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2012年5月05日14時30分 〜
コメント [原発・フッ素23] <拡散希望&参加者募集>本日、全原発停止!「原発ゼロ」のカウントアップを開始します 遠山の金さん
06. 2012年5月05日 14:30:45 : 3RdA1nN1ng
アメリカABCニュースの中でも日本の原発全停止は放送されていました。
世界も注目、だから止めたくなかったんだね。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/461.html#c6
コメント [マスコミ・電通批評12] 大朝日新聞の落日 (オリーブの声)  赤かぶ
11. 2012年5月05日 14:33:12 : yBmmA3sXwo
5月5日、

東京新聞と浅し新聞の紙面を並べて、見よ!

何も言わん。

それ位の判断付かないら、

自己責任の今の世、

生きて行けないでしょう?

浅し新聞の話、聞いていたら、

消費税増税賛成、TPP参加賛成、アジア防衛日本が肩代わり賛成、原発再稼動賛

成……、貧乏人は殺されるよ!

意味分からん内に、

貧乏人は身包み剥がされ、

路傍に放り出せれる。

これが、浅し新聞だな。

浅し新聞とって

一族郎党、餓死するか?

浅し新聞止めて、まだ、貧乏人は助け合い、生きることを選択した方が良い。

それとも、大浅し新聞購読、ステータス!やるか?

どうぞ、どうぞ、どうぞ、

ご臨終、お悔やみ申し上げます。

としか………
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/872.html#c11

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
126. 2012年5月05日 14:36:17 : bT4qREBBcU
たくさんの方が亡くなっていることには疑義はありません。

しかし、この方の情報は信用できません。
私は、山形市出身で、東北大学の出身です。
医学部出身ではありませんが、家内は新潟県出身なので、この地域の大学病院のユーザとしては詳しいつもりです。

東北大学医学部と新潟大学医学部は閥が異なるため仲良くありません。山形大学に医学部が新設される際、双方から教授陣を招聘しましたが、最初のころは学閥争いで、利用者側も困惑していました。

したがって、新潟県内に東北大学医学部付属病院の分院が新潟県内にあるなんて????なんです。まだ、北海道に分院があるといったほうが信憑性があります。北海道大学は東北大学の農学部の分校から出来た学校なので、仲がよいですから。

58、70、77、86さんもかいていらっしゃいましたね。
76さん、くだらないコメントでごめんなさい。

ところで、東北大学にも原子力工学科がありますが、今年は学生が集まったのでしょうか?いまさら原子力を一生の仕事にしようという学生はいるんでしょうか?
うんと入試のレベル下げて定員を満たすことはできても、使い物にならないでしょうし、そもそもその関係に就職してくれるかどうか?

今後、何十年掛けて、全国の原子炉を廃炉にしていくに当たり、専門家が世代交代とともにいなくなり、どうにもならなくなるという危惧を覚えます。誰かがやってくれるだろうという無責任な危惧ですが、最初に日本に原発作った大馬鹿野郎はそこまで深く考えていたのですかねえ?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c126

コメント [Ψ空耳の丘Ψ60] 続・霊能師の叔母から、ぞっとする話をされた 東京は危機に直面 新たな地震と放射能汚染 てんさい(い)
88. 2012年5月05日 14:37:38 : kCDGMDBlFA

社会構造が変われば、無能と思われていた人達が出て来て活躍すると云う意味なんでしょうね。

エシュロンを登場させたのは、管理職としては最低評価されていた直属上司でした。
怖くなって、私を摘み出そうとした時は、猛烈に腹が立ったのですが、
後から、あんなに腹を立てる事も無かったのに・・・と反省しました。
役割分担=適材適所 と云うか、長所短所も相対的なものです。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2574.html

在日が居なくなっても、直ぐ機能する日本社会が出来ると確信してます。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/697.html#c88

コメント [戦争b9] やはり日本の原発は核開発目的だった!米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!開発担当窓口は電力各社(米NSN)  びっくりカメラ
77. 2012年5月05日 14:41:22 : oDZLjorBrU
>>04
バカですね。
これだけ原発に囲まれた日本が核爆弾を作ってアメリカに逆らえる筈なんかないじゃ有〜りませんか!
超強力濃縮プルトー君を雨理科へ売るんでしょうよっ!
一握りの人は、大金持ちよ。
それで外国で安全な蝶よ花よの極楽生活。
国民は被曝で苦しみ財産を全て無くし、子供も無くして仮設住宅で北みたいな一生生き地獄暮らし。
時々頭から土砂が降ってきたりして。
何てったって
オトモダチ作戦ですから。

http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/220.html#c77
コメント [自然災害18] ミッチェル・クームス M9.3の地震が東京を襲うという警告(facebookより)      びっくりカメラ
55. 2012年5月05日 14:42:31 : kCDGMDBlFA
日本人は、神の国の中で 日本人だけで運営できる能力を持っている。
在日は、要らない国。

エシュロンで、有名な話。ネットが普及する前の話。

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2574.html
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/273.html#c55

記事 [原発・フッ素23] 瓦礫のトリック・・・法律を作る国会議員が「法の目をくぐる」習慣か?  武田邦彦 
瓦礫のトリック・・・法律を作る国会議員が「法の目をくぐる」習慣か?
http://takedanet.com/2012/05/post_cca8.html
平成24年5月5日 武田邦彦(中部大学)


武田邦彦 「瓦礫のトリック・・・」 2012.05.05


被災地の瓦礫を他県に移動するのは次の点で「法律違反」か「法律の網の目をくぐる」という範囲になるのです。

1) 1キロ100ベクレル以上は「低レベル廃棄物」(低レベル廃棄物の基準は明確ではありませんが、これまではこの程度でした)、

2) 低レベル廃棄物相当のものだから、首長や議会が単独に決められるものではなく、住民説明、住民投票などを必要とする、

3) 1年に0.01ミリシーベルトの被曝になる可能性のあるものは「原子炉で汚れたもの」として一般の社会に持ち込まない(クリアランスレベル:違反は1年以下、100万円以下の罰金)。およそ1キロ100ベクレル相当。

4) たとえ持ち込むものが1キロ100ベクレル以下でも、簡単な操作中に100ベクレルを超える行為をしてはいけない。「焼却したら直ちに8000ベクレルになる」などは法の精神から許されない、

5) 日本の法律ではセシウム137が1キロ1万ベクレル以上になると「放射性物質」になって厳密な取り扱いを求めている(放射線障害に関する複数の法律。もちろん同じ数値)。そこでその10分の1のレベルは普通は使用を制限する(10分の1については多数の議事録あり)、

6) 合計2300万トンの瓦礫のうち、400万トンだけを搬出する合理的な理由が示されていない、

7) 地元はそのほかにも瓦礫を多く抱えていて、むしろこの400トンも含めて処理施設ができるのを望んでいる、

8) 瓦礫処理単価が、阪神淡路で2万2千円、今回が6万3千円で、その差の理由が明確に示されていない。遠隔地に運搬するからという理由もあるが、遠隔地に運搬する理由が示されていない。

9) 福島原発から漏れた80京ベクレルは、もし日本人全員が平均的にかぶるとすると日本列島には住むことができなくなるが、

このようなことを考えると、政治家や役人が自ら法や法の精神を守ろうとしない姿が浮かび上がります。これほどの矛盾を認めては民主主義とは言えません。



http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/464.html

コメント [ペンネーム登録待ち板6] 日本人の役割分担=適材適所  NYウォール街奇襲攻撃開始=全世界スパイシステム・エシュロンへ 龍雲
02. 2012年5月05日 14:56:45 : kCDGMDBlFA
羊飼い達の御主人様は、ドコニアン(アヌンナキ)・レプティリアン達です。
NWOに向けての 日本の支配者である在日の人達は何をやろうとしているのか
全く理解できないです。 そもそもレベルが低く、幼稚過ぎて、橋にも棒にも引っ掛からない。
もう少し、電通で 在日工作員の人達を教育してくれると、私達 日本人も分かり易い。


TVのサブリミナルにしても、在日と羊飼い達のフリーメイスン部隊とでは、レベルが違い過ぎます。
88年以来、トラウマが未だ治らず、ほとんどTVを観ないのですが・・・
ツイッター仲間から、ルシファーの眼をモチーフにしたトヨタのCMがある事を知らされ、驚きました。
ルシファーの眼 そのものを広告に出すとは、露骨です。
http://www.youtube.com/watch?v=6z_2uunLfTg
しかし、センスは良い。 在日の韓流ゴリ押しとレベルが違う。


88年は、眼ん玉のマークのフジTVの深夜番組に、私の作った標語を映し出す番組があった。
その中から、じっとしている状態を表現した【寝る食う遊ぶ】を使って、

日産 セフィーロのCMで、井上陽水さんを使って、私個人を馬鹿にした。
ニヤニヤした後、大笑いして 『どうも、キーワードは、食う寝る遊ぶらしいですよ!』と。
ただ馬鹿にしているだけでなく、娯楽(五楽)の内、残りのセックスと殺人・・
つまり、バブルの快楽と、バブル崩壊&オウム先発の半島勢力による日本乗っ取りを
示唆していたと云うのは、明らかに ユダヤが企画したと思われます。

日産も、既にユダヤ資本傘下。 トヨタも危ないのだろうか?

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2574.html#c2

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
127. 2012年5月05日 14:57:28 : CJRhwAIuD2

まず、その情報が正しいか正しくないかよりも、板垣英憲の情報源は
「フリーメーソン・イルミナティ筋の情報によれば」ですよね。
以前、板垣氏のプログを読んでいましたが、ある情報筋とかイルミナティ筋とか情報源の
信憑性が低いので読むのを止めました。
私はWikileaksをチェックしていますが、福島原発の作業員800人の死去が真実ならば
Wikileaks が公表しています。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c127

コメント [原発・フッ素23] ≪こちら特報部≫ 「福島」元技術者 10年前の脱原発 2012/05/04(東京新聞)  赤かぶ
07. 2012年5月05日 14:58:29 : oDZLjorBrU
>>05さん
>六ヶ所村の再処理工場が1日稼動したら
>日本の全原発が1年間に出す放射能を外部に放出させます。

そうですか。
今まで事故続きで稼動を延ばしに延ばしてきましたが、今年の9月が引き伸ばす最終期限だと政府が言っています。

まだ稼動していませんから、今なら廃止出来ますよね。
この六ヶ所村の燃料再処理工場はどうしても一番最初に廃止してもらいたい施設です。
この六ヶ所村の燃料再処理工場さえ廃止出来たら、「もんじゅ」のMOX燃料も作れませんし、原発のプルサーマル化などという恐ろしいものも一度に阻止出来ます。

それを隠したいからこそ、今 鶴賀の活断層 を持ち出したに違いない。
日本の原発はどこもかしこも活断層の上にある事など今更じゃないのか!
浜岡だってどこだって同じだ!
それを何でわざわざ”今”鶴賀の活断層発表なのかだ!

敵は本能寺に有り!

それは今年の9月の燃料再処理工場の再稼動隠蔽の為だとしか思えない。

真っ先に廃止すべきは青森県六ヶ所村の燃料再処理工場だ!



http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/445.html#c7

コメント [経世済民75] 財務省は特アのスパイ天国か!韓国政府・サムスンと癒着!世界銀行副総裁は勝栄二郎の弟!売国勝兄弟の歴史から判明・・ 墨染
09. 2012年5月05日 14:58:45 : d07iybJkXA
 
ここに書かれているのは、全体の半分くらい。
元サイトは、文字の色分けもされており、読みやすい。
コメント欄もある。
 
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/813.html#c9
記事 [国際6] 不愉快な現実・困難を排し接近する大国 “米中”が世界を支配するという認識 (世相を斬る あいば達也) 
不愉快な現実・困難を排し接近する大国 “米中”が世界を支配するという認識
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/027ec9375f2d131fc6ec7437c659b91f
2012年05月05日 世相を斬る あいば達也


 正直、嫌中にして超親米の産経や読売新聞及び人々は、少し目を覚まして、現実を直視すべきである。北京で開かれた第4回の米中戦略・経済対話が閉幕した。マスメディアの情報に翻弄されると盲目の人権活動家・陳光誠氏の処遇問題だけで終わったような話になっているが、そんなわけがない。陳光誠氏の問題は、一つのマターに過ぎない。あまり過大に論ずる意味はない。

 クリントン国務長官、ガイトナー財務長官、キャンベル国務次官補等々が出席している。人権活動家の亡命だか留学だかの為に顔を揃えたわけではないのは、常識で判断出来るだろう。表向きは「米国は個別事例も含め人権問題を取り上げ続ける」と米国は言い。中国は「我々には見解の相違がある。中国は人権問題について大きな進歩を遂げている」と反論するだろう。しかし、本当に話し合われたことは、公式の場に出るのは何年も先の話であること、我々は意識すべきだ。

 クリントン、ガイトナーの両長官は4日、胡錦濤国家主席と会談。胡主席は「米中双方は大局に目を向け、双方の核心的利益を尊重し、意見の食い違いや敏感な問題を適切に処理すべきだ」と語ったようだ。政治分野では、北朝鮮をめぐる情勢、南スーダン情勢が話し合われた。経済分野では、米中投資保護協定の交渉再開、中国の金融市場改革、人民元相場の水準等々が議題となった模様だ。米国は人権で中国を牽制し、中国は資金面で優位性を保ったと考えられる。

 4月25日の拙コラム「いま中国で起きている「薄熙来事件」は中国の改革 日本のとるべき道」(http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/df9f8c9144de0789fb5df98b9edc85dc
で、稚拙ながら、これからの中国解説を試みたが、キッシンジャーが米中関係について、以下のように言及している。あとがきの一部抜粋で、少々消化不良な部分もあるが、大まかな方向性は把握出来る。筆者の説明も無茶苦茶ではない視点もあり、少々安堵している(笑)。キッシンジャーのフォーリン・アフェアーズ・リポートを朝日新聞から引用した。

≪ アジアにおけるアメリカと中国 ―― 相互イメージと米中関係の未来
ヘンリー・キッシンジャー/キッシンジャーアソシエーツ会長
■「権威主義国家」と「手負いの超大国」の関係  訪米最終日の2011年1月19日、胡錦濤国家主席はオバマ大統領とともに共同宣言を発表し、両国は「前向きで協調を重視する包括的な米中関係」へのコミットメントを共有していると表明した。アメリカは「成功を収めて繁栄する力強い中国が世界でより大きな役割を果たすことを歓迎し」、中国は「地域的な平和と安定そして繁栄に貢献するアジア太平洋国家としてのアメリカを歓迎する」。二人はこう表明することで、互いに相手がもっとも気にしている部分の立場を明らかにした。  
 以来、米中両国政府はこの目的の実現に取り組んでいる。双方の高官たちが相手国を訪問し、主要な戦略、経済問題を協議する枠組みも制度化された。軍部間の交流も再開され、重要なコミュニケーションチャンネルも開かれている。一方、非公式のトラック2レベルでも、米中関係の進化が模索されている。  
 だが、協調を深める一方で、対立と論争も生じている。両国における数多くの集団が、「自国の優位を求める米中抗争が起きるのは避けられず、すでにその局面に突入している」とみている。この視点からみれば「米中協調は時代遅れであり、ナイーブ」ですらある。   
 相手に対する似たような分析を基に、両国は批判を繰り返している。アメリカの戦略問題専門家の一部は、中国の政策は「西太平洋における有力なパワーであるアメリカをこの地域・海域から締め出し、アジアを中国の経済・外交利益に追随する排他的なブロックに作りかえる」という二つの長期的な目的によって導き出されているとみている。このビジョンを支持する人々は、現状を次のようにとらえている。  
 中国の軍事能力はアメリカのそれに比べればまだ見劣りするが、北京はすでに、ワシントンにとって受け入れられない軍事的リスクを強いる能力を保有し、伝統的なアメリカの優位を覆すような洗練された手段を次第に手に入れている。核の第二撃能力を確立するともに、対艦弾道ミサイル、さらにはサイバー空間や宇宙空間などの新領域における非対称戦争遂行能力も高めていくだろう。中国が大陸周辺の一連の島嶼群を勢力圏にして海洋での支配的な優位を確立するのではないかという懸念もある。アメリカの影響力を遮るそのようなスクリーンが出現すれば、ワシントンがどのような対策をとるかを確信できなくなった近隣諸国は、 貿易同様に安全保障領域でも中国に依存するようになり、中国の気に入るような政策をとり始めるかもしれない。最終的に、西太平洋を支配する、中国を中核とするアジアブロックが形成されるかもしれない。最近の米国防戦略は、少なくも間接的に、この可能性への懸念を示している。  
 もちろん、米中が協調ではなく、対決へと向かっているという理論を裏付けるような、中国の政府系メディアによる報道や研究所のリポートは数多くある。しかし、これを現実の政策路線として表明する中国政府高官は一人もいない。実際、彼らが重視しているのはまったく逆の路線だ。  
 アメリカの戦略的懸念は、「非民主的な世界との抗争」という概念ゆえに増幅されている部分がある。(中国のような)権威主義体制の基盤は本質的に脆く、 このためにナショナリズムや拡大主義のレトリックを用いることで、国内的な支持を確保しようとする、と考える者もいる。アメリカ国内の左派と右派の一部がともに受け入れているこの理論にしたがえば、中国との緊張と紛争のリスクは、中国の国内構造にある、ということになる。その結果、協調を模索するのではなく、民主主義が世界的な勝利を収めて初めて、普遍的な平和が実現すると彼らは主張する。  
 例えば、政治学者のアーロン・フリードバーグは、中国がリベラルで民主的国家になれば、(アメリカを含む)民主国家を悩ませることはなく、武力行使をする可能性も大きく低下すると主張している。したがって、「外交的な取り繕いはやめて、一党支配型の権威主義体制を倒し、リベラルな民主主義体制への変化を実現する平和的な革命を促すことが、アメリカの戦略でなければならない」と彼は結論づける。  
 一方、中国側の米中対立論はまったく逆のロジックで組み立てられている。彼らは、アメリカのことを、中国を含む台頭するライバルを抑え込むことを決意している「手負いの超大国」とみなしている。「いかに中国が積極的に協調路線を模索しても、ワシントンの目的は、軍事力の配備と条約上のコミットメントを通じて、中国パワーの強大化を抑え込み、中国が歴史的な中華帝国の役割を再び果たすようになるのを阻止することにある」。この視点に立てば、「アメリカと長期的に協調路線をとるのは、中国の台頭を抑え込むというアメリカの包括的な目的を助けるだけで、自滅的だ」ということになる。  
 こうしたシステマティックな敵意がアメリカの文化やテクノロジー輸出に内包されているとみなされることもあり、これが「中国の国内的コンセンサスや伝統的な価値を損なうことを意図した巧妙な圧力」として描写されることも多い。「これまで中国は、敵対的な路線を前にしても、必要以上に穏健な路線をとってきた。(南シナ海での領土問題など)領有権論争を抱える諸国ともっと対決的な姿勢をとるべきだ」という強硬論もある。例えば、戦略家のロン・タオは「慎重に考えすぎて状況が管理できなくなる前に、まず行動を起こすべき理由は、小規模な戦闘を実施すれば、さらなる敵の策略を抑止できる点にある」と主張している。
    ◇
Henry A. Kissinger 元米国務長官で、現在はキッシンジャー・アソシエーツ会長。このエッセーは、近く出版予定の『中国について』の後書きからの抜粋。  <続きはフォー リン・アフェアーズ・リポート3月号>  ≫(朝日新聞デジタル:国際―フォーリン・アフェアーズ・リポートより)

 特にキッシンジャーの解説にひと言つけ加える意図はないので、読後感は各自味わっていただきたい。フォーリン・アフェアーズ・リポートは以前から、欧米陣営の考えを知る上で有益、読みたい情報の一つだが、年間購読料24000円は財布に響く(笑)。多くの方も、愉快・不愉快はさておき、EU諸国は独自路線を歩み出した。米国は経済的にEUと距離を置いた。米国が戦略的に、地域のブロック化を考えるなら、それはアジア。そのアジアで、経済・軍事力で配慮せざるを得ないのが中国。この事実を、我々は充分認識した上で、短絡的勝ち負けではない、外交戦略を考えなければいけないのでしょう。その上で、嫌中もよし、親中もよし、と云う程度の知性ある国家になりたいものです。



http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/579.html

コメント [マスコミ・電通批評12] 「小沢報道」は人権尊重の憲法精神に反し、名誉棄損、偽計業務妨害の罪に相当する (朝日新聞 読後雑記帳)  赤かぶ
02. 2012年5月05日 15:03:09 : FS6AvYkd2b
〉余程「不透明な部分」が大きい〜
司法の闇が深い、ってこと。
小沢さんは「無罪」で真っ白、透明そのもの。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/873.html#c2
コメント [マスコミ・電通批評12] テレビ局は公共性に対する自覚を持て − 塩谷報道に見るメディアの低俗性 (ESQ)  赤かぶ
05. 2012年5月05日 15:08:03 : KbjUzFqPyw
塩谷の風体を知ることになり、良かった。


政界の寅さん、苦学力行の渡辺ミッチー以来の苦労人・熱血漢・経済通を一度読めば、涙が止まらなくなる。

小沢さんと言い、亀井さんと言い、日本人は目先のイケメン塩谷風に騙され、本当の誠実な義侠心熱い男が見えない様だ。

 【塩谷・山路・小泉に共通は長髪・ベートーベン風髪型・自己中心】

小泉の履歴に亀井ほどの整合性があるか?小泉の1〜2年日吉の大学同級生は本当に居るのか?

亀井 靜香
かめい しずか

2010年6月24日、渋谷駅での街頭演説にて
生年月日 1936年11月1日(75歳)
出生地 広島県庄原市
出身校 東京大学経済学部卒業
前職 警察庁長官官房調査官
所属政党 (自由民主党[1]→)
(国民新党→)
無所属
称号 警視正(警察庁退官時)
経済学士(東京大学・1960年)
親族 亀井郁夫(兄)
公式サイト 亀井静香公式Webサイト
内閣府特命担当大臣
(金融担当)
内閣 菅内閣
任期 2010年6月8日 - 2010年6月11日
内閣府特命担当大臣
(金融担当)
内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2009年9月16日 - 2010年6月8日
第64代 建設大臣
内閣 第2次橋本内閣
任期 1996年11月7日 - 1997年9月11日
第69代 運輸大臣
内閣 村山内閣
任期 1994年6月30日 - 1995年8月8日
内閣総理大臣補佐官
(内閣の重要政策全般担当)
内閣 菅第2次改造内閣
任期 2011年6月27日 - 2011年9月2日
その他の職歴
衆議院議員
(1979年10月8日 - 現職)
テンプレートを表示
亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(11期)。報道などでは新字体を用い亀井 静香とも表記される。また、政治活動においてカメイ 静香を用いることもある[2]。
衆議院農林水産委員長、運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、志帥会会長(第3代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)、内閣総理大臣補佐官(内閣の重要政策全般担当)などを歴任した。

東京大学経済学部を苦学して卒業後、サラリーマンを経て警察庁に入庁。警察庁長官官房調査官を最後に退官した。退官時の階級は警視正(特進を含まない階級)。退官後、衆議院議員になり、長らく自由民主党に所属。運輸大臣、建設大臣、自由民主党政務調査会長を歴任。
自民党内の派閥では清和会に所属していたが、平沼赳夫や中川昭一らを引き連れ離脱し、亀井グループを旗揚げ。後に亀井グループと政策科学研究所(旧渡辺派)を合併させ、新たに志帥会(村上・亀井派)を結成、会長を務めた。
2001年自由民主党総裁選挙には中曽根康弘元首相や志帥会の全員一致推薦で立候補を表明していたが、総裁候補の一人であった小泉純一郎が総裁選の応援を要請。小泉と政策協定を結び、亀井は本選を辞退した。その後は小泉の応援にまわり、小泉総裁誕生に貢献。しかし、政策協定は小泉によって反故にされている。
郵政民営化を強力に推進する小泉に真っ向から対立し、「抵抗勢力」の代表格とされた。2005年に自民党を離党し、綿貫民輔元衆議院議長を党首に担ぎ国民新党を結成。自らは代表代行に就任した。2009年の第45回衆議院議員総選挙で綿貫が落選して党首を辞任したことに伴い代表に昇格。同年9月に発足した民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣では内閣府特命担当大臣(金融担当)に任命される。また、特命事項として郵政改革担当大臣も兼任し、中小企業金融円滑化法の成立に尽力した。2010年6月に発足した菅内閣でも留任したが、菅直人首相が郵政改革法案の成立を今国会で成立させるという国民新党と民主党との公約を破棄したため、組閣直後に大臣を辞任した(後任は自見庄三郎が就任)。
2011年6月、菅内閣 (第2次改造)の内閣総理大臣補佐官(内閣の重要政策全般担当)に就任。政権内の重鎮として菅直人首相に政策提言を行ったが、首相の退陣に伴い約2ヵ月で退任した。
2012年3月、消費税増税法案の取り扱いを巡り野田内閣と対立し、国民新党代表として民主党との連立政権離脱を表明。しかし、党内の連立維持派がこれを認めず、一方的に代表の解任を主張。これに対し、代表の解任は無効だと主張し、亀井亜紀子と共に国民新党を離党する。
来歴 [編集]

生い立ち [編集]
亀井素一・静枝夫妻の次男として広島県比婆郡山内北村(現・庄原市川北町)に、姉二人兄一人の末っ子として生まれる。
亀井家の祖先は、戦国時代の大名尼子氏の筆頭家老・亀井吉助であった。亀井吉助は尼子氏滅亡後、「二君に仕えず」として神官となり帰農した。子孫は苗字帯刀を許され、地元の名家の一つとなった。幕末に亀井家の当主が武道に凝ったあげく財産を食いつぶし、亀井が生まれころには、すっかり貧乏農家となってしまった。父・素一は山内北村の助役をつとめ、戦時中は食糧増産や村民の食糧確保のため働き、戦後に役場を退職してからも、大陸からの引揚者の世話をしている。
亀井は広島県内で一番の私立進学校であった修道中学校・修道高等学校に入学。高校一年生の三学期、  【通学定期券の購入に必要だった通学証明書の発行が有料となることに反発し、抗議活動としてビラ配りを行う。間もなくして学校側から呼び出され、教師から「ビラ配りをやめないと学校をやめさせるぞ」と脅されたため、亀井は「今すぐやめますよ」と言って高校を自主退学した。】
上京 [編集]
修道高校を中退後、東京大学法学部に進学していた兄の亀井郁夫を頼り上京。都立日比谷高校及び都立九段高校を受験したが不合格となり、都立大泉高校に編入し卒業。高校三年生のときは、成績が常に上位5番以内だった。
1956年、東京大学経済学部に入学。駒場寮で暮らし、昼夜を問わずアルバイトで生活費を稼ぐ日々を送る。家庭教師のアルバイトを1人週2回の割合で3か所こなしたこともあった。一時はアルバイトばかりに熱中して大学の授業にも顔を出さなくなっていたが、このままでは堕落してしまうと一念発起して養神館合気道を習い始める。合気道の道場で、のちに明治神宮武道場至誠館名誉館長となる田中茂穂に出会った。亀井はこの時代、田中の保守的な思想の影響を大きく受けたという。なお、在学中は学生運動には参加しなかった。また、【この頃、苦しむ民衆の救済に身を挺した大塩平八郎や西郷隆盛の文献を読み、傾倒した。】
大学内でも合気道に熱中し、これまでサークルだった合気道クラブを、正式に運動部へ昇格させた。さらに学生の合気道仲間を集めて全日本学生合気道連盟を結成し、初代委員長に就任した。
在学中に、 【友人だった駒場自治会の委員長がアメリカ合衆国の水爆実験反対を訴えるストライキを指導したことが原因で退学処分となった。亀井はこれに憤り学校に抗議するため、駒場寮前にテントを張り、サークルの子分を引き連れてハンガーストライキを決行する。支援する学生からパンが投げ込まれたが、それには一切手をつけなかった。決行から1週間してドクターストップがかかったが、亀井のハンストが功を奏し、大学はその友人の退学処分を取り消した。】
1960年、大学を卒業し、別府化学工業(現・住友精化)に入社。サラリーマン生活を送る。
しかし、報道で安保闘争を見て、デモ隊に対する警察の不甲斐なさに腹を立て、「俺が警察を強くしてやる」と 【一念発起して警察官になることを決意。 会社を退職して、国家公務員採用上級試験を試しに受けたところ、3番の成績で合格。警察官採用上級試験には5番の成績で合格した。】 成績優秀のため各官庁からオファーがきたが、亀井の本来の希望であった警察庁に入庁した。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/870.html#c5

コメント [原発・フッ素23] どうしても原発を動かしたい関西電力の裏事情:資産半減による経営破綻を避けるためにフィクションを描く悪巧み 妹之山商店街
23. 2012年5月05日 15:08:54 : ypqGLZNBJY
22さま、

ご指摘ありがとうございます。

電力会社10社中、沖縄以外の9社が原発所有なので、沖縄1社が残り、その他9社がヤバイということですね。

電力社債は東北電力の起債で一年ぶりに復活した(する?)ようですが、沖縄以外の電力債は決して購入してはなりませぬ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/449.html#c23

コメント [原発・フッ素23] 停止原発に課税 4県実施・検討(産経新聞) BRIAN ENO
06. 2012年5月05日 15:11:28 : oDZLjorBrU
>>02さん
>地元が受け取った原発マネーは原発村全体で得た金額のほんの一部だよ

バカ言ってんじゃないよ!
その僅かな金の為に、子供の命も孫の命も未来の子孫の命も財産の全ても安全な飲み水も安全な食べ物も、周りの豊かな自然も全てを差し出してそれらの全ての委任状を書いたのは誰だ!
今更じゃないのか!
原発村全体が懐に入れた金額に比べてその金額は僅かだったとか、そういう問題じゃない!

その危険を知らなかった以前なら仕方がないとしても、福島を知った今でも多くの住民が、原発がないと暮らしが成り立たないと容認しているではないか!
だったら勝手に原発と運命を共にしたらどうだ。

それがイヤなら、とっとと原発反対の声を大にしろ!
東電を潰せと言ったらどうだ。
言えないんだろう!
東電を潰したら、もう金が入ってこないから!
だったら税金くらい払え!

税金は払いたくないけど、東電が落としてくれる金は欲しいってか?


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/447.html#c6

コメント [経世済民75] 「復興バブル」に沸く 東北最大の繁華街 国分町を行く (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
03. 2012年5月05日 15:14:00 : oJ5uWbFXRs
東京にしろ今の仙台にしろ、人間の本能的欲求を満たすだけの産業が栄える都市は滅んでしまっていい。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/848.html#c3
コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
128. 2012年5月05日 15:14:25 : dQh4plS8iQ
113さんが言っているように、電気は余っているんです。もちろん火力・水力だから化石燃料は使うが。きょう原発の全部が止まるが「足りなとか、節電しよう!とかは聞こえてこない。そもそも、本当に電気が足りないなら、夏の高校野球はナイターか中止すれば良い。プロは炎天下でやればいいじゃないか!テレビも一日に5時間以内とする。だって視るに値しない番組ばっかし。→不要だ
詳細は飯田哲也さん、田中優さん、鈴木力、小出裕章さんの著作なりを読めば納得。また「愛川欣也 パックインニュース」(kinkin.tv)でも真実が語られている。もう放射能に怯えながら生活するのは、現在・未来ともいやだ。脱電発!
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c128
コメント [原発・フッ素23] 文科省は本気で殺人を行っている。知らぬが仏。仏になるまでウソ教育 (乖離のぶろぐ)  赤かぶ
30. 2012年5月05日 15:19:51 : pm0IrqYu76
赤かぶ
肯定&機を見てシロアリ本音誘導の阿修羅工作員赤かぶには、とにかくうんざりだ。

他の投稿者達とは、何もかも違う。

鉄のカーテン投稿者・ブラックボックス投稿者・赤かぶ。ユダ金の蜘蛛の巣繋がりだろう。
住基ネット情報からの個人データーが出るモニターが、工作員全員のデスクの上にあって、リアルに掲示板投稿者のPC発信元を突き止めて、ピラニアコメントに即座に反映させる。そのくらいは、やる。ネット監視だもの。

日本の公安そのものが、かなしいことにユダ金の御用機関となっている噂がある。菅沼さん。信用してたんだがなあ…少しは…
日本国内の価値の有りそうな情報は、公安は全部知っていなくちゃいけない。知っている。で、その持って行き先が、国民の利益とは相反するシロアリだ。
現在の日本の困難な状況はこうして、シロアリ繁殖に正比例して、形成されている。

どうせ、このチーム名前を変えてよそでも、シロアリプロパガンダの工作員の仕事をしている。
投稿数の量で影響を与えることは確かにある。
またシロアリ売国奴政府のネット監視の最先端の実験を阿修羅で実施しているということも十分に考えられる。ユダ金のプロパガンダ思考と大衆操作の研究は筋金入りだ。真剣に研究員が素材を日々高度に分析する。
日本国民の言論の研究には阿修羅は最適だろう。テーマ別の反応研究の実験だ。
それには、赤かぶみたいな、正体不明特定ネタ提出者が必要だ。記事のチョイスは日本のシロアリジャーナリストが指示を受けてやるのだろう。
裏側では系統立てて、分析が進み、次の試みが行われるというわけだ。
そのくらいのことは、悪党の異常者研究室で行われていて不思議ではない。当然某国日本語習熟者、日本の国をユダ金に安値で売り渡すシロアリに墜ちた売国奴日本人の研究者達も大勢参加してする。
これはユダ金らしいのだ。

戦前の日本の内情研究は、やはり執拗な綿密な調査と分析が存在した。当時の素朴・狭量な軍人政治家は何もしらなかった。稚拙な暗号は総て解読されていた。その同じ敵のインテリジェンスが、今も当時のままの実力しかないと考えていたら、戦前の日本のリーダー程度の認識から、何も進歩していないということになる。
彼等がその悪事の研究室のドアに鍵を閉めて出て行って、今は誰もいなくて、彼等は全員善人になってしまったという話は聞いたことがない。たぶん悪人のままでさらに悪魔そのものに限りなく近づいているはずだ。
スパイも遊んでいて、金にならないから、調査をする。金はプロパガンダ研究ひとつでアメリカの言論を支配したユダ金が出す。プロビデンスの目はこうして、全世界の総ての動向を掴み、先んじて、手を打って成功してきた。
しかし、日本人の内側からの工作は困難だ。だから、上から押さえつけることの工作しかない。あと、日本にはシロアリを増やして、乗っ取りを進めてきたが、やはり、日本国民の文法とは、異質の文法の人間だ。シロアリはばれた。いまでは小学生までもシロアリが日本の敵だと知っている。特に原発の恨みがシロアリ一点に今後大集中するだろう。防ぎようがないさ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/441.html#c30

コメント [音楽7] Lucy Pearl お子茶魔
04. 2012年5月05日 15:23:08 : 0EopofEgjc
>どゆ意味?マヤクか?

スヌープ?
www
スヌーピーだよw

(茶魔)
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/222.html#c4

コメント [雑談専用39] 私たちはどのように考えているのか   朱子学について 宮島鹿おやじ
57. 宮島鹿おやじ 2012年5月05日 15:24:55 : NqHa.4ewCUAIk : 7RHgllErUM
今、大元公園(厳島神社の西南西方向)にいます。
ここは静かな穴場です。
鹿と遊んでいます。

http://img.asyura2.com/us/bigdata/bigup1/source/249.jpg

本当に雑談ぽくなりました。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/853.html#c57

コメント [原発・フッ素23] どうしても原発を動かしたい関西電力の裏事情:資産半減による経営破綻を避けるためにフィクションを描く悪巧み 妹之山商店街
24. 若い力 2012年5月05日 15:32:39 : wZ04VGTVHRrNg : HjI9Po7BVc
原発は糞だったのですよ。しかも本質は死の灰という糞だったのです。

知ってか、知らずか、知ろうとせずか、はたまた無関心か知りませんが今日本に生きてきた大人たちが、最終処分の未だに行き先のない、この大変汚い、原発という大糞を54機分も作り出してきてしまったのです。

この先まだ死の灰を作り続けるというのですか? 大糞は電力会社が生み出したものかもしれませんが、国が主導して生み出させてきたものでしょう。国がということは国民がそうさせてきたことなのですよ。

中には原発に反対してきた人もいるでしょうが、阻止できなかったのは大人たちの責任なのです。大糞の尻拭いは、国を通して大人たちのやらねばならない義務だと思います。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/449.html#c24

コメント [原発・フッ素23] 若い人も年配者も注意しよう!  論文から見た被曝による発がん  武田邦彦  赤かぶ
31. 2012年5月05日 15:35:34 : IQeEK8EFaE
根拠1は、ケースバイケースのうちのひとつのケースですね。条件や工夫次第で20%未満になる所はあると思います。ご自身も言われているように、ならないケースも多いと思います。
根拠2については「個人的心証」としての情報と捉えておきます。「心証」として捉えていた情報が重大性を帯びてくることもありますので、決して否定的な意味で「個人的心証」と捉えているわけではありません。
根拠3については、元データが記されていないので、なんとも言えません。政府はあてにならないので、身の振り方は、さいごは自分で決めるしかありませんので、信頼できる情報は多いに越したことはありませんし、現場のデータを重視する姿勢は正しいと思います。

最後に。
多摩散人さんも同じコメントを繰り返して茶化してばかりいないで、たまには、建設的な情報交換をしましょうよ。
ご自分のキャラを自ら「散人」として位置付けておられるくらいですから、いまのままでもいいのかもしれませんが、「散人」としても進化していかないと、(失礼ながら言わせて頂きますと、) 「面白くない」です。
「散人」が面白くなくなったら、もはや散人には値しないと思います。

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/436.html#c31

コメント [原発・フッ素23] [放射能] 寿司がヤバい!「あわび」、「うに」からセシウムが・・・ (本当の食品 放射能 汚染)  赤かぶ
45. 2012年5月05日 15:36:36 : jwafn3QXfM
42さんのコメントについて真相が気になる。
大分県佐伯市で今行われようとしていること。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/409.html#c45
コメント [音楽7] Snoop Doggy Dogg お子茶魔
01. 2012年5月05日 15:41:38 : DtexUPLa8g
今、さいごらへんきいてますが、途中よりみちしました。

このかっこええくそがき君だれ?ぼっちゃま?気に入った。

Lil' Bow Wow Feat.Snoop Dogg-Bow Wow(That's My Name)
http://www.youtube.com/watch?v=FSKyRLFfGgg&feature=player_embedded#!
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/223.html#c1

コメント [原発・フッ素23] 欧州輸入ジャムから基準超すセシウム(中日新聞)    紺屋高尾
22. 2012年5月05日 15:42:14 : QwE2c7IMtM
3・11以前は1キログラムあたり370ベクレルまで輸入可でした。
日本は以前は汚染されてなかったので、
1割の汚染食品を食べたとしても、9割は自国の食品なので、
このような高い基準を設定していたのです。
しかし、残念ながら日本は汚染されてしまいました。
9割の自国食品は汚染されているので、
輸入も100ベクレルに厳しくしました。
(西日本は汚染は少ないが流通が発達しているので全国拡散)

小金井市放射能測定器運営連絡協議会がブルーベリー製品を
測定しています。
http://hosyanousokuteishitsu-koganei.jimdo.com/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%89%A9%E8%AA%9E/

0908測定室だより「ブルーベリー物語」.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント [228.3 KB]
に数値があります。(2008年4月〜2009年3月)


また東京都が、2009年北欧産のブルーベリーを原料とする
ジャム(フランス製)から、500ベクレル/kgのセシウムが検出。
「輸入食品中の放射能濃度(平成21年度)」
http://www.tokyo-eiken.go.jp/issue/journal/2010/pdf/01-29.pdf
*ページ消されてました・・・

結論
311以前も370ベクレル以下の汚染食品を食べていた。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/407.html#c22

コメント [自然災害18] 大気の反逆 (KAI_REPORT)  赤かぶ
01. 2012年5月05日 15:43:56 : cpmGTIRPSo
近未来の姿のほうが宇宙の法則に合ってるだろ 地球の大気循環と同じだ
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/302.html#c1
コメント [国際6] 不愉快な現実・困難を排し接近する大国 “米中”が世界を支配するという認識 (世相を斬る あいば達也)  赤かぶ
01. 2012年5月05日 15:47:06 : wd2ngPVmzY
このあいば氏のコラムは
国際板じゃないだろう?
赤カブさん!
意識的に目立たない板に掲載したとしか思えない。
政治板でしょう?
米中の事情を踏まえて、日本の政治外交を
考えないと?なのだから。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/579.html#c1
記事 [原発・フッ素23] 原発交付金、再稼動なくても減額せず…政府方針 - 読売新聞
<泊原発3号機>5日に停止で国内稼働ゼロに 42年ぶり
毎日新聞 5月3日(木)22時34分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120503-00000083-mai-pol.view-000

北海道電力泊原子力発電所3号機=北海道泊村沖上空で2011年8月19日、本社チャーター機から平田明浩撮影(毎日新聞)
============================================================

原発交付金、再稼動なくても減額せず…政府方針
読売新聞 5月5日(土)13時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120504-00000815-yom-bus_all

 政府は、原子力発電所の立地市町村に支払っている電源立地地域対策交付金を、原発が再稼働しない場合でも減額しない方針を決めた。

 同交付金の一部は原発の発電量実績に応じて支払われるため、再稼働できないと大幅な減額になり、立地市町村の財政悪化につながる可能性がある。こうした事態を避けることで、地元に再稼働への理解を得る狙いがあるとみられる。

 対象となるのは、同交付金の中の「原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金相当部分」で、原発が発電した量に応じ、その2年後に交付金として支払われる。

 ただ、安全上の理由で原発を動かさない場合は、「最大81%分の発電量実績があった」と見なして交付金を支払うとする“みなし規定”がある。政府は、昨年3月の東京電力福島第一原発事故以降の一連の再稼働の遅れは、みなし規定に該当すると判断しており、全国の商業原発50基すべてが対象となる見通しだ。

最終更新:5月5日(土)13時2分

読売新聞
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/465.html

コメント [原発・フッ素23] 原発交付金、再稼動なくても減額せず…政府方針 - 読売新聞 千早@オーストラリア
01. 2012年5月05日 16:04:29 : iQinVlOl1c
乞食共を甘やかさなくてもよろし。
金が欲しいなら廃炉利権でも確立しろ糞馬鹿野郎。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/465.html#c1
記事 [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞
大阪万博の会場への試験送電を成功させた美浜1号機の中央制御室=昭和45年8月8日、福井県美浜町(関西電力提供)(写真:産経新聞)

産経新聞 5月5日(土)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120505-00000077-san-bus_all

■原子力 黎明期支えた技術者の思い

 42年ぶりに日本の「原子力の灯」が消える。昭和45年、「大阪万博に原子の灯を」の掛け声のもと、営業運転を始めたばかりの日本原子力発電敦賀原発1号機(福井県敦賀市)と関西電力美浜原発1号機(同県美浜町)が万博会場へ送電、原子力は「夢のエネルギー」と称賛された。黎明(れいめい)期を知る技術者らは、寂しさと無念さをにじませつつ、“原発ゼロ”の現実を迎えようとしている。(原子力取材班)

[フォト]美浜1号機の試験送電の成功を伝える大阪万博会場の電光掲示板
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/560083/slideshow/474373/

 「100時間が経過しました」−。

 大阪万博が開幕する昭和45年3月14日午前4時。日本原電で後輩技術者を指導している神尾重信さん(62)は、敦賀1号機の中央制御室に響いた声が今でも忘れられない。

 国内初の沸騰水型の敦賀1号は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が建設から試運転まで請け負う契約だった。試運転の最終関門だった100時間の連続運転を成し遂げ、GEの担当者から原電側に原発を動かす「ターンキー」が手渡された。

 拍手や「バンザイ」の歓声に包まれる中央制御室。神尾さんは「ようやく原発が自分たちのものになった」と実感した。数時間後には、開幕したばかりの万博会場では「原子の灯が届いた」とのアナウンスが流れていた。

 43年入社の神尾さんは、敦賀1号の発電用タービンの設置に携わった。仮設のボイラーで作った蒸気でタービンを回すテストを繰り返し、稼働に備えた。勤務を終えた後も、同期と独身寮で勉強会を重ねた日々を、「学校で習った夢の原子炉が仕事になった。最先端の仕事にみな燃えていた」と振り返る。

                 ■   ■

 「私はこれでメシを食う。宿命だ」

 元関電社員の竹内忠雄さん(73)は水力、火力発電所の運転員を約11年経験し、稼働を控えた美浜原発に配属されて心に誓った。

 核物理、原子炉理論、放射線管理…。米国で学んだ先輩社員に、原発の“イロハ”をたたき込まれ、勤務時間後は、毎日6時間近くの自習を課した。

 運転員選抜後は、3交代の勤務をこなしながら、英語の手順書を日本語に直す作業に明け暮れた。激務ではあったが、「新しい技術を身につける喜びと、これから発展する原子力のトップランナーとしての誇り」が支えだった。

 45年8月8日、敦賀1号に続いて美浜1号も万博への試験送電を成功させ、会場の電光掲示板には「原子力の電気が送電されてきました」の文字が輝いた。

 両機が稼働し始めてから、日本の全ての商用原発が止まったことは、これまで一度もなかった。

 あれから42年−。2人に共通するのは、寂しさと、生涯をささげた原子力への理解が失われつつあることへのもどかしさだ。

 「やっぱり寂しい…自分の人生は原子力無しでは考えられない」。竹内さんは表情を曇らせながらも、「理解してもらうのは難しいが、原発ゼロは日本にボディーブローのように効いてくる。また、だんだんと理解されるのではないか」と希望を抱く。

 神尾さんも「(東京電力福島第1原発事故など)反省すべきところは反省し、対策すべきところは対策を講じる。そこがスタートだ」と語り、「原子力の灯」が再びともることを願った。

【関連記事】
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最終更新:5月5日(土)10時4分

産経新聞
===================================================

周囲にも、命を失っていった人たちは結構いただろうに
こういう人たちって、
その危険性などは全然見えないのでしょうか?

「失われる理解」じゃなくて、やっと人々が正しく理解し始めたってのに
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html

コメント [原発・フッ素23] <拡散希望&参加者募集>本日、全原発停止!「原発ゼロ」のカウントアップを開始します 遠山の金さん
07. ケイリン 2012年5月05日 16:06:41 : Qdgnykl7qt4hE : HgRPYGVqNY
全原発停止になりました。今後の原発の操業は困難で危険なものになると思います。

何故なら大学で電気を勉強する,重電を専攻したいというと、母親が反対するそうです。重電は野暮で、危険だ、選ぶなら電子工学とかソフトウエア等の方がかっこ良いというのです。原子力工学科はもう無くなっているようです。原発への技術者の補充は出来なくなりました。

今や息子は一人か二人、原子力発電所勤務と言えば、母親は“そんな僻地や危険な所には行くのなら会社を辞めた方が良い”と強要するでしょう。まともな人は原発に集まりません。

原発の補修は電気・機械・建設・計測器・ソフト関係等の多くのメーカーの共同作業ですが、今後新設は無い、経費はどんどんけずられとあっては各社は一流の技術者を原発には派遣しません。

原子力村がいかに原発は安全と言っても、現場は人的に空洞化していくのです。

早く原発の廃棄を決める必要がありますが、廃棄にも人が必要です。国民みんなが費用は負担しても良いからやってくれという覚悟が必要でしょう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/461.html#c7

コメント [音楽7] Snoop Doggy Dogg お子茶魔
02. 2012年5月05日 16:08:06 : DtexUPLa8g
ありがとう。ぜんぶよかった。
ユーモラスでかわいいし、全てセンスがええよね。
でも、なかなかシリアスな内容なんでしょうね。
最後のはねむくなってきたので、ちと寝たw

Ciaraていうおねえさんも見た。
あちらの女子は、やたらお色気出しまくって男子に迫るよね。
「はぁ・・」て、ちょと首を傾げたが、背景ちがうんかの〜??

K子
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/223.html#c2

コメント [原発・フッ素23] 〔ENEニュース〕◇ フクイチ 溶融燃料取り出し「直接適用できるテクノロジー、存在せず」 ES社の社長が明言  赤かぶ
14. 2012年5月05日 16:09:07 : oDZLjorBrU
>>13さん
無理
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/428.html#c14
コメント [ペンネーム登録待ち板6] 日本人の役割分担=適材適所  NYウォール街奇襲攻撃開始=全世界スパイシステム・エシュロンへ 龍雲
03. 2012年5月05日 16:12:54 : kCDGMDBlFA

NWOも、地球開国ですが、米国SFドラマ・映画のV(ビジター)の様に
完全に人間を 食料とするエイリアン達の上陸です。

知ってて、反日を続ける在日の親分なのか、知らないのか?解りませんが
電通も方針を決めた方が良いのではないでしょうか?

私ら日本人は、嫌なので 羊飼い達に宣戦布告したのです。
在日は、母国でやって下さい!
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2574.html#c3

コメント [マスコミ・電通批評12] 大朝日新聞の落日 (オリーブの声)  赤かぶ
12. 2012年5月05日 16:13:23 : 9vF9o8ZM1k
私が良く利用するビジネスホテルに「朝日新聞」が山積で無料提供されている。
フロントに聞くと「朝日新聞は無料で提供してもらってます」とのこと。
タダならクズ新聞でも読む人はいるんだろう。
こんなやり方でしか発行部数を確保できないのだろう。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/872.html#c12
コメント [原発・フッ素23] 若者よ。大人たちに怒りの鐘を鳴らせ! (秋場龍一) 盗電マン
01. 2012年5月05日 16:13:50 : kt8kMAlWgi
そうです。私は本気で怒っています。
生まれた時から原発がありました。こんなものを作った人はもちろんですが、原発建設に対して、声をあげずに作らせた人達のことも心の底から軽蔑します。
無知は罪です。知らなかったでは済まされない。
私は、親と祖父母の世代の人間たちを恨んでいます。責任をとって下さい。体をはってでも、この恐ろしい間違いを正してください。
今まで推進派だった武田邦彦先生は、私たちにとってためになる記事を書いてくださるようになりました。彼なりに罪ほろぼしをしていらっしゃるような気がします。
どうかみなさんもそれぞれ、できる範囲で何か、行動をおこされてください。
お願いいたします。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/463.html#c1
コメント [音楽7] Lucy Pearl お子茶魔
05. 2012年5月05日 16:14:21 : DtexUPLa8g
あら、ほんまにそーなん?
そんならかわいいけどwふざけとるよね。ええわ。

それとも、くんくん嗅ぎ回るお犬様?とか
思うてみたりした(笑)

K子
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/222.html#c5

記事 [原発・フッ素23] くり返さない (北海道新聞 卓上四季)
17年前に亡くなったドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの短編連作「鏡のなかの鏡」(丘沢静也訳、岩波書店)は、読む者を不可思議な迷宮界へと誘い込む▼その中のひとつが、<黒い空のした、ひとの住めない国>の物語だ。そこは爆弾の炸裂(さくれつ)した漏斗(じょうご)形の穴、化石となった森、干上がった河床、延々と続く自動車の墓場がある砂漠のような国だ。真ん中には無人の都市がある▼この核戦争後を思わせる街に1人で立つ子どもの前に、「終わり(エンデ)」と名乗る魔術師が現れる。「いったいどこに住んでるの?」と尋ねるエンデに、子どもは「もうだれもどこにも住めないんだ」と答える。そして、2人は新しい世界を探しに地平線に向かって歩いて行く―▼さまざまな解釈が可能だろう。ただ、過酷な原発事故と、その収束への途上にある私たちには、この物語は鏡に映し出された未来の肖像画にも見えないか。万が一、福島第1原発で起こったことが、別の原発でも起きたら…▼<くり返すことができる/後悔をくり返すことができる/だがくり返すことはできない/人の命をくり返すことはできない>。谷川俊太郎さんの詩「くり返す」の一節だ▼もう原発事故を<くり返す>わけにはいかない。きょう、「こどもの日」。国内の原発がすべて停止する。立ち止まり、深呼吸をし、どこへ向かって歩むのか、思いをはせたい。2012・5・5

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/369990.html

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/467.html

コメント [原発・フッ素23] <拡散希望&参加者募集>本日、全原発停止!「原発ゼロ」のカウントアップを開始します 遠山の金さん
08. 2012年5月05日 16:15:08 : iQinVlOl1c
福島第一原発事故現場では死と隣り合わせの危険な収束作業が未だに続いているのに「収束宣言」など嘘もいいかげんにしろ。
他の原発を再稼働させるためだろうが。もう無理だ。諦めろ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/461.html#c8
コメント [経世済民75] ホントは必要のないビジネス。投信、英語、婚活(よーく考えると必要のない商品サービスが…掲示板化するビジネスマン) 墨染
03. 2012年5月05日 16:17:43 : WkmawqKyHM
つまり、こういうことです。

自動車社会になれば、物をすばやく安く運べるようになる。しかし、自動車保険の支払い、排ガスによる健康悪化、事故による損害などがかかるようになる。メリットがデメリットをはるかに上回っていれば(実際は良くても2%ぐらいw)誰も文句を言わなくなる。

資本主義で社会が荒廃したので投信、英語、婚活などがビジネスになった。SNSであるフェイスブックもそうでしょう。社会の連帯度ではなく、いかに荒廃したかがわかる。しかし、物的メリットと連帯を享受するにはああなるしかなかった。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/838.html#c3

コメント [カルト9] カマシの親方リチャード・コシミズまたもや暴言連発、東京公演で大狂乱 チベットよわー
05. 2012年5月05日 16:22:51 : niofivkhJ2
リチャード・コシミズ氏のブログを掲載禁止とする一方で、チベットよわーの誹謗中傷、悪意に満ちた投稿の垂れ流しをokにしている時点で、疑問を感じざるを得ない。

たしかに公平ではないが、現実にはそうとう荒れるだろうし、チベットのほうは
匿名団体だから仕方がない。隠れてこそこそやっているのは取り締まれない。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/475.html#c5

記事 [原発・フッ素23] ≪こちら特報部≫ 「原発は核兵器と同じ、破滅の道に」 2012/05/05(東京新聞) 
【こちら特報部】「原発は核兵器と同じ、破滅の道に」 2012/05/05(東京新聞)
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11242276608.html
2012/05/05(東京新聞) :平和ボケの産物の大友涼介です。


今日五日深夜、国内で唯一動いていた北海道電力泊原発3号機が定期検査のために停止され、国内五十基の原発がすべて止まる。この北の大地にも、原発に反対し続けた「不屈の学者」がいた。元北海道大助教の大友詔雄さん(66)だ。今は道内で自然エネルギーの普及に尽力する。脱原発への思い、自然エネルギーの可能性について聞いた。(佐藤圭記者)


■稼働ゼロは通過点

「すべての原発が止まったとしても、それは一つの通過点に過ぎない。各原発の原子炉内と使用済み核燃料貯蔵プールには、膨大な量の放射性を持った核燃料集合体が残ったままだ」。札幌市内の事務所で、大友さんは「原発稼働ゼロ」を冷静に分析する。

「放射性廃棄物の処理方法も決まっていない。これらを安全に管理する仕組みをつくっていかなければならない。脱原発を実現するまでには、困難な問題が山積している」


■不屈の学者・大友詔雄元北大助教

一度は「原子力ムラ」の中枢に足を踏み入れた。北大工学部助手となった大友さんは二十九歳の若さで、日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)の専門委員に抜擢された。事実上、同研究所が原発の技術的検討を担っていた一九七〇〜八〇年代の話だ。「原子力の実態を知れば知るほど、安全性に疑問を抱くようになった」と振り返る。

委員になって八ヶ月後、三十歳の誕生日を機に辞任。「使えない技術としての原子力研究」に転じた。

大学では、昇進の道が閉ざされただけでなく、同僚や学生との接触も禁じられた。「『北大に大友という人物はいない』ことにされた。だから全部自由時間。昇進できないので給料が上がらないが、自由を買ったと思えば安いものだった」と苦笑する。


■膨大な「廃棄物」処理・管理

折りしも八六年、旧ソ連のチェルノブイリ事故が発生した。「自由時間」の三年を費やして一冊の解説書を書き上げる。九〇年に出版された「原子力技術論」だ。専門委員時代に知り得た原子力の歴史などが詳述されている。原子力が「使えない技術」であることの立証を試みた。

本の冒頭で次のように問題提起している。

「環境に放出された放射能を制御する方法を人間は持っていない。原子力の潜在的危険とは、人間社会が決して受け入れることのできない危険ではないか。もしそうなら原子力技術は果たして使えるのだろうか」

七九年の米スリーマイル島事故と、チェルノブイリ事故が「安全神話」を崩壊させた。しかし、日本では、これに東京電力福島第一原発事故が加わっても「安全神話」が横行する。関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を巡る急ごしらえの安全措置が典型的だ。

大友さんは「『技術論』を書いた二十数年前にタイムスリップしているようだ。日本は何も進歩していない」と嘆く。


■「核兵器と同じ、破滅の道に」

原子力と他の技術の違いは何か。大友さんは「放射能の問題に尽きる」と断言する。

「放射能と他の有害物質を同列に論じることはできない。かつて公害を引き起こしたカドミウムなどの有害物質を安全に管理することは比較的容易だ。だが放射性廃棄物を管理する場合、千年、万年オーダーになる」

放射能の問題は、生産技術の「イロハ」を許さない。「通常の技術は、百パーセント完璧にできていることなどあり得ない。故障したり、事故を起こしたりする。そのたびに改良改善し、安全性を向上させる」

一方の原子力は「一度大事故を起こせば修復不能だ。しかも人類の破滅につながる。実はミサイルなどの軍事技術は、一度きりで修復する必要がない。つまり原子力は軍事技術と同じレベルのものだ。放射能を撒き散らすという点では核兵器と変わらない」。

世界の原子力専門家の多くは危険性を十二分に認識していた。それゆえに「使えない技術」であることを隠蔽してきたのだ。「技術論」には、その実例が列挙されている。

例えば、米国物理学会が七五年にまとめた報告書で、福島のような過酷事故のメカニズムを解明していた。結論は「原子炉を人口中心地から八百キロ離す必要がある」だ。

同じく七五年、旧西ドイツ原子炉安全研究所は、使用済み核燃料再処理工場の大事故想定評価で「死者は三千万人」と警告していた。

大友さんからみれば、大飯原発の再稼働を「政治判断」で決定するのは「核兵器を使うかどうかを政治判断で決めるのと同じだ。現政府は、日本を破滅に導くような判断であることを自覚しているのか」。


■選択は国民 情報示せ

ではどうすればいいのか。「エネルギーは選択の問題。言うまでもなく決めるのは国民だ」と主張する。そのためには「選択のために必要な情報」が明らかにされなければならない。

そして、八〇年の国民投票で原発廃止の方向を選択したスウェーデンを引き合いに出す。この時の「情報」の一つが、「石油を超えるスウェーデン〜原子力への傾斜と太陽の選択」と題するスウェーデン議会事務局の報告書だ。

「原子力と、ソーラーを中心とした自然エネルギーを比べるとコストは同じだった。スウェーデン国民は当然、自然エネルギーを選んだ」

大友さんは、自然エネルギーについても「実践」の裏付けがある。北大在職中の九九年、大学ベンチャー企業として「自然エネルギー研究センターNERC」(札幌市)を創設した。泊原発の建設反対運動を支援していた八〇年ごろ、集会で出会った老漁師の一言が自然エネルギーへと導いた。「原発が危険なものだということは分かっているが、拒否したら自分たちの未来は貧しいだけだ」

原発の立地には過疎地が狙われる。地域を豊かにしなければ原発は止められない。大友さんは太陽光や木質バイオマス、風力などの研究に打ち込んだ。こちらは「使える技術」だった。五年前に大学を退官した後は、自然エネルギー一筋だ。北海道内には、手掛けた成功例が着実に積み上がっている。

だから今、自身を持って「自然エネルギーで地域は自立できる」と大友さんは言える。

「エネルギーの自立は難しい話ではない。ヨーロッパでは実現している。原発が止まれば、自然エネルギーの普及はやりやすくなる。スウェーデンのように、原子力ジャパンとソーラージャパンを対比させてみればいい。国民は必ず自然エネルギーを選ぶ」

※デスクメモ スウェーデンは三年前に段階的廃止を転換した。原発は十基あり建て替えも認められるが、経済性から脱原発は変わらない。なにせ政府の補助金はなく、事故時の賠償の証明も必要。水力など自然エネは五割近い。一方の日本。電力会社の強気は政府の後ろ盾があるからだ。交付金の見直しも議論しよう。(呂デスク)



http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/468.html

コメント [戦争b9] やはり日本の原発は核開発目的だった!米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!開発担当窓口は電力各社(米NSN)  びっくりカメラ
78. 2012年5月05日 16:25:54 : p9B89YgNYw
やはりじゃないだろう、当たり前のこと
国防上必要だから導入した

後の市場原理主義馬鹿が原発を危険なものにしてしまった

国防を真面目に考える精神があれば原発の安全性にも気を配っていたはず。
悪いのは最近の政権、
先人を貶めるんじゃない
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/220.html#c78

コメント [原発・フッ素19] 宇宙飛行士が内服している薬・食品について 爺さんより SaveChild厨
222. SaveChild厨 2012年5月05日 16:29:04 : hfhZnjAARar8w : 9ekHqeA2Es
大げさですよね、今の日本で真面目に防護・排出剤説明なんて怖くてできません。しかし、美容・抗酸化・抗アレルギー・抗癌と効能は近いので、二次的に結果が出れば人間関係は壊れないかと思います。最近の症状としては目眩かあるので、補助サプリを追加しないと思っています。
余談ですが、WHOはIAEAの下部組織なので何の効力も持っていないと解っているはず。しかも黒幕は3/17から首相官邸に張り付いているデイヴィッド・ウォーラー IAEA副事務総長(元 レーガン大統領の法律顧問 → 元 米国エネルギー省(DOE))ですので無駄です。
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3/21/2011 - Rational Protection Against Nuclear Radiation, By Dr.Michael Murray, ND
http://www.iherb.com/info/dr_murray
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ネタです:軍事用フルボディースーツ
http://radshield.com/product_page_detail.asp?ProductID=985&ProductCatID=27&Search=
http://voices.yahoo.com/demron-anti-radiation-suits-donated-japan-american-8091302.html?cat=15
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/907.html#c222
コメント [カルト9] 世界への資料流出が東大卒の確信犯ならば偽日本人も偽ユダヤも詰みで控訴に進めば流出はエンドレスに続くという警告だろう。 ポスト米英時代
02. 2012年5月05日 16:30:44 : niofivkhJ2
この説通りだとすると、今一番青くなっているのは登石かもしれない。
世間からだけでなく仲間からもバカ呼ばわりされてしまう。もっとうまく
できただろう、みたいな
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/476.html#c2
コメント [カルト9] カマシの親方リチャード・コシミズまたもや暴言連発、東京公演で大狂乱 チベットよわー
06. チベットよわー 2012年5月05日 16:31:47 : Xy93FIMaJupUQ : aGAe9Ask5A
>01

尖閣諸島購入の話が、アメリカを中心にすすめられたということはありえない。正直、無関係に近いものがある。現在の持ち主は自分の後の世代が外国からのオファーに引渡してしまう可能性を危惧していて、それならばということで公地にせんと石原に委ねたのである。どこにどうアメリカが介入しているのか、義務教育を9年かかって出た頭で説明してみろ。台湾はともかく中国は、そもそもその地主さえ認めないという立場を示しているので、都が買おうが国が買おうが何一つかわらないだろうな。

チベットやウイグルをみてもわかるように、中国は隙があれば軍事力を使って泥棒をするので尖閣諸島とていつ侵攻を受けるかわかったものではない。その観点からすれば、国際的な舞台であえて所有を宣言する石原の行動は理解しえる。

ボロアパート云々は言わないほうがいい。私は質素・簡素・味の素、を美徳とさえ考えているので、たとえ貴様の住居と比較して惨めに映ったところで何の臆面もおぼえない。似たようなものだった場合、ダメージは貴様にのみかかってくるのだぞ。


>02

狂ったガセネタを言ってますよ、ほらね、何度も嘘ばかり繰り返して吐きますよ、ほらね、もう誰もが鼻白むようなペテンを平気で流してますよ、ほらね・・・・と完膚なきまでにコシミズをExposeしたのです、ワタシ。なんにも読んでないんじゃないのか、お前。

>04

当方今のところ男です。異性にしか関心ありませんし、それさえ減退気味のアラフォー双子座です。よろしく。


http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/475.html#c6

コメント [自然災害18] ミッチェル・クームス M9.3の地震が東京を襲うという警告(facebookより)      びっくりカメラ
56. 2012年5月05日 16:32:17 : kCDGMDBlFA
在日や電通が進んでいる方向は、NWO。
NWOも、地球開国。
米国ドラマ・映画のV(ビジター)と同じで、人間を完全に食料として支配するカースト制度。

電通が知らない筈は無いのだけど・・末端の在日は、騙されているのでは?
悪魔崇拝と云うのを理解できてない?
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/273.html#c56

コメント [原発・フッ素23] とうとう言っちゃった武田先生・・・でもそれが現実 (がんばれ福島原発!)  赤かぶ
94. 2012年5月05日 16:36:56 : AhR9KDz1xs
【こどもの日記念クイズ】Q(設問)チャイナシンドロームといって核燃料がメルトアウトして地下に潜った原発は廃炉不能で永遠に地下水の汚染が拡大するといわれています。その次の段階ではなにが起こるでしょうか? 2012-05-03 http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2012/05/post-620e.html 〔ENEニュース〕◇フクイチ 溶融燃料取り出し「直接適用できるテクノロジー、存在せず」世界的な廃炉ビジネス・リーダーのES社の社長が明言!→ A(答え)「政府が嘘をつくようになる」でした。よい子のみんなには簡単すぎたかな?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/378.html#c94
コメント [原発・フッ素23] 泊原発3号機:5日に停止で国内稼働ゼロに 42年ぶり (毎日新聞)  赤かぶ
13. 2012年5月05日 16:37:30 : oDZLjorBrU
泊原発が止まりやっと日本の原発がとりあえず全部止まった。
泊村は財政の7割が原発関連の収入で、牧野博臣村長は、「国が安全性を確認すれば再稼動を認める方針」だとよっ!
誰がどうやって原発が安全だと確認するのよ!あぁ〜ん?このバカッタレが!

「日本の原子力が全部止まるような感じを受けてチョッとさびしい、経済界においても厳しくなる事は紛れもない事実」だって!はぁ?

この村長言ってる事がもうまともじゃないぜ!
何が「原子力が全部止まるような感じを受けて・・・」だよ、今まで動かしてたのはお前のところだけだってのも知らないかー!
何がチョッとさびしいだよ、薄ら笑い浮かべて!
「経済界においても厳しくなる事は紛れもない事実」だとー!
分りもしないでこの能無しが!
日本の農業、漁業、酪農、観光業全てを台無しにしておいて、よく言うよ!
経済界だって、原発がそっちもコッチも爆発したらダメになるのは紛れもない事実だろ!
潤うのはお前の懐だけだ!

原発の札束はたとえ原発が事故らなくても村を破壊し尽すって事だ!

村人はもうみんなすでにエイリアンになった。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/440.html#c13

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
129. 2012年5月05日 16:38:13 : 8cKu7sSq8E
50.
亡くなったんですか。ケーブルNHKニュースを仕方なしに見ますが報道されなかったようですね。

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c129
コメント [原発・フッ素23] 原発交付金、再稼動なくても減額せず…政府方針 - 読売新聞 千早@オーストラリア
02. 2012年5月05日 16:43:41 : d1INYqu1to

「政府は原子力発電所の立地市町村に支払っている原発交付金(電源立地地域対策交付金)を原発が再稼働しない場合でも減額しない方針を決めた」→ bit.ly/J65Epx 全国の原発周辺の住民の皆さん、これでもうカネのために原発を再稼動させる必要はなくなりましたよ。
( http://twitter.com/#!/kikko_no_blog/status/198667497145253888 )


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/465.html#c2

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
130. 2012年5月05日 16:44:46 : iQinVlOl1c
まさか800もの遺体を細分化し瓦礫に混ぜて全国に拡散させる気ではないだろうな。
奴らのことだからやりかねない。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c130
コメント [日本の事件30] 時速60キロ超で電柱激突 京都・祇園19人死傷事故 (ANN) 衝突までの暴走動画  赤かぶ
17. 2012年5月05日 16:45:38 : uKALyU3sqs
涸沢岳でも6人遭難 1人死亡
5月5日 14時55分
北アルプスの涸沢岳で登山をしていた福岡県の男女6人が遭難して山小屋に収容され、このうち71歳の男性が死亡しました。
ほかの5人は警察のヘリコプターでふもとに運ばれ、病院で手当てを受けており、いずれも命に別状はないということです。

岐阜県警察本部によりますと、北アルプスの涸沢岳で登山をしていた福岡県の56歳から71歳の男女6人が4日夕方遭難し、午後7時ごろ電話で近くの穂高岳山荘に救助を要請しました。
要請を受けた警察の山岳警備隊などが4日夜遅く、山荘に6人を収容しましたが、福岡県大牟田市の無職、吉野和記さん(71)が低体温症のため死亡しました。
ほかの5人も低体温症になっていて、5日昼すぎ、警察のヘリコプターでふもとに運ばれ、岐阜県高山市の病院で手当てを受けています。
5人は、いずれも意識があり、命に別状は無いということです。
警察によりますと6人は3日朝、長野県の上高地から入山し、4日は涸沢岳を経由して穂高岳山荘に向かう途中でした。
涸沢岳周辺の天候は吹雪で、4日だけで30センチの雪が積もったということです。
吉野さんは登山のベテラン
亡くなった吉野和記さんは、北アルプスに何度も登ったことがある登山のベテランで、かつては福岡県勤労者山岳連盟の会長を務めていました。
福岡県勤労者山岳連盟によりますと、吉野さんは登山歴が50年近いベテランで、海外の山や雪山の経験も豊富なうえ、北アルプスには毎年のように登っていたということです。
7年ほど前から、たびたび吉野さんと一緒に登山をしていた福岡市中央区の井上善雄さん(39)は「本当に山が好きで、最新の登山技術も意欲的に取り入れていたうえ、いろいろ創意工夫しながら登るように自分に教えてくれた人なので、亡くなったとは信じられません」と話していました。
一方、遭難した6人のうち、吉野さん以外の5人は、30歳から65歳までの登山愛好家でつくる福岡市の登山サークルに所属していました。
登山サークルの代表者は「今回はサークルとしての公式の登山ではなく、有志による登山だったため、詳しいことは分からない」と話しています。
福岡県勤労者山岳連盟の大塚三紀夫副会長は「吉野さんは、登山サークルのメンバーに頼まれて同行したのではないか。吉野さんとは自分も何度も一緒に山に登ったことがあるが、慎重な人なので、どうしてこんなことになったのか分からない」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120505/k10014902041000.html
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/203.html#c17

コメント [マスコミ・電通批評12] 大朝日新聞の落日 (オリーブの声)  赤かぶ
13. 2012年5月05日 16:46:13 : aXC87tGddQ
部数が広告料金の指標って、惰性で取ってる
年寄りだけだろう。今時、朝日新聞なんか!
金払って取って、まして読んでるやつ本当に
いるのかいな?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/872.html#c13
記事 [原発・フッ素23] 小出さん、ニューヨーク デビュー!(^^)
みごとトップ当選(って、最初に当確が決まったということかな)なさった鹿児島市議会の小川みさ子さんからの情報(全文貼り付ける元気がないので、これだけとりあえず)で、小出さんがなんとニューヨークに出向いて講演なさっていたことを知りました。

すでに講演は終わっているのですが、お知らせページをコピペしておきます。


小出裕章講演会 in NY
http://koide-nyc.ticketbud.com/http---koice-nyc-ticketbud-com

When
Thursday May 3 2012 7:00pm
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Where
Holy Trinity Lutheran Church [Map]
Click on the red pointer for driving directions.
Driving Directions/Parking

Subway Stations: #1 -- 66th Street / Lincoln Center #A, B, C & D -- 59th Street / Columbus Circle Drivers: Street parking and many parking garages in the vicinity

More Info
Contact: Kazko Kawai

小出裕章講演会 in NY

日本に帰る前に知っておきたい「放射能」のこと

みなさま、ありがとうございます。

講演会は、無事に終了しました。(5月4日)

前売り券の発売は終了しました。

当日券は、会場受付で販売します。25ドル

開場は6時30分、開演は7時です。(5月3日)

京都大学原子炉実験所の小出裕章助教がニューヨークに来ます。

昨年3月の福島原発事故から1年以上になります。

福島第一原発では何が起きたのでしょうか、そして、現在の状態は?

放射能が私達の健康に及ぼす被害は一体、どんなものでしょうか?

私達が一時帰国や本帰国で日本に帰る前に、原子力や放射能について知っておく必要のあることが沢山ありそうです。そんな私達のために、京大の原子炉研究所で原子力を40年間研究してきた、小出さんがわかりやすく説明してくれます。

質疑応答の時間も十分にとります。

なお、チケットを購入後は、返却・返金には応じられませんので、ご承知おきください。

当日券(25ドル)は、限定数を販売する予定です。

前売りチケットの、PayPalでの支払いがどうしてもできない方は、メールでの予約をお願いします(予約の場合、20ドルです)。5月2日まで受付けます。infoアットmenamusic.org

5月3日は予約を受付けず、当日券(25ドル)の扱いになりますので、注意してください。

===小出裕章さんプロフィール===

1949年東京上野生まれ。開成高校から東北大学原子核工学科および同大学院工学研究科修士課程終了後、京大原子炉実験所へ。研究分野は原子核物理学、原子力学、環境動態解析、原子力安全、放射性物質の環境動態。

福島第一原発事故発生後、テレビや新聞に登場するいわゆる御用学者達が 「安全・安心」をオウムのように繰り返し、正確な情報が伝えられない中で、小出先生は事故発生直後からリスクを過小評価することなく正確に伝え、またわからないことは希望的観測ではなく、はっきりとわからないと答えた。 原発事故状況が日々悪化し、御用学者達の安全論が崩れ去る中で、小出助教の発信する長年のリスク研究に裏打ちされた情報は、正確な情報を求める多くの人々の拠り所となっていった。

著書 「原発のウソ」、「知りたくないけれど、知っておかねばならない 原発の真実」、「原発のない世界へ」など多数

ラジオ番組「たねまきジャーナル」に不定期出演(週に2回程度)

寄付のお願い
(以下略)
======================================================

また続く4日には、日本人医師等とともに記者会見。
両方とも、そのうちどこかに映像がアップされたら
拝見したいものです。

Press Conference on Fukushima Daiichi Disaster
Home > News & Events > Events
May 4, 2012
New York City, New York
http://www.psr.org/news-events/events/press-conference-on-fukushima.html

Japanese nuclear scientist and Japanese and U.S. medical doctors to discuss current radiological health conditions and concerns in Japan after the Fukushima Daiichi nuclear reactor catastrophe.

Time: 10:00 am - 11:00 am
Location: Rissho Kosei-kai, 320 East 39th Street (between First Ave. & Second Ave.)

A press conference about the on-going, rarely publicized, and still grave situation around the stricken Fukushima Daiichi nuclear reactors, featuring a nuclear scientist from Japan, and first hand medical reports of clinical and on site observations in Japan related to the Fukushima radiological contamination. Discussion will include the immediate needs to protect Japanese citizens now living in contaminated areas, for better monitoring of radioactive content of food, and for the cessation of incineration and burying of radioactive tsunami rubble throughout Japan. Watch the livestream here.

Featuring: Mr. Hiroaki Koide, Assistant Professor, Research Reactor Institute of Kyoto University, Japan; Dr. Junro Fuse, Internist, Japan; Dr. Ken Nakayama, Orthopedic Surgeon, Japan; Dr. Andrew S. Kanter, President, Physicians for Social Responsibility, USA; Kazko Kawai, Voices for Lively Spring, Japan; Mari Inoue, Human Rights Now, USA.

Media Interviews: To schedule media interviews after the event, please contact Kazko Kawai at 212-432-0705 or kazko@aol.com for interviews with Japanese speakers; or Alfred Meyer at 202-215-8208 or alfred.c.meyer@gmail.com for interviews with PSR speaker.

Details: Hosted from Japan by Voices for Lively Spring, Human Rights Now, and Physicians for Social Responsibility. Mr. Koide, the best-known nuclear scientist and concerned medical doctors from Japan and USA will share their experiences and speak about the on-going nuclear crisis in Fukushima. They will discuss the under-reported health consequences after the nuclear disaster, health risks resulting from inadequate food safety standards, and the environmental dispersion of radioactive materials by government burning of radioactive disaster debris. Voices for Lively Spring, a Japanese citizens’ group, Physicians for Social Responsibility, a U.S. NGO, and Human Rights Now, a Japanese international human rights NGO, feel that the international community is not adequately informed about the evolving “current status” and the remaining serious problems in Japan after the nuclear disaster. The nuclear scientist and medical doctors from Japan and US will be available for media interviews.

Background: A year after the nuclear disaster in Fukushima local communities in Japan continue to be exposed to radioactivity. Radioactive materials are still being released into the air, soil and ocean - from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. Many citizens still live in areas where the radiation level is dangerously high. The Japanese government continues to keep its citizens in harms’ way by applying a 20mSv per year standard to establish evacuation zones. Citizens in the rest of Japan also remain in danger of being exposed to unsafe levels of radiation due to widespread radiological contamination from the accident, food safety standards that are not strict enough to protect children, and the Japanese government continuing to burn and bury the radioactive disaster debris in municipalities across the nation.

Speakers:

Hiroaki Koide, Nuclear Reactor Specialist and Assistant Professor at Kyoto University Research Reactor Institute. After realizing in 1970 that nuclear power was extremely dangerous, Mr. Koide dedicated over 40 years of his career to educate the nuclear industry and the general public to stop nuclear reactors in Japan. After the nuclear disaster in Fukushima, he gained “rock star” status due to his tireless efforts in providing detailed analysis and honest suggestions to the Japanese community about the extent of the disaster. He will speak about the extremely dangerous conditions at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, including the concerns regarding the damaged Unit 4 irradiated fuel pool.

Dr. Junro Fuse, Internist and head of Kosugi Medical Clinic near Tokyo, Japan. In June 2011, he started to use social media as the main tool to educate the general public on risks associated with radiation exposure. He will discuss unusual medical symptoms among their patients after the nuclear accidents, issues within the Japanese medical communities to protect citizens from the disaster, health risks in association to the burning of radioactive tsunami debris and his concerns with the current food safety standards in Japan.

Dr. Ken Nakayama, Orthopedic Surgeon from Japan. Following the 3/11 earthquake, he entered the exclusion zone in Fukushima for three days as a member of the government’s Disaster Medical Assistance Team to rescue patients abandoned at a hospital. In December 2011, he spoke in a press conference in Osaka along with Dr. Fuse in opposition to the government policy for incinerating tsunami rubbles across the country.

Dr. Andrew S. Kanter, President of the Board of Directors of Physicians for Social Responsibility, has studied radioactive plume projections from nuclear reactor accident scenarios and other public health impacts of nuclear radiation dispersion. He is the director of Health Information Systems/Medical Informatics for the Millennium Villages Project for the Earth Institute at Columbia University as well as an Asst. Prof. for Clinical Biomedical Informatics and Clinical Epidemiology at Columbia University. Will speak about the need for accurate and timely information regarding exposure to radioactivity in order to protect and promote public health.

Co-sponsoring organizations:

VOICES FOR LIVELY SPRING: Founded in December 2011, Voices for Lively Spring is a Japanese advocacy group for safe environment, working to save lives of Japanese people in the post-Fukushima era. It hosts seminars by renowned scientists and journalists in large cities between Tokyo and Osaka, and sends instructors to local study groups to teach a radiation protection course in Shizuoka Prefecture, which is Japan’s focal point of the radioactive debris issue at the moment.

PHYSICIANS FOR SOCIAL RESPONSIBILITY: Physicians for Social Responsibility (PSR) is the largest physician-led organization in the U.S. working to prevent nuclear war and proliferation and to slow, stop and reverse global warming and toxic degradation of the environment.. PSR was founded in 1961 and succeeded in achieving the Limited Nuclear Test Ban Treaty that ended the global radioactive contamination produced by atmospheric nuclear bomb testing. PSR shared in the 1985 Nobel Peace Prize awarded to International Physicians for the Prevention of Nuclear War (IPPNW), for building public pressure to end the nuclear arms race. Guided by the values of medicine and public health, PSR works to protect human life from the gravest threats to health and survival.

HUMAN RIGHTS NOW: Human Rights Now (HRN) is an international NGO based in Tokyo with more than 700 members, composed of lawyers, scholars and journalists. HRN dedicates itself to the protection and promotion of human rights. To raise awareness of the situation in Fukushima after the nuclear accident, HRN organized a human rights forum in March 2012 at the UN Church Center in conjunction with the 56th United Nations Commission on the Status of Women. Mothers and children who were evacuated from Fukushima spoke about the great and ongoing disruption of their lives. Our goal is to inform the international community about the ongoing crisis and advocate for the protection of communities in Japan.
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Nuclear Power and Public Health: Lessons from Fukushima, Still Dangerously Unprepared

One year after the Fukushima reactor crisis in Japan, no meaningful progress has been achieved in improving the ability of first responders and medical professionals to react to a disaster on a similar scale in the United States. Read more »
Nuclear Power: The Renaissance That Wasn’t

(December 2011). A factsheet detailing the various delays, cost overruns, credit downgrades and design problems since January 2008 facing the supposed ‘nuclear renaissance.’ Read more »
Video: Marco Kaltofen on Airborne Radiation Spread

Interview with Marco Kaltofen, PE, Worcester Polytechnic Institute, about his research studying airborne radioactive particles from Fukushima and the Hanford Nuclear Reservation. Read more »

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April 29th: 6th Annual Legs Against Arms 5K Run/Walk
Join PSR Philadelphia for the Sixth Annual 5K Run/Walk to oppose illegal arms in Philadelphia. Proceeds support PSR Philadelphia's youth violence prevention programs.
=======================================================

トンボがえりで、またお仕事、講演と続くのでしょうから
お体大切に、引き続き頑張ってください!>小出さん。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/469.html

コメント [原発・フッ素23] どうしても原発を動かしたい関西電力の裏事情:資産半減による経営破綻を避けるためにフィクションを描く悪巧み 妹之山商店街
25. 2012年5月05日 16:52:15 : Alq3g9BpWo
最終処理方法も考えずになァなァで原発作ったのが間違い。糞なら埋めても肥料になるが、使用済み核燃料では屁にもならん。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/449.html#c25
コメント [経世済民75] 駅前で盗まれるチャリと、スペインの住宅ローン焦げ付き問題(スペイン危機がラテンアメリカに波及?) 墨染
01. 2012年5月05日 16:54:19 : FijhpXM9AU
馬鹿で悪質な金融機関がアホな消費者をだまして押しつけた住宅ローンでバブルを作って、経営者は自分に何十億もボーナスを払って、ご主人様・独裁者様の株主その他投機家集団がぼろ儲けするのを手伝ったわけだが、もうご主人様・独裁者様はバブル防諜段階での甘い汁を十分吸ったので、今度は銀行に損失を押しつけ、ひいては国民一般に救済させて損失を国家国民に負わせようという戦略だ。空売り手順も完了したのだろう。これからは大暴落で儲けるつもりだろう。「帰りの駄賃」局面に入ったということだ。リコースからノンリコースへの転換は世界中で流行となるだろう。不動産価格・地価は中国・英国などバブルがまだ破裂していない国では3分の1から100分の1くらいまで地獄の大暴落を見ることになろう。ユーロは英仏だけの通貨になってしまう可能性も大だ。そもそも統一通貨がうまくいかないで崩壊することは小脳で思考していない限り自明だったから、ご主人様・独裁者様は最初からリスクヘッジをしている。スイスなどご主人様・独裁者様の資産がたっぷり保管されている国は,当然ユーロに加入していないしね。


http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/845.html#c1

記事 [カルト9] 流出資料は自公・検察・マスコミ・裁判所の共犯を示唆するもので東大卒は偽日本人と偽ユダヤに撤退を決断させるべきだろう。
偽ユダヤも偽日本人も小沢潰しではなく日本破壊に照準を合わせているようで日本の頂点に立っていい思いをしたいだけの
東大卒は連中と目指すものが違う筈だ。
資料流出には驚いたが大善判決を一つとってみても3馬鹿トリオのキャスは偽ユダヤが握っているのではなく東大卒が握って
いる事がよく分かった筈だ。
偽ユダヤはナイやアーミテージやマイケルやデーブやカーティスが裏で指示をしたりバラエティに出る事はできても国民に
直接命令はできないしできても微妙な日本語ができず東大卒頼みだ。
偽日本人も日本語が達者のように見えても英語的日本語でありディベートは好きだが納得性がなくやはり東大卒頼みだしそも
そもセリフすら暗記できないとてつもない馬鹿だ。
これまで3人揃って春らららと3馬鹿トリオを謳歌してきたが呉越同舟といかなくなってきたのではないか。
所詮は世襲馬鹿とコネ馬鹿と東大卒では勝ち上がり方が違い勝ち方も負け方も痛み分けの仕方も分からない連中とは危なくて
後部座席から偽日本人の指定席だった助手席に割り込み且つギヤーを偽ユダヤから奪ってバックに逆噴射させてとりあえず
ブレーキなしで暴走を中和させたのが大善判決だったのではないか。
それを落とし所にして両者もダメージコントロールに着手してくれると信じていたらまだ突き進むというので怖いやら呆れる
やら危機感を持つやらで無傷は諦めて資料流出という骨折路線に切り替えたのではないか。
それでも連中が諦めない場合は流出シリーズで二者を売って自分達だけ最小限の生け贄で生き延びようという保身の傍ら野心
と使命感が沸き上がってきたといった感じか。
負ける約束になっていたランダエタが軽くパンチをしたら亀田がダウンしてしまったりホーガンが少し本気を出したら猪木社長
が気絶してしまってオロオロしている感じか。
そして3番手に甘んじているのが馬鹿馬鹿しくなりつつあるという感じだろう。
天才バカボンではないがそれでいいのだ。
日本で一番になっていい思いもして国民も食べさせればいいのだ。
馬鹿と一緒に日本を破壊しようとするからアホだの間抜けだのと罵られるのだ。
偽ユダヤの取り分と偽日本人の取り分をふんだくれば今よりいい思いができるだろうし自分より頭の悪い連中に頭を下げる不快さ
もなくなるし小泉以前の状態に戻すだけで国民から尊敬されるだろうしそれでいいのだ。
東大出の中で馬鹿で不細工な連中は間違ったプライドを持って小沢を低く見たいだろうが優秀な者は小沢のが上だと分かっている
だろう。
今は違うが昔の京大出の方が世間も分かっていて東大出より優秀なのと同じだ。
一山いくらの自分達からは逆立ちしても小沢は誕生しないから小沢監督の下で日本を世界一の国にしてみろ。
ヒモを追い出せるのは自分達しかいないのだから知恵を使って上手に追い出せ。
そして下らないが好きなだけ稼いで好きなだけ女遊びして飽きたら家族を大切にしろ。
アクタを批准していない国のサーバーを使うとはさらし首みたいで頭がいいではないか。
刑事訴訟法は我々には不正を告発する権利を官僚には義務を要求しているのだから思う存分やればいい。
デジタルシニアやニートやゆとりに馬鹿にされるのはこれで最後にしろ。

http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/477.html
コメント [マスコミ・電通批評12] 小沢氏とまだ戦う!“隠し子”スッパ抜きジャーナリストが宣言! (zakzak)  赤かぶ
12. 2012年5月05日 16:59:06 : GStG5y5Puo
松田賢弥!恥を知れ!
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/854.html#c12
コメント [原発・フッ素23] [放射能] 寿司がヤバい!「あわび」、「うに」からセシウムが・・・ (本当の食品 放射能 汚染)  赤かぶ
46. 2012年5月05日 17:03:04 : MDLM4ljCwQ
>佐伯市へ持って行くと話していた。

ってことは、佐伯港とフェリー航路で結ばれている高知県の宿毛市から
四国へも物流を通じ放射性物質が流入するということじゃんかよ。

まじで国は殺す気まんまんだな。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/409.html#c46

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
01. 2012年5月05日 17:07:35 : yrjsZSR1Z6
元関電社員の竹内忠雄

>理解してもらうのは難しいが、原発ゼロは日本にボディーブローのように効いてくる。

福島原発事故は多くの人々の人生を崩壊させ、日本全体に強烈なダメージを与えた事を棚に上げて何を言っているんだ。脳みそあるのか?もうろくジジィ。

こういう頭の悪い老人どもが日本をダメにしている。



http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c1

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
02. 2012年5月05日 17:10:31 : pj0KXIvxBk
核のゴミに囲まれ、地震でいつ壊れるかわからない原発の危険性に
おびえて暮らすことになる将来世代にこの技術者達は何の「理解」を
してもらおうと思っているのだろうか?

廃炉・使用済核燃料の処理・管理に膨大な費用と人手を要することが
わかっている原発。さらに収束する科学技術すら存在しない
福島事故原発の後始末。何一つ自分たちで始末もできずに
よくも「理解」だの「スタート」だの言えたもんだ。

技術屋さんの人生の達成感の為に、将来世代が抱えきれないほどの
危険性を無責任に負わせて、何を「理解」と言うのか?
全く、腐れた根性だ。「原子力の灯火」を消すことが
将来世代に対する現世代の責任である。

以上
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c2

記事 [原発・フッ素23] これを隠ぺいと言わずして、何を隠ぺいと言うのだろうか。 - 放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ
2012-05-05 01:27:21 | 福島第一原発
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/e2100c8c4d468e822015d2566e090d9f

==============================================================================

市長が積極的に受け入れをすすめている、米子市では、ガレキ受け入れ反対の山本太郎氏の講演会が開催されます。僕の苫小牧講演会の次の日ですね。全国で声を上げていきましょう。

日時:5月8日(火) 18:30−20:30 
場所:米子コンベンションセンター 2階小ホール
入場料:前売り 800円、当日 1000円、中学生以下は無料
その他:託児場あり、手話通訳あります。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/470.html

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
131. 2012年5月05日 17:12:58 : ewsj5Unugk
そんな中、安住が1500億円をアジアに配るとか
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c131
コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
03. 2012年5月05日 17:15:29 : wJl0Zy9rlQ
そんなに原発が好きでたまらないなら、福島第一原発の収束に向けてそこに死ぬまで勤務されたら・・・と思います。
それでこそ、宿命であり自分の人生と言えるでしょう。

大体、原発がどれ程の犠牲と隠ぺいの上に成り立っているか・・・。

福島第一のこれ程の事故の後に、
失われる事への郷愁を語る事自体、原発にたずさわる資格はないでしょう。

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c3

コメント [原発・フッ素23] 原子力の不確かな未来に向き合う日本(BBC) 無段活用
05. 2012年5月05日 17:23:36 : WharH60eII
>>03
所謂脱原発にも当て嵌まる部分が少なくないようだが……。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/460.html#c5
コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
04. 2012年5月05日 17:24:54 : jNhLiHGQnc
自分が半生をささげた仕事が無に帰するのは誰だってさびしいだろう。
しかし、もはやそういう個人の感傷の次元を越えて、多くの人たちの命と健康が脅かされていることを考えてほしい。国が滅びるかどうかの境だと言うことも。

本人たちより今これを書く産経が問題。

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c4

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
05. 2012年5月05日 17:24:58 : bbUwCcy1io

早く「脱原発」を国是とすることだ。

代替エネルギーの技術は十分にもう準備されてきているのだ。

国や電力会社がこれまでのように邪魔をしなければ、急速に技術開発が進み、少しの期間辛抱するだけで、産業用の大電力以外の家庭および民生用の電力の大半は賄えることになるだろう。

国家や産業の衰退などにはならない。日本は開発された技術を以って、ドイツと共に世界に冠たる自然エネルギーを含む代替エネルギーの先進国になることが可能だろう。



http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c5

コメント [原発・フッ素23] 関電の節電契約、低水準 夏のピーク抑制に余地 大飯再稼働に疑問も 9社中7位  共同通信 ダイナモ
07. 2012年5月05日 17:29:00 : nLusF4k3Y2
次を参照下さい。

http://us2.campaign-archive2.com/?u=d091b19b672c0c5a748427770&id=4ecf7c58bd
012年4月17日(火)
環境エネルギー政策研究所 ブリーフィングペーパー
原発を再稼働しなくても今夏の電力は足りる(関西電力版)


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/324.html#c7

コメント [原発・フッ素23] 原発交付金、再稼動なくても減額せず…政府方針 - 読売新聞 千早@オーストラリア
03. 2012年5月05日 17:29:24 : hNj0manSZo
交付金はその地域にある原発を廃炉及び廃棄物保管の為に使って再稼働せず、廃炉にするための財源とすればいい。自治体も廃炉向け以外には使えなくすれば良い。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/465.html#c3
コメント [原発・フッ素19] 宇宙飛行士が内服している薬・食品について 爺さんより SaveChild厨
223. 2012年5月05日 17:29:25 : 7yljYXPebE
塩風呂の塩は、海塩でなくてもどの塩でも効果は同じと説明している。
 面白いのは、皮膚表面温度は約25分でピーク。身体末端の血流は約20分でピークに達する。
 塩の情報室 : http://www.siojoho.com/s05/03.html アトピーにも効果あり。
5月13日は下弦の月。デトックスが高まるとの説あり。 海。>>222厨さん、男性には【朝立ち】が食いつきがよろしいようです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/907.html#c223
コメント [原発・フッ素23] パソコン5台、ウイルス感染か=外部サイトと通信 〜 原子力安全基盤機構 - Yahoo!ニュース・時事通信 千早@オーストラリア
04. 千早@オーストラリア 2012年5月05日 17:29:55 : PzFaFdozock6I : FDJ5Us24bt
>システムが通信網と切り離されていてもテロは可能

3/11と関係あり、と思われるスタックスネットのワームは
USBスティックで感染するのです。

事故直後、電源が切れたり色々ありましたが
すべてが地震と津波のせいだけだったかどうか...
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/410.html#c4

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
06. 千早@オーストラリア 2012年5月05日 17:33:33 : PzFaFdozock6I : FDJ5Us24bt
04さんの

>本人たちより今これを書く産経が問題。

それなんですよね、私が思ったのも。
というのも、美浜の反原発の方から
「金の切れ目が縁の切れ目」で、メディアも本当のことを書き始めた
と言われたのですけど、

切られたところと、まだもらってるところがある

ってことかと。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c6

コメント [マスコミ・電通批評12] 大朝日新聞の落日 (オリーブの声)  赤かぶ
14. 2012年5月05日 17:34:20 : FijhpXM9AU
数年後に「地球環境保護の観点から朝日新聞は週刊にしました。」という案内が来そうな気がする。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/872.html#c14
コメント [カルト9] 流出資料は自公・検察・マスコミ・裁判所の共犯を示唆するもので東大卒は偽日本人と偽ユダヤに撤退を決断させるべきだろう。 ポスト米英時代
01. 2012年5月05日 17:36:33 : tsiTIBXnzQ
「第二百三十九条  何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。
○2  官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。 」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html

あ、ほんまや。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/477.html#c1

コメント [原発・フッ素23] (速報)  千葉の野菜、果物の汚染  武田邦彦  赤かぶ
22. 2012年5月05日 17:36:50 : pm0IrqYu76
☆赤かぶは向こうの人間。

おおかた、日本の放射能汚染食糧事情の分析をして、米国がすでに禁酒法を遙かに越えた国民裁判権強奪NDAA法などと同類のトンデモ法の家庭菜園禁止法を、いつ日本に持ち込むか、TPPのつけ込む先を、放射能汚染に搦めて、調査している。よくよく投稿者の名前を見て、赤かぶならば赤かぶ用の答え方をしなくては駄目だ。また何の信用の根拠もない赤かぶの警戒を喚起することは、ひいては先々の身を守ることに通じる。どちらにしろ投稿を見て監視していたら同じだとうこともあろうが、常時シロアリ側の要望のオーダーに応える反応が欲しい場合に、赤かぶのような存在が極めて有用なのだ。シロアリ側の都合でネタを提供するというわけだ。地震にしろ、原発にしろ、小沢裁判にしろ、経済にしろ、国民の本音の裏をかきたいシロアリにとっては、非常に有効な資料の蓄積になる。シロアリだって簡単に論破されたくないわけだ。

武田教授の高度な論法を越える詭弁だって作られる。
売国奴達の日本支配乗っ取り法とその政策推進その詭弁の編み出し、論理武装、論法の研究は、間違いなく常時活動中だ。
正論に意表を突かれないように、論破されないように…。
八木啓代さんの記事なども載せて反応を見る。工作員反応の早さは、周知の通りだ。常時交代しつつモニターに張り付いていると言うことだ。投稿者赤かぶも複数で交代しつつやっている。
赤かぶは、判決前日に、ダメージかあり得ない小沢隠し子記事の転載投稿をして、判決翌日には、どうなる仙谷由人、小沢復権で血祭りか という投稿を平気でしている。この態度!?
シロアリ工作員としては、わずかな国民の動きでも事前に察知して対策を取りたいシロアリコロニーには、報告する義務がある。監視は偵察も兼ねる。だから、阿修羅監視では、具体的な動きがシロアリにも伝わる。知ってて勝負するという態度がおおかたであろうが。

赤かぶは要注意。今後も当人が自分自身のコメントを出すことは無い。
解答無しでこのままロボットのように続ける。即ち、今の日本で数多い要注意の存在の中の一つでもある。赤かぶは、無言で投稿ばかりはしていない。一人でもない。

この他人の記事転載専門の無言投稿者赤かぶは、必ず阿修羅の投稿とコメント総てを読んでいる。それでいて、自分のコメントで自分の目的を表して、他者に理解を求めることが一切無く、他者の労作の記事の転載オンリーだ。過去の投稿記録を見てもこの異常すぎる態度は一貫している。これは、赤かぶだけの破格な異常さだ。
加えて非常に高い計算能力がある。そして鋼鉄のロボットのような批判の異常な態度の強硬さだ。日本の国益に生身の人間として結束しようという人には、あり得ない態度だ。だからおかしい。他の投稿者達とは決定的に違う。シロアリ勢力は最後の最後まで、執拗に日本国強奪を諦めはしない。長く続く戦いだ。。
こういう正確な計算に基づいた大量投稿と、個人のコメントを一切出さない態度の両立などというスタイルは、ふつうの神経の単独の日本人にはとうてい出来る芸当ではない。背景がある。そこには本当の隠れた目的がある。
しばらくあしゅらを観察していたら、誰だって、おかしいと感じる。そういう赤かぶだ。
みんな阿修羅掲示板でも、路傍の人間でいいのか?何気ない所に危険があるんだぞ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/434.html#c22

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
07. 2012年5月05日 17:42:17 : sRcrMMDt9E
全国での廃炉、放射性廃棄物の管理。
福一汚染の自然拡散の防止。
食品、瓦礫、人為的にばらまかれた放射性物質の回収。

まだまだ、永遠に課題も仕事もあります。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c7

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
08. 2012年5月05日 17:42:27 : F5JOVrmCvo
お前の人生は原子力なしでは考えられなくても、大多数の人にとってはこの世界に原子力ありが考えられないんだよ。何が「理解」だ。

03さんの言うように、そこまで原子力が大事なら福島に行けよ。

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c8

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
132. 2012年5月05日 17:53:30 : YKOIkrrros

 広島・長崎の原爆では、多くの尊い命が奪われ、人類史上、最も悲惨な出来事として世界中の人の心に刻まれています。この前例のない原爆体験は、その後の放射線による人体影響の研究に価値ある豊富なデータともなりました。広島・長崎の知見が現在の放射線医学や放射線治療の礎になっていることは、間違いありません。

 また原爆は文学作品のテーマにもなり、井伏鱒二の「黒い雨」、原民喜の「夏の花」など、後世に読み継がれる名作があります。戦争体験は風化しつつありますが、日本人は原爆を決して忘れてはなりません。

 原爆による被ばく線量は、爆心地からの距離でほぼ決まります。広島の場合、上空600mで炸裂した原爆から、大量のガンマ線や中性子線が放出され、一瞬の外部被ばくで多数の死者が出ました。急性放射線障害による死亡です。放射線は爆風や熱線より、比べ物にならないほど速く広がりますから、炸裂してから100万分の1秒ほどで多くの人が超大量の放射線を浴びてしまったのです。逃げる間などありません。

 爆心地にいた人の被ばく量はガンマ線で約100シーベルト(10万ミリシーベルト)、中性子線で約140シーベルトと推定されます。しかし、爆心地から離れるにつれ被ばく量は減っていき、500m地点ではガンマ線で28シーベルト、中性子線で31.5シーベルトとなります。さらに3.25km付近になると、被ばく量は1.0ミリシーベルトまで減少します。爆心地から200m離れるごとに、被ばく量は半分になる計算です。

 広島大学原爆放射線医学研究所は、広島・長崎の原爆の爆心地から500m以内にいて奇跡的に助かった78人の生存者を対象に、1972年から調査を始めました。これらの人々はコンクリートの建物内、地下、満員の路面電車の中にいたため、放射線が遮られ、被ばく量が少なかったと考えられます。

 生存者の被ばく量は、爆心地からの距離と建物などによる遮蔽効果で決まりました。つまり、広島・長崎の場合、原爆投下の「その瞬間どこにいたか」で被ばく量が決まるわけです。そして、生存者に対する聞き取り調査や健康診断によって、被ばく量と発がんの詳しい関係が得られ、科学的にも貴重なデータとなっています。

 この点、原発事故では、放射性物質が風で運ばれ、雨に溶けて地表に染み込むことで被ばくを引き起こしますから、場所によって、放射線の量が大きく違ってきます。このため、住民の被ばく量は、線量計を携帯しない限り正確には把握できません。原爆被爆者のデータが最も信頼できるものなのです。100ミリシーベルト以上の線量で、発がんが直線的に増えるという事実も、広島・長崎のデータがもとになっています。

 なお、こうした初期放射線のほかに、上空から降下した放射性物質などもありましたので、原爆投下後に広島・長崎に入った人も被ばくしました。これらの人は入市被爆者と呼ばれます。ただ、こうした放射性物質による被ばくは初期放射線に比べるとわずかです。

 広島・長崎の原爆では、広島市で人口34万〜35万人のうち爆風の破壊力や熱線、放射線によって9万〜16万6000人が被爆から4カ月以内に死亡し、長崎市では、人口25万〜27万人のうち6万〜8万人が死亡しています。ただ、死亡者の数は、軍関係者で死亡した人の記録が焼失したり、家族全員が亡くなり報告者がいなくなったりしたため、あくまで推定です。米兵の捕虜も原爆で死亡しています。

 原爆の全エネルギーのうち、爆風が50%、熱線が35%、放射線が15%と考えられています。

 爆心地から半径2km以内の全死亡者を100%とすると、被爆2週間以内に88.7%、第3週から8週までに11.3%が死亡しています。

 半径1.2km以内の死因の内訳は、爆風による外傷が20%、放射線による障害が20%、熱線と2次的な火災による熱傷が60%でした。

 がんや白血病の発症については、怪我や火傷と同じように爆心地に近くなるほど多くの人に発症し、白血病で死亡した人の約半数と、固形がん発症数の約10%が放射線の被ばくに起因すると考えられています。

 2000年までに放射線による被ばくで発症したがんの総数は、約1900例と推定されています。

 原爆による死亡のほとんどが、爆発直後の爆風と熱線によるものです。爆心地の温度は、3000℃以上に達しましたから、多数の方が、全身の火傷で命を落としました。

 なお、4シーベルト(4000ミリシーベルト)の放射線を全身に浴びた場合、およそ半数の方が死亡しますが、こうした大量被ばくでも、皮膚の温度は1000分の1しか上がりません。

 原爆による火傷やケロイドは、放射線とはまったく関係がありませんが、多くの人々を死に至らしめた主要因だったのです。このことは意外に知られていないことなのかもしれません。

 また、放射線による人体への影響として、次のようなことが明らかになっています。

 発がんについては、被ばくから10年ほど経って、乳がん・胃がん・大腸がん・肺がんなどを発症する人が増え始めました。100ミリシーベルト以上の被ばくで、発がんのリスクが上昇することがわかったのです。

 白血病は被ばくから2年ほど後に増え始め、子供の発症率は数倍に上がりました。子供は大人に比べ、放射線による影響を受けやすいことがわかりました。白血病については、6〜8年後から患者は減り始め、20年ほど経つと日本人の平均レベルになりました。

 なお、親が被爆者である「被爆2世」への遺伝的影響は、見られていません。動物実験では、遺伝的影響は観察されていますが、ヒトにおいては、放射線被ばくによる遺伝的な影響は確認されていないのです。

 また、原発事故で争点となっている100ミリシーベルトより低い被ばくで発がんが増えるかどうかですが、科学的には100ミリシーベルトより低い被ばくで発がんの増加は確認されていません。これは、たとえリスクがあったとしても、検出できないくらい僅かなものだということです。

 井伏鱒二の小説「黒い雨」は、爆心地から遠い場所にいて、炸裂直後の閃光のような放射線や熱線を逃れたものの、その後、上空から雨と一緒に降ってきた放射性物質によって被ばくした女性の悲劇を描いています。

 原爆は、高さ600m(広島)と503m(長崎)で爆発し、巨大な火球となり、上昇気流によって、さらに上空へと押し上げられました。爆弾の中にあった核物質のうち約10%が核分裂を起こし、放射線という膨大なエネルギーを発しました。残る90%は火球とともに成層圏に到達したと考えられます。

 これらの放射性物質(広島はウラン、長崎はプルトニウム)の一部は「黒い雨」となって広島・長崎に降りました。放射性物質は風に乗って移動しますから、広島では北西に向かう風に流され、雨に溶けて己斐・高須などの北西部に、長崎では東へ向かう風に乗り西山地区など東部に多く降りました。

 こうした放射性降下物(フォール・アウト)による地上汚染は、爆心地より、むしろ離れた地域で高くなりました。

 ただ、これらの地区でも住民の被ばく線量は僅かだったことが確認されています。地上汚染による爆心地の被ばく線量は、離れた場所にある最大の汚染場所の約10分の1です。原発から離れているのに、高い放射線量を記録するホットスポットがある反面、原発の近くでも汚染が少ない場所が存在するのと同じことです。

 雨に溶けて降った一部の放射性物質を除き、多くのウランやプルトニウムは大気圏に広く拡散したものと考えられます。例えば、ウラン235の半減期は7億年です。今でもこれが広島市内にたくさん残っていれば、放射線による被ばくリスクは高いままです。しかし、広島も長崎もそうはなっていません。

 原爆による放射性降下物の影響は、1950年代から1960年代に世界中で行われた大気圏内核実験の影響と区別できないほど、低くなっています。

 原爆投下の翌日に広島市や長崎市に入った人たちも被ばくしました。原爆投下後、2週間以内に爆心地から2km圏内に立ち入った「入市被爆者」です。親類や知人の安否を気づかって入った人、たまたま原爆投下時は市外にいて戻ったという人、救護活動のために市内に入った人などです。これらの人は原爆の誘導放射線(原爆から出た中性子線が物質に当たると放射化し、その物質から出る放射線が誘導放射線)やフォール・アウトによって被曝しました。

 ところが、非常に驚くべきことに、入市被爆者の平均寿命を調べてみると、日本の平均より長いのです。また、広島市の女性の平均寿命をみると、政令指定都市の中で最も長いことがわかります。日本は世界一の長寿国ですから、つまり広島市の女性は大きな都市の中では世界一長生きということになります。そればかりか、出生率の高さでは第2位、死産率の低さでは第1位です。広島市は「奇跡の復興」を遂げ、現在の人口は120万人で、西日本有数の工業都市となりました。

 広島市民の健康の指標
(○数字は政令指定都市の順位、人口千人当たり、平均寿命は全国平均と比較)

病床数:政令指定都市平均13.3床、広島市14.7床E
病院従事者数:政令指定都市平均13.9人、広島市14.6人F
病院医師数:政令指定都市平均1.7人、広島市1.6人G
病院歯科医師数:政令指定都市平均0.13人、広島市0.19人D
三大疾病死亡者数*1:政令指定都市平均4.3人、広島市4.2人F
平均寿命男性*2:全国平均78.79歳、広島市79.45歳C
平均寿命女性*3:全国平均85.75歳、広島市86.33歳@

資料:病院報告、医療施設調査、人口動態統計、都道府県別生命表
{*1は平成18年(2006年)、*2・*3は平成17年(2005年)、その他は平成19年(2007年)}

 平均寿命女性
平成17年(2005年) 「政令指定都市中」
 1位:広島市86.33歳
 2位:福岡市86.27歳
 3位:札幌市86.26歳

 なぜ広島の女性の平均寿命が延びたのでしょうか。

 ここに、広島の人々の悲劇と、原爆が生んだ皮肉な結果があると考えられます。

 ひとつは、被爆手帳、正しくは被爆者健康手帳の存在です。被爆手帳が交付されるのは、原爆投下時に広島・長崎両市と隣接する区域で直接被爆した人、投下から2週間以内に爆心地から2km圏内に立ち入った人(入市被爆者)、被爆者の胎児だった人などです。

 被爆手帳を支給された方は、がんはもちろん、糖尿病や風邪に至るまで、原則、無料で病院にかかることができます。この手帳を持つ方は現在22万人程度ですが、昭和55年には最大の37万2264人を数えました。これは、終戦時の広島市と長崎市の合計人口を上回る人数です。

 無料で医療を受けられる効果は絶大です。特に被ばく量が少ない’入市被爆者’(原爆投下の後に市内に入った被爆者)の場合、充実した医療が効果を生んだ結果、全国平均より長生きになりました。広島は、「医療の力」をまざまざと示したと言えるでしょう。

 さらにもうひとつ、長生きには理由があると思います。原爆投下後も市民が’避難せず’暮らし続けたことです。これは、「広島、長崎市の前に広島、長崎市なし」ということです。

 当時、放射線に関する知識は一部の専門家以外は持っていませんでしたから、原爆投下後も、広島・長崎の人たちは放射線が「危ない」「怖い」ものとは考えていませんでした。だから、知らずに街に入った多くの入市被爆者が生まれたわけです。生き残った人たちも、そこに居続け、避難をしませんでした。放射線に怯えながら、不自由な避難先で暮らす、ということがなかったのです。もちろん、避難をしない前提条件として、放射線量が低レベルであるというものがありますが、広島・長崎の場合、放射線の「怖さ」を知らなかったが故の結果でありましょう。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c132

コメント [原発・フッ素23] 瓦礫のトリック・・・法律を作る国会議員が「法の目をくぐる」習慣か?  武田邦彦  赤かぶ
01. 2012年5月05日 17:56:29 : ecpAURRUFE
八千代市の焼却灰は、埼玉県で人工砂としてリサイクルするとのこと。
人工砂というのは、路盤材のことです。
端的に言えば、放射性廃棄物を、街なかだろうが、どこだろうが、道路の下に埋めてしまえということですね。
http://www.city.yachiyo.chiba.jp/osirase/0502seisoucenter/index.html

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/464.html#c1
コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
09. 2012年5月05日 18:00:10 : t9M2KfINao
産経は原発と運命を共にするつもりのようだ。なかなか立派な心がけだ。

両方消えてなくなればせいせいする。そういえば読売もそのはずだが。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c9

コメント [原発・フッ素23] 江川紹子氏が上杉隆氏に公開質問状「福島の人たちが、捏造や嘘報道のせいで、相当の迷惑を被っている」(日本の将来 )  赤かぶ
164. 2012年5月05日 18:02:16 : oDZLjorBrU
>>15さん
江川紹子は何も今突然変ったのでは無く、人格はよほどの事がない限りそう簡単に突然にその性格が変る事などほとんど有り得ません。
子供時代と大人になってからで長い間に少しづつ変る事はあるかもしれません。
又大切な人の死とかよほどの事が身に降りかかり、性格が変わる事は決して無いとは言えません。
でも江川紹子はそうとは思えません。
人間は己を実物より美しく見せる術を知っていますが、江川紹子は己をあたかも正義の人に見せる術が人より長けていただけです。
だけど正義は金にはならないのが常なのです。
しかし金儲けだけでも又、人気商売は成り立たない。
そこでその二つを巧みに使い分けたのです。

人気用コメント
懐用コメント

この二つを巧みに使い分けたのです。
オームも利用した。
小沢氏も、その秘書事件も村木氏の事件も彼女にとってはおいしい餌でしかなかった筈です。
それらを使い分ける事で江川氏は、まさに富と名声の両方を手中に収めたのです。
私は上杉隆氏を全く知りません、興味もありません。
だから上杉氏と江川氏を比べて物を言っているのではありません。
ただ私は小沢政権を待ち望む一人です。
小沢氏を貶めて、それでいてあたかも味方の振りのコメントさえもする彼女にハラワタが煮えくりかえっているだけです。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/379.html#c164

コメント [原発・フッ素23] 瓦礫のトリック・・・法律を作る国会議員が「法の目をくぐる」習慣か?  武田邦彦  赤かぶ
02. 2012年5月05日 18:02:23 : sRcrMMDt9E
この記事の方々の行為も犯罪ですよね?

風評被害、野菜共同購入で支援 コープしが
http://mytown.asahi.com/areanews/shiga/OSK201105160155.html

この記事は、将来、告訴相手を特定するための証拠になるでしょうか?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/464.html#c2

コメント [経世済民75] 子ども31年連続減、1665万人 福島は1万3千人減 割合は13.0%、38年連続の低下 MR
04. ダイナモ 2012年5月05日 18:03:05 : mY9T/8MdR98ug : 5RwHBaG4ss
>>02>>1年に10万人しか減らないなら、100年経っても日本の人口1億2000万人もいるのか。

!? 日本には大人もいる。大人が子どもより長生きするならその通りだが…。


http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/843.html#c4

コメント [カルト9] 流出資料は自公・検察・マスコミ・裁判所の共犯を示唆するもので東大卒は偽日本人と偽ユダヤに撤退を決断させるべきだろう。 ポスト米英時代
02. 2012年5月05日 18:08:33 : niofivkhJ2
これで夜中のパトカーはつじつまが合う?
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/477.html#c2
コメント [国際6] 不愉快な現実・困難を排し接近する大国 “米中”が世界を支配するという認識 (世相を斬る あいば達也)  赤かぶ
02. 2012年5月05日 18:15:30 : IYyRSPdFJA
いったんは育てておいてその内手の平を返して叩き潰すというのはシオニスト米国の十八番ではないか。今の日本がそうだ。インディアンもその精神分裂的やり方に翻弄されて滅ぼされた。ヤヌスの面戦法というものだ。偽ユダヤ人シオニスト勢力によって、中国ロシアとアメリカが全面核戦争に持ち込まれるのは時間の問題と言われている。あいば氏はもっと広く情報を集めて考察すべきだね。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/579.html#c2
コメント [音楽7] Snoop Doggy Dogg お子茶魔
03. 2012年5月05日 18:24:36 : 0EopofEgjc
Lil' Bow Wow?
今は Bow Wow。

(茶魔)
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/223.html#c3

コメント [原発・フッ素23] [放射能] 寿司がヤバい!「あわび」、「うに」からセシウムが・・・ (本当の食品 放射能 汚染)  赤かぶ
47. デミトリー 2012年5月05日 18:28:01 : 2kYVIsTHbi0XM : rYkMku2ZH2
>>34みたいなの、
相変わらず言うことが変わらんな〜。

自然放射線を安全の根拠にするなら、まず自然放射線を0にしてください。
その上で、今まで自然放射線というものを浴びていたのがなくなったのだから、同レベルなら安全だといってください。
事故による放射能の上乗せ分を問題にしているのを、いつになったら分かるんでしょうか。飛行機も、医療被曝も、タバコも、今まであったものは良くも悪くも許容してきたものです。
事故という(絶対に起きないと主張してきた)要因で上乗せされる危険に対して、議論しているのです。
カリウムも同じです。三大要素のカリが無くては育たないのですから、植物に含まれて当然です。植物を食べ、摂取排泄を繰り返し、たぶん常に定量を体に保持するという生活を何千年にわたって繰り返してきた人類・動物は、その量に関しては耐性を持っていて当たり前です。耐えれないものは死んでいった。
カリウムの体内量を安全の目安にするのであれば、体からカリウムを除去する必要があります。その上で、カリウムがあった分は大丈夫ですよと。
カリウム欠乏で死ぬと思いますけど。

大事なことなのでもう一回書きますけど、
絶対に起きないと主張してきた原発事故で、絶対に起きないはずであった上乗せされる被曝について、その危険を、どうあがなうつもりですか?

線量率がどのくらいなら安全か等という議論に、何故参加できると思っているのですか?
ナイフで人を刺した殺人者に、「いや1回しか刺していないから死ぬはずがない、違う原因で死んだんだ。2回刺してれば、いやそれでも違うな。3回なら俺は殺人者かもしれない」などと弁明させているのと変わりませんよ。

※例えは昔から意味がわからないとよく言われます。いい例えがあったら、ご教授ください。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/409.html#c47

コメント [原発・フッ素23] 原発交付金、再稼動なくても減額せず…政府方針 - 読売新聞 千早@オーストラリア
04. 2012年5月05日 18:32:35 : khn5frGwig
そのうちまとめて処理してやるよ。
日本には原子力もそれを進める奴も住めなくしてやる。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/465.html#c4
コメント [音楽7] Jazztronik 「I Like It」 お子茶魔
04. 2012年5月05日 18:36:30 : 0EopofEgjc
こんなのどう?

B.I.G. JOE / Music is Love (Prod. DJ Seiji)
http://www.youtube.com/watch?v=7XAH_PuXqlM&feature=relmfu

よかったらCD買ってやってw
このプロデューサーのセイジさん(DJ SEIJI-SPC)は大先輩じゃ〜(もう地元=札幌に帰っちゃったけど)。
B.I.G JOE も過去に色々あったけど、基本的にスゲーいい奴。
オレはどっちかって言うとバンドで演奏する方が好きだから、イマイチDJ職にはのめり込めなかったけどさ。

(茶魔)

http://www.asyura2.com/12/music7/msg/203.html#c4

コメント [原発・フッ素22] 日本原燃:MOX燃料工場の建設再開へ - 毎日新聞 千早@オーストラリア
13. 2012年5月05日 18:37:22 : 1nsgBsHIqY
悪の組織ショッカーそのもの。
資本主義を逆手に取った悪魔の飽食!
なんとかしなくてはいけない。
http://www.asyura2.com/12/genpatu22/msg/436.html#c13
コメント [音楽7] キイハンター メインテーマ / 東京パノラママンボボーイズ 野際陽子 中森明菜 BRIAN ENO
01. 陣中見舞い 2012年5月05日 18:38:06 : 3pEdi1PI5rkGQ : 1Apdyuwmcc
思い起こせば、随分、金と手間をかけたドラマだったと感心する。
野際陽子のミニスカート姿なんて、もう、ここにしか残ってないんじゃないかね。
丹波哲郎が足を高く蹴上げるアクションといい、この2点だけでも希少価値大のドラマだ。(笑)
それまでは、「太陽のあいつ」(と記憶する)で、記者がカメラのシャッター切りながら、高めのガードレールを飛び越える姿にシビレてたのに、
風間洋介登場のシーンで、千葉ちゃんが、車を飛び越えながらコレ演った時にゃ、度肝を抜かれたねー。
少年の夢は、記者かスタントマンか、で揺れたもんだ。(笑)

http://www.asyura2.com/12/music7/msg/177.html#c1
コメント [音楽7] Jazztronik 「I Like It」 お子茶魔
05. 2012年5月05日 18:39:36 : 0EopofEgjc
言い忘れた。
セイジさん、クラッシュさんと仲いいはずだよ。

(茶魔)
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/203.html#c5

記事 [昼休み52] 天才料理長を失った嵐山 吉兆と雲仙 半水盧のその後


懐石・会席料理(懐石)ランキング [食べログ]
http://r.tabelog.com/RC010101/

京料理ランキング [食べログ]
http://r.tabelog.com/RC010104/

懐石料理
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%87%90%E7%9F%B3%E6%96%99%E7%90%86&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7DAJP&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=X4iWT46XBsz2mAXGxuTiDg&sqi=2&ved=0CGkQsAQ&biw=1089&bih=858&sei=ZIiWT_CjLcKImQWRlK3UDg

会席料理
http://www.google.co.jp/search?q=%E4%BC%9A%E5%B8%AD%E6%96%99%E7%90%86&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7DAJP&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=z4eWT5CMF8vQmAWUr6zODg&ved=0CF0QsAQ&biw=1089&bih=858&sei=I4iWT87jILGKmQXksbHYDg

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   .i/////////////////////∧         ∨///////ヽ: : : : : : : : : : :ヽ      ./
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      ヽ//////////////////////////////////////////////////,ノ     `            / !/>: ´: :
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1. 吉兆創始者 湯木貞一の精神を受け継いだ伝説の天才 石原仁司


日本料理店で最高評価の『未在』(みざい)
【ミシュランガイド 京都・大阪2010  三つ星店】

住所 京都府京都市東山区八坂鳥居前東入ル円山町620-1 円山公園内
TEL 075-551-3310

http://www.mizai.jp/
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%9C%AA%E5%9C%A8&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7DAJP&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ZjeZT9jIOsijiAfIhMjvCA&ved=0CHgQsAQ&biw=1089&bih=858

17:30〜22:00(※18時一斉スタートで1回転のみ。15分前来店が必須)
お料理は25,000円(サ別)
水曜日などが不定期にお休み
完全予約制

地図
http://www.mizai.jp/access/#

27才で既に生ける伝説となった石原仁司

石原仁司 略歴

昭和27年12月15日生まれ(島根県仁多郡出身)
昭和43年、春15歳で大阪高麗橋吉兆本店にて、故・湯木貞一氏に師事
同年ご縁により京都龍安寺内大珠院にて、故・盛永宗興老師に師事
昭和47年、京都吉兆本店にて徳岡孝二氏に師事
昭和50年、料理主任
昭和54年、京都吉兆(嵐山本店)料理長拝命
平成4年、京都吉兆総料理長拝命
平成10年、京都吉兆を退職
平成10年9月20日より雲仙半水盧オーナー上杉昌也氏に招聘され半水盧料理長を拝命。

http://www.mediapark.ne.jp/gyozan/ishihara.html


昭和27年12月15日生まれ  島根県仁多郡出身
昭和43年 大阪高麗橋吉兆本店に入店・故湯木貞一氏に師事
京都龍安寺大珠院住職・故盛永宗興老師と出会い、師事を仰ぐ
昭和47年 京都吉兆本店に移る
昭和54年 京都吉兆本店料理長に就任
平成4年 京都吉兆本店総料理長に就任
平成10年 雲仙半水盧料理長
平成16年 京都東山の円山公園に未在を開く

http://www.nagasueshoten.co.jp/nagasuebooks/mizai/profile.html


未在 石原仁司の茶懐石 [大型本]
石原仁司 (著), 松風里栄子 (編集), 久保田康夫 (写真)


茶のこころをもてなしに取り入れ、一座建立の茶事の空気を映し出す「未在」。
ミシュランガイドでも数少ない、三ツ星を二年連続獲得しました。

「未在」とは、禅語で限りがない≠ニいう意味で、石原氏が心に 刻んできた二文字です。修業にはこれで良いという限りはなく、無限であることを戒めとし、店名を「未在」としました。

「未在の料理」は、石原氏独自の茶懐石ですが、その根底には師であった吉兆創始者の故湯木貞一氏の精神が流れています。茶事のしきたりと心をもてなしに取り入れ、一座建立の茶席の空気を映し出しています。

茶の湯に造詣の深い民俗学者・熊倉功夫氏との対談では、「未在」の原点や茶・禅・料理の関連が語られます。また、料理を愛でながら、素材の由来・未在流献立・器などについて話は弾みます。
http://nagasueshoten.blog106.fc2.com/blog-entry-247.html
http://www.nagasueshoten.co.jp/nagasuebooks/mizai/mizaitoha.html


ミシュランの波紋 2009/10/14(水)

13日に格付けリストが発表された「ミシュランガイド」の京都・大阪版。

「修業していたヨーロッパでは三つ星はすごいこと。将来的にそういう店になりたいと思っていた。」

唯一、大阪から三つ星に選ばれたフランス料理「HAJIME(ハジメ)」(大阪市西区)のシェフ、米田肇さん(37)は京都市東山区で開かれた出版記念パーティーで喜びを語った。


ミシュラン社によると、日本人を中心とした7人の調査チームが平成19年秋から約2年かけて行った訪問取材に基づき評価。ミシュランガイドは世界的な権威を持つ格付け本とされ、紹介されれば店の知名度は一気に高まり、「宣伝効果」は計り知れない。

「ミシュランガイド京都・大阪2010」の発表で記者に囲まれる三つ星各店の代表者ら。

脈々と伝統が受け継がれてきた繊細な京料理。星を受けた京都の店舗からは「世界に京料理を発信する大きな弾みになる。」と喜びの声が上がった。

「海外にアプローチしていくには、ミシュランの星は大きな信用となり、活動の幅が広がるチャンス。」

三つ星を受けた吉兆嵐山本店(京都市右京区)の徳岡邦夫社長(49)は歓迎の意向を示し、

「この仕事は評価を受け続けるもの。常連さんも一般のお客さんもミシュランも同じ。これからも努力していきたい。」

と力を込めた。

一代で料亭を築き、三つ星となった「未在」(同市東山区)の石原仁司さん(56)も

「歴史がなくてもこんな土俵に上がれるとは、大きな励みになりました。」

と喜びを表した。


茶懐石で人気の「未在」の主人、石原仁司さん(56)は「景気が低迷する中、世界中からグルメが訪れてくれれば。」と歓迎。

京都の店舗では「外国企業に日本文化が正当に評価できるのか。」という懐疑的な見方も、依然くすぶっているという。


一方、調査員が07年秋から、京都・大阪の飲食店や宿泊施設約1000店を身分を隠して訪ね、その後に料理人らを取材して、皿の上の料理だけを評価する方法には、「料理だけでなく、店全体の雰囲気も評価されるべきだ。」と反発する店も。評価方法に反発して取材協力を断った店は、東京2009年版の数倍の約20店に上り、ミシュランの評価方法を疑問視するなど、気骨を見せる店もあった。和食の店は東京版では6割だったが、今回は8割に増加。三つ星を得た7店でも、うち6店を京都市内の日本料理店が占めた。

一つ星評価を受けたが、取材拒否した日本料理店「一よし」(京都市)の店主、粟津加寿男さん(60)は「味の評価はお客さんが決めるもの。」と指摘する。また、お好み焼き、たこ焼きなど大阪の食文化を代表する「粉もん」の店がなかったことに、たこ焼き店「道頓堀くくる」の永尾俊一専務は「高級料理だけが料理じゃない。単純な物差しで測れない味わいがある。」と反発。


「ミシュラン」京都・大阪版リスト

おなじみの星付きレストランや料理店、旅館は京都、大阪合わせて150店軒。

最高ランクの三つ星に輝いたのは7店で、京都では「吉兆嵐山本店」「菊乃井本店」など6店、大阪からは「ハジメ」1店が選ばれた。

二つ星レストラン・料理店は24店、旅館が1軒。
一つ星にはレストラン・料理店116店、旅館2軒が輝いた。


「三つ星」7店リスト【京都】(全て京都市)

  菊乃井 本店  東山区 和食

  吉兆 嵐山本店 右京区 和食

  千花      東山区 和食

  つる家     左京区 和食

  瓢亭      左京区 和食

  未在      東山区 和食

【大阪】(大阪市)

  ハジメ     西区  仏

http://blogs.yahoo.co.jp/shigeto1953/34419078.html


851 :食いだおれさん:2009/10/13(火) 18:35:02

瓢亭の高橋さんの態度は何だかなぁ〜?
アレだけ掲載拒否言ってて、写真撮影が満面の笑みってどう言うこと?

しかし、吉兆と未在は流石に犬猿の仲
写真撮影も両サイド(笑)
http://mimizun.com/log/2ch/gurume/1253634200/


料理人、石原仁司さんは嵐山吉兆から半水慮に移ったばかり。その後、京都に戻って『未在』をはじめた。

徳岡邦夫さんが引き継がれたのが、今から思えば石原さんが雲仙に転職のとき。

徳岡さんの<吉兆>本が料理本コーナーにあふれかえってるんで、そんなことをおもいだしました。
http://taizoo.com/?p=2388


吉兆嵐山本店の料理長まで努めたという石原仁司氏、イケイケドンドンの現総料理長である若主人、徳岡氏との関係で独立したと漏れ聞きました。
http://tomosato.net/weblog2/?p=188


725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 14:20:50 ID:T0If6Hdz0

雲仙の半水盧は、バブル時代に京都系の資本で創った余りにも有名な“旅亭”
一泊30〜50万なんていう部屋もあったね。

吉兆嵐山本店とほぼ同レベルというか、嵐山吉兆の板場が引き抜かれて行ったのでよく似ている。ただ京都より量が多くて大満足でした…。


817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:08:10 ID:WWFc0ZjG0

NHKの番組「プロフェッショナル」で吉兆嵐山が取り上げられていた。

中で、7年前総料理長以下10人の料理人が辞めたとあった。 石原氏が半水盧に引き抜かれた時期と一致する。

数人引き連れて行ったと聞いていたが、10人とも移ったのだろうか?
http://mimizun.com/log/2ch/hotel/1134127683/

259 :列島縦断名無しさん:2005/09/05(月) 13:08:00 ID:Oos3XzB60

半水盧の元料理長石原さんの店「未在」がいよいよマスコミに登場。 日経おとなのOFFに詳しく紹介されている。

去年秋、円山公園の店を探しにいったが、あまりの侘しさに哀れを感じた。 吉兆と喧嘩別れした結果かなと。
http://mimizun.com/log/2ch/travel/1117087969/

その才ただ人にあらず('09/12 訪問)

未在の主人石原氏は、吉兆嵐山店の料理長を歴代最年少で勤め上げた伝説の料理人です。直接ご本人から聞いたのですが、吉兆で約30年勤め上げ、その後5年ほど長崎の半水慮で料理長をしたそうです。

その伝説の料理人のことをはじめて知ったのは、半水慮時代でした。超辛口の知人達が、

「あの人の料理は日本一や! どんなジャンルでもあの人に勝てる料理人はおらへん」

と口を揃えて言ってたことが強く印象に残っています。半水慮時代にはたまたま縁がなく、ようやく行けそうなチャンスが巡ってきた時にはすでに石原氏は長崎を離れていました・・・

半水慮をお辞めになったあと、しばらく食通さんの間で伝説の料理人探しが行われたのは有名な話ですよね。でもなかなか足取りが掴めなくて、皆さん諦めムードが漂っている時に突如京都円山公園で未在の営業をスタートされたんだとか。

天才の名を欲しいままにしてきた石原氏ですが、店名は実に控えめ。未だここに在らず・・・
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/COND-0/smp2/?PG=3&lc=0

望月信晃 私の修行先 


W 嵐山 吉兆 ” 店主 徳岡 邦夫
09 ミシュラン 三ツ星レストランに選ばれました。


私の修行先です。19歳より6年間お世話になりました。食の基本をここで叩きこまれました。 お父さんの 徳岡孝二 さんにお世話になりました。

富士で育った私は毎日が食べた事のない食材で衝撃の連続でした。料理の仕込みから仕上げまで朝早くから夜遅くまで良くやったと思います。


ご飯の美味しい炊きかた。

吉兆ではお客さんの時間に合わせ、見計らって人数分の釜でそのつど炊いていきます。お座敷に持って行きますので釜を磨いてお出しします。ご飯ひとつにもこれだけ気を使っています。


望月信晃 私の師匠 
2009 三ツ星レストラン  “ 未在 ”石原 仁司 


私の師匠です。 嵐山吉兆でいっしょに仕事をして来ました。バブルがこれからといった時でした。食に対していろいろと教えてもらった恩師でもあります。師匠に負けないようこれからも頑張らなくては!!
http://www.sakana-mk.jp/blog/?m=200911


ニューヨーク  ブラッシュストローク 2011年8月6日

ニューヨークにフレンチのブーレイと世界最大の調理学校・辻調理師専門学校が共同で和食店を出すという話は10年前からあって、それがなんだかんだの紆余曲折を経てやっと開店したのが今年の4月でした。

シェフの山田勲さんは三上さんに料理の旨さを、京都・吉兆の徳岡邦夫さんに料理の創造性を、京都・未在の石原仁司さんに料理の美しさを学んだという実に恵まれた経験を持っています。

それがいまこの店で一つずつ結実し始めています。上記3人に加えデイビッド・ブーレイもがハッパをかけて毎月どんどんよくなっている。懐石スタイルを取るここの会席料理はブーレイの技法も恐れずに拝借しすべてを和食の土壌に着地させて飽きさせない。辻調からの村島、成田両シェフが脇を固め、山本幻さんのカクテルも加わって和の地平を拡げてもいます。85ドルと135ドルのコースのみですが、バーではアラカルトも頼めます。
 
この店ができて、私にとってのNYの和の御三家が完成しました。酒肴の「饗屋」、野菜懐石の「嘉日」を加えたこの3店は、東京や京都でも恥ずかしくない。ぜひお試しあれ。
http://www.info-fresh.com/index.php?pages=seikatsu&type=detail&no=5265


生きる伝説'10/06/23 ('08/10 訪問)

料理の世界において、いずれのジャンルにおいても「伝説の料理人」あるいは「巨匠」と称される人物が片手に収まる程必ずといって良い程存在するように思います。 例えば

フレンチでしたら、フェルナン・ポワン、ポールポキューズ、アランデュカス、

イタリアンでしたら、グアルティエーロ・マルケージ、

スパニッシュでしたら、フェラン・アドリア

の各氏が(私の場合)パッと思い浮かぶでしょうか。

そして、日本料理では?という問いには、湯木貞一、辻嘉一の両氏を筆頭に、東は京味の西健一郎氏、西は未在の石原仁司氏の名を迷わず挙げると思います。


石原氏は、歴代最年少(27歳)で吉兆嵐山の料理長に就任された方。個人的に、数多ある吉兆グループの中でも「嵐山」というのは、特別な意味合いがあるように感じております。


店は完全予約制であり、スタート時間も18時から(到着は15分前)と決められております。建物は数奇屋風の佇まいで、店内に足を一歩踏み入れると、白木のL字型のカウンター席に通されます。無駄な物が一切除された落ち着いた雰囲気なのですが、厨房内には、ある種の独特の緊張感が漂っており、食べ手としても気持ちが更に引き締まります。

さり気無く見事な掛け軸が掲げられているので、石原氏に問うと、作は京都画壇の重鎮、山元春挙とのこと。
流石に一流の店はスケールの大きさが違います。

料理は、まず、御主人から折敷を受け取り、「向付け・汁・ご飯」が茶懐石の作法に則って供されます。

御飯は炊き上がる前の一口サイズの柔らかいもので、米は御主人の故郷である島根の仁多米を使っておられます。
この仁多米は言うまでもなく、棚田で収穫された無農薬米であり、西日本では最も良質なる米とも評されるだけあって、噛み締めると澱粉質特有の甘味が感じられます。

汁は零余子豆腐の赤出汁で、コクとキレを感じる見事なお味のものでした。

この後に店名と同じ「未在」なるお酒が供されました。
このお酒、金木犀の香が鼻腔を擽り、実に食欲が掻き立てられます。

向付けは、とんぶりと五種茸と丹波豆の胡麻和え。
深まりゆく秋を感じながら、食材を愛惜しむように戴きました。

お造りは、鮪(大間)、鯖、鯛(愛媛)、障泥烏賊(五島列島)、縁側の胡麻和えなど。まず、その盛り付けのセンスに圧倒されます。
また、お造りには、ちり酢と醤油と昆布出汁のゼリー状のものや、塩水だれ、鯛の肝を漉して柚子胡椒を混ぜたものなどが添えてあり、石原氏のアドバイスを元に、ネタに合う調味料を各自でチョイスして戴きます。お造り(の質や魅せ方)一つとっても、未在と他店の間にある「大きな壁」を実感できると思います。


御椀は、ぐじと松茸と鱧の椀。
ぐじは若狭、松茸は丹波、鱧は韓国。
まさに最強コンボ!これで不味い訳がありません。(笑
どの食材も当然の如く美味でしたが、やはり最も印象に残ったのは椀の吸い地でした。

焼物は神戸牛の炙り。脂のとても上品な甘さを感じる肉でした。
食感は柔らかく、サシの入り方も綺麗でしたから、恐らく若い雌牛なんでしょうね。

口直しは、名残鱧と松茸の小茶碗。鱧は韓国で脂ノリがよく身もフワリと柔らか。
淡路のさっぱりとした味わいの鱧も無論美味しいのですが、冷めると身が固くなり、味が著しく劣化しますから、やはり鱧は韓国産が好みです。

八寸は丹波栗、鯛の笹の葉巻き、秋刀魚の燻製、鴨ロース、穴子の煮凝り、小芋と大徳寺納豆、蛸の玉子、菱の実。
御造りの時も感じましたが、盛り付けの斬新なセンスをこちらでも感じることが出来ました。
一品一品の美味しさは、今更言うまでもありません。

炊き合せは小芋と鰊で、これもさり気無く美味しかった。
その後、津居山の蟹と淡路のカマスの和え物まで供され、もうこの時点で、私の舌はノックアウトに!^^;

食事は湯桶と香の物。茶懐石風に「湯の子」が入った湯桶で供されるのですが、グループ毎に回って来るのが、ちょっと驚きでした。^^;
香の物はきゅうり、大根、泉州の水茄子、ラディッシュで、どれも美味しく、中でも泉州の水茄子は白眉と感じました。

甘味は丹波栗きんとん。
これほど濃厚で美味なる栗きんとんは、今まで戴いたことは御座いません。
御薄の水は八坂神社の御神水で、石原氏自らお茶を点てて下さいました。

水菓子は、13種類の果物を使ったという華やかな一皿。
そして、生姜のシャーベットでコースは一通り終了したのでした。


私の知る限り、現在の日本料理店の中では最高峰にある一軒であり、ミシュラン発表前から、★★★を取られることは確信しておりました。料理の味、盛り付けの芸術性、器(凄いです!)、店の雰囲気、客人への気配りやおもてなしの心・・・と全てにおいて申し分がないと思います。

ミシュランで今回★を獲得された、祇園のS友氏は、石原氏は料理人として尊敬して止まない方であり、氏の前に立つだけで緊張する・・・と。

また、同じく★を獲得された、上賀茂のA山氏は未在に関して、

「最高の技量を持つ職人が最高の材料を使って、あの値段は安いと思います。私は料理人なので、お店で料理を戴けば大概の物は見よう見真似で作れますが、あの料理は私には作れません。」

と仰せられておられましたが、石原氏が持つカリスマ性や供される料理の内容からも、それは満更大袈裟ではないように思えます。


当店の唯一の欠点は、「そのスタイル」でしょうか。
祇園さ々木のようにカウンターで同時に料理を戴くのですが、個々の皿のレベルが尋常ではなく、また調理法や食材も多岐に渡る為、食べ終えた後、妙に疲れるんです。無論、それを大きく凌ぐ至福感が味わえることは間違いないですが。

ミシュラン以降、一気に予約が難しくなったとの話を耳にしておりますが、それだけの価値は十二分にある一軒です。
こちらを訪れることなくして、日本料理を語ることなかれ。
今後、和の分野でこちらを超える店に出会うことが果たして出来るのでしょうか?
http://u.tabelog.com/wienerwald/r/rvwdtl/1066155/

"茶懐石"料理店の頂点に君臨される店 … 御料理『未在』。('10/08 訪問)

ちょうど一年振りの"未在"さん。御存知のとおり二年連続ミシュランでは最高位の★★★評価を受けた店であり全国の食通だけではなく同業の著名な料理人までもが店主"石原"氏の供される料理を味わいに訪れる店であり全国の頂点に君臨する懐石料理店と云っても過言ではないでしょう。

前月伺った"竹馬"さんの店主"西岡長久"氏の御言葉を拝借すると往時"吉兆"さんに"石原"氏が弟子入りで入門された際に店主の"湯木貞一"氏は

"物凄いやつが今度うちに入ってきたわ…"

と真顔で本当に云ったのだそうであります。

例により外の待合席にて小梅のリキュールが供され、しばらくして店内へ…席に着くと店主"石原"氏より、ひと組ごとに"ようこそいらっしゃいました"と顔を見ながら、ひととおり軽く挨拶を受けます。

料理は折敷が手渡され飯、汁、先付という茶懐石に則ってのスタイル、自分は二度目ということもあり特に驚きはないものの多分はじめて伺った方はこのスタイルに一瞬、戸惑われることでしょう〜。

全国の銘店の設計を手がけられている杉原デザイン事務所による内装の設え、凛とした空気が漂いもてなしを受けるこちら側も思わず背筋を正されます(笑)

紅白の水引で結ばれた蓮の葉の中の蓮根餅の先付からはじまり、一文字によそわれた飯と赤だしの味噌汁、その後に店名を冠した酒を一献、造りは真鯛と蛸、本鮪のトロと大トロ、槍烏賊、鱧おとしの五種をふた切れづつ、椀物は鮑と鮑の肝の葛湯仕立、焼物は黒毛和牛の炙り、○(すっぽん)の煮凝りを間に挟んで子鮎焼と焼物が再び、八寸には鯛の笹巻き寿し、鰻の印籠煮、鱧&焼鮎のムース状の料理、八幡巻に糸もずくの海胆のせ、賀茂茄子と赤万願寺の炊き合わせを戴き食事は土鍋で炊き上げられたごはんを赤蕪、水茄子の香の物で先ずは戴き次に焦がし湯を茶碗に注いで戴き茶漬風に。
食後の水菓子はわらび餅、店主自ら一服づつ点ててくださる御薄、フルーツカクテルに生姜のソルべと戴いてコースはひととおりです。

料理の美しさに目を瞠るものがあるのは云うに及ばずですが使われている器も見応えがあります。

今回は同じ時期に伺ったということもあり供された料理は一年前のものとだいぶ被っているようにもレイティングしながら思ったのでありますが料理を戴いている際には、そんなことは余り気にもならず、その辺が"石原"さんの凄いところなのでしょう…、"未だ在らず"="未在"さん。茶懐石に興味をお持ちの方は一度訪れてみても良いと思います。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/

日本料理界の至宝 石原仁司氏が繰り出す究極の料理 '11/10/15 ('11/07 訪問)
フェルゼン伯爵 (117) さんの口コミ ( 男性・東京都)

 男性であれ女性であれ、20歳を過ぎた大人であれば、片思いにしろ両思いにしろ身を焦がすような恋をした経験をしたことがある人がほとんどでしょう。 あの、天国のような喜びに満ちあふれていながら、他方で感じる狂おしいほどの苦しさ。 そんな恋い焦がれる気持ちがレストランに対してあっても良いと思います。

 今回100件目のレビュー店としてご紹介するこちらの京都の「未在(みざい)」は、私が恋い焦がれ続けてきた日本料理店であり、全国の日本料理界の頂点に位置すると言っても過言ではないお店です。 そして、このお店の調理を指揮し、多くの日本料理の料理人達が目指す頂にいるのが、料理長の石原仁司氏。全国の料亭の頂点に君臨すると言っても過言ではないあの京都の吉兆嵐山本店で、わずか27歳で料理長となった伝説の天才料理人です。
 
 お料理は、27,000円の夜のコース1本のみ。普通10%かかるサービス料はありません。希望日に訪問するため、半年前から予約しました。

普通に考えれば驚異的に高額な料理に感じられますし、私にとっても簡単にポンと支払える金額では決してありません。 でも、実際に食べ終えた感想では、「この内容で27,000円は安い。」というのが正直なところです。訪問した多くの人が同じような感想を抱くのではないでしょうか。

 私が、これほど料理で感動したのは、東京都中央区銀座にあるフレンチの「ロオジェ」(現在は休業中)のジャック・ボリーシェフ(先日までシェフを務めていたブルーノ・メナール氏の前任者)のお料理を味わった時だけです。「カンテサンス」の岸田シェフのお料理でもこれほどの感動は味わいませんでした。

 京都の懐石料理店をくまなく食べ歩いたわけではないので、あまり偉そうなことは言える立場では無いのですが、こちらのお店のお料理は、総合力で他のお店を圧倒しており、追随を許さないのではないかと思います。

これは私の勝手な想像ですが、もし仮に料理代金が50,000円になったとしても、半年前から連日予約で一杯ではなくなるかもしれませんが、訪問したがる人はたくさんいると思います。

 こう言うと、「27,000円もの料理代を払うのだから、美味しいのは当然だよ。」と思われる方もいるでしょう。 でも、私はそうは思いません。なぜなら、いくら高級食材を使っても、料理を美味しさの高みに昇華させるためには、そのための技量とセンスが必要だからです。 

 かつて、競馬の武豊騎手が連戦連勝だった時に、マスコミに「武豊は、名馬ばかりに乗っているのだから、優勝して当然だ。」と言われた際、武豊騎手が「誰でも名馬を乗りこなせるわけではない。名馬を乗りこなすためには、それだけの腕が必要なのだ。」との趣旨の反論している記事を雑誌で読んだことがありました。まさに、わが意を得たりと感じました。

 モータースポーツのF1好きの方なら、故アイルトン・セナや全盛期のミハエル・シューマッハに替わって、他のF1ドライバーが彼らが乗っているその車に乗ったとしても、到底彼らのような実績を残すことが不可能であることは、容易に分かると思います。


 私が訪問したのは、2011年7月上旬の夏のある暑い日でした。

 饗宴は18時から一斉スタートなので、遅れて他の人に迷惑をかけないように、早めに到着すると、お弟子さんが外で待っていて、「お待ちしておりました。お呼びするまでこちらでお待ちください。」とベンチの方へ通されました。

 お店は一軒家で、写真のとおり「簡素な美」を極めたかのような造り。

 梅酒をいただきながらしばらく待っていると、「お待たせしました。」と呼ばれ、L字型の10席のカウンターに通されました。しばらくして、連れも無事到着。 なお、店内での写真撮影は禁止なので、残念ながら今回は店内やお料理の写真はありません。

 当日の料理は、茶懐石の儀式が終わった後、以下のように料理11品、石原氏自らがたてた抹茶をはさみ、デザート5品の計16品でという非常に豪華な内容でした。通常の懐石料理が、8、9品程度であることを考えると、通常の倍の品数です。

 しかも、どの料理も文句なく美味しく、1品1品の充実度がずば抜けているので、想像以上の満足感でした。
 これだけの内容を、通常どおり1品ずつ解説していくと、私が述べたいことのポイントがずれてしまうので、あえてポイントのみに絞って述べます。


(料理内容)

@ 新牛蒡の真丈、焼き茄子のずんだ、オランダ豆
A 鱧落とし、青のりソース、梅肉、針しょうが
B 向附(お造り)
C 椀物(ぐじ豆腐、よもぎ麺、汲み上げ湯葉)
D 奥出雲の黒毛和牛の炙り、赤山椒のソース、マッシュルームソース
E 京トマト、とうもろこし、帆立の焼霜など
F 八寸(琵琶湖の稚鮎、枝豆、ほおずき、蛸の卵など)
G ばい貝
H 賀茂茄子の冷製
I 明石の蛸、琵琶湖の鱒、鮑など
J 食事
◎ 抹茶
K 呉豆腐(ごどうふ)、黒蜜
L ばんかんのゼリー
M げんこうのコンフィチュール
N 19種類の果物
O クランベリーのシャーベット


 私が最も驚いたのは、3品目のお造りでした。 内容は、五島列島のヤリイカ、愛媛の鯛、境港で水揚げされた鮪。特に鮪は、300キログラムクラスのものの、高級な部位です。 2人前ずつお皿に盛ってあるのですが、その盛りつけの華麗さと素材の質の高さに圧倒されました。素材が最高級なのは、一目でわかりました。写真でお見せできないのが残念です。

 これを塩酢につけて食べたのですが、あまりの美味しさに唖然呆然。懐石料理でこれほど美しくて、美味しいお造りは食べたことがありません。 食材への目利きの素晴らしさに感服しました。

 
 次に驚いたのは、4品目の椀物の出汁でした。 椀物は、ぐじ(甘鯛)豆腐の椀。尋ねたところ、日本料理の基本となる出汁は、昆布、鰹、ぐじ(甘鯛)でとっているそうです。もちろん、出汁の取り方、かけている手間暇等は秘中の秘です。なお、見ている限りでは、出汁を使う料理は、弟子任せにせず、必ず石原氏が最後の仕上げをしているようでした。

 ゆっくりと味わうように飲んだところ……「!!!」何と言う美味しい出汁!これは、今まで味わったことのない出汁です。 私が最も好む京都の「祇園末友」の出汁が、重さ的には軽めだが不規則に落ちてくる木の葉を一閃でスパッと切る切れ味の鋭い刀だとするなら、「未在」の出汁は、ズッシリと重いものすごい剛刀で身をバッサリと一刀両断されるかのような感覚です。そして、単に豪快というのではなく、繊細さと儚さを併せ持っているのが素敵です。  

 では、同じく私が好きな椀物で名高い京都の「桜田」を加えた3店の椀物のうち、どれが一番優れていると感じたか?
これらはいずれも最高峰クラスなので、優劣をつけるのは非常に難しく、個人の好みの問題なのですが、あえて言えば、私としては、「祇園末友」の椀が最も好みに合います。

 なぜなら、「未在」の出汁は、若干味が濃いめのしっかりとした味であり、飲んだ時のキレ味を重視する私の好みと微妙にくい違うからです。甲冑の兜割(かぶとわり)のできるような剛刀よりも、サッと一瞬で心をえぐるような「祇園末友」のキレの鋭い出汁の方が、私の心に響きました。そのため、その次が「桜田」で、その次が「未在」という感じでしょうか。

 これは、あくまで好みの問題で、「未在」の方が文句なく1番だと思われる方が断然多いと思われるので、もし「未在」の大ファンでこの文を読んで不愉快になられた方がいらっしゃいましたら、「京懐石のことなど何も分かっていない素人の戯言」ということで一笑に付してお許しください。


 3番目に述べたいのは、食材と食べ方への半端のないこだわりです。

 京都の懐石料理店は、仕入先がほとんど同じであるため、同じ時期に連続して数軒の懐石料理店を訪問すると、同じような食材ばかり出されてしまい、飽きが来るのですが、「未在」は違います。 これは、ただ単に鮑などの高級食材を使っているに止まらず、1品の料理に対して、最も適すると思われる食材を全国各地から取り寄せているので、まるで全国の名産品が一同に介しているかのようでした。一体どうやって入手しているのかと非常に不思議でした。

 日本酒も一般的なものは使わず、「未在」という店名を冠したお酒を蔵元を指定して特別に造らせています。
そして、食べ方も、鱧落としなら青のりのソースや梅肉というように、1品1品食べ方を細かく指定されます。最高の食べ方を長年日々研究したのでしょう。

 ただ、あまりにも指定が細かいので、正直疲れを感じました。

 なお、18時一斉スタートというのを気にされる方が多いようですが、客を2回転するわけではないので、私はあまり気になりませんでした。 

 良くない意味でちょっと気になった点は、お店の醸し出すかなり緊張を強いられる雰囲気です。 カウンター割烹の醍醐味は、御主人との楽しい会話ですが、何か質問してはいけないような雰囲気でした。

 料理に限らず、どの分野においても、その道の権威や巨匠と呼ばれる人には見えないオーラがあり、その方の前に立つと緊張した雰囲気が流れるものですが、日本料理界の権威と言っても差し支えない石原氏が自然と放つオーラのせいなのかもしれません。

 この日は一斉スタートのはずが、空いている席があったので、なぜかと思っていると(未在は毎日予約で一杯なので)、遅れて2人来ました。 会話内容からして、製薬会社のMR(営業担当者)が医師を接待しているようでした。失礼ながら緊張するタイプには見えないその医師が、「非常に緊張する雰囲気だなあ。」と言っていたので、私と同じように感じる人もいるのだと思いました。

 ちなみに、その営業担当者のお店選びは完全に失敗したと思いました。このお店は、あくまで料理を純粋に楽しむ場所で、最も接待に向いておらず、料理は二の次という姿勢は、全身全霊を込めて料理を作っている石原氏やお弟子さん達に失礼だと思います。

 食事を終えると、石原氏から丁寧なご挨拶があり、お名刺を頂戴しました。
 
 お会計は、料理代27,000円と、連れと2人で日本酒を2合飲んで、29,000円ちょっと。
 最初に述べたように、この金額は安いと思います。

 緊張を強いられる雰囲気だったけれど、それは石原氏が全身全霊を込めてお料理を作っていることの証だと思うので、非常に満足感に包まれながらお店を出ました。 帰りは、暗くなっているため、お弟子さんが提灯で足下を照らしながら、送ってくださいました。風情があって非常に良い感じです♪

 石原氏も外に出て、私たちが見えなくなるまで、丁寧に見送ってくださいました。

 このお店は、万人向けでは無く、賛否両論あり得ますが、半年前から予約をして良かったと思える素晴らしいお店でした♪

 また、石原氏のお料理を味わう時が訪れることを楽しみにしています。

http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/3363419/

京都「未在」 2009年11月02日(月)


京都円山公園内の「未在」さんで夕食をいただきました〜

藤棚の奥にある、とても美しい数奇屋風一軒家。デザインは杉原明さん(コチラ )によるものだとか。美しく朱色に塗られたカウンター席、10席のお店です

ご主人は、元 嵐山吉兆料理長。27歳最年少での就任なさったことで、有名な方です。

15歳から大阪高麗橋吉兆で修行をはじめられて、前述の嵐山吉兆料理長、雲仙半水盧(うんぜんはいずいりょ、長崎)の料理長を経て未在さんをオープンし、今年で6年目になるのだそう。現在は常連さん比率がとても高いお店のようです。

この日いただいたものは次のような内容でした〜


●向付、汁、飯

ご主人から折敷を受け取り、最初はコチラから。

柔らかい一口ご飯、八丁仕立ての汁。

向付はずいきなどの入った和え物でした。

茶懐石をカウンターでいただく、ちょっと不思議な感覚〜

その後飲み物は冷酒をいただきました〜


●御造り

豊かな量の鯛、烏賊、鯖、マグロ3種が、華やかに盛り付けられていました。

お魚は産地よりも質を優先して選んでくださっている様子。

醤油ではなく、だし醤油の煮こごり、塩水だれ、鯛の肝を漉して柚子胡椒を混ぜたもの、を添えながらいただきました。

●煮物椀

松茸、ぐじ豆腐

特におだしの味の良さは感動。とても美味しかったです

●焼き物

黒毛和牛の霜降りでした。実山椒、マッシュルームのペーストなどを添えてありました。

●鉢肴

毛蟹などを使った和え物

●八寸

焼き栗、鬼びしの実、秋刀魚山椒煮、丹波黒豆の枝豆、衣かつぎ、鯛鮨、穴子の煮こごり、白子、鴨ロース、いくら、

などが華やかに盛り付けられていました〜

●里芋とにしんの炊き合わせ

●湯桶(ゆとう)と香の物

●甘味(丹波栗きんとん)

●おうす

●水菓子

12種類の果物を使ったという華やかな一皿でした。


●シャーベット

しょうがのぴりりと辛いシャーベット



※日経BP社の公開画像より
写真の右から2番目の方が未在さんのご主人、石原仁司さんです。
温かみのある、お客さんを愉しませようとのお心遣いが伝わる方でした。

個性的なスタイルで芸術性に富んだ、素晴らしいお店でした〜
お料理に関しては、食材の仕入れ力、丁寧な下ごしらえ、包丁の素晴らしさや調味の正確さ、準備の完璧さ、などを感じました。そして華のある盛り付けと、懐石の構成も素敵。とても質の高いものだとわたしは思いました。器も貴重なものが多く、そのどれもが美しかったです。


飲み物もお酒だけではなく、ワインやシャンパンを品揃え。正統派のスタイルに加え、柔軟なおもてなしの心も見えるお店だと思います。独特の雰囲気は非日常を感じさせてくれますし、心地よい緊張感も、時には良いですよね。また機会を作って伺いたい一軒です〜

こちらでの食事も、幸せな時間でございました


■「未在」そのSense、素晴らしいと思います。

石原仁司さんは、料理の天才との呼び声も高く、その経歴は嵐山吉兆で約30年勤め、その後5年程、半水慮で料理長をされたそうですね。そこをお辞めになったあと、しばらく充電されていたようです。

「未在」という店名もどのような意図で付けられたのかは存じませんが、そのSense、素晴らしいと思います。
是非行って、お会いしてみたい方ですね♪

ペイ爺 2009-11-02 11:16:04
http://ameblo.jp/hime-ameblo/entry-10367944617.html


2011-08-31 16:17:39 paopaowineの投稿

昨夜、パオの誕生日ディナーと言う事で もぐもぐさんに京都の「未在」さんでご馳走してもらいました。パオの誕生日は8月9日なのですが、8月で運良く予約が取れたのが昨夜だったというわけです。

「未在」さんはご存知のようにミシェランの最高峰=★3つを2年連続で獲得されています。また、全国の食通はもとより、さまざまな料理人が店主「石原仁司」さんの供される料理を味わうために訪問されます。ちなみに石原さんは「嵐山吉兆」で27歳の若さで料理長に就いた伝説の料理人です。

さて、未在さんのシステムについて説明しましょう。

お客さんは1日当たり10名のみとなります。

電話で予約しますと当日は午後5時45分にはお店に到着するよう念を押されます。午後6時から一斉に石原ワールドを堪能していくわけです。

店舗は阪急河原町駅から徒歩で20分ほど丸山公園内に真ん中ほどに位置します。少々わかりにくいのですが大きな藤棚を目印にすれば良いと思います。そんなパオ組も少々、道に迷ってしまい、5時過ぎに駅を出発したのですが到着したのは35分ごろでした。

お弟子さんが既に外でお待ちのようでした。数寄屋造りのお店は想像していたよりも小さく、簡素な佇まいです。


門から入ると玄関に続く小路、そして、良く手入れされたお庭が目に入ります。店内の準備が出来るまで玄関右横の東屋・腰掛待合に案内されました。熱いおしぼりを出していただきました。屋外ではまだ蚊が多いようですので刺されないように気をつけたいものです。

涼しげな紫蘇のリキュールが出てきました。中には甘く漬け込んだ小梅が入っています。
小梅は酸味が全く無く、甘くて美味しかったです。

リキュールを飲み干すと、準備が出来たようでお弟子さんたちにより店内に案内されました。

残念ながら未在さんは店内や料理の撮影は禁止されています。ご了承下さい。


店内に足を踏み入れると白檀の香り、そして凛とした和の空間が待ち受けています。予想に反してこじんまりとした印象です。
L字型のカウンターの一番奥の席に案内されました。

席の前には優しく揺らめく橙色の灯火がホッと一息つかせてくれます。
いつの間にやらL字のカウンター10席が全て埋まっていました。

6時少し前に店主の石原さんが登場、お一人お一人に挨拶を行ないます。その後、お弟子さんより飲み物を聞かれました。パオ組は生ビールをオーダーしました。まずは石原店主の挨拶から始まり、その後、自身両手により折敷が手渡され、パオの緊張感が最高潮に達します。


料理は飯、汁、先付という茶懐石に則ってのスタイルです。

島根県産の米はアルデンテ状、米自体の甘みが秀逸でした。
汁は冬瓜の赤だし仕立て、鰹だしがしっかりと効いていました。

この後、店主よりお店のオリジナル酒である"未在"が奥の席に座ったもぐもぐさんから順に一献づつ振舞われていきました。


このお酒は岐阜県産とのことで味・香りからすると純米大吟醸と言うことがすぐにわかりました。利き酒師的には香りが穏やかな「爽酒」と「薫酒」の間に位置するお酒でお造りやあっさりとした出汁には相性が良さそうです。
http://ameblo.jp/paopaowine/entry-11003452832.html

基本的にそれぞれの料理は各々の盆にのせられて出てきます。

コースは以下の通りになります。

@茶事
 ・仁多米のごはん(アルデンテ)
 ・冬瓜の赤出汁椀
 ・オリジナル酒・未在を一献

A先付け
 ・蓮根餅
  蓮根餅は蓮の葉に包まれています。 蓮の葉は紅白の水引で綴じられいるため、開いてみると葉が大きなお皿に早変わりです。 蓮根餅の下には出汁のジュレ、ずんだのムースが敷き詰められており、さまざまな食感と複雑な味わいの相乗効果が楽しめて、本当に美味しかったです。


 ・京唐菜と伏見唐辛子のおひたし
  上品にあっさりと味付けられています。
  唐辛子の葉は旨みが感じられ、 辛さは全く感じられません。

B造り
店主がそのお客さんの雰囲気を見て、器を選んでいるそうです。パオ組の器は涼しげな錫の大皿で出てきました。
あしらいは海ブドウ、本山葵、山芋の短冊。醤油の煮凝り、ポン酢、にがりと柑橘汁のたれでいただきます。

・愛媛の鯛
 コリコリとした歯ごたえ、身の甘さはこれまで食べたことない美味しさでした。 
 にがりと柑橘汁のたれとよく合います。

・青森のマグロ
 それぞれのお客様で部位が違うようで 幸運なことにパオ組には脂がのった大トロがあたりました。
 身の上には辛み大根がのっています。 こちらは醤油の煮凝りでいただくと好相性でした。
 他には焙りの部位もいただきました。

・五島列島の槍烏賊
 新鮮なので、身は幾分透きとおっています。 コリコリとした食感の後、口の中に烏賊の甘味が拡がります。

 耳の胡麻和えはお酒(未在・純米大吟醸)とのマリアージュが楽しめました。

・韓国の鱧
 梅肉と鱧の肝添えの2種類をいただきました。 旬の鱧は瑞々しく、何とも言えない美味な脂が堪能できました。
2人でいただいてもそれぞれの種類が1人あたり2.3切れ。思ったより多くはありませんでした。

C椀物 
・鮑、いたちきゅうり、ゆば、白髪ネギ、しょうがと葛仕立て

鮑は軟らかく仕上がっていますが、程よく歯応えが残っており、美味しいのですが、椀物の味わいの中心をになっている生姜ベースの出汁が素晴らしく、これまで味わったことのない旨みを感じました。

この辺りでお酒をオーダーしまして「未在の辛口」を冷やでいただきました。やや熟成感が感じられ、米の旨みが際立っています。このお酒は濃厚なのでぬる燗でいただく方がよかったようです。
http://ameblo.jp/paopaowine/entry-11003536275.html#main


D焼き物 
・奥出雲の黒毛和牛サーロイン・マッシュルームのソース
あしらいは8種類の葉野菜(ハーブ)
焼き加減はミディアムレアなので肉の弾力をしっかりと感じながらも口の中で蕩けていきます。

マッシュルームのソースが秀逸でした。


E冷製
・スッポンの煮こごり
中にはネギ、しょうが、丁字麩が入っています。
スッポン料理はたびたび生姜が効きすぎて本来の旨みが感じられないことがあるのですが、未在さんの煮こごりは一味も二味も違います。こんなに美味しいスッポン料理は初めてです。


F焼き物 
・琵琶湖の鮎・蓼のソース、赤芋茎添え
シンプルに鮎の焼き物かと思いきや、いただいてみるとしっとり感があります。軽く出汁に漬け込んで、軽く寝かせてあります。
この辺りにも一工夫がなされており、本当に感心させられます。

G八寸
・鱧の子の煮凝り
・燻製肉の山芋とろろかけ
・雲丹の冷製
・鯛笹巻き鮨
・鰻印籠煮

団扇の形をした盆皿に盛り付けられています。各々のお客様からあまりの盛り付けの美しさに何とも言えない歓声が上がりました。一品一品、美味しいのには間違いありません。

この辺りで京都の大吟醸酒、フルーツ香が薫る「桃の滴」を一緒にいただきました。そろそろ、腹の具合も7分目になってきました。

http://ameblo.jp/paopaowine/entry-11006632734.html#main

G炊き合わせ

・加茂茄子、万願寺唐辛子の胡麻ソースかけ
瑞々しい加茂茄子をまったりと甘めの胡麻ソースをつけていただきました。
このあたりで急にお腹が膨らんでまいりました。

Hご飯・香の物

・香の物
 水茄子・辛子、胡瓜・もろみ、大根、ラディッシュ、壬生菜、煮昆布

・ご飯
ご飯は土鍋でじっくりと炊き上げられています。やや硬めの飯粒はパオ好み、硬めなのには理由があります。
淡い塩味のお湯におこげを加えたいわゆる「焦がし湯」をさらさらとかけて、「お茶漬け風」にいただきます。
お腹一杯でしたが、おかわりを勧められるまま、何とかもう一杯を平らげました。

I茶菓子〜デザート
ここで店主・石原さん自ら、お一人お一人に八坂神社御神水によりお抹茶を点てていただきました。


・わらびもち、黒蜜(波照間島の黒糖)、丹波黒大豆のきな粉
これは普段食べているわらびもちとは違います。黒密の甘みは濃厚、きな粉も香ばしいです。餅は決め細やかでいつまでもプルプルしています。


・13種類のフルーツカクテル
山盛りのフルーツ群によりパオの体中が甘酸っぱくなってきました。


・ブルーベリー、マンゴー、ロゼシャンパーニュのジュレ
こちらのデザートを作り出した途端、客席のほぼ全員の顔が険しくなりました。
「まだ、出てくるの〜?」という感じです。(笑)


ロゼシャンパーニュのジュレが苦みを利かした大人の味わいになっており、ほどよいアクセントになっていました。


・新しょうがのソルベ ステビアの葉、70〜100年に一度咲く花の蜂蜜

店主から「ソルベはどうですか」と聞かれます。
パオはお腹一杯で食べられないほどではなかったのですが、甘酸っぱい物が連続したのでソルベは遠慮しました。
しかしながら、他のお客様の全ての方がソルベをいただいていました。

未在さんに来られるお客さんの胃袋の容量もミシュラン3つ星級なことに驚いてしまいました。


時計を見ると10時前を示しており、幸せな宴の時間もあっという間に過ぎていきました。店を出ると辺りは真っ暗です。
お弟子さんが提灯の灯りを照らして、帰り道を見送ってくれました。

 お料理+生ビール2杯+冷酒3合(2人で)お値段は1人当たりで3万円余りでしたが、お料理の質、量ともに充分、もとは取れていると思います。 料理の質・量などあらゆる面で未在さんに匹敵する料理屋さんはまず存在しないでしょう。 他の分野も含めて唯一無二な領域に達している料理屋と言っても過言ではないでしょう。 とにかく一生忘れることのない素敵な誕生日ディナーでした。 もぐもぐさん本当にありがとうございました。

 次回、もし予約が取れるのであれば、松茸の時期か寒い時期で再訪できればと思います。今度はデザートも完食したいと思います。
http://ameblo.jp/paopaowine/entry-11008444021.html#main

721 名前:食いだおれさん [04/12/08 13:01:15]

ついに念願の円山公園内の「未在」に行ってきたヨ。


725 名前:721 [04/12/08 14:55:02]

すばらしい料理でしたよ 。でも、ある程度お茶事の勉強してから行くことをおすすめします。

二人で五万円(飲み込み)であれならばあの辺では一番かも
入店時間を指定されるのには驚きましたが・・・
石原さんもよく喋ってくれましたし。

727 名前:721 [04/12/08 15:44:48]

まず最初に飯に汁(白味噌仕立、天然占地茸、溶芥子)
向付は白和え
造りは五種盛り込み
煮物椀ー鶉の松風みたいなん
焼物ー近江牛山椒焼き、ソースは赤ワインだっけ
預鉢ー海老芋、蓮餅、菊菜
八寸ー十二種盛りぐらい
酢物ー松葉蟹
食事ー湯桶
菓子ー栗きんとん
水物ー果物

こんなもんだっけか
二品ぐらい抜けてるかもよ


729 名前:食いだおれさん [04/12/08 17:01:58]

元京都吉兆の料理長の店
ちなみに二十代でなった 唯一の人物です。

730 名前:食いだおれさん [04/12/08 17:17:40]
>>725
>でも、ある程度お茶事の勉強してから行くことをおすすめします。

理由は?


731 名前:食いだおれさん [04/12/08 17:20:15]

そのほうが楽しめるからじゃ無いの?
皿や茶わん持つ所作でだいたい見る人が見ればわかるし。


732 名前:食いだおれさん [04/12/08 17:21:44]

出し方が茶事っぽいだけの話やんけ!!!!
それを、たかが料理屋で飯食うのに「茶事の勉強してから・・・」やと!!!????
あほくさ・・・


733 名前:食いだおれさん [04/12/08 17:24:53]
>>731
掛け軸や部屋のしつらえなんかでも、良さが分らないでは勿体無いんだろうね?

735 名前:食いだおれさん [04/12/08 17:36:22]
>>733
そういうものが判る・判らないなんてのは、茶事を知っている・知らないとは関係あらへんな。
そもそもお嬢さん芸とかでやってる程度ではどうしょうもないやろ。
料理屋で飯食う程度のことで茶事を云々したがるのが理解不能やね。


737 名前:食いだおれさん [04/12/08 18:13:16]
>>727
茶事がどうのと言う割には八寸がてんこ盛りに過ぎる様じゃないか。
それに向付が白和えで、造りが別に出てくる訳だ。なんだかねぇ・・・

どうです?>>721さん。

738 名前:食いだおれさん [04/12/08 18:37:48]

杉板に八寸が二種盛りだっていう方が頭が堅いのでは?
形式に拘らず、もっと自由な発想が茶事の本道では?
美味しくて尚且つ心が豊かになればそれでいいんでねーの

739 名前:食いだおれさん [04/12/08 18:45:54]

>美味しくて尚且つ心が豊かになればそれでいいんでねーの

ならば尚更、茶事を「勉強」してから・・・云々などという意見は廃除されるべきでありましょう。

740 名前:食いだおれさん mailto:sage [04/12/08 19:17:39]
>>739
茶事の楽しみを知っている方がより楽しめるって事じゃないか?
はぁー天一でラーメン食ってこよう。


742 名前:食いだおれさん [04/12/08 19:28:40]

「勉強」ついう言い方ががねぇ〜
理念的にもなんだかなぁ〜

743 名前:食いだおれさん [04/12/08 19:35:14]

コース価格はいくらだったのか知りたいです。教えてください。


744 名前:721 [04/12/08 20:33:32]
>>743
最初は一万五千円だったけど最近は一万八千円か二万円に値上げしたらしい。

745 名前:食いだおれさん [04/12/08 20:54:11]

円山公園か。場所代が高そうやねぇ。

752 名前:食いだおれさん [04/12/08 23:10:02]

2万なら何とか行けそうだな。

754 名前:食いだおれさん mailto:sage [04/12/09 00:19:43]

もうすこし敷居の低いところがいいな。
なんて言ってるようじゃこのスレを見る資格はないかもしれないけど
orz

764 名前:食いだおれさん [04/12/11 08:35:36] >>748

円山公園は京都市の公園のはず。
でも、公園内で営業してる店結構あるよね。

772 名前:食いだおれさん mailto:sage [04/12/12 17:13:59]
>>764
円山公園の管理者は京都市だが、地主は国(財務省)らしい。
国が市に委託して管理させてるって感じかな。
もともとは八坂神社や知恩院の境内地だったのを国が買い上げて(収容して?)公園として整備したらしいよ。

今、公園内で出店してる店はもともと八坂神社などの門前で茶店などをやってた店が多いらしい。

以上、前に円山公園でお店やってる人が言ってました。

773 名前:食いだおれさん [04/12/12 17:37:33]

じゃあ何故、未在って店が新規で出店できるんだ?

774 名前:食いだおれさん mailto:sage [04/12/12 19:29:32]

未在はたぶん既存店の買取です。 円山公園はけっこう売り物件出るんですよ。
ただ市街化調整区域だし、都市公園法やらなんやらに引っかかって規制が多いのと、売値と買値がなかなか合致しないようで実際の売買には至らないケースが多いみたいです。

私は円山公園の飲食店にはけっこう行きましたけど、どこも似たり寄ったりって感じですね。(値段も料理も)
1店だけ要注意店があるんですが、ここで名前をだすのはやめときます。
http://yomi.mobi/read.cgi/food6/food6_gurume_1093972361

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2. 石原料理長を失った雲仙 半水盧のその後


半水盧
〒854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙380−1
TEL :0957−73−2111

http://hanzuiryo.jp/
http://travel.rakuten.co.jp/platinum/pltnm/hotel/28929/
http://r.tabelog.com/nagasaki/A4203/A420301/42000232/dtlrvwlst/
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g1022852-d1106104-Reviews-Hanzuiryo-Unzen_Nagasaki_Prefecture_Kyushu_Okinawa.html


雲仙の紅葉なう。
http://www.youtube.com/watch?v=-CjP3aXO1g4


地図
http://web.travel.rakuten.co.jp/platinum/pltnm/hotel/28929/map.html


おいしい料理にはオーロラが見える

歌仙を雲仙で巻いたことがある。仲間の一人が旅館の料理長から声がかかった。
料理の凛たる冴えに酒はすすみ歌仙は朧ボロボロ。

料理人、石原仁司さんは嵐山吉兆から半水慮に移ったばかり。その後、京都に戻って『未在』をはじめた。

徳岡邦夫さんが引き継がれたのが、今から思えば石原さんが雲仙に転職のとき。

徳岡さんの<吉兆>本が料理本コーナーにあふれかえってるんで、そんなことをおもいだしました。

昆布からグルタミン酸がでるのは65度で1時間。
しかし、吉兆では前夜から12時間の水だし。
この方が旨みをピュアに味わえると書いてます。
ラーメンちゃぶ屋さんはスープの醤油は67度。お肉のたんぱく質は68度から水分を分離しはじめる。
温泉卵は67度。なんか集中してますね。
緯度でゆうたら、オーロラがみえる場所。おいしい料理にはオーロラがみえるんですよ。
http://taizoo.com/?p=2388


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 22:04:41 ID:qMNEHGCw0

石原さんいなくなってオーナーも変わってから あそこは別なものになったとは思うな。


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:02:50 ID:m6t8WCqf0
>>49
今の半水廬より凄いなんて、とんでもない宿だったんだね。
石原さんは親分で実際は佐々木さんが仕切っていたらしいが・・・
石原さん京都へもどったけど、ああいう仁義に外れた行動とるとやっぱり京都の組合は許してくれんね。
http://mimizun.com/log/2ch/hotel/1165579639/


こちらの料理長は前料理長と共に京都吉兆から来た佐々木正さんです。

前の料理長が辞めてしばらくは味が落ちたと客が減りましたが、今は静かに人気が出ているようです。おそらく相当な苦労をなさった事でしょう。だって前の料理長は現在日本料理の最高峰と目されている京都『未在』の店主、石原仁司氏なんですもん。
天才、カリスマと言われる人の後を継ぎ、人をまとめていくのは難しいものです。

リーダーシップを確立し、厨房を自分のものとするまでには時間がかかったかもしれませんが、今は素敵なお料理を作って下さっているようでホッとしました。

ただ、やや保守的かな?

使う食材・調理法・盛付け、もう少し冒険してもいいかもと思いました。
日本料理はバランスが難しい。格式や作法にとらわれ過ぎると味気ないものとなるし、斬新過ぎ・独創的過ぎると日本料理の奥ゆかしさ・閑かな和みがなくなります。

半水盧は基本に忠実でありながら、華やかな色彩センスがあり、凡庸には見えませんでしたが、驚きもありませんでした。

遊び心が垣間見られればもっと魅力的だと思います。お料理からは真面目な人柄が窺われましたが、余暇の時間はもっと遊んだ方がいいかも^^(年中無休だと料理長には休みがないかしら?^^;)
http://obaa.jugem.jp/?eid=369


半水慮に関しては、経営が宮崎旅館に移ったことで料理が変わった、サービスが変わったなど言われることもあるようです。しかし、看板の板長の後を受けた現板長のプレッシャーはいかほどのものかと察して余りあります。

そういった環境で精進なさらないはずはない。良い宿には良い客がつく。良い客は良い宿を育てる。と思ったりして。少なくとも、わたしにはその気概が十分に感じ取れたお料理でした。10年後、20年後、どんな風に彼の料理が変わっていくのか、とても楽しみ。次に訪れた時、その時期の、その日の一番の素材を使った彼の一番をいただくのが今から本当に待ち遠しい。
http://plaza.rakuten.co.jp/travelmode/007003


777 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 14:59 ID:52I4dfFo [1/1回発言]

半水廬は経営がチェンジして、経営者・女将・総料理長が全て交替し、仲居の士気も下がっているときいたが、持ち直したのですか?

ちなみに前総料理長は、今年京都に店を出したって。
でもここは吉兆の系統の料理だから、長崎に来てまで吉兆の料理 や京料理は食べたくないという人もおります。

778 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 15:24 ID:rfUcM8pq [2/2回発言]
>>777
前の経営者がバブルのはじけで持て余し、宮崎旅館に買い取ってもらった。
息子が代表、嫁が女将。

確かに先代の料理長は京都吉兆の出であるが、数人の料理人を引き連れていった。
立板・煮方・向板・焼き方等、今のチームは京都吉兆で修業した連中だから先代が抜けても味は変わらない。

吉兆の料理どれほどの人間が食べているのだろうか。 吉兆の料理と京料理は違う。
http://logsoku.com/thread/travel.2ch.net/travel/1058921101/

100 :列島縦断名無しさん:2006/01/10(火) 15:32:13 ID:LmfzNNZk0

雲仙の半水盧は14部屋で3年の月日と百数十億の金をかけたんだぞ。
たった6億の安普請でぐだぐだ言うんじゃねえ。

106 :列島縦断名無しさん:2006/01/10(火) 22:18:27 ID:siBoYyuG0

半水盧の平屋の離れに泊まると、半水盧の紹介の本が何冊か置いてあるよ。そこに100数十億円の金をかけて、最高の宮大工と木材を集めて作ったようなことを書いた記事が載っていた。 バブルの頃だから出来たようなことなんだね。

長崎の果てに超高級旅館を建てて、小型飛行機で客を集めるというプランだったんだけどバブルがはじけて、半水盧を建てたオーナーは経営から手を引いてしまった。

開設当時は平屋の離れは一人50万円(!)くらい取るバブリーな宿だったらしいけど、さすがに今は一人10万円で泊まれる。(CPたいへんよし)

泊まるとたまげる世界が広がる。「椿」の露天風呂なんて、たくさんの樹々が植えられた百坪以上の広い擂鉢状の庭の底にあって、ただただその風景に呆れながらの入浴を楽しめる。 (底にあるから入浴しているときもどんどん落ち葉が風呂にたまって、自分で掻きださねばならないのがうっとうしいけど)


725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 14:20:50 ID:T0If6Hdz0

雲仙の半水盧は、バブル時代に京都系の資本で創った余りにも有名な“旅亭”
一泊30〜50万なんていう部屋もあったね。
吉兆嵐山本店とほぼ同レベルというか、嵐山吉兆の板場が引き抜かれて行ったのでよく似ている。ただ京都より量が多くて大満足でした…。

今は、宮崎旅館系の5万程度のちんけな田舎高級旅館になりはてたがハード面では今でも抜群です。


817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:08:10 ID:WWFc0ZjG0

NHKの番組「プロフェッショナル」で吉兆嵐山が取り上げられていた。
中で、7年前総料理長以下10人の料理人が辞めたとあった。
石原氏が半水盧に引き抜かれた時期と一致する。

数人引き連れて行ったと聞いていたが、10人とも移ったのだろうか?


733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 19:26:42 ID:OPAhBLPz0

吉兆飯なぁw
何で雲仙来てまで?って気も
まぁ1回ならいいかなと言う気はしないでもないか。
板変ってどうよ?


736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 21:55:02 ID:hCw6sBgv0
>>733
吉兆飯、吉兆飯・・・とかまびすしいが、夕食だけで嵐山5万円、高麗橋6万円、銀座8万円。

雲仙の濁り湯に浸かって、立派な庭を見ながら吉兆飯食って、あのふかふかの布団で寝て、朝風呂入って、旨い朝飯食って、
それでぽっきり5万円、安いもんだと思うね。 嵐山も高麗橋も銀座も「吉兆飯」と簡単に行ける場所でもねえし。

井戸水沸かした風呂入って、竹薮見て飯食っての8万円の宿よりは余程コスパはいい。

石原さん辞めても変わらんよ。
親方一人で作れる飯でもないし・・・・


410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 10:11:30 ID:xnwmVI4l0

料理長が代わればその店の料理も変わる。 だから強羅花壇も美味しくなった。
高級旅館に求めるものは伝統と格式。時代に見合った変化、総合的なバランス。
高いお金を払うのだからそれ以上に満足させて欲しい。


411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 11:31:37 ID:OKSkcI0x0

真の高級旅館は料理長が代わってもさほど変化はない。

7〜10人のチームが出来ているであろうし、実際の料理は花板(二番)が取り仕切っている。
時間をかけて徐々に変化が出るかもしれないが。

明らかに料理が変わるのは、料理長一人に寄りかかった発展途上の旅館。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 19:52:19 ID:2Sbrn8+H0
>411
そうでもないと思う。 チームがあるって事は、料理長が変わるときにチームごと代わる事も多いし、味が変わらないのは、どっちかていうと経営者の方向性による部分の方が多いんじゃないかな。


414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/06(土) 19:02:57 ID:koYp1t2v0

料理長は総合プロデユーサーであり旅館経営の一端を握っている。
例えば強羅花壇は料理長が代わってから良くなっているし(以前の料理長は同郷)
旅館ではないがリッツカールトン大阪の香桃も美味しくなった。
いずれにしろ料理は進化していく。


415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/06(土) 22:12:05 ID:W3JxCGS50
>>414
強羅花壇の料理長は何時代わったのですか?最近ですか?
一年前に訪れた時は極普通の会席料理だったです。
高額な宿泊料金に価する料理ではありませんでした。


416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/06(土) 22:29:02 ID:uZEiTkdz0
>>415
同感!
2年前に3度目の宿泊したが、料理長不在だったのか、盛り付けも含め、感動に値段に値しなかったなあ〜。
かわせみや指月が口に合うな。

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 23:07:00 ID:2/Ft3ICj0

寝具、良くなったんだハンズイリョ。宮崎になる少し前行ったときは微妙だったな。
でも正直、もてなし、食事、しつらい総てで俵屋のほうが好みだった。かわせみとは一長一短かな。
半は平屋泊ると次5万部屋行くのを迷うのが辛いな。

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 23:24:53 ID:hCw6sBgv0
>>737
>でも正直、もてなし、食事、しつらい総てで俵屋のほうが好みだった。

俵屋はいいねえ・・・
いろんな宿へ行けば行くほど俵屋の良さがわかってくる。あの宿の醸し出す空気は別格だな。
日本一の旅館かもしれない。 井戸水でも槙の浴槽だから許すw

食事は半水盧のほうが好みだけど、「もてなし」、「しつらい」、「食事」と見事にバランスが取れている。


870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:51:14 ID:oGJDCj8V0

・旅館名   半水盧 

・お部屋のカテゴリー 一般棟(部屋の名前忘れました)

・お値段 確か二人で10万超え

・宿泊人数/泊数 夫婦で一泊

・接客の印象 丁重です。

・部屋の感想 広いです。最初は広くて感動しましたが無駄に広くて私は逆に落ち着かなかった。 何事も程々が一番というのが私の感想。

・温泉の評価  他の宿と異なりほとんど貸切状態なのでそれだけで大満足です。

・食事の評価  普通に美味しい。

・値段や他の宿と比較 コストパフォーマンスは非常に良いと思います。ただ問題なのが立地。
 値段は安いと思いますが、時間を充分にとって静かに連泊出来れば堪能出来るのではないでしょうか?
 一泊で時間を気にしながらの宿泊(旅行)なら家から近い同等レベルの旅館の方がリラックス出来ると思います。

・一言コメント 非常に良い宿でとてもお金が投資されているのは分かりますが、余韻は時間と共に薄れてるかも。
 立地条件を除外しても、全てが高級でも常連になりたいと思わせる何かが(私には)ありませんでした。
 スイートよりもジュニアスイートの方が落ち着く人間の感想なので、高い視点で語ってるわけではありません。

 単に「また帰ってきたい」という安心感やどこかで感じたい素朴さが私には得られなかっただけだと思います。
 時間とお金に余裕があり連泊してる人はまた全然違う感想を持ってると思います。とりあえず宿泊して不満を感じる
 人はいないはず。
 


872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 05:59:06 ID:4u5RGHRz0

やるな、石原氏去った後の吉兆飯に惑わされず、「普通に美味しい」
嵐山や高麗橋を普段遣いされている方かな。謙遜されているが、素養、審美眼がしっかりされている。

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 11:23:27 ID:qZ61w5L80

半水盧: 無駄に広くて私は逆に落ち着かなかった。何事も程々が一番。 問題なのが立地。

これも、そのものズバリ。


>「また帰ってきたい」という安心感やどこかで感じたい素朴さ

私は蓬莱の離れや俵屋にそれを感じますね。

半水盧の飯は凄く美味いと思うけど好みかな。
普通と思うなら嵐山や高麗橋を普段には使わんでしょうw 高いだけでアホらしい。

 

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 16:49:31 ID:oGJDCj8V0
>>872
吉兆あまり好きではないんですよ。味云々と言うより経営スタイルの
話なのですが…上と下の格差がすごいですよね。

>>873
誤解がないように訂正しておきますが半水盧の飯は美味しいです。だけど、高麗橋等が高いだけであほらしいと考えているのは
確かです。何でも高い金だせば…という考えは好きではないので。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 21:00:53 ID:pyEpsTJ10

吉兆さんは格差ありあり。
高麗橋は料理よりも格式を重んじる所。
創始者の心を伝えていってほしい。

723 :教えて:2006/06/25(日) 21:35:26 ID:q2SCWeox0

最高の食事を提供された高級旅館とはどこですか?
ホテルやオーベルジュ以外です。

・夕食
・朝食
それぞれのレポ下さい。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:25:45 ID:uMiU8hqd0

夕食・・・・半水盧
朝食・・・・半水盧

文句なしにダントツ。 5万円で吉兆嵐山本店とほぼ同レベルの食事が楽しめる。

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 14:29:05 ID:X2w+NTIU0

いかにも成金趣味のババァが好む宿ということか・・・・・


727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 15:24:05 ID:r72q9Kg60

成金趣味のババアが好む宿(ハード抜群、金だけ高くて、飯が糞不味い)
No.1 強羅花壇
No.2 無量塔


728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 15:34:49 ID:E2+wkIWl0

成金趣味以外に、あまり情報持ってなくていろんなところを知らないてのもあるのでは。


729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 15:45:11 ID:u6qimyM40

夕食に関して言えば

半水盧>指月>あさば>柊家=かわせみ


730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 16:05:25 ID:VhYIIvsh0

半水盧>指月>蓬莱>あさば=かわせみ

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 20:56:24 ID:XRbiMjF00

夕食 かわせみ>柳生の庄>指月
朝食 指月>あさば>蓬莱

本州しか泊まっていないので本州以外はわかりません。

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 21:42:55 ID:NSLoBJHg0

朝食:かよう亭>半水盧>俵屋>玉の湯
昼食:無量塔
夕食:やまさ旅館(安心院)>野鶴亭(日当山温泉)>半水盧>かわせみ

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 20:32:01 ID:ZB6pZdli0

御宿かわせみ、半水虜、どちらかに行こうと考えています。
かわせみは料理を食べてみたいと思ったからです。 日本料理を食べてみたいと思ったのは京都の木乃婦以来です。
半水虜は時間を忘れさせてくれそうだからです。 よろしければ皆様方のご意見を聞かせて下さい。


400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 22:56:50 ID:lS6GkNvR0

>>399
旅費と旅行時間を考慮にいれなければ、半水盧のほうが絶対お薦め。

部屋・庭・温泉・料理・宿泊料、どれも半水盧のほうが優る。
かわせみが良いのは応対くらいかな。

まあ半水盧の応対が良ければ、文句なしに日本一の旅館なんだが・・・


401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 23:15:29 ID:4qNsHlqm0

半水リョ、お金かなり掛かってるし、ハードでは一番でしょ。
ただ、料理、サービス、全体のバランスを考えれば個人的には圧倒的に かわせみ。(特に最近)
全てに心がこもってる。 もてなしの哲学というか価値観が統一されていてそれが料理にも感じられる。
うちはこうです!みたいな。

ハードが良いのは当然すばらしいが、誰がやってもある程度の評価は得られるように思う。
もちろん、半水リョの料理も吉兆の料理を好む方には良いですが。 できれば、両方行かれては!
でも、半水リョがお好みであれば、東北ではむしろ宗園の方が良いかも。半水リョとある意味、同じ路線ですよ。


402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 23:32:14 ID:lS6GkNvR0

「半水盧」と「かわせみ」の料理、好みが分かれるのはよくあること。
確かに吉兆の料理は好みでないという人も私のまわりに結構いる。
しかし私の好みでは「半水盧」の料理の方が「かわせみ」のそれより数段上。

「宗園」の料理は両者より数段落ちる。 料理を期待するとがっかりする。庭以外に行く価値のない宿だ。


404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 01:16:32 ID:bLNRwrm8O

半水慮は、大資本で作って料理人も京都吉兆から連れてきた、開業時にある程度完成された旅館。そのかわり、何年経ってもそれ以上の進歩はない。

一方、御宿かわせみは、こつこつと築き上げてきた旅館。何度も行くとその度に進化しているのが分かる。いずれにせよ、タイプの異なる旅館だが、それぞれすばらしい。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 08:51:06 ID:Rd8O7QvN0

399です。 皆様の貴重なご意見ありがとうございます。
かわせみの料理は斬新さと作り手の創意工夫が感じられ、半水虜は京料理の真髄を味わう事ができると。
わたしは温泉よりも料理やもてなしを重視するのでどちらの宿も悩むところです。
本来なら御宿かわせみを選択するところですが今回は半水虜に行くことにします。
もちろん時間が許せば次回はかわせみに足を運んでみます。
最近は京料理もあえて少し型を崩す兆候があります。味はもちろん盛り付けや器など楽しみです。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 15:47:52 ID:Am19UEGd0

東伊豆以北へ行くと多くの旅館の味付けが変わる。
関西の人間にとって、鰹や醤油のきつさはどうも口にあわん。(ワシだけやろか?)

逆に、関東の人間にとって京料理はなんか物足りんのとちゃうやろか?


408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 20:11:34 ID:2Yz7oSy60

>>407
京都生まれで東京で暮らし、現在札幌ですが、本当に上質の料理ならどこの土地のものでも口に合わないと思ったことはありませんね。 もちろん、それぞれの良さを味わうには発想の転換も必要ですが。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 01:15:41 ID:6B9TQeM50

日本中の懐石料理屋や高級旅館の調理人が主に京都で修行し、そこでの味付けを基本としてるから全国均一的な味に
なったのかな?
でも地方の定食屋クラスの店だとまだまだその土地独特の味が残っていると思います。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 19:52:19 ID:2Sbrn8+H0
>407
地域割りでいくと静岡は東海だけど、伊豆は明らかに関東圏。
東のお客さんが多いので味付けも濃い目になる傾向がありますね。
高級旅館で料理長が京都の料理店出身の場合、その味をそのまま出されると思いますが、関東の味に慣れたお客様が多いとやっぱりその要望に合わしていく形になるので、京風でも若干濃い目の味付けになったり。


800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:42:50 ID:I2+rllAg0

指月の料理は典型的な京料理。 旅館で出る京料理としては最高峰じゃないかな。

ただ上品過ぎて・・・・
下品な俺としては華やかな吉兆飯の半水盧のほうが好みだがw

いずれにせよ、旅館の京風料理としては東西の双璧。

802 :798:2006/07/23(日) 22:58:04 ID:CoBHjtgx0
800さん>>
やはりそんなに上品なのですねw 楽しみです。
半水盧さんには3年ほど前に宿泊したことあります。 半水盧さんの料理・部屋・その他に圧倒されましたw 
朝からデザートでモンブランが出てきたのにはびっくりしましたがw
でも味は最高でしたっ 


417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 00:26:31 ID:Svzt/ZWe0

懐石料理ってふつう感動するか?

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 01:42:31 ID:b161BX440

めちゃくちゃするねえ〜
眼で感動、舌で感動、手触りで感動・・・・

眼で感動するのは懐石くらいだな。 中華は美的感覚ゼロ
フレンチは幾何学模様。芸術性はゼロだんもんねw

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/08(月) 08:08:43 ID:J0JkW/2g0

懐石は盛り付けはもちろん器にも惚れ惚れする。
感動してみたいのなら例えば京都の木乃婦あたりはオススメです。
花壇の料理は以前よりマシになっただけでオススメはできません。
妻が花壇の部屋係りが良かったのでよくおじゃましてました。
中華は意外と奥が深い。でも美的は・・・

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/09(火) 01:01:41 ID:XYqrFvlj0
>>420
器は重要だね。器と料理が全く合ってない物を出す料理人は美的感覚ゼロだし、味も駄目な人が多い。
それと器が安物のオンパレードだと興ざめです。

http://mimizun.com/log/2ch/hotel/1134127683/


200 : ◆ynmayHQxXc : 03/07/31 13:15 ID:y/hWFclT [1/7回発言]

半水盧と御宿かわせみ、この両者を訪れた人の多くは、おそらくは両者がよく似たコンセプトで建てられたものとの印象を持つことと思います。そして、そのコンセプトは、新興旅館の目指すものの一典型であると感じましたので、そのことについて述べさせていたきます。

「高級旅館」というものは人によってそれぞれ定義があると思います。私なりの定義を
述べさせて頂ければ、


(1)非日常的感を演出し、かつそれが自然に存在している空間を持っている。

(2)そこにいれば、普段と違う、濃厚な密度を持った時間が流れる。


の2点を有するところだと思います。

私は雲仙の半水盧に泊まったとき、以上の2点を強く感じ、それ以来「高級旅館」なるものに興味を抱いております。少々の探究心も生じました。

そして、御宿かわせみは、半水盧以来の感銘を与えてくれました。かつ、半水盧とかわせみは、非常に似通ったコンセプトのもとに運営されている旅館だと思いました。

御宿かわせみは飯坂温泉という有名な温泉地にあるものの、その位置は中心地より相当に外れております。半水盧も同様に、雲仙という歴史ある温泉地にはありますが、中心地より外れ、周囲には何もありません。展望もなにも効きません。

それでもそのような不利なところに建てるのには、ある意志があると思います。
それは、徒手空拳といったら言い過ぎでしょうが、バックグランドに乏しいところに、自分の力のみで客を集められる、魅力のある宿を造ってみせるという意志が。

それゆえ、最高の建築材を用いて、細部まで神経の行き届いた建物を建て、その周りにこれも人工美の限りを尽くした、その結果自然そのものの域に達した庭園を造り、そうしてそこに、自立し、自己完結した世界がつくり出されたわけです。

御宿かわせみも、半水盧も、前に立ってみますと、旅館がそこにあるだけで、旅館の姿だけで、人の心に何か迫るものを与えてくれます。大げさな言い方をすれば、オーラを発しています。

私が九州の旅館選びのタネ本にしている、「一度は泊まりたい九州・山口の宿(プラニング秀巧社)」では、半水盧旅館は、薄暮のなか内から光を発した姿で撮影されています。やはり、このような写真を撮りたくなる力を持っていると思います。御宿かわせみの紹介写真は見たことがないのですが、やはりそのような写真が撮られているのでは。

両旅館とも、オーナーが、名旅館とはかくあるべしという信念を持ち、あらゆる名旅館のいいところを調べ、吸収し、それを実践した、執念の産物だと思います。 思ってるだけで、頭の中にあるだけでは、砂上の蜃気楼以下のものですが、オーナーは、
それを実在のものにしたのです。

それを実現するに費やした努力 ――勉強、研究、デザインのまとめ、金銭面の交渉、人集め、教育…等々を考えますに、とんでもない労苦が積み上げられたピラミッドの、その上澄の部分に旅館が存在し、そこに我々宿泊客が遭遇した、そういうことに感じられます。 だからこそ、ああいう濃密な時間を、素晴らしい空間を楽しめたと思います。

春夏秋冬、季節ごとに、宿は風景を変え、旅人を招く。
機会があれば、是非ともまた御宿かわせみを訪れてみたいです。…ただ、福島は遠く、訪れてみたい宿は、まだまだ多し。いつの日になることやら。

http://logsoku.com/thread/travel.2ch.net/travel/1058921101/

391 : 雲仙半水盧の記: 03/11/19 22:18 ID:H3XbcBE9 [1/8回発言]

雲仙の中心地を少し離れたところに半水盧は位置し、自動開閉式の長屋門をくぐると、ゆるい下り坂の先に旅館の玄関が見える。長い太閤塀で隔たれた半水盧の敷地内は、周囲の自然とはまったくの別世界になっている。植えられている樹々の植生は雲仙の山とは全然異なり、楓、椿、石楠花、桜、櫨、ドウダン等の、花や紅葉の美しい樹々が植えられ、季節ごとに庭を華やかに
彩取っているものと思われる。とくに楓の樹はひと際数が多く、紅葉の盛りの時期はまことに見事なものと思われ、その時期に石畳を歩きながらの庭散策はたいそう風情のあるものであろう。

しかし、私が訪れたのがまだ紅葉初期の時期だったため、楓は2〜3分程度の紅葉であり、残念であった。しかしドウダンは今が盛りで、うつくしく真紅に染まっていた。

【部屋】
華やかな和服姿の仲居さんに部屋へと案内される。
部屋は2階立ての離れ形式となっており、2階に入り口の玄関がある。この2階部は8畳の居間、それより広い洋間(寝室)、ホール、広縁、手洗い、風呂から成っており、これだけですでに並みの「高級旅館」を越える規模を持つ。だが半水盧はそれに加え更に1階部を持ち、ホールの階段を下るとそこに13.5畳+7.5畳の広大な居間が広がっている。その広さだけで感動ものであるが、その部屋の材料である建築材、畳、窓枠等、じつに上等であり、また部屋のアクセントとして処々に飾られている置物、花、振袖、掛け軸、色紙も彩り鮮やかで、全体として、たいへん贅沢な空間を形成している。

ハードに関してまさに超一級の旅館であり、最初訪れたとき度肝を抜かれたが、2度目に訪れても、やはり大したものだとの感慨を持った。

【料理】
半水盧の料理といえば吉兆の流れを組む料理で有名である。 吉兆といえば、豪華絢爛とか、過剰演出とかのイメージがあるけれど、つまりは華やかなハレの舞台で出てくるべき料理というふうに認識されているのではなかろうか。

博多のリバレインにも吉兆があるけれど、懐石料理好きの人が食事を楽しむ場というより、結婚式等の祝宴の流れで使われていることが多いようである。 雲仙の山中まで来て吉兆飯が出なくともという意見があるとも思うが、半水盧に来るということが
一種のハレの舞台であることは相違なく、この豪華な施設で出る料理は、やはり絢爛たる吉兆料理が相応しいと思う。

さて、その料理。嵐山吉兆の料理長をやっていた板長が変わったということであるが、出てきた料理は前料理長と同様に吉兆懐石であった。レベルはもちろん高い。向附から小鉢、煮物、造り、八寸、焼物、どれも良い素材を用いて、繊細にして高度な仕事をした、隙のない見事な料理。

渡り蟹を黄味酢であえた向附はほどよい酸味の味で、それからの料理への食欲をさらに高める。
鯛、烏賊、縞鯵の造りは新鮮な素材が素晴らしい。松茸の土瓶蒸しと鱧のしゃぶしゃぶは土瓶蒸しの味の変化とともに鱧の味の変化を楽しめる、少し遊び心のある料理。旬の素材を美しく皿に盛った八寸は美術品のようでもあり、食べるのが勿体なくなるくらい。一品一品に、食べているこちらも気を抜けず、しっかりとその美味を確かめながら、楽しい時間をかみしめる。

板長が変わったということで、少し心配していたが、杞憂であった。この料理なら通常の吉兆の店にまったく遜色ないレベルだと思う。

【温泉・寝室等】
温泉は一般的に楽しめるようになっている。
この旅館の近くに小地獄温泉という共同浴場があるけど、その強烈に白濁した、入るだけで身体中が温もる、いかにも「温泉」という湯に比べると、個性が弱い。硫黄泉の独特の臭いがこもる内湯では濃度を薄め、臭いが拡散する露天では濃い目に調節している。だから、「本格的」な温泉に弱い人でも、ゆったりと楽しめるようにできている。こういう旅館に向いた処置であろうか。
10室に対して、大浴場が2ヶ所。人と会うこと少なき風呂であり、だいたいの時間で貸切状態を楽しめる。

半水盧は寝室が和室になっている部屋と、洋室になっている部屋があり、洋室になっている部屋を今回は選んだ。前回和布団の極上さに感心したので、ベッドの布団にも期待していたのであったが、こちらは高級シティホテル並であって、ちょっとがっかり。寝るときの豪華感を希望する人は、和室が寝室の部屋をとったほうがよいでしょう。

半水盧の宿泊料金はメインの2階立て離れは1人5万円である。九州の宿にしては、強気の料金設定なのであるが、施設,料理,風呂から考えると、極めてコストパフォーマンスの良い宿といえる。


【雑感】
前回泊まったとき同様、仲居さんは若い人であった。廊下ですれ違うほかの仲居さんを見ても、この旅館の仲居さんの平均年齢は低めのようである。若さ重視で採用しているのでしょうかね。 客商売、若さは大事であろうけど、こういう旅館の仲居という職業ではどんなものであろうか?

挨拶にしても、案内にしても、料理の上げ膳、下げ膳にしても、よくトレーニングはされているようで、標準以上の接客は出来ていると思う。しかしそこから先がなさそうである。一定のことをこなすのに、いっぱいいっぱいという感じであり、余裕が感じられない。マニュアル以外のことを要求すると、それだけでパニックに陥りそうな印象があり、にこやかな表情の裏に、あっぷあっぷの緊張いっぱいの表情が伺われる。仲居さんの緊張感というのは客にも伝わり、なんかこちらにも変な緊張感が生じてしまう。そこで何が困るかというと、はやい話、雑談が出来ない。旅先で、仲居さんから得る情報は、その地方のこと、旅館のこと等、たいへん有用で、記憶に残るものなのだが、なにしろ業務に精一杯の仲居さんを前には、せめてその仕事が滞りなく進むよう、こちらも粛々と飯を食うことしか出来ない。

旅館業はたいへんな数の裏方さんの努力により成り立っているのであるが、幸か不幸か、仲居さんはその代表となる立場ゆえ、こういうのもどうしたものかと思う。とくに、半水盧のような旅館では、「仲居は若けりゃそれでいい」と思うような客は泊まるはずもなく、仲居さんには「情報発信」の役目を期待している客が必ずいるわけで、改善の余地は大いにある。


食事が終わる頃に女将さんが挨拶に現れた。
半水盧はバブルの余波で建てられたような旅館なのであるが、多角的な経営を行っていたオーナーが 半水盧を経営する余力がなくなったため、今年からオーナーが変わったのであり、女将さんも居るようになったのである。

で、その初めて見た女将さんも、会話を交わすうち、あっぷあっぷしている印象を受けるんですな。
半水盧の女将にはなったが、いったい何をどうしたらいいのか、ということでアタフタしている印象を受ける。

…新オーナーの名前から判断するに、新オーナーは雲仙の某老舗有名旅館の関係者のようである。だから新経営陣は旅館経営の玄人であるはずなのだが、半水盧のような旅館と、某老舗有名旅館とは形態は相当に異なるので、今、まさに暗中模索、四苦八苦の状態で経営している雰囲気である。

で、私ごときの高級旅館初級者でも気になった問題点。

女将さんにリピーターの割合を聞いてみたのだが、50%もいかないそうなのである。創業10年以上たった高級宿にしてはこの値、低すぎる。半水盧という旅館、九州では「高い旅館」ということで有名である。それで、高級旅館マニアに加え、恐いもの見たさに訪れる人もあるのだろうけど、そういう人たちに「半水盧行きました。すごかったです。おわり。」という感想で終了させてしまってるみたいだ。「すごかったです」のあとに、「また来たいです」「今度は家族を連れてきます」とかの感想が得られる宿にしないと、宿の経営は厳しいのだろうけど、リピーターを招く魅力が何か欠けているみたい。

私が思うにこういう種類の旅館は高級旅館マニアという人種をターゲットとしなければ成り立たないであろう。高級旅館マニアは、旅館が気に入れば、値段や距離に少々難があろうが、季節ごとに何度も繰り返し行く人種なのである。この旅館は、そういうマニアの心の琴線に響く「何か」が、足りないではないか。

半水盧を訪れる客は相当なツワモノばかりなので、うぶな女将さんに、いろいろアドバイスするそうである。「まず勉強しろ」と。それで、勉強に行く際の推薦旅館は、「強羅花壇」「茶寮宗園」「御宿かわせみ」が常に挙げられるそうである。私は、前2者は知らないけれど、「かわせみ」に行けば、仲居さんの接客なんかはとても参考になると思う。

ついでに言えば、高級旅館マニアが近年好んでいる九州旅行コースは、半水盧で一泊、翌日は天草下田の「五足のくつ石山離宮」で一泊だそうだ。雲仙よりも天草下田はさらに辺鄙なところである。ところが、「五足のくつ石山離宮」は予約するのも困難な人気旅館となっている。経営戦略がしっかりしているのであろう。


ところで、私は半水盧のファンである。
近くて便利だし、山の麓にあるので、登山のついでに泊まれる。旅館そのものも素晴らしいので、登山と、旅館泊の二つをともに楽しめるため、雲仙行が魅力あふれるものになった。今後も季節の移り変わりとともに、何度も行きたいし、また行く予定である。

さて、失笑を覚悟で言えば、「高級旅館」というものは、総合的な芸術品に思える。ひとつの文化と言ってよい。施設、料理、温泉のレベルからいって、半水盧は十分に「高級旅館」になれる資格を持っている。というより、最初から「高級旅館」を目指して建てられた旅館は九州では、この一軒だけだろうから、その施設の素晴らしさは九州では群を抜いているし、たぶん西日本でも最高レベルのものであろう。そんな貴重な価値をこの旅館は持っているのである。だから当初の意志に基づいて、「高級旅館」の道を進んでほしい。


経営者が変わってゴタゴタしているとは聞いている。
そして、1年前と比べて、具体的なことは書かないけど、弛緩としか言いようのない事象を複数宿泊中に私は経験した。それが過渡期の一時的な現象なのか、それとも衰退期の具象像なのか、私は判断できないけど、ここ数年が肝心な時期であることは確実に思える。 半水盧が、某老舗有名旅館の高級部門になってしまうのか、それとも名実ともに、九州を代表する「高級旅館」の地位を築くのか。今後の宿泊で、見守っていきたいと思う。


401 : 列島縦断名無しさん: 03/11/20 21:25 ID:J0VG5Z8f [1/1回発言]
>>391
雲仙半水盧の記、ご苦労様です。 私の感想とよく似ています。

若い仲居さんはまさにそのとおりで、所作が目に浮かびますね(笑)

新しい料理長は京都吉兆から前料理長と一緒に雲仙へ行かれた方だそうです。
(京都吉兆の女将さんの話です)
新しい女将さんは某老舗旅館の若女将でしょう。HP上の写真と同じ人物でした。


776 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 14:45 ID:rfUcM8pq [1/2回発言]

荘園・かわせみ連泊したけど、かなり差がある。 荘園はあさばとは比較にならない。あさばは日本一。
かわせみの料理かなりいけるけど半水盧のほうが旨い。

荘園へ行くのは「話の種」くらいに思っていた方がよい。

かわせみは東京以北の人間にとってはリピートしやすいが 名古屋以西の人間にとってはやはり「話の種」
同じ交通費つかうなら半水盧のほうが良い

777 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 14:59 ID:52I4dfFo [1/1回発言]
>>776
半水廬は経営がチェンジして、経営者・女将・総料理長が全て交替し、仲居の士気も下がっているときいたが、持ち直したのですか?

ちなみに前総料理長は、今年京都に店を出したって。

でもここは吉兆の系統の料理だから、長崎に来てまで吉兆の料理 や京料理は食べたくないという人もおります。


778 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 15:24 ID:rfUcM8pq [2/2回発言]
>>777
前の経営者がバブルのはじけで持て余し、宮崎旅館に買い取ってもらった。
息子が代表、嫁が女将。

確かに先代の料理長は京都吉兆の出であるが、数人の料理人を引き連れていった。
立板・煮方・向板・焼き方等、今のチームは京都吉兆で修業した連中だから先代が抜けても味は変わらない。

吉兆の料理どれほどの人間が食べているのだろうか。
吉兆の料理と京料理は違う。
懐石がいやなら「荘園」や「海石榴」の存在価値もなくなる。

個性的な料理が望みならば「かわせみ」より「あさば」や「蓬莱」のほうが満足度が高い。

779 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 16:51 ID:mde3mW1T [1/1回発言]

あさばはたしかに日本屈指の宿だけど、宗園の建築や客室露天もこれまた魅力があって良いと思うけどな。人の好みそれぞれ。私も777さんと同じで嵐山吉兆味を何度も雲仙に食べに行くよりはかわせみの特選料理を楽しみにリピートする方が好き。これも人それぞれ。 泊まった人が自分のお気に入りを決めればいいかと。

確かにかわせみ〜宗園と連泊だと、同じ毛色(高品位和風旅館、客室露天、たたずまい、サービス良好、料理上々)なだけにどうしても両者を較べてしまうと思います。較べるよりはそれぞれ単独で行った方が愉しさは大きいかもしれませんね。


780 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 18:27 ID:LFYItjwG [1/1回発言]
>>779
このところ名前が挙がっている旅館はそれぞれ素晴らしい宿ばかりですね。 それぞれ個性があって、まさに「好みの問題」ではないでしょうか。 「茶寮宗園」も素晴らしい旅館ですが、相手が「御宿かわせみ」では、まさに「相手が悪い」で可哀想なところがあるように思います。連泊すると違いがすぐわかりますからね。

私は、「御宿かわせみ」あまりリピートしたいとは思いません。 あまりにも優等生すぎるという感じがしました。バランスが良すぎてなぜか印象に残らないのです。

『私の好み』では、「半水廬」です。同じ5万円ではコストパフォーマンスがずっと良いと思いました。
交通費はそう変わらないし、料理もそうですが、あの建物がすごい。

781 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 21:59 ID:n3Nj1OVp [1/3回発言]
>780
半水慮の5万の部屋はたしかにコストパフォーマンスが良いけれども、奥にある平屋離れの10万円の部屋のほうがはるかにコストパフォーマンスがいいよ。 あれを経験すると、どの旅館もコストパフォーマンスに悪い気になってしまう。

(ただし、平屋は創業当時は50万だっというからあきれてしまう。バブルとはすごい時代だっと思う。半水慮は全部つくるのに100億円以上かけてるそうで、元をとるのは大変でしょうね)

782 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 22:19 ID:7BLKivpc [2/4回発言]
>>781
でも一度平屋に滞在するとメゾネの方に帰れなくなる諸刃の剣w
でもまーあんまりリピートはしなくてもいいかな。

783 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 22:37 ID:n3Nj1OVp [2/3回発言]

>でも一度平屋に滞在するとメゾネの方に帰れなくなる諸刃の剣

ギク!
てか、寿も椿もリピーターばっかりなんだね。 やっぱりあれ経験するとメゾネにはまず帰れんだろう。
お手洗いの広さとか、呆然としてしまう。ほとんどギャグの世界。

漏れは「寿」の庭のせせらぎが好き。庭から道路を走る車が見えるのは愛嬌ということで…

785 : 列島縦断名無しさん: 04/07/08 22:47 ID:n3Nj1OVp [3/3回発言]

そういえば、半水慮の平屋は、予約とるとき「なにかのお祝いですか」と聞かれる。
ただ泊まるときでも、誕生日なり結婚記念日なり昇進なり、なんでもいいから答えておくと、シャンパン一瓶と、夕食に祝いの料理が一つサービスでつくよ。

メゾネのほうはそんなことないから、平屋は半水慮でも特殊な位置にあるみたいだね。

791 : 列島縦断名無しさん: 04/07/09 03:34 ID:Bf9CkhBP [1/1回発言]

半水廬、メゾネの方でも誕生日祝いと言ったら
料理とは別に、お赤飯を出してくれましたよ
シャンパンは流石になかったけどね

792 : 列島縦断名無しさん: 04/07/09 13:16 ID:2wJYB0U7 [1/1回発言]

このところのかわせみ、気合入ってる気がする。今まで以上に。
DMきたけど、特選献立も特薦の一品とやらに変わって更にグレードアップしていくらしいし。
確かに料理も行く度に良くなってる。6月行ったけど、今までより良かった。 特薦もだけど全体的にも。
このスレに出た旅館大抵行ったことあるけどリピートしてきて飽きることなく、むしろどんどんやみつきになっていった旅館て
個人的にはかわせみだけ。あそこはリピートして何回か泊まって本当の良さが分かるとおもう。
その間他に泊まって比べてみると良いかも。
http://logsoku.com/thread/travel.2ch.net/travel/1058921101/


【高級】ラグジュアリー旅館【Luxury】


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 15:26:21 ID:1o7SOW/s0

何故半水廬が出てこない?

あさばの接客は悪くないがなあ。
付かず離れずの良い距離だ。
まあ勘違いちゃんが来なくなるのはいいことだ。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 20:27:16 ID:/DFGw1IR0

半水廬と指月の夕飯は日本一
半水廬の朝飯は日本一
半水廬のハードは日本一

接客がなあ〜ww
接客良くなりゃ日本一の旅館

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 22:04:41 ID:qMNEHGCw0

>>47
石原さんいなくなってオーナーも変わってから あそこは別なものになったとは思うな。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:02:50 ID:m6t8WCqf0
>>49
今の半水廬より凄いなんて、とんでもない宿だったんだね。
石原さんは親分で実際は佐々木さんが仕切っていたらしいが・・・
石原さん京都へもどったけど、ああいう仁義に外れた行動とるとやっぱり京都の組合は許してくれんね。


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 12:18:26 ID:RBEaTMsq0

半水廬の庭が少し荒れてきてると思うのは俺だけか?
まあ広すぎるから厳しいだろうけどね。

143 :宿無しさん@予約いっぱい:2008/04/11(金) 17:38:58 ID:4MEY23bH0

半水廬の湯もよかった。 小地獄の湯だからかな。
雲仙地獄より自分には合っていた。

少し庭が荒れていたけど。
料理は好みがあるが十分満足できる。

ただ遠いw

144 :宿無しさん@予約いっぱい:2008/04/11(金) 23:31:29 ID:cpwwR7af0
>>143
そこもそうだけど湯布院御三家も関東、東海、近畿からは遠いね。
福岡辺りに住んでいたら半水廬も含めて毎月ローテーションで泊りに行ってる。

145 :宿無しさん@予約いっぱい:2008/04/12(土) 16:54:06 ID:L304ASQ2O
>>144

空港から遠いからなあ…湯布院。
妙見石原荘や雅叙苑は空港から近いから、東京からでも気軽なんだけど。


146 :宿無しさん@予約いっぱい:2008/04/12(土) 18:23:38 ID:VebQYzff0
>>145
由布院なんて福岡APからあっという間。1時間半だよ。
http://mimizun.com/log/2ch/hotel/1165579639/

_______


2010長崎 旅亭半水盧(はんずいりょ)1 お部屋
 

半水盧は、6000千坪の日本庭園にたった14棟の離れが点在する贅沢な旅館です。
総工費は120億円。京都から呼び寄せられた宮大工が3年かけて造ったそうです。2棟の特別棟を除いた12棟はほぼ同じ広さですが、一つ一つ少し間取りが違います。迷いましたが、私達は洋室のある棟をお願いしました。

ちなみに1棟の延床面積は80坪(260u)ととても広いです。85uのマンション3戸分

ゆったりした玄関
2階の和室
広縁
洋室
2床ともダブルベッドですが、部屋が広いので写真で見るとシングルみたいですw

階段を下りて1階へ
1階は2間とも和室です。
食事はこの部屋でします。
畳縁は一体感があって座敷が余計に広く感じられました。
お庭
ガラス窓は一点の曇りもなく磨きあげられていました。
1階の玄関
2階の玄関を出ると屋外に出ますが、1階を出ると各部屋に通じる屋内の廊下になっています。
雨の日や寒い日も安心してお風呂に行けます。^^
各階のおトイレ 広いですが、ごく普通のトイレでした。
洗面所

お風呂
部屋の檜風呂は温泉じゃないので入りませんでしたが、よく手入れされていました。

お花は部屋の随所に飾ってあります。華美なものではなく、茶花のような活け方で私好みでした。^^

でもアメニティーはイマイチかな。ごちゃごちゃ置いてありますが、高級旅館のアメニティという感じはしませんでした。
女性は基礎化粧品を持参した方がいいと思います。浴衣もごく普通でした。お風呂用の巾着は可愛いです。

着替えてリラックスした頃合いに抹茶とお菓子を持って来て下さいました。手作りの胡桃だんごが美味しかったです☆
http://obaa.jugem.jp/?eid=367

2010長崎 旅亭半水盧2 庭園・温泉
 
お風呂の前にお庭を散策しました。

東門
メインエントランスではない東門は静まりかえってますが、実は自動ドアだったりします。
でも自由に開閉する訳ではありません。モニタでチェックしてるのかな?

小路に沿って離れが並びますが、丸見えにならぬよう前栽が配されています。


寿苑 椿苑
この二棟は特別棟です。著名人の利用が多いらしい。美空ひばりさんが亡くなる少し前までここに滞在していたとか、某元野球選手がここで食事をするためだけに仕事の後羽田から長崎空港、そしてヘリでここに通った等、逸話があるようです。

バブル期は一泊一人50万だったんだとか(+_+)(今は10万〜です)

お庭はさほど広くはありませんが、よく掃除されて枯葉一つ落ちていませんでした。
花の時期と紅葉の時期はとても綺麗なんだそうです☆

洗心庵
茶室とありましたが、水屋と野点用の椅子がある東屋みたいなものでした。かなり老朽化してるかも。^^;
貸切風呂を予約していたので一周りして部屋に戻りました。

お風呂は一階から出て渡り廊下を歩いて行きますが、敷地が斜面の上なので結構階段もあります。
足の弱いお年寄りには利用しにくいと思います。

貸切用の西の湯

国見岳と妙見岳がありますが、女性に人気が高いという妙見岳をお願いしました。
基礎化粧品やシャンプーはよくあるタイアップのお土産品で、特別いい物は使ってませんでした。^^;

そしてお風呂。
特別大きくもなくごく普通のお風呂でしたが、私は雲仙温泉の泉質が大好きなので滞在中何度も入りました。気持ちよかった〜!(^o^)

尚、東の湯は写真で見たより小さかったのですが、大きいのは男湯のようです。女湯は貸切風呂と同じくらいかな?
この旅館は接待で泊まる男性客の方が多いらしく、滞在中ほとんど女性客と会わず、お風呂はずっと貸切状態でした☆
http://obaa.jugem.jp/?eid=368

2010長崎 旅亭半水盧3 食事 

さて、お風呂から部屋に帰ると夕食用のセッテイングがしてありました。晩ご飯の時間でーす(^o^)

師走十七日のお品書きはこんな感じ

自家製花梨酒とこのわた
酒呑みの私はこのわた大好きでございます。
もうすぐ兎さんと交代の虎さんも可愛い(〃▽〃)

添えられた短冊の言葉は一人一人違いました。

一花開天下春(一花開きて天下春なり)とは、「一輪の花が天下に春が来たことを告げる」という意味で大体想像通りでしたが、調べると仏教的な別の意味もありました。

一つは「一を聞いて十を知る」
もう一つは「長年の苦労の末に心に花が開いて悟りが開け、世の中を喜びの眼で見ることができる」のような意味。
よい言葉をいただきました。^^

煮物椀は甘鯛と胡麻豆腐
長崎風の黒胡麻でできた甘い胡麻豆腐ではなく、京風の白い胡麻豆腐でした。
私は長崎に行くと無性に黒い胡麻豆腐が食べたくなりますが、椀物にはやはりこちらが合います。

お造り
平目がぷりっぷりで美味しゅうございました。イカとカンパチも新鮮です(*^,^*)

箸休めはとんぶり
九州ではとんぶりを食べる習慣がないので、とんぶり畑も見かけませんが、何処で仕入れたのかプチプチと新鮮でした。
ずっと長崎に住む伯母は初めてで「ホウキ草ん食べらるって知らんやった」と言ってましたw

八寸
小皿にとっていただきます。カラスミやらクワイの揚げ物やらでお酒が進みました。^^;

フグのがめ炊きはイマイチかなぁ。
勿論まずくはないのですが、煮付けにすると白身魚のようで見た目も味も印象が薄かったです。
私はてっさ・てっちり以外なら湯引きか唐揚げがいいな。^^


長崎牛や車海老・蟹の小鍋
牛肉が甘くてジューシーでしたが、そろそろお腹いっぱいです(+_+)
早く食べないと肉や海老がまずくなるので焦りますが、全部食べるのは大変でした。
味は出汁とカレーで選択でき、母だけカレー鍋にしましたが、出汁の方がよかったです。
ちなみに多比良がねというのはこちらの言葉でワタリガニの事です。


別腹到着〜♪
サンタの飾りやフランボワーズのケーキがクリスマスらしくて可愛いです。
苦し〜っとかいいながら全部食べました(笑)ごちそうさまでした〜!(^o^)

私達は食べるのが速い方ですが、時計を見たら3時間経っていました。でもお料理の配膳が遅いという事はなく、お部屋係さんとお話しながらのんびりお酒を飲み、楽しい時間を過ごす事ができました。
食事の間にもう一人の客室係さんが寝具をセットしてくださり、ベッドも寝やすい状態に変わっていました。

夜食のおにぎりも用意されてました。
お腹いっぱいで手が出ませんでしたが、ここのお米はつやつや・もちもちで美味しいです。
魚沼産コシヒカリだそうですが、雲仙の千々石町には見事な棚田が広がっているので、地元で良い作り手を探すのもいいかもと思いました。

そして朝食。用意されたお膳に和紙がかけてありました。

朝も器が綺麗です。こちらの陶器は全て有田焼、漆器は輪島塗を使っているそうです。
ぱっと見美濃や信楽のような器もありましたが、有田にも色んな窯元があるって事かな。
お部屋係さんが10代で時々間違ってた部分もあったので、真相はわかりません。^^;

尚、小鉢の一つに温泉卵がありましたが、前日に苦手な食べ物を聞かれ、火の通っていない卵と答えた伯母は茶碗蒸しになっていました。

湯豆腐
サラダは野菜の味が濃くてとても美味しかったです。
ゼリーもグレープフルーツの酸味とアングレーズソースのバランスがよく美味しゅうございました。


宴の後
夕・朝食共に味付けの基本は関西風の出汁の味付けでした。関東に住む妹は薄味でいいねと言ってましたが、私にはしっかり味がついてるように感じられました。でも勿論濃いわけではなく、どの料理もピンボケするような薄味にならず、又素材の味を隠すこともなく、程よく味付けられていたと思います。量は私達には充分というか終盤は苦しいくらいでしたが、よく食べる男性には少ないかもしれません。


こちらの料理長は前料理長と共に京都吉兆から来た佐々木正さんです。

前の料理長が辞めてしばらくは味が落ちたと客が減りましたが、今は静かに人気が出ているようです。おそらく相当な苦労をなさった事でしょう。だって前の料理長は現在日本料理の最高峰と目されている京都『未在』の店主、石原仁司氏なんですもん。
天才、カリスマと言われる人の後を継ぎ、人をまとめていくのは難しいものです。

リーダーシップを確立し、厨房を自分のものとするまでには時間がかかったかもしれませんが、今は素敵なお料理を作って下さっているようでホッとしました。

ただ、やや保守的かな?
使う食材・調理法・盛付け、もう少し冒険してもいいかもと思いました。
日本料理はバランスが難しい。格式や作法にとらわれ過ぎると味気ないものとなるし、斬新過ぎ・独創的過ぎると日本料理の奥ゆかしさ・閑かな和みがなくなります。

半水盧は基本に忠実でありながら、華やかな色彩センスがあり、凡庸には見えませんでしたが、驚きもありませんでした。
遊び心が垣間見られればもっと魅力的だと思います。お料理からは真面目な人柄が窺われましたが、余暇の時間はもっと遊んだ方がいいかも^^(年中無休だと料理長には休みがないかしら?^^;)
http://obaa.jugem.jp/?eid=369


2010長崎 旅亭半水盧の感想 / 旅の終わり

半水盧本館
談話室
ショップ

いつも宿泊施設についてはネットで調べて行きますが、半水盧は不便なせいか情報が少なかったので他より細かく記録してみました。で、感想ですが、私はあまり良い宿とは思わなかったので、リピートはしないと思います。

理由はサービスが良くなかったからです。

到着してお茶をいただいている時、夕食時の飲み物をどうするか聞かれ、「今決めた方がいいですか?」と聞くと、「その方が夕食時にスムーズにサービスできますので」とおっしゃったのでワインリストを見て選び、妹がフロントに電話しました。
しかし、フロントの方は話の途中で電話を切ってしまいました。どうも保留ボタンと何かを間違ったようです。
しばらくして「在庫がありました」と電話がありましたが、夕食時にサーブされたのは違うワインでした。白を頼んだのに赤。
妹は長く営業の仕事をしているので電話では的確に用件を伝えるし、必ず復唱して確認するので相手の方がメモをしてれば間違いはないはずなんですが。

この時は頼んだものと変えてもらい「いえいえ、開栓前に気づいてよかったです」ですませたのですが、チェックアウト時に明細を見たら別のワイン名があり、飲んだものより高く請求されていました。「飲んだのは○○○ですが」と銘柄を言うと、フロントにいた二人共価格がわからず、いつまでもリストを調べています。仕方ないので離れの部屋にあったワインリストを持って来ていただき、「これです」と言うと訂正してくれましたが、随分待たされた上ワインのサービス料の15%もきっちり請求されました。あれでサービスになるんだろうか?と疑問でした。


お部屋係の方は素直で真面目な感じの方で好感がもてましたが、この春就職したばかりの10代で、「秋田の魚沼産」とか時々間違えていました。もう一人の方は最近入ったばかりで、夕食時に空になったお皿を引くのを何度も忘れてました。普段ならさほど気になりませんが、懐石料理の小さな卓上膳にカラの皿がぎゅうぎゅうになるのは妙でした。仕方ないので自分で卓の端に並べましたが、盛付けを見る楽しみが半減してしまいました。

そして朝食時、「食後はコーヒーにされますか?紅茶になさいますか?」と聞かれたので数を言うと、
「お一人様500円になります」
これも興ざめでした。

一人当たり数万円の宿泊費を取ってるのに、まだ請求するのか?と思うし、せっかくリラックスしているのに現実に引き戻されます。でもお部屋係の方が悪いわけではありません。これは経営者や女将の問題でしょう。無粋な台詞を言わなければならない客室担当はむしろ可哀想です。

本来ならこのクラスの旅館ではもう少し経験のある人が応対すべきだと思います。でもフロントでワインを間違ったのも若い人でしたし、客室係も18才〜21才の人が妙に多かったです。従業員をあまり大事にせず、給料も安いのではないかと勘ぐってしまいました。

アメニティも良いものを使ってないし、送迎サービスもなかったり、何かとケチ臭い感じがするのです。じゃらんの口コミにも厳しい意見がありましたが、この旅館はそうした口コミを削除してしまいます。

せっかく素敵なお部屋と丁寧なお料理があるのに、非常に勿体ない。お部屋は綺麗に掃除され、庭もよくメンテされていましたが、そうして頑張っているスタッフの努力を無にしないよう、経営者の方には現状を見直して欲しいです。
http://obaa.jugem.jp/?eid=370


微妙です・・・。 [旅亭半水盧]
moeさん 投稿日:2007年4月3日

高額な宿泊費を考えると微妙です。

私は2階のあるお部屋に4人で泊まりましたが、部屋は素晴らしかったです。広くてゴージャスで、もちろん清潔でした。
食事も大変おいしく頂きました。接客も良かったと思います。

ただ残念なのは風呂です。風呂まで遠いのはしょうがないとして、内風呂から続く申し訳ない程度の狭い露天は自然のままといえばそうかもしれませんが、葉がうっそうとし、悪く言えば手入れをされていない感じを受けました。11月だというのに蚊が驚くほど大量に発生しており、くつろぐどころではなくすぐ内風呂に非難・・・。部屋に入ったときの感動もすっかり消失です。

風呂の近くに水溜りでもあって、温泉のせいで暖かいから11月でも蚊がいたのでしょうけど、掃除をしているときあの大量の蚊に気付かないはずがありません。対処のし様もあるかと思います。

脱衣所のアメニティ等はいろいろ揃えてありましたが、風呂は一切楽しめませんでしたし、風呂のせいで一気に気分が盛り下がりました。私が入った風呂以外にもほかに風呂はあるようでしたが行く気にはなりませんでした。

同じくらい高額な宿泊料を払うのであれば絶対にここには二度と泊まりません。
安価でももっと満足できる温泉宿は多数あります。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen004994/1.htm

旅亭「半水盧」 2003年7月末訪問

長崎空港から車で二時間弱、雲仙登山道の七曲がりを抜けたあたりに旅亭「半水盧」がある。レンタカーが長屋門の前に停まると音もなく門が開いた。そのまま坂をゆっくり下ると本館正面に着く。フロントの男性と和服姿の若い女性が迎えに出ていた。車のキーを預けフロントでチェックイン。和服姿の女性の案内で木立に囲まれた石畳の小径を離れに向かう。広々とした緑の中にポツン、ポツンと点在していた。

離れは二階建て、玄関を入るとそこは二階部分であった。二階は、和室が二部屋。居室と寝室になっている。その他、内風呂とトイレ。眺望は木立が見えるのみであまり良くない。

階段を下りると一階部分。和室が二部屋とトイレ、食事をする場所である。坂を利用して作られた離れ、その谷側に一階部分の庭がひろがっている。座敷からの庭の眺めが素晴らしい。小さな池がありその中に、滝が作られている。静寂の中に、滝の音、ひぐらし、つくつくほうし、アブラゼミなどの蝉の声がなんともいえない雰囲気を醸し出している。夫婦二人には広すぎるくらいの贅沢さであった。

一階から別の出入り口があり、渡り廊下に出ることができる。なんと半地下の渡り廊下がすべての建物を結んでいたのである。ここを通って大浴場へ行く。


(応対)
部屋係はうら若い女性であった。物腰は固くマニュアルを精一杯こなしている感じも伺えたが、一生懸命頑張っている姿は好感が持てた。誰しも初心者の頃はあるものだ。和服姿がとても似合っており経験をつめば良い仲居さんになるだろう。私個人としては、若い女性の方がテンポが合う。仕事上若い女性達に囲まれているせいもあるかもしれない。仲居という職業、朝早くから、また夜遅く変則的な勤務である。家庭に問題は生じないだろうか。そんなことを考えると結婚前の若い女性のほうが余計な心配をせずに済む。


(風呂)
大浴場は東西にある。私が訪れた日は客が少なかったようで西のみの使用であった。露天風呂は小振りである。14室に二カ所の大浴場、不必要に大きくすることはないが露天風呂に開放感がないのは残念であった。バスタオルは薄っぺらで高級感に乏しかったが、却って、心おきなく何枚も使え、むしろ合理的なのかもしれない。

内風呂は檜作り、温泉でなく沸かし湯とのこと。滞在中、お湯を流しっぱなしにできないところは残念であった。


(料理)
典型的な会席料理。「だし」加減が素晴らしかった。

私は「八寸」に料理の熱意を感じるがここの「八寸」は大変満足のいくものであった。リキが入っている。

「果物」も、その種類としては最高のものを使っている。上品な甘さが素晴らしい。

「 刺身」は平均的。やはりネタがものをいう世界か。

隣の川で獲れたという鮎の塩焼きは、小振りではあったが、やわらかさといい香りといい申し分なく頭もしっぽも美味しかった。

酒「半水盧大吟醸」は少し塩辛く感じ、あとくちに不満が残った。

料理長の名前が 石原氏でなく佐々木氏となっていたのが少し気掛かり。

夕食の時間中、部屋のスピーカーから音量を抑えた琴の音が流れ、庭の、ひぐらしを中心とする蝉時雨と滝の音が絶妙のハーモニーを奏でていた。至福の時間であった。妻も素晴らしい庭を見ながら食べたいと、座る位置を変えたほどだった。二階で布団を敷く音は聞こえなかった。

朝食の味噌汁の味は絶品であった。温泉卵のだし汁も最高。とにかくここの「だし味」は感激だった。デザートのアスパラのプディングも素晴らしい。キャラメルのほのかな苦さと甘さの調和は絶品。

朝食時、二階の襖の開け閉めの音が気になった。布団の片づけであろう。客の眼のないところでの振る舞いにもっと心配りが必要かもしれない。

(寝具)
マットレスと綿の敷布団の二枚重ね。「ふかふか」ではある、しかし腰が沈み込む感じが不満。ウレタン系マットレスの宿命。腰痛症の持病のある客にとっては却って辛いかもしれない。敢えて「ふかふか」にしない名旅館もあるが、こんなところに意図があるのだろうか。

しかし高級ホテルのベッドには敵わない。今後、旅館の寝具の問題点として論議されていくことだろう。ベッドがトレンドになりつつあるのも頷ける。

忙しい日常から離れ、非日常の空間を願うものにとって最高の旅館ではなかろうか。
夢のような一夜であった。違う季節にまた行きたいものだ。
http://abitaro.com/hanzuiryo/hanzuiryo.htm

半水盧再訪 2005年10月中旬訪問

今回も長崎空港からレンタカーの旅であった。時間に余裕があったので島原の町や普賢岳溶岩ドームを見ながら東側からの山道を登った。鬱陶しい山道に関して言えば、地図のうえからは距離にさほど差はないような感じであったが、実際走ってみると曲がりくねった山道がとても長く感じた。小浜からの道の方がずっと楽である。

雲仙の温泉街を抜けると、特徴ある太鼓塀が見えてきた。
長屋門の前に車を止めると前回同様音もなく開いた。本館玄関前には女将が待ち受けていた。

フロントにはスーツ姿の男性と洋服の女性スタッフがいた。ここで宿帳を記入している間に男性スタッフが荷物を離れに運んでくれた。じきに和服の女性が現れ、離れまで案内してくれたが紅葉はまだまだであった。

離れに着くと、お茶と和菓子がでた。この女性が部屋係であった。

離れは「水仙」。 前回の「弥生」と基本的な部屋の造りは同じである。 1棟を2客室に分け、それぞれ平入り玄関と妻入り玄関としていて出入り口の距離をとり、妻入り玄関の客室の多くを和洋室としているようである。「水仙」は飾井戸のある二階玄関が特長的であった。

二階は、8畳の次の間と三点セットの置いてある広縁、夜に寝室となる10畳の座敷、檜造りの部屋風呂と立派なトイレからなる。窓からの眺望はまずまずである。

階段を降りると、渡り廊下に出ることができる一階の玄関スペース、8畳ほどの次の間と、食事をする場所となる13畳の座敷がある。一階の部屋の造りは素晴らしい。 しかし庭の眺めは塀の向こうが湯殿となっているせいか狭く、出来が良いとは言えない。

一階にもトイレがある。

(応対)
男性のフロントスタッフはとても親切で丁寧な応対であり好感が持てるが、女性スタッフはまだ若く、やや事務的であった。もう少し笑顔が欲しい。部屋係の女性は前回の時より年齢が上がっており、とても良い応対であった。廊下ですれちがった他の部屋係の女性も笑顔が素晴らしくとても親切な受け答えをしてくれた。

印象的であったのは女将の奮闘振りであった。フロントに常駐してすべての到着客を出迎え宿帳記入の間相手をし、そして夕食時部屋に挨拶に来て、最後はチェックアウトの時にフロントですべての宿泊客に挨拶をしていた。


(湯殿)
東西あるが、今回両方を制覇した。 お湯は硫黄泉で濁り湯である。加水しているが、かけ流しであり湯量はとても豊富であった。硫黄の匂いは温泉気分を満喫させてくれる。

 

屋内湯殿に関して東西それほどの違いはなかったが、露天風呂に関しては大きな差があった。「西の湯」のほうが広々としていて気持ちがよい。「西の湯」がお勧めである。 

脱衣所には東西とも、サウナの後にと自然塩と冷水のセットが置いてあった。


(夕食)
前回よりも少しばかり味にばらつきを感じたが相変わらず出汁の味は素晴らしい。
しゃぶしゃぶ風に食べる名残鱧、残念ながら旬を過ぎていた。文字通り名残りであった。
新鮮な刺身は塩と酢橘だけで食べてもとても美味しい。
かます寿司は口当たりが絶妙、八寸は吉兆風で、見るからに芸術的である。
出汁が良いので、炊合わせも絶品。湯葉も本当に美味しかった。

もう一つ残念なことには果物の甘さが今ひとつであったことだ。果物の出来がよくないと画竜点睛を欠く。
全体的には相変わらず素晴らしい夕食であった。


(寝具)
超豪華な寝具である。今まで経験した宿のなかでは、「俵屋」・「あさば」・「強羅花壇」と並ぶ。今回はリネンの素晴らしさも相まって比類なき寝心地を与えてくれた。肌触りの良い極上のカバーやシーツは幸せを与えてくれる。

(部屋風呂)
立派な風呂なのだが沸かし湯とのこと、それから東西の湯殿が使えたので、結局未使用であった。


(朝食)
本当に美味しい朝食であった。今まで経験したなかでは前回ともども最高の朝食である。

まずアオサの味噌汁は絶品、烏賊の塩辛と山葵の相性も驚愕、明太子も極上の味、温泉玉子や饂飩の出汁も最高、サラダのドレッシングも絶妙な味わい、デザートのアングレーズソースも申し分なかった。しかし最後のコーヒーがいまいちであったのは愛嬌か。



(感想)
二年ぶりの訪れでしたが、やはり素晴らしい宿でした。
バブル真最中に建てられた部屋は細かな所まで意匠が施されています。

今後、これほどの宿を作るということは到底不可能なことではないかとすら思ってしまいます。ハードでは文句なしに日本一ではないでしょうか。

しかしソフトに関しては細かな点で「??」と感ずるところもありました。
湯殿の風呂桶と椅子がプラスチック製であったこと。浴室に響く檜の風呂桶の音は旅情を高めてくれます。
夕食時、日本酒が瓶のまま出てきたこと。少しでも気の利いた割烹なら氷に浸したガラス容器に移し替えてくれるでしょう。

部屋の「お茶セット」の煎茶の品質が悪い。名旅館なら針のような茶葉を用意しておくべきです。
ダイレクトメールが極めて事務的、等々。

  雲仙という、地理的に不利な要素を抱えています。 長崎空港からのアクセスも不便です。路線バスでは二時間半以上かかってしまいます。一日1往復しかない直行バスが、せめて2〜3往復あれば良いのですが。契約タクシーもあるそうですが三人以上になれば長時間は窮屈です。

このような不便さを押してリピーターは来ます。こういったリピーターを満足させるためには、もっともっと神経を尖らせている必要があるのではないでしょうか。 こういったことが克服できた時には、文字通り 「日本一の旅館」 になれると確信しています。
http://abitaro.com/hanzuiryo2/hanzuiryo2.htm


雲仙半水盧 2005.11.16

紅葉はまだでした。

瓶のままでは興醒めです。

吉兆風です。
土瓶むし
しゃぶしゃぶ風に食べる名残鱧、残念ながら旬を過ぎていました。文字通り名残りでした。

新鮮な刺身は塩と酢橘だけで食べてもとても美味しい。
かます寿司は口当たりが絶妙。
八寸は吉兆風で、見るからに芸術的です。
出汁が良いので、炊合わせも絶品。
湯葉も本当に美味しかった。
残念なことに果物の甘さが今ひとつでした。果物の出来がよくないと画竜点睛を欠きます。

http://puiko2000.blog27.fc2.com/blog-category-134.html


雲仙 半水盧再訪 2007.11.05

今回は紅葉が綺麗でした。
酒は「しずく酒、大吟醸」島原の地酒です。やや辛口ですが、すっきりと爽やかな味でした。

以前は、四合瓶をそのまま置いていくような無粋な応対でしたが、よほど顰蹙を買ったのでしょうか、素敵な切子の酒器を用意してくれました。

鯛の鱗煎餅、初めて食べましたがとても美味しいものでした。
家喜なます、柿と胡麻風味の白和えのマッチングは絶品。
碗物も素晴らしい。
その後も充分楽しめる夕食でした。

吉兆風の八寸です。この盛り方も吉兆風。

果物は以前のような唸るほどの素晴らしさではありませんでした。

以前に比べて気になったのは、吉兆風の煌びやかといえるほどのメリハリの利いた醤油味やつゆ味ではなかったことです。どちらかといえば地味な味となっていました。山葵も香りに欠けていました。

わかりにくいところからコストカットが始まっているのでしょうか。
http://puiko2000.blog27.fc2.com/blog-category-132.html

sakuraさん [ 08/05/17 14:49 ]
広すぎて使い勝手が悪いです。仲居さんも新米さんなのか、悪くはないけど普通。お風呂も平凡。施設やパブリックスペースも充実しておらず誰も使っていないので電気もついていない。

食事はおいしかったが前日たべたお造りやイカ刺しのほうがはるかに鮮度が良かったので特に良いという風には感じられなかったです。

一度はいってみたい宿だったので期待が大きすぎたのでしょうか、値段の割にはいまいちでした。もっと安くてもいい宿はいっぱいあります!5人以上でいかないとコストパフーマンスが悪いですね。
http://ryokan-gp.com/srk/746-263


“部屋・設備は最高、温泉普通、料理は残念な高級旅館”2012/03/10に投稿

ほかの方が、設備について説明されているので、温泉の質とお料理に絞ってレビューさせていただきます。
まずは温泉ですが、雲仙の他の旅館と比して平均的です。可もなく不可もなく。設備は最上ですので、少々見劣りしてしまいますね。泉質を求めるのであればお勧めできません。

そしてお料理です。こちらは某京都の有名3つ星料亭から料理人を雇っていることで有名で、先代料理長は独立して自ら3つ星料亭を開業したほどの方だったと伺い、大変期待しておりました。が、結果から言って期待はずれです。

お食事は客室1階の広間にて贅沢に部屋食。庭の風景も風流で、2名いた仲居さんの気遣いも実に行き届いておりました。しかし、お料理がいけない。素材の味を殺すような味付け(カレー鍋は無いでしょう?)もあれば、季節感を無視した料理、京都の瓢亭を形ばかりまねた、ただのゆで卵(何か特別な卵でもないらしい)とさんざんです。

実に残念。料理さえ最高なら・・・。

2011年8月に訪問(体験)、家族で行きました。

http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g1022852-d1106104-Reviews-Hanzuiryo-Unzen_Nagasaki_Prefecture_Kyushu_Okinawa.html


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Re: はじめまして。 - 北斗七星 2009/07/30 (Thu) 16:39:00

「雲仙観光ホテル」→「半水慮」

は、雲仙に行った時の私達のお決まりのコースなのです。(といっても3回だけですが)


まず、半水慮のお得なコースですが、部屋の価格帯は2パターンしかありませんので施設的には全然問題ないと思います。
問題の食事ですが、「半水慮」なら、どんなグレードの料理(たとえ昼食程度)でも、美味しいのは間違いありません。
ぜひ、そのコースで楽しんできてください。
ただし、大浴場等のお風呂はイマイチに思います。

また、「雲仙観光ホテル」ですが、私達の大好きなクラシックホテルの一つです。戦前の面影をそのままに残す赤い屋根のロッジ風のホテルは本当に素敵です。昨今流行の外資系の豪華なホテルと較べると居住性や設備など較べものになりませんが、ここには、なんとも言えない心休まる空間、優しい応対、ロマンティックでアンティークな空気が漂っています。

雲仙観光ホテル
http://www.unzenkankohotel.com/
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen005848/1.htm
http://r.tabelog.com/nagasaki/A4203/A420301/42004657/


逆に雲仙宮崎旅館は「半水慮」と同系列とは思えない料理と対応でした。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3490281


Re: 旅館選び(長文です) - あびたろう 2010/05/19 (Wed) 21:31:47

湯布院御三家ですが、そのうち「亀の井別荘」の料理は少し変わっていると思います。好みに当たり外れが大きいでしょう。

「玉の湯」の料理は、懐石料理を期待すると裏切られます。湯布院周辺の契約農家で栽培された素晴らしい野菜や家禽類を使った滋味溢れるものです。「命のスープ」で知られる辰巳芳子女史の薫陶を受けた料理です。私は洋朝食で出たスープが忘れられません。

「無量塔」の料理については、私が泊った時は無粋な郷土料理という感じで好みではありませんでしたが、九州在住の料理の達人である先輩ブロガーから、「数年前から、無量塔の料理は洗練されてとても美味しくなったから、是非行くように」と勧められています。

ここに来られる諸先輩方では、MEIDONさんが、かつて「玉の湯」のリピーターであったように記憶していますし、北斗七星さんご夫婦は「無量塔」のリピーターだと思います。このように達人方がリピートされる宿ですので間違いないのでは・・・

九州で料理が素晴らしい宿は、なんといっても雲仙の「半水盧」です。かつて吉兆嵐山本店の料理長であった石原氏が料理長を勤め(現在は京都の円山公園にある「未在」のオーナー)それを引き継いだ佐々木料理長が健在なら、素晴らしい料理を堪能できるはずです。

あと料理でお勧めの宿は、湯河原ですが、中田料理長が健在なら「石葉」です。



Re: 旅館選び(長文です) - 北斗七星 2010/05/20 (Thu) 01:03:50

まろんさん、「あさば」は御満足されたようで良かったですね。
私も、どちらかというとリピートはしない方ですね〜
ただ、その中でも何軒かは毎年一度は訪れています。下記の4軒がそれです。


●すべてが究極のバランスで保たれている、宿の完成形と思える「あさば」

■贅沢な素材で美味しい料理を新しい工夫で作るとこうなるという「御宿かわせみ」

◆私たちが日本で一番美味しいと思ってるフレンチと日本一好きな「走り湯」に入浴できる「ヴィラ・デル・ソル(「蓬莱」別館)

★究極の癒しの空間であり、訪れる度に「生きていて良かった」と感じさせてくれる「山荘 無量塔」


です。まあ、今回は西日本、特に九州・由布院を中心に感想を述べてみたいと思います。今まで、無量塔4回、玉の湯2回、亀の井別荘1回と一応、俗に言う「御三家」はすべて訪れています。 私が感じた【料理】における御三家の満足度は


亀の井別荘>山荘 無量塔=玉の湯

という感じです。私の印象ですが、

亀の井別荘は正統な懐石料理に一番近い気がします。量は多くもなく少なくもありません。

無量塔は、懐石料理と郷土料理をミックスした感じ。たしかに、あびたろうさんがおっしゃる通り、訪問する度に美味しくなってるような気がします。

玉の湯は、郷土料理を豪快に食べさせてくれます。メインやサブの料理をセレクトできたり、「もしお腹に余裕があれば、、、●●●をお持ちしますけど、いかがですか?」というようなサジェスチョンが何度かありました。大食漢の私がようやく完食できた量の多さで、女性にしては食いしん坊の妻は半分ぐらいしか食べれませんでした。それと、ここの欠点は、味が濃いので後半、飽きてくることと、食事をする場所が居酒屋のような畳敷きの広間で間仕切りもないので全てのグループの様子が全て丸見え状態なのが個人的に苦手ですね。落ち着いて食べれないし、たまたまでしょうが、料理が来る度に一眼デジで撮影するのを他のお客さんに笑われてチョット恥ずかしかったです。

なので正確に言うと


亀の井別荘>山荘 無量塔≧玉の湯、、、

でしょうか。

ただ、料理だけを考えるなら九州には、亀の井別荘など足元にも及ばない「半水慮」が長崎・雲仙にあります。料理で決めるならココしかないでしょう。

私たちが、無量塔を毎年訪れる理由は、

「研ぎ澄まされた審美眼を持つオーナーが予算を一切気にせず、自分の美意識を追及するためにお金を無尽蔵に注ぎこむと、こういう空間が生まれるのか〜」

と言った感じでしょうか。デザイン、音楽、ダンス、アート等に通じ、芸術に近しい環境で育った妻の言葉を借りるならば、「目に心地良いものばかり集められたユートピアのような場所」だそうです。^^
また、無量塔の場合、部屋によって、まるでコンセプト(というか空気?)が違ってきます。


宿の機能やセンスは気にせずとにかく美味しい最高の料理をと言う事なら「半水慮」

料理だけでなく、宿としてのバランスも求めるなら「亀の井別荘」の【離れ】が良いのではないかと思います。

まあ、紹介した4軒のどこに行っても、きっと大まかな部分で満足できると思います。


Re: 旅館選び(長文です) - まろん 2010/05/20 (Thu) 16:46:02

「半水慮」いいですね、お料理すばらしいです。

玉の湯のお食事処の件ですが検索してみるとお部屋食できるのではないでしょうか。お料理がよくても書かれているような中でいただくんでしたら論外です、絶対部屋食希望です。

無量塔は他の書き込みで洗練されたとはいえない普通の料理、、、とか多かったですし、失礼ですがブログの写真だけ見てもよくあるどこでもいただけるような無粋な和食かなって感じています。これは亀の井にはより感じています。まあ食べてもいないので見た目だけですが、、。全体的にもコストパフォーマンスが悪く高すぎるのでは??というご意見も多いようです。

ただお料理以外は御三家では一番泊まってみたい宿だと感じています。お部屋のオススメベスト3教えてください。

お菓子作りも趣味なのでPロール食べてみたいです。もし他に泊まっても単品で食べに行く事は可能ですか?
おいしいですか?

主人とゆっくり相談できていないので変わるかもしれませんが今のところ無量塔と玉の湯で検討しつつ他地方も見ている
感じです。


Re: 旅館選び(長文です) - 北斗七星 2010/05/21 (Fri) 00:54:04

【半水慮】私たちは一度だけしか訪問した事はありませんが、その時の料理は絶品でした。私たちも日本全国あちこち食べてきましたが、本格懐石の中では一番だと感じました。

また、従業員教育も素晴らしく出過ぎず、それでいて気配りはしっかりと…という私たち好みの応対でした。部屋は一泊一人10万円の特別室に宿泊したため、あまり参考にはなりませんので、あびたろうさんの訪問記をご覧になると良いでしょう。

特別室の印象は専用の門をくぐり、玄関まで庭園があり建物中に部屋が驚くほど沢山あり、小さな旅館を丸ごと貸切った、、、といえば想像いただけるでしょうか?客室露天風呂も小さな旅館の大浴場並みの大きさがあります。笑ったのは、同じ客室にいながら妻とはぐれてしまい、お互い携帯電話で

「今、庭が見える和室にいるんだけど、そっちは?」
「こっちも和室だけ灯篭は見える?」
「見えない。じゃあリビングの向うにある方の和室かな?屏風ある?」

なんて、迷子になってしまいました。施設は典型的なバブル期に建てられたものでゴージャスではありますがセンスは感じられませんでした。また、女将の対応も慇懃無礼といった感じで少し不満でした。一番の欠点は大浴場が二つあるのに片方しか使わせないし、その大浴場自体も凡庸でがっかりしました。笑ったのは、HPの特別室の紹介に

「洋室に置かれたバカラの調度の輝きに異国を想い、、、」

としきりにバカラを謳い、実際、この文面を読んで、バカラと仕事上の関係があった妻が、この部屋「椿」を希望したいきさつもあり、かなり楽しみに訪問したのですが、洋室(リビング)はおろか、広い部屋中どこを探しても「バカラがないっ!」。夕食の時に食前酒でも入って出てくるのか?と思い夕食時にそれらしいグラスが出てきたので「こちらはバカラですか?」と訊ねたところ「いいえ、違いますよ。似てるでしょ?よく間違われるんですよね〜」と客室係。ついに妻が

「HPに客室にバカラを飾ってると書いてあったんですが見つからないんですけど、、、」

すると、「バカラはロビーの棚に飾られていますのでご自由に鑑賞して下さいと…」。

妻は「それならHPにあんな事書かなきゃいいのに」とかなり立腹してました。そもそも、バカラは芸術品ではなく普段使いの食器を多く作っており、値段もそれほど高くもないのに、ケチケチしてロビーの鍵付の棚に入れるほどのものでもないと思うのですが。

まあでも、料理はとにかく最高に美味しかったですよ。^^あと一般客室はすべてメゾネットタイプです。私たちはメゾネットが嫌いなので(どちらかの階が死に部屋になってしまう)特別室にせざるを得なかったというのもあります。


【玉の湯】の食事の件ですが、あびたろうさんの訪問記を見たら、部屋食もできるようですね。

無量塔の場合はできれば食事処で食べて下さい。古民家を移築した母屋にあり、中央での高さ10mはあろうかという天井までの空間は圧巻です (白川郷をイメージしてください) 。もちろん完全個室でのんびり食事を楽しめますし、なにしろ部屋食では味わえない、まさに「出来立て」の状態で料理が湯気を上げて、または冷気を発しながら運ばれてくるのは何よりの贅沢です。

また、朝食の御飯はこの食事処の中央の空間の火の入った竈でひと組ごと炊き上げています。正直、焦げなどもあり、普通に炊いた方が美味しいですが(爆)、たまにはこういう香ばしい御飯も食欲をそそります。(特に朝) 

あ、それと、無量塔の朝食は和朝食と洋朝食をセレクトできますが、「洋」は厳禁です!(爆)。
たぶん、後悔すると思いますのでご注意を。

蛇足ですが、私と妻が議論して(笑)決定した人気の旅館の食事だけに注目して10点満点で評価したものです。(有名旅館だけの中での評価なので、かなり厳しく採点しています。「1」が普通の宿の普通の食事と考えて下さい)

【北斗七星夫婦のお食事ランキング】

10:旅亭半水慮、御宿かわせみ
 9:あさば、蓬莱
 8:亀の井別荘、俵屋 
 7:無量塔、庭園の宿石庭、華の宿ふくや、つつじ亭、あかん鶴雅別館鄙の座
 6:玉の湯、山のホテル夢想園、八ツ三館、渓流荘しおり絵、仙郷楼、匠の宿佳松、熱海荘、三余庵
 5:山みず木、岩の湯
 4:しょうげつ、谷川の湯あせび野
 3:竹ふえ、大観荘、別邸仙寿庵、大丸温泉旅館、温泉山荘だいこんの花、滝乃屋
 2:山河、槍見館、強羅花壇
 1:長寿館、鶴の湯温泉


【無量塔のコストパフォーマンス】ですが・・・

たしかに、まろんさんがおっしゃるように、玉の湯や亀の井の部屋に泊まって、あの料理、、、ということであればコスパは高いかもしれませんが、無量塔の一番の魅力は、その施設、さらに言えば「その空間」、もっと言えば「その世界」だと思っています。

お二人の旅が、一般的な旅の場合、

(チェックインして、部屋に案内され、大浴場で入浴後、館内をブラブラし、浴衣で温泉街(由布院で言えば「湯の坪街道」)を散策し、洋服に着替えて観光地(由布院で言えば「由布岳」「金鱗湖」)を訪れ、宿に戻り食事の前にひとっ風呂・・・)

そういった利用には、ハッキリ言って無量塔は全く向いていません。なので、まろんさんの旅が、そういった内容なら、まず一番初めに候補から外すのは間違いなく「山荘 無量塔」です。ココだけは行かないで下さい(笑)。行けば失望し散財を悔いることになると思います。^^;

また、まろんさんの旅が、予定も決めず、のんびりユッタリ、誰にも邪魔されず美空間に包まれて非日常感を楽しみたいのであれば、無量塔以外にオススメする宿はありません。(料理は別として)

無量塔には大浴場がありませんが、各部屋にすばらしい大きな客室風呂(ほとんどが内風呂ですが)があります。宿の施設では日本一と言われる素晴らしいバーがあります。しかも、このバーは、かつて大人気でいつも満員だったのですが、宿泊客が入れないため、今では外来者は受け付けてなく、今では信じられないくらいガラガラでのんびり宿泊者が過ごせるようになっています。

こういった姿勢を見ても、金儲けに走る事無く、宿泊者に対する特別な思いが伝わってきます。他の御三家に較べると(亀の井の場合は門の中には宿泊者しか入れないというのがありますが)、宿泊者の特権のようなものがすごく感じられ、なおさら居心地の良い空間になるのではないのでしょうか?

よく、「無量塔ワールド」と言われますが、その理由は、宿周辺に、系列の美術館、イタリアンレストラン、チョコレートショップ、蕎麦屋等の施設が集まってるからというのあるでしょうか、私は、無量塔が、通常の宿と一緒に括れない「空間」あるいは「世界観」を持っているからではないかと思っています。

私の中で、「世界観」を感じる宿は、無量塔の他には「あさば」と「俵屋」だけです。

最後にご質問にお答えしますね。
【お部屋のオススメベスト3教えてください。】

これは難しいですね〜^^;

無量塔の全12室(棟)はどれ一つ、同じタイプのモノがありませんが、雰囲気で分類すると6つぐらいに分けられるでしょうか。私たちも、まだ4部屋しか泊まってませんが、宿の御厚意で全ての部屋を拝見させていただきましたので、質問にはお答えできると思います。

今まで泊まった4つの部屋(「汲」「昭和の別荘」「籐」「東」)は厳選に厳選を重ねて選んだものなので、やはりオススメはこの4つの部屋に「明治の別荘」を加えた5つではないでしょうか?
部屋に何を求めるかによって、選び方が全く違ってくると思います。


【籐(とう)】
私たち夫婦の中では、「籐」がこの中では一段落ちる印象です。無量塔を代表する部屋と言われていたせいもあり、かなり期待して訪れました。なるほど、素晴らしい部屋ではあるのですが、期待が大きかったせいか、移築した豪農の古民家の雰囲気は良いのですが、同じようなタイプの利用しそうもない部屋が何部屋もあり、広過ぎてなんとなく落ち着かず居場所がない感じがしました。寝室はツインベッドです。(ここは部屋食で)また、無量塔の4つの価格帯の中でも最上位(全込7万円/人)と言う事もあり、コスパ的には正直「ん?」という感じでした。初めて来た方が、この部屋をチョイスした場合、きっと「無量塔って高い」という印象を持たれるのではないでしょうか?


【明治の別荘】
とにかく広いです。そしてボロくて暗いです。多分、この先、こんな(良い意味で)非常識な部屋に泊まる事は一生ないのではないでしょうか?寝室はツインベッドです。 私たちも、まだ、泊まっていないので、このくらいにしておきますが、楽しみに最後に残している部屋です。この部屋は母屋の食事処「柴扉洞」で食べれます。ここも無量塔の4つの価格帯の最上位(全込7万円/人)ですが、ここはひと棟全部使えて驚異的な広さなのでコスパは悪くないと思います。

【汲(きゅう)】
お金を掛けたデザイナーズ風の部屋で、和と洋を巧みに組み合わせた、ある意味、一番、無量塔らしくない部屋でしょう。洗練された一流リゾート感覚のデザインは圧巻で、数々のサプライズがありました。客室の風呂は半露天でテラスにはオシャレなチェアも備えてあります。イメージ的には「彼女を連れてくればイチコロ」と言った感じでしょうか?(笑)部屋は広過ぎずちょうど良い感じで、まろんさんのように海外の旅が多い方には向いているかもしれません。もちろんツインベッドですが、こちらは部屋食になります。無量塔の4つの価格帯のうち下から2番目(税込5万5千円/人)なのでコスパは素晴らしいと思います。

【昭和の別荘】
ここは、大好きな部屋(棟)の一つです。一言で「懐かしいおばあちゃんの家」と言った感じで、なんとも居心地が良い空間です。寝室はツインベッドルームです。客室風呂は子供の頃を思い出す古いタイル貼りでお湯から出たくなくなりました。また、クラシックホテル風のリビングや、本格的な茶室なども備えてあり、楽しく気持ちよく過ごせること請け合いです。古さを演出するのではなく、本当に古いものを集めて作った贅沢な古さです。ここも母屋の食事処「柴扉洞」で食べれます。古い部屋が嫌いでなければ、この部屋もオススメです。無量塔の4つの価格帯のうち下から2番目(税込5万5千円/人)なのでコスパは素晴らしいと思います。

【東(ひがし)】
オーナーの藤林氏が気に入ってしまい、しばらく自分の部屋として居住していたという話を支配人から聞き、ぜひとも泊まってみたいと思い、今年泊まってきました。結果は大正解&大満足でした。

広さは無量塔の中では狭い方の部類ですが、それでもツインベッドの寝室、切り妻式の高天井のリビング、コタツのある和室、長〜い月見縁台、そして短い渡り廊下を渡って別棟に浴室棟とかなりの広さで、また畳敷きのリビングは切り妻式屋根の建築のため非常に高い天井で解放感満点。二人にとってまさに絶妙の居住空間でした。また、サプライズは清潔で新しい浴室棟。オシャレな脱衣所から浴室を見ると湯船もまずまずの広さ。入ってみると湯加減もバッチリ。しばらく入って気持ちよくなったところで半透明の窓を開けてみてビックリ。そこは板張りのテラスと露天風呂が!要するに浴室は窓で仕切られており、湯船は外と繋がっている(説明下手ですみません)構造に思わず唸ってしまいました。

しかもこれで値段は、無量塔の4つの価格帯の最下位(全込4万8千円/人)とコスパは超満足。私たちの中では一番評価の高い部屋です。嬉しい事にこの部屋は母屋の食事処「柴扉洞」で食べれます。しかも別棟の中では母屋まで一番近いです。


目的・好みによって部屋の選び方はガラリと変わってくると思いますが、少しは参考になりましたでしょうか?
ちなみに、私たちの中でのベスト5は

@ 「東(ひがし)」
A 「汲(きゅう)」(次点:同タイプ「暁(ぎょう)」)
B 「昭和の別荘」
C 「明治の別荘」
D 「籐(とう)」(次点:どうタイプ「吉(きち)」)


次点・・・狭いけど「楽(らく)」も良い部屋です


【Pロールについて】
Pロールは、無量塔に泊まる以前、由布院の中心地にある「B-speak」で30分待ちして途中で断念した事があります。その後も、いつ行っても行列。時間をずらして行き、「おお!並んでないぞー」と喜んで行くと売り切れ、、、の繰り返しでした。
ところが、無量塔に宿泊するようになって知ったのですが、前日に予約しておくと、チェックアウト時に持って帰れます。また、カットロールをTan’s Barでサービスのコーヒーと一緒に(Pロールは有料ですが)食べる事もできます。

私たちは、前日にお土産用にロールを数本、翌日チェックアウトしながら食べる用に、チョコとプレーンを1カットずつ予約しておき、Tan’s Barで半分ずつ食べながらチェックアウトの手続きをするのが慣習になっています。これって最高に贅沢だと思いませんか?^^
こういう面にも、無量塔の宿泊客に対する「特別の思い」を感じさせられますし、宿泊客側からすると「無量塔に宿泊する優越感・満足感」を感じてしまいます。

ちなみに、Pロールの味ですが・・・・
失神するぐらい美味しいです!(チョコもプレーンも美味しいが、強いて言えばプレーンが究極です)



Re: 旅館選び(長文です) - MEIDON 2010/05/21 (Fri) 05:04:12

「玉の湯」についてコメントさせていただきます。食事の場所ですが、お部屋か食事処の葡萄屋になります。旅行会社などでお部屋を予約した場合には、その宿泊プランに記載されている食事場所に限定されてしまいます。直接予約の場合には、選択できます。ただし、宿泊人数が4人以上の場合には部屋にもよるかもしれませんが葡萄屋に限定されてしまいます。

 朝食も選択できますよ。ただし、朝食を部屋食で希望する場合には朝9時以降になってしまいます。

 皆さんが指摘されている食事の量ですが、最近はそれほど多くはないです。でも、すべてを食べきることは私には無理ですが、以前のようにメインの前にお腹がいっぱいになることはなくなりました。

 「Pロール」ですが、電話予約すれば確実に買えます。5日前から予約可能です。


Re: 旅館選び(長文です) - 北斗七星 2010/05/21 (Fri) 07:44:08

玉の湯の食事ですが、2回とも個人の旅行で行ったのですが、食事の場所は聞かれず「夕食は葡萄屋になります」とだけ言われたもので、すっかり皆さんそうだとばかり思い込んでしまってました。すみません。


それと食事の量ですが、私がやっと完食、妻が半分しか、、、と書いたのは。

「●●●もありますけど、食べれますか?」と聞かれた3度とも「食べます!」と言った結果での話で、「いえ十分です」と言ってれば、ちょうど良い量だったかもしれませんね。ちなみに、私たちが行ったのは去年の春だったのですが、もしかしたら、その後、量が少なくなったのかな?(私は多い分には一向に構わないのですが・・・爆)

ただ、あのクラスの宿にしては食事処がお粗末だったのと、ちょっと私たちには味が濃すぎた点で、皆さんほど美味しかったという印象がないのですよ。(妻はスッポン鍋は美味しかったと言ってました)。

朝食は部屋のテラスで食べましたが、これはすごく美味しかった!
天気も良かったので風に吹かれながら食べる洋朝食(洋朝食は、あびたろうさんオススメでしたね)は最高でした。ただ、妻は、朝食のジュースがニンジンジュースしか選べないのに文句を言っていました。オレンジジュースしかなくて選べないなら文句はないのですが、好き嫌いの分かれるニンジンジュースで他に選べないのは納得がいかないと、、、言われてみるとたしかにそうですよね。

その点、亀の井別荘は、夕食も朝食(朝食は玉の湯の勝ち)も非常に丁寧に作られていて、玉の湯の客室内風呂も良かったですが、亀の井のはそれ以上に広く明るく、内風呂なのに解放感いっぱいでした。大浴場も、玉の湯も悪くないですが普通っぽくて、亀の井の方が素敵でした。また、談話(読書)室の建物の外窓ガラスに由布岳が反射するように設計されている美意識に思わず「アッ!」と叫んでしまいました。


Re: 旅館選び(長文です) - MEIDON 2010/05/21 (Fri) 11:42:33

 私もコメントを一部訂正しなければなりません。「玉の湯」の食事場所はいつも選択できると思ってました。その日の状況によっては選択できないとは知りませんでした。確実なのは前もって部屋食希望と伝えたほうがよいようですね。

 夕食の量ですが、支配人が変わって代替わりしてからは減ってきたように思います。昨年の春だとすでに量は少なくなっていた時期だと思います。先代(現在は会長)のころは、ものすごい量でした。

 また味付けですが、全国区の宿ですが、味は九州の味付けになるようです。例えば、煮物などは甘じょっぱいのは九州特有のもの。煮物が選択になったのも、この味の好き嫌いが別れるようなのでと聞いたことがあります。

 今はありませんが、以前は最後におそばが出てきました。こちらのそばつゆも甘めで好みがかなり別れたようで、メニューから消えてしまったようです。

Re: 旅館選び(長文です) - まろん 2010/05/21 (Fri) 12:46:06


今ふとオススメの旅館の空きを検索してみましたところ各旅館とも希望日は満室です。
無量塔もお書きいただいているお部屋は全て満室。。。
半年前くらいから予約しないとだめのようですね。


Re: 旅館選び(長文です) - 北斗七星 2010/05/21 (Fri) 13:55:58

上に名前が出ている宿は、各人の好みが分かれるだけで、どれも超一流の宿ばかりですので、最終的には、どこに泊まっても間違いはないと思いますよ♪^^

たしか、亀の井別荘でソバが出ましたよ。とても美味しかったです。

なんでも、昔、観光開発で由布院の土地が大々的にゴルフコースを作るために買われそうになったのを、現当主の中谷健太郎氏が阻止するために買い占めて、とりあえず蕎麦でも作ろうかと蕎麦畑にしたそうです。
感じの良い仲居さんから、そんな話を聞きながら食べ、いっそう美味しく感じられたのを覚えています。

無量塔ワールドの「不生庵」も非常に美味しかったですし
基本的に由布院は、蕎麦が美味しい土地なのでしょうかね?
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3991704

九州へ - hana39 2012/04/10 (Tue) 17:44:25

6月に2泊で夫婦で九州へと計画中です。
雰囲気やおもてなしももちろん大切なんですが とにかくお料理がおいしいと評判のところに宿泊したいと思っております。主人はお魚派、私はお肉がどちらかというと好みです。

観光地でもオススメや私がスイーツ好きなので和洋菓子、パンなどもオススメありましたら教えて下さい。


Re: 九州へ - あびたろう 2012/04/10 (Tue) 22:12:25


>とにかくお料理がおいしいと評判のところ

これは、雲仙の「半水盧」がダントツです。京都吉兆の流れを汲む味です。
最後に訪れてから4年半経ちますが、当時の味がそのまま保たれていれば、私が経験した日本の宿の中でベスト5に入ります。
http://abitaro.com/hanzuiryo2/hanzuiryo2.htm
http://abitaro.com/unzenkouyou/unzenkouyou.htm


それ以外に料理の美味しい宿は思いつきません。


Re: 九州へ - MEIDON 2012/04/11 (Wed) 09:22:40

 呼ばれたので出てきました。本格的な懐石ならば、半水盧でベストですが、私は湯布院担当のようですね。

 お料理からなら御三家、草庵秋桜あたりでしょうか。お部屋の空き、旅行記などから選ばれてみてはいかがでしょうか?一つに絞れなければ、翌日のランチでの食事のみの利用も可能ですよ。

 カジュアルになりますが、無量塔は別府湾サービスエリアにも出店していますので、こちらも参考にしてみてください。http://www.timehills.jp/


 定番になりますが、B-SPEAKのロールケーキ、まきのやの天然酵母パンあたりでしょうか?

 湯布院はどの宿もお肉がメインになってしまいます。お魚だと別府にも1泊されるとバランスがよいかもしれません。

潮騒の宿晴海
http://www.seikai.co.jp/

昨年宿泊しました。御三家のような雰囲気はありませんが、この夏も再訪の予定です。宿のスイーツも美味しかったです。

 レトロですが、友永パン屋
http://r.tabelog.com/oita/A4402/A440202/44000059/

はまってしまいました。元々、湯布院の玉の湯の売店で売っていたのが私の中では始まりでしたが、こちらもおすすめです。ご検討ください。



Re: 九州へ - 湯平 2012/04/12 (Thu) 21:42:14

「料理の美味しい宿」って、九州にかぎらず案外と少ないものです。
それでもきちんと修業した料理人がいる、定評のある宿としては、

由布院・玉の湯(地のものを使った素朴な料理が主。肉に関してはボリューム多い)

由布院・無量塔(創作系の和食。料理そのもののレベルは九州でもトップクラスだが、食べる人にとっては量が少なめかも)

なお由布院御三家のうち亀の井別荘は二つに比べるとやや落ちる印象があります。

長湯温泉・翡翠の庄(山女料理と生ハム、それに地の野菜など。地元の良い素材を使った田舎風の料理。豊後牛も出てきます)

安心院・やまさ旅館(すっぽんのフルコースがメインです。すっぽん料理に関しては定評あります)

武雄温泉・扇家(創作系の懐石料理。魚も肉もバランスよく出て来る)

妙見温泉・石原荘(正統的な懐石料理ですが、鮎のシーズンが特によいみたい)

霧島温泉・ふたり静(和洋をうまく組み合わせた創作系料理)

壱岐湯本温泉・海里村上(海鮮系の料理では九州でも指折りの宿)


といったところですか。

半水盧は経営母体が変わって結構経ちますので料理はどんなものでしょうか。
かつての半水盧の料理のファンの人たちは、今は元半水盧料理長のいる京都の未在に行っているようです。



Re: 九州へ - あびたろう 2012/04/13 (Fri) 00:29:49

湯平さんお薦めの無量塔へは何時か行きたいと思っているのですが、なかなか行けずにいます。
以前と変わったとされる料理を食べてみたいものです。また石原荘・ふたり静・海里村上などは一度行ってみたいと思っていた宿です。

半水盧も石原料理長から佐々木料理長に代わっても味は落ちていないと思うのですが、宿の方針でしょうか食材にコストの制限がかかっているような気がしてなりません。 漬け醤油や水菓子など、金にあかせてという感じが無くなったような気がしました。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5067264

「舌」の感覚というものは、人それぞれですね。たしかに「美味しい料理を出す旅館」は少ないですが、「名料亭」といわれる店でも美味しい料理を出す所は少ないと思います。

私が本当に美味しい料理を出す旅館だと思っているのは、

「半水盧」・「柊家」・「あさば」・「うち山」・「蓬莱」・「指月」です(でした)。

しかし「半水盧」は三回目の訪問時、醤油の味が落ちているのが気になりました。料理の本当に美味しいところは、醤油やあしらいも素晴らしいと思います。コストを切り詰めだしたのかな? と感じました。

「うち山」は料理長が「石葉」に移られました。近々、「石葉」へ追っかけをします(笑)

「蓬莱」は星野リゾートに買収されて、明らかに味が落ちました。

「指月」は、なぜか廃業してしまいました。

大好きな旅館が減っていき、悲しい限りです。

「美山荘」、二度目の訪問で、明らかに味が変わっていました。以前は、泥臭いというか郷土料理の味付けだったのが、京風の雅な味になっていました。美山荘常連の友人にそのことを話すと「四代目が板場に口出ししなくなったからだよ」と冗談めかして答えていましたが(笑)

「無量塔」の料理、管理人さんが好みだとは驚きです。「無量塔」の料理は、ここに書かれている和料理屋「喜泉」などと(イメージですが)対極にあるような料理だと思っていたので・・・
1月の「無量塔」訪問記に書かれているように、余程変わったのでしょうか?

某ブログやSNSで「かわせみ」料理談義がおこなわれていました。好きな人、重くて好みでないという人、本当に「人の好みはそれぞれ」ですね。だからこそ「ブログ」が面白いのでしょう。
Posted by: あびたろう | June 23, 2009 at 09:26 PM


無量塔の料理、あびたろうさんのページをみると2005年に訪れていますので、そのころとは芯は同じなのでしょうが、ずいぶんと異なる傾向の料理にはなってきています。私の料理の好みは、

「良い素材を用いて、妙な調味量で味を塗りつぶすようなことはせずに、的確な技術で調理し、素材を的確に組みわせて料理を作り、それにより素材そのものの良さをそれぞれ際立ちながら、さらに料理全体として調和がある」

というものです。けっこう難しい条件のようですが、探せばそういう料理店もあるもので、それらは旬ごとに通う店となっています。

無量塔も、「良い素材、良い技術」の料理ですが、以前は、「こんな美味い田舎料理もあるんだぞ」という感じの、剛球勝負みたいな、田舎風味付け、田舎風料理でした。たぶん、宿が、これも剛球勝負みたいな、重厚な田舎的建築物ばかりだったので、それにあわせたのでは。今は、近代的で優雅な部屋が4棟ほどあり、その部屋の雰囲気にあわせたような創作系料理となっています。あの部屋には、以前の田舎料理はどう考えてもあわない。じつは、今の系統の料理のほうが、料理長が愉しく自由自在に作っている雰囲気があり、料理長の目指す料理の方向にあると思います。

もしかしたら、あびたろうさんの美山荘での話のように、以前はオーナーが口を出していたけど、今は口をださなくなった、ということかもしれませんが。

「蓬莱」・「指月」、食事が美味しいことで有名な旅館で、一度は訪れたかったのですが、時の流れは無情です。とくに「指月」は誰もが誉めるので、ぜひともとは思っていたのですけど。まあ、「半水盧」の石原料理長が京都に店を出したように、「指月」の料理長も店を出してくれるという可能性もあろうので、それに期待するしかないですか。

旅館の経営は今はどこも大変でして、由布院を代表する老舗有名旅館も大手への経営譲渡の噂があります。私の好きな旅館は、なんとかこの厳しい時代を生き残ってほしいと願っております。
Posted by: 管理人 | June 25, 2009 at 01:00 AM
http://promontory.cocolog-nifty.com/promontory/2009/06/post-b6ff.html


雲仙より戻ってまいりました。 - BIANCO 2009/08/30 (Sun) 02:57:59

「雲仙観光ホテル」また、「半水盧」についても、あびたろうさんの訪問記で既に、十分と尽くされていると思いますので、少し、ご報告です。

観光ホテルについて。

「夏の味覚プラン」というのを選びましたら、お部屋は、2階の「ラグジャリーツイン」でした。
北斗七星さま、おまけのお部屋のお風呂は、さわりもしませんでした。(笑)

で、楽しみにしておりました夜のフレンチについて、最初に共された、デミタスでの冷製スープ(?)は、とっても美味しく、期待が広がったのですが、残念ながら、次のお皿から、ラストのデザートまで、盛り上がることなく終わってしまいました。

翌日、スタッフの方のお話によりますと、いつからと尋ねそびれたのですが、料理長さんが変られたとのことでした。新しい料理長さんは、長崎の方で、フレンチと日本と長崎の融合を意識されているとのことでした。感想としては、そこに、気持が入りすぎてたのかなと感じました。

少し不思議に思ったのは、テーブルに着かれていた方々の半数以上、7割近くの方が、和食を頂かれておられました。そんなことで、お食事は残念でしたが、スタッフの方達はみなさん、慇懃な様子もなく、いつも笑顔で穏やかで、真っすぐな、そしてぬかりのない対応がとても感じが良く、気持の良い滞在をさせて頂きました。


「半水盧」について。
お部屋は、あびたろうさんと同じ、「弥生」でした。少し、不思議な気がいたしましたよ。
あびたろうさん、ほんと、鮎、最高でした。今まで食した中で、一番だと思いました。
また、お食事をしながらの、お庭は、やはり、これもご馳走だと感じました。

空港からの送迎については、初日には、「雲仙観光ホテル」まで送って下さり、また、観光ホテルでは、「半水盧」さんの車で着いたことで、翌日には私達が、「半水盧」に宿泊することをドライバーさんから聞き及んだ様子で、当日には、観光ホテルさんが、「半水盧」までお送りしますと送って下さり、なかなか、温泉内での連携サービスが行き届いてるなと有り難く、感心もしました。


Re: 雲仙より戻ってまいりました。 - あびたろう 2009/08/30 (Sun) 10:22:51

雲仙観光ホテルの料理、そうですか。
お客の7割近くが和食を食べているということで、なんとなく雰囲気がわかりますね。

半水盧に関しては、あの凄い建物や庭の維持だけでも大変だと思います。
料理の質がすこしずつ変質しているのでは、とも危惧しています。
料理長によって変わってよい料理ではないので・・・
「半水盧の料理」を維持して欲しいものです。


Re: 雲仙より戻ってまいりました。 - BIANCO 2009/08/31 (Mon) 14:31:07


「半水盧」に関して、ご報告しなくてはと思っていたこと、うっかり忘れておりました。(汗)

★お風呂の、桶、椅子はプラスチックから、木に変わっており、あの独特な音を響かせてくれておりました。

★冷酒は、ビンのままではなく、酒瓶は、氷に埋められ、別途、切子の酒器に移し変えるべく用意されておりました。

★上階での布団の上げ下ろしの音は、一切、気になりませんでした。

★そして、地の利の悪さ克服のための、空港からの送迎サービス。


あびたろうさんが、気になられておられた、これらの問題点は、概ね改善されていたようです。もしかしたら、半水盧の何方かが、あびたろうさんのこの「訪問記」を熟読なされているのではと、ふと思ったりしてしまいました。(笑)

お料理については、
目に見えることとして、夜のフルーツは無かった記憶で、あびたろうさんの朝食の折のデザートが夜に出ており、朝は、デザートもフルーツも無かったように思います。コーヒーも出ておりません。
確かに美味しかった、アオサのお味噌汁は、朝ではなく、夜でした。

たわいのないことですね。削がれたものが、お得なプランによるものか、どうかは、わかりません。
個人的には、気になることでもなく、旅館でのお食事とすれば、総じて、やはり美味しかったと思います。

唯、何と言っても、私は、初めてでしたので、比較のしようもありませんが、あびたろうさんのレポートと写真の画像を見せて頂いた限りの、勝手な想像と推測だと、やはり、少し、変わっているのかもという気もいたします。何とか、あびたろうさんの危惧が、無用なものとなりますよう、私も願います。

補足として、「雲仙観光ホテル」さんが、特別にさるパン工房にオーダーしているという天然酵母のパンは、とっても美味しかったです。



Re: 雲仙より戻ってまいりました。 - あびたろう 2009/08/31 (Mon) 21:49:58


料理もコストカットを余儀なくされると、「つけ醤油」などの調味料や「あしらい」の質が落ちてくるようです。

それから、料理人の本当のこだわりは「フルーツ」にあると思っています。指月のフルーツも凄いものでした。女将は「千疋屋に出すものと同等品を使っている」と言っておられましたが、頷ける代物でした。

蓬莱は明らかに質が落ちていました。

この御時勢、経営も大変でしょう。きっと料理人も苦しい思いをしているのでは、と心配してしまいます。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3561380

             /        /  イf它メミー-       ヽ
            /        // {い辷彡ク―- 、 \     ヽ
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       !′      / l   ′| l|   l| |l  | |ト、  | l | l >      |
      !       /  川  l| |||」|   l|`T 7 ハT | l | | |       |
      {        〈  川  |l kヘ 八   | |/,,斗=ミk j | ! |       |
     \::      ヽノ川  |l_|孑テミ\ | l〃 弋ヅ゙} ' 从 |:      |\
       ヽ       \ノ|  lヘド _ゞソ   u  U / /| j:       |\ ヽー- 、
        ヽ        ヘ  l 八 U   、       / /l  |´      {  、  ̄ ヽヽ
         \       \{  ヽ     __   u イ l| |       | \ \ }ノ
           〉、:      〔_ト   ト   ` ̄  /┼ノ |        |   ヽ l\ ヽ
          / ヽ        |  |├]>  <_|/l/  ;        /   '.| ヽ ゛、
 .        / / l | 丶       |  |ノ└       /  ∧       { | l |、  }|
        / / ハ  ヽ      ' 〃        V  ′       / l || \ ノノ
       / / / 弋  \   l  ||        ノ  /  .:..     /j:i、   ノ人  ヽ
      ´ / /   / `7⌒ヽ/ | ノ|ー-      イ ;′.:´     ヽ{i:i:i:i:ト--<ハ  }
 .     /  イ \ー ‐=彡i:i:i:i:iノ |{ l    `ヽ   |l {           .\i:i:i:i:i:i:i:i:i:i:ト、
    / / 乂  >i:i:i:i/i:i/:i:i/  い  u      八 ゝ             i:i:i:i:i:i:i:ハi:i:ハ
    { {   イ:i:i:i:i:i:i/:i:i':i:i:/    \ \_ノ)        u         l:i:i:i:i:i:i:{:i:}i:i:i:ト、
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       {i:i:i/i:i:i/:i:i:i|:i:i:|        u                 ::c ;   |:i:i|i:}:i:l:i:i||:i:i:|/
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3. 京料理とは


杉浦
 こちら萬亀楼さんでは、有職料理をお客さんのご要望に応じておだしになっていますが、そもそも有職料理とはどのようなお料理ですか。

小西氏
 もともと、有職っちゅうのは、宮中のあらゆることを有職と呼んだんです。式典とかでどういうものを着て、どういう小道具を使って、どういう祭壇の作り方をして、というのを全部有職、と。そういう中で、それぞれの専門の仕事をしてきた家を司(つかさ)というんですが、有職司の中には桓武天皇から続いているのもある。うちは400年続いてきた。だから有職料理というのも、宮中か宮家で作られてきたのがすべてそう呼ばれてきたわけ。

杉浦
 有職料理は、平安時代からあったんでしょうか。

小西氏
 やってたんでしょう。そういう様式のことを有職言うんやから。節会とかで、こう絵巻物で書かれているから、そういうのがわかるだけ。ただ「有職」という名前がついたんは、平安時代からやない。後からつけただけ。

 いいですか、「宮中」いうのも実はなんぼでもあるんです。天皇家と、いわゆる近衛家とか、力あるのがみんな宮家を名乗ってたんやから。うちはその中の、八条宮から京極宮、有栖川宮と続くパターンを継承してるというわけや。ね。同じ宮中でも、うちの宮家はこういうふうにやります、うちはこうですと、それも同じ有職や。

杉浦
 その有職料理が「京料理」と呼ばれる料理の根底にあるのでしょうか。

小西氏
 京料理と一口に言いますけどその成り立ちはそんな簡単ではないんです。

鎌倉時代にやね、禅宗の影響で精進料理がでてきた。それと、足利末期に、フィリピン辺りからきたのを南蛮料理というた。堺とかに世界各国から来た料理が、いわゆるモダンなものとしてはいってきたわけです。これをとりいれて茶懐石が生まれた。で、最後が町方料理。これは京都の一般の人が食べるお惣菜やお万菜やね。
この五つが混合、ミックスするわけ、ある時期に。で、それぞれの料理屋が、扱う材料は大体同じやけど、味付けの仕方や盛り付けの仕方にそれぞれ特徴をだしよった。だから、京料理いうても、それぞれの店の京料理があるわけ。ひとつの店でパーフェクトとは言えない。だから京都の老舗の料理屋さんやったら、みんなルーツをもっとるわね。有職系やったらうちとか、茶懐石やったら辻留とか、柿伝、町方やったら中村楼、平八、美濃吉とかね。

そういうことで、京料理というのが枝を広げてきたわけやね。京都ではそういうルーツが的確にあるから老舗と言うんやね。大阪やったら百年続いたら老舗とかいうんやろうけど、京都じゃそんな、とんでもない(笑)。だから、店それぞれが同じようなもん使いながら、どこかちょっとずつ違うとこ出していったんが京料理。そこのうちの京料理、っちゅうわけやね。

だから、有職料理イコール京料理っちゅうわけではないんです。


杉浦
 京料理というと何かこう非常に洗練されたきれいなイメージがあるのですが、いかがでしょうか。

小西氏
 それはやね、とくに有職料理に限らず、都いうところは昔から全国の人が来るわけ。しかも秀でた人が来るわけでしょう。そうなってくると力のある人も来るからもてなしをせなあかん。で、もてなしをするということは、洗練されなあかんいうことや。様式でも何でも、泥臭い感覚じゃあかんということやね。それぞれきたもんが仁義を尽くして、粗末なもんやったら、華麗な器に盛ろかとか、そういう知恵が当然できてくる。そうして、よそにない洗練されたものができてくるんやね。
で、料理と平行して器も特徴ある豪華なものが出てきたり、珍しい器がでてきたり、それに加えて歌舞音曲、部屋のたたずまい、生活様式も全部京都は違うわけよ。(笑)それで地方から上ってきたカントリーボーイは、こうフワッとなるわけですよ。憧れるわけや。で、ますます花であれ何であれ華麗にしていく。それは、歴史の中でしょうがないこと。だから、京都いうのはなんで洗練されてるかというと、そういう土地柄やった。で、四季の変化もこうしてあることやし。


杉浦
 最近、日本全国で京料理の看板をかかげていますが、どう思われますか。

小西氏
 結局、京都の料理いうたら有職料理から始まって、精進料理を経過して、南蛮とか茶懐石とかあって、町方料理もちょこっと手を出して、適当に寄せ集めて、自分とこのカタチの料理を作ってきた。で、京都の人の偉いところは、よその料理を真似せなんだことやね。
今の料理屋みたいに、どこかの本が出たら、それを見て写して、いうような意気のないことせなんだ。自分とこは自分とこ、と。だら、「あそこの料理は・・・」というようなものが出てきたわけや。

 真似ばっかりしてたら自分のものはできへんいうことや。それは、料理人に知恵がない、いうねん。様式ばっかり真似して味はかけ離れてる、いうのが多い。で、名前だけ「京料理」つけたらいいと。箱根の山の中で京料理やなんて、アホカ、言うねん。東京行って京料理、北海道行って京料理、鹿児島行って京料理、ニューヨーク行って京料理(笑)。

 ええか、これはね。京都でとれた材料を京都の水で処理して京都でだすさかいに、京料理いうねん。京都の料理つこて東京でだすんやったら「京都風東京料理」てぬかせ、て。ね、ほんま。(笑)

杉浦
 京都はよく薄味といいますが、これは貴族社会があったからですか。

小西氏
 京都は薄味やというけど、京都は山国やから野菜はとれるわね。で、昔は野菜炊くいうたらね、家族も多いから、いつぺんにぎょうさん炊く。ね、そしたら余るでしょ。それをぎょうさんを濃い味をつけたら、その日に全部たべきれんかったとき、余計濃いなる。次の日も熱うして--野菜て熱うして食べるのよ。冷たいんは漬物やで--熱々にして食べる時、味が足らん人は、お浸しいうて醤油とか辛子とか山椒とか七味や一味とか、適当に調合してつけて食べたん。
炊けたときにおいしいても、時間が経つと味がしみこみ過ぎてたべられへんてあるやないの。だから、薄味が基本いうのはそういうことや。勿論、貴族社会もそうしてた。で、京都は野菜がぎょうさんとれるから、向こうから乾燥したタラ、棒ダラがきたら、京芋と合わせて、芋ぼうとなるわけや。塩をしたサバがきてサバ寿司や。それが、京都のご馳走でもあるし特徴でもある。


杉浦
 料理に携わる人たちにおっしゃりたいことはなんでしょうか。

小西氏
 そうですね。京都では「三けん」というんですが「堅実、賢明、謙虚」。
堅実というのは、材料の選択。目を肥やすということ。
賢明は、作り方は丁寧にする、と。
で、謙虚いうのは、何でも一人で仕切ったらあかんていうこと。周りを上手く使うことで、料理も早くできるし周りを勉強さすこともできるでしょ。整理整頓も早くすむ。

 それから、味の味覚は二日しかもたへん、言うねん。買うたもんは食べいうことや。三日目には味が落ちる。それはいまでも言えることや。だから、適量、適材。控えめにこうて上手に生かすのが知恵や、いうことです。まっ、料理いうのは、結局、考えて作りなさいよ、いうことやね。
http://www.tsuji.ac.jp/hp/jpn/kyoto/home.html

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参考A 有職料理

有職料理(ゆうそくりょうり)とは、平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理が、公家風の料理形式として残った物である。但し、現在「有職料理」と言われている物は、本膳料理などの影響も受け、平安時代当時そのままの様式ではない。また、本膳料理を有職料理に含める定義もある。


大饗(だいきょう/おおあえ)料理

長屋王邸出土木簡などから、奈良時代には既に貴族社会で接待料理が成立していたことが伺えるが、その具体的な形式は不詳である。それが発達した物が「延喜式」神祇項目に出てくる「神饌」と思われ、春日大社の神饌や、談山神社の「百味御食」(ひゃくみのおんじき)などにその形式を残していると考えられている。

平安中期になると、貴族の中でも皇族、摂関家、それ以外の貴族の序列は動かしがたい物となり、その接待の形式として「大饗」が定められる。唐文化の影響を受け、「台盤」と呼ばれるテーブルに全料理を載せたり、「唐菓子」など渡来の料理も添えられるなどの献立の多さもさることながら、食べる側にも食べ物の種類ごとに細かい作法が要求されたことが『内外抄』や『古事談』の記述から分かり、現代人から見ると大変堅苦しい物だったようである。出汁を取る、下味をつけるなどの調理技術が未発達で、各自が塩や酢などで自ら味付けをしていた。珍しいものを食べる事によって貴族の権威を見せつけ、野菜を「下品な食べ物」とみなして摂取しなかった事や、仏教の影響で味の美味いまずいを口にする事をタブー視していたことから、栄養面から見るとかなり悪い食事であった。「大饗」には少なくとも「二宮大饗」と「大臣大饗」の2形式が存在していた。

二宮大饗
正月、諸臣が中宮、東宮への拝謁を終えた後、朝廷から饗応に預かる物。ほとんど記録が無く、具体的な献立内容や形式は不明。

大臣大饗
親王などの皇族が大臣の屋敷を訪れた際の接待料理の形式。

平安末期の『兵範記』に書かれた藤原基実の保元元年(1156年)「大臣大饗」は、永久4年(1116年)の藤原忠通のそれを参考とし、事前の準備は宴会予定日の9日前から始められ、赤漆塗の膳を特別にあつらえ、その膳の上には白絹を現在のテーブルクロスの如く敷き、これまた特別にあつらえた折敷や漆塗の食器に料理を盛りつけたとある。

この時の具体的な内容は『類聚雑用集』に記録されているが、それによると、献立の内容は参列者の身分によって異なっており、皇族の正客(「尊者」と記述される)は28種類、三位以上の陪席公卿は20種、少納言クラスでは12種、接待する主人が最も少なく8種となっていた。献立内容は「飯」、調味料、生もの、干物、唐菓子(今のドーナツに近い)、木菓子(=果物類)。生ものには獣肉類は無く、魚介類、鳥類(雉など)で占められ、干物もアワビやタコ、蛙などで獣肉類は無い。調味料が別皿になっているところから見て、料理自体には味はなく、食べるときに好みで調味料をつけながら食べた物と考えられる。この調味料も身分によって差があり、尊者や公卿はひしおなど4種あったが、主人には塩と酢のみであった。また、食器として箸の他に鎌倉時代以降は衰退する匙(スプーン)が存在し、各料理を盛りつけた容器の大きさがほぼ同じで料理の序列が判然としていない点も後の時代の料理とは異なる特徴といえる。


有職料理の誕生
鎌倉時代になり政治の実権が貴族から武士に移ると、大饗料理を維持することは困難となった。室町時代になると経済的・文化的にも武士の優位は動かしがたい物となり、武士も公家の文化を取り入れ、武士独自の饗応料理として「本膳料理」の形式を確立する。公家も本膳料理の形式を取り入れつつ、独自の式典料理として「有職料理」の形式が次第にまとまっていった物と考えられる。この過程で大饗料理には存在していた台盤や唐菓子などの中国文化風味が欠落していった物と思われる。


有職料理の変遷
江戸時代初期、徳川家光が行った二条城での後水尾天皇御成行事の際、天皇家側の料理人2名(高橋家、大隅家)、徳川幕府側の料理人2名(堀田家、鈴木家)の他に京都の町方の料理人から生間(いかま)家が抜擢されて調理に携わったことから、生間家は八条宮家の料理人をその後代々拝命することになる。明治時代になり桂宮家(八条宮家の後裔)が子孫断絶により絶家したため、生間家も下野し、その料理法は京都の民間の限られた料亭に伝えられた。

現在、宮中でも皇族の結婚式などの中継で会席料理などとは大きく異なる盛りつけの日本料理が見られることから、生間家が伝えた物とは別の有職料理が伝えられている物と思われるが、外国要人などの接待にはもっぱらフランス料理が使われており、極限られた儀式でしか食べられない物のようである。


形式
生間流29代家元でもある小西重義氏(生間 正保)が店主の料亭「萬亀楼」での有職料理の形式は以下の通りである。

初箸:会席料理の「先付」にあたる
添え:会席料理の「小付」にあたる
椀物
お造り
嶋台

など。

特に生間流の場合は造りの捌き方に「式包丁」という作法がある。一切魚に手を触れず、包丁と菜箸のみを使うのが特徴。


萬亀楼
有職料理が食べられる料亭。先述の通り、店主は江戸時代からの有職料理伝承者。
http://www.mankamerou.com/index.html

西陣魚新 同じく有職料理が食べられる料亭
http://www.kyo-ryori.com/shop.php?s=68

六盛 大饗料理を「王朝料理」として復刻
http://www.rokusei.co.jp/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A5%97%E6%96%99%E7%90%86


参考B 本膳料理

本膳料理(ほんぜんりょうり)とは、日本料理の正式な膳立て。
「食事をとる」という行為自体に儀式的な意味合いを持たせているのが特徴。

室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式。 しかし明治時代以降ほとんど廃れてしまい、現在では冠婚葬祭などの儀礼的な料理にその面影が残されている程度である(婚礼の際の三々九度など)。更に、肝心の料理店自体が用語の使い方を誤っている例がしばしば見られる(単なる婚礼や法事の会席料理や仕出し弁当に「本膳料理」という名前を付けている例がある)。

鎌倉時代、武家の間には「椀飯」という正月に御家人から将軍に料理を献上する儀式があった。当初は鯉一匹など簡単な物であったが、室町時代になり武家の経済的政治的優位が確立し、幕府政治の本拠地も公家文化の影響が深い京に移るに至って、料理の品数も増え、料理自体にも派手な工夫が凝らされるようになった。特に室町幕府の将軍を接待する「御成」が盛んになってからは次第に宴会料理の形式が整えられていった。ここに本膳料理が成立したと考えられる。


形式
式三献、雑煮、本膳、二の膳、三の膳、硯蓋からなり、大規模な饗宴では七の膳まであったとの記録もある。ただし、特徴的なのはこうした膳の多くが「見る」料理であり、実際に食べる事ができる料理は決して多くは無かった。この本膳料理は少なからず儀礼的な物であり、この後に能や狂言などの演技が行われつつ、後段と呼ばれるうどんや素麺といった軽食類や酒肴が出されて、ここで本来の意味での酒宴になった。なかには三日近く行われた宴もあったようだ。

献立としては一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁五菜、三汁七菜、三汁十一菜などがあったとされる。もっとも基本的な形は、本膳には七菜(七種の料理)、二の膳には五菜(五種の料理)、三の膳には三菜(三種の料理)を配膳するものである。



配膳
配膳の順序は、本膳、二の膳、三の膳、四の膳、五の膳の順にし、上座の客を先に、順次、下座の客におよぶようにし、最後に主人に配膳する。 膳は、料理に呼気がかからないように両腕を伸ばし、身体から離して高めに捧げ持つ。 持ち方は、膳を先方に向け、左右の両縁にそれぞれ両手を掛けて、客の前、適当な位置に進める。 本膳は客の正面に、二の膳は客から向かって本膳の右に、三の膳は同じく左に、四の膳は、本膳のむこうがわ、本膳と二の膳との間に、五の膳は、同じく本膳と四の膳との間にかけて置く。


本膳料理の「家元」
室町時代の中期頃には、複雑になった本膳料理を専門に調理する料理流派が成立した。「大草流」「進士流」が有名で、『大草殿より相伝之聞書』など師匠から弟子へ一子相伝の料理の”秘法”を伝えていた。一方、礼法家の立場からは、本膳料理の食事作法を定めるようになり、小笠原流の『食物服用之巻』などのハウツー本が生まれた。


硯蓋
硯蓋(すずりぶた)は、江戸時代に出現したもので、卓袱料理や砂糖の普及とも絡んでいると思われる特異な献立である。当初は文字通り、硯の蓋に供されたともいわれる。硯蓋に出される料理はきんとん、羊羹、寒天菓子等の甘味類(料理の一品として出されるため料理菓子、口取り菓子とも呼ばれる)、あるいは蒲鉾、牛蒡や小魚の佃煮といった保存の効く食物が多く、これらは賓客が持ち帰る慣わしであった。ちなみに、御節料理としてお馴染みの伊達巻も硯蓋でよく出された料理といわれ、長崎では食感や製法の類似性から「カステラかまぼこ」とも呼ばれており、この三つの関連性は高いと思われる。

懐石料理における八寸に似ているが、八寸がその場で食べて(これを食い切りという)、料理も酒肴に近い物が供されるが、硯蓋は前記のように菓子類や保存性の高い食品が盛られる。関西では硯蓋の料理を口取りといい、内容は似ているがその場で食べる慣わしであった。現在はコストや慣習の問題から廃れている。


料亭洲さき:飛騨高山藩主家だった金森氏の流儀に基づく「宗和流本膳料理」が食べられる料亭
http://www.ryoutei-susaki.com/index.html

喜楽庵:豊後国臼杵藩主家だった稲葉氏の料理人に伝来していた本膳料理が食べられる料亭
http://www.kirakuan.jp/

平八茶屋:一部を再現した本膳料理が食べられる料亭
http://www.heihachi.co.jp/


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%86%B3%E6%96%99%E7%90%86


参考C 懐石料理


懐石(かいせき)とは、本来茶の湯において茶会の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する。懐石料理とも呼ばれる。懐石を弁当にしたものを点心という。

懐石料理とは茶道の形式に則した食事の形式である。利休時代の茶会記では、茶会の食事はただ「会」とのみ記されており、本来は会席料理と同じ起源であったことが分かる。江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石(おんじゃく)に通じる「懐石」の文字が当てられるようになった。懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めた蒟蒻(こんにゃく)などを布に包み懐に入れる暖房具を意味する。

「懐石」が料理に結び付く経緯は諸説ある。一に修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で温石を懐中に入れたことから、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったとする説。また老子の『徳経』(『老子道徳経』 下篇)にある被褐懐玉の玉を石に置き換えたとする説などである。

天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており、その食事の形式として一汁三菜(或いは一汁二菜)が定着した。これは『南方録』でも強調され、「懐石」=「一汁三菜」という公式が成立する。また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した「懐石」料理が完成した。なお、『南方録』以前に「懐石」という言葉は確認されておらず、同書を初出とする考えがある。

『お茶会』と『お茶事』は違う。「お茶事」は、一昼夜行うことであり、「お茶会」は、ただ単に、お菓子を食べ、お抹茶を飲むことを指す。



懐石料理と「茶懐石」

現代では茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶会の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化している。

懐石料理は茶会以外の場、例えば料亭や割烹などの日本食を扱う料理店を初めとして様々な飲食店で提供される饗応料理である会席料理と同じ「カイセキ」の発音の混同を防ぐため、茶事を目的とする本来の懐石を特に「茶懐石」と表して区別することもある。この一因には、料理店で提供される際に、会席料理を持ち出す順序、提供される順序などが「茶懐石」と若干異なることにある。例えば茶懐石で初めに提供される飯と味噌汁は料理屋の会席では省略され、先に八寸が提供されることが多い。また一人一人に料理が盛って持ち出され、茶席におけるように、取り回し時に特別の作法を言われぬことなど、総じて料理屋で食べる会席料理は打ち解けたものであることが多い。また料理店によっては料理のみを提供し、料理の後に薄茶の提供がないこともままある。

加えて、懐石料理は本来量が少なかったことから、量の少ないコース料理全般を懐石と呼ぶ傾向があり洋風懐石や欧風懐石といった名称の料理が存在する。



懐石の流れ

飯、汁、向付
飯碗、汁碗、向付を乗せた折敷(おしき、脚のない膳)を亭主自ら運び、客に手渡す。膳の手前左に飯碗、手前右に汁碗、奥に向付が置かれ、手前に利休箸(両端が細くなった杉箸)を添える。箸置は用いず、箸は折敷の縁に乗せかけてある。飯碗と汁碗は塗り物の蓋付き碗、向付は陶器製の皿を用いるのが普通である。飯碗には炊きたての柔らかい飯を少量盛り、汁碗の味噌汁も具が頭を出す程度に控えめの量にする。向付は一汁三菜の1菜目に当たるもので、なます、魚の造りなどを盛る。飯は一口程度を残し、汁は全部吸い切り、向付は酒が出されてから手を付けるのがマナーとされている。客が汁を飲み切った頃合を見て、亭主が銚子と盃台(客の人数分の盃が乗っている)を運び、客に酒を注ぐ。客はここで向付の肴に手を付ける。酒は懐石の中で3回ほど出される。


煮物
1献目の酒が出された後、一汁三菜の2菜目に当たる煮物碗が出される。煮物碗は飯碗や汁碗よりやや大きめの蓋付き碗を用いる。煮物は懐石のメインに相当する料理であり、しんじょなどを色取りよく盛る。煮物に続いて飯次(飯器)が出され、客は各自の飯碗にお替りの飯を付ける。また、亭主から汁替えが勧められ、味噌汁のお替りが運ばれる。


焼物
焼物は一汁三菜の3菜目に当たる。煮物碗が客一人一人に配られるのに対し、焼物は大きめの鉢に盛った料理(焼魚など)を取り回す。取り箸は青竹か白竹製で中節の取り箸を用いる[1]。客は鉢からめいめいの食べる分を取り箸で取り分け、向付か煮物碗の蓋に取る。なお、焼物は重箱で出す場合もあり、その場合は重箱の下の段に焼物、上の段に香の物を入れる。ここで2度目の飯次が出され、2度目の汁替えも勧められるが、汁替えは客の方で断るのが通例となっている。また、煮物の後か焼物の後に2献目の酒が勧められる。


預け鉢
現代の茶事では、一汁三菜に加え「預け鉢」あるいは「進め鉢」と称して、もう1品、炊き合わせなどの料理が出されることが普通である。これも焼物と同様に、大きめの鉢に盛り合わせた料理を天節(止節、節が持ち手の端にあるもの)の取り箸で取り分ける[1]。なお、流派によっては「預け鉢」そのものを「強肴(しいざかな)」と称する場合もある。


吸物
食事の最後に出される小さめの吸物で、「箸洗い」「すすぎ汁」とも称する。以後は盃事となる。


八寸
八寸(約25cm)四方の杉の素木の角盆(これを八寸という)に、酒の肴となる珍味を2品ないし3品、品よく盛り合わせる。2品の場合は、1つが海の幸ならもう1品は山の幸というように、変化をつけるのがならわしである。亭主は正客の盃に酒を注ぎ、八寸に盛った肴を正客の吸物碗の蓋を器として取り分ける(両細の取り箸が用いられ、それぞれの端が酒肴によって使い分けられる[1])。酒と肴が末客まで行き渡ったところで、亭主は正客のところへ戻り、「お流れを」と言って自分も盃を所望する。その後は亭主と客が1つの盃で酒を注ぎ合う。盃が正客から亭主、亭主から次客、次客から亭主、と回ることから、これを「千鳥の盃」と称する。

客が上戸の場合は、さらに「強肴」(しいざかな)と称される珍味が出される場合もある(強肴は「預け鉢」の前後に出される場合もあり、「預け鉢」そのものを「強肴」と称する流派もある)。


湯と香の物
納盃した後、湯桶(湯斗、湯次)と香の物が出される。湯桶には湯と共に「湯の子」が入っている。湯の子は飯の「おこげ」が本来だが、あられ等で代用することもある。添えられた湯の子すくい(柄杓)で湯の子を取って飯碗と汁碗に入れた後、両碗に湯を注ぎ、飯碗に少量残しておいた飯で湯漬けをする。香の物は一片を残しておき、これで碗をゆすぐ。最後は湯を全部飲み切り、器を懐紙で清めて亭主に返す。これは禅寺の食事作法を取り入れたものである。


菓子
食事の後に菓子が出される。菓子は縁高(ふちだか)と称する重箱に入っており、黒文字と称する木製の楊枝が添えられている。縁高は客の人数分重ねられ、1段に1個の菓子が入っている。正客は縁高の一番下の段を残し、残りを次客に送る(次客も同様にする)。菓子は懐紙に取り、黒文字を使って食する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%90%E7%9F%B3#.E6.87.90.E7.9F.B3.E6.96.99.E7.90.86.E3.81.A8.E3.80.8C.E8.8C.B6.E6.87.90.E7.9F.B3.E3.80.8D


参考D 会席料理

会席料理は宴席に供される料理である。本膳料理が廃れた現在、日本料理に於いては、儀式などで出される最も正統な料理形式である。会席とはもともと連歌や俳諧の席のことであり、呼称の似た「懐石料理」と混同されがちだが、ルーツは同じであるものの、近世以降は明確に区別されている。懐石料理は茶を楽しむためのものだが、会席料理は酒を楽しむためのものである。江戸時代には会席が料理茶屋(りょうりぢゃや)で行われるようになり、酒席向きの料理が工夫されるようになった。

会席料理の献立は、一汁三菜(吸い物・刺身・焼き物・煮物)が基本である。さらにお通し・揚げ物・蒸し物・和え物・酢の物などの酒肴が加えられ、最後に飯・味噌汁・香の物、水菓子となる。

伝統的な例 [編集]

1.先付(さきづけ) ・・・ 前菜
2.椀物(わんもの) ・・・ 吸い物
3.向付(むこうづけ) ・・・ 刺身
4.鉢肴(はちざかな) ・・・ 焼き物
5.強肴(しいざかな) ・・・ 煮物
6.止め肴 ・・・ 原則として酢肴(酢の物)、または和え物
7.食事 ・・・ ご飯・止め椀(味噌汁)・香の物(漬物)
8.水菓子 ・・・果物

ご飯、止め椀、漬物は同時に供される。ただし上記以外にも油物(揚げ物)や蒸し物、鍋物が出ることがある。油物が供される場合には一般に強肴のあとである。 飲み物は基本的に日本酒、または煎茶である。近年はほうじ茶やコーヒーが出されることもある。 明治時代以降は肉も出される。シチューなどの洋食の皿が交えられたり、デザートとして洋菓子が供されたり、ご飯の代わりに蕎麦やうどんが出されることもあり、上記のような献立の流れに必ずしもとらわれるものではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E5%B8%AD%E6%96%99%E7%90%86

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Y 二 ヽ 人ノノノハ ゞ┴'   、` }   }         ! ! !八 |从八
{ 仄} }} ノミ辷彡'}      ,. '  从 ヽ'_       !:/:/レ人< ヽ
弋辷ン乂}{ミ辷彡'}    _,. - /辷`ヽ  `    //://  ̄`ヽ
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 /             \     /  /                     }

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4. 創始者 湯木貞一の商売の上手さを完璧に受け継いだ現在の吉兆


高級料亭「吉兆」は、1930年、神戸の料理屋の跡取りだった湯木貞一が創業。
茶道などに造詣が深く、料理に茶懐石の手法などを用いて高い評価を受けた。

■「吉兆」創業者・湯木貞一
神戸の料亭の一人息子に生まれ、15歳から板前修業に入る。25歳の時、松江藩主・松平治郷(不昧/ふまい)著「茶会記」を読んで感激、昭和4年30歳で独立、翌5年「吉兆」を設立した。

14年に株式会社に改組、社長に就任。大阪の本店をはじめ東京、京都に支店を持つ。
“世界之名物 日本料理”をキャッチフレーズに、東京サミットなど国賓への日本料理を提供する料亭にまで育てあげ、茶人としても一家言を持っている。
62年大阪に茶懐石道具の湯木美術館を設立。63年料理界初の文化功労者となる。
著書に「吉兆」「吉兆味ばなし」(全4巻)などがある。

■一男四女に、のれん分け

貞一は、長女・照子、長男・敏夫、次女・準子、三女・佐知子、四女・義子をもうけた。

バブル崩壊後の91年、貞一の孫や娘婿(料理人)に、のれん分けしてそれぞれが別法人として独立した。
(孫は各2人ずつ、計10名で、そのうち料理人は数少ないが、京都吉兆・徳岡邦夫がマスコミ等で有名。)

5社による「吉兆グループ」は高級料亭には珍しい多店舗展開を実施。
中でも船場吉兆の積極的な事業展開は際立ち、洋風デザートや、「高級料亭の味を家庭でも」のキャッチフレーズで、惣菜の販売にも乗り出していた。人気の一方で、「売り上げ拡大に走りすぎて、品質や伝統を守れるのか」との声もグループ内部から上がっていたという。

(※吉兆の「吉」は、正確には、下が長い「土」に「口」。)


吉兆の創設者であり、日本料理の大御所であった湯木貞一氏は一代でこの暖簾を作った人であって、吉兆はそういう意味では老舗ではない。氏には”吉兆あじばなし”という著作があり、季節折々の旬の味わいについて味わい深い随筆を残している。

吉兆味ばなし 湯木 貞一 (著)
http://www.amazon.co.jp/s/ref=ntt_athr_dp_sr_1?_encoding=UTF8&search-alias=books-jp&field-author=%E6%B9%AF%E6%9C%A8%20%E8%B2%9E%E4%B8%80


吉兆での食事は高価であることから豪奢・贅沢の代名詞のような印象を持たれてるが、その本質は茶懐石であり、食材に対する徹底した理解と、亭主としての客へのもてなしの心を基礎としている。懐石は、茶道の成立時期に宴会料理から分離し質素・こころずかいを理念として確立した。千利休は茶懐石を一汁三菜として、宴会と厳しく区別した。茶会は二時(ふたとき)以上にわたることを禁じ、客はいつ帰らなければならないかということまで規定した。このため、食事は酒肴をともなわない簡単なものに拘ったのである。

しかし、どういう経緯からか懐石は日本料理の頂点のようになり、どちらかというと豪奢なものへと転化していった。また、茶の手前も本来は茶会の一部で、招待する側とされる側の4時間にわたる抽象的な座敷演劇の一番の見せ場であった。当事の周辺の現実からすれば、利休の茶は既存の価値観に対する大きな挑戦であった。二時という時間も当事の時間感覚からすればかなり簡略された雰囲気を持っていた。

茶器についても、当時の既存の価値観での室町の正統の唐物をきらい、ゴミに等しかった朝鮮の雑器に法外な値をつけたりした。
もっともこのあたりは秀吉と利休の収集に対する確執から生まれたようで健全ではなかったかもしれない。茶室とは本来2,3畳で狭く、また天井も低くひどく圧迫感のある部屋である。また、出入りも正式の玄関ではなくネコの出入り口のようなところで這うように出入りする。記録によれば一畳を亭主である利休が陣取り、残り一畳を3人の客が並んで座ったという茶会もあった。

現在でもアンディウォーホールのコラージュのように凡人には図りがたい価値を持ったものが新しい潮流でと考えられているように利休の茶は当事そういう位置づけを持っていたようである。利休の茶は利休の死によって固定化した。裏・表・武者小路の三家が形式美としてこれを今に伝えている。

吉兆の湯木貞一という人は、この茶懐石の、客をもてなすということに徹底して拘った料理人であったようだ。このあたりは吉兆あじばなしに溢れている。なぜなら、吉兆あじばなしには、惜しげもなく氏のノウハウと旬と料理に対する細やかな材料に対する気配りが開示されている。

大町市のくろよんホテルの中に吉兆の名を冠した和食レストランがある。経営はこの湯木氏の孫にあたる人である。ホテルの中の食事どころなので決して敷居も高くなく、子供連れの多いときはファミリーレストランと変わりなくなるが、吉兆の
料理というものを垣間見せてくれる。 突き出しはかならず、旬の草花のおしたしであるが、もしかするとこの小鉢と次に出てくるお椀が吉兆の根っこではないかと自分は思っている。

最初の小鉢では必ず季節のメッセージがある。新しい時を迎える喜びだ。

おわんでは、満腹感を演出する。つまり人間の幸せの一つを支える。これにはグルタミン酸とイノシン酸つまり、昆布と鰹だしが絶妙の組み合わせで我々の味覚をするどくくすぐる。

もう一つ重要なのはご飯である。満腹感と季節感を併せて演出する。

そして、ほんの少しではあるが、湿箸、御盆への打ち水、季節の花など吉兆の演出の垣間を見せてくれる。時には、大袈裟であったり、場違いなものもあるが、だいたい我々が忘れてしまった月々の祝い事を思い出させてくれる。

和食の本質は時に対する繊細さであるといえる。これは茶懐石の本質である。 茶には一期一会という考えがあり時を大切にす
る。これは、利休に至る茶道の歴史の元に一休禅師が居たことが大きい。利休も一休の墨跡を大切にした。 時間の大切さを浮き彫りにするのが、季節感という言い方もできるが、懐石の大切な要素である。その気持ちを亭主が客に伝える。

その吉兆の創設者が亡くなった今、吉兆は今後どこへ行くのだろうか?
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970414.htm


湯木貞一は、尋常高等小学校を卒業して15歳のころ、父親(私の義祖父に当たる)が経営していた神戸にあった料理屋・中現長(なかげんちょう)の調理場に見習いに入りました。実のところ、上級学校に進学して勉強したいという希望を持っていましたが、「料理屋に学問はいらない」という父親の考えで許してもらえず、諦めたということでした。

それならば、一流の技術を身につけたいと考え、その当時大阪で有名であった三人の料理人から指導を受けたいと、父親に頼みました。父親は喜んで、通り名を大名竹という人を大正4年に大金で迎えてくれたそうです。そして人並み以上に努力を重ねて、23歳頃には料理の修行はほとんど出来上がっていたそうで、親方の次の役である煮方さんの立場となっていました。

しかし、何か仕事に気持ちの入らない毎日が続いていたそうです。そうしたある日、一緒に働いていた大阪の大店「魚岩」の甥であった松浦さんが本を貸してくれました。その本の中に松平不昧公の茶会記があり、中の懐石の献立に目を奪われたそうです。その懐石献立の中に

「あふれんばかりの季節感を感じた。ああ日本料理には季節があるではないかと感激し、目の前のウロコがパッと取れたような気がした」

ということでした。この話はよほどその時の感激が印象に残っていたのか、何度も聞かされました。その時から「お茶」に興味を持ったそうです。そして仕事にも熱が入るようになり楽しくて楽しくて仕方がなかった、と言っておりました。
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_8b.html


昭和5年11月、湯木貞一は神戸から離れて大阪の新町に間口1間2分5厘(2.25メートル)、奥行6間(10.6メートル)の小さな店を出すことになりました。29歳の時でしたが、開業の半月ほど前にいとこの「きく」と結婚をしました。当時、大阪画壇で活躍していた須磨対水氏の発案で、今宮戎に関係する吉兆笹から「吉兆」と店の名前が決まりました。そして、須磨対水氏によって「お鯛茶処吉兆」とかかれた暖簾が店の前に掲げられました。

店は箸紙のように細い形だったと、湯木貞一が話していましたが、入ったところからずっと通路があり、右側が調理場で横には丸炉が切ってあったそうです。一番奥が客席で、丸炉には釜を掛け、お客様が来られると釜の湯で香煎茶を差し上げたそうですが、これもお茶から来たことでしょう。

天井には、京都の高辻にある和田卯さんで求めた朱塗りの八方行燈を吊り、黒塗りで縁を朱塗りにしたテーブルに、朱塗りの椅子を合わせ、それに萌黄色の座布団を載せるなど、全体をハッキリとしたコントラストでまとめました。

食器も当時のお茶人さんたちに好まれた永楽さんや楽さんの上質な食器を揃えたそうです。奥に設けたトイレの小用には杉の葉をたっぷりと入れたりするなど、茶味のある洒落たしつらえの店であったそうで、開店の時はとてもうれしかったと話しておりました。
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_8c.html

ようやく開店したその日は、鯛茶一杯で85銭だけの売上だったそうですが、次第に洒落た店だという評判が立ち、1、2ヶ月もしますと大勢のお客様で賑わうようになったそうです。

この店のお客様には、品格のある美人画の上村松園先生、『茶杓300選』を書かれた高原慶三様、アサヒビールの山本為三郎様、日商岩井の高畑誠一様、美術商の児嶋嘉助様、花道去風流の西川一草亭様、陶芸家の白井半七様がおられました。また、船場の旦那衆も多く、中でも横堀の木材問屋泉平の北尾平兵衛様と堀江にあった質屋の福田平兵衛様は茶の湯に造詣が深く、茶の心得なども教えて頂き、改めてお茶に目を開いたことがあったそうです。そうした方々のお陰で、店はいつも忙しいことになりましたが、湯木貞一は

「商売はお金より、よいお客様に恵まれることが大切や」

と話しておりました。
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_8d.html


昭和12年、湯木貞一は念願の表千家様へ入門をさせて頂きました。36歳の時でした。即中斎宗匠が襲名されて間もない頃で、12時少し前に門前に立ち、お祖堂の点雪堂にお参りし、盃を頂戴したということでした。その感激は一生涯忘れられないものであったようです。そうした頃に銘手習の茶杓を頂戴したことがありました。それは茶杓の裏に朱漆でいろはと書かれている珍しいもので、現在は、湯木美術館に収蔵されています。

入門と同じ年の11月に、吉兆が繁盛して新町の店が手狭になったことから南船場の畳屋町に移転をしました。間口3間、奥行30間の広さで、新町のおよそ12倍にもなりました。三畳台目の茶室を入れて9間もあった大きな風情のある店だったそうです。残された店の記録によりますと、古備前・永楽・白井半七・初代竹泉・楽吉左衛門などの器を用いていたそうですし、掛物は清巌宗渭・酒井抱一・呉春・烏丸光広などで、一級の品を心掛けて集め、用いていたことがわかります。

その後、昭和20年に戦災に遭い、戦後の最初の店は現在、湯木美術館のある平野町でした。その後、京都嵐山・大阪高麗橋・東京銀座と店の数が増えていきました。
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_8e.html

湯木貞一にはさまざまな事を折に触れて教えてもらいましたが、店のことで一番大切なのは

「お客様が何を望んでおられるか。そのためにはどのようにしたら喜んで頂けるか」

ということでした。玄関のしつらえ、部屋のしつらえなど、その時々の趣向を考えて掛軸や花と花入を選び、献立は勿論のこと、食器にも心を尽くすことです。

湯木貞一は、料理の天才だったと思います。私が言うのはおかしいことですが。湯木貞一が嵐山の店に来られたとき、器に盛られた料理を見て「ちょっとお箸を貸して」といい、すっと料理に手を加えると、料理が見違えるように、花が咲いたように美しくなったものです。ああしたことは、中々に出来るものではありません。やはり、美に対する感覚が優れていたのだと思います。

そして、いつも料理のことを考えていました。暮らしの手帖社の故花森安治様が湯木貞一のことを「金太郎飴のように、いつでもどこでも、料理の話しか出てこない」と書いておられますが、本当にそうでしたね。湯木貞一は、

「工夫して心ととのふ己が手に 花鳥風月みな料理なり」

の和歌を残しています。また、「世界の名物 日本料理」のフレーズを考えたごとく、日本料理に大きな誇りと希望を持っておりました。そして「なんとかして、日本料理の本格的なものを完成したい」と念願していました。
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_8f.html


1930年(昭和5年)創業。老舗料亭がひしめく関西にあって「吉兆」はまだ駆け出し、創業者の湯木貞一が一代で築き上げた店なのだ。湯木貞一は1901年(明治34年)神戸の花隈に生まれた。生家は「中現長」という割烹料亭。「料理人に学問はいらない」という父の方針で、尋常高等小学校を終えるとすぐ、15歳で板場に入り、実家での料理修行がはじまった。

鍋磨きや野菜の皮むきなどの下働きからはじまり、先輩の板前に料理の手ほどきを受ける文字通り下積み生活が10年ほどつづき、自分はこのままでいいのだろうかと悩んでいたとき、湯木の将来を決定づける大きな出会いが訪れる。先輩のすすめで読んだ、江戸時代を代表する大名茶人・松平不昧が著した『茶会記』で、湯木は茶の湯と出会う。時に湯木貞一24歳。『茶会記』に綴られていた茶料理の献立を読み、「はじめて日本料理のなかに『季節』が生かされていることを鮮明に意識した」(湯木貞一・辻静雄共著『吉兆料理花伝』)という。湯木はすすんで料理に季節感を取り入れようと誓い、同時に料理をつくる楽しみを知った。当時、昭和初頭の料理は、魚や野菜など季節ごとに旬の素材を使わざるえなかったので、自然と季節感は備わってはいたそうだが、一歩踏み込んで料理に季節の風情を織り込んでいこうとするものではかったようだ。のにに「毎日の料理に気迫がはいりました」と述懐している。


その5年後に湯木は親元を離れ、29歳にして大阪市新町(現在の西区新町)に店をもつ。昭和5年11月21日、「吉兆」の創業である。店名は大阪の冬の風物詩、今宮戎神社の十日戎で配られる「吉兆笹」に由来する。十日戎は商売繁盛を願う、商人の町大阪を象徴しり祭り。笹飾りを売る売り子たちの「キッチョウ、キッチョウ」のかけ声からとって「、「御鯛茶處 吉兆」と名づけられた。開口一間少々、カウンターと小さなテーブル席を合わせて10人も入ればいっぱいになる小さな店だった。オープン初日は客が一人も来なかったそうだが、やがて店がしゃれているという評判が立ち、間もなく「吉兆」は繁盛店となる。小さな店でありがなら、高価な器を揃え、茶の湯を意識して調理場と客席の間に風炉を置いて客に茶をふるまったという。湯木自身もますます茶の湯にのめり込んでゆき、茶事を通して多くの通人と交流をもつようになり、湯木のセンスはさらに磨かれていく。

新町で7年間商売をつづけ、昭和12年にミナミの畳屋町に移った。畳屋町の店は開口3間、奥行きが30間もあり、新町の店とは比較にならないほどの広さだった。大阪大空襲で店が焼ける昭和20年3月13日までの8年間で、「吉兆」は大阪でも名のとおった料理屋に成長する。顧客であった府知事の計らいで、ほかの店が営業を禁止された戦時中も「吉兆」は商売を許可された。しかしそれがあだとなって、北大路魯山人や永樂善五郎、白井半七らの高価な器や掛け軸などが空襲で全部焼けてしまうことになった。

「吉兆」が日本を代表する名店へ一気に駆け上るのは戦後のことである。
戦後、最初に店を構えたのは大阪市中央区平野町。現在の湯木美術館にある場所だ。昭和21年に平野町に店を開き、23年嵐山に「嵯峨吉兆」(現在の京都吉兆嵐山本店)を、24年には平野町の店を高麗橋に移した。旗艦店「高麗橋吉兆」の誕生である。嵐山も高麗橋も、湯木と親しかった古美術商の児島嘉助氏の持ち家で、氏の死後に息子さんら譲り受けたものだ。

ここから湯木貞一の絶頂期がはじまる。湯木の料理の評価はますます高まり、政財界の要人や文化人たちが通う店となる。配膳は仲居であったが、女性の接待などは行わない。最高の料理を芸術品のような器に盛り、華美を廃した数奇屋造の座敷で供する。床の間には選び抜かれた花瓶や香炉などに、優れた書や画の掛け軸がさりげなく飾られ、適度な距離を保った潔いサービスでもてなす。茶室で亭主が客人に一服の茶をふるまう、湯木はまさに茶の湯の精神を食事に置き換えたのだ。ここに「吉兆」という、料理を主軸とした総合芸術が完成した。

湯木貞一は生涯をとおして、先取の精神に富んだ料理人であった。いち早く西洋料理の素材を取り入れたり、バカラなど洋の器なども積極的に使っていた。自分のつくりあげた料理に固執せず、時代にあった、つねに新しい料理を模索しつづけ、1997年4月7日、95歳で世を去った。しかし、「吉兆」と湯木貞一の精神は5人の子どもたち、そして孫たち、弟子たちのなかに連綿と受け継がれている。

湯木貞一は経営にも新しい試みをした。個人経営が多かった当時の料理界にあって、昭和14年には「吉兆」を法人化。昭和31年の船場店を皮切りに36年には銀座店、40年には大阪ロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル)内にテナントとして初出店するなどの店舗展開をした。これは湯木の人柄によるところが多く、株式会社化も店舗展開もいつも力を貸してくれる人がいての結果である。約70年が経ち、現在では日本全国に25店舗の吉兆がある。そのなkには、デパートのテナントや美術館のお食事処なども含まれるが、「吉兆」は「吉兆」。日本料理の最高峰というイメージは微動だにしない。

湯木貞一は10年前に世を去った。そして、彼が一代で築き上げた身代と信頼は5人の子どもたちに託された。高麗橋を拠点とした本吉兆をはじめ、神戸、船場、京都、東京の5つの別法人に分割され、それぞれが「吉兆」ブランドを守りつつ、新たな展開をはじめた。
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京料理ということよりも日本料理を大きく変えた料理の天才として、北大路魯山人と湯木貞一の両氏の名を逸することはできない。二人とも京料理から学ぶところが大きく、いわば、京料理を取り入れながら独自の綾里を創造した人物といってもよい。北大路魯山人は、京都で生まれて二十歳まで京都で過ごした。子供の時からご飯の炊き方や豆腐の味にうるさかったと言うほど、味覚に自信はあったようだが、その頃は生活の余裕もなく、京料理の真髄にふれる機会はなかったと思われる。

魯山人が各地を遍歴して再び京都に戻った28歳から33歳頃までは、京都に有力な支持者があって京料理に親しみ、後に美食倶楽部をつくり、星岡茶寮をもって、天下の美食家を集めるような綾里を展開する素地が形成された。毒舌家の魯山人だが、京料理には一目おいていて、次のように批評している(『魯山人芸術論集』)。

京都は、昔から料理はもっともよく発達していた。ここには長く天皇の皇居があった。しかも、四周山々に 囲まれて、綾里の材料とすべき海産の新鮮な魚がなかった。ここに与えられた材料は、豆腐、湯葉、ぜんまいなどであった。この一見まずい材料をもってして貴族、名門の口を潤すべき綾里を考案しなければならなかった。こうした材料、こうした土地柄が、立派な料理の花を咲かせたのは理の当然といえよう。

また、昆布だしについても、東京にはない京都の特有の伝統でもあると述べている。魯山人はもともとが京都の人だったため、京料理が身体でわかっていた面があるだろうが、その創作した料理は京料理とはずいぶん違うものとなり、そのために東京や鎌倉などでその本領を発揮したといわれている。しかし、どこか京都を故郷と思う気持ちが生涯なくならなかったのも事実であろう。

湯木貞一氏は神戸の人で、大阪で店を持ち、既に30代で注目された料理人である。湯木氏は外から京料理を見て、その良さを讃えている。辻静雄氏との対談の中から幾つか言葉を拾ってみる(『吉兆料理花伝』)。


湯木: 一昔前、大阪はお刺身を作っても、京料理のきめの細かさはありませんでした。ぶつ切りの鯛の刺身をお客さんに食べさせていた。南地にきくのやさんという店がありまして、そこの腰かけ料理が当って、お客さんに大変喜ばれて盛んだったんです。その頃の大阪料理いいましたら、鯛の活きのいいところを分厚くつくって味わわせたものです。それに対して、京都はきめが細かくて、若狭甘鯛を糸づくりで勝負させた。大阪の人は糸づくりなんてしんきくさいと言ってやらなかったものですね。大阪はざんぐり、京都は粋に盛りました。粋とざんぐりの違いです。大阪では料亭へ行かなくても美味しいお刺身が腰かけ屋で食べられました。そういう店を最初につくったのがきくのやさんでしょう。当然、料理を支えたお客さんの違いもありましたでしょうね。


辻: すると、大阪と京都の料理の考え方の一番大きな違いは何ですか?


湯木: 茶の湯と精進でしょうね。次にあまごとかゴリ(魚ヘンに休)とか川魚を料理に取り入れたことも大阪よりは一歩進んでいました。盛り付けにも一日の長がありました。

http://www.kitcho.com/kyoto/event/madrid_fusion_05/mf_020_jp.html


吉兆の蹉跌 〜ブランドと「のれん」のはざまで〜

あまり知られていないことだが、「吉兆」という料亭は、創始者の湯木貞一氏が、1930年に大阪で鯛茶所として開店し、一代で創り上げたもので、百年以上続く老舗料亭、日本料理店が、数多く存在する日本にあって、その歴史はたかだか70余年でしかない。その吉兆が、これほどまでの名声をどうして築くことができたのか?それは、ひとえに湯木貞一という創始者の非凡さによっている。

大正〜昭和の料理人で湯木と並び称されるのが、北大路魯山人だが、魯山人は正真正銘の天才であり、料理を魯山人という個性が創り出す「芸術作品」にまで高めた。湯木貞一も天賦の才能を持った料理人ではあったが、魯山人とは対照的に、「日本料理」というジャンルそのものを構築した。湯木は、魯山人のようなクリエイターというよりは、エディターとしての才能に秀でた人物であったといえるだろう。

日本料理というジャンルを確立した吉兆の創始者、湯木貞一

湯木や魯山人が現れるまでは、日本料理とは、宮廷料理の流れをくむ有識料理、武家料理の伝統を引き継ぐ本膳料理、地方の郷土料理などが、雑多に混在するものでしかなかった。

湯木貞一は、そこに茶懐石の伝統を接合して、素材と季節感を軸にした、現在の「日本料理」の基本型を確立した。茶懐石とは、もともと茶事の前に供される引き立て役としての料理でしかなかったが、その理念を軸に、雑多な日本の料理をひとつの統合したイメージをもった「日本料理」として編集したのだ。

素材と季節感を大切にし、器や空間にまで心配りをするという考え方は、魯山人が料理の世界に持ち込んだものといえるが、その料理思想を受け継ぎながら、湯木はそこに「日本料理」という概念の枠組みを用意したといえるだろう。その意味で、近代日本料理の祖型は、魯山人と湯木の二人三脚によって創り上げられたといっても過言ではなく、その功績は、近代フランス料理の父といわれるオーギュスト・エスコフィエにも比肩するといってよいだろう。つまり、吉兆とは、もともと「モダン(近代)」にその誕生の母胎があったということだ。

湯木が吉兆の創立を通じて成し遂げたことは、何だったのだろうか。私は、それは、現在の言葉で表現するならば、「ブランディング」だったのではないかと考えている。湯木は「日本料理」というジャンルそのものを創り上げる一方で、そこに「吉兆」の名を刻印した。そのことが、吉兆が何百年も続く「のれん」を誇る老舗料亭に伍して、一代にして名声を確立できた最大の理由である。


「のれん」と「ブランド」は似て非なるもの

ところで、「のれん」という言葉は「ブランド」と同一視される面があるが、実は似て非なるものである。「ブランド」とは、牛に焼き鏝で刻印を押して、その牛が自分の所有物であることを明示したことがそもそもの起源になっているように、自他を区別し、自らの所有権を主張する契機が、その根底にある。ブランドが「知財」といわれるのも、もともとそれが財産・資産と同じものと見なされるからだ。

一方、「のれん」とはバトンリレーのように永遠に受け継がれるものであり、究極的には、それは誰のものであるかを問わない無名の価値にまで収斂する。「のれん」の価値とは、未来永劫受け継がれていく、その事自体から生まれてくる。

今回の吉兆の偽装問題は、この「ブランド」と「のれん」の間において生じたことではないかと考えると少し違った角度で問題が見えてくる。

「のれん」を重視する企業は、成長よりも市場の継続性を重視する。例えばその日作った饅頭が売り切れれば、「売り切れ」として店を閉めてしまうのが「のれん」を優先する老舗の流儀だ。一時の需要に合わせて増産すれば、未来の市場を食いつぶしてしまうという知恵が、長年の間に身についている。黒豆プリンの賞味期限を改ざんしていた吉兆にしろ、返品された商品を使い回していた赤福なども、売り切れるだけのモノしか作らなければ、そもそも今日のような偽装問題は起こらなかった。

「のれん」にとって次に求められるのは、ヒトの継続性だ。技術の伝承はもちろんのこと、そこで働く従業員や顧客との関係が濃密でなければ、バトンはリレーされていかない。「のれん」を守るという意識のもとで、“幻想の共同体”が成立している様は、ブランドの世界とは対照的だ。ブランドは、モノに刻印されるのであり、モノの流通とともに際限なく、広がっていくが、モノが傷つけばブランドも崩壊する。赤福はお伊勢参り全盛の時代から脈々と300年も続く老舗だが、いつしか「ブランド化」した。赤福という「のれん」とヒトとの関係は希薄になり、ついに関係者からの内部告発によって、数々の偽装が明るみに出てしまった。

吉兆、赤福の不祥事は、いずれも食品の偽装に関わる問題だが、吉兆の場合は、ブランドから「のれん」を志向した過程の中で生じ、赤福の場合は「のれん」がブランド化していく過程で生じた問題と位置づけることができる(図)。


パート従業員に責任を転嫁する船場吉兆

そして、吉兆の場合は、さらに問題が先鋭に現れている。

賞味期限の改ざんや牛肉の産地偽装などの問題を引き起こした船場吉兆の湯木尚治取締役は、こともあろうに、その責任をパートの主婦においかぶせようとした。そうしたトカゲの尻尾きりにも似た行為に反発したパートの主婦たちが、弁護士を立てて記者会見を行い、「湯木尚治取締役から直接、改ざんの指示を受けた」とあらためて告発するという前代未聞の事態にまで発展した。その後もこの取締役は、マスコミにも顔を出して、「自分も含め経営層は改ざんの事実を知らなかった」という強弁を押し通そうとしているが、愚かなことに肝心なことを理解していない。

この人物は、必死に吉兆の「ブランド」を守るつもりでこうした行動に出ていたのかも知れないが、全ては裏目に出るだろう。なぜなら、この時点で守るべきは吉兆の「のれん」でなければならないからだ。どんなに高度な品質管理を行ったとしても、商品を扱う以上、どこかで瑕疵や事故が発生する。その時点で商品ブランドは地に墜ちることになるが、消費者が本当に見ているのは、実はその先だ。


幻想の共同体を繋いだ山一証券、野澤元社長

山一証券が経営破綻した時、当時の山一証券の野澤正平社長は、感極まって、泣きながら「みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから! 善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います」と釈明した。そんなセンチメンタルな釈明が会社の経営や冷徹な企業間競争の中で何の足しになるか、だから山一は駄目になるのだと、当時のマスコミレベルでの評判は芳しくなかったが、山一の元社員たちにいわせると、あの言葉によって多くの社員が精神的に救われ、また、野澤社長の泣きながらの会見が全国的に有名になったおかげで、元山一証券マンに対する目が変わり、その後の転職活動にもプラスに働いたという。山一証券は潰れたが、山一マンたちの“幻想の共同体”は、野澤社長の一言によって、リレーされたのだ。山一の破綻劇のこの一瞬に浮かび上がった“幻想の共同体”は正しく「のれん」とよべるものだった。

吉兆の創始者、湯木貞一は、本当は、「のれん」というものに強烈な羨望を持っていたのではないか。それを物語るように、吉兆が料亭としての名声をほしいままにして、全国展開を進めていく過程で、1991年に親族(一男四女)に「のれん分け」をするような形で吉兆を分社の連合体にしていった。親族をそれぞれの分社組織のトップに据えて、吉兆の“幻想の共同体”をしっかりと支えることで、確かな「のれん」を創り上げていこうとしたのだ。

ズタズタになった吉兆の「のれん」

しかし、湯木の思いとは裏腹に、吉兆の「のれん」は、いつのまにか変質し、人々の思いの連鎖は断ち切られ、ズタズタになってしまった。

ブランドは常に唯一無二の存在になることを目指す「王様」のような存在だ。船場吉兆の湯木取締役に教えてやりたいのは、王には必ず「王殺し」が伴うということだ。王の力が衰えを見せると、たちまちに王の首がすげ替えられる「王殺し」が始まる。ブランドも同じことで、永遠に君臨するブランドというものはありえない。吉兆が、今直面しているのはこの「王殺し」である。
そして、「王殺し」にあった吉兆が為すべきことは、ひとつしかない。余すところ無くきちんと殺されることである。吉兆グループとしては、今回の不祥事は船場吉兆がやったことだからというような形で逃げを打つことは、いささかも許されないし、もしそれをやれば、再生の機会を永遠に失うことになるだろう。
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2007/11/post_8e1e.html


【吉兆 偽装表示】中核「本吉兆」社長の責任と謝罪 2007 年10月31日


高級料亭「吉兆」グループの一つ、「船場吉兆」がプリンやゼリー、タルト、ケーキなど5種類の菓子のラベル張替えで消費期限を偽装していた。  最近名店、老舗の食品不祥事が相次いでいるので、「吉兆」よ、お前もかという感じなのだが、この事件に限っておやっと思うことがいくつかあった。

 マスコミは高級料亭「吉兆」と簡単に書いているが、この料亭の高級は並大抵のそれではない。 たとえば大阪にある「本吉兆」の高麗橋本店と、「東京吉兆」の築地の本店は初めての人は入れない。つまり、一見(いちげん)さんお断りの店として有名である。

 では誰がお客かといえば、それは主に政財界のお歴々である。 過去3度の東京サミットで、他の由緒ある著名料亭を押しのけて日本料理の担当に選ばれており、世界の指導者は「吉兆」の味を日本料理の味と思って帰国した。政界、お墨付きの料亭なのである。

 ただその歴史は意外に浅く、1930年、昭和5年に茶道の造詣が深かった創始者の湯木貞一氏が、茶懐石の流れをくむ料亭として大阪で立ち上げた。したがって「吉兆」は関西財界を中心に名声を高めてきており、今日、東京の新喜楽、金田中とならんで日本三大料亭の一つ称せられているのは、料理もさることながら商売のうまさも垣間見える。「松花堂(しょうかどう)弁当」は貞一氏の発明である。

 現在「吉兆」は、貞一氏の長男の系統が継ぐホールディングカンパニーのような立場の株式会社「吉兆」を中核に、本店というべき大阪の「本吉兆」、それに4人の娘たちが、店舗と称する「神戸吉兆」、「船場吉兆」、「京都吉兆」、「東京吉兆」を展開し、不動産を管理する会社など10社、約20店の料理店から成り立っている。

 今回不祥事を起こしたのはこのうち、貞一氏の三女、佐知子氏の系列になる「船場吉兆」で、同社の湯木正徳社長は福岡県出身の料理人で、佐知子「船場吉兆」取締役の婿養子である。

 この事件で意外に思ったのは、表示偽装の対象が日本料理でなかったことと、「吉兆」グループの責任体制が明確でなかったことである。  報道によれば、グループの頂点に立つ株式会社「吉兆」は、ホールディングカンパニーという説もあれば、知的所有権を管理する会社(asahi.com)などという説もあり、その実態は定かでない。しかし世間的には、貞一氏の直系の孫にあたる湯木潤治氏が社長を務める株式会社「本吉兆」がグループの中核と思われており、この事件でもグループの長として、何らかの言及があるものと思われていた。

 ところが、「吉兆」グループからの具体的謝罪は何もなかった。  ネットの公式サイトでは「吉兆 各店舗ご案内」として明確にグループの案内をしており、各店舗の不祥事の最終責任は明らかにグループにある。 平時には「吉兆」の看板を最大限に利用しておきながら、ひとたび不祥事を起こすや、責任の所在をあいまいにするのは、料理人の風上にも置けないふるまいではないだろうか。
http://pub-web.co.jp/?p=262


【吉兆】創業者・湯木貞一翁を悼む☆

<船場吉兆>経営陣の責任認める 農政局に改善報告書

改善報告書の提出後、頭を深々と下げて、謝罪をする船場吉兆の湯木佐知子取締役=京都市上京区で2007年12月10日午前10時9分、望月亮一撮影

 食品の産地偽装や不正な品質表示が次々に明るみに出た高級料亭「船場吉兆」(本店・大阪市中央区)は10日午前、一連の食品偽装が湯木喜久郎取締役(45)ら経営陣の責任と認める改善報告書を農林水産省近畿農政局(京都市)に提出した。その後、同社は京都市内で記者会見し、社内の調査委員会で調べた結果、本店取り扱いの販売用の食品計約30品目で不正な品質表示があったことを明らかにした。販売用カタログに記載されている食品のほぼ全部だった。

 今後は、食品販売から当面撤退。洋菓子の販売は完全にやめ、料亭経営に専念する。料亭は大阪市内の2店の再開を目指すが、福岡市の2店の存続は未定。

 改善報告書では、湯木正徳社長(74)、妻でおかみの佐知子取締役(70)、社長の長男喜久郎取締役、次男尚治取締役(38)の4役員の責任を「不適切表示を認識しながら、漫然と放置していた」とした。家族経営の問題点として、法令を検証する部署がない▽指揮命令系統がない▽役員の権限が明確でない−−などを挙げ、佐知子取締役を除き、3役員は辞任する。法令の認識が甘いことから、弁護士などを社外取締役に迎えることも検討している。

 船場吉兆は、持ち帰りや贈答用の「牛肉みそ漬け」で、佐賀、鹿児島、熊本産の牛肉を使いながら、但馬牛、三田牛として販売し、大阪府警が先月16日、不正競争防止法違反容疑で家宅捜索。改善報告書によると、4年前から九州産を使うようになり、だんだん九州産の比率が上がったという。

 福岡市の「吉兆天神フードパーク」で売れ残りの菓子などの期限ラベルを張り替えて販売した問題は、発覚当初、「店のパート従業員が勝手にやった」と説明した。改善報告書では「店長の尚治取締役が、売れ残った商品を店員らが廃棄することに厳しい態度をとり、店員らが期限切れ商品を売らなければいけない状態に陥らせた」とし、「実質的に店員らに指示したと言わざるを得ない」と結論付けた。

 同社は料亭のほか、総菜や菓子、加工食品や食材セットなどを販売。こうした販売用食品は「吉兆」の名前を使っただけで、大半は別業者が委託製造。賞味・消費期限の設定も今年3月までは科学的な試験をせず、記者会見で佐知子取締役は「長年の経験に基づく感覚で決めていた」と述べた。

 【ことば】船場吉兆 料理界で初めて文化功労者に選ばれた湯木貞一氏(故人)が1930年、大阪に開いた料理屋「吉兆」がルーツ。現在は、船場吉兆(本店・大阪市中央区)のほか、本吉兆、京都吉兆、神戸吉兆、東京吉兆の5グループにのれん分けされ、船場吉兆は貞一氏の三女の婿、正徳社長が経営。数年前から料亭の心斎橋店(同)でカレーを提供するなど、本格的な日本料理にこだわらない営業方針は、吉兆グループ内でも異色だった。 (毎日新聞) 12月10日11時1分配信


☆吉兆の創業者、湯木さんは北大路魯山人の厨房で修業した人。
 正統な後継者として日本料理の粋をつくりあげた。
 吉兆の創業の最大のスポンサーが松下幸之助翁。

 湯木さんには、幸之助研究に没頭していたころ、少しお会いして話を聞いたことがある。
 「国と国民を救う気持ちで、料理にあたってもらいたい」というのが幸之助翁の口癖だったと聞いた。

 どこで「船場吉兆」が間違ったかといえば、「人」という他はない。  娘の結婚相手だからといって、とんでもないアホを社長にしてしまった。  しかも、娘が産んだ子だからといって、とんでもないバカを店長にした。  しかも、みんなウソつきばかりだ。

 能力のないものが高い地位にあると、ゴマカシが発生するのである。  能力と地位の格差に、無理に地位にしがみつく期間をかけた分だけ、ゴマカシの数と大きさは増大すると考えられる。
http://plaza.rakuten.co.jp/freiherr/diary/200712100000/


船場吉兆の転落の始まり
http://www.youtube.com/watch?v=eIBSPSnPPDY

【ニュース】船場吉兆で料理の使いまわし発覚
http://www.youtube.com/watch?v=nqA4AXx14IE


船場吉兆の「恥の上塗り会見」
http://www.youtube.com/watch?v=tVm_FkJfuj8&feature=relmfu
そうです。これが伝説のお笑いコンビです。

470 :もぐもぐ名無しさん:2008/05/06(火) 02:53:12
泣きながらパート従業員に全責任をなすりつけるホラ吹き息子と
それを腹話術で操るババア
っつう見世物小屋でも始めればいい
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/food/1195241291/

「5万円出してくれはったら、ちゃんとした料理をお出しします」 船場吉兆の “ささやき女将”のエピソード 2008/01/17(木)

偽装表示問題で民事再生法の適用を申請した名門料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)の再建を託された女将の湯木佐知子社長(70)。半世紀にわたり店を切り盛りし「やり手女将」の名をはせる半面、創業者の三女で「世間知らず」ともささやかれ、経営手腕を疑問視する声もある。

 「とにかくプライドが高く、服装や外見で客を判断していた。吉兆は普通の店とは違うという意識をすごく強く持っていた」。

 佐知子氏と親交がある業界関係者は女将時代を振り返り、エピソードを打ち明ける。

 ある時、一見客が訪れた。佐知子氏は「5万円出してくれはったらちゃんとした料理をお出しします」
 と高飛車な態度を取った。ノーネクタイの客には「うちは高いですよ」と門前払いするように言い、 怒りを買った。

 半面、常連客は「愛想がいい」「サービス精神旺盛」と口をそろえる。
 女将として一流の接客を心得、船場吉兆の象徴的存在だった。

 「吉兆」の創業者、故湯木貞一氏の末娘として溺愛を受け、1956年に現在の本店が開店した当初から経営に携わってきた。「電話受け付けから芸妓の采配まで一人で切り盛りし、従業員には口出しさせなかった」と出入り業者。「料理人をニックネームで呼ぶ」(元料理人)など従業員との 接し方もソツがなかったという。
http://unkar.org/r/newsplus/1200576518

船場吉兆・湯木尚治取締役 2007年11月16日 (金)

 この人も恐らく、1969年生まれですね。現在、38歳です。しかしこの人は酷い経営者ですね。金持ちのバカボンです。最初に、福岡のデパート「岩田屋」で賞味期限のの改ざん疑惑が発覚したとき、「現場の判断」と湯木取締役は言いましたが、それは無いだろう恐らく、船場吉兆が関与していると思いました。でも、湯木取締役が主犯だったのですね。

 次に本店での産地偽装疑惑やブロイラーを地鶏として、販売した疑惑で、湯木取締役は納入業者の責任だとして謝罪はしましたが、関知しないことだと責任逃れをしました。この段階で、彼をバカボンで無責任だと思いました。でも大きな事件は、パートが勝手に賞味期限の偽装をやったのだと「しらを切った」ことでえす。更に許せないのは、販売責任者にウソの報告書に署名をせまったことです。


(引用開始)
販売責任者に「ウソ報告書」への署名迫る…船場吉兆取締役

「延ばして売りや」――。「船場吉兆」(大阪市)が福岡市の百貨店「岩田屋」内の店舗で食品の表示を偽装していたことを巡り、14日記者会見したパートの販売責任者らは、消費・賞味期限を改ざんするよう、同社側から指示があったことを強調した。「パート一人でやれるはずない」とも訴え、「すべてパートに任せていた」としている同社側の姿勢を批判した。

 ◆改ざん
 会見には、販売責任者の女性と、当時の同僚だったアルバイト女性3人、山口健一弁護士の計5人が出席した。

 販売責任者らの説明によると、賞味期限が残り1か月を切った総菜について、「店長」の湯木尚治取締役に相談すると、「そんなん日持ちするんやで。1か月くらい延ばし(延ばせ)」と指示され、賞味期限のラベルを張り替えた。

 賞味期限を改ざんしても商品が売れ残ると、湯木取締役は「なんでそんなに売れんのか」と声を荒らげたこともあった。値引きを提案しても、湯木取締役は拒否し「何回も賞味期限の話はするな」と言ったこともあるという。

 湯木取締役は普段から「こんな売り上げでどうするんや」としっ責することも多かった。こうした態度に、販売責任者は「一人で賞味期限の話をするのが怖かった」と証言した。


 ◆責任転嫁?
 販売責任者によると、問題が表面化した後の10月末、船場吉兆が経営する福岡市内の日本料理店へ呼び出された。

 湯木取締役は個室で「何としても会社を守っていかないといけない」と話し、威圧するように販売責任者の隣に座った。事実上の“軟禁状態”で、あらかじめ用意していた「不正はすべて販売責任者が行った」とする内容の事故報告書を示した。

 湯木取締役は署名を求めたが、販売責任者が「事実と違う」と拒むと、「それはあんたの言い訳や」と激高。帰れそうもなかったため、販売責任者は「トイレに行く」と部屋から出ることを繰り返し求め、4回目で料理店を抜け出した。

 次の日も、同店で、別の社員から「賞味期限を過ぎた商品を売った理由を書いてほしい」と、報告書の作成を求められたが断った。帰宅の際には、湯木取締役から店のスタッフに謝罪するよう言われ、「謝らなければ帰れない」と思い、頭を下げた。

 またアルバイトの一人は、福岡市の調査が店舗に入ったことを電話で報告した際、湯木取締役から「あんたのせいで、大変なことになったやないの」とどなられたという。


 ◆ずさんな管理体制
 すしと弁当の販売を担当していたアルバイトは、「福岡市の調査を受けるまで、従業員はだれも、消費期限と賞味期限の違いを知らなかった」と証言。さらに本店から送られてくるラベルは、賞味期限を表示するものしかなかったことも明らかにし、食品の管理体制の甘さを指摘した。

 別のアルバイトは「いつも『ありえない会社』と思っていた」とこぼした。

(引用終わり)


 本当に「ありえない会社」だと思います。湯木取締役に比べると、ミートホープの社長でさえ同情できます。社長の「世襲」は多くの場合「弊害」の方が多いです。湯木取締役は「現場」と離れて「経営」をしています。「吉兆」は高級なブランドです。先ず、他の「吉兆」はかなりの打撃を被りました。今後どうなるのかは、わかりません。でも、「船場吉兆」は「廃業するべき」だと思います。バカボンが経営者になる、韓国では大財閥でも、バカボンに相続させるので問題になりました。吉兆くらいの小さな規模だと、世襲は仕方がないのかもしれません。でも、優秀な「番頭」をつけておかないと「バカボン」の暴走は止められません。「テン・アローズ」は大丈夫でしょうか。

 とにかく、湯木取締役は、すぐにばれる嘘をつきます。「正直なのは、最善なやり方だ」はアメリカの諺ですが、日本では「嘘つきは泥棒の始まり」と言います。賞味期限の延期は小さな嘘です。でも、そうした真実を隠したため、他人に責任をとらせる。テレビでの湯木取締役の態度は、納得のいくものではないし、最後は逃走しました。次にどんな無様な対応をするのでしょうか。
http://asahina-kyouko.air-nifty.com/kabu/2007/11/post_4705.html

1 ◆SCHearTCPU @胸のときめきφ ★ tokimeki2ch@gmail.com 2008/05/08(木) 00:59:42 ID:???0

大阪市の本店で客の食べ残しを使い回していた高級料亭の船場吉兆(民事再生手続き中)は7日、福岡市の博多店のほか、 同市の天神店(閉店)、大阪市の心斎橋店(同)でも食べ残しを客に提供していたことを明らかにした。

これで全店で使い回しをしていたことになり、不信はさらに深まりそうだ。

*+*+ 産経ニュース 2008/05/08[00:29] +*+*


61 :食いだおれさん:2008/05/07(水) 22:22:10

>佐知子社長は
「今年3月に府警の事情聴取を受けた際に知らされたが、手つかずの料理は食べ残しとは違うと思った」
と弁明した。

41 :食いだおれさん:2008/05/03(土) 15:27:10
船場吉兆マニュアル
一見さんに出すマグロの刺身は使い回し5回以上で尚且つ色はほとんど黒に近い紫色のものを出すこと。

3回以上来店のお馬鹿さんにはやや赤見の残る紫色の刺身とすること。

46 :食いだおれさん:2008/05/04(日) 12:15:37

 【吉兆のおもてなしまとめ】 *現時点の判明分

・客が手をつけずに回収された銀ダラやハモ、牛肉などの焼き物を再び調理して出す
・同上を折り詰め弁当に使用
・刺し身に使うワサビは、客がはしをつけて半分ほど残った場合も回収してしょうゆに混ぜ、
 「ワサビじょうゆ」として別の料理に使用
・鰻丼の食べ残しを電子レンジで温め直し、器を替えて出す
・石焼きにする魚介類、フルーツゼリーなどはそのまま別の客に出す

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1200291795/

498 :もぐもぐ名無しさん:2008/05/09(金) 06:36:25

おかみは、「手が付いて無い料理と、残り物とは違うだろう。マスコミはそのニュアンスの区別がつかないのか?」と怒ってます。

499 :もぐもぐ名無しさん:2008/05/09(金) 07:26:18

もう、神の領域やね。

500 :もぐもぐ名無しさん:2008/05/09(金) 07:57:19

なんたって、料理会の人間国宝の店みたいなもんだから、素人や料理を知らないマスコミにグダグダ言われる筋合いは無い。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/food/1195241291/

23 :食いだおれさん:2008/06/02(月) 10:43:41

使いまわしは先代のころからやっていたという話しだが、先代から 教えを受けた他の吉兆が使い回しをしていなかったなんて、 信じてる方います?
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1212147317/


424 :もぐもぐ名無しさん:2008/03/09(日) 08:55:23

湯木尚治取締役がパート証言否定 (07.11.16)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/kaizan/ka_07111602.htm

「船場吉兆」(大阪市)による食品の表示偽装問題で、読売新聞の取材に応じた湯木尚治取締役(38)は15日、福岡市の百貨店「岩田屋」地下の店舗で行われた消費・賞味期限切れ商品の販売を「湯木取締役に指示された」としたパートの販売責任者らの証言を否定、不正への会社側の関与がなかったと改めて強調した。


425 :もぐもぐ名無しさん:2008/03/09(日) 14:57:18

地元九州朝日放送で夕方18時半からのニュースで独占インタビューでも
あくまでもパートが勝手にやったことでこれは誓ってもいいと涙ながらに訴えました



427 :もぐもぐ名無しさん:2008/03/10(月) 13:20:44

「僕は真実だけを話している」 船場吉兆取締役パート証言を否定
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1195190463/


「僕は真実だけを話している」
「僕は真実だけを話している」
「僕は真実だけを話している」

ここまで大見え切って断言したのに、それが大ウソだったわけだよ。
それなのに湯木尚治が表に出てこないのは、おかしすぎるだろう。

423 :もぐもぐ名無しさん:2008/03/09(日) 08:52:53

福岡のデパートの出店で、あれだけ賞味期限の偽装に関してパート店員に責任を押し付けてたコメント垂れ流して、そのまま雲隠れは許せんな。 謝罪会見の時も尚治は出ていなかったじゃないか。

どれだけ偉そうに、弁解してたか忘れていないぞ。公式に謝罪するのは、まず尚治だろうが。



91 :食いだおれさん:2008/07/12(土) 09:18:27

 あの日、湯木庄治は記者会見で大見得を喋った、上部の関与は一切有りません、全てパート従業員が単独で行った行為であり私ども吉兆が如何にも関与していたことはまったくございません、と涙を浮かべて会見を行った、此処から転落の始まりが起こった。
二日後彼は大阪船場吉兆本店の駐車場から愛車のベンツ300Cコンプレッサーに乗り込む寸前に毎日放送のキャスターにマイクを向けられる。 ここで彼は堂々と言ってのけた、全ての根源はパート従業員の不徳の行為であって吉兆の幹部の関与は一切有りませんと、

また、マタ、又、偽弁で乗切ったかに見えた翌日、パート従業員の息子さんがタマタマ、弁護士で有った為、内容証明の文書が船場吉兆に届いた、彼は慌てた、高級料亭だが中身は大衆食堂、什器は立派だが、顧問弁護士も飼っては居ない、

慌てた彼は専務に相談、専務も、遊びは得意だが会社経営はまったくぞんじません、兄弟で思案していた事が、表に出てから代表と専務、庄治がお詫び会見

ここでもウソを言った。 頭が真っ白の会見に向かい、腹話術師の裏社長が表に出ることに

 佐和子さんは引責辞任はしないのですかの質問に、ハァ、ハア〜、
 年を取ると耳が聞こえませんがナと受け流す、シタたか、
 でも、結局は悪は栄えずでした、チャンチャン


15 :食いだおれさん:2007/12/18(火) 01:18:45

人間のクズ


16 :食いだおれさん:2007/12/18(火) 02:43:08

てか、ちょっと頭が弱いだけ


28 :食いだおれさん:2008/01/09(水) 03:11:31

てか、分かりやすい人だったね。

89 :食いだおれさん:2008/06/19(木) 22:38:49

長男の方が誠実そうに見えたが、次男はどうして、パートが偽装したんだと、すぐ分かる嘘ついたのか?
大学までエスカレートきたから、世間知らずのお坊っちゃまなのか


17 :食いだおれさん:2007/12/18(火) 03:16:32

頭が弱い若僧に金や地位を与えた必然的な結末

迷惑千万
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/food/1195241291/
http://unkar.org/r/gurume/1195912131


768 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 14:00:59 ID:k1/FxWUe0 [2/2回発言]

船場吉兆の不手際

・賞味期限改ざん発覚後、店長である取締役・湯木尚治は「すべてパートが勝手にやった」と説明

・パートの言い分は、すべて店長の指示。一パートがそんなこと判断できる体制ではないとマスコミに発言。

・湯木尚治は「すべてパートがやった」という報告書を作成し、パートたちに署名を強要。パートが反発。

・湯木尚治は各メディアにおいてもパートの責任とする発言を繰り返すものの、記者会見は拒否し雲隠れ。

・地鶏、味噌漬け、その他ほとんどの商品で賞味期限または産地の偽装が発覚。

・記者会見にて、すべては経営陣の指示で、パートの責任ではないと発言を撤回。

・取締役で母親である女将の湯木佐知子が会見にて、涙を流さない泣きまねがアップで映される。

・湯木佐知子が息子・湯木尚治に横から「頭が真っ白になった、と言え」と指示する声をマイクが拾う。

463 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 10:52:34 ID:V6iVQd6j0 [3/9回発言]

最初に

「会社は悪くありません、みんなパートの責任ですッ!」

って言っちゃったからな

267 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 08:56:48 ID:s5mNius20 [1/1回発言]

> 「従業員の独断」と説明したことについても、経営陣が
> 売れ残りを破棄することに対して厳しく叱責していたとして

叱責はしたけど、「偽装する」って判断を下したのは従業員だって言いたいわけね。
とことん糞なやつらだな。さっさと廃業しろ。


57 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 05:24:08 ID:sRp/pbxb0 [1/4回発言]

ここは偽装どうこうというより、その後の言い逃れが酷すぎる。

確かに食品関係は最近の法改正で厳しくなった部分があるから、昔からやってきてそれを遵守できてなかった部分があって偽装がでるところはあると思う。 それなら、それで非を認めて反省、再認識して再発防止を図ればいいものを
自分たちは悪くない、従業員や取引先が勝手にやったを連発したんじゃ、どうしようもない。

もはや吉兆の経営陣の体質が最悪

76 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 05:50:40 ID:sRp/pbxb0 [2/4回発言]

ここまで散々パートや仕入れ業者なんかに責任なすりつけたところが
心を入れ替えて出直しますなんていったところで、だれも信用しないわな。

77 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 05:52:51 ID:v6x/mdD90 [1/1回発言]

軟禁して念書強要したパートのおばちゃんにテレビの前で土下座して欲しかった。これだけ有名になって今更謝罪を画像ファイルであげたところでどうにかなるとでも思ってるのかね


105 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 06:32:07 ID:iO3Dh7+b0 [1/1回発言]

偽装は食品業務を続ける資格があるかどうかの問題。
パートのおばちゃんに罪を着せたのは、人間失格かどうかの問題。

692 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:15:25 ID:uH591e1c0 [1/1回発言]

他の偽装改竄企業に比べると船場吉兆は人材が豊富の様だな
これほど嘘で固めた謝罪会見を見るのは初めて
怒りを通り越し笑えるな
この婆さん然り家族全員大嘘つきという事が益々理解出来た謝罪会見wwww
これでまた恥の上塗りwwww
それに気付いてないのがまた笑えるwwww


722 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:34:04 ID:fPTdhnGS0 [3/4回発言]

ばばあが想定してなかったのは、テレビでアップになることだね。
いくら上手に泣きまねしても、涙が1滴も流れてないところをテレビカメラは大写しにした。

505 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 11:25:02 ID:wddyiPja0 [1/1回発言]

ばばあの嘘泣きっぷりを見て、湯木貞一から派生する一族全体があやしげに見えてきた

317 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 09:17:59 ID:38fQdFjz0 [1/1回発言]

どう見てみてもババアが黒幕だな

702 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:19:39 ID:rSrfyYgtO [1/2回発言]

凄い下品な女将さん。知らん言っとけ!…
あの左右極端に違う歪んだ顔つき見たら、偽装から嘘会見に至るまであのオババの指南に違いない。相当のタマと見た。京都から東京まで吉兆あんなのが他に4人いるんだな(怖


561 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 12:09:30 ID:1kZj6mkD0 [1/3回発言]

創立者の実子である婆ァが一番の権力者なのさ。
料亭の大女将だよ。現場を取り仕切っていたんじゃないか?
常識的に考えて、こいつが諸悪の根源だろう。
創立者が死んだ10年前から不正が始まってる。

お、ピンポンきた。


675 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:02:34 ID:eVlXU3cc0 [1/1回発言]

このばばあが偽装支持した可能性が高いな。
夫は多分、ただの板前馬鹿だろう。
大体こういうせこいことして設けようというのは、女が多いよ。
社長の嫁さんが経営に口出すと、ろくなことやらんよ。
モラルや信念がないからな。
だから、平気でこういうことやる。

この娘は、自分が料理とかしないから、店の料理や味にプライドがなかったんだよ。
ただの創業者の娘なだけで。
だから、目先のもうけのためだけに、こんな偽装を安易に支持したんだよ。


597 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 12:22:12 ID:C+B8mbMk0 [2/2回発言]

創業者の湯木君料理作りは創作の先駆者で立派だったが
子作りが創作できず最悪であったというお話

385 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 09:57:52 ID:IoVGGpub0 [2/3回発言]

先代の娘である女将(湯木家のナンバー1)に精神的に虐げられて、婿と息子が屈折していった様が想像される。

婿養子は辛いな。


631 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 12:36:02 ID:OP6jcbiZ0 [1/1回発言]

こんな偽造がバレてなければ この店は品格高い一流として扱われ続けてたわけか

世間で「一流」とされるものなんて、裏へ回ればこんなものか

恐れ入るよーなもんじゃないって事だな(笑)

639 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 12:38:34 ID:eyHWe2Q/0 [16/25回発言]
>>631
三ツ星のすし屋も口コミで実態が判ったしなw
・弟子に握らせる
・料金ばか高!
・常連とおしゃべりしてるだけの店主

一流を目指してる時は最高だけど、一流になったら終わりだな。

668 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 12:56:25 ID:KIS4I0JN0 [2/5回発言]

大阪の食は別に吉兆なんか無くなっても全然かまわない
主流派粉モンだからみんな直通した滅菌食品ばっかり。
もっと危ないのは京都祇園の老舗料亭だろう。
菊の井とかあぐらかいて金儲けで手広くやりだしたとことか。
俺は学生時代に平八とかホテル松井とかでバイトしてたが
そらもう・・あんた・・残ったビール1本にまとめてやな・・
知らぬは客ばかりなりw


694 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:15:32 ID:KIS4I0JN0 [3/5回発言]

瓶に残った余りビールを泡を立てずに1本にまとめる方法
一見では分らないような再栓の仕方
栓抜きでいい音を出す方法・・・

とかどこでも秘伝の隠し技があるよね


676 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:04:59 ID:caVqURjE0 [2/3回発言]

京都とか大阪で「伝統」を看板に掲げてる商売人って、なんでああも胡散臭そうな顔つきになるのか?
原材料をけちって、手順を割愛して、人件費をけちって、それでもって「伝統」の看板料だけで、本人も半ば信じられん高値で売りつける

そんなことを応仁の乱、大阪夏の陣以来何代も延々と続けてきたら、そりゃ詐欺師の顔にもなるか。
船場吉兆なんかまだ三代目だから、真の熟成は今後だな


700 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:18:41 ID:Og/7gZV20 [1/1回発言]
>>676
でも「伝統」の看板に騙されやすいのが関東人なんだよな。
仕事で関西に五年住んでるけど、京都なんか関西人はロクに行かない。関東人観光客ばっか

「そうだ、京都に行こう」にホイホイ乗せられて、まずいモン高値で買わされてご満悦
同じ関東人ながら情けないちゅーか、騙される方が馬鹿も一理あるんだよな

735 : 名無しさん@八周年: 2007/12/11(火) 13:40:55 ID:caVqURjE0 [3/3回発言]
>>700
まったく祇園、嵐山やそこらの観光スポットの店で 「京の昼膳・4730円」あたりを注文し、小鳥の餌セットみたいなチープ料理を「やっぱり京都だね」「器もいいわあ」なんてのたまわっているのは、大抵、関東人だからね 

鞍馬の方では二千円ほどのきつねうどんも出てたっけ
頼むからみんな、欺されに遠路やってこないでくれ

http://logsoku.com/thread/news24.2ch.net/newsplus/1197312106/

305 :食いだおれさん:2009/07/25(土) 14:45:28

何処の吉兆が一番美味しいのでしょうか。

56 :食いだおれさん:2008/08/14(木) 19:44:51

今や吉兆という名前はインチキ割烹の代名詞になっているものな。どこの吉兆だって一緒だろうよw。
元々ろくな料理人じゃないのが金持ちに取り入るのが上手かっただけだろうよ。


59 :食いだおれさん:2008/09/14(日) 14:31:53

どこの吉兆も調理師学校でて2,3年のボウズばかりだな。


303 :食いだおれさん:2009/07/25(土) 01:29:56

京都吉兆は別物でしょ

本吉兆と神戸吉兆と船場吉兆が本当の吉兆

とくに、ビル吉兆(船場吉兆)が一番味が良いと評判だった・・・・

304 :食いだおれさん:2009/07/25(土) 13:22:10
>>303
吉兆グループのメニューは徳岡孝二会長が考えだしたものだ
湯木貞一が独自で考え出したモノは少ない

306 :食いだおれさん:2009/07/25(土) 14:47:10

他の吉兆は全部湯木なのになんで京都だけ徳岡なの?

307 :食いだおれさん:2009/07/25(土) 15:29:18

京都以外は婿養子

398 :食いだおれさん:2011/01/27(木) 00:43:53
>>306-307
京都吉兆は次女の家系だが邦夫氏は先代の孝二氏の息子ではない
邦夫氏は次女と前夫の子供でその夫は若くして事故で亡くなる
孝二氏は次女の再婚相手
だからかしらないが邦夫氏を「邦夫さん」って呼ぶね

全ての吉兆が婿養子ではなく本吉兆は唯一の息子の長男の家系


401 :食いだおれさん:2011/05/26(木) 11:14:00.69
>>398
でも、高麗橋は包丁握らんよ
孫の中で料理してるのは、嵐山のドルジと船場の長男だけ。
あと、修行して無いよ。

因みに世間が叩きまくった、船場の長男はストイックに料理を追求してた地味な人で組合での料理の評判も良かったよ。
田舎とかで、湯木貞一が始めた店の様なちっこい割烹を初めて欲しなぁ。

106 :食いだおれさん:2009/02/16(月) 15:42:18

高麗橋本店だけで充分。
嵐山本店始め、他店は「吉兆」の名を語る資格あるのかな?

107 :食いだおれ:2009/02/16(月) 15:59:02

味だけで言ったら、高麗橋よりもビル吉兆の方が美味かったかも知れません。 が、私も使い廻しを食べさせられたのかも・・・(笑)

京都吉兆の嵐山本店は風情もロケーション、建築や調度類に至る迄抜群ですし、ニ代目さんの目の黒いうちは貴重な存在だと思います。 三代目さんが改心してくれたら宜しいのですがね。

東京吉兆の本店は、黙って嵐山の倍近い請求が来る。
これは個人使いにはかなり無理が有りますよね。
自分の懐を心配しなくて済む幸運な方々には結構なお店かと。
皮肉は抜きにして、文化の継承の観点からは貴重な存在だと思います。

神戸吉兆は、どちらかと言えば宴会で稼いでいる様です。
本吉兆・東京吉兆・京都吉兆の各本店と花吉兆くらいが残れば良いのではないかな?と感じます。



108 :食いだおれさん:2009/02/16(月) 16:15:59

高麗橋本店は、若い衆に「吉兆イズム」を叩き込む為の聖地でもあるし、何としても残しておかないとな。

329 :食いだおれさん:2009/10/06(火) 11:47:00

詳しい人に聞きたいんだけど、吉兆は、どの店が一番評価高いんだろう。
店を広げすぎて、何がどうなってるのか分からない。


333 :食いだおれさん:2009/10/06(火) 12:43:19
>>329

高麗橋

334 :食いだおれさん:2009/10/06(火) 18:34:34
>>329

今は何だかんだ言っても嵐山吉兆ですね


341 :食いだおれさん:2009/10/08(木) 14:55:00
>>329
嵐山が一番だと思う。
こぶ平は船場ショックまでは勘違い甚だしかったが、最近は客の見送りにも出て来る様に成った。
一時期のケッタイな創作料理も影を潜めてエエ傾向
孫の中でもマトモに料理してる奴の少ない事、こぶ平が今の吉兆のイメージリーダーなのは疑う余地は無い

高麗橋もアカンわ
女将の着物、袖口真っ黒けやわ
10万弱も払って有れは無いやろう

築地も料理に精彩かくね
味も濃く、だし汁もレシピ通りやってるのカイナ?

一番良い選択は予約困難だが未在に行くのがベストだと思う。


342 :食いだおれさん:2009/10/08(木) 23:27:48

本吉兆 
船場騒動の時、知らんぷりしてたカスや

東京吉兆
上に同じや
それに此処は関西組とは疎遠になっててようわからん
銀座本店の客層は吉兆グループで一番やとはきいとる
さすが天下の銀座やな

京都吉兆
船場騒動の時にHPでちゃんと謝っとったな
知らんぷり決めこんどった本吉兆と東京よりはマトモや
一番頑張っとるわ

神戸吉兆
可もなく不可もなく完全に空気や
やけど船場騒動の時はHPでちゃんと謝罪しとったからええとしよ

239 :食いだおれさん:2009/03/16(月) 02:22:06

いつ、船場の二の舞になるか?わからないけどね・・・ 
やっぱり、体質そのものは変わらないから、親族経営での怠慢とか! 
従業員を大事にしないと、船場みたいに、いつリークされるか、わからないし・・・ 


294 :食いだおれさん:2009/07/08(水) 22:48:19

吉兆は既に終わってる
湯木翁の最大の失敗は全ての娘に店を持たせたこと
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1212147317/


263 :食いだおれさん:2011/11/20(日) 14:53:03.11

船場吉兆は『北新地 湯木』として割烹スタイルで復活
次男は既にミナミで展開中 :


『北新地 湯木』
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27061319/

吉兆の流れをくむ北新地・湯木――伝統の技と洗練をご堪能下さい

吉兆初代・祖父の代から続く思いを継承すべく、「北新地 湯木」の屋号を掲げ11月21日にオープン致しました。

季節感に満ち溢れた五感に響くお料理を心からのおもてなしをお届け致します。夜は四季折々の懐石料理を8000円から、お昼は祖父の考案した「味の宝石箱 松花堂弁当」を3000円から海鮮石焼付きでお楽しみ頂けます。 皆様にご賞味頂きたいお料理を沢山ご用意してご来店をお待ちしております。


大阪府大阪市北区曽根崎新地1-7-12 ダーリンビル 1F
TEL: 06-6348-2000

地図
http://r.gnavi.co.jp/k160401/map/#figure


264 :食いだおれさん:2011/11/21(月) 07:49:49.24

長男は高麗橋経営、平野町の正月屋・吉兆にて働いている。


266 :食いだおれさん:2011/12/04(日) 16:50:35.40

中々、長男の腕は大したもの
古い形の料理バカだね。
次男はホンマにアンポンタン
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1200291795/

    |:::::::::::::::::   ____________    :::::::::|
手  |::::::::::::: ,. '":::::::::::::::::::::::::`ヽ.  ::::::::| 頭  ど
遅  |:::::  /::::::::く:::::::╋::::::::>:::::::::\  :::| で.   こ
れ  |:::: 〈:::::::::;:::--- 、─ァ -- 、:;:::::::::〉 :::| す   が
で. .|:::::  ,〉'"      `'´     `ヽ!  :| か  悪
す  |:::: /   /  ハ  ハ ヽ ヽ 、  ',  |  ゜  い
ね. |:::: i  ,'  /!__i_, !' ! ,_ハ__ハ ',  ! ',    ん
  ゜/::  ノ.! ! /,ィ-ァ!、! レ',ィ-=!、! i ハ  〉    で
´\|::  〈 ノ Yレヘ''ゞ-'     ゞ-''/レ' ン ∠、    す
::::    〈 ハ  !ハ."  ______  "ハ ハ !   !    か
::     ノ、 `ァ'_」>、._`ー' ,,.イ/イ、ノ    ヽ.  ?
     / `ァ''´ ',   ヽ干´ン::::::::::::`ヽ.   `''ー─
    ! ヽ/   ,y ヽ、. .,!':::::::::.y::::::::::::',
    〉r〈_,.-、7-、  Y十::::.::::::i::::::::::::::〉


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5. 石原料理長を追いだした(?)吉兆 嵐山本店のその後


吉兆 嵐山本店

〒616−8385京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町58
TEL:075−881−1101
http://www.kitcho.com/kyoto/shoplist/arashiyama/
http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26001312/dtlrvwlst/

KITCHO KYOTO 京都 吉兆
http://www.youtube.com/watch?v=p8D6gP4j3oc

地図
http://maps.google.co.jp/maps?source=embed&hl=ja&q=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%90%89%E5%85%86+%E5%B5%90%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%BA%97&lr=&ie=UTF8&hq=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%90%89%E5%85%86+%E5%B5%90%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%BA%97&hnear=&ll=35.013637,135.674647&spn=0.006295,0.006295

京都吉兆(京都市右京区)

京都本店嵐山店
リーガロイヤル店
花吉兆
京都グランヴィア店
松花堂店
名古屋店

徳岡凖子(次女/S9年生)
徳岡孝二(娘婿/社長)
徳岡邦夫(孫)
杉井延子(孫) 京都本店嵐山店
http://kingendaikeizu.net/kittyou.htm

『吉兆』嵐山本店 総料理長 徳岡邦夫

1960年生まれ。『吉兆』の創業者・湯木貞一の孫。

高校卒業後僧侶生活を経て大阪の湯木氏のもと高麗橋『吉兆』にて本格的に料理の修業を始める。
その後、『吉兆』を離れる事を希望し、朝ごはん屋台などを企てるが断念。
大阪『吉兆』 (1980〜1983)、東京『吉兆』 (1983〜1987)と修行を続け、湯木貞一氏から料理の核心を学ぶ。

1995年から、京都嵐山『吉兆』の総料理長として現場を指揮する。

2004年 イタリア・スローフード協会主催、"食の祭典"「サローネ・デル・グスト」 に日本料理代表として招聘
2005年 スペインの"マドリッド・フュージョン"に招聘される。
2006年 イタリア・スローフード協会主催、"食の祭典"「サローネ・デル・グスト」 に日本人初 2大会連続招聘
2007年 料理本「嵐山吉兆 四季の食卓」(シリーズ)を出版、 洞爺湖サミット  食の部門 日本料理担当
http://www.tsujicho.com/report/cat680/-vol1.html


今年のワースト店 ☆吉兆 嵐山本店 2011年12月31日(土)

主人のドルジ(こぶへい)、もとい徳岡邦夫総料理長が不在と聞いて期待していたのですが、挨拶に出てきた嵐山本店料理長を見て友里は椅子から(座椅子ですけど)転げ落ちそうになったのです。見た目30才前後にしかみえない自称料理長であったからです。昨年の大政奉還(義父の徳岡孝二氏が完全引退)後、ベテランの料理人をみな排除してしまったのでしょうか。

若くても腕が良ければ文句はないのですが、如何にも自信なさげな応対は料理にそのまま反映されてしまったのであります。立派な部屋に高価な器、そして船遊びさえもカバー出来ない料理の不完成度でありました。

これで初代から続く常連客が果たして通い続けるものなのか。マスコミ露出や店癒着ライターと手を結んでいるようですが、一見客や業界人相手の商売では前途は厳しいと私は考えます。
http://tomosato.net/weblog/%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E5%BA%97/


335 名無しさん@八周年 New! 2007/11/16(金) 12:19:42 ID:1L9eypvz0

俺は京都吉兆の調理場で働いていたけど、産地は偽装してたよ。
京都産の筍に九州産の筍混ぜてたよ。『味の素』は使っていないと言って『いの一番』使ってたし(笑)。

京都吉兆は数何前に内部で包丁沙汰があってベテランがみんな辞めちゃったから今は調理学校出て数年の調理師が大半を占めてる。だから魚もおろせないから魚屋におろして持って来てもらってるし食材も一度に大量に仕込んで冷凍保存している。

俺もこんなとこじゃ修行にならないからすぐ別の店に移ったけど。新しくできた京都吉兆の名古屋店は京都グランヴィア店の店長と料理長が赴任してやってるから、特に酷いらしい。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/peko/1195096569/


偉大な父をもった二代目は、父に一歩でも近づきたいと願うあまり、往々にして臆病になり、小さくまとまってしまうこともめずらしくない。足利将軍家しかり、徳川家しかり。「吉兆」がそうであるかどうかはわからないが、バブルの崩壊もあり、世の中から「吉兆」は停滞してしまったと思われた時代がつづいた。

ところがいま、ふたたび「吉兆」にスポットが当てられはじめている。「京都吉兆嵐山本店」料理長、徳岡邦夫の存在に注目が集まっているからだ。2002年の暮れ、TBS系の「情熱大陸」でクローズアップされた徳岡邦夫の姿に度肝を抜かれた。徳岡邦夫は湯木貞一の孫に当たる。母や湯木貞一の弟子であり、娘とともに嵐山店の経営を任された「京都吉兆」の現社長。徳岡邦夫は絵に描いたようなサラブレッドである。テレビでは、そんな徳岡が悩み苦しみつつ、素材を見極め、自分の料理を発見し、料理人として進むべき道を見出していく求道者のような姿を描いていた。私は、これが日本料理の最高峰をきわめた湯木貞一から受け継がれたDNAなんだと、と画面に引き込まれてしまったのを憶えている。

徳岡邦夫は1960年(昭和35年)生まれの46歳だが、名門料亭のボンとして、順風満帆のなかを生きてきたわけてはない。実は徳岡の現在の父、徳岡孝二氏とは血のつながりがない。母は大津市坂本の老舗「鶴喜そば」の嫡男と結婚し邦夫を設けるが、実父は邦夫が2歳の時に他界。湯木貞一は高麗橋に戻り店を手伝っていた娘を、信頼できる愛弟子・徳岡孝二に嫁がせ、ふたりに嵐山店を任せたのだ。そのころの湯木貞一はすでに功なし名をとげた、当代随一の料理人としてだれもが認める存在であった。

邦夫少年は、現在ほど観光地化していなかった嵯峨嵐山の自然のなかでのびのびと育った。中学時代はサッカー三昧。にわか勉強で岡山の名門進学校に進んだが、高一でドロップアウト。嵐山に帰って実家の厨房に入り、15歳から2年間見習いとして働く。人より2年遅れて高校に再入学。高校時代はバンドでドラムに明け暮れた。いつしか音楽は趣味の範疇を超え、卒業後はプロのミュージシャンになる決意をしたが、当然両親は大反対。母には泣かれ、父には殴られ……。そのとき間に入ったのが、湯木貞一であった。邦夫は祖父の忠告を受け、交流のあった禅寺の老師のもとへ相談に出向くが、いきなり頭を剃られ文字通り坊主にされてしまう。寺では暗いうちから起きて座禅と作務の日々。修行生活もふた月が過ぎ、自分の我を通して周囲を悲しませることよりも、周りが望む道に進み父母を喜ばせるほうが、自分も幸せになるのではないかと考えるようになったという。邦夫は改めて料理の道を目指そうと意を固め、寺を出て、祖父のもとへ向かった。このとき邦夫は20歳。「高麗橋吉兆」で料理人人生を再び歩みはじめることになった。
http://www.kitcho.com/kyoto/media/2007/070730_02_06.html

湯木貞一は、偉大だと感じました。('11/07 訪問)

20数年前、お祖父様の湯木貞一が、ご健在の頃、高麗橋の吉兆に、主人に連れて行ってもらいました。その時の感動は、今も忘れられません。お部屋のしつらえの素晴らしさ、器は、バカラ。お料理は、今も思い出すぐらい、美味しく、一つ一つ素材そのもの味、風味がしていました。

今回、嵐山の吉兆さんに、とても期待しながらいってまいりました。お部屋は、夏らしいしつらえがしてあり、綺麗に磨かれお手入れがいきとどいていました。かんじんのお料理は、季節が感じられる飾りつけと、盛り付けは、素晴らしく思いました。

味は、最高級品をお使いになっておられると感じましたが、いじくり過ぎていらしゃるのか、素材そのもの味、風味が無くなっていると思いました。

最初は、ワクワク、そのうち、主人は、うーん、と、首を傾け、口数が少なくなりました。

鮎は、大振りなのにパサつき、ウニ豆腐は、豆腐の味がきつく、雲丹の風味が感じられません。

確か、有る雑誌に、お祖父様に一番可愛がられて、味覚について教えをしていただいたと・・。新しい味の追及も大切だと思いますが、あの、お祖父様のしっかりした、キレの良い。また、素材そのものを大切にした料理。改めて偉大だと感じました。


_________


30年ぶりの嵐山吉兆です('11/12 訪問)


30年ぶりの嵐山吉兆です。30年前の感動を思い出しながら、わくわく・どきどきしながら門をくぐりました。

私が年をとったせいか、少しの感動しか有りませんでした。

建物は全体に年数がたち、年数がたっただけに変わっていました。お庭は、前回は昼食で明るい庭でしたが 今回は夜の庭であまり分かりませんでした。

料理は 少し味が薄かったように思います。それと少し演出のしすぎではないでしょうか。外国のお客様には喜ばれるかもしれませんが、本当の日本料理を食べたい人には不要ではないでしょうか。

接客は 普通でした。驚いたのは 女将さんが自己紹介なしで隣に座っていて 尋ねたら女将さんでした。

全体的には 日本一の嵐山吉兆に行ったとの思い出だけが残りました。

__________

昔から嵐山といえば「吉兆」だったが・・。('10/04 訪問)

今では50才手前のただのオヤジだが、子供の頃より嵐山と言えば私にとっては「吉兆」だった。
とはいっても、たかだか家族の記念日で年に1回、父に連れられて行く程度だった。
理由は、ただ私の父が嵐山吉兆のファンだったからだ。
初めて訪れたのは中学生。即ち中学の進学・入学祝いに連れて行ってくれたと記憶している。
今から30数年前の話だ・・。父は既に他界しているがとにかく食道楽を地でいっていた人だった。

此処はお料理の味だけではなくて、見た目の美しさ・器へのこだわりを含めた美しさ・掛け軸から調度品から生け花に至るまでの部屋の設え・庭の手入れ・仲居の対応等全てが完成されていた。
父がよく言っていた言葉・・「此処は全てにおいて完成されている。」が口癖だった。

判りやすく言えば、「美味しんぼ」の美食倶楽部のようなものだと理解すれば判りやすい。
美食倶楽部は、北大路魯山人の「星が丘茶寮」がモデルだと思うが、魯山人ほどの料理への情熱があったかどうかは判らない。魯山人は自分の作る料理を盛る器が無い事が不満で、自分で器まで作った人である。吉兆はその魯山人の器を使っている。と言う事は、自分達の作る程度の料理では魯山人の器で十分収まると考えているのだろう。

それはそうだろうと思う。魯山人の器で収まらないならば、魯山人以上の料理が必要だろう。
もしくは、全く違う何かがあれば別の話にもなるだろうが・・。

今回久々(20数年ぶり)に嵐山「吉兆」へ訪れた。
既に代も変わり先代の息子が仕切っているのだろう。年は私と同じか少し下か、と言う所だ。
料理の水準以外は全くといっていいほど変わっていないと思った。
非常に懐かしくさえ感じた。

しかし、肝心の料理の味の水準が・・・・・・。

タイヤ本では★★★です。しかし・・・。

昔を知るものにとっては少し残念でならない。
それとも私自身の舌の水準が低くなったのか??

総合評価としては★4つだが、料理だけをとると・・・。
無論そう言う意味ではCPも悪くなる。他が良いだけに残念ではある・・。

吉兆という名に期待が大きすぎたのか??
料理の味に関しての採点基準は当然厳しくなってしまう。

若き徳岡さんの今後に期待したい。


___________


嵐山 吉兆('11/09 訪問)

ものすごく久しぶりに吉兆さんに行きました

お料理、満足できませんでした

お椀の味も満足できなかったし、その上「お椀の味加減はいかがでしたか?」と質問されたのには驚きました
私たちは残したわけではないし、お店の方は「塩加減はいかがでしたか?」といった意味でその質問をされていました
これからのお料理で調整致しますので、というふうにおっしゃっていました

でも、お椀の味ってそのお店で一番自信をもってだすものだと思うのに、それを好みで変えるわけ?と思って驚きました
他のお料理もこねくりまわしてある割には微妙でした
最後のお薄も下手くそにたててあったし

八寸などの盛り付けは綺麗で秋らしくよかったですし、お酒は美味しかったです
でもそれってこういうお店では普通やし、見た目ばっかりで中身のない、と感じました

ま、ミシュランでも☆もろてはるみたいやし、東京やらの人にはこれがうけるんかもしれませんが
私はもういいです :-(
http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26001312/dtlrvwlst/


まだまだ、私が来るには早過ぎた・・・。'11/01/27 ('10/10 訪問)

紅葉シーズンに友人が京都に遊びに来ると言うので、半年前に予約を入れた。それなりの価格帯の店であるが故、容易に部屋が確保出来ると思っていたのだが、見通しは甘く、私の切望していた部屋の大半は、ほぼ全て埋まっていた。

流石に天下の「嵐山」というべきか、部屋のしつらえ、料理の魅せ方、仲居の対応、全てにおいて、申し分がない。
料理の説明はこちらが催促しない限りしなかったが、説明を求めると、食材の旬や味の特徴、調理法に至るまで全て完璧に答えて来る。

また、聞けば、嵐山は世界各国の要人が集まるので、英語や中国語は勿論、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語・・・と、
語学堪能な仲居が多いとのことだった。

肝心な料理の方だが、華美な装飾が施されてはいるものの、特別感心するような内容ではなかった。

旬の松茸は、料理によって、産地や部位を使い分けているとのことだが、前日に別の店で戴いた地物の松茸と比べると、香りが乏しいように感じた。

また、何より、生命線である出汁の切れ味も今一つで、塩気も少し強く感じた。

途中で女将が料理の味付けについて感想を聞いてきたので、素直に「塩気が少し強く感じる」とお伝えしたところ、次の料理から、多少緩和されたように感じた・・・・が、食事の松茸御飯がこれまた塩気が強く、同席者との口数も次第に少なくなって行ったのだった。

最後に供された、カスタードクリームをかけて戴くフルーツは、なかなか美味でしたが、今回供されたコースの内容に関しては、この半分の値段でも、(和食の本場京都では)もっと美味しいと思えるところは無数にあると感じるものだった。

ただ、これは八日市の招福楼でも感じたことなのですが、料亭というものは、日本文化の集大成の場であり、その素晴らしさを、五感を駆使して味わえることに真の意味合いがあると。。。
純粋に味や費用対満足度をひたすら訴求するのは極めて無粋であり、そういった人間には永遠に価値がわかるところではないと。。。

茶道、華道、建築、食事の作法、食材の旬や意味合い、器・・・
恥ずかしながら、私は、そのいずれにおいても中途半端な知識しか持ち合わせていない。
料亭は食べ手の日本文化への造詣の深さが大きく問われる場所。
まだまだ、私が来るには早過ぎた・・・そう思いながら、帰路に就いたのだった。


_________


高級料亭に違いはないのだが・・・('08/04 訪問)


こちらの店はずいぶんと久方ぶりの訪問となった。そして以前に比べて印象に強く残ったのが料理への疑問である。

京都屈指の名料亭だけのことはあって、しつらえは最高級。無論だされる器も申し分ない。仲居さんたちのレベルもさすがというところ。雰囲気だけを採点すれば最高点なのだが私には疑問が残る料理が多かった。

外国料理との融合も考えておられるのかもしれないが、気をてらったような演出が気になるし、全体に食材、味そのものも価格に対して、唸らせるようなレベルではないと感じた。

無論、好みもあるので一概には言えないとは思うが、この店のようなクラスならば妙な演出や料理の手法ではなく、さすが!と思わせてくれる料理を期待したい。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26001312/dtlrvwlst/


やっぱり期待しちゃうよねw 10/09 訪問

2年ぶり2度目の吉兆 嵐山本店への訪問。久々の訪問に前回の記憶を辿りながら期待を膨らませ行った来ました!
9月末で7時頃の嵐山はまさに暗闇で人もほとんど皆無といった感じw
そんな感じで、門の前からお出迎えでさっそくお座敷へ
中秋の名月の頃なのかお供えをしていました!
庭から聞こえる鈴虫の音も東京では味わえない雰囲気!!


料理はどれもいい感じでしたが特段インパクトに残るものがなかったのは正直なところです。盛り付けと器の雰囲気はとてもよかったですが。

期待した松茸もどうやら韓国産らしく、(HPには国産と書いてました)その点も残念に思いました。
季節がら中途半端な時期というのもあったのでしょう・・・ww


担当の方が前回訪問した時よりもフレンドリーでいろいろ説明してくれてその点はとてもよかったです。


金額一人6万円でお願いしていたのでその割にはといった印象です。
相対的な評価になりますが、3日目にいった祇園 末友の方が半分以下の値段で非常にインパクトがあっただけに、決してこちらも悪くないのですが衝撃がなかったと言うのが正直なところでしょう。

ただやっぱり雰囲気とサービスはとてもよかったです!
なかなか体験できない雰囲気ですよ! 
http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26001312/dtlrvwlst/


_________


嵐山 吉兆 2009年10月18日(日)|

3つ星をとったのは予想外。本当に調査員は料理を食べているのでしょうか。

常連の席に潜り込ませていただきましたが、部屋、器、船遊びと「料理」以外は大変満足しました。

しかしこれで7万円弱は、美味しい和食店の2回分。条件の悪い船の上で鮎を焼く必要はないのではとも疑問に思った贅沢な夜でした。
http://tomosato.net/weblog/%E6%9C%80%E8%BF%91%E8%A8%AA%E5%95%8F%E3%81%97%E3%81%9F%E5%BA%97%E3%80%80%E7%9F%AD%E8%A9%95%E7%B7%A8%E3%80%80%EF%BC%94%EF%BC%91/


名古屋のバブルを実感、吉兆 名古屋 2007年12月22日(土)|

今回の食材偽装問題で「吉兆」が5つの会社に分かれていると初めて知った方も多かったのではないか。湯木姓を名乗らない京都吉兆の三代目徳岡邦夫氏、TVなどマスコミ露出が激しく強気な店舗展開をしており、今年名古屋ミッドランドスクエアの41階に出したのがこの「吉兆 名古屋店」です。

船場のおかげでキャンセルが多いと嘆く徳岡氏を知り、名古屋に一泊した私は昼の訪問を思いついたのです。今なら飛び込みでも入店できる、京都グランヴィア店は結構空いていた、との思惑でしたが入店してビックリ。店内は個室もホールも喧噪で最後のテーブル席だったのです。

メニューを見て唖然。京都各店では6000円以下で提供される松花堂弁当がありません。最低値はミニ懐石の1万円。他は1万5000円、2万8000円と嵐山本店の次に高額な店でした。

仕方なく頼んだミニ懐石、食後感は最悪。

八寸は柿なます、イクラ、黒豆、トンブリ、サーモンなど食材、調理とも期待外れ。
和食の生命線のお椀のタネは蕪、シメジ、名古屋コーチンの鶏団子。団子はなんと山椒を利かせてありました。こんなタネでは繊細な出汁は合わないと考えたのか、カツオが強すぎるバランス悪い出汁。その割に余韻がありません。

造りの鯛はクラッシュアイスに直に載せられています。創作和食で昔見た手法ですが、これでは溶けてベチャベチャになるではないか。
シビ(鮪)の握りも酢飯が甘く醤油のジュレのようなものを乗せてあります。
鰆をエリンギでまいた揚げ物もモロミ醤油を付け合わせ、〆の鯛飯も生姜が強すぎるなど、これが京都に本店を置く名門和食の支店なのか。

味付けは素人受けを狙った濃い味や変化球の調味料を多用していてまるで創作和食です。京都吉兆への期待はもろくも崩れ去りました。

ビールもドライの中瓶が1000円と仕入れの3倍以上はやり過ぎです。 料理高い、ビール高い、調理は味濃くまるで創作和食、とこの店がなぜ満席なのか。名古屋がバブルであるとは聞いていましたが、新幹線で30分程度と簡単に京都へ行けます。名古屋の方にはこのCP良くない店へ行くより、足を運んで本物の京料理を堪能されることをおススメします。もっとCP良い和食店は京都に沢山あります。
http://tomosato.net/weblog2/?p=114

京都吉兆が北海道へ進出とは2008年05月14日(水)

読者の方からのメールを見て驚きました。この時期に(といっても前から決まっていたのでしょうけど)、京都吉兆がウインザーホテル洞爺に出店するというのです。昨年名古屋へ出たばっかりなのに、翌年に北海道とは私には無謀に思える営業展開であります。

今年初めに同じ京都の有名店「美山荘」が撤退したホテルへの進出ですから普通は躊躇するはず。「美山荘」の撤退の原因を洗い出し、改善できると判断したのでしょうか。

摘み草をウリにした料理店が北海道の地を選んだことにも疑問でしたが、吉兆も大丈夫なのか。タケノコ、松茸、グジ、鱧、鯛、松葉蟹、京野菜など京料理の主役を張る食材は「新鮮さ」が命。東京の店が絶対かなわないのは、朝摘み、朝漁(間人蟹などは正確には前の晩でしょうか)の食材をその日のうちに提供するというのが大きな利点であります。でも北海道では難しいでしょう。

では北海道の食材を使うのか。北海道には北海道のすばらしい食材があると思いますが、これを使いこなす経験を果たして積んできたのでしょうか。

あまりの急膨張からか、名古屋店のクオリティの低さに驚いた友里でしたが、北海道の店の人材は大丈夫なのか心配です。
昔ウインザーへ行ったときタクシーの運転手から「このホテルは東京の人より関西の人が良く来る」と教えてもらいました。

今でも関西の方が多いとしたら、北海道まで来て京都吉兆の料理が食べたいものなのか。サミット主催決定後、外人客が増えたとのことで外人観光客をターゲットにしているならば、吉兆ブランドもある程度受けると思いますが、そう何年もサミット効果が続くとは思えません。

徳岡家には、湯木貞一翁の「店と屏風は広げすぎたら倒れる」の言葉が伝わっていないのかもしれません。
http://tomosato.net/weblog/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%90%89%E5%85%86%E3%81%8C%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%B8%E9%80%B2%E5%87%BA%E3%81%A8%E3%81%AF/

さよなら 吉兆 リーガロイヤル店 2010年02月01日(月)|


2010年01月08日(金)
読者の方から京都吉兆が、「リーガロイヤル店」の閉店を発表したと教えてもらいました。
http://kyotokitcho.seesaa.net/article/136950873.html

この店の料理長は三代目から見ると守旧派の立場だったとも漏れ聞いたことがあります。
名古屋や洞爺湖を入れたら本店含めて7店舗はやはり負担が大きかったのかもしれません。「リーガロイヤル店」と「グランヴィア店」は場所といいホテル内といい、被りも多かった。やはりどちらか撤退するしか道はなかったのかもしれません。
http://tomosato.net/weblog/page/277/?menu=cats


1/8の友里ブログで京都吉兆リーガロイヤル店の1/31閉店をお知らせしました。書いた責任というほどのものはないかもしれませんが、たまたま関西に所用がありましたので、先日昼の「特別献立」を食べに行ってきました。
結論から先に言わせていただくと、「これなら閉店もやむなし」か。

あと数日で店を閉めるというのに、店内(ホール)は半分も客が入っていません。スタッフと親しげに話す年配客、その態度の大きさからもおそらく常連に近い立場だと思うのですが、その人が「閉店」を知らず驚いておりました。
HP上(新年の挨拶など)で閉店を公表するだけではなく、お世話になった常連以外にも名刺などから住所や名前を知っている客すべてに伝達していなかったのではないか。

一番の驚きは、ホールに入ったら「鰻重」を食べている客を見かけたことです。何かの間違いかとメニューを見ましたら、立派に「鰻重 4000円」とありました。 支店とは言え京都の高額和食店、メニューに立派に「鰻重」を登場させるのはいかがなものか。雄叫びを上げる幼児もホールで受け入れていましたから集客に必至なのでしょうが、これを巷では

貧すれば鈍する

?と言うのではないかと思ってしまいました。


1万2000円のコース内容は以下の通りです。
http://www.kitcho.com/kyoto/shoplist/rihga/info/2010/01/post_9.html



しかし実際提供されたものは予告と違う料理もありました。
「火取り唐墨 焼餅」のお椀、私が食べた椀タネは「はまぐり」と「豆腐」。焚合も「甘鯛とろろむし」ではなく、大根、人参、蓮根、飛竜頭などの焚き合わせでありました。
私のようにHPを見てわざわざ「特別献立」を食べに来る客もいるはず。料理内容は死守していただきたかった。

ご飯ものの「ミニすきやき」と白飯。テーブル上の炭火で加熱するのですが、火力が弱いのか時間がかかり、かなり煮込む形となりました。何でも炭でやれば良いというものではないはずです。
全体に出汁など味付けは甘めでありまして、こう言っては申し訳ないですが、特にお椀の出汁は料理好きな奥様の家庭レベルと違いがわからなかった。
はっきり言ってCP悪すぎ。閉店記念の特別献立でもこのレベルなら、普段のコースは「推して知るべし」ではなかったかと思ってしまいました。

リーガロイヤル店の料理長は京都吉兆の会長派、つまり現社長で全実権を握っている徳岡邦夫氏とは一線を画す立場と漏れ聞きいております。湯木貞一氏の料理からの脱皮を唱える邦夫氏にとっては守旧派のようなもの。
そんな料理長の店でもこの料理レベルということは、閉店間際でも満席にならない店内と合わせて考えると、店全体のモチベーションが消滅していたとしか思えません。
せっかく立ち寄ったのにこの食後感、がっかりしました。

昨日の1/31はリーガロイヤルの最終日です。本来なら店主(徳岡邦夫社長)が最終日の夜に来てくれた客全員に挨拶やお礼を述べるべきだと思うのですが、あのイヴェントが予定通り開催されたとしたら徳岡邦夫氏はその晩は東京です。似非グルメの放送作家・すずきB氏が関係する「シェフ・ワン」という変なイヴェントに参加することになっているからです。

http://chef-1.shop-pro.jp/?pid=16863262

同じ経営者として、私は徳岡邦夫氏の頭の中が理解できません。
http://tomosato.net/weblog/page/269/?menu=cats


京都吉兆、ご乱心か2010年04月12日(月)


読者の方からの情報で知りました、京都の「こぶへい」、もとい、「朝青龍」、もとい「ドルジ」と親しまれている京都吉兆の代表者・徳岡邦夫氏がなんとシンガポールのカジノホテルに自分の名を冠した店を出店するそうです。

http://kyotokitcho.seesaa.net/article/146063939.html

1月に「リーガロイヤル店」を閉めたばかり。そして徳岡邦夫氏の代になってから一番評判が良かった(唯一まともと言われていた)「花吉兆」を3月に「HANA吉兆」に改悪、もとい、リニューアルしたばかりです。
昨年半ばのTVヨイショ番組で「大赤字」と放映されていましたから、平成21年度も赤字から脱出できなかったのではないか。不採算店を閉めたのは良いと思いますが、「和紙作家」、「左官作家」、「景色盆栽家」と自称する人たちにカモにされて、もとい、お願いして、奇っ怪な内外装の和食店「HANA吉兆」にしてしまいました。

http://www.kitcho.com/kyoto/shoplist/hana/index.html


3人のHPや写真を見る限り、かなり自意識過剰な方々。「・・・作家」や「・・・家」という肩書きをつけることで付加価値を上げるという「儲け主義」が透けて見えますから、「HANA吉兆」のリニューアルにはかなりの額を持って行かれた、もとい、投資したと思います。

そこに、自己資金ではなくスポンサーが居ての名前貸しと推測するプロデュース店「kunio tokuoka」のオープン。
ミシュラン3つ星店とは言え、「徳岡邦夫」という名が世界的に通用するとは思えませんが、全館スイートルーム?のカジノホテルロビー階(高層階ではないようです)なので、和食ということだけで世界のセレブや富裕層には受けるかもしれません。

http://www.rwsentosa.com/language/en-US/Hotels/CrockfordsTower

しかしプロデュースとは言え、自分の名を冠するほどのイレコミです。洞爺湖、名古屋はじめ京都市内の4店舗にまで余力がまわるのか。

総本山である嵐山本店から常連が離れているとの話も漏れ聞きます。常連重視から一見客や観光客などミーハー路線へ舵切りすぎにも思える三代目経営。関谷江里子さんを宣伝につかうより、もっと他に打つ手があると思うのは友里だけではないでしょう。
http://tomosato.net/weblog/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%90%89%E5%85%86%E3%80%81%E3%81%94%E4%B9%B1%E5%BF%83%E3%81%8B/

リニューアルで料理も最悪に、HANA吉兆 2010年06月05日(土)

【京都いいとこ動画】HANA吉兆 / HANA-KITCHO【HD】
http://www.youtube.com/watch?v=fI96x_5OMzY


元々が京料理ではない吉兆料理。創業者・湯木貞一氏が考え出した創作和食で、「湯木料理」といえる独特のものだと私は思っております。和食の基本を残しながらの創作料理は京都の地元客にも支持されていたのですが、三代目になって改悪ともいえる大きな舵切りをしてしまった。

料亭を一般客に開放するとして、「嵐山吉兆」の予約が一見客でもネットで出来るようになりました。 誰でもお金を払えば料亭体験が出来るというのは画期的な試みですが、物事には限度と言うか、やり過ぎは禁物です。昔からの常連客より一見客、観光客を重視したのでしょうか、目先を変える奇を衒っただけのサプライズ料理にだけ注力してしまったのです。

カレー粉や赤ワインのソースを使うなどその迷走ぶりに眉をしかめる地元客が引いてしまったのは当たり前のことか。そしてその改悪は、二代目が最後まで関与していて京都吉兆グループでは唯一まともと言われた「花吉兆」にも及んでしまったのです。

この3月のリニューアルで「HANA吉兆」に変名、この店名だけでも引いてしまうではありませんか。「和紙作家」、「左官作家」、「景色盆栽家」という自己陶酔的な肩書きを自称する職人によって奇抜さを増した内装。料理も立派に改悪されていると確信し、ウリの「ワイン会席」(1万円)をダメを承知で先日体験してきました。

ワインに合うよう味(塩も)を濃いめにしたというこのコース料理、しかしワインは貧弱なリスト(泡、白、赤いれぞれがわずか3種類)からの別途料金による注文となります。

酢の物の蒸しアワビは生臭く、鱧のお椀は出汁が濃すぎて鱧もしょっぱすぎ。

造りの代わりに出たのがオリーブオイルでマリネした海老や烏賊、ホタテの石焼きです。胡椒も強すぎて料理の体をなしていない唖然の代物。

吉兆のウリである八寸も、まるでデパ地下弁当のレベルとしか思えません。鮎の塩焼き2匹がこの日辛うじて普通レベルでありました。

穴子がほとんど見あたらない穴子飯と果物で〆となりましたが、昼だったのでビールにグラスシャンパン2杯、安い赤ワインハーフ1本での支払いが2名で3万数千円。

観光客相手の大箱店と変わらないレベルの料理を出す三代目の迷走を、貞一翁は草葉の陰でどう考えているのか。人ごとながら心配です。
http://tomosato.net/weblog2/?p=286

京都吉兆の品格

269 :食いだおれさん:2009/04/26(日) 14:26:52

週刊文春の記事が酷かった。
京都吉兆は「京料理の店ではない」と総料理長も公言しているのに、
記事を書いている記者は何も分かってない。

301 :食いだおれさん:2009/07/23(木) 20:10:20

吉兆に詳しい人に聞きたいんだけど、徳岡氏の評判はどうなの?
いま、多方面で活躍(?)されてるみたいだが。
良く雑誌でも見かける。(東京の食イベントでも)

272 :食いだおれさん:2009/05/09(土) 15:28:37

京都吉兆の徳岡氏は中身スカスカのくせに吉兆の名前だけで大物になったつもりでいるのが滑稽で笑える

262 :食いだおれさん:2009/04/17(金) 11:05:54

実家の良い材料と小手先のダイニング系料理を合体させて、
眼の上のタンコブを辞めさせ独自の世界を探求する徳岡邦夫氏の今後に期待


77 :食いだおれ:2009/02/12(木) 17:11:34

先代はすごかったんだけどね〜・・・・・
邦夫チャンの料理とスタンスに¥6万払う気は無くなったな。

今や観光名所と化した京都吉兆本店

78 :食いだおれさん:2009/02/12(木) 19:08:29

邦夫はあちこちで評判悪すぎ

408 :食いだおれさん:2011/11/03(木) 11:17:28.14

こぶ平はデカイ図体の割に気の小さい方で自信の無い分、虚勢はられてるだけ。
寂しい気の小さいヒトなんですよ。

自分に自信が有ったり、器がデカけりゃ古株料理人(未在石原氏など)や中居頭初め、先代からの有能なスタッフを切ったりしません。

314 :食いだおれさん:2009/08/20(木) 21:53:49

まぁ、ただのデブのプータローやしな…

仕事には来ないし、どこかでカキコしてたように…出来ないくせに、自称料理人やし…
恥ずかしいと思わんのかな…

従業員の、給料はカットしても、自分の生活水準は下げない、人や死ね

何においても、やっぱり!!
いまだに、自分が料理人と言ってるのが、従業員には、がまんできないみたいやけどね!

これについて、何か思う人はいるのかな??

261 :食いだおれさん:2009/04/17(金) 00:39:58

修行しないで日本全国逃げ回ってた奴に弟子を採る資格があるか?

102 :食いだおれさん:2009/02/15(日) 21:55:26

徳岡氏の実力に疑問符を付ける人間は数多い。
料理屋の実力は主人の才能だけにあらずとも
徳岡氏本人には「世界の名物 日本料理」を支える素質・才能は感じられない。

慈善事業でない料理屋を存続させる売上も店舗より物販に比重が変わってゆくかもしれない。
まあ、それでよいのではないだろうか。


79 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 09:19:32

知人から聞いた話だよ。

元ポンテヴェッキオの本店シェフが独立して祇園に開いたリストランテへ知人が行ったら、そこのイタリア料理店に徳岡邦夫が客として来ていたそうだ。

時間は午後7時頃。
京都吉兆の総料理長がそんな時間帯に嵐山に居なくていいのかと思ったそうだ。

板前ら従業員が居れば総料理長など居なくても日本料理店はまわるのかもしれないが、客に対しては不誠実ではないだろうか。

80 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 11:05:07

べつに徳岡さんを擁護するわけじゃないが、そんなのはよくあることだろ。
それを言えば某店の村田氏なんてほとんど厨房にはいないらしいし。
まあその某店は実質的な料理長は別にいるんだけどね。

京都の老舗料亭 菊乃井
http://kikunoi.jp/
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26001346/

村田吉弘
京都・祇園の老舗料亭「菊乃井」の長男として生まれる。立命館大学在学中、フランス料理修行のため渡仏。大学卒業後、名古屋の料亭「加茂免」で修行を積む。1976年実家に戻り、「菊乃井木屋町店」を開店。1993年株式会社菊の井代表取締役に就任。自身のライフワークとして、「日本料理を正しく世界に発信する」「公利のために料理を作る」。また「機内食」(シンガポールエアライン)や「食育活動」(医療機関や学校訪問・講師活動)を通じて、「食の弱者」という問題を提起し解決策を図る活動も行っています。現在NPO法人日本料理アカデミー理事長。
http://kikunoi.jp/outline/profile/

81 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 11:17:26
ふーん

総料理長の肩書きは名誉職なんですか?


103 :食いだおれさん:2009/02/16(月) 14:05:08

徳岡って人は、一体何をやりたいんでしょう。
先日、料理評論家(?)の門上さんとフランス食べ歩きをしてたけど、その前に、色々やることがありそうな気がするけどね。 評判がガタ落ちした吉兆の名を揚げるために、もっと「内部」に力を入れないと・・・
まぁ、いちファンの勝手な意見ですけどね。

104 :食いだおれ:2009/02/16(月) 14:42:12

村田氏ほどでは無いと感じるけど、邦夫君も日本料理よりフレンチなんかの洋食系が作りたいんじゃないのか?と疑問を感じる事が有る。

さ々木や修伯の様な中途半端な店ならば、創作料理の美味いもん屋に終止しても、それを喜ぶ客が来るから良いのだろうが、京都吉兆嵐山本店の看板を掲げる以上、やはりそれなりの格式を持った料理が食べたいと願っている人は多いはず。 父親の代で獲得した多くの上客(それも常連)が、ここに来てかなり離れて行ってしまっている現実を直視すべきだと思うが。

和食より洋食だ好き!という人物が作る高額な和食を、わざわざ食べたいと言う御大尽は稀でしょうよね。

105 :食いだおれさん:2009/02/16(月) 15:03:10

まぁ、時代が時代やから、フレンチやイタリアンとの交流は大事かもしれんけど、「吉兆イズム」というのを忘れたらいかんわな。 湯木翁が創り上げた歴史を履き違えてるんやないかな。
単なる観光飯屋にならんように・・・今が大きな分岐点ですな。

82 :食いだおれ:2009/02/13(金) 12:39:20

ムラタさんは極端な例だけど、マスコミが大好きだったり店の規模を広げ過ぎたりする店の店主は和・洋共に店で直接指揮をとる事が少ないですね。 本当にいつ店にいるの?ってパターン・・・

私自身が本当に美味いと思う割烹・イタリアン・フレンチ等のどの店も、店主自らが確実に目を光らせています。

京都でも主として観光客に大人気(一時の事と思いますが)の創作系の店に、店主不在はよく見られる現象だと感じています。 創作系料理の味決めが容易だという事でしょうが。

本当に誠実で正統派料理を出す店は、お馴染みさんを本当に大切にする意味も有るのでしょう。いつ出掛けても店主もしくは料理長が迎えてくれます。 京都に住んでいる所謂「味にウルサイ」人達はこうした店に足繁く通う事が多いと思います。

そういえば何年も吉兆や菊乃井に行って無いな。


83 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 12:59:57

その点、瓢亭のT氏はフラフラしてないから好感が持てる。
何だかんだいっても、トップは店にいなきゃダメ。
吉兆も菊乃井も、良い後継者が育たないぞ。(断言)


84 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 13:25:18

確かに、料理長が目を光らせてる店は、料理が「しっかり」してますな。
料理長の居ない店は、味にブレがあったり、良い意味での緊張感がありません。

イタリアンの笹島さんの店も、この数年で魅力半減しましたな。
ま、商売に走らなアカンのは分かりますが、何とのう残念です。

87 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 14:12:02
>>84
確かに、ギオは魅力なくなっちゃったね… 旨い事は旨いけど。
もっと魅力のある店が増えてきたから、もう行かないかな。
パッパラルド時代は大好きだったが…
木屋町の新店はどうなんやろ。

料理長が店にいなくても回せる所は、やっぱり組織がシッカリしてるんやろね。
その代わり、リスクも大きいけどね。


86 :食いだおれ:2009/02/13(金) 13:36:41

瓢亭は以前より料理・雰囲気ともにとても好きな料亭です。
特に跡継ぎ息子はかなり出色の出来の良さでは無いでしょうか。
各方面のウルサ方からもかなり評判が良いですね。

まあそれと比較して、京都吉兆の後継者は先代と比べると・・・・
町の蕎麦屋レベルの思考回路しか無いのは残念です。

しかし全国ネットの放送で、客に話を陰で聞き耳を立てていたのが思い切り流れてしまったのはイタかったですよね。
恐らく演出も入っているとは思いますし、料理屋サイドでの狭い常識の範疇として、生の評価を聞いて次に役立てたい。と思う気持ちは理解が出来ないわけでは有りませんが、これは世間一般に通用する理屈なんかでは有りませんし、言ってみれば立派な盗聴とも受け取られます。 番組製作サイドも店サイドも、何でこんな初歩的な事が判らないのかが不思議でもあります。

先代さんは怒っているんじゃないでしょうか?



89 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 14:19:01

観光料理屋、観光レストランは、料理長不在でも良いだろうね。
例えば「なかひがし」や「さ々木」が料理長不在だったら、絶対に経営成り立たない。
私は観光料理屋に興味ないけど、ミーハーさんは好きなんだろね。

94 :食いだおれ:2009/02/13(金) 16:07:00

「なかひがし」や「さ々木」それにレベルはだいぶ落ちるが「修伯」とか「千ひろ」「大喜久」や現在の「千花」なんかはイメージ作りや決して高く無い食材を高級そうに見せるのが上手いな。
だから地元の人間でこれらに行くのは味オンチの金持ちか、下心満々でお水のオネエチャンを連れて来る連中、女性への機嫌とりってパターンが多いよな。 口の肥えた連中はもっと良心的で美味い店を知ってて、そういう店に通う。

そうそう、鳴りもの入りで独立した「末友」に行ってみたが、思った通 り「さ々木」のパクリっぽかった。


93 :食いだおれさん:2009/02/13(金) 15:57:54

旅館だけど、俵屋は、ずーっと高評価で一定してるね。
料理も最高。
年に一度しか行けないけど、未だ最上の料理を堪能できる。

95 :食いだおれ:2009/02/13(金) 16:20:52

俵屋も柊屋も居心地最高だね。 お代も結構だけど・・・(笑)

料理も多少華には欠ける感はあるが、旅館の料理だからそれで正解だと思うし、とてもレベルが高いね。
同じ旅館でも近叉の料理は”料理旅館”を名乗るだけあってかなり華が有るけど、これらは好みで使い分けって範疇ですね。

96 :食いだおれ:2009/02/14(土) 17:09:01

柊屋、炭屋、俵屋ってやっぱりいいよな。

ところで京都吉兆のHPを覗いて来た。 邦夫氏のコラムにワケの判らんサミットとやらのレシピが出ていた。

わざわざ京都吉兆の本店にまで出掛けて大枚をはたいて、こんな創作料理を食いたいとは思わないな。

湯木翁も船場は除いて2代目までは結構上手く行ったが、3代目はどこもダメっぽい感じがする。
京都吉兆は名古屋も洞爺湖も大赤字の様だ。
比較的ミーハーに好調な本店の客は、これらの赤字店の埋め合わせにされているって事だな。

97 :食いだおれさん:2009/02/15(日) 04:57:45

しかし、吉兆は手を広げすぎた。

「屏風と店舗は広げすぎると倒れる」・・・至言だな。

湯木翁の名を汚した者ども、ほんまに虫唾が走る。

もう、吉兆は「高麗橋本店」だけで良くないか?
嵐山本店は、支店(嵐山店)という形で置いておくのも良いが…


98 :食いだおれさん:2009/02/15(日) 10:53:50

同感。
店舗が多くなると、味は落ちるし、有り難味が無くなる。
多店舗展開して利益が上がるのは「稀」。
経営が少しでも傾いたと思ったら、再生する知恵が出る間もなく急降下。
ファミレス以外、利益追求はほどほどにすべきだな。

99 :食いだおれさん:2009/02/15(日) 13:02:20

おまえらバカじゃね?
料理屋は慈善事業じゃねーんだよ。


100 :食いだおれ:2009/02/15(日) 13:33:37

お利口さんの>>99 さん、そうそう料理屋は慈善事業じゃありませんよね。 だから店鋪存続のために利益を出して行くのは当然ですよね。 でも分不相応に拡大した場合以外でも、情勢の変化等の要因で経営状況が悪化するケースも多く見られる。 だから拡大する勇気が有るならば、場合に拠っては縮小する勇気も同時に持っていなければいけないって事でしょう。

特に高級と呼ばれる料理屋やレストランは、多店鋪展開をするほど味もステータスも低下していく事例が多く見られる。
結果として拡大路線が自分の首を絞める結果になりがちだからこそ、拡大路線を基本的に放棄した経営が、自分達の身を守り次代へも継なげられる確率が高 いって事でしょうね。
おっと、お利口さんには釈迦に説法か。

101 :食いだおれさん:2009/02/15(日) 15:41:37
>>100氏に同意です。
結局、「固定客」が揺ぎ無い信頼を寄せる店が強いんですよ。
万が一、儲けに走って、運良く儲けることが出来ても、固定客がつかないばかりか、永く店を続ける事は出来ません。
「一時的な熱狂」に酔いたいのなら、店舗拡大で良いでしょう。

120 :食いだおれさん:2009/02/18(水) 23:13:11

徳岡さんも、村田さんも、こういうの好きだねぇ…

著名シェフ総勢28名による「丸の内シェフズクラブ」が発足2009年2月18日 20:00
http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_3870/

122 :食いだおれさん:2009/02/19(木) 13:43:39
>>120
こういうのって業者や店の宣伝か金儲けの一助になるぐらいで、実際に世の中の役にたったためしがないんだよな。

つか、徳岡氏はケツに火が付いてることを理解してるのかな。
こんなことをしてる場合じゃないと思うんだけど。
やっぱりおぼっちゃまなのかねぇ。


123 :食いだおれ:2009/02/19(木) 17:21:17

だってソバ屋の坊主だもん


124 :食いだおれさん:2009/02/19(木) 20:34:20
>>120
業界にとって、もっと良いやり方があると思うけどなぁ。
自己顕示欲と安易な金儲けって感じ。
いつまでこんな事やってんだろ。

128 :食いだおれさん:2009/02/27(金) 03:17:49

タレント料理人になりたいのか、吉兆の名を掲げて有名になりたいのか、どっちなんだろ?
他店の板長たちは、彼に対してどういう気持ちを持ってるのか気になる。


276 :食いだおれさん:2009/06/23(火) 23:23:17

よくもまぁ〜(笑)テレビでアンな不味そうな料理作るわなぁ
創業者は泣いてはるで


277 :食いだおれさん:2009/06/28(日) 10:09:50

凄いマスコミ露出ですな?
はたして嵐山に徳岡さんは週・何日居るんだろう?


125 :食い逃げ:2009/02/22(日) 17:17:30

邦夫氏には天才だった義父に対する嫉妬や対抗心に加えて、自分の心の中に垣根を作ってしまっている様な気がする。
それが吉兆ブランドを継承していく上でネガに作用していると感じる。 マスコミやつまらないイベントに出たがり過ぎる傾向や、何かと名誉的な称号を欲しがり過ぎる事は、言い換えて見ればコンプレックスの裏返しなのかも知れません。

先代と異なった方向性で名声を得たいと考えるのも判らないでは有りませんが、未完成な創作料理や無国籍化した料理なんぞを、こんな御時世に大枚をはたいて来店する客にとっては失望感を覚える方々も多いのではないでしょうか?
勿論、グランビアやリーガ ロイヤル、松花堂店でも一定以上の料理を出している事に異論は有りませんが、吉兆ブランド料をプラスして考えても、これらの店よりも料理・値打感共に上を行く店は数多有りますよね。

味に厳しい方々が、本店よりも花吉兆を密かに贔屓する事実も強く心に刻むべきだと感じます。

邦夫氏に望む”吉兆の品格”とは、勿論盗聴まがいの事(笑)は当然心を改めるとして、新たな創造や創作はしっかりした基本の上に成り立つと云う当たり前な事を悟ってから出来て行くんじゃないでしょうかね?
改めて親爺に教えを乞うのが早道かと。


127 :食いだおれさん:2009/02/27(金) 00:55:34
>>125
なるほど。
確かに、自信の無い人ほど勲章(名前だけですがw)を欲したりしますよねぇ・・・
徳岡さん、ストイックに料理道を追求した方が、印象UPすると思うし、将来の吉兆にとっても良いと思うんですが・・・
一度、メディアに巻かれると、後は落ちてゆくだけ。
歴史が証明してるんですけどね。(個人店なら良いですが)


130 :食いだおれさん:2009/02/27(金) 12:56:15
>>127
人には向き不向きというものがある。
ひたすら一つの道に精進することが好きな人もいれば、目立つ事が生きがいの人もいる。
その人の生き方をどう捉えるかはそれも人によってそれぞれだし、これが正しいという物はない。

徳岡氏の生き方が世の中が求める物と相容れなければ京都吉兆が消えていくだけだし、それで困る人は本人と家族以外にはあんまりいないと思う。

131 :食いだおれさん:2009/02/27(金) 14:23:14
>>130
確かに御説ごもっとも。
創業者・二代目と、これだけ名声を築いて来た名店だからこそのファンも沢山いる訳で、私自身もそれなりの思いは持っている。 お店は贔屓の客の為にも存在して欲しいし、何よりも7店鋪を有して100人近くいると思われる従業員への責任は重大かと。

136 :食いだおれさん:2009/03/02(月) 17:06:38
>>131
船場のことで影響を受けつつも経営は順調だからね
すなわち今のやり方が成功してるということ
文句付ける必要はないね

142 :食いだおれさん:2009/03/02(月) 19:47:44

徳岡氏や村田氏のような日本料理の広報マンは必要だと思います

最近は日本料理を志す人が年々減ってるんですよね
別ジャンル、特にイタリア料理に人気が集まっていて調理師学校でもイタリアンのほうに生徒取られちゃてるんですね
だから日本料理もメディアでもっとアピールしたほうが良いと思いますね

実際、徳岡氏や村田氏の著作を読んで和食を志したという生徒が結構います
昔は道場六三郎氏に憧れて和の世界に入った生徒が結構いました
だから広報マンとなるスター料理人も必要だと思うんですゃ

143 :食いだおれさん:2009/03/02(月) 21:13:59
>>142
でも、その「広報活動」とやらが、マイナスイメージになってるんだよね。
それと、本気で和食を広めたいと思うのであれば、もっと愛想良くしないと。
両氏の本を読んで和食目指しても、現場とのギャップに戸惑いを覚える若い衆も多いんじゃないかなぁ・・・
そんなに単純なものでもないしね。(他料理も一緒だけど)

若い衆に阿る広報活動ではなく、日本料理独自の広報活動しなくちゃ。
今のままでは、単なるメディア迎合の「軽いもの」に見えてしまいますわ。

144 :食いだおれさん:2009/03/02(月) 21:33:31

同意。
両者はルックスもイマイチ(失礼)だし、話し方もヘタクソ。
広報活動は、華も必要じゃないかな。 そういうのは、東京の料理人に向いてると思う。
実質的な味や値段にコダワリを持つ関西人の客は、日本料理に軽いイメージを持ちたくないよ。


152 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 00:57:49

そうそう。 ハッキリ言って、吉兆は信頼を逃した。

「料理の鉄人」を始めとする番組や女性誌に出てた料理人で、その後残った人はいるか?
皆、さっぱり見かけなくなった。 「専門料理」や「シェフ」(これはフレンチ・イタリアン)に載ってる人は例外だが・・・

以前の吉兆が好きだったからこそ危惧してるんだよ。
色々な客が苦言を呈してくれてるだろ。

154 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 01:09:07

メディアや雑誌に出てもエエけど(人それぞれやし)、 出ることによって、時代の趨勢に飲み込まれて「良い店」「愛される店」の本質を逃してしまうような気がする。

「儲け本位」とでも言うのかなぁ・・・
ま、商売やから仕方ないんやけど、「賑やかし」ではなく「食べるのがホンマに好きな客」にとって、タレント料理人の店っちゅうのは、何や、行く気にならんわなぁ。 実際、味のほうも落ちよるし。

それらを危惧した客たちが、現状に不満を洩らしてるんじゃないの?
吉兆や日本料理を愛するからこその「苦言」。
これが分からないと、離れていったファンを取り戻すことは出来んし、日本料理の新たなファンを獲得するんは難しいで。


165 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 01:40:41

真面目にコツコツ料理作ってたほうが、広報活動(笑)より宣伝になる時代だけどね〜


283 :食いだおれさん:2009/06/28(日) 19:45:20

吉兆といっても、嵐山以外は無視してもいいな?

129 :食いだおれさん:2009/02/27(金) 06:23:32

花吉兆が一番美味しくない?

285 :食いだおれさん:2009/06/30(火) 13:11:33
>>283
嵐山の2/3程度の料金を出せば、花吉兆の方が遥かにマシな物が喰える。

290 :食いだおれさん:2009/07/07(火) 21:51:44

吉兆で昼を食って、夜は瓢亭に行ったが明らかに後者のほうが旨かったぞ

286 :食いだおれさん:2009/06/30(火) 15:23:06

未在行けよ

295 :食いだおれさん:2009/07/09(木) 19:12:29

未在に行くか? 嵐山に行くか? 
コスパのよい未在やね。


252 :食いだおれさん:2009/04/12(日) 15:16:12

未在の方が美味くて安い

174 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:01:24

料理作ってる人に「成功者」っているの?
きっつい仕事の割りに薄給・長時間労働・・・死んでもやりたくないw
臭いしダサイし。
フレンチやイタリアンだったら、本国でやりたいと思うけど。
(待遇いいし、尊敬されてる)


178 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:11:05
>>174
イタリアやフランスの調理師は待遇良くて尊敬されてるとかどんだけお花畑なんだ?
調理師が長時間労働なのはどこも同じ
給料だって下っぱ安いのはどこも同じ
仏だろうがイタリアだろうが下っぱは尊敬なんてされない
一流になれば尊敬される
それは日本でも同じ

179 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:17:20

料理が長時間労働なのは仕方ないよ
一般人が働いてない時間が営業時間なんだもの・・
どうしても物理的に拘束時間が長くなる
基本的にサービス業そういうもんだし・・


180 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:25:00

調理師か・・・。
狭い厨房で、ヘンコな男どもと長時間に渡って重労働。
しかも、めっちゃ給料が安い。
子供が出来ようものなら、どれだけの犠牲を払うか・・・
跡取りや、ボンボン以外は、絶対になっちゃいけない仕事だよ。
小さい頃から勉強して、良い大学に入るべき。

>>178
下っ端が尊敬されないのは、どの世界でも同じですよ。
でも、ヨーロッパの方はM.O.F(フランスでしたっけ?)など、職人が大事にされ、尚且つ尊敬されてます。
特に、レストランのサービスマンはチップが貰えるから、羨ましい。
凄い儲けになりますよ。 日本だと、到底考えられないです。



184 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:33:36
>>180
外国のことなんて大して知らないくせに勝手なイメージだけで語るなよ
二流、三流の職人が職人というだけで尊敬されるとか思ってるのか?
どこにそんな甘い世界があるんだよ?


185 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:37:09
>>182
感覚的に話を捉えるのではなく「現状」を見て下さいよ。
日本の職人・・・例えば、鳶や左官の方は、相当儲ける方もおられます。
ただ、調理師となれば別。
ヨーロッパも長時間拘束ですが、日本より待遇が良いのは確かな事です。
お国柄の違いがあるから仕方ないのですが・・・
(バカンスや、食文化・政治の違いなど)
日本の調理師さんの待遇が良いとは、決して言えません。


188 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 02:44:47
>>185

イメージで語らないで具体的にどう待遇が良いのかちゃんと数字出して説明してよ
給料だって下っぱ調理師は安いよ
向こうはバカンスある代わりに普段の祝祭日少ないよ
日本みたいに休みが分散せずに固まってるんだよね
それにいくらバカンス中といってもサービス業はまとまった休みなんてそうはとれないのが実情だし
やっぱり隣の芝生は青く見えすぎだと思うよ


203 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 03:16:04

海外在住の漏れが来ましたよ
ただいまフレンチ修行でパリ郊外のレストランで下働きしながら勉強中です
こっちの職場もしんどいすよ。給料も安っいし。下っぱなんてゴミ扱いだし。
当たり前すけど楽な職場なんてないもんですわ
でもあと三年は頑張るつもりす!


220 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 23:26:25
調理師かぁ。
貧乏臭くて、ガラが悪いってイメージ。
うちの息子には、絶対やらせたくない。
ホワイトカラーじゃないと、一生苦労するよ。


225 :食いだおれさん:2009/03/03(火) 23:34:43
>>220
今からの時代は、手に職を持ってる人が強いんだよ。
しかも、お勉強と違って、並外れた体力、勘、センスが必要。
誰でも店に入れるが、10年以上続く奴がいないほど厳しい世界。
ファミレスや居酒屋とは違うぞ。 料亭や割烹の話だ。

254 :食いだおれさん:2009/04/14(火) 18:41:55

辻調出て2年目、厨房片付けて寮に戻れるのは12時過ぎ、5時過ぎには叩き起こされてます。
休みの日も先輩のお使いをさせられたり。
こんなにしんどいのはリーガロイヤルだけですか?


257 :食いだおれさん:2009/04/15(水) 09:37:07
>255
リーガに2年目はいない。


258 :食いだおれさん:2009/04/15(水) 21:38:16
>>254
リーガの追い回しかい。
がんばれ。
1年間辛抱して、有名な割烹に潜り込んで、スポンサー見つけて店を持て!。
夢を持てば耐えられるだろう。


259 :食いだおれさん:2009/04/16(木) 02:09:29

リーガの厨房じゃなくて吉兆の方だろ?
せめてホテルの正社員ならそれなりにちゃんと待遇されるのにな
まあ最近のホテル厨房は期間派遣ばっかりだけどな

260 :食いだおれさん:2009/04/16(木) 20:32:20
254です。
蟹工船の世界です。


263 :食いだおれさん:2009/04/18(土) 10:30:38
254です。
やっぱり先輩に我慢できません。 辞めます。


264 :食いだおれさん:2009/04/18(土) 11:33:32
>>254
そういう職場に対して労基は何も言わないの?

うちの会社なんか労務カードの書き方やPCのログオン、ログオフ時間までチェックされて、 いろいろと指導されるのに。

265 :食いだおれさん:2009/04/18(土) 15:32:45
>>264
飲食店は小規模な事業所が多いから、いちいち細かい指導はし切れないんじゃないかな。
訴えがあれば動くんだろうけど、和食の場合は腕一本で渡り歩く的な感覚の人が多いから自ら労基やハロワに駆け込んだりする人もいない。 実際のところ、厚生年金や健康保険どころか雇用保険すら加入してないような事業所もいっぱいある。 それどころか従業員の給料よりも店舗の設備投資を優先させてしまうような事業主も普通にいる業界だからもうむちゃくちゃですよ。


266 :食いだおれさん:2009/04/18(土) 15:43:38

厨房スタッフ採用の募集広告で既に1日10時間以上の勤務時間になっている飲食店を偶に見るが、週休3日ではないようだ。

労働基準法では一週間の労働時間は40時間と決められている。
だから週40時間を超えた部分は残業となるので、36協定で「残業を可能」とする取り決めが必要になる。
その上で40時間を超えた部分には割り増し賃金を事業所が支払う。
したがって上記取り決めを行い、割増賃金を支払っているならば違法ではない。


267 :食いだおれさん:2009/04/25(土) 14:43:57

飲食業界でまともな待遇求めたらアカン
飲食業でまともな待遇得るには経営者になるしかないんや


316 :食いだおれさん:2009/08/21(金) 07:52:00

まさに、蟹工船
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1212147317/


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 l  , , ,           ●      l   おい、おまいら
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   `ー 、__               /
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6. 堕落を続ける吉兆を見て、湯木貞一の精神を受継ぐべく未在を開業した石原仁司でしたが…

283 :食いだおれさん:2009/06/28(日) 19:45:20

吉兆といっても、嵐山以外は無視してもいいな?


129 :食いだおれさん:2009/02/27(金) 06:23:32

花吉兆が一番美味しくない?


290 :食いだおれさん:2009/07/07(火) 21:51:44

吉兆で昼を食って、夜は瓢亭に行ったが明らかに後者のほうが旨かったぞ


286 :食いだおれさん:2009/06/30(火) 15:23:06

未在行けよ

295 :食いだおれさん:2009/07/09(木) 19:12:29

未在に行くか? 嵐山に行くか? 
コスパのよい未在やね。

252 :食いだおれさん:2009/04/12(日) 15:16:12

未在の方が美味くて安い


270 :食いだおれさん:2009/04/27(月) 01:19:25

未在良いね


287 :食いだおれさん:2009/07/01(水) 19:55:28

未在はだいぶCPが落ちたぜ。
客を店サイドの都合に合わせて呼びつけるブロイラー方式も気に喰わん。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1212147317/


期待し過ぎていたかも('12/04 訪問)

京都の桜の時期に合わせて全国一位の未在さんに伺いました。

六時から全員同時に始めるとの事なので、少し早めに。円山公園の中を桜見物がてらお店を探し少し迷ってから一軒家のお店を発見。支度中の表示が有り閉まってもいるので再度散策。五分前くらいにやっと入り口の前にお店の人が現れ中に案内してくれるのかと思えば手前の庭で待たされ強制的に桜湯を出される。

この時点でお客様目線ではないなと不安に。玄関を通されるとカウンターだけのお店で、ご主人が何かしているが、いらっしゃいませでもない。なんか頑固おやじのいるラーメン屋みたいと思い、どこに座るかも案内されず立ち尽くしていると、やっとこちらへと、、、

全てが店に客側が合わせるのかー、と思いながら。御主人と挨拶。

膳が配られると、箸置きがなく、杉の箸が濡れている。私の祖母がお茶の師範だったので、わー本気の懐石かと気づかされ、そういう事ねと納得。

作法に見たてて始まると、周りの方はぎこちなく辺りを伺いながらの食事。これは、楽しい空間なのだろうかと思いながら一の膳へ
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/


良くない意味でちょっと気になった点は、お店の醸し出すかなり緊張を強いられる雰囲気です。 カウンター割烹の醍醐味は、御主人との楽しい会話ですが、何か質問してはいけないような雰囲気でした。

 料理に限らず、どの分野においても、その道の権威や巨匠と呼ばれる人には見えないオーラがあり、その方の前に立つと緊張した雰囲気が流れるものですが、日本料理界の権威と言っても差し支えない石原氏が自然と放つオーラのせいなのかもしれません。

 この日は一斉スタートのはずが、空いている席があったので、なぜかと思っていると(未在は毎日予約で一杯なので)、遅れて2人来ました。 会話内容からして、製薬会社のMR(営業担当者)が医師を接待しているようでした。失礼ながら緊張するタイプには見えないその医師が、「非常に緊張する雰囲気だなあ。」と言っていたので、私と同じように感じる人もいるのだと思いました。

 ちなみに、その営業担当者のお店選びは完全に失敗したと思いました。このお店は、あくまで料理を純粋に楽しむ場所で、最も接待に向いておらず、料理は二の次という姿勢は、全身全霊を込めて料理を作っている石原氏やお弟子さん達に失礼だと思います。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/3363419/

ちょっと格好つけすぎだがお値打ち、未在 2006年5月13日(土)

京都吉兆の料理長が独立して一昨年、円山公園の一角にオープンしたのがこの「未在」です。紹介雑誌には、この道40年もの経験を有しながら店名を「未だ在らず」にとありました。中途半端というような店名で商売していいのか、と突っ込みたくなりした。
円山公園の管理事務所脇を上がったところに位置する店は隠れ家的で雰囲気は最高。しかし店前にある屋根付きの車庫がちょっと興醒めします。

夜の1回転営業ですが、入店は17時半と19時に分けて予約をとっています。つまり、カウンターを満席にせず、半分しか客を入れないということです。

京都の和食屋へ通いだして気がついたのですが、同伴カップルでなくても京都の客は結構早めの時刻に入店するようです。
18時なんて当たり前。東京のように、19時、19時半というと嫌な声を聞かされたこともありました。
よって、17時半の集合というのも、京都の店では無理がない範囲なのでしょう。
15分前に来店するよう指示されますが、店に着いても直ぐに店内へ通さず、入り口前のベンチに座らされ、オシボリと汲み出し紫蘇香煎が供せられます。早く座ってビールが飲みたいのに焦らされます。そして予約時刻になってようやく入店。

カウンターは10席ありますが、前客はコースの後半へ差し掛かっているところでした。早速ビールを注文したのですが直ぐ出てきません。
イライラしていると、カウンター内から主人が我々に折敷を手渡してきました。

見ると器が左右と向こう側に3つ。飯、汁、向付という茶懐石の形式ではありませんか。
ビールが直ぐ出てこない訳がわかりました。
左側の飯、右の八丁仕立てのズイキの汁を食した後、主人は純米大吟醸を一杯振舞ってくれ、やっとビールが出てきます。
茶事に関心がない人は戸惑い緊張してしまうでしょう。私もびっくりしました。

小さなカウンター和食でこの作法に拘る必要があるのかどうか。予約時に説明するべきと考えます。しかし、その後はお酒も好きなようにオーダーでき、料理が出てくると頬が緩むこととなりました。

造りは大皿で、鯵は意外でしたが大間鮪、鱧、明石鯛と量も多く、山葵、柑橘、梅肉とちり酢のほか、醤油と昆布出汁をゼリー状にしたものが添えられております。

お椀はこの時期、松茸で出汁もよい。

黒毛和牛炙り、綺麗な盛り付けの八寸、炊き合わせ、強肴の穴子の後、焦し湯で〆てデザートです。

いずれの料理も味、質、盛り付けなど吉兆の流れを感じるもので、満足しました。


<結論>
コースは21,000円で予算は25,000円以内。
この雰囲気、味わい、量を考えると、最初はちょっと堅苦しいけどお値打ちの京料理と考えます。
同じ吉兆出身でも、勘違いして飛騨から東京へでてきた「のり寛」とは比較にならない完成度の料理です。
http://www.9393.co.jp/tomosato/kako_tomosato/2006/06_0513_tomosato.html


2011年04月24日(日)

久々の訪問。東京と違って円山公園は花見、祇園は「をどり」でかなり盛り上がっておりました。

京都の3つ星和食の中では自他共に認める「創作和食」、京料理ではありません。(嵐山吉兆や菊乃井が京料理かと聞かれても返事に困りますけど)

なぜか料理のスタートは懐石の型式にこだわる不思議。飯、汁、向付けの3点セットが供された後にお酒が店主から振る舞われるのですが、その後の派手な造りや八寸の盛りを見るにつけ、全体としての統一感がないのではないかといつも思ってしまいます。

京料理の御法度との説もある牛肉も健在。安定していると言えばそれまでですが、季節感を感じる料理というより定番料理が主体の「湯木料理」と考えます。?
http://tomosato.net/weblog/%E6%9C%80%E8%BF%91%E8%A8%AA%E5%95%8F%E3%81%97%E3%81%9F%E5%BA%97%E3%80%80%E7%9F%AD%E8%A9%95%E7%B7%A8%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%92/


繁盛店の傲慢さがでてしまったか、未在 2009年03月14日(土)

繁盛店、有名店のお約束の道をたどってしまったと感じた久々の京都は丸山公園内の「未在」への夏の再訪でありました。

当初はカウンターを満席にせず、時間をずらしてキャパの半分しか予約を受けなかった変則2回転営業だったのですが、いつの間にかカウンター席全員(6名)時間厳守(17時45分集合 18時一斉スタート)になっておりました。クオリティを保つためキャパ全員の料理を同時に造るのを回避した変則2回転営業が、店の都合を優先するブロイラー方式に改悪していたのです。

なぜ店の都合で18時から一斉に食べ始めなければならないのか。「祇園 さヽ木」と同じく繁盛店の驕りを感じてしまいます。

吉兆嵐山本店の料理長まで努めたという石原仁司氏、イケイケドンドンの現総料理長である若主人、徳岡氏との関係で独立したと漏れ聞きましたが、そのうち「祇園 さヽ木」を真似て大箱店へ移転、ピザ窯まで備えてしまうのではないかと危惧してしまいます。当然ながらコースも2万5000円と値上げておりました。

茶懐石を意識した最初のお膳は飯、汁、向付。八丁味噌仕立てのズイキの汁に茄子の鰹&昆布のジュレの向付は普通でありました。鱧の落としは3片だけ。チリ酢、梅肉、鱧の肝が乗せられていますが、肝心の鱧が薬味に負けて旨味を感じません。

造りのアオリイカ、鯛、マグロも質は普通か。

サイコロ状の醤油の煮こごりは余計でありました。

お椀はタネが鮎豆腐。以前は吉兆そのものの出汁だと感じましたが、今回は昆布が強すぎるのではないか。

そして焼き物は黒毛和牛。実山椒のソースは悪くなかったが肝心の和牛の質に疑問。

続く箸休めの「山葵と鯛の肝のシャーベット」は山葵が変に甘すぎて箸休めになりません。

豪華だった八寸も稚鮎、鱧子、鯛寿司、鴨ロース、さえずり、枝豆、ウニソーメンとアイテムは豊富でしたが、全体にクオリティが落ちたと感じました。

冷製の賀茂茄子の焚き合わせの後、焦がし湯と氷菓にフルーツで〆となりましたが、 一人当たり3万円弱の支払いを考えると、食材、質含めCPはかなり劣化してしまったと判断。

客は信奉者のリピーターが多いようで、店としての進歩が止まってしまったのかもしれません。

当分は再訪は出来ないなと思って店を後にした次第であります。
http://tomosato.net/weblog2/?p=188


傲慢さだけが前面に出た迷店('12/03 訪問)


数ヶ月前に予約して訪問しました。18時一斉スタートでした。私達は4人で予約していたのですが、一人で17時40分前に先に着いた私は、その後他のお客さんたちが次々に集合して座席に通してもらっていましたが、カウンターの後ろの荷物置きで待ってくださいといわれてしまいました。

17時45分に残りの2人が来店したのですが、一人だけどうしても道が混んでいてタクシーが進まないと連絡がありました。
そうなると明らかに苛立った空気がお店側から流れていました

17時55分になり、苛立った大将が「今どこにいるか電話して確認しろ」と。

結局18時5分に到着、ただならぬ気配を察していた友達は店に入るなり「すみません!!」と謝りたおすも、「いらっしゃいませ」の一言もなく、他のお客さんに向かって、「大変お待たせしてすみませんでした、それでははじめます」と。

まだ友達、席にも着いてないのに…
一人3万以上も払って楽しい時間を過ごすはずの一流店で、たった5分の遅刻でそこまで言われなければいけないのか?

周りの客を見てみると、笑顔のお客さんは一人も居らず、時々ぽつりぽつりとささやき声で話す以外はシーーンと静まり返った店内。

私たちがお造りを食べるのが遅いと、早く食べるように催促されます、ここのお店ではお店のペースにすべて客が合わせる、というのが基本のようです。ゆっくりと話に華を咲かせながら食事を楽しみたい私には合わないと感じました。

肝心のお料理は、それはモチロンまずい訳はないですよ、ただしこの値段を払って美味しいのは当たり前
正直ゆううつな気分で食べればそんなに美味しいとも感じないものです

3万以上のお金を払えば、お料理が美味しいのは基本、それ以上におもてなしの心やしつらえ、お客さんに素晴らしい時間を過ごしてもらいたい、というお店の気持ちが伝わったくるのが当たり前だと思います

吉兆や瓢亭、和久傳といった本当の名店と同じような評価を得ていること自体信じられませんでした。

ここのお店には、お料理の前に「客をもてなす心」という基本的なことを一から勉強して欲しいと感じました。
http://u.tabelog.com/001091856/r/rvwdtl/3968276/


有名店ゆえに、、、、('11/06 訪問)


6時にスタートなので遅れないようにと念を押されていたのですが、東京から仕事終わりで駆けつける友人と待ち合わせ、
豪雨などが重なり、6時少し過ぎになってしまいました。

6時ぴったりにはお店より、どちらにいらっしゃるのかと、ちょっと高圧的な電話、、、

もうお店のすぐそばで、タクシーを降りるところだったので、そう言ったものの、円山公園の中という特殊な立地でタクシーを降りてからも少し歩かなくてはなりません。タクシーの運転手さんが気を利かせて、店に一番近い場所まで乗せてくれました。
地図を見ながら、一番最短の道で行こうとしたものの、店の方がなぜか遠回りの道案内。

おそらく道案内の始点が決まっているんでしょうね。

近い道の方向であっているか確認しても、とにかく、遠回りになる始点まで戻るようにと説明されているお店の方も、いらいら口調。

急いで店内に。
確かにお店に着くと他のお客様は全員そろい、申し訳ない気持ちに、、何度も謝りながら席につきました。

遅れてしまったのが悪いのですが、居心地が悪く端の席に小さくなってお料理スタート。

説明は私たちから離れたカウンターで小さな声で説明
聞き取れず、どれで、どのお刺身をいただけば良いのか迷いつつも気軽に聞けないかんじ、、
終始不機嫌そうな店主に、ピリピリしてるお弟子さんは、お客さんに気を使うのではなく、店主の顔色ばかり見ている気がします。

お食事は、確かにおいしいとは思うのですが、美味しいと思えないものがあれば、私の責任って感じで美味しくないはずがないというプレッシャーにまるで裸の王様のお洋服を褒める町人な気分です。


お料理は、素材の良いものをがっつり出されていると思います。
素材もかなりこだわりを持ってらっしゃるのだと思います。

ただ、私には高尚過ぎて残念ながら、このお値段を出すなら、もっと単純に楽しく食べたいなぁと思ってしまいました。


お料理は、ある一定の値段を越えれば、器、店の設え、店主の人柄、店の雰囲気などエンターテインメントな部分が付加価値としてついてくると思うのです。他のお客さんと、自分が差別されている気持ちにさせるのはどうかと、、、

かなりの緊張感を持って挑まれたほうが良いかと。

リラックスして、美味しい食事と楽しい会話を至福に思う私には、私がお店に求めるものと、お店が目指すところが違ったのだ思います。お客さんが気を使わなくてはいけないお店は苦手な私には残念ながら向いてませんでした。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/COND-0/smp2/?PG=2&lc=0


なるほどこれが京都で一番の料理屋なのか('11/07 訪問)


円山公園の一等地にあり、素敵である。

お料理は一品一品が大盛りである。お造り好きの私にとってこの量は好ましい。

客は金持ちそうな人ばかりで、一般人は私だけだったから差別されたのか、鮪のお造りが私はすべて赤身で、隣りはすべて中トロ。精神世界や茶の精神を語るなら、同額を払っている客に対して、気を遣った方が良いと思った。

これって、けっこう悲しいですよ。
私は酒を飲まないので、シラフでそういうのを見ているのです(笑)

逆にこれであぁただのメシ屋じゃん、と緊張感も解けて気楽に食べられたのも事実でしたね。料理はなんだかわからない珍味ではなく、わかりやすい上等な素材でガツンと満腹になっていくタイプ。味もけっこうしっかり目についています。茶席ということでか、ごはんの煮え端が出てきたり、草喰なかひがしに似ている雰囲気もあるが、あそこよりもわかりやすい料理である。

予約をとれるのが半年先だそうで、二回転させないで10人しか相手にしないならそういうことにもなるのだろうと、思った。とにかく金持ちそうな装いと振る舞いでお出かけください(笑)
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/dtlrvwlst/


90 :食いだおれ:2009/02/13(金) 14:25:11

未在も以前と比べてだいぶ落ちた気がする。
店主が天狗になったのか、利益追求に走り始めたのか・・・?

開店当初からしばらく通ったが、最近は足が遠のいた。 残念
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1212147317/


3つ星和食の「未在」、料理長退任か? 2011年05月13日(金)


友里掲示板で興味ある情報が提供されました。 未在の石原料理長がオーナーと決裂して店を辞めるらしいとの仰天情報です。

同じく友里掲示板で話題のヨイショライター・関谷江里さんが宣伝するそこらの京料理屋ではなく天下の3つ星和食の内紛情報
でありますから衝撃的です。でも私は石原氏が雇われ料理長であったことにより驚いたのです。
http://blog.excite.co.jp/detiti/10108058/

未在のオーナー 高堂のりこ
http://blog.excite.co.jp/detiti/10108058/



タイミング良く、京都の花街に詳しい方からも同じような花街情報をいただきました。「未在」が閉店するかどうかはわかりませんが、石原氏が辞めてしまう可能性は高いようです。

性懲りもなくこの10月に発売予定のミシュラン京都・大阪・神戸・奈良版。「未在」の替わりにもう1店3つ星を造り出さないと体裁がとれないかもしれません。

京都吉兆筋の情報ですが、「未在」の使い勝手悪いブロイラー方式(一斉スタート)やここ数年のCP劣化はオーナーの意向
ではないかとの話も聞きました。無事退任されてまともなスポンサーの元で出直すならば、石原氏にはこのような点を改善したよりよい店にしていただきたいものです。

http://tomosato.net/weblog/%ef%bc%93%e3%81%a4%e6%98%9f%e5%92%8c%e9%a3%9f%e3%81%ae%e3%80%8c%e6%9c%aa%e5%9c%a8%e3%80%8d%e3%80%81%e6%96%99%e7%90%86%e9%95%b7%e9%80%80%e4%bb%bb%e3%81%8b%ef%bc%9f/

2011年05月14日(土)

京都の3つ星和食「未在」の内紛情報を色々な方からいただきました。1年前くらいから急に目立ちはじめたという自称オーナーの高堂のりこ氏。実態は雇われ料理長なのかどうかわかりませんが、石原氏と本格的に係争しているとも漏れ聞いております。

詳しくは別の機会に述べたいと思いますが、店、特にレストランはある意味シェフや料理長が客寄せパンダの役をかっているわけです。3つ星和食「未在」は石原さんがあってこそ存在できる店。グラナダ経営時の「カンテサンス」の岸田シェフや「分とく山」の野崎総料理長の例を出すまでもなく、オーナーは日夜 花形雇われシェフ(料理長)をいつまで引き留め続けられるかに頭を痛めているわけです。独立されたら集客が激減すると自覚しているからですが、この高堂女史は何を考えているのでしょうか。転貸借による地代のピンハネに執着するあまり、一番大事なコンテンツである花形料理長を失うということがわからないのでしょうか。

石原氏がいる「未在」の自称オーナーだからまわりからチヤホヤされるのです。決裂して石原氏が去ってしまうと、円山公園内の「元うどん屋」だったという建屋の単なる借り主という肩書きだけしか残りません。あまりに未在色が強すぎるため、あの建屋で新しく腕を振るおうと考える有能な料理人が出てくるとは考えられない。

石原氏が居る「未在」の自称オーナーがプロデュースしたからこそ、赤坂の「花楽(かぐら)」とかいう料理屋もネットでちょっと取り上げられるのです。
http://blog.excite.co.jp/detiti/10108058/


狡猾なやり手と言われているようですが、私には未在の成功で舞い上がってしまっただけの勘違いオバサンにしか思えません。
http://tomosato.net/weblog/%e5%ba%97%e8%a9%95%e4%be%a1%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e3%82%92%e6%9b%b4%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%99-6/

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7. 石原仁司は純真過ぎて湯木貞一の事も、茶道の事も理解できなかった

まあ、島根県の山奥から15才で出て来て、ずっと料理しかやっていない人だから、人間の事がわかる筈も無いのだけど。

1) 湯木貞一の子供や孫は本当に湯木貞一の精神を踏みにじったのか?

23 :食いだおれさん:2008/06/02(月) 10:43:41

使いまわしは先代のころからやっていたという話しだが、
先代から 教えを受けた他の吉兆が使い回しをしていなかったなんて、 信じてる方います?
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1212147317/


335 名無しさん@八周年 New! 2007/11/16(金) 12:19:42 ID:1L9eypvz0

俺は京都吉兆の調理場で働いていたけど、産地は偽装してたよ。
京都産の筍に九州産の筍混ぜてたよ。『味の素』は使っていないと言って『いの一番』使ってたし(笑)。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/peko/1195096569/

17 :食いだおれさん:2007/12/18(火) 03:16:32

頭が弱い若僧に金や地位を与えた必然的な結末

迷惑千万

5 :食いだおれさん:2007/11/25(日) 16:45:46

貞一のように図々しい説教をしないだけましじゃないか。


428 :もぐもぐ名無しさん:2008/03/10(月) 13:30:13

三代目 湯木尚治 吉兆、祖父への思い 
 「生まれた時から家は料理屋」−−

湯木尚治さんは、芸者が出入りするのが当たり前の環境で育った。
遠足の弁当は塗りの膳に入った松花堂弁当。誕生会はお友達を呼んで吉兆本店で流しソーメン。
「派手だからやめてくれ」とPTAで苦情がでて以後誕生会は中止になったこともあったとか。

 またある日、家政婦が子供の食事にインスタントの味噌汁を出そうとした。
すると祖父の貞一氏が「子供にインスタントの味付けを食べさせるのはやめてくれ」と怒ったこともあったという。

やっぱり、お坊ちゃんが甘やかされ放題で育って、あんな人物になってしまったんだろうな・・・。


429 :もぐもぐ名無しさん:2008/03/10(月) 23:24:36
>>428
エエこと書いてあったなー。 発言も立派や。

ただおじいちゃん
「嘘はあかん」
って教えてないのね。

14 :食いだおれさん:2007/12/15(土) 13:14:52

湯木尚治なんて吉兆グループの巨悪氷山の一角にすぎない かわいいもんだよ

79 :食いだおれさん:2008/05/28(水) 08:17:24

ばれたのが船場吉兆だっただけで
オール吉兆グループで使い回しや賞味期限・産地偽装etc.・・・

480 :もぐもぐ名無しさん:2008/05/07(水) 10:45:48

高級料亭でも何でもない
権門にすり寄って金と名誉を手に入れた御用料亭が馬脚を顕しただけ


481 :もぐもぐ名無しさん:2008/05/07(水) 10:59:35
そもそも老舗ですらない

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/food/1195241291/


どうやら結論としては


@ 湯木貞一は天才的料理人だったが、それ以上に抜け目ない商売人であり、金と名誉にしか関心が無かった。

A 湯木貞一の子供や孫は料理の才能は受継げなかったが、湯木貞一の教えはすべて完璧に守り通そうとした。

という事になりそうですね:


「吉兆」創業者・湯木貞一

神戸の料亭の一人息子に生まれ、15歳から板前修業に入る。25歳の時、松江藩主・松平治郷(不昧/ふまい)著「茶会記」を読んで感激、昭和4年30歳で独立、翌5年「吉兆」を設立した。
14年に株式会社に改組、社長に就任。大阪の本店をはじめ東京、京都に支店を持つ。
“世界之名物 日本料理”をキャッチフレーズに、東京サミットなど国賓への日本料理を提供する料亭にまで育てあげ、茶人としても一家言を持っている。

「吉兆」と湯木貞一さん2007-11-19

「船場吉兆」の名前が連日マスメディアを賑わせている。「吉兆」の名前こそ高級料亭に縁のない私でも知っていたが、「船場吉兆」なんて初耳で「吉兆」とどのような関係にあるのだろうと思っていた。テレビに顔を出した支店長かの名前が湯木なにがしだったので、やはり湯木貞一さんにつながる店かな、と半信半疑ながら納得したのである。そうこうしているうちに日経夕刊(11月16日)に「吉兆グループ」の解説が出ていたのでその関係が分かった。湯木貞一さんにに始まり、のれん分けなどで増えた五社が吉兆グループを作っていたのであるが、お互いは経営方針も扱う商品も異なる別会社であるとのことだった。しかしお互いに「吉兆」の名を背負っていることでは共通してから、他の四社への影響は避けられないだろう。

私はいまだかって「吉兆」と名の付く店で食事をしたこともなければ、贈答品のやり取りをしたこともないので、「吉兆」は私にとって無縁の存在である。世間のほとんどの人もそうではなかろうか。となるとわれわれは別に騒ぐことでもなんでもない。「ああ、そう」で済む話である。生もの、調理ものの食品を閉店間際まで豊富に陳列している店がいかに多いことか、なにか裏がありそう、とは多くの人が思っていることであろう。その「裏」をわれわれが次第に知ることになったのである。今や『食品偽装』は日本社会での常識であると思っておればいいではないか。だからここでは湯木貞一さんとのある接点の思い出話を述べるに止める。

「暮らしの手帖 第2世紀」に湯木貞一さんが「吉兆つれづればなし」を毎号掲載しており、食いしん坊の私はよく目を通したものである。古い雑誌を探してみると、その第39号(昭和50年 november-december)には季節に合わせた「かきのたべ方いろいろ」が取り上げられている。「かきはなまが一番」から始まるが、そこでは産地の広島からカンに詰めて送られてきた、剥き身のかきの取り扱い述べられている。

《 かきをきれいな水で洗ってから、もういっぺん甘酢で洗います。この甘酢は生酢に砂糖を入れ、少し甘味をきかせてください。 かきの新鮮なものは、白いところと、ふちの黒いところがハッキリしています。ちょっと黄色くなったり、白と黒とが、際立たなくて、どことなくネズミ色をしていたり、余分に日がたったものになると、なんだかベトッとして弾力性がなく、色あいがシャッキリと冴えていない、そこまでになったものは、生では使うことは出来ません。》

昭和50年といえば32年前のこと、このように自分の目でかきの鮮度を確かめて家庭で料理するのがごく当たり前だったのあろうか。上の記事には「酢の量できまるうまさ」、「土手焼の家庭ふう」、「かいご飯には汁をかけて」、「汁かけ飯と栗のこと」、「おじやとかき雑炊」とつづき、「最後にかきののり巻き」で締めくくられている。おじやは私の大好物で、一人暮らしの頃にはよく作った。ところが湯木さんによると、ダシは手間をかけてとるものなので、だから時間がかかってしまう。

《 いりじゃこも、昔の人はちゃんと段どりをつけたものです。いりじゃこは、お湯がわいたからそこへほりこんで煮たてたといって、ダシのでるものではありません。これは少し長く水につけておいてもらわなければならいので、朝、おじやを煮くという場合など、前の晩に、必要なだけの水にいりじゃこ昆布を入れて、ひと晩つけておいたものです。 そして、ひと晩水につけたいりじゃこと昆布をさっと煮立てます。にたってきたら、こして、しょう油で味をつけます。》

とうるさい。たしかに手間をかけると本当に美味しいおじやが出来上がる。しかし私がそこまでの段どりをするのは現実にはむつかしく、インスタントダシのお世話になっていた。

湯木さんの記事はあくまでも家庭料理法であったが、最後に(筆者は大阪高麗橋吉兆主人)と紹介されていたので、一度は本場の味を味わって、とも思ったものである。しかしそのうちに「吉兆」と云えば大層な料亭で、庶民が気楽に行けるところではないことが分かってきた。私が京都に単身赴任してからのことであるが、たまたま嵐山にある「吉兆」の前を通りかかったときに、大きな門構えといかにも奥行きがありそうな荘重な佇まいに圧倒された。何かの折りに同僚の間でこの店が話題になり、

「いや、一人十万円もみておけば舟で川遊びまで出来ますよ。一度行きますか」

なんていいあったものの、話だけで終わってしまった。十万円といえば当時私の借りていたワンルームマンション1ヶ月分の家賃だったのである。

その湯木貞一さんとは思いがけないところでまた出会った。といってもこれも本の中で、である。辻静雄という方がいた。新聞記者から調理師学校の校長に転身した料理人であり料理研究家で、この方の華麗な料理生活が世に知られていた。気のあった友人たちを自宅に招いて催す夕食会では、腕利きの調理師学校の教授たちが腕を振るった料理でもてなすもので、その模様が招待客から折に触れて紹介されたものである。辻さんは私とほぼ同年代であるが、身を以て料理を探求されたあまりにご自身の肝臓がフォアグラ化して、それが原因で還暦を待たずに亡くなられたとの伝説があるくらいである。私がヨーロッパに出向く前にこの方の「ヨーロッパ一等旅行」(鎌倉書房、昭和52年刊)を手に入れて、あわよくばご推奨のレストランにと思ったことがあったが、一読してそれは叶わぬ夢と覚らされた。

《旅はどうしても飛行機の一等席にすわることから始まることになる。座席はゆったりしているし、サーヴィスもまあまあ行き届いている。》

《旅の道連れは、多くて、四人から六人くらいまで、これ以上になるとホテルのスゥイート・ルームの予約を取るのが困難な上、料亭でもよい席をしつらえるのに無理が出て来る。》

《独り旅は特にいけない。ロンドンのホテル・リッツのような相当格式の高いホテルでもシングルというのは、だいたいがご主人のお付きの人の部屋用ということになっていて、とんでもないところへ入れられたりする。》

こういう注意書きが延々と連なってくるとわれわれ庶民はかりそめにも「一等旅行」なんて不遜に考えるべきものではない、と思い知らされるのである。これは辻氏の料理哲学から素直に出て来る戒めで、その根底に次のような思想がある。

《 大衆的な赤提灯、縄暖簾をくぐるのには、さして気をつかうこともないのは当然だが、ひとたび、上等な方の料理屋さんに足をふみ入れるとなると、これを味わうにはなりふりかまわずというわけにはいかないのだ。衣食住とも、三拍子揃った水準のところでの勝負になる。》

《 日本の料亭では床の間に光琳の掛軸や不昧公の書がかけられているところへ、織部の器や乾山に料理が盛られて出されたりする。こんなとき料亭の客人となるためには、これらの日本の文化を賞味するにたるだけの生活の背景がなければ、心許ないことにもなる。西洋でも同じことで料理や食器の勉強はもとより、泊まるホテル、旅籠屋の類にいたるまで、バランスのとれた生活体験なるものがなくては、位負けしてしまうのである。》

いや、仰ることはすべてごもっとも、その通りである。毎月少しずつ積み立てて10万円になったら「嵐山吉兆」へ、なんて想像すること自体場違いというものなのであった。

この「ヨーロッパ一等旅行」は辻静雄氏の正味十一日間の体験を元にした旅行記で、同行者がいた。

《 ご一緒した料亭"吉兆"のご主人の名前は湯木貞一さん。私の最も敬愛する端正な白髪のご老人である。神戸生まれだということで、今年七十七歳というお年にもかかわらず、舶来文化にはお小さい頃からことのほか馴染んでおられた方らしく、ハイカラなご趣味の方である。》

《 私のいささか強引な誘いに根負けされたものか、一九七六年の秋にそれではということになって、大阪の本店のご長男をはじめ、ビル吉兆、そして東京の吉兆を取り仕切っておられるお兄さんたちとヨーロッパ旅行をしてみようという決心をなさった。》

辻さんが湯木貞一さんを強引に誘ったのには次のような背景がある。

《 いつの頃からか私は日本の料理に興味をもち、大阪に住んでいることから、高麗橋の料亭・吉兆に足繁くかよっていたが、これだけの料理をつくる方に、もし西洋の料理をお見せしたら、日本料理の将来に何かを加えることができるのではないかと思うようになった。》

「吉兆」とはこういう世界の店なのである。それなりの資格のある人がお馴染みさんになればいいのであって、庶民が足を踏み入れるところではないのである。分を弁えることを早々と学んだ私にはまったく無縁の存在であり、それが正解であった。

上に引用した吉兆グループの目につくところは、「本吉兆」を除いてあとは(湯木貞一氏の)長女、次女、三女、四女の婿が社長になっていることである。「本吉兆」の前の主人は辻さんの本に出て来る「大阪の本店のご長男」であったのだろうか。昔の大阪商人はひょっとして出来の悪い息子に家を継がせるよりは、出来のよい子飼いの使用人を婿養子に迎えるほうが家が繁昌するというので、娘の生まれることを歓迎したそうである。その意味では湯木さんも大勢の後継者に恵まれて安堵されたことであろうが、今回の出来事が「売り家と唐様で書く三代目」の兆しになるのでは、と泉下で固唾を飲んでおられるような気がする。
http://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/3cb823e7374aad466c6301fa844bf5cb


吉兆の仲居さんといえば、大卒のインテリで、しかも数カ国語がしゃべれないと採用されない、と聞いたことがあります。

担当して下さった方は、こちらの質問に料理、食材についてはもちろんのこと、室礼のことや器のこと、どれもこれもよどみなく、的確に答えてくれました。しかもユーモアをまじえて、こちらをたててくれるような答え方です。

さすが〜、、と思いましたね。料理もさることながら、この接客が一流の所以なんだ、と思いました。
もうずいぶん前、20代の頃、接待の末席に高麗橋吉兆に連れて行ってもらったことがありました。(あそこは今でも一見さんお断りかも、、)
当時はもう恐れ入って小さくなっていて、料理も雰囲気も味わうどころではなかったのですが、唯一印象に残っているのが、当時の吉兆の仲居頭の方の当意即妙の会話だったのです。もっとお安くて、お料理のおいしいところは他にもたくさんありますが、こういうもてなしに払うお金なら納得できます。
http://cheruprifre.blog.eonet.jp/default/2011/03/post-e2c3.html


まだまだ、私が来るには早過ぎた・・・。('10/10 訪問)

紅葉シーズンに友人が京都に遊びに来ると言うので、半年前に予約を入れた。
それなりの価格帯の店であるが故、容易に部屋が確保出来ると思っていたのだが、見通しは甘く、私の切望していた部屋の大半は、ほぼ全て埋まっていた。

流石に天下の「嵐山」というべきか、部屋のしつらえ、料理の魅せ方、仲居の対応、全てにおいて、申し分がない。
料理の説明はこちらが催促しない限りしなかったが、説明を求めると、食材の旬や味の特徴、調理法に至るまで全て完璧に答えて来る。

また、聞けば、嵐山は世界各国の要人が集まるので、英語や中国語は勿論、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語・・・と、
語学堪能な仲居が多いとのことだった。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26001312/dtlrvwlst/


★嵐山吉兆 まだまだ行くのには早すぎたお店★('12/03 訪問)

接客が上から見られてるようで、正直気持ちの良いものではありませんでした><

「あなたたちが来るようなところではない」

といわれてる感じがしました;

やはりまだまだひよっこが来るようなところではなかったですね。憧れていたお店でしたがなんだか残念でした。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2604/A260403/26001312/dtlrvwlst/COND-0/smp2/?PG=2&lc=0

要するに、吉兆というのは純粋に料理を愉しむ場では無いという事ですね。 何も知らない少年が大演奏家のコンサートや名優の舞台を見に行っても、『私が来るには早過ぎた・・・』と思う事は絶対に無いのですが、それは芸術や文学を純粋に愛する人と吉兆に食事に行く人とは質的に違うという事でしょう。

そもそも、芸術や文学を純粋に愛する人は世間的には負け組の側に入ってしまいますから、吉兆に6万円の懐石料理を食べに行く事は有り得ないのですね。

要するに、湯木貞一が対象としていたのは芸術や文学が全くわからない、知性も教養もゼロの政治家や実業家や資産家だけなのです。湯木貞一の精神とか茶懐石というのは所詮その程度のものなのです。湯木貞一が愛した茶道についても全く同じ事が言えます:

___________


2) 茶道の本当の目的


柔道、剣道、弓道、華道、茶道 何でも同じですが、日本人は仏教の悟りの過程を真似して中身の無い物を如何にも奥深い深遠な物に見せかけるのが得意なのですね。

本来、剣道、弓道は殺しのノウハウ、柔道は喧嘩のノウハウ、華道、茶道はもてなしのノウハウであって、それ以上の物ではないのです。道と付くものをやる人間はみんな知性も教養もゼロのアホばかりでしょう。アホだからこそ道だとか精神だとか言ってカッコ付けるしかないのですね。

それに悟りと言っても、大乗仏教や禅宗や密教では釈迦の悟りの意味を完全に誤解していたのですが:

禅宗は知識ではなく、悟りを重んじる。禅宗における悟りとは、生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付くことを言う。このため、唐代の祖師たちは苦闘を重ねながら悟ってきたのである。

しかし宋代以降、悟りを得るための多くの技法が考案されてきた。坐禅(瞑想とは異なる)、公案(知的な理解を超えた話を理解すること)、読経(お教を読むこと)、作務(普段の作業)などの修行を既に悟りを得た禅師の元ですることで、悟りが得られるようにメソッド化されてきた。

悟りは、ロウソクの火が、消えているロウソクに伝わるように(伝灯)、師から弟子へと伝わるとされる。それは言葉(ロゴス)による伝達ではない。それゆえに正しい禅師を選ぶことが肝心とされる。それは悟りを得ている事だけではなく、自分の個性に適合している禅師を選ぶという意味もある。しかしながら、悟りを得た禅師が指導して悟らせるのではない。師を持たずに悟りを得たゴータマ・シッダッタ(仏陀、釈尊)を持ち出すまでもなく、唐代の祖師たちは、師匠から教わって悟ったのではないのである。

悟りを言葉により定義することは出来ないが、言葉を始めとしていろいろな方法で悟りの境地を表現することはできる。そのため特に日本に伝わった後、詩や絵画を始めとした芸術的な表現の上に悟りが表現されており、その香りを味わうことができる。芸術以外にも、茶の湯や生け花を始めとした振舞いなどにも表現されており、振舞いをたどることによって、悟りの世界を味わうという手段も生まれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97


悟りへの道ー夢窓疎石の教えー

峯尾: 夢窓国師と言いますと、非常に優れた造園家で、沢山の庭園を造っており、目の前のこの天龍寺の庭もそうなんですが、禅宗にとって庭の意味するところというのは、どういうものなんでしょうか。

 
平田:  禅宗に必ず庭がなくてはいけないということはないのですが、一つの禅の芸術表現として庭があるということです。だから、禅の表現は庭園芸術だけではなく、能もそうであるし、茶道も明らかに禅から出ているわけです。そういう芸能の一つに庭園芸術はあると思います。ことに夢窓國師はそのような山水を愛し、愛でるということが好きだったようですね。


峯尾:  天龍寺以外で夢窓国師が造った庭ですが、まず、岐阜県多治見市の永保寺(えいほじ)。これは比較的若い時に造られたものですね。
 
平田:  虚渓山に入ったのは・・・
 
峯尾:  三十八歳ですね。
 
平田:  まだ若い。聖胎長養の真っ最中ですね。山中にあって池を造り、観音信仰をもっていたのでしょうか、観音閣というようなものを造るわけです。ずいぶん高いところにあるおぜん型の坐禅石もあります。その上で坐禅をしたのでしょう。
 
峯尾:  そして、天龍寺の比較的近くにある西芳寺(さいほうじ)、私どもは、「苔寺(こけでら)」と言っていますが。
 
平田:  夢窓國師は南陽慧忠(なんようえちゅう)(中国・唐の禅僧)という中国の國師に憧れ、彼をモデルにしているようなとこがあります。その南陽慧忠の有名な詩をとって、一つ一つ庭園に名をつけたわけです。「湘(しょう)の南(みんなみ)、潭(たん)の北(きた)」という詩句があって、「湘南亭」「潭北亭」という茶室がある。「中に黄金あって一国に充つ」というので、「黄金池」と言っているわけですね。
 
峯尾:  そして枯山水ですね。
 
平田:  向上関(こうじょうかん)。
 
峯尾:  滝を表している。

平田:  ええ。得ては捨て、悟っては捨て、ますます向上していくという意味で向上関というところがある。もともと西芳寺は浄土宗の寺で、改宗して禅の寺にしたのです。ここは先ほど言った聖胎長養の人だけを入れる場で『西芳遺訓』と称して、厳しい規則を作って、ここへ住んでいる人はその規則に従う、いわば厳しい悟後の修行の道場であったわけです。苔寺を造る時に、このような句を作っています。
 
     仁人自是愛山静   仁人(じんじん)は自(みず)から是(これ)山の静なるを愛す
     智者天然楽水清   智者は天然に水の清きを楽しむ
     莫怪愚惷翫山水   怪(あやし)むこと莫(な)れ愚惷(ぐとう)の山水を翫(もてあそ)ぶを
     只図藉此砺精明   只だ此(こ)れを藉(かり)て精明(せいめい)を砺(と)がんことを図(はか)るのみ
 
「砺(れい)」、これは研ぎ澄ますという意味なんですね。そこから「励精閣(れいせいかく)」というのを造っている。この偈頌がいわんとしていることは、「私が山や川のような山水を愛して庭を造るというようなことを、なぜそんなことをするのだという人がいるかもわからないが、それは言うことなかれ、怪しむことなかれ、そういうものを通して我が心を研ぎ澄ますためなのだ」ということです。怨憎(おんぞう)、愛欲、見たり、聞いたり、欲しがったり、貪ったりという心はどこから出てくるのか、そういう心の根源へと目覚めるためにやっているんだと。それが庭を造るひとつの方針になっているわけです。

 
上田:  心を磨く場として、夢窓国師は庭造りにいそしまれたと思うのですが、私が好きな言葉に、
 
     山水に得失なし
     得失は人の心にあり
       (『夢中問答』)
 
というのがあります。自然そのものの中に人間のありようを見出すということでしょう。

人間は常に損得を考えて行動する。自然と人間が一体化する、今の言葉で言えば共生ですね。ともに生きる。そういう思想が禅宗の庭園にあるのではないかと私は思います。禅宗の庭というのは観賞の庭より、まさに心を磨く庭だと思いますね。枯山水などもそうですし、曹源池(そうげんち)のように見事な池を廻遊する。廻遊式庭園というのですが、このような庭を造られる心ですね。

日本の文化というものは、室町時代の庭園に集約されているような気がします。庭園の文化は、勿論、中国、朝鮮の方から入ってきたものですが、最近飛鳥寺の南で飛鳥時代の大きな庭園の遺構が見つかり、もう飛鳥時代には日本独自の庭園の文化になっているんですね。京都には名園が多いですが、大体が室町時代のものです。いわゆる苔寺、すなわち西芳寺にしても、鹿苑寺金閣にしても室町時代でしょう。大徳寺の大仙院の庭もですね。これはまさに日本の文化を集約している。そういう日本の庭園文化の基礎を夢窓国師が作られたと言えると思います。

 
峯尾:  上田さんは庭を造らせた夢窓国師だけでなく、実際の庭師の方たちのこともおっしゃっていますね。
 
上田:  ええ。夢窓国師は勿論設計されたでしょうが、忘れ易いのは、「山水(さんずい)の河原者(かわらもの)」と呼ばれた人びとのことです。彼らは身分も低くて、差別された人びとですが、そういう人たちが庭造りに加わっているんですね。時代は下りますが、銀閣寺のあの名園も、そのオーナーには足利義政がいるのですが、実際には善阿弥(ぜんあみ)という庭師が造るわけです。ですから、夢窓国師の庭の背後に、そういう「山水河原者(さんずいかわらもの)」と呼ばれた人びとが加わっているということも忘れてはならないと思います。
 
 
上田:  高僧なりのあり方についてですね。深山幽谷にこもって悟る、もちろんそれは大事なことですが、その教えを世俗に広める、民衆を救わずして何の宗教だという考えが私にはあります。そういう意味では夢窓国師の行われたことは、今の世にも学ぶべきものが多いと思います。特に、乱世でしょう。乱世の中で、敵味方を乗り越えて、教えののあるべき姿を説かれたというところに魅力を感じますね。
 

 
平田: 最近の宗教学者は、「純粋禅」なんていう言葉を使うが、そんな言葉を誰が作ったのかは知らないが、純粋に拘ったら、そんなものは禅じゃない。やはりいろいろなものを包み込んで、それを自家薬籠中のものにしながら、禅をあたためていくところが本当の一流の禅。

人を見たら一喝をはいたり、一棒を叩いたりして、禅ぶるというのは本当ではないんです。この点は頂相(ちんそう)をご覧になっても、夢窓国師は私なんかと違って、痩せ型で、口元を見ても慈悲に満ちた口元をしておられる。あの人こそ純粋な日本人で、純粋に一流人であると私は思う。和歌も巧みでしたしね。だから、「宋直入の禅ではない」とも批判される。非常に日本化した禅というものを広めた方だと思っております。
http://www1.kcn.ne.jp/~hk2565/kokoro-262.htm


茶道は修行であり、稽古にひたすら励むことで悟りを得ることが出来ると師匠からも教えてもらって、確かに色んなことが分かるようになってきた。点前の所作を通して生まれる『何故?』を考えたり、師匠に言われたことを咀嚼しきれずに抱えたままの状態で月日を重ね、ある時急にその言葉の意味が分かるようになったり。

けど、悟ったり、理解が深まったりというのは、あくまで自分目線で世の中の仕組みを『世の中こうなってるんだよ』と思慮深い顔で語っても だから、この世界の真ん中でどうやって生きていけば良いのかという答えは導き出せない。
それを茶道を通して人に伝えて行こうというのだから尚更難しい。
http://torianchado.sblo.jp/article/53284658.html


茶道・禅・スノビズム

 茶の湯は禅宗より出たるに依りて・僧の行を專にする也。珠光・紹鴎、皆禅宗也。(『山上宗二記』)

 茶の湯と禅の結び付きは、利休の高弟、山上宗二の言葉を引用するまでもなく、よく知られていることである。抹茶の風味・茶人の立ち振る舞い、侘びた茶室の佇まい等々、禅宗のストイックな雰囲気は茶の道のいたる所に看取できる。禅的であると同時にそれは、日本的という言葉もふさわしいと言えるだろう。

 しかし、現象的な面だけではなく、思想的な面でも茶と禅を強く結び付けることは可能だろうか? 茶を一杯飲むだけのために必要とされる、覚え切れぬほどの煩項な点前。「数寄」の名のもとにくり広げられる、かくあるべき価値体系。これらは茶道を特徴づけるものではあるものの、果たして、禅の精神に沿うものなのだろうか? 

たしかに、禅宗の寺には「規矩」と呼ばれる細かい規則があり、食事の仕方から草履の上げ下ろしに至るまで正しい作法が決められている。その意味では、「点前」と「規矩」の類似性から茶道の細かい決まり事も、禅と無関係ではないと言うことはできるだろう。だが、それにしても、現象的な共通点以上のものではなく、思想的な裏付けがあるわけではない。

 逆に、禅宗を含めた仏教が目指すのは、いっさいのとらわれやこだわりをなくすことではなかっただろうか? 

法外な値段で売買されてきた茶器はまさに欲望(煩悩?)の対象であるといえるだろう。そして、茶道の美意識とこだわりの体系は、すべてを超越した悟りの意識の前ではどれほどの価値をもつのか? こうしてみると、茶道と禅の関係は極めてあやういものに思えてくる。


 ロラン・バルトは禅と言語についてこう語っている。

 禅において《悟り》と名付けられているもの、これはおそらく、言語の空おそろしい宙吊り、わたしたちの内なる「記号列」の支配を追い払う空白、わたしたちの人となりを構成する内的詠誦の割れ目にほかならないのではなかろうか。この無言語の状態が一種の解放であるのは、二次的思考(思考についての思考)の増殖・あるいは余分な表徴化作用の行う終わりのない補足−−つまり言語そのものがその行い手であるとともに規範である悪循環−−これが仏教的体験を閉塞するものだからである。逆に、二次的思考の廃絶こそが、言語の悪しき無限をうちくだく。これらの仏教体験の一切において、たいせつなのは、言語をいわく言いがたいものの神秘的な沈黙のもとに押しつぶすことではなくて、言語に「見切りをつける」ことなのであり、たえず象徴が執念ぶかく事物にとってかわろうとする働きを独特の旋回運動のなかにまきこんで、表現へと導いてしまう言葉の独楽を停止させることなのである。要するに、そこにおいて攻撃の目標となるのは、意味論的作業としての象徴なのである。
(ロラン・バルト『表徴の帝国』)

 フランスの記号学者バルトが言っているように、禅の目標とすべき地点は「言葉を停止させる」ことであるといえるだろう。この場合の「言葉」とは我々が口に出し・読み・書く記号だけを表しているのではあるまい。ソシュールが提唱した記号学が音声記号だけでなく・広く文化一般を対象としたように、禅が停止させるべき意味はすべての価値体系、すべての文化体系に広がるはずである。

 そのことは、禅の「以心伝心、不立文字」という教えの中にも見ることができる。《悟り》の経験というものは経典などの言葉で伝えることはできない。逆に悟りを言葉でとらえようとすればするほど、いわゆる「悪循環」に陥ってしまう。それを手に入れるには(それはもちろん、容易なことではないのだが)、記号の持つ意味作用を宙吊りにすることが不可欠だということである。

 一方、茶道を記号論的な観点から解釈するとどうなるだろうか。いくつかの茶書から、茶書の特徴と言える部分を引用してみる。


名物の釜

一 平蜘蛛  松永の代に失す。宗達平釜、藤波平釜、弐つ。但し此の三つ釜は、当世在りても用いず。
一 紹鴎小霰釜 水弐升の上入る。信長公より宗二拝領して、後に関白様へ進上す。
一 乙ごぜの釜、関白様に在り。
  此の釜、信長公より山上宗二拝領し、関白様へ進上す。
(以下、項目続く)(山上宗二 『山上宗二記』)


客人類

一 客になりて座敷へ入る事、上座入は、上座の分の障子をあけ、次に下座のほうをあけ、下座入は、先ず下座の方をあけ、後に上座の方をあくべし。さて、縁より床ならびに勝手へ目をくばり、気を閑めて座中へ入るべし(以下項目続く)   (真松斎春渓『分類草八木』)


一 数寄と云う事、何れの道にも好み嗜みを云うべし。近代、茶の湯の道を数寄と云うは、数を寄するなれば、茶の湯には物数を集むる也。侘びたる人も風炉釜・小板・水指・水翻・蓋置・茶入・茶碗・茶筅・茶杓・茶巾・囲炉・自在・炭斗・火箸・花入・画・墨跡・葉茶壺・茶臼等を集むる也。諸芸の中に、茶の湯ほど道具を多く集むる者これ無し。(同上)


 これら茶書のありかたは、現代のカタログやマニュアルとほとんど同じものと考えてさしつかえあるまい。南坊宗啓が書き残したといわれている『南方録』にも曲尺割(かねわり)と呼ばれる、道具の置き方の非常に細かい法則がイラスト入りで描かれている。これらのありさまは、あたかも昆虫の図鑑か、語学の文法書にも似て、茶の道の文化体系の網の目の様子を示している。

 徹底した様式化とその反復、そして、反復による様式のさらなる洗練。茶の湯の文化は、武道や芸能と同じように、コジェーヴの言う日本的スノビズムの様相を呈している。この饒舌な姿はそのままでは《悟り=言葉の停止》と縁があるとは言えないだろう。

これらのスノビズムと禅の間に関連があるとすれば《悟り》そのものにおいてではなく、そこに至るまでの過程においてではないだろうか。先にも述べたとおり、禅寺での修行僧の生活が事細かに規則によって規定されていること。そして、日本曹洞宗の開祖、道元が「只管打坐」と伝えるように、ただひたすら座禅を反復し、打ち込むこと。これらはいずれもそれ自体は《悟り》そのものではなく、あくまでも《悟り》に至るための過程である。

このように、茶道をはじめとする日本のスノビズムの文化は禅の精神そのものというよりも、禅の形式の引用といったほうがよいのではないだろうか。

 茶道をはじめとする日本のスノッブな文化は、禅の《悟り》そのものではない。だがそれは、茶道では禅の修行にはならない、ということではない。「仏法を以て修行得道する事也」(『南方録』覚書)といわれるように、茶道が《悟り》に至る過程を引用しているものならば、それをたどって大悟する可能性もある。また、それは茶道に限ったことではなく、唐の普化禅師を開祖とする普化宗では、吹禅と称して尺八を吹くことを修行とした。さらに、道元が宋に渡った時に年老いた典座(食事係)との問答で理解したことは、禅者にとって本来雑用はひとつもなく、すべてが仏道の実践であるということであった。

つまり、食事を作ることでも、掃除をすることでも、それが何であろうと《悟り》に至る可能性はあるということだ。
http://homepage2.nifty.com/k-katsunori/sadou.htm


まあ、禅で悟りを得た名僧は一人も居ないですし、まして茶道で悟りを得られる筈も無いのですが、元々、千利休は茶道の精神はどろどろとして浅ましい世俗的欲望を隠す為の建前だというのを前提にして、形式だけを整えて茶の湯の儀式体系を完成させたのです:

『千利休』

一般に彼の名は茶道の大成者として世に知られている。別にその事自体が間違いではないが、同時に『当代随一の茶人』の称号が皮肉な事に彼の本質を消し去ってしまっている気がする。

彼は江時代の文化人の様に芸の道一筋に打ち込んでいた訳ではなく、むしろどろどろとした政治や商売の世界に棲息していた『政商』とも言うべき立場の人間である。

彼が堺の豪商の息子としてこの世に生を享け、物心ついた西暦1530〜1540年頃は古い価値観が地響きを立てて崩れ落ちつつも未だに一定の権威を所有していた『不確実の時代』であり、そんな時代にあって上流階級の人々が嗜んだのが茶道であった。茶の湯を楽しむ趣味自体は奈良・平安時代から存在していたが、それは静寂な茶道のイメージとは異なる多分に猥雑なものだった。そんな流儀は人間の浅ましい欲と付き合う連中の支持は得られず、彼等が志向したのは閑静な環境で定刻に遅れた者は追い返す厳しい礼儀の下で行われる『茶数寄』であった。


この様に現世からの煩わしさから逃れる趣のあった茶数寄だが、嗜む連中自身が金と暇と権力を持て余していた為(全てを所有している人物はごく限られていたが)権力者との接触は避け難く、次第と本来の目的から逸脱していく。

例えば徹底した唯物論者であった織田信長は茶の湯本来の『わび』『さび』への価値は認めなかったが、付帯価値とも言える『社交場兼密談』としての茶道を認めていた。

その様な状況の中で幾何・音楽等の南蛮文化に詳しく刀・書画の鑑定眼をも併せ持つ持つ田中与四郎は『千宗易』として信長に接近、彼の要望に合わせて伝統的な概念と斬新な新発想を巧みに纏め上げる事で信長の周囲にいる胡散臭い連中に一堂に会せるだけの共通の価値観を与える事に成功、この功績をきっかけに『利休』の称号へと近付いていく。

一般に我々が『利休』と呼んでいるのは単なる号ではなく1586年に朝廷から下賜された居士(こじ)号である。
理由は『禁中茶会』を開く為とされたが無論それだけではない。
これは秀吉から宗易への目に見えぬ彼の功績への褒美であった。

周知の通り本能寺の変を契機とした政治的混乱を巧みな手腕で鎮圧した羽柴秀吉は『偉大な主君』織田信長の遺産を殆ど全て相続したのだが、その統治体制には大きな問題点があった。元々農民からの成り上がりである秀吉には譜代の家臣など存在する訳も無く、戦にせよ(人たらしの彼は調略の方を好んだ様だが)領地の統治にせよ、実弟の秀長が補佐役としてかなりの部分をフォローしていた。

数カ国を預かるサラリーマン大名としてならそれでも問題ないが天下を預かる中央政権としてはきちんとした政権機構は必要であった。言葉を変えれば単なる行政手腕だけではなく、万人を納得させるだけの政治理念を持つ人材が秀吉自身も含めて羽柴家には存在しなかった。

単に力があるからとか勢力があるから天下が治まる程世の中は甘くはなく、秀吉は強大な外敵と戦う間にも内部の難題にも取り組まねばならなかった。石田三成に代表される子飼いの官僚達にその様な器量はない。

彼が急激過ぎる程の膨張への対応策として選択したのは堺の大商人を『社外重役兼相談役』として招聘する手段だった。こうして信長政権下では『有力茶頭』の一人に過ぎなかった千宗易は天下第一の実力を持つ『千利休』としてその名を天下に轟かせる。

だが秀吉と利休の蜜月は決して長い年月ではなかった。大阪城築城とそれに伴う城下町の発展は堺の衰退を招来し、指折りの大商人であった利休も派手な外聞とは異なり内実は必死で金銭の工面を執り行う。そして彼の力を借りて天下を統一した豊臣政権は有り余る武力と経済力を吐き出す為に国内志向の強い堺よりも海外志向の強い博多への結び付きを強めていく。

表向きは『不敬の振る舞いが多かった』だの『関白との芸術観の違い』故とされる利休の末路はどろどろとした豊臣政権内部の
抗争の一端に過ぎなかったのである。
http://www6.tok2.com/home/temjin/rikyuu.html


千利休は武器商人   JUST-IDEA 12/03/03

日本における武器商人の起源について学んでいます。茶人千利休は、堺銃、及び火薬の営業マンだったようです。戦国の世において、茶室は、商取引の場、或いは、接待の場として利用されていた可能性もあります。そう捉えると3人の天下人に仕え、非業の死を遂げた利休の生涯にも裏の史実がありそうです。


■歴史を変えた堺銃
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_kokusai/asia_sea13.html

堺商人は、薩摩から種子島などを経由して琉球へと往復していたので、鉄砲の伝来をすぐに知ることができ、その製造技術を堺に持ち帰りました。それを見てすぐに模造品をつくる高い技術を、堺の職人たちは持っていました。

戦国大名の多くは、この新兵器に注目し、堺へ続々と注文を出しました。これらを引き受けることができたのは、現代の総合商社のような役割を果たしていた堺商人が、職人たちを組織し、「部品互換方式」(部品の大きさをあらかじめ決めておいて、別々に作っても製品として組み立てることができるため大量生産が可能になるものづくりの手法)を開発するなどして、鉄砲の大量生産に成功したためです。

有名な茶人である今井宗久や千利休らも、鉄砲の製造取引や硝石の貿易で活躍した商人でした。


■千利休
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic21.html

活力に湧く自由都市・堺に信長が目をつける。信長は圧倒的な武力を背景に堺を直轄地にし、軍資金を差し出させ鉄砲の供給地とした。

信長は堺とのパイプをより堅固にするべく、政財界の中心にいて茶人でもあった3人、今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)、利休を茶頭(さどう、茶の湯の師匠)として重用した。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=261886

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茶の湯と倒錯文化(1)


侘び茶とは、中世の堺で武野紹鴎や千利休によってはじめられた茶の湯文化です。

形成された初期の頃には、いまだ「侘び数寄」などと呼ばれていたらしく、侘び茶と呼ばれるようになるのは江戸時代になってからです。つまり、後の世に武野紹鴎や千利休が実践していた茶の湯の様式のことを、侘び茶と呼ぶようになったというように順序に逆転がみられます。以下では、武野紹鴎や千利休の実践した茶の湯のことを、便宜的ですが通俗的な呼び名として「侘び茶」に統一することにします。

侘び茶は、数寄物といわれた堺衆の武野紹鴎や千利休によってはじめられたとされています。

武野紹鴎や千利休は、唐物の天目茶碗にみられるような品質の高い工芸品などよりも、むしろ実用品とされた高麗茶碗や呂宋壺を重用することになります。また、公家文化の茶の湯では使用されることがなかった竹細工を茶席の中に用いるなど、茶の湯そのものを革新的な試みによって実践していくということになります。

このような、茶の湯は、おそらくは当時においては風変わりな(数寄物)ものとして写ったのではないでしょうか。このように風変わりな(数寄物)茶の湯が、時の堺の権力者である三好長慶や松永久秀、織田信長の目にとまることになり、庇護をされることになります。

風変わりな茶の湯である侘び茶は、やがて権力者の周辺で権威ある社交手段として認識されるようになります。このことで、侘び茶の持つ社会的価値は増していくことになるのですが、それとともにその指南役であった武野紹鴎や千利休ら堺衆の権威も増していくということになります。

では、なぜ時の堺の権力者が、このような倒錯した文化ともいえる侘び茶に対して高い評価をすることとなり、指南まで受けるということになったのでしょうか。

そもそも茶の湯は、貴族や大名の間だけで行われていた、公家社会の社交文化のひとつであったとされています。茶の湯が一般大衆にまで広まることになるのは、江戸時代も中期以降のこととされています。従って、千利休らの堺衆が風変わりな茶の湯である侘び茶を広めることになる対象とは、一般大衆ではなく、戦国大名などの時の権力者たちであったということになります。


茶の湯と倒錯文化(2)


戦国時代は、律令制の持つ秩序や旧来からの価値が崩壊してしまった時代であり、秩序と価値の大転換期にあたるといえます。朝廷や幕府の権威も地に落ちてしまい、諸国の兵(つわもの)がのし上がっては、つぶされていく弱肉強食の下剋上の時代でした。絶対的に信用できるような秩序や価値は、もはやどこにも存在せず、先が見えないということでは、現代社会にも通じるものがあるのかもしれません。

このような下剋上の時代にあっては、既存の秩序を破壊し、新しい秩序を構築するということが、すなわち天下をめざすということにもなってきます。既存の秩序の破壊という時代精神を持担った戦国大名が、侘び茶の持つ既存文化への反逆性に対して共感を抱き、高く評価することになるのは自然なことであったのかもしれません。つまり、倒錯文化としての侘び茶が、価値の逆転を目指す戦国大名により、親和的な文化として受け入れられたということになります。

それでは、そもそも武野鴎紹や千利休がはじめた侘び茶が、公家社会の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として、強い反逆性を帯びることになるのはどうしてなのでしょうか。

千利休は「ととや」とよばれた納屋衆(倉庫業)であり、屋号からは鮮魚を扱う商人であったとされています。そして、千利休の侘び茶の師匠であった武野紹鴎は、武器商人とも皮革を扱う問屋ともいわれており、時の堺の支配者であった三好長慶などとも武器商人として交流があったとされているようです。また、千利休についても、三好長慶や松永久秀との茶会での交流の記録が残されていることから推測すれば、おそらく武野紹鴎と同様に茶人としてだけではなく、商人としても時の権力者たちと接触していた可能性が高いと考えることができるのではないでしょうか。

そして、時の権力者である戦国大名からの信任を得るために、なにより必要とされた才覚は、より多くの武器を商うということであり、権力者の布武による覇権にいかに貢献できるかということであったと考えられます。武野紹鴎と千利休が、このような商いを通じて、時の堺の権力者から大きな信任を得ていた可能性については、あながち否定できないことではないでしょうか。


茶の湯と倒錯文化(3)

武野紹鴎や千利休が武器を扱う商売をしていたとすれば、両人が武具の生産にとって必需品とされる皮革を扱う職人とも交流があったことは、推測できるところです。皮革の生産を生業とする職人や屋号の「ととや」から推測できる漁労を生業とする職人が、当時の日本の支配的な宗教観であった死に対するケガレや仏教における殺生戒などから、特別視されていたことや賤視されていたことは考えられることです。

職業が、いまだ身分制度としては固定化されておらず、流動的な時代であったといえますが、その生業が先のような宗教観から畏怖や賤視の対象になっていたということについては、網野善彦氏など多くの研究者によって言及がされているところです。

武野紹鴎が武器を商っていたとされるように、千利休も同様な商いをしていた可能性については先にも触れました。両人が、時の堺の権力者から信任を得ていたということは事実であり、権力者を相手に商売で利益をあげていた可能性は十分に考えられることです。そして、現在においても、武器商人は平和のかく乱者として疎んじられています。

もし、武野紹鴎や千利休が、武器商人として利益をあげていたら、おそらく当時の堺の町衆は、両人のふるまいをにがにがしく思って眺めていたのではないでしょうか。宗教的な禁忌品を商いするだけではなく、これを武器に転用し、時の堺の権力者と取引をしていたとすれば、堺の町衆である世間の目は、両人を、おそらく、ねたんだり、賤視したり、そして特別視するということになったのではないでしょうか。

武野紹鴎や千利休が、このような世間からの特別視や賤視というものを経験していたとすれば、おそらくその心理状態は抑圧的なものであったと推測することができます。侘び茶が形成される背景には、このような創始者の抑圧心理というものが、大きく影響していた可能性があることについて指摘できるのかもしれません。

武野紹鴎や千利休が、世間からの特別視や賤視からの抑圧心理を共有していたとすれば、侘び茶は抑圧心理がもたらすことになる、反逆性を原因とした倒錯文化ということになります。つまり、既存の宗教観や文化的秩序からもたらされるコンプレックスは、自我の防衛機制として、いったん抑圧されてしまうことになります。

しかしながら、抑圧されたコンプレックスは、自我のバランスを維持するために、旧来の既存システムに対する強い反逆性として出現してくることになります。そして、出現した反逆性は、価値の逆転という倒錯性を伴うことにもなります。このような反逆性は、戦国大名が下剋上の時代にあって既存の価値を否定しながら、新たな秩序と価値を構築しようとした反逆性と、その方向性がとても似ているといえそうです。

茶の湯と倒錯文化(4)

武野紹鴎とその弟子の千利休は堺の南宗寺で侘び茶を始めたとされることから、侘び茶と禅宗との関係については従来から指摘がされているところです。この関係については否定できるものではないと思われます。しかしながら、この論考では、ひとつの仮説として、武野紹鴎と千利休を取り巻く社会的背景が抑圧的なものであったことを想定し、両人が伝統的な茶の湯の権威を認めながらも、一方で旧来の文化観や宗教観を破壊することになる侘び茶に傾倒した深層心理の視点から考察することとしております。

抑圧心理は、反逆性(倒錯性)という心理状態を出現させることになります。

侘び茶が、抑圧されたコンプレックス(複合的心理)によって生み出された倒錯文化ということであれば、このような倒錯文化を共有できるような心理的背景を持つ人は限られていたといえそうです。つまり、誰もが同じように抑圧心理を背負いながら暮らしていたわけではないということです。従って、侘び茶は、草創期においては理解されるということは少なく、比較的小さい規模の人たちによって始められた趣向のひとつであったのかもしれません。このことからすると、侘び茶は、既存の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として位置付けられることになります。

侘び茶が、カウンターカルチャー(対抗文化)ということであれば、その本質は旧来からの世間の持つ宗教観や文化観への反逆性ということになるのが自然といえそうです。つまり、侘び茶は、既存の公家文化である茶の湯を憧憬しながらも、一方では既存の茶の湯も持つ権威に対する反逆性から生み出されることになった倒錯文化ということになります。

戦国時代は、社会の秩序や価値が崩壊してしまった時代でした。時の権力者は、旧来からの権威や価値を利用しながらも、その必要性がなくなれば迷うことなく破壊する行動様式(エトス)が主流の時代であったといえます。侘び茶は、このような時代にあってはじめて成立することができた文化といえるのかもしれません。つまり、下剋上の時代精神が背景となり、侘び茶の持つ倒錯文化が熟成されていくことになったといえそうです。

茶の湯と倒錯文化(5)

第2章 侘び茶とコンプレックス

戦国大名の中でも松永久秀や織田信長は、朝廷や幕府、そして宗教などの旧来からの権威を認めなかったことについては、よく知られているところです。また、松永久秀や織田信長は、旧来からの権威の破壊者として、戦国大名の中でもひときわ異才を放つ存在といえそうです。下剋上という戦国時代を勝ち抜くためには、旧来の権威を利用するだけではなく、むしろその権威を超越していくことが、新たな支配者に求められた能力であったといえるのかもしれません。従って、戦国の世の支配者となるためには、旧来の権威を破壊するということが求められていたということがいえます。

しかしながら、未だ呪術的な世界観が支配的であった中世の世においては、朝廷や宗教という既存の権威を破壊するという行為は、畏怖の感覚からすれば、大罪として認識されるということが一般的な感覚であったと思われます。従って、旧来からの権威を何らかの形で利用しようとした支配者は多かったものの、実際には秩序と権威を破壊することまでできた支配者は、戦国の世でも一握りの人たちであったといえるかもしれません。

このような戦国大名にとって侘び茶の持つ倒錯文化の反逆性は、既存の政治的権威である朝廷や幕府を否定することにもつながることから、戦国大名が戦略的に侘び茶に内在する政治性を利用したことは考えられることです。侘び茶に見られるような、価値がないとされたものを高く評価することや価値があるとみなされていたものを躊躇なく破壊するなどの反逆性は、戦国大名が下剋上の時代を生き抜くために日常的に試みていた戦略といえるのではないでしょうか。

松永久秀や織田信長は政治的秩序の破壊者であり、同時に新たな政治的秩序の構築者であったということができます。そして、松永久秀や織田信長が、倒錯文化としての侘び茶を政治的な戦略手法として利用したことについては、千利休ら堺衆が重用されたことからも説明できることといえます。一方、侘び茶の持つ既存の秩序への反逆性とは、公家文化への羨望の裏返しでもあったことについては同時に押さえておかなければならないことと思われます。

茶の湯と倒錯文化(6)

このような両義性は、侘び茶のみならず下剋上の戦国大名にも内在していた心性ということができます。侘び茶と戦国大名が結びつくのは、おそらく侘び茶に内在していたコンプレックス(葛藤)が戦国大名のコンプレックス(葛藤)に共鳴したと考えられます。これはユング心理学のコンプレックス仮説である「コンプレックス(葛藤)はコンプレックス(葛藤)に共鳴する」にあてはまります。

むろん、侘び茶に内在するコンプレックスが形成されるのは、その創始者である武野紹鴎や千利休が自分自身のコンプレックス(葛藤)を抑圧したためということです。そして、松永久秀や織田信長の抱いたコンプレックスは、下剋上という時代精神によって形成されたものですが、結果として武野紹鴎や千利休の持つコンプレックスに対し共鳴していくという形になったのです。


今一度整理しておきます。

侘び茶においては、唐物のような豪華で質の良い茶器は重要とはされずに、むしろ実用品として大量に生産されることになった形のいびつな茶器が、高い価値があるものとされることになりました。

また、漁師が使用する魚籠などの竹細工が、伝統的な高品質の磁器などよりも価値のあるものとして茶席に飾られることになりました。

このような倒錯した文化は、確かに既成の価値観にとらわれない革新的なものの見方への飛躍ということがいえるのかもしれません。しかしながら、旧来の価値が創造されるまでのプロセスを十分に評価したものとはいえそうにはありません。要するに、誰もが共有できる価値(普遍性)にはなっていないということです。従って、侘び茶の持つ倒錯的価値とは、選定する者の恣意的な評価基準に依拠することになってしまうため、どうしても曖昧な価値基準が残ってしまうことになります。つまり、侘び茶がなぜ素晴らしいのか、なぜ美しいのかという美意識が、恣意性を帯びたものになってしまうということです。

これは、侘び茶の美意識が、当時の日本人の自然な感覚からすると、かなりずれたものになっていることを推測させます。おそらく当時の日本人の標準的な価値基準(文化)ではなかったといえそうです。このことからすると、草創期の侘び茶は、倒錯した美意識を共有できるような限定された範囲において成立していた特殊な文化(価値観)ということになるのではないでしょうか。

茶の湯と倒錯文化(7)

論考の最初の問いにもどることになりますが、侘びや寂は果たして日本人の美意識となっているといえるのでしょうか。

いままで見てきましたように、侘びや寂が倒錯した文化であるという特徴からすると、人間の持つ感性に対してストレートな価値観というよりも、むしろ屈折した価値観といえるかもしれません。つまり、侘びや寂は日本人なら誰でも共通感覚として持つことができる普遍文化というよりは、むしろ特定の集団の特殊性を伴った文化ということになるのではないでしょうか。

従って、侘び茶の侘びや寂の本質を理解しようとするのであれば、その価値が形成される過程まで遡るという必要があるのかもしれません。そして、価値の倒錯を引き起こすことになった、戦国という特殊な時代背景や社会背景というものを理解する必要があるのかもしれません。このように侘びや寂が特殊な時代や社会を背景として形成された文化なら、日本人であれば誰でも同じようにその価値が共有できるという普遍的な側面は否定されることになり、むしろ倒錯文化としての特殊性が強調されてくるということになります。

千利休は、侘び茶の創始者であったがゆえに、侘び茶の持つ特殊性、つまり価値の恣意性を独占することができたのかもしれません。そして、価値が恣意的であったがゆえに、千利休の権威は政治的に利用されることにもなったのかもしれません。このため、さらに上位にある権威から、千利休の権威(政治性)が否定されてしまうと、侘び茶の持つ価値も衰退するということになってしまいます。侘び茶が、千利休という特殊性(政治性)に依拠していたがゆえの結末といえるのかもしれません。これらのことからすると、侘び茶は、それ自体が自律した(思想性のある)文化というよりも、特殊性ゆえの愉悦性、あるいは恣意性ゆえの脆弱性というような、どちらかというと寄生的な倒錯文化ということになるのかもしれません。

また、侘び茶では、装飾的な茶器よりも、むしろ実用的な茶器を重視したという特徴から、侘び茶が、「使用的価値」に重点をおいていたように思われることもあるようです。しかしながら、実際にはその実用的な茶器に破格な価値や値段がつけられたことからも分かるように、千利休が選定した「利休ごのみ」というものが、ひとつの「象徴的価値(ブランド)」になっていたということになります。
http://kkmessage.exblog.jp/tags/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91/

茶の湯と倒錯文化(8)

象徴的価値とは、ブランドのロゴなどにみられるような価値のことであって、その価値が共有できている人にとっては権威や権力を象徴することになります。つまり、茶器などの「名物」を所持しているということが、権力者の象徴にもなるということです。このように、侘び茶の持つ社会学的な意味は、侘び茶に実用性を重視するような使用的価値が重んじられていたものではありません。むしろ、旧来の公家文化の茶の湯と同様に権威や権力の象徴的価値を重んじる記号的意味が重視されていたということになりそうです。

この点からすると、旧来からの茶の湯と侘び茶には大きな相違はないということになります。しかしながら、侘び茶は、権威への羨望や憧憬というコンプレックス(葛藤)を抑圧したことによって、旧来の価値基準が倒錯した形で出現することになったものでした。つまり、侘び茶とは、創始者の武野紹鴎や千利休のコンプレックス(葛藤)が引き起こした倒錯的価値ということであったわけです。そして、そのような倒錯的価値は、当時の日本人の感覚からすれば、おそらく普遍的な感覚とはいえず、千利休の権威によって支えられていた特殊な象徴的価値であったということになります。

千利休が削ったとされる茶杓(ちゃしゃく)がいくつか残っています。しかしながら、これらを別の茶人のものと比較して、美的に、技術的に明確な区別をすることはおそらく無理ではないでしょうか。そこに差異を認めるとすれば、それはかつて千利休が選定したという歴史的意味だけになると思われます。つまり、侘び茶がもともと内在させていた倒錯文化の持つ反逆性や政治性という本質は、モノや作法という様式からは消失してしまうということになるということです。

現在まで続く茶道は、千利休がいったん廃絶された後に、再興されたものであって、侘び茶の流れを汲むものといえます。しかしながら茶道は、千利休以来の伝統に基づいた作法という様式は守りながらも、侘び茶にもともと内在していた倒錯文化の本質についてまでは、おそらく伝えていないように思われます。このことからすれば、もともと侘び茶は時代背景を越えて成立することができるような普遍的な価値を持った文化ではなく、戦国という動乱の時代を背景として成立した特殊な価値を持った倒錯文化ということになるのではないでしょうか。

茶の湯と倒錯文化(9)

第3章 倒錯文化と堺

侘び茶は、人間の持つ感覚にストレートに伝わるようなものの見方ではなく、むしろ屈折した倒錯文化ということでした。美しいものを美しいとはしない、価値の高いものを高いとは評価しないということは、価値のないとされるものを高いと評価することになり、否定されているものを積極的に肯定するという尺度が転倒した倒錯文化ということになります。従って、このことからは、弱いものが強いということにもつながることになり、貧しいものが貴いことということにもなってしまう、複雑で屈折した倒錯文化ということになります。ニーチェのいうルサンチマンにも通じるような、抑圧的で屈折したものの見方といえるのかもしれません。

養老孟司氏によると、普遍性とは、人間が持つ一般的な感性や感覚のうちで、両端に偏在することになる極端を取り除いた残りとして定義されています。侘びや寂が、このような普遍性として位置付けられるのであれば、侘び茶の持つカウンターカルチャーとしての反逆性は、人間や社会に幅や厚みを与えるものと位置づけられることになるのかもしれません。しかしながら、倒錯したものの見方を無批判に鵜呑みにしているだけでは、人間や社会に幅や厚みを与えるどころか、人間の持つ自然な感覚や社会の秩序を混乱させてしまうことにもなり、私たちのアイデンティティに危機をもたらすことになります。

従って、まず私たちに求められるものは人間の持つ普遍的な一般感覚であり、倒錯した特殊な感覚ではないということです。そして、橋本治氏によると、個性とは一般感覚という基盤からこぼれ落ちてしまった感覚や能力のことであり、つまり個性とは一般からの破綻ということになります。このような破綻は、私たちに痛み(みんなと同じではないという痛み)をもたらすことになるのですが、やがて破綻した個性は、一般感覚という全体の中に再び統合されていくという考え方があります。

ユング心理学でいう個性化の過程ですが、これは自我が個性をコンプレックス(葛藤)として抑圧してしまうのではなく、むしろ自我に統合していく過程にあたるとされています。


茶の湯と倒錯文化(10)

現在の茶道においては、侘び(劣っていること)や寂(時間が経過して古びたこと)は、伝統の様式や作法として残っていますが、倒錯文化の持つ本質までは伝えていないといえるのではないでしょうか。

侘びや寂は、完全なものにはない、むしろ手垢のついた少しいびつなものにこそ価値があるとする美意識といえます。

このような美意識と似たものとしては、ドレスダウンのような、わざとドレスコードを破って着崩すという文化があります。最近のバンクーバーオリンピックで、物議をかもしたドレスダウンの問題は、同様な美意識といえるのかもしれません。

しかしながら、現在の茶道においては、侘びや寂が既定のものになってしまっていることから、なぜこのような迂回的な表現がなされるようになったかという理路までは理解されていないようです。従って、現在の茶道には、観念や様式としての侘びや寂は残っていても、その意味や起源についての考察は、十分になされているとはいえないのではないでしょうか。

現在の茶道が、従来からの伝統の様式と作法を受け継いで来たことは間違いないことですが、その本質までは受け継いでいるといえないように思われます。

現在にまで至る茶道の流れは、千利休のあとに再興された京千家の千少庵や千宋旦の流れを受け継ぐものといえます。 表千家、裏千家、武者小路千家の三千家などは、千利休以来の伝統の様式と作法を「型」によって受け継ぎながら、その差異は小さいものにとどまっているようです。そして、茶道の美意識が、もともと倒錯的価値に起源を持つ可能性があることまでは考察されておらず、従って反逆性や政治性も茶道の本質ではなくなってしまっているように思われます。

しかしながら、侘び茶の発祥の地である堺や京都には、いまだ侘びや寂を生み出すことになる倒錯文化を受け継ぐような土壌が伝統として残っているところがあるように思われます。もちろん、劣っていることが素晴らしいとか、弱いものが強いとされるような倒錯文化に見られる現象は、堺や京都だけに限って見られることではなく、他の日本の都市でも同様な現象はあるのかもしれません。堺や京都では中世以前から都市文化が成立していたことから考えれば、都市化と倒錯文化との間には相関関係があるのかもしれません。現代のように都市化が進んだ社会状況では、誰もがコンプレックス(複合的心理)を抑圧しなければならない構造の中に投げ込まれているということになり、いずれの都市にあっても倒錯文化が生まれる土壌にあるということであるのかもしれません。

茶の湯と倒錯文化(11)

現代社会に見られる価値の倒錯性は、反逆と憧憬のようなアンビバレンツ(両面等価)な葛藤(コンプレックス)を抑圧してしまうことによって出現する、病理的な現象といえるのかもしれません。そして、このような倒錯的なものの見方は、日本だけに見られる独自のものではなく、欧米社会においても報告がなされています。

フロイトの精神分析では、葛藤(コンプレックス)がもたらす価値の倒錯性について、抑圧心理や転嫁行動(敵ではない弱い第三者を攻撃する)、反動形成(嫌いな相手に逆に優しくする)などが報告されています。

また、ニーチェのいうルサンチマン(弱者の奴隷精神がもたらす価値観の反転)も、同様に価値の倒錯が見られる現象といえるのではないでしょうか。

このように、価値の倒錯性は、洋の東西を問わず、私たちの日常生活の中で当たり前の現象として出現しているといえそうです。

人間は、自我を脅かすような葛藤(コンプレックス)が生じると、無意識にこれらを抑圧することによって自我を守ろうとします。その結果、意識下にとどめ置かれることになった葛藤(コンプレックス)は、自我の自己制御を誤作動させてしまうことになり、やがて価値の倒錯が引き起されることになるようです。

しかしながら、現在のストレスフルな社会環境では、日常的に多元的な価値を抱え込まなければならない状況は決して珍しいことではありません。このため、自分自身が既に価値の倒錯を引き起こしてしまっていたとしても、また逆に回りから倒錯した価値観を押し付けられたとしても、そのまま気付かないでいるというケースは多々あるのではないでしょうか。

茶の湯の発祥の地である堺や京都は、歴史的に多元的な価値観が並立して存在する伝統的な都市文化の土壌になるということができそうです。そして、幾重にも重なった歴史の古層に覆われた堺や京都では、多元的な価値観の棲み分けがなされないままに、対立と協調という長い歴史が繰り返されてきたのではないでしょうか。このような価値の多元性は、現代の都市文化が抱えるひとつの特徴でありますが、長い歴史を経過することによって錯綜した問題が、さらに複雑化してしまっているのではないでしょうか。


堺や京都では、このような都市文化の特徴を伝統的に受け継いできたということになるのではないでしょうか。そして、コンプレックス(葛藤)を抑圧した結果として出現する倒錯的価値が、伝統的なものの見方になってしまっていると、それが自然となってしまい、自分が倒錯した構造にあることにさえ気付かなくなってしまうことにもなります。つまり、伝統的に倒錯したものの見方が強く残っているような社会では、普遍性ではなく特殊性が社会の基盤になってしまうということです。
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         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | わからなくなるのよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
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          | / / | ヽ、               | /

吉兆の創業者 湯木貞一は周囲の環境や人間関係もメンタリティーも千利休と非常に近いですね。

反対に島根県の山奥から15才で出て来て、それ以来ずっとストイックに料理道の探究だけを続けてきた石原仁司は千利休から最も遠い所に居る人物でしょう。

即ち、湯木貞一には千利休の気持ちも茶道の精神も良く理解できたが、石原仁司には茶道は想像を絶する世界だった。
石原仁司が「未在」で客をカンカンに怒らせてでも、どうでも良い茶道の形式にだけ執拗に拘り続けるのはこういう背景があるのですね。

従って、茶道や湯木貞一の精神を忠実に受継いでいるのはやはり堕落している様に見える湯木貞一の子供や孫の方であって、石原仁司ではありません。 現在の吉兆の問題は石原仁司の様な料理の才能を持った人が一人も居ないという事だけでしょう。


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コメント [原発・フッ素23] 4号機使用済み燃料プールがカタストロフィーに至るプロセス(アーバンプレッパー) 馬鹿まるだし
05. 2012年5月05日 18:44:03 : lqOPOFnyLE
>04
02です。
具体的には知らない。ポイントは、冷却方法にはいくつもの方法があること、作業環境が厳しいといっても、時間的な余裕があること、ガンマ線遮蔽領域からでの作業でも可能性が高いこと、などから対応が十分とれるであろうということ。
さらに、余震でプールが壊れるリスクはあるが、高い確率ではなかろう。専門外の人が不安をただただ募らせて、不安だ、危険だといっていても無駄。しかるべきところに、不安をぶつけて丁寧に説明してもらえばよいだろう。現場にいる人々の努力を心から感謝を込めて期待したい。

もちろん、冷却できなければ大変なのだから、その仮定の下で話を専門家に聞いても無駄。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/459.html#c5

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
133. 2012年5月05日 18:48:29 : Mnxczxr6Dw
 
>>132は、
引用元も明示できないような怪しい「被曝安全教」カルトの
長文マントラを、毎度おなじみの「捨てID」で身分を偽装しながら
せっせとコピペして「チンドン屋修行」に励んでいる
洗脳セミナーカルト「副島隆彦と餓鬼悶道場」の宣伝活動ですので要注意!
 
しかもこのマントラは、医者になりすました物まね文体です。
詐欺師はこうして様々な声色を使って、判断力のない人を
騙しています。
 
副島隆彦教祖の妄想を崇めている知恵遅れ狂人集団は、
信仰の力で放射線被曝を撃退できると信じて、阿修羅で宣伝を
繰り広げてきました。 この連中の悪徳商法にだまされないよう
注意しましょう!

------------------
ついでに言うと、>>132がパクってきた長文マントラは
じつは東大病院の中川恵一の作文なのですが、
なにしろ中川は東大病院といってもホスピスに勤務しているわけで、
「放射線に強い」とか自慢してインチキを吹聴しているけれども
彼が実際にやっているのは末期患者相手の終末医療ですからネ。

つまり死に行く人々を安心させる気休めを言ったり、疼痛緩和の
ためにモルヒネを投与するのが中川恵一の主な仕事なのです。
彼の「被曝安全マントラ」に騙されるとあの世に送られますので要注意。 (笑)

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c133

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
10. 2012年5月05日 18:51:19 : EszHBBNJY2
ここまで書くのか?
産経はとことん国民を愚弄する新聞社。
世界を見渡しても、これ程憎まれている新聞社ってないよね。


http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c10

コメント [原発・フッ素22] いわき市の「鉄板」より微量のプルトニウム検出 福島原発由来と判断(ブログ「原発被災地の真実」「α線と鉄板」より) 宮島鹿おやじ
32. 2012年5月05日 18:52:06 : 7yljYXPebE
宮島さん活躍していますね。
喉ですが、試して一番だったのは【塩水でうがい】するという、まあ簡単な方法でした。
それと29は、初めての方なら・・・マルチミネラルよりもマルチビタミン&ミネラルっていうサプリメントが販売されていた(ノーマークでした!)ので、こちらがいいですね。海。
http://www.asyura2.com/12/genpatu22/msg/251.html#c32
コメント [マスコミ・電通批評12] 「小沢報道」は人権尊重の憲法精神に反し、名誉棄損、偽計業務妨害の罪に相当する (朝日新聞 読後雑記帳)  赤かぶ
03. 2012年5月05日 18:52:39 : fUF7XKXpVM
 星とかはもう街中歩けないだろうね。子どもが可哀そう。これからは後ろ指を差されながらの人生だろう。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/873.html#c3
コメント [マスコミ・電通批評12] 大朝日新聞の落日 (オリーブの声)  赤かぶ
15. 2012年5月05日 18:55:23 : SAUIDprINo
>天声人語は「インターネットの言論を、形を変えて横行する「覆面の暴力」」

 新聞の言論は、「社名が入った紙袋を被った輩の暴力」だろうが!
 我が身を省みろ!
 反省もロクにできない猿が!!
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/872.html#c15

コメント [原発・フッ素23] これを隠ぺいと言わずして、何を隠ぺいと言うのだろうか。 - 放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 千早@オーストラリア
01. 2012年5月05日 18:55:53 : t9M2KfINao
何を根拠に細胞診などの精査や治療の対象にならないか不明。

外部放射線年間1ミリシーベルトが法律の上限だったのを年間100ミリシーベルトまで安全と強弁したのがこの山下俊一。

笑っている人には放射能がこないと言ったのがこの山下俊一

この山下俊一を福島県に呼び寄せたのが現佐藤福島県知事。

大きな構図を確認しておきましょう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/470.html#c1

コメント [戦争b9] やはり日本の原発は核開発目的だった!米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!開発担当窓口は電力各社(米NSN)  びっくりカメラ
79. 2012年5月05日 18:56:12 : pm0IrqYu76
78氏

先人とは、CIA岸?CIA正力?CIA笹川?CIA児玉?それとも沈没空母中曽根?統一教会自民党清和会?

これを不思議とスルーできる(一応の賢さがあり阿修羅見ていたら分からないわけがない)人達がいる。なんで?

悪いのは最近の政権?先人もシロアリ売国奴巣窟造りに貢献した人間なら、相応に扱うべきじゃないか?国民の裏切りは、最近の出来事か?戦後の独立国の大嘘からだろう?

最近は国民を騙しずらくなったので、横領も効率が悪い。騙すのは正直な素朴な人間に限る、だろ。けれど、それ一番悪質だわな。本当に素朴に信じた人間を騙すのは、一番許せないわ。

日本の国土で、日本の公金で、日本の政治家達が、間抜けた汚い仕事に手を染めて
きたおかげで現在のユダ金の日本乗っ取りの危機が生まれてきたのであって、その
正体がばれる以前の建前をいまさらながらとうとうと語りつつユダ金弁護ユダ金擁
護ユダ金悪事隠蔽をシロアリが続けているが既に、シロアリ語法、シロアリ文法と
して括られている。

シロアリ語法テレビ新聞も日本乗っ取り計画は、短期で終わる考えでいたことをうかがわせる超無理筋強行論調に徹した。まともな一線をはっきり越えたので、もうもとの状態には戻れないだろう。

☆☆311は、直後に東京を含む東日本が終了するはずだった。吉田所長とフクシマ50が頑張らなかったら。スタンドプレー患直人はただただ邪魔しに行った。シロアリとして、なんとか311テロをすぐに終わらせたかったが、終わらない。その語の患直人の真の苦悩は誰もしらない。同じシロアリ閣僚が後ろの席にひとりもいなくなる。それはただただ311の計画が失敗して、その語の調整が全くうまくいかなかったために、痴呆老人の芝居に徹して、時間稼ぎを命じられたためだ。議事録は存在していなかったろう。常に平田オリザが唖然とするような、やりとりが行われていたからだ。そんなことを、すべて国民に知られたら、自分たちのユダ金ボーナスたっぷりの幸福な老後が消えて無くなる。


311当初の計画
かねてからの計画通りに、深海掘削船ちきゅう建造
かねてからの計画通りに、石井紘基刺殺共犯シロアリロボット患直人選出
かねてからの計画通りに、311人工地震
かねてからの計画通りに、福島第一原発爆破
かねてからの計画通りに、SPEEDI情報地元住民国民に隠蔽
かねてからの計画通りに、トモダチ作戦中に、空母に遺体収容
かねてからの計画通りに、国民内部被曝政策の推進・人口削減
かねてからの計画通りに、大阪遷都
かねてからの計画通りに、小沢一郎有罪判決
かねてからの計画通りに、TPP加盟。日本完全奴隷化
かねてからの計画通りに、朝鮮戦争勃発
かねてからの計画通りに、対中国宣戦布告
かねてからの計画通りに、アフガンイラクから米軍リビアからNATO。韓国日本駐留
かねてからの計画通りに、死者膨大。軍産複合体、大儲け
かねてからの計画通りに、日本シロアリも巨大地下シェルターで高みの見物の筈


311テロの試みは、おおかた失敗した。だから、あちこちてんでばらばら収拾がつかない。巨大地下シェルターが米軍有志に数発の核攻撃をうける。腹立ち紛れに小沢裁判にも無茶をごり押しして失敗。イラン攻撃になんとアメリカ軍がオバマを拒否。立場が極端に悪くなった軽薄弱気な日本シロアリは買収者の転向がこれから加速する。現在、売国奴達は全員311共犯シロアリとして括られている。


素朴で正直な人間はまだ騙され中。中途半端に素朴でも、中途半端に正直でもない、阿修羅住民は、気付いているぞ。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/220.html#c79

コメント [原発・フッ素23] これを隠ぺいと言わずして、何を隠ぺいと言うのだろうか。 - 放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 千早@オーストラリア
02. 2012年5月05日 19:03:13 : Si4g2GlOLI
山下俊一という人はどれだけ人をモルモット扱いしたいのだろうか。そんなに検体として留め置きたいのか。

被曝のある土地に、子供たちを留まらそうとこんな通知を出すなんて、人の面をした鬼ですね。

追加検査をしなくてよい程度だと安心させ正確な情報を本人や家族に知らせないことに等しい。このことはあいまいな伝達で実情を隠蔽することを計ていることなのであり、本人らが早く色々な対応を選択することのできるチャンスを奪っているのだ。

結節やのう胞があるだけで危険だ。放射能に安全な閾値はない。できるだけ放射能から離れよう。特に子供は早く疎開させよう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/470.html#c2

コメント [経世済民75] 任天堂の赤字化とヤフーのアスクル買収 〜産業構造の変化を考える 初の営業赤字373億円 MR
03. 健奘 2012年5月05日 19:05:02 : xbDm84QDmOFmc : HxDkBKBLY2
大前さんは、収益をあげるための技術論では、優れたことを、けっこう発言してきました。

しかし、資本主義の精神が分かっていません。あるいは、自然環境の大枠が見えていません。だから、大前さんこそ、大局は見えなくなり、技術論にも、限界が露呈しています。

良い例は、フランスのアタリ氏との議論を紹介しながら、2〜3年に、インフレが避けられないと語っていたことです。2009年のことです。

もう、2012年です。

もう一つの良い例は、ウオーターフロントの開発話です。津波が起きてから、その話はどうなりましたかね。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/840.html#c3

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
11. 2012年5月05日 19:08:30 : FpVPO6YryM
皆さんのコメントに 頷いています。
産経新聞は 最低ですね。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c11
記事 [原発・フッ素23] 島田市「放射能汚染深刻」環境省認める 2012/03/27 ( 福島県は「死灰の街」になった )

福島県は「死灰の街」になった
島田市「放射能汚染深刻」環境省認める
2012/03/27 01:01日記

http://blog.goo.ne.jp/fukushine777/e/828a02cbcf76e43cf622ca7ad09e13e8

""


島田市役所「汚染がれき焼却で環境汚染を認める」

島田市職員が焼却施設周辺の松葉や茶葉の放射線汚染を調べ、大量に汚染されている結果を公表。


放射能汚染の結果
http://sokuteisitu.plumfield9905.jp/wordpress/wp-content/uploads/2012/04/資料4島田市の試験焼却前後における松葉の放射能調査結果について.pdf

島田市役所が共同で調べた民間団体(島田市役所公認)
http://sokuteisitu.plumfield9905.jp/

しかし、都合の悪い結果が出たので、島田市役所は「なかったこと」にしてしまいました。
それで、放射能測定室の方たちは「島田市役所は、嘘をつき、約束を破った」と憤っています。


島田市、汚染がれき試験焼却で、島田市の放射能汚染が明らかになりました。結果が出ました。

衆議院会館で、環境省幹部5人と「全国民の代表たちと専門家たち大勢」による、静岡県島田市の「がれき焼却による放射能汚染の結果」の説明会があり、環境省は「島田市がひどく放射能汚染された」と認めました。

ツイッターでもブログでも、どこでも書いてあります。


政府交渉ネット
http://gareki326.jimdo.com/
ここに問い合わせればわかります。交渉した当事者たちなので。
東電工作員が「デマ」と批判するので、当事者たちのHP書いておきました。
「ソースはどこ?」
などと言う前に、自分で調べなさい!
自分で調べもせずに他人の情報を批判するのは、単なる怠慢。まず自分で調べなさい!
それができないなら、ネット見るの辞めなさい。

極めて科学的にプレゼンテーションが行われ、環境省の幹部も全員その真実に驚愕したようです。

全国から多くの人が集まり、環境省と衆議院議員を交えて議論した結果ですから、動かしようのない事実と判明。

島田市は、これを受け、公約通り焼却を中止するしかありません。環境省からお達しがあれば、従うしかないでしょう。

島田市長は「放射能汚染されたら私が責任を取る」と言っていました。責任取ってください。


科学者たちの計算と分析、さすが科学です。

http://www.yahoo.co.jp/
http://www.nikkansports.com/
http://www.giants.jp/top.html
http://www.osaka-u.ac.jp/ja
http://www.sofmap.com/
http://www.hotel-takeshima.co.jp/index.html
http://www.ishigakikankou.tv/roman/index.html
http://ameblo.jp/takapon-jp
http://www.hitachikon.net/qanda/index.shtml
http://mathbooks.minim.ne.jp/
http://www.tiffany.co.jp/
""
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/471.html

記事 [環境・エネルギー・天文板4] 地球温暖化で降雨・蒸発の循環強まる=米科学者ら  時事通信
【シンガポール26日ロイター時事】米ローレンス・リバモア国立研究所のポール・デュラク氏を中心とする科学者チームはこのほど米誌サイエンスに発表した研究で、世界の海の塩分の明確な変化を捉えるとともに、降雨と蒸発の循環が地球温暖化によって予想以上に強まっていることを発見した。この研究は、地球の温度が上昇する中で、増大する降雨あるいは強い干ばつによって地球のさまざまな場所がどのような影響を受けるのかを推定するのに役立つと見られる。

 科学者チームは、世界の海の塩分濃度パターンが1950〜2000年にはっきりと変化したと指摘した。地球の表面積の71%強は海で、ここには世界の水の97%までが集まっており、海が大気中の水蒸気の主な発生源になっている。

 降雨と、陸と海からの蒸発という循環は地球の水循環を成すもので、熱帯などは雨が多く、オーストラリアや米国、北アフリカの大部分などでは雨が少ない。一部の海域の塩分が濃いことは降雨量が少ないことを、塩分濃度が低いところは雨が多いことを示しており、塩分濃度によって降雨パターンの変化を調べることができる。

 同チームは、1950〜2000年に水循環が4%強まったとしている。これは気候モデル分析による予想値の倍だ。デュラク氏は「これらの変化は、地球温暖化に反応して、乾燥したところはさらに乾燥し、雨の多いところはさらに雨が増えていることを示唆している」と述べた。

 科学者は以前から、蒸発・降雨と海表面の塩分濃度との関係を知っているが、その関係を正確に数量化するのは困難だった。

 デュラク氏らは1950〜2000年の塩分データを、気候モデルでの塩分・降雨・蒸発の関係とに結び付けた結果、地球表面の温度が1度上昇するごとに、水循環が8%強まることを発見した。地球の温度は1950〜2000年に0.5度上昇した。しかし、気候モデルによると、温室効果ガスの増加を早急に食い止めなければ温度は今世紀末までに3度上昇すると予想されている。

 3度上昇すれば、同循環は最大24%強まり、乾燥と降雨の度合いがさらに高まることになる。デュラク氏はロイター通信へのメールで、「これは既に乾燥しているオーストラリアなどにとって大きな意味合いがある」と指摘した。同氏は、今回の研究は水循環と塩分濃度との関係の初めての正式な数量化だとしている。同氏は、海の塩分濃度は世界気候の健康診断材料としてこれまで以上に関心を集める可能性があると話している。[時事通信社]


http://www.jiji.com/jc/rt?k=2012042700299r

----------
雨の少ない地帯では干ばつの、雨が多い地帯では洪水の、それぞれの発生頻度が増加することを示唆している。これは温暖化によって異常気象の発生頻度が増加するというこれまでの説を裏付けるものだ。

http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/736.html

コメント [音楽7] 人形劇 「サンダーバードのテーマ曲」日本版 BRIAN ENO
01. 陣中見舞い 2012年5月05日 19:14:50 : 3pEdi1PI5rkGQ : 1Apdyuwmcc
す、すごい!
黒柳徹子、彼女は未だにペネロープを演じてる。
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/176.html#c1
記事 [戦争b9] イスラエル潜水艦の戦略的意味 中東の窓 地域の諸国はイスラエル潜水艦隊に対抗する手段を有していない
イスラエルが4隻目の独製ドルフィン級潜水艦を引き渡されたことは先日ご報告しましたが、4日付の y net news は地域の諸国はこのイスラエル潜水艦隊に対抗する手段を有しておらず、イスラエルの潜水艦隊は中東地域の平和を守る最善の保障となろうと論じています。

記事の背景には、イスラエル当局の情宣的意図も見隠れしますが、この種の戦略的な記事の少ない我が国にとって、興味ある記事と思われるので、要点のみ次の通り。


イスラエルは4隻に次ぎ5隻、6隻目のドルフィン級潜水艦を独から入手することになっているが(最初の2隻は無償供与で、3隻目は半額は独政府負担で、残りの3隻は費用の3分の1を独政府が負担する)、中東地域の他の国はこれらの潜水艦に対抗する手段を有さない。

エジプト政府はかって同じドルフィン級に関心を有していたが、その後交渉は全く進展していない。イランの潜水艦は老朽化しつつある。

イスラエルはさらに新型潜水艦を購入し、10隻体制にすることを考えている、この艦隊はイスラエルの抑止戦力として数十年も優位を保つであろう。

イスラエル海軍は沿岸警備隊から抑止戦略へと大きく変貌を遂げ、世界の至る所、特に中東においては敵は少なくとも近い将来これに対抗する手段を有さない。

イランの潜水艦は老朽化しているが、イランとしては対抗手段を有することを示すために、最近潜水艦及び海軍艦艇を地中海に派遣したのである。

イランとしてはミサイルで攻撃することも可能だが、その場合には必ず報復があることも知っていて、仮にイスラエルを破壊できたとしても生存した潜水艦がイランを滅ぼすことも十分知っている。

すでに国際メディアはイスラエル潜水艦がペルシャ湾近辺で活動していると報じているが、これこそが抑止力である。確かに潜水艦は戦争の武器であるが同時に地中海、中東で平和を守る需要な役割を演じている。

潜水艦隊を有するイスラエルはこの地域の平和の守護神である。

http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4224575,00.html


http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/

http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/305.html

コメント [原発・フッ素23] 若者よ。大人たちに怒りの鐘を鳴らせ! (秋場龍一) 盗電マン
02. 2012年5月05日 19:19:23 : FpVPO6YryM
全ての人に 原発事故の正確な情報を与えて欲しい。
マスメディアが 嘘と隠蔽を止めて 今すぐに正しい情報を!
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/463.html#c2
コメント [近代史02] 小沢一郎先生を襲った恐怖とは 中川隆
10. 中川隆 2012年5月05日 19:28:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q


           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 組織の事を知り過ぎた
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| | 〇〇は呪われたものとなった
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |


参考の為にネットで有名な噂も一応以下にコピペしておきます。 創価学会と統一教会は朝鮮系カルトなので偏見が酷いのですね。 こういう無責任なデマや陰謀論を垂れ流す反米左翼も本当に困ったものです。僕はまだ空中遊泳したくないので悪しからず:

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/07(水) 04:48:30 ID:CqV9vcTi

きみらも創価学会に殺されるよ
ほれ!きみらの近くには後藤組の組員と学会員が近づいているよ


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 17:12:56 ID:TnH2N4lE

おい、おまいら、反層下をやってっと
みんな後藤組にビルから墜落だつ
http://unkar.org/r/koumei/1146307406


4 :名無しさん@九周年:2009/01/03(土) 22:55:49 ID:AHwT+gil0

* 忠告しておく。層化を追求すると死人が出る ・ ・ ・ ・。


1. 斎賀孝司 ( 朝日記者 / 病死?)

2. 森田設計士( 耐震偽装関連 / 自殺?)

3. 大西社長 ( LD投資組合社長 / 行方不明 )

4. 古川社長 (平成設計の元社長 / 自殺?)

5. 森田信秀 ( 姉歯に構造計算を発注 / 自殺?)

6. 草苅逸男 ( 岡山 ・ 新勝央中核工業団地 / 一級建築士 / 焼死?)

7. 野口英昭取締役( ライブドア政界窓口 / HS証券 ・ 安晋会理事 / 沖縄カプセルホテルで怪死 )

8. 東江組員 ( 沖縄旭流会幹事 / 惨死 )

9. 小渕恵三 ( 脳梗塞??)

10.竹下登秘書の青木伊平( 自殺??)

11.自民 中川一郎( 急性心筋梗塞 …→  首吊り自殺??)

12.浅木明代市議( 創価を追及している最中に、 ビルから転落。飛び降り自殺? )

13.姉歯秀次の妻 : 熱烈な層化信者 ( 飛び降り自殺? 逃げ回っていた姉歯に対する口封じ?)

14.松岡農水大臣( 首吊り自殺?? 秘書が発見したが、 救急車が来るまでつりっぱなし )

15.伊丹十三映画監督( 層化をテーマにした映画作成中に、 飛び降り自殺???)

16.乙葉の父親(当時53)が5月4日、長野県内の自宅から外出したまま帰らず、6日に富山県の山中
   で遺体発見。遺書はなく、真相不明。事故・他殺?の可能性もあるとしている。( 2004.5.4 - 6 )

17.阿子島たけし(65) 12月13日未明、バーニング大賞と揶揄される〜レコ大審査委員長の自宅全焼。
   行方不明。脅迫も受けていた。12日朝に家を出て以降、行方不明となり、16日午前、自宅の焼け跡
   から遺体発見。 失踪前、リベートを要求する怪文書が音楽業界に流れ、レコ大がらみの失踪と噂も
   出ていた。(2005.12.12-16)

17.プチエンジェル運営会社社長( 事件発覚、顧客に大物政治家の名前リスト有り、口封じで練炭自殺??)

18.清水一雄 ( * 取締役名義は「清水和雄」ケイダッシュのトンネル会社、ドライブミュージックで裏金造りを担当する。
   谷口元一、川村会長への裏金も作らされていた。エスカレートする谷口の要求に嫌気がさして、清水氏が
   反発した途端、彼は車の中で練炭自殺したとされる。(2007.12.年末)

19.川田亜子アナウンサー( つき合ってた男が創価、 バー系列幹部、 暴力団関係者、 練炭自殺??)

20.タカハシマナミ ( TBS職員、 川田亜子と似たような手口で、T氏に口説かれ、 自殺?詳細不明 )

21.アラキ記者(『 あの男T 』 会社乗っ取り、 監禁、 暴行、 強姦、 変態スカトロプレイ……。 についての
   記事を書いたアラキというフリーライターが マスコミ業界から抹殺された。

22.サイバッチの記者(川田亜子自殺報道を追及。)  ←いまここ 狙われてる ???

23. 永田寿康 元衆議院議員 飛び降り自殺か?

http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1230990938/


450 :名無しさん@九周年:2009/01/03(土) 23:06:57 ID:4M41m3C90

いままでの警察に自殺と発表された例

* 大阪、タクシー運転手 - 首にロープを巻いて、家の門扉の前でジャンプしロープを門扉にひっかけて首吊り。門扉の高さは数mあった。

* 東京、アフガン航空常務 - 全財産をつぎ込んだFX取引きで失敗し、社内で自分の心臓を刺してから窓枠を乗り越えて離陸。

* 大阪、社長 - 全身をロープと粘着テープで縛って、ビル屋上の鉄柵を飛び越えた。

* 千葉、少年 - 全身をロープと手錠で縛って、柵に囲われた線路に飛び込み。

* 東村山市議 - 逆立ちしてマンションの窓際まで、指でひきずった跡をつけながら歩行、足から手すりにぶら下がり、空中で方向転換して50cmの隙間に向けて飛行。

* 沖縄、社長 - 全身をめった刺しにして自殺。背中や手の甲もきちっと刺してあった。血の跡ひとつつけずに非常ボタンを押した。

* 大阪、潜水ルポライター - 水深数十センチの川で全身を縛ってめった刺しにしてからうつぶせに水中に横たわった。ご丁寧に背中に重しまで乗っけた。

* 神戸、ヤクザ - 自分で自分の首をはねて自殺した。首はみつかっていない。

* 東京 - 火の気のない玄関で人体発火現象を起こして、燃え尽きるまで気管に煤が入らないようじっと息を止めて焼身自殺。

* 愛媛 - 風呂場で自分で自分の頭をハンマーで殴り自殺。

* 茨城、おばさん - 首吊りしたあと歩いて川に入り息を止めて自殺。気管には水なし。

* 熊本 - 某病院主要関係者を乗せ、峠道を時速80キロで、ガードレールのわずかな隙間をタイヤ痕ひとつ残さない絶妙な運転テクニックですり抜けて50m下へダイブ。

* 福岡、高校生 - 400kgの重しを抱いて海に飛び込む。

* 東京 - 頭に穴があく不思議な方法で首吊り。

* 千葉 - 首吊りをしてからわざわざ飛び降り自殺。死因は飛び降りではなく窒息。

* 名古屋 - 車で首吊りをしようとして首を切断。しかし、首がないまま駐車、車庫入れをこなす。

* 大阪 - 歩道橋から飛び降り自殺するも、なぜか歩道橋から45メートル離れた路上で発見される

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 01:46:08 ID:bylhDohk

■警察が自殺と断定、または事件性が無いと判断したもの


自動車事故で胸部大動脈損傷したあと5キロほど車を運転して、橋の欄干から5mほど飛行して投身自殺した自衛官

400kgの重りを自分で身体に縛り付けて海に飛び込んだ高校生

時速80キロで、ガードレールとガードレールのわずかな隙間を
タイヤ痕ひとつ残さない絶妙な運転テクニックですり抜けて50m下へ転落したナース集団

ロープを首に巻いて空中浮揚し門扉にひっかかったタクシー運転手

証拠品の銃を奪い取って別の袋から再装填しわざわざ離して自分の
胸に発射、ただちに飛び散った血をふき取って取調室を掃除、この間5秒。

逆立ちしてマンションの窓際まで、指でひきずった跡をつけながら歩行、
足から逆エルードして手すりにぶら下がり、空中で方向転換して50cmの隙間に向けて飛行した市議会議員

わざわざ動脈と反対側の手や腕の甲を切って自殺しようとするも未遂、
自分で自分の背中に針金でおもりを結びつけて川にうつぶせになり死亡

火の気のない玄関で人体発火現象を起こして、燃え尽きるまで気管に煤が入らないようじっと息を止めて待ってた審査委員長

手首の甲をリスカして全身をメッタ刺ししてから、血の跡ひとつつけずに非常ボタンを押した証券会社副社長 

口の中に靴下を入れたままガムテープで口を塞ぎ、両手を後ろで手錠により
拘束し左手には手錠の鍵を持ち玄関内で衣服の乱れもなく窒息死した記者

玄関と窓、共に無施錠のまま首に電気コードを巻かれ、寝室に血痕を残した上で2階から落下したネイリスト
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1230990938/


185 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/06/10(土) 21:01:09 ID:aq1maOiP

■耐震偽造 ライブドア事件で変死した人々

 ●古川一夫 (平成設計の元社長/★大阪空港で変死体)

 ●森田信秀 (姉歯建築設計事務所に構造計算を発注/★鎌倉で水死体として発見)

 ●草苅逸男 (岡山・新勝央中核工業団地/一級建築士/津山市で★設計事務所が爆発し焼死)

 ●野口英昭 (LDのグループ会社で社長を務めたこともあるエイチ・エス証券の副社長/
       ★那覇市ホテルでブザー鳴らして数カ所に包丁で傷つけて失血死)

 ●姉歯妻 飛び降り

■なぜか生きてる人々

 ●姉歯秀次(元1級建築士/★家族全員層化学会)

 ●木村盛好(元木村建設社長/★本名が「李盛好」、既に韓国に高飛び、)

 ●内河健(総合(SG)経営研究所 所長/★SG=SoukaGakkai )

 ●堀江貴文(ライブドア社長/★郵政選挙で「比例は公明党に」と連呼、創価学会本部を訪ねているところを写真誌に激写)


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04. 2012年5月05日 19:29:41 : EypVuclbbY
本来は政権交代したら直ちに厚生年金の未加入問題は処理しなければならないので、厚労省は今からでも行政罰を重くして新設に刑事罰や民事罰まで定めることだ。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/827.html#c4
記事 [原発・フッ素23] 原発稼働ゼロの日を迎えて (私設原子力情報室) 
原発稼働ゼロの日を迎えて
http://nucleus.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435442
2012/05/05 17:19 私設原子力情報室


きょう、2012年5月5日深夜、42年ぶりに日本列島で稼働する原発がゼロになります。
原発の安全性がまったく約束されず、使用済み核燃料の行き場も決まらない中、他の選択肢はありません。また、福島第1の事故に関して、詳細な解析・検討も進まないどころか、いつ始まるのかさえ分からない状況です。

一方で、「電気が足りない!電気が足りない!」と騒ぎ立てる関西電力が、いまだにオール電化の営業を積極的に続けていることが明らかになりました。厚顔無恥とはこのことでしょう。
どうしても足りないなら、今からでも、応急処置としてガスタービン発電機を外国から調達する手だてはあるはずです。そもそも、東京電力以外の電力会社が、節電のプログラムに真面目に取り組んだ形跡すら認めることができません(東電を誉めているわけではありませんよ(笑))。

原発ゼロの日、5月5日はゴールではありません。私たちは、『完全脱原発』に向けてのスタートラインに立ったに過ぎません。
ここでは、あらためて問題意識を明確にし、気を引き締める意味で、「止まっている原発は安全なのか?」という設問について考えていきます。

●止まっている原発は安全なのか?

結論から言いましょう。制御棒が完全に差し込まれ臨界状態にない(=連鎖的核分裂反応が起きていない)原子炉は、運転中よりも少しは安全です。操作ミスが最終的な引き金となったスリーマイルアイランドやチェルノブイリのような事故は起きません。

一方、外部電源喪失によって、冷却水の循環が止まり、メルトダウンに至った福島第1型の事故はどうでしょうか?
同じように起きます。炉心に核燃料が有る限り。

使用中あるいは使用済みの核燃料の中には、連鎖的核分裂反応で生まれた放射性物質(核分裂生成物と超ウラン元素)があります。核分裂生成物の代表格はセシウム137やヨウ素131、超ウラン元素とはプルトニウム239などのことです。
これらの放射性物質は、放射線を出して崩壊する際に熱(崩壊熱)を出します。この発熱は、臨界状態にあろうとなかろうと関係ありません。

「私たちの身の回りにも飛んできている福島第1由来の放射性物質は発熱していないのか?」という質問がありそうなので、先に答えておきますが、実は放射線を出す際にわずかながら発熱しています。ただ、空気や人体を加熱するほどではありません。逆に、崩壊熱を肌で感じるほど放射線を浴びてしまったら、即死です。

話を本論に戻しましょう。
臨界を脱したばかりの核燃料で、冷却水の循環が止まったら、崩壊熱で数時間から数日の間に、圧力容器に溜まっている水はすべて蒸発。ほどなく、核燃料は溶岩のようにドロドロに溶け出してしまいます。
溶けた核燃料の温度は2800℃。圧力容器を形成する鋼鉄の融点は1600℃。簡単に底を突き破り、格納容器へと落ちていきます(メルトスルー)。格納容器でも底部の鋼鉄とコンクリートを溶かして、やっと止まっているのが、福島第1の1号機〜3号機の現状なのはご存じの通りです。

そうなのです。原子炉が停止状態にあっても、炉心に核燃料が有る限り、福島第1型の事故が起きる可能性は、少しも減らないのです。

●どうすればよいのか?

まず、炉心にある核燃料を核燃料貯蔵プールに移動させることです。これは、普段の定期点検の際にも行われている作業です。安全とは言いませんが、特別なオペレーションではありません。こうして、炉心(圧力容器)を空にしておけば、シビアアクシデントが起きる可能性を一つ排除したことにはなります。
しかし、福島第1では、炉心が空だった4号機でも水素爆発が起き、建屋が傾いています。世界中の研究者が「4号機の核燃料貯蔵プールが崩壊したら、東京にも人が住めなくなる可能性がある」と警鐘を打ち鳴らしています。核燃料貯蔵プールもまた危うい施設なのです。
特に、福島第1のような沸騰水型原子炉(BWR)では、構造上、貯蔵プールを高い位置に作らざるを得ないので、危険性がより大きくなっています。高い分、様々な理由で水が抜ける可能性があるからです。
また、使用済み核燃料は、臨界を脱してから3年間は循環する水で冷却しないと、メルトダウンしてしまいますので、核燃料貯蔵プールでもまた、冷却水の循環が必要となります。

各原子炉に付属している核燃料貯蔵プールは、当然、容量が決まっています。せいぜい、数年分の使用済み核燃料しか貯蔵することができません。では、その先はどこへ行くのでしょうか?
各原発には共用プールという施設があって、ここに使用済み核燃料を集めます。地上高に作られているので、核燃料貯蔵プールよりは少しは安全といったところでしょうか。国内各原発の共用プールは、ほぼ満杯という情報もありますが、増設してでも、今、炉心と核燃料貯蔵プールにある分は、納めてもらわなければ困ります。

原子炉が止まっただけでは安全ではない。
このことは肝に銘じる必要があります。速やかに、すべての核燃料を核燃料貯蔵プールに。そして共用プールに移す必要があります。

-------------------------
附記:
共用プールの先はどうするのか?悲しいかな、まったく見通しが立っていません。原発推進派は再処理施設へ!と声高に言いますが、六ヶ所村の施設は、本格稼働が見えない現在ですら、使用済み核燃料で満杯状態です。

*再処理施設に関しては、以下の記事をご参照ください。

『再処理施設って何?』
http://nucleus.asablo.jp/blog/2011/09/07/6091425

『破綻した核燃料サイクル』
http://nucleus.asablo.jp/blog/2011/11/27/6220079

今、現に存在している大量の使用済み核燃料をどうするのか… 最終処分場の問題は、脱原発派と言えども、避けて通ることはできません。



http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/472.html

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
134. 2012年5月05日 19:30:40 : mXC4s5InoW
132
去れ。ここは、うんざりな嘘を宣伝するところではない。無差別無条件にばら撒かれた放射能を一切擁護しない。核を操作しているのは、英仏米中露印パイスラエル北朝鮮、及び各国の、政官財軍とそのシステムによる世界支配者。我々は大衆、庶民、人民、人類、科学を語る。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c134
コメント [自然災害18] 月が地球に大接近するスーパームーン現象に注意!(NASA)    びっくりカメラ
06. 2012年5月05日 19:34:28 : QLv9qZW8oo
スーパームーン等小さい々、
太陽が4極化、宇宙線の増大で民間人を宇宙へ送り出すロケット発射が
延期次ぐ延期。
宇宙線増大によるDNA変貌、天変地異トリガー、で火山噴火、地震、
津波も想像を絶するだろう。
地球も太陽に習い4極化すれば GPS を含む磁気航法アボーン、
今のハイテク全滅、原発も危ない=文明崩壊(笑
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/300.html#c6
コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
135. 2012年5月05日 19:34:35 : QEByhcdtCg
133さん
要注意のようですね。

他にも張りましたが、こちらにも重ねてコピーしたものを下記に!

92. 2012年5月05日 08:32:27
きっこさんの紹介だったか忘れましたが、下記URLで「放射線と被曝の問題について」丁寧にとても解りやすくまとめられています。
すでにチェルノブイリを越えたという指摘さえある原発事故を経験しているにもかかわらず・・これまで通りの安全神話に立ったような国作成の放射線副読本の問題点がはっきり見えてきます。

ぜひご一読下さい。
https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/FGF/FukushimaUniv_RadiationText_PDF.pdf

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c135

コメント [憲法3] 言いたいこと言おうぜ 憲法記念日 沢田研二さん、山本太郎さんに聞く(朝日新聞) gataro
04. 2012年5月05日 19:35:00 : 42WLGuDM8Y
昔から怯む事なかれジュリーがよかった。
 だから今でもその思いが出ている。
ジュリーあなたの後をみんなはついていきますよ。
原発反対当然のこと。さすがジュリーです。


http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/379.html#c4

コメント [原発・フッ素23] 島田市「放射能汚染深刻」環境省認める 2012/03/27 ( 福島県は「死灰の街」になった ) 乃依
01. 2012年5月05日 19:38:53 : Mnxczxr6Dw

島田市は、愚かにも「やってはいけない」核廃棄物拡散に手を出して
みずから放射能汚染を招いてしまった。  ……最悪の馬鹿たれ自治体。
「自治体」というよりも「自殺し体」と呼ぶべき。 反対していた住民が
本当にお気の毒である。

島田市はもう市名を変えるべきだな。 「死魔堕市」に。

島田市にいながら「被曝者」になってしまった市民たちは、
広島の誓いにならって、「過ちは繰返しませぬから」という宣言を
出したらいいんじゃないかな。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/471.html#c1

コメント [経世済民75] 円は安いほど良い、最低時給を上げ輸入超過にし360円に戻しましょう、日本の経済政策は大間違い heiwatarou
62. 2012年5月05日 19:39:28 : SRPTrUrSnE
>貴兄の他にも見ている方もあると思うので、誤解のないように分かりやすく
(略)
>▼この意味は(もちろん平均的ですが)
おやおや?
具体的な事例が出せないので、平均的とか出してきましたね。
いやそりゃそうでしょう平均の話ではあるので。
ところで、「一物一価の法則」の具体的な事例を全く示せないのはなぜですか?
わずか20例じゃ嫌だとおっしゃるので、あなたの有利なように100例に
増やして差し上げたのですが?

>金1グラムで米国で買えるものは
>日本では1.7グラム必要と言うことですよ
>※購買力平価はこれを表す目的の指標なのです。
違いますね。
通貨の購買力平価がなぜ、同量同質の金による購買力平価に置き換わったのでしょう。
単純に、同じ重量同じ質である金の価格は日本は米国の1.7倍であることを示せば
済むことなんですがね。
どうも「一物一価の法則」を理解できないようですね。
それとも世界中の通貨は同質同量でできた金貨しかないのでしょうか?

>▼それよりも日本の通貨をドルにすれば良いですね、日本は万々歳ですね
日本ドルになるだけですね。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/782.html#c62

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
136. 2012年5月05日 19:42:54 : dPhwiv16dE
 
 私は広島ですが たしかに 原爆の怖さを 広島の人が あまり感じていないのが

 現実かもしれませんね!!

 ===

 だから 福島の件も たいしたことない なんていう人もいるくらいです〜〜
 
 ===

 ま〜〜 体内被曝の意味がわからない人が多いのだと思いますけどね
 
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c136

コメント [音楽7] バングラディッシュ・コンサート 全編 BRIAN ENO
03. BRIAN ENO 2012年5月05日 19:44:36 : tZW9Ar4r/Y2EU : Mo3K8VpHSE
K子 様
御静聴、誠にありがとうございました。

レオンはどうでしたか?

子どもの頃、このアルバムを聞いて、
私は、いちばん、存在感を感じたのがレオンだったんですが・・

あと、なぜか・・リンゴ・・かっこいいなあ〜と思ったんです・・
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/148.html#c3

コメント [経世済民75] 駅前で盗まれるチャリと、スペインの住宅ローン焦げ付き問題(スペイン危機がラテンアメリカに波及?) 墨染
02. 2012年5月05日 19:45:21 : FijhpXM9AU
もとい「英仏だけの」は「独仏だけ」
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/845.html#c2
記事 [リバイバル3] 中川隆3bF/xW6Ehzs4Iって頭がおかしい人ですか?
>アカラサーマは MI6 工作員?
>投稿者 中川隆 日時 2012 年 5 月 04 日 10:27:32: 3bF/xW6Ehzs4I
>僕が小沢一郎先生の正体やタヴィストック研究所の事をばらしてから、MI6工作員がリバイバル板の僕の投稿に必ず嫌がらせコメントを入れる様になりました。
>前は僻地のリバイバル板を見に来る奇特な人なんか一人も居なかったのにねwwwwwwww
>アカラサーマという工作員は僕の投稿を埋めて目に付かない様にする為にわざわざ10年前のどうでもいい新聞記事を投稿しまくってるし:

=======
以下 感想コメント

僻地のリバイバル板を見に来る奇特な人なんか一人も居なかったのに、
アクセス数だけはいくらかあるってことは
自分で自分の投稿にアクセスを繰り返しているという寂しい人なんですね。
可哀そう・・・・・・とでも言うと思ったかバーカ(笑)


中川隆3bF/xW6Ehzs4Iの投稿を見る限り
変態じみたアスキーアートを入れながらどっかのコメントをコピーしてるだけ。

すごいねMI6。こんなの相手にしないといけないなんて。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/274.html

記事 [音楽7] ジョー・コッカー ライブ全編 Live in Basel (AVO Session 2007)


http://www.asyura2.com/12/music7/msg/224.html
コメント [戦争b9] やはり日本の原発は核開発目的だった!米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!開発担当窓口は電力各社(米NSN)  びっくりカメラ
80. 2012年5月05日 19:51:49 : cUqQ10tEi6
>>73
>>76

どうでもいいけど、日航機墜落事件と核兵器とどう関係あるんですか?
そして、日航機墜落事件が陰謀に巻き込まれたなら、なぜこそこそせずに堂々と公表して政府に抗議しないんですか?

自衛隊関与説が事実なら、わざわざ御巣鷹山に誘導せずに海上で迎撃して空中分解させてしまったほうが、証拠隠滅としては完全と思います。
・ミサイル迎撃説
・無人標的機衝突説
・米軍関与説 等
いずれも明白な物的証拠もなく、目撃者もおらず、オカルトマ二アが展開している荒唐無稽な自説にすぎません。これらの自説をネットで発表している者の中には、自ら証拠を捏造している場合も少なくありませんから注意が必要です。
自衛隊撃墜説を唱えてる人達や本は『共産党や自衛隊反対派』が特徴です。

また、自衛隊は「国内では」ミサイルを発射することはありません。
すべて米国に研修にいって発射訓練をしています。国内ではシュミレーターでの訓練のみですよ。

>>72
>核爆弾?どうでもいいのだ、この記事も金目当てか?

私もそう思っています。例え日本にあろうが、無かろうが、国内だけで済む問題ではないので(核疑惑は国際問題になる)傍観しておきます。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/220.html#c80

記事 [音楽7] バッド・カンパニー ライブ全編

http://www.asyura2.com/12/music7/msg/225.html
コメント [医療崩壊3] 医師が驚きの提案「死ぬのにはがんに限る。ただし、治療はせずに」 (WEB本の雑誌)  赤かぶ
01. 2012年5月05日 19:55:17 : Mnxczxr6Dw

十数年前に、大雨にもかかわらず警告を拒否して玄倉川中州で
キャンプをしていた十数名が、衆人環視の中、増水で流されて死ぬ
事故があり、身勝手な愚か者たちの自業自得の惨害の典型事例として
「DQN(ドキュン)の川流れ」という固有名詞まで付いている。
http://www.youtube.com/watch?v=JTmfBDkGoE4


その医者版がこれ。「医者の不養生」の見本とも言えますね。
      ↓
------------------------------------------------------------
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120505-00000020-jij-soci

白馬岳登山の6人死亡=北九州市の60〜70代男性―爺ケ岳でも女性死亡―長野県警

     時事通信 5月5日(土)19時4分配信

 長野県白馬村の北アルプス・白馬岳(2932メートル)へ登山に向かい、連絡が取れなくなっていた北九州市在住の男性6人について、県警は5日午前、上空からヘリコプターで捜索し、白馬岳へ行く途中の小蓮華山の山頂近くで全員が倒れているのを発見した。県警はヘリで収容したが、間もなく6人全員の死亡が確認された。冬山用の装備をしておらず、夏用の雨がっぱなどを着て、身を寄せ合うようにしていたという。
 亡くなったのは、医師岡崎薫さん(75)=門司区錦町=、医師政所良治さん(78)=小倉南区守恒=、医師三島斎さん(75)=小倉南区葛原=、医師井上義和さん(66)=門司区旧門司=、獣医師村井正和さん(63)=門司区東本町=、自営業角田重雄さん(63)=門司区田野浦=の男性6人。岡崎さんの呼び掛けで集まった知人グループという。死因は全員低体温症だった。
 一方、北アルプスの爺ケ岳近くで、4日から連絡が取れなかった会社員宗和住摩子さん(62)=大阪市住之江区新北島=とみられる女性が倒れているのを登山者が発見。県防災ヘリで救助したが、死亡が確認された。宗和さんは1人で登山していたという。
 県警大町署などによると、岡崎さんら6人が倒れていたのは尾根上で、白馬岳まで約2時間の距離だった。
 一行は3日に長野県小谷村の栂池高原にある山小屋に1泊した。4日早朝、白馬岳を目指し出発。同日に山頂近くの「白馬山荘」に宿泊する予定だったが、一行は山荘へ到着せず、携帯電話もつながらないため、このうち1人の家族が県警に通報した。
 山小屋関係者によると、白馬岳周辺は4日午後、天候が急変して吹雪となり、視界がかなり悪かったという。 

------------------------------------------------------------
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/517.html#c1

記事 [音楽7] ネクターで「リサイクルド」

http://www.asyura2.com/12/music7/msg/226.html
記事 [リバイバル3] 空に開いた真ん丸い穴!! 気候コントロールの証拠??(Rense.com)  (注 2007年6月のリバイバル)
空に開いた真ん丸い穴!! 気候コントロールの証拠??(Rense.com)
http://www.asyura2.com/0601/jisin14/msg/205.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2007 年 2 月 08 日 00:09:45: SO0fHq1bYvRzo

空に開いた真ん丸い穴!! 気候コントロールの証拠??(Rense.com)
(写真Url)
http://www.rense.com/general75/Sky020307a.jpg


私にはこのポッカリ開いた穴が何なのか全く説明がつきません。黙って提示だけしておきます。

次の記事には3枚の写真が掲載されています。下の英文は写真についての撮影者からの説明です。(今年の1月29日のことらしい。撮影場所はおそらくカリフォルニア。)

http://www.rense.com/general75/eevi.htm
Hole In The Sky: Vivid Evidence Of Weather Control - Photos

From Chase Lafayette, LA
©. 2007 Author 2-6-7

Taken on January 29, 2007, I was on break at work and just looked up to see this hole in the clouds. It was slowly getting bigger. I wish I would have had my digital camera, but had to settle for the camera on my phone. No one I have asked has seen anything like it before. The larger hole was taken at the same place about ten minutes later. Just as odd was that across and away from this hole in the sky was a chemtrail with a "shadow" beneath it. This makes no sense to me.

========
以下 感想コメント
これ、合成じゃなかったですか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/275.html

コメント [音楽7] Snoop Doggy Dogg お子茶魔
04. 2012年5月05日 20:01:34 : 0EopofEgjc
「In Da Club」で寝た?!
信じられんwww

(茶魔)
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/223.html#c4

コメント [自然災害18] ミッチェル・クームス M9.3の地震が東京を襲うという警告(facebookより)      びっくりカメラ
57. 2012年5月05日 20:03:38 : DropzVewfQ
スレ違い連投によってアラシ認定

散々貶(けな)し貶(おとし)めてきた
朝鮮国家と同じような発想。と

それで幕ですかね
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/273.html#c57

記事 [音楽7] UK - Rendezvous 6:02



http://www.asyura2.com/12/music7/msg/227.html

コメント [日本の事件30] 運転手は日雇い労働 契約書交わさず (産経新聞)  赤かぶ
02. 2012年5月05日 20:07:24 : EdQemnepkG
今回の場合、

乗務前の3日間は完全休日。
前日は2人乗務で金沢へ。
金沢では朝8時ホテル〜。( 8時間 )
乗務は22時からなのに、
なぜか16時にホテルをチェックアウト。(16時〜22時の行動不明)
金沢22時出発、4時過ぎに事故。 走行は320km。

マスコミは無理な勤務がとか、670kmを一人で運転できる法律が悪いとか言ってるけど、
今回に限って言えば、休息は十分だし、
全行程は545kmだけど、320km時点の事故だから走行距離もたいしたことない。



http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/261.html#c2

コメント [原発・フッ素23] 島田市「放射能汚染深刻」環境省認める 2012/03/27 ( 福島県は「死灰の街」になった ) 乃依
02. 乃依 2012年5月05日 20:07:44 : YTmYN2QYOSlOI : DyREJ9ayt2
政治、行政は、このことを知っているということ。
その上でやめないというならば、確信犯である。

震災廃棄物広域処理に対する要望書の資料。
http://sokuteisitu.plumfield9905.jp/2012/04/29/震災廃棄物広域処理に対する要望書の資料。/
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/471.html#c2

コメント [日本の事件30] <関越道7人死亡事故> 関越道7人死亡事故当初、運転手は内臓破裂の重体と報道されていた!! 千早@オーストラリア
05. 2012年5月05日 20:10:43 : F2vljV3LqN
今回の場合、

乗務前の3日間は完全休日。
前日は2人乗務で金沢へ。
金沢では朝8時ホテル〜。( 8時間 )
乗務は22時からなのに、
なぜか16時にホテルをチェックアウト。(16時〜22時の行動不明)
金沢22時出発、4時過ぎに事故。 走行は320km。

マスコミは無理な勤務がとか、670kmを一人で運転できる法律が悪いとか言ってるけど、
今回に限って言えば、休息は十分だし、
全行程は545kmだけど、320km時点の事故だから走行距離もたいしたことない。



http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/259.html#c5

コメント [戦争b9] やはり日本の原発は核開発目的だった!米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!開発担当窓口は電力各社(米NSN)  びっくりカメラ
81. 2012年5月05日 20:13:28 : VgyIta8OQY
本テーマと関係すると思われるので、引き続き73、75に続けて行きます。

76さんも真相解明が、犠牲者への供養になると励ましておられますので頑張ります。といっても、この事故が起きた時現場近くにいた方とメールで知り合う事が出来て交流を持たれていらっしゃる「日本人は知ってはいけない。」というブログの持ち主が、その相手の方が言っておられるという内容を紹介するだけですが、、

引用開始;

0.背景
@防衛費GNP1%突破
Aプラザ合意
B自動車輸出自主規制枠
アメリカの***が上記を日本に迫り日米で激突していました。
アメリカの圧力
・自動車会社(トヨタ・日産・本田)の輸出自主規制枠
日本政府に伝わる前にホワイトハウスが知りアメリカが要求する枠
へ日本政府を誘導し自主規制枠をアメリカ主導で決める
・プラザ合意で円切り上げを20%(当初?)になるまで為替介入を
する。

結果79円まで円高が進んだと記憶しています。
アメリカ企業が日本に輸出し易く、日本がアメリカに輸出し難くする約束をさせられた!(だまし打ちに近いものでした)
・防衛費GNP1%枠の撤廃
米軍経費の思いやり予算を名目に日本の防衛費を、自主的に制定したGN1%制限枠を外した。
⇒日航の事故の時正にこれが国会で審議されていた。
・米軍と自衛隊合同による執拗な合同演習
⇒事故の日は下田沖で演習をやっていました。
(日本政府への圧力として)

2.伊豆半島沖での出来事の前
防衛費GNP1%枠の撤廃を国会で審議している最中、**に下田沖の演習の情報が入ります。

【このへんはあまり詳しく話したくありません。】

機長も困惑したはずです。

2.伊豆半島沖での出来事の後

機長は羽田に引き返したかったらしいのですが、結局機長は無事に着陸できる確立の高い選択をします。
(大変賢明な判断だと思います)
・ほとんど操縦不能なため管制誘導に一縷の望みを繋いだ
・管制誘導がだめでも着陸或いは墜落場所が確保される場所

この段階で横田基地方面を目指します。

横田基地管制は天使か悪魔かは知りませんが、執拗に着陸を誘導します。

日本****は横田基地着陸を拒否します。

行き場を無くしたJALは大月で急旋回後機長は腹をくくったのでしょう
山間部を目指します。
ダッチロール状態で横田を目指し旋回し方向を変える操縦は殆ど神業です。
(この拒否がなければ横田基地にもしかしたら無事着陸できたか
もしれません。)

引用終わり(引用元;http://cosmo-world.seesaa.net/article/219971763.html
思うに、結局、大事なことはこの事件の起きた背景事情がどうであったかということです。
この事件当時、40歳前後で公式の事故原因である後部隔壁損傷説を鵜呑みにしておりましたが、9.11同時テロ事件の背景を考えるうちに自作自演説が当てはまるのではないかと、疑問に思えるようになっております。


http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/220.html#c81

記事 [音楽7] フォリナーで「アージェント」


http://www.asyura2.com/12/music7/msg/228.html

コメント [原発・フッ素23] <水平垂直>「原発ゼロ」 失われる理解、無念と寂しさ - 産経新聞 千早@オーストラリア
12. 2012年5月05日 20:16:07 : Q4irFzd7cQ
人類を滅ぼす方向へ行くものを、一生懸命やればやるほど全人類が困るのに…。

その仕事が何のためになされるか、本当に人々を幸せにするかを考えたことないんだろうか…?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/466.html#c12

コメント [音楽7] Snoop Doggy Dogg お子茶魔
05. 2012年5月05日 20:16:44 : 0EopofEgjc
疲れてたんだね、きっと・・・

(茶魔)
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/223.html#c5

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
137. 2012年5月05日 20:20:27 : UhNi1SbdBQ
hitujikorosite,koganeo,tamete,kitawa,sorosoro,samukarou.
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c137
コメント [原発・フッ素23] [放射能] 寿司がヤバい!「あわび」、「うに」からセシウムが・・・ (本当の食品 放射能 汚染)  赤かぶ
48. 2012年5月05日 20:21:46 : Pnd0O19ZS2
>>47 例え
16ポンドのナイロンラインが人とする。16ポンドの静荷重負荷でラインブレイクすると死ぬとする。つまり致死量の被曝です。しかし16ポンド以下の様々な重さで静荷重負荷試験した場合、いつラインブレイクするかは解りません。試験回数を増やせば平均値は求められるかもしれませんが、多大のデータと時間を要します。しかもラインは全て同品質とは限りませんから不確定要素が多すぎて、いつラインが切れるかという確実なデータは存在し得ないと思います。しかし荷重を軽くすればライン寿命が延びると、常識的に判断できます。
100キロ荷重で切れる縄にぶら下がり、毎日死ぬまで色々な錘を必ず一日一個持たなければならないとしたら貴方は必ず最軽量の錘を選択する。

       私も意味がわかりません。

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/409.html#c48

コメント [原発・フッ素23] 福島原発の作業員800人死去の情報を東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、外部に洩れなく(板垣英憲) 乃依
138. 2012年5月05日 20:23:32 : TnqJEdmju2
 皆さん甲論乙駁、されど群盲象を評すです。 
ここはもう放射線防護学の世界的権威、札幌医科大学教授高田純先生に御光臨願うしかありませんね。
 高田先生は原発20kmでマラソン大会の開催を御提唱されてます。

皆様御謹聴ご拝読ください。
大学教授という立派な方方の知識に勝るものはありません。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/427.html#c138

記事 [カルト9] イエスキリストの天国の奥義


ローマ人への手紙

私の福音とイエス・キリストの宣教によって
すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、
永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、
信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた”奥義の啓示”によって、
あなたがたを堅く立たせることができる方

コリント人への手紙T


しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。
この知恵は、この世の知恵でもなく、
この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。

私たちの語るのは、”隠された奥義”としての神の知恵であって、
それは、神が、私たちの栄光のために、
世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。


この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。
もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

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イエスが使徒に与えその使徒がさらに弟子へと与えた
イエスの奥義なしには聖書は読めません。


とりわけ使徒の手紙は奥義を授かった人間への手紙であり
奥義を理解していることが前提として書かれたものだからです。


それを理解していない人間が独自に解釈するから
聖書の内容はオカルト扱いされることになったのだと思います。


つまり既存の教会の教えの多くは間違っていると言うことです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228882845.html
普遍的真理 VOL1 地球の常識は四次元で覆される
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225946064.html
普遍的真理VOL2 使徒の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11237738723.html
小さきキリストへ VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11238290494.html
小さきキリストへVOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173905111.html
生命の科学・聖書関係リンク
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/478.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ60] 天国(霊界)の謎が解けた
天国を見てきたと言う方々に関して強調して置きたいのは
第一に【彼らは死んではいない】という事です。

病で心肺停止や呼吸停止になったような人であっても
そうではなくて、単に突然事故で死と直面した人であっても

彼らは天国を見て来たと表現出来ているのですから
結果的には死んではいなかったのです。

つまり彼らは死んでは居なかったのですから
死後の世界など見て来れるわけがないということ。

では天国を見たと言う人が
決まって同じようなイメージを持っているのは何故なのか?

私達は自分が三次元と四次元を同時に生きていることを
理解していないからだと思います。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11232871797.html
天国(霊界)の謎が解けた
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003292677.html
天国と地獄
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003294416.html
天国と地獄 後編

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173905111.html
最新記事リンク 生命・精神

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228882845.html
普遍的真理 VOL1 地球の常識は四次元で覆される
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225946064.html
普遍的真理VOL2 使徒の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228934059.html
普遍的真理 VOL3 御霊なるもの
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230383689.html
普遍的真理 VOL4  天と地の語るもの。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/725.html

コメント [マスコミ・電通批評12] 大朝日新聞の落日 (オリーブの声)  赤かぶ
16. 2012年5月05日 20:36:29 : K7Z0LZyAEE
>>東京新聞を3ヶ月購読したら、朝日新聞がお試しで3ヶ月無料で付いてきた

時代の流れです。腐った商品を売り続ければお客はいなくなる。自然の摂理です。
しかし、「馬鹿は死ななきゃ直らない」のでしょう。
冷戦時代はアメリカの便宜供与によって繁栄を享受してきたが、冷戦終結後は世界は再び帝国主義の時代に入り、日本はアメリカの敵国の一つだ。
その変化を明確に洞察できた政治家は唯一小沢一郎だけだ。
政治家は勿論、官僚や経済人もそれに気づかず、まさに茹で蛙の二十年であった。
最初に津網が押し寄せたのは金融界だ、銀行員の凋落は目をおおうばかりだ。次に航空界、それがいよいよメディアの世界に迫ってきている。手垢まみれの情報ばかり得っていては産地直送のネット情報に太刀打ちできず、あがいても無駄だ。
考えたくないのだろうな。誰も自分に都合の悪いことは見たくないから。
まあ、せいぜい頑張って下さい。全く私は応援していませんから。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/872.html#c16

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 反社会学講座の正体は、社会学に対する藁人形論法 [社会学玄論] -主観的論法の優位性 乃依
07. 2012年5月05日 20:38:09 : 6OJ9SZlbCQ
面白さが第一です。『反社会学』は、統計操作・論理性があるおかげで、読者に面白いと思わせることが出来てます。ということは、以上の要素に加え、ジーマン?等々といった、より「高度」で「ご立派」な知識をお持ちの「研究者」の方々は、より面白い文章をかけるってことでしょう。それを見せていただきたい。「高度」で「ご立派な」知識の有無とか、興味ありません。それを使って、「面白さ」を見せてください。
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/354.html#c7
コメント [日本の事件30] 不祥事続出 警察にも適用できないか「組織犯罪処罰法」 女装露出、ひき逃げ、窃盗、住居侵入etc[週刊実話:宮崎学氏他] 一市民
01. 2012年5月05日 20:44:04 : c0UeqEikFs
赤報隊事件の際、兵庫県警刑事部に勤務しておられた方の証言です。
5/3の記事です。
これじゃ迷宮入りになりますよ・・・
http://tobimatu.blog15.fc2.com/
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/257.html#c1
コメント [原発・フッ素23] 文科省は本気で殺人を行っている。知らぬが仏。仏になるまでウソ教育 (乖離のぶろぐ)  赤かぶ
31. 2012年5月05日 20:44:22 : pEo9hb9F2A
税金使いまくるところ、嘘付きまくるところ、国民を陥れれるところ、
いったいどういうところでしょうか、、、、官庁って、そこの官僚って本当に必要な人達でしょうか? まだ震災復興すら実現できていない国
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/441.html#c31
コメント [カルト9] 創価学会次期会長に谷川事務総長が確定 (月刊FACTA)  赤かぶ
08. 2012年5月05日 20:44:53 : if6ztU0NxY
創価学会(公明党)に反対した、
朝木議員偽装殺人事件疑惑・永田議員ギャングストーキング自殺誘導殺人事件疑惑・
西村慎吾議員のご長男ガスライティング自殺誘導殺人事件疑惑 ・
日蓮正宗僧侶交通事故偽装殺人事件疑惑、
創価学会に反対した一般の方々のガスライティング犯罪による自殺や交通事故等の偽装殺人
の被害者の方々の事を永久に忘れないでください。
創価学会は偽善で、殺人集団でもあるのです。真実です。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/356.html#c8

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