★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100534
 
g検索 koaQ7Jey   g検索 3bF/xW6Ehzs4I
 前へ
中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100534
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100534.html
[近代史5] 新型コロナウイルス対策による経済の麻痺は富豪への資産集中を促進する 中川隆
30. 中川隆[-14158] koaQ7Jey 2022年1月17日 21:43:42 : penRcnQjNE : dTd2dG43MEpXSTY=[8]

2022年01月17日
新型コロナで世界の富豪10人の資産は倍増し、99%は収入減少した【Oxfam報告書】
富める者がますます富み、貧しい人が命の危険にさらされている現実を伝えています


新型コロナで世界の富豪たちが資産は倍増した一方で、何百万人もの人々が貧困に追いやられ、死の危機にある――。

オックスファムが1月17日、コロナ禍で加速する貧富の差を伝える報告書を発表した。

報告書によると、2000年3月から2021年11月の間に、世界で最も裕福な10人の資産は7000億ドルから1.5兆ドルと倍以上に増加。これは1秒間に1万5000ドル増えた計算になる。

この10人はイーロン・マスク氏、ジェフ・ベゾス氏、バーナード・アルノー氏と家族、ビル・ゲイツ氏、ラリー・エリソン氏、ラリー・ペイジ氏、セルゲイ・ブリン氏、マーク・ザッカーバーグ氏、スティーヴ・バルマー氏、ウォーレン・バフェット氏。全員が白人男性だ。

テスラCEOのイーロン・マスク氏
picture alliance via Getty Images
テスラCEOのイーロン・マスク氏
さらに、26時間ごとに1人の新しいビリオネアが生まれているという。

その一方で「99%の人たちは収入が減り、1億6000万人が貧困に陥った」と指摘。貧困が原因で、4秒ごとに1人が亡くなっていると伝えた。


オックスファムのツイート:不平等により、4秒ごとに1人が亡くなっています。これは偶然ではなく選択によるものです。私たちの経済は、金持ちのための選択をすることで、暴力的な結果を生み出しています。私たちは変えられます。よりすべての人が平等になることを求めます

「経済的な暴力」が生み出した不平等
オックスファムは、激しい不平等は偶然に生み出されたものではなく、少数の特権層に有利な政策をとってきた「経済的な暴力」の結果だと述べている。


「経済的な暴力」は特権層を富ませる一方、大勢の一般の人たち、中でも女性や非白人などのマイノリティを危険にさらしている。

オックスファムによると、2020年の働く女性の数は2019年に比べて1300万人減り、収入は合計8000億ドルも減少した。

アフリカやラテンアメリカ、カリブ海諸国に住む10億人の女性や女の子たちの合計を上回る資産を、252人の富豪男性が所有しているという。

また、ヨーロッパを第2波が襲った時、イングランドではバングラデシュ系の人たちの死亡率は白人のイギリス人より5倍高く、ブラジルでは黒人は白人より1.5倍死亡する可能性が高かった。

アメリカでも、黒人やラテンアメリカ系の人たちが白人に比べて2倍、死亡率が高かったことがわかっている。

国の間での不平等も起き、先進国がワクチンを独占したことで、開発途上国の人たちの死亡数は倍以上になったとも指摘している。


オックスファムがこの問題の解決策として各国政府に求めているのが、富裕層への課税だ。

オックスファムアメリカのアビー・マックスマン代表はプレスリリースで、「このレベルの甚だしく、命取りとなる不平等に立ち向かうための最も強力な方法は、金持ちへの課税です」「超富豪の私腹を肥やす代わりに、私たちは経済や子どもたち、地球に何十億ドルを投資して、より公平で持続可能な社会への道を開くべきです」と強調している。

オックスファムは、世界で最も豊かな1%の人たちが、最も貧しい50%の人たちの2倍のCO2を排出しているとも指摘。

富裕層が課税したお金で、すべての人のための保健医療や、社会保護、気候変動対策、性別に基づく暴力の防止などを行うよう、各国の政府に求めている。

オックスファムインターナショナルのエグゼクティブ・ディレクター、ガブリエラ・ブッチャー氏は「お金が足りていないのではなく、機能不全に陥っている新自由主義から解放されるための勇気と想像力が足りていない」と訴える。

「各国政府には、気候ストライキに参加する若者や、ブラックライブズマターの活動家たち、#NiUnaMenos(もう1人の女性も失ってはいけない)のフェミニストたち、インドの農家やその他の正義と平等を求めている人たちの動きに耳を傾ける賢さが求められます」

ハフポストUS版の記事を翻訳・加筆しました。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/billionaire-wealth-has-soared-during-pandemic_jp_61e50f55e4b0c6802ee8b4a1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/228.html#c30

[近代史5] 中央アジア人の起源 中川隆
1. 中川隆[-14157] koaQ7Jey 2022年1月18日 05:04:42 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[3]

2022年01月18日
アジア中央部南方の現代人集団の鉄器時代以降の遺伝的連続性の検証
https://sicambre.at.webry.info/202201/article_19.html


 アジア中央部南方の現代人集団の鉄器時代以降の遺伝的連続性に関する研究(Guarino-Vignon et al., 2022)が公表されました。アジア中央部は、西方のカスピ海から東方のバイカル湖にかけての、現在のタジキスタンとカザフスタンとトルクメニスタンとウズベキスタンとキルギスとアフガニスタン北部を含む広範な地域です。アジア中央部は、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから拡散して以降、移住経路の岐路に立っており、ヒトの長期の存在と豊かな歴史と高い文化的多様性をもたらしています。

 実例として、紀元前6000年頃のジェイトウン(Djeitun)文化以来の農牧共同体は、銅器時代(紀元前4800〜紀元前3000年頃)により密集した村落の出現と感慨農耕の敷地に置換されました。中期青銅器時代には、バクトリア・ マルギアナ考古学複合(Bactrio Margian Archaeological Complex、以下BMAC)文化がアジア中央部南方において繁栄し、特徴的な都会的都市の雛型や強力な感慨技術や顕著な社会的階層を伴いました。

 牧畜遊牧民の生活様式は、後にアジア中央部北方で紀元前3000年頃に出現し、後期青銅器時代(紀元前2400〜紀元前2000年頃)にはアジア中央部南方で重要性を増しました。紀元前1800年頃となる青銅器時代末に、オクサス(Oxus)文化はその最終段階において次のような重要な変化を経ました。同じ伝統を維持しながら、物質文化は貧しくなり、一部の土器形態や工芸品は消滅しました。一部の居住地は放棄され、記念碑的建築物は消滅し、技術発展の水準は低下したようです。以前の最盛期には盛んだった「国際」交易は、アジア中央部北方の草原地帯との接触を除いて、大きく減速するか、停止さえしました。葬儀の慣行は、観念形態(イデオロギー)の発展と関連しているかもしれない、前期鉄器時代における埋葬の完全な消滅前に、新たな埋葬様式の出現とともに変わりました。

 その後、紀元前1800〜紀元前1500年頃に、アンドロノヴォ(Andronovo)的文化に継承され、それはヤズ(Yaz)文化の台頭まで続きました。その後アジア中央部では、シルクロードに沿って交易の中心地になる前後に、ハカーマニシュ朝やギリシアやパルティアやサーサーン朝やアラブの人々の東方への征服と、フン人や匈奴やモンゴルなどさまざまなアジアの人々の西方への移動があり、とくにサーサーン朝期とイスラム教勢力の侵略の後には移動と征服が盛んでした。

 現在、アジア中央部の複雑な人口史は混合の遺伝的多様性をもたらし、現代のアジア中央部人口集団は二つの文化的に異なる集団に区分されます。一方の集団は、キルギス人やカザフ人などテュルク語族とモンゴル語族話者の半遊牧民の人口集団で、アジア東部およびシベリアの人口集団と遺伝的類似性を示します。もう一方の集団はアジア中央部南方に居住するタジク人とヤグノブ人により構成され、インド・イラン語派の言語を話し、農耕を行なって定住しており、遺伝的には現代のユーラシア西部人口集団とイラン人により類似しておりヤグノブ人は長期にわたって最近の混合の証拠がなく孤立してきた、と知られていいます(関連記事)。

 現代人のDNA研究では、インド・イラン語派集団はテュルク・モンゴル集団の前に、おそらくは早くも新石器時代にはアジア中央部に存在していた、と示唆されます。テュルク・モンゴル集団は、在来のインド・イラン集団およびシベリア南部集団もしくはモンゴル集団と関連する集団間の混合の後で出現し、アジア東部祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を約60%有する、と現代人のDNA研究では示唆されています(関連記事)。しかし、トルクメン人は、インド・イラン集団と中間的である点で遺伝的に際立っており、おそらくはほぼ支配層の主導による言語置換を通じての、最近の言語と文化の変化を示唆します。

 古遺伝学的研究で確証されたのは、草原地帯人口集団が重要な役割を果たした、複数の移住の波と混合事象が、過去1万年にユーラシアで起きた、ということです(関連記事)。ヨーロッパの定住は広く研究されていますが(関連記事)、アジア中央部の人口史を調べた研究はわずかしかなく、アジア中央部南方に焦点を当てた研究はさらに少なくなります。アジア中央部北方(カザフスタンとロシア南部)については、遺伝学的研究が後期新石器時代以来の東方と西方への移動を明らかにしており(関連記事1および関連記事2)、ユーラシア西部草原地帯の遺伝的祖先系統の勾配が生じました。古代のゲノムデータのほとんどが後期新石器時代から青銅器時代にさかのぼるアジア中央部南方では、BMAC人口集団がイラン南部の古代人口集団と強く関連しており、一部の個体は追加の草原地帯祖先系統を有する、と示されました(関連記事)。

 しかし、現代のインド・イラン語派話者人口集団と、アジア中央部南方の古代の人口集団との間の関係は依然として不明です。現代のインド・イラン語派話者の遺伝的起源は何ですか?人口集団の特定の言語集団では一つもしくは幾つかの異なる人口史がありますか?この物語におけるトルクメン人の役割は何ですか?古遺伝学的研究は、これら人口集団の起源調査のための手段をもたらしました。現代のインド・イラン語派話者の起源をそのテュルク語族とモンゴル語族の近隣集団との関連において調べるため、現代の16人口集団(ヤグノブ人1集団、タジク人4集団、テュルク語族とモンゴル語族のアジア中央部とモンゴル西部とシベリア南部の11民族集団)およびユーラシアとアフリカの現代人1501個体のゲノムと、ユーラシアの既知の3109個体の古代人のゲノム(そのうち126個体はアジア中央部南方で発見されました)が共同で分析されました(図1a)。以下は本論文の図1です。
画像


●現代のインド・イラン語派話者の古代人標本との遺伝的類似性

 現在のアジア中央部個体群とユーラシアの古代人および現代人のゲノム多様性との間の関係を調べるため、まず1915個体の現代人のゲノムで主成分分析(Principal Component Analysis、略してPCA)が実行され、3102個体の古代人のゲノム規模データがそれに投影されました(図1b)。ユーラシア現代人の多様性について、上位3主成分(PC)はおもに現代人集団の地理的再分割に似ています。主成分1(分散の3%)はユーラシア東西間の個体群を、主成分2はアジア南部と現代ヨーロッパの個体群を、主成分3はアジア東部人のまとまりからバイカル湖集団を区別します。

 アジア中央部の現代のインド・イラン語派話者は最初の3主成分でまとまりますが、テュルク・モンゴル個体群は主成分3でインド・イラン個体群のまとまり(クラスタ)からバイカル湖標本群への勾配を形成し、地理ではなく文化的分類と一致します。しかし、下位構造がインド・イラン語派集団内でユーラシア西部のまとまりに密接に収まるヤグノブ人(TJY)とともに出現する一方で、タジク人集団(TJAとTHEとTAB)はバイカル湖のまとまりに向かって伸びており、幾分の追加となるアジア東部もしくはバイカル湖狩猟採集民(BHG)との近接性を示唆します。

 青銅器時代(BA)と鉄器時代(IA)と歴史時代の古代の個体群は、ヨーロッパからアジア東部の集団へと伸びる勾配上に位置します。ユーラシア西部草原地帯個体群は、ヨーロッパ人のまとまりの底と、ユーラシア西部草原地帯のまとまりからバイカル湖およびシベリアの現代人に近いオクネヴォ(Okunevo)文化青銅器時代個体群のまとまりへと広がる、ユーラシア中央部草原地帯個体群とでまとまっています。アジア中央部南方の古代の個体群(新石器時代と青銅器時代と鉄器時代)は、新石器時代(N)イラン個体群(イランN)から現代のイラン人およびヤグノブ人へと延びる勾配をたどります。

 対照的に、トルクメニスタンIAとクシロフ・クシャン(Ksirov_Kushan)遺跡個体群から構成される鉄器時代標本群は、現代インド・イラン語派人口集団の近くに位置しますが、第1軸でのわずかに負の値と第3軸の正の値は、インド・イラン語派現代人におけるバイカル湖祖先系統の追加を示唆します。この主成分分析(図1c)から、古代と現代のアジア中央部のインド・イラン語派人口集団は、新石器時代イラン農耕民とアジア中央部青銅器時代個体群との間で勾配を形成しているように見え、以前の研究で観察されたように(関連記事)、青銅器時代と鉄器時代との間での草原地帯へと向かう祖先系統の明確な変化と、鉄器時代と現代との間でのアジア東部祖先系統へのより小さな変化があります。この変化は、ヤグノブ人よりもタジク人の方でより顕著です。

 本論文の最初の観察結果を確認し、遺伝的構造を識別するため、主成分分析と同じデータセットでADMIXTUREを用いて教師なしクラスタ化分析が実行されました(図2)。主成分分析と一致して、全てのインド・イラン語派話者現代人で、イラン新石器時代農耕民で最大化される遺伝的構成要素(イランN、図2の濃緑色、平均値はヤグノブ人で37%、タジク人で25%)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)とスカンジナビア半島西部狩猟採集民(WSHG)で最大化される構成要素(図2の薄緑色、平均値はヤグノブ人で13%、タジク人で10%)、本論文のデータセットのどの人口集団でも完全には最大化されないものの、ヨーロッパ現代人とアナトリア半島新石器時代農耕民(アナトリアN)で見られる全ての第三の構成要素(図2の濃青色、平均値はヤグノブ人で36%、タジク人で29%)の存在が証明されます。

 さらに、シベリアのシャマンカ(Shamanka)遺跡の前期新石器時代(EN)個体に代表されるバイカル湖狩猟採集民(BHG)で最大化され、全ての現代のテュルク・モンゴル人口集団にほとんど存在する第四の構成要素(図2の赤色、平均50%)も、現代のインド・イラン語派人口集団により低い程度で存在すると推測され、タジク人(平均値14%)よりもヤグノブ人(平均値7%)で顕著に低い割合となっています。最後に、タジク人は、アジア中央部のテュルク語族およびモンゴル語族話者人口集団の全てで存在するアジア東部現代人祖先系統(図2の桃色構成要素、漢人集団で最大化されます)の小さな割合(4%)と、現代のアジア南部人口集団で最大化される構成要素(図2の橙色、約8%)を示し、両方の祖先系統はヤグノブ人では欠けています。以下は本論文の図2です。
画像

 ADMIXTURE分析も、古代人集団に関する主成分分析と一致します。じっさい、鉄器時代のアジア中央部南方個体群はヤグノブ人と顕著に類似した特性を示します。たとえば、トルクメニスタンIAと分類された1個体は、WSHG/EEHG構成要素を約25%、イランN構成要素を30%、アナトリア半島農耕民祖先系統構成要素を35%の割合で有していますが、BHG祖先系統は欠けています(図2)。青銅器時代ユーラシア中央部草原地帯牧畜民は、イラン祖先系統での顕著な増加を除いて同様の特性を示し、ユーラシア西部草原地帯牧畜民は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)で最大化される薄茶色(ベージュ)構成要素を有しており、これは現代のインド・イラン語派人口集団では欠けています。したがって、現代のインド・イラン語派話者人口集団は、トルクメニスタン鉄器時代個体群とひじょうによく似ており、アジア東部および南部集団からの流入は限定的で、ユーラシア中央部草原地帯とアジア中央部南方の青銅器時代人口集団間の中間として現れます。


●インド・イラン語派話者内の人口集団の連続性

 インド・イラン語派話者人口集団の遺伝的供給源における鉄器時代アジア中央部南方個体群との遺伝的継続性およびバイカル湖関連人口集団との限定的な混合を検証するため、D統計とf3統計とqpAdmモデル化が、主成分分析およびADMIXTUREで用いられた同じデータセットと、ヤグノブ人3個体(TJY)とタジク人19個体(TJE)とトルクメン人24個体(TUR)のショットガン配列で形成されたデータセットと、70万ヶ所の一塩基多型の最終セットの古代ゲノムで形成されたデータセットで実行されました。

 その結果、本論文のデータセットの全ての古代の人口集団について、D統計(ムブティ人、古代人集団;トルクメニスタンIA、インド・イラン語派現代人)の計算により、鉄器時代以降に起きた遺伝子流動が特定され、特徴づけられました(図3)。これらの統計は、遺伝子流動が古代の人口集団からインド・イラン語派現代人へと起きた場合、正になると予測されます。ヤグノブ人の場合、アジア東部人口集団に遺伝的に近いネパールのチョクホパニ(Chokhopani)遺跡の鉄器時代の1個体(2700年前頃)のみが、有意に正のD統計を示します。

 タジク人個体群(TJE)はD統計が正のより多い数の古代の人口集団(41個体)を示し、これら古代の人口集団の共通の特徴は大量のBHG祖先系統を示すことで、ADMIXTURE分析と一致します(図2)。ただ、タジク人は、アジア南部とのつながりの可能性を示すインドの歴史時代の1個体(大アンダマン人)と正のD統計を示すことにも要注意です(図3)。したがって、現代のインド・イラン語派人口集団は、早くも鉄器時代のトルクメンに存在した集団と関連する集団の子孫で、BHG祖先系統と、ヤグノブ人を除いてのアジア南部人口集団からの寄与と、別のアジア東部人口集団からの寄与がありました。以下は本論文の図3です。
画像

 次に、D統計で検出された寄与が鉄器時代以降に起きた混合事象に起因するのかどうか、検証されました。まず、f3統計(TJY/TJA/TJE/TAB;供給源1、供給源2)が計算され、インド・イラン語派人口集団が2供給源間の混合としてモデル化できるならば、負の値が予測されます。匈奴のようなアジア東部祖先系統からの人口集団と、イランNやアナトリア半島農耕民や草原地帯の祖先系統などADMIXTURE分析(図2)で見られる構成要素を表すより西方の人口集団を示唆する組み合わせのみが有意でした。これらの統計は、おそらくはイランNとBMACとアナトリア半島初期農耕民と青銅器時代草原地帯の祖先系統を示す人口集団と、BHG祖先系統との強い類似性を有する人口集団との間の、じっさいの混合存在を証明します。

 ヤグノブ人集団はタジク人集団よりも負のf3統計を有する組み合わせが有意に少なく、それは恐らく長期の孤立に起因します。f3統計(TJY/TJA/TJE/TAB;古代の人口集団、トルクメニスタンIA)でも具体的に計算され、インド・イラン語派話者が鉄器時代トルクメニスタン人口集団とBHG関連人口集団の混合としてモデル化に成功できると示す、正のD統計で示唆された同じ古代の人口集団とともに、いくつかのf3統計は常に得られました。

 次に、qpAdmを用いてヤグノブ人集団とタジク人集団がモデル化され、混合の割合が推定されました。どの代理の人口集団が本論文のモデルで最適なのか検証するために回転法が用いられ、p値が0.01以下の全ての組み合わせが除外されました。ヤグノブ人の場合、維持された唯一のモデルは、トルクメニスタンIA(88〜93%)と匈奴祖先系統(7〜12%)の混合でした。3方向モデル化では、TJYについて異なるモデルを却下できませんでした。それは、トルクメニスタンIA関連祖先系統(90%)と匈奴関連祖先系統(7%)とヨーロッパENもしくはウクライナのスキタイ人の祖先系統(3%)の混合です。

 トルクメニスタンIAの起源でより古い混合を推測する、ウクライナのスキタイ人とBMACと匈奴のモデルも得られました。より多くの混合供給源について検証すると、2通りの4方向モデルと1通りの5方向モデルが得られました。興味深い一つのモデルは4方向モデルで、ウクライナのスキタイ人(17%)とトルクメニスタンIA(60%)とBMAC(14%)と匈奴(8%)の混合となり、つまり、このモデルはユーラシア西部草原地帯的な人口集団とのヤグノブ人の密接な類似性を示します。

 タジク人をモデル化するために、全ての2方向混合モデルが除外され、匈奴関連祖先系統(約17%)と、トルクメニスタンIA関連祖先系統(約75%)と、アジア南部における深い祖先系統を表す100年前頃のインドの大アンダマン人1個体に代表されるアジア南部個体(8%)の混合を示唆する、1通りの3方向混合モデルが得られました。

 したがって、qpAdmモデル化が示すのは、現在のインド・イラン語派話者の祖先系統の少なくとも90%は、BMACとの類似性を有するアジア中央部南方の鉄器時代個体群から継承されたとしてモデル化される、ということです。その結果、インド・イラン語派話者は、BHG祖先系統関連個体群との偶発的混合を伴う、鉄器時代以降の強い遺伝的連続性を示し、タジク人の場合、おそらくは鉄器時代後のアジア南部祖先系統関連人口集団との混合を示します。

 最後に、DATESを用いて混合事象以降の世代数が推定されました。ヤグノブ人の起源におけるトルクメニスタンIAと匈奴的人口集団との間の混合については、35±15世代前との推定が得られました。1世代29年とすると、この混合事象は1019±447年前にさかのぼります。タジク人(THEとTABとTJA)の場合、ユーラシア東西の混合について、546±138年前(18.8±4.7世代前)から907±617年前(31.2±21.3世代前)の推定年代が得られました。タジク人のアジア南部人口集団との混合については、944±300年前との推定年代も得られました。


●鉄器時代トルクメニスタン人の祖先系統

 以前の研究(関連記事)ですでに、トルクメニスタンIAはBMACといくつかの草原地帯人口集団との間の混合としてモデル化できる、と示されており、主成分分析(図1c)ではじっさい、トルクメニスタンIAは草原地帯勾配に位置します。しかし、草原地帯はアジア東部祖先系統の量に応じて、西部と中央部と東部というように、いくつかの集団に分割されます。ADMIXTURE分析は、赤色と薄紫色の構成要素(それぞれ、シベリア東部人口集団とアジア東部人口集団で最大化されます)の存在により草原地帯を西部と中央部の祖先系統に識別し、薄紫色の構成要素はトルクメニスタンIAでは欠けており、西部草原地帯との類似性を示唆します。

 それにも関わらず要注意なのは、アンドロノヴォ(Andronovo)文化もしくはシンタシュタ(Sintashta)文化の個体群も、中央部草原地帯として分類される一方で、この構成要素を欠いていることです。したがって、中央部草原地帯集団では、ひじょうに不均質で、カラスク(Karasuk)もしくはサカ中央部のようなアジア東部祖先系統や、アンドロノヴォ文化およびシンタシュタ文化個体のような他のより多くの西部草原地帯的祖先系統を有する人口集団が集まっています。

 さらに、BMAC もしくはユーラシア西部の古代の人口集団について、f3型式(ムブティ人;古代の人口集団、トルクメニスタンIA)のより高い外群f3統計が得られ、二重起源と西部との類似性が浮き彫りになります。この類似性はさらに、D統計(ムブティ人、トルクメニスタンIA;西部草原地帯、中央部草原地帯)で確証され、西部草原地帯人口集団が、サカ中央部やカラスクのようなアジア東部祖先系統を有する中央部草原地帯人口集団と対する場合、有意に負となります。

 D統計(ムブティ人、トルクメニスタンIA;狩猟採集民1、狩猟採集民2)では(狩猟採集民1と狩猟採集民2はWEHGかEEHGかWSHGかBHG)、BMACと混合した草原地帯人口集団はアジア東部もしくはバイカル湖構成要素が欠けている、と証明されました(図4)。じっさい、BHGが他の狩猟採集民集団と比較される場合のみ、有意なD統計が観察されました(図4)。狩猟採集民人口集団を用いると、最近の混合からの推論を回避できます。それにも関わらず、この水準でこの期間のさまざまな草原地帯集団のほとんどを区別できませんでした。これは、トルクメニスタンIAが、早ければ青銅器時代にいくつかの中央部草原地帯集団で観察されるアジア東部祖先系統を欠いている、と示唆します。以下は本論文の図4です。
画像

 最後に、qpAdmでトルクメニスタンIAをモデル化するために、BMACと混合したさまざまな草原地帯人口集団が検証されました。まず、西部草原地帯となるポルタフカ(Poltavka)文化およびスルブナヤ(Srubnaya)文化個体と、中央部草原地帯となるアンドロノヴォ文化と分類されたロシアの4個体で一式が構成され、D統計とf3統計で以前に浮き彫りにされたヨーロッパおよび西部草原地帯との類似性が推定されました。その結果、除外できなかった2供給源を有する1モデルだけが得られ、BMAC個体群(43%)とアンドロノヴォ文化個体群(57%)の混合が示唆され、アンドロノヴォ文化個体群は、BMAC個体群と混合して鉄器時代アジア中央部南方集団を形成した草原地帯人口集団にとって、最良の代理と提案されます。

 アジアとの類似性を推定するために、アンドロノヴォ文化個体群とカラスク文化個体群(アジア東部構成要素を有する中央部草原地帯個体群)との間で最良のモデルについて検証すると、単一の適合/関連モデルが得られ、ほぼ同じ割合を有するアンドロノヴォ文化個体群が示唆されます。さらなる検証で、遺伝的に近い2人口集団であるアンドロノヴォ文化個体群とシンタシュタ文化個体群との間の最良のモデルが調べられ、唯一の有意な結果は、同じ割合でのアンドロノヴォ文化個体群とBMAC個体群とのものでした。

 最終的に、アンドロノヴォ文化と分類された個体群と、アンドロノヴォ複合に分類される2つの人口集団、つまりフゥドロヴォ・ショインディコ(Fedorovo Shoindykol)とアラクル・リサコスフスキー(Alakul Lisakovskiy)との間のモデルが検証されました。再度、唯一の有効なモデルは、アンドロノヴォ文化個体群とBMAC個体群とのものでした。全体的に言えるのは、アジア中央部南方の鉄器時代人口集団は、BMAC個体群と、アジア東部との類似性を有する中央部草原地帯よりも西部草原地帯の方と類似性を有する特性を示す、アンドロノヴォ文化個体群に近い(カラスク文化個体群のような)青銅器時代人口集団との混合から生じた、ということです。


●トルクメン人の歴史

 テュルク語族言語を話し、他のテュルク・モンゴル民族集団と同じ文化的習慣を有しているにも関わらず、トルクメン人は遺伝的にテュルク語族話者やモンゴル語族話者よりもインド・イラン語派話者人口集団の方と近い、と示されています。じっさい、トルクメン人(TUR)は、主成分分析ではタジク人のまとまりに収まり、テュルク語族話者やモンゴル語族話者の勾配には収まらず(図1)、ADMIXTURE分析(図2)では、トルクメン人を除いてアジア中央部の全てのテュルク語族およびモンゴル語族人口集団は、バイカル湖祖先系統(図2の赤色構成要素、平均50%)とアジア東部祖先系統(図2の桃色、漢人集団で最大化されます)の有意な高い量を示します。一方、トルクメン人は完全に異なるパターンを示し、タジク人の割合(平均15%)と近いバイカル湖構成要素(平均22%)を有していますが、アジア東部構成要素はほとんどありません。トルクメン人は、タジク人ほどには多くのアジア南部関連祖先系統を示さず、アジア南部人口集団との混合が、インド・イラン語派集団の残りからタジク人が分岐した後に起きたか、継続したことを示唆します。

 外群f3統計(ムブティ人;古代の人口集団、現在の人口集団)に基づいて、最初のデータセットのトルクメン人を含むすべてのアジア中央部人口集団について、古代の人口集団との遺伝的類似性の特性が確立されました(図5)。あらゆる古代の人口集団とトルクメン人を比較する外群f3統計値は、あらゆる古代の人口集団とタジク人を比較するそれと相関します(図5A)。一方、東部草原地帯集団およびバイカル湖集団をテュルク語族およびモンゴル語族人口集団(カザフ人)と比較する外群f3統計値は、古代の人口集団とトルクメン人を比較する場合よりも高くなります(図5B)。トルクメン人は、共有されているシベリア/アジア東部祖先系統の量について、テュルク語族およびモンゴル語族人口集団よりもインド・イラン語派人口集団の方と類似しています。以下は本論文の図5です。
画像

 最後に、トルクメン人がヤグノブ人に代表されるアジア中央部基底部祖先系統とアジア東部祖先系統の混合としてモデル化されました。トルクメン人のqpAdmモデル化では、却下されない唯一のモデルが得られ、ジョチ・ウルスのアジア人6%とタジク人(TAB)94%の混合が示唆されました。この混合事象について、DATESで687±100年前(23.7±3.4世代前)の年代が推定されました。これらの結果は、トルクメン人が比較的最近までインド・イラン語派的人口集団であり、人口集団における実質的な遺伝的変化なしに最近になって言語と文化が変わった、と明らかにします。


●考察

 本論文は、アジア中央部南方で現代の人口集団が鉄器時代へとさかのぼる証拠を用いて、インド・イラン語派話者の歴史への洞察を提起します。以前の遺伝学的研究で提案され、歴史学的および考古学的証拠により裏づけられるように、インド・イラン語派話者はテュルク語族話者とモンゴル語族話者のずっと前にアジア中央部に定住した、と明らかになりました。アジア中央部南方におけるインド・イラン語派祖先系統の最下部での主要事象は、青銅器時代末と鉄器時代に在来のBMAC集団およびオクサス文化の終焉とおそらくはつながっていたアンドロノヴォ文化関連人口集団との間の混合を通じて起きました。要注意なのは、BMACと混合した草原地帯集団がアジア東部祖先系統を示さないことで、アジア東部祖先系統は中央部草原地帯中核地域に鉄器時代末になってやっと到来した、という考古学および遺伝学(関連記事)の知見と一致します。

 アンドロノヴォ文化に分類される人口集団は、複雑な集団を形成します。じっさい、本論文のデータセットでアンドロノヴォと分類されて用いられている個体群を一斉検査すると、全てキトマノヴォ(Kytmanovo)という1ヶ所の遺跡に由来し、遺伝的には、東方へと移動しているものの、カスピ海の近くに拡大したシンタシュタ文化の関連個体群とひじょうに近い特性を示すことに要注意です。アンドロノヴォ複合に分類される他の文化の個体群が配列決定されましたが、全体的には中程度に不均質な遺伝的集団を形成します。

 さらにいくつかの研究は、草原地帯集団が同様に分類できるかもしれないものの、遺伝的に異なるかもしれず、たとえば、スルブナヤ・アラクルスカヤ(Srubnaya Alakulskaya)文化個体群はサマラ(Samara)地域のスルブナヤ文化個体群よりもアンドロノヴォ文化個体群の方と密接です(関連記事)。青銅器時代末と鉄器時代の遊牧民人口集団は遺伝的にひじょうに不均質で、鉄器時代アジア中央部南方で見つかる西部草原地帯祖先系統はまだ標本抽出されていないかもしれない、と思われます。

 草原地帯とアジア中央部南方との間の遺伝子流動が双方向だったことに注目するのは、興味深いことです(関連記事)。最近の研究では、BMACからの遺伝子流動がスキタイ人の遺伝的形成に寄与した、と強調されています(関連記事)。これらの研究と組み合わせた本論文の知見は、BMACと西部草原地帯文化以降のアジア中央部南方文化は強い文化的つながりを有していた、という考古学的証拠に基づいた仮説を強く裏づけます。

 全体として本論文は、青銅器時代以来の人口移動の熱狂にも関わらず、アジア中央部南方のインド・イラン語派人口集団における鉄器時代以降の遺伝的連続性の顕著な事例を論証します。以前の研究と同様に本論文は、タジク人の言語の変化につながる最初の拡大にも関わらず、インド・イラン語派話者の遺伝的多様性について、アジア中央部におけるアラブ文化拡大の影響を示しません。タジク人における東部イラン語群言語から西部イラン語群言語への言語変化につながったペルシア文化拡大にも関わらず、イランからの遺伝子流動も見られず、ヤグノブ人は東部イラン語群言語を維持しました。

 ヤグノブ人はその組み合わせについて、経時的に強い遺伝的安定性により特徴づけられ(負の混合f3統計の少ない量、より少ない有意なD統計)、長期の孤立と関連しているかもしれません。ヤグノブ人はじっさい孤立した民族言語人口集団で、ひじょうに近づきにくいヤグノブ川流域に歴史的に存在しました。証拠から示唆されるのは、ヤグノブ人とタジク人との間の分離は遅くとも1000年前頃に起きており、それは以前の研究で観察されたインド・イラン語派話者の高い遺伝的分化を説明します。興味深いことに、ヤグノブ人は、強い遺伝的浮動にも関わらず現在の遺伝的多様性につながった移住の波の前の、アジア中央部に存在した祖先系統の好適な代理を表せるかもしれない、と示唆されます。

 現代のテュルク語族話者集団およびモンゴル語族話者集団との混合に起因するアジア東部祖先系統の量はタジク人でさえ低いままで、アジア中央部においてインド・イラン語派話者集団への東方から西方への侵略(フン人やモンゴル人)の小さな遺伝的影響を観察した、以前の研究の知見と一致します。一方、本論文はヤグノブ人とタジク人とトルクメン人について、1000年前頃にさかのぼるBHG祖先系統からの少量の遺伝子流動を浮き彫りにし、鉄器時代後のアルタイ山脈からの西方への移住の最近の波が示唆されます。

 最近の移住の波は、以前の研究でアルタイ地域からのテュルク語族話者の祖先的集団に由来すると論証されてきた、アジア中央部南方におけるテュルク語族話者とモンゴル語族話者の起源と関連しているかもしれません。本論文で提示された混合のごく最近の年代は、以前の研究で推定された、タジク人では8000年前頃、キルギス人では2300年前頃との推定年代と顕著に異なります。ヤグノブ人と比較してのタジク人のより最近の推定混合年代は、タジク人が、ヤグノブ人の遺伝的構成を形成した最初の混合事象後に起きた、東進してくる供給源からより多くの継続的な遺伝子流動を受けた、という事実により説明できるかもしれません。じっさい、qpAdm手法はこの文脈で予測できる継続的な混合を検出できません。さらに、その祖先系統の調査は、文化的、とくに言語的違いにも関わらず、タジク人とトルクメン人における遺伝子流動のさまざまなパターンが現れる一部の遺伝的違いを伴いつつ、ヤグノブ人とタジク人とトルクメン人の内部における遺伝的均質性を確証します。

 とくに、イランのトルクメン人における証拠にも関わらず、以前には記録されていなかった、タジク人集団に限定されるアジア南部からの混合事象が証明されました。以前の考古学的研究によると、アジア南部との多方向の文化交流が早くも銅器時代には起きていた、と知られています。とくに、シアルク(Sialk)文化や他のイランの文化からバローチスターン(Balochistan)文化もしくはジオクジュール(Geoksjur)文化にかけてのアフガニスタン南部への文化交流が知られています。

 反対方向、つまり南方から北方へは、ムンディガクIII(Mundigak III)様式土器がアフガニスタン北部のバダフシャーン(Badakhshan)まで並行しており、アラビア海からの首飾りや腕輪に用いられた貝殻は、タジキスタンのサラズム(Sarazm)遺跡で見つかっており、長距離の商取引を示します。これら古代の人口集団は、鉄器時代も含めて人口集団間のおそらくは高頻度の交流と文化的融合を伴う移動中でした。興味深いことに、アジア中央部南方とアジア南部の集団間の遺伝的近接性は、すでにBMAC標本群で示唆されており(関連記事)、この遺伝子流動の時期に関する問題を提起します。

 この問題について、二つのモデルが考えられます。一方のモデルは、ヤグノブ人で現在観察されるように均質な基底部インド・イラン語派集団の背景の形成と、アジア南部人口集団からの最近の遺伝子流動を仮定します。もう一方のモデルは、一部の青銅器時代BMAC標本におけるアジア南部祖先系統の存在を認識し、タジク人とヤグノブ人は異なるBMAC人口集団に由来し、アジア南部祖先系統との混合が、タジク人ではあり、ヤグノブ人ではなく、共にアンドロノヴォ文化集団的な草原地帯人口集団と鉄器時代に別々に混合し、その後でBHG祖先系統を有する東部遊牧民集団と混合したかもしれない、と提案されます。

 タジク人のゲノムにおけるアジア南部人口集団からの遺伝子流動の年代が比較的最近なので、データは前者の仮説を支持しますが、混合(1回なのか複数回なのか)のモデルについていの不確実性は、青銅器時代以降の継続的な遺伝子流動と一致するかもしれません。さらに、本論文における最近の推定混合年代は、1500年前頃のペルシアの拡大と関連したタジク人における東部イラン語群言語から西部イラン語群言語への変化と同じように、アジア南部祖先系統の到来と一致します。

 最後に、トルクメン人は、遺伝的祖先系統の実質的な変化なしに言語と文化的慣行が変化した人口集団の顕著な事例です。じっさい、ユーラシア全体で見つかるテュルク語族話者は、いくつかの遊牧民の移住の結果で、アジア中央部を通ってシベリアからヨーロッパ東部と中東まで広がり、紀元後5〜16世紀と広範な期間に起きました。アジア中央部以外の地域では、いくつかの研究において、テュルク語族話者は遺伝的に地理的近隣集団と類似しており、両者を区別する遺伝的兆候はない、と示されています。これは、テュルク語族の拡大に伴う言語置換について、人口拡散ではなく、支配層の優位によるモデルを裏づけます。

 トルクメン人はこの世界的モデルに当てはまりますが、この地域では例外的です。じっさい、キルギス人もしくはカザフ人など他のテュルク語族話者人口集団は、明確に支配的なアジア東部およびバイカル湖構成要素があるさまざまな遺伝的特性を示し、紀元後10〜14世紀頃となる、シベリア南部とモンゴルからの遊牧民とのより顕著な混合を証明します。トルクメン人におけるアジア東部祖先系統の少ない量は、紀元後15世紀頃の混合と関連しており、アジア中央部における最初の混合よりもわずかに後で、これらテュルク語族話者集団およびモンゴル語族話者集団との遺伝子流動に由来するかもしれません。

 インド・ヨーロッパ語族の拡散の問題は、近年では白熱した話題になっています(関連記事)。言語学的分析は、インド・ヨーロッパ語族の起源地として、アナトリア半島もしくはポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)を示します。ヤムナヤ(Yamnaya)文化関連人口集団の、後期新石器時代における西方への拡大と青銅器時代における東方への拡大は、アンドロノヴォ文化集団の移住を通じて、ヤムナヤ文化関連集団がインド・ヨーロッパ語族話者だった、と提案します。

 興味深いことに、アジア中央部のインド・ヨーロッパ語族話者で見つかる祖先系統パターンは、他のインド・ヨーロッパ語族話者人口集団、つまりイランのペルシア人では見つかりません。この民族集団は、青銅器時代以来のイランの古代人との遺伝的連続性を示し、中央部もしくは東部草原地帯からの遺伝子流動は限定的です。さらに、トルクメン人集団についての本論文の知見は、言語学と遺伝学が一致しない別の事例を提示し、人口移動を用いて言語置換を推測する見解に疑問を呈します。以前の研究で見られた現代のユーラシア西部人口集団へのトルクメン人集団の遺伝的帰属は、共通の草原地帯祖先系統に起因します。


●まとめ

 本論文の結果は、インド・イラン語派話者について、遺伝的および言語的な連続性と非連続性のさまざまなパターンが経時的に共存していた、と明らかにしました。アジア中央部南方では、じっさいのインド・イラン語派話者は、他のユーラシア集団からの最近の移住の波はごくわずかで、鉄器時代以降の長期の連続性の結果だった、と示されます。本論文の結果は、アジア中央部南方の人口動態が複雑で、完全に理解するには、本論文のような小規模な研究が必要になる、というさらなる証拠を提供します。

 この観点から、これら移動の波の正確な時期は、草原地帯文化複合に分類されない鉄器時代と歴史時代の標本から、より多くのデータが得られるまで解決できません。言語と遺伝子の関係は複雑で(関連記事)、トルクメン人の事例とは逆にバヌアツでは、遺伝的に大きな変化が起きたにも関わらず、言語は変わらなかった可能性が示唆されています(関連記事)。言語と遺伝子の関係は、古代DNA研究の進展により、今後より深く解明されていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Guarino-Vignon P. et al.(2022): Genetic continuity of Indo-Iranian speakers since the Iron Age in southern Central Asia. Scientific Reports, 12, 733.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-04144-4


https://sicambre.at.webry.info/202201/article_19.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/664.html#c1

[近代史5] ヤグノブ人の起源 中川隆
1. 中川隆[-14156] koaQ7Jey 2022年1月18日 05:05:15 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[4]

2022年01月18日
アジア中央部南方の現代人集団の鉄器時代以降の遺伝的連続性の検証
https://sicambre.at.webry.info/202201/article_19.html


 アジア中央部南方の現代人集団の鉄器時代以降の遺伝的連続性に関する研究(Guarino-Vignon et al., 2022)が公表されました。アジア中央部は、西方のカスピ海から東方のバイカル湖にかけての、現在のタジキスタンとカザフスタンとトルクメニスタンとウズベキスタンとキルギスとアフガニスタン北部を含む広範な地域です。アジア中央部は、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから拡散して以降、移住経路の岐路に立っており、ヒトの長期の存在と豊かな歴史と高い文化的多様性をもたらしています。

 実例として、紀元前6000年頃のジェイトウン(Djeitun)文化以来の農牧共同体は、銅器時代(紀元前4800〜紀元前3000年頃)により密集した村落の出現と感慨農耕の敷地に置換されました。中期青銅器時代には、バクトリア・ マルギアナ考古学複合(Bactrio Margian Archaeological Complex、以下BMAC)文化がアジア中央部南方において繁栄し、特徴的な都会的都市の雛型や強力な感慨技術や顕著な社会的階層を伴いました。

 牧畜遊牧民の生活様式は、後にアジア中央部北方で紀元前3000年頃に出現し、後期青銅器時代(紀元前2400〜紀元前2000年頃)にはアジア中央部南方で重要性を増しました。紀元前1800年頃となる青銅器時代末に、オクサス(Oxus)文化はその最終段階において次のような重要な変化を経ました。同じ伝統を維持しながら、物質文化は貧しくなり、一部の土器形態や工芸品は消滅しました。一部の居住地は放棄され、記念碑的建築物は消滅し、技術発展の水準は低下したようです。以前の最盛期には盛んだった「国際」交易は、アジア中央部北方の草原地帯との接触を除いて、大きく減速するか、停止さえしました。葬儀の慣行は、観念形態(イデオロギー)の発展と関連しているかもしれない、前期鉄器時代における埋葬の完全な消滅前に、新たな埋葬様式の出現とともに変わりました。

 その後、紀元前1800〜紀元前1500年頃に、アンドロノヴォ(Andronovo)的文化に継承され、それはヤズ(Yaz)文化の台頭まで続きました。その後アジア中央部では、シルクロードに沿って交易の中心地になる前後に、ハカーマニシュ朝やギリシアやパルティアやサーサーン朝やアラブの人々の東方への征服と、フン人や匈奴やモンゴルなどさまざまなアジアの人々の西方への移動があり、とくにサーサーン朝期とイスラム教勢力の侵略の後には移動と征服が盛んでした。

 現在、アジア中央部の複雑な人口史は混合の遺伝的多様性をもたらし、現代のアジア中央部人口集団は二つの文化的に異なる集団に区分されます。一方の集団は、キルギス人やカザフ人などテュルク語族とモンゴル語族話者の半遊牧民の人口集団で、アジア東部およびシベリアの人口集団と遺伝的類似性を示します。もう一方の集団はアジア中央部南方に居住するタジク人とヤグノブ人により構成され、インド・イラン語派の言語を話し、農耕を行なって定住しており、遺伝的には現代のユーラシア西部人口集団とイラン人により類似しておりヤグノブ人は長期にわたって最近の混合の証拠がなく孤立してきた、と知られていいます(関連記事)。

 現代人のDNA研究では、インド・イラン語派集団はテュルク・モンゴル集団の前に、おそらくは早くも新石器時代にはアジア中央部に存在していた、と示唆されます。テュルク・モンゴル集団は、在来のインド・イラン集団およびシベリア南部集団もしくはモンゴル集団と関連する集団間の混合の後で出現し、アジア東部祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を約60%有する、と現代人のDNA研究では示唆されています(関連記事)。しかし、トルクメン人は、インド・イラン集団と中間的である点で遺伝的に際立っており、おそらくはほぼ支配層の主導による言語置換を通じての、最近の言語と文化の変化を示唆します。

 古遺伝学的研究で確証されたのは、草原地帯人口集団が重要な役割を果たした、複数の移住の波と混合事象が、過去1万年にユーラシアで起きた、ということです(関連記事)。ヨーロッパの定住は広く研究されていますが(関連記事)、アジア中央部の人口史を調べた研究はわずかしかなく、アジア中央部南方に焦点を当てた研究はさらに少なくなります。アジア中央部北方(カザフスタンとロシア南部)については、遺伝学的研究が後期新石器時代以来の東方と西方への移動を明らかにしており(関連記事1および関連記事2)、ユーラシア西部草原地帯の遺伝的祖先系統の勾配が生じました。古代のゲノムデータのほとんどが後期新石器時代から青銅器時代にさかのぼるアジア中央部南方では、BMAC人口集団がイラン南部の古代人口集団と強く関連しており、一部の個体は追加の草原地帯祖先系統を有する、と示されました(関連記事)。

 しかし、現代のインド・イラン語派話者人口集団と、アジア中央部南方の古代の人口集団との間の関係は依然として不明です。現代のインド・イラン語派話者の遺伝的起源は何ですか?人口集団の特定の言語集団では一つもしくは幾つかの異なる人口史がありますか?この物語におけるトルクメン人の役割は何ですか?古遺伝学的研究は、これら人口集団の起源調査のための手段をもたらしました。現代のインド・イラン語派話者の起源をそのテュルク語族とモンゴル語族の近隣集団との関連において調べるため、現代の16人口集団(ヤグノブ人1集団、タジク人4集団、テュルク語族とモンゴル語族のアジア中央部とモンゴル西部とシベリア南部の11民族集団)およびユーラシアとアフリカの現代人1501個体のゲノムと、ユーラシアの既知の3109個体の古代人のゲノム(そのうち126個体はアジア中央部南方で発見されました)が共同で分析されました(図1a)。以下は本論文の図1です。
画像


●現代のインド・イラン語派話者の古代人標本との遺伝的類似性

 現在のアジア中央部個体群とユーラシアの古代人および現代人のゲノム多様性との間の関係を調べるため、まず1915個体の現代人のゲノムで主成分分析(Principal Component Analysis、略してPCA)が実行され、3102個体の古代人のゲノム規模データがそれに投影されました(図1b)。ユーラシア現代人の多様性について、上位3主成分(PC)はおもに現代人集団の地理的再分割に似ています。主成分1(分散の3%)はユーラシア東西間の個体群を、主成分2はアジア南部と現代ヨーロッパの個体群を、主成分3はアジア東部人のまとまりからバイカル湖集団を区別します。

 アジア中央部の現代のインド・イラン語派話者は最初の3主成分でまとまりますが、テュルク・モンゴル個体群は主成分3でインド・イラン個体群のまとまり(クラスタ)からバイカル湖標本群への勾配を形成し、地理ではなく文化的分類と一致します。しかし、下位構造がインド・イラン語派集団内でユーラシア西部のまとまりに密接に収まるヤグノブ人(TJY)とともに出現する一方で、タジク人集団(TJAとTHEとTAB)はバイカル湖のまとまりに向かって伸びており、幾分の追加となるアジア東部もしくはバイカル湖狩猟採集民(BHG)との近接性を示唆します。

 青銅器時代(BA)と鉄器時代(IA)と歴史時代の古代の個体群は、ヨーロッパからアジア東部の集団へと伸びる勾配上に位置します。ユーラシア西部草原地帯個体群は、ヨーロッパ人のまとまりの底と、ユーラシア西部草原地帯のまとまりからバイカル湖およびシベリアの現代人に近いオクネヴォ(Okunevo)文化青銅器時代個体群のまとまりへと広がる、ユーラシア中央部草原地帯個体群とでまとまっています。アジア中央部南方の古代の個体群(新石器時代と青銅器時代と鉄器時代)は、新石器時代(N)イラン個体群(イランN)から現代のイラン人およびヤグノブ人へと延びる勾配をたどります。

 対照的に、トルクメニスタンIAとクシロフ・クシャン(Ksirov_Kushan)遺跡個体群から構成される鉄器時代標本群は、現代インド・イラン語派人口集団の近くに位置しますが、第1軸でのわずかに負の値と第3軸の正の値は、インド・イラン語派現代人におけるバイカル湖祖先系統の追加を示唆します。この主成分分析(図1c)から、古代と現代のアジア中央部のインド・イラン語派人口集団は、新石器時代イラン農耕民とアジア中央部青銅器時代個体群との間で勾配を形成しているように見え、以前の研究で観察されたように(関連記事)、青銅器時代と鉄器時代との間での草原地帯へと向かう祖先系統の明確な変化と、鉄器時代と現代との間でのアジア東部祖先系統へのより小さな変化があります。この変化は、ヤグノブ人よりもタジク人の方でより顕著です。

 本論文の最初の観察結果を確認し、遺伝的構造を識別するため、主成分分析と同じデータセットでADMIXTUREを用いて教師なしクラスタ化分析が実行されました(図2)。主成分分析と一致して、全てのインド・イラン語派話者現代人で、イラン新石器時代農耕民で最大化される遺伝的構成要素(イランN、図2の濃緑色、平均値はヤグノブ人で37%、タジク人で25%)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)とスカンジナビア半島西部狩猟採集民(WSHG)で最大化される構成要素(図2の薄緑色、平均値はヤグノブ人で13%、タジク人で10%)、本論文のデータセットのどの人口集団でも完全には最大化されないものの、ヨーロッパ現代人とアナトリア半島新石器時代農耕民(アナトリアN)で見られる全ての第三の構成要素(図2の濃青色、平均値はヤグノブ人で36%、タジク人で29%)の存在が証明されます。

 さらに、シベリアのシャマンカ(Shamanka)遺跡の前期新石器時代(EN)個体に代表されるバイカル湖狩猟採集民(BHG)で最大化され、全ての現代のテュルク・モンゴル人口集団にほとんど存在する第四の構成要素(図2の赤色、平均50%)も、現代のインド・イラン語派人口集団により低い程度で存在すると推測され、タジク人(平均値14%)よりもヤグノブ人(平均値7%)で顕著に低い割合となっています。最後に、タジク人は、アジア中央部のテュルク語族およびモンゴル語族話者人口集団の全てで存在するアジア東部現代人祖先系統(図2の桃色構成要素、漢人集団で最大化されます)の小さな割合(4%)と、現代のアジア南部人口集団で最大化される構成要素(図2の橙色、約8%)を示し、両方の祖先系統はヤグノブ人では欠けています。以下は本論文の図2です。
画像

 ADMIXTURE分析も、古代人集団に関する主成分分析と一致します。じっさい、鉄器時代のアジア中央部南方個体群はヤグノブ人と顕著に類似した特性を示します。たとえば、トルクメニスタンIAと分類された1個体は、WSHG/EEHG構成要素を約25%、イランN構成要素を30%、アナトリア半島農耕民祖先系統構成要素を35%の割合で有していますが、BHG祖先系統は欠けています(図2)。青銅器時代ユーラシア中央部草原地帯牧畜民は、イラン祖先系統での顕著な増加を除いて同様の特性を示し、ユーラシア西部草原地帯牧畜民は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)で最大化される薄茶色(ベージュ)構成要素を有しており、これは現代のインド・イラン語派人口集団では欠けています。したがって、現代のインド・イラン語派話者人口集団は、トルクメニスタン鉄器時代個体群とひじょうによく似ており、アジア東部および南部集団からの流入は限定的で、ユーラシア中央部草原地帯とアジア中央部南方の青銅器時代人口集団間の中間として現れます。


●インド・イラン語派話者内の人口集団の連続性

 インド・イラン語派話者人口集団の遺伝的供給源における鉄器時代アジア中央部南方個体群との遺伝的継続性およびバイカル湖関連人口集団との限定的な混合を検証するため、D統計とf3統計とqpAdmモデル化が、主成分分析およびADMIXTUREで用いられた同じデータセットと、ヤグノブ人3個体(TJY)とタジク人19個体(TJE)とトルクメン人24個体(TUR)のショットガン配列で形成されたデータセットと、70万ヶ所の一塩基多型の最終セットの古代ゲノムで形成されたデータセットで実行されました。

 その結果、本論文のデータセットの全ての古代の人口集団について、D統計(ムブティ人、古代人集団;トルクメニスタンIA、インド・イラン語派現代人)の計算により、鉄器時代以降に起きた遺伝子流動が特定され、特徴づけられました(図3)。これらの統計は、遺伝子流動が古代の人口集団からインド・イラン語派現代人へと起きた場合、正になると予測されます。ヤグノブ人の場合、アジア東部人口集団に遺伝的に近いネパールのチョクホパニ(Chokhopani)遺跡の鉄器時代の1個体(2700年前頃)のみが、有意に正のD統計を示します。

 タジク人個体群(TJE)はD統計が正のより多い数の古代の人口集団(41個体)を示し、これら古代の人口集団の共通の特徴は大量のBHG祖先系統を示すことで、ADMIXTURE分析と一致します(図2)。ただ、タジク人は、アジア南部とのつながりの可能性を示すインドの歴史時代の1個体(大アンダマン人)と正のD統計を示すことにも要注意です(図3)。したがって、現代のインド・イラン語派人口集団は、早くも鉄器時代のトルクメンに存在した集団と関連する集団の子孫で、BHG祖先系統と、ヤグノブ人を除いてのアジア南部人口集団からの寄与と、別のアジア東部人口集団からの寄与がありました。以下は本論文の図3です。
画像

 次に、D統計で検出された寄与が鉄器時代以降に起きた混合事象に起因するのかどうか、検証されました。まず、f3統計(TJY/TJA/TJE/TAB;供給源1、供給源2)が計算され、インド・イラン語派人口集団が2供給源間の混合としてモデル化できるならば、負の値が予測されます。匈奴のようなアジア東部祖先系統からの人口集団と、イランNやアナトリア半島農耕民や草原地帯の祖先系統などADMIXTURE分析(図2)で見られる構成要素を表すより西方の人口集団を示唆する組み合わせのみが有意でした。これらの統計は、おそらくはイランNとBMACとアナトリア半島初期農耕民と青銅器時代草原地帯の祖先系統を示す人口集団と、BHG祖先系統との強い類似性を有する人口集団との間の、じっさいの混合存在を証明します。

 ヤグノブ人集団はタジク人集団よりも負のf3統計を有する組み合わせが有意に少なく、それは恐らく長期の孤立に起因します。f3統計(TJY/TJA/TJE/TAB;古代の人口集団、トルクメニスタンIA)でも具体的に計算され、インド・イラン語派話者が鉄器時代トルクメニスタン人口集団とBHG関連人口集団の混合としてモデル化に成功できると示す、正のD統計で示唆された同じ古代の人口集団とともに、いくつかのf3統計は常に得られました。

 次に、qpAdmを用いてヤグノブ人集団とタジク人集団がモデル化され、混合の割合が推定されました。どの代理の人口集団が本論文のモデルで最適なのか検証するために回転法が用いられ、p値が0.01以下の全ての組み合わせが除外されました。ヤグノブ人の場合、維持された唯一のモデルは、トルクメニスタンIA(88〜93%)と匈奴祖先系統(7〜12%)の混合でした。3方向モデル化では、TJYについて異なるモデルを却下できませんでした。それは、トルクメニスタンIA関連祖先系統(90%)と匈奴関連祖先系統(7%)とヨーロッパENもしくはウクライナのスキタイ人の祖先系統(3%)の混合です。

 トルクメニスタンIAの起源でより古い混合を推測する、ウクライナのスキタイ人とBMACと匈奴のモデルも得られました。より多くの混合供給源について検証すると、2通りの4方向モデルと1通りの5方向モデルが得られました。興味深い一つのモデルは4方向モデルで、ウクライナのスキタイ人(17%)とトルクメニスタンIA(60%)とBMAC(14%)と匈奴(8%)の混合となり、つまり、このモデルはユーラシア西部草原地帯的な人口集団とのヤグノブ人の密接な類似性を示します。

 タジク人をモデル化するために、全ての2方向混合モデルが除外され、匈奴関連祖先系統(約17%)と、トルクメニスタンIA関連祖先系統(約75%)と、アジア南部における深い祖先系統を表す100年前頃のインドの大アンダマン人1個体に代表されるアジア南部個体(8%)の混合を示唆する、1通りの3方向混合モデルが得られました。

 したがって、qpAdmモデル化が示すのは、現在のインド・イラン語派話者の祖先系統の少なくとも90%は、BMACとの類似性を有するアジア中央部南方の鉄器時代個体群から継承されたとしてモデル化される、ということです。その結果、インド・イラン語派話者は、BHG祖先系統関連個体群との偶発的混合を伴う、鉄器時代以降の強い遺伝的連続性を示し、タジク人の場合、おそらくは鉄器時代後のアジア南部祖先系統関連人口集団との混合を示します。

 最後に、DATESを用いて混合事象以降の世代数が推定されました。ヤグノブ人の起源におけるトルクメニスタンIAと匈奴的人口集団との間の混合については、35±15世代前との推定が得られました。1世代29年とすると、この混合事象は1019±447年前にさかのぼります。タジク人(THEとTABとTJA)の場合、ユーラシア東西の混合について、546±138年前(18.8±4.7世代前)から907±617年前(31.2±21.3世代前)の推定年代が得られました。タジク人のアジア南部人口集団との混合については、944±300年前との推定年代も得られました。


●鉄器時代トルクメニスタン人の祖先系統

 以前の研究(関連記事)ですでに、トルクメニスタンIAはBMACといくつかの草原地帯人口集団との間の混合としてモデル化できる、と示されており、主成分分析(図1c)ではじっさい、トルクメニスタンIAは草原地帯勾配に位置します。しかし、草原地帯はアジア東部祖先系統の量に応じて、西部と中央部と東部というように、いくつかの集団に分割されます。ADMIXTURE分析は、赤色と薄紫色の構成要素(それぞれ、シベリア東部人口集団とアジア東部人口集団で最大化されます)の存在により草原地帯を西部と中央部の祖先系統に識別し、薄紫色の構成要素はトルクメニスタンIAでは欠けており、西部草原地帯との類似性を示唆します。

 それにも関わらず要注意なのは、アンドロノヴォ(Andronovo)文化もしくはシンタシュタ(Sintashta)文化の個体群も、中央部草原地帯として分類される一方で、この構成要素を欠いていることです。したがって、中央部草原地帯集団では、ひじょうに不均質で、カラスク(Karasuk)もしくはサカ中央部のようなアジア東部祖先系統や、アンドロノヴォ文化およびシンタシュタ文化個体のような他のより多くの西部草原地帯的祖先系統を有する人口集団が集まっています。

 さらに、BMAC もしくはユーラシア西部の古代の人口集団について、f3型式(ムブティ人;古代の人口集団、トルクメニスタンIA)のより高い外群f3統計が得られ、二重起源と西部との類似性が浮き彫りになります。この類似性はさらに、D統計(ムブティ人、トルクメニスタンIA;西部草原地帯、中央部草原地帯)で確証され、西部草原地帯人口集団が、サカ中央部やカラスクのようなアジア東部祖先系統を有する中央部草原地帯人口集団と対する場合、有意に負となります。

 D統計(ムブティ人、トルクメニスタンIA;狩猟採集民1、狩猟採集民2)では(狩猟採集民1と狩猟採集民2はWEHGかEEHGかWSHGかBHG)、BMACと混合した草原地帯人口集団はアジア東部もしくはバイカル湖構成要素が欠けている、と証明されました(図4)。じっさい、BHGが他の狩猟採集民集団と比較される場合のみ、有意なD統計が観察されました(図4)。狩猟採集民人口集団を用いると、最近の混合からの推論を回避できます。それにも関わらず、この水準でこの期間のさまざまな草原地帯集団のほとんどを区別できませんでした。これは、トルクメニスタンIAが、早ければ青銅器時代にいくつかの中央部草原地帯集団で観察されるアジア東部祖先系統を欠いている、と示唆します。以下は本論文の図4です。
画像

 最後に、qpAdmでトルクメニスタンIAをモデル化するために、BMACと混合したさまざまな草原地帯人口集団が検証されました。まず、西部草原地帯となるポルタフカ(Poltavka)文化およびスルブナヤ(Srubnaya)文化個体と、中央部草原地帯となるアンドロノヴォ文化と分類されたロシアの4個体で一式が構成され、D統計とf3統計で以前に浮き彫りにされたヨーロッパおよび西部草原地帯との類似性が推定されました。その結果、除外できなかった2供給源を有する1モデルだけが得られ、BMAC個体群(43%)とアンドロノヴォ文化個体群(57%)の混合が示唆され、アンドロノヴォ文化個体群は、BMAC個体群と混合して鉄器時代アジア中央部南方集団を形成した草原地帯人口集団にとって、最良の代理と提案されます。

 アジアとの類似性を推定するために、アンドロノヴォ文化個体群とカラスク文化個体群(アジア東部構成要素を有する中央部草原地帯個体群)との間で最良のモデルについて検証すると、単一の適合/関連モデルが得られ、ほぼ同じ割合を有するアンドロノヴォ文化個体群が示唆されます。さらなる検証で、遺伝的に近い2人口集団であるアンドロノヴォ文化個体群とシンタシュタ文化個体群との間の最良のモデルが調べられ、唯一の有意な結果は、同じ割合でのアンドロノヴォ文化個体群とBMAC個体群とのものでした。

 最終的に、アンドロノヴォ文化と分類された個体群と、アンドロノヴォ複合に分類される2つの人口集団、つまりフゥドロヴォ・ショインディコ(Fedorovo Shoindykol)とアラクル・リサコスフスキー(Alakul Lisakovskiy)との間のモデルが検証されました。再度、唯一の有効なモデルは、アンドロノヴォ文化個体群とBMAC個体群とのものでした。全体的に言えるのは、アジア中央部南方の鉄器時代人口集団は、BMAC個体群と、アジア東部との類似性を有する中央部草原地帯よりも西部草原地帯の方と類似性を有する特性を示す、アンドロノヴォ文化個体群に近い(カラスク文化個体群のような)青銅器時代人口集団との混合から生じた、ということです。


●トルクメン人の歴史

 テュルク語族言語を話し、他のテュルク・モンゴル民族集団と同じ文化的習慣を有しているにも関わらず、トルクメン人は遺伝的にテュルク語族話者やモンゴル語族話者よりもインド・イラン語派話者人口集団の方と近い、と示されています。じっさい、トルクメン人(TUR)は、主成分分析ではタジク人のまとまりに収まり、テュルク語族話者やモンゴル語族話者の勾配には収まらず(図1)、ADMIXTURE分析(図2)では、トルクメン人を除いてアジア中央部の全てのテュルク語族およびモンゴル語族人口集団は、バイカル湖祖先系統(図2の赤色構成要素、平均50%)とアジア東部祖先系統(図2の桃色、漢人集団で最大化されます)の有意な高い量を示します。一方、トルクメン人は完全に異なるパターンを示し、タジク人の割合(平均15%)と近いバイカル湖構成要素(平均22%)を有していますが、アジア東部構成要素はほとんどありません。トルクメン人は、タジク人ほどには多くのアジア南部関連祖先系統を示さず、アジア南部人口集団との混合が、インド・イラン語派集団の残りからタジク人が分岐した後に起きたか、継続したことを示唆します。

 外群f3統計(ムブティ人;古代の人口集団、現在の人口集団)に基づいて、最初のデータセットのトルクメン人を含むすべてのアジア中央部人口集団について、古代の人口集団との遺伝的類似性の特性が確立されました(図5)。あらゆる古代の人口集団とトルクメン人を比較する外群f3統計値は、あらゆる古代の人口集団とタジク人を比較するそれと相関します(図5A)。一方、東部草原地帯集団およびバイカル湖集団をテュルク語族およびモンゴル語族人口集団(カザフ人)と比較する外群f3統計値は、古代の人口集団とトルクメン人を比較する場合よりも高くなります(図5B)。トルクメン人は、共有されているシベリア/アジア東部祖先系統の量について、テュルク語族およびモンゴル語族人口集団よりもインド・イラン語派人口集団の方と類似しています。以下は本論文の図5です。
画像

 最後に、トルクメン人がヤグノブ人に代表されるアジア中央部基底部祖先系統とアジア東部祖先系統の混合としてモデル化されました。トルクメン人のqpAdmモデル化では、却下されない唯一のモデルが得られ、ジョチ・ウルスのアジア人6%とタジク人(TAB)94%の混合が示唆されました。この混合事象について、DATESで687±100年前(23.7±3.4世代前)の年代が推定されました。これらの結果は、トルクメン人が比較的最近までインド・イラン語派的人口集団であり、人口集団における実質的な遺伝的変化なしに最近になって言語と文化が変わった、と明らかにします。


●考察

 本論文は、アジア中央部南方で現代の人口集団が鉄器時代へとさかのぼる証拠を用いて、インド・イラン語派話者の歴史への洞察を提起します。以前の遺伝学的研究で提案され、歴史学的および考古学的証拠により裏づけられるように、インド・イラン語派話者はテュルク語族話者とモンゴル語族話者のずっと前にアジア中央部に定住した、と明らかになりました。アジア中央部南方におけるインド・イラン語派祖先系統の最下部での主要事象は、青銅器時代末と鉄器時代に在来のBMAC集団およびオクサス文化の終焉とおそらくはつながっていたアンドロノヴォ文化関連人口集団との間の混合を通じて起きました。要注意なのは、BMACと混合した草原地帯集団がアジア東部祖先系統を示さないことで、アジア東部祖先系統は中央部草原地帯中核地域に鉄器時代末になってやっと到来した、という考古学および遺伝学(関連記事)の知見と一致します。

 アンドロノヴォ文化に分類される人口集団は、複雑な集団を形成します。じっさい、本論文のデータセットでアンドロノヴォと分類されて用いられている個体群を一斉検査すると、全てキトマノヴォ(Kytmanovo)という1ヶ所の遺跡に由来し、遺伝的には、東方へと移動しているものの、カスピ海の近くに拡大したシンタシュタ文化の関連個体群とひじょうに近い特性を示すことに要注意です。アンドロノヴォ複合に分類される他の文化の個体群が配列決定されましたが、全体的には中程度に不均質な遺伝的集団を形成します。

 さらにいくつかの研究は、草原地帯集団が同様に分類できるかもしれないものの、遺伝的に異なるかもしれず、たとえば、スルブナヤ・アラクルスカヤ(Srubnaya Alakulskaya)文化個体群はサマラ(Samara)地域のスルブナヤ文化個体群よりもアンドロノヴォ文化個体群の方と密接です(関連記事)。青銅器時代末と鉄器時代の遊牧民人口集団は遺伝的にひじょうに不均質で、鉄器時代アジア中央部南方で見つかる西部草原地帯祖先系統はまだ標本抽出されていないかもしれない、と思われます。

 草原地帯とアジア中央部南方との間の遺伝子流動が双方向だったことに注目するのは、興味深いことです(関連記事)。最近の研究では、BMACからの遺伝子流動がスキタイ人の遺伝的形成に寄与した、と強調されています(関連記事)。これらの研究と組み合わせた本論文の知見は、BMACと西部草原地帯文化以降のアジア中央部南方文化は強い文化的つながりを有していた、という考古学的証拠に基づいた仮説を強く裏づけます。

 全体として本論文は、青銅器時代以来の人口移動の熱狂にも関わらず、アジア中央部南方のインド・イラン語派人口集団における鉄器時代以降の遺伝的連続性の顕著な事例を論証します。以前の研究と同様に本論文は、タジク人の言語の変化につながる最初の拡大にも関わらず、インド・イラン語派話者の遺伝的多様性について、アジア中央部におけるアラブ文化拡大の影響を示しません。タジク人における東部イラン語群言語から西部イラン語群言語への言語変化につながったペルシア文化拡大にも関わらず、イランからの遺伝子流動も見られず、ヤグノブ人は東部イラン語群言語を維持しました。

 ヤグノブ人はその組み合わせについて、経時的に強い遺伝的安定性により特徴づけられ(負の混合f3統計の少ない量、より少ない有意なD統計)、長期の孤立と関連しているかもしれません。ヤグノブ人はじっさい孤立した民族言語人口集団で、ひじょうに近づきにくいヤグノブ川流域に歴史的に存在しました。証拠から示唆されるのは、ヤグノブ人とタジク人との間の分離は遅くとも1000年前頃に起きており、それは以前の研究で観察されたインド・イラン語派話者の高い遺伝的分化を説明します。興味深いことに、ヤグノブ人は、強い遺伝的浮動にも関わらず現在の遺伝的多様性につながった移住の波の前の、アジア中央部に存在した祖先系統の好適な代理を表せるかもしれない、と示唆されます。

 現代のテュルク語族話者集団およびモンゴル語族話者集団との混合に起因するアジア東部祖先系統の量はタジク人でさえ低いままで、アジア中央部においてインド・イラン語派話者集団への東方から西方への侵略(フン人やモンゴル人)の小さな遺伝的影響を観察した、以前の研究の知見と一致します。一方、本論文はヤグノブ人とタジク人とトルクメン人について、1000年前頃にさかのぼるBHG祖先系統からの少量の遺伝子流動を浮き彫りにし、鉄器時代後のアルタイ山脈からの西方への移住の最近の波が示唆されます。

 最近の移住の波は、以前の研究でアルタイ地域からのテュルク語族話者の祖先的集団に由来すると論証されてきた、アジア中央部南方におけるテュルク語族話者とモンゴル語族話者の起源と関連しているかもしれません。本論文で提示された混合のごく最近の年代は、以前の研究で推定された、タジク人では8000年前頃、キルギス人では2300年前頃との推定年代と顕著に異なります。ヤグノブ人と比較してのタジク人のより最近の推定混合年代は、タジク人が、ヤグノブ人の遺伝的構成を形成した最初の混合事象後に起きた、東進してくる供給源からより多くの継続的な遺伝子流動を受けた、という事実により説明できるかもしれません。じっさい、qpAdm手法はこの文脈で予測できる継続的な混合を検出できません。さらに、その祖先系統の調査は、文化的、とくに言語的違いにも関わらず、タジク人とトルクメン人における遺伝子流動のさまざまなパターンが現れる一部の遺伝的違いを伴いつつ、ヤグノブ人とタジク人とトルクメン人の内部における遺伝的均質性を確証します。

 とくに、イランのトルクメン人における証拠にも関わらず、以前には記録されていなかった、タジク人集団に限定されるアジア南部からの混合事象が証明されました。以前の考古学的研究によると、アジア南部との多方向の文化交流が早くも銅器時代には起きていた、と知られています。とくに、シアルク(Sialk)文化や他のイランの文化からバローチスターン(Balochistan)文化もしくはジオクジュール(Geoksjur)文化にかけてのアフガニスタン南部への文化交流が知られています。

 反対方向、つまり南方から北方へは、ムンディガクIII(Mundigak III)様式土器がアフガニスタン北部のバダフシャーン(Badakhshan)まで並行しており、アラビア海からの首飾りや腕輪に用いられた貝殻は、タジキスタンのサラズム(Sarazm)遺跡で見つかっており、長距離の商取引を示します。これら古代の人口集団は、鉄器時代も含めて人口集団間のおそらくは高頻度の交流と文化的融合を伴う移動中でした。興味深いことに、アジア中央部南方とアジア南部の集団間の遺伝的近接性は、すでにBMAC標本群で示唆されており(関連記事)、この遺伝子流動の時期に関する問題を提起します。

 この問題について、二つのモデルが考えられます。一方のモデルは、ヤグノブ人で現在観察されるように均質な基底部インド・イラン語派集団の背景の形成と、アジア南部人口集団からの最近の遺伝子流動を仮定します。もう一方のモデルは、一部の青銅器時代BMAC標本におけるアジア南部祖先系統の存在を認識し、タジク人とヤグノブ人は異なるBMAC人口集団に由来し、アジア南部祖先系統との混合が、タジク人ではあり、ヤグノブ人ではなく、共にアンドロノヴォ文化集団的な草原地帯人口集団と鉄器時代に別々に混合し、その後でBHG祖先系統を有する東部遊牧民集団と混合したかもしれない、と提案されます。

 タジク人のゲノムにおけるアジア南部人口集団からの遺伝子流動の年代が比較的最近なので、データは前者の仮説を支持しますが、混合(1回なのか複数回なのか)のモデルについていの不確実性は、青銅器時代以降の継続的な遺伝子流動と一致するかもしれません。さらに、本論文における最近の推定混合年代は、1500年前頃のペルシアの拡大と関連したタジク人における東部イラン語群言語から西部イラン語群言語への変化と同じように、アジア南部祖先系統の到来と一致します。

 最後に、トルクメン人は、遺伝的祖先系統の実質的な変化なしに言語と文化的慣行が変化した人口集団の顕著な事例です。じっさい、ユーラシア全体で見つかるテュルク語族話者は、いくつかの遊牧民の移住の結果で、アジア中央部を通ってシベリアからヨーロッパ東部と中東まで広がり、紀元後5〜16世紀と広範な期間に起きました。アジア中央部以外の地域では、いくつかの研究において、テュルク語族話者は遺伝的に地理的近隣集団と類似しており、両者を区別する遺伝的兆候はない、と示されています。これは、テュルク語族の拡大に伴う言語置換について、人口拡散ではなく、支配層の優位によるモデルを裏づけます。

 トルクメン人はこの世界的モデルに当てはまりますが、この地域では例外的です。じっさい、キルギス人もしくはカザフ人など他のテュルク語族話者人口集団は、明確に支配的なアジア東部およびバイカル湖構成要素があるさまざまな遺伝的特性を示し、紀元後10〜14世紀頃となる、シベリア南部とモンゴルからの遊牧民とのより顕著な混合を証明します。トルクメン人におけるアジア東部祖先系統の少ない量は、紀元後15世紀頃の混合と関連しており、アジア中央部における最初の混合よりもわずかに後で、これらテュルク語族話者集団およびモンゴル語族話者集団との遺伝子流動に由来するかもしれません。

 インド・ヨーロッパ語族の拡散の問題は、近年では白熱した話題になっています(関連記事)。言語学的分析は、インド・ヨーロッパ語族の起源地として、アナトリア半島もしくはポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)を示します。ヤムナヤ(Yamnaya)文化関連人口集団の、後期新石器時代における西方への拡大と青銅器時代における東方への拡大は、アンドロノヴォ文化集団の移住を通じて、ヤムナヤ文化関連集団がインド・ヨーロッパ語族話者だった、と提案します。

 興味深いことに、アジア中央部のインド・ヨーロッパ語族話者で見つかる祖先系統パターンは、他のインド・ヨーロッパ語族話者人口集団、つまりイランのペルシア人では見つかりません。この民族集団は、青銅器時代以来のイランの古代人との遺伝的連続性を示し、中央部もしくは東部草原地帯からの遺伝子流動は限定的です。さらに、トルクメン人集団についての本論文の知見は、言語学と遺伝学が一致しない別の事例を提示し、人口移動を用いて言語置換を推測する見解に疑問を呈します。以前の研究で見られた現代のユーラシア西部人口集団へのトルクメン人集団の遺伝的帰属は、共通の草原地帯祖先系統に起因します。


●まとめ

 本論文の結果は、インド・イラン語派話者について、遺伝的および言語的な連続性と非連続性のさまざまなパターンが経時的に共存していた、と明らかにしました。アジア中央部南方では、じっさいのインド・イラン語派話者は、他のユーラシア集団からの最近の移住の波はごくわずかで、鉄器時代以降の長期の連続性の結果だった、と示されます。本論文の結果は、アジア中央部南方の人口動態が複雑で、完全に理解するには、本論文のような小規模な研究が必要になる、というさらなる証拠を提供します。

 この観点から、これら移動の波の正確な時期は、草原地帯文化複合に分類されない鉄器時代と歴史時代の標本から、より多くのデータが得られるまで解決できません。言語と遺伝子の関係は複雑で(関連記事)、トルクメン人の事例とは逆にバヌアツでは、遺伝的に大きな変化が起きたにも関わらず、言語は変わらなかった可能性が示唆されています(関連記事)。言語と遺伝子の関係は、古代DNA研究の進展により、今後より深く解明されていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Guarino-Vignon P. et al.(2022): Genetic continuity of Indo-Iranian speakers since the Iron Age in southern Central Asia. Scientific Reports, 12, 733.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-04144-4


https://sicambre.at.webry.info/202201/article_19.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/310.html#c1

[近代史5] 死産した我が子とひと晩いたら有罪?ベトナム人女性「日本で孤立出産」の悲劇
死産した我が子とひと晩いたら有罪?ベトナム人女性「日本で孤立出産」の悲劇


女性の権利、基本的人権、出産は国家義務か犯罪か?
2022年01月17日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1739.html


 2022.01.17 現代ビジネスより
死産した我が子とひと晩いたら有罪?ベトナム人女性「日本で孤立出産」の悲劇
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91485?imp=0

 産まれた子どもは死産。そして有罪判決
 もし、家でひとり産気づき、そのまま流産、死産、出産してしまったら、あなたはどうするだろう?
  血だらけ、命からがらのパニック、疲弊状態の中で、すぐに連絡すべき先を探し出し、助けを求めることができるだろうか?

 日本人で日本に住んでいれば、119番にかければ救急車が来てくれることはほとんどの人が知っている。でも、言葉もよくわからない外国で起きてしまったらどうだろう?
 自国に年収の数年分にもなる借金を作ってまで出稼ぎで来日し 、「万が一、妊娠したら強制帰国させられる」と日頃から聞いていたら? あなたは、適切な相手にすぐ相談できるだろうか……。

 その女性は、ベトナムで生まれた。父親が病で働けないため、一人で家計を支える母を助けようと、ベトナムの平均年収の約5年分にあたる150万円を払い、日本に技能実習生として来日し、ミカン畑で休みなく働いていた。

 彼女はその後、妊娠した。しかし、強制帰国させられる恐怖から誰にも相談できないまま、2020年11月15日の夕方、たった一人で出産した。産まれた子どもは双子で、残念ながら死産だった……。

 出産の出血がある中、肉体的・精神的疲労で身も心もボロボロになりながらも、彼女は、子どもの名前を考えた。
 そして弔いの「ごめんね、私の双子の赤ちゃん!!早く安らかなところに入れますように」というメッセージとともに、タオルに包んだ双子の赤ちゃんを段ボール箱のなかに安置した。
 その箱は出産に使用した布団のすぐ隣の棚の上に起き、そのまま彼女は疲労困憊の中、血だらけの部屋で亡くなった我が子と共にひと晩を過ごした。

 彼女の名前は、レー・ティ・トゥイ・リンさん。リンさんは今、この一連の行動が「死者に対する追悼・敬虔の感情という社会秩序」を乱す「死体遺棄」だとして、1月19日に行われる控訴審の裁判で、一審同様、「有罪判決」を受ける可能性に直面している。

 ここまで読んで、「単なる在日外国人の事件」と思った方もいるかもしれない。しかし、この有罪判決は、日本に生きる人たち全員に大きな問題を突きつけている。

 「孤立出産」は誰もがあり得ることなのに
 まずひとつめは、本件が有罪となれば、今後、国籍問わず、孤立出産に伴う死産=犯罪、とみなされかねないということだ。
 たとえ事前に産婦人科などの受診歴があったとしても、自宅で突然流産、死産というケースはないとは言い切れない。その場合もケースによっては同様にみなされてしまうということになる。

 実際これまでにも国内で、孤立出産によって不起訴ではあったが、逮捕されている事例がある。

 2021年9月21日未明、香川に住む日本人女性は、妊娠に気づかないまま、妊娠から4カ月から5カ月ほどだった頃、自宅で流産をした。
 その時、近所のかかりつけ医は休診日だった。金銭的な不安から他の医療機関にいくことをためらい、かかりつけの病院が再開したら行こうと夫婦で相談して、流産した赤ちゃんの遺体は腐敗を防ぐため、一時的に冷蔵庫に保管した。

 祝日が明けた24日の朝、夫は長男を保育園に預ける際、園に妻が流産したことを伝えた。その日の午前中には自治体から夫に事実確認の電話があり、夫は事情を説明。職員からは「流産から数日経っていることもあり、どのような対応が必要か役所だけでは分からないので、関係機関と相談する」と伝えられ電話は切れた。
 その後来たのは警察で、そのまま「死体遺棄」の容疑で逮捕されたのである。夫婦は不起訴になったものの、12日間勾留された上、誹謗中傷を受けた夫婦は職を失った。

 他にも、2020年12月、「赤ちゃんポスト」を運営する熊本市の慈恵病院に「死産したがどうしたらいいかわからない」とメールで相談した20代の女性は、病院が警察に「保護」を求めたにも関わらず、逮捕されてしまった。

 これらはいずれも不起訴だったが、リンさんのケースが有罪となれば、今後似た事例において、女性はもちろん周囲にいた家族なども、起訴、有罪判決になってしまうこともありうる。これはあまりに不条理だと私は思う。

 というのも、私は最近、「内密出産」や「赤ちゃんポスト」などに関することを調べていてある記述が気になったからだ。ドイツでは、「内密出産」や「赤ちゃんポスト」の両方の制度が法制化されている。
 しかし、背景にかかわらず、匿名出産や赤ちゃんポストを利用する女性たちは「パニック的な不安」を抱き、自分の状況や問題を適切に言葉にすることが難しいケースが多いことがわかっているという。

 実際、逮捕された香川の夫婦も「モラルというか、倫理的に外れてるんかなって言われたら、確かにそうかもしれんけども、その時の状況で言ったらもう手詰まりだったから。役場に電話しても分からへん。
 じゃあ本当にどうしたらいいのって話で……。あれよあれよという間に逮捕されて、12日間勾留された」と当時を振り返っている。

 リンさんも同様で、「(死産した当日は)どうしたらいいかわからなかった」と述べている。

 自然流産の頻度は全妊娠の10~15%、すなわち6~7人に1人程度の確率で起こり、決して珍しくない。中にはたった一人その瞬間を迎える人もいるだろう。
 医療設備が整った環境下で出産をしても痛みや不安は尽きないのに、突然だったり、たった一人でそのときを迎えた女性たちの不安や苦しみは計り知れない。

 彼女たちが、極度の疲労困憊とパニック、我が子を失った悲しみの中、相談できるまでの繋ぎとしてなんとか行った精一杯の行為が、「死者に対する追悼・敬虔の感情という社会秩序」を乱すといった非常に曖昧な理由から、「死体遺棄」とされてしまって、本当に良いのだろうか?

 たった一人で「孤立出産」せざるを得なかった女性に対してすべきことは、逮捕ではなくむしろケアであり、一層の社会とのつながりなのではと私は思う。

 産む産まないは、誰もが持っていい権利
 そして、今回のリンさんのケースで着目したい問題がもうひとつある。それは、海外からの技能実習生の出産に関する権利だ。
 WHO(世界保健機関)では、「子どもを産むか産まないか、産むならどの間隔で何人産むか」を自分で決める権利(リプロダクティブ・ヘルス&ライツ、性と生殖に関する健康と権利とも言う)は「誰にもある権利」と認めている。しかし、リンさんの置かれた環境は、この権利を剥奪し軽視する行為にあたる。

 しかし残念ながらいまだに、技能実習生の契約書には「強制送還になる禁止事項」「妊娠」の表記が残っていたり、妊娠した技能実習生の女性が解雇、強制帰国させられたり、中絶か帰国かを迫られたりするケースが絶えない。これは明らかなリプロダクティブ・ヘルス&ライツへの侵害だ。

 厚労省、入国管理局、外国人技能実習機構も「妊娠等を理由にして技能実習生を不利益に扱ってはならない」という勧告は何度も出すほど深刻な状況であるが、一向に改善されていない。

 この現実があったことで、リンさんは周囲に妊娠したことを話せなかった。もし妊娠しても強制帰国させられないことがはっきりし、産むにせよ、中絶するにせよあらゆる選択肢が保障されていれば、周囲に相談できていたかもしれない。結果として、死産自体が起きずに済んだかもしれないのだ。

 さらに、これだけ「妊娠」が「悪」とされるなら、本人が望めば確実な避妊、安全な中絶が用意されても良さそうなものだが、そういうわけでもない。

 ちなみに、避妊に関して言えば、ベトナムでは法律によって1989年より避妊は無料で提供すると定められている。そして2019年の国連の報告書を見る限り、ベトナムでは生殖年齢(15-49歳)にある女性のうち、27%がIUD(子宮内避妊具)、10.5%がピル、8.3%がコンドーム、1%が注射、0.2%がインプラントを使用している。

 一方日本では、コンドームはアクセスが比較的容易だとしても、注射、インプラントでの避妊は認可がないためできない。また、避妊目的のものは保険適用にならないため、IUDなら1回の挿入に3万円は下らないし、ピルも毎月2000円程度。
 どちらも病院に行く必要があり、言語的ハードルも生まれることを考慮すれば、確実な避妊へのハードルは非常に高いことがわかる。

 ちなみに、コンドームのみでの避妊をした女性が100人いた場合、コンドームの失敗や破損も考慮すれば約13人が妊娠すると言われているが、避妊に失敗した際、緊急的になるべく早く、遅くとも72時間以内に服用することで高い確率で妊娠を防ぐことのできる緊急避妊薬は、日本では医師による処方箋が必要で、値段も6000円から2万円程度と高額だ。
 一方、ベトナムでは処方箋の必要なく薬局で200円以下で購入できるそうだ。

 また、ベトナムでは薬剤での中絶が認められており、日頃の避妊と同じく法律で無料と定められている。一方日本では、中絶は10~20万円ほどかかる。
 しかも薬剤での中絶はまだ認可がないため、手術しか選択できない。自分の国なら薬剤で済むはずの中絶が、異国の地で全身麻酔さえするかもしれない手術、しかも非常に高額となれば、それが極めて困難であることは想像に難くない。

 避妊や妊娠に関する選択肢が日本は少なく、選択できても他国に比べ、高額で入手も簡単でないものも多い。
 加えて言えば、中絶か帰国かを選ばされる時点で、その中絶が本当に本人が望んだ選択になり得るのかにも、大きな疑問が残る。
 ちなみに同じく技能実習生として来日し妊娠したベトナム国籍のある技能実習生は、強制帰国を恐れ、取り寄せた中絶薬を服用し中絶を試みたところ、「堕胎罪」によって逮捕されたという事例もある。

 なぜ、外国人にそんなに厳しいの?
 もう、逃げ場がない。
 中には、「そもそも妊娠するような行為をするのが悪い」「技能実習生は仕事だけしていればいい」という人もいるかもしれない。
 しかし、誰にだって恋愛もセックスもする権利はある。異国の地で心細い中、誰かを頼りたくなったり側にいて欲しいと感じたりするのは人間として極めて自然なことではないだろうか。

 今、外国人の技能実習生の労働力は、農業や建築業などさまざまな分野で欠かせない存在になっている。それなのに、低賃金で重労働、パワハラ、セクハラなどの問題も多発している。そして、「恋愛もするな」というのはあまりに非人道的すぎる。

 しかも、妊娠は恋愛だったとも限らない。技能実習生という立場の弱さから、性暴力に合うことだってある。ある支援者は「ほとんどの女性の実習生がセクハラを受けている。性行為を強要されることも、逃げられない、やめられない中で強いられる」と現状を述べている。
 彼女たちが日々どれだけ強い不安、恐怖の中にいるのか、それでも故郷の家族にとの思いで働き続ける姿を想像すると、胸が痛い。

 私は、留学生や仕事を持つ者として海外に住んで、足掛け4年目となる。かなり身分は保障され、経済的にも問題はなく、言語コミュニケ―ションに困らなくても、心細さは常について回るし、何より社会システムを理解するのは本当に難しい。
 例えば、冒頭に書いた「119番にかければ救急車が来てくれる」といった現地では誰もが知っている大切な社会通念も、日々の積み重ねでその存在をなんとか知っていくしかない。特に、医療にアクセスするのはどの国も仕組みが違うからいつだって難しい。

 土日なく働き、日本語を学ぶ時間なんてないだろう中で、リンさんの感じていたであろう困難は想像を超えている。
 他国で孤立してしまうと、基本的なアクセスにたどり着けないことも多い。このように、「外国人」であることに加え「外国人技能実習制度」によって生み出される脆弱さまでも抱えながら、妊娠を誰にも相談できず、産む、産まないを自分で決める権利を奪われている背景があったリンさん。

 本件が有罪になれば、「人権侵害の現状が十分深刻には受け止められていない」と捉えられても仕方ないだろう。孤立した女性にそんなにも冷たい国で、本当によいのだろうか。これは、リンさんの問題だけでなく、日本に生きる私たちに突きつけられた問題だと思うのだ。

 リンさんの件は、1月19日、福岡高裁で控訴審判決が宣告される。
 極めて脆弱な立場に置かれたリンさんの困難、苦しみ、悲しみ、そして我が子に抱いていた愛情に真摯に寄り添った判決がなされること、すなわちリンさんの無罪を、私は心から祈っている。

【リンさんの無実判決を求める署名はこちら】
「孤立出産での死産の後に死体遺棄罪に問われたベトナム人技能実習生リンさんの無罪判決を求めます!」
https://www.change.org/p/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80-%E7%AC%AC2%E5%88%91%E4%BA%8B%E9%83%A8-%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98-%E8%BE%BB%E5%B7%9D-%E9%9D%96%E5%A4%AB-%E5%BE%A1%E4%B8%AD-%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E4%BA%BA%E6%8A%80%E8%83%BD%E5%AE%9F%E7%BF%92%E7%94%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E7%84%A1%E7%BD%AA%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

****************************************************************************
 引用以上

 著者である福田和子さんの主張を全面的に支持します。奇しくも、2017年に千葉で誘拐殺害されたベトナム女子児童と同名のリンさんの基本的人権を守るのは、我々の責務であるような気がしている。

 そもそも、日本政府官僚が、リンさんの死産に対し、「死者に対する追悼・敬虔の感情という社会秩序」を乱すといった、これを定めた法案の作者でも合理性を説明できないであろう極めて曖昧な観念的な決めつけで、リンさんの基本的人権を毀損するような迫害を行った背景には、日本社会に連綿と存在する「女性は男性の子を産むための道具」という封建的価値観が存在している。

 リンさんのやむをえない行為を「死体遺棄」犯罪と決めつけて、国家権力で弾圧するという行為を、全国民に問うなら、おそらく99%が思いやりのない非道な行為と憤ることだろう。
 リンさんの人権を守るということは、日本社会に根付いた女性蔑視、男系優位社会に対する戦いでもある。

 そもそも、「女は男の子を産むための道具にすぎない」という、社会の根底にある男性優位の封建思想は、日本社会のすべての人権侵害の根底に存在する原点だ。
 我々が「人間解放」という思想を世に問うとき、最初に、この社会の差別体制の根底にある女性差別を問わねばならない。

 私は、この種の女性迫害を見るたびに、100年近い前に起きた金子みすゞの自殺を思い起こす。
  https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2021/04/13/17452
 この事件は、男性優位社会つまり、男性が部族集団の権力を独占し、やがて「部族長=男性の子に権力財産を継承する」という仕組みが生まれ、子を産ませるためのハーレムが生まれ、女性が子を産む価値しか認められない家畜の地位に堕とされるなかで、女性の基本的人権・権利が迫害される時代を、「家父長制封建制度」というわけだが、まさに、男性社会の価値観を守るためのリンさんに対する迫害であると思う。

 女性は、妊娠した子についての最大責任者であって、産むか中絶するかの判断実行の基本的人権を有している。もしも、妊婦に苛酷な法的義務を課すならば、妊娠させた男性側にも、同等の法的義務を課さなければアンフェアである。
 「死産した子を翌朝まで放置した」から「死体遺棄罪」で逮捕するなど、もっての他であり、警察の人間性、違法性こそ糾弾されるべきだ。

 これは、元をただせば、「家父長制封建制度」を基盤にして成立している「旧約聖書」を守ろうとするユダヤ教・キリスト教・イスラム教原理主義によって、女性に苛酷な義務を課す戒律思想が成立していることを知る必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1717.html

 この意味では、人類全体が旧約聖書の思想と戦っていかなければならない。それは男系氏族による家父長制封建制度と戦うという意味でもある。
 我々は、二度と金子みすゞの悲劇を繰り返してはならないのだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1739.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1441.html

[番外地10] 旭川関連事件(ごく一部)
旭川にだけは住んではいけない
旭川関連事件(ごく一部)

1965 旭川学力テスト事件(永山中学事件)
1974 東神楽町高校三年生(当時18)殺人 5/25失踪 6/8遺体発見
1970年代半ば 旭川の中学に教育実習に来た女子大生を集団で強姦し全員が淋病に感染(事件にならず )
1979北方ジャーナル事件
1981旭川日通事件
1987整形外科院長宅で院長夫人の死体発見。神居古潭のつり橋のたもとで車発見、死体は発見されずも院長の無理心中と結論付け
1989SOS遭難事件(人骨鑑定 旭川医大)
1996旭川市女子中学生集団暴行事件(1994〜)
数十人の加害者の多くが野放し 加害者の一部は後に"吊るされた"
1997旭川市男子中学生自殺
1998旭川未成年女体盛り 2/14 逮捕は末端だけ
1999旭川医大生レイプ 被害者を非難 4/13
2001食肉偽装事件 告発した西宮冷蔵の誹謗中傷事件
2001室蘭女子高生失踪 3/6
2002旭川鷹栖一家心中 9/12
2003"住民組織握れ" 全国で 2月
2003大阪熊取町小4女児誘拐事件5/20 (北海道関連説あり)
2003プチエン発覚 7月(拠点を旭川に移動した説あり)
2003北海道警察旭川中央警察署の裏金不正経理発覚 11月
2005旭川で台湾女性失踪 5/30
2008旭川の高校生乾燥大麻所持 11/18
2009旭川の高校集団リンチ事件 子宮潰し
2009旭川の女子中学生ガムテープ拘束写メール事件
2009旭川4人家族の3人死亡 帰宅した夫が発見 4/19
2009旭川女性曲芸師失踪 8/24
2010旭川の高校生自殺 5/20
2010旭川の女子高生硫化水素死 母親も巻き込まれ死亡したのに『自殺』9/13
2010旭川市長選で旭山動物園元園長出馬断念 悪評流され
2012旭川男子中学生行方不明 1/15 夜9時半過ぎ失踪なのに公開捜査渋る
2013旭川の中学生飛び降り
2013旭川専門学校生授業中飛び降り
2014旭川の中学1年男子学校で転落死  
2014旭川の高校で感電死
2015-2016頃旭川N中学 女子中学生死亡(学校にて)女子中学生死亡(公園で絞殺遺体) 隠蔽
爽彩さん母親への集団ストーカー始まる
2016旭川一家3人死亡1人けが 帰宅した夫が発見
2016旭川市 戸籍に知らない人が夫として記載 7月末発覚
2016旭川の女子高生 修学旅行先京都で電車に飛び込み 10/12
2017札幌 中国人女性「旭川に行く」予定のところ7/22失踪 釧路で足首から下だけ骨になった遺体発見8/30
2018旭川N中学いじめと闘っていた女性教員死亡 隠蔽
2018旭川市神居大橋付近 飛び込み自殺か この二ヶ月で三人目とのネット情報
2018旭川市立中学 個人情報USB紛失事件
2019旭川女子中学生川飛び込み強要 6/22
その後目撃者急死 イジメ否定プリント配布して隠蔽
2019山梨キャンプ場女児失踪 9/21 (北海道関連説あり)
2019地元誌に『相次ぐ教員による児童買春』
2019旭川医大元教授 意識のない医局スタッフに猥褻撮影保存 論文盗用で依願退職 2021発覚
2019旭川医大 個人情報USB紛失
2019旭川医大向精神薬大量処方 7月〜10月頃 
2019暴力団会長逮捕 医師を恐喝するよう指示した疑い 犯行に流出したカルテ使われる 9月
2019小学校に猫の頭部と足一本、内臓の一部など置かれる 血痕なし
2020旭川乳児遺棄 6/29発覚
2020旭川女子高生フィール事件 全身強打していないのに9階から飛び降りたことにされた 7/11
2021旭川女子中学生凍死 2/13失踪 3/23外傷がない凍結した遺体で発見
2021旭川で青森県警が青森女子中学生を保護 4/23


人口は減少し犯罪が多発
野放し犯罪者の構成比が増加の一途であることを意味する

旭川市の人口減少が止まらない 亡くなる人の数が生まれてくる新生児の2.5倍
北海道,東北の非政令指定都市では一番大きい都市だったけど、いわきにも郡山にも抜かれて
今は5番目の規模。このペースだと秋田市にも人口抜かれる

直近12ヶ月/2020年1月-12月/出生数を1としたときの死亡数
旭川市出生数1917死亡数4669 2.44
青森市出生数1499死亡数3585 2.39
秋田市出生数1767死亡数3831 2.17

人口30万人じゃあ生きてる間にほぼ全員被害に遭う計算じゃねーか
そんなんでよく住めるな

だから旭川は女性の人口が減少しているらしいやん。
危機感からか旭川から出て行ってしまうんだよ。
それで他の地域地方に移住してしまうんだってさ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/248.html

[近代史5] 「ワクチン後遺症」知って 23歳女性、長引く体調不良訴える 中川隆
2. 中川隆[-14155] koaQ7Jey 2022年1月18日 07:24:24 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[7]

2022.01.18XML
COVID-19ワクチンが危険な薬物だという新たな情報が伝えられている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201170000/

 アメリカやイスラエルと同じように「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」を主導してきたイギリスから「ワクチン」の危険性に関する新たな情報が伝わってきた。​イングランドとウェールズにおける15歳から19歳の男性の死亡者数に関する情報​だ。

 それによると、2020年の第1週から第52週にかけての期間に死亡した人数は434名だったのに対し、2021年の同じ期間では577名に増えている。32.9%の増加だが、第1週から第17週に限ると170名と172名。第18週から第52週では264名と405名。53.4%増えたことになる。

 若者や子どもは「ワクチン」を接種した後に心筋炎や心膜炎を引き起こすとイスラエルで指摘され始めたのは昨年4月。日本で接種が急増する直前だ。日本の政府、自治体、マスコミなどは「ワクチン」接種を推進するため、この事実を隠したと言われても仕方がないだろう。

 全世代で見ると、早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)の発症、あるいは体の麻痺が指摘されていた。神経変性疾患という話も聞く。大きな血栓で脳梗塞や心筋梗塞になるケースもあるが、微小血栓によって脳、脊髄、心臓、肺などがダメージを受けているとも言われている。

 接種が始まる前から懸念されていたADE(抗体依存性感染増強)も実際に起こっているという。「ワクチン」が作り出す「結合(非中和)抗体」がウイルスを免疫細胞へ侵入させ、免疫の機能を混乱させる現象。

 コロナウイルスは変異しやすいことで知られているが、「変異株」に対して「中和抗体」が「結合抗体」化することも考えられている。通常の風邪を引き起こしてきたコロナウイルス、あるいは感染しても無症状だったウイルスでも深刻な影響が出てきている可能性がある。

 EMA(欧州医薬品庁)で生物学的な健康への脅威やワクチン戦略を指揮しているマルコ・カバレリにしろ、FDA(食品医薬品局)の「ワクチン研究評価室」の室長を務めてきたマリオン・グルーバーと生物学的製剤評価研究センターで副センター長を務めてきたフィリップ・クラウスにしろ、「ワクチン」の追加接種(ブースター)に警鐘を鳴らしているが、当然だろう。

 「mRNAワクチン」では不安定なmRNAを輸送するためにLNP(脂質ナノ粒子)が使われるが、そのLNPは人体に有害。投与されたLNPは肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されている。LNPが卵子に影響、不妊につながることは否定できない。

 「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になる中、日本でもCOVID-19の蔓延が宣伝されている。その根拠とされているのがPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査。

 この技術を利用したSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の診断手順はドイツのウイルス学者、クリスチャン・ドロステンらが2020年1月に発表、その手順をWHO(世界保健機関)はすぐに採用、世界に広まったのだが、その当時、単離されたウイルスを使えなかったことをCDCは認めている。少なくともその時点でSARS-CoV-2の存在が確認されていないわけだ。しかも手順に科学技術的な間違いがあるとする指摘が出されるようになり、2021年1月20日にはWHOでさえPCR検査が診断の補助手段だとしている。

 アメリカのCDC(疾病予防管理センター)が使っていた「​2019年新型コロナウイルス(2019-nCoV)リアルタイムRT-PCR診断パネル​」はインフルエンザA型とインフルエンザB型も検出できるとされていたのだが、CDCは2021年7月21日、この診断パネルのEUA(緊急使用許可)を昨年12月31日に取り下げると発表している。COVID-19の原因とされる「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」とインフルエンザ・ウイルスを区別できないからだという。

 そもそもPCRは分析の手段で、特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する技術。その増幅サイクル(Ct)を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になるだけでなく、偽陽性が増えていく。

 偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になるとも報告されている。WHO(世界保健機関)が2020年12月14日、PCRのCt値を高くしすぎないようにと通告したのはそのためだ。

 SARS-CoV-2を検出する手段としてPCRは不適切で、感染を確認などできない。これは「感染者」を数値化するための政治的な道具に過ぎないのだ。

 しかも、ボツワナに続いて「オミクロン」が発見された南アフリカでは深刻な事態になっていないと​南アフリカ政府の主席顧問を務めるバリー・シューブ​は話している。「オミクロン」とは何なのかを検証することなく、日本政府もPCRを科学的に無意味な使い方をして「感染」を演出、社会を麻痺させようとしている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201170000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1292.html#c2

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
48. 中川隆[-14154] koaQ7Jey 2022年1月18日 07:50:53 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[9]
サマーズ氏、インフレを強欲な企業のせいとした民主党を批判
2022年1月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18847

アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏が、先週発表されたCPI(消費者物価指数)を受けてインフレについてコメントしている。

1970年代の物価高騰を繰り返す

12月のアメリカのインフレ率は遂に7%台に到達した。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
この発表を受け、サマーズ氏はこの水準がどれだけ高いか説明している。

インフレ率が去年の2/3の水準だった時にニクソン大統領は賃金の統制を行なった。現在のインフレ水準はベトナム戦争に起因する物価高騰の頂点よりもなお高い。

これはつまり、アメリカで物価高騰が止まらなくなった1970年代におけるインフレ第1波より高い水準にあるということである。当時のインフレ率は以下のようになっている。


少し前まで1970年代のインフレのようにはならないと言っている人が何人も居たが、現在のインフレ率は既に当時の水準に達しているということである。

インフレは一時的ではない

何故物価がここまで上昇するまで放置されてきたかと言えば、Fed(連邦準備制度)のパウエル議長やバイデン政権の政治家たちが何の根拠もなくインフレは一時的だと主張してきたからである。

ガンドラック氏: パウエル議長はただインフレが続かないように祈っているだけ
彼らは最初何の根拠もなくそう主張し、次に債券投資家のスコット・マイナード氏らがコロナによる一時的な半導体不足で中古車市場が高騰していると指摘すると、その主張をオウムのように繰り返してきた。

しかしインフレはそうした一時的な要素だけではないと何度も主張してきたのが、経済学者のなかで恐らく世界で唯一、金融の実務家にも一目置かれるサマーズ氏である。この状況をこれまで警告し続けてきたサマーズ氏は次のように言う。

経済統計はわたしが言い続けた通りの展開となっている。確かにインフレのいくらかの要素は一時的なもので、それらは後退するが、全体としては根強い物価上昇に向かっている。それはインフレ期待にも賃金の上昇にも労働力不足にも表れている。

労働市場はかなりの過熱状態にある。失業者に対する求人の比率はかなりの期間なかったほど高い。カウンセラーからマクドナルドの店員まで、労働者は何処でも不足している。経済の生産能力に比べて購買力と需要は過剰となっている。

このままではインフレは高止まりするだけでなく、加速し続けるだろう。

問題はもはやコロナで一時的に生産不足となった一部の商品だけのものではなく、経済全体のものとなっている。その証拠の1つは労働市場であり、もう1つの証拠は以下の記事でジェフリー・ガンドラック氏が言及していた住宅バブルだろう。

ガンドラック氏: 12才児よりも愚かな中央銀行の存在意義が分からない
インフレが止まらなければ、これまで経済と株価を支えてきた低金利政策を撤回して利上げなど金融引き締めを行わなければならなくなる。これまで低金利に依存してきた経済と株価がどれだけ耐えられるかは、あまり希望のある話ではない。

サマーズ氏は次のように言う。

実体経済は過熱しており、Fedは混乱を招くことなしに経済を冷却するという本当の困難に直面するだろうが、それに成功した例は過去にほとんどない。

目を背け続ける政治家たち

しかしどうやらFedとバイデン政権はインフレに上手く対処できそうにない。そもそもインフレという事実を1年以上の間認めなかった彼らに何が出来るだろうか。

彼らは最近になってようやくインフレの事実を認めたものの、今度はその原因を他人に押し付けようとしている。

アメリカ民主党のエリザベス・ウォーレン議員などは、現在の物価上昇は「強欲な企業たち」のせいで起こったと企業を非難している。自分たちの現金給付と脱炭素政策で起こったインフレに対してあまりにも馬鹿げたことである。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
サマーズ氏はこうした政治家たちを次のように批判する。

政治家たちが現在のインフレは企業の強欲さから引き起こされたと主張するとき、雇用の安定とインフレの沈静化の両方を達成できる日はどんどん遠のいてゆく。

上で述べたように今や物価高騰は労働市場と住宅バブルの問題となっており、コロナによる一時的な供給減少の問題、あるいはウォーレン氏の主張するように(何の根拠があるのだろう?)個別の企業の問題ではなくなっている。

インフレは加速する

現在のインフレが政策金利が1%以下の低金利下で続くとき、間違いなく1970年代のような2桁のインフレ率が待ち受けているだろう。

サマーズ氏: 中央銀行と市場はインフレを過小評価、政策金利は2.5%以上まで上がる
1970年代には当時のFed議長ポール・ボルカー氏が強烈な利上げを行い、厳しい不況と引き換えにインフレを沈静化させた。サマーズ氏はその繰り返しが起こらないよう祈っている。

ポール・ボルカー氏がFedの議長となった時に必要とされたような過激な経済縮小を回避できることを祈っているし、避けられるとも思っている。

しかしインフレの原因を企業の強欲さや特定の業界のせいにするような政治家たちのやり方は、経済を最終的に景気後退に導くリスクを生じさせる。

だがバイデン政権がサマーズ氏の期待に応えるようなことはありそうもない。もはや問題は、単に経済と株式市場はいつまでもつかということなのである。

2022年の株式市場はインフレと金融引き締めで暴落する
レイ・ダリオ氏など一部の投資家は、まだもう少し猶予があると考えている。

世界最大のヘッジファンド: インフレでも株式は魅力的な投資先


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18847
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c48

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
49. 中川隆[-14153] koaQ7Jey 2022年1月18日 07:51:21 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[10]
サマーズ氏、インフレを強欲な企業のせいとした民主党を批判
2022年1月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18847

アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏が、先週発表されたCPI(消費者物価指数)を受けてインフレについてコメントしている。

1970年代の物価高騰を繰り返す

12月のアメリカのインフレ率は遂に7%台に到達した。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
この発表を受け、サマーズ氏はこの水準がどれだけ高いか説明している。

インフレ率が去年の2/3の水準だった時にニクソン大統領は賃金の統制を行なった。現在のインフレ水準はベトナム戦争に起因する物価高騰の頂点よりもなお高い。

これはつまり、アメリカで物価高騰が止まらなくなった1970年代におけるインフレ第1波より高い水準にあるということである。当時のインフレ率は以下のようになっている。


少し前まで1970年代のインフレのようにはならないと言っている人が何人も居たが、現在のインフレ率は既に当時の水準に達しているということである。

インフレは一時的ではない

何故物価がここまで上昇するまで放置されてきたかと言えば、Fed(連邦準備制度)のパウエル議長やバイデン政権の政治家たちが何の根拠もなくインフレは一時的だと主張してきたからである。

ガンドラック氏: パウエル議長はただインフレが続かないように祈っているだけ
彼らは最初何の根拠もなくそう主張し、次に債券投資家のスコット・マイナード氏らがコロナによる一時的な半導体不足で中古車市場が高騰していると指摘すると、その主張をオウムのように繰り返してきた。

しかしインフレはそうした一時的な要素だけではないと何度も主張してきたのが、経済学者のなかで恐らく世界で唯一、金融の実務家にも一目置かれるサマーズ氏である。この状況をこれまで警告し続けてきたサマーズ氏は次のように言う。

経済統計はわたしが言い続けた通りの展開となっている。確かにインフレのいくらかの要素は一時的なもので、それらは後退するが、全体としては根強い物価上昇に向かっている。それはインフレ期待にも賃金の上昇にも労働力不足にも表れている。

労働市場はかなりの過熱状態にある。失業者に対する求人の比率はかなりの期間なかったほど高い。カウンセラーからマクドナルドの店員まで、労働者は何処でも不足している。経済の生産能力に比べて購買力と需要は過剰となっている。

このままではインフレは高止まりするだけでなく、加速し続けるだろう。

問題はもはやコロナで一時的に生産不足となった一部の商品だけのものではなく、経済全体のものとなっている。その証拠の1つは労働市場であり、もう1つの証拠は以下の記事でジェフリー・ガンドラック氏が言及していた住宅バブルだろう。

ガンドラック氏: 12才児よりも愚かな中央銀行の存在意義が分からない
インフレが止まらなければ、これまで経済と株価を支えてきた低金利政策を撤回して利上げなど金融引き締めを行わなければならなくなる。これまで低金利に依存してきた経済と株価がどれだけ耐えられるかは、あまり希望のある話ではない。

サマーズ氏は次のように言う。

実体経済は過熱しており、Fedは混乱を招くことなしに経済を冷却するという本当の困難に直面するだろうが、それに成功した例は過去にほとんどない。

目を背け続ける政治家たち

しかしどうやらFedとバイデン政権はインフレに上手く対処できそうにない。そもそもインフレという事実を1年以上の間認めなかった彼らに何が出来るだろうか。

彼らは最近になってようやくインフレの事実を認めたものの、今度はその原因を他人に押し付けようとしている。

アメリカ民主党のエリザベス・ウォーレン議員などは、現在の物価上昇は「強欲な企業たち」のせいで起こったと企業を非難している。自分たちの現金給付と脱炭素政策で起こったインフレに対してあまりにも馬鹿げたことである。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
サマーズ氏はこうした政治家たちを次のように批判する。

政治家たちが現在のインフレは企業の強欲さから引き起こされたと主張するとき、雇用の安定とインフレの沈静化の両方を達成できる日はどんどん遠のいてゆく。

上で述べたように今や物価高騰は労働市場と住宅バブルの問題となっており、コロナによる一時的な供給減少の問題、あるいはウォーレン氏の主張するように(何の根拠があるのだろう?)個別の企業の問題ではなくなっている。

インフレは加速する

現在のインフレが政策金利が1%以下の低金利下で続くとき、間違いなく1970年代のような2桁のインフレ率が待ち受けているだろう。

サマーズ氏: 中央銀行と市場はインフレを過小評価、政策金利は2.5%以上まで上がる
1970年代には当時のFed議長ポール・ボルカー氏が強烈な利上げを行い、厳しい不況と引き換えにインフレを沈静化させた。サマーズ氏はその繰り返しが起こらないよう祈っている。

ポール・ボルカー氏がFedの議長となった時に必要とされたような過激な経済縮小を回避できることを祈っているし、避けられるとも思っている。

しかしインフレの原因を企業の強欲さや特定の業界のせいにするような政治家たちのやり方は、経済を最終的に景気後退に導くリスクを生じさせる。

だがバイデン政権がサマーズ氏の期待に応えるようなことはありそうもない。もはや問題は、単に経済と株式市場はいつまでもつかということなのである。

2022年の株式市場はインフレと金融引き締めで暴落する
レイ・ダリオ氏など一部の投資家は、まだもう少し猶予があると考えている。

世界最大のヘッジファンド: インフレでも株式は魅力的な投資先


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18847
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c49

[近代史5] スタグフレーションに備えよ! 中川隆
15. 中川隆[-14152] koaQ7Jey 2022年1月18日 07:51:42 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[11]
サマーズ氏、インフレを強欲な企業のせいとした民主党を批判
2022年1月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18847

アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏が、先週発表されたCPI(消費者物価指数)を受けてインフレについてコメントしている。

1970年代の物価高騰を繰り返す

12月のアメリカのインフレ率は遂に7%台に到達した。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
この発表を受け、サマーズ氏はこの水準がどれだけ高いか説明している。

インフレ率が去年の2/3の水準だった時にニクソン大統領は賃金の統制を行なった。現在のインフレ水準はベトナム戦争に起因する物価高騰の頂点よりもなお高い。

これはつまり、アメリカで物価高騰が止まらなくなった1970年代におけるインフレ第1波より高い水準にあるということである。当時のインフレ率は以下のようになっている。


少し前まで1970年代のインフレのようにはならないと言っている人が何人も居たが、現在のインフレ率は既に当時の水準に達しているということである。

インフレは一時的ではない

何故物価がここまで上昇するまで放置されてきたかと言えば、Fed(連邦準備制度)のパウエル議長やバイデン政権の政治家たちが何の根拠もなくインフレは一時的だと主張してきたからである。

ガンドラック氏: パウエル議長はただインフレが続かないように祈っているだけ
彼らは最初何の根拠もなくそう主張し、次に債券投資家のスコット・マイナード氏らがコロナによる一時的な半導体不足で中古車市場が高騰していると指摘すると、その主張をオウムのように繰り返してきた。

しかしインフレはそうした一時的な要素だけではないと何度も主張してきたのが、経済学者のなかで恐らく世界で唯一、金融の実務家にも一目置かれるサマーズ氏である。この状況をこれまで警告し続けてきたサマーズ氏は次のように言う。

経済統計はわたしが言い続けた通りの展開となっている。確かにインフレのいくらかの要素は一時的なもので、それらは後退するが、全体としては根強い物価上昇に向かっている。それはインフレ期待にも賃金の上昇にも労働力不足にも表れている。

労働市場はかなりの過熱状態にある。失業者に対する求人の比率はかなりの期間なかったほど高い。カウンセラーからマクドナルドの店員まで、労働者は何処でも不足している。経済の生産能力に比べて購買力と需要は過剰となっている。

このままではインフレは高止まりするだけでなく、加速し続けるだろう。

問題はもはやコロナで一時的に生産不足となった一部の商品だけのものではなく、経済全体のものとなっている。その証拠の1つは労働市場であり、もう1つの証拠は以下の記事でジェフリー・ガンドラック氏が言及していた住宅バブルだろう。

ガンドラック氏: 12才児よりも愚かな中央銀行の存在意義が分からない
インフレが止まらなければ、これまで経済と株価を支えてきた低金利政策を撤回して利上げなど金融引き締めを行わなければならなくなる。これまで低金利に依存してきた経済と株価がどれだけ耐えられるかは、あまり希望のある話ではない。

サマーズ氏は次のように言う。

実体経済は過熱しており、Fedは混乱を招くことなしに経済を冷却するという本当の困難に直面するだろうが、それに成功した例は過去にほとんどない。

目を背け続ける政治家たち

しかしどうやらFedとバイデン政権はインフレに上手く対処できそうにない。そもそもインフレという事実を1年以上の間認めなかった彼らに何が出来るだろうか。

彼らは最近になってようやくインフレの事実を認めたものの、今度はその原因を他人に押し付けようとしている。

アメリカ民主党のエリザベス・ウォーレン議員などは、現在の物価上昇は「強欲な企業たち」のせいで起こったと企業を非難している。自分たちの現金給付と脱炭素政策で起こったインフレに対してあまりにも馬鹿げたことである。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
サマーズ氏はこうした政治家たちを次のように批判する。

政治家たちが現在のインフレは企業の強欲さから引き起こされたと主張するとき、雇用の安定とインフレの沈静化の両方を達成できる日はどんどん遠のいてゆく。

上で述べたように今や物価高騰は労働市場と住宅バブルの問題となっており、コロナによる一時的な供給減少の問題、あるいはウォーレン氏の主張するように(何の根拠があるのだろう?)個別の企業の問題ではなくなっている。

インフレは加速する

現在のインフレが政策金利が1%以下の低金利下で続くとき、間違いなく1970年代のような2桁のインフレ率が待ち受けているだろう。

サマーズ氏: 中央銀行と市場はインフレを過小評価、政策金利は2.5%以上まで上がる
1970年代には当時のFed議長ポール・ボルカー氏が強烈な利上げを行い、厳しい不況と引き換えにインフレを沈静化させた。サマーズ氏はその繰り返しが起こらないよう祈っている。

ポール・ボルカー氏がFedの議長となった時に必要とされたような過激な経済縮小を回避できることを祈っているし、避けられるとも思っている。

しかしインフレの原因を企業の強欲さや特定の業界のせいにするような政治家たちのやり方は、経済を最終的に景気後退に導くリスクを生じさせる。

だがバイデン政権がサマーズ氏の期待に応えるようなことはありそうもない。もはや問題は、単に経済と株式市場はいつまでもつかということなのである。

2022年の株式市場はインフレと金融引き締めで暴落する
レイ・ダリオ氏など一部の投資家は、まだもう少し猶予があると考えている。

世界最大のヘッジファンド: インフレでも株式は魅力的な投資先


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18847
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html#c15

[近代史4] バブル崩壊の歴史 中川隆
26. 中川隆[-14151] koaQ7Jey 2022年1月18日 08:00:37 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[13]

2022年01月18日
アメリカの超マネー経済、1社が1100兆円を保有

過去すべての経済危機はここから起きた


米マネー経済の桁外れぶり

アメリカは最近インフレが進行し、金利を上げて意図的に景気悪化させる必要が生じている。

だが今までに稼いだ金は桁外れで、おそらくアメリカ以外の全世界の国の合計より稼いでいる。

一例として米資産運用大手ブラックロックは22年1月、運用資産が10兆ドル(約1140兆円)を突破したと発表した。

ブラックロックを知っている人はまず居ないでしょうが、世界最大の資産運用会社で多くの企業を支配下に置いている。

メリルリンチ、PNC(第二合衆国銀行の後身)、バークレイズなどの筆頭株主で、無数の多国籍企業に関与している。

世界最大の投資機関ゴールドマンサックスは聞いたことがあると思いますが、資産家から預かった金額が200兆円に達している。


それをGSはレバレッジをかけて短期投資を繰り返すので、年間の総投資額は数千兆円だといわれている。

GSは100分の1秒の高速取引を得意とし、ノーリスクで安全に利ザヤを取る手法を繰り返している。

例えば日本のGDPが発表されるとGSはそれを100分の1秒ほど早く入手し、瞬時に売り買いし、市場が反応した後で決済する。


一度に得られる利益はわずかだが、最低でも一回1000億円投資するので年間では莫大な金額になる。

アップルは去年世界初の株式総額3兆ドルを達成し、他の米巨大IT企業も1兆ドルを上回っている。

その株式を保有する資産家は大富豪になり、テスラのイーロンマスクは25兆円もの資産を持っている。

次の経済危機は必ずアメリカから起きる

アメリカは現実の労働ではなく資産膨張で富を増やしたが、これが一気に加速したのは2007年から2010年の世界金融危機でした。

いわゆるリーマンショックで原因は元をただせば1990年代にビルクリントンが推し進めた債務の証券化でした。

債務の証券化とはホームレスに2000万円を担保なしで貸し付けて家を建てて、それを投資家に「高利回りの金融商品」と騙して売りつける事でした。


これが破綻したのが2007年のサブプライムショックで、その後の経済危機もこんな仕組みで発生しました。

当然アメリカはインチキ経済終息に向かったが、やればやるほどアメリカ経済は縮小していった。

アメリカの破産は秒読みと思われた時、FRBのバーナンキ議長は「空から金を撒きましょう」と言って数百兆円の金融緩和を行いました。


バーナンキがやったのはバブルが弾けたら、もっと大きなバブルを作れば良いという事でした。

この政策は大当たりしてアメリカ経済はあっという間に回復し、2010年には再び世界最強になりました。

その後10年間アメリカはIT産業を中心に巨大なバブル帝国を作り上げ、世界の全てに匹敵する富を創出した。


これがイーロンマスクやアップルの資産を築き、おこぼれで中国やアジアもバブルを楽しんだ。

歴史的に見るとアメリカは10数年に一度大きなバブル崩壊があり、小さな崩壊は数年ごとに起きています。

前回の大きな崩壊は2008年頃で、その前は97年から2000年のITバブル崩壊、ブラックマンデーやオイルショック、暗黒の木曜日もありました。


世界的経済危機の震源地は必ずアメリカで、日本の地震や中ロの崩壊は世界に関係ないです。

次の経済危機は必ずアメリカから起きるが、いつ起きるかは誰も知りません

https://www.thutmosev.com/archives/87572569.html#more
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/128.html#c26

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
69. 中川隆[-14150] koaQ7Jey 2022年1月18日 08:01:02 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[14]

2022年01月18日
アメリカの超マネー経済、1社が1100兆円を保有

過去すべての経済危機はここから起きた


米マネー経済の桁外れぶり

アメリカは最近インフレが進行し、金利を上げて意図的に景気悪化させる必要が生じている。

だが今までに稼いだ金は桁外れで、おそらくアメリカ以外の全世界の国の合計より稼いでいる。

一例として米資産運用大手ブラックロックは22年1月、運用資産が10兆ドル(約1140兆円)を突破したと発表した。

ブラックロックを知っている人はまず居ないでしょうが、世界最大の資産運用会社で多くの企業を支配下に置いている。

メリルリンチ、PNC(第二合衆国銀行の後身)、バークレイズなどの筆頭株主で、無数の多国籍企業に関与している。

世界最大の投資機関ゴールドマンサックスは聞いたことがあると思いますが、資産家から預かった金額が200兆円に達している。


それをGSはレバレッジをかけて短期投資を繰り返すので、年間の総投資額は数千兆円だといわれている。

GSは100分の1秒の高速取引を得意とし、ノーリスクで安全に利ザヤを取る手法を繰り返している。

例えば日本のGDPが発表されるとGSはそれを100分の1秒ほど早く入手し、瞬時に売り買いし、市場が反応した後で決済する。


一度に得られる利益はわずかだが、最低でも一回1000億円投資するので年間では莫大な金額になる。

アップルは去年世界初の株式総額3兆ドルを達成し、他の米巨大IT企業も1兆ドルを上回っている。

その株式を保有する資産家は大富豪になり、テスラのイーロンマスクは25兆円もの資産を持っている。

次の経済危機は必ずアメリカから起きる

アメリカは現実の労働ではなく資産膨張で富を増やしたが、これが一気に加速したのは2007年から2010年の世界金融危機でした。

いわゆるリーマンショックで原因は元をただせば1990年代にビルクリントンが推し進めた債務の証券化でした。

債務の証券化とはホームレスに2000万円を担保なしで貸し付けて家を建てて、それを投資家に「高利回りの金融商品」と騙して売りつける事でした。


これが破綻したのが2007年のサブプライムショックで、その後の経済危機もこんな仕組みで発生しました。

当然アメリカはインチキ経済終息に向かったが、やればやるほどアメリカ経済は縮小していった。

アメリカの破産は秒読みと思われた時、FRBのバーナンキ議長は「空から金を撒きましょう」と言って数百兆円の金融緩和を行いました。


バーナンキがやったのはバブルが弾けたら、もっと大きなバブルを作れば良いという事でした。

この政策は大当たりしてアメリカ経済はあっという間に回復し、2010年には再び世界最強になりました。

その後10年間アメリカはIT産業を中心に巨大なバブル帝国を作り上げ、世界の全てに匹敵する富を創出した。


これがイーロンマスクやアップルの資産を築き、おこぼれで中国やアジアもバブルを楽しんだ。

歴史的に見るとアメリカは10数年に一度大きなバブル崩壊があり、小さな崩壊は数年ごとに起きています。

前回の大きな崩壊は2008年頃で、その前は97年から2000年のITバブル崩壊、ブラックマンデーやオイルショック、暗黒の木曜日もありました。


世界的経済危機の震源地は必ずアメリカで、日本の地震や中ロの崩壊は世界に関係ないです。

次の経済危機は必ずアメリカから起きるが、いつ起きるかは誰も知りません

https://www.thutmosev.com/archives/87572569.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c69

[近代史5] 世界的インフレは株価暴落を引き起こす 2022年株式市場見通し 中川隆
20. 中川隆[-14149] koaQ7Jey 2022年1月18日 11:03:43 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[16]
金利上昇で高騰する銀行株の買い時・売り時を解説!
2022/01/14

金利上昇で高騰「銀行株」は買いか売りかホールドか?日本特有の値動きを考慮したトレード戦略=栫井駿介
2022年1月18日
https://www.mag2.com/p/money/1148067


金利上昇で株価が上がっている銀行株について、主にファンダメンタルズの方面から詳しく分析します。銀行株を持っている、またはこれから買おうとしている場合、どのような行動を取るべきでしょうか?(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)


銀行の利益はどこから?
アメリカの長期金利が上昇していて、2021年末には1.5%ほどだったものが2022年に入ると一時は1.8%を超えるまでになりました。

米国国債10年 日足(SBI証券提供)

これを受けて、「金利の上昇と言えば銀行株」ということで銀行株の株価が上昇しています。

220118_kakoi_1

しかし、PERを見てみるとまだかなり低い水準となっています。

株価が上昇しているのにPERは割安なので、まだ買えるのではないかと思えてしまいますが、果たして本当にそうなのでしょうか。

まず、銀行のビジネスモデルを簡単に説明します。

銀行は、人々からの預金を企業に貸し出したり有価証券で運用したりします。

220118_kakoi_2

企業に貸し出して回収するときの利息から、人々からの預金に付く利息を差し引いたものが利ざやとなり、そこから人件費などのコストを引いたものが最終的な銀行の利益となります。(図は預金利息を0.1%、企業への貸出利息を2.0%と仮定したもの)

このように銀行のビジネスモデルは非常に単純なものとなっています。

企業に貸し出す金利は市場金利+αという形で決まるので、市場金利が上昇すれば企業への貸出金利も上がることになります。

よって、【金利の上昇=銀行株の上昇】という連想が生まれるのです。


日本の金利は上がらない!?
では、アメリカの金利が上がったからと言って日本の金利も上がるのかというところです。

短期的に見ると、確かにある程度の連動性はあります。

日本の10年利回り国債金利も今年に入って大きく上がっています。

日本国債10年 日足(SBI証券提供)
日本国債10年 日足(SBI証券提供)

そもそもなぜアメリカが金利を上げようとしているかというと、最大の理由はインフレの抑制のためです。

これはアメリカのCPI(消費者物価指数)の推移です。

米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

物流の混乱や生産者の不足などでものの価格が上がっているところにさらに金融緩和でお金をばらまいていて、物価の上昇に拍車がかかっています。

2021年12月にはなんと7%も価格が上昇しました。

これが続くと、低所得者層や年金生活者は苦しくなってしまうので、これを抑えるために金利を引き上げて物価を下げるという動きを行わなければなりません。

ところが、今の日本のCPIはこのようになっています。

全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

確かに物価は上がっていますが、数字を見ると、0.6%に過ぎません。

アメリカの7%に対して0.6%なので、大して上がっていないというのが正直なところです。

日本も物価が上がり始めてはいますが、これは金融緩和によるものではなく、物流費や原油価格の上昇によるいわゆる“コストプッシュ型”のインフレなので、利上げを行ったところで物価にはさほど影響がないということになります。

国内情勢だけを見ると、日本は金利を上げる必要は必ずしもありません。

しかし、アメリカの金利に合わせて上げなければならないケースもあります。

アメリカの金利が上がると、自国で運用するよりアメリカに持って行って運用するほうが利益が出るということになるので、世界中からアメリカにお金が集まる、つまりドルが買われ、ドル高となります。

円安ドル高となってしまうと輸入物価が上昇してしまうので、それを抑えるために利上げを行ってアメリカに流れてしまったお金を引き戻さなければならないという側面があります。

一方で、日本には輸出企業が多く、円安になると海外競争力があがるので、円安はどちらかというと歓迎される向きがあります。

したがって、円安になったからと言ってそう簡単に利上げを行うかというと必ずしもそうではありません。

また、ドル/円のレートを見ても、今は1ドル=115円といったところで、過去と比べてもそこまで円安の状況ではありません。

米ドル/円 月足(SBI証券提供)


【関連】1ドル130円超に備えよ。日銀が円安を放置する3つの理由とは?逆風・追い風が吹く企業も解説=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/1127780


この間も日本の政策金利はほぼゼロでしたから、それでもそこまで円安になっていないので、日本はそう簡単に金利を上げないのではないかというのが私の考えです。


銀行の業績と金利の関係
しかしながら、メカニズムとしてはアメリカの金利が上がれば日本の金利も上がりやすいというところがあるので、仮に日本の金利が上がった時のことを考えてみましょう。

三菱UFJフィナンシャルグループを例に、金利と業績の関係を見てみます。

220118_kakoi_5

直近10年で、日本の金利は右肩下がりとなっていて、1%あったものがほぼゼロというところになっています。

しかし、1株当たりの利益は横ばいで、業績(株価)もほぼ横ばいとなっています。

長期的に見ると、金利と業績はあまり連動していないという結論がここから導き出せます。

したがって、今、金利の上昇で銀行株が上がっていますが、そんなに長くは続かないのではないか、という仮説が立てられるわけです。

では、金利と業績がなぜ連動しないのかということを考えてみます。

1つ目の仮説として、1%以下の微々たる金利変動では業績にそれほど影響は与えないのではないかというものです。

金利に対する業績の感応度はそれほど高くないということです。

逆に言えば、金利が2%3%と大きく上がっていくようであれば業績(株価)にも影響が出る可能性があると考えます。

2つ目の仮説は、銀行の利益の本質は「長短金利差」なのではないかということです。

先ほどは銀行の利益は運用金利(企業への貸出金利)から調達金利(預金利息)を引いたものと言いましたが、運用金利が上がる時には同時に調達金利も上がることになるので、単純に金利が上がったからと言って利益が増えるというわけではありません。

これは「イールドカーブ」と呼ばれるもので、金利とその償却期間の相関関係を表したものです。

220118_kakoi_6

期間が長くなるほど金利が上がっています。

預金者には6ヶ月や1年など比較的短い期間で利息を払い、企業には3年・5年といった長い期間で貸し出し、その金利の差が銀行の利益となります。

この長期と短期の金利差が大きくならないと銀行の利益は上がらないということになります。

イールドカーブの傾きが上がった時(スティープ化)、初めて銀行の利益が上がります。

しかし、長い期間で貸し出すと当然リスクも大きくなるので、今日本の銀行はそのリスクを下げようとして貸出期間を短くするという動きをしています。(レギュレーションの短期化)

それによって、この長短金利差の恩恵をあまり受けられなくなっているのです。

3つ目の仮説として、オーバーバンキングによる金利競争というものがあります。

実は今、預金量自体はどんどん増えています。

しかし、それを貸し出す先が無いのです。

国債で運用してもそれこそ金利がゼロに近いですから、できれば安定的に金利を払ってくれる優良企業に貸したいところですが、企業の方にも資金需要があまり無く、仮に借りたい企業があったとしても、貸したい銀行がたくさんあるので、より金利が低い銀行から借りようとし、どんどん金利が引き下がることになります。

長期金利とは直接関係なく、銀行は利益を得にくくなっているところです。

以上のことから、短期的な株価を見れば、金利が上がれば銀行株が上がりやすい側面がありますが、長期的に見ると、株価が上がり続けるためのベースとなる業績は簡単には上がらないということが言えます。


売る?買う?ホールド?銀行株の扱い方
結論としてはこうなります。

1. 国内金利が米国と連動して上がるかどうかは不透明
2. 国内金利が上昇したとして、過去10年の業績・株価の連動性は低い
3. 上昇基調の継続あるいはイールドカーブの鋭化があれば、長期的な株価の伸びも期待できる
(3)に関しては、金利やイールドカーブの状況によるので、事前に予測するのはなかなか難しいと思われます。

これを受けて、投資家はどのように動くべきか、私から提案させていただきます。

割安感もあり、既に銀行株を保有しているなら、もう利確のタイミングを探っても良いのではないかと思います。

このグラフを見れば分かるように、株価はボックス圏で、上がったり下がったりを繰り返しています。

(SBI証券提供)
(SBI証券提供)

なぜこのような動きをするかというと、銀行に成長性が見込まれておらず、上がったら早めに売ろうと考えている投資家が多いからです。

これから右肩上がりで上昇し続けることは、よほど金利が上がり続けたり長短金利差が広がり続けない限り、難しいと思われます。

したがって、ここまで上がればラッキーと思っていったん売るということを検討するべきだと思います。

配当目的で保有しているのなら、配当利回りは4%くらいあり、配当としては手堅いので、そのまま持ち続けても良いと思います。

1つの方法として、先ほども示した通り株価はボックス圏で動いているので、上がった時に売って下がったら買いなおすというのも配当株の買い方としておすすめです。

今、上昇しているのでこれから買おうとしている方も多いと思います。

確かにこの上昇トレンドでPERも低いので、上昇がしばらく続く可能性も大いにあります。

しかし、やはり成長性は厳しいですから、どこかで下げに転じることが考えられます。

今から買ってすっと放置というわけではなく、どこで売るかを意識したうえでエントリーするべきだと考えます。

まとめ
1. 割安感で保有していた人 → 利確のタイミングを探る
2. 配当目的で保有していた人 → 基本保有継続だが利確もアリ
3. これから買おうと思っている人 → まだ悪くないかもしれないが、売りどきは意識
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1325.html#c20

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
49. 中川隆[-14148] koaQ7Jey 2022年1月18日 11:04:39 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[17]
金利上昇で高騰する銀行株の買い時・売り時を解説!
2022/01/14



金利上昇で高騰「銀行株」は買いか売りかホールドか?日本特有の値動きを考慮したトレード戦略=栫井駿介
2022年1月18日
https://www.mag2.com/p/money/1148067


金利上昇で株価が上がっている銀行株について、主にファンダメンタルズの方面から詳しく分析します。銀行株を持っている、またはこれから買おうとしている場合、どのような行動を取るべきでしょうか?(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)


銀行の利益はどこから?
アメリカの長期金利が上昇していて、2021年末には1.5%ほどだったものが2022年に入ると一時は1.8%を超えるまでになりました。

米国国債10年 日足(SBI証券提供)

これを受けて、「金利の上昇と言えば銀行株」ということで銀行株の株価が上昇しています。

220118_kakoi_1

しかし、PERを見てみるとまだかなり低い水準となっています。

株価が上昇しているのにPERは割安なので、まだ買えるのではないかと思えてしまいますが、果たして本当にそうなのでしょうか。



まず、銀行のビジネスモデルを簡単に説明します。

銀行は、人々からの預金を企業に貸し出したり有価証券で運用したりします。

220118_kakoi_2

企業に貸し出して回収するときの利息から、人々からの預金に付く利息を差し引いたものが利ざやとなり、そこから人件費などのコストを引いたものが最終的な銀行の利益となります。(図は預金利息を0.1%、企業への貸出利息を2.0%と仮定したもの)

このように銀行のビジネスモデルは非常に単純なものとなっています。



企業に貸し出す金利は市場金利+αという形で決まるので、市場金利が上昇すれば企業への貸出金利も上がることになります。

よって、【金利の上昇=銀行株の上昇】という連想が生まれるのです。


日本の金利は上がらない!?
では、アメリカの金利が上がったからと言って日本の金利も上がるのかというところです。

短期的に見ると、確かにある程度の連動性はあります。



日本の10年利回り国債金利も今年に入って大きく上がっています。

日本国債10年 日足(SBI証券提供)
日本国債10年 日足(SBI証券提供)

そもそもなぜアメリカが金利を上げようとしているかというと、最大の理由はインフレの抑制のためです。

これはアメリカのCPI(消費者物価指数)の推移です。

米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

物流の混乱や生産者の不足などでものの価格が上がっているところにさらに金融緩和でお金をばらまいていて、物価の上昇に拍車がかかっています。



2021年12月にはなんと7%も価格が上昇しました。

これが続くと、低所得者層や年金生活者は苦しくなってしまうので、これを抑えるために金利を引き上げて物価を下げるという動きを行わなければなりません。

ところが、今の日本のCPIはこのようになっています。

全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

確かに物価は上がっていますが、数字を見ると、0.6%に過ぎません。

アメリカの7%に対して0.6%なので、大して上がっていないというのが正直なところです。

日本も物価が上がり始めてはいますが、これは金融緩和によるものではなく、物流費や原油価格の上昇によるいわゆる“コストプッシュ型”のインフレなので、利上げを行ったところで物価にはさほど影響がないということになります。

国内情勢だけを見ると、日本は金利を上げる必要は必ずしもありません。

しかし、アメリカの金利に合わせて上げなければならないケースもあります。

アメリカの金利が上がると、自国で運用するよりアメリカに持って行って運用するほうが利益が出るということになるので、世界中からアメリカにお金が集まる、つまりドルが買われ、ドル高となります。

円安ドル高となってしまうと輸入物価が上昇してしまうので、それを抑えるために利上げを行ってアメリカに流れてしまったお金を引き戻さなければならないという側面があります。

一方で、日本には輸出企業が多く、円安になると海外競争力があがるので、円安はどちらかというと歓迎される向きがあります。

したがって、円安になったからと言ってそう簡単に利上げを行うかというと必ずしもそうではありません。

また、ドル/円のレートを見ても、今は1ドル=115円といったところで、過去と比べてもそこまで円安の状況ではありません。

米ドル/円 月足(SBI証券提供)


【関連】1ドル130円超に備えよ。日銀が円安を放置する3つの理由とは?逆風・追い風が吹く企業も解説=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/1127780


この間も日本の政策金利はほぼゼロでしたから、それでもそこまで円安になっていないので、日本はそう簡単に金利を上げないのではないかというのが私の考えです。


銀行の業績と金利の関係
しかしながら、メカニズムとしてはアメリカの金利が上がれば日本の金利も上がりやすいというところがあるので、仮に日本の金利が上がった時のことを考えてみましょう。

三菱UFJフィナンシャルグループを例に、金利と業績の関係を見てみます。



220118_kakoi_5

直近10年で、日本の金利は右肩下がりとなっていて、1%あったものがほぼゼロというところになっています。

しかし、1株当たりの利益は横ばいで、業績(株価)もほぼ横ばいとなっています。

長期的に見ると、金利と業績はあまり連動していないという結論がここから導き出せます。

したがって、今、金利の上昇で銀行株が上がっていますが、そんなに長くは続かないのではないか、という仮説が立てられるわけです。



では、金利と業績がなぜ連動しないのかということを考えてみます。

1つ目の仮説として、1%以下の微々たる金利変動では業績にそれほど影響は与えないのではないかというものです。

金利に対する業績の感応度はそれほど高くないということです。

逆に言えば、金利が2%3%と大きく上がっていくようであれば業績(株価)にも影響が出る可能性があると考えます。

2つ目の仮説は、銀行の利益の本質は「長短金利差」なのではないかということです。

先ほどは銀行の利益は運用金利(企業への貸出金利)から調達金利(預金利息)を引いたものと言いましたが、運用金利が上がる時には同時に調達金利も上がることになるので、単純に金利が上がったからと言って利益が増えるというわけではありません。

これは「イールドカーブ」と呼ばれるもので、金利とその償却期間の相関関係を表したものです。

220118_kakoi_6

期間が長くなるほど金利が上がっています。

預金者には6ヶ月や1年など比較的短い期間で利息を払い、企業には3年・5年といった長い期間で貸し出し、その金利の差が銀行の利益となります。

この長期と短期の金利差が大きくならないと銀行の利益は上がらないということになります。

イールドカーブの傾きが上がった時(スティープ化)、初めて銀行の利益が上がります。

しかし、長い期間で貸し出すと当然リスクも大きくなるので、今日本の銀行はそのリスクを下げようとして貸出期間を短くするという動きをしています。(レギュレーションの短期化)

それによって、この長短金利差の恩恵をあまり受けられなくなっているのです。

3つ目の仮説として、オーバーバンキングによる金利競争というものがあります。

実は今、預金量自体はどんどん増えています。

しかし、それを貸し出す先が無いのです。

国債で運用してもそれこそ金利がゼロに近いですから、できれば安定的に金利を払ってくれる優良企業に貸したいところですが、企業の方にも資金需要があまり無く、仮に借りたい企業があったとしても、貸したい銀行がたくさんあるので、より金利が低い銀行から借りようとし、どんどん金利が引き下がることになります。



長期金利とは直接関係なく、銀行は利益を得にくくなっているところです。

以上のことから、短期的な株価を見れば、金利が上がれば銀行株が上がりやすい側面がありますが、長期的に見ると、株価が上がり続けるためのベースとなる業績は簡単には上がらないということが言えます。


売る?買う?ホールド?銀行株の扱い方
結論としてはこうなります。

1. 国内金利が米国と連動して上がるかどうかは不透明
2. 国内金利が上昇したとして、過去10年の業績・株価の連動性は低い
3. 上昇基調の継続あるいはイールドカーブの鋭化があれば、長期的な株価の伸びも期待できる
(3)に関しては、金利やイールドカーブの状況によるので、事前に予測するのはなかなか難しいと思われます。



これを受けて、投資家はどのように動くべきか、私から提案させていただきます。

割安感もあり、既に銀行株を保有しているなら、もう利確のタイミングを探っても良いのではないかと思います。

このグラフを見れば分かるように、株価はボックス圏で、上がったり下がったりを繰り返しています。

(SBI証券提供)
(SBI証券提供)

なぜこのような動きをするかというと、銀行に成長性が見込まれておらず、上がったら早めに売ろうと考えている投資家が多いからです。



これから右肩上がりで上昇し続けることは、よほど金利が上がり続けたり長短金利差が広がり続けない限り、難しいと思われます。

したがって、ここまで上がればラッキーと思っていったん売るということを検討するべきだと思います。

配当目的で保有しているのなら、配当利回りは4%くらいあり、配当としては手堅いので、そのまま持ち続けても良いと思います。

1つの方法として、先ほども示した通り株価はボックス圏で動いているので、上がった時に売って下がったら買いなおすというのも配当株の買い方としておすすめです。

今、上昇しているのでこれから買おうとしている方も多いと思います。

確かにこの上昇トレンドでPERも低いので、上昇がしばらく続く可能性も大いにあります。

しかし、やはり成長性は厳しいですから、どこかで下げに転じることが考えられます。

今から買ってすっと放置というわけではなく、どこで売るかを意識したうえでエントリーするべきだと考えます。

まとめ
1. 割安感で保有していた人 → 利確のタイミングを探る
2. 配当目的で保有していた人 → 基本保有継続だが利確もアリ
3. これから買おうと思っている人 → まだ悪くないかもしれないが、売りどきは意識

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c49
[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
50. 中川隆[-14147] koaQ7Jey 2022年1月18日 11:05:18 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[18]
金利上昇で高騰する銀行株の買い時・売り時を解説!
2022/01/14



金利上昇で高騰「銀行株」は買いか売りかホールドか?日本特有の値動きを考慮したトレード戦略=栫井駿介
2022年1月18日
https://www.mag2.com/p/money/1148067


金利上昇で株価が上がっている銀行株について、主にファンダメンタルズの方面から詳しく分析します。銀行株を持っている、またはこれから買おうとしている場合、どのような行動を取るべきでしょうか?(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)


銀行の利益はどこから?
アメリカの長期金利が上昇していて、2021年末には1.5%ほどだったものが2022年に入ると一時は1.8%を超えるまでになりました。

米国国債10年 日足(SBI証券提供)

これを受けて、「金利の上昇と言えば銀行株」ということで銀行株の株価が上昇しています。

220118_kakoi_1

しかし、PERを見てみるとまだかなり低い水準となっています。

株価が上昇しているのにPERは割安なので、まだ買えるのではないかと思えてしまいますが、果たして本当にそうなのでしょうか。



まず、銀行のビジネスモデルを簡単に説明します。

銀行は、人々からの預金を企業に貸し出したり有価証券で運用したりします。

220118_kakoi_2

企業に貸し出して回収するときの利息から、人々からの預金に付く利息を差し引いたものが利ざやとなり、そこから人件費などのコストを引いたものが最終的な銀行の利益となります。(図は預金利息を0.1%、企業への貸出利息を2.0%と仮定したもの)

このように銀行のビジネスモデルは非常に単純なものとなっています。



企業に貸し出す金利は市場金利+αという形で決まるので、市場金利が上昇すれば企業への貸出金利も上がることになります。

よって、【金利の上昇=銀行株の上昇】という連想が生まれるのです。


日本の金利は上がらない!?
では、アメリカの金利が上がったからと言って日本の金利も上がるのかというところです。

短期的に見ると、確かにある程度の連動性はあります。



日本の10年利回り国債金利も今年に入って大きく上がっています。

日本国債10年 日足(SBI証券提供)
日本国債10年 日足(SBI証券提供)

そもそもなぜアメリカが金利を上げようとしているかというと、最大の理由はインフレの抑制のためです。

これはアメリカのCPI(消費者物価指数)の推移です。

米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

物流の混乱や生産者の不足などでものの価格が上がっているところにさらに金融緩和でお金をばらまいていて、物価の上昇に拍車がかかっています。



2021年12月にはなんと7%も価格が上昇しました。

これが続くと、低所得者層や年金生活者は苦しくなってしまうので、これを抑えるために金利を引き上げて物価を下げるという動きを行わなければなりません。

ところが、今の日本のCPIはこのようになっています。

全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

確かに物価は上がっていますが、数字を見ると、0.6%に過ぎません。

アメリカの7%に対して0.6%なので、大して上がっていないというのが正直なところです。

日本も物価が上がり始めてはいますが、これは金融緩和によるものではなく、物流費や原油価格の上昇によるいわゆる“コストプッシュ型”のインフレなので、利上げを行ったところで物価にはさほど影響がないということになります。

国内情勢だけを見ると、日本は金利を上げる必要は必ずしもありません。

しかし、アメリカの金利に合わせて上げなければならないケースもあります。

アメリカの金利が上がると、自国で運用するよりアメリカに持って行って運用するほうが利益が出るということになるので、世界中からアメリカにお金が集まる、つまりドルが買われ、ドル高となります。

円安ドル高となってしまうと輸入物価が上昇してしまうので、それを抑えるために利上げを行ってアメリカに流れてしまったお金を引き戻さなければならないという側面があります。

一方で、日本には輸出企業が多く、円安になると海外競争力があがるので、円安はどちらかというと歓迎される向きがあります。

したがって、円安になったからと言ってそう簡単に利上げを行うかというと必ずしもそうではありません。

また、ドル/円のレートを見ても、今は1ドル=115円といったところで、過去と比べてもそこまで円安の状況ではありません。

米ドル/円 月足(SBI証券提供)


【関連】1ドル130円超に備えよ。日銀が円安を放置する3つの理由とは?逆風・追い風が吹く企業も解説=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/1127780


この間も日本の政策金利はほぼゼロでしたから、それでもそこまで円安になっていないので、日本はそう簡単に金利を上げないのではないかというのが私の考えです。


銀行の業績と金利の関係
しかしながら、メカニズムとしてはアメリカの金利が上がれば日本の金利も上がりやすいというところがあるので、仮に日本の金利が上がった時のことを考えてみましょう。

三菱UFJフィナンシャルグループを例に、金利と業績の関係を見てみます。



220118_kakoi_5

直近10年で、日本の金利は右肩下がりとなっていて、1%あったものがほぼゼロというところになっています。

しかし、1株当たりの利益は横ばいで、業績(株価)もほぼ横ばいとなっています。

長期的に見ると、金利と業績はあまり連動していないという結論がここから導き出せます。

したがって、今、金利の上昇で銀行株が上がっていますが、そんなに長くは続かないのではないか、という仮説が立てられるわけです。



では、金利と業績がなぜ連動しないのかということを考えてみます。

1つ目の仮説として、1%以下の微々たる金利変動では業績にそれほど影響は与えないのではないかというものです。

金利に対する業績の感応度はそれほど高くないということです。

逆に言えば、金利が2%3%と大きく上がっていくようであれば業績(株価)にも影響が出る可能性があると考えます。

2つ目の仮説は、銀行の利益の本質は「長短金利差」なのではないかということです。

先ほどは銀行の利益は運用金利(企業への貸出金利)から調達金利(預金利息)を引いたものと言いましたが、運用金利が上がる時には同時に調達金利も上がることになるので、単純に金利が上がったからと言って利益が増えるというわけではありません。

これは「イールドカーブ」と呼ばれるもので、金利とその償却期間の相関関係を表したものです。

220118_kakoi_6

期間が長くなるほど金利が上がっています。

預金者には6ヶ月や1年など比較的短い期間で利息を払い、企業には3年・5年といった長い期間で貸し出し、その金利の差が銀行の利益となります。

この長期と短期の金利差が大きくならないと銀行の利益は上がらないということになります。

イールドカーブの傾きが上がった時(スティープ化)、初めて銀行の利益が上がります。

しかし、長い期間で貸し出すと当然リスクも大きくなるので、今日本の銀行はそのリスクを下げようとして貸出期間を短くするという動きをしています。(レギュレーションの短期化)

それによって、この長短金利差の恩恵をあまり受けられなくなっているのです。

3つ目の仮説として、オーバーバンキングによる金利競争というものがあります。

実は今、預金量自体はどんどん増えています。

しかし、それを貸し出す先が無いのです。

国債で運用してもそれこそ金利がゼロに近いですから、できれば安定的に金利を払ってくれる優良企業に貸したいところですが、企業の方にも資金需要があまり無く、仮に借りたい企業があったとしても、貸したい銀行がたくさんあるので、より金利が低い銀行から借りようとし、どんどん金利が引き下がることになります。



長期金利とは直接関係なく、銀行は利益を得にくくなっているところです。

以上のことから、短期的な株価を見れば、金利が上がれば銀行株が上がりやすい側面がありますが、長期的に見ると、株価が上がり続けるためのベースとなる業績は簡単には上がらないということが言えます。


売る?買う?ホールド?銀行株の扱い方
結論としてはこうなります。

1. 国内金利が米国と連動して上がるかどうかは不透明
2. 国内金利が上昇したとして、過去10年の業績・株価の連動性は低い
3. 上昇基調の継続あるいはイールドカーブの鋭化があれば、長期的な株価の伸びも期待できる
(3)に関しては、金利やイールドカーブの状況によるので、事前に予測するのはなかなか難しいと思われます。



これを受けて、投資家はどのように動くべきか、私から提案させていただきます。

割安感もあり、既に銀行株を保有しているなら、もう利確のタイミングを探っても良いのではないかと思います。

このグラフを見れば分かるように、株価はボックス圏で、上がったり下がったりを繰り返しています。

(SBI証券提供)
(SBI証券提供)

なぜこのような動きをするかというと、銀行に成長性が見込まれておらず、上がったら早めに売ろうと考えている投資家が多いからです。



これから右肩上がりで上昇し続けることは、よほど金利が上がり続けたり長短金利差が広がり続けない限り、難しいと思われます。

したがって、ここまで上がればラッキーと思っていったん売るということを検討するべきだと思います。

配当目的で保有しているのなら、配当利回りは4%くらいあり、配当としては手堅いので、そのまま持ち続けても良いと思います。

1つの方法として、先ほども示した通り株価はボックス圏で動いているので、上がった時に売って下がったら買いなおすというのも配当株の買い方としておすすめです。

今、上昇しているのでこれから買おうとしている方も多いと思います。

確かにこの上昇トレンドでPERも低いので、上昇がしばらく続く可能性も大いにあります。

しかし、やはり成長性は厳しいですから、どこかで下げに転じることが考えられます。

今から買ってすっと放置というわけではなく、どこで売るかを意識したうえでエントリーするべきだと考えます。

まとめ
1. 割安感で保有していた人 → 利確のタイミングを探る
2. 配当目的で保有していた人 → 基本保有継続だが利確もアリ
3. これから買おうと思っている人 → まだ悪くないかもしれないが、売りどきは意識

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c50
[近代史5] スタグフレーションに備えよ! 中川隆
16. 中川隆[-14146] koaQ7Jey 2022年1月18日 11:22:29 : 3ECNedPwGs : RnhEczdWSW94cW8=[19]
金利上昇で高騰する銀行株の買い時・売り時を解説!
2022/01/14



金利上昇で高騰「銀行株」は買いか売りかホールドか?日本特有の値動きを考慮したトレード戦略=栫井駿介
2022年1月18日
https://www.mag2.com/p/money/1148067


金利上昇で株価が上がっている銀行株について、主にファンダメンタルズの方面から詳しく分析します。銀行株を持っている、またはこれから買おうとしている場合、どのような行動を取るべきでしょうか?(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)


銀行の利益はどこから?
アメリカの長期金利が上昇していて、2021年末には1.5%ほどだったものが2022年に入ると一時は1.8%を超えるまでになりました。

米国国債10年 日足(SBI証券提供)

これを受けて、「金利の上昇と言えば銀行株」ということで銀行株の株価が上昇しています。

220118_kakoi_1

しかし、PERを見てみるとまだかなり低い水準となっています。

株価が上昇しているのにPERは割安なので、まだ買えるのではないかと思えてしまいますが、果たして本当にそうなのでしょうか。



まず、銀行のビジネスモデルを簡単に説明します。

銀行は、人々からの預金を企業に貸し出したり有価証券で運用したりします。

220118_kakoi_2

企業に貸し出して回収するときの利息から、人々からの預金に付く利息を差し引いたものが利ざやとなり、そこから人件費などのコストを引いたものが最終的な銀行の利益となります。(図は預金利息を0.1%、企業への貸出利息を2.0%と仮定したもの)

このように銀行のビジネスモデルは非常に単純なものとなっています。



企業に貸し出す金利は市場金利+αという形で決まるので、市場金利が上昇すれば企業への貸出金利も上がることになります。

よって、【金利の上昇=銀行株の上昇】という連想が生まれるのです。


日本の金利は上がらない!?
では、アメリカの金利が上がったからと言って日本の金利も上がるのかというところです。

短期的に見ると、確かにある程度の連動性はあります。



日本の10年利回り国債金利も今年に入って大きく上がっています。

日本国債10年 日足(SBI証券提供)
日本国債10年 日足(SBI証券提供)

そもそもなぜアメリカが金利を上げようとしているかというと、最大の理由はインフレの抑制のためです。

これはアメリカのCPI(消費者物価指数)の推移です。

米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
米国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

物流の混乱や生産者の不足などでものの価格が上がっているところにさらに金融緩和でお金をばらまいていて、物価の上昇に拍車がかかっています。



2021年12月にはなんと7%も価格が上昇しました。

これが続くと、低所得者層や年金生活者は苦しくなってしまうので、これを抑えるために金利を引き上げて物価を下げるという動きを行わなければなりません。

ところが、今の日本のCPIはこのようになっています。

全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス
全国消費者物価指数(CPI) ※出典:Yahoo!ファイナンス

確かに物価は上がっていますが、数字を見ると、0.6%に過ぎません。

アメリカの7%に対して0.6%なので、大して上がっていないというのが正直なところです。

日本も物価が上がり始めてはいますが、これは金融緩和によるものではなく、物流費や原油価格の上昇によるいわゆる“コストプッシュ型”のインフレなので、利上げを行ったところで物価にはさほど影響がないということになります。

国内情勢だけを見ると、日本は金利を上げる必要は必ずしもありません。

しかし、アメリカの金利に合わせて上げなければならないケースもあります。

アメリカの金利が上がると、自国で運用するよりアメリカに持って行って運用するほうが利益が出るということになるので、世界中からアメリカにお金が集まる、つまりドルが買われ、ドル高となります。

円安ドル高となってしまうと輸入物価が上昇してしまうので、それを抑えるために利上げを行ってアメリカに流れてしまったお金を引き戻さなければならないという側面があります。

一方で、日本には輸出企業が多く、円安になると海外競争力があがるので、円安はどちらかというと歓迎される向きがあります。

したがって、円安になったからと言ってそう簡単に利上げを行うかというと必ずしもそうではありません。

また、ドル/円のレートを見ても、今は1ドル=115円といったところで、過去と比べてもそこまで円安の状況ではありません。

米ドル/円 月足(SBI証券提供)


【関連】1ドル130円超に備えよ。日銀が円安を放置する3つの理由とは?逆風・追い風が吹く企業も解説=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/1127780


この間も日本の政策金利はほぼゼロでしたから、それでもそこまで円安になっていないので、日本はそう簡単に金利を上げないのではないかというのが私の考えです。


銀行の業績と金利の関係
しかしながら、メカニズムとしてはアメリカの金利が上がれば日本の金利も上がりやすいというところがあるので、仮に日本の金利が上がった時のことを考えてみましょう。

三菱UFJフィナンシャルグループを例に、金利と業績の関係を見てみます。



220118_kakoi_5

直近10年で、日本の金利は右肩下がりとなっていて、1%あったものがほぼゼロというところになっています。

しかし、1株当たりの利益は横ばいで、業績(株価)もほぼ横ばいとなっています。

長期的に見ると、金利と業績はあまり連動していないという結論がここから導き出せます。

したがって、今、金利の上昇で銀行株が上がっていますが、そんなに長くは続かないのではないか、という仮説が立てられるわけです。



では、金利と業績がなぜ連動しないのかということを考えてみます。

1つ目の仮説として、1%以下の微々たる金利変動では業績にそれほど影響は与えないのではないかというものです。

金利に対する業績の感応度はそれほど高くないということです。

逆に言えば、金利が2%3%と大きく上がっていくようであれば業績(株価)にも影響が出る可能性があると考えます。

2つ目の仮説は、銀行の利益の本質は「長短金利差」なのではないかということです。

先ほどは銀行の利益は運用金利(企業への貸出金利)から調達金利(預金利息)を引いたものと言いましたが、運用金利が上がる時には同時に調達金利も上がることになるので、単純に金利が上がったからと言って利益が増えるというわけではありません。

これは「イールドカーブ」と呼ばれるもので、金利とその償却期間の相関関係を表したものです。

220118_kakoi_6

期間が長くなるほど金利が上がっています。

預金者には6ヶ月や1年など比較的短い期間で利息を払い、企業には3年・5年といった長い期間で貸し出し、その金利の差が銀行の利益となります。

この長期と短期の金利差が大きくならないと銀行の利益は上がらないということになります。

イールドカーブの傾きが上がった時(スティープ化)、初めて銀行の利益が上がります。

しかし、長い期間で貸し出すと当然リスクも大きくなるので、今日本の銀行はそのリスクを下げようとして貸出期間を短くするという動きをしています。(レギュレーションの短期化)

それによって、この長短金利差の恩恵をあまり受けられなくなっているのです。

3つ目の仮説として、オーバーバンキングによる金利競争というものがあります。

実は今、預金量自体はどんどん増えています。

しかし、それを貸し出す先が無いのです。

国債で運用してもそれこそ金利がゼロに近いですから、できれば安定的に金利を払ってくれる優良企業に貸したいところですが、企業の方にも資金需要があまり無く、仮に借りたい企業があったとしても、貸したい銀行がたくさんあるので、より金利が低い銀行から借りようとし、どんどん金利が引き下がることになります。



長期金利とは直接関係なく、銀行は利益を得にくくなっているところです。

以上のことから、短期的な株価を見れば、金利が上がれば銀行株が上がりやすい側面がありますが、長期的に見ると、株価が上がり続けるためのベースとなる業績は簡単には上がらないということが言えます。


売る?買う?ホールド?銀行株の扱い方
結論としてはこうなります。

1. 国内金利が米国と連動して上がるかどうかは不透明
2. 国内金利が上昇したとして、過去10年の業績・株価の連動性は低い
3. 上昇基調の継続あるいはイールドカーブの鋭化があれば、長期的な株価の伸びも期待できる
(3)に関しては、金利やイールドカーブの状況によるので、事前に予測するのはなかなか難しいと思われます。



これを受けて、投資家はどのように動くべきか、私から提案させていただきます。

割安感もあり、既に銀行株を保有しているなら、もう利確のタイミングを探っても良いのではないかと思います。

このグラフを見れば分かるように、株価はボックス圏で、上がったり下がったりを繰り返しています。

(SBI証券提供)
(SBI証券提供)

なぜこのような動きをするかというと、銀行に成長性が見込まれておらず、上がったら早めに売ろうと考えている投資家が多いからです。



これから右肩上がりで上昇し続けることは、よほど金利が上がり続けたり長短金利差が広がり続けない限り、難しいと思われます。

したがって、ここまで上がればラッキーと思っていったん売るということを検討するべきだと思います。

配当目的で保有しているのなら、配当利回りは4%くらいあり、配当としては手堅いので、そのまま持ち続けても良いと思います。

1つの方法として、先ほども示した通り株価はボックス圏で動いているので、上がった時に売って下がったら買いなおすというのも配当株の買い方としておすすめです。

今、上昇しているのでこれから買おうとしている方も多いと思います。

確かにこの上昇トレンドでPERも低いので、上昇がしばらく続く可能性も大いにあります。

しかし、やはり成長性は厳しいですから、どこかで下げに転じることが考えられます。

今から買ってすっと放置というわけではなく、どこで売るかを意識したうえでエントリーするべきだと考えます。

まとめ
1. 割安感で保有していた人 → 利確のタイミングを探る
2. 配当目的で保有していた人 → 基本保有継続だが利確もアリ
3. これから買おうと思っている人 → まだ悪くないかもしれないが、売りどきは意識

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html#c16
[近代史4] 「マネタリーベース」とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan
「マネタリーベース」とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan

マネタリーベースとは、「日本銀行が世の中に直接的に供給するお金」のことです。具体的には、市中に出回っているお金である流通現金(「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」)と日本銀行当座預金(日銀当座預金)の合計値です。

マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」
https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/statistics/h06.htm/


【教えて! お金の先生 証券編】 - Yahoo!ファイナンス


マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」

という定義で
現金通貨と「日銀当座預金」が別物として扱われているのがよく分かりません。
前者の額は後者に含まれているような気がしてました。

@日銀当座預金が増えるのは、例えば日銀が市中銀行から国債を買った時
A日銀が持っている現金通貨が社会に出回るのも、例えば日銀が国債を買った時

という、私が抱いているイメージの少なくともどちらかが間違っているのだと思いますが、どこが間違ってますか?
syo******** さん
質問日:2017/12/12


ベストアンサーに選ばれた回答

現金通貨がどのようにして世の中に出回るかというと、

まず銀行が預金者の現金引き出しを予測して、保有している日銀当座預金を現金通貨に交換します。

そして預金者がATMや銀行窓口で現金引き出しをすることにより、現金通貨は世の中に出回ることになります。現金通貨が世の中に出回るルートはこれ以外にありません。

リオさん
回答日:2017/12/12

これはめんどくさいんだけれど
(あんまり真面目に
考えない方がいいですよ。
あくまでも建前ですから)、

この場合、「現金通貨」というのは
硬貨(1円玉、5円玉、10円、、、500円玉、
各種記念硬貨)のことを
指しています

で、法律的・会計的な建てつけとしては

硬貨と紙幣は
全然意味が違って、

紙幣は負債、

硬貨は現物資産(まあ、
一種の「商品」)

ということなんですよ。

紙幣(日銀券)というのは
将来、日銀が
償還を約束している証紙、

硬貨というのは
その硬貨の素材が
金属であることによって
金属自体の価値によって
流通している商品
(日銀は
その価値を保証しているわけでは
無い)

という位置づけなんです。
(その一方で
硬貨を溶かしたり
鋳潰したりすると
法律で罰せられることになりますから、
矛盾しているわけですが。)

さて、その上で、
ご質問中、
@、Aに書かれていることは
正しいです。
間違っていません。
(まあ、Aについては
厳密には
「国債を購入したとき」
ではなくて、
「国債を売却した結果、
日銀当預が増加し、
その日銀当預の
一部または全部を
払戻ししたとき」
ということになりますけど、
些末な話です。)

では貨幣が
日銀券と区別され、
「日銀の負債」ではない、
というのは、
どういうことか、
というと、

日銀の
貸借対照表を見ると
左上のほう、
つまり、
資産方に
「現金」という
項目があります。
これが硬貨なんです。

会計的な話ですけれど、
銀行が日銀から
借入をする、あるいは
国債を売却すると

銀行は、日銀当座預金を
受取ります。

で、そのあと、
銀行が日銀に
紙幣あるいは硬貨、つまり
現金の払戻しを
請求する。

そうすると、日銀は
銀行の請求に従って
紙幣あるいは
硬貨を提供する。
だから、
受け取る側(民間銀行)に
とっては、
紙幣も硬貨も
全く同じです。
何が違うか、というと
日銀側の勘定処理です。

紙幣を提供する場合は
単に、
日銀当座預金を
発券銀行券に
振り替えるだけです。
つまり、日銀の
負債項目の中で
日銀当預の一部が
銀行券に代わるだけで、
総資産額には
変化がない。

ところが
貨幣(硬貨)への払戻しが
行われると、
日銀の貸借対照表上、
日銀当預が減少する見返りに
資産項目の
現金が減少して
日銀の総資産額が
減少することになります。

つまり、
日銀当預⇒現金(紙幣・硬貨)
という流れには
違いがあるわけではなく、
単に、
日銀側で
負債項目の中で振替えられるか、
負債が減少した分
資産が減少するのか、
という違いなのです。

なぜこのような違いが
生じるのかというと、

紙幣(日銀券)は
日銀が発行した証紙であり、
将来、
日銀自身が
再び日銀当預に置き換えることを
約束している、
それだけで流通する
紙切れにすぎません。

他方、硬貨のほうは
日銀ではなく、
政府(財務省)が
発行主体であり、
日銀は、政府が
生産・発行した硬貨を、
代金を支払って
「商品」として仕入れているのです。
政府は
原材料を仕入れ
それを加工し
それにマージンを上乗せする形で
日銀に売却しています。
日銀は
政府から購入した「商品」を
その仕入れ値で
自らの資産として計上し
それを
自分自身の負債(日銀当預)との
交換で、
民間銀行に売却しているわけです。

――と、言ったって
実際には
日銀券と変わらないじゃないか、
銀行が硬貨を日銀に持ち込んだら
日銀は
それを日銀当預と
交換してくれないの?
預金できるんでしょ?
と、言われたら
そりゃ銀行は
紙幣だけではなく、
硬貨だって
日銀に預金しますよ。
だから、実質的に
銀行から見たら
違いはないんです。
ただ、法律的な建てつけが
(アメリカはじめ
多くの国で)
そうなっているもんだから、
一応、
教科書にも
そう書いているだけです。
実際は
日銀券と硬貨とは
区別する理由がありません。
あくまで、法律的な
建前です。

まあ、おいらの体験で
唯一、この両者の違いに
意味があったのは
海外で換金する場合、
あるいは国内で
外国の通貨を銀行に
預金する場合です。

紙幣は外国の
銀行(それが中央銀行か
民間銀行かは
どうでもいい)の
負債ですから
相手の信用が十分であれば
銀行は買い取ってくれます
(その対価として
預金を発行してくれる。つまり
預金できる)。
しかし
硬貨は受け取ってくれません。
(預金できない。)
これはどの国が発行している硬貨でも
通常、
その素材価値は
額面価値を
大きく下回りますし、
そんなもの受け取ったところで
銀行にはそれを
金属として売却するような
ルートはありませんし、
そもそも法律によって
鋳潰すことが禁止されている。
そんなものは
銀行は受け取れないわけです
――というのは、
建前で
そんな少額の取引を
やってられない、というのが
本音なんでしょうけれどね。
ただ、理屈としては
そういうわけです。
銀行は、
商品(金属貨幣)は
扱わないので
硬貨は受け取れない。
紙幣は
債務証書なので
後日、清算できるので
受取る、

まあ、
形式だけですけどね。


ric********さん
回答日:2017/12/12

https://finance.yahoo.co.jp/brokers-hikaku/experts/questions/q13183265928
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1746.html

[近代史4] 「マネーストック」とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan
「マネーストック」とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan


マネーストックとは、「金融部門から経済全体に供給されている通貨の総量」のことです。具体的には、一般法人、個人、地方公共団体などの通貨保有主体(金融機関・中央政府を除いた経済主体)が保有する通貨(現金通貨や預金通貨など)の残高を集計しています。

こうした統計において、通貨(マネー)としてどのような金融商品を含めるかは、国や時代によっても異なっており、一義的に決まっているわけではありません。わが国では現在、対象とする通貨の範囲に応じて、「M1」、「M2」、「M3」、「広義流動性」という4つの指標を作成・公表しています。

https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/statistics/h07.htm/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1747.html

[近代史5] マネタリーベース、マネーストック、日本銀行当座預金
マネタリーベース、マネーストック、日本銀行当座預金


「マネタリーベース」とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1746.html

「マネーストック」とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1747.html

日本銀行当座預金
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html

経済成長率、GDPデフレーター、潜在成長率とGDPギャップ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1099.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1442.html

[近代史5] ポリティカル・コレクトネス遵守でアメリカ映画がつまらなくなった
ポリティカル・コレクトネス遵守でアメリカ映画がつまらなくなった


2022年01月19日
ハリウッドの活力を奪ったポリコレとは

「風と共に去りぬ」はアメリカで放送も配信も禁止
日本でも禁止される可能性があるので、今のうちに見ておきましょう

画像引用:https://www.asahi.com/articles/ASN6S66DJN6RUCVL005.html 「風と共に去りぬ」批判のわけ 奴隷制を錯覚させる?:朝日新聞デジタル

アメリカ映画がつまらなくなった

日本の映画興行収益で大きな異変が起きていて、国産映画が上位を独占し外国映画のヒットが少なくなりました。

昔から外国映画=ハリウッド映画なのだが、アメリカでかなりヒットした映画でも日本では苦戦している。

昭和から平成にかけて「全米第一位」の映画が次々に大ヒットし、全米第一位は流行語にもなりました。

今は全米1位だろうが世界1位だろうが、日本では鼻もひっかけられなくなりました。

2021年国内映画興行ランキングで外国映画の最高は『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』の9位が最高でした。

2020年は「アナと雪の女王2」2位、「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」3位、「TENET テネット」8位が10位以内に入った。


2019年はアメリカ映画5作品が10位以内に入り、最高は「アラジン」2位、「トイストーリー4」が3位でした。

コロナ後は映画館に行く人が増え客層も変わったかも知れないが、アメリカ映画のポリコレの影響が指摘されている。

ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)は平等や公平、多様性などを尊重する考え方で、一見とても良いように思えた。


良い事なのでアメリカの映画やテレビはポリコレを全面的に取り入れたが、作品の自由度が奪われた。

例えば以前から日本で制作されたアニメが外国で放送されるとき、「水着をなのに服を着せる」ような事が行われていました。

ドラゴンボールのキャラの肌が黒いのが問題になり、青い色に塗られた事もありました。

映画のキャラはポリコレが決める

最近のアメリカでは平等主義の観点から「美人女性を登場させてはならない」のが暗黙のルールになっている。

もっと極端なのはアメリカ製ゲームで、「若い美人の白人」は事実上禁止になっている。

外見による差別を助長するからで、痩せたモデル体型の女性も事実上禁止になっている。


今時のアメリカ製ゲームに登場する女性キャラは「女性プロレスラー」みたいな人ばかりになっている。

映画のストーリーにも影響を与えていて、アカデミー賞総なめにした「風と共に去りぬ」はアメリカで放送禁止になっている。

法律上禁止されたわけは無いものの、ネット上で配信を停止し再開の見込みは立っていません。


「風と共に去りぬ」は舞台が1860年台のアメリカで日本はまだ江戸時代、美しい白人女性と黒人の使用人が登場します。

これがポリコレの標的になり、配信もテレビ放送も事実上禁止に追い込まれました。

もうアメリカではああいった作品は作れないという事で、新たに制作するなら時代設定を無視するしかない。


最近日本で公開されたハリウッド映画もポリコレの影響を受けていて、時代設定や登場人物、ストーリがどれもでたらめです。

例えばスーパーマンの原作は白人ですが、最新の映画では黒人がスーパーマンだったり、女性がスーパーマンだったりする。

男性だけがヒーローなのは男女平等ではないそうですが、嘘くさくてしょうがない

https://www.thutmosev.com/archives/87579333.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1443.html

[近代史7] 欧米の映画 中川隆
1. 中川隆[-14145] koaQ7Jey 2022年1月19日 08:39:38 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[2]
ポリティカル・コレクトネス遵守でアメリカ映画がつまらなくなった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1443.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/853.html#c1
[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
36. 中川隆[-14144] koaQ7Jey 2022年1月19日 09:10:40 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[3]
813名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 12:32:03.07ID:Nfn+Z5S9>>816
みなさんの、ブラ4のおすすめ教えて下さい
エントリー候補

1.ベルリン・メロディア(1943)
2.ティタニアパラスト・EMI(1948)
3.ウィースバーデン(1949)
4.ザルツブルク(1950)

814名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 12:54:01.73ID:DR/FWnL5
ヴィースバーデンの即興性に一票

815名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 12:58:19.97ID:9/RkGmfF
取り出すことが多いのはやはり1948年盤

816名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 13:04:54.69ID:j17DD4gH
>>813
2のEMIじゃない10/22もなかなか。

817名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 14:14:45.34ID:tQj/52nq
フルトヴェングラーのブラームスではブラームスに聞こえない

818名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 06:42:19.21ID:5ErnzQvJ
神のささやきに聞こえてしまいます

819名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 08:32:47.64ID:6XfZPWZo>>824
神がテンポをコロコロ変える訳ないだろ

820名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 08:35:09.10ID:6XfZPWZo
緩徐楽章をワルターと比べるとフルトヴェングラーのブラームスの酷さが良くわかる

821名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 09:06:36.22ID:5ErnzQvJ
巨匠BW
香料が冴えるインタントコーヒー

822名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 09:09:22.21ID:5ErnzQvJ
香料抜きのトスカニーニが数段好ましい。
香料が鼻について、全く聴かなくなった。

823名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 09:14:45.49ID:5ErnzQvJ
生の演奏を多く聴く人間なら、コロンビアのステレオのオーケストラの録音がなんか変だとすぐ気づくだ思うが




826名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 12:32:46.58ID:VD4oPKqN
ムラヴィンスキーのブラームス交響曲四番が最高の名演だね
フルトヴェングラーはNG



828名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 14:21:51.62ID:m+25dYd+
フルトヴェングラーのブラームス交響曲四番は最高の名演だね。
あの素晴らしさが解らない人はブラームスも音楽も理解できない人と言っても過言ではない。

829名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 14:30:27.79ID:iltHsV/N
ムラヴィンスキーなら、2番が好きだな

830名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 15:18:15.74ID:VD4oPKqN>>837
あの宇野功芳ですらブラームス交響曲四番はフルトヴェングラーよりザンデルリンクの方が遥かに名演だと言っている位だからね:



Brahms "Symphony No 4" Kurt Sanderling 1992
Berliner Sinfonieorchester
Kurt Sanderling, conductor
rec 1992

831名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 15:22:54.11ID:iltHsV/N
宇野さんを持ち出すのは感心しない
一番、忌み嫌われる行為だよ
自重されたし

832名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 15:50:20.03ID:i1E7/xBv
> あの宇野功芳ですら
権威があるかどうか知らんが、
権威主義はいただけない
他人のふんどしで死ぬつもりでごわすか?




837名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 19:58:36.50ID:PqWjIa8R
>>830
宇野はワルターファンだからぼってりした演奏が好み
フルトヴェングラーとかカルロスクライバーをほめてるときは信用ならん
ちなみに宇野はフルトヴェングラーのブラ4は高く評価しているのは行間を読めればわかる

838名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 20:04:10.59ID:PkEmCpdY
宇野ちんにしろ黒恭とか鳥八つぁんとか
しょせんはレコード会社の太鼓持ちだったからね

839名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 20:51:38.10ID:NMTHR6Va
子供の頃に吉田秀和や諸井誠に騙されてフルヴェンのレコードやCDを
よく買いました
私には理解不能でしたけど
モノカートリッジで聴いても良さがわからんかったよ
まあ吉田秀和なら生でフルヴェン聴いてるかもね



841名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 07:23:45.79ID:gzAfmmws
フルトヴェングラーは、ブラームスと面識あるから



843名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:03:36.48ID:9v7JNoY+
ブラームスはワインガルトナーが正統派なんだよ。フルトヴェングラーみたいな遅いテンポで緩急が激しくて大袈裟なのはブラームスではない

ベートーヴェン全集と並ぶワインガルトナーの偉業"ブラームス全集"が最新復刻でUHQCD化!!
掲載: 2021年03月03日
https://tower.jp/article/feature_item/2021/03/03/1111

ワインガルトナー
ベートーヴェン全集と並ぶ金字塔。澱み濁りの一切を排した高貴な名演。
作曲家本人が激賞したワインガルトナーのブラームス。
過去最高音質で復活 高音質UHQCDにて登場!
ブラームス:
交響曲第1番 (ロンドン響、1939年2月16日、18日) *U.S.盤より復刻
交響曲第2番 (ロンドンフィル、1940年2月26日) *U.S.盤より復刻
交響曲第3番 (ロンドンフィル、1938年10月6日) *U.S.盤より復刻
交響曲第4番 (ロンドン響、1938年2月14日) *U.S.盤より復刻
ハイドン変奏曲 (ロンドンフィル、1938年10月6日) *U.K.盤より復刻
大学祝典序曲 (ロンドンフィル、1940年2月29日 *U.K.盤より復刻

【演奏】
フェリックス・ワインガルトナー指揮

844名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:07:07.18ID:9v7JNoY+

「ブラームスの3番を聴く」10・・・初期の録音2 ワインガルトナー 




「フェリクス・ワインガルトナー(1863 - 1942)」
来日しN響(当時は新響)を指揮したこともあるワインガルトナーは、オデッサ生まれ、リストと、シューマンの弟子であるライネッケの教えを受けています。ウィーン宮廷歌劇場の総監督、ウィーンフィルの常任指揮者を歴任。
ワインガルトナーは、ビューローのようなその場のインスピレーションで自由に演奏するタイプではなく、きっちりと譜面に忠実なリヒターの影響を受けた指揮者です。

ワインガルトナーが名声を確立した時ブラームスはまだ存命でした。
1895年4月にベルリンフィルがウィーンにやって来て3日間でブラームスの交響曲全曲を演奏したことがあります。指揮はR.シュトラウス、モットル、ワインガルトナーの3人で、ワインガルトナーは第2番を指揮しました。ブラームス自身は、リヒターよりもビューローの指揮を高く評価していましたが、この3日間の全部の演奏会を聴いた後、ジムロックへの手紙の中でワインガルトナーの演奏を絶賛しています。

ワインガルトナーにはブラームスの交響曲全集があり、第1番は機械録音時代から実に3回も残しています。他の3曲は各々1回のみ。

・ ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
(1938年 10月6日   ロンドン、アビーロードスタジオ)
ワインガルトナーは晩年に至るまで解釈に大きな変化はなかったそうです。この録音は80歳近いワインガルトナー晩年の録音ですが、老いの影はなく、明快で健康的、端正で気品に満ちた名演です。

早いテンポで進めた第1楽章は音楽が自然に流れ、展開部後半のホルンソロによって演奏される基本モットーを下で支えるコントラファゴットが実に雄弁。
そのままウンポコ・ソステヌートを経て再現部に至る絶妙のテンポ運びには思わずうまいなぁと感心してしまいました。
終結部187小節以降の複雑な絡みも木管の動きを殺すことなく完璧。

第2楽章は、のどかな中に忍び寄る不安の暗き影を見事に表現。感傷に溺れない第3楽章も実に見事。推進力溢れる第4楽章の第2主題に呼応する低音弦楽器の深い響き、ダイナミックレンジも広く確信に満ちた演奏にただただ圧倒されました。

なお、ワインガルトナーはベートーヴェン以降の作品について、解釈と演奏法について有名な著書を残しています。特にベートーヴェンの解釈については、オーケストレーションにさまざまな手を加え、後の指揮者たちに大きな影響を与えました。
同時代のブラームスについても、そのオーケストレーションについて批判は残していますが、実際の演奏は譜面に忠実です。第1楽章のリピートはありませんでしたが、同時代の指揮者の多くがおこなっている第4楽章終結部に旋律線を弾かせる変更はせず、譜面に忠実でした。まさにプロ中のプロのお仕事。

ワインガルトナーはマーラー(1860年生)とほぼ同世代で、フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターたち、現在でも人気のある大指揮者たちよりも一世代古く、録音も1930年代までの古いものが中心のため、人気はいまひとつですが、この録音を聞くと実に偉大な指揮者であったことが実感されます。

今回は英EMI−IMGが出している2枚組CD「20世紀の偉大な指揮者たち」シリーズのワインガルトナー編と、新星堂が2000年に出した国内盤CDの2枚を聴きました。
新星堂盤は状態の良いSPを再生して収録したもので針音入り。高音部分のカットもなく比較的細部まで明瞭ですが、響きが幾分やせ気味でした。
一方のIMG盤は、金属原盤からの直接復刻かもしれません。針音は聴かれず、生々しく奥行きも充分で、パンチの効いた驚異的な再生音です。
新星堂盤は、ワインガルトナーがEMIに残した200枚余りのSPを全てCD化した空前絶後の画期的なシリーズでしたが、このブラームスの録音に関してはIMG盤が数段上の復刻音でした。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=53



845名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:07:17.65ID:9v7JNoY+
なお、ワインガルトナーはベートーヴェン以降の作品について、解釈と演奏法について有名な著書を残しています。特にベートーヴェンの解釈については、オーケストレーションにさまざまな手を加え、後の指揮者たちに大きな影響を与えました。
同時代のブラームスについても、そのオーケストレーションについて批判は残していますが、実際の演奏は譜面に忠実です。第1楽章のリピートはありませんでしたが、同時代の指揮者の多くがおこなっている第4楽章終結部に旋律線を弾かせる変更はせず、譜面に忠実でした。まさにプロ中のプロのお仕事。

ワインガルトナーはマーラー(1860年生)とほぼ同世代で、フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターたち、現在でも人気のある大指揮者たちよりも一世代古く、録音も1930年代までの古いものが中心のため、人気はいまひとつですが、この録音を聞くと実に偉大な指揮者であったことが実感されます。

今回は英EMI−IMGが出している2枚組CD「20世紀の偉大な指揮者たち」シリーズのワインガルトナー編と、新星堂が2000年に出した国内盤CDの2枚を聴きました。
新星堂盤は状態の良いSPを再生して収録したもので針音入り。高音部分のカットもなく比較的細部まで明瞭ですが、響きが幾分やせ気味でした。
一方のIMG盤は、金属原盤からの直接復刻かもしれません。針音は聴かれず、生々しく奥行きも充分で、パンチの効いた驚異的な再生音です。
新星堂盤は、ワインガルトナーがEMIに残した200枚余りのSPを全てCD化した空前絶後の画期的なシリーズでしたが、このブラームスの録音に関してはIMG盤が数段上の復刻音でした。

846名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:15:42.97ID:9v7JNoY+>>848
当時の指揮者の評価では
1.ニキッシュ
2.マーラー
3.ワインガルトナー
4.メンゲルベルク
5.ワルター
6.フルトヴェングラー

847名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:38:17.83ID:9v7JNoY+
フルトヴェングラーやトスカニーニは中高生向けの解り易い演奏だったから一般大衆に人気が出たんだよ
貴族や音楽関係者に人気が有ったのはワインガルトナーの方

848名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:52:21.82ID:/svCVnZd
>>846
トスカニーニもどこかに入れて欲しい。

849名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 11:48:28.36ID:xQ8s9ZMJ
結局戦前のSP期はあらえびす評価が今なお支配的なんだよな
「万人が認めて一流中の一流指揮者とするものは、トスカニーニ、
フルトヴェングラー、ワルター、メンゲルベルクらであろう。
それにワインガルトナーを加えるのが、まず今日の常識で、
レコードの方面ではアメリカの人気を背負って立つストコフスキーを加えて、
世界の六大指揮者とするのが穏当だと私は考えている。」『名曲決定盤』から

850名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 11:55:38.52ID:azgGAETV
銭形平次のひと

851名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 13:38:09.14ID:gzAfmmws
ワルター、ワインガルトナー信者はすごい

わろたwww

852名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 15:17:52.79ID:MRctSdYo
アーベントロート、フリッツ・ブッシュのブラームスはどうなんだ?
シュタインバッハの直系だか…

853名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:08:20.77ID:9v7JNoY+

ブラームス: 交響曲第1番<完全限定盤>
ヘルマン・アーベントロート 、 バイエルン国立管弦楽団




爆演の金字塔、ブラ1演奏史に輝く凄演。
極上音質で復活の超絶ライヴ高音質UHQCDにて登場!デジパック仕様(完全限定盤)

これが没年の演奏と言うことが信じられないアーベントロート会心の名演。爆演中の爆演であるブラ1がUHQCD化。すっかり東ドイツの人になっていたアーベントロートが珍しくバイエルン国立歌劇場管弦楽団(バイエルン国立管)の定期演奏会である「アカデミーコンサート」に登場。冒頭からして力こぶが盛り上がる様な雄々しく逞しいサウンドに圧倒されます。剛直でセンチメンタリズムに堕さない第2楽章。疾走する第3楽章。そして白眉は勿論のことフィナーレで、物をぶっ壊すかのようなティンパニの強打、旋律美が壊れるのを無視してまでブロック的に楽想を分断し、思う存分の変化をつけまくる超個性的解釈!アーベントロート屈指の名演として名高いものです。この前日には同会場でクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルと演奏会を開いていたと言う正に神々の時代の記録。至高音質として知られたDISQUES REFRAIN盤のマスターを使用。テープの傷は可能な限り修正しUHQCD化しました。英日のライナーノート付です。

【録音】
1956年1月16日
バイエル国立管弦楽団アカデミーコンサート
ミュンヘン・ドイツ博物館ライヴ

854名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:10:55.78ID:9v7JNoY+

今こそ聴くべし、アーベントロート!【宇野功芳】
「アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!」

ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!

ブラームス:
@交響曲第1番ハ短調Op.68
A交響曲第3番ヘ短調Op.90
 ヘルマン・アーベントロート指揮
 ライプツィヒ放送交響楽団
 録音:@1949年10月20日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)A1952年3月17日ライプツィヒ・コングレスハーレ、全てモノラル


855名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:14:09.33ID:9v7JNoY+

指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について(このページは転載禁止。)
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82

「『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、テンポを自在に変え、シュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏のこと。
この伝統に忠実なのはアーベントロート。
ヴァント、サヴァリッシュ、ベームのブラームスは楽譜の範囲内で『ブラームス・シュタインバッハの伝統』を解釈している。
(よくアーベントロートの指揮を19世紀的と言う人がいるが、実際にはそうではない、とのこと。)
ブラームスの演奏における『ブラームス・シュタインバッハの伝統』をシュタインバッハから継いだのは、ライナー、ストラヴィンスキー、アーベントロート。 アーベントロートから教わったのが、ヴァント。
なお、サヴァリッシュ・ベームは誰から教わったのかははっきりとは分からないが、サヴァリッシュ・ベームの振るブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の系統の演奏と考えられる。」

「ムラヴィンスキーのブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』に基づいていて(誰から教わったのかは不明)、振り方そのものは大変近代的、モダンである。」
「ノリントン、マッケラスはシュタインバッハの楽譜への書き込みを意識してはいる。しかしその演奏そのものは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の再現というのとは少し違うようだ。」
「一方、クナッパーツブッシュの振るブラームスは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、異なる。クナッパーツブッシュはブラームスが楽譜に書いた通りにやろうとしていて、テンポを途中で変えないやり方。R.シュトラウスやセル、チェリビダッケの指揮するブラームスも同じ系統。」
「なお、トスカニーニはシュタインバッハのブラームス演奏を大変意識してはいたが、トスカニーニの演奏は「歌う」部分が強いので、この2つの系統とはまた異なるブラームス演奏と考えられる。」

856名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:15:17.56ID:9v7JNoY+

ブラームスの演奏をする時に楽譜通りにやるか、あるいはプラスアルファの要素としてシュタインバッハのやり方を取り入れるかどうか、その辺が指揮者自身の考え方により違うのだろうか、と思います。
ブラームスの演奏解釈を研究されている方などが、現在では

「ブラームス・シュタインバッハの伝統」
「マイニンゲンの伝統 ( Meiningen Tradition )」

というキーワードを度々使われることがあります。
しかし、アーベントロートやヴァント、サヴァリッシュなど、実際にシュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏をしている指揮者達は、こうしたキーワードを使って説明したりすることはなかったのだそうです。
アーベントロートは
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
という感じで説明をしていたらしいです。また、アーベントロートから教わった方も
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
「シュタインバッハ先生から教わったことを、アーベントロート先生はこう言っていた」
という感じで説明していたそうです。

「マイニンゲンの伝統」とは、シュタインバッハに師事したことのあるヴァルター・ブルーメという人物が最初に呼んだものだそうですが、その後、ブラームス研究をする方のうち「シュタインバッハの楽譜への書き込み」に着目した人々(ウォルター・フリッシュなど)がこの「マイニンゲンの伝統」というキーワードを使うようになっています。
一方、アーベントロートが教えた指揮者、音楽家など、演奏する側の人々は
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
そういう言い方をされている。

この「シュタインバッハの書き込み」に関し研究者が本に書いたり論文で検証している内容というのは、演奏をしている現場でのやり取り、 指揮者や音楽家達の直接の伝承とはイロイロ異なる点などあるかもしれませんので、重く考え過ぎてはいけないのかもしれません。 (私、境山の個人的な感想ですが。)

また、「**の伝統」というキーワードが独り歩きすることも、余り好ましくないことなのかもしれません。

857名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:15:27.60ID:9v7JNoY+
(シュタインバッハとトスカニーニは、どういうつながりがあったかは分からないのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。

「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照

858名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:16:48.41ID:9v7JNoY+
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。 ( Brahms in der Meininger Tradition )

ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」
とのこと。

1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していたブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。

859名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:17:29.60ID:9v7JNoY+
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を 継いでブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そしてケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートからヴァントへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。

なお、アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)とイコールということでは「無い」。

アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えてテンポが変わることがある、ということなんですが、 しかしそれでも結果として「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。



861名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:41:44.46ID:9v7JNoY+
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ
フリッツ・ブッシュ / デンマーク国立放送交響楽団




31EEA5VE93L1690年創立のマイニンゲン宮廷楽団の指揮者には1880年にハンス・フォン・ビューロー,85年にリヒャルト・シュトラウス、86年にフリッツ・シュタインバッハが就く。
そして85年10月にこのオケが初演した曲がある。それがブラームスの交響曲第4番であり、そこでオケに入ってトライアングルをたたいたのがリヒャルト・シュトラウスだった。
シュタインバッハはブラームスと親交が深く彼をマイニンゲンに招き、彼の作品によるザクセン=マイニンゲン地方音楽祭を立ち上げた名高いブラームス指揮者であった。

後年そのシュタインバッハがケルン音楽院で指揮法の教授になった時の生徒がハンス・クナッパーツブッシュとフリッツ・ブッシュである。
この二人のブラームス2番が聴けるというのは幸運なことだが、両者は違う。

862名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:41:54.50ID:9v7JNoY+
クナは自分のブラームスは先生のまねだと言ったらしいがバイロイトに行ってワーグナー指揮者として名を成した芸風の人であり一概には信じ難い。
両者はテンポからして異なり、ブッシュの終楽章は7分55秒と最速クラスだ。モーツァルトを得意とした彼のフィガロやドン・ジョバンニの芸風を持ってきた2番と言えそうだが、はて、こっちもこれが直伝かというと迷う。
かたや4番を聴くと両者には通じ合うものがあるのだが・・・。そこに関してはやはりブラームスと親しく、演奏会で自分の代わりに第2協奏曲を弾かないかと誘われ(断った)、この交響曲2番の作曲者指揮によるライプチヒ初演を聴き、どれかはわからないがブラームス臨席の演奏会で彼の交響曲を指揮し少なくとも解釈にクレームはつかなかったという逸話を持つマックス・フィードラーの終楽章を信頼すべきだろう。

これは驚いたことに四つ振りのやや遅めのテンポで始まり、全奏で速くなる。以後もテンポはよく動きとても流動的だ。ピアノ協奏曲2番をブラームスはとても情熱的に激しく弾きテンポはよく動いたという証言をどこかで読んだ記憶もあり、ほぼ同時期の44歳の作品である第2交響曲も同様の解釈が正解なのかもしれない。フィードラーの演奏を聴いていて僕はふとこれは蒸気機関車から見た光景か?と思ってしまった。彼はエジソンの蓄音機に録音を試みたように機械やニューテクノロジーに並々ならぬ関心を示しており、イタリアやペルチャッハへもSLで行った筈なのである。このブッシュ盤はSLどころか快速電車だが。このCD、モーツァルトの「リンツ」はやはり快速、メンデルスゾーンの「イタリア」冒頭主題は歌いまくる。ドイツ語圏音楽の解釈を考古学的に探ってみたい僕には非常に貴重な音源である。(総合点 : 4)

863名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:44:12.52ID:9v7JNoY+
「ブラームスの4番を聴く」27・・戦前派巨匠の時代9 フリッツ・ブッシュ
フリッツ・ブッシュ(1890 - 1951)

ヴァイオリンのアドルフ、チェロのヘルマンとともにブッシュ3兄弟の長男として主にドイツやイギリスで活躍した名指揮者。主な活動時期が第二次世界大戦と重なり残された録音も少ないため地味な存在ですが、ドレスデン国立歌劇場やイギリスのグライドボーンで音楽監督を務め、数々のオペラの歴史的な名公演をなしとげた名匠。
ブッシュはケルン音楽院でブラームスの盟友フリッツ・シュタインバッハに指揮を学びました。

ブッシュの残されたコンサートレパートリーの数少ない録音中、ブラームスは交響曲第2番と第4番、そして悲劇的序曲の録音があります。




・ウィーン交響楽団
(1950年10月15日  ウィーン 放送用録音)
ウィーン占領下のアメリカ放送局Rot-weiss-rot(赤白赤)放送局収録の聴衆なしの放送用録音。

ブラームスの交響曲第4番を初演したマイニンゲン宮廷楽団をハンス・フォン・ビューローから引き継いだフリッツ・シュタインバッハを、ブラームスは自分の作品の演奏者として最も高く評価していました。
この録音は、そのシュタインバッハ門下のスター的存在だったブッシュが指揮した、まさに「マイニンゲンの伝統」の影響を受けた演奏です。

「マイニンゲンの伝統」については境山さんのHPを参考にしました。
http://www18.ocn.ne.jp/~dirigent/abendroth_brahms.html

864名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:44:42.89ID:9v7JNoY+
この中で「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」とあります。

速いテンポの中で正確なリズムを確実に刻みながら聴かせる柔軟なフレージング。ブッシュの演奏はまさにこの「マイニンゲンの伝統」にぴったりの演奏でした。緊張感漂う引き締まったオケの響きも素晴らしい時代を超えた普遍的な名演です。

第一楽章冒頭の第一音は比較的短く開始。45小節のヴァイオリンも短めで、続く第2主題もホルンを喨々と響かせながら雄大に展開していきます。終盤のクライマックスの中で、414小節めに一瞬スーッと力を抜き柔軟な変化をさりげなく聴かせるなんという心憎さ。終結部最後の2小節はテンポを落とさず、最後の音は通常よりも長めに響かせていました。

第二楽章では20小節のクラリネットの微かなポルタメントに僅かに19世紀末の名残が感じられます。再現部65小節から弦楽器の動きを彩る木管楽器の美しさも印象に残ります。
端正でスピード感あふれる第三楽章では117小節1拍めにアクセント付加、中間部のふくよかなPoco meno prestoと前後との対比も見事。

第四楽章も自由な呼吸で音楽を流しながらも常に一定のリズム感が曲を支配し、いつまでも聴いていたいと思わせる演奏でした。トスカニーニのような人を寄せ付けない厳しさとは異なり、懐かしさと温かみも感じさせるのが素晴らしいと思います。

ただ、当時のウィーン響は大戦の痛手から未だ十分に立ち直っていないようで、第四楽章冒頭のトランペットや第三楽章の一部にオケの弱さを露呈させる部分があり、これは大変惜しい。

今回聴いたのはスイスのReliefから出ていたLPです。残響少なめの幾分硬い響きで一部音が割れる箇所もありましたが、各楽器は明瞭、50年の録音としては優秀です。

865名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 20:20:15.92ID:MRctSdYo
長々とありがとう
で、フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?



867名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 07:04:06.31ID:GD5cncAJ
同じ指揮者の42年の名歌手聴いたらよく分かる。
いくらでも置き換えが出来るような凡庸指揮者。

868名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 08:50:49.12ID:Asp20sPc
>フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど
何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?

フルトヴェングラーはドイツの伝統を完全に無視してるんだよ
もともと楽章が終わるごとに拍手していたのをフルトヴェングラーが止めさせたんだ。
ドイツのオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント 奏法で快速インテンポだったのに
フルトヴェングラーがヴィブラート ノンポルタメント奏法の緩急を極端に付けた大袈裟な遅いテンポに変えたんだ

ドイツの指揮者は左手をポケットに突っ込んで大振りなんか絶対にしなかったのに、
フルトヴェングラーが体を振り回す大袈裟な恰好付けの指揮を流行らせたんだ。

フルトヴェングラーは音楽には関心が無くて、観客からどう思われるかしか興味が無かったんだな。
カラヤンを嫌ったのもフルトヴェングラーが恰好付けの元祖・本家本元で、カラヤンに自分の真似をされたと思ったからさ

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c36
[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
37. 中川隆[-14143] koaQ7Jey 2022年1月19日 09:55:21 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[4]
865名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 20:20:15.92ID:MRctSdYo
長々とありがとう
で、フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?

867名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 07:04:06.31ID:GD5cncAJ
同じ指揮者の42年の名歌手聴いたらよく分かる。
いくらでも置き換えが出来るような凡庸指揮者。

868名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 08:50:49.12ID:Asp20sPc
>フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど
何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?

フルトヴェングラーはドイツの伝統を完全に無視してるんだよ
もともと楽章が終わるごとに拍手していたのをフルトヴェングラーが止めさせたんだ。
ドイツのオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント 奏法で快速インテンポだったのに
フルトヴェングラーがヴィブラート ノンポルタメント奏法の緩急を極端に付けた大袈裟な遅いテンポに変えたんだ

ドイツの指揮者は左手をポケットに突っ込んで大振りなんか絶対にしなかったのに、
フルトヴェングラーが体を振り回す大袈裟な恰好付けの指揮を流行らせたんだ。

フルトヴェングラーは音楽には関心が無くて、観客からどう思われるかしか興味が無かったんだな。
カラヤンを嫌ったのもフルトヴェングラーが恰好付けの元祖・本家本元で、カラヤンに自分の真似をされたと思ったからさ

869名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 09:24:22.27ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーは絶対音感も無かったし、暗譜では指揮できなかった。
それでトスカニーニやカラヤンに完璧な絶対音感があって、暗譜で格好良く指揮しているのを見て腹立ってしかたなかったんだ。

フルトヴェングラーはカラヤンの指揮については、1940年に「彼らは芸術を裏切り、傷つけ、大衆を惑わせた。彼らが暗譜で指揮する技術といった表面的な資質を過大評価するのなら、彼らは芸術性ではなく勤勉性を讃えることとなる。」(中川P.76) と言っていたように、カラヤンの指揮は大衆受けを狙ったもので、芸術性には欠けていると述べている。後にフルトヴェングラーがヒットラーにワーグナーを暗譜で指揮することは可能かと聞かれたときに、それは不可能だと答えていることからもわかるように、フルトヴェングラーはカラヤンの指揮をまったく信用していなかったと思われる。
しかし、本当にカラヤンの指揮が芸術性もなく、紛い物の指揮であったと思っていたら、なぜあれまでにカラヤンを排斥しようとしたのだろうか。フルトヴェングラーはカラヤンの芸術性を理解していたからこそ、カラヤンの芸術面のみならず、その個性的な指揮のスタイルを脅威と感じていたのではないだろうか。
一方のカラヤンは当時の偉大な指揮者トスカニーニとフルトヴェングラーを研究する機会は決して見逃さなかった。フルトヴェングラーを聴ける機会があれば必ず出かけて行き、最後列の席で聴いていた。カラヤンは特にトスカニーニを敬愛し、多くの影響を受けた。カラヤン自身も「トスカニーニは、私に生涯二度とない圧倒的に印象を与えた人物でした。」(BachmanP.107) と述べている。トスカニーニが1931年にバイロイトで「タンホイザー」を指揮したときには、その演奏を聴くために、自転車に乗ってウルムからバイロイトに向かったという有名な話がある。
しかし、カラヤンがトスカニーニやフルトヴェングラーの音楽について批評めいたことを述べていたり、書いたりしているものを私はまだ知らない。

870名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 09:51:39.67ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーの名演もベートーヴェンだけだしね

バッハではメンゲルベルクには到底敵わなかった
ハイドン・モーツァルト・シューベルトではワルターには到底敵わなかった
ワーグナーではトスカニーニややクナッパーツブッシュには到底敵わなかった
ブルックナーではクナッパーツブッシュには到底敵わなかった
ブラームスではワルターやクナッパーツブッシュには到底敵わなかった
チャイコフスキーではメンゲルベルクやムラヴィンスキーには到底敵わなかった

ベートーヴェンでもクナッパーツブッシュやワインガルトナーの方が良いのが多い

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c37

[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
38. 中川隆[-14142] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:09:42 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[5]
871名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 10:08:05.78ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーが中高生に絶大な人気が有るのは、ティンパニを滅茶苦茶ぶっ叩くからだよ。
ベートーヴェンの第九も第七も第四もコリオラン序曲も人気の9割はティンパニぶっ叩きの凄まじさが理由だね。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c38
[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
39. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:14:39 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[6]
872名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 10:13:52.70ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーが難聴になったのもティンパニぶっ叩きが原因さ。
それ以外には人気を維持する方法は無いと悟っていたんだな。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c39
[近代史4] ペトロダラーシステム 中川隆
21. 中川隆[-14140] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:52:17 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[7]

2022.01.19XML
新時代でもヘゲモニーを握るために軍事的緊張を高め、COVID-19騒動を煽る米国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/


 世界は新しい時代へ入りつつある。その新時代でもヘゲモニーを握ろうとしているアメリカを中心とする欧米の私的権力はロシアと中国を中心とする勢力を屈服させようと必死で、ウクライナや東アジアなどで軍事的な緊張が高まっている。中東やアフリカも2勢力が衝突する舞台になってきたが、ここにきてアメリカは中央アジアに火をつけようとしている。

 その一方、私的権力の代理人的な存在であるWEF(世界経済フォーラム)の創設者、クラウス・シュワブはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」するべきだと主張した。

 現在のシステムはドルが中心。そのドルを発行する特権を持つアメリカの私的権力は圧倒的に優位な立場にある。そのシステムを維持するためにドルを実世界から私的権力の下へ還流させる必要がある。そこで考えられたのが石油取引のドル決済と金融規制の大々的な緩和。

 1971年までドルは兌換紙幣であり、金という裏付けがあった。その頃まで金はイギリスの支配下にあった南部アフリカが産出量で圧倒していたことから金本位制の通貨をコントロールできたのだが、その比率が急速に低下していく。そしてリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表したわけだ。

 金という制約なしにドルを発行できるようになったとも言えるが、何も対策を講じないと実世界にドルがあふれ、インフレになってしまう。そこでドルを還流させる仕組みが作られたのだ。

 世界は石油を必要としている。その石油を買うためにドルが必要となれば、各国はドルをかき集めるしかない。そして産油国へドルは集まるが、そのドルがアメリカへ戻る仕組みが作られたのだ。サウジアラビアをはじめとする産油国に対し、アメリカの私的権力はドル決済を認めさせる代償として、ニクソン政権は産油国に対して国の防衛と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の供給、支配的な地位や収入の保障などを約束した。いわゆる「ペトロダラー」の仕組みだ。

 その還流効率を高める意味もあり、私的権力は原油相場の大幅な引き上げを実行した。サウジアラビアのファイサル国王の腹心で石油鉱物資源相を務めた​シェイク・ヤマニ​によると、1973年5月にスウェーデンで開かれた「秘密会議」でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったという。この会議はビルダーバーグ・グループの会合だったことが後に判明する。この会合は1973年5月11日から13日にかけてスウェーデンで開かれている。

 ヤマニによると、ファイサル国王は価格の高騰が代替エネルギー源の開発を刺激するとして値上げに反対していた。そこで国王はヤマニをイランのパーレビ国王の下へ派遣したのだが、そこで「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」とパーレビから言われたという。

 石油相場が急騰した直接的な原因は1973年10月の第4次中東戦争。戦争勃発から10日後、OPECに加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表している。

 この戦争はエジプト軍の奇襲攻撃で始まり、イスラエルは窮地に陥った。キッシンジャーはエジプトのアンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げると同時にイスラエルへ和平交渉に応じるようプレッシャーをかけようとしたとされているが、石油相場を急騰させることもシナリオに含まれていたはずだ。

 当初、戦争はキッシンジャーの思惑通りに進むが、これを懸念する声が国防長官や統合参謀本部議長などから出てくる。そして統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を検討するが、キッシンジャーは妨害したという。後にネオコンの中心的な存在になるリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツはキッシンジャーの動きに激怒している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

 1970年代から金融規制の大幅な緩和で投機市場が肥大化していくことは言うまでもないだろう。実世界から資金を吸い上げて「バブル」という現象が現れるが、これは「ハイパーインフレ」の別形態だ。

 しかし、その後、アメリカの中東における支配力が弱まっていく。ウェズリー・クラーク元NATO欧州連合軍最高司令官によると、2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ラムズフェルド長官の周辺では攻撃予定国リストが作成されていた。イラクを手始めに、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを破壊するとされていたという。


 ドル体制からの離脱を目論んでいたサダム・フセインが支配していたイラクを先制攻撃で破壊したのは2003年。2010年から「アラブの春」というムスリム同胞団を中心とする体制転覆運動が始まり、アフリカに共通通貨を導入しようとしていたリビアのムアンマル・アル・カダフィの体制は2011年に潰された。2001年に攻撃が予定されていた国々は実際、攻撃の対象になっている。

 しかし、それでも中東での支配力を回復するというアメリカの計画は実現していない。そこで中東への依存度を低下させる必要性が強まっているわけだが、これはペトロダラーへの依存を低下させるということでもある。その目的を達成するためにも「カーボンゼロ」、そして通貨のデジタル化は必要なのだろう。デジタル化が進めばコンピュータによる通貨の管理が容易になる。

 リセットを実現するためにも使われているCOVID-19騒動は人びとの行動を制限、生産活動を麻痺させたが、石油の需要を低下させる要因にもなる。その騒動が始まって3年目に入ろうとしている今、「感染」に対する疑問が強まり、「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になってきた。COVID-19の蔓延を演出する道具として使われてきたPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が診断には不適切だということをWHO(世界保健機関)やCDC(疾病予防管理センター)も否定できなくなっているが、それでも日本は使い続けている。PCRのほかに「感染拡大」を演出する有効な手段が思いつかないのだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/822.html#c21

[近代史5] ペトロダラーシステムと米国覇権の終焉 中川隆
2. 中川隆[-14139] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:56:21 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[8]
2022.01.19XML
新時代でもヘゲモニーを握るために軍事的緊張を高め、COVID-19騒動を煽る米国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/


 世界は新しい時代へ入りつつある。その新時代でもヘゲモニーを握ろうとしているアメリカを中心とする欧米の私的権力はロシアと中国を中心とする勢力を屈服させようと必死で、ウクライナや東アジアなどで軍事的な緊張が高まっている。中東やアフリカも2勢力が衝突する舞台になってきたが、ここにきてアメリカは中央アジアに火をつけようとしている。

 その一方、私的権力の代理人的な存在であるWEF(世界経済フォーラム)の創設者、クラウス・シュワブはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」するべきだと主張した。

 現在のシステムはドルが中心。そのドルを発行する特権を持つアメリカの私的権力は圧倒的に優位な立場にある。そのシステムを維持するためにドルを実世界から私的権力の下へ還流させる必要がある。そこで考えられたのが石油取引のドル決済と金融規制の大々的な緩和。

 1971年までドルは兌換紙幣であり、金という裏付けがあった。その頃まで金はイギリスの支配下にあった南部アフリカが産出量で圧倒していたことから金本位制の通貨をコントロールできたのだが、その比率が急速に低下していく。そしてリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表したわけだ。

 金という制約なしにドルを発行できるようになったとも言えるが、何も対策を講じないと実世界にドルがあふれ、インフレになってしまう。そこでドルを還流させる仕組みが作られたのだ。

 世界は石油を必要としている。その石油を買うためにドルが必要となれば、各国はドルをかき集めるしかない。そして産油国へドルは集まるが、そのドルがアメリカへ戻る仕組みが作られたのだ。サウジアラビアをはじめとする産油国に対し、アメリカの私的権力はドル決済を認めさせる代償として、ニクソン政権は産油国に対して国の防衛と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の供給、支配的な地位や収入の保障などを約束した。いわゆる「ペトロダラー」の仕組みだ。

 その還流効率を高める意味もあり、私的権力は原油相場の大幅な引き上げを実行した。サウジアラビアのファイサル国王の腹心で石油鉱物資源相を務めた​シェイク・ヤマニ​によると、1973年5月にスウェーデンで開かれた「秘密会議」でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったという。この会議はビルダーバーグ・グループの会合だったことが後に判明する。この会合は1973年5月11日から13日にかけてスウェーデンで開かれている。

 ヤマニによると、ファイサル国王は価格の高騰が代替エネルギー源の開発を刺激するとして値上げに反対していた。そこで国王はヤマニをイランのパーレビ国王の下へ派遣したのだが、そこで「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」とパーレビから言われたという。

 石油相場が急騰した直接的な原因は1973年10月の第4次中東戦争。戦争勃発から10日後、OPECに加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表している。

 この戦争はエジプト軍の奇襲攻撃で始まり、イスラエルは窮地に陥った。キッシンジャーはエジプトのアンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げると同時にイスラエルへ和平交渉に応じるようプレッシャーをかけようとしたとされているが、石油相場を急騰させることもシナリオに含まれていたはずだ。

 当初、戦争はキッシンジャーの思惑通りに進むが、これを懸念する声が国防長官や統合参謀本部議長などから出てくる。そして統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を検討するが、キッシンジャーは妨害したという。後にネオコンの中心的な存在になるリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツはキッシンジャーの動きに激怒している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

 1970年代から金融規制の大幅な緩和で投機市場が肥大化していくことは言うまでもないだろう。実世界から資金を吸い上げて「バブル」という現象が現れるが、これは「ハイパーインフレ」の別形態だ。

 しかし、その後、アメリカの中東における支配力が弱まっていく。ウェズリー・クラーク元NATO欧州連合軍最高司令官によると、2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ラムズフェルド長官の周辺では攻撃予定国リストが作成されていた。イラクを手始めに、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを破壊するとされていたという。


 ドル体制からの離脱を目論んでいたサダム・フセインが支配していたイラクを先制攻撃で破壊したのは2003年。2010年から「アラブの春」というムスリム同胞団を中心とする体制転覆運動が始まり、アフリカに共通通貨を導入しようとしていたリビアのムアンマル・アル・カダフィの体制は2011年に潰された。2001年に攻撃が予定されていた国々は実際、攻撃の対象になっている。

 しかし、それでも中東での支配力を回復するというアメリカの計画は実現していない。そこで中東への依存度を低下させる必要性が強まっているわけだが、これはペトロダラーへの依存を低下させるということでもある。その目的を達成するためにも「カーボンゼロ」、そして通貨のデジタル化は必要なのだろう。デジタル化が進めばコンピュータによる通貨の管理が容易になる。

 リセットを実現するためにも使われているCOVID-19騒動は人びとの行動を制限、生産活動を麻痺させたが、石油の需要を低下させる要因にもなる。その騒動が始まって3年目に入ろうとしている今、「感染」に対する疑問が強まり、「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になってきた。COVID-19の蔓延を演出する道具として使われてきたPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が診断には不適切だということをWHO(世界保健機関)やCDC(疾病予防管理センター)も否定できなくなっているが、それでも日本は使い続けている。PCRのほかに「感染拡大」を演出する有効な手段が思いつかないのだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/683.html#c2

[近代史5] 日本の男たちはどうしてこんなにダメになってしまったのだろう _ 一人前に育つのは女子ばかり
日本の男たちはどうしてこんなにダメになってしまったのだろう _ 一人前に育つのは女子ばかり

男たちよ
2022-01-12 mercredi
日刊ゲンダイのお正月号に「思考停止している中高年サラリーマンに一言」という不思議な依頼を受けたのでこんなことを書いた。

 鳥取県の智頭という町で天然酵母のパンとビールを作っているタルマーリーという店がある。その渡邉格・麻里子ご夫妻が先日神戸のわが家まで遊びに来てくれた。その時の最初の話題が「日本の男たちはどうしてこんなにダメになってしまったのだろう」という嘆きだった。

「日本の男たちは」というような大雑把な括り方で問題を立ててはいけないのだが、あえて「大雑把に」とらえた方が問題の輪郭がはっきりするということがたまにある。そういう場合は方便としてあえて「雑な論じ方」を採用する。

 タルマーリーのお二人からは、採用しても、男子は仕事ができず、こらえ性がなく、すぐに「きつい」と言って辞めてしまう、残って一人前に育つのは女子ばかりだという嘆きを聴いた。そうだろうなと思った。

 私の主宰する武道の道場である凱風館には「部活」というものがある。スキー部とか登山部とか麻雀同好会とかそういうものである。次々と新しい「部活」ができるのだが、この数年を振り返ると、発案するのも、運営するのも、参加するのも女性たちである。乗馬部、滝行部、修学旅行部など面白そうな部活がいろいろ誕生したのだが、部員はほとんどが女性。先般、羽黒山伏の宿坊に泊まった時も、集まった山伏たちは大半が若い女性であった。『日刊ゲンダイ』の読者はたぶんご存じないだろうが、現代修験道は若い女性たちが支えているのである。なんと。

 何年か前に「医学部受験で女子受験生だけ減点していた」という事件があったのをご記憶だろうか。あれはペーパーテストの点で上から順に取ると、女子学生が過半を占めてしまうので女子の面接点を減らしていたのだという内情を後から医学部の先生から聴いた。
「パリテ」とか「クォータ制」とかいう議論を表面だけを聴くと、日本におけるジェンダー問題は「女性に下駄を履かせないと、バランスがとれない」ことのように思えるが、実は話は逆なのである。「男子に下駄を履かせないと、バランスがとれない」というのが日本におけるジェンダー問題の実相なのである。

 制度的に「男に下駄を履かせる」ということはわが家父長制の伝統である。かつて男は正味の人間的実力とはかかわりなく、「ポスト」が与えられた。それで何とかなった。「ポスト」は定型を要求するからである。家長には子弟の進学や就職や結婚についての決定権があった。戦前の民法では、家長の判断に従わないメンバーには勘当されるリスクがあった。家長にはそれだけの権限があった。だから、それらしい顔つきで、それらしいことを言っていれば家族は黙って彼に服したのである。しかし、今、そんな制度の支えはない。男たちは正味の人間的実力だけで家族からの敬意を勝ち得なければならない。でも、そんなことができる男は申し訳ないけれど、きわめて少数に止まる。

 本紙の記者からの依頼は「思考停止している中高年サラリーマンに年頭の一言」をというものである。彼らはもう定年まで勤め上げて、花束をもらって見送られ、悠々自適の年金生活を送るというようなのどかな未来を期待することができない。人口減やパンデミックやAIによる雇用消失が目の前に迫っている。彼らは明日にも路頭に迷うかもしれないというリスクにさらされている。しかし、そのシリアスな現実を直視する勇気がなく、砂の中に頭を突っ込んでいる駝鳥のように思考停止に陥っているというのが記者氏の診立てであった。

 どうしたらいいのか問われても、私に妙案があるわけではない。中高年サラリーマン諸氏にはとりあえず「私は思考停止しているのではないか」という病識を持ってもらうしかない。病気になるのは「よくあること」である。病気になったら治療すればいいだけの話である。けれども、病気なのに「病気じゃない」と思い込んでいるといずれ危機的な事態になる。問題は、おそらく中高年サラリーマンの多くが「自分は思考停止なんかしてない」と思っていることである。だって、「周りの人間たちと同じことをしている」からである。ふつうは「みんながしていること」が「正常」で、「みんながしてないこと」が「異常」である。みんなが思考停止している社会では、思考停止していることが「ふつう」なのである。そして、これが現代日本社会のほんとうの病態なのだと私は思う。
 例えば、全国紙や民放テレビは遠からずビジネスモデルとしては立ち行かなくなる。いくつもの新聞やテレビ局が消えるだろうが、その場合これまでそういうメディアが果たしていた社会的機能は何が代替するのか。重要な問いのはずだが、メディアはそれについては口をつぐんで語ろうとしない。「なぜ私たちは存在理由を失ったのでしょうか?」と自問するのがつらい仕事だということはわかる。だが、おのれ自身の足元が崩れている時にそれを報道することも分析することもできないほど知的に非力なメディアには冷たいようだがもう存在理由がない。

 思考停止から脱出するのはそれほど難しいことではない。自分の足元をみつめ、未来をみつめる。そして、ただしく絶望することである。思い切って「しょんぼりする」のである。武道を稽古しているとわかるが、「しょんぼりする」というのは、構えとしてはきわめて安定的で、しなやかなのである。どこにも力みがなく、こわばりもない。何か起きてもすぐに対処できる。

「明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」と太宰治は『右大臣実朝』に記している。暗いうちはまだ滅亡しない。とりあえず日本の男たちには適切に「しょんぼりする」ところから始めることをお勧めしたい。

http://blog.tatsuru.com/2022/01/12_1659.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1444.html

[近代史5] コロナ後の中国に起きた学校教育の変化
コロナ後の中国に起きた学校教育の変化

ポストコロナの時代を生きる君たちへ
2022-01-12
http://blog.tatsuru.com/2022/01/12_1641.html

大阪市立南高校という高校が今年度でなくなる。他の二つの市立高と統合されて別の高校になるのである。独特の教育をしていた高校で、そこの国語の先生が私の寺子屋ゼミの受講生だった関係で、「さよなら講演」にお招き頂いた。その時に高校生たちにこんな話をした。

 みなさんこんにちは。今紹介いただきました、内田です。幸い、皆さんが教科書で私の書いたものを読んでくださったということなので、どのようなことを話すか人間かはだいたいお察しになっていると思います。

 こういうところに立つのは久しぶりです。でも、正直言って、こういう環境はしゃべりにくいんです。最近はずっとオンラインでやって、それに慣れてしまって。オンラインだったら自分の部屋からできます。自分の部屋の、自分の椅子に座って、iPadのスイッチを押せば、すぐにつながって、相手が10人でも100人でも、やることは同じ。ディスプレイに映る自分の顔を見ながら話す。どういうリアクションがあるかはわからない。でも、こういう所に立つと、反応がリアルにわかります。話が受けてないとすぐにわかっちゃうんです。誰も笑ってくれないとなると、いたたまれない気持ちになる。

 それに高校生って、こういう所に集められて、「さあ、話を聴きなさい」と先生に言われたって、聴く気にならないものですよね。どちらかと言うと、登壇してきた人物に対して、基本的には警戒心とか猜疑心とかを抱くものなんです。それが当然だと思います。

 僕も高校生だったら、こういう所に集められて、講師の話を聴けと言われたら、たぶん基本的にはあまり心を開かないと思います。頭から話を信じたりはしません。どれくらい信じていいのかと、それなりの警戒心をもって聴く。それが当然だと思います。

 でも、それでいいんです。どこまで話を本気にしていいのか疑いながら聴く。そういう姿勢で僕の話を聴いてほしいんです。頭から信じてもらわなくて結構。それよりは、この人の話をどれくらい信じていいのか、話にどれくらい真実が含まれているか、吟味しながら聴いて欲しい。だって、みなさんは、僕が本当のことを言っているのかどうか判断基準を持っていないからです。だから、話を聴きながら、この人の話をどれくらい信じてよいのかの判断の「ものさし」を自分の中で、自分で手作りして、それでもって判断して欲しいんです。この辺の話はどうも本当らしいから信じてよさそうだ。この話はいまいち信用できないから帰って調べようとか、そういうふうに聴いてください。

 今日の演題は「コロナ後の世界を生きる」ということですが、いきなり本題に入らないで、昨日聴いた話からしたいと思います。

 僕は神戸にある凱風館という道場で「寺子屋ゼミ」という催しをしています。道場なので70畳ほどの畳敷きの場所がありますので、そこに座卓を置いて、毎週火曜日ゼミを開いています。ちょうど昨日ゼミがありました。オンラインでも配信しているので、道場にいたのが10人ちょっと、オンラインで40人くらい。全部で60人くらいが参加してくれました。

 後期のゼミはこの十月から始まって、「コロナ後の世界」が後期のテーマです。ポストコロナの世界がどうなるかについて、いろんな分野について研究発表をしてもらいます。経済とか政治とかも変わりますが、医療も変わるし、学校教育も変わる。さまざまな領域で変化があります。それについてゼミ生たちに興味のある分野を選んでもらって、自由に発表してもらい、みんなで討議する。そういう形式のゼミです。

 先々週が第一回で、僕が全体的なオリエンテーションをして、昨日が研究発表の最初でした。第一回は中国の学校教育がテーマでした。いま、中国の学校教育が急激に変化しているという話です。昨日の発表者は大学の先生です。大学で中国語と中国思想を教えていらっしゃる方です。中国語がよくおできになるので、この夏、コロナ後の中国に起きた学校教育の変化について現地のニュースをそのまま報告をしてもらいました。8月の末に起きたことですが、日本のメディアもほとんど報道していないと思います。けっこう大変なことが中国では起きていました。

 中国では受験競争が過熱しています。どういう大学を出るかで就職も年収にも大きな差がつく。だから、小学校から高校まで、親たちは子どもをずっと学習塾に通わせます。それが過熱してきて、子どもに対する負荷が増え過ぎた。そこで政府は「双減政策」というものを出してきました。「双減」というのは「二つのものを減らす」ということです。

 一つは子ども学習時間を減らすこと。最初にやったのは宿題の制限です。小学校1・2年は宿題なし。3年生から6年生までは1日60分で終わる量まで。中学生で1日90分まで。それ以上の量の宿題を出すことが禁止された。

 その次に学習塾の非営利化。学習塾で金儲けをしてはいけない、と。これで最大手の学習塾がばたばたと倒産しました。学習塾や英語学校が中国では乱立していたのですけれど、政府の命令で課金できなくなった。それでは倒産しますよ。大手の学習塾は株式会社なんですが、株が暴落した。

 ほかにもいろいろあって、外資系の塾はそもそも開業が禁止されました。海外とつながるオンライン教育プログラムも禁止。ネットゲームは時間制限。子どもたちがネットゲームをしていいのは金土日祝日の午後八時から九時までの一時間。

 こういうことが政府の命令一つでできるのが中国という国ですけれど、そのために8月の末から9月の初めにかけて、中国の学校では混乱が起きました。さて、この中国の政策はいったい何を意味しているのでしょうか。ゼミでは、みんなでそれを考えました。

 中国はこれまで急成長してきて、大学進学率も50パーセントに達しています。過酷な競争のせいで、子どもたちは身体もメンタルも傷ついている。それに学習塾や海外プログラムだと、それなりにお金がかかる。そうすると、お金持ちの子どもは受験競争に有利になる。貧しい家の子は、授業料の高い学習塾に通うことは出来ないし、海外のプログラムも利用できない。それだと格差が拡大するばかりです。
 でも、これまで中国の人はそんなこと全然気にしていなかった。「勝った者が総取りする。負けた者は自己責任」というワイルドなルールでやってきた。それにブレーキがかかった。金持ちの子どもだけが有利になるような競争はさせないということになった。そのニュースを知って、「中国は何でもやることが極端だね」と言って済ますわけにはゆきません。これは何か大きな変化が起きていて、その徴候ではないかと僕は思いました。さあ、何が起きているのか。

 簡単に言うと、国民全員が地位や権力を争って競争して、「勝った者が総取りする」、敗者は転落して路頭に迷っても、それは自己責任。それが当たり前で、それがフェアだというルールで中国はこれまで急成長を成し遂げたわけです。でも、それがもう続けられなくなった。

 これからはできるだけすべての子どもたちに均等な機会を与える。階層格差が再生産されることを防ぐ。そもそも子どもにあまり勉強をさせない。日本の「ゆとり教育」に似たことをしようとしている。「知育、体育、徳育、美育」というスローガンが掲げられて、子どもたちは勉強するだけじゃなくて、身体を鍛えて、美しいものを見て、人間として全方位的にもっと豊かになることが求められるようになりました。勉強だけできればそれいいものではない。そういう方向に、党中央が方針を決めた。さて、いったいどうしてこんな政策が出てきたのか。昨日もそのことについてずいぶん議論になりました。

 僕の考えは、このような受験競争の過熱を放置しておくと、遠からず中国の国力が衰退していくという危機感を中国政府が抱いたからではないか、というものです。実は中国も日本もよく似ているんです。向こうの方がスケールが10倍ですけれども、起きていることは本質的には似ているところがある。

 日本が人口減少局面にあることは、高校生のみなさんもよくご存じでしょう。日本は2008年の12800万人をピークにして、人口が急激に減りだしています。おそらく学校の授業でも教わっていると思いますが、厚労省の試算では2100年、今から80年後の日本の人口ですね、高位推計で6800万人、低位推計で3800万人、中位推計で4850万人です。多分このくらいに落ち着くだろうというあたりでも5000万人を切るんですね。今から80年後ですから、みなさんのうちの何人かは生きて22世紀を迎えることができると思いますが、その時の日本の人口は5000万人を切っているんです。今から80年間で、7600万人減る。年間90万人ペースです。高齢化もこの後進みます。2065年には高齢化率が38.4%、3人に1人は65歳以上いう社会になります。そういう時代を経由して、日本の総人口が5000万人を切る社会を迎える。

 みなさんが今どこの学校に進学しようとか、どんな職業に就こうかとか、考えているわけですけれども、それを決める時に、一番考えなければいけないことは、日本はこれから急激に人口が減るということです。短期間にこんな急激な人口減を経験した国は歴史上存在しません。だから、どうしたらいいかわからない。誰も知らない。人口減の局面にどう対処したらいいか、成功事例が歴史上にはない。そういう「どうしたらいいかわからない時代」にみなさんは突入してゆくんです。
 そんなこと言うとびっくりするかもしれません。なぜ、そんな大事なことなのに、みんなもっと真剣に議論しないんだろうかと、疑問に思うでしょうね。本当にそうなんです。議論しないんです。どうしてこうなったのか原因を探り、現状はどうなっているのかを調査し、どう対処するのか政策を立てるためのセンターが今の日本政府部内には存在しないんです。この巨大な問題に対処するための政府機関がないんです。たしかに「少子化対策」とかはあります。婚活を支援するとか、保育所を増やすとか、教育を無償化するとか、そういうことをしていますけれども、人口減というのはそんな目先の政策でどうこうなる話ではないんです。
 人口減少は止まりません。このことをきちんと受け止めて、それによって産業や教育や医療がどう変わるのか、きちんとした見通しを立てて、これからこうなりますよと、国民にアナウンスする必要があります。
 人口減社会のあり方については、いくつかのシナリオがあり得ます。そのシナリオのうちのどれがよいかについて、国民全体で議論して、合意をかたちづくること、それが必要です。日本列島に住むすべての人に関わる大問題です。
 ところが、この問題についての国民的な議論がまったく行われていない。メディアは時々思いついたように人口問題について報道しますが、深く掘り下げるということをしていない。真剣に取り組んでいない。政治家もメディアも、どうしたらいいのか、わからないんです。これまで人類が経験したことのない問題だから。何が起きているのか、どうしたらいいのか、わからない。この問題と向き合い、それに対して然るべき政策を立てることのできる構想力がないのです。現代の日本の指導層にはそれを考えるだけの力がない。
 でも、これは日本だけの話じゃないんです。お隣、韓国もすでに2年前2019年に人口がピークアウトして、これから急激な人口減、高齢化局面を迎えます。あと40年くらいで、日本を抜いて、世界一の高齢社会になります。
 そして、中国です。どうして、中国政府が教育政策において、これまでとは全く違う方向に舵を切ったのか。これも人口減が理由ではないかと僕は思っています。中国は6年後2027年に14億人でピークを迎え、それから急激な人口減少と超高齢化時代を迎えます。年間500万人ペースで人口が減ります。生産年齢人口、15歳から65歳までの人が減2040年までに1億人減り、代わりに65歳以上の人口が3億2500万人にまで増える。
 中国は2015年まで「一人っ子政策」を実行していましたから、人口構成がひどくいびつです。男女比も均等ではありません。ですから一人っ子で、配偶者がいない人の場合、親が死ぬと、妻も子も兄弟姉妹もいない天涯孤独の身となる。これまでそういう場合のセーフティネットとしては親族ネットワークがありました。生活が苦しくなったら、親族を頼ることができた。でも、一人っ子政策と人口減で、その親族ネットワークが成り立たなくなった。中国には日本のような社会保障制度がありません。これを短期間のうちに作り上げなければ高齢化に対処できない。
 これまで急増する人口が潤沢なマンパワーと巨大な市場を提供してきた中国ですが、その経済成長のエンジンであった「いくらでも働く人間がいる」という条件がこのあと失われる。2027年からそれが始まります。若い人たちの人口が急激に減って行く中で、中国が国力を維持しようとしたら、子どもたちを過酷な競争に放り込んで、勝ち残った者にすべてを与えて、負けた者たちは消えるに任せるというような手荒な選抜を続けることはできません。とりあえず手元にいる子どもたちすべてに等しく良質な教育機会を提供して、ひとりひとりのパフォーマンスを上げるしか手立てがない。国民一人一人の力を、取りこぼすことなく引き出すことが必要になる。そうなると、ペーパーテストの点数だけで子どもたちを選別するというような雑なことはできない。
 中国にはかつて科挙という制度がありました。ペーパーテストで高得点をとる人たちを登用して、権力の中枢に据えた。この人たちは確かにたいへんな人文学的知識を備えていましたけれど、それ以外の大多数の人は全く文字も読めなかった。そういう制度のせいで、清朝は国力を失って滅びた。だから、近代中国では、できるだけ多くの国民が等しく学校教育を受けられる仕組みが作られました。でも、最近になってまたペーパーテストの勝者に権力も財貨も集中するという、昔の科挙みたいな仕組みが復活してしまった。だから、またそれを抑制して、国民全員がそれぞれの多様な才能を開花させるという軌道修正が行われることになった。たぶん、そういうことではないかと思います。
 中国政府は14億の国民を統治しなければいけないのですが、これは19世紀末の世界人口と同じ数です。そんな数の国民を擁する政体を統治したことのある人は過去におりません。だから、中国のトップも必死だと思うんです。たぶん、ものすごく頭のいい人たちが、僕らでは想像できないくらいIQの高い人たちが統治システムを設計しているんだと思います。たしかに中国は時々暴走しますけれど、小手先のことはしません。やる時はいつも巨大なスケールの実験をする。ですから、今回の教育改革も巨視的な見地に立って行われたものだと思います。
 それに比べると、どうも日本の遅れが気になります。日本は中国より十年早く人口減少が始まったのに、この十年間、何もしないでいる。中国は人口減に対処するために、文化的な資源をエリートに集中するのではなく、できるだけ多くの国民にチャンスを与えるという政策を採用しようとしているように僕には見えます。たしかに、若い人の数がこれから激減する中で国力を維持しようとしたら、すべての若い人たちが才能を開花させる仕組みを工夫する方が、ペーパーテストの上位者に資源を集中する仕組みよりも有効です。日本でも、それと同じことをこれからやるべきではないかと思います。
 日本はこのあともう経済成長はしません。これまでの30年もしていませんが、これからもしません。むしろ経済は縮減してゆく。かつて日本は42年間にわたってGDPランキングでアメリカに次いで世界第2位でした。現在も第3位ですが、一人当たりのGDPは第24位まで低下しました。株式時価総額の世界ランキングで、2000年ではトップ30のうち21社が日本の企業でした。現在トップ30に日本の企業はありません。21社がアメリカ。あとは中国と韓国と台湾とサウジアラビアです。世界経済に占める割合、日本はかつては16パーセントだったのだけれど、現在は6パーセントです。日本だけが沈んでいく。そこにコロナが来た。それが君たちが直面している状況です。
 そういう前代未聞の状況に日本社会はあります。ですから、君たちがこれからどのような技術や能力を身につけるか、どういう進学先を選ぶか、どういうところに就職するかという時に、これまでなら父さんお母さん、学校の先生に相談して、「こうすればうまくゆく」という過去の成功体験に従っていたらよかったけれど、申し訳ないけれど、学校の先生たち親たちの持っている進学や就職に関する知識はこれからは使いものになりません。
 ですから、先生たちは、生徒に進路相談されたら「わからない」と答える方がむしろ誠実だろうと思います。この資格さえあれば一生食えるとか、ここに勤めていれば絶対に安心だというようなことはこの先なかなか断言できなくなります。危険すぎます。正直言って、僕にもわかりません。わからないなら、子どもたちには「好きなことをやりなさい」と言うのがいいんだと思います。激動期なんですから、どういう職業に就けば「一生食うに困らない」のか、予測が立たないんです。だったら、「あまりやりたくないけれど、安全そうだから」というような基準で進路を決めない方がいい。「食えるかどうか分からないけれど、やりたいことだから」という方がいい。それなら、食えなくなっても、誰も恨まずに済みますから。
 とはいえ、少しは情報を差し上げないといけないので、知っている限りのことをお話します。アメリカでは、「これからどういう職業がなくなってゆくのか」ということについて科学的なリサーチをよく実施しています。今手元にあるのは、2020年に世界経済フォーラムが実施した「これからの5年間でどのくらい職業構成が変わるか」についての調査報告です。これはまだコロナの感染が広がる前の話で、職業構成の変化の主たる要因はAIです。AIの導入とロボット化で、どれくらいの仕事がなくなるかという話です。雇用の消失について、僕が見た最も楽観的な数字が14%、最も悲観的な数字が52%でした。
 業種ごとに2020年から2022年までにどれくらい雇用が失われるのか。一番大きいのは金融部門です。20パーセント。製造業が19パーセント。情報産業が17パーセント。一方で、AIが進んでもそれほど雇用が減らない分野があります。AIやロボットでは代替できない生身の人間にしかできない仕事です。医療・介護、それと教育です。医療と教育は人間社会を構成する根幹部分ですが、この根幹部分は機械では代替できません。もう一つ、AIでは入れ替えが効かないのが行政です。医療、教育、行政。これから社会はどんどん変わりますけれど、この三分野については雇用が大きく減ることはないというのが、アメリカでの統計の結果です。
 2012年、コロナのずっと前ですけれど、アメリカ労働統計局という所が調べた、これから雇用が拡大する分野はどこかという調査があります。1位は看護師です。驚くべきことにこの調査では上位30位のうち7つが医療関係でした。
 これはアメリカの話ですが、日本は多くの点でアメリカ社会を模倣していますので、日本でも同じようなことになると思います。医療は身体だけを相手にするわけではありません。人間の心も相手にします。医療者は患者の自己治癒能力が最大化するように仕向けることが大事な仕事ですが、患者の心を「治りたい」という強い気持ちに導くというような作業は機械では代行できません。
 僕の友人の医療経済学者で、アメリカで25年間働いて最近帰国した方によると、アメリカの地方都市では、その地域の雇用のほとんどを行政と医療と教育が占めているケースがすでにあるそうです。州政府があって、大きな総合病院があって、そして大学がある。行政機関にはたくさんの公務員が雇用されている。病院の周りには医療従事者、職員、患者、医療品や機材を納品する業者とその家族たちがいます。大学には教職員学生がいて、下宿屋があり、書店があり、レストランがあり、カフェがあり、ライブハウスがある。行政、医療、教育という三つの活動を中心にして、かなりの規模の経済活動が営まれ、そこに雇用が発生する。三つとも金儲けのための事業ではないし、環境負荷も少ない。そういうものがこれからの経済活動の軸になり、雇用の軸になるかも知れません。
 AI導入によって失われる雇用のうちで、当面最大のものと見込まれているのはドライバーです。自動車が自動運転に切り替わるのは時間の問題です。アメリカではトラックやバスのドライバーが300万人います。この人たちは自動運転に切り替わると、職を失います。馬車から機関車・自動車に切り替わった時でもそうでした。技術革新があるとそれ以前のテクノロジーで食っていた人たちは職を失う。でも、馬車が機関車や自動車に切り替わるまでには、かなりの時間がかかりました。その間に、転職先を探すことができた。馬具屋がカバン屋に商売替えするくらいの時間の余裕がありました。でも、今度の自動運転への切り替えは非常に短い時間で大量の雇用が消える。
 これを「AIが導入されると失業するような職に就いていた本人の自己責任であるから、政府は関与しない」というわけにはゆきません。規模が大きすぎますから。この大量の失業者を連邦政府・州政府は生活支援し、再教育し、再雇用の道を保障しなければなりません。そのための議論はすでにずいぶん前から始まっています。アメリカはこのあとの生産年齢人口が増え続ける唯一の先進国です。日本や中国のような人口減リスクと直面する気づかいが当面ありません。そんなアメリカでさえ、テクノロジーの進化に伴う雇用環境の変化について「最悪の事態」を想定して、対応策を考えている。日本政府が人口減に対処するより、はるかに真剣に考えています。
 ここは英語探究科で、英語に力を入れた教育をしているそうですね。でも、君たちにとって一番大切なのは受験勉強じゃないんです。情報を取ることです。高校生にとって有益で必要な情報はネット上にいくらでもあります。みなさんは一般の高校生より、英語発信の情報に触れて、それを噛み砕いて説明できるスキルを身につけているはずです。だったら、それを活用してほしい。日本のマスコミで情報を採っているだけでは、日本でも世界でも、何が起きているのか分かりません。ポストコロナの時代に何が起きるのか、まったくわかりません。英語科のみなさんには、ニューヨークタイムスのネット版をぜひ読んでほしいと思います。大した額ではないんです。月額2千円くらいです。高校生にはきついか。(笑)でも、払わなくてもTwitterでリードくらいは読めますから。とりあえず見出しだけでも読んでおけば、いま世界に起きていることがわかります。
 君たちがさしあたり直面するのは、受験と雇用です。何を勉強したいのか、決めるのは自分です。大事なのは何をしたいかです。この学術領域に進むと、将来的に安定した職業に就けるというような動機で専門を選ぶべきではありません。それだと自分の持っている潜在能力の100%までしか出せません。100が上限です。でも、人間は潜在能力の150%とか200%とかまで出そうと思えば出せるんです。自分で想像している以上の能力を発揮できる。そのことに寝食忘れて熱中する。面白くてしょうがないという時に、その人の潜在能力が爆発的に発揮されます。
 先ほど日本の将来が悲観的であることを言いましたが、それをV字回復させる可能性を持っているのは、君たちです。君たち一人一人が100の期待値を150や200にする。それをしてくれたら、日本の再生は実現できます。
 実際には自分の能力の100まで出し切っている人さえそれほど多くはありません。この学校も「いじめ」はあると思いますけれど、それは本当に許しがたいことだと思いますです。君たちの級友たちは、これから社会を共に支えてゆくたいせつなパートナーなんです。その人たちがいずれ発揮できるかもしれない能力を損なってどうするんですか。追い込んで生きる気力をなくしたり、学校に来なくなったりするのは、同世代全体にとっての損失なんです。だって、この仲間だけでやっていくしかないんですから。競争して、勝った者が「総取り」して、負けた者は何ももらえない。そういう新自由主義的な考えのと「いじめ」はなじみがいいんです。競争で勝つことだけが大事であるなら、競争相手である同世代の全員が心に傷を負ったり、生きる意欲を失ってくれている方が競争に勝つチャンスは高まる。だから、競争で勝つことが最優先するという社会は、どんどん集団としての生きる力が衰えてゆく。
 でも、君たちがこれから迎える時代はほんとうに厳しい時代になります。お互いに足を引っ張り合う競争なんかしていたら共倒れです。周りを見渡して、隣にいる人がどんな才能を持っているか、どんな資質があるのか、まだ発揮していないどんな力があるのか、それを見出して、どうしたらその才能が開花するのか、それを考える。それが一番大事です。集団として能力を発揮するのです。人間は一人では何もできません。僕たちは価値あるものを創り出すことができるのはさまざまな人たちとコラボレーションすることを通じてです。
 だから、同年代の仲間が大事になります。ただの友だちでいるのとは違います。一緒にチームを組んで、共同作業でお互いに手持ちの100を超える能力を発揮する。そういう価値創造的な働き方をこれからはしなければいけない。ですから、隣にいる仲間を見て、さあ、どうやったらこの人が機嫌よく働いて、次々と新しいアイデアを生み出してくれるか、それをどうサポートしたらよいのか、それを君たちの世代はまず考えないといけないんです。
 僕らの世代は競争的な環境でした。周りを蹴落として出世することが奨励されていた。なにしろいくらだって若い人はいたわけですし、どんどん経済成長していましたから、勝者が総取りして、敗者には何もやらないというようなワイルドな競争をすることができた。
 でも、今は環境が違います。環境が変わった以上、生存戦略も変わります。国民同士を競争させていれば国力が上昇する時期もあるし、そんなことをしたらむしろ国が衰退するという時期もある。今は、同世代の間で相対的な優劣を競って、足を引っ張り合っていたら共倒れするという環境です。だから、頭を切り替えなければならない。競争から共生に頭を切り換えなければならない。
 君たちはもっと利己的になっていいんです。どうやって自己利益を最大化するか、それを考えたら、周りの人といっしょに協力して、集団全体としてのパフォーマンスを上げることが必須だと気がつくはずです。
「学級崩壊」という異常な事態が以前にはありましたが、あれは競争的なマインドがもたらしたものです。全員が同学齢集団内部での相対的な優劣を競う競争で自分だけが勝ち残ろうとしたら、学級崩壊するのは必然的なんです。最少の学習努力で競争に勝とうと思うなら、周りの級友たちの学習を妨害するのが最も効率的だからです。だから、立ち歩いたり、話しかけたり、いじめたり、教師の授業を妨げたりして、勉強に集中できないような環境を作り出す。確かに、周りの人たちの学習を妨害すれば、自分の相対的なポジションは少しは上がるかも知れません。でも、集団全体としての学力は下がる。連帯感も失われるし、コラボレートする意欲も損なわれる。
 競争をさせると一人一人が活動的になって、その結果集団全体の力が上がるということも実際にはあります。日本でも中国でもアメリカでもそういう時代はありました。でも、そういうことができるのは、社会が豊かで、分かち合う資源が潤沢な場合です。でも、これからはもうそういう時代ではありません。歴史的環境が変わると、生き方も変わる。これからは競争から共生へ、生き方を変えなければならない。これは道徳的な話をしているわけではありません。そうではなくて、そうしないと生き延びられないという非常に生々しい話なんです。
 まだ日本は十分に豊かです。温帯モンスーンの肥沃な土地が広がり、水流もきれいですし、動物相も植物相も多様で、空気も澄んでいる。自然環境はたいへん恵まれています。治安もいいし、社会的インフラも充実しているし、教育も医療も質量ともに充実しています。こういう国民資源をこれからたいせつに有効に使って、みんなで新しいアイデアを出し合って、お互いに励まし合ってゆけば、日本の国力をV字回復させることはできない話ではありません。すべて工夫次第です。でも、今までのやり方を続けていたのでは、国力は衰微してゆくだけです。頭を切り換えないといけない。どうしたら自分の潜在能力を開花させることができるか、どうやったら自分のパフォーマンスを最大化できるか。どうやったら自分の頭がもっとよくなるか。それを真剣に考える。「頭がよくなる」というのは、試験の成績が上がるということではありません。自分の頭が活動的になるということです。自分の頭が活動的になるのを妨げているのは、自分自身です。知性がのびのびと活動するのを妨げているのは、自分自身です。その妨害を解除すること。それが「頭がよくなる」ということです。
 僕は武道の道場をやっているからよくわかりますが、技を教えても、どうしてもうまく動けない人がいます。それを「運動能力が低い」というふうに言っても意味がないんです。筋肉をつけたり、走り込みをしたりしたからと言って技がうまくなるということはないんです。自分の動きを妨害しているのは自分自身だからです。自分で自分の動きを止めている。技がかからないのは、相手が抵抗しているからではなく、自分で自分の動きを邪魔しているからなんです。相手に勝とうとする競争的な気持ちが身体能力の自由な発現を妨げている。必要なのは、自然に、のびのびと、気分よく動くことなんです。合理的な動き、自分にとって快適な動き、それが正しい動きです。
 脳も同じです。どういう脳の使い方をしたら知的なパフォーマンスが上がるか。これには一般的なやり方はありません。一人一人が考えて、工夫するしかありません。でも、これが君たちにとって最優先の課題です。どうしたら自分の頭は良くなるのか。どうすれば自分の知的パフォーマンスは上がるのか。そんなに難しいことじゃありません。簡単なんです。あることをすると知的パフォーマンスは上がり、あることをすると下がる。だから上がることをすればいいんです。怒ったり、悲しんだり、怖がったり、羨んだりしていると、頭は働かなくなる。機嫌よく暮らして、深く呼吸できて、よく寝て、よく食べて、次々と「したいこと」が思い浮かぶのが「頭がよい」時です。周りとは関係ありません。勝敗や優劣とは関係ない。自分自身だけにかかわる問題です。どうすれば、機嫌よくなるか、それは一人一人違います。でも、それを真剣に考えないといけません。
 今、君たちを見て気の毒だなと思うのは、自分で進路を決められないということです。お金がかかり過ぎて。僕は1970年に大学に入りました。その年の国立大学の授業料は年間1万2千円でした。月千円です。入学金が4千円でしたから、入学金と半期授業料で1万円で大学生になれました。いまとは貨幣価値がだいぶ違いますが、それでも僕がやっていた学習塾のバイトの時給が600円でした。2時間働くと月謝が払えた。1万円くらいなら、高校生だって持っていました。お年玉を貯めたら、それくらいにはなります。だから、進学するときに、どうしてもやりたいということがあったら、親が反対しても、「自分で学費出すから」と言えた。だから、当時は「不本意入学」というのがほとんどなかったのです。国公立大学に行くなら、好きな進学先を自分で選べた。でも、まさにそのころ、日本の大学の学術的な発信力が最高だったんです。当たり前ですよね。親や周囲の反対を押し切って、「やりたい勉強をしたい」と言って大学に行ったわけですから、成果を出さないと格好がつきません。自分の進学先の選択が正しかったことを証明するためには、毎日にこにこしてうれしそうに通学するのが一番効果的です。そんな様子を見せれば、「そんな学校へ行ってどうすんだ」と文句をつけた人たちを見返すことができる。
 それとは逆に、行きたくないのに親に無理やり進学先を決められると、親の選択は間違っていたことを証明したくなる。不機嫌に学校に通い、勉強もろくにせず、大学に四年間通ったけれど、「お金をどぶに捨てたようなものだ」と親に思わせるのが、最も効果的な「復讐」になる。でも、親の判断が間違っていたことを、子どもがわざと不幸になってみせることで証明するというのは、まことにもったいない人生の過ごし方です。
 君たちの人生にはそんな暇はありません。誰かに仕返しをする人生なんて、そんな無駄なことをする余裕は君たちにはありません。それよりは、どうやって自分の潜在能力を開花させるか、どうやって自分の頭を活動的に働かせるか、それを真剣に考えないといけないんです。そして、周囲に目をやって、どうやったら隣にいる人がもっと機嫌よくなるか、もっと活動的になるか、もっと創造的になるか、それを考える。そんなに難しいことではありません。一番簡単なことは親切にすることです。「隣の人に親切に」。これが一番大事なことです。簡単ですよね。でも、簡単だけれど、きわめて有効なことなんです。友だちが何かしたいと言ったら「やんなよ」と応援する。不安がっていたら「大丈夫だよ」と肩を叩く。「君には才能があるから」と励ます。それだけで十分に集団的なパフォーマンスは向上します。
 だから、考えるとそんなに悪い時代じゃないですよ。励まし合って、協力し合って生きてゆけばいいんですから。悲観することもないし、失望することもない。
 これから日本社会がどうなるか、予測はつきません。誰も「正しい生き方」の正解を知りません。だったら、自分が生きたいように生きればいい。他人の真似をするとか、他人に命令されるとか、他人からの査定を気にするとかではなく、自分のやりたいことをする。そして、周りにいる友だちが「やりたいことをする」のを支援をする。そうすることによって君たちの世代全体の能力を高める。それが君たちに与えられた世代的なミッションです。
 この辺で話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

http://blog.tatsuru.com/2022/01/12_1641.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1445.html

[近代史6] 部落出身の あべ静江 _ 絶世の美女で性格も良く料理上手なのに何故か独身 中川隆
2. 中川隆[-14138] koaQ7Jey 2022年1月19日 12:41:22 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[10]
SHIZUE ABE - YouTube動画
https://www.youtube.com/channel/UCse5vIl159OMjJg7IcELfdQ/videos


#あべ静江 - YouTube
https://www.youtube.com/hashtag/%E3%81%82%E3%81%B9%E9%9D%99%E6%B1%9F
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/144.html#c2

[近代史7] テレビドラマ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995)
テレビドラマ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995)



脚本 - 北川悦吏子
音楽 - 中村正人(DREAMS COME TRUE)
主題歌 - DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」(エピックレコードジャパン)
挿入歌 - DREAMS COME TRUE「嵐が来る」(エピックレコードジャパン)


『愛していると言ってくれ』(あいしているといってくれ)は、1995年7月7日から9月22日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に、TBS系「金曜ドラマ」枠で放送された日本のテレビドラマ。主演は豊川悦司と常盤貴子。



聴覚障害者の画家と女優の卵が、障害を乗り越えながら愛を深めるというストーリー。主演は豊川悦司と常盤貴子。第33回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞し、常盤は1995年度のエランドール賞新人大賞を受賞した。当時16歳だった矢田亜希子のデビュー作である。 ドラマ上で画家役の豊川悦司が描いた植物や人物の作品は、洋画家菅沼光児の作品である。


平均視聴率は21.3%、最終話で最高視聴率28.1%を記録。主題歌の「LOVE LOVE LOVE」(DREAMS COME TRUE)は売上が約250万枚の大ヒットとなりこの年のオリコン年間第1位となる。


2020年5月31日より6月21日までの毎週日曜日14:00 - 17:00に、「2020特別版」として再放送された。特別版では、主演の豊川と常盤のリモート対談も放送され[1]、撮影当時の心情や役作りの意気込み、裏話などを語った[2][3]。MBSでは、6月7日より7月19日まで同じく毎週日曜日12:54 ‐ 15:00まで、2話連続で再放送された。


登場人物


主要人物
榊晃次(さかき こうじ)
演 - 豊川悦司
新進青年画家。7歳の時に病気により聴覚を失う。そのため手話や筆談を用いて会話をする。
水野紘子(みずの ひろこ)
演 - 常盤貴子
女優の卵。アルバイトをしながら「劇団翼」で演技の勉強をしている。晃次とあるきっかけで出会い、恋に落ちる。


紘子の関係者
矢部健一(やべ けんいち)
演 - 岡田浩暉(当時To Be Continued)
紘子が所属する「劇団翼」の照明スタッフで幼馴染。紘子に想いを寄せる。
吉田マキ(よしだ まき)
演 - 鈴木蘭々(第1話 - 第4話、第11話)
紘子のアルバイト先(公園の売店)の同僚で友人。妊娠が判明して売店を辞めることになる。
野田耕平(のだ こうへい)
演 - 塩見三省(第1話、第3話、第6話)
紘子が所属する「劇団翼」の劇作家。
鷺沢緑
演 - 高橋理恵子(第1話、第2話、第4話)
紘子が所属する「劇団翼」の女優。
小柴力(こしば りき)
演 - 甲本雅裕(第5話、第6話)
紘子のアルバイト先(宅配便)の先輩。


晃次の関係者
神崎薫(かんざき かおる)
演 - 余貴美子(第1話 - 第4話、第6話 - 第9話)
晃次が所属する篠崎画廊のマネージャー。晃次とはビジネスだけではない関係も結んでいるが特定の恋人関係ではない。
藪下清(やぶした きよし)
演 - 相島一之(第2話 - 第4話、第6話、第9話)
晃次と同じ篠崎画廊に所属する画家でライバル。晃次の才能に激しく嫉妬しておりネチネチと嫌味や小言を言ってくる。
飯島
演 - 神保悟志(第2話)
晃次を取材した編集。
和田
演 - 森山米次(第2話)
晃次を取材したライター。
日野克彦(ひの かつひこ)
演 - 春田純一(第4話、第6話、第8話)
晃次が学生時代から通っていたカフェのマスター。
古谷昭夫
演 - 後藤友輔(当時To Be Continued)(第8話、第9話)
晃次の学生時代の同級生。
松原浩(まつばら ひろし)
演 - 生瀬勝久(第8話、第9話)
晃次の学生時代の同級生。ギャラリーマネージャー。
島田光(しまだ ひかる)
演 - 麻生祐未(第8話 - 第10話)
晃次の元恋人。別の男性と見合いして結婚し一児を儲けたが、離婚して東京へ戻ってきた。女手一つで育てるため、夜の仕事をしている。
島田学(しまだ まなぶ)
演 - 三觜要介(第8話 - 第10話)
光の息子。


榊家
榊栞(さかき しおり)
演 - 矢田亜希子(第1話 - 第7話、最終話)
晃次の義妹。高校生。晃次を慕っている。手話に長けており、晃次が手話の出来ない者と会話をする際に手話通訳をすることがある。
榊伸吉(さかき のぶよし)
演 - 橋爪功(第2話、第7話)
晃次の父。栞の継父。手話が苦手であり、晃次との会話は栞に通訳を頼むか筆談で行っている。
榊敏子(さかき としこ)
演 - 赤座美代子(第5話)
伸吉の後妻。栞の実母であり、晃次の継母。
吉沢道子(よしざわ みちこ)
演 - 吉行和子(第2話、第6話、第7話)
伸吉の元妻。晃次の実母。聴覚を失った幼い息子を育てる自信を失い、捨てるかのように家を出てしまった。



『愛していると言ってくれ』
Vol.1 1995年7月7日 出逢い 生野慈朗 17.5%
Vol.2 1995年7月14日 約束 16.4%
Vol.3 1995年7月21日 涙 土井裕泰 17.2%
Vol.4 1995年7月28日 キッス 21.5%
Vol.5 1995年8月4日 会えない 生野慈朗 20.2%
Vol.6 1995年8月11日 過去 土井裕泰 20.4%
Vol.7 1995年8月18日 再会 生野慈朗 20.6%
Vol.8 1995年8月25日 秘密 24.9%
Vol.9 1995年9月1日 疑惑 福澤克雄 21.1%
Vol.10 1995年9月8日 悲劇 土井裕泰 23.9%
Vol.11 1995年9月15日 別離 24.2%
Vol.12 1995年9月22日 僕の声 生野慈朗 28.1%


愛していると言ってくれ(1995)- YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%EF%BC%881995%EF%BC%89%E7%AC%AC

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/855.html

[近代史7] 日本のテレビドラマ 中川隆
1. 中川隆[-14137] koaQ7Jey 2022年1月19日 17:37:26 : HuHSGoKygw : WWpVMi5ZRnhCRC4=[2]
テレビドラマ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/855.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/854.html#c1
[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
32. 中川隆[-14136] koaQ7Jey 2022年1月19日 17:38:12 : HuHSGoKygw : WWpVMi5ZRnhCRC4=[3]
テレビドラマ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/855.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c32
[近代史6] 大型衛星を持つ小惑星「オルクス」の正体!
【ゆっくり解説】大型衛星を持つ小惑星「オルクス」の正体!【宇宙】
2022/01/18


今回は小惑星「オルクス」と、その衛星「ヴァンス」についてゆっくり解説しました。


オルクスは小惑星ですが、準惑星候補の筆頭でもあり、そのうち準惑星に分類される可能性が高い天体です。


またその衛星である「ヴァンス」も比較的大きいサイズで、主星と衛星の比率で言えばかなり大きいです。

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1041.html

[近代史4] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
17. 中川隆[-14135] koaQ7Jey 2022年1月19日 19:33:46 : HuHSGoKygw : WWpVMi5ZRnhCRC4=[9]
日本政府が政府の金融資産を売却できない理由

#376 基礎的財政収支黒字化の大嘘 他のことはやらず増税まっしぐらの岸田政権
2022/01/19



2026年までに基礎的財政収支黒字化について解説

本編内使用データ(現代ビジネス)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91492?page=3




2022.01.17
もう手遅れ!岸田政権の「オミクロン対策」と「増税論」は根本的に間違っている
「場当たり対応」でどこまで持つのか

相変わらずPBに固執して「増税」へ
その一方で、増税への布石は着々と進んでいるようだ。1月14日、今年最初の経済財政諮問会議を開催し、岸田首相は、国と地方合わせた基礎的財政収支(PB)を2025年度に黒字化する目標を維持する考え方を示した。諮問会議で示された中期財政試算を容認した形だ。

筆者は、1月3日付本コラム『「日本は借金で破綻する」は本当か? 財務官僚の大嘘を暴く グロス債務だけ見るのは笑止千万』において、「今の片手落ちのPB目標による経済運営」は、基本的に政府のグロス債務残高をコントロールするための指標なので不十分と断言し、統合政府でのネット債務残高を財政健全化に使うべきとしている。



しかし、政府では相変わらずPBに固執している。先日のコラムで数式を出さなかったが、以下のとおりだ。


要するに、PB対GDP比とともに、マネタリーベース増対GDP比も加味して見なければ、本当の財政健全化の指標になり得ない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91492?page=3




財政健全化にもつながらない
政府のPBは地方政府も含んでいるが、国だけとしても2020年度PB対GDP比は▲9.3%と大きい。それを2025年度に黒字化しようとするのは、大増税を唱えているのに等しい。

しかし、本当の財政状況である統合政府のネット債務対GDP比はほぼゼロである。しかも、2020年度のPB対GDP比▲9.3%としても、マネタリーベース増対GDP比は19.6%だったので、これらを合計すれば10.3%(前期債務残高対GDP比、前期マネタリーベース対GDP比、成長率、金利も影響があるが、今の時点でこれらの影響は少ないので無視)。これは実質的なPBは実は黒字化していることを意味している。そのため、統合政府ベースのネット債務残高は減少し、ほぼゼロになっているのだ。


PB対GDP比が▲9.3%で黒字化するなら大変だろうが、実は+10.3%ならもっと赤字でもいいことになる。

そもそも政府のグロス財務残高に着目するのは会計的にも誤りだし、その間違ったPB黒字化に向けて増税することは、かえって政府全体の財政健全化にならない。

今国会が今日1月17日から始まるが、国会で財政健全化議論をしっかりやってほしい。特に、グロス債務残高だけで議論する財務省やマスコミの欺瞞を糺すべきだ。そのグロス債務残高から出てくるのが、PB黒字化だ。

はっきり言おう。政府のPB黒字化目標は、会計的にもファイナンス論からも、完全な誤りである。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91492?page=4

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/775.html#c17
[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
43. 中川隆[-14134] koaQ7Jey 2022年1月19日 19:34:08 : HuHSGoKygw : WWpVMi5ZRnhCRC4=[10]
日本政府が政府の金融資産を売却できない理由

#376 基礎的財政収支黒字化の大嘘 他のことはやらず増税まっしぐらの岸田政権
2022/01/19



2026年までに基礎的財政収支黒字化について解説

本編内使用データ(現代ビジネス)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91492?page=3




2022.01.17
もう手遅れ!岸田政権の「オミクロン対策」と「増税論」は根本的に間違っている
「場当たり対応」でどこまで持つのか

相変わらずPBに固執して「増税」へ
その一方で、増税への布石は着々と進んでいるようだ。1月14日、今年最初の経済財政諮問会議を開催し、岸田首相は、国と地方合わせた基礎的財政収支(PB)を2025年度に黒字化する目標を維持する考え方を示した。諮問会議で示された中期財政試算を容認した形だ。

筆者は、1月3日付本コラム『「日本は借金で破綻する」は本当か? 財務官僚の大嘘を暴く グロス債務だけ見るのは笑止千万』において、「今の片手落ちのPB目標による経済運営」は、基本的に政府のグロス債務残高をコントロールするための指標なので不十分と断言し、統合政府でのネット債務残高を財政健全化に使うべきとしている。



しかし、政府では相変わらずPBに固執している。先日のコラムで数式を出さなかったが、以下のとおりだ。


要するに、PB対GDP比とともに、マネタリーベース増対GDP比も加味して見なければ、本当の財政健全化の指標になり得ない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91492?page=3




財政健全化にもつながらない
政府のPBは地方政府も含んでいるが、国だけとしても2020年度PB対GDP比は▲9.3%と大きい。それを2025年度に黒字化しようとするのは、大増税を唱えているのに等しい。

しかし、本当の財政状況である統合政府のネット債務対GDP比はほぼゼロである。しかも、2020年度のPB対GDP比▲9.3%としても、マネタリーベース増対GDP比は19.6%だったので、これらを合計すれば10.3%(前期債務残高対GDP比、前期マネタリーベース対GDP比、成長率、金利も影響があるが、今の時点でこれらの影響は少ないので無視)。これは実質的なPBは実は黒字化していることを意味している。そのため、統合政府ベースのネット債務残高は減少し、ほぼゼロになっているのだ。


PB対GDP比が▲9.3%で黒字化するなら大変だろうが、実は+10.3%ならもっと赤字でもいいことになる。

そもそも政府のグロス財務残高に着目するのは会計的にも誤りだし、その間違ったPB黒字化に向けて増税することは、かえって政府全体の財政健全化にならない。

今国会が今日1月17日から始まるが、国会で財政健全化議論をしっかりやってほしい。特に、グロス債務残高だけで議論する財務省やマスコミの欺瞞を糺すべきだ。そのグロス債務残高から出てくるのが、PB黒字化だ。

はっきり言おう。政府のPB黒字化目標は、会計的にもファイナンス論からも、完全な誤りである。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91492?page=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c43
[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
51. 中川隆[-14133] koaQ7Jey 2022年1月19日 20:46:55 : HuHSGoKygw : WWpVMi5ZRnhCRC4=[12]
金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火
2022年1月19日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18899


アメリカのインフレが止まらない。そして同じように、インフレを抑制するための利上げも止まらなくなりそうだ。利上げで間違いなくダメージを受ける株式市場の運命は風前の灯火である。

金融引き締め加速へ

覚えている読者がいるかどうかも分からなくなってきたが、アメリカの中央銀行であるFed(連邦準備制度)のパウエル議長が当面の間は量的緩和とゼロ金利を継続すると言っていたのはたった2ヶ月前の話である。

それがテーパリング(量的緩和縮小)の加速に追い込まれ、その後2020年内に3回の利上げを表明するところまで本当にたった数週間程度の話だった。

パウエル議長、ついに「一時的」を撤回しテーパリング加速を示唆 (2020/12/1)
12月FOMC会合結果: 利上げ3回示唆でタカ派に転換も株価は上昇 (2020/12/16)
そしてそれももはや変わるかもしれない。アメリカの債券市場が3回どころか今年中に5回以上の利上げを織り込み始めたからである。

止まらない短期金利上昇

以下の記事で債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏が言っていたように、そもそも緩和を続けたかったパウエル議長が利上げに追い込まれたのは、物価高騰で利上げは不可避と見た債券市場が、今後の利上げ予想を織り込んで推移する2年物国債の金利を上昇させ始めたからである。

ガンドラック氏: 12才児よりも愚かな中央銀行の存在意義が分からない
それでパウエル氏も慌てて追従することとなった。ガンドラック氏はどうせ2年物国債が政策金利を決定するのだからFedは要らないではないかと言っていたが、パウエル氏に代わって中央銀行業務を行なっている2年物国債の金利がその後どうなっているかと言えば、次のようになっている。


これがアメリカの中央銀行の仕事ぶりである。パウエル氏はこれを見て、そろそろ利上げ回数を3回から増やさなければならないと思い始めているだろう。Netflixを眺めているティーンエイジャーでも同じ仕事が出来るのではないか。

上の記事でガンドラック氏の言っていたことをもう一度思い出したい。

2年物国債がゼロ近辺にある時には、利上げがないと分かる。0.75%まで上がれば、2022年に恐らく3回の利上げがあるということが分かる。何故か? 他でもない2年物の金利が利上げ3回と同じ水準まで上がったからである。

では1.1%という現在の水準が利上げ何回分かと言えば、1回の利上げは0.25%なので、4回か5回である。

これとは別に金利先物市場における年末までの利上げ回数の織り込みを見てみると、次のようになっている。

2回: 5.2%
3回: 18.2%
4回: 31.4%
5回: 28.5%
6回: 13.3%
7回: 2.7%
少し前まで年内3回の利上げがメインシナリオだったものが、4回がメインシナリオになり、しかも5回の利上げがある確率と拮抗し始めている。このまま行けば5回がメインシナリオとなり、6回の可能性も見えてくるだろう。

利上げと株式市場

言うまでもなく、これまで金融緩和で上昇してきた株式市場にとって利上げはマイナス要因である。

株式市場は大丈夫なのだろうか? ガンドラック氏が次のように言っていたことを思い出したい。

ここ何ヶ月かの債券市場の動きを見ていると、現在の市場では政策金利が1.25%まで上がっただけで市場が崩壊してしまいそうだ。

その水準まで既にかなり近づいている。その他にもマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏などは4回の利上げが危ないと指摘し、筆者も4回前後が限界だと見ているが、今年の金利予想は既にほぼその水準に到達しているということである。

サマーズ氏: 市場を急落させても4回の利上げが必要
利上げでインフレは止まるか

言うまでもなくそれはインフレを抑えるために必要だからである。

だが考えてもらいたいのだが、仮に5回利上げしたとして、政策金利は1.25%になるが、現在のインフレ率は7.1%である。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
7.1%のインフレ率に対して1.25%の政策金利、つまりそれは超低金利である。

金融緩和で自国通貨を暴落させたトルコのエルドアン大統領の息の掛かったトルコの中央銀行は、インフレ率が19.9%で政策金利が15%となっている状態を「金融引き締め」と呼んだ。

物価高騰と金融緩和でトルコリラが暴落中
西洋諸国はこれを笑っていた。しかし考えてほしいのだが、インフレ率を差し引いたトルコの実質金利はおよそ-5%、一方でアメリカの実質金利はおよそ-6%となり、(仮に5回の利上げが行われたとしても)むしろアメリカの方が常軌を逸した金融緩和状態なのである。ちなみに利上げがまだ行われていない現在の実質金利は-7.1%である。

結論

どう考えても利上げはインフレを止めるには不十分であり、株式市場を暴落させるには十分な水準に到達しつつある。インフレは止まらなくなるだろう。今年の半ばにはインフレ率が2桁を越えている可能性も十分にある。その段階で利上げはまだ1回か2回しか行われていない計算である。

筆者の予想では、株式市場を暴落させる水準まで利上げをしなければならないという事実が春か夏頃までには明らかになり、市場はパニックになるだろう。

それまで株式市場は上昇するという見方もある。だが間違いなくプロ向けのチキンレースであり、筆者はお勧めしない。

マイナード氏: 利上げの初期には株を買え
世界最大のヘッジファンド: インフレでも株式は魅力的な投資先
この相場で必要なのはスタグフレーションに賭けるポジションである。もう何十年もスタグフレーションは起こったことがないので、これに対応できる投資家はほとんどいないだろう。以下の記事などを参考にしながらこの難しい相場を乗り切ってもらいたい。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18899
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c51

[近代史5] スタグフレーションに備えよ! 中川隆
17. 中川隆[-14132] koaQ7Jey 2022年1月19日 20:47:23 : HuHSGoKygw : WWpVMi5ZRnhCRC4=[13]
金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火
2022年1月19日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18899


アメリカのインフレが止まらない。そして同じように、インフレを抑制するための利上げも止まらなくなりそうだ。利上げで間違いなくダメージを受ける株式市場の運命は風前の灯火である。

金融引き締め加速へ

覚えている読者がいるかどうかも分からなくなってきたが、アメリカの中央銀行であるFed(連邦準備制度)のパウエル議長が当面の間は量的緩和とゼロ金利を継続すると言っていたのはたった2ヶ月前の話である。

それがテーパリング(量的緩和縮小)の加速に追い込まれ、その後2020年内に3回の利上げを表明するところまで本当にたった数週間程度の話だった。

パウエル議長、ついに「一時的」を撤回しテーパリング加速を示唆 (2020/12/1)
12月FOMC会合結果: 利上げ3回示唆でタカ派に転換も株価は上昇 (2020/12/16)
そしてそれももはや変わるかもしれない。アメリカの債券市場が3回どころか今年中に5回以上の利上げを織り込み始めたからである。

止まらない短期金利上昇

以下の記事で債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏が言っていたように、そもそも緩和を続けたかったパウエル議長が利上げに追い込まれたのは、物価高騰で利上げは不可避と見た債券市場が、今後の利上げ予想を織り込んで推移する2年物国債の金利を上昇させ始めたからである。

ガンドラック氏: 12才児よりも愚かな中央銀行の存在意義が分からない
それでパウエル氏も慌てて追従することとなった。ガンドラック氏はどうせ2年物国債が政策金利を決定するのだからFedは要らないではないかと言っていたが、パウエル氏に代わって中央銀行業務を行なっている2年物国債の金利がその後どうなっているかと言えば、次のようになっている。


これがアメリカの中央銀行の仕事ぶりである。パウエル氏はこれを見て、そろそろ利上げ回数を3回から増やさなければならないと思い始めているだろう。Netflixを眺めているティーンエイジャーでも同じ仕事が出来るのではないか。

上の記事でガンドラック氏の言っていたことをもう一度思い出したい。

2年物国債がゼロ近辺にある時には、利上げがないと分かる。0.75%まで上がれば、2022年に恐らく3回の利上げがあるということが分かる。何故か? 他でもない2年物の金利が利上げ3回と同じ水準まで上がったからである。

では1.1%という現在の水準が利上げ何回分かと言えば、1回の利上げは0.25%なので、4回か5回である。

これとは別に金利先物市場における年末までの利上げ回数の織り込みを見てみると、次のようになっている。

2回: 5.2%
3回: 18.2%
4回: 31.4%
5回: 28.5%
6回: 13.3%
7回: 2.7%
少し前まで年内3回の利上げがメインシナリオだったものが、4回がメインシナリオになり、しかも5回の利上げがある確率と拮抗し始めている。このまま行けば5回がメインシナリオとなり、6回の可能性も見えてくるだろう。

利上げと株式市場

言うまでもなく、これまで金融緩和で上昇してきた株式市場にとって利上げはマイナス要因である。

株式市場は大丈夫なのだろうか? ガンドラック氏が次のように言っていたことを思い出したい。

ここ何ヶ月かの債券市場の動きを見ていると、現在の市場では政策金利が1.25%まで上がっただけで市場が崩壊してしまいそうだ。

その水準まで既にかなり近づいている。その他にもマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏などは4回の利上げが危ないと指摘し、筆者も4回前後が限界だと見ているが、今年の金利予想は既にほぼその水準に到達しているということである。

サマーズ氏: 市場を急落させても4回の利上げが必要
利上げでインフレは止まるか

言うまでもなくそれはインフレを抑えるために必要だからである。

だが考えてもらいたいのだが、仮に5回利上げしたとして、政策金利は1.25%になるが、現在のインフレ率は7.1%である。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
7.1%のインフレ率に対して1.25%の政策金利、つまりそれは超低金利である。

金融緩和で自国通貨を暴落させたトルコのエルドアン大統領の息の掛かったトルコの中央銀行は、インフレ率が19.9%で政策金利が15%となっている状態を「金融引き締め」と呼んだ。

物価高騰と金融緩和でトルコリラが暴落中
西洋諸国はこれを笑っていた。しかし考えてほしいのだが、インフレ率を差し引いたトルコの実質金利はおよそ-5%、一方でアメリカの実質金利はおよそ-6%となり、(仮に5回の利上げが行われたとしても)むしろアメリカの方が常軌を逸した金融緩和状態なのである。ちなみに利上げがまだ行われていない現在の実質金利は-7.1%である。

結論

どう考えても利上げはインフレを止めるには不十分であり、株式市場を暴落させるには十分な水準に到達しつつある。インフレは止まらなくなるだろう。今年の半ばにはインフレ率が2桁を越えている可能性も十分にある。その段階で利上げはまだ1回か2回しか行われていない計算である。

筆者の予想では、株式市場を暴落させる水準まで利上げをしなければならないという事実が春か夏頃までには明らかになり、市場はパニックになるだろう。

それまで株式市場は上昇するという見方もある。だが間違いなくプロ向けのチキンレースであり、筆者はお勧めしない。

マイナード氏: 利上げの初期には株を買え
世界最大のヘッジファンド: インフレでも株式は魅力的な投資先
この相場で必要なのはスタグフレーションに賭けるポジションである。もう何十年もスタグフレーションは起こったことがないので、これに対応できる投資家はほとんどいないだろう。以下の記事などを参考にしながらこの難しい相場を乗り切ってもらいたい。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18899
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html#c17

[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。
バランスシート上では国債も日銀当座預金も民間銀行の預金もすべて借金として扱われる。
日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。
日銀も民間銀行も資産と借金がバランスしている。
政府も金本位制の時代には国債が借金、政府保有のゴールドが資産、でバランスしていた。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html
[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
1. 中川隆[-14131] koaQ7Jey 2022年1月20日 04:25:16 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[1]
バランスシート上では国債は政府の借金、日銀当座預金は日銀の借金、民間銀行の預金は民間銀行の借金、として扱われる。
日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。
日銀も民間銀行も資産と借金がバランスしている。
政府も金本位制の時代には国債が借金、政府保有のゴールドが資産、でバランスしていた。
つまり、資産が有るから金を貸せるんだ。 資産が無いのに預金通帳に書き込むだけで貸せるというのは妄想だ。
民間銀行は自己資本金の8%以上は貸し出せない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c1
[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
2. 中川隆[-14130] koaQ7Jey 2022年1月20日 04:27:42 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[2]
バランスシート上では国債は政府の借金、日銀当座預金は日銀の借金、民間銀行の預金は民間銀行の借金、として扱われる。
日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも現金として引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。
日銀も民間銀行も資産と借金がバランスしている。
政府も金本位制の時代には国債が借金、政府保有のゴールドが資産、でバランスしていた。
つまり、資産が有るから金を貸せるんだ。 資産が無いのに預金通帳に書き込むだけで貸せるというのは妄想だ。
民間銀行は自己資本金の8%以上は貸し出せない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c2
[番外地10] 「銀行は、自分が持っている資本金の8%以上を貸し出してはいけない」 中川隆
1. 中川隆[-14129] koaQ7Jey 2022年1月20日 04:40:11 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[3]
どちらにしろ、担保が無ければ日銀は民間銀行に金を貸せないから、記帳するだけで金を貸せるというMMT論者の話は間違いだよ。
狭義の信用創造というのは政府がゴールドの担保無しで国債を発行しているという事だ。
国家資産が同じなのに貨幣量が増えると貨幣価値が下がる。それでゴールドの価格も株価も商品価格もGDPも毎年上がっているんだ。
信用創造というのは貨幣価値を下げて貨幣量を増やすという事だ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/247.html#c1
[番外地10] 「銀行は、自分が持っている資本金の8%以上を貸し出してはいけない」 中川隆
2. 中川隆[-14128] koaQ7Jey 2022年1月20日 04:44:14 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[4]
どちらにしろ、担保が無ければ日銀は民間銀行に金を貸せないから、記帳するだけで金を貸せるというMMT論者の話は間違いだよ。
狭義の信用創造というのは政府がゴールドの担保無しで国債を発行しているという事だ。
国家資産が同じなのに貨幣量が増えると貨幣価値が下がる。それでゴールドの価格も株価も商品価格もGDPも毎年上がっているんだ。
信用創造というのは貨幣価値を下げて貨幣量を増やすという事だ。
ただ、貨幣量が増えてから実際にインフレが始まるまで、アメリカの例だと10年乃至20年かかっている。 それでMMT論者は貨幣量を増やしても貨幣価値は変わらないと錯覚しているんだ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/247.html#c2
[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
3. 中川隆[-14127] koaQ7Jey 2022年1月20日 04:54:38 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[5]
どちらにしろ、担保が無ければ日銀は民間銀行に金を貸せないから、記帳するだけで金を貸せるというMMT論者の話は間違いだよ。
狭義の信用創造というのは政府がゴールドの担保無しで国債を発行しているという事だ。
国家資産が同じなのに貨幣量が増えると貨幣価値が下がる。それでゴールドの価格も不動産価格も株価も商品価格もGDPも毎年上がっているんだ。
信用創造というのは貨幣価値を下げて貨幣量を増やすという事だ。
ただ、貨幣量が増えてから実際にインフレが始まるまで、アメリカの例だと10年乃至20年かかっている。 それでMMT論者は貨幣量を増やしても貨幣価値は変わらないと錯覚しているんだ。ドルは基軸通貨でペトロダラーシステムの為に常に買い需要があるし、円は日本の対外純資産が世界一で信用が有るから簡単には売られないだけさ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c3
[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
4. 中川隆[-14126] koaQ7Jey 2022年1月20日 05:31:51 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[6]

>信用創造(money creation)とは、銀行が貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す

これは正しいけど、預金通貨を創造する前提として銀行には資産が必要だというだけだよ。
資産ゼロで貸し付けても、それを現金化できないだろ。
日銀は資産ゼロの民間銀行には金を貸さないから、預金者は預金を現金化できない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c4

[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
5. 中川隆[-14125] koaQ7Jey 2022年1月20日 05:41:46 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[7]

>信用創造( money creation)とは、銀行が貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す

これは正しいけど、預金通貨を創造する前提として銀行には資産が必要だというだけだよ。
資産ゼロで貸し付けても、それを現金化できないだろ。
日銀は資産ゼロの民間銀行には金を貸さないから、預金者は預金を現金化できない。
民間銀行の信用創造というのは要するに民間銀行が持っている日銀当座預金を現金化する事さ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c5

[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
6. 中川隆[-14124] koaQ7Jey 2022年1月20日 05:44:55 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[8]
​ @大和魂
>信用創造( money creation)とは、銀行が貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す

これは正しいけど、預金通貨を創造する前提として銀行には資産が必要だというだけだよ。
資産ゼロで貸し付けても、それを現金化できないだろ。
日銀は資産ゼロの民間銀行には金を貸さないから、預金者は預金を現金化できない。
民間銀行の信用創造というのは要するに民間銀行が持っている日銀当座預金を現金化する事さ:

現金通貨がどのようにして世の中に出回るかというと、

まず銀行が預金者の現金引き出しを予測して、保有している日銀当座預金を現金通貨に交換します。

そして預金者がATMや銀行窓口で現金引き出しをすることにより、現金通貨は世の中に出回ることになります。現金通貨が世の中に出回るルートはこれ以外にありません。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c6

[近代史4] bis規制 _ 規制内容と自己資本比率の算出法とは

2021/04/27
bis規制を徹底解説!規制内容と自己資本比率の算出法とは
https://the-owner.jp/archives/5337

中村 太郎

税理士・税理士事務所所長。中村太郎税理士事務所所長・税理士。1974年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。税理士、行政書士、経営支援アドバイザー、経営革新等支援機関。税理士として300社を超える企業の経営支援に携わった経験を持つ。税務のみならず、節税コンサルティングや融資・補助金などの資金調達も得意としている。中小企業の独立・起業相談や、税務・財務・経理・融資・補助金等についての堅実・迅速なサポートに定評がある。

「bis規制」とは、金融機関に対する世界規模の規制である。経営者にとって金融機関は、決済はもちろん融資で経営をサポートしてくれる存在である。bis規制が金融機関に与える制約について、気になる経営者もいるだろう。この記事では、bis規制の導入経過や詳細、国際統一基準と国内基準、自己資本比率の規制内容等について解説する。


bis規制とは
bis規制とは、「国際決済銀行(Bank for International Settlements:BIS)」に対する自己資本比率などに対する規制のことであり、「バーゼル合意」の通称名である。1980年代に中南米で発生した債務危機を機に策定されたもので、日本で本格的に導入されたのは1992年度末からである。

bis規制の歴史
最初に導入されたbis規制を「バーゼルT」といい、現在は「バーゼルV」に取り組んでいる。

bis規制 日本における開始時期 主な内容
バーゼルT 1992年度末 最低所要自己資本比率(8%)の導入
バーゼルU 2006年度末 最低所要自己資本比率を含む「3つの柱」の導入
バーゼル2.5 2011年末 バーゼルUの対応強化(証券化商品のリスクウェイトの引き上げ、外部格付によるモニタリング導入など)
バーゼルV 2013年 自己資本の質・量の強化(資本バッファーの導入など)
bis規制の対象となる金融機関
bis規制はあくまで国際間の合意であって、日本の金融機関を直接的に規制する根拠にならない。

日本では、銀行法など関係法令に基準を設けることによって、各金融機関に対してbis規制と同質の健全性の基準を定めている。bis規制の対象となる金融機関は、下記のとおりである。

・銀行
・銀行持株会社
・信用金庫及び信用金庫連合会
・信用協同組合及び信用協同組合連合会
・労働金庫及び労働金庫連合会
・農林中央金庫
・農業協同組合等
・漁業協同組合等
・株式会社商工組合中央金庫
・最終指定親会社(※)

(参考)金融庁HP

・最終指定親会社とは

金融商品取引業者のうち「特別金融商品取引業者」では、その親会社や子会社等が、業務の健全かつ適切な運営を確保することが公益又は投資者保護に必要であるとされるときは、親会社を「指定親会社」とするルールがある。

「最終指定親会社」とは、「指定親会社」のうち、その親会社に指定親会社と同じ特別金融商品取引業者に係る指定親会社である会社が他にないグループの頂点となるものをいう。(金融商品取引法第57条の12第3項)

bis規制の「国際統一基準」と「国内基準」
日本では、bis規制の対象となる金融機関について、海外に拠点を置いている金融機関とそうでない金融機関とで、規制の内容に以下のような違いを設けている。

国際統一基準行 海外に営業の拠点を有する銀行等
国内基準行 海外に営業の拠点をもたない銀行等
国内にしか営業拠点のない銀行であっても、金融システムの一端を担う以上、破綻すればその影響は広く及ぶことから、日本では規制対象としている。なお、「国際統一基準行」の規制内容のほうがシビアである。

では、日本ではどのくらいの金融機関に「国際統一基準」が適用されているのだろうか。

銀行であれば、金融庁が公開する、全国の銀行の決算結果を取りまとめた「銀行の決算の状況」が参考になる。

金融庁による『主要行等の令和2年9月期決算の概要」では、集計対象である7グループのうち、4グループが「国際統一基準」、3グループが「国内基準」の対象となっている。また、『地域銀行の令和2年9月期決算の概要」によると、集計対象である103行のうち11行が銀行単体で「国際統一基準」、残り92行が「国内基準」となっている。

地方銀行であっても、およそ1割に国際統一基準が適用されているのだ。

(参考)金融庁HP:「銀行の決算の状況」

<参考:国際統一基準を適用する銀行>

主要行等
(グループ連結ベース) みずほフィナンシャルグループ、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友トラスト・ホールディングス(以上、4グループ)
地域銀行
(銀行単体ベース) 群馬銀行、千葉銀行、横浜銀行、八十二銀行、静岡銀行、滋賀銀行、中国銀行、山口銀行、伊予銀行、名古屋銀行、北國銀行(以上、11行)
bis規制の内容
bis規制の内容は、次の3つの柱からなる。

・第1の柱:最低所要自己資本比率
・第2の柱:金融機関の自己管理と監督上の検証
・第3の柱:市場規律

バーゼルTでは、第1の柱にあたる自己資本比率の最低水準(8%以上)が定められ、3つの柱が導入されたのは、バーゼルUからである。

自己資本比率の最低水準は、バーゼルTの段階で導入されているが、バーゼルTからVに推移する間、その算出方法には見直しが行われている。

bis規制における自己資本比率とは
自己資本比率とは、総資本(資産)に占める自己資本(純資産)の比率のことである。会社の資産のうち、返済の要らない財産の割合を示すもので、企業の安全性を見るときによく用いられる指標である。

bis規制における自己資本比率の基準
bis規制における自己資本比率の最低水準は、下記のとおりである。

国際統一基準行 8%以上
国内基準行 4%以上
かなり低いという印象を受けたのではないだろうか。一般企業であれば、業種や規模にもよるが20%〜40%は確保されていることが多い。

古いデータになるが、2007年の『商工業実態基本調査(経済産業省)』では、企業の自己資本比率の平均値が、中小企業24.9%、大企業40.3%(いずれも製造企業)であった。

では、bis規制の達成は難しくないのかというとそうではない。bis規制では、自己資本比率の計算に用いる総資本や自己資本の計上方法が、通常と異なるからだ。

bis規制における自己資本比率の計算式
bis規制における自己資本比率の計算式の最大の特徴は、分母に「リスク・アセット(RWA)」が用いられることにある。

【国際統一基準の自己資本比率(2013年3月期〜)】

bis規制を徹底解説!規制内容と自己資本比率の算出法とは
【国内基準の自己資本比率(2014年3月期〜)】

bis規制を徹底解説!規制内容と自己資本比率の算出法とは
出典:金融庁「自己資本比率規制等について」掲載の資料「バーゼル3について」より
リスク・アセットは、リスクのある資産のことで、総資本(資産)に、それぞれの資産が内包するリスクを考慮した「リスクウェイト(RW)」をかけて合算する。

考慮されるリスクとは、信用リスク(貸倒れ等のリスク)、市場リスク(不況等によるリスク)、オペレーショナル・リスク(事故や不正行為、システム障害等によるリスク)である。
リスクの高い資産ほど、リスクウェイトは大きい。

そのため、リスクの高い資産が多い金融機関ほど分母が大きくなり、その結果、自己資本比率が低くなるということだ。

リスクウェイトは、資産の種別で以下のように定められており、中小企業でない事業法人は、格付けに応じて20〜150%となる。

【リスクウェイトの例】

日本国債、地方債、現金等 0%
政府関係機関等 10%
金融機関 20%
住宅ローン 35%
中小企業、個人 75%
(参考)金融庁:「バーゼル3(国際合意)の概要」

なお、後述する「バーゼルVの最終パッケージ」(2023年〜)では、リスクウェイトの一部見直しが予定されているので、必要に応じて最新版をチェックいただきたい。

「Tier1」と「Tier2」、「コア資本」とは
bis規制における自己資本比率では、分子となる自己資本にも細かなルールがある。

「国際統一基準」では、自己資本を以下のように「Tier1」と「Tier2」に分けている。

Tier1:普通株式や優先株式等などの損失吸収力の高い資本
Tier2:劣後債、劣後ローン等及び一般貸倒引当金等

「Tier1」の中でも、普通株式や内部留保等を最も損失吸収力の高い資本として「普通株式等Tier1」としている。リスク・アセットの4.5%以上が最低水準となり、さらに資本の安全性を高めるよう「資本保全バッファー」の上乗せも求められる。

優先株式等を「その他Tier1」としており、リスク・アセットの1.25%が算入の上限となる。

「国内基準」では、バーゼルUで「Tier1」と「Tier2」が用いられたが、バーゼルVからは「コア資本」として新たな計算方法が導入された。

「コア資本」は、普通株式や内部留保の他に、一定期間で普通株に強制的に転換される「優先株式(強制転換条項付優先株式)」や、優先的に配当を受けることができる出資などから構成される。

bis規制と貸し渋り
bis規制では、経済的な危機が生じると貸し渋りが起こりやすい。金融機関の保有する有価証券などが目減りすることによって、自己資本比率を上げるためにリスクウェイトの高い融資枠を縮小するからだ。

2020年の新型コロナウイルス感染拡大への対策として、政府は「セーフティネット保証4号融資」の実施や危機関連保証融資のリスクウェイト0%化によって、積極的な融資を促しており、必要に応じて資本保全バッファーを取り崩すことも認められる。

bis規制の今後の取り組み予定
2017年12月7日に公表された、「バーゼルVの最終化パッケージ」では、以下の項目の実施が明らかになった。

・信用リスクやオペレーショナルリスク等の見直し
・資本フロアの導入
・レバレッジ比率(最低水準3%)の導入

(参考)金融庁:「バーゼルVの最終化について」

当初は2022年1月より段階実施される予定であったが、コロナ禍の影響で1年延期され、2023年1月から段階的に実施される。(2028年に完全実施予定)

bis規制の自己資本比率を知ろう
今回は、bis規制について、日本への導入経過や「国際統一基準」と「国内基準」の違い、また、自己資本比率の規制内容について解説してきた。

金融機関がさまざまな企業に融資を行う中で、bis規制で自己資本比率の水準が定められていることは、経営者であれば知っておく必要があるだろう。

文・中村太郎(税理士・税理士事務所所長)

https://the-owner.jp/archives/5337
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1748.html

[近代史4] bis規制 _ 規制内容と自己資本比率の算出法とは 中川隆
1. 中川隆[-14123] koaQ7Jey 2022年1月20日 06:02:36 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[10]
外国人投資家の正体と350兆円のゆくえ

1991年から輪郭が見え始めた日本の経済崩壊は、兜町を土台から大きく揺るがした。92年の4月からの暴落に続いて、7月にかけて東証第一部の平均株価が1万5000円台に突入し、ついに8月10日には一万4000台を記録した。いつまでも続く最安値の更新が、日本の国全体を震え上がらせた。そして外国人勢力による上場企業の買収・合弁へと、事態が急速に展開し始めた。

もはや投資家の損害どころか、日本経済が土台から崩壊しようとしていた。日本株式会社の中枢部が、が一句人投資家によって買い占められるところまで株価が急落し、安い株券が誰か特定の金融ファミリーに集中していたのである。果たしてこれらの暴落が、マーケットの自然な経済原理によってたまたま起こったものだったのか。

日本がこれまで利益を守ってこられたのは、国際金融マフィアが悔しがる『系列会社』の株の持合によるものだった。三井グループ、三菱グループ、住友グループ等はもちろんのこと、富士銀行〜安田財閥は丸紅と連携し、三和銀行〜日本生命〜東洋信託の三水会は日商岩井と連盟を組み、第一勧業は伊藤忠と、それぞれがチームで利権を守るように動いてきた。ところがこの相互持合い方式は、国際金融マフィアが、内部からトロイの木馬方式で侵入してくると、逆に一挙に乗っ取られ大変危ない構造であることがわかり始めた。つまり芋づる式にあっという間に買収されてしまうからである。

今までは株式会社日本独特の『株の系列持ち合い制度』があるため、外国人ブローカーはまるで歯が立たなかった。ところが金融マフィアが巧みに仕組んだ『バブル』という名の時限爆弾によって、兜町の上場株の内の四分の一近くを握っていた銀行業界が、不良債権の焦げつきで、これまで宝物だった手持ち株を大放出せざるを得ない羽目に陥ってしまったのだ。仕組まれた『バブル』の崩壊によって、株価・地価の暴落→銀行の不良債権の急増→融資不能→経済危機→更なる株価・地価の暴落という悪循環に陥った日本経済は、坂道を転げ落ちるように谷底へと転落していった。

その上さらに駄目押しをするかのごとく、国際金融マフィアによる残虐な圧力が日本の大手金融機関に加えられた。88年6月、スイスのバーゼルで開かれた“バーゼル・クラブ”こと国際決済銀行(BIS)の銀行規制会議において、今では知らない者がいない「銀行は、自分が持っている資本金の8%以上を貸し出してはいけない」と定められたのである。これは日本経済にとって、結果的に第2の時限爆弾となった。それほど国際金融マフィアにとって、70年代〜80年代に海外に大々的に進出し始めた日本の金融資本の力が、目の上のたんこぶだったわけなのだ。

この規制のよって、『バーセル・クラブ』の謀略通り、日本の銀行の手足を縛ることが可能となった。むやみに国民から預金を取れなくなった日本の銀行は、増資のよって自己資本を大きくし、この壁を何とか打ち破ろうとした。そして自己資本が運用されている不動産やノンバンク等の資金回収に必死になって走り回った。折から、地価の暴落が始まり、起こるべくして起こった不良債権に青ざめた銀行が貸し出しを渋るようになると、その融資に頼っていた経済界がガタガタになり、それに連鎖して兜町の株がみごとに下降線を描き始めた。

そして最後に、これを見越していたかのように、劇的な92年4月の『外国人投資家による銀行株の大放出』という第3の時限爆弾が、ついに仕掛けられたのだ。ソロモン・ブラザースやモルガン・スタンレーなどが一斉に投売りを始めて、まるで絨毯爆撃のような攻撃を日本の銀行に向かって開始したのだ。彼ら国際金融マフィアは、かなり以前からアメリカ・ヨーロッパ等の経済紙に、『日本のバブル』という言葉をすでに頻繁に紙面に載せていて、いつの日か近いうちに、このシャボン玉に針を刺されて経済崩壊が瞬く間に起こることを、すでに予告していたのだ。

では、このバブル崩壊で、兜町に出入りしていた外国人投資家は、いくら儲けたのか。92年の経済白書によると、株の暴落だけでほぼ350兆円が吹き飛んでいる。金融取引の世界はあくまでゼロサムの世界だから、その莫大な消えた金額とまったく同額のお金を、闇に隠れて誰かがまんまと手に入れたことになる。世界的な株価の変化に目をやってみると、不思議なことが起きている。

年初から8月までの株価の暴落率は、日本だけがダントツで、32・8%という急激な下げ幅を記録している。ロンドン、ニューヨーク、フランクフルト、パリ等はほとんど変化なしで、全体としてはわずかに上昇である。香港では、天安門事件後の反動で中国経済特区が急成長したために、逆に35・8%の急騰である。その中心にある香港上海銀行は、ロスチャイルド・ファミリーの創業した銀行である。

この時期世界の銀行界では、日本が断崖絶壁に立たされていたにもかかわらず、アメリカの巨大銀行が、チェース・マンハッタン、J・P・モルガンを筆頭に、その第二・四半期で恐ろしいほどの利益急上昇を達成したことを、UPI電が7月に伝えた。日本の証券会社が、全国210社合計で3600億円の経常赤字を記録したというのに、日本で活動している外国証券50社合計で、なんと前期の5・6倍という馬鹿げた収益を記録していた。

ちなみに外資系の1位がソロモン、2位がゴールドマン・サックス、3位がモルガン・スタンレー、4位がソシエテ・ジェネラルとなっている。ソロモンとゴールドマンは、すでに大和を抜いて、野村に次ぐ兜町の2位と3位に入っている。メリル・リンチのの純利益は53%増加と、前年と比べると過去最高を打ち立て、6月に入ってモルガンもまた東証株式の「売買高」の部門で兜町の3位に入り、四大証券のうち大和、日興を抜いてしまったのだ。

ここで彼ら外資系証券の開発した巧妙な手口のひとつ、裁定取引と呼ばれるまことに不思議な手口を挙げてみよう。裁定取引( arbitrage)とは、辞書で調べると『ピンハネ』と書いてある。売り買いをする商品には、目の前で取引する『現物』と、何ヶ月か先の取引を扱う『先物』がある。もし何ヶ月か先の株価を知っていれば、現物を先物とのあいだに出る差額(サヤ)をあらかじめ計算して、買いだめでも、売り逃げでも、コンピューターの操作だけで好きなように利益をあげられる。

今回最大の利益をあげたソロモンなどは、ずっと先の株価を知っているものと見え、このシステムでぼろ儲けしたのだ。日本の証券会社は、裁定取引に熱中すると証券取引所が混乱して自滅するという理由から、手控えてきた。しかし外資系にとって兜町の運命なんかどうでもいいのである。ウォール街の大スキャンダルとなったアメリカ国際不正入札事件の犯人、それが兜町を揺るがした同じソロモン・ブラザースである。 今まであえてはっきり書かなかったけれど、彼らは、何ヶ月先の株価を知っているわけはなく、未来の株価を、自作自演のインチキで上下させてきたのだ。つまり集団でつるんで物音ひとつ立てずに、一気に売る。理由は後で何とでもつけられる。チャートや実勢価格なんかまるで無視して、人工的に平然と株価を操作してきたのだ。はっきり言えばインサイダー取引であり、詐欺である。

このとき、チームで株価を完璧にコントロールできるだけの『巨大な資金』と『秘められた実行力』が戦略のキーワードとなる。そのチームを、日本の証券業界では「外国人投資家」と簡単に呼んで、なぜか曖昧なままの存在にしてきた。彼ら数百年の伝統を持つ金融業のプロに対して、あまりに幼稚な認識と言えないか。

日本人が初めて世界の金持ちの仲間入りをしたと言われながら、その実、投機のテクニックとして使われたのは、財テクと呼ばれる一般的な株券・政権の購入に過ぎなかった。要するに、知的な金融能力とはまったく無縁のものだったのだ。

そして今も、日本には本当の金融のプロは存在していない。

http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/20031025.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1748.html#c1

[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
8. 中川隆[-14122] koaQ7Jey 2022年1月20日 06:13:23 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[11]
>民間銀行の信用創造( money creation)とは、銀行が貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す

これは正しいけど、預金通貨を創造する前提として銀行には資産が必要だというだけだよ。
資産ゼロで貸し付けても、それを現金化できないだろ。
日銀は資産ゼロの民間銀行には金を貸さないから、預金者は預金を現金化できない。
民間銀行の信用創造というのは要するに民間銀行が持っている日銀当座預金を現金化する事さ:

現金通貨がどのようにして世の中に出回るかというと、

まず銀行が預金者の現金引き出しを予測して、保有している日銀当座預金を現金通貨に交換します。

そして預金者がATMや銀行窓口で現金引き出しをすることにより、現金通貨は世の中に出回ることになります。現金通貨が世の中に出回るルートはこれ以外にありません。

因みに、民間銀行の信用創造の他に日銀の信用創造、政府の信用創造も有るよ。
一番大事なのが政府の信用創造で、国債を売って政府の日銀当座預金口座に金を入れて貰う。(日本政府の徴税権が担保)
日銀の信用創造は民間銀行が所有している国債を買って、その代金分だけ民間銀行の日銀当座預金を増やす。(日銀所有の国債が担保)
民間銀行の信用創造は民間銀行が持っている国債、民間に貸している金や民間銀行の日銀当座預金が担保になります。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c8

[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
9. 中川隆[-14121] koaQ7Jey 2022年1月20日 06:17:56 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[12]
​ @大和魂
>民間銀行の信用創造( money creation)とは、銀行が貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す

これは正しいけど、預金通貨を創造する前提として銀行には資産が必要だというだけだよ。
資産ゼロで貸し付けても、それを現金化できないだろ。
日銀は資産ゼロの民間銀行には金を貸さないから、預金者は預金を現金化できない。
民間銀行の信用創造というのは要するに民間銀行が持っている日銀当座預金を現金化する事さ:

現金通貨がどのようにして世の中に出回るかというと、

まず銀行が預金者の現金引き出しを予測して、保有している日銀当座預金を現金通貨に交換します。

そして預金者がATMや銀行窓口で現金引き出しをすることにより、現金通貨は世の中に出回ることになります。現金通貨が世の中に出回るルートはこれ以外にありません。

因みに、民間銀行の信用創造の他に日銀の信用創造、政府の信用創造も有るよ。
一番大事なのが政府の信用創造で、新規国債を売って政府の日銀当座預金口座に金を入れて貰う。(日本政府の徴税権が新規国債発行分の担保)
日銀の信用創造は民間銀行が所有している国債を買って、その代金分だけ民間銀行の日銀当座預金を増やす。(日銀が新規に買った国債が日銀当座預金増加分の担保)
民間銀行の信用創造は民間銀行が持っている国債、民間に貸している金や民間銀行所有の日銀当座預金が民間への新規貸し出しの担保になります。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c9

[近代史5] 旭川にだけは住んではいけない 中川隆
211. 中川隆[-14120] koaQ7Jey 2022年1月20日 06:43:26 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[14]
【緊急】残念な結果になりました。速報でお伝えいたします。行方不明事件!【小川泰平の事件考察室】# 228
13 時間前にライブ配信


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html#c211
[近代史6] (偉大すぎる)結局ハッブルは何をしたのか?ハッブルが残したヤバすぎる実績
【偉大すぎる】結局ハッブルは何をしたのか?ハッブルが残したヤバすぎる実績【ゆっくり解説】
2022/01/18


宇宙で何十年もその姿を撮影し続けた偉大な宇宙望遠鏡
それがハッブル宇宙望遠鏡です。


ハッブル宇宙望遠鏡が残した実績とは一体なんなのか?
偉大な実績はたくさんありますが、その一部を知るだけでもハッブルの凄さが感じれます!


後継機であるジェイムズウェッブ宇宙望遠鏡が打ち上がった今
改めてハッブルの偉大な功績を見ていきましょう!!

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1042.html

[番外地10] エリオット波動ではアメリカ株はもうすぐ1929年の大暴落の後の 1932年を始点とするスーパーサイクル第(X)波の上昇トレンドが終… 中川隆
4. 中川隆[-14119] koaQ7Jey 2022年1月20日 12:21:39 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[19]
​ @hatarakuossan channel
エリオット波動ではアメリカ株はもうすぐ1929年の大暴落の後の 1932年を始点とするスーパーサイクル第(X)波の上昇トレンドが終わりスーパーサイクル(a)波の下降トレンドに変わる。この予測だけは絶対に変えられない、アメリカ経済はもう詰んでいるんだよ、ドル基軸通貨制もペトロダラーシステムも完全崩壊するよ:

アメリカのコロナ騒動での金融緩和と財政出動がスーパーサイクルの大勢転換のトリガーになった:
NYダウのエリオット波動分析ではアメリカ株はもうすぐ100年に一度の大暴落になる:

日本エリオット波動研究所によると、

1932.07 スーパーサイクル波 (T)波 始点
1937.03 スーパーサイクル波 (T)波 ピーク
1942 スーパーサイクル波 (U)波 ボトム
1968 スーパーサイクル波 (V)波 ピーク
1982 スーパーサイクル波 (W)波 ボトム

現在はスーパーサイクル波 (X)波 上昇中


1982 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 T波 始

1987.07 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 T波
ピーク
1987.10 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 U波
ボトム(ブラックマンデー)
2000.01 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 V波
ピーク(ITバブル)
2009.03 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 W波
ボトム(リーマンショック)

現在は スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 X波
上昇中  

エリオット波動 ディグリーとラベリングの表
http://jewri.org/standard/

▲△▽▼

一方、日本政府の莫大な借金にもかかわらず日本円が暴落しないのは、対外的には負債ではなく資産を持っているからである。
言うまでもなくこの資産は高度経済成長期の産物であり、この対外資産は利子などの形で外貨を稼ぎ、日本の経常収支を押し上げている。
だがこの資産はどんどん使われてゆくだろう。家計の持つ資産の多くは高齢者が持つものであり、その大部分は相続税という形で日本政府が徴収し、日本政府はそのお金を好き勝手に使うだろう。資産保有者の高齢者への偏りを考えれば、日本に経常収支をもたらしていた資産は20年もすればかなり減っているはずだ。

つまり現状では政府債務が膨大でも対外資産があれば日本円はそれほど下落しなかったものが、20年ほどで莫大な政府債務と対外負債をかかえる国になる。
日本円はまだ無事である。しかし政府債務が167%の状態で高度経済成長期の遺産を食い潰したあと日本がどうなるか、MMT論者には考えてほしい。
しかし東京オリンピックとGO TOトラベルにもかかわらず自民党を再選させた日本人には何を言っても無駄だろう。日本国民は殴られても次の日には忘れている民族である。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/208.html#c4

[近代史4] 現代貨幣理論(MMT)が採用している国定信用貨幣論
国定信用貨幣
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96

国定信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。


現代貨幣理論(MMT)が採用していることで知られている。

商品貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。国定信用貨幣論と商品貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。


※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
 

名称
国定信用貨幣論の別名称は、租税貨幣論(Tax driven Monetary View)、表券主義exit(Chartalismexit チャルタリズム)、貨幣国定説exitなどがある。名前が異なるだけで、どれも同じ内容になっている。

国定信用貨幣論は、中野剛志が著書『富国と強兵exit_nicoichiba』の61ページで作り出した用語である。

租税貨幣論は、日本人の誰かによって作り出された用語である。現代貨幣理論(MMT)の提唱者として知られるL・ランダル・レイexitが著書で「Tax drives money(租税が貨幣を駆動する)」と繰り返しているので、その表現を由来にしているものと思われる。

Twitterなどで検索してみると、租税貨幣論という用語の方が国定信用貨幣論という用語よりも多くの頻度で使用されていることがわかる。
 

概要
定義
国定信用貨幣論において、通貨は政府の徴税権の対象物であると定義する。

国民が納税の義務から解放されるために政府に差し出すものを通貨というのである。
 

概説
政府は、価値を測る尺度として通貨を法律で定める。

そして政府は、民間人の貢献に対する報酬として、通貨を支払う。政府用の建築物の材料となる木材を民間人から徴収したとき、その対価として通貨を払う。政府用の建築物を建設した労働者に対して、その対価として通貨を払う。政府に所属する公務員(軍人、官吏)に対して、給料として通貨を払う。こうして、通貨が国民経済にばらまかれる。

そして、通貨で計算された納税義務を法律で定め、国民へ一方的に強制する。市場が開かれていたら商人達に「通貨で税金を払いなさい」と要求し、関所を通る通行人に「通貨で税金を払いなさい」と要求する。そうすることで、国民の間でその通貨を必要とするようになり、国民の皆が通貨を貯蓄しようとする。政府の徴税権力により、誰もが通貨を尊重するようになる。

国民の皆が通貨を欲するようになるので、民間の商取引の交換手段としても使われるようになる。どこの家庭も納税のために通貨を必要とするので、通貨を仲立ちにして商売することができる。

通貨となるのは、「民間人に偽造されにくい」という条件を満たしていれば何でも構わない。紙切れでも瓦礫でも、何でも構わない。

政府が税金の税率を上げるなどして徴税権力を強めると、誰もが納税に備えて通貨を貯め込むようになり、買い物を控える人が増えて民需(民間の需要)が減り、通貨の価値が高まるデフレに近づく。

政府が税金の税率を下げるなどして徴税権力を弱めると、誰もが「通貨なんて持っていてもしょうがない、他の商品と交換してしまおう」と考えるようになり、買い物をする人が増えて民需(民間の需要)が増え、通貨の価値が下がるインフレに近づく。

政府の徴税権力が健在ならば民需を削減できるのでハイパーインフレを阻止することができる。内乱などで無政府状態になり政府の徴税権力が失われると、ハイパーインフレになる。

以上が国定信用貨幣論のあらましとなる。
 

商品貨幣論との比較
商品貨幣論と国定信用貨幣論は、あらゆる面で対極に位置しており、まさに水と油である。商品貨幣論と国定信用貨幣論の比較表は、以下のようになっている。
 

商品貨幣論 国定信用貨幣論
通貨の定義 市場の中で最も人気が高く、皆が一様に価値があると信認している立派な商品 政府が納税の手段として一方的に強制しているもの
通貨を支える主体 市場に参加する民間商人 政府の徴税権力
通貨を作っている人と通貨を利用している人 民間商人が通貨を作り出している。政府は民間商人が作り出した通貨を利用しているだけである 政府が通貨を作り出している。民間商人は政府が作り出した通貨を利用しているだけである
通貨を生み出す心理 「みんなに認められているすごく立派なものである」という賞賛の心。ポジティブな感情が通貨を生む 政府の徴税権力に対する恐怖心。ネガティブな感情が通貨を生む
不換紙幣の時代の通貨 市場に参加する民間商人の共同幻想によって通貨が成り立っている 強大で確実な政府権力によって通貨が成り立っている
暴落が始まるのはいつか 市場に参加する商人の通貨に対する信認が失われたとき 政府が徴税権力を失ったとき
分かりやすい表現 「通貨とは、皆が大事に思っている宝物」 「通貨とは、偉い人向けに差し出す貢ぎ物」
 

国定信用貨幣論の長所
あらゆる形態の現金通貨(紙幣、銀行券、硬貨)を上手く説明することができる。

2020年現在の世界各国の大多数は、中央銀行が発行している不換銀行券を通貨として採用している。不換銀行券は、中央銀行の負債として発行されているのだが、中央銀行が何らかの価値ある資産との交換を停止していて、「何らかの価値ある資産との交換期限が極めて遠くにまで先送りされている負債」だと表現することができる。不換銀行券は、銀行にとって極めて緩やかな負債であり、銀行以外の人にとって完全に無価値なものである。

そういう不換銀行券が通貨として流通していることを簡明に解説できるところが、国定信用貨幣論の長所である。
 

国定信用貨幣論の短所
とにかく浪漫がない、というのが短所である。

商品貨幣論は「通貨とは、市場に参加する全員によってその価値を認められており、皆が追い求める夢のような宝物である」と、まことにロマンチックな説明をする。

国定信用貨幣論は、「通貨とは、権力者がばらまき、権力者が徴税することで成立する。権力者の、権力者による、権力者のための道具である」と、身も蓋もない言い方をする。ロマンチックだとか、甘美さだとか、そんなものは一切ない。

また、政府というものを毛嫌いする思想(イデオロギー)を抱えている人にとっては、なかなか受け入れがたい論理だといえる。

政府などの権力者に反発することを良しとする価値観を持つ人を「反骨精神の持ち主」「反体制派」というが、そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのが心情的に難しいと思われる。

経済に対する政府の介入を最小限にすべきという考え方を新自由主義(市場原理主義)という。そういう人たちにとっては、「経済の要である通貨というものは政府の権力によって生み出される」という国定信用貨幣論を受け入れるのが苦痛に感じるだろう。

民間企業を尊んで政府・官僚を卑下する考えを民尊官卑という。この考えを持つ人たちにとって、国定信用貨幣論という学説はどうしてもなじめないだろう。

世の中には色んな人がいるが、その中には名誉を重んずる人がいる。そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのがひょっとしたら難しいかもしれない。なぜなら、国定信用貨幣論という理論を支持するためには、「人は皆、権力者の嫌がらせと圧迫に悩まされている存在である」という不名誉な事実を認めないといけないからである。
 

徴税すると通貨が生じる
国定信用貨幣論の考え方の基本として、「通貨を徴税するというよりは、徴税すると通貨が生じるのだ」というものがある。

「政府の徴税権力で、通貨を作り出すことができる。不換銀行券のような無価値の紙切れに付加価値を与えて通貨に仕立て上げることができる。原価30円の金属片を500円硬貨に仕立て上げることができる」と論じるのである。

政府が徴税すると布告した瞬間に、無価値の物体が通貨となる。ただの紙切れや金属片に価値が付加される。

徴税権力に逆らって納税義務を怠ると、政府によって恐るべき罰が与えられる。警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判所で有罪判決を受け、法務省の管理する刑務所にぶち込まれる。

刑務所にぶち込まれるのが嫌なのは、人なら誰しも抱えている感情である。徴税権力への恐怖心、もう少し柔らかく言い換えると納税義務からの解放を求める心、そういう心は天下の万民が共通して抱いている。それが、通貨を作り出している。
 

ウォーレン・モズラーの名刺説
ウォーレン・モズラーexitというアメリカの経済学者がいる。その人は、「モズラーの名刺説exit」と呼ばれる例え話をしたことで知られる。

ビル・ミッチェルexitというオーストラリアの経済学者は、モズラーの名刺説を紹介していた。
 

ある家庭に父親がいて、子どもに「週に1回庭の掃除をすれば、名刺を100枚あげよう」といった。

子どもは、当然ながら、「名刺なんて要らないよ」と言った。

そこで父親は「それじゃあ、君に対して、週に1回、100枚の名刺を課税しよう。家に住み続けいんなら、納税しなさい」といった。

すると子どもは、たちまち「すぐに庭の掃除をさせて!名刺が欲しいんだ!」といった。

※A simple personal calling card economy(ビル・ミッチェル)exit このページexitで日本語訳が書かれている


これがモズラーの名刺説である。徴税権力をちらつかせることで、ただの名刺に価値を感じるようになる、と説いている。
 

「刑務所送り回避券」とか「刑務所送り免除券」という表現
ジョン・シェインexitという米国の投資家は、通貨をget-out-of-jail-cardと呼んだ(記事exit)。

get-out-of-jail-cardを正しくいうとget-out-of-jail-free-cardとなり、モノポリーというボードゲームで使われるカードを指す言葉になる(記事exit)。日本人のモノポリー愛好家には釈放券と呼ばれている。ここでは「刑務所送り回避券」とか「刑務所送り免除券」と翻訳しておきたい。

通貨を持っていないと刑務所送りになる。通貨さえあれば刑務所に行かずに済む。刑務所に行きたくないので、誰もが通貨を欲しがる。
 

名目貨幣と本位貨幣(正貨)
貨幣学の用語に、名目貨幣と本位貨幣(正貨)というものがある。

名目貨幣というのは、素材価値よりも大きい額の額面金額で通用しているものである。原価30円の金属片で作られている500円硬貨、4万円の金塊で作られた昭和天皇御在位60年記念10万円金貨exitが代表例である。奈良時代の和同開珎や江戸時代の小判も名目貨幣だった。明治時代の政府紙幣は、名目貨幣の究極形といえるだろう。

こうした名目貨幣は、発行した組織に大きな通貨発行益(シニョレッジ)exitが入るのが特徴といえる。

額面金額と素材価値の差額が通貨発行益となるわけだが、国定信用貨幣論の考え方に基づくと、その通貨発行益は「政府の徴税権力で作り出された付加価値」とか「納税に使用できるという付加価値」ということになる。

国定信用貨幣論とは、「政府はいくらでも名目貨幣を作り出せる」と考える。


本位貨幣というのは、正貨とか商品貨幣とか実物貨幣といわれるもので、素材価値と額面金額が等しいものである。「10万円の本位貨幣である金貨」といえば、「10万円分の金塊で作った金貨」という意味である。本位貨幣は、発行する組織が通貨発行益(シニョリッジ)を得ることができない。本位貨幣は、兌換銀行券が発行された時代の貨幣である。

国定信用貨幣論の考え方だと、「政府は、わざわざ本位貨幣にする必要が無い。徴税権力を使って名目貨幣を作ればいいのであって、本位貨幣で我慢する必要などない」となる。

以上のことを表にまとめると、次のようになる。
 

本位貨幣(正貨、商品貨幣、実物貨幣) 名目貨幣
定義 素材価値と額面金額が等しい 素材価値よりも額面金額の方が大きい
通貨発行益 発行する組織に通貨発行益をもたらさない 発行する組織に多くの通貨発行益をもたらす。巨額の支出の必要性に迫られた政府が発行する
親和性のある理論 商品貨幣論 国定信用貨幣論
 

種類債権が通貨を生む
政府の徴税債権が種類債権であるとき、徴税債権の対象物が通貨になる
国定信用貨幣論を大雑把にいうと、「政府の徴税債権の対象物が自動的に通貨になる」となる。

ここでの徴税債権を詳しく言うと、種類債権(不特定債権)である。種類債権とは一定の種類に属する物の一定量の引渡しを要求する債権である。紙幣を要求する債権なら種類債権になるし、米・布・絹を要求する債権ならやはり種類債権になる(詳しくは債権の記事を参照のこと)。

政府が種類債権としての徴税債権を民衆に差し向けたとき、民衆は納税債務を減らすために、徴税対象品を周りの人から集めるようになる。そして徴税対象品が通貨になっていく。
 

政府の徴税債権が特定債権であるとき、徴税債権の対象物は通貨にならない
種類債権の反対概念は特定債権である。特定債権とは、特定のものを引き渡すように要求する債権である。この世に一つしか無い美術品を要求する債権は特定債権である。

政府が特定債権としての徴税債権を民衆に差し向けたとき、民衆は納税債務を減らすために徴税対象品を周りの人から集めることができない。そのため徴税対象品が通貨にならない。

日本の相続税は、日本銀行券や政府貨幣を納める金納と、「親から相続した物品」を納める物納のどちらかを納税者が選ぶことができる。

相続税納税者が金納を選んだ場合、政府は種類債権としての徴税債権を得ることになる。納税者は日本銀行券や政府貨幣を周りの人からかき集めて納税することになり、日本銀行券や政府貨幣に対する需要が生まれ、日本銀行券や政府貨幣が通貨になる流れが起こる。

相続税納税者が物納を選んだ場合、政府は特定債権としての徴税債権を得ることになる。納税者は「親から相続した株券」とか「親から相続した土地」を納税する。周りの人から株券や土地をもらってそれを納税する、ということができない。そうなると納税者は周りの人の株券や土地を欲しがるわけではなく、周りの人の株券や土地が通貨になっていく流れが起こらない。
 

より正確な言い回し
ゆえに、国定信用貨幣論をより正確に表現すると、「政府の徴税債権が種類債権である場合に限り、徴税対象品の対象物が自動的に通貨になる」となる。
 

徴税権力を収賄願望に拡大解釈する
国定信用貨幣論とは、「通貨は、政府の徴税対象物であり、政府の徴税権力を消滅させるものである」という考え方である。

ときおり、その考え方を拡大解釈することがある。政府を「権力者」に拡大解釈し、徴税を「権力者が物品などを受け取る収賄行為」に拡大解釈する。

「徴税は法律で定められた収賄であり、収賄は法律で定められていない徴税である」といった感じに、徴税と収賄を同種類の現象として扱う。

政府への納税をとりやめると、政府の手によって刑務所送りという罰が与えられる。それは「権力者への贈賄をとりやめると、権力者からの嫌がらせを受ける」といった事象に拡大解釈することができる。

政府の徴税権力への恐怖心が通貨を生み出している、と先ほど表現した。その表現は、「権力者への恐怖心が通貨を生み出している」という表現になる。
 

宋銭や軍票の流通を説明する
この拡大解釈が威力を発揮するのは、宋銭や軍票が流通した原理を考えるときである。

宋銭は政府の徴税が民衆に課せられていないにもかかわらず民衆に広まっていったことで知られている。また、様々な国が軍票を発行して占領地で流通させたが、軍隊は軍事行動で忙しいので徴税などをロクに行っていないことがほとんどである。

「宋銭は、当時の権力者である平忠盛や平清盛やそれに従う武士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった。権力者の収賄願望を消滅させ、権力者の機嫌を直し、権力者からの嫌がらせを停止させるという付加価値があったので通用した」と論じたり、「軍票は、占領地における権力者である兵士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった」と論じたりすることになる。

もちろん、これらの考え方は、ただの推論でしかない。歴史書に賄賂のことが書かれることはないので、証拠が見つからないからである。とはいえ、国定信用貨幣論を拡大解釈するのは、面白い考え方だと思われる。
 

刑務所で流通する通貨を説明する
刑務所の中では、独自の通貨が自然発生的に流通することが知られている。

タバコが刑務所通貨として流通することがある。これをタバコ貨幣とか、タバコ通貨という。第二次世界大戦中に、ドイツ軍の捕虜収容所に入所したリチャード・A・ラドフォードexitは、捕虜収容所の中でタバコが通貨として流通する現実と遭遇した。戦争後に『The Economic Organisation of a P.O.W. Campexit』という論文を書き上げて有名になり(記事exit)、そしてIMF(国際通貨基金)に就職している。

2016年のアメリカ合衆国の刑務所では、なんとラーメンが刑務所通貨として流通している(記事1exit、記事2exit)。

こうした刑務所通貨の流通は、国定信用貨幣論の拡大解釈で説明できる。刑務所の中には腕力が強くて乱暴な者や、裏社会に通じていて政治力がある者といった、権力者がいる。そういう権力者を怒らせないようにするには、賄賂を贈るのが一番良い。そのため、権力者向けの賄賂として使い道のあるモノが通貨として流通していく。タバコやラーメンを嫌う人も、「自分は好きじゃないが、権力者向けの賄賂として役に立つ。これを差し出せば権力者からの嫌がらせが消えるだろう」と判断し、タバコやラーメンを通貨として扱う。
 

信用貨幣論との関係
国定信用貨幣論を信用貨幣論の一部と扱うか、信用貨幣論とは別個の理論と扱うかで、意見が分かれている。
 

「通貨は政府の負債」と論じる人たち
信用貨幣論は「通貨とは負債である」と定義している。

そして、国定信用貨幣論を信奉する人の一部は、「通貨とは、政府の徴税権を消滅させるものだから、政府の負債である」という考えを唱えている。その考えに従うと、国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部になる。
 

「通貨は政府の負債ではない」と論じる人たち
一方で、「『通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である』という論理は、法律学の観点からみて少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものである、ということになる。

たとえば、土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合、「Dさん所有の土地は、Eさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは、通常の法律界において行われない。

また、2020年現在の日本において通貨になっているものは日本銀行券と硬貨であるが、日本銀行券は日本銀行の負債として発行されており、硬貨は政府の資産として発行されている。いずれも、政府の負債として発行されているのではない。
 

本記事の編集方針
2020年5月23日時点の本記事は、後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち、「通貨は政府の徴税権を消滅させるので政府の負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。
 

不換銀行券の発行の根源を「政府の通貨発行権」と説明する
警告
この項目は不換銀行券の記事と合わせて読むことをお奨めします

 
国定信用貨幣論とは、「通貨とは政府の徴税権の対象物である」という考え方である。「政府には強大な徴税権力があり、その徴税権力でどんなものも瞬時に通貨に変えてしまうことができる」という考えで、政府の通貨発行権を強く肯定するものである。


さて、2020年現在の日本では、日本銀行が発行する日本銀行券を主な通貨として採用している。

日本銀行券は日銀にとっての負債であり、日本銀行が何らかの資産を入手したときにその代償として発行する仕組みになっている。2020年現在における日本銀行は、日本国債を資産として入手したときに、その代償として日本銀行券を発行する事が非常に多い。

つまり、日本銀行は、政府の返済能力を高く評価しつつ信用し、政府の返済を義務づけた国債を資産として扱って、その代償として負債を発行しているのである。つまり、日本銀行が政府に対して信用創造を行っている。

日本銀行は、政府に返済能力がある、と高く評価しているのである。さて、ここでの「政府の返済能力」とは、いったい何なのであろうか。

国定信用貨幣論の考えにしたがうと、「日本銀行は、日本政府の通貨発行権による返済能力を信用している」ということになる。日本銀行が日本国債を買い取って日本銀行券を発行するのは、政府に脅されたり命令されているわけではなく、政府の通貨発行権を高く評価し、その権力の強さに屈服しているだけである、ということになる。

もう少し分かりやすくいうと、日本銀行が○兆円の国債を買い取って○兆円の日本銀行券を発行するのは、日本銀行が「政府は○兆円の政府紙幣や硬貨を発行するだけの権力がある」と認めているから、ということになる。
 

通貨発行権を認める
政府の通貨発行権を認め、政府が中央銀行に強い影響を与えることも肯定する
国定信用貨幣論の一大特徴は、政府の通貨発行権を認める点である。「通貨とは、政府が作り出すものである」というのだから、もちろん政府の通貨発行権を認めることになる。

政府に通貨発行権があることを認めるので、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることも認めることになる。「政府から通貨発行の要請を受けた中央銀行は、それに従うしかない。中央銀行が政府の意向に逆らって通貨発行を拒否した場合は、政府が通貨発行権を行使することができる。中央銀行が政府に逆らっても全くの無駄だ」という論理が展開され、「中央銀行は政府の強い影響を受けて通貨発行をする存在である」という認識になる。

政府が国債を売却する直前に中央銀行が通貨を新規発行して政府の国債消化を全面的に支援することも、極めて肯定的にとらえることになる。

つまり、国定信用貨幣論は、中央銀行の支援を受けた政府が国債の売却で好きなだけ通貨を入手することを大いに認める理論である。
 

税収にとらわれずに政府予算を作ることを肯定する
国定信用貨幣論は政府の通貨発行権を認めるから、「政府は、『政府の通貨発行権』を背景にして中央銀行に強い影響力を与えつつ国債を売却し、好きなだけ通貨を獲得して予算を作ることができる。税収というのにとらわれる必要は無い」と論ずる。

「政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を作って、官公需を作っている。つまり、作ったお金を民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。官公需を作ったあとに民需が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けて民需を抑制している」というのが国定信用貨幣論を示す考え方である[1]。
 

政府の通貨発行権を認めず、政府が中央銀行に強い影響を与えることを否定する商品貨幣論
その一方で、商品貨幣論は政府の通貨発行権を積極的に認めない。商品貨幣論の信奉者は政府に通貨発行権があることをすぐ忘れてしまう。商品貨幣論は「通貨とは、民間人が自発的に作り出したものである。政府は、民間人が作り出した通貨に寄生しているだけである」という考え方をする。それゆえ、「政府に通貨発行権なんてないんじゃないか?」と考える傾向がある。

商品貨幣論は政府の通貨発行権を認めないので、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることも否定する。「政府が中央銀行に対して通貨発行を要請しても、中央銀行はそうした要請を拒否できる。それが中央銀行の独立というものだ」などと論じる。

商品貨幣論は、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることを否定するので、「政府は国債を売却するときに、中央銀行からの支援を一切受けられない。政府は好きなように通貨を獲得できない」と信じ込むようになり、財政均衡主義をとる。「税収と歳出は一致しなければならない。政府は、税収よりも上回る歳出をしてはいけない」と論じ、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を強く主張し、常に財政再建という名の緊縮財政を採用することになる。

ここで表を作って、整理しておきたい。
 

商品貨幣論 国定信用貨幣論
通貨発行権を理解できない。政府は、民間が作り出した通貨に寄生しているだけ 通貨発行権を認める。通貨は政府が作り出すものである
どんなときも財政均衡主義。財政再建という名の緊縮財政が大好き 税収よりも多い歳出をしても構わない。特にデフレの時はそうしてよい
税金は財源そのもの 税金はインフレ防止のために掛けているだけ
デフレ志向 インフレ容認
 

通貨発行権の歴史
政府の通貨発行権を認めるのか認めないのか。人類の歴史では、前者と後者で何度も揺れ動いてきた。


19世紀や20世紀前半の各国経済は、管理通貨制度exitと金本位制の2つの間で揺れ動いた。

管理通貨制度は、政府は好きなだけ国債を発行できて、それと引き換えにいくらでも不換銀行券を入手できる、という考え方である。つまり、国家の持つ通貨発行権を制限せずに活用する制度である。

一方で金本位制は、政府が獲得した金塊のぶんだけ中央銀行が兌換銀行券を発行できる、政府が獲得した金塊が少なくなれば兌換銀行券を発行できない、という考えであり、通貨発行権を大きく制限するものである。

その当時に管理通貨制度を志向する人は「国家主権を維持しようとする人」とされ、金本位制はグローバリズムだった。

20世紀終盤にはEU(欧州連合)というものが作られ、1999年に統合通貨のユーロが発行されるようになり、加盟各国の通貨を廃止した。統合通貨のユーロは、グローバリズムの体現であるともてはやされたのだが、その一方で、加盟各国は国家主権の重要な一部分である通貨発行権を剥奪されたのである。近年ではEU離脱を主張する政治家が多く現れるようになったが、その人たちの主張は「国家主権を取り戻せ、通貨発行権を取り戻せ、自由に政府予算を組めるようにしよう」である。

グローバリズムというのは国家主権を剥奪して、カネの移動を自由にしようという考えであり、市場原理主義と言われる。19世紀〜20世紀前半のグローバリズムは「すべての国が金本位制を採用し、それぞれの国との通貨決済を容易にするべきだ」と主張し、20世紀終盤〜21世紀のグローバリズムは統合通貨ユーロを作り出した。

そうしたグローバリズムの根っこにあるのが、「政府は通貨発行権を持っていない」という考えであり、商品貨幣論と極めて高い親和性がある。

ここで表にして簡潔にまとめておきたい。
 

グローバリズム 反・グローバリズム(ナショナリズム)
各国の通貨発行権を認めない。あるいは、強く制限する 各国の通貨発行権を認める
金本位制にして、金塊を事実上の世界統合通貨にする 管理通貨制度にして、各国がそれぞれ好きなように紙幣発行してよいとする
統合通貨ユーロを支持 統合通貨ユーロに反対。EU加盟各国は通貨発行権を取り戻すべき
EU加盟各国は財政均衡主義をとり、緊縮財政で我慢する運命にある。通貨発行権を放棄しているんだからそれが当然だ EU加盟各国は通貨発行権を取り戻し、通貨発行権を行使して積極財政をして景気回復すべき
商品貨幣論と高い親和性がある 国定信用貨幣論と高い親和性がある
 

「税金は罰金」との考えを導く
「税金は罰金」と考える国定信用貨幣論
国定信用貨幣論は、通貨発行権を使って国家予算を組むことを許容しており、「税源を確保するために徴税をしているのではない。租税はインフレ抑制のために掛けているだけだ。租税による収入は単なるオマケだ」と論ずる。この考え方を機能的財政論という。

そしてさらに、国定信用貨幣論や機能的財政論の信奉者は、「租税というのは、政府が好ましいと思う社会を実現するために掛けている。政府は、好ましくないと考える行動に対する罰金として、徴税している」と論ずるのである。この考え方を「税金は罰金」という。

ガソリンの無駄遣いを好ましくないと政府が考えるから、ガソリンを消費する者に対してガソリン税という罰金を科す。自動車の利用者が増えすぎると交通渋滞が発生し国家経済の発展に対して好ましくないと政府が考えるから、自動車を購入する者に対して自動車税という罰金を科す。会社内の権力者だけが給料を増やして会社内で権力を持たない者の給料が減る現象、つまり格差拡大の現象を政府が好ましくないと考えるから、所得税に累進課税を組み込み、高額所得者に罰金を科す。

税金は罰金であり、政府が好ましい社会を実現するための強制的手段である・・・これが、国定信用貨幣論から導かれる考え方である。

「税金は罰金」という考え方により、「税金を多く納める人は、あまり偉くない」という考え方が導かれる。刑務所にぶち込まれるほどの社会悪ではないが、政府が望むような社会的理想像から少し離れた行動をとっている、といった程度に高額納税者を扱うことになる。
 

「税金は財源」と考える商品貨幣論
商品貨幣論は、通貨発行権を軽視する貨幣論である。商品貨幣論の信奉者は通貨発行権のことを認識できず、知覚できない。このため、国家予算は租税の収入によって組まれるべきだと論ずることになる。

つまり、商品貨幣論は「税金は財源」という考えの原因となる。

「税金は財源」「納税は国家予算を支える行動である」「税金は国家を建設する基礎である」という考え方は、次第に、「税金を納めるということは、国家に対する参政権や発言権(行政や立法に影響を与える目的で行う表現を自由に行う権利)を得るために必要な行動だ」という考えにつながっていく。

日本の国税庁も、このページexitで、そうした思想を表明している。「代表なくして課税なしexit」というのは18世紀の北米大陸で掲げられたスローガンなのだが、「税金を納めることで、参政権や発言権といった権利が得られる」という考え方を支持する人たちにしばしば引用される言葉である。

そしてさらに、「納税者は偉い」「税金を多く納める人は偉い」という考えをもたらす。

その考え方が過度に発展すると「納税ができない人は偉くない」という不穏な思想になる。世の中には納税できない経済的弱者がいるものだが、そういう経済的弱者に対して「税金を納めてから、物を言え。税金を納められないなら、黙ってろ」と威圧的に接する風潮を作りあげる。高額納税者が低額納税者を侮蔑することを許容してしまい、社会の分断を生み出す。

さらには、制限選挙(納税額の多寡によって選挙権の有無を決める。日本国憲法第15条第3項exitに違反する制度)を理想視するようになったり、あるいは高額納税者だけが『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を謳歌して低額納税者には『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を与えない社会を理想視するようになり、格差社会・階級社会をもたらしてしまう。
 

まとめ
表にして簡潔にまとめるとこうなる。
 

商品貨幣論 国定信用貨幣論
通貨発行権を理解できない 通貨発行権を重視する
税収だけで国家予算を組むのが本来の姿だ 通貨発行権で国家予算を組むのが本来の姿だ
租税は国家を建設するための資本である 租税はインフレを抑制しつつ、好ましい社会を阻害する要因を懲罰する手段である
税金を多く払う人は、国家の基礎となっており、偉い 税金を多く払う人は、好ましい社会を阻害する要因になっており、あまり偉くない
「税金は財源」 「税金は罰金」
税金は参政権や発言権(行政や立法に影響を与える目的で行う表現を自由に行う権利)といった権利獲得のために必要 税金を納められない人にも参政権や発言権を認めるのが当たり前である
「税金を納められない人の選挙権を剥奪してしまえ」という制限選挙を待望する心理を生む 普通選挙を実現する。日本国憲法第15条第3項exitを遵守する。
「低額納税者の『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を取り上げてしまえ」という心理を生む 低額納税者にも『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を認める。低額納税者の発言にも耳を傾ける。
格差社会・階級社会になりやすい 格差社会・階級社会になりにくい
 

国定信用貨幣論の支持者
現代貨幣理論(MMT)を信奉したり理解を示したりする学者に支持者が多い。米国のL・ランダル・レイexit、ステファニー・ケルトンexit、ウォーレン・モズラーexit、オーストラリアのビル・ミッチェルexit、日本の松尾匡exitなど。

国定信用貨幣論と酷似した考えを示した歴史上の人物というと、日本の江戸時代の荻原重秀exitである。元禄時代に勘定奉行を務め、貨幣の改鋳を行って貨幣の品質を落とし、幕府が獲得する貨幣の量を増やして、幕府の支出を増加させてインフレに導いた。「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を言い、国家の権力の後押しがあればどのような素材であろうと貨幣になりうるという国定信用貨幣論そのものの考えを示した。

国定信用貨幣論を唱えた19世紀末の経済学者というと、ドイツのゲオルク・フリードリヒ・クナップexitである。彼の『貨幣国定説』という著作は、ジョン・メイナード・ケインズやアバ・ラーナーに深い影響を与えた。
  

関連商品
筆者は中野剛志で、政治経済思想を専門とする学者である。

「国定信用貨幣論」という術語は、中野剛志がこの本で考案したものである。

商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用語を使って貨幣論を分類している。54〜67ページに貨幣論についての文章がある。
『富国と強兵』とはうって変わって平易で親しみやすい文体になっている。106〜109ページ、151〜154ページで国定信用貨幣論を説いている。ただし、国定信用貨幣論という用語を使わず、現代貨幣理論という用語を使っている。
こちらも平易で親しみやすい文体になっている。42〜45ページに貨幣論についての文章がある。
現代貨幣理論(MMT)の第一人者が書いた本。国定信用貨幣論を解説している。
作者は人類学者。国定信用貨幣論に対して理解を示している。

386ページにおいて「中国の貨幣理論は常に表券主義だった。(中略)帝国とその内部の市場があまりにも巨大だったので、海外との交易がとくに重要になったことはなかったのである。したがって、政府を統轄する者たちは、税はこれこれの形態で支払うことと布告するだけで、ほとんどいかなるものでも貨幣にしてしまえることを十分承知していた」と論じていて、国定信用貨幣論はナショナリズムと親和性が高いことを示唆している。
奈良時代から江戸時代まで、日本で流通してきた貨幣について紹介する。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはどうだったか」ということを入念に論じている。

国定信用貨幣論の考えを随所にちりばめている。国定信用貨幣論の信奉者の一部が唱える「貨幣は政府の負債」という表現が多い。

 
脚注
*インフレ・デフレの原因を説明する考え方には2通りがあって、「需要と供給でインフレ・デフレが決まる」という考え方と、「世の中に流通する貨幣の数量でインフレ・デフレが決まる」という貨幣数量説風な考え方がある。記事内では「需要と供給でインフレ・デフレが決まる」という考え方に基づいて記述した。

2019年5月29日NHK記事exitにおける松尾匡は、後者の貨幣数量説風な考え方を採用していて、「政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を作って、それを民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。民間に出回るお金が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けて民間に出回るお金を回収している」と語っている。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1749.html

[近代史4] 信用貨幣論
信用貨幣論
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96

信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。


※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
 

概要

定義
信用貨幣論において、通貨とは負債を記録したデータ(負債証明書)であると定義する。

負債証明書のことを英語でIOUという。IOUは、「I owe you(私はあなたに対しての負債がある)」の略語である(辞書exit)。

発行した人が資産を譲渡することを約束した負債証明書が、人から人へ渡っていくようになったら、それを通貨と呼ぶのである。

負債証明書は発行した人にとって負債であり、入手した人にとって資産になる。負債と資産は対義語である。簿記や貸借対照表(バランスシート)の知識がわずかでもあると、そういう理屈を理解しやすい。

発行した人が律儀に資産を譲渡することが信用されていないと、その負債証明書は通貨として流通しない。発行した人への信用があると、その負債証明書は通貨として流通する。


英国の中央銀行であるイングランド銀行の季刊誌において、次のように通貨が定義されている。
 

Money today is a type of IOU, but one that is special because everyone in the economy trusts that it will be accepted by other people in exchange for goods and services.

現代における通貨とは、負債証明書の特殊な一形式で、「他の人々が財物やサービスと引き換えに受け取ってくれる」と経済に参加する全員が信用するものである。

※イングランド銀行季刊誌2014年春号「現代社会における通貨の紹介」exit

  

手形や小切手を通貨の先駆と考える
負債証明書(IOU)で馴染み深いのが、手形や小切手である。

信用貨幣論においては、手形や小切手のことを一種の通貨と考える傾向がある。

また、歴史上で手形や小切手に酷似した負債証明書が見つかると「これは、通貨の先駆けである」と論ずるのが、信用貨幣論の特徴といえる。
 

信用貨幣論の長所
2020年現在、日本においても、世界においても、市中銀行exit(中央銀行以外の銀行)が提供する銀行預金が、流通する通貨の大部分を占めている。ちなみに、市中銀行が提供する銀行預金のことを預金通貨ともいう。

そういう銀行預金(預金通貨)の性質をきっちり説明できているのが、信用貨幣論の長所である。

銀行預金は、市中銀行の発行する負債証明書(IOU)である。預金者にとって銀行預金は債権である。預金者が支払いを要求したら、銀行は即時に紙幣や硬貨といった現金通貨を支払わねばならない。
 

信用貨幣論の短所
2020年現在の世界を見渡すと、中央銀行が発行する不換銀行券を通貨として採用している国が大多数を占める。

その不換銀行券は、中央銀行の負債として発行されているが、返済期限無期限であると同時に無利子であり、負債としての厳しさが皆無である。不換銀行券を所有する人は、発行した銀行に対して永遠に債権を主張できない。不換銀行券は、本来、所有する人にとって完全な紙屑である。

「不換銀行券は負債のように見えるが実質的に負債ではない」と論じる学者すら存在する。小栗誠治滋賀大学経済学部教授が、そうした見解を述べる学者をこの論文exitで紹介している。

また、かつて先進国で発行されたことがある政府紙幣というのも、負債性が極めて乏しい。政府紙幣は政府の資産として発行されるか、政府の返済期限無期限・無利子負債として発行されるかのどちらかである。前者なら信用貨幣論の定義から外れるし、後者だとすれば負債としての性質が極度に薄い負債である。

また、2020年現在の日本で発行されている硬貨は、政府の資産として発行されており、信用貨幣論の定義から外れている。

以上のように、政府によって通貨と認定されている不換銀行券や政府紙幣や硬貨は、信用貨幣論で説明するのが難しい。言い換えると、現金通貨を信用貨幣論で説明するのが難しい。

現金通貨を説明するのは、国定信用貨幣論か、商品貨幣論のどちらかとなる。
   

人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る
通貨の成り立ちに関する学説のうち、最も有名なのは商品貨幣論である。その学説では、「原始社会においては物々交換(barter)が行われていた。物々交換は不便なので、誰もが欲しがり価値を認める商品が交換の媒体として選ばれるようになった。それが通貨の起源である」と説明している。

この学説に対して、人類学者たちが反論をするようになった。彼らによると、原始社会では物々交換が行われていなかったという。そのうちの1人がキャロライン・ハンフリーexitという英国の学者であり、彼女は1985年の論文でそう論じている。フランスのマルセル・モースexit、アメリカのジョージ・ドルトンexit、同じくアメリカのデヴィッド・グレーバーexitもそう述べている。
 

No example of a barter economy, pure and simple, has ever been described, let alone the emergence from it of money. All available ethnography suggests that there never has been such a thing.

※キャロライン・ハンフリー『Barter and Economic Disintegration』1985exit


物々交換から貨幣が生まれたという事例はもちろんのこと、純粋で単純な物々交換経済の事例さえ、どこにも記されていない。手に入れることができるすべての民族誌を見るかぎり、そうしたものはこれまでに1つもない。

※フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16〜17ページexit_nicoichibaより引用。先ほどの論文を和訳したもの。

しかし、悩ましいのはそのようなことが実際に起こったという証拠がないことであり、むしろそんなことが起こっていないことの方を膨大な量の証拠は示していることである。

数世紀にもわたって研究者たちは、この物々交換のおとぎの国を発見しようと努力してきたが、だれひとりとして成功しなかった。

※デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』45ページexit_nicoichibaより引用

 
※資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16〜17ページexit_nicoichiba、デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』34〜64ページexit_nicoichiba、英語記事1exit、英語記事2exit、キャロライン・ハンフリーの1985年論文exit
 

原始社会の経済
原始社会では物々交換がほとんど行われていなかった、とするのが定説である。

では、ほしいものが手元に無い場合どうしていたかというと、借りパクしていたのである。借りパクされる側も、どうせ後で必要になれば勝手にもって行けばいいので気にしなかった。また、贈り物を頻繁にするという光景も良く見られた。お互い、余ったモノや必要なモノをシェア(共同所有)していたということである。

開拓初期のインディアンの風習の記録でも、りっぱなものを気前良くくれたが、それを大事に飾っていると独り占めするなと怒られた、というものがある。日本でも隣のおばちゃんが余った野菜や料理を気前良くくれたり、近所のおじさんが他人の家に上がって風呂に入りつつ(大量のお湯を沸かすのは、貴重な資材が多く必要だったし、重労働だった)帰り際におやつを失敬する、といったような昔話を聞いたことがあるだろう。

ロルナ・マーシャルexitというアメリカ人の人類学者がいて、アフリカのカラハリ砂漠exitのブッシュマンexitという部族を研究していた。現地協力者にナイフを贈ってそこを去り、1年後に戻ってみたら、その部族のほとんど誰もが一度はナイフを所有していたという。

個人限定の財産を明確に持たず、贈り物や借りパクで共同体中のモノが循環するのが原始的な経済(の一つの形態)だったのだ。個人の所有権(財産権)とか、そういう意識が無かった。これを非市場経済exitという。

この文化において、通貨は当然存在しない。


そして、フランスの人類学者マルセル・モースexitが『贈与論exit』で語るところによると、原始共同体の中での贈与の周辺には、与える義務、受け取る義務、返礼の義務が発生しているのだという。つまり、債権と債務の関係が生じていると指摘している。個人の財産というものを意識しない原始共同体の段階から、人類は、債権と債務を意識していたというわけである。
 

※資料・・・マルセル・モース『贈与論』103〜109ページexit_nicoichiba、デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』45ページ、54〜55ページexit_nicoichiba、『日本史に学ぶマネーの論理』第2章貨幣の基礎理論を知る 2.負債としてのマネーと貨幣法制説exit_nicoichiba
 

都市国家
人類の歴史は、原始共同体(集落)から都市国家exitになり、都市国家から領域国家になるのが一般的な傾向である。

農業などで人口が安定的に増えて共同体が大きくなり、原始共同体(集落)から都市国家になると、誰が誰にどれくらいの貸し借りをしたかわからなくなってくるので、借りパクで済ますというわけには行かなくなる。

そこで、「後でこれを私に渡せば、うちの品物と交換しますよ」という負債証明書(IOU)を渡して品物を受け取るというシステムが現れた、と推測されている。たとえば麦農家のAさんが収穫のための鎌を新しく必要とするとき、Aさん収穫の麦30kgと交換できる負債証明書を渡して鍛冶屋のBさんから鎌をもらい、収穫後に鍛冶屋のBさんが負債証明書とAさんの麦30kgを交換する、という具合である。

この負債証明書(IOU)は、要するに、手形である。

現代社会における手形が支払手段として使われているのと同様に、都市国家段階の古代社会における負債証明書も支払手段として使われていたのではないか、と推測されている。Aさん一家から「Aさん発行の負債証明書」をもらった鍛冶屋のBさんは、鉄を加工するための薪が欲しくなった場合、林業農家のCさんに「Aさん発行の負債証明書」を手渡して支払いをすることができる。


メソポタミアの都市国家の遺跡からは、1〜3cm程度の大きさで様々な形をした粘土製の物体が大量に出土している。これは考古学者たちの間でトークンexitと呼ばれていて、債権債務の記録に使われたと考えられている。債務者が負債証明書(IOU)として債権者にトークンを渡した、というわけである。

さらに、メソポタミアの都市国家の遺跡からは、トークンを押しつけてできた跡がある粘土板exitが出土している。これも、債権債務の記録に使われたと考えられている。トークンを押しつけてできた跡は、象形文字となり、のちの楔形文字の起源となった、とデニス・シュマント=ベッセラ教授は考えている。

さらに、メソポタミアの都市国家の遺跡からは、楔形文字を書き入れた粘土板が大量に出土している。その粘土板は、物の数量の記録に関するものが全体の85%ほどを占めている。その中には、負債証明書がいくつも見つかっている。

※資料・・・『メソポタミア文明入門』第3章文字と文書exit_nicoichiba、『日本人が本当は知らないお金の話』45〜48ページexit_nicoichiba、『金融の世界史: バブルと戦争と株式市場』19〜30ページexit_nicoichiba、『負債論 貨幣と暴力の5000年』60ページ、324〜329ページexit_nicoichiba
 

領域国家
人類の歴史は、都市国家exitから領域国家へ進んでいくことが一般的な傾向である。

都市国家は点の支配であり狭っ苦しい。領域国家は面の支配であり、広い範囲に権力が及ぶ。

都市国家というのは豊かな人口過密地域だけに引きこもっている状態だが、領域国家というのは貧しい人口過疎地域を突っ切って縦横無尽に駆け巡る軍隊というものを擁して広域を支配する状態である。(三国志を知っている方は、三国志における軍隊の活躍を思い出して頂きたい)

つまり、領域国家というのは軍隊の維持が最大の目標だった。軍隊を維持するため、兵士や軍需物資製造者に給料というものを払わねばならない。ゴツい兵士には給料の代わりに領土をくれてやって「好きなように領地で収奪・カツアゲするように」といってもいいが、軍需物資製造者にはそういう方法を採れず、なんらかの給料を払わねばならない。

政府は軍需物資製造者や兵士に対し、あらかじめ徴税して倉庫に貯め込んでおいた財物(米、麦、布、絹など)を給料として手渡すようになった。軍需物資製造者や兵士は、政府からもらった財物(米、麦、布、絹など)を農家に持ち込んで、野菜や果物や鶏肉といった好きなものと交換できた。なぜなら、農家にとっては「来年納める物の代わりが手に入って、租税負担が減って楽になる」と考えるからである。

そういう形で給料支払いを続けてきた政府は、次第に、もっとよい方法はないか、と考えるようになった。米、麦、布、絹などは、変形したり腐ったりする可能性があり、ちょっと不便なのである。

そこで政府は、軍需物資製造者や兵士に与える給料を、金属でできた貨幣に切り替えることにした。金属というのは変形しにくく腐らないので、倉庫にいつまでも貯め込むことができる。金属でできた貨幣というのは、金貨、銀貨、銅貨、鉄貨exit、そして貝貨exitである。(貝というのはカルシウムという金属でできている)

政府は、貨幣を軍需物資製造者や兵士に与えつつ、貨幣で納税することを領域国家の国民に強制することにした。関所を通ったときに貨幣を徴税し、市場で店を開いたときに貨幣を徴税し、農家にも農作物の代わりに貨幣を徴税する。そうすることで、国民は納税のために貨幣の貯蓄に励むようになり、貨幣を欲しがるようになる。国民の皆が貨幣を欲しがるので、貨幣を使って財やサービスを交換できるようになる。

米、麦、布、絹、などの現物支給と貨幣支給は、政府にとってやることの順番が異なる。現物支給は先に徴税してその後に徴税した物品を給料として支払うのに対し、貨幣支給は先に貨幣を給料として支払って、その後に徴税する。

現物支給 貨幣支給
給料として渡すもの 米、麦、布、絹など 金貨、銀貨、銅貨、鉄貨、貝貨
やることの順序 先に徴税し、徴税した物を支給する 先に給与支給し、後に徴税する

以上のように、領域国家の政府が発行して徴税で回収するものが通貨である、という学説を国定信用貨幣論という。

「政府の発行する通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部である、ということになる。

一方で、「『政府の発行する通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である』という論理は、法律学の観点からみて少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものである、ということになる。

たとえば、土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合、「Dさん所有の土地は、Eさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは、通常の法律界において行われない。

2020年5月23日時点の本記事は、後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち、「通貨は政府の徴税権を消滅させるので政府の負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。


さて、国定信用貨幣論のライバルに、商品貨幣論というものがある。「通貨は、市場に参加する全員が価値を認める一番人気の商品が変形してできたものである」という学説である。

領域国家の政府が兵士などの給料として支給した現物は、通貨のように振る舞ったものがある。古代日本の米・布・絹、古代ローマの塩である。これらはすべて商品としての需要がある。

領域国家の政府が発行する貨幣は、金・銀・銅といった貴金属を鋳造した貨幣に集約されていった。そうした貴金属は商品としての価値を持っている。

このため、商品貨幣論と国定信用貨幣論の激しい論争が起こるようになった。

商品貨幣論によると、金貨が発行されたのは次のように説明される。

金というのはピカピカ光って誰にも愛される商品である。美術品としての需要も高い。金という金属の価値が、貨幣の価値となったのである。

 

その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。

なるほど、金塊そのものに価値があることは間違いない。しかし、「金塊そのものの価値」だけでは全国津々浦々に流通した理由が説明できない。「金塊なんて、ただ光るだけの金属じゃないか」という田舎親父もこの世に存在する。金塊に全く価値を感じない人も一定の割合で存在する。

金塊に全く価値を感じない人も金貨を受け取ったのは、やはり政府の権力の後押しがあったからだ。金貨で納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素があったから、流通したのだ。

わざわざ金塊が政府に選ばれたのは、「錆びない、腐ったり劣化したりしない、鋳造する技術が必要で埋蔵量が少ないから偽造がしにくい、材料さえあれば均質なものを量産できる、宝飾品以外の実用的な使い道がなかった」などが考えられる。とくに「埋蔵量が少ないから偽造しにくい」というのが重要だ。

また、商品貨幣論によると、古代日本で布が貨幣として扱われたのは次のように説明される。

布というのは服の素材として需要が非常に高く、誰にも愛される商品である。布でできた服はとても快適で、皆が価値を認める。それゆえ物々交換の基軸となり、貨幣となっていった。

 

その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。

なるほど、布そのものに価値があることは間違いない。しかし、「布そのものの価値」だけでは広く流通した理由が説明できない。布を全く欲しがらない人も一定の割合で存在する。

古代日本の税制は租庸調exitといい、その中に「布を納税せよ」という項目がある。布には、納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素、つまり付加価値があったから、貨幣として流通した。

布を納税する地方の農家が所有している柿や栗が欲しくなったとする。そのときは布を手渡せば、農家の人たちは「来年分の納税負担が減る。喜んで受け取りましょう」と言いつつ、柿や栗を差し出してくれるだろう。

 

・・・という論争が果てしなく続けられるようになった。どちらの主張もある程度説得力があるので、まったく決着が付かなかった。

不換銀行券の時代になって、商品貨幣論は説得力に陰りが見えるようになった。このため、国定信用貨幣論の説明がすこしだけ優勢になったと言える。
  

小切手・手形に類似した負債証明書(IOU)の発達
洋の東西を問わず、領域国家の政府が発行する貨幣は、貴金属を鋳造したものに集約されていった。

貴金属で出来たものなので、かさばると重く、運搬しづらい。大量の貨幣を持ち歩くと、山賊などにひったくられる危険性が高まってしまう。

そこで、現代の小切手や手形に酷似した負債証明書(IOU)が使われるようになった。

日本においては、平安時代末期から鎌倉時代にかけて宋銭が大量に流入した後、鎌倉時代に割符(さいふ)exitというものが商人の手によって発行されるようになった。「一定の期日の後にこの証文を持ち込んで頂ければ、銭十貫文と交換いたします」と書かれていて、まるっきりの手形だった。

また、寺や神社が集めた祠堂銭exitを商人に預け、商人が祠堂銭預状という負債証明書を発行した。こちらは小切手に近い。


さらにいうと、宋銭が流入する前の11世紀の平安時代は米・絹・布が貨幣のように振る舞っていたが、この米・絹・布を支払うことを約束した負債証明書が発行されていた。これを切符系文書という。これも小切手に近い。

江戸時代になると、伊勢の国(三重県)の商人が羽書(はがき)exitを発行し、藩が藩札exitを発行し、旗本が旗本札exitを発行した。これらは幕府の発行する金貨・銀貨・銅貨との交換を保証している負債証明書である。これまた、小切手に近いものである。ただし、藩札と旗本札は、軍票に近い存在であり、国定信用貨幣論で説明した方がいいかもしれない。


※この項の資料・・・『通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで』exit_nicoichiba、『日本史に学ぶマネーの論理』exit_nicoichiba
 

金匠が発行する負債証明書
西洋のイギリスでも、負債証明書(IOU)の発行が発達していった。  
 

イギリスで金貨が流通すると、商人が大量の金貨を保有するようになった。ただ、金貨を自宅に保管しておくと、どうしても盗難の危険が高くなる。

金匠(金細工職人。英語でゴールドスミスexitという)は堅牢な金庫を持っていたので、商人たちは金貨を金匠に預け、代わりに金匠受領書(ゴールドスミス・レシート goldsmith receipt)を受け取るようになった。金匠受領書を持ち込めば、額面通りの金貨を引き出すことができる。

商人たちは、取引先に金貨を支払う場合、金匠から金貨を引きだして支払うのが面倒になってきた。金貨を持ち運ぶこと自体が危険だからである。そのため、商人たちは紙切れを発行し始めた。その紙切れは金匠宛の依頼書で、「私が預けている金貨の名義を、私からこの依頼書の所有者に代えてくれ」という内容のものだった。

この依頼書のことを金匠宛手形(ビル・アポン・ゴールドスミス bill upon goldsmith)という。現代風にいえば、小切手である。この金匠宛手形での支払いが、盛んに行われるようになった。

 
これは17世紀イギリスにおける実話である。最も古い金匠受領書は1633年発行のもので、1650年代には金匠宛手形が発行され始め、1680年には金匠宛手形での決済が盛んに行われていることに驚く日記が見つかっている。

金匠宛手形は発行した人物にとって負債証明書(IOU)であり、金匠宛手形を保有している人物への債務が宿っている。

そしてさらに興味深い現象が起こりはじめた。
 

金匠は「これからは預り証(金匠受領書)を譲渡可能にすればいいんじゃないか」と思いついた。預り証に「これを持参した人物に対して、金貨を支払う」という表現を書き込んだ。

こうした譲渡可能な預り証を金匠手形(ゴールドスミス・ノートexit goldsmith note)という。金匠手形は便利なので、金匠の近くの地域経済で支払い手段として使われるようになった。

  
先ほどの金匠宛手形は多種多様な商人たちが発行していた。このため券面の書き方にもちょっと違いがあり、受け取る人たちにとってはすこし注意が必要であった。

一方、金匠手形の発行者は、金匠ただ1人である。その金匠手形はどれも画一的な券面の書き方であり、受け取る人にとって慣れてしまえば扱いやすい。金匠手形が広まった方が地域経済にとって便利だった。このため金匠手形が広まっていった。

金匠手形もまさしく負債証明書(IOU)であり、金匠手形を所持している人物への債務が宿っている。

そして画期的な現象が起こりはじめた。
 

金匠に対して「金貨を貸してください」と言ってくる商人は多かった。金匠が金貨を貸そうとすると、「いえ、金貨は盗難の危険があるので受け取りたくありません。金匠手形だけ発行してくれれば良いのです。支払いも金匠手形で行いますから」というので、金匠手形の発行だけで貸し出しを済ますようになった。もちろん、商人からの利子・元本返済は金貨で受け取ることにする。

あるとき、金匠は、自分の金庫から金貨を引き出そうとする人物がめったに現れないことに気が付いた。「自分の金庫に眠っている金貨の量よりも多い貸し出しをしても、大丈夫なんじゃないか」と思い始め、借金を申し込んでくる人が現れるたびにどんどん金匠手形を発行していった。

いつしか金匠は、保有している金貨の20倍ほどの金匠手形を発行するようになったが、発行しすぎで破綻することは無かったという。

 
以上が、ヨーロッパにおける発券銀行の成り立ちに関する昔話である。1694年にイングランド銀行が設立されて紙幣(銀行券)を発行するようになったが、金匠手形を手本としたという。1844年にイングランド銀行がイギリス国内における紙幣発行業務を独占するようになり、中央銀行となった。

イギリスだけでなくどこの国においても、19世紀頃まで多くの民間銀行が勝手に紙幣を発行していたが、だんだんと1つの銀行に統合されていった。1つの国で紙幣発行権を独占する銀行を中央銀行という。中央銀行は政府と非常に深い関わり合いになる。


※資料・・・『マネー文明の経済学―膨張するストックの時代』84〜91ページexit_nicoichiba、『中央銀行の形成―イングランド銀行の史的展開』45〜51ページexit_nicoichiba。『マネー文明の〜』は、『中央銀行の〜』から引用している。
 

銀行の信用創造で作られる銀行預金
先ほどの昔話の中で、金匠のもとへ借金を申し込む人が現れるたび、金匠は手持ちの金貨よりずっと多くの金匠手形を発行していた。それと同じことを現代の銀行も行っている。

銀行預金は人が銀行から借りるときに生まれている。そして、意外なことであるが、銀行は保有する資金と無関係に銀行預金を作ることができる。これを信用創造という。

Aさんという人が民間銀行から住宅購入資金の融資を受けるとき、銀行はAさんの銀行口座の預金残高の数字を書き足すことで融資する。Aさんは預金残高を減らし、住宅販売会社の預金残高を増やして、そうやって支払いを済ませて住宅を購入する。住宅販売会社がAさんと同じ銀行に口座を持っている場合、民間銀行は手持ちの資金を一切減らさずに済ますことができる。銀行が資金を持たずに信用創造でいくらでも預金を創造できるのはこのためである。

現代において、現金通貨の10倍近くの量が預金通貨(銀行預金)として流通しており、経済活動の主役となっている。

預金通貨は、銀行が万年筆で帳簿の数字を変更したりパソコンのキーボードを叩いたりするだけで増えるので、預金通貨は万年筆マネーとかキーストロークマネーといわれる。

もちろん、銀行預金は、銀行にとっての負債証明書(IOU)である。銀行は、銀行預金の所持人に対して現金通貨(紙幣・硬貨)を即時に支払う債務を負っている。
 

1970年アイルランド銀行閉鎖事件
通貨というのは負債である、という信用貨幣論を裏付ける事件が1970年に発生したので、紹介しておきたい。


1970年5月1日、アイルランドの銀行業界でストライキが起こった。このときのアイルランドは高率のインフレに悩んでおり、職員の待遇改善を求める労働組合がストを決行した。

それから約6ヶ月間、アイルランドの銀行は閉鎖されっぱなしだったが、なんと、たいした混乱もなくアイルランド経済は機能し続けており、統計によると経済の水準も上がり続けたという。

アイルランド人たちはどうしたかというと、個人個人が小切手を発行して支払いをしていた。アイルランド・ポンドで値が付いている自動車を買うとき、その額の小切手を発行していたのである。自動車販売会社は小切手を発行した人の支払い能力をわりと簡単に調べることができた。その購入希望者が立ち寄るパブ(イギリスやアイルランドの酒場)に行き、そこの主人に購入希望者の支払い能力を尋ねるだけだった。アイルランドはパブでビールを飲んで交流するという文化が残っていたのが幸いした。パブの主人は、その周辺の人々の支払い能力をだいたい把握していたのである。

こうして、支払い能力がある人の小切手だけが受け取られた。この小切手が銀行閉鎖最中における通貨となった。

小切手とは「これを銀行に持ち込めば私の口座から引き出して現金にすることができます」という負債証明書(IOU)である。「通貨は負債である」という信用貨幣論の定義通りの現象だったと言える。


※資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』32〜39ページexit_nicoichiba
 

電子マネー
21世紀になって各国で急速に普及している電子マネーは、発行する企業の負債証明書(IOU)であるので、信用貨幣論において「通貨に準ずる存在」と扱われる。

電子マネーの中でも、特に、プリペイド式電子マネーは、典型的な発行企業の負債といえる。プリペイド式電子マネーは、利用者が先に現金通貨などでチャージして電子マネーの額を増やしてから、商品購入などに利用するものである。
 

様々なプリペイド式電子マネー
プリペイド式電子マネーには、次のようなものがある。

Suicaなどの交通系電子マネー、WAONなどの流通系電子マネーが典型的なプリペイド式電子マネーである。

インターネットの決済に使用できるWebMoneyやPayPalも、プリペイド式電子マネーといえるだろう。

インターネット販売サイトが発行し、そのインターネット販売サイトの中でのみ使用できるポイントというものがある。Amazonが発行するAmazonギフト、DMMが発行するDMMポイント、楽天が発行する楽天スーパーポイントなどである。これらも、プリペイド式電子マネーといえるだろう。
 

プリペイド式電子マネーのチャージ
プリペイド式電子マネーにチャージを行い、電子マネーの額を増やすには、おおよそ3種類の方法がある。日本銀行券や硬貨といった現金通貨を支払ってチャージする方法と、銀行預金を払ってチャージする方法と、クレジットカードで支払ってチャージする方法である。

いずれの方法でも、電子マネー発行企業の貸借対照表(バランスシート)の資産の部は、金額が増える。現金が増えたり、銀行預金が増えたり、クレジットカード企業への金銭債権が増えたりする。

電子マネー発行企業は、そういった資産の部の金額増加に対応して、電子マネーという負債を発行する。
 

電子マネーの定義
電子マネーというものは、発行企業にとっての負債である。発行企業は、加盟店に電子マネーを差し出されたら、即時に現金通貨や銀行預金に交換しなければならない。要求されたら即時に交換する負債を一覧払い負債とか要求払い負債といい、負債の中でも厳しい部類に入る。

ただし、利用者が電子マネーを発行企業に提示しても、発行企業は現金や銀行預金に交換する義務がない。電子マネー発行企業は、加盟店が電子マネーを差し出してきたときのみ、対応する。

Aさんが1万円の現金通貨を払ってSuicaに1万円をチャージしたとする。そうすると、もうAさんは、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要求できなくなる。

Aさんは、Suicaを扱う加盟店で、Suica1万円を使って1万円の商品を購入できる。

Suica1万円を購入者から受け取った加盟店は、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要求できる。

ゆえに、プリペイド式電子マネーは、次のように定義できる。
  

プリペイド式電子マネーは、発行企業にとっての一覧払い負債である。発行企業は電子マネーを提示する加盟店に対して、即時に現金通貨・銀行預金に交換しなければならない。ただし、利用者に対しては、現金通貨・銀行預金に交換する義務がない。

 
このように、プリペイド式電子マネーは、すこし特殊な負債と表現できる。現金通貨・銀行預金に交換する義務を果たす相手は、加盟店だけに限定されている。
 

「人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る」の項目を貸借対照表で分析する
本項目では、「人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る」の項目の序盤を貸借対照表(バランスシート)で分析する。
 

原始共同体
原始共同体というものは、共同体の構成員たちが相互に借りパクすることで成立している。

原始共同体の中で、弓を作るのが上手いAさんが弓を1つ持ち、サンダルを作るのが上手いBさんがサンダルを1足(1セット)持っていて、AさんがBさんのサンダル1足を借りパクするとする。

弓を作るのが上手いAさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。

借りパクする前のAさん 借りパクした後のAさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
弓1つ 要求があったら弓1つを差し出す債務 弓1つ 要求があったら弓1つを差し出す債務
サンダル1足を要求する債権 サンダル1足 要求があったらサンダル1足を差し出す債務
 
サンダルを作るのが上手いBさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。

借りパクされる前のBさん 借りパクされた後のBさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル1足 要求があったらサンダル1足を差し出す債務 サンダル1足を要求する債権
弓1つを要求する債権 弓1つを要求する債権
 
このように、AさんもBさんも、資産の部と負債の部の両方が変化している。「借りパクで成立している原始共同体」は、全ての構成員が債権・債務と隣り合わせになって生きており、全ての構成員が頻繁に債権・債務を背負う世界である。構成員同士の付き合いがドロドロしていて濃密である。
 

都市国家
原始共同体の次の段階を都市国家exitといい、生産が豊富な土地にみんなで住み着いている状態である。

都市国家のなかで西側に住んでいる弓職人のAさんと、都市国家のなかで東側に住んでいるサンダル職人のBさんは、互いの住居が遠いこともあって、あまり親しくない。家が遠くなって付き合いが疎遠になると、それに応じて信用が落ちていき、借りパクで済ますことができなくなる。債権・債務を何かに記録して証拠として残す、という世知辛いことをし始める。

弓職人のAさんが「3ヶ月後以降にこれを我が家に持ち込むと弓を作ってあげますよ」という意味の負債証明書(IOU)を作成し、サンダル職人のBさんに手渡して、Bさんからサンダル1足を受け取るとする。


弓職人のAさんの貸借対照表は、負債証明書(IOU)の発行とそれによるサンダル購入によって、次のように変化する。

サンダル購入前のAさん サンダル購入後のAさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル1足 期日以降に弓1つを差し出す債務を記した負債証明書(IOU)
 
 
サンダル職人のBさんの貸借対照表は、負債証明書(IOU)の受け取りとそれによるサンダル売却によって、次のように変化する。

サンダル売却前のBさん サンダル売却後のBさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル1足 期日以降に弓1つを要求できる債権を記した証明書
  
このように、AさんもBさんも、だいぶ貸借対照表が簡素である。原始共同体から都市国家になって、人同士の距離が離れて、人同士の付き合いが淡泊になると、債権・債務の量が減り、すっきりしたものとなっていく。
 

領域国家
都市国家exitの次の段階を領域国家という。政府が軍隊を保有し、生産が豊富な人口過密地を飛び出し、生産が乏しい人口過疎地を突っ切り、他の領域国家と国境を接して睨み合うものである。

政府は、軍隊を維持するために通貨を発行するようになる。それを民間人に支払って軍隊を編成する。最後に徴税をして通貨を民間人から吸収する。


政府の貸借対照表は、次のように変化していく。1年を終えたら「政府その1 通貨発行」に巻き戻る。

※「政府は通貨を資産として発行する」という考え方と、「政府は通貨を返済期限無期限・無利子の負債として発行する」という考え方がある。この項目では前者の考え方を採用した。

政府その1 通貨発行 政府その2 軍隊整備 政府その3 徴税
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
徴税して得た通貨と、新規発行した通貨 体を張って外敵を迎撃する義務(国民に福利をもたらす義務) 人材や軍需物資(軍隊) 体を張って外敵を迎撃する義務(国民に福利をもたらす義務) 人材や軍需物資(軍隊) 体を張って外敵を迎撃する義務(国民に福利をもたらす義務)
徴税権(通貨を要求する債権) 徴税権(通貨を要求する債権) 徴税して得た通貨
 
国民の貸借対照表は、次のように変化していく。1年を終えたら「国民その1 物資の生産」に巻き戻る。

国民その1 物資の生産 国民その2 通貨獲得 国民その3 納税
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
外敵から身を守ってもらう権利 納税義務(通貨を支払う義務) 外敵から身を守ってもらう権利 納税義務(通貨を支払う義務) 外敵から身を守ってもらう権利
生産して得られる物資 政府に軍需物資を売って政府から受け取る通貨 納税した後に残る通貨
市場で民間人に物資を売って民間人から受け取る通貨
 
政府というものは、全ての国民にとって「すぐ近くに住んでいる隣人」である。原始共同体の構成員たちが濃密な付き合いをして債権・債務の関係を作り上げるのと同じように、領域国家の国民と政府も濃密な付き合いをして債権・債務の関係を作り上げる。

政府は全ての国民に対して「納税しなさい」と迫ってくる。なんとも暑苦しい存在である。

国民は、生まれながらにして納税義務という負債を負う。政府は憲法によって「国民に福利をもたらす義務」を負う。
 

先天的な負債の存在を認める信用貨幣論・国定信用貨幣論
商品貨幣論と親和性が高い「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「人というのは先天的な負債を持ってない」という思想を生み出しやすい。詳しくは商品貨幣論の記事を参考のこと。

一方、信用貨幣論や国定信用貨幣論は「人というのは先天的な負債を持っている」という思想と親和性が高い。

「先天的な負債」をどう扱うかという点において、商品貨幣論と信用貨幣論・国定信用貨幣論は、真逆の思想である。
 

人と人の距離で決まる経済の形態
経済の形態というものは、人と人の距離によって決まっていく。そうした経済の形態は、おおむね3つに分けることができる。
 

借りパクで成立する経済
人と人の距離が近いとき、「借りパク・互酬exitで成立する経済」になる。

「俺のモノはお前のモノ、お前のモノは俺のモノ」といった調子で物事が進んでいく。個人の財産権(所有権)という観念は非常に薄く、集団によってモノを共同所有し、集団の中でモノが行ったり来たりして循環する。

債権・債務が多重に存在し、全ての構成員が負債を負い、全ての構成員が債権を主張する。

債権・債務の関係の量がとても多いので、負債証明書(IOU)を作っている暇がない。また、相互に「この人は必ず自分の債権を尊重するだろう、債務を履行するだろう」と高く信用するので、負債証明書(IOU)を作る必要も無い。双方の記憶によって成立する口約束で貸し借りを行う。

人類学者の多くは「原始共同体は借りパク・互酬で成り立っていた」と論じている。当然のことながら、原始共同体は人と人の距離が非常に近い。家庭も「借りパク・互酬で成立する経済」と言っていいが、これも人と人の距離がとても近い。昭和時代前半以前の日本の下町でも「借りパク・互酬で成立する経済」が多く見られた。昭和時代前半以前の日本の下町というのは建物の壁が薄く、隣近所がなにをしているのか丸聞こえで、プライバシーなど全くない状況だったので、人と人の距離が近い環境だった。
 

負債証明書(IOU)が飛び交う経済
人と人の物理的な距離が遠くなると、相互に「この人は自分の債権を尊重しないかもしれない、債務を履行しないかもしれない」と疑い始め、相互の信用が下落していく。貸し借りをするときは負債証明書(IOU)をきちっと発行することを求めるようになる。これが「負債証明書(IOU)が飛び交う経済」である。

メソポタミアの都市国家がこの典型例と言える。
 

即時払いの交換をする経済
人と人の物理的な距離がものすごく遠くなると、相互に「この人は自分の活動範囲をはるかに超えた遠いところに住んでいる。自分はこの人の実態を調べることができない。この人が自分の債権を尊重しなかった場合、つまりこの人が債務を履行しなかった場合、自分はどうすることもできず、泣き寝入りするしかない」と思うようになり、相互の信用が完全に消滅する。相手の負債を一切信用せず、「即時払いじゃなきゃダメだ。今すぐ支払ってくれ」と要求する。

国際貿易をする商人同士は、この「即時払いの交換経済」を形成することになる。とても遠いA国からやってきた商人が「代金は、次回来たときに支払う。その証拠に負債証明書(IOU)を差し上げよう。だから品物を渡してくれ」といっても、言われたB国在住商人は「自分は、あんな遠いA国に行く気力と財力がない」と思い、要求を断固として拒否することになる。

日本の平安時代末期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われた。九州の博多に宋王朝の沿岸都市から商人が船でやってきて、博多の日本商人と取り引きをする。そういう場所では物々交換という即時決済の交換が行われた。
 

3形態の比較
今まで述べた3つの経済形態を比較すると、次の表のようになる。人と人の距離によって経済の様子が変わっていく、というのがポイントである。
 

借りパク経済 負債証明書経済 即時払いの交換経済
典型例 原始共同体、家庭、昭和時代前半までの日本の下町 メソポタミアの都市国家 物々交換をする国際貿易の商人
人と人の物理的・心理的な距離 近い。相手と同居しているか、それに等しい状態。 近すぎず、遠すぎず、の状態。相手の本拠地に行って相手の様子を確認することが可能。 とても遠い。相手の本拠地に行って相手の様子を確認することが難しい
債権・債務の量 とても多く、煩雑である 相手の様子を見て、「これなら大丈夫そうだな」と思ったときのみ信用する。条件付きで信用し、債権を絞り込む。債権・債務の量は少ない 全く存在しない
個人の財産権(所有権)の観念 ない。モノを独り占めすることが許されず、気前よく譲り渡すことが求められる ある ある
  

信用貨幣論と商品貨幣論の違い
信用貨幣論というのは「人類の経済の原型は借りパク経済である」と主張する思想である。借りパクで成り立つ原始共同体から始まり、人々の活動範囲が広がるにつれて「負債証明書が飛び交う経済」になり、さらに人々の活動範囲が広がって国際貿易をするようになって「即時払いの交換経済」が導入されるようになった、と考えるものである。

一方で、商品貨幣論は全く逆であり、「原始共同体は物々交換で成り立っていた。つまり即時払いの交換経済だった」と主張する。「物々交換で成り立つ経済が人類の経済の原型であり、そこから物々交換の不便さを打ち消すための貨幣というのが誕生し、さらに『負債証明書が飛び交う経済』に進んでいった」というのである。

このように、信用貨幣論と商品貨幣論は真逆の思想と言える。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html

[近代史4] 商品貨幣論
商品貨幣論
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%95%86%E5%93%81%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96


商品貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。

金属主義exit(Metallismexit メタリズム)とも呼ばれる。

国定信用貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。商品貨幣論と国定信用貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。


※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
 

概要
通貨の成り立ち
商品貨幣論は、通貨が物々交換から発達したと説明する。
  

原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった「商品」が、便利な交換手段(つまり貨幣)として使われるようになった。その代表的な「商品」が貴金属、とくに金である。これが、貨幣の起源である。

しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量など貨幣の価値の確認に手間がかかるので、政府が一定の純度と重量をもった金貨を鋳造するようになる。

次の段階では、金との交換を義務付けた兌換紙幣を発行するようになる。こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣となる。

最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となる。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす。

 
※中野剛志『 全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』329ページexit_nicoichibaから引用。同氏は、グレゴリー・マンキュー『マンキューマクロ経済学I入門篇【第3版】』110〜112ページexit_nicoichibaを参照している。

 
「原始社会で物々交換が行われてきたが、その不便さを解消するため基軸となる商品を通貨として扱うようになった」と論じたのは名高い経済学者であるアダム・スミスであり、『国富論exit_nicoichiba』という有名な書でそう述べている。

その思想が現代まで延々と受け継がれている。グレゴリー・マンキューexitという人は著名な経済学者で、マクロ経済の教科書を書いたら大ヒットしたことで知られる。マンキューの教科書は世界中の経済学部で使用されているというが、そのマンキュー教科書で商品貨幣論が採用されている。
  

通貨の定義
商品貨幣論に従うと、通貨とは物々交換の不便さを解消するため、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品が変化して出来上がったものとされる。

そこで、「通貨とは、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品」と定義することができる。

古代の日本では米や絹や布が通貨として扱われていた。それらは、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品だったので、通貨としての地位を得たのである・・・商品貨幣論の見地からは、このように説明される。

かつては世界中で、金貨や銀貨や銅貨が貨幣として扱われていた。それらは貴金属からできていて、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品だったので、貨幣としての地位を得たのである・・・商品貨幣論の見地からは、このように説明される。

19世紀頃から、金塊との引き換えを中央銀行が保証する兌換銀行券(兌換紙幣)が発行された。それらは市場に参加する人々が一様に欲しがる商品と交換できるから、通貨としての地位を得たのである・・・商品貨幣論の見地からは、このように説明される。

「通貨とは、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品か、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品と確実に交換できる引換券」と定義すると、兌換銀行券を含んだ定義となる。
 

商品貨幣論のほころび
不換銀行券に対して苦戦する
商品貨幣論の最も疑わしい点は、不換銀行券(不換紙幣)を上手に説明できないところである。1971年8月15日のニクソンショックで金とドルの交換が停止されてからは世界中から兌換銀行券が姿を消して不換銀行券ばかりになった[1]。どこの国の不換銀行券も製造原価が17円程度の紙切れで[2]、金塊との交換など一切不可能である。そんなものに1万円とか100ドルといった価値が宿っている。

不換銀行券は、素材自体に価値がなくて「市場に参加する人々が一様に欲しがる商品」と言うことができないし、「市場に参加する人々が一様に欲しがる商品と確実に交換できる引換券」と言うこともできない。

商品貨幣論の信奉者たちは、困ったので、魔法とか共同幻想とか信認といった言葉を駆使して不換銀行券を説明するようになった。

「不換銀行券は、ただの紙切れに魔法がかかっている状態であり、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品と同等の価値ある存在だと、皆が共同幻想を抱いている。だから、流通している」

「不換銀行券は、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品と同等の価値ある存在だと、市場関係者に信認されている。だから、流通している」

などという説明が行われる。

池上彰は商品貨幣論の信奉者で、この本の表紙exit_nicoichibaで「物々交換からお金が生まれた」と語っている人なのだが、この記事exitにおいて共同幻想という言葉を使って不換銀行券を説明している。
  

原始社会の共同体内における物々交換が否定される
さらに、人類学者たちが「いろんな原始的共同体を調査したが、共同体の中で物々交換(barter)が行われている例を発見できなかった」と発表したことも、商品貨幣論に対して大きな打撃となった。そのうちの1人がキャロライン・ハンフリーexitという英国の学者であり、彼女は1985年の論文でそう論じている。フランスのマルセル・モースexit、アメリカのジョージ・ドルトンexit、同じくアメリカのデヴィッド・グレーバーexitもそう述べている。

「原始社会は物々交換が行われていた」というのが商品貨幣論の大前提なのだが、それを人類学者たちが否定したことで、商品貨幣論が大きく揺らぐことになった。


※この項の資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16〜17ページexit_nicoichiba、デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』34〜64ページexit_nicoichiba、英語記事1exit、英語記事2exit、キャロライン・ハンフリーの1985年論文exit
 

他の理論の躍進を許す
このため、他の理論の躍進を許すことになった。

信用貨幣論は「通貨とは、負債を表すデータである」と論じる。

国定信用貨幣論は「通貨とは、政府の徴税債権の対象物である」と論じる。

信用貨幣論は2021年の全世界において通貨の大半を占めている預金通貨を説明するのに優れているし、国定信用貨幣論は2021年の世界各国で現金通貨に採用されている不換銀行券を説明するのに優れている。
 

商品貨幣論の特徴
商品貨幣論はそれなりに説得力のある説なので、人類の歴史に大きい影響を与え続けてきた。この項で、その特徴を示していきたい。
 

特定の商品を賞賛する心が通貨を生み出す、と説明する
商品貨幣論は「通貨とは、市場に参加する人々が一様に欲しがる商品」と定義する考え方である。

市場に参加する商人たちが英知を尽くして判断し、市場に出回っている数々の商品のなかから最も優れた商品を選び出す。相対的に最も優秀で、相対的に最も価値が高く、相対的に最も立派である商品が、商人たちの手によって選び出され、物々交換の基軸となり、通貨になる。

つまり、市場に参加する商人たちが一様に「とても優秀で、すごく価値が高くて、実に立派だ」と賞賛する商品が通貨になる、と説明している。もう少し言い換えると、市場に参加する商人たちの賞賛心(賞賛する心)が通貨を生み出す、ということになるだろう。

国定信用貨幣論では「徴税権力に対する恐怖心が通貨を生み出す」と説明される。恐怖心というネガティブな感情が通貨を生む、というのである。

その一方で、商品貨幣論は「特定の商品に対する賞賛心が通貨を生み出す」ということになる。賞賛心というポジティブな感情が通貨を生む、という思想である。

このように、「通貨を生み出す心理の根源は何であるか」という問いかけに対して、国定信用貨幣論と商品貨幣論は全く逆の答えを用意している。両者は鮮やかな対比を為(な)している。
 

中央銀行や政府の通貨発行権を軽視する
商品貨幣論を信じている人の一部は、この傾向を持っている。商品貨幣論は「通貨とは、市場に集まる民間商人たちが一様に欲しがる商品である」という説であるが、当然のことながら、そうした商品を軽々しく創造することはできない。

金塊を無から創造することはできない。金塊を手にするには、地球上のさまざまな鉱脈を調査し、地面を掘って鉱石を集め、鉱石を製錬するという大変な手間暇がかかる。

このため、商品貨幣論の信奉者の一部は、中央銀行や政府による通貨発行権をあまりよく理解できない。「通貨というのは金塊のようなものだ。そして金塊を無から創造するなんて不可能だ。ゆえに新たに通貨を発行するのは軽々しくできるものではない」と考える傾向にある。

商品貨幣論の信奉者の一部の目には、通貨発行権というものが、極めて不正でまことにいかがわしく非常に怪しげなものだと映る。このため、通貨発行権を利用した経済政策に対して「打ち出の小槌」「錬金術」「金の成る木」という蔑称を与える傾向がある。

ひどい場合は「劇薬」「カンフル剤」「麻薬」「覚醒剤」「依存症をもたらす」という蔑称が通貨発行権を利用した経済政策に与えられることがある。ちょっと言いすぎではないだろうか。

商品貨幣論の信奉者の一部が「通貨発行権に頼らない自分は、正しく、まっとうで、清らかで、高潔である」と誇らしげに語る姿は、たまに見られる。
 

均衡財政論を支持する
商品貨幣論の信奉者の一部は、中央銀行や政府による通貨発行権をあまりよく理解できない。政府が通貨発行権を利用して財政を組むことに対して強く拒絶する傾向にあり、均衡財政論を支持する傾向にある。

均衡財政論とは、「政府は税収の範囲内に支出を抑制すべきだ」というものであり、代表的な論者はジェームズ・マギル・ブキャナン・ジュニアである。

ちなみに、均衡財政論の反対は、アバ・ラーナーが提唱した機能的財政論である。
 

不換銀行券を兌換銀行券だと信じ込む努力をする
商品貨幣論を信じている人の一部は、この傾向を持っている。2021年現在の世界各国で流通しているのは不換銀行券であるが、その事実に目をつぶり、あたかも兌換銀行券が流通しているかのように信じ込もうと努力する。

中央銀行が発行する不換銀行券は、中央銀行の負債として発行されている。ただし、中央銀行は「不換銀行券を渡された際に資産を提供する義務」を無期限に延期している。ゆえに中央銀行にとって不換銀行券は「負債性が極度に薄まった負債」であり、中央銀行の経営を全く圧迫しないものである。

中央銀行が発行する中央銀行預金は、中央銀行の負債として発行されている。ただし、中央銀行は中央銀行預金と交換に提供するものを不換銀行券だけに限定しており、中央銀行預金と引き換えに何らかの資産を提供する義務を抱えていない。ゆえに中央銀行にとって中央銀行預金は「負債性が極度に薄まった負債」であり、中央銀行の経営を全く圧迫しないものである。

商品貨幣論の信奉者の一部は、こうした事実に目を背け、「中央銀行は、銀行券や中央銀行預金といった通貨を発行しすぎると経営の負担になる」だとか、「中央銀行の貸借対照表(バランスシート)において、銀行券や中央銀行預金といった負債が膨らんで負債の部が資産の部よりも大きい額となる債務超過になったら、中央銀行が破綻する」と論じる傾向にある。

つまり、商品貨幣論の信奉者の一部は、中央銀行が発行する銀行券を兌換銀行券だと信じ込んでいるのである。または、中央銀行が発行する中央銀行預金を「兌換銀行券と交換できる中央銀行預金」と信じ込んでいるのである。

中央銀行が兌換銀行券や「兌換銀行券と交換できる中央銀行預金」を負債として発行しているのならば、負債の部が巨額になって資産の部を上回る債務超過になったら経営破綻する。ところが、2021年現在において中央銀行が負債として発行しているのは不換銀行券や「不換銀行券と交換できる中央銀行預金」なので、負債の部の額がどれだけ巨額になろうが中央銀行は一切の引き換えに応じる義務がなく、経営破綻することがあり得ない。

商品貨幣論の信奉者の一部は「2021年現在、世界各国で流通しているのは確かに不換銀行券だ。しかし、みんなが不換銀行券のことを兌換銀行券であると共同幻想を抱くことで、不換銀行券がみんなに通貨として信認され、通貨として流通しているのだ。不換銀行券を兌換銀行券と信じ込むのは通貨を使用する人々にとっての義務のようなものだ」といった主張を心の中で構築することになる。

商品貨幣論の信奉者の一部は、「通貨を流通させて経済を安定させよう」という良心に従い、不換銀行券を兌換銀行券のように扱っている、というわけである。

不換銀行券が流通している世界の中で兌換銀行券が流通していると信じ込む心理は「兌換銀行券幻想」と呼ぶことができる。
 

金本位制の理論的裏付けになり、自由貿易とグローバリズムを支える
商品貨幣論の結晶の1つは金本位制である。

金本位制とは「紙幣は金塊と交換可能な兌換銀行券(兌換紙幣)のみとする」という制度である。金塊の量によって紙幣発行の量が制限されるので、通貨発行権が大きく制限されることになる。

19世紀には多くの国が金本位制を採用した。そのため金塊が事実上の世界通貨となり、各国紙幣同士の交換が非常に簡単になり、その結果として自由貿易が盛んになり、グローバリズムが地球を覆うことになった。

アメリカの商人が木材を他所の国から買いたいと思ったとする。ドイツの木材には「○○マルク」という値が付いていて、日本の木材には「○○円」という値が付いている。そう言われるとすぐに価値が分からないのだが、すべての国が金本位制に加入していると、すぐに計算できる。「ドイツの木材は金塊〜g分の値が付いていて、日本の木材には金塊〜g分の値が付いているのか」とすぐ計算できる。


「自由貿易は繁栄と豊かさをもたらす」という立場の人にとっては、商品貨幣論や金本位制は歓迎すべき理論と言えよう。


ちなみに「自由貿易は繁栄をもたらすわけではなく、デフレ不況をもたらす」という論者もいるので、紹介しておきたい。中野剛志が「1860〜92年のヨーロッパは自由貿易体制にあり、特に1866〜77年は貿易自由化のピークだった。しかしこの時代のヨーロッパは大不況の真っ最中だった。それと同じ時期のアメリカ合衆国は関税をしっかり掛ける保護貿易を採用していたが、その時期に経済発展を遂げた」「大陸ヨーロッパ諸国は1892〜94年に景気回復したが、これは各国が保護主義化した時期と同じである。しかもこの時期の方が貿易を拡大させている。同じ時期のイギリスは相変わらず自由貿易体制だったが、不況に苦しんでいた」「戦後の日本が参加したGATTexitは、現在のWTOexitよりもずっと各国の保護主義を認める内容である。戦後の日本は『緩やかな保護主義』の中で経済成長したのであり、自由貿易で経済発展したのではない」「戦後の日本の輸出依存度(GDPに占める輸出の割合)は一貫して20%を下回っており、10%を下回った時期もある。日本は貿易立国ではなく、内需大国である」と語っている。

※この項の資料・・・中野剛志『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】exit_nicoichiba』の306〜317ページ。同氏は、Paul Bairochexitの『Economics and World History:Myths and Paradoxesexit』、Kevin H.O'Rourkeexitの『Tariffs and Growth in the Late 19th Centuryexit』、David S.Jacksexitの『New Results on the Tariff-Growth Paradoxexit』を参照している。
 

市場を権力者よりも上位の存在と位置づける
商品貨幣論というのは、もともと通貨というのは様々な商品のなかから市場に参加する民間商人が選び出したものである、という考えである。ゆえに、商品貨幣論の信奉者は、市場というものを神聖視し、市場の意向をひたすら気にする傾向がある。

商品貨幣論を信奉すると、政府や中央銀行といった権力者よりも市場の方がずっと偉いのだ、という感覚を持つことになる。経済政策を決める際には常に市場や格付け会社にどう評価されるか意識すべきだと論じ、「そんな政策では、市場から高い評価をいただけない」とひたすら弱腰になる。市場に対して弱気になる傾向がある。

商品貨幣論の信奉者が、理論でもって通貨発行権のことを否定するときは、次のような口上を述べることが多い。 

通貨は、市場に信認される必要がある。政府の影響を強く受ける中央銀行に通貨発行権があると法律上定められているが、市場の信認を得られない量の通貨を発行すると通貨価値が暴落することになる。ゆえに、通貨発行権というのは、市場の信認を得られる範囲内に強く制限されている。


商品貨幣論の信奉者は、とにかく、市場の信認という言い回しが大好きである。市場こそが国家の主権者である、というような調子で、市場を尊重することになる。

1990年代の日本国政府は、近隣諸国の動向をひたすら気にしていて、近隣諸国の評価を得るための外交をしていた。そうした外交は土下座外交exitと呼ばれた。

2020年現在の日本国政府は、市場や格付け会社の動向をひたすら気にしていて、市場や格付け会社の評価を得るための財政政策をとるべきだと安倍晋三首相や麻生太郎副首相が国会で答弁している。こうした財政政策を土下座財政と呼ぶことができるだろう。

商品貨幣論を信じると、次第に土下座財政へ傾いていくことになる。

そもそもの話をいうと、「政策を発表した後の市場の反応」だとか「政策を発表した後の市場からの評価」というのは単なる「インフォーマルな政治参加」に過ぎず、政府にとって従う義務はない。このことについて詳しくは参政権の記事を参照のこと。
 

商品貨幣論の問題点
警告
この項目は国定信用貨幣論の支持者によって書かれています


商品貨幣論と対をなすのは国定信用貨幣論である。この2つは水と油で、非常に仲が悪い。

国定信用貨幣論の支持者が、「商品貨幣論の問題点」を論じたてる風景は多く見られる。
 

「クラウディングアウトが発生するので国債発行は有害である」と主張する
先ほども述べたように、商品貨幣論の信奉者の一部は、不換銀行券を見て「あれは兌換銀行券のようなものだ」と信じ込む傾向がある。

「金塊の埋蔵量は有限であり一定である、それゆえ金塊を裏付けとする兌換銀行券の発行可能量も有限であり一定である、ならば不換銀行券の発行可能量も有限であり一定なんじゃないか」というのが商品貨幣論支持者にありがちな推論と言える。

不換銀行券の発行可能量は無限なのだが、そういう現実を無視して「不換銀行券の発行可能量は兌換銀行券のように有限なのではないか」と信じ込む心理は、兌換銀行券幻想と呼ぶことができる。

「市場に回る不換銀行券の総量が有限かつ一定、つまり固定された枠(プール)を一定量の不換銀行券が右に左に移動する」という推論を、ステファニー・ケルトンexitは「お金のプール論(the Finite Pool of money)」と名付けた。

「政府は、国債を発行することで、長期金融市場の国債市場に参加する企業・銀行の持つ資金を吸い上げている。国債を発行しまくると市中銀行の持つ日銀当座預金が少なくなり、短期金融市場の銀行間取引市場のコール市場における日銀当座預金の貸出金利が上昇し、短期金利が上昇する。市中銀行はコール市場の金利よりもさらに高い金利で企業に向けて融資することになり、借り入れをとりやめる企業が続出してしまう。こうして民間の経済活動が阻害される。ゆえに国債を発行することは経済にとって有害である」といった考え方をクラウディングアウトという。

実際の日本では、中央銀行が不換銀行券や「不換銀行券と交換できる中央銀行預金」を通貨として発行しているので、中央銀行がいくらでも通貨発行することができ、クラウディングアウトが起こらない。市中銀行の持つ日銀当座預金が少なくなってコール市場の金利が急上昇したら、中央銀行が日銀当座預金(不換銀行券と交換できる中央銀行預金)を好きなように発行して資金供給オペレーションをする。
 

「国債を売り浴びせられたら日本政府が困ってしまう」と主張する
上記の「クラウディングアウトが発生するので国債発行は有害である」という主張とほぼ同じものに、「国債を売り浴びせられたら日本政府が困ってしまう」という主張がある[3]。

「長期金融市場の国債市場に参加する商人たちの怒りを買ったら、国債を片っ端から売り浴びせられてしまい、国債の価格が下落し、国債の利回りが上昇し、長期金利が上昇してしまい、世の中の住宅ローンや自動車ローンの金利が上昇し、民間の経済活動を阻害し、民間の経済活動が低調となって日本政府が困ってしまう」というものである。

実際の日本では、中央銀行が不換銀行券や「不換銀行券と交換できる中央銀行預金」を通貨として発行しているので、国債を売り浴びせられても中央銀行が無限に通貨発行して国債をすべて買い取ることができ、国債の価格を好きなように維持することができ、日本政府が困ることがない。
 

「日本は国債のせいで財政破綻する」と主張する
商品貨幣論は通貨発行権をあまり重視しない理論である。「中央銀行や政府には通貨発行権なんてないんじゃないか、通貨を増殖させることは不可能なんじゃないか」と考えがちである。

このため、商品貨幣論の考え方に染まって通貨発行権のことを忘れると、「日本は国債のせいで財政破綻する」という考えに至りやすい。そして、国債恐怖症を発症する。

実際は、日本国債は100%自国不換銀行券建てなので、日本銀行が通貨発行権を駆使すれば簡単に財政破綻を逃れることができる。

「日本は財政破綻する」と主張する人々の言動を観察すると、次のことに気付くことができる。彼らは、日本国債によって日本政府に課せられている支払い義務が「兌換銀行券の円を支払う義務」だと信じ込んでいるように見受けられる。「兌換銀行券の円」なら日本銀行が簡単に通貨発行権を行使できず、日本政府も財政破綻する可能性が出てくる。

現実世界において、日本国債によって日本政府に課せられている支払い義務は「不換銀行券の円を支払う義務」である。「不換銀行券の円」なら日本銀行がごく簡単に、しかも無限に通貨発行権を行使できるので、日本政府が財政破綻する可能性は完全にゼロとなる。

不換銀行券のことを兌換銀行券と信じ込もうとする、不換銀行券が流通する世界においても脳内に「兌換銀行券が流通する世界」を構築してその中で生き続けようとする、というのは商品貨幣論の信奉者らしい傾向である。
  

「国債を減らさねばならない」と主張する
「日本は国債のせいで財政破綻する」と考える人が訴えることは、「国債を減らさねばならない」というものである。「プライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字にして、国債発行額を減少に転じさせねばならない」と主張する。

「国債を減らさねばならない」と訴える人たちは2種類に分けることができる。1つは「消費税を増税して、不景気になっても好景気になっても一定の税収を確保するようにして、国債を減らす」という人たちで、消費税派と呼ぶことができる。もう1つは「消費税を上げず景気を刺激して好景気をもたらし、所得税や法人税の税収を増加させて、国債を減らす」という人たちで、上げ潮派exitと呼ばれる人たちである。

「不景気でも税収を増やす」というのが消費税派で、「好景気になってから税収を増やす」というのが上げ潮派なので、両者は真逆のように見える。しかしながら、「国債を減らす」という最終目的を胸に秘めている点で、消費税派と上げ潮派は全く同じ存在である。

実際の日本国債は自国不換銀行券建て国債なので、「日銀の金融調整の道具」「経済の規模を示す指標」といった程度の存在であり、減らす必要性がない。

また、プライマリーバランスを黒字化させて国債を減らすと不況になるという不吉な法則がある。そのことについては、プライマリーバランスの記事を参照のこと。
 

インフレ恐怖症の原因となる
「政府が中央銀行に対して影響力を与えて、中央銀行に通貨発行権を行使させて資金供給オペレーションをさせて、国債市場に参加する企業・銀行の余剰資金を増やさせて、そのあとに国債を発行して売却して資金を得て予算を組み、豊富な資金で財政支出して官公需を増やし、世の中の需要を増やして、緩やかなインフレをもたらしましょう」というインフレ誘導の政策が提示されることがある。

そういう、インフレ誘導の政策を示されると「そんなことをしたら、通貨の信認が失われ、ハイパーインフレになる」と反論してくる人たちがいる。こういった、インフレを極度に嫌う反応をインフレ恐怖症という。

人はなぜインフレ恐怖症を発症するに至るのか、その原因は長らく謎とされていた。

近年では、商品貨幣論の考えがインフレ恐怖症の遠因となっているのではないかという論考が挙がるようになった。「2021年現在の世界各国で流通している通貨は不換銀行券で、人々の通貨に対する信認だけで成立している。政府がインフレを誘導して通貨価値を故意に下げると、人々の通貨に対する信認を損ねることになり、人々が一斉に通貨に対する共同幻想から目を覚ましてしまい、人々が通貨のことをただの紙切れと認識するようになり、ハイパーインフレが起こる」という商品貨幣論らしい考え方がインフレ恐怖症を支えているのではないかという説である。

「不換銀行券は人々の共同幻想で通貨の地位を得ている」という商品貨幣論特有の考え方から、「不換銀行券を通貨として流通させるには、人々の共同幻想を維持せねばならない」というと戒めの心と「人々の共同幻想をうっかり壊したら全てが終わり経済が崩壊する」という恐怖の心が発生する、というわけである。
 

「中央銀行は政府から独立しているべき」と訴える
「政府が中央銀行に対して影響力を与えて、中央銀行に通貨発行権を行使させて資金供給オペレーションをさせて、国債市場に参加する企業・銀行の余剰資金を増やさせて、そのあとに国債を発行して〜」と言うと、即座に「中央銀行は政府から完全に独立しているべきだ」と言い放ち、「政府が中央銀行に影響力を与えても良いという考えは、まさしく暴論で、とても過激だ」と激しく非難してくる人たちがいる。

そういう人たちをあえて命名すると「中央銀行の独立性をとても重視する人たち」となる。彼らは中央銀行が政府に対して従属することを非常に恐れているので、「中央銀行が政府に従属することに対する恐怖症を煩っている人たち」とでも言うべきだろうか。

実際の日本には、日銀法第4条exitという法律が制定されていて、「日銀は政府の経済政策の基本方針に整合的な金融政策を実行する組織である」と規定されており、政府の影響をかなり強く受ける組織である。そういう法律があるにも関わらず、「中央銀行の独立性をとても重視する人たち」は、とても熱心に中央銀行の独立を主張する。

「中央銀行の独立性をとても重視する人たち」の原動力も、やはり商品貨幣論である。「不換銀行券は人々の共同幻想で通貨の地位を得ている」という商品貨幣論特有の考え方から、「人々の共同幻想を何が何でも維持せねばならない」と張り切っている。

「政府の意向があっても中央銀行が通貨を簡単に発行することができないという姿を見せておくと、通貨が金塊か何かのように見えるので、人々の共同幻想を維持できる」とか「政府の意向で中央銀行が通貨を簡単に発行する姿を見せてしまうと、通貨が紙切れか何かのように見えてしまい、人々の共同幻想が崩れる」といったように考えるようになる。

小学校低学年程度の子どもを持つ家庭は世の中に多く存在するが、その中には「サンタさんが実在する」という子どもの幻想を維持しようと懸命に努力を重ねる家庭がある。子どもの幻想を維持するため子どもに対して細心の注意を払っており、とても微笑ましい。

商品貨幣論の信奉者も、それと同じぐらい懸命に努力を重ねている。人々の共同幻想を維持するため人々に対して「政府は中央銀行に対して一切影響力を与えていない」と装うなど細心の注意を払っている。麻生太郎副総理兼財務大臣が国会で「これだけ大量に国債が発行されて、普通だったら、おっしゃるように信用がなくなったら金利が上がらなきゃおかしいですね。どうして下がるんですかね」とすっとぼける答弁をしているが[4]、これは典型的な例である。

小学校低学年程度の子どもの「サンタさんが実在する」という幻想を維持しようと努力する両親は、もちろん、サンタさんの存在を本気で信じているわけではない。サンタさんなどこの世にいないことを冷静に受け止めていることが多い。

民衆の「政府は中央銀行に対して一切影響力を与えていない」という幻想を維持しようと努力する人たちも、中央銀行の独立の重要性を本気で信じているわけではない。日銀法第4条によって日銀が政府の経済政策の基本方針に整合的な金融政策を行う組織になっていることを冷静に受け止めていることが多い。「中央銀行の独立性が大事だ」と力強く主張するのに「日銀法第4条を削除・改正して日銀の独立性を高めよう」と主張しない人が多く見られる。
 

商品貨幣論と又貸し説
銀行の融資方法
A銀行がBに融資するとき、A銀行は、Bと連名で証書を作ってBに対する金銭債権を確実に得てから、負債として銀行預金を発行してBに銀行預金を与える、という形式を採用している。これを信用創造(預金創造)という。

BがA銀行に対して「与えられた銀行預金を現金にしたい」と申し出た場合、A銀行は短期金融市場の銀行間取引市場のコール市場へ参加して日銀当座預金を他の銀行であるC銀行から借用し、借りてきた日銀当座預金を現金に換えて、その現金をBに渡している。A銀行にとって、Bに対する金銭債権の金利とC銀行に対する金銭債務の金利の差額が収入源となる。

BがA銀行に対して「与えられた銀行預金をD銀行の口座に振り込みたい」と申し出た場合、A銀行は短期金融市場の銀行間取引市場のコール市場へ参加して日銀当座預金を他の銀行であるC銀行から借用し、借りてきた日銀当座預金をD銀行に送金している。A銀行にとって、Bに対する金銭債権の金利とC銀行に対する金銭債務の金利の差額が収入源となる。

BがA銀行に対して「与えられた銀行預金をEに振り込みたい。EはA銀行に口座を持っている」と申し出た場合、A銀行はBの銀行預金を減らしてEの銀行預金を増やしている。A銀行にとって、Bに対する金銭債権の金利とEに対する金銭債務の金利の差額が収入源となる。

以上が、2021年現在における世界各国の市中銀行が行う融資の方法である。
 

グレゴリー・マンキューの又貸し説
ところが、この現実どおりに教育をしない人物がいる。グレゴリー・マンキューexitという経済学者で、彼の書いた教科書は世界中で採用されているのだが、その教科書の中の至る所に「銀行は、預金者から集めた現金を貸し出している」という記述が記載されている。この説明を又貸し説という。

グレゴリー・マンキューは聡明な人物である。様々な計算式を駆使して、時には微分積分を操り、難しい経済現象を平明に解き明かしている。そんな賢い彼が、なぜか現実を受け入れない。
 

なぜ又貸し説を採用するのかの考察
グレゴリー・マンキューや、マンキュー教科書を採用する経済学者たちが、又貸し説を好むことの理由は謎に包まれている。経済学の七不思議の一つと言いたくなるほどである。

その理由をあえて挙げるならば、商品貨幣論とセットで紹介される「物々交換こそが経済の原型である」という思想を信じているから、となる。

「物々交換こそが経済の原型である」という思想に染まりすぎると、債権・債務の関係性を分析して経済の事象を説明しようとする気運がやや薄れてしまう。その結果として、債権・債務のことをあまり深く考えない又貸し説を好むようになる。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想
警告
この項目は、商品貨幣論の分析から少し離れています

 
商品貨幣論と「物々交換こそが経済の原型である」という思想は非常に親和性が高い。

商品貨幣論が「物々交換こそが経済の原型である」という思想を作り出しているのか、あるいは逆に「物々交換こそが経済の原型である」という思想が商品貨幣論を作り出しているのか。これはどちらも否定しがたく、どちらの考えも有力である。

本項目では、商品貨幣論に関する理解を深めるため、「物々交換こそが経済の原型である」という思想について分析する。
 

貸借対照表(バランスシート)で「物々交換で成立している原始共同体」を考える
「物々交換で成立している原始共同体」のことを貸借対照表で考えてみよう。「物々交換こそが経済の原型である」という思想を持つ人は、「物々交換で成立している原始共同体」というものが世界に実在すると主張している。

原始共同体の中で、弓を作るのが上手いAさんが弓を2つ持ち、サンダルを作るのが上手いBさんがサンダルを2足(2セット)持っていて、AさんとBさんが弓1つとサンダル1足を物々交換するとする。

弓を作るのが上手いAさんの貸借対照表は、物々交換を境として次のように変化する。

物々交換前のAさん 物々交換後のAさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
弓2つ 弓1つ
サンダル1足
 
サンダルを作るのが上手いBさんの貸借対照表は、物々交換を境として次のように変化する。

物々交換前のBさん 物々交換後のBさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル2足 サンダル1足
弓1つ
 
このように、Aさんの貸借対照表もBさんの貸借対照表も、資産の部だけが変化していて、負債の部はずっと空白のままで変化しない。

物々交換は負債が発生しない取り引き、ということがわかる。「物々交換で成立する世界」というものは「負債を抱える人が存在しない世界」ということになる。
 

貸借対照表(バランスシート)で「借りパクで成立している原始共同体」を考える
一方で、「借りパクで成立している原始共同体」を貸借対照表で考えてみよう。「借りパクで成立している原始共同体」というものは古今東西の各地で見られるものである。詳しくは信用貨幣論の記事を参照されたい。

原始共同体の中で、弓を作るのが上手いAさんが弓を2つ持ち、サンダルを作るのが上手いBさんがサンダルを2足(2セット)持っていて、AさんがBさんのサンダル1足を借りパクするとする。

弓を作るのが上手いAさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。

借りパクする前のAさん 借りパクした後のAさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
弓2つ 要求があったら弓2つを差し出す債務 弓2つ 要求があったら弓2つを差し出す債務
サンダル2足を要求できる債権 サンダル1足 要求があったらサンダル1足を差し出す債務
サンダル1足を要求できる債権
 
サンダルを作るのが上手いBさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。

借りパクされる前のBさん 借りパクされた後のBさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル2足 要求があったらサンダル2足を差し出す債務 サンダル1足 要求があったらサンダル1足を差し出す債務
弓2つを要求できる債権 弓2つを要求できる債権
サンダル1足を要求できる債権
 
このように、AさんもBさんも、資産の部と負債の部の両方が変化している。「借りパクで成立している原始共同体」は、全ての構成員が債権・債務と隣り合わせになって生きており、全ての構成員が頻繁に債権を主張したり債務を背負ったりする世界である。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から、「先天的に課せられる負債は否定されるべきである」という思想が導かれ、リバタリアニズムが導かれる
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「各人の所有する生産物が増えたり減ったりするだけの世界が、経済の原型である」と考えるものである。そうした世界では、人々が債権・債務と隣り合わせになっていない。

「物々交換こそが経済の原型である」という思想が強くなると、「負債を全く背負っていない状態が人間の本来の姿だ」という思想が生まれる。

「負債を全く背負っていない状態が人間の本来の姿だ」という思想を持っていると、「誰かによって負債を先天的に課せられているのは、とても異常なことで、とても悪いことだ」と考えるようになる。そして、税金や「政府・国家に対して貢献する義務」を強烈に批判する精神を生み出す。

税金や「政府・国家に対して貢献する義務」を強烈に批判する人たちのことをリバタリアン(リバタリアニズム信奉者)という。

以上をまとめると、「物々交換こそが経済の原型である」という思想は「先天的に課せられる負債」を否定できる思想であり、リバタリアニズムと非常に相性が良い、となる。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から、「すべての人が『通貨を保有していて金銭負債を抱えていない人』である」という錯覚が生まれ、インフレ恐怖症が発生する
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「各人の所有する物が増えたり減ったりするだけの世界が経済の原型である」と考えるものであり、「負債を全く抱えずに通貨などの資産を持っているだけの状態が人類にとって本来の姿だ」という思想をもたらす。

ここまでは前項と同じである。

「負債を全く抱えずに通貨などの資産を持っているだけの状態が人類にとって本来の姿だ」という思想は、「すべての人が『通貨を保有していて金銭負債を抱えていない人』である」という錯覚を生み出す。

企業は銀行から通貨を借りて機械を買って生産し、家計は銀行から通貨を借りて車を買って通勤するものであり、世の中には金銭負債を抱えている人が多いというのが現実だが、その現実に反して、「世の中には『通貨を保有していて金銭負債を抱えていない人』だけが存在している」という錯覚を持ちやすくなる。

そして、その錯覚がインフレ恐怖症の一因になる。

インフレというのは通貨の価値が下がる現象であり、「通貨を保有していて金銭負債を抱えていない人」の財務状況が悪くなり、「通貨を保有しつつ金銭負債を抱えていて、保有通貨の額が金銭負債の額よりも多い人」の財務状況がやはり悪くなり、「通貨を保有しつつ金銭負債を抱えていて、保有通貨の額と金銭負債の額が等しい人」の財務状況が全く変化せず、「通貨を保有しつつ金銭負債を抱えていて、保有通貨の額よりも金銭負債の額が多い人」の財務状況が良くなる(詳しくはインフレーションの記事を参照のこと)。

ところが、「世の中には『通貨を保有していて金銭負債を抱えていない人』だけが存在している」という錯覚を持っていると、「インフレによってその通貨圏の中で暮らす全員の財務が悪化する。インフレは通貨圏に属する全員にとっての重大な損失である」という錯覚を引き起こし、インフレ恐怖症へ突き進んでいくことになる。

「インフレになると、一部の人が損をして、一部の人が損得無しで、一部の人が得をする。全員が損をするわけではない」と言って聞かせても、かたくなに「インフレは通貨圏に属する全員にとっての重大な損失である」と言い張るようになる。
  

負債恐怖症の人たちが「物々交換こそが経済の原型である」という思想を支持する
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「各人の所有する物が増えたり減ったりするだけの世界が経済の原型である」と考えるものであり、「負債を全く抱えずに通貨などの資産を持っているだけの状態が人類にとって本来の姿だ」という思想をもたらす。

ここまでは前々項と同じである。

世の中には負債を恐れる人たちがいる。「負債は身を滅ぼす」「ひとたび借金すると借金取りのヤクザが家にやってきて平和を破壊され、暴行・脅迫を伴った苛烈な取り立てに悩まされ、人身売買されて外国に売り飛ばされ、日本の地を二度と踏めなくなる」といった具合に、負債や借金を極度に恐れる人たちである。そういう人たちは負債恐怖症をわずらった人たちと言うことができる。

実際は、いくらヤクザであっても、暴行・脅迫を伴う借金取り立てをするのはなかなか難しい[5]。

現実はどうであれ、負債・借金を恐れる負債恐怖症の人は数多く存在する。そうした人たちにとって、「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、危険きわまりない負債というものを根本から否定してくれる思想であり、とてもありがたいものである。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から「物権こそが経済を考える上での出発点なのだ」という思想が生まれる
「物々交換こそが経済の原型である」という思想を持つ人は「物々交換で成立している原始共同体」というものの存在を強く支持する。

この「物々交換で成立している原始共同体」とは、構成員が個人として独立していて、構成員同士が相互の物権を尊重する社会である。

物権というのは財産権の1つである。財産権というものは物権と知的財産権と債権の3つに大別することができ、物権の代表は所有権である。

ちなみに、所有権を尊重する考えというものは近代以降のものである。17世紀の英国の思想家ジョン・ロックが所有権を尊重することを述べ、1789年フランス人権宣言の第17条で「所有権は神聖不可侵」としており、1804年ナポレオン民法典の第544条で所有権の絶対性を確立した[6]。このナポレオン民法典は民法の手本として世界各国に伝播していった。

「物々交換こそが経済の原型である」という思想を持つ人は、「人類は物権とともに生まれた」といった感覚を持っている。そのため「物権こそが経済を考える上での出発点なのだ」という信条を持ちやすい。


一方、21世紀の人類学者たちは「借りパクで成立している原始共同体」の存在を強く主張している。構成員が個人として独立しておらず、構成員が相互の物権を尊重しない社会が原始共同体の姿だったのだ、と語っている。それぞれの構成員は多くの債権を持ちつつ多くの債務を負っていて、構成員同士が債権・債務の関係で密接に結びついているのが原始共同体だったと論じている。

21世紀の人類学者たちのいうことをそのまま受容すると、「借りパクこそが経済の原型である」という思想を持つことになり、「人類は債権とともに生まれた」といった感覚を持つことになり、「債権こそが経済を考える上での出発点なのだ」という信条を持ちやすい。そして信用貨幣論や国定信用貨幣論のような「通貨というものは債権・債務の関係から生まれるのだ」という論理を支持するようになっていく。


「物々交換こそが経済の原型である」という思想は物権重視主義であり、「借りパクこそが経済の原型である」という思想は債権重視主義であって、両者は水と油のように正反対であることが分かる。

物権と債権は、同じ財産権であるが様々な点で対照的な性質を持っている。そのことについては債権の記事を参照のこと。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から株主至上主義が導かれる
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「人類は物権とともに生まれた」といった感覚をもたらし、物権重視主義を導くものである。

そして、ただ単に物権を重視するだけではなく、「会社を経営する際は、会社を所有する株主の意向を尊重するのが物権の絶対性の点からみても正しいことだ」という株主至上主義の思想を生み出していく。

株主至上主義は「従業員の給与を削減して株主への配当金を増やせ」という株主の要求を生み出しやすく、世の中の賃下げの気運を作り出す思想である。新自由主義(市場原理主義)が流行る国で株主至上主義の支持者が増える傾向がある。

以上をまとめると、「物々交換こそが経済の原型である」という思想は物権・所有権を重視する思想であり、株主至上主義や新自由主義と非常に相性が良い、となる。
 

「物々交換こそが経済の原型である」の思想が、直接金融の「株式の発行による資金調達」に対する偏重を生む
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「各人の所有する物が増えたり減ったりするだけの世界が経済の原型である」と考えるものであり、「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想をもたらす。

ここまではいつもと同じである。

企業が資金を調達する方法のなかの主要な方法は、大別すると3通りがある。1つは間接金融の銀行融資で、銀行から借り入れるものである。1つは直接金融の債券売却で、社債やCP(コマーシャルペーパー 短期社債)を発行して債券市場に売却し市場関係者から資金を集めるものである。そして最後の1つは直接金融の株式売却で、株式を発行して株式市場に売却し市場関係者から資金を集めるものである。

銀行借り入れと社債発行は、企業にとって、貸借対照表(バランスシート)の資産の部の数字と負債の部の数字が同時に増える現象である。資産の部には「銀行預金●円」と書いて、負債の部には「長期借入金◆円」などと書く[7]。

一方で株式発行は、企業にとって、貸借対照表(バランスシート)の負債の部の数字が増えるわけではない。純資産の部に「●円」と書くだけである。

「物々交換こそが経済の原型である」という思想を持って「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想を抱えている人は、「企業にとって株式を発行して資金を調達することが本来の姿だ」という発想に至りやすい。

そして、「間接金融から直接金融に転換しよう」とか「貯蓄から投資へ」といった標語を掲げ[8]、株式を発行して資金を調達することを奨励するようになる。

間接金融にも長所があり、見直されるべきところがある。間接金融だと貸し手の銀行と借り手の企業の間で地域経済や周辺産業や為替レートや外国事情に関する情報の交換が濃密に行われ、企業の情報コストが安くなり、企業が情報を安価に入手できる[9]。間接金融だと、企業が銀行から資金と情報の両方を調達する状態になるので、企業の成長を促す環境が整備されやすい。

直接金融の「社債を発行して資金調達」は、社債保有者と企業の間で濃密な情報交換が行われる可能性が低い。直接金融の「株式を発行して資金調達」においても、株主と企業経営者の間で濃密な情報交換が行われる可能性があまり高くない。直接金融は、企業に情報を供給して企業を育てるという機能がやや弱い。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から、セイの法則が導かれる
「物々交換こそが経済の原型である」という思想からセイの法則(セーの法則、販路法則)という経済理論が発生する、と論じられることがある(記事exit)。

セイの法則とは、フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイが提唱したもので、「供給はそれ自体が需要を作り出す」と説明される考え方である。

ちなみに、経済学の大きな流れを大雑把に説明すると、「セイの法則はサプライサイド経済学exitを生みだし、サプライサイド経済学は新自由主義(市場原理主義)の源流の1つとなった」となる。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から、「働かざる者食うべからず」の思想が導かれ、需要・消費だけをする人への悪感情が生まれる
物々交換で成立する社会は、何かを生産してモノを所有することでようやく市場への参加が認められる社会であり、何かを生産することが需要・消費するための必須条件となる社会である。

供給・生産することで需要・消費の権利を得られる社会となり、「供給・生産する人こそが一人前だ」とか「働かざる者食うべからず」[10]とか「無料の昼食(フリーランチ)のようなものは存在しない」[11]とか「フリーライダーを許さない」[12]といった思想が広がりやすい社会となる。

このため「物々交換こそが経済の原型である」という思想を持つと、「働かざる者食うべからず」「無料の昼食のようなものは存在しない」「フリーライダーを許さない」の思想を抱くことになりやすい。

政府や地方公共団体を広い目で見ると「需要・消費だけをする人」の集合体といえるし、政府の一部門である軍隊も需要・消費だけを激しく行う団体だし、年金暮らしの老人も「需要・消費だけをする人」である。世の中には「需要・消費だけをする人」が結構多い。

「働かざる者食うべからず」「無料の昼食のようなものは存在しない」「フリーライダーを許さない」の思想を強く持っていると、「需要・消費だけをする人」に対して悪感情をもつことになる。政府・地方公共団体・軍隊・年金暮らしの老人に対して軽蔑したり憎悪したり嘲笑したりするようになり、民尊官卑の心情を持つようになり、「老人は社会保障費を食い潰しており、不道徳な穀潰し(ごくつぶし)だ。老人の年金を削れ。年金の受給開始年齢を目一杯高めて老人を職場で働かせろ。それを達成するため老人から参政権を全て没収する必要がある」などという言動を繰り返すようになる。
 

「物々交換こそが経済の原型である」という思想から「消費者の厳しい要求」や「内需に対して国内企業が供給する形態」を軽視する発想が生まれ、関税撤廃型の貿易協定を支持する考えが生まれる
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「各人の所有する物が増えたり減ったりするだけの世界が経済の原型である」と考えるものであり、「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想をもたらす。

ここまではいつもと同じである。

「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想を持っていると、「消費者に対する負債を全く抱えない状態が企業にとって本来の姿だ」という思想を持つようになり、「消費者の厳しい要求がなくても、企業は自発的に発想し、自発的に決意を固め、自発的に技術を向上させる」という発想をするようになり、「消費者の厳しい要求」というものを軽視するようになる。

消費者というのは『ここが気に入らない』『もっと良い品質の製品を作れ』と企業に品質を厳しく要求することがあるが、そういう状態は、消費者が企業に対して高品質製品を要求する債権を行使している状態であり、企業が消費者に対して高品質製品を提供する負債を抱えている状態であって、消費者と企業が債権・債務の関係で結びついている状態である。

「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想を持っていると、「消費者の厳しい要求に悩まされない状態が企業にとって本来の姿だ」といった風に考えるようになる。

そして「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想を持っていて消費者の厳しい要求を軽視すると、「内需に対して国内企業が供給する」という形態も軽視するようになっていく。「内需に対して国内企業が供給する」という形態は、消費者が国境の壁や言語の壁や文化の壁に阻まれることがない形態であり、消費者の厳しい要求が企業に突きつけられる現象が最も発生しやすい形態だからである。

このため、「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想を持っていて消費者の厳しい要求を軽視すると、「内需に対して国内企業が供給する」という形態も軽視するようになり、それよりも大量の外需を獲得することを優先するようになり、TPPやRCEPやFTAといった関税撤廃型の貿易協定を好むようになる。

ちなみに「消費者の苛烈な要求により企業が製品の品質を向上させる」という考え方を持っていると、「『内需に対して国内企業が供給する』という形態は消費者の苛烈な要求が多く発生して企業が成長しやすい形態である」という発想を持つようになり、「内需こそが国内企業を厳しく鍛え上げる。内需は国内企業にとっての教師である」という価値観を持つようになり、関税を維持して「内需に対して国内企業が供給する」という形態を維持することを肯定するようになり、TPPやRCEPやFTAといった関税撤廃型の貿易協定を否定するようになる。
  

「物々交換こそが経済の原型である」という思想のためにインフレ恐怖症が固定され、需要恐怖症・消費恐怖症といった心理状態になる
「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「各人の所有する物が増えたり減ったりするだけの世界が経済の原型である」と考えるものであり、「負債を全く抱えない状態が人類にとって本来の姿だ」という思想をもたらす。その思想を持っていると「消費者の厳しい要求により企業が製品の品質を向上させる」という考えを持たなくなり、「消費者の厳しい要求がなくても、企業は自発的に発想し、自発的に決意を固め、自発的に技術を向上させる」という考えを持つようになる。

ここまでは前項と同じである。


「消費者の厳しい要求により企業が製品の品質を向上させる」という考えを持っていると、インフレに対して好感情を持つようになる。特に、供給が一定であるのに対して国内の需要や消費が増加することで発生する内需主導型デマンド・プル・インフレーション[13]に対して好感情を持つようになる。「内需主導型デマンド・プル・インフレーションだと国内の需要・消費が豊富に存在するので、企業に対して激しい要求をする消費者の数も増え、企業が技術を向上させる流れになる」と考えるからである。「内需主導型デマンド・プル・インフレーションには通貨価値を下げるという困った点があるが、それを補うだけの長所もある」と考えるようになる。

一方で「消費者の厳しい要求がなくても、企業は自発的に発想し、自発的に決意を固め、自発的に技術を向上させる」という考えを持っていると、インフレーションに対して好感情を持つことが少なくなり、内需主導型デマンド・プル・インフレーションに対しても好感情を持つことが少なくなる。「内需主導型デマンド・プル・インフレーションだと国内の需要・消費が豊富に存在して、企業に対して激しい要求をする消費者の数も増えるが、それによって企業が技術を向上させるわけではない」と考えるからである。内需主導型デマンド・プル・インフレーションに対して好感情を持つことがなく、それどころか「内需主導型デマンド・プル・インフレーションは物資の欠乏を招き生産の邪魔になる」と考えるようになり、インフレ恐怖症がそのまま固定される。


「消費者の厳しい要求により企業が製品の品質を向上させる」という考えを持っていると、国内の需要とか消費に対して好感情を持つようになる。「国内の需要や消費の中に『企業に向けての苛烈な要求』が含まれており、そうした苛烈な要求が企業の努力を引き出し、企業の技術を高め、企業の製品の品質を向上させる」と考えるからである。

一方で「消費者の厳しい要求がなくても、企業は自発的に発想し、自発的に決意を固め、自発的に技術を向上させる」という考えを持っていると、国内の需要とか消費に対して好感情を抱くわけではない。それどころか「国内で需要や消費にうつつを抜かしている人は、要するに怠け者であり、供給・生産の手を抜いていてサボっているのであり、『働かざる者食うべからず』の格言に反しており、道徳的に堕落した存在である」と考える傾向があり、「国内の需要や消費が企業の生産を弱める」と考え、国内の需要や消費に対して嫌悪するようになる。需要恐怖症とか消費恐怖症というべき心理状態になっていく傾向がある。


「消費者の厳しい要求により企業が製品の品質を向上させる」という考えを持っていると、国内で需要とか消費だけをする人に対して好感情を抱くようになる。政府・地方公共団体・軍隊とか年金暮らしの老人に対しても「国内で需要とか消費だけをする人の中には企業に対して苛烈な要求をする人が一定の割合で存在する。そうした苛烈な要求が企業の努力を引き出し、企業の技術を高め、企業の製品の品質が向上する流れを作る」と考えるからである。

一方で「消費者の厳しい要求がなくても、企業は自発的に発想し、自発的に決意を固め、自発的に技術を向上させる」という考えを持っていると、国内で需要とか消費だけをする人に対して好感情を抱くわけではなく、それどころか嫌悪の感情を抱く傾向にある。政府・地方公共団体・軍隊とか年金暮らしの老人などに対して「あの連中は需要・消費にかまけており、『働かざる者食うべからず』の格言に反しており、怠け者であり、道徳的に堕落した存在である」と考えて軽蔑したり憎悪したり嘲笑したりする傾向がある。また、政府・地方公共団体・軍隊に対して「あの連中から人員を奪い取って生産に回せばもっと社会が豊かになる」と考える傾向がある。そして、政府・地方公共団体・軍隊・年金への予算を徹底的に削る緊縮財政を大いに支持し、さらには民尊官卑や無政府主義に近い感覚を持つようになる。
  

商品貨幣論の信奉者たち
古くはアリストテレスが『政治学exit_nicoichiba』で商品貨幣論を述べた。

17世紀になって、イギリスのジョン・ロックexitが商品貨幣論を提唱した。『統治二論exit_nicoichiba』という著作に商品貨幣論についての記述がある。さまざまな場所で「貨幣の価値は金属の価値によって決まる」「貴金属の量だけしか貨幣を発行できない」と論じた。ジョン・ロックの時代は重金主義(重商主義)exitの全盛期で、「国家の国力は、所有する金属の量によって決まる」と多くの人に論じられていたが、ジョン・ロックもそのうちの一人であった。また、ジョン・ロックは銀貨を改鋳して銀貨の質を高める政策を提唱して、大規模なデフレ不況を引き起こしている。

18世紀イギリスにはアダム・スミスexitが登場し、『国富論exit_nicoichiba』で「原始社会は物々交換があり、そこから基軸となるべき商品が貨幣となっていった」と論じた。アダム・スミスの商品貨幣論は現在の経済学者たちによって引き継がれていくことになる。

日本の商品貨幣論(金属主義)の信奉者というと、新井白石exitとされる。当時、勘定奉行の荻原重秀exitが貨幣の改鋳を行い、金貨の質を落としてインフレに導いていた。新井白石はこれに猛反発し、「金貨の質を落とすのは、国家の威信を落とす」と発言し、荻原重秀を追放して貨幣の再改鋳をして、金貨の質を高めている。貨幣の再改鋳をして2年後に徳川吉宗が将軍になり、新井白石は引退させられることになるが、徳川吉宗は新井白石の作った金銀をそのまま20年間継承した。徳川吉宗の時代は庶民がデフレ不況に苦しんだ。

江戸時代の小判のサイズや金塊含有量を表にしてまとめるとこうなる。

時期 名称 サイズ(g) おおよその金含有量(g) 発行開始時の権力者 備考
1601〜 慶長小判exit 17.76 14.97 徳川家康
1695〜 元禄小判exit 17.76 10.19 荻原重秀exit インフレをもたらした
1710〜 宝永小判exit 9.33 7.86
1714〜 享保小判exit 17.76 15.41 新井白石exit 1716年に徳川吉宗が継承、1736年まで発行

ジョン・ロックも新井白石も「貨幣の質を高めるべき」と言い、通貨価値を高めて、デフレ不況を引き起こしている[14]。
 

暗号資産(暗号通貨、仮想通貨)
近年は暗号資産(暗号通貨、仮想通貨)が発達してきた。特に有名なものがビットコインである。
 

希少性が高く、金塊とよく似ている
暗号資産は、マイニング(mining 採掘)という数値処理をするとその分だけ生成される。生成量が増えるほどマイニングがどんどん難しくなるので、あまり多く生成させることができない。希少性を重視している。

暗号資産は金塊に非常によく似た存在といえる。どちらも、新規創出をマイニング(mining 採掘)と表現するし、どちらも希少性が非常に高い。暗号資産のことをデジタルゴールドと呼ぶ人も多い。
 

負債ではなく、資産
信用貨幣論の見地からすると、「暗号資産は通貨に該当しない」となる。信用貨幣論は「通貨は負債を表すデータである」と定義するのに対し、暗号資産は確かにデータなのだが、「誰かの負債」として発行されているのではない。

ビットコインなどは、国際会議でも、日本の法律でも、暗号資産(Crypto Assets)と呼ばれるようになってきた。
 

商品として扱われている
暗号資産は、商品貨幣論の見地からすると通貨になるかもしれない存在である。

暗号資産は金塊によく似た存在で、ネット上において多くの人に高値で売買されている商品である。商品貨幣論の支持者の一部にとっては、「新たなる通貨の到来だ」という印象を受けるだろう。

ただ、暗号資産というのは「非常に難しい計算問題の答え」といった程度の存在なので、全く価値を感じない人の方が圧倒的に多い。商品貨幣論は「通貨は、市場に参加する全員に欲しがられる商品である」というものである。商品貨幣論の見地からも、通貨に該当しなさそうである。
 

政府が通貨発行益を得られない
暗号資産は、国定信用貨幣論の見地からすると、政府がその気になれば通貨にすることができる存在である。

国定信用貨幣論は、「政府が徴税すれば、その対象物が自動的に通貨になる」という考え方である。

ただ、暗号資産は、希少性が極端に高く、政府ですら簡単に生成させることができない。政府にとって、暗号資産を通貨にしているようでは通貨発行益を得られず、財政を好転させることができない。それゆえ、わざわざ暗号資産を通貨に採用する政府は極めて少ないと思われる。

2021年6月8日にエルサルバドルがビットコインを法定通貨に採用したが、それに続く国は2021年10月の時点でまだ出現していない。エルサルバドルは、自国通貨があまり定着せず米ドルを通貨に採用している国である。
 

まとめ
暗号資産は、信用貨幣論との親和性が全くない。

暗号資産は、商品貨幣論との親和性が、ちょっとだけある。

暗号資産は、国定信用貨幣論との親和性が、ほとんどない。
 


脚注
*1971年8月15日の時点で兌換銀行券だったのはアメリカ合衆国ドルだけだった。ちなみに、1933年4月5日から1971年8月15日までのアメリカ合衆国ドルは、外国政府に対して金塊兌換に応じていたが、米国民に対して金塊兌換に応じていなかった。ゆえに、この期間のアメリカ合衆国ドルは兌換銀行券でもあり不換銀行券でもあるという二重の性質を持っていた。詳しくは金本位制の記事を参照のこと。
*2011年度において日本銀行券の製造原価は1枚17円程度だった。日本銀行exit_nicoichiba(筑摩書房)翁邦雄 100ページ
*2020年4月13日の衆議院決算行政監視委員会において、麻生太郎副総理兼財務大臣は、「(プライマリーバランス黒字化目標)を放棄するという考えはありません。(中略) 日本が返す気がないとなれば、途端に日本の国債を売り浴びせられるというようなことにもなりかねませんので」と答弁しており、「国債を売り浴びせられたら日本政府が困ってしまう」という思想を述べている(議事録十二ページexit)。
*2014年3月5日参議院予算委員会 議事録三七ページexit
*そのあたりの事情は『土壇場の経済学(南風社)青木雄二・宮崎学exit_nicoichiba』や『カネに勝て! 続・土壇場の経済学(南風社)青木雄二・宮崎学exit_nicoichiba』などを読むと学習することができるだろう。
*フランス民法典第544条の原文exitは「La propriété est le droit de jouir et disposer des choses de la manière la plus absolue, pourvu qu'on n'en fasse pas un usage prohibé par les lois ou par les règlements.」というもので、absolue(絶対的)という語が入っている。「所有権は物を支配して処分する権利であるが、その中で最も絶対的な手段である」といった意味である。
*銀行借り入れなら「短期借入金」とか「長期借入金」と書き、CPなら「短期社債」と書き、社債なら「社債」と書く。
*「貯蓄から投資へは日本政府が好む標語である。1990年代後半の金融ビッグバンの頃から日本政府が「貯蓄から投資へ」という標語を使うようになり、2001年〜2006年の小泉純一郎内閣も「貯蓄から投資へ」という標語を好んで使っていた(資料exit)。
*真説 経済・金融の仕組み(日本評論社)exit_nicoichiba横山昭雄 92ページ
*「働かざる者食うべからず(He who does not work, neither shall he eat)」とは、新約聖書の「テサロニケ人への第二の手紙3:10exit」に出てくる言葉を原典とした格言である。20世紀初頭に共産主義者のウラジーミル・レーニンがこの格言を盛んに引用した論文を発表したことで知られる。
*「無料の昼食のようなものは存在しない(There ain't no such things as a free lunch) 」とは、「働かざる者食うべからず」と酷似した格言である。頭文字をとってTANSTAAFLと呼ばれ、日本語版Wikipedia記事exitも作られている。こちらの「無料の昼食のようなものは存在しない」は新自由主義者のミルトン・フリードマンが著書の題名に採用しており、新自由主義を支持する経済学者が好んでいることで知られている。

ちなみにain't noはnotとnoという2つの否定語が並んだ形で、この文章においては否定を強調する意味がある。否定語を重ねて否定を強調するのは、くだけた話し言葉ではよくあるが、書き言葉では非標準とされる(大修館書店・ジーニアス英和辞典第4版の「not」の項目より引用)。

There is no such things as a free lunchと表記する例もあり、ミルトン・フリードマンの著書の題名にはこちらの表現が採用されている。こちらの文章は否定語がnoだけで、標準的な書き言葉である。
*「フリーライダーを許さない」という標語があり、「働かざる者食うべからず」や「無料の昼食のようなものは存在しない」と同じ思想を持つ標語だが、こちらは新自由主義の旗手であるロナルド・レーガンが選挙の時に持ち出した表現である。「福祉の女王(welfare queen)が存在していて、働きもしないのに社会保障で大金を手にしており、高級車を乗り回して豪遊している。そうしたフリーライダーを許してはならない」と選挙の演説で主張していた。
*内需主導型デマンド・プル・インフレーションは内需の拡大によって発生するインフレである。これに対して外需主導型デマンド・プル・インフレーションがあり、外国から大量の発注が舞い込んでデマンド・プル・インフレーションになるものである。日本では1914年〜1918年の第一次世界大戦のときや1950年〜1953年の朝鮮戦争の時に外需主導型デマンド・プル・インフレーションとなった。
*「世の中に流通する貨幣の数量でインフレ・デフレが決まる」という貨幣数量説風な考え方で説明すると、「ジョン・ロックや新井白石が貨幣の質を高めて、世の中に流通する貨幣の量を減らしたので、デフレ不況になった」となる。

「需要と供給でインフレ・デフレが決まる」という考え方で説明すると、「ジョン・ロックや新井白石が貨幣の質を高めて、政府が発行する貨幣の量を減らし政府支出を減らし官需を減らしたので、世の中の需要が減り、デフレ不況になった」となる。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%95%86%E5%93%81%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1751.html

[近代史5] 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 中川隆
43. 中川隆[-14118] koaQ7Jey 2022年1月20日 16:13:40 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[21]

中世キリスト教社会の貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1695.html

商品貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1751.html

信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html

マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

現代貨幣理論(MMT)が採用している国定信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1749.html

信用貨幣論に基づく信用創造
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/919.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/384.html#c43

[近代史5] 貨幣論の歴史
貨幣論の歴史


中世キリスト教社会の貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1695.html

商品貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1751.html

信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html

マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

現代貨幣理論(MMT)が採用している国定信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1749.html

信用貨幣論に基づく信用創造
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/919.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1446.html

[番外地10] 人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村 があった。 中川隆
1. 中川隆[-14117] koaQ7Jey 2022年1月20日 17:06:03 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[23]
意図的にハイパーインフレにして日本経済をリセットし、階級を無くせば日本は復活する:

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村 があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。

資本主義村では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で資本主義村より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。

その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

終戦後のインフレはGHQが日本の資本家の財産の実質価値をゼロにする目的で意図的に金融緩和したのが原因だよ:

保守・右翼が日本的なものだと思っているのは GHQが終戦後の日本に根付かせた共産主義体制の事です。

GHQ が終戦後に日本に導入した共産主義体制が「日本の強さ」 の秘密だった
共産主義者ばかりだった GHQは日本を意図的にインフレにして資本家の資産を奪い、一億総中流社会を作り上げた
一億総中流社会を作ったのは共産主義者のGHQ, 一億総中流社会を壊したのがグローバリスト
日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。
特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。
戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。
何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。
平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。
20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
ユダヤ国際金融資本と GHQ は日本を共産化しようとして農地改革と人為的インフレ生成・金融封鎖を行った
フランクリン・ルーズベルト大統領やニューディール派は親共産主義だったので、戦後の日本を階級か無い疑似共産社会にしようと計画していた。
それで平等主義的な日本国憲法を制定、
農地改革で地主の土地を取り上げて貧民にタダ同然で分配、
貧民が土地を買う金を出せる様に人為的なインフレを起こし
預金封鎖で資産家の資産を取り上げた
戦後の人為的なインフレはそういう背景で起こされた 

 東京の小売物価は、全国平均と比べて高く推移する傾向があった。その東京の小売物価指数で見てさえ、1946年のピーク時のインフレ率は500%「程度」に過ぎない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/186.html#c1

[番外地10] 日銀当座預金も民間銀行の預金も何時でも幾らでも引き出せるから、そういう現金の引き出し方を信用創造と言っているんだよ。 中川隆
11. 中川隆[-14116] koaQ7Jey 2022年1月20日 19:43:08 : qTdejdrriE : NTBoSW9MSFRMVUE=[24]
大学入試共通テストの政治経済 問5 への回答なら
信用貨幣論では、通貨とは負債を記録したデータ(負債証明書)であると定義されている。
個人や一般企業が銀行から借り入れると
銀行のバランスシート上で
銀行の資本はいずれ返済してくれる貸金の分だけ増えて、銀行の負債はその貸した金が保管される銀行預金口座の分だけ増え
資本の増加分=負債の増加分 でバランスする。
従って、Cが正しい。

但し、貸した金が焦げ付いた時に、他の顧客の預金に手を付けるのは禁じられているから、実際には他の顧客の預金総額の4割程度までしか貸し出し額は増やせない。 無制限な信用創造はできない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/249.html#c11

[番外地10] 竹中平蔵

アメリカではFRB議長グリーンスパンの超低金利政策の結果住宅産業バブルが起こり、これが今日まで消費を支えてきたが、ここへ来て住宅バブルに
「ローソクの最後の炎現象」が見えてきた。前述のようにアメリカには日本のような「潜在消費・投資力」の備蓄がないから解決策を他国に求めるしかなくなる。

そこでアメリカに狙われたのが日本、つまり竹中平蔵大臣である。

実は竹中平蔵氏は1980年から90年のJapan as No.1(「日本の世紀」と言われるほど日本経済が世界を制覇した)時代にハーバード大の客員研究員や准教授をしていた。

日本の銀行が世界ランキング1位から10位を占める事態に危機感を抱いたアメリカはハーバード大等の叡智を結集して「日本叩き落とし戦略」を打ち出して見事に成功し、その結果日本の大不況はまだ続いている。

竹中氏(当時、大蔵省財政金融研究所主任研究官)は日本の大蔵情報提供者として重要な働きをしたと考えられる。

自ら打つ手がなくなったアメリカは日本の「打つ手」(現金備蓄)を奪うしか 手が無いのである。竹中大臣はアメリカの国益の立場に立っているのである。

不良債権で金融機関のパイプが詰まったままの状態で金融緩和をすると緩和された資金はアメリカに流れず、資金需要がない日本の資本市場で浮遊資金の増大となる。資金は当然土地と株にヘッジし、地価と株価を押し上げる結果となる。これこそ日本経済再生の道だが、アメリカにとっては許し難いこと。すなわち日本の土地と株が上がりだすとアメリカから資金が逃避し日本市場に向かうからである。

不良債権処理を急ぎ、日本の国民に痛みを与え、デフレをさらにスパイラル化し、大銀行や大企業を破綻に追い込んでまでもアメリカの国益の為に尽くす竹中平蔵。さらなる「詭弁」で小泉首相と国民を騙し続ける竹中大臣。

まるで邪教の亡者のごとき竹中大臣の強烈な意志と情熱は、多分1980年代に洗脳された「日本叩き落とし精神」の具現だろう。今日本は「気違いに刃物」を与えてしまった。

今アメリカは戦争と言う無駄な公共投資を前倒しで実行しているが(前述のごとく)潜在的財源が無い。どんなことをしても日本の「備蓄資金」をアメリカへ還流させなくてはならない。
_______

竹中平蔵がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

竹中平蔵が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも
最強を誇っていた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行う
ようになった。そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10
バンクに日本の銀行が6行も入るすごい状態にいたのだった。

○竹中平蔵が時の橋本首相に「金融ビッグバンをやるべきです」と進言して、
それをやった。すると山一證券は自主廃業となり、メリルリンチ証券となり、
長期信 用銀行はf経営が傾き、一時国有化し、リップルウッドに買収された。
東邦生命は、買収されてGEキャピタル生命となり、日興證券は、 これも経営 が傾き、外資に助けを求め、外資の傘下にはいった。
日興コーデイアル証券となった。倒産は続出して、金融恐慌の一歩手前まで
いった。時の橋本政権は選挙で大負けした。日本経済にとって致命傷となった


○竹中平蔵金融大臣が、「不良債権処理をやるべきです」といい、それを強化
すべ きだといった。すると、銀行は貸しだしを抑制するためさらに不況
となる。不良債権と認定された企業は次から次へと倒産していくため小泉政権
の自殺者数や、倒産件数は歴代1位である。

この竹中平蔵金融担当大臣が就任している間、UFJ銀行は経営不安に陥り、
54もの金融機関が倒産した。足利銀行も倒産した。建設会社が倒産した
ときに、竹中平蔵金融担当大臣は、とてもよろこんだ。

「これが構造改革の進展している証拠だ」

_______

私達は洗脳されていました。不良債権の処理こそが構造改革だと。。。
彼等のやり口はこうでした。

一、株式は自己資本の半分以下にすること。
二、不良債権は二年で半減すること。不良債権処理に充てた資金には税金を課す ただし繰り延べ資産として7年間分認める

私達は国の命令で株式の売却を始めました。株の暴落が始まり○銀は国有化され○銀の株券は一夜で紙くずとなりました。数兆円の血税をつぎ込み身奇麗にした ○銀は瑕疵担保条項までつけて外資の手に渡りました。その後私達は恐ろしい光景を目にすることとなりました。

瑕疵担保条項によって死ななくても良い企業まで次々と息の根を止められて行きました。 その時つぶせばつぶすほど外資がもうかる条約だった事に私達は気づきました。

そんな時あの竹中が金融中枢に入ってきたのです。
そしていきなり繰り延べ資産は認めないと言い出したのです。税金は取っておきながら、です。人々はパニックに落ちました。株価は大暴落し、旧額面で80円を割り込んだ時、外資の増資申し入れを受け入れました。

四大メガバンクすべてが外資に自社株を叩き売ったとき、り○な銀行の国有化が決まり、○銀の時と同じく数兆円の国民の税金がつぎ込まれましたが、驚いたことに減資なし、株主責任は問わないという寛大な措置でした

あれほど株主責任を厳しく追及していた竹中 木○コンビの豹変でした。

その翌日から外資の数千億単位の株式購入が連日のように続きました。
日本の国富が外資の手に落ちて行くのを私達は茫然と見ているしかありませんでした・・・。

私達は竹中によって株式をもっと売り払えと指導されていたからです。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/250.html

[近代史4] 美人すぎるママのヤバすぎる保険金殺人…「職無しは用なし」で夫を使い捨てた…「福岡スナックママ連続保険金事件」
【ゆっくり解説】美人すぎるママのヤバすぎる保険金殺人…「職無しは用なし」で夫を使い捨てた…「福岡スナックママ連続保険金事件」


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1752.html
[近代史5] マイクロソフトのデファクト・スタンダード戦略
マイクロソフトのデファクト・スタンダード戦略


またも封殺される日本企業。ゲーム業界をも「囲い込む」マイクロソフトのデファクト・スタンダード戦略=鈴木傾城
2022年1月20日
https://www.mag2.com/p/money/1147981


Microsoftが米ゲーム大手Activision Blizzardを買収するという報道でゲーム業界が激震している。Microsoftが狙っているのは、この企業の歴史を見れば分かる。業界標準(デファクト・スタンダード)である。デファクト・スタンダードでユーザーを囲い込み、さまざまな製品やサービスを提供し、エコシステムが生まれると、囲い込みはますます強固なものになっていく。その状態を確立した後は、製品価格を少しずつ引き上げても、サービスを改悪しても、ユーザーは逃げることはできない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

デファクト・スタンダードによる支配が強烈だった製品
Microsoftが米ゲーム大手Activision Blizzardを買収するという報道でゲーム業界が激震している。買収金額は8兆円近くで、これはMicrosoftにとっても過去最大のM&Aである。

今、メタバース(仮想空間)の分野が急激に勃興しようとしており、フェイスブックも企業名すら「メタ」と変えてしまったが、Microsoftもこの分野に本気で勝ち残ろうとしているのが分かる。

Microsoftが狙っているのは、この企業の歴史を見れば分かる。業界標準(デファクト・スタンダード)である。

Microsoftのデファクト・スタンダードを取りに行く戦略は、もちろん創業者であるビル・ゲイツが得意としていた戦略で、これが今でもMicrosoftの企業文化として受け継がれているのが分かる。

現在でも世界トップの資産家であるビル・ゲイツは、今でこそ慈善家として知られるようになっているのだが、かつてはMicrosoftの創始者としてIBMやAppleと凄まじい競争を繰り広げて勝ち抜いてきた経営者だった。

このMicrosoftの決定的な市場独占は、まさにWindowsの成功によって成し遂げられたと言える。

ところで、全世界を掌握したWindowsというOSは、決して「最高のOS」でもなかったし「独創的なOS」でもなかった。堅牢性で言えばUNIXに劣っていたし、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスはAppleのOSの真似だった。

しかし、Windowsはマーケティングに成功して優位性をつかんだところで、もはや他が追いつけないほどの圧倒的な独占を手に入れて、それがビル・ゲイツを世界最強かつ裕福な経営者に押し上げた。

Microsoftは最初に確固とした事実上の標準(デファクト・スタンダード)のポジションを手に入れたことによって、その後は独占が独占を生む効果をもたらした。デファクト・スタンダードによる支配を世界で最も効率的に行ったのがMicrosoftだったのである。

Windowsは当初から「出来の悪さ」が批判されていた。さらに、OSを改変すればするほど重くなり、バグが増え続けていった。それでも人々はWindowsを使い続けた。事実上の標準だったので、そこから逃れられなかったのだ。

アメリカ企業が今でも最強なのは、まさに「デファクト・スタンダード」こそが国家繁栄の基礎であることを政治家も企業家も知っているからだ。だから、アメリカのすべての多国籍企業はデファクト・スタンダードを取りにいく。


最初に優位なポジションを取って囲い込みを行う
世界中のオフィスでWindowsが最初に取り入れられて、それが事実上の標準(デファクト・スタンダード)と化すると、人々は圧倒的なユーザーを抱えたWindowsを覚えるのが自分の仕事の経歴に役立つと考えるようになっていった。

AppleのMacintoshやIBMのOS/2のような「誰も使っていないOS」を使うのは汎用性がなかったし、どこでも役立つわけでもなかったからだ。

いくらMacintoshがWindowsよりも優れていると思っても、オフィスがWindowsであればWindowsが使える方が単純に有利だったのだ。

Microsoftは最初に優位なポジションを取ったことで、人々を「囲い込む」ことが可能になり、それがさらに次のビジネスにもつながっていった。それが「WS-Word」や「Excel」と言ったオフィス・シリーズである。

Windowsで囲い込み、そこからワープロや表計算といった仕事で欠かせないソフトを提供することで、Microsoftはさらなる「囲い込み」を成し遂げた。

人気があるためにMicrosoftの出すワープロや表計算が標準になると、今度は他社との互換性を維持するためにすべての企業がそれを使わざるを得なくなったのだ。

たとえ、WS-Wordよりもワードパーフェクトや一太郎と言った製品の方が機能的にも優れているとしても、世の中の標準がMicrosoftのオフィス製品となった以上は、その囲い込みの中に入らないとビジネスすらもできなくなってしまった。

会社でも個人でも、みんなMicrosoft製品を使うようになると、もはや他社の製品の性能がいくら素晴らしくても決してMicrosoftのシェアを崩せない。「囲い込み」は、以後のハイテク産業の最重要戦略として現在も機能している。

囲い込みに成功したらあとは儲かるだけ
いったん「囲い込み」に成功したら、他社が単体的に見るといかに優れた機能の製品を出しても、ユーザーはそれだけで移行しない。世間一般がデファクト・スタンダードの製品を使っている限り、そこからの逸脱にはリスクを伴うからだ。

AppleはパソコンのOS戦争に敗れて次第に市場から捨てられていき、1997年にはついに破綻寸前にまで追い込まれる事態になったのはよく知られている事実だ。

このAppleを復活させたのは帰って来た創業者であるスディーブ・ジョブズだが、ジョブズはすでにMicrosoftが囲い込んだパソコン市場から離れ、iPodやiPhoneという未知の市場を開拓した。

そして、Microsoftが使った「最初にポジションを取って優位性を手に入れて、ユーザーを囲い込む」という戦略をスマートフォンの分野で徹底的に推し進め、iPhoneの中で様々なサービスを推し進めて「囲い込み」に余念がない。


Amazonも囲い込みで天下を獲った
現在、全世界のネットショッピングを支配しているのはAmazonだが、このAmazonもまた最初に莫大な現金をすべて設備投資に費やしてデファクト・スタンダードを取りに行った企業である。

利益よりも拡張を追求し、他社が絶対に追いついてこれないほどのスケールで設備投資して最初に優位なポジションを手に入れてから、次々とサービスを展開させてユーザーの「囲い込み」をする。

利益を積み上げていくのではなく、採算度外視でシェアを取ってから、後で利益を上げるという戦略だ。この「後で利益を上げる」という戦略のコアになっているのが、まさに「デファクト・スタンダード戦略」なのである。

Googleも検索の分野で、そしてFacebookもまたSNSの分野で、シェアを取ってからユーザーを強力に囲い込み、あとで利益を享受するという「デファクト・スタンダードを取りに行く戦略」をそのままなぞっている。

「囲い込み」というビジネスモデルは崩壊するか?
デファクト・スタンダードでユーザーを囲い込み、さまざまな製品やサービスを提供し、サードパーティでも多種多様な製品が出てきてエコシステムが生まれると、ユーザーの囲い込みはますます強固なものになっていく。

その状態を確立した後は、製品価格を少しずつ引き上げていっても、サービスを改悪しても、ユーザーはもはや逃げることもない。逃げようとしても、すでにどっぷりと囲い込みの中にいるので逃げられないというのが現実だ。

アメリカのハイテク企業はこの「デファクト・スタンダードによる囲い込み」を多用している。これがアメリカ企業の支配の源泉である。

Microsoftが成功させた「デファクト・スタンダードによる囲い込み」の空前の成功は、それこそが富の独占になることを世界に知らしめ、そして最も効果的なビジネスモデルとしてアメリカの超巨大ハイテク企業に踏襲されていった。

しかし、この「囲い込み」の戦略はあまりにも効率的にハイテク産業で機能するようになっているので、いよいよ「巨大ハイテク産業が、中央集権的に世界を支配するのは正しいことなのか?」という声があちこちから上がるようにもなっている。

人々はふと選択の自由がないことに気付き、疑問を感じるようになっているのだ。


「選択の自由」を奪われたことに気がついても抜け出せない
ただ、それが分かっていても他に選択肢がない。疑問に思っても、「囲い込み」からは容易に抜けられなくなっている。そんな状況に、人々はうっすらと恐怖をも感じるようになっている。

しかし、これからはAI(人工知能)で私たちの行動さえも解析されることによって、ますますアメリカの巨大ハイテク企業に囲い込まれることになる。そして、現代社会を支配しているハイテクの分野で私たちはアメリカ企業の支配から逃れられない。

すでに日本の企業はデファクト・スタンダードを取り損ねており、ハイテクの世界では競争に勝つことができない。

「デファクト・スタンダードによる囲い込み」をこれからも最重要戦略として使い続けるアメリカ企業は世界中の富を吸い上げ続けることになるのだろう。

この中に、日本企業は影も形もない。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1447.html

[近代史3] ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの正体 中川隆
23. 中川隆[-14115] koaQ7Jey 2022年1月21日 07:41:04 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[2]
マイクロソフトのデファクト・スタンダード戦略


またも封殺される日本企業。ゲーム業界をも「囲い込む」マイクロソフトのデファクト・スタンダード戦略=鈴木傾城
2022年1月20日
https://www.mag2.com/p/money/1147981


Microsoftが米ゲーム大手Activision Blizzardを買収するという報道でゲーム業界が激震している。Microsoftが狙っているのは、この企業の歴史を見れば分かる。業界標準(デファクト・スタンダード)である。デファクト・スタンダードでユーザーを囲い込み、さまざまな製品やサービスを提供し、エコシステムが生まれると、囲い込みはますます強固なものになっていく。その状態を確立した後は、製品価格を少しずつ引き上げても、サービスを改悪しても、ユーザーは逃げることはできない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

デファクト・スタンダードによる支配が強烈だった製品
Microsoftが米ゲーム大手Activision Blizzardを買収するという報道でゲーム業界が激震している。買収金額は8兆円近くで、これはMicrosoftにとっても過去最大のM&Aである。

今、メタバース(仮想空間)の分野が急激に勃興しようとしており、フェイスブックも企業名すら「メタ」と変えてしまったが、Microsoftもこの分野に本気で勝ち残ろうとしているのが分かる。

Microsoftが狙っているのは、この企業の歴史を見れば分かる。業界標準(デファクト・スタンダード)である。

Microsoftのデファクト・スタンダードを取りに行く戦略は、もちろん創業者であるビル・ゲイツが得意としていた戦略で、これが今でもMicrosoftの企業文化として受け継がれているのが分かる。

現在でも世界トップの資産家であるビル・ゲイツは、今でこそ慈善家として知られるようになっているのだが、かつてはMicrosoftの創始者としてIBMやAppleと凄まじい競争を繰り広げて勝ち抜いてきた経営者だった。

このMicrosoftの決定的な市場独占は、まさにWindowsの成功によって成し遂げられたと言える。

ところで、全世界を掌握したWindowsというOSは、決して「最高のOS」でもなかったし「独創的なOS」でもなかった。堅牢性で言えばUNIXに劣っていたし、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスはAppleのOSの真似だった。

しかし、Windowsはマーケティングに成功して優位性をつかんだところで、もはや他が追いつけないほどの圧倒的な独占を手に入れて、それがビル・ゲイツを世界最強かつ裕福な経営者に押し上げた。

Microsoftは最初に確固とした事実上の標準(デファクト・スタンダード)のポジションを手に入れたことによって、その後は独占が独占を生む効果をもたらした。デファクト・スタンダードによる支配を世界で最も効率的に行ったのがMicrosoftだったのである。

Windowsは当初から「出来の悪さ」が批判されていた。さらに、OSを改変すればするほど重くなり、バグが増え続けていった。それでも人々はWindowsを使い続けた。事実上の標準だったので、そこから逃れられなかったのだ。

アメリカ企業が今でも最強なのは、まさに「デファクト・スタンダード」こそが国家繁栄の基礎であることを政治家も企業家も知っているからだ。だから、アメリカのすべての多国籍企業はデファクト・スタンダードを取りにいく。


最初に優位なポジションを取って囲い込みを行う
世界中のオフィスでWindowsが最初に取り入れられて、それが事実上の標準(デファクト・スタンダード)と化すると、人々は圧倒的なユーザーを抱えたWindowsを覚えるのが自分の仕事の経歴に役立つと考えるようになっていった。

AppleのMacintoshやIBMのOS/2のような「誰も使っていないOS」を使うのは汎用性がなかったし、どこでも役立つわけでもなかったからだ。

いくらMacintoshがWindowsよりも優れていると思っても、オフィスがWindowsであればWindowsが使える方が単純に有利だったのだ。

Microsoftは最初に優位なポジションを取ったことで、人々を「囲い込む」ことが可能になり、それがさらに次のビジネスにもつながっていった。それが「WS-Word」や「Excel」と言ったオフィス・シリーズである。

Windowsで囲い込み、そこからワープロや表計算といった仕事で欠かせないソフトを提供することで、Microsoftはさらなる「囲い込み」を成し遂げた。

人気があるためにMicrosoftの出すワープロや表計算が標準になると、今度は他社との互換性を維持するためにすべての企業がそれを使わざるを得なくなったのだ。

たとえ、WS-Wordよりもワードパーフェクトや一太郎と言った製品の方が機能的にも優れているとしても、世の中の標準がMicrosoftのオフィス製品となった以上は、その囲い込みの中に入らないとビジネスすらもできなくなってしまった。

会社でも個人でも、みんなMicrosoft製品を使うようになると、もはや他社の製品の性能がいくら素晴らしくても決してMicrosoftのシェアを崩せない。「囲い込み」は、以後のハイテク産業の最重要戦略として現在も機能している。

囲い込みに成功したらあとは儲かるだけ
いったん「囲い込み」に成功したら、他社が単体的に見るといかに優れた機能の製品を出しても、ユーザーはそれだけで移行しない。世間一般がデファクト・スタンダードの製品を使っている限り、そこからの逸脱にはリスクを伴うからだ。

AppleはパソコンのOS戦争に敗れて次第に市場から捨てられていき、1997年にはついに破綻寸前にまで追い込まれる事態になったのはよく知られている事実だ。

このAppleを復活させたのは帰って来た創業者であるスディーブ・ジョブズだが、ジョブズはすでにMicrosoftが囲い込んだパソコン市場から離れ、iPodやiPhoneという未知の市場を開拓した。

そして、Microsoftが使った「最初にポジションを取って優位性を手に入れて、ユーザーを囲い込む」という戦略をスマートフォンの分野で徹底的に推し進め、iPhoneの中で様々なサービスを推し進めて「囲い込み」に余念がない。


Amazonも囲い込みで天下を獲った
現在、全世界のネットショッピングを支配しているのはAmazonだが、このAmazonもまた最初に莫大な現金をすべて設備投資に費やしてデファクト・スタンダードを取りに行った企業である。

利益よりも拡張を追求し、他社が絶対に追いついてこれないほどのスケールで設備投資して最初に優位なポジションを手に入れてから、次々とサービスを展開させてユーザーの「囲い込み」をする。

利益を積み上げていくのではなく、採算度外視でシェアを取ってから、後で利益を上げるという戦略だ。この「後で利益を上げる」という戦略のコアになっているのが、まさに「デファクト・スタンダード戦略」なのである。

Googleも検索の分野で、そしてFacebookもまたSNSの分野で、シェアを取ってからユーザーを強力に囲い込み、あとで利益を享受するという「デファクト・スタンダードを取りに行く戦略」をそのままなぞっている。

「囲い込み」というビジネスモデルは崩壊するか?
デファクト・スタンダードでユーザーを囲い込み、さまざまな製品やサービスを提供し、サードパーティでも多種多様な製品が出てきてエコシステムが生まれると、ユーザーの囲い込みはますます強固なものになっていく。

その状態を確立した後は、製品価格を少しずつ引き上げていっても、サービスを改悪しても、ユーザーはもはや逃げることもない。逃げようとしても、すでにどっぷりと囲い込みの中にいるので逃げられないというのが現実だ。

アメリカのハイテク企業はこの「デファクト・スタンダードによる囲い込み」を多用している。これがアメリカ企業の支配の源泉である。

Microsoftが成功させた「デファクト・スタンダードによる囲い込み」の空前の成功は、それこそが富の独占になることを世界に知らしめ、そして最も効果的なビジネスモデルとしてアメリカの超巨大ハイテク企業に踏襲されていった。

しかし、この「囲い込み」の戦略はあまりにも効率的にハイテク産業で機能するようになっているので、いよいよ「巨大ハイテク産業が、中央集権的に世界を支配するのは正しいことなのか?」という声があちこちから上がるようにもなっている。

人々はふと選択の自由がないことに気付き、疑問を感じるようになっているのだ。


「選択の自由」を奪われたことに気がついても抜け出せない
ただ、それが分かっていても他に選択肢がない。疑問に思っても、「囲い込み」からは容易に抜けられなくなっている。そんな状況に、人々はうっすらと恐怖をも感じるようになっている。

しかし、これからはAI(人工知能)で私たちの行動さえも解析されることによって、ますますアメリカの巨大ハイテク企業に囲い込まれることになる。そして、現代社会を支配しているハイテクの分野で私たちはアメリカ企業の支配から逃れられない。

すでに日本の企業はデファクト・スタンダードを取り損ねており、ハイテクの世界では競争に勝つことができない。

「デファクト・スタンダードによる囲い込み」をこれからも最重要戦略として使い続けるアメリカ企業は世界中の富を吸い上げ続けることになるのだろう。

この中に、日本企業は影も形もない。  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html#c23

[番外地10] リフレ派とMMT派の似非経済学者たちがスタグフレーションを引き起こした
リフレ派とMMT派の似非経済学者たちがスタグフレーションを引き起こした
スタグフレーションとはインフレと景気後退が同時に来ることである。物価は需要と供給に左右されるが、景気が後退すると通常需要も後退するため、物価押し下げの要因となることが多い。つまりはデフレである。

ここ数十年の間、経済のテーマはデフレと景気後退だった。インフレが起こることはなかった。だがデフレにあぐらをかいて、どんなに紙幣を印刷してもインフレにはならないと高をくくって紙幣をばら撒き続けた結果、アメリカでは前年比7.1%の物価高騰が起こっており、しかも収拾の目処は立っていない。

リフレ派とMMT派の似非経済学者たちにインフレは良いものだと教えられてきた多くの人々は、スーパーの食料品の値段が上がり始めてようやく、インフレとはものが同じ値段で買えないことだという事実に気づいたようである。面白い話ではないか。政府やマスコミの言うことを信じるからそういうことになるのである。

結果として中央銀行は金融緩和の撤回、そして金融引き締めを強いられている。しかし利上げを行うとインフレが抑制されるより先に株価が暴落する。
このままでは物価高騰は止まらず、先に景気後退が来る。景気後退にもかかわらず物価上昇が収まっていない現在の状態がスタグフレーションである。

2022年、金融引き締めは経済成長を殺してしまう。そうなれば世界中の株価が暴落し、100年前の大恐慌より酷い状態になる。
まずはスタグフレーションとはそもそも何であるかを思い出したい。まず名目経済成長率とはインフレ率と実質経済成長率の和である。

名目経済成長率 = インフレ率 + 実質経済成長率

スタグフレーションとは、この内インフレ率はそれほど下がらないが、実質経済成長率が下がってしまう状態のことである。結果として名目経済成長率は必ずしも下がるわけではない。

この名目と実質ということが重要である。例えば株価はインフレを差し引きしていないので名目の数字であり、(銘柄にもよるが)インフレはプラスに働くものの実質経済成長率の減少はマイナスに働く。

インフレに連動するものには金属やエネルギー資源、農作物などのコモディティ銘柄がある。
それから株式と言っても様々な種類がある。株価暴落と言ってもすべての銘柄が同時に下落を始めるわけではない。
2018年の例ではまず中国株などの新興国株が下落し、次に日本やヨーロッパなどの株式が下落し、米国株が下落した。
同じ国の株式市場でも株価指数に採用されている大型株が下落するのは最後で、日本のマザーズやアメリカならRussell 2000など小型株指数から先に下落する。

こうした階層構造をランク分けすると次のようになる。

ランク1: S&P 500など
ランク2: Russell 2000、日本株、欧州株、ジャンク債など
ランク3: 日本や欧州の小型株、新興国株など

現状、ランク1はまだ上昇基調であり、ランク2は横ばい、ランク3は下落済みという感じである。
2018年の例ではランク2はランク1が下落する相場の最後まで上がらずに横ばいを続けたケースが多かった。

▲△▽▼

エリオット波動ではアメリカ株はもうすぐ1929年の大暴落の後の 1932年を始点とするスーパーサイクル第(X)波の上昇トレンドが終わりスーパーサイクル(a)波の下降トレンドに変わる。この予測だけは絶対に変えられない、アメリカ経済はもう詰んでいるんだよ、ドル基軸通貨制もペトロダラーシステムも完全崩壊するよ。


アメリカのコロナ騒動での金融緩和と財政出動がスーパーサイクルの大勢転換のトリガーになった:
NYダウのエリオット波動分析ではアメリカ株はもうすぐ100年に一度の大暴落になる:

日本エリオット波動研究所によると、

1932.07 スーパーサイクル波 (T)波 始点
1937.03 スーパーサイクル波 (T)波 ピーク
1942 スーパーサイクル波 (U)波 ボトム
1968 スーパーサイクル波 (V)波 ピーク
1982 スーパーサイクル波 (W)波 ボトム

現在はスーパーサイクル波 (X)波 上昇中

1982 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 T波 始

1987.07 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 T波
ピーク
1987.10 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 U波
ボトム(ブラックマンデー)
2000.01 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 V波
ピーク(ITバブル)
2009.03 スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 W波
ボトム(リーマンショック)

現在は スーパーサイクル波 (X)波, サイクル波 X波
上昇中  

エリオット波動 ディグリーとラベリングの表
http://jewri.org/standard/

▲△▽▼

一方、日本政府の莫大な借金にもかかわらず日本円が暴落しないのは、対外的には負債ではなく資産を持っているからである。
言うまでもなくこの資産は高度経済成長期の産物であり、この対外資産は利子などの形で外貨を稼ぎ、日本の経常収支を押し上げている。
だがこの資産はどんどん使われてゆくだろう。家計の持つ資産の多くは高齢者が持つものであり、その大部分は相続税という形で日本政府が徴収し、日本政府はそのお金を好き勝手に使うだろう。資産保有者の高齢者への偏りを考えれば、日本に経常収支をもたらしていた資産は20年もすればかなり減っているはずだ。

つまり現状では政府債務が膨大でも対外資産があれば日本円はそれほど下落しなかったものが、20年ほどで莫大な政府債務と対外負債をかかえる国になる。
日本円はまだ無事である。しかし政府債務が167%の状態で高度経済成長期の遺産を食い潰したあと日本がどうなるか、MMT論者には考えてほしい。
しかし東京オリンピックとGO TOトラベルにもかかわらず自民党を再選させた日本人には何を言っても無駄だろう。日本国民は殴られても次の日には忘れている民族である。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/251.html

[リバイバル3] JBL 4350

JBL 4350


JBL 4350
4350:¥993,800(1台、1973年発売〜1975年頃)
4350WX:¥1,107,900(1台、1973年発売〜1975年頃)
https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/4350.html

モニタースピーカーの最高峰として開発されたフロア型スピーカーシステム。

低域には38cmコーン型ウーファー2230Aを2個搭載しています。
このユニットにはJBL独自のコーティング剤処理が施されたコーン紙やエッジワイズ巻きリボン銅線ボイスコイルを採用しています。

中低域には30cmコーン型ウーファー2202Aを搭載しています。
2202Aは、トッププレートやポールピース、ボイスコイル、ギャップなどに非常に精密な加工を施す事で性能を高めています。また、このユニットにはバックキャビティが設けられており、2230Aとの背面干渉を防いでいます。

中高域にはドライバー2440とホーン2311、音響レンズ2308を組み合わせたホーン型ミッドレンジを搭載しています。

2440には0.076mm厚のアルミ合金ダイアフラムやエッジワイズ巻きアルミリボン線ボイスコイル等を採用しており、JBL独自のエクスポネンシャルホーンと音響レンズによって指向特性を向上しています。

高域にはリング型トゥイーター2405を搭載しています。
2405には0.056mm厚のアルミ箔を空気圧で成型したリングダイアフラムを採用しており、20kHzまでの高域を±3dB以内の特性で再生しています。

ネットワーク部はクロスオーバー周波数250Hzで分割されたマルチアンプ方式となっており、パワーアンプの他に別売のディバイダー5231か5232とフィルター基板52-5121が必要です。
また、中高域には特別設計されたL-Cタイプのネットワークを採用しています。

前面には連続可変式のレベルコントロールを搭載しています。

エンクロージャーは厚さ20mmの材料で製造されています。
外観はグレー仕上げとウォルナット仕上げの2種類のバリエーションがありました。



周波数特性図 4350のコンポーネント


機種の定格

方式 4ウェイ・5スピーカー・バスレフ方式・フロア型

使用ユニット
低域用:38cmコーン型(2230A)x2
中低域用:30cmコーン型(2202A)
中高域用:ホーン型(2440+2311+2308)
高域用:リング型(2405)

周波数特性 30Hz〜20kHz ±3dB
指向特性
(12kHzまで、-3dB以内) 水平方向:60゜
垂直方向:30゜
許容入力(連続プログラム) 250Hz以下:200W(4Ω)
250Hz以上:100W(8Ω)
インピーダンス 250Hz以下:4Ω
250Hz以上:8Ω
音圧レベル 95.5dB(新JIS)
110dB SPL(許容入力1/2ピンクノイズ、10feet)
126dB SPL(許容入力1/2プログラム、10feet)
感度 86dB(SPL、10feet、入力1W)
46.5dB(SPL、30feet、入力1mW)
第3次高調波歪率 1%以下(108dB SPL、10feet、33Hz〜1.2kHz)
0.6%以下(101dB SPL、10feet、1.2kHz〜5kHz)

クロスオーバー周波数
低域:250Hz(12dB/oct)
中高域:1.1kHz、9kHz

エンクロージャー容積 269L(2202A用エンクロージャー34L含む)
外形寸法 幅1,210x高さ890x奥行510mm
重量 110kg(1975年以降のカタログ記載)
125kg(1973年のカタログ記載)

https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/4350.html

JBL 4350A/4350WXA ※1975年発売
4350A:¥800,000(1台、1978年頃)
4350WXA:¥850,000(1台、1978年頃)
https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/4350a.html

4ウェイの大型スタジオモニタースピーカーシステム。

低域には38cmコーン型ウーファー2231Aを2個、中低域には30cmコーン型ウーファー2202Aを搭載しています。

中高域には音響レンズ2308とエクスポネンシャルホーン2311、ドライバー2440を組み合わせたホーン型ミッドレンジを搭載しています。

高域にはホーン型トゥイーター2405を搭載しています。

ネットワーク部はクロスオーバー周波数250Hzにおける2チャンネルマルチアンプドライブ方式を採用しています。このため、接続には別売のチャンネルディバイダー5234とフィルター基板52-5121(ステレオ使用時は2枚)が必要です。250Hz以上の帯域の分割などは内蔵のネットワークで行っています。
また、高域用のホーン型トゥイーターはフロントパネルのボリューム式アッテネーターでレベル調整が可能です。

最適な音源位置を得るため、トゥイーターとホーンドライバーは左右の入替えが可能です。

鉄製補強金具で逆さに吊るすことも出来ます。

外観は2種類のバリエーションがあり、4350Aはグレー仕上げとブラックグリル、4350WXAはウォルナット仕上げとブルーグリルが採用されています。



ネットグリル装着時 周波数特性 使用ユニット


機種の定格
方式 4ウェイ・5スピーカー・バスレフ方式・フロア型

ユニット
低域用:38cmコーン型(2231A)x2
中低域用:30cmコーン型(2202A)
中高域用:ホーン型(2308+2311+2440)
超高域用:ホーン型(2405)

再生周波数帯域 30Hz〜20kHz ±3dB
クロスオーバー周波数 250Hz、1.1kHz、9kHz
指向性(水平x垂直) 60゜x30゜(12kHz)

インピーダンス
250Hz以下:4Ω
250Hz以上:8Ω

出力音圧レベル 95.5dB(新JIS)
許容入力(RMS) 250Hz以下:200W
250Hz以上:100W

エンクロージャー容積
ウーファー:269L
ミッドウーファー:45.3L
外形寸法 幅1,210x高さ889x奥行508mm
重量 110kg
別売 チャンネルディバイダー 5234(¥120,000)
フィルター基板 52-5121(¥5,000)

https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/4350a.html

JBL 4350BWX 4350B:¥950,000(1台、1981年頃)
4350BWX:¥990,000(1台、1981年頃)
https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/4350BWX.html


大音圧レベルを必要とする大型録音スタジオ用に開発した4ウェイ5スピーカーシステム。

1972年に開発された4350がベースとなっており、基本設計はそのままに技術改良を加えることで完成度を高めています。

低域には38cmコーン型ウーファーである2231Hを2個搭載しており、パラレル接続することで高耐入力と高出力特性を確保しています。
また、別売りの専用ディバイダー5234(フィルター基板別売)を用いることでクロスオーバー周波数250Hzでマルチアンプドライブが可能です。

中低域には30cmコーン型ミッドウーファーである2202Hを搭載しています。
このユニットはサブチャンバーにマウントされており、ウーファーとの相互干渉を排除しています。

中高域にはドライバー2440とホーン2311、ホーンレンズ2308を組み合わせたホーン型ミッドレンジを搭載しています。また、高域にはホーン型トゥイーターである2405を搭載しています。
中高域と高域のユニットはフロントバッフルの左右位置で入れ替えができるようになっており、左右対称なミラーイメージペアが構築できます。

エンクロージャーにはバスレフ方式を採用しています。
広汎なスタジオユースを考慮し、アイボルトと補強アングルを用いて吊り下げ使用ができるようになっています。

外観はブルーバッフルが特徴的なウォルナット仕上げとグレー仕上げの2色のカラーバリエーションがありました。



周波数特性 チャンネルデバイダー5234 使用ユニット
機種の定格
方式 4ウェイ・5スピーカー・バスレフ方式・フロア型

ユニット
低域用:38cmコーン型(2231H)x2
中低域用:30cmコーン型(2202H)
中高域用:ホーン型(2440+2311)
高域用:ホーン型(2405)

再生周波数帯域 30Hz〜20kHz ±3dB
クロスオーバー周波数 250Hz、1.1kHz、9kHz
指向性 60゜x30゜(12kHz)

インピーダンス
4Ω(250Hz以下)
8Ω(250Hz以上)

出力音圧レベル 95.5dB/W/m

許容入力
200W(250Hz以下)
100W(250Hz以上)

エンクロージャー容積
ウーファー:269L
ミッドウーファー:45.3L

外形寸法 幅1,210x高さ889x奥行508mm
重量 118kg
別売 チャンネルデバイダー 5234(¥125,000)
https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/4350BWX.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1213.html

[近代史4] JBL のスピーカーは買ってはいけない 中川隆
20. 中川隆[-14113] koaQ7Jey 2022年1月21日 09:21:45 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[7]
JBL 4350 モニタースピーカー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1213.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/493.html#c20
[番外地10] 古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説

貨幣はいくら発行してもいいよ、貨幣価値が発行量に比例して減るだけだ。但し、貨幣発行してから実際にインフレになるまで10年ないし20年かかるから、インフレになった時には既に昔金融緩和したという事実を誰も覚えていないだけさ:

古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説
貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。
重金主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

一方、古典派経済学の貨幣中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。 中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

ルーズベルトやニューディーラーは古典派経済学・マルクス経済学の系統で、ソ連の5か年計画を真似してニューディール政策を行っています。ルーズベルトやニューディーラーは勿論 緊縮財政派です。
長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致しています。

一方、ケインズやMMT学派は古典派経済学・マルクス経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説を否定して、金融緩和や財政出動が経済を変えると思っているのですね。 1970年代までは欧米政府はすべてケインズ政策に基づいた経済政策を行っていましたが、悉く失敗したので。経済政策をハイエクの自由主義経済と財政均衡主義に変えたのです。
しかし、MMT論者はそういう経済の流れを全く知らず、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。この現代に既に大失敗したケインズ政策をもう一度繰り返す事に意味は無いのですけどね。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/252.html

[番外地10] 古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説 中川隆
1. 中川隆[-14112] koaQ7Jey 2022年1月21日 09:53:53 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[8]
​ @hatarakuossan channel
>ただ日銀は打ち出の小槌と言っても構わない!

貨幣はいくら発行してもいいよ、貨幣価値が発行量に比例して減るだけだ。但し、貨幣発行してから実際にインフレになるまで10年ないし20年かかるから、インフレになった時には既に昔金融緩和したという事実を誰も覚えていないだけさ:

古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説
貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。
重金主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

一方、古典派経済学の貨幣中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。 中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。
長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致しています。


ルーズベルトやニューディーラーは古典派経済学・マルクス経済学の系統で、ソ連の5か年計画を真似してニューディール政策を行っています。ルーズベルトやニューディーラーは勿論 緊縮財政派です。
一方、ケインズやMMT学派は古典派経済学・マルクス経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説を否定して、金融緩和や財政出動が経済を変えると思っているのですね。 1970年代までは欧米政府はすべてケインズ政策に基づいた経済政策を行っていましたが、悉く失敗したので。経済政策をハイエクの自由主義経済と財政均衡主義に変えたのです。
しかし、MMT論者はそういう経済の流れを全く知らず、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。20世紀に既に大失敗して上手くいかないのが実証されたケインズ政策をもう一度繰り返す事に意味は無いのですけどね。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/252.html#c1

[番外地10] 古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説 中川隆
2. 中川隆[-14111] koaQ7Jey 2022年1月21日 09:55:41 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[9]
​ @hatarakuossan channel
>ただ日銀は打ち出の小槌と言っても構わない!

貨幣はいくら発行してもいいよ、貨幣価値が発行量に比例して減るだけだ。但し、貨幣発行してから実際にインフレになるまで10年ないし20年かかるから、インフレになった時には既に昔金融緩和したという事実を誰も覚えていないだけさ:

古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説
貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。
重金主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

一方、古典派経済学の貨幣中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。 中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。
長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致しています。


ルーズベルトやニューディーラーは古典派経済学・マルクス経済学の系統で、ソ連の5か年計画を真似してニューディール政策を行っています。ルーズベルトやニューディーラーは勿論 緊縮財政派です。
一方、ケインズやMMT学派は古典派経済学・マルクス経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説を否定して、金融緩和や財政出動が経済を変えられると思っているのですね。 1970年代までは欧米政府はすべてケインズ政策に基づいた経済政策を行っていましたが、悉く失敗したので。経済政策をハイエクの自由主義経済と財政均衡主義に変えたのです。
しかし、MMT論者はそういう経済の流れを全く知らず、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。20世紀に既に大失敗して上手くいかないのが実証されたケインズ政策をもう一度繰り返す事に意味は無いのですけどね。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/252.html#c2

[近代史4] 日中のGDPのいい加減さ 中川隆
26. 中川隆[-14110] koaQ7Jey 2022年1月21日 10:42:59 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[11]

2022年01月20日
韓国はバブル経済をどう終息するか、空前の地価上昇

ソウルのマンション群、地価上昇で一つ一つがGDPになった

空前の地価上昇がGDPを底上げした

韓国政府は1人当たりGDPで3万ドルを超え、数年で4万ドルの日本を超えると宣言して見せた。

実は日本、イギリス、フランスの1人当たりGDPはほぼ同じで、ドイツは少し多い4万5000ドルとなっている。

つまり1人当たりGDPで日本を超えるのは、英仏を超えドイツと同等になると言っている事になる。


その現実味は宇宙人は実在するかと同じで、賛成派と反対派は議論がかみ合わず結論はでない。

韓国の1人当たりGDPが3万ドル、世界29位で台湾は32位、中国は64位でこの3か国には共通点がある。

台湾に行ったとき道路沿いにマンションや家の広告看板があり、値段は忘れたが「日本より高い」と思ったのを覚えている。


現在台湾でもっとも高額な台北101は坪1000万円、大安森林公園も1000万円近く、台北駅周辺は500万円以上です。

東京のマンション平均価格7000万円に対して台北は1億1000万円(2019年)、平均年収は400万円以下で年収比約29倍だそうです。

ソウルのマンション平均価格は平均年収の18倍、上海や北京は年収比で60倍以上だった。


これらが意味するのは、東アジア3か国は地価を上昇させることでGDPを上昇させていたという点です。

地価や株価はGDPに加算されないが、どちらも資産価値を持つので土地や株を担保に金を借りる事ができる。

1000万円で買った土地が1億円に値上がりしたら、銀行から1億円の融資を受けて新たな事業を展開できる。

東アジアの3恐竜の中身

結局の所不動産価格の値上がり分GDPが上昇し、それが3か国の1人当たりGDP急上昇の「手品の種」でした。

中国大都市の不動産はもはや誰も買えなくなっているが、投資家や投機筋が買い居住用に住む人はいない。

ソウルや台北はそこまでではないものの、平均年収の20倍前後は「精一杯背伸びした土地バブル」の状態です。


理想的な住宅価格はサラリーマン年収の5倍以内で、日米の田舎ではそのくらいになっています。

国は「平均年収」をなるべく多く見せかけようとするので、実際にはソウルのマンション価格は平均年収の20倍以上でしょう。

バブル期の日本の1989年東京の年収倍率は14倍だったが、この時は住宅ローン金利が6%程度だったので30年ローンだと元本の3倍にもなった。


多くの日本人は「絶対に返済できないローン」を抱えてしまい、その後返済不能になり家庭崩壊した。

東アジア3か国の地価吊り上げによるGDP積み増しはもう限界に達してしまい、もう水増しする余地が無い。

当然ながら上昇し過ぎた地価は今後問題を起こし、地価を下げるか実体経済と平均年収を上げるしかない。


だが地価を下げればバブル崩壊するし、平均収入を地価上昇率以上に上げるのは困難です。
https://www.thutmosev.com/archives/87588342.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/714.html#c26

[近代史4] 一人当たりGDPで韓国が日本を抜いた?言いたい人が都合のいいデータを使っているだけ? 中川隆
1. 中川隆[-14109] koaQ7Jey 2022年1月21日 10:43:22 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[12]

2022年01月20日
韓国はバブル経済をどう終息するか、空前の地価上昇

ソウルのマンション群、地価上昇で一つ一つがGDPになった

空前の地価上昇がGDPを底上げした

韓国政府は1人当たりGDPで3万ドルを超え、数年で4万ドルの日本を超えると宣言して見せた。

実は日本、イギリス、フランスの1人当たりGDPはほぼ同じで、ドイツは少し多い4万5000ドルとなっている。

つまり1人当たりGDPで日本を超えるのは、英仏を超えドイツと同等になると言っている事になる。


その現実味は宇宙人は実在するかと同じで、賛成派と反対派は議論がかみ合わず結論はでない。

韓国の1人当たりGDPが3万ドル、世界29位で台湾は32位、中国は64位でこの3か国には共通点がある。

台湾に行ったとき道路沿いにマンションや家の広告看板があり、値段は忘れたが「日本より高い」と思ったのを覚えている。


現在台湾でもっとも高額な台北101は坪1000万円、大安森林公園も1000万円近く、台北駅周辺は500万円以上です。

東京のマンション平均価格7000万円に対して台北は1億1000万円(2019年)、平均年収は400万円以下で年収比約29倍だそうです。

ソウルのマンション平均価格は平均年収の18倍、上海や北京は年収比で60倍以上だった。


これらが意味するのは、東アジア3か国は地価を上昇させることでGDPを上昇させていたという点です。

地価や株価はGDPに加算されないが、どちらも資産価値を持つので土地や株を担保に金を借りる事ができる。

1000万円で買った土地が1億円に値上がりしたら、銀行から1億円の融資を受けて新たな事業を展開できる。

東アジアの3恐竜の中身

結局の所不動産価格の値上がり分GDPが上昇し、それが3か国の1人当たりGDP急上昇の「手品の種」でした。

中国大都市の不動産はもはや誰も買えなくなっているが、投資家や投機筋が買い居住用に住む人はいない。

ソウルや台北はそこまでではないものの、平均年収の20倍前後は「精一杯背伸びした土地バブル」の状態です。


理想的な住宅価格はサラリーマン年収の5倍以内で、日米の田舎ではそのくらいになっています。

国は「平均年収」をなるべく多く見せかけようとするので、実際にはソウルのマンション価格は平均年収の20倍以上でしょう。

バブル期の日本の1989年東京の年収倍率は14倍だったが、この時は住宅ローン金利が6%程度だったので30年ローンだと元本の3倍にもなった。


多くの日本人は「絶対に返済できないローン」を抱えてしまい、その後返済不能になり家庭崩壊した。

東アジア3か国の地価吊り上げによるGDP積み増しはもう限界に達してしまい、もう水増しする余地が無い。

当然ながら上昇し過ぎた地価は今後問題を起こし、地価を下げるか実体経済と平均年収を上げるしかない。


だが地価を下げればバブル崩壊するし、平均収入を地価上昇率以上に上げるのは困難です。
https://www.thutmosev.com/archives/87588342.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1700.html#c1

[近代史4] GDPを増やすには不動産を高騰させればよい 中川隆
5. 中川隆[-14108] koaQ7Jey 2022年1月21日 10:43:46 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[13]

2022年01月20日
韓国はバブル経済をどう終息するか、空前の地価上昇

ソウルのマンション群、地価上昇で一つ一つがGDPになった

空前の地価上昇がGDPを底上げした

韓国政府は1人当たりGDPで3万ドルを超え、数年で4万ドルの日本を超えると宣言して見せた。

実は日本、イギリス、フランスの1人当たりGDPはほぼ同じで、ドイツは少し多い4万5000ドルとなっている。

つまり1人当たりGDPで日本を超えるのは、英仏を超えドイツと同等になると言っている事になる。


その現実味は宇宙人は実在するかと同じで、賛成派と反対派は議論がかみ合わず結論はでない。

韓国の1人当たりGDPが3万ドル、世界29位で台湾は32位、中国は64位でこの3か国には共通点がある。

台湾に行ったとき道路沿いにマンションや家の広告看板があり、値段は忘れたが「日本より高い」と思ったのを覚えている。


現在台湾でもっとも高額な台北101は坪1000万円、大安森林公園も1000万円近く、台北駅周辺は500万円以上です。

東京のマンション平均価格7000万円に対して台北は1億1000万円(2019年)、平均年収は400万円以下で年収比約29倍だそうです。

ソウルのマンション平均価格は平均年収の18倍、上海や北京は年収比で60倍以上だった。


これらが意味するのは、東アジア3か国は地価を上昇させることでGDPを上昇させていたという点です。

地価や株価はGDPに加算されないが、どちらも資産価値を持つので土地や株を担保に金を借りる事ができる。

1000万円で買った土地が1億円に値上がりしたら、銀行から1億円の融資を受けて新たな事業を展開できる。

東アジアの3恐竜の中身

結局の所不動産価格の値上がり分GDPが上昇し、それが3か国の1人当たりGDP急上昇の「手品の種」でした。

中国大都市の不動産はもはや誰も買えなくなっているが、投資家や投機筋が買い居住用に住む人はいない。

ソウルや台北はそこまでではないものの、平均年収の20倍前後は「精一杯背伸びした土地バブル」の状態です。


理想的な住宅価格はサラリーマン年収の5倍以内で、日米の田舎ではそのくらいになっています。

国は「平均年収」をなるべく多く見せかけようとするので、実際にはソウルのマンション価格は平均年収の20倍以上でしょう。

バブル期の日本の1989年東京の年収倍率は14倍だったが、この時は住宅ローン金利が6%程度だったので30年ローンだと元本の3倍にもなった。


多くの日本人は「絶対に返済できないローン」を抱えてしまい、その後返済不能になり家庭崩壊した。

東アジア3か国の地価吊り上げによるGDP積み増しはもう限界に達してしまい、もう水増しする余地が無い。

当然ながら上昇し過ぎた地価は今後問題を起こし、地価を下げるか実体経済と平均年収を上げるしかない。


だが地価を下げればバブル崩壊するし、平均収入を地価上昇率以上に上げるのは困難です。
https://www.thutmosev.com/archives/87588342.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/996.html#c5

[近代史5] 転落したのではなく、最初から努力も向上心もなく社会のどん底に落ちる人もいる
転落したのではなく、最初から努力も向上心もなく社会のどん底に落ちる人もいる
https://blackasia.net/?p=11975


知能に問題があるわけでもないのに、本当に「何もしない何もできない人」が世の中にいる。そういった人たちの一定数が、必然的に貧困に落ちていく。しかし現代社会は、それを指摘するのは一種のタブーでもある。「救済できない人がいる」というのは不都合な事実である。(鈴木傾城)


やるべきことを何一つしないで困窮するタイプ
最近、私はアンダーグラウンドの知り合いよりも表社会のそれなりに知名度や肩書きがある知り合いが増えてきたのだが、彼らの誰もがコミュニケーション能力が高く、向上心もあり、いろんなことを考え、自発的に動いていることに驚きがある。

世間に知られている人たちの努力はやはり半端なものではない。

彼らは「継続は力なり」のような言葉を座右の銘にして、よく考え、よく働き、着々とキャリアを積み上げて長期的視点で働いている。みんな立派で良くやっていると思う。

私自身はスラムや貧困地区をうろついて長く生きてきた人間なので、彼らとは対極の世界にいたとも言える。

どん底《ボトム》の世界では、向上心を持った人ばかりではないのは事実だ。そこでは、遺伝的に、性格的に、気質的に、どうしても「やるべきことをやらない人」がいくらでもいる。

努力すれば何とかなる局面でも、努力しないのでなし崩しに落ちぶれていく。そして、必然的に社会のどん底にまで行き着く。

つまり貧困に転がり落ちたのは、社会が悪いのではなく、出自が悪いのではなく、親が悪いのではなく、環境が悪いのでもなく、病気のせいでもなく、ただただ「本人が悪い」と言うしかない人が存在するのだ。

運の良し悪しが人生を決めることもある。しかし、それ以前に「やるべきことを何一つしないで困窮するタイプ」が世の中にはいる。

働くことが嫌いで、面倒なことも嫌いで、耐えることも嫌いで、コミュニケーションすることも嫌いで、頭を使うことも嫌いで、努力することも嫌いで、生活が危機に瀕しても極限まで何もしない。

落ちるべくして社会の底辺に落ちる人も存在する
社会のどん底にいる人は一様ではない。才能と向上心と努力の塊のような人でも、何らかのきっかけで社会の底辺にまで転がり落ちることがある。

たとえば、事業家が資金繰りのミスで立ち直れないほどの損害を抱えたとか、共同経営者に騙されたとか、深刻な病気になったとか、家族との関係に問題が起きたとか、いろんな原因で信頼や財産をすべて失うようなことは珍しくない。

芸術や表現に関して溢れるような才能があっても、それで一生を支えられるとは限らない。金融リテラシーに欠けていたら、いくら芸術の才能があっても生活は困窮してしまう。

他にも、アルコールやドラッグで身を持ち崩したとか、浪費が止まらなかったとか、世の中にはいろんな転落があるのだ。(マネーボイス:なぜ年収数億円の有名人が破産する?私たち庶民にも参考になるたった1つの防衛策=鈴木傾城 )

しかし一方で「転落した」のではなく、最初から努力することも向上心を持つこともないまま、落ちるべくして社会の底辺に落ちる人も存在する。まさに「自業自得」という言葉が、そっくりそのまま当てはまる人である。

やるべきことをやらない。守るべきものを守らない。踏ん張らなければならない時に踏ん張らない。

「もう少し向上心を、もう少し努力をしたら何とかなる」とまわりから思われ、指摘され、更生のアドバイスを受けるのだが、それでも向上心も努力も持てずに為すがままに生きる。だから、どん底まで落ちる。

いくら救済の手を差し伸べても、その効果は一時的で限定的だ。救済が切れると再び落ちる。自分では何もしないので、自力では浮上できない。そのため、どこまでも底辺をさまよい歩くことになる。


感心してしまうほど向上心が欠けている
社会の底辺では、パチンコ屋でタバコをふかしながら「金がたまらない」と言い、仕事を探す努力もしないで「金に困っている」という人もいる。あるいは朝から大酒を食らって、仕事もしないで「仕事がない」という人もいる。

悪癖を指摘されてもそれを止める努力をするわけでもない。誰かに止めさせられてもまた悪癖に戻る。第三者が必死で仕事を見つけてあげて仕事に就かせても、遅刻や無断欠勤をしたあげくに勝手に辞めてしまう。

もちろん、本人が一番困ることになるのだが、本人よりもまわりの方がやきもきして世話を焼くことも多い。しかし、何をしても本人が努力もやる気も見せないので何ともならない。

たとえば、普通の人には、家賃が払えなくなるとか光熱費が払えなくなるというのは「一大事」である。そのため、何としてでも金を集めるために努力する。光熱費が払えないというのは、命に関わることだからである。

しかし「困った」と思いながらも、特に何もしないでその日を迎える人も世の中にはいる。破滅が分かっていても何もしないのである。そこを乗り越えなければ終わりだと分かっていて乗り越えない。

ほとんどの場合、仕方がないので親が泣く泣く助けるのだが、助ける人がいなければ最終的にはホームレスにまで到達する。しかし、それでも本人は面倒臭がって何もしない。

感心してしまうほど向上心が欠けている。いまだかつて一度も自分の人生で向上心を持ったこともないのではないかと思うほど向上心がない。

「まずいことになった」というのは分かっているのだが、そうなった原因を究明し、反省し、対策を立案し、解決に向けて実行するという基本的な方針が人生にない。

そんな基本方針があれば最初からどん底にまで落ちることはないのだが、どん底に落ちても何もしないというのが彼らの特徴でもある。

何もできない人を助けるにも限度がある
彼らは遅かれ早かれ困窮する。かと言って、彼らは助けを求めることもない。なぜなら、困ったから何とかしようとする発想そのものがないからだ。今までそうしたこともないのでコミュニケーション能力も備わっていない。

そう言えば、社会の見えないところでは、絶望的なまでにコミュニケーション能力が欠けている人も大勢いる。

2018年、長期間の引きこもりで親が死んで保護された神奈川県金沢区の男性は、もはや「話す」ということさえもできなくなっていたので筆談をせざるを得なかった。コミュニケーション能力が完全に欠落してしまったのである。

社会のどん底にはある一定数でこのようなタイプの人たちがいて、だからこそすべてを失って、どん底を徘徊する。

本人の努力ではいかんともし難い苦難に見舞われて転落した人と、最初から何もしないで落ちるべくして落ちた人が貧困社会の中に混在している。

社会で生きる力が備わっていない人であっても、全員が全員ともホームレスになって困窮するわけではない。親が何もできない子供を許容する場合、親が一生涯養うので彼らは何事もなく生きて死んでいくことになる。

しかし、助けてくれる人がいなければ、あっと言う間に社会のどん底に落ちていく。

多くのNGOは、こうした人をさえも救済しようと手を差し伸べる。しかし、ほとんどは徒労に終わることになる。最終的に自立できるだけの力が備わっていないので、助けても助けてもずるずると駄目になるからだ。

何もできない人を助けるにも限度がある。そのため、救済はやがて途切れて、再び社会の底辺に向かって沈没していく。

こうした人々は、いつの時代でも、どこの国でも、どんな社会システムの元であっても、性別も関係なく存在する。いかに社会システムと福祉を充実させても、何ともならない人であるとも言える。

インドの貧困層の女性たちを扱った『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち』の復刻版はこちらから

「何もしない子供たち」を支えることができくなる
知能に問題があるわけでもないのに、本当に「何もしない何もできない人」が世の中にいる。そういった人たちの一定数が、必然的に貧困に落ちていく。しかし現代社会は、それを指摘するのは一種のタブーでもある。

貧困撲滅という美しい社会システムの構築には「救済できない人がいる」というのは不都合な事実である。それを認めてしまったら、貧困層を救済する大義名分が消えてしまうかもしれないからだ。

また、自業自得で救えない人がいると社会が認識してしまったら、救えるはずの貧困層も「放っておけ、どうせ救えないのだから」という話になってしまう危険がある。そのため、「本人の性格・気質のためにどうしても救済できない人がいる」という事実はやんわりと隠される。

社会福祉が充実した社会では、こうした「最初から努力もしないで、為すがまま生きてどん底に落ちた人」も救済できる。社会が余裕があり、家庭に余裕があったら、彼らは目立たずに救済されるのだ。

しかし、社会にも家庭にも余裕がなくなれば、いよいよ彼らは放置されることになる。

最近、コロナ禍で多くの人が自粛を強制されているので、目立たなくなってきているのだが、8050問題はそんな社会情勢の裏でも着々と深刻化している。「80代の高齢化した親と50代のひきこもりの子供の共に困窮化」を8050問題と呼ぶ。

ひきこもった子供たちというのは、自分で努力して世の中を切り拓くのではなく極限まで親に依存して生きていくのだが、親も高齢化して「何もしない子供たち」を支えることができくなってきているのだ。

かと言って、少子高齢化で社会保障費が膨れ上がって四苦八苦している政府も余裕があるわけではない。コロナ禍では2020 年度 175 兆円という未曾有の財政出動を政府は行ったが、ますます政府は緊縮財政に走って社会保障費を切り詰めようとするだろう。

そのため、破滅が分かっていても「何もしない、できない」人は、今後は家庭からも社会からも見捨てられるのではないか。そんな光景が社会のどん底に出現するのではないか。そのような動きが社会の底辺を見ていると感じ取れる。


『ボトム・オブ・ジャパン 日本のどん底(鈴木 傾城)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4904213939/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=blackbook2tok-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4904213939&linkId=f928990c4e787d7b7703306d26f75410


https://blackasia.net/?p=11975
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1448.html

[近代史5] 世界的インフレは株価暴落を引き起こす 2022年株式市場見通し 中川隆
22. 中川隆[-14107] koaQ7Jey 2022年1月21日 12:13:10 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[14]
2022年のスタグフレーションに投資する方法
2022年1月20日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18949


年始から著名投資家の相場観の紹介に忙しかったため、なかなか書けていなかったが、2022年の投資戦略について包括的に書いてみよう。

インフレと景気後退の合わせ技

2022年のテーマはスタグフレーションである。

スタグフレーションとはインフレと景気後退が同時に来ることである。物価は需要と供給に左右されるが、景気が後退すると通常需要も後退するため、物価押し下げの要因となることが多い。つまりはデフレである。

ここ数十年の間、経済のテーマはデフレと景気後退だった。インフレが起こることはなかった。だがデフレにあぐらをかいて、どんなに紙幣を印刷してもインフレにはならないと高をくくって紙幣をばら撒き続けた結果、アメリカでは前年比7.1%の物価高騰が起こっており、しかも収拾の目処は立っていない。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
リフレ派の似非経済学者たちにインフレは良いものだと教えられてきた多くの人々は、スーパーの食料品の値段が上がり始めてようやく、インフレとはものが同じ値段で買えないことだという事実に気づいたようである。面白い話ではないか。政府やマスコミの言うことを信じるからそういうことになるのである。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
結果として中央銀行は金融緩和の撤回、そして金融引き締めを強いられている。しかし利上げを行うとインフレが抑制されるより先に株価が暴落するということは、以下の記事を読んだ人には確実に思える話だろう。

金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火
インフレ対策とは違うスタグフレーション対策

このままでは物価高騰は止まらず、先に景気後退が来そうである。景気後退にもかかわらず物価上昇が収まっていない状態、つまりスタグフレーションは、著名投資家やここの読者には2022年のメインシナリオである。債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏などは半年以上前からこの状況を的確に予想していた。

ガンドラック氏: インフレが後退するなら景気も後退 金価格高騰へ (2021/6/14)
今後の経済動向を予想するのは簡単である。それはスタグフレーションである。

しかし投資家にとってはややこしい問題が待ち構えている。スタグフレーションに賭ける投資は、インフレに賭ける投資よりも複雑だということである。

単にインフレに賭けるだけならば、ゴールドやシルバー、原油や大豆やコーンなどを買えば良い。暗号通貨も上がり続けるかもしれない。物価が上がるのだから、ものを買えば良いのである。金融市場で売買できるこうした商品はコモディティと呼ばれている。

事実、コモディティ銘柄はインフレを織り込んで1年半前から上昇してきた。ここではそうした動きを最初から報じ続けている。

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰 (2020/10/14)
例えば原油価格は次のように推移している。


だが2022年、金融引き締めは経済成長を殺してしまうだろう。そうなれば株価は暴落し、それはこうしたコモディティ価格にもマイナスに働く。リーマン・ショック時に金価格が暴落していることを思い出したい。

リーマンショックで急落した金価格、上昇した米国債
スタグフレーション相場では、単にコモディティ銘柄を買うだけでは駄目なのである。

スタグフレーションへの賭け方

では投資家はどうすれば良いだろうか?

まずはスタグフレーションとはそもそも何であるかを思い出したい。まず名目経済成長率とはインフレ率と実質経済成長率の和である。

名目経済成長率 = インフレ率 + 実質経済成長率
スタグフレーションとは、この内インフレ率はそれほど下がらないが、実質経済成長率が下がってしまう状態のことである。結果として名目経済成長率は必ずしも下がるわけではない。

この名目と実質ということが重要である。例えば株価はインフレを差し引きしていないので名目の数字であり、(銘柄にもよるが)インフレはプラスに働くものの実質経済成長率の減少はマイナスに働く。

この状況で株式という資産クラスが微妙なのは、インフレというプラス要因と実質経済成長率減少というマイナス要因の両方の影響を受けるからである。グロース株など銘柄によってはインフレもマイナス影響となり、そうしたものはむしろ空売り対象だろう。著名投資家も手を引き始めている。

ドラッケンミラー氏、やはりインフレ懸念でハイテク株を利益確定
ジョージ・ソロス氏、インフレトレードを継続 ハイテク株は一部利益確定
そこで、投資家は「名目の成長率からインフレを差し引いたものが下落する」ことに賭ける必要があることが分かる。

名目のものとは、例えば株式である。

一方でインフレに連動するものには金属やエネルギー資源、農作物などのコモディティ銘柄がある。

ここまで言えば多くの読者には分かるのではないか。株式を空売りして、同額のコモディティを買うのである。そうすれば「名目からインフレを差し引いた、実質的な価格減少に賭けるポジション」が出来上がる。それこそがスタグフレーショントレードである。

スタグフレーションで空売りすべきもの

しかし株式と言っても様々な種類がある。2018年の世界同時株安からの読者は実体験として覚えているだろうが、株価暴落と言ってもすべての銘柄が同時に下落を始めるわけではない。

2018年の例ではまず中国株などの新興国株が下落し、次に日本やヨーロッパなどの株式が下落し、米国株が下落した。

同じ国の株式市場でも株価指数に採用されている大型株が下落するのは最後で、日本のマザーズやアメリカならRussell 2000など小型株指数から先に下落する。詳細は当時の記事を読んでもらいたい。

遂に米国株にも減速の兆し (2018/10/8)
世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因 (2018/10/28)
また、ガンドラック氏は大型株より先に下落するものとしてジャンク債を挙げており、金利上昇に耐えられない銘柄としては随一のものであるので、筆者もお勧めしている。

ガンドラック氏: 株価急落のタイミングはジャンク債が教えてくれる
ジャンク債の空売りは安全なヘッジになるか
こうした階層構造をランク分けすると次のようになるだろうか。

ランク1: S&P 500など
ランク2: Russell 2000、日本株、欧州株、ジャンク債など
ランク3: 日本や欧州の小型株、新興国株など
現状、ランク1はまだ上昇基調であり、ランク2は横ばい、ランク3は下落済みという感じである。

2018年の例ではランク2はランク1が下落する相場の最後まで上がらずに横ばいを続けたケースが多かった。日本株については最後に一瞬だけ上がったのでそういう可能性もあると考えるべきだが、ランク2の中で分散して空売りしておけばリスクは大きくないだろう。

バブルの頂点で日経平均は上昇、空売りを淡々と継続 (2018/9/20)
スタグフレーションで買うべきもの

一方で同額買うべきものはコモディティである。あるいは株式の中でもコモディティを産出する銘柄についてはコモディティ扱いしても良い。小型株指数とのロングショート(買いと空売りの組み合わせ)はまさにスタグフレーショントレードである。

具体的にはどうだろうか。筆者はそろそろゴールドに手を出して良いと考えている。(しかし上記の空売りと組み合わせたスタグフレーショントレードとしてである。)


ゴールドはこれまでコモディティの中では売られてきた方である。これは利上げがゴールドにマイナスだったからだが、現状の利上げペースではインフレを止められないということがはっきりしてきた今はゴールドに風が向き始めているだろう。

また、現在のインフレのもう1つの原因は脱炭素政策である。化石燃料の供給を強制的に減らしたために化石燃料が高騰している。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
脱炭素に取り憑かれたフランスなどは天然ガスの高騰に現金給付で対応してまさに火に油を注いでいる。

フランス、インフレ対策で現金給付へ
彼らはどうしても化石燃料を使いたくないため、ヨーロッパでは原子力発電に予算が組まれるなど原発が再注目されている。

原油や天然ガスに直接賭けるのも悪くはないが、天然ガスや原子力などの関連株式銘柄に割安なものがまだ残っている。

そして最後に紹介するのが農作物である。今回のインフレの問題は1970年代以来の大問題だが、農作物にはまだ10年来の高値さえ越えていないものが山ほどある。

例えばとうもろこしである。


他には大豆もある。


とうもろこしと大豆はバイオエタノールの原料となるためエネルギー価格高騰と連動する。

連動しないものとしては、小麦などはまだまだ安いだろう。


また、コモディティでも中国バブル崩壊の影響が大きいものは避けるべきだろう。中国の影響の少ないコモディティと大きいコモディティでロングショートを行うことも出来る。中国については詳細は別の記事に譲りたい。

サマーズ氏: 中国恒大集団のデフォルト危機は日本のバブル崩壊と同じで極めて深刻
恒大集団倒産と中国不動産バブル崩壊で空売りすべき銘柄リスト
結論

以上、買いと空売りを組み合わせたスタグフレーショントレードを紹介した。まとめると、買うべき銘柄は以下のものである。

ゴールド
エネルギー資源や関連銘柄の安いもの
とうもろこしや大豆、小麦など農作物
空売りすべき銘柄は以下のものである。

米国小型株指数
日本株やヨーロッパ株
ジャンク債
中国関連コモディティ
このように、スタグフレーショントレードはインフレトレードよりもよほど難しく、しかもここ何十年もスタグフレーションは起こったことがないため、経験ある投資家は世界にもほとんどいないだろう。

また、物価水準に基づいたトレードの第一のものは米国債のトレードであり、筆者の第一のポジションもそれであることは、もう一度述べておきたい。以下の記事で詳しく説明している。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18949
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1325.html#c22

[近代史5] スタグフレーションに備えよ! 中川隆
18. 中川隆[-14106] koaQ7Jey 2022年1月21日 12:13:49 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[15]
2022年のスタグフレーションに投資する方法
2022年1月20日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18949


年始から著名投資家の相場観の紹介に忙しかったため、なかなか書けていなかったが、2022年の投資戦略について包括的に書いてみよう。

インフレと景気後退の合わせ技

2022年のテーマはスタグフレーションである。

スタグフレーションとはインフレと景気後退が同時に来ることである。物価は需要と供給に左右されるが、景気が後退すると通常需要も後退するため、物価押し下げの要因となることが多い。つまりはデフレである。

ここ数十年の間、経済のテーマはデフレと景気後退だった。インフレが起こることはなかった。だがデフレにあぐらをかいて、どんなに紙幣を印刷してもインフレにはならないと高をくくって紙幣をばら撒き続けた結果、アメリカでは前年比7.1%の物価高騰が起こっており、しかも収拾の目処は立っていない。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
リフレ派の似非経済学者たちにインフレは良いものだと教えられてきた多くの人々は、スーパーの食料品の値段が上がり始めてようやく、インフレとはものが同じ値段で買えないことだという事実に気づいたようである。面白い話ではないか。政府やマスコミの言うことを信じるからそういうことになるのである。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
結果として中央銀行は金融緩和の撤回、そして金融引き締めを強いられている。しかし利上げを行うとインフレが抑制されるより先に株価が暴落するということは、以下の記事を読んだ人には確実に思える話だろう。

金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火
インフレ対策とは違うスタグフレーション対策

このままでは物価高騰は止まらず、先に景気後退が来そうである。景気後退にもかかわらず物価上昇が収まっていない状態、つまりスタグフレーションは、著名投資家やここの読者には2022年のメインシナリオである。債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏などは半年以上前からこの状況を的確に予想していた。

ガンドラック氏: インフレが後退するなら景気も後退 金価格高騰へ (2021/6/14)
今後の経済動向を予想するのは簡単である。それはスタグフレーションである。

しかし投資家にとってはややこしい問題が待ち構えている。スタグフレーションに賭ける投資は、インフレに賭ける投資よりも複雑だということである。

単にインフレに賭けるだけならば、ゴールドやシルバー、原油や大豆やコーンなどを買えば良い。暗号通貨も上がり続けるかもしれない。物価が上がるのだから、ものを買えば良いのである。金融市場で売買できるこうした商品はコモディティと呼ばれている。

事実、コモディティ銘柄はインフレを織り込んで1年半前から上昇してきた。ここではそうした動きを最初から報じ続けている。

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰 (2020/10/14)
例えば原油価格は次のように推移している。


だが2022年、金融引き締めは経済成長を殺してしまうだろう。そうなれば株価は暴落し、それはこうしたコモディティ価格にもマイナスに働く。リーマン・ショック時に金価格が暴落していることを思い出したい。

リーマンショックで急落した金価格、上昇した米国債
スタグフレーション相場では、単にコモディティ銘柄を買うだけでは駄目なのである。

スタグフレーションへの賭け方

では投資家はどうすれば良いだろうか?

まずはスタグフレーションとはそもそも何であるかを思い出したい。まず名目経済成長率とはインフレ率と実質経済成長率の和である。

名目経済成長率 = インフレ率 + 実質経済成長率
スタグフレーションとは、この内インフレ率はそれほど下がらないが、実質経済成長率が下がってしまう状態のことである。結果として名目経済成長率は必ずしも下がるわけではない。

この名目と実質ということが重要である。例えば株価はインフレを差し引きしていないので名目の数字であり、(銘柄にもよるが)インフレはプラスに働くものの実質経済成長率の減少はマイナスに働く。

この状況で株式という資産クラスが微妙なのは、インフレというプラス要因と実質経済成長率減少というマイナス要因の両方の影響を受けるからである。グロース株など銘柄によってはインフレもマイナス影響となり、そうしたものはむしろ空売り対象だろう。著名投資家も手を引き始めている。

ドラッケンミラー氏、やはりインフレ懸念でハイテク株を利益確定
ジョージ・ソロス氏、インフレトレードを継続 ハイテク株は一部利益確定
そこで、投資家は「名目の成長率からインフレを差し引いたものが下落する」ことに賭ける必要があることが分かる。

名目のものとは、例えば株式である。

一方でインフレに連動するものには金属やエネルギー資源、農作物などのコモディティ銘柄がある。

ここまで言えば多くの読者には分かるのではないか。株式を空売りして、同額のコモディティを買うのである。そうすれば「名目からインフレを差し引いた、実質的な価格減少に賭けるポジション」が出来上がる。それこそがスタグフレーショントレードである。

スタグフレーションで空売りすべきもの

しかし株式と言っても様々な種類がある。2018年の世界同時株安からの読者は実体験として覚えているだろうが、株価暴落と言ってもすべての銘柄が同時に下落を始めるわけではない。

2018年の例ではまず中国株などの新興国株が下落し、次に日本やヨーロッパなどの株式が下落し、米国株が下落した。

同じ国の株式市場でも株価指数に採用されている大型株が下落するのは最後で、日本のマザーズやアメリカならRussell 2000など小型株指数から先に下落する。詳細は当時の記事を読んでもらいたい。

遂に米国株にも減速の兆し (2018/10/8)
世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因 (2018/10/28)
また、ガンドラック氏は大型株より先に下落するものとしてジャンク債を挙げており、金利上昇に耐えられない銘柄としては随一のものであるので、筆者もお勧めしている。

ガンドラック氏: 株価急落のタイミングはジャンク債が教えてくれる
ジャンク債の空売りは安全なヘッジになるか
こうした階層構造をランク分けすると次のようになるだろうか。

ランク1: S&P 500など
ランク2: Russell 2000、日本株、欧州株、ジャンク債など
ランク3: 日本や欧州の小型株、新興国株など
現状、ランク1はまだ上昇基調であり、ランク2は横ばい、ランク3は下落済みという感じである。

2018年の例ではランク2はランク1が下落する相場の最後まで上がらずに横ばいを続けたケースが多かった。日本株については最後に一瞬だけ上がったのでそういう可能性もあると考えるべきだが、ランク2の中で分散して空売りしておけばリスクは大きくないだろう。

バブルの頂点で日経平均は上昇、空売りを淡々と継続 (2018/9/20)
スタグフレーションで買うべきもの

一方で同額買うべきものはコモディティである。あるいは株式の中でもコモディティを産出する銘柄についてはコモディティ扱いしても良い。小型株指数とのロングショート(買いと空売りの組み合わせ)はまさにスタグフレーショントレードである。

具体的にはどうだろうか。筆者はそろそろゴールドに手を出して良いと考えている。(しかし上記の空売りと組み合わせたスタグフレーショントレードとしてである。)


ゴールドはこれまでコモディティの中では売られてきた方である。これは利上げがゴールドにマイナスだったからだが、現状の利上げペースではインフレを止められないということがはっきりしてきた今はゴールドに風が向き始めているだろう。

また、現在のインフレのもう1つの原因は脱炭素政策である。化石燃料の供給を強制的に減らしたために化石燃料が高騰している。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
脱炭素に取り憑かれたフランスなどは天然ガスの高騰に現金給付で対応してまさに火に油を注いでいる。

フランス、インフレ対策で現金給付へ
彼らはどうしても化石燃料を使いたくないため、ヨーロッパでは原子力発電に予算が組まれるなど原発が再注目されている。

原油や天然ガスに直接賭けるのも悪くはないが、天然ガスや原子力などの関連株式銘柄に割安なものがまだ残っている。

そして最後に紹介するのが農作物である。今回のインフレの問題は1970年代以来の大問題だが、農作物にはまだ10年来の高値さえ越えていないものが山ほどある。

例えばとうもろこしである。


他には大豆もある。


とうもろこしと大豆はバイオエタノールの原料となるためエネルギー価格高騰と連動する。

連動しないものとしては、小麦などはまだまだ安いだろう。


また、コモディティでも中国バブル崩壊の影響が大きいものは避けるべきだろう。中国の影響の少ないコモディティと大きいコモディティでロングショートを行うことも出来る。中国については詳細は別の記事に譲りたい。

サマーズ氏: 中国恒大集団のデフォルト危機は日本のバブル崩壊と同じで極めて深刻
恒大集団倒産と中国不動産バブル崩壊で空売りすべき銘柄リスト
結論

以上、買いと空売りを組み合わせたスタグフレーショントレードを紹介した。まとめると、買うべき銘柄は以下のものである。

ゴールド
エネルギー資源や関連銘柄の安いもの
とうもろこしや大豆、小麦など農作物
空売りすべき銘柄は以下のものである。

米国小型株指数
日本株やヨーロッパ株
ジャンク債
中国関連コモディティ
このように、スタグフレーショントレードはインフレトレードよりもよほど難しく、しかもここ何十年もスタグフレーションは起こったことがないため、経験ある投資家は世界にもほとんどいないだろう。

また、物価水準に基づいたトレードの第一のものは米国債のトレードであり、筆者の第一のポジションもそれであることは、もう一度述べておきたい。以下の記事で詳しく説明している。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18949
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html#c18

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
50. 中川隆[-14105] koaQ7Jey 2022年1月21日 12:14:27 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[16]
2022年のスタグフレーションに投資する方法
2022年1月20日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18949


年始から著名投資家の相場観の紹介に忙しかったため、なかなか書けていなかったが、2022年の投資戦略について包括的に書いてみよう。

インフレと景気後退の合わせ技

2022年のテーマはスタグフレーションである。

スタグフレーションとはインフレと景気後退が同時に来ることである。物価は需要と供給に左右されるが、景気が後退すると通常需要も後退するため、物価押し下げの要因となることが多い。つまりはデフレである。

ここ数十年の間、経済のテーマはデフレと景気後退だった。インフレが起こることはなかった。だがデフレにあぐらをかいて、どんなに紙幣を印刷してもインフレにはならないと高をくくって紙幣をばら撒き続けた結果、アメリカでは前年比7.1%の物価高騰が起こっており、しかも収拾の目処は立っていない。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%
リフレ派の似非経済学者たちにインフレは良いものだと教えられてきた多くの人々は、スーパーの食料品の値段が上がり始めてようやく、インフレとはものが同じ値段で買えないことだという事実に気づいたようである。面白い話ではないか。政府やマスコミの言うことを信じるからそういうことになるのである。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
結果として中央銀行は金融緩和の撤回、そして金融引き締めを強いられている。しかし利上げを行うとインフレが抑制されるより先に株価が暴落するということは、以下の記事を読んだ人には確実に思える話だろう。

金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火
インフレ対策とは違うスタグフレーション対策

このままでは物価高騰は止まらず、先に景気後退が来そうである。景気後退にもかかわらず物価上昇が収まっていない状態、つまりスタグフレーションは、著名投資家やここの読者には2022年のメインシナリオである。債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏などは半年以上前からこの状況を的確に予想していた。

ガンドラック氏: インフレが後退するなら景気も後退 金価格高騰へ (2021/6/14)
今後の経済動向を予想するのは簡単である。それはスタグフレーションである。

しかし投資家にとってはややこしい問題が待ち構えている。スタグフレーションに賭ける投資は、インフレに賭ける投資よりも複雑だということである。

単にインフレに賭けるだけならば、ゴールドやシルバー、原油や大豆やコーンなどを買えば良い。暗号通貨も上がり続けるかもしれない。物価が上がるのだから、ものを買えば良いのである。金融市場で売買できるこうした商品はコモディティと呼ばれている。

事実、コモディティ銘柄はインフレを織り込んで1年半前から上昇してきた。ここではそうした動きを最初から報じ続けている。

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰 (2020/10/14)
例えば原油価格は次のように推移している。


だが2022年、金融引き締めは経済成長を殺してしまうだろう。そうなれば株価は暴落し、それはこうしたコモディティ価格にもマイナスに働く。リーマン・ショック時に金価格が暴落していることを思い出したい。

リーマンショックで急落した金価格、上昇した米国債
スタグフレーション相場では、単にコモディティ銘柄を買うだけでは駄目なのである。

スタグフレーションへの賭け方

では投資家はどうすれば良いだろうか?

まずはスタグフレーションとはそもそも何であるかを思い出したい。まず名目経済成長率とはインフレ率と実質経済成長率の和である。

名目経済成長率 = インフレ率 + 実質経済成長率
スタグフレーションとは、この内インフレ率はそれほど下がらないが、実質経済成長率が下がってしまう状態のことである。結果として名目経済成長率は必ずしも下がるわけではない。

この名目と実質ということが重要である。例えば株価はインフレを差し引きしていないので名目の数字であり、(銘柄にもよるが)インフレはプラスに働くものの実質経済成長率の減少はマイナスに働く。

この状況で株式という資産クラスが微妙なのは、インフレというプラス要因と実質経済成長率減少というマイナス要因の両方の影響を受けるからである。グロース株など銘柄によってはインフレもマイナス影響となり、そうしたものはむしろ空売り対象だろう。著名投資家も手を引き始めている。

ドラッケンミラー氏、やはりインフレ懸念でハイテク株を利益確定
ジョージ・ソロス氏、インフレトレードを継続 ハイテク株は一部利益確定
そこで、投資家は「名目の成長率からインフレを差し引いたものが下落する」ことに賭ける必要があることが分かる。

名目のものとは、例えば株式である。

一方でインフレに連動するものには金属やエネルギー資源、農作物などのコモディティ銘柄がある。

ここまで言えば多くの読者には分かるのではないか。株式を空売りして、同額のコモディティを買うのである。そうすれば「名目からインフレを差し引いた、実質的な価格減少に賭けるポジション」が出来上がる。それこそがスタグフレーショントレードである。

スタグフレーションで空売りすべきもの

しかし株式と言っても様々な種類がある。2018年の世界同時株安からの読者は実体験として覚えているだろうが、株価暴落と言ってもすべての銘柄が同時に下落を始めるわけではない。

2018年の例ではまず中国株などの新興国株が下落し、次に日本やヨーロッパなどの株式が下落し、米国株が下落した。

同じ国の株式市場でも株価指数に採用されている大型株が下落するのは最後で、日本のマザーズやアメリカならRussell 2000など小型株指数から先に下落する。詳細は当時の記事を読んでもらいたい。

遂に米国株にも減速の兆し (2018/10/8)
世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因 (2018/10/28)
また、ガンドラック氏は大型株より先に下落するものとしてジャンク債を挙げており、金利上昇に耐えられない銘柄としては随一のものであるので、筆者もお勧めしている。

ガンドラック氏: 株価急落のタイミングはジャンク債が教えてくれる
ジャンク債の空売りは安全なヘッジになるか
こうした階層構造をランク分けすると次のようになるだろうか。

ランク1: S&P 500など
ランク2: Russell 2000、日本株、欧州株、ジャンク債など
ランク3: 日本や欧州の小型株、新興国株など
現状、ランク1はまだ上昇基調であり、ランク2は横ばい、ランク3は下落済みという感じである。

2018年の例ではランク2はランク1が下落する相場の最後まで上がらずに横ばいを続けたケースが多かった。日本株については最後に一瞬だけ上がったのでそういう可能性もあると考えるべきだが、ランク2の中で分散して空売りしておけばリスクは大きくないだろう。

バブルの頂点で日経平均は上昇、空売りを淡々と継続 (2018/9/20)
スタグフレーションで買うべきもの

一方で同額買うべきものはコモディティである。あるいは株式の中でもコモディティを産出する銘柄についてはコモディティ扱いしても良い。小型株指数とのロングショート(買いと空売りの組み合わせ)はまさにスタグフレーショントレードである。

具体的にはどうだろうか。筆者はそろそろゴールドに手を出して良いと考えている。(しかし上記の空売りと組み合わせたスタグフレーショントレードとしてである。)


ゴールドはこれまでコモディティの中では売られてきた方である。これは利上げがゴールドにマイナスだったからだが、現状の利上げペースではインフレを止められないということがはっきりしてきた今はゴールドに風が向き始めているだろう。

また、現在のインフレのもう1つの原因は脱炭素政策である。化石燃料の供給を強制的に減らしたために化石燃料が高騰している。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
脱炭素に取り憑かれたフランスなどは天然ガスの高騰に現金給付で対応してまさに火に油を注いでいる。

フランス、インフレ対策で現金給付へ
彼らはどうしても化石燃料を使いたくないため、ヨーロッパでは原子力発電に予算が組まれるなど原発が再注目されている。

原油や天然ガスに直接賭けるのも悪くはないが、天然ガスや原子力などの関連株式銘柄に割安なものがまだ残っている。

そして最後に紹介するのが農作物である。今回のインフレの問題は1970年代以来の大問題だが、農作物にはまだ10年来の高値さえ越えていないものが山ほどある。

例えばとうもろこしである。


他には大豆もある。


とうもろこしと大豆はバイオエタノールの原料となるためエネルギー価格高騰と連動する。

連動しないものとしては、小麦などはまだまだ安いだろう。


また、コモディティでも中国バブル崩壊の影響が大きいものは避けるべきだろう。中国の影響の少ないコモディティと大きいコモディティでロングショートを行うことも出来る。中国については詳細は別の記事に譲りたい。

サマーズ氏: 中国恒大集団のデフォルト危機は日本のバブル崩壊と同じで極めて深刻
恒大集団倒産と中国不動産バブル崩壊で空売りすべき銘柄リスト
結論

以上、買いと空売りを組み合わせたスタグフレーショントレードを紹介した。まとめると、買うべき銘柄は以下のものである。

ゴールド
エネルギー資源や関連銘柄の安いもの
とうもろこしや大豆、小麦など農作物
空売りすべき銘柄は以下のものである。

米国小型株指数
日本株やヨーロッパ株
ジャンク債
中国関連コモディティ
このように、スタグフレーショントレードはインフレトレードよりもよほど難しく、しかもここ何十年もスタグフレーションは起こったことがないため、経験ある投資家は世界にもほとんどいないだろう。

また、物価水準に基づいたトレードの第一のものは米国債のトレードであり、筆者の第一のポジションもそれであることは、もう一度述べておきたい。以下の記事で詳しく説明している。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/18949
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c50

[番外地10] 旭川の教育の荒廃は内地との経済格差と日本政府の北海道無人化政策から生まれた
旭川イジメ事件で加害者と言われている少年・少女やイジメを隠蔽したと言われている教育者には責任は全く無い
旭川の教育の荒廃は内地との経済格差と日本政府の北海道無人化政策から生まれた
底辺の子供ばかりの旭川の公立学校では既にドラッグ、レイプ、強制売春が蔓延している
日本政府は札幌以外の北海道全土の無人化を押し進めており、旭川人は仕事を失って食べていけなくなっている。底辺に落ちた旭川人の子供たちはその影響から逃れることができない。
経済格差が広がると、教育もまた崩壊していく。最初にそれが指摘されたのはアメリカだった。アメリカではレーガン大統領時代に入ってからレーガノミクスという今で言うところの「新自由主義」「市場原理主義」を取り入れた。
その結果、国民の間で格差が急激に広がり、金持ちの子供は私立に、貧困層の子供は公立に通うという分離が出来上がり、貧困層が集まる公立校が急激に荒んでいった。暴力が蔓延し、学級崩壊し、いじめも急激に増加した。

それを嫌って金持ち層がますます公立校を避けて私立に向かうようになり、教師も逃げ出したので、さらに公立校が荒廃していった。そして生まれたのが「暴力教室」の出現である。

学校内で、ドラッグ、レイプ、銃撃戦が行われるようになり、授業が成立しなくなった。しかし、そうだと分かっていても、貧困層は公立の学校に子供を通わせるしかない。市立では学費が払えない以上、選択肢はないのだ。

教育が所得で分離し、教育の荒廃がアメリカに大きな影を落とすようになった。経済格差が子供たちの学力の差となり、それが子供たちの人生に大きく悪影響を及ぼすようになったのだ。

経済格差と教育の劣化は比例して起きる現象だ。経済格差が大きい国であればあるほど教育の劣化は大きくなる。親の資産によって子供たちが通う学校が分離し、底辺の子供たちは学級崩壊しやすい環境になるからだ。

貧困層の子供たちは親が教育熱心ではなく、子供の面倒をきちんと見ないこともある。その結果、子供たちは荒れていく。それがそのまま学校の荒廃につながる。貧困層の子供たちが通う学校が学びの場でなくなっていく。

特に、誰でも受け入れなければならない公立校で事態は深刻化する。とすれば、貧困層が特に多い旭川もまた公立校は暴力にまみれていくことになるというのが分かるはずだ。

また、体罰も禁止された。体罰については賛否両論も強いが、それが厳格に禁止されると、秩序を乱す生徒がいても教師は最後の手段が取れない。

口で言っても言うことを聞かない子供は、どこにでも一定数はいる。そういった暴力傾向の強い子供たちを放置するのは学校を無法地帯にするのと同様だ。だから、生徒を退学させることのできない公立校が暴力教室へと変貌していく。

そういった環境での教育は質の低下が著しいので、最終的に教育は破綻する。教育を満足に受けさせるためには私立校の進学が必須になるが、私立校こそが教育費の増大に拍車をかけるものだ。

その結果、中流以下の家庭は荒廃した公立校に向かい、質の悪い教育しか受けられなくなる。それは子供たちの知的レベルの低下につながるので、ますます経済格差は固定化されるという現象と化す。

旭川はすでにその悪循環にはまっている。旭川のどん底《ボトム》の若者たちは、ほとんどが良質な教育を受けられなかった人たちであるが、コロナ禍が終わったらますますどん底《ボトム》の若者たちは増えるのだ。

しっかりとした教育が受けられなかった人、あるいは経済的な事情で低学歴のまま社会に出た若者ができるのは、その多くが非正規・肉体労働・単純労働だけである。これらの労働環境では豊かになるのは難しい。

当然、自暴自棄に落ちる若者も出てくる。一瞬の怒りで引き起こされる暴力や短絡的な事件も加速度的に増えていく。社会のどん底で暴力が渦巻くようになるのは、どこの国でも同じだ。

貧困社会の次は暴力社会がやってくることをよく認識すべきだ。教育がなければ成り上がることもできない。単純労働ではその日暮らしが精一杯だ。

必死で働いたところで、教育がない以上、もはや手遅れであることだけは分かっている。そんな環境に置かれたとき、人間がどのように変質していくかを今から研究しておくべきだろう。

間違いなくどん底《ボトム》で暴力が台頭していくのである。

これは、誰にとっても他人事ではない。教育と常識を学ぶことができず、自暴自棄に陥った人間がまわりに溢れるからである。旭川の社会がそういう子供たちを大量に生み出すことになる。

将来に希望が持てない人間は、鬱々とした不安や、絶え間ない失意や挫折感でいっぱいになる。そして、毎日そのような挫折感と折り合って生活しなければならない。そこに芽生えてくるのが自暴自棄な感情と、反社会的な破壊欲求だ。

今後は旭川の底辺層は想像以上に増えていき、それが旭川の標準的な光景になっていく。そんな中、未来がない状態で生きることになる若者たちの心理は、不満と破壊衝動でいっぱいになっても仕方がない。女は身を持ち崩して売春や風俗へと向かっていく。

▲△▽▼

1996年12月にも、女子中学生を中学校内で集団goukanし、被害者が先生に助けを三回も求めていたにもかかわらず『校内の性行為は自由』という『思想』のため、集団 rape を黙認した事件が旭川であったことを知っていますか?

初めのうちはクラスのマドンナ的存在であった女子生徒に対する、スカートめくりなどの軽度の性暴力から始まったと言われる。男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。女子生徒が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の一人の家に連れ込まれるようになった。

男子生徒たちは公園や橋の下などで毎朝、kouin をさせた後「今日もおいしい牛乳を有難うございました。」という屈辱的な言葉を言わせていた。

中学3年の5月からは、下着の着用と自由な haiben を禁止した上、公園内のトイレにて kanchou 器具を用いてhaisetuを強要していた。

事件は1994年秋から1996年の冬にかけ2年間にわたって続きました。クラスのアイドル的存在だった真面目な女子中学生が被害者です。舞台となったのは当時の北海道旭川市立北都中学校でした。

犯行に及んだのは地元でも有名だった10人の不良グループです。彼らは学校の廊下をバイクで乗り回すような手のつけられない暴れ者達でした。

被害者女子中学生が不良グループの一人からの告白を袖にしたことがきっかけでした。それから不良グループによる性的暴行が始まりました。

女子中学生は不良グループに性的暴行のために特別教室に連れ込まれそうになった際、通りかかった女性教師に助けを求めています。それを聞いて反応しかかった女性講師は不良達に「帰れ」と一括され、その場を立ち去り何の対処もしていません。

まだ不良達の嫌がらせが初期段階の時、女子中学生は勇気をふるって担任の教師に体を触られることを訴えています。ところが担任は訴えから2〜3日後のクラス会で軽く注意する発言をしただけでした。不良達の暴行はこれを境に一気に凶暴化しており、担任の対応のまずさが浮き彫りになっています。

不良グループ達はいわゆる地元の札付きで、教師達には見て見ぬふりが当たり前という一種の空気感があり、毅然とした姿勢を示せなかったと思われます。

▲△▽▼

教員 「だってどうしようもないじゃないですか。止めろと言って止めてくれる生徒なら何回でも言いますよ。でもそうじゃない生徒だっているんです。手を上げて無理やり止めさせれば良かったんですか?」

教員 「手を上げたら体罰。懲戒。変にクビを突っ込めば職を失うんですよ?こんなご時世でどうしろって言うんですか?教員だって人間です。自分の生活を第一にして何が悪いんですか!」

教員 「下手に不良生徒から恨みを買って刺されでもしたらどうするんですか。彼らは悪魔みたいな笑い方をするんですよ。他人を殴っておいて。報復が怖くてもいいじゃないですか。なんでそこまで教員にあれこれ求めるんですか!」
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/253.html

[番外地10] 北海道には絶対に住んではいけない街がある 中川隆
1. 中川隆[-14104] koaQ7Jey 2022年1月21日 13:45:57 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[17]
マカオの中国マフィアが支配する旭川 _ 北海道には中国マフィアが児童売春を使ったハニートラップをしている街がある
■自殺率1位 北海道旭川市、特に女子中学生の自殺と教師による児童売春が異常に多い
2010年5月 旭〇西高 飛び降り自殺(他殺の可能性あり) これともう1件別の死亡事故(2名とも女子生徒との噂がある)
2016年    旭〇商業 女子生徒が修学旅行中に列車にひかれて死亡
2018年6月 永〇中学 女子生徒が学校内のトイレで死亡 自殺で処理
2018年7月 永〇中学 女子生徒が中学の敷地内の公園で絞殺される
2018年    永〇中学 女性教師が死亡 上記被害者の生徒のいじめを止めようとしていたとの情報あり
2019年    旭〇工業 定時制の生徒がいじめを苦に自殺?、これも女子生徒か?
2020年7月 旭〇工業 女子生徒がフィール旭川の前で死亡  飛び降り自殺で処理されるが遺体に損傷なし
2021年3月 廣瀬さんの死体が永山中央公園でみつかる、永〇中学とは200メートルほどの距離
2021年5月 旭川大橋で飛び込み自殺 男女1名づつの生徒 学校名は不明
▲△▽▼
651 ニューノーマルの名無しさん 2021/08/21(土) 09:11:32.21 ID:InOLf2RK0
間接的に関係者だけど知っている事を書いていいですか?
まず、旭川について多大な誤解があります。
まず未成年の風x 店勤務は恒常的です。

一般の店舗は 17歳〜です。
会員制の場合は 12歳〜です。

これらは室蘭の様に比較的戦前からありました。
利用者は市外、観光、道内出張もさながら、
市民も普通に利用しています。

#165 2021/11/27 08:38
近所で〇子ちゃん達は売春で有名な人ですよ。事件前からです

▲△▽▼

月刊北海道経済 2019年11月号
中学教諭が相次いで買春容疑で逮捕
 旭川市立永●●中学校の男性教諭(44)が7月に児童買春の容疑で逮捕されたのに続いて、この9月には東●●中学校の男性教諭(50)も同様の容疑で逮捕。これを受け黒蕨真一教育長は「学校教育が足元から崩壊しかねない非常事態」と対応に苦慮している。そんな矢先、本誌に「某中学校PTA役員」から「旭川市の学校は異常 教職員の道徳心や倫理観の低下が深刻」と題した投書が寄せられた。

2007年 小学校 教員(43)
17歳の高校生に現金渡してホテルでハメハメハ

2009年 中学校  教員(39)
出会い系で知り合った17歳の高校生に胸や下半身を露出させて撮影

2009年 小学校  教員(41)
    2006年9月〜2007年6月に当時勤務していた旭川の中学の女子中学生とハメハメハし撮影していた

2010年 中学校  教員(47) 
    当時教え子だった中学3年生と車でハメハメハ

2011年 高校 教員(46)
    旭川市の女子高生15歳に14歳の女子中学生を紹介させてその中学生に数万渡してセックス

2017年 小学校 (42)
教師の立場を悪用し、10代の女児の服を脱がすなどの行為を繰り返した

2019年 小学校 教員(57)
    旭川市の MEGAドン・キホーテ旭川店で女性のお尻ナデナデ 当時酒気帯び運転で停職処分中だった

2019年 中学校 教員(46)
    17歳の高校性に1万円渡してハメハメハ

2019年 中学校 教員(50)
    17歳の少女に1万5千円でハメハメハ

2020年 小学校  (47)
    令和2年2月、ホテルで、出会い系アプリを通じて知り合った18歳未満の女性に対し、現金を供与して性的行為を行った。
    令和2年4月、ホテルで、出会い系アプリを通じて知り合った別の18歳未満の女性に対し、現金を供与して性的行為を行った。
    令和2年5月、ホテルで、Twitterを通じて知り合った上記と別の18歳未満の女性に対し、現金を供与して性行為を行った。

▲△▽▼

#157 2021/04/28 05:37
過去の女教師が数人自殺してるのはなんで?

#158 2021/04/28 05:41
>>157
母親も rape しようと企む奴らだぞ、女教師も執拗にやられてたんじゃないか

#203 2021/04/29 17:38
「自殺」した女教師は別の泣き崩れてた被害少女を発見した後に執拗な集団ストーカー被害に

#438 2021/05/21 21:29
詳細分かりませんが、過去若い女の先生の自殺も
それと川の自殺未遂の目撃者の女性も急逝

#76 2021/07/05 16:17
2018年にいじめというかおそらく集団強姦にあっていたとおもわれる
女子生徒が2名亡くなっている
そのいじめを止めようとしていた女性教師も自殺している
そりゃスレが立ってないほうがおかしいよね

旭川の事件で何故か報道されていないと言うのがあり、今回の事件もそうだけど隠蔽習慣があるようだ

・中学校女性教師惨殺 公共の場に遺体遺棄 ?年
・中学校女性教師自殺(泣き崩れていた女子中学生を保護した後、集団ストーカーに遭っていた) ?年
・女子中学生自殺 2016年
・女子中学生自殺 2018年

#21 2021/07/03 17:12
>>0
これ…
いつの自殺ですか⁉
最近、Twitterで助けを求めてる旭川の女性教師が居たんだけど。。

他の教師の前で自殺未遂をしても自殺とかを上の方に全く報告すらされずに揉み消されて辛いって伝えて来てました…

心配で、やりとりはしてたけど「もう駄目かも」って伝えて来たっきり何も連絡が取れてません❗
心配しています。。

#52 2021/07/04 11:56
H30年に永山中学で女子生徒2名が
女子トイレで1名自殺、永山中学敷地内にある公園で1名絞め殺ろされてる
この2名の女子生徒に関係するいじめを止めようとしていたとされるのが
この女性教師であると当時言われていたとおもう
ワイもそのような書き込みをみたことあるけど、もうすべて消されてるとおもう
この女性教師の死亡に関しては報道すらされていないはず

まじで触れてはいけないタイプの闇やぞ

#53 2021/07/04 12:01
>>52
自分もその書き込み見たわ。その2つの事件についても4月18日までは普通にネットで情報見れたのに4月19日からは何故かネットで情報ヒットしなくなって一部の書き込みが残っているだけだからな。

#54 2021/07/04 13:14
関連性あるべ

#55 2021/07/04 13:35
>>54
あるな。
絶対にある。
さもなきゃ、書き込みが削除されるなんて、不自然過ぎるだろ?

#57 2021/07/04 13:57
その女性教師が集団ストーカーにあって自殺に追い込まれたといった内容の書き込みを見た気がします

#60 2021/07/04 14:05
ここ旭川に住む人間達って女性を蔑視しているんだろうな💢
多分、道具や性殖器みたいな?

だから壊れたら、また探して調達すればいいんだって感じで。。
確か晒されたガキのスマホにも書いてあったよな❗

誰だったけなぁ。。
誰かが庇ってたような気がするんだが。。

#61 2021/07/04 14:13
村上菜々枝殺したの青笹仁と、小野教諭ダロ、死亡診断書には脳血管肥大と書いてあったが、 他殺、自殺かわからん。

#64 2021/07/04 14:22
旭川市神楽オカ小學校の女性教諭死亡は小野教諭のチンコが主犯、時効になっておりますけど、

#67 2021/07/04 14:31
被害者は村上菜々枝小學校教諭、加害者は小野○一小學校教諭、当時、指導教諭旭川市青x仁、副犯

#80 2021/07/04 16:34
>>65
永〇という場所の闇のこと知っていれば
だれも地元では弁護引き受けないでしょうね道外の弁護士に頼まないとだめ
ほかスレにもありましたが永山で見つかった死体は事件性なしの自殺として処理るようですね
永山中学の敷地内公園で見つかった子だけは絞殺だったけど捜査されたかどうかは不明
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/198.html#c1

[番外地10] 黒幕はプチエンジェル事件同様、中国マフィアですね。 中川隆
4. 中川隆[-14103] koaQ7Jey 2022年1月21日 13:47:36 : 8TUb5hYdHg : dDF5OVNWVlpkLk0=[18]
旭川女子中学生凍死事件の黒幕は児童売春のプチエンジェル事件同様、中国マフィアですね。
極導会は中国マフィアから児童売春を使ったハニートラップを引き受けただけでしょう。
実際に15000円で下級生を売春させるのは中学の先輩、行為の動画を取ってハニートラップにかけたり、脅迫して100万円脅し取ったりするのが極導会でしょう。 極導会は児童売春させて金を取っている訳ではありません。
#502021/04/29 12:01
元組関係者です(旭川ではないです)
ヤクザは金にならない事は一切しません。
業界内で当時聞いた噂話では、旭川はガキ達を使ってえげつない売春をさせていて、二次的なコンテンツで動画の盗撮をしてから、それをネタにしての示談金回収をシノギの一部にしていたみたいです。回収に回ってた若い衆はかなり遠方まで行かされてたみたいです。札幌の例の金貸しが仲介役を始めた当時は全国から客が旭川に殺到していた様子だから、かなり美味しいシノギだったみたい。有名なのは東北地方の某医療法人の理事長さんで、示談金支払った後もあしげく通って動画をコレクションしていたとの事

サアヤさんは覚醒剤中毒によるパニック障害が酷くなって手に負えなくなったので殺した可能性が高いですね:
#858 2021/07/11 18:58
札幌から〇崎さんが来ると言うので、BBQ用の冷凍庫を空けなければいけなくなった。左のドアをあけて、あいつが出てきたんではなまら洒落にならない。Hを呼んで、二人であいつを出した。
実際は40キロくらいなもんだろうが、80キロくらいに感じる。体をちじめて固まっている状態だったので、スタジオの中で解凍して、まっすぐに伸ばしてころがすようにブルーシートにまいて建物の裏に山になっている雪の中に隠した。まさか、〇崎さんがかまくらでもつくりださないかぎりは見つかることはない。
○崎さんが帰ったのは3日後で、ずいぶんと地元の高校生と悪ふざけをして帰っていった。Hとブルーシートをまたスタジオに運び、ブルーシートを開けると腐敗臭がやばかった。スタジオはドア一つで窓がないのですぐさまあいつをスタジオから出して、BBQ用の冷凍庫の底にまっすぐに寝かせた。気味が悪いと言うので、Hが顔のところにミズベリング岡山旭川のタオルをかけた。
リングという文字が上になったので、映画の「リング」みたいで気持ち悪くないか?と思った。時間を置くと腐敗臭も凍って行った。

▲△▽▼

京都や兵庫や福岡、そして旭川は部落地域なので児童売春が行われているのです。
プチエンジェル事件で児童売春していたのも部落の小中学生だけでした。

小5/6女子児童もイキナリ初対面の女子高生おねぇさんに部屋の掃除のアルバイト頼まれたは嘘!で前にも体売ってるのよ。。売x 少女(プチエンジェル)はイキナリ、街でスカウトでなく、既に淫売小5/6女子児童は登録制だったで、イキナリ街でスカウトはマスコミの作り話。

児童売春は稲川会/住吉会かの経営で今も存在しプチエンジェル事件は経営者が死んで(口封殺人?)結果的に監禁した形に成ったが、普通は実質同意上でのセックx 。。部落の少女とは言え、同意の上で腹の出た禿オヤジに股開く小5/6女子児童がが此の世に居る方が怖いけどね。

旭川の児童売春も登録制だったのです。旭川は zainichi 部落ですからね。

廣瀬爽彩さんはいつも真夜中の3時過ぎに売春用のスマホで呼び出されていた?
2019年ゴールデンウィークには、深夜3時くらいにB男らにLINEで呼び出された爽彩さんが、いきなり家を出て行こうとしたところを母親が止めるという出来事もありました。母親がいくら止めても、爽彩は『呼ばれているから行かなきゃ』と、すごいパニックを起こしていた。ようやく引き止めたものの、その後もひどく怯えていたそうです」

864 :可愛い奥様:2021/04/23(金) 15:57:13.35 ID:RLrws/Sl0.net
>廣瀬爽彩さんからきたメッセージを一部見せていただきました。

「ねぇ、どうして息を吸ったりはいたりただするだけのことがこんなに苦しいんだろう
明け方起きるといつも絶望した気持ちで、いっそのこともう目が覚めないでほしいのに、必ず4時ごろには現実に呼び戻される
今すぐ楽になりたい、みんな時間が解決するっていうけれど、私は1時間後も1分後さえも苦しい。1年後とか3年後とかそんなの堪えられない。1秒後に楽なりたい
私の世界には色も音もなくなってる」

#595 2021/07/07 04:39
あのね
「100人客取ったらやめてやる」
って言われたよ
条件はあとひとつ
「裁判はやめろ」
考えたけど決めた
終わりがあるなら我慢する
胸がいつも苦しくて、いつも心臓がドキドキして
こころがやすまる時なんかなかった
終わったらママと外食したり買い物したり楽しみたいな

#43 2021/06/19 00:37
午前4時と言うのが、空港からお客がやってきていた時間ではなかったか?とは言われているね
(午前8時の飛行機で帰る売春客の相手をするには早朝4時に自宅を出なければ間に合わない)

#2 2021/06/18 21:31
お前ら今時気づいたんか?地元じゃ暗黙の了解だぞ?
死をほのめかすメール送るのにAndroidとiPhoneの2種類あったよね?
Androidは売春の連絡用に持たされてた管理人から持たされてたスマホだよ。

#16 2021/06/18 22:34
そして主犯のC男は「便所ATMが逝ったから次の獲物探すべ・・」と言った。
便所ATMだ?
ということは売春させてた可能性あるのでは?
言ったら母親◯すぞ!とか言われてて誰にも話せなかった可能性。

#20 2021/06/18 22:52
4月の時点で加害者は爽彩さんに売り強要させてたリークあるね。2ヶ月経って信憑性が高くなってきた。アイス(シャブ?)奢ってもらった方、リークありがとう。

0385 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:43:13
加害者の某は爽彩に売りを強要させてた
その金で遊び回ってたよ
叩かれるのはわかってるけど自分も加害者にアイス【註:覚せい剤の隠語)おごってもらった

0495 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:48:47
んでね、まだいじめられて売りやらされてる女の子いんよ
072させられて動画とられたかは知らない
中学生じゃないから格安で売らないといけないからノルマゆって1日5人とやらないと髪の毛ひっぱったり見た目にわからない頭おもいっきり殴ってるんだって客を取らなかった

#22 2021/06/18 23:05
被害者は汚れたと言っていたのでその可能性は高い

#13 2021/05/09 21:58
くぱぁや のアダ名からもわかるように
すぐやらせてくれる女だった
この被害者の子はヤクザに管理売xさせられていて
売xを拒むとそのヤクザの子飼いのチンピラが制裁を加える。
イジメじゃなくて制裁な。

犯人に呼び出された

廣瀬爽彩さんは、母親が外出していた1時間の間に行方不明になりました。2月の夕方6時といえば外は真っ暗。氷点下17度のところを、コートも着ずに出かけたのは急ぎの用事ができたからでしょう。

そして廣瀬爽彩さんの発見場所近くで、3人の女子中学生が亡くなっていることがわかりました。

わずか2年の間に同じ場所で、女子中学生が亡くなっています。もしかしたら同一犯の可能性があり、旭川市民は「すべて同じ加害者の犯行では」と疑っています。一度目に廣瀬爽彩さんが川へ飛び込んだときの通報者も亡くなっていて、死因は謎。

事件の全体図は、こんな感じ?

1.旭川という田舎町で、長い間、ナマコ密漁と児童売春で稼ぐ旭道会支配のもと、市、教育委員会、学校、警察が持ちつ持たれつの隠ぺい体質で保たれていた。
3.旭導会は児童買春の嬢として、組所属のA、C、D、土兄弟に生贄となるターゲットを探させていた。
4.Cは、カラオケ店で複数の被害者を相手に、強姦配信をおこなっていた。
5.Cの指示で、Aが卒業アルバムから被害者を探しだした。
11.組からCに連絡があると、Cは被害者を呼び出し、売春をさせていた。
12.Cは早朝4時に被害者を呼び出していた。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/189.html#c4

[番外地10] ドルは既に紙kuzuになっている

貨幣が増えると貨幣価値が下がって紙kuzu化するという事です。

ドルは既に紙kuzuになっている
通貨とは獲得した富を保存するための手段である。今日手に入れた収入を来月でも来年でも使えるのは、多くの人にとっては銀行に現金を置いておけるからである。しかし現金の価値が下落する時にはどうすれば良いのか? ダリオ氏は次のように説明する。

金は時代を問わず普遍的な代替通貨としての役割を果たしてきた。

株式もまた富の貯蔵手段となりうる。

不動産や美術品なども富の貯蔵手段である。

順番に見てゆきたい。

預金 vs 金積立

まず金だが、ダリオ氏は主要な通貨が1600年以来金に対してどれほど減価したかのチャートを示している。見事にすべてゼロに近づいているのだが、実は通貨の価値は下落するものだということを理解するためには400年も遡る必要はない。

読者は金価格の長期チャートを見たことがあるだろうか。見たことのある読者も少なくないだろう。しかし本当にその意味を実感するためにはグラフの上下を逆にする必要がある。つまり、金価格がどれだけ上がったかではなく、現金の価値がどれだけ下がったかを見るのである。以下は過去50年ほどの間に金に対してドルの価値がどう推移したかのチャートである。


50年の間にものの見事に紙くずになっている。50年ほど前のドルの価値を100%とすると、現在のドルの価値はその2.3%である。そして考えてほしいのは、この50年間ほとんどの人は資産の大部分を現金のままにしており、その資産は実際に紙くずになったということである。ダリオ氏が言っているのは、今現代人もそうなるのではないかということである。

現金が勝者だった黄金時代

しかし一方で現金のリターンがゴールドを上回った時期もある。ダリオ氏は次のように説明している。

1850年から1913年(第一次世界大戦まで)の期間では通貨(預金など短期金利による収入を含む)を保有した場合のリターンはゴールドを保有した場合のリターンよりも概して良くなっている。

この60年ほどの期間がどういう期間だったかと言えば、ほとんどの通貨は金か銀に為替レートが固定されており、しかも第二次産業革命と呼ばれるこの繁栄の時代では借金の借り手が借りた資金を収入に変え、収入が借金を返していたために貸し手は魅力的な金利を得ることが出来た。

借金で消費や自転車操業の企業を増やすのではなく生産性を増やし、その後には借金をしっかり返せていた時代があった。返せない借金をしないということがどれほど大事かということである。しかしそうでなければ通貨が紙切れになってゆく。

通貨の価値が維持され、しかも経済が成長していて借り手が金利を払える場合には誰もが問題なく良い生活を送っていた。「紙幣を印刷すると豊かになるのではないか」という「壺を買えば幸せになるのではないか」同然のまやかしで自分を騙す必要もなかったのである。この2つに何か違いがあるだろうか? 誰か教えてほしいものである。紙切れよりはむしろ壺のほうが価値があるだろう。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/254.html

[番外地10] 今1ドルは115円でインフレ率を考慮すると歴史的な超円安、昔の1ドル300円に相当しています。
今1ドルは115円でインフレ率を考慮すると歴史的な超円安、昔の1ドル300円に相当しています。

左翼の間ではもっと円安になり日本は衰退するという日本崩壊論が人気ですが、むしろ円高に反転すると見ています。

というのは為替レートは昔からピンボールかビリヤードのようなもので、何かにぶつかるまで進み続けます。

例えばリーマンショック前の2007年は124円まで円安が進み、今と同じように「日本はこんなに安い国になった」と左翼は喜んでいました。

だが124円をつけた直後に、壁にぶつかったボールのように反転し、今度は2012年に1ドル75円をつけるまで円高が進んだ。

その直後から反転して円安が進み、10年後の今も円安基調が続いています。


過去の歴史を見れば一目瞭然で、「極限まで円安が進み壁にぶつかって反転」し今度は円高が進行します。

ではいくらまで円高が進むかですが、これも歴史を見れば円高の度に前の円高を更新しているのが分かります。

前の円高は1ドル75円だったので、1ドル70円か60円台が予想されます。


「そんな円高はあり得ない」と毎回言いますが、2008年に「1ドル100円割れはあり得ない」と有名なアナリスト全員が言っていました。

あっけなく1ドルが100円を割り込んだのは、みんなが「100円割れはあり得ない」と言っていた最中でした。

自分はさらに踏み込んで、次の円高では1ドル60円の攻防になると予想しています。


円高を恐れているうちは日本復活はない

1ドル50円台を予想するのはドル円の実質レートが1990年レベルに戻るには、1ドル50円台になる必要があるからです。

円安や円高がビリヤードのように進行するメカニズムですが、一言で説明すると円が外貨に交換されているからです。

日本の金利は世界最低のゼロ金利で、日本の銀行からタダでお金を借りれます。


しかも日本も年0.5%くらいインフレはあるので、0.1%で借金すると年間0.4%づつ借金が減っていきます。

お金を借りれば借りるほど借金が減る夢の国が日本で、外国人がこれに目を付けない筈がありません。

日本人投資家はアメリカ株など外国に投資していますが、その際多額の円がドルに交換されます。


外国人投資家や機関投資家も「日本でお金を借りて米国株に投資する」ような事をしています。

日本で借りたお金は毎年0.4%減っていき、米国株が毎年5%上がるとダブルで儲かるからです。

こうして日本円はどんどんドルに交換されていき、円安ドル高が進行します。


中国は一帯一路でAIIBという国際銀行を立ち上げましたが、やっていることは「日本でお金を借りて加盟国に貸す」事です。

世界最低のマイナス金利の日本で借りて、新興国に又貸しして儲けるのがAIIBや一帯一路です。

各国の政府も自国の銀行から借りるより日本で借りた方がマイナス金利なので、多くの国がそうしています。


この結果大量の日本円がドルに交換され、超円安になりました。

だがリーマンショックのような世界経済危機が起きると、日本が貸していた金が戻ってくるので逆に超円高になります。

日本は世界最大の対外資産を持ち、多額のお金を外国に貸したり投資しているので、それがドルから円に交換されて超円高がおきます。


アメリカはインフレを抑える為2022年に4回、翌年以降も複数回の利上げをし、過去の利上げでは世界経済危機が発生しています。

もし米国発や中国初の経済危機が発生したら、日本が貸した金が一斉に国内に戻り、1ドル60円の攻防になります

そして日本はこの超円高を克服しない限り、未来もないし復活もしません


1ドル60円を克服して経済成長した日本は、再びGDPで中国を抜いて世界経済のリーダーに返り咲きます。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/255.html

[番外地10] 近衛文麿は昭和天皇の退位を勧めて抹殺された。
近衛文麿は昭和天皇の退位を勧めて抹殺された。

鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』
『白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。

牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン−後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など−との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)

この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。

『私は(通説とは)逆に、西園寺公一と原田熊雄たちが、天皇と木戸、近衛に踊らされていた、とみるのである。ゾルゲ・ルートで一方的に数万点の機密資料を垂れ流した天皇、木戸、近衛は、一方でソ連に日米和平の仲介を依頼すべく闇のルート(たぶん野坂参三のルート)で知らせ、その情報を讀賣新聞に流したのだろう。南進策こそはアメリカとイギリスとの戦争そのものを意味した。』


山本五十六の黙示録と同じことを白洲次郎も語っている。
東京大空襲を予知して事前に避難しているのである。
二人ともシナリオを知っていたのだ。
同盟通信社は次郎と前出のOSSの連絡ルートだったようだが、
同盟通信社の松本重治もシナリオに一役買っている。
松本重治は神戸一中の同窓生である。
彼は広島原爆投下の演出に協力している。
この松本重治は牛場友彦ともに、近衛服毒自殺の前夜に荻外荘を訪ねている。
吉田茂は近衛服毒自殺の部屋に寝泊りし荻外荘を買い上げている。
私は吉田茂と昭和天皇が図って近衛を排除したと思う。
五摂家の筆頭である近衛家の当主は、昭和天皇の退位を勧めて抹殺された。
吉田茂にとって昭和天皇は絶対に退位してはならない掌中の玉である。
道徳的見地から退位を勧めた東大総長・南原繁を指して、
「曲学阿世の徒」と吉田茂が唾棄したエピソードは有名である。

吉田茂は白洲次郎を使って山本五十六、近衛文麿、尾崎秀実を抹殺している。五十六暗殺のスケジュールは、13日に昭和天皇のお気に入り鮫島元侍従武官が行動予定時刻の詳細を打電、これが死を賜る合図である。暗殺劇の予定は15日だったが「天候が良くない」という理由で延期された。アメリカ側が傍受できなかったのである。17日旗艦『武蔵』から再度打電され、これが傍受される。そして翌日18日の暗殺が決行される。

▲△▽▼

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA  
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/256.html

[番外地10] 貨幣の中立説 _ インフレ・デフレに影響する国内商品市場での購買に使われるお金はマネーストックやマネタリーベースとは関係ありません。
お金とか通貨と言っても色々有りますからね。 民間銀行が企業に融資して増える企業の銀行預金はマネーストック、日銀が民間銀行から国債を買って増える民間銀行の日銀当座預金はマネタリーベースですが、
インフレ・デフレに影響する国内商品市場での購買に使われるお金はマネーストックやマネタリーベースとは関係ありません。

インフレになるかどうかは国内の商品市場での購買に使われる資金量ですべて決まります。 いくらマネタリーベースやマネーストックを増やしても、増えたお金がすべて外国に投資されれば国内の商品市場での購買には使われないのでインフレになりません:


貨幣の中立説
貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。


数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。後の絶対王政以後のフランスでは重商主義が唱えられ、貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されるという考え方であった。


長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。

国債を発行すると、その金利でマネーストックが増え、増えた金が海外投資されるだけで、労働者の実質賃金は下がり続ける。円は現在も着々と紙屑化している。


この30年間汗水たらして働いた人の給料は実質1円も増えず資産は減り、一切働かず国債の金利収入だけを得た人の資産は倍増しました。経済学者によると現代は中世暗黒時代以上に貧富の差が大きく、人類史上最大の格差が生まれようとしている。

国債を大量発行すると、こういうメカニズムで労働者の実質賃金が下がる:

▲△▽▼

貨幣数量説
フィッシャーの交換方程式 MV=PQ

ここで
M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)
V は貨幣の"流通速度"(特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

である。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ は 販売価格総額=購買価格総額

という恒等式だから誰も否定できない。
フィッシャーの交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。

新古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので(セイの法則)、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになる。
フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものである。

古典派経済学の貨幣の中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。
フィッシャーは、貨幣の流通速度:Vと1期間における財・サービスの取引量:Qは慣習的に(大きな)変動はないとみなした(実際はVを観測するのは非常に難しく、観測はほぼ不可能である)。だとすると、MV=PQの左辺のV、右辺のQが大きく変動しないのであるから、自明なこととして、この方程式においてMとPは常に比例することになる。そうであるならば、M(貨幣量)を増やせば、P(物価)も上昇することになる。あるいは、M(貨幣量)を減らせば、P(物価)も低下するであろう。そうだとすれば、政策論的に言えば、例えばある経済の物価を上昇させたいのであれば、貨幣量を増やせば物価が上昇させることができるとこの方程式から言えるだろう。あるいは、もし物価が下がっているならば、それは貨幣量が足りないからだということができるだろう。これが古典派の貨幣数量説の基本的な考え方である。

ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。

フィッシャーの交換方程式の 貨幣量 M はマネーストック M2 (現金+銀行預金) ではないんですね。

フィッシャーの交換方程式 MV = PT

ここで
M : 貨幣量(購買に使う現金+銀行預金)
V : 貨幣の取引流通速度
P : 物価上昇率
T : 1期間における財・サービスの取引量

フィッシャーの交換方程式の問題は、購買に使われなかった銀行預金をどのように扱うのかという問題

銀行預金で株を買ったとして、その株の売り手はその売った金を次の機会に株を買う為に銀行預金としてキープしていて購買には使わないので、その金はフィッシャーの交換方程式の 貨幣量 M には入らないのです。

貨幣数量説とは簡単に言えば「貨幣を増やせば物価が上がる」という考え方だったが、MV=PTと言う等式において、貨幣量を増やしても購買に使用されない貨幣があると考えると、貨幣量を増やしても物価上昇につながらないということになってしまう。

そこで、使われなかった貨幣の扱い方は2通り考えられる。

第一に、貨幣数量説では、購買に使用されない貨幣は、フィッシャーの交換方程式にはそもそも含まれないというものである。

あるいは、2つ目の扱い方として、貨幣が増加したときに、使われなかった貨幣も含むとすると、その分だけ貨幣流通速度のVが低下するというものである。
この考え方を積極的に取り入れ、貨幣量を増やしても貨幣流通速度が下がる可能性を考慮してしまうと、MV=PTという方程式のMとPの比例関係が成り立たなくなり、貨幣数量説の考え方に問題が生ずる。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/257.html

[番外地10] 旭川中学校関係の隠語 
旭川中学校関係の隠語
野菜=マリファナ
アイス=覚醒剤
ナマコ=生娘=12,13歳の女の子
イジメ=アイスを飲ませて児童売春させる

年が若すぎる子はアイス使わないと痛くてたまらないし感じるなんて無理なので、ヤクザが子どもを売るときはアイスよく使います
あと、年はいってても山程客取らせてると疲れで動けなくなるので、この場合も


http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/258.html

[近代史5] 「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ” 中川隆
382. 中川隆[-14102] koaQ7Jey 2022年1月22日 07:46:38 : BTjWvyj2Hw : MERNUy9XV1B1YzI=[1]
旭川中学校関係の隠語

野菜=マリファナ
アイス=覚醒剤
ナマコ=生娘=12,13歳の女の子
イジメ=アイスを飲ませて児童売春させる

年が若すぎる子はアイス使わないと痛くてたまらないし感じるなんて無理なので、ヤクザが子どもを売るときはアイスよく使います
あと、年はいってても山程客取らせてると疲れで動けなくなるので、この場合も

▲△▽▼

651 ニューノーマルの名無しさん 2021/08/21(土) 09:11:32.21 ID:InOLf2RK0
間接的に関係者だけど知っている事を書いていいですか?
まず、旭川について多大な誤解があります。
まず未成年の風x 店勤務は恒常的です。

一般の店舗は 17歳〜です。
会員制の場合は 12歳〜です。

これらは室蘭の様に比較的戦前からありました。
利用者は市外、観光、道内出張もさながら、
市民も普通に利用しています。

▲△▽▼

0601 名無番長 2019/07/12 17:15:29
旭導会 若頭補佐
唐沢昌幸(からさわまさゆき)56歳
旭川市豊岡7条1丁目
稲川会荒木組の組員と共謀し、小学生と中学生の姉妹にkakusei剤を注射した上で卑猥な行為をした。
この姉妹の母親と唐沢は顔見知りであり、母親の依頼でトリトンの会長を恐喝し逮捕。その捜査の過程で小学生と中学生の姉妹に対する猥褻行為が発覚。旭導会本部はこれに対する処分をしておらず、強く処分を求める。

2020年8月12日、旭川中央警察署は、自宅に大量のkakusei剤と注射器を隠し持っていた組員を逮捕。同年9月2日、旭川市の事務所に家宅捜索が行われた。


▲△▽▼

#321 2021/12/25 21:38

2021.12.25 ほやほやにゅーす❗️

北海道警察官10代女の子にわいせつ行為。名前出さんかい!ヤクザにハニトラ接待されて性癖になったんか?女の子はどこから来たの?
道警の20代の男性巡査長が、同居する10歳未満の女の子に対しわいせつな行為をしたとして書類送検されていたことがわかりました。

強制わいせつの疑いで書類送検されたのは、道警本部に所属する20代の男性巡査長です。男性巡査長はことし7月ごろ、自宅で当時同居していた10歳未満の女の子に対しわいせつな行為をした疑いが持たれています。道警の調べに対し、男性巡査長は容疑を認めたということです。道警は10月にこの巡査長を停職6か月の懲戒処分としていて、その後、巡査長は依願退職したということです。道警では、停職以上の懲戒処分は原則公表していますが、今回の件に関しては「被害者の特定を防ぐため」として10月の処分を発表していませんでした。


#322 2021/12/25 21:52
>>321

巡査長が女児にレイプ 容疑で書類送検 北海道警、発表せず
NO.10080277 2021/12/25 16:33
巡査長が女児にレイプ 容疑で書類送検 北海道警、発表せず
画像拡大
道警本部に所属する20代の👈👈👈男性巡査長が、同居していた👈👈👈女児にわいせつな行為をしたとして、強制わいせつの疑いで書類送検されていたことが24日、道警への取材で分かった。巡査長は10月に道警から停職6カ月の懲戒処分を受け、依願退職した。道警は「被害者が特定されるのを防ぐため」として、これまで処分を発表していなかったほか、巡査長の所属部署も明らかにしていない。

道警監察官室によると、送検容疑は7月ごろ、道内の自宅で、当時同居していた10歳未満の女児に対し、わいせつな行為をした疑い。女児の親族から道警に相談があり、発覚した。道警の調べに対し、巡査長は容疑を認めたという

【日時】2021年12月25日 14:10
【ソース】北海道新聞
【関連掲示板】警察北海道雑談総合

▲△▽▼


#342 2022/01/15 17:06

よいとせのこらせっと、

旭川市が荒んでいる理由、暴力団が市民に浸透し過ぎ。
2021.04.30

旭川14歳イジメ自殺事件の根深さは、
関係するガキ共や先公、そしてオマワリがことごとくヤクザと親交を持っている点にあります。

2021/05/21 06:37:02
ばんじんももこ

村長さん、お知らせ。今から、17時間程前、旭川の駅で、高校生が、50代の、男に、殴られる、障害事件が、ありました。
覚醒剤やってる、男に、やられたんじゃないかなと、思います。 『旭川 不審者』って、入れて見てください。
それを、発表するべきなのです。 山●組 旭●会400人も、いるのですから、覚醒剤を、売る 巨大 市場。

それに、少女売春、少女 だけでない少年 の、売りも、ある『 旭川 ●●●●』で 検索して下さい。
●●●●●●の、時に 急に、いなくなって、 ケツほらされて、ホストに、働かされて、ポスターどりの、タレント の、動画。
母親一人親に、つけ込こんで、誘拐されて、テレビに、出た 全体的に、報道された内容を、 再生し 日本中に、そんな、過去があり、6人も、自殺してるのに、旭川警察が、旭●会に、呑まれて、多く、 の 旭川 警察署員が、少女売春の、接待受けて、400人もの、巨大勢力にしたのです。

今の、旭●会の、成功の、鍵は、売春少女の、○長と、副○○ 警察署員の、10歳未満の、接待。
そんな、世界は、タイとかの、貨幣価値の、ない、極めて 貧しい 国で、行われていることが、●日人 が、 こわもての 刑務所帰りの、ヤクザが、日本列島 北の、大地に、ヤクザが土地を安く買って置いて、 中●が。土地を買いにくる!お楽しみに、かつて、日本人が、行わせた、少女の、接待を、中●人相手に、
●日人の、ヤクザが、日本人小学生や、もっと 誘拐してきた 旭川以外の 本州 四国 九州 や、
田舎の島様から 等から誘拐してきた、5歳 位からの 子供に、オナニーの、ショーやら、性器に、
ピンポン玉いれたりの、道具を、使った、いろいろな ショーを、させて、ヤクザが、 あら儲けさせて居たのだと、おもいます。


#343 2022/01/15 17:07
で、ないと、うっぺつ川で、『みんなの前で、自慰行為 やれ』と、言われることも、実に 信じがたい事だし。
10人の、前で、やることも、実に 不思議だし。

おかしな、性器丸出しにした、いろいろな ショーに、出されたり、小児 ポルノに、出されたことを、
それで、金を、もらって居た、事が脅し だったから、みんな、の前で、やらざるを、えなかったのでしょう。
○○ ●も、○長までもが、ヤクザから、 サービス されていた 娘が、●●●さんだったから、警察に、報告出来なかった。

その為に、警察に、報告させないための、先回り、●●●さんを、ヤクザが。抱かせて 極めて 低年齢の、少女売春の、
常連客 だったんじゃないですか?
○○ ●は、そうだと、多くの、人が、言っています。
そうでないと、母親から、こんな娘の。動画が、出されている。と、母親が、動画を出したら、普通、○○長と、
教育委員会だして、400人いる、山口組 巨大組織を、潰す筈です。
https://bakusai.com/thr_res/acode=1/ctgid=104/bid=1064/tid=9807326/

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html#c382

[近代史5] 旭川にだけは住んではいけない 中川隆
212. 中川隆[-14101] koaQ7Jey 2022年1月22日 07:48:40 : BTjWvyj2Hw : MERNUy9XV1B1YzI=[2]
旭川中学校関係の隠語

野菜=マリファナ
アイス=覚醒剤
ナマコ=生娘=12,13歳の女の子
イジメ=アイスを飲ませて児童売春させる

年が若すぎる子はアイス使わないと痛くてたまらないし感じるなんて無理なので、ヤクザが子どもを売るときはアイスよく使います
あと、年はいってても山程客取らせてると疲れで動けなくなるので、この場合も

▲△▽▼

651 ニューノーマルの名無しさん 2021/08/21(土) 09:11:32.21 ID:InOLf2RK0
間接的に関係者だけど知っている事を書いていいですか?
まず、旭川について多大な誤解があります。
まず未成年の風x 店勤務は恒常的です。

一般の店舗は 17歳〜です。
会員制の場合は 12歳〜です。

これらは室蘭の様に比較的戦前からありました。
利用者は市外、観光、道内出張もさながら、
市民も普通に利用しています。

▲△▽▼

0601 名無番長 2019/07/12 17:15:29
旭導会 若頭補佐
唐沢昌幸(からさわまさゆき)56歳
旭川市豊岡7条1丁目
稲川会荒木組の組員と共謀し、小学生と中学生の姉妹にkakusei剤を注射した上で卑猥な行為をした。
この姉妹の母親と唐沢は顔見知りであり、母親の依頼でトリトンの会長を恐喝し逮捕。その捜査の過程で小学生と中学生の姉妹に対する猥褻行為が発覚。旭導会本部はこれに対する処分をしておらず、強く処分を求める。

2020年8月12日、旭川中央警察署は、自宅に大量のkakusei剤と注射器を隠し持っていた組員を逮捕。同年9月2日、旭川市の事務所に家宅捜索が行われた。


▲△▽▼

#321 2021/12/25 21:38

2021.12.25 ほやほやにゅーす❗️

北海道警察官10代女の子にわいせつ行為。名前出さんかい!ヤクザにハニトラ接待されて性癖になったんか?女の子はどこから来たの?
道警の20代の男性巡査長が、同居する10歳未満の女の子に対しわいせつな行為をしたとして書類送検されていたことがわかりました。

強制わいせつの疑いで書類送検されたのは、道警本部に所属する20代の男性巡査長です。男性巡査長はことし7月ごろ、自宅で当時同居していた10歳未満の女の子に対しわいせつな行為をした疑いが持たれています。道警の調べに対し、男性巡査長は容疑を認めたということです。道警は10月にこの巡査長を停職6か月の懲戒処分としていて、その後、巡査長は依願退職したということです。道警では、停職以上の懲戒処分は原則公表していますが、今回の件に関しては「被害者の特定を防ぐため」として10月の処分を発表していませんでした。


#322 2021/12/25 21:52
>>321


NO.10080277 2021/12/25 16:33
巡査長が女児にレイプ 容疑で書類送検 北海道警、発表せず

道警本部に所属する20代の👈👈👈男性巡査長が、同居していた👈👈👈女児にわいせつな行為をしたとして、強制わいせつの疑いで書類送検されていたことが24日、道警への取材で分かった。巡査長は10月に道警から停職6カ月の懲戒処分を受け、依願退職した。道警は「被害者が特定されるのを防ぐため」として、これまで処分を発表していなかったほか、巡査長の所属部署も明らかにしていない。

道警監察官室によると、送検容疑は7月ごろ、道内の自宅で、当時同居していた10歳未満の女児に対し、わいせつな行為をした疑い。女児の親族から道警に相談があり、発覚した。道警の調べに対し、巡査長は容疑を認めたという

【日時】2021年12月25日 14:10
【ソース】北海道新聞
【関連掲示板】警察北海道雑談総合

▲△▽▼


#342 2022/01/15 17:06

よいとせのこらせっと、

旭川市が荒んでいる理由、暴力団が市民に浸透し過ぎ。
2021.04.30

旭川14歳イジメ自殺事件の根深さは、
関係するガキ共や先公、そしてオマワリがことごとくヤクザと親交を持っている点にあります。

2021/05/21 06:37:02
ばんじんももこ

村長さん、お知らせ。今から、17時間程前、旭川の駅で、高校生が、50代の、男に、殴られる、障害事件が、ありました。
覚醒剤やってる、男に、やられたんじゃないかなと、思います。 『旭川 不審者』って、入れて見てください。
それを、発表するべきなのです。 山●組 旭●会400人も、いるのですから、覚醒剤を、売る 巨大 市場。

それに、少女売春、少女 だけでない少年 の、売りも、ある『 旭川 ●●●●』で 検索して下さい。
●●●●●●の、時に 急に、いなくなって、 ケツほらされて、ホストに、働かされて、ポスターどりの、タレント の、動画。
母親一人親に、つけ込こんで、誘拐されて、テレビに、出た 全体的に、報道された内容を、 再生し 日本中に、そんな、過去があり、6人も、自殺してるのに、旭川警察が、旭●会に、呑まれて、多く、 の 旭川 警察署員が、少女売春の、接待受けて、400人もの、巨大勢力にしたのです。

今の、旭●会の、成功の、鍵は、売春少女の、○長と、副○○ 警察署員の、10歳未満の、接待。
そんな、世界は、タイとかの、貨幣価値の、ない、極めて 貧しい 国で、行われていることが、●日人 が、 こわもての 刑務所帰りの、ヤクザが、日本列島 北の、大地に、ヤクザが土地を安く買って置いて、 中●が。土地を買いにくる!お楽しみに、かつて、日本人が、行わせた、少女の、接待を、中●人相手に、
●日人の、ヤクザが、日本人小学生や、もっと 誘拐してきた 旭川以外の 本州 四国 九州 や、
田舎の島様から 等から誘拐してきた、5歳 位からの 子供に、オナニーの、ショーやら、性器に、
ピンポン玉いれたりの、道具を、使った、いろいろな ショーを、させて、ヤクザが、 あら儲けさせて居たのだと、おもいます。


#343 2022/01/15 17:07
で、ないと、うっぺつ川で、『みんなの前で、自慰行為 やれ』と、言われることも、実に 信じがたい事だし。
10人の、前で、やることも、実に 不思議だし。

おかしな、性器丸出しにした、いろいろな ショーに、出されたり、小児 ポルノに、出されたことを、
それで、金を、もらって居た、事が脅し だったから、みんな、の前で、やらざるを、えなかったのでしょう。
○○ ●も、○長までもが、ヤクザから、 サービス されていた 娘が、●●●さんだったから、警察に、報告出来なかった。

その為に、警察に、報告させないための、先回り、●●●さんを、ヤクザが。抱かせて 極めて 低年齢の、少女売春の、
常連客 だったんじゃないですか?
○○ ●は、そうだと、多くの、人が、言っています。
そうでないと、母親から、こんな娘の。動画が、出されている。と、母親が、動画を出したら、普通、○○長と、
教育委員会だして、400人いる、山口組 巨大組織を、潰す筈です。
https://bakusai.com/thr_res/acode=1/ctgid=104/bid=1064/tid=9807326/

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html#c212

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995) 中川隆
6. 中川隆[-14100] koaQ7Jey 2022年1月22日 08:50:51 : BTjWvyj2Hw : MERNUy9XV1B1YzI=[3]
愛していると言ってくれ(1995)第1話「出会い」
https://www.youtube.com/watch?v=dP1lceQFAeg

愛していると言ってくれ(1995)第2話「約束」【編集動画】
https://www.youtube.com/watch?v=epiPmhQ39qw

愛していると言ってくれ(1995)第3話「涙」【編集動画】
https://www.youtube.com/watch?v=H70vFfFnq4o


ドラマ・・・愛していると言ってくれ #6 過去
https://www.youtube.com/watch?v=rAgjQR16dTE

ドラマ・・・愛していると言ってくれ #7 再会
https://www.youtube.com/watch?v=DmGWQCK8S5k

ドラマ・・・愛していると言ってくれ #8 秘密
https://www.youtube.com/watch?v=S3mk2m4kbRw

ドラマ・・・愛していると言ってくれ #9 疑惑
https://www.youtube.com/watch?v=iGEjOoQ5yQ4

ドラマ・愛していると言ってくれ #10 悲劇
https://www.youtube.com/watch?v=38lrGr4MRj0


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/988.html#c6
[近代史7] テレビドラマ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995) 中川隆
1. 中川隆[-14099] koaQ7Jey 2022年1月22日 10:32:57 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[1]
愛していると言ってくれ(1995)第1話「出会い」
https://www.youtube.com/watch?v=dP1lceQFAeg

愛していると言ってくれ(1995)第2話「約束」【編集動画】
https://www.youtube.com/watch?v=epiPmhQ39qw

愛していると言ってくれ(1995)第3話「涙」【編集動画】
https://www.youtube.com/watch?v=H70vFfFnq4o


ドラマ・・・愛していると言ってくれ #6 過去
https://www.youtube.com/watch?v=rAgjQR16dTE

ドラマ・・・愛していると言ってくれ #7 再会
https://www.youtube.com/watch?v=DmGWQCK8S5k

ドラマ・・・愛していると言ってくれ #8 秘密
https://www.youtube.com/watch?v=S3mk2m4kbRw

ドラマ・・・愛していると言ってくれ #9 疑惑
https://www.youtube.com/watch?v=iGEjOoQ5yQ4

ドラマ・愛していると言ってくれ #10 悲劇
https://www.youtube.com/watch?v=38lrGr4MRj0

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/855.html#c1

[番外地10] 米国がウクライナを軍事的支配地にしないと保証しろという姿勢を変えない露政府
偽旗作戦を計画してきたのはアメリカ
 ホワイトハウスの報道官を務めているジェン・サキは1月14日、ロシア政府がウクライナの東部地区、つまりドンバス(ドネツクやルガンスク)の周辺で「偽旗作戦」を行おうとしているとする情報があると発言したが、ウクライナで戦争の準備を進め、挑発的な行為を続けてきたのはアメリカにほかならない。
 恫喝外交を継承したジョー・バイデン政権のウェンディ・シャーマン国務副長官は1月10日にジュネーブでロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官と会談、安全保障問題について話し合ったようだが、合意には至らなかった。

 アメリカがNATOを東へ拡大させ、ついにウクライナへ到達しようとしている。こうした状況を容認できないとロシア政府はアメリカ政府に抗議してきた。

 ウクライナをNATOへ加盟させず、モスクワを攻撃するシステムをロシアの隣国に配備しないように求めているほか、ロシアとの国境近くで軍事演習を行わず、NATOの艦船や航空機をロシアへ近づけないようにとも言っている。さらに定期的な軍同士の話し合いを実施、ヨーロッパへ中距離核ミサイルを配備しないことも要求。そして、それらを保証する文書を作成するように求めている。

 こうしたロシア政府の要求をアメリカ政府は拒否、リャブコフ次官は交渉が袋小路に入り込んだと表現した。双方の問題への取り組み方が違い、交渉を再開する理由が見つからないともしている。ロシア政府はアメリカに見切りをつけたと言えるだろう。

 バイデン政権は2021年1月に誕生して以来、ウクライナ周辺で挑発的な行動を繰り返してきた。例えば、3月10日にNATO加盟国の軍艦がオデッサへ入港、同じ頃にキエフ政府は大規模なウクライナ軍の部隊をウクライナ東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)やクリミアの近くへ移動させてロシアを挑発。

 4月に入るとアメリカ空軍は1週間の間に少なくとも3度、物資を空輸していると伝えられた。4月5日にはウクライナのゼレンスキー大統領はカタールを訪問、そのカタールの空軍は5機の輸送機を使い、トルコを経由でウクライナへ物資を運んでいるという。

 そのトルコはウクライナでアメリカと連携、3月14日には少なくとも2機のC-17A輸送機がトルコからウクライナへ物資を輸送、トルコ軍兵士150名もウクライナへ入る。

 4月10日にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はトルコを訪れてレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談、その直後にトルコの情報機関は「ジハード傭兵」を集め始めている。

 その直前、4月6日と7日にはNATO軍事委員会委員長のスチュアート・ピーチ英空軍大将がウクライナを訪問、9日にアメリカは「モントルー条約」に従い、トルコ政府へ自国の軍艦2隻が4月14日か15日に地中海から黒海へ入り、5月4日か5日まで留まるとると通告した。

 その前にアメリカの軍艦2隻が4月14日か15日に地中海から黒海へ入り、5月4日か5日まで留まると通告されていたが、ロシアの反発が強いため、米艦船の黒海入りはキャンセル。

 そうした中、ウクライナの国防大臣が辞意を表明し、その一方でネオ・ナチ「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュが参謀長の顧問に就任したと伝えられた。

 6月28日から7月10日にかけてアメリカ軍を中心とする多国籍軍が黒海で軍事演習「シー・ブリーズ」を実施したが、これには​日本も参加​している。

 シー・ブリーズに参加するために黒海へ入っていたイギリス海軍の駆逐艦「ディフェンダー」は6月23日にオデッサを出港した後、ロシアの領海を侵犯してクリミアのセバストポリへ接近。それに対してロシアの警備艇は警告のために発砲、それでも進路を変えなかったことからSu-24戦術爆撃機が4発のOFAB-250爆弾を艦船の前方に投下している。この爆弾は模擬弾ではなく実戦用。その直後にディフェンダーは領海の外へ出た。

 当初、イギリス海軍は警告の銃撃や爆弾の投下はなかったと主張したが、問題の駆逐艦に乗船していた​BBCの記者ジョナサン・ビール​が周囲にロシアの艦船や航空機がいて、銃撃音や爆弾を投下した音を聞いたと伝えている。

▲△▽▼

米国がウクライナを軍事的支配地にしないと保証しろという姿勢を変えない露政府


 ロシア政府はアメリカ/NATOに対し、NATOをこれ以上東へ拡大させないこと、モスクワをターゲットにできる攻撃システムをロシアの隣国に配備しないこと、ロシアとの国境近くで軍事演習を行わないこと、NATOの艦船や航空機をロシアへ近づけないこと、定期的に軍同士の話し合いを実施すること、ヨーロッパへ中距離核ミサイルを配備しないことなどを保証する文書を作成し、1月23日までに提出するよう求めている。

 そうした中、1月18日にドイツのアンナレーナ・ベアボック外相はモスクワでロシアのセルゲイ・ラブロフ外相を会談、今後のことはアメリカ政府次第だと言われたという。ドイツの外相はアメリカ政府のためにロシア政府の本心を探ろうとしたのかもしれないが、ロシア政府から駆け引きをしていないと言われたわけだ。

 アメリカはユーラシア大陸の周辺部を支配、内陸部を締め上げるという長期戦略を持ち、その戦略に基づいてジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」も作成されている。

 この長期戦略を始めたのはイギリス。19世紀のことだ。それをまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダー。大陸を締め上げる「三日月帯」の西端がイギリス、東端が日本であり、中東でイギリスは帯の上にサウジアラビアとイスラエルを作り上げた。

 明治維新にイギリスとアメリカが深く関与しているが、琉球を併合してから台湾、朝鮮半島を経て大陸を日本が侵略した背景にも米英両国が存在していた。これは本ブログで繰り返し書いてきたこと。金子堅太郎やセオドア・ルーズベルトは日本がロシアと戦ったのはアメリカのためだとしている。

 その後も日本は北を目指し、1939年5月11日にノモンハン付近で満州国警備隊と外モンゴル軍が交戦、日本側は関東軍が陸軍省と参謀本部の方針を無視して戦闘を継続して敗北している。関東軍が陸軍省や参謀本部を無視できた理由はひとつしか思いつかない。

 ソ連は西側でナチスが支配するドイツを警戒、イギリスやフランスに協力を要請、ドイツとの国境線まで軍隊を派遣すると提案したが、受け入れられなかった。そして1939年8月23日、ソ連はドイツと不可侵条約を結ぶ。

ドイツがいた場所までアメリカ/NATO軍は来ている。CIAは2015年から、つまりウクライナでアメリカ政府がネオ・ナチを使ったクーデターを成功させた翌年にアメリカの南部でウクライナの特殊部隊を訓練、アメリカ/NATO軍は兵器をウクライナへ持ち込み続けている。

 こうしたアメリカの恫喝にロシアは動じず、当初の要求を言い続け、その一方で中国やイランと軍事演習をインド洋などで実施している。ウラジミル・プーチン露大統領は「戦争を望まないが、戦争したいなら受けて立つ」という姿勢。2003年にアメリカはイラクを先制攻撃、100万人とも推測されている人びとを殺したが、その前に有力メディアは存在しない「大量破壊兵器」で攻撃を正当化していた。そうしたプロパガンダは今でも通用しているようだが、「脅せば屈する」というアメリカが繰り返してきた戦法は通じていない。

 他国にアメリカが何をしでかすかわからない国だと思わせれば自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考え、狂犬のように思わせなければならないとイスラエルのモシェ・ダヤン将軍は語った。ジョー・バイデン政権の好戦派は正気を失っているようにも見える。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/259.html

[近代史5] 世界同時株安では何から暴落が始まるか
世界同時株安では何から暴落が始まるか


2018年の世界同時株安では何から順番に暴落したかを振り返る
2022年1月22日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/19017


アメリカで物価高騰が止まらず、Fed(連邦準備制度)はインフレを抑えるまで急速な利上げを余儀なくされている。

金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火
だがインフレが止まるより先に株価が利上げに耐えられず暴落することはもはや既定路線だということは、これまで述べてきた通りである。

しかし株価暴落と言ってもすべてのものが同時に暴落を始めるわけではないということをここでは繰り返している。一般的に高リスクの資産から先に下落を開始し、米国株の主要銘柄は最後まで下落しないことが多い。

そこでこの記事では2018年の相場が実際にどのようなチャートになっていたか、もう一度確認してみたいと思う。

米国株の値動き

まずは基準となる米国株価指数S&P 500のチャートから掲載しよう。これが世界の株式市場の中心であり、メインのチャートである。


当時、下落は2回あった。1月に始まった下落では最後まで落ちきらず、一度株価は回復したが、10月に2度目の下落があり今度は最後まで行った。

世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因 (2018/10/28)
S&P 500は米国の主要株価指数であり、主に大型株で構成される。これを米国の小型株指数であるRussell 2000の値動きと比べてみよう。


1月の下落から一度回復しているところまでは同じである。しかしよく見て欲しいのだが、2回目の下落の開始は10月ではなく1ヶ月早い9月となっている。

覚えている読者もいるだろうが、筆者は当時このRussell 2000(小型株)の動きに着目して、S&P 500(大型株)の下落のタイミングを予想した。

遂に米国株にも減速の兆し (2018/10/8)
1ヶ月の時間差は投資家に逃げるチャンスを与えてくれるわけである。逆に言えば空売りをする投資家にとっては先に空売りするべきは小型株だということになる。それで以下の記事ではRussell 2000を空売り対象に入れてある。

2022年のスタグフレーションに投資する方法
では、この記事で同じく空売り対象に入れたジャンク債はどうだろうか。ジャンク債ETFのチャートは次のようになっている。


2018年は秋になるのを待たずに一貫して下落となっている。ジャンク債には利回りがあるので実際のパフォーマンスはこれよりも上向きだが、それでも秋まで上がり続けた大型株を空売りするよりはよほど安全な空売り対象だろう。空売り開始が多少早くともそれほど損をしないからである。

日本株と欧州株

米国市場は以上である。では日本と欧州はどうだろうか。まずは日経平均のチャートを掲載しよう。


9月の最後の一噴きがなければ2018年を通して下落というところだろうか。不自然な噴き上がりであり、それ自体がバブルの終わりを象徴していたのだが、金融市場にはこういう動きがあるものである。騙されてそこで空売りを手仕舞った人は災難だっただろう。

当時、筆者は淡々と空売りを続けていた。

バブルの頂点で日経平均は上昇、空売りを淡々と継続 (2018/9/20)
重要なのは大局を見失わないことである。そうでなければ短期的な値動きに惑わされてしまう。

一方でドイツの株価指数であるDAXは、日経平均の最後の一噴きがないバージョンのようになっている。


年間通しての下落である。空売りしていても安心だろう。これらの値動きから学べることは、バブル崩壊前に下落する指数は複数に分散して空売りしておくと、短期的なイレギュラーに左右されずに利益を上げられるということだろうか。当時の日経平均のような値動きが別のケースでは他の銘柄に起きないとも限らない。

結論

この記事は以下の記事の補足である。

2022年のスタグフレーションに投資する方法
バブル崩壊前夜には金融市場は実際にどういう値動きをするのかは、このように具体例を見ながらの方が理解しやすいだろう。これを踏まえて上記の記事を読んでもらいたい。

というか、ここ数日の間に金融市場の値動きが2018年の状況に似てきたのではないか。Russell 2000の現在のチャートなどかなりまずい気がするのだがどうだろうか。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/19017
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1449.html

[近代史7] mixiユーザー(id:7656020)の日記
mixiユーザー(id:7656020)の日記
日記一覧
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/856.html
[近代史7] mixiユーザー(id:7656020)の日記 中川隆
2. 中川隆[-14098] koaQ7Jey 2022年1月22日 23:51:31 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[22]
2017年08月30日
古典の磁場の中で:その7 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲手稿版
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962361732?org_id=1962327733

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/856.html#c2
[近代史4] 音楽関係ブログへのリンク 中川隆
2. 中川隆[-14097] koaQ7Jey 2022年1月23日 00:02:43 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[24]
mixiユーザー(id:7656020)の日記
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/856.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1207.html#c2
[近代史5] mixiユーザー(id:7656020)の日記
mixiユーザー(id:7656020)の日記
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/856.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1450.html
[番外地10] 旭川中学校関係の隠語  中川隆
1. 中川隆[-14096] koaQ7Jey 2022年1月23日 00:15:32 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[25]
旭川中学校関係の隠語
野菜=マリファナ
アイス=覚醒剤
ナマコ=生娘=12,13歳の女の子
イジメ=アイスを飲ませて児童売春させる
自殺=自殺に見せ掛けてコロす

年が若すぎる子はアイス使わないと痛くてたまらないし感じるなんて無理なので、ヤクザが子どもを売るときはアイスよく使います
あと、年はいってても山程客取らせてると疲れで動けなくなるので、この場合も
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/258.html#c1

[番外地10] 今の、旭・会の、成功の、鍵は、baisyun 少女の、○長と、副○○ 警察署員の、10歳未満の、接待。
山口組 旭●会400人も、いるのですから、kakusei剤を、売る 巨大 市場。
母親一人親に、つけ込こんで、誘拐されて、テレビに、出た 全体的に、報道された内容を、 再生し 日本中に、そんな、過去があり、6人も、自殺してるのに、旭川警察が、旭●会に、呑まれて、多く、 の 旭川 警察署員が、少女baisyun の、接待受けて、400人もの、巨大勢力にしたのです。

今の、旭●会の、成功の、鍵は、baisyun 少女の、○長と、副○○ 警察署員の、10歳未満の、接待。
そんな、世界は、タイとかの、貨幣価値の、ない、極めて 貧しい 国で、行われていることが、●日人 が、 こわもての 刑務所帰りの、ヤクザが、日本列島 北の、大地に、ヤクザが土地を安く買って置いて、 中●が。土地を買いにくる!お楽しみに、かつて、日本人が、行わせた、少女の、接待を、中●人相手に、●日人の、ヤクザが、日本人小学生や、もっと 誘拐してきた 旭川以外の 本州 四国 九州 や、田舎の島様から 等から誘拐してきた、5歳 位からの 子供に、じいショーやら、seikiに、ピンポン玉いれたりの、道具を、使った、いろいろな ショーを、させて、ヤクザが、 あら儲けさせて居たのだと、おもいます。

おかしな、seiki 丸出しにした、いろいろな ショーに、出されたり、小児 ポルノに、出されたことを、
それで、金を、もらって居た、事が脅し だったから、みんな、の前で、やらざるを、えなかったのでしょう。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/260.html

[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
40. 中川隆[-14095] koaQ7Jey 2022年1月23日 02:04:19 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[26]
874名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 11:18:42.90ID:dJLaw6nv
>>871
DGが発売したティタニアパラストでのブラ1が入ってねえじゃんよ

875名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 11:20:07.93ID:Vdq7+c8G
>>871
すると宇野なんかも人気絶大なんだろうな

876名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 11:36:31.99ID:3Jb4STkP
ID:Asp20sPc 名言集

 1.フルトヴェングラーはドイツの伝統を完全に無視
 2.フルトヴェングラーは音楽には関心が無く、
 3.観客からどう思われるかしか興味が無かった
 4.カラヤンを嫌ったのは、それを真似されたから
 5.フルトヴェングラーは暗譜では指揮できなかった
 6.フルトヴェングラーの名演はベートーヴェンだけ
 7.中高生に人気があるのは、ティンパニをぶっ叩くから
 8.難聴になったのもティンパニが原因

ここまでくると、かえって面白い
もっとやれ


887名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 11:26:35.96ID:vQm0rNYS
>>870
久しぶりに覗いたら酷い言われようでオレ涙目
センターの代表に言いつけてやる!

888名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 11:46:35.95ID:z0UhEehC>>890
フルトヴェングラーの名演もベートーヴェン交響曲第7番と第九と序曲くらいかな

ベートーヴェンでもクナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーやワインガルトナーやワルターの方が良いのが多い
フルトヴェングラーはティンパニーの音響の凄まじさで名演だと錯覚されているだけ

ベートーヴェン 交響曲第1番、第2番 はワルター コロンビアの方が遥かに名演
ベートーヴェン エロイカ はクナッパーツブッシュやワインガルトナー、ムラヴィンスキーの方が名演
ベートーヴェン 交響曲第4番 はムラヴィンスキーの方が遥かに名演
ベートーヴェン 交響曲第5番 はクナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーやクレンペラー・ウィーンフィルの方が名演
ベートーヴェン 田園 はワルターの方が遥かに名演
ベートーヴェン 交響曲第8番 はワインガルトナーやクナッパーツブッシュの方が遥かに名演

協奏曲の伴奏ではベームやワルターには敵わない

889名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 12:10:47.95ID:ISDcxavY
何年のどのオケとの録音か書けよ

890名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 12:27:56.44ID:Yxi5DLmh
>>888
ベートーヴェンにおける「名演」と「ベスト」盤を混同している
フルトヴェングラーが全てにおいてベストではない、
というのは、ほぼ全員が同意する部分なのだろうが、
それを以て、7番と9番以外は名演ではない、
などと脊髄反射な結論を出すから、乱暴だし
わざとやってるなら悪質だし、気づかないなら
国語からやり直せだろうし

891名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 13:45:11.78ID:z0UhEehC
宇野功芳なんか昔はベートーヴェンのすべての曲でフルトヴェングラーが断然最高だと言っていた。
フルトヴェングラーのファンもみんなそう思っていた

今はSP復刻盤のレベルが飛躍的に上がって、ワインガルトナーやメンゲルベルクやトスカニーニがどれ位凄かったかわかってきたから
評価も変わったんだ
何故かフルトヴェングラーのCDは昔のLPより酷い音になってるから猶更だ。

892名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 13:51:16.08ID:z0UhEehC
現在の客観的評価では

ワインガルトナー、メンゲルベルク、アーベントロート、トスカニーニ、ワルター、ストコフスキー、フルトヴェングラー
は横並びで、得手不得手が有るだけで優劣は全く付けられない

クナッパーツブッシュ一人だけがワンランク上かな

893名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 13:58:03.28ID:z0UhEehC
カラヤンはベルリンフィルやウィーンフィルを使ってあの程度だから二ランク位は下だね

フルトヴェングラーもオーケストラが良いから名演になっているだけかな。

894名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 14:01:35.07ID:z0UhEehC
SP時代のワルターなんかウィーンフィルとは凄い名盤を沢山残しているけど、それ以外のオケでは平凡だろ。
オーケストラで名演になるかどうか 9割方決まってしまうんだよ。
フルトヴェングラーはオケで得してただけだよ。

895名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 14:18:36.90ID:z0UhEehC
>ベートーヴェンにおける「名演」と「ベスト」盤を混同している
フルトヴェングラーが全てにおいてベストではない、
というのは、ほぼ全員が同意する部分なのだろうが、


SP時代のウィーンフィルのレコードは指揮者によらずすべて名演だよ

896名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 14:58:15.66ID:Azx7mdwX
シャルクはワインガルトナーよりすごい

897名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:40:26.32ID:z0UhEehC
シャルクの『運命』そして『田園』は、音盤史上初めて電気的録音された一連のウィーン・フィルの演奏という点、そしてウィーンのオペラ界にその足跡を確実に残しながらも、同時期の指揮者と比較して録音が少なかったり、師ブルックナーの交響曲を兄でピアニストのヨーゼフと共に「改竄」したという悪評だけが残ってしまった感のあるフランツ・シャルクの音楽性の高さを聴くことができる音盤である。

シャルクの師 ブルックナー
ブルックナーの件について話し始めると、長くなりそうだが掻い摘まんで・・・。
シャルク兄弟がブルックナーの楽譜に勝手に手を入れ、ブルックナーの音楽様式を歪めた、というが、それは現代の視点から見た知見であって、その視点だけで2人を悪者扱いすることは、バランスが大きく傾いた考え方であり、賢明、適正な判断ではない。
ブラームスと彼を表看板として音楽美学、評論を披瀝した学者兼評論のハンスリックが席巻していた当時の音楽首都ウィーン。
そんな町で彼らとは全く異なった音楽美学を信条として、活動していたのがブルックナーである。
彼の音楽家としての活動、それは単に作曲するだけでダメで、作品をコンサートに上げる、つまり演奏されることが絶対的に必要である、ということをシャルク兄弟が重んじたが故に、気弱で臆病なブルックナーに代わって「演奏されやすく」するために楽譜を書き換えた、という言い方でなければ真実として伝わらない。
ブルックー自身にとっても「自分の交響曲がとにかく演奏されること」という欲望を払拭することなどできなかったのだ。
誤解を恐れず言うならば、「音楽は再生芸術」という観点から、演奏されなければその音楽の意味、価値はない。ましてや、作曲者自らが自作を指揮できるほど、彼らの作品(オーケストレーション)は単純なものではなくりつつあった時代が到来、いわゆる「職業指揮者」の存在なくしては、「良く演奏されない」時代となったのだ。
ハンス・フォン・ビューロー、ハンス・リヒター、そしてアルトゥール・ニキシュ。彼らの手により取り上げられた作品は輝きは放つようになった。それはブラームスであっても同じことだ。
敢えて言うなら例外は2人だけ。グスタフ・マーラーとリヒャルト・シュトラウスのみだ。
そんなことは以前こんな文章で皆様とシェアしている。

898名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:40:48.96ID:z0UhEehC
さて、そういう意味ではフランツ・シャルク(Franz Schalk, 1863年5月27日 - 1931年9月3日)は、先に挙げた3人の指揮者の系統に連なるウィーンの歴史的指揮者だ。

G.マーラー〜F.ワインガルトナー〜F.シャルク〜C.クラウス
1918年から29年まで、途中(19年〜24年)、R.シュトラウスとの双頭体制時代も含めウィーン国立歌劇場(途中まではウィーン宮廷歌劇場)総監督の地位にあったシャルク。
彼の先代はフェリックス・ワインガルトナーであり、さらにその前はマーラーがその任にあったのだ。
マーラーがこのオペラハウスで徹底的に行ったオペラ上演改革(改善)は、劇場関係者、オーケストラ、歌手たちにあまりに厳しかったこともあり、彼が総監督を辞任したのを受けその地位に就いたワインガルトナーは、マーラーの改革から逆行し、復古主義的体制、「事勿れ主義」に徹した。
ワインガルトナーの指揮を「エレガント」とか「古典的」などと言い、「ベートーヴェン交響曲全集を完成させた史上初の指揮者」などと持ち上げる人がいるが、個人的には無個性な音楽を作る人で、音楽的充実の観点からは、決して歴史に名を連ねる存在ではない、と思っている。
更にブルックナー・オタの立場で物申せば、ブルックナーの『交響曲第8番』を初演することを作曲者に約束したにもかかわらず、のらりくらりとした態度で、結果的にはそこから降りたワインガルトナーには、時代の変わり目、潮目で大きく変わろうとしている音楽の姿を認識する力がなかった、と断じていいように思うが、いかがだろうか?
まぁ、彼が断わったことで、ブルックナーの最大最高傑作はH.リヒターの手によりウィーン・フィルにより初演されたので、結果オーライと言えばそうなのだが・・・。

899名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:40:59.42ID:z0UhEehC
閑話休題。
その点ではシャルクはマーラーの時代へとまた舞い戻るかのように、歌手や若手のオーケストラ団員の育成に力を注ぎ、熱血指導したと言われているし、証言も多い。
その音楽性は同僚でもあった(反りが合わなかったという専らの話)シュトラウスの新古典主義的なものとは異なり、19世紀のロマン的解釈を色濃く残したものであるが、今聴いてもそれが古めかしいというイメージはあまりない。
むしろその面よりも品格の高さ、香りの豊かさに耳がくぎ付けになる。
その文脈で語るならば、シャルクが総監督を辞任して、代わりにそこに座った若き天才、この「note」でもおなじみのクレメンス・クラウスや、そのクラウスの影響をもろに受けたヘルベルト・フォン・カラヤンには、シャルクの遺産が確実にに受け継がれている。
https://note.com/bach_kantaten/n/na9d331bb2054

900名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:41:27.59ID:gLa2jVNj
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j1031561856
愉快愉快


901名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:57:44.98ID:z0UhEehC
フランツ・シャルク/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調Op67「運命」
   7:37/8:40/5:00/8:35
   (第1楽章リピート:ワインガルトナー版)
CD(EMI新星堂 SGR-8005)
 ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調Op67「運命」
   7:38/8:41/5:02/8:35
   (第1楽章リピート:ワインガルトナー版)

 フランツ・シャルク指揮
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  録音 1929年10月26〜28日 

 

902名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:58:11.18ID:z0UhEehC
このレコードは冒頭で4つの音をたたく演奏というレッテルが貼られてしまい、そのことばかりが印象付けられてしまいました。しかしどのような指揮をしていたのかわかりませんが、この曲の冒頭はどの指揮者にとっても頭のいたいところだそうですから、オケが乱れることは充分ありえます。クナッパーツブッシュのライブでもそんなことがありました。また練習指揮者と本番の指揮者の違いでオケが戸惑うこともあります。実際に自分が高校の時に同じ経験をしていますので、冒頭で4つの音をたたくというのは珍しいことではないように思います。緊張が緊張を生んでいることは確かです。
 さてこの演奏はウィーン・フィルの初めてのレコード録音です。ムジークフェラインでの録音でした。田園と第8は1928年にやはりシャルクが録音しています。  交響曲第5番の第1楽章はだんだん良くなってきます。ウィーン・フィルの音になってきます。ウィンナホルンの響きも好調です。オーボエカデンツァも愛らしい響きです。コーダ最後の運命の動機は思い切り強調、そしてフェルマータをたっぷり伸ばしていました。
 第2楽章はやや速めのテンポです。ここのウィーン・フィルは完璧です。思わず音の古さを忘れて聞き入ってしまいます。第2変奏の木管の合いの手はまさにムジークフェラインの響きです。ワルターの田園を思い出します。木管四重奏もきれいでした。また第3変奏の木管ですが八分音符をすでにここでは短く演奏しています。スタッカートに近いです。きれいな2楽章でした。
 

903名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 15:58:24.06ID:z0UhEehC
第3楽章は普通の速さです。リタルダンドも軽めでした。提示部の演奏は完璧です。トリオのフーガの素晴らしさは言うまでもなくこのオーケストラの得意中の得意のようです。フィナーレまでの経過部の絶妙さはたまりません。素晴らしいです。
 フィナーレの音の厚みとオーケストラのアンサンブルの見事なことはとてもこの1929年の演奏とは信じられません。ヴァイオリンのうまさは最高です。展開部も申し分なしです。第3楽章の回想は大変美しいものになっていました。再現部も見事です。コーダになってもその勢いは止まらず見事なフィナーレとなっています。
 全曲を聴きますと、いかに当時のウィーン・フィルが優秀だったかがわかります。冒頭のずれは目をつぶってこの名演に耳を傾けたらどうでしょうか。
 ところでCDは新星堂の復刻を聴きました。LPは70年代にカッコウというレコード屋さんがプライヴェートで復刻したものを聴きました。広域はかなりカットしていますが低音はよく響いていました。LP復刻はキャニオンから発売されていましたがそれは購入していませんでした。

904名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 16:08:18.00ID:z0UhEehC
要するに、ワインガルトナーはブラームス派、シャルクはブルックナー派で対立していたのですね。
世間の評価は勿論ワインガルトナーの方が遥かに上でした:

ワインガルトナーが一人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集を最初に完成させたということは、当時における彼のベートーヴェン演奏が今からは想像し難いくらい高く評価されていた証であるだけでなく、往時のベートーヴェン像や美意識がその後のものとは異なるものだった可能性をも示唆しているような気もします。ストコフスキーはいうに及ばず、メンゲルベルクやフルトヴェングラーさえセッション録音だけではその生涯にベートーヴェンの9曲全部を遺せなかったことを思えば、当時ワインガルトナーの扱いは破格だったとしかいいようがありません。
 ワインガルトナーはベートーヴェンに対してもメンデルスゾーンと同じ姿勢で接していますが、結果としての演奏ではテンポの動きがより控えられ古典的な輪郭が前面に打ち出されている点に受け身の姿勢だからこそキャッチしているものもあるのだと感じさせるのがこの人ならではで、ベートーヴェン特有の粗野な迫力が均されているきらいはあるものの、それが当時の美意識だったとの確かな手応えも感じさせます。そして大戦中の1943年にスイスで亡くなったワインガルトナーの時代の美意識がしだいに消えゆくしかなかったことも。
 ステレオ初期のベートーヴェン全集には、ワインガルトナーの面影を感じさせるものがそれでもまだありました。弟子であったクリップス/ロンドン響をはじめクリュイタンス/ベルリンフィルやS=イッセルシュテット/ウィーンフィルなどどれも無理にスケールを広げすぎず、端正な造形と当たりの柔らかさを多かれ少なかれ感じさせるもので、それがワインガルトナー的美意識がいかに当時の音楽土壌に深く根を下ろしていたかの証だったとも思えます。けれどそれらはやがてよりスケールの大きさや堅固な骨格、ひいてはベートーヴェンならではの先鋭さを重視する演奏に置き換えられていったのです。70年代末に当時シドニー響の指揮者だったオッテルローの交通事故死で未完成に終わったベートーヴェン集がメモリアルとして後に出たとき、僕にはこういう美しいベートーヴェン演奏の時代が終わったことを示す墓碑銘にさえ見えたものでした。

 

905名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 16:08:35.78ID:z0UhEehC
現在一般のクラシックファンはいうに及ばず、ヒストリカル録音の愛好家たちの間でさえワインガルトナーへの関心は高いとはいえません。SP録音時代の発売点数ではトップクラスの存在であったにもかかわらず、ウィーンフィルとの組み合わせの音源を除けばほとんどはめったにCD化されず、新星堂がまとめて復刻した大全集も再評価の動きには繋がりませんでした。往年の大演奏家たちの多くが出所の怪しいライブ録音や放送録音まで探索の対象となっている中、ワインガルトナーだけは全くそんな音源が出てこないというのはもはやただごととは思えませんが、それはやはり誇張を体質的に忌避する彼の音楽性が、整った美演よりも八方破れの爆演をむしろ尊ぶ愛好家たちの嗜好とそれだけずれているからだとも感じるのです。
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276

906名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 16:14:37.44ID:z0UhEehC

マーラーとR.シュトラウスは芸術家、ワインガルトナーは貴族、フルトヴェングラーとストコフスキーは興行師、シャルクとワルターは職人

という事ですね。

907名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 16:26:32.88ID:z0UhEehC

クラシック音楽は
第一次大戦前のワインガルトナーの様な貴族が高貴で品位有る音楽をやる時代は終わり、
第一次大戦後のフルトヴェングラーやストコフスキーみたいな下品な大見得を切る山師が活躍する時代に変わったのです

908名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 16:47:11.86ID:ksQambvv
フルトヴェングラーは、どっちかというと政治家

921名無しの笛の踊り2022/01/22(土) 17:41:27.20ID:z0UhEehC

要するにフルトヴェングラーは中身が無いから、大見得切ったり、恰好付けるしかなかったんだ。
手足を振り回して、大袈裟にテンポの緩急を変えて、要所でティンパニ−を滅茶苦茶ぶっ叩いとけば一応恰好つくもんね。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c40

[近代史6] フェリックス・ワインガルトナー(Felix Weingartner 1863年6月2日 - 1942年5月7日) 中川隆
1. 中川隆[-14094] koaQ7Jey 2022年1月23日 10:35:00 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[2]
ワインガルトナー(1863年6月2日 - 1942年5月7日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/685.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/963.html#c1
[近代史4] ワインガルトナー(1863年6月2日 - 1942年5月7日) 中川隆
2. 中川隆[-14093] koaQ7Jey 2022年1月23日 10:41:48 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[3]
古典の磁場の中で:その1 5曲のメンデルスゾーン
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346

 これから主にメンデルスゾーンやブラームスのことを書いていきたいと思うのですが、なにしろここ数年の忙しさに加えてこの暑さなので頭が思うように働かず、細切れにしか書けそうにありません。つぶやき同然の内容の薄さになりそうですが、なにとぞご容赦いただけましたら幸いです。

 メンデルスゾーンの交響曲は少年時代にまとめ書きされた弦楽のための交響曲のあとに5曲書かれていますが、うち1番を除く4曲には標題がつけられています。番号順に記すと2番「賛歌」3番「スコットランド」4番「イタリア」5番「宗教改革」で、うち「スコットランド」と「イタリア」がメンデルスゾーンの交響曲における代表作となっているのは、やはり国名というわかりやすい標題の力によるところも大きいのでしょう(そしてこの2曲を比べれば人気や演奏頻度の点で「イタリア」が抜きんでているのは確かだといえそうです)
 けれどこの2曲に限らず、メンデルスゾーンの曲は意外に演奏が難しいというか、なかなか満足のいく演奏に出会えないような気がします。その理由もまた「イタリア」の場合より明確に出ていると思うのですが、たとえば技術が高いとはいえないアマオケがそれでもがむしゃらに頑張ると、ベートーヴェンなら曲想との兼ね合いで様になる場合もあるわけですが、メンデルスゾーンではそうはいかない。ボロボロでも熱気があればなんとかなる音楽ではありませんし、傷がなくてももっさりしてたらやはり様にはなりません。第3楽章がスケルツォではなく流麗な古典舞踊調になっている点に端的に表れているとおり、余裕をもって洗練美を表せなければどうにもならないところがあります。特に古典的な形式に則った1番と4番「イタリア」および5番「宗教改革」にそれが強く出ています。
 その点で微妙なのが2番「賛歌」と3番「スコットランド」ですが、そのことを考えるにはこれら5曲の作曲順を整理しておく必要があります。当時の作曲家にしばしば見られたことですが、メンデルスゾーンのこれらの交響曲は作曲の順番ではなく楽譜が出版された順に番号が割り当てられていて、しかも「イタリア」と「宗教改革」の出版は没後。なんと現在最も人気のある「イタリア」を作曲者自身は出版していなかったのです。ともあれ作曲された順に並べ替えれば1番、5番「宗教改革」、4番「イタリア」、2番「賛歌」、最後が3番「スコットランド」という順になり、しかも「イタリア」は何度も改訂が加えられ、「スコットランド」は「賛歌」よりはるか以前に着手されたにもかかわらず長い中断を経て「賛歌」の2年後にようやく完成をみています。つまりメンデルスゾーンのこれら5曲は古典的な形式にきちんと則った1番、5番、4番の後に、楽章の数は4曲でも古典的とはいいがたい要素が含まれた3番が中断を挟みつつも書かれる間に最後に着想された2番が先に完成をみているのです。2番がベートーヴェンの9番から前半は器楽のみで後半に声楽が加わるとのアイデアだけ借りてはいても、それ以外は似たところなどまるでない曲になっていることを思えば、あるいはメンデルスゾーンはどこかの時点で古典様式からの脱却を目指しつつ、調和のとれた形でそれをなしとげようとしていたのではないかという気がするのです。「スコットランド」が全曲を切れ目なく続けるよう指示しつつなお着想当初の4楽章制を捨てずにいたことも、その表れだったのかもしれないと。彼流の古典交響曲のいわば完成形であり現に最大の人気曲である「イタリア」を出版せず、難産の末に「スコットランド」を自身最後の交響曲として送り出したメンデルスゾーンがなにを望んでいたのかは、早すぎた彼の死によって永遠の謎になっています。

「イタリア」の演奏が難しいのは要求される技術の高さゆえですが、「スコットランド」の曲想はそこまでの洗練を求めていません。その曲想がもっさりした演奏でも様になるのは「イタリア」ではさすがに評価されないクレンペラーが少なくとも我が国では半世紀たった今でも決定盤の地位を失わないことに表れていると思います。むしろ「スコットランド」の演奏の難しさは何者かになろうとして果たせなかったメンデルスゾーンの過渡的な姿が、残された曲に反映しているからではないかと思うのです。それが過渡的な形であるがゆえにそのまま再現してもなかなか説得力に繋がらない、そういう種類の難しさをこの曲に感じてしまうのです。
 僕にとってこの曲の初めてのレコードはクレンペラーと並んで有名だったマーク/ロンドン響によるデッカ盤でしたが、それを聴いた時点でこの曲の難しさめいたものを漠然とながら感じずにいられなかったものでした。その後クレンペラー/フィルハーモニア、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウスなど評価の高かった60年代の名盤からギブソン/スコティッシュ・ナショナル、ドホナーニ/ウィーンフィルなど70年代の新録音まで聴いてみたのですが、どれもあちらを立てればこちらが立たずという趣で、しかもすれすれで的を外しているようなもどかしさが拭えないというのが実感でした。そんなときに巡り会ったのがSP時代の、それも電気吹き込みが始まったばかりの1929年収録という、今では90年前の録音にならんとしているワインガルトナー/旧ロイヤルフィル盤だったのです。

コメント


mixiユーザー2017年07月15日 09:19
残月◯゜様おはようございます。

もうかなりの間まとまった時間がとれずにいるため、本当はきちんと聴き比べたい音源も続けて聴けず日にちの開いた記憶頼りになるのが忸怩たる思いですが、印象論にすぎなくても一度は整理しておきたいと思い、書き始めることにいたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

mixiユーザー2017年07月17日 19:24
メンデルスゾーンについては、ベートーヴェンからシューベルトを経たドイツの交響曲の系譜をシューマンと共に支えた作曲家、という印象を持っています。
メンデルスゾーンが初演を振ったというシューベルトの大ハ長調、やっぱり彼もシューマンと同様に興奮しながらスコアを読み込んだのでしょうか。

ブラームスについては、色々思うところあって(今書いている拙作にブラームスの一番が出てくることが大きな理由です)どのようなご意見を読ませていただけるか大変気になっております。
個人的には、ブラームスはワーグナーと正反対の方向を向きながらも実は同じ場所に背中合わせで立っていた作曲家ではないかと愚考する次第であります。
ワーグナーが楽劇の題材にゲルマン民族の伝説に行きついたことと、ブラームスが純音楽を突き詰めた結果バロックの技法に至ったことはどこか似ていると思うのです。……そういえば、ワーグナーのライトモティーフとブラームスの交響曲の一部の書法、どちらもバッハの対位法から学んだものが多かったような……?

mixiユーザー2017年07月17日 20:58
Astray様こんばんは。

なにしろ同じ時代に活躍した人同士の組み合わせですから、メンデルスゾーンとシューマンや、ワーグナーとブラームスの音楽史的な立ち位置が近いのは確かに当然のことであって、その上での両者の違いにこそ注目すべきとのご意見には大きく頷けるものがあります。御作『吹雪のころに』にもブラームスの1番と並んでワーグナーの「巡礼の合唱」が重要な役割を担っていましたが、それらと共にバッハの「パルティータ」もまた登場するあたり、今回のコメントにその3者が登場するのもむべなるかなと感じるところです。

まずメンデルスゾーンとシューマンについては、メンデルスゾーンの5曲からはメンデルスゾーンがどこかへ行こうとしていたこととその方向性が窺えるように思えるのに対し、シューマンの4曲からはそういう感じがあまりしないのが対照的なことと感じられます。最後の交響曲となった3番「ライン」がベルリオーズの「幻想交響曲」とマーラーの5楽章交響曲を橋渡しする、中間楽章が折り返し点になっているタイプの5楽章形式なのが目を引きますが、ではシューマンがそれをより深めようとしていたとまでいえるのかといえばそこまでは無理とも感じるのです。

ブラームスについてはワーグナーというより、メンデルスゾーンとチャイコフスキーがブラームスを挟んで対照的な位置にいるような気がします。SP時代にブラームスの全集をいち早く録音したのがストコフスキーとワインガルトナーでしたが、チャイコフスキーを得意としたストコフスキーとチャイコフスキーの録音を残さずわずか1曲とはいえメンデルスゾーンで水際立った演奏をものしたワインガルトナーとの違いが2人のブラームスには聴き取れるように思えるのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346


▲△▽▼

古典の磁場の中で:その2 2つの疑似ステレオ技術
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877

 僕が買ったワインガルトナーによる復刻盤LPは78年のキャニオンレコードによるもので、アルティスコというレーベル名称による一種の疑似ステレオ盤でした。当時ベートーヴェンの8番と9番くらいしか現役盤がなかったワインガルトナーの、9曲のベートーヴェン全集がEMIと踵を接するように一気に発売されたのが77年でしたが、EMIがそれだけで終わったのに対してアルティスコは続いてブラームス全集を出し、その後登場したのがこのメンデルスゾーンだったのです。その他にSP初期の伝説的な指揮者フランツ・シャルクの録音をLP3枚に集成したのもシベリウスの同時代人ロベルト・カヤヌスが指揮したシベリウスの1番と2番を復刻してくれたのもこのレーベルでした。
 僕がアルティスコのワインガルトナーに手を出したのはアートフォン・トランスクリプションと銘打たれたアルティスコの復刻技術がどんなものかという興味と現役盤の点数が少なかったこの指揮者の全体像がこれで掴めるのではないかという思いが半々という感じでしたが、その下地になっていたのがGR盤と呼ばれる当時のEMIの復刻シリーズのあまりの音の悪さでした。ノイズ除去を意識するあまり高域をばっさりカットしていたGR盤の音は当時鼻をつまんで出す声にたとえられていたほど評判が悪く、僕もGR盤を聴くときはドルビーBをかけてカセットテープに録音した上で、再生時はドルビーをかけずに聴くという裏技で高音を足していたものです。EMIから出た全集のほうは懇意にしていたレコード店でGR盤より改善されているといわれたので店で試聴させてもらった上で買いましたが、そのEMIよりアルティスコ盤は序曲などが収録されている点でも勝っていたので、結局アルティスコ盤も買った上で聴き比べたのでした。そのとき気づいたのが盤面にはMONOと記されたEMI盤の解説書の最後に記された「このレコードは最新の技術によりステレオ化されています」という注意書きで、これが1本の針で2本の溝を盤面に刻みかつ再生するというステレオLPの仕組みでは、左右に厳密に同じ信号を記録再生することができないという問題に2つの会社がそれぞれの立場で取り組んでいることを僕に知らしめたのでした。同じ信号を同じに記録再生できないからこそ、左右の信号を変える必要がある。違っていても正確に記録再生できているわけではないが、変えておくことで同じでなければならない信号が不揃いに記録再生されてしまうことの弊害からは逃れられる。そのことに両社が気づいていたことが2つのワインガルトナーのベートーヴェン全集の盤面には文字通り刻まれているのです。
 EMIの方はモノラル信号に僅かに位相差を加えて音像を広げつつ、高域になるほどズレが出やすい針1本での録音再生機構の限界を逃れようとしたもので、聴感上の違和感を最小限に抑えることが優先されていましたが、アルティスコ盤は高音を左、低音を右に配することで高弦が左、低弦が右に定位するところまで加工されていたのです。そのためアルティスコにはヴァイオリンが左右に配置されていた当時の歴史的事実を歪曲するものと批判がなされ、そのせいかワインガルトナーのスコットランドを最後に新譜が出なくなってしまったのでした。
 その批判は確かに的を射たもので同じことを感じないわけではありませんでしたが、それでもなお両者を聴き比べれば総合的にアルティスコ盤が勝っていると僕には感じられたのでした。再生周波数により定位を定めてゆくという加工は当然ながら周波数バランスへの注意深さを要求するものであり、まだRIAA規格が存在せず各社がバラバラの録音再生カーブを用いていたSP音源の音を整える結果にもつながっていたからです。EMI盤が音色の面ではいささか明るすぎ古い電蓄タイプのスピーカーでないと金属的な印象に繋がりかねなかったのに対し、アルティスコ盤は当時の新しい機材で聴いても各楽器の音色がよりそれらしく鳴る点ではるかに上回っていたのです。これは当時英デッカがエクリプスレーベルとして発売していた廉価シリーズにおける疑似ステレオ盤にもいえることで、記録再生カーブがRIAAでなかった同社のモノラル音源があれほどリアリティのある音色で聴けたのも、疑似ステレオ化の作業に伴う周波数特性の調整があったからこそだと思うのです。
 ともあれアルティスコの復刻は楽器の定位こそ本来のものではないにせよ、ステレオLPという環境にモノラル音源を徹底的に最適化させることにかけてはデッカのエクリプスシリーズと並ぶ絶後の成果を成し遂げたものでした。それあればこそ、あのときワインガルトナーの「スコットランド」は半世紀の時を越えその真価を伝えてくれたのだと思うのです。

コメント

mixiユーザー2017年07月17日 20:40
興味深い内容です。そういえば、デッカエクリプスの、ベーム=VPOのシューベルト8番、5番の演奏も録音も好きで、あとで疑似ステと知ったのですが、処分しがたく未だに持ってます。やっぱ良盤なのかなー。

mixiユーザー2017年07月17日 21:25
こめへん様こんばんは。

デッカのエクリプスシリーズは当時帯と日本語解説書を輸入盤に付け足してなお500円台という破格の安さでしたから僕も随分買い込んだものでしたが、ステレオ音源はもちろんモノラル音源がとにかくすばらしい音で、ステレオカッターでカッティングされたモノLPとは次元の違う彩りの豊かさでした。ステレオ針でモノラル音源をカッティングし再生することの原理的な難しさに気づきつつあった僕にとって、エクリプスシリーズ中の擬似ステレオ盤は大きな啓示ともなった存在だったのです。

おそらくデッカのffrr録音は周波数特性を見直さない愚直な鮮度最優先の復刻では決して本来の色彩感の再現ができないことと思いますので、そのベームのシューベルトは手放さないことを強くお勧めいたします。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877


▲△▽▼


古典の磁場の中で:その3 ワインガルトナーの示唆
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015

 LP復刻当時すでに録音から半世紀。今では90年前の音源になりつつあるワインガルトナーの「スコットランド」 にもかかわらずこの演奏を抜きにしてこの曲を、ひいてはメンデルスゾーンという作曲家を語ることは僕にはできそうにありません。彼の「スコットランド」は他の演奏とは考え方が根本的に異なるものでした。それほど僕にとっては啓示的なものでした。
 現在聞ける多くの演奏で「スコットランド」の第1楽章は序奏を持つ古典交響曲とみなされていて、序奏と主部の区分を明瞭につけようとする一方で主部のテンポを極力一定に保つことに力が注がれています。確かに外見上この第1楽章はそのような形式で書かれており、古典交響曲の約束事を当てはめればそういう演奏になるのは当然すぎるほど当然です。でもそうするとこの音楽がなにを語っているのかはとたんに見えなくなるのです。本来なら形式的な見通しがついて当然の措置がなされているにもかかわらず、とくに主部の数多くの楽想が口をつぐんでしまうのです。
 ワインガルトナーは序奏を速め、主部を遅めに演奏して落差を小さくする一方で、主部の楽想が変わるごとに固別のテンポを与えています。それはどんな小さな変化も見逃さないほど徹底したものでありながら、それが煩わしさにつながることは決してありません。彼の時代の大指揮者たちに共通する特徴との2つの違いがそれを阻んでいるからです。決して旋律を粘らせないことと、テンポの振れ幅が抑制されていることです。

 当時の大指揮者たちのほとんどは、自分が感じたものを100%、むしろ150%や200%まで表現せずにはいられない人々でした。たとえばメンゲルベルク、ストコフスキー、フルトヴェングラーなど、それぞれ本質も芸風も異なる人々ですが、その点だけは共通していたのです。だからこそ彼らの演奏はSPの音質を通じてさえ雄弁さを発揮し、それが彼らの実演に接することができぬ人々へも名声を広げることになったのでした。彼ら3人がベートーヴェンと同等かそれ以上にチャイコフスキーの録音で名声を博していたのは偶然ではありません(今では信じ難いことですが、戦前に発売されたフルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲は「運命」ただ1曲だけでした。もちろんそれは当時最も優れた「運命」とされたレコードでしたが、同時期に録音された「悲愴」もまたメンゲルベルクと決定盤の座を争う1枚だったのです)
 ワインガルトナーの流儀はそれら当時の大指揮者たちと正反対とさえいえる、感じたものを100%出し切るというより抑制を尊ぶものでした。どんなに小さな曲想の変化にも敏感に反応しているにもかかわらず、当時の同僚たちのようにそれを強調するのではなく控えめに表現することでさりげなく聴かせようとしているのです。そのことで彼の演奏は指揮者の意志力で曲を背後から駆り立てるというよりは変化に伴い受け身に変わってゆくようなものになっていて、柔構造めいた融通無碍な流動性を示しつつも均整美を見失うことがありません。多くの指揮者たちがこの曲を古典的な形式の枠組みの中に連れ戻し閉じ込めることで失われる風のような自在さを保ちつつ、この曲が痕跡のように残している古典的な形式感をも決して裏切らないのです。この「スコットランド」という曲の特質にこれほど寄り添い、その独自性をかくも見事に描き出した演奏には他に出会ったことがありません。この曲のあるいは最初の録音だったかもしれないワインガルトナーの古い古い録音が、にもかかわらず伝えてやまぬ名人の一筆書きのような草書の美。それは僕に風を連想させずにおかず、ひいてはかつて陰謀劇の舞台となった古城の前に佇むメンデルスゾーンが耳にしたかもしれぬ風の声、古の戦いの鬨の谺や悲愁の織りなす無常の響きの幻想にさえ誘う力を盤面に留めているのです。
 なぜこんな演奏が可能だったのか。これはもう頭で考えた結果というよりワインガルトナーその人の美意識や人間性がメンデルスゾーンのそれに近かったのだと考えるべきもののような気さえします。たとえばロンドン響時代のアバドがDGから出した全集録音は5曲の交響曲の変遷の行く先を考察していることが窺える点において極めて興味深いものですが、それゆえ考え抜いた末に決定された解釈という感触もつきまとい、およそ融通無碍からは遠い演奏なのも決して否定はできないのですから。

 そんなワインガルトナーが一人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集を最初に完成させたということは、当時における彼のベートーヴェン演奏が今からは想像し難いくらい高く評価されていた証であるだけでなく、往時のベートーヴェン像や美意識がその後のものとは異なるものだった可能性をも示唆しているような気もします。ストコフスキーはいうに及ばず、メンゲルベルクやフルトヴェングラーさえセッション録音だけではその生涯にベートーヴェンの9曲全部を遺せなかったことを思えば、当時ワインガルトナーの扱いは破格だったとしかいいようがありません。
 ワインガルトナーはベートーヴェンに対してもメンデルスゾーンと同じ姿勢で接していますが、結果としての演奏ではテンポの動きがより控えられ古典的な輪郭が前面に打ち出されている点に受け身の姿勢だからこそキャッチしているものもあるのだと感じさせるのがこの人ならではで、ベートーヴェン特有の粗野な迫力が均されているきらいはあるものの、それが当時の美意識だったとの確かな手応えも感じさせます。そして大戦中の1943年にスイスで亡くなったワインガルトナーの時代の美意識がしだいに消えゆくしかなかったことも。
 ステレオ初期のベートーヴェン全集には、ワインガルトナーの面影を感じさせるものがそれでもまだありました。弟子であったクリップス/ロンドン響をはじめクリュイタンス/ベルリンフィルやS=イッセルシュテット/ウィーンフィルなどどれも無理にスケールを広げすぎず、端正な造形と当たりの柔らかさを多かれ少なかれ感じさせるもので、それがワインガルトナー的美意識がいかに当時の音楽土壌に深く根を下ろしていたかの証だったとも思えます。けれどそれらはやがてよりスケールの大きさや堅固な骨格、ひいてはベートーヴェンならではの先鋭さを重視する演奏に置き換えられていったのです。70年代末に当時シドニー響の指揮者だったオッテルローの交通事故死で未完成に終わったベートーヴェン集がメモリアルとして後に出たとき、僕にはこういう美しいベートーヴェン演奏の時代が終わったことを示す墓碑銘にさえ見えたものでした。

 現在一般のクラシックファンはいうに及ばず、ヒストリカル録音の愛好家たちの間でさえワインガルトナーへの関心は高いとはいえません。SP録音時代の発売点数ではトップクラスの存在であったにもかかわらず、ウィーンフィルとの組み合わせの音源を除けばほとんどはめったにCD化されず、新星堂がまとめて復刻した大全集も再評価の動きには繋がりませんでした。往年の大演奏家たちの多くが出所の怪しいライブ録音や放送録音まで探索の対象となっている中、ワインガルトナーだけは全くそんな音源が出てこないというのはもはやただごととは思えませんが、それはやはり誇張を体質的に忌避する彼の音楽性が、整った美演よりも八方破れの爆演をむしろ尊ぶ愛好家たちの嗜好とそれだけずれているからだとも感じるのです。
 そしていま、マーラーがかつてなく聴かれるようになったこの日本において、聴き手のメンデルスゾーンへの関心は反比例的に低くなっているとも見えるのですが、僕にはそれがワインガルトナーへの関心の低さとどこかで繋がっているように思えてなりません。そしてストコフスキーやメンゲルベルクはもとよりナチスドイツに留まったせいで長らくマーラーを演奏できなかったフルトヴェングラーでさえ1曲だけとはいえマーラーの録音を遺している一方で、ワインガルトナーはマーラーのみならずチャイコフスキーの作品さえ録音していないのです。

 メンデルスゾーンが古典的なスタイルから脱却し始めたとき、彼が目指した道はチャイコフスキーやマーラーへと続くものではおそらくなかったのではないだろうか。ワインガルトナーによる「スコットランド」の古いSP録音は、そんなことまで示唆するもののように思えてなりません。作曲家でもあったワインガルトナーには7曲に及ぶ交響曲があり海外では全集録音が出ていると伝えられていますが、穏健な作風と評されているのがいかにもと思えると同時に、あるいはそれがメンデルスゾーンのたどり着けなかった道を示しているかもしれないとも考えたりしている次第です。

 そしてそんなワインガルトナーが4曲のブラームスを録音したほぼ同じ時期にストコフスキーも全集を完成したということは、ブラームスの音楽がメンデルスゾーンとは異なり分かたれた道のどちらからもアプローチ可能なものであることの証ではないかとも。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015


▲△▽▼


古典の磁場の中で:その4 「スコットランド」のCD群
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860

 暑さバテで夏風邪を引き寝込んだ機に、まずは全集に含まれる「スコットランド」を聴きつつCDで持っているものを引っ張り出してきたら、下記のような仕儀と相成りました。まだこの他にマークの3種類とジンマン、O・ドホナーニ盤があるのですが、ケースがどこに紛れ込んだものか出てきません。またLPでしか持っていないものではモノラルのゲールやクレツキ、ステレオのミュンシュ、ドラティ、コミッショナー、オーマンディ、ギブソンなどがあります。
 これらをとっかえひっかえ聴いていると、どうやらこの曲では全曲の中で第3楽章の長さのぶれ幅が大きく、その組み合わせが解釈面でのバリエーションを生み出しているようにも思えてきたので、例によってCDで聴けるものの演奏時間を整理することにいたします。数も数ですし熱もあるので、これらをどういう形で整理するかはもう少し時間をかけて考えようと思っています。

第1楽章提示部の反復がない盤(19枚)

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

第1楽章提示部の反復がある盤(11枚)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)

こうやってみるとやはり第3楽章のテンポが最も演奏による偏差が大きいことが見て取れます。このあたりの比較のためには提示部を反復しているグループについて、反復分を差し引いた数値も算出して比較したほうがわかりやすいかもしれないと考えているところです。


コメント

mixiユーザー2017年07月31日 00:30
I・フィッシャー盤が出てきたので追記しました(汗)


mixiユーザー2017年08月05日 13:47
反復ありの8枚について、反復を除外した演奏時間と比率を追記しました。


mixiユーザー2017年08月12日 10:48
マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。


mixiユーザー2017年08月16日 21:47
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:29
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:34
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860


▲△▽▼


古典の磁場の中で:その5 年代順比較用一覧
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450

 前回取り上げた30枚のうち第1楽章の提示部を反復している11枚について比較のために反復分を除いた演奏時間と楽章間の比率を算出し、全てを録音年代順に並べなおしてみました。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)

やはり全体としては年代順に並べたほうが演奏スタイルの変遷を辿れるようにも感じられますので、次回から原則としてこの順にそれぞれの演奏についてコメントしていきたいと思います。


コメント

mixiユーザー2017年08月12日 11:19
マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。


mixiユーザー2017年08月16日 21:48
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:33
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:37
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450


▲△▽▼


古典の磁場の中で:その6 リストの追記と注目点
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406

 マークの3種と沼尻盤をリストに追加し、反復を省いた場合の第1楽章における序奏の時間と比率を全てに付記しました。この修正は前2回のリストにも加えています。またシャイーの新盤と有田盤は1842年版による演奏で、翌年の現行版より第1楽章で15小節、第4楽章で22小節長いのですが、実演総時間でも大差がなく比率を計算しても誤差の範囲に収まってしまうので、ここでは実際の演奏時間のままで表記しています。最近出たてのネゼ=セガン/ヨーロッパ室内Oの全集なども入手できれば順次追加していく予定です(入手したので追記しました)

 解釈を考えていく上で注目すべき比率はまず反復抜きの第1楽章における序奏の比率。これが25%を切ると序奏のテンポが主部の平均的なテンポより速く感じられます。ただし主部の最初のモチーフを遅く、続く「戦の幻想」と呼べそうなモチーフを速く演奏している演奏と、モチーフごとに差をつけない演奏とでは、主部への移行に伴うテンポの変化の印象が変わってくるので注意を要します。数字の上ではワインガルトナー、スタインバーグ、クレツキ、サヴァリッシュ、マズアの新旧両盤、フィッシャー、広上、堤、デプリースト、シャイーの新盤、ネゼ=セガンが25%以下です。
 もう1つは第3楽章の比率が第4楽章の比率より高いか否か。これは物理的な時間においても同じ結果であるわけですが、第3楽章を低回気味に演奏し第4楽章を煽ってコントラストを強調する演奏ほどこの比率に差が出てきます。両極端はクレンペラーとカラヤンで、クレンペラーが22.8%・28.1%なのに対しカラヤンは29.8%・23.8%になっていて、設計が根本的に異なることを強く印象つけずにおきません。総じて第3楽章の比率が高いほど後期ロマン派的性格が強い演奏と感じさせる傾向があります。
(追記:その後出てきたミトロプーロス盤がカラヤンよりさらにコントラストが強烈な30.0%・22.9%です)

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)


コメント

mixiユーザー2017年08月16日 21:48
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:38
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:42
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤が購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406


▲△▽▼

古典の磁場の中で:その8 SP〜モノラルLP期の録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221

 それでは個々の「スコットランド」録音について触れていこうと思いますが、先日ほぼ15年ぶりに棚の奥から出てきたミトロプーロス/ミネアポリスSO盤のことを書くにあたりSP時代の録音と演奏家の関係という観点からもう少しワインガルトナーについても補足する必要を感じますので、今回はSPからモノラルLP時代の3つの演奏について書かせていただくことにいたします。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

 今回ミトロプーロス盤と聴き比べて痛感したのは、録音の古いワインガルトナー盤のほうがはるかに演奏を巧みにすくい取っているということでした。録音年代が10年以上も後のミトロプーロス盤はなにしろSP時代だけに録音技術の急激な進歩の恩恵を受けられる立場だったにもかかわらず、そのことに足元を掬われたとしかいいようのない結果に終わっているのです。ワインガルトナーの時代よりかなり改善された音の強弱のより忠実な収録。けれど演奏陣がその限度をわきまえなかった結果、新しいはずのミトロプーロス盤は強音は入力オーバーで音割れと混濁の混沌と化し、弱音は感度の低いマイクに入りきれず掠れてしまっているのです。一方で条件がずっと悪いはずのワインガルトナー盤にはそういう響きの破綻がみられない。この差はどこから生じたのかと考えると、まず演奏サイドの原因としては芸風の差と録音の経験、そして技術サイドでは感度の低いマイクをどう使ったかではないかと思うのです。
 ミトロプーロス盤を注意深く聴いてみると、弱音部分で音量が下がってゆくとき最初に掠れ始めるのは弦楽器です。つまりこの収録では管楽器や打楽器のほうがマイク寄りに配されているか、それらの楽器に補助マイクが使われているのです。対するワインガルトナー盤は明らかに弦楽器群が手前、管楽器や打楽器がその中もしくは後ろです。だから弦の中に点在する管楽器は音量こそ小さくてもそれがリアルに感じられますし、明らかに音量が低いティンパニはだからこそ音割れや歪みを招いたりせずそれでいて掠れることもないのです。エンジニアが機械の性能と限界を熟知していればこその成功であるのは明らかです。
 そしてワインガルトナーの演奏スタイルもまた、ダイナミックレンジが狭い収録条件下でも美質が損なわれにくいものでした。テンポの頻繁かつ細やかな変化や旋律美を活かす歌い回しなどは限られた強弱の幅にもかかわらずというよりむしろ、それゆえに聴き手の脳裏にその曲線美を鮮やかに焼き付けさえしているのですから。もちろん実際の演奏を聴けたなら録音では減衰しているティンパニなどもより立体的な響きを作っていたのでしょうし、歌い回しの抑揚と一体化した強弱がさらに豊かな表現を形作っていたのでしょうが、それでもこの演奏の美質とも核心ともいえるもののエッセンスは限られた器に極力不足のないよう収められている。おそらく演奏側も普段より強弱を控えめに演奏していた可能性も決して低くないと思うのです。なにしろラッパ吹き込みの時代から多くの録音をものしたワインガルトナーですから、その経験が録音の限界を念頭に置いた配慮という形で表れても不思議ではなく、むしろそういう配慮あればこそ彼は多くの実績と名声をSP時代に築き得たという方がよほど事実に近かったはずだと思うのです。


ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

 15年ほど前に購入したミトロプーロスのミネアポリス時代の音源を集めたBOXセットに入っていたものですが、音の悪さに一回聴いただけで存在すら忘れていたもの。12年前のワインガルトナー盤のほうがはるかに聞きやすいというのではミトロプーロスにとっても気の毒なことです。とはいえ指揮者の側にも責任はあって、強弱の幅がSP盤の収録可能な限界を越えてしまっているせいで弱音になるとマイクが音を拾いきれずに掠れていますし、逆に強音では入力オーバーで盛大に歪んでしまいます。特にティンパニが入るたびに全体が混沌としてしまうのはいかんともし難いものがあり、演奏陣が録音技術の限界などおかまいなしにダイナミズム重視の演奏をした結果としかいいようのない盤でもあります。管楽器や打楽器を明瞭に録りたかった録音側の意図が各楽器のマイクとの距離からうかがえますが、全てが裏目に出たと評する以外ありません。
 第1楽章の序奏と第3楽章を遅く粘り気味に演奏する他は速いテンポで直線的に押してくる演奏なのでトータルタイムはリスト中の最短記録。コントラスト重視の演奏で狙いはわかるものの、メンデルスゾーンがこういうつもりで書いたのかと考えると曲と演奏がすれ違っているような気がしてならないのも正直なところで、マーラーやモダンミュージックでは雄弁さに直結する方法論との乖離がこの曲の立脚点を傍証している演奏と評することは、強いていえば可能なのかもしれません。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

 数年前に出たスタインバーグの米キャピトル音源を纏めたBOXセットに入っていたもので、LP時代に入っているため収録に無理がなく、音楽を安心して味わえます。
 この演奏はこのリストにおいて、後の時代に一般的になる演奏スタイルの最も早い例といえるものです。ワインガルトナーや、ましてミトロプーロスのような部分的あるいは楽章ごとのテンポ変化を極力控えて全曲の統一感を重視しつつ、そこに淡いロマンを香らせようとする流儀なのですが、ここではステレオ時代以降この人から耳にするのが難しくなったしなやかさや潤いが大いに魅力を添えています。毛筆をすっと真下に走らせた一筆の僅かな膨らみが見せるにも似たしなやかさ。後の時代の誰もがこの域に届き得たわけではないこの達成は、当時このコンビが一つの絶頂期にいた証を今の世に伝えているのではないでしょうか。むろん終楽章コーダの繰り返しをオクターブ上げて華やかに結ぶなど、今では考えられない処理も散見されるのは事実ですが。


コメント

mixiユーザー2017年09月07日 17:10
録音環境まで、再生された音楽から看取されるとは、MFさんの分析力の
素晴らしさにはいつものことながら舌をまきますあせあせ

mixiユーザー2017年09月07日 17:54
リンデ様こんばんは。まあローエンドに特化してはいるものの、一応オーディオ好きの端くれですから(苦笑)

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221


▲△▽▼


古典の磁場の中で:その9 ステレオ初期の録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221

 今回はサヴァリッシュによる史上初の全集盤が登場するまでのステレオ諸盤についてです。バーンスタイン以外はどれもLPで聴いていた懐かしい盤でもあります。また今回の顔ぶれは全員がこの曲を複数回レコーディングしている点が共通しています。なおここからは音質についても参考程度にコメントしていますが、必ずしも現在店頭に出ているプレスで聴いたわけではないので、その旨ご了承いただけましたら幸いです。


マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 生涯に「スコットランド」を3回レコーディングした唯一の指揮者ペーター・マークによる最初にして最も有名な録音で、僕がこの曲を初めて聴いたのもこの盤でのことでした。僕が生まれる前年の収録なので、このリストではここまでが僕にとって過去の時代に属する録音ということにもなります。
 最大の特徴はとにかく細かいこと。微に入り細を穿つ目が曲のいかなる変化も見逃さず、遅いテンポのもとじっくり音化されてゆきます。曲想に対する追随の細かさではワインガルトナーさえ凌ぐでしょう。ただしその細かさが聴き手の注意をも細部に向けすぎるようなところもあって、曲全体の見通しの良さに必ずしも結びついてこないのが難点です。基本テンポが遅めで緩急を感じにくいのも確かですが、ワインガルトナーのように細部の表現が全体の動きに波及する場面が意外に少なく、細部の羅列めいて感じられてしまうのが最大の要因だと思うのです。付き合いの長い盤ですがこの曲を僕に難しく感じさせたのもそういう特色ゆえのことだったのだと今となっては思うばかりで、その点ではやはり後の2つの演奏のほうが改善されていると感じます。比較のため2回目と3回目の演奏時間を記しておきますが、第3楽章が回を追うごとに速められている一方で、残る3つは一貫してより遅くなっているのが印象的です。なおベルン盤のみ第1楽章に反復がありますので、ここには反復分を除いた数値を記しています。
(13:56/04:18/10:39/10:40)
(14:07/04:32/10:17/10:45)
 なお音質はさすが英デッカ原盤だけに彩り豊か。モニター調のシビアなスピーカーでも楽しめる優秀録音です。


クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

 SPからモノラル期の諸盤に比べ明らかに遅くなったマーク盤が、それでもテンポの遅さを喧伝されなかった直接の原因となった演奏に違いなく、提示部の反復なしでほぼ42分という演奏は僕が生きているうちは二度と出てこないだろうと思います。ただ各楽章の比率を見るとマークやバーンスタインのように緩徐楽章で遅くするよりもそれ以外の楽章をいっそう遅くして楽章ごとのテンポの差をむしろ均すコンセプトなのが窺え、かつて「田園」においてもベートーヴェンのコントラスト設計にあえて背を向け殷々とした大きな流れの音楽として表現していたことを思いだします。
 そしてスタインバーグと同様、彼もまた60年代初頭のこの時期には後年に影を潜める柔らかさを保ち得ていて音楽が不思議な静けさと懐の深さを湛えていますし、あまりにも自己流の解釈を押し通すことから生じる揺るぎなさが大きく刻印されているのも事実です。この曲を考える基準にしていい解釈とは思えないので決定盤扱いには同意できませんが、異なる個性の出会いが生んだ異色の名演と認めるにはやぶさかではありません(なお旧録音にあたるウィーンSOとのVOX盤は未聴ですがタワーレコードの商品ページに演奏時間が出ていたので参考に記しておきます。現物に接していないので第1楽章の提示部を反復しているかどうか不明ですが、してないのならステレオ盤よりさらに遅いタイムは驚くべきものだと思いますし、もし反復があるのならこの時点で彼の楽章ごとのペース配分は確立していて、それが保たれたまま全体が遅くなっていったのかもしれません。旧録音盤をお持ちの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです)
(15:55/04:22/08:07/09:54)
 音質はきめの細かさと自然な距離感が好ましいものの音色はやや明るめなので、ウッディなスピーカーで聴くほうがいいと思います。


バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

 バーンスタインがニューヨーク時代に行った録音活動は多分に教育的かつ啓蒙的で、十年余りの在任期間中に収録された膨大な音源は古典派から現代音楽までを展望できる百科全書的なレパートリーを押さえているのみならず、演奏自体も再録音に比べ端正かつ構成的な性格が前面に出ています。おそらく彼はニューヨークでは活動の軸足を啓蒙に置き、それが完成した離任後は表現の追求を目標としたのではないかと今振り返ると思えるのです。
 この「スコットランド」もペース配分の点ではマークに似てはいるものの、細部よりは全体に聴き手の注意を向けさせる内容になっているのがいかにもこの時期のバーンスタインならではで、実際のテンポ以上に停滞感を感じるマークと逆に意識が曲全体の緩急に向くため流れの良さがより印象に残ります。マークよりも第3楽章を遅め、第4楽章を速めに演奏しているところにそんなコンセプトが端的に窺えます。彼はこの時期「宗教改革」と「イタリア」も収録していますがやはり曲の性格を大掴みに捉えた演奏で、指揮者自身の資質ゆえ濃密なロマンへの傾斜を感じさせる瞬間もあるものの啓蒙的たらんとする意識がそこに一定の歯止めをかけているような、そんな演奏と感じます。彼が70年代末にイスラエルPOと再録音したこの3曲は未聴ながら演奏時間にはまだ極端な差はないようで、それが時期的なものに由来するのかバーンスタインなりのメンデルスゾーン解釈に原因を求めるべきかは不明ですが、機会があれば聴いてみたいところです。同じくタワーの商品ページからその演奏時間を記しておきます。
(13:55/04:09/11:15/10:06)
 米コロムビア特有の中高域が張り出す音質なので、その張り出しをキャンセルできる装置で聴きたい盤です。


アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

 スタイルとしてはスタインバーグの延長上にあるものであり、その美質を最も多く受け継いだ自然体の名演です。マークはもちろんバーンスタインのように自らに何かを課した気配もここには皆無で、ただ自らの純良な音楽性を信じるまま歌い上げたらこうなったとでもいいたげな、まっすぐでしなやかな歌がどこまでもなめらかに流れてゆきます。スタインバーグよりは緩急も大きめですが、それもワインガルトナーと同じく受け身ゆえの自然さの範囲内のことで、風のワインガルトナーに対し水のアバドという趣があります。
 後の全集録音が曲を自らの中でいかに位置づけるべきかという意識を強く感じさせるものになっているのに対し、ここでの彼のふるまいはまさにイノセントと呼ぶのがぴったりで、その後の彼の歩みの一端に接し得た身からすれば、音楽家としてのアバドが最も無垢でありえたひとときの姿の形見とさえ映ります。ワインガルトナー同様アバドもまた資質の近さゆえメンデルスゾーンの遺した曲と幸せな形で触れあうことのできた音楽家だった。そう思わずにいられないほど無心に感じられる演奏です。
 このような無心さは全集録音ではすでに影を潜めていますが、その時でさえアバドの演奏にはメンデルスゾーンと共通する美意識が特別なものを語りかけている。彼の問いかけに応えている。アバドの全集録音にそう感じたことこそが僕が手持ちの「スコットランド」を全部きちんと聴き直してみたくなった端緒でした。その後ベルリン時代にライブ収録された「イタリア」と「真夏の夜の夢」の結晶化された名演を思えば、そんな問いかけの後の境地を示したであろう3つめの「スコットランド」の録音がなされなかったのは無念というほかありません。下記は全集盤のタイムですが、例によって提示部の反復がなされている分を差し引いています。
(13:46/04:02/11:27/09:55)
 音質もマーク盤と同じ英デッカ原盤だけに彩りが豊かで、その点ではDGによる全集盤よりずっと上です。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221

▲△▽▼
古典の磁場の中で:その10 クレツキの見た先には
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226
 今回は1954年収録のクレツキ盤をLPから復刻したCD−Rが入手できたので、前後するスタインバーグ盤やマーク盤とも比較しつつコメントさせていただきます。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 こうして並べるとクレツキはスタインバーグとマークの双方と共通点を持つことがわかります。まず第一印象として感じるのがテンポの遅さ。マークとほぼ同じ38分というタイムはスタインバーグに比べ4分余り遅くなっています。たかが4分という方もおられるでしょうが、実際に聴くとこの34分弱と38分という差は思いのほか大きく、クレツキとマークからはスタインバーグのような一筆書きめいた印象を受けることはありません。むろん聴く側の個人差もあるでしょうが、少なくとも僕には第1楽章の提示部の反復なしでのトータルタイム35分というのが分水嶺になるようで、ワインガルトナーやスタインバーグの風をイメージさせる演奏はここでいったん失われるのです。アバドの旧録音が水のイメージになるのも基本テンポが遅くなるからですが、そのアバド盤と同じ時期に収録されたサヴァリッシュが僅かながらも基本テンポが速いため、先人たちの美質を受け継ぐ形になっているのは見逃せません。ワインガルトナー、スタインバーグ、そしてサヴァリッシュたちの演奏で細部のほんの僅かなテンポ変動が大きな印象の変化として感じられるのもひとえに基本テンポが遅すぎないからで、クレツキやマークだとより大幅にテンポを変えないと基本テンポの遅さの印象を覆せないのです。マークが細部の表情にこだわるわりに効果的に感じられない最も大きな要因はまちがいなく基本テンポの設定にあると思います。もう少しでも速ければそれら細部のテンポの揺れが遅すぎる基本テンポに吸収されず、全体の印象を左右しえたはずだと思うのです。
 ではクレツキとマークの違いはといえば第3楽章と第4楽章のバランスです。マークは先行するミトロプーロスや後のバーンスタインやアバドやカラヤンのように第3楽章に多く時間を割いていますが、クレツキはスタインバーグや後のドホナーニ、マズアの新録音のようにほぼ同じ時間で演奏しているのです(ちなみにワインガルトナーのようにフィナーレの方がタイムが長くなっているのがクレンペラーやマズアの旧録音で、サヴァリッシュも僅かながらもフィナーレにより時間が割かれています。またマークは2回目の録音では両楽章のタイムが同じ、3回目ではフィナーレの方が長くなっています)また第1楽章の序奏を主部に比べ速めのテンポにしているのもワインガルトナーやスタインバーグと同様で、マークの初録音はその点でもバーンスタインやアバド、カラヤンと同じです。ただ基本テンポが比較的速めのアバドはともかく、マークのテンポになるとバーンスタインやカラヤンより振れ幅を抑えているのが仇になって、それらのテンポ設計が生むはずのコントラストが控えめになってしまい、全体としてなにを目指しているのかが見えづらい演奏に感じられてしまうのが残念です。後の録音で第3楽章のテンポが一貫して速められていくのも、あるいはそんなテンポ設計が機能しなかったと本人も感じていた表れかもしれません。

 奇しくも当時、クレツキとマークはメンデルスゾーンの交響曲をこの「スコットランド」しか録音していなかった一方で「真夏の夜の夢」の歌唱入り8曲の抜粋版を収録していますが、演奏のコンセプトは対照的です。マークは「スコットランド」と同様にやや遅めのテンポで丁寧に表情をつけていて、彼のテンポ設定がどちらの曲も同じ感覚というか生理的なものに基づいてなされているのではと感じさせる面があるのですが、クレツキはがらりと異なる速いテンポで演奏していて最小限に抑えられたテンポ変動が最大の効果に繋がっています。明らかに彼はこの2つの作品で対応を変えているのですが、この「真夏の夜の夢」は僕にとってワインガルトナーの「スコットランド」と同様これ以上を容易に求めがたい突出した存在で今もあり続けているのです。
 クレツキのこの2つの盤を、僕はCD登場の直前に中古の初期LPでほぼ同時に買ったのでしたが、その違いはクレツキという指揮者が単に作曲家ごとのスタイルの違いに留まらず作曲された時期や曲ごとの性格に応じてコンセプトを大きく変える人であることを強く印象づけたのでした。彼は明らかに2つの曲を異なるものとみなし、それを演奏に反映させようとしている。では彼はこの2曲にどのような違いを見たのだろうか。そしてその違いが片方では類まれな成功に結びついたにもかかわらず、もう一方がそこまで成功しなかったのはなぜなのか。そう感じた遠い日に、僕は当時、若くして完成された天才型の作曲家と評されることがほとんどだったメンデルスゾーンにも、早世ゆえに完成には至れなかった発展段階があったのではないのかと肌で感じさせられたのでした。クレツキが見ていたのはそういうもので、でもそれが成功に繋がらなかったのはそれがいかなるものになるはずだったのかを彼が読み違えたからではないだろうか。そう思ったことでメンデルスゾーンの死はロマン派の発展史における一つの可能性の喪失だったのではとの考えが生じ、それがその後この作曲家に対する尽きぬ興味の源泉となったのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226


▲△▽▼
古典の磁場の中で:その19 新たな世紀の交代劇
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072
 それではいよいよ今世紀に入ってからの3つの演奏について、見比べていこうと思います。

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

 なおシャイーの新盤は旧盤の項目で述べたように決定稿の前の版を使っているため厳密な比較には向きませんが、実際に聴くと楽章やブロック同士の比率に大きな影響を及ぼすものでなさそうなので、演奏の傾向をみる分にはいけるのではと思います。
 これらを見比べてまず思うのは、21世紀初頭のこれら3つが数値上ではまるでSP時代のような値を示しているということ。1929年のワインガルトナー以降70年代までは一貫してより重厚長大な方向へと変わっていた演奏スタイルが、80年代以降古楽派の運動の影響がメンデルスゾーンの演奏様式にまで及んだことで変わり始めいちどは重さや粘りに大きく傾いたスタイルを一新したことを、20世紀最後の3つの録音中アシュケナージや堤の演奏スタイルの傾向をさらに押し進めた形で示しているのが巨視的な特徴といえるでしょう。
 ではこれらはワインガルトナーやミトロプーロスの演奏の再来かといえばそれは全く違いますし、むしろどんな背景に基づいて登場したのかを見てゆくことで2000年代特有の状況も見えてくるとも思うので、以下にこれらがSP時代の2つと異なる点を列挙してみます。

*解釈の幅がかつてより大幅に狭い。
*演奏精度に対する要求水準が高い。

 解釈の幅が狭まった最大の要因は、手書きの草稿や楽譜などの一次資料に対する科学技術による分析さえも取り入れた音楽学の発達にあると考えるべきでしょう。条件を満たせば紙やインクの年代特定さえ可能というのはSP時代には想像さえできなかったことであり、それらの事実を緻密に積み上げることで主張される演奏様式のあり方は恣意的な反論を許さないとみなされた結果、それを無視した解釈は成立不能とされました。ベートーヴェンの解釈で20世紀最後の10年に起きたことがメンデルスゾーンに波及したのがこの時期だったのです。今回の3つの演奏にもそのことは様々な形で現れていて、デプリースト盤における小編成の採用はこの時期以降それが標準化されてゆきますし、内藤盤でのビブラートの排除も弦の材質と奏法への影響の考察をその根拠としています。シャイーが新盤で古い稿を採用しているのも以前は後の時代の音楽との繋がりを遡る形でメンデルスゾーンに接していたこの指揮者が、より古い音楽との関連から捉え直そうとする姿勢に転じたことと連動しているのは前に述べたとおりです。
 それは古い曲を今の時代に合わせて仕立て直すことや演奏家のパフォーマーとしての個性の発露こそ最も重要とされた80年前の考え方とは正反対でさえありました。ワインガルトナーとミトロプーロスの解釈の違いはここまで見てきたどんな時代にも例がないほどかけ離れたものであり、前提となる考え方が違うだけでここまで結果が変わるのかとただただ嘆じるばかりです。
 演奏精度の問題は楽器の変遷と密接な関連があります。金属弦が登場しガット弦に置き換わる前の20世紀初頭、力が加わると伸びて音程が狂いやすいガット弦は各セクションの音程を揃えるのにも苦労を強いるものであり、なるべく軽い弓圧で粘らせずに歌わないと独奏はともかく合奏では各人の音程がばらけて響きの濁りを避けられませんでした。この時代に多くみられたポルタメントと呼ばれる音程を連続的にずり上げたりずり下げたりさせる奏法が金属弦の普及と期を一にして姿を消していく一方、安定性の高い金属弦の登場はそれまでソリストしか許されなかった強いビブラートをかけつつ旋律線を粘らせる歌い回しの奏法を合奏で可能にしたのでした。1929年収録のワインガルトナーとその12年後のミトロプーロスで聴き比べる「スコットランド」の第3楽章にはそれらの違いが端的に出ていますし、ストコフスキーの一連の電気録音がそんな変化の最も早い実例だろうとも。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/685.html#c2

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
110. 中川隆[-14092] koaQ7Jey 2022年1月23日 12:17:57 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[10]
【ゆっくり解説】小室圭と眞子の結婚を止められないのは、秋篠宮が学生時代に遊んでいたから…チャラの宮と呼ばれた過去…【ゆっくりニュース】
2022/01/21


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c110
[近代史4] 日本銀行当座預金 中川隆
11. 中川隆[-14091] koaQ7Jey 2022年1月23日 12:54:08 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[11]
022年1月4日
日本銀行
当座預金取引の相手方一覧(2021年12月末・金融機関等コード順)

<銀行 123>
みずほ銀行 北國銀行 あおぞら銀行
三菱UFJ銀行 福井銀行 SBJ銀行
三井住友銀行 静岡銀行 北洋銀行
りそな銀行 スルガ銀行 きらやか銀行
埼玉りそな銀行 清水銀行 北日本銀行
PayPay銀行 大垣共立銀行 仙台銀行
セブン銀行 十六銀行 福島銀行
ソニー銀行 三十三銀行 大東銀行
楽天銀行 百五銀行 東和銀行
住信SBIネット銀行 滋賀銀行 栃木銀行
auじぶん銀行 京都銀行 京葉銀行
イオン銀行 関西みらい銀行 東日本銀行
大和ネクスト銀行 池田泉州銀行 東京スター銀行
ローソン銀行 南都銀行 神奈川銀行
みんなの銀行 紀陽銀行 大光銀行
UI銀行 但馬銀行 長野銀行
北海道銀行 鳥取銀行 富山第一銀行
青森銀行 山陰合同銀行 福邦銀行
みちのく銀行 中国銀行 静岡中央銀行
秋田銀行 広島銀行 愛知銀行
北都銀行 山口銀行 名古屋銀行
荘内銀行 阿波銀行 中京銀行
山形銀行 百十四銀行 みなと銀行
岩手銀行 伊予銀行 島根銀行
東北銀行 四国銀行 トマト銀行
七十七銀行 福岡銀行 もみじ銀行
東邦銀行 筑邦銀行 西京銀行
群馬銀行 佐賀銀行 徳島大正銀行
足利銀行 十八親和銀行 香川銀行
常陽銀行 肥後銀行 愛媛銀行
筑波銀行 大分銀行 高知銀行
武蔵野銀行 宮崎銀行 福岡中央銀行
千葉銀行 鹿児島銀行 佐賀共栄銀行
千葉興業銀行 琉球銀行 長崎銀行
きらぼし銀行 沖縄銀行 熊本銀行
横浜銀行 西日本シティ銀行 豊和銀行
第四北越銀行 北九州銀行 宮崎太陽銀行
山梨中央銀行 オリックス銀行 南日本銀行
八十二銀行 GMOあおぞらネット銀行 沖縄海邦銀行
北陸銀行 日本カストディ銀行 整理回収機構
富山銀行 新生銀行 ゆうちょ銀行


<信託銀行 11>
三菱UFJ信託銀行 日本マスタートラスト信託銀行 農中信託銀行
みずほ信託銀行 ステート・ストリート信託銀行 新生信託銀行
三井住友信託銀行 SMBC信託銀行 日証金信託銀行
ニューヨークメロン信託銀行 野村信託銀行

<外国銀行 50>
シティバンク、エヌ・エイ ビー・エヌ・ピー・パリバ銀行 ステート・ストリート銀行
JPモルガン・チェース銀行 オーバーシー・チャイニーズ銀行 中小企業銀行
バンク・オブ・アメリカ・エヌ・エイ ソシエテ ジェネラル銀行 韓国産業銀行
香港上海銀行 ユバフーアラブ・フランス連合銀行 彰化商業銀行
スタンダードチャータード銀行 DBS銀行 ウェルズ・ファーゴ銀行
バークレイズ銀行 パキスタン・ナショナル銀行 第一商業銀行
クレディ・アグリコル銀行 クレディ・スイス銀行 台湾銀行
ハナ銀行 コメルツ銀行 交通銀行
インド銀行(バンク・オブ・インディア) ウニクレディト銀行 メトロポリタン銀行
兆豐國際商業銀行 インド ステイト銀行 フィリピン・ナショナル・バンク
バンコック・バンク カナダ・ロイヤル銀行 中国工商銀行
ピーティ・バンクネガラインドネシア(ペルセロ)・ティービーケー ウリィ銀行 中國信託商業銀行
ドイツ銀行 アイエヌジー バンク エヌ ヴイ インテーザ・サンパオロ・エッセ・ピー・ア
ブラジル銀行 ナショナル・オーストラリア・バンク・リミテッド(銀行) 國民銀行
ユナイテッド・オーバーシーズ銀行 オーストラリア・ニュージーランド銀行 中国建設銀行
UBS銀行(ユービーエス・エイ・ジー) オーストラリア・コモンウェルス銀行 中国農業銀行
ニューヨークメロン銀行 中国銀行(バンク オブ チャイナ)


<信用金庫 247>
北海道信用金庫 東京東信用金庫 紀北信用金庫
室蘭信用金庫 東榮信用金庫 滋賀中央信用金庫
空知信用金庫 亀有信用金庫 長浜信用金庫
苫小牧信用金庫 小松川信用金庫 湖東信用金庫
北門信用金庫 足立成和信用金庫 京都信用金庫
伊達信用金庫 東京三協信用金庫 京都中央信用金庫
北空知信用金庫 西京信用金庫 京都北都信用金庫
日高信用金庫 西武信用金庫 大阪信用金庫
渡島信用金庫 城南信用金庫 大阪厚生信用金庫
道南うみ街信用金庫 昭和信用金庫 大阪シティ信用金庫
旭川信用金庫 目黒信用金庫 大阪商工信用金庫
稚内信用金庫 世田谷信用金庫 永和信用金庫
留萌信用金庫 東京信用金庫 北おおさか信用金庫
北星信用金庫 城北信用金庫 枚方信用金庫
帯広信用金庫 瀧野川信用金庫 奈良信用金庫
釧路信用金庫 巣鴨信用金庫 大和信用金庫
大地みらい信用金庫 青梅信用金庫 奈良中央信用金庫
北見信用金庫 多摩信用金庫 新宮信用金庫
網走信用金庫 新潟信用金庫 きのくに信用金庫
遠軽信用金庫 長岡信用金庫 神戸信用金庫
東奥信用金庫 三条信用金庫 姫路信用金庫
青い森信用金庫 新発田信用金庫 播州信用金庫
秋田信用金庫 柏崎信用金庫 兵庫信用金庫
羽後信用金庫 上越信用金庫 尼崎信用金庫
山形信用金庫 新井信用金庫 日新信用金庫
米沢信用金庫 村上信用金庫 淡路信用金庫
鶴岡信用金庫 加茂信用金庫 但馬信用金庫
新庄信用金庫 甲府信用金庫 西兵庫信用金庫
盛岡信用金庫 山梨信用金庫 中兵庫信用金庫
宮古信用金庫 長野信用金庫 但陽信用金庫
一関信用金庫 松本信用金庫 鳥取信用金庫
北上信用金庫 上田信用金庫 米子信用金庫
花巻信用金庫 諏訪信用金庫 倉吉信用金庫
水沢信用金庫 飯田信用金庫 しまね信用金庫
杜の都信用金庫 アルプス中央信用金庫 日本海信用金庫
宮城第一信用金庫 富山信用金庫 島根中央信用金庫
石巻信用金庫 高岡信用金庫 おかやま信用金庫
仙南信用金庫 にいかわ信用金庫 水島信用金庫
会津信用金庫 氷見伏木信用金庫 津山信用金庫
郡山信用金庫 砺波信用金庫 玉島信用金庫
白河信用金庫 石動信用金庫 備北信用金庫
須賀川信用金庫 金沢信用金庫 吉備信用金庫
ひまわり信用金庫 のと共栄信用金庫 備前日生信用金庫
あぶくま信用金庫 はくさん信用金庫 広島信用金庫
二本松信用金庫 興能信用金庫 呉信用金庫
福島信用金庫 福井信用金庫 しまなみ信用金庫
高崎信用金庫 敦賀信用金庫 広島みどり信用金庫
桐生信用金庫 小浜信用金庫 萩山口信用金庫
アイオー信用金庫 越前信用金庫 西中国信用金庫
利根郡信用金庫 しずおか焼津信用金庫 東山口信用金庫
館林信用金庫 静清信用金庫 徳島信用金庫
北群馬信用金庫 浜松磐田信用金庫 阿南信用金庫
しののめ信用金庫 沼津信用金庫 高松信用金庫
足利小山信用金庫 三島信用金庫 観音寺信用金庫
栃木信用金庫 富士宮信用金庫 愛媛信用金庫
鹿沼相互信用金庫 島田掛川信用金庫 宇和島信用金庫
佐野信用金庫 富士信用金庫 東予信用金庫
大田原信用金庫 遠州信用金庫 川之江信用金庫
烏山信用金庫 岐阜信用金庫 幡多信用金庫
水戸信用金庫 大垣西濃信用金庫 高知信用金庫
結城信用金庫 高山信用金庫 福岡信用金庫
埼玉縣信用金庫 東濃信用金庫 福岡ひびき信用金庫
川口信用金庫 関信用金庫 大牟田柳川信用金庫
青木信用金庫 八幡信用金庫 筑後信用金庫
飯能信用金庫 愛知信用金庫 飯塚信用金庫
千葉信用金庫 豊橋信用金庫 大川信用金庫
銚子信用金庫 岡崎信用金庫 遠賀信用金庫
東京ベイ信用金庫 いちい信用金庫 唐津信用金庫
館山信用金庫 瀬戸信用金庫 佐賀信用金庫
佐原信用金庫 半田信用金庫 九州ひぜん信用金庫
横浜信用金庫 知多信用金庫 たちばな信用金庫
かながわ信用金庫 豊川信用金庫 熊本信用金庫
湘南信用金庫 豊田信用金庫 熊本第一信用金庫
川崎信用金庫 碧海信用金庫 熊本中央信用金庫
平塚信用金庫 西尾信用金庫 大分信用金庫
さがみ信用金庫 蒲郡信用金庫 大分みらい信用金庫
中栄信用金庫 尾西信用金庫 宮崎第一信用金庫
中南信用金庫 中日信用金庫 高鍋信用金庫
朝日信用金庫 東春信用金庫 鹿児島信用金庫
興産信用金庫 津信用金庫 鹿児島相互信用金庫
さわやか信用金庫 北伊勢上野信用金庫 奄美大島信用金庫
東京シティ信用金庫 桑名三重信用金庫 コザ信用金庫
芝信用金庫


<協同組織金融機関の中央機関 4>
信金中央金庫 労働金庫連合会 農林中央金庫
全国信用協同組合連合会


<金融商品取引業者(外国法人である金融商品取引業者を除く) 33>
ナティクシス日本証券 UBS証券 水戸証券
ドイツ証券 BofA証券 東海東京証券
ソシエテ・ジェネラル証券 野村證券 むさし証券
BNPパリバ証券 SMBC日興証券 いちよし証券
バークレイズ証券 大和証券 極東証券
JPモルガン証券 みずほ証券 立花証券
ゴールドマン・サックス証券 岡三証券 光世証券
SBI証券 岩井コスモ証券 ちばぎん証券
日本相互証券 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 シティグループ証券
しんきん証券 丸三証券 クレディ・スイス証券
セントラル東短証券 東洋証券 モルガン・スタンレーMUFG証券

<外国法人である金融商品取引業者 3>
クレディ・アグリコル証券 ナットウエスト・マーケッツ証券 HSBC証券


<証券金融会社 1>
日本証券金融


<短資会社 3>
東京短資 セントラル短資 上田八木短資


<資金清算機関 1>
全国銀行資金決済ネットワーク


<金融商品取引清算機関(金融商品債務引受業を行う金融商品取引所を含む) 3>
東京金融取引所 日本証券クリアリング機構 ほふりクリアリング


<銀行協会 33>
横浜銀行協会 山梨県銀行協会 香川県銀行協会
釧路銀行協会 長野県銀行協会 愛媛県銀行協会
札幌銀行協会 静岡県銀行協会 高知県銀行協会
函館銀行協会 名古屋銀行協会 北九州銀行協会
青森県銀行協会 京都銀行協会 福岡銀行協会
秋田県銀行協会 大阪銀行協会 大分県銀行協会
宮城県銀行協会 神戸銀行協会 長崎銀行協会
福島県銀行協会 岡山県銀行協会 熊本県銀行協会
群馬県銀行協会 広島県銀行協会 鹿児島県銀行協会
新潟県銀行協会 島根県銀行協会 沖縄県銀行協会
石川県銀行協会 山口県銀行協会 全国銀行協会


<その他 6>
CLS BANK International 日本政策投資銀行 国際協力銀行
商工組合中央金庫 日本政策金融公庫 預金保険機構

<合計 518>

https://www.boj.or.jp/paym/torihiki/ichiran.pdf
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c11

[近代史5] 金利が上昇すると特に成長株の株価が下がる
金利が上昇すると特に成長株の株価が下がる

なぜエムスリー株は高値から半値に?成長株が軒並み下落…持ち株が下がったときの対処法を解説=栫井駿介
2022年1月13日
https://www.mag2.com/p/money/1146892


「成長株」の株価下落が止まりません。代表格であるエムスリー<2413>は、高値から50%近くも下落しています。成長株というと、将来が期待されて買いが入りやすいものですが、なぜ直近でこれほどまでに下がっているのでしょうか?その理由と、買った株が下がっている方はどのように対処するべきかもあわせて解説したいと思います。(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)

なぜエムスリーは高値から50%も株価が下がった?
「成長株」「新興株」と呼ばれる銘柄が大きく下落しています。

代表格であるエムスリー<2413>は直近6ヶ月で34%、高値からすると50%も下落しています。

エムスリー<2413> 日足(SBI証券提供)


マザーズ指数 日足(SBI証券提供)


東証マザーズ指数も直近で大きく下がっています。

これに合わせて成長株といわれる株は下がっている状況です。

エムスリーは元々ものすごい成長企業で、医療関係のデジタルトランスフォーメーション(DX)を担っており、コロナの影響でさらに重要度が増し、大きく成長しました。

業績はなんら問題の無い会社です。

マクロ的な金融経済の背景を見ると、この下落には確かな理由があります。

アメリカ連邦理事会(FRB)の議事録が公開され、それによると、金融引き締めの方向に舵を切り始めているということが明らかになりつつあるのです。

これまでは、コロナショックで経済が厳しいので金融緩和政策が行われてきました。

それが2022年末頃まで続くと見られていましたが、議事録が公開されると、利上げの時期が早まり、2022年3月頃には利上げが行われるということが同意事項となりつつあります。

また、保有資産を縮小し、市場にばらまいたお金を回収しようという動きも見られ、更にはこの保有資産の縮小は前回の正常時よりも速いスピードで行われるとも言われています。

金融緩和が終了ということになると、どうしても株価が下がりやすくなります。

金利が低い時はお金を借りてでも投資をしようという動きが出ますが、金利が上がるとなると、今のうちに儲かった分を売ってお金を返そうという動きになるからです。

その中で、特に成長株が下がる理由を解説します。
https://www.mag2.com/p/money/1146892


なぜ金融引き締めが必要なのか?
https://www.mag2.com/p/money/1146892/2


まず、そもそもなぜ金融引き締めを行わなければならないのでしょうか。

金融緩和の最大の副作用はインフレです。

これはアメリカの消費者物価指数の推移ですが、元々1.4%ほどだったものが直近で6.8%というかなり高い数値となっています。

これだと、毎年10%近くずつ物価が上がっていくということになっています。

そうなると困るのが貧困層や年金などで暮らすお年寄りです。

インフレが起こる要因の1つは供給が需要に追い付いていないということがあります。

そして、石油や石炭などのコモディティーは、需給の問題もありますが、お金が余っているから少しでも儲かるところに手を伸ばそうという投機的な動きも生まれ、価格を引き上げてしまうことになります。

これを止める1つの手段が、金融引き締めです。極端なインフレで生活を困窮させないために必要となってきます。

なぜ金利が上昇すると、成長株の株価が下がるのか?
では、なぜ金利が上昇すると特に成長株の株価が下がるのでしょうか。

論理的にはこの計算式で説明できます。

image (9)

成長率が高いということは、分母が小さくなる、つまり、許容されるPERが大きくなるということになります。

しかし、成長率だけが重要なわけではなく、金利も重要となってきます。

例えば金利が7%から10%に上がったとすると、許容されるPERが50倍から20倍に下がることとなり、株価は60%下落することになります。

image (11)

つまり、成長率が高いほど金利に対する感応度が高くなるということです。
https://www.mag2.com/p/money/1146892/2

エムスリーの株価下落が顕著なワケ
https://www.mag2.com/p/money/1146892/3


エムスリーの例で言うと、PERは一時80倍や100倍にもなっていました。

年率30%というものすごい成長率で、事業基盤も盤石だったのですが、やはり株価が上がりすぎていた側面があります。

企業が成長していたのも確かですが、金利がいつまでも低いわけではなく、また、短期的な投資家が上がるところにくっついてきて無駄に株価を引き上げてしまい、バブル的な株価になってしまっていたところがあります。

このことから、PER100倍とか、そういう企業に投資するのはなかなか難しいと私は常々言っているのです。

「エムスリーの株価が下がってきたので、いま買うべきですか?」という質問をよく受けるのですが、下がったとはいえ、まだPER50倍ありますから、これから金利が上がるという局面ではPERが高い銘柄ほど株価が下がりやすいので、PER50倍が許容できる範囲かというと疑問符が付きます。

狙い目企業の見つけ方〜PEGレシオとは?
割高すぎる企業に手を出してはいけませんが、一方で、巻き込まれただけの企業もあります。

成長企業がずるずると下がっている局面で、それにつられて下がっているだけということです。PERもそれほど高くなく、業績としてはしっかり成長している企業というのも珍しくありません。

この3年の東証マザーズ指数を見ると、コロナ・ショックで一時大きく下がり、その後に2倍くらいまで上がったのですが、そこからずるずると下がり、今ではコロナ前の水準に戻ってしまっているという状況です。

しかし、株価というものは基本的に業績に比例するものです。

株価が戻った一方で業績が以前より上がっていてこれからも上がっていくなら、当時は割安ではなかったものが、今では成長性を考えると十分に割安といえる企業がゴロゴロしていると思います。

ここで有用な考え方が『PEGレシオ』というものです。

image (12)

PEGレシオが1を下回ると割安、0.5を下回ったなら相当割安とされています。

実際に数字を当てはめてみます。

PER30倍で年率30%の成長が3年続く企業があったとすると、PEGレシオは1でまずまず割安といえます。これが3年間毎年30%成長するとなると、複利計算で3年後には利益が2.2倍になっている計算になります。3年後のPERは13.6倍となり、これ自体は平均的な数字ですが、年率30%も成長する高成長企業がPER13.6倍で放っておかれるはずは無く、株価は今よりも上がっている可能性が高いです。
https://www.mag2.com/p/money/1146892/3


株価を追ってもしょうがない。業績を見よ!
https://www.mag2.com/p/money/1146892/4


そういった企業を探すときに有用なものが、マネックス証券の銘柄スカウターです。

銘柄スカウターでのスクリーニングのやり方はYouTube動画内で説明しているのでぜひご覧ください。

株価やPERというものは、かなりふわっとしていて、投資家の心理などによって簡単に大きく動きます。

コロナショック後の大きく上昇した時には利益確定の売りに押されやすい状況でしたし、日本市場には腰を据えた投資家がまだ少なく、個人投資家の新興市場では利益が出たら売ってしまうという動きも出やすいです。

そんな中で、本当に良い企業が安くなっているとしたら、やがて業績がついてくれば株価も業績に追い付いて伸びてくる展開が期待できます。

今、成長企業の株価が下がっているとしたら、チャンスであると言えます。

私が言いたいことは『株価ではなく業績を見よ』ということです。

業績が伸びていればそれに従って株価も伸びてくる可能性が高いです。よほど割高だったら別ですが、PER20倍の企業が年率30%で成長しているなら、数年後に株価が伸びていないということはほぼあり得ないわけです。

そういう観点で見ると、今、株価が下がって不安に苛まれている方も安心して持ち続けられるかと思います。
https://www.mag2.com/p/money/1146892/4
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1451.html

[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
115. 中川隆[-14090] koaQ7Jey 2022年1月23日 20:29:13 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[20]
2022.01.23
業界騒然! 謎の歌手・森田童子の父親が「なかにし礼の兄だった」事実が意味すること
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91686

なかにし礼『血の歌』と『兄弟』をめぐって

作詩家なかにし礼とシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを明らかにしたことで、『血の歌』(毎日新聞出版)が話題を集めている。同時にこの作品は、短篇ではあるが、なかにしのヒット作『兄弟』(1998年、文藝春秋)と表裏をなす重い内実をたたえている。

『兄弟』は作詩家から小説家になったなかにしの初めての本格的長篇。特攻隊の生き残りで、事業の失敗や弟名義での借金でなかにしを破滅にまで追いこむ常軌を逸した兄(話題となったテレビドラマではビートたけしが演じた)となかにしの愛憎と葛藤を描いた小説で、「兄さん、死んでくれてありがとう」と主人公が独白する結末が当時、大きな反響を呼んだ。そのモデルである兄の娘(次女)が、何と森田童子だったのだ。

映画の中のなかにし礼と森田童子
音楽史において、大衆の心に響く歌謡曲の作詩家であるなかにしと、孤高のシンガーソングライターの森田は対極的な存在であるが、映画史においては、この叔父と姪は踵を接し、1978年にともにスクリーンデビューしている。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


この年に公開された大森一樹監督の『オレンジロード急行』で、森田童子のメジャーデビュー作『さよなら ぼくの ともだち』が初めて映画の挿入歌として使われ、同年に公開された『時には娼婦のように』(小沼勝監督)はなかにし礼の同名曲の大ヒットを当てこんで製作されたからだ。

『時には娼婦のように』は、《当時、(兄が作った─引用者註)借金に追われている時期で、好条件を提示されたこともあり、原案、脚本、音楽、さらには主演までこなした》(『わが人生に悔いなし─時代の証言者として』、河出書房新社)となかにしが語るロマンポルノであるが、なかにし礼のバイオグラフィにおいてはきわめて重要な作品である。

この映画に現れる心臓発作と性への耽溺、兄の借財を背負わされる弟、複数の女性との同棲、なかにしが第二の故郷と呼ぶ青森への郷愁といったなかにしの人生に欠くべからざる光景が、なかにしがのちに書く『翔べ!わが想いよ』('89年、東京新聞出版局、新潮文庫、文春文庫)から『夜の歌』(2016年、毎日新聞出版、講談社文庫)にいたる自伝小説のプロトタイプ(試作品)になっているからだ。


なぜこの原稿が書かれたのか
この作品を起点として、なかにしを「戦争と歌謡曲を交響楽(シンフォニー)のように、硝煙とエロスをカットバックで描いた作家」と評した、私の『夜の歌』講談社文庫版('20年)の解説を読んだなかにしは、私を西麻布「キャンティ」に招いてくれた。だが、交遊が始まってまもなく、2020年12月になかにしは突然他界した。死後に机の引き出しから発見された未発表原稿をなかにしの子息で音楽プロデューサーの中西康夫が刊行したのが、『血の歌』である。


『血の歌』は作家の死後に刊行された未発表原稿の常として、多くの謎につつまれている。

どうして作者がこの原稿を書いたか、が第一の謎である。後記で中西康夫が『血の歌』は1995年に執筆されたと推測しているように、『血の歌』は'96年に小説のモデルである兄(中西正一)が死去する1年前に、『兄弟』の習作として書かれたものと思われる。

『血の歌』は、兄が語り部に近い立場で書かれていることから、仮借なく兄を描いた『兄弟』よりも兄へのシンパシーが宿る。また、『血の歌』において戦時中に兄が操縦する戦闘機を失墜させる場面は、ほぼそのまま『兄弟』の完成稿に使われている。『血の歌』でなかにしは、兄の視点から娘(森田童子)を描き、同時に娘を小説の「狂言回し」に使えないかと模索していたと憶測できる。


では、なかにしはなぜ封印したのか
しかし、'95年の執筆当時、森田童子は音楽活動を停止中だったとはいえ、'93年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマの『高校教師』の主題歌として使われたことから再ブレイク中だった。なかにしや正一との関係が世間に知られれば、彼女のプライバシーや作品評価に差し障ると考え、なかにしは森田童子をモデルとする『血の歌』を封印したのだろう。

『兄弟』を担当した元文藝春秋の編集者・鈴木文彦は述懐する。

「『兄弟』執筆の前、お兄さんが亡くなられる以前に、かなり感情移入の激しい習作を読んだ覚えがおぼろ気にあります。当時、お兄さんをモチーフにしたいわゆる“兄モノ”の習作がいくつかあって、その一つが『血の歌』だったのではないでしょうか。森田童子については、兄の娘だとなかにしさんから直接うかがったことがあります。『血の歌』はモデル小説の引きの強さがありますが、森田童子が存命だった執筆時点では、彼女のプライバシーにも配慮していたので、発表には至らなかったのではないかと思います。結果として、お兄さんの死を待って長篇仕立てで『兄弟』に結実し、なかにしさんの代表作になっていきます」

『兄弟』という大作に濃密に関わった編集者ならではの見方と言えるだろう。

Photo by GettyImagesPhoto by GettyImages


父から見た娘、また娘から見た兄という視点が削られ、弟から見た兄という視点で小説を一貫させたことで、『兄弟』の構成は堅牢になり、作品は直木賞候補になるなど大きな評価を得た。『血の歌』は『兄弟』のいわば試作品であったのだ。

そのようにいったんボツにした草稿をなかにしはなぜ残していたのか、が第二の謎である。後記で中西康夫が書くように、なかにしはつねに原本(草稿)を廃棄していたという。彼が『血の歌』だけを残しておいたのは、将来何らか形での発表を意図していたと考えるのが自然だろう。

次に湧き上がる謎は、なかにし礼が森田童子の音楽的才能をどのように捉えていたかという点である。その謎を解き明かしてくれたのが、『血の歌』では「お貞さん」、『兄弟』では「藤原慶子」と呼ばれて作中に登場する辣腕音楽プロデューサーの松村慶子である。彼女は'64年に『知りたくないの』(菅原洋一)で作詩家・なかにし礼を、'74年に『さよならぼくのともだち』で森田童子を、ともにメジャーデビューさせた。

松村は「礼ちゃんは童子を『手に負えない才能だ』と高く評価していて、本当は応援したかった」と証言した。しかし、森田童子は「叔父の七光りで世に出たくない」と反発し、松村も「メジャー過ぎて、どこか体制的な匂いがする礼ちゃんの姪ということはマイナスで、童子を反体制、非体制で売りたい」と戦略を立て、「森田童子との関係をずっと隠し通すこと」をなかにしに提案、なかにしがその約束を死ぬまで守り続けてくれたことを感謝する。


小説『時には娼婦のように』を構想していた
森田童子の音楽が、なかにし兄弟が育った満州牡丹江の裕福な家庭にあった音楽的な環境に胚胎していることは疑いがないだろう。しかし、森田は叔父の後ろ盾なしで自らの音楽世界を築き、父親の戦争中の失墜と戦後の堕落に対して全共闘世代の挫折感を対置させ、先行世代への鎮魂歌を歌いつづけた。彼女は中西家の「虚無という血」を引き継いだ、と私には思える。

「『血の歌』が出たとき、さすが礼ちゃんと感心したわね。童子と自分が死んだあと、すべてを明らかにする。礼ちゃんらしい見事な自己演出だと思った」と語る松村は、なかにしが『血の歌』の原稿を意図的に家族の目に付きやすい場所に置き、自分の死後の出版を暗に望んでいたと考える。中西康夫もそれが父の遺志だと信じている。なかにしとの共同作業で数々のヒット曲を生み出した辣腕プロデューサーと、なかにしと最も身近に接してきた子息の見解には、確かに説得力がある。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


しかし私は、『血の歌』を読んで、一つの別な想像をめぐらせた。

私がなかにし礼と最後に会ったのは、なかにしが亡くなるちょうど2年前、'19年の12月だった。「キャンティ」で私と話すうちになかにしは、『時には娼婦のように』というタイトルで、'70年代の懶惰な日々を小説にしたいと思い立った。7人の女性が住み、彼女らの世話をする年配のマダムがいる一軒家。なかにしにはそこを訪ねて遊んだ日々があった。特権的な時間であったとは思うが、平和ボケの極みのような退廃と乱倫のなかに、なかにし独自の共生と気づかいの哲学を再発見しようとしたのかもしれない。なかにしはその時代を描きたいと切実な調子で言い始めたのだ。

その後、なかにしはその小説の構想を河出書房新社の担当編集者に持ちかけたと聞いたが、それが実現しないまま終命の時を迎えた。ここから先は私の憶測だが、なかにしはこの作品に、'74年の森田童子の歌手デビューを絡め、当時の音楽状況をふくめて回想しようと目論み、その時のために、いつか作品の形を与えようと思っていた草稿を机の引き出しに入れておいたのではあるまいか──。

こんなふうに『血の歌』は、さまざまな空想を喚起し、なかにし礼の死が創作活動を無残にも途絶させたことを、悲しみとともにあらためて思い起こさせる掌編なのである。


▲△▽▼


2022.01.01
「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91082

なかにし礼の未発表作品に書かれたこと

作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。

テレビドラマ『高校教師』のあの歌声

かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認知された。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


森田童子の存在をはじめて知ったのはいつのことだろう。70年代の終わりに、わたしより一回り以上も若い青年たちが「一度聞いて欲しい」と録音テープを届けにきた。聞いてみて、「いやにセンチメンタルな歌だなあ」とそのときは思った。


突然の電話
従来、わたしは音楽にほとんど関心を持たなかった。クラシックも、ジャズも、ロックも聞いたことがない。戦前・戦後の歌謡曲のいくつかと、森進一や八代亜紀の2、3の歌を好んだ。

1970年以降のフォークソングにも馴染めなかった。森田童子の歌も私的な生活を言葉にしたフォークとさほど違いはないものとわたしは思い込んだ。

ただ、若い友人たちのこだわりが尋常ではなかった。森田童子のコンサートにしばしば出かけていたようだ。「ぼくたちの歌」と捉えているふしがうかがえた。この場合の「ぼくたち」とは1960年代後半の「反乱の季節」における高校生世代を意味する。たぶん、森田童子の歌のなかに自らを重ね合わせていたのだろう。その心情を理解できなくはなかったが、「青春の甘酸っぱさ」は願い下げたかった。

そんなある日、森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだ。

わたしは1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春さんを担当した。その縁で、辞めてからもつげさんの取次役のようなことをやっていた。つげさんに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげさんから了解を得た。

森田童子がつげ義春の愛読者であることを知って、わたしは新たに格別の興味を抱いた。それでも、もっと歌を聞いてみたいとまではならなかった。

森田はなぜつげ義春に執着したか
ところがである。「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、わたしが営む小さな文具店のガラス戸を開けた。「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわててわたしも返した。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だ。

挨拶の言葉ひとつ交わすこともなかったが、感じのいい出会いだった。

同じころ、住まいに近い渋谷道玄坂裏の円山町のラブホテル街の電柱に「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」とかのステッカーを見かけた。『夜行』は、つげ義春の新作を掲載した本だ。どれほど彼女がつげ義春に執着しているかを想った。いや、つげ義春だけではない。下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いた実弟のつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せて、彼女は「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明した。

以後、森田童子との接点は途絶えたままになった。歌うことをやめ、東京を離れたと風のうわさが流れた。気になりだしてCDを購入し、ときどき聞いた。いくつもの歌詞から森田童子の立ち位置が想起され「ああそうだったのか」との思いに襲われた。つれ合いが森田童子の歌を聞きながら、台所でふと手を休め、「いい歌よね」と言う。そして「正しい歌だわ」と続けた。冗談じゃない、歌に正しいも正しくないもあるものか、と言い返そうとして、思いとどまった。

なかにし礼の『血の歌』が明かす森田童子の過去
森田童子より2歳年上のつれ合いは、森田童子の頑なな意思と、ときどきの危機意識を瞬時に受け止めたのかもしれなかったからだ。その「正しさ」とは「理念を持っている」ということではないだろうか。森田童子の歌は「闘い」の歌ではないかもしれないが、「抵抗」の意思を示す歌ではあるだろう。「正しさ」とは「抵抗」の謂いでもあるのだろうか。

「反乱の季節」を若者たちとともに闘おうとした作家・高橋和己の「孤立無援の思想」をモチーフとした歌もあった。つげ義春の「海辺の叙景」をイメージした作品もある。

いったい、森田童子とは何者なのか、と疑問を抱いた。しかし、わたしにはどのような情報も届かなかった。森田童子は謎に包まれたままの存在となった。それから20年が経ち、30年が経ち、予期しないときに訃報が飛び込んできた。わたしはつれ合いの遺影のある小さな部屋で、森田童子の歌を流した。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


そして、いまになって、なかにし礼の未発表小説『血の歌』(毎日新聞出版)によって、森田童子の過去が明らかにされた(作品のなかでは「美納子」「森谷王子」となっている)。森田童子は、なかにし礼の姪だったのだ。なかにし礼の代表作である『兄弟』のモデルだった、「特攻帰り」で、戦後、放埒に生きたという実兄の娘だったのである。そのあまりに衝撃的な人間関係に驚きを禁じ得ないが、しかし、それらはある意味、充分に納得のいく事柄であった。

荒廃した父親を通して「戦後」を感知し続けた
《堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた。墜落を恐れながら、みずからさらなる墜落を求める父。あるいは美納子は中西よりも、いや中西の背中越しに、戦争の興奮を見てしまったのかもしれない。そして、興奮から遅れてやってくる、傷と孤独。それは美納子にとって、時代の儚さであり、自分の命の悲哀であったのではないか》(『血の歌』より)

森田童子の歌から感受される途方もない「暗さ」は、たんに父親という存在の個性に求められるべきではないだろう。青春期に戦争を体験した、いわれるところの純粋戦中派にとって、敗戦後をどのように過ごしたかは、ひとりの個人の問題に還元されるべきことがらではない。つげ忠男がいくつものマンガで描き続けた「特攻帰りのサブ」の生き死には、B29撃墜の戦闘機パイロットであった父親像とみごとにオーバーラップする。いわば、敗戦後における父親の自堕落な姿は、下町で虚勢を張る与太者の「サブ」と寸分の違いもない。

つげ忠男は、工場街の裏町で目撃した実像の与太者を通して「戦後」を凝視した。森田童子は、父親の荒廃した実像を通して「戦後」を触知した。つげ忠男の一連の作品が戦後の「正しさ」を描き留めたように、森田童子も「戦後」のなかで自らの「正しさ」を追い求めた。

『血の歌』は、森田童子の秘密に触れると同時に、戦争体験を経た「戦後」という時間の秘密をも物語る。森田童子の歌が存在する限り、つげ忠男の作品が存在するかぎり、「戦後」は終わらないのである。


▲△▽▼


血の歌 Kindle版
なかにし 礼 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09NQVTK1R/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B09NQVTK1R&linkCode=as2&tag=asyuracom-22&linkId=fcb312468f0c633b2dc696aa2dce0968

痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c115

[近代史7] 森田童子 中川隆
3. 中川隆[-14089] koaQ7Jey 2022年1月23日 20:30:10 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[21]
2022.01.23
業界騒然! 謎の歌手・森田童子の父親が「なかにし礼の兄だった」事実が意味すること
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91686

なかにし礼『血の歌』と『兄弟』をめぐって

作詩家なかにし礼とシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを明らかにしたことで、『血の歌』(毎日新聞出版)が話題を集めている。同時にこの作品は、短篇ではあるが、なかにしのヒット作『兄弟』(1998年、文藝春秋)と表裏をなす重い内実をたたえている。

『兄弟』は作詩家から小説家になったなかにしの初めての本格的長篇。特攻隊の生き残りで、事業の失敗や弟名義での借金でなかにしを破滅にまで追いこむ常軌を逸した兄(話題となったテレビドラマではビートたけしが演じた)となかにしの愛憎と葛藤を描いた小説で、「兄さん、死んでくれてありがとう」と主人公が独白する結末が当時、大きな反響を呼んだ。そのモデルである兄の娘(次女)が、何と森田童子だったのだ。

映画の中のなかにし礼と森田童子
音楽史において、大衆の心に響く歌謡曲の作詩家であるなかにしと、孤高のシンガーソングライターの森田は対極的な存在であるが、映画史においては、この叔父と姪は踵を接し、1978年にともにスクリーンデビューしている。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


この年に公開された大森一樹監督の『オレンジロード急行』で、森田童子のメジャーデビュー作『さよなら ぼくの ともだち』が初めて映画の挿入歌として使われ、同年に公開された『時には娼婦のように』(小沼勝監督)はなかにし礼の同名曲の大ヒットを当てこんで製作されたからだ。

『時には娼婦のように』は、《当時、(兄が作った─引用者註)借金に追われている時期で、好条件を提示されたこともあり、原案、脚本、音楽、さらには主演までこなした》(『わが人生に悔いなし─時代の証言者として』、河出書房新社)となかにしが語るロマンポルノであるが、なかにし礼のバイオグラフィにおいてはきわめて重要な作品である。

この映画に現れる心臓発作と性への耽溺、兄の借財を背負わされる弟、複数の女性との同棲、なかにしが第二の故郷と呼ぶ青森への郷愁といったなかにしの人生に欠くべからざる光景が、なかにしがのちに書く『翔べ!わが想いよ』('89年、東京新聞出版局、新潮文庫、文春文庫)から『夜の歌』(2016年、毎日新聞出版、講談社文庫)にいたる自伝小説のプロトタイプ(試作品)になっているからだ。


なぜこの原稿が書かれたのか
この作品を起点として、なかにしを「戦争と歌謡曲を交響楽(シンフォニー)のように、硝煙とエロスをカットバックで描いた作家」と評した、私の『夜の歌』講談社文庫版('20年)の解説を読んだなかにしは、私を西麻布「キャンティ」に招いてくれた。だが、交遊が始まってまもなく、2020年12月になかにしは突然他界した。死後に机の引き出しから発見された未発表原稿をなかにしの子息で音楽プロデューサーの中西康夫が刊行したのが、『血の歌』である。


『血の歌』は作家の死後に刊行された未発表原稿の常として、多くの謎につつまれている。

どうして作者がこの原稿を書いたか、が第一の謎である。後記で中西康夫が『血の歌』は1995年に執筆されたと推測しているように、『血の歌』は'96年に小説のモデルである兄(中西正一)が死去する1年前に、『兄弟』の習作として書かれたものと思われる。

『血の歌』は、兄が語り部に近い立場で書かれていることから、仮借なく兄を描いた『兄弟』よりも兄へのシンパシーが宿る。また、『血の歌』において戦時中に兄が操縦する戦闘機を失墜させる場面は、ほぼそのまま『兄弟』の完成稿に使われている。『血の歌』でなかにしは、兄の視点から娘(森田童子)を描き、同時に娘を小説の「狂言回し」に使えないかと模索していたと憶測できる。


では、なかにしはなぜ封印したのか
しかし、'95年の執筆当時、森田童子は音楽活動を停止中だったとはいえ、'93年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマの『高校教師』の主題歌として使われたことから再ブレイク中だった。なかにしや正一との関係が世間に知られれば、彼女のプライバシーや作品評価に差し障ると考え、なかにしは森田童子をモデルとする『血の歌』を封印したのだろう。

『兄弟』を担当した元文藝春秋の編集者・鈴木文彦は述懐する。

「『兄弟』執筆の前、お兄さんが亡くなられる以前に、かなり感情移入の激しい習作を読んだ覚えがおぼろ気にあります。当時、お兄さんをモチーフにしたいわゆる“兄モノ”の習作がいくつかあって、その一つが『血の歌』だったのではないでしょうか。森田童子については、兄の娘だとなかにしさんから直接うかがったことがあります。『血の歌』はモデル小説の引きの強さがありますが、森田童子が存命だった執筆時点では、彼女のプライバシーにも配慮していたので、発表には至らなかったのではないかと思います。結果として、お兄さんの死を待って長篇仕立てで『兄弟』に結実し、なかにしさんの代表作になっていきます」

『兄弟』という大作に濃密に関わった編集者ならではの見方と言えるだろう。

Photo by GettyImagesPhoto by GettyImages


父から見た娘、また娘から見た兄という視点が削られ、弟から見た兄という視点で小説を一貫させたことで、『兄弟』の構成は堅牢になり、作品は直木賞候補になるなど大きな評価を得た。『血の歌』は『兄弟』のいわば試作品であったのだ。

そのようにいったんボツにした草稿をなかにしはなぜ残していたのか、が第二の謎である。後記で中西康夫が書くように、なかにしはつねに原本(草稿)を廃棄していたという。彼が『血の歌』だけを残しておいたのは、将来何らか形での発表を意図していたと考えるのが自然だろう。

次に湧き上がる謎は、なかにし礼が森田童子の音楽的才能をどのように捉えていたかという点である。その謎を解き明かしてくれたのが、『血の歌』では「お貞さん」、『兄弟』では「藤原慶子」と呼ばれて作中に登場する辣腕音楽プロデューサーの松村慶子である。彼女は'64年に『知りたくないの』(菅原洋一)で作詩家・なかにし礼を、'74年に『さよならぼくのともだち』で森田童子を、ともにメジャーデビューさせた。

松村は「礼ちゃんは童子を『手に負えない才能だ』と高く評価していて、本当は応援したかった」と証言した。しかし、森田童子は「叔父の七光りで世に出たくない」と反発し、松村も「メジャー過ぎて、どこか体制的な匂いがする礼ちゃんの姪ということはマイナスで、童子を反体制、非体制で売りたい」と戦略を立て、「森田童子との関係をずっと隠し通すこと」をなかにしに提案、なかにしがその約束を死ぬまで守り続けてくれたことを感謝する。


小説『時には娼婦のように』を構想していた
森田童子の音楽が、なかにし兄弟が育った満州牡丹江の裕福な家庭にあった音楽的な環境に胚胎していることは疑いがないだろう。しかし、森田は叔父の後ろ盾なしで自らの音楽世界を築き、父親の戦争中の失墜と戦後の堕落に対して全共闘世代の挫折感を対置させ、先行世代への鎮魂歌を歌いつづけた。彼女は中西家の「虚無という血」を引き継いだ、と私には思える。

「『血の歌』が出たとき、さすが礼ちゃんと感心したわね。童子と自分が死んだあと、すべてを明らかにする。礼ちゃんらしい見事な自己演出だと思った」と語る松村は、なかにしが『血の歌』の原稿を意図的に家族の目に付きやすい場所に置き、自分の死後の出版を暗に望んでいたと考える。中西康夫もそれが父の遺志だと信じている。なかにしとの共同作業で数々のヒット曲を生み出した辣腕プロデューサーと、なかにしと最も身近に接してきた子息の見解には、確かに説得力がある。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


しかし私は、『血の歌』を読んで、一つの別な想像をめぐらせた。

私がなかにし礼と最後に会ったのは、なかにしが亡くなるちょうど2年前、'19年の12月だった。「キャンティ」で私と話すうちになかにしは、『時には娼婦のように』というタイトルで、'70年代の懶惰な日々を小説にしたいと思い立った。7人の女性が住み、彼女らの世話をする年配のマダムがいる一軒家。なかにしにはそこを訪ねて遊んだ日々があった。特権的な時間であったとは思うが、平和ボケの極みのような退廃と乱倫のなかに、なかにし独自の共生と気づかいの哲学を再発見しようとしたのかもしれない。なかにしはその時代を描きたいと切実な調子で言い始めたのだ。

その後、なかにしはその小説の構想を河出書房新社の担当編集者に持ちかけたと聞いたが、それが実現しないまま終命の時を迎えた。ここから先は私の憶測だが、なかにしはこの作品に、'74年の森田童子の歌手デビューを絡め、当時の音楽状況をふくめて回想しようと目論み、その時のために、いつか作品の形を与えようと思っていた草稿を机の引き出しに入れておいたのではあるまいか──。

こんなふうに『血の歌』は、さまざまな空想を喚起し、なかにし礼の死が創作活動を無残にも途絶させたことを、悲しみとともにあらためて思い起こさせる掌編なのである。


▲△▽▼


2022.01.01
「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91082

なかにし礼の未発表作品に書かれたこと

作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。

テレビドラマ『高校教師』のあの歌声

かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認知された。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


森田童子の存在をはじめて知ったのはいつのことだろう。70年代の終わりに、わたしより一回り以上も若い青年たちが「一度聞いて欲しい」と録音テープを届けにきた。聞いてみて、「いやにセンチメンタルな歌だなあ」とそのときは思った。


突然の電話
従来、わたしは音楽にほとんど関心を持たなかった。クラシックも、ジャズも、ロックも聞いたことがない。戦前・戦後の歌謡曲のいくつかと、森進一や八代亜紀の2、3の歌を好んだ。

1970年以降のフォークソングにも馴染めなかった。森田童子の歌も私的な生活を言葉にしたフォークとさほど違いはないものとわたしは思い込んだ。

ただ、若い友人たちのこだわりが尋常ではなかった。森田童子のコンサートにしばしば出かけていたようだ。「ぼくたちの歌」と捉えているふしがうかがえた。この場合の「ぼくたち」とは1960年代後半の「反乱の季節」における高校生世代を意味する。たぶん、森田童子の歌のなかに自らを重ね合わせていたのだろう。その心情を理解できなくはなかったが、「青春の甘酸っぱさ」は願い下げたかった。

そんなある日、森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだ。

わたしは1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春さんを担当した。その縁で、辞めてからもつげさんの取次役のようなことをやっていた。つげさんに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげさんから了解を得た。

森田童子がつげ義春の愛読者であることを知って、わたしは新たに格別の興味を抱いた。それでも、もっと歌を聞いてみたいとまではならなかった。

森田はなぜつげ義春に執着したか
ところがである。「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、わたしが営む小さな文具店のガラス戸を開けた。「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわててわたしも返した。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だ。

挨拶の言葉ひとつ交わすこともなかったが、感じのいい出会いだった。

同じころ、住まいに近い渋谷道玄坂裏の円山町のラブホテル街の電柱に「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」とかのステッカーを見かけた。『夜行』は、つげ義春の新作を掲載した本だ。どれほど彼女がつげ義春に執着しているかを想った。いや、つげ義春だけではない。下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いた実弟のつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せて、彼女は「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明した。

以後、森田童子との接点は途絶えたままになった。歌うことをやめ、東京を離れたと風のうわさが流れた。気になりだしてCDを購入し、ときどき聞いた。いくつもの歌詞から森田童子の立ち位置が想起され「ああそうだったのか」との思いに襲われた。つれ合いが森田童子の歌を聞きながら、台所でふと手を休め、「いい歌よね」と言う。そして「正しい歌だわ」と続けた。冗談じゃない、歌に正しいも正しくないもあるものか、と言い返そうとして、思いとどまった。

なかにし礼の『血の歌』が明かす森田童子の過去
森田童子より2歳年上のつれ合いは、森田童子の頑なな意思と、ときどきの危機意識を瞬時に受け止めたのかもしれなかったからだ。その「正しさ」とは「理念を持っている」ということではないだろうか。森田童子の歌は「闘い」の歌ではないかもしれないが、「抵抗」の意思を示す歌ではあるだろう。「正しさ」とは「抵抗」の謂いでもあるのだろうか。

「反乱の季節」を若者たちとともに闘おうとした作家・高橋和己の「孤立無援の思想」をモチーフとした歌もあった。つげ義春の「海辺の叙景」をイメージした作品もある。

いったい、森田童子とは何者なのか、と疑問を抱いた。しかし、わたしにはどのような情報も届かなかった。森田童子は謎に包まれたままの存在となった。それから20年が経ち、30年が経ち、予期しないときに訃報が飛び込んできた。わたしはつれ合いの遺影のある小さな部屋で、森田童子の歌を流した。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


そして、いまになって、なかにし礼の未発表小説『血の歌』(毎日新聞出版)によって、森田童子の過去が明らかにされた(作品のなかでは「美納子」「森谷王子」となっている)。森田童子は、なかにし礼の姪だったのだ。なかにし礼の代表作である『兄弟』のモデルだった、「特攻帰り」で、戦後、放埒に生きたという実兄の娘だったのである。そのあまりに衝撃的な人間関係に驚きを禁じ得ないが、しかし、それらはある意味、充分に納得のいく事柄であった。

荒廃した父親を通して「戦後」を感知し続けた
《堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた。墜落を恐れながら、みずからさらなる墜落を求める父。あるいは美納子は中西よりも、いや中西の背中越しに、戦争の興奮を見てしまったのかもしれない。そして、興奮から遅れてやってくる、傷と孤独。それは美納子にとって、時代の儚さであり、自分の命の悲哀であったのではないか》(『血の歌』より)

森田童子の歌から感受される途方もない「暗さ」は、たんに父親という存在の個性に求められるべきではないだろう。青春期に戦争を体験した、いわれるところの純粋戦中派にとって、敗戦後をどのように過ごしたかは、ひとりの個人の問題に還元されるべきことがらではない。つげ忠男がいくつものマンガで描き続けた「特攻帰りのサブ」の生き死には、B29撃墜の戦闘機パイロットであった父親像とみごとにオーバーラップする。いわば、敗戦後における父親の自堕落な姿は、下町で虚勢を張る与太者の「サブ」と寸分の違いもない。

つげ忠男は、工場街の裏町で目撃した実像の与太者を通して「戦後」を凝視した。森田童子は、父親の荒廃した実像を通して「戦後」を触知した。つげ忠男の一連の作品が戦後の「正しさ」を描き留めたように、森田童子も「戦後」のなかで自らの「正しさ」を追い求めた。

『血の歌』は、森田童子の秘密に触れると同時に、戦争体験を経た「戦後」という時間の秘密をも物語る。森田童子の歌が存在する限り、つげ忠男の作品が存在するかぎり、「戦後」は終わらないのである。


▲△▽▼


血の歌 Kindle版
なかにし 礼 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09NQVTK1R/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B09NQVTK1R&linkCode=as2&tag=asyuracom-22&linkId=fcb312468f0c633b2dc696aa2dce0968

痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/644.html#c3

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハネス・ブラームス『交響曲 第1番 ハ短調 作品68』 中川隆
11. 中川隆[-14088] koaQ7Jey 2022年1月24日 04:51:36 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[2]
ブラームス: 交響曲第1番
ヘルマン・アーベントロート 、 バイエルン国立管弦楽団
爆演の金字塔、ブラ1演奏史に輝く凄演。
アーベントロート+バイエル国立管アカデミーコンサート1956




これが没年の演奏と言うことが信じられないアーベントロート会心の名演。爆演中の爆演であるブラ1がUHQCD化。すっかり東ドイツの人になっていたアーベントロートが珍しくバイエルン国立歌劇場管弦楽団(バイエルン国立管)の定期演奏会である「アカデミーコンサート」に登場。冒頭からして力こぶが盛り上がる様な雄々しく逞しいサウンドに圧倒されます。剛直でセンチメンタリズムに堕さない第2楽章。疾走する第3楽章。そして白眉は勿論のことフィナーレで、物をぶっ壊すかのようなティンパニの強打、旋律美が壊れるのを無視してまでブロック的に楽想を分断し、思う存分の変化をつけまくる超個性的解釈!アーベントロート屈指の名演として名高いものです。この前日には同会場でクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルと演奏会を開いていたと言う正に神々の時代の記録。至高音質として知られたDISQUES REFRAIN盤のマスターを使用。テープの傷は可能な限り修正しUHQCD化しました。英日のライナーノート付です。
ミューズ貿易


【曲目】
ブラームス:交響曲第1番
[13:00][9:02][4:21][15:03]

【演奏】
アーベントロート指揮
バイエルン国立管

【録音】
1956年1月16日
バイエル国立管弦楽団アカデミーコンサート
ミュンヘン・ドイツ博物館ライヴ

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/593.html#c11
[近代史4] アーベントロート( 1883年1月19日 - 1956年5月29日) 中川隆
4. 中川隆[-14087] koaQ7Jey 2022年1月24日 04:58:19 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[5]

■ Performing Brahms ■
Cambridge University Press ISBN : 0521652731
2003.11-2004.01  境山
http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html

「 Performing Brahms 」

この本、やっと2003年10月出版になりました。

http://books.cambridge.org/0521652731.htm

2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)

◇◇◇


(1) まず、本の内容詳細はコチラ。この本の編集者であるベルナルド・D・シェルマン ( Bernard D. Sherman ) 氏のサイトへ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm

なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方の場合、ネット通販がやはり便利かと思います。

「 Performing Brahms 」@ www.amazon.co.jp


◇◇◇


(2) この本が出る前から私が読みたくて仕方が無かったのが、この第10章。

Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
( Walter Frisch --- アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ)

自分はシロウトなので残念ながら翻訳出来るほどには キチンとは読めている訳では無いのですが・・・・・。
この Chapter 10 をざっと読んでみると、この章でフリッシュ教授は、

「アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハの書き込みに一番近く、ビューロー・シュタインバッハから の生きた伝統をアーベントロートは継承した」

と述べています。
そしてこの第10章の要点は、p.294のココだと思いました。 フリッシュはココを言うために色々な根拠を提示した、という感じがします。


[ p.294 , Fig.10.1 ]


Fig.10.1 では

・ビューローからシュタインバッハ、そしてアーベントロートへ、という Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」継承の流れと、

・ブラームスが評価した若手指揮者がシュタインバッハとモットルだったが、そのモットルから アーベントロートは学んだ、

ということに関して記述している。

◇◇◇


(3) 付属CDの内容です。本の巻末の記載から参照。:

1. The Violin Playing of Joseph Joachim
Track 1. Bach : Bourrée (Partita in B minor)
Track 2. Bach : Adagio (Sonata in G minor)
Track 3. Joachim : Romance in C major
2. Brahms : Ein deutsches Requiem
Track 4. Fifth Movement , bars 1-26 : Furtwängler / Musikaliska Sällskapet Kor; Stockholms Konsertförenings Orkester, Kerstin Lindberg-Torlind, soprano (1948)
3. Brahms : Symphonies
Excerpts from Symphony No. 1 : First movement, bars 117-158
Track 5 Abendroth / London Symphony 1928
Track 6 Weingartner / London Symphony 1939
Finale, bars 1-13
Track 7 Abendroth / London Symphony 1928
Track 8 Stokowski / Philadelphia1927
Track 9 Klemperer / Berlin State Opera 1928
Finale, bars 279-302
Track 10 Abendroth / London Symphony 1928
Track 11 Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 12 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Finale, bars 386-396
Track 13 Abendroth / London Symphony 1928
Track 14. Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 15 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Excerpts from Symphony No. 3 , Third movement (to letter C)
Track 16 Clemens Kraus / Vienna Philharmonic 1930
Track 17 Walter / Vienna Philharmonic, 1937
4. Brahms. Piano Music
Track 18 Trio in C Minor, op. 101: opening of the third movement as rendered impromptu by Ilona Eibenschütz (recorded by the BBC, 1952)
Track 19. Ballade in G Minor, Op. 118/3 Ilona Eibenschütz, piano
Track 20. Intermezzo in E minor, Op. 119/2. Ilona Eibenschütz, piano
Track 21. Intermezzo in E flat, Op.117/1. Adelina de Lara
Track 22. Rhapsody in G minor, Op. 79/2. Adelina de Lara.
Track 23. Capriccio in B minor, Op 76/2. Alfred Grünfeld.
Track 24. Waltz in E, Op 39/2. Ilona Eibenschütz;
Track 25. Waltz in E, Op 39/2: Alfred Grünfeld.
Track 26. Waltz in A flat, Op. 39/15: Ilona Eibenschutz, piano
Track 27. Waltz in A flat, Op. 39/15: Alfred Grünfeld
5. Brahms in the Style Hongrois
Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor (Johannes Brahms ,piano): cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.
Track 29. Brahms : Hungarian Dance No. 1 in G minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 30. Brahms : Hungarian Dance No. 2 in D minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 31. Brahms : Hungarian Dance No.1 in G minor (Leopold Auer, violin)
Track 32. Brahms : Hungarian Dance No.7 in A major: Bronislaw Huberman, violin)
Track 33. Brahms : Hungarian Dance No.6 in E-flat major: Henri Marteau, violin)
Track 34. Brahms : Hungarian Dance No. 5 in G minor (Eugène Ysaÿe: violin)
Track 35. Brahms : Clarinet Quintet, Op. 115, Second movement, bars 52-86 Charles Draper / Lener Quartet,


・「 Performing Brahms 」付属CDの
Brahms in the Style Hongrois  この中で、

Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor ( Johannes Brahms , piano )
: cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.

エジソンがシリンダー方式の蓄音機「フォノグラフ(Phonograph)」を発明したのは1877年。
このTrack 28の録音の当時は蝋管式蓄音機。
1889年にトーマス・エジソンのアシスタントの方がウィーンを訪れて、その時、幸運にも ブラームス自身が Hungarian Dance とシュトラウスのワルツをピアノでひいたので、 蝋管(シリンダー)による録音が一部残ったのだそうです。
このTrack 28は、 Hungarian Dance No. 1 だ、というのは、何とか分かる・・・という程度です。

最初、ブラームス御本人(?)が何かワーワー喋っている様子なんですが 全然分からないので、ドイツ語の堪能な知人(日本人)に伺いますと
「さっぱり分からない」
とのことでした。
(あの声はブラームスのものでは無い、という話も聞いたことがあります。)

「山野楽器:ピアニズムの20世紀」の 「第1回 失われた響き−SP録音最初期のピアニストたち」のこちらの記事では

>ブラームスがエジソンのために蝋管録音した『ハンガリー舞曲』・・・この中で
>「ミスター・エジソン! アイ・アム・ブラームス! ドクター・ブラームス!」と
>甲高い声で叫んでいるブラームスの声

とありました。


◇◇◇

(4)以下は「 Performing Brahms 」が出版される前の、
2003年01月時点で自分なりに調べてまとめた中からの転記。


Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。
( Brahms in der Meininger Tradition )

ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
とのこと。

1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。

シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。


音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。


アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。

http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c4

[近代史4] アーベントロート( 1883年1月19日 - 1956年5月29日) 中川隆
6. 中川隆[-14086] koaQ7Jey 2022年1月24日 05:02:27 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[7]
about Abendroth
Since 2002.08.24
http://www.sakaiyama.jp/index.html

Hermann Abendroth (ヘルマン・アーベントロート)
(1883年01月19日生〜1956年05月29日没)
について、自分なりに調べて知ったこと、分かったことを、
覚え書としてまとめてゆくホームページです。

参照した資料はこちら --> reference.html


指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」については
こちら --> conduct_brahms.html


Hermann Abendroth _____ Profile
(* 19.01.1883 Frankfurt/Main; † 29.05.1956 Jena)
(1883年-1934年)
(1934年-1945年)
(1945年-1956年)

Naxosで聴けるアーベントロート
Naxos Classical Archivesで聴ける、アーベントロート指揮の録音一覧。

Jube-NML1208 グレート・コンダクターズで、シュターツカペレ・ベルリンとのグレーナー「コメディエッタ」、 ドホナーニ「女ピエロのヴェール-婚礼のワルツ」が聴けます、要チェック。

http://ml.naxos.jp/artist/43334

YouTubeで聴けるアーベントロート
YouTubeで、アーベントロート指揮のSP、LPの録音をUPして下さった方々が居られます。感謝
z650さんがUPされた
1922年アーベントロート指揮ベルリンフィル・ベートーヴェン交響曲第1番第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=I6m5okCj1Yg
これはまだCD化されていない録音ではないかと思います。

つっちぃさんがUPされた
1930年代アーベントロート指揮リスト・ハンガリー狂詩曲第1番、英Parlophone E11334
http://www.youtube.com/watch?v=Y1PoBmdMeqU
凄い楽しめる音。

(リスト・ハンガリー狂詩曲第1番はODEON O-7734&7887のがRICHTHOFEN DISCというCD-Rレーベルから以前出てましたが、そっちは 残念ながら余り音がよろしくない。)

注目サイト
50. Todestag von Hermann Abendroth (DRA)

DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)のサイトで、Hermann Abendrothに
ついてのPDFファイルが22ページ出ています。
内容凄いです。
まだCD化されていないと思われる録音がここに沢山載っています。

ちなみに、2003年はアーベントロート生誕120周年、2006年はアーベントロート没後50年でした。 アーベントロート指揮の歌劇の録音とか(録音状態によっては、全曲・・・は難しいかもしれないので抜粋版で)、 DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)で既に把握していてサイトでもリストが出ているこれらの録音などが、 もっとどんどんCD化されるといいのですが。

アーベントロートの本
Hermann Abendroth. Ein Musiker im Wechselspiel der Zeitgeschichte
Dr. phil. Irina Lucke-Kaminiarz
(www.amazon.co.jpで2011年2月時点では604円、2009年06月には1,709円でした。)

アーベントロートのバイオグラフィー、ついに2007年5月末ドイツで出版。
www.amazon.deではEUR 12,90。
写真、演奏会でのプログラムなど情報満載。
アーベントロート・ファン必見の本。

ヘルマン・アーベントロートの新譜情報
2017/04/25更新 New!
ヘルマン・アーベントロート 新譜情報
今後出る予定の&既に出たヘルマン・アーベントロートのCD情報はコチラ。
ヘルマン・アーベントロートCDリスト
Hermann Abendroth Discography(レーベル別)
レーベル別CDリストの入り口はコチラ。

Gerhard Taschner (ゲルハルト・タシュナー)
2009/08/22更新
Gerhard Taschner Cd List
アーベントロートも好きですがタシュナーも好きです。CDリストはコチラ。


(アーベントロート生誕120周年にあたる2003年1月19日よりカウント)

http://www.sakaiyama.jp/index.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html#c6

[番外地10]  今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。
旭川には 今も昔もまともな人間は一人も居ない

 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。
 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人やchousen人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。
 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。

旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきたchousen人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。

【鳥肌6夜】【閲覧注意】怪奇現象多発!恐怖の中国人徴用工墓地。話し声・・・迫るくる足音 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y7Be0M2JgQQ&feature=emb_title

旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/261.html

[近代史4] 日本銀行当座預金 中川隆
21. 中川隆[-14085] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:17:13 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[28]
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html

今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。

今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。

今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。

ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?

『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」

この引用から筆者は

「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。

この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?

『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。

「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」

本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。

ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス: 

「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」

社会学者ジェフェリー・インガム:

貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」

こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。

では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?

まず「負債」について見ていきましょう。

『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。

「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」

「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」

人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」

「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」

まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。

「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?

単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。

負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。

この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。

なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。

貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。

この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。

次に「信用」とは何なのでしょうか?

『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。

「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」

「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。

このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。

この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。

実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。

これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。

また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。

食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。

例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。

この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。

『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。

「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」

「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。

次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。

@会計上正しいこと

A歴史的に見ても正しいこと

@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。

わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。

以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。

https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf

このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。

日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。

なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)

まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。

(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)

しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。

この妥当性をAで検討していきましょう。

A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?

これは古代メソポタミアです。

そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。

例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。

居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。

そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。

古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。

そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。

(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)

つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。

これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。

まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。

『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。

一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。

物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。

人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。

例えば、有名なヤップ島の話です。

ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。

物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。

しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。

『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。

「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」

これは実に現代的な信用経済です。

実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。

日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。

一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。

ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。

また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。

そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。

実際にフェイを所有する必要はないのです。

そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。

これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。

「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」

と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。

人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。

様々な時期の様々な社会を調べました。

長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。

「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」

貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。

そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?

言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。

最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。

「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」

これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。

本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。

また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。

『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。

政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。

お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。

州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。

このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。

では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c21

[近代史4] 信用貨幣論 中川隆
1. 中川隆[-14084] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:17:48 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[29]
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html

今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。

今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。

今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。

ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?

『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」

この引用から筆者は

「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。

この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?

『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。

「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」

本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。

ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス: 

「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」

社会学者ジェフェリー・インガム:

貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」

こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。

では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?

まず「負債」について見ていきましょう。

『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。

「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」

「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」

人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」

「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」

まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。

「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?

単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。

負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。

この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。

なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。

貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。

この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。

次に「信用」とは何なのでしょうか?

『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。

「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」

「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。

このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。

この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。

実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。

これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。

また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。

食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。

例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。

この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。

『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。

「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」

「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。

次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。

@会計上正しいこと

A歴史的に見ても正しいこと

@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。

わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。

以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。

https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf

このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。

日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。

なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)

まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。

(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)

しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。

この妥当性をAで検討していきましょう。

A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?

これは古代メソポタミアです。

そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。

例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。

居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。

そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。

古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。

そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。

(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)

つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。

これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。

まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。

『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。

一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。

物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。

人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。

例えば、有名なヤップ島の話です。

ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。

物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。

しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。

『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。

「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」

これは実に現代的な信用経済です。

実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。

日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。

一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。

ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。

また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。

そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。

実際にフェイを所有する必要はないのです。

そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。

これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。

「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」

と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。

人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。

様々な時期の様々な社会を調べました。

長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。

「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」

貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。

そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?

言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。

最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。

「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」

これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。

本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。

また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。

『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。

政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。

お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。

州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。

このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。

では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c1

[近代史4] 信用貨幣論 中川隆
2. 中川隆[-14083] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:18:34 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[30]
内生的貨幣供給の功罪
2019年02月26日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。

(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)

「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。

今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。

(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)

「内生的貨幣供給論」とは何か?
簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。

現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。

・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)

・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)

・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)

ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。

なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。

「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。

この両者の違いを見ていきましょう。

そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?

貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。

「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」
内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。

銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。


 もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。

 「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。

銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。

銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。

 なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。

(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)

信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。

 一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。

中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)

 なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。

(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)

なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?
これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。

内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。

日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、

翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。

「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。

内生的貨幣供給の功罪
 内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。

企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。

 こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。

企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。

こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。

これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。

 内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。

経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)

ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。

それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。

そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。

これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。

(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)

 こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。

しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。

資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。

内生的貨幣供給と国債発行
 最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。

ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)

政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。

@銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる

この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)


一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。

 それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)
このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。

以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。

https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c2

[近代史4] 日本銀行当座預金 中川隆
22. 中川隆[-14082] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:21:18 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[32]
日本の準備預金制度について
2019年01月18日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html

このブログは誤解されがちな思想を解説するブログになります。

記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。

============================================================================

準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。

が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。

日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。

そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。

日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。

以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=332AC0000000135&openerCode=1

日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。

http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf

今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。

@法律の目的
準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。

『預金者保護』と『通貨調節手段』です。

『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。

もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。

準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、

諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、

『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。

日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。

『預金者保護』が目的ではないのです。
実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。
そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。

ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。

短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。

A日銀当座預金
中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。

当座預金なので基本的には無利子になります。

銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。

この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。

これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。

ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。


さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。
  (1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」
  (2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」
  (3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」

準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。

この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。

B準備率
市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。

この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。

その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。

現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。

(金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。

定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。)

具体的な数値は日銀のHPに記載されています。

https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/

C準備預金の二つの期問

さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。

実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。

1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。

ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。

2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。

この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。

ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。

上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。

D預け金の額が不足した場合の措置
市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。

ちゃんと救済措置が用意されています。

この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。

これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。

まとめ
3行でまとめます。

・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。

・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。

・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。

これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。

読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。

(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c22

[近代史5] MMT解説ブログ _ ナショナリズム・ルネサンス
MMT解説ブログ _ ナショナリズム・ルネサンス

ナショナリズム・ルネサンス
https://ameblo.jp/sorata31/entrylist.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1452.html

[近代史4] 信用貨幣論 中川隆
4. 中川隆[-14081] koaQ7Jey 2022年1月24日 11:21:05 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[35]
「租税貨幣論」概論
2019年02月12日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html

今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。

前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。

それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。

「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。

一般的には、税金には4つの機能があるとされています。

@公共サービスの費用調達機能

A所得の再分配機能

B経済への阻害効果

C景気の調整機能

今回はこのどれにも触れません。

(次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。)

つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。

不換通貨の流通
人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。

数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。

その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。

また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。

しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。

しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。

しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。

コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。

最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。)

なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう?
この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。

しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。

これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。

もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。

あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。

しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。

確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。

しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。

それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう?

税が貨幣を駆動する
「税金その他の政府への支払い義務」
以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。

政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。

その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。

ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。

このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。

なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。)

税金の未払いには罰則があります。

政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、

民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。

つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。
言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。

納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。

納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。

このとき銀行の純金融資産は変化しません。

(銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。)

銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。

納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。

政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。

民間企業同士の取引に使うことも出来ます。

使用せずに貯金しておくことも可能です。

ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。

民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。

先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。

国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。

政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。

自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。

これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。

このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。

このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。

後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。

国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。

以上が「租税貨幣論」の概論になります。

おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。

「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。

前回のコラムでも最後に触れましたが

レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。

前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。

そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。

しかし債務者はその義務を無視することが可能です。

したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。

「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。

義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。

通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。

これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。

「債務ピラミッド」の構成
「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。

頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU)

頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU)

三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU)

そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU)

底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU)

統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。

その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。

対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。

「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。

まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。

銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。

手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。

とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。

そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。

ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。

もちろん銀行の純金融資産は変化しません。

その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。

Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。

どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。

例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。

上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。

したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。

(暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。)

最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。

親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。

ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。

もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。

これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。

以上が「債務ピラミッド」の概要です。

次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。

追記
「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。

まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。

「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。

課税額の大小の話ではないのです。

また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。

発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。
ギリシャもその典型です。
そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。
通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。

現在の日本とは真逆の状態です。

高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。

このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。

納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。

(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html#c4

[近代史5] MMT解説ブログ _ ナショナリズム・ルネサンス 中川隆
1. 中川隆[-14080] koaQ7Jey 2022年1月24日 11:23:10 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[36]
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html


今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。

今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。

今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。

ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?

『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」

この引用から筆者は

「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。

この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?

『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。

「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」

本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。

ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス: 

「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」

社会学者ジェフェリー・インガム:

貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」

こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。

では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?

まず「負債」について見ていきましょう。
『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。

「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」

「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」

人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」

「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」

まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。

「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?

単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。

負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。

この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。

なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。

貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。

この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。

次に「信用」とは何なのでしょうか?

『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。

「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」

「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。

このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。

この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。

実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。

これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。

また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。

食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。

例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。

この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。

『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。

「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」

「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。

次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。

@会計上正しいこと

A歴史的に見ても正しいこと

@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。

わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。

以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。

https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf

このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。

日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。

なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)

まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。

(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)

しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。

この妥当性をAで検討していきましょう。

A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?

これは古代メソポタミアです。

そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。

例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。

居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。

そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。

古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。

そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。

(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)

つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。

これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。

まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。

『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。

一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。

物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。

人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。

例えば、有名なヤップ島の話です。

ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。

物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。

しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。

『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。

「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」

これは実に現代的な信用経済です。

実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。

日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。

一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。

ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。

また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。

そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。

実際にフェイを所有する必要はないのです。

そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。

これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。

「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」

と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。

人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。

様々な時期の様々な社会を調べました。

長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。

「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」

貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。

そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?

言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。

最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。

「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」

これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。

本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。

また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。

『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。

政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。

お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。

州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。

このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。

では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html


▲△▽▼


内生的貨幣供給の功罪
2019年02月26日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html


今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。
(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)

「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。

今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。

(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)

「内生的貨幣供給論」とは何か?
簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。

現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。

・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)

・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)

・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)

ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。

なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。

「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。

この両者の違いを見ていきましょう。

そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?

貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。

「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」
内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。

銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。


 もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。

 「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。

銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。

銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。

 なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。

(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)

信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。

 一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。

中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)

 なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。

(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)

なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?
これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。

内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。

日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、

翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。

「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。

内生的貨幣供給の功罪
 内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。

企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。

 こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。

企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。

こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。

これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。

 内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。

経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)

ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。

それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。

そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。

これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。

(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)

 こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。

しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。

資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。

内生的貨幣供給と国債発行
 最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。

ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)

政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。

@銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる

この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)


一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。

 それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)
このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。

以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。

https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html



▲△▽▼


日本の準備預金制度について
2019年01月18日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html


このブログは誤解されがちな思想を解説するブログになります。

記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。

============================================================================

準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。

が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。

日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。

そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。

日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。

以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=332AC0000000135&openerCode=1

日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。

http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf

今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。

@法律の目的
準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。

『預金者保護』と『通貨調節手段』です。

『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。

もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。

準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、

諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、

『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。

日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。

『預金者保護』が目的ではないのです。
実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。
そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。

ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。

短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。

A日銀当座預金
中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。

当座預金なので基本的には無利子になります。

銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。

この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。

これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。

ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。


さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。
  (1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」
  (2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」
  (3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」

準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。

この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。

B準備率
市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。

この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。

その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。

現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。

(金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。

定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。)

具体的な数値は日銀のHPに記載されています。

https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/

C準備預金の二つの期問

さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。

実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。

1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。

ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。

2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。

この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。

ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。

上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。

D預け金の額が不足した場合の措置
市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。

ちゃんと救済措置が用意されています。

この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。

これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。

まとめ
3行でまとめます。

・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。

・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。

・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。

これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。

読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。

(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html


▲△▽▼


「租税貨幣論」概論
2019年02月12日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html

今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。

前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。

それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。

「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。

一般的には、税金には4つの機能があるとされています。

@公共サービスの費用調達機能

A所得の再分配機能

B経済への阻害効果

C景気の調整機能

今回はこのどれにも触れません。

(次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。)

つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。

不換通貨の流通
人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。

数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。

その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。

また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。

しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。

しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。

しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。

コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。

最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。)

なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう?
この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。

しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。

これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。

もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。

あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。

しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。

確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。

しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。

それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう?

税が貨幣を駆動する
「税金その他の政府への支払い義務」
以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。

政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。

その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。

ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。

このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。

なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。)

税金の未払いには罰則があります。

政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、

民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。

つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。
言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。

納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。

納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。

このとき銀行の純金融資産は変化しません。

(銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。)

銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。

納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。

政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。

民間企業同士の取引に使うことも出来ます。

使用せずに貯金しておくことも可能です。

ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。

民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。

先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。

国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。

政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。

自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。

これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。

このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。

このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。

後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。

国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。

以上が「租税貨幣論」の概論になります。

おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。

「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。

前回のコラムでも最後に触れましたが

レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。

前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。

そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。

しかし債務者はその義務を無視することが可能です。

したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。

「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。

義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。

通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。

これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。

「債務ピラミッド」の構成
「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。

頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU)

頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU)

三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU)

そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU)

底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU)

統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。

その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。

対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。

「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。

まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。

銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。

手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。

とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。

そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。

ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。

もちろん銀行の純金融資産は変化しません。

その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。

Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。

どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。

例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。

上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。

したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。

(暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。)

最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。

親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。

ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。

もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。

これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。

以上が「債務ピラミッド」の概要です。

次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。

追記
「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。

まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。

「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。

課税額の大小の話ではないのです。

また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。

発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。
ギリシャもその典型です。
そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。
通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。

現在の日本とは真逆の状態です。

高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。

このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。

納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。

(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1452.html#c1

[番外地10] 金融緩和・財政出動すると20年後、30年後にデフレ・スタグフレーションになるんだよ

>緊縮原理主義では、デフレ脱却出来ないし

逆なんだよ、金融緩和・財政出動すると20年後、30年後にデフレ・スタグフレーションになるんだよ。
日本でもプラザ合意後に金融緩和・財政出動したから、平成バブルとその後の失われた30年になった。
アメリカもベトナム戦争で金融緩和・財政出動したから1980年以降にデフレ・スタグフレーションになった。
大きな政府だと、政治家は票田になる分野にだけ金をばら撒いて、本当に必要な所には金を出さないから、票田関係分野が供給過剰になってデフレになるんだ。
最近もGOTOとかオリンピックとか無意味な所にだけ金をばら撒いてるだろ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/262.html

[番外地10] 金融緩和・財政出動すると20年後、30年後にデフレ・スタグフレーションになるんだよ 中川隆
1. 中川隆[-14079] koaQ7Jey 2022年1月24日 16:06:10 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[40]
>緊縮原理主義では、デフレ脱却出来ないし

逆なんだよ、金融緩和・財政出動すると20年後、30年後にデフレ・スタグフレーションになるんだよ。
日本でもプラザ合意後に金融緩和・財政出動したから、平成バブルとその後の失われた30年になった。
アメリカもベトナム戦争で金融緩和・財政出動したから1980年以降にデフレ・スタグフレーションになった。
大きな政府だと、政治家は票田になる分野にだけ金をばら撒いて、本当に必要な所には金を出さないから、票田関係分野が供給過剰になってデフレになるんだ。
消費税というのは輸出企業優遇策だ、それで内需関連がデフレになったんだ。
最近もGOTOとかオリンピックとか無意味な所にだけ金をばら撒いてるだろ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/262.html#c1

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995) 中川隆
7. 中川隆[-14078] koaQ7Jey 2022年1月24日 18:32:52 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[42]
Vol.4 1995年7月28日 キッス
Aishiteiru to Ittekure Episode 4 English subbed
https://www.youtube.com/watch?v=OPeoJlW9DQs

Vol.5 1995年8月4日 会えない 生野慈朗
Aishiteiru to Ittekure Episode 5 English subbed
https://www.youtube.com/watch?v=AMuiEAcLmig


Vol.11 1995年9月15日 別離 24.2%
Aishiteiru to Ittekure Episode 11 English subbed



Vol.12 1995年9月22日 僕の声 生野慈朗 28.1%
Aishiteiru to Ittekure Episode 12 English subbed


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/988.html#c7
[番外地10] チャーチルやロスチャイルドは反共・ 反スターリン、親ファシズム・親ヒトラーでヒトラーと組んでスターリンのソ連を壊滅しようとしていた
チャーチルやロスチャイルドは反共・ 反スターリン、親ファシズム・親ヒトラーでヒトラーと組んでスターリンのソ連を壊滅しようとしていた
チャーチルは第2次世界大戦で日本が降伏する前からソ連を殲滅しようとしていた。フランクリン・ルーズベルト米大統領は1945年4月に急死するが、その翌月にドイツは降伏する。その直後にチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令した。

 そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」だ。1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるという内容だった。この作戦が実行されなかったのは参謀本部が拒否したからだと言われている。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ドイツが降伏したのは1945年5月だが、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏した1943年1月に敗北は決定的だった。ドイツ軍がソ連への軍事侵略を開始したのは1941年6月のこと。その際に約300万人が投入され、西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人だった。こうした不自然な振り分けはアドルフ・ヒトラーの命令によるもので、彼は西から攻めてこないここと知っていたのではないかと推測する人もいる。

 スターリングラーでのドイツ軍敗北に慌てたイギリスとアメリカはその年の5月に協議、両国軍は1943年7月にシチリア島へ上陸している。第2次世界大戦中、西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、レジスタンスだけだったが、その主力はコミュニスト。そこでシチリア島でもコミュニストが強く、アメリカ軍はコミュニスト対策として犯罪組織と手を組んだ。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 スターリングラードでドイツ軍が敗北した後、ナチスの幹部はアメリカの戦時情報機関OSSの幹部としてスイスにいたウォール街の弁護士、アレン・ダレスと接触している。これはルーズベルト大統領に無断で行われていた。

 ダレスたちはナチスの元高官や協力者をラテン・アメリカへ逃がすためにラットラインを作り、大戦後、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇い入れる。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。そもそもナチスを資金面から支えていたのはイギリスやアメリカの巨大金融資本、つまりシティやウォール街だ。

 そうした中、ダレスたちにとっては好都合なことに、反ファシストのルーズベルトが急死、チャーチルはソ連への奇襲攻撃も目論んだわけである。

 1940年代の前半、アメリカとイギリスは原子爆弾の製造を目的とする「マンハッタン計画」が進められていた。1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功している。この日程はポツダム会談が始まる前日に行いたいというハリー・トルーマンの求めで決められていた。

 この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可。7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下された。1945年末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われているが、晩発性の放射線障害による犠牲者を含めれば数字はさらに膨らむ。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 日本の降伏を早めるために広島と長崎へ原爆を投下したわけではなく、ドイツ軍がソ連に攻め込んでいた最中にイギリスとアメリカはソ連に対する核攻撃の準備を始めたということになる。ドイツ軍が優勢だった時に米英両国軍が動かなかったのは必然だった。

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行ったのだが、1947年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ソ連を核兵器で壊滅させたいというチャーチルの思いはその後も消えない。彼は1951年4月に自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、​ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とす​と言って脅そうと考えているとしていた。このことを示す文書が発見されている。その半年後にチャーチルは首相へ返り咲く。

 アメリカにも核攻撃を望む人がいた。例えば1945年8月末にローリス・ノースタッド少将はグルーブス少将に対し、ソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出。9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計している。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出した。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945)

 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告には、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと書かれている。1952年11月には初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てる。1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 水爆実験は1953年8月にソ連も成功させたが、放射性物質の分析から技術的にはソ連が上だということが後に判明する。それでもアメリカ支配層が先制核攻撃に積極的だった理由は核弾頭の数とその運搬手段で圧倒しているという判断があったからだ。

 核弾頭をターゲットまで運ぶためには戦略爆撃機かICBM(大陸間弾道ミサイル)が必要なのだが、1959年の時点でソ連は事実上、このタイプのミサイルを保有していなかった。アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。​彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てた​。

 アメリカの核攻撃計画をソ連もつかんでいたはず。ソ連はICBMの問題をアメリカの近くに中距離ミサイルは配備するという方法で解決しようとした。ソ連はキューバへ中距離ミサイルを持ち込んだのだ。この動きは1962年10月に発覚する。

 アメリカの軍や情報機関の好戦派は即時攻撃をジョン・F・ケネディ大統領に要求したが、大統領は話し合いで解決する道を選び、成功させた。1963年後半に予定した先制核攻撃計画でもケネディ大統領は大きな障害になる。その障害が取り除かれたのは1963年11月22日のことだ。大統領がダラスで暗殺されたのだ。暗殺の直後、CIAはソ連やキューバが黒幕だとする偽情報を流したが、米ソ開戦には至らなかった。

 冷戦は新しい戦争ではなく、ナチスが敗れたソ連との戦いの新しいステージにすぎない。ナチスが登場する前のドイツはソ連と友好的な関係にあった。ロシアの十月革命以降、ソ連と戦ってきたのはイギリスにほかならない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/263.html

[番外地10] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルトはソ連や毛沢東と組んでウォール街やシティのエージェントだったヒトラー・昭和天皇と戦争を起こした
 アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。
 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。
 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。

 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。

 ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。

 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。

1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。

 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。

 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。

 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。

 日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本とアメリカが戦争を始めてしばらくの間、グルーは日本に滞在。離日したのは1942年8月だが、その直前に彼がゴルフをした相手は岸信介だ。大戦後、日本の進む方向を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。グルーが親ファシスト勢力に属していたことを忘れてはならない。

 すでにアメリカでは強大な私的権力が国を上回る力を持っている。その結果、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らか」になっていると言える。

 2011年9月11日以降、アメリカでは国外での侵略戦争、国内での刑務所化が急速に進んでいる。アメリカの属国である日本もその後を追っている。そうした現状を見ながら、「それでもアメリカは民主主義国だ」とか「それでもアメリカの方がましだ」という「左翼」、「リベラル派」、「革新勢力」が日本にはいる。 

▲△▽▼

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。
理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。
今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです:
デジタルIDを推進することを目指すNGO、「ID2020」が存在する。ビル・ゲーツのマイクロソフト、Gavi、あるいはロックフェラーやロスチャイルドといった富豪が参加したプログラムで、2019年9月にニューヨークで開かれたID2020の総会で2020年から新しいプログラムを始めることを決めている。デジタルIDをテストする場所として決まったのはバングラデシュだった。
 デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートが必要なくなるだけでなく、日常の生活も一括管理されることになる。1980年代からアメリカの軍、治安機関、情報機関などは個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどの個人データを収集、分析するシステムを開発、実用化してきたのだが、そうした個人データを一括管理する仕組みの中にデジタルIDも組み込まれることになるだろう。
ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/264.html

[近代史7] ニセコの欧米人向け高級別荘 タイガ ニセコ 中川隆
4. 中川隆[-14077] koaQ7Jey 2022年1月25日 05:04:29 : 7ISbytjsq2 : OFF2Lk4yL2hXdlk=[2]
【ch桜北海道】ニセコエリアの最新情報 ニセコがマフィアとアングラマネーの町に?![R4/1/24]
2022/01/25


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/238.html#c4
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
4. 中川隆[-14076] koaQ7Jey 2022年1月25日 05:22:23 : 7ISbytjsq2 : OFF2Lk4yL2hXdlk=[4]
ネロ
 ネロは名前を知られているローマ皇帝の中でもいちばん有名な人物ではないでしょうか。書物や映画によって、残虐非道の暴君ネロという悪名が広く知れ渡っています。
 古代ローマ帝国の第5代皇帝ネロ(在位54〜68年)は、37年12月15日、アンチオに生まれました。
 皇帝ネロは男性と二回結婚していますが、一回目は男性として、花嫁衣装に身を包んだスポルス・サビナと荘厳な式を挙げ、彼を女王と呼ばせました。二度目は、ネロ自身が花嫁になってピュタゴラスという男と結婚式を挙げています。

 ネロの母は初代皇帝アウグスツス(オクタヴィアヌス)の曾孫で3代皇帝カリグラの妹アグリッピナです。クラウディス帝は姪にあたる彼女と結婚するために王妃メッサリナを処刑して、アグリッピナと結婚しました。しかしアグリッピナは王妃の座に納まると自分の息子のネロを皇帝にしたくなり、息子ネロを養子として認めさせ、次々とライバルを殺害、最後は夫のクラウディス帝まで毒殺して、ただちにネロを皇帝に即位させました。ネロが16歳のときでした。

 皇帝になったネロに対し、母アグリッピナは当然のように後見人として政治の実権を握りました。ネロが治世の始めた5年間は、母親が家庭教師としてつけた哲学者セネカを相談役にして善政をしきました。
 しかし、やがてネロが自分で政治を行おうとするようになると、彼は母アグリッピナと対立していくようになります(アグリッピナがネロを手中に置くため母子姦淫を行ったという伝説も有名です)。自分が疎んじられていると気付いたアグリッピナは、こんどはかつて自分が退けたクラウディウスの実子ブリタニクスを擁立しようとします。これにネロは激怒、宴会の席でブリタニクスを毒殺、さらに母アグリッピナにも皇帝暗殺の嫌疑をかけ宮殿の外へ追放し、59年には殺害してしまいます。次いで、62年には妃のオクタヴィアを、65年には師匠のセネカも殺害して、自分の好きなように政治を行い、暴虐の限りを尽くすようになっていきました。

 ネロは母アグリッピナの画策でクラウディス帝の娘オクタヴィアと結婚していましたが、夫婦関係は良いものではなかったようです。ネロは幼い頃からの友人であるマルクス・サルヴィウス・オト(32〜69年)の妻ポッパエアに恋をします。ポッパエアも野心家だったようで、ネロとの結婚を望みましたが、それには、まずネロとオクタヴィアを離縁させる必要がありました。ポッパエアはオクタヴィアの不倫をでっちあげ、ネロはそれを口実に彼女を南イタリアに追放、さらに別件で島流しにし、62年には、処刑してしまいます。オクタヴィアの死体検分を嫌がったネロの代わりにポッパエアが喜んで首実検をしたといわれています。また、オトをルシタニア(ポルトガル)へ左遷し、彼女はネロと正式に結婚しました。
 ポッパエアは65年7月に急死しますが、妊娠中の彼女を、帰宅が遅いとネロが蹴り殺してしまったというのが一般的な説です。

 後日ネロは、ポッパエアにそっくりの解放奴隷スポルス・サビナを見つけ出して去勢させ、ポッパエアの衣装を着せて側に置きました。彼の女性名もホッパエア・サビナでした。しかし、スポルス・サビナとネロの愛は1年も持ちませんでした。顔は似ていてもおとなしい性格のスポルスには飽きたらなかったのか66年にはスタリア・メッサリナという執政官の未亡人と結婚しました。しかし、従順な性格のスポルスは、ネロの死まで彼に仕えています。ネロが「国家の敵」として追い詰められ自殺した後、スポルスには劇場で民衆の前で裸になって「本当の女」であることを証明せよ、と次の皇帝ガルバの命令が下されました。大勢の前での侮辱に耐えられなかった彼(彼女?)は絶望して自殺をしています。
 スポルスに対してネロは夫として結婚していますが、また、一方では、自分が花嫁としてヴェールを被りピュタゴラス(一説には、ドリュフォルス)という解放奴隷の男と正式な結婚式を挙げ、そして、陵辱される処女の叫びや苦悶の声を真似たとも伝えられています。

 ついにネロの暴君ぶりに、非難の声があがり、アルメニア、ブリタニア、ユダヤなどの各地に内乱が起こりました。68年には、軍隊の中からも反乱の火の手が上がり、ガリア、アフリカ、スペインなどの各地の軍司令官が反乱を起こすと、ネロはついにローマから逃げ出し、元老院は欠席裁判でネロに死刑を宣告しました。そして、ついに観念したネロは68年6月9日、「世界はすぐれた芸術家を失うのだ」と叫び、30歳で自ら命を絶ったのです。

 ネロの墓参りをして花を供える人々は、長い間、絶えなかったとも記されています。
 彼の悪評も、彼の専制政治を嫌った元老院や彼が迫害したキリスト教徒によって作られてきたところも多分にあるのかもしれません。

http://inuiyouko.web.fc2.com/folklore/w08.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/169.html#c4

[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
9. 中川隆[-14075] koaQ7Jey 2022年1月25日 05:24:38 : 7ISbytjsq2 : OFF2Lk4yL2hXdlk=[6]
男と二度結婚した皇帝〜ローマ帝国爛熟時代〜
2009-01-21


ローマ帝政時代にはその文化は退廃の色を濃くし、性道徳は乱れ、売春や不倫、男色、近親相姦などが社会に蔓延したといわれています。

男色については、古代ギリシャの少年愛の倫理的な理想論は陰を潜め、もっぱら快楽主義的な面が強調されるようになりました。

きっとプラトンは草葉の陰で嘆いていたことでしょう。

『プラトニックラブ』だのなんだの言っても、結局のところギリシャの哲学者であったプラトンは女性には興味の無いゲイ一筋なお人だったわけですからね。

それでも、プラトンのかわいらしいところは「性欲先行型」ではなく「気持ち先行型」であったところ。

次々お弟子さんに手をつけてやっちゃったなんて逸話が残っていないのは、プラトン自身がシャイで奥手な人だったからなのでしょう。

あるいは、秘密の関係を漏らすことの無い特定のパートナーがいたのか?

どちらにしても、

「気持ち良ければなんでもいい」

といわんばかりの節操無しなローマ帝国の「性」の乱れっぷりを一番嘆きそうなのは、やっぱりプラトンのような気がします。

プラトンって「永遠の少年」って感じがするじゃないですか?

『あ、あの人素敵ドキドキ』

と男を見てたとしても、

「やらないか?」

って男から声かけられたら、

「そんなの不潔だーーーっ!」

って泣いて走り去りそうな気がする(笑)

ところで、古代ギリシャでは、自由市民の子弟が売春を行なったことが判明した場合には、市民権を剥奪されたのですが、ローマ時代になるとすっかりタガがはずれてしまい、皇后や皇帝までもが売春するようになりました。

ただし、皇后や皇帝の売春は「金を稼ぐための行為」ではありませんでした。

色情狂的性欲を満たすための行為の一つであったかと思われます。

おそらく、ローマ皇帝一族の性欲は、強さも方向性も常軌を逸していることが多々あったため、男漁りの手段の一つとして売春行為を行ったのでしょう。

暴君ネロとして知られる、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(37−68)は、近親相姦も男色も女色もなんでもありでした。

前帝クラウディウスがその美貌に惚れこんで4度目の結婚相手に選んだ程の美女であったネロの母親アグリッピナとネロは近親相姦の関係にあったといわれています。

ちなみに、アグリッピナは兄で前々帝であるカリグラと近親相姦の関係になったものの、その後冷遇された妹のうちの一人です。

前夫との間に出来た我が子を皇帝にするために伯父に再嫁したアグリッピナは、うるさく干渉する母親と厭われて最後は最愛の息子ネロに殺されてしまいました。

たぶんアグリッピナは母親としての愛情以外の感情をネロに対して持っていたはずで、それは兄のカリグラとの近親相姦関係の時にもあったのではないかと思われます。

アグリッピナは身も心も近親相姦にはまるタイプだったんでしょうね。

ネロの時は、おそらく彼女の方から近親相姦の関係に持ち込んだのでしょう。

近親者とのセックスは体がしっくりくるとか相性がいいとかいいますし、その背徳行為に精神的にも興奮を感じるため心身ともに普通では感じられない快感を感じるともいいます。

もしかするとアグリッピナはカリグラとの近親相姦行為で得られた快感が忘れられなかったのかも?

アグリッピナが最初に近親相姦の関係になった兄のカリグラと、次に近親相姦の関係になった我が子のネロってどこか似てたんじゃないかと思いますし……身内だから見た目や性格は似ていた可能性はあるし、二人ともドSだし(笑)

でも、盲愛し相手にうざがられるほどベッタベタになるKYな彼女は残念ながら賢いM女タイプではなく、遠ざけられたり、殺されたりしちゃったんじゃないのでしょうか?

アグリッピナって、サディストにはうざがられて嫌われるタイプですもん(苦笑)

ちなみに、ネロは生涯に何度も結婚していますが、最初の妻のオクタウィアは早くから疎んじ、姦通罪の汚名を着せて殺してしまいました。

二番目の妻、ポッパエア・サビナは絶世の美女で最愛の妻でしたが、夫婦喧嘩でサビナの身重のお腹をなんとネロは蹴っちゃったんですよ。

それが原因となりサビナは死んでしまいました。

暴君ネロはDV夫でもあったわけです(^^;

ネロは、その後、女性以外に男性とも二度結婚しています。

最初の男性との結婚では、奴隷のピュタゴラスを夫に選んで、正式に結婚式を挙げたといわれています。

でも、この結婚は皇帝の身分で「花嫁」になったことと、結婚相手が奴隷だったことから、大いに顰蹙を買ったとか。

やっぱり、皇帝が突っ込まれるのは不名誉だった模様(笑)

二度目の男性との結婚は、相手は亡き最愛の妻ポッパエア・サビナに生き写しの美少年スポルス。

スポルスの時は、彼を去勢してサビナの名前を与えて花嫁にしたそうです。

ネロってリバ(リバーシブル)OKな人だったのですよ、男同士のセックスで突っ込むのも突っ込まれるのもどっちもOKなのねw

でも、スポルスの時は亡きサビナの身代わり的なものを感じます。

去勢して女のような状態にしてから、花嫁にしたというあたりで、通常の少年愛や男色の概念から外れています。

ネロはスポルスを女にして、二番目の皇妃サビナの身代わりとしたのでしょう。

きっとネロは伯父のカリグラ同様に、故人に執着していたのですよ。

変態って意外と一途なところがあって、特にサディストはストライクゾーン狭い分はまるととことんはまるんですわ(^-^;

よほど亡きサビナのことが忘れられなかったんでしょうね。

本人はささいな夫婦喧嘩のつもりだったのに、ついうっかり蹴り殺しちゃったんですから、さすがにネロも後悔したでしょうし。

そこにサビナの生まれ変わりのような美少年が現れたもんだから、スポルスをサビナの代わりに愛したんでしょう。

後悔してた分、サビナにしたスポルスは大事にしていたかも?

暴君ネロも所詮人の子。

喜怒哀楽、愛情も憎しみも後悔も恐怖も持って悩み苦しんでいたんだろうけど、快楽やストレス発散の方向性がまずかったんですわ。

暴君ネロの非道なやり口に怒りまくった民衆は、その後各地で反乱を起こし、ついに73歳の老将軍ガルバ(前3−後69)が反乱軍の指導者となってネロに反旗を翻し、元老院も反乱軍側に味方したため、追い詰められたネロは逃亡。

そして、「サビナ」と呼ばれた最後の妻、去勢少年スポルス立ち会いの元、ネロは自殺しました。

スポルスはネロの自殺を見届けても、生き延びて次の皇帝になったガルバに仕えました。

ガルバは女色よりも男色を好み、特に成熟した剛健な男子を好んだそうです。

73歳でそのお好みはガチホモですね、ガルバ皇帝(菊池、心の声w)

しかし、ガルバはわずか7ヶ月在位しただけで、次の皇帝のオト(32−69)に殺されてしまいました。

ガルバの次の皇帝となったオトは、若い頃のネロの遊び仲間でネロの男色相手の中の一人でもあったようなのですが、ネロの「未亡人」のサビナことスポルスがネロが自殺した時に殉死せず、ネロとガルバの二夫にまみえたといってスポルスを非難しました。

そして、スポルスに娼婦の扮装をさせて公衆の面前で侮辱したため、スポルスは屈辱のあまり、舌を噛み切って自殺してしまいました。

オトのこの行為は、「嫉妬」に駆られての行為かと思われます。

おそらく、オトは若い頃には体の関係もあったし、好意も抱いていたネロを一人さびしく逝かせてしまったネロの妻のサビナことスポルスのことが許せなかったのでしょう。

ネロを自殺に追いやったガルバに仕えたことはこずるい行動と思われたでしょうし。

皇帝の貞淑な妻として取るべき行動は、殉死です。

妻として扱われていたスポルスはネロ自殺の後は女として死ぬべきはずだったのに、男色を好んだガルバには男として仕えていたものだからそれを見てオトは烈火のごとく腹を立てたのかも?

ネロの妻になった者が男としてガルバに仕えているなんてオトには許し難いことだったとも考えられます。

真相は、オトが最も腹を立てていた相手はスポルスで、スポルスをとっちめてやるためにオトはガルバを殺して皇帝になったのかも?

ところで、皆様は、オトはネロの男色のお相手をした時はどっちだったと思いますか?

菊池は、オトがネコ役だったんじゃないかと思うんですけど……。

オトのスポルスに対する怒りようと辱めの仕方が、そっち側の嫉妬っぽい気がするんで(^^;

男の人の中にも多少なりとも「女心」ってあるもんですからね(ニヤリ)

https://ameblo.jp/kikuti-ran/entry-10194577839.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html#c9

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
6. 中川隆[-14074] koaQ7Jey 2022年1月25日 05:26:31 : 7ISbytjsq2 : OFF2Lk4yL2hXdlk=[8]
ポッパエア・サビナ(Poppaea Sabina, 30年 - 65年)は、第5代ローマ皇帝ネロの2番目の妻。


家族
イタリアのピケヌム(Picenum, 現在のマルケ)で、ティトゥス・オッリウスと同名の母親ポッパエア・サビナとの間に生まれる。彼等の唯一の子供で、兄弟は誰もいなかった。父親はティベリウス帝時代にクァエストル(財務官)職を得ていた人材であったが、当時プラエフェクトゥス・プラエトリオであったルキウス・アエリウス・セイヤヌスと親密な関係であったためにセイヤヌス失脚後、それ以上の官職を得られないまま没落。彼女の母親は裕福で優れた美貌を持ち、とても愛嬌のある女性だったとタキトゥスは記述している。しかし母親は47年にクラウディウス帝の妃メッサリナによって自害を命ぜられている。

母方の祖父はガイウス・ポッパエウス・サビヌス、身分が低いがティベリウス帝の下にトラキアに転戦、9年には執政官(コンスル)職を得て、プロコンスルとしてギリシアに赴くなどティベリウス帝の治世下で活躍し、35年に没した。母娘共に名乗るポッパエア・サビナの名前は帝政期の女性の名前の慣習通り、この「ポッパエウス・サビヌス」の女性形である。

ポッパエアが生まれた翌年父親ティトゥス・オッリウスが没し、母親はプブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スキピオと再婚する。再婚の夫は軍務からコンスル職に当選し、元老院議員になった人物であり、これにより母親と娘は皇帝に近い存在となる。

結婚
ポッパエアは西暦44年、ルフリウス・クリスピヌスと結婚する。夫はエクィテス(騎士階級)の出自ではあったが、クラウディウス帝の時代にはプラエフェクトゥス・プラエトリオまで上り詰めた男であった。後にクリスピヌスはネロの母小アグリッピナによって失脚し、セクストゥス・アフラニウス・ブッルスがその後任となった。クリスピヌスはその後、65年にネロの暗殺計画に名を連ねたとして流罪となる。

58年頃、ポッパエアは2人の子がいたにもかかわらず失脚した夫を見限って、ネロの親しい友人で当時財務官を務めていたオトと結婚した。しかし結婚後まもなく、オトを通じてポッパエアを知ったネロに愛され、皇帝の愛人となり、オトはルシタニアに左遷されてしまったと言われる。

また、ネロの愛人だったポッパエアを、ネロが妻のオクタウィアと正式に離婚するまで保護するはずだったのに、オトがポッパエアを自分の愛人にしてしまいネロとの友情が壊れ、オトはルシタニアに左遷されたとも言われる。

皇帝の妃として

ポッパエア・サビナ(右)とネロの肖像が彫られた硬貨
歴史家タキトゥスの彼女に対する見方は厳しく、野心があり、非情な女性と述べている。ポッパエアはネロに近付きたいがために、オトと結婚したと言い、またネロの母小アグリッピナの殺害をネロに後押ししたのも彼女だと言う。62年にブッルスが死去、後任のプラエフェクトゥス・プラエトリオの1人ガイウス・オフォニウス・ティゲッリヌスと組んでルキウス・アンナエウス・セネカを政界引退へ追い込み、ネロと妻クラウディア・オクタウィアの離縁に反対する人物が退くと、ネロはオクタウィアを離婚し、さらに自殺させた。ポッパエアはその年の内にネロと結婚し、娘が1人生まれた。ネロの喜びは大きく母と娘に「アウグスタ」の称号を与える。しかし娘は数カ月のちに夭折した。

皇帝の妻としての彼女の評判は良くない。前述のタキトゥスはもとよりキリスト教会の資料でも、この頃のキリスト教を迫害したのはネロではなく、ポッパエアがネロを動かしていたのだとするものもある。しかしユダヤ教徒の歴史家フラウィウス・ヨセフスは、彼女をとても信仰厚い女性だと記述している。この記述の差異は、当時ローマ社会で起こっていたギリシア人とユダヤ人の対立が原因で、彼女はユダヤ人社会の保護者であったという説もある。

ポッパエアは65年に死去した。ネロは悲嘆にくれ、彼女の遺体は火葬には付されず、中には香料を詰められ香油に漬けられたと言う。しかしスエトニウスによると、第2子を懐妊中にネロが戦車競技からの帰還が遅いことをなじって口論となり、ネロに下腹部を蹴られたのが死の原因とされる。タキトゥスの年代記では、幾人もの史家がポッパエアはネロに毒殺されたと伝えていると書かれている。タキトゥス自身は「ネロはポッパエアを熱愛していたし、何より子供を欲しがっていた」として、スエトニウスと同じく夫婦喧嘩からの事故死説を採っている。

因みに最初の夫ルフリウス・クリスピヌスはポッパエアの死の同年にネロによって追放され、翌66年に処刑されている。ポッパエアが産んだ同名の息子ルフリウス・クリスピヌス(生年は50年もしくは51年)も66年に釣りの最中にネロによって15歳で処刑され、ポッパエア直系の血筋は絶えている。

逸話
ポッパエアは優れた美貌を持ち、人々を魅了して離さない会話術を備えていたという。
ポッパエアを指して『歴史上、最も化粧に時間を費やした女性』と言うことがある。プリニウスの『博物誌』第十一巻によれば、ポッパエアは常に雌のロバ500頭を引き連れていたと記述している。当時、ロバの乳には女性の肌を白くする効能があると考えられていたため、ロバの乳で満たした浴槽に全身を浸していた。また、小麦やライ麦、ハチミツ、ロバの乳などから作った美容パックを施し、その白い肌を守るために外出時はマスクを用いた。毎日の身支度には奴隷100人を必要としたという。
ネロはポッパエアの死を悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく、遺体を香油に浸し棺に香料や防腐剤を詰めて霊廟に納めた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%91%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%93%E3%83%8A
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/169.html#c6

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
7. 中川隆[-14073] koaQ7Jey 2022年1月25日 05:31:36 : 7ISbytjsq2 : OFF2Lk4yL2hXdlk=[10]
ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(羅: Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37年12月15日 - 68年6月9日)またはネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス(Nero Claudius Caesar Drusus Germanicus)はローマ帝国・第5代皇帝。


経歴

誕生から即位まで
小アグリッピナとグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの息子として37年に生まれる。

父はマルクス・アントニウスと小オクタウィアの娘大アントニアとルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスの息子であり、母は初代皇帝アウグストゥスの孫大アグリッピナとゲルマニクスの娘であった。

生まれた時の名前はルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (Lucius Domitius Ahenobarbus) である(しかしながら、以下混同を避けるため「ネロ」の名称で通す)。

カリグラが帝位を継承した37年に産まれるが、間も無く父グナエウスが40年に死去し、母小アグリッピナもその妹ユリア・リウィッラと共にカリグラによって追放される。父グナエウスの遺産はカリグラに没収され、ネロは叔母のドミティア・レピダのもとで育てられた。その3年後カリグラ暗殺により、伯父のクラウディウスが擁立され第4代ローマ皇帝となると、彼によって小アグリッピナはローマに戻ることを許された。

クラウディウスには皇后メッサリナと後継者のブリタンニクスがいたが、48年にメッサリナがガイウス・シリウスとの重婚及び反逆罪に問われると、その後妻として小アグリッピナがクラウディウスの皇妃の座に納まった。母の計略により、ネロはクラウディウスの継子から養子となる。

この時点で名前がネロ・クラウディウス・カエサル・ドルーススとなった。

皇帝クラウディウスの側近パッラスや母の采配により、クラウディウスの娘オクタヴィアとの婚姻が成立。ブリタンニクスは徐々に疎外され、ネロの存在が際立つようになる。そして年少のブリタンニクスよりも後継者に相応しいとさえ見られるようになり、ブリタンニクスより先に即位する確約を得た。クラウディウスが54年に死去すると、ネロ(16歳)が即位して皇帝になる。

皇帝ネロ

セネカとネロ(左)。コルドバの像

ネロ

『The Remorse of the Emperor Nero after the Murder of his Mother』ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作(1878年)。母を謀殺した後の皇帝ネロ。
ネロの治世初期は、家庭教師でもあった哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカや近衛長官であったセクストゥス・アフラニウス・ブッルスの教えや政治の補佐を受け、名君の誉れが高かった。しかし数年後にはネロとその周囲の人間(母と側近2人)との間に微妙な緊張関係が見られるようになり、それがネロの影響力に現れてくる。例えばネロが席につくとアグリッピナは隣に座っていたが、セネカがそれを諌めている。ネロの友人もアグリッピナに不信感を抱きネロ本人に忠告してくる。またネロは妻オクタウィアには不満で、解放奴隷のアクテ(英語版)を寵愛していたが、アグリッピナの命でネロから離されそうになったところ、セネカの助けで事無きを得るということもあった。

ネロが母親の干渉を疎ましく思うようになると、アグリッピナはかつて自らが退けたブリタンニクスに注目するようになる。この時点でもブリタンニクスは帝位継承権を有しており、その意味ではネロに代わりうる存在であった。また彼は成人式がせまっており、大人の仲間入り、すなわち帝位継承権を行使できる立場に近付いていた。そのブリタンニクスは成人の儀式目前で55年に急死した。タキトゥスによれば、ネロが毒殺したと言う。

ネロとアグリッピナは一触即発状態となったが、セネカやブッルスが仲裁に入り、事無きを得た。この頃、パエトゥスなる男がブッルスや母親の取り巻きの解放奴隷マルクス・アントニウス・パッラスがファウストゥス・コルネリウス・スッラ・フェリクスの皇帝擁立を謀っていると告発したが、セネカが両名の弁護を担当し、パエトゥスは追放刑となった。しかし、カッシウス・ディオによれば、セネカもブッルスもこの事件以降、保身に努めるようになったと言う。そしてネロが妻オクタウィアと離縁し、ポッパエア・サビナと結婚しようとするとアグリッピナと対立することとなり、59年にはアグリッピナを殺害した。62年にブッルスが死去、同年セネカが再び横領の咎で告発される。ここに至ってセネカは引退をネロに申し出る。こうしてネロは妻オクタウィアと離縁、そしてポッパエア・サビナと結婚する。ポッパエアは既に結婚していたが、夫オト(後の皇帝)は離婚させられた上、ルシタニアに左遷された。その年の6月、オクタウィアが不倫の罪で自殺させられた。

ネロの暴君ぶりは元老院議員の生死まで左右した。62年にプラエトル(法務官職)にあった者が宴席でネロの悪口を言った咎で死刑されることから始まり、パッラスを含む多くの元老院議員が処刑された。65年に元老院議員ガイウス・カルプルニウス・ピソを皇帝に擁立する計画が発覚し、ピソに連座してセネカが自殺を命ぜられている。

こうして55年のブリタンニクスの殺害に始まり、59年に母(アグリッピナ)、62年に妻(オクタウィア)、65年にセネカを殺害、加えて64年に発生したローマ大火の犯人としてキリスト教徒を迫害したことから[2]、後世からは暴君として知られるようになる。ただ、ネロの後半生の悪行は、親友オトの前妻で再婚相手の皇妃ポッパエアによるものとする説も多い。

ガイウス・スエトニウス・トランクィッルスが、そういうことを言う人がいるという形で『皇帝伝』に載せた話から、よく母親に近親姦をされた例として引き合いに出される。
ネロの侍医アンドロマコスは、蜂蜜を使った膏薬テリアカを考案した。テリアカは狂犬病に罹った犬や毒蛇に噛まれた際の、さらにはペストの治療薬として用いられた[3]。また、ネロの妻は蜂蜜とロバの乳を混ぜたローションを使っていたと伝えられている[4]。
なお、鉛中毒によって暴君に豹変したという説が語られることがある。というのもローマでは食器、コップ、水道管など広範囲にわたって鉛が使用されており、また、ローマ人(ネロとは別)の頭髪から大量の鉛が検出されているためである。また、少なくない素封家、政治家が若いころまともだったのに年を取るにつれて豹変しているのも根拠として挙げられることもある。しかしながら、古代ローマ人において特に鉛中毒の症状が顕著に発現したという有意の統計は得られておらず、また性格の変化は鉛中毒の一症状、それも他の諸症状に比べて目立たないものに過ぎず(鉛中毒による神経障害は、まず歩行困難などの症状に現れる)、そもそもネロの事績に関して言えば、名君が暴君に豹変したという性質のものではなく、善政を持続する能力に欠けていたというものであり(後世で悪政とされる行為の合間にも、善政的な行為をしている)、鉛中毒説は正規の学説ではない。
政策
ネロの政策は光と影がある。ローマの大火後にネロが陣頭指揮した被災者の救済やそのための迅速な政策実行、ローマ市の再建は市民に受けがよかった。ネロに批判的だったタキトゥスも、「人間の知恵の限りをつくした有効な施策であった」と記している。当時のローマ市内は木造建築がメインだったが、大火以降にネロが建築したドムス・アウレア(黄金宮殿)は、ローマン・コンクリートの普及に一役買っている。また、ネロがローマの大火以降行った貨幣改鋳は、その後150年間も受け継がれた。ただし、この大火もネロ自身が裏で暗躍し、自分好みの街を作りたかったという望みから起こされたとも言われている。この当時の文献はローマ博物館に寄贈されている。

59年には南イタリアのポンペイの円形闘技場で興奮したポンペイの住民とヌケリアの住民との間で乱闘が起き、以後、10年間、闘技会の開催を禁止されている[5]。これは、市民の秩序と安全のためであり、この際に二人役(市長職)を辞職させている。市民に剣闘試合を禁じることは、市民の支持を失う可能性もあった。結果、当時の后妃ポッパエアの計らいにより、剣闘試合の禁は数年後に解かれた。

ブリタンニアで女王ブーディカを首謀者とする反乱が起こったが、鎮圧に成功した。鎮圧後の戦後処理も適切だったため、ドミティアヌス帝の時代までブリタンニアは平穏であった。

またグナエウス・ドミティウス・コルブロの奮戦もあり(インペリウム授与を躊躇ったために解決が遅れたが)、パルティアなどオリエント諸国との外交政策も成功し、その後東方とは50年以上、トラヤヌスの時代まで平和を保つことができた。ネロの死後、パルティア国王は元老院に対して、「ネロは東方諸国にとって大恩ある人であり、今後も彼への感謝祭を続けることを認められたい」と申し出て受理されている。セネカ引退後も、善政と無縁ではなかったのである。

ただ、その一方で歌手の真似事や部下や親族の見目麗しい人物を男女問わず皇帝の権限で搾取をするなど、国家元首の振る舞いとしては明らかに問題だった。謀反を企てた者も、ネロの政治姿勢、政策より、このような振る舞いこそが皇帝にふさわしくないとしていた。また皇帝暗殺の陰謀に関連して、コルブロなど有能な将軍を確たる証拠もなく謀殺したことで、軍からも反感を買ってしまった。

初代ローマ教皇・ペトロの殉教

初代ローマ教皇・ペトロ。

「Dirce chrześcijańska」『クォ・ヴァディス』(「主よ、どこに行かれるのですか」)における絵画。
初代ローマ教皇・ペトロは、ネロ帝による迫害で殉教した。ペトロは、迫害の激化したローマから逃れ、アッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。ペトロが「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。ペトロはそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。しかし、以上の伝承は、『新約聖書』外典である「ペテロ行伝」などに記されたもので、『新約聖書』正典はもちろんその他の信頼できる歴史書にも記載されておらず、史実としては実証されていない。

芸術の愛好家
ネロには四頭立て戦車の騎手や竪琴の歌手という、当時の社会では蔑まれていた芸人になりたいという願望があった。歌が好きで、数千人に及ぶ観衆を集めコンサート(ワンマンショー)を開くのが趣味であった。

59年には「青年祭」という私的祭典で演奏した。翌60年には、4年に1度開かれるオリンピア祭に対抗し、5年に1度開かれるネロ祭を創設した。音楽、体育、戦車の三部門からなる。その内、ネロは竪琴、詩、弁論の3種目に出場した。元老院は皇帝がそのような行動をするのを阻止しようと出場の有無を問わず優勝の栄誉を授けようとしたが、ネロは堂々と出場して勝利するとこれを拒否した。結局、優勝者が誰になったかは不明である。

さらに、オリンピア競技にも出場し、優勝した。ただし、主催者側が大胆な出来レースとした。獲得した栄冠は1800にも及んだが、この勝利には不正が多くあったことから様々な批判が存在した。たとえ敗れても勝利とされ戦車競技では戦車から落下して競争から脱落しながらも優勝扱いになってさえいる。

64年には詩人として、ナポリで初めて公式に舞台に立った。ナポリはネロの大好きなギリシャ文化が多くあり、劇場が小さすぎるとして、再建築を命じたほどである。ポンペイウス劇場では独唱会も開いた。1度目は運悪く地震で観客は皆逃げてしまった。2度目は出入り口に人員を配置して逃げられないようにした。しかし、あまりの退屈さに逃げる者が続出。出入り口が使えない為、塀をよじ登ったり死んだ振りをして棺桶で外に運び出された者も居たと言う。更には例外無く外に出ることを禁じたため、産気づき出産した女性も数人いたと伝えられる(親友の一人であったウェスパシアヌスはネロの演奏中に退屈のあまり眠ってしまい、これが原因で絶交してしまう)。

65年の2度目の「ネロ祭」でも自ら詩を披露し竪琴を演奏した。66年にはユダヤ属州で大反乱が勃発(ユダヤ戦争)する中、9月から68年初までギリシアに武者修行に出ている。イタリア凱旋時には、娯楽に飢えていた民衆に大歓迎されている。ただし、この間、上流人士にも芸を強要したため元老院議員や騎士の間ではネロに対する軽蔑や屈辱感が高まっていた。

自殺

ガルバ - リヨン美術館
68年3月、ガリア・ルグドゥネンシスの属州総督・ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が勃発。属州総督のガルバ、オトがこれに同調した。ウィンディクスの反乱は高地ゲルマニア軍により4月には鎮圧される。ガルバは元老院から「国家の敵」決議を受け逃亡した。

しかしその後、穀物の価格が高騰しているローマで、エジプトからの穀物輸送船が食料ではなく宮廷格闘士用の闘技場の砂を運搬してきたという事件が報じられ、ネロは市民の反感を買った。元首の支持率低下を機にネロと対立していた元老院は、ネロを「国家の敵」としガルバを皇帝に擁立する。ネロは逃亡しローマ郊外の解放奴隷パオラの別荘に隠れたが、騎馬兵が近づく音が聞こえるに及び、自らの喉を剣で貫き自殺した。その際自分では死にきれず奴隷スポルスに切らせたという。

本人の自殺後、その墓にはローマ市民から花や供物が絶えなかったという。ネロの死後、皇帝となったガルバはネロ派の軍や都市と敵対し粛清した。しかしガルバから離反し皇帝になったオトはネロ派の復職を認めた。ネロの銅像やドムス・アウレアの建設再開を許可し、ネロを裏切った護衛隊長ティゲリヌスを処刑し、民衆の人気を買った。オトの次の皇帝ウィテリウスはネロの慰霊祭を催して民衆を喜ばせた。

また、真偽ははっきりしないが、死の直前に言ったとされる「何と惜しい芸術家が、私の死によって失われる事か」という言葉は有名。更にネロが自刃した直後に現れた追っ手の百人隊長が、すでに死したネロに危害を加えるのは流石に人の道に反するので、遺体を丁重に扱うためにマントを掛けようとした。すると突如ネロの目が開き百人隊長の方を向くと「遅かったな。だが、大儀である」と言い残し、かっと目を見開いたまま絶命した。百人隊長はその死に様に恐怖したという。ネロの最期に関してはスエトニウスの伝記『皇帝伝』に詳しいが、あまりにドラマチックな内容の為、作家スエトニウスの創作という説が強い。

死後

この美術品では、死後に神格化したネロが描かれている。
死後にネロは元老院によってダムナティオ・メモリアエ(記録抹殺刑)を課されたが、69年に皇帝となったアウルス・ウィテッリウスはネロの立派な葬儀を行った。ネロを含む幾人かの皇帝の像は死後に破壊されたが、後に作り直された。

死後にネロは神格化された。皇帝ドミティアヌスに乗り移ったという伝説や、ネロがよみがえったとする伝説(en:Nero Redivivus legend)がある。また、アカイアやアシアなどの属州及びパルティアにおいて「偽ネロ」の出現が相次いだ。

ネロの死によってユリウス=クラウディウス朝は5代94年の歴史に幕を下ろし、断絶。以後、軍が武力を背景に皇帝を擁立するようになり、ローマ内戦に突入することとなる。

建築事業
ドムス・アウレア(黄金宮殿)
ドムス・アウレアにあるミューズ像

ドムス・アウレア(黄金宮殿)は、ローマ市街を焦土と化した64年の大火災の後に建設された、誇大妄想的な巨大宮殿である。

帝政初期のローマ建築にあって、皇帝ネロが造形に与えた影響はかなり大きい。ネロはローマ芸術の保護者を自認しており、今日、皇帝浴場と呼ばれている建築の先駆けとなるネロ浴場、そしてドムス・アウレア(黄金宮殿)を建設した。当時ローマ市は非常に密集した状態であったにもかかわらず、エスクイリヌスの丘(現エスクィリーノの丘)の斜面にテラスを造り、人工池(現在コロッセオがある場所)とこれを囲む庭園を見下ろす、すばらしい景観を眺めることができた[注釈 1]。現在はトライアヌス浴場の地下に残された一部のみが残る。八角形を半分にしたような中庭を挟んで、方形の中庭を囲む食堂などがある部分と八角堂のある部分に分かれ、おおまかな構成は当時の海辺に建設されたヴィッラそのものである。内部は大理石やモザイクを使った贅沢なもので、その装飾はルネサンス時代にグロテスクと呼ばれ、ラファエロ・サンティらに影響を与えた[7]。しかし、この建物の真に革新的な部分は、ローマン・コンクリートによって構築されたヴォールト天井とドームが架けられた八角型の部屋である。八角堂の形式は他にみられないが、ドムス・アウレアではじめて採用されたとは考えにくいので、直接の原型があると考えられる。ドーム頂部からだけでなく、これに付随する部屋への採光を確保できるような造形は、オクタウィアヌスの時代から培われたローマン・コンクリートがあってはじめて成り立つもので、皇帝自らの邸宅に革新的な造形が採用されたことは、他の建築に新しい技術や意匠をもたらす契機となった[8]。

ネロの死後、104年に宮殿は火災に遭い、その敷地は次々と公共建築用地に転用された。宮殿の庭園にあった人工池の跡地にはコロッセウム(コロッセオ、コロシアム)が建設された。建設開始は75年で、利用開始は80年である。正式名称は「フラウィウス闘技場」(フラウィウス円形闘技場)だが、ネロの巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたため、コロッセウムと呼ばれるようになったといわれている[9]。

コリントス運河
67年にネロはコリントス運河の開削を開始。コリントス地峡に運河を掘る構想は古代ギリシアの時代からあり、古代ローマ時代にもカエサルやカリグラも関心をもっていた。ネロは6000人の奴隷を動員して3.3kmあまりを掘ったが、途中、ローマでガルバらの反乱が起こりネロは自殺してしまう。死後、帝位についたガルバによって工事は中断された。ネロが計画した運河は、1893年に完成した現在のコリントス運河と同じルートである。古代ローマの土木建設技術の高さがうかがわれる。

年表
37年12月15日 - アンティウム(現在のアンツィオ)にて出生。
50年 - クラウディウス帝の養子となり、ネロ・クラウディウスと改名する。
51年 - 母アグリッピナの意向で通常より2、3年早く成人式を挙げる。
54年10月13日 - クラウディウスの崩御により即位。
55年 - 義弟ブリタンニクス死去。
57年 - 元老院属州と皇帝属州を合わせ国庫を一本化する。
59年 - アグリッピナを殺害。
62年 - オクタウィア自殺。ポッパエア・サビナと再婚。
64年 - ローマの大火。その跡地に黄金宮殿(ドムス・アウレア)を建設。
65年 - ピソの陰謀。セネカが自死。
67年 - コリントス運河の開削を試みるも成功せず。
68年6月9日 - 反乱を受けて自殺。

キリスト教聖書学における暴君としての評価
64年のローマ大火にかこつけて、人類史上初めてキリスト教徒を迫害した挙句、「人類(ローマ国民)全体に対する罪」を罪状として科したため、キリスト教文化圏を中心にネロに対する評価は低い。さらに、使徒・ペトロはネロの迫害下で逆さ十字架にかけられ殉教したとされる。だが当時のローマ帝国内では、ローマ伝統の多神教を否定するユダヤ教[注釈 2]を嫌悪している者が圧倒的に多数派であった。ネロを糾弾したタキトゥスをはじめとする後世のローマの歴史家達も、このことについてはむしろネロに近い立場を取った。

当時のローマ教会の構成人数は多くても数十人程度であり、一般的にキリスト教はユダヤ教の一派とみなされていた。にも拘らずネロがなぜキリスト教徒を限定して放火犯としたのか。パウロの伝道によるキリストの福音をめぐって一部のユダヤ教他宗派・異邦人と対立し各都市で騒乱が発生しており、ローマでも49年に騒乱を起こしたものが追放されていた。また、ネロの第二妻のポッパエア・サビナはユダヤ教徒と考えられており、彼女やその周辺のファリサイ派やサドカイ派から、イエス・キリスト信仰者が社会に動乱を引き起こす存在として伝達されていた可能性もある。これらによって放火犯とイエス・キリスト信仰者が結びつきやすかったのかもしれない[10]。

また、後世の記述はネロを「国家の敵」として追放した元老院との繋がりが強いスエトニウス、タキトゥス、カッシウス・ディオによる著書による影響力が強く、権力者としての名声を失墜させようとして描かれた人物像である可能性があることに注意する必要がある。また、フラウィウス朝を創始したウェスパシアヌスはネロを悪帝としてメモリアの破壊を先導した[11]。

ただし、タキトゥスはもとよりキリスト教会の資料でも、この頃のキリスト教を迫害したのはネロではなくポッパエアがネロを動かしていたとするものもある。
以上のキリスト教徒迫害のため、ネロは悪魔(獣の数字)や堕落した女(大淫婦バビロン)で暗喩される。

獣の数字「666」(悪魔として)

獣の数字「666」。「皇帝ネロ」を意味する。

『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に獣の数字「666」について記述がある。この数字は「皇帝ネロ」を指すとされるもので、自由主義神学の高等批評による聖書学で最も支持されている説である [12][13][14][15][16][17][18]。 つまり、皇帝ネロ (Nero Caesar) のギリシア語表記 (Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar) をヘブライ文字に置き換え (נרון קסר, Nrwn Ksr)、これをゲマトリア(カバラ的な数値化)したその数が666になるというものである。この一説は直前の皇帝崇拝らしき記述とも意味的に整合する。

ネロを主題にした作品

文学作品
偽セネカ『オクタウィア』
ジャン・ラシーヌ『ブリタニキュス』、渡辺守章訳、岩波文庫 ほか
ヘンリク・シェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス』、木村彰一訳、岩波文庫 全3巻 ほか
同名のアメリカ映画やポーランドのテレビドラマの原作。
ユベール・モンテイエ『ネロポリス―ネロの時代の物語』、栩木泰訳(全2巻:中央公論社、のち中公文庫)


音楽・舞台作品
クラウディオ・モンテヴェルディ『ポッペーアの戴冠』…ネロが周囲の反対者を排除して、寵愛するポッパエア・サビナを皇后とする物語。1642年にヴェネツィアで初演されたオペラ。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル『アグリッピナ』…ヘンデルのオペラの中でも代表作の一つ。
アッリーゴ・ボーイト『ネローネ』…遺作となった未完のオペラ。
オットリーノ・レスピーギ:交響詩「ローマの祭」…第1曲『チルチェンセス』は、ネロが円形競技場でキリスト教徒たちを猛獣に喰わせて殺害した残酷な祭りを描いている。
ウィルスン・バーレット『十字架の徴』…1895年作の戯曲。
映画『暴君ネロ』(1932年、セシル・B・デミル監督)の原作。
宝塚歌劇団『皇帝』…ネロを主人公としたミュージカル。


映画
『わが息子暴君ネロ』(1956年、フランス・イタリア)
『ネロ皇帝の聖餐』(1981年、イタリア)

テレビ映画
『NERO ザ・ダーク・エンペラー』(2004年、イタリア・スペイン・イギリス)

漫画
安彦良和『我が名はネロ』(文藝春秋、のち中公文庫)
技来静也『拳闘暗黒伝セスタス』(白泉社) ネロが主人公の一人として登場する歴史格闘漫画。
さかもと未明『マンガ ローマ帝国の歴史3 カリグラ、ネロ、ユリウス朝の崩壊』 講談社
梶原一騎/ふくしま政美『格闘士ローマの星』(秋田書店「週刊少年チャンピオン」 1976 - 1977年)… 主人公の格闘士アリオンの醜悪な仇役として登場する。コロセウムでキリスト教徒の殺害を挙行したり、醜い中年皇帝として描写されたりするなど、史実との矛盾が目立つ。
とり・みき、ヤマザキマリ『プリニウス』(新潮社)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AD
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/169.html#c7

[近代史3] 死に急がせる怖い飲み物 中川隆
9. 中川隆[-14072] koaQ7Jey 2022年1月25日 05:44:23 : 7ISbytjsq2 : OFF2Lk4yL2hXdlk=[13]
【ゆっくり解説】果汁100%でも飲んだらダメ?!実は危険なフルーツジュースの闇
2022/01/24


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/612.html#c9
[近代史5] 脱炭素と原油価格高騰

脱炭素と原油価格高騰


レイ・ダリオ氏、環境サミットで脱炭素に警鐘、原油業者を賛美
2022年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/19092


世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏がアブダビ・サステイナビリティ・ウィーク・サミットでインフレと脱炭素政策について語っている。

脱炭素と原油価格高騰

ダリオ氏は環境サミットに参加しながら次のような言葉から始める。

原油採掘業者がいることを神に感謝すべきだ。

「サステイナビリティ」の名前が付いた場でこのような発言をしたのは世界でダリオ氏くらいなのではないか。何故ダリオ氏はこのような発言をしたのか。原油価格が高騰しているからである。


勿論これは今アメリカで話題となっている7.1%のインフレの大きな原因の1つである。

コロナ蔓延でもインフレ止まらず、12月米物価上昇率は7.1%


原油相場が上がればガソリン価格は高騰し、電力価格は上がる。何故そうなっているかと言えば、化石燃料を嫌い脱炭素政策を推し進める人々が原油採掘業者への融資を強制的にストップしているからである。資金の干上がった原油採掘業者は当然原油が掘れなくなり、原油の供給が足りなくなる。

これはあまり大手メディアでは報じられていないと思うのだが、脱炭素とは単に積極的に太陽光や風力を推進するということではなく、原油など化石燃料への資金供給を強制停止させ、原油や天然ガスを足りなくさせる強硬策なのである。

それで原油価格や天然ガス価格が高騰し、ヨーロッパなどでは貧困層が日本より厳しい冬を暖房なしで過ごさなければならない状況になっている。

火に油を注ぐ脱炭素政策

ダリオ氏は次のように言う。

グリーンな経済への移行はスマートなやり方で行う必要がある。移行を急ぐのは危険だ。物価高騰が問題となっている。

世界最高の投資家の1人であるダリオ氏には、このまま脱炭素を強行すれば原油相場がどうなるか、目に浮かぶように分かっているのである。同じことをマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏も言っている。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない

というか、化石燃料の供給を強制的にストップすれば化石燃料の価格が高騰するのは小学生でも分かることではないか。彼らは本当に分からなかったのか? あるいは電力価格が高騰して人々の生活が苦しくなることなど、脱炭素の人々にはどうでも良いのだろうか。

原油相場より状況の悪い天然ガス相場

だが原油価格はまだ良いかもしれない。原油はタンカーで簡単に運べるため、世界の一部地域で採掘が滞っても他の地域から運んでくることが容易である。ガソリン価格高騰は日本人も実感しているところだが、それでもこの程度のインフレで済んでいるのはそういう理由である。

しかし天然ガスはそうはいかない。天然ガスは気体のまま運ぶと体積が大きすぎるため、冷却して液化天然ガスとして運ばなければならない。普通のタンカーでは運ぶことが出来ず、一部地域で価格が高騰しても他の地域から運んでくることが簡単ではない。

結果として天然ガスは地域の価格差が大きく、脱炭素政策を強行したヨーロッパでは天然ガス価格が一時10倍近くになるなどの非常事態となっている。フランスでは価格高騰に現金給付で対応しようとしているが、言うまでもなくインフレはより酷くなるだろう。

フランス、インフレ対策で現金給付へ


結論

こうした人々は、現金給付を行い、ものの供給を止めると物価が高騰するということが本当に分からないのだろうか? 普段政治的に一方に肩入れする発言を極力避けようとするダリオ氏が脱炭素政策に警鐘を鳴らしているのは、このままでは本当にエネルギー価格がとんでもないことになるからである。

当然それはインフレが原因で崩壊の瀬戸際に立たされている株式市場にも影響を与える。

金融市場、今年5回以上の利上げを織り込み始める 株式市場は風前の灯火


大体、大量の補助金を投じて作られたにもかかわらず現在雪に埋もれているソーラーパネルや、風が吹かなくなれば何の役にも立たなくなる風力発電が電力の安定供給源になるわけがない。

こう言っては申し訳ないが、世界の問題の大半は脱炭素などリベラル派の政策から来ている。移民政策ではヨーロッパでの無料の生活費にそそのかされた中東人がヨーロッパを目指して地中海で大量に溺れ死に、脱炭素政策では貧困層がヨーロッパの厳しい冬に凍えることになる。リベラルの人々は社会的弱者に恨みでもあるのだろうか。本当に一度ちゃんと考えてみてもらいたい。インフレは人災である。

2022年の株式市場はインフレと金融引き締めで暴落する


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/19092
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1453.html

[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
41. 中川隆[-14071] koaQ7Jey 2022年1月25日 11:02:30 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[3]
931名無しの笛の踊り2022/01/23(日) 17:38:48.94ID:suvK3FC9
で結論はなんだって?

932名無しの笛の踊り2022/01/23(日) 18:15:12.43ID:Cqa6N3zW>>938
フルヴェンは作曲家として三流で、演奏もウケねらい
ブルックナーを改竄しR.シュトラウスと喧嘩したシャルクこそ王道
ワーグナーを振らないワインガルトナーは貴族


938名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 01:18:29.26ID:xln3EPbN
>>932
ばーかw
ワインガルトナーはワーグナーをたくさん指揮している。
レコード録音もしている。
それを知らないお前は低能無知馬鹿w

939名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 07:58:36.37ID:tVNvLUxE
ワインガルトナーは、1863年に現在のクロアチア(南ヨーロッパ)にあたる地方都市で生まれた、19世紀後半〜20世紀前半を代表する名指揮者。あのフランツ・リストに師事しブラームスとも親交があったというから、もはや音楽史上の人物であるが、そのワインガルトナーが実際に指揮した録音が今日まで伝えられていることは人類にとっての幸いである。
ワインガルトナーが現れるまでの第九は、リヒャルト・ワーグナーやハンス・フォン・ビューローの手によって大きく変えられて演奏されていた。彼らは、ベートーヴェンの作品は楽器の工業製品としての発達、進化がまだ不十分な時代に書かれたということを念頭に「もしベートーヴェンの時代に今の楽器が存在したなら、ベートーヴェンはきっとこう書いただろう。」と考え、楽譜に積極的に手を加えていた。また、テンポや表現法も時代の好みにしたがって感傷的、情緒的に改変して、彼ら自身が欧州各地で指揮者として演奏活動を行なった。その結果、18世紀後半にはこのロマンチック(ロマン派的)な演奏が当時の第九のスタンダードになっていった。
そのような動きに「待った」をかけ、ベートーヴェンの楽譜を子細に研究して大げさな表現を排したのがワインガルトナーだった。しかし、ワインガルトナーも今日言われるような意味での「原典主義者」であったわけではない。彼もまた、楽譜に実に多くの「改変」を行なっている。「ワインガルトナーの改変」として有名なこれら一連の細工については、今日の演奏現場ではあまり顧みられることはなくなったが、この録音によっていくつも確認することができる。
テンポに関して言えばきわめて「中庸」である。ワーグナーが演奏した第九がどのようなものであったかを直接音として知ることはもはやできないが、その後の数々の名指揮者の演奏(たとえばフルトヴェングラーの「バイロイトの第九」)と比べても、ワインガルトナーの演奏は決して熱くなることなく、全体的に淡々と進めることを意図していることがよくわかる。

940名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:03:47.36ID:tVNvLUxE
後にザクセンの宮廷指揮者になったワーグナーは1846年、33才の時にそこで9番を指揮した。シラーの歌詞を重視して自身の楽劇なみに文学性を盛り込んだワーグナーの解釈は、しかし大変にロマン的なものだったと思われる。なぜそう思うことが許されるかというと、そのザクセンの9番演奏会を聴いて指揮者になろうと決心した16歳の少年こそハンス・フォン・ビューローであり、彼はワーグナーの熱烈な崇拝者となるからだ。彼が書き込みをした9番のスコアはワーグナーの解釈をもとにしたものであったという。そしてそのビューローの解釈に真っ向から反旗を翻して敵視されてしまったワインガルトナーの演奏を我々は幸いにもCDで聴くことができるからである。

それは市販されているので興味ある方はご一聴をお薦めする。今の耳にも古臭いものではなく、恣意的なテンポルバートや強弱を排したいわば現代的なものだ。それが「反旗」だったのだから、ビューローの、そしてワーグナーの9番がどんな傾向のものだったか想像がつくのだ。ビューローの名声は指揮者としてだけではない。シューマン夫人クララの父ヴィークにピアノを習い、ベートーベンの愛弟子チェルニー(あの教則本の)の弟子フランツ・リストにも習った。こちらも演奏不能とされたチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を独奏者として初演もしている。音楽界の大御所である。そういう人の奥さん(リストの娘コジマ)を寝取っておいてなお崇拝させたワーグナーも凄いが、そういう大御所の9番解釈にアンチテーゼを思い切りぶつけたワインガルトナーの蛮勇も快哉である。

941名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:07:04.93ID:tVNvLUxE
ワーグナーの影響と慣例的な改変
今回は、従来の演奏で数多く行われてきた慣例的な楽譜の改変について紹介します。

ドイツ近代指揮者の系譜を辿っていくと、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督だったメンデルスゾーンと、地方の重要なオペラハウスを渡り歩いていたワーグナーという二人の全く異なった個性の音楽家に辿りつきます。
メンデルスゾーンの指揮は、拍子をきっちりと示して早めの一定したテンポを保ち、
ニュアンスの変化も必要最小限にとどめた、作品に忠実な客観的な指揮振りだったといわれています。
一方のワーグナーの指揮は、音楽の流れに応じてテンポの緩急を大胆につけ、過剰なまでに抑揚をつけたロマンティックなものだったそうです。作品を再創造する芸術家であることがワーグナーの理想とする指揮者像でした。この流れは後にマーラーやビューロー、ニキシュ、フルトヴェングラーといった指揮者たちに受け継がれました。

第9の作曲された時代は、管楽器が急速な発展を遂げつつある時期でした。
そのためワーグナーは、ベートーヴェンがもし改良された現代の楽器を使用することができるならば、必ずやこのように演奏させたであろうという前提に立って、オーケストレーションの変更を行いました。その影響は絶大なものがあり、それを受けて20世紀前半の名指揮者ワインガルトナーがテンポやデユナーミクも含めた具体的な提言を行い、著書「ベートーヴェンの交響曲の演奏への助言」の中で理論化しています。
以後ベートーヴェンのスコアを近代の大編成オーケストラ向けに手を加えて演奏するのが、つい最近までごく普通のごとく行われてきました。

942名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:07:15.08ID:tVNvLUxE
代表的なものとして、
  ・ 第4楽章冒頭のファンファーレ部分のトランペットをクラリネットと
    同じ旋律を吹かせる。
  ・ 第4楽章の二重フーガで、自然倍音の記譜のみのトランペットパートに
    旋律の欠落部分を加えたり、アルトトロンボーンに最初の2音(D音)を加える。
  ・ 第2楽章の第二主題に木管だけでなくホルンを重ねる。
  ・ 当時の楽器の制約のため、不自然な跳躍を強いられていた、木管楽器の
    セカンドパートの  低音部分を加える。(第1楽章の第2ファゴットの扱いなど)
などですが、
スコア片手に真剣に聞き直すと、トスカニーニのようにやたらとティンパニを加えたり、セルのようにホルンに数多くの旋律を吹かせたりなどと、現実には指揮者によって千差万別、定評のある名盤の多くが独自の改竄の手が入り、同じものは全くないという状況です。
次回から、さまざまな演奏を紹介していきますが、ベーレンライター版が出版されてからまだ日が浅く、ベーレンライター版を参照したとされる録音は十指に満たない状況です。
したがって、これから紹介する演奏の大部分は、ブライトコプフの旧全集版に基づいた演奏となります。

943名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:09:49.42ID:tVNvLUxE
第九を聴く」3 初期の録音…1920年代から30年代初め
管弦楽の録音が始まったのは1909年と言われ、第九は20年代はじめから既に
全曲録音が登場しています。

   ・ワイスマン&ブリュトナー管           1922年
   ・ ザイドラー=ウィンクラー&ベルリン国立歌劇場管 1923年
   ・ コーツ&アルバートホール管           1924年 英語版
   ・ ワインガルトナー&ロンドン響          1926年 英語版
   ・ フリード&ベルリン国立歌劇場管         1928年
   ・ コーツ&ロンドン響               1929年 英語版
   ・ ストコフスキー&フィラデルフィア管       1934年 英語版
   ・ ワインガルトナー&ウィーンフィル        1935年

944名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:10:50.94ID:tVNvLUxE
・ フェリックス・ワインガルトナー(1863〜1942)
  ウィーンフィル、ウィーン国立歌劇場合唱団
  S:ヘルツグルーバー、A:アンダイ、T:マイクル、Br:マイール

リストの弟子で、ブラームスにも高く評価されたワインガルトナーの演奏は、美しくも
ノーブルな第九。ベートーヴェンの権威と言われた確信に満ちた説得力のある名演です。
第2楽章のホルンの追加や第4楽章でのトランペットの補筆など、いたる所で自分の確立させた理論をそのまま実践に移しています。
意外だったのは、第4楽章の歓喜のテーマがチェロとベースで歌われる部分で第1ファゴットが対旋律を受け持ちますが、ここでワインガルトナーは第2ファゴットにベースと同じ動きを吹かせています。これはブライトコプフ旧版には欠落していますが、ベートーヴェンの自筆譜には指示されていて、最近の古楽器による演奏やベーレンライター版による演奏ではごく普通のこととして演奏されています。その後のブライトコップフ旧版を用いている指揮者で、この第2ファゴット部分を採用している指揮者はほとんどいませんでした。

テンポの変動は、第1楽章で多少時代を感じさせる部分もありますが、違和感は感じさせません。録音も当時としては極めて優秀、ウィーンフィルの美しい弦楽器の響きや、第2楽章の木管群の完璧とも言えるアンサンブルも忠実に再生します。
当時のウィーン国立歌劇場のベストメンバーを集めたソリストと合唱も見事なもので、
フィナーレの猛烈な加速もバッチリ決まっていました。
これは20世紀初期を代表する第九の歴史的な名盤だと思います。

945名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:13:31.35ID:tVNvLUxE
「第九を聴く」4 戦前派巨匠の時代 I ・・メンゲルベルクとトスカニーニ
1920年代から40年代前半までのベルリンを中心とするヨーロッパの音楽界は、フルトヴェングラー、エーリッヒ・クライバー、クレンペラー、クナッパーツブッシュ、たちがベルリンフィルや主要なオペラハウスの音楽監督として君臨し、さらにウィーンフィルにはワインガルトナーがいまだ健在、そしてライプチヒ・ゲヴァントハウス管のブルーノ・ワルターとアムステルダムコンセルトヘボウ管のメンゲルベルクが定期的にベルリンに来演し、スカラ座のトスカニーニもバイロイトやザルツブルクの音楽祭で指揮をするといった、まさに空前絶後の大指揮者の時代となりました。

これからの数回は、第2次世界大戦の勃発直前に最盛期を迎えた、これら大指揮者たちの個性的な第九をいくつか紹介していきます。


・ レオポルド・ストコフスキー(1882〜1977)
    フィラデルフィア管、合唱団
    S:ディヴィス、A:カーハート、T:ベッツ、Br:ローウェンタール

ストコフスキーは録音歴の非常に長かった人で、後にロンドン響とのステレオ再録音も残しています。フィラデルフィア管との録音は、明るく楽天的な演奏でした。オケのアンサンブルは実に優秀で、特にオーボエとフルートは傑出しています。
問題は英語版による歌唱で、オー・フロイデ!がオー・ブラーザァー!。これにはかなり違和感を感じます。合唱も独唱もとにかくお祭り気分的な雰囲気で、ストコフスキーの歌い回しもレガートを多用したり、突然テンポを緩めたりと古さを感じさせる大時代的な演奏でした。
ストコフスキーは楽譜にいろいろと手を加える事が多いのですが、当時一般的だった第2楽章の第2主題にホルンを加えてはいるものの、フィナーレ冒頭のトランペットは譜面通りのようです。
今回聴いたのは独ヒストリー社の復刻CDで、これはあまり良質な復刻とは言えず、第2楽章に編集ミスがあり、最初のリピートがおかしな場所で折り返しています。音質も妙なイコライジングと残響付加で不自然な響きでした。

946名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:14:23.67ID:tVNvLUxE
ウィレム・メンゲルベルク(1871 - 1951)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管、 アムステルダム・トーンクンスト合唱団、
S:デル・スルイス、A:ルーヘル、T:トウルダー、Br:ラヴェッリ
 (1938年5月1日 アムステルダム・コンセルトヘボウでの実況録音)

オランダ生まれの名指揮者。24才でアムステルダム・コンセルトヘボウ管の常任になり、 ナチに協力したことでスイスに追放されるまでの50年間、このオーケストラを世界的な水準にまで成長させました。専制君主型の典型で、自分の意思を厳しい訓練で徹底してオケに植え込み、一定の様式化した解釈でオーケストラを自分の手足同様に操りました。
メンゲルベルクの残された録音を聴くと、同一曲の異なった日のライヴ録音を聴いても、テンポの微妙なユレなどが全く一致しているのに驚かされます。
第九も例外でなく、38年と40年の二つのライヴ録音は、全体の印象だけでなく一部分を取り出して聴き比べてみても、微妙な歌い回しやテンポの緩急がほとんど同じでした。
メンゲルベルクの第九は、テンポを自由に動かす濃厚なロマンティシズムに溢れた、超個性的な演奏です。
ポルタメントを多用した第3楽章などまるでチャイコフスキーのよう、管楽器を各所でダブらせていますが、第2楽章の第2主題にはホルンだけでなく、トランペットも加えるという徹底ぶり。第1ヴァイオリンにも各所で1オクターヴ上げさせています。

947名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:14:35.53ID:tVNvLUxE
特に第4楽章はメンゲルベルクの個性が最も顕著に出ていて、バリトンソロが入る2度目のファンファーレ前の木管部分にヴァイオリンを重ねたり、テノールソロが歌う行進曲風の部分におけるトランペットの合いの手を、極端に強調したりしています。またバリトンソロが冒頭部分でテーネーと歌う部分(221小節)は、楽譜ではF−FとなっているのをG−Fと歌わせていました。(これはワインガルトナーも同じ)
そして終結部プレスティッシモ部分、最後の4音の猛烈なリテヌートの急ブレーキは、とどめの一発といった感じで強烈な印象を残します。
ここで変幻自在に変化するメンゲルベルクの解釈にぴったりとついていくコンセルトヘボウ管のうまさは驚異的、まるで同一の周波数でコントロールされている機械のようです。
これはピッチが完璧に合った時の澄んだオケの響きとともに一聴の価値のある演奏だと思います。なお1944年6月、ナチ占領下でのパリのシャンゼリゼ劇場において、空襲警報の鳴り響く緊迫した状況の中でおこなわれた、パリ放送響とのベートーヴェンチクルス最終日の第九がメンゲルベルク生涯最後のステージとなりました。

948名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:15:33.97ID:tVNvLUxE
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867 - 1957)
 NBC響、ロバート・ショウ合唱団、
 S:ファーレルA:メリマン、T:ピアース、Br:スコット
 (1952年3月31日、4月1日 カーネギーホール)

イタリアのパルマ生まれ、ヴェルディの「オテロ」の初演にチェロ奏者として参加。
指揮者としては「ボエーム」や「道化師」「トウーランドット」などの名作オペラやレスピーギの「ローマの祭り」などの初演も振っています。
トスカニーニの演奏は虚飾を排し、インテンポで楽譜に忠実なもの。メンゲルベルクが19世紀ロマンティシズムの典型ならば、トスカニーニは即物的な20世紀の演奏スタイルの元祖とも言えるもので、後の多くの指揮者に多大な影響を与えました。
第九はスカラ座管を振ったイタリア語版の演奏やテレビ用の映像も含めて、ライヴ録音が7種残されています。今回はトスカニーニのためにアメリカの国内外の名手を集めて組織されたNBC響との1952年ライヴを聴いてみました。

949名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:15:46.34ID:tVNvLUxE
この第九は、早いテンポ緊張感に溢れ、鍛えぬかれた鋼鉄のような力強さが迸るドラマティックな名演奏です。
楽譜に忠実と言われているトスカニーニですが、ここではテンポは楽譜にほぼ忠実なのに、オーケストレーションにトスカニーニ自身の手が数多く入っています。
ワインガルトナーが提案した改変は、ほぼそのまま採用。特に第1楽章再現部の301小節にティンパニには執拗なクレッシェンドとアクセントを加え、トランペットに1オクターヴ高く吹かせています。ここは同じ改変を行っているメンゲルベルク以上にドラマティックな効果をあげていました。その他に第1楽章の53、54、103、107小節にもテインパニを追加。
また第3楽章までは、テンポや歌い回しは楽譜にほぼ忠実なのですが、第4楽章になると、最初のベースのレチタティーヴォを含めて、急に緩急自在のテンポ運びとなります。
歌唱が入る楽章ということで、長年培われてきたオペラ指揮者としての習性がこのあたりで表面化してきたのでしょうか。バリトンソロの「Tö-ne」もメンゲルベルクと同じG-Fに変え、同じソロの231小節目の「freuden」が長く引き伸ばされている個所では、一度区切って、「freuden」という単語を2度歌わせています。
トスカニーニの改変のいくつかは、グスタフ・マーラーがニューヨークフィルの首席指揮者時代に実践していたことなので、後にニューヨークフィルの首席指揮者となったトスカニーニが、マーラーの譜面への書き込みを見てその影響を受けたのかもしれません(トスカニーニのシューマン「ライン」の録音はマーラー版です。)。
ロバート・ショウの率いる合唱団は力感溢れる見事なもの、独唱者と一体となって硬質なトスカニーニの解釈に見事に同化しています。

950名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:18:50.66ID:tVNvLUxE
ウイルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

  ・ ベルリンフィル、ブルーノ・キッテル合唱団、
    S:ブリーム、A:ヘンゲン、T:アンデルス、Br:ワッケ
    (1942年3月22日または 3月24日か4月19日)

第2時大戦中の録音、ベルリンフィルの重心の低いドイツ的な重厚な響きと刃金のような強固なアンサンブルが魅力の演奏です。フルトヴェングラーの数ある第九の中でもっともテンポが速く、劇的でダイナミックな演奏。
曲全体に漂う悲愴なまでの緊張感はこの時代ならでは、ティンパニの壮絶な響きが
一層の緊張感を煽ります。演奏者も幾分緊張気味で、第3楽章ファンファーレの直前の4番ホルンと第4楽章の後半のソプラノソロに大きなミスがあります。
戦争により多くの団員が欠けていたベルリンフィルですが、フィナーレの終結部の猛烈なアッチェレランドも乱れることなく決まっていて、フリード盤で見事な歌唱を聴かせたブルーノ・キッテル合唱団も充実した出来です。
オーケストレーションの改変は、第2楽章第2主題のホルン追加と、第4楽章の冒頭と二重フーガのトランペットぐらいで、第1楽章の後半部分で一般的におこなわれていたヴァイオリンの1オクターヴ上げもありません、テンポと強弱設定はフルトヴェングラー独自のロマンティックなもので、いわばワーグナーの流れをくむデユオニソス的な演奏の典型。
演奏の完成度としては、私が聴いたフルトヴェングラーの第9の中で最も高い演奏ですが、あまりにも壮絶なために繰り返し何度も聴く気にはならない演奏でした。

951名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:19:27.11ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

戦時中ベルリン放送局に保管されていたフルトヴェングラーの放送録音のオリジナルテープは、終戦直後に旧ソ連が本国に持ち帰ってしまったことにより、収録データに混乱を生じています。
この第9の収録日にも大きな謎があり、HUNTをはじめとした多くのディスコグラフィーや大部分のディスクの録音表示は3月22日または24日におこなわれたブルーノ・キッテル合唱団の創立四〇周年記念コンサートにおける演奏ということになっているのですが、実は4月19日のヒットラー生誕祝賀前夜祭での演奏だという説があります。また、前半は3月22日収録で第4楽章の後半のみ4月19日の演奏であるという説もあります。
実は4月19日の演奏は、第4楽章後半5分ほどの当時のニュース映像が残されていて、ここで4人の独唱者のみが歌う部分でソプラノソロが音を間違え、フルトヴェングラーや楽員たちが「あっ」と驚いている様子がしっかりと映っているのですが、この部分は私の手持ちのLPやCDとぴったり一致しました。したがって、出まわっている録音の多くは第4楽章の後半部分に関する限り4月19日収録と思われます。
どうやらソ連国内で3月22日、4月19日の演奏が同一番号でLP化された混乱が現在にいたるまで尾を引いているようです。
今回私が聴いたのは、国内盤として日本フォノグラムから発売されたLP、と正体不明のドイツ盤LP,そしてAUDIOPHILレーベルのCDです。
音質はCDが最も鮮明、おそらくソ連で製作されたLPをコピーしたと思われる2つのLPは、両盤ともピッチが不安定で音質も劣悪なものでした。

952名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:20:23.88ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

・バイロイト祝祭管と合唱団、
  S:シュワルツコップA:ヘンゲン、T:ホップ、Br:エーデルマン
    (1951年7月29日)

戦後初のバイロイト音楽祭のオープニングを飾った記念碑的な録音。第九といえば必ず名前が挙がる名盤です。
テンポを自由に動かしたロマンティックで劇的な演奏で、神秘的な第1楽章の冒頭から、無の状態から作品が創造される瞬間に立ち会うような感動があります。
第1楽章は始めの重々しさは多少抵抗を感じるものの、通常大きな盛り上がりを見せる310小節以後はむしろあっさりと片付け、終結部に向かって次第に加速し、大きなきな盛り上がりを見せるテンポの設計のうまさが光ります。
第2楽章もデモーニッシュで独特の凄味のある演奏です。特に中間部の木管部分の優しい歌わせ方には聴いていてホロリとさせられるものがあり、第3楽章の静かで奥深い表現も比類のないものです。
曲全体のクライマックスの第4楽章は、遥か彼方からほとんど聞こえないほどのピアニシモで始まる歓喜の主題が次第に実体を現わし、大きなうねりをみせながら加速し巨大な姿が出現する部分に鳥肌が立つほどの感動を覚えました。
曲想が変化する前での長い沈黙も実に雄弁。名匠ウイルヘルム・ピッツに率いられたバイロイト祝祭合唱団も気迫十分で、(特にvor Gottの渾身の力を込めたの長いフェルマータ)シュワルツコップをはじめとした当時ドイツの最高の独唱者たちも実に素晴らしい歌唱を聴かせます。終結部の猛烈なアッチェレランドは演奏者の能力の限界を超えてしまうほどで、アンサンブルも崩壊状態ですが、これがスリリングな効果を築いています。
オーケストレーションの変更は基本的に1942年盤と同じですが、二重フーガの後半部分でテインパニに旋律線を叩かせ、壮麗な効果を上げていました。これはバイロイト盤のみに聴くことができる変更です。

953名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:21:15.62ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

・ ベルリンフィル、フィルハーモニー合唱団、
    S:ベルガー、A:ピッツィンガー、T:ルートウィッヒ、Br:ワッケ
    (1937年5月1日 ロンドン クィーンズホール)

イギリス国王ジョージ6世戴冠祝賀コンサートのライヴ。長い間録音の存在すら知られていませんでしたが、1984年フルトヴェングラー没後30年の年に日本EMIがLPを発売、世界中のフルトヴェングラーファンを驚かせました。
当時のアセテートディスクに録音されていたもので、針音はありますが録音状態はさほど悪くありません。世界初発売となった国内LPはディスクの切れ目がうまく繋がっていなかったようですが、その後出たCDを聴く限りにおいては問題はありません。
演奏は50才代壮年期のフルトヴェングラーの演奏ということで、さぞ若々しい演奏だと思いきや、意外と老成した演奏です。
第1楽章などゆっくりと進めていくのですが、後年の重々しさはなく、むしろ静的で慎重な趣。第2楽章以降は一転して生命力溢れる表現、第4楽章はせっかちさも感じられるほどの早さで始まり、歓喜の主題も大きなユレはなく、淡々とした歌わせ方には後の録音にない良さがあります。特にヴィオラの絶妙なヴィヴラートが印象に残りました。名歌手ベルガー以下当時のドイツ一流メンバーを揃えたソリストも見事なもの。合唱の実体はよくわかりませんが、発音の軽さから想像するとイギリスで組織された合唱団かもしれません。幾分ドイツ的な重量感には欠けますが、熱狂的な歌唱を聴かせます。vor Gotのフェルマータは私が聴いたフルトヴェングラーの第九の中では最長でした。
オーケストレーションの改変は後の演奏と変らず、当時としてはかなり楽譜に忠実な演奏です。第4楽章合唱部分257小節以下のテノールパートの低い部分をフルトヴェングラーは通常1オクターヴ上げさせていますが、この37年と54年盤は楽譜のとおりに歌わせていました。
フルトヴェングラー独特の第九フィナーレの猛烈なアッチェレランドはここでも健在ですが、幾分唐突で取って付けたような印象です。

954名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:21:49.94ID:tVNvLUxE>>961
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

・フィルハーモニア管、ルツェルン音楽祭合唱団、
    S:シュワルツコップA:カヴァルティ、T:ホップ、Br:エーデルマン
    (1954年8月22日)

フルトヴェングラー生涯最後の第九。この演奏の3ヶ月後に他界しています。
今までのフルトヴェングラーの第九は即興性を見せながらも、テンポ設定に一定のパターンがありました。しかしこの演奏は今までにない間の取り方、テンポのユレを見せています。フルトヴェングラーが晩年に到達した崇高にして偉大な第九で、歓喜の爆発というよりも内省的な演奏に仕上がっています。
フィルハーモニア管の淡白な響きが純粋な透明感を助長しているようにも思えますが、
演奏の随所に緊張の弛緩する部分もあり、老いの翳が多少感じられます。
第4楽章オケ部分歓喜の主題の歌い始めはかなり重く、暗さすら感じられます。やがてフルトヴェングラー自身が唸り声を上げながら急速にテンポを早め、頂点では崇高なクライマックスを築きます。独唱は相変わらず文句のない出来ですが、エーデルマンのレチタテーィーヴ部分に、フルトヴェングラーが今までにない長めのテンポ設定をとるため、多少のとまどいがあるように感じられます。vor Goは短くあっさり片付けた肩の力の抜けたもの。合唱はかなり検討していますが、中間部610小節あたりで突然力を失いバラけそうになっています。これは合唱側というよりもフルトヴェングラーの指揮に何かが起こったのだと思います。
以上部分的には多少の問題は残りますが、透明で深い第3楽章には、いつまでもその美しさに浸っていたいような深い感動を覚えました。創立間もないフィルハーモニア管は既に世界最高水準に達していて、ホルンのデニス・ブレイン以下特に管楽器群は驚異的な名技を聴かせます。録音はターラから出ているCDが生々しい収録で、フルトヴェングラーの残された第九の中では一番良い録音だと思います。

955名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:26:23.61ID:tVNvLUxE
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)
20世紀を代表する巨匠、ザルツブルク生まれ、ウルムの歌劇場の指揮者を皮切りに27才でアーヘンの歌劇場の音楽総監督(北原先生もここの総監督でした)。
1956年からフルトヴェングラーの後任としてベルリンフィルの終身指揮者に就任、その間ウィーン国立歌劇場、イギリスのフィルハーモニア管、パリ管の音楽監督をも兼任し、文字通り音楽界の帝王として君臨しました。
カラヤンの録音数は実に膨大で、第九は正規録音だけで、実に5種類のスタジオ録音と3種類の映像があります。

  ウィーンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:シュワルツコップ、A:ヘンゲン、T:パツァーク、Br:ホッター
  (1947年11月 12月)
第2時世界大戦後、カラヤンがナチ関係者としての戦犯容疑のため、公開演奏を禁止されていた時期に名プロデユーサーのワルター・レッゲがカラヤンに提供した仕事で、ウィーンフィルとしては、ワインガルトナー以来の録音。
速いテンポの爽快でスピード感があり、アクセントを強調したダイナミックな演奏です。
主題が再現する部分でテンポをわずかながら落とすところなどは、未だドイツ的伝統的スタイルを見せている個所もあります。
当時の最高の歌手をそろえた独唱者も聞き物です。ホッターもクレンペラー盤ほどの不調はありませんが、冒頭部分で何ヶ所か楽譜を崩して歌っているのが、多少気になりました。合唱はテノールが突出気味でソプラノも音程不安定気味、これは問題があると思います。
譜面はブライトコップ版に極めて忠実で、これは録音年を考えると注目すべきことだと思います。ただバリトンソロのテーネーはG−Fに変えています。後のカラヤンの録音はこの部分に関しては全てF−Fなので、名歌手ホッターの主張にカラヤンが譲ったのでしょうか。

956名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:26:55.89ID:tVNvLUxE
フィルハーモニア管弦楽団、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:シュワルツコップ、A:ヘンゲン、T:ヘフリガー、Br:ホッター
  (1955年 7月)
カラヤンが残した4回のベートーヴェン交響曲全集のうち、第一回目全集中の一枚。
しなやかで生き生きとしたリズム、ウィーンフィルの演奏をより洗練させた、若き日のカラヤンの良さが出た名演です。所々に後のカラヤンに見られるテヌートの多用が第4楽章あたりで見られるのが面白いと思います。特に変幻自在のテンポの変化を見せる第2楽章は見事な出来。推進力溢れる第4楽章は独唱者が素晴らしく、テノールのヘフリガーがマーチ部分で快適なテンポに乗って、素晴らしい歌唱を聴かせます。
合唱は49年盤ほどの破綻は見せていません。しかし後のカラヤンからは想像できないことですが、全体としてのアンサンブルに多少ラフな部分もあり、オケと独唱者、合唱のタイミングがずれて進行する箇所があり、勢いで押し切った感もあります。

957名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:27:34.38ID:tVNvLUxE
ベルリンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:ヤノヴィッツ、A:レッスル=マイダン、T:クメント、Br:ベリー
  (1962年 10月)リハーサル付き

カラヤン&ベルリンフィルの第1回全集録音。この第九にはかなり長時間にわたるリハーサル録音が残されていて、国内盤と外盤の非買品として世に出たことがあります。国内盤は第1、第3楽章と第4楽章のそれぞれ一部、外盤は、第4楽章のみですが国内盤と収録個所が違います。今回はこのリハーサル盤を中心に聴いてみました。
この全集を録音する際にカラヤンはトスカニーニの録音を団員に聴かせたというエピソードが伝わっていますが真偽のほどはわかりません。ただ過去の伝統様式から離れて、インテンポで楽譜に忠実な演奏を目指しているの点で、トスカニーニと共通していると思います。事実第4楽章のテンポ運びなどは、トスカニーニとほとんど同じと言って良いほど似ていました。ただし出てくる音楽は、レガートを多用したカラヤン独自の世界です。リハーサルでも、常に美しく美しくといったことを協調しています。全曲を聴き通した時点では見事な演奏だと思ったものの、正直なところこの演奏の良さはよく判りませんでした。
しかし丁寧なリハーサルを聴いているうちに、この演奏の磨きぬかれた美しさに次第に惹かれてしまいました。時折弦楽器と管楽器を別々に分奏させるのですが、歓喜の主題をチェロのみで延々と弾かせるところなど、その洗練された美しさに思わず聞きほれてしまいました。このピアニシモの美しさは、カラヤン独自の麻薬にも似た魅力があります。独唱はソプラノのヤノヴィッツが圧倒的。合唱も悪くありません。カラヤンの残された第九の録音の中では、この曲のスタンダードといって良い名演です。

958名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:28:03.15ID:tVNvLUxE
ベルリンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:トモワ=シントワ、A:バルツァ、T:シュライヤー、Bs:ファン・ダム
  (1976年11月 1977年 1月 2月)
カラヤン&ベルリンフィル第2回目の、このコンビ絶頂期の全集録音。
この録音が初めて発売された当時に非常に評判になり、各音楽雑誌が揃って特集を組んだのをよく覚えています。旧全集に比べてより緻密になったアンサンブルが聞き物、譜面には極めて忠実であるものの、録音や管楽器奏者の人数でバランスをとっているようです。事実楽器によっては不自然に協調されていて、おそらく実演ではありえないようなバランスで聞こえる個所がありました。独唱者は相変わらず最高のメンバーですが、オケの完成度がより上がった分、合唱のアンサンブルの脆さが浮き上がってしまいました。

  ベルリンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
  S:ペリー、A:バルツァ、T:コウル、Br:ファン・ダム、
    (1983年 9月 )
カラヤン5度目のベートーヴェン交響曲全集中の1枚。カラヤンにとって最後の第九となりました。オケを極限まで磨きぬいた現代演奏技術の極地ともいえる演奏。
ダイナミックレンジが広くスケールの大きな演奏で、現代的なスタイルの演奏としてはある種の到達点だと思います。第1楽章のクライマックスなど、凄まじい盛り上がりです。
ただ既に優れた第九の録音を残しているカラヤンにとって、この再録音はいかなる存在価値があるのでしょうか。私には疑問です。

959名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:32:22.04ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九も悪くはないけど、
結局一番まともな第九の名演はワーグナーの脚色を排したワインガルトナーでした。

高貴で品位に満ちたワインガルトナー
チンドン屋のフルトヴェングラー

世間ではチンドン屋の方が遥かに人気が有ります。
世の中には音楽がわかる人がいないのですね。

960名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 09:09:32.12ID:5KqOshyj
  
死ね

961名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 09:27:34.10ID:ys1ISh7p
>>954
>フィルハーモニア管、ルツェルン音楽祭合唱団
>フルトヴェングラーの残された第九の中では
>一番良い録音だと思います。

この人とは、まるで話があわないが、
唯一、ここだけは同意かな

962名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:29:21.99ID:tVNvLUxE
フルトヴェングラーの演奏はすべてワーグナーの物真似だった
バロック音楽から古典派やロマン派初期の音楽が後期ロマン派の時代に従来よりぐんと遅いテンポで演奏されるようになったということは、どうやらヨーロッパにおいては定説と化しつつあるようです。少なくともベートーヴェンにおいて、それを始めたのはおそらくワーグナーだったのではと僕は思うのです。
なぜなら彼は古き音楽に忠誠を捧げていたメンデルスゾーンの演奏をテンポが速すぎると罵る一方、自らの楽劇をベートーヴェンの「合唱」の発展型であると主張していたのですから、実生活でも他人を利用することを全くためらわなかった彼なら十分ありえたことだと思われます。
なにしろ人格面はともかく、こと音楽においてワーグナーは本物の天才であり、彼は他人が書いた音楽をとことん自分の色に染め上げたばかりか、それに新たな説得力を持たせるだけの力を持っていました。
もしワーグナーにそこまでの力量がなかったら百年後の20世紀後半に我々が耳にしていたベートーヴェン演奏はあれほど重厚壮大なものではなかったのではとさえ思います。
ともあれワーグナーの才能のありかたが既存のものを全て呑み込み自分の意図に合わせて変容させるものだったからこそ、彼は音楽で物語を語るあらゆる技法を体系化させることができ、それが今の我々が知る映画音楽の分野における洗練された語法の直接の母胎になったのだと思うのです。

963名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:30:29.72ID:tVNvLUxE
そしてワーグナーがその反ユダヤ主義的な考えゆえメンデルスゾーンを悪し様に罵った際、メンデルスゾーンのベートーヴェンについてテンポが速すぎると書き残していることは重要です。
それは録音の形で残されなかったワーグナー以前のベートーヴェン演奏がそれ以後よりもテンポが速かったことを示す状況証拠にはなりえるものですし、それがワーグナーにとっては不都合だったからこそメンデルスゾーンを貶めることで自分のベートーヴェンこそが正しいのだと強弁する必要を感じていたことを滲ませてもいる資料でもあるのですから。
だからこそワーグナーはそれまでラテン系の作曲家の後塵を拝していた歌劇の分野で成功するためにも、自らをドイツ音楽の分野における最初の歌劇の巨匠に祭り上げる必要があり、そのためには歌劇の分野においてはそれほど成功をおさめていなかったベートーヴェンを無理やりにでも接ぎ木しなければならなかった。
だからベートーヴェンの音楽をより忠実な形で受け継ごうとしていたメンデルスゾーンが正当性を獲得しきらないうちに彼がユダヤ人であったことを理由に引きずり落とし、ベートーヴェンの音楽を自分の音楽により近い形になるようにして演奏した。
それがワーグナーの時代に蔓延しつつあった空気に合致するものであったからこそより重厚さを増したそのベートーヴェン演奏は多くの支持者や模倣者を生み、古い音楽は新たな時代に合わせてスタイルを変えてこそその命が保たれるという考え方ともども後に巨匠時代と呼ばれる一大ムーブメントの礎になったのでしょう。

964名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:31:28.81ID:tVNvLUxE
そしてそのドイツ至上主義や反ユダヤ主義、音楽を宗教的なまでに荘重なものとして民族的な結束の要に置くことなどを受け継いだ第三帝国が絶対悪とみなされたとき、ワーグナーを源とする流れも欧米ではいったん全否定されねばならなくなった。
それが巨匠時代が終焉を迎え、入れ替わるように前衛音楽がそれまでの音楽のありかたを一斉に壊しにかかった現象が意味したはずの事態で、ベルリンフィルの演奏スタイルが一貫してワーグナー的な考え方から遠ざかる形で変遷してきたのも当然のことだったとも思えます。
なによりロマン派以外のレパートリーへの関心に端を発し21世紀への変わり目において一つの徹底ないし完成へとたどり着いた楽曲への学究的なアプローチもまた、そんな状況とは無縁たりえなかった現象ではないかとも。
そして日本の我々がナチスを生み出したドイツ人ほどそれまでの自分たちを強く否定してこなかったとの以前からなされてきた指摘を思えば、この国で巨匠時代の音楽のありかたが未だに根強く信奉されていることの少なくとも説明の一つとみなせることかもしれません。
なにしろヨーロッパはたとえそれが世界における政治経済上の力というか発言力を求めてのことであれ多様な民族や文化を持つ国々をEUという共同体に再編する歴史的実験に至った地域であり、ここが最も先端的な前衛音楽の牙城であったことやアメリカなどに比してさらに過激なオペラ演出のメッカでもあることも同じ根を持つことだと思えば、戦後ひたすらコスモポリタンな性格の団体へと変貌してきたベルリンフィルの軌跡も、同じ動きの一例だったと思えてしまうものですから。

965名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:32:25.63ID:tVNvLUxE
それだけに世界が再びナショナリズムにも似た空気へと急速に接近し始めた近年、たとえばメンデルスゾーンの、それも日本における演奏が率先するかのように巨匠様式と似たものへと変貌し始めているのはなにやら不気味でさえある光景です。
これが移民問題を前にやおら右傾化し始めたヨーロッパや、限りなく帝国主義へと回帰しつつあるような諸大国における演奏スタイルにまで波及してゆくのか否か、単に興味深いとの言葉では追いつかない心持ちで見守っているところです。
 なぜそんなに気にするのかとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、2つある理由の1つは絵画や造形、著作などと異なり音楽は作者が創ったままの形を留めることが難しく、説得力ある演奏であればあるほどそれがいかに元の姿からかけ離れていても受け入れられてしまうのではという危惧を覚えてしまう点。
もう1つは巨匠時代のような音楽のありかたは不幸な時代でなければ出てこないのではないかと感じるからです。
かつて神経を病んでおられた時にフルトヴェングラーのベートーヴェン演奏に救われた体験から、ベートーヴェンの音楽やフルトヴェングラーの演奏には神を感じると力説するようになられた方を知っていますが、確かにそんなことができる境地は凄いと思います。
けれどそれは古い音楽は新たな時代に合わせて仕立て直してこそ価値があるというワーグナーの主張の果てに成り立つものであり、その感動の質が宗教的な法悦の近みにあることを思えば、そういうものに救われねばならぬ人が多数を占めるほど強い危機感に満ちた時代は幸せとは言い難いのではともやはり感じてしまうのです。

966名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:33:50.25ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーのベートーヴェンも悪くはないけど、
結局一番まともなベートーヴェンの名演はワーグナーの脚色を排したワインガルトナーでした。

高貴で品位に満ちたワインガルトナー
チンドン屋のフルトヴェングラー

世間ではチンドン屋の方が遥かに人気が有ります。
世の中には音楽がわかる人がいないのですね。

967名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:46:36.11ID:tVNvLUxE
まともな指揮者
ワインガルトナー、シャルク、ブルーノ・ワルター、シューリヒト、ムラヴィンスキー

チンドン屋
フルトヴェングラー、ストコフスキー、トスカニーニ、メンゲルベルク

本物の天才
ニキッシュ、マーラー、クナッパーツブッシュ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c41

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100534  g検索 koaQ7Jey

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。