★阿修羅♪ > dEVkTUMvd3ZaM0U= > 100000
 
g検索 dEVkTUMvd3ZaM0U=  
 
dEVkTUMvd3ZaM0U= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/d/de/dev/dEVkTUMvd3ZaM0U=/100000.html
[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
29. 中川隆[-13232] koaQ7Jey 2020年4月17日 07:23:06 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[1]

この「緊急事態」に安倍政権はいったい何をしているのか
国民に広がる困惑、現金給付巡ってドタバタも
2020/4/17 ©株式会社全国新聞ネット
https://www.47news.jp/47reporters/4726067.html


 政府は、いったい何をしているのか。

 こうした声が、憤りや不安を表現するものとして、日々発せられている。また同時に、このフレーズが文字通りの疑問として口にされることも少なくない。政府がいったい何をしているのか理解ができず、そのことに対する不満や困惑が広がっているのである。(上智大学教授=中野晃一)

 ▽だらだら感

 7都府県を対象に緊急事態宣言が4月7日に発令されて1週間余りがたとうとしているが、こうした疑問と不安が払拭されていないどころか深まっている。「緊急事態」と言いながら、政府の対応があまりにスピード感を欠いていることから、肝心の緊急性がまったく感じられない。危機感を募らせた自治体が独自に宣言を発令する動きも相次ぎ、政府が対象地域を全国に拡大する方針を決めたのは16日になってからだった。

 そもそも第1段階となった7日の緊急事態宣言では、発令に先だって臆測や前触れがだらだらと1週間以上も続いた。さらに発令後も、医療崩壊が目前に迫る東京都での具体的な休業要請の対象が発表されるまで3日間、安倍政権と小池百合子都知事との間で、居酒屋や理髪店など諸外国の事例で見てもおよそ「不要不急の外出」と見なされることがない業種をどうするかの駆け引きが行われたのだ。

 その間、新型コロナウイルス対策を担う西村康稔経済再生担当相は、まずは外出自粛要請の効果を見るために休業要請を2週間程度先送りしてはどうかと対象7都府県の知事に打診したとさえ報じられた。

 不可解なのは、西村氏の打診のタイミングだ。安倍晋三首相は、緊急事態宣言発令に際して行った記者会見で「2週間後に感染者の増加をピークアウトさせる」と述べた。西村氏の発言はその翌日に出た。緊急事態と言いながら2週間まずは様子を見て、しかし2週間後のピークアウトを目指しているというのは何事なのか。

小池東京都知事(左)と西村経済再生相=4月9日夜、東京都千代田区

 実はこうしたエピソードが、安倍政権の新型コロナウイルス対策の根本的な問題を表しており、政府はいったい何をしているのか、と多くの人が感じる理由でもある。それは、政府の決める対策の根拠とその決定過程の双方がともに透明性を欠いていて、その結果、政府の打ち出した対策の合理性や効果を含めた方向性が見えてこないのである。つまり何を根拠に何をどうすればどうなると誰がどこで決めているのかが分からないのだ。

 しかも安倍首相は、記者会見の質疑応答で、「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と述べている。

 ここに来て、野党がかねてから主張していた国民への10万円一律給付だ。首相は4月16日、公明党に押し切られる形で、審議入り目前の補正予算案を組み替えて対応する方針へと転換した。こうした混乱ぶりを見せられては、リーダーシップどころか、為政者としての当事者意識すら欠如しているのではないかと疑ってしまう。

 ▽危機でも平時と変わらぬ業界団体への配慮

 安倍首相以下、政府が市民の安全を守る責任主体としての当事者性と説得力を示せずにいる一方で、首相や政府与党関係者、そしてマスコミが盛んに喧伝するのは、日本の特措法が定める緊急事態では政府が外出や営業を禁止する強制力を持たないので、欧米など諸外国で行われているような「ロックダウンはできない」という言説である。

 ことさらにこの点を言い立てて、だから緊急事態条項を憲法に盛り込む改正が必要だという、それこそ何の緊急性も必要性もない教条主義的な主張も散見される。

 しかし、いわゆるロックダウンのような徹底的な休業・外出禁止措置に積極的な姿勢を見せた小池都知事とのさやあての中で明らかになったのは、安倍政権は「ロックダウンしたくない」という事実であった。そしてそれは、これまで再三、立憲主義や法の支配の原則をないがしろにしてきた政権が、ここにきて急に一般市民の私権の制限に慎重になったからではない。

東京・新宿の歌舞伎町で通行人に声掛けをする警察官=4月10日夜

 その証拠に、7都府県の夜の繁華街などで外出自粛強化を要請する、つまり外出自粛をお願いするためなのに、さっそく警察がものものしくパトロールし始めていることを武田良太国家公安委員長が明らかにしている。

 それではなぜ、政府は実効性をともなう徹底した外出制限策を取ろうとしないのか。その理由は、実は単純である。一般に、新型コロナウイルス対策というと「感染拡大阻止対策」のことを指すが、安倍政権はそのように捉えていないからである。

 この政府にとって、新型コロナウイルス対策は第一義的に、新型コロナウイルスと感染防止策によって引き起こされている経済損失を軽減するための、とりわけアベノミクスや自民党を支えてきた業界や業種に目配りした施策や予算措置、つまり平時と変わらぬお得意の「経済・景気対策」なのである。

 そもそも、新型コロナウイルス対策の担当者として、安倍首相が任命したのは、通産官僚出身の西村経済再生担当相である。

 世界各国が必死になって感染封じ込めに取り組んでいるのを意に介せず、日本の政府与党が「お肉券」だ、「Go To Travel」「Go To Eat」クーポンだとはしゃぎ、あるいは、航空便の大幅減少にあえぐ航空会社を救済する意味もあるのだろうか、客室乗務員に不足している防護服の縫製支援を依頼したいなどと言うさまざまに問題のある珍妙な案が出てくる。

 陳情や批判に小出しで応じて、民意に応えているかのような演出も毎度のことである。

自民党の岸田政調会長(左)と二階幹事長=4月16日、首相官邸

 ▽国民に押しつける負担

 ならばなぜ、首相はここまで感染拡大阻止に楽観的もしくは無関心でいられるのだろうか。これは難問であり、また解は一つではないだろう。初動の遅れの際に対策本部をおろそかにして、連日会食を重ねて批判を浴びたことが記憶に新しいが、国民の健康や安全に心底関心がないことは、過去の災害対応でも明らかだった。

 東京五輪の開催やアベノミクスの破綻を防ぐこと、そして憲法改正へと少しでも近づくことなどのほうが、首相の中では優先順位が高いこともありそうだ。また五輪を1年延期するだけで開催できると判断した際にも伝えられたことだが、どうやら首相は、ワクチンや治療薬を日本の科学や技術の力で早期に開発できると思い込んでいる節も見られる。

 しかし決定的なのは、首相が感染拡大阻止対策を専門家会議や厚生労働省にほぼ丸投げしておけばいいと考え、時折、相談も脈絡もなしに全国学校一斉休校や各戸への布マスク2枚郵送などを打ち上げることで「やってる感」を演出できるものと勘違いしていることである。突如受け入れた10万円一律給付も、この延長線にあるのだろう。

 首相が感染防止対策でのリーダーシップを放棄する一方で、厚生行政や専門家会議が、検査や医療体制の限界を首相官邸や財務当局などに強く訴え、医療資源の緊急拡充を求める努力を怠ってきたのもまた事実である。

世田谷郵便局に搬入された布マスク=4月16日、東京都世田谷区

 検査数を抑え、いわゆる「自粛」によって感染拡大を遅らせることを主としたことは、結果として、市民の側に負担ばかりを求め、国の側が視野の狭い「経済・景気対策」にいそしむ慢心を許してしまった。

 専門家会議の主導してきたクラスター感染対策の限界が明らかになった「緊急事態」の今、最も恐ろしいのは、安倍政権が感染拡大阻止対策とそのコストをいよいよ市民に丸投げしてきていることである。十分な補償もインセンティブも、それどころか客観的で信頼できる情報やデータさえ満足に得られぬままで、一方政府は熱心に「自粛」要請を繰り返す。

 感染が阻止できなかった場合は、その責任を市民の「自粛」が足りなかったことに押し付ける流れがすでに垣間見える。星野源に便乗して投稿した動画に見られた安倍首相の「人ごと」ムードである。到底、人々が外に出ないで済むように万策講じる責任を負っていることを自覚しているようには見えず、強い反発を招いた。

星野源さんの動画に、愛犬とじゃれあいくつろぐ様子を投稿した安倍首相のツイート

 しかしこのまま感染が広がってしまい、医療崩壊によって多くの方が亡くなった、というような事態になれば、強制力のある外出禁止が日本ではできず、国民の「自粛」すなわち努力が足りなかったことがいけないのであって、憲法改正を含めた法整備によって政府がより自由に強権を発動できるような体制を整えなくてはならないというキャンペーンが展開されるだろう。

 無責任な政府に今よりもいっそうノーチェックとなるような権力を与えても市民の健康と安全は保障されない。誰もが安全な場所にいられるよう休業補償などを行い、国としての責任を果たさせることが、今こそ欠かせない。
https://www.47news.jp/47reporters/4726067.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c29

[近代史4] 水島総 _ 山本太郎はチュチェ思想に洗脳されている極左ファシスト 中川隆
22. 中川隆[-13230] koaQ7Jey 2020年4月17日 07:31:40 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[3]
住居失った人を貧困ビジネスの大部屋送り コロナ感染者作り出す厚労省(田中龍作ジャーナル)
http://www.asyura2.com/20/senkyo271/msg/602.html

2020年4月16日 22:19 田中龍作ジャーナル


厚労省通達の見直しを求めて加藤厚労相に直談判する山本太郎。加藤大臣はひたすら逃げた。=16日、厚労省玄関 撮影:田中龍作=

 これでは厚労省がコロナ感染のクラスターを作り出しているようなものだ。

 緊急事態宣言とコロナ不況で住居を失ったり、ネカフェを締め出されたりした人々が、自治体の窓口に生活保護申請に行ったところ、無料低額宿泊施設の大部屋に送り込まれるケースが相次いだ。

 政府はコロナ感染の拡大を防ぐため、国民に対して集まらないように要請している。それと逆行する施策を、厚労省が進めているのである。

 体力のない弱者ほどウイルスに感染しやすい。恐ろしい話だ。

 無料低額宿泊所は生活保護費の大部分をピンハネする貧困ビジネスの温床でもある。


山本太郎の追及に谷内局長はロレツが回っていなかった。ヤバさを自覚しているのだろう。=16日、厚労省 撮影:小杉碧海=

 問題になっているのは厚労省社会・援護局が緊急事態宣言の対象となった自治体に発出した通達(7日付)だ—

 「現状の宿泊場所だけでは不足が見込まれる場合・・・(中略)ホテルや旅館を開拓し」とある。

 これを上手に利用したのが東京都だった。

 東京都は市区の社会福祉事務所に「第一義的には無料低額宿泊所・保護施設を利用すること。それでも不足する場合には緊急一時宿泊所(ビジネスホテル)を活用」とする通達を出したのである。(通達の内容はのちに変更したようだ)

 他の自治体も厚労省の方針を遵守しているようだ。
 
 各自治体のスタンスは—

 「本省(厚労省)からの事務連絡をもとにルール(方針)を守っているので、これ以上のことはできない。相部屋や大部屋がダメだとかいう通知はもらっていないので、私たち(自治体)は間違ったことをしていない」。


加藤大臣は山本太郎の申し入れを頑なに拒否した。しぐさには可笑しみさえ漂っていた。=16日、厚労省 撮影:田中龍作=

 事態の改善を求めて山本太郎がきょう、単騎、厚労省に乗り込んだ。一刻の猶予もならないからだ。厚労省は社会援護局の谷内繁局長が対応した。

 山本太郎は谷内局長を追及し通達の見直しを求めた―

 「無料低額宿泊所において(コロナ)感染が発見されたら厚労省の責任になりますね」

 「緊急事態下において相部屋に新規に人を受け入れることなんてやってはいけないのでは?」と。
 
 谷内局長はタジタジだった。「あの、あの、我々としては新型コロナウイルスの感染防止が非常に大事ですから、必要なことを早急にやっていきたいと思っています」と原則論でかわした。

 山本が畳みかけた。「感染防止という観点に立った場合、相部屋というのは感染防止になりますか?」

 谷内局長の答えは実に悠長だった。「今後、個室化を求めてますんで」。

 厚労省の危機感のなさには呆れるばかりだった。

 この瞬間にもウイルスは宿泊者の体内に宿り、宿泊者は市中にそれを撒き散らしている。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/625.html#c22

[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト 中川隆
1. 中川隆[-13229] koaQ7Jey 2020年4月17日 09:29:57 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[4]

原理主義。純度が高まれば高まるほど劣性が極大化していく


2016年7月1日にバングラデシュのダッカで起きたテロ事件の実行犯のひとりは資産家の息子でダッカ有数の私立学校に通っていたエリートだった。

エリートが過激な「原理主義」に取り込まれてテロの実行犯になったというのは、日本でも例がある。

オウム真理教という薄気味悪いカルトに取り込まれて地下鉄サリン事件のような凶悪テロ事件を引き起こしたのも、エリートたちだった。

「原理主義」はその思想を100%の純度まで培養し、先鋭化し、「それ以外は存続を認めない」という「純粋」な思想である。

「純粋」と言えば、何かとてもクリーンな感じがして良い印象を抱くはずだ。混じりっけなし。完全無欠。そういったものは、清潔で素晴らしいというイメージがある。

「純度100%」に、悪い印象を持つのは難しいかもしれない。しかし、実のところ、非常に危険なのだと気がつかないと、取り返しの付かないことになる。

純粋であろうとすればするほど、それは非常に強い「毒」となって自分や社会を傷つけることになる。「純粋」が危険であることの理由は分かるだろうか……。


純度が高まれば高まるほど劣性が高まる事実

純粋であるというのは、単純に言うと、緩衝物(クッション)になるものがすべて省かれて、まったく融通が利かないものである。

あまりにも純化されていると、妥協ができないので少しでも間違うと、目的を達成するよりも破壊する方が強くなる。これは、あらゆる分野ですべて共通することである。

たとえば、人間の「血」に関してはどうか。人間の「血」で純度を高めるというのは、近親相姦をずっと繰り返して「余計な血を入れない」ということである。

意図的にそれをやった一族がいる。ハプスブルグ一族だ。この名門一族は、あまりにも名門だったので、自分たちの血を身分の低い他人の血と混ぜるわけにはいかないと考えた。

そこで、純血主義を徹底して、一族間の近親相姦を繰り返したのだが、その結果、どんどん心身に問題を抱えた子供たちが生まれたのである。

純血は、良い遺伝子と良い遺伝子が組み合わされればさらに良くなるが、劣性の遺伝子が組み合わされると問題が大きくなって場合によっては命に関わってしまう。

ハプスブルグ一族も、劣性遺伝子と精神疾患に悩まされるようになり、とうとうその血は断絶した。

これは人間だけでなく、一般的にすべての動物で言えることである。たとえばペットの犬や猫でも、「純血種」は身体が弱かったり病気にかかりやすかったりする例が多いのはよく知られている。

そもそも、極端に足が短い、極端に鼻が低い、極端に小さいというのは「劣性遺伝子」による奇形がどんどん突き進んだ結果なのだ。

純度を高めることによって、劣性の部分を極大化させていき差別化している。それが純血種という存在である。純度が高まれば高まるほど、純度が高まるがゆえに劣性が高まる。


共産主義思想をとことん純化させた国があった

政治に関してはどうか。共産主義はマルクス主義が主流となって1900年代から爆発的に浸透していった思想だ。この思想は、単純に言えばこうだ。

「財産をすべて国のものとして、国が国民に平等に分配し、平等な社会を作る」

これはレーニンやトロツキーや毛沢東によって支持されて、ソビエト社会主義連邦や中華人民共和国として結実した。

結局、国の分配はうまくいかず、1980年で事実上、共産主義の思想は破綻していくことになるのだが、1970年代に、この思想をとことん純化させた国があった。

カンボジアだ。

1974年、カンボジアのポル・ポト政権はアメリカの傀儡政権を崩壊させて権力を奪取したが、その翌日から異様な共産主義を実行し始めた。

国の通貨をすべて廃止し、インテリ層を皆殺しにし、プノンペンを無人にし、国民をすべて農村に送り出して共同生活を強いたのである。

つまり、カンボジアはポル・ポト政権が政権を取った1974年から国民の職業は1つになった。農民である。「医者も、学者も、いらない」とポル・ポトは豪語した。

共産主義を極度に純化させたそれを「原始共産主義」と彼らは呼んだ。

しかし、その純度を高めた原始共産主義で国民が100万人も死んでいき、カンボジアはたった5年でアジア最貧国となって国家崩壊していった。

朝日新聞は、このポル・ポト政権の共産主義国家が誕生した時に「アジア的優しさ」などと能天気に評して「新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待にこたえるかもしれない」と馬鹿な記事を載せていたので有名だ。

ところで、このポル・ポトとは何者だったのか。

この男は、実は国費でフランス留学した「エリート」教師だったことを知っている人は少ない。エリート教師が外国で極端な共産主義にかぶれて同じエリート仲間たちと祖国で革命を起こし、最後に祖国を破壊した。


100%でないと駄目だと考えた瞬間に、自滅する

世の中は何もかもが「純粋ではない」のだ。それにも関わらず、そこに純粋を持ち込むとどのようなことになるのか。

たとえば、自分が純粋であろうと努力することや、自分の純粋な理想を相手に押し付けて理想から外れることを許さないと、どのようなことになるのか。

純粋でないものを強制的に排除したいという動機が働くようになり、それが「自分たち以外の人間の皆殺し」の正当化に突き進んでいく。それがテロなのである。

理想を持つことや、純粋であることは、ほどほどであれば問題はないし、必要でもある。しかし、その純度を極限的なまでに高めようとして世界が歪む。

100%理想の哲学はない。100%理想の人はいない。100%理想の恋人や配偶者もいない。100%理想の友人もいない。また100%正しい物事もない。100%信じられる人もいない。

100%を目指すことの愚かさは、もっと多くの人が気がついてもいい。

リンカーンは奴隷解放宣言をした政治家だが、ある理想主義者を部屋に呼んでこのように諭したという。

「コンパスはあなたに真北を指し示す。しかし、あなたと目的地の間にある障害物については警告しない」

原理主義とは、まさに純度をとことんまで高めて妥協を知らない主義だが、真っ直ぐに突き進むと目的が達成できないので結果的に挫折してしまう。

なぜ挫折してしまうのか。融通性が利かず、一方向しか進むことができないからだ。

世の中には今でもあちこちで原理主義の組織や、社会が存在する。しかし、純度を高めれば高めるほど、急速な自壊に向けて突き進むことになってしまう。

危険なのは、多くの人は「純粋」であることに対して良いイメージしか持たず、「純粋」「純度100%」が理想であると考えている人もいることだ。危険だ。危険なだけでなく、そんな姿勢は人生を破滅させる。

ところで、この純度100%の原理主義に心酔しやすいエリートだが、このエリートという存在も学歴社会に純度100%で純粋培養された存在でもあるとも言える。


ポル・ポト。
純度100%の共産主義を目指したが、結果的に国民大虐殺につながり、カンボジアを根底から破滅させてしまった。ポル・ポトは、実は国費でフランス留学したエリート教師だったことを知っている人は少ない。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160705T1658130900

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html#c1

[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト 中川隆
2. 中川隆[-13228] koaQ7Jey 2020年4月17日 09:30:45 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[5]

共産主義の独裁者はインテリを憎んで無学な子供たちを好む


カンボジアで狂気のポル・ポト政権が成立したのは1975年4月17日のことだった。狂気の指導者であるポル・ポトが当初から敵視していたのは「インテリ層」だった。

ポル・ポト自身は教師出身のインテリなのだが、極端な共産主義に染まっていたポル・ポトは、新しい国「民主カンプチア」を設立するにあたって知識人は不要だと考えた。

ポル・ポトは自分が支配するカンボジアを「原始共産主義」の国にしようと考えていて、「国には指導者と農民がいれば、あとは必要ない」と割り切っていた。

そのため、まだ西洋思想や民主主義や資本主義のような「堕落した思想」を知らない子供たちを親から引き離し、原始共産主義の思想を洗脳し、邪悪な思想に染まった人間を殺すように命令した。

子供たちは忠実にそれを実行した。インテリを敵視し、医師や教師や経営などの職に就いていた人間はことごとく殺害していった。

国からインテリが一掃できればできるほど「民主カンプチア」は理想に近づくとポル・ポトは本気で考えていた。それほど、ポル・ポトは「物を知った人間」を嫌ったのだ。


混じりっけのない純度100%の共産主義国家の樹立

ポル・ポトのこのインテリ嫌いにはお手本があった。

それは、中国の毛沢東である。毛沢東もまた独裁者となってからはインテリを激しく嫌っていた。

文化大革命では「知識人は反動(反革命勢力)だ。知識が多ければ多いほど反動だ」と言い放って、インテリを徹底的に自己批判させて迫害した。

自己批判というのは、インテリを公衆の面前に立たせて三角帽子をかぶらせ、自分がいかにブルジョア文化に染まっているのかを述べさせ、皆で吊し上げ、罵り、引き回すものだった。

そうやって、毛沢東はインテリを次々と吊し上げて殺害したり追放したりしていたのだった。

そして、人民には「教育は不要だ」「勉強するな」と呼びかけた。それは「叩き潰すべき古い文化」であると言われたのである。ただ、唯一読むことが勧められたのは「毛沢東語録」だけである。もちろん、それは洗脳の書でしかない。

(1)インテリはブルジョア(資本家階級)になる。
(2)資本家階級は人民を搾取する。
(3)資本家階級は共産主義の敵だ。
(4)インテリを吊し上げろ、追放しろ、殺せ。

これが文化大革命の嵐として吹き荒れていったのが毛沢東時代の中国だった。

クメール・ルージュ率いるポル・ポトは、この毛沢東に心酔しており、それを自分の国で徹底的に行うことを決意していた。そしてカンボジアに混じりっけのない純度100%の共産主義国家を樹立しようと目論んだ。

そのためには、共産主義思想とは相容れない「民主主義や資本主義に染まったインテリ、ブルジョアども」を根絶やしにしなければならない。

また、ブルジョア的な生活に染まった都市住民を全員「再教育」しなければならない。

それが都市住民の農村への強制移住となり、インテリやブルジョアの皆殺し政策となって結実したのである。

文化大革命。インテリを公衆の面前に立たせて三角帽子をかぶらせ、自分がいかにブルジョア文化に染まっているのかを述べさせ、皆で吊し上げ、罵り、引き回す。


自分の政策を批判する人間を排除する政治システム

毛沢東とポル・ポトはインテリを嫌悪したが、自分たちはインテリであるというところも似ている。ふたりとも共産主義の活動家になる前は教師だった。

毛沢東は自ら進んで勉学に励み、北京大学の図書館で司書補として働き、アダム・スミスの国富論を読み耽り、さらに思想を中心とした出版社すらも立ち上げている。

毛沢東はそれほどまで書物を愛する生粋のインテリだったのである。

しかし、やがて日中戦争や蒋介石との戦争を経て、中華人民共和国建国の指導者となった毛沢東は自分の政策に批判的なインテリたちを疎ましく思うようになり、やがては資本主義者やインテリを迫害し、弾圧し、粛清していくような独裁化への道を歩むようになっていった。

ポル・ポトはこの毛沢東を手本にしていたので、政権を樹立してから一気呵成に過激な粛清に入って超独裁政権に入った。

独裁というのは、自分の政策を批判する人間を排除する政治システムである。

自分の政策を批判する人間というのは、その政策を多角的に見ることができて、分析ができて、欠点を見つけて、それを言葉にすることができる人間だ。

それこそがインテリである。

だから、独裁者がインテリを嫌って排除するようになるのは、独裁主義を取る以上は必然的な流れとなる。

インテリは自分の政策や思想に反対してくる強敵であり邪魔者だ。だから、物理的に彼らを抹消するのが良いと独裁者は考える。それを共産主義の世界では粛清と呼んでいる。

逆に、独裁者は無垢な子供たちを好む。そして無学な者を好む。なぜなら自分の言いなりに洗脳できるし、狂気の命令であってもその善悪を考えずに粛々と従うからだ。

独裁者は無垢な子供たちを好む。そして無学な者を好む。なぜなら自分の言いなりに洗脳できるし、狂気の命令であってもその善悪を考えずに粛々と従うからだ。


そこでは凄まじいキリング・フィールドが出現していた

独裁を志向する政治家は、教育をないがしろにする。なぜなら、無駄に教育を与えて人民に知識が付いたら、自分を崇拝させることができなくなってしまうからである。

教育を与えたら、自分の政策の矛盾や思想の欠陥を指摘して独裁の世界を破壊する可能性が高い。

だから、共産主義系の指導者は絶対に人民に教育を与えず、単なる労働だけをする人間を賛美し、インテリや資本主義者に対して敵意を植え付ける。

人民が無知であればあるほど指導者は安泰でいられる。だから、独裁者は異様なまでに無学の労働者、農民、学生、子供が好きなのである。

共産主義の指導者は毛沢東のやり方を研究しているので、今でも「無学な人間、無学な子供たち」が好きだ。

たとえば、偏差値28くらいの頭の悪い子供たちなんかは、共産主義の指導者が最も好む子供だ。よく言うことを聞くし、簡単に洗脳できるし、操りやすい。

子供たちに何らかの思想を植え付け、自分たちの望む方に運動させ、活動させる。そして、それを賛美する。今どき共産主義の活動をする時点で頭がおかしいのだが、洗脳された子供たちはそれに気付かない。

子供たちは基本的に無学である上に強固な洗脳状態にあるので、自分たちが操られているということに気付かない。それを指摘されても聞く耳はない。

かくして、指導者に洗脳された子供たちは、指導者の手先となって共産主義を支えていくようになっていく。

共産主義者が無学な若者たちを使って、勉強させずに活動をさせるようになったら注意した方がいい。それは、結果的に極端な暴力活動に結びついていくからである。

そしてどうなるのかは、毛沢東の文化大革命が何を生み出したのか、そしてポル・ポト政権の原始共産主義が何を生み出したのかを見れば分かる。

そこでは凄まじいキリング・フィールドが出現していた。

誰がキリング(殺戮)を行っていたのか。それは、無学な子供たちである。共産主義者の指導者が子供を使って何をしていたのか、私たちは改めて知っておかなければならない。

ポル・ポト派兵士。子供たちは基本的に無学である上に強固な洗脳状態にあるので、自分たちが操られているということに気付かない。それを指摘されても聞く耳はない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160914T0616450900.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html#c2

[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト 中川隆
3. 中川隆[-13227] koaQ7Jey 2020年4月17日 09:33:55 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[6]

妄想はすぐに伝染する

フォリ・ア・ドゥ folie à deux
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html


@ 精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。
 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。

A 宇宙語で会話する夫婦

 まずは精神医学1995年3月号に掲載されている堀端廣直らによる「Folie a deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」というものすごいタイトルの論文から紹介してみよう。

 鍼治療の仕事を営む夫婦の話である。

 夫婦は「温和で物静かな夫婦」とみられていたが、1986年8月中旬から、妻の方が「宇宙からの通信」を受け始めた。その内容は「病気はこうしたら治る」「宇宙から素晴らしい人がやってくる」といったものだった。また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。

そして約1ヶ月後には夫も同様の被害妄想をもつようになり、宇宙からの通信を受け始めたのだという。妄想が感染したのだ。二人は治療を求める客に対して「あなたは価値のない人間だから」などといって断るようになる。昼間から戸を締め切り夜は部屋の電灯を一晩中ともして「宇宙からの使者を待つ」生活をして周囲から孤立していった。

 そして約二年後のこと。今度は夫の方から「宇宙語」と称する言葉をしゃべりはじめ、半年後には妻も同調して二人は「宇宙語」で会話するようになったのだという。近所に抗議に行ったり通行人を怒鳴り追いかけるときにも「宇宙語」を発して近所の人々を驚かすこともあった。

宇宙語は中国語やスペイン語に似た言葉のように聞こえたとのこと。子供が3人いたが、感化されることもなく宇宙語も理解できなかった。

1991年、妻が通行人に暴力をふるう行為があったので妻のみが入院。妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、同席した夫と宇宙語で会話。しかし入院翌日からは落ち着きが見られ話も通じるようになった。

入院3週間後より夫との面会を許可したが、笑顔で落ち着いた様子で宇宙語は話さなかったという。退院してからは「あのときは自分は一生懸命だったのです。今となっては過去のことです。通らねばならない過程だったと思います」と冷静に振り返ることができたという。

 これは春日武彦『屋根裏に誰かいるんですよ。』にも紹介されている症例だが、おそらくこれは「愛」の物語だ。フォリアドゥの成立条件に「2人の親密な結びつき」がある以上、フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。

 この症例で興味深いのは、もともとの妄想の発端は妻だったのにも関わらず、「宇宙語」を話し始めたのは夫の方からだというところ。最初妻が妄想を語り出したとき、当然夫はとまどったことだろう。その時点で病院に連れて行ったり誰かに相談したりすることもできたに違いない。しかし、結局夫はそれをせず、妻の妄想世界を受け入れる。それはつまり、二人の間にはそれほどまでに深い結びつきがあったということだ。それから二年後、夫は、世界を与えてくれた妻に対し「宇宙語」を伝え、さらに二人の世界を広げるのである。

 「宇宙語」はつまり、夫から妻へのプレゼントだったのかもしれない。


B 行者と女工

 もうひとつ、篠原大典「二人での精神病について」(1959)という古い文献に載っている事例も紹介してみよう。72歳の女行者と25歳の女工の話だ。

 まずは行者の方である。老婆は若い頃から信心に凝り、夫や子を捨てて住みこみ奉公をし、金がたまると神社仏閣を遍路するという生活を繰り返していた。いつのころからか病人をまじないし、狸がついているなどというので、昭和31年夏、I病院に入院させられた。病室の隅にお札やお守りで祭壇をつくり大声で祈り、ときどき気合いをかけたりしていた。

医師には「お稲荷さんもこの病院は嫌だといっておりますわ。いろんなことがありますが、いうと気狂いだといわれますさかい」と言っていた。

 一方、女工は18歳で母を亡くし、継母とはうまくいかず、郷里を出て工場を転々とし、苦労を重ねていた。入院1ヶ月前、3年間つきあっていた男性から別れ話を持ち出された。

その後、ほかの人が彼女には無断で男から手切れ金を取ったり、すぐあとで別の男から結婚を申し込まれるなどの事件が重なり、発病。「不動さんの滝に打たれていると自然に首が振れだし、止まらなくなりました。不動さんが私に乗り移り問答できるようになりました。故郷に帰れとお告げがあったので荷物をまとめていると、手切れ金の噂をする声が聞こえてきました」。彼女は昭和31年秋に入院した。

 1年後にこのふたりは同じ病棟で移る。すると2人はすぐさま一日中話し込み、ともに祭壇を拝み、女工は行者のお経を写すようになる。

このころ、女工は「私の病気の原因を知っていて治してくれたのです」「不思議な風が私をおさえつけもがいているときに○○さん(行者の名前)のお守りで楽になりました」と話している。

女工は、男に裏切られて以来始めて、信頼できる人に出会ったのである。このころの2人はまさに教祖と信者の関係であった。

しかしその関係は長くは続かなかった。いったんは救われたものの、行者の方が「腹の中にいる生き物がはらわたを全部食ったらおまえは死ぬ」「人を犯す霊がお前についている」などと女工を脅すようなことをいうようになり、女工は行者に不信を抱くようになる。

彼女は行者とは別に祈るようになったが、するとますます行者は怒る。結局3週間で2人は争い分かれてしまった。女工は言う。「○○さんは私を計略にかけたのです。○○さんは身寄りがないから私を治して退院させ、退院した私に引き取ってもらおうとしたのです」

 その後1ヶ月して面会させたが、語り合わずまた争うこともなかった。行者はその後も変化はなく、女工は症状が消え3ヶ月して退院、故郷に帰っていった。

 孤独な2人の、出会いと別れの物語である。


Cフォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。

もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。

「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。

万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。2人は同じ妄想を共有していたのだった。

 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。

私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。
1.
今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


D古いタイプの感応精神病 ← 幸福の科学信者はこのケース

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。

悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。
 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。

青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。

 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。
 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。

どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。

その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。

すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。
これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。

集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。


E 家庭内幻魔大戦

 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。
Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。

この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。

 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。

昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。
昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。

「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。

長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」
「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。

「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」

「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには

「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。

体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。
きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。

入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」

などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。

 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」

と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。

主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、
「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。

 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。
入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、
「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。

しかし飛べずに興奮し始め、

「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。


F フォリアドゥと家族


 さて最後にちょっと違った視点からフォリアドゥを見てみよう。共同生活をしている家族などの中で狂気が伝染していくというのは、確かに気味の悪い現象ではあるのだけれど、ある意味、感染して同じ狂気を共有するようになった人は幸せといえよう。

抵抗をやめて吸血鬼(or屍鬼orボディスナッチャーorボーグ)になってしまえば楽になるのと同じようなものだ。

 それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
 家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 

映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 

家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。

 これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。しかし、どういうわけか、これまでの文献は、感染した家族には興味を示すのに、狂気に陥らなかった家族についてはほとんど触れていない。「宇宙語」の論文でも、感染しなかった子どものことはほとんど書かれていないし、「家庭内幻魔大戦」の論文でもそうだ。無視しているといってもいいくらいである。

 このへん、精神医学という学問の偏りがよく現れていますね。派手な精神病症状には興味を示すくせに、狂気を耐え忍んできた人の心にはまったく無関心。今でこそPTSDなどが話題になってきているけれど、つい最近までの精神医学はこんな具合だったのだ。
フォリアドゥそのものではなく「狂えなかった家族」に焦点をあてた文献はあまりないのだが、それでも皆無というわけではない。酒井充らによる『いわゆる被虐待児症候群の事例化』(社会精神医学1987年12月)という論文から事例を引いてみる。

発端者は母親であったらしく、結婚前の18歳ごろから

「近所の人たちが自分のことをバカにして笑っている」

とくってかかるなどの行動があったという。21歳で結婚するが、しだいに夫も妄想を共有するようになり、次男Kが生まれた頃には、夫婦そろって近隣といざこざを起こし転居を繰り返していた。

 次男のKは4歳のときに幼稚園に入園したが、両親はKが保母に不当にいじめられているという被害妄想を抱き、中途退園させてしまう。またその頃父から「家族は家族だけでやっていくから、もう二度と外の人とは遊ぶな」と言われ、子どもたちは外出を禁じられるようになる。

 6歳でKは小学校に入学するが、やはり父は担任の家に電話してどなりつけたり、教育委員会に抗議に行ったりしていた。まもなく両親はKの登校を禁止。Kが登校しようとすると、両親、ときには兄も加わってベルトで鞭打つ、金槌で殴りつける、煙草の火を押しつける、鉄パイプで眼を突くなどの身体的虐待が加えられた。そのため、小学3年生以降はほとんど学校に出席できなくなった。

 他の兄弟は親に従ったがKだけは抵抗したため、Kは親の言うことを聞かない子として、兄に行動を監視され、他の家族員から仲間はずれにされていた。Kは自宅内で一人で教科書や本を読みながら過ごすようになる。

12歳、中学校に進学したが一日も出席できず、学校から自宅に届けられた教科書で勉強し、父に命じられて自宅の敷地内の草取りをしたり、自宅内で飼っている豚の世話をしたりしていた。

この頃から、両親の近隣に対する被害妄想はますます強くなり、両親は自宅周囲をトタン板で囲い、月に一、二度のリアカーでの買い出し以外外出をしなくなる。

外出のときには両親はカメラやテープレコーダーを持ち歩き、「いやがらせの証拠」を探していたという。その際にもKは外出を許されず、父から訪問者の声の録音を命じられていた。

 15歳ごろより、Kはマンガ家になりたいと思うようになり、マンガの添削教育を受け始める。しかし両親は「マンガなど描くのはやめろ。豚の世話をしろ」と反対し、Kの描いたマンガを破き、届いた郵便物を焼き捨てる。反抗すると、両親はKに暴力を加えた。

Kは両親の妨害を避けるため、自宅の隅に家具やガラクタを積み上げて「バリケード」を築き、その中に閉じこもってマンガを描くようになった。Kの態度に父は逆上、バリケードに灯油をぶちまけて火をつけ、自宅は全焼、Kは右半身に火傷を負い、翌日外科病院に入院した。

 入院したKは病院で植皮術を受ける。しかし、手術痕の回復に従い、問題行動が始まった。看護婦の体に触る、夜間徘徊して眠らない、注射・服薬を拒否するなどの行動を繰り返し、病院側から治療半ばにして退院させられてしまう。

病院は通院治療を勧めたが、父は「一旦家から離れた者は家族ではない」といって、Kを父の信奉する宗教施設に預けた。

しかしKはそこでも問題行動を起こし、自宅に帰された。両親はやむなくKを家に置くことを許したが、やはり自宅外への外出を禁じたため、Kは再びバリケード内にこもった生活を続けることになった。

痛ましい話である。Kにとってはまさに地獄のような家だったに違いない。15歳で入院し、家から離れたときになぜきちんと助けを求めなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、それは無理な話だろう。

それまで家族以外との接触がほとんどなかったKには、他者とうまくコミュニケーションをとることができなかったのだろう。

 さてこのあと、Kは意外な方法で地獄からの脱出を図る。

17歳頃になると、Kは両親が話しかけても「あなたは誰でしゅか」などと幼児語しか話さなくなり、昼夜かまわず奇声を発するようになった。

また布団の上や鍋の中に大小便をしたり、糞尿を身体をなすりつけて転げまわるなどの異常行動が徐々に激しくなり、両親も対応に困り、翌年11月、救急車で精神病院に入院することになった。

 入院したKは、主治医の質問も待たず一方的に喋りだし、

「親から離れて入院できたのは本当にラッキーでした。でも僕は本当のことは言いません。狂気を装っているんです。催眠療法してもだめでしょう」

とうれしそうな表情で話した。入院前の異常行動については

「親が鉄パイプで殴ったり、僕のものを燃やしたりするのが鬱積して、精神病の方へ出ちゃったんです」

「虐待ばかりで学校へも行かせてくれず、訴訟ばかりしている親に反抗して、家から脱出したいと思って、親の方から僕を嫌いにさせようとして狂うふりをしたんです」という。

また「これは父にやられた、ここは母にやられた」と体中の傷痕や火傷痕についてしきりに説明した。
病棟では他の患者や看護婦に一方的に話しかけ、苦情が出るほどだった。また自分の要求が通らないと大声でわめきちらし、逆に強く注意されるとその場で土下座して謝ったりと、周囲の人たちとどのように接したらよいのかわからない様子だった。

 両親への憎悪は強く、「もう自宅には戻りたくない。親戚に連絡して引き取ってもらいたい」と要求。入院が長引くにつれ、

「自分の親は被害妄想狂です。だから僕ではなく親のほうを入院させて下さい」と攻撃的な口調で退院を要求した。

 一方両親は、入院時「一生退院させない」と言って面会にも現れなかったが、月に2、3回の手紙は必ず送って来た。

Kは両親が「被害妄想狂」である証拠として、主治医に手紙の一部を見せた。手紙は、警察や近隣、福祉事務所などへの被害的内容が主で、当初は病院に対して好意的だったが、徐々に

「病院も警察とグルになって一家をバラバラにしようとしている」

と被害妄想の対象になっていった。そして、それとともにしだいにKの退院を認めてもいいとも書くようになっていった。

 翌年7月、突然父が病院を訪れ、Kを自宅に引き取りたいと申し入れ、即日退院となった。その後もKは以前のように自宅に閉じこもった生活を続けているようだが詳細は不明だという。
こうして、Kは結局地獄の家に帰ってしまうのである。おいおい、そりゃないだろ、と思うのは私だけではないはずだ。

 Kが本当に狂気に陥っていたのか、それとも本人の言う通り狂気を演じていたのか、この論文でははっきりとした結論は出していない。

それでも、Kは、両親の狂気に対して、それを上回る狂気という奇策によって脱出を図り、必死に助けを求めてきたわけだ。そんなKを、父親に言われるままにあっけなく自宅に引き取らせてしまっていいんだろうか。いくらなんでもこの結末はないだろう。

 確かにこの患者は未成年でもあることだし、普通は親が退院させたいと言えば、法的には退院させるほかはない。たとえ親の方がおかしいと思おうが、この両親を無理矢理入院させるわけにはいかない。でも、このような場合には何かほかの方法があったんじゃないかなあ(例えば親戚に介入してもらうとか)。

 この論文は、「今後はさらに、本事例児のみならず、他の兄弟の発育についても、慎重に経過を追う必要があると思われる」と結ばれているのだが、本当にそれだけでいいのか?
 その後この家族がどうなったのか、気になって仕方がないのだが、残念ながら続報は発表されていない。
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html#c3

[近代史4] 独裁者列伝 _ 毛沢東 中川隆
1. 中川隆[-13226] koaQ7Jey 2020年4月17日 12:28:56 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[7]

中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html

毛沢東はセッ○ス狂
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

宮脇淳子 皇帝たちの中国 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html

中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国人のチベットでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/282.html

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html

中国人が反日になった理由 _ 満州開拓で日本人移住者は中国人農民の農地をただ同然で取り上げた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/748.html

中国人が日本人を大好きになった理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/319.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/805.html#c1

[番外地7] 症状が消えた後もコロナ・ウイルスは残る 中川隆
2. 2020年4月17日 12:58:27 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[8]
ドアノブに付いたコロナは17日死なない
空気中のコロナは3日死なない

コロナはエイズ同様に抗体も免疫もできないから、かかったら最後なんだよ
年寄りはすぐ死ねるから楽だけど、若い人は 5年苦しみぬいてから死ぬ事になる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/578.html#c2

[番外地7] 症状が消えた後もコロナ・ウイルスは残る 中川隆
3. 中川隆[-13225] koaQ7Jey 2020年4月17日 13:01:29 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[9]
確かに若い人はすぐには死なないけど、肺が線維化してエイズ様になって、5年かけてじんわり死んでいく。 最後は水に溺れた様な表情で窒息死する 。 年寄りだけ罹患を防げばいい訳じゃない。

新型コロナウイルス罹患した患者の多くが肺が繊維化。生存率は肺癌よりも低い
1度でも罹患したら人生変わってしまう後遺症(殺人)ウイルス。

COVID-19 に罹患して重症化した場合の後遺症が肺癌より深刻と言う台湾のテレビ報道!
人工呼吸器をつけるまで重篤化すると肺が繊維化してしまうと言う症例は中国でも報告されています。繊維化してしまうと在宅人工呼吸器必須となり、仕事など通常の日常生活にかなり制限がかかります。
致死率ばかりに目が行きがちですが後遺症もかなり怖いものです新型コロナウイルス患者が実際にこのような後遺症の報告が中国にて多数挙げられてるのが現状です。恐らく日本人でももうこの後遺症出てる方は結構いると思われます(人工呼吸器付けてた20代女性等々)

無症状で繊維化の症例もあり、そのままバタッと倒れる人は繊維化していたそうですね
繊維化した肺は戻らないそうです予後が悪いってこれか…13%も重症化するのに
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/578.html#c3

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
315. 中川隆[-13224] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:07:48 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[10]
2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c315

[リバイバル3] 資産を増やすには ほったらかし投資法が断然優れている 中川隆
36. 中川隆[-13223] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:08:25 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[11]

2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/975.html#c36

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
152. 中川隆[-13222] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:09:27 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[12]
2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c152

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
20. 中川隆[-13221] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:13:30 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[13]

2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c20

[近代史3] 社会主義の20世紀 カストロの選択 中川隆
1. 中川隆[-13220] koaQ7Jey 2020年4月17日 17:17:37 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[14]
『世界がキューバ医療を手本にするわけ』吉田太郎氏の著書から学ぶ
2020年4月17日
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/16516


 新型コロナウイルス感染対策で、キューバの医療が注目されている。キューバ保健省によれば、国内での感染者は10日現在で457人(死亡者16人)となっている。そうしたなかで先月、深刻な医療崩壊に陥ったイタリアに50人以上で構成する医師団を派遣したことが驚きをもって受け止められた。また、キューバが開発した抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2Bが、新型ウイルス感染者の治癒に有効であることが確認され、WHOも製剤の一つにあげていることがある。

イタリア入りしたキューバの医師団(3月、ミラノ)

 イタリアへの医療チームの派遣は、北部ロンバルディア州の要請を受けたもので、医師36人、看護師15人、統計の専門家らで構成している。キューバは、国民一人当りの医師数が世界で最も多い国の一つで、医療従事者の養成プログラムが優れていることでも知られる。3万人のキューバ人医師が世界61カ国で、国境をこえて働いている。

 新型コロナウイルスの感染に立ち向かう各国の要請を受けた医療チームはイタリアのほか、ベネズエラ、グレナダ、ジャマイカ、ニカラグア、スリナム、ベリーズなどに合わせて400人を送っている。キューバの「国境なき医師団」は、ハイチのコレラや西アフリカのエボラ出血熱などの感染症の最前線に立ってきたことでも知られている。

 抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2Bは、キューバの技術を導入した中国との合弁会社(長春)で製造・販売しており、中国の新型コロナウイルス治療でもその有効性が確認された。スペインもこの薬剤を新型肺炎患者に投与することを明らかにしている。キューバ当局は、この薬を試したいという打診がすでに15カ国からあったことを明らかにしている。

 キューバの事情にくわしい吉田太郎氏は、

『世界がキューバ医療を手本にするわけ』(築地書館、2007年)
https://www.amazon.co.jp/世界がキューバ医療を手本にするわけ-吉田-太郎/dp/4806713511

で、キューバ革命(1959年)以後、「教育と科学にこそ未来がある」(カストロ)という理念を掲げてきたキューバの福祉医療と先端医療の先進性を、市場原理の導入によって医療崩壊の危機に瀕する日本や欧米先進国と対比させて具体的に紹介している。

米国が仕掛けたデング熱 6週間で治療薬

 キューバの医療については乳幼児死亡率はアメリカ以下、平均寿命は先進国並み、医療費はすべて無料、全国を網羅する予防医療などで知られる。それとともに今注目されるのは、吉田氏がキューバの先端医療の水準の高さを紹介するなかで、その飛躍をとげるきっかけとなったのが、アメリカがしかけたバイオテロで34万人がデング熱に感染したという不幸なできごとであったことを強調していることである。

 1981年の5月から10月にかけてキューバでは、突然デング熱が大流行し、ピーク時には毎日1万件もの患者が出る事態となった。政府はまず、防除薬剤マラチオン液を緊急輸入し、媒介蚊の駆除作戦を開始した。だが病床が足りなくなり、寄宿舎のある多くの学校を隔離病棟にあてて感染防止に努めた。しかし、それにもかかわらず1万312人が重症の出血性デング熱に冒され158人が犠牲になった。そのうち101人が子どもだった。

 カストロは1981年の革命記念日で「この病気がCIAによって国内に持ち込まれた疑いがあり、殺虫剤の輸出を米国に求めたが拒否された」と演説した。アメリカの関与を疑わせたのは、デング熱の病原体が東南アジア由来のウイルスタイプで、しかも蚊が媒介するから発生源があるはずなのにハバナ、シエンフエゴス、カマグエイの3カ所で、約300`も離れて同時多発的に発生したことであった。感染症専門家のグスタポ・クリ博士は、デング熱を遺伝学的に調べ、ニューギニア産であることを突き止めた。

 3年後の1984年にニューヨークでキューバ外交官を殺害したテロリストグループ「オメガ7」のリーダー(アメリカ亡命のキューバ人)が逮捕された。その公判過程で、バイオテロをしかけるつもりで「数種の細菌を持ち込む任務を持ってキューバを訪れたことがある」「ソ連軍に使われるはずだったが、キューバに使われてしまった」と口を滑らせたことから、デング熱を持ち込んだことが発覚した。

 また、2000年代に入りアメリカの機密文書の解禁によって、米陸軍が1956年と58年にジョージア州、フロリダ州で特別に飼育した蚊の群れを放ち、生物兵器になるかどうかの研究をしていたことが暴露された。この実験で使われたのはデング熱を媒介するネッタイシマカだった。

 キューバはデング熱以外にも次のようなバイオテロをアメリカから受けてきたと主張している。

 1962年 ニューカッスル病(鶏の病気)
 1971年 アフリカブタコレラ
 1979年 さとうきび錆病、タバコ青黴病
 1980年 タバコ青黴病
 1981年 急性出血性結膜炎
 1996年 ミナミキイロアザミウマ(農業害虫)

 キューバのバイオテクノロジー産業は、こうしたアメリカのバイオテロによる要人暗殺や、疫病の流布、農産物被害に対抗するためのやむなき自衛手段から始まったといえる。

 デング熱発生でインターフェロン緊急増産の必要性に迫られたキューバでは、全国科学研究センターが中心となり、バイテク推進の特別機関として、12の研究所長で構成するバイオロジカル・フロントを組織した。これによって、デング熱や急性出血性結膜炎の治療薬としてのインターフェロン生産設備の増築計画が進められた。

 科学者たちはデング熱が流行するさなか、わずか6週間で治療薬インターフェロンを作り出し、デング熱治療に活用し効果を収めた。さらにその後、旧ソ連やフィンランド、東ドイツ、日本、アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、スイスなどに留学生を送り込み、遺伝子組み換え技術、分子ウイルス学、モノクローナル抗体生産、免疫化学、組織培養等の専門知識を学んできた。

 ソ連の崩壊とそれを好機とみたアメリカの経済制裁がキューバをいっそうの困難に追いやった。キューバはバイテク産業を輸出の柱に据えて、ヨーロッパ、アジア、アフリカに販売しようとオーストラリア企業と協定を結んだが、アメリカの横やりで、その2年後に一方的に破棄されることも経験している。

インターフェロン・アルファー2B
世界最大のバイテク研究所 各国の育成を支援

 だがキューバは今や、世界最大のバイテク研究所を持ち、ワクチン開発でも独創的な成果を上げHIV、子宮頸ガン、ヒトパピローマウイルス(HPV)、B型肝炎とC型肝炎のウイルスを抑えるなどの成果を上げている。バイテク分野では500もの特許を持つが、うち26はアメリカにおけるものだ。

 吉田太郎氏は、キューバでは「バイテク産業はサトウキビにかわって、国家の基幹産業になった」と指摘している。ラテンアメリカ最大の医薬品輸出大国としてその顧客リストには先進国を含め50カ国以上がひしめいている。そのうえ、イラン、中国、インド、アルジェリア、ブラジル、ベネズエラ、マレーシアなどの途上国と技術提携を結び、それぞれの国のバイテク産業の育成を支援する位置にある。中国におけるインターフェロン・アルファ2Bの製造もその産物だといえる。

 吉田氏は遺伝子工学・バイテクセンターの中心的な研究者の次のような発言も紹介している。

 「私たちは多国籍企業とは本質的に異なります。なぜなら、……金銭的な目標よりも、むしろ社会的で人間的な目標をわかちあっているからです。ワクチン開発の目的はお金を稼ぐのではなく、命を落とす子どもたちを減らすことにあります。もちろん、ただでワクチンを差し上げることはできませんし、売らなければなりませんが、お金はバイテク産業の目的ではなく、あくまでも手段なのです」

https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/16516
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/791.html#c1

[近代史4] カミュの世界 中川隆
1. 中川隆[-13219] koaQ7Jey 2020年4月17日 17:20:14 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[15]

カミュの『ペスト』が問うているもの 極限のなかで生まれる立ち向かう力
書評・テレビ評2020年4月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/16521


 新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に広がるなか、フランスの作家、アルベール・カミュが一九四七年に発表した『ペスト』が読まれているという。『ペスト』新潮文庫版は、例年5000部程度の増刷だったが、今年は2月以降だけで15万部をこえる増刷となっている。また、フランス、イタリア、イギリスでもベストセラーになっている。文学者などの意見をふまえつつ、どんな内容が共感を呼び、それによってどんな思想的営みが広がっているか考えてみた。

 下関市の大手書店に聞くと、『ペスト』は「今年初めに数冊注文したが、その後もお客様からの問い合わせが続き、売れ続けている。コロナの感染が広がる今と重なるところがあるからのようだ」という。

 下関市で教鞭をとるフランス文学の教員は、「今の社会状況とリンクするからだろう。授業でもとりあげたい」とし、「人間の力ではコントロールできない自然の脅威に囲まれ、それでも少しでも犠牲者を減らそうと懸命に努力して次の世代につないでいく。今回だけでなく、そのようにして歴史が積み重ねられてきた。今の危機的な状況のなかで、この本を読み、逆に落ち着いてそういうことを考えるようになっているのかなと思う」と話した。

 作家の平野啓一郎は、「コロナとのたたかいは長期戦になる。だからこそ、目先のことでなく、これからの世の中どう生きていくかを考える時間にあてるべきだ。大きな時間の流れのなかで人間が疫病とどうたたかってきたかについて、本を読むこと。『ペスト』では、非常に大きな困難に直面するなかで、根性論ではなく、現状を克服するクリエイティブな知恵を出し合うことの大事さを学ぶことができる。日本を良い方向に変えるきっかけになればと思う」とのべている。

 同じく作家の高橋源一郎は、「『ペスト』は2年前に終わった戦争やナチスをペストにたとえ、人間の力をこえた大きな力に襲われたとき、人々はどのように混乱し、どう立ち向かうかを徹底して
考えた小説だ。多くの人が亡くなったけれども、そのとき患者の命を救うために立ち向かった人たちがおり、その記憶は決して忘れてはならないし、それを次世代が引き継いでほしいということがいいたかったのではないか」とのべている。

 『ペスト』は194*年、フランス領アルジェリアの要港、オラン市を舞台にしている。春先にネズミの死骸が次々と、数え切れないぐらい発見されるところから物語は始まる。続いて原因不明の熱病による死者が急増し、感染拡大を防ぐためにオラン市は封鎖される。外部とまったく遮断され、いつ終息するかもわからぬ閉塞感のなかで、オラン市の市民たちの10カ月にわたるたたかいの記録という体裁をとって書かれている。

 6月末には真夏の気温上昇と1日の死者のうなぎ登りの上昇が一致するなか、町から出ることを重ねて禁止し、違反者には投獄の刑をもって臨む旨の布告が新聞に発表された。海は禁止されて夏の楽しみは奪われ、観光旅行は禁止されてホテルは空き室だらけとなった。電車の乗客はできるだけ背を向け合って互いに伝染を避けようとし、頻繁にただの不機嫌だけに起因する喧嘩が起こった。時とともに食料補給の困難が増大し、そこに投機が介入してきて、貧しい家庭ほど苦しい事情に陥った。棺桶も墓地も足りないなか、まさに戦場を思わせる埋葬の様子も描かれる。

 極限の場は、それぞれの人間の本性を浮き彫りにする。医師リウーが「病気は48時間以内に死をもたらすペストであり、放置すれば2カ月以内に全市民の半数が死ぬ」としきりに主張した結果、ようやく県庁で保健委員会が招集された。だが県知事は、ペストと認めれば予算を伴う仮借ない措置をとらねばならないため責任逃れから尻込みし、県知事を忖度する医師がヨイショする。こうして初動に失敗し後手後手に回る様子は、日本の今を見るようだ。

 事態打開のきっかけは、他県から来た医師タルーとリウーとの出会いだった。タルーは「県の保険部門の組織がまるでダメだ。あなた方には人手も時間も不足している」「当局に任せておいたら、みんなやられてしまう。しかも彼らと一緒にわれわれまでも」といい、当局抜きで志願の保健隊を組織することを提案する。「私の友だちが最初の中核になってくれるだろう。当然、私も参加する」というと、リウーも「この仕事は命にかかわる。でも大勢の病人がおり、目の前で苦しんでいるのだから、もっとも急を要するのは彼らを治してやることだ。その後で当局も反省するだろう」と一致する。経験のある老医師カステルは、外来の物でなく、この町を荒らしている菌自体の培養によって血清を製造する努力を始めた。

 そしてカミュは、けっしてこの二人の医師だけを英雄にせず、事態の進行のなかで人間的な新しいモラルに目覚めた裏方の人たちにも光を当てている。最初はペストに神の懲罰を見、人々に悔い改めることを説いていたパヌルー神父は、罪なき幼児の死に直面したときそれを反省し、みずから保健隊に身を投じて病に倒れた。若い新聞記者ランベールは、最初個人の幸福が第一だと主張し、ペストの町を脱してパリの愛人の下に帰ろうと努力するが、「すべてを見た今、僕はもうこの町の人間だ。この町を捨てて彼女と再会しても、きっと恥ずかしい思いがするだろう」といって、縁の下の力持ちになる決意を打ち明けた。

 この作品はフィクションではあるが、著者の戦争体験が深刻に投影しているというのは、多くの評者の一致した見方のようだ。カミュはドイツがフランスを占領したとき、仏領アルジェリア・オラン市の私立学校で教鞭をとりつつ、反ナチのレジスタンスに参加した。その真情は、カミュの分身でもあろうタルーの「僕は今の社会に蔓延する虐殺に、たった一つの根拠でも与えることは絶対に阻止しようと誓ったんだ」という言葉にもあらわれている。タルーは、市民がペストから解放され歓喜に浸っているときに、ペストによってリウーに見守られつつ帰らぬ人となるが、そのようにして亡くなった人を決して忘れず、次の世代にその遺志を受け継いでほしいという願いが込められていると思う。

 それにしても、「もう政府に任せておけない。われわれみんなで人の命を救おうじゃないか」という力は、カミュの生きた時代よりも今の方が格段に強まっているのではないか。

https://www.chosyu-journal.jp/review/16521
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/427.html#c1

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
77. 中川隆[-13218] koaQ7Jey 2020年4月17日 18:14:19 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[16]
2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない

危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます

大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。


日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。


大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c77

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
6. 中川隆[-13217] koaQ7Jey 2020年4月17日 18:32:41 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[17]
すべての人に抗体ができるわけではない…中国でCOVID-19から回復した患者を研究した結果
Holly Secon Apr. 15, 2020
https://www.businessinsider.jp/post-211087

回復したコロナウイルス感染症患者についての新たな研究によると、それぞれの患者がウイルスに対して異なるレベルの抗体を作ることがわかった。

調査した175人のうち10人の患者(6%)は、コロナウイルスへの抗体が検出されなかった。

この研究では、高齢者と中年者がより高いレベルの抗体を作ったことがわかった。
中国の科学者による130人の回復したCOVID-19患者に関する新しい研究は、ウイルスに対する免疫について問題を提起している。

論文はまだ査読されていないが、患者は異なるレベルの抗体を産生することがわかった。血液中にコロナウイルスの抗体が確認できるということは、おそらく免疫ができているということだ。しかし、調査した患者の約8%では、検出可能な抗体がまったく存在しなかった。

サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、この報告書を作成した調査チームのリーダーであるファン・ジンホ(Huang Jinghe)氏は、「この結果が集団免疫にどんな意味をもつかは、世界の他の地域からより多くのデータが必要だ」と述べたという。

興味深いことに、患者が産生した抗体レベルは年齢と相関するようだ。中年および高齢の回復患者はより高い抗体レベルを有していた。そして、検出可能なレベルのコロナウイルス抗体が存在しなかった患者10人のうち、9人は40歳以下だった。
ウイルスに対する抗体がどのように作用するかを解明することは、ワクチン開発と集団免疫の可能性の両方に大きな意味を持つ。


回復した患者の抗体を測定すると…

2020年3月11日、検査技師がニューヨーク州レイクサクセスのノースウェル健康研究所で検査サンプルを準備している。アメリカ食品医薬品局は、ウイルスの発生が世界中に広がっているため、より迅速な検査手順を承認した。


上海の復旦大学の研究者らは、上海の病院で回復した軽症のコロナウイルス患者175人から血液サンプルを採取した(重症患者の多くは、治療のために輸血を受けていたため除外された)。

参加者の年齢は16歳から68歳で、高齢(60歳以上)、中年(40歳から59歳)、若年(15歳から39歳)の3つのカテゴリーに分けた。患者は発症から10日から15日後に抗体ができ、その後の状態は安定していた。

研究者が各患者の血液中の中和抗体のレベルを測定したところ、高齢患者は若年患者よりも有意に高い抗体レベルを示すことを発見した。ただし、入院期間に差はなかった。

「これらの結果は、高レベルの抗体がウイルスを除去するのに有用であり、高齢および中年の患者に特に有用であることを示した」と著者らは記している。
このウイルスは高齢者に対する致死性が高いと見られている。アメリカ疾病管理予防センター(CDC)によると、アメリカでは65歳以上の患者における死亡率と重篤な疾患の発生率が最も高い。

COVID-19の年齢と死亡率の関係。
Shayanne Gal/Business Insider


すべての人に抗体ができるわけではない

研究で検出可能な抗体が見られなかった患者10人では、「T細胞やサイトカインなどの他の免疫反応が回復に寄与しているのかもしれない」と研究者らは記している。
T細胞は免疫反応を助ける白血球の一種であり、サイトカインは細胞が感染と戦うために放出するタンパク質である。ただし、あまりに多くのサイトカインが放出されると炎症を引き起こし、一部の患者では致命的な結果をもたらしたと報告されている。

コロナウイルスに対する抗体ができた患者でさえ、それがどれくらいの期間持続するのか、研究者にはまだわかっていない。まだ、このウイルスが発生してから、長期的な影響を研究するのに十分な期間が経っていないからだ。

一般的に、ある特定の病気を撃退する抗体が体内にできると、その病気に再びかかることはないが、ある種の抗体は時間の経過とともに弱くなる。加えて、普通の風邪や季節性インフルエンザのように変異するウイルスの場合、ある特定の株に対して蓄積された抗体は、他の株には効果がない。


再感染の可能性とワクチンへの影響

ウイルスに対する免疫ができているかどうかを確認する抗体検査を開始しようとしているアメリカにとって、上海での研究結果は憂慮すべきものになるかもしれない。

しかし、アメリカ国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ(Anthony Fauci)所長は、短期間に再びコロナウイルスに感染する可能性は低いと述べている。

ファウチ氏は「2月と3月に感染して回復していれば、9月と10月には免疫に守られるだろう」と、ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーションの編集者、ハワード・ボーチナー(Howard Bauchner)氏に述べた。

世界中で37万5000人以上がコロナウイルス(軽度で無症候性の症例の多くが公式な集計で報告されていないことを考えると、より多くの可能性がある)から回復した。現在、世界の3分の1が何らかの形で閉鎖されているが、回復した人々が最初に職場に復帰する可能性がある。

「これらの人々を特に重要なインフラの仕事に従事させた場合、抗体陰性で一度も感染したことがない人々よりも感染拡大を引き起こす心配が少ない」とファウチ氏は述べている。

https://www.businessinsider.jp/post-211087
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c6

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
7. 中川隆[-13216] koaQ7Jey 2020年4月17日 19:13:25 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[18]
韓国で「再陽性」163人 隔離解除から平均13.5日
朝日新聞社 2020/04/17


 韓国の中央防疫対策本部は17日、新型コロナウイルスの感染者のうち、ウイルスが体内からなくなる陰性と判定されてから、再び陽性となる「再陽性」が163人で確認されたと発表した。感染者が隔離を解除されてから再陽性と判定されるまでは平均13・5日かかっているという。

 同本部は原因として、

(1)免疫力が弱まって抗体が完全に体内でつくられず、ウイルスが再活性化
(2)検査そのもののミス
(3)体内にウイルスはなくなったが、その断片を検知、

などの可能性を調べている。完治後の「再感染」ではないとし、再陽性と判断された人からの感染拡大も確認されていないという。(ソウル=神谷毅)

https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/韓国で「再陽性」163人-隔離解除から平均135日/ar-BB12LWNj?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c7

[近代史4] 独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ 中川隆
1. 中川隆[-13215] koaQ7Jey 2020年4月17日 19:38:53 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[19]

『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html#c1

[近代史4] 独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ 中川隆
2. 中川隆[-13214] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:07:09 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[20]

《櫻井ジャーナル》 2016.06.22
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。

 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。

 ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。

 こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。

 ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。

 モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。

 1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。

 本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。

 ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。

 相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。

 そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。

 当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。

 ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。

 バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。

彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。

現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。

バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。

 このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。

その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。


 何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。


 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


▲△▽▼

《櫻井ジャーナル》 2016.06.30

戦前日本は米巨大資本に従属、その巨大資本と対立していたルーズベルト政権と日本の対立は必然

 安倍晋三政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これは矛盾していないどころか、コインの裏と表の関係にある。幕末から日本の支配層は基本的にイギリスやアメリカの巨大資本を後ろ盾としてきた、つまり強い影響を受けてきたのだ。この関係が機能しなかったのは、ニューディール派政権だった1933年3月から45年4月、あるいはジョン・F・ケネディが大統領だった1961年1月から63年11月くらいだろう。

 現在、この従属関係を「日米同盟」と呼ぶが、かつては「対米協調」と表現されていた。そうした政策を打ち出した代表的な政権は1929年7月から始まる浜口雄幸内閣。アメリカ巨大資本の要求に従った政策、フランクリン・ルーズベルトやベニト・ムッソリーニが言うところのファシズム(注)を導入、例えば、緊縮財政と金本位制への復帰を実行した。最近の表現を使うならば、新自由主義的な政策を導入したのだが、これによって貧富の差が拡大、東北地方で娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になる。

 こうした経済政策の中心にいた人物がJPモルガンと緊密な関係にあった井上準之助であり、こうした背景を抜きにして、1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、また1936年の二・二六事件を理解することはできない。二・二六事件では、昭和天皇も井上たちと同じ立場だということが明らかになった。

 ウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領をルーズベルトは1932年の大統領選で破ったのだが、その3年前にニューヨークで株式相場が暴落、経済破綻が顕在化していた。

 第1次世界大戦(1914年から18年)でライバルのヨーロッパ諸国は疲弊したが、アメリカは戦場とならずに物資の販売や金融で大儲け、自動車の大衆化が進み、映画やラジオの登場など技術的な進歩で豊かになっているように見えた。

 しかし、富が一部に集まる政策が推進され、社会は衰退する。大戦後に兵士が帰国すると街には失業者が溢れ、ストライキやデモが続発していた。そうした中、1919年にボストン近郊で起こった現金輸送車襲撃未遂事件が起こり、ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティが逮捕された。1920年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件でも有罪とされた。

 いずれの事件もふたりを有罪とするような証拠、証言はなく、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡している。ふたりが「アナーキスト」だったということが理由だと見られている。ふたりは1927年の8月に処刑された。

 勿論、1950年代から60年代にかけて公民権運動が高まるまでアメリカでは人種差別が公然と行われ、決して「自由で民主的な国」とは言えない。そうした国の内部で庶民の不満は強まり、1932年の大統領選でニューディール派を勝たせることになる。

 当時、日本の支配層が従属していた相手は「自由で民主的な」アメリカ人でなく、富を独占し、人種差別を行う人びと。フランクリン・ルーズベルト政権の誕生は、日本の支配層がウォール街に従属するという関係を崩した。この関係が復活するのは、1945年4月にルーズベルトが執務中に急死してからだ。

 このアメリカと日本が戦争を始める切っ掛けは、言うまでもなく「真珠湾攻撃」。この攻撃がいかに無謀だったかを語る人は多いが、日本はすでに戦争をはじめていた。1927年5月に山東出兵、31年9月に柳条湖事件と呼ばれる偽旗作戦を実行して侵略を開始、中国東北部に「満州国」と称する傀儡国家を樹立させた。1937年7月の盧溝橋事件後、宣戦を中国の全域に拡大、そして41年12月の真珠湾攻撃だ。

 しかし、日本が東アジア侵略を始めたのはその遥か前、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置したところから始まる。本ブログでは何度か指摘したが、1871年7月に廃藩置県を実施済みなわけで、この琉球藩設置は台湾へ派兵する口実作りの可能性が高い。実際、そのころ来日していた厦門の領事のチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めていた。そこから江華島への軍艦派遣(朝鮮に対する挑発)、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦へとまっしぐらだ。この背後にはイギリスとアメリカが存在していた。

 東アジアを侵略している間に盗んだ財宝も曖昧なまま、アメリカ支配層と山分けした可能性が高い。その過程で吸った甘い汁を日本の支配層は忘れていないはず。アメリカ支配層の最近の動きを見ていると、過去の「成功体験」を再現しようとして失敗しているようで、日本がアメリカの真似をして再び中国を侵略しようとしたなら、取り返しのつかないことになりそうだ。

 こうした道へと日本を導いているのが安倍政権。危険な流れを察知した人びとが小沢一郎の率いる民主党を選挙で勝たせたのだが、それをマスコミと検察が潰し、菅直人や野田佳彦は国民の期待を裏切って現在がある。ここで諦めたなら、支配層の思う壺だ。


【注】

(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。

(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606300000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html#c2

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
2. 中川隆[-13213] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:07:52 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[21]

《櫻井ジャーナル》 2016.06.22
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。

 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。

 ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。

 こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。

 ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。

 モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。

 1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。

 本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。

 ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。

 相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。

 そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。

 当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。

 ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。

 バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。

彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。

現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。

バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。

 このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。

その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。


 何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。


 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


▲△▽▼

《櫻井ジャーナル》 2016.06.30

戦前日本は米巨大資本に従属、その巨大資本と対立していたルーズベルト政権と日本の対立は必然

 安倍晋三政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これは矛盾していないどころか、コインの裏と表の関係にある。幕末から日本の支配層は基本的にイギリスやアメリカの巨大資本を後ろ盾としてきた、つまり強い影響を受けてきたのだ。この関係が機能しなかったのは、ニューディール派政権だった1933年3月から45年4月、あるいはジョン・F・ケネディが大統領だった1961年1月から63年11月くらいだろう。

 現在、この従属関係を「日米同盟」と呼ぶが、かつては「対米協調」と表現されていた。そうした政策を打ち出した代表的な政権は1929年7月から始まる浜口雄幸内閣。アメリカ巨大資本の要求に従った政策、フランクリン・ルーズベルトやベニト・ムッソリーニが言うところのファシズム(注)を導入、例えば、緊縮財政と金本位制への復帰を実行した。最近の表現を使うならば、新自由主義的な政策を導入したのだが、これによって貧富の差が拡大、東北地方で娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になる。

 こうした経済政策の中心にいた人物がJPモルガンと緊密な関係にあった井上準之助であり、こうした背景を抜きにして、1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、また1936年の二・二六事件を理解することはできない。二・二六事件では、昭和天皇も井上たちと同じ立場だということが明らかになった。

 ウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領をルーズベルトは1932年の大統領選で破ったのだが、その3年前にニューヨークで株式相場が暴落、経済破綻が顕在化していた。

 第1次世界大戦(1914年から18年)でライバルのヨーロッパ諸国は疲弊したが、アメリカは戦場とならずに物資の販売や金融で大儲け、自動車の大衆化が進み、映画やラジオの登場など技術的な進歩で豊かになっているように見えた。

 しかし、富が一部に集まる政策が推進され、社会は衰退する。大戦後に兵士が帰国すると街には失業者が溢れ、ストライキやデモが続発していた。そうした中、1919年にボストン近郊で起こった現金輸送車襲撃未遂事件が起こり、ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティが逮捕された。1920年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件でも有罪とされた。

 いずれの事件もふたりを有罪とするような証拠、証言はなく、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡している。ふたりが「アナーキスト」だったということが理由だと見られている。ふたりは1927年の8月に処刑された。

 勿論、1950年代から60年代にかけて公民権運動が高まるまでアメリカでは人種差別が公然と行われ、決して「自由で民主的な国」とは言えない。そうした国の内部で庶民の不満は強まり、1932年の大統領選でニューディール派を勝たせることになる。

 当時、日本の支配層が従属していた相手は「自由で民主的な」アメリカ人でなく、富を独占し、人種差別を行う人びと。フランクリン・ルーズベルト政権の誕生は、日本の支配層がウォール街に従属するという関係を崩した。この関係が復活するのは、1945年4月にルーズベルトが執務中に急死してからだ。

 このアメリカと日本が戦争を始める切っ掛けは、言うまでもなく「真珠湾攻撃」。この攻撃がいかに無謀だったかを語る人は多いが、日本はすでに戦争をはじめていた。1927年5月に山東出兵、31年9月に柳条湖事件と呼ばれる偽旗作戦を実行して侵略を開始、中国東北部に「満州国」と称する傀儡国家を樹立させた。1937年7月の盧溝橋事件後、宣戦を中国の全域に拡大、そして41年12月の真珠湾攻撃だ。

 しかし、日本が東アジア侵略を始めたのはその遥か前、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置したところから始まる。本ブログでは何度か指摘したが、1871年7月に廃藩置県を実施済みなわけで、この琉球藩設置は台湾へ派兵する口実作りの可能性が高い。実際、そのころ来日していた厦門の領事のチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めていた。そこから江華島への軍艦派遣(朝鮮に対する挑発)、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦へとまっしぐらだ。この背後にはイギリスとアメリカが存在していた。

 東アジアを侵略している間に盗んだ財宝も曖昧なまま、アメリカ支配層と山分けした可能性が高い。その過程で吸った甘い汁を日本の支配層は忘れていないはず。アメリカ支配層の最近の動きを見ていると、過去の「成功体験」を再現しようとして失敗しているようで、日本がアメリカの真似をして再び中国を侵略しようとしたなら、取り返しのつかないことになりそうだ。

 こうした道へと日本を導いているのが安倍政権。危険な流れを察知した人びとが小沢一郎の率いる民主党を選挙で勝たせたのだが、それをマスコミと検察が潰し、菅直人や野田佳彦は国民の期待を裏切って現在がある。ここで諦めたなら、支配層の思う壺だ。


【注】

(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。

(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606300000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c2

[近代史4] 独裁者列伝 _ 金正恩 中川隆
1. 中川隆[-13212] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:27:47 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[22]

朝鮮は儒教国家、儒教を知らないと朝鮮人の行動様式は理解できない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/564.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/804.html#c1
[近代史4] プーチン大統領 中川隆
1. 中川隆[-13211] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:51:53 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[23]

プーチン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

カネも通信も丸裸、ロシア「監視社会化」の恐怖
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/599.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html

日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/497.html

ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c1

[近代史4] プーチン大統領 中川隆
2. 中川隆[-13210] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:53:46 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[24]

『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html


山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c2

[近代史3] 犯罪件数・少年犯罪が史上最少なのに「犯罪激増」と言うマスコミ 中川隆
1. 中川隆[-13209] koaQ7Jey 2020年4月17日 21:40:28 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[25]
2020年04月17日
少年の凶悪犯罪が激増? 実際は戦後最低 報道が増えただけ
http://www.thutmosev.com/archives/23618355.html


グラフは2006年で途切れているが、その後も減っている

http://p.twpl.jp/show/large/SGzuo

少年犯罪が激増した?

少年による凶悪犯罪が報道され犯罪の低年齢化や少年犯罪の凶悪化などが言われている。

しかし警察庁や警視庁の統計では少年の凶悪犯罪は戦後最低を更新し続けている。

カラクリはテレビが低視聴率にあえぎ、穴埋めとして少年犯罪を報道し、人々が見る機会が増えたというものだった。


警察庁は毎年少年犯罪に関する傾向を発表し法務省から犯罪白書、警察庁から警察白書がだされていて、少年犯罪についても書かれている。

少年の検挙件数は昭和58年の31万7,438人をピークとして平成29年は戦後最少の5万209人(前年比11.5%減)だった。

凶悪犯罪の件数は出されなかったが、戦後最低の発生件数だった数年前より増えたとは書かれていないので戦後最低水準と考えられる。


少年による凶悪犯罪は戦後最低で、テレビや新聞で報道されている事とは大きく矛盾している。

マスコミの言い分では「日本の治安は崩壊」していて、「少年犯罪は凶悪化の一途」を辿っていて、少年犯罪は戦後最悪の筈です。

警察とマスコミのどちらかが嘘をついている。


東京都内の昭和56年から平成25年の少年犯罪、全国的にも同じ傾向


「少年非行の傾向(平成25年) - 警視庁」 より

報道が増えただけ、というオチ

最近『少女が誘拐された』とか『少年が加害者の事件』が連日報道されている。

しかも一回で終わりではなく、一つの事件を何時間も特集し、それを何日も繰り返している。

こうした報道を見て視聴者は「少年犯罪が激増した」と思うわけですが、実際の犯罪は減少している。


少年犯罪の中でも特に凶悪な事件だけを見ても、やはり減少している。

思えば昭和の時代は暴走族や不良の全盛期で、カバンに鉄パイプや凶器を入れて登校する生徒が現実に居ました。

校内暴力や喧嘩が絶えず、対立する不良グループ同士数百人が河川敷で決闘なんてのも頻繁に起きていた。


小学生による暴行が増えているが、昔なら小学生が暴れても警察に届けなかったのであって実際に増えたのかは大変疑問です。

昭和の時代の教師は「警察に届けるのは学校の恥」と思っていた。

テレビ業界は近年視聴率が低下していて、お笑いやドラマは1桁視聴率が珍しくない。


それよりは少年の凶悪事件で特番を組んだほうが「稼げる」と考えている。

加えてネットで事件を報道するメディアやブログが多いので、人々が目にする機会が増えただけです。

さらに悪い事にはアメリカの報道研究によると報道を見て模倣して同じような事件が起きる。


テレビやネットで事件を知り「自分もやってみよう」と思う事で連鎖的に同じ事件が各地で起きている。
http://www.thutmosev.com/archives/23618355.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/767.html#c1

[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
12. 中川隆[-13208] koaQ7Jey 2020年4月18日 00:12:17 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[26]

【Front Japan 桜】驚愕!なんと武漢から『あれ』が無くなった?? / 緊急事態に決断できる自治体の重要さ[桜R2/4/17]



キャスター:河添恵子・佐波優子

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c12
[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
9. 中川隆[-13207] koaQ7Jey 2020年4月18日 00:27:37 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[27]

驚愕!なんと武漢から『あれ』が無くなった??[桜R2/4/17]



キャスター:河添恵子・佐波優子

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c9
[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
7. 中川隆[-13206] koaQ7Jey 2020年4月18日 00:28:25 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[28]


驚愕!なんと武漢から『あれ』が無くなった??[桜R2/4/17]



キャスター:河添恵子・佐波優子

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c7
[近代史4] 創価学会 中川隆
1. 中川隆[-13205] koaQ7Jey 2020年4月18日 01:04:45 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[29]

2020年04月17日
朝鮮人にも公金を渡せ ! / 日本国籍を取っても異邦人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html

「国籍」条項が無い給付金


(左 : 武漢ウイルスに怯える朝鮮人 / 右 : 反日を掲げる朝鮮人 )

  武漢ウイルスの拡散で日本経済は恐ろしいほど停滞し、多くの日本人が経済的に困っている。そこで、政府からの公的支援が必要になってくる訳だが、安倍政権は財務省の反対もあるのか、迅速な給付金配布ができない。米国のトランプ大統領は、既に多額の支援金を国民に渡しているのに、我が国の首相は官僚の御機嫌を伺って時間を無駄にするんだから情けない。

  ところが、様々な条件を設けた30万円の給付金案が立ち消え、国民一律10万円の支給に変わったからびっくり仰天。これは連立を組む公明党による「ゴリ押し」らしい。もっと言えば、創価学会を始めとする支持基盤への配慮なんだろう。だが、こうした給付金は在日外国人、つまり朝鮮人や支那人といった非日本国民にまで渡される危険性があるので注意を要する。(まさか、無いと思うけど、チンピラとか暴力団員にも支給されたらスキャンダルだ。) 既に、首相官邸で権力を振るう菅義偉が述べたように、政府は「国籍」で差別する気は無いらしい。しかも、公明党の背後には在日南鮮人が控えているから恐ろしい。彼らを率いる民団は、武漢ウイルスの支援策から在日外国人の住民が除外されないよう、公明党の山口那津男代表宛てに要望書を提出したそうだ。民団からは呂団長、徐元侮末ア総長、孫成吉生活局長と在日韓国商工会議所の金淳次副会長らが、衆議院第2議員会館を訪れた。そして、公明党からは党新型コロナウイルス感染症対策本部・事務局長の高木美智代政調会長代理(衆院議員)と、同本部員の石川博崇参議院国会対策委員長(参院議員)らが対応したという。(「支援策で外国人除外せぬよう・・・民団が公明党に要望書」、2020年4月10日附「民団新聞」)

  在日南鮮人を束ねる呂団長によれば、武漢ウイルスの影響は日本国民と同様、在日同胞の暮らしや事業経営者にも甚大な被害が出ているという。なので、「朝鮮人を外すな ! ウリ(俺)にもゼニよこせ !」、と叫んでる訳だ。この陳情を受けた高木議員は、「皆様をはじめとする日本に居住している外国人も対象となることを確認した」と述べた。一般の日本国民が聞けば憤慨する内容だが、在日鮮人の信者獲得に熱心な創価学会だから、朝鮮人を“のけ者”にしたくないんだろう。この宗教団体にとって最も大切なのは、生き神様のような池田大作で、次に選挙で奮闘する婦人部とか資金源となる所属信者であるから、日本の「国境」とか「国籍」、「国益」なんか二の次、三の次、地獄の肥溜め程度だ。何しろ、日本人の信者数が年々減ってきているから、創価学会は「新規の信者」獲得に必死だ。とりわけ、政治権力を目指す学会にとって、蔑まされる在日鮮人や帰化鮮人は格好の漁場である。おそらく、幹部連中は朝鮮人の権利拡大や地位向上を餌にして、公明党の支持者を増やそうと目論んでいるんだろう。日本で頼りになる団体を持たない移民や、根無し草のアジア人研修生が増えれば、創価学会の魔の手が伸びてくるから、非常に危険である。

  一連の不吉な予感を強くするのは、NHKニュースが4月16日に流した共産党の意見である。NHKは次のように伝えていた。

  共産党の志位委員長は記者会見で、「最初の30万円の案は不公平で、とてもじゃないが使い物にならず、破綻したということだ。10万円を急いで配るほうが合理的で、所得が多い人には後で税金で返してもらえばよい。外国人も含め、日本に住むすべての人を対象に支給するべきで、今の補正予算案に組み入れて即、執行することを強く求めたい」と述べました。

  志位委員長は“サラリ”と口にしたが、「外国人を含め」ということは、在日支那人や在日朝鮮人、色々な商売で定住するフィリピン人やベトナム人にも支給したい、というこだ。本来なら、経済的に苦しくなった日本人家庭を優先すべきで、外国人に渡す公金があるなら、小さな子供を抱える家庭に配るべきだろう。在日外国人は出身国に支援金を求めるべきで、日本政府は日本人だけを考慮すればよい。常識を備えた日本人は、「世界市民」を「仲間」にしようなんて考えていないはずだ。安倍総理は「国民へ」と述べていたが、もしかしたら「日本に住む人々」といった曖昧な言葉に変わるかも知れないぞ。特に「市民」という言葉は危険だ。「大阪市に住む人々」と言えば、「在日朝鮮人を含む」といった可能性が出てくる。

日本で恥辱を覚える朝鮮人
  
  今回のウイルス騒動で経済的に困っている在日鮮人がいることは確かだが、北鮮人は別にして、南鮮人は彼らの祖国に支援を求めるのが筋である。彼らは南鮮の選挙権を持っているんだから、文大統領に向かって「銭をくれ !」と要求すればいいじゃないか。反日国家に住み着く鮮人が、日本政府に給付金を“せがむ”なんてお門違いだ。戦後直ぐに帰るはずの朝鮮人は、いつまで経っても帰国せず、親子代々日本にしがみつき、我々に迷惑を掛けてきた。「日本国民」と同じ扱いを受けない在日鮮人は、「民族差別だ ! 日本人は植民地支配を謝れ!」と発狂し、鼻水垂らして泣き叫ぶ。もし、我々が反論とすると、今度は「日本で税金を払っているから、年金と選挙権をよこせ ! 国籍に関係なく平等に補助金を渡せ !」と言いたい放題。日本政府は銃口を向けて鮮人の日本脱出を阻んでいる訳じゃないのに、彼らは差別的な日本に住み続けている。日本人は朝鮮人に「どうか、いつまでも居て下さい !」と頼んだことはないぞ。むしろ、「早く出て行け!」と毛嫌いする意見の方が多い。だいたい、そんなに「差別」が厭なら、さっさと半島に戻ればいいじゃないか。

  日本人は基本的に朝鮮人が大嫌い。これは生理的拒絶反応だ。理屈で治るものじゃないから仕方ないだろう。我々は朝鮮人と苦楽を共にしたくないし、朝鮮人が困っていても助けたいとは思わない。彼らはタカリ先の日本を自分の「故郷」のように考えているが、日本は朝鮮人の植民地じゃないぞ。だいたい、朝鮮人と“共存”、“同化”、“混血”したいと思っている日本人は何割いるんだ? もちろん、朝鮮人と結婚する日本人もいるけど、大半の鮮人配偶者は素性を隠し、「日本人」みたいに振る舞っている。なぜなら、「朝鮮人」という民族の中に、何かドロドロした汚点や恥ずかしい特徴があるからだろう。在日鮮人や帰化鮮人は仲間と群れれば、「朝鮮人としての誇りを持っている !」と豪語するが、それは偽りなき本心なのか? 最近では、テレビや雑誌が仕組んだ「朝鮮ブーム」のお陰で朝鮮人のイメージが修繕され、自分の出自を暴露する朝鮮系住民も増えたけど、昔は正直に恥ずかしいと思う朝鮮人が多かった。

  1970年代から80年代にかけて、朝日新聞の川崎支局には前川恵司という社員がいたけど、彼は後に朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判した元ソウル特派員。たぶん、嘘つきの吉田清治を初めて紹介した朝日社員だから覚えている人もいるはずだし、雑誌『正論』に掲載した記事やチャンネル桜での出演を思い出し、「あっ、あの時の人か !」と頷く人もいるんじゃないか。この前川氏は昔から在日朝鮮人が気になるようで、朝鮮人が抱える問題をしきりに述べていた。彼が紹介した鮮人の中に面白い例があるので紹介したい。

  土木業者のB氏は、鮮人の母親Cを抱えて川崎で暮らす53歳の在日2世。B氏は民族学校に通っていたせいか、「朝鮮人」としての自覚が強かった。ただし、子供の頃は辛いことが多かったようで、民族学校から帰ってくると、近所に住む日本人の子供から侮辱され、イジメに遭っていたそうだ。(前川恵司 「『在日』の今日・明日」、『季刊 三千里』 1981年 第28号、 p.37.) 彼は悪ガキどもから殴られても殴り返すことができなかった、というから相当悔しかったに違いない。B氏は嘆いていたが、彼の両親は働くのが精一杯で、日本人のいじめっ子を叱ってくれなかったそうだ。しかし、本当は日本人とのトラブルを避けたかったんじゃないか。もし、大人が子供の喧嘩に口を出せば、日本人の親も出てくるから、話が余計ややこしくなる。

  朝鮮人に生まれるというのは色々な面で哀しい。例えば、彼は食卓に出されるキムチに手をつけなかったそうだ。もし、うっかり口にしたら、ニンニクの臭いが一日中、口の中に残るから嫌われる原因となる。だから、彼はキムチだけの朝食の時はそれを食べなかった。こうしてキムチ朝食を避け続けたところ、何時の間にか朝食を取らない習慣になってしまったという。確かに、戦前、日本人は朝鮮人の吐く息に卒倒した。朝鮮人はニンニクを好むので、只でさえ不潔な朝鮮人からは、ムカつくような体臭と口臭が漂ってくる。これだから、「朝鮮人」イコール「汚い」、「臭い」、「下劣」、「気持ち悪い」というイメージが附いたのも当然だ。昔ながらの朝鮮は本当に“みすぼらしい”国で、道端を通れば糞尿がそこら中にあったし、家屋は南京虫やダニの巣窟と言っていい。1970年代になっても南鮮は悲惨で、朝鮮の路地裏や飲食街を目にした日本人は目を剝いて驚くことばかり。(以前、当ブログでは「ディープなコリア」について述べた。)

 話を戻す。七年前に両親と帰郷したB氏は、父親から墓参りの義務を告げられ、民族意識を持って生きるよう諭されたそうだ。彼の父親は二年後に亡くなってしまうが、息子は父の言葉を胸に刻んでいた。そこで、B氏は小学生の長女と次女を“本名”で公立学校に通わせることにしたという。何しろ、日本で生まれ育った在日3世は、日本の影響を強く受けてしまい、日本人の意識に近づいてしまうから、朝鮮人としての自覚が薄くなる。だから、本名を貫くことで「朝鮮人」の自覚を持たせたい、という訳だ。B氏は「真理子」のような日本的名前は朝鮮人らしくないから、娘にはちゃんと朝鮮人らしい伝統的な名前を附けて、それをしっかりと主張できる子供に育てたい、と述べていた。でもさぁ〜、日本の学校で「金」とか「朴」「崔」といった名前じゃ恥ずかしいよねぇ〜。男の子で「太郎」だと「金太郎」になってしまうし、「玉」という名前の少女だと「金玉」になってしまうから、日本人の子供は大爆笑だ。嘘みたいだが、以前雑誌の『テーミス』を読んでいたら、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名を目にしてビックリしたことがある。北鮮では普通なんだろうけど、日本だと性転換していないオカマみたいだ。


(左 : 頭に籠を載せて歩く乳房丸出しの朝鮮人女性 / 右 : 貧乏な時代の朝鮮人 )

  娘に対する民族教育に熱心なB氏であったが、彼には相克があった。というのも、彼は職場で日本名を使っていたのだ。しかも、日々の生活で使う言葉も日本語なんだから言行不一致。これじゃあ、どこが“誇り高き朝鮮人”なのか分からない。彼は開き直って、「俺はどこへ行ってもニンニク臭い民族だ」と腹を括るが、その一方で、朝鮮語を上手く喋ることができないし、祖国の歴史も知らないから、「本当に民族の一人と言えるのか」と悩んでいたそうだ。娘に対しては朝鮮文化の大切さを説くが、祖先を弔(とむら)う祭祀(チェサ)にお金を掛けるとなれば渋い顔になったという。彼の母親は、牛肉や魚肉、菓子、果物などを膳に並べて豪華にしたかったが、その費用だけでも軽く4、5万円を超えてしまうから、B氏は不機嫌になったそうだ。母親のCは、「息子達2世が1世の言うことを半分しか聴かない」と愚痴をこぼしていたが、B氏は「生活に余裕があるなら・・・俺だってやってるさ !」と呟く。確かに、1970年代の鮮人家庭だと、下働きの低所得者が多かったから、「余計な出費をしたくない」という気持ちも分かる。朝鮮人って、死体崇拝なんじゃないか、と思えるほど儀式が大好き。日本人の嫁さんはドロドロした朝鮮の祭祀にウンザリするらしい。

  在日2世の息子や娘に「朝鮮の文化を忘れるな !」と釘を刺す在日1世はいたけど、やはり“現実社会の壁”を身に沁みて分かっていたから、簡単に理想を追求するアホは少なかった。例えば、B氏が娘達を「本名で通わせる」と決めた時、母親のCさん(祖母)は猛烈に反対したそうだ。「本名で通わせるなんて・・・・孫に辛い思いをさせたいのか。日本名でなぜ行かせない」と息子に詰め寄り、B氏の決定に異を唱えた。B氏は家族の中で一番民族意識が強い母が真っ先に賛成してくれるものと思っていたから、母親の反対にショックを受けたらしい。B氏が「民族意識を持たせるには、本名で通わせなくては」と力説するや、母親のCは、「民族意識は家庭の中で教えれば良い」と撥ねつけたそうだ。(上掲文、 p.39.)

  さぁ〜すが、苦労を重ねた1世は違う。彼らは朝鮮の過去を肌で知っているし、日本人がその惨めな歴史を知っているのを解っているから、日本人の前では朝鮮文化を誇ることはない。そもそも、在日1世は、貧乏で不潔な朝鮮の中で育ってきたのだ。大半の移民(逃亡者)は「祖国に未来が無い」と悟ったから、日本に渡ってきたのだ。自分が「絶望の国」と判断し、馬鹿にされても仕方ない賤民、と分かっているから、日本社会で朝鮮を自慢できるとは思わない。朝鮮文化を称讃するのは、同胞が集まった宴会の時だけ。日本人がいる職場や学校で「朝鮮自慢」なんて自殺行為に等しい。朝鮮文化に馴染みが無い在日3世や4世の娘達は、日本の友人を自宅に招くことができなかった。なぜなら、もし、日本人のクラスメートが家の中にある“奇妙”な置物とか衣装を目にしたら、「あっ、朝鮮人だ !」とバレてしまうからだ。したがって、羞恥心の強い鮮人少女は、絶対に連れてきたくないし、両親や兄弟を見せることも避けていた。特に、朝鮮訛りが抜けない両親や親戚は、奇妙な日本語を喋るからリスクが大きい。日本の不良と喧嘩する朝鮮高校の不良ならともかく、血統の暴露を懼れる温厚な鮮人少女には同情したくなる。

  公立学校に通ったB氏の弟も、兄の考えには反対したそうだ。曰わく、「日本人の意識が変わらないのに、本名で通学させるなんて・・・・孫最初から子供を谷底に突き落とすと同じだ」、と。(p.39) こうした家族からの反対を受けて、B氏もどれだけの冒険であるのかを痛感したらしい。

  必ず、娘は学校で本名をからかわれ、泣いて帰宅する日が来る。その時、親である自分はどう納得させ、再び学校に通うようにさせるか。どこまで子どもを支えられるか。(上掲文、p.40)

  B氏はこのように悩んだが、それでも意見を変えず、本名で娘を学校に通わせたそうだ。いやぁぁ〜、民族意識に目覚めた朝鮮人には附ける薬が無い。朝鮮人というのは、どんなに馬鹿げた考えでも、一旦思い込むと、状況を考えず邁進する癖がある。以前、エレベーターの扉に腹を立てた朝鮮人の障碍者がいた。彼は電動車椅子をフルスピードにしてエレベーターに突っ込んだところ、偶然開いた扉を突き抜け、シャフト(昇降路)の底へ転落してしまった。筆者はこの事故の映像を見た時、不謹慎ながら笑ってしまった。あまりにも滑稽すぎるからだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、激怒した朝鮮人には「理性」というものが無い。たぶん、B氏は「苦難を乗り越えて、強い朝鮮人に育って欲しい」と願ったんだろうが、本名を強いられた娘にすれば、針の筵(むしろ)にくるまれたような境遇だ。こういう家庭に育った朝鮮人だと、グレてしまう可能性が高い。

(左 : 餅つきをする朝鮮人 / 右 : アフリカ人のように頭に籠を載せる朝鮮人)

  これは致し方ないが、高度文明の日本で育った朝鮮人だと、肉体は鮮人のままでも精神的には「日本人」となってしまう。したがって、野暮ったい両親や祖父母が儒教混じりの訓諭を垂れると、単なる“説教”とか“押しつけ”と感じてしまうのだ。いくら「朝鮮文化は素晴らしい」と教えられても、実際の朝鮮があまりにも悲惨なので、朝鮮に親近感を覚えても、直ぐに「幻想」や「失望」に変わってしまうことがよくある。しかも、日本には言論の自由があるから、朝鮮人にとって不都合な歴史や恥ずかしい風習が簡単に暴かれてしまう。なるほど、テレビ局や学校は朝鮮人に配慮した「朝鮮史」を述べるが、日本の民間人はお構いなしに事実を伝えてしまうから、朝鮮人は悔しがる。例えば、昔定説だった「強制連行」は嘘とバレてしまったし、「従軍慰安婦」も捏造で、朝鮮の女衒が連れた来た「鮮ピー」というのが一般的な呼称だった。在日鮮人にとって、「不逞鮮人」とか「第三国人」という言葉は一刻も早く忘れたい蔑称だが、「ヨボ」という言葉を蒸し返されるとムっとくる。戦前の内地人(日本人)は、外地の半島人(朝鮮人)を「ヨボ」と呼んでいたけど、現在では死語となっている。これは「ヨボヨボな老人」という言葉にも通じているので、侮蔑と感じる朝鮮人もいたらしい。朝鮮に赴任した警察官の今村鞆(いまむら・とも)は、朝鮮の研究にも打ち込んだせいか、朝鮮人に対する思いやりが深かった。彼は日鮮の相互的礼儀を強調し、鮮人の感情を害さないよう訴えかけていた。

  自分は警察処罰令に「内地人にして朝鮮人に対しヨボと呼ぶべららず、但朝鮮語に熟達した内地人にして言語の中にヨボと呼ぶはこの限りに非ず」という一項を挿入したい・・・・。(今村鞆  『歴史民俗 朝鮮漫談』 南山吟社、昭和3年、p.391.)

  まぁ、今村氏は研究者として朝鮮贔屓になったのだろうが、一般の日本人は鮮人に対する卑屈な態度は無かった。例えば、中流家庭の知識人に雇われた女中も素っ気なく、気軽に「先生、何とか云うヨボが尋ねてきて玄関にいますが、どうしましょうか?」と訊くことがあったらしい。今なら放送禁止用語が伏せ字になってしまうが、昔の日本人は言論の自由があったから、遠慮なく使っていた。今村氏は同書で朝鮮人の「処女献上」を述べているが、今の在日朝鮮人だと李朝時代の悪習を知らない場合がある。支那の権力に屈した朝鮮人は、村の生娘を支那人や蒙古人に貢いでいたのだ。慰安婦像で騒ぐ朝鮮人は、支那人が奪い去った少女も一緒に述べるべきなんじゃないか? 日本兵にサービスした鮮人娼婦は大金を稼いだけど、支那人に献上された朝鮮処女は、一体「いくら」もらったんだ? 是非、明らかにしてもらいたい。

  在日鮮人への給付金から随分逸れてしまったが、我々は朝鮮人と運命を共にしたくないのは事実だ。日本人は日本人だけで恐慌を乗り越えたいのであって、朝鮮人を救うのは南鮮にある政府の義務である。日本国民は安倍総理を厳しく非難するが、他の政治家が何をしているのか、もっと注目すべきだろう。でも、女を膝に乗せながら「犬になりたい!」と豪語する「ワンワン高井」は論外。立憲民主党には碌でなしが集まっているのか、高井崇志(たかい・たかし)みたいなクズが本当に多い。しかし、精液で下半身を濡らしている高井よりも酷いのは、同党の鮮系議員である白眞勲(参議院議員)の方だ。今は武漢ウイルスの拡大で大変な時期なのに、この日鮮混血議員は、ヘイトスピーチを更に取り締まるべく、新たな法案作りに邁進しているそうだ。彼は昨年「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の会長に就任し、ヘイトスピーチをなくしてグローバルな共生社会を目指している。(「ヘイトスピーチ対策、新法案づくりへ意欲」、2020年3月27日附「民団新聞」) 日本国民がウイルス対策と失業の問題で困っているのに、白議員は「同胞」の心配をしているんだから、「どこの議員なんだ?」と尋ねたくなる。白議員曰わく、「自分の人生は日韓関係そのもの」なんだって。だから、日本で暮らす外国人(朝鮮同胞)のために努力しているのか ! でもさぁ、こんな奴に議員報酬を払っているんだから、比例名簿による当選は無くすべきだ。

とにかく、日本には北京政府に買収された議員とか、ハニートラップに掛かった議員や官僚、国家転覆を謀る左翼知識人、経済不況を利用して権力を握ろうとする売国奴など、有害分子が実に多い。給付金の金額を云々するテレビ番組は多いけど、在日鮮人や支那人について取り上げるテレビ局はほとんど無いから異常だ。マスコミは意図的に「報道しない自由」を行使して、わざと朝鮮人や支那人に触れないよう努めている。もし、在日アジア人にも給付金が渡されるとなれば、輿論が「何だ、それ !!」と激昂するから、これを避けたいんだろう。「報道しなければ存在しない」というのがマスコミの考えである。我々は表面の騒動に惑わされず、報道されない裏側に目を光らせるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/228.html#c1

[近代史3] 在日韓国人が急速に減少 9割が日本人と結婚し子供は日本人になる 中川隆
4. 中川隆[-13204] koaQ7Jey 2020年4月18日 01:06:23 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[30]

2020年04月17日
朝鮮人にも公金を渡せ ! / 日本国籍を取っても異邦人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html

「国籍」条項が無い給付金


(左 : 武漢ウイルスに怯える朝鮮人 / 右 : 反日を掲げる朝鮮人 )

  武漢ウイルスの拡散で日本経済は恐ろしいほど停滞し、多くの日本人が経済的に困っている。そこで、政府からの公的支援が必要になってくる訳だが、安倍政権は財務省の反対もあるのか、迅速な給付金配布ができない。米国のトランプ大統領は、既に多額の支援金を国民に渡しているのに、我が国の首相は官僚の御機嫌を伺って時間を無駄にするんだから情けない。

  ところが、様々な条件を設けた30万円の給付金案が立ち消え、国民一律10万円の支給に変わったからびっくり仰天。これは連立を組む公明党による「ゴリ押し」らしい。もっと言えば、創価学会を始めとする支持基盤への配慮なんだろう。だが、こうした給付金は在日外国人、つまり朝鮮人や支那人といった非日本国民にまで渡される危険性があるので注意を要する。(まさか、無いと思うけど、チンピラとか暴力団員にも支給されたらスキャンダルだ。) 既に、首相官邸で権力を振るう菅義偉が述べたように、政府は「国籍」で差別する気は無いらしい。しかも、公明党の背後には在日南鮮人が控えているから恐ろしい。彼らを率いる民団は、武漢ウイルスの支援策から在日外国人の住民が除外されないよう、公明党の山口那津男代表宛てに要望書を提出したそうだ。民団からは呂団長、徐元侮末ア総長、孫成吉生活局長と在日韓国商工会議所の金淳次副会長らが、衆議院第2議員会館を訪れた。そして、公明党からは党新型コロナウイルス感染症対策本部・事務局長の高木美智代政調会長代理(衆院議員)と、同本部員の石川博崇参議院国会対策委員長(参院議員)らが対応したという。(「支援策で外国人除外せぬよう・・・民団が公明党に要望書」、2020年4月10日附「民団新聞」)

  在日南鮮人を束ねる呂団長によれば、武漢ウイルスの影響は日本国民と同様、在日同胞の暮らしや事業経営者にも甚大な被害が出ているという。なので、「朝鮮人を外すな ! ウリ(俺)にもゼニよこせ !」、と叫んでる訳だ。この陳情を受けた高木議員は、「皆様をはじめとする日本に居住している外国人も対象となることを確認した」と述べた。一般の日本国民が聞けば憤慨する内容だが、在日鮮人の信者獲得に熱心な創価学会だから、朝鮮人を“のけ者”にしたくないんだろう。この宗教団体にとって最も大切なのは、生き神様のような池田大作で、次に選挙で奮闘する婦人部とか資金源となる所属信者であるから、日本の「国境」とか「国籍」、「国益」なんか二の次、三の次、地獄の肥溜め程度だ。何しろ、日本人の信者数が年々減ってきているから、創価学会は「新規の信者」獲得に必死だ。とりわけ、政治権力を目指す学会にとって、蔑まされる在日鮮人や帰化鮮人は格好の漁場である。おそらく、幹部連中は朝鮮人の権利拡大や地位向上を餌にして、公明党の支持者を増やそうと目論んでいるんだろう。日本で頼りになる団体を持たない移民や、根無し草のアジア人研修生が増えれば、創価学会の魔の手が伸びてくるから、非常に危険である。

  一連の不吉な予感を強くするのは、NHKニュースが4月16日に流した共産党の意見である。NHKは次のように伝えていた。

  共産党の志位委員長は記者会見で、「最初の30万円の案は不公平で、とてもじゃないが使い物にならず、破綻したということだ。10万円を急いで配るほうが合理的で、所得が多い人には後で税金で返してもらえばよい。外国人も含め、日本に住むすべての人を対象に支給するべきで、今の補正予算案に組み入れて即、執行することを強く求めたい」と述べました。

  志位委員長は“サラリ”と口にしたが、「外国人を含め」ということは、在日支那人や在日朝鮮人、色々な商売で定住するフィリピン人やベトナム人にも支給したい、というこだ。本来なら、経済的に苦しくなった日本人家庭を優先すべきで、外国人に渡す公金があるなら、小さな子供を抱える家庭に配るべきだろう。在日外国人は出身国に支援金を求めるべきで、日本政府は日本人だけを考慮すればよい。常識を備えた日本人は、「世界市民」を「仲間」にしようなんて考えていないはずだ。安倍総理は「国民へ」と述べていたが、もしかしたら「日本に住む人々」といった曖昧な言葉に変わるかも知れないぞ。特に「市民」という言葉は危険だ。「大阪市に住む人々」と言えば、「在日朝鮮人を含む」といった可能性が出てくる。

日本で恥辱を覚える朝鮮人
  
  今回のウイルス騒動で経済的に困っている在日鮮人がいることは確かだが、北鮮人は別にして、南鮮人は彼らの祖国に支援を求めるのが筋である。彼らは南鮮の選挙権を持っているんだから、文大統領に向かって「銭をくれ !」と要求すればいいじゃないか。反日国家に住み着く鮮人が、日本政府に給付金を“せがむ”なんてお門違いだ。戦後直ぐに帰るはずの朝鮮人は、いつまで経っても帰国せず、親子代々日本にしがみつき、我々に迷惑を掛けてきた。「日本国民」と同じ扱いを受けない在日鮮人は、「民族差別だ ! 日本人は植民地支配を謝れ!」と発狂し、鼻水垂らして泣き叫ぶ。もし、我々が反論とすると、今度は「日本で税金を払っているから、年金と選挙権をよこせ ! 国籍に関係なく平等に補助金を渡せ !」と言いたい放題。日本政府は銃口を向けて鮮人の日本脱出を阻んでいる訳じゃないのに、彼らは差別的な日本に住み続けている。日本人は朝鮮人に「どうか、いつまでも居て下さい !」と頼んだことはないぞ。むしろ、「早く出て行け!」と毛嫌いする意見の方が多い。だいたい、そんなに「差別」が厭なら、さっさと半島に戻ればいいじゃないか。

  日本人は基本的に朝鮮人が大嫌い。これは生理的拒絶反応だ。理屈で治るものじゃないから仕方ないだろう。我々は朝鮮人と苦楽を共にしたくないし、朝鮮人が困っていても助けたいとは思わない。彼らはタカリ先の日本を自分の「故郷」のように考えているが、日本は朝鮮人の植民地じゃないぞ。だいたい、朝鮮人と“共存”、“同化”、“混血”したいと思っている日本人は何割いるんだ? もちろん、朝鮮人と結婚する日本人もいるけど、大半の鮮人配偶者は素性を隠し、「日本人」みたいに振る舞っている。なぜなら、「朝鮮人」という民族の中に、何かドロドロした汚点や恥ずかしい特徴があるからだろう。在日鮮人や帰化鮮人は仲間と群れれば、「朝鮮人としての誇りを持っている !」と豪語するが、それは偽りなき本心なのか? 最近では、テレビや雑誌が仕組んだ「朝鮮ブーム」のお陰で朝鮮人のイメージが修繕され、自分の出自を暴露する朝鮮系住民も増えたけど、昔は正直に恥ずかしいと思う朝鮮人が多かった。

  1970年代から80年代にかけて、朝日新聞の川崎支局には前川恵司という社員がいたけど、彼は後に朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判した元ソウル特派員。たぶん、嘘つきの吉田清治を初めて紹介した朝日社員だから覚えている人もいるはずだし、雑誌『正論』に掲載した記事やチャンネル桜での出演を思い出し、「あっ、あの時の人か !」と頷く人もいるんじゃないか。この前川氏は昔から在日朝鮮人が気になるようで、朝鮮人が抱える問題をしきりに述べていた。彼が紹介した鮮人の中に面白い例があるので紹介したい。

  土木業者のB氏は、鮮人の母親Cを抱えて川崎で暮らす53歳の在日2世。B氏は民族学校に通っていたせいか、「朝鮮人」としての自覚が強かった。ただし、子供の頃は辛いことが多かったようで、民族学校から帰ってくると、近所に住む日本人の子供から侮辱され、イジメに遭っていたそうだ。(前川恵司 「『在日』の今日・明日」、『季刊 三千里』 1981年 第28号、 p.37.) 彼は悪ガキどもから殴られても殴り返すことができなかった、というから相当悔しかったに違いない。B氏は嘆いていたが、彼の両親は働くのが精一杯で、日本人のいじめっ子を叱ってくれなかったそうだ。しかし、本当は日本人とのトラブルを避けたかったんじゃないか。もし、大人が子供の喧嘩に口を出せば、日本人の親も出てくるから、話が余計ややこしくなる。

  朝鮮人に生まれるというのは色々な面で哀しい。例えば、彼は食卓に出されるキムチに手をつけなかったそうだ。もし、うっかり口にしたら、ニンニクの臭いが一日中、口の中に残るから嫌われる原因となる。だから、彼はキムチだけの朝食の時はそれを食べなかった。こうしてキムチ朝食を避け続けたところ、何時の間にか朝食を取らない習慣になってしまったという。確かに、戦前、日本人は朝鮮人の吐く息に卒倒した。朝鮮人はニンニクを好むので、只でさえ不潔な朝鮮人からは、ムカつくような体臭と口臭が漂ってくる。これだから、「朝鮮人」イコール「汚い」、「臭い」、「下劣」、「気持ち悪い」というイメージが附いたのも当然だ。昔ながらの朝鮮は本当に“みすぼらしい”国で、道端を通れば糞尿がそこら中にあったし、家屋は南京虫やダニの巣窟と言っていい。1970年代になっても南鮮は悲惨で、朝鮮の路地裏や飲食街を目にした日本人は目を剝いて驚くことばかり。(以前、当ブログでは「ディープなコリア」について述べた。)

 話を戻す。七年前に両親と帰郷したB氏は、父親から墓参りの義務を告げられ、民族意識を持って生きるよう諭されたそうだ。彼の父親は二年後に亡くなってしまうが、息子は父の言葉を胸に刻んでいた。そこで、B氏は小学生の長女と次女を“本名”で公立学校に通わせることにしたという。何しろ、日本で生まれ育った在日3世は、日本の影響を強く受けてしまい、日本人の意識に近づいてしまうから、朝鮮人としての自覚が薄くなる。だから、本名を貫くことで「朝鮮人」の自覚を持たせたい、という訳だ。B氏は「真理子」のような日本的名前は朝鮮人らしくないから、娘にはちゃんと朝鮮人らしい伝統的な名前を附けて、それをしっかりと主張できる子供に育てたい、と述べていた。でもさぁ〜、日本の学校で「金」とか「朴」「崔」といった名前じゃ恥ずかしいよねぇ〜。男の子で「太郎」だと「金太郎」になってしまうし、「玉」という名前の少女だと「金玉」になってしまうから、日本人の子供は大爆笑だ。嘘みたいだが、以前雑誌の『テーミス』を読んでいたら、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名を目にしてビックリしたことがある。北鮮では普通なんだろうけど、日本だと性転換していないオカマみたいだ。


(左 : 頭に籠を載せて歩く乳房丸出しの朝鮮人女性 / 右 : 貧乏な時代の朝鮮人 )

  娘に対する民族教育に熱心なB氏であったが、彼には相克があった。というのも、彼は職場で日本名を使っていたのだ。しかも、日々の生活で使う言葉も日本語なんだから言行不一致。これじゃあ、どこが“誇り高き朝鮮人”なのか分からない。彼は開き直って、「俺はどこへ行ってもニンニク臭い民族だ」と腹を括るが、その一方で、朝鮮語を上手く喋ることができないし、祖国の歴史も知らないから、「本当に民族の一人と言えるのか」と悩んでいたそうだ。娘に対しては朝鮮文化の大切さを説くが、祖先を弔(とむら)う祭祀(チェサ)にお金を掛けるとなれば渋い顔になったという。彼の母親は、牛肉や魚肉、菓子、果物などを膳に並べて豪華にしたかったが、その費用だけでも軽く4、5万円を超えてしまうから、B氏は不機嫌になったそうだ。母親のCは、「息子達2世が1世の言うことを半分しか聴かない」と愚痴をこぼしていたが、B氏は「生活に余裕があるなら・・・俺だってやってるさ !」と呟く。確かに、1970年代の鮮人家庭だと、下働きの低所得者が多かったから、「余計な出費をしたくない」という気持ちも分かる。朝鮮人って、死体崇拝なんじゃないか、と思えるほど儀式が大好き。日本人の嫁さんはドロドロした朝鮮の祭祀にウンザリするらしい。

  在日2世の息子や娘に「朝鮮の文化を忘れるな !」と釘を刺す在日1世はいたけど、やはり“現実社会の壁”を身に沁みて分かっていたから、簡単に理想を追求するアホは少なかった。例えば、B氏が娘達を「本名で通わせる」と決めた時、母親のCさん(祖母)は猛烈に反対したそうだ。「本名で通わせるなんて・・・・孫に辛い思いをさせたいのか。日本名でなぜ行かせない」と息子に詰め寄り、B氏の決定に異を唱えた。B氏は家族の中で一番民族意識が強い母が真っ先に賛成してくれるものと思っていたから、母親の反対にショックを受けたらしい。B氏が「民族意識を持たせるには、本名で通わせなくては」と力説するや、母親のCは、「民族意識は家庭の中で教えれば良い」と撥ねつけたそうだ。(上掲文、 p.39.)

  さぁ〜すが、苦労を重ねた1世は違う。彼らは朝鮮の過去を肌で知っているし、日本人がその惨めな歴史を知っているのを解っているから、日本人の前では朝鮮文化を誇ることはない。そもそも、在日1世は、貧乏で不潔な朝鮮の中で育ってきたのだ。大半の移民(逃亡者)は「祖国に未来が無い」と悟ったから、日本に渡ってきたのだ。自分が「絶望の国」と判断し、馬鹿にされても仕方ない賤民、と分かっているから、日本社会で朝鮮を自慢できるとは思わない。朝鮮文化を称讃するのは、同胞が集まった宴会の時だけ。日本人がいる職場や学校で「朝鮮自慢」なんて自殺行為に等しい。朝鮮文化に馴染みが無い在日3世や4世の娘達は、日本の友人を自宅に招くことができなかった。なぜなら、もし、日本人のクラスメートが家の中にある“奇妙”な置物とか衣装を目にしたら、「あっ、朝鮮人だ !」とバレてしまうからだ。したがって、羞恥心の強い鮮人少女は、絶対に連れてきたくないし、両親や兄弟を見せることも避けていた。特に、朝鮮訛りが抜けない両親や親戚は、奇妙な日本語を喋るからリスクが大きい。日本の不良と喧嘩する朝鮮高校の不良ならともかく、血統の暴露を懼れる温厚な鮮人少女には同情したくなる。

  公立学校に通ったB氏の弟も、兄の考えには反対したそうだ。曰わく、「日本人の意識が変わらないのに、本名で通学させるなんて・・・・孫最初から子供を谷底に突き落とすと同じだ」、と。(p.39) こうした家族からの反対を受けて、B氏もどれだけの冒険であるのかを痛感したらしい。

  必ず、娘は学校で本名をからかわれ、泣いて帰宅する日が来る。その時、親である自分はどう納得させ、再び学校に通うようにさせるか。どこまで子どもを支えられるか。(上掲文、p.40)

  B氏はこのように悩んだが、それでも意見を変えず、本名で娘を学校に通わせたそうだ。いやぁぁ〜、民族意識に目覚めた朝鮮人には附ける薬が無い。朝鮮人というのは、どんなに馬鹿げた考えでも、一旦思い込むと、状況を考えず邁進する癖がある。以前、エレベーターの扉に腹を立てた朝鮮人の障碍者がいた。彼は電動車椅子をフルスピードにしてエレベーターに突っ込んだところ、偶然開いた扉を突き抜け、シャフト(昇降路)の底へ転落してしまった。筆者はこの事故の映像を見た時、不謹慎ながら笑ってしまった。あまりにも滑稽すぎるからだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、激怒した朝鮮人には「理性」というものが無い。たぶん、B氏は「苦難を乗り越えて、強い朝鮮人に育って欲しい」と願ったんだろうが、本名を強いられた娘にすれば、針の筵(むしろ)にくるまれたような境遇だ。こういう家庭に育った朝鮮人だと、グレてしまう可能性が高い。

(左 : 餅つきをする朝鮮人 / 右 : アフリカ人のように頭に籠を載せる朝鮮人)

  これは致し方ないが、高度文明の日本で育った朝鮮人だと、肉体は鮮人のままでも精神的には「日本人」となってしまう。したがって、野暮ったい両親や祖父母が儒教混じりの訓諭を垂れると、単なる“説教”とか“押しつけ”と感じてしまうのだ。いくら「朝鮮文化は素晴らしい」と教えられても、実際の朝鮮があまりにも悲惨なので、朝鮮に親近感を覚えても、直ぐに「幻想」や「失望」に変わってしまうことがよくある。しかも、日本には言論の自由があるから、朝鮮人にとって不都合な歴史や恥ずかしい風習が簡単に暴かれてしまう。なるほど、テレビ局や学校は朝鮮人に配慮した「朝鮮史」を述べるが、日本の民間人はお構いなしに事実を伝えてしまうから、朝鮮人は悔しがる。例えば、昔定説だった「強制連行」は嘘とバレてしまったし、「従軍慰安婦」も捏造で、朝鮮の女衒が連れた来た「鮮ピー」というのが一般的な呼称だった。在日鮮人にとって、「不逞鮮人」とか「第三国人」という言葉は一刻も早く忘れたい蔑称だが、「ヨボ」という言葉を蒸し返されるとムっとくる。戦前の内地人(日本人)は、外地の半島人(朝鮮人)を「ヨボ」と呼んでいたけど、現在では死語となっている。これは「ヨボヨボな老人」という言葉にも通じているので、侮蔑と感じる朝鮮人もいたらしい。朝鮮に赴任した警察官の今村鞆(いまむら・とも)は、朝鮮の研究にも打ち込んだせいか、朝鮮人に対する思いやりが深かった。彼は日鮮の相互的礼儀を強調し、鮮人の感情を害さないよう訴えかけていた。

  自分は警察処罰令に「内地人にして朝鮮人に対しヨボと呼ぶべららず、但朝鮮語に熟達した内地人にして言語の中にヨボと呼ぶはこの限りに非ず」という一項を挿入したい・・・・。(今村鞆  『歴史民俗 朝鮮漫談』 南山吟社、昭和3年、p.391.)

  まぁ、今村氏は研究者として朝鮮贔屓になったのだろうが、一般の日本人は鮮人に対する卑屈な態度は無かった。例えば、中流家庭の知識人に雇われた女中も素っ気なく、気軽に「先生、何とか云うヨボが尋ねてきて玄関にいますが、どうしましょうか?」と訊くことがあったらしい。今なら放送禁止用語が伏せ字になってしまうが、昔の日本人は言論の自由があったから、遠慮なく使っていた。今村氏は同書で朝鮮人の「処女献上」を述べているが、今の在日朝鮮人だと李朝時代の悪習を知らない場合がある。支那の権力に屈した朝鮮人は、村の生娘を支那人や蒙古人に貢いでいたのだ。慰安婦像で騒ぐ朝鮮人は、支那人が奪い去った少女も一緒に述べるべきなんじゃないか? 日本兵にサービスした鮮人娼婦は大金を稼いだけど、支那人に献上された朝鮮処女は、一体「いくら」もらったんだ? 是非、明らかにしてもらいたい。

  在日鮮人への給付金から随分逸れてしまったが、我々は朝鮮人と運命を共にしたくないのは事実だ。日本人は日本人だけで恐慌を乗り越えたいのであって、朝鮮人を救うのは南鮮にある政府の義務である。日本国民は安倍総理を厳しく非難するが、他の政治家が何をしているのか、もっと注目すべきだろう。でも、女を膝に乗せながら「犬になりたい!」と豪語する「ワンワン高井」は論外。立憲民主党には碌でなしが集まっているのか、高井崇志(たかい・たかし)みたいなクズが本当に多い。しかし、精液で下半身を濡らしている高井よりも酷いのは、同党の鮮系議員である白眞勲(参議院議員)の方だ。今は武漢ウイルスの拡大で大変な時期なのに、この日鮮混血議員は、ヘイトスピーチを更に取り締まるべく、新たな法案作りに邁進しているそうだ。彼は昨年「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の会長に就任し、ヘイトスピーチをなくしてグローバルな共生社会を目指している。(「ヘイトスピーチ対策、新法案づくりへ意欲」、2020年3月27日附「民団新聞」) 日本国民がウイルス対策と失業の問題で困っているのに、白議員は「同胞」の心配をしているんだから、「どこの議員なんだ?」と尋ねたくなる。白議員曰わく、「自分の人生は日韓関係そのもの」なんだって。だから、日本で暮らす外国人(朝鮮同胞)のために努力しているのか ! でもさぁ、こんな奴に議員報酬を払っているんだから、比例名簿による当選は無くすべきだ。

とにかく、日本には北京政府に買収された議員とか、ハニートラップに掛かった議員や官僚、国家転覆を謀る左翼知識人、経済不況を利用して権力を握ろうとする売国奴など、有害分子が実に多い。給付金の金額を云々するテレビ番組は多いけど、在日鮮人や支那人について取り上げるテレビ局はほとんど無いから異常だ。マスコミは意図的に「報道しない自由」を行使して、わざと朝鮮人や支那人に触れないよう努めている。もし、在日アジア人にも給付金が渡されるとなれば、輿論が「何だ、それ !!」と激昂するから、これを避けたいんだろう。「報道しなければ存在しない」というのがマスコミの考えである。我々は表面の騒動に惑わされず、報道されない裏側に目を光らせるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/787.html#c4

[近代史3] 「現在の在日韓国人」の大半は日韓基本条約の永住権がない 中川隆
8. 中川隆[-13203] koaQ7Jey 2020年4月18日 01:06:44 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[31]

2020年04月17日
朝鮮人にも公金を渡せ ! / 日本国籍を取っても異邦人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html

「国籍」条項が無い給付金


(左 : 武漢ウイルスに怯える朝鮮人 / 右 : 反日を掲げる朝鮮人 )

  武漢ウイルスの拡散で日本経済は恐ろしいほど停滞し、多くの日本人が経済的に困っている。そこで、政府からの公的支援が必要になってくる訳だが、安倍政権は財務省の反対もあるのか、迅速な給付金配布ができない。米国のトランプ大統領は、既に多額の支援金を国民に渡しているのに、我が国の首相は官僚の御機嫌を伺って時間を無駄にするんだから情けない。

  ところが、様々な条件を設けた30万円の給付金案が立ち消え、国民一律10万円の支給に変わったからびっくり仰天。これは連立を組む公明党による「ゴリ押し」らしい。もっと言えば、創価学会を始めとする支持基盤への配慮なんだろう。だが、こうした給付金は在日外国人、つまり朝鮮人や支那人といった非日本国民にまで渡される危険性があるので注意を要する。(まさか、無いと思うけど、チンピラとか暴力団員にも支給されたらスキャンダルだ。) 既に、首相官邸で権力を振るう菅義偉が述べたように、政府は「国籍」で差別する気は無いらしい。しかも、公明党の背後には在日南鮮人が控えているから恐ろしい。彼らを率いる民団は、武漢ウイルスの支援策から在日外国人の住民が除外されないよう、公明党の山口那津男代表宛てに要望書を提出したそうだ。民団からは呂団長、徐元侮末ア総長、孫成吉生活局長と在日韓国商工会議所の金淳次副会長らが、衆議院第2議員会館を訪れた。そして、公明党からは党新型コロナウイルス感染症対策本部・事務局長の高木美智代政調会長代理(衆院議員)と、同本部員の石川博崇参議院国会対策委員長(参院議員)らが対応したという。(「支援策で外国人除外せぬよう・・・民団が公明党に要望書」、2020年4月10日附「民団新聞」)

  在日南鮮人を束ねる呂団長によれば、武漢ウイルスの影響は日本国民と同様、在日同胞の暮らしや事業経営者にも甚大な被害が出ているという。なので、「朝鮮人を外すな ! ウリ(俺)にもゼニよこせ !」、と叫んでる訳だ。この陳情を受けた高木議員は、「皆様をはじめとする日本に居住している外国人も対象となることを確認した」と述べた。一般の日本国民が聞けば憤慨する内容だが、在日鮮人の信者獲得に熱心な創価学会だから、朝鮮人を“のけ者”にしたくないんだろう。この宗教団体にとって最も大切なのは、生き神様のような池田大作で、次に選挙で奮闘する婦人部とか資金源となる所属信者であるから、日本の「国境」とか「国籍」、「国益」なんか二の次、三の次、地獄の肥溜め程度だ。何しろ、日本人の信者数が年々減ってきているから、創価学会は「新規の信者」獲得に必死だ。とりわけ、政治権力を目指す学会にとって、蔑まされる在日鮮人や帰化鮮人は格好の漁場である。おそらく、幹部連中は朝鮮人の権利拡大や地位向上を餌にして、公明党の支持者を増やそうと目論んでいるんだろう。日本で頼りになる団体を持たない移民や、根無し草のアジア人研修生が増えれば、創価学会の魔の手が伸びてくるから、非常に危険である。

  一連の不吉な予感を強くするのは、NHKニュースが4月16日に流した共産党の意見である。NHKは次のように伝えていた。

  共産党の志位委員長は記者会見で、「最初の30万円の案は不公平で、とてもじゃないが使い物にならず、破綻したということだ。10万円を急いで配るほうが合理的で、所得が多い人には後で税金で返してもらえばよい。外国人も含め、日本に住むすべての人を対象に支給するべきで、今の補正予算案に組み入れて即、執行することを強く求めたい」と述べました。

  志位委員長は“サラリ”と口にしたが、「外国人を含め」ということは、在日支那人や在日朝鮮人、色々な商売で定住するフィリピン人やベトナム人にも支給したい、というこだ。本来なら、経済的に苦しくなった日本人家庭を優先すべきで、外国人に渡す公金があるなら、小さな子供を抱える家庭に配るべきだろう。在日外国人は出身国に支援金を求めるべきで、日本政府は日本人だけを考慮すればよい。常識を備えた日本人は、「世界市民」を「仲間」にしようなんて考えていないはずだ。安倍総理は「国民へ」と述べていたが、もしかしたら「日本に住む人々」といった曖昧な言葉に変わるかも知れないぞ。特に「市民」という言葉は危険だ。「大阪市に住む人々」と言えば、「在日朝鮮人を含む」といった可能性が出てくる。

日本で恥辱を覚える朝鮮人
  
  今回のウイルス騒動で経済的に困っている在日鮮人がいることは確かだが、北鮮人は別にして、南鮮人は彼らの祖国に支援を求めるのが筋である。彼らは南鮮の選挙権を持っているんだから、文大統領に向かって「銭をくれ !」と要求すればいいじゃないか。反日国家に住み着く鮮人が、日本政府に給付金を“せがむ”なんてお門違いだ。戦後直ぐに帰るはずの朝鮮人は、いつまで経っても帰国せず、親子代々日本にしがみつき、我々に迷惑を掛けてきた。「日本国民」と同じ扱いを受けない在日鮮人は、「民族差別だ ! 日本人は植民地支配を謝れ!」と発狂し、鼻水垂らして泣き叫ぶ。もし、我々が反論とすると、今度は「日本で税金を払っているから、年金と選挙権をよこせ ! 国籍に関係なく平等に補助金を渡せ !」と言いたい放題。日本政府は銃口を向けて鮮人の日本脱出を阻んでいる訳じゃないのに、彼らは差別的な日本に住み続けている。日本人は朝鮮人に「どうか、いつまでも居て下さい !」と頼んだことはないぞ。むしろ、「早く出て行け!」と毛嫌いする意見の方が多い。だいたい、そんなに「差別」が厭なら、さっさと半島に戻ればいいじゃないか。

  日本人は基本的に朝鮮人が大嫌い。これは生理的拒絶反応だ。理屈で治るものじゃないから仕方ないだろう。我々は朝鮮人と苦楽を共にしたくないし、朝鮮人が困っていても助けたいとは思わない。彼らはタカリ先の日本を自分の「故郷」のように考えているが、日本は朝鮮人の植民地じゃないぞ。だいたい、朝鮮人と“共存”、“同化”、“混血”したいと思っている日本人は何割いるんだ? もちろん、朝鮮人と結婚する日本人もいるけど、大半の鮮人配偶者は素性を隠し、「日本人」みたいに振る舞っている。なぜなら、「朝鮮人」という民族の中に、何かドロドロした汚点や恥ずかしい特徴があるからだろう。在日鮮人や帰化鮮人は仲間と群れれば、「朝鮮人としての誇りを持っている !」と豪語するが、それは偽りなき本心なのか? 最近では、テレビや雑誌が仕組んだ「朝鮮ブーム」のお陰で朝鮮人のイメージが修繕され、自分の出自を暴露する朝鮮系住民も増えたけど、昔は正直に恥ずかしいと思う朝鮮人が多かった。

  1970年代から80年代にかけて、朝日新聞の川崎支局には前川恵司という社員がいたけど、彼は後に朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判した元ソウル特派員。たぶん、嘘つきの吉田清治を初めて紹介した朝日社員だから覚えている人もいるはずだし、雑誌『正論』に掲載した記事やチャンネル桜での出演を思い出し、「あっ、あの時の人か !」と頷く人もいるんじゃないか。この前川氏は昔から在日朝鮮人が気になるようで、朝鮮人が抱える問題をしきりに述べていた。彼が紹介した鮮人の中に面白い例があるので紹介したい。

  土木業者のB氏は、鮮人の母親Cを抱えて川崎で暮らす53歳の在日2世。B氏は民族学校に通っていたせいか、「朝鮮人」としての自覚が強かった。ただし、子供の頃は辛いことが多かったようで、民族学校から帰ってくると、近所に住む日本人の子供から侮辱され、イジメに遭っていたそうだ。(前川恵司 「『在日』の今日・明日」、『季刊 三千里』 1981年 第28号、 p.37.) 彼は悪ガキどもから殴られても殴り返すことができなかった、というから相当悔しかったに違いない。B氏は嘆いていたが、彼の両親は働くのが精一杯で、日本人のいじめっ子を叱ってくれなかったそうだ。しかし、本当は日本人とのトラブルを避けたかったんじゃないか。もし、大人が子供の喧嘩に口を出せば、日本人の親も出てくるから、話が余計ややこしくなる。

  朝鮮人に生まれるというのは色々な面で哀しい。例えば、彼は食卓に出されるキムチに手をつけなかったそうだ。もし、うっかり口にしたら、ニンニクの臭いが一日中、口の中に残るから嫌われる原因となる。だから、彼はキムチだけの朝食の時はそれを食べなかった。こうしてキムチ朝食を避け続けたところ、何時の間にか朝食を取らない習慣になってしまったという。確かに、戦前、日本人は朝鮮人の吐く息に卒倒した。朝鮮人はニンニクを好むので、只でさえ不潔な朝鮮人からは、ムカつくような体臭と口臭が漂ってくる。これだから、「朝鮮人」イコール「汚い」、「臭い」、「下劣」、「気持ち悪い」というイメージが附いたのも当然だ。昔ながらの朝鮮は本当に“みすぼらしい”国で、道端を通れば糞尿がそこら中にあったし、家屋は南京虫やダニの巣窟と言っていい。1970年代になっても南鮮は悲惨で、朝鮮の路地裏や飲食街を目にした日本人は目を剝いて驚くことばかり。(以前、当ブログでは「ディープなコリア」について述べた。)

 話を戻す。七年前に両親と帰郷したB氏は、父親から墓参りの義務を告げられ、民族意識を持って生きるよう諭されたそうだ。彼の父親は二年後に亡くなってしまうが、息子は父の言葉を胸に刻んでいた。そこで、B氏は小学生の長女と次女を“本名”で公立学校に通わせることにしたという。何しろ、日本で生まれ育った在日3世は、日本の影響を強く受けてしまい、日本人の意識に近づいてしまうから、朝鮮人としての自覚が薄くなる。だから、本名を貫くことで「朝鮮人」の自覚を持たせたい、という訳だ。B氏は「真理子」のような日本的名前は朝鮮人らしくないから、娘にはちゃんと朝鮮人らしい伝統的な名前を附けて、それをしっかりと主張できる子供に育てたい、と述べていた。でもさぁ〜、日本の学校で「金」とか「朴」「崔」といった名前じゃ恥ずかしいよねぇ〜。男の子で「太郎」だと「金太郎」になってしまうし、「玉」という名前の少女だと「金玉」になってしまうから、日本人の子供は大爆笑だ。嘘みたいだが、以前雑誌の『テーミス』を読んでいたら、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名を目にしてビックリしたことがある。北鮮では普通なんだろうけど、日本だと性転換していないオカマみたいだ。


(左 : 頭に籠を載せて歩く乳房丸出しの朝鮮人女性 / 右 : 貧乏な時代の朝鮮人 )

  娘に対する民族教育に熱心なB氏であったが、彼には相克があった。というのも、彼は職場で日本名を使っていたのだ。しかも、日々の生活で使う言葉も日本語なんだから言行不一致。これじゃあ、どこが“誇り高き朝鮮人”なのか分からない。彼は開き直って、「俺はどこへ行ってもニンニク臭い民族だ」と腹を括るが、その一方で、朝鮮語を上手く喋ることができないし、祖国の歴史も知らないから、「本当に民族の一人と言えるのか」と悩んでいたそうだ。娘に対しては朝鮮文化の大切さを説くが、祖先を弔(とむら)う祭祀(チェサ)にお金を掛けるとなれば渋い顔になったという。彼の母親は、牛肉や魚肉、菓子、果物などを膳に並べて豪華にしたかったが、その費用だけでも軽く4、5万円を超えてしまうから、B氏は不機嫌になったそうだ。母親のCは、「息子達2世が1世の言うことを半分しか聴かない」と愚痴をこぼしていたが、B氏は「生活に余裕があるなら・・・俺だってやってるさ !」と呟く。確かに、1970年代の鮮人家庭だと、下働きの低所得者が多かったから、「余計な出費をしたくない」という気持ちも分かる。朝鮮人って、死体崇拝なんじゃないか、と思えるほど儀式が大好き。日本人の嫁さんはドロドロした朝鮮の祭祀にウンザリするらしい。

  在日2世の息子や娘に「朝鮮の文化を忘れるな !」と釘を刺す在日1世はいたけど、やはり“現実社会の壁”を身に沁みて分かっていたから、簡単に理想を追求するアホは少なかった。例えば、B氏が娘達を「本名で通わせる」と決めた時、母親のCさん(祖母)は猛烈に反対したそうだ。「本名で通わせるなんて・・・・孫に辛い思いをさせたいのか。日本名でなぜ行かせない」と息子に詰め寄り、B氏の決定に異を唱えた。B氏は家族の中で一番民族意識が強い母が真っ先に賛成してくれるものと思っていたから、母親の反対にショックを受けたらしい。B氏が「民族意識を持たせるには、本名で通わせなくては」と力説するや、母親のCは、「民族意識は家庭の中で教えれば良い」と撥ねつけたそうだ。(上掲文、 p.39.)

  さぁ〜すが、苦労を重ねた1世は違う。彼らは朝鮮の過去を肌で知っているし、日本人がその惨めな歴史を知っているのを解っているから、日本人の前では朝鮮文化を誇ることはない。そもそも、在日1世は、貧乏で不潔な朝鮮の中で育ってきたのだ。大半の移民(逃亡者)は「祖国に未来が無い」と悟ったから、日本に渡ってきたのだ。自分が「絶望の国」と判断し、馬鹿にされても仕方ない賤民、と分かっているから、日本社会で朝鮮を自慢できるとは思わない。朝鮮文化を称讃するのは、同胞が集まった宴会の時だけ。日本人がいる職場や学校で「朝鮮自慢」なんて自殺行為に等しい。朝鮮文化に馴染みが無い在日3世や4世の娘達は、日本の友人を自宅に招くことができなかった。なぜなら、もし、日本人のクラスメートが家の中にある“奇妙”な置物とか衣装を目にしたら、「あっ、朝鮮人だ !」とバレてしまうからだ。したがって、羞恥心の強い鮮人少女は、絶対に連れてきたくないし、両親や兄弟を見せることも避けていた。特に、朝鮮訛りが抜けない両親や親戚は、奇妙な日本語を喋るからリスクが大きい。日本の不良と喧嘩する朝鮮高校の不良ならともかく、血統の暴露を懼れる温厚な鮮人少女には同情したくなる。

  公立学校に通ったB氏の弟も、兄の考えには反対したそうだ。曰わく、「日本人の意識が変わらないのに、本名で通学させるなんて・・・・孫最初から子供を谷底に突き落とすと同じだ」、と。(p.39) こうした家族からの反対を受けて、B氏もどれだけの冒険であるのかを痛感したらしい。

  必ず、娘は学校で本名をからかわれ、泣いて帰宅する日が来る。その時、親である自分はどう納得させ、再び学校に通うようにさせるか。どこまで子どもを支えられるか。(上掲文、p.40)

  B氏はこのように悩んだが、それでも意見を変えず、本名で娘を学校に通わせたそうだ。いやぁぁ〜、民族意識に目覚めた朝鮮人には附ける薬が無い。朝鮮人というのは、どんなに馬鹿げた考えでも、一旦思い込むと、状況を考えず邁進する癖がある。以前、エレベーターの扉に腹を立てた朝鮮人の障碍者がいた。彼は電動車椅子をフルスピードにしてエレベーターに突っ込んだところ、偶然開いた扉を突き抜け、シャフト(昇降路)の底へ転落してしまった。筆者はこの事故の映像を見た時、不謹慎ながら笑ってしまった。あまりにも滑稽すぎるからだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、激怒した朝鮮人には「理性」というものが無い。たぶん、B氏は「苦難を乗り越えて、強い朝鮮人に育って欲しい」と願ったんだろうが、本名を強いられた娘にすれば、針の筵(むしろ)にくるまれたような境遇だ。こういう家庭に育った朝鮮人だと、グレてしまう可能性が高い。

(左 : 餅つきをする朝鮮人 / 右 : アフリカ人のように頭に籠を載せる朝鮮人)

  これは致し方ないが、高度文明の日本で育った朝鮮人だと、肉体は鮮人のままでも精神的には「日本人」となってしまう。したがって、野暮ったい両親や祖父母が儒教混じりの訓諭を垂れると、単なる“説教”とか“押しつけ”と感じてしまうのだ。いくら「朝鮮文化は素晴らしい」と教えられても、実際の朝鮮があまりにも悲惨なので、朝鮮に親近感を覚えても、直ぐに「幻想」や「失望」に変わってしまうことがよくある。しかも、日本には言論の自由があるから、朝鮮人にとって不都合な歴史や恥ずかしい風習が簡単に暴かれてしまう。なるほど、テレビ局や学校は朝鮮人に配慮した「朝鮮史」を述べるが、日本の民間人はお構いなしに事実を伝えてしまうから、朝鮮人は悔しがる。例えば、昔定説だった「強制連行」は嘘とバレてしまったし、「従軍慰安婦」も捏造で、朝鮮の女衒が連れた来た「鮮ピー」というのが一般的な呼称だった。在日鮮人にとって、「不逞鮮人」とか「第三国人」という言葉は一刻も早く忘れたい蔑称だが、「ヨボ」という言葉を蒸し返されるとムっとくる。戦前の内地人(日本人)は、外地の半島人(朝鮮人)を「ヨボ」と呼んでいたけど、現在では死語となっている。これは「ヨボヨボな老人」という言葉にも通じているので、侮蔑と感じる朝鮮人もいたらしい。朝鮮に赴任した警察官の今村鞆(いまむら・とも)は、朝鮮の研究にも打ち込んだせいか、朝鮮人に対する思いやりが深かった。彼は日鮮の相互的礼儀を強調し、鮮人の感情を害さないよう訴えかけていた。

  自分は警察処罰令に「内地人にして朝鮮人に対しヨボと呼ぶべららず、但朝鮮語に熟達した内地人にして言語の中にヨボと呼ぶはこの限りに非ず」という一項を挿入したい・・・・。(今村鞆  『歴史民俗 朝鮮漫談』 南山吟社、昭和3年、p.391.)

  まぁ、今村氏は研究者として朝鮮贔屓になったのだろうが、一般の日本人は鮮人に対する卑屈な態度は無かった。例えば、中流家庭の知識人に雇われた女中も素っ気なく、気軽に「先生、何とか云うヨボが尋ねてきて玄関にいますが、どうしましょうか?」と訊くことがあったらしい。今なら放送禁止用語が伏せ字になってしまうが、昔の日本人は言論の自由があったから、遠慮なく使っていた。今村氏は同書で朝鮮人の「処女献上」を述べているが、今の在日朝鮮人だと李朝時代の悪習を知らない場合がある。支那の権力に屈した朝鮮人は、村の生娘を支那人や蒙古人に貢いでいたのだ。慰安婦像で騒ぐ朝鮮人は、支那人が奪い去った少女も一緒に述べるべきなんじゃないか? 日本兵にサービスした鮮人娼婦は大金を稼いだけど、支那人に献上された朝鮮処女は、一体「いくら」もらったんだ? 是非、明らかにしてもらいたい。

  在日鮮人への給付金から随分逸れてしまったが、我々は朝鮮人と運命を共にしたくないのは事実だ。日本人は日本人だけで恐慌を乗り越えたいのであって、朝鮮人を救うのは南鮮にある政府の義務である。日本国民は安倍総理を厳しく非難するが、他の政治家が何をしているのか、もっと注目すべきだろう。でも、女を膝に乗せながら「犬になりたい!」と豪語する「ワンワン高井」は論外。立憲民主党には碌でなしが集まっているのか、高井崇志(たかい・たかし)みたいなクズが本当に多い。しかし、精液で下半身を濡らしている高井よりも酷いのは、同党の鮮系議員である白眞勲(参議院議員)の方だ。今は武漢ウイルスの拡大で大変な時期なのに、この日鮮混血議員は、ヘイトスピーチを更に取り締まるべく、新たな法案作りに邁進しているそうだ。彼は昨年「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の会長に就任し、ヘイトスピーチをなくしてグローバルな共生社会を目指している。(「ヘイトスピーチ対策、新法案づくりへ意欲」、2020年3月27日附「民団新聞」) 日本国民がウイルス対策と失業の問題で困っているのに、白議員は「同胞」の心配をしているんだから、「どこの議員なんだ?」と尋ねたくなる。白議員曰わく、「自分の人生は日韓関係そのもの」なんだって。だから、日本で暮らす外国人(朝鮮同胞)のために努力しているのか ! でもさぁ、こんな奴に議員報酬を払っているんだから、比例名簿による当選は無くすべきだ。

とにかく、日本には北京政府に買収された議員とか、ハニートラップに掛かった議員や官僚、国家転覆を謀る左翼知識人、経済不況を利用して権力を握ろうとする売国奴など、有害分子が実に多い。給付金の金額を云々するテレビ番組は多いけど、在日鮮人や支那人について取り上げるテレビ局はほとんど無いから異常だ。マスコミは意図的に「報道しない自由」を行使して、わざと朝鮮人や支那人に触れないよう努めている。もし、在日アジア人にも給付金が渡されるとなれば、輿論が「何だ、それ !!」と激昂するから、これを避けたいんだろう。「報道しなければ存在しない」というのがマスコミの考えである。我々は表面の騒動に惑わされず、報道されない裏側に目を光らせるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/566.html#c8

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > dEVkTUMvd3ZaM0U= > 100000  g検索 dEVkTUMvd3ZaM0U=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。