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2012年7月07日11時01分 〜
コメント [原発・フッ素25] 6.29首相官邸前大アクション 「野田の政治生命を断とう!原発推進派を落選させよう!」広瀬隆氏が呼び掛け  赤かぶ
474. 2012年7月07日 11:01:39 : tG4NPaAN7g
広瀬さんいつもお疲れ様です!ご老体さぞお疲れとは思いますが、もっとデモに参加して、国民を叱咤、激励してください!
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/149.html#c474
コメント [原発・フッ素25] 2012年7月6日の首相官邸周辺デモを30秒で見る動画 (8bitNews)  赤かぶ
09. 2012年7月07日 11:03:48 : 4gEbxcsojc
>実際その通り、人数は減ってきている

いえいえ、地下に押し込められ、遥か遠方に並ばされ、散らばされたんです。

不思議なのはKさつ発表が2万2千人だとか。6.29よりも増えている!倍増!!これの意味は何なんでしょか。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/431.html#c9

コメント [経世済民76] 儲かる時代はとうに終わった」赤貧・歯科医の告白・・5人に1人は年収300万円以下 墨染
23. 2012年7月07日 11:04:17 : GV1lg0PVGI
>21

>義務教育で虫歯予防を徹底すれば殆どの虫歯は防げる。
虫歯も生活習慣病なのだ
ただし、正確な情報は残念ながらあまりに習知されていない。陰謀か。

>1.フッ素は歯磨きに添加されている量なら明らかに虫歯を予防する。


むし歯は内科で言えば風邪のようなもの。
むし歯を撲滅などわけのわからないことをいう人がいるが、むし歯ができたということは、食生活や食習慣を見直すいいきっかけととらえるぐらいの余裕が
ストレスの少ない子育てになる。
むし歯1本で、悩むなんてナンセンス。
学校でむし歯を作ってはいけないとばかりにこどもにフッ素うがいをさせられ
困っている保護者が多数いる。
1部の歯医者の思い込みでただでさえ忙しい学校で劇薬を扱わされ、ますます
教師が追い込まれている。
フッ素を進める歯医者は、なぜ、WHOで6歳未満の子どものフッ素うがいを
禁止しているのか説明するべきだ。

学校でフッ素うがいをさせるのはなぜ?

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/198.html


>2.歯の磨きすぎは歯質表面を削ってしまうので逆効果。軽く磨く、頻度を上げるのが正しい。

これは、ほぼ同意。

>3.砂糖などの栄養液の害が軽視されすぎている、歯のキズに深く浸透して虫歯菌を繁殖させるので極めて歯に有害、飴やチョコレートを食べたら直ちに洗浄しなくてはならない。本当は避けるべき食品。

うーん

>4.口腔洗浄機は歯周病と虫歯に絶大な効果がある、予防と治療両方に効果がある。

手で磨いても大丈夫と思うが・・・

>以上4点を守るだけで歯科医の世話になる人は激減するはず。

普通に磨いて定期的に歯科医院でチェックしてもらっていれば、大丈夫と思う。
ただし、歯科医院選びは慎重にしたほうが、言いと思う。


http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/774.html#c23

コメント [カルト9] 神が、慈悲深いと、勝手に決め付ける人類!(アホや) 宇宙一いい加減な博士
84. 2012年7月07日 11:06:07 : 01vjOHWcwT
博士、おはようございます。
博士を最後の師として1人でやっていく心構えでいます。
いつまでも教えを受けれると錯覚しません。
いつもありがとうございます。

チャクラの観点から説明を試みたいと考えます。
チャクラを勉強していると性格、性根を表していると考えます。
ですので心を開くとチャクラの詰りは取れるはずですが
あまりにも邪気で塞がってしまうと
または悪想念で気が濁ると高次からの光が届きにくい。
それと自らの焦点がムーラーダーラ・チャクラの魔界と言われている場所にあると
魔界に取り込まれてしまう。
結果的に修行で得た力を悪用してカルマを増やしてしまう。
その人の最善を考え受け入れなかった。
哲郎
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/640.html#c84

コメント [原発・フッ素25] 今週金曜日も首相官邸前で関西電力大飯原発再稼働に反対する大規模デモ gataro
10. 2012年7月07日 11:06:55 : cCrcZ0sDf2
駅で警察官が駅から国民を出さないように列を作って通せんぼをしているようです。
それでもこれだけの人がでているんですね。
なんと醜い政権でしょうか!野田政権!
いくらなんでもこんなひどい事をする政権はかつて無かった!!!!!

この参加者だけでなく、そこへ行きたくても行けない国民がその100倍も1000倍も万倍も居る!
この声を無視した野田政権に国民は必ず選挙で鉄槌を下す!!!!!!

その時には野田はただ落選で済むと思うな!!!!!!!!!!!!

        その責任は命をもってしても償えない!

もう国民は怒り心頭だ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/411.html#c10

コメント [お知らせ・管理20] 削除お願いします。 中田英寿
02. 2012年7月07日 11:07:00 : tdImBsOX7U
管理人さんへ

実在の人物をハンドルネームにするのは非常に由々しき問題だと思います。

この人物が元サッカー選手の中田英寿なら問題はありませんが、
そうでないなら「なりすまし」ということになります。

ネームを変更させるべきです。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/737.html#c2

コメント [原発・フッ素25] 7.6 官邸前・関電本店前 (NNN. FNN, NHK, MBS, ANN, TBS) 妹之山商店街
02. 日高見連邦共和国 2012年7月07日 11:07:20 : ZtjAE5Qu8buIw : np1eC180Aw

そうだ!
ひとりひとりが、今、ここで、出来る事、を始めよう!!

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/435.html#c2
コメント [原発・フッ素25] 新宿で再稼働反対デモ 雨宮処凜氏ら4千人が参加 (朝日新聞)  赤かぶ
07. 2012年7月07日 11:08:50 : w18f1GkoJs
>>01


「山宣」ってそういえばどこかで聞いたことはあるんですが、どんな方なのかは知りませんでした。

「どうせつぶされるものなら、最初からやらない方が利口だという意見は、つぶされても痛くない高見の見物人か、それともつぶした方が得をする敵側の意見だ」

今こそ胸に響く、よい言葉ですね。教えてくださってありがとう!
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/317.html#c7

コメント [原発・フッ素25] 首相官邸前デモ 警官が駅出口を封鎖し、参加者を足止めしていた(ざまあみやがれい) CERISES
14. 2012年7月07日 11:14:57 : maxkpWHZCo
駅で設置ん攻めにあった時は
火災報知器ベルをならせばいい
警察官は制止できません

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/426.html#c14
記事 [不安と不健康15] 兵庫 明石市の職員 震災で中皮腫か(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120707/k10013412581000.html

兵庫 明石市の職員 震災で中皮腫か(NHKニュース)
7月7日 4時33分


兵庫 明石市の職員 震災で中皮腫か 投稿者 gataro-clone

阪神・淡路大震災で出たがれきの処理作業を行っていた兵庫県明石市の40代の男性職員が、アスベスト特有のがん「中皮腫」を発症し、明石市は、作業中にアスベストを吸い込んだことが原因の可能性があるとして調べています。

阪神・淡路大震災で出たがれきの処理作業を行っていた兵庫県明石市の40代の男性職員が、アスベスト特有のがん「中皮腫」を発症し、明石市は、作業中にアスベストを吸い込んだことが原因の可能性があるとして調べています。

明石市によりますと、アスベスト特有のがん「中皮腫」を発症したのは、明石市の環境部に所属する40代の男性職員です。

この男性職員は、ことし1月ごろ、腹部に異常を感じ病院で診察を受けたところ、先月、「中皮腫」と診断されたということです。

男性職員は平成7年に起きた阪神・淡路大震災直後の数か月間にわたり、明石市内で出たがれきの片づけを行っていたということで、明石市は、作業中にアスベストを吸い込んだことが原因の可能性があるとして、調べています。

また、この男性職員は今後、公務災害の申請を予定しているということです。

「中皮腫」などアスベストを原因とする病気は発症するまでの潜伏期間が長いことから、明石市は、阪神・淡路大震災のあと平成9年度までの間にがれきの処理作業を行ったことがある職員と元職員あわせて192人について、今月から毎年1回検診を行うことにしています。

明石市人事課は、「不安に思っている職員もいると思うので、検査をするなどきちんと対応していきたい」と話しています。

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/515.html

コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
80. 2012年7月07日 11:16:45 : MU5piKCZQ6
78の T9hNSVLSto さん
 もうここでは自動車事故との比較論議は要らないんじゃないかい?  事故の質が違うんだ。  混同して死者数でものを言うのはバカだ。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c80
コメント [原発・フッ素25] 人が増えてきた!官邸前デモの中継先紹介 中継見たいけどどこから行っていいか解らないという人が居たので CERISES
06. 2012年7月07日 11:18:31 : Uzzt27smXI
大阪の関電本店前へ人と東京のムーヴメントをもっと投入して、活断層の上の幸せに酔う連中に、我々の声を届け、プレッシャーを与えたいです!
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/427.html#c6
コメント [原発・フッ素25] 確実な広がり見せた官邸前金曜デモ〜亀井静香・坂本龍一もマイク握る(レイバーネット日本) gataro
02. 2012年7月07日 11:19:58 : 5RiJIMCjpA
大江健三郎さんも、どうぞ来てください。 長く立っていられないなら、貴方の集めた署名を掲げている写真を近くに立つ方達にお渡し下さい。    カモン、大江さん。。。私は貴方を信じていますよ。。。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/430.html#c2
コメント [原発・フッ素25] 7/6官邸前デモより〜坂本龍一さん・田中康夫さん〜(書き出し) (みんな楽しくHappyがいい♪)  赤かぶ
09. 2012年7月07日 11:21:34 : KryJYq5IrE
これだけの方が真剣に日本の将来を考えて行動に移しているのをみて、涙が流れてなりません。ビデオを見ながら家で「再稼働反対」とつぶやいています。家庭の事情で参加できず残念でなりません。参加できる方々にお願いしてすみませんが、ぜひあきらめずこれからも続けてください。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/421.html#c9
コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
24. 2012年7月07日 11:22:52 : FfzzRIbxkp
ぐるーっとデモ全体を見渡してから列に並ぶので、
だいたいいつも後ろのほう。前のほうの様子は帰宅後ネットで見てます。

同じデモ列ですが、ぜんぜん様子が違うのですね。

音楽に合わせて手拍子して、コールして、主催者の解散のかけ声で、
一本締めして、拍手。
ゆるやかな市民の連帯のひととき。
この抗議運動は人それぞれの心に主張があるのだろうけれど、
弾圧的なデモのイメージが壊れて、今のところ開放的だから参加しやすい。

国民の了解を得ることも、検証する時間も与えずに作った原発ですから、
廃炉は、国民の意思で進めていきましょ。えーと1基あたり30年ですっけ。
ガウディの世界観に近づいているぞぅ。
被曝した人たちも、長生きしましょう。そのためのデモでもあるんです。

というわけで、次はマラカスかトライアングル持ってく。



http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c24

コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
25. 2012年7月07日 11:30:01 : sTz2bTbZOM
昨日の参加者です。午後7時頃は丸ノ内線の国会議事堂駅出口は4番だけしか開けず、駅の中は、満員電車状態。
警察の警備部の考えで、この様にしているのでしょうけど、
反発を買います。もしかして、それが狙いなのか。
今の警察上層部はデモの実体験が無いですね、年齢的にも。
判断を間違えないで欲しいです。
参加者は個人の思いを伝えに来ているのですから。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c25
コメント [自然災害18] 7月8日に東海大地震!?(NASA)    スカイツリー
16. 2012年7月07日 11:31:44 : UR7CdS5DNU
みんな、自分だけは大丈夫と思いたいんだよ。交通事故だって、まともに運転してても、昨日の高槻の事故みたいに、居眠り運転のトラックと、前のトラックにはさまれて軽乗用車ぺっしゃんこ、なんてこともある。いつ災難がふりかかるかは、運だけだね。非難方法を考えてる人も、それも運のうち、なのです。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/414.html#c16
コメント [マスコミ・電通批評13] 参考・鳥越俊太郎さんへ質問です。長崎 広(全国一般東京東部労組)さんから〔薔薇、または陽だまりの猫〕 gataro
05. 木曽の山猿 2012年7月07日 11:34:09 : YnLQsTybFStJg : LNSzeiCFbM
[団体の旗」があったかどうかは枝葉末節の話です。
「団体の旗がなかった」という鳥越さんの表現は誤解を招きますが、
60年安保の時代には「団体の旗」のまわりに集まった多くの人々も、
自発的にデモに参加した人々も、
やむにやまれぬ気持ちがあって街頭にでてきたことは事実でしょう。
しかしそれは過去の話で、
特に近年では人々のそのような行動は絶えて久しく、
多くの人々はテレビや報道で見せられ知らされる政治劇場の観客としてしか関心を持たず、
街頭行動は組合として組織的に参加するメーデーか、
時々の問題に先進的に関心を持つ少数のグループの散発的なデモかという、
そんな状態になっていたことも事実です。

安保の頃には、国内的にも国際的にも既成左翼政党の基盤がしっかりしていて、
それが政治的な危機感の組織的発信源として機能しており、
労組の旗や学生自治会の旗はその象徴でもあります。

重大な、危機的な原発事故の発生と、その後の原発停止、再稼働について、
これは安全無害な舞台の上のことではなく、
いつ何時我が身に降りかかってくるかもしれない深刻な問題であることに気づき、
所属組織からの求めでも政党からの呼びかけでもなく、
市民団体からの呼びかけに応じてこれほど多くの人が、
やむにやまれぬ気持を抱いて自発的に毎週官邸前に集まるようになった状況から、
人々の間になにか変化が生じていることを感じ、
表現は多少不適切であれ、
そのことを指摘したかったという鳥越氏の気持ちも分かります。

政府や電力業界が人々の声を無視し、
既存の原子力政策を強行するとき、
持続的にこれに対抗しようとすれば、
運動の巨大な展開と、
それを支える組織的な発展は不可欠です。
さもなくば、運動は一方で挫折、他方で急進化・暴力化の二極化をたどることになります。
しかしその組織化は、今や硬直化した既存の左翼政党や労組では担えません。

自発的で、
柔軟で、したたかな、
市民組織の成長に期待しています。
したたかで、柔軟で、粘り強い、
市民意識の成長に期待します。
そのためにも、
自分を含めて、
多くの人々が、
持続的に、
意思表示を続けることが大切です。


http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/216.html#c5

コメント [原発・フッ素25] 10万人デモで少量の放射能汚染土を携行して首相官邸の前庭に放置する? (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
30. 2012年7月07日 11:35:01 : 0jrEtTwncA
01さんの仰るとおり、「狂っている」は言い過ぎにしても、投稿者の文章は道理を欠いていると思います。大阪で言うところの「調子こきすぎ」というヤツですね。

小出裕章さんのことを原発事故が起きるまでこれっぽっちも知らなかった人間ですので、オイラは他人に偉そうに言える人間ではありません。そのことを踏まえた上で意見ではありますが、
「放射能汚染された少量の土を10万人が携行して、首相官邸の前庭に放置、否、プレゼントすればいいのだ」
には強い違和感を覚えます。

被害者である関さんがその行動をとられること、そのことについては当事者ですから何ら問題ないでしょうし、自分がその立場なら同じようなことをやると思います。でも、だからと言って、投稿者がブログで10万人に煽るのはいかがなものでしょうか。

被災者の感情に便乗した正義感という、オイラが一番嫌いなものの匂いがどうしてもしちゃいますね。この便乗、調子のこき方って、大都市消費者が原発を地方に押し付けた構図と根っこでつながっているような気がしないでもありません。

今、日本の市民が対峙しようとしている放射能って、そんな軽いものなんでしょうかね。また、関さんの思いって、そんな軽いものなんでしょうか。

原発事故が冷静な判断を誤らせる。
その気持ち、感情はすごくよ〜く理解できますが、今起きていることはずっとずっと深刻なことだと思ってます。

投稿者ご自身が覚悟の上で行動を起こされる分には、なんら否定をするものではありません。でも他人を煽動するのは願い下げです。


http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/399.html#c30

コメント [原発・フッ素25] 福島原発は津波来襲前に電源喪失に陥っていた! 政府と東電のウソを暴いた国会事故調査報告書 長谷川 幸洋(現代ビジネス)  赤かぶ
19. 恵也 2012年7月07日 11:35:20 : cdRlA.6W79UEw : MqTJAHUoHo
>>15 今も続く東京電力への攻撃は、いささか常軌を逸している。

東京電力を生き残らせてるのが常軌を逸してるよ。
もう大被害を与えたのだから、被害の弁償だけでも東電はとっくに潰れてます。
ゾンビ状態の東電が生き残ってるのが、国税を投入されても生きてるのが常軌
を逸してる。

東電にお金を貸してる銀行や、企業年金をもらってるOBや、世間相場の何倍も
給料をもらってる東電職員をそのままにして、税金投入とは!!!!
年収750万円で2割減らし600万円にしたから勘弁してとは言語道断。

全員クビにして新規に採用して、電力を供給したら良いの。
少なくとも日本航空みたいに運転しながら、潰す方法だってあるだろうに!!!

>> 公益事業でありながら、一民間企業に過ぎない東電にはできないことも多い。

そんな東電がロビー活動をやって、国会議員が買収されてては民間企業とはいえん。
ただの独占企業に過ぎません。
公益事業で独占事業がなんで電事連を使って、マスコミに原発推進させ議員の
買収をさせることが許されてるのか、不思議で仕方ない。
電事連のお金だって電気代で賄ってるのだろうに・・・・

>> 市場原理優先で企業の効率的な経営を論じていたはずなのに

そんな効率的な経営をしてたのなら、何で日本の電気代が世界一高いんだ。
アメリカの2倍以上の電気代にしてなにが「効率的な経営」だ!!!!
この説明をしてからにしろ!

>> 東電にとって可能な対応の範囲内という意味でしかない。

東電はこれさえやってませんでした。
5年ほど前に土木学会からの津波警告で、日本原電の東海第二原発は
堤防のかさ上げを行っていて、危ういところで助かりました。

それに対して出世頭の活躍した吉田所長や武藤副社長はあまりに学問的
可能性であり「原発だけ守っては、周りの町民に被害が出て不公平」という
トンチンカンな理由で堤防のかさ上げを延期しました。
日本原電並みに対策をしてくれてたら・・・・
こいつらは自己責任というものに全く鈍感なケチンボ連中というべき。

ーーーー引用開始ーーーー
1ー1.電気料の国際比較

朝日 「表題」大口電力 小売自由化1年(2001、3、16)による
電気代の国際比較1998年IEA統計から
(ドル/kwh表示)
国名   日本    米国    イギリス   ドイツ   フランス(ドル/kwh) 
家庭用 0.187,  0.082, 0.120, 0.159,  0.129
    (100    44      64       86     69)
産業用 0.128,   0.040, 0.062, 0.065,  0.047
    (100   32     48      52     36)

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/404.html#c19

コメント [原発・フッ素25] 総理官邸前の「原発再稼働反対」デモ 最大規模に(07/06 18:04) TV朝日 CERISES
09. 2012年7月07日 11:36:08 : maxkpWHZCo
野田の本音がこの規制ではっきりわかる。
TVカメラに声はよく聞こえていますと
いい子ちゃんブリを演じ、その実デモは
なるべく小規模にみせようと、駅で人の出を規制。
反乱分子らが一気に地上に湧き出ないよう差配し
官憲がコントロールしやすいようにした。
昨日の官邸前は29日のそれよりも
警官、巡回する覆面パト、カマボコ、無線車
どれをとって倍以上配備されていて
公安も晴れていたら20万規模でも対応できる
体制だったことは明らかだ。
首相官邸前デモ 警官が駅出口を封鎖し、
参加者を足止めしていた画像をかくさんしましようい
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65813862.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/425.html#c9
コメント [原発・フッ素25] 10万人デモで少量の放射能汚染土を携行して首相官邸の前庭に放置する? (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
31. 2012年7月07日 11:38:24 : 0jrEtTwncA

投稿者の今回のご投稿の一部分がおかしいと思うだけで、
それをもって投稿者を全否定するつもりはサラサラありません。
もちろん、これからも楽しみに拝見します。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/399.html#c31
コメント [日本の事件30] 時速60キロ超で電柱激突 京都・祇園19人死傷事故 (ANN) 衝突までの暴走動画  赤かぶ
209. 2012年7月07日 11:41:10 : tQLUuGt1Ew
電力消費15%減の節電効果

北九州市で進められている、電気料金を変動させて自主的な節電を促す社会実験で、5日、一部の世帯の電気料金が初めて引き上げられ、電力の消費量が引き上げられなかった世帯より15%ほど少なくなりました。
北九州市八幡東区の東田地区では、電力の需要が高まる日に電気料金を最大で通常の10倍に引き上げ自主的な節電を促す、全国で初めての社会実験が行われています。実験では5日、日中の予想最高気温が30度以上になったことから、地区の一部で午後1時から5時の間、電気料金を通常の3.3倍に初めて引き上げました。
その結果、料金が引き上げられた世帯の電力消費量は、引き上げられなかった地区の他の世帯より平均で15%ほど少なくなりました。また、料金が引き上げられた世帯の電力消費量を、比較的涼しかった先月29日と比べると5%ほど減少しました。
この実験は10月いっぱい行われ、この間、50日程度料金を引き上げられる見通しです。
北九州市などでつくる協議会では電気料金の引き上げによる節電の効果を検証することにしています。

07月07日 06時11分

http://www3.nhk.or.jp/fukuoka/lnews/5013398691.html

電気料金変動初日の効果は

北九州市で進められている、電気料金を変動させて自主的な節電を促す全国で初めての社会実験で、5日、初めて電気料金が引き上げられ、引き上げられた世帯の電力消費量は、同じ地区の引き上げられなかった世帯より15%ほど少なくなりました。
北九州市八幡東区の東田地区では、IT技術を活用して電力消費を効率化する「スマートコミュニティ」の構築とともに、電気料金を変動させて自主的な節電を促す、全国で初めての社会実験が行われています。
5日、日中の予想最高気温が30度以上になったことから、地区に住む世帯の一部で、午後1時から5時の間の電気料金を通常の3点3倍に初めて引き上げました。
その結果、料金が引き上げられた時間帯で、引き上げられた世帯の電力消費量の平均は、同じ地区の引き上げられなかった世帯より15%ほど少なくなりました。
また、料金が引き上げられた世帯の5日の電力消費量は、比較的涼しかったため引き上げが行われなかった先月29日と比べても5%ほど減少しました。
この地区では、10月いっぱいまでの期間中、あわせて50日近くで、昼間の電気料金が最大でふだんの10倍まで4段階で引き上げられる見通しです。


07月06日 22時42分

http://www3.nhk.or.jp/kitakyushu/lnews/5023394881.html
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/203.html#c209

コメント [お知らせ・管理20] 2012年7月 削除依頼・削除報告スレ 管理人さん
08. 2012年7月07日 11:41:34 : DdSVZpbz6o
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/695.html
iyao
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/734.html#c8
コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
686. 2012年7月07日 11:45:09 : NJLjNk31wI
テレビはTBSのニュースバード(?)だったかな?ちょっとだけ取り上げていました。「脱原発」の熱は冷却か?パックインも今一つ。なんだ最近はメールの紹介は!やはり同じ人間だけだと「さくら=横尾さんあたり)と思われているのかな?きょうの一発目は長野さんじゃない?柏市、三重県は初めてのような?
内容もあまり面白くないので消した。大雨注意報発令中。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c686
コメント [音楽4] Waltz for Debby 地には平和を
01. 2012年7月07日 11:47:16 : hNV3zbeWvM
さっきオスカー・ピーターソンのを聞いていたら
急にビル・エヴァンスも聞きたくなって、こっち来ました。

甲乙付け難しですね・・・
どちらもとーてもステキでございます。

B型K子(笑)
http://www.asyura2.com/11/music4/msg/530.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
81. 2012年7月07日 11:48:46 : UR7CdS5DNU
原発推進派の人、次に原発がこけたら、なんて言うの?
二度あることは三度ある、とでも?
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c81
コメント [原発・フッ素25] 2012年7月6日の首相官邸周辺デモを30秒で見る動画 (8bitNews)  赤かぶ
10. 2012年7月07日 11:48:47 : 4gEbxcsojc
地下封じ込めでヤツラは何を陰謀んだのか?


地下封じ込めの画像
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52034183.html


たくさんツイートありました(以下はその一部)


pinokipinoWN
日本、どんどん変になってる。地下鉄駅封鎖でデモ参加妨害なんて聞いた事がない!権力と対決するはずの主催者が警察の言うことを聞くというのもすごい。反原発が半放射能ではないという非論理的思考はもっとすごい。

pinokipinoWN
主催者は責任をもって警察と交渉を。 @mikihoyamada: “@doremin43: これは、ひどい写真だ!想像以上。 QT @mimimizuho: 国会議事堂前駅…警官が封鎖している。デモに行きたいのに出れない人たちが何百人も…

tokudasu徳さん
@mizuhofukushima 雨の中、ありがとうございました。昨日は、18時に間に合わなかった人は、地下鉄の駅から、誘導され、首相官邸前に近づけなかった人がかなりいらしたようです。溜池山王→永田町→憲政会館→外務省前に誘導され、最後まで辿り着けなかった人もいらっしゃいました。

maruco2271まるこ
主催者が、「瓦礫と放射能を問題視する人たちが運動を潰す」と言っているが、それが問題でなかったらなぜ運動するんだ?主催者のために集まっていると勘違いして陶酔している。デモはコンサートでも宗教でもない。


georgebowwowジョージ
完全にやられた(♯`∧´)@okesigera66: 再稼動反対参加者が首相官邸前に集まらないよう分散誘導、おまけに地下鉄出口を封鎖して参加を阻止した。且つIWJの空撮を禁止し日テレ(読売)のヘリが撮影した官邸前のデモを放送。参加者を少なく見せる策謀は警察と読売によって見事に成功

eatyveggyeatyveggy
今夜のニュース9NHKで首相官邸前デモがサラッと報道された。団体が主催しているデモ、会社帰りの人が参加、以上。何人集まったのか、自発的に集まっている、警察が地下鉄出口封鎖しデモに行く人を阻んだ、など核心部分についての報道はゼロ。過激団体が主催みたいな印象を受けた。卑怯な手口。

hogege55ヒロチャ
今日の官邸デモ、地下鉄駅の出口がほとんど封鎖されましたがあちゃらかさんが○×倒しとか狙った可能性がなきにしもあらずですかねぇ…うーん RT @fe2x01: @saatennkixyu 本当の市民は この罠 をわかってない きがついていない だから 本当に大変な感じです


http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/431.html#c10

コメント [原発・フッ素25] 大飯原発前で機動隊に「傘を差し出す女性」の姿は衝撃的です (民間人です)  赤かぶ
62. 2012年7月07日 11:50:03 : is7PprJlVY
*13
イラク戦争とかで日本もイラクの人を見殺しにしましたから意味はないですが

所詮は自分が傷つかない範囲だからやっている偽善でしかないのだが

誰も自分の欠点は指摘する事を許さない、自己保存本能で行動しているだけ
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/388.html#c62

コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
687. 2012年7月07日 11:50:22 : NJLjNk31wI
東南海地震で死者40万人。いったい40万という数字は何が根拠なのか?
いずれにしても大飯あたりで事故が有ったとき原発停止かな?日本人の生態は不可解である。自分さえ不可解な生き物である。「人間とはなんぞや?」といった感覚が正直である。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c687
コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
82. じーさん 2012年7月07日 11:51:39 : 9dZ/UmfjrEsYs : qch69j6oZE
車と原発の分母を同じにして考えたらどう? 
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c82
コメント [原発・フッ素14] 光合成細菌はセシウムを無害化する![飯山一郎氏のブログ7・15、16日付より:放射能除去の切り札?] 一市民
30. 2012年7月07日 11:51:43 : mhTGpSipfY
汚染された試料をとってきて、密閉空間の中でEMを作用させ、
そのうえで放射性物質が減少するかどうかを実験すれば事足りるのでは。

放射能汚染対策技術について、未知の技術を研究するのはいいですが、
もし効果のない誤ったトンデモにつきあってしまって、
時間と費用を費やして安心しているとしたら悲劇です。

福島事故の件に関しては、とにかく汚染を遮断するため、
変な気休めにすがるのではなく、
移住政策と汚染地域封鎖を進めるのが一番大事なことだと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/450.html#c30

コメント [マスコミ・電通批評13] メディア批判の誤謬 taked4700
04. 2012年7月07日 11:52:04 : 2oD5Qm3Tbk
デジタルシニアーズは、思う。
邪悪な支配者は、もう何百年も前から民衆をうまくコントロールする手段は、情報の操作と脅しだと言う事を知っていた。
絶妙に使い分けてきた。

魂を失わない日本人と
醜い欲望を満たす為に邪悪な支配者の忠実なしもべに成り果てる日本人。

悪夢は永遠に続かない。
厳しい鉄槌が打ち下ろされるだろう。
魂を売り渡すという事は、
先祖を汚す行為だ。
親や家族への背信行為だ。
子孫の未来を破壊する行為だ。

311津波テロで悲惨な死を余儀なくされた東北の御霊よやすらかに。

民衆の氾濫を封じ込める為に、インターネットの監視とオスプレイが装備されるだろう。
インターネットの監視は、情報の拡散を防ぎ
オスプレイは、まだ誰もきずいていないかも知れないがデモなどの騒乱を封じ込めるのに適した兵器なのだ。
上空からデモなどの民衆を、射撃撃退する最も最適な兵器なのだ。
日本各地で飛行訓練を計画されているだろう。
将来の騒乱に備えた軍事行動なのだ。


http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/217.html#c4

コメント [原発・フッ素25] 大飯原発前で機動隊に「傘を差し出す女性」の姿は衝撃的です (民間人です)  赤かぶ
63. 2012年7月07日 11:55:38 : cTOpriQ1Cc
>32様

 推進派は自然エネルギーでは足りんと、ステレオタイプの反応を示すが、脱原発だから即、自然代替エネルギーとは限らんのだよ。
高率のガスコンパインド発電や既存の火力、水力、揚水発電で十分賄える事は、ここで逐一列挙しないが既に実証データで示されている。
 また、ウラン燃料とおっしゃるが埋蔵量は微々たるもの。
精製して運搬して原発の炉に入るまでどれだけのエネルギーを消費している事やら。フクイチの惨事でどれだけの人命と経済的損失を被ったかを勘案すれば、活断層の上に立地する、原発=危ない器械がどれほどリスキーで不経済かが知れ渡った。時分さえ儲かれば良い輩達が運営する危ない器械をいくら安全強化しようが、地震大国日本ではありえん選択なのだ。
 
 反原発が原子力ルネッサンス期と同じ、単なる空気・ニューマであるというが、そうではないのだ。当時と異なり、ネット社会の拡充で国民がメディアの一方的喧伝に踊らされてそれに乗るという図式は、完全ではないにしろ、もう崩れているのだ。

 フクイチを契機にこれまでうまい汁を吸ってきた既得権益のダマシの手口はバレバレなのだよ。消費税増税インチキも、検察のインチキも芋蔓式に引っ張り出されているのが、今日の姿だ。

 単なるニューマで終わるかは首相官邸前の抗議行動がいつまで続くか見届けてからにせよ。

 
 
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/388.html#c63

コメント [音楽8] Emerson, Lake & Palmer - Trilogy 地には平和を
08. 2012年7月07日 12:00:47 : hNV3zbeWvM
ふむふむ

みんなちがってみんないい
http://www.asyura2.com/12/music8/msg/253.html#c8

コメント [お知らせ・管理19] 副島隆彦さん関連のすべての投稿・コメントはカルト板か昼休み板限定で投稿可能です。 管理人さん
104. 2012年7月07日 12:04:05 : DdSVZpbz6o
>>103 は副島信者のiyao

長いので誰も読まないと思う。抜粋してみる。
カルトの発言に対する俺の指摘はコレ↓

大丈夫という意見が社会通念上常識といっていい、つまり信じるに足る発言であるという証拠の提示、そして副島が「体感と霊能者としての能力で危機が去ったことを察知した」事の説明を早くしてくれたまえw

>>103 の長文は俺の指摘への反論らしいんだが、どこにも↑についての説明はない。ちょっとだけ書いてあるところを抜粋すると以下↓

「副島信者の主張」
被害は限定的である。決死の覚悟で事態収拾に尽力した人々がいるので、新たな放射能漏れは起きなかったのである。それは当然の結果であり、一か八かの話ではない。結果論ではなく、副島氏の予言は適切だったのである。


今までと変わらず全く何も説明できてない。
俺が当初から問うているのは「”副島が”当時安全宣言を出した根拠」だ。

なぜ「当然の結果であり、一か八かの話ではない」のか、なぜ「結果論ではなく」と言い切れるのか、その根拠はどこにも書いてない。ただ盲信しているだけ。

ずっと指摘しているのに全く変わらずずっと阿修羅に粘着を続ける。
これが副島信者のカルト性です。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/695.html#c104

コメント [お知らせ・管理19] 副島隆彦さん関連のすべての投稿・コメントはカルト板か昼休み板限定で投稿可能です。 管理人さん
105. 2012年7月07日 12:06:23 : DdSVZpbz6o
一部抜けてたので再掲

副島が3/19時点の情報で安全宣言を出せた根拠を問うた際のカルトの発言に対する俺の指摘はコレ↓

副島が「勇者さまが助けてくれるから安全!」と言った証拠と勇者さまが助けてくれるから大丈夫という意見が社会通念上常識といっていい、つまり信じるに足る発言であるという証拠の提示、そして副島が「体感と霊能者としての能力で危機が去ったことを察知した」事の説明を早くしてくれたまえw
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/695.html#c105

記事 [原発・フッ素25] 7/6 大飯原発再稼働反対 官邸周辺デモ E-wave Tokyo
みなさま

 青山貞一です。

 先週は仕事の関係で現地到着が8時になり映像がとれませんでしたが
昨日は雨となりましたが、午後6時から現地取材しました。以下の動画
の最後に大飯原発事故時シミュレーション結果もいれてあります!

◆青山貞一・池田こみち・鷹取敦  独立系メディア  E-wave Tokyo
 大飯原発再稼働反対 官邸周辺デモ
http://www.youtube.com/watch?v=t87M-_j7-No

<概要>

2012年7月6日、がれき広域処理問題 合同調査チームの定期会合が午後3時か
ら午後5時半まで品川区で開催された。その後、先週同様、大飯原発再稼働反
対の官邸周辺デモの取材にでかけた。合同調査チームの奈須りえさんや大田レ
ディースらと南北線溜池山王駅で分かれ、官邸方面に向かった。

 しかし、今回は道路が完全にブロックされ、また折からの雨もあり、身動きが
とれにくい。夕闇から議員会館側から官邸に向かったが、坂本龍一さん、田中康
夫さんがIWJインタビューがあったため、議員会館前の道路は超渋滞しており、
進めない。議員会館の部屋の明かりはほとんどが消えていた。

 動画の最後に、私達、環境総合研究所が国に先駆けて行った大飯原発事故時の
シミュレーションを挿入した。もし、事故が起きれば京都、滋賀のみならず、大
阪、神戸まで甚大は影響、被害が出ることは明白である。琵琶湖の水も飲めなく
なるだろう。それでも経済、産業優先で再稼働なのか? ぜひ、ひとりひとりが
シミュレーション結果を見て考えて欲しい。

 青山貞一、池田こみち、鷹取敦 独立系メディア E-wave Tokyo
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/436.html

コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
83. 2012年7月07日 12:08:00 : JlhOElFGlE
不買運動だけでは十分ではない。

ミキハウスの服をデモに持ち寄って、全部燃やしてしまえ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c83

コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
84. 2012年7月07日 12:14:00 : T9hNSVLSto
>>80さん
私はただ、原発推進、反対、どちらの方にも冷静になって欲しいだけなんです。
反対の方には代替エネールギーや経済的不利益の問題をどうするか。
推進の方には原発のリスク管理の問題をどうするのか。
これを考えずただ賛成、反対を主張するのは無責任だと思うんです。
79さんが仰るような右翼だとか左翼だとかそんなレッテルはどうでも良くて、日本国民である限りエネルギー問題は国民共通(一部人類共通)の課題だと思います。

もちろん「中立の立場こそ無責任」と仰る方もいるかと思います。
それはその通りだと思います。
だからこそ一部メディアだけに頼らないで正しい情報を集める必要があろうかと思います。
ちなみに私個人としては未だに結論を導き出せていません。
だからこそ、ここ阿修羅掲示板のような開かれた場で、さまざまな意見を拝見したいと思っています。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c84

コメント [原発・フッ素25] 100万人どころではないチェルノブイリ犠牲者 -- 人口激減に直面する日本 魑魅魍魎男
37. 2012年7月07日 12:16:04 : mLiFAumdAQ
>>07訂正 
@ 
誤 1992年以降、人口増加率がマイナスとなり、2002年はー5.9%、2003年はー5.9%、2005年はー5.2%。

正 1992年以降、人口増加率がマイナスとなり、2002年はー5.9%、2003年はー5.5%、2005年はー5.2%。

バンダジェフスキー氏の論文の英語版がありました。
>Non cancer illnesses and conditions in areas of Belarus contaminated
by radioactivity from Chernobyl Accident
Prof. Yury Bandazhevski Dr. Galina Bandazhevskaya Belarus
http://www.chernobyl-day.org/IMG/pdf/conf-bandajevsky-en.pdf

上述の論文と一部内容が重なります。新しい資料も加えているようです(男女平均寿命の推移)。
>Ecological situation, population problem and the health of people
in Belarus and neighboring countries including EU Member States.
International Scientific Research Centre „Ecology and Health"
Prof. Yury Bandazheuski, Mykolas Romeris University, Lithuania
http://www.progettohumus.it/include/chernobyl/dintorni/banda/EcologicalSituazion.pdf

A 
誤 マイナス5%台の人口増加率が続くならば、四半世紀も待たずに、どんな国家も消滅します。
正 マイナス5%台の人口増加率が続くならば、四半世紀も待たずに、どんな国家も、元の人口の3分の1になり衰亡の危機に達します。


http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/383.html#c37

コメント [戦争b9] 米国 韓国の核武装は禁止するが,日本は核武装せよ (とある原発の溶融貫通(メルトスルー))  赤かぶ
173. 2012年7月07日 12:20:29 : cUqQ10tEi6
>1億円もらわないと馬鹿らしい。

宝くじでも当てろ!!

>貴方は自衛隊に志願しないのですか?答えられないでしょう?

以前、自衛官で働いた事はあります。だから、貴方も入ってはいかがですか?それか米軍か?アーリントン墓地が待っていますよ!
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/341.html#c173

コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
688. 2012年7月07日 12:20:54 : bDBUl7kQxQ
すんません、番組も観ずに昨日の小説の残りを読み切ってました。(^^ゞ

一発目? どんなんでした?  森ゆうこ議員の出版記念パーティーの時の話なら私でございます。爆

三多摩さんが途中で消すなんて・・・よほどだな。(ー_ー)!!


東南海地震の40万、恐らくはベースになっているのは阪神大震災と東日本大震災の、特に津波による被害×被害を被る面積から割り出されているのではないでしょうか?  名古屋も大阪も地盤低いから実際起きたら相当な被害が出るでしょうね。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c688

コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
26. 2012年7月07日 12:21:54 : yQnUl0jPXY
先週に続き、2回目の抗議行動に参加しました。今回は6時過ぎに到着ですが、首相官邸へ続く道路は、ことごとく閉鎖され官邸前に近づき野田首相に、「大きな音」を聞かせることが出来ず残念。主催者と警視庁は事前に、官邸への集結を避けデモ参加者を分散させる交通規制をしたようで、多少残念でしたが、最後にはみんなで道路閉鎖をしました。カルチェラタンです。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c26
コメント [原発・フッ素25] 確実な広がり見せた官邸前金曜デモ〜亀井静香・坂本龍一もマイク握る(レイバーネット日本) gataro
03. 2012年7月07日 12:22:43 : x4HfwtVEgM
亀井さんせっかく来たのにあっけないほど短かく内容もよくわからなかった。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/430.html#c3
コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
85. 2012年7月07日 12:26:05 : pPJ5gJb78A
チェルノブイリでは100万人どころか1千万人以上が死んでいる。
そしてその何倍もの人が未だに苦しんでいる。

原発事故と自動車事故を比較するなど、自らの無知と愚劣さを語るようなものだ。

原発が爆発したら広大な土地が汚染されて、何百年も住めなくなる。
自動車事故と比較できるわけがないだろうが。

自動車があるために救われる命もあるのだ。
救急車で病院に担ぎ込まれて一命をとりとめた人は数知れない。

自動車にはデメリットもあるがメリットもあるのだ。

原発にはメリットなど何もない。何一つない。
人間を被曝させ苦しめて殺すだけだ。
火力や水力、自然エネルギーで十分エネルギー需要はまかなえる。

さようなら原発
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c85

コメント [自然災害18] '12/5/29 南海トラフ地震、真夜中なら犠牲者30万人…発生時刻別に被害推計 2003年想定の10倍超(産経) 怪傑
01. 2012年7月07日 12:28:49 : 7H3tip4e0Y
ついちょっと前まで、その南海トラフで掘削船ちきゅうが秘密の掘削をしていたようだが?何か爆弾でも設置したにちがいない。はやく拿捕すべきだろう。いまは岩手沖で掘削中である。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/416.html#c1
コメント [日本の事件30] 大津いじめ自殺  加害生徒の母親ら 「いじめはなかった」  父親が被害届出すも警察は受理拒否 「被害者がおらず立件難しい MR
16. 2012年7月07日 12:40:28 : owI3vdw7VY
「いじめ」などというような生易しい言葉で表現する類の事件ではない。

たとえ中学生であっても完全な犯罪である。

自殺を強要されたお子さんやご両親の無念さを思うと、自殺を強要した連中に対し

それ以上の復讐をしてやりたい。

戦後の日教組による教育現場での弊害やゆるい教育、人権? 人権?と馬鹿が叫ぶ

何の罪もない同級生を集団心理が高揚し死にまで追いやった罪は裁判などで

少年院行きになったとしても償えるものではない!!!

それよりも何よりも担任教師をはじめ学校関係者は常日頃からどんな教育をしてき

たのか?

差別・人権と一通りの事は話しても、生徒達とのコミユニケーションなど全く

無かったのではないか・・・デモしか教師か?

今回の事件で学校関係者・教育委員会・警察・市長全てが無責任集団の塊であり

夢と希望に胸を膨らませて入学されたであろう被害者の気持ちを思うと

胸が張り裂けそうになる。

勉強やスポーツ友達との楽しい遊びを期待し通学されていたはずなのに、毎日〃

こんな陰湿な「いじめとよばれる犯罪」にあいながら、逃れるすべが無かったのか

本当に痛ましい、この事件に係わった全員が犯罪に加担したといえるのではないか

今更実態の解明・・・謝罪・・・もう遅い

お前たちもあの世まで行き謝罪しろ・・・

しかし再発防止のためには徹底した真相の究明と無責任者の厳重な処罰が必要で

あろう。

いまだにこんな学校があるとは・・・驚きであり情け無い・・・教育者の責任と

加害者家族の責任は重い!!!
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/442.html#c16

コメント [原発・フッ素25] 10万人デモで少量の放射能汚染土を携行して首相官邸の前庭に放置する? (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
32. 2012年7月07日 12:41:22 : HKrsAVuoD6
NHKないんかいらねーよ! 
視聴料とってるのに、既得権者の側についてやがる。
国民に嘘ついて、政権とってやりたい放題詐欺集団の民主党もいらねェ。
勿論、自民の阿呆も公明もいらねェぞ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/399.html#c32
コメント [原発・フッ素25] アノニマスがNRCとIAEAの所有する福島第一原発事故に関連する内部資料を公開開始!! tk
01. 2012年7月07日 12:42:20 : BLywzbqLQM
渋谷にアノニマス 仮面つけ無言の“抗議”
産経新聞7月7日(土)11時23分


 違法ダウンロードを刑事罰化した改正著作権法に抗議して、政府機関などへのサイバー攻撃を表明した国際的ハッカー集団「アノニマス」の集会が7日、東京都渋谷区神宮前で行なわれた。アノニマスのシンボルとなっている仮面をつけた賛同者らが多数集まり、無言の“抗議活動”を行なった。

 集会はアノニマスがインターネット上で「清掃活動」と称して呼びかけた。漫画や映画「Vフォー・ヴェンデッタ」のキャラクター「ガイ・フォークス」の仮面をつけ、黒服を着た賛同者ら50人近くが集結。改正著作権法を「ゴミ」と見立てゴミ拾いを行なう一方で、プラカードなどは持たず、無言で周囲を歩いた。

 アノニマスは「匿名」を意味し、言論の自由などを掲げて抗議活動をする一方でサイバー攻撃などを展開。固定的な組織などはないとされるが、英語圏にメンバーが多いといわれ、欧米ではメンバーとみられる男らが逮捕されるなどしている。

Copyright 2012 SANKEI DIGITAL INC

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0707/san_120707_2496867575.html

<アノニマス>仮面で清掃活動 東京・渋谷
毎日新聞7月7日(土)11時25分


 国際的なハッカー集団「アノニマス」を名乗る集団が7日、東京都渋谷区で清掃活動を行った。違法ダウンロードに刑事罰を科す著作権法改正への反対をアピールすることが目的で、仮面をかぶった50人以上の若者が集まった。

 清掃活動の広報担当者によると、同集団の一部が政府機関などへのサイバー攻撃を繰り返している中、こうした動きに賛同しないメンバーがネット上で自然発生的に企画。ホームページで「平和的に抗議する」として、参加を呼び掛けていた。

 同区内の宮下公園に午前10時ごろから、アノニマスの象徴とされる仮面をかぶった若者が続々と集まってきた。多くがダークスーツ姿でゴミ袋を持っており、渋谷の街を歩きながら黙々と清掃活動を始めた。活動への参加は無言が条件のため、参加者の一人に話しかけたが応答はなかった。代わりに名刺を渡されたが、名前はなく、ただ「アノニマス」とのみ書かれていた。

 一方、サイバー攻撃について、警視庁などは電子計算機損壊等業務妨害や不正アクセス禁止法違反などの容疑を視野に捜査を始めている。すでに被害状況を確認しており、プロバイダーに通信記録の提出を求めるなど、発信元の特定を進めている。【川崎桂吾】

2012 毎日新聞社 ALL Rights Reserved.

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0707/mai_120707_4905207566.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/423.html#c1

コメント [日本の事件30] 自殺の男子生徒 金銭脅迫も(NHK)   mrboo
01. 2012年7月07日 12:42:34 : xt77UtDqr0
男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0700J_X00C12A7CC0000/
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/444.html#c1
コメント [戦争b9] オスプレイ/エンジン停止時の自動回転機能/防衛省「ある」 製造元「ない」(しんぶん赤旗) gataro
29. 2012年7月07日 12:44:51 : cUqQ10tEi6
>なんて断り書きがついている。これ、結局実機の販売にはいたってない代物ではないか?アメリカでの在空証明が得られるのはまだ先だという話も聞いた。

嘘の情報は書かない。そして適当な事を書かない。

>アメリカ国内で試作をやってる分には日本国内で問題にする必要はない。日本上空を飛ぶことになったから問題になるのだという点

オスプレイは試作じゃないでしょう。

なお、オスプレイについてはこんな話もある
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-06-29_35705
さすがに米議会の議事録までは確認していないが、実際にどこまで使い物になっているのか?と言う疑問を抱かせるには十分な話である。

疑問なら米軍は採用しないでしょう。第一、その情報は正しいのですか?オスプレイについて調べていますが、米軍、パイロット、その家族、周囲の反応、ペンタゴンはオスプレイには、好評で、日本のメディアのように欠陥機のような考えはないのですか、どうなんでしょうか?
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/503.html#c29

コメント [原発・フッ素25] 2012年7月6日の首相官邸周辺デモを30秒で見る動画 (8bitNews)  赤かぶ
11. 2012年7月07日 12:46:52 : MkR1u0m2dk
市民派の弁護士たちがアドバイザー団体を作り、主催者へのアドバイスと警察との交渉の窓口になれないだろうか。

反原発各政党の超党派での働きかけでもいいし、カンパ窓口を設けて政党抜きで立ち上げるのもいい。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/431.html#c11

コメント [お知らせ・管理19] 副島隆彦さん関連のすべての投稿・コメントはカルト板か昼休み板限定で投稿可能です。 管理人さん
106. 2012年7月07日 12:52:15 : DdSVZpbz6o
>>104 に自己レス

>なぜ「当然の結果であり、一か八かの話ではない」のか、なぜ「結果論ではなく」と言い切れるのか、その根拠はどこにも書いてない。ただ盲信しているだけ。

どこにも書いてない、は誤りだった。
「勇者さまが助けてくれるから大丈夫w」というのが「結果論ではなく当然の結果であり、一か八かの話ではない」とする根拠だそうだ。

その愚論っぷりを追求している最中なのだが>>103 の長文からはその文言を外してきている副島信者w


http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/695.html#c106

コメント [狂牛病・ゲノム15] スーパー根切り虫がモンサントの作物を食い散らす(ROCKWAY EXPRESS) メジナ
04. 2012年7月07日 12:53:24 : w18f1GkoJs
耐性菌と同じく耐性虫も必ず出るんだな。
でも耐性人間までは難しいと思うよ。
http://www.asyura2.com/09/gm15/msg/176.html#c4
コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
27. 2012年7月07日 12:54:56 : 6Q9o7ilm9g
継続は力!!!
相手は国家権力。
分裂、策動、利益誘導、冤罪なんでもありだから。
法律違反なんてオチャノコサイサイ!!
主催者、リーダー的な人は家族を含め十分注意して。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c27
コメント [国際6] 米国とイランの戦争で誰がとばっちりをうけるか・・イランが引き金を引けば世界は終る! 墨染
01. 2012年7月07日 12:55:02 : sUpHQ8Q75g
> ただ、米国の努力によって地域情勢が常に緊張した状態に保たれていることは明らかだ


英米以こそが悪の枢軸国家だつうこと

ただオバマは国内経済低迷で再選が危うくなっており
大統領選が終わるまで原油高騰を避けたい意向で
投機筋も原油市場への資金投入を止めた

イラン問題が本格的に炎上するとしても大統領選後だろうが
悪の枢軸側に別の問題が起これば
それが元でイラン問題に着火せざるを得なくなるかも

いずれにせよ悪の枢軸は迷惑な存在でしかない

http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/686.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 確実な広がり見せた官邸前金曜デモ〜亀井静香・坂本龍一もマイク握る(レイバーネット日本) gataro
04. 2012年7月07日 12:56:11 : KzWOLnO8As
亀井さん・志位さん・田中康夫さん・坂本龍一さん、こうして有名人が我々庶民の中に入って共感の声を上げてくれるのは喜ばしいことだ。
官邸で踏ん反り返った野豚は恥を知るがよい。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/430.html#c4
コメント [原発・フッ素25] 今週金曜日も首相官邸前で関西電力大飯原発再稼働に反対する大規模デモ gataro
11. 2012年7月07日 12:56:22 : I6QVTCNf3k
官邸だけでなく、経産省と東電本社前にも集まりましょう。
金曜は早めに官邸前を離れて経産省前に行ってみました。20人ほどの人たちが抗議のシュプレヒコールを上げていました。駅に向かって帰宅する役人たちは、恥ずかしそうに顔を伏せて目をそむけていました。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/411.html#c11
コメント [戦争b9] 北朝鮮:金総書記がウラン核兵器を指示 内部文書に明記 (毎日新聞)  赤かぶ
01. 2012年7月07日 12:57:05 : SuHVWfSgk2
ウラン濃縮には膨大な電力を必要とするが、国民の生活などおかまいなしで行なっている模様だ。北朝鮮からの日本向け日本語短波放送「朝鮮の声」は同国内の電力不足の影響からか、停波している周波数が多い。今年3月に新型送信機を中国から提供されたが、出力が従来の500キロワットから100キロワットに低下している。明らかに節電を意識した仕様である。

これについて取り上げた記事を転載する。

月刊短波2012年4月号(第2版)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~BCLSWL/TA1204.html

◎北朝鮮送信機の入替で一時停波か?

北朝鮮の球場(クジャン)送信所にある7基の送信機から出ている「朝鮮の声」放送は3月4日の05:00の放送から一斉に途絶し、その状態が09:00 まで続いた。中には30分後に復活した放送も若干あった。09:00以降は正常に戻った。中国の援助で球場送信所に中国製新送信機が設置され、切換のために一時s/offしたものと考えられる。同時に江界(カンゲ)送信所の1基も入れ替えたらしく、6070kHzの日本語放送が1日途絶した。北朝鮮は 2011年6月中国に8人の技術者を派遣し新型100kW短波送信機とその後に予定される中波送信機の入替・設置の訓練を受けさせたことが確認されている。(ドイツ Wolfgang Bueschel氏)
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/506.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 7/6官邸前デモより〜坂本龍一さん・田中康夫さん〜(書き出し) (みんな楽しくHappyがいい♪)  赤かぶ
10. 2012年7月07日 12:59:05 : nQPAO1hzzU
原発再稼動反対、消費増税反対、TPP反対、オスプレイ反対、野田内閣総理大臣辞めろ
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/421.html#c10
コメント [日本の事件30] 大津いじめ自殺  加害生徒の母親ら 「いじめはなかった」  父親が被害届出すも警察は受理拒否 「被害者がおらず立件難しい MR
17. どらみ 2012年7月07日 13:00:19 : TaxpTeHRktbIQ : 384mLCJ0q2
「いじめ」という言い方自体が隠蔽です。

これは、暴行、恐喝事件で、その被害者が思い余って自殺というケースでしょう。

それを操作するのは教育委員会ではなくて警察の仕事です。

教育委員会などひっこめ
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/442.html#c17

コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
28. 2012年7月07日 13:00:25 : pPl2ZwKKX6
国民の声を無視した原発稼働はもはやテロ行為なんだから、国民だってそれくらいやってもいいんだよ。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c28
コメント [経世済民76] 「生活苦しい」62% 世帯所得538万円 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
07. 2012年7月07日 13:00:42 : ExB3D544yg
500万円もあれば天国と思う。
この間、主婦のへそくり300数十万とか言っていた。
本当に、日本の国の話なのか?
テレビを見れば、みんな遊びやショッピング、有名店に並んでグルメを食べ
て、街頭で消費税増税をインタビューされれば、孫のために上げても良いって言うし、貧しいのは自分だけかと思ってしまう。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/793.html#c7
コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
86. 2012年7月07日 13:01:43 : XFMf7qOC4k
近視眼的な企業主の企業はそう長くは続きません。
買う買わないは消費者の自由ですが、
所詮、子ども服はただの服です。
子どもの外見と親である己のステイタスを満たしたいか、
それとも子どもの命をまもりたいか、親の選択です。

放射能の危険性と自動車の危険性とをそれらの死亡数で比較することじたい間違っています。しかもたかだか1年というスパンに区切っての比較に何も意味ありません。

企業主の言葉はその企業の指針をあらわしているということぐらい、消費者が認識しましょう。我が子と己の安全のために。

社会的責任を経営のモットーにしている企業主なら、消費者の利益還元はもちろん従業員たちの生活をも守るでしょう。そのためには企業の安定が第一のはずですから、けして浅薄な言葉は言うわけがない。

しかし、言った馬鹿な企業主がいる。
たった一つの言葉で多くの人が不幸になる。
不幸なことです。
利口な企業主なら、日本の子どもたちの外見だけではなく、
健康をも視野にいれて動くはずです。


http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c86

コメント [日本の事件30] 自殺の男子生徒 金銭脅迫も(NHK)   mrboo
02. 2012年7月07日 13:03:14 : EdQemnepkG
大津中2じさつ、本人が担任に「いじめ受けてる」

 大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が飛び降りじさつした
問題で、担任の男性教諭が、男子生徒からいじめを受けていると電話で数回、
相談を持ちかけられていたとの複数の証言があることが分かった。


 市教委の全校生徒アンケートでも「教師が見て見ぬふりをしていた」と複数の回答があった。

 読売新聞の取材に対し、市教委は「担任教諭が、生徒から相談されていたとは聞いていない。
そんなことはあり得ない」としており、大津市は6日、有識者らによる外部委員会を設置
することを決め、経緯について調査に乗り出した。滋賀県は同日、緊急対策チームの
発足を決定、文部科学省も事実関係や市教委の対応が適切だったかどうかを調査する方針を決めた。

 生徒は昨年10月11日朝、自宅マンション(14階建て)の最上階の通路から
飛び降り死亡した。複数の関係者によると、この直後、学校で担任教諭が生徒数人に対し、
「死亡した生徒から、いじめを受けていると電話で相談があった」などと話していたという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120707-OYT1T00007.htm?from=top

>>市教委は「担任教諭が、生徒から相談されていたとは聞いていない。そんなことはあり得ない」


聞いてないのなら、分からないとすべきなのに
そんなことは有り得ないと断ずるクソ市教委
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/444.html#c2

コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
689. 2012年7月07日 13:03:42 : bDBUl7kQxQ
しかし、メールの件ですが、もし今回の一発目が私だったとしたら・・・
なんでやたらと私や三多摩さんのを読まれるんでしょうか?

観てる人がそんなとこ気をつけて観てないとでも思っている?
でも、選んでる人はまたこの人のだなってわかって読んでるわけですよね・・・
できれば避けるべきとか思わないのかな? まぁ読んでもらえるのは光栄なことなんですが・・・番組が変な目で見られやしないかとちょっと心配です。

三多摩さんのはしっかりしたメールだけど、私のは思い付き書いてるレベルの感情に走ったメールだから、何で読まれるのか不思議。笑
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c689

コメント [外国人参政権・外国人住民基本法01] 在日の教員はいま4人が胸のうち語る(民団)「在日韓国人はいつ韓国に帰るの?」在日教師(笑)が小学生に完全論破される笑 木卯正一
03. 2012年7月07日 13:04:28 : jlXqMm1VII
まあとにかく、在日朝鮮人の批判が出来ないと言う歪んだ国にはしたくは無いよな?。ここは日本人の国なんだし。ホストは、我々、日本人なわけだから。そして、日本人は朝鮮人と一緒には暮らせないと言うのが、今の世の中の駄目な現状が物語ってると思うよ。
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/826.html#c3
コメント [社会問題8] いじめ防止策と教育委員会の詭弁・・学校は教育委員会の「刑務所」か? 墨染
04. 2012年7月07日 13:09:19 : owI3vdw7VY
全国の学校に直ちに憲兵を配属しろ!!!

「いじめ」などという丸い言葉で表現できるような筋の事件ではない。

子供でも凶暴でしつこく、陰湿な奴は何処にでもいる。

こんな奴らを人権教育やゆとり教育で矯正できないのだから、暴力にはそれなりの

権力を駆使して押さえ込むしか方法はない。

被害者の実名はいつもマスコミから全国民に曝されるが、加害者のほうは人権とい

う得たいの知れないものでごまかされ、逃げ切れる・・・・

人権などというものは、まともに善良に暮らしている人にのみ存在するもの。

いじめというオブラートに包まれた暴力集団・犯罪者には「人権は無い」。
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/774.html#c4

コメント [原発・フッ素25] 2012年7月6日の首相官邸周辺デモを30秒で見る動画 (8bitNews)  赤かぶ
12. 2012年7月07日 13:10:16 : iQinVlOl1c
抗議行動が野田豚の体に、官僚の腐った脳にボディブローの如くジワジワと効いているはずだ。頑張ろう!
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/431.html#c12
コメント [カルト9] 野田ブーが官邸デモを妨害し始めたが参加者の関心が電通や日銀に向かうが偽ユダヤはその方が都合が悪いのではないか。 ポスト米英時代
01. 2012年7月07日 13:11:33 : w18f1GkoJs
この前デモでお会いしたが、あの世代の方々は一回り以上若い私なんかより、よほどお元気です。多分、尿取りパッドもいらないと思いますが、いよいよトイレが使えなければ宇宙飛行士みたいにオムツ装着でという手もありますね。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/703.html#c1
コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
29. 2012年7月07日 13:13:18 : 42WLGuDM8Y
はじめて参加しました。
 福島からきた人がマイクでしゃべっているのを聞き胸の詰まる思いでした。女性の方も急に感情が入ったのか声を詰まらせておりました。
 原発事故がおきれば福島県民のように泣く人をかばう事も出来ません。
唯一原発を無くす事によって悲劇が生じないだけです。私と同じように一人で来た女性とも一緒に「再稼動反対」と何度も何度も声を大にして訴えました。 
   また、参加したいと心に決めました。


http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c29

コメント [原発・フッ素25] 関電本店前、過去最多2700人がデモ (朝日新聞)  赤かぶ
05. 2012年7月07日 13:13:57 : cf9HhPR7MQ
再稼働と広域処理はセット
http://hinanohanasi.blogspot.jp/2012/06?m=1
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/418.html#c5
コメント [音楽8] Alison Limerick - Make It On My Own お子茶魔
82. 陣中見舞い 2012年7月07日 13:16:15 : 3pEdi1PI5rkGQ : FDEq0iYXIA
な〜るほど、これが「霍元甲」のシーンなんだ。
目を写楽にして観るとだね、リー・リンチェイの演武のハーイレベルに改めてに驚かされるよ。
詞の吟味はまだしてないけど、夜龍さんの言う任侠がかった詞とは、侠の人、霍元甲を表現してんだろな、きっと。
ビデオ屋に走るぞー。
おっと歌手もいいよ、この松山ケンイチ風は、飽きがこないタイプだ。たぶん。

http://www.asyura2.com/12/music8/msg/160.html#c82
コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
690. 2012年7月07日 13:17:05 : bDBUl7kQxQ
内容が面白くない・・・

やはり田岡・早野コンビは鬼門ですか? ←しつこい (^^ゞ

にしても最近あの組み合わせ・・・もう3回目ですよ。本人もイヤなはずだが・・・(そう決めつけている) そうであってほしいという強い願望?笑
個人的にあの組み合わせはないと思っている。(ー_ー)!!

そういえばパックイン・ニュースになってから東北から来るちょっと小太りな女性・・・なんか生まれがいいって言ってた・・・あの人来てませんね。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c690

コメント [原発・フッ素25] 福島原発は津波来襲前に電源喪失に陥っていた! 政府と東電のウソを暴いた国会事故調査報告書 長谷川 幸洋(現代ビジネス)  赤かぶ
20. 2012年7月07日 13:19:23 : Gj0dBGxly6
>>15
> そして、これまでの安全対策というのは、想定した範囲でリスクの確率を資金の許す範囲で小さくする処置に過ぎなかったことは、これまでに膨大に出版されている原発関連書を少しでも読めば、素人でも理解することができるだろう。

だからなに? 電力会社が、それを強いられた被害者だということか。
これほどのアホもない。

これを東電擁護の理由にもちだすだけでも、素人以下的な、その論理破たんぶりが鮮やかだ。
90年代以降を見るだけでも、電力会社は、原発のリスクを引き受ける見返りに、電力自由化骨抜き(総括原価方式実質継続、地域独占実質継続)などを政府に飲ませ、巨額な利益を手にしてきたのだ(それをもとに、政府、マスコミ、研究所、等々を買収しまくり、さらに、安全対策削減も推し進めた。

こんな東電や電力会社を擁護する作文を書き連ねる人間の精神構造は、福島第一原発のように崩壊しきっているのだろう。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/404.html#c20

コメント [原発・フッ素25] 原発比率15%でも“廃炉時代”へ 電源構成の政府方針が福井を左右 (福井新聞) ナルト大橋
01. 2012年7月07日 13:19:52 : 4wQHigiXKg
>野瀬:「そうすると火力依存が続くことになるが、国の全体を俯瞰(ふかん)すると、正しい選択なのかは疑問だ」


何故こういう言語明瞭意味不明の発言しかできない低脳児が町長になっているんだ?
「国の全体」などと意味不明の無駄口を挟んだ論拠無き火力反対発言である。これが論になっているとでも思っているのかこのバカは。

このバカの発言を正しく書き直すと、以下のとおり

「そうすると火力依存が続くことになるが、とにかくそんなのはイヤだ。理由?国の全体だろ」
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/433.html#c1

コメント [マスコミ・電通批評13] 毎日新聞の与良正男が「鳩山さんの話って、もう止めましょうよ」とコメンテイターの責任を放棄!  板垣 英憲  赤かぶ
01. 2012年7月07日 13:22:39 : QfXiBaZz22
鳩山って朝発言しても
その日の最後に会った人と意見を合わせるような人だから
論じても無意味だろう

結局鳩山はボクはなんだったの?って泣き顔晒すだけでしょ

ブリジストンの資産にしか価値は無い
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/219.html#c1

コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
691. 2012年7月07日 13:24:18 : bDBUl7kQxQ
連投ですいません。m(__)m

地震のおばちゃんが変なこと書いてたので・・・

小沢氏の身体が心配とか、日本の国債が格下げとか、年内解散総選挙はひとまずないと思うとか・・・

選挙ないの? なんで? やれよ、やってください、お願いしますよ。爆

てことはもしかすると、野田降ろしで決着させちゃうのかな?
野田が降りて。次は誰よ? 文句があるなら発言の岡田ですか?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c691

コメント [国際6] ブログ韓国教授(88)が告白「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」0705(2ch) 木卯正一
04. 2012年7月07日 13:25:08 : jlXqMm1VII
じゃあ、韓国人も騙されてたってわけ?。全く、21世紀は、馬鹿野郎な世紀だね?、どこもかしこも、どっちを向いても。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/683.html#c4
コメント [戦争b9] 疑問だらけのF35契約 飛べない翼を巨額購入へ (産経新聞)  赤かぶ
14. 2012年7月07日 13:33:51 : SuHVWfSgk2
日本の航空自衛隊は戦後、一貫してアメリカの兵器体系を採用してきたが、これと同じなのが中華民国台湾空軍。アメリカから軍用機を輸入してきましたが、アメリカが中国本土と国交を樹立し、中共政権が口出しするようになった。

中華民国台湾はF-16の購入を希望したが、アメリカは中共の横槍に屈してF-16のダウングレードモデルを中華民国台湾政府に提案した。これに中華民国台湾政府は反発し、経国号戦闘機の開発とフランス製ミラージュ2000戦闘機の採用に踏み切った。

しかしミラージュ2000戦闘機は装備品などが西欧規格のため、これの調達で中華民国台湾政府は苦労している。一例を挙げると、Gスーツがアメリカ機と異なり、ミラージュ用が必要だとか。

中華民国台湾の話に戻ると、F-16の代わりにフランス機を購入したことにアメリカ政府は衝撃を受け、F-16の輸出を解禁したそうだ。だが中共の圧力を恐れ、レーダー等がダウングレードされた仕様になっているそうです。

蛇足ですが、中華民国台湾政府も希望としてはF-35が欲しいそうです。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/496.html#c14

コメント [音楽8] 水色の恋 チベットよわー
03. 陣中見舞い 2012年7月07日 13:34:10 : 3pEdi1PI5rkGQ : FDEq0iYXIA
切ないの〜。
あまり思い出したくないアイドルのベスト・スリーに入るだろう、我々の世代にとっては・・。
http://www.asyura2.com/12/music8/msg/258.html#c3
コメント [経世済民76] 消費税増税分はすべて米国に上納されることになるだけ・・NY大暴落は突如やってくる引き金は小沢! 墨染
18. 2012年7月07日 13:34:50 : 6qfhm57igE
属国をどう料理しょうが俺たちの勝手という訳ですか。アメリカの世界戦略も絡むむので関数、変数多すぎて私には全く予想出来ませんが、日本を戦争へ引き込む作戦だとは感じます。自。公。民{反小澤派」の3派ネオ翼賛会野合での、原発再稼動。消費税増税。戦争関連法に{安保目的追加}。尖閣諸島を巡る展開。集団防衛参戦へ。などの動きがその兆候です。石原都知事が産経新聞で提唱している「現憲法の即時廃棄宣言]や[日本の核武装」もほかのタカ派の{国軍創設」「徴兵制」{核ミサイル付き原潜50隻保有」や{戦争準備」、などが実現しあつと言うまに3派翼賛会の軍国主義、国家主義体制復活が実現すると見ています。「日本の核武装もインド方式でアメリカが黙認する可能性があると見ています。」ただし、日本軍がアメリカの属国兵として挺身するという前提が必要でしょうが。マサカと思われるでしょうが、日本政治のトレンドはその方向です。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/750.html#c18
コメント [戦争b9] アメリカ全土の軍事演習が劇的に増加。間違いなく何かが起きようとしています。   すずしろ日記
24. 2012年7月07日 13:37:14 : dMNGmcw3V6
孤立するドイツ
借金踏み倒しを加速させるPIIGSブタ連合
攻撃の手を緩めない格付け会社
ユーロ圏に注意を逸らす世界最凶の債務国家米国
宗主国から紙くずに収斂する米ドルを買わせられ続ける属国日本
ユーロ炎上でサドンデスする中国経済
債務危機勃発で劇的に資金が消滅する新興国群
トルコを紛争勃発の尖兵に利用するNATO
ホルムズ海峡封鎖を繰り返し警告するイラン
イランを兵糧攻めにする欧米
電撃空爆の機会を伺うイスラエル
政権移譲を断固拒否するアサド
自作自演テロを仕掛ける英国

傍観するスイス

 すべては NWO樹立への布石・・・

  VMAX未来予想

http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/491.html#c24

記事 [昼休み52] 旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?


太宰治『人間失格』 Osamu Dazai - Ningen Shikkaku
http://www.youtube.com/watch?v=qO_uhV1n4_4

太宰治情死ニュース
http://www.youtube.com/watch?v=mQiKy5OhdSg

妖しき文豪怪談 太宰治 「葉桜と魔笛」
http://www.youtube.com/watch?v=l20cQrQRORY&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=-FWbu4eFPQM&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=PjZB6CBBl4I&feature=relmfu
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42376_15545.html

太宰治記念館 斜陽館(HD)
http://www.youtube.com/watch?v=3dM10_IA2is

斜陽館
http://www.youtube.com/results?search_query=%E6%96%9C%E9%99%BD%E9%A4%A8&oq=%E6%96%9C%E9%99%BD%E9%A4%A8&gs_l=youtube-reduced.12..0.17451.17451.0.18014.1.1.0.0.0.0.97.97.1.1.0...0.0.Z0TAZUmGxJM

ちびっと太宰治ちゃんの実家の二階ご紹介
http://www.youtube.com/watch?v=JVL9HxqgPnU


                        \               , イ
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                      l !.       iヘ.  /       /─ -  _
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                      l i      /l l                  `ヽ
                      ! l    /  ! i                   \
                      ヽ 、  /   ! L- ´  ̄ `>、                ヘ
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1. 太宰治が少年時代に受けた性的虐待とは何だったのか?

独り淋しくタケが亡くなったと言う知らせを受けた時、私は単なる世話に成った事の有る人の死と言うだけでは無い複雑な感慨と深い悲しみに涙しました。タケという女性は、私の乳母でした。今はもう乳母などと言うような存在は無くなりましたが。戦前の事であり、地元の旧家だった私の家では、私が生まれると直ぐに乳母が雇われ、乳母のオッパイを吸って大きくなりました。

お乳の必要がなくなってからも、タケはずっと私の家にいました。どんな事情があったのかは分かりませんが、そのまま私の家に奉公人として働いていました。奉公人とは言っても私の乳母であり、女中頭のような存在で、私の家の中のこと一切は彼女に任されていたようです。

私の幼少の頃の印象では、乳母のタケは私にとって一番甘えられる存在で有りながらも厳しくて怖くて、彼女だけには叱られても反抗できませんでした。尤も躾には厳しくても、彼女は誰よりも私の事を可愛がってくれたし、大事にしてくれました。ですから私はタケにたいしては、母親以上に愛情を感じていたと言ってもよいでしょう。

周囲の者にチャホヤされ、甘やかされて育った私は我が儘で、甘ったれでした。タケの傍にくっつきっぱなしで、一寸でも姿が見えないと探し回り、追い掛け回したものです。

私は小学校に上がるようになっても、寝る時はタケに添い寝をしてもらわなければ眠れませんでした。私が寝付くまで布団の中で抱いてくれていたのです。抱いてくれていたと言うよりも、あまったれの私が離さなかったと言った方がいいでしょう。

彼女のふくよかな胸に顔を埋め、其の匂いや温かさ、柔らかな体に包まれなければ眠れなかったのです。私の記憶では小学校に上がってもオッパイを吸っていたような気がします。昼間は我慢していても、布団に入るとお乳をまさぐって、乳首に吸い付き、しゃぶっていました。

何時の頃からは記憶にはありませんが、タケの体から漂ってくる匂いが、オッパイの匂いから別の匂いに変わっていました。女臭というのでしょうか、少なくともお乳の匂いではありません。私はそれをタケの匂いと言う言い方をしていました。甘く、やさしく、温ったかで、其の匂いを嗅ぐとうっとりとして落ち着き、安心して眠れるのです。

オッパイの匂いがしなくなり、タケの匂いに変わっても私は乳房に吸い付き、しゃぶっていました。口寂しいと言うのでしょうか。寝間着がわりの浴衣の衿元を広げ、タケの乳房を引き出し、硬く丸っこい小さなビー玉のような乳首を唇に挟んで、モグモグしたり、チューチューと音をたてて吸ったり、舌で嘗め回したりしました。

そんなとき、ふとタケの顔を見上げると、彼女は目を閉じて気持ち良さそうな顔をしていました。タケは其の当時十七、八歳になっていたとおもいます。

そんな或る夜、タケは私に乳首を吸わせながら、私の股間に手をのばしてチンポをつまんできた事がありました。


「あらら、坊っちゃんのオチンチン、硬くなってる・・・オシッコしたいの?」

「ううん、したくない」

タケにチンポをつままれ、私は恥かしいと言うよりも、イイ気持ちがしました。ずっとそのままつまんでコリコリして欲しいような気がしましたし、どこかタケの体にチンポを擦りつけたいような気もしていました。するとタケは

「吸ってあげる」

と言って顔を布団の中に入れ、私のチンポを吸い始めました。まるで私がタケの乳首を吸っている時のようにペロペロと舌で舐めまわし、唇をモグモグさせ、チューチューと強く吸い込むのです。とってもイイきもちでした。

「もう少したっと、オチンチンがもっと大きくなるし、
 ここからオッパイみたいな白いお汁が出てくるようになるわよ」

「・・・?」


私にはどう言う事か判りませんでしたが、気持ちが良かったので、それからはタケの乳首を吸うだけではなく、チンポを吸ってもらうようになりました。

さらに彼女は私の手を自分の股間に導き、太股に挟んだりしました。私が一番驚いたのはザラザラしたタケの陰毛と、私の股間とはまるっきり異なる性器の形でした。タケの性器は凹んでいてヌルヌルしていました。しかし指をのばすと、どこまでも指がヌルヌルしたものの中に入ってしまいます。

「あはっ、あはっ、坊っちゃん・・・」

私が指を伸ばすとタケは熱い息を吐き出して呟きました。そしてキュッと太股をすぼめるのです。すると、手首がはさまれました。タケが変な声を出したので、手を引っ込めようとしましたが、タケは私の手を掴んで離しません。やがてヌルヌルがグショグショといった感じになり、私はタケがオシッコを漏らしてしまったのではないかと思いました。

其の夜は私にオッパイを吸わせたり、チンポを吸ってくれたタケが、どう言うつもりか私の体の上に覆い被さり、足で私の足を挟んで、抱き締めてきました。私はタケの体にすっぽりとつつみこまれて、安心して眠って了いました。彼女は両肘をついていて私は体をつぶすようなことはありません。まるでふわっと掛け布団が掛けられているような感じでした。
その心優しいタケが戦争も末期の年に、再婚する事になり、私の家から出て行ってしまったのです。兵隊に行く男のところへ嫁いだのだそうです。私は悲しくて、淋しくて泣いて了いましたが、どうすることも出来ませんでした。
http://ayamegusa.k-server.org/smac_p_147.htm


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太宰治  『人間失格』

その頃、既に自分は、女中から、哀しい事を教えられ、犯されていました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html

太宰治  『思い出』

學校に入つてからの私は、もう子供でなかつた。裏の空屋敷には色んな雜草がのんのんと繁つてゐたが、夏の或る天氣のいい日に私はその草原の上で弟の子守から息苦しいことを教へられた。私が八つぐらゐで、子守もそのころは十四五を越えてゐまいと思ふ。

苜蓿を私の田舍では「ぼくさ」と呼んでゐるが、その子守は私と三つちがふ弟に、ぼくさの四つ葉を搜して來い、と言ひつけて追ひやり私を抱いてころころと轉げつた。

それからも私たちは藏の中だの押入の中だのに隱れて遊んだ。弟がひどく邪魔であつた。押入のそとにひとり殘された弟が、しくしく泣き出した爲、私のすぐの兄に私たちのことを見つけられてしまつた時もある。兄が弟から聞いて、その押入の戸をあけたのだ。

子守は、押入へ錢ぜにを落したのだ、と平氣で言つてゐた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1574_15508.html

太宰治  『無限奈落』

この家の奉公に来て以後は、如何なる男とでも親しく話すことさへ厳禁されて居る彼女達は性欲的に烈しく飢えて居たのは言う迄も無い事であらう。

彼女達は返つて此の小暴君(註;主人公のこと)の臨場は寧ろせめてその慰めであったので、この小暴君の持つ幽な男を自分達の性欲を満足せしむる為に、この健康な婦人達は、あらゆる方法で利用できるだけ利用し尽したのであった。

幹治(註;主人公の名前)はこの女中部屋でどんな露骨な性教育を受けたのかそれは人々の想像に任した方がいいかも知れない

(太宰治「無間奈落」『太宰治全集1』筑摩書房、1999年(初出1928年);pp.127-129)
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20090617/p2


太宰文学と性的虐待

 太宰治が実際に性的虐待を受けながら育ったのかどうかはわかりませんが、太宰に性的虐待をテーマにした作品が多いのは確かです。やはり、何らかの実体験があったと推測されます。『男女同権』(初出1946年)における少年が受けた性的虐待の描写は、「主体になることは名誉、客体になることは恥」という、太宰がすっかり内面化しきっていた近代的な男性セクシュアリティの特徴をうまく捉えていると思います。

Wikipedia「子供に対する性的虐待を扱った作品一覧」より

『無限奈落』(1928年,太宰治)
「この小暴君の持つ愚かな男を自分たちの性欲を満足せしめる為に、この健康な婦人達は、あらゆる方法で利用できるだけ利用し尽した」と述べられる。未完作品。


『魚服記』(1933年,太宰治)
茶店の娘スワが、酒に酔った実父から手籠めにされ、滝壺に投身自殺してフナに生まれ変わる話。

『男女同権』(1946年,太宰治)
「そうして、やはり、私が十歳くらいの頃の事でありましたでしょうか、この下女は、さあ、あれで十七、八になっていたのでしょうか、頬の赤い眼のきょろきょろした痩(や)せた女でありましたが、こいつが主人の総領息子(むすこ)たる私に、実にけしからん事を教えまして、

それから今度は、私の方から近づいて行きますと、まるで人が変わったみたいに激怒して私を突き飛ばし、お前は口が臭くていかん! と言いました。

あの時のはずかしさ、私はそれから数十年経ったこんにち思い出しても、わあっ! と大声を挙げて叫び狂いたい程でございます。」


『人間失格』(1948年,太宰治)
「その頃、既に自分は、女中から、哀しい事を教えられ、犯されていました。」

(新潮文庫、P20)


なお、この作品の描写は非常に適切で、宮地尚子がMike Lewに読んでもらうよう頼んだところ、男性被害者らから大きな反響があったという。
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20090616/p1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85%E3%82%92%E6%89%B1%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7


川崎市立日本民家園、というところが小田急線向ヶ丘遊園から歩いた生田緑地の中にある。全国から集めた古民家を、地域ごとにまとめて展示してある。保存の状態は良く、園の規模も大きすぎず小さすぎずといったところ。緑の中を散策しながら見学できる。
以前多摩の方に住んでいた頃、でかけたことがある。この民家園と、同じく生田緑地内の岡本太郎美術館をぐるりと回った。

丁度ボランティアによる方言での民話が東北地方の民家の囲炉裏端で行われるというので、きいてみようと、その時間に合わせて園内を巡り、会場となった一軒に訪れた。
そこで三人の女性ボランティアが語った中に、瓜子姫と天邪鬼があった。

瓜の中から生まれた瓜子姫はじいさまとばあさまの留守中に言いつけにそむいて天邪鬼という化け物を家に入れてしまい、取って代わられてしまう。「天邪鬼は瓜子姫をだまして着物を交換した」というくだりで、はたと、これは犯されているという暗喩なのだな、と気がついた。

大人になって改めて聴いてみると、あからさまなことがあるものだなあ、と感心した。

同じことが太宰治の「人間失格」にもあった。

人が何を求め生きているのか理解できない主人公、葉蔵。彼は名家に生まれ頭もよく人々に好かれながらも人間全体に共感する喜びを味わえないがゆえに破滅していく。

人が怖い。人々に好かれる、そのことも彼にとっては恐怖であった。女にもてることを恥じ、嫌悪感に引きずられるようにもっと女を利用するような生き方をしてしまう。この男が女をひきつけるわけは、人の心に同じ体温でまざりあってくるおっとりとした存在の色気だろう。情死を試みて自分だけ生き残り、女だけ死んだ。その相手を語っている部分を引用する。

侘びしい。

自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟きのほうに、共感をそそられるに違いないと期待していても、この世の中の女から、ついにいちども自分は、その言葉を聞いたことがないのを、奇怪とも不思議とも感じております。

けれども、そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」のように、わが身は、恐怖からも不安からも、離れることができるのでした。

そして、その女と過ごした一夜は、自分にとって唯一幸福な解放せられた夜だった、と語るのである。

からだの一寸くらいの周りを覆うことばでひとに伝えられない気持ちを、肌をあわせて混ぜ合わせること。これは男性には少なく、女性が求めることの多いエロスだ。それゆえ、求めても与えられることは少ない。女はそういうことに飢えているのである。

現代の小説、ドラマその他にあらわされる男性像や身の回りにいる若い人を見ると、昨今は変化してそういったことを求める男性も増えてきているのかもしれないが、『人間失格』の舞台である昭和の始めには多くはなかっただろう。葉蔵がほっておかれないわけである。


さて、何が「民家園できいた瓜子姫」と同じなのか、である。

子供の頃から2回ほどは読んだことがある「人間失格」だが、今読んでみて、これまで気付かなかったあからさまな点があったのだ。

それは、葉蔵が幼児期に性的虐待を受けていた、ということである。それについて比較的あっさりと書かれているので性的虐待のトラウマについて知識がなかったこともあり見逃したのだろう。それに若かった私にとって肉欲は客観視できる対象ではなく、文学作品においても自分が興味があるか無いかで性的な示唆をキャッチするかしないかが決定してしまっていて、幼児に興味がないためにその情景を思い描くことをパスして読み過ごしてしまったのだろう。


その頃、既に自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました。


しかし、そのことを両親に言うことはできなかった。人々は子どもの前で油断して、相手によって本音と建前を使い分けている姿を見せている。しかし早熟で頭の良かった葉蔵はそれに傷つき、混乱する。

互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っていることにすら気付いていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。(中略)自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、あるいは生き得る自身を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦を教えてはくれませんでした


そして、性的虐待を人に訴えることができなかった理由に、人間全体への疎外感を打ち明ける。


つまり、自分が下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから。


ある種の犯罪は、誰も知らないから起こる。ある種の犯罪、自分よりも弱い者への犯罪である。

嬰児殺ししかり、性的虐待しかり。

主人の息子に性的虐待を加える、もしそれがすぐに言いつけられたり、察せられてしまったりするなら、病気でないかぎりそんなことはしないだろう。

加害者の悪や異常だけで性的虐待を受ける子ども達ができるわけではなく、そこには子どもが訴えることができない、周りが察することができない、という環境の問題がある。
ここで考えたいのは、簡単に虐待の事実を述べている一文の的確さよりも、「父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があった」という父母の難解についてである。

『人間失格』の中で、父母が彼に見せたという難解さの説明は全くない。太宰治は他の小説でも幼児期の性的虐待を示唆しており、また、『人間失格』の中で述べられている情死の失敗は太宰治のカフェの女給で人妻の田部シメ子との心中未遂のことであったりと自伝的小説であると考えられていることから、幼年時代の性的虐待も事実だった可能性は高い。

私が一層強くそれを感じるのは、父母の難解さについて説明されていない不自然さである。

太宰治は父母との関係に足らないものを感じており、その不足が自分への女中からの性的虐待を許す環境となったと書かれている、と読み解く。

すると、ゆるゆるするすると、『人間失格』がほどかれていくのだ。

純真無垢で疑うことを知らないがゆえに下卑た商人に犯されてしまう妻ヨシ子。妻が犯された事実よりもその事件のせいで人を信じることができなくなったヨシ子が辛く苦悩する葉蔵。これは純真無垢なヨシ子に自分自身の幼年時代を重ねて見ていたがゆえだろう。
また、繰り返し語られる人から好かれることへの恐怖と羞恥はストレートに性的虐待のトラウマである。最後にバーのマダムが言う


あのひとのお父さんが悪いのですよ


という言葉。この小説にお父さんが悪いところなんか、少しも描かれていないのである。父は確かに登場するが、普通の父親として描かれている。確かに葉蔵の不始末に腹を立てるが、それはもっともなことであり、この小説自体それを自然なこととして描いて、特段声高に異議を唱えたりはしていない。

では何が悪いのか。

父は何をすべきだったのか。

何から守ってやるべきだったのか。

『人間失格』。描かれていないことに哀しい事が隠されている気がしてならない。
http://nennenene.blog17.fc2.com/blog-entry-129.html

日本では古くは、幼児婚は一般に行われていた。大正時代には田舎であっても女郎買いにも行けた。夜這いなども一般的に行われていた。近親姦も珍しくなかったことはルイス・リビーも赤松啓介も指摘している。

若衆宿の成員は赤松啓介によれば15〜25歳程度であり、性の手ほどきはこの若衆宿に入る頃に行われた。その形式はムラによって差があった。播磨の加古川流域では子供が13歳の時に褌を贈られ、性交の実地教育を行うという形式が取られていた。この男性の成人儀式のことは褌祝と呼ばれ、場合によっては母親が息子の相手を務める場合もあったという。共同風呂では陰茎の包皮を剥いてもらい痛いという人もいた。

日本において「セクシュアリティの近代」が設定されたのは明治時代以降である。西欧では性的虐待と見られかねないことがアジア地域では普通に行われていると言われる理由もここにある。

また、赤松啓介が言うことには、当時から法律で禁止されているため闇の話ではあったが、日本では女郎として売られた女性が初体験をより早期に済ますということは一般的であった。半公然ながら、女郎稼業で7つ、8つで売られる人もおり、男性も8、9歳くらいには売られ、男娼とされることも少なくなかった。ただ、実際には月経も来ていない少女を破瓜させるというひどい客がいたり、男の子が強姦されることも珍しくなかった。

また、女中など雇われ従業員の年上の娘が、より年少の男の子に性交を教える場合も多かった。太宰治は、この行為は犯罪ではないかと「人間失格」で述べている。

しかし、このような状況は教育勅語的指弾ムード、戦争中の弾圧的な風潮、戦後の禁欲的性教育ムードで弾圧されてきた。そうは言うものの、一部の人間はその状況を守り続けていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%BD%A2%E5%B7%AE%E3%81%A8%E6%80%A7%E8%A1%8C%E7%82%BA

門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html

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人間失格? 男性失格?

リチャード・B・ガートナー著「少年への性的虐待」(作品社、2005年)の「あとがき」で、翻訳者の宮地尚子さんが、太宰治(1909-1948)の文学を、太宰が幼少年期に受け続けた性的虐待によるトラウマとの関連で読み解く必要性を主張なさっています。私も賛成です。

太宰は、性現象において「主体であることは名誉、客体であることは恥」という近代的な男性性の規範を内面化しており、幼少年期に性的虐待の被害を受け続けたために、「人間失格」ならぬ「男性失格」という感情に生涯苦しめられたのでしょう。

私が太宰の「人間失格」を読んで不思議に感じたのは、薬物中毒から一時的に立ち直っていた主人公が、内縁の妻が自分の友人の男性にレイプされて、再び薬物中毒の世界に沈んでいく、というくだりで、「なぜ怒って友人を告訴しないのだろうか?」と思ったものです。

今思えば、太宰は「男同士の絆」(セジウィック)は、妻との親密な関係に優先すべし、という近代日本の男性性の規範を内面化しており、男性の友人を警察に引き渡すなど考えられない人だったのではないでしょうか。

太宰の「走れメロス」(1940年)は、今でも国語の教科書によく掲載されている日本文学のキャノンですが、ジェンダー研究の観点からすれば、明らかに、「生命よりも尊い男同士の絆」を称揚する、「男性の兵士化とその生還」(金子奨)を描いた軍国主義的な小説です。「走れメロス」を書くような小説家だったにもかかわらず、ではなく、逆に「走れメロス」を書くような作家だったからこそ、性的虐待のために「男性失格」の感情に苛まれ、「恥の多い人生を送ってきました」という「人間失格」(1948年)を書いて心中自殺するはめになったのでしょう。

男性学の観点からすれば、一見対照的な「走れメロス」と「人間失格」は、「覇権的男性性」という同じコインの裏表です。太宰の心の中のメロスが、太宰を心中自殺に追いやったのだと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401/archive/2008/5/6


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2. 太宰治  年譜


明治四十二年(1909)

 六月十九日 青森県北津軽郡金木村大字朝日山四百十四番地(現在は五所川原市)に、父源右衛門・母タ子の第十子六男として生まれる。

 戸籍名は、津島修治。

 長男総一郎と次男勤三郎は若くして他界、三兄文治が事実上の長兄となった。
 たま、とし、あい、きやうの四人の姉と、文治の下には、英治、圭治の二人の兄がいた。

 生母タ子が病弱のため、生まれてすぐに乳母(中里村・佐々木サヨ)につく。
 一年足らずで乳母が去った後、同居中の叔母きゑに育てられる。
 使用人を加えると、常時三十余名の大家族を抱える、県内屈指の財産家であった。

明治四十三年(1910)

 五月、近村タケが年季奉公で住み込み、太宰治の子守としてめんどうをみる。(満二〜六歳まで)

明治四十五年(1912)三歳

大正元年
一月、長姉たまが、二十四歳で死去。
五月、父源右衛門が立憲政友会から立候補して、衆議院議員に当選。この頃から屋号を「津惣」から「ヤマゲン」に改める。(鶴丸の家紋を用いる。)
地元の人は、源右衛門を「金木の殿様」と呼んだ。
 津島家の最盛期を迎える。
七月、弟礼治誕生。


大正五年(1916)七歳

一月、叔母きゑの一家が五所川原に分家。修治もついて行き小学校入学直前まで叔母の家で過ごした。タケはその後、分家した叔母きゑの女中となり津島家を去る。 四月、金木第一尋常小学校に入学。一年時から秀才の誉高く、特に意表をつく作文力で教師を驚かす。在学中全甲首席、総代を務めた。



大正七年(1918)九歳

七月、タケ、小泊村の越野正代へ後妻として嫁ぐ。(入籍は九月二日)


大正九年(1920)十一歳

二月、金木村に町制施行。
十二月、曾祖母さよ死去(八十歳)。


大正十一年(1922)十三歳

三月、小学校卒業。六年間全甲首席を通した。
四月、父の意向で学力補充のため同町の四カ村(金木と隣接三カ村)組合立明治高等小学校に一年間通学。
悪戯が過ぎて成績優秀にもかかわらず「修身」と「操行」を乙と評定された。
五月、文治結婚。
十二月、多額納税議員の補欠選で父が貴族院議員に当選する。


大正十二年(1923)十四歳

三月、父源右衛門、神田小川町(東京)佐野病院に入院中に死去。享年五十二歳。
県立青森中学校(現・青森高等学校)に入学、青森の親戚豊田太左衛門方(青森市寺町十四番地)に下宿して通学。二学期から卒業まで級長を通す。

 反面、持ち前の茶目っ気を発揮してクラスの人気者になる。

 夏休みに、三兄圭治が東京から持ち帰った同人誌「世紀」の中に井伏鱒二の「幽閉」を発見。一読、「座ってをられないくらいに興奮した」。

八月、英治結婚。



大正十四年(1925)十六歳

三月、『校友会誌』に最初の創作「最後の太閤」を発表。芥川龍之介や菊地寛などの著作に親しむ。この頃から作家に対する憧れが強まる。級友との同人雑誌等に小説、戯曲、エッセイを発表。
四月、弟礼治も青森中学校に進み、豊田家に同宿す。
八月、級友と同人雑誌「星座」創刊。戯曲「虚勢」を発表したが一号限りで廃刊。
十月、宮越トキが行儀見習女中として津島家に住み込む。
十月、長兄文治が金木町長になる。辻魔首氏の筆名で校友会誌に「角力」を発表。
十一月、文学仲間を糾合して、同人雑誌『蜃気楼』創刊、編集兼発行人となる。「温泉」「犠牲」「地図」などを発表。「蜃気楼」は通巻十二号まで続く。


大正十五年(1926)十七歳

昭和元年
 「蜃気楼」に「負けぎらひト敗北ト」「侏儒楽」「針医の圭樹」「癌」「傴僂」「将軍」「哄笑に至る」「モナコ小景」「怪談」などの創作を次々と発表。芥川に心酔す。女中のトキに恋情を抱き、懊悩す。
四月、あい結婚。
九月、帰省中の三兄圭治の発案で同人誌「青んぼ」を創刊、「口紅」を発表。
 四月頃から辻島衆二の筆名を多く用いる。



昭和二年(1927)十八歳
 高校受験準備のため「蜃気楼」一月号を最後に通巻十二号で休刊。
 第四学年百六十二名中、第四席で青森中学終了。旧制中学五年制を四年で終了。
 官立弘前高等学校(現・弘前大学)文科甲類(英語)入学(一ノ組三十八名中第六席)。
 市内通学者以外の新入生は入寮する規則になっていたが、病弱のためといって弘前市の親戚・藤田豊三郎宅に下宿。文科乙類(独語)の同級生に、上田重彦(後の作家石上玄一郎)がいた。
五月二十一日、青森市で芥川龍之介が講演、「夏目漱石」と題したこの講演を聴く。
七月二十四日、芥川龍之介、睡眠薬自殺(三十五歳)に、大きな衝撃を受ける。
 この直後から、芸者だった義太夫の師匠竹本咲栄の元に通い始める。服装に凝りはじめる。
義太夫や花柳界に興味を示し、江戸文学や文人趣味に親しむようになる。
秋頃から、青森市の花柳界に出入りするようになる。青森市の芸者置屋の芸妓半玉・紅子(小山初代)と馴染みになる。
 近松門左衛門・泉鏡花・芥川らの文学に心酔す。
九月、長兄文治が金木町長を辞し、政友会県会議員に当選した。
 この年、後の武装共産党の中央委員長になる田中清玄が弘前高校文科乙類を卒業。校内では、田中が組織した社会科学研究会のメンバーが活動していた。

昭和三年(1928)十九歳

 学業成績、急激に下降す。
五月、同期生上田重彦(後の石上玄一郎)の創作に刺激されて、個人編集の同人雑誌「細胞文芸」創刊。本格的な創作活動に入る。
 傾向小説に関心を持ち、〈辻島衆二〉の筆名で大地主の生家を告発する暴露小説「無間奈落」をはじめ「股をくゞる」「彼等と其のいとしき母」などを発表。
 九月、四号で廃刊するまでに井伏鱒二、船橋聖一等の寄稿を得る。
六月、きやう結婚。
十月、青森の同人誌「猟騎兵」に参加。
十二月、マルキスト上田重彦主幹の新聞雑誌部の委員に加わり「校友会雑誌」に、此の夫婦」を発表。この新聞雑誌部は、校内の左翼細胞の拠点になっていた。


昭和四年(1929)二十歳

一月、青森中学校在学中の弟礼治急病死。享年十八歳(敗血症)。
二月、弘前高校鈴木校長の公金無断流用が発覚。新聞雑誌部員主導で同盟休校を行い、校長排斥に成功す。
 「弘高新聞」や県内同人誌に評論や創作を発表。プロレタリア文学を意識した「地主一代」なども執筆。
小菅銀吉・大藤熊太の筆名で創作や評論を発表する。「鈴虫」「哀蚊」「虎徹宵話」「花火」などを発表。
一方青森で芸者紅子(小山初代)と逢う瀬を重ねる。
(十一月頃のカルモチン心中未遂。)
十二月十日、第二学期試験が始まる前夜、下宿先で多量のカルモチンを飲み下して昏睡状態に陥る。十一日昼頃、近所の医師が駆けつけて手当てをする。
 午後には次第に意識を取り戻した。その後、母に伴われて大鰐温泉で静養する。


昭和五年(1930)二十一歳

一月、弘前警察署により校内左翼分子が検挙される。上田重彦ら三名は卒業直前に放校処分を受ける。新聞雑誌部の解散と「校友会雑誌」の無期限休刊を申し渡された。
三月、文科生七十一名中、第四十六席の成績で弘前高校を卒業。
四月、東京帝国大学仏文科に入学。府下戸塚町諏訪(現在の高田馬場付近)の学生下宿常盤館に止宿。
五月、高校の先輩、工藤永蔵の訪問を受けて共産党のシンパ活動に加わる。
この頃、かねてから尊敬していた井伏鱒二にはじめて会い、以後師事する。
六月、三兄圭治病没(結核性膀胱カタル、肺結核兼尿路結核症)。(二十八歳)
七月、「学生群」を青森地方の同人雑誌「座標」に発表(十一月まで連載して中断)。
十月、青森の芸妓紅子こと小山初代が太宰の手引きによって出奔。上京した長兄文治は分家除籍を条件に初代との結婚を承諾、落籍のため一旦初代を青森へ連れ帰る。
十一月十九日、分家届出、除籍される。
二十四日、小山家と結納を交わす。
二十八日、義絶の真因がシンパ活動にあることを知った太宰は、二十八日夜半頃、銀座のバー・ホリウッドの女給田部シメ子(通称田辺あつみ)と、鎌倉七里ヶ浜小動崎畳岩にてカルモチン自殺を図る。二十九日朝、苦悶中に発見される。女は死亡。七里ヶ浜恵風園療養所に収容される。自殺幇助罪に問われ、起訴猶予となる。
十二月、碇ヶ関温泉で、小山初代と仮祝言を挙げる。
この年から、青森の同人文芸総合雑誌「座標」に一月から傾向小説「地主一代」を三回までと、七月から「学生群」を四回まで連載したが、長兄から圧力が加わり、いずれも未完のまま中絶。筆名大藤熊太。



昭和六年(1931)二十二歳

二月、小山初代が上京。品川区五反田の借家に新所帯を持つ。
共産党への資金カンパ、会合場所の提供などシンパ活動を続ける。
六月、アジト保安の理由から先輩の進めに従って、神田同朋町に、さらに晩秋、神田和泉町に移転する。

昭和七年(1932)二十三歳

 党関係者からの指示や官憲に対する恐怖心からたびたび移転す。
六月、同棲以前の初代の過失を知り、ショックを受ける。
七月、東京でのシンパ活動及び、甥たち青森中学社研活動との関係で青森警察署から出頭を求められ、長兄同伴で出頭し、取調べを受ける。いわゆる自首事件である。以後、非合法活動から離脱。
八月、静養を兼ねて、初代と静岡県静浦村の坂部啓次郎方に約一ヶ月滞在、処女作「思い出」を執筆す。
九月、芝区白金三光町の借家に移住、同郷の飛島定城一家と過ごす。
十二月、青森検事局に出頭。完全に非合法運動から離れる。

昭和八年(1933)二十四歳

二月、同人雑誌「海豹」参加。
 東奥日報付録「サンデー東奥」に、初めて太宰治の筆名で「列車」を発表。乙種懸賞創作入選となり、五円を得る。
 飛島家とともに杉並区天沼三丁目へ、さらに五月、天沼一丁目へ移転する。
三月、古谷綱武、今官一、木山捷平等の始めた同人雑誌「海豹」創刊号に「魚服記」を発表。四月から同誌に「思い出」を連載する。「海豹」は十一月号で廃刊になる。
七月頃、檀一雄と知り合う。伊馬鵜平(春部)、中村地平等を知る。
十二月、大学卒業予定の年であるが留年し、長兄に仕送りの延期を哀願する。卒業の見込みがないことを知られ、激しく叱責された。


昭和九年(1934)二十五歳

四月、古谷綱武、檀一雄編集の季刊同人誌「鷭」に「葉」、七月に「猿面冠者」を発表。
夏、静岡県三島市の坂部武郎方に約一ヶ月滞在、「ロマネスク」を執筆。
九月、同人誌「青い花」の発刊を企画、今官一等とともに熱中す。
十二月、檀一雄、木山捷平、中原中也、津村信夫、小山祐士、今官一、久保隆一郎、伊馬鵜平、山岸外史等と同人雑誌「青い花」を創刊。「ロマネスク」を発表。創刊号だけで廃刊となり、翌十年五月、「日本浪曼派」に合流。

昭和十年(1935)二十六歳

二月、「逆光」を文芸に発表、同人雑誌以外に発表した最初の作品である。
三月、大学卒業は絶望、都新聞社の入社試験にも失敗。単身鎌倉に行き、鎌倉山で縊死を図り、未遂に終わる。
四月、急性盲腸炎のため阿佐ヶ谷の篠原病院に入院。手術を受けたが腹膜炎を併発して重体に陥る。痛み止めのためパビナール(麻薬性鎮静剤)の注射を打ち、漸次習慣化する。
五月、檀一雄、山岸外史ら「青い花」の仲間とともに、「日本浪曼派」に加わる。同誌に「道化の華」を発表。
六月、静養のため、経堂病院に入院。
六月、千葉県東葛飾郡船橋町(現・船橋市)に転地。
七月、「文芸」掲載の「逆光」が芥川賞候補にあがる。
八月、芥川賞次席(受賞は石川達三の「蒼茫」)であった。
佐藤春夫を知り訪問、以後師事する。
九月、授業料未納により、東京帝国大から除籍される。
十月、「文藝春秋」に「ダス・ゲマイネ」を発表。また、同誌九月号の川端康成の「芥川賞」選評をよんで激怒。反論を「文芸通信」に発表した。
この頃、パビナール中毒に苦しむ。
この年、京城にいる田中英光と手紙による交友関係が始まる。
八月、エッセイ「もの思ふ葦」(日本浪曼派、十二月完結)、十二月、「地球図」(新潮)。

昭和十一年(1936)二十七歳

二月十日、パビナール中毒治療のため、佐藤春夫の紹介で済生会芝病院に入院。二十日、全治せぬまま退院。
六月、砂小屋書房から第一創作集「晩年」を刊行。
七月十一日、上野・精養軒で「晩年」の出版記念会を行う。
八月、パビナール中毒と肺病治療のため赴いた群馬県谷川温泉で、第三回芥川賞落選を知り打撃を受ける。第三回芥川賞の選考を巡って、選考委員佐藤春夫との間に「創生記」と「芥川賞」による応酬あり。
十月、井伏鱒二らの進めにより東京江古田の武蔵野病院に一ヶ月入院し、「慢性パビナール中毒症」を治療。入院中、妻初代姦通を犯す。
十月、「創生記」を「新潮」に、「狂言の神」を「東陽」に発表。
十一月、中毒を根治して退院。
 その前に、長兄文治と面会、月々の送金を九十円として、三回に分けて三年間井伏鱒二宛に送付するとの約束があったという。
 杉並区天沼の碧雲荘に転じる。


昭和十二年(1937)二十八歳

一月、「二十世紀旗手」を「改造」に発表。
三月、入院中の、初代の過失を知り、ショックを受ける。初代と谷川温泉近くでカルモチン心中を図ったが未遂。その後、初代は井伏家に滞在。二人は別居する。
四月、「HUMAN LOST」を「新潮」に発表。
五月、長兄文治が衆議院選に政友会候補として立候補。当選したが、選挙違反を問われ辞退。公職から身をひいた。
六月、「虚構の彷徨」「ダス・ゲマイネ」(新潮社)を刊行。初代と離別。天沼の下宿、鎌滝方に移る。
七月、「二十世紀旗手」(版画荘文庫)を刊行。その後、翌年にかけ、時折エッセイ等を書くほか、ほとんど筆を絶つ。


昭和十三年(1938)二十九歳

 原稿が売れず、取り巻きを相手に無為の日々を過ごす。
七月、井伏を通じて縁談が持ち込まれ、これを契機に明るい作風への転換を図る。この頃、「姥捨」を書き始める。
八月十一日、金木銀行売収。
九月、「文筆」に「満願」を発表。
 鎌滝家の下宿を引き払い、井伏鱒二が滞在していた山梨県南都留郡川口村(現・河口湖町)御坂峠の天下茶屋に赴く。長編「火の鳥」の執筆に専念したが、結局この小説は未完に終わる。
十八日、井伏同伴で甲府市の石原家を訪問、石原美智子と見合いす。
十月、「姥捨」を「新潮」に発表。
十一月六日、石原家で酒入れ式(婚約披露)を行う。
十六日、御坂峠をおりて、甲府市内の素人下宿に移る。



昭和十四年(1939)三十歳

一月八日、杉並区清水町の井伏宅で、簡素な結婚式を挙げる。仲人は井伏夫妻。
その日のうちに、甲府市御崎町五十六番地で新婚生活に入る。その後、落ち着いた生活の中で失地回復を願いながら執筆に専念す。 二月、「文体」に「富獄百景」を発表。
三月、「國民新聞」に「黄金風景」を発表。この作品は、同新聞主催の短編小説コンクール参加作品であり、当選して翌月五十円を得た。
四月、「文学界」に「女生徒」を発表。
六月、美知子と信州を旅行。
六月、「若草」に「葉桜と魔笛」を発表。
七月、短編集「女生徒」(砂子屋書房)を刊行。
九月、東京府北多摩郡、三鷹村(現・東京都三鷹市)下連雀百十三番地の借家に移転。ここが終の栖となる。
 近くの吉祥寺に亀井勝一郎の住まいがあり、親交を持った。
十月、「文学者」に「畜犬談」を発表。
十一月、「文学界」に「皮膚と心」を発表。
十二月、この頃から阿佐ヶ谷将棋会に出席。将棋は早指しで、強くなかったといわれる。
 書き下ろし創作集「愛と美について」(五月、竹村書房刊)など発表。



昭和十五年(1940)三十一歳

 友人知己との小旅行や会合、あるいは、依頼講演など、出歩くことが多くなる。原稿依頼も増え、次々に安定した作風の佳作を発表す。
一月、「月刊文章」に「女の決闘」を連載開始(六月完結)。「新潮」に「俗天使」、「婦人画報」に「美しい兄たち」(後に「兄たち」と改題)。「知性」に「鴎」、「文芸日本」に「春の盗賊」などを発表。
二月、「中央公論」に「駆込み訴へ」を発表。
三月、田中英光が訪問。以後、太宰に師事する。
四月、短編集「皮膚と心」(竹村書房)刊行。日比谷・松本桜にて、山岸外史著「芥川龍之介」の出版記念会があり幹事を務める。井伏鱒二、伊馬鵜平らと群馬県四万温泉に遊ぶ。
五月、「新潮」に「走れメロス」発表。
六月、「思ひ出」(人文書院)、「女の決闘」(河出書房)を刊行。
七月、伊豆湯ヶ野の福田屋旅館に入り「東京八景」の執筆を始める。滞在費を持って迎えに来た美知子とともに帰郷途中、鮎釣りで谷津温泉に滞在中の井伏鱒二、亀井勝一郎を訪ねて河津川氾濫による水害にあう。
 この頃、随想「六月十九日」発表。
八月、「金木郷土史」を金木町が出版する。
十一月、「新潮」に「きりぎりす」を発表。小山清が三鷹の家を訪ねて師事した。
 新潟高校の招きで講演。佐渡に寄って帰る。作品を読んだ若者が訪ねて通うようになるのはこの頃からである。
十二月、前半刊行の「女性徒」により北村透谷賞の次席になる。第一席は萩原朔太郎の「帰郷」であった。
三月、「老ハイデルベルヒ」(婦人画報)
四月、「善蔵を思ふ」(文藝)
五月、「乞食学生」(若草、十二月完結)
十二月、「ろまん燈籠」(婦人画報、十六年六月完結)

昭和十六年(1941)三十二歳

 落ち着いた作風で、文壇に地歩を築いたのを背景に青春への訣別と今までの総決算として、一月「文学界」に「東京八景」を、「知性」に「みみずく通信」、「公論」に「佐渡」、「新潮」に「清貧譚」を発表。美知子と伊東(伊豆)温泉に一泊旅行をする。
一月一日、「西北新報」に「五所川原」を発表。
一月十日、「月刊東奥」に「青森」を発表。
二月からは、懸案の長編小説「新ハムレット」の執筆を始め、五月完成。
五月、「東京八景」(実業之日本社)を刊行。
六月七日、長女園子誕生。
七月、近くの歯科医院へ歯の治療に通う。書き下ろし長編「新ハムレット」(文藝春秋)を刊行。
八月、生母タ子を見舞うために十年ぶりで帰郷。除籍の身もあって、五所川原の叔母の家や親戚宅に宿泊した。「千代女」(筑摩書房)を刊行。
九月、太田静子らの訪問を受ける。友人と共に太宰家を初めて訪問。
十一月、文士徴用令書をうけたが、胸部疾患「肺浸潤」の理由で徴用免除。井伏鱒二は、陸軍徴用員として入隊。シンガポールに行くことになる。
十二月、弟子、堤重久からその弟の日記四冊を借りた。後の、「正義と微笑」はこの日記を基にしている。
十二月八日、太平洋戦争開戦、「十二月八日」(婦人公論)を執筆。

昭和十七年(1942)三十三歳

 このころ、壁にぶつかっていたか、聖書に言及した作品が多くなる。十月、「花火(戦後「日の出前」と改題)を「文藝」に発表したが、「待つ」と「花火」は時局に添わないという理由で前文削除を命ぜられる。執筆のため、たびたび小旅行をする。
一月、三百部限定の私家版「駈込み訴へ」を刊行。
三月、「正義と微笑」を脱稿する。
五月、「改造」に「水仙」を発表。短編集「老ハイデルベルヒ」(竹村書房)を刊行。
六月末頃から、点呼召集を受け、突撃訓練や軍人勅諭の暗誦に煩わされる。
十月下旬、生母タ子重態のため、生家に人々とは初対面の妻子を同伴して帰郷。義絶も自然解消す。
十一月、井伏鱒二が徴用解除で帰国。
十二月、井伏と熱海に遊ぶ。母危篤の報に、単身帰郷。
十日、母死去。六十九歳。生家に滞在して帰京する。(二週間)
十一月、「帰去来」
四月、「風の便り」短編集(利根書房刊)。
六月、「正義と微笑」書き下ろし長編(錦城出版社刊)


昭和十八年(1943)三十四歳

一月、「現代文学」に「禁酒の心」、「新潮」に「故郷」、「文学界」に「黄村先生言行録」を発表。短編集「富嶽百景」(新潮社)を刊行。
一月中旬、亡母法要のため妻子と共に帰郷。
時局柄、他人の日記や史実、伝説」などに取材した作品が多くなる。
一月二十日、桜岡孝治著「馬来の日記」が刊行され、「序」を寄稿。
三月、甲府に赴き、前年末より執筆中の書き下ろし長編、「右大臣実朝」を完成。
四月、友人塩月赳の結婚式では仲人役も務める。

九月、「文筆」に「満願」を発表。「右大臣実朝」(錦城出版社)を刊行。この年は、執筆・取材の小旅行に出かけることが続いた。 十月、「雲雀の声」を完成したが、検閲不許可の恐れがあるため出版を延期。
翌年、ようやく出版の運びとなったが、印刷所が空襲に遭い、発行間際の本が焼失。昭和二十年に発表された「パンドラの匣」は、この作品の校正刷りをもとにして執筆された。

昭和十九年(1944)三十五歳

 「改造」に「佳日」、「新潮」に「新釈諸国噺」を発表。文学報国会小説部会の協議会に出席、以前からの構想にあった魯迅伝を書くことを決意。魯迅の研究をする。
 東宝から「佳日」の映画化依頼を承諾。熱海で脚本家と共に脚色にあたる。その帰途神奈川県下曽我村の太田静子を訪ねる。
 戦争激化の中、たびたびの帰郷で故郷回帰の思いが強くなる。
五月十二日〜六月五日にかけて、小山書店「新風土記叢書」の「津軽」執筆のため、津軽地方を旅行、自身の津軽の血に自信に似たものを得て帰京。
七月、先妻小山初代、中国青島で病没。三十二歳
七月末、「津軽」完成(十一月刊行)。
八月十日、長男正樹誕生。
九月、「佳日」が映画「四つの結婚」と題して封切られる。
十月から、翌年三月まで防火群長に就任(順番制)した。
十二月、情報局と文学報国会の依頼で「惜別」を執筆。仙台医学専門学校在学当時の魯迅を調査するため仙台に赴く。
 この年、井原西鶴の翻案物を発表。



昭和二十年(1945)三十六歳

 東京空襲が激しくなる。三月下旬には、妻子を実家の甲府に疎開させる。
四月、三鷹の家が空襲に遭う。防空壕と家屋の一部損壊。妻子のいる甲府・石原家に疎開する。疎開先で井伏鱒二と交遊。東京で執筆し始めた「お伽草紙」を六月、完成。
七月、爆撃のため甲府の石原家も全焼。
同月下旬、妻子を連れかろうじて津軽の生家へ疎開。四昼夜かかって生家に辿り着く。
八月十五日、終戦。「ばかばかしい」を連発した。生家で畑の草取りの手伝いなどしながら、読書や執筆に専念する。翌年十一月まで生家の離れ(新座敷)で疎開生活をおくる。
九月、書き下ろし長編「惜別」(朝日新聞社)刊行。
十月、仙台の「河北新報」に「パンドラの匣」の連載を始める。書き下ろし連作長編「お伽草紙」(筑摩書房)を刊行。
十一月十四日、きやう逝去。
十二月、連合軍総司令部(GHQ)が農地改革を指令。
 この年「新釈諸国噺」発表。



昭和二十一年(1946)三十七歳

 依頼を受けて、各種座談会などに出席。
 地元の文学青年や東京の知友の訪問が多くなる。長兄文治が立候補予定の衆議院議員選挙を前にして各地で座談会に出席した。
一月、「パンドラの匣」を予定の半分で切り上げ、郷里に取材した作品「津軽通信」に取り組む。
三月二日、金木で進歩党演説会に参加。三日の金木文化会発会式に出席し「文化とは何んぞや」と題して祝辞を述べる。
四月、「十五年間」(文化展望)。
六月、長男正樹が急性肺炎に罹り、生死の間を彷徨する。「展望」に戯曲「冬の花火」、「新文芸」に「苦悩の年鑑」を発表。「パンドラの匣」(河北新報)を刊行。
七月四日、祖母イシ逝去。享年九十歳。
九月、「人間」に戯曲「春の枯葉」を発表。
十一月、疎開生活を切り上げて上京、留守を預かっていた小山清に出迎えられ、三鷹の旧居に帰る。この頃より、没落する旧家の悲劇を主題にした「斜陽」の構想を持つ。連日の来客に煩わされ、外に仕事部屋を作る。
 「新潮」への「斜陽」の連載、新潮社刊行を約束。上京後の第一作「メリイクリスマス」を脱稿。
坂口安吾、織田作之助、平野謙との座談会『現代小説≠語る」に出席。翌年、「文学季刊」に掲載。同じ顔合わせで実業之日本社と改造社主催の二つの座談会を作った。
十二月、「改造」に「男女同権」、「新潮」に「親友交歓」を発表。東劇にて上演予定の「冬の花火」はGHQの意向で中止になった。


昭和二十二年(1947)三十八歳

一月、太田静子の訪問を受ける。
 「群像」に「トカトントン」、「中央公論」に「メリイクリスマス」を発表。織田作之助が急死(肺結核)。三十四歳。通夜に出席。骨を拾った。「東京新聞」に「織田君の死」を発表。「猿面冠者」(鎌倉文庫)刊行。
二月、下曾我に太田静子を訪ねる。大雄山荘に五日間滞在。静子の日記を借りて三津浜安田屋に止宿。「斜陽」を書き始めた。三月上旬までかかって一・二章を書く。
三月、「展望」に「ヴィヨンの妻」を発表。三鷹駅前で山崎富栄(二十八歳)と知り合う。
三月三十日、次女の里子(作家、津島佑子)誕生。
四月、「人間」に「父」を発表。長兄文治が青森県知事に当選(以後、三期連続九年間知事を務める)。
四月、新たに借りた三鷹の仕事部屋で「斜陽」を書き継ぎ、六月に完成。この頃から不眠症に悩まされる。
五月、「春の枯葉」が、伊馬春部の脚色・演出でNHK第二放送からラジオ放送された。
七月、「新潮」に「斜陽」を連載開始(十月完結)。この頃に、仕事部屋を小料理屋「千草」の二階に移す。
 「冬の花火」(中央公論社)刊行。「パンドラの匣」が大映により「看護婦日記」として映画化された。
八月、「ヴィヨンの妻」(筑摩書房)刊行。体調を崩して自宅に引き籠もる。
九月、熱海への一泊旅行に山崎富栄を同伴した。仕事部屋を「千草」の筋向いにあった山崎富栄の部屋に移す。
十月、「改造」に「おさん」を発表。「魚服記」以来、自ら記録し続けてきた「創作年表」は、この作品で断たれている。
十一月十二日、太田静子に女児誕生。その後、山崎富栄の部屋で「治子」と命名して認知証を書いた。
十二月、「斜陽」(新潮社)刊行。ベストセラーになる。
七月、「朝」(新思潮)



昭和二十三年(1948)三十九歳

一月上旬、肺結核が悪化し喀血。「中央公論」に「犯人」、「光」に「饗応夫人」、「地上」に「酒の追憶」を発表。
二月、俳優座創作劇の第1回講演として「春の枯葉」が千田是也演出で上演される。
三月、「新潮」に連載随想「如是我聞」を発表。筑摩書房の古田晁のはからいで、熱海市咲見町林ヶ久保の起雲閣別館にこもり「人間失格」を執筆。
「太宰治随想集」(若草書房)を刊行。
四月、八雲書店から「太宰治全集」の第一回配本(第二巻)。この全集には、生家の津島家の定紋「鶴丸」が金箔押しされた。しばしば喀血する。
五月、「新潮」に「桜桃」を発表。大宮で「人間失格」を脱稿。「朝日新聞」の連載小説「グッドバイ」の執筆を始める。
六月、「展望」に「人間失格」の連載を開始。
六月十三日夜半、山崎富栄と玉川上水に入水。十四日、妻、「千草」の鶴巻幸之助、出版雑誌社、友人宛などの遺書がみつかる。伊馬春部に遺した歌が机辺にみつかった。三人の子供たちへの玩具、友人たちへの遺品、「グッドバイ」の校正刷りなども残されていた。

七月 「展望」に「人間失格」の第二回が、「朝日新聞」に「グッドバイ」が発表され、「人間失格」(筑摩書房)、「桜桃」(実業之日本社)が刊行された。「展望」に「人間失格」第三回、〈中央公論〉に「家庭の幸福」が発表された。
十一月、「如是我聞」(新潮社)刊行(二十五年一月完了)。
http://dazai.or.jp/modules/know/know_annals.html


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3. 太宰治、その波乱の人生

太宰治 1909.6.19-1948.6.13 享年38歳

下宿生活をしていた当時の太宰。18歳ごろで随分あどけない(笑)。
太宰のヒーロー・芥川龍之介
この3枚は全部芥川のポーズ!どれだけ芥川のことが好きだったのかよく分かる!(笑)


本名、津島修治。青森県津軽の大地主の家に生まれる。父親は貴族院議員も務め、邸宅には30人の使用人がいた。

小学校を首席で卒業。14歳の時に父親が病没し、長兄が家督を継ぐ(太宰は六男)。16歳の頃から小説やエッセイをクラスメートと作った同人雑誌に書き始めた。高校では芥川、泉鏡花に強く傾倒し、中高を通して書き記した習作は200篇にも及ぶという。

18歳の時に敬愛する芥川が自殺。猛烈に衝撃を受けた太宰は学業を放棄、義太夫を習い花柳界に出入りし、青森の料亭で15歳の芸妓(げいぎ)・小山初代と知り合い深い仲になる。1929年(20歳)、秋頃から急激に左翼思想に傾斜し、12月10日深夜に最初の自殺未遂。資産家の子という自己の出身階級に悩み、下宿で睡眠薬(カルモチン)による自殺を図り昏睡状態に陥ったのだ。

翌年、東大仏文科に入学。かねてから『山椒魚』等で井伏鱒二を尊敬していた太宰は、上京後すぐ井伏のもとを訪れ弟子入り。治安維持法によって非合法化されていた左翼活動にも、具体的に係わっていく。

秋頃、愛人関係にあった小山初代に、地元有力者からの身請け話が持ち上がり、動揺した太宰は彼女を上京させる。名家の息子が芸妓を呼び寄せたことが郷里で騒ぎになり「全ての肉親を仰天させ、母に地獄の苦しみをなめさせた」(東京八景)という。2人が同棲し始めると、生家から長兄が上京し、“(初代が芸妓でも)結婚は認めるが本家からは除籍する”と言い渡される。これを受けて兄と初代は落籍の為にいったん帰郷、11月19日に分家を届出、除籍された。11月24日、長兄が太宰の名で小山家と結納を交す。

一方の太宰は、この結納の翌25日に銀座のカフェの女給・田部あつみ(19歳、理知的で明るい美貌の人妻。夫は無名の画家)と出会い、そのまま浅草見物など3日間を共に過ごした後、11月28日夜、神奈川県小動崎(こゆるがさき)の畳岩の上でカルモチン心中を図る。翌朝地元の漁師に発見され、田部は間もなく絶命、太宰は現場近くの恵風園療養所に収容される。

驚いたのは長兄。すぐさま津島家の番頭を鎌倉へ送った。番頭は田部の夫に示談金を渡したり、太宰の下宿にあった左翼運動に関する大量の秘密書類を、警察の調査前に焼却したりと走り回った(実際、翌日に警察が踏み込んでいる)。亡くなった田部を見た番頭曰く“大変な美人で、私は美人とはこういう女性のことをいうのかと思いました”。事件後、太宰は自殺幇助罪に問われたが、起訴猶予となる。
翌12月、一命を取り留めた太宰は青森碇ヶ関温泉で小山初代と仮祝言をあげた。

22歳、長兄は初代を芸妓の境遇から解放して上京させ、太宰との新所帯を応援。太宰は屈折した罪悪感から左翼運動に没頭し、反帝国主義学生同盟に加わった。大学にはほとんど行かず、転々と居を移しながらアジトを提供し、ビラ撒き、運動へのカンパなどを行なった。太宰が用意したアジトで機関紙の印刷や中央委員会が開かれた。ビルの上からビラを撒くことを太宰は「星を振らせる」といい、後年「チラチラチラチラ、いいもんだ」と回想している。

23歳、青森の実家に警察が訪れ、太宰の行動について問いただしたことから左翼活動のことがバレ、激怒した長兄(県議をしていた)から「青森警察署に出頭し左翼運動からの離脱を誓約しない限り、(仕送りを停止し)一切の縁を絶つ」という手紙が届く。こうして足掛け3年間の太宰の左翼運動は終わった…組織の友人たちを裏切ったという深い後ろめたさと共に。
以後、井伏の指導で文学に精進し、檀一雄や中原中也らと同人雑誌を創刊、『思い出』を始めとして、堰を切ったように執筆活動を開始する。

1935年(26歳)、授業料未納により大学から除籍され、都新聞社の入社試験にも落ち、3月16日夜、鎌倉八幡宮の山中にて縊死を企てたが失敗(3回目の自殺未遂)。その直後、盲腸炎から腹膜炎を併発、入院先で鎮痛のため使用した麻酔剤(パビナール)をきっかけに薬物中毒になる。同年、芥川賞が創設され、太宰は『逆行』により第一回芥川賞の5人の候補者に入った。結果は、石川達三が受賞し太宰は次席。

選考委員の一人、川端康成は太宰について

「目下の生活に厭(いや)な雲ありて、才能の素直に発せざる恨みあった」
と評した。これを読んで逆上した太宰は『川端康成へ』との一文を記し、文中で

「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い(川端の小説“禽獣”への皮肉)、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った」

と怒りをぶちまけた。この頃から佐藤春夫に師事する。

※川端の返事は「根も葉もない妄想や邪推はせぬがよい。(中略)“生活に厭な雲云々”も不遜の暴言であるならば私は潔く取消す」と大人の対応。

翌年(27歳)、太宰は“遺書のつもりで書いた”という作品集『晩年』を刊行、芥川賞の選考前に川端へ本を郵送する。次の手紙をつけて--

『何卒(芥川賞を)私に与へて下さい。一点の駈け引きございませぬ。深き敬意と秘めに秘めたる血族感とが、右の懇願の言葉を発っせしむる様でございます。(中略)私に希望を与へて下さい。私に名誉を与へて下さい。(中略)「晩年」一冊のみは恥かしからぬものと存じます。早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっとよい仕事できます』。

ド真ん中直球ストレートの、泣きつくような懇願文だ。上京以後、心中事件で相手を死なせてしまったり、芸伎と結婚したり、非合法活動に係わったり、大学も卒業出来ず就職に失敗するなど、故郷の生家に数々の迷惑をかけたことから、芥川賞の受賞で名誉挽回を果たそうとしたのだ。それに薬物中毒でかさんだ薬屋の借金を払う為にも賞金が必要だった。だが、選考の過程で「すでに新人に非ず」と最終候補から外され深く打ちのめされる。

同年秋、太宰の薬物依存があまりに深刻な為、心配した井伏ら周囲の者は太宰に“結核を療養しよう”と半ば騙すような形で、武蔵野病院の精神病病棟に入院させた。一カ月後、完治して退院したものの、太宰は「自分は人間とは思われていないのだ、自分は人間を失格してしまっているのだ」と深く傷つく(この体験は8年後『人間失格』に結実する)。太宰が退院すると、妻初代は入院中に他の男と間違いを犯したことを告白した。


1937年(28歳)、浮気にショックを受けた太宰は、初代と谷川岳山麓の水上温泉でカルモチン自殺を図ったが今回も未遂となり離婚する(4回目の未遂)。一年ほど杉並のアパートで下宿生活し、10ヶ月近く筆を絶つ。井伏は太宰のすさんだ生活を変える為に、自分が滞在していた富士のよく見える山梨県御坂峠に招待する。こうした気分転換が功を奏し、徐々に太宰の精神は安定していく。翌年、井伏が紹介した高校教師・石原美知子と見合い、婚約。1939年(30歳)、井伏家で結婚式をあげ、東京・三鷹に転居、以後死ぬまでここに住む。

太宰の作品は明るく健康的な作風となり名作『女生徒』『富嶽百景』を生み、川端から「“女生徒”のやうな作品に出会へることは、時評家の偶然の幸運」と激賞される。31歳、『駈込み訴え』『走れメロス』を執筆。1941年(32歳)、太平洋戦争開戦。翌年発表した『花火』(後に「日の出前」と改題)が、当局の検閲によって“時局に添わない”と全文削除を命ぜられる。1944年(35歳)、故郷への郷愁を綴った『津軽』を脱稿。

1945年(36歳)、空襲下で執筆し始めたパロディ『お伽草紙』を疎開先の甲府で完成。敗戦を津軽の生家で迎える。翌年、坂口安吾や織田作之助と交流を深めた。1947年(38歳)、2月に神奈川まで太田静子(太宰に文章の指導を受けていた愛人)を訪ね5日間滞在。太田をモデルに没落貴族の虚無を描いた『斜陽』を書き始め6月に脱稿する。11月には太田との間に娘が誕生し、「太田治子(はるこ、“治の子”)、この子は私の可愛い子で父をいつでも誇ってすこやかに育つことを念じている」との認知証を書く。同年、三鷹駅前のうどん屋台で山崎富栄(当時28歳、戦争未亡人)と出会う。『ヴィヨンの妻』『おさん』を発表。『斜陽』は大反響となり太宰は名声と栄光に包まれた。
1948年、過労と乱酒で結核が悪化し、1月上旬喀血。富栄の懇親的な看病のもと、栄養剤を注射しつつ5月にかけて、人生の破綻を描いた『人間失格』を執筆。また『如是我聞』で志賀直哉ら文壇批判を展開する。太宰は文壇の頂点にいた老大家・志賀を「成功者がつくる世界の象徴」と敵視し、

「も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。(中略)君は代議士にでもなればよかつた。その厚顔、自己肯定」「芥川の苦悩がまるで解つていない。日蔭者の苦悶。弱さ。聖書。生活の恐怖。敗者の祈り。」

「本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である」

と噛み付いたのだ。


6月13日深夜、太宰は机に連載中の『グッド・バイ』の草稿、妻に宛てた遺書、子どもたちへのオモチャを残し、山崎富栄と身体を帯で結んで自宅近くの玉川上水に入水する。現場には男女の下駄が揃えて置かれていた。6日後の19日早朝(奇しくも太宰の誕生日)に遺体が発見される。帯はすぐに切られ、太宰は人気作家として立派な棺に移され運ばれたが、富栄はムシロを被せられたまま半日間放置され、父親が変わり果てた娘の側で一人茫然と立ち尽くしていたという。

死後、『桜桃』『家庭の幸福』『人間失格』『グッド・バイ』などが次々と刊行される。娘の津島佑子、太田治子は共に小説家となった。

『禅林寺に行ってみる。この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭を生やしながら、酔漢を相手に敢然と格闘して縁先から墜落したほどの豪傑と、同じ墓地に眠る資格は私に無い。お前なんかは、墓地の択(え)り好みなんて出来る身分ではないのだ。はっきりと、身の程を知らなければならぬ。私はその日、鴎外の端然たる黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したのである。』--
1944年に発表された『花吹雪』にこの一節があり、意が汲まれて太宰の墓は鴎外の斜め向かいに建立された。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/dazai.html


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太宰治と高峰秀子

    左より高峰秀子、山根寿子、太宰治

昭和23年6月19日、山崎富栄と玉川上水に入水。「朝日新聞連載小説「グットバイ」は13回分までだったため、後半のストーリーを脚本家の小国英雄に委ね、映画「グットバイ」は6月28日の封切りに間に合った。

太宰と高峰は昭和22年が初対面ではない。昭和19年7月11日、東宝東京撮影所で会っている。高峰は太宰の愛読者だった。それは自叙伝にも「私もまた、走れメロス、トカトントン、親友交歓などを、ほとんど暗記するほどに熱読していた一人であった」と書いている。この日、高峰は太宰のサインをもらっている。太宰の「佳日」は青柳信雄によって「四つの結婚」として映画化された。脚本は八木隆一郎、如月敏だが、太宰もそれに少し加わっている。

つまり太宰作品の映画化は東宝の山下良三を中心に昭和19年から進められていたが、二作とも高峰秀子が出演しているというのも何かの奇縁であろう。好奇心旺盛な売れっ子女優が苦悩する大作家を「ドブから這いあがった野良犬」「こっけい」と観察しているのも面白い。
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_fdb3.html


「グッドバイ」は、太宰治が新聞に連載を始めた矢先に、例の心中事件(太宰の自殺願望に巻き込まれた無理心中だといわれています)によって中断してしまった新聞小説の映画化です。

この物語は、雑誌編集者でプレイボーイの田島(森雅之が演じています。有島武郎の息子なんですってね、今回初めて知りました。)が、降って湧いたような富豪令嬢の結婚話を成就させるために、それまで愛人関係にあった女性たち4人に対して、偽計を弄して別れようとするかなり強引な物語です。

「偽計」というのは、郊外に疎開させていた本妻がいよいよ帰郷してきたと愛人たちをダマクラかして、一挙に関係を整理してしまおうという算段です。
美人の本妻と直接対決させれば、愛人たちもすんなりと諦めるに違いない(しかし、美的に劣るという劣等感だけで、愛人たちが田島の要請をすんなり受け入れ別離に同意するとは到底思えません)と確信した田島は、ショックを受けた彼女たちに、すかさず「グッドバイ」と言って引導を渡してしまおうと企んでいます。

その美人妻のダミーとして仕立てあげられるのが、たまたま以前から会社に出入りしていたカツギ屋のきぬ子(高峰秀子が演じています)です。このカツギ屋の「きぬ子」の正体は、実は富豪令嬢で、そしてさらに、田島の4番目の愛人のケイ子の親友でもあるということが最後に明かされます。

偶然本編の最後に「映画手帖」とかいう短い解説(「グッドバイ」ほか数本の解説でした)が付されているのを見つけました。そして、それを見てびっくりしました。この映画を作るための小説を青柳信雄プロデューサーが太宰治に依頼し、承諾してくれたお礼に、高峰秀子と太宰治は鎌倉の料亭で顔合わせをしたというのです。

《昭和22年の夏、青柳信雄プロデューサーは、23年春の大作として「太宰治書下ろし、高峰秀子主演」の映画を企画した。太宰治からは間もなく承諾の返事が届き、ある日、私は太宰治にお目見えすることになったのである。

青柳信雄プロデューサーの肝いりで、鎌倉の料亭へ彼を招待して一献差し上げようじゃないか、というわけで、私たちは新橋の駅で彼と待ち合わせた。

昭和22年といえばまだ敗戦後2年、町ち行く人々の服装はまだ貧しかった。
それにしても、である。

新橋駅に現れた太宰のスタイルは、ひどかった。
既にイッパイ入っているらしく、両手がブランブランと前後左右に揺れている。
ダブダブのカーキ色の半そでシャツによれよれの半ズボン、素足にちびた下駄ばき。
広い額にバサリと髪が垂れ下がりへこんだ胸、ヌウと鼻ののびた顔には彼特有のニヤニヤとした照れ笑いが浮かんでいる・・・。

作家の容姿に、これといった定義があるわけではないけれど、とにかく、当代随一の人気作家太宰治先生は、ドブから這い上がった野良犬のごとく貧弱だった。

鎌倉の料亭に到着したのは午後の4時ころだったろうか、まだ日暮れ前であった。床の間を背にアグラをかいた太宰治はやっとリラックスしたらしく、青柳信雄とプロデューサー補佐を相手に、「ガバッ、ガバッ」といった調子で呑みはじめた。

席上、紅一点の私など問題にもしてくれない。そのくせ私が下を向いて箸を取ったりすると、チロリとこっちをうかがったりしているのがこっけいだった。

・・・・玄関に出て下駄をつっかけた太宰治は、ヒョロヒョロとした上体をクルリとまわすと、あがりがまちに膝をついて見送りに出ていた女中に向かって叫んだ。

「もっと飲ませろい、ケチ!」

・・・

「グッドバイ」の原作は、なかなかできてこなかった。

青柳信雄がひったくるようにしても持ってきた何枚かの原稿に在るヒロインは、「彼女は小さな丸顔で、手足も上品に小さい」とあった。

上品かどうかは知らないが、鎌倉の料亭でチロリとこちらをうかがっていた太宰治の酔眼は、作家としての正気は失っていなかったらしい。・・・》

人間観察が鋭いということは、過剰に人目を気にするということでもあり、それは過酷で複雑な生い立ちが、情緒を歪ませ過敏にさせた証明でもあるのかもしれません、そういう意味では、それぞれ感情の表出のかたちは違っても、高峰秀子と太宰治は同じタイプの人間だったのではないか、太宰の発した「もっと飲ませろ、ケチ」は、太宰治の精一杯のサービスだったかもしれないと、するどい直感で高峰秀子が感じとっていたかもしれません。

(1949新東宝)監督・島耕二 原作・大宰治
出演・若原雅夫、清川玉枝、高峰秀子、森雅之
http://sentence.exblog.jp/18131797/

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4.  太宰治がアダルトチルドレンになった理由 


1) 太宰治は境界性人格障害?

 境界性人格障害(Borderline Personality Disorder:BPD)は境界例 Borderline Caseとほぼ同意ですが、最近では統合失調症よりうつ病や躁うつ病をはじめとした気分障害(感情障害)との関わりのほうが強いのではないかといわれ始めました(ただし他の人格障害に比べて境界性人格障害と感情障害の関連は特別なものではないというのが現在見解として優勢になっています。Koenigsbergら1999)。
いずれにしてもこの三疾患の境界領域のことを指しています。 1980年のDSM-IIIから人格障害の一類型として収載されました。

著明な人物では、太宰治、ヘルマン・ヘッセ、マリリン・モンロー、ダイアナ妃などが境界性人格障害であったと言われています。

 特徴としては、自分が何者なのかよくわからない、見捨てられる不安が強い、自己像が良い自分と悪い自分の二つに分裂する、他者を過大に評価し理想視していたかと思うと、急にこきおろしたり激しい攻撃性を向けたり、自分の思うままに操ろうとして、他者と安定した関係が保てない、感情が不安定で変化しやすい、価値観や人生観が変化しやすい、他人の欺瞞を鋭く見抜いて非難する、虚言が多い、キレやすい、転職を繰り返す、自殺未遂を繰り返す、薬物中毒、行きずりのセックスを繰り返す、などがあります。

 こうした症状がおさまっているときは、一見周囲によく適応していたり、明るかったり優しかったり、冷静で人一倍論理的に話すことができたり、魅力的に見えたりすることさえあり、健常者と見分けがつかなかったりします(この点がうつ病との見極めになることもあります)。しかし多くは周囲のちょっとした状況の変化などによってこの安定は脆くも崩れ去ります。また抱えている不安感の反動として、自己の誇大感を増大させることもあり、これが自己愛性人格障害となったりします。

こういった境界性人格障害の症状は、心の発育過程の障害とくに乳幼児期の分離不安を引きずっていることが原因で、著しい性格の歪みを生じ、その結果、問題行動を繰り返すのだというのがこれまでの有力な説です。

 また幼児期になんらかの精神的、身体的、性的虐待を受けているケースもよくあります。

そのため、最近ではPTSD(外傷後ストレス障害)の一種ではないかともいわれています。とくに何らかの虐待を過去に受けていた場合、解離性同一性障害や健忘(全生活史健忘を含む)といった症状、つまり自分の行動や経験のある部分を切り離して忘れてしまったりといった症状を併発することもあります。

しかしこうした発達要因に関する実証的研究は極めて乏しく、むしろ遺伝的要因(とくに気質的な側面など)や生物学的要因(とくに脳生理学的な側面など)が与える影響が大きいことも次第にわかってきています。

 症状としてときに抑うつ、一過性の精神病状態を呈することもあり、症状が定まらず多様化しているのが実状のようです。一般的には、自分の起こした衝動的な行動などを後悔し、抑うつ症状を示すことがとても多く、若い女性などでは拒食症(または過食症)を併発するケースも多いようです。また、分裂病の場合のような妄想や幻覚というものはあまり見られず、オカルトや宗教、特定の芸能人や文化人などを盲信するなどのケースが比較的多いという報告があります。 
米国の最新の研究では、脳内神経伝達物質であるセロトニンの代謝となんらかの関係かあるらしいということがわかってきています。

ちなみに、他人のこころに敏感な人が多いので、心理職や福祉職に就く人も多いという報告があります。心理的治療(主にカウンセリング)としては、精神分析療法などによる幼児期や過去のトラウマの解消や自我の再構築(育て直し)などのほか、批判と拒絶に慣れる行動療法や認知療法、家族療法などによっても治療成果を上げてきているようです。

■境界例の症状

 境界例は「境界人格障害」ともいわれます。これは人格あるいは性格という面に精神症状が出る病気、つまり、「人格の上に表現される精神障害」であり、人間関係、自己意識、気分、社会行動などの面に障害が現れます。

 これだけでは抽象的なので、もう少しはっきりとしたイメージをもっていただくために多少専門的になりますが、説明してみましょう。診断をする場合に用いられるDSM-VR(注1)(多軸診断基準)によりますと、「境界例は、そううつ病的な気分の変化、特有なはげしい対人関係、自分のイメージの不安定さが特徴で、青年期早期に始まる。次のうち少なくとも5項目にあてはまること」となっています(DSM-Vの原文をわかりやすく書き改め、また、一部省略してあります)。

@ 見捨てられることを避けようとする異常な努力。

A 相手を極端に理想化したり過小評価したり、対人関係において両極端を揺れ動くようなはげしさをもつ。

B 自分が「一貫した自分である」という意識(たとえば自分のイメージ、友人のタイプ、価値観など)が著しく損なわれている。

C 以下のような衝動的で自分を傷つける可能性のある行為のうち少なくとも2つあること、たとえば浪費、セックス、薬物濫用、万引き、無謀運転、過食。

D 自殺のほのめかし。

E 感情の易変性、すなわち正常な気分から抑うつ、イライラ、不安へのはげしい変動が2〜3時間続くが、2〜3日以上続くことがない。

F 慢性的な空虚感、退屈の感情。

G 不適当ではげしい怒り、または、それを抑えることができない。

 人は誰でも幼い時に母性的役割をもつ人によって安心感−だいじょうぶ感覚(注2)をもらって育ちます。これは人が安心して他人や自分を信頼するための基本的なエネルギー源です。

 ところが、境界例の患者さんには、この「だいじょうぶ感覚」が不足しているため、無限の「だっこ」を追い求め、それが満足させられないと恨みや怒りや攻撃の感情が生まれます。

 患者さんには基本的に「見捨てられるのではないか」という恐れや不安があり、この「見捨てられ幻想」が境界例の中心症状のひとつで、これが抑うつ気分、怒り、自暴自棄、空虚感などの感情を生み出します。

 この見捨てられ幻想は現実に母に見捨てられたかどうかとはあまり関係ありません。患者さんは現実にそういう幻想に支配されているということが、患者さんを理解する上で大切なのです。患者さん自身にはその幻想が意識されていないことが普通ですが、対人関係ではこの幻想は繰り返し出現し、重要人物にしがみつかせ、別れに対して怒りや絶望、無気力などの反応を呼び起こします。

 この病気は、それまで手のかからなかった子が思春期、青年期に突然、思いどおりにならなかった事態の経験などをきっかけに発病します。また、周囲からは、わがままや甘やかしの結果と見られがちですが、むしろ無限の依存と甘えを求める病理ととらえるべきでしょう。

 治療は精神療法(注3)が中心で、患者自身の治療に参加する積極的な姿勢が必要です。したがって、うまくいっても治療には5年くらいかかるのが普通であり、その治療法はまだ定式化されていないのが現状です。


注1) DSM-VR

 「アメリカ精神医学会精神障害診断統計用語集」などと訳される。WHOの「国際疾病分類」に基づくもので、本質的な病変を表しているものではなく、統計の名のとおり、病状、経過、障害、社会的適応などにつき、大多数の医師の考えを標準化したもの。

注2) だいじょうぶ感覚

 幼いときに主に母親(的な役割をする人)を通して培われる安心感のこと。基本的信頼感、安全保障感といってもいい。
http://members3.jcom.home.ne.jp/1313422201/newpage57.htm

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2) 太宰治は自己愛性人格障害?

「女が読む太宰治」筑摩書房編集部編、筑摩書房、2009/5/10

香山リカ 「冷たい人なのに、好きになってしまう」

 彼は「精神分裂秒質(シゾイドパーソナリティ障害)」さらには「境界性パーソナリティ障害」、「自己愛性パーソナリティ障害」なのだそうである。米倉育男氏(()内は筆者の見解)によると、

「万能感(小説に対する自身満々・芥川賞の執拗な要求、
志賀直哉への口汚い反抗、
女性への絶対の自信)と自己嫌悪(「生まれてすみません」や女性にもてる自らへの嫌悪、

だが、

『卑下は傲慢に通ず』ということわざが太宰ほど露骨に当てはまる例は他に無いと思う。)の両価性、
貪欲な性格(常識外の放蕩三昧、際限なき女性への欲望)、
過敏性(志賀直哉への異常な反発、)、
幻想、遺棄の不安に結びついた失敗、
孤独、空虚の感情、敵対反応、自罰行為、不安と抑鬱の感情」

とのことで、誠によくうなずける。

さらに、太宰は「自己愛性パーソナリティ障害」の中の「操縦型人格」なのだそうだ。つまり、

「この型の人々は、自己中心的で、自らの自己愛を満足させる手段としてのみ他人と付き合い、他人を思い通りに操ろうとする。それは決して相手への深い思いやりがあってのことではなく、他人が自分に好意ををもち、思い通りになることで自己愛を満たそうとするものである。

その人間関係は表面的で、他人への軽蔑感を抱いている。しかし、一見親切そうで暖かみがあり、人の気を引いたり、人使いがうまい。そして、ものわかりのよさそうなポーズを示し、いい人だと言う錯覚をつくり出して他人を操縦しようとする。」

と述べている。まさにその通りではないか!この手で、女性の母性本能につけ込むのだ!!!

 この後に極めて面白い記述があるので、長くなるが引用する。

 「それからが面白い!大学での講義で、このような精神疾患に就いて説明した後、『名作ってこんなに面白い・第8巻 人間失格』という教材ビデオを見せる。主人公の役者は細面ではかなげな雰囲気の美青年で、教室の女子学生たちがざわざわと反応するほどだ。
 学生達が強い関心を抱くのは、『太宰治がなぜ女性達をひきつけたのか』ということだ。・・・”モテた”たというレベルではなく、自分の人生を太宰に捧げ、ともに命を絶とうというほど思い入れる女性が相次いだ。

 心中に失敗して、相手が死んでも警察の取り調べにも平然として自己演出の演技にいそしんでいた。但し、後で時折、自己嫌悪をも示しているが、その場限りの極めて表面的なものだ。

 この時点で、女子学生たちに再度、『人間失格』の主人公、あるいは太宰自身がなぜ女性を引きつけたかと質問すると、注目すべき答えは、

『インテリなのに影があるから、この人の苦しみをわかってあげられるのは私だけ、とつきあう中で優越感を感じるのではないか。』
(あー、母性本能をくすぐられて、術中に落ちている!)

 『女性を本当の意味で愛せない人という事が分かると、私こそこの人を変えてあげたい、と逆に燃える。』
(これも母性本能につけ込まれている!)

 『女性の側にも隠れたコンプレックスがあると、ひどい目にあわされても、”これで当然なんだ”と受け入れてしまうのではないか。太宰にはそんなコンプレックスを持った女性を見つける能力が在るのかもしれない。』
(まさに、母性本能につけ込まれている。)


 多数の意見に共通しているのは

『冷たい人、決して幸せになれない人だとわかっていても、こうゆう男性を好きになってしまう女性の気持ちはよくわかる。』

という点だ。 そういう女子学生を(大部分の)男子学生はポカンとした顔で見ているが、中にひとりふたり、うつむきながら含み笑いしているように見える人もいる。この人たちこそ、現代版・太宰なのかと・・・ドキリとさせられる・・・」

 これこそ女性達にとって、本当に恐ろしい!

 誠に見事な分析で、精神分析の専門家ではない私の感想と同様で、むしろそれを補強するものだった。これは私の進化論的太宰治・文学批判の中にぴったり位置づけられる。以上から、太宰治の病理関係の書籍を調査した。その結果、下記(3.2、3.3、3.4、3.5)を入手した。

3.2 精神医学からみた現代作家 
     春原千秋・梶谷哲男 毎日新聞社 昭和54年7月20日
      太宰治(p.252-259)
 この本では病跡学について、
「病跡学は天才の病理から想像の病理へと変貌・・・四つの領域をふくんでいる・・・」
として、

第一に、「狂気が想像に与える影響」、つまり素材としての狂気と、狂気が創作意欲を刺激する場合がある。
第二に、「想像が狂気の代理物となり、「自己治癒作用」をもたらす・・・」
第三に、病跡学的知見の精神医学への影響
第四に、「病跡学的知見が文芸批評にもたらす影響」、文芸批評家が極端に好む「精神分析」に頼りすぎる危険性の強調、

と指摘している。 私は勿論この分野の専門家ではないが、ここではこの立場などからの太宰の分析を紹介したい。 ここでは、太宰の

「あの冷酷な非人間性、エゴイズムは言葉の上でどのように巧みに修飾されようとも、その行動そのものがその本質を詳りなく物語っている。・・・ひたすら愛されることのみを会得して・・・他人は、つねに利用し、依存する対象・・・」

としており、まことにもっともである。 かれは

「かなりの典型的な分裂症質・・分裂症への最短距離をあゆみつづけていた・・・」彼の文学傾向を、ある人は『新戯作派』とよび、自らは『無頼派』と称し、奥野健男は『下降指向の文学』と定義・・・」しているが、これは太宰の「分裂症質から必然的に生み出された・・・」

のであった。 最後に、

太宰に「『苦悩の年鑑』を刻ませ、『人間失格』者として玉川上水で『グッドバイ』させた異常性格が、『道化の花』としてその小作品を富ませ、念願の『「二十世紀旗手』に大成させたことは、まことに創造の皮肉というべきであろう。」

と結んでいるが、その通りで、太宰愛好者、特に太宰にはだまされやすい傾向が男性より強い女性には、是非とも本書を読んでみてほしい。

3.3 太宰治ー主治医の記録 中野嘉一 宝出館文館 昭55/7/30  

 本書はパピナール中毒患者だった太宰治が武蔵野病院に入院した際の主治医の記録である。太宰は中毒患者の典型的言動を示したとある。これらの記録は太宰崇拝者には不愉快なためか、ほとんど引用されないようだ。

この中では石坂洋次郎の太宰評が紹介されており、常識人石坂と破滅型太宰を対比している。ここで石坂は、

「太宰の私生活や作品を熱っぽく誉めるファンの人々よ。・・・あなた方の妻や・・・が芸術の名のもとに太宰風の生活に溺れることを熱情をもって支持出来るだろうか。・・・再思三考すべき・・・」

と紹介した上で、

「こういった・・・忠告は恐らくはナンセンスであろう。彼らは常識派の全く思いも及ばぬ異質の世界にいるから。」

としている。そうであろう。まさに太宰教の教祖と信者の関係と言うべきであろう。

3.4 太宰治ー芸術と病理 中野嘉一 宝出館文館 昭57/2/20

本書は上記(3.2)の続編・拡大版のような内容である。太宰の病理については、幼少期からの母の不在が大きな原因とされる。あたかも母性不在の悲劇を一身に背負ったかのようである。

しかし、太宰は六男であり、早世しなかった他の兄弟達には太宰ほどの極端な性格破綻は認められないようである。このあたりはあまり分析されていないようだ。恐らく太宰を弁護するに有利な要素がほとんど無さそうだから、紹介されないのであろう。
従って、主因は太宰の持って生まれた素質であり、環境は副次的であったと言えよう。私は母の不在をもって太宰を弁護する太宰ファンの風潮には断固、反対する。

 太宰の女性への怨みは女性への嫌悪、蔑視となっている。「例えば、

『ああ汚い。女はいやだ』
『歯ぎしりするほど厭だ』
(女生徒)、

女性は『我利我利、淫蕩』、
『愚かな、盲目のそれゆえ半狂乱のあわれな生き物』
(女の決闘)・・


・『男類には理解できない不思議な世界に女というものは平然と住んでいる」
など、

現実にも小山初代、太田静子、山崎富栄等彼が愛したといわれる女性は、・・・ナルシスティックな彼を自己満足させるための対象でしかなく、」従って、少しでも彼に意に従わないと、激しく非難・攻撃したようだ。これが上記の常軌を逸した女性への悪罵となってあらわれたのであろう。

太宰ファンはこれをも太宰の人間的苦しみであり、それを文学化した崇高な作家なのだと弁護するのであろう。

「ナルシスティックな太宰は己を愛することは出来ても、ついに他を愛することは出来なかったのである。」

太宰ファンの女性達よ、眼をさませと私は言いたい!(催眠状態ではこの忠告も無駄かな!)
http://shimizumorio.jimdo.com/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB-%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%96%87%E5%AD%A6%E6%89%B9%E5%88%A4%E8%AB%96/%E7%AC%AC-%E9%83%A8-%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB%E3%81%AE%E7%97%85%E7%90%86/


        /          イf它メミー-   < _  く ̄\
         ィ⌒´/ ̄廴   / {い辷彡ク―- 、 \\  _〕 \ヽ
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       ヽ ::.::.::.::.::.::.::.: >ヘ l 八     、       / /l |´::.::.::.::ー―{  、  ̄ ヽヽ
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           〉、::.:〃.::.::.::.::|〔_ト   ト   ` ̄  /┼ノ |::.::.ヽ::.::.ヽ|::.::.: ノヽ l\ ヽ
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      ´ / /   / `7⌒ヽ/ | ノ|ー- _ ̄   ̄イ ;′.:´   \:.ヽ{i:i:i:i:ト--<ハ  }
.     /  イ \ー ‐=彡i:i:i:i:iノ .:|{ l    `ヽ   |l {          ヽ::..\i:i:i:i:i:i:i:i:i:i:ト、
    / / 乂  >i:i:i:i/i:i/:i:i/ .::.::い        :. 八 ゝ         l::.::.::.:. i:i:i:i:i:i:i:ハi:i:ハ
   { {   イ:i:i:i:i:i:i/:i:i':i:i:/ .::.::.::|\ \_ノ)  :.            |::.::.::.::l:i:i:i:i:i:i:{:i:}i:i:i:ト、
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太宰治の作品に見られる虐待の影 五十嵐宗雄


太宰を評価しない人は多く、彼らは「人間失格」のような暗く逃げ場のない世界を生理的に嫌う。太宰を評価する人でも「はしれメロス」と「ヴィヨンの妻」が同じ作家によるものとは信じ難いとか、揚げ句は「津軽」、「富岳百景」、「お伽草子」の様なものだけを書いていれば良かったとする意見まで見られる。多くの人は彼の二面性に戸惑っているように見える。しかし太宰文学の本質を理解するにはこの爽やかさと暗さの二面性こそが重要であり、太宰文学の本質とも言える。

この二つを結びつけるには彼の被虐待児としての心の闇を明らかにしなければならない。彼が受けた小児期の心的外傷が人格解離を作り、その人格解離こそが二面性に他ならないのである。

彼の放埒なその私生活も太宰嫌悪の大きな要因になっている。当時無頼派と呼ばれる作家は多かったが、太宰の度重なる自殺未遂は、そのなかでも受け入れがたい奇矯な行動として捕えられている。この繰り返す自殺未遂は、境界性人格障害の特徴であり、太宰文学を理解するためには精神医学的な見地から分析する必要があるが、未だそのような視点からの評論は少ない。

 太宰が両親より虐待を受けていたとする、証言、記述はあまり見ない。彼の受けた虐待は両親からのネグレクトと使用人から受けた性的虐待であるが、当時の社会状況はそれらが程度の差はあれ日常的に見られたため、あまり注目されてこなかったのであろう。

彼の作品の中に両親、家族を非難する記述は目立たない。彼自身それが取り立て、異常なことと感じていなかったのだろう。しかし虐待の観点から子細に作品を見ると虐待の事実を語っている部分が少なからず見つかり、それが彼の人格形成に大きく影響を与えていると推測できる。特に彼の遺書と言われる「人間失格」には多くそれらがある。

 彼は10人兄弟の6男として生まれ、姉が4人いる。2人の兄は夭折している。青森県金木の資産家であり、兄弟が多く使用人も多かった。14才の使用人たけが、子守として3才の大宰を6年間母親代わりの世話をしている。その間母親の影はほとんど見当たらない。14才の少女がどこまで母親代わりができたか、はなはだ疑問である。たけが津島家を離れてからも母親の影は希薄である。「津軽」の中で、たけが津島家を離れてから、初めて再会した場面が書かれている。その中で彼はたけに対する肉親に近い情を熱く語っている。


平和とは、こんな気持ちのことをいうのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかなりっぱな母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。
                    「津軽」より   
                            

母親を非難するような記述では決してないが、母親の愛情の希薄さをさりげなく十分に語っている。不思議な安堵感とは母親特有の無償の愛を意味する。それが与えられなかったと言うことは、母親のネグレクトがあったと考えざるを得ない。「津軽」は全体に抑えた筆致で書かれているが、彼の生い立ちと、人格の歪みが、強く結びついていることを伺わせる箇所が随所に見られる。その語り口が穏やかに抑制されたものであるため、多くの共感を得ることができ、評価の高い作品になっている。しかしその末文は多少含みを持った書き方になっている。

まだまだ書きたいことが、あれこれあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日、元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
                     「津軽」より                                          

かなり思わせぶりな記述であり、解釈は色々あるだろう。私は、太宰がこれでは書き足らなかったと言っていると理解した。書き足らなかったことを全てぶちまけたのがこの4年後に発表された「人間失格」だったのだろう。

「人間失格」の中でも両親の虐待について具体的には書かれていない。しかし父親の虐待があったことを伺わせる記述は認められる。父親の訃報を聞き、
「自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐かしく恐ろしい存在が、もういない。自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。」
と書いている。また小説の最後は、次の文章によって終わっている。 

「あのひとのお父さんが悪いのですよ」

何気なさそうに、そう言った。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした。」                                     
             「人間失格」より

さりげなく語られているが父親の存在が彼に負の圧力をかけていたことが解る。具体的にどのような圧力であったかは書かれていないが、裕福な家庭で生まれてきたことから、生直後より栄達が太宰に課せられた目標であったと推察される。その条件をクリアしなければ、父親からの評価と言う形の愛を受けられなかったのであろう。無償の愛ではなく、条件付きの愛しか与えないのは、ネグレクトと言う虐待と現在では考えられている。「人間失格」の第一の手記は

「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」

との暗示に富んだ書き出しで始まっている。そして次の部分に繋がっている。

子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。

自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
                  「人間失格」より

夕食の暖かな家族の団欒を全く経験せずに幼少期を過ごしていることが伝わる部分であろう。寒々とした食事風景は、寒々とした親子関係を暗示している。このような家庭環境はその当時では少しも珍しいものではないとの指摘は当然ある。しかしこの光景は両親のネグレクトがあったことを感じさせるに十分な記述になっていると私は解釈した。

 彼にはこれに性的な虐待が加わっている。

「その頃、既に自分は、女中から、哀しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。」
との記述がある。どの時期にどのようなものであったかは触れていない。

太宰は24才の時「魚服記」を発表している。父親から性的虐待を受けた13才の少女が滝壷に飛び込み鮒になった話である。厳しく美しい自然の中での親子の日常を叙事的に抑えた筆致で書いてある。そこに彼が幼少期に受けた性的虐待に対する静かな怒りが伝わってくる。
「魚服記」では性的虐待の他に、自殺というテーマも扱っている。この作品は、太宰がカフェの女給田辺あつみと鎌倉で心中し、相手だけが死亡した事件から3年後に書かれている。自殺に最後の救いを求める意図も含ませているが、彼自身その詳細、また深層心理をえぐり出そうとする様子はなく、むしろ意図的に封印しようとしているように思われる。
しかし大きな心的外傷を長く完璧に抑えることはできない。その後徐々に精神的に不安定な状況に陥り、過去のトラウマと全面対決しなければならない状況に進行していった。繰り返す自殺未遂、薬物中毒、精神病院入院、過度のアルコール依存、多彩な女性遍歴と今であれば連日ワイドショウー種と思われる事件を全て取り上げた「人間失格」を執筆することになる。これは彼の遺書と評価されているもので、書かれている内容は全て事実に基づいていると考えられ、彼の人生観、精神病理を判断する材料となっている。
 太宰は無頼派とよばれる作家の一人ではあるが、その奇矯な行動は他の無頼派より際立っている。それを自己愛性人格障害と一部に説明されている。彼の裕福な家庭環境からの類推と思われるが、それは当てはまらない。

自己愛型の人格障害には無自覚タイプと、過剰警戒タイプがある。

無自覚タイプは母親の過保護と父親の不在が原因となっていることが多いとされている。「津軽」で語られている母親の行動は、ネグレクトと考えられ、太宰に母親の過保護の影響はないと言って良い。無自覚タイプの自己愛性人格障害の特徴は他人の反応に対し無頓着、傲慢、攻撃的、他人に傷つけられることにひどく敏感であるとされている。「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラがまさにこのタイプと言われている。

過剰警戒タイプの自己愛性人格障害は親の愛情が薄かったことことから、自己像を過大に膨らまし、傷ついている自尊心を取り戻そうとする際にみられる障害とされている。注目されるのを避ける、恥ずかしがり屋である、傷付けられやすく、他人に軽蔑や批判で対応する特徴が見られる。

どちらの自己愛性人格障害も肥大した自尊心のために、他人の心の傷、弱者の悲しみを理解しようとしないのが共通とされている。どこぞの国の世襲議員に多く見られるタイプと言える。太宰にこれらの要素はほとんど見られない。

彼の文学は、優しさの文学と言われている。優しさとは人の憂いを自己の憂いとすることとされている。彼は「人間失格」のなかで、

「あれは日陰者だと指差されるほどの人と逢うと、自分は必ず優しい心になるのです」、

と述べている。この感情こそが太宰文学の魅力であり多くの読者を現在でも引きつけている理由であろう。「津軽」のなかで蛙の池に飛び込む水音に自らのはかなさを重ね合わせている。また「富嶽百景」のなかで、遊女に優しい気持ちを語っている。どちらも多くの人の共感を集めた一文とされているので、その部分を下に記す。

あの古池の句に就いて、私たちは学校で、どんな説明を与へられてゐたか。森閑たる昼なほ暗きところに蒼然たる古池があつて、そこに、どぶうんと(大川へ身投げぢやあるまいし)蛙が飛び込み、ああ、余韻嫋々、一鳥蹄きて山さらに静かなりとはこの事だ、と教へられてゐたのである。なんといふ、思はせぶりたつぷりの、月並(つきなみ)な駄句であらう。いやみつたらしくて、ぞくぞくするわい。鼻持ちならん、と永い間、私はこの句を敬遠してゐたのだが、いま、いや、さうぢやないと思ひ直した。どぶうん、なんて説明をするから、わからなくなつてしまふのだ。

余韻も何も無い。ただの、チヤボリだ。謂はば世の中のほんの片隅の、実にまづしい音なのだ。貧弱な音なのだ。芭蕉はそれを聞き、わが身につまされるものがあつたのだ。古池や蛙飛び込む水の音。さう思つてこの句を見直すと、わるくない。いい句だ。当時の檀林派のにやけたマンネリズムを見事に蹴飛ばしてゐる。謂はば破格の着想である。月も雪も花も無い。風流もない。ただ、まづしいものの、まづしい命だけだ。
当時の風流宗匠たちが、この句に愕然としたわけも、それでよくわかる。在来の風流の概念の破壊である。革新である。いい芸術家は、かう来なくつちや嘘だ、とひとりで興奮して、その夜、旅の手帖にかう書いた。

「山吹や蛙飛び込む水の音。其角、ものかは。なんにも知らない。われと来て遊べや親の無い雀。すこし近い。でも、あけすけでいや味(み)。古池や、無類なり。」
                    「津軽」より


トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた。私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願ひして置いて、私は子供の手をひき、とつとと、トンネルの中にはひつて行つた。
                    「富嶽百景」より

この箇所を読んだだけで、自己愛性人格障害のレッテルは太宰には合わないことが解る。自己愛型の作家と言えば石原慎太郎、三島由紀夫が上げられる。両者とも太宰が嫌いと公言している。三島由紀夫は、約20年間にわたって繰り返し太宰に生理的嫌悪を表明し続けた。

「太宰の持っていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だつた。第一私はこの人の顔が嫌いだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味が嫌いだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのが嫌いだ」。

と受け入れられないことを感情的に語っている。太宰と彼らは本質的に相反するものがあり、決して共感すること、交じり合うことはないように思える。

 太宰の性格、異常行動は小児期の虐待により形成された、境界性人格障害によるものと考えられる。境界性人格障害は小児期に受けた慢性的な心的外傷によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)であると考えられている。その精神病理の基本骨格は解離性同一性障害である。虐待の中でそれに適応する為に作り上げた二重の自己がその後の精神的不安定、脆弱性を導いている。

虐待する両親を正当化するための自己を“悪い子”とし、その一方で両親の歓心を買おうと表面上は“良い子”を演じる二重人格が生まれる。この二重構造が人格解離の基本であり、その結果として生ずる同一性障害が、不安定な対人関係、衝動性、自傷行為、抑鬱、薬物嗜癖、アルコール依存症と実に多彩な症状を導き出す。

では太宰がどのような人物であったのか。その参考になるいくつかの記述がある。壇一雄は角川文庫「人間失格」の解説「太宰治-人と文学」のなかで太宰の人となりを表現している箇所がある。太宰自身も小説の中で主人公を表現することにより、自己分析している箇所が「津軽」と「人間失格」の中にある。それぞれ異なった角度から太宰の内面を異なった言葉で表しており、太宰を理解する上で大変参考になる。

心持猫背の、その痩身が歩み過ぎる後ろ姿には、やるせない憂悶があった。けれども酒は豪酒であり、酔えば、屈託なくおどけ、いや、津軽土着の、野太い諧謔があった。棟方志功氏などとも、まったく共通な津軽人の剽軽である。剽軽と云って言い足りないとしたら、剽重とでも呼べそうな、土着の快活である。太宰がメソメソと泣いてばかり居たとでも思い込まれたら残念だから、云っておくが、太宰は野性的で、野暮で、逞しい一面をたしかに持っていた。
            壇一雄、角川文庫「人間失格」より

私はたけの、そのやうに強くて不遠慮な愛情のあらはし方に接して、ああ、私は、たけに似てゐるのだと思つた。きやうだい中で、私ひとり、粗野で、がらつぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だつたといふ事に気附いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはつきり知らされた。私は断じて、上品な育ちの男ではない。だうりで、金持ちの子供らしくないところがあつた。
                     「津軽」より

自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
                   「人間失格」より

 被虐待児としての太宰は、両親から愛されなかった心的外傷から、自己を肯定できず、嫌悪感すら伴う自己否定と、その低められた自己をよく見せようとする自己が葛藤し、その二者を合理的に統合できなくなっていたと考えられる。多くの被虐待児の常として、低められた自己像が不変部分となり、成人して虐待が終わってもからも、低められた自己規定が続き、自己像は解離することになる。

太宰の場合、彼が演じる道化は真の自己ではなくニセの自己と感じる結果、剽軽さで人を楽しませたり、社会的に作家として成功を収めても常に自己の達成感を得ることができなくなっていた。壇一雄はメソメソした太宰はいない、即ち同一性障害はないと言っているが、太宰自身は「津軽」、「人間失格」のなかで同一性障害に苦しんでいることを、道化という行動から語っている。極端に低くしか評価できない自己を、周囲の歓心を引く為に道化で、人を笑わせることにより、辛うじて自己の存在感を表現し確認していると自己分析している。

小児期は両親、使用人の歓心を買う為の道化であり、成人してからは世間からの歓心を引く為に道化を演じ、笑いを取ることで自己の立ち位置を、確認していたのである。太宰の笑いの形は自虐的なものが多い。

「かちかち山」では自らを模したと見られる、好色な中年の狸が残酷な処女のウサギに、なぶるように殺される様を描いている。「お伽草子」の内容はこのような自虐的な諧謔が多い。この自虐性の中に太宰の自己像の脆弱性を見ることができる。

「二十世紀の旗手」では「生まれて、すみません」と書いている。まさに自己像の脆弱性から来る、自己否定そのものである。彼の作品の多くは、この自己の脆弱性と、世間の評価に対する意識の過剰感が見られる。その解離した自己像の軋轢が、彼の作品の底流であり、実生活での奇矯な行動の原点となっている。

21才の時、行きずりのカフェの女給、田辺あつみと鎌倉で薬物心中をはかるが、女のみ死亡し、自分は助かった。26才でパビナール中毒、その翌年に東京武蔵野病院に薬物中毒治療のため入院と、はた目からは理解しがたい、破滅的な事件が続く。39才で「人間失格」」を書き、この間の事情を克明に書いている。

心中に関しては、まず相手の女性を貧乏臭い女と表現している。女の身の上話を聞き

「自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い水底の岩に落ち着く枯葉のように我が身からの不安からも離れることができた」

と述べている。それは太宰が自分と同じ心の傷を感じた瞬間であり、またその女に赤い糸と、愛情を感じた瞬間でもあったのだろう。小説の中では次のような記述になっている。

女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。

 けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来ていなかったのです。どこかに「遊び」がひそんでいました。
 その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。喫茶店にはいり、牛乳を飲みました。

「あなた、払うて置いて」

 自分は立って、袂からがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥よりも凄惨の思いに襲われ、たちまち脳裡に浮ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には自分のいま着て歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。

 自分がまごついているので、女も立って、自分のがま口をのぞいて、

「あら、たったそれだけ?」

 無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。それだけも、これだけもない、銅銭三枚は、どだいお金でありません。それは、自分が未だかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。とても生きておられない屈辱でした。所詮その頃の自分は、まだお金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として決意したのです。
                    「人間失格」より

太宰が心中事件を起こした時もこれとほぼ同じ状況であった。左翼運動、大学の長期欠席を理由に実家から送金を止められ、実生活も経済的に逼迫していた。この部分は太宰が心中を決意した時の心境を過不足なく書いていると考えられる。しかし当然こんな理由で、人は本当に自殺できるのかとの疑問が起こり、理解不能とする人がほとんどであり、さらにこれが死を気軽に玩ぶ太宰を生理的に嫌う大きな理由になっている。

しかしこの衝動性こそが境界性人格障害の病理であり、一般人との終始埋められない溝なのである。

山崎富栄との玉川上水入水に関してもほぼ同じ状況、同じ心境であったと推測される。しかし過去あまりにも多くの自殺未遂を繰り返したことから、様々な憶測を呼び、山崎富枝の無理心中説まで取りざたされ、現在に至っている。しかし精神的に追いつめられた人間の判断理由を世間の一般常識で理解することは不可能と言える。追いつめられるまでの経過を理解しなければならない。

自殺を決意した背景は境界性人格障害であり、その直接要因は「人間失格」の執筆と考えられる。執筆の過程で小児期から連なる心的外傷が不用意に呼び起こされ、そのトラウマの記憶と一緒に格納されていた、悲しみ、苦しみ、恐怖がパンドラの匣を開けたように飛び出してきたのだろう。慢性的な精神障害であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)が、突如急性精神障害である、パニック障害になってしまったことは容易に想像できる。世間と不安定な自己像との激しい同一性障害を、もはや薬物やアルコールでは抑えきれなくなったのであろう。

では何故太宰が長い間、おそらくは無意識に封印していたパンドラの匣をあけてしまったのだろうか。私は徐々に精神的に追いつめられた太宰が、衝動的に過去の全てをぶちまけたくなったのではないかと考えている。その衝動性こそが彼の人格障害の症状であり、その衝動は必然であったと思われる。

 太宰への高い評価は「津軽」、「富嶽百景」、「走れメロス」で表現されている人間に対する、特に弱者にたいする優しさであり、「お伽草子」にみるユーモアであるとするものが多い。しかし現在に至るまで最も読まれているのは「人間失格」であり、この作品を読んで救われたと感ずる人が多い。このことは虐待による同一性障害に悩む人が現在でも多いことを物語っている。

みずから選んだ作品集「晩年」の最初に収められた「葉」の冒頭に

「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」

と言うヴェルレーヌの一節が引用されている。解離性同一性障害を、うまく表現している。太宰が自分と同じ心の闇をこの一節に見いだしたのであろう。ヴェルレーヌもやはりデカダンスの教祖と言われていた。

解離性同一性障害に悩む人は国境、時代を超えて多いことを改めて感じる。フランソワ・ヴィヨンもその一人である。彼は幼少期を不幸な境遇で過した。詩人としての社会的評価は高いにも拘らずその生涯は、無頼、放浪、犯罪に終始している。「ヴィヨンの妻」の題名の由来は、太宰が彼に共感したことからきたのであろう。

小児期におけるネグレクトの大きな特徴は無償の愛を受けられなかったことにある。愛があってもそれは常に条件付きの愛である。その条件は親の気まぐれで大きく変動するか、または社会規範から大きく外れることが多い。常にその条件を意識し、それに合わせようとすることは途方もない生命エネルギーの浪費であり、達成感を真に感じることは不可能に近く、その結果精神を荒廃させることになる。成人し社会的な地位が確立しても精神の不安定感、自己像の脆弱性に悩むことになる。

そこに救いはあるのだろうか。救いがあるとすれば小児期に得られなかった、条件付きでない無償の愛を受けることしかないのである。「ヴィヨンの妻」は

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

との妻の台詞で終わっている。これこそが無償の愛そのものである。「走れメロス」のテーマもこの無償の愛にほかならない。この二つの作品は、設定、登場人物こそ違え、語っている内容は同じなのだとわかる。「走れメロス」を書いた作家と「ヴィヨンの妻」を書いた作家が同じであるとは考えられないとする意見は少なくないが、こうして内容を分析してくると、まさに同一人物が書いた作品であると理解できる。この二つの作品は太宰が描いたメルヘンの第一章と、第二章とさえ私には思える。「人間失格」の最後は次のように終わっている。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、…………神様みたいないい子でした」
                   「人間失格」より

喫茶店のマダムに語らせたこの言葉に太宰は救いを求めたのである。しかし実際にこの言葉を語りかけたのは世間ではなく、山崎富栄であったことが彼の悲劇なのであろう。
http://www.igarashishounika.com/eceniarareruasen.html


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3) 太宰治は発達性障害?

ADHD(Attention Deficit Hyperactive Disorderは多動性、注意障害、興奮性、衝動性の4領域で症状が出現する発達性障害である。しかし、必ずしもこの4つの症状すべてが揃うとは限らない。症状は幼児期から出現するが、症状の現れ方は年齢とともに変化し、大人になっても持続することが特徴である。

哀しみの人・太宰治 富永國比古

弱さの気品


今年は太宰治生誕100年に当たる。ドナルド・キ‐ン氏は、太宰文学を、「現代という歴史的時代全体の遺産として後世に残るであろう」といって絶賛している。なぜ、そのように高く評価されているのか。それは、太宰の文学が一貫して、『われわれは、愛しうるか』という、人間にとって根本的な問題を提起しているからであろうと思う。

私が親しくしていただいた文芸評論家で、菊田義孝という人物がいる。太宰の弟子で、太宰に関する多くの著作を残している。氏は、私に、「太宰文学には<弱さの気品>というものがある」とよく語っていた。<弱さの気品>とは何か。それは、菊田氏と太宰がはじめて出会った時に語られた、次の言葉に暗示されている。

「天国って、どんなところでしょうかね、かなり酔ってきたとき、私(菊田)が(太宰に)聞くと、<天国というのはね、ケシ粒のごとく小さな、か弱い人間でも、絶対に誰からも踏みにじられたりすることのないところ、そういうところだと、僕は思うね>と彼は答えた」。


機能不全家族、アダルトチルドレン

多くの太宰治論は、太宰が生家に対して抱いていた複雑なコンプレックスが、作品に大きな影響与えたと解説している。また、太宰が、自殺未遂、薬物依存など、波乱万丈の人生を歩んだ理由を、「境界性人格障害」あるいは、「自己愛性人格障害」のため、と決め付けている精神科医も多い。しかし、太宰の作品や、伝記を読むと、問題はそう単純ではなさそうである。

児童精神医学の星野仁彦教授(福島学院大学)によれば、人間の引きおこすさまざまな問題や現代の社会病理の背景には、「発達障害」と「機能不全家族」が深く関わっているという。

機能不全家族(dysfunctional family)とは、家族の成員それぞれの役割が健全に機能していない家族のことを言う。このような家庭に育った子は、幼い頃から家庭内の緊張を敏感に感じとり、「いい子」になることで存在を認めてもらおうとして、涙ぐましい努力を重ねる。彼らは人生の初期の段階から多くの苦悩を背負わされており、成長してからも、自らの心のなかに、「悲しんでいる子供」を抱えながら生きている。

彼らは、一般的にアダルト・チルドレン(AC)と称されているが、自己評価が低く、共感力(状況察知能力)に欠けた人間になりやすく、大人になっても健全な人間関係を築くことができず、社会生活に支障をきたすことになる。ACの人たちは、「生きにくさ」から脱出するために、生涯を通して苦しまなければならないこともあり、しばしば、破滅的な人生となる場合が多い。

「機能不全家族」とその結果としてのACを生み出す要因としては、両親の不和、家庭内暴力、アルコール依存、離婚、再婚、自殺、親からの虐待(性的な虐待も含む)、無視(ネグレクト)などが挙げられるであろう。また、「機能不全的家族」においては、親の虐待、アルコ−ル依存症などが、次の世代にも継承され、再現されて行くという現象が見られる(世代間連鎖)。

太宰が生まれ育った津島家は、母たねの病弱による育児放棄が、「機能不全家族」を構成する一つの要素であったと思われる、たね自身、虚弱体質であったために、実母から酷い仕打ちを受けたと言われているが、太宰に対する育児放棄(ネグレクト)は、一種の世代間連鎖とも言えるかもしれない。しかし、一方で、たねは、太宰の中学・高校時代には、ほとんど毎週のように食料などを送ったというし、太宰の身辺に事が起きると、普通の親子以上の深い愛情を注いだ」と伝えられている。 

また、太宰は兄弟中でもとりわけ聡明だったため、父から可愛がられていた、という証言もある。長兄文治氏は、「父は、修治、修治といって可愛がっておりました」という言葉を残している。

さらに、太宰の傍には母がわりに愛してくれた叔母きえ、越野たけ、などの存在があった。彼らは、実の親にも勝るとも劣らぬ愛情を、惜しみなく注いでくれた。この点は、もっとポジテイブに評価してよいのではなかろうか。

太宰が自ら「機能不全家族に育った」という思いを抱いていたことは「真実」であるが、太宰の苦悩がすべて「機能不全家族」の問題から来ていると、単純には言い切れないいであろうと私は考える。われわれは、太宰の苦悩の由来を、さらに探求しなければならない。

トラウマ---体罰と性的虐待

太宰の伝記で、見逃されている、あるいは軽視されている事実がある。それは、太宰が「生意気だ」という理由で、繰り返し教師から体罰を受けていた事実である。 たとえば、「津軽」のなかで、太宰は次のように回想している。

「私は入学式の日から、或る体操の教師にぶたれた。私が生意気だといふのであつた。この教師は入学試験のとき私の口答試問の係りであつたが、お父さんがなくなつてよく勉強もできなかつたらう、と私に情ふかい言葉をかけて呉れ、私もうなだれて見せたその人であつただけに、私のこころはいつそう傷つけられた。そののちも私は色んな教師にぶたれた。にやにやしてゐるとか、あくびをしたとか、さまざまな理由から罰せられた。」

体罰は、子どもの心の中に強い怒りや復讐心を生み出し、自尊心や自己肯定感を損なってしまう。また、対人恐怖、人間不信、心因性の身体症状などなどを引き起こす。体罰は目撃するだけでPTSDになる場合もあり、想像以上の影響を与えるようである。今日、子供への虐待がますます深刻になりつつあるが、このような現代的な問題が、太宰文学においてすでに先取りされているという事実は、驚くべきことである。体罰を受けたことが、彼の人格形成に深い陰影を残していることは間違いないと思われる。

そして、体罰にもまして、幼少期の太宰を襲った深刻な危機は、性的な虐待を受けたことであった。

太宰の基本的な性格は、小堀杏奴氏が強調しているように、「誠実さ」であったが、そのような人物が、なぜ、世の顰蹙をかうような女性問題を次々に起こしていったのか?

それは、太宰が小児期に、実にひどい性的虐待を受けていたことと無関係ではないのである。太宰が受けた性的な虐待は、「思い出」や「人間失格」に、その痕跡が残されている。以下、数箇所引用しておきたい。


「8歳のころ、14,5歳の子守から、裏の草原で抱かれて「息苦しいこと」を教えられた」。

「その頃、既に自分は、女中から、哀しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。」


このようなレイプトラウマは、いつの時代でも深刻な後遺症をもたらす。臨床の現場における被害者の言葉に耳を傾けてみたい。

「小学4年生の時にレイプにあって以来、自分のことをずっとひびの入った食器だと思っていました。中学生のころからは、こんな傷物は割ってしまうしかないという考えに取りつかれ、左手首と前腕を切り刻みました。高校生になると行きずりのセックスばかりしていました。どうやっても、淋しさは埋められません。

ある研究によれば、幼少期に性的虐待を受けた女性はそうでない女性に比べて、その後の人生において性的攻撃の犠牲者になりやすいという<revictimization、再犠牲化>。実際に、幼少期に性的なトラウマ受けた人が、その後、何回もレイプ被害者になったり、自暴自棄になって風俗嬢になってしまったり、自己破壊的、自傷的性行動に走ってしまうことがある。恋愛依存症あるいはセックス依存症、自殺企図などを発症するリスクも高い。これらは、性的トラウマを受けた人々に見られる<再犠牲化>と言っても良いであろう。

太宰の周辺には、さまざまな魅力的な女性たちが集まってきたが、正妻の美知子夫人を除いて、皆、心ならずも太宰の過去の性的トラウマの<再犠牲化>に手を貸してしまったことにはならないだろうか。

 太宰は人生の早い時期に、繰り返し体罰や性的虐待をうけてきた。彼は、暴力教師や小児性愛者(pedophile)の犠牲者であった。このような伝記的に重大な視点が、今日までの多くの太宰論で見逃されてきた。

なぜか?

彼が男性だったので、小児期に受けたトラウマなど、さほど重要視されなかったのかも知れない。しかし、私は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の先駆的研究者、ジュディス・L・ハーマンの本を読んでから、それが大きな誤りであることを教えられた。性的虐待被害者の自己崩壊の様子を、ハーマンは次のように叙述している。

「外傷を受けた人々はただもう見捨てられ、ただもう孤独であり、生命を支えるケアと庇護の人間と神とのシステムの外に放り出されたと思う。恐怖状況においては人々は自ずと慰藉と庇護の最初の源泉であったものを呼び求める-----
母を求め、神を求めて泣き叫ぶ。この叫びに応答がなかった時に基本的信頼感は粉々に砕ける。---
ケアをしてくれる人たちとの安全な結合感覚が人格発達の基盤であるが、この結合が粉砕された時、外傷を受けた人は、基本的自己感覚を喪失する。遥かな過去に解消していた幼年期と青年期との発達途上の葛藤がにわかに再び口を開ける」。


これこそ、太宰治を生涯にわたって苦しめた「原体験」だったのではないだろうか。小児期に受けたトラウマによって、太宰は、しばしば、抑うつ、孤独感、自殺念慮、低自尊心(low self-esteem)、無価値感、絶望感、睡眠障害、攻撃性に悩まされている。

星野教授は、

「ADHD者は大脳の前頭葉・尾状核や辺縁系などに機能障害を有するために、トラウマに対して耐性(抵抗力)が弱く傷つきやすい」

と言う。太宰の伝記からも読み取れるように、小児への性的虐待が,心と身体に生涯にわたる深い傷をもたらすという事実は、人間の性(human sexuality)が人格の中枢部に位置していることを暗示している。このことは、いくら強調してもし過ぎることはない。

発達障害---多動気味だった幼小児期の太宰治

太宰の生涯が悲劇性を帯びているのは、以下に述べるように、彼がADHDという発達障害を持っていたためである。そして、それが周囲の人間に理解されなかったためである。

太宰の幼小児期の記録を見ると、彼が活発な子供であったことが分かる。また、その活発さは、けた外れたものだった。太宰が高等小学校一年(13歳)の時に書いた「僕の幼時」という作文のなかで、自らこう書いている。

「実は手もあてられない程のワンパク者であったのだ。一番僕にいづめられたのは末の姉様で、ある時は折れたものほし竿で姉を追って歩いたり、きたないわらじで姉の頬をぶったり、頭髪をはさみでちょきんとひとつかみ位切って見たりした。」。

また、幼児期の太宰の世話をした越野たけ氏の話によると、太宰はじっとしているのが苦手だったようである。

「3,4歳の頃は御飯を食べる時最初は飯台に坐ってたべるが、一パイ位たべると立って階段に腰かけたり、縁側の踏台にあがって食べさせてもらうやら、一ヶ所に落ちついて食べることなく何度も場所替してたべるくせがありました」。

これらの事実は、幼児期の太宰にADHDの特徴である多動性(hyperactivity)があったことを示す決定的な記録である。太宰は、昭和5年に東京帝国大学に入学するが、在学中、転々と住居を変えている(15回を越えると思われる)。住居や職を転々と変えることは、ADHD(注意欠陥多動性障害)の特徴の一つである。また、長兄の文治氏が、太宰の死後発見した遺品の中学時代の教科書について、

「どのペ−ジを開いてもイタズラがきだらけなんです。ペンで先生の顔やら、兄弟の顔らしき似顔絵やらが、各ペ−ジにぎっしり描かれているのです—あれでは、先生の講義も満足には聞いていなかったんでしょう。」

授業中に、先生の講義に集中できず、フアンタジ−の世界に遊ぶ、といったADHD(不注意型)特性は、黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」にも描かれているが、これも、太宰がADHDであったことを示す根拠の一つとなるであろう。ADHDには多動型と不注意型がミックスした、「混合型」というタイプがあり、太宰の場合は、これに当てはまる。

太宰生誕100年記念の「太宰治と美術」展が、青森県立美術館で開催されているが、先に述べた太宰のいたずら書きの教科書が公開されている。ほとんどすべて、彼の横顔を描いた自画像で、彼の「自己」に対する強い「こだわり」が見てとれる。興味のないことには、一向に関心を示さないが、興味を引くことに対しては、過度の「こだわり」と集中を示す、というADHD特性の片鱗をのぞかせている。

さらに、太宰は、小学校低学年ですでに、不眠症に悩んでいた。

「私は小學三四年のころから不眠症にかかつて、夜の二時になつても三時になつても眠れないで、よく寢床のなかで泣いた。」

これは、ADHDやアスペルガ−症候群の子供に共通する特徴で、彼らは、かなり早期から、慢性的な睡眠障害(眠りが浅い)を持っていることが多い。また、相馬正一は、幼少時から高校時代に認められた、太宰の「嘘言癖」について言及しているが、これも、詐欺とか犯罪性のあるようなものではなく、おそらく、空想の世界にスリップしてしまうADHD的特性に由来するものであろう。最近、フロリダ州率大学のテイラ−教授は、ADHDの13%に「「嘘言癖」を含む「行為障害」が認められる、と報告している。

太宰治はアダルトADHDだった

ADHD(Attention Deficit Hyperactive Disorderは多動性、注意障害、興奮性、衝動性の4領域で症状が出現する発達性障害である。しかし、必ずしもこの4つの症状すべてが揃うとは限らない。症状は幼児期から出現するが、症状の現れ方は年齢とともに変化し、大人になっても持続することが特徴である。過去三十年間、多くの研究者の追跡調査によって、ADHDは、小児期のみならず、思春期、青年期になっても、成人してからも持続する場合があり、小児期にADHDの既往をもつ成人の31%から66%が、成人しても依然としてADHDの症状を有していることが分かった。

成人期の太宰にその兆候はなかったであろうか。実は、それを示唆する証拠が、太宰の伝記や回想録などに、数多く残されているのである。


KY(空気よめない)の太宰---すき焼きのエピソ−ド

「井伏君がこの太宰君を僕の家につれて来た。井伏君は太宰という名前を言わなかったようだし、言っても私の記憶に残らなかったかも知れないが、『思い出』の作者だと言わなかったのは確実である。若しそう言ったら、私はもっと明確に思い出して、その作品の話をした筈だろうから。

それより何より驚ろいたのは、この無名の青年の礼儀知らずである。

たまたま夕飯時で、スキ焼を出したところが、この青年は黙りこくったまま、一人で牛肉だけを拾って食うのである。もとより豊富な分量の肉が入っているわけでは無く、それをカバーするつもりもあつて、多量のネギや白タキが入っているのである。人は肉鍋に向うとき、一片の肉を食べたら、次はネギなり白タキに箸をつけて、その間にゆとりをつくって、相客が肉を拾う余裕を与えてやるのが普通のようである。それだのに、この新参者はネギや白タキは殆んどかえりみない。そばで給仕していた妻が見かねて、下の方から肉を引きずり出して、「どうぞ井伏さん、お肉も‥‥」と言っても、井伏君がぐずぐずしている間に平気で取ってしまう。

だいたい、僕はかういう態度はとくべつ耐えられない方だが、この時は別に腹もたたなかったのは不思議である。これはその後彼と深く知るようになって分ったのだが、あのおおらかな、真正直なところが出ていたのかも知れない。腹はたたなかったが、困っただけだった。

このエピソ−ドは、まさに、KY(空気読めない)の典型例のようだが、ここから読みとられるのは、「過集中とこだわり傾向」である。肉を食べたい、という自分の興味・関心のあることに過度に集中したため、周りの様子が見えなくなってしまったのである。太宰は、決して肉を独り占めしようなどという意図はなかった。

ADHD者は基本的に自分のことで精一杯であり、相手のことまで考える余裕がない。そのため、決して悪意をもっているわけではないのに、傍らからみていると自己中心的であり、自分のことしか考えられない人と誤解される。「社会的認知の欠如」である。

このエピソ−ドに見られるように、アダルトADHD者は、刻々変化する「状況」における自分自身の「立ち位置」を正確に認識することが不得手であるため、人から顰蹙をかったり、いじめられたり、無視されたりすることが多くなる。一般的には、長年の間失敗体験や挫折体験が続き、職場や家庭で低い評価を受け続けると、それに伴って自己評価や自尊心が低くなって来る。しかし、太宰の場合、誰もが一目をおく、類まれな優れた文学的才能の故に、このような問題がマスクされていたのではないか、と思われる。

夫人の津島美知子氏は「回想の太宰治」で、以下のようなエピソ−ドを紹介している。

「伊東の旅行のときは、一度きめて入った宿なのに、気に入らずに出て、別の旅館に行ったり、帰りに寄った横浜の中華街では、安くてうまい店を探してさんざん歩きまわり結局つまらない店に当たったりして、・・宿屋の選定、交渉などは全く駄目な人であった。」

このエピソ−ドは、アダルトADHD者にしばしば見られる、

1)物事の決定を先延ばしする傾向、
2)優先順位が決められないので優柔不断に見える、
3)交渉ごとや、家事などの課題を遂行できず、途中で投げ出してしまう、

などの特徴を示しているように思われる。太宰は飲食以外にお金を使うこと、ことに家財道具類など買うことが大きらいでラジオもなかったという。太宰は、自分が興味の無いことに関しては、全く無頓着だったようだ。これも、ADHD者の特徴である。

太宰の文学誌の同人・久保喬は、

「太宰は論理的にこまかく話したりはしない。いつも短い直感的なことばだけで、断片的な話し方をする。だが、それが鋭く核心を射た話になる」という。彼は、類まれな直観力、洞察力を持った人であった。

天才的な科学者であったニュ−トン、アインシュタイン、音楽家のベ−ト−ベンやモツアルトなど、歴史的なアダルトADHD者とされている偉人たちに共通するものは、特定の物事に対する強い関心(こだわり)と集中力、深い洞察などである。これらは、いずれも、優れた科学者や宗教家、芸術家にとって不可欠の要素で、文学を志した太宰にも、そのような天賦の才能が与えられていた。しかし、それが、日常の生活のレベルでは、たちまち悩ましい困った性格として、人の目に映ずるようになる。ADHD者は、ある特定のことには抜きん出ている半面、人間関係などは、極端に不器用なことが多い。太宰も例外ではなかった。

久保喬も、そういう太宰の一面に、辟易していた様である。久保の証言によれば、

「荻窪の屋台のおでん屋で遊び人風の男と喧嘩の時も荒れて呶鳴り合い、中野のバーでは美人のマダムの態度に怒ってコップを盆ごと叩き落し金をほうって店を飛び出したりした。」

と言う。また、酒を飲んで中原中也を殴ったことは有名である。これらのエピソ−ドは、感情のセルフコントロールが苦手で、短気でキレやすく、人の話を最後まで聞けない(人の話の腰を折る)など、大人のADHDに見られる特徴を明らかに示している。ADHDの症状は、発達段階によって異なり、大人では、子どものADHDの特徴である「多動」が後退し、「不注意」と「衝動性」が前景に出てくる。太宰においても、「衝動性」あるいは、「自閉症的暴力性」が、残っていたようである。


クロス・アデイクション----アルコ−ル依存、ニコチン依存、薬物依存、恋愛依存

著名人を精神医学的に分析する学問を病跡学(pathography)と言うが、今日の日本精神医学の成果を集大成したテキストによれば、太宰治は「境界性人格障害」であった、という見解が定説になっている。果たして太宰治は境界性人格障害者であったのだろうか。

境界性人格障害者は、過去に虐待歴がある人に多いと言われている。特徴としては、


慢性的な空虚感があり、
自分は何者なのか、というアイデンティティが欠如しており、
「見捨てられ不安」が強く、他者を過大に評価し理想視(理想化)していたかと思うと、急にこきおろす(脱価値化)。
人を自分の思うままに操ろうとし(相手が自分を見捨てないかを試すため)、自分の不安定な感情(キレやすい、数時間から数日単位で気分がコロコロと変わる)の嵐に周囲を巻き込んでしまう。
暴言や暴力、破壊行為、自殺未遂を繰り返し(行動化--アクティングアウト)起こして、自分ヘの注目や関心を集めたがる。
他人の欺瞞を鋭く見抜く一方、虚言が多い。
退学や転職、転居を繰り返す。
依存症になりやすい(薬物、アルコール、セックス)。
他人の批判や拒絶に対して過敏に反応し、すぐ落ち込む。
共依存できる相手を敏感に察知しやすい----


ここまで来ると、まさに太宰の生涯を描写しているように見えるが、不思議なことに、太宰の身近にいた人たちの証言からは、「境界性人格障害」者としての太宰像が浮かんでこないのである。私は、戦前から戦中、戦後にかけて太宰に師事した文芸評論家・菊田義孝氏に親しくしていただいた。菊田氏から直接聴いた等身大の太宰治は、私が、臨床の場で出会った「境界性人格障害」の症例とは、著しく異なったイメ−ジがする。

太宰の最も近くに居た美知子夫人をはじめ、太宰の周辺に居た人たち(多くは文学に携わっていて、感受性も鋭い人が多かった)の誰一人として、「境界性人格障害」者としての印象を書き残している者が居ない、という事実は特筆しておきたい。「境界性人格障害」という定説が、今日なお受け入れられている背景には、一人の人物を幼少期から成人にいたるまで、プロスペクテイブに観察し考察しようとする方法論の欠如にあると思われる。

太宰に見られる、数々の依存症の由来も、「境界性人格障害」ではなく、他に求めるのが妥当ではないかと思う。星野仁彦教授は、さまざまな依存症のルーツが、思春期以前に遡ることが出来ると主張している。そして、依存症の大きな危険因子は、AC,とADHDであるという。わが国では、大人のADHDに関しては、今まで、その存在がほとんど知られていなかったが、星野教授ら児童青年精神医学の専門家たちによって、ようやく世に知られるようになってきた。

太宰の生涯を横断的(cross-sectional)ではなく、前方視的(prospective)にみた場合、太宰に見られる数々の依存症の由来を、ACとADHDに帰するのが妥当であろうと思う。一つの依存症を持っている人は、他の依存症にもなりやすいという事実がある(クロスアデイクション)。太宰の場合、アルコ−ル依存、ニコチン依存、薬物依存、恋愛依存があったことは、伝記的にも明らかである。また、最晩年に、愛人の山崎富栄に、頻繁にビタミンBの注射をさせていたということも、一種のアデイクションであったと思う。


聖なるものを求めた太宰文学

司馬遼太郎は「太宰は聖なるものを求めた作家」だと言った。これは、太宰文学に対する、もっとも正当な評価のひとつであろうと思う。太宰は自死する直前まで「如是我聞」を執筆(口述筆記)していたとされるが、そのなかで、

「私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスといふ人の、『己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ』といふ難題一つにかかつてゐると言つてもいいのである」

と語っている。日本の近代文学者のなかで、太宰ほど真剣に「聖書」を読んだ人はいない。「内村鑑三随筆集」との決定的な出会いを通して、彼は、聖書の世界に深く分け入って行った。その後、長期にわたって内村の弟子塚本虎二の「聖書知識」を購読していた。塚本の影響は、太宰の作品の随所に見られる。

ところが、太宰は、「自己を愛すること」、「隣人を愛すること」を深く考えて行くうちに、迷路にはまり込んでしまったように思われる。太宰においては、「自己」と「他者」、そして、「自己」と「他者」の関係に関する理解の仕方において、我々の窺い知れぬ独特の認知様式があったのではないかと思う。アスペルガ−症候群的傾向も、太宰には確かにあったと言ってよい。太宰は弟子の堤重久に次のように言ったという。

「おれはね、かつて一度も、人を愛したことがないんだね。唯の一人も、愛していないんだ。もともと、おれには、愛する能力が欠けているんだね。そのことを考えて、恐怖の想いに撃たれて、寝られないことがあるんだ」。

また、太宰家の近くに住んで、太宰と交流のあった画家・冨岡厚佑氏は、

「太宰にとって愛すべきものは自分だけであって、一緒に死んだ山崎富栄も、太田静子、小山初代も、恐らく誰をも最後まで愛するということはなかったのだ」
と言っている。私は、ここに太宰治の、深い哀しみを見る。しかし、また、これほどまでに、深く「愛」について探求した文学者は稀なのではなかろうか。
http://www.lomalinda-jp.com/blog/2010/02/000008.html


           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
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5. 太宰治「津軽」


太宰治「津軽」(朗読:wis)―名作名文ハイライト
http://www.youtube.com/watch?v=R1i24TKD9DQ

知の回廊 第18回『心の王者 − 太宰治の『津軽』を歩く 』
http://www.youtube.com/watch?v=yu5UD9MTCcY
http://www.youtube.com/watch?v=ozXCLnYeVfo

太宰治「津軽」を歩く。 竜飛へ.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=etnMggz7xAo

【ズバリ!文化批評】太宰治「津軽」、故郷への思い[桜H22/2/19]
http://www.youtube.com/watch?v=xjVSDOxi6JA

『ぜひとも、逢ってみたいひとがいた。私はその人を、自分の母だと思っていたのだ。三十年近くも逢わないでいるのだが、私は、その人の顔を忘れない。私の一生は、その人に依って確定されたといっていいかもしれない。小泊の越野たけ。ただそれだけをたよりに、私はたずねて行くのである……。』

 太宰には母がいたが病身だったため、3歳から8歳まで子守りのたけに育てられた。しかし、太宰が8歳の時、たけは小泊へ嫁いでゆく。太宰は何日も泣き続け、幼心にたけと別れた苦しさはずっと忘れなかったという。
 そんな太宰はこの旅の最後にここ小泊へやってきた。 太宰はそこでたけと30年ぶりに再会した。
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/nishimura/tugaru002/tugaru00208.htm


新樹の言葉  太宰治

私は生れ落ちるとすぐ、乳母にあずけられた。理由は、よくわからない。母のからだが、弱かったからであろうか。乳母の名は、タケといった。津軽半島の漁村の出である。未(ま)だ若い様(よう)であった。

この乳母は、終始、私を頑強に支持した。世界で一ばん偉いひとにならなければ、いけないと、そう言って教えた。タケは、私の教育に専念していた。私が、五歳、六歳になって、ほかの女中に甘えたりすると、まじめに心配して、あの女中は善い、あの女中は悪い、なぜ善いかというと、なぜ悪いかというと、と、いちいち私に大人の道徳を、きちんと坐って教えてくれたのを、私は、未(いま)だに忘れずに居る。

いろいろの本を読んで聞かせて、片時も、私を手放さなかった。六歳、のころと思う。タケは私を、村の小学校に連れていって、たしか三年級の教室の、うしろにひとつ空(あ)いていた机に坐らせ、授業を受けさせた。読方(よみかた)は、できた。なんでもなく、できた。けれども、算術の時間になって、私は泣いた。ちっとも、なんにも、できないのである。タケも、残念であったにちがいない。私は、そのときは、タケに間(ま)がわるくて、ことにも大袈裟(おおげさ)に泣いたのである。

私は、タケを母だと思っていた。ほんとうの母を、ああ、このひとが母なのか、とはじめて知ったのは、それからずっと、あとのことである。一夜、タケがいなくなった。夢見ごこちで覚えている。唇が、ひやと冷く、目をさますと、タケが、枕もとに、しゃんと坐っていた。ランプは、ほの暗く、けれどもタケは、光るように美しく白く着飾って、まるでよそのひとのように冷く坐っていた。

「起きないか。」小声で、そう言った。

 私は起きたいと努力してみたが、眠くて、どうにも、だめなのである。タケは、そっと立って部屋を出ていった。翌(あく)る朝、起きてみて、タケが家にいなくなっているのを知って、タケいない、タケいない、とずいぶん苦しく泣きころげた。子供心ながらも、ずたずた断腸の思いであったのである。あのとき、タケの言葉のままに起きてやったら、どんなことがあったか、それを思うと、いまでも私は、悲しく、くやしい。

タケは、遠い、他国に嫁いだ。そのことは、ずっと、あとで聞いた。 それきり、タケを見ない。
http://iaozora.net/ReadTxt?filename=shinjuno_kotoba.txt&card_id=2270&person_id=35&from=10173&guid=ON


            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
          ,. ‐             ヽ
         ,.‐´               \
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      | | |   ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!.   ' {::::::;、! 〉iー | | |
      | |i. |  !; 〈 !:::::::c!     'ー''(つ }i | i.| |
      | ! | |  ;: (つ`''"    、  //// /;:i | | !. |
       | i,  i. 、////      '     /,ノi,   i. |
       ! .|  | i 、,ゝ、     、─,    /   i |  |. i ぼっちゃんが喜んでくれるなら
       .! |  i |. | lヽ、      ̄   /  l  | i  | ! どんな事でもするわ
       ! |  i |i |l l| |`''‐ 、   , イ  |i | |i | i  |. !
       | |  i |i |i .| ノ    ` ''"  ヽ/l| l__,.、-|l l  ! i、
     ,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l '           ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
      /       ! l l ̄ `     、_        | /ノi i.!  |
     ,'          ! |              ,|/ |/i'   |
    i         ` l             .ノ  ノ ' ヽ、 |
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回答者:sa-wa回答日時:2003/10/03 22:36

大叔父が旧制高校で太宰治と同級生でした。彼のことは無口で他の人と親しまない人だったと言っています。要するに仲が悪かったようです。
 ただ、その弟が太宰治の従妹と結婚しています。乳母を連れてお輿入れしたのですが、若くして亡くなりました。ただ乳母は一生奉公なので、自分が付いてきたお嬢様が亡くなっても婚家を出て行きません。大叔父は後妻に先妻の妹(つまりこれまた太宰治の従妹)をもらいました。結婚するまで、乳母とさらに自分専用の女中二人と暮らしていたそうです。

この大叔母というのが、自分で買い物をしたり、暗くなったから電灯をつけるとかいたしません。他の人がするものと思っています。 たぶん太宰治も小さい頃そのように育てられたのではないか・・・と推測しています。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/642534.html

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「かういふ私の性格が私を文学に志さしめた動機となつたと云へるでせう。育つた家庭とか肉親とか或ひは故郷といふ概念、さういふものがひどく抜き難く根ざしてゐるやうな気がします。」(「わが半生を語る」)

 太宰治は、一九〇九(明治四十二)年六月十九日青森県北津軽郡金木村(現・金木町)に、津島源右衛門の第十子・六男として生まれた。当時の津島家(太宰治の戸籍名は津島修治)は、地元で有数の大地主で金貸業を営むほどであった。また、使用人を加えると三十名を超す大家族でもあった。
そのような大金持ちの子として生まれた太宰が、「家」に対して持った様々なコンプレックスは大きかった。幼少時代の経験が作家の後の作品に与える影響は大きいとよく言われる。暗い記憶を抱えれば抱えるほど、本当の意味で深い作品は数多く生まれる。作家が、自分の内面を見つめてきた時間がそれだけ長いからである。太宰の場合それが多くの作品において顕著に見られる。

 昭和十九(一九四四)年五月十二日から六月五日にかけて太宰は故郷である津軽を旅行した。小山書店から『新風土記叢書』の一冊として「津軽」の執筆を依頼されたためであった。(この作品は同年十一月に、小山書店の第七編として刊行された。「筑摩書房 太宰治全集第七巻」)それは、家族と絶縁状態だった太宰が十数年ぶりに改めて故郷を見直すことになったため、「かなり重要な事件の一つ」となった。

津島家は、太宰の曾祖父にあたる惣助の時に農地と金貸業を基盤にして、急激に商人地主となり、太宰が生まれた頃は商号を「(やまげん)」といった。また現代と違い、旧体制下の典型的家父長制の「家」に育ったのである。大正二(一九一三)年、太宰が四歳の時、記録的凶作で県内の三分の一が窮民になったという。それも、津島家が急激に繁栄した一つの要因といえるだろう。

大正五(一九一六)年には、小作人保護準則が制定され地主と小作人間の円滑化が図られた。しかし、昭和三(一九二八)年太宰十九歳の頃、北津軽郡内では小作人争議が数多く発生し、彼は生家の蓄財が土地収奪によるものと思いこみ悩む。生家にもその当時の商家の面影が残っていた。玄関を入ってすぐ左側に勘定台がある。玄関から勘定台まで履き物のままで入れるようになっていたようである。

 現在旧津島家は、一時期旅館「斜陽館」として角田氏が買い取って開業したが、平成元年に金木町指定有形文化財に指定されてから、平成八年には町が買い取り、金木町太宰治記念館「斜陽館」となっている。実際に訪れてみた生家は、想像以上に大きくやはりあの屋根の赤さが目に飛び込んでくる。あの屋根を私はてっきり瓦だと思っていたのだが、実は亜鉛鉄板葺である。というのも、冬の積雪を考えてのことらしいのだ。これはふつうの民家においても同じで、私はついに津軽で瓦屋根を一軒も見ることはできなかった。とにかく、生家は金木町役場のすぐ近くということもあり、昔から町の中心街であったようだ。

「はるか前方に、私の生家の赤い大屋根が見えて来た。淡い緑の稲田の海に、ゆらりと浮いてゐる。私はひとりで、てれて、『案外、ちひさいな。』と小声で言つた。『いいえ、どうして、』北さんは、私をたしなめるやうな口調で、『お城です。』と言った。」(「帰去来」)

「稲田の向うに赤い屋根がチラと見えた。『あれが、』僕の家、と言ひかけて、こだはつて、『兄さんの家だ。』と言つた。」(「故郷」)

このように、「帰去来」「故郷」には生家が寂しげに描写されている。特に「故郷」生家の描写においては、こだわって「兄さんの家だ」と言っているがこれは、除籍事件が根底にある。長兄文治は昭和五年十一月十九日、分家除籍を条件に、青森で芸者をしていた小山初代との結婚を認めたのである。(奥野健男氏の年譜による)それから約十年後の昭和十六(一九四一)年八月、昔から津島家と深い仲であった、中畑さん、北さんの二人の取り計らいで十年ぶりに生家に顔を出すことができたのである。その時のことが「帰去来」に書かれている。

また、「津軽」にも、
「金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、かうして書くからいけないのだ。(中略)所詮、私は、東京のあばらやで假寝して、生家のなつかしい夢を見て慕ひ、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない。」
と書いている。幼少時代から抱えてきた「家」に対するコンプレックスを作品にして売ることでしか生きていけない自分を、恨みながらも故郷がいつも心のなかにあった。生家の近くの芦野公園には文学碑があるが、それには
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり 」
と記されている。フランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌの詩集「叡知」からの一節(J'ai l'extase et j'ai la terreur d'être choisi. /Paul Verlaine: Sagesse II - IV - VIII )で、詩人堀口大学の翻訳である。この言葉は太宰が昭和十年二月に出版した処女作品集、「晩年」の冒頭の作品「葉」のエピグラフとして掲げられ、好んで使われていたようであるが、この言葉こそが太宰の生家での暗い記憶とつながると思われてならない。

大地主、商家が生家である彼は他の家の子どもとは全く違う環境の中で育ち、(やまげん)だからという理由で特別扱いされる体験も多かった。しかし、だからこそ普通の子とは違うという意識そして、期待に応えなければという不安感が彼の性格を形成していったのではないだろうか。

 もう一つ、太宰に決定的な影響を与えたのは子守タケの存在であった。
「このたび私が津軽へ来て、ぜひとも、逢つてみたいひとがゐた。私はその人を、自分の母だと思つてゐるのだ。三十年ちかくも逢はないでゐるのだが、私は、そのひとの顔を忘れない。私の一生は、その人に依つて確定されたといつていいかも知れない。」(「津軽」)

と書いているように彼にとってタケは特別な存在だった。越野タケは、明治三十一(一八九八)年七月十四日近村永太郎、トヨの四女として金木村に生まれた。太宰よりは十一歳年上である。大正元(一九一二)年五月三日から小作米納付の代価に女中として年季奉公で住み込み、満十三歳から十七歳まで五年間子守として太宰を教育した。彼が満二歳から六歳にかけての時である。

母親が病身だったので、太宰は「母の乳は一滴も飲まず、生まれるとすぐ乳母に抱かれ」、さらにその乳母が再婚のため去っていった後は叔母に育てられた。父が衆議院議員であったために母も上京しなければならず、家に居ることが少なくなってしまい、「夜は叔母に抱かれて寝」ていた。それ以外は子守のタケといつも一緒に過ごしていたという。

生家のすぐ傍にあるタケの実家の菩提寺「雲祥寺」に太宰をつれていき「道徳を教へた」。地獄極楽の御絵掛地を見せ、この世で悪事を働くと地獄に行くのだと諭したのである。これは、現代も雲祥寺の本堂に入って左側に展示してあり、当時のままの絵が観覧できるようになっている。正しくは、御絵掛地「十王曼陀羅」と言って七幅の掛け軸になっている。一見、綺麗な掛け軸なのだがよく見ると、様々な拷問にかけられ「蒼白く痩せた」人々が苦しむ様子が描かれている。「思ひ出」での太宰の描写と全く同じだ。まだ五、六歳の彼が、泣いてしまったのも無理はない。また、彼に本を読ませたのもタケだったようである。

 タケは二十年前、私が生まれた昭和五十八(一九八三)年十二月十五日に他界されたので、もう会うことはできない。しかし、「津軽」で太宰と三十年ぶりの再会を果たした、小泊村の小泊小学校の運動場を丁度見下ろすかたちで小説「津軽」の像記念館が平成八(一九九六)年にオープンした。そこでは生前のタケのビデオもあり、どんな人柄だったか知ることができる。私にとってやはり、「津軽」の感動的なクライマックスの再会の場面が胸にあったので、この記念館に着いたときは、ついにここまで来たのだなという考え深いものがあった。こここそが「平和とは、こんな気持ちの事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい」と、彼が思った場所なのだ。生家の時と異なり、お客は他に居なかった。入るとすぐに受付の方から、生前のタケをインタビューしたビデオを放映するのでどうぞ、と奥に案内された。運動会の時にタケの所まで案内した節さん(タケの娘)、太宰の長女園子さんのインタビュービデオ、さらには、骨格をもとに再現したという太宰の肉声もあり大変驚かされてしまった。

 ここで注目したいのは生前のタケの証言である。ビデオは昭和五十六(一九八一)年に地元テレビ局RABで特集された「昭和十九年初夏『津軽』〜太宰と小泊村〜」というものであった。その時タケは八十三歳である。「津軽」を再現するように、昭和五十六年の小泊小学校の運動会の時にインタビューしたものであった。

タケの話によると、その時彼女は四十七歳、太宰は三十六歳だった。太宰の服装は編み上げの靴に妙な飾りのようなものの付いた帽子を被り、ゲートルを巻いていた。再会の瞬間は、彼が首を傾げて、あ、いたいたと言い、太宰の右の目の下にはほくろがあったから、太宰と分かったそうである。

一方、太宰の方も、タケのほくろを見てわかったようだとタケは言う。その後、小説のように龍神様の桜を見に行きそこで十分ほど話をした。話らしい話ではなかったが、太宰が自分は小さい時どんな子だったかを聞いてくるので、本が好きなとても良い子だったと言うと、ふうん、と笑ったそうである。タケが何のために来たのかと聞いた時には、会いたいと思ってきたと言ったということだ。

タケの語る津軽弁は私には聞き取れないが、字幕が付いていたので助かった。大変暖かみのある声で、田舎のお婆さんが持つ独特の安心感を感じた。またそのほかにもタケのインタビューのビデオがもう一つあった。その中では、タケから見て太宰がどんな子どもだったかが語られていた。

初めて津島家に来た時、他の兄弟に対しては「さん」付けで呼んだが彼には「修ちゃ」と一度呼んでみたら呼びやすかったので、それからずっとそのように呼んでいたそうだ。まるで本当の家族のように親しかったことが分かる。彼は良い子で「嫌だ」、と言うことがほとんどなかったが、食事の時だけは苦労をしたという。ご飯を一膳食べさせるのがやっとで、彼はよく逃げ回っていたようだ。しかし、家の人々は全く構わなかった。「人間失格」の中で、太宰自身の投影だと思われる主人公大庭葉蔵が幼少時代に、食事の時間が苦痛でならなかったと書いている。

「末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。」(「人間失格」)

家族の集まる食事の時間に我が儘を言って構ってもらいたかったのだろうか。一種の甘えと見られるが、なお家族は気にすることなく、本当の家族ではない子守のタケだけが彼の甘えに応えた。幼少の彼の傲慢な姿を唯一ありのままで受け止めたのが、タケだったのだ。津軽弁で子守は「あだこ」というそうだ。この言葉は、「はだこ」、つまり母親の肌の温もりを子に与えるという意味からきている。実母から愛を受けることのなかった太宰にとって、「あだこ」タケは本当の母親のような温もりをもった人だった。

「津軽」での旅によって再会を果たし、「矢継ぎ早に質問を」するタケを見て、「強くて不遠慮な愛情のあらわし方に」改めて接して、自分はタケに似ているのだと気づく。「津軽」の序編において、この旅で主として愛を追求した、と書いているが彼が求めた本当の愛情とは、タケに見られる「不遠慮な愛情」であったのである。

小泊村の小説「津軽」の像記念館で見ることができたビデオの中で、長女園子さんが父太宰のことを語っていた。太宰が心中したのは園子さんが小学校に入って六月の誕生日をむかえたばかりの時で、昭和二十三年四月に三鷹の家の縁側で、鶏とともに撮った写真が最後となった。園子さんの左で太宰が妹の里子さんを抱いている。出版社の人が家に訪れ、太宰と子供たちの写真を撮るために写真家が様々な演出を試みた。何枚も撮ったが上手く写れずに、疲れきってしまい、太宰が少し下を向いて寂しそうに笑ったのが後に発表され、今日、私たちが見ている写真らしいのだ。

実は彼は普段人前で子供をだっこすることはなく、里子さんを抱いている姿は写真家の全くの演出にすぎないらしい。園子さんは、その寂しそうにうつむいた姿が父の真実の姿だったのではないかと語っていた。幼少時代に本当の母親から愛を受けずに育った太宰が、父となり真実の愛を模索し、結果として苦悩から救われることがなかった哀しみが彼の作品全体に漂っている。

タケとの再会で「不遠慮な愛情」を得たが、それを三鷹の家に結びつけることはできなかったのだ。暗い過去が、後に何十年も読まれることになる作品を生み出す、それは大変哀しい逆説である。読者は作家の哀しみを理解し同化する。しかし、太宰文学に私たちが直面した時、同化の一方で作者を哀しみから救いたいという気持ちが働くであろう。家庭の幸福を実践したいのにできない矛盾に苦しむ太宰が助かる道はないのかと考える。太宰は矛盾の説明を明確にすることができなかったが、それは今日の私たちに持ち越された課題なのだ。読者はタケの優しい心でいつまでも彼を見守るだろう。
http://www.seinan-gu.ac.jp/kokubun/report_2003/dazai_ie.html


津軽  太宰治

六つ七つになると思ひ出もはつきりしてゐる。私がたけといふ女中から本を読むことを教へられ、二人で様々の本を読み合つた。たけは私の教育に夢中であつた。私は病身だつたので、寝ながらたくさんの本を読んだ。読む本がなくなれば、たけは村の日曜学校などから子供の本をどしどし借りて来て私に読ませた。私は黙読することを覚えてゐたので、いくら本を読んでも疲れないのだ。

たけは又、私に道徳を教へた。お寺へ屢々連れて行つて、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。火を放(つ)けた人は赤い火のめらめら燃えてゐる籠を背負はされ、めかけ持つた人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながつてゐた。血の池や、針の山や、無間奈落といふ白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでゐた。嘘を吐けば地獄へ行つてこのやうに鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。
 そのお寺の裏は小高い墓地になつてゐて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒堵婆が林のやうに立つてゐた。卒堵婆には、満月ほどの大きさで車のやうな黒い鉄の輪のついてゐるのがあつて、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止つてじつと動かないならその廻した人は極楽へ行き、一旦とまりさうになつてから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言つた。たけが廻すと、いい音をたててひとしきり廻つて、かならずひつそりと止るのだけれど、私が廻すと後戻りすることがたまたまあるのだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行つてその金輪のどれを廻して見ても皆言ひ合せたやうにからんからんと逆廻りした日があつたのである。私は破れかけるかんしやくだまを抑へつつ何十回となく執拗に廻しつづけた。日が暮れかけて来たので、私は絶望してその墓地から立ち去つた。
(中略)
やがて私は故郷の小学校へ入つたが、追憶もそれと共に一変する。たけは、いつの間にかゐなくなつてゐた。或る漁村へ嫁に行つたのであるが、私がそのあとを追ふだらうといふ懸念からか、私には何も言はずに突然ゐなくなつた。その翌年だかのお盆のとき、たけは私のうちへ遊びに来たが、なんだかよそよそしくしてゐた。私に学校の成績を聞いた。私は答へなかつた。ほかの誰かが代つて知らせたやうだ。たけは、油断大敵でせえ、と言つただけで格別ほめもしなかつた。」
 私の母は病身だつたので、私は母の乳は一滴も飲まず、生れるとすぐ乳母に抱かれ、三つになつてふらふら立つて歩けるやうになつた頃、乳母にわかれて、その乳母の代りに子守としてやとはれたのが、たけである。私は夜は叔母に抱かれて寝たが、その他はいつも、たけと一緒に暮したのである。三つから八つまで、私はたけに教育された。さうして、或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、たけは来ない。はつと思つた。何か、直感で察したのだ。私は大声挙げて泣いた。たけゐない、たけゐない、と断腸の思ひで泣いて、それから、二、三日、私はしやくり上げてばかりゐた。いまでも、その折の苦しさを、忘れてはゐない。

それから、一年ほど経つて、ひよつくりたけと逢つたが、たけは、へんによそよそしくしてゐるので、私にはひどく怨めしかつた。それつきり、たけと逢つてゐない。四、五年前、私は「故郷に寄せる言葉」のラジオ放送を依頼されて、その時、あの「思ひ出」の中のたけの箇所を朗読した。故郷といへば、たけを思ひ出すのである。たけは、あの時の私の朗読放送を聞かなかつたのであらう。何のたよりも無かつた。そのまま今日に到つてゐるのであるが、こんどの津軽旅行に出発する当初から、私は、たけにひとめ逢ひたいと切に念願してゐたのだ。

いいところは後廻しといふ、自制をひそかにたのしむ趣味が私にある。私はたけのゐる小泊の港へ行くのを、私のこんどの旅行の最後に残して置いたのである。いや、小泊へ行く前に、五所川原からすぐ弘前へ行き、弘前の街を歩いてそれから大鰐温泉へでも行つて一泊して、さうして、それから最後に小泊へ行かうと思つてゐたのだが、東京からわづかしか持つて来ない私の旅費も、そろそろ心細くなつてゐたし、それに、さすがに旅の疲れも出て来たのか、これからまたあちこち廻つて歩くのも大儀になつて来て、大鰐温泉はあきらめ、弘前市には、いよいよ東京へ帰る時に途中でちよつと立ち寄らうといふ具合に予定を変更して、けふは五所川原の叔母の家に一泊させてもらつて、あす、五所川原からまつすぐに、小泊へ行つてしまはうと思ひ立つたのである。けいちやんと一緒にハイカラ町の叔母の家へ行つてみると、叔母は不在であつた。叔母のお孫さんが病気で弘前の病院に入院してゐるので、それの附添ひに行つてゐるといふのである。
「あなたが、こつちへ来てゐるといふ事を、母はもう知つて、ぜひ逢ひたいから弘前へ寄こしてくれつて電話がありましたよ。」
と従姉(いとこ)が笑ひながら言つた。叔母はこの従姉にお医者さんの養子をとつて家を嗣がせてゐるのである。
「あ、弘前には、東京へ帰る時に、ちよつと立ち寄らうと思つてゐますから、病院にもきつと行きます。」
「あすは小泊の、たけに逢ひに行くんださうです。」
けいちやんは、何かとご自分の支度でいそがしいだらうに、家へ帰らず、のんきに私たちと遊んでゐる。
「たけに。」
従姉は、真面目な顔になり、
「それは、いい事です。たけも、なんぼう、よろこぶか、わかりません。」
従姉は、私がたけを、どんなにいままで慕つてゐたか知つてゐるやうであつた。
「でも、逢へるかどうか。」
私には、それが心配であつた。もちろん打合せも何もしてゐるわけではない。小泊の越野たけ。ただそれだけをたよりに、私はたづねて行くのである。
「小泊行きのバスは、一日に一回とか聞いてゐましたけど、」
とけいちやんは立つて、台所に貼りつけられてある時間表を調べ、
「あしたの一番の汽車でここをお立ちにならないと、中里からのバスに間に合ひませんよ。大事な日に、朝寝坊をなさらないやうに。」
自分の大事な日をまるで忘れてゐるみたいであつた。一番の八時の汽車で五所川原を立つて、津軽鉄道を北上し、金木を素通りして、津軽鉄道の終点の中里に九時に着いて、それから小泊行きのバスに乗つて約二時間。あすのお昼頃までには小泊へ着けるといふ見込みがついた。日が暮れて、けいちやんがやつとお家へ帰つたのと入違ひに、先生(お医者さんの養子を、私たちは昔から固有名詞みたいに、さう呼んでゐた)が病院を引き上げて来られ、それからお酒を飲んで、私は何だかたわいない話ばかりして夜を更かした。
 翌る朝、従姉に起こされ、大急ぎでごはんを食べて停車場に駆けつけ、やつと一番の汽車に間に合つた。けふもまた、よいお天気である。私の頭は朦朧としてゐる。二日酔ひの気味である。ハイカラ町の家には、こはい人もゐないので、前夜、少し飲みすぎたのである。脂汗が、じつとりと額に涌いて出る。爽やかな朝日が汽車の中に射し込んで、私ひとりが濁つて汚れて腐敗してゐるやうで、どうにも、かなはない気持である。

このやうな自己嫌悪を、お酒を飲みすぎた後には必ず、おそらくは数千回、繰り返して経験しながら、未だに酒を断然廃す気持にはなれないのである。この酒飲みといふ弱点のゆゑに、私はとかく人から軽んぜられる。世の中に、酒といふものさへなかつたら、私は或ひは聖人にでもなれたのではなからうか、と馬鹿らしい事を大真面目で考へて、ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園といふ踏切番の小屋くらゐの小さい駅に着いて、金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言はれ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言ひ、駅員に三十分も調べさせ、たうとう芦野公園の切符をせしめたといふ昔の逸事を思ひ出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥へたまま改札口に走つて来て、眼を軽くつぶつて改札の美少年の駅員に顔をそつと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くやうな手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちつとも笑はぬ。当り前の事のやうに平然としてゐる。

少女が汽車に乗つたとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つてゐたやうに思はれた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違ひない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もつと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思つた。汽車は、落葉松の林の中を走る。この辺は、金木の公園になつてゐる。沼が見える。芦の湖といふ名前である。この沼に兄は、むかし遊覧のボートを一艘寄贈した筈である。すぐに、中里に着く。人口、四千くらゐの小邑である。この辺から津軽平野も狭小になり、この北の内潟(うちがた)、相内(あひうち)脇元(わきもと)などの部落に到ると水田もめつきり少くなるので、まあ、ここは津軽平野の北門と言つていいかも知れない。私は幼年時代に、ここの金丸(かなまる)といふ親戚の呉服屋さんへ遊びに来た事があるが、四つくらゐの時であらうか、村のはづれの瀧の他には、何も記憶に残つてゐない。
「修つちやあ。」
と呼ばれて、振りむくと、その金丸の娘さんが笑ひながら立つてゐる。私より一つ二つ年上だつた筈であるが、あまり老けてゐない。
「久し振りだなう。どこへ。」
「いや、小泊だ。」
私はもう、早くたけに逢ひたくて、他の事はみな上の空である
このバスで行くんだ。それぢやあ、失敬。」
「さう。帰りには、うちへも寄つて下さいよ。こんどあの山の上に、あたらしい家を建てましたから。」
 指差された方角を見ると、駅から右手の緑の小山の上に新しい家が一軒立つてゐる。たけの事さへ無かつたら、私はこの幼馴染との奇遇をよろこび、あの新宅にもきつと立ち寄らせていただき、ゆつくり中里の話でも伺つたのに違ひないが、何せ一刻を争ふみたいに意味も無く気がせいてゐたので、
「ぢや、また。」
などと、いい加減なわかれかたをして、さつさとバスに乗つてしまつた。バスは、かなり込んでゐた。私は小泊まで約二時間、立つたままであつた。中里から以北は、全く私の生れてはじめて見る土地だ。津軽の遠祖と言はれる安東氏一族は、この辺に住んでゐて、十三港の繁栄などに就いては前にも述べたが、津軽平野の歴史の中心は、この中里から小泊までの間に在つたものらしい。
バスは山路をのぼつて北に進む。路が悪いと見えて、かなり激しくゆれる。私は網棚の横の棒にしつかりつかまり、背中を丸めてバスの窓から外の風景を覗き見る。やつぱり、北津軽だ。深浦などの風景に較べて、どこやら荒い。人の肌の匂ひが無いのである。山の樹木も、いばらも、笹も、人間と全く無関係に生きてゐる。東海岸の龍飛などに較べると、ずつと優しいけれど、でも、この辺の草木も、やはり「風景」の一歩手前のもので、少しも旅人と会話をしない。やがて、十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛つたやうな、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。ひつそりしてゐて、さうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。

十三湖を過ぎると、まもなく日本海の海岸に出る。この辺からそろそろ国防上たいせつな箇所になるので、れいに依つて以後は、こまかい描写を避けよう。お昼すこし前に、私は小泊港に着いた。ここは、本州の西海岸の最北端の港である。この北は、山を越えてすぐ東海岸の龍飛である。西海岸の部落は、ここでおしまひになつてゐるのだ。つまり私は、五所川原あたりを中心にして、柱時計の振子のやうに、旧津軽領の西海岸南端の深浦港からふらりと舞ひもどつてこんどは一気に同じ海岸の北端の小泊港まで来てしまつたといふわけなのである。

ここは人口二千五百くらゐのささやかな漁村であるが、中古の頃から既に他国の船舶の出入があり、殊に蝦夷通ひの船が、強い東風を避ける時には必ずこの港にはひつて仮泊する事になつてゐたといふ。江戸時代には、近くの十三港と共に米や木材の積出しがさかんに行はれた事など、前にもしばしば書いて置いたつもりだ。いまでも、この村の築港だけは、村に不似合ひなくらゐ立派である。水田は、村のはづれに、ほんの少しあるだけだが、水産物は相当豊富なやうで、ソイ、アブラメ、イカ、イワシなどの魚類の他に、コンブ、ワカメの類の海草もたくさんとれるらしい。
「越野たけ、といふ人を知りませんか。」
私はバスから降りて、その辺を歩いてゐる人をつかまへ、すぐに聞いた。
「こしの、たけ、ですか。」
国民服を着た、役場の人か何かではなからうかと思はれるやうな中年の男が、首をかしげ、
「この村には、越野といふ苗字の家がたくさんあるので。」
「前に金木にゐた事があるんです。さうして、いまは、五十くらゐのひとなんです。」
私は懸命である。
「ああ、わかりました。その人なら居ります。」
「ゐますか。どこにゐます。家はどの辺です。」
 私は教へられたとほりに歩いて、たけの家を見つけた。間口三間くらゐの小ぢんまりした金物屋である。東京の私の草屋よりも十倍も立派だ。店先にカアテンがおろされてある。いけない、と思つて入口のガラス戸に走り寄つたら、果して、その戸に小さい南京錠が、ぴちりとかかつてゐるのである。他のガラス戸にも手をかけてみたが、いづれも固くしまつてゐる。

留守だ。私は途方にくれて、汗を拭つた。引越した、なんて事は無からう。どこかへ、ちよつと外出したのか。いや、東京と違つて、田舎ではちよつとの外出に、店にカアテンをおろし、戸じまりをするなどといふ事は無い。二、三日あるひはもつと永い他出か。こいつあ、だめだ。たけは、どこか他の部落へ出かけたのだ。あり得る事だ。家さへわかつたら、もう大丈夫と思つてゐた僕は馬鹿であつた。私は、ガラス戸をたたき、越野さん、越野さん、と呼んでみたが、もとより返事のある筈は無かつた。溜息をついてその家から離れ、少し歩いて筋向ひの煙草屋にはひり、越野さんの家には誰もゐないやうですが、行先きをご存じないかと尋ねた。そこの痩せこけたおばあさんは、運動会へ行つたんだらう、と事もなげに答へた。私は勢ひ込んで、
「それで、その運動会は、どこでやつてゐるのです。この近くですか、それとも。」
 すぐそこだといふ。この路をまつすぐに行くと田圃に出て、それから学校があつて、運動会はその学校の裏でやつてゐるといふ。
「けさ、重箱をさげて、子供と一緒に行きましたよ。」
「さうですか。ありがたう。」
 教へられたとほりに行くと、なるほど田圃があつて、その畦道を伝つて行くと砂丘があり、その砂丘の上に国民学校が立つてゐる。その学校の裏に廻つてみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るやうな気持といふのであらう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、ま目の前で行はれてゐるのだ。まづ、万国旗。着飾つた娘たち。あちこちに白昼の酔つぱらひ。さうして運動場の周囲には、百に近い掛小屋がぎつしりと立ちならび、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなつたと見えて、運動場を見下せる小高い丘の上にまで筵(むしろ)で一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、さうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはんを食べながら、大陽気で語り笑つてゐるのである。

日本は、ありがたい国だと、つくづく思つた。たしかに、日出づる国だと思つた。国運を賭しての大戦争のさいちゆうでも、本州の北端の寒村で、このやうに明るい不思議な大宴会が催されて居る。古代の神々の豪放な笑ひと闊達な舞踏をこの本州の僻陬に於いて直接に見聞する思ひであつた。海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽が催されてゐたといふやうなお伽噺の主人公に私はなつたやうな気がした。

さて、私は、この陽気なお神楽の群集の中から、私の育ての親を捜し出さなければならぬ。わかれてから、もはや三十年近くなるのである。眼の大きい頰ぺたの赤いひとであつた。右か、左の眼蓋の上に、小さい赤いほくろがあつた。私はそれだけしか覚えてゐないのである。逢へば、わかる。その自信はあつたが、この群集の中から捜し出す事は、むづかしいなあ、と私は運動場を見廻してべそをかいた。どうにも、手の下しやうが無いのである。私はただ、運動場のまはりを、うろうろ歩くばかりである。
「越野たけといふひと、どこにゐるか、ご存じぢやありませんか。」私は勇気を出して、ひとりの青年にたづねた。「五十くらゐのひとで、金物屋の越野ですが。」それが私のたけに就いての知識の全部なのだ。
「金物屋の越野。」青年は考へて、「あ、向うのあのへんの小屋にゐたやうな気がするな。」
「さうですか。あのへんですか?」
「さあ、はつきりは、わからない。何だか、見かけたやうな気がするんだが、まあ、捜してごらん。」
 その捜すのが大仕事なのだ。まさか、三十年振りで云々と、青年にきざつたらしく打明け話をするわけにも行かぬ。私は青年にお礼を言ひ、その漠然と指差された方角へ行つてまごまごしてみたが、そんな事でわかる筈は無かつた。たうとう私は、昼食さいちゆうの団欒の掛小屋の中に、ぬつと顔を突き入れ、
「おそれいります。あの、失礼ですが、越野たけ、あの、金物屋の越野さんは、こちらぢやございませんか。」
「ちがひますよ。」ふとつたおかみさんは不機嫌さうに眉をひそめて言ふ。
「さうですか。失礼しました。どこか、この辺で見かけなかつたでせうか。」
「さあ、わかりませんねえ。何せ、おほぜいの人ですから。」
 私は更にまた別の小屋を覗いて聞いた。わからない。更にまた別の小屋。まるで何かに憑かれたみたいに、たけはゐませんか、金物屋のたけはゐませんか、と尋ね歩いて、運動場を二度もまはつたが、わからなかつた。二日酔ひの気味なので、のどがかわいてたまらなくなり、学校の井戸へ行つて水を飲み、それからまた運動場へ引返して、砂の上に腰をおろし、ジャンパーを脱いで汗を拭き、老若男女の幸福さうな賑はひを、ぼんやり眺めた。この中に、ゐるのだ。たしかに、ゐるのだ。いまごろは、私のこんな苦労も何も知らず、重箱をひろげて子供たちに食べさせてゐるのであらう。いつそ、学校の先生にたのんで、メガホンで「越野たけさん、御面会」とでも叫んでもらはうかしら、とも思つたが、そんな暴力的な手段は何としてもイヤだつた。そんな大袈裟な悪ふざけみたいな事までして無理に自分の喜びをでつち上げるのはイヤだつた。

縁が無いのだ。神様が逢ふなとおつしやつてゐるのだ。帰らう。私は、ジャンパーを着て立ち上つた。また畦道を伝つて歩き、村へ出た。運動会のすむのは四時頃か。もう四時間、その辺の宿屋で寝ころんで、たけの帰宅を待つてゐたつていいぢやないか。さうも思つたが、その四時間、宿屋の汚い一室でしよんぼり待つてゐるうちに、もう、たけなんかどうでもいいやうな、腹立たしい気持になりやしないだらうか。私は、いまのこの気持のままでたけに逢ひたいのだ。しかし、どうしても逢ふ事が出来ない。つまり、縁が無いのだ。はるばるここまでたづねて来て、すぐそこに、いまゐるといふ事がちやんとわかつてゐながら、逢へずに帰るといふのも、私のこれまでの要領の悪かつた生涯にふさはしい出来事なのかも知れない。私が有頂天で立てた計画は、いつでもこのやうに、かならず、ちぐはぐな結果になるのだ。私には、そんな具合のわるい宿命があるのだ。

帰らう。考へてみると、いかに育ての親とはいつても、露骨に言へば使用人だ。女中ぢやないか。お前は、女中の子か。男が、いいとしをして、昔の女中を慕つて、ひとめ逢ひたいだのなんだの、それだからお前はだめだといふのだ。兄たちがお前を、下品なめめしい奴と情無く思ふのも無理がないのだ。お前は兄弟中でも、ひとり違つて、どうしてこんなにだらしなく、きたならしく、いやしいのだらう。しつかりせんかい。

私はバスの発着所へ行き、バスの出発する時間を聞いた。一時三十分に中里行きが出る。もう、それつきりで、あとは無いといふ事であつた。一時三十分のバスで帰る事にきめた。もう三十分くらゐあひだがある。少しおなかもすいて来てゐる。私は発着所の近くの薄暗い宿屋へ這入つて、「大急ぎでひるめしを食べたいのですが」と言ひ、また内心は、やつぱり未練のやうなものがあつて、もしこの宿が感じがよかつたら、ここで四時頃まで休ませてもらつて、などど考へてもゐたのであるが、断られた。けふは内の者がみな運動会へ行つてゐるので、何も出来ませんと病人らしいおかみさんが、奥の方からちらと顔をのぞかせて冷い返辞をしたのである。

いよいよ帰ることにきめて、バスの発着所のベンチに腰をおろし、十分くらゐ休んでまた立ち上り、ぶらぶらその辺を歩いて、それぢやあ、もういちど、たけの留守宅の前まで行つて、ひと知れず今生(こんじやう)のいとま乞ひでもして来ようと苦笑しながら、金物屋の前まで行き、ふと見ると、入口の南京錠がはづれてゐる。さうして戸が二、三寸あいてゐる。天のたすけ! と勇気百倍、グワラリといふ品の悪い形容でも使はなければ間に合はないほど勢ひ込んでガラス戸を押しあけ、

「ごめん下さい、ごめん下さい。」
「はい。」

と奥から返事があつて、十四、五の水兵服を着た女の子が顔を出した。私は、その子の顔によつて、たけの顔をはつきり思ひ出した。もはや遠慮をせず、土間の奥のその子のそばまで寄つて行つて、

「金木の津島です。」

と名乗つた。

 少女は、あ、と言つて笑つた。津島の子供を育てたといふ事を、たけは、自分の子供たちにもかねがね言つて聞かせてゐたのかも知れない。もうそれだけで、私とその少女の間に、一切の他人行儀が無くなつた。ありがたいものだと思つた。私は、たけの子だ。女中の子だつて何だつてかまはない。私は大声で言へる。私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたつていい。私は、この少女ときやうだいだ。

「ああ、よかつた。」

私は思はずさう口走つて、

「たけは? まだ、運動会?」
「さう。」

少女も私に対しては毫末の警戒も含羞もなく、落ちついて首肯き、

「私は腹がいたくて、いま、薬をとりに帰つたの。」

気の毒だが、その腹いたが、よかつたのだ。腹いたに感謝だ。この子をつかまへたからには、もう安心。大丈夫たけに逢へる。もう何が何でもこの子に縋つて、離れなけれやいいのだ。

「ずゐぶん運動場を捜し廻つたんだが、見つからなかつた。」
「さう。」

と言つてかすかに首肯き、おなかをおさへた。

「まだ痛いか。」
「すこし。」

と言つた。

「薬を飲んだか。」
 黙つて首肯く。
「ひどく痛いか。」

 笑つて、かぶりを振つた。

「それぢやあ、たのむ。僕を、これから、たけのところへ連れて行つてくれよ。お前もおなかが痛いだらうが、僕だつて、遠くから来たんだ。歩けるか。」

「うん。」

と大きく首肯いた。

「偉い、偉い。ぢやあ一つたのむよ。」

 うん、うんと二度続けて首肯き、すぐ土間へ降りて下駄をつつかけ、おなかをおさへて、からだをくの字に曲げながら家を出た。

「運動会で走つたか。」
「走つた。」
「賞品をもらつたか。」
「もらはない。」

 おなかをおさへながら、とつとと私の先に立つて歩く。また畦道をとほり、砂丘に出て、学校の裏へまはり、運動会のまんなかを横切つて、それから少女は小走りになり、一つの掛小屋へはひり、すぐそれと入違ひに、たけが出て来た。たけは、うつろな眼をして私を見た。

「修治だ。」

私は笑つて帽子をとつた。

「あらあ。」

それだけだつた。笑ひもしない。まじめな表情である。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、さりげないやうな、へんに、あきらめたやうな弱い口調で、

「さ、はひつて運動会を。」

と言つて、たけの小屋に連れて行き、

「ここさお坐りになりせえ。」

とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言はず、きちんと正坐してそのモンペの丸い膝にちやんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見てゐる。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまつてゐる。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思ふ事が無かつた。もう、何がどうなつてもいいんだ、といふやうな全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい。

先年なくなつた私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であつたが、このやうな不思議な安堵感を私に与へてはくれなかつた。世の中の母といふものは、皆、その子にこのやうな甘い放心の憩ひを与へてやつてゐるものなのだらうか。さうだつたら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまつてゐる。そんな有難い母といふものがありながら、病気になつたり、なまけたりしてゐるやつの気が知れない。親孝行は自然の情だ。倫理ではなかつた。

 たけの頰は、やつぱり赤くて、さうして、右の眼蓋の上には、小さい罌粟粒ほどの赤いほくろが、ちやんとある。髪には白髪もまじつてゐるが、でも、いま私のわきにきちんと坐つてゐるたけは、私の幼い頃の思ひ出のたけと、少しも変つてゐない。

あとで聞いたが、たけが私の家へ奉公に来て、私をおぶつたのは、私が三つで、たけが十四の時だつたといふ。それから六年間ばかり私は、たけに育てられ教へられたのであるが、けれども、私の思ひ出の中のたけは、決してそんな、若い娘ではなく、いま眼の前に見るこのたけと寸分もちがはない老成した人であつた。

これもあとで、たけから聞いた事だが、その日、たけの締めてゐたアヤメの模様の紺色の帯は、私の家に奉公してゐた頃にも締めてゐたもので、また、薄い紫色の半襟も、やはり同じ頃、私の家からもらつたものだといふ事である。そのせゐもあつたのかも知れないが、たけは、私の思ひ出とそつくり同じ匂ひで坐つてゐる。

たぶん贔屓目であらうが、たけはこの漁村の他のアバ(アヤのFemme)たちとは、まるで違つた気位を持つてゐるやうに感ぜられた。着物は、縞の新しい手織木綿であるが、それと同じ布地のモンペをはき、その縞柄は、まさか、いきではないが、でも、選択がしつかりしてゐる。おろかしくない。全体に、何か、強い雰囲気を持つてゐる。私も、いつまでも黙つてゐたら、しばらく経つてたけは、まつすぐ運動会を見ながら、肩に波を打たせて深い長い溜息をもらした。たけも平気ではないのだな、と私にはその時はじめてわかつた。でも、やはり黙つてゐた。

 たけは、ふと気がついたやうにして、

「何か、たべないか。」

と私に言つた。

「要らない。」

と答へた。本当に、何もたべたくなかつた。

「餅があるよ。」

たけは、小屋の隅に片づけられてある重箱に手をかけた。

「いいんだ。食ひたくないんだ。」

 たけは軽く首肯いてそれ以上すすめようともせず、

「餅のはうでないんだものな。」

と小声で言つて微笑んだ。三十年ちかく互ひに消息が無くても、私の酒飲みをちやんと察してゐるやうである。不思議なものだ。私がにやにやしてゐたら、たけは眉をひそめ、

「たばこも飲むなう。さつきから、立てつづけにふかしてゐる。たけは、お前に本を読む事だば教へたけれども、たばこだの酒だのは、教へねきやなう。」

と言つた。油断大敵のれいである。私は笑ひを収めた。

 私が真面目な顔になつてしまつたら、こんどは、たけのはうで笑ひ、立ち上つて、

「龍神様(りゆうじんさま)の桜でも見に行くか。どう?」

と私を誘つた。

「ああ、行かう。」

 私は、たけの後について掛小屋のうしろの砂山に登つた。砂山には、スミレが咲いてゐた。背の低い藤の蔓も、這ひ拡がつてゐる。たけは黙つてのぼつて行く。私も何も言はず、ぶらぶら歩いてついて行つた。砂山を登り切つて、だらだら降りると龍神様の森があつて、その森の小路のところどころに八重桜が咲いてゐる。たけは、突然、ぐいと片手をのばして八重桜の小枝を折り取つて、歩きながらその枝の花をむしつて地べたに投げ捨て、それから立ちどまつて、勢ひよく私のはうに向き直り、にはかに、堰を切つたみたいに能弁になつた。

「久し振りだなあ。はじめは、わからなかつた。金木の津島と、うちの子供は言つたが、まさかと思つた。まさか、来てくれるとは思はなかつた。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかつた。修治だ、と言はれて、あれ、と思つたら、それから、口がきけなくなつた。運動会も何も見えなくなつた。

三十年ちかく、たけはお前に逢ひたくて、逢へるかな、逢へないかな、とそればかり考へて暮してゐたのを、こんなにちやんと大人になつて、たけを見たくて、はるばると小泊までたづねて来てくれたかと思ふと、ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでもいいぢや、まあ、よく来たなあ、

お前の家に奉公に行つた時には、お前は、ぱたぱた歩いてはころび、ぱたぱた歩いてはころび、まだよく歩けなくて、ごはんの時には茶碗を持つてあちこち歩きまはつて、庫(くら)の石段の下でごはんを食べるのが一ばん好きで、たけに昔噺(むがしこ)語らせて、たけの顔をとつくと見ながら一匙づつ養はせて、手かずもかかつたが、愛(め)ごくてなう、それがこんなにおとなになつて、みな夢のやうだ。

金木へも、たまに行つたが、金木のまちを歩きながら、もしやお前がその辺に遊んでゐないかと、お前と同じ年頃の男の子供をひとりひとり見て歩いたものだ。よく来たなあ。」
と一語、一語、言ふたびごとに、手にしてゐる桜の小枝の花を夢中で、むしり取つては捨て、むしり取つては捨ててゐる。


「子供は?」

たうとうその小枝もへし折つて捨て、両肘を張つてモンペをゆすり上げ、

「子供は、幾人。」

 私は小路の傍の杉の木に軽く寄りかかつて、ひとりだ、と答へた。

「男? 女?」
「女だ。」
「いくつ?」

 次から次へと矢継早に質問を発する。私はたけの、そのやうに強くて無遠慮な愛情のあらはし方に接して、ああ、私は、たけに似てゐるのだと思つた。きょうだい中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だったという事に気付いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはっきり知らされた。

私は断じて、上品な育ちの男ではない。どうりで、金持ちの子供らしくないところがあった。見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森に於けるT君であり、五所川原に於ける中畑さんであり、金木に於けるアヤであり、そうして小泊に於けるたけである。アヤは現在も私の家に仕えているが、他の人たちも、そのむかし一度は、私の家にいた事がある人だ。私は、これらの人と友である。

 さて、古聖人の獲麟を気取るわけでもないけれど、聖戦下の新津軽風土記も、作者のこの獲友の告白を以て、ひとまずペンをとどめて大過ないかと思われる。まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

http://www.geocities.jp/sybrma/44dazai.tsugaru.html
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/dazai/tugaru2.htm
http://www.geocities.jp/kyoketu/762.html


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03. 2012年7月07日 13:41:18 : ISGRuirxXs
教育委員会はいじめ加害者にとって強い味方。
被害者は敵。
それが教育委員会。
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/444.html#c3
コメント [経世済民76] 6月雇用統計とFRB・・インフレ耐性菌が蔓延する世界経済に処置なしのFRB 墨染
01. 健奘 2012年7月07日 13:41:47 : xbDm84QDmOFmc : rTHGzOht4A
需要<供給能力
これにつきるでしょう。

需要減退が一時的、供給過剰が一時的ならば、金融政策は有効に働くのは、明らかです。

しかし、需要<供給能力が見通せる期間続くことが見えてきます。いくら、人の欲望が無限、と言っても、人が使える時間は、一日24時間、一年365日ですから、そもそも、何かをやれる数は、有限ですからね。食事は、一日に3回か、5回か。いくらあっても、年間1500回の食事。一日2回か、3回、着替えることができても、年間、1000着のスーツで頭打ち。車も、ヨットも。。。

そんな数の需要なんて、軽くこなせる能力を持ってしまったのが、現代の生産力。(ちょっと誇張した数を使いましたが。)
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/794.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 今週金曜日も首相官邸前で関西電力大飯原発再稼働に反対する大規模デモ gataro
12. 2012年7月07日 13:41:51 : Vkk7YVgyeg
>10駅で警察官が駅から国民を出さないように列を作って通せんぼをしているようです。
本当ですか???本当だとしたら、権力による明らかな弾圧です。憲法違反です!至急、
国会議員などにも連絡し、動画中継し、やめさせなければなりません。許しがたいことです。
>08野田を倒せ!というシュプレヒコールをなぜしないんだろう!
>野田が倒れるまで、再稼動が撤去されるまで、やり続けよう。
まったくその通り。野田らは「再稼働はさせるが、責任は国民の税金と電気料金だ」と。
無責任・無能官僚の入れ知恵だ。無能・無責任のキムチ・ジョンイル・野田政権打倒!!!
エロ仙は、徳島へ帰って阿波狸の世話でもしていろ。次の選挙は?「タタナイ」だよな!
・原発事故の責任を取らないと閣議決定
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/393.html

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/411.html#c12
コメント [原発・フッ素25] 雨を衝いて官邸前行動は続く gataro
30. 2012年7月07日 13:46:38 : rz8yVJb8i2
国会議事堂前の出口が封鎖なら、来週は虎ノ門から歩いて行ったほうが良いかもしれない。
赤坂見附からも近いよね。
みんなで行って民衆の力を見せつけたいね。
国家権力よりも、一人の人間の思いのほうが強い。

増税はしない、シロアリ退治をしてからだ、と演説していた野田は消されてしまって、今は野田の着ぐるみを着た別人が中に入っているようだ。
さもなくば、脳みそを丸取っ替えされたサイボーグだ。
しかし、メタボのサイボーグを作るのも大変だったね。
メンインブラック4野田バージョン
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/410.html#c30

コメント [経世済民71] 米の倍 パンダにレンタル料8000万円中国に支払う日本人って相当バカ  tea
42. 2012年7月07日 13:48:07 : kVRjv6w4OQ
金満国家日本を象徴してるいい例だな

アメちゃんには思いやり予算、途上国にODA、IMFにも巨額の拠出
足りない分は国民からむしりとれば幾らでも沸いてくる♪

日の出る国、日本万歳!有難うシロアリ官僚!感謝感激経団連!
お世話になります民自公詐欺師政治屋諸君!(怒”)
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/158.html#c42

コメント [社会問題8] 担任「やりすぎんなよ」 大津自殺、暴力見た生徒が証言(朝日) 木卯正一
04. 2012年7月07日 13:58:20 : d1INYqu1to

【大津市自殺】加害者祖父が元警察OB(確定)、被害者の自殺現場に被害者以外の痕跡発見、自殺自に加害者が一部始終を撮影、学校が動画の削除をさせてた可能性が浮上、自殺から殺人事件への発展の可能性アリ
( http://twitter.com/#!/Moka_0701/status/221181807935242240 )


http://www.asyura2.com/10/social8/msg/775.html#c4

記事 [戦争b9] シリア:拷問センターの詳細 明るみに  ヒューマン・ライツ・ウオッチ
27拘禁施設の所在地、指揮官名、拷問方法  明かされる

2012年07月03日

(ニューヨーク)−元被拘禁者と脱走兵の協力により、シリアの諜報機関が運営している27カ所の拘禁施設の所在地、運営責任を担う情報機関名、拷問方法、多くの指揮官の氏名などが特定された。ヒューマン・ライツ・ウォッチが、本日公表したマルチメディア報告の中で明らかにした。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査結果は、虐待と拷問が組織的に行われていることを示しており、拷問と虐待が政府による政策として行われていることが分かる。こうした行為は、『人道に対する罪』に該当する。

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http://multimedia.hrw.org/features/2012MENA_Syria_Torture/maps/index.html

報告書「拷問列島:2011年3月以降シリアの地下拘禁施設で継続する恣意的逮捕、拷問、強制失踪」
http://www.hrw.org/reports/2012/07/03/torture-archipelago-0
(全81ページ)は、2011年3月にシリアで反政府デモが始まって以来、ヒューマン・ライツ・ウォッチが行ってきた200を超える聞き取り調査を基に作成されている。報告書には、拘禁施設の位置を示す地図、元被拘禁者のビデオ証言、更にそれらの施設内で拷問を経験あるいは目撃した多数の人びとが詳述した、拷問方法のスケッチも含まれている。
http://www.hrw.org/features/syria-documented-torture-methods

ヒューマン・ライツ・ウォッチ緊急対応部門調査員、ウレ・ソルバンは「複数の諜報機関が、国全域に散在する多数の拘禁施設を運営しており、さながら拷問センター列島の体をなしている」と述べる。「我々は、拘禁施設の所在地を公にし、拷問方法や施設の指揮官を詳細に特定した。これは、加害者に対する『自身が行った恐ろしい犯罪の責任を取らなければならない』という通告だ。」

ウレ・ソルバン調査員によるビデオ解説(英語)はこちら。
http://youtu.be/5lr-dcHOtzo

各都市の拷問施設の詳しいサテライト画像: Damascus, Homs, Idlib, Aleppo, Daraa, Latakia
http://www.hrw.org/sites/default/files/media/images/photographs/2012_Torture_Damascus_EN.jpg
http://www.hrw.org/sites/default/files/media/images/photographs/2012_Torture_Homs_EN.jpg
http://www.hrw.org/sites/default/files/media/images/photographs/2012_Torture_Idlib_EN.jpg
http://www.hrw.org/sites/default/files/media/images/photographs/2012_Torture_Aleppo_EN.jpg
http://www.hrw.org/sites/default/files/media/images/photographs/2012_Torture_Daraa_EN.jpg
http://www.hrw.org/sites/default/files/media/images/photographs/2012_Torture_Latakia_EN.jpg

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、国連安全保障理事会に、シリアでの事態を国際刑事裁判所(以下ICC)に付託すると共に、人権侵害に明らかに関与しているとみなされた政府当局者を対象とした制裁措置を採るよう求めた。

本報告書では、多数の証言者が同じ所在地を指し示し、行われた拷問について詳細な説明をした施設を掲載した。しかし、諜報機関によって使用されている拘禁施設の実数は更に多い可能性が高い。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じたほとんどすべての元被拘禁者が、拘禁中に拷問を受けた、あるいは他の被拘禁者への拷問を目撃したと話していた。取調官、看守、情報機関当局者らによる拷問の手法は多岐にわたり、長時間にわたる警棒やケーブルを使用した打擲や苦痛を伴う姿勢の強要、電流の使用、酸でやけどをさせる、性的暴行や辱めを与える、爪をはがす、疑似処刑などが行われていた。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、公安機関と諜報機関が行っていた合計20種類以上の拷問手法を明らかにしている。

ほとんどの場合、元被拘禁者たちは多岐にわたる拷問の被害に遭っている。6月にイドリブ県で拘禁されていた31歳の被拘禁者は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、イドリブ中央刑務所で、諜報機関がどの様に彼を拷問したか次のように詳述した。

「彼らは私を裸にして、それからペンチで指をつまみ始めたんだ。指、胸、耳にホチキスを打ち込んだ。何か供述したら、それを抜くのを許されるんだよ。耳にうたれたホチキスが一番痛かった。それから2本のケーブルを車のバッテリーに繋いで、電気ショックも与えられたし、性器に2回、スタンガンを当てられた。家族には2度と会えないと思った。彼らは3日間で3回そんな風に私を拷問したんだ。」

ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた拷問の被害者のほとんどが18歳〜35歳までの青年男性だったが、子ども、女性、高齢者も含まれていた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査は、最も残酷な拷問は、一般にムハバラートと呼ばれている、次に挙げる同国の4つの主要諜報機関が運営する拘禁施設の中で起きたことを明らかにしている。

軍情報局
政治治安局
総合情報局
空軍情報局

4つの諜報機関はそれぞれ、ダマスカス中央支所と全国地域、都市、地方に支所を置いており、ほぼすべての支所の内部に様々な規模の拘禁施設が存在する。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた証言者のすべてが、極端な過密状態、不適切な食料の支給、必要な医療扶助の日常的な拒否など、時にはそれら自体が拷問となり得る拘禁環境におかれていたと話した。ある元被拘禁者が描いた過密状態の監房の図は、その環境が国際法上の基準に満たないものであるかことを明確に示している。

『人道に対する罪』の実行あるいは命令をした者は、国際法の下で個人の刑事責任を問われ、更に指揮する立場にいた者が、部下の犯罪を知っていたあるいは知っているべきだったにもかかわらず、それを防止あるいは処罰しなかった場合も、同じく刑事責任を問われる。この「上官責任」は、拘禁施設を監督する当局関係者のみならず、諜報機関の長、政府閣僚、国家元首であるバッシャール・アサド大統領にも適用される。

シリア政府は、ICCを創設したローマ規程を批准していないため、国連安保理がシリアの事態をICCに付託する決議を採択した場合に限り、同裁判所は管轄権を持つことになる。国連安保理の常任理事国であるロシアと中国は、これまで、安保理の責任を追求する取り組みを妨害してきた。

「拷問施設ネットワークの広がりと非人道性は、本当に恐ろしいことだ」と前出のソルバン調査員は述べる。「ロシアはこのような犯罪の加害者に、保護の手を差し伸べてはならない。」

証拠により拷問が行われていることが分かった拘禁施設、それぞれの所在地、運営機関、指揮官を記した一覧表は下記の通り:(この後に日本語対訳続く)

(以下リンク先参照のこと)
http://www.hrw.org/ja/news/2012/07/03

http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/519.html

コメント [お知らせ・管理19] 副島隆彦さん関連のすべての投稿・コメントはカルト板か昼休み板限定で投稿可能です。 管理人さん
107. 2012年7月07日 14:00:50 : DdSVZpbz6o
>>106 に自己レス ✕追求 ○追及 
まあどうでもいっか…副島信者は今後も本件に回答できないだろうし…

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/695.html#c107
コメント [口蹄疫・新型インフル02] 緊急【転送・転載大歓迎!】 子宮頸癌予防ワクチン 「最悪の副作用は、接種直後に死亡する可能性があること」と言われたら? 千早@オーストラリア
64. 2012年7月07日 14:07:28 : rz8yVJb8i2
阿修羅とかでは、もう何年も前から子宮けいがんワクチンには、アジュバントが含まれていて危険、将来子供を産みたくなっても不妊症になる可能性が多いということは言われている。
昨年も無料だから受けようかな、という女子高生に子宮けいがんになんか滅多にならないからやめな、将来結婚しても子供ができなくなるよ、と言った。
今年は、ある主婦が娘に受けさせようかな、今年までは無料だから、という。
やめたほうがいいよ、不妊症になるよ、といっても半信半疑。
ただが魅力のようだ。
もうそういう人は自己責任だね。
勝手に受ければいいよ、ただし孫は期待できないよ、と内心つぶやく。

少子化が問題となっているのに、これで益々日本人は少なくなるだろう。
ニュースで500人程度がワクチン摂取後に失神した、と報道していたが、
直後に出るそういう副作用は免れても、数年後に不妊かしても、自己責任だ。
受けることは選択の自由でバカの壁だ。
とはいうものの、一人5万もするワクチンを税金負担させられるのは我々で、
もうかるのは製薬会社だ。
311,異常気象、原発の再稼働、増設、不妊かワクチン、食品添加物、
放射能物質汚染空気と水、食品・・・・
日本人退治撲滅計画はこうして着々と進んで行く。

http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/526.html#c64

コメント [音楽8] Coolio - Too Hot お子茶魔
02. 2012年7月07日 14:08:55 : hNV3zbeWvM
今、この女子を見つけてすごい気に入ったんだけど
もしお嫌でなかったら、またお願いします。
タイトルだけにしよ。

Gaelle - Give It Back (Original Version) HQ

K子
http://www.asyura2.com/12/music8/msg/246.html#c2

コメント [日本の事件30] 妬みによる内部告発 特捜部介入は誤り 辻本豪三教授は無実です   「ゲノム創薬」専門家の京大元教授、不正経理か MR
08. 2012年7月07日 14:08:59 : FV3st3DiBM
新聞等見る限り,2011年秋に,預け金の相手方である医療機器メーカー「メド城取」が倒産し
その債権者名簿が提出された後からバッと事件化してますね。
すぐに報道機関が,債権者名簿のトップに上げられていた「国立成育医療研究センター」(教授の前任地)に
「異様に多額の債権を同会社に有してるがどういうことか」と同センターに取材に行っている。
ほどなく国税も,検察の調査が入る前に動き出したようですから,内部告発というより
この医療機器メーカーが裏金の相手を債権者としてバカ正直に上げたことが問題なんでしょう。
同じように慶応や日大も債権者に上げられてますし,メド城取の倒産時情報を見ると,
京都オフィス(京大近く)とともに湘南オフィス(慶応大学湘南藤沢キャンパスでは
環境情報学部でゲノム科学の研究あり)も開設されてますから他の大学も今頃gkbrだと思います。
脱法(違法)行為やる場合は,相手のアホさも念頭に入れて,覚悟してしないとダメですね
立派な業績と才能があるのに,こんな金のために研究が潰れるのは確かに国の損失だと思います。
才能と罪は別物なんだから,拘置所の中で足に鎖でも付けてでも,研究は続けさせた方が
よほど贖罪にもなるというものでしょうね

http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/429.html#c8
記事 [音楽8] ニコラ・サルコジ前大統領の奥様・・カーラ・ブルーニで「Tu es ma came」渋くて・・いいです!

このアレンジ・・いいです・・
この、落ち込んだ感じのドラムもいいです・・



http://www.asyura2.com/12/music8/msg/259.html

コメント [原発・フッ素25] 2012年7月6日の首相官邸周辺デモを30秒で見る動画 (8bitNews)  赤かぶ
13. 2012年7月07日 14:10:00 : rXhnnuVrfs
こうした、体制の側の、策略や圧力に屈服すること無く、毎週、毎週、毎週
タンタンとデモに集まり、時間が来たら帰る。
で、良いんじゃないでしょうか。
これだけ大勢の人が毎回集まる、これだけでデモの効果は充分に有ると思います。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/431.html#c13
コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
87. 2012年7月07日 14:10:33 : NJLjNk31wI
もし株式を上場していたらN系、D系のヘッジファンドに「売りを浴びさせられ」株価は暴落したかもしれない。余程、経営者は発言は気をつけないと。市場は容赦しないからね。我が社の経営陣も、その点は大したものだ。自負出来る。
因みに我が社はテレ○からスポンサーを降りた。近くT者からも降りるも・・・。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c87
コメント [原発・フッ素25] 原発が爆発しても政局に明け暮れる日本の政治家たち[きっこのブログ:被災者救済に何ら貢献しない野田政権の実態] 一市民
03. 2012年7月07日 14:11:33 : XtPCId5jNs
きっこさんもあんまり小沢さんが立ち上げる新党を応援すると
仲良しのみずほちゃんの社民党票が新党に流れちゃう
苦しい立場ですね〜
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/428.html#c3
記事 [音楽8] カーラ・ブルーニで「Le plus beau du quartier」力が抜けていて、最高の演奏です・・


http://www.asyura2.com/12/music8/msg/260.html
コメント [原発・フッ素19] Re: 宇宙飛行士が内服している薬・食品について 爺さんより SaveChild厨
148. てんさい(い) 2012年7月07日 14:14:20 : KqrEdYmDwf7cM : MgyWvSE9gs
>>147 長野市の子どものためにxtendのTotal Balance Childrensを注文しました。

カード払いは心配な人も多いと思いますが、今回は
JNBのワンタイムデビットで買いました。

爺さんのコメントは前からずっと気になってはいましたが、
「じゃ、いったい何を買えばいいの?」がよくわからなかったので
今まで買えませんでしたが、今回はは『これを買え!』ということだったので
やっと買いました。

いろいろ参考になります。ありがとうございます。


http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/909.html#c148

コメント [経世済民76] 消費税増税分はすべて米国に上納されることになるだけ・・NY大暴落は突如やってくる引き金は小沢! 墨染
19. 2012年7月07日 14:14:56 : LLT89lrtIQ
>18
>ただし、日本軍がアメリカの属国兵として挺身するという前提が必要でしょうが。
マサカと思われるでしょうが、日本政治のトレンドはその方向です。


マサカなんて、脳内御花畑状態にされてる人がまだまだ圧倒的多数ですね、日本は。
何しろ主人のアメリカ様の世界戦略を全面的に支援する為に情報操作し世論誘導して
日本人を騙しているのが日本のマスコミときているのだから始末に負えません。

というか、アメリカの属国支配政策の最たるものが、属国のマスコミの買収支配と、
買収したマスコミを自在に駆使した、属国国民の洗脳。洗脳の為の情報操作なので。

結局、そんなマスコミに騙され放題に騙されて、真逆の政治家を選んでしまう
日本国民自身がダメなのでしょう。

http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/750.html#c19

コメント [自然災害18] 詐欺師「きくちゆみ」の出稼ぎ〜ヴィクトリア州で起きた地震、その後の情報&翌日メルボルンで撮られたケムトレイルの映像 千早@オーストラリア
21. 2012年7月07日 14:15:21 : wgYYOT6n7I
>>12 私は千早@オーストラリアさんは嫌いではありませんが、ただ私もどうしてここまできくちゆみさんを敵視するのか、とは思います。
きくちゆみさんが詐欺行為を行ったかどうかは私にはよく分かりませんが、仮に行ったとしてもこういう悪辣な行為をしている人間は他にも沢山いますよね?何故きくちゆみさんだけをここまでターゲットにするのでしょう?

私はきくちさんは「同時多発テロがやらせ」という事を主張している人物という程度の認識しかないのですが、それは千早@オーストラリアさんも主張している事ですよね。(これが自分と逆の主張をしているならまだ分かるのですが)

自分と同じ主張をしているからこそ許せない、のかもしれませんが、良い印象を持てない事は確かです。きくちゆみさんの事はどうでもいいではないですか。これが個人的に何か被害を被ったのならお気持ちは分かるのですが、どうもそうではないのにここまで敵視するというのは、正直良い印象が持てません。



http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/401.html#c21

コメント [原発・フッ素25] 首相官邸前デモ 警官が駅出口を封鎖し、参加者を足止めしていた(ざまあみやがれい) CERISES
15. 2012年7月07日 14:16:36 : XtPCId5jNs
IWJで映像を見ようとしたら
なぜか何度やりなおしても
なかなか開かなかった
もしかしてこれも?
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/426.html#c15
コメント [音楽8] Alison Limerick - Make It On My Own お子茶魔
83. 2012年7月07日 14:17:31 : hNV3zbeWvM
>82 親分へ

へ〜っ!さっそく借りたくなるほどなんですか?!すごっ
吟味してからに、またおせーてくださいね。
この歌手は今にもっと良くなりそうです。

K子
http://www.asyura2.com/12/music8/msg/160.html#c83

コメント [音楽8] カーラ・ブルーニで「Le plus beau du quartier」力が抜けていて、最高の演奏です・・ BRIAN ENO
01. BRIAN ENO 2012年7月07日 14:19:57 : tZW9Ar4r/Y2EU : yhmbAsnuyo
このライブ・・最高ですね・・
曲もすごくいいけど、
後半のカーラとメンバーの掛け合い
カーラの口笛とメンバーのドラムやギターの掛け合い・・
こんなの初めてみました・・

口笛と言えば、
ビリー・ジョエルや矢沢やブライアン・フェリーやジョン・レノンですが・・

こんな口笛は初めて聴きました・・

最後のお辞儀の仕方まで、

イキです・・

おしゃれです・・

わしら米食ってる民族にはできないかもしれないなあ〜
こんなおしゃれなお辞儀・・
http://www.asyura2.com/12/music8/msg/260.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 大飯原発前で機動隊に「傘を差し出す女性」の姿は衝撃的です (民間人です)  赤かぶ
64. 2012年7月07日 14:21:36 : l3Fp1aCWNg
こいつらいざとなったら権力を守るために民衆に牙をむくよ
彼らも仕事だから・・・というのは言い訳にならん
それでは戦前の軍上層部の言い訳と同じだ


http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/388.html#c64

コメント [原発・フッ素25] 確実な広がり見せた官邸前金曜デモ〜亀井静香・坂本龍一もマイク握る(レイバーネット日本) gataro
05. 2012年7月07日 14:21:57 : XtPCId5jNs
お行儀の良い国民
お行儀の悪いマスコミでした〜
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/430.html#c5
コメント [カルト9] 野田ブーが官邸デモを妨害し始めたが参加者の関心が電通や日銀に向かうが偽ユダヤはその方が都合が悪いのではないか。 ポスト米英時代
02. 2012年7月07日 14:22:25 : rXhnnuVrfs
臭い匂いは元から絶たなき駄目。
サンポール。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/703.html#c2
記事 [音楽8] スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンの奥様でリビー・タイタスで「イェロー・ビーチ・アンブレラ」



http://www.asyura2.com/12/music8/msg/261.html

コメント [原発・フッ素25] 7.6 官邸前・関電本店前 (NNN. FNN, NHK, MBS, ANN, TBS) 妹之山商店街
03. 2012年7月07日 14:26:15 : ZbEkMfgIXY
園良太 ‏@ryota1981

大拡散★政府の国家戦略会議が自衛隊の『集団的自衛権』容認を提言した!絶対許さされない、歴史上侵略戦争は常に『自衛』を言い訳にされてきたから。先月原子力基本法へ安全保障利用=核兵器転用可能を書き込んだのと同じ動き。今官邸は軍事面でも大暴走してるんだ。詳細は東京新聞、今後も共に反対を
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/435.html#c3

コメント [経世済民76] 「生活苦しい」62% 世帯所得538万円 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
08. 2012年7月07日 14:27:38 : rXhnnuVrfs
マスゴミで流れて来る情報は、幻想ばかり。
マスゴミの詐欺言葉にご用心。
無防備でいると、命、取られます。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/793.html#c8
記事 [音楽8] クリストファー・クロスの曲で癒されてください・・(動画埋め込みの為、再投稿)



http://www.asyura2.com/12/music8/msg/262.html

コメント [自然災害18] ホントか!?東京7日以内に震度6〜7 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
179. 2012年7月07日 14:31:32 : cCrcZ0sDf2
備えあれば憂い無し

まっ、それだけの情報があるなら気をつけるにしくはなし。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/403.html#c179

記事 [音楽8] サイモン・フィリップス、フィル・マンザネラ、ブライアン・イーノ参加 名盤「801ライブ」 全編


http://www.asyura2.com/12/music8/msg/263.html
コメント [エネルギー2] 光吸収100倍の太陽電池を開発 岡山大、生活排熱で発電も てんさい(い)
13. 2012年7月07日 14:35:51 : R3EofNIoSg
自ら調べもせずに否定する輩のなんと多い事か

電力利権の工作員ならまだよいが、ただの無能な市民と思える。
科学的事実や論理をふまえず、印象と雰囲気のみで理解する幼稚な日本人の特性なのでしょうか。

経済問題も、原発問題も、すべてこの愚民化が最大の原因だと感じる。
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/644.html#c13

コメント [原発・フッ素25] 野田首相、原発事故の責任を取らないと閣議決定 (週刊金曜日ニュース ブログアーカイブ) ナルト大橋
43. 2012年7月07日 14:37:02 : cCrcZ0sDf2
あれっ!
ドジョウは「命を懸けるぅ〜!」って言ってなかったか?????
ドジョウの命なんかもらってもしゃぁないけど、一応約束だから、もらっとくか^^



http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/393.html#c43

記事 [音楽8] ブライアン・イーノで「陰気な爬虫類」



http://www.asyura2.com/12/music8/msg/264.html

コメント [雑談専用40] おくびょうな日本人に脱アメリカなどできようか 愛国日本
11. 2012年7月07日 14:38:52 : hzsfPtuQQg
底の底の底まで点検したがる日本人のDNAは、それはそれでいいのだが
攻撃相手、攻撃の矛先を間違えている。実際がどうなってしまっているかだ。
セーフになるかアウトになるかは大きい。みんなセーフにしてやるのが愛か。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/116.html#c11
コメント [原発・フッ素25] 7/5 交通事故で100万人以上が死んでる。原発でそんなに死にましたか? 子供服メーカー「ミキハウス」木村皓一社長の暴言 赤かぶ
88. 2012年7月07日 14:42:37 : jKozaK6Oxw
1000万人以上が死んでいると書く基地外が、阿修羅掲示板のスタンダードな馬鹿なのですね。

馬鹿さ加減がよくわかります。

最近、性格の悪い厨房が、放射能の害を過大に装うを書き込んで遊んでいるという噂を耳にしました。世も末ですな。

ここで、あおっている奴らの中には、そういう最低最悪のクソガキもいるのでしょうね。

>>9 >>41 >>43 >>85
のあたりは、しょんべんくさいガキのにおいがする。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/379.html#c88

コメント [カルト9] 野田ブーが官邸デモを妨害し始めたが参加者の関心が電通や日銀に向かうが偽ユダヤはその方が都合が悪いのではないか。 ポスト米英時代
03. 2012年7月07日 14:44:09 : rXhnnuVrfs
× 臭い匂いは元から絶たなき駄目。
○ 臭い匂いは元から絶たなきゃ駄目。

今後、くそマスゴミがこのデモをどの様に無視するか、報道?するか、見ものだ。
デモを無視するマスゴミは、小沢を追い出した、民主党みたいに見えてくる。
あの時にキチンと報道しておけば(反対票を入れておけば、離党しておけば)良かった等とほざいても遅いのだ。
まあ、いまさらキチンと報道したところで、下心は国民に読まれている。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/703.html#c3

コメント [原発・フッ素25] 坂本龍一さん 官邸前抗議でスピーチ「 1基2基再稼働されてもへこたれるな!」 再稼働容認という噂を否定 ジャック・どんどん
06. 2012年7月07日 14:46:33 : qaeYfwdOhw
斎藤和義の、みんな嘘だったを、歌おうぜ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/415.html#c6
コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
692. 2012年7月07日 14:51:50 : NJLjNk31wI
早野さんは余程、小沢さんが嫌いなようで。確かに小沢さんが過去の言動からして「反原発・反消費増税」でもないことは事実のようではあります。
朝日は小沢憎しで固まっているから、早野さんも呪縛から逃れられない。
ま、いろいろな意見があった方が良いのでは・・・
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c692
コメント [音楽8] ニコラ・サルコジ前大統領の奥様・・カーラ・ブルーニで「Tu es ma came」渋くて・・いいです! BRIAN ENO
01. BRIAN ENO 2012年7月07日 14:52:22 : tZW9Ar4r/Y2EU : yhmbAsnuyo
昨日、あたりから、カーラの音楽を聴いているが・・
想像していたより、数段、すごい音楽家であることがわかった・・
(まだ、10曲くらいしか聴いていないが・・)

親父(法的な)が作曲家
母親がピアニスト
実の父親は母親の浮気相手(母親より13歳年下)の
クラッシック・ギタリスト・・とのこと・・
音楽的な才能を伸ばすには環境もDNAも最適だったようである。

まあ、向こうは、なんでもすごいですね・・


http://www.asyura2.com/12/music8/msg/259.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 確実な広がり見せた官邸前金曜デモ〜亀井静香・坂本龍一もマイク握る(レイバーネット日本) gataro
06. 2012年7月07日 14:54:10 : qaeYfwdOhw
真打ちの小沢が出るときは、きっと100万人規模の集会になるぜ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/430.html#c6
コメント [原発・フッ素25] 100万人どころではないチェルノブイリ犠牲者 -- 人口激減に直面する日本 魑魅魍魎男
38. 2012年7月07日 14:55:44 : rN8thSRFM2
>>16 の科学的な投稿が大正解。以上、終わり。

 こんな馬鹿げたあおり記事が、「管理人メモ」だってさ(笑)

 阿修羅一の放射脳って、結局管理人だよね。どうせ「赤かぶ」も本人では?

 野呂美加の妄言なんて、投稿するなよ。読む気が失せる。

 EM菌であくどい商売をやっているそうだね。
 そんなもので放射線が減るなら、誰も苦労しないよ。
 おかげで、騙されていると気づいて、脱脳するきっかけになっているみたいだぞ。

 ママさん達のきっかけ
 http://togetter.com/li/265755
 
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/383.html#c38

コメント [マスコミ・電通批評13] メディア批判の誤謬 taked4700
05. 2012年7月07日 14:58:02 : Vsqgz0r4Xg
「詐欺師が詐欺に引っかからない注意方法を教えます」ってか。

「でも、僕は詐欺を続けます」、「詐欺師に詐欺をするなと批判することは間違っていますよ」

ということか。
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/217.html#c5

コメント [原発・フッ素25] 《放射能》 北海道産「かれい」からセシウム(マルエツ) (本当の食品 放射能汚染)  赤かぶ
09. 2012年7月07日 14:59:29 : qaeYfwdOhw
去年道東の方に行ったら、やっぱりセシウムが出たと言っていた。マスコミも来ていたが、結果は伏せたらしい。地元の人たちはある程度知ってると思うよ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/396.html#c9
コメント [原発・フッ素25] 原発比率15%でも“廃炉時代”へ 電源構成の政府方針が福井を左右 (福井新聞) ナルト大橋
02. 2012年7月07日 15:00:44 : XxnaKxvdpp
使用済み燃料は一体どうするのか。これを外しては議論にならない。
地層処分は無理と学術学会で結論が出たばかりなのに、これ以上一本でも増やせないはずでしょう。
電気料金はいずれにせよ廃炉費用、燃料処分費用で高騰するでしょう。企業は自家発電で乗り切るしかないし、一般家庭もそろそろ市民発電所の建設を考えていかなければならない。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/433.html#c2
コメント [原発・フッ素25] 7.6 官邸前・関電本店前 (NNN. FNN, NHK, MBS, ANN, TBS) 妹之山商店街
04. 2012年7月07日 15:03:39 : yLMEfzZ9sc
しかし日本のカスゴミの連中の報道姿勢はほんと他人事だな。
どうしようもないスカしたバカの集まりだ。
大学生のサークルの延長かな。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/435.html#c4
コメント [マスコミ・電通批評13] 毎日新聞の与良正男が「鳩山さんの話って、もう止めましょうよ」とコメンテイターの責任を放棄!  板垣 英憲  赤かぶ
02. 2012年7月07日 15:03:54 : KTm7Elz0U2
与良は新聞テレビで散々小沢バッシングしながら、
突然、毎日紙上で「もう小沢の話はやめよう」などとコラムに書いておった。
そのくせ、またテレビに出ては、小沢バッシング〜

http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/219.html#c2
コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
693. 2012年7月07日 15:04:32 : NJLjNk31wI
小太りな女性・・下村満子女史ではないですか?下村塾で忙しいのか?二木さんと同じような心境なのか?
メールに拘りますが、美帆ちゃんの時は13回。インターネットで2回。
そろそろ飽きてきた感じです。(一応、2回目からは再放送を録画しています)

それにしても、12時のNHKニュースでは「政府が尖閣を買い」「各地で被害」「野田が被災地・・(復興が進んでいるところばかりだけど)」「パンダ」と続く。ニュースがないなら止めても良いのに・・・。BSでは2CHも使って大リーグか。木曜なんて総合で08:00〜11:00まで放送。
これを偏向放送局と言わずにナンと言う?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c693

コメント [原発・フッ素25] 大飯原発前で機動隊に「傘を差し出す女性」の姿は衝撃的です (民間人です)  赤かぶ
65. 2012年7月07日 15:06:20 : YF2IdmlvGA
傘を差し出されている機動隊員の気持ち(想像)

「うわっ!こえ〜。
 この女、目がいっちゃってるよ。
 貞子か、お前。正視できん。

 そういうパフォーマンスを意識しているのだろうが、
 前からだと、睨みつけている目が怖すぎる。
 政府公報は、前から写せ。
 みんな、びびるぞ。

 だいたい、お前達がこんなことをやっているから、俺たちまで雨の中、働いているのだ。
 早く、任務を終えて地元に帰りたいから、とっととあきらめて帰れよ。いい迷惑だ。」
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/388.html#c65

コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
694. 2012年7月07日 15:11:18 : NJLjNk31wI
そういう訳で7・16のNHK前の代々木公園で大江氏らの呼びかけの10万人集会に参加を予定。・・これで自分自身の「反原発運動」にも区切りを付けようと・・
「継続は力」と言うけどなかなか。横尾さん、マエキタさんは凄いなーーー。
最近は堪え性というか粘りが消えたようでパックインも中折れでして中座でござる。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c694
コメント [原発・フッ素25] 首相官邸前デモ 警官が駅出口を封鎖し、参加者を足止めしていた(ざまあみやがれい) CERISES
16. 2012年7月07日 15:12:11 : cCrcZ0sDf2
>>08 odJEEh6Pq2 さん

同意です。
これはぜひとも外国メディアに拡散したい記事と映像です。
デモは国民の権利です。
警察が国民を駅に閉じ込めて外へ出られない様に塞いでいます。
デモに行けないように塞いでいます。
これは大問題です。
外国メディアさん、この記事と映像を外国に拡散して下さい。
日本政府が国民に対してこんな理不尽な事をしている事を拡散して下さい。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/426.html#c16

コメント [原発・フッ素25] 10万人デモで少量の放射能汚染土を携行して首相官邸の前庭に放置する? (ハイヒール女の痛快日記)  赤かぶ
33. 2012年7月07日 15:13:08 : wSpyZYHuYs
>30 さん
>。ヨ狂っている」
>投稿者がご自身が覚悟の上で行動を起される分には、なんら否定するものではありません。

1でコメントしたものです。
覚悟の上で行動したなら否定しないと言われますが、
その結果について、考えましたか?

放射性物質の携行や放置と、
放射性物質を拡散している政府、同じではありませんか?
政府や首相が覚悟の上で、放射性物質を拡散するなら否定しない・・・?

もちろん規模や影響力は違いますが、それでも必ず巡り巡って自分たちに還って来ます。
今、日本が崩壊しているように、感じている人も多いと思います。

わからなければいいとか、自分たちの利益ばかり考え、
人のことなどどうでもいいと、考えてこなかった結果だと思います。
それでは崩壊すると思いませんか?

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/399.html#c33

コメント [エネルギー2] 未来エネルギーの王者マグネシウム カクジツ大納言
08. 2012年7月07日 15:19:31 : lRImIotEJo
世界の平均電力料金の三倍もする電気代だのに、安いと国民を騙して地域独占価格を押しつけて、危険な原発を作って来た日本の電力会社は、東電も関西電力も詐欺で金を稼いで来たペテン師だと明らかになった.それを真似して乗っ取ろうとしているのが、ソフトバンクで味を占めた孫正義だと言うことだ.この国は野田佳彦を始めにした二枚舌の詐欺師だらけだ。国民はバカだから何度でもダマされる。
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/676.html#c8
記事 [経世済民76] 現地ルポ バブルから1年 福島いわき歓楽街のいま (日刊ゲンダイ) 
現地ルポ バブルから1年 福島いわき歓楽街のいま
http://gendai.net/articles/view/syakai/137497
2012年7月7日 日刊ゲンダイ


 「暴漢事件」で原発作業員は消えたが…

<今後は、九州から大勢の除染作業員が来た!>

 福島第1原発から40キロ余りのJRいわき駅。事故後、周辺の歓楽街は各地から集まった原発作業員たちであふれ返り、「震災バブル」に沸いた。しかし、作業員たちのトラブルが続出し、東電は“夜遊び禁止令”を発令。その後、街は静かになったといわれたが、今、どうなっているのか。現地を歩いた――。

「震災バブルの時は、店に入りきらないくらいのお客さんが来たけど、本当に荒くれ者ばっかり。今の方がいいわ」
 こう話すのはスナックを営む30代のママ。
「原発作業員の人たちは被曝(ひばく)線量の限度があるから2〜3カ月で入れ替わるでしょう。“旅の恥はかき捨て”なのか、ストレスのせいか、とにかく飲み方が汚くて。女の子のいる店では体を触りまくるし、別の作業員グループとケンカを始めるし、治安はメチャクチャ。毎日のようにパトカーと救急車が来ていたわ。とうとう、作業員が街で“暴漢事件”を起こしてね。去年の秋くらいに東電が夜遊びを禁止したの。それ以来、ずいぶん静かになったけど、今も身分を隠して、こっそり飲みに来ている作業員は結構いるわよ」
 入れ墨を入れた作業員も多く、店に来たら一目で分かるという。20代のキャバクラ嬢は言う。
「最近、とくに多いのが九州とか沖縄からのお客さん。聞いたら除染作業の人たちで、50〜60人くらいで来たんだって。でも、やっぱり酒グセが悪い人は多いみたい。何日か前もパトカー2台と救急車が止まっていたし。地元のバーテンも、他県の集団に殴られたって話してた。前よりマシになったけど、私はちょっと苦手かな……」
 作業員のトラブルが絶えないため、警察は取り締まりを強化。地元民は困惑しきっている。
「今も他県から大勢の警察官が応援に入っていますよ。神奈川県警のパトカーも見かけますね。以前なら進路変更禁止違反やシートベルト違反くらい見逃してもらっていたのに、他県警はうるさくて。こんなに警察官がウヨウヨいたら車も運転できない。大迷惑ですよ」(20代・バーテンダー)

<生保レディーは仮設住宅シラミ潰し、不動産屋は家賃つり上げ>

 笑いが止まらない業界もある。駅周辺のホテルだ。作業員らをまとめるゼネコン関係者がひっきりなしに泊まるため、今もバブルが続いている。
「東京からの出張で周辺のビジネスホテルを手配しようとしたんですが、1週間先まで予約で満室。10軒以上に電話して、やっと割高なダブルの部屋が1室だけ空いていました」(30代・出張族サラリーマン)
 保険会社もウハウハで、営業スタッフを大量に投入している。30代の生保レディーが言う。
「被災者は多額の保険金や原発賠償金を受け取っていますからね。お年寄りはすぐには使い道がないので、積み立てタイプの保険などは飛ぶように契約が取れるんです。早い者勝ちの争奪戦ですよ。仮設住宅を一部屋ずつ片っ端から回っているスタッフもいるそうです」
 人口33万9000人だったいわき市には原発事故後、2万2000人の避難民が押し寄せているが、県が民間の賃貸物件を借り上げて彼らに提供しているため、「引っ越そうと思っても、アパートの空き室が全くない!」と嘆く地元民は少なくない。さらに、こんな悲鳴もある。
「震災前に目をつけていた2DK、4万5000円のアパートが、8万円にハネ上がっていました。被災者のために県が6万円で借り上げてくれたので、不動産屋が賃料をつり上げているんです。不動産屋はボロ儲けでしょう。もう引っ越しはあきらめました」(40代の居酒屋店主)
 いわきでは、被災者を狙ったカルト教団の勧誘も横行している。まだまだ、静けさを取り戻せそうにない。



http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/799.html

記事 [カルト9] 野田と勝の早稲田クーデターは失敗に終わりそのとばっちりを受けて橋下維新もみんなの渡辺も民自公と心中となるだろう。
偽ユダヤというのは日本で言えば在日や部落といった少数派を傀儡に使うがそれに加えて今回は早稲田の東大コンプを利用して
日本乗っ取りを狙ったのではないか。
小泉は慶応だったが私の回りにはあんな馬鹿な慶大卒は一人もおらず裏口は明らかで一時騒がれたが卒業もできなかったのだろう
し進次郎の関東学院実質中退だかをみれば推して知るべしだろう。
余計だが二人の息子は整形疑惑があるようだが親子三人とも偽ユダヤが周到に仕込んだ操り人形という事なのだろう。
その小泉だがやはり多少東大コンプのある慶大クーデターを偽ユダヤは目論んで詐欺師竹中を教授に送り込んだが育ちの悪い馬鹿
コンビでは今一つ彼らを掌握しきれずに終わったのではないか。
個々人は当然いい人もいれば悪い奴もいるがチームで見るとやはり早稲田は偽ユダヤにたぶらかされやすい育ちの悪さを感じる。
在野の野性味が早稲田の魅力だったが昔の早稲田卒は個性があって型破りな所があってなくてはならない存在だったが東大や慶応
の滑り止めのような者が多くなり卑屈さと成り上がりの下品さが偽日本人に通ずる弱さを醸成してしまうのだろう。
私はどこの職場に行っても上下左右が慶応という環境で彼らの東大コンプも知っているが若大将や中村雅俊のような慶応落ちこぼれ
の天真爛漫さは早稲田からは生まれず教養で卑屈さを隠しているように感じる。
マスコミの早稲田という言葉は死語になったが彼らが庶民性を失って頭のいい貧乏人というか成り上がり根性で似合わない慶応ボーイ
のようなキザな態度で報道や政治をしているからおかしくなっているのではないか。
東大は東大らしくダサく頭が良ければいいし早稲田は下品に頭が良ければいいのであって両者とも慶応のおぼんぼんみたいに格好つ
けなくていいし似合わないのだ。
成り上がりが貴族ぶるから野田ブーや勝みたいにチグハグとなり偽日本人や偽ユダヤに利用されてしまうのだ。
早稲田OB会は野田ブー達を一喝し弱きを助け強きをくじく庶民の味方の男の中の男のダサい早稲田魂を取り戻させる事だ。
慶応ボーイは格好いいが早稲田ボーイは格好悪いと教える事だ。
東大に劣る脳みそで頭のいいフリをするのもやめさせる事だ。
東大より頭が悪くて慶応より格好悪くて両者より包容力があってこそ早稲田なのであって似合わない猿真似はやめる事だ。
慶応卒の小沢にお株を奪われているが本当は早稲田こそ無鉄砲に偽ユダヤと戦うに相応しいのだ。
私が子供の頃は進学塾でない学習塾があり早稲田夫婦が近所の子供の面倒をみてくれたが鼻くそはほじくるは煙草はすわせるは宿題
をさぼると殴るは今じゃ有り得ない塾だったがキャンプややみ汁会やお化け大会と遊ばせる事に力を入れて自分の子供は落第生という
型破りの先生だったがそれでこそ早稲田マンなのだ。
早稲田にいい女もブランド物も社会的立場もいらず悪を憎む気持ちだけあれば十分でそれを捨てたら存在意義がないのだ。
原点に戻る事だ。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/704.html
コメント [原発・フッ素25] 確実な広がり見せた官邸前金曜デモ〜亀井静香・坂本龍一もマイク握る(レイバーネット日本) gataro
07. 2012年7月07日 15:23:56 : 64GoGb3EeY
亀井や田中は、元々、反原発派か???
自分のアピールの為、この情勢を利用
しているんじゃないだろうな。
共産、民主なら分かるけど、、、。

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/430.html#c7
コメント [社会問題8] "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点・・TVのネがティブパッシングを真似る悪ガキ 墨染
01. 2012年7月07日 15:25:09 : 9zjQ9y9Dfs
大津いじめ自殺  加害生徒の母親ら 「いじめはなかった」  父親が被害届出すも警察は受理拒否 「被害者がおらず立件難しい
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/442.html
投稿者 MR 日時 2012 年 7 月 05 日 18:11:36: cT5Wxjlo3Xe3.

例えばこれ。

市教委と警察がもみ消す方向で一致しているようですけど
これだけ権力者による囲い込みが起きていれば
報道やネットが無ければ、既に消えている問題ですよね

なんというか
昔は速やかに闇に葬る事が出来たのが
現在出来なくなった事への苛立ちに見えますね
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/776.html#c1

コメント [原発・フッ素25] 関電本店前、過去最多2700人がデモ (朝日新聞)  赤かぶ
06. 2012年7月07日 15:26:02 : qaeYfwdOhw
とりあえず、若狭湾の魚介類は、食べない、買わない運動をしよう。あと、スーパーから福井県産のものを排除しよう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/418.html#c6
コメント [原発・フッ素25] 同一価値労働同一賃金は東電現場社員には配慮すべき、消費者と現場社員犠牲の事故対応 heiwatarou
03. 2012年7月07日 15:26:50 : XxnaKxvdpp
東電は実質上潰れたのです。
賃金に文句をつけられたくないなら注入した税金を全額すぐ返してください。

>同一価値労働同一賃金の理念

この不況下にこの理念の通用する業界は電力だけなのではないですか?

http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/416.html#c3

記事 [日本の事件30] “自殺中学生”に残酷すぎる返信メール…「死ねばいい」 (ZAKZAK) 
“自殺中学生”に残酷すぎる返信メール…「死ねばいい」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120707/dms1207070714001-n1.htm
2012.07.07 夕刊フジ

 大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、学校側が直後に全校生徒に実施したアンケートに、「(男子生徒が)『もうおれ死ぬわ』とメールをして、(いじめていたとされる同級生の一人が)『死ねばいいや』と送り返していた」との回答が含まれていたことが6日、関係者への取材で分かった。市教委は男子生徒の両親にメールの履歴などの確認をしていなかった。

 メールについての回答は7人分あったが、いずれも伝聞で、記名は3人。「亡くなる前日にいじめていた3人に『明日死にます』のメールを送った」と書いた生徒もいた。また、「がんの友達に自分の命をあげると言っていたらしい」など、いじめと自殺の関連を示唆する回答もあった。

 男子生徒の父親(46)は「短期間でストレスを受け続け、生きていくのがいやになったのかもしれない。学校の対応が早ければ、自殺を防げたと思う」と話している。



http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/445.html

コメント [原発・フッ素25] 原発が爆発しても政局に明け暮れる日本の政治家たち[きっこのブログ:被災者救済に何ら貢献しない野田政権の実態] 一市民
04. 2012年7月07日 15:32:13 : Q1AShcAlNU
きっこさんには小沢新党から出馬して欲しい。野田、枝野、辻元清美、
前原、岡田の選挙区で是非お願いします。
きっこさんの知性、見識、良心、若さ、美貌、説得力、知名度で必ず勝利すること間違いないです。いずれかの選挙区で悪徳政治家たちと負かして下さい。
是非ご一考をお願いいたします。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/428.html#c4
コメント [原発・フッ素25] 大阪緊急集会・大飯破砕帯調査求む {緊急集会のお知らせ}(牧村しのぶのブログ) メジナ
01. 2012年7月07日 15:34:26 : qaeYfwdOhw
もともと大飯原発の土地って、どんな状態だったんだろう。陸の孤島で二束三文状態だったんだろうか。貧しい漁村集落だったんだろうなあ。どんな手段で買収したんだろう。再稼働反対運動と同時に若狭湾の魚介類を買わない、食べない運動もするしかないな。地元にはかわいそうだけど、こういう事も必要なんだろうな。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/398.html#c1
コメント [Ψ空耳の丘Ψ60] ウイングメーカー Ancient Arrow Project 1984
04. 2012年7月07日 15:36:52 : XhZqcfvHfg
http://tou.ch/news/article/6726328/
これは、ウイングメーカーではないでしょうか???
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/174.html#c4
コメント [マスコミ・電通批評12] 愛川欽也さん語る自由望口論の場へ、ネット放送局設立/「これは危ないんだぞ」と誰かが言わなければ(しんぶん赤旗) gataro
695. 2012年7月07日 15:42:22 : bDBUl7kQxQ
野田佳彦首相は7日午前、尖閣諸島の国有化について「平穏かつ安定的に維持・管理する観点から、所有者と連絡を取り、総合的に検討している」と述べた。中国などの反発が予想されることに関しては「わが国固有の領土であることは間違いない。領有権問題は存在しない」と語った。訪問先の福島県いわき市内で記者団の質問に答えた。(時事通信)


領有権問題が存在しないのに国有化する意味は? 結局なに言ってるのか全然わかりません。
中国は反発しているが?と問われているのに領有権問題は存在しないって、答えになってない。こんなんだから向こうが突っかかって来るんじゃないのか?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c695

コメント [原発・フッ素25] 大飯原発前で機動隊に「傘を差し出す女性」の姿は衝撃的です (民間人です)  赤かぶ
66. 2012年7月07日 15:49:30 : R4bDkO5muo
見ている人も多いと思いますが、念のため以下アドレス添付します。

http://www.at-douga.com/?p=5228

原発ロビーの話や上杉氏らフリージャーナリストが弾圧された話なども語られています。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/388.html#c66

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