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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100595
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[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
252. 中川隆[-6434] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:33:43 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[10]
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1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c252

[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
105. 中川隆[-6433] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:34:05 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[11]
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1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c105

[近代史02] 原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝 中川隆
73. 中川隆[-6432] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:34:23 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[12]
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1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c73

[近代史7] 日本のゴールド「天皇の金塊」をジェームズ斉藤が徹底解説! 知られざる日本の財宝、驚愕の金額…米デフォルトと関連 中川隆
3. 中川隆[-6431] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:35:57 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[13]
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1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
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1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/392.html#c3

[番外地12] Jacqueline du Pre
ああ

Elgar - Cello Concerto in E minor, Op. 85 / Remastered (recording of the Century: Jacqueline Du Pré)

Cello: Jacqueline du Pré
London Symphony Orchestra
Conductor: Sir John Barbirolli
Recorded in 1965, at London

Elgar - Cello Concerto, Delius - Cello Concerto (recording of the Century: Jacqueline Du Pré)

Sir Edward Elgar (1857-1934) Cello Concerto in E minor Op.85
London Symphony Orchestra
Conductor : Sir John Barbirolli

Frederik Delius (1862-1934) Cello Concerto
Royal Philharmonic Orchestra
Conductor : Sir Malcom Sargent
Cello : Jacqueline Du Pré

Recorded in 1965, at London

Jacqueline du Pré PROMS DEBUT at age 17 [1962; Elgar Cello Concerto] cond. Malcolm Sargent

14 August 1962
Her first recording (and second public performance) of the Elgar!

Elgar: Cello Concerto in E minor, Op. 85 - Jacqueline du Pre & Daniel Barenboim

Jacqueline du Pre, cello
Philadelphia Orchestra
Daniel Barenboim, conductor
Taken from a live concert, November 27, 1970

Jacqueline du Pre & Daniel Barenboim - Elgar Cello Concerto


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/560.html

[番外地12] マイスキー 中川隆
8. 中川隆[-6430] koaQ7Jey 2025年6月07日 13:17:22 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[14]
ああ

Maisky, Elgar Cello concerto in E minor Op.85


Mischa Maisky
Philharmonia Orchestra
Giuseppe Sinopoli
℗ 1991 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/546.html#c8
[番外地12] Pablo Casals
aaaあ

Elgar Cello Concerto in E minor,Op.85(Casals,Boult BBCso 1945)

Pablo Casals(Cello)
Sir Adrian Boult(Conductor)
BBC Symphony Orchestra
14 October 1945 Abbey Rood Studios London

エルガー チェロ協奏曲 ホ短調 Op.85 チェロ:パブロ・カザルス 指揮:エイドリアン・ボールト BBC交響楽団 1945年録音

Cello: Pablo Casals
Conductor: Adrian Boult
BBC Symphony Orchestra
Recorded in 1945

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/561.html

[番外地12] Pierre Fournier
aあ

Elgar: Cello Concerto in E minor, Op. 85 - Pierre Fournier, BP, Alfred Wallenstein.



Recording: 20~23rd Oct. 1966, UFA Recording Studio, Berlin

Elgar Cello Concerto Pierre Fournier Berlin Philharmonic Alfred Wallenstein (1966/2017)

Recorded in 1966, released on Deutsche Grammophon 139 128 SLPM, 1967.

Pierre Fournier plays Elgar's Cello Concerto (live)

Bavarian Radio Symphony Orchestra, Paul Kletzki

Elgar "Cello Concerto" Pierre Fournier/Hans Rosbaud

Pierre Fournier Cello
WDR Symphony Orchestra
Hans Rosbaud, Conductor
07.III.1955

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/562.html

[番外地12] チョン・キョンファ

Edward Elgar: Salut d'Amour, op. 12 - Kyung Wha Chung - Phillip Moll

Kyung Wha Chung, Violin
Phillip Moll, Piano
Decca 417 289-2
Forde Abbey, Somerset, 10/1985

Elgar: Salut d'amour, Op. 12

Kyung Wha Chung
Phillip Moll
℗ 1987 Decca Music Group Limited

Edward Elgar : Salut d'Amour Op 12( Piano : Peter Frankl ) 1995.05.31

KyungWha Chung ( Violin )
Peter Frankl ( Piano )
1995.05.31

Salut d'amour

℗ 2017 Parlophone Records Limited, a Warner Music Group Company.
Piano: Kevin Kenner
Violin: Kyung Wha Chung
Composer: Sir Edward Elgar

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/563.html

[番外地12] Bronislaw Huberman

Bronislaw Huberman - Elgar : La Capricieuse Op.17 (1931) - 電気再生

Piano ; Siegfried Schultze
recorded 29 January 1931
transfer from Jpn Columbia 78s / J-7873(AX-5951)

Bronislaw Huberman - Elgar : La Capricieuse op.17 (1930)

Piano ; Siegfried Schultze
recorded in 1930
transfer from Jpn Columbia 78s / J-7873(AX-5951)

Bronislaw Huberman - Elgar : La Capricieuse Op.17 (1931) 再復刻

Piano ;acc. by Siegfried Schultze
recorded 29 January 1931
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7873(AX-5951)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/564.html

[番外地12] トランプは中国を敵視しているのではなく、アメリカが世界全体を支配するのを諦めて、北アメリカ大陸だけの小さなブロック経済を作って、
トランプは中国を敵視しているのではなく、アメリカが世界全体を支配するのを諦めて、北アメリカ大陸だけの小さなブロック経済を作って、アングロサクソンとユダヤ人の巨大資本家だけで北アメリカのブロック経済を支配するファシズム政権を作りたいのです。アメリカは赤字国債が増え過ぎて、その利子だけで国家予算の半分以上を占めるので、もう軍事費が出せないのです。軍事費ゼロで世界全体を支配できる訳は無いですから、支配する地域を北アメリカだけに狭めるしかなくなったのです。 反グローバリズムとか反国際金融資本とか反中国とかいう問題ではありません。 バイデン政権が滅茶苦茶な金融緩和と財政出動をしたのは、米国株を無理やり上昇させて、国際金融資本が持っている米国株と米国債を何も知らない日本人やアジア人に売る為だったのです。 これからは ぶっ壊し屋でピエロのトランプに世界経済を滅茶苦茶にさせて、底値になった所で世界株を爆買いするつもりでしょう。 昔、意図的に日本の平成バブルを作ってから潰し、空売りと底値買いでボロ儲けしたのと同じパターンをまた繰り返すのです:
詳細は

マスク・トランプ決裂 (金子勝×尾形聡彦)【6/6(金) 17:10~ ライブ】
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トランプをピエロとして操る勢力を知ろう(2025.4.24)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=SQxPIIEuaRo

何故ユダヤ資本はアメリカ株式会社を会社更生法へ追い込むのか(2024.11.22)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=Cn-r0X4si28

嬉しがらーせて、泣かーせて消えーたトランプ(2025.6.3)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=y_VSynM0IgE

トランプに喜ばされた国民が泣かされるタイミングをお知らせします。(2025.6.5)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=nR9YZHaaa7M

トランプ不況は必然!では何時?(2025.6.6)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=boYxmm-NON0

現状破壊のトランプの行く先に何があるのか(2025.4.26)増田俊男のラジオ
https://www.youtube.com/watch?v=FErcw-T4dVA
https://www.youtube.com/watch?v=i1rDost3ow4

トランプは何故世界から嫌われるようにするのか?(2025.4.21)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=lcwj8U34rNg&t=463s

トランプの「アメリカファースト」ー「新モンロー主義」そして「帝国主義」?! 一体何だかわかりますか?(2025.4.22)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=o2gelOJcrfE

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トランプは緊縮財政と金融緩和の両方を同時にやって、労働者を犠牲にして巨大資本家を儲けさせようとしている。 超ドル安でインフレになると大企業と巨大資本家だけがぼろ儲けして、労働者が大損するのですが、トランプは大企業・巨大資本家の損得しか考えていないのですね。:

トランプ政権が望んでいることは2つある。財政赤字の縮小と金利の低下である。
ベッセント財務長官は、米国債が下落し金利が上昇する状況を絶対に許容できなかった。ただでさえ急増している米国債の利払いが更に増えてしまうからである。
トランプ政権から景気刺激的な経済政策がほとんど出てこないのは、それが理由である。前回のトランプ相場のように株価上昇・金利上昇の相場にしてしまうと米国債がとんでもないことになってしまう。

トランプ政権は財政赤字を縮小し、財政政策では引き締め的な政策を取る一方で、金融政策は緩和したいと思っている。
これまで財政赤字を増やしてのばら撒きが米国株とアメリカ経済を支えてきたのだから、緊縮財政で財政赤字を減らせば米国株は下がる。それは今月投資家が株価下落によって実感したことである。
だが同時に金融緩和を行えば、緩和効果が緊縮財政のネガティブな効果を軽減してくれる上に、金利が下がるので債務負担が減る。
それこそがトランプ大統領の(というよりは経済政策に関するブレーンとなっているベッセント財務長官の)狙っていることである。

量的緩和再開か
緊縮財政と金融緩和の組み合わせは、景気減速を和らげながら財政赤字削減を行う魔法のような方法に思える。しかしそのために犠牲となるものが1つある。ドルである。
金融緩和をすれば当然ドルは下落する。昨年9月に見たように、単に利下げをすればインフレ懸念で長期金利が上昇してしまうから、行われるとすれば長期国債を直接買い入れる量的緩和の可能性が高い。

そうなれば通貨がどうなるかは、日本人が一番良く知っている。大幅下落である。

これまでアメリカはばら撒き政策とドル高を両方実現してきた。コロナ後のばら撒きでも金利が上昇したことによりドルはむしろ上がった。
だが米国債の利払い費用の増大によって、ついにドルを犠牲にしなければならない状況が来たということである。通貨を犠牲にしなければ経済を保てなかった日本と同じ状況に、今度はアメリカが置かれる。だから金価格が先んじて上がっているのである。

重要なのは、これが単なる量的緩和による中期的なドルの下落ということではなく、基軸通貨ドルの終わりの始まりだということである。
世界中の投資家が買ってくれる基軸通貨であるためにいくらでも紙幣印刷できたアメリカが、金利上昇によって米国債の救済を余儀なくされるとき、アメリカは初めて経済維持のために何かを犠牲にせざるを得なくなる。
財政赤字の縮小と金融緩和を同時にやるのであれば、犠牲になるのはドルということになる。基軸通貨ドルの終わりである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/63848

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レイ・ダリオ _ 基軸通貨を持つ世界一の大国でも 政府債務増加で破綻する
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16887650

日本もアメリカも政府債務はインフレで解決されるしかない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16875882

各国政府はインフレを歓迎し、むしろインフレ誘導している
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14078205

これがドル基軸体制に変わる新しい世界の通貨システム _ 米株価・米国債・米ドルが三つ共暴落しているのに、ゴールドだけ上がっている理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16898632

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トランプはアメリカ大陸、ハワイやフィリピンを先住民を家畜扱いして乗っ取ってきた19世紀アメリカの伝統をそっくりそのまま引き継いでいる帝国主義者のファシスト

西谷修 _ アメリカ原理時代とアメリカ世界統治の終焉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16891943

ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14125646
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/565.html
[番外地12] クライスラー 中川隆
4. 中川隆[-6429] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:26:38 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[15]
<△25行くらい>

Kreisler & Rachmaninov - Grieg : Violin Sonata No.3 op.45 (1928) 再復刻




Fritz Kreisler (Vn), Sergei Rachmaninov (Piano)
recorded 14-15 September 1928, The Electrola Studio, Berlin
transferred from Jpn Victor - 8112





http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/540.html#c4
[番外地12] Heifetz 中川隆
1. 中川隆[-6428] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:32:14 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[16]
Heifetz - Debussy : La Fille Aux Cheveux de Lin, Grieg : Scherzo - Impromptu (1926) 電気再生


Piao accomp. by Isidor Achron
recorded Dec. 29, 1926
transferred from Jpn Victor 78s / 6622-B,

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c1
[番外地12] Heifetz 中川隆
2. 中川隆[-6427] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:36:22 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[17]
ああ

Grieg: Violin Sonata No 3 (1928) Kreisler/Rachmaninoff


Fritz Kreisler, violin
Sergei Rachmaninoff, pianist

Recorded on September 14-15, 1928
at Electrola Studio, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c2
[番外地12] Heifetz 中川隆
3. 中川隆[-6426] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:38:20 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[18]


HEIFETZ UNPUBLISHED Violin Sonata No.3 (GRIEG)


Emanuel Bay, piano
Recorded February 3. 1936
Label: RCA

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c3
[番外地12] オーギュスタン・デュメイ

Grieg Sonatas For Violin And Piano | Augustin Dumay · Maria João Pires - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLzBDtDLSlWnLgXvwY4Qau5FKwui32Ji1K

Grieg: Violin Sonata No. 3, Op. 45

Augustin Dumay
Maria João Pires
℗ 1993 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/566.html

[番外地12] オーギュスタン・デュメイ 中川隆
1. 中川隆[-6425] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:48:42 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[19]


Grieg, Violin Sonata 3 - Video Score - Dumay, Pires


Augustin Dumay, violin
Maria Joao Pires, piano

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/566.html#c1
[番外地12] マイスキー 中川隆
9. 中川隆[-6424] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:52:42 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[20]

グリーグ:チェロ・ソナタ|ミッシャ・マイスキー&マルタ・アルゲリッチ(全曲)


Mischa Maisky (cello) and Martha Argerich (piano) deliver a deeply expressive performance of Edvard Grieg's Cello Sonata in A minor, Op. 36, blending passion and nuance. This stirring rendition was captured at the 2008 Verbier Festival.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/546.html#c9
[番外地12] Mstislav Rostropovich
aあ

Grieg - Cello sonata - Rostropovich / Richter

Mstislav Rostropovich
Sviatoslav Richter
Live recording, Aldeburgh, 1964

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/567.html

[番外地12] プーチンは隠れユxx人 で 、スラブ人やユxx人以外の民族を徹底的に搾取・貧困化させているロシア国民の敵です。
プーチンは隠れユxx人 で 、スラブ人やユxx人以外の民族を徹底的に搾取・貧困化させているロシア国民の敵です。
プーチンがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
プーチンは 隠れユxx人 で ユxx人 の利益にしか関心が無く、スラブ人や少数民族を徹底的に収奪・搾取・弾圧している。 プーチンはグローバリストと戦っているのではなく、単に ユxx人 の中で内ゲバしているだけです。だからこそプーチンとキッシンジャーは仲が良いのです。
ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、 ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、 モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

自国民を苦しめるプーチン政権・ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
水無月レナ 2024年12月23日

ロシアの今
 ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

 また、人口減少も深刻な問題であり、出生率の低下や若年層の国外流出などが悪影響を及ぼしており、ロシアの労働市場は、深刻な労働力不足に直面している。ロシア中央銀行の企業調査では、労働力不足が過去25年で最も深刻であると報告されているそうだ。

 10月28日、プーチン大統領は「ロシア経済は依然として厳しい状況にある」と述べ、制裁や物流問題、人材不足をその原因に挙げた。実際、インフレ率は2023年夏以降加速し、10月時点で8.5%に達しており、主要食品の価格も大幅に上昇し、ジャガイモが50%、バターが23.4%、パンが11.2%、牛肉の価格は10ヶ月で10.2%、リンゴも13.1%値上がりし、公共交通機関の運賃も10%以上値上がりするなど、国民の負担がさらに増している。
 ロシア連邦統計局(ロススタット)の調査結果と「RIAノーボスチ」によれば、ロシアの家庭の大半はすべての支出をまかなうのに必要な収入が足りず、今年4月から6月にかけて十分な収入があった家庭はわずか4.9%にとどまった。


ロシアの現状。実際の生活、物価、月収。給料がとても安い?!生活費は?ロシア人3人にインタビュー
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/12/23
https://www.youtube.com/watch?v=zGHnzLQ_P7I
https://note.com/lena066/n/n593967417d89?sub_rt=share_b

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ロシアの経済ニュース紹介&少し解説!制裁の影響は?ロシア国民は制裁の影響に気づいているのか?ガスプロム赤字、ロシア政府、必死になって増税始める!
れなちゃんねる・水無月レナ 2023/07/17
https://www.youtube.com/watch?v=O-kGj-0O7ig

今回は、ロシアのニュースを紹介しようと思って、色々まとめてみました。ガスプロムが抱える赤字、ガス料金値上げ、新たな税金、制裁の影響、プーチンの考えなど!

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ロシアの選挙について。プーチンはなぜ当選したのか?投票用紙に無効票にしようと何か書いたら逮捕される?!不正だらけの選挙の実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=enNnMhc6y9c

ご存知の通り、17日に選挙が終わり、プーチンが87%余りの得票率で圧勝。しかし私はそんな選挙は認めないし、みんなにも認めてほしくない。占領地で選挙をやっている時点でアウトだが、プーチン政権は自国民の扱いも酷く、選挙でさえ何の意味もない茶番と化している。プーチンは大統領ではない、ただの犯罪者。

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真っ白な紙でも逮捕?!言論の自由がない国、ロシアの実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/16
https://www.youtube.com/watch?v=lTnRi3FyKj8

皆さんはもうご存知かと思うが、今のロシアではプーチン政権やウクライナ侵攻に反対したり、批判的な意見を言うと逮捕され、そしてソ連時代のように密告も増え、とんでもない状況に。
「平和」という言葉も、もはや使えない。
しかしロシアの言論統制は今始まったことではなく、前から強まっていき、そしてプーチン政権は、相当怯えているのか、何も書いていないただの白い紙も許さず、反対する意志を全て潰そうとしている。
今回の動画ではそういう逮捕事例をまとめてみました。


ロシアのZ脳は虹色とウクライナカラーを見ると発狂しちゃう!虹色や青と黄色を身につけていただけで逮捕。 自由のない国、ロシアの実態(後半)
https://www.youtube.com/watch?v=UIojhIXVLkA

ロシアは、LGBTを過激派組織に指定し、禁止にしたため、今は虹色を身につけているだけで逮捕されかねない。そして一番やっかいなのは、一般人の通報。ソ連時代に逆戻り?と聴きたくなるほど、くだらない通報はどんどん増え、自由がさらに奪われる。
ウクライナカラーも、ウクライナ応援などの、そういう意味がなくてもその組み合わせを見ただけで通報する人がいて、そして警察も容赦なく逮捕し、その色を使った人は挙句の果て罰金を払わされる。
そのようなおかしい通報や逮捕事例をまとめてみました。


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ロシアの「愛国教育」という名の洗脳・教育の軍事化とプーチン崇拝、高校で軍事訓練など
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/10/29
https://www.youtube.com/watch?v=1DZWeUJzp94
https://note.com/lena066/n/nf4cfe84f863f

ロシアの教育の今。愛国授業、学校を訪れる帰還兵、戦闘と戦術を学ぶ軍事ゲーム、高校で必須の軍事訓練、歪められた歴史。幼稚園の子供たちまで洗脳対象に。プーチン崇拝と戦争賛美。


ロシアの教育はどうなっている?教育の実態と授業内容、戦争の影響、洗脳とプロパガンダ。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/02/23
https://www.youtube.com/watch?v=wxXhsFmDNvs


ロシアの教育、洗脳と戦争プロパガンダ パート2 小学生や幼稚園児に軍服?戦争美化と「愛国心」
https://www.youtube.com/watch?v=Vt3dhs2HKNE

今回はロシアの大きなイベント、戦勝記念日とその影響、平和を願うはずのお祝いの変わり果てた姿や子供の軍服姿、学校、幼稚園などにおける軍事的イベントや歪んだ愛国心の押し付けなどについてお話します。


ロシアの高校卒業試験(大学入試)がやばい!!試験で起こった出来事、カンニングしまくる学生と人権が無視される試験会場。前半。
https://www.youtube.com/watch?v=tiJSxhKINfw

つい最近ロシアのネットで話題になった、試験会場で女子高生が金属探知機に引っかかって大変なことになった話やロシアの中高生がカンニング、不正しまくる話、試験会場のトイレがとんでもないことになっている話などをします。前半です。後半では、自分が中学の卒業試験で誰かに解答用紙の答えを書き直されて点数を下げられた話をしたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=XhYxtuk_KAo

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ロシアがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
宇山先生が解説!ロシアxウクライナの民族的歴史と日本の外交力問題
深田の萌絵の部屋【切り抜き】2025/04/25
https://www.youtube.com/watch?v=js_L2Rsoxuw


宇山卓栄『ウクライナ戦争を喜ぶ人たち』ゼレンスキーはユダヤ人で、ウクライナ人とロシア人の破滅を狙っているのか?!
https://www.youtube.com/watch?v=Cc06Ma6OyhY

宇山卓栄 ソ連とロシアは同じなのか?![R7/5/30]
シベリアやカラフト・千島 に住んでいるのはロシア人ではなくウクライナ人だった
https://www.youtube.com/watch?v=pfK8iU7Ntg0

ウクライナ戦争の真実 専門家が語る露ウの血塗られた歴史的背景  宇山卓栄
https://www.youtube.com/watch?v=WWNGcqLhilE

【桜うぇびなあ 無料版】講師:宇山卓栄「ユダヤ人とウクライナ戦争」
https://www.youtube.com/watch?v=R5ceAJBtHsM

プーチンはユダヤ人だった _「ロシアという国」の本当の姿をジェームズ斉藤が解説!
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/187.html

ウクライナはロシアではない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16827873

ロシアの生活はモスクワと田舎で大差、少数民族は月収3万円程度
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16826015

ロシア軍で囚人兵やウクライナ人兵はウクライナ軍の攻撃の 「的」として使われている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14048884
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/568.html
[番外地12] プーチンはユxx人で偽ロシア正教徒でスラブ人を差別・搾取している帝国主義者(グローバリスト)だった :
プーチンはユxx人で偽ロシア正教徒でスラブ人を差別・搾取している帝国主義者(グローバリスト)だった :
プーチンやドゥーギンなどクレムリンに巣食う多くの人間は、ロシア正教徒のフリをしているだけです。
ロシア正教の歴代のトップはKGB、FSBのエージェントです。ロシア正教そのものが骨抜きになっているので「ロシア正教を信じる」という言葉そのものがいま意味がない状態なのです。
ロシア正教会そのものがFSBです。キリル一世はブレゲの高級銀時計をつけてベンツのリムジンで移動しているような俗物ですから(笑)。
プーチンは本来、対欧米協調派です。ロシアではリベラルに属していましたので。
ロシアにおける極右とはネオ・ユーラシア主義になります。それを代表するのがアレクサンドル・ドゥーギンです。そして、ネオ・ユーラシア主義を簡単に言うと、ロシア版大東亜共栄圏で、ロシアがユーラシア大陸の統一をするということです。ロシアの周辺国家を支配下に収める思想で、当然、日本も入ってきます。

ジェームズ それでは今回は特にロシアとプーチンについてぜひ知っておいて欲しいことがあります。まず、ロシアという国を見る時は、すべてがフェイクという前提で見ないといけません。もともとフェイクニュースの発祥の地がロシアなんですが、それはロシアそのものがフェイクの国だからです。

──ロシアはまるごとフェイクだと。

ジェームズ そうです。実は、その視点こそがロシアを、ひいてはプーチンを理解する際に凄く重要な点になります。いまのロシアに限らず、ソ連時代、さらにロシア帝国、モスクワ公国、キエフ公国時代からあの国はずっとフェイクだったんです。もちろん、共産党もフェイクです。多くの日本人は良くも悪くもロシアの革命の原動力だったと、共産党のことを考えていますが、全然違います。あれはユxx人やタタール人等の非ロシア人によるロシアの乗っ取りです。レーニンもユxxの血が入っていましたし、トロツキーは生粋のユxx人です。

──つまり、フェイクとユxxが関係しているんですね。

ジェームズ そうです。そもそもロシアという国は帝政時代にはポグロムといって、ユxx人をずっと迫害してきたんです。特に18世紀が一番ひどくてユxx人村を取り囲んで虐殺を繰り返していました。ユxx人たちにはその時の恨みがずっと残っているんです。その中で、ロシア革命が起きているんです。ですから、ロシア革命を単なる共産革命だと思ったらロシアという国を完全に見誤りますね。

──考えてみたら資本論を書いたマルクスがそもそもユxx人でした。

ジェームズ マルクスもフェイクです。彼はロスチャイルド家と親戚でかなり裕福な家庭で育ってますからね。
──えっ! そうだったんですか? プロレタリアートの味方じゃなかったんですか!?

ジェームズ まったく違います。彼は資産家でした。これひとつ取っても共産主義を導入したロシアのフェイクぶりが見えてくるでしょう。で、ここで大切なのが、ソ連時代の諜報組織KGBの歴代トップが全員ユxx人だと言われていることです。

──KGBまでユxxなんですか!?

ジェームズ そうです。ということは当然プーチンもユxxなんです。隠れユxxです。

──えっ!

ジェームズ いえいえ、驚くことではありません。私のいる諜報の世界では常識ですし、いくつも証拠があります。まず、彼の母親の名字はシャロモビッチというのですが、最後にビッチがつくのはウクライナ系に多く、シャロモはシャロームで、ヘブライ語で平和を意味します。ロシア人ではこういう名前はありません。しかも、プーチンは自伝を書いているのですが、初版では母の名をシャロモビッチと書いています。しかし、第2版からはロシア風のシャロモーバに変えているんです。母親の名前が変わるなんて普通では考えられません。そして彼の父親ですが、タルムードの研究家なんです。
──シャロームにしろ、タルムードにしろ、完全にヘブライ、完全にユxx教ですね。

ジェームズ そうです。そしてプーチンの出身地、サンクトペテルブルク、当時はレニングラードと呼ばれていたんですが、彼が生まれたアパート街はユxx人居住区だったんです。あとは過去の発言を聞いてみるとソ連を礼賛しているようでいてユxxを持ち上げることばかり言っています。一番はっきり言ったのは2010年で「私はユxx人のためならなんでもやる」と。ですから、プーチン・ユxx人説はほぼ確定しています。

──じゃあ、プーチンはユxx教の信者なんですね。

ジェームズ いいえ、プーチンは表向きは敬虔なロシア正教徒です。だから、そこもフェイクなんですが、もっと凄いのはロシア正教会自体もフェイクです(笑)。なぜなら、ロシア正教会を運営しているのはFSBという諜報機関だからです。ロシア正教会はソ連時代にKGBが乗っ取っていて、そのあとKGBの後継組織であるFSBが運営しています。事実、いまのロシア正教のトップ、キリル一世はFSBの大物エージェントです。

──FSBが裏で操っているとかじゃなくて。

ジェームズ そうです。ロシア正教会そのものがFSBなんです。ですから、キリルー一世は高額な給料を貰っていて、ベンツのリムジンに乗っていますし、ブレゲの高級銀時計も付けています(笑)。キリルー一世がブレゲを着けて宗教活動をしている画像もあります。これがロシアという国です。大統領がユxx教であることを隠して、民族を隠して、宗教が秘密組織そのものという国です。



ジェームズ ともかくプーチンという存在はロシアのアイコンでしかありません。敬虔なロシア正教徒として世界のキリスト教徒を守る救世主であるというカバーをプーチンというアイコンはやっています。また、KGBとしてのプーチンは、大統領としての職業もカバーでしかありません。だから、彼は根っからの諜報員で、工作員のやり方で政治をやっているんです。つまり、プーチンのロシアそのものが謀略工作です。

──裏と表がまるで違いますね。

ジェームズ そうです。ロシアの裏側には常にユxxがいます。ただし、ユxxと言ってもプーチンのユxxコネクションはユxxの正統派、保守系で「チャバッド・マフィア」と呼ばれる、聖職者とマフィアを兼職する離れ業を生業にしている人士です。彼らの多くはヴァチカン、ロシア正教会、ヨーロッパ王室の金庫番を務めており、「権力者に擦り寄り稼ぐ」という独特のユxx流生き残り戦略を持っています。当然彼らはプーチンや彼の「お友達」の金庫番も務めています。彼らのお陰で大統領名義の個人資産は米国、英国、スイス等に厳重に保管され、その額は200兆円に上ります。おそらくプーチンは世界の指導者で最も資産家で、トランプやバイデンが小物に見えるほどです。プーチンのロシアはチャバッド・マフィアが支配し、国民から資産をカツアゲするただの泥棒国家です。そして、プーチンが表向き反グローバル主義を掲げている理由はここにあるんです。

──ただ、グローバリストたちもユxxですよね?

ジェームズ そうです。ですから、グローバリストと反グローバリストの戦いというのは、実はユxxの内ゲバなんです。ここを多くの人が理解していません。
 グローバリストという呼ばれる人たち、典型的なのがジョージ・ソロスですが、彼にしたって基本的にユxx系なんですけど、本音は無神論者です。彼らはユxx系ですけど、ナチスにも協力するような化け物なんですよ。ですから、彼らは神と決別し、約束の地もないような人たちなんです。

 しかし、反グローバリスト派は約束の地があるという立場で、それがカナンの地であるイスラエルです。プーチンはイスラエルを認める立場で、バリバリのシオニストです。なにしろ、いまロシアではホロコーストに関する疑問を持つだけで5年間の収容所行きです。プーチンは反ユxx主義に関しては物凄く厳しいです。ホロコースト説を法律によって守っている国なんです。反グローバリストとグローバリストの対立の軸はここです。
https://tocana.jp/2021/06/post_212901_entry_3.html
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/569.html
[番外地12] Bronislaw Huberman 中川隆
1. 中川隆[-6423] koaQ7Jey 2025年6月08日 00:13:06 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[21]
<■245行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Bronisław Huberman - Bach : Partita No.1 - Saraband & Double (1934) 再復刻


recorded 26 June, 1934
transferred from Jpn Columbia 78s / S-1001(WHAX-45)



Bronisław Huberman - Bach : Solo Violin Partita No.1 - Saraband & Double (play with HMV-203 )


recorded 26 June, 1934
78rpm / U.K.Columbia - LX.513(WHAX 45)
play with U.K.HMV-203 gramophone




Bronislaw Huberman - Bach : Solo Violin Sonate Nr.2 a-moll - Andante (1934)


transferred from Jpn Columbia 78s / J-8495(WHAX-46)


Bronislaw Huberman - Bach : Solo Violin Sonate Nr.2 a-moll - Andante (1934)


transferred from Jpn Columbia 78s / J-8495(WHAX-46)



Bronislaw Huberman - Bach : Solo Violin Sonata No.2 - Andante (1934) 再復刻


transferred from Jpn Columbia 78s / J-8495(WHAX-46)


Huberman フーベルマン_BACH_Solo Vn Partita No.1〜,Sonata No.2〜.


J.S.BACH_1.Partita No.1-Sarabande & Double, 2.Sonata No.2-Andante
78rpm record / 1.日本Columbia / S-1001(WHAX-45),
2.日本Columbia / J-8495(WHAX-46) 
Recording / Columbia, 26 June, 1934






Bronisław Huberman - Bach : Air for G String G線上のアリア (1930) 再復刻


Piano acc. by Giegfried Schultze
recorded 16 Sep. 1930
transferred from Jpn Columbia 78s /J-7779 (AX-5007)


Bronislaw Huberman - Bach : Air for G String G線上のアリア (1930) - 電気再生


Piano ; Sigfried Schultze
recorded 16 Sep. 1930
transfer from Jpn Columbia 78s / J-7779(AX-5007)


Huberman_Bach;G線上のアリア Air for G String on HMV-163


Bronislaw Huberman (1882-1947)
recording, 16 Sep. 1930
78rpm / jpn Columbia ; J-7779 (AX-5007)
Gramophone / HMV-163





Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.1 a-moll (1934) 再復刻


Vienna Philharmonic Orch. cond. by Issay Dobrowen
recorded June, 1934
transferred from Jpn Columbia 78s / J-8346/7(WHAX-20/23)


Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.1 a-moll - 1st Mvt (1934)
限定公開


Issay Dobrowen / Vienna Philharmonic Orch.
recorded June, 1934
transfer from Jpn Columbia 78s / J-8346(WHAX-20)


Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.1 a-moll - 2nd & 3rd Mvt (1934)
限定公開


Issay Dobrowen / Vienna Philharmonic Orch.
recorded June, 1934
transfer from Jpn Columbia 78s / J-8346/7(WHAX-21/23)





Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.2 E-Dur (1934) 再復刻


Vienna Philharmonic Orch. cond. by Issay Dobrowen
recorded June, 1934
transferred from Jpn Columbia 78s / JW-129-131(WHAX 15-19)


Huberman_Bach ; Violin Concerto No.2 - 1st mov.


Issay Dobrowen / Vienna Pnilharmonic
Recording / June, 1934
78rpm / Jpn Columbia : JW-129-131(WHAX 15-19)
electric reproduction


Huberman_Bach ; Violin Concerto No.2 -2nd & 3rd mov.


Issay Dobrowen / Vienna Pnilharmonic
Recording / June, 1934
78rpm / Jpn Columbia : JW-129-131(WHAX 15-19)
electric reproduction




Bronisław Huberman - Bach : Nun komm, der Heiden Heiland いざ来ませ、異邦人の救い主よ


Piano acc. by Giegfried Schultze
transferred from Jpn Columbia 78s /JW-131 (CAX-7428)






http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/564.html#c1
[番外地12] ティボー

Jacques Thibaud - Bach (arr.- Schumann) : Gavotte & Rondo(from Partita No.3) - 1936 (電気再生)

Piano acc. by Tasso Janopoulo
recorded 21 March 1936
transferred from Jpn Victor 78s /HL-28(OLA-1000-1)

Jacques Thibaud - Bach : Gavotte & Rondo(from Partita No.3) - 1936

Piano acc. / Tasso Janopoulo
recorded 21 May, 1936, 78rpm / Jpn Victor- HL-28(OLA-1000-1)
on HMV-163 gramophone

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/570.html

[番外地12] エルマン

Mischa Elman_ Air for G String (Bach-arr.Wilhelmi)

Raymond Bauman (piano)
78rpm / Victor-7103-B, recorded in 1928
on HMV-163 gramophone

Frances Alda(Sop) & Mischa Elman(Vn) - Bach-Gounod : Ave Maria (1915)

Piano acc./ Frank La Forge
78rpm / U.S.Victor - 8001, recorded 3/15, 1915
on HMV-163 gramophone

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/571.html

[番外地12] Pablo Casals 中川隆
1. 中川隆[-6422] koaQ7Jey 2025年6月08日 00:43:44 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[22]
<■140行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Pablo Casals - Bach : Komm susser Tod 甘き死よ来たれ BWV.478 (1929)


arr. / Siloti, Piano acc. by Blas-Net
recorded 16 June 1929, Barcelona
transfer from Jpn Victor 78s / ND-460(7501)


Pablo Casals - Bach : Air アリア(from Suite #3 in D) - 1930


piano acc. by Otto Schulhof
recorded 5 March 1930, London
transfer from Jpn Victor 78s / 7638-A
再復刻



Pablo Casals - Bach : Andante (from Solo Violin Sonata #2 a-moll) - 1929


arr, Siloti, piano acc. by Blas-Net
recorded 19 June 1929, Barcelona
transfer from Jpn Victor 78s / 7638-B
再復刻


Pablo Casals_Bach ; Andante from Solo Violin Sonata No.2


Blas-Net (piano)
78rpm record / Victor-7368
electric reproduction(SP盤起し)



Pablo Casals_Bach ; Solo Cello Suite No.3 - Prelude in C, BWV.1009


78rpm record / Victor-RL-212
electric reproduction(SP盤起し)





Pablo Casals : Bach : Adagio (from Toccata in C BWV.564) - 1927


arr, Siloti, piano acc. by Nicolai Mednikoff
recorded 26 Feb. 1927, Victor Studios, Camden, New Jersey
transfer from Jpn Victor 78s / 6635-B
再復刻



Pablo Casals - Bach : Musette (1928)


Piano acc./ Nicolai Mednikoff
recorded 1/31, 1928
transfer from Jpn Victor 78s - NF-4007(1349 B)




Pablo Casals - Song of the Birds, Bach : Aria in F (1953)


Prades Festival Orchestra, Perpignon Festival Orchestra
00:00 - Song of the Birdd (Traditional)
03:09 - Bach : Aria from Organ Pastorale in F
recorded in 1953, Prade
LP 33 1/3, CBS SONY - SOCU 11


Pablo Casals - 3 Cello Pieces (Bach, Haydn, Falla)


Piano acc. by Eugene Istomin
00:00 - Bach : Recitative from Organ Concerto No.3
04:23 - Haydn : Adagio from Piano Sonata No.9 in D
10:36 - Falla : Nana from Seven Spanish Popular Songs
LP 33 1/3, CBS SONY - SOCU 11

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/561.html#c1
[番外地12] シゲティ

Joseph Szigeti - Mengelberg - Bloch : Violin Concerto (1939) - remastered

Joseph Szigeti (1892 - 1973)
Willem Mengelberg cond. / Amsterdam Concertgebouw Orch.
recorded 9 November, 1939 - Live
00:00 - 1 - Allegro deciso-Moderato Assai
19:10 - 2 - Andante
26:03 - 3 - Deciso

Joseph Szigeti - Bloch : Baal Shem (Three Pictures of chassidic Life)

1. Vidui (Contrition 懺悔)0:00 〜
2. Nigun(Improvisation 即興)2':58 〜
3. Simchas Torah(Rejoicing 歓喜)8'36 〜
Piano acc. by Andor Farkas
transfer from U.S.Columbia 78s / 71129(XCO-27411/3)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/572.html

[番外地12] プーチンは隠れユxx人 で 、スラブ人やユxx人以外の民族を徹底的に搾取・貧困化させているロシア国民の敵です。 中川隆
1. 中川隆[-6421] koaQ7Jey 2025年6月08日 02:54:55 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[1]
<■146行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
プーチンは隠れ yudaya人 で 、スラブ人やyudaya人以外の民族を徹底的に搾取・貧困化させているロシア国民の敵です。
プーチンがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
プーチンは 隠れ yudaya人 で yudaya人 の利益にしか関心が無く、スラブ人や少数民族を徹底的に収奪・搾取・弾圧している。 プーチンはグローバリストと戦っているのではなく、単に yudaya人 の中で内ゲバしているだけです。だからこそプーチンとキッシンジャーは仲が良いのです。

ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、 ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、 モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

自国民を苦しめるプーチン政権・ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
水無月レナ 2024年12月23日

ロシアの今
 ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

 また、人口減少も深刻な問題であり、出生率の低下や若年層の国外流出などが悪影響を及ぼしており、ロシアの労働市場は、深刻な労働力不足に直面している。ロシア中央銀行の企業調査では、労働力不足が過去25年で最も深刻であると報告されているそうだ。

 10月28日、プーチン大統領は「ロシア経済は依然として厳しい状況にある」と述べ、制裁や物流問題、人材不足をその原因に挙げた。実際、インフレ率は2023年夏以降加速し、10月時点で8.5%に達しており、主要食品の価格も大幅に上昇し、ジャガイモが50%、バターが23.4%、パンが11.2%、牛肉の価格は10ヶ月で10.2%、リンゴも13.1%値上がりし、公共交通機関の運賃も10%以上値上がりするなど、国民の負担がさらに増している。
 ロシア連邦統計局(ロススタット)の調査結果と「RIAノーボスチ」によれば、ロシアの家庭の大半はすべての支出をまかなうのに必要な収入が足りず、今年4月から6月にかけて十分な収入があった家庭はわずか4.9%にとどまった。


ロシアの現状。実際の生活、物価、月収。給料がとても安い?!生活費は?ロシア人3人にインタビュー
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/12/23
https://www.youtube.com/watch?v=zGHnzLQ_P7I
https://note.com/lena066/n/n593967417d89?sub_rt=share_b

▲△▽▼


ロシアの経済ニュース紹介&少し解説!制裁の影響は?ロシア国民は制裁の影響に気づいているのか?ガスプロム赤字、ロシア政府、必死になって増税始める!
れなちゃんねる・水無月レナ 2023/07/17
https://www.youtube.com/watch?v=O-kGj-0O7ig

今回は、ロシアのニュースを紹介しようと思って、色々まとめてみました。ガスプロムが抱える赤字、ガス料金値上げ、新たな税金、制裁の影響、プーチンの考えなど!

▲△▽▼

ロシアの選挙について。プーチンはなぜ当選したのか?投票用紙に無効票にしようと何か書いたら逮捕される?!不正だらけの選挙の実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=enNnMhc6y9c

ご存知の通り、17日に選挙が終わり、プーチンが87%余りの得票率で圧勝。しかし私はそんな選挙は認めないし、みんなにも認めてほしくない。占領地で選挙をやっている時点でアウトだが、プーチン政権は自国民の扱いも酷く、選挙でさえ何の意味もない茶番と化している。プーチンは大統領ではない、ただの犯罪者。

▲△▽▼

真っ白な紙でも逮捕?!言論の自由がない国、ロシアの実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/16
https://www.youtube.com/watch?v=lTnRi3FyKj8

皆さんはもうご存知かと思うが、今のロシアではプーチン政権やウクライナ侵攻に反対したり、批判的な意見を言うと逮捕され、そしてソ連時代のように密告も増え、とんでもない状況に。
「平和」という言葉も、もはや使えない。
しかしロシアの言論統制は今始まったことではなく、前から強まっていき、そしてプーチン政権は、相当怯えているのか、何も書いていないただの白い紙も許さず、反対する意志を全て潰そうとしている。
今回の動画ではそういう逮捕事例をまとめてみました。


ロシアのZ脳は虹色とウクライナカラーを見ると発狂しちゃう!虹色や青と黄色を身につけていただけで逮捕。 自由のない国、ロシアの実態(後半)
https://www.youtube.com/watch?v=UIojhIXVLkA

ロシアは、LGBTを過激派組織に指定し、禁止にしたため、今は虹色を身につけているだけで逮捕されかねない。そして一番やっかいなのは、一般人の通報。ソ連時代に逆戻り?と聴きたくなるほど、くだらない通報はどんどん増え、自由がさらに奪われる。
ウクライナカラーも、ウクライナ応援などの、そういう意味がなくてもその組み合わせを見ただけで通報する人がいて、そして警察も容赦なく逮捕し、その色を使った人は挙句の果て罰金を払わされる。
そのようなおかしい通報や逮捕事例をまとめてみました。


▲△▽▼


ロシアの「愛国教育」という名の洗脳・教育の軍事化とプーチン崇拝、高校で軍事訓練など
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/10/29
https://www.youtube.com/watch?v=1DZWeUJzp94
https://note.com/lena066/n/nf4cfe84f863f

ロシアの教育の今。愛国授業、学校を訪れる帰還兵、戦闘と戦術を学ぶ軍事ゲーム、高校で必須の軍事訓練、歪められた歴史。幼稚園の子供たちまで洗脳対象に。プーチン崇拝と戦争賛美。


ロシアの教育はどうなっている?教育の実態と授業内容、戦争の影響、洗脳とプロパガンダ。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/02/23
https://www.youtube.com/watch?v=wxXhsFmDNvs


ロシアの教育、洗脳と戦争プロパガンダ パート2 小学生や幼稚園児に軍服?戦争美化と「愛国心」
https://www.youtube.com/watch?v=Vt3dhs2HKNE

今回はロシアの大きなイベント、戦勝記念日とその影響、平和を願うはずのお祝いの変わり果てた姿や子供の軍服姿、学校、幼稚園などにおける軍事的イベントや歪んだ愛国心の押し付けなどについてお話します。


ロシアの高校卒業試験(大学入試)がやばい!!試験で起こった出来事、カンニングしまくる学生と人権が無視される試験会場。前半。
https://www.youtube.com/watch?v=tiJSxhKINfw

つい最近ロシアのネットで話題になった、試験会場で女子高生が金属探知機に引っかかって大変なことになった話やロシアの中高生がカンニング、不正しまくる話、試験会場のトイレがとんでもないことになっている話などをします。前半です。後半では、自分が中学の卒業試験で誰かに解答用紙の答えを書き直されて点数を下げられた話をしたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=XhYxtuk_KAo

▲△▽▼

ロシアがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
宇山卓栄先生が解説!ロシアxウクライナの民族的歴史と日本の外交力問題
https://www.youtube.com/watch?v=js_L2Rsoxuw

宇山卓栄『ウクライナ戦争を喜ぶ人たち』ゼレンスキーはユダヤ人で、ウクライナ人とロシア人の破滅を狙っているのか?!
https://www.youtube.com/watch?v=Cc06Ma6OyhY

宇山卓栄 ソ連とロシアは同じなのか?![R7/5/30]
シベリアやカラフト・千島 に住んでいるのはロシア人ではなくウクライナから強制退去させられたウクライナ人だった
https://www.youtube.com/watch?v=pfK8iU7Ntg0

ウクライナ戦争の真実 専門家が語る露ウの血塗られた歴史的背景  宇山卓栄
https://www.youtube.com/watch?v=WWNGcqLhilE

宇山卓栄「ユダヤ人とウクライナ戦争」
https://www.youtube.com/watch?v=R5ceAJBtHsM

プーチンはユダヤ人だった _「ロシアという国」の本当の姿をジェームズ斉藤が解説!
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/187.html

ウクライナはロシアではない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16827873

ロシアの生活はモスクワと田舎で大差、少数民族は月収3万円程度
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16826015

プーチン批判した人間やウクライナ人はウクライナ戦争でウクライナ軍の攻撃の 「的」として使われている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14048884
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/568.html#c1

[番外地12] プーチンはユxx人で偽ロシア正教徒でスラブ人を差別・搾取している帝国主義者(グローバリスト)だった : 中川隆
1. 中川隆[-6420] koaQ7Jey 2025年6月08日 03:00:52 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[2]
<■113行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
プーチンは yudaya人で偽ロシア正教徒でスラブ人を差別・搾取している帝国主義者(グローバリスト)だった
プーチンやドゥーギンなどクレムリンに巣食う多くの人間は、ロシア正教徒のフリをしているだけです。
ロシア正教の歴代のトップはKGB、FSBのエージェントです。ロシア正教そのものが骨抜きになっているので「ロシア正教を信じる」という言葉そのものがいま意味がない状態なのです。
ロシア正教会そのものがFSBです。キリル一世はブレゲの高級銀時計をつけてベンツのリムジンで移動しているような俗物ですから(笑)。

プーチンは本来、対欧米協調派です。ロシアではリベラルに属していましたので。
ロシアにおける極右とはネオ・ユーラシア主義になります。それを代表するのがアレクサンドル・ドゥーギンです。そして、ネオ・ユーラシア主義を簡単に言うと、ロシア版大東亜共栄圏で、ロシアがユーラシア大陸の統一をするということです。ロシアの周辺国家を支配下に収める思想で、当然、日本も入ってきます。

ジェームズ それでは今回は特にロシアとプーチンについてぜひ知っておいて欲しいことがあります。まず、ロシアという国を見る時は、すべてがフェイクという前提で見ないといけません。もともとフェイクニュースの発祥の地がロシアなんですが、それはロシアそのものがフェイクの国だからです。

──ロシアはまるごとフェイクだと。

ジェームズ そうです。実は、その視点こそがロシアを、ひいてはプーチンを理解する際に凄く重要な点になります。いまのロシアに限らず、ソ連時代、さらにロシア帝国、モスクワ公国、キエフ公国時代からあの国はずっとフェイクだったんです。もちろん、共産党もフェイクです。多くの日本人は良くも悪くもロシアの革命の原動力だったと、共産党のことを考えていますが、全然違います。あれはyudaya人やタタール人等の非ロシア人によるロシアの乗っ取りです。レーニンも yudayaの血が入っていましたし、トロツキーは生粋のyudaya人です。

──つまり、フェイクとyudayaが関係しているんですね。

ジェームズ そうです。そもそもロシアという国は帝政時代にはポグロムといって、yudaya人をずっと迫害してきたんです。特に18世紀が一番ひどくてyudaya人村を取り囲んで虐殺を繰り返していました。yudaya人たちにはその時の恨みがずっと残っているんです。その中で、ロシア革命が起きているんです。ですから、ロシア革命を単なる共産革命だと思ったらロシアという国を完全に見誤りますね。

──考えてみたら資本論を書いたマルクスがそもそもyudaya人でした。

ジェームズ マルクスもフェイクです。彼はロスチャイルド家と親戚でかなり裕福な家庭で育ってますからね。
──えっ! そうだったんですか? プロレタリアートの味方じゃなかったんですか!?

ジェームズ まったく違います。彼は資産家でした。これひとつ取っても共産主義を導入したロシアのフェイクぶりが見えてくるでしょう。で、ここで大切なのが、ソ連時代の諜報組織KGBの歴代トップが全員yudaya人だと言われていることです。

──KGBまでyudayaなんですか!?

ジェームズ そうです。ということは当然プーチンもyudayaなんです。隠れyudayaです。

──えっ!

ジェームズ いえいえ、驚くことではありません。私のいる諜報の世界では常識ですし、いくつも証拠があります。まず、彼の母親の名字はシャロモビッチというのですが、最後にビッチがつくのはウクライナ系に多く、シャロモはシャロームで、ヘブライ語で平和を意味します。ロシア人ではこういう名前はありません。しかも、プーチンは自伝を書いているのですが、初版では母の名をシャロモビッチと書いています。しかし、第2版からはロシア風のシャロモーバに変えているんです。母親の名前が変わるなんて普通では考えられません。そして彼の父親ですが、タルムードの研究家なんです。

──シャロームにしろ、タルムードにしろ、完全にヘブライ、完全にyudaya教ですね。

ジェームズ そうです。そしてプーチンの出身地、サンクトペテルブルク、当時はレニングラードと呼ばれていたんですが、彼が生まれたアパート街はyudaya人居住区だったんです。あとは過去の発言を聞いてみるとソ連を礼賛しているようでいてyudayaを持ち上げることばかり言っています。一番はっきり言ったのは2010年で「私はyudaya人のためならなんでもやる」と。ですから、プーチン・yudaya人説はほぼ確定しています。

──じゃあ、プーチンはyudaya教の信者なんですね。

ジェームズ いいえ、プーチンは表向きは敬虔なロシア正教徒です。だから、そこもフェイクなんですが、もっと凄いのはロシア正教会自体もフェイクです(笑)。なぜなら、ロシア正教会を運営しているのはFSBという諜報機関だからです。ロシア正教会はソ連時代にKGBが乗っ取っていて、そのあとKGBの後継組織であるFSBが運営しています。事実、いまのロシア正教のトップ、キリル一世はFSBの大物エージェントです。

──FSBが裏で操っているとかじゃなくて。

ジェームズ そうです。ロシア正教会そのものがFSBなんです。ですから、キリルー一世は高額な給料を貰っていて、ベンツのリムジンに乗っていますし、ブレゲの高級銀時計も付けています(笑)。キリルー一世がブレゲを着けて宗教活動をしている画像もあります。これがロシアという国です。大統領がyudaya教であることを隠して、民族を隠して、宗教が秘密組織そのものという国です。

ジェームズ ともかくプーチンという存在はロシアのアイコンでしかありません。敬虔なロシア正教徒として世界のキリスト教徒を守る救世主であるというカバーをプーチンというアイコンはやっています。また、KGBとしてのプーチンは、大統領としての職業もカバーでしかありません。だから、彼は根っからの諜報員で、工作員のやり方で政治をやっているんです。つまり、プーチンのロシアそのものが謀略工作です。

──裏と表がまるで違いますね。

ジェームズ そうです。ロシアの裏側には常にyudayaがいます。ただし、yudayaと言ってもプーチンのyudayaコネクションはyudayaの正統派、保守系で「チャバッド・マフィア」と呼ばれる、聖職者とマフィアを兼職する離れ業を生業にしている人士です。彼らの多くはヴァチカン、ロシア正教会、ヨーロッパ王室の金庫番を務めており、「権力者に擦り寄り稼ぐ」という独特のyudaya流生き残り戦略を持っています。当然彼らはプーチンや彼の「お友達」の金庫番も務めています。彼らのお陰で大統領名義の個人資産は米国、英国、スイス等に厳重に保管され、その額は200兆円に上ります。おそらくプーチンは世界の指導者で最も資産家で、トランプやバイデンが小物に見えるほどです。プーチンのロシアはチャバッド・マフィアが支配し、国民から資産をカツアゲするただの泥棒国家です。そして、プーチンが表向き反グローバル主義を掲げている理由はここにあるんです。

──ただ、グローバリストたちもyudayaですよね?

ジェームズ そうです。ですから、グローバリストと反グローバリストの戦いというのは、実はyudayaの内ゲバなんです。ここを多くの人が理解していません。

 グローバリストという呼ばれる人たち、典型的なのがジョージ・ソロスですが、彼にしたって基本的にyudaya系なんですけど、本音は無神論者です。彼らはyudaya系ですけど、ナチスにも協力するような化け物なんですよ。ですから、彼らは神と決別し、約束の地もないような人たちなんです。

 しかし、反グローバリスト派は約束の地があるという立場で、それがカナンの地であるイスラエルです。プーチンはイスラエルを認める立場で、バリバリのシオニストです。なにしろ、いまロシアではホロコーストに関する疑問を持つだけで5年間の収容所行きです。プーチンは反yudaya主義に関しては物凄く厳しいです。ホロコースト説を法律によって守っている国なんです。反グローバリストとグローバリストの対立の軸はここです。
https://tocana.jp/2021/06/post_212901_entry_3.html
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/569.html#c1

[番外地12] プーチンは隠れユxx人 で 、スラブ人やユxx人以外の民族を徹底的に搾取・貧困化させているロシア国民の敵です。 中川隆
2. 中川隆[-6419] koaQ7Jey 2025年6月08日 03:08:29 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[3]
<■146行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
プーチンは隠れ yudaya人 で 、スラブ人やyudaya人以外の民族を徹底的に搾取・貧困化させているロシア国民の敵です。
プーチンがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
プーチンは 隠れ yudaya人 で yudaya人 の利益にしか関心が無く、スラブ人や少数民族を徹底的に収奪・搾取・弾圧している。 プーチンはグローバリストと戦っているのではなく、単に yudaya人 の中で内ゲバしているだけです。だからこそプーチンとキッシンジャーは仲が良いのです。

ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、 ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、 モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

自国民を苦しめるプーチン政権・ロシアの実際の生活、物価、月収 ロシア人3人にインタビュー
水無月レナ 2024年12月23日

ロシアの今
 ロシアは現在、経済制裁やインフレ圧力、労働力不足が続いているにもかかわらず、ロシア政府は軍事費を増加させ予算の約三分の一を軍事費にあてている。そして、モスクワでは富裕層の華やかな生活が見られる一方、一般国民は物価高騰に苦しんでいる。

 また、人口減少も深刻な問題であり、出生率の低下や若年層の国外流出などが悪影響を及ぼしており、ロシアの労働市場は、深刻な労働力不足に直面している。ロシア中央銀行の企業調査では、労働力不足が過去25年で最も深刻であると報告されているそうだ。

 10月28日、プーチン大統領は「ロシア経済は依然として厳しい状況にある」と述べ、制裁や物流問題、人材不足をその原因に挙げた。実際、インフレ率は2023年夏以降加速し、10月時点で8.5%に達しており、主要食品の価格も大幅に上昇し、ジャガイモが50%、バターが23.4%、パンが11.2%、牛肉の価格は10ヶ月で10.2%、リンゴも13.1%値上がりし、公共交通機関の運賃も10%以上値上がりするなど、国民の負担がさらに増している。
 ロシア連邦統計局(ロススタット)の調査結果と「RIAノーボスチ」によれば、ロシアの家庭の大半はすべての支出をまかなうのに必要な収入が足りず、今年4月から6月にかけて十分な収入があった家庭はわずか4.9%にとどまった。


ロシアの現状。実際の生活、物価、月収。給料がとても安い?!生活費は?ロシア人3人にインタビュー
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/12/23
https://www.youtube.com/watch?v=zGHnzLQ_P7I
https://note.com/lena066/n/n593967417d89?sub_rt=share_b

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ロシアの経済ニュース紹介&少し解説!制裁の影響は?ロシア国民は制裁の影響に気づいているのか?ガスプロム赤字、ロシア政府、必死になって増税始める!
れなちゃんねる・水無月レナ 2023/07/17
https://www.youtube.com/watch?v=O-kGj-0O7ig

今回は、ロシアのニュースを紹介しようと思って、色々まとめてみました。ガスプロムが抱える赤字、ガス料金値上げ、新たな税金、制裁の影響、プーチンの考えなど!

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ロシアの選挙について。プーチンはなぜ当選したのか?投票用紙に無効票にしようと何か書いたら逮捕される?!不正だらけの選挙の実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=enNnMhc6y9c

ご存知の通り、17日に選挙が終わり、プーチンが87%余りの得票率で圧勝。しかし私はそんな選挙は認めないし、みんなにも認めてほしくない。占領地で選挙をやっている時点でアウトだが、プーチン政権は自国民の扱いも酷く、選挙でさえ何の意味もない茶番と化している。プーチンは大統領ではない、ただの犯罪者。

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真っ白な紙でも逮捕?!言論の自由がない国、ロシアの実態。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/03/16
https://www.youtube.com/watch?v=lTnRi3FyKj8

皆さんはもうご存知かと思うが、今のロシアではプーチン政権やウクライナ侵攻に反対したり、批判的な意見を言うと逮捕され、そしてソ連時代のように密告も増え、とんでもない状況に。
「平和」という言葉も、もはや使えない。
しかしロシアの言論統制は今始まったことではなく、前から強まっていき、そしてプーチン政権は、相当怯えているのか、何も書いていないただの白い紙も許さず、反対する意志を全て潰そうとしている。
今回の動画ではそういう逮捕事例をまとめてみました。


ロシアのZ脳は虹色とウクライナカラーを見ると発狂しちゃう!虹色や青と黄色を身につけていただけで逮捕。 自由のない国、ロシアの実態(後半)
https://www.youtube.com/watch?v=UIojhIXVLkA

ロシアは、LGBTを過激派組織に指定し、禁止にしたため、今は虹色を身につけているだけで逮捕されかねない。そして一番やっかいなのは、一般人の通報。ソ連時代に逆戻り?と聴きたくなるほど、くだらない通報はどんどん増え、自由がさらに奪われる。
ウクライナカラーも、ウクライナ応援などの、そういう意味がなくてもその組み合わせを見ただけで通報する人がいて、そして警察も容赦なく逮捕し、その色を使った人は挙句の果て罰金を払わされる。
そのようなおかしい通報や逮捕事例をまとめてみました。


▲△▽▼


ロシアの「愛国教育」という名の洗脳・教育の軍事化とプーチン崇拝、高校で軍事訓練など
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/10/29
https://www.youtube.com/watch?v=1DZWeUJzp94
https://note.com/lena066/n/nf4cfe84f863f

ロシアの教育の今。愛国授業、学校を訪れる帰還兵、戦闘と戦術を学ぶ軍事ゲーム、高校で必須の軍事訓練、歪められた歴史。幼稚園の子供たちまで洗脳対象に。プーチン崇拝と戦争賛美。


ロシアの教育はどうなっている?教育の実態と授業内容、戦争の影響、洗脳とプロパガンダ。
れなちゃんねる・水無月レナ 2024/02/23
https://www.youtube.com/watch?v=wxXhsFmDNvs


ロシアの教育、洗脳と戦争プロパガンダ パート2 小学生や幼稚園児に軍服?戦争美化と「愛国心」
https://www.youtube.com/watch?v=Vt3dhs2HKNE

今回はロシアの大きなイベント、戦勝記念日とその影響、平和を願うはずのお祝いの変わり果てた姿や子供の軍服姿、学校、幼稚園などにおける軍事的イベントや歪んだ愛国心の押し付けなどについてお話します。


ロシアの高校卒業試験(大学入試)がやばい!!試験で起こった出来事、カンニングしまくる学生と人権が無視される試験会場。前半。
https://www.youtube.com/watch?v=tiJSxhKINfw

つい最近ロシアのネットで話題になった、試験会場で女子高生が金属探知機に引っかかって大変なことになった話やロシアの中高生がカンニング、不正しまくる話、試験会場のトイレがとんでもないことになっている話などをします。前半です。後半では、自分が中学の卒業試験で誰かに解答用紙の答えを書き直されて点数を下げられた話をしたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=XhYxtuk_KAo

▲△▽▼

ロシアがウクライナ人やポーランド人からあそこまで憎まれている理由
宇山卓栄先生が解説!ロシアxウクライナの民族的歴史と日本の外交力問題
https://www.youtube.com/watch?v=js_L2Rsoxuw

宇山卓栄『ウクライナ戦争を喜ぶ人たち』ゼレンスキーはユダヤ人で、ウクライナ人とロシア人の破滅を狙っているのか?!
https://www.youtube.com/watch?v=Cc06Ma6OyhY

宇山卓栄 ソ連とロシアは同じなのか?![R7/5/30]
現在シベリアやカラフト・千島 に住んでいるのは、ウクライナ東部に移住したロシア人によってウクライナから追い出されたウクライナ人だった
https://www.youtube.com/watch?v=pfK8iU7Ntg0

ウクライナ戦争の真実 専門家が語る露ウの血塗られた歴史的背景  宇山卓栄
https://www.youtube.com/watch?v=WWNGcqLhilE

宇山卓栄「ユダヤ人とウクライナ戦争」
https://www.youtube.com/watch?v=R5ceAJBtHsM

プーチンはユダヤ人だった _「ロシアという国」の本当の姿をジェームズ斉藤が解説!
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/187.html

ウクライナはロシアではない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16827873

ロシアの生活はモスクワと田舎で大差、少数民族は月収3万円程度
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16826015

プーチン批判した人間やウクライナ人はウクライナ戦争でウクライナ軍の攻撃の 「的」として使われている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14048884
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/568.html#c2

[番外地12] Bronislaw Huberman 中川隆
2. 中川隆[-6418] koaQ7Jey 2025年6月08日 03:20:09 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[4]
<▽45行くらい>



Bronislaw Huberman - Schubert : Ave Maria (電気再生) -1931


Piano acc. / Siegfried Schultze
recorded January, 1931
electric transferred from Jpn Columbia 78s / J-7901(AX-5950)



Huberman_Schubert ; AVE MARIA(1931) on HMV-163


Recording / Jan. 1931
78rpm / Jpn Columbia : J-7901(WAX-5950)
Gramophone / HMV-163, Soundbox=No.5a



Bronislaw Huberman - Schubert : Ave Maria (1931) 再復刻


Piano acc. by Siegfried Schultze
recorded 27 January 1931
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7901(AX-5950)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/564.html#c2
[番外地12] クライスラー 中川隆
5. 中川隆[-6417] koaQ7Jey 2025年6月08日 03:44:32 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[5]
<△29行くらい>


Fritz Kreisler - Ballet Misic from Rosamunde (Schubert - Kreisler) - 1917


recorded 1 March 1917
78rpm / U.S.Victor - 723 A
on HMV-163 gramophone



Fritz Kreisler - Moment Musical(Schubert), Tambourin(Rameau-Kreisler)-1919


Piano acc./ Maurice Eisner
recorded 2/25, 1919
78rpm / U.S.Victor - 74202, on HMV-163 gramophone

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/540.html#c5
[番外地12] エルマン 中川隆
1. 中川隆[-6416] koaQ7Jey 2025年6月08日 03:50:54 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[6]
<△28行くらい>


Mischa Elman_Ave Maria (Schubert) on Columbia No.121


78rpm / Victor - 7103
recorded in May 1929
Gramophone / British Columbia No.121




Mischa Elman - Schubert : Serenade (1937 in Japan)


Piano acc. by Vladimir Padwa
78rpm / Jpn Victor - RL-19-B(8801)
on HMV-163 Gramophone

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/571.html#c1
[番外地12] Heifetz 中川隆
4. 中川隆[-6415] koaQ7Jey 2025年6月08日 03:59:12 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[7]
<■93行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Jascha Heifetz - Schubert : Ave Maria (1926) 電気再生


Piano acc. by Isidor Achron
recorded 12/31, 1926
transferred from Jpn Victor 78s / VD-8043(6691-A)



Jascha Heifetz - Schubert : Ave Maria (1917)


Piano acc. by Andre Benoist
recorded 11/9, 1917
78rpm / U.S.Victor- 74563 (C-21072)
on HMV-163 gramophone



Jascha Heifetz - Schubert : Ave Maria (1926)


Piano / Isidor Achron
recorded 12/31, 1926
78rpm / Jpn Victor, VD-8043(6691-A)
on HMV-163 gramophone





Jascha Heifetz - Schubert (arr. Heifetz) : Impromptu Op.90 - 3 (1934) 電気再生


Piano acc. by Arpad Sandor
recorded 6 Feb. 1934
transferred from Jpn Victor 78s / JD-604(8420)


Jascha Heifetz_ Schubert : Impromptus op.90-3 (1934)


シューベルト:即興曲 arr. Heifetz, recorded 2/6, 1934
78rpm / JD-1355(2A-78974), Arpad Sandor (Piano)
on HMV-163 Gramophone





Jascha Heifetz - Schubert : Rondo (from Piano Sonata No.17 in D) -1926


Piano acc. by Isidor Achron
recorded 31 Dec. 1926
transferred from Jpn Victor 78s /VD-8043(6691)




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c4
[番外地12] Heifetz 中川隆
5. 中川隆[-6414] koaQ7Jey 2025年6月08日 04:03:13 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[8]

Heifetz plays both parts - Bach : Double Violin Concerto in D minor (1946) 再復刻


Frantz Waxman (cond.), RCA Victor Chamber Orch.
recorded 14, 19 October 1946, Hollywood, USA
transferred from Jpn Victor 78s /SD-60/61

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c5
[番外地12] Bronislaw Huberman 中川隆
3. 中川隆[-6413] koaQ7Jey 2025年6月08日 04:23:25 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[9]
aあ

Bronislaw Huberman - Mozart : Violin Concerto No.3 in G K.216 (1934) 再復刻


Vienna Philharmonic Orch.
conducted by Issai Dobrowen
U. 8 : 35 〜
V.15 : 54 〜
recorded in 1934
transferred from Jpn Columbia / J-8554 / 6(WHAX-24/9)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/564.html#c3
[番外地12] Heifetz 中川隆
6. 中川隆[-6412] koaQ7Jey 2025年6月08日 04:26:17 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[10]


Jascha Heifetz - Mozart : Violin Sonata B-dur K.378 (1936)


Piano acc. by Emanuel Bay
recorded Feburuary 3, 1936
transferred from Jpn Victor 78s / JD-1021/2(99523/6)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c6
[番外地12] クライスラー 中川隆
6. 中川隆[-6411] koaQ7Jey 2025年6月08日 04:30:59 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[11]


Fritz Kreisler - Mozart : Rondo in D K.250 (1938)


from Serenade "Haffner" arr. Kreisler
Piano acc. by Franz Rupp
recorded 14 Feb 1938
transfer from Jpn Victor 78s / ND-936(2EA-6101)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/540.html#c6
[番外地12] ティボー 中川隆
1. 中川隆[-6410] koaQ7Jey 2025年6月08日 04:34:27 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[12]
<△28行くらい>


Jacques Thibaud - Mozart (arr. Kreisler) : Rondo in G K.250 (1936) 電気再生


Piano acc. by Tasso Janopoulo
recorded 21 March 1936
transferred from Jpn Victor 78s /NF-4074(OLA-1002)



Jacques Thibaud - Mozart ; Rondo in G (1936)


78rpm record / Victor, NF-407
recorded 3/21, 1936
on Gramophone, HMV-163

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/570.html#c1
[番外地12] エルマン 中川隆
2. 中川隆[-6409] koaQ7Jey 2025年6月08日 04:37:37 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[13]


Mischa Elman - Mozart : Ländler (1923)


Piano acc./ Josef Bonime
recorded 3/30/ 1923
78rpm / U.S.Victor -900-B
on HMV-163 gramophone

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/571.html#c2
[番外地12] マイスキー 中川隆
10. 中川隆[-6408] koaQ7Jey 2025年6月08日 05:32:01 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[14]
<■73行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
フォーレ :三つの歌 Op.23
Fauré, Gabriel:3 Songs Op.23

Fauré: Les berceaux, Op. 23, No. 1





Mischa Maisky
Daria Hovora
℗ 1999 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin




Gabriel Fauré - Élégie - Mischa Maisky


Fragment of the concert Friendship, Resistance, and Protest during the Cello Biënnale 2018.

Mischa Maisky (cello)
Lily Maisky (piano)



Fauré: Élégie, Op. 24


Mischa Maisky
Orchestre de Paris
Semyon Bychkov
℗ 1992 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

Op. 6 3つの歌 1873,78 独唱,pf
第1曲 朝の歌
第2曲 悲しみ
第3曲 シルヴィ

Fauré: Tristesse, Op. 6, No. 2


Provided to YouTube by Universal Music Group

Mischa Maisky
Daria Hovora
℗ 1999 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/546.html#c10
[番外地12] Jacqueline du Pre 中川隆
1. 中川隆[-6407] koaQ7Jey 2025年6月08日 05:47:15 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[15]
<△22行くらい>
aあ

Fauré / Jacqueline du Pré, 1962: Elegie in C minor, Op. 24 - Gerald Moore, piano




Piano: Gerald Moore
Cello: Jacqueline du Pré
recorded April 1, 1969


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/560.html#c1
[番外地12] Jacqueline du Pre 中川隆
2. 中川隆[-6406] koaQ7Jey 2025年6月08日 05:52:38 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[16]
フォーレ:エレジーハ短調op.24
ジャクリーヌ・デュ・プレ



フォーレ:エレジーハ短調op.24 · Jacqueline du Pré · Gerald Moore

20世紀不滅の名演奏家 ジャクリーヌ・デュ・プレ

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/560.html#c2
[番外地12] ハイドシェック

Paul Tortelier, Éric Heidsieck - Fauré: Cello Sonatas, Élégie, Sérénade & Papillon Full Album - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLlcchrepqhpVeHmR_3Vc-SCbCUq5ZNrK6

℗ A Warner Classics / Erato release, ℗ 1975, 2005 Warner Music France
Cello: Paul Tortelier
Piano: Éric Heidsieck

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/573.html

[番外地12] ハイドシェック 中川隆
1. 中川隆[-6405] koaQ7Jey 2025年6月08日 06:06:18 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[17]
<■51行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Cello Sonata No. 1 in D Minor, Op. 109



Cello Sonata No. 2 in G Minor, Op. 117




Élégie, Op. 24



Sérénade, Op. 98



Papillon, Op. 77


℗ A Warner Classics / Erato release, ℗ 1975, 2005 Warner Music France
Cello: Paul Tortelier
Piano: Éric Heidsieck

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/573.html#c1
[番外地12] フルニエ

Fauré: Berceuse, Fournier & Lush (1951) フォーレ 子守歌 フルニエ&ラッシュ

チェロ:ピエール・フルニエ
ピアノ:アーネスト・ヘンリー・ラッシュ
録音:1951年6月

Fauré: Élégie (Elegy), Fournier & Lush (1951) フォーレ エレジー フルニエ&ラッシュ

チェロ:ピエール・フルニエ
ピアノ:アーネスト・ヘンリー・ラッシュ
録音:1951年6月

フォーレ: ロマンス Op.28

(Cello)ピエール・フルニエ:(P)タッソー・ヤノプロ 1946年9月24日録音

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/574.html

[番外地12] アルテュール・グリュミオー

ARTHUR GRUMIAUX, violin. G. Faure - Violin Sonata No.1, Op.13, in A [P. Crossley, piano]

ARTHUR GRUMIAUX, violin
PAUL CROSSLEY, piano
Recorded in November 1977

ARTHUR GRUMIAUX, violin. G. Faure - Violin Sonata No.2, Op.108, in e [P. Crossley, piano] 11/1977

ARTHUR GRUMIAUX, violin
PAUL CROSSLEY, piano
Recorded in November 1977

Fauré: Les berceaux, Op. 23, No. 1

Arthur Grumiaux
Istvan Hajdu
℗ 1963 Universal International Music B.V.

TANNOY VLZ グリュミオー 夢のあとに・アヴェマリア・ロマンス2番 (フォーレ・シューベルト・ベートーベン)

■曲は、アルテュール・グリュミオーさんの以下の曲です。
1  0:00 夢のあとに (フォーレ)
2  2:56 アヴェマリア (シューベルト)
3  7:13 ロマンス、2番 (ベートーベン)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/575.html

[番外地12] クリスチャン・フェラス
Fauré: Violin Sonata No. 1, Ferras & Barbizet (1964) フォーレ ヴァイオリンソナタ第1番 フェラス&バルビゼ

ヴァイオリン:クリスチャン・フェラス
ピアノ:ピエール・バルビゼ
録音:1964年9月21〜25日 サル・ワグラム (パリ)

Fauré: Violin Sonata No. 2, Ferras & Barbizet (1964) フォーレ ヴァイオリンソナタ第2番 フェラス&バルビゼ

ヴァイオリン:クリスチャン・フェラス
ピアノ:ピエール・バルビゼ
録音:1964年9月21〜25日 サル・ワグラム (パリ)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/576.html

[番外地12] ぎんぎつね
銀価格、10年ぶりに36ドル突破!2025年の衝撃的なブレイクアウトとは?(【隠れた富への鍵】シルバー投資の秘密を探る その332)
ぎんぎつね 2025/06/08

2025年、銀市場に歴史的な転換点が訪れました。
10年以上もの間、突破されなかった価格の壁が、ついに崩れ去ったのです。
銀は1日で3.5%もの急騰を記録し、連続限月取引で35.67ドルをつけました。そしてついに、36ドルの大台を突破。これは、2011年以来、実に14年ぶりの高値圏です。
一方、金は逆に値を下げ、貴金属市場の力学に大きな変化が生じています。
貴金属アナリストであるマイク・マロニー氏は、この価格上昇を「歴史的なブレイクアウト」だと位置付け、「これは単なる価格変動ではない」と断言しています。
銀は今、新たな相場局面への扉を開け放ちました。その背後に何があるのか、そしてこの動きが意味するものとは何か──詳しく解説します。

【タイムテーブル】
00:00 オープニング
01:07 1.36ドルの壁を超えた日
02:37 2.45年の眠りから目覚めたチャート
04:07 3.10億ドルが動いた理由
05:56 4.金1オンス=銀94オンス?
07:40 5.足りない銀、膨らむ需要
09:33 6.これは訓練ではない─未来を左右する分岐点

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/577.html

[番外地12] 消費税を廃止してはいけない理由、消費税率をヨーロッパレベルまで上げて、低所得者にだけ消費税分の金額を所得税の給付付き税… 中川隆
1. 中川隆[-6404] koaQ7Jey 2025年6月08日 08:51:09 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[18]
<■80行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
保守・右翼の経済評論家(伊藤貫、中野剛志、藤井聡、三橋貴明、橋洋一)は経済が全くわかっていない
消費税を廃止してはいけない理由、消費税率をヨーロッパレベルまで上げて、低所得者にだけ消費税分の金額を所得税の給付付き税額控除で返すのが正解
アメリカは積極財政をやって、赤字国債の利子が軍事費より高くなってしまったんだよ。
このままだと軍事費をゼロにするしかないから、関税で稼ごうという事になったんだ。
消費税を廃止する代わりに代替財源として赤字国債を発行すると、アメリカの様に国債の利子が軍事費より多くなってしまい、国家破綻します。 税額の名目値だけ減らしても、円の貨幣発行量を増やすとインフレになり、インフレ税という形で相殺して実質的には減税にならなくなるのですね。
財務省が消費税や各種税金を上げようとしているというのは嘘で、実際には円の貨幣発行量を増やして、日本を意図的に円安インフレにして、日本政府の借金を目減りさせ、それに加えて物価高で所得税収と消費税税収を増やそうとしているのです。
今迄、日本政府は消費税を上げて、その増収分だけ法人税と富裕層の所得税を下げたのです。 消費税を廃止するなら、赤字国債発行ではなく、法人税と富裕層の所得税の累進課税を昭和と同じに戻すしかないのです。
それから国債ではなく政府紙幣を発行すれば銀行、保険会社や証券会社に利子を払わなくても済む様になります。 銀行、保険会社や証券会社を国債の利子を払う事によって養うのは無理だから、減らすしかないのです。  
そもそも、消費税を止めて所得税だけにすると、働いている若い人だけに税金をかける事になるので、年金や健康保険の負担を増やすしかなくなります。 消費税を社会保障の為に取っている、というのは将来的には事実なんですね。

更に、消費税を廃止すると富裕層への減税額の方が大きいので、貧富の差が大きくなってしまいます。 高率の消費税を取って、低所得者には取った消費税分の金額を給付付き減税で返すのが正解です。

詳細は


日米同時金融危機の予兆 25.06.07
吉田繁治チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=z9smPN0OJpI

日米の長期国債、とくに満期30年・40年の超長期国債の利回りが上がり、価格はすでに約40%下げています。国債は、民間金融機関の自己資本になっているので、長期国債価格の下落は自己資本を減らします。銀行は自己資本が減ると、信用創造した預金マネー(日本では自己資本の約10倍、米国では20倍)を減らさねばならない。これが、信用恐慌です。日米は、長期金利の上昇からともに金融危機の寸前の状況にあるように見えるのです。第1回目は、一般には難しいところがある金融危への状況を、基礎的なことから解説します。2025年の7月末から8月にかけて、金融危機のリスクが増す感じがしています

含み損が止まらない…保険会社のヤバい実態
経済クラブ keizaiclub 2025/05/27
国債暴落の衝撃…日本生命の資産に異変!含み損3兆6000億円の現実
https://www.youtube.com/watch?v=3S0pxiwjtBw

消費税撤廃の誤解(2025/5/26)増田俊男 の無料 インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=hE43xzycgMw

【20分でわかるニュース解説ショート動画】 各党が掲げる「消費税減税案」日刊ゲンダイ小幡記者が金子勝慶大名誉教授に聞いた
2025/05/15
https://www.youtube.com/watch?v=wxCeyU7pLtE

5/16(金) 19:15~ ライブ(尾形のDB)【金子勝・責任ある消費減税とは/森友文書の詐欺的公開/GDP 0.7%減 と トランプ関税】
https://www.youtube.com/watch?v=YmJeqx1kDbk

金子勝 _ 保守・右翼の経済評論家(伊藤貫、中野剛志、藤井聡、三橋貴明、橋洋一)は経済が全くわかっていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16886615


【祝! 第666回収録記念ライブ】日本破綻(5/21 午後6時スタート!)
経済クラブ keizaiclub 2025/05/21
https://www.youtube.com/watch?v=50sL_oxYyTQ

【日本財政がヤバい…】むしろバラ撒きは逆効果?銀行“取り付け騒ぎ”の可能性あり
経済クラブ keizaiclub 2025/05/13
https://www.youtube.com/watch?v=xTtBuPYzlGs

【苦しむのは庶民】減税は名目上の救済だとお気づきですか?
経済クラブ keizaiclub 2025/05/06
https://www.youtube.com/watch?v=tg9LTx7QLrk

【最終警告】自国通貨建てなら安全の大ウソ…AIが示したMMT理論の致命的欠陥とは
経済クラブ keizaiclub 2025/04/22
https://www.youtube.com/watch?v=tR-vusDU4F0

財務省解体デモが激しすぎる!財務省が批判される理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16892902
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/498.html#c1

[番外地12] ぎんぎつね 中川隆
1. 中川隆[-6403] koaQ7Jey 2025年6月08日 09:03:24 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[19]
<△23行くらい>
日米同時金融危機の予兆(2)25.06.07
吉田繁治チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=LBZAky78Loo



日米の長期国債、とくに満期30年・40年の超長期国債の利回りが上がり、価格はすでに約40%下げています。国債は、民間金融機関の自己資本になっているので、長期国債価格の下落は自己資本を減らします。銀行は自己資本が減ると、信用創造した預金マネー(日本では自己資本の約10倍、米国では20倍)を減らさねばならない。これが信用恐慌です。日米は、長期金利の上昇からともに、金融危機の寸前の状況にあるように見えるのです。
第2回目も、一般には難しいところがある金融危機への状況を、基礎的なことから解説します。 2025年の7月末から8月にかけて、金融危機のリスクが増す感じがしています。

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/577.html#c1
[番外地12] 保守・右翼の人は、天皇が古代大和民族の系統であって欲しいと願っているので、水田稲作はchousen半島からの渡来ではないとか、縄文人の直系の子孫だと証明されている
保守・右翼の人は、天皇が古代大和民族の系統であって欲しいと願っているので、水田稲作はchousen半島からの渡来ではないとか、縄文人の直系の子孫だと証明されているアイヌ人が実際には鎌倉時代にシベリアから移民して来たツングース系渡来人だとか、遺伝学で完全に否定されているデマを信じてしまうのです。
天皇は漢民族系chousen人で、天皇が力を持った時代は必ず、仏教や中国文化や西洋文化が盛んになった反日的な時代なんですね。

古墳時代以降の日本は厳格なカースト制社会で、優しくて温和な日本人というのは、下級カーストの縄文系・弥生系の日本人の事です。日本の上級カーストは漢民族系chousen人で、インド アーリア人やゲルマン人・アングロサクソンに匹敵する極悪非道な侵略者、民族差別主義者でした。日本の支配階級は民主主義国となった戦後でも 漢民族系chousen 人のままなので、残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです。

下級カーストはアイヌ人・琉球人の様な二重瞼、上級カーストは天皇一族や江戸時代の侍の様な一重瞼なので、見ただけですぐに判別できます。今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人と被差別同和部落民だけです。

縄文系・弥生系の日本人は漢民族系 chousen人の お上には絶対に逆らえない農奴として1600年間生きてきたのです。日本の農民が戦後も自民党だけを支持してきたのは、下級カーストとして生き続けてきた1600年間の伝統を受け継いでいるからです。
日本のアジア侵略やアジア人虐殺は天皇や日本の支配層が、嫌がる下級カーストの日本の農奴に命令して行わせたものです。中国共産党は終戦後ずっと、日本のアジア侵略は日本の支配層が行なわせたものであり、日本兵も虐殺された中国人同様に被害者だと言い続けてきました:

平安時代以降、天皇が実権を失ってからも天皇家が存続したのは、日本の支配階級だった天皇も武士階級も両方共、上級カーストを作っていた漢民族で、下級カーストの日本の農民とは全く違う民族だったからです。インドでも最上位の支配階級に属するカーストの人間同士は戦わないですよね。全く同じ事です。
日本人は氏姓制や Y-DNAの解析からわかった日本人の遺伝子構成からわかる様に、次の4つの異なる民族から構成されています:

@ 支配階級の漢民族系 chousen人: Y-DNA は O2
A 農地を所有する弥生系の百姓 : Y-DNA は O1b2
B 縄文系の小作人、被差別部落民: Y-DNA は D1a2a1、C2a2
C 縄文系のアイヌ人、琉球人: Y-DNA は D1a2a2


日本列島に渡来した民族の Y-DNA ハブロタイプ
40.000年前 C1a1(ポリネシアン)
35.000年前 D1a2a2 (縄文人の祖先)
34.500年前 C2a2(縄文人の祖先)
3.000年前 O1b2(南満州の西遼河流域から chousen を通して移民して来た稲作農耕民)
1.300年前 O2(漢民族系 chousen人)

▲△▽▼

日本人の遺伝子の 90% は朝鮮からの渡来人 O2、O1b2 で、縄文系 D1a2a1 は僅か10%
琉球人の遺伝子の 30% は縄文系 D1a2a2、C2a2
アイヌ人の遺伝子の 70% は縄文系 D1a2a2

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a1--32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された、西遼河の焼畑農耕民の可能性が高い
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系
C1----5% :縄文系
O1b1--1%(旧表記O2a)
O1a---1% : 長江系稲作民
N1----1%
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)


現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系


現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2--45.1% : 縄文系
O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---18.9%(旧表記O3):漢民族系
C2----1.5% :縄文系
C1----6.8% :縄文系
O1b1--0.8%(旧表記O2a) :長江系稲作民


古墳時代以降の日本は厳格なカースト制社会で、優しくて温和な日本人というのは、下級カーストの縄文系・弥生系の日本人の事です。日本の上級カーストは漢民族系chousen人で、インド アーリア人やゲルマン人・アングロサクソンに匹敵する極悪非道な侵略者、民族差別主義者でした。日本の支配階級は民主主義国となった戦後でも 漢民族系chousen 人のままなので、残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです。

下級カーストはアイヌ人・琉球人の様な二重瞼、上級カーストは天皇一族や江戸時代の侍の様な一重瞼なので、見ただけですぐに判別できます。今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人と被差別同和部落民だけです。

縄文系・弥生系の日本人は漢民族系 chousen人の お上には絶対に逆らえない農奴として1600年間生きてきたのです。日本の農民が戦後も自民党だけを支持してきたのは、下級カーストとして生き続けてきた1600年間の伝統を受け継いでいるからです。自民党の幹部は戦後から現在までずっと田布施の chousen部落出身で反日・親アメリカ、親chousen・親中国です。

日本のアジア侵略やアジア人虐殺は天皇や日本の支配層が、嫌がる下級カーストの日本の農奴に命令して行わせたものです。中国共産党は終戦後ずっと、日本のアジア侵略は日本の支配層が行なわせたものであり、日本兵も虐殺された中国人同様に被害者だと言い続けてきました。
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/578.html
[番外地12] アカデミズムや大学の研究者が絶対に言えない日本の歴史のタブーとして有名なのは 1.天皇一族は元々ソウルに住んでいた漢民族系chousen人だった。
アカデミズムや大学の研究者が絶対に言えない日本の歴史のタブーとして有名なのは
1.天皇一族は元々ソウルに住んでいた漢民族系chousen人だった。
2.現在の天皇は神武天皇の子孫ではなかった。

3.弥生時代に満州の西遼河流域から chousen を通って日本に移住してきた渡来人の遺伝子は現代日本人と全く同じで、日本国内では日本の縄文人とは殆ど混血しなかった。

4.日本人から差別を受けてきた被差別同和部落民やアイヌ人は縄文人の直系の子孫だった。

5.日本はインドと同じ様なカースト制社会で、氏族制はカースト制そのものだった。

6.明治維新は英米と組んだ田布施のchousen人による日本の乗っ取りだった。

7.太平洋戦争は日本で共産革命が起きない様にアメリカ軍に日本を占領してもらう為に起こした八百長戦争だった。


古墳時代以降の日本は厳格なカースト制社会で、優しくて温和な日本人というのは、下級カーストの縄文系・弥生系の日本人の事です。日本の上級カーストは漢民族系chousen人で、インド アーリア人やゲルマン人・アングロサクソンに匹敵する極悪非道な侵略者、民族差別主義者でした。日本の支配階級は民主主義国となった戦後でも 漢民族系chousen 人のままなので、残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです。
下級カーストはアイヌ人・琉球人の様な二重瞼、上級カーストは天皇一族や江戸時代の侍の様な一重瞼なので、見ただけですぐに判別できます。今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人と被差別同和部落民だけです。

縄文系・弥生系の日本人は漢民族系 chousen人の お上には絶対に逆らえない農奴として1600年間生きてきたのです。日本の農民が戦後も自民党だけを支持してきたのは、下級カーストとして生き続けてきた1600年間の伝統を受け継いでいるからです。自民党の幹部は戦後から現在までずっと田布施の chousen部落出身で反日・親アメリカ、親chousen・親中国です。

日本のアジア侵略やアジア人虐殺は天皇や日本の支配層が、嫌がる下級カーストの日本の農奴に命令して行わせたものです。中国共産党は終戦後ずっと、日本のアジア侵略は日本の支配層が行なわせたものであり、日本兵も虐殺された中国人同様に被害者だと言い続けてきました:

・chousen で長江の稲作民と西遼河流域の黍(キビ)農耕民が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人(倭人)になる

・chousen の無土器文化人(倭人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作り、日本人奴隷(生口)を青銅器・鉄と交換する奴隷貿易で稼いでいた。後漢の光武帝が贈った金印(漢委奴国王印)の「委奴」は「いと」と読む。

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた縄文系先住民をジェノサイド

・豊臣秀吉の chousen 出兵 → chousen で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の chousen 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・chousen の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、chousen 女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・1971年 本多勝一のルポ 「中国の旅」が朝日新聞に連載される → 南京大虐殺や戦時中の中国での日本支配の実態をルポ、文春や新潮は昭和天皇の戦争犯罪を隠蔽する為に渡部昇一や鈴木明に本多勝一批判をさせ、それ以降右翼は現在に至る迄、南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定する悪質なデマを流し続けている。

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償請求権を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした。アメリカは10年間で総額430兆円の公共投資の実施を日本政府に約束させ、意図的に平成バブルを起こさせた。

▲△▽▼

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【田布施システム】chousen系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/579.html
[番外地12] ティボー 中川隆
2. 中川隆[-6402] koaQ7Jey 2025年6月08日 11:34:29 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[20]
<■60行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
aあ

Debussy Violin Sonata in G minor(Thibaud,Cortot 1929)


Jacques Thibaud(Violin)
Alfred Cortot(Piano)
7 June 1929 Paris



Jaques Thibaud - Debussy : Violin Sonata g - moll - 1st & 2nd Mvt (1929)



recorded on 7 June 1929
transferred from Jpn Victor 78s / JD-59(CC-16962/3)



Jaques Thibaud - Debussy : Golliwog's Cake Walk (1925) 電気再生


Piano accomp. by Harold Craxton
recorded on 25 Nov. 1925
transferred from Jpn Victor 78s / VE-1054(ED-216)




Jaques Thibaud - Debussy : Golliwog's Cake Walk (1925)


Piano ; Harold Craxton
recorded 11/25, 1925
78rpm / Victor, VE-1054(ED-216)
on HMV-163 gramophone


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/570.html#c2
[番外地12] ヌブー

Debussy Violin Sonata in G minor(Ginette Neveu,Jean Neveu 1948)

Ginette Neveu(Violin)
Jean Neveu(Piano)
18 March 1948 Abbey Road Studios,London

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/580.html

[番外地12] シゲティ 中川隆
1. 中川隆[-6401] koaQ7Jey 2025年6月08日 11:42:26 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[21]
ああ

Debussy's Sonata for Violin & Piano - Szigeti/Bartók (1940)


Joseph Szigeti (1892-1973), violin
Béla Bartók (1881-1945), piano
Recorded live
Library of Congress, Washington, DC
April 13, 1940

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/572.html#c1
[番外地12] オーギュスタン・デュメイ 中川隆
2. 中川隆[-6400] koaQ7Jey 2025年6月08日 11:46:29 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[22]
オーギュスタン・デュメイ
Debussy Sonate pour violon et piano Dumay Pires


Augustin Dumay, violin
Maria João Pires, piano

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/566.html#c2
[番外地12] チョン・キョンファ 中川隆
1. 中川隆[-6399] koaQ7Jey 2025年6月08日 11:51:00 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[23]
<△23行くらい>
チョン・キョンファ
Debussy : Violin Sonatas


Kyung-Wha Chung (violin) / Radu Lupu (piano)



Debussy - Beau Soir for violin (Kyung Wha Chung, Kevin Kenner)




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/563.html#c1
[番外地12] チョン・キョンファ 中川隆
2. 中川隆[-6398] koaQ7Jey 2025年6月08日 11:54:03 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[24]


Kyung Wha Chung plays Debussy 'Beau Soir'


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/563.html#c2
[番外地12] Heifetz 中川隆
7. 中川隆[-6397] koaQ7Jey 2025年6月08日 12:06:06 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[25]
<■62行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
Heifetz - Debussy : La Fille Aux Cheveux de Lin, Grieg : Scherzo - Impromptu (1926) 電気再生


"The Maiden with Flaxen Hair" 亜麻色の髪の乙女
Piao accomp. by Isidor Achron
recorded Dec. 29, 1926
transferred from Jpn Victor 78s / 6622-B,



Jascha Heifetz_" La Fille Aux Cheveux de Lin "( Debussy), "Scherzo - Impromptu "(Grieg) -1926


"The Maiden with Flaxen Hair" 亜麻色の髪の乙女
Piao accomp.- Isidor Achron
78rpm / Victor - 6622-B, recorded in 12/29, 1926
on HMV-163 gramophone


Jascha Heifetz_ Debussy : Waltz (1926)


Piao accomp.- Isidor Achron
78rpm / Victor - 6622-A
recorded in 12/29, 1926
on HMV-163 gramophone



Jascha Heifetz - Debussy : Waltz (La plus que lente - Valse) - 1926


レントより遅くー ワルツ
Piao accomp. by Isidor Achron
recorded Dec. 29, 1926
transferred from Jpn Victor 78s / 6622-A




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c7
[番外地12] ヒラリー・ハーン
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調|ヒラリー・ハーン|WDR交響楽団

ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン
WDR交響楽団
セミヨン・ビチコフ(指揮

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/581.html

[番外地12] DAVID OISTRAKH

DAVID OISTRAKH. A. Glazunov - Violin Concerto, in a, Op 82 [Prague RSO, K Kondrashin] Prague, 1948

DAVID OISTRAKH
Prague Radio Symphony orchestra
KIRILL KONDRASHIN
Live in Prague, 1948

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/582.html

[番外地12] Heifetz 中川隆
8. 中川隆[-6396] koaQ7Jey 2025年6月08日 13:04:19 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[26]


Heifetz - Glazounov : Violin Concerto a-moll Op.82 (1934)


London Philharmonic Orch. cond. by John Barbirolli
Recorded 28 March 1934
transfer from Jpn Victor 78s / JD-427/9 (2B-6853/6)
再復刻

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c8
[番外地12] Heifetz 中川隆
9. 中川隆[-6395] koaQ7Jey 2025年6月08日 13:09:53 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[27]
<▽47行くらい>


Glazunov: Violin Concerto in A minor op. 82 - Jascha Heifetz, violino; John Barbirolli, direttore


Jascha Heifetz, violino
John Barbirolli, direttore
London Philarmonic Orchestra
London, 1934



Glazunov: Violin Concerto, Heifetz & Hendl (1963) グラズノフ ヴァイオリン協奏曲 ハイフェッツ&ヘンドル


ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ
指揮:ワルター・ヘンドル
RCAビクター交響楽団
録音:1963年6月3〜4日 サンタモニカ・シビック・オーディトリアム




Glazunov Violin Concerto In A Minor / Heifetz RCA VSO, Walter Hendl (SACD 2005)


Recorded June 3 & 4, 1963 in Santa Monica Civic Auditorium, California

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c9
[番外地12] リヒテル
Ravel Violin Sonata(Sviatoslav Richter, Oleg Kagan 1986)

Oleg Kagan (violin)
Sviatoslav Richter (piano)
1986/09/20 (ⓟ 1998) Stereo (DDD), Nakaniida Bach Hall
Live Recording

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/583.html

[番外地12] リヒテル 中川隆
1. 中川隆[-6394] koaQ7Jey 2025年6月08日 13:25:29 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[28]
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ / カガン, リヒテル 1986


オレグ・カガン(ヴァイオリン)Oleg Kagan, violin
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)Sviatoslav Richter, piano
20 Sep.1986, Live Recording, Nakaniida Bach Hall 中新田バッハホール

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/583.html#c1
[番外地12] シゲティ 中川隆
2. 中川隆[-6393] koaQ7Jey 2025年6月08日 13:27:17 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[29]



JOSEPH SZIGETI, violin. M.Ravel - Violin Sonata in G (C. Bussotti, piano)


JOSEPH SZIGETI, violin (5/09/1892 - 19/02/1973)
CARLO BUSSOTTI, piano

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/572.html#c2
[番外地12] DAVID OISTRAKH 中川隆
1. 中川隆[-6392] koaQ7Jey 2025年6月08日 13:31:30 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[30]
ああ

M. Ravel - Sonata for Violin and Piano n.2 in G major, Oistrakh, Frida Bauer (LIVE)


Violin: David Oistrakh
Piano: Frida Bauer
Live Version

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/582.html#c1
[番外地12] チョン・キョンファ 中川隆
3. 中川隆[-6391] koaQ7Jey 2025年6月08日 13:46:43 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[31]
<▽44行くらい>


Kyung Wha Chung plays Ravel Violin Sonata No.2


Kyung-Wha Chung
Stephen Kovacevich
recital at St John's Smith Square, London, on January 10th, 1983.





Kyung Wha Chung Plays Ravel:Tzigane LP Version


Violin: Kyung Wha Chung
Orchestra:Royal Philharmonic Orchestra
Conductor:Charles Dutoit


Ravel: Tzigane M.76


Kyung Wha Chung
Royal Philharmonic Orchestra
Charles Dutoit
℗ 1979 Decca Music Group Limited

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/563.html#c3
[番外地12] エルマン 中川隆
3. 中川隆[-6390] koaQ7Jey 2025年6月08日 15:40:23 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[32]


Mischa Elman_Ravel ;"Piece en Forme de Havanere" ハバネラ形式による小曲


Mischa Elman (1891-1967)
78rpm / JPN Victor : JF-2
recorded in 1930
Gramophone 蓄音器 HMV-163

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/571.html#c3
[番外地12] Heifetz 中川隆
10. 中川隆[-6389] koaQ7Jey 2025年6月08日 16:00:00 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[33]
<▽37行くらい>


Sibelius: Violin Concerto in D minor op. 47 - Jascha Heifetz, violino; Thomas Beecham, direttore


Jascha Heifetz, violino
Thomas Beecham, direttore
London Philharmonic Orchestra
London, 1935




Sibelius Violin Concerto / Heifetz CSO, Walter Hendl (SACD 2005)




Recorded January 10 & 12, 1959 in Orchestra Hall, Chicago.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c10
[番外地12] フルトヴェングラー

シベリウス・バイオリン協奏曲/ フルトヴェングラー&クーレンカンプ Sibelius Violin Concerto / Furtwängler & Kuhlenkamp

https://www.youtube.com/watch?v=Ff767H786bg&t=70s


 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮: ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
 ゲオルク・クーレンカンプ (バイオリン)

 1943年、2月7日、ベルリンでのライヴ

 ※戦時下で空襲やゲシュタポの脅威を毎日感じながらそれでも芸術と向き合うしかない音楽家たちの群像劇を観る想いがします。陰鬱なシベリウスの北欧的霊気がなんとも妖しく響き、ソリストのクーレンカンプはさながらその厳しい大自然=運命を前にしてなお歩み続けるラップランドの原住民をオーバーラップさせてくれます。フルトヴェングラーはシベリウスと会談(写真)したこともあり、演奏における何らかのアドバイスを受けたのかも知れませんね。

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/584.html

[番外地12] クリスチャン・フェラス 中川隆
1. 中川隆[-6388] koaQ7Jey 2025年6月08日 16:11:56 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[34]
Sibelius: Violin concerto /Ferras /Karajan /Berlier Ph. シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 フェラス/ カラヤン/ ベルリンフィル


クリスティアン・フェラス
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン
1964年 イエスキリスト教会

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/576.html#c1
[番外地12] ムター 中川隆
3. 中川隆[-6387] koaQ7Jey 2025年6月08日 16:16:23 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[35]

Sibelius - Violin Concerto  Mutter Previn Dresden


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
(Vn) アンネ = ゾフィー・ムター
アンドレ・プレヴィン 指揮  シュターツカペレ・ドレスデン  1995年5月

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/541.html#c3
[番外地12] ヒラリー・ハーン 中川隆
1. 中川隆[-6386] koaQ7Jey 2025年6月08日 16:21:10 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[36]


Sibelius: Violin Concerto in D minor, Op. 47 • Hilary Hahn


Hilary Hahn plays Jean Sibelius's staggering and impassioned Violin Concerto with the Filarmonica George Enescu, conducted by Maestro Paavo Järvi. Performed at the George Enescu International Festival on August 28th, 2021.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/581.html#c1
[番外地12] Pfitzner
Pfitzner "Violin Concerto" Gerhard Taschner/Rudolf Kempe

Gerhard Taschner, violin
RIAS Symphony Orchestra
Rudolf Kempe, conductor
17.04.1955

Pfitzner "Violin Concerto" Erich Röhn

Violin Concerto in B minor op 34 by Hans Pfitzner
Erich Röhn, Violin
Rundfunkorchester Hannover des NDR
Willy Steiner, Conductor

Hans Pfitzner Violinkonzert - Thomas Christian

Hans Pfitzner – Cello Concerto in A minor, Op.52


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/585.html

[番外地12] Pfitzner 中川隆
1. 中川隆[-6385] koaQ7Jey 2025年6月08日 17:54:52 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[37]
<■98行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
aあ

Pfitzner "Cello Concerto" Wolfgang Boettcher
Cello Concerto in A minor op posth by Hans Pfitzner


Wolfgang Boettcher, Cello
Radio Symphonie-Orchester Berlin
Christoph Prick, Conductor


______________


Pfitzner: Cello Concerto in G major, Op. 42 (1940rec?)
プフィッツナー チェロ協奏曲第1番 ト長調 op42


1940年録音?

ガスパール・カサド
ウィレム・メンゲルベルク
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
Koninklijk Concertgebouworkest



Pfitzner "Cello Concerto in G Major" Gaspar Cassadó/Willem Mengelberg


Cello Concerto in G major, Op. 42
by Hans Pfitzner
Gaspar Cassadó, Cello
Concertgebouw Orkest Amsterdam
Willem Mengelberg, Conductor
1940?



Pfitzner "Cello Concerto op 42" Siegfried Palm
Cello Concerto in G Major op 42 by Hans Pfitzner


Siegfried Palm, cello
Symphony Orchestra of the NWDR Hamburg
Wilhelm Schüchter, conductor
18.07.1953



Pfitzner "Cello Concerto op 42" Siegfried Palm
Cello Concerto in G Major op 42 by Hans Pfitzner


Siegfried Palm, cello
Symphony Orchestra of the NWDR Hamburg
Wilhelm Schüchter, conductor
18.07.1953



Hans Pfitzner cello concerto in G major


Peter Tilling Dir. Éric-Maria Couturier cello. Musik Kollegium Winterthur Live recording January 2023 Suiss Radio SRF 2 Kultur

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/585.html#c1
[番外地12] Pfitzner 中川隆
2. 中川隆[-6384] koaQ7Jey 2025年6月08日 18:09:27 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[38]
<■88行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
aあ

Hans Pfitzner - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLH7uKkZ274vWy5Bg-IqmcRCUHj9XpAT1d


Pfitzner: Duo for violin, cello & Small Orchestra op.43 - Max Strub, Ludwig Hoelsche, Hans Pfitzner


Max Strub, violino
Ludwig Hoelscher, cello
Hans Pfitzner, direttore
Orchester der Staatsoper
Berlin, 1938



Hans Pfitzner – Duo for Violin, Cello and Orchestra in A minor, Op.43





_______________


Hans Pfitzner: Violin Sonata in E minor, Op. 27 (1918)


Benjamin Schmid (violin)
Claudius Tanski (piano)



Hans Pfitzner: Violin Sonata in E Minor, Op.27 (1918)


Ulf Wallin (Violin)
Roland Pöntinen (Piano)


Michael Goldstein, Evelinde Trenkner - Hans Pfitzner Violin Sonata Sonata Op 2




Pfitzner, Hans - Violin sonata in E minor op. 27 (1918)


Performers: Michael Goldstein (Violin), Galina Kowal (piano), s.f.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/585.html#c2
[番外地12] ルクー
Lekeu: Violin Sonata in G major - Ferras, Barbizet

Violin: Christian Ferras
Piano: Pierre Barbizet
Recorded: 13-14, October 1965, Jesus Christus-kirche

Lekeu, violin sonata - Video Score - Christian Ferras

Christian Ferras, violin
Pierre Barbizet, piano

Lekeu: Violin Sonata, Grumiaux & Castagnone (1955) ルクー ヴァイオリン・ソナタ グリュミオー&カスタニョーネ

Arthur Grumiaux (1921-1986), Violin
Riccardo Castagnone (1906-1983), Piano
Rec. December 1955 [Philips]

ヴァイオリンとピアノのためのソナタ (1891)
https://www.youtube.com/watch?v=Z89DdTb97ro
https://www.youtube.com/watch?v=5A2cBZguvrw
https://www.youtube.com/watch?v=QL7LeK77AnY

Jean-Jacques Kantorow
Jacques Rouvier

Lekeu Violin Sonata in G - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLwJ6arrn7roIBYsbDsbz_NLS-sbBWvhyd

Artist: Jacques Genty
Artist: Lola Bobesco

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/586.html

[番外地12] ルクー 中川隆
1. 中川隆[-6383] koaQ7Jey 2025年6月08日 22:43:41 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[39]
<△23行くらい>
Lekeu Violin Sonata Henri Koch 516549-50A
https://www.youtube.com/watch?v=wrUJrKzm1mo
https://www.youtube.com/watch?v=8zbGsclG5EA
https://www.youtube.com/watch?v=b-e1kRkYBhw

ルクー:ヴァイオリン・ソナタ ト長調(1/3)
アンリ・コック[1903〜1969](ヴァイオリン)
シャルル・ファン・ランケル(ピアノ)
使用SP:516.549〜50A
1932年録音

阿佐ヶ谷ヴィオロンSPコンサート「21世紀にこれだけは残したいSPの名演奏」第­99回フランク&ルクー特集より。
蓄音器ビクトローラ・クレデンザによるアコースティック再生をマイクで収録。
収録:2009年6月21日 於:阿佐ヶ谷 音楽喫茶ヴィオロン
写真:レーベル→アルバム→アンリ・コック

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/586.html#c1
[番外地12] ルクー 中川隆
2. 中川隆[-6382] koaQ7Jey 2025年6月08日 22:48:00 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[40]


Guilleaume Lekeu "Piano Trio" Trio Grumiaux



Piano Trio in C minor by Guilleaume Lekeu

1.Lent
2. Très lent
3. Très animé
4. Lent
Trio Grumiaux

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/586.html#c2
[番外地12] ルクー 中川隆
3. 中川隆[-6381] koaQ7Jey 2025年6月08日 22:53:57 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[41]
<△20行くらい>


Lekeu - Piano Quartet (unfinished) (Audio+Sheet) [Ens. Musique Oblique]


I. Dans un emportement douloureux. Très animé 00:02
II. Lent et passionné 15:50

Ensemble Musique Oblique
Elisabeth Glab, violin
Françoise Gneri, viola
Isabelle Veyrier, cello
Alice Ader, piano

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/586.html#c3
[番外地12] リリ・ブーランジェ
Lili Boulanger, Nocturne pour violon et piano (1911)

Lili Boulanger (1893-1918) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGA7IZDGlulKn-8E1-Jz9luC4tCYiF2yt

The Best of Lili Boulanger - Classical Music Playlist | AI Art | Relax, Study, Background


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/587.html

[番外地12] リリ・ブーランジェ 中川隆
1. 中川隆[-6380] koaQ7Jey 2025年6月09日 02:25:16 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[42]
<■53行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>



Nocturne


Olivier Charlier
Émile Naoumoff


Cortège: Cortege


Olivier Charlier
Émile Naoumoff
Boulanger, Lili and Nadia: In Memoriam Lili Boulanger
℗ 1993 Marco-Polo


D'un matin de printemps


Olivier Charlier
Émile Naoumoff
Boulanger, Lili and Nadia: In Memoriam Lili Boulanger
℗ 1993 Marco-Polo



9 Lili Boulanger, Nadia Boulanger, Naoumoff - Cortege Olivier Charlier - In Memoriam Lili Boulanger



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/587.html#c1
[番外地12] ルクー 中川隆
4. 中川隆[-6379] koaQ7Jey 2025年6月09日 02:34:44 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[43]
<■52行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


A. Steinhardt & V. Eskin perf. two Lili Boulanger pieces


Nocturne (1911) (begins ~ 0:01)
Cortège (1914) (begins ~ 2:51)

Violinist Arnold Steinhardt
pianist Virginia Eskin






Boulanger: Nocturne for Violin and Piano


Janine Jansen
Itamar Golan
℗ 2010 Decca Music Group Limited



Lili Boulanger Nocturne pour violon et piano (1911), Savitri Grier (violin), Richard Uttley (piano)


Recorded Live at Wigmore Hall, March 2018







http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/586.html#c4
[番外地12] バルトーク
Béla Bartók plays his Romanian Folk Dances No. 1, 2 & 6

1. Bot tánc / Jocul cu bâtă (Stick Dance)
2. Brâul (Sash Dance)
6. Aprózó / Mărunțel (Fast Dance)

Performer: Béla Bartók

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/588.html

[番外地12] バルトーク 中川隆
1. 中川隆[-6378] koaQ7Jey 2025年6月09日 03:42:03 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[44]
<■78行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>



Viola Concerto, BB 128 (revised version by N. Dellamaggiore and P. Bartok)
https://www.youtube.com/watch?v=bvg7hUg4lsI
https://www.youtube.com/watch?v=ljhz8PuAFT4
https://www.youtube.com/watch?v=PVjeG9H18yE

℗ 2008 Pan Classics
Artist: Nobuko Imai
Conductor: Gabor Takacs-Nagy
Orchestra: Orchestre de la Haute Ecole de Geneve





Yuri Bashmet plays Bartok Viola Concerto - video 1985


the Moscow Radio SO
Vladimir Fedoseyev
live in 1985.


Bartok - Viola Concerto (Yuri Bashmet) 1 mov


Yuri Bashmet - Bartok Concerto for Viola and
Orchestra (Berliner Philharmoniker)




Bartók: Viola Concerto, Primrose & Serly (1950's) バルトーク ヴィオラ協奏曲 プリムローズ


ヴィオラ:ウィリアム・プリムローズ
指揮:シェルイ・ティボール
ロンドン新交響楽団



BELA BARTÓK - Viola Concerto - Wolfram Christ, Berliner Philharmoniker, Seiji Ozawa


Berliner Philharmoniker
Wolfram Christ
Seiji Ozawa

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/588.html#c1
[番外地12] バルトーク 中川隆
2. 中川隆[-6377] koaQ7Jey 2025年6月09日 04:03:12 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[45]
<■64行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
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Bartók Solo Violin Sonata / The Berlin Recital, Gidon Kremer





Tedi Papavrami plays Béla BARTOK - solo violin sonata - Full Version Geneve 2010 - live


Tedi Papavrami, live




Bartok Bela, solo violin sonata, Tedi Papavrami


Part of the recital Bach-Ysaye-Bartok given in Biel the 11/5/2025



Béla Bartók - Sonata for Solo Violin, Sz. 117


Yehudi Menuhin, violin (1947)



Yehudi Menuhin plays Bartok solo sonata


Yehudi Menuhin - Violin
(recorded c.1974)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/588.html#c2
[番外地12] Gidon Kremer
Berg Violin Concerto - Kremer

Violinist: Gidon Kremer
Orchestra: Baravian Radio Symphony Orchestra
Conductor: Sir Colin Davis
Year of Performance: 1984

Alban Berg: Violinkonzert / Violin Concerto -- Gidon Kremer, Nikolaus Harnoncourt (Vienna 2007)

Gidon Kremer
Wiener Philharmoniker
Nikolaus Harnoncourt
7 May 2007, Konzerthaus, Vienna

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/589.html

[番外地12] シゲティ 中川隆
3. 中川隆[-6376] koaQ7Jey 2025年6月09日 04:27:14 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[46]


Alban Berg "Violin Concerto" Joseph Szigeti/Dimitri Mitropoulos


Joseph Szigeti, Violin
NBC Symphony Orchestra
Dimitri Mitropoulos, Conductor
30.XII.1945 live

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/572.html#c3
[番外地12] シェリング
Alban Berg - Violinkonzert „Dem Andenken eines Engels" Szeryng/BRSO, Kubelik (1971)


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/590.html
[番外地12] シェリング 中川隆
1. 中川隆[-6375] koaQ7Jey 2025年6月09日 04:34:40 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[47]
Berg - Violin Concerto  Szeryng Kubelik BRSO


(Vn) ヘンリク・シェリング
ラファエル・クーベリック 指揮  バイエルン放送 交響楽団  1968年5月

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/590.html#c1
[番外地12] チョン・キョンファ 中川隆
4. 中川隆[-6374] koaQ7Jey 2025年6月09日 04:48:16 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[48]
<▽32行くらい>


Kyung Wha Chung, Chicago Symphony Orchestra, Sir Georg Solti - Berg: Violin Concerto / Bartók: Violin Concerto No.1 (Full Album) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0QpZGZtWLwLlX5PkRv8DH3jLkHPawcL7

Kyung Wha Chung ·
Chicago Symphony Orchestra
Georg Solti



℗ 1984 Decca Music Group Limited



Kyung Wha Chung plays Berg Violin Concerto (1974)


Kyung-Wha Chung
RTE Orchestra (Now, National Orchestra)
Colman Pearce.
at St Patrick's College in Dublin, Ireland in 1974.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/563.html#c4
[番外地12] 日本は多民族国家で、日本の海外侵略を主導したのは上級カーストの政治家や経団連の資本家で、日本人は優しいと言われているのは下級カーストの労働者です
日本は多民族国家で、日本の海外侵略を主導したのは上級カーストの政治家や経団連の資本家で、日本人は優しいと言われているのは下級カーストの労働者です。

古墳時代以降の日本は厳格なカースト制社会で、優しくて温和な日本人というのは、下級カーストの縄文系・弥生系の日本人の事です。日本の上級カーストは漢民族系chousen人で、インド アーリア人やゲルマン人・アングロサクソンに匹敵する極悪非道な侵略者、民族差別主義者でした。日本の支配階級は民主主義国となった戦後でも 漢民族系chousen 人のままなので、残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです。

下級カーストはアイヌ人・琉球人の様な二重瞼、上級カーストは天皇一族や江戸時代の侍の様な一重瞼なので、見ただけですぐに判別できます。今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人と被差別同和部落民だけです。

縄文系・弥生系の日本人は漢民族系 chousen人の お上には絶対に逆らえない農奴として1600年間生きてきたのです。日本の農民が戦後も自民党だけを支持してきたのは、下級カーストとして生き続けてきた1600年間の伝統を受け継いでいるからです。自民党の幹部は戦後から現在までずっと田布施の chousen部落出身で反日・親アメリカ、親chousen・親中国です。

日本のアジア侵略やアジア人虐殺は天皇や日本の支配層が、嫌がる下級カーストの日本の農奴に命令して行わせたものです。中国共産党は終戦後ずっと、日本のアジア侵略は日本の支配層が行なわせたものであり、日本兵も虐殺された中国人同様に被害者だと言い続けてきました:

・chousen で長江の稲作民と西遼河流域の黍(キビ)農耕民が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人(倭人)になる

・chousen の無土器文化人(倭人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作り、日本人奴隷(生口)を青銅器・鉄と交換する奴隷貿易で稼いでいた。後漢の光武帝が贈った金印(漢委奴国王印)の「委奴」は「いと」と読む。

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた縄文系先住民をジェノサイド

・豊臣秀吉の chousen 出兵 → chousen で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の chousen 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・chousen の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、chousen 女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・1971年 本多勝一のルポ 「中国の旅」が朝日新聞に連載される → 南京大虐殺や戦時中の中国での日本支配の実態をルポ、文春や新潮は昭和天皇の戦争犯罪を隠蔽する為に渡部昇一や鈴木明に本多勝一批判をさせ、それ以降右翼は現在に至る迄、南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定する悪質なデマを流し続けている。

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償請求権を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした。アメリカは10年間で総額430兆円の公共投資の実施を日本政府に約束させ、意図的に平成バブルを起こさせた。

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから売り攻勢をかけ 7607円まで暴落させるのに成功した。 更に日銀に金融引き締めをさせ、外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・韓国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元と韓国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・中国・韓国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

▲△▽▼

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【田布施システム】chousen系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/591.html
[番外地12] アイヌ人の祖先がカラフトから来たというのは間違いです。 北部東北・北海道の「ナイ」「ベツ」地名はすべてアイヌモシリ(アイ… 中川隆
4. 中川隆[-6373] koaQ7Jey 2025年6月09日 05:53:23 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[49]
<■100行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
前に詳細に間違いを指摘しましたが、宇山卓栄さんのDNA解析の主張は完全なデマです。
アイヌ人の祖先が13世紀にカラフトから来たというのも間違いです。
北部東北・北海道の「ナイ」「ベツ」地名はすべてアイヌモシリ(アイヌ語地名)です。
それから、東北地方、北関東、甲信越地方のマタギの言葉もアイヌ語です。
マタギ(又鬼)は、日本の東北地方から北関東、甲信越地方にかけての山間部や山岳地帯で、伝統的な方法を用いて集団で狩猟を行う者を指します。
金田一京助 (アイヌ語研究の創始者)
「地名からみると北海道と東北は連続している。東北地方もかつてはアイヌ世界の一部であったと考えてよい」
菅江真澄 (江戸時代の博物学者)
「東北地方の地名はアイヌ語に由来する。東北地方から出土する土器はアイヌの作ったものである」

 「ナイ」「ベツ」で終わる地名は北海道、樺太、東北などに多く見られ、アイヌ語で「川」や「沢」を意味する。
青森・秋田・岩手には、今日でも和井内、生保内、今別など、おびただしいアイヌ語地名がある。
中には奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。

■ 東北地方の「ナイ」「ベツ」地名の分布(=アイヌ語・夷語の話者)
https://livedoor.blogimg.jp/taptior/imgs/d/1/d128dbca.jpg

北海道の民族が東北に移住したのは続縄文時代ですから、続縄文人はアイヌ語を話していた事になります。

後北式土器文化
続縄文時代後半期には、その初めには道央に限られた後北式土器が、やがては全道一円に進出するとともに、東北地方南部まで分布域を拡大した。後北式土器とは後期北海道薄手縄文土器の略である。続縄文時代前半期には海岸線に沿って遺跡の分布がみられたが、後半期には河川沿いに遺跡が分布する傾向を見せることから、この時期になって海洋での漁労・狩猟活動から、河川での漁労活動に生産手段が変化したと考えられる。

 藤本(1994)は、各地の河川中流域に多くの遺跡が分布し、拠点的な大遺跡と小規模な遺跡の組み合わせがみられること、川筋に沿ってみられることから、後の擦文文化、アイヌ文化に続く河川漁労を主とした生業体系がこの時期に成立したとしている。
https://adeac.jp/hakodate-city/text-list/d100050/ht002190


それから、アイヌ語地名は沖縄、九州、島根県でも沢山見つかっていますから、縄文語はアイヌ語だった可能性が高いです。
従って、アイヌ人は縄文人の直系の子孫です。

因みに、シベリアのニブフ語やツングース語はアイヌ語とは全く違う言語です。
それから日本語は縄文語ではなく、南満州の西遼河流域が起源だとされています:

日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14019324

弥生人のY-DNAは O1b2 ですが、O1b2は長江からは見つかっていません。 O1b2 が見つかっているのは日本と朝鮮と満州の西遼河だけです。 つまり、弥生人は満州の西遼河でキビ・アワを栽培していた農耕民で、朝鮮で長江人から水田稲作を学んでから、日本に移民してきたという事です:

日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表
Yahoo news 2021/11/13(土) 毎日新聞

日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日本時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。

日本語(琉球語を含む)、韓国語、モンゴル語、ツングース語、トルコ語などユーラシア大陸に広範に広がるトランスユーラシア語の起源と拡散はアジア先史学で大きな論争になっている。今回の発表は、その起源を解明するとともに、この言語の拡散を農耕が担っていたとする画期的新説として注目される。

 研究チームはドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心に、日本、中国、韓国、ロシア、米国などの言語学者、考古学者、人類学(遺伝学)者で構成。98言語の農業に関連した語彙(ごい)や古人骨のDNA解析、考古学のデータベースという各学問分野の膨大な資料を組み合わせることにより、従来なかった精度と信頼度でトランスユーラシア言語の共通の祖先の居住地や分散ルート、時期を分析した。

 その結果、この共通の祖先は約9000年前(日本列島は縄文時代早期)、中国東北部、瀋陽の北方を流れる西遼河流域に住んでいたキビ・アワ農耕民と判明。その後、数千年かけて北方や東方のアムール地方や沿海州、南方の中国・遼東半島や朝鮮半島など周辺に移住し、農耕の普及とともに言語も拡散した。朝鮮半島では農作物にイネとムギも加わった。日本列島へは約3000年前、「日琉(にちりゅう)語族」として、水田稲作農耕を伴って朝鮮半島から九州北部に到達したと結論づけた。

 研究チームの一人、同研究所のマーク・ハドソン博士(考古学)によると、日本列島では、新たに入ってきた言語が先住者である縄文人の言語に置き換わり、古い言語はアイヌ語となって孤立して残ったという。

 一方、沖縄は本土とは異なるユニークな経緯をたどったようだ。沖縄県・宮古島の長墓遺跡から出土した人骨の分析などの結果、11世紀ごろに始まるグスク時代に九州から多くの本土日本人が農耕と琉球語を持って移住し、それ以前の言語と置き換わったと推定できるという。

 このほか、縄文人と共通のDNAを持つ人骨が朝鮮半島で見つかるといった成果もあり、今回の研究は多方面から日本列島文化の成立史に影響を与えそうだ。

 共著者の一人で、農耕の伝播(でんぱ)に詳しい高宮広土・鹿児島大教授(先史人類学)は「中国の東北地域からユーラシアの各地域に農耕が広がり、元々の日本語を話している人たちも農耕を伴って九州に入ってきたと、今回示された。国際的で学際的なメンバーがそろっている研究で、言語、考古、遺伝学ともに同じ方向を向く結果になった。かなりしっかりしたデータが得られていると思う」と話す。

 研究チームのリーダーでマックス・プランク人類史科学研究所のマーティン・ロッベエツ教授(言語学)は「自分の言語や文化のルーツが現在の国境を越えていることを受け入れるには、ある種のアイデンティティーの方向転換が必要になるかもしれない。それは必ずしも簡単なステップではない」としながら、「人類史の科学は、すべての言語、文化、および人々の歴史に長期間の相互作用と混合があったことを示している」と、幅広い視野から研究の現代的意義を語っている。【伊藤和史】

韓国語の起源は9000年前、中国北東部・遼河の農耕民
Yahoo news 2021/11/13(土) 朝鮮日報日本語版
https://ameblo.jp/yuutunarutouha/image-12710029028-15031005547.html
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/518.html#c4

[番外地12] チョン・キョンファ 中川隆
5. 中川隆[-6372] koaQ7Jey 2025年6月09日 07:43:47 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[50]
<▽44行くらい>
バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2番 キョンファ, ショルティ 1976


チョン・キョンファ(ヴァイオリン)Kyung-Wha Chung, Violin
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
Feb.1976


バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2番 キョンファ, ラトル 1990


チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団
23/24 July.1990




Kyung Wha Chung plays Bartók violin concerto No.2 (1984)


Myung-Whun Chung
Suedwestfunks Symphony Orchestra.
Filmed in 1984 for SWR Germany.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/563.html#c5
[番外地12] フルトヴェングラー 中川隆
1. 中川隆[-6371] koaQ7Jey 2025年6月09日 07:47:57 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[51]


Bartók Violin Concerto No 2 (1953) Menuhin/Furtwängler


Yehudi Menuhin, violin
Wilhelm Furtwängler, conductor
The Philharmonia Orchestra

Recorded on September 12-13, 1953
in Studio 1, Abbey Road, London

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/584.html#c1
[番外地12] ムター 中川隆
4. 中川隆[-6370] koaQ7Jey 2025年6月09日 07:53:23 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[52]


Bartók: Violin Concerto No. 2, Sz. 112: I. Allegro non troppo
https://www.youtube.com/watch?v=cOnBnOqx3To
https://www.youtube.com/watch?v=wPxQPlhY_ME
https://www.youtube.com/watch?v=EXNzGsKw0SU

Anne-Sophie Mutter
Boston Symphony Orchestra
Seiji Ozawa
℗ 1991 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/541.html#c4
[番外地12] Gidon Kremer 中川隆
1. 中川隆[-6369] koaQ7Jey 2025年6月09日 07:59:26 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[53]
ギドン・クレーメル

Bartók: Violin Concerto No. 1, Sz. 36
https://www.youtube.com/watch?v=0VwavG5Nr-c
https://www.youtube.com/watch?v=bWyywNqU_Rw

Gidon Kremer
Berliner Philharmoniker
Pierre Boulez
℗ 2008 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/589.html#c1

[番外地12] Gidon Kremer 中川隆
2. 中川隆[-6368] koaQ7Jey 2025年6月09日 08:06:06 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[54]


Bartok, Violin Sonata 1 - Video Score - Kremer, Smirnov


Gidon Kremer, violin
Yuri Smirnov, piano

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/589.html#c2
[番外地12] Gidon Kremer 中川隆
3. 中川隆[-6367] koaQ7Jey 2025年6月09日 08:18:34 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[55]
<△27行くらい>
ギドン・クレーメル

Bartók Violin Sonata no1 / The Berlin Recital Gidon Kremer, Martha Argerich




Kremer & Argerich Bartok sonata No.1 1989
https://www.youtube.com/watch?v=uG1QIig2Hys
https://www.youtube.com/watch?v=oLya-VdlveE
https://www.youtube.com/watch?v=DMctpnr7Xhc

Gidon Kremer
Martha Argerich
in Moscow 1989

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/589.html#c3
[番外地12] Gidon Kremer 中川隆
4. 中川隆[-6366] koaQ7Jey 2025年6月09日 08:27:17 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[56]
<▽31行くらい>



Bartok, Violin Sonata 2 - Video Score - Kremer, Smirnov


Gidon Kremer, violin
Yuri Smirnov, piano





バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 スターン, ブロンフマン 1995


アイザック・スターン(ヴァイオリン)
イェフィム・ブロンフマン(ピアノ)
Violin 9, 10 May.1995

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/589.html#c4
[番外地12] プロコフィエフ
NHK-FM 名曲のたのしみ プロコフィエフの音楽 吉田秀和

1971.4.11から2012.12.30まで放送された番組。

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html

[番外地12] プロコフィエフ 中川隆
1. 中川隆[-6365] koaQ7Jey 2025年6月09日 09:20:23 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[57]
<▽34行くらい>
名曲のたのしみI アンドレイ・ガヴリーロフを聴く ラヴェル、プロコフィエフの作品(1993年放送)


アンドレイ・ガヴリーロフさんは1955年モスクワ生まれで、1974年に18歳でチャイコフスキー国際コンクールで優勝しています。当時の私は「ずば抜けたテクニックを持つピアニストが現れたな」という印象を持ちました。というのもN響とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲演奏をテレビで観ていたとき、とてつもない速さでオクターブを連打する彼を見て楽団員の方たちがあきれ返ったような笑みを漏らしていたからです。今回はガヴリーロフさんの新譜を聴くということで吉田さんの解説も短めのようでした。

00:00 曲目紹介
<ラヴェル:夜のガスパール>
00:24 オンディーヌ
07:17 絞首台
12:31 スカルボ
21:10 吉田秀和さんの話
22:50 ラヴェル:亡き王女のためのパバーヌ
30:27 吉田秀和さんの話
<プロコフィエフ:ロメオとジュリエットから>
32:19 第1曲
35:42 第4曲
39:18 第6曲
42:59 第10曲
51:58 吉田秀和さんの話
52:51 プロコフィエフ:悪魔的暗示
55:19 吉田秀和さんの話

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html#c1
[近代史4] アメリカ人の家計は火の車だった のしかかる住宅、医療、教育費 中川隆
61. 中川隆[-6364] koaQ7Jey 2025年6月09日 10:13:05 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[58]
<■61行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ロンドンやアメリカの住宅危機 世界の先進国は家賃が東京の3倍
2025.06.09
https://www.thutmosev.com/archives/82320371.html

シリコンバレーのホームレスはモーターホームで車中生活している

8
画像引用:グーグル本社 オフィス – Khabarplanet.com https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/08/04/20190804k0000m030119000p/8.jpg?1


欧米都市の驚きの家賃

30年間ゼロ成長を続けている日本ですが、物価を考えると実は欧米諸国より日本が実質的に成功したという意見があります

東京23区の平均家賃はワンルームで10万円以下ですが、これは先進国の主要都市と比べて1/3以下です

アメリカ主要都市や欧州の大都市は3000ドル以上が多くNYは4200ドル、年間家賃は500万円以上という事になります

東京の場合は世帯年収中央値が524万円で月収は40万円程度なので、約524万円のうち120万円を家賃に使っていることになる

家賃10万円はシングル向けでカップル向けは平均16万円、ファミリー向けは平均24万円と中々の金額になっていきます(公営住宅はもっと安い)

ロンドンの年収中央値も東京より少し高いくらいなので、年収600万円くらいの人が家賃300万円以上を払っている事になる

ニューヨークの年収中央値は800万円くらいだが、家賃は先進国でも最高の65万円なので年780万円をはらっている

これでは生活できないので夫婦で1人分の年収で家賃を払い、もう1人分の年収で残りの生活費を工面している

ニューヨークやシリコンバレーの平均家賃は65万円だが、これはワンルーム(2ベッド)マンションの家賃です

アメリカのワンベッドルームは大きなベッドを2つ置ける2人部屋なので、日本のワンルームよりずっと広い

だが結婚して子供ができファミリー用物件を借りると、家賃は平均80万円から100万円くらいに跳ね上がります

すると年間家賃1000万円で子供の費用も200万円ほどかかり、最低限の生活費も200万円はかかるでしょう

結局ニューヨークに家族4人で平均的なマンションに住むと、年間1000万円でも足りなくなるのです

すると税引き前の年収が夫婦で2000万円は無いと、平均以下のボロアパートにしか住めなくなります

年収1000万円のホームレスがいるシリコンバレー
これが東京だと家賃は半額か3分の1なので、1人なら年収300万、ファミリーでも600万あれば平均的なマンションに住める

最近は円安の影響もあって欧米の年収が驚くほど高いが、家賃などを計算すると彼らの暮らしは日本より厳しい

ロンドンやアメリカの主要都市では住宅危機が起きていて、シリコンバレーでは年収700円以上のホームレスがゴロゴロいる

シリコンバレーでは家族4人で年収1000万円以下を低所得世帯に分類し補助金を出したというニュースは日本で話題になった

IT企業が多く年収も全米屈指になったが家賃も全米一高くなり、家族4人用の部屋を借りると年600万円以上になる

他の物価も高いし教育費も高いので、確かに家族4人で年収1千万円以下だと赤字になります

そこでシリコンバレー周辺には部屋を借りずにキャンピングカーで暮らす「ホームレス」が数万人も存在する

最近は最初からトレーラーハウスを設置してある「ホームレス村」が建設され、どこも流行っているそうです

ホームレス村ですら月20万円以上はかかるが、4人部屋で80万円以上にくらべれば格安だと考えられている

この10年間アメリやイギリスは日本より好景気だったが、好景気は土地の利用価値を上げ家賃も上げてしまう

ロンドンでは何年も家賃を滞納せず払い続けたのに、家主から追い出されるホームレスが増加している

土地の利用価値が上がったことで家主は「安い賃貸マンションを壊してビジネスビルにしよう」などと思いつく

家賃が安いマンションほど早く取り壊され、家賃が高いマンションや別な用途に土地が使われる

日本は人口減もあって基本的には住居が余っているので、欧米の3分の1の家賃にとどまっている

好景気も良い事ばかりではなかった
https://www.thutmosev.com/archives/82320371.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/964.html#c61

[番外地12] プロコフィエフ 中川隆
2. 中川隆[-6363] koaQ7Jey 2025年6月09日 12:16:11 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[59]
<■112行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
aあ

Hilary Hahn - Prokofiev Violin Concerto No. 1 in D major


Hilary Hahn, violin
Alain Altinoglu, conductor
Frankfurt Radio Symphony Orchestra



Hilary Hahn - Prokofiev - Violin Concerto No 1 in D major, Op 19


Hilary Hahn, violin
RTVE Symphony Orchestra
Live recording. Madrid
Live - recorded on 2/24/23



ヒラリー・ハーン  プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第1番 Hilary Hahn Prokofiev Violin Concerto No. 1


2005年5月25日 サントリーホール
バイオリン:ヒラリー・ハーン 
Violin: Hilary Hahn
パーヴォ・ヤルヴィー指揮 NHK交響楽団
Paavo Järvi conducting the NHK Symphony Orchestra
00:00 1.プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19
Prokofiev: Violin Concerto No.1 in D major, Op.19
23:06 2.アンコール バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番からラルゴ
Encore: Bach: Largo from Sonata for Solo Violin No. 3



Prokofiev: Violin Concerto No. 1, Oistrakh & Matačić (1954) プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番 オイストラフ





ヴァイオリン:ダヴィート・フョードロヴィチ・オイストラフ
指揮:ロヴロ・フォン・マタチッチ
ロンドン交響楽団

録音:1954年11月18,21日 アビーロード・スタジオ (ロンドン)


Prokofiev - Violin concerto n°1 - Oistrakh / Kubelík


David Oistrakh
Symfonický orchestr hl. m. Prahy FOK
Rafael Kubelík
Live recording, Prague, 15.V.1947



Prokofiev - Violin concerto n°1 - Oistrakh / Moscow PO / Kondrashin


David Oistrakh
Moscow Philharmonic Orchestra
Kirill Kondrashin
Recorded in Moscow, 7.IX.1963

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html#c2
[番外地12] プロコフィエフ 中川隆
3. 中川隆[-6362] koaQ7Jey 2025年6月09日 13:03:01 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[60]
<■73行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Prokofiev: Sonata for Violin and Piano No. 1 in f minor, Op. 80 - Gidon Kremer / Martha Argerich


Gidon Kremer, violin
Martha Argerich, piano



Sergei Prokofiev - Violin Sonata No.1 in F minor, Op.80 - Oistrakh, Richter - High Quality


Recorded: March 29 1972 , Great Hall of the Moscow Conservatory




Sergei Prokofiev (1891-1953) | Violin sonata | No. 1 | Op. 80 | David Oistrakh & Sviatoslav Richter

https://www.youtube.com/watch?v=cZVZPx5zs3A



Recorded: 20 August 1972, Salzburger Festival live.



Prokofiev - Violin sonata n°1 - Oistrakh / Bauer


David Oistrakh
Frida Bauer
Studio recording, Moscow, 1969


Prokofiev - Violin sonata n°1 - Oistrakh / Oborin


David Oistrakh
Lev Oborin
Recorded in the USSR, 1946

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html#c3
[番外地12] プロコフィエフ 中川隆
4. 中川隆[-6361] koaQ7Jey 2025年6月09日 13:53:06 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[61]
<■80行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>



Joseph Szigeti: Prokofiev: Violin Sonata No. 1 & 2 with Joseph Levine & Leonid Hambro (R.1950)


• Prokofiev: Violin Sonata No. 1 in F minor, Op. 80 with Joseph Levine, piano
• Prokofiev: Violin Sonata No. 2 in D major, Op. 94a with Leonid Hambro, piano
Joseph Szigeti, violin





Prokofiev: Violin sonata No. 2 in D Major, Op. 94a - Gidon Kremer / Martha Argerich


Gidon Kremer, violin
Martha Argerich, piano



Prokofiev Violin Sonata No.2 in D Major op.94 bis Gidon Kremer/Martha Argerich


ヴァイオリン ギドン・クレーメル
ピアノ    マルタ・アルゲリッチ
1994年11月6日 東京・六本木 サントリーホール




Prokofiev 2nd sonata for violin and piano. Piano, Martha Argerich, violin, Tedi Papavrami


Live recording from Tannay Music Festival. 26/8/2023 Switzerland






Prokofiev - Violin sonata n°2 - Oistrakh / Yampolsky


David Oistrakh
Vladimir Yampolsky
Studio recording, Brussels, 22.V.1955

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html#c4
[番外地12] プロコフィエフ 中川隆
5. 中川隆[-6360] koaQ7Jey 2025年6月09日 14:04:08 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[62]
<■54行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディー op.35bis

Prokofiev: Five Melodies for Violin and Piano, Op. 35bis - Gidon Kremer / Martha Argerich


Gidon Kremer, violin
Marths Argerich, piano




Prokofiev - Five Melodies op.35b - Oistrakh / Bauer Prague


David Oistrakh
Frida Bauer
Live recording, Prague, 18.V.1966


Prokofiev - 5 Melodies - Oistrakh / Yampolski


David Oistrakh
Vladimir Yampolski
Recorded in the USSR, 26.IX.1947



David Oistrakh - Prokofiev Op.35 Five songs without words



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html#c5
[番外地12] プロコフィエフ 中川隆
6. 中川隆[-6359] koaQ7Jey 2025年6月09日 14:15:31 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[63]
<■70行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ジュリアン・ロイド・ウェバー

Prokofiev: Ballade for Cello and Piano, Op. 15



Julian Lloyd Webber
John McCabe
℗ 1989 Universal International Music B.V.


Ballade for cello and piano Op.15 by Serge Prokofiev


ulian Lloyd Webber,cello
John McCabe,piano




Sergei Prokofiev - Ballade for 'Cello and Piano, Op. 15 (1912) [Score-Video]


The AW Duo
James Waldo, 'cello
Alyona Aksyonova, piano


Prokofiev - Ballade, Op. 15


The AW Duo
James Waldo, cello
Alyona Aksyonova, piano




Ballade in C Minor, Op. 15


℗ 2016 Orfeo
Artist: Boris Pergamenschikow
Artist: Pavel Gililov

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/592.html#c6
[番外地12] ヒラリー・ハーン 中川隆
2. 中川隆[-6358] koaQ7Jey 2025年6月09日 14:58:37 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[64]
<■62行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Hilary Hahn - Korngold - Violin Concerto in D major, Op 35


Hilary Hahn, violin
Deutsche Symphonie Orchester
Kent Nagano, conductor
Live recording.


Korngold: Violin Concerto in D major - Hahn / H. Schiff / WDR Sinfonieorchester Köln


Hilary Hahn, violin
WDR Sinfonieorchester Köln
Heinrich Schiff, conductor
April 2, 2004
Kölner Philharmonie




Erich Wolfgang Korngold - Violin Concerto (1945) (Full Score)


Jascha Heifetz (violin)
Alfred Wellenstein
the Los Angeles Philharmonic



Heifetz Korngold Live 1947 Violin Concerto in D Major, Op. 35 (Korngold)


Jascha Heifetz, Violin
Efrem Kurtz, Conductor
New York Philharmonic

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/581.html#c2
[番外地12] Shostakovich

Shostakovich - Violin Sonata op.134 (Kremer, Gavrilov)

Andrei Gavrilov
Gidon Kremer
Berlin Philharmonic hall during their European tour 1978.

Shostakovich Violin Sonata op.134 Gavrilov Kremer live in Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=n68acB8Vg0k

Andrei Gavrilov
Gidon Kremer

Shostakovich - Sonata Op. 134 for Violin (Gidon Kremer & The Kremerata Baltica)
https://www.youtube.com/watch?v=i8aFICk1gc8

Live recording from Semperoper Dresden (Dresdner Musikfestspiele)
Gidon Kremer, violin and direction
Andrei Pushkarev, percussion
Kremerata Baltica

Shostakovich - Violin sonata - Oistrakh / Richter

David Oistrakh
Sviatoslav Richter
Live recording, Moscow, 3.V.1969

Dmitri Shostakovich - Violin Sonata [With score]

David Oistrakh (violin)
Sviatoslav Richter (piano)
Recorded in 1969

Shostakovich - Violin sonata - Oistrakh / Shostakovich

David Oistrakh
Dmitri Shostakovich
Live recording, Moscow (Shostakovich's flat), XII.1968

Oleg Kagan & Sviatoslav Richter play Shostakovich Violin Sonata - video 1985

Oleg Kagan
Sviatoslav Richter
live in Freiburg on 6 March 1985.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/593.html

[番外地12] Shostakovich 中川隆
1. 中川隆[-6357] koaQ7Jey 2025年6月09日 16:51:52 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[65]
<■83行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
aあ

Yuri Bashmet & Sviatoslav Richter – Shostakovich Viola Sonata – video 1985


Yuri Bashmet
Sviatoslav Richter
live in Moscow in 1985.



Dmitri Shostakovich - Viola Sonata [With score]


Yuri Bashmet (viola)
Sviatoslav Richter (piano)
Year of recording: 1985



Yuri Bashmet - Bach, Hindemith, Shostakovich - video 1987


Yuri Bashmet playing with and conducting an ensemble of Moscow soloists, live in 1987 at the House of the Unions, Moscow. Timing below:

00:00 - Bach Concerto for Two Violins, BWV 1043, with Leonid Sorokov
21:20 - Paul Hindemith - Trauermusik for Viola and String Orchestra
32:09 - Shostakovich Two Pieces for String Octet, op. 11
44:30 - Bach - Air from Orchestral Suite no. 3 in D, BWV 1068




Yuri Bashmet plays Shostakovich Viola Sonata, op. 147 - video 2006


Yuri Bashmet
Mikhail Muntyan
live in Moscow in 2006 (or before).



Shostakovich:Viola Sonata Op.147/Nobuko Imai & Emanuel Ax


Viola:Nobuko Imai
Piano:Emanuel Ax
1989.11.12 Tokyo

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/593.html#c1
[番外地12] Shostakovich 中川隆
2. 中川隆[-6356] koaQ7Jey 2025年6月09日 17:03:48 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[66]
<▽30行くらい>



[Dmitri Shostakovich] Unfinished Violin Sonata (Score-Video)


Performers:
Linus Roth (Violin)
José Gallardo (Piano)



Dmitri Shostakovich Unfinished Sonata (1945) for Violin and Piano: Moderato con moto


Linus Roth
José Gallardo
℗ 2015 Challenge Classics

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/593.html#c2
[番外地12] Shostakovich 中川隆
3. 中川隆[-6355] koaQ7Jey 2025年6月09日 17:09:43 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[67]


Violin Sonata (Unfinished)
Shostakovich: Works Unveiled


Nicolas Stavy
Sueye Park
℗ 2023 BIS

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/593.html#c3
[番外地12] カテゴリー - 777ブログ 中川隆
2. 中川隆[-6354] koaQ7Jey 2025年6月09日 17:25:39 : Ea8JQSItM3 : WDJ2eXNPbWhRVVk=[68]
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ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
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クラシック音楽の名演奏家の録音への youtube リンク
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モーツァルトは文部省唱歌と同じ様に懐メロとして聴かれている
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/07/215028  

ゲルマンの音とはワーグナーが広めた如何にも意味有り気で奥深く感じさせる演奏様式の事 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/215211

華麗なる芸術都市の光と闇 “魔の都”ウィーンに響く天才歌手グルベローヴァの美声 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/215119


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http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/524.html#c2

[番外地12] ムター 中川隆
5. 中川隆[-6353] koaQ7Jey 2025年6月09日 23:07:10 : n5FAgZkBl2 : U040UkxLNXVBZk0=[1]
<△21行くらい>
aあ

Vivaldi: Summer & Winter - Anne-Sophie Mutter✧Mahan Esfahani✧Mutter's Virtuosi




Vivaldi: The Four Seasons - Anne-Sophie Mutter /Mutter Virtuosi Ensemble


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/541.html#c5
[番外地12] エティエンヌ・メユール
エティエンヌ・メユール『交響曲 第2番 ニ長調』

Étienne-Nicolas Méhul - Symphony No.2

RHENISH PHILHARMONIC ORCHESTRA
Conductor: Jorge Rotter

Étienne Nicolas Méhul (1763-1817) - Symphony No.2 in D

The Gulbenkian Orchestra (ensemble)
Michel Swierczewski (conductor)

Étienne Nicolas Méhul (1763-1817) : Symphony Nº2 (1808-09)

Gulbenkian Foundation Orchestra
Michel Swierczewski

Étienne Nicolas Méhul - Symphony No.2 in D major (1809)

Les Musiciens du Louvre
Marc Minkowski

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/594.html

[近代史4] どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領 中川隆
200. 中川隆[-6352] koaQ7Jey 2025年6月10日 09:59:49 : n5FAgZkBl2 : U040UkxLNXVBZk0=[2]
イーロンが“トランプにNO”を突きつけた本当の理由
経済クラブ keizaiclub 2025/06/10
https://www.youtube.com/watch?v=Ok9SNCphZjw

・トランプは誰の指示で動いているのか?
・トランプを支持するイーロンマスクの裏の顔
・お注射や戦争を企てている人たちの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html#c200

[番外地12] 明治以降の日本政府が英米の傀儡政権になった理由 _ 明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取りだった。
明治以降の日本政府が英米の傀儡政権になった理由 _ 明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取りだった。
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏chousenの王族や両班階級の血筋だった。
田布施は李氏chousenの王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏chousenの王の末裔です。
永田町における「chousen系」というのは李氏chousen時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏chousenの王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏chousenの王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「chousen系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「chousen系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏chousen系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「chousen系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏chousen最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。
これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html


故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)

明治維新はイギリスによる東アジア侵略戦略の一環。
米英金融資本の支配下にあった日本が東アジア侵略を進めた 。

明治体制になってからイギリスやアメリカの外交官は台湾や大陸を侵略するように焚きつけて軍事技術を提供、その一方で米英金融資本は戦費を融資している。そして明治政府は琉球を併合し、台湾へ派兵、江華島事件を引き起こし、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵へと突き進んだ。
シベリア派兵はロシアで起こった十月革命への干渉だ。日本はイギリスやフランスの要請で十月革命に干渉、1925年までソ連領内に居座った。

 その間、1923年9月1日に東京周辺を巨大地震が襲った。被災者数は340万人以上、死者と行方不明者を合わせると10万5000名を上回ると言われている。損害総額は55億から100億円に達していたという。

 この資金を調達するため、日本政府はアメリカの巨大銀行JPモルガンに頼った。ロスチャイルド金融資本からスピンオフした金融機関だ。その当時、JPモルガンと最も緊密な関係にあった日本人は井上準之助だと言われている。関東大震災を切っ掛けにして日本の政治経済はJPモルガンから大きな影響を受けるようになった。

 地震の当日、総理大臣は不在。山本権兵衛内閣が成立するのは9月2日のことだ。その内閣で井上は大蔵大臣に就任、1924年1月までその職にあった。1927年5月から28年6月までは日本銀行の総裁、浜口雄幸内閣時代の29年7月から31年12月まで、再び大蔵大臣をそれぞれ務めている。

 9月1日の夕方になると社会主義者や朝鮮人をターゲットにした流言蜚語が飛び交いはじめ、2日夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電して戒厳令も施行された。

 こうした雰囲気が社会に蔓延、数千人の朝鮮人や中国人が殺されたと言われている。さらに社会主義者やアナーキストが虐殺されているが、そうした犠牲者のひとりがアナーキストの大杉栄だ。彼は妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉だった甘粕正彦に殺されたのである。地震当時、東京に住んでいた人の話では、焼き殺された朝鮮人もいたようだ。実行者は日本の庶民にほかならない。

 そうした中、JPモルガンは日本に対して緊縮財政の実施と金本位制への復帰を求め、浜口雄幸内閣は1930年1月に要求通りに実行する。緊縮財政で景気が悪化するだけでなく、日本から金が流出して不況は深刻化して失業者が急増、農村では娘が売られる事態になった。

 こうした政策を推進した井上は「適者生存」を信奉していた。強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする新自由主義的な考え方をする人物だったとも言えるだろう。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。浜口は1930年11月に東京駅で狙撃され、31年8月に死亡し、井上は32年2月に射殺された。

 1932年に駐日大使として赴任してきたジョセフ・グルーはJPモルガンと深い関係にある。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻なのだ。

 この年、アメリカでは大統領選挙があり、ウォール街が操る現職のハーバート・フーバーがニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトに敗れた。慌てたウォール街の住人はクーデターを目論む。計画の中心的な存在である巨大金融機関のJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけることになる。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 話を聞いたバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。バトラー少将は1935年にJ・エドガー・フーバーに接触してウォール街の計画を説明するのだが、捜査を拒否している。日本の政治経済に大きな影響力を持っていたJPモルガンはアメリカでファシズム体制の樹立を目論んでいたわけだ。

 日本軍は1927年から28年にかけて山東省へ派兵、1931ねんには柳条湖事件、32年に「満州国」建国、37年に盧溝橋事件、39年にノモンハン事件へと続く。その延長線上にマレー半島や真珠湾への奇襲攻撃がある。

 JPモルガンが1932年に日本へ駐日大使として送り込んできたグルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しかった。

 そのグルーは第2次世界大戦後の日本のあり方を決めたジャパンロビーの中心人物でもある。この団体の後ろ盾はウォール街だ。つまり、戦前も戦後も支配システムは基本的に同じ天皇制官僚体制であり、「戦前レジーム」だ、「戦後レジーム」だと騒ぐのは滑稽なのである。

 アメリカやイギリスの支配層は第2次世界大戦の前と同じように中国やロシアの征服を目論んでいる。
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/595.html
[番外地12] 大政奉還できたのは薩摩・長州・土佐の背後に英米の軍隊が付いていたからです。 そもそも明治天皇になったのは田布施の chousen人で、天皇家の人間ではなかった
大政奉還できたのは薩摩・長州・土佐の背後に英米の軍隊が付いていたからです。 そもそも明治天皇になったのは田布施の chousen人で、天皇家の人間ではなかったと言われています。それで明治天皇に付いての色々な噂が広く流れていた京都から江戸に遷都するしかなくなったのですね。

明治以降の日本政府は田布施のchousen人が作った英米の傀儡政権です。戦後の総理大臣も殆どが田布施系の chousen人です。 日本が何時まで経っても独立できないのは反日chousen人が現在でも日本の政治・経済を支配しているからなのです:

田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔
【重要・証拠アリ】安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」! 米に見捨てられ実は逮捕寸前だった…暴かれた二階と今井の親中政治とは!? 2020.08.29
──安倍政権は極右だと言われていたんですが、中身は全然違ったんですね。

ジェームズ 媚中政権です。それを今井さん、二階さんが率先してやってきたんです。もともと二階さんは朝鮮系で国内政治では朝鮮利権と被差別利権をうまくマネージして第三者的存在として中国の利権を引っ張ってきたんです。ですから、中国といえば二階さんと決まっていて、安倍政権では絶大な影響力を持っていたんです。今年4月予定されていた習近平の国賓級来日は、二階さんに対する恩返し的な意味合いが強かったのです。その一方で、都知事の小池(百合子)さんと裏でつながって彼女の国政復帰を画策したり、フィクサー的なことをずっとやってこれたのも中国のバックがあったためです。それは今井さんも同じで、やはり彼も朝鮮系なんですよ。実は安倍政権というのは朝鮮政権のA級戦犯的な人たちの集まりなんです。

──ちょっと待ってください。「朝鮮系」ってどういうことですか? 安倍さん、今井さん、二階さんって在日朝鮮人ということなんですか?

ジェームズ そういう意味ではありません。永田町における「朝鮮系」というのは李氏朝鮮時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「朝鮮系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「朝鮮系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏朝鮮系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「朝鮮系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏朝鮮最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。

──えっ、そんなこと初めて聞いたんですが…。本当のことなんですか!? 

ジェームズ これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。安倍政権というのは、完全にお友達政権ですから、これまで以上に朝鮮系の人々が集まっていて、21世紀の「両班政権」だったのです。国益や公益など一切無視で、「政治でビジネスをする」という、完全な拝金第一主義が安倍政権の正体でした。したがって、経済政策は単に一番儲かるという理由だけで中国寄りだったんです。だから、尖閣問題なんて最初からやる気なんかなかったんです。そういったところがいま対中政策で強行になっているアメリカにとっては我慢ならなかったわけです。安倍首相はこのCSISのレポートが出てから急激に体調が悪化し始めるんですけど、それでも退陣する気なんかありませんでした。彼の意向としては11月のアメリカの大統領選挙まで粘ろうと。それでトランプが勝てば、さらに続行し、バイデンが勝てば、辞任して麻生(太郎)副総理に暫定的に首相を譲って、いまアメリカ側で評価が高まっている河野(太郎)防衛大臣を一旦、財務大臣にし、その後に首相にする、という流れだったはずです。詳しくは安倍総理辞任前に発信した私のツイートを見てください。

──じゃあ、急に辞めなければいけない状況が起きたってことですか?

ジェームズ たぶん、辞意を表明する前日の夜だと思います。安倍首相のお母さんの安倍洋子さんから「もう辞めなさい」と言われて辞めることをしぶしぶ決意したもようです。

──お母さんから言われたってことですか!?

ジェームズ 簡単に言ってしまえばそういうことです。安倍さんはマザコンですから、お母さんの意向は大きいと思います。ただし、洋子さんが「もう辞めなさい」と言った理由は息子可愛さだけではありません。安倍さんに司法の手が伸びていたからです。実は、安倍さんは逮捕される寸前だったんです。河井(克幸)前法相夫妻の選挙違反がらみの件をきっかけに、警察も検察も現役首相を捕まえようと本気になっていました。安倍さん一派はこれまで司法を捻じ曲げることばかりしてきましたからね。お友達の記者のレイプ事件を揉み消したこともありましたし、検事長の定年を延長しようとしたこともありました。あんなやりたい放題なことをしてたら、警察、検察に恨まれて当然です。そういう中で、アメリカに見放された安倍さんを現役首相のうちに牢屋にぶち込みたい、というのが検察側の狙いだったんです。それに関してはアメリカからのお墨付きも出ていたと思います。首相辞意表明の当日にアメリカで下のような記事が出ていますから。

https://www.thedailybeast.com/japans-longest-serving-pm-shinzo-abe-quits-in-bid-to-escape-potential-prosecution

──それでも、安倍さんは辞める気はなかったんですよね?

ジェームズ なかったんですが、お母さんの安倍洋子さんから「岸家から犯罪者は出せない」ときつく言われたようです。洋子さんは岸信介の長女ですし、李氏朝鮮の元王族のプライドも高い人ですから。それで辞めるしかなかったんだと思います。たぶん、このことは、麻生副総理の耳にも入っていなかったんじゃないでしょうか。辞意を表明した28日にかなり翻意を促していたようですが、安倍さんの意思は固かったので、麻生さんも諦めたんでしょう。以後、麻生さんは表に出てきていませんから。


ジェームズ 次期首相に関しては菅(義偉)さんが最も有力でしょう。日本のメディアもいま誰が次期総裁になるのか、とかやってますけど、いま彼らがやるべきことは総裁選レースの予想屋ではないと思います。安倍さんの追及こそ彼らの仕事で、メディアが率先して「東京裁判」を開き、安倍政権のA級戦犯たちを裁くべきです。確かに民主党時代の迷走よりは安倍時代のほうがはるかにマシで、総理には「お疲れ様」と見送るのが礼でしょう。しかし、首相時代の彼の縁故主義に基づく独裁は目に余るものがありました。自分のお友達を集めて、都合の悪いことがおきると、やはり友達の検事たちに頼んで事件を揉み消すという、本当に頭の悪い、政治ごっこをしてきたんです。これは朝鮮式両班政治の極みです。日本本来の武士政治では、もっと高潔さがあったはずです。しかも、多くのマスコミがこれに異を唱えず、提灯記事を垂れ流していました。こういうものをすべてえぐり出さないと、この国は終わってしまいますよ。1920年代の政党政治の迷走を彷彿させます。辞任したから逮捕は許してやるという、判官贔屓的ないまの風潮は大きな間違いだと私は思いますね。なので、真実をありのままに伝えるトカナの役割は非常に大きいと思います。ポスト安倍の日本はメディアの在り方から変えていかなければなりません。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry.html

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明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り、明治天皇も田布施の chousen人だった。

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/596.html
[近代史4] どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領 中川隆
201. 中川隆[-6351] koaQ7Jey 2025年6月10日 15:18:41 : UZ5SyM1MSw : enRsWUxZdGxuaUE=[1]
【証拠写真あり】元妻が繋ぐ?トランプ大統領と黒い貴族の闇の関係
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2025/06/05
https://www.youtube.com/watch?v=wjm9cb6yDMI

「ディープステートをぶっ壊す」と公言していたトランプ氏…
しかし彼の背後には、“黒い貴族”と呼ばれる
イタリア貴族・ガエターニ家の影が…
黒い貴族はロスチャイルドやロックフェラーをも動かす、
世界屈指の影の支配者です!
トランプ一家とガエターニ家の関係、
そしてバチカンや欧州王族とのつながり…
これは偶然ではなく、ある目的が隠されていた?

世界50ヵ国以上を取材した国際アナリスト・河添恵子氏が、
今だから明かせる“禁断の真相”に迫ります!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html#c201

[番外地12] 銀価格、13年ぶりの高値突破!中央銀行の金買いが市場を揺るがす
疑似QEと見せかけの株高
石原順チャンネル 2025/06/10

銀価格、13年ぶりの高値突破!中央銀行の金買いが市場を揺るがす(【隠れた富への鍵】シルバー投資の秘密を探る その335)
ぎんぎつね 2025/06/10

世界の金融市場に、静かなる激震が走っています。
2025年、銀価格は13年ぶりに1オンス35ドルの大台を突破。
そして今、その勢いはとどまることを知りません。
同時に、中央銀行による前例のない金買いが加速。
市場の常識が、根底から揺さぶられようとしています。
これは、ただの価格上昇ではありません。
いま、貴金属市場の“秩序”そのものが書き換えられようとしているのです。
【タイムテーブル】
00:00 オープニング
00:39 1.歴史的高値とその意味
03:31 2.今回の高値突破の具体的背景
05:57 3.金銀比率(GSR)と市場センチメント
08:58 4.世界の銀チャートと文化的背景
11:48 5.世界のソブリン債リスクとジェイミー・ダイモンの警告
13:48 エンディング

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/597.html

[番外地12] お薦めの外部サイト
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エリオット波動・宮田レポート(短期アップデート) |マネースクエア
https://www.m2j.co.jp/market/report/44990/top

【月曜更新】エリオットView(宮田直彦) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLrraBr_QvIbXzVxRJLFp87c9KAUvENWsR


エリオット波動カウント情報エリオット波動 ディグリーとラベリングの表
http://jewri.org/standard/


the ELLIOTT WAVE lives on _ 日経平均
http://stockcharts.com/public/1269446/tenpp/7t

he ELLIOTT WAVE lives on _ NYダウ工業株
http://stockcharts.com/public/1269446/tenpp/1

the ELLIOTT WAVE lives on _ NYダウ輸送株
http://stockcharts.com/public/1269446/tenpp/2the ELLIOTT WAVE lives on _ NASDAQ
http://stockcharts.com/public/1269446/tenpp/2the ELLIOTT WAVE lives on _ S&P 500
http://stockcharts.com/public/1269446/tenpp/1


エリオット波動で将来のトレンドを予測 _ アメリカ株指数 ダウ工業株30種平均株価
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16897119

エリオット波動で将来のトレンドを予測 _ アメリカ株指数 ナスダック総合
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16897120

エリオット波動で将来のトレンドを予測 _ アメリカ株指数 S&P500
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16897121


エリオット波動で将来のトレンドを予測 _ 日経平均株価(225種)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16897122

エリオット波動で将来のトレンドを予測 _ 東証株価指数 TOPIX
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16897123

エリオット波動で将来のトレンドを予測 _ 米ドル/円レート
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16897124


日本エリオット波動研究所の相場予測は凄い、宮田直彦のエリオット波動分析はデタラメ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14081932


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レイ・ダリオ _ 基軸通貨を持つ世界一の大国でも 政府債務増加で破綻する
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16887650

これがドル基軸体制に変わる新しい世界の通貨システム _ 米株価・米国債・米ドルが三つ共暴落しているのに、ゴールドだけ上がっている理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16898632

【日本財政がヤバい…】むしろバラ撒きは逆効果?銀行“取り付け騒ぎ”の可能性あり
経済クラブ keizaiclub 2025/05/13
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【苦しむのは庶民】減税は名目上の救済だとお気づきですか?
経済クラブ keizaiclub 2025/05/06
https://www.youtube.com/watch?v=tg9LTx7QLrk

【最終警告】自国通貨建てなら安全の大ウソ…AIが示したMMT理論の致命的欠陥とは
経済クラブ keizaiclub 2025/04/22
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吉田繁治 _ 日米同時金融危機の予兆
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[番外地12] (証拠写真あり)元妻が繋ぐ?トランプ大統領と黒い貴族の闇の関係
トランプをピエロとして操る勢力を知ろう

【証拠写真あり】元妻が繋ぐ?トランプ大統領と黒い貴族の闇の関係
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2025/06/05

「ディープステートをぶっ壊す」と公言していたトランプ氏…
しかし彼の背後には、“黒い貴族”と呼ばれる
イタリア貴族・ガエターニ家の影が…
黒い貴族はロスチャイルドやロックフェラーをも動かす、
世界屈指の影の支配者です!
トランプ一家とガエターニ家の関係、
そしてバチカンや欧州王族とのつながり…
これは偶然ではなく、ある目的が隠されていた?

世界50ヵ国以上を取材した国際アナリスト・河添恵子氏が、
今だから明かせる“禁断の真相”に迫ります!
https://www.youtube.com/watch?v=wjm9cb6yDMI


陰謀論? 闇の支配層『黒い貴族 ヨーロッパ13貴族』とは?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864643

EU(欧州連合) をすべて取り仕切っているのはヨーロッパの旧王侯貴族の子弟たち
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トランプをピエロとして操る勢力を知ろう(2025.4.24)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=SQxPIIEuaRo

何故ユダヤ資本はアメリカ株式会社を会社更生法へ追い込むのか(2024.11.22)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=Cn-r0X4si28

トランプは必要悪、ぶっ壊し屋(2025.4.5)増田俊男のラジオ
https://www.youtube.com/watch?v=ce6c-UFuiqQ
https://www.youtube.com/watch?v=SoG-qBc-YLM

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バート・ランカスターの映画『エルマー・ガントリー』の世界 _ トランプ大統領の行動原理は福音派キリスト教徒の反知性主義 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211009

西谷修 _ アメリカ原理時代とアメリカ世界統治の終焉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16891943

増田俊男 _ トランプをピエロとして操る勢力を知ろう
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16900132

トランプ大統領が日本に強要する「マールアラーゴ合意」_ 金を貸すのはリスクを負って金利を得る事、「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/181316

トランプの真の敵/ディープ・ステートとは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16878485
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/599.html
[番外地12] (証拠写真あり)元妻が繋ぐ?トランプ大統領と黒い貴族の闇の関係 中川隆
1. 中川隆[-6350] koaQ7Jey 2025年6月11日 02:38:02 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[1]
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トランプをピエロとして操る勢力を知ろう
【証拠写真あり】元妻が繋ぐ?トランプ大統領と黒い貴族の闇の関係
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2025/06/05

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しかし彼の背後には、“黒い貴族”と呼ばれる
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そしてバチカンや欧州王族とのつながり…
これは偶然ではなく、ある目的が隠されていた?

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石原順 疑似QEと見せかけの株高
トランプとイーロン・マスクの茶番劇
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イーロンが“トランプにNO”を突きつけた本当の理由
経済クラブ keizaiclub
https://www.youtube.com/watch?v=Ok9SNCphZjw&t=637s

・トランプは誰の指示で動いているのか?
・トランプを支持するイーロンマスクの裏の顔
・お注射や戦争を企てている人たちの正体

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西谷修 _ アメリカ原理時代とアメリカ世界統治の終焉
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トランプ大統領が日本に強要する「マールアラーゴ合意」_ 金を貸すのはリスクを負って金利を得る事、「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識 - 777ブログ
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[番外地12] 米国の「排日移民法」はアメリカが日本女性の売春婦を受け入れるのを禁止する為の法律だった
米国の「排日移民法」はアメリカが日本女性の売春婦を受け入れるのを禁止する為の法律だった:
1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。

天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の
「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。
「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」
この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性を騙し、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。

貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来ると騙し、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船が騙された女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。
天皇が騙し、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。


日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。
日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。

娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。

「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」

福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。

やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。
男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。
このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。


明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、
欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。
そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与える。

賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。
(福沢諭吉全集 第15巻)

1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員であれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。
その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。
天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。

日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。
こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた
米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で1億ドルを超えると記録されている。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607
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[番外地12] 日本の朝鮮併合の目的は、朝鮮から米を奪って、明治以降人口が爆増した日本の食糧不足を無くす為だった。
日本の朝鮮併合の目的は、朝鮮から米を奪って、明治以降人口が爆増した日本の食糧不足を無くす為だった。日本が統治してから朝鮮人が食べる量が李朝時代の7・8割になったので、朝鮮人の餓死者が爆増した。

朝鮮の官報では1939年から1942年の4年間の合計で18,298人の人が餓死している。
家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されないから、実際の餓死者はこれより遥かに多い。
朝鮮総督府官報というのは死亡した人たちの内、身元の分からなかった人の引き取り手を捜す為のものだからね。

これが真実:

 植民地下の朝鮮は8割以上を農民が占めていました。
日本の植民支配は軍と警察による力の統治でした。
日本人地主と朝鮮人地主の権力は日本より強固で多くの小作人を支配する農村の社会構造でした。
日本の支配下に年々自作農は少なくなり、小作農が増大しつづけたのが基調でした。

朝鮮農村社会は小作農が52%、これに火田民、農業労働者を入れると57%の人々が土地を全く持たない農民でした。
これに自小作農24%をプラスすると81%の人が小作をしたいたといいえます。
自作農は19%弱に過ぎませんでした。(1939年現在)

また、小作農といっても零細な農家が多かったのです。

朝鮮南部では人口が増加し零細農民が増加する要因になっていましたが、基本的には地主からの高小作料徴収などが農民を没落させていました。総督府はこうした地主制を維持し、支配の基盤としていました。

農民の多くが食べることが出来ませんでした。

端境期には食べるものがなくなる人が多くなり、総督府はこれを「春窮民」といいました。

総督府は春窮が毎年の年中行事のようにあることを認めていました。

「草根木皮」を食べて暮らさなければならない農民が小作農の大半になっていました。

農民の多くは動物性のタンパク質は採ることが出来ずに、たまにミョルチ(日本のにぼし)を食べれれば良い方でした。

タンパク質はテンジャン(味噌)から得ていました。

こうした食の状況から起きた総督府支配下の朝鮮農村の社会現象を取り上げてみましょう。


その一つは子供の死亡率が著しく高くなっていたことです。                          

 高い乳幼児死亡率

 京城帝国大学医学部教授水島治夫の論文によれば朝鮮人の1歳から5歳までの死亡率は38%にも達していました。

日本人も低い方ではなく21%になっていますが朝鮮人は日本人の2倍弱になっています。

統計に出ない子供の死亡を含めて言えば40%の子供が生き残れなかったのです。

乳幼児の死亡率が高いために朝鮮人の平均寿命は37歳前後となっています。

日本人に較べると約10年の差があります。

栄養状態が悪く一番弱い子供達が多く死亡しました。

多くの死亡原因は食糧不足から来る栄養不良でした。

子供達だけでなく青年達の身長も年々低くなっていました。

特に下層農民の青年の体位の低下が大きかったのです。


子供の高い死亡率と青年たちの体位低下は総督府の政策下に起きていたことです。

窮迫する農家に救済政策がなかった、あるいは役立たなかったことを示しています。

典型的な事例を挙げておきましょう。


 朝鮮に於ける行路死亡人数

 行路死亡人は路傍、畑などで死亡し多人々をいいますが、ここで取り上げるのは

死亡した人たちの内、身元の分からなかった人を引き取り手を捜すために朝鮮総督府官報に掲載された場合に限って取り上げてみます。

官報に掲載された、公認された場合のみを取り上げていますから、実際に身元が分かり、あるいは引き取り手があった場合は官報に掲載されません。

したがって、実際の死亡者はもっと多かったと想定されます。

行路死亡人を取り上げるのは農村社会を象徴するような出来事だったからです。


 朝鮮農村では窮迫した小作農が小作地のみでは暮らしていけなくなり、他の小作地に追い出される人が多かったこと、自然災害などで小作地を失ったりしたこと、などの要因で土地を追われる人が多かったのです。

一部は満州に、一部は火田民として、あるいは都市の下層民として暮らすことになりましたが、落ち着くまでに食糧がなくなり、家族とも離れてしまうことも多かったのです。

農村から離村し、流浪することになります。

ついには路傍で死亡してしまう人も多かったのです。


行路死亡者数一覧  
       
年代 男 女 計 一日あたり死亡者数 行路病人死亡者数 計
1939 4039 669 4708 12.8 866 5574
1940 3863 662 4485 12.3 894 5379
1941 2708 514 3222 8.8 1913 5135
1942 5271 612 5883 16.1 680 6563

  15,881 2,417 18,298 12,5 4,353 22,651       

 1939年は旱害があり、離村、流浪する農民が多く、死亡者も多くなっていますがこの4年間の合計で18,298人の人が死亡しています。

死因は餓死、栄養不良がもっとも多く凍死、病死と続きます。

1940年3月1日付けの朝鮮総督府官報には46人の死者が掲載されていますが24人が餓死と栄養不良、8人が凍死、6人が病死などと記録されています。

一日あたり20人以上が死亡している年もあります。

行路病人とは一応の救済施設があり収容されたが死亡した人を言いますが、これも行路死亡人として考えると実数は更に多く22,651人になります。

官報に搭載されていない人を含めれば更に多くなります。

家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されていませんから更に大きな犠牲者が存在したと考えられます。


日本人の行路死亡者数と比較すると官報掲載者のみでも朝鮮のそれは実に15倍(人口比)にもなるのです。

小作地を奪われたり、生活が出来なくなった農民たちは死を覚悟して流浪せざるを得なかったのです。

これが植民地統治の実体です。

 更に強制連行との関連で戦時下朝鮮農村の重要な問題を取り上げておきたいと思います。

朝鮮社会を深刻な状態に追い込んだ米の徹底的な供出政策です。

 農民から米を奪う

 日本と総督府は朝鮮の戦時体制下の要求として労働力と米の供出を求めていました。

戦時下の日本では米が主食でしたが特に軍の食糧は白米中心でした。

朝鮮では1939年に大旱害があり米の減産があり、40年は2100万石、41年は2400万石ほど収穫がありましたが、42年からは16百万石前後に落ち込んでしまいます。

42年から45年まで3年間は大凶作でした。

理由は天候も関係しましたが農村から男子労働力が動員されたこと、肥料不足等を揚げられますがなによりも米の供出が強化されたために起きたのです。


深刻な米不足のなかで1945年には200万石の日本への移出を実施しています。 

供出は愛国班(日本の隣組のような相互監視組織)に割り当てられ、愛国班長の家の庭で警官、面の職員、郡の督励員が立ち会って割当量を集めた。

これに従わない者は罰せられ、検挙されました。

割当量は多く、自家消費量を超えて供出しなければなりませんでした。

また、供出割当の定量に達しない者の家は家宅捜査が行われ、あらゆる所を検索し、発見すると容赦なく供出させた。

生産した物を消費できない農民が多くなりました。

たりない分は満州雑穀を配給しましたが大豆粕などで肥料用に農家に配給した物を代用したのです。


小作農民は農業をしても生産した作物を満足に食べられなくなったのです。
また、米の統制が厳しく自由に売買が出来ず、食糧不足を激しくしました。
米以外でも農民が自分で作った作物を消費できないような統制 が実施されたのです。
これに加えて供出米の代金から自動的に愛国貯金などが差し引かれ、物価は上昇し農民の困窮が一層進んだのです。
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2. 中川隆[-6349] koaQ7Jey 2025年6月11日 07:00:00 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[2]
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トランプをピエロとして操る勢力を知ろう
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ガーディアン紙が明かした、アメリカ大統領を支えるものの衝撃の正体
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トランプはKGBの工作員だった
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トランプは必要悪、ぶっ壊し屋(2025.4.5)増田俊男のラジオ
https://www.youtube.com/watch?v=ce6c-UFuiqQ
https://www.youtube.com/watch?v=SoG-qBc-YLM

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石原順 疑似QEと見せかけの株高
トランプとイーロン・マスクの茶番劇
https://www.youtube.com/watch?v=jCdSPTpVgx8

イーロンが“トランプにNO”を突きつけた本当の理由
経済クラブ keizaiclub
https://www.youtube.com/watch?v=Ok9SNCphZjw&t=637s

・トランプは誰の指示で動いているのか?
・トランプを支持するイーロンマスクの裏の顔
・お注射や戦争を企てている人たちの正体

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バート・ランカスターの映画『エルマー・ガントリー』の世界 _ トランプ大統領の行動原理は福音派キリスト教徒の反知性主義 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211009

西谷修 _ アメリカ原理時代とアメリカ世界統治の終焉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16891943

増田俊男 _ トランプをピエロとして操る勢力を知ろう
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16900132

トランプ大統領が日本に強要する「マールアラーゴ合意」_ 金を貸すのはリスクを負って金利を得る事、「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/181316

トランプの真の敵/ディープ・ステートとは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16878485
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/599.html#c2

[番外地12] ワルター
Beethoven: Symphony No. 1, Walter & ColumbiaSO (1959) ベートーヴェン 交響曲第1番 ワルター

指揮:ブルーノ・ワルター
コロンビア交響楽団
録音:1959年1月5、6、8〜9日 [コロンビア]

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/602.html

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
93. 中川隆[-6348] koaQ7Jey 2025年6月11日 14:06:22 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[3]
【海外の反応】ヤマハのピアノが世界で爆売れ!世界が驚愕したヤマハの技術とは・・・
輝く日本の技術【海外の反応】2025/06/10
https://www.youtube.com/watch?v=oYJkrEfNk_k

ヤマハのピアノが今、世界中で爆売れしています。かつてピアノといえば、ヨーロッパの名門ブランドが市場を独占していました。そのため、「ヤマハのピアノなんて二流品だ」と欧米では長く見下されてきたのです。しかし、ヤマハは決して諦めませんでした。何十年にもわたる研究開発と徹底した品質改善の努力により、プロのピアニストや名門の音楽大学からも認められるほどに成長したのです。その結果、2025年現在、ヤマハのピアノは世界市場の35%以上という圧倒的なシェアを獲得しています。一体なぜ、ヤマハはこれほどまでに世界のピアノ市場を席巻できたのでしょうか?今回は世界が絶賛するヤマハピアノの革新技術と、その成功の秘密に迫ります。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c93

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
20. 中川隆[-6347] koaQ7Jey 2025年6月11日 14:06:41 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[4]
【海外の反応】ヤマハのピアノが世界で爆売れ!世界が驚愕したヤマハの技術とは・・・
輝く日本の技術【海外の反応】2025/06/10
https://www.youtube.com/watch?v=oYJkrEfNk_k

ヤマハのピアノが今、世界中で爆売れしています。かつてピアノといえば、ヨーロッパの名門ブランドが市場を独占していました。そのため、「ヤマハのピアノなんて二流品だ」と欧米では長く見下されてきたのです。しかし、ヤマハは決して諦めませんでした。何十年にもわたる研究開発と徹底した品質改善の努力により、プロのピアニストや名門の音楽大学からも認められるほどに成長したのです。その結果、2025年現在、ヤマハのピアノは世界市場の35%以上という圧倒的なシェアを獲得しています。一体なぜ、ヤマハはこれほどまでに世界のピアノ市場を席巻できたのでしょうか?今回は世界が絶賛するヤマハピアノの革新技術と、その成功の秘密に迫ります。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c20

[昼休み53] 中国人客急増で梅毒大流行 _ 性病地獄に堕ちていく日本の風俗と助からない風俗嬢たち 中川隆
22. 中川隆[-6346] koaQ7Jey 2025年6月11日 14:46:31 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[5]
若い女性の間で流行!? 梅毒急増の原因は、〇〇政策だった!?
政経プラットフォーム 2025/06/06
https://www.youtube.com/watch?v=sN95o37AFLU
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/864.html#c22
[昼休み54] 中国人客急増で梅毒大流行 _ 性病地獄に堕ちていく日本の風俗嬢 中川隆
9. 中川隆[-6345] koaQ7Jey 2025年6月11日 14:46:48 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[6]
若い女性の間で流行!? 梅毒急増の原因は、〇〇政策だった!?
政経プラットフォーム 2025/06/06
https://www.youtube.com/watch?v=sN95o37AFLU
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/251.html#c9
[近代史3] 中国人は日本人に復讐する為に日本女性とセックスしたがる _ 風俗嬢に「過去の過ちを体で償うと言え」 中川隆
7. 中川隆[-6344] koaQ7Jey 2025年6月11日 14:47:04 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[7]
若い女性の間で流行!? 梅毒急増の原因は、〇〇政策だった!?
政経プラットフォーム 2025/06/06
https://www.youtube.com/watch?v=sN95o37AFLU
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/111.html#c7
[番外地12] 日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口
日本兵が日中戦争でやった事
日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口
 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。
1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、
鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、
あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。


日中戦争証言 劉寨子 王さん(64歳)さんの話
 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。
私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。
政府は何回も説得して、
「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」
と教えられた。
しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。

私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。


▲△▽▼

南京戦では昭和天皇が朝香宮に電報で直々に虐殺命令を出したのがわかっています。それで東京裁判では松井石根を昭和天皇の身代わりに死刑にて虐殺責任の追及を終了させたのです:

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、
「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」
ちゅう命令やった。
天皇陛下の命令やと言ったな。
当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班
 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
 南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、南京に入るまでは家を全部xけという命令がずっと出てました。するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。とにかく
「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」
という命令でした。命令が出てなかったらこっちはしませんよ。北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。それももちろん命令があったからです。皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは 支那の部隊も集中してました。
http://kk-nanking.main.jp/mondai/gyakusatu.html

▲△▽▼

小平義雄連続殺人事件
小平義雄は戦地より帰って以来、性的に突如放縦になった。
放縦なだけでは留まらず海軍被服廠の軍属であった戦争最後の年に、同じ職場の女子工員を強姦した上殺害している。以後、終戦直後の混乱の中で女性を食料をエサに誘いだし、次々と6人も、犯しては殺していった。

小平が女性を犯して殺す、その味を覚えたのは、中国の前線だった。

予審調書の中で小平は言っている。

「大怙では強姦のちょつとすごいのをやりました。…父親を縛り上げて戸棚の中入れ…
クーニャン(娘)を出せと言って出させました。

…強盗強姦は日本軍隊には付き物ですよ。
銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。 私も5,6人はやっています」


取り調べと裁判の段階で明らかになったことがあるんですね。それは、彼の戦争体験のことだったんです。

「済南事件」:南京大虐殺の先駆けですね。住民の殺戮です。その時にもの凄く多くの中国人の女性が日本兵によって強姦されて殺された。この小平という人物は、その時の兵隊だったんです。

「連続強姦殺人魔」と言われた人の犯罪を重ねる下地が「戦時強姦」で培われていた、っていうことです。そのことが日本が戦争で負けた後に一気に吹き出してきた事件なんですね。


860 :名無しさん :02/07/04 01:33 ID:03UDq1eg
死んだ人の事を悪く言いたくなかったけど言わせてもらう。
漏れの近所の銭湯で番台やってた爺さん(もう亡くなった)。

漏れが小さい頃よく戦争当時の話を銭湯の番台で自慢げに語ってたバカ。

『チャンコロ(中国人)の妊婦を木に縄で縛って銃剣で刺したら「ボムッ」って鈍い音出して破裂してよー。

ホント面白かったぞー。だから毎日チャンコロの妊婦探して見つけては、それやって遊んでたんだ。あの頃がなつかしいなあ(ニヤニヤ』
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/603.html
[番外地12] 大東亜共栄圏というのは中国・東南アジアで麻薬を売ってぼろ儲けする体制の事だった
大東亜共栄圏というのは中国・東南アジアで麻薬を売ってぼろ儲けする体制の事だった
・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、朝鮮の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制


右翼が必死で隠している大東亜戦争の真実

戦前の日本は麻薬の製造販売と女性の人身売買で稼いでいた、大東亜共栄圏とは麻薬を売り捌く市場として考えたもの


【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク

北朝鮮による覚せい剤密輸事件が新聞を賑わしているが、そんなの大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイもんだ。
ケシ類未熟果実に傷をつけて滲出する乳液を乾燥乾固したものが阿片だ。阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。国家自体が関わって中国へ密輸したのが、オランダとイギリス、そして我が日本なのだ。

1840年、イギリスは、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止された事に貿易の自由を妨害したなどと恥ずべき口実で阿片戦争を仕掛けた。中国は敗北し、イギリスの阿片の毒牙はますます中国民衆を蝕んでいった。中国の弱体をみて、欧米列強は不平等条約を強要し、清王朝は阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。

麻薬中毒の恐ろしさに、1912年にハーグ阿片条約、1925年国際連盟によるジュネーブ阿片条約が結ばれたが、欧米の帝国主義者たちは自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。

日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。しかし、すぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。
やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。日清戦争後に台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。

大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。

さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。

拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。

阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。

三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。

南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。

これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。

満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。

阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで。吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったという。

内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのだ。

日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。

日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。

さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。
『天津の日本人居留地は、今や世界のヘロイン製造、及び阿片喫煙の神経中枢として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいはヘロイン魔窟の数はまさしく千を超えている。

しかのみならず、白色麻薬を公然販売するホテル店舗、その他の建物が数百ある。……中国人・ロシア人及び外国人が汚れた板の上に横たわっており……魔窟の第1室には朝鮮人の女が。ヘロインと不純物とを混合する仕事に忙しい。……注射は汚い注射器で、時には自製の物でなされる。針は決して洗ったり、消毒したり、取り替えることはない。

梅毒が自由に針を介して一人の阿片常用者から他の者へ蔓延する。私は、胸一面が腐って壊疽のような肉塊をなしており、拳全部を差し込むことができるような穴が体にある阿片常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつある辛うじて生命を保っている死体に、麻酔剤の注射器を次から次へと差し込むのである。(国際連盟阿片諮問委員会議事録よりエジプト代表ラッセル・パッシャの陳述)』

なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。

シンゾーの祖父岸信介は1936年10月に満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任。満州時代に関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。阿片による莫大な金が岸に動いたことは容易に想像できる。
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/604.html
[番外地12] クレンペラー
ベルリオーズ・幻想交響曲 クレンペラー盤63年【超名盤】 Berlioz Symphonie fantastique, Klemperer, '63 [Very famous recording].

 フィルハーモニア管弦楽団
 指揮: オットー・クレンペラー
 1963年、4月〜9月のスタジオセッション

ベルリオーズ・幻想交響曲/ クレンペラー指揮1966ライヴ Berlioz Symphonie fantastique / Klemperer conducted live in 1966

ベルリオーズ・幻想交響曲/ クレンペラー指揮1966ライヴ Berlioz Symphonie fantastique / Klemperer conducted live in 1966

花田ミサト
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エクトル・ベルリオーズ作曲
幻想交響曲

 ニューフィルハーモニア管弦楽団
 指揮: オットー・クレンペラー

 1966年、ロイヤルフェスティバル・ホールでのライヴ録音

 ※1963年の有名なステレオ録音から6年後の実況録音。比較的にテンポはスタジオセッションのものよりも速めですが、テクスチャーの純音楽的な構造をクローズアップしていく解釈は健在。ベルリオーズの狂気に対する共感も漂い、気のせいか、作曲者と指揮者が同一人物なのでは?とつい錯覚してしまいそうww

 ニューフィルハーモニア管弦楽団
 指揮: オットー・クレンペラー

 1966年、ロイヤルフェスティバル・ホールでのライヴ録音

 ※1963年の有名なステレオ録音から6年後の実況録音。比較的にテンポはスタジオセッションのものよりも速めですが、テクスチャーの純音楽的な構造をクローズアップしていく解釈は健在。ベルリオーズの狂気に対する共感も漂い、気のせいか、作曲者と指揮者が同一人物なのでは?とつい錯覚してしまいそうww

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/605.html

[番外地12] クレンペラー 中川隆
1. 中川隆[-6343] koaQ7Jey 2025年6月11日 17:37:40 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[8]
<△20行くらい>
クレンペラーの幻想交響曲貴重ライヴ 1966年



 ニューフィルハーモニア管弦楽団
 指揮: オットー・クレンペラー

 1966年、ロイヤルフェスティバル・ホールでのライヴ録音

 ※1963年の有名なステレオ録音から6年後の実況録音。比較的にテンポはスタジオセッションのものよりも速めですが、テクスチャーの純音楽的な構造をクローズアップしていく解釈は健在。ベルリオーズの狂気に対する共感も漂い、気のせいか、作曲者と指揮者が同一人物なのでは?とつい錯覚してしまいそうww


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/605.html#c1
[番外地12] クリュイタンス
ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14 クリュイタンス Berlioz “Symphonie Fantastique”

アンドレ・クリュイタンス Andre Cluytens
フィルハーモニア管弦楽団 The Philharmonia Orchestra
1958年録音

Berlioz - André Cluytens (1960, Philharmonia Orchestra) ‎– Symphonie Fantastique

Berlioz - André Cluytens (live, 1964 ) Symphonie Fantastique op. 14a


10th May 1964, Bunka Kaikan(Metropolitan Festival Hall), Tokyo
Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire, Paris

Berlioz - Symphonie Fantastique + encore  Cluytens OSCC

ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14  ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』より「古い城」
ビゼー 『アルルの女』より 「ファランドール」
アンドレ・クリュイタンス 指揮  パリ音楽院 管弦楽団  1964年5月10日

Berlioz:Symphonie Fantastique:Cluytens/Paris Conservatoire O '64:High quality sound version


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/606.html

[番外地12] ワルター 中川隆
1. 中川隆[-6342] koaQ7Jey 2025年6月11日 19:06:20 : lRVpisCKBE : cXhmdkNNd2lzTkE=[9]
【テープ復刻】Bruno Walter & Columbia SO - Schubert: Symphony No.9 "The Great" (1959)



ブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団

録音:1959年1月31日, 2月2,4,6日、アメリカン・リージョンホールでのセッション録音
個人所蔵オープンリール・テープより復刻

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/602.html#c1
[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
62. 中川隆[-6341] koaQ7Jey 2025年6月12日 00:58:59 : C0KKCKk7wE : aFUyYXFsL3JXNWM=[1]
<■404行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
雑記帳 2025年06月07日
原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html

https://amzn.asia/d/gWVRR44


 集英社新書の一冊として、集英社より2024年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はワイマル(ヴァイマル)期のドイツ政治を暴力の観点から検証し、ナチ党台頭と政権獲得に至る前提について考察しています。ワイマル期は三区分されることが多く、暴力的な内戦状況が続いた「戦後混乱期」である前期(1918〜1923年)、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」である中期(1924〜1929年)、世界恐慌を契機に政治と経済と社会が再び混乱状況となり、ナチスが台頭した後期(1930〜1933年)です。本書は、この中期と後期において、政治的暴力が社会に深く入り込み、常態化していたことを重視し、それがワイマル共和国の政治的安定性を動揺させたのではないか、との見通しで、ベルリンを中心に一般国民の視点も取り入れて、ワイマル期のドイツを検証します。

 ただ本書は、ワイマル共和国の前期と中期および後期ではおもな政治的暴力の種類が異なる、と指摘します。前期では成立したばかりの議会主義体制の打倒を狙った、右翼や左翼の急進的反共和国勢力が体制(公権力)に向けて暴力を行使し、その反作用として体制側から反共和国勢力に対して暴力が行使されており、本書では「体制転覆志向型暴力」と呼ばれています。中期および後期では、敵対する党派間で暴力が行使され、体制は党派間の暴力の監視および抑制の役割を担っており、本書では「党派対立型暴力」と呼ばれています。この暴力の主体となった党派は、ナチ党とその武装組織であるナチス突撃隊(SA)、共産党とその武装組織である赤色前線兵士同盟(RFB)やその後継組織、社会民主党を中心とする共和国擁護派の国旗団、右翼の鉄兜団などです。

 ワイマル共和国は、第一次世界大戦でのドイツの敗北の結果として成立します。ワイマル共和国前期は、さらに複数の局面に区分されています。第一期は、ドイツ革命とその余波が続いた1918年11月から1919年春で、左翼革命勢力と反革命勢力の闘争が中心となります。第二期は、1920年春に発生したカップ=リュトヴィッツ一揆とそれに続くルール地方での闘争段階です。第三期は、「三月行動」と呼ばれる共産党の蜂起と、急進的右翼による政治的暗殺が横行した1921年春から1922年です。最後の第四期は、フランスとベルギーによるルール地方占領に対するドイツ側の武装闘争に始まる1923年の緊迫した状況で、共産党の「ドイツの十月」やナチスのミュンヘン一揆が発生した秋に、緊張は頂点に達します。

 本書はまず、ドイツ革命の推移を開設し、軍部の議会主義体制移行を図る社会民主党など政党勢力への不満、共和制支持者の間の分裂と深刻な対立など、すでにワイマル共和国を決定づける対立の萌芽が見られることを指摘します。ドイツ革命初期の1918年11月において、全体的に大規模な暴力はありませんでしたが、翌月にはベルリンで流血の事態が発生するようになります。そうした混乱の中でも、1919年1月19日には国民議会選挙が実施され、多くの国民が穏健な改革を支持していることは明らかな結果だった、と本書は評価します。1919年2月6日、国民議会は混乱するベルリンを避け、中部の小都市ワイマルに召集され、社会民主党と中央党と進歩人民党(民主党)の「ワイマル連合」が形成されます。これに左翼急進派が不満を抱き、ドイツ各地へと騒乱が拡大しますが、1919年春にはおおむね鎮静化します。ただ、これによってワイマル共和国の秩序維持で国防軍への依存度が高まります。

 右翼急進派は、ヴェルサイユ条約がドイツにとってあまりにも過酷と受け取られたことから、対ドイツ強硬派のフランスだけではなく、ワイマル共和国政府への不満も高めます。第一次世界大戦でのドイツの敗戦が、ドイツ国内での戦闘がない段階でのことだっただけに、敗戦の実感を持てない国民も多くいたようで、銃後(国内)からの一刺し(裏切り)がドイツを敗戦に追い込んだ、との「匕首伝説」が広がることになりました。1919年6月28日のヴェルサイユ条約調印後、翌月31日には新憲法となる「ドイツ国憲法(ワイマル憲法)」が国民議会で採択され、翌月(8月)14日に発効します。ワイマル憲法は当時、最も民主的な憲法と呼ばれました。

 1920年3月13日に、ワイマル共和国政府の転覆と新政権樹立を企図したカップ=リュトヴィッツ一揆が発生すると、支持したのは国防軍でも一部の部隊だけで、国民議会内のほぼすべての政党が反対を表明したので、この蜂起は1週間も経たずに失敗に終わります。この失敗を見た右翼急進派は、ワイマル共和国に対する軍事的蜂起が困難だと認識し、秘密結社化して政府要人を狙った個別テロ行為へと移っていきます。左翼側もカップ=リュトヴィッツ一揆を契機に急進化していき、国防軍との間の武力衝突で犠牲者が増えていきます。これ以降、ワイマル共和国への左右両方からの攻撃が激化します。

 この状況下で1920年6月6日にワイマル憲法下において初の国会選挙が実施され、それまで国民議会で3/4を占めていたワイマル連合は大きく議席を減らし(得票率では76.1%から43.6%への低下)、ワイマル共和国に懐疑的な国家国民党や国民党や急進的な独立社会民主党が躍進しました。政治志向の区分での得票率の比較は、ブルジョア・プロテスタント(国家国民党と国民党と民主党)は33.2%から37.3%、カトリック(中央党とバイエルン国民党)は19.7%から18.0%、左翼(社会民主党と独立社会民主党と共産党)45.5%から41.7%で、政治志向は全体的に変わらなかったものの、共和国擁護派から批判派へと票が移動したわけです。この選挙の結果、ワイマル共和国では連立政権が不安定な政権運営を余儀なくされ、政権が短命化し、最大勢力だった社会民主党の野党化が進行します。ワイマル共和国の議会政治における連立パターンは4種類あり、それは、(1)共和国擁護派3党(社会民主党と中央党と民主党)による「ワイマル連合内閣」、(2)中道諸政党による「ブルジョア少数派内閣」、(3)中道諸政党と国家国民党による「ブルジョア右派内閣」、(4)中道諸政党と社会民主党による「大連合内閣」です。議席数で最も安定する(4)は、外交政策では一致可能でも、労使関係から内政での対立が顕著でした。(3)は内政での合意は容易でしたが、右派の強硬な反対に曝されます。(1)は共和国前期のみに存在しました。

 選挙後に独立社会民主党は分裂し、左派が共産党と合体して、勢力が拡大した共産党は急進的な行動へと移ります。共産党の攻勢は1921年3月のザクセン地方における「三月行動」から始まり、ドイツ全土での革命的行動の誘発が企図されていました。しかし、政権側は戒厳令で対応してこれを抑え込み、そもそも共産党に呼応する労働者も少なく、共産党の党員数はこれ以後、急激に減少します。上述のように、カップ=リュトヴィッツ一揆の失敗後、右翼急進派は個別テロへと移行し、「三月行動」の失敗の後に激化していきます。テロ実行の右翼政治犯の多くは、州政府が右傾化し、住民の暴力が横行していたバイエルンへと逃げ込みました。また、ここまでの政治的殺人の多くは右翼側からでしたが、量刑は左翼側にひじょう厳しかったことが示されています。

 1923年、フランス軍とベルギー軍によるルール地方占領と記録的なインフレによって、ワイマル共和国は危機的状況を迎えます。ルール地方占領に対してドイツ国内では、右翼も左翼も一致して反対し、ヴェルサイユ条約での軍備制限によってフランス軍に対抗できないドイツは、ゼネストによって抵抗しますが、フランスによるルール地方の職場復帰しない職員の追放に対して、ワイマル共和国政府がルール地方への財政支援を行なうことで、財政が圧迫されていき、フランスへの石炭やコークスの供給停止で経済にも打撃となり、ワイマル共和国政府が紙幣を増刷したことで、超インフレが進行します。ワイマル共和国政府では政権が交代し、新政権はフランスへの消極的抵抗を中止し、新通貨を導入することで、インフレは終息していきます。ただ、これによって右傾化していたバイエルン州政府とワイマル共和国政府との対立が激化し、国防軍もバイエルン州政府に加担するような動きを見せます。この騒然とした状況で、共産党の武装蜂起が鎮圧され、1923年11月8日、ナチス党首のヒトラーが第一次世界大戦の軍事的英雄で右翼急進派の領袖だったルーデンドルフを擁立して武装蜂起しますが、このミュンヘン一揆は直ちに鎮圧されます。これによって右翼急進派の信用は失墜し、バイエルン州政府はワイマルに歩み寄り、ドイツの情勢は安定に向かいます。本書はこのミュンヘン一揆を、ドイツ革命から続いた体制転覆志向型暴力の最後の局面と位置づけています。

 上述のように、1924〜1929年のワイマル共和国は、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」とされ、政治と暴力との直接的結びつきはほぼ見られなくなり、社会保障制度が整備されていき、この期間の文化は「ワイマル文化」と呼ばれています。政治的には、この安定期の内閣は上述の4種類のうち「ブルジョア少数派内閣」もしくは「ブルジョア右派内閣」でした。この期間の内閣は、内政や外交に起因する閣内対立によって短命化しましたが、ある程度の連続性が維持されました。ただ、この期間に社会内部の対立が深刻化し、それに伴って党派対立の明確化も進行します。1925年の大統領選では、ワイマル共和国擁護派のヴィルヘルム・マルクス前首相が、反ワイマル共和国陣営によって擁立された第一次世界大戦の軍事的英雄であるパウル・フォン・ヒンデンブルクに敗れ、ワイマル共和国の政治史における画期となります。

 この相対的安定期で暴力が顕在化していく起点と本書が評価しているのは、ミュンヘン一揆によって禁止されたナチ党の再建です。釈放されたヒトラーは武装蜂起路線から合法路線に転換し、そのためには、ナチ党の武装組織であるナチス突撃隊(SA)を、少なくとも表面的には非武装化する必要がありましたが、ヒトラーにとって自立志向のあるSAの制御はずっと難問で、ついには政権獲得後の粛清につながります。ヒトラーは釈放されましたが、1925年2月27日のヒトラーの演説がワイマル共和国に敵対的だったため、バイエルンなどほとんどの州政府がヒトラーの公開集会での演説を禁じましたが、1927年頃からじょじょに解除されていきます。ヒトラーは収監されていたため、ナチ党の全権掌握には多少の時間を要しましたが、全権掌握の結果として、ナチ党はワイマル期の他の主要政党とは異なり、「個人商店」的性格を強く有するようになります。ヒトラーはドイツ全土に組織を構築し、ヒトラーを頂点とする垂直的構造とともに、社会集団および階層に応じた水平的構造も築いていきます。その結果、ナチ党にはさまざまな社会集団を包含する「国民政党」への可能性が開けてきます。ドイツでは20世紀初頭以降、街頭での政治的行為が活発化し、ナチスはそこに合法路線での権力獲得の道を見いだします。この時期、ナチスとともに共産党も、感覚に訴える街頭政治を主導していき、ナチスではゲッベルスが大きな役割を果たしました。ナチスにとって街頭政治で最も重要な活動は「行進」で、その主体はSAで、表面的には非武装化されていたものの、他の政治勢力との紛争などで、軍事組織的性格を示していました。ナチス集会も重視し、集会の後に参加者が街頭に繰り出すため、集会と行進は地続きの関係にありました。

 こうしたSAのような政治活動に軸足を置く準軍事組織が私的武装勢力の中心となり、他には、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団(騎士団)、ワイマル共和国擁護派の「国旗団─黒・赤・金」、共産党の赤色前線兵士同盟(RFB)が有力でした。こうした組織は、体制転覆志向型暴力を担っていたワイマルの前期の後、「相対的安定期」と言われる中期には存在価値が弱まり、組織の弱体化や解散が相次ぎ、そうした中からSAなどは試行錯誤して組織の改革による維持と大衆化による拡大を図っていき、政党からの自立性の高かった鉄兜団は国家国民党、騎士団は民主党との関係を強めます。これらの政治的な準軍事組織は、前期の体制転覆志向型暴力を抑制し、選挙や街頭での宣伝に努めます。SAはナチ党、RFBは共産党の実質的な政党軍でしたが、上述のようにSAの自立志向とその制御はヒトラーにとってずっと難問でした。1920年代後半の段階で、政治的な準軍事組織所属者の半数以上を国旗団と鉄兜団が占め、SAやRFBは少数派でしたが、戦闘性や急進性の点では、国旗団や鉄兜団や騎士団はSAやRFBと比較すると受動的でした。こうした政治的な準軍事組織の大衆化は、政治的暴力の「市中化」をもたらし、すでに「相対的安定期」から暴力事件が認められます。1925年1月から1926年11月までにベルリンでは政治的暴力事件が73例確認されており、ほとんどは左翼と右翼の対立で、上述のように党派対立型暴力と分類されていますが、共産党(RFB)と社会民主党(国旗団)の紛争もあります。左翼側の当事者はほぼすべて共産党でしたが、右翼側は多様でした。ただ、この73件のうち死者が出たのは1件だけで、多数の犠牲者が出た前期の体制転覆志向型暴力とは異なります。

 ベルリンでは左翼勢力(社会民主党と共産党)が強く、ナチスは左翼勢力から労働者の支持を奪うべく、SAを攻撃的な街宣活動に投入しましたが、もちろんナチスが常にそうした政治的暴力事件の当事者だったわけではなく、政党間の競合が背景にあるわけです。ただ、ベルリンでの知名度が低かったナチスは、暴力事件を起こして報道されることで、知名度を上げていく、とのゲッベルスの方針もあり、1927年3月にリヒターフェルデ東駅で起きた衝突で、SAから共産党員のいる車両への約40発の発砲があったことを、ベルリンの政治的暴力の状況を変える契機になったとして、本書は重視しています。これ以降、政治的暴力における銃器の使用が一般的になり、1930年代には日常化していきます。また、党派対立型暴力の一方の「主役」が、それまでの右翼諸組織からナチスに絞られていき、面目を失った警察が政治的暴力に対して厳格に対峙するようになります。ゲッベルスがベルリンに赴任した1926年11月から1928年末までは、1925年1月から1926年11月までと比較して、ナチスが政治的暴力の右翼側の当事者となる事例は増大します。ただ、ナチスも国旗団も鉄兜団も警察への攻撃は避けようとしたのに対して、共産党は、現場の警官に保守派が多く、共産主義に敵対的だったこともあり、警察への暴力行使が多くなっています。1929年のメーデーでは、社会民主党の指導層は警察権力に共産党に対して厳しい措置を取るよう命じており、元々この時期の共産党はコミンテルンの方針で社会民主党を「主要敵」とみなしていたこともあって、社会民主党と共産党の対立が深刻化していきます。この事件も、政治的暴力が過激化していく契機となります。

 こうして「相対的安定期」と呼ばれるワイマル共和国の中期後半には政治的暴力が過激化していき、一般的にワイマル共和国は世界恐慌の発生後(後期)に不安定化した、と言われていますが、すでに世界恐慌の前からその兆候はあったようです。ナチ党も、1929年6月のバイエルン州北部のコーブルク市議会選挙で過半数の議席を占め、同年11月のベルリン市議会選挙で得票率5.8%を獲得するなど、すでに世界恐慌の影響が拡大する前から躍進の兆候が見られました。とはいえ、ドイツは世界恐慌で経済的に大打撃を受けたわけで、政治的暴力を含めて社会全体への影響も当然甚大でした。ドイツでは、世界恐慌の深刻な影響によって政治が急進化します。1930年3月にミュラー内閣が社会民主党の非妥協的方針によって退陣したことは、ワイマル共和国の政治の転換点となり、大統領のヒンデンブルクは、憲法第53条の大統領による首相任命権を根拠に、ハインリヒ・ブリューニングを首相に任命し、これは国会での多数派形成ではなく憲法第48条の大統領非常大権に基づく大統領緊急令に依拠する、「大統領内閣」となります。1930年7月18日、ブリューニング内閣は大統領緊急令を無効とする決議が国会で可決されたため、国会を解散しましたが、この選挙でナチ党が大躍進します(前回の得票率2.6%で12議席から、得票率18.3%で107議席)、共産党も議席を増やしました(得票率は前回の10.6%から13.4%)。ナチ党は、社会民主党などの「老舗」政党に対して、「新しさ」で有権者を惹きつけ、多様な社会階層および集団から「万遍なく」支持を集めました。このような「国民政党」は、それまでのドイツには存在しなかった、との評価もあります。

 ブリューニング内閣は不況下において外交を優先し、そのためのデフレ政策を進め、国民生活はさらに窮乏化します。ブリューニング内閣は行き詰って退陣し、1932年6月、フランツ・フォン・パーペンが首相に任命されますが、ヒンデンブルク大統領の側近である国防相のクルト・フォン・シュライヒャーの傀儡でした。議会での基盤をほとんど有さないパーペンは、直前の大統領選で善戦したヒトラーを取り込もうとして、国会解散とブリューニング内閣の出したSA禁止令の廃止というヒトラーの要求を受け入れます。パーペン内閣は国会選挙中にプロイセン州で起きた「血の日曜日」事件を口実に、社会民主党を首班とするワイマル連合政府のプロイセン州に対する国家強制執行によって州政府を罷免し、社会民主党が無力化された点で、これはワイマル共和国の政治史における決定的な出来事だった、と本書は評価します。1932年7月の国会選挙では、ナチ党が前回の得票率18.3%で107議席から得票率37.3%で230議席と大躍進し、共産党も得票率が前回の13.1%から14.3%へと増加しました。ワイマル連合の議席占有率は34.9%まで低下し、左右両極の反ワイマル共和国政党(ナチ党と共産党)で過半数が占められることになりました。ただ本書は、この国会選挙の直近の州議会選挙での得票率が40%を超えていたことから、ナチ党の勢いが絶頂を過ぎつつあることも示唆していた、と本書は指摘します。ナチ党は、完全な権力掌握を目指して野党に留まるか、それとも政権に参加するか、選択を迫られ、パーペン内閣からの政権参加への打診にもヒトラーは首相職を要求し、交渉は決裂します。

 世界恐慌の影響が深刻化していったこの期間、ベルリンでは党派対立型暴力が急増し、さらに急進化したSAとナチ党指導部との軋轢が深まり、ヒトラーは急進派の助命措置によって、ナチ党指導部のSAに対する優位を強化しますが、根本的な解決には至らなかったようで、政権獲得後のSA粛清につながります。こうしたSAの急進化もあり、政治的暴力は「相対的安定期」よりも深刻化し、1931年には、政治的暴力によって、プロイセン州全体では105人(このうちナチスが51人)、ベルリンでは18人が死亡しています。この状況は1932年にはさらに悪化し、上半期だけでさえ、政治的暴力によってプロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が死亡し、国会選挙が行なわれた同年7月には、ある統計では、プロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が政治的暴力によって死亡しました。この政治的暴力には主要な準軍事組織すべてが関わっており、その中心はナチスと共産党で、銃器による襲撃も常態化し、武器が市中に氾濫していました。こうした政治的暴力が起きるのは、政敵の集会に参加した場合や、街頭での政治活動の場合でした。ただ本書は、世界恐慌後に「相対的安定期」よりも政治的暴力が激化したとはいえ、敵を殲滅するまで暴力を振るう意図が弱かったことは、「相対的安定期」から一貫していた、と指摘します。

 こうした政治的暴力の激化において、政党指導層からの指示だけではなく、ワイマル期の社会全体における暴力の潜在性との観点から、社会の末端水準にも本書は注目します。ベルリンでは草の根の水準で「縄張り主義」が政治的街頭闘争を特徴づけており、さらには、たとえば共産党の牙城だった地区へのナチスの浸透により、そうした地区内の安定性が低下し、暴力として発現することも本書は指摘します。「縄張り主義」と、それを支えていた地区内の不安定化によって、政治的暴力は日常化していったわけです。こうした政治的暴力の日常化の背景には、ドイツでは帝政期において酒場が社会主義運動の拠点になっていたこともありました。ただ、帝政期とワイマル期では政治的酒場の性格に変化もあり、帝政期には階級的に同質化していたのに対して、ワイマル期には政治的イデオロギーで均質化されており、集会や会合の場となりました。さらに、世界恐慌後には、店主にとってまとまった売上を見込める政治的酒場への転換は魅力的な選択肢となり、これも政治的暴力の日常化につながったようです。店主が政治的立場を変えることもあり、それが暴力沙汰の原因になりました。

 1932年11月、同一年で2回目となる国会選挙で、ナチ党は34議席減となります。これは、直前のベルリン交通会社(BVG)ストライキをナチ党が支持したことで、労働者から新たに支持を獲得したと思われるものの、ブルジョア層からの離反の方が大きかったからではないか、と推測されています。一方で、共産党は議席数を89から100へと増やし、社会民主党の121議席に迫りました。新内閣をめぐる政界有力者の駆け引きの中で、ヒトラーは首相就任を要求したもののヒンデンブルク大統領に拒否され、パーペンはシュライヒャーに見放されて組閣を諦め、シュライヒャーが首相に任命されます。シュライヒャー内閣の陣容はパーペン内閣とほぼ同じでしたが、シュライヒャーはパーペン内閣の失敗から、権威主義的な大統領内閣でも、大衆的基盤なしの政権運営は難しいと認識しており、左翼からナチスまでの、労働組合を軸とする、広範な政治的結集を企図します。シュライヒャーは「ナチス左派(シュトラッサー派)」との連携を試みますが、首相職に拘るヒトラーはグレゴール・シュトラッサーを追放します。シュライヒャーは大衆的基盤の構築に失敗し、産業界や大農場主からも批判され、パーペンの暗躍もあって、退陣に追い込まれます。ヒンデンブルク大統領はパーペンに説得され、1933年1月30日、ヒトラーが首相に任命されます。

 ナチ党の政権参加を推進した保守派は、ヒトラーを囲い込み、ナチスを飼い慣らすことが可能と考えていました。しかし、首相に就任したヒトラーは、ワイマル共和国の政治的および社会的秩序の転覆を一気呵成に進め、社会民主党や共産党も含めて政治的反対派を徹底的に排除していきます。プロイセンでは、内相のヘルマン・ゲーリングによって警察機構のナチス化が進みます。ヒトラーは経済界の代表に、マルクス主義の根絶と、権威主義的で反民主主義的で親起業家的な国家建設を訴え、半強制的に選挙活動資金の支援を約束させます。1933年2月27日の国会議事堂炎上事件を口実に、ヒトラー内閣は左翼系勢力の本格的弾圧に乗り出しますが、それでも、その翌月5日の国会選挙では、ナチ党単独での過半数獲得には至りませんでした。しかし、ヒトラーは1933年3月8日、共産党議員81名の議席を剥奪して議会の2/3を「確保」したうえで、同月23日、国会で「授権法(全権委任法)」と呼ばれる「国民と国家の危難を除去するための法」が可決されました。これによって、内閣(行政府)に立法権が付与され、内閣の立法が憲法に違反することも可能となりました。その後、地方分権(連邦主義)の破壊と中央政府への権力集中も実行され、1933年4月7日の「職業官吏再建法」で共産党や社会民主党の支持者およびユダヤ人が公職から追放されました。労働組合も弾圧され、ナチ党付属団体であるドイツ労働戦線(DAF)が結成されました。他の多くの職業分野でも、ナチ党付属団体による組織化が進められました。政党や鉄兜団などの諸団体は解散に追い込まれ、1933年7月上旬時点で、ドイツの政党はナチ党のみとなり、同月14日の「政党新設禁止法」で、ナチ党の一党支配体制が成立し、ワイマル憲法が規定する統治体制は、形骸化した憲法を残してほぼ消滅します。1934年8月2日にヒンデンブルク大統領が死去すると、「ドイツ国元首に関する法」に基づいて、ヒトラーが大統領首相を統合した「総統およびドイツ国首相」に就任し、ドイツは絶対的指導者であるヒトラーがすべての責任を負う「総統国家」となりました。

 ナチスが政権を掌握すると、主要な政治的暴力は党派対立型から国家テロ型へと移行します。SAやナチス親衛隊(SS)など「政府を支持する用意のある組織や政党」に所属する5万人が、1933年2月22日に補助警察官に任命され、このうち半数がSA、30%がSS、20%が鉄兜団で、ベルリンだけで補助警察官が2万人近くいました。国家権力を背景としたSAの一方的な暴力が横行し、本書はこれを「国家テロ型暴力」と定義します。この政治的暴力は相手の殺害も厭わない残忍なもので、ワイマル共和国の中期や後期とは質的に異なっており、「下からの」街頭での政敵への統制されていない専横的暴力と、強制収容所を基盤に体系的に行使される「上からの」暴力に区分されています。そうした「下からの暴力」では、酒場が臨時の収容所とされることもあり、共産党系の酒場の店主の中には、転向してヒトラー政権への歓迎を示す者もいました。こうした「下からの暴力」に支えられて、ナチ体制は強化されていった、と評価されています。ただ、SAはさらに急進化し、「第二革命」を主張するようになり、1934年6月30日、SAは粛清され、SA幕僚長のエルンスト・レームは殺害されました。この粛清で、ヒトラーにとって「好ましからざる人物」だった、「ナチス左派」のグレゴール・シュトラッサーや、「ナチス左派」とかつて提携しようとしたシュライヒャー前首相も殺害されました。SAの暴力を忌避していた人は多く、この粛清はドイツでは好意的に受け止められ、ヒトラーの声望は高まります。SAの粛清後、ハインリヒ・ヒムラーを全国指導者とするSSがナチ党の暴力装置の中核となっていきます。

 本書は、ワイマル共和国において政治的暴力は特定の集団や個人の特異な現象ではなく、左翼から右翼に至るまで暴力を忌避しない政治文化が広がり、「暴力の政治化」もしくは「政治の暴力化」とも言うべき状況が生まれていた、と指摘します。ワイマル共和国の公共的な議論において政治に暴力が入り込むことへの批判や異議はきわめて弱く、暴力への批判は常に党派性を帯びていたわけです。社会が政治的暴力に慣れ、それを許容し始めると、政治と暴力が結びつく異常さへの間隔は麻痺していき、政治的暴力は継続的負荷となってワイマル共和国の政治的および社会的安定性を動揺させた、との見通しを本書は提示しています。こうした見通しにおいて本書は、ワイマル共和国からナチ体制への転換を連続性の観点から把握しなおす必要があるだろう、と提言します。ワイマル共和国には暴力との親和性が内包されており、ヒトラー内閣成立直後からの政敵への激しい暴力とつながっているところもある、というわけです。

 本書は最後に、身体的暴力が言語的暴力に置き換えられ、街頭がインターネット、とくにSNS空間に移っただけで、ワイマル共和国の歴史は決して「遠い昔」や「遠い場所」の話ではない、と指摘します。確かに、日本も含めて現在の政治状況はとても楽観視できません。ただ、一日本人として思うのは、まず、身体的暴力と言語的暴力の違いはやはり大きく、それは街頭政治とSNS空間も同様である、ということです。これは、身体的暴力が言語的暴力よりも、街頭政治がSNS空間よりも危険であることを意味しているのではなく、また違った危険性があるのではないか、と私は考えています。次に、ワイマル共和国と現在の日本を比較すると、詳しく調べていませんが、人口動態に大きな違いがあるはずで、ワイマル共和国の方が若い世代の割合はずっと高いでしょうから、これが身体的暴力と結びつきやすかった可能性はあると思います。さらに、ワイマル共和国のドイツは、徴兵などでの軍隊経験者が現在の日本よりずっと多かったでしょうし、第一次世界大戦での敗戦による軍備制限のため、元職業軍人も多かったでしょうから、この点でも身体的暴力が受け入れられやすい素地があったように思います。これらの点で現代日本はワイマル共和国と大きく異なっており、もちろんワイマル共和国は現代日本社会にとっても重要な教訓となりますが、現在、さらには今後の日本の危機は、ワイマル共和国が経験したものと大きく異なる可能性が高そうで、単純にワイマル共和国の事例を当てはめてはならないでしょう(もちろん、本書はそんな単純なことを主張していませんが)。現在の日本は、一定以上の規模の集団において人類史上初めて迎える少子高齢化社会だと思うので、さまざまな危機をどう回避するのか、対策を立てにくいところもあるのではないか、と昔から考えています。
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c62

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
61. 中川隆[-6340] koaQ7Jey 2025年6月12日 00:59:24 : C0KKCKk7wE : aFUyYXFsL3JXNWM=[2]
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雑記帳 2025年06月07日
原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html

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 集英社新書の一冊として、集英社より2024年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はワイマル(ヴァイマル)期のドイツ政治を暴力の観点から検証し、ナチ党台頭と政権獲得に至る前提について考察しています。ワイマル期は三区分されることが多く、暴力的な内戦状況が続いた「戦後混乱期」である前期(1918〜1923年)、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」である中期(1924〜1929年)、世界恐慌を契機に政治と経済と社会が再び混乱状況となり、ナチスが台頭した後期(1930〜1933年)です。本書は、この中期と後期において、政治的暴力が社会に深く入り込み、常態化していたことを重視し、それがワイマル共和国の政治的安定性を動揺させたのではないか、との見通しで、ベルリンを中心に一般国民の視点も取り入れて、ワイマル期のドイツを検証します。

 ただ本書は、ワイマル共和国の前期と中期および後期ではおもな政治的暴力の種類が異なる、と指摘します。前期では成立したばかりの議会主義体制の打倒を狙った、右翼や左翼の急進的反共和国勢力が体制(公権力)に向けて暴力を行使し、その反作用として体制側から反共和国勢力に対して暴力が行使されており、本書では「体制転覆志向型暴力」と呼ばれています。中期および後期では、敵対する党派間で暴力が行使され、体制は党派間の暴力の監視および抑制の役割を担っており、本書では「党派対立型暴力」と呼ばれています。この暴力の主体となった党派は、ナチ党とその武装組織であるナチス突撃隊(SA)、共産党とその武装組織である赤色前線兵士同盟(RFB)やその後継組織、社会民主党を中心とする共和国擁護派の国旗団、右翼の鉄兜団などです。

 ワイマル共和国は、第一次世界大戦でのドイツの敗北の結果として成立します。ワイマル共和国前期は、さらに複数の局面に区分されています。第一期は、ドイツ革命とその余波が続いた1918年11月から1919年春で、左翼革命勢力と反革命勢力の闘争が中心となります。第二期は、1920年春に発生したカップ=リュトヴィッツ一揆とそれに続くルール地方での闘争段階です。第三期は、「三月行動」と呼ばれる共産党の蜂起と、急進的右翼による政治的暗殺が横行した1921年春から1922年です。最後の第四期は、フランスとベルギーによるルール地方占領に対するドイツ側の武装闘争に始まる1923年の緊迫した状況で、共産党の「ドイツの十月」やナチスのミュンヘン一揆が発生した秋に、緊張は頂点に達します。

 本書はまず、ドイツ革命の推移を開設し、軍部の議会主義体制移行を図る社会民主党など政党勢力への不満、共和制支持者の間の分裂と深刻な対立など、すでにワイマル共和国を決定づける対立の萌芽が見られることを指摘します。ドイツ革命初期の1918年11月において、全体的に大規模な暴力はありませんでしたが、翌月にはベルリンで流血の事態が発生するようになります。そうした混乱の中でも、1919年1月19日には国民議会選挙が実施され、多くの国民が穏健な改革を支持していることは明らかな結果だった、と本書は評価します。1919年2月6日、国民議会は混乱するベルリンを避け、中部の小都市ワイマルに召集され、社会民主党と中央党と進歩人民党(民主党)の「ワイマル連合」が形成されます。これに左翼急進派が不満を抱き、ドイツ各地へと騒乱が拡大しますが、1919年春にはおおむね鎮静化します。ただ、これによってワイマル共和国の秩序維持で国防軍への依存度が高まります。

 右翼急進派は、ヴェルサイユ条約がドイツにとってあまりにも過酷と受け取られたことから、対ドイツ強硬派のフランスだけではなく、ワイマル共和国政府への不満も高めます。第一次世界大戦でのドイツの敗戦が、ドイツ国内での戦闘がない段階でのことだっただけに、敗戦の実感を持てない国民も多くいたようで、銃後(国内)からの一刺し(裏切り)がドイツを敗戦に追い込んだ、との「匕首伝説」が広がることになりました。1919年6月28日のヴェルサイユ条約調印後、翌月31日には新憲法となる「ドイツ国憲法(ワイマル憲法)」が国民議会で採択され、翌月(8月)14日に発効します。ワイマル憲法は当時、最も民主的な憲法と呼ばれました。

 1920年3月13日に、ワイマル共和国政府の転覆と新政権樹立を企図したカップ=リュトヴィッツ一揆が発生すると、支持したのは国防軍でも一部の部隊だけで、国民議会内のほぼすべての政党が反対を表明したので、この蜂起は1週間も経たずに失敗に終わります。この失敗を見た右翼急進派は、ワイマル共和国に対する軍事的蜂起が困難だと認識し、秘密結社化して政府要人を狙った個別テロ行為へと移っていきます。左翼側もカップ=リュトヴィッツ一揆を契機に急進化していき、国防軍との間の武力衝突で犠牲者が増えていきます。これ以降、ワイマル共和国への左右両方からの攻撃が激化します。

 この状況下で1920年6月6日にワイマル憲法下において初の国会選挙が実施され、それまで国民議会で3/4を占めていたワイマル連合は大きく議席を減らし(得票率では76.1%から43.6%への低下)、ワイマル共和国に懐疑的な国家国民党や国民党や急進的な独立社会民主党が躍進しました。政治志向の区分での得票率の比較は、ブルジョア・プロテスタント(国家国民党と国民党と民主党)は33.2%から37.3%、カトリック(中央党とバイエルン国民党)は19.7%から18.0%、左翼(社会民主党と独立社会民主党と共産党)45.5%から41.7%で、政治志向は全体的に変わらなかったものの、共和国擁護派から批判派へと票が移動したわけです。この選挙の結果、ワイマル共和国では連立政権が不安定な政権運営を余儀なくされ、政権が短命化し、最大勢力だった社会民主党の野党化が進行します。ワイマル共和国の議会政治における連立パターンは4種類あり、それは、(1)共和国擁護派3党(社会民主党と中央党と民主党)による「ワイマル連合内閣」、(2)中道諸政党による「ブルジョア少数派内閣」、(3)中道諸政党と国家国民党による「ブルジョア右派内閣」、(4)中道諸政党と社会民主党による「大連合内閣」です。議席数で最も安定する(4)は、外交政策では一致可能でも、労使関係から内政での対立が顕著でした。(3)は内政での合意は容易でしたが、右派の強硬な反対に曝されます。(1)は共和国前期のみに存在しました。

 選挙後に独立社会民主党は分裂し、左派が共産党と合体して、勢力が拡大した共産党は急進的な行動へと移ります。共産党の攻勢は1921年3月のザクセン地方における「三月行動」から始まり、ドイツ全土での革命的行動の誘発が企図されていました。しかし、政権側は戒厳令で対応してこれを抑え込み、そもそも共産党に呼応する労働者も少なく、共産党の党員数はこれ以後、急激に減少します。上述のように、カップ=リュトヴィッツ一揆の失敗後、右翼急進派は個別テロへと移行し、「三月行動」の失敗の後に激化していきます。テロ実行の右翼政治犯の多くは、州政府が右傾化し、住民の暴力が横行していたバイエルンへと逃げ込みました。また、ここまでの政治的殺人の多くは右翼側からでしたが、量刑は左翼側にひじょう厳しかったことが示されています。

 1923年、フランス軍とベルギー軍によるルール地方占領と記録的なインフレによって、ワイマル共和国は危機的状況を迎えます。ルール地方占領に対してドイツ国内では、右翼も左翼も一致して反対し、ヴェルサイユ条約での軍備制限によってフランス軍に対抗できないドイツは、ゼネストによって抵抗しますが、フランスによるルール地方の職場復帰しない職員の追放に対して、ワイマル共和国政府がルール地方への財政支援を行なうことで、財政が圧迫されていき、フランスへの石炭やコークスの供給停止で経済にも打撃となり、ワイマル共和国政府が紙幣を増刷したことで、超インフレが進行します。ワイマル共和国政府では政権が交代し、新政権はフランスへの消極的抵抗を中止し、新通貨を導入することで、インフレは終息していきます。ただ、これによって右傾化していたバイエルン州政府とワイマル共和国政府との対立が激化し、国防軍もバイエルン州政府に加担するような動きを見せます。この騒然とした状況で、共産党の武装蜂起が鎮圧され、1923年11月8日、ナチス党首のヒトラーが第一次世界大戦の軍事的英雄で右翼急進派の領袖だったルーデンドルフを擁立して武装蜂起しますが、このミュンヘン一揆は直ちに鎮圧されます。これによって右翼急進派の信用は失墜し、バイエルン州政府はワイマルに歩み寄り、ドイツの情勢は安定に向かいます。本書はこのミュンヘン一揆を、ドイツ革命から続いた体制転覆志向型暴力の最後の局面と位置づけています。

 上述のように、1924〜1929年のワイマル共和国は、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」とされ、政治と暴力との直接的結びつきはほぼ見られなくなり、社会保障制度が整備されていき、この期間の文化は「ワイマル文化」と呼ばれています。政治的には、この安定期の内閣は上述の4種類のうち「ブルジョア少数派内閣」もしくは「ブルジョア右派内閣」でした。この期間の内閣は、内政や外交に起因する閣内対立によって短命化しましたが、ある程度の連続性が維持されました。ただ、この期間に社会内部の対立が深刻化し、それに伴って党派対立の明確化も進行します。1925年の大統領選では、ワイマル共和国擁護派のヴィルヘルム・マルクス前首相が、反ワイマル共和国陣営によって擁立された第一次世界大戦の軍事的英雄であるパウル・フォン・ヒンデンブルクに敗れ、ワイマル共和国の政治史における画期となります。

 この相対的安定期で暴力が顕在化していく起点と本書が評価しているのは、ミュンヘン一揆によって禁止されたナチ党の再建です。釈放されたヒトラーは武装蜂起路線から合法路線に転換し、そのためには、ナチ党の武装組織であるナチス突撃隊(SA)を、少なくとも表面的には非武装化する必要がありましたが、ヒトラーにとって自立志向のあるSAの制御はずっと難問で、ついには政権獲得後の粛清につながります。ヒトラーは釈放されましたが、1925年2月27日のヒトラーの演説がワイマル共和国に敵対的だったため、バイエルンなどほとんどの州政府がヒトラーの公開集会での演説を禁じましたが、1927年頃からじょじょに解除されていきます。ヒトラーは収監されていたため、ナチ党の全権掌握には多少の時間を要しましたが、全権掌握の結果として、ナチ党はワイマル期の他の主要政党とは異なり、「個人商店」的性格を強く有するようになります。ヒトラーはドイツ全土に組織を構築し、ヒトラーを頂点とする垂直的構造とともに、社会集団および階層に応じた水平的構造も築いていきます。その結果、ナチ党にはさまざまな社会集団を包含する「国民政党」への可能性が開けてきます。ドイツでは20世紀初頭以降、街頭での政治的行為が活発化し、ナチスはそこに合法路線での権力獲得の道を見いだします。この時期、ナチスとともに共産党も、感覚に訴える街頭政治を主導していき、ナチスではゲッベルスが大きな役割を果たしました。ナチスにとって街頭政治で最も重要な活動は「行進」で、その主体はSAで、表面的には非武装化されていたものの、他の政治勢力との紛争などで、軍事組織的性格を示していました。ナチス集会も重視し、集会の後に参加者が街頭に繰り出すため、集会と行進は地続きの関係にありました。

 こうしたSAのような政治活動に軸足を置く準軍事組織が私的武装勢力の中心となり、他には、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団(騎士団)、ワイマル共和国擁護派の「国旗団─黒・赤・金」、共産党の赤色前線兵士同盟(RFB)が有力でした。こうした組織は、体制転覆志向型暴力を担っていたワイマルの前期の後、「相対的安定期」と言われる中期には存在価値が弱まり、組織の弱体化や解散が相次ぎ、そうした中からSAなどは試行錯誤して組織の改革による維持と大衆化による拡大を図っていき、政党からの自立性の高かった鉄兜団は国家国民党、騎士団は民主党との関係を強めます。これらの政治的な準軍事組織は、前期の体制転覆志向型暴力を抑制し、選挙や街頭での宣伝に努めます。SAはナチ党、RFBは共産党の実質的な政党軍でしたが、上述のようにSAの自立志向とその制御はヒトラーにとってずっと難問でした。1920年代後半の段階で、政治的な準軍事組織所属者の半数以上を国旗団と鉄兜団が占め、SAやRFBは少数派でしたが、戦闘性や急進性の点では、国旗団や鉄兜団や騎士団はSAやRFBと比較すると受動的でした。こうした政治的な準軍事組織の大衆化は、政治的暴力の「市中化」をもたらし、すでに「相対的安定期」から暴力事件が認められます。1925年1月から1926年11月までにベルリンでは政治的暴力事件が73例確認されており、ほとんどは左翼と右翼の対立で、上述のように党派対立型暴力と分類されていますが、共産党(RFB)と社会民主党(国旗団)の紛争もあります。左翼側の当事者はほぼすべて共産党でしたが、右翼側は多様でした。ただ、この73件のうち死者が出たのは1件だけで、多数の犠牲者が出た前期の体制転覆志向型暴力とは異なります。

 ベルリンでは左翼勢力(社会民主党と共産党)が強く、ナチスは左翼勢力から労働者の支持を奪うべく、SAを攻撃的な街宣活動に投入しましたが、もちろんナチスが常にそうした政治的暴力事件の当事者だったわけではなく、政党間の競合が背景にあるわけです。ただ、ベルリンでの知名度が低かったナチスは、暴力事件を起こして報道されることで、知名度を上げていく、とのゲッベルスの方針もあり、1927年3月にリヒターフェルデ東駅で起きた衝突で、SAから共産党員のいる車両への約40発の発砲があったことを、ベルリンの政治的暴力の状況を変える契機になったとして、本書は重視しています。これ以降、政治的暴力における銃器の使用が一般的になり、1930年代には日常化していきます。また、党派対立型暴力の一方の「主役」が、それまでの右翼諸組織からナチスに絞られていき、面目を失った警察が政治的暴力に対して厳格に対峙するようになります。ゲッベルスがベルリンに赴任した1926年11月から1928年末までは、1925年1月から1926年11月までと比較して、ナチスが政治的暴力の右翼側の当事者となる事例は増大します。ただ、ナチスも国旗団も鉄兜団も警察への攻撃は避けようとしたのに対して、共産党は、現場の警官に保守派が多く、共産主義に敵対的だったこともあり、警察への暴力行使が多くなっています。1929年のメーデーでは、社会民主党の指導層は警察権力に共産党に対して厳しい措置を取るよう命じており、元々この時期の共産党はコミンテルンの方針で社会民主党を「主要敵」とみなしていたこともあって、社会民主党と共産党の対立が深刻化していきます。この事件も、政治的暴力が過激化していく契機となります。

 こうして「相対的安定期」と呼ばれるワイマル共和国の中期後半には政治的暴力が過激化していき、一般的にワイマル共和国は世界恐慌の発生後(後期)に不安定化した、と言われていますが、すでに世界恐慌の前からその兆候はあったようです。ナチ党も、1929年6月のバイエルン州北部のコーブルク市議会選挙で過半数の議席を占め、同年11月のベルリン市議会選挙で得票率5.8%を獲得するなど、すでに世界恐慌の影響が拡大する前から躍進の兆候が見られました。とはいえ、ドイツは世界恐慌で経済的に大打撃を受けたわけで、政治的暴力を含めて社会全体への影響も当然甚大でした。ドイツでは、世界恐慌の深刻な影響によって政治が急進化します。1930年3月にミュラー内閣が社会民主党の非妥協的方針によって退陣したことは、ワイマル共和国の政治の転換点となり、大統領のヒンデンブルクは、憲法第53条の大統領による首相任命権を根拠に、ハインリヒ・ブリューニングを首相に任命し、これは国会での多数派形成ではなく憲法第48条の大統領非常大権に基づく大統領緊急令に依拠する、「大統領内閣」となります。1930年7月18日、ブリューニング内閣は大統領緊急令を無効とする決議が国会で可決されたため、国会を解散しましたが、この選挙でナチ党が大躍進します(前回の得票率2.6%で12議席から、得票率18.3%で107議席)、共産党も議席を増やしました(得票率は前回の10.6%から13.4%)。ナチ党は、社会民主党などの「老舗」政党に対して、「新しさ」で有権者を惹きつけ、多様な社会階層および集団から「万遍なく」支持を集めました。このような「国民政党」は、それまでのドイツには存在しなかった、との評価もあります。

 ブリューニング内閣は不況下において外交を優先し、そのためのデフレ政策を進め、国民生活はさらに窮乏化します。ブリューニング内閣は行き詰って退陣し、1932年6月、フランツ・フォン・パーペンが首相に任命されますが、ヒンデンブルク大統領の側近である国防相のクルト・フォン・シュライヒャーの傀儡でした。議会での基盤をほとんど有さないパーペンは、直前の大統領選で善戦したヒトラーを取り込もうとして、国会解散とブリューニング内閣の出したSA禁止令の廃止というヒトラーの要求を受け入れます。パーペン内閣は国会選挙中にプロイセン州で起きた「血の日曜日」事件を口実に、社会民主党を首班とするワイマル連合政府のプロイセン州に対する国家強制執行によって州政府を罷免し、社会民主党が無力化された点で、これはワイマル共和国の政治史における決定的な出来事だった、と本書は評価します。1932年7月の国会選挙では、ナチ党が前回の得票率18.3%で107議席から得票率37.3%で230議席と大躍進し、共産党も得票率が前回の13.1%から14.3%へと増加しました。ワイマル連合の議席占有率は34.9%まで低下し、左右両極の反ワイマル共和国政党(ナチ党と共産党)で過半数が占められることになりました。ただ本書は、この国会選挙の直近の州議会選挙での得票率が40%を超えていたことから、ナチ党の勢いが絶頂を過ぎつつあることも示唆していた、と本書は指摘します。ナチ党は、完全な権力掌握を目指して野党に留まるか、それとも政権に参加するか、選択を迫られ、パーペン内閣からの政権参加への打診にもヒトラーは首相職を要求し、交渉は決裂します。

 世界恐慌の影響が深刻化していったこの期間、ベルリンでは党派対立型暴力が急増し、さらに急進化したSAとナチ党指導部との軋轢が深まり、ヒトラーは急進派の助命措置によって、ナチ党指導部のSAに対する優位を強化しますが、根本的な解決には至らなかったようで、政権獲得後のSA粛清につながります。こうしたSAの急進化もあり、政治的暴力は「相対的安定期」よりも深刻化し、1931年には、政治的暴力によって、プロイセン州全体では105人(このうちナチスが51人)、ベルリンでは18人が死亡しています。この状況は1932年にはさらに悪化し、上半期だけでさえ、政治的暴力によってプロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が死亡し、国会選挙が行なわれた同年7月には、ある統計では、プロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が政治的暴力によって死亡しました。この政治的暴力には主要な準軍事組織すべてが関わっており、その中心はナチスと共産党で、銃器による襲撃も常態化し、武器が市中に氾濫していました。こうした政治的暴力が起きるのは、政敵の集会に参加した場合や、街頭での政治活動の場合でした。ただ本書は、世界恐慌後に「相対的安定期」よりも政治的暴力が激化したとはいえ、敵を殲滅するまで暴力を振るう意図が弱かったことは、「相対的安定期」から一貫していた、と指摘します。

 こうした政治的暴力の激化において、政党指導層からの指示だけではなく、ワイマル期の社会全体における暴力の潜在性との観点から、社会の末端水準にも本書は注目します。ベルリンでは草の根の水準で「縄張り主義」が政治的街頭闘争を特徴づけており、さらには、たとえば共産党の牙城だった地区へのナチスの浸透により、そうした地区内の安定性が低下し、暴力として発現することも本書は指摘します。「縄張り主義」と、それを支えていた地区内の不安定化によって、政治的暴力は日常化していったわけです。こうした政治的暴力の日常化の背景には、ドイツでは帝政期において酒場が社会主義運動の拠点になっていたこともありました。ただ、帝政期とワイマル期では政治的酒場の性格に変化もあり、帝政期には階級的に同質化していたのに対して、ワイマル期には政治的イデオロギーで均質化されており、集会や会合の場となりました。さらに、世界恐慌後には、店主にとってまとまった売上を見込める政治的酒場への転換は魅力的な選択肢となり、これも政治的暴力の日常化につながったようです。店主が政治的立場を変えることもあり、それが暴力沙汰の原因になりました。

 1932年11月、同一年で2回目となる国会選挙で、ナチ党は34議席減となります。これは、直前のベルリン交通会社(BVG)ストライキをナチ党が支持したことで、労働者から新たに支持を獲得したと思われるものの、ブルジョア層からの離反の方が大きかったからではないか、と推測されています。一方で、共産党は議席数を89から100へと増やし、社会民主党の121議席に迫りました。新内閣をめぐる政界有力者の駆け引きの中で、ヒトラーは首相就任を要求したもののヒンデンブルク大統領に拒否され、パーペンはシュライヒャーに見放されて組閣を諦め、シュライヒャーが首相に任命されます。シュライヒャー内閣の陣容はパーペン内閣とほぼ同じでしたが、シュライヒャーはパーペン内閣の失敗から、権威主義的な大統領内閣でも、大衆的基盤なしの政権運営は難しいと認識しており、左翼からナチスまでの、労働組合を軸とする、広範な政治的結集を企図します。シュライヒャーは「ナチス左派(シュトラッサー派)」との連携を試みますが、首相職に拘るヒトラーはグレゴール・シュトラッサーを追放します。シュライヒャーは大衆的基盤の構築に失敗し、産業界や大農場主からも批判され、パーペンの暗躍もあって、退陣に追い込まれます。ヒンデンブルク大統領はパーペンに説得され、1933年1月30日、ヒトラーが首相に任命されます。

 ナチ党の政権参加を推進した保守派は、ヒトラーを囲い込み、ナチスを飼い慣らすことが可能と考えていました。しかし、首相に就任したヒトラーは、ワイマル共和国の政治的および社会的秩序の転覆を一気呵成に進め、社会民主党や共産党も含めて政治的反対派を徹底的に排除していきます。プロイセンでは、内相のヘルマン・ゲーリングによって警察機構のナチス化が進みます。ヒトラーは経済界の代表に、マルクス主義の根絶と、権威主義的で反民主主義的で親起業家的な国家建設を訴え、半強制的に選挙活動資金の支援を約束させます。1933年2月27日の国会議事堂炎上事件を口実に、ヒトラー内閣は左翼系勢力の本格的弾圧に乗り出しますが、それでも、その翌月5日の国会選挙では、ナチ党単独での過半数獲得には至りませんでした。しかし、ヒトラーは1933年3月8日、共産党議員81名の議席を剥奪して議会の2/3を「確保」したうえで、同月23日、国会で「授権法(全権委任法)」と呼ばれる「国民と国家の危難を除去するための法」が可決されました。これによって、内閣(行政府)に立法権が付与され、内閣の立法が憲法に違反することも可能となりました。その後、地方分権(連邦主義)の破壊と中央政府への権力集中も実行され、1933年4月7日の「職業官吏再建法」で共産党や社会民主党の支持者およびユダヤ人が公職から追放されました。労働組合も弾圧され、ナチ党付属団体であるドイツ労働戦線(DAF)が結成されました。他の多くの職業分野でも、ナチ党付属団体による組織化が進められました。政党や鉄兜団などの諸団体は解散に追い込まれ、1933年7月上旬時点で、ドイツの政党はナチ党のみとなり、同月14日の「政党新設禁止法」で、ナチ党の一党支配体制が成立し、ワイマル憲法が規定する統治体制は、形骸化した憲法を残してほぼ消滅します。1934年8月2日にヒンデンブルク大統領が死去すると、「ドイツ国元首に関する法」に基づいて、ヒトラーが大統領首相を統合した「総統およびドイツ国首相」に就任し、ドイツは絶対的指導者であるヒトラーがすべての責任を負う「総統国家」となりました。

 ナチスが政権を掌握すると、主要な政治的暴力は党派対立型から国家テロ型へと移行します。SAやナチス親衛隊(SS)など「政府を支持する用意のある組織や政党」に所属する5万人が、1933年2月22日に補助警察官に任命され、このうち半数がSA、30%がSS、20%が鉄兜団で、ベルリンだけで補助警察官が2万人近くいました。国家権力を背景としたSAの一方的な暴力が横行し、本書はこれを「国家テロ型暴力」と定義します。この政治的暴力は相手の殺害も厭わない残忍なもので、ワイマル共和国の中期や後期とは質的に異なっており、「下からの」街頭での政敵への統制されていない専横的暴力と、強制収容所を基盤に体系的に行使される「上からの」暴力に区分されています。そうした「下からの暴力」では、酒場が臨時の収容所とされることもあり、共産党系の酒場の店主の中には、転向してヒトラー政権への歓迎を示す者もいました。こうした「下からの暴力」に支えられて、ナチ体制は強化されていった、と評価されています。ただ、SAはさらに急進化し、「第二革命」を主張するようになり、1934年6月30日、SAは粛清され、SA幕僚長のエルンスト・レームは殺害されました。この粛清で、ヒトラーにとって「好ましからざる人物」だった、「ナチス左派」のグレゴール・シュトラッサーや、「ナチス左派」とかつて提携しようとしたシュライヒャー前首相も殺害されました。SAの暴力を忌避していた人は多く、この粛清はドイツでは好意的に受け止められ、ヒトラーの声望は高まります。SAの粛清後、ハインリヒ・ヒムラーを全国指導者とするSSがナチ党の暴力装置の中核となっていきます。

 本書は、ワイマル共和国において政治的暴力は特定の集団や個人の特異な現象ではなく、左翼から右翼に至るまで暴力を忌避しない政治文化が広がり、「暴力の政治化」もしくは「政治の暴力化」とも言うべき状況が生まれていた、と指摘します。ワイマル共和国の公共的な議論において政治に暴力が入り込むことへの批判や異議はきわめて弱く、暴力への批判は常に党派性を帯びていたわけです。社会が政治的暴力に慣れ、それを許容し始めると、政治と暴力が結びつく異常さへの間隔は麻痺していき、政治的暴力は継続的負荷となってワイマル共和国の政治的および社会的安定性を動揺させた、との見通しを本書は提示しています。こうした見通しにおいて本書は、ワイマル共和国からナチ体制への転換を連続性の観点から把握しなおす必要があるだろう、と提言します。ワイマル共和国には暴力との親和性が内包されており、ヒトラー内閣成立直後からの政敵への激しい暴力とつながっているところもある、というわけです。

 本書は最後に、身体的暴力が言語的暴力に置き換えられ、街頭がインターネット、とくにSNS空間に移っただけで、ワイマル共和国の歴史は決して「遠い昔」や「遠い場所」の話ではない、と指摘します。確かに、日本も含めて現在の政治状況はとても楽観視できません。ただ、一日本人として思うのは、まず、身体的暴力と言語的暴力の違いはやはり大きく、それは街頭政治とSNS空間も同様である、ということです。これは、身体的暴力が言語的暴力よりも、街頭政治がSNS空間よりも危険であることを意味しているのではなく、また違った危険性があるのではないか、と私は考えています。次に、ワイマル共和国と現在の日本を比較すると、詳しく調べていませんが、人口動態に大きな違いがあるはずで、ワイマル共和国の方が若い世代の割合はずっと高いでしょうから、これが身体的暴力と結びつきやすかった可能性はあると思います。さらに、ワイマル共和国のドイツは、徴兵などでの軍隊経験者が現在の日本よりずっと多かったでしょうし、第一次世界大戦での敗戦による軍備制限のため、元職業軍人も多かったでしょうから、この点でも身体的暴力が受け入れられやすい素地があったように思います。これらの点で現代日本はワイマル共和国と大きく異なっており、もちろんワイマル共和国は現代日本社会にとっても重要な教訓となりますが、現在、さらには今後の日本の危機は、ワイマル共和国が経験したものと大きく異なる可能性が高そうで、単純にワイマル共和国の事例を当てはめてはならないでしょう(もちろん、本書はそんな単純なことを主張していませんが)。現在の日本は、一定以上の規模の集団において人類史上初めて迎える少子高齢化社会だと思うので、さまざまな危機をどう回避するのか、対策を立てにくいところもあるのではないか、と昔から考えています。
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c61

[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
33. 中川隆[-6339] koaQ7Jey 2025年6月12日 01:00:34 : C0KKCKk7wE : aFUyYXFsL3JXNWM=[3]
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雑記帳 2025年06月07日
原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html

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 集英社新書の一冊として、集英社より2024年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はワイマル(ヴァイマル)期のドイツ政治を暴力の観点から検証し、ナチ党台頭と政権獲得に至る前提について考察しています。ワイマル期は三区分されることが多く、暴力的な内戦状況が続いた「戦後混乱期」である前期(1918〜1923年)、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」である中期(1924〜1929年)、世界恐慌を契機に政治と経済と社会が再び混乱状況となり、ナチスが台頭した後期(1930〜1933年)です。本書は、この中期と後期において、政治的暴力が社会に深く入り込み、常態化していたことを重視し、それがワイマル共和国の政治的安定性を動揺させたのではないか、との見通しで、ベルリンを中心に一般国民の視点も取り入れて、ワイマル期のドイツを検証します。

 ただ本書は、ワイマル共和国の前期と中期および後期ではおもな政治的暴力の種類が異なる、と指摘します。前期では成立したばかりの議会主義体制の打倒を狙った、右翼や左翼の急進的反共和国勢力が体制(公権力)に向けて暴力を行使し、その反作用として体制側から反共和国勢力に対して暴力が行使されており、本書では「体制転覆志向型暴力」と呼ばれています。中期および後期では、敵対する党派間で暴力が行使され、体制は党派間の暴力の監視および抑制の役割を担っており、本書では「党派対立型暴力」と呼ばれています。この暴力の主体となった党派は、ナチ党とその武装組織であるナチス突撃隊(SA)、共産党とその武装組織である赤色前線兵士同盟(RFB)やその後継組織、社会民主党を中心とする共和国擁護派の国旗団、右翼の鉄兜団などです。

 ワイマル共和国は、第一次世界大戦でのドイツの敗北の結果として成立します。ワイマル共和国前期は、さらに複数の局面に区分されています。第一期は、ドイツ革命とその余波が続いた1918年11月から1919年春で、左翼革命勢力と反革命勢力の闘争が中心となります。第二期は、1920年春に発生したカップ=リュトヴィッツ一揆とそれに続くルール地方での闘争段階です。第三期は、「三月行動」と呼ばれる共産党の蜂起と、急進的右翼による政治的暗殺が横行した1921年春から1922年です。最後の第四期は、フランスとベルギーによるルール地方占領に対するドイツ側の武装闘争に始まる1923年の緊迫した状況で、共産党の「ドイツの十月」やナチスのミュンヘン一揆が発生した秋に、緊張は頂点に達します。

 本書はまず、ドイツ革命の推移を開設し、軍部の議会主義体制移行を図る社会民主党など政党勢力への不満、共和制支持者の間の分裂と深刻な対立など、すでにワイマル共和国を決定づける対立の萌芽が見られることを指摘します。ドイツ革命初期の1918年11月において、全体的に大規模な暴力はありませんでしたが、翌月にはベルリンで流血の事態が発生するようになります。そうした混乱の中でも、1919年1月19日には国民議会選挙が実施され、多くの国民が穏健な改革を支持していることは明らかな結果だった、と本書は評価します。1919年2月6日、国民議会は混乱するベルリンを避け、中部の小都市ワイマルに召集され、社会民主党と中央党と進歩人民党(民主党)の「ワイマル連合」が形成されます。これに左翼急進派が不満を抱き、ドイツ各地へと騒乱が拡大しますが、1919年春にはおおむね鎮静化します。ただ、これによってワイマル共和国の秩序維持で国防軍への依存度が高まります。

 右翼急進派は、ヴェルサイユ条約がドイツにとってあまりにも過酷と受け取られたことから、対ドイツ強硬派のフランスだけではなく、ワイマル共和国政府への不満も高めます。第一次世界大戦でのドイツの敗戦が、ドイツ国内での戦闘がない段階でのことだっただけに、敗戦の実感を持てない国民も多くいたようで、銃後(国内)からの一刺し(裏切り)がドイツを敗戦に追い込んだ、との「匕首伝説」が広がることになりました。1919年6月28日のヴェルサイユ条約調印後、翌月31日には新憲法となる「ドイツ国憲法(ワイマル憲法)」が国民議会で採択され、翌月(8月)14日に発効します。ワイマル憲法は当時、最も民主的な憲法と呼ばれました。

 1920年3月13日に、ワイマル共和国政府の転覆と新政権樹立を企図したカップ=リュトヴィッツ一揆が発生すると、支持したのは国防軍でも一部の部隊だけで、国民議会内のほぼすべての政党が反対を表明したので、この蜂起は1週間も経たずに失敗に終わります。この失敗を見た右翼急進派は、ワイマル共和国に対する軍事的蜂起が困難だと認識し、秘密結社化して政府要人を狙った個別テロ行為へと移っていきます。左翼側もカップ=リュトヴィッツ一揆を契機に急進化していき、国防軍との間の武力衝突で犠牲者が増えていきます。これ以降、ワイマル共和国への左右両方からの攻撃が激化します。

 この状況下で1920年6月6日にワイマル憲法下において初の国会選挙が実施され、それまで国民議会で3/4を占めていたワイマル連合は大きく議席を減らし(得票率では76.1%から43.6%への低下)、ワイマル共和国に懐疑的な国家国民党や国民党や急進的な独立社会民主党が躍進しました。政治志向の区分での得票率の比較は、ブルジョア・プロテスタント(国家国民党と国民党と民主党)は33.2%から37.3%、カトリック(中央党とバイエルン国民党)は19.7%から18.0%、左翼(社会民主党と独立社会民主党と共産党)45.5%から41.7%で、政治志向は全体的に変わらなかったものの、共和国擁護派から批判派へと票が移動したわけです。この選挙の結果、ワイマル共和国では連立政権が不安定な政権運営を余儀なくされ、政権が短命化し、最大勢力だった社会民主党の野党化が進行します。ワイマル共和国の議会政治における連立パターンは4種類あり、それは、(1)共和国擁護派3党(社会民主党と中央党と民主党)による「ワイマル連合内閣」、(2)中道諸政党による「ブルジョア少数派内閣」、(3)中道諸政党と国家国民党による「ブルジョア右派内閣」、(4)中道諸政党と社会民主党による「大連合内閣」です。議席数で最も安定する(4)は、外交政策では一致可能でも、労使関係から内政での対立が顕著でした。(3)は内政での合意は容易でしたが、右派の強硬な反対に曝されます。(1)は共和国前期のみに存在しました。

 選挙後に独立社会民主党は分裂し、左派が共産党と合体して、勢力が拡大した共産党は急進的な行動へと移ります。共産党の攻勢は1921年3月のザクセン地方における「三月行動」から始まり、ドイツ全土での革命的行動の誘発が企図されていました。しかし、政権側は戒厳令で対応してこれを抑え込み、そもそも共産党に呼応する労働者も少なく、共産党の党員数はこれ以後、急激に減少します。上述のように、カップ=リュトヴィッツ一揆の失敗後、右翼急進派は個別テロへと移行し、「三月行動」の失敗の後に激化していきます。テロ実行の右翼政治犯の多くは、州政府が右傾化し、住民の暴力が横行していたバイエルンへと逃げ込みました。また、ここまでの政治的殺人の多くは右翼側からでしたが、量刑は左翼側にひじょう厳しかったことが示されています。

 1923年、フランス軍とベルギー軍によるルール地方占領と記録的なインフレによって、ワイマル共和国は危機的状況を迎えます。ルール地方占領に対してドイツ国内では、右翼も左翼も一致して反対し、ヴェルサイユ条約での軍備制限によってフランス軍に対抗できないドイツは、ゼネストによって抵抗しますが、フランスによるルール地方の職場復帰しない職員の追放に対して、ワイマル共和国政府がルール地方への財政支援を行なうことで、財政が圧迫されていき、フランスへの石炭やコークスの供給停止で経済にも打撃となり、ワイマル共和国政府が紙幣を増刷したことで、超インフレが進行します。ワイマル共和国政府では政権が交代し、新政権はフランスへの消極的抵抗を中止し、新通貨を導入することで、インフレは終息していきます。ただ、これによって右傾化していたバイエルン州政府とワイマル共和国政府との対立が激化し、国防軍もバイエルン州政府に加担するような動きを見せます。この騒然とした状況で、共産党の武装蜂起が鎮圧され、1923年11月8日、ナチス党首のヒトラーが第一次世界大戦の軍事的英雄で右翼急進派の領袖だったルーデンドルフを擁立して武装蜂起しますが、このミュンヘン一揆は直ちに鎮圧されます。これによって右翼急進派の信用は失墜し、バイエルン州政府はワイマルに歩み寄り、ドイツの情勢は安定に向かいます。本書はこのミュンヘン一揆を、ドイツ革命から続いた体制転覆志向型暴力の最後の局面と位置づけています。

 上述のように、1924〜1929年のワイマル共和国は、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」とされ、政治と暴力との直接的結びつきはほぼ見られなくなり、社会保障制度が整備されていき、この期間の文化は「ワイマル文化」と呼ばれています。政治的には、この安定期の内閣は上述の4種類のうち「ブルジョア少数派内閣」もしくは「ブルジョア右派内閣」でした。この期間の内閣は、内政や外交に起因する閣内対立によって短命化しましたが、ある程度の連続性が維持されました。ただ、この期間に社会内部の対立が深刻化し、それに伴って党派対立の明確化も進行します。1925年の大統領選では、ワイマル共和国擁護派のヴィルヘルム・マルクス前首相が、反ワイマル共和国陣営によって擁立された第一次世界大戦の軍事的英雄であるパウル・フォン・ヒンデンブルクに敗れ、ワイマル共和国の政治史における画期となります。

 この相対的安定期で暴力が顕在化していく起点と本書が評価しているのは、ミュンヘン一揆によって禁止されたナチ党の再建です。釈放されたヒトラーは武装蜂起路線から合法路線に転換し、そのためには、ナチ党の武装組織であるナチス突撃隊(SA)を、少なくとも表面的には非武装化する必要がありましたが、ヒトラーにとって自立志向のあるSAの制御はずっと難問で、ついには政権獲得後の粛清につながります。ヒトラーは釈放されましたが、1925年2月27日のヒトラーの演説がワイマル共和国に敵対的だったため、バイエルンなどほとんどの州政府がヒトラーの公開集会での演説を禁じましたが、1927年頃からじょじょに解除されていきます。ヒトラーは収監されていたため、ナチ党の全権掌握には多少の時間を要しましたが、全権掌握の結果として、ナチ党はワイマル期の他の主要政党とは異なり、「個人商店」的性格を強く有するようになります。ヒトラーはドイツ全土に組織を構築し、ヒトラーを頂点とする垂直的構造とともに、社会集団および階層に応じた水平的構造も築いていきます。その結果、ナチ党にはさまざまな社会集団を包含する「国民政党」への可能性が開けてきます。ドイツでは20世紀初頭以降、街頭での政治的行為が活発化し、ナチスはそこに合法路線での権力獲得の道を見いだします。この時期、ナチスとともに共産党も、感覚に訴える街頭政治を主導していき、ナチスではゲッベルスが大きな役割を果たしました。ナチスにとって街頭政治で最も重要な活動は「行進」で、その主体はSAで、表面的には非武装化されていたものの、他の政治勢力との紛争などで、軍事組織的性格を示していました。ナチス集会も重視し、集会の後に参加者が街頭に繰り出すため、集会と行進は地続きの関係にありました。

 こうしたSAのような政治活動に軸足を置く準軍事組織が私的武装勢力の中心となり、他には、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団(騎士団)、ワイマル共和国擁護派の「国旗団─黒・赤・金」、共産党の赤色前線兵士同盟(RFB)が有力でした。こうした組織は、体制転覆志向型暴力を担っていたワイマルの前期の後、「相対的安定期」と言われる中期には存在価値が弱まり、組織の弱体化や解散が相次ぎ、そうした中からSAなどは試行錯誤して組織の改革による維持と大衆化による拡大を図っていき、政党からの自立性の高かった鉄兜団は国家国民党、騎士団は民主党との関係を強めます。これらの政治的な準軍事組織は、前期の体制転覆志向型暴力を抑制し、選挙や街頭での宣伝に努めます。SAはナチ党、RFBは共産党の実質的な政党軍でしたが、上述のようにSAの自立志向とその制御はヒトラーにとってずっと難問でした。1920年代後半の段階で、政治的な準軍事組織所属者の半数以上を国旗団と鉄兜団が占め、SAやRFBは少数派でしたが、戦闘性や急進性の点では、国旗団や鉄兜団や騎士団はSAやRFBと比較すると受動的でした。こうした政治的な準軍事組織の大衆化は、政治的暴力の「市中化」をもたらし、すでに「相対的安定期」から暴力事件が認められます。1925年1月から1926年11月までにベルリンでは政治的暴力事件が73例確認されており、ほとんどは左翼と右翼の対立で、上述のように党派対立型暴力と分類されていますが、共産党(RFB)と社会民主党(国旗団)の紛争もあります。左翼側の当事者はほぼすべて共産党でしたが、右翼側は多様でした。ただ、この73件のうち死者が出たのは1件だけで、多数の犠牲者が出た前期の体制転覆志向型暴力とは異なります。

 ベルリンでは左翼勢力(社会民主党と共産党)が強く、ナチスは左翼勢力から労働者の支持を奪うべく、SAを攻撃的な街宣活動に投入しましたが、もちろんナチスが常にそうした政治的暴力事件の当事者だったわけではなく、政党間の競合が背景にあるわけです。ただ、ベルリンでの知名度が低かったナチスは、暴力事件を起こして報道されることで、知名度を上げていく、とのゲッベルスの方針もあり、1927年3月にリヒターフェルデ東駅で起きた衝突で、SAから共産党員のいる車両への約40発の発砲があったことを、ベルリンの政治的暴力の状況を変える契機になったとして、本書は重視しています。これ以降、政治的暴力における銃器の使用が一般的になり、1930年代には日常化していきます。また、党派対立型暴力の一方の「主役」が、それまでの右翼諸組織からナチスに絞られていき、面目を失った警察が政治的暴力に対して厳格に対峙するようになります。ゲッベルスがベルリンに赴任した1926年11月から1928年末までは、1925年1月から1926年11月までと比較して、ナチスが政治的暴力の右翼側の当事者となる事例は増大します。ただ、ナチスも国旗団も鉄兜団も警察への攻撃は避けようとしたのに対して、共産党は、現場の警官に保守派が多く、共産主義に敵対的だったこともあり、警察への暴力行使が多くなっています。1929年のメーデーでは、社会民主党の指導層は警察権力に共産党に対して厳しい措置を取るよう命じており、元々この時期の共産党はコミンテルンの方針で社会民主党を「主要敵」とみなしていたこともあって、社会民主党と共産党の対立が深刻化していきます。この事件も、政治的暴力が過激化していく契機となります。

 こうして「相対的安定期」と呼ばれるワイマル共和国の中期後半には政治的暴力が過激化していき、一般的にワイマル共和国は世界恐慌の発生後(後期)に不安定化した、と言われていますが、すでに世界恐慌の前からその兆候はあったようです。ナチ党も、1929年6月のバイエルン州北部のコーブルク市議会選挙で過半数の議席を占め、同年11月のベルリン市議会選挙で得票率5.8%を獲得するなど、すでに世界恐慌の影響が拡大する前から躍進の兆候が見られました。とはいえ、ドイツは世界恐慌で経済的に大打撃を受けたわけで、政治的暴力を含めて社会全体への影響も当然甚大でした。ドイツでは、世界恐慌の深刻な影響によって政治が急進化します。1930年3月にミュラー内閣が社会民主党の非妥協的方針によって退陣したことは、ワイマル共和国の政治の転換点となり、大統領のヒンデンブルクは、憲法第53条の大統領による首相任命権を根拠に、ハインリヒ・ブリューニングを首相に任命し、これは国会での多数派形成ではなく憲法第48条の大統領非常大権に基づく大統領緊急令に依拠する、「大統領内閣」となります。1930年7月18日、ブリューニング内閣は大統領緊急令を無効とする決議が国会で可決されたため、国会を解散しましたが、この選挙でナチ党が大躍進します(前回の得票率2.6%で12議席から、得票率18.3%で107議席)、共産党も議席を増やしました(得票率は前回の10.6%から13.4%)。ナチ党は、社会民主党などの「老舗」政党に対して、「新しさ」で有権者を惹きつけ、多様な社会階層および集団から「万遍なく」支持を集めました。このような「国民政党」は、それまでのドイツには存在しなかった、との評価もあります。

 ブリューニング内閣は不況下において外交を優先し、そのためのデフレ政策を進め、国民生活はさらに窮乏化します。ブリューニング内閣は行き詰って退陣し、1932年6月、フランツ・フォン・パーペンが首相に任命されますが、ヒンデンブルク大統領の側近である国防相のクルト・フォン・シュライヒャーの傀儡でした。議会での基盤をほとんど有さないパーペンは、直前の大統領選で善戦したヒトラーを取り込もうとして、国会解散とブリューニング内閣の出したSA禁止令の廃止というヒトラーの要求を受け入れます。パーペン内閣は国会選挙中にプロイセン州で起きた「血の日曜日」事件を口実に、社会民主党を首班とするワイマル連合政府のプロイセン州に対する国家強制執行によって州政府を罷免し、社会民主党が無力化された点で、これはワイマル共和国の政治史における決定的な出来事だった、と本書は評価します。1932年7月の国会選挙では、ナチ党が前回の得票率18.3%で107議席から得票率37.3%で230議席と大躍進し、共産党も得票率が前回の13.1%から14.3%へと増加しました。ワイマル連合の議席占有率は34.9%まで低下し、左右両極の反ワイマル共和国政党(ナチ党と共産党)で過半数が占められることになりました。ただ本書は、この国会選挙の直近の州議会選挙での得票率が40%を超えていたことから、ナチ党の勢いが絶頂を過ぎつつあることも示唆していた、と本書は指摘します。ナチ党は、完全な権力掌握を目指して野党に留まるか、それとも政権に参加するか、選択を迫られ、パーペン内閣からの政権参加への打診にもヒトラーは首相職を要求し、交渉は決裂します。

 世界恐慌の影響が深刻化していったこの期間、ベルリンでは党派対立型暴力が急増し、さらに急進化したSAとナチ党指導部との軋轢が深まり、ヒトラーは急進派の助命措置によって、ナチ党指導部のSAに対する優位を強化しますが、根本的な解決には至らなかったようで、政権獲得後のSA粛清につながります。こうしたSAの急進化もあり、政治的暴力は「相対的安定期」よりも深刻化し、1931年には、政治的暴力によって、プロイセン州全体では105人(このうちナチスが51人)、ベルリンでは18人が死亡しています。この状況は1932年にはさらに悪化し、上半期だけでさえ、政治的暴力によってプロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が死亡し、国会選挙が行なわれた同年7月には、ある統計では、プロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が政治的暴力によって死亡しました。この政治的暴力には主要な準軍事組織すべてが関わっており、その中心はナチスと共産党で、銃器による襲撃も常態化し、武器が市中に氾濫していました。こうした政治的暴力が起きるのは、政敵の集会に参加した場合や、街頭での政治活動の場合でした。ただ本書は、世界恐慌後に「相対的安定期」よりも政治的暴力が激化したとはいえ、敵を殲滅するまで暴力を振るう意図が弱かったことは、「相対的安定期」から一貫していた、と指摘します。

 こうした政治的暴力の激化において、政党指導層からの指示だけではなく、ワイマル期の社会全体における暴力の潜在性との観点から、社会の末端水準にも本書は注目します。ベルリンでは草の根の水準で「縄張り主義」が政治的街頭闘争を特徴づけており、さらには、たとえば共産党の牙城だった地区へのナチスの浸透により、そうした地区内の安定性が低下し、暴力として発現することも本書は指摘します。「縄張り主義」と、それを支えていた地区内の不安定化によって、政治的暴力は日常化していったわけです。こうした政治的暴力の日常化の背景には、ドイツでは帝政期において酒場が社会主義運動の拠点になっていたこともありました。ただ、帝政期とワイマル期では政治的酒場の性格に変化もあり、帝政期には階級的に同質化していたのに対して、ワイマル期には政治的イデオロギーで均質化されており、集会や会合の場となりました。さらに、世界恐慌後には、店主にとってまとまった売上を見込める政治的酒場への転換は魅力的な選択肢となり、これも政治的暴力の日常化につながったようです。店主が政治的立場を変えることもあり、それが暴力沙汰の原因になりました。

 1932年11月、同一年で2回目となる国会選挙で、ナチ党は34議席減となります。これは、直前のベルリン交通会社(BVG)ストライキをナチ党が支持したことで、労働者から新たに支持を獲得したと思われるものの、ブルジョア層からの離反の方が大きかったからではないか、と推測されています。一方で、共産党は議席数を89から100へと増やし、社会民主党の121議席に迫りました。新内閣をめぐる政界有力者の駆け引きの中で、ヒトラーは首相就任を要求したもののヒンデンブルク大統領に拒否され、パーペンはシュライヒャーに見放されて組閣を諦め、シュライヒャーが首相に任命されます。シュライヒャー内閣の陣容はパーペン内閣とほぼ同じでしたが、シュライヒャーはパーペン内閣の失敗から、権威主義的な大統領内閣でも、大衆的基盤なしの政権運営は難しいと認識しており、左翼からナチスまでの、労働組合を軸とする、広範な政治的結集を企図します。シュライヒャーは「ナチス左派(シュトラッサー派)」との連携を試みますが、首相職に拘るヒトラーはグレゴール・シュトラッサーを追放します。シュライヒャーは大衆的基盤の構築に失敗し、産業界や大農場主からも批判され、パーペンの暗躍もあって、退陣に追い込まれます。ヒンデンブルク大統領はパーペンに説得され、1933年1月30日、ヒトラーが首相に任命されます。

 ナチ党の政権参加を推進した保守派は、ヒトラーを囲い込み、ナチスを飼い慣らすことが可能と考えていました。しかし、首相に就任したヒトラーは、ワイマル共和国の政治的および社会的秩序の転覆を一気呵成に進め、社会民主党や共産党も含めて政治的反対派を徹底的に排除していきます。プロイセンでは、内相のヘルマン・ゲーリングによって警察機構のナチス化が進みます。ヒトラーは経済界の代表に、マルクス主義の根絶と、権威主義的で反民主主義的で親起業家的な国家建設を訴え、半強制的に選挙活動資金の支援を約束させます。1933年2月27日の国会議事堂炎上事件を口実に、ヒトラー内閣は左翼系勢力の本格的弾圧に乗り出しますが、それでも、その翌月5日の国会選挙では、ナチ党単独での過半数獲得には至りませんでした。しかし、ヒトラーは1933年3月8日、共産党議員81名の議席を剥奪して議会の2/3を「確保」したうえで、同月23日、国会で「授権法(全権委任法)」と呼ばれる「国民と国家の危難を除去するための法」が可決されました。これによって、内閣(行政府)に立法権が付与され、内閣の立法が憲法に違反することも可能となりました。その後、地方分権(連邦主義)の破壊と中央政府への権力集中も実行され、1933年4月7日の「職業官吏再建法」で共産党や社会民主党の支持者およびユダヤ人が公職から追放されました。労働組合も弾圧され、ナチ党付属団体であるドイツ労働戦線(DAF)が結成されました。他の多くの職業分野でも、ナチ党付属団体による組織化が進められました。政党や鉄兜団などの諸団体は解散に追い込まれ、1933年7月上旬時点で、ドイツの政党はナチ党のみとなり、同月14日の「政党新設禁止法」で、ナチ党の一党支配体制が成立し、ワイマル憲法が規定する統治体制は、形骸化した憲法を残してほぼ消滅します。1934年8月2日にヒンデンブルク大統領が死去すると、「ドイツ国元首に関する法」に基づいて、ヒトラーが大統領首相を統合した「総統およびドイツ国首相」に就任し、ドイツは絶対的指導者であるヒトラーがすべての責任を負う「総統国家」となりました。

 ナチスが政権を掌握すると、主要な政治的暴力は党派対立型から国家テロ型へと移行します。SAやナチス親衛隊(SS)など「政府を支持する用意のある組織や政党」に所属する5万人が、1933年2月22日に補助警察官に任命され、このうち半数がSA、30%がSS、20%が鉄兜団で、ベルリンだけで補助警察官が2万人近くいました。国家権力を背景としたSAの一方的な暴力が横行し、本書はこれを「国家テロ型暴力」と定義します。この政治的暴力は相手の殺害も厭わない残忍なもので、ワイマル共和国の中期や後期とは質的に異なっており、「下からの」街頭での政敵への統制されていない専横的暴力と、強制収容所を基盤に体系的に行使される「上からの」暴力に区分されています。そうした「下からの暴力」では、酒場が臨時の収容所とされることもあり、共産党系の酒場の店主の中には、転向してヒトラー政権への歓迎を示す者もいました。こうした「下からの暴力」に支えられて、ナチ体制は強化されていった、と評価されています。ただ、SAはさらに急進化し、「第二革命」を主張するようになり、1934年6月30日、SAは粛清され、SA幕僚長のエルンスト・レームは殺害されました。この粛清で、ヒトラーにとって「好ましからざる人物」だった、「ナチス左派」のグレゴール・シュトラッサーや、「ナチス左派」とかつて提携しようとしたシュライヒャー前首相も殺害されました。SAの暴力を忌避していた人は多く、この粛清はドイツでは好意的に受け止められ、ヒトラーの声望は高まります。SAの粛清後、ハインリヒ・ヒムラーを全国指導者とするSSがナチ党の暴力装置の中核となっていきます。

 本書は、ワイマル共和国において政治的暴力は特定の集団や個人の特異な現象ではなく、左翼から右翼に至るまで暴力を忌避しない政治文化が広がり、「暴力の政治化」もしくは「政治の暴力化」とも言うべき状況が生まれていた、と指摘します。ワイマル共和国の公共的な議論において政治に暴力が入り込むことへの批判や異議はきわめて弱く、暴力への批判は常に党派性を帯びていたわけです。社会が政治的暴力に慣れ、それを許容し始めると、政治と暴力が結びつく異常さへの間隔は麻痺していき、政治的暴力は継続的負荷となってワイマル共和国の政治的および社会的安定性を動揺させた、との見通しを本書は提示しています。こうした見通しにおいて本書は、ワイマル共和国からナチ体制への転換を連続性の観点から把握しなおす必要があるだろう、と提言します。ワイマル共和国には暴力との親和性が内包されており、ヒトラー内閣成立直後からの政敵への激しい暴力とつながっているところもある、というわけです。

 本書は最後に、身体的暴力が言語的暴力に置き換えられ、街頭がインターネット、とくにSNS空間に移っただけで、ワイマル共和国の歴史は決して「遠い昔」や「遠い場所」の話ではない、と指摘します。確かに、日本も含めて現在の政治状況はとても楽観視できません。ただ、一日本人として思うのは、まず、身体的暴力と言語的暴力の違いはやはり大きく、それは街頭政治とSNS空間も同様である、ということです。これは、身体的暴力が言語的暴力よりも、街頭政治がSNS空間よりも危険であることを意味しているのではなく、また違った危険性があるのではないか、と私は考えています。次に、ワイマル共和国と現在の日本を比較すると、詳しく調べていませんが、人口動態に大きな違いがあるはずで、ワイマル共和国の方が若い世代の割合はずっと高いでしょうから、これが身体的暴力と結びつきやすかった可能性はあると思います。さらに、ワイマル共和国のドイツは、徴兵などでの軍隊経験者が現在の日本よりずっと多かったでしょうし、第一次世界大戦での敗戦による軍備制限のため、元職業軍人も多かったでしょうから、この点でも身体的暴力が受け入れられやすい素地があったように思います。これらの点で現代日本はワイマル共和国と大きく異なっており、もちろんワイマル共和国は現代日本社会にとっても重要な教訓となりますが、現在、さらには今後の日本の危機は、ワイマル共和国が経験したものと大きく異なる可能性が高そうで、単純にワイマル共和国の事例を当てはめてはならないでしょう(もちろん、本書はそんな単純なことを主張していませんが)。現在の日本は、一定以上の規模の集団において人類史上初めて迎える少子高齢化社会だと思うので、さまざまな危機をどう回避するのか、対策を立てにくいところもあるのではないか、と昔から考えています。
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c33

[近代史3] ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった!  中川隆
32. 中川隆[-6338] koaQ7Jey 2025年6月12日 01:00:52 : C0KKCKk7wE : aFUyYXFsL3JXNWM=[4]
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雑記帳 2025年06月07日
原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』
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 集英社新書の一冊として、集英社より2024年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はワイマル(ヴァイマル)期のドイツ政治を暴力の観点から検証し、ナチ党台頭と政権獲得に至る前提について考察しています。ワイマル期は三区分されることが多く、暴力的な内戦状況が続いた「戦後混乱期」である前期(1918〜1923年)、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」である中期(1924〜1929年)、世界恐慌を契機に政治と経済と社会が再び混乱状況となり、ナチスが台頭した後期(1930〜1933年)です。本書は、この中期と後期において、政治的暴力が社会に深く入り込み、常態化していたことを重視し、それがワイマル共和国の政治的安定性を動揺させたのではないか、との見通しで、ベルリンを中心に一般国民の視点も取り入れて、ワイマル期のドイツを検証します。

 ただ本書は、ワイマル共和国の前期と中期および後期ではおもな政治的暴力の種類が異なる、と指摘します。前期では成立したばかりの議会主義体制の打倒を狙った、右翼や左翼の急進的反共和国勢力が体制(公権力)に向けて暴力を行使し、その反作用として体制側から反共和国勢力に対して暴力が行使されており、本書では「体制転覆志向型暴力」と呼ばれています。中期および後期では、敵対する党派間で暴力が行使され、体制は党派間の暴力の監視および抑制の役割を担っており、本書では「党派対立型暴力」と呼ばれています。この暴力の主体となった党派は、ナチ党とその武装組織であるナチス突撃隊(SA)、共産党とその武装組織である赤色前線兵士同盟(RFB)やその後継組織、社会民主党を中心とする共和国擁護派の国旗団、右翼の鉄兜団などです。

 ワイマル共和国は、第一次世界大戦でのドイツの敗北の結果として成立します。ワイマル共和国前期は、さらに複数の局面に区分されています。第一期は、ドイツ革命とその余波が続いた1918年11月から1919年春で、左翼革命勢力と反革命勢力の闘争が中心となります。第二期は、1920年春に発生したカップ=リュトヴィッツ一揆とそれに続くルール地方での闘争段階です。第三期は、「三月行動」と呼ばれる共産党の蜂起と、急進的右翼による政治的暗殺が横行した1921年春から1922年です。最後の第四期は、フランスとベルギーによるルール地方占領に対するドイツ側の武装闘争に始まる1923年の緊迫した状況で、共産党の「ドイツの十月」やナチスのミュンヘン一揆が発生した秋に、緊張は頂点に達します。

 本書はまず、ドイツ革命の推移を開設し、軍部の議会主義体制移行を図る社会民主党など政党勢力への不満、共和制支持者の間の分裂と深刻な対立など、すでにワイマル共和国を決定づける対立の萌芽が見られることを指摘します。ドイツ革命初期の1918年11月において、全体的に大規模な暴力はありませんでしたが、翌月にはベルリンで流血の事態が発生するようになります。そうした混乱の中でも、1919年1月19日には国民議会選挙が実施され、多くの国民が穏健な改革を支持していることは明らかな結果だった、と本書は評価します。1919年2月6日、国民議会は混乱するベルリンを避け、中部の小都市ワイマルに召集され、社会民主党と中央党と進歩人民党(民主党)の「ワイマル連合」が形成されます。これに左翼急進派が不満を抱き、ドイツ各地へと騒乱が拡大しますが、1919年春にはおおむね鎮静化します。ただ、これによってワイマル共和国の秩序維持で国防軍への依存度が高まります。

 右翼急進派は、ヴェルサイユ条約がドイツにとってあまりにも過酷と受け取られたことから、対ドイツ強硬派のフランスだけではなく、ワイマル共和国政府への不満も高めます。第一次世界大戦でのドイツの敗戦が、ドイツ国内での戦闘がない段階でのことだっただけに、敗戦の実感を持てない国民も多くいたようで、銃後(国内)からの一刺し(裏切り)がドイツを敗戦に追い込んだ、との「匕首伝説」が広がることになりました。1919年6月28日のヴェルサイユ条約調印後、翌月31日には新憲法となる「ドイツ国憲法(ワイマル憲法)」が国民議会で採択され、翌月(8月)14日に発効します。ワイマル憲法は当時、最も民主的な憲法と呼ばれました。

 1920年3月13日に、ワイマル共和国政府の転覆と新政権樹立を企図したカップ=リュトヴィッツ一揆が発生すると、支持したのは国防軍でも一部の部隊だけで、国民議会内のほぼすべての政党が反対を表明したので、この蜂起は1週間も経たずに失敗に終わります。この失敗を見た右翼急進派は、ワイマル共和国に対する軍事的蜂起が困難だと認識し、秘密結社化して政府要人を狙った個別テロ行為へと移っていきます。左翼側もカップ=リュトヴィッツ一揆を契機に急進化していき、国防軍との間の武力衝突で犠牲者が増えていきます。これ以降、ワイマル共和国への左右両方からの攻撃が激化します。

 この状況下で1920年6月6日にワイマル憲法下において初の国会選挙が実施され、それまで国民議会で3/4を占めていたワイマル連合は大きく議席を減らし(得票率では76.1%から43.6%への低下)、ワイマル共和国に懐疑的な国家国民党や国民党や急進的な独立社会民主党が躍進しました。政治志向の区分での得票率の比較は、ブルジョア・プロテスタント(国家国民党と国民党と民主党)は33.2%から37.3%、カトリック(中央党とバイエルン国民党)は19.7%から18.0%、左翼(社会民主党と独立社会民主党と共産党)45.5%から41.7%で、政治志向は全体的に変わらなかったものの、共和国擁護派から批判派へと票が移動したわけです。この選挙の結果、ワイマル共和国では連立政権が不安定な政権運営を余儀なくされ、政権が短命化し、最大勢力だった社会民主党の野党化が進行します。ワイマル共和国の議会政治における連立パターンは4種類あり、それは、(1)共和国擁護派3党(社会民主党と中央党と民主党)による「ワイマル連合内閣」、(2)中道諸政党による「ブルジョア少数派内閣」、(3)中道諸政党と国家国民党による「ブルジョア右派内閣」、(4)中道諸政党と社会民主党による「大連合内閣」です。議席数で最も安定する(4)は、外交政策では一致可能でも、労使関係から内政での対立が顕著でした。(3)は内政での合意は容易でしたが、右派の強硬な反対に曝されます。(1)は共和国前期のみに存在しました。

 選挙後に独立社会民主党は分裂し、左派が共産党と合体して、勢力が拡大した共産党は急進的な行動へと移ります。共産党の攻勢は1921年3月のザクセン地方における「三月行動」から始まり、ドイツ全土での革命的行動の誘発が企図されていました。しかし、政権側は戒厳令で対応してこれを抑え込み、そもそも共産党に呼応する労働者も少なく、共産党の党員数はこれ以後、急激に減少します。上述のように、カップ=リュトヴィッツ一揆の失敗後、右翼急進派は個別テロへと移行し、「三月行動」の失敗の後に激化していきます。テロ実行の右翼政治犯の多くは、州政府が右傾化し、住民の暴力が横行していたバイエルンへと逃げ込みました。また、ここまでの政治的殺人の多くは右翼側からでしたが、量刑は左翼側にひじょう厳しかったことが示されています。

 1923年、フランス軍とベルギー軍によるルール地方占領と記録的なインフレによって、ワイマル共和国は危機的状況を迎えます。ルール地方占領に対してドイツ国内では、右翼も左翼も一致して反対し、ヴェルサイユ条約での軍備制限によってフランス軍に対抗できないドイツは、ゼネストによって抵抗しますが、フランスによるルール地方の職場復帰しない職員の追放に対して、ワイマル共和国政府がルール地方への財政支援を行なうことで、財政が圧迫されていき、フランスへの石炭やコークスの供給停止で経済にも打撃となり、ワイマル共和国政府が紙幣を増刷したことで、超インフレが進行します。ワイマル共和国政府では政権が交代し、新政権はフランスへの消極的抵抗を中止し、新通貨を導入することで、インフレは終息していきます。ただ、これによって右傾化していたバイエルン州政府とワイマル共和国政府との対立が激化し、国防軍もバイエルン州政府に加担するような動きを見せます。この騒然とした状況で、共産党の武装蜂起が鎮圧され、1923年11月8日、ナチス党首のヒトラーが第一次世界大戦の軍事的英雄で右翼急進派の領袖だったルーデンドルフを擁立して武装蜂起しますが、このミュンヘン一揆は直ちに鎮圧されます。これによって右翼急進派の信用は失墜し、バイエルン州政府はワイマルに歩み寄り、ドイツの情勢は安定に向かいます。本書はこのミュンヘン一揆を、ドイツ革命から続いた体制転覆志向型暴力の最後の局面と位置づけています。

 上述のように、1924〜1929年のワイマル共和国は、経済の安定に伴って政治や国際関係が安定した「相対的安定期」とされ、政治と暴力との直接的結びつきはほぼ見られなくなり、社会保障制度が整備されていき、この期間の文化は「ワイマル文化」と呼ばれています。政治的には、この安定期の内閣は上述の4種類のうち「ブルジョア少数派内閣」もしくは「ブルジョア右派内閣」でした。この期間の内閣は、内政や外交に起因する閣内対立によって短命化しましたが、ある程度の連続性が維持されました。ただ、この期間に社会内部の対立が深刻化し、それに伴って党派対立の明確化も進行します。1925年の大統領選では、ワイマル共和国擁護派のヴィルヘルム・マルクス前首相が、反ワイマル共和国陣営によって擁立された第一次世界大戦の軍事的英雄であるパウル・フォン・ヒンデンブルクに敗れ、ワイマル共和国の政治史における画期となります。

 この相対的安定期で暴力が顕在化していく起点と本書が評価しているのは、ミュンヘン一揆によって禁止されたナチ党の再建です。釈放されたヒトラーは武装蜂起路線から合法路線に転換し、そのためには、ナチ党の武装組織であるナチス突撃隊(SA)を、少なくとも表面的には非武装化する必要がありましたが、ヒトラーにとって自立志向のあるSAの制御はずっと難問で、ついには政権獲得後の粛清につながります。ヒトラーは釈放されましたが、1925年2月27日のヒトラーの演説がワイマル共和国に敵対的だったため、バイエルンなどほとんどの州政府がヒトラーの公開集会での演説を禁じましたが、1927年頃からじょじょに解除されていきます。ヒトラーは収監されていたため、ナチ党の全権掌握には多少の時間を要しましたが、全権掌握の結果として、ナチ党はワイマル期の他の主要政党とは異なり、「個人商店」的性格を強く有するようになります。ヒトラーはドイツ全土に組織を構築し、ヒトラーを頂点とする垂直的構造とともに、社会集団および階層に応じた水平的構造も築いていきます。その結果、ナチ党にはさまざまな社会集団を包含する「国民政党」への可能性が開けてきます。ドイツでは20世紀初頭以降、街頭での政治的行為が活発化し、ナチスはそこに合法路線での権力獲得の道を見いだします。この時期、ナチスとともに共産党も、感覚に訴える街頭政治を主導していき、ナチスではゲッベルスが大きな役割を果たしました。ナチスにとって街頭政治で最も重要な活動は「行進」で、その主体はSAで、表面的には非武装化されていたものの、他の政治勢力との紛争などで、軍事組織的性格を示していました。ナチス集会も重視し、集会の後に参加者が街頭に繰り出すため、集会と行進は地続きの関係にありました。

 こうしたSAのような政治活動に軸足を置く準軍事組織が私的武装勢力の中心となり、他には、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団(騎士団)、ワイマル共和国擁護派の「国旗団─黒・赤・金」、共産党の赤色前線兵士同盟(RFB)が有力でした。こうした組織は、体制転覆志向型暴力を担っていたワイマルの前期の後、「相対的安定期」と言われる中期には存在価値が弱まり、組織の弱体化や解散が相次ぎ、そうした中からSAなどは試行錯誤して組織の改革による維持と大衆化による拡大を図っていき、政党からの自立性の高かった鉄兜団は国家国民党、騎士団は民主党との関係を強めます。これらの政治的な準軍事組織は、前期の体制転覆志向型暴力を抑制し、選挙や街頭での宣伝に努めます。SAはナチ党、RFBは共産党の実質的な政党軍でしたが、上述のようにSAの自立志向とその制御はヒトラーにとってずっと難問でした。1920年代後半の段階で、政治的な準軍事組織所属者の半数以上を国旗団と鉄兜団が占め、SAやRFBは少数派でしたが、戦闘性や急進性の点では、国旗団や鉄兜団や騎士団はSAやRFBと比較すると受動的でした。こうした政治的な準軍事組織の大衆化は、政治的暴力の「市中化」をもたらし、すでに「相対的安定期」から暴力事件が認められます。1925年1月から1926年11月までにベルリンでは政治的暴力事件が73例確認されており、ほとんどは左翼と右翼の対立で、上述のように党派対立型暴力と分類されていますが、共産党(RFB)と社会民主党(国旗団)の紛争もあります。左翼側の当事者はほぼすべて共産党でしたが、右翼側は多様でした。ただ、この73件のうち死者が出たのは1件だけで、多数の犠牲者が出た前期の体制転覆志向型暴力とは異なります。

 ベルリンでは左翼勢力(社会民主党と共産党)が強く、ナチスは左翼勢力から労働者の支持を奪うべく、SAを攻撃的な街宣活動に投入しましたが、もちろんナチスが常にそうした政治的暴力事件の当事者だったわけではなく、政党間の競合が背景にあるわけです。ただ、ベルリンでの知名度が低かったナチスは、暴力事件を起こして報道されることで、知名度を上げていく、とのゲッベルスの方針もあり、1927年3月にリヒターフェルデ東駅で起きた衝突で、SAから共産党員のいる車両への約40発の発砲があったことを、ベルリンの政治的暴力の状況を変える契機になったとして、本書は重視しています。これ以降、政治的暴力における銃器の使用が一般的になり、1930年代には日常化していきます。また、党派対立型暴力の一方の「主役」が、それまでの右翼諸組織からナチスに絞られていき、面目を失った警察が政治的暴力に対して厳格に対峙するようになります。ゲッベルスがベルリンに赴任した1926年11月から1928年末までは、1925年1月から1926年11月までと比較して、ナチスが政治的暴力の右翼側の当事者となる事例は増大します。ただ、ナチスも国旗団も鉄兜団も警察への攻撃は避けようとしたのに対して、共産党は、現場の警官に保守派が多く、共産主義に敵対的だったこともあり、警察への暴力行使が多くなっています。1929年のメーデーでは、社会民主党の指導層は警察権力に共産党に対して厳しい措置を取るよう命じており、元々この時期の共産党はコミンテルンの方針で社会民主党を「主要敵」とみなしていたこともあって、社会民主党と共産党の対立が深刻化していきます。この事件も、政治的暴力が過激化していく契機となります。

 こうして「相対的安定期」と呼ばれるワイマル共和国の中期後半には政治的暴力が過激化していき、一般的にワイマル共和国は世界恐慌の発生後(後期)に不安定化した、と言われていますが、すでに世界恐慌の前からその兆候はあったようです。ナチ党も、1929年6月のバイエルン州北部のコーブルク市議会選挙で過半数の議席を占め、同年11月のベルリン市議会選挙で得票率5.8%を獲得するなど、すでに世界恐慌の影響が拡大する前から躍進の兆候が見られました。とはいえ、ドイツは世界恐慌で経済的に大打撃を受けたわけで、政治的暴力を含めて社会全体への影響も当然甚大でした。ドイツでは、世界恐慌の深刻な影響によって政治が急進化します。1930年3月にミュラー内閣が社会民主党の非妥協的方針によって退陣したことは、ワイマル共和国の政治の転換点となり、大統領のヒンデンブルクは、憲法第53条の大統領による首相任命権を根拠に、ハインリヒ・ブリューニングを首相に任命し、これは国会での多数派形成ではなく憲法第48条の大統領非常大権に基づく大統領緊急令に依拠する、「大統領内閣」となります。1930年7月18日、ブリューニング内閣は大統領緊急令を無効とする決議が国会で可決されたため、国会を解散しましたが、この選挙でナチ党が大躍進します(前回の得票率2.6%で12議席から、得票率18.3%で107議席)、共産党も議席を増やしました(得票率は前回の10.6%から13.4%)。ナチ党は、社会民主党などの「老舗」政党に対して、「新しさ」で有権者を惹きつけ、多様な社会階層および集団から「万遍なく」支持を集めました。このような「国民政党」は、それまでのドイツには存在しなかった、との評価もあります。

 ブリューニング内閣は不況下において外交を優先し、そのためのデフレ政策を進め、国民生活はさらに窮乏化します。ブリューニング内閣は行き詰って退陣し、1932年6月、フランツ・フォン・パーペンが首相に任命されますが、ヒンデンブルク大統領の側近である国防相のクルト・フォン・シュライヒャーの傀儡でした。議会での基盤をほとんど有さないパーペンは、直前の大統領選で善戦したヒトラーを取り込もうとして、国会解散とブリューニング内閣の出したSA禁止令の廃止というヒトラーの要求を受け入れます。パーペン内閣は国会選挙中にプロイセン州で起きた「血の日曜日」事件を口実に、社会民主党を首班とするワイマル連合政府のプロイセン州に対する国家強制執行によって州政府を罷免し、社会民主党が無力化された点で、これはワイマル共和国の政治史における決定的な出来事だった、と本書は評価します。1932年7月の国会選挙では、ナチ党が前回の得票率18.3%で107議席から得票率37.3%で230議席と大躍進し、共産党も得票率が前回の13.1%から14.3%へと増加しました。ワイマル連合の議席占有率は34.9%まで低下し、左右両極の反ワイマル共和国政党(ナチ党と共産党)で過半数が占められることになりました。ただ本書は、この国会選挙の直近の州議会選挙での得票率が40%を超えていたことから、ナチ党の勢いが絶頂を過ぎつつあることも示唆していた、と本書は指摘します。ナチ党は、完全な権力掌握を目指して野党に留まるか、それとも政権に参加するか、選択を迫られ、パーペン内閣からの政権参加への打診にもヒトラーは首相職を要求し、交渉は決裂します。

 世界恐慌の影響が深刻化していったこの期間、ベルリンでは党派対立型暴力が急増し、さらに急進化したSAとナチ党指導部との軋轢が深まり、ヒトラーは急進派の助命措置によって、ナチ党指導部のSAに対する優位を強化しますが、根本的な解決には至らなかったようで、政権獲得後のSA粛清につながります。こうしたSAの急進化もあり、政治的暴力は「相対的安定期」よりも深刻化し、1931年には、政治的暴力によって、プロイセン州全体では105人(このうちナチスが51人)、ベルリンでは18人が死亡しています。この状況は1932年にはさらに悪化し、上半期だけでさえ、政治的暴力によってプロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が死亡し、国会選挙が行なわれた同年7月には、ある統計では、プロイセン州全体で86人(このうちナチスが38人)が政治的暴力によって死亡しました。この政治的暴力には主要な準軍事組織すべてが関わっており、その中心はナチスと共産党で、銃器による襲撃も常態化し、武器が市中に氾濫していました。こうした政治的暴力が起きるのは、政敵の集会に参加した場合や、街頭での政治活動の場合でした。ただ本書は、世界恐慌後に「相対的安定期」よりも政治的暴力が激化したとはいえ、敵を殲滅するまで暴力を振るう意図が弱かったことは、「相対的安定期」から一貫していた、と指摘します。

 こうした政治的暴力の激化において、政党指導層からの指示だけではなく、ワイマル期の社会全体における暴力の潜在性との観点から、社会の末端水準にも本書は注目します。ベルリンでは草の根の水準で「縄張り主義」が政治的街頭闘争を特徴づけており、さらには、たとえば共産党の牙城だった地区へのナチスの浸透により、そうした地区内の安定性が低下し、暴力として発現することも本書は指摘します。「縄張り主義」と、それを支えていた地区内の不安定化によって、政治的暴力は日常化していったわけです。こうした政治的暴力の日常化の背景には、ドイツでは帝政期において酒場が社会主義運動の拠点になっていたこともありました。ただ、帝政期とワイマル期では政治的酒場の性格に変化もあり、帝政期には階級的に同質化していたのに対して、ワイマル期には政治的イデオロギーで均質化されており、集会や会合の場となりました。さらに、世界恐慌後には、店主にとってまとまった売上を見込める政治的酒場への転換は魅力的な選択肢となり、これも政治的暴力の日常化につながったようです。店主が政治的立場を変えることもあり、それが暴力沙汰の原因になりました。

 1932年11月、同一年で2回目となる国会選挙で、ナチ党は34議席減となります。これは、直前のベルリン交通会社(BVG)ストライキをナチ党が支持したことで、労働者から新たに支持を獲得したと思われるものの、ブルジョア層からの離反の方が大きかったからではないか、と推測されています。一方で、共産党は議席数を89から100へと増やし、社会民主党の121議席に迫りました。新内閣をめぐる政界有力者の駆け引きの中で、ヒトラーは首相就任を要求したもののヒンデンブルク大統領に拒否され、パーペンはシュライヒャーに見放されて組閣を諦め、シュライヒャーが首相に任命されます。シュライヒャー内閣の陣容はパーペン内閣とほぼ同じでしたが、シュライヒャーはパーペン内閣の失敗から、権威主義的な大統領内閣でも、大衆的基盤なしの政権運営は難しいと認識しており、左翼からナチスまでの、労働組合を軸とする、広範な政治的結集を企図します。シュライヒャーは「ナチス左派(シュトラッサー派)」との連携を試みますが、首相職に拘るヒトラーはグレゴール・シュトラッサーを追放します。シュライヒャーは大衆的基盤の構築に失敗し、産業界や大農場主からも批判され、パーペンの暗躍もあって、退陣に追い込まれます。ヒンデンブルク大統領はパーペンに説得され、1933年1月30日、ヒトラーが首相に任命されます。

 ナチ党の政権参加を推進した保守派は、ヒトラーを囲い込み、ナチスを飼い慣らすことが可能と考えていました。しかし、首相に就任したヒトラーは、ワイマル共和国の政治的および社会的秩序の転覆を一気呵成に進め、社会民主党や共産党も含めて政治的反対派を徹底的に排除していきます。プロイセンでは、内相のヘルマン・ゲーリングによって警察機構のナチス化が進みます。ヒトラーは経済界の代表に、マルクス主義の根絶と、権威主義的で反民主主義的で親起業家的な国家建設を訴え、半強制的に選挙活動資金の支援を約束させます。1933年2月27日の国会議事堂炎上事件を口実に、ヒトラー内閣は左翼系勢力の本格的弾圧に乗り出しますが、それでも、その翌月5日の国会選挙では、ナチ党単独での過半数獲得には至りませんでした。しかし、ヒトラーは1933年3月8日、共産党議員81名の議席を剥奪して議会の2/3を「確保」したうえで、同月23日、国会で「授権法(全権委任法)」と呼ばれる「国民と国家の危難を除去するための法」が可決されました。これによって、内閣(行政府)に立法権が付与され、内閣の立法が憲法に違反することも可能となりました。その後、地方分権(連邦主義)の破壊と中央政府への権力集中も実行され、1933年4月7日の「職業官吏再建法」で共産党や社会民主党の支持者およびユダヤ人が公職から追放されました。労働組合も弾圧され、ナチ党付属団体であるドイツ労働戦線(DAF)が結成されました。他の多くの職業分野でも、ナチ党付属団体による組織化が進められました。政党や鉄兜団などの諸団体は解散に追い込まれ、1933年7月上旬時点で、ドイツの政党はナチ党のみとなり、同月14日の「政党新設禁止法」で、ナチ党の一党支配体制が成立し、ワイマル憲法が規定する統治体制は、形骸化した憲法を残してほぼ消滅します。1934年8月2日にヒンデンブルク大統領が死去すると、「ドイツ国元首に関する法」に基づいて、ヒトラーが大統領首相を統合した「総統およびドイツ国首相」に就任し、ドイツは絶対的指導者であるヒトラーがすべての責任を負う「総統国家」となりました。

 ナチスが政権を掌握すると、主要な政治的暴力は党派対立型から国家テロ型へと移行します。SAやナチス親衛隊(SS)など「政府を支持する用意のある組織や政党」に所属する5万人が、1933年2月22日に補助警察官に任命され、このうち半数がSA、30%がSS、20%が鉄兜団で、ベルリンだけで補助警察官が2万人近くいました。国家権力を背景としたSAの一方的な暴力が横行し、本書はこれを「国家テロ型暴力」と定義します。この政治的暴力は相手の殺害も厭わない残忍なもので、ワイマル共和国の中期や後期とは質的に異なっており、「下からの」街頭での政敵への統制されていない専横的暴力と、強制収容所を基盤に体系的に行使される「上からの」暴力に区分されています。そうした「下からの暴力」では、酒場が臨時の収容所とされることもあり、共産党系の酒場の店主の中には、転向してヒトラー政権への歓迎を示す者もいました。こうした「下からの暴力」に支えられて、ナチ体制は強化されていった、と評価されています。ただ、SAはさらに急進化し、「第二革命」を主張するようになり、1934年6月30日、SAは粛清され、SA幕僚長のエルンスト・レームは殺害されました。この粛清で、ヒトラーにとって「好ましからざる人物」だった、「ナチス左派」のグレゴール・シュトラッサーや、「ナチス左派」とかつて提携しようとしたシュライヒャー前首相も殺害されました。SAの暴力を忌避していた人は多く、この粛清はドイツでは好意的に受け止められ、ヒトラーの声望は高まります。SAの粛清後、ハインリヒ・ヒムラーを全国指導者とするSSがナチ党の暴力装置の中核となっていきます。

 本書は、ワイマル共和国において政治的暴力は特定の集団や個人の特異な現象ではなく、左翼から右翼に至るまで暴力を忌避しない政治文化が広がり、「暴力の政治化」もしくは「政治の暴力化」とも言うべき状況が生まれていた、と指摘します。ワイマル共和国の公共的な議論において政治に暴力が入り込むことへの批判や異議はきわめて弱く、暴力への批判は常に党派性を帯びていたわけです。社会が政治的暴力に慣れ、それを許容し始めると、政治と暴力が結びつく異常さへの間隔は麻痺していき、政治的暴力は継続的負荷となってワイマル共和国の政治的および社会的安定性を動揺させた、との見通しを本書は提示しています。こうした見通しにおいて本書は、ワイマル共和国からナチ体制への転換を連続性の観点から把握しなおす必要があるだろう、と提言します。ワイマル共和国には暴力との親和性が内包されており、ヒトラー内閣成立直後からの政敵への激しい暴力とつながっているところもある、というわけです。

 本書は最後に、身体的暴力が言語的暴力に置き換えられ、街頭がインターネット、とくにSNS空間に移っただけで、ワイマル共和国の歴史は決して「遠い昔」や「遠い場所」の話ではない、と指摘します。確かに、日本も含めて現在の政治状況はとても楽観視できません。ただ、一日本人として思うのは、まず、身体的暴力と言語的暴力の違いはやはり大きく、それは街頭政治とSNS空間も同様である、ということです。これは、身体的暴力が言語的暴力よりも、街頭政治がSNS空間よりも危険であることを意味しているのではなく、また違った危険性があるのではないか、と私は考えています。次に、ワイマル共和国と現在の日本を比較すると、詳しく調べていませんが、人口動態に大きな違いがあるはずで、ワイマル共和国の方が若い世代の割合はずっと高いでしょうから、これが身体的暴力と結びつきやすかった可能性はあると思います。さらに、ワイマル共和国のドイツは、徴兵などでの軍隊経験者が現在の日本よりずっと多かったでしょうし、第一次世界大戦での敗戦による軍備制限のため、元職業軍人も多かったでしょうから、この点でも身体的暴力が受け入れられやすい素地があったように思います。これらの点で現代日本はワイマル共和国と大きく異なっており、もちろんワイマル共和国は現代日本社会にとっても重要な教訓となりますが、現在、さらには今後の日本の危機は、ワイマル共和国が経験したものと大きく異なる可能性が高そうで、単純にワイマル共和国の事例を当てはめてはならないでしょう(もちろん、本書はそんな単純なことを主張していませんが)。現在の日本は、一定以上の規模の集団において人類史上初めて迎える少子高齢化社会だと思うので、さまざまな危機をどう回避するのか、対策を立てにくいところもあるのではないか、と昔から考えています。
https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_7.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html#c32

[番外地12] 創価学会の信者は被差別同和部落民か、家賃が安い同和部落に住み付いた在日chousen人のどちらかしかいません
創価学会の信者は被差別同和部落民か、家賃が安い同和部落に住み付いた在日chousen人のどちらかしかいません。 創価学会が崩壊しているのは同和部落が無くなったからです:

創価学会は部落や在日なの? 2012/01/23(月)


そのとおりです。


ちょうど半々。
そう覚えておけば、間違いないですね。

だいたい、そうだね。
幹部から末端まで、人員数も影響力も、ほぼ半々といったところでしょう。

そうですね。
現在の影響力・支配力は、ちょうど半々といったところでしょう。

部落は日本に90万人しかいないし、在日も日本に50万人ちょっとしかいない。
部落と在日を足しても150万人ほどしかおらず、それに対し創価学会は1000万人ほどいるのでそれ以外が大半。

学会員が1000万人もいるわけないだろうが。

学会員は多く見積もって200万人位でしょう!

最後の調査で同和地区住人は92万人。同和地区の全てが被差別部落だったわけじゃない。
同和地区とは「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域」。
歴史的社会的理由〜の一つに部落差別があるかもしれない。ないかもしれない。
被差別部落が同和地区になったとして歴史的社会的理由〜に部落差別があるわけでもない。
なお、部落解放同盟のメンバーは今現在6万人くらい。その他の同和団体はもっと少ないと思う。

 同和地区が指定されたときに同和地区に住んでいた人、その同和地区に生まれたときから住んでいる人、
なおかつ同和地区に住んでいる人。これが本来は同和関係者なはず。だが今現在は同和団体が同和関係者を選んでる状態。
 層化は病人とか不幸な家族をひきつける。代々メープルタウン症候群だかで小人病てのが居て、なおかつ同和関係者てのが居た。
生まれも育ちも東北地方の同和地区の無い地域の人だった。
層化とか他の新宗教の信者や政党のシンパに同和団体の関係者が居てそのツテで同和関係者にしてもらう人も居ると思うわ。

尼崎や神戸市長田区
朝鮮人の多い地域に創価の影あり

学会員だけど、確かにチョンや同和のやつは多いよ。
そんで、すぐに他人を哂うやつも、チョンや同和が多い。
爽やかに微笑むでなく、ニヤニヤ・ヘラヘラした哂い方が特徴

創価も在日やBで右よりに組織されてれば
アカも左よりで在日帰化アカのBで組織されていますww

創価学会や共産党やキリスト教会は地方から都会に出てきたけど友達が居ない人のサークル活動だった。同じ貧乏人なのに対立してる。

Bにとってカルトは暴力装置であり、生命維持装置なんじゃね?
嫌がらせするときにはヤクザ連中の協力を仰いだみたいなこと言って、
実際はそいつが犯人なんだよなw
就職や仕事もらったりするのも都合がいいんだろ。

就職や仕事もらったりするのも都合がいいんだろ。
そういうのもありかな

エタや在日に創価信者が多いのはまぎれもない事実だ。
知人のタクシー運転手が、言っていたが、
支部の総会があると、エタ家族がタクシーをいつも予約するそうだ。
あと、天理教信者にもエタや在日が多い。


部落と言えば天理教だろ・・・創価にもいるらしいが

信者の質が部落っぽいのは創価だな。


創価/天理/立正は
信者数を増やせ増やせで
部落/白丁/障害者/精神病の
低所得者に競って布教
その結果低脳の集団に

日本の恥って団体に
3団体共に朝鮮人に乗っ取られた


昔は部落民と朝鮮民に宗教の自由は無かった。
浄土真宗
これで婚姻など差別されていた為、創価学会などと訳のわからないチョウセン人を敬う集団となった

公務員、大学教授、官僚、社長、役員、建築士、司法書士など社会の支配層も沢山います

それらは、エタや在日が成り上がった少数の例。

今創価学会には部落民と在日朝鮮人が多いだろうね
徒党組んでて好き放題やってる

多いね。かなり多いよ。嫌がらせの電話かけてきてる。

どんな内容ですか?
やっぱり朝鮮系創価学会員?

被差別部落系。震災おめでとう。みたいな感じ。


宗教団体のツテで同和団体に入る人も居る。

同和で創価で在日で拳銃で奥さんに、という事件あったね


同和の子って学校で守られすぎてやりたい放題してるよ。
先生もかばいすぎ!
気がおかしくなる先生も増えてるんじゃないの?

地元の親が悪い事をする子は地元じゃない子発言!

悪い事しても隠すし
子供らも守ってくれるって思ってるから
やりたい放題。

馬鹿なんじゃない?


あと、解同に参加してる人で日教組の人も居た。そう言う先生は狭山同盟休校のときに
「打倒!日共(日本共産党)」
って同和の子供達に言わせてた。
その一方で共産党シンパで日教組の人も居ると思う。共産党は創価学会と仲悪いよね。だから学校の先生の組織と同和団体や宗教団体や政党が一枚岩ってことはないんじゃないかな。


同和ってグループから外れると「俺は○○出身なんだ!」みたいなのが通用しなくなるから最終的には同和に帰っていく。


障○者がいる家族・B・在日が多いよね

代々病気の家が多いね。


大津の主犯格朝鮮人木村親子は創価だったよ
担任の朝鮮先生も創価だったよ

朝鮮人だらけ


大津事件
加害者3人組=創価学会員
前校長=創価学会員
現校長=創価学会員
大津警察署長=創価学会員
被害者搬送先病院院長=創価学会員


茨木市三島丘同和創価学会による集団いやがらせ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/soc/1333107031/

支援してください
本当に困っています

池田はチョンではないはず
おやじさんが真言宗かなんかで創価に関わって親子の縁切られてる
だから可能性としてはBか?


でも大森海岸の池田って網元ないんだよね


朝鮮人は捏造するぞ
大森も嘘じゃない


日本人じゃねーだろ

池田大作先生が在日2世ですね。ですから幹部には朝鮮人が多いと聞きました。

大森の生まれって自伝本に書いてあるが信憑性がないね
大森に朝鮮部落だらけだし

実父は大森の朝鮮部落で海苔漁師やってた
大森海岸で採れても浅草海苔


池田先祖代々の墓なし
管と同じ


池田大作のルーツ「池田家の墓」真言宗の寺に建てられている
週刊ポスト2012年1月1・6日号(連載『化城の人』第1回より抜粋)

池田の生家が近隣を含めすべてイトーヨーカドーの巨大な店舗の真下に消えていた
イトーヨーカドーの裏手を歩いて五分ほどのところに、密厳院という寺がある。平安時代の初めに建立されたといわれる古刹である。境内の一画には、一途な恋慕のあまり放火し、その咎により鈴ヶ森で火あぶりの刑に処された八百屋お七を祀った立派な"お七地蔵"も安置されている。
池田家の墓はこの寺にある。生家が近いのだから当然だと思う人もいるかもしれない。だが、この寺が真言宗の寺だと知れば、宗教に詳しい者なら誰もが奇異に思うはずである。日蓮宗には、他の仏教宗派を厳しく指弾した四箇格言という有名な教えがある。

念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。このおどろおどろしい形容だけでも、日蓮宗が他宗派を徹底的に排除する一神教的な宗教だということがわかる。

池田家の人びとの遺骨は、日蓮が「亡国」と言った真言宗の寺に葬られているのである。



幹部は在日


統一凶会とまったく同じだね(´〜`)


在日は学会幹部、帰化人は公明党議員、日本人信者はカモラレルだけ。


統一協会=部落、在日


統一教会=韓国人(在日含む)
白丁
トンスルで乾杯する(糞酒)


創価
天理
立正

全て朝鮮人が仕切ってるよ


日本海側の原子力は部落に作って部落民を社員にしたり部落に民宿作ったりしてる。
都市部でも部落に変電施設、ガス会社なら部落にガスタンクを作って社員にしてる。
縁故採用で家族ごと雇えばトラブル隠しできる。トラブルがあっても叩かれるのは部落民。
国が企業になったってだけで似たようなものかもな。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1327225646/
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/607.html
[番外地12] 創価学会の信者は被差別同和部落民か、家賃が安い同和部落に住み付いた在日chousen人のどちらかしかいません 中川隆
1. 中川隆[-6337] koaQ7Jey 2025年6月12日 02:18:32 : C0KKCKk7wE : aFUyYXFsL3JXNWM=[5]
<■120行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
創価学会の信者は被差別同和部落民か、家賃が安い同和部落に住み付いた在日chousen人のどちらかです。純粋日本人(弥生系日本人)の創価信者はいません。
(同和部落民とアイヌ人は縄文系日本人です。昭和の同和部落民の生業は男はヤクザ、女は風俗でした。普通の企業には就職できなかったからです。)
関西に創価学会信者が多いのは、大阪や兵庫や京都に同和部落が沢山有ったからです。創価学会と公明党が崩壊し始めているのは同和部落が無くなったからです:

創価学会は部落や在日なの? 2012/01/23(月)

そのとおりです。

ちょうど半々。
そう覚えておけば、間違いないですね。

だいたい、そうだね。
幹部から末端まで、人員数も影響力も、ほぼ半々といったところでしょう。

そうですね。
現在の影響力・支配力は、ちょうど半々といったところでしょう。

部落は日本に90万人しかいないし、在日も日本に50万人ちょっとしかいない。
部落と在日を足しても150万人ほどしかおらず、それに対し創価学会は1000万人ほどいるのでそれ以外が大半。

学会員が1000万人もいるわけないだろうが。

学会員は多く見積もって200万人位でしょう!

最後の調査で同和地区住人は92万人。同和地区の全てが被差別部落だったわけじゃない。
同和地区とは「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域」。
歴史的社会的理由〜の一つに部落差別があるかもしれない。ないかもしれない。
被差別部落が同和地区になったとして歴史的社会的理由〜に部落差別があるわけでもない。
なお、部落解放同盟のメンバーは今現在6万人くらい。その他の同和団体はもっと少ないと思う。

 同和地区が指定されたときに同和地区に住んでいた人、その同和地区に生まれたときから住んでいる人、
なおかつ同和地区に住んでいる人。これが本来は同和関係者なはず。だが今現在は同和団体が同和関係者を選んでる状態。
 層化は病人とか不幸な家族をひきつける。代々メープルタウン症候群だかで小人病てのが居て、なおかつ同和関係者てのが居た。
生まれも育ちも東北地方の同和地区の無い地域の人だった。
層化とか他の新宗教の信者や政党のシンパに同和団体の関係者が居てそのツテで同和関係者にしてもらう人も居ると思うわ。

尼崎や神戸市長田区
朝鮮人の多い地域に創価の影あり

学会員だけど、確かにチョンや同和のやつは多いよ。
そんで、すぐに他人を哂うやつも、チョンや同和が多い。
爽やかに微笑むでなく、ニヤニヤ・ヘラヘラした哂い方が特徴

創価も在日やBで右よりに組織されてれば
アカも左よりで在日帰化アカのBで組織されていますww

創価学会や共産党やキリスト教会は地方から都会に出てきたけど友達が居ない人のサークル活動だった。同じ貧乏人なのに対立してる。

Bにとってカルトは暴力装置であり、生命維持装置なんじゃね?
嫌がらせするときにはヤクザ連中の協力を仰いだみたいなこと言って、
実際はそいつが犯人なんだよなw
就職や仕事もらったりするのも都合がいいんだろ。

就職や仕事もらったりするのも都合がいいんだろ。
そういうのもありかな

エタや在日に創価信者が多いのはまぎれもない事実だ。
知人のタクシー運転手が、言っていたが、
支部の総会があると、エタ家族がタクシーをいつも予約するそうだ。
あと、天理教信者にもエタや在日が多い。


部落と言えば天理教だろ・・・創価にもいるらしいが

信者の質が部落っぽいのは創価だな。


創価/天理/立正は
信者数を増やせ増やせで
部落/白丁/障害者/精神病の
低所得者に競って布教
その結果低脳の集団に

日本の恥って団体に
3団体共に朝鮮人に乗っ取られた


昔は部落民と朝鮮民に宗教の自由は無かった。
浄土真宗
これで婚姻など差別されていた為、創価学会などと訳のわからないチョウセン人を敬う集団となった

公務員、大学教授、官僚、社長、役員、建築士、司法書士など社会の支配層も沢山います

それらは、エタや在日が成り上がった少数の例。

今創価学会には部落民と在日朝鮮人が多いだろうね
徒党組んでて好き放題やってる

多いね。かなり多いよ。嫌がらせの電話かけてきてる。

どんな内容ですか?
やっぱり朝鮮系創価学会員?

被差別部落系。震災おめでとう。みたいな感じ。


宗教団体のツテで同和団体に入る人も居る。

同和で創価で在日で拳銃で奥さんに、という事件あったね


同和の子って学校で守られすぎてやりたい放題してるよ。
先生もかばいすぎ!
気がおかしくなる先生も増えてるんじゃないの?

地元の親が悪い事をする子は地元じゃない子発言!

悪い事しても隠すし
子供らも守ってくれるって思ってるから
やりたい放題。

馬鹿なんじゃない?


あと、解同に参加してる人で日教組の人も居た。そう言う先生は狭山同盟休校のときに
「打倒!日共(日本共産党)」
って同和の子供達に言わせてた。
その一方で共産党シンパで日教組の人も居ると思う。共産党は創価学会と仲悪いよね。だから学校の先生の組織と同和団体や宗教団体や政党が一枚岩ってことはないんじゃないかな。


同和ってグループから外れると「俺は○○出身なんだ!」みたいなのが通用しなくなるから最終的には同和に帰っていく。


障○者がいる家族・B・在日が多いよね

代々病気の家が多いね。


大津の主犯格朝鮮人木村親子は創価だったよ
担任の朝鮮先生も創価だったよ

朝鮮人だらけ


大津事件
加害者3人組=創価学会員
前校長=創価学会員
現校長=創価学会員
大津警察署長=創価学会員
被害者搬送先病院院長=創価学会員


茨木市三島丘同和創価学会による集団いやがらせ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/soc/1333107031/

支援してください
本当に困っています

池田はチョンではないはず
おやじさんが真言宗かなんかで創価に関わって親子の縁切られてる
だから可能性としてはBか?


でも大森海岸の池田って網元ないんだよね


朝鮮人は捏造するぞ
大森も嘘じゃない


日本人じゃねーだろ

池田大作先生が在日2世ですね。ですから幹部には朝鮮人が多いと聞きました。

大森の生まれって自伝本に書いてあるが信憑性がないね
大森に朝鮮部落だらけだし

実父は大森の朝鮮部落で海苔漁師やってた
大森海岸で採れても浅草海苔


池田先祖代々の墓なし
管と同じ


池田大作のルーツ「池田家の墓」真言宗の寺に建てられている
週刊ポスト2012年1月1・6日号(連載『化城の人』第1回より抜粋)

池田の生家が近隣を含めすべてイトーヨーカドーの巨大な店舗の真下に消えていた
イトーヨーカドーの裏手を歩いて五分ほどのところに、密厳院という寺がある。平安時代の初めに建立されたといわれる古刹である。境内の一画には、一途な恋慕のあまり放火し、その咎により鈴ヶ森で火あぶりの刑に処された八百屋お七を祀った立派な"お七地蔵"も安置されている。
池田家の墓はこの寺にある。生家が近いのだから当然だと思う人もいるかもしれない。だが、この寺が真言宗の寺だと知れば、宗教に詳しい者なら誰もが奇異に思うはずである。日蓮宗には、他の仏教宗派を厳しく指弾した四箇格言という有名な教えがある。

念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。このおどろおどろしい形容だけでも、日蓮宗が他宗派を徹底的に排除する一神教的な宗教だということがわかる。

池田家の人びとの遺骨は、日蓮が「亡国」と言った真言宗の寺に葬られているのである。

幹部は在日


統一凶会とまったく同じだね(´〜`)


在日は学会幹部、帰化人は公明党議員、日本人信者はカモラレルだけ。


統一協会=部落、在日


統一教会=韓国人(在日含む)
白丁
トンスルで乾杯する(糞酒)


創価
天理
立正

全て朝鮮人が仕切ってるよ


日本海側の原子力は部落に作って部落民を社員にしたり部落に民宿作ったりしてる。
都市部でも部落に変電施設、ガス会社なら部落にガスタンクを作って社員にしてる。
縁故採用で家族ごと雇えばトラブル隠しできる。トラブルがあっても叩かれるのは部落民。
国が企業になったってだけで似たようなものかもな。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1327225646/
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/607.html#c1

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
75. 中川隆[-6336] koaQ7Jey 2025年6月12日 05:43:42 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[1]
貧困層拡大で超格差社会へ。地獄が生み出す犯罪思考の連鎖の真相。  鈴木傾城氏 #352
政経プラットフォーム 2025/06/11
https://www.youtube.com/watch?v=P0bpXwoHL6w
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c75
[番外地12] メンデルスゾーン
Mendelssohn Symphony No 2 „Lobgesang“ op 52 Claudio Abbado Wiener Philharmoniker

Felix Mendelssohn
Sinfonie Nr 2 „Lobgesang“ op 52
Claudio Abbado Wiener Philharmoniker

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/608.html

[番外地12] メンデルスゾーン 中川隆
1. 中川隆[-6335] koaQ7Jey 2025年6月12日 08:10:54 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[2]
<▽37行くらい>
Mendelssohn : Symphony No.2 ’Lobgesang´Op.52 C.Abbado / VPO Tokyo live 1989



クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ)ガブリエレ・シマ、ブリギッテ・ポシュナー=クレベル
アルト)ヨアンナ・ボロウスカ
テノール)ウーヴェ・ハイルマン 
合唱)ウィーン国立歌劇場合唱団
1989年10月31日 東京、オーチャードホール ライブ録音
※オーチャードホール開館記念シリーズから。ウィーン国立歌劇場の来日公演に合わせて、贅沢な布陣による公演でした。







Mendelssohn “Symphony No 2 ‘Lobgesang’” Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker, 1972




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/608.html#c1
[番外地12] メンデルスゾーン 中川隆
2. 中川隆[-6334] koaQ7Jey 2025年6月12日 08:38:51 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[3]
<△29行くらい>


Mendelssohn - Italian Symphony - Celibidache, MPO (1981)


Munich Philharmonic Orchestra
Sergiu Celibidache
Live recording: 5 October 1981



Mendelssohn: Symphony No. 4 `Italian`, Celibidache & BPO (1953) メンデルスゾーン 交響曲


指揮:セルジュ・チェリビダッケ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1953年11月9日 ベルリン

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/608.html#c2
[番外地12] メンデルスゾーン 中川隆
3. 中川隆[-6333] koaQ7Jey 2025年6月12日 08:43:25 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[4]
<▽37行くらい>


Schumann Symphony No. 4, Celibidache, Munich Philharmonic


october 1986



Mendelssohn Symphony No 4 A major Italian Sergiu Celibidache RAI Orchestra Napoli


Sergiu Celibidache RAI Orchestra Napoli



Mendelssohn. 4ª Sinfonía "Italiana". Orchestra Scarlatti. Dir: Sergiu Celibidache.Rec. 6.Abril.1969



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/608.html#c3
[番外地12] メンデルスゾーン 中川隆
4. 中川隆[-6332] koaQ7Jey 2025年6月12日 08:49:00 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[5]
<△28行くらい>

Mendelssohn - Symphony No.4 "Italian" MWV N 16(Klemperer) メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調 "イタリア"(クレンペラー)


フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
録音:1960年2月 ロンドン、アビー・ロード・スタジオ 第1スタジオ



Mendelssohn Symphony No.4 Philharmonia Orchestra Otto Klemperer (1960)




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/608.html#c4
[番外地12] チェルビダッケ
Schumann Symphony No. 4, Celibidache, Munich Philharmonic

october 1986

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/609.html

[番外地12] チェルビダッケ 中川隆
1. 中川隆[-6331] koaQ7Jey 2025年6月12日 09:53:41 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[6]
aあ

Schumann - Symphony No 4 - Celibidache, MPO (1986 September)


Munich Philharmonic Orchestra
Sergiu Celibidache
Live recording: 23 September 1986, Berlin Philharmonie, Germany - 36
Berliner Festwochen (36th Berlin Festival Weeks)
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/609.html#c1

[番外地12] チェルビダッケ 中川隆
2. 中川隆[-6330] koaQ7Jey 2025年6月12日 09:54:26 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[7]



Schumann - Symphony No 4 - Celibidache, MPO (1986 September)


Munich Philharmonic Orchestra
Sergiu Celibidache
Live recording: 23 September 1986, Berlin Philharmonie, Germany - 36
Berliner Festwochen (36th Berlin Festival Weeks)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/609.html#c2
[番外地12] メンゲルベルク
Franck: Symphony in D minor (1940) Mengelberg/Concertgebouw

Willem Mengelberg, conductor
The Concertgebouw Orchestra

Recorded on November 12, 1940
at The Concertgebouw, Amsterdam

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/610.html

[番外地12] ストコフスキー
Stokowski conducts Franck Symphony in D minor - Netherlands Radio Philharmonic (1970)

From the concert of 22 August 1970, given in De Doelen, Rotterdam.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/611.html

[番外地12] モントゥー
FRANCK - Symphonie en Ré Mineur ~ Chicago Symphony, Pierre Monteux (1959)

Chicago Symphony
Pierre Monteux
(1959)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/612.html

[番外地12] ストコフスキー 中川隆
1. 中川隆[-6329] koaQ7Jey 2025年6月12日 10:23:17 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[8]
ああ

Franck: Symphony in D minor - Leopold Stokowski, direttore; Philadelphia Orchestra


Leopold Stokowski, direttore
Philadelphia Orchestra
Philadelphia, 1937

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/611.html#c1
[番外地12] チェルビダッケ 中川隆
3. 中川隆[-6328] koaQ7Jey 2025年6月12日 10:24:55 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[9]



Franck - Symphony in D minor - Celibidache, MPO (1983)


Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Recorded live in the Deutches Museum, Munich on 3 November 1983

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/609.html#c3
[番外地12] トスカニーニ
Franck - Symphony In D Minor  Toscanini NBC

アルトゥーロ・トスカニーニ 指揮  NBC 交響楽団
1940年12月14日&1946年3月24日

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/613.html

[番外地12] カテゴリー - 777ブログ 中川隆
3. 中川隆[-6327] koaQ7Jey 2025年6月12日 10:54:37 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[10]
<■168行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
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クラシック音楽の名演奏家の録音への youtube リンク
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モーツァルトは文部省唱歌と同じ様に懐メロとして聴かれている
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/07/215028  

ゲルマンの音とはワーグナーが広めた如何にも意味有り気で奥深く感じさせる演奏様式の事 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/215211

華麗なる芸術都市の光と闇 “魔の都”ウィーンに響く天才歌手グルベローヴァの美声 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/215119


▲△▽▼


ヨアヒム・ラフ Joseph Joachim Raff(スイス チューリッヒ湖畔ラッヘン 1822 - 1882)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830787


ヨアヒム・ラフの『交響曲』の評価

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281859%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29


大交響曲 イ短調 WoO.18 (1854)


第1番 ニ長調 Op.96, "祖国に寄せる An das Vaterland" (1859-61)
2.8点
前半の楽章群は音の作りがシンプルすぎて、何を想っているのか伝わらないし、全然面白くない。習作レベルだろう。全然ダメかとおもったが、後半はワーグナー的もしくはブルックナー的な広がり感とドラマ性を持った享楽的な音楽になる。後半だけならばそれなりに聴いて愉しむことが出来る曲になる。全部で1時間以上の5楽章は実力と比較して無駄に頑張りすぎだろう。他では聴けない独自の天才性も弱いため、努力して書いたように聴こえてしまう。


第2番 ハ長調 Op.140 (1869)
3.5点
1番とは全く違う巨匠的な響きに満たされたベートーヴェン交響曲に似た交響曲らしい愉しみに満たされた音楽である。有名作曲家ほどの強烈な確立された個性の輝きこそ弱いものの、一流の音楽であることは一聴すれば分かる。堂々とした力強さと4つの楽章のバランスと音に込められた力感と音を豊かになり響かせる感じは、中期のベートーヴェンを彷彿とさせる。生命感の漲る感じがとにかく素敵だ。
-第3番 ヘ長調 Op.153 "森にて Im Walde" (1869)
3.3点
1楽章は曖昧な雰囲気であり好みが分かれるところであり、個人的にはあまり良くないと思った。後半はチャイコフスキーやドヴォルザークを彷彿とさせる躍動感の強い音楽であり面白い。2番とはかなり違う音楽であり、芸の広さを感じさせる。個人的には2番の方が好みだが、3番の後半の特に巨大な最終楽章のスリリングさはまさかスイスの作曲家で聴けると思わなかったものであり、なかなかゾクゾクするものだ。
-第4番 ト短調 Op.167 (1871)
3.3点
この曲は再びベートーヴェンのようなシンプルでロマン派のネチっこさを抑えた曲である。約30分と短く、冗長さがないのはよい。最終楽章では対位法を取り入れて素敵な高揚感を演出している。過去の大作に似ないようにしつつ、巨匠的な品位を保ったオリジナルな作品を作ろうとする努力が見える。はっとするよい場面も多くあるのだが、マイナー曲らしいパッとしない地味さも残念ながら全体としては多い。個人的には好感度は高いのだが名作とまでは言えない。

第5番 ホ長調 Op.177 "レノーレ Lenore" (1872)
3.8点
この曲はラフの代表作とされていて、交響曲5番らしい力のある入った作品である。1時間近い巨大さであり、ワーグナーにも匹敵するようなロマン派の壮大なスケール感を持った世界の広がりの世界のとたっぷりと、夢のような豪華な時間をロマンに浸って過ごす楽しみを味わえる。しかし、肥大化してバランスを崩した感じではなく、あくまでドイツ系交響曲の正統派の範囲内で音楽世界を拡張しているのが素晴らしい。類例が少ない非常に存在感と希少価値のある作品である。劇的な展開を備えており、最後の場面はニーベルングの指環にも匹敵するほど圧倒的に作者の力の限りを尽くして世界を構築しきって限界にたどり着いた充実した作品という満足感を与えられる。あえて言えば、さすがに作者の底や限界も同時に見えてしまうのが逆に欠点かもしれない。


第6番 ニ短調 Op.189 (1873)
3.5点
リズムや音の使い方が単調で素朴すぎる。あと短調の響かせ方が平凡と感じるのは欠点。素朴さについては、もしかしたらロマンの限りを尽くした5番のあとなので古典派の交響曲の世界で意図的に勝負してみた曲なのではと想像する。5番のあとに聴いた時はひどく劣るように聴こえてしまったが、聴き直すと独自の明朗な良さや快活さがありなかなか愉しめる曲であることが分かった。ただ勝負の結果はラフが音感やリズムのセンスのようなもので微妙にトップレベルの天才からは落ちるのが如実になるものになった気がする。どこかに滲む地味さにそれが現れている。


第7番 変ロ短調 Op.201 "アルプスにて In den Alpen" (1875)
3.3点
副題も似ているが、実際リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を連想した。なめらかな音の流れと、自然の巨大さを連想する開放感と、自然の持つ底知れないパワーを力強く表現している。描写的ではない。後期ロマン派のようち端的さを失った感じが個人的にはラフの良さをスポイルしている気がするのと、後期ロマン派と比較すると過渡期のような未熟さと中途半端さを感じてしまう。特色があって面白いが、全体に「いい!」といえる瞬間には乏しく物足りないのが正直なところである。快活な最終楽章はなかなかの魅力がある。


第8番 イ長調 Op.205 "春の響き Frühlingsklänge" (1876)
3.5点
自分の感性の問題かもしれないし、日本との気候の違いのためかもしれないが、それほど春らしい気分が強いとは思わなかった。曲としては相変わらずの卓越した交響曲作曲技法であり、何よりここまでの各曲の強い特色に比べてこの曲は非常に正統派でノーマルなのが特色になっている。最初は物足りなく思ったが、聴き直すと正統派の聴き応えがかなり心地よい。メンデルスゾーンやシューマンやブラームスよりも、古典派の交響曲を受け継いだ正統派を堪能できる。といいつつ2楽章は遊び心があり、3楽章は春の気分を愉しめる。残念ながら最終楽章はあまり面白くない。


第9番 ホ短調 Op.208 "夏に Im Sommer" (1878)
3.0点
8番に続く正統派。しかし、なぜか8番よりも地味に感じる。聴いていてテンションが上がらず輝くものがなく、全体的に地味な印象が強い。交響曲であるからには旋律もフレーズも、作曲者がいつでも繰り出せる以上のものがほしいのだが、それがない。ダメな曲とまでは言わないが、他の交響曲よりも価値が低いと思う。


第10番 ヘ短調 Op.213 "秋の時に Zur Herbstzeit" (1879)
3.5点
1楽章は地味。3楽章は珍しくスラブ的な憂愁を感じさせるのが心をとらえる。薄明のような雰囲気を醸しながら控えめながらも心に染み入る憂愁はかなり感動する。じわじわと気分を盛り上げていくところなど、別の作曲家のようだ。4楽章もかなりセンスの良い軽快さと運動性と味わいを兼ね備えた良い曲である。変化も面白く、珍しく天才的と呼べる楽章である。


第11番 イ短調 Op.214 "冬 Der Winter" (1876)
3.3点
どの楽章も10番に続いて、絶妙な柔らかさと芳醇さを持ち合わせている。ラフが新たな境地に到達したことを感じさせる。しかし、順番に聴いてそう感じただけであり、前提なしに単品で聴いたらどう聴こえるかは分からないが。密かに潜ませる陰影の味があって、さっぱりした正統派の交響曲との取り合わせは良い。まさに良質の佳作という感じ。この曲で終わりなのが残念で、さらに晩年風の交響曲をぜひ聴きたかった。


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http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/524.html#c3

[番外地12] Joachim Raff
Symphony No.5 in E major ''Lenore'' - Joachim Raff

Orchestre de la Suisse Romande
Neeme Järvi.

Symphony No. 5 in E Major, Op. 177, "Lenore"
https://www.youtube.com/watch?v=sAijXOkEag8
https://www.youtube.com/watch?v=nDGB_amc4q0
https://www.youtube.com/watch?v=pk4YMHKPWsQ
https://www.youtube.com/watch?v=Kja5z1p2Mtk

Neeme Järvi
Orchestre de la Suisse Romande
℗ 2014 Chandos Records

Joachim Raff - Symphony No.5

SLOVAK STATE PHILHARMONIC ORCHESTRA
Conductor: Urs Schneider

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/614.html

[番外地12] カテゴリー - 777ブログ 中川隆
4. 中川隆[-6326] koaQ7Jey 2025年6月12日 12:23:38 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[11]
<△29行くらい>
▲△▽▼

朝比奈 隆 指揮 ブルックナー交響曲集 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLICYffFKl336YMNT9swXXUHvSMHXZ_2qz

▲△▽▼

朝比奈隆のブルックナー(Bruckner/Asahina) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-tbylMIAMdbg7EFtdjK7Th

ヨッフムのブルックナー(Bruckner/Eugen Jochum) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM8wQTeB05q9F8jIknruQqyS

マタチッチのブルックナー(Bruckner/Matacic) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-CwFJCVwivEmlW1LBx0wuy

ヴァントのブルックナー(Bruckner/Want) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-F723S9zlPHqmGo8x4pr73

クナッパーツブッシュのブルックナー(Knappertsbusch/Bruckner) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-OzNL3b6iM64Hk7dgylt02

シューリヒトのブルックナー(Bruckner/Schuricht) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM8tFETDeZUmaoEEJX7N--Jf

▲△▽▼

▲△▽▼
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/524.html#c4

[番外地12] カテゴリー - 777ブログ 中川隆
5. 中川隆[-6325] koaQ7Jey 2025年6月12日 12:25:08 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[12]
オイゲン・ヨッフム ブルックナー交響曲全集

Eugen Jochum • Staatskapelle Dresden • Bruckner - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLpT0iJjEyPDVlZdMABOzWZuhhvs8ZvgsC

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/524.html#c5

[番外地12] ヨーフム
Anton Bruckner: Symphony No. 6 in A major. BRSO, Eugen Jochum. Rec. 1966

Symphonieorchester Des Bayerischen Rundfunks
Eugen Jochum

Recording: München, Residenz, Herkulessaal, 1-3 July 1966

Bruckner:symphony No,6:Jochum/Bayerischen RSO '66 original


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/615.html

[近代史4] どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領 中川隆
202. 中川隆[-6324] koaQ7Jey 2025年6月12日 21:06:08 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[13]
トランプの仮面の裏の裏(2025.6.12)増田俊男の無料インターネットセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=oW5Ol7jSRgI
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html#c202
[番外地12] トランプとプーチンは反リベラルでも反グローバリズムでもなく、昔ながらの優生学を信奉する19世紀的な帝国主義者だよ。プーチンは隠れ yudaya人で
アベノミクスで日本経済を滅茶苦茶にした安倍、ロシア経済を滅茶苦茶にしたプーチン、世界経済を滅茶苦茶にするトランプ。 安倍や佐藤・岸や歴代の自民党幹部は李氏chousen の王族や両班階級の血筋で、全員 chousen と統一教会のスパイで反日だよ。
トランプとプーチンは反リベラルでも反グローバリズムでもなく、昔ながらの優生学を信奉する19世紀的な帝国主義者だよ。プーチンは隠れ yudaya人で、 yudaya人の利益しか考えず、スラブ人や少数民族を徹底的に搾取してきた。

移民もアメリカの労働者も日本人もトランプやイーロン・マスクみたいな巨大資本家にとっては家畜なんだよ。
トランプの関税政策と法人・富裕層への減税政策、政府組織の解体はアメリカの労働者を貧しくして、アメリカの大企業と資本家を儲けさせるのが目的。
トランプは将来的に国家を巨大資本家に支配させようとしている。トランプの政策をすべて実行すると、お金はすべて イーロン・マスクみたいな IT長者に集まって、移民もアメリカの労働者もすべて家畜になる。

▲△▽▼

RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
  そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
  ある意味非常に効率的に管理支配していますね。

BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
  彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。

  それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
  乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
  主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
  睾丸を抜いてしまうんです。

  だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
  彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
  日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
  潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。

  事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
  あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
  羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。

  その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
  (キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
  全体を支配するという考えです。

  これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。

  ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
  「羊人」という家畜にすぎません。

  だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
  劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。

  家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。

  文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。

  このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
  存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html

▲△▽▼

アベノミクスを徹底総括せよ!失敗を認め困難から逃げるな【金子勝の言いたい放題】20250106
https://www.youtube.com/watch?v=9R5SF4MnWGk

統一教会は清和会(安倍派)の重要な存立基盤となっていた
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14020597

安倍首相は韓国のスパイだったか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14027690

韓国は 安倍派、統一教会、LINEヤフー、ネイバー、韓国政府という関係で日本を支配していた
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16852679

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り、明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

「今、この国が打ち出すべき4つのヴィジョン」【金子勝】2025年4月18日(金)【紳士交遊録】
【公式】大竹まこと ゴールデンラジオ! 2025/04/18
https://www.youtube.com/watch?v=doehPPsBzmg

4/18(金) 18:00~ ライブ(尾形のDB)【金子勝・日米交渉を読む/トランプ氏 日本が先頭のなぜ?/米国トリプル安と今後の世界】
https://www.youtube.com/watch?v=KmzHGXm_NJE

【金子勝・トランプ関税戦争 拡大/日経平均、米ダウ急落/中国対抗125%、全面貿易戦争に 日本は?/一過性でない大きな流れ】2025/04/11
https://www.youtube.com/watch?v=VKwXGA26PR4

【金子勝】「トランプ政権の1カ月 フェイクファシズム時代の危険性」
日刊ゲンダイ 2025/03/14
https://www.youtube.com/watch?v=66wRsWdVYxQ

【茹でガエル経済】金子勝・茹でガエルの日本経済/長期金利1.585%、円安/庶民に地獄 インフレ政策 2025/03/26
https://www.youtube.com/watch?v=FyF2IMTtWU4

金子勝 _ 保守・右翼の経済評論家(伊藤貫、中野剛志、藤井聡、三橋貴明、橋洋一)は経済が全くわかっていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16886615

日本の有名政治家の出自が集中する「田布施」_ 戦後の総理大臣の75%が世襲政治家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14071870

明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏朝鮮の王族や両班階級の血筋だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007225

【田布施システム】歴代首相を生み出す謎の村「田布施」をジェームズ斉藤が解説!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829209

ジェームズ斉藤 : 菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014958
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/616.html
[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
253. 中川隆[-6323] koaQ7Jey 2025年6月12日 22:31:12 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[14]
特番『安倍昭恵夫人とプーチン大統領面談は何をもたらすのか』ゲスト:著作家 宇山卓栄氏
松田政策研究所チャンネル 2025/06/12
https://www.youtube.com/watch?v=q63deUp9Nhc
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c253
[近代史4] プーチン大統領 中川隆
91. 中川隆[-6322] koaQ7Jey 2025年6月12日 22:31:29 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[15]
特番『安倍昭恵夫人とプーチン大統領面談は何をもたらすのか』ゲスト:著作家 宇山卓栄氏
松田政策研究所チャンネル 2025/06/12
https://www.youtube.com/watch?v=q63deUp9Nhc
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c91
[番外地12] カテゴリー - 777ブログ 中川隆
6. 中川隆[-6321] koaQ7Jey 2025年6月12日 22:39:35 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[16]
<▽41行くらい>
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[番外地12] ヴァント

Bruckner: Symphony No.9 Günter Wand /NDR Sinfonieorchester /Tokyo Live ブルックナー:交響曲第9番 ギュンター・ヴァント 東京公演

アントン・ブルックナー:交響曲第9番 二短調
北ドイツ放送交響楽団
ギュンター・ヴァント
2000年11月13日、東京オペラシティ・コンサートホール

Bruckner: Symphonie Nr.9 d-moll (Berlin, 1998)

Günter Wand
Berliner Philharmoniker
Berlin, 20. Sept. 1998

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/617.html

[番外地12] ワルター 中川隆
2. 中川隆[-6320] koaQ7Jey 2025年6月12日 23:32:06 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[17]
<▽47行くらい>



Bruckner: Symphony n 9 in D moll - Bruno Walter; New York Philharmonic Orchestra


Bruno Walter, direttore
New York Philharmonic Orchestra
New York, 1953





Symphony No. 9 in D Minor, WAB 109 (Original 1894 Version, Ed. A. Orel) (Live) · Vienna Philharmonic






℗ 2010 Andromeda
Conductor: Bruno Walter
Orchestra: Vienna Philharmonic
Composer: Anton Bruckner

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/602.html#c2
[番外地12] ワルター 中川隆
3. 中川隆[-6319] koaQ7Jey 2025年6月12日 23:34:44 : K9iyrA0r36 : YUFYOVI3dkV0SmM=[18]


Bruckner "Symphony No 8" Bruno Walter 1941


New York Philharmonic Orchestra
Bruno Walter, Conductor
Live recording 26.I.1941

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/602.html#c3
[番外地12] クライバー
ボロディン:交響曲 第2番 ロ短調 作品5 カルロス・クライバー 1972

カルロス・クライバー指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団
Carlos Kleiber / Radio-Sinfonieorchester Stuttgart
12 Dec.1972

Borodin - Symphony No 2 - Kleiber, SRSO (1972)

Radio-Sinfonieorchester Stuttgart
Carlos Kleiber
Concert of 12 December 1972

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/618.html

[番外地12] クライバー 中川隆
1. 中川隆[-6317] koaQ7Jey 2025年6月13日 04:36:43 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[1]



Carlos Kleiber, Wiener Philharmoniker, 6 Oktober 1991


Wolfgang Amadeus Mozart
Symphony No. 36 in C major, KV 425, "Linz"

Johannes Brahms
Symphony No. 2 in D major, Op. 73

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/618.html#c1
[番外地12] クライバー 中川隆
2. 中川隆[-6316] koaQ7Jey 2025年6月13日 04:41:46 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[2]


Brahms Symphony N.2 Kleiber Radio broad casting tapeVPO (1988 LIVE )No edit version


Title 6th Subscription Concert 1987/88
Location Großer Musikvereinssaal,Vienna
Wiener Philharmoniker
Conductor Carlos Kleiber

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/618.html#c2
[番外地12] クライバー 中川隆
3. 中川隆[-6315] koaQ7Jey 2025年6月13日 04:44:01 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[3]


ボロディン:交響曲 第2番 ロ短調 作品5 エーリヒ・クライバー 1947


エーリヒ・クライバー指揮
NBC交響楽団
Erich Kleiber / NBC Symphony Orchestra
20 Dec.1947 Live Recording

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/618.html#c3
[番外地12] クライバー 中川隆
4. 中川隆[-6314] koaQ7Jey 2025年6月13日 04:47:35 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[4]


Brahms Sinfonie Nr 4 in e-Moll op 98 Carlos Kleiber Bayerische Rundfunk


Carlos Kleiber
Bayerische Rundfunk Orchestra

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/618.html#c4
[番外地12] ヤルヴェ
ボロディン:交響曲 第2番 ロ短調 ネーメ・ヤルヴィ 1991

ネーメ・ヤルヴィ指揮
エーテボリ交響楽団
Neeme Järvi / Gothenburg Symphony Orchestra June.1991

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/619.html

[番外地12] ラファエル・クーベリック
★ボロディン 交響曲 第2番 ロ短調 クーベリック Borodin Symphony No.2 H-minor

cond:ラファエル・クーベリック(チェコ・独) Rafael Kubelík 1914 -1996
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Vienna Philharmonic Orchestra
1960年録音

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/620.html

[番外地12] Saint-Saëns 中川隆
8. 中川隆[-6313] koaQ7Jey 2025年6月13日 05:47:53 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[5]
<■137行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Camille Saint Saëns Symphony No 3 Organ Paavo Järvi Orchestre de Paris


Paavo Järvi
Orchestre de Paris


Saint-Saëns - Symphony No 3 in C minor, Op 78 - Järvi


Thierry Escaich, organ
Orchestre de Paris
Paavo Järvi, conductor
Live recording. London, Proms 2013




Saint-Saëns - Symphony No. 3 "ORGAN" / 2024 Remastered (Century's.record.: Paul Paray, Marcel Dupré)


Organ: Marcel Dupré
Detroit Symphony Orchestra
Conductor: Paul Paray
Recorded in 1957




Vinyl: Saint-Saëns - Symphony No. 3 "Organ" (Dupré/Paray/DSO)


Marcel Dupré, organ
Detroit Symphony Orchestra
Paul Paray, Conductor



Saint-Saens Symphony No 3 / Munch, Boston Symphony (JMCXR-002) 1959/2009



Organ – Berj Zamkochian
Piano – Bernard Zighera, Leo Litwin
Recorded at Symphony Hall, Boston, USA, 6 April 1959 by Lewis Layton.




SAINT-SAËNS: Organ Symphoy / Munch (live - 1966)


Berj Zamkochian, organist
Boston Symphony Orchestra
Charles Munch, conductor

Stereo Concert Recording of March, 11, 1966 in
Symphony Hall, Boston, Massachusetts, USA

Note: This was the last time Charles Munch conducted
the Saint-Saëns Organ Symphony with the Boston SO in
Symphony Hall. We attended this concert.



SAINT=SAËNS : Symphony No.3 C.Munch /BSO live 1966


シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団
オルガン)ベルイ・ザムコヒアン
1966年3月11日 ボストン・シンフォニーホール ライブ録音

※ミュンシュが得意とした「オルガン交響曲」の生涯最後の圧巻のライブ。ボストン響専属のオルガニスト、ザムコヒアンとは1959年録音の正規盤含め、十数回この作品を共演した名コンビでした。


Saint-Saëns: Symphony No. 3 'Organ Symphony' - Boston Symphony Orchestra/Munch (1963)


BERJ ZAMKOCHIAN, organ
Boston Symphony Orchestra
CHARLES MUNCH, conductor
Recording: Symphony Hall, Boston, January 25, 1963

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/553.html#c8
[番外地12] Saint-Saëns 中川隆
9. 中川隆[-6312] koaQ7Jey 2025年6月13日 06:02:56 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[6]
<■63行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
サン=サーンス:交響曲 第3番 ハ短調 作品78「オルガン付」小林 研一郎 1996


アレシュ・バールタ(オルガン)Aleš Bárta, organ
小林 研一郎:指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団



シャルル・デュトワ


『交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付き」』サン=サーンス


シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団



ライヴ★サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」(ジェイコブスorg:デュトワ指揮:シカゴ響)


シャルル・デュトワ指揮
シカゴ交響楽団
ポール・ジェイコブス(Org)
2014年3月5-7日 シカゴ、シンフォニーセンターにて収録



ライヴ★サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」(デュトワ指揮:トーンハレ管)


シャルル・デュトワ指揮
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
ペーター・ソロモン(Org)
2014年2月26日 チューリッヒ、トーンハレにて収録



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/553.html#c9
[番外地12] カラヤン
M. Balakirev – Symphony No.1 in C major – Herbert von Karajan, Philharmonia Orchestra, 1950 [24/96]

Philharmonia Orchestra
Herbert von Karajan, conductor
Recorded at the Kingsway Hall, London in 1949 (mono)

Balakirev: Symphony No.1 in C major, BM 59 (Herbert von Karajan)

Philharmonia Orchestra
Herbert von Karajan (conductor)
Philharmonia Orchestra / XI 1949, Kingsway Hall, London

Mily Balakirev - Symphony No. 1 in C Major (1864-1897) {Neeme Järvi}


City of Birmingham Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi

Balakirev Symphony No.1

orch USSR State Symphony Orchestra
cond Yevgeny Svetlanov (6 September 1928 – 3 May 2002)

Balakirev Symphony No.2

orch USSR State Symphony Orchestra
cond Yevgeny Svetlanov

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/621.html

[番外地12] カラヤン 中川隆
1. 中川隆[-6311] koaQ7Jey 2025年6月13日 07:13:56 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[7]
Tchaikovsky - Symphony No.4  Karajan Wiener


ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮  
ウィーン・フィルハーモニー
1984年9月

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/621.html#c1
[番外地12] カラヤン 中川隆
2. 中川隆[-6310] koaQ7Jey 2025年6月13日 07:15:55 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[8]


Tchaikovsky “Symphony No 4” Karajan & BPO, 1971



Tchaikovsky “Symphony No 4” Karajan & BPO, 1966


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/621.html#c2
[番外地12] カラヤン 中川隆
3. 中川隆[-6309] koaQ7Jey 2025年6月13日 07:38:08 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[9]
<△29行くらい>


Tchaikovsky - Symphony No.5  Karajan Wiener


ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮  ウィーン・フィルハーモニー
1984年3月



Tchaikovsky Symphony No.5 Herbert von Karajan 1971








http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/621.html#c3
[番外地12] ムラヴィンスキー
Tchaikovsky - Symphony No.6 “Pathetique”  Mravinsky Leningrad

エフゲニー・ムラヴィンスキー 指揮  レニングラード・フィルハーモニー
1982年10月17日

Tchaikovsky Symphony No5 (Evgeny Mravinsky 1983)


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/622.html

[番外地12] アーベントロート
Tchaikovsky: Symphony No. 6 `Pathétique`, Abendroth & LeipzigRSO (1952) チャイコフスキー 交響曲第6番 アーベントロート

指揮:ヘルマン・アーベントロート
ライプツィヒ放送交響楽団

録音:1952年1月28日 ライプツィヒ放送局SRKスタジオ

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/623.html

[番外地12] カラヤン 中川隆
4. 中川隆[-6308] koaQ7Jey 2025年6月13日 08:18:58 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[10]
<△24行くらい>
Tchaikovsky - Symphony No.6 “Pathetique”  Karajan Wiener


ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮  ウィーン・フィルハーモニー
1984年1月



Tchaikovsky - Symphony No.6 ( Karajan )


Herbert von Karajan | Berliner Philharmoniker

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/621.html#c4
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
1. 中川隆[-6307] koaQ7Jey 2025年6月13日 08:32:33 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[11]
<△22行くらい>
Dvořák: Symphony No. 7, Kertész & LSO (1964) ドヴォルザーク 交響曲第7番 ケルテース


指揮:ケルテース・イシュトヴァーン
ロンドン交響楽団

録音:1964年3月 ロンドン [デッカ]


Antonin Dvorak Symphony no. 7 / LSO, Istvan Kertesz


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c1
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
2. 中川隆[-6306] koaQ7Jey 2025年6月13日 08:35:02 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[12]
ドヴォルザーク 交響曲第7番 Istvan Kertesz


指揮 : #イシュトヴァン・ケルテス
ロンドン交響楽団
1964年録音

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c2
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
3. 中川隆[-6305] koaQ7Jey 2025年6月13日 09:04:00 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[13]
<■96行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Dvořák symphony No,8 Karajan VPO ‘85 cd



Antonín Dvořák Symphony No 8 in G major Karajan Wiener Philarmoniker




Dvořák : Symphony No 8 in G major, Op 88 H.V.Karajan live in Tokyo 1973


ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88
H・V・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1973年10月27日 東京・NHKホール ライブ録音
※新装なったNHKホールが招聘したベルリン・フィル・シリーズ公演から。この曲で大活躍のフルートのゴールウェイはベルリン・フィル首席奏者時代唯一の来日記録でした。



Dvořák : Symphony No 8, R.Kempe Live at The Royal Albert Hall, 1972


ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1972年9月9日 ロンドン、ロイヤル・アルバートホール(ライブ)
※強烈な追い込み、これぞケンペの真骨頂。熱狂のプロムスの記録です。



Dvořák Symphony No. 8 - Rudolf Kempe / Munich Philharmonic - Proms 1972




Dvořák Symphony no.8 Kempe 1972 in BBC Proms 50(Pitch Corrected)


1972 Sep.9
Released By ICA Classics licensed by BBC



Dvořák symphony No,8 Neumann Czech Philharmonic '72







http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c3
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
4. 中川隆[-6304] koaQ7Jey 2025年6月13日 09:13:23 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[14]
<▽46行くらい>


Dvořák: Symphony no. 7 in D minor op.70 (Celibidache, MPO, 1987)


Münchner Philharmoniker / Munich Philharmonic Orchestra
Conductor: Sergiu Celibidache

Recorded:
1987, Berlin


dvořák sinfonie nr. 7 d-moll op. 70 ( s. celibidache )
https://www.youtube.com/watch?v=7Jq5kAfLk4g

( live-aufnahme. okt. 1982 )




Dvorak Symphony no 7 BRSO Kubelik 1978





Dvořák - Symphony No.6~9 - Rafael Kubelik / Berliner Philharmoniker - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLBgagen1f2_-Bfx_vj1GlqgqIEkn94nqN

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c4
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
5. 中川隆[-6303] koaQ7Jey 2025年6月13日 09:31:18 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[15]
<■55行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>




dvorak symphony no.9 in e minor, op.95 " from the new world " ( s. celibidache )
https://www.youtube.com/watch?v=OlMKsRtyb9A

(live recording. oct. 28, 1991 gasteig arts centre, munich )



Dvořák Symphony No 9 "New World" Celibidache, Münchner Philharmoniker, 1991


Münchner Philharmoniker
Sergiu Celibidache
Recorded 1991



Dvořák - Symphony No 9 'From The New World' - Celibidache, MPO (1985)


Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Live recording: 16 June 1985, Herkulessaal der Residenz, Munich



Dvořák Symphony No 9 New World Celibidache




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c5
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
6. 中川隆[-6302] koaQ7Jey 2025年6月13日 09:54:16 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[16]


Dvořák: Symphony No. 8 / Abbado · Berliner Philharmoniker



Claudio Abbado
Berliner Philharmoniker
Recorded at the Berlin Philharmonie, 31 December 1999.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c6
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
7. 中川隆[-6301] koaQ7Jey 2025年6月13日 10:09:40 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[17]
<▽46行くらい>
[High quality☆] Dvořák - Symphony No.9 "From the New World"/ Kertész & Wiener Philharmoniker


Conductor – István Kertész(1929-1973)
Orchestra – Wiener Philharmoniker

Recorded 22-24 March 1961, at Sofiensäle, in Vienna



Dvořák: Symphony No. 9, Kertesz & VPO (1961) ドヴォルザーク 交響曲第9番 ケルテス


指揮:イシュトヴァン・ケルテス
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1961年3月22〜24日 ゾフィエンザール (ウィーン) [デッカ]





Dvořák: Complete Symphonies - Kertész - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLxV6VwFCe969ag8afuJNzsI7T7NCv6463

London Symphony Orchestra
István Kertész
℗ 1967 Decca Music Group Limited

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c7
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
8. 中川隆[-6300] koaQ7Jey 2025年6月13日 10:24:49 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[18]
<△25行くらい>
aあ


Dvořák:symphony No,9:"FROM THE NEW WORLD":Klemperer/Philharmonia O '63:High quality sound version




Dvořák - Symphony No. 9 "From the New World" (Philhamonia, Klemperer)


Philharmonia Orchestra
conducted by Otto Klemperer

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c8
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
9. 中川隆[-6299] koaQ7Jey 2025年6月13日 10:28:55 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[19]
<▽30行くらい>
Dvořák : Symphony No.9 ' From the new world ' Václav Smetáček 1974 live


ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 プラハ放送交響楽団
1974年ライブ録音
※スメターチェクの実力が遺憾なく発揮された白熱のライブ録音。




Dvořák - Symphony No 9 'From The New World' - Toscanini, NBCSO (1938)


NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini
Broadcast live on 5th November, 1938, NBC Studio 8H, New York

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c9
[番外地12] ドヴォルザーク 中川隆
10. 中川隆[-6298] koaQ7Jey 2025年6月13日 10:36:38 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[20]
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95《新世界より》アーノンクール 1999


ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
Nikolaus Harnoncourt / Royal Concertgebouw Orchestra Oct.1999 Live Recording

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/557.html#c10
[番外地12] チャールズ・スタンフォード
Stanford Symphonies — Bournemouth Symphony Orchestra & David Lloyd-Jones - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLr0MsaDpKsY_JfY2fMicI_M3DC0mtRbXL

℗ 2007 Naxos
Conductor: David Lloyd-Jones
Orchestra: Bournemouth Symphony Orchestra

Stanford Symphony No.2

Stanford 1882 SY02 Handley Ulster

Vernon Handley / Ulster Orchestra

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/624.html

[番外地12] チャールズ・スタンフォード 中川隆
1. 中川隆[-6297] koaQ7Jey 2025年6月13日 11:12:54 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[21]



Stanford - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL-XSLnHIfCCnqT3X-DYdicBkkeDqLnOvX

Vernon Handley
Ulster Orchestra



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/624.html#c1
[番外地12] チャールズ・ヒューバート・パリー
BBC Proms - Hubert Parry: Jerusalem (orch. Elgar)


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/625.html
[番外地12] チャールズ・ヒューバート・パリー 中川隆
1. 中川隆[-6296] koaQ7Jey 2025年6月13日 13:38:34 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[22]
<△28行くらい>



Parry - Symphony No.5 (Boult) (vinyl: Sumiko Starling, Graham Slee Accession MC, CTC Classic 301)


Adrian Boult
the London Philharmonic Orchestra
HMV ASD 3725 (p) 1979



Sir Hubert Parry - Symphony No. 5 "Fantasia" (1912)


The London Philharmonic
Matthias Bamert

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/625.html#c1
[番外地12] チャールズ・ヒューバート・パリー 中川隆
2. 中川隆[-6295] koaQ7Jey 2025年6月13日 13:42:55 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[23]


Parry 1912 SY05 Bamert LPO


Matthias Bamert
London Philharmonic Orchestra

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/625.html#c2
[番外地12] ダンディ
d'Indy: Symphony on a French Mountain Air, Cluytens & PCO (1953) ダンディ フランスの山人の歌による交響曲 クリュイタンス

ピアノ:アルド・チッコリーニ
指揮:アンドレ・クリュイタンス
パリ音楽院管弦楽団

録音:1953年6月16,29日

d'Indy: Symphony on a French Mountain Air, Munch & BSO (1958) ダンディ フランスの山人の歌による交響曲 ミュンシュ

ピアノ:ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー
指揮:シャルル・ミュンシュ
ボストン交響楽団

録音:1958年3月24日 シンフォニー・ホール (ボストン)

★ダンディ ≪フランス山人の歌による交響曲≫ シャルル・ミンシュ d'Indy 《Symphonie sur un chant montagnard français)》

シャルル・ミュンシュ(独−仏) Charles Munch 1891–1968 
P:ニコレ・アンリオ=シュヴァイツァー (仏) Nicole Henriot-Schweitzer 1925-2001
ボストン交響楽団 The Boston Symphony Orchestra
1958 REC

ダンディ:フランス山人の歌による交響曲 Op.25 ティボーデ, デュトワ 1989

ジャン=イヴ・ティボーデ(ピアノ)Jean-Yves Thibaudet, Piano
シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/626.html

[番外地12] ダンディ 中川隆
1. 中川隆[-6294] koaQ7Jey 2025年6月13日 22:55:46 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[24]
ダンディ:フランス山人の歌による交響曲 Op.25 シャピロ, モントゥー 1941


マキシム・シャピロ(ピアノ)Maxim Shapiro, piano
ピエール・モントゥー指揮 サンフランシスコ交響楽団

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/626.html#c1
[番外地12] エルガー
Elgar - Symphony No 1 in A flat major, Op 55 - Barbirolli

Hallé Orchestra
Sir John Barbirolli, conductor
Live recording.

Giuseppe Sinopoli Elgar - Symphony No.2 PO

Giuseppe Sinopoli
Philharmonia Orchestra
March, 1987

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html

[番外地12] エルガー 中川隆
1. 中川隆[-6293] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:04:02 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[25]



Edward Elgar: Symphony No. 1 in A flat major, Op.55 (FULL)


Neville Marriner
the Academy of St. Martin in the Fields

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c1
[番外地12] エルガー 中川隆
2. 中川隆[-6292] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:25:36 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[26]
<▽31行くらい>


Edward Elgar : Symphony No. 1 in A-flat major, Op. 55


Sir John Barbirolli (Conductor)
Halle Orchestra
(Rec.1956) Public Domain





Sir Edward Elgar - Symphony no. 2: Sir Colin Davis conducting the LSO at the Proms in 2006


Colin Davis
the LSO
recorded at the Barbican Centre for LSO LIVE August 2006.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c2
[番外地12] エルガー 中川隆
3. 中川隆[-6291] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:28:18 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[27]


Sir Edward Elgar - The Sketches for Symphony No. 3 Elaborated by Anthony Payne (1998 Proms Premiere)


BBC Symphony Orchestra
conducted by
Sir Andrew Davis

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c3
[番外地12] エルガー 中川隆
4. 中川隆[-6290] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:32:34 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[28]
<▽30行くらい>


ELGAR: SYMPHONY 2 / BOSTON SO / BARBIROLLI (LIVE)


Boston Symphony Orchestra
John Barbirolli, conductor
recording of September 7, 1964
ta Symphony Hall, Boston, Massachusetts, USA





Elgar, Edward - Symphony No. 3 in C minor Op. 88 (1933 realised by Anthony Payne 1994-97)


Performers: BBC Symphony Orchestra, dir. Andrew Davis, 2012

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c4
[番外地12] エルガー 中川隆
5. 中川隆[-6289] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:38:17 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[29]
<△29行くらい>


Elgar/Payne Symphony 3 conducted by Vernon Handley


Vernon Handley
the RTÉ National Symphony Orchestra of Ireland





Elgar: Symphony No. 1 in A flat Major Op. 55 - Staatskapelle Dresden, Sir Colin Davis


Staatskapelle Dresden
Colin Davis, conductor


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c5
[番外地12] エルガー 中川隆
6. 中川隆[-6288] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:49:42 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[30]

Elgar: Symphony No. 1 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_khX6_Ap688r_9M-Rq6Me1ZVJxjcep6gZw

London Symphony Orchestra
Colin Davis
℗ London Symphony Orchestra Ltd
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c6

[番外地12] エルガー 中川隆
7. 中川隆[-6287] koaQ7Jey 2025年6月14日 00:51:27 : MS8EPcVT7U : ci8zLmx0TmNqamc=[31]
エルガー:交響曲 第1番 変イ長調 作品55 シノーポリ 1990


ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
Giuseppe Sinopoli / Philharmonia Orchestra Jan.1990

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/627.html#c7
[番外地12] マーラー
Mahler "Symphony No 6" Vaclav Neumann

Gewandhausorchester Leipzig
Vaclav Neumann, Conductor

Mahler / Symphony No. 6 / Neumann & The Czech Philharmonic (1979)


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/628.html

[番外地12] マーラー 中川隆
1. 中川隆[-6286] koaQ7Jey 2025年6月14日 05:27:11 : ThvGzzQ7uo : dU43c3dISVpOWEE=[1]
<△21行くらい>


Death in Venice Full Album


Mort A Venise / Morte A Venezia / Death In Venice (LP 1971 / CD 1993)

Mahler: Adagio From The 5th Symphony (Main Title: Theme From 'Death in Venice')
Mussorgsky: Lullaby: Ninna Nanna (Deserted Beach)
Beethoven: Für Elise (The Salon & The Bordello)
Mahler: 4th Movement From The 3d Symphony (Return To Venice)
Mahler: Chi Con Le Donne Vuole Aver Fortuna (Death & End Title: Theme From 'Death in Venice')

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/628.html#c1
[番外地12] マーラー 中川隆
2. 中川隆[-6285] koaQ7Jey 2025年6月14日 06:35:00 : ThvGzzQ7uo : dU43c3dISVpOWEE=[2]



Luchino Visconti Morte a Venezia 1971


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/628.html#c2
[番外地12] マーラー 中川隆
3. 中川隆[-6284] koaQ7Jey 2025年6月14日 06:55:58 : ThvGzzQ7uo : dU43c3dISVpOWEE=[3]
<△26行くらい>
ベニスに死す DEATH IN VENICE 美は滅びない


水の都ベニスで、至高の美少年に魅せられた芸術家の苦悩と恍惚。
マーラー交響曲第5番アダージェットに永遠の輝きを与えた、
巨匠ヴィスコンティの最高傑作であり、総合芸術の頂点。

製作:ルキーノ・ヴィスコンティ
脚本:ルキーノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バラルッコ
原作:トーマス・マン「ベニスに死す」(2011年8月集英社文庫刊)
音楽:グスタフ・マーラー「交響曲第3番」 「交響曲第5番」
撮影監督:パスクァリーノ・デ・サンティス
編集:ルッジェーロ・マストロヤンニ
出演:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ
1971年/イタリア・フランス/133分/カラー/英語・イタリア語・ポーランド語・フランス語/モノラル/シネスコ

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/628.html#c3
[近代史7] 14歳女子中学生の旭川いじめ凍死事件はプチエンジェル事件同様の児童売春・ハニートラップ事件だったのか? 中川隆
39. 中川隆[-6283] koaQ7Jey 2025年6月14日 08:51:24 : ThvGzzQ7uo : dU43c3dISVpOWEE=[4]
旭川女子凍死事件の遺体のそばに・・・
タカユキtwistclubチャンネル 2025/06/14
凍死した女子中学生が自殺ではなく他殺だった証拠を発見
https://www.youtube.com/watch?v=UeqyEajwXkM
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/215.html#c39
[近代史5] 「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ” 中川隆
489. 中川隆[-6282] koaQ7Jey 2025年6月14日 08:52:35 : ThvGzzQ7uo : dU43c3dISVpOWEE=[5]
旭川女子凍死事件の遺体のそばに・・・
タカユキtwistclubチャンネル 2025/06/14
凍死した女子中学生が自殺ではなく他殺だった証拠を発見
https://www.youtube.com/watch?v=UeqyEajwXkM
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html#c489
[番外地12] 旭川女子中学生いじめ凍死事件
旭川女子凍死事件の遺体のそばに・・・
タカユキtwistclubチャンネル 2025/06/14
凍死した女子中学生が自殺ではなく他殺だった証拠を発見
https://www.youtube.com/watch?v=UeqyEajwXkM



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/629.html

[番外地12] アメリカの意志で真の独立国になる日本(2025.6.14)増田俊男のラジオ
アメリカの意志で真の独立国になる日本(2025.6.14)増田俊男のラジオ

https://www.youtube.com/watch?v=ckzcFxRc8os


https://www.youtube.com/watch?v=9y0KC1D-rE4



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/630.html

[番外地12] アメリカの意志で真の独立国になる日本(2025.6.14)増田俊男のラジオ 中川隆
1. 中川隆[-6281] koaQ7Jey 2025年6月14日 20:19:06 : ThvGzzQ7uo : dU43c3dISVpOWEE=[6]
<△26行くらい>
(6月13日収録)【セミナー動画】 西山孝四郎氏 オンデマンドセミナー
https://www.youtube.com/watch?v=1S5Gpj_OmvI 

日米同時金融危機の予兆は国債金利の上昇(3)25.06.12
https://www.youtube.com/watch?v=VkeYqJLLOAw

3回目では、現在、日米の債券市場で起こっている「期待インフレ率の上昇」が長期国債の金利を上げ、国債価格を下落させるメカニズムを示します。 国債価格が下がると、国債をもつ銀行の損失になる。その損失は、銀行の自己資本の減少になり、銀行は信用増総額(貸し付け金=預金マネー)を減らさねばならない。こうした一連の「信用収縮の過程」を示します。

日米同時金融危機の予兆が、長期国債金利の上昇(4)25.06.12
吉田繁治チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=qHThGZ_uHUQ

 世界金融の基礎部分では、トランプ関税の25年の4月、5月、6月から、 特に米国は「金融危機の寸前」にあるという認識をもつ必要があるでしょう。 事実、米財務長官ベッセントは、長期の借り換えと新規国債の発行が集中する7月末〜8月と言っています。 4回目では、世界の銀行に自己資本規制を課しているBIS(国際決済銀行)の、国債の時価評価を言うバーゼル3を解説し、トランプ関税で、世界の株価が20%下落した25年4月の金融状況と、関税の90日延期で、楽観的になった株式市場の原因を示します。更に、ドル危機をもたらす原因になるものが、世界の通貨に対するドル指数の、25年2月からの10%下落、2025年末の可能性は20%下落であることも示します。  
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/630.html#c1

[番外地12] 米イラン交渉に水を差す空爆(金上昇・リスク回避)原油高騰J.P.モルガン警告
米イラン交渉に水を差す空爆【金上昇・リスク回避】原油高騰J.P.モルガン警告
銀silverゴールドch 2025/06/13
https://www.youtube.com/watch?v=LbphI8O5C1E


【衝撃】原油130ドル!?中東危機「テヘラン空爆」の真相とホルムズ海峡封鎖の悪夢…日本の生活はどうなる?J.P.モルガン警告 ついに開戦か?

イスラエル「テヘラン空爆」の裏側とアメリカの思惑。 イスラエル・イラン衝突 原油高騰は序章に過ぎない?日本のエネルギー安全保障の課題。

「イラン核施設が瓦礫に…」最悪の事態も?日本が取るべきエネルギー戦略を考える。 この空爆は単なる軍事衝突なのでしょうか? それとも、長年くすぶってきた火種がついに燃え上がった「本物の危機」の始まりなのでしょうか?
衝撃のテヘラン空爆、一体何が起きたのか? イスラエル、ネタニヤフ首相がこのタイミングで行動に出た「本当の理由」とは?この軍事衝突が世界の金融市場(原油、金、株価)に与える甚大な影響。 J.P.モルガンが警告する「原油130ドル」最悪シナリオと、ホルムズ海峡封鎖のリスク。 エネルギーの9割以上を中東に依存する日本への壊滅的な影響 『見せかけの劇場型紛争なのか、それとも本物か?』

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/631.html

[番外地12] 米イラン交渉に水を差す空爆(金上昇・リスク回避)原油高騰J.P.モルガン警告 中川隆
1. 中川隆[-6280] koaQ7Jey 2025年6月15日 03:14:39 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[1]
<△25行くらい>
ドルの帝国循環の弱体化が起こっている(日米同時金融危機シリーズ(5))
吉田繁治チャンネル 2025/06/14
https://www.youtube.com/watch?v=kiBEfHSuGNE



今回は、「ドルの帝国循環の弱体化」をテーマにします。日米同時金融危機シリーズの5項目です。米国では、2025年度に財政赤字2兆ドル、経常収支の赤字1.2兆ドルがあって、海外へのドルの流出になっています。
 海外に出たドルが米国に、合計3.2兆ドルの米国債・米国株・ドル債券の買いとして還流しないと、米国の資金繰りは危うくなって、それがドル指数の下落、37兆ドルの米国債の下落(国債利回りの上昇)になります。これが米国の国家としての「資金繰りの危機」、つまり金融危機です。2025年7月以降も、米国の赤字(財政赤字+経常収支の赤字:3.2兆ドル/年)は減らないので、危機は深刻になっていくでしょう。

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/631.html#c1
[番外地12] ブルックナー
Bruckner Symphony No 9 - Lecture on Finale by Nikolaus Harnoncourt


A lecture given by Nikolaus Harnoncourt on the incomplete Finale of Bruckner's 9th Symphony. Harnoncourt and the Vienna Philharmonic Orchestra perform the fragments exactly as written by Bruckner.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/632.html

[番外地12] ブルックナー 中川隆
1. 中川隆[-6279] koaQ7Jey 2025年6月15日 05:28:37 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[2]
<■88行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

Symphony No. 9 in D Minor, WAB 109: IV. Finale (Misterioso und nicht schell)


Simon Rattle
Berliner Philharmoniker
℗ 2012 Warner Classics, Warner Music UK Ltd




Bruckner - Symphony No 9 (with Finale) - Eichhorn, BOL (1992-3)


0:00 Feierlich, misterioso
26:21 Scherzo: Bewegt, lebhaft; Trio. Schnell
37:38 Adagio: Langsam, feierlich
1:02:36 Finale: Misterioso, nicht schnell

Bruckner Orchestra Linz
Kurt Eichhorn
Recorded: April 13-15, 1992 (movements 1-3) & February 16-17, 1993 (finale)


Performing Version December 1992 by NICOLA SAMALE, JOHN A. PHILLIPS and GIUSEPPE MAZZUCA, with the assistance of GUNNAR COHRS






ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 WAB109 (2021-22年SPCM版*第4楽章付き)[*日本初演]/エリアフ・インバル/東京都交響楽団


01:13 第1楽章 荘厳に、神秘的に
23:54 第2楽章 スケルツォ/動きをもって、生き生きと
34:40 第3楽章 アダージョ/ゆっくりと、荘厳に
(以上:ノヴァーク版)
57:12 第4楽章 フィナーレ/神秘的に、速すぎずに


2024年6月4日(火) サントリーホール
指揮/エリアフ・インバル

2024年のハイライトである第1000回定期は、桂冠指揮者エリアフ・インバルの指揮でブルックナーの未完の交響曲第9番をフィナーレ(第4楽章)付きでお贈りしました。この公演で演奏したフィナーレは、ニコラ・サマーレ、ジョン・A・フィリップス、ベンヤミン=グンナー・コールス、ジュゼッペ・マッツーカ(4人の頭文字を取って「SPCM」)によって続けられてきた研究に基づく最新ヴァージョン(2021-22年)。
インバルは1980年代後半にフランクフルト放送響と初期の版を録音するなど、早くから彼らの研究に注目しており、今回の最新版演奏にも大きな意欲を燃やしました。フィナーレ付きを是とするか非とするかは聴き手次第。ブルックナーを愛するすべての方々に聴いていただきたい演奏です。

校訂者の一人、ジョン・A・フィリップス氏による楽曲解説が月刊都響6.7月号でご覧いただけます。(P6-10)
https://www.tmso.or.jp/common/archives/pdf/magazine/monthly_tmso-2024-06-07.pdf




http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/632.html#c1
[番外地12] ブルックナー 中川隆
2. 中川隆[-6278] koaQ7Jey 2025年6月15日 05:36:44 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[3]
<■91行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>



Symphony No. 9 in D Minor, WAB 109, "Dem lieben Gott": IV Finale: Misterioso, nicht schnell


Hallé
Kahchun Wong
℗ 2025 Hallé Concerts Society




Anton Bruckner: Symphony No. 9, with reconstructed Finale. Bruckner Orchester Linz, Kurt Eichhorn


Leopold Nowak Edition.
Bruckner Orchester Linz
Kurt Eichhorn
Recording: 1992, 1993 (Finale).


00:00:00 - I. Feierlich. Misterioso
00:26:21 - II. Scherzo, bewegt, lebhaft
00:37:38 - III. Adagio. Langsam, feierlich
01:02:36 - IV. Finale. Misterioso, nicht schnell

Finale Reconstructed by Samale, Phillips, Mazzuca, & Cohrs.



Bruckner Symphony No. 9 with finale completion, Thomas Dausgaard ブルックナー:交響曲第9番(第4楽章補筆版)ダウスゴー PMF2023


トーマス・ダウスゴーの指揮のもとPMFオーケストラが2023年の集大成として挑んだ、約70分にも及ぶ渾身の演奏です!

0:53 I. Feierlich, misterioso *
24:14 II. Scherzo. Bewegt, lebhaft – Trio. Schnell *
34:36 III. Adagio. Langsam, feierlich *
55:47 IV. Finale. Misterioso. Nicht schnell **

*I.–III. ed. Cohrs (2000, from Orel & Nowak) / コールス校訂版(オーレル及びノヴァーク校訂版による。2000年)

**IV. Conclusive Revised Edition by Samale, Phillips, Cohrs, & Mazzuca (2012), partially edited by Thomas Dausgaard / サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカによる補筆完成版 (2012年) ※トーマス・ダウスゴーにより一部編集されております。

トーマス・ダウスゴー(指揮)
PMFアメリカ
PMFオーケストラ


エリアフ・インバル

Bruckner "Finale Symphony No 9" Eliahu Inbal


Reconstruction by
Nicola Samale & Giuseppe Mazzuca
Radio-Sinfonie-Orchester Frankfurt
Eliahu Inbal, conductor

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/632.html#c2
[番外地12] ブルックナー 中川隆
3. 中川隆[-6277] koaQ7Jey 2025年6月15日 05:47:22 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[4]
<■122行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>



bruckner 9 finale - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLl4o1DhZ0roK9lWaEDWamZ222x2vv7hzY



Anton Bruckner - Fragment of 9th Symphony


harnoncourt
fragment of 9. - 4th movement



Anton Bruckner : Symphony Nº9 in D Minor,WAB 109 (original 1894 version,ed.L.Nowak)


Original 1894 version, ed.L. Nowak.(Finale completed by N.Samale, J.Phillips, B.Cohrs, G.Mazzuca, 1992 version).

I. Feierlich, misterioso: 00:00
II. Scherzo: Bewegt, lebhaft -Trio: Schnell-Scherzo: 23:15
III. Adagio: Langsam, feierlich: 34:12
IV. Finale: Misterioso, nicht schnell : 0:59:24

Westphalia New Philharmonic Orchestra
Johannes Wildner




Bruckner/Carragan - Symphony No.9, Part 4 (Gerd Schaller)


Philharmonie Festiva
Gerd Schaller
Live-Recording: August,1st,2010, Abteikirche Ebrach



Bruckner Symphony 9 - Finale ; Manuscript of the composer (Letocart completion)


The 15th of September 2024, under the direction of the young dutch conductor Rolf Verbeek, Camerata RCO, composed entirely of members from the prestigious Concertgebouw Orchestra of Amsterdam, gave the world premiere of Bruckner's 9th Symphony in its four-movement form, concluding with the Finale, which was completed by Sébastien Letocart in 2007/2008 and rearranged for 16 musicians in 2022/2023 - flute, oboe, clarinet 1, clarinet 2, bassoon, horn 1, horn 2, trumpet, trombone tenor, piano, timpani, violin 1, violin 2, viola, cello, double bass.

This video displays most of the significant material that has survived from Bruckner's hand, completely debunking the myth that there was almost nothing substantial or coherent left from the old composer. On the contrary, we can see how far Bruckner had progressed in composing his ultimate opus despite his severe illness.


IV. Finale - Bewegt, doch nicht zu schnell - Duration : (22'35")

Exposition:
00:00 thematic group A
02:18 thematic group B ('Gesangsperiode')
04:16 thematic group C (Choral)
06:10 transition to development - Te Deum motif (flute)

Development:
06:42 first part
08:09 transition to the Fugue (second part)
09:00 Fugue
10:43 progression toward the central climax
11:37 ascending triplet motif (climax)

Recapitulation:
12:14 thematic group B ('Gesangsperiode')
14:52 transition to the thematic group C
15:25 thematic group C (Choral)
16:37 transtion to the coda

Coda:
17:15 part 1
18:41 part 2
19:29 part 3
20:34 part 4 ('coda of the coda')
22:01 D major superposition of the four main themes of the Symphony + Te Deum motif


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/632.html#c3
[番外地12] R.シュトラウス
Richard Strauss, Symphonia Domestica Op 53 , Clemens Krauss,cond


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/633.html
[番外地12] R.シュトラウス 中川隆
1. 中川隆[-6276] koaQ7Jey 2025年6月15日 06:44:50 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[5]
<■116行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Hans Knappertsbusch R.Strauss - Death and Transfiguration & Eine Alpensinfonie, VPO


Richard Strauss (1864-1949)
(00:00:00) Death and Transfiguration, Op.24

Eine Alpensinfonie, Op. 64
(00:22:14) 1. Nacht - Sonnenaufgang
(00:25:32) 2. Der Anstieg
(00:27:55) 3. Eintritt in den Wald
(00:32:53) 4. Wanderung neben dem Bache - Am Wasserfall - Erscheinung
(00:34:54) 5. Auf blumigen Wiesen - Auf der Alm - Durch Dickicht und Gestrüpp auf Irrwegen - Auf dem Gletscher
(00:40:42) 6. Gefahrvolle Augenblicke - Auf dem Gipfel - Vision
(00:50:50) 7. Nebel steigen auf - Die Sonne verdüstert sich allmählich - Elegie
(00:53:57) 8. Stille vor dem Sturm
(00:56:30) 9. Gewitter und Sturm - Abstieg
(01:00:27) 10. Sonnenuntergang
(01:02:29) 11. Ausklang - Nacht

Hans Knappertsbusch
Vienna Philharmonic Orchestra

(Death and Transfiguration) November 9, 1958
(Eine Alpensinfonie) April 20, 1952





Richard Strauss "Eine Alpensinfonie" Carl Schuricht


Radio Symphony Orchestra Stuttgart
Carl Schuricht, conductor
Stuttgart, 04.-07.I.1955


Richard Strauss Eine Alpensinfonie (rec1955)


date 1955
orch Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
cond Carl Schuricht





Richard Strauss: Eine Alpensinfonie op. 64 (1915) / Strauss


Bayerisches Staatsorchester
Richard Strauss (1941)




R.Strauss: Eine Alpensinfonie op.64 Evgeny Mravinsky & Leningrad Philharmonic Orchestra


Leningrad Philharmonic Orchestra
Evgeny Mravinsky
April 21. 1962. Leningrad.





R. Strauss: Eine Alpensinfonie, Böhm & SKD (1957) R. シュトラウス アルプス交響曲 ベーム


指揮:カール・ベーム
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1957年9月14〜18日 ドレスデン

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/633.html#c1
[番外地12] シベリウス
Sibelius Complete Symphonies Nos 1,2,3,4,5,6,7 Paavo Berglund, Helsinki Ph


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html
[番外地12] シベリウス 中川隆
1. 中川隆[-6275] koaQ7Jey 2025年6月15日 07:49:44 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[6]

Chamber Orchestra of Europe, Paavo Berglund - Sibelius : Symphonies 1-7 (Full Album) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLiQOHizGaGR8dShmGtbz4-PGKhESzbQrL

Chamber Orchestra of Europe
Paavo Berglund
℗ 1998 Finlandia Records
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c1

[番外地12] シベリウス 中川隆
2. 中川隆[-6274] koaQ7Jey 2025年6月15日 07:53:59 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[7]
aあ

Sibelius - Symphonies No.1,2,3,4,5,6,7 + Presentation (Century's recording : Sir John Barbirolli)


Hallé Orchestra
Sir John Barbirolli
Recorded in 1966,69-70, at London

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c2
[番外地12] シベリウス 中川隆
3. 中川隆[-6273] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:00:49 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[8]


Göteborgs Symfoniker, Neeme Järvi - Sibelius: Symphonies Nos. 1-7 Full Album - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLb9WkmwNhbSzeLqcptvtLZLb2gDzDSDKf

Göteborgs Symfoniker
Neeme Järvi
℗ 1993 BIS
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c3

[番外地12] シベリウス 中川隆
4. 中川隆[-6272] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:03:07 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[9]

COMP Sibelius [The Symphonies; Tone Poems] Jarvi/Gothenburg Symphony Orchestra - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLBJenJIJrq0w6pX-ORf6DhuqBEZunhu85
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c4

[番外地12] シベリウス 中川隆
5. 中川隆[-6271] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:07:12 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[10]



Sibelius: The Complete Symphonies Colin Davis/BSO


Colin Davis: Conductor
Boston Symphony Orchestra

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c5
[番外地12] シベリウス 中川隆
6. 中川隆[-6270] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:10:30 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[11]
ああ

Sibelius: Complete Symphonies, Tone Poems, Etc. (Sir Colin Davis - Boston Symphony Orchestra) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLa1rC97wRkZhWQHSHOGivOuSYzzJukIwc
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c6

[番外地12] シベリウス 中川隆
7. 中川隆[-6269] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:21:38 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[12]
<△29行くらい>
シベリウス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.43 指揮ジョン・バルビローリ ハレ管弦楽団 1952年録音



Sibelius Symphony No. 2 in D major Op.43 Conductor John Barbirolli Halle Orchestra Recorded in 1952



Sibelius: Symphony No. 2, Barbirolli & HalléO (1952) シベリウス 交響曲第2番 バルビローリ


指揮:ジョン・バルビローリ
ハレ管弦楽団

録音:1952年12月18〜19日 フリー・トレード・ホール (マンチェスター) [EMI]

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c7
[番外地12] シベリウス 中川隆
8. 中川隆[-6268] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:25:50 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[13]
<△25行くらい>
シベリウス:交響曲 第2番 ニ長調 作品43 モントゥー 1959


ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団
1959


シベリウス 交響曲 第2番 ニ長調 作品43 モントゥー Sibelius Symphony No.2 D-major Op.43


ピエール・モントゥー(仏) Pierre Monteux 1875–1964
ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
録音:1959年

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c8
[番外地12] シベリウス 中川隆
9. 中川隆[-6267] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:30:31 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[14]
Sibelius - Symphony No.1  Berglund Helsinki
https://www.youtube.com/watch?v=qqQ5qkDyyVI

パーヴォ・ベルグルンド 指揮  
ヘルシンキ・フィルハーモニー 管弦楽団
1986年

Sibelius - Symphony No.2  Berglund Helsinki
https://www.youtube.com/watch?v=DuG9elkON78

パーヴォ・ベルグルンド 指揮  
ヘルシンキ・フィルハーモニー 管弦楽団
1986年
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c9

[番外地12] シベリウス 中川隆
10. 中川隆[-6266] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:36:05 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[15]
<△27行くらい>
aあ

Sibelius: Symphony No 2 (1940) Toscanini/NBC


Arturo Toscanini, conductor
NBC Symphony Orchestra


Sibelius - Symphony No 2 - Toscanini, NBCSO (1940)


NBC Symphony Orchestra conducted by Arturo Toscanini
Live broadcast, 7 December 1940

Recorded Live on December 7, 1940
in Studio 8H, Radio City, New York

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c10
[番外地12] シベリウス 中川隆
11. 中川隆[-6265] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:42:35 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[16]


Symphony No. 1 in E Minor, Op. 39


Göteborgs Symfoniker
Neeme Järvi
℗ 1993 BIS

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c11
[番外地12] シベリウス 中川隆
12. 中川隆[-6264] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:53:07 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[17]


Jean Sibelius - Kullervo, Op. 7 (1892)


Paavo Jarvi
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
Estonian National Male Choir
Peter Mattei
Randi Stene

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c12
[番外地12] シベリウス 中川隆
13. 中川隆[-6263] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:55:07 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[18]


Repertoire: The BEST Sibelius KULLERVO SYMPHONY - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLEhQ5Ooc2lLpoFq8sr4FXm9vL0O-S6GPo

London Symphony Orchestra
Colin Davis

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c13
[番外地12] シベリウス 中川隆
14. 中川隆[-6262] koaQ7Jey 2025年6月15日 08:58:36 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[19]


Jean Sibelius - Kullervo: Sir Colin Davis conducting the LSO and Chorus in 1997


Barbican Hall in June 1997, with
soloists Hillevi Martinpelto and Karl-Magnus Fredriksson
the LSO and Chorus
Sir Colin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c14
[番外地12] シベリウス 中川隆
15. 中川隆[-6261] koaQ7Jey 2025年6月15日 09:00:58 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[20]


Kullervo, Op. 7 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oyMnbws1eQg&list=PL6bLSbq1os-WN4-1pFPbGk0JFmH-9jrkX&index=1



Helsinki University Male Choir
Bournemouth Symphony Orchestra
Paavo Berglund

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c15
[番外地12] シベリウス 中川隆
16. 中川隆[-6260] koaQ7Jey 2025年6月15日 09:20:55 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[21]
<△22行くらい>
Sibelius - Symphony No.3  Mravinsky Leningrad


エフゲニー・ムラヴィンスキー 指揮  
レニングラード・フィルハーモニー
1963年10月27日



Sibelius SY03 Berglund Helsinki



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c16
[番外地12] シベリウス 中川隆
17. 中川隆[-6259] koaQ7Jey 2025年6月15日 09:57:58 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[22]
<■54行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

Sibelius, Symphony No.4, Berglund & Helsinki Philharmonic シベリウス 交響曲第4番 ベルグルンド ヘルシンキ・フィル


パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
(1984年2月録音)



SIBELIUS Symphony No 5


Helsinki Philharmonic Orchestra [1986]
Paavo Berglund (conductor)




Sibelius - Symphony No.6  Berglund Helsinki


パーヴォ・ベルグルンド 指揮  ヘルシンキ・フィルハーモニー 管弦楽団
1986年



sibelius symphony no.7 in C major, op.105 ( p. berglund )
https://www.youtube.com/watch?v=X-eVqy3fyzc

( live recording. feb.13.1988 )
*. p. berglund
berlin philharmonic

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c17
[番外地12] シベリウス 中川隆
18. 中川隆[-6258] koaQ7Jey 2025年6月15日 10:02:41 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[23]
<△23行くらい>
Sibelius, Symphony No.7, Berglund & Helsinki Philharmonic シベリウス 交響曲第7番 ベルグルンド ヘルシンキ・フィル


パーヴォ・ベルグルンド指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1984年2月録音)



Sibelius No.7 / Paavo Berglund Helsinki Philhamonic Orchestra


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c18
[番外地12] シベリウス 中川隆
19. 中川隆[-6257] koaQ7Jey 2025年6月15日 10:13:30 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[24]
<△27行くらい>


SIBELIUS - Symphony nº6 in D minor, Op.104 ~ Gothenburg Symphony Orchestra, Neeme Järvi


Gothenburg Symphony Orchestra
Neeme Järvi




Sibelius: Symphony No. 6 · Neeme Järvi


Gothenburg Symphony Orchestra
Neeme Järvi

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c19
[番外地12] シベリウス 中川隆
20. 中川隆[-6256] koaQ7Jey 2025年6月15日 10:26:55 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[25]
<▽46行くらい>
aあ


Sibelius: 7. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Paavo Järvi


hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony ∙
Paavo Järvi, Dirigent ∙




Symphony No. 7 in C Major, Op. 105


Finnish Radio Symphony Orchestra
Jukka-Pekka Saraste
℗ 1995 Finlandia Records


SIBELIUS - 'Kullervo' Op. 7 ~ Finnish Radio Symphony, Polytech Choir, Jukka-Pekka Saraste


Finnish Radio Symphony Orchestra
Jukka-Pekka Saraste
Mezzo-soprano: Lilli Paasikivi
Baritone: Jorma Hynninen
The Polytech Choir

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c20
[番外地12] シベリウス 中川隆
21. 中川隆[-6255] koaQ7Jey 2025年6月15日 10:31:08 : JRhFH46TyU : bG1OWTVUbDdQL1E=[26]


Symphony No. 7 in C Major, Op. 105


Göteborgs Symfoniker
Neeme Järvi
℗ 1993 BIS

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/634.html#c21

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