大の歓楽街である歌舞伎町には中国人マフィアが増えていた。一時は中国人に占領されるのではないかというほど中国人が集まったのだ。

そこに起きたのが、中華料理屋で対立するグループが青龍刀を振り回して相手を惨殺した事件だった。日本の大都会で青龍刀が振り回されるのだから、多くの日本人はこの事件に驚いた。

当時の石原慎太郎都知事が2004年から歌舞伎町の浄化作戦を始めたのは、まさに中国人マフィアをこの街から排斥するためでもあった。

石原慎太郎は歌舞伎町を乗っ取った中国人のゴロツキに激しい嫌悪を抱き、敵愾心を剥き出しにしていた。この浄化作戦で中国人のゴロツキは姿を消したが、潜伏先は池袋だったので今度は池袋の北口側が中国人の牙城と化した。

チャイナタウンは計画的に生まれるのではなく、中国人の数が増えたところで不動産が次々と買い取られて街が中国色に染まって生まれるのである。

チャイナタウンを好む人がいる一方で、現地当局や周辺住民にとっては迷惑この上ないとして非常に嫌う人も多い。

池袋や西川口は、中国人が自然増殖している最中で、オセロの白が黒のひっくり返るように、日本人が消えて中国人に占拠されるのではないかと懸念する人もいる。

日本では、横浜中華街も神戸の南京町も、どことなく上品な観光地的な街になっている。完成された中華街は観光地へと変貌する。

しかし、チャイナタウンの「始まり」は、いつもカオスと無秩序と軋轢の中だ。

すでに日本には底辺で100万人以上もの中国人が入り込んでいる。この流れはさらに加速して、日本のあちこちでチャイナタウンの「芽」が育つ。

やがてそれが大きな潮流となったとき、横浜や神戸とはまた違ったチャイナタウンがどこかで生まれ出てくるはずだ。日本に、それができる。

横浜のチャイナタウン。横浜最大の観光街として欠かすことのできない場所でもある。


池袋の中国人専門の書店、食品店、料理店、旅行代理店が大量に入り込んでいるビル。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171216T0202400900.html



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/329.html#c1

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