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[リバイバル3] アメリカの有名大学では金で合格を買える 中川隆
3. 中川隆[-11846] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:04:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[133]

皇后になる雅子様の優秀伝説 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

詳細は


美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html


柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/933.html#c3

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
42. 中川隆[-11845] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[134]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c42

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
24. 中川隆[-11844] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:58:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[135]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c24

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
28. 中川隆[-11843] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:59:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[136]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c28

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
57. 中川隆[-11842] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:59:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[137]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c57

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
179. 中川隆[-11841] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:00:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[138]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c179

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
12. 中川隆[-11840] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:14:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[139]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c12

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
22. 中川隆[-11842] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:22:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[137]
混迷の北方領土問題 木村汎氏が警戒する「1島マイナスα」 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/873.html

2019/02/25 日刊ゲンダイ


北大名誉教授の木村汎氏(C)日刊ゲンダイ

 安倍首相が「戦後外交の総決算」と意気込む北方領土問題は混迷を極めている。2016年5月に「新たなアプローチ」と称してロシアのプーチン大統領に経済協力を提案するも、状況は進展せず、昨年9月に「前提条件なしで平和条約締結」を押し込まれた。その結果、日ロ交渉の基礎は1956年の日ソ共同宣言まで後退。4島返還を目指してきた従来の政府方針の大転換を招いた。着地点は「2島プラスα」なのか、「2島ポッキリ」なのか。あるいはロシア研究の第一人者が警戒する「1島マイナスα」なのか。

  ――17日に日ロ外相会談が行われました。昨年12月の首脳会談で外相を平和条約締結の交渉責任者としてから2回目ですが、協議は平行線。ラブロフ外相は北方領土のロシア主権を含む第2次世界大戦の結果を認めるよう求める主張を曲げませんでした。

 平和条約締結交渉の年内進展はないでしょう。安倍首相は6月に大阪で開催されるG20首脳会議のタイミングで条約締結の大筋合意を狙っているようですが、じらし作戦を取るロシアは乗ってこない。そもそも、昨年11月のシンガポールでの首脳会談で56年宣言を基礎とする交渉に合意したのが大ポカだった。許されない大ポカです。

  ――4島返還を目指す政府方針から一転、歯舞群島と色丹島の2島引き渡しに議論は引き戻された。

 プーチン大統領が「前提条件なしで平和条約締結」と言いだした時に、安倍首相は「冗談が過ぎる、話にならない」とバーンと反論すべきでした。ところが、安倍首相は「平和条約締結」という言葉尻を利用し、日本側としては交渉を前進させたかのように56年宣言まで譲歩した。2島引き渡しでよしとするのであれば、60年前の鳩山一郎政権時代に平和条約は締結できたのです。当時の日本はソ連に対して非常に弱い立場だった。シベリアに約60万人が抑留され、常任理事国のソ連の反対で国連に加盟できず、日ソの経済力は雲泥の差でした。日本が一番苦しかった時代にさえのまなかった条件に立ち返るべきではないのです。

■「戦後1ミリも動かなかった」は嘘

  ――現在とは状況が違う。

 安倍首相は歴代首相が絶壁に爪を立てるような思いで積み重ねてきた苦労を一挙に台無しにしてしまった。ロシアは北方4島の帰属問題解決が日ロ交渉のテーマだと認めていた。細川護煕首相とエリツィン大統領による93年の東京宣言、森喜朗首相とプーチン大統領による01年のイルクーツク声明でハッキリしています。安倍首相は「北方領土問題は戦後1ミリも動かなかった」と言いますが、事実に反します。

  ――なぜ安倍首相は日本の主張を反映した東京宣言とイルクーツク声明に目をつぶるのでしょう?

「国際法で通用するのは両国議会が批准した56年宣言だけ」と主張するプーチン大統領の詭弁に反論せず、それをうのみにしたからです。現代の国際法の通説とは異なります。批准の有無は以前ほど重要視されていません。グローバル化が進んで世界の首脳は国内外で毎日のようにトップ会談に臨み、さまざまな文書に署名している。すべてを議会で批准するのは現実的に難しくなったためです。日本の例でいえば、沖縄返還につながった69年の佐藤=ニクソン共同声明も、中国との国交を正常化させた72年の日中共同声明も批准されていません。ロシアもソ連時代の75年に欧米諸国34カ国と調印したヘルシンキ宣言を批准していない。欧州諸国と国境不可侵で合意した非常に重要な協定にもかかわらず、です。安倍首相の国際法不勉強がプーチン大統領の詭弁を認める結果を招いた。

  ――安倍首相は「交渉の経過はつまびらかにできない」と逃げ、方針転換について説明しません。

 交渉中に細かな過程までオープンにするべきではありませんが、根本原則の変更を主権者である国民に何ら説明しないのは道理が通りません。安倍首相はシンガポール会談以降、「北方4島の帰属の問題」を「領土問題」とぼやかし、「固有の領土」を「主権を有する島々」と言い換えている。今月7日の北方領土返還要求全国大会でのスピーチでも、昨年まで「4島の帰属の問題」としていたのを「領土問題」とごまかした。

  ――時事通信の世論調査(8〜11日実施)では、日ロ交渉の主導権を握るのは「ロシア」との回答が70.0%を占めました。世論の懸念に耳を貸さず、なぜ安倍首相は突き進むのでしょうか。

 自己顕示欲でしょう。それに、間違った使命感。安倍首相は「私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と述べますが、思い上がりでしょう。北方領土問題は日本が戦後70年以上、一貫して追求し続けてきた問題です。安倍首相の任期は残り2年半で、プーチン大統領は5年。持ち時間が短い方が交渉期限を区切るのは戦術的にも実に拙いやり方。相手によって当然、足元を見られます。

■禁じ手の「テタテ」で60年前にも河野農相が大失敗

  ――安倍首相はプーチン大統領との「個人的な信頼関係」をテコに交渉を加速させると前のめりで、通訳のみを同席させる一対一の会談(テタテ)を繰り返しています。

 国際法上の交渉研究ではテタテは禁じ手、タブーといわれています。60年前にも日本はテタテで大失敗した。鳩山政権時代の河野一郎農相がモスクワに乗り込み、通訳を連れずにブルガーニン首相とサシで会談したのですが、ロシア側の通訳のみを介した結果、平和条約交渉と漁業権交渉をリンクさせられてしまった。安倍首相が参勤交代のようにロシアに通うのもマイナス。相手の陣地の赴く「アウェー」交渉は「ホーム」に比べて不利になる。

  ――それでも官邸周辺からは「2島プラスα」という楽観論が聞こえてきます。

 論理的にあり得ません。このままいけば、「2島ポッキリ」か「2島マイナスα」です。56年宣言を基礎とすれば、平和条約締結後に2島が日本に引き渡される。その後のロシアは果たして「国後島と択捉島は協議次第で返しましょう」と言うでしょうか? 「α」は何を指すのでしょうか? 国後、択捉両島の共同経済開発です。資金や技術を提供するのは日本です。つまり、ロシア主権下で日本の持ち出し。「マイナスα」なのは明らかです。極論を言えば、「1島マイナスα」すらあり得るでしょう。

  ――1島ですか? 引き渡されるのは住民のいない歯舞群島だけだと?

 56年宣言は2島の引き渡し期限も明記していないとプーチン大統領は主張するでしょう。引き渡しは50年後かもしれないし、99年後かもしれない。移住促進策の成果もあり、色丹島には約3000人の住民が暮らし、返還反対運動を展開している。一方、岩礁の歯舞群島には国境警備隊が配備されているだけですから。


プーチン大統領から平和条約を持ち出され。安倍首相はニタニタ応じた(代表撮影・共同)


大幅譲歩は欧米や中韓との関係悪化を招く

 ――現時点で日本は平和条約を締結する必要性はどれほどあるのでしょうか。

 まったくありません。戦争状態を終結させ、外交関係を回復した56年宣言は、領土問題を除くと平和条約と遜色ない。平和条約をのどから手が出るほど欲しているのはロシアの方です。背景には大国化する中国へのコンプレックスや牽制、クリミア併合に端を発した国際社会による経済制裁を突破したいとの狙いがあります。

  ――日本にはマイナス作用に?

 領土問題で譲歩した平和条約締結は、尖閣諸島や竹島を巡る中国や韓国とのさらなる摩擦を誘因するでしょう。対米関係にも影を落としかねない。プーチン大統領が返還後の北方領土に在日米軍が展開する懸念を指摘すると、安倍首相は「在日米軍はロシアにとって敵対的なものではない」などと述べ、日米安保条約の適用外を示唆した。安保条約の適用範囲を勝手に伸び縮みさせる行動を米国が許すでしょうか。尖閣を狙う中国にも付け入られてしまう。欧州にも呆れられる。彼らはロシアの資源エネルギーに依存せねばならない苦しい状況ですら、国際正義の旗の下、制裁を実施している。翻ってロシアは中国を牽制し、日米関係にくさびを打ち込み、欧州を出し抜く好機と見なしている。

  ――ロシアにしかメリットがない。

 日本はロシアを突き放すべきです。安倍首相が「次期首相に後を継ぐ」とキッパリ伝えて時間軸を広げない限り、日本側には展望がない。誰が後継になるにせよ、ポスト安倍政権は苦労します。ここまで日本の要求水準を下げてしまったら、もう一度引き上げるのは至難の業でしょう。

 (聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)

▽きむら・ひろし 1936年生まれ。京大法学部卒、米コロンビア大Ph.D.取得。北大スラブ研究センター、国際日本文化研究センター、拓大教授を経て現職。近著に3部作の完結編「プーチン 外交的考察」。「プーチンとロシア人」など著書多数。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c22

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
24. 中川隆[-11841] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:28:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[138]

雅子様の優秀伝説 まとめ 

雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c24

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
25. 中川隆[-11840] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:28:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[139]
雅子様の優秀伝説 まとめ 

雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c25

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
292. 中川隆[-11839] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:29:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[140]
雅子様の優秀伝説 まとめ 

雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c292

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
15. 中川隆[-11838] koaQ7Jey 2019年2月25日 12:34:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[141]

アイヌ民族と沖縄民はDNAが近い・「縄文系の血を残す」・・説は本当か? 2013-11-01
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101


一年前の新聞にあった記事です。

           ・・・・・

2012年11月1日読売新聞

「アイヌ民族DNA、沖縄に近い・・関東と比較」


北海道のアイヌ民族は地理的に近い関東よりも、沖縄の人たちと遺伝的に近いことがDNA解析から証明されたとする研究成果を、東京大学や国立遺伝学研究所などでつくる「日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム」がまとめた。

北海道と沖縄では、日本列島に古くから住んでいた縄文人と渡来の弥生人の混血が一部にとどまり、縄文系の人々が残ったとする「二重構造説」を裏付ける成果という。

研究チームはアイヌ民族36人と、3世代以上続く沖縄出身者35人の遺伝情報を詳細に調べた。

DNAのわずか一文字の違いを約60万か所にわたって分析。すでにデータとしてそろっている関東に住む243人と比較し、アイヌ民族は沖縄出身者により近いことを確認した。

こうした傾向はこれまでも示されていたが、データが少なく、結論は出ていなかった。

日本の南北に離れた二つの集団が近い血統だという説は、ドイツ人研究者が顔の特徴などから1911年に発表した。

研究チームの斎藤成也・国立遺伝学研究所教授は「101年を経て、遺伝情報のレベルで最終的に証明できた」と話した。


                     ・・・・・


上にご紹介した新聞記事を読み、「稲作渡来民・「日本人」成立の謎に迫る」という池橋宏氏の本を読んでみました。

                     *****


                   (引用ここから)


稲作渡来民の前に、日本ではどのような言語が話されていたのだろうか。

小泉保は、日本語の古い形を考えるには、日本語と琉球語が、近隣のどの言語より近い関係にあるということが基礎であると考えた。

それに比べると、朝鮮語と日本語では共通の語彙と考えられるものは案外少ない。

アイヌ語と日本語の同系性の証明もむずかしいようである。

さて、東北方言の北側にアイヌ語があり、列島の南には南九州の方言を挟んで琉球語が分布している。

中部、近畿と北九州地域はいろいろの点で共通性があって、北の東北言語と南の方言との間に広がっている。

大局的にみると、中央部に一つの言語が分布し、その両側に古くからの言語が分布している。

この見方から見ると、東北言語がおそらく縄文後期の発音の形を良く保持していると判断される。

また鳥取県西部で話されている「雲伯(うんぱく)方言」は、東北言語と音韻上非常に良く似ている。

小泉氏によると、これらの方言は同系であり、裏日本縄文語とでも呼ばれる言語からきているものと結論している。

それは東北から山陰地方まで連続していたと考えられる。


稲作渡来民たちは、もともと中国の春秋時代から戦国時代に、呉とか越とよばれていた地域の住民であり、不完全な渡航手段によって、小さい集団として朝鮮半島にまで移動して、一部は定着し、さらにその一部は日本列島の北九州あるいは山陰にまで渡ったと考えられる。

渡来民の波が強くおしよせた地域では、縄文人の体質的な特徴はほとんど失われてしまった。

彼らのもたらした農耕は、圧倒的に高い人口増加率を支えたのである。

「倭(わ)」と称された集団が朝鮮半島の南部から九州におよぶ稲作渡来民であっただろうと考察したが、今日その痕跡は言語にはない。

一方、7世紀前後の古代の日本語には、朝鮮語の語彙が多少は入っているとしても、対応のたどれるような言語は少ない。

結局、今日でも日本語は基本的に「縄文語」であるとみてよい。

すなわち言語の基本的な点では、稲作渡来民は日本語に大きな影響を与えなかったのである。
渡来民は縄文語に同化されたのである。


縄文人が近隣のアジアの古代人とは似ていないのと同様に、日本語の系統をアジアの近隣の言語の中に求めることは、今となっては非常にむずかしい。

また、稲作渡来民が日本語の形成に与えた影響については、けっきょくのところ、日本列島で使われている言語は縄文時代から根本的には変化していない。

ただ母音が現在の東北方言に似たものから変わり、無アクセントから、関西方言のようにアクセントに敏感な方言などが分化した。

この後の変化には渡来人の「声調」が影響したとみられる。

さらに日本語は漢語に日本語の読み方(訓)をあてて、その豊富な語彙や概念を導入し、文明を支える言語に発展した。

訓読と並行してカナ文字が生まれた。

それには、4世紀ごろから渡来した人々が、故地で朝鮮語と漢語の対比から経験したことが役立っている。

                 (引用ここまで)

                   *****

新聞記事を読むと、アイヌと沖縄の遺伝的な関係が明らかにされたということです。

縄文文化を築いた人々の子孫は、彼ら2者であるということになります。

一方、上記の本によると、日本語と琉球語はもっともよく似ているが、日本語とアイヌ語に近親性はないということです。

筆者によれば、日本語の北限は東北で、渡来系の影響の強い関西の周辺に、縄文系の影響の強い東北・南九州が残っている、という形になります。

アイヌ文化、沖縄文化、日本文化の理解は、本当に難しいと思いました。
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c15

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
16. 中川隆[-11837] koaQ7Jey 2019年2月25日 12:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[142]


東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8

朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。

小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。

https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c16

[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
21. 中川隆[-11836] koaQ7Jey 2019年2月25日 18:19:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[143]
加入者増加の医療保険 貯金が「100万円」あれば必要ない?(マネーポスト)
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/270.html

マネーポストWEB 2/25(月) 17:00配信 女性セブン2019年3月7日号


医療保険の契約件数は伸びている


 いくつもの医療保険に入り、万が一の疾病リスクに備えようとする人は多い。医療保険の契約件数は今や3677万件にのぼり、生命保険文化センターによると、医療保険に加入する世帯は8割を超え、がん保険やがん特約の加入率も6割を超える。もしもの時に、公的医療保険制度だけでは「まかなえない」と考える人も半数以上と多く、医療保険・がん保険に加入する人は年々増えるばかりだ。

 医療保険への加入者はなぜこんなに増えているのか。保険に詳しいファイナンシャルプランナーの長尾義弘さんが解説する。

「保険は、かつては死亡保険(生命保険)が主流で、病気やけがへの保障は、死亡保障を補う“特約”に過ぎなかった。しかし、寿命が年々延びているので、『生きている間のリスク』に備えた方がいいという需要が掘り起こされ、『死亡保障』よりも『生存保障』を求めるニーズが高まったのです」

 単身者の増加や少子高齢化で死亡保険が売れなくなったことで、保険会社は販売戦略を転換。医療保険を主力商品として大々的に宣伝するようになった。そうして加入者のニーズを追求した結果、「入院日数分の給付金+手術給付金」が支払われる、今では定型ともいえる医療保険が主流になった。

 ところが、そうした医療保険は、実は欧米ではあまり見られない、日本独特の商品でもある。『「保険のプロ」が生命保険に入らないもっともな理由』など、保険に関する多数の著書がある後田亨さんが話す。

「テレビCMなどの影響でしょうか、民間の保険に入っていないと、いざという時に何の保障もないと認識している人がいます。しかし、それは大きな誤解です。そもそも日本人は、世界的にも医療費の国民負担が軽く、手厚い社会保障に守られていることを知ってほしい。

原則、全国民が加入する健康保険は、医療費の自己負担は3割(75才以上の後期高齢者は1割)で済み、『高額療養費制度』という優れた制度もあります。その保障内容を知れば、民間の保険は必須とは考えにくいはずです」

 高額療養費制度とは、一定額以上の医療費がかかった場合、限度額を超えた分の費用が払い戻されるというもの。その制度のおかげで、たとえ医療費が月に100万円かかったとしても、平均的な収入の世帯(月収28万〜50万円)であれば、最終的な自己負担額は月8万7430円で済む。

「どんなに高額でも月の上限が決められているため、わざわざ高いお金を払って医療保険に入る必要はありません。万が一に備えるとしても、貯金が100万円もあれば充分です」(後田さん)

 表は疾病別に発症から完治まで(がんの治療のみ)の治療費の自己負担額を算出したもの。たとえば胃がんのステージIの治療費の場合、3割負担なら5年間で約48万円のところ、高額療養費制度を適用すれば約22万円ほどの自己負担で済む。

 また、そもそも最近は入院日数が短期化している。がんの平均入院日数は年々減少し、今や20日前後で退院できることがほとんどだ。長尾さんが自身の体験を話す。

「最近は長期入院が少なくなり、入院をしても高額な負担になることが少ない。そのため、高額療養費制度を活用すれば、差額ベッド代を含めた自己負担額はせいぜい10万〜20万円ほどです。実際、私自身が2週間入院した時も、医療費総額114万円に対し、最終的な自己負担額は14万円で済みました」


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c21

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
29. 中川隆[-11835] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[144]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c29

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
25. 中川隆[-11834] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:08:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[145]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c25

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
58. 中川隆[-11833] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:09:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[146]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c58

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
293. 中川隆[-11832] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:09:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[147]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c293

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
26. 中川隆[-11831] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:10:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[148]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c26

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
25. 中川隆[-11830] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:10:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[149]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c25

[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 3 _ 鴨ネギにされる日本人 中川隆
63. 中川隆[-11829] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:52:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[150]

◆タイで続出する詐欺。そんな中で「うまく立ち回る」私なりの方法とは?2019.02.26

最近、プレジデント・オンラインに興味深い記事が載っている。「タイで高級レストランを経営する」という投資話に出資させて、その金を毟り取っていく手口で100件以上もの被害が出ているというのだ。手口はこのようなものだ。

(1)タイで大成功した起業家のセミナーが開かれる。
(2)タイの高級レストランが流行っていると説明される。
(3)タイのレストラン投資を持ちかける。
(4)出資する。
(5)その金をとことん毟られる。
(6)潰されて逃げられる。

タイを舞台にして、日本人のカネを日本人が毟り取る。この手口がタイにいる日本人の詐欺師たちに共有されていて、似たような手口がカンボジアでも使われていると記事には書かれている。

この手口で3000万円も被害に遭った高齢の男性は首を吊って自殺した。

この詐欺手口のうまいところは、最初から狙いすました詐欺であるにも関わらず、「単なる事業の失敗」で説明されて逃れられる点である。実際、「事業の失敗」を演出するために安普請のレストランを作っているのが巧妙だ。

この話を読んで、私は苦笑いしながら思い出すものがあった。「出資話」と言えば、私もまた胡散臭いビジネスを持ちかけられた経験が何度もある。
https://blackasia.net/?p=11762
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html#c63

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
172. 中川隆[-11828] koaQ7Jey 2019年2月26日 09:12:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[151]
アイヌ民族と沖縄民はDNAが近い・「縄文系の血を残す」・・説は本当か? 2013-11-01
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101

一年前の新聞にあった記事です。

           ・・・・・

2012年11月1日読売新聞

「アイヌ民族DNA、沖縄に近い・・関東と比較」


北海道のアイヌ民族は地理的に近い関東よりも、沖縄の人たちと遺伝的に近いことがDNA解析から証明されたとする研究成果を、東京大学や国立遺伝学研究所などでつくる「日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム」がまとめた。

北海道と沖縄では、日本列島に古くから住んでいた縄文人と渡来の弥生人の混血が一部にとどまり、縄文系の人々が残ったとする「二重構造説」を裏付ける成果という。

研究チームはアイヌ民族36人と、3世代以上続く沖縄出身者35人の遺伝情報を詳細に調べた。

DNAのわずか一文字の違いを約60万か所にわたって分析。すでにデータとしてそろっている関東に住む243人と比較し、アイヌ民族は沖縄出身者により近いことを確認した。

こうした傾向はこれまでも示されていたが、データが少なく、結論は出ていなかった。

日本の南北に離れた二つの集団が近い血統だという説は、ドイツ人研究者が顔の特徴などから1911年に発表した。

研究チームの斎藤成也・国立遺伝学研究所教授は「101年を経て、遺伝情報のレベルで最終的に証明できた」と話した。


                     ・・・・・


上にご紹介した新聞記事を読み、「稲作渡来民・「日本人」成立の謎に迫る」という池橋宏氏の本を読んでみました。

                     *****


                   (引用ここから)


稲作渡来民の前に、日本ではどのような言語が話されていたのだろうか。

小泉保は、日本語の古い形を考えるには、日本語と琉球語が、近隣のどの言語より近い関係にあるということが基礎であると考えた。

それに比べると、朝鮮語と日本語では共通の語彙と考えられるものは案外少ない。

アイヌ語と日本語の同系性の証明もむずかしいようである。

さて、東北方言の北側にアイヌ語があり、列島の南には南九州の方言を挟んで琉球語が分布している。

中部、近畿と北九州地域はいろいろの点で共通性があって、北の東北言語と南の方言との間に広がっている。

大局的にみると、中央部に一つの言語が分布し、その両側に古くからの言語が分布している。

この見方から見ると、東北言語がおそらく縄文後期の発音の形を良く保持していると判断される。

また鳥取県西部で話されている「雲伯(うんぱく)方言」は、東北言語と音韻上非常に良く似ている。

小泉氏によると、これらの方言は同系であり、裏日本縄文語とでも呼ばれる言語からきているものと結論している。

それは東北から山陰地方まで連続していたと考えられる。


稲作渡来民たちは、もともと中国の春秋時代から戦国時代に、呉とか越とよばれていた地域の住民であり、不完全な渡航手段によって、小さい集団として朝鮮半島にまで移動して、一部は定着し、さらにその一部は日本列島の北九州あるいは山陰にまで渡ったと考えられる。

渡来民の波が強くおしよせた地域では、縄文人の体質的な特徴はほとんど失われてしまった。

彼らのもたらした農耕は、圧倒的に高い人口増加率を支えたのである。

「倭(わ)」と称された集団が朝鮮半島の南部から九州におよぶ稲作渡来民であっただろうと考察したが、今日その痕跡は言語にはない。

一方、7世紀前後の古代の日本語には、朝鮮語の語彙が多少は入っているとしても、対応のたどれるような言語は少ない。

結局、今日でも日本語は基本的に「縄文語」であるとみてよい。

すなわち言語の基本的な点では、稲作渡来民は日本語に大きな影響を与えなかったのである。
渡来民は縄文語に同化されたのである。


縄文人が近隣のアジアの古代人とは似ていないのと同様に、日本語の系統をアジアの近隣の言語の中に求めることは、今となっては非常にむずかしい。

また、稲作渡来民が日本語の形成に与えた影響については、けっきょくのところ、日本列島で使われている言語は縄文時代から根本的には変化していない。

ただ母音が現在の東北方言に似たものから変わり、無アクセントから、関西方言のようにアクセントに敏感な方言などが分化した。

この後の変化には渡来人の「声調」が影響したとみられる。

さらに日本語は漢語に日本語の読み方(訓)をあてて、その豊富な語彙や概念を導入し、文明を支える言語に発展した。

訓読と並行してカナ文字が生まれた。

それには、4世紀ごろから渡来した人々が、故地で朝鮮語と漢語の対比から経験したことが役立っている。

                 (引用ここまで)

                   *****

新聞記事を読むと、アイヌと沖縄の遺伝的な関係が明らかにされたということです。

縄文文化を築いた人々の子孫は、彼ら2者であるということになります。

一方、上記の本によると、日本語と琉球語はもっともよく似ているが、日本語とアイヌ語に近親性はないということです。

筆者によれば、日本語の北限は東北で、渡来系の影響の強い関西の周辺に、縄文系の影響の強い東北・南九州が残っている、という形になります。

アイヌ文化、沖縄文化、日本文化の理解は、本当に難しいと思いました。
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101


▲△▽▼


東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8

朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。


小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。

https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c172

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
182. 中川隆[-11827] koaQ7Jey 2019年2月26日 09:46:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[152]

ジョン・ウェインに激怒する黒人 / 率直に語りすぎた白人俳優
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68755498.html

  ジョン・ウェイン言えば、ハリウッド・スターの中でも超有名で、アメリカを象徴する代表的人物だ。日本の映画ファンなら、『赤い河』とか『黄色いリボン』『駅馬車』『勇気ある追跡』『アパッチ砦』『アラモ』などを想い出すんじゃないか。ジョン・ウェインには数々の作品があるけど、やはりカウボーイとしての役柄が似合っており、陽気で気さくなアメリカ人というイメージがある。たとえ、西部劇を離れても、彼の男らしさは変わらず、嵌まり役といったら軍人しかない。したがって、いくら役者とはいえ、民間企業に勤める“しがない”サラリーマンとか、うだつの上がらない公務員なんてキャラクターは企画段階でボツ。

John Wayne 7(左 / 『クリーン・ベレー』でのジョン・ウェイン)
  アクション俳優のシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツネッガーと同じく、ジョン・ウェインも勇敢な軍人を演じればピカイチだ。1968年に公開された『グリーン・ベレー(The Green Berets)』では、陸軍特殊部隊を率いるマイク・カービー大佐を演じていた。彼はこの作品で主演の他、自ら監督を務めていたが、制作の目的にはベトナム戦争で落ち込んでいるアメリカ社会を励ます意図もあったらしい。ちなみに、この映画の設定には無茶なところがあった。ウェインはベトナムに派遣される特殊部隊の指揮官を演じていたが、通常、「大佐」級の軍人が小隊を率いることはない。一般的に、特殊部隊を任されるのは大尉か中尉くらいで、あとは熟練のスナイパーやベテランの曹長などで構成されるのが普通である。しかし、ウェインが演じる軍人は大佐じゃないと“しっくり”こない。脳天気な日本人だと、政治家を選ぶ際、東大法学部卒とか元財務省官僚に目を留め、「わぁ、すごい経歴だなぁ〜」と思って指導者に選んでしまうが、アメリカの一般人は、試験秀才とか上級役人なんかは崇めない。頼りがいのある陸軍や海兵隊の大佐の方を選んでしまう。やはり、民衆を束ねるリーダーにはカリスマが必要で、不測の事態に対応できる能力はもちろんのこと、即座に正しい判断を下し、責任を持って実行できる人物でないと駄目だ。予め答えが分かっている問題に正解できるから「エリート」なんて思うのは日本人くらい。霞ヶ関の高級官僚を見てみろ。「責任最小、権限最大」がモットーになっている。(どこの役所でも同じで、責任はボンクラ大臣に丸投げなんだから。)

  ついでに言うと、元ハリウッド俳優で後に合衆国大統領になるロナルド・レーガンが憧れていたのは、このジョン・ウェインだった。大統領になったレーガンは、休暇になるとよく牧場へ赴き、愛馬に乗って楽しんでいたが、それはアメリカ国民に向けて、自身のカウボーイ姿を植え付けるためでもあった。アメリカの大衆は宮澤喜一のような気取ったインテリが大嫌い。彼らは気さくなんだけど威厳のある軍人とか、ガッツと人徳のあるアメフト選手などを好む。やはり、一国の指導者は堂々とした風格の持ち主でなきゃ。鳩山由紀夫みたいな宇宙人とか、サラリーマン風の福田康夫などは論外。また、ダチョウ倶楽部の上島竜平かと見間違う野田佳彦でも恥ずかしい。翻って、反共主義のレーガン大統領は、強大な軍事力を背景にしてソ連を叩き潰そうとしたカウボーイ。西部開拓時代を連想させる手法に、保守派の国民は大喜びだった。大統領職には武力を以て悪党を退治する英雄が相応しい。猪みたいに直進一本槍の森喜朗じゃ馬鹿の一つ覚えだ。小泉純一郎に至っては、アメリカの石油業界に土下座して、「どうかひとつ、息子の進次郎を総理大臣にしてやって下さい!」と揉み手すり手なんだから、老醜としか言い様がない。

John Wayne & Roanld Reagan 1Ronald Reagan 321


(左: ロナルド・レーガンとジョン・ウェイン / 右: 乗馬を楽しむレーガン大統領)

  脱線したので話を戻す。最近、脚本家で写真家のマット・ウィリアムズ(Matt Williams)が、1971年に発売された『プレイボーイ』誌でジョン・ウェインのインタビュー記事に目を附け、その暴言を自身のツイッターに載せたという。すると、この“再発見”を耳にした一般人は大騒ぎ。何しろ、ジョン・ウェインが亡くなって40年以上も経つから、若いアメリカ人は西部劇で活躍した名優くらいにしか思っていなかったのだ。でも、記事を読んだ一般人は目を疑うほど驚いた。「まさか、あの有名俳優が・・・」と大ショック。この騒動は瞬く間にマスコミに流れ、左翼メディアの「ワシントン・ポスト」紙や、黒人向けウェッブサイト・ニューズの「グリオ(The Grio)」が取り上げる事になった。

  現在の高校生や大学生だと、ジョン・ウェインは既に「過去の役者」となっているから、「誰それ?」と尋ねる人の為にちょっとだけ紹介したい。ジョン・ウェインというのは藝名で、本名はマリオン・ミッチェル・モリソン(Marion Mitchell Morrison)。綽名は「デューク(Duke)」で、これは彼が飼っていた愛犬「デューク」から由来しているという。近所の人々はマリオンがいつも連れて歩くペットの方を「リトル・デューク」と呼び、飼い主の方を「ビッグ・デューク」と名づけたそうだ。成長したマリオンは海軍兵学校を目指すが、不合格となって、大学に進学する。だが、怪我のせいでスポーツを断念し、役者の道を選んだそうである。勇敢な保安官や軍人を演じて好評を得たウェインには、やはり愛国者の血が流れていた。彼の祖父は南北戦争を戦ったアメリカ人で、孫のマリオンが海軍士官を目指したのも、こうした家系の影響があったのかも知れない。健全な両親に育てられたマリオンは、普通の善良な青年に育ち、母親の信仰を受け継いでプレスビテリアン教会(長老派のキリスト教宗派)に通っていたという。

John Wayne 12John Wayne 11John Wayne 4


(左: 学生時代のジョン・ウェイン / 中央: デビュー当時の写真 / 右: 西部劇のウェイン )

Joseph McCarthy 002(左 / ジョゼフ・マッカーシー )
  今の日本人やアメリカ人からすると「えっ!」と驚いてしまうだろうが、ジョン・ウェインは意外にも反共主義者で、“極右”組織と評される「ジョン・バーチ協会(John Birch Society)」に属していた。「ジョン・バーチ協会」と言えば、日本では怪しげな政治団体と見られがちだが、米ソ対立が激しかった1950年代から60年代のアメリカでは反共主義の民間団体に属する人は珍しくなかった。歐米や日本で反共主義団体の評判が悪いのは、マスメディアが容共の左翼に牛耳られていたからだ。つくづく嫌になってしまうが、ハリウッドや全米テレビ局には、ピンクや深紅の左翼ユダヤ人がゴマンといたのに、それを暴く映画や特番はほぼ皆無。反米活動家と見なされた映画監督は、まるで魔女裁判の犠牲者みたいになっている。ところが、「赤狩り」を行う保守派に対しては容赦がない。電柱のような鉄槌が下され、自由社会の擁護者は極右扱いだ。「反共」の代表格たるジョゼフ・マッカーシー上院議員は、悪魔の権化か閻魔大王。一旦、学術書で有罪が決まれば、その判決を覆すのは至難の業で、事実、未だにその汚名は払拭されず、妄想に取り憑かれた狂人といった具合だ。しかし、今となってはヴェノナ文書が公開され、マッカーシー上院議員の批判が正しかったと証明されている。一方、マッカーシズムを糾弾していた学者は知らぬ顔。何事も無かったかのように平然としており、過去の言論は総て闇に葬っているんだから本当にズルい。

Midnight cowboy Dustin Hoffman & Jon Voight 2Easy Rider 32


(左: 『ミッドナイト・カエボーイ』に出たダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト / 右: 『イージー・ライダ』のデニス・ホッパーとピーター・フォンダ)

  『プレイボーイ』誌のインタビューで、リチャード・ウォーレン・ルイス(Richard Warren Lewis)の質問に対し、ジョン・ウェインはどう答えたのか? 例えば、1960年代に公開された映画『イージー・ライダー(Easy Rider)』や『ミッドナイト・カウボーイ(Midnight Cowboy)』について訊かれると、ウェインは否定的な反応を示したらしい。「君はミッドナイト・カウボーイの中に出てくる男二人の素晴らしい愛について、 つまり、オカマ野郎(faggot)どものストーリーについて訊きたいのかい?」 ウェインが男性の同性愛者に対する侮蔑語を口にしたことからも分かるように、彼はこの変態作品を嫌っていたという。(Stephanie Nolasco, "John Wayne's family responds to actor's controversial 1971 interview with Playboy", Fox News February 21, 2019.)

  ちなみに、『ミッドナイト・カウボーイ』では、ジョン・ヴォイトがテキサスからやって来たカウボーイの「ジョー」を演じ、ダスティン・ホフマンがチンケな詐欺師「リッツォ」を演じていた。おぞましいのは、所持金を騙し取られたジョーが、金に困って男娼に身を堕とし、心ならずも客からのオーラルセックスに応じたことだ。ベトナム戦争が泥沼化した1960年代後半から70年代にかけて、アメリカの社会道徳は一気に崩れ、敬虔な生活が馬鹿にされ、ふしだらな生活が容認されるようになった。ハリウッドの左翼制作者たちは、陽気で実直なアメリカ人というキャラクターを徐々に捨て始め、その代わり、暴力シーンが満載のヴァイオレンス映画とか、フラワー・チルドレンが出てくる頽廃映画を作るようになった。また、男女の性描写もあからさまになり、フリーセックスに溺れる若者とか、結婚を望まないフェミニストなどが銀幕に登場し、それを左翼監督が“クール”に描いたから、敬虔なアメリカ人は眉を顰めた。アメリカの映像作品によく「PG-13(13歳以下の観客には親の同伴を必要とする)」「NC-17(17歳以下の観客は入場禁止)」といった規制があるのは、未だに西歐的倫理基準が息づいているからだろう。

黒人に対して赦しを乞わない !

  西部劇映画で有名になったウェインだから、当然、インディアンに関する質問も出ていた。ルイスは原住民に対しどんな感情を抱いているのかを尋ねたという。すると、ウェインは次のように答えた。

  私は彼らから土地を取り上げたことについて間違っているとは思わないね。いわゆる、我々が彼らから土地を奪ったという話だが、それは生存競争に過ぎない。新しい土地を必要とする人々が大勢いて、インディアンは身勝手にも自分達だけのものにしようとしていた・・・・そうだなぁ、確かに不平等はあっただろう。もし、これらの不平等が今生きているインディアンに影響を与えているとしたら、彼らには裁判に訴える権利があると思うよ。しかし、この国で100年前に起こった事を以て、現在の我々が責められるべきとは思わんがね。

  こうした見解には様々な反応が予想できる。白人に土地を奪われたと叫ぶインディアンの末裔がこの話を聞けば、「ふざけるんじゃない! 身勝手なのはどっちだ! お前ら白人が腕尽くで奪ったんじゃないか! まったく、盗っ人猛々しいぞ!」と憤慨するだろう。一方、戦国時代と帝国主義時代を経験した日本人だと、「戦って負けたんだから仕方ないんじゃないか」と思えてくる。なるほど、昔ながらに暮らしていたインディアンからすれば、先祖伝来の土地にいきなりヨーロッパ人が現れ、勝手に境界線を引き、「所有権」なるものを主張したんだから、「何だ、それ!」と反撥するのも無理はない。いくら土地取引の契約を結んだといっても、インディアンは好意で土地を貸しただけだ。未来永劫、自分の土地を割譲した訳ではない。だから、インディアンたちは征服者たちを憎んだ。実際、彼らはイギリス人を殺したし、フランス人と手を組んで反撃を企てることもあった。今のインディアンは一方的な被害者を演じているが、彼らの祖先は無抵抗のまま殺戮されたんじゃない。戦闘で白人を捕まえれば首を切ったり、問答無用で頭皮を剝いだりと、思いっきり復讐を果たしたこともあるのだ。

  日本の高校生はあまり知らないけど、俗に「フィリップ王の戦争(King Philip's War / 1675〜76)」と呼ばれる「メタコム酋長の叛乱(Metacom's Rebellion)」があった。ワンパノアグ族がイギリス人の村を襲撃し、家屋を焼いたり家畜を不具にしたこともあったという。中でも、マスケット銃を撃ちまくって白人を虐殺した話は有名だ。ここで刮目すべきは、キリスト教に改宗していたインディアンが劣勢だったイギリス人を助け、彼らに反撃の方法を教えてやったというエピソードだ。一方的にインディアンが皆殺しにされたという話は、巷に漂う都市伝説の類いである。白人をやっつけるインディアンの英雄譚には一種の爽快感があるが、仲間割れという欠点も見逃すことはできない。ピークウォット族やモヒカン族はワンパノアグ族と団結せず、一致協力してイギリス人入植者を撃退することはなかった。したがって、一口に原住民といっても、部族や個人を見渡せば事情は様々で、彼らは一枚岩ということではなかったようだ。インディアンは日本人のように臥薪嘗胆で西歐化を図り、力を貯めて乾坤一擲、西歐列強を撥ね除けようとしなかった。この点、昔の日本人は本当に賢かったと言えるしんじゃないか。もし、幕府と薩長で内乱を続け、英仏からの資金や武力に頼っていたら、簡単に西歐諸国の植民地となっていただろう。

  インディアンの末裔が白人に文句を垂れるのは勝手だが、それならアメリカ国籍を捨て去り、合衆国からの保護を一切受けないと宣言すべきだ。先祖を殺した敵に税金を払い、医療や教育、住宅、治安維持といった社会福祉を受けながら、白人征服者に「反省」を求めるなんて滑稽だ。インディアンの末裔はさっさと西歐文明から離脱し、伝統的な部族社会に戻るべきだろう。病気になっても緊急治療室に行かず、呪い師のもとで治してもらえばいい。だいたい、白人が建てた学校へ通って、憎い相手の言語(英語)を学ぶなんて馬鹿げている。出身部族の言葉を学ぶのが先なんじゃないか。また、クーラーやウォシュレットなんかも厳禁だ。夏が暑いのは当然。家電製品は白人の発明だから拒否すべし。大便は野原で済ませろ。ガスや灯油も白人が持ってくるエネルギーだから駄目。燃料は薪のみで、サマー・キャンプみたいな日常にすればよい。ただ、こうした前近代的な生活に、若い原住民が耐えられるのかどうか、は別の問題である。

  ルイスによる質問で、一番アフリカ系アメリカ人を激昂させ、論争を巻き起こしたのは、黒人に対するウェインの見解である。インタヴューアーのルイスは、黒人極左のアンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)や人種差別について質問した。ウェインは黒人が白人に恨みを抱き、不満をぶつけたいという感情には理解を示していた。「しかし、だからといって我々が急に跪き、何事においても黒人の指導を仰ぐ、といった事はない」とウェインは釘を刺す。

  私は黒人が責任感を持つように教育されるまで、白人の優越性(white supremacy)を信じたいね。私は無責任な人々に判断力が求められる指導的地位を与えたくないし、そうした権威を与えることにも賛成しないなぁ。

  ウェインは黒人がリーダーの資質に欠けること、そして、責任ある地位に就くには教育が足りない、といったことを述べていた。特に、彼は劣った黒人に下駄を履かせて大学に入れてやる制度に反対だった。何しろ、白人と同じ試験を受けて学力が足りないと判明したのに、「有色人種だから」という理由で優先的に入学を認める制度なんだから、不正の合法化と言えるんじゃないか。確かに、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)は何割かの黒人に知識を与え、就職への道を与える事はできた。しかし、その一方で黒人全般の評価を下げることにもなっていたのだ。いくら黒人が「俺はハーバード大卒なんだぞ!」とか、「奨学金を貰って、プリンストンやダートマスの大学院に通ったんだ!」と自慢しても、白人は「まぁ、黒人だから特別扱いにしてもらったんだろう」と小馬鹿にする。実際、バラク・オバマは“これ”といった業績も無いのに、権威ある「ハーバード・ロー・レビュー」誌の統轄者になれた。一方、集英社や小学館はハーバード大学ほど甘くはない。日本の出版社と一般読者は実力主義の信奉者だから、いくら黒人の漫画家でも「週刊ジャンプ」の看板作者にはしないし、人気投票で一番にすることもない。たとえ、投票葉書を捏造しても、単行本の売れ行きやアニメ化の話で躓くから、すぐ嘘がバレる。

Obama 21black children in Indiana 4


(左: 学生時代のバラク・オバマ / 右: 講義を受ける黒人学生たち)

  ルイスは更に厳しい質問を浴びせかけた。すなわち、ウェインが黒人奴隷をどう考えているのかを尋ねたのだ。そこで、ウェインが率直に答える。

  私は5世代や10世代前に彼らが奴隷だったという事実に関し、罪悪感を覚えることはない。だからといって、奴隷制を見逃すというか、赦す訳じゃないからね。それは人生にある現実なんだ。例えば、身体障碍を抱えた子供が、金属製の器具を身につけている状態なら、友達と一緒にフットボールを楽しむ事はできないよね。現在の白人と競争できる黒人は、白人よりもマシな厚遇を受けているんだ。もし、アメリカより素晴らしい権利を得ている黒人がいたら、どこの国なのかぜひ教えてもらいたいものだ。

  もう、こんな発言を耳にしたら、黒人の活動家や大学教授は激怒するだろう。ウェインが述べていたことは、黒人に対する虐待は過去の話で、現在の我々には関係無いという趣旨だ。しかも、白人が教育と機会を与えてやったから、少しはマシな黒人が増えたのであって、白人が一方的に非難されるのは心外だと語っていたのである。ウェインの意見は人種によって評価がまちまちだし、彼と黒人のどちらが正しいのか、判断を下すのは日本人でも難しい。黒人の恨みは理性を越えた感情にある。いくら白人が正論を吐いたとて、絶対に受け容れることはできない。なぜなら、劣等民族の悔しさは言葉で治療することができないからだ。これは日本人を恨む朝鮮人と同じで、いくら言葉で謝っても、因縁をつけてくる民族の心は晴れない。朝鮮人が日本人を奴隷にし、男は縛り首で、女は強姦という復讐を果たせばスッキリするだろう。しかし、普通の日本人なら、こんな仕打ちに耐えられまい。必ずや抵抗するはずだ。

自分の祖先を恨めない黒人

  黒人が白人を赦せないのは、白人の残虐性もさることながら、黒人が持つ自らの「惨めさ」に原因があるのだ。アメリカの黒人は奴隷船でアフリカ人を連れてきた白人を憎む。だが、その奴隷商人はアフリカの有力部族から「黒い捕虜」を購入したのだ。ポルトガルやスペイン、ブリテンの白人が各地の村を襲って黒人を拉致するなんて無理。そもそも、西歐人が密林を掻き分けて侵攻したというのは嘘で、大抵は紛争に勝った黒人部族が敗者を捕虜にして、取引を持ち掛ける白人に転売したというのが実態である。事実、カリブ海の黒人たちは、輸出先のナイジェリアやガーナを恨んでいる。例えば、ナイジェリアで人権活動に励む黒人左翼は、部族の酋長ならびにその子孫を責め立て、奴隷制の後遺症に苦しむ黒人に謝るよう求めていた。(David Smith, "African chiefs urged to apologise for slave trade", The Guardian, 18 November 2009.) しかし、当のアフリカ人には「人権」という概念は更々無い。そんな言葉を聞いたって馬耳東風。「権利(rights)」と聞いても「右手」を差し出す程度。象牙の方がお金になる。もし、「有罪」とされた部族の首長に「賠償として牛30頭、豚40匹、鶏70羽を出せ!」と要求すれば、「何で俺が貴重な財産を差し出さなきゃならないんだ!」と激昂して棍棒を振り上げるだろう。アフリカの黒人はウェインと同じく、「遙か昔になされた罪を現在の者が償う義務は無い!」と撥ね付けるだけだ。我々にとって興味深いのは、「こうしたアフリカ人を見たアフリカ系アメリカ人はどう思うのか?」という点である。

Marcus Garvey 13(左 / マーカス・ガーヴェイ)
  もう一つ、アメリカ黒人の怒りには別の要因がある。アフリカ系国民の地位向上を訴え、白人批判を展開する赤い黒人は、現在の白人に賠償を求めても、彼らの祖先が選んだ「決断」には触れようとはしない。なぜなら、白人から解放された元黒人奴隷は故郷に帰ることを拒み、白人国家に留まる事を選んてしまったからだ。(その結果、黒人の子孫は精神が妙に歪んでいる。) 以前、当ブログでも紹介したが、「黒いモーゼ」と呼ばれるマーカス・ガーヴェイ(Marcus Mosiah Garvey, Jr.)は、白人国家のアメリカで黒人は幸せにならないと考え、黒人はアフリカに戻るべきだと訴えた。このジャマイカ人救世主は、アフリカに作られたリベリアに赴き、黒人による国家を創設しようと夢見たが、肝心の黒人たちは興味を示さなかった。ガーヴェイは「ブラック・スター・ライン」社まで創設し、渡航手段を持たない黒人を助けてやろうとしたのに、彼の同胞は故郷での悲惨な生活を予想し、豊かなアメリカに住み続けることを選んだ。

  現在の黒人はあれこれ不満を漏らすが、彼らの祖先は差別よりも貧乏を恐れていた。これは情けない現実だが、一旦、高度な文明に触れた劣等種族は、いくら差別されようが、その豊かさに魅了され、ちょっとした“おこぼれ”でもいいから「華やかな生活に与りたい!」と願ってしまうのだ。確かに、異人種の国で差別されることは苦痛だ。しかし、アフリカに還って貧乏生活を味わうよりマシである。アフリカにはゾっとするような原始的生活しかない。電気・水道・医療が存在しないばかりか、「明日への希望」さえ無いのだ。アメリカには立派な建築物が聳え立ち、煌びやかな衣装を身に纏った貴婦人がいる。今は無理でも子供や曾孫の代には、「人並みの暮らしが出来るんじゃないか」と淡い希望を抱く黒人もいたはずだ。アメリカは西歐人の天下であっても、一応、公衆衛生が行き渡っていたから、黒人でも多少はその恩恵に浴することもできた。簡単な治療といえども、病気への恐怖が軽減されていたし、黒人でも医学を学ぶこともできたから、アフリカよりマシである。映画では残虐な扱いをする白人ばかりが出てくるが、中には黒人に温情をかける白人もいたから、強制収容所みたいな暮らしを想像するのは間違いだ。農園で働く黒人は御主人様の情けを求めたし、黒人を雇う白人にも“まともな”経営者がいたらしい。

  奴隷制度を持たなかった日本人から見れば、アメリカ白人の黒人搾取は残酷に思えてしまうだろう。だが、世界史を眺めてみれば、奴隷制なんて珍しくもないし、「同胞を奴隷にしなかった西歐人はまだ“上等”なんじゃないか」と思えてくる。アジア大陸の民族にとって異邦人を差別するのは当り前だし、戦争捕虜の虐待・拷問は普通で、奴隷貿易なんか単なる商売だ。インドに行けばカースト制度があるし、アフリカでは狂気に満ちた部族闘争が絶えない。ルワンダでの虐殺劇を想い出せばわかるじゃないか。敵を捕まえて足首を切断するんだから、人権も正義もあったものではない。鳥や豚じゃあるまいし、鉈(なた)で人間の手足をぶった切るなんて鬼畜と同じ。しかし、これとて支那人に比べたら可愛いものだ。支那人の殺戮といったら日本人の想像を遙かに超えており、戦争となれば殺人や掠奪、放火は当り前。数十万人規模の虐殺なんか幾らでもある。人間を捕らえてバーベキューにするくらい朝飯前というか、ちょっとした“お祭り”といった感じである。

Slavery in Africa 3Slavery in Arabia 13


( 左: アフリカ人の奴隷 / 右: 白人奴隷を売買するムスリム商人の絵)

  アメリカの黒人が憤りを持ち続けるのは分かるけど、それならアフリカに移住して、立派な黒人国家を建てるべきなんじゃないか。それに、白人を糾弾する黒人は、リベラル派の左翼分子やユダヤ人に裏で操られている場合が多い。当ブログで以前も紹介したが、ユダヤ人左翼は黒人の公民権活動家に近づき、法的アドヴァイスを与えたり、こっそりと資金を提供したりと、様々な支援を送り、「共通の敵」に戦いを仕掛けていた。また、革命家の白人極左にとって、怒れる黒人は「便利な馬鹿」となっていた。憎い資本家を抹殺し、伝統的社会を転覆させるには、「社会正義」を振りかざす尖兵、あるいは何も考えない鉄砲玉、すなわち「捨て駒」や「消耗品」が必要なのだ。日本人の保守派でも、こうした構造を判っていない者が多く、単純な保守派は黒人に加勢して「そうだ、白人はけしからん!」と憤慨する。だが、西歐諸国と絶縁した日本がどのような運命を辿るのかは考えない。他方、アメリカの大学で西洋批判を展開するユダヤ人は、お金を払わないのに協力してくれる、海外のボランティア馬鹿に感謝し、左翼連携を持ちかけよとする。日本人はユダヤ人のプロパガンダに弱いから、簡単に引っ掛かるだろう。

  とにかく、ジョン・ウェインの意見に反撥するアメリカ人は大勢いると思うが、1970年代初頭のアメリカを考えれば、彼の歴史観に不思議なところは無い。もし、マズいところがあるとすれば、それは彼が率直に答えを述べた点にある。黒人は白人全般を非難するが、アメリカの白人には東歐系とか南歐系が含まれているし、たとえ西歐系国民に絞ったとしても、誰が奴隷所有者の子孫なのか特定は難しい。それに、今日では入植者の子孫とかアングロ・サクソン系の数が激減しているから益々困難だ。彼らの末裔は様々な人種と混淆しているから、仮に奴隷所有者の財産を受け継ぐ者を探し出したとしても、どれほどの賠償金を獲得できるのか分からない。民衆党の極左議員であるカマラ・ハリスやエリザベス・ウォーレンは、奴隷制に関する賠償を払うべし、と主張していたが、具体的にどうやって償うつもりなのかを述べていなかった。(Lisa Eustachewich, "Kamala Harris , Elizabeth Warren both support reparations for slavery", New York Post, Febraury 22, 2019.)

Kamala Harris 11Elizabeth Warren 114


(左: カマラ・ハリス / 右: エリザベス・ウォーレン )

  ハリスとウォーレンは勇ましい持論を口にしていたが、こんなのは単なる人気取りだ。第一、議会が承認しないし、大半のアメリカ人も大反対となるだろう。考えてもみよ。奴隷所有者の子孫じゃないのに、「白人だから」という理由で資産をむしり取られる白人は黙って税金を差し出すのか? 結局、ハリスとウォーレンは黒人有権者にアピールしただけ。彼女たちが何を言おうが、アメリカの黒人は惨めなままだ。奴隷として搾取され、解放されてもほったらかし。たとえ、白人並に扱われるようになっても、黒人票を狙う政治家に利用されている。奴隷の子孫は差別意識をひた隠しにする白人を怨むが、かといって白人のいない黒人だらけの社会をつくると、不正や腐敗がはびこり、貧乏と悲劇が織り混ざったスラム街になってしまう。最終的に、「白人様、戻ってきて !」と懇願するか、白人の居住区に潜り込むのがオチだろう。何てことはない、白人に寄り添って暮らすことが黒人の幸せになっているのだ。ちょっと賢い日本人なら、「哀しいけど、これが現実なのよねぇ〜」と云いたくなる。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68755498.html 
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c182

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
234. 中川隆[-11826] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:16:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[153]
一国のGDPを超越する超巨大企業が台頭…今という時代がヤバい理由(週刊ダイヤモンド)
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/286.html

2019.2.26 週刊ダイヤモンド編集部 


『週刊ダイヤモンド』3月2日号の第1特集は「今が全部ヤバい理由」です。地球規模の影響力を手に入れた超国家企業、魔力を失った市場の守り神、エゴむき出しの国家――。リーマンショックから10年が過ぎた今、中でも、GAFAと呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンなどの米巨大IT企業は、世界中の個人や企業の生殺与奪の権を握っています。彼らは軍隊こそ持たないものの、その影響力は絶大です。そんな“今”という時代のヤバさを、「10年」と「1万3000年」という二つの時間軸で読み解いていきます。(本記事は特集からの抜粋です)

 “ベルギーのGDP(国内総生産)”がたった数ヵ月で吹っ飛んだ。

 2019年1月2日、アップルのティム・クックCEOは18年10〜12月期の売り上げが予想を下回ると発表。これを受け、アップルの株価が急落し、日本など各国の株式市場も連動し急落した。いわゆる、「アップルショック」だ。

 実際には18年の8月ごろから中国市場での不振が指摘され、株価は下落傾向にあった。クックCEOの発表はその懸念にトドメを刺したのだ。8月末から1月初旬までのおよそ4ヵ月で失った時価総額は4630億ドルと莫大だ。

 この4630億ドルという金額はなんと、ベルギーのGDPと同水準。それが吹っ飛んだのだ。

 今、アップルに加えて、グーグル、フェイスブック、アマゾンの4社はGAFAと呼ばれている。いずれも、世界中の人々の生活をがらりと変えてきた企業だけに時価総額は莫大で、合計3兆ドル近くで推移している。

 GAFAはどれだけすごいのだろうか。例えば、アップルのフリーキャッシュフローはスリランカのGDPより多い(下図参照)。グーグルのスマホ向けOS「アンドロイド」は20億のデバイスに入っている。また、フェイスブックのユーザーは22億人で、中国と米国と日本の人口の合計18億人を上回る。

 まさに、GAFAは世界中の人から愛されるスーパーヒーローのような企業なのだ。

 しかし、光があるところには影がある。子供向けの特撮番組の最後では、必ず悪い怪獣を巨大ロボットがやっつけてくれる。テレビでは毎度、ハッピーエンドとなるわけだが、現実に巨大怪獣と巨大ロボットが戦えば、人も踏まれるし、街は破壊され尽くすだろう。

 GAFAはまさしく巨大ロボットのような存在だ。幸せを運ぶ一方で、破滅ももたらしてきた。そして、今や国さえも凌駕する超国家企業となったのだ。

 1961年、米国のアイゼンハワー大統領は「軍産複合体の不当な影響力を排除せよ」と、軍需産業の危険性に警鐘を鳴らした。巨大企業への警戒は今に始まったことではない。

個人と企業の生殺与奪の権を握る
まるで“神”

 ところが、2010年代に入ってからの超国家企業の恐ろしさは、人類が初めて経験する代物だ。

 軍産複合体や資源メジャーなどの大企業は、あなたの好物を知っていたり、恋人との写真を“のぞき見”したりはしなかった。

 だが、今や世界中の人はGAFAなしでは生活を送れなくなっている。もちろん、ただ大きいだけなら人気の証しであって、何の問題もない。しかし、“巨大ロボット”の負の側面はすごい。

 何を食べ、どこに行き、どんな本が好きなのか。検索を通じて数十億人の情報がグーグルに筒抜けだ。また、同じくフェイスブックは子供の写真、誕生日や好きな映画まで……22億人分も把握しているのだ。つまり、冒頭で挙げたGAFAの「すごさ」はそのまま「怖さ」になるのだ。

 個人情報を握るだけではない。各社はまるで、神のように世界中の人の運命を決めてしまう。グーグルが検索のアルゴリズムを一度変えれば、多くの人々や企業が右往左往する。それまで検索上位に表示されていたおかげで潤っていた企業が検索結果の2ページ目に表示されるようになれば、一転して倒産の憂き目に遭いかねない。

 実際、米国の百貨店J.C.ペニーは自社のサイトへ偽のリンクをたくさん張ることで、検索上位に表示されるような“インチキ”をしていた。11年にそれが報道されると、グーグルは検索結果を2ページ目以降に追いやり、J.C.ペニーは大打撃を受けた。

 あるいは、理由も分からずに、フェイスブックのアカウントが突然停止され、アップしていた家族の写真を二度と見ることができなくなるようなこともあり得る。

 すでにアマゾンはリアルの小売業者を次々と破滅に追い込んでいるし、アマゾンが今後死に追い込む候補の会社約60社の候補すら存在する(前ページの図参照)。

 日本ではある日突然、アマゾンが雑誌を合計2000円以上購入しなければ発送しない「あわせ買い」の対象にしたために、出版業界は大打撃を受けた。

 GAFAはもはやグローバルなルールメーカーであり、規制当局でもあり、まるで“神”のようだ。

 また、GAFAなど超国家企業の特徴的なところは、自身がイノベーションの申し子のような存在であるのに、イノベーションの芽を摘んでしまうことだ。GAFAのライバルになりそうなサービスが登場すると、企業ごと買収してつぶしてしまうことは珍しくない。

 例えば、フェイスブックは近年、Q&Aアプリやフィットネス関連サービス、ビデオ広告、音声操作関連など複数の企業を買収した後、その事業を廃止している。

 さらに恐ろしいのはフェイスブックなどのソーシャルメディアに広がるフェイクニュースだ。

 16年の米大統領選挙に際して、ヒラリー・クリントン陣営に関係する男性の民主党幹部が、ワシントンのピザ店の奥で児童買春を行っているというフェイクニュースがソーシャルメディア上で一気に拡散した。このニュースを真に受けた男性は、ライフルを持ってピザ店を襲撃し逮捕された。

 他にもソーシャルメディアにはフェイクニュースがあふれ、米国の大統領選を混乱させた。背後にはロシアの影もちらついている。

 このフェイクニュースの事例は個人にとってだけではなく、国家にとっても超国家企業が危うい存在であることを示している。

『ホモ・デウス』ではサイバースペースが民主的につくられていないという、根源的な問題点を指摘している。インターネットの設計は「主権や国境、プライバシー、セキュリティーのような従来の政治的な問題に関連しているにもかかわらず、民主的な政治プロセスを通して行われなかった。あなたはサイバースペースの形態について投票などしただろうか?」と。

 実際、英国の議会はフェイスブックがフェイクニュースへの対策を怠り、ロシアによる外国選挙への介入の隠蔽を試みたと指摘。「自社が法に勝るとか法を超越していると考えて、デジタルギャングのように振る舞うことは許されない」と強く批判している。

 何より国家にとって腹立たしいのは、超国家企業が国家運営の源泉である税を巧みに逃れようとすることだろう。多くの企業はより税率の低い国に利益を移し、負担を減らそうとしている。日本でもグーグルがシンガポールに利益を移したとして国税局から申告漏れを指摘されているし、アマゾンが売上高の規模に比べて少ない法人税しか支払っていないことは頻繁に話題になる。同様に欧州でも税回避は長年問題視されている。

中世に逆戻り
一部に富が集中し他は農奴になる?

 超国家企業の“横暴”に、国家の側も反撃に出ている。

 6月に大阪で開催されるG20でも超国家企業対策は大きなトピックになる(文末の「ニュースの全体像」参照)。

 個人情報の保護などの規則を定めたEUの「GDPR」は、超国家企業を縛るというのが、大きな目的だとされている。

 とはいっても、事はそう簡単には運ばない。忘れてはいけないのは、GAFAの怖さはこれ以上ない便利さや楽しさと表裏一体なことだ。

 あなたは「なんとなく不気味」というだけで、超国家企業のサービスを手放すことができるだろうか。そもそも、規制しようにも政治の意思決定は超国家企業のスピードに追い付いていない。

 ただし、このままいくと待っているのは中世のような世界観かもしれない。『the four GAFA』の最後の章のタイトルは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」だ。

 少数精鋭の超国家企業が次々と世界の中小企業をつぶしたりイノベーションの芽を摘んだりして、税も払わずに拡大していくのなら、富が一部のエリートに集中する可能性がある。それはあたかも多くの人が中世の農奴に戻るような搾取構造というわけだ。

 同書では、GAFAの従業員は合計41万人だが、4社の時価総額は人口6700万人のフランスのGDPに匹敵するとしている。さらには、iPhoneの発売により、米モトローラとフィンランドのノキアが大打撃を受け、両方で10万人の雇用が削減された。絶頂期にはフィンランドのGDPの30%を担い、国家の法人税のほぼ4分の1を支払っていたノキアの凋落によってフィンランド経済全体が落ち込んだとも紹介。

「この調子だとアメリカは300万人の領主と3億人の農奴の国となる」と締めくくる。

 少し話がそれるが、巨大ロボットが怪獣と戦う人気ハリウッド映画「パシフィック・リム」の製作会社を中国企業が16年に買収した。するとその続編では、舞台が中国となり不自然なほど中国人が活躍する内容になっていた。

 映画のようにスムーズにはいかないかもしれないが、仮にGAFAの支配の力学が変化する可能性があるとしたら、中国のIT企業という“巨大ロボ”がその座を奪うことだろう。しかし、それが世界の救世主になるとは限らない。少なくとも前述の映画の続編は、ファンからはかなり不評だった。

【今さら聞けない! ニュースの全体像】
GAFA vs 国家の規制の行く末


フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEO Photo:Bloomberg/gettyimages

 本文でも紹介したが、情報と税に関してGAFAは多くの国家をいら立たせている。ただし、むやみに規制すれば経済にも影響を及ぼす。そのため米国政府のGAFAを規制するモチベーションは低いかもしれない。

 しかし、米国以外の国家はGAFAに対して強い態度で臨んでいる。

 実際、EU(欧州連合)で施行されたGDPR(一般データ保護規則)はGAFAが個人情報を握ることへの対策だ。企業が個人情報の保護などのルールに違反した場合、2000万ユーロか世界売上高の4%のいずれか金額の大きい方という、とてつもない制裁金が科される。

 また、納税に関しては2019年1月末にOECD(経済協力開発機構)が、デジタル課税に関しての論点をまとめた。そこでは、企業が本社でなくとも恒久的な拠点などを設置した場合にその国で得た利益に課税するという原則や、国際的企業の利益の国家間での配分ルールの見直しが盛り込まれた。

 そして、OECDでの議論を受けるのが、6月に大阪で開催されるG20(20カ国・地域)首脳会議とみられている。ただし、すんなりまとまるとも思えず、エゴがぶつかり合う可能性が高い。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c234

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
30. 中川隆[-11825] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:29:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[154]

日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?


アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。

つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:

小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1

______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c30

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
59. 中川隆[-11824] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:34:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[155]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c59

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
294. 中川隆[-11823] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:35:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[156]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c294

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
27. 中川隆[-11822] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:35:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[157]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c27

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
180. 中川隆[-11821] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:36:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[158]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c180

[近代史3] ファーウェイは MI6? 中川隆
1. 中川隆[-11823] koaQ7Jey 2019年2月26日 11:28:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[156]

2019.02.25
ファーウェイ 尻尾を出したイギリス=中国 将来のイギリス主導のNWO
https://golden-tamatama.com/blog-entry-huawei-chaina-english-nwo.html


さて、以前から原田武夫さんも指摘してた通り。

イギリスが尻尾を出しますたね。
イギリスはファーウェイ包囲網から離脱するそうようですよ。
なんて分かりやすい動きでしょうか。

ファーウェイは女王陛下のスパイ。MI6が作ったのだから排除できませんよね。

イギリスとドイツはファーウェイ製品は排除せずに採用するようです。

ぉー。
これは鋭いことを書いている。
英中の裏にはあの李嘉誠がいるとか。

ちなみに今週27日〜28日は全世界が注目する重要イベント。
米朝首脳会談がありますね。

金正恩さんは中国を経由してベトナムのハノイに行くそうです。

もう金正恩さんはベトナムに向けて出発したとか。

ちなみに金正恩さんはなぜ中国はフリーパスなのでしょうか。
金正恩さんを保護してるのは中国だからですね。

で、ずーっと前から書いてる話。

その昔、あの中国の李鵬首相が言った言葉。
将来、日本なんて消えて無くなるよ。

これは都市伝説のように語られてますが、そうではなく。
ちゃんと実際に国会の議事録にも記録されてる発言です。


1993年、日本について、オーストラリア首相であったポール・キーティングが訪中した時に、「日本は取るに足るほどの国ではない。40年後には地上から消えていく国となろう。あるいは「30年もしたら日本は大体つぶれるだろう」といった内容の発言をしたとされている。


参議院議員笠原潤一は「・・この前、ちょうどAPECを控えて、我が自民党で御承知のようにAPECの問題でアメリカとオーストラリアに行ってもらったんです。そのときに、オーストラリアのキーティング首相がこう言ったんです。中国の李鵬さんと会ったらどう言ったかといいますと、日本とのいろんな話をしたら、いや日本という国は四十年後にはなくなってしまうかもわからぬと、そう言ったというんです。これはうそじゃありません、これはほかの先生みんな行って言っているんですから。それくらい軽視されているわけです、ある意味では。」

参議院 (1996年11月8日). “参議院会議録情報 第134回国会 国際問題に関する調査会 第2号” (日本語).

1993年から30年後に日本は潰れると言ってるので2023年に日本は潰れる。
2033年には消えてなくなる。

ちなみにあのジャック・アタリ氏も日本は消滅してる最中だと言ってます。

これは中国の背後にいるイギリスがそういう計画を立ててるからなのですた。

このブログでは散々書いてることですが。
世界支配者層は、新世界秩序(New World Order)計画に沿って動いてるのですね。
世界統一政府に向けて動いてる。

これはNWO計画マップです。


世界統一に向けて、まずヨーロッパをEUで統一する。
東南アジアの国々は東南アジア諸国連合を作る。

小さな国々をまとめて徐々にブロックを作っていく。

最終的には北アメリカと南アメリカが一つのブロックNAU。
ヨーロッパブロックEU、アジアブロックAU、アフリカブロックAFU。
4つのブロックにしたい。

中国の一帯一路計画などはこの一環なのですね。

なので将来的に日本は潰れ中国に飲み込まれる。
これはイギリスが主導するNWOの方向性なのです。

こっちのNWOは東アジアの中心地として韓国にする方向で動いているのです。

だから国連の事務総長などには韓国人を当ててたのですね。

その当時、なんで国連事務総長に韓国人がなるの?
唐突な人選に不思議に思った人もいるんじゃないでしょうか。

これは第8代国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)さん

在任期間2007年1月1日 〜2016年12月31日

いわば将来の練習だったのですね。

とにかくイギリス主導の新世界秩序=NWO。
それは日本をぶっ潰して中国に組み入れる。
将来的に東アジアをひとつの国にする計画なのですた。

だから中国の金融はアントファイナンシャルで統一され。

2012年のロンドンオリンピックのマスコットキャラと似てるのですた。
olympic-2012-mascots.jpg
11006mascotbreakdownric.jpg
まぁ、近々日本がぶっ潰れる。
そういうイベントが起きるでしょう。

日本に元気でいられるとアジアユニオンに統合できないからです。
日本は是がひでもぶっ潰す。

頃合い的にはとっても良い時期かと思ってます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-huawei-chaina-english-nwo.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/196.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
133. 2019年2月26日 11:29:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[157]

イングマール・ベルイマン 第七の封印 (1957年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/252.html

イングマール・ベルイマン ペルソナ (1966年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/253.html


世にも奇妙な物語 _ 冷やす女 (2000年3月27日)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/251.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c133

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
20. 中川隆[-11822] koaQ7Jey 2019年2月26日 12:22:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[158]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?


アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c20

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
26. 中川隆[-11821] koaQ7Jey 2019年2月26日 12:59:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[159]

学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。


ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)

ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.

マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。

小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。

小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。


 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。

僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。

外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。

外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。

実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c26

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
43. 中川隆[-11820] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:00:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[160]

学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c43

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
31. 中川隆[-11819] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:01:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[161]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

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http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c31

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
26. 中川隆[-11818] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:01:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[162]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c26

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
181. 中川隆[-11817] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:02:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[163]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c181

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
60. 中川隆[-11816] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:02:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[164]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c60

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
28. 中川隆[-11815] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:02:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[165]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c28

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
295. 中川隆[-11814] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:03:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[166]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c295

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
144. 中川隆[-11813] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:42:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[167]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#15
ロシアを正しく知る@グローバリズム勢力と戦うプーチン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6YE0qi4xuYc

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c144
[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
23. 中川隆[-11812] koaQ7Jey 2019年2月26日 13:43:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[168]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#15
ロシアを正しく知る@グローバリズム勢力と戦うプーチン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6YE0qi4xuYc
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c23
[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
44. 中川隆[-11811] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:10:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[169]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link

語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c44

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
27. 中川隆[-11810] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:10:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[170]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

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語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c27

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
27. 中川隆[-11809] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:11:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[171]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link

語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c27

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
32. 中川隆[-11808] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:11:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[172]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link

語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c32

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
61. 中川隆[-11807] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:12:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[173]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

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語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c61

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
29. 中川隆[-11806] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:12:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[174]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link

語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c29

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
296. 中川隆[-11805] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:13:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[175]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

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語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c296

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
182. 中川隆[-11804] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:13:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[176]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

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語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c182

[リバイバル3] アメリカの有名大学では金で合格を買える 中川隆
4. 中川隆[-11803] koaQ7Jey 2019年2月26日 19:14:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[177]

雅子様 英語スピーチ2 The Voice of Crown Princess Masako - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=6gqE5G_sA9U


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

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語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/933.html#c4

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
134. 中川隆[-11805] koaQ7Jey 2019年2月27日 06:22:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[175]
チャップリン モダン・タイムス Modern Times (1936年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/273.html

チャップリン 街の灯 City Lights (1931年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/272.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c134

[近代史3] チャップリン 独裁者 The Great Dictator (1940年) 中川隆
1. 中川隆[-11804] koaQ7Jey 2019年2月27日 06:42:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[176]

アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔

ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC+%E6%BC%94%E8%AA%AC
https://www.youtube.com/results?search_query=Adolf+Hitler

▲△▽▼

ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。

彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html

▲△▽▼

アメリカの極秘文書が伝えるヒトラーの意外な素顔
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc611.html

●一般にヒトラーは「キ○ガイ」の代名詞であり、20世紀最大の悪魔とも称せられる。

ヒトラーは性的変質者で睾丸がひとつしかなかったなどとまことしやかに言われ、彼が精神異常者であるという印象はごく自然に多くの人に受け入れられている。

ナチスの迫害を受けていた精神分析学の創始者であったユダヤ人ジークムント・フロイトは、ヒトラーを「狂人がなにをしでかすか予想できない!」の一言で片付けてしまったように、

ナチス敗北後、多くの精神医学者もヒトラーを「精神病」と見なしてきた。

 


ジークムント・フロイト

「精神分析学」を創始した
オーストリア生まれのユダヤ人。
1938年にナチスに追われてイギリスに
亡命したが、翌年、ガンで亡くなった。

 

●SS長官ヒムラーのマッサージ師ケルステンは、「ヒトラーは脳梅毒(進行麻痺)であった」という噂を流した。

しかし、ヒトラーの主治医モレルは1940年の梅毒検査でヒトラーは陰性であった、とヒトラーの脳梅毒説を否定している。

 


アドルフ・ヒトラー

 

●ところで、アメリカの国家記録保存所には「ヒトラーのメディカル・レポート」が保管されている。

これはアメリカ陸軍ヨーロッパ司令部情報部によって作成されたもので、1972年になってようやく極秘取り扱い解除されたものである。

それによると精神面に関するデータは次の通り。


【A】.時間、場所、人間に関しての認識 = <優>

【B】.過去、現在における出来事についての記憶力 = <優>

【C】.数字、統計、名前などの記憶カ = <優>

【D】.ヒトラーのバックグラウンドは大学教育の欠如というハンデがあったが、
    それを彼は読書を通して得た莫大な知識で十分に補った。

【E】.時間や空間についての判断力 = <優>

【F】.まわりの環境に対する反応 = <ノーマル>

【G】.気分が変わり易いところもあるが、平均して協調性があり、集中力は抜群。

【H】.感情的には変化し易い。好き嫌いがはげしい。

【 I 】.思考構造は一定の継続がある。話し方は早くなく遅くもない。
    常につじつまの合う話をする。

【J】.ヒステリー性はなし、健忘症なし。

【K】.妄想や恐怖性なし。

【L】.幻覚、幻想、偏執狂的徴候はなし。

●これを見る限り、ヒトラーという人間はごくノーマルであるばかりでなく、ある面では普通の人より秀れていたということになる。

アメリカ政府はこの情報を1945年に得ていたのだが、27年間極秘扱いとして誰にも見せなかったのであった(一説にはヒトラーのIQは150近くあったという)。

 


1972年になってようやく極秘取り扱い解除された
「ヒトラーのメディカル・レポート」

 

●以下、参考までに、戦後のニュルンベルク裁判の法廷で、ナチス要人が語ったヒトラー像を挙げておたい。

この3人とも誇り高きドイツ貴族出身の軍人であり、貧民街から登場したチョビひげの政治家に、最初から心服していたわけではなかった。しかしヒトラーは、そんな人物まで相手の専門分野の知識で圧倒し、やがてはその人格的影響下に置いてしまったようである。

◆ドイツ海軍最高司令官カール・デーニッツ大将は語る。

「ヒトラーは異常な知性と行動力を持ち、まさに普遍的といってよい教養と力を放射する性格をそなえ、恐るべき暗示力をもった人物だった。

私は総統本部に出入りしないほうが、自分の力を温存できるような気持ちがしたので、たまにしか足を運ばなかった。それに何日も総統大本営に滞在したあとは、ヒトラーの暗示力を洗い落とさなければならないという感じがした」


◆ヴィルヘルム・カイテル元帥は、ヒトラーの軍事知識に驚嘆している。

「軍事問題についての知識は驚くべきものがあった。ヒトラーは世界の全ての陸海軍の組織、武装、指導部、装備に精通しており、ひとつといえども誤りを指摘することはできなかった。

したがって我々は、あの人は天才にちがいないと思ったのだ。軍の単純なありきたりな問題ですら、自分は教えるほうではなくて教わるほうであった」


◆国防軍最高司令部部長アルフレート・ヨードル大将も語る。

「ヒトラーは並々ならぬ大きさを持った指導者としての人格をそなえていた。誰と何について議論しても彼の知識と知性、雄弁と意志が最後には勝利を占めた。

論理と冷静な思考、しばしば来たるべきものを予知するその不思議な能力──。

彼は決して虚言や大言を弄するだけの男ではなく、巨大な偉人であった。最後には地獄的な巨大さにまでなってしまったが、ともかく1938年までは無条件に偉大な人物だった」

 

 

 


●また、敵味方を問わず「ドイツ軍最高の軍人」、もしくは「20世紀最高の戦略能力の持ち主」と評されていた、ドイツ国防軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥は、ヒトラーとたびたび衝突して、ヒトラーに批判的だった。

しかし、彼ですら次のように認めている。

「ヒトラーは驚くべき知識と記憶力、技術問題と軍需のあらゆる問題についての創造的な想像力を持ち合わせていた。敵や自国の新兵器の威力、生産量についても信じがたいほどの知識を持っていた。

彼が軍需の分野で、その理解力と並外れたエネルギーをもって、多くのものを推進したのは間違いない」

 


ドイツ軍最高の名将と名高い
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン

 

●以上、世間で一般に流布されているヒトラー像とは違うヒトラーの実像が見えてきた。

しかし、ヒトラーが精神的にそれほどおかしな人間でなかったのならば、一体、彼をあそこまで駆り立てたものは何だったのか? 大きな疑問が残ってしまう。

ワーナー・メイザーという高名なヒトラー研究家は次のように言っている。

「ヒトラーの反ユダヤ主義が、いかに展開し継続していったかを概観して説明するのはさほど困難ではない。

しかし、なぜヒトラーのような並外れて我意が強く、才能があり、数多くの書物を読み、広い知識を持っている人間が、このような恐るべき迷信(反ユダヤに到る考え)に囚われてしまったのかという問いに答えることは容易ではない」

 

  

 


●ちなみに、ヒトラーの側近であった者たちは、ヒトラーの大きな「欠点」のひとつとして、彼が何を考えていたのか皆目わからなかったという点を挙げている。

「心の奥底を明かさない人間を、どうして『知っている』と言えようか」と、ヒトラーの側近の1人はニュルンベルク裁判でヒトラーについて語っている。

さらに、「私は今日になっても、彼が、何を考え、何を知り、何をしようとしていたのかがわからない。それが何であったのかは、私が考えたり想像したりできるだけなのだ」と述べている。

 

 

●「ヒトラーに友人がいたというのなら、私は間違いなくその1人だろう──」。ヒトラーの側近の1人としてきわめて多くの時間を彼と過ごしただけではなく、彼のもっとも興味を引いた分野、建築学における気に入りの仲間であったアルベルト・シュペーアはこう語っている。

「ヒトラーほど感情をめったに表さない人間はいない。それに、いったん表したとしても、すぐさまそれを覆い隠してしまうのである」

 

 
アルベルト・シュペーア

建築家出身で、建築好きのヒトラーに
気に入られ、1942年2月に軍需大臣に任命された。
合理的管理組織改革によって生産性を大幅に向上させ、
敗戦の前年の1944年には空襲下にも関わらず
最大の兵器生産を達成した。

 

●アルベルト・シュペーアはまた、ヒトラーと打ちとけられたと感じられる瞬間についても、かつて副官ルドルフ・ヘスが口にしていた言葉通りだったと証言している。

「我々はやっぱり幻滅せざるをえなかった。私たちのどちらかが少しでも親しげな調子で話そうものなら、ヒトラーは直ちに厚い壁を造りあげてしまうのだ……」

 


ひとり静かに物思いにふけるヒトラー

普段はナイーブで内気な性格だったという…

 

●青年時代のヒトラーの唯一の親友だったアウグスト・クビツェクも、次のように語っている。

「アドルフ(ヒトラー)は内向的な性格で、誰にも立ち入らせない精神領域を常に持っていました。彼には理解不能な秘密があり、私にとっても多くの点は謎のままでした。

しかし、その秘密のいくつかを解く鍵がありました。それは美への熱狂です。ザンクト・フロリアン修道院のような壮麗な芸術作品の前に立つと、私たちの間のあらゆる障壁が崩れ去るのです。熱狂しているときのアドルフはとても打ち解けやすくなり、私は友情がさらに深まったように感じました」

 

  
(左)青年時代のアウグスト・クビツェク(ヒトラーの唯一の親友だった)
(中央)戦後、ヒトラーとの交際について回想録をまとめるクビツェク
(右)出版された彼の回想録『我が青春の友 アドルフ・ヒトラー』

 

●ところで、あのエヴァ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚)も、日記に次のように記している。

「ヒトラーは時々、異常なほど内気になる。きっと過去の嫌な体験からきているのだろうと思うけど、あの人の内気さは普通じゃない。とくに人前に出ると、内気な自分を悟られまいと必死になっている。

私にはそれが手に取るように分かる。トイレに逃げ込みたくなるほどおびえているのかもしれない。どうしてあれほど自制するのだろう? うぶな娘のように振る舞うのだろう?」

 


エヴァ・ブラウン

 

●また、彼女は「ヒトラーはとにかく謎めいている。何かを隠そうとしている。そこがとても薄気味悪い」と記している。


彼女によれば、1937年冬のある日、ヒトラーは目をギラギラと輝かせながら、「天才と狂人」について次のような謎めいた話をしたという。

「天才は普通人とは異なる精神領域で生きている。天才はときどき普通人の精神世界に舞い戻る。だが、もし戻れないと、普通人の目には狂人に見えるのだ。ヘルダーリンやネロのように。天才はたいがい限界というものを感じない。危険というものを感じない。

私は自分を知っている。シェークスピアが自分を知っていたように。彼の十四行詩を読めば、それが分かる。シェークスピアは2つの領域を行ったり来たりした。穏やかな人物でありながら、それをやってのけた。情熱的な私なら、難なく2つの領域を行き来できる」

※ エヴァ・ブラウンは日記の中で、この時のヒトラーの眼はとても薄気味悪く輝いていて、まるで燃えているようだった。本当にこの時のヒトラーの表情には背筋がぞっとしたと記している。

 

青年時代からヒトラーの存在感は強烈だったらしく、彼を
記憶する人々は口をそろえて、その異様な雰囲気を描写している。

「射るような眼」 「催眠術師の眼」 「狂気に近い異様に澄んだ眼」などなど…

 

●ところで、エヴァ・ブラウンは同じ日記の中で、ヒトラーの意外な一面を書いている。

彼女によると、ヒトラーは「美容」に関して専門家を驚かせるほどの知識を持っていたそうだ。

「水曜の夜。私は本当に感心してしまった。なにしろ、スパルタ気質のあの人が美容師に、どうやったら女は若さと美しさを保てるか、と延々と説いていたのだから。とにかく、美容についての知識の深さにはびっくりした。

この前、私はあの人から化粧クリームをもらった。それが効くのかどうか、私には分からない。でも、あの人からもらった以上、絶対に使い切らなければならない。それにしても、クリームといっしょに渡されたあのメモには本当に目を疑ってしまった。なにしろ、週に二度は仔牛の新鮮な生肉で夜の洗顔パックをすること、週に一度はオリーブオイルの風呂に入ること、もっとも大切な部分はバストとヒップ、と書いてあったのだから。

たしかに、あの人は美容の専門家だと思う。達人とさえ呼べる。

〈中略〉

私はこの頃しみじみと思う。あの人の言うことは何でもかんでも正しくなる、と。

たまに変に思えたりするけど、結局、それが変じゃなくなる。人々があの人を信じるから、そうなるのだろうとは思うけど、もしあの人が、太陽は地球の周りを回っている、と宣言したら、どうなるだろう。やっぱりドイツ人たちはみなすぐに信じるのだろうか……」(エヴァ・ブラウンの日記/1938年1月)

 

 
(左)アドルフ・ヒトラー (右)エルンスト・レーム

レームはヒトラーの最も古くからの同志で、
ヒトラーと肩を並べるほどの実力を持っていた。
レームはヒトラーに向かって「おまえ」と呼ぶ
ことのできる唯一のナチ党員であった。

しかし、レーム率いる「ナチス突撃隊(SA)」が
急速に力をつけ、「国防軍」との間に深刻な摩擦を
起こし始めると、ヒトラーはこの対立問題が権力基盤の
危機を招くと判断し、レームとSA幹部らを粛清した。

※ この「長いナイフの夜」と呼ばれる「レーム事件」
 により、ヒトラーは「国防軍」との関係を修復した。

 

●かの有名な「レーム事件」(長いナイフの夜)を題材にした戯曲

『わが友ヒットラー』(新潮社)を書いた三島由紀夫は、巻末の「自作解題」でこう述べている。

「『わが友ヒットラー』は、アラン・ブロックの『アドルフ・ヒトラー』を読むうちに、1934年のレーム事件に甚だ興味をおぼえ、この本を材料にして組み立てた芝居である。

〈中略〉

粛清後、ヒトラーが不眠症にかかり、心労の果てにやつれたというのは実話のようで、まだ『人間的な』ヒトラーがヒトラーの中に生きていた時期の物語である。

国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬというのは、政治的鉄則であるように思われる。そして一時的に中道政治を装って、国民を安心させて、一気にベルト・コンベアーに載せてしまうのである。何事にも無計画的、行きあたりばったりな日本は、左翼弾圧からはじめて、昭和11年の2・26事件の処刑にいたるまで、極左極右を斬るのにほぼ10年を要した。それをヒトラーは一夜でやってのけたのである。

是非善悪はともかくヒトラーの政治的天才をこの事件はよく証明している」

 

 
(左)三島由紀夫 (右)彼が「レーム事件」を
描いた作品『わが友ヒットラー』(新潮社)

 

●そして彼は続けてこう述べている。

「ずいぶんいろんな人に、『お前はそんなにヒトラーが好きなのか』ときかれたが、ヒトラーの芝居を書いたからとて、ヒトラーが好きになる義理はあるまい。正直のところ、私はヒトラーという人物には怖ろしい興味を感ずるが、好きか嫌いかときかれれば、嫌いと答える他はない。

ヒトラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。

英雄というものに必須な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒトラーは、20世紀そのもののように暗い……」

 

 


 

■■おまけ情報


●戦後、連合軍がナチ戦犯に心理テストを行った結果、高い知能指数(IQ)の人が多かったことが判明。

↓参考までに紹介しておきたい (※ ちなみに日本の東大生の平均はIQ120)。


<ナチ戦犯の知能指数>


■IQ143 ヒャルマー・シャハト

■IQ141 アルトゥル・ザイス=インクヴァルト

■IQ138 ヘルマン・ゲーリング

■IQ138 カール・デーニッツ

■IQ134 フランツ・フォン・パーペン

■IQ134 エーリヒ・レーダー

■IQ130 バルドゥール・フォン・シーラッハ

■IQ130 ハンス・フランク

■IQ130 ハンス・フリッチェ

■IQ129 ヴィルヘルム・カイテル

■IQ129 ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

■IQ128 アルベルト・シュペーア

■IQ127 アルフレート・ローゼンベルク

■IQ127 アルフレート・ヨードル

■IQ125 コンスタンティン・フォン・ノイラート

■IQ124 ヴァルター・フンク

■IQ124 ヴィルヘルム・フリック

■IQ120 ルドルフ・ヘス

■IQ118 フリッツ・ザウケル

■IQ113 エルンスト・カルテンブルンナー

■IQ106 ユリウス・シュトライヒャー


◆The Nazi Defendants in the Major War CriminalTrial in Nuremberg
http://www.law.umkc.edu/faculty/projects/ftrials/nuremberg/meetthedefendants.html


http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc611.html

▲△▽▼

ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持した理由

 マイナス金利政策を巡る顛末からも分かる通り、現在の日本が抱える問題は、

「特効薬が効かない!」

 という話ではなく、普通の薬を飲まず、特効薬を追い求めている、という点に本質があります。


 と言いますか、ここまで一貫して普通の薬(財政政策)から目をそらし、効果のコミットができない特効薬を探し回る光景は、もはや喜劇です。普通の薬は、効果について事前にコミットできるにも関わらず、頑なにそこから目をそらす。


 実は、現在の日本や欧州同様に、主要国の政策担当者が病的なまでに財政均衡にこだわり、国民経済を貧困化させるという光景が、80年前にも見られました。

『[FT]21世紀におぼろに見えるドイツ帝国銀行総裁の影
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO97052220Y6A200C1000000/

 ジョン・ワイツによるヒャルマー・シャハトの伝記『Hitler’s Banker(邦訳:ヒトラーを支えた銀行家)』を読み返したら、これまで筆者が考えていなかった1930年代と現在の興味深い共通点に気づいた。

ヒトラーが再軍備計画の資金を賄うために、配下の中央銀行総裁だったシャハトに頼ったことは、よく知られている。

だが、ワイツは――そしてここが今日のユーロ圏に潜在的に関係するところだが――、シャハトがライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)で非伝統的な政策を追求できたのは、ひとえに独裁者の後ろ盾があったからだとも指摘している。(中略)

 欧州北部諸国に共有されているブリュッセルとフランクフルトの現在の正統的政策には、30年代に一般的だったデフレマインドとの類似点がいくつかある。

今日の政治家と中央銀行家は、財政目標と債務削減に固執している。30年代前半と同様に、正統的な政策には病的なところがある。今日の中央銀行家は、言うことが尽きると「構造改革」に言及するが、そうした改革が一体何を達成するのか決して口にしない。

 原則としては、ユーロ圏の経済問題を解決するのは難しくない。欧州中央銀行(ECB)が市民一人ひとりに1万ユーロの小切手を手渡せばいい。物価の問題はものの数日で解決されるだろう。あるいは、ECBは独自の「IOU(借用証書)」を発行することもできる。

シャハトが行ったのは、それだ。

または、欧州連合(EU)が債券を発行し、ECBがそれを買い上げてもいい。紙幣を印刷する方法はたくさんある。どれも皆、素晴らしい方法だ。そして違法でもある。(後略)』

 ナチスがドイツで政権を握ったのは、デフレーションで国民の間にルサンチマンが蔓延し、「攻撃的」な政党が喜ばれるという形で社会が歪んでしまったためです。


 とはいえ、ナチスが「支持された」のは、これはもう、ヒトラーとシャハトのコンビが、各国が財政均衡主義の魔物にとらわれ、緊縮財政政策を推進する中において、アウトバーン建設に代表される大規模景気対策を打ったおかげなのです。

ヒトラーが率いるナチスは、1932年には43%(!)だった失業率を、五年間で完全雇用に持ち込んでしまいました。


 それはもう、ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持したのも、無理もない話なのです。


 ちなみに、わたくしは別にナチスを賛美したいわけではなく、「人類」は歴史的に財政均衡主義を「愛し」、デフレ期の財政出動という普通の薬を飲むことができず、デフレの原因を(なぜか)、

「構造改革が不足しているから」

 という、意味不明というか逆効果(構造改革はインフレ対策)の政策を採用。
 緊縮財政と構造改革、つまりは需要縮小策と供給能力拡大策によりデフレを深刻化させ、

「国の借金で大変だ〜っ!」

「構造改革が足りないからだ〜っ!」

 と、バカの一つ覚えのように自縄自縛となる愚かな政策を繰り返してきたという話です。


 特に、デフレ期には単なる「債務と債権の記録」に過ぎないおカネに国民総じて固執し、政府が普通の薬(財政出動)を飲もうとすると、

「政府は無駄なカネを使うな!」

 と、やるわけです。結果、デフレギャップは埋まらず、国民が貧困化し、ルサンチマンが蔓延し、最後には「他の国民を攻撃する」ことで人気を博すポピュリスト政治家が権力を持ち、民主主義が壊れます。


 あるいは、貧困化が行き着くところまで行き着き、国家は虎の子の供給能力を失い、発展途上国化します。


 民主主義の破壊や、発展途上国化を回避するために必要なのは、「特効薬」でも「万能薬」でもありません。しつこいですが、普通の薬、財政出動を中心とした景気対策という普通の政策なのです。


 それにも関わらず、政治家や国民が「普通の薬」について議論しようとさえしない現状に、わたくしは恐怖すら覚えるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12128570302.html

▲△▽▼


現在の状況は、1930年代のヨーロッパとそっくりです。

 1929年のNY株式大暴落に端を発した大恐慌により、ドイツは失業率が43%(32年)に達してしまいました。国民のルサンチマンがピークに達した状況で、ナチス・ドイツが政権を握り、ヒットラーが首相の座に就きました。


 ナチスはヒャルマル・シャハト(ライヒスバンク総裁)の下で、大々的な財政出動を実施。アウトバーンや国道が建設され、WW2開戦までに、3860kmが建設されました。ナチス・ドイツという独裁的な政権の下で、ドイツ経済は瞬く間に回復。わずか五年間で、失業率が完全雇用の水準に至りました。


 当然ながら、ドイツ国民はナチスを熱狂的に支持します。


 妙な話ですが、現在や大恐慌期のような需要低迷期には、なぜか「民主主義国」の方が大々的な財政出動に踏み切れず、状況が悪化します。逆に、独裁国は政府が剛腕をふるい、財政を拡大し、国力を強化してしまうのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12137232005.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/274.html#c1

[近代史3] チャップリン 独裁者 The Great Dictator (1940年) 中川隆
2. 中川隆[-11803] koaQ7Jey 2019年2月27日 06:47:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[177]

祖国を救おうとして闘ったヒトラー、プーチン、サダム・フセイン や カダフィ が欧米のマスコミによって悪魔化された理由


「ひとりがたり馬渕睦夫」#15
ロシアを正しく知る@グローバリズム勢力と戦うプーチン - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6YE0qi4xuYc


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第3回
「ネオコンが狙う日露決裂とプーチン潰し」[桜H31-1-31] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=jWRxVmGJkDo

2019/01/31 に公開

既成概念にとらわれない大きな視座で国際情勢を俯瞰し、ぶれることのない日本の軸を示し続けている馬渕睦夫氏。
閉ざす門を一度解き放つことによって見えてくるものがあるように、物事の本質を見極める言葉と思考を、対談を通じて伺います。

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


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【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第2回「日本解体!
ディープステートによる日本のグローバル化、その尖兵としての霞ヶ関官僚」[桜H30-12-27] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=tOqOn3ttvPg

2018/12/27 に公開

既成概念にとらわれない大きな視座で国際情勢を俯瞰し、ぶれることのない日本の軸を示し続けている馬渕睦夫氏。
閉ざす門を一度解き放つことによって見えてくるものがあるように、物事の本質を見極める言葉と思考を、対談を通じて伺います。

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫 deep state の世界を語る

太平洋戦争も朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてユダヤ資本のヤラセだった


馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=親ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、FBI、マスコミ、ソ連共産党、中国共産党、天皇一族、日本の官僚
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、レーニン、スターリン、ボリス・エリツィン、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=ヒトラー、プーチン、サダム・フセイン、トランプ、カダフィ、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、アサド、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです


▲△▽▼


馬渕睦夫さんが明らかにしたのは

・ロシア革命を行ったレーニン、スターリン、トロツキー等は全員ユダヤ人とそのシンパだった

・ロシア革命に資金援助や支援していたのはアメリカやイギリス・ドイツの金融資本家だった

・毛沢東と中国共産党を支援していたのもアメリカ金融資本家だった

・ルーズベルトとその周辺の人間は全員社会主義者でスターリンと同盟関係にあった

・GHQ は戦後の日本を共産化しようとした

・ボリス・エリツィンはソ連崩壊後に国有財産を民営化して、すべてユダヤ資本に二束三文で払い下げた


要するに、ユダヤ資本は

昔は共産化によって世界各国のグローバル化を進めようとした

現在は移民を大量に受け入れさせて世界各国のグローバル化を進めようとしている

▲△▽▼


馬渕睦夫さんは唯の国際化とグローバリズムとは全く違う概念だと何度も言っています。

馬渕睦夫さんがグローバリズムと言っているのは

ユダヤ国際金融資本はユダヤ教の精神に基づいて、世界を国境の無い文化も同じ一つの国にしようとしているという事ですね。

ユダヤ教は人類で最後に救われるのはユダヤ人だけで、他民族はすべて滅ぼされるという教義です。

すべて滅ぼすのは無理なので、ユダヤ人が目指す現実性のある理想の社会は
1%のユダヤ人が資産や権力を独占して、99%の他民族は被支配者として搾取される世界なんですね。

北朝鮮みたいな共産国家なら大体その通りになっていますよね。

それから中国では都市籍の人間が農民籍の人間を支配搾取する体制になっていますよね。
中国の経済発展は都市籍の人間が農民籍の人間をタダ同然で働かせる事ができたからだというのが定説ですね。


マルクス主義で言う平等というのは 99% の被支配者の間では階級差別が全く無いというだけの話です。

竹中平蔵さんが、

派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしろ

と言っているのも 99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないという主張ですね。


だから、ユダヤ人は最初は共産化で 1% 対 99% の世界を作ろうとしたのです。


▲△▽▼


馬渕睦夫さんが何度も言っていますが、国際化とグローバリズムとは全く違う概念なのですね。

それは航空機で欧米に数時間で行ける時代だから、海外との輸出入も旅行も技術交流や留学も簡単になった。
コカコーラやネスカフェやマクドナルドは世界中どこでも手に入る様になった。

しかし、それはあくまでも国際化であってグローバリズムとは関係ない

移民を入れたらチャイナタウンとかモスクを中心とするイスラム人居住区みたいな国家内に別国家ができてしまうので、唯の国際化とは次元が違うものなんですね。

ユダヤ資本は利潤を最大化したいだけなので、

・言語はすべて英語に統一して、それ以外のローカルな諸言葉はすべて廃止する
・民族ごとに違う習慣や伝統はすべて止めさせて、世界標準の生活様式に統一する
・賃金は民族によらず、すべて同一作業同一賃金にする

という環境を作りたいのです。


グローバリズム=共産主義

というのは、どちらも 1% 対 99% の世界を作って、

99%の中では民族による賃金や福祉等の差別はしない、中国人でも日本人でも賃金はすべて同一にする(賃金は安い方に統一する)

という事なのですね。

それで、レーニンやスターリンやトロツキーの様な反民族主義のユダヤ系のグローバリストが共産革命を起こし、ユダヤ資本が共産国家を支援した

馬渕睦夫さんはそういう歴史的事実を信頼できる資料と客観的事実に基いて具体的に指摘したというだけです。




▲△▽▼

アーリア人の赤ん坊を増やせ ! / 同種族を憎むように改造されたアメリカ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html


フリーダが持っていた出生の秘密

Lebensborn 1Nazi girls 6

(写真 / ナチス政権下りの理想的ドイツ人少女)
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/b/2/b2c356d3.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/3/c330f4d3.jpg


  最近のテレビでは予算不足なのか、昔のビデオを集めて懐メロ番組を流す時がある。大きい子供を持つ父親とか母親でも、往年のスターやアイドル歌手を再び目にして大はしゃぎするんだから、若い時の熱狂は一生消えないのだろう。でも、贔屓とするアイドル歌手がいなかった筆者には、残念ながら一緒に懐かしむことができない。とは言え、筆者にも松田聖子とか中森明菜を好きだった友人がいた。しかし、同級生にアバ(ABBA)とかノーランズ(The Nolands)のファンはいなかったから寂しかった。それでも楽しい思い出は尽きない。

今のCDとは違って、LPのアルバムだとジャケットのサイズが大きくて、それぞれのミュージシャンが独自のアイデアを用いてデザインしていたから、ある種の藝術みたいな趣があった。小学生の頃、近所のレコード店に行ってアバのアルバムを注文し、そのレコードが届いたとの知らせを受けた時は嬉しかった。早速、自宅のオーディオ・セットにレコードをかけ、「ヴレヴー(Voulez Vous)」とか「エンジェル・アイズ(Angel Eyes)」「アズ・グッド・アズ・ニュー(As good as new)」といった名曲を毎日のように聴いて、「コンサートに行けたらなぁ」と悔しかったのを今でも覚えている。

Nolans 1ABBA 4

左: ノーランガ
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右: ABBA
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/6/6/666f9551.jpg


  日本でも1970年代後半から80年代初頭にかけてアバは人気で、ディスコ・ブームも重なっていたから、「ギミ ! ギミ ! ギミ !」とか「ダイシング・クィーン」がよく流れていた。ちなみに、筆者が印象に残っているディスコ・ミュージックと言えば、松田優作のTVドラマ『探偵物語』で使われていた「ディスコ・トレイン(Disco Train)」(歌 / セクシー・リズム・セクションズ)と、沖雅也・柴田恭兵が共演していた『俺たちは天使だ』に挿入されていた「You Can Do, I Can Do」である。(これらの曲はユーチューブにアップされているので、確認したい方は曲名をタイプして検索すれば試聴できます。たぶん、「あの曲か!」と想い出す人もいると思う。) 日本でも成功を収めたアバは、1980年代初頭に解散してしまったが、各メンバーは独自に音楽活動を始めていた。リード・ヴォーカルのアグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)とフリーダ・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)は、そけぞれソロ・シンガーの道を歩むようになていった。

  個人活動を始めたフリーダであったが、新曲の「I know there's something going on」はそれほどヒットせず、アバ時代と比べると凋落の様相を否めない。しかし、彼女はドイツ貴族の奥方となった。アバのメンバーであった頃、フリーダはキーボード奏者のベニー(Benny Andersson)と結婚していたが、まもなく離婚してしまい、それでもバンド活動を続けていたという過去がある。人気絶頂で「アバ」というバンドが解散し、ソロ・シンガーになったフリーダは、造園家で伯爵の称号を持つハインリッヒ・ルッツォ・ルウス(Heinrich Ruzzo Reuß)と結婚し、スウェーデンの歌姫からドイツ人のお妃(プリンセス / Prinzessin Reß von Plauen)へと変身していたのである。普通なら、人も羨む華やかなシンデレラ・ストーリーとなるのだが、フリーダには人に話したくない出生の秘密があった。

Anni Frid 2Anni Frid & Benny 2Heinrich Ruzzo Reuss 1

左: アグネッタとフリーダ
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/8/d/8deac829.jpg

中央: 夫婦となったフリーダとベニー
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右: 再婚したフリーダと夫のハインリッヒ・ルッツォ・ルウス
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/9/c9e0cf4d.jpg

  1945年11月に生まれたアニ・フリード(フリーダ / Anni-Frid Lyngstad)は、シニ・リングスタッド(Synni Lyngstad)を母に、アルフレッド・ハーゼ(Alfred Haase)を父に持つ。母のシニは片田舎に住むノルウェー人女性で、まだ18歳の乙女であった。一方、父親のアルフレッドは、ノルウェーを占領したドイツ軍に属する24歳の軍曹であったという。彼は派遣された街でこの娘と出逢い、彼女の姿に惹かれてしまった。この娘に惚れてしまったアルフレッドは、ジャガイモの詰まった袋をプレゼントして交際を始めたそうだ。

現在では笑い話になってしまうが、戦時下の1943年、ノルウェーでは食糧不足が深刻だったので、こうした贈り物は大変貴重であったらしい。逢い引きを続ける若い二人が親密になるのに時間はかからず、彼らは程なくして肉体関係を結ぶようになった。だが、アルフレッドには彼女を幸せに出来ない事情があった。何と、彼は故郷に妻子を持つ既婚者であったのだ。(Ross Benson, "Abba girl's Nazi secret", Daily Mail)

Synni Lingstad 1Alfred Haase 1Alfred Haase & Frida

(左: シニ・リングスタッド / 中央: アルフレッド・リングスタッド / 右: 父のアルフレッドと再会したフリーダ)

  不倫と敗戦は若い二人を引き裂く。1945年、シニは身籠もるが、恋人のアルフレッドは祖国に帰還することになった。悪い時に悪い事は重なるようで、さらなる不幸が彼女を襲うことになる。ノルウェーの寒村に残されたシニは、周囲からの冷たい視線を浴びることになった。村の者は皆、誰が赤ん坊の父親なのかを知っていたので、彼女が街を歩けば、人々は彼女に向かって「このドイツ人の淫売女 !」と罵ったそうだ。敵国の男と情事を交わしてしまったシニとその母アグニーは村八分となり、時が経つにつれ人々からの仕打ちに耐えきれなくなった。そこで、地元に居場所を無くした親子は、隣国のスウェーデンに逃れ、新たな生活を求めるようになったという。(当時、母のアグニーは夫を亡くした寡婦であったそうだ。) スウェーデンに新居を構えたシニは、ウェイトレスとして働くが、間もなく腎臓を患い、21歳の若さで亡くなってしまう。母を失ったフリーダはまだ2歳であった。こうして幼いフリーダは祖母の手で育てられ、寂しい子供時代を過ごしたそうだ。大人になってから、彼女は幼年時代を振り返っていたが、友達はそう多くなかったという。フリーダは父がドイツ軍人であると聞かされていたが、祖母のアグニーは偽の話を孫に伝えていた。すなわち、父のアルフレッドは海路でドイツに帰る途中、船が沈没して亡くなったと教えていたのだ。後にフリーダが父の真相を知ったのは、アバが人気を博していた1977年の頃であったという。

Anni Frid 3Anni Frid 1Anni Frid 7

(写真 / 若い頃の「フリーダ」ことアニ・フリッド)
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アーリア人の赤ん坊を繁殖させる施設

  ドイツ軍人のアルフレッド・ハーゼがノルウェー人娘のシニ・リングスタッドと恋に落ちたのは、偶然の出来事だけではなかった。彼の恋愛は「レーベンスボルン(Lebensborn / 生命の泉)」計画の一環でもあったのだ。エリート組織たる親衛隊(SS /Schutzstaffel)を率いていたハインリッヒ・ヒムラー(heinrich Himmler)は、第三帝國を支える金髪碧眼のアーリア人を増やすことを目論み、ドイツ各地に「レーベンスボルン・ホーム」を創設した。ヒムラーの考えでは、理想的な容姿を備えたエリート部隊の男性が、健康で若いアーリア人の女性と肉体関係を結べば、アーリア人の赤ん坊がたくさん生まれ、ゲルマン民族の肉体が維持できるらしい。もし、個人の自由に任せていると、“へんちくりん”な種族と結婚してしまうから、政府の特別機関が制禦せねばならないという訳だ。こうして、優秀な北方種族の純血性を守り、その優越種族を繁殖させるためには、特別な制度と施設が必要である、との思想がドイツに浸透し始めたのである。

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(左: ハインリッヒ・ヒムラー / 右: レーベンスボルン・ホームで育つアーリア人の赤ん坊)

  ヒムラーは理想の種族でドイツ帝國を満たすことに心血を注ぐ一方で、彼の民族が持つ血統を穢す劣等人種を憎んだ。ドイツ民族の将来を憂いたヒムラーは、薄汚いスラヴ系民族やタカリ民族のユダヤ人、浮浪者のジプシーなどを排斥しようと決心したのである。彼はまた、腐敗と悪徳が蔓延る都会を嫌悪したので、レーベンスボルン・ホームを美しい田園地帯に建てることにした。現在の日本人にはピンとこないだろうが、ワイマール共和国時代には、ホモ風俗とかキャバレーが花盛りで、おぞましい繁華街には売春婦がたむろっていたというから、ヒトラーやヒムラーはこうした悖徳(はいとく)をドイツ全土から一掃した。「極悪人」の烙印を押されたヒトラーだが、意外にも彼は潔癖症で、倫理・道徳的腐敗に対して峻厳だった。美術を愛したヒトラーからすれば、ゲイ同士のセックスとかストリップ劇場などもっての外。ところが、社会道徳など一顧だにしない世俗的ユダヤ人の中には、ゲイとかレズビアンを用いてキャバレーを経営したり、変態趣味やSMショーとかを商売にして儲ける奴がいたそうだ。

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(左: マグヌス・ヒルシュフェルド / 右: 男同士でダンスを楽しゲイのむカップル)

  さらに、マグヌス・ヒルシュフェルド(Magnus Hirschfeld)というユダヤ人学者がセックス学(sexology)で有名だったから、ヒトラーやナチ党の愛国者たちが激怒したのも当然だった。この状態は、メル・ゴードン(Mel Gordon)の著書『官能的パニック(Voluptuous Panic)』を繙けば一目瞭然だ。日本人の読者は、ヒルシュフェルドが丸裸の女性を椅子に坐らせ、その手で彼女の性器を開闢させている写真に驚くだろう。こうした本は大学図書館にも無いから、ほとんどの日本人はワイマール期の社会風俗を知らずに、ナチ・ドイツの風紀取締を非難することになる。まぁ、性器丸出しのゲイやレズビアン、性的な幼児趣味、SMプレー、といった写真が満載の本なんて、公共図書館に置くことができないから、大学生でも第三帝國以前のドイツを理解していないのだ。(筆者はこの本を所蔵しているが、その中に掲載されている写真を紹介できない。ブログ運営のライブドア社の検閲が厳しいしこともあるが、実際、あまりにも卑猥な写真なので、いくら鈍感な筆者でも掲載をためらってしまうのだ。どうか、ご勘弁頂きたい。)

  勇敢なアーリア人戦士と美しいアーリア人の母が住むドイツを理想郷としたヒムラーであったが、いくつかの強引な政策もあったから、批判者が出て来ても不思議ではなかったし、排除されたユダヤ人から恨まれることも当然あった。しかし、彼の方針は英米で行われていた社会政策と同じものであったし、現在の福祉制度に通じているから興味深い。レーベンスボルン計画では、由緒正しいSS隊員と健康なアーリア系女性との婚姻が奨励されており、レーベンスボルン・ホームは未婚女性とその赤ん坊、あるいは既婚者との不倫で子供を産んでしまった女性などを保護し、彼らの面倒を見ていたという。ナチ党は逞しい金髪の戦士と家庭を守る母親を理想とし、帝國の未来を担うゲルマン人の子供を産むよう宣伝したし、そうした出産を半ば国民の義務と見なした。こうしたナチスの方針が「悪」なら、日本の武士は単なる殺人鬼だし、家庭を守る専業主婦も否定されねばならない。

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(写真 / ゲルマン系の母親と赤ん坊)
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  そこで、ゲルマン人の出生率を上げるため、ドイツは幾つかの社会政策を推進した。例えば、10歳以下の子供を3人以上持つ母親は、商店の順番待ちの列で優先的に扱われる「名誉母親証」を与えられたという。また、地方の行政当局は、こうした母親達に家賃と公共料金の割引をする制度を採用し、これから家庭を築こうとする若いカップルには、人種的適合性が証明されれば、独身者からの特別税を財源とした融資が行われたそうだ。子供が一人生まれるごとに融資額の四分の一が免除されたという。ということは、四人目を持てば借金がチャラになるということだ。(キャトリーン・クレイ / マイケル・リープマン 『ナチスドイツ支配民族創出計画 』柴崎昭則 訳、現代書館、1997年、 p.92)

  レーベンスボルン・ホームに熱心だったヒムラーと開業医のグレゴル・エーブナー(Gregor Ebner)は、既婚未婚を問わず、とにかく良い血統を持つゲルマン人の子供を増やしたかった。そこで、赤ん坊を養うことが困難な母親を受け容れて、レーベンスボルン・ホームの看護婦が代わりに養育する場合もあったという。とにかく、レーベンスボルン・ホームは魅力に満ち溢れていた。施設は中世の城を思わせる外観をもち、田園地帯にある高級リゾート・ホテルのようでもあった。当時、出産費用は一人頭400マルクであったが、エーブナーは素晴らしい血統を持つ1000名の子供を確保できるのなら、さしたる出費ではないと考えていたそうだ。資金は様々な方法で調達されていて、レーベンスボルン協会の会員からも徴集していた。会員数は1万3千人。そのうち8千名がSSに所属し、766名は各地の警察組織に属する者であった。会費は月に最低27マルクであったが、父親としての義務を果たしていないSSの隊員は、罰としてなのか、余計に会費を払わねばならなかった。しかも、28歳までに最低2人の子供を持たないSS隊員は、より多くの金額を払わねばならなかったそうだ。(上掲書 p.105)

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(左: グレゴル・エーブナー

中央: ドイツ人の若い女性
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右: 少女と一緒のハインリッヒ・ヒムラー
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  それでも、レーベンスボルン計画を維持するには資金が足りなかったようで、1939年、経済省は拡大する赤字を補填すべく100万マルクの補助金を交付したという。日本政府も少子化対策を取るなら、ナチ・ドイツのレーベンスボルン計画をちょっとは参考にすべきだ。国会議員や地方議員、政府の役人はこぞって児童施設の増加を叫ぶが、肝心の国民はセックスをしても結婚しないし、子供すら産まないから少子化が益々深刻となっている。多少のお金をあげても日本人女性は妊娠を嫌がるし、幼稚園が充実すれば「待ってました」とばかりに外で働くから、専業主婦が減って職業婦人が増えてしまう。子供を増やして生活がキツくなるんなら、子供を産まずに所得を上げようとするのは人情だ。ちょっと脇道に逸れるけど、日本の税制は将来を担う国民に対して酷だ。若い夫婦が借金して新居を構えても、その家屋に固定資産をかけて多額の税金を搾り取るんだから、幸せな家庭を築こうなんて思わない。これじゃあ、まるで懲罰金だ。住宅ローンを返済しながら、年金、国民健康保険、市民税、県民税、ガソリン税の二重課税、自動車取得税、車検に加えて消費税のアップじゃ、重税を払うために働いているようなものである。もし、子供を4、5人産んだら住宅借金を棒引きにして、固定資産税も軽減ないし免除となれば、若い夫婦もちょっとは夜の営みに励むかも知れない。

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(写真 / ナチス時代のドイツにおけるゲルマン系少女たち)
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  ナチ・ドイツの崩壊でハインリッヒ・ヒムラーの評価は最低だが、彼がSSのために考案した儀式には注目すべき言葉がある。夏至と冬至の儀式に集まった民衆は、次のように唱和しなければならなかった。

  我々は祖先を尊敬し、その前で跪く。祖先の血は、使命と責務として我々の中に流れている。

  血縁共同体によって、男は遺産を守る義務を負わねばならない。
  存在することの意味は、遺産を結実へと展開することである。
  生命の輝きを保つ聖なる場所を守るのは、家族である。
  男とその妻は、生命の芽を授け、それを担い、そして伝播させる。
  我々の子供たちは、我々の交わりと存在の証明である。
  そして、我々の孫たちは、我々の偉大さを証拠立てるであろう。
  (上掲書 p.64)

  ドイツ史を研究する日本の左翼学者は、頭ごなしにナチスを糾弾するが、ドイツ国内でアーリア系、つまり北方種族のドイツ人が増える事に問題は無いはずだ。確かに、ポーランドを侵掠し、現地人を弾圧したことは非難されるべきだが、侵略戦争なら歐米各国とも常習犯である。英国はアジアやアフリカに宏大な植民地を獲得し、現地の有色人種を蔑み、レイシズムに基づく秩序を形成して、現地人を奴隷の如くこき使っていた。インド人やビルマ人、アフリカ人からすれば、ドイツ人もイギリス人も変わりはないし、自由や博愛を掲げていたフランス人など完全に偽善者だ。ドイツ人を非難するアメリカ人だって、国内では黒人を家畜として働かせていたし、黒人との混血を忌み嫌い、一滴でも黒人の血が混じった子供は白人と見なされなかった。これは、ユダヤ人の祖父母を持つユダヤ系混血者を「ドイツ人」と見なさなかったナチスと同じである。アメリカ人は嫌がるけど、ナチ党はアメリカの人種法を参考にしていたのだ。当時の西歐世界はどこでも人種差別が横行していたし、他国への侵掠とか劣等人種の征服などは伝統的行為であったから、殊さら騒ぎ立てる程のものでもなかった。

恨み骨髄のユダヤ人

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(写真 / ユダヤ人の集団)

  しかし、ドイツやその他の西歐諸国に住むユダヤには赦しがたかった。彼らは千年以上も異国にタカってきた寄生民族なのに、自らを正当な「ドイツ国民」と考えていたのだ。しかし、ナチ党が台頭すると、如何なる高位高官のユダヤ人も単なる「ユダヤ人」に貶められたから、大騒ぎしても無理はない。以前なら、強欲な領主や君主を札束でビンタすれば、迫害の手が緩んだし、条件次第では引き続き居住が許され、有能なユダヤ人であれば、秘書とか財務官といった手下になることができた。ところが、ヒトラーは甘っちょろい貴族とは決定的に違っていたのである。彼はユダヤ人の袖の下に屈しなかったのだ。ナチスは法律を以てユダヤ人を炙り出した。例えば、


(1) 氏名変更の禁止。ユダヤ人がドイツ風の名前をつけることを禁止したのである。

(2) ユダヤ人の商店はユダヤ人が所有していることを隠してはならない。

(3) ユダヤ人組織は当局に登録せねばならない。

(4) ユダヤ人は自分がユダヤ人であるとこを示す書類を持ち歩かなければならない。

(5) ユダヤ人は不動産業、金貸し屋、工場経営、調査業、結婚仲介業、看護婦、巡回販売員などを営んではならない。

(6) ユダヤ人はドイツ人の劇場に入ってはならない。

(7)ユダヤ人の子供はドイツの学校から排除される。


  これ意外にも様々な禁止条項があった。こうした条例は他国にも適応され、フランスがドイツに占領された時、そこに住むユダヤ人はケルト系のフランス人と区別された。すると、今までフランス人が営んでいると思っていた商店が、実はユダヤ人の店であったとわかってフランスの庶民が驚く、といったケースがあったそうだ。しかも、「こんなに多くあったのか !」と驚嘆したというから面白い。反ユダヤ主義の伝統が根強かったフランスでは、ドイツ人によるユダヤ人迫害に協力する人が少なくなかった。忌々しいユダヤ人を排除してくれたんだから、征服者にしては「良い事」をしたものだ。

  第三帝國の崩壊はドイツ人にとって悲劇であったが、戦勝国の英米にとってもある意味「敗北」であった。経済的に疲弊した英国は別にして、国内に損害が無かった米国も意外なしっぺ返しがあったのだ。あろうことか、ナチスを悪魔にして糾弾したアメリカ人は、自国内で人種差別が出来なくなってしまった。ナチスのユダヤ人迫害はドイツ人の独創ではなく、以前から継承されてきた排除思想が基になっていたのに、まるでドイツ人だけがユダヤ人を虐待したかのような印象操作が戦時中に行われていたのである。ドイツ人が如何なる人種政策を取ろうとも、アメリカ人はそれとは無関係に、従来の人種差別を継続してもよかったのだ。なぜ戦勝国が敗戦国のせいで人種混淆社会になるのか? そもそも、合衆国の白人兵はユダヤ人を救うために参戦したのではないし、黒人との平等を求めて日本兵と戦ったわけでもない。ところが、奇蹟的に生き残った白人兵が帰国すると、国内にはユダヤ人を始めとする戦争難民が押し寄せ、ついでにアジア系移民に関する法的制限も撤廃されてしまったのである。

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(左: ユダヤ人の子供 / 右ユ: ダヤ人の移民)

  激戦に勝ったら厭なユダヤ人を引き受けることになるなんて、まったく馬鹿げている。同じ種族のドイツ人、特に戦争孤児や夫を亡くした母子家庭のゲルマン人なら受け容れてもいいだろう。事実、ジェイムズ・イーストランド上院議員は、戦争で住処を無くしたドイツ難民を優先しようと述べていた。ところが、優先的にやって来たのはむさ苦しいユダヤ人とか、東歐や南歐からの貧民、その他の不愉快な劣等民族であったから、地元のアメリカ人は眉を顰めていた。案の定、住みついたユダヤ人家庭からは筋金入りの共産主義者や、ピンクの左翼、リベラル派気取りのゴロツキ、空論を弄んで社会に害をなす知識人、白人社会にケチをつける左巻きのジャーナリスト、真っ赤に染まった藝能関係者などが輩出されたのである。以前、当ブログで紹介したように、公民権運動で黒人を焚きつけたのはユダヤ人活動家であったし、異人種混淆を奨励する映画を作っていたのもユダヤ人であった。

  映画界やテレビ局、その他の娯楽産業を牛耳ったユダヤ人は、盛んにナチ・ドイツを侮蔑し、ドイツ人が犯したユダヤ人への暴虐、迫害、ガス室殺人などをアメリカ人に吹き込んだ。それにより、上流ないし中流家庭の白人たちは、兇悪犯のドイツ人を蛇蝎の如く嫌うようになってしまった。映画に現れるナチ高官は決まって残忍冷酷で、米軍に銃を向けるドイツ兵は、皆ロボットのように上官に従い、ケダモノのように民間人を殺しまくる。一方、アメリカ兵は人情味に不溢れた正義漢として描かれている。南洋で投降する日本兵を撃ち殺す卑劣なアメリカ兵とか、絨毯爆撃で女子供を皆殺しにするパイロット、焼夷弾で民間人を焼き殺すよう命じる米軍将校などは描かれない。もちろん、占領下の東京や横浜で日本人女性を強姦する黒人兵とか、少女を凌辱する白人兵などは無視。悪いのはナチズムのドイツ人とファシズムの日本人のみだ。

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左: 二枚クリステン・スチュワートとテレサ・パーマー
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右: 二枚ティファニー・ティッセンとアレクサンドラ・ダダリオ
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  こうしたプロパガンダ映像で洗脳されたアメリカ白人は、同種族のドイツ人を殊さら憎み、異人種であるはずのユダヤ人に親近感を覚える。しかし、日本人の目から見れば、西歐系アメリカ人とアーリア系ドイツ人は同胞に見えてしまう。もし、第二次大戦を闘った高齢の白人が子供や孫の配偶者を選ぶとしたら、必ず同種族の西歐人を望むだろう。戦争が終わって帰還した白人兵は、たいてい白人娘と結婚し、自分と“似た”子供をもうけた。ここでは直接関係無いけど、白人俳優には他人なのによく似ている者がいる。例えば、女優のテレサ・パーマー(Teresa Palmer)とクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)は、アメリカ人の目から見ても似た者同士だ。また、映画「ベイウォッチ」に出演したアレクサンドラ・ダダリオ(Alexandra Daddario)と、TVドラマ「ホワイト・カラー」で人気者となったティファニー・ティッセン(Tiffani Thiessen)も、ちょっと見ればよく似ている。これは彼女たちの親が同じ白人同士で結婚し、祖先からの遺伝子を守ってきた結果、同じタイプの容姿が保存されたという実例ではないのか。

住むなら白人地区

  口では綺麗事を述べる人でも、自分のお金を使う時には本音に忠実となる。例えば、いくら南鮮人を擁護する左翼評論家でも、自分の財布で自家用車を買おうとすれば、韓国の「現代(ヒュンダイ)」ではなく、トヨタとかホンダの日本車、あるいはメルセデス・ベンツやBMWいった高級車を選んでしまうだろう。第一、朝鮮のクルマなんか恥ずかしくて友達に見せられない。また、米国に派遣された日本人社員が現地で自宅を購入したり、子供の学校を探そうとすれば、おのずと白人の住宅地に目を向け、グレた子供が少ない白人学校を選んでしまうだろう。アメリカの白人だって「レイシスト」の日本人に賛同するはずだ。しかし、現在では、北方種族だけのドイツ村とか、白人ばかりが住む高級住宅地は評判が悪い。でも、日本人の不動産鑑定士が土地を調べれば、黒人やヒスパニックがひしめく地域より、西歐系アメリカ人だけが住む地域の方に高い評価額をつけてしまうだろう。実際、裕福なアメリカ白人は白人が圧倒的に多い高級住宅地に屋敷を構える。以前、ビル・クリントン夫妻の豪邸を紹介したが、黒人やヒスパニックに同情的なリベラル・カップルは、有色人種が少ないニューヨーク郊外の白人地域に新居を購入していたのである。

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左: アメリカにやって来るヒスパニック移民
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右: アメリカにやって来るムスリム移民 )

  アメリカの白人は敗者の日本人に向かって、「オレ達の国は自由を尊ぶデモクラシーなんだ。お前らみたいに奴隷根性で暮らしている未開人じゃない」と説教するが、彼らに果たして本当の自由があるのか? 例えば、ヒムラーが夢見た金髪碧眼のゲルマン人ばかりで形成される田園地帯が現れたら、裕福な白人層は我先にと土地購入に奔走するだろう。幼稚園や小学校には黒いアフリカ人や褐色のアラブ人が皆無で、どの子供も白い肌に薔薇色の頬をし、大きな青い瞳を輝かせている。こうしたブロンドの幼児は、縮れ毛の黒人が発する独特のアクセントで喋らず、卑猥なダンスに興味を示すことも無い。健全な白人家庭が多くなれば、刑務所に収監された父親とか、福祉金に頼るアバズレ女房、麻薬でラリっているストリート・ギャング、売春婦と大して違わないズベ公、なども激減するだろう。貧困家庭の黒人生徒なんて、卒業後は刑務所に就職するため学校に通っているようなものだ。白人だけの共同体が社会的に公認されれば、リベラル派を気取ったインテリ夫婦だって、アーリア人村に引っ越したくなる。

そもそも、北方種族ばかりのドイツになったからといって、生粋のドイツ人がどんな損害を受けるというのか? 日本人のみならず、西歐系アメリカ人は冷静に考えてみるべきだ。例えば、ドイツ人に生まれた事を誇る親が、金髪を靡かせるアーリア人だらけの幼稚園を訪れて、「うぁぁぁ〜、北歐種族だらけだぁ ! 怖ろしい! こんな幼稚園にウチの子を入れることはできないわ!」と叫ぶのか? たぶん、それとは真逆だろう。もしかしたら、「まぁ、何て素晴らしい幼稚園なの ! どの子もみんな可愛らしいわ! ウチの子もここに通わせたい !」と、うっかり口を滑らすんじゃないか。「ゲルマン系」「アーリア系」「アングロ・サクソン系」と何でもいいが、西歐系アメリカ人はなぜ自分たちの理想を追求しないのか不思議である。

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(写真 / 忌み嫌われるアーリア系の幼児たち)
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  もし、アメリカが「自由の国」ならば、黒人やユダヤ人がギァアギャア騒ごうとも、好ましいタイプの白人だけで住宅地を持ったり、北方種族だけの小学校を作ったり、会員制の白人ゴルフ・クラブを開設すればいいじゃないか。民間組織における「受容」と「排斥」は自由であるべきだ。建国以前、イギリス人入植者は自分の好きなように神様を拝めるよう渡ってきた。彼らは新大陸に根づき、アングリカン教会から指図されず独自の教会を設立し、好き勝手な聖書解釈を行っていたのである。それなのに、アングロ・サクソン入植者の子孫は、自分の好きな者たちだけと暮らすことを禁止され、ユダヤ人が提唱する反米教育や不道徳な価値観に抵抗できない。英国のプロテスタント信徒はカトリック教会に反抗できたのに、ユダヤ人団体の前では隷属するなんて情けない。プロテスタントはユダヤ人の下僕なのか?

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(左: 歓迎されるユダヤ人の大人たち / 右: 大切にされるユダヤ人の子供たち)

  ユダヤ人が哀れな難民として入国した頃は、借りてきた猫みたいにおとなしかったが、この異民族は財力や権力を身につけると、次第に地元民の西歐人へ文句をつけるようになった。白人ばかりのコミュニティーはレイシズムの温床だから駄目。アングロ・サクソン人を始めとするゲルマン種族を称讃するのは、反ユダヤ主義に繋がるから禁止。米国をキリスト教国と定義することは、信仰の自由を阻碍することになるから破棄。西歐文明、とりわけイギリス文化を継承することは、多民族・多文化主義を否定するものだから、テレビや学校の教育プログラムから抹消。こんなアメリカ社会に変貌しているのに、アメリカの白人はフランクフルト学派の毒が廻っているせいか、まったく気づかない。その前に、「ネオ・ナチ」という言葉を聞くだけで震え上がってしまうのだ。ただ、筆者の言うことを理解するアメリカ人も居ることはいる。しかし、彼らは社会的地位を失うことを恐れるから、絶対に賛同することはない。こんな具合だから、綺麗事でしかない理想を語るリベラル派が幅を利かせているのだろう。

白人の赤ん坊は高い

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(写真 / レーベンスボルン計画で理想的モデルとされそうなアーリア人の男女と家族)
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  とにかく、レイシズムを否定するアメリカ社会であるが、養子縁組となれば白人の赤ん坊を望む白人夫婦は多い。もし、アメリカにレーベンスボルン・ホームのような養育施設があって、ヒムラーのように純粋なゲルマン人の赤ん坊を斡旋してくれたら、感涙にむせるカップルがたくさん出てくるだろう。事実、白人の赤ん坊は需要過多で、供給が極めて少ない。だから、白人の赤ん坊は値が高く、その次に白人系のヒスパニック、アジア系と値段が下がり、黒人は最低価格だ。幼くても買い手が付かない。売れ残った黒人の子供が成長してしまえば、もう絶望的である。子供が欲しい白人カップルは、しぶしぶ黒人を引き取るが、ユダヤ人カップルはユダヤ人の養子にこだわるし、異民族の子供を欲しがらない。ユダヤ人は二重思考を恥としないからね彼らは白い肌の子供を優先的に迎え入れ、たまにへそ曲がりのユダヤ人カップルが黒人を養子にする程度。しかし、西歐系白人に対しては人種平等を押しつける。(それなら、パレスチナ難民の子供を養子に迎えればいいのに。)

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左: 黒人の赤ん坊
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中央: 支那人の赤ん坊
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右: ヒスパニック系の子供
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   気前よくユダヤ難民を受け容れたアメリカ人は、本当に愚かである。自分の国なのに“くつろぐ”ことができず、常に異国に居るような気分になるし、周りを見渡せば黒人、アラブ人、南米人、支那人、インド人などが目に付く。しかも、言論の自由があるはずなのに、絶えずユダヤ・メディアの検閲が光っている。そして「自由」と「デモクラシー」を掲げて対外戦争をすれば、その都度、望みもしない難民がやって来るのだ。第二次世界大戦でユダヤ人、朝鮮戦争で朝鮮人、ベトナム戦争でベトナム人、イラク戦争でイラク人、ソマリアの紛争ではソマリア人が雪崩れ込んで来た。こんな結末なら、ナチ・ドイツを徹底的に破壊しなけりゃよかった、と歎きたくなる。日本人が高齢のアメリカ白人を捕まえ、「1950年代以前のアメリカと1960年代以降のアメリカと比べたら、どちらが良いのでしょうか?」と尋ねたら、彼らは声を小さくして「そりゃあ、戦前の方さ」と囁くだろう。「でもなぁ、ワシの孫は黒人との混血児なんだよ」という悲しい告白もあったりして、気の毒なインタビューになったりする。

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(写真 / 高値がつきそうな白人の子供)
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  日本人で歴史を研究する者は圧倒的に文系が多いから、歴史を違った角度から考えるという習慣がない。自然科学や数学を専攻する者なら、自然現象をあらゆる角度から考察し、様々な仮説を立て実証したり、研究したりするだろう。たとえ、「定説」であっても、それを疑い、自分で検証するし、学会の大御所が提唱した仮説といえども決定的ではない。ところが、歴史学会に所属する学者だと、長老教授の「史観」に逆らうことはないし、「定説」通りに論文を書けば、やがて正教授になれる。何も無理して有力教授に挑戦する必要はないし、黙って従えば自分も大御所になれるんだから、学会の主流に逆らうのは愚の骨頂だ。アメリカの学会も似たり寄ったりで、かつてアングロ・サクソンが主流だった米国はユダヤ人の天下になってしまった。ナチスにだっで見倣う点はあるだろう。アメリカ人はナチスのユダヤ人虐殺を非難するが、その立派なアメリカには中絶賛成派の「プロ・チョイス」勢力が存在する。「赤ん坊殺し」をチョイス(選択)の問題にするんだから驚く。たしかに、胎児は喋らない。いや、喋ることができない。母親に殺された赤ん坊は天に訴えるしかないのだ。それなら、未婚の母から捨てられた子供を養育したレーベンスボルン・ホームの方が遙かにマシだ。ユダヤ人の子供を殺すことが残酷なら、まだ母親のお腹にいる赤ん坊を殺すことだって悪である。案外、中絶賛成派のフェミニストは、ヒトラーが待つ地獄に直行するかも知れないね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html


ナチスが嫌った醜い藝術
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html

頽廃芸術が横行したワイマール時代

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(上絵画 2枚 / ヒトラーの作品)

  今回のブログは1、2年前から発表しようかどうか迷った記事である。ナチス時代のドイツを知るには、ワイマール時代の社会状況を知る必要があるのだが、その一部があまりにも卑猥なのであからさまに伝えることが出来ない。しかも、ブログ運営会社のライブドアによる「検閲」があるので、たとえ「歴史的事実」でも「破廉恥な現実」を掲載すれば、当ブログの閉鎖を余儀なくされるからだ。それでも、歴史の真相を求める日本人には、偏向史観ではない具体的で“生々しい”情報が不可欠なので、肝心なエロ絵画を載せられないが、とりあえず紹介することにした。

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央: カール・トルッペ Karl Truppe と Franz Triebsch によるヒトラーの肖像画 / 右: アルベルト・シュペーア )


  第三帝國の総統となったアドルフ・ヒトラーが、若い頃、画家を志していたことは有名である。したがって、この伍長上がりの政治家は美術に関しては少々うるさく、自らのドイツ帝國を偉大な藝術で飾ろうと思っていた。ヒトラーがベルリンを壮大な首都にしようとした「ゲルマニア世界都市計画(Welthaupstadt Germania)」は有名で、その担当者に建築家のアルベルト・シュペーア(Berthold K. H. Albert Speer)を据えたこともよく知れられている。現在では、ヒトラーと言えば「極悪人」というレッテルが貼られているので、やることなすこと一切が非難の的になっている。だけど、もし敗戦がなく、目論見通りベルリンの再開発が遂行されていたら、たぶん絢爛豪華な帝都の誕生となったであろう。

German girls 1German Girld (Bund Deutscher Madel)Nazi girl 1

左: ドイツ人の少女
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中央: ナチス時代のドイツ人女性
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右: ナチ党のポスター
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  もっとも、追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だ。しかし、好ましいアーリア人で賑わう街はヨーロッパ諸国の注目を集め、不動産価格が高騰するのは間違いない。きっと、好奇心旺盛な日本人も、世界に冠たる偉大な都市を見物しようと、ベルリンに押し寄せるんじゃないか。現在の歐米人のみならず、日本人も「ユダヤ人の視点」でしかドイツ史を観ないけど、もし、ゲルマン人の目でヒトラーの帝國を眺めれば異なった感想を持つはずだ。

例えば、仮にドイツの住民がアーリア系ドイツ人ばかりになったとする。そうなると、いったい誰が困るというのか? 日本人観光客で、金髪碧眼の北歐人が集まる商店街とか教会を眺めて、「気持ち悪る〜い」と感じる人はいないだろう。日本人女性だと、ゲルマン人の子供が楽しく遊ぶ幼稚園を見て、「アっ! かわいぃ〜い」と声を上げるんじゃないか。日本人の亭主だと、ブロンド美女の保母さんに“うっとり”する姿を女房に見られて、「アンタ、どこ見てんのよ !」と叱られたりしてね。

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左: ヒトラーとドイツ人の少年
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ドイツ軍士官
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右2枚: 理想的なアーリア人女性
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それに、ドイツを訪れたオランダ人やイギリス人の観光客が「あれ〜ぇ? 白人ばかりだ。ユダヤ人がいなくて寂しいなぁ」と愚痴をこぼすのか? ユダヤ人が大嫌いな愛国的フランス人なら、「アレマン人(ドイツ人)は素晴らしい ! ぜひ、我が国もユダヤ人を駆逐しよう !」と叫ぶに違いない。また、 ユダヤ人を大学やホテルから閉め出したアメリカ人も、同種族のドイツを旅行して感動するはずだ。帝國陸軍から派遣された日本人だって、ゲルマン人ばかりのドイツに違和感は無く、ユダヤ人が居なくても不便はない。ちょうど、江戸や大坂に朝鮮人が居なくても寂しくないのと似ている。

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左: ドイツ人の少年
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中央: ドイツ軍士官の家庭
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右: 1950年代のドイツ人女性
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  ナチ党やヒトラーの評判が悪いのは、ドイツを敗戦に導いたことにあるのだが、ユダヤ人や左翼分子が歐米の学会を牛耳っているのも、見過ごせない原因の一つである。ヒトラーにより追放されたユダヤ人は、アメリカやブリテン、カナダなどの西歐世界に移住し、その地で反ナチス本を大量に出版した。したがって、ドイツの事情に無知な一般人は、「ほとんど」と言っていいくらい、ユダヤ人の洗脳を受けている。フランクフルト学派のユダヤ人を迎入れたアメリカはその典型例で、今でもユダヤ人が撒き散らかした害悪により、訳も解らず“のたうち回って”いるのだ。これは丁度、見知らぬ他人から魚を貰って食ったら、その内蔵に水銀が溜まっていたり、回虫のアニサキス(Anisakis)が潜んでいたことから、食後にもがき苦しむのと同じ症状である。

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(上絵画 / ヒトラーによる風景画)

  排除されたユダヤ人の中には藝術家もいて、彼らは亡命先で散々ナチスを呪った。そして、この呪詛を聞いた現地人もユダヤ人アーティストに同情したものである。しかし、この亡命者たちは一体どのような作品を世に送り出していたのか? なぜ、ヒトラーやナチ党員たちは、彼らを排斥したのか? 日本人としては事の善悪を越えて、その理由を知りたい。我々は迫害されたユダヤ人の怨念だけを鵜呑みにするのではなく、迫害した側のドイツ人による言い訳にも耳を傾けねばならないと思う。とりわけ、1942年3月27日にヒトラーが述べた意見は傾聴に値する。ヒトラー曰わく、

  ワイマール共和国時代が特にひどかった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の怖さを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしでの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準には自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。今、ユダヤ人の財産没収のおかげで奴らのペテンの証拠が続々と手に入るというわけだ。屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する。-----これがやつらのペテン藝術の極みともいえる手口だったのだ。著名なユダヤ人から徴発した財産の目録に目を通していつも驚くのは、そこに本物の芸術品ばかりが載っているということだ。(『ヒトラーのテーブル・トーク』 下巻、吉田八岑 訳、三交社、1994年 p.31)

  確かに、ユダヤ人の富裕層はヨーロッパの名画を買い漁っていたようで、ナチスが彼らから奪い取った作品には目を見張るものがあった。最近だと、ナチスに協力した画商のヒルデブラント・ガーリット(Hildebrany Gurlitt)が隠し持っていた絵画に注目が集まったことがある。彼の息子で隠遁生活を送っていたコルネリアスが、ある失態を犯してしまい、盗品が表に現れるという事件が起きた。(Michael Kimmelman, "The Art Hitler Hated", The New York Review of Books, June 19, 2014) 戦災で失われたと思われていた多数の絵画が見つかってドイツ人は驚嘆。その中には、「頽廃藝術(Entartete Kunst)」作品も含まれていたそうだ。ヨーロッパ人の美を愛するヒトラーにとって、ユダヤ人や現代画家の美観は許せなかったそうで、総統は美術展に足を運ぶ度に、その「塗りたくった絵」を取り外させたという。たとえ、プロイセン・アカデミーの“お墨付き”が与えられた作品であっても、「無価値なもの」に対しては容赦無くふるい落としたらしい。

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(左: オットー・ディックスの作品 / 中央: ポール・クリーの作品 / 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  ヒトラーによると、アカデミーの会員はきちんと任務を果たさず、いつも仲間内で“なあなあ”で済ませ、ある宗教担当大臣はユダヤ人の罠に嵌まって“とんでもない駄作”に賞を与えてしまったそうだ。しかも、騙された人々は最初、「これは難解な作品だ」などと一応納得した顔をして、「作品の深層と意味を洞察するためには、提示されているイメージの世界に浸る必要がある」と、もっともな“ご託”を並べたという。そう言えば、日本でも西洋美術展が開催されると、評論家気取りの連中が適当な「講釈」を垂れるし、門外漢の一般客は、その「値段」を聞いて作品の「価値」を決める傾向が強い。庶民はピカソやムンクの作品を観たってチンプンカンプン。「こんなの子供の落書きだよなぁ」と心の底で思っても、その値段が何十億円と聞けば、「うぅぅ〜ん、やはり筆のタッチがひと味違うな !」と急に意見を改めたりする。

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(左: パブロ・ピカソ / ピカソの作品 / エドワルド・ムンク / 右: ムンクの作品)

  だが、ヒトラーによる美術批評家への意見は手厳しい。「一般論として、アカデミーの類いは傾聴に値する程の意見を発表しない」そうで、教授どもは落ちこぼれか、枯渇した老人くらいであるという。たとえ、才能豊かな者がいても、彼らは1日に2時間と教えられないそうだ。(上掲書 p.32) ヒトラーの美術論によれば、真の藝術家は他の藝術家たちとの接触を通して育って行くものらしい。かつて、巨匠といわれた画家たちは、工房の助手としてスタートし、技術と器用さで秀でた者、あるいは将来価値のある作品を生み出せそうな者だけが、徒弟の地位へと昇ったそうである。ヒトラーはルーベンスやレンブラントの例を挙げていた。これなら我々にも解る。例えば、「偉大」と称されるピカソなんかより、フェルメールの油絵の方がよっぽど素晴らしいし、ラファエロの聖母像も傑作だ。ヨーロッパの評論家はムンク(Edvard Munch)の『少女と死』とか『思春期』を称讃するけど、日本人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の美人画とか版画の方が解りやすい。

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(左: フェルメールの名作「真珠の耳飾りをつけた少女」 / 中央: レンブラントの「善きサマリア人」 / 右: レンブラントの「愉快な仲間」)


エロ・グロ作品を描いていた亡命者

  ヒトラーは、当時の風潮に不満を漏らしていた。ドイツの美術学校では自由放任の方針を取っていたようで、天才なら最初から自分のしたいようにしてもよい、と考えていたらしい。しかし、ヒトラーは「天才画家であっても、最初は皆と同じように学習から始めねばならぬ」と考えており、「たゆみない努力によってのみ、描きたいものが描ける」と信じていた。そして、総統は絵の具の混合をマスターしていない者や、背景の描けない者、解剖学を学んでいない者は、大した画家にはならないだろう、と結論づけていた。そこで、ヒトラーは「曾てのように現代も、画家の卵は親方の工房で美術の伝統にどっぷり浸かりながら訓練を受けるべきだ」という。なぜなら、ルーベンスやレンブラントの作品を観ると、弟子と師匠が描いた部分の区別が附きにくかったからである。つまり、ルーベンスやレンブラントの弟子たちは、師匠と同じ技量を身につけていたということだ。

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(左: ゲオルク・グロス / マックス・ベックマン / エルンスト・ルドウィック・キルヒナー/ 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  このように、ヨーロッパに根づく伝統的美意識を愛したヒトラーだから、その伝統を無視する抽象画とか表現主義の作品は許せなかった。ヒトラー率いるナチ党が「頽廃藝術家」と評した者といえば、ゲオルク・グロス(Georg Grosz)や、オットー・ディックス(Otto Dix)、マックス・ベックマン(Max Beckman)、エルンスト・ルドウィック・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)、パウル・クリー(Paul Klee)、ルシアン・フロイト(Lucian Freud)、エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel)などが挙げられる。特に、ユダヤ人と思われがちなゲオルク・グロスは札付きのワルで、キリスト教の家庭に育ったドイツ人であったが、思想的には真っ赤な共産主義者であった。彼はドイツ共産党に属していたけど、ソ連を訪問し、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev / ユダヤ名Hirsch Apfelbaum)やレーニンと会ったことで失望したそうだ。グロスは形だけではあるが、共産主義から足を洗い、風刺画家に専念したらしい。

  ところが、このグロスは単なる絵描きではなかった。ナチ党の台頭により米国へ亡命したグロスには、マーティー(Marty)という息子が生まれ、この倅(せがれ)はマスコミを相手に父親の偉大さを宣伝していたが、ある作品に関しては沈黙を守っていた。彼はある記者のインタビューを受けて、「父の風刺画や油絵、鉛筆画はベルリンの頽廃と腐敗を厳しくも情熱的に描いていました」と述べている。(Rosie Millard, "My father, the famous artist", The Independent, 17 March 1997) しかし、マーティーは父親の藝術を概ね讃美するも、その恥部だけは巧妙に避けていたから狡(ズル)い。この息子は父のエロ・グロ作品を人前で堂々と掲げるべきだ。グロスの作品総てを知らぬ一般人は、ナチスに迫害された可哀想な藝術家としか思わないが、彼の描いた「卑猥な絵」を目にすれば、ご婦人方は両手で顔を覆ってその場を去るだろうし、美術品愛好家の紳士なら、「何だ、この下品な絵は !」と叫ぶに違いない。日本人もグロスのエロ絵画を見れば、なぜナチ党が彼を「ボルシェビキ風の敵No.1」と評したが判るだろう。

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(上3 枚 / ゲオルク・グロスの作品)

  憐れな亡命者と思われているグロスは、文字にするのも憚れるような卑猥な絵を描いていた。例えば、性器を剝き出しにした女や、客のペニスを膣に挿入する淫売、巨根をしゃぷる痴女、うつぶせの女を背後から襲う男、醜悪な体型をした中年女など、“おぞましい”としか言いようのない作品を残していたのだ。(ライブドア社の禁止規定に抵触するので、実際の生々しい「猥褻作品」を掲載できなくて残念である。でも、規則だから仕方ない。) とにかく、グロスは露骨に性器を描写していたから、とても一般公開などできない。米国の敬虔なキリスト教徒なら卒倒間違いなし。仮に、美術館の壁に掛けることが出来たとしても、訪問客から猛抗議を受けて、即座に展覧会は中止されるだろうし、主催者は責任を取ってクビになるはずだ。こうなれば、一般のアメリカ人もグロスへの同情を失い、「頽廃芸術」が何であったのかが解る。でも、ユダヤ人や左翼ジャーナリストは困るだろう。ヒトラーは絶対的な悪なのに、その追放政策が正しく思えてしまうからだ。したがって、反ナチス派の評論家や歴史家は事実を隠す。

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(左2枚 : ルドウック・キルヒナー / 右2枚: マックス・ベックマン )

  ルドウィック・キルヒナーの作品は卑猥でなかったが、彼の描く人物はどれも醜くて、観ていると暗い気分になる。なるほど、描かれた人物は印象的だが、お世辞にも「美しい」とは言えず、どちらかと言えば「病的」と評した方がいい。ちなみに、キルヒナーは精神病を患っており、展示会に出した自作を撤去されてから一年後に自殺している。フランクフルトのアカデミー会員をクビになったマックス・ベックマンや、700点以上者作品を撤去されたエーリッヒ・ヘッケルの絵も全体的に陰鬱で、部屋に飾ってみたいとは思えない作品である。だいたい、ベックマンの作品などを模範にしたい絵描きがいるのか? 蛭子能収をちょっと上手くしたくらいで、ザビエル山田といい勝負だぞ。(ザビエル山田は漫画『愛の泉』や『オヤジの吐息』の作者である。) 美術評論家は彼らの作品を「素晴らしい」と褒めちぎるんだろうが、一般人ならこんな絵を高値で買おうとはしないし、政治献金の代用品であっても買いたくない。個人の敷地で催されるヤード・セール(庭先の販売会)だと、せいぜい5、6ドルの値札しかつかないんじゃないか。筆者の好みから言えば、安彦良和先生の油絵(例えば、「ガンダム」のシャーとかセイラの人物画)とか、荒木飛呂彦先生が描くジョジョの直筆ポスターなどの方が遙かに価値がある。

Eric Heckel 6Eric Heckel 2Ludwig Meidner
(左と中央 : エーリッヒ・ヘッケル / 右: ルドウィッヒ・マイトナー )

  ユダヤ人の画家になるともっと酷い。ルドウィッヒ・マイトナー(Ludwig Meidner)の絵を見ると、何かの病気を患っているんじゃないか、と思えてくる。だが、彼よりも不愉快なのは、ルシアン・フロイトだ。彼は有名な精神科医であるジクムント・フロイドの孫としても知られている。ルシアンの描く女性などを観ていると、日本人だってヒトラーの反論に賛成するんじゃないか。例えば、ぶくぶくと太った醜い女性とか、性器丸出しの男性などを観れば吐き気がする。ナチ党員たちはゲルマン人女性の美しさや清らかさを称讃したのに、ユダヤ人画家ときたら、北歐種族の肉体的美しさを否定し、それを無視するどころか、却って醜悪にして「美術」と称する。西歐婦人の気品を台無しにした挙げ句、反対の肉体を讃美するんだから、ドイツ人じゃなくても不快になるじゃないか。ヨーロッパ人にとったら、美しい人間というのは、古代ギリシア人が理想とした女神とか、ルネッサンス期の巨匠が描いた英雄である。

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(左ルシアン・フロイド / 中央と右: フロイトの作品)

  しかし、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒のゲルマン人を憎んだユダヤ人は、いじめっ子民族の肉体を讃美したくない。アーリア人の肉体美を描くことは、敵対者の優越性を認めることに繋がるし、セム種族の肉体的劣等性を認めることになるからだ。ユダヤ人は一般的に捻れた性格を持っている。美しいゲルマン人女性に憧れる一方で、彼女たちからの侮蔑に耐えねばならぬ運命を有しているからだ。ユダヤ人は西歐人に対しては、人種平等の説教を垂れるが、仲間内では西歐白人女性を獲物にしているから卑劣だ。(イスラエルの売春宿では、西歐人女性のような東歐女性が人気で、フィリピ人女中やアフリカ人娼婦は安値でランクが落ちる。それにしても、貧乏なルーマニア人やウクライナ人、ロシア人の女性を半ば騙して、次々に密輸するユダヤ人の女衒はあこぎだ。TBSの金平茂紀は朝鮮人娼婦なんか放っておいて、スラヴ系娼婦を取り上げればいいじゃないか。看板番組の『報道特集』で「報道」しろ !)

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左: キャメロン・ディアス
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ジェニファー・アニストン
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テリー・ポロ
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右: ジェニファー・ハドソン
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ユダヤ人は多民族主義を唱えるくせに、性慾となれば白人女性一本槍だ。 恋愛映画を造るハリウッドのユダヤ人たちは、決まって相手方を西歐人美女にする。例えば、ユダヤ人男優のベン・スティラー(Ben Stiller)は『メリーに首ったけ』ではキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)を共演者にしたし、『アロング・ケイム・ポリー(Along Came Polly)』ではジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)を、『ミート・ザ・ペアレンツ』ではテリー・ポロ(Teri Polo)を恋人役にした。ところが、どのユダヤ人男優も、有名司会者のオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)とか、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、タラジ・ヘンソン(Taraji Henson)、クィーン・ラティファ(Queen Latifah)などを恋人役にはしないのだ。(もしかして、黒人への嫌悪と差別なのか ?)

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(左: タラジ・ヘンソン / オプラ・ウィンフリー / クィーン・ラティファ / 右: コートニー・コックス)

大ヒットTVドラマ『フレンズ』でもユダヤ人的嗜好が滲み出ていた。このドラマを制作したプロデューサーのデイヴィッド・クレイン(David Crane)とマルタ・カフマン(Marta Kauffman)は共にユダヤ人で、ドラマの中でもロスとモニカのゲラー兄弟をユダヤ人に設定していた。兄のロス・ゲラーを演じたデイヴィッド・シュワイマー(David Schwimmer)はユダヤ人だけど、妹役のモニカを演じたコートニー・コックス(Courtney Cox)はイギリス系アメリカ人である。呆れてしまうのは、ユダヤ人のロスが憧れるレイチェル役に、西歐系女優のジェニファー・アニストンを起用していたことだ。『フレンズ』にはユダヤ人女優のリサ・クドローがいたのだから、彼女をフィービー役ではなく、レイチェル役にすれば良かったのに、と思ってしまうが、クレインとカフマンにしたら、いかにも「ユダヤ人のカップル」になってしまいそうで、本能的に嫌がったのだろう。もし、ニューヨークに住む「フレンズ」が、全てユダヤ人となったら、不愉快というか余りにも“リアル”過ぎる。たぶん、制作担当者はユダヤ色を薄めるためにも、異教徒の西歐人をキャストに混ぜたんだろう。

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(左: リサ・クドロー / デイヴィッド・シュワイマー / マルタ・カフマン/ 右: デイヴィッド・クレイン)

  ユダヤ人は現実社会でも、ユダヤ人女性や黒人、アジア系女性に興味を示さず、西歐系女性に性的興奮を覚える。ユダヤ人の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインシュタインについては、以前このブログで触れたからここでは繰り返さない。でも、最近またもやユダヤ人によるセクハラが暴露されたので紹介する。日本ではあまり知られていないが、ミネソタ州選出の上院議員にコメディアン上がりのアル・フランケン(Al Franken)がいる。一連のセクハラ騒動に感化されたのか、彼にセクハラを受けたと表明する女性が現れた。被害者はリーアン・トゥイーデン(Leeann Tweeden)という美女で、以前は水着のモデルや『プレイボーイ』誌のグラビア・モデルを務めたことがあり、現在はテレビ番組の司会やレポーターを務めているそうだ。

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(左: アル・フランケン / 中央: リーアン・トゥイーデンの胸を鷲摑みにするフランケン / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン )

事件は2006年、彼女が中東アジアに派遣された米軍を慰問した時に起きた。アル・フランケン議員はリーアンが寝ている隙に彼女の胸を鷲摑みにしたり、彼女が嫌がるのに無理矢理キスを迫ったそうだ。(Juana Summers and M.J. Lee, " Woman says Franken groped, kissed her without consent in 2006", CNN, November 17, 2017) セクハラ事件が表沙汰になると、フランケン議員は彼女に謝罪したそうだが、いくら冗談でも有名人の身分を忘れて卑猥な行為をするなんて、アホといか言いようがない。でも、どうしてユダヤ人は黒人とか支那人女性に対しては「いやらしい」事を企てないのか。「人種的平等を考えろ」とは言わないが、獲物に「人種的偏見」を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

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左: 司会者としてのリーアン・トゥイーデン
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右: モデル時代のトゥイーデン
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怨念が動機になっている美意識

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(左: ヤンケル・アドラー / 右3枚: アドラーの作品 )

  話が逸れたので元に戻す。ナチ党は頽廃藝術をユダヤ人の“せい”にしているが、こうした趣味に人種は関係無さそうだ。確かに、ヤンケル・アドラー(Jankel Adler)のようにポーランド系ユダヤ人の画家がいたけど、オットー・ディックスのようなドイツ人の画家もいたのだ。民族性と美的感覚の関連は不明確だが、二人の絵画は本当に美術なのかどうか判らない。現代の我々が見ても、アドラーの絵は気分が落ち込むほど陰惨である。ただし、ディックスが描いた絵の方が遙かに酷い。ディックスの描く女性など本当に醜く、お金を払って見る藝術とは思えないし、ヒトラーの言うように駄作と評する方が適切である。彼が描いた裸婦など殴り書きみたいだし、赤ん坊を抱く母親の絵は貧相というより怖い。ガリガリの赤ん坊なんてどうかしている。これじゃあ、アメリカ人だってナチスに賛同したくなるじゃないか。

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(左: オットー・ディックス / 中央と右: ディックスの作品 )

  昔、ヨーロッパでは既存の秩序や常識を否定し、破壊的感情を肯定したダダイズム(Dadaism)が流行ったけど、ユダヤ人には“しっくり”する運動だった。とにかく、ユダヤ人は西歐世界の伝統や秩序を覆したいと願っている。自分の種族が築き上げた訳でもない価値観など紙屑以下。タバコの吸い殻を揉み消すように、西歐人の理想を足で踏みにじりたいのだ。そして、自分たちを“抑圧”し続けた憎い白人を倒したい。だから、アーリア人の美しさを貶して、醜い人物像を「素晴らしい」と言い換えたり、変態的描写を「斬新なタッチ」として言いふらすのだろう。彼らにとり、異教徒の美意識を破壊することは快感なのだ。

Otto Dix Pregnant Woman 2Otto Dix Mother & ChildOtto Dix Ladies of the NightOtto Dix Pregnant woman
(上絵画 / ディックスの作品)

  全共闘世代なら馴染み深いだろうけど、1960年代から1970年代にかけて前衛芸術なるものが“進歩的”と目されていた。フランス語の「アヴァン・ギャルド(avant-garde)」を口ずさみ、寺山修司とか大島渚たちが訳の解らぬ映画を作っていたのを覚えている人も多いだろう。ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、へんちくりんな踊りを披露していたけど、あれも前衛藝術の一種らしい。音楽でも奇妙なものがあり、ユダヤ人音楽家のアーノルド・ショーエンバーグ(Arnold F. W. Schoenberg)とか、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人モートン・フェルドマン(Morton Feldman)が有名だ。まぁ、音楽の趣味は人それぞれだから、余計な事をせずに市場に任せておいた方がいい。

Morton Feldman 1Arnold Schoenberg 1Yoko Ono 2
(左: モートン・フェルドマン / 中央: アーノルド・ショーエンバーグ / 右: ヨーコ・オノ)

  一般的に藝術は「自由」な方が良いけど、人々の精神に及ぼす影響も無視できないので、国家が介入する場合もやむを得ない。例えば、公園や路地裏で公然と映画のセックス・シーンを撮影するのは非常識だし、歩行者天国の日曜日に鞭を握ったSMの女王様が闊歩すれば、親子連れの一般人は目を背けるだろう。また、百貨店の展示会だって、しわくちゃの老婆を題材とした全裸写真とか、中高年ゲイが互いにペニスを握りしめているスナップ写真とかは論外だ。でも、西歐ではたまにある。米国で問題になったけど、小便の中に埋もれるキリスト像という絵画が公開され、世間の非難を浴びたこともあるのだ。藝術作品の弾圧は賛成できないが、常識を越えた「藝術」に一定の制限があってもおかしくはない。

  ナチスによる私有財産の没収は違法だが、ヒトラーたちが「頽廃藝術」に憤慨した気持ちも分かる。ヒトラー総統が自分の帝國だから美しくしたい、と考えてもおかしくはない。「盗人にも三分の理」があるように、ナチ党にも1%くらい擁護論があってもいいんじゃないか。日本人にとって重要なのは、ナチスが怒った理由とその経緯を“具体的”に調べることだ。ユダヤ人の本だと“抽象的”に書かれているだけで、不都合な歴史が省略されている場合が多い。「書物の民」は偶像崇拝を嫌って文字を重視し、映像や視覚を回避する傾向が強いから、我々はどのような素性の者が、如何なる思想で批判しているのか検証してみる必要がある。案外、ユダヤ系著者の素顔と正体を知ったら、「えっ、こんな人なの?!」と驚くんじゃないか。(ワイマール時代のドイツについては、別の機会で述べてみたい。ただし、当ブログが閉鎖命令を受けたら不可能になってしまうだろう。もしかしたら、今回が最終回となってしまうかも知れないので、引っ越しを考えているところです。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html


▲△▽▼

ヒトラーの嘘と絵画 − 彼はなぜ芸術家になれなかったのか?
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!

 かのショートショートの名手・星新一の短編に、こんな話があるのであらすじを紹介しよう。

 オーストリアのとある町。貧しい画家志望の青年が、愛する女性とのデート資金を求めて質屋にやってくる。担保の質物は何と青年自らが描いた絵。青年は「金を貸してください」と懇願するが、当然、質屋に絵は一顧だにされず「こんな絵で金は貸せません」とキッパリ断られてしまう。そして下記のやりとりが行われる。

「やっとデイトの約束までこぎつけたんです。お願いです、お金を貸してください。お金は必ず返します。ご恩は忘れません」

「だめですな。そんなことで金を貸していたら店はやっていけません。私たちユダヤ人は冷静なんです。甘く見ちゃ困りますな」

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、きさまら冷酷なユダヤ人全部に仕返ししてやる・・・」

「そんなにすごんでも、だめなものはだめですよ。さあ、お帰りください、アドルフ・ヒットラーさん」

(星新一『さまざまな迷路』(新潮社)/「ことのおこり」より)

 絵のサインを見ながら主人は、青年の名前言うのだが、彼がすごい剣幕で帰ったあとも、その狂気じみた目つきを思い出し「いずれなにかやらかすかもしらんな」とつぶやくのだった…。もちろん、ユダヤ人質屋が若きヒトラーに金を貸さなかったのは、星新一のフィクションだ。

 しかし、ヒトラーが画家志望の青年だったことは有名な事実で、実際ヒトラーが描いた絵は何点も世に残されている。彼の美術に対する情熱は相当なものだったようで、当時オーストリアで名門校だったウィーン美術アカデミーを受験している。しかし、成績不振ということで受験に失敗。

ヒトラーが描いた絵「YouTube」より
https://www.youtube.com/watch?v=mALbFREo-bk

 その時の恨みやコンプレックスが逆に独裁者ヒトラーを生んだ原動力ともなったわけだが、こちらがその、オーストリア時代に彼が描いたという絵である。

 見ての通り、独創性のない普通の風景画で、レベル的には“上手な素人絵”というくらいだ。これらの絵を見て、ヒトラーの演説にあるようなエキセントリックで妙に人の心を揺さぶる何かを期待した人は、きっと肩すかしを食らった気分になるだろう。


 ところが、ヒトラー本人は自らの絵について「古典派嗜好」と自負していたそうで、当時台頭してきた、いわゆる「世紀末美術」(幻想的で退廃的な性格を有する作品)やアール・ヌーヴォーといった新しい芸術運動にはむしろ嫌悪感すら抱いていたという。


■真実を吐き出す「世紀末美術」を憎んだヒトラー

 一方でこの絵を見てほしい。こちらは、同じ時代に世紀末美術の騎手として活躍し、わずか28歳の若さで亡くなったエゴン・シーレの作品だ。

エゴン・シーレ1915年作「死と乙女」
http://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

 絵画とはある意味、心の中に溜まっている澱(おり)を吐き出す作業なのだが、ヒトラーの絵と比べ(比べることもないが)、まさに強烈な個を解き放っており、肉体と精神すべてを吐き出してキャンバスに塗布したような絵だ。

 もちろん、ヒトラーはエゴン・シーレの作品を忌み嫌い、憎んでいたという。

 実はエゴン・シーレ。ヒトラーより1歳下にあたるのだが、彼が受験に失敗した1年前にウィーン美術アカデミーに入学していたという経緯があるのだ。元来、世紀末美術の台頭に嫌悪感を抱いていたヒトラーだったが、このことでさらに激しい憤りを抱き、独裁者となってからは徹底的に彼らやアカデミーを「退廃芸術」と呼び、弾圧下に置いたのだ。そして、1930年代にヨーロッパで隆盛していた抽象美術や表現主義、バウハウスなどはもちろん、印象派以降の近代の美術はすべてNG。当時、ユダヤ人らが所有していた絵画は財産と一緒にことごとく没収され、略奪され破壊された。

 これは弾圧の対象こそ違えど、まさに星新一の短編を地で行った話ではないだろうか。

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、オレを認めなかったきさまら退廃芸術家とアカデミー会員全部に仕返ししてやる…」

 さすがは星新一。物事の本質をきちんと捉えているではないか。

 一方でヒトラーが奨励した絵は、農村の労働と大家族を描いた風俗画や、優美で健康的な裸体画、牧歌的風景画、モニュメントとしての巨大彫刻など、芸術としてみると面白くも何ともないものだったのだ。

■ヒトラーの矛盾

 さて、絵とは面白いもので、美しいものを描けば美しくなるというものではなく、立派なものを描けば、それによって人が感動するというものでもない。

adolfhitler4.jpgヒトラーの絵「YouTube」より

 アートに必要なものの一つとして、本当に心の中、体の中にある(自分にとっての)真実を正直に吐き出すことがある。そういった意味において、ヒトラーの絵画は自分にウソをついた絵であり、だからこそ魅力的ではないのかもしれない。

 その理由として、ヒトラーには昔から「ヒトラーユダヤ人説」や「非アーリア説」があとを絶たない。これには、ヒトラーの父親・アロイスが実際には血の繋がった父親ではない可能性や、あるいはアロイス自身が私生児だった可能性があるなどさまざまな憶測が飛び交っているが、要するに、ヒトラーには出生の秘密と謎があったということだ。

 さらに、ヒトラーはアイロスと折り合いが悪かった。そして、“生粋のハプスブルク君主国の支持者”だったアロイスに憎しみを抱いたことが、後のアーリア至上主義、ドイツ民族主義へと走る第一歩となったとも言われている。

 しかしこれは、明らかに大きな自己矛盾だ。ほかにも、ヒトラーは自身を“極貧だった”と吹聴していたが、実際にはそうでもなかったなど、彼はあらゆる独裁者がそうであるように、さまざまな過去を隠し、ウソをウソで固めた人生を送っていたのだった。

 しかし、言葉や経歴でウソが言えても、絵というのはそういう意味でウソがつけない。それは眠ければ寝る、腹が減れば食べるというように、体がウソをつけないのと同じことだ。

 ヒトラーの絵が持つ、えも言えぬ寂しさや荒涼とした風景は彼そのものだったのかもしれない。だが、人の気持ちを惹きつけるには、あまりに貧相なものに違いない。彼は、自分自身を絵で表現するができなかったのだ。

 それにしても、ヒトラーの記事を書いていたら頭の芯を締められるような疲労におそわれた。やはり、何かわるいものがついているのかもしれないな。
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


アドルフ・ヒトラーによって描かれた35枚の絵画
http://musey.net/mag/35

ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが、政治家へと転身する前は画家を目指していたことはよく知られている。

ヒトラーは、1905年に実業学校を退学した後で、ウィーンにある名門美術学校「ウィーン美術アカデミー」への入学を希望するものの、「写実性はあるものの、独創性に乏しい」とされて試験に落とされてしまった。

世紀末美術を嫌悪したヒトラー

当時のウィーンをはじめとするヨーロッパでは、幻想的・退廃的な「世紀末美術」や「アール・ヌーヴォー」と呼ばれる新しい美術の流れが盛んに台頭していたが、ヒトラー自身はこうした運動に興味を示さないどころが、嫌悪感すら抱いていたと言われる。

ヒトラーが受験に失敗する1年前には、世紀末美術の旗手であるエゴン・シーレが同校に入学しているが、彼自身は著書『我が闘争』の中で、20世紀以降のダダイスムやキュビズムについて「狂気であり堕落であり病気である」と断じた上で、これらが「ボルシェヴィズムの公認芸術である」とまで述べている。

そんなヒトラーは、人物画よりも風景画・建築画を好んで描いており、いくつもの習作やデッサンなども残っている。これまで、ヒトラーの作品については様々な評価が見られたが、もし彼がそのまま凡庸な画家になり損ねた青年として人生を終えたならば、ほぼ確実にこれらの作品を我々が目にすることはなかっただろう。

以下では、彼の30枚の作品をまとめてご紹介しよう。


ヒトラーは愛犬家としても有名であり、ジャーマン・シェパード・ドッグのメス「ブロンディ」を飼っていた。ちなみに、ヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンはブロンディを嫌っており、ブロンディを蹴とばしていたことが知られているという。


彼は、第一次世界大戦によって荒廃した街並なども描いている。後に、こうした風景を自らの手によってつくり出すことになる。


ディズニー作品も

なんとその中には、ディズーのピノキオと白雪姫に登場する小人を描いた水彩画もある。これはノルウェー北部の戦争博物館で発見されたもので、ヒトラーが所有していた絵画に隠されていた。
http://musey.net/mag/35






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愛国者のプーチンやヒトラーがユダヤ人を野放しにできなかった理由

2015年05月22日
ロシアを食いつぶした経済マフィア / オリガルヒの正体 (1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68348669.html


ユダヤ人VSロシア人

  ロシア人は狡猾で陰険だが馬鹿ではない。兇暴で情け容赦のないロシア人は、もっぱら掠奪を趣味とする野蛮人であるが、同類の犯罪者を見分ける能力は一級品である。ユダヤ人は学問と同じく悪行においても天才的能力を発揮するので、無防備な西歐人や日本人は容易く隷属してしまう。しかし、同じ穴の狢(ムジナ)たるロシア人には手こずるみたいだ。遵法精神を持つ西歐人なら、ユダヤ人は立法府を牛耳って、彼らを意のままに操れる。しかし、力のみを信奉するロシア人相手だと勝手が違い、札束だけでは調教できないのだ。現代のロシア皇帝ウラジミール・プーチンは、甘っちょろい西歐の政治家とはまったく違う。しかも、ロシア人とはスラヴ人の皮を被ったモンゴル人だ。こんな奴らを束ねる支配者とくれば、相当なワルである。綿密な謀略が得意なプーチンは、本能的にユダヤ人を警戒する。同じ臭いを放つ異邦人に絶対油断しない。だから、プーチンはユダヤ人の軍門に下る前に叩き潰そうとしたのだ。こうしたワルどもの闘いにおいては、「やるか、やられるか」の選択しかないのである。


(写真/ロシアにおけるユダヤ人)


  ロシアにおけるユダヤ人の歴史は長くて暗い。農奴国のロシアに住んでいたユダヤ人の仕事といえば農業くらいしかなかった。だから裕福になれなかったし、おまけに「ポグロム」という虐殺が時折起こって、ユダヤ人は逃げ回っていたのである。こんな惨めさからアメリカに移民できるチャンスを見つけたユダヤ人は、どんな嘘をついてでも新大陸に渡りたかった。文明国のアメリカ合衆国では、たとえユダヤ人でも才能があれば、出世ができたり裕福にもなれたから、ロシアでは就けない職業を求めたのである。希望の国アメリカには、貿易やエンターテイメント、金融、報道など魅力的な職場がいっぱいあった。こうした職業をユダヤ人に解放することは、アメリカ人にとって自殺行為ある。必ずやユダヤ人が要職を占め、その業界を乗っ取り、他分野のユダヤ人と連携して永久支配を完成させるのだ。アメリカで成功したユダヤ人でも、ロシアに残った同胞は気になったらしい。ポグロムを続けてユダヤ同胞を迫害する帝政ロシアが許せなかった。そこで、東洋の新興国日本を利用してロシア皇帝を膺懲(ようちょう)しようとしたのが日露戦争であった。ヤコブ・シフなどのユダヤ人富豪が日本の戦時国債を買ってやったのも、善意からではなくロシア懲罰が目的だったのである。

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(左:レーニン/カール・ラデック/レフ・カーメネフ/右:ヤコフ・スヴェルドルフ)

  敗戦で帝政ロシアがぐらつき始めたら、こんどはユダヤ人過激派、つまりレーニンが率いるボルシェヴィキをアメリカ・ドイツの金融資本家が支援して、憎きロマノフ王家を抹殺してしまった。グルジア人のスターリンを除いて、ボルシェヴィキのメンバーはほとんどがユダヤ人である。レーニンは母方の血統でユダヤ人であったし、国際共産主義のリーダーであったカール・ラデック(Karl Radek/本名Karol Sobelsohn)やレフ・カーメネフ(Lev Kamenev/本名Rozenfeld)、ヤコフ・スヴェルドルフ(Yakov Sverdlov)はユダヤ人であった。かつて人気があったトロツキー(本名/Lev Davidovich Bronstein)はウクライナ出身のユダヤ人である。レーニンとも家族ぐるみで親しかったグレゴリー・ジノヴィエフ(Grigorii Yevseevich Zinoviev)もウクライナ出身のユダヤ人。(高齢の共産党員にとっては懐かしい名前だろう。) とてもウクライナ人とは思えない顔つきのユダヤ人を見れば、いかにユダヤ人が異質な種族かが分かる。日本人によく知られているウクライナ人といえば、映画『バイオハザード』の主役ミラ・ジョボビッチ(Milla Jovovich)であろう。ちなみに、オレンジ革命の時話題になったユーリヤ・ティモシェンコ(Yulia Tymoshenko)は、リトヴィア系ロシア人で、ウクライナの地元民ではない。

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(左:トロツキー/中央:グレゴリー・ジノヴィエフ/右:ミラ・ジョボヴッチ)

  ともかく、こうしたユダヤ人過激派を財政的に支援したのがウォール・ストリートの金融資本家で、将来の市場としてロシアを独占するために革命を支持したのである。(たとえばAmerican International Corporationが有名。)ロマノフ王朝が居坐っていると、巨大銀行がロシアを搾取しようとしても邪魔されるから、うるさくて厄介なロシア皇帝を始末しておいた方が得策と考えていたのだろう。我々は学校の教科書で、共産主義者による「ロシア革命」とだけ習っているが、実際はロシアで起こったユダヤ人コミュニストによる「ユダヤ革命」なのだ。世界史の教科書では、革命家の顔写真を掲載して、ユダヤ人革命家個人について述べないから、日本の高校生は彼らの素性が分からない。日本の子供なら「先生このオッサンたち何者? 」と訊いてくるから、社会科の教師は説明に困るだろう。まさか嘘をつくわけにも行かないが、本当の事を喋るのもちょっと辛い。だが、NHKの高校講座世界史に出てくる赤い講師なら大喜びで答えるかもね。もっとも、如何に共産主義が素晴らしいかを説くだろうけど。

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(左:ミハイル・ゴルバチョフ/中央:ボリス・エリツィン/右:ユーリ・ティモシェンコ)

  ロシアはユダヤ人との腐れ縁で散々な目に遭っているが、日本人からすれば「いい気味だ」と言いたくなる。巨万の富を持ちながらも更なる利益を求めるグローバリストにしたら、ロシアはユーラシア大陸の要となり、何としても押さえねばならぬ大国である。ロシア人は役立たずでも、その土地に眠る天然資源は咽から手が出るほど欲しい。共産主義体制が崩壊したロシアは、西側の金融機関や投資家にとって魅力的な市場経済処女地であった。あくどい手段を用いて莫大な資産を築き、やりたい放題の「オルガルヒ(Oligarch)」の正体は、大富豪のユダヤ人政商である。国家独占経済が急に市場経済に移行したのだから、商才などからっきしなかったロシア人に、ビジネスマンになれといったってどだい無理。ただ、そこには例外があった。ユダヤ人は別だ。勉強と金儲けはユダヤ人の得意技。総合格闘技なら、プライド・チャンピオンのヒョードル・エメリヤネンコ(Fedor Emelianenko)や空挺部隊のセルゲイ・ハリトーノフ(Sergey Kharitonov)といったロシア人の方が強い。しかし、そろばん勘定とくれば、ユダヤ人が三冠四冠のチャンピオンだ。ゴルバチョフを倒して、新生ロシアの大統領になったエリツィンは、ブルドーザーのようなごり押しなら得意だったが、経済政策については全くの素人。ウォカの早飲み大会なら優勝できても、産業育成といった地道な実業には無知であった。経済アドヴァイザーの正体も吟味せずにロシア経済を任せて、国営企業は貪欲なハゲタカとオルガルヒ(新興財閥)の餌食。

  考えてみれば日本も明治維新の時は危なかった。もし、江戸時代にユダヤ人が居たら、我が国の殖産産業は悉く外国勢力に喰われたかも知れない。コ川慶喜(けいき)に渋沢栄一がついて、様々な企業を興したから良かったのだ。近代資本制の産業社会に移行しようとした時、その任務に当たったのが異邦人ではなく日本人であったから、順調に経済発展ができたのである。巨大な財閥を築いた岩崎弥太郎だって愛国心を持つビジネスマンであったし、北海道開拓を任された政治家も日本人だったから問題が少なかったのだ。もし、ロシア系ユダヤ人に任せたら、北海道はユダヤ資本の牙城になっていただろうし、日本の領土であっても巨大な租界の如き様相を呈していたかも知れない。三菱の岩崎弥太郎は渋沢を誘って市場独占体制を図ろうとしたが、それでも祖国を食い潰そうとはしなかった。渋沢栄一はカルテルを結ぶより、日本の企業育成に力を注いだのである。外国人なら日本の将来を考えて新たな産業を興そう思わない。激動期に外人が存在するのは危険である。

ユダヤ商人の勃興

  ソ連末期からエリツィン時代にユダヤ人は勢力をつけた。この原因の一つとしてあげられるのは、ヴァウチャー(voucher)方式による国営企業の私有化であった。エリツッイン大統領の下で経済改革に取り組んだイエゴール・ガイダール(Yegor Gaidar)とアナトリー・チュバイス(Anatoly Chubais)は、国有企業の資産を守るためにその民営化を図ったという。というのも、ゴルバチョフ政権下の後半で広がり始めた自然発生的な私有化を食い止めるとともに、残存する共産主義者らが国家管理・計画経済の復活を叫んでいたからだ。当時、ロシアでは闇経済から怪しい商売人が表面に出てきたし、企業努力をするよりも「親方日の丸」の方が楽だと考える人が多かったからである。それに、政府が企業の所有者ということは、特定の所有者がいないということと等しい。つまり、監視する役目の人間がいないから、企業長ら経営幹部を含む労働集団が、勤務先企業の資産を勝手にぶんどって食い潰してしまうのだ。ガイダールとチュバイスは企業が丸裸にされることを防ぐためにも、国営企業を私有化することで、オーナーになった者が自分の資産を守るはずだ、と考えたのである。

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(左:アナトリー・チュバイス/右:イエゴール・ガイダール)

  産業構造を救済するには、どうしても共産主義の復活を食い止めねばならない。それには経済改革に対する一般民衆の支持を得なければ、ということで、ロシア国民一人あたり1枚の(株券を買える)小切手(ヴァウチャー/または引換券)を配り、これによって国民全体をロシア産業の株主かつ利害関係者に仕立てようと目論んだのである。私企業に転換した会社の所有者になったロシア国民は、僅かばかりでも利益の配当を受けるから、「自らの所有物」が再国有化されることに反対するだろう、とガイダールとチュバイスは踏んだのである。冷戦崩壊後、社会主義に異を唱えていたシカゴ学派理論は輝いていた。企業の所有権を公的管理から解放し、私有化して市場経済の原理に任せれば、生産性が上がり、効率も良くなるということで、私有は国有に勝るのだ、とガイダールとチュバイスは信じていた。

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(左:アンドレイ・シュライファー/中央:ジェフリー・サックス/右:マキシム・ボイコ)

  1991年ガイタールは大胆な経済改革に踏み切り、私有化はチュバイスに担当させることにした。そこでユダヤ人のチュバイスはハーバード大学の少壮教授アンドレイ・シュライファー(Andrei Schleifer)を補佐官に選んだのである。ハーバード大学にはユダヤ人学者がゴロゴロいるからしょうがないけど、偶然なのか意図的なのか分からぬが、ユダヤ人教授が抜擢されたのは不吉な予兆であった。 このシュライファーをチュバイスに紹介したのも、ユダヤ人でハーバード大学教授のジェフリー・サックス(Jeffrey David Sachs)であった。シュライファーはロシア人エコノミストのマキシム・ボイコ(Maxim Boycko)とハーバード・ロー・スクールを出たばかりのジョナサン・ヘイ(Jonathan Hay)を引き連れてやって来た。こうした秀才経済学者らは、自由主義経済の経験がないロシア人に市場経済の原理を導入しても大丈夫と考えたらしい。西側の市場経済が機能するには、ロシアに法の支配があるという前提が必要なのだ。公正な裁判や法秩序を維持する警察、ビジネス関係の法制度、それに非公式の基準や商慣行などが併せて存在しなければならない。闇経済くらいしかなかったロシアで、まともな産業や流通があるわけないだろう。だが、私有化を推進した連中は、構造改革をすれば競争原理が働く一方、規制を求める政治的圧力が湧き上がるから、法制度の改革が起こって企業統治のシステムが出来上がるはず、と考えていた。しかし、実際は一般ロシア人に企業経営など分からないし、不正に対する国民の監視というものがないのだ。市場経済の原理(プリンシプル)を持ち込んでも、それが発芽する土壌(文化/カルチャー)がロシアに無かったのである。

  私有化で多くのロシア国民が小さな株主になるとは幻想であった。実際に起こったことは、企業長やインサイダーが濡れ手に粟でボロ儲けという結果である。チュバイスはロシア産業の産業・商業の資産価値を計算し、これをロシア国民総数で割って一人当たりの分け前をはじき出したという。次ぎに、その価格に相当する株を購入できるヴァウチャー(引換券/小切手)を国民一人に1枚ずつ分配したのだ。これがロシアのヴァウチャー計画の本質である。経営幹部やインサイダーが彼らに振り当てられた株を購入するのはいいとして、残りの資産を分配して一般国民に分け与えようとしたのである。16,500の大企業と中小企業を会社組織に転換し、それらの会社の帳簿上の評価額の35パーセントをヴァウチャー所有者のために取っておく。この価額を低く設定してヴァウチャーの額面価格をはじき出し、1枚当たり1万ルーブルと決めたのである。何かややこしいが、つまり平民でも株主になれるよう、額面を安くしてあげたということ。

  計画がスムーズに進むと思いきや、ヴァウチャー価格を安く設定したことが裏目に出てしまった。ロシアはインフレに見舞われ、ヴァウチャーの実質価格がしぼんでしまい、1万ルーブルが4千か5千ルーブルくらいの値に下落したのである。一時はヴァウチャーを1枚10ドル以下で手放す庶民すら珍しくなかったという。多くのロシア国民は1万ルーブルのヴァウチャーなんてイカサマだと思い始めた。石油や天然ガス、鉱物資源に恵まれたロシアで、一人当たりの受け取り分がたった1万ルーブルだなんて理解できなかった。ロシア国民は共産主義時代と同じように、またもやイカサマの犠牲者にさせられたと受け取ったのだ。(マーシャル・I・ゴールドマン 『強奪されたロシア経済』 鈴木博信 訳 NHK出版 2003年 p.158) エリツッンが打ち出したヴァウチャー計画で、最終的に1億4800万人のロシア国民のうち1億4606万4000人がヴァウチャーを受け取った。受け取った国民はそれを現金と同じく扱って市場で売り払ってもよかったし、私企業に転換された企業の株と交換してもよかった。ほとんどのロシア人は、ヴァウチャーを資本家たちの紙切れと思っていたし、それが本当にどれほどの価値があるのか、またそれをどう使ってよいかすらも分からなかった。

  やがて狡賢い連中が「ヴァウチャー・ファンド」なるものを創立し、このファンドの株を買うのにヴァウチャーを使ってくれたら、すぐにでも高額の配当金を差し上げますよ、と人々に宣伝したという。ところが、ヴァウチャーをこうしたファンドの株に取り替えた人々は、「ファンド」が潰れ始めても何の保障も受けられなかった。つまり、ヴァウチャーを集めるためだけに、ファンドを設立した連中は目的を達成したら、さっさとファンドを破綻させてドロンを決め込んだというわけだ。様々なな手口でウァウチャーを大量に集めた悪党どもは、私有化された国営企業を支配する大株主になれた。こうして、驚くほど安い値段で国有財産を手にした個人が、一挙に大富豪、すなわちオルガルヒに変身したのだ。ロシア国民が豊かになるはずなのに、一部の悪徳商人が裕福になったのでは、私有化は明らかに失敗だった。しかも、私有化担当を務めた顧問のうち二人が、私有化に係わるインサイダー情報を使って懐(ポケット)を膨らませていたのだ。その二人とは、アンドレイ・シュライファーとジョナサン・ヘイである。アメリカ議会はロシアが市場経済に移行できるよう、ハーバードに顧問を派遣するよう頼んだのに、そのアメリカ人顧問官が不正を働いていたのだ。合衆国国際開発庁(USAID)をペテンに賭けたようなもので、ボストンの検事局は二人を告訴したのである。訴えられたシュライファーとヘイは最高で1億2000万ドルの損害を与えたと判断されたようだ。(David Warsh, Judge finds against Shleifer , Hay and Harvard, Economic Principals, July 4, 2004) この訴訟には更なるスキャンダルがあった。告訴されたのは二人ばかりではなく、シュライファーの女房であるナンシー・ジンマーマン(Nancy Zimmermann)とヘイの恋人で後に夫人となったエリザベス・ハーバート(Elizabeth Herbert)が含まれていたという。ナンシーはロシアで投資を行うヘッジ・ファンドのパートナーであった。彼女たちの容疑は判事により却下されたが、女房や恋人をつかって銭儲けをしていたとは、呆れた経済顧問官である。

ユダヤ人の成り上がり者

Vladimir-Gusinsky 2(左/ウラジミール・グシンスキー)
 ユダヤ人は共産主義革命でロシア人を奈落の底に落とし、市場経済への転換期になれば、ロシア国民の膏血(こうけつ)を啜(すす)っていたのだ。悪辣なユダヤ人オリガルヒの一人ウラジミール・グシンスキー(Vladimir Gusinsky)は、地下経済の中から現れた成金だがユニークな経歴を持つ。高校で数学を勉強したウラジミールは、名門のモスクワ理学技術学院に入ろうとしたが、ユダヤ人ということで入れなかったそうだ。それで彼は傷つき憤りを感じたという。(David E. Hoffman, The Oligarchs: Wealth and Power in the New Russia, Public Affairs, Oxford, 2002, p.152) そこで母親が通ったことがあるグプキン石油化学・天然ガス大学に入ることにした。反ユダヤ主義の伝統があるロシアで暮らすグシンスキー家には辛いことが多かった。母方の祖父はスターリンによる大粛正で射殺されたという。ウラジミールは子供の頃、近所のガキどもから「小さなユダ公」と馬鹿にされて悔しかった。それに、グシンスキーの家族は狭いアパートの一間に暮らす労働者世帯であったから貧乏が身に沁みたのかも知れない。お金儲けのためなら、ユダヤ人はとにかく色々なことをする。ウラジミールは大学を中退後、ジーンズやオーディオ・カセットを仕入れて販売したこともあったという。大学を辞めてから陸軍に入ったが、そこは化学戦に備える部隊だった。しかし、ユダヤ人のウラジミールに愛国心などあるわけがない。さっさと軍隊を離れたのちにたどり着いたのが国立演劇藝術大学であったという。シェイクスピアやモリエールさえ読んだことがなかったのに、演劇を学びたかったとは呆れてしまう。でも、ユダヤ人にはこういうタイプが結構多くいて、何となしに各分野を転々としているうちに成功したりするのだ。ウラジミールは演劇界ではユダヤ人は歓迎されぬのではないか、と心配したらしい。ロシアでは反ヤダヤ主義が根強いからだ。

  ドラマの演出をしながら、グシンスキーはタクシー運転手をしたり、銅線を加工してブレスレットを作り、街の屋台でこっそり売るといった副業も行っていた。一時期、グシンスキーは米国のヴァージニア大学で金融経営学を勉強したというから、純粋な芸術家というよりプロデューサーの方に向いていたのだろう。ビジネスにおいて成功するには人間関係が大切だから、グシンスキーは舞台の仕事を続ける一方で、人脈作りにも精を出していたようだ。愚鈍なロシア人と違って、ユダヤ人はお金の臭いに敏感である。1989年、彼はロシアに投資したいという外国人が存在するのを知ると、彼らの相談にのるコンサルタント会社を作れば儲かるのではないかと考え、「モスト」と称する協同組合を開設した。「モスト」はワシントンの有名な法律事務所アーノルド・アンド・ポーターの分社であるAPCOと合弁で始まった会社である。モストは国営企業で売っていない品物を扱ったから、道具類や機械を必要とする建設業にとっては便利な存在であった。そこで、数々の事業から得た利益を基にグシンスキーは、自分の銀行「モスト・バンク」を設立したというわけだ。彼はモスクワ市長のルシコフとつるんで、市が所有する資金を預かり、役所が支払いに用いない資金を、通貨投機や高利回りの政府国際購入に当てて、相当な利潤を得ていたという。こうして、1994年までにモスト・バンクは、ロシア最大の銀行のひとつになっていた。

  エンターテイメントはユダヤ人の得意とする分野で、舞台監督をしていたグシンスキーがその手腕を発揮できる新事業としてふさわしかった。欧米では同類のユダヤ人がマス・メディアを独占して裕福になっているから、グシンスキーが同様の行為にでても不思議ではない。彼はルシコフ市長のコネを使い、モスクワ地域をカバーするチャンネル4の支配権を手に入れ、1日2、3時間の放送を始めることができた。ユダヤ人が危険なのは、最初は小規模でも、一旦キッカケを掴めば、それを徐々に拡大させ独占を目論むからだ。なにしろ、メディアを使えば大衆操作で政界を動かしたり、圧倒的な影響力を駆使してさらなる利益を得る分かっている。だから、異人種との競争より、同族で業界を固めて共存共栄を謀ろうとするのだ。グシンスキーはロシアで最初の民間テレビ網となった全国放送NTV(独立テレビ)を設立し、大衆受けを狙ってエリツィン批判を展開したこともある。彼はユダヤ人らしく巨大メディア帝國を作ろうとした。グシンスキーのモスト・メディアは、衛生通信網の「エフォ・モスクヴィ」といったラジオ局や、『セヴォードニャ』という新聞、『ニューズウィーク』と共同で出版する『イトーギ』といった雑誌を取り込み、手広いメディア複合体に変貌していったのである。グシンスキーの政府批判はエリツィンの逆鱗に触れたこともあり、彼は家族を連れて一時英国に逃れることもあった。ところが、1996年の大統領選挙で、共産党のゲンナージ・ジュガーノフ(Gennady Zyuganov)が台頭するや、エリツィンの地位が危なくなり、それでは困ると思ったグシンスキーは、「独立」メディアを動員してエリツィン支持の方針に転換したという。共産党時代に逆戻りしたら、彼のメディア帝國も危なくなるから、嫌でもエリツィンの勝利を願ったのである。ユダヤ人はこうして自分の為に、巧妙な政治キャンペーンを張って世論を操作するのだ。

  米国のユダヤ人が作る『サタデー・ナイト・ライヴ』みたいに、グシンスキーも政治家を風刺する『クークルィ(Kukly)』という番組を制作した。人形劇のスタイルで政財界の大御所を笑い物にし、彼らを痛烈に批判して大衆の人気を勝ち得たという。エリツィンからプーチン政権に代わってからも、その番組の姿勢は変わらず、原子力潜水艦クルスクが沈没した時などは、プーチンの無策ぶりを手厳しく批判したらしい。グシンスキーは政府から独立したメディアというポーズをとり、自由報道の擁護者と振る舞っていたので、独裁者プーチンにとってもグシンスキーは手強い相手であった。それゆえ、プーチンとしても強引に潰すこともできず、慎重に対処せねばならならなかったという。しかも、グシンスキーは1996年に諸々のユダヤ人宗教組織や福祉団体をまとめて「ロシア・ユダヤ人会議」を創設し、初代会長となった。世界中に蜘蛛の巣のような人脈を張り巡らしているユダヤ人をバックにつければ、いくら豪腕のプーチンでも簡単に手を出せないだろう。用心深い悪党らしく、グシンスキーはイスラエル国籍を取得しており、身に危険が及べばいつでもイスラエルに逃亡できるよう準備していた。こう聞けば、脱税容疑で国外逃亡した米国のマーク・リッチ(本名Marcell David Reich)を思い出す人がいるも知れない。このユダヤ人リッチは逃亡後、イスラエル国籍を取得すると、ユダヤ人脈を利用してクリントン大統領から恩赦を得てしまった。イスラエルとは犯罪をしでかしたユダヤ人の避難場所(シェルター)である。(このリッチについては別の機会で触れる。) 二重国籍を持つユダヤ人が、世界に広がるユダヤ人ネットワークを活用し、ユダヤ人インサイダーのグローバリストになることは当然であろう。

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(左:ロマン・アブラモヴィッチ/右:ベレル・ラザル)

  忌々しいグシンスキーではあるが、権力基盤を固めたいプーチンとしては、無闇にグシンスキーを投獄しようものなら、ユダヤ人からの国際的非難を浴びてしまい、自らの評判を落とすことになる。グシンスキーはユダヤ人団体にお金をばらまいていたので、彼に心酔していたユダヤ人も多かったらしい。慎重なプーチンとしては、ロシア・ユダヤ人会議を安易に潰したり、強引に乗っ取ったりする危険を冒したくない。そこで、プーチンは外国からユダヤ人指導者を連れてきて、別のユダヤ人団体を作る事にしたのである。毒蛇のコブラには大蛇のパイソンを、ロシアのユダヤ人には外国のユダヤ人をぶつければ良いというわけだ。悪党プーチンは実に賢い。そこで選ばれたのは、ロシア国籍を持たない米国のラビ、ベレル・ラザル(Berel Lazar)であった。ラザルはニューヨークに本部がある「ハバード(Chabad)」と呼ばれる正統派ルバヴィッチ(Lubavitch)のハシディズム(Hasidism)運動に属していた。日本人には何だか分からぬ宗派だが、簡単に言えばユダヤ教の戒律を厳守するウルトラ保守派と考えれば良い。(世俗的改革派と違った復古的敬虔派ユダヤ教徒をイメージしてもらえばいいのだか、これまた日本人には難しいから詳しくは個人で調べてね。) 偶然だが、プーチンの腰巾着オルガルヒでユダヤ人のロマン・アブラモヴィッチ(Roman Abramovich)が、ラビのベレル・ラザルに財政支援をしていたのである。このアブラモヴィッチはまた、レフ・レヴァーエフ(Lev Avnerovich Leviev)と仲が良く、レヴァーエフは元ロシア・ユダヤ人会議の幹部で、イスラエルとロシアにおけるルバヴィッチ派ハジディズム運動の支持者でもあった。

Berel Lazar 1Lev Leviev 1


(左:プーチンと会談するベレル・ラザル/右:レフ・レヴァーエフ)

  レフ・レヴァーエフはウズベキスタン生まれのイスラエル国民で、とかく噂のあるダイヤモンド商であった。迫害されるのか日常のユダヤ人にとって、宝石は持ち運びに便利な資産であるから、宝石商や両替商はユダヤ人らしい職業だ。ユダヤ人の巣窟となったアントワープやアムステルダムで、ユダヤ人のダイヤモンド加工業者や小売商は有名である。政商としての才能があるレバーエフは、プーチンとのコネを使って、デ・ビアス社が独占していたロシア産ダイヤモンドの販売権に食い込んだらしい。デ・ビアス社とはあのローズ奨学金で有名なセシル・ローズが築いた世界最大のダイヤモンド会社である。こうして銭儲けに励んだシレヴァーエフが、ロシア・ユダヤ人会議に代わる新たな組織「独立国家共同体ユダヤ人コミュニティー連盟」の会長に就任したのだ。(「Federation of Jewish Community of the CIS」を指す。)

Adolf Shayevich 1Pinchas-Goldschmidt 1


(左:アドルフ・シャエヴッチ/右:ピンカス・ゴールドシュミット)

  ユダヤ人同士の対立を利用するプーチンは、まだロシア語を習得していないラザルにロシア国籍を与えて、彼の宣教活動を助けてやったという。プーチンのお気に入りとなったラビ・ラザルは、ロシア各地のハシディズム・ラビの代表を招集し、新たな団体を構築し始めた。集められたラビは満場一致でラザルをロシアの首席ラビに選出したのである。しかし、ロシアには当時ユダヤ人会議によって承認された首席ラビ、アドルフ・シャエヴィッチ(Adof Shayevich)がいたのだ。そんなことは百も承知のプーチンは、たちどころにラザル率いるロシア・ユダヤ人コミュニティ連盟を、ロシアにおけるユダヤ人を代表する公式組織と認めたのである。毒をもって毒を制する、政治の要諦を修めたプーチンならではの策略。さすが仕掛に抜かりのないプーチンだ。これで、グシンスキーのユダヤ人会議は、ロシア・ユダヤ人の公的代表機関でなくなったから、グシンスキーを潰しにかかっても、反ユダヤ主義との非難を招くこともなくなった。鉄は熱いうちに打てとばかりに、さっそくプーチンはグシンスキーを召喚し、有無を言わさず投獄したのである。だが、世界の指導者の数名が異議を唱えたため、告訴は取り下げられグシンスキーは釈放されてしまう。しかし、そんなことで迫害の手を緩めるプーチンではない。シャエヴィッチのもとでモスクワの主任ラビをしていたピンカス・ゴールドシュミット(Pinchas Goldscmidt)が、親分のシャウヴッチからラザルに乗り換えることを拒否すると、滞在ビザの更新をしないという嫌がらせをしたのである。ゴールドシュミットはスイス国籍のユダヤ人であったから、プーチンは邪魔なゴールドシュミットを国外退去処分にし、イスラエルに追い払ってしまった。(Yossi Melman , No love lost, Haaretz, December 8, 2005)

chabad-lubavitch Jews 1Hasidic Jews 1


(写真/ルバヴィチ・ハシディズムのユダヤ人)

  自分に刃向かうグシンスキーとユダヤ人会議を痛めつける一方で、プーチンは従順なユダヤ人連盟を厚遇したのである。ルバヴッチ派が信徒用のビルを増築したら、その建堂式に出席してお世辞を述べ、イスラエルからモシェ・カッツァーヴ大統領が来れば、クレムリンで晩餐会を開いてやったのだ。しかも、そのディナーはコーシャ(ユダヤ教の食物戒律)に則った方法で調理され、厳格な調理法を気にするユダヤ人のために、厨房には特別な洗浄装置を備えたという。日本人並みの気配りができるなんてプーチンも大したものだ。まぁ、狡猾な独裁者にとって、これくらいの「おもてなし」は造作もない。愛国心涵養のためにロシア正教を活用しているプーチンにとったら、ユダヤ教徒をおだてて利用しようとしても不思議ではないだろう。ユダヤ人が居坐る国の支配者が、ユダヤ人の政治的野心を打ち砕こうと思ったら、信仰に熱心なユダヤ人を利用して、ユダヤ人の毒を中和させることだ。彼らはいつも何かに不満を抱いて、批判することが三度の飯より好きである。だから、ユダヤ人を押さえ込もうとするなら、ユダヤ人同士を対立させ、彼らのエネルギーをいがみ合いで消耗させることだ。ユダヤ人には金銭と権力を追求する世俗派がいる一方で、宗教的生活を熱望する頑固な敬虔派がいる。それなら、ユダヤ人には金貨より宗教を与えておく方が無難であろう。

chabad-lubavitch Jews 3Hasidic Jews 2


(写真/正統派ユダヤ教徒)

  栄枯盛衰は世の常である。栄華を誇ったグシンスキーもプーチンの登場で、その権力と財力に翳りが差してきた。2000年、横領罪で逮捕されたグシンスキーは、言葉にするのも恐ろしいモスクワの「バツィルスカヤ(Butyrskaya)」刑務所に放り込まれてしまった。三日後グシンスキーは釈放されて、メディア・モストとNTVの株の一部を手放して、2億6100万ドルを借金しているガスプロムに引き渡すことを約束させられた。そうすることでスペイン行きを許可されたのだが、そのあと再び逮捕状が発行され、今度はスペインで13日間投獄される羽目になったという。その間、同種の嫌がらせとして、覆面の税務査察官から検事総長に至る役人により、30回以上に及ぶメディア・モストの強制捜査が行われたのである。メディア・モストの財務部長は曖昧な容疑で2年以上投獄されるし、NTVのキャスターのうち二人が尋問されるという事態にまで発展したのである。

Mikhail-Lesin 1(左/ミハイル・レシン)
  こうした嫌がらせには裏事情があった。プーチンはミハイル・レシン(Mikhail Lesin)を広報大臣に据えて、オリガルヒ撲滅を命令した。そこでグシンスキーに裏取引が提示されたらしい。メディア・モストをガスプロムに売却すれば、自由の身にしてやる、という最後通牒を突きつけられた。プーチンからの要求に屈したグシンスキーは、3億ドルで自分のメディア帝國を売り渡す決断を下した。グシンスキーは売却を済ませると、即座にプライヴェート・ジェットでスペインに飛び、二度とロシアに戻るつもりはなかったらしい。しかし、スペインで暮らしているうちに心変わりがしてきて、取引を反故にしようとしたのである。すると、プーチンの指金で国際手配を受け、スペインで拘束される羽目となり、二度の投獄を経験することとなったが、スペイン裁判所の介入で保釈されたという。ロシアのメディア支配を課題とするプーチンは、邪魔なグシンスキーを潰すため、その手足をもぎ取ろうとしたのだ。ガスムロムはNTVの役員会に新たな役人を送り込み、テレビ局を実質的に牛耳ってしまった。グシンスキーのメディア帝國はズタズタにされ、彼の新聞社『セヴォードニャ』もついでに閉鎖。3億ドルを手にして大人しく海外生活をしていれば良かったのに、グシンスキーは愚かにもプーチンと闘う選択をしてしまったのだ。権力者と商人では戦争にならない。クシンスキーの没落は決定的になった。

  ロシアに蔓延(はびこ)るユダヤ人オリガルヒは煮ても焼いても食えない奴ばかり。兇暴なロシア人と貪欲なユダヤ人の熾烈な闘いはおぞましい。支那人や朝鮮人くらいで手を焼いている日本人には、兇悪ななグローバリストに立ち向かうなんて無理。挙国一致でグローバリスト排除に努めねばならない。自由主義を支持して、奴隷に転落するなんて愚かである。ユダヤ資本に雇われて、日本で構造改革だの騒ぐ御用学者や政治家、高級官僚に騙されてはならない。迫害されて「可哀想なユダヤ人」といったイメージを宣伝する日本のメディアは、ユダヤ人が本来持つ図々しさや兇暴性を報道しないから、日本の庶民は自ら勉強して彼らを警戒するしかないだろう。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68348669.html

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2015年05月25日
共産主義国を搾取したユダヤ人 / オリガルヒの正体 (2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68377366.html


権力者と組んだユダヤ人政商
Boris-Berezovsky 4(左/ボリス・ベレゾフスキー)


  ヘビのように狡猾なロシア皇帝ウラジミール・プーチンが、最初の二年間でまず叩き潰そうと思ったのは、グシンスキーとボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)であった。欧米のユダヤ人と同じく、ベレゾフスキーも民衆に影響力を行使するテレビ・ネットワークを支配するユダヤ人である。このベレゾフスキーはギャングみたいな人相からは想像しがたい、アカデミック界から浮上した学者肌のオリガルヒであった。彼は数学を専攻した科学者で、モスクワ林業大学でシステム・コントロールとオペレーション・リサーチを研究していたという。ベレゾフスキーが理数系の分野を専攻したのは、彼がユダヤ人であったからだ。ベレゾフスキーが語ったところによれば、

  俺には政界での将来なんて無いのさ・・・俺は政治エリートの一員じゃなかったしな。俺はユダヤ人だ。制約が山ほどあるのさ。そこんとこは、きっちり分かっている。(David E. Hoffman, The Oligarchs, Public Affairs, Oxford, 2002, p.130)

  科学分野ならユダヤ人への不条理な差別は少ないだろうということで、ベレゾフスキーはコントロール・サイエンス学院に入り、自分の研究機関を主宰するようになった。応用数学を使って意志決定の過程を研究したらしい。1970年代にはハーバード・ビジネス・スクールで研究生活を送ったり、一時はカルフォルニア工科大学で研究をしたようだ。

  学者生活を送っていたベレゾフスキーがビジネスマンに転身したキッカケとは何か? それは自動車販売であった。彼は当時ジグリー(Zhiguli)という乗用車を造っていたソ連最大の自動車会社、アフトヴァス(Avtovas)の経営コンサルタントになって活動していたのだ。流通や販売といった商売が苦手なロシア人は、生産した自動車をどう売ったらいいのか分からなかった。そこに目をつけたベレゾフスキーは、アフトヴァスの経営幹部に食い込んだのである。ベレゾフスキーは「ロゴヴァス(Logovaz)」を創立し、生産した車はロゴヴァスが安値で買い取ることにした。ベレゾフスキーは総合商社のような企業を目指したのであろう。破格の値段で製品を売り渡しても、アフトヴァスの経営幹部は自分の懐が痛むわけでもなかった。彼らは別段困らなかったし、それどころかロゴウァスの重役に迎えられたのである。最終的に廉価販売のしわ寄せは、労働者に押しつけられたのは言うまでもない。

Paul Klebnikov 1(左/ポール・クレブニコフ)
  共産主義体制下でのソ連では、物々交換が珍しくなく、需要と供給を仲介する込み入った売買なんて不得意だった。日本のような流通システムが発達していなかったから、怪しい仲介業者が暗躍したのである。ベレゾフスキーは商社を築いて、売り手と買い手を結ぶ取引を展開したのだ。彼は自家用車に爆弾を仕掛けられるような目に遭いながらも、モスクワの自動車市場に強固な支配権を確立したという。莫大な利潤を得るために、ベレゾフスキーは、チェチェン・マフィアの手も借りたらしい。こんな科学者なんて日本ではお目にかかれない。実験室に籠もって研究していた学者が、商売を始めたら山口組と手を結ぶなんて考えられない。やはりユダヤ人には倫理を無視した天賦の才が備わっているのだろう。『フォーブス』誌のポール・クレブニコフ記者によれば、ベレゾフスキーの商売に割り込もうとした者は、思いがけぬ不幸な死に方をしたという。こうした疑惑の死を報じたクレブニコフ記者も、2004年にモスクワで射殺されてしまった。(C.J. Chivers, Erin E. Arvedlund and Sophia Kishkovsky, Editor's Death Raises Questions about Change in Russia, The New York Times, July 18, 2004) 彼の暗殺はチェチェン人によるものとされているが、その背後にはベレゾフスキーがいたんじゃないか、と推測されている。

Alexander-Voloshin 1(左/アレクサンドル・ヴァローシン)
  1993年、ベレゾフスキーはアレクサンドル・ヴァローシンと共同で、AVVA(全ロシア自動車聯合)と呼ばれる投資会社を設立した。彼はドイツのフォルクス・ワーゲンみたいな、国民車をつくろうと思いつき、その資本集めを考えついたのである。手始めに20億ドルほど必要だったので、資金集めの手段としてAVVAを開設し、株と引き替えができるというヴァウチャーを売り出した。このヴァウチャーは高級紙を使ったもので、わざわざスイスで印刷させ、紙幣のように見せかけていた。1株と印刷された株の額面は1万ルーブルで、理論上AVVAの株と交換できるというものだった。しかし、実際は株に見える紙を販売していたに過ぎない。ベレゾフスキーはその無価値の紙くずを売ったお金でアフトヴァス社の株をインサイダー価格で購入するつもりだったという。そして、アフトヴァスとジェネラル・モーターズ(GM)と合弁会社を設立して国民車を生産しようとするつもりだったらしい。しかし、合弁事業は実現されず、AVVA株は紙くず同然となった。しかし、ベレゾフスキーの懐は痛まず、むしろこの詐欺商法でかなりのお金を儲けたらしい。しかも、共同経営者のヴァローシンは、まもなくエリツィンの首席補佐官になり、その後もプーチンの首席補佐官に納まっている。彼がベレゾフスキーをエリツィン一族に紹介し、エリツィン側近との人脈作りに手を貸したのである。

  NTVを所有していたウラジミール・グシンスキーと同じく、ベレゾフスキーもロシア公共テレビ(ORT)を使って自らの権力を維持していた。1994年に、エリツィン大統領は国営のチャンネル1を競売に掛けず民営化し、51パーセントの株は国家の所有としたが、残りを裕福な支持者に分割したのである。主な株主というのが、ベレゾフスキーを始めとするオリガルヒたちであり、ベレゾフスキーは19パーセントの株しか持っていなかったが、ORT経営陣の人事を掌握し、実質的な支配者となった。これは、エリツィンによる暗黙の了承を得ていたからできたことである。こうした癒着関係があったので、エリツィンが再選を控えて支持率が急落した時、オルガルヒの面々はエリツィンを救済するために、こぞって資金を集めたり、エリツィン支持のキャンペーンを張ったのだ。民衆からの人気を得ていた共産党が復権したら、ロシア国民を食い物にしてきたオリガルヒは真っ先に批判の矢面に立つだろう。彼らは財産を没収されたうえに処刑されるかも知れない、という恐怖に駆られたのだ。

Boris Berezovsky & GussinskySergei Kiriyenko 1Yevgeny Primakov 1


(左:ベレゾフスキーとクシンスキー/中央:キリエンコ/右:プリマコフ)

  後進国では政治家と商売人の不正な結託がひどい。ロシアで権力を振るうエリツィンを支持したオルガルヒは、権力者の恩顧という甘い汁を吸いながら不正蓄財に励んだのである。ベレゾフスキーはアエロフロート航空や石油会社シブネフチ、アルミ産業などにも手を伸ばし、その富を増大させていたのだ。また、ベレゾフスキーはエリツィン再選のご褒美として国家安全保障会議副書記に任命され、のちに独立国家共同体(CIS)調整機構執行書記にも任命された。ユダヤ人ペテン師を国家の要職に据えるとは、エリツィンによる国家の私物化は言語道断。のちにベレゾフスキーは両方のポストから解任されたが、それでもエリツィンの娘タチアーナや側近との人脈を維持していたので、依然として政界で影響力を駆使できたという。例えば、彼はセルゲイ・キリエンコ(Sergei Kiriyenko)首相の解任を仕掛けたらしく、後継者のイヴゲーニー・プリマコフ(Yevgeny Primakov)首相はその危険を察知した。彼はベレゾフスキーの側近をアエロフロートやORTから排除し、抵抗する者は税務調査や会計検査官を送って脅迫したのである。それでもベレゾフスキーは潰されず、なんと選挙に出馬して下院議員になってしまった。しかし、権力を握って安泰かと思われたベレゾフスキーに皮肉な事態が起こったのである。経済危機の煽りを受けたこともあり、エリツィンは強力な指導者を求めるようになったという。そこで、ベレゾフスキーの後押しもあって、FSB長官のプーチンを首相に任命したのだ。これは明らかに、プーチンを大統領に仕立てる布石である。エリツィンはその見返りとして、プーチンに自分の刑事訴追を免責させる腹であった。

Roman Abramovich 3(左/ロマン・アブラモヴィッチ)
  権力者はその座から離れると哀れなものだ。エリツィンの娘による不正は目に余り、その収賄事件は政界から激しい非難を浴びていた。大統領が交代すれば、前政権への不正追及だって激しくなるだろう。プーチンはエリツィン一族と癒着していたベレゾフスキーを狙うようになっていた。ベレゾフスキーからの支援を受けて出世したプーチンだからこそ、かえってその影響力を警戒したのだろう。プーチンはこの危険なオルガルヒのベレゾフスキーに背を向け、不正行為を暴いて投獄するぞ、と脅しをかけた。意思の強いプーチンは追求の手を緩めず、ロシア・テレビ界の支柱たるORTをベレゾフスキーからもぎ取ってしまった。プーチンと対立したベレゾフスキーは下院議員を辞職し、外国に避難しようと思い始めたのである。彼は投資の一部を現金化した方がよいと考え、プーチンのお気に入りであったロマン・アブラモヴッィチに、石油会社のシブネフ株を売却したという。ついでに、ORTの持ち株も8千万ドルでアブラモヴッチに引き渡した。すると、アブラモヴィチはORT株に基づく自分の議決権を、親分のプーチンに恭しく献上したのである。こうして、皇帝プーチンはロシア最大のテレビ・ネットワークを掌握し、自分を批判するメディアを封殺したのだ。

Boris Berezovsky MansionBoris Berezovsky & Elena


(左:ベレゾフスキーが住んでいた英国の豪邸/右:恋人と一緒のベレゾフスキー)

  新たな権力者プーチンと対立したベレゾフスキーは亡命を余儀なくされた。彼は最終的に英国に避難し、憎いプーチンを批判しながら、イングランドで贅沢な暮らしをしていたのである。しかし、そんな亡命者にも不幸な死が訪れた。2013年、彼の遺体が豪邸の浴室で発見されたのだ。(Richard Behar, Did Boris Berezovsky Kill Himself? More Compelling, Did He Kill Forbes Editor Paul Klebnikov?, Forbes, March 24, 2013) ブリテン捜査局の調べでは、他殺の痕跡がなく自殺という結論に達したらしい。しかし、ガーディアン紙のロシア特派員ルーク・ハーディング(Luke Harding)記者は自殺説を疑っている。彼はロシアの諜報機関がベレゾフスキーを自殺に見せかけて殺害したのではないか、と推測していた。そうした疑惑がある一方で、ベレゾフスキーは訴訟による裁判沙汰や破産の危機で悩んでいたとの情報もある。ロシア人亡命者でベレゾフスキーの友人であるニコライ・グルシュコフは、警察やマスコミが報じる自殺や自然死を信じていない。グルシュコフは「奴が自殺したなんて考えは糞食らえだ。・・・裁判の判決が下りた時、奴は活き活きとしていたし、家で待っている若い女について話していたんだ。あとになるが、奴は財政危機を乗り越えていたんだよ」と話していた。(Mark Adomanis, Was Boris Berezovsky Murdered? The Evidence Strongly Suggests No, But Luke Harding Says Maybe, Forbes, March 26, 2013)

Boris Berezovsky & Elena & KidsBoris Berezovsky & Annika Ancvernia


(左:家族と一緒のベレゾフスキー/右:パーティーでのベレゾフスキー)

ただし、ロシアの秘密機関がベレゾフスキーを暗殺したのかどうか謎である。彼をロシアから追放し、権力基盤を固めたプーチンが、十年以上も経ってからわざわざ暗殺するほど、ベレゾフスキーに価値があったのか? 彼を殺すメリットとは何だったのか? プーチン側は英国の防諜機関MI5が暗殺したのだ、との憶測を流した。(Cyril Dixon, Boris Berezovsky ‘died by hanging’as Kremlin blames MI5, Express, March 26, 2013) これと対照的な、別の推測もある。もしかしたら、ロシア諜報機関による暗殺からベレゾフスキーを守るため、MI5が自殺を装って彼を隠匿したのではないか、との噂も流れた。(Will Stewart, Is Boris Berezovsky ALIVE?, Daily Mail, 26 September 2013) 英国側としてもプーチンのイメージを悪くできるし、利用価値のあるベレゾフスキーを温存できるので、何らかのメリットがある。しかし、本当のところは分からない。諜報機関が絡むと真相は闇の中だ。

資源が豊富なロシアを搾取

  共産主義国では逆説(パラドックス)が起こる。理屈では無産労働者(プロレタリアート)の為に建てられた楽園だったのに、いざ出来上がると専制支配、赤い貴族の出現、庶民の搾取と弾圧、貧困の深刻化といった地上の生き地獄が実現される。ロシア、支那、北朝鮮を調べれば一目瞭然。共産主義体制が崩壊したロシアに、成り上がり型の大富豪が誕生した理由は何か? それは北方の半アジア大国が天然資源に恵まれていたからである。何と言っても、石油、天然ガス、ニッケル、アルミニウム、鉄鉱石、レアメタルなどが豊富に埋まっているのだ。だが、この資源国は計画経済と国家所有を前提とした法制度しかなく、自由市場経済における私営企業が存在するなんて考えていない。したがって、民間企業や私有化に関するルールや規制が無かった。まぁ、あったとしても権力者が勝手に歪曲するだろうし、規則や手続きを無視したって、怖い政治家や官僚を掣肘(せいちゅう)しようだなんて国民もいないのだ。傲慢さを絵に描いたようなエリツィンが、法治主義のルールを気にするわけないし、暗殺を厭わないプーチンが、公正な手続きを遵守するわけないだろう。

Mikhail-Khodorkovsky 1(左/ミハイル・ホドルコフスキー)
  石油成金のオリガルヒとくれば、日本人や欧米人なら、まずミハイル・ホドルコフスキー(Mikhail Khodorkovsky)を思い浮かべるだろう。彼は1963年に生まれたユダヤ人で、モスクワの共同アパートに住む貧しい家庭に育ったが、その才能を活かし大富豪への階段を昇ることになる。彼は元々共産主義者青年同盟(コムソモール/Komsomol)出身で、名門メンデレーエフ化学技術学院を卒業した後、別の大学で法律や金融・財政を学んだという。共産主義思想を植え込まれたロシア人なら、馬鹿の一つ覚えのように共産主義思想の擁護者になりがちだが、ユダヤ人のホドルコフスキーはひと味もふた味も違った。彼は大学の級友とコーヒー・ショップやディスコ・クラブを開いたり、ソ連では希少価値のある品を販売したり、と手広く商売をこなしていたようだ。一時は、「ナポレオン」といったブランデーやスイス産の偽ヴォッカを扱ったり、中でも人気だったのは荒く洗濯したジーンズであった。西側のポップ・カルチャーはロシア人青年の垂涎の的であったからだ。西歐の文化に憧れたロシア人の欲求はすごかった。若い娘の中には、コール・ガールになってもいいから、フランスのパリに住みたいと考えるものがいたくらいだ。若くて美しい時期を工場労働で無駄にしたり、国営食料品店で配給を受けたりする生活なんてで嫌だ。雪が降りしきる寒い中、行列に並んで買うのが黒くなった腐りかけの肉だったりする。公営の狭くて汚いアパートで、脂肪分の多い料理を食べながら、ジャガイモのような体型になってゆく。お洒落をしたい年頃なのに、高品質の化粧品もないし、気の利いた娯楽も少ないから、車の中でのセックスが最高の楽しみだったりする。気がつけば肌はかさかさ、シミ皺だらけの顔にはヒゲが生え、小太りの中高年ババアが一丁出来上がり。そんな人生はゾっとするだろう。(考えてもしょうがないけど、なんで可愛らしいロシア人少女が、中年過ぎると大型のブルドッグになってしまうのか不思議である。)

  商才のあるホドルコフスキーは、資金調達のために「メナテップ(Menatep)」と称する協同組合を結成した。科学分野の研究やコンピューター開発に必要な技術や部品も提供したらしい。彼にとって、コンピューターの購入販売は主な収入源となっていた。ホドルコフスキーはまた、ヴェニスの商人みたいに、金貸し業も同時に行っていたという。この協同組合は1988年に「メナテップ」銀行に再編され、「商業新生銀行」として公式に営業免許を受けたのである。この新生銀行は国営銀行とのジョイント・ベンチャーで、資本金は250万ルーブルであったという。創立当時はコムソモール中央委員会をはじめ色々な共産党員が資金を持ち込んだらしく、不正な資金洗浄を行ったようだ。悧巧なホドルコフスキーは警察の嫌がらせや捜査をかわすため、国家委員会の役人に袖の下を渡していたらしい。やはり、灰色のビジネスに手を染める連中は、いざという時のために準備しているものだ。「メナテップ」は再免許を受けて株式会社となり、ホドルコフスキーが取締役会の会長におさまった。彼の欲望はまだこんなもんじゃない。1991年に「メナテップ株主クラブ」を発足させて、政府が国有企業を私有化する時代のチャンスを見逃さなかった。ホドルコフスキーはヴァウチャーを集めて私有化された企業を支配するし、メナテップ・バンクが株を集めれば、それを管理するために「ロスプロム」を設立した。メナテップは各分野に手を広げ、子会社を抱え始めたという。それは化学、建設、織物、鉱業、消費財、石油の分野であった。

henry-kissinger 1Jacob Rothschild 1Hans-Dietrich_Genscher


(左:ヘンリー・キッシンジャー/中央:ジェイコブ・ロスチャイルド/右:ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー)

  こうしたカテゴリーの中で、もっとも成功したのが石油部門の子会社、「ユーコス(Yukos)」であることは言うまでもない。ユーコスはロシア最大の石油会社に成長し、ホドルコスキー帝國の支柱となった。1995年にはグループ管理会社として「ロスプロム」を設立したが、ホドルコフスキーはその取締役会会長になる。成功する悪党は幸運なものが多い。1998年に起こった金融危機でメナテップ銀行は破綻するが、ホドルコフスキーはユーコスを何とか守り抜いたのだ。こうした苦難をくぐり抜けると、翌年は石油価格が高騰して、ユーコスの価値はうなぎ登り。ダーティーなイメージを払拭するために、西歐の幹部をユーコスに招いたり、と透明な経営に務めたらしい。また、公共精神があることを宣伝するために、アメリカの議会図書館に100万ドルの寄附を行い、オープン・ロシア財団を設立すると、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルドを理事会のメンバーに迎えたという。キッシンジャーは確かに有名人だが、いかがわしいユダヤ人に変わりがない。ニクソン大統領から「俺のユダ公(My Jew boy)」と呼ばれた元国務長官は、副大統領のネルソン・ロックフェラーの方に忠誠を誓っていたのだ。ジョン・F・ケネディーからも侮蔑されたキッシンジャーは、支那でもコンサルタント業務を請け負ったりして儲けていたらしい。自らの地位を安泰にするため、ホドルフスキーは不動の地位を誇るロスチャイルドをパトロンにし、プーチンからの攻撃に備えたのかも知れない。

Mikhail Khodorkovsky 5Mikhail Khodorkovsky 3


(右/法廷でのホドルコフスキー)

  ホドルコフスキーは自らの石油帝國を更に拡大しようと、大手石油会社「シブネチ」を吸収合併しようと試みた。しかも、その合併で誕生する会社の株式に、アメリカの巨大石油会社エクソン・モービルを引き込もうとしたのだ。ロシアの主権を自らの手に握っておきたいプーチンにとって、巨万の富を築くホドルコフキスーは脅威となってしまう。危険な芽は早めに刈り取っておかねばならない。ロシア検察当局は脱税などの容疑で、ホドルコフスキーに禁固10年を求刑した。裁判では禁固9年の刑を言い渡され、服役中に2013年プーチンの恩赦を受けて釈放されたのである。ホドルコフスキーの釈放には、ドイツの元外相ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー(Hand=Dietrich Genscher)が動いていたという。(Secret diplomacy in Kordorkovsky case, Pravda, 24 December 2013) また、彼の釈放前にヘンリー・キッシンジャーがモスクワに渡り、プーチンやセルゲイ・イワノフと会談していたというから、奇妙な偶然である。刑期が2017年までに延長されたホドルコフスキーは、恩赦を得るためにプーチンと取引できる何かを隠し持っていたのだろう。あのプーチンが人道主義で動くはずはない。必ず裏取引があったはずだ。なぜドイツのゲンシャーが、悪徳商人の保釈を求めてプーチンと交渉したのか、甚だ不思議である。ただし、釈放されたホドルコフスキーが、再びロシアの政治に介入することはないだろう。今度は命が危ないからだ。

stalin 1毛沢東 2Franklin Roosevelt 1


(左:ヨシフ・スターリン/中央:毛沢東/右:フランクリン・ローズヴェルト)

  ロシアの支配者になるような政治家は実に狡賢い。独裁者は冷徹な目で現実を認識し、邪魔者を早めに片付けようとする。自分の権力基盤にとって脅威となる悪魔は小さなうちに抹殺しようとする。ユダヤ人は金銭を持ち始めると実に厄介だ。厚顔無恥な上に欲の皮が突っ張っている。しかも、世界各地に強力な仲間を持ち、同種のよしみで協力を求めることができる。世界ユダヤ人会議なんて恐ろしい組織まで持っている。日本人が「世界日本人会議」を組織するなんて発想は無い。せいぜい歐洲と北米に、日本アニメ同好会を結成するくらいだ。大学の教授や新聞社の論説委員はけっして口にしないが、ヒトラーやスターリンは悪党だったから、ユダヤ人の危険性に気づいていたし、その脅威を早めに潰してしまおうと思ったはずだ。ヒトラーはドイツで金融を支配するユダヤ人を排斥したかったし、米国や英国にはびこるユダヤ勢力を警戒していた。ユダヤ人だらけのボルシェビキを肉眼で見たスターリンは、ロシアの実権を握るやユダヤ人を排斥したり、ヒトラー以上にユダヤ人を虐殺したのである。邪魔者どころか、将来自らの権力を脅かすユダヤ人に対し、スターリンは先手を打ったといえよう。いかにも野蛮なスターリンらしいが、安心を確保するためには皆殺しが一番。ワルい奴は同類の臭いが分かるのだ。日本人みたいな甘っちょろい民族は、ユダヤ人の本性が分からない。明らかに分かる支那人や朝鮮人に対しても、厳しい処置をとれない日本人が、海千山千のユダヤ人に対抗でき訳がないだろう。島国で平和に暮らしてきた日本人に、大量虐殺が当然のアジア大陸は理解できない。血なまぐさい生活が日常のアジア人は、心に闇を持ち、執念深くて陰険だ。如何なる手段を用いても勝利を確実にする。公正や名誉を求めるなんて、平和な民族の道楽である。ユダヤ人の本性は、同類のアラブ人と対峙した時に現れる。迫害されて哀れなユダヤ人というイメージを日本人は持っているが、そんな幻想はパレスチナ紛争で牙をむき出しにしたユダヤ人を見れば、粉々に消し飛んでしまうだろう。

Hitler 3winston churchill 1(左:アドルフ・ヒトラー/右:ウィンストン・チャーチル)
  ロシアを自分の物にしたプーチンなら、ユダヤ人に支配された欧米諸国をあざ笑うだろう。第二次世界大戦を冷静に眺めてみれば奇妙なことに気づくはずだ。英国のチャーチルが、あれほどドイツと闘いたかった理由のひとつは、迫害されるユダヤ人を救いたかったからである。異常なまでにユダヤ人贔屓だったチャーチルは、同胞のイギリス人を犠牲にしてまで異邦人たるユダヤ人を救いたかったのである。チャーチルとユダヤ人の関係は滅多に書かれないが、調べてみると驚愕の史実が出てくる。第一次大戦で歐洲政治への介入を嫌がったアメリカ国民は、ユダヤ人好きのローズヴェルトによって戦争に引きずり込まれてしまった。共産主義が大嫌いだった英米が、天敵ソ連と同盟を結び、ドイツ人と戦うことを選んだのだ。逆にヒトラーは英米との闘いを望んでいなかった。むしろ、同盟を結びたかったくらいである。莫大な犠牲を払った大戦が終結すると、一番得をしたのはスターリンで、二番目が毛沢東、三番目が米国、認めたくないだろうが英国は負け組である。ユダヤ人を助けて、大英帝国は没落。イギリス人エリートは大量に死んでしまうし、植民地での人種的優越もなくなって、白人の王国だったブリテンに有色人種が逆流してきた。解放されたユダヤ人はおぞましいイスラエルに向かわず、アングロ世界に住み着いたのである。気前よく移住を許した米国や英連邦のアングロ系国民は、ユダヤ人に国家の中枢を握られてしまった。しかし、言論界をユダヤ人に支配された欧米諸国では、こんな簡単な事実を述べる学者はまずいないし、テレビ局がユダヤ人支配の現実を描くドキュメンタリー番組を作ることはない。大抵の歴史家は既存の枠組みの中で、歴史書を綴っているので、外界から歴史を見ることはないのだ。ユダヤ人が設定した枠からはみ出た歴史書は、「反ユダヤ主義」との烙印を押されて、「トンデモ本」と分類されてしまう。ロシアの現実を見ることは、日本人にとって意義がある。露骨な権力闘争は良い勉強になるのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68377366.html






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ユダヤ人が猛烈にヒトラーを糾弾するのは、この独裁者が異民族を迫害したからではなく、ユダヤ人が一番気にするセム種族の肉体を標的にしたからだ。ユダヤ人に対する迫害なら、歴史上ヨーロッパの王様や貴族が行っていたから珍しくも何ともない。

だが、お金で買収されない支配者というのは稀だ。大抵の封建領主はユダヤ人の金銭に目が眩み、例外を設けて一部のユダヤ人を優遇する。少数でも生き残れば、狡猾なユダヤ人はこの例外を大きく広げ、いつの間にか大勢のユダヤ人が「例外」となってしまうのだ。そして、再び迫害が起きぬよう、ユダヤ人に対する「偏見」を取り除こうと画策し、ヨーロッパの民衆に人種平等の思想や寛容の精神を刷り込もうとする。これがユダヤ流の心理戦。だから、一部のヨーロッパ人が反撥を覚え、再びユダヤ人を排斥しようと望んでしまうのだ。

憎まれる奴には「憎まれるだけの理由」がある。ユダヤ人はアメリカ人やヨーロッパ人に対して「異人種への憎しみを捨てろ !」と迫るが、それなら先にイスラエルの同胞に対して言ってみろ。きっと、米国のユダヤ人はイスラエルで袋叩きに遭うぞ。イスラエルの保守的なダヤ教徒に殴られ、小声で「ヘイト反対!」と囁く、リベラル派ユダヤ人の姿が目に浮かぶじゃないか。

ユダヤ人や左翼は「弱者救済」とか「自由の擁護」を口にするが、それは彼らにとって利益になる時だけであり、敵対者の自由を尊重する気など毛頭無い。彼らが保守派の言論を抹殺したくなるのは、物事の核心を突く言葉を発するからである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68719818.html


6. 中川隆[-12520] koaQ7Jey 2019年2月02日 12:44:41: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告
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ヒトラーはユダヤ系少女と仲良しだった……写真競売に 2018年11月14日
https://www.bbc.com/japanese/46204022

にっこり楽しそうに笑う女の子を、男性が抱きかかえている。男性も嬉しそうに笑っている。一見すると、素晴らしく幸せな写真だ。

写っている男性が、アドルフ・ヒトラーでさえなければ。そして、女の子がユダヤ系でなければ。

ヒトラー率いるナチスはユダヤ人を迫害し、後にユダヤ人600万人の大虐殺を遂行した。それにもかかわらずヒトラーは、ローザ・ベルニール・ニナウさんとの友情を大事にしていた。5年後にナチス高官が介入して、やめさせるまでは。

2人の関係を1933年に記録した珍しい署名入りの写真は、米国でオークションにかけられることになった。

写真は、ヒトラー専属の写真家ハインリヒ・ホフマンが撮影したもの。米メリーランド州の競売業者アレクサンダー・ヒストリカル・オークションは、13日に始まった競売では1万ドル(約110万円)ほどの値がつくだろうと予測している。

「サイン入りのものが表に出てきたことはなかった」と、同社のビル・パナゴプロス氏は英紙デイリーメール電子版に話している。

「ヒトラーはプロパガンダ目的で、しょっちゅう子供と一緒に写真を撮った。しかし、この作品は衝撃的だ。ヒトラーは本心からこの女の子に、親近感を抱いていたようなので。愕然とした」

「ヒトラーの恋人」

ヒトラーと女の子は、誕生日が同じだった。それが出会いのきっかけだった。

競売サイトによると、ローザさんは1933年、母親のカロリーネさんと一緒に、アルプスにあったヒトラーの別荘ベルクホーフを訪れた。別荘の外には、ナチス総統の誕生日を祝う大勢が集まっていた。

ローザさんの誕生日が自分と同じだと知ったヒトラーは、ローザさんと母親を別荘に招き入れたとされている。写真はそのとき撮られたという。

それからまもなくして、カロリーネさんの母親がユダヤ人だったことが判明する。ナチスにとっては、ローザさんもユダヤ人ということになった。


A girl, believed to be Rosa, holds Hitler's hands in a different image from the same dayImage copyright Getty Images
Image caption
ヒトラーは少女がユダヤ系と知りながら、友情を育んだ

しかしそれでも、ヒトラーは少女との友情を終わらせなかった。一緒に撮った写真は、サインをして送っている。

「親愛なる、そして(思いやりのある?)ローザ・ニナウへ、アドルフ・ヒトラー、ミュンヘン、1933年6月16日」と、ヒトラーは書いた。

ローザさんは後に、この白黒写真に自分で花を足しているようだ。

ローザさんは1935〜1938年の間に、少なくとも17回にわたりヒトラーと側近のヴィルヘルム・ブリュックナーに宛てて手紙を書いた。ヒトラーの個人秘書マルティン・ボルマンが、ローザさんと母親(ローザさんの父親は死亡していた)に連絡を控えるよう命令するまで続いた。


現代のドイツ人、2度の世界大戦をどう振り返る 死者をどう追悼する

部下のこの命令を、ヒトラーは気に入らなかったようだと写真家のホフマンは後に書いた。

ホフマンは1955年に発表した回顧録「Hitler Was My Friend(ヒトラーは友達だった)」で、「私のあらゆる楽しみを台無しにするのが本当にうまい連中がいる」とヒトラーが自分にぼやいたのだと書いている。

ホフマンはさらに同書に、「ヒトラーの恋人」とキャプションをつけて、2人の別の写真を掲載。「ベルクホーフで少女に会えるのをヒトラーは楽しみにしていた。しかしそれは、お節介な誰かが、少女が純粋なアーリア人の血統でないと発見したため、終わってしまった」のだという。

ボルマンが、ヒトラーと少女の接触をやめさせた翌年、第2次世界大戦が勃発した。6年後の終戦までに、ユダヤ人600万人が死んだ。

ローザさんも戦争を生き抜くことはなかった。ポリオにかかり、ヒトラーと初めて会った10年後の1943年、17歳でミュンヘンの病院で亡くなった。

(英語記事 Remarkable tale of Hitler's young Jewish friend)

https://www.bbc.com/japanese/46204022


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/274.html#c2

[近代史3] チャップリン 独裁者 The Great Dictator (1940年) 中川隆
3. 中川隆[-11802] koaQ7Jey 2019年2月27日 06:51:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[178]


ヒトラーが愛したワーグナーの名曲

ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日 - 1965年10月25日)


ワーグナー《ワルキューレ》「告別と魔の炎の音楽」クナ指揮 - ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19583361


ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』第3幕より
「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」

 ヴォータン:ジョージ・ロンドン
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

 録音時期:1958年 (P) 1958
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 プロデューサー:ジョン・カルショー
 エンジニア:ジェイムズ・ブラウン、ゴードン・パリー
 

▲△▽▼


ワーグナー《ワルキューレ》第1幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nm1FanHg2Nw
 ジークリンデ:キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
 ジークムント:セット・スヴァンホルム(テノール)
 フンディング:アルノルト・ファン・ミル(バス)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

 録音時期:1957年10月28〜30日
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 プロデューサー:ジョン・カルショー
 エンジニア:ジェイムズ・ブラウン
 (P) 1959

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Wagner Götterdämmerung -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Varnay -- Grümmer 1958 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qGu_LQxfcfM


Siegfried: Wolfgang Windgassen
Gunther: Otto Wiener
Alberich: Frans Andersson
Hagen: Josef Greindl
Brünnhilde: Astrid Varnay
Gutrune: Elisabeth Grümmer
Waltraute: Jean Madeira
First Norn: Jean Madeira
Second Norn: Ursula Böse
Third Norn: Rita Gorr
Woglinde: Dorothea Siebert
Wellgunde: Claudia Hellmann
Floßhilde: Ursula Böse

Richard Wagner "Götterdämmerung"
Opera in three acts --
part four in a cycle of four operas titled
"Der Ring des Nibelungen"
Libretto by the composer
Chor der Bayreuther Festspiele
Orchester der Bayreuther Festspiele
Conductor: Hans Knappertsbusch


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トリスタンとイゾルデ全曲

Tristan und Isolde Braun Treptow Klose Knappertsbusch Munich 1950 LIVE - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RZkpNxLMNto


Hans Knappertsbusch Bayerische Staatsoper

Tristan - Günther Treptow
Isolde - Helena Braun
Brangaene - Margarete Klose
Marke - Ferdinand Frantz
Kurwenal - Paul Schöffler
Melot - Albrecht Peter
Hirt - Paul Kuen
Steuerman - Fritz Richard Bender
Stimme eines jungen Seemanns - Fritz Richard Bender
Wagner


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1943. Die Meistersinger von Nürnberg - Prohaska, Lorenz, Müller (Wilhelm Furtwängler, Bayreuth) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MAokG9BrvPo


Jaro Prohaska -- Hans Sachs, Schuster
Max Lorenz -- Walther von Stolzing
Maria Müller -- Eva, Pogners Tochter
Eugen Fuchs -- Sixtus Beckmesser, Stadtschreiber
Josef Greindl -- Veit Pogner, Goldschmied
Erich Zimmermann -- David, Sachsens Lehrbube

Wilhelm Furtwängler
Chor & Orchester der Bayreuther Festspiele
1 Aug 1943

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Wagner - Parsifal Opera (recording of the Century Hans Knappertsbusch 1962) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dzeNnoMmsjM


Amfortas : George London
Titurel : Martti Talvela
Gurnemanz : Hans Hotter
Parsifal : Jess Thomas
Klingsor : Gustav Neidlinger
Kundry : Irene Dalis

Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
Chorus and Orchestra of the Bayreuth Festival

Chorus Master / Choreinstudierung : Wilhelm Pitz
Dirigent / Conductor : Hans Knappertsbusch
Live recording at the Bayreuth Festival in 1962

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Furtwangler Siegfried's Funeral March from Gotterdammerung - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCE_aYJNfQo

Richard Wagner, composer
Vienna Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, March 2, 1954

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Flagstad, Furtwangler Brunnhilde's Immolation (1-3) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zP6b4F1cG_k


Excerpt from Richard Wagner's Gotterdammerung
Kirsten Flagstad, soprano
Philharmonia Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, 1952



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アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった


ワーグナーの手紙、イスラエルで競売へ ユダヤ人の「腐食的影響」に言及
2018年4月23日 12:13 発信地:エルサレム/中東・アフリカ


反ユダヤ的な内容が記されたドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの手紙。エルサレムで
(2018年4月16日撮影)。(c)AFP PHOTO / MENAHEM KAHANA


【4月23日 AFP】ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がユダヤ人による文化への悪影響を危惧した内容の手紙が24日、イスラエルで競売に掛けられる。反ユダヤ主義者だったワーグナーの作品はイスラエルでは公の場での演奏が実質的に禁じられているが、これを機に国内で議論が再燃しそうだ。

 ワーグナーが19世紀に作曲した壮大で国粋主義的な作品は、反ユダヤ主義やミソジニー(女性への嫌悪や蔑視)、民族純化思想に満ちている。

民族純化は後にナチス・ドイツ(Nazi)が大々的に掲げ、その指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった。

 出品される1869年4月25日付の手紙は、ワーグナーがフランス人の哲学者エドゥアール・シュレー(Edouard Schure)に宛てたもの。その中では、ユダヤ人がフランス社会に同化すれば「ユダヤ精神による近代社会への腐食的影響」を観察できなくなるとし、フランス人はユダヤ人について「ほとんど何も」知らないなどとも記している。

 イスラエルにはワーグナー作品の演奏を禁止した法律はないが、過去に演奏が試みられた際に国民から強い反発が起き、騒ぎになった経緯があることから、オーケストラや会場が演奏や上演を自粛している。

 ワーグナーは1850年、偽名で「音楽におけるユダヤ性」と題した論文を発表し、激烈な反ユダヤ批判を展開。1869年にはこの論文を実名で出している。(c)AFP

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/274.html#c3

[近代史3] チャップリン 独裁者 The Great Dictator (1940年) 中川隆
4. 中川隆[-11801] koaQ7Jey 2019年2月27日 06:54:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[179]

天才ヒトラーの精神が異常になった経緯

薬物に溺れたヒトラーの秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9y68Yndc5SU

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ヒトラーとドラッグ:第三帝国における薬物依存 – 2018/9/26
ノーマン・オーラー (著), 須藤 正美 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0-%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%BE%9D%E5%AD%98-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4560096511


内容紹介

「錠剤の形をしたナチズム」の実態に迫る

ヒトラーの主治医テオドール・モレルは、一本の注射で体調不良を解決する頼りがいのある医師だった。

ヒトラーはホルモン剤、鎮痛剤、覚醒剤、そしてモレルへの依存を深め、不調のたびに投薬や注射を求めるようになった。

第二次世界大戦が始まり、ヒトラーは誇大妄想にとりつかれ、現実遊離が目につくようになり、軍事作戦能力も徐々に失われていった。足を引きずり、腰も曲がって、くたびれた老人のように見えた。

一方、前線兵士は薬物によって「猛獣と化す」ことが目標とされ、無謀な作戦に投入され、総統大本営も制御を失い、もはや究極の破滅に突き進むしかなかった……。

ヒトラーとモレルの危険な関係は、大戦の命運を左右したのか?

本書は、ヒトラーと第三帝国が薬物に深く依存していたことを暴き、世界的ベストセラーとなった歴史ノンフィクションだ。歴史学者ハンス・モムゼンが本書の「あとがき」で、「これまでの全体像を変える本」と評したのをはじめ、イアン・カーショー、アントニー・ビーヴァーら専門家も賛辞を寄せている。著者は作家らしく、逸話を満載し、史料もきちんと渉猟し、早く続きを読みたくなるような、手に汗握る展開をみせる。


内容(「BOOK」データベースより)

「患者A」と主治医の危険な関係、大戦の命運は左右されたのか?「錠剤の形をしたナチズム」の恐るべき実態に迫る、傑作ノンフィクション!英『ガーディアン』年間最優秀図書(歴史部門)選出!


カスタマーレビュー

yasq di Fontana
兵士には覚醒剤を、総統には麻薬を!  驚きのドラッグワールド・第三帝国
2018年11月12日

覚醒剤メタアンフェタミン(1893年に日本人長井長義が合成し1919年にこれまた日本人緒方章が結晶化に成功)が太平洋戦争中の特攻隊で使われていたという話はよく聞くが、これをさらに徹底的に使ったのがナチス・ドイツだった。あの電撃的なポーランド・ベルギー・フランスへの快刀乱麻ともいうべき進攻のスピードは兵士に大量投与された覚醒剤によるものだったとは!

一方で、ヒトラーは戦況の悪化とともに主治医モレルに投与されるオキシコドンに依存。軍首脳部もほとんどがジャンキー状態。暗殺未遂後はコカインまでも加わる。

こうして、上層部はジャンキーの集団となり安全な地下壕みたいとところから無茶苦茶な指示を乱発し、兵士は戦場で覚醒剤漬けにされ独ソ戦の頃にはダメダメな状態に。

最後にベルリンに籠った頃にはヒトラー用のドラッグも底を尽き彼は激しい離脱症状の中で自殺。

あまりにも戦況の変化と薬物乱用がきれいにシンクロするのに驚く。最高指導者がドラッグ依存だとしたら、だれも彼へのドラッグ投与を拒めない。世界史的な出来事がドラッグで突き動かされ得るという恐怖。

当時の日本の軍中枢にこんなことがあったとは聞かないが、本土決戦前に証拠が消されたのかもしれない。まあ、しらふでヒトラーと同じようになっていたと考えるとそれもまた怖い話だが。

オキシコドンはアメリカでは近年も安易に鎮痛薬として処方されてかなり問題になっていますね。日本に持ち込もうとして逮捕された某自動車メーカーの外国人役員も。決して過去の話ではない。


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ヒトラーは「ヤク中」だった? 
ナチス・ドイツの驚くべき薬物事情を暴く『ヒトラーとドラッグ』 2018/10/10
辻田真佐憲 作家・近現代史研究者


『ヒトラーとドラッグ 第三帝国における薬物依存』白水社
ノーマン・オーラー/著 須藤正美/翻訳

戦時下の日本では、苛酷な戦闘や労働をやり抜くため、「ヒロポン」などの覚醒剤が広く使用された。本書は、同じく(いやそれ以上に)ドラッグ漬けだった、かつての同盟国ナチス・ドイツの驚くべき「ヤク中」ぶりを明らかにする。

ドイツ版の覚醒剤は、「ヒロポン」と同じメタンフェタミンの「ペルビチン」だ。著者はこれを「錠剤の形をしたナチズム」と呼ぶ。独裁体制下の厳しい肉体・精神労働も、数日間ぶっ通しの電撃戦も、これなしには考えられなかった。

「いわゆる覚醒剤は爆弾のように的確に命中し、ウィルスのように瞬く間に広まり、食卓の切り分けられたパンや一杯のコーヒーのようにありふれたものとなった」。ナチスのスローガン「ドイツよ、目醒めよ!」は、覚醒剤によって達成されたのである。

もちろん、ナチス・ドイツも薬物天国だったわけではなく、コカインやヘロインは取り締まられていた。だが、1938年に誕生した「ペルビチン」は画期的な新薬として放置(それどころか推奨)された。この点は、戦時下の日本とよく似ている。

だが、最高指導者が「ヤク中」だった点は、ナチス・ドイツでしか見られない。そう、ほかならぬヒトラーもまたドラッグ漬けだったのだ。

自身の健康状態を詮索され、あれこれ指図されることを嫌うヒトラーは、体調不良を注射1本ですぐに治してくれる便利な医者を求めた。それに応えたのが、主治医のモレルだった。

モレルは、求められるがまま、あらゆる薬剤を合成してヒトラーに注入した。戦局が悪化すると、そこにはコカイン、コデイン、オイコダールなどの依存性が高い向精神薬も多く含まれるようになった。そして「ペルビチン」も。たしかに体調はすぐに回復する。だが、薬が切れると体調は以前より悪くなる。するとまた注射を求める――。悪循環だった。

著者はドイツやアメリカの公文書館を訪れ、モレルのメモを読み解いて、「患者A」に注入されたホルモン調合剤、ステロイドその他の有効成分、医薬品などをリストアップしている。その数の多さには驚かされる。

総統大本営では、それまで塞ぎ込んでいたヒトラーが、突然元気になって、自信に満ちて作戦指導する姿も見られたという。「ハイル・ヒトラー」ならぬ「ハイ・ヒトラー」。支離滅裂な作戦は、ドラッグで高揚した状態のなかで指示されていたかもしれないのだ。

表紙の呆然としたヒトラーの写真は1944年秋に撮られた有名なものだが、これほど本書にふさわしいものもあるまい。薬物にこじつけすぎとの指摘もあるものの、それをおいても、読み応えのある一冊である。
https://honsuki.jp/review/9035.html



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歴史学者ら「ヒトラーは重度の薬物中毒だった」 2015年09月11日
https://jp.sputniknews.com/life/20150911884675/

アドルフ・ヒトラーは何種類もの麻薬を使用していた。
中でもお気に入りはメタンフェタミンだった。
麻薬を投与していたのは主治医テオ・モレル氏だ。

La Stampa のドイツ特派員、トニ・マストロブオニ氏が発表した。InoPressaが伝えた。


アドルフ・ヒトラーは何種類もの麻薬を使用していた。中でもお気に入りはメタンフェタミンだった。麻薬を投与していたのは主治医テオ・モレル氏だ。La Stampa のドイツ特派員、トニ・マストロブオニ氏が発表した。InoPressaが伝えた。


第三帝国ではスポーツ選手、芸術家、軍人、さらには主婦も麻薬を使用していたという。

「メタンフェタミンは特に第二次世界大戦時のナチスドイツで流行していた」とマストロブオニ氏。

麻薬は元気を出し、長時間にわたり多幸感を持続させるための薬として使われていた。調合を行なったのはフリッツ・ハウシルト医師。この医師は1936年のベルリン五輪で活躍した米国人スポーツマンに対する「ベンゼドリン」の効力に注目した。しかし薬物には依存性があり、悲惨な結果がもたらされた。メタンフェタミンはすぐに第三帝国で人気となった。スポーツ選手、歌手、試験期間中の学生らが服用した。メタンフェタミン工場は主婦用に有効成分入りのお菓子まで開発した。

第二次世界大戦が始まると、兵士の間で薬物が急速に流行した。「Der totale Rausch(完全なる陶酔)」という著書をもつノルマン・オーラー氏は、麻薬は対仏電撃戦(1940年)だけでなくヒトラー自身の行動にも影響した、と主張している。「医師と麻薬がナチズムの内部構造の多くを説明してくれる」とオーラー氏。

オーラー氏によれば、1941年以降、ヒトラーは奇行が目立つようになった。演説にも麻薬の影響が明らかに出始めた。ヒトラーは1349日の間に800回以上メタンフェタミン、ステロイドその他薬物の注射をうち、1100錠以上の錠剤を飲んだ。

ヒトラーがメタンフェタミンを常用していたことは昨年英国の学者らによって発見されている。第二次世界大戦中に米国軍事諜報班によって集められた書類によれば、兵士もメタンフェタミンを使用していたし、ヒトラー自身も愛用していたという。
https://jp.sputniknews.com/life/20150911884675/


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南京大虐殺等の日中戦争での日本兵の残虐行為も覚醒剤が原因だった:

あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

覚せい剤服用

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。


特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。
製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。


出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。


九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。
精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。


日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。
西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。


この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。
http://www.onkyo.tokyo/guntai.php


ドーピングを誘発しやすい社会だから覚醒剤が浸透していく


1945年、日本の敗戦の後、どさくさに紛れて売られていたのが「ヒロポン」と呼ばれる薬だった。

ヒロポンというのは、文字通り「疲労がポンと取れる」という意味で付けられた安易なものだったが、その内容は今で言うところの「覚醒剤」だった。

戦時中は兵士や特攻隊の士気を鼓舞させ、労働者や女工たちに眠気防止で武器弾薬を作るために使われていて、大日本製薬の主力の薬のひとつだった。

この当時はヒロポンの成分であるメタンフェタミンが強い依存性を持つことが知られていなかったので違法ではなかった。新聞にも、堂々と「除倦覚醒剤」と銘打って売られていた。

「除倦覚醒剤」とは要するに「疲れを除き、覚醒する薬」という意味で、このメタンフェタミン系のドラッグを「覚醒剤」というのはここから来ている。

戦中は軍民共に戦争に駆り立てられていたので、「疲れた」などと言っている場合ではなかったのである。

だから、軍需企業・民間企業共に、ヒロポンを大量にストックしていたのだが、敗戦後、この薬が闇市を通して社会に大量流通するようになった。


終戦後の作家は、みんなドラッグ漬けだった

ヒロポンは社会の底辺で広がっただけではない。有名人でもみんなこの薬を使っていた。何しろそれは違法ではなかったのである。

漫才トリオの正司歌江、ミヤコ蝶々、中村八大、桂文楽、六代目笑福亭松鶴等はみんなこのヒロポン中毒になっていた。作家で言えば、『堕落論』で知られている無頼派の坂口安吾もヒロポン中毒だった。

無頼派と言えば、織田作之助も田中英光も同じジャンルに入るのだが、この2人もまた坂口安吾と同じくヒロポン中毒だったと言われている。

織田作之助などはヒロポンを注射しているところを写真を撮られて、それが出回って話題になったという。

何か物を書くというのは孤独で単調な作業だ。そして、集中しなければならないので、精神的にも激しい疲労が蓄積する。当時の作家は、それをヒロポンで乗り切っていたのである。

芥川龍之介は小説『歯車』で幻覚を描いているのだが、この幻覚はヒロポンから来ているという説と、睡眠剤から来ているという2つの説がある。

そこには、歯車が見えたとか、銀色の翼が見えたとか、黄色いタクシーが見えたとか、過去の罪の残像が繰り返し現れるとか書かれていて、その幻影に主人公が怯えている。

ストーリーもなく、ただ意識の変容を揺れ動いているだけなので、どちらかと言えば睡眠剤のような雰囲気がある。詳しくは分からないが、精神的には相当追い詰められていたことが窺い知れる。

この小説の最後は、誰か自分が眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはいないか」となっている。実はこの小説は芥川龍之介が服毒自殺した後に発表されたものだった。その「死にたい」という述懐は本心であったと思われる。

荒正人という小説家もいたのだが、この人は自分だけでなく妻にもお手伝いさんにもヒロポンを飲ませて、一家総ヒロポン依存症になっていたという。

萩原朔太郎はヒロポン中毒ではなかったが、コカイン中毒だった。しかし、ヒロポンでの幻影は小説『猫町』で触れている。

私たちが今、日本の戦後文学としてありがたく詠んでいる文学は、その多くが覚醒剤で「ドーピング」された精神状態の中で書かれていた可能性がある。


無頼派作家、坂口安吾。執筆はヒロポンと共にあった。


ヒロポンがもたらす集中力は凄まじい効果だった

ヒロポンが意識集中のために使われていたというのは、覚醒剤依存者が48時間ずっと麻雀をやっていたとか、賭け将棋をしていたという逸話からも読み取ることができる。

凄まじい集中力が得られるので、ヒロポンが合法だった時代の学生は、東大受験のためにヒロポンを使うのが当たり前だったという。

この「受験のためにヒロポンを使った」というエピソードを聞くたびに私が思い出すのは、タイで知り合ったあるレディーボーイのことだ。

英語を流暢に話す彼はいったいどうやってその英語力を磨いたのか。もちろん、そこには仕掛けがあった。アンダーグラウンドでは、記憶力でさえも金で手に入ったのである。

(記憶力でさえ金で手に入れる。危険な方法が裏で流行している)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131023T0342460900.html


別にこのレディーボーイのやっていることはおかしなことではない。欧米のエリートたちも、スマートドラッグを使って同じようなことをやっている。

アスリートはドーピングで最強の身体的パフォーマンスを手に入れるが、エリートたちもまた「スマートドラッグ」というドーピングで最強の頭脳を手に入れていたということだ。

言うまでもないが、このスマートドラッグも覚醒剤とよく似た成分(アンフェタミン系)が入っているので、言ってみればヒロポンの現代版である。

副作用はもちろんある。しかし、副作用があったとしても、現役時代に最高のパフォーマンスが発揮できれば、地位も収入も約束されるわけで、これで人生を逃げ切ることができると考える人たちもいる。


ヒロポン錠。「疲労の防止と恢復に!」と堂々と宣伝されていた。この薬は1951年に覚醒剤取締法が制定されるまでは「合法」だった。


覚醒剤には潜在的に巨大な需要があるとも言える

戦後の混乱期にヒロポンを使っていた人は、どちらかと言えば快楽が欲しいというよりも、もっと労働したい、疲労を取りたい、馬力が欲しい、という切実な発想から摂取されたので、皮肉なことに真面目な人であればあるほど依存地獄にハマっていった経緯がある。

そして、ヒロポン依存になると、虫が身体を這い回るような幻覚や、わけの分からない幻聴に悩まされるようになり、暴れ回るような異常行動を引き起こす。

そのため、1951年には覚醒剤取締法が制定され、警察が大々的な摘発を行ったので、乱用者は激減していった。

しかしヒロポンは覚醒剤として生き残り、現代でも有名な歌手や野球選手が次々と覚醒剤依存に堕ちて逮捕される姿が繰り返されている。

今後も、「大物」が逮捕されるような流れが続くだろう。

覚醒剤はいったん地下に潜ることはあっても、絶対に廃れることがなく歴史を刻むのである。欧米でも、覚醒剤は「メス」「スピード」「アイス」と言われて依存者が減るどころか増え続けている現状がある。

覚醒剤はそれ自体に快楽があるというよりも、自分がこれからやりたいことを猛烈な集中力で取り組める「ドーピング作用」が強い。それが、恐ろしい魔力なのである。

自分の潜在的な能力を、一瞬にして最強フルマックスの状況に持っていけるのが覚醒剤である。そんなものを覚えてしまったら、覚醒剤のない人生など考えられなくなる。

現代社会は、常に人々に最高のパフォーマンスを求める時代である。そうしたプレッシャーは誰にでもかかる。言ってみれば、ドーピングを誘発しやすい社会なのだ。

そのプレッシャーは坂口安吾や芥川龍之介の時代よりも、はるかに強いと言える。だから、覚醒剤は今でも潜在的に巨大な需要がある。覚醒剤の流行はこれからも起きていく。


いかにも作家という雰囲気を醸し出している芥川龍之介。晩年は睡眠薬のベロナールやらジアールを大量に飲んでおり、結局は服毒自殺に追い込まれた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160316T0122080900.html


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知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史〜芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!
辻田 真佐憲
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48659


芸能界の薬物汚染と太平洋戦争

近年、有名人の薬物事件があとを絶たないが、これは何もいまにはじまったことではない。歴史を振り返れば、太平洋戦争の敗戦直後から、芸能界に薬物汚染は広まっていた。当時よく使われたのは覚醒剤、いわゆる「ヒロポン」である。

漫才師で、のちに参議院議員に転身した下村泰は、1984年6月の国会質疑において、ヒロポン中毒に陥った歌手たちの奇行を、次のように赤裸々に証言している。

いわく、楠木繁夫は、ギャラの契約をせず、「ヒロポンを一升瓶で何本くれたら幾日間行く」といって仕事をしていた。

いわく、霧島昇は、ヒロポン中毒が進み、1曲歌っては「幕を閉める」といったり、アンコールまでいっているのに「アンコールまだだ」といったりして、司会の自分を困らせた。

いわく、樋口静雄は、幻覚症状に陥って、目が機械のように「チャっと」異様な動きをし、「天井の隅で今おれをねらっている刺客がいる」と妄想を語ったりした(第101回国会、社会労働委員会、第11号より)。

なぜ彼らは揃いも揃って、重度の覚醒剤中毒に陥ってしまったのだろうか。

その理由についても、下村は次のように証言している。

「昭和20年代(引用者註:1945〜1954年)にはヒロポン中毒というのがありまして、これは旧軍が持っていたものを市中にばらまいたと言っても過言ではないと思うんです」

つまり、日本軍の保管していた覚醒剤が、敗戦後市中に出回り、「ヒロポン中毒」を引き起こしたというのである。


このように日本の薬物汚染は、戦争の歴史と無縁ではない。それどころか、アヘン、モルヒネ、ヘロインなどの薬物は、日本の植民地統治とも深く関係していた。

薬物事件が注目される今日、こうした暗い歴史を紐解くのも決して無駄ではあるまい。以下では、世界有数の「麻薬大国」だった日本の知られざる一面を紹介したい。

なお、現在日本の法律では、「覚醒剤」「大麻」「麻薬及び向精神薬」「アヘン」が区別されているが、本稿では一括して「薬物」もしくは「麻薬」と呼ぶことにする。

台湾領有とアヘン専売制のはじまり

日本と薬物中毒との本格的な接点は、1895年の台湾領有にさかのぼる。

日本ではそれまで、政府の厳格な取り締まりによって、アヘンの蔓延と無縁だった。ところが、日清戦争の勝利により事情が急変した。清より割譲された台湾は、中国でもっとも早くアヘン吸煙がはじまった場所のひとつであり、同地にはアヘン吸煙者が大勢住んでいたからである。日本はここでアヘン問題に対応せざるをえなくなった。


この問題に対し、日本は「漸禁政策」で臨んだ。いきなりアヘン吸煙を禁止にするのではなく、徐々に減らしていく。そうすることで、混乱を防ぎ、植民地統治を円滑に行おうとしたのだ。そのため、台湾ではアヘンの専売制が敷かれ、アヘンの売買・所有には「特許」が必要となった。

だが、不幸なことに、ここで日本はあることに気づいてしまう。海外から輸入したアヘンを台湾で売りさばくだけで、濡れ手で粟のように利益が得られる。これは、植民地統治の財源になるのではないか――、と。この結果、アヘン専売は「金のなる木」とみなされ、「漸禁政策」は実態を失い、有名無実と化していった。

台湾におけるアヘン吸煙特許者の数は、最大時(1900年)で約16万6千人(台湾人口の6.1%)にも達した。同年度の台湾総督府のアヘン収入は約423万円である。小学校教員の初任給が10円ほどだった時代の話だ。

なお、念のため付け加えておけば、アヘン中毒者に対する矯正事業は、国際的な批判を受けて、1930年以降に推進された。台湾におけるアヘン吸煙は、常習者の死亡や原料の供給停止もあり、太平洋戦争下にようやく根絶された(劉明修『台湾統治と阿片問題』)。

アヘンの専売は、1905年に租借権を獲得した遼東半島先端の関東州でも行われたが、やはりここでも多くの富を日本にもたらした。

アヘン専売制に味をしめた日本は、その後アヘンの国産化にも着手。原料であるケシの生産地には、消費地の台湾ではなく、アヘンが厳禁されていた内地(主に和歌山県、大阪府)と朝鮮が選ばれた。生産地と消費地を分けることで、アヘンの管理・統制を効率的に行い、利益の最大化を図ったのである。

こうして日本は、次第にアヘンのもたらす利益に魅入られ、蝕まれていった。

「麻薬大国」への道とモルヒネ密売

鎮痛剤のモルヒネは、アヘンを原料に作られる。医療用にも使われるが、麻薬としての使い道もあった。

日本は長らく英国とドイツよりモルヒネを輸入していた。ところが、第一次世界大戦の勃発とともに供給がストップしたため、急遽国産化に踏み切ることになった。1915年には、星製薬(社長の星一は、小説家・星新一の父)がモルヒネの製造に成功。その後、他社でもモルヒネの製造が開始された。

このような国産モルヒネは、当初より麻薬として流通した。特に、朝鮮ではそれが顕著だった。


朝鮮では、モルヒネの量産化とともに第一次世界大戦が終結し、在庫がだぶついてしまった。そこで日本政府は製薬会社を保護するため、朝鮮でモルヒネの販売制限を緩和し、在庫の処分を図った。アヘンは禁止なのに、モルヒネは許可。これは明らかにダブルスタンダードだった。この結果、朝鮮では10万人規模のモルヒネ中毒者が出現した

(倉橋正直『阿片帝国・日本』)。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4763410342/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4763410342&linkCode=as2&tag=gendai_biz-22


その後も、日本の麻薬の生産は拡大し続け、1935年の国際連盟の統計によれば、日本のモルヒネ生産額は世界第4位に達した。モルヒネより合成され、より依存性が高いヘロインの生産額にいたっては世界第1位。コカの葉より生産されるコカインの生産額も、やはり世界第1位となった(倉橋、前掲書)。日本は、ついに世界有数の「麻薬大国」になったのである。

当然ながら、これだけの量の麻薬は国内で消費しきれない。ではどうしたのか。今日、日本人(朝鮮人含む)の密売人たちが、国産モルヒネを中国(特に租界があった天津や上海など)で大量に売りさばいていたことが判明している。在留邦人は治外法権で守られていたので、中国側は逮捕や処罰ができない。密売人たちはこの仕組みを悪用し巨万の富を得たのである。

日本は、麻薬取り締まりに関する国際条約に調印・批准していたが、邦人の密売取り締まりには消極的だった。麻薬の密売は、国内で食い詰めた者の貴重な資金源でもあったからだ。こうした日本の態度は国際的にも批判されたが、取り締まりは遅々として進まなかった。

麻薬の利益でアジア太平洋戦争の戦費を賄う

1930年代に入り、日本が中国大陸に侵出するようになると、麻薬の生産・販売は一層組織的に行われるようになった。

日本が中国各地に作ったいわゆる「傀儡政権」では、財源確保のため、ことごとくアヘンの専売制が敷かれた。満洲国、蒙疆政権、冀東防共自治政府、汪兆銘政権(南京政府)などがそうである(広中一成『ニセチャイナ』)。


1932年に成立した満洲国では、主に熱河省でアヘンが生産され、ほかの地域に供給された。生産地と消費地を区別し、管理する手法は、ここで応用されたわけだ。

同じ手法は、中国本土にも適用された。中国本土では、主に蒙疆政権の綏遠省がアヘンの生産地に選ばれた。中国にはもともとアヘン吸煙者が大勢いたため、アヘンは売れに売れた。こうしてもたされた莫大な利益は、日本の戦費・占領統治費を賄ったのである。

たとえば、日本軍占領下の南京市では、占領1周年の1938年12月に、月間の市収入の23.1%をアヘン販売で賄っていた(小林元裕『近代中国の日本居留民と阿片』)。この結果、蔣介石政権のもとで減少しつつあったアヘン吸煙は、ふたたび増加に転じてしまった。

これほどまでアヘンを生産・販売・使用した戦争はほかに例を見ない。そのため、日中戦争の実態はアヘン戦争だったという指摘もある(江口圭一『日中アヘン戦争』)。その指摘に納得するほどに、日本の麻薬政策は大規模かつ巧妙だった。

なお、1941年12月に太平洋戦争がはじまると、日本は東南アジアでもアヘンの専売に着手した。シンガポールでは、英国のアヘンを押収し、精製工場を復旧して、マレー、スマトラ、ボルネオなどに製品を供給。こうしたアヘンの収入は、1942年3月から9月分までで570万7500ドルに達し(当時1ドル=1円)、第25軍(シンガポール攻略担当)軍政部の経常部歳入の約50%、臨時部歳入を加えた全歳入の約25%を占めた(江口、前掲書)。

戦時中の日本は、「日満支(中)の提携」「東亜新秩序」「アジアの解放」「大東亜共栄圏」などのスローガンを高らかに掲げていた。だが、その実態はかくのごとしであった。日本の理想は、薬物で醜く黒ずんでいたのである。


戦争のために配布された覚醒剤

一方、1940年代に入ると、日本本土でも薬物の害が蔓延しはじめた。日本で主に使われたのは覚醒剤である。

覚醒剤の成分は、メタンフェタミンもしくはアンフェタミンである。このうち、メタンフェタミンは、日本の薬学者・長井長義によって19世紀末にエフェドリンより抽出された。

ただし、その中枢神経興奮作用は1930年代に入ってドイツで発見され、「ペルビチン」の名前で商品化された。ちょうどナチス・ドイツの時代だ。


なお、アンフェタミンも同じころに製品化され、英米では「ベンゼドリン」、ドイツでは「エラストン」などの名前で商品化された。これらの商品は、眠気を覚まし、疲れを吹き飛ばす特効薬として、大いにもてはやされた。その危険性はいまだ認識されていなかったのである。

ちなみに、ヒトラーは、1930年代後半より主治医となったモレルよりアンフェタミンを投与され、健康を害したといわれている。

このような欧米の動きを受けて、日本でも1940年代にメタンフェタミンやアンフェタミンが次々に商品化された。メタンフェタミンでは、大日本製薬の「ヒロポン」、参天堂製薬の「ホスピタン」、小野薬品工業の「ネオパンプロン」、富山化学工業の「ネオアゴチン」。アンフェタミンでは、武田薬品工業の「ゼドリン」、富山化学工業の「アゴチン」などがあげられる。1940年代に覚醒剤を製造した会社は23社にのぼったという

(佐藤哲彦ほか『麻薬とは何か』)。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/410603638X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=410603638X&linkCode=as2&tag=gendai_biz-22


この時期に覚醒剤が量産されたのも、戦争と無縁ではなかった。日本はこのころ日中戦争の泥沼にはまり、太平洋戦争の開戦も控えていた。労働力や戦力の拡大のため、覚醒剤は「魔法の薬」と考えられたのである。「ヒロポン」開発に関わった医学者の三浦謹之助は、当時、覚醒剤の開発について「最も目下の時局に適合するもの」とあからさまに述べている。

副作用の認識がなかったこともあり、覚醒剤は軍需品として大量生産された。特に、激務の航空部隊に配布されたようで、冒頭に名前をあげた参院議員の下村泰(陸軍の飛行戦隊に所属)も、戦時下に使用したと証言している。なお、覚醒剤はアンプルのほか錠剤でも配布されたという。

このような覚醒剤は、1945年8月の敗戦により不要となり、市中に流出してしまった。その結果、冒頭で引いたようにひとびとが「ヒロポン中毒」になったのである。昼夜を問わず多忙な芸能人の間には、特に蔓延したといわれる。

覚醒剤の有害性は戦後になって広く認識されるに至り、1951年ようやく法律で規制された。


国家が麻薬に取り付かれる恐ろしさ

このように、日本における麻薬の生産・販売・消費は、植民地統治や総力戦と密接に結びついていた。現在でも、日本では他の国より覚醒剤の使用が多いというが、そんなところにもかつての麻薬政策の影響が残っている。

覚醒剤といえば、北朝鮮が外貨獲得のために製造し、密売しているとも指摘される。事実ならば批判されるべきだが、それはまさにかつて日本がやっていたことでもある。歴史を知らず、「日本こそやっていたではないか」と反論され、口ごもるようではあまりに情けない。歴史を学ばなければならない所以である。


個人が麻薬の魅力に取り付かれるのはおそろしいことだ。だが、国家が麻薬の魅力に取り付けられることはもっと恐ろしい。「麻薬大国」日本はまさにそうだった。

その歴史は、反面教師として、今後も参照され続けなければならないだろう。有名人の薬物事件も、そうした歴史を知るきっかけになれば怪我の功名かもしれない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48659


覚醒剤については

経験者としての意見です。
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/131.html

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ヒトラーの様な覚醒剤中毒者が経験する被害妄想と恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:


【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/274.html#c4

[リバイバル3] アメリカの有名大学では金で合格を買える 中川隆
5. 中川隆[-11800] koaQ7Jey 2019年2月27日 07:50:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[180]
学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。
このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。

時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。これは教授が研究や大学院教育に重点を置いているためであるが、教授が学生の指導を密接に行うリベラルアーツ・カレッジとの違いになっている。マサチューセッツ州のアマースト大学、ペンシルバニア州スワースモア大学(Swarthmore College)といったリベラルアーツ・カレッジを卒業して、ハーバード大学の大学院に入学する学生も多い。

" class="outlink">http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)


ハーバード大成績評価について

上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。

Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7

 At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.

 For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.

 Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.

 The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.

 More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.


マグナ・クム・ラウデについて

英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、

Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:

The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]

だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。

もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。


小和田恒とハーバード大学

実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。


小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々

たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。

『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用

小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文

EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」

Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.

I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.

In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.

『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用

 小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。

 前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,

糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。

 繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。


東京大学法学部について

日本の一般学生より条件が有利な学士入学

学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


僅か1年の在籍後、即中退

「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。

昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。

東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。


外交官試験について

 →「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


オックスフォード大学留学について

国費留学

オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。

 『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。

 しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


修士論文を提出できなかった件

小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。

また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。

いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


外務省員留学コース

彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について

名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。

しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。

実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。

https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

 平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。

 「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。

 またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...


 当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。

「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。

 外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。

 最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。

 したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)

(中略)

 あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。

このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)

「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。

 中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。

 しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。

 コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。

 これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)


 未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。

 ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/933.html#c5

[リバイバル3] アメリカ人には食べ物の味がわからない 中川隆
30. 中川隆[-11799] koaQ7Jey 2019年2月27日 13:02:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[181]
NYで「いきなり!ステーキ」が流行らなかった理由 「肉は人工的に生産できる」 食肉の常識を変える世界のミートテック企業
2019/02/27 田村明子 (ジャーナリスト)

 2月14日、「いきなり!ステーキ」がニューヨークから一部撤退というニュースが報道された。2年前にマンハッタンに進出を果たした11店舗のうちの7軒を閉店するという。


2017年2月23日、いきなり!ステーキ海外一号店がNYにオープンした(写真:AP/アフロ)
 筆者も、ミッドタウンで何度か「いきなり!ステーキ」の前を通りかかったことはあるが、実を言うと毎回ほとんどお客が入っていないことに気がついていた。日本では人気店と聞いていたし、ナスダック上場など話題性もあったので、少し意外ではあった。

 だが正直に言うなら、40年間ニューヨークで暮らしてきた筆者にとっては、「いきなり!ステーキ」はおそらくこの街に定着しないだろうという予感があった。

 少なくても現在のニューヨーカーにとって、「ステーキイコールご馳走」という観念は、ほとんどないからである。

いまどきのニューヨーカーは
ステーキよりも寿司を好む?
 ニューヨークで未だに根強く人気があるレストランガイド、ザガットニューヨークの2018年版を見ると、人気レストラントップ50の中に入っているステーキハウスは、老舗のピーター・ルーガー1軒のみだ。


NYの老舗ステーキハウス「ピーター・ルガー」(写真撮影:岩崎有里)
 残りはフレンチ、イタリアンが主流だが、寿司屋が6軒、それ以外の日本食レストランが1軒入っている。トップ50の中に、ステーキ専門店が1軒で、寿司屋が6軒。これが今のニューヨークのグルメ志向の現実なのである。

 もちろんフレンチやイタリアンの店に行って、肉料理を頼む人も少なからずいるだろう。でも少なくとも60年代生まれの筆者の周辺では、友人同士が集まって「ステーキを食べに行こう」という声は、このところ耳にした記憶がないのだ。

 唯一の例外は、日本から知人が遊びに来た場合である。

 「何か食べたいものはありますか?」と聞くと、ほとんどの人がこう答える。

 「ステーキ!」

 なるほど日本の人たちにとっては、今でもステーキがご馳走なのだなと実感する。

 逆に日本に行ったアメリカ人は、一刻も早く本場のお寿司が食べたいと張り切るので、そのあたりはまあお互い様ではある。

肉の人気が下がってきた理由
 アメリカ人の肉バナレ、というか厳密に言うと牛や豚などを主に指すRed Meatを避ける傾向は80年代から少しずつ広まっていった。

 2017年3月には、ニューヨークタイムズ紙のコラムの中で、2005年から2014年の10年間で、アメリカ全体の牛肉の消費量がおよそ19%減少したという統計が掲載されている。

 その理由はいくつかあるが、もっとも大きなものはもちろんアメリカの、特に知的階級の人々の間でヘルシー志向が増えたことである。

 もともと食べたいものを食べたいだけ食べる、飽食文化の国であったのが、それではいろいろ健康上の不都合があることがわかってきたのだ。

 加えて牛、豚、鶏などを育てるために使用されているホルモン剤、過剰な抗生物質などが人体に及ぼす悪影響についても、多くのリサーチ結果が報告されてきた。

 WHO(世界保険機関)も、肉および加工された肉製品は、各種ガンのリスクを高めると正式に報告したことも、大きなニュースになった。

 20年ほど前に、低炭水化物、高脂肪、高タンパク質の摂取を推進したアトキンズ・ダイエットというのが大ブームになり、一時はステーキの人気が復活しかけたこともある。

 だが2003年に提唱者のアトキンズ博士が何度か心臓発作を繰り返した後に急死し、ブームは瞬く間に去った。


(写真撮影:岩崎有里)
人道的な観点からも
 ついでに言うなら、何でも動画で簡単に社会に発進できるソーシャルメディア社会も一役買っている。

 肉を柔らかくするために身動きできないよう、鉄の鎧のようなものをつけさせられて一歩も歩くことのできない仔牛の悲惨な姿がSNSで拡散して以来、仔牛肉の人気がガクッと落ちた。

 いずれは食肉になる運命ながらも、その日が来るまでのんびりと動物たちが牧場で草を育んでいたのは、すでに過去の話。現代の非人道的な工場畜産業に対する非難の声も高まって、肉を食べるのをやめたニューヨーカーも少なくない。

 そういった工場内部で生産した家畜たちと区分するために、きちんと太陽の光を当てて身動きがとれる環境で「人道的に育てた」という「Humanely raised meat」トレードマークまで登場している。

 さらに牛や豚を飼育することで大量のメタンガスが発生し、地球温暖化が加速されるという統計も出ているのである。人々が週に1日、肉を食べない日を作るだけで環境保護に貢献できるという。

 こういった様々な理由から、一般的にニューヨーカーにとってステーキというのは「Coolな/カッコいい」食べ物ではなくなったのだ。

ステーキは保守派の食べ物?
 それでも中には、ランチからステーキを食べる一部のニューヨーカーたちもいる。

 ちょっと出始めたお腹をばりっとした仕立ての良いスーツの前ボタンでしっかり隠した、エリートビジネスマンたちである。

 ステーキハウスといえば昔から、保守派の中年男性たちがたむろする場所と相場は決まっていた。メイクアメリカグレイトアゲイン、というスローガンが好きそうな、(今は飲食店全て禁煙になったのでさすがに見なくなったもののかつては葉巻をくわえていた)中年男性たちである。

 こういう人々は、健康志向などほとんど気にしない。たとえ病気になったところで、一流の医者にかかる財力もある。命はお金では買えないんですけど、などというのは大きなお世話なのだろう。

 こういう人々が行くのは、前述の老舗Peter LugerやBenjamin Steak House, Quality Meatなど、高級なステーキハウスである。食前酒にマーティーニ、巨大なステーキと一緒に高価な赤ワインを堪能する。そういえば、知人がトランプ一家がKeen Steakhouseに勢ぞろいしたところに遭遇した、と言っていた。

 そもそも接待経費で食べている彼らは、懐の心配など無用なのである。

安いステーキの需要が薄いニューヨーク
 「シズラー」「アウトバックス」「テキサスBBQ」など、安くて気軽にステーキを食べられるチェーン店もあるものの、入っているのは地方からやってきた観光客ばかり。ほとんどのニューヨーカーにとっては、無縁の場所だと言って良い。

 だから「いきなり!ステーキ」で、お手ごろ価格で美味しいステーキが立ち食いできる、と言われても、喜び勇んで食べに行くという社会層がニューヨークにはあまりいないのだ。むしろダラスやアトランタなど、地方都市のほうが向いているかもしれない。

 それよりこのところ「Omakase」ブームで高級化していく一方の寿司を、気軽に美味しく食べさせてくれる高品質の回転寿司チェーンでも進出してくれないだろうか。というのが、大部分のニューヨーカーにとっての切実な願いではないだろうか。
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/15467

 
「肉は人工的に生産できる」 食肉の常識を変える世界のミートテック企業
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Forbes JAPAN 編集部 , FORBES JAPAN
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植物由来でありながら、ジューシーな食感を実現した「インポッシブル・フーズ」のパティ。

人工肉には大きく分けて、植物由来のものと、動物から採取した細胞を育てて肉をつくる培養肉がある。

独自の技術で牛肉、鶏肉、魚を生産する、世界で注目を集めるミートテック企業を5社紹介する。

Impossible Foods/インポッシブル・フーズ
in USA

植物由来の人工肉の先駆「インポッシブル・フーズ」は、カリフォルニアの生産施設で毎月50万ポンドの人工肉を生産している。これは、毎月200万人に同社のパティを使用した「インポッシブル・バーガー」を供給するのに十分な量に当たる。

主な原材料は大豆、じゃがいも。ジューシーな食感は、遺伝子組み換えのヘモグロビンで再現をしている。当初、高級レストランとの取引を中心に事業を展開していたが、現在は5000を超えるレストラン、さらにファストフードチェーンの「ホワイトキャッスル」でも商品を展開。

2019年1月にはIT技術イベント「CES」で新作「インポッシブル・バーガー2.0」を披露し、年内に食料品店での販売を開始することを発表した。

Finless Foods/フィンレス・フーズ
in USA

近年、世界的に魚の消費量が増える一方、海の汚染により、今後も安全な魚を食べることできるかどうかが危ぶまれている。そんな中、環境を守りながら健康でおいしく安価なシーフードの提供を目指しているのが、2016年創業、魚の培養肉を手がける「フィンレス・フーズ」だ。

第一段階の目標は、クロマグロをペースト状にしたネギトロのような商品をレストランで展開すること。将来的には市場で売られているマグロと同品質のものを、より安く一般にも販売することを目指している。また、今後はサケやティラピア(鯛のような味の外来種)の培養肉も開発予定。

全て商品化の前段階だが、アジア市場の開拓も視野に入れており、すでに複数の小売店と提携の話を進めている。

Beyond Meat/ビヨンド・ミート
in USA

「ビヨンド・ミート」は高級スーパー「ホールフーズ・マーケット」で初めて精肉売り場に並んだ人工肉。主原料はエンドウ豆で、少量のビーツが赤い色味、ココナッツオイルと片栗粉が、ジューシーな肉汁の元だ。

従来のパティをMRIで分析し、タンパク質や脂質の構造を模し、本物の肉のような食感を再現することに成功。コレステロールゼロであることも、ビーガン以外の消費者からも支持を集める理由となっている。

現在、ソーセージやパティも展開しており、すでに3万2000以上の小売店やホテル、大学で味わうことができる。「ビヨンド・バーガー」は現在、世界15か国以上で販売され、今後は日本を含む50カ国以上の現地販売代理店と提携して販売される予定。
次ページ > 出資者にはビル・ゲイツも名を連ねる


2015年に創業した、培養肉を提供するミートテック企業のリーディングカンパニー。2016年、牛と豚の幹細胞から得た筋肉繊維から、世界ではじめて培養肉でミートボールを完成させた。

ビル・ゲイツや、イギリスの多国籍企業ヴァージン・グループの会長・リチャード・ブランソンなど、各界の大物からも出資を受けている。「メンフィス・ミート」が今最も注力しているのは、市場に出たときの鶏肉、鴨肉、牛肉のコストを最低限まで抑えること。現在の製造コストは、初期の数分の1まで抑えられているという。

また、同社の注目すべき点は、 培養肉としてはじめて「食肉」の認定を得られるよう、米国農務省および米国食品医薬品局に働きかけていることだ。

Super Meat/スーパーミート
in ISRAEL

イスラエルには約250社のフードテックスタートアップがあり、食に関する事業は大きな盛り上がりを見せている。「スーパー・ミート」は、メンフィス・ミートと同じく、動物細胞の培養から鶏肉をつくるミートテック企業だ。

詳しい製造方法は公開されていないが、iPS細胞で話題になった動物の幹細胞を元に培養するという。2021年までに、高級レストランに提供できるまでの価格へ下げることを目指している。すでにアメリカ、ヨーロッパ、シンガポールのベンチャーキャピタルから400万ドルを調達するほか、ヨーロッパの大手家禽会社PHWグループと提携している。

また、イスラム教では豚肉食が禁止されているが、これは人工肉にも適用されるのか議論がされている。
<

http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/296.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/765.html#c30

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 時の女神 (1994年7月7日) 中川隆
1. 中川隆[-11798] koaQ7Jey 2019年2月27日 14:29:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[182]

世にも奇妙な物語 《いじめられる女》 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=GmaYGVOWqrg
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E+++%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%A5%B3&sp=mAEB


キャスト: 大鶴義丹/水野真紀
放送日: 1993年 真夏の特別編

第250話 いじめられる女


お金持ちの屋敷に働きにやってきた義丹。その屋敷の娘が脚立に乗って窓を拭いているがバランスを崩し落下してヒザをすりむいて痛がっていたところ、義丹はハンケチで傷口を押さえる。その優しさに娘が義丹に愛くるしい微笑みを返した直後、発作を起こし倒れてしまう。

娘は屋敷内では両親に皿洗いなどの雑用を常にいいつけられたり、何かと罵声を浴びせられたりとロクな扱いを受けていないようだった。そんな娘をかわいそうに思った義丹はまたも彼女を慰めるが、やはり発作を起こし倒れる。
やがて義丹は彼女の両親から、彼女が「愛情アレルギー」であることを知らされる。

他人から愛情を受けることで発作を起こし、死ぬこともあるという病気なのだった。

それを知り、恋心を抱きつつも彼女に辛くあたる義丹であったが、とうとう
いとおしさに負けて彼女を抱きしめてしまう。途端、かつてないヒドイ発作が起こる。

数十年後・・・ある老婆のお葬式にて。
弔問に訪れた主婦達は長年夫に辛くあたられた老婆に同情し、逆にその夫に怒りを覚える。

残された夫は亡き妻の写真をいとおしそうに撫でつづけていた。
老婆の遺影はとても幸せそうな微笑を浮かべている。

http://yonikimo.com/250.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/241.html#c1

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 時の女神 (1994年7月7日) 中川隆
2. 中川隆[-11797] koaQ7Jey 2019年2月27日 14:42:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[183]

「呪いの言葉」。この呪いを解くにはどうすればいいのか?
http://tyeko2.hatenablog.com/entry/2017/05/29/013955

小さな子供にとって「親」が唯一絶対の存在だ。ある時期まで親は「神」であると言っても過言ではない。親がいなければ子供は生きていけない。

そのため、両親が間違った教育や愛情や環境で子供に接し続けた場合、子供はその親から大きな精神的ダメージを受け続け、そのダメージを大人になっても引きずることになる。

たとえば、親が子供に「お前は何をやっても駄目だな」とか「お前はクラスの中で、兄弟の中で、一番駄目な子だ」と他人と比較して子供に「駄目だ」と言い続ける親は決して珍しくない。そういった言葉を子供は真に受けて育つとどうなるのか。

「自分は何をやっても駄目だ」という暗示が強烈にかかる。大人になるとそれが自分の思考の中に組み込まれて外れなくなる。そして、本当に駄目になっていくのだ。

肉体や心に障害があるわけでもなく、知能もそれなりに備わっているにも関わらず、自己評価がかなり低い女性を時々アンダーグラウンドで見かける。

話をよく聞くと、その女性よりも、むしろ親に問題があったのではないかと思わせるケースは多い。いったん、子供の頃に間違った暗示を親から受けると、それが子供の一生を貫く暗示となっていくのだ。

「暗示をかけられる」というのは、本人が気付いていない分だけ危険だ。(鈴木傾城)


親が子供にかけた呪文(Spell)

頭が良くて、器用で、才能があるのに、本人の自信だけが欠落している人を見かけたことがないだろうか。

そうした傾向がある人は、すべてがそうだというわけではないが、子供の頃に「お前は駄目な子だ」という暗示をかけられて、それが大人になってもずっと続いている可能性がある。

本人はそれが自分の「性格」だと思っている。そのため、自分の心理を分析したり過去を振り返ることはない。

しかし、熟練した心理学者やセラピストがそうなった原因を客観的に調べていくと、幼少期の本人でさえも忘れていた記憶に辿り着く。その記憶が棘のように突き刺さっており、それが心を縛りつけていたということが分かってくる。

暗示は「言葉」で行われる。だから、本人の心を縛りつけているのも「言葉」である。「お前は駄目な子だ」という言葉が、深く強烈な暗示となって本人の心に突き刺さったまま離れない。

英語の世界では”Spell on you(スペル・オン・ユー)”という言い回しがある。直訳すると「言葉をあなたに置く」となるのだが、意味するところは「お前に呪文をかける」というものだ。

この呪文(Spell)は「恋の呪文」みたいな他愛のない意味でも使われる。”I Put A Spell On You”という古い歌では「お前に恋の呪文をかける」という意味で使われている。

しかし、この他愛のないものとは別に、悪意ある呪文(Spell)もある。「お前は駄目な子だ」というのは、まさに親が子供にかけた悪意ある呪文なのである。

子供の頃に受けた心理的ダメージは、大人になれば消えて然るべきなのだが、あまりにも大きなダメージはそのまま取り込まれて性格になってしまう。「親」という唯一絶対の存在が「お前は駄目だ」というのだから、子供は無防備にそれを受け入れて「自分だ駄目なのだ」と信じる。

それは「本当にそうなのか」と分析されることもない。ただ、そのまま素直に信じてしまう。そして、大人になって本人は「なぜ、自分はこんなに自信がないのか?」と苦しむようになっていく。


「人間関係がうまくいくのはおかしい」と考える

本当は「駄目」どころか、非常に多彩な才能と魅力を持っているのに、自分だけが肯定的な評価ができない人がいる。他人が賞賛しても、それを「いや、本当は駄目なのです」と自分から否定する。

あまりに褒められると、逆に不安になって成功をぶち壊してしまったりすることもあるので、それは謙遜ではないというのが分かる。成功を自ら壊す。そして、「やはり駄目だったではないか」と納得するのだ。

そして、それが積み重なることによって「駄目な自分」が強化される。この「自分は何をやっても駄目だ」という心理は、子供の頃に「呪いの言葉」としてかけられたまま育つと、成功を自ら破壊する言動になっていく。

まさに悪意ある呪文(Spell)である。その呪文は、ありとあらゆる重要な場面に芽を出して、その人の人生を駄目にしてしまう。人間関係ですらも、無意識に破壊してしまわずにはいられない。

「自分は駄目な人間だから、人間関係がうまくいくのはおかしい」と考えるからだ。良好な人間関係が築けるようになると、逆に人間関係をわざと壊すような態度や言葉をしてしまう。

意識してそれをやっているというよりも、無意識の間に相手を怒らせたり困らせたりしてしまう。それで、相手が我慢したら人間関係が壊れなかったと思って安堵するのだが、逆に壊れても安堵する。

なぜ人間関係が壊れても安堵するのかというと、「ほら、やはり駄目だったではないか」と納得するからだ。自分は何をやっても駄目だという証明ができて安堵するのである。

しかし、そうやって片っ端から人間関係を壊していくと、最後には何も残らない。そうなると、ますます「駄目な自分」という暗示が強化されて、より駄目になっていく。

頭が良くて、器用で、才能があるのに、あまりにも自己否定が強すぎてすべてをぶち壊す人というのは、そういった心理状態に無意識に陥っていると見ていい。

こうした性格の女性は、夜の世界にはたくさんいる。本人も気が付いていないのだが、暗示がかかったまま大人になっているのだ。美しく、頭の回転は良く、魅力もある。しかし、それを褒めると激しく否定し、会話のやりとりでも、わざと怒らせるようなことを言って相手を試す。

そんな女性がひとりふたりでなく大勢いる。本人が態度を改めない限り、人間関係は好転することはない。「呪い」が解けていない。


「呪い」を解くにはどうすればいいのか

人は誰でも自分にかけられた「呪い」には気付かない。自分の感情がどこから生まれ、なぜそのように感じるようになったのか、自分の心理を冷静かつ客観的に分析できる人はほとんどいない。

他人を分析できても、自分はあまりにも近すぎて分析できないのである。

だから、「自分は何をやっても駄目だ」という呪いを子供の頃にかけられて自己否定が強くなってしまった人は、独力でそれに気付くことはないし、薄々と気付いたとしても今さら性格を変えることはできない。

「何をやっても駄目だ」というのを成就させるのが人生になっているので、やがて自分の持っている長所や利点ですらも掻き消そうとすることもある。

アルコール依存になったり、ドラッグ依存になったり、他人に嫌悪されるようなタトゥーを入れたり、リストカットしたりして自傷することもある。過食や拒食に入ることもある。そうやって「駄目な自分」をとことん成就させていく。

本当は駄目ではないのに、親にかけられた「呪い」を自分で実現しようとするのである。これは紛れもなく自滅志向であり、自己破壊である。子供の頃に親から得た呪いというのは、それほどまで強いものがある。

この「呪い」を解くにはどうすればいいのか。

唯一の解決方法は「呪い」の言葉の自覚だ。もし、自分の中に「成功をぶち壊す」ような衝動や心理があるのなら、それはどこから生まれて来たのか自問自答する必要がある。そして、どの「呪いの言葉」が自分に大きな暗示をかけているのかを探る必要がある。

自分に「呪い」をかけている言葉の正体が分かれば、後はその言葉を丁寧に、客観的に否定していく。それは客観性がない言葉であることを知ると、「親が間違っていた」と考えることもできるようになる。

呪いの言葉を意識し、それを否定することで、長らく自分を苦しめていた「呪い」は解ける。しかし、そこまで至る人はいるのだろうか。恐らく、自分の過去を潜り込んで行ける人はほとんどいない。そのため、子供の頃にかけられた間違った暗示は、ずっとその人の人生を支配する可能性が高い。(written by 鈴木傾城)


自分に「呪い」をかけている言葉の正体が分かれば、後はその言葉を丁寧に、客観的に否定していく。それは客観性がない言葉であることを知ると、「親が間違っていた」と考えることもできるようになる。
http://tyeko2.hatenablog.com/entry/2017/05/29/013955

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/241.html#c2

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
154. 中川隆[-11796] koaQ7Jey 2019年2月27日 16:36:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[184]

米中会談前に中国株暴騰、世界同時株安は収まったのか?
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2019年2月26日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8197

2018年10月にアメリカの金融引き締めが原因で始まった世界同時株安は、年末年始に一旦底値を付けた後反発トレンドを続けている。その問題の一部は中国の景気減速であり、ここの読者には周知の通り、中国株は2018年の初めには既に減速トレンドに入っていたのである。

株価が反発しているのはFed(連邦準備制度)のパウエル議長が株安を受けて金融引き締めへの態度を和らげたからだが、今なおアメリカの政策金利は2.5%まで上がっており、量的引き締めも続行となっている。

一方で、世界同時株安にはもう1つの見方がある。トランプ大統領の始めた米中貿易戦争が原因であるという見方である。この相場観は大手メディアで盛んに取り上げられており、一部の金融関係者でさえその見方に囚われている。

24日にはトランプ大統領が、中国との貿易交渉が進展したとして予定されていた関税引き上げを延期したことを好感し、中国株が暴騰した。上海総合指数のチャートを見てみよう。新興国株のチャートはいつも極端である。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8197


一方で、先進国の株式も上昇を続けている。以下はアメリカのS&P 500のチャートである。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8197


既に史上最高値に届きそうな勢いで反発していることに驚く読者もいるかもしれない。

今後の相場見通し

さて、トランプ大統領のツイートによると、トランプ大統領と習近平国家主席はフロリダで会談を行うらしい。これまで米中貿易戦争を懸念していたことになっている金融市場の見方によれば、この会談である程度の合意が行われれば、世界同時株安の懸念が無くなったということになるかもしれない。そういう方向で進むのであれば、トランプ大統領のツイートによって合意は会談前に織り込まれるだろう。

年末の株価暴落の本当の原因が問われるのはそこからである。暴落相場では、金融市場は本当の原因を無視して表面的なシナリオにしがみつきながら、それさえ解決すれば株価は大丈夫なのだと思い込もうとするものである。

しかしはっきり言っておきたいのだが、トランプ大統領の貿易戦争はもともとショーであり、更には貿易戦争が原因で株価がこれほど暴落したことなど直近100年で一度もないのである。ブラックマンデーもリーマンショックも金融政策が原因なのである。

ということで、投資家は楽しみに待っていると良いだろう。本当にトランプ大統領が株安の原因なのであれば、貿易戦争の集結で株価は上昇トレンドを取り戻すはずである。金融政策が原因ならば、そうはならないだろう。ここの読者であれば、どちらが正しいかは既に知っている。審判の時は近いのである。

•世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因

中国経済の減速については、Appleの中国売上鈍化を説明した記事を参照してほしい。

•米中会談前に中国株暴騰、世界同時株安は収まったのか?


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8197
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c154

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
68. 中川隆[-11795] koaQ7Jey 2019年2月27日 21:26:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[185]

経済コラムマガジン 2000/11/20(第186号)
日本のエリート考
http://www.adpweb.com/eco/eco186.html


•戦前・戦後のエリート

まず戦前の話から始める。戦前の日本の政治や社会が特におかしくなったのは、エリートと言われている人々が台頭してきて、政治の実権を握ってからと言う意見がある。エリートの具体的な典型例は、帝大や陸大を優秀な成績で卒業した人々である。これらの人々の特徴は、庶民とは隔絶された世界で教育され、考え方が極めて観念的と言うことである。特に陸大の出身者は、幼年学校時代から世間とは隔離された環境で育っており、考え方や目線といったものが庶民とはかけ離れたものであった。結果的には、このエリートが戦争を遂行し、日本を奈落の底に落した。このような指摘は故司馬遼太郎氏がしばしば行っていたことである。

戦前のエリートは、庶民の目線とは違う世界にいただけでなく、むしろ庶民感覚と言うものを敬遠することが「エリートの証」と考えたふしがある。
このエリート達は、米国を中心にした勢力に経済封鎖され、日本が窮地に立たされた時、一歩引き下がることより、打って出ることを選択した。英米にやりこめられることの方が、エリートにとっては我慢ができなかったことであった。

敗戦色が濃くなっても、エリート達は一般の国民のことは眼中にない。敗戦後の自分達の立場しか頭にないのである。「一億総玉砕」とか「特攻隊」と言った無謀なキャンペーンを行ったり、作戦を遂行できたのもエリート達が一般の国民を「将棋の駒」とか「物」としてしか見ていなかったからである。しかしむしろそのよう見方をするような教育を受けてきたからとも言える。もし彼等が一般の国民の痛みを理解していたなら、もっと早い時期に和平への道を模索していたはずである。

しかし指摘しておく重要なことがある。これらのエリートこそが国民から熱烈な支持を受けていたことである。反対に戦争を回避しようとしたり、軍事費を削ろうとした政治家は「卑怯者」あるいは「君側(くんそく)の奸(かん)」とレッテルを張られ、非難の的となった。英米との開戦は、軍部の独走だけでは説明がつかない。むしろ庶民の熱情が逆に軍部を動かした。軍部も引くに引けなくなった面がある。実際、開戦の日には「ああ、これですっきりとした」と多くの庶民は喜んだのである。

どうして自分達が苦しむと予想される開戦に一般の国民も突っ走ったのか、群集心理学の研究のテーマになる。実際、ドイツやイタリアでもよく似た動きがあった。そしてこれを解く重要なカギがマスコミの働きである。


歴史は繰返すと言うか、今日、日本では戦前とよく似た現象が起っている。「日米開戦」が「財政再建」や「構造改革」である。軍部などのエリートが加藤紘一氏や政策新人類と言った、世間知らずで、苦労知らずの「エリート二世議員」である。一方、財政による景気対策が必要と考える執行部は守旧派と言うことになる。そのように大袈裟な話ではなかろうと自分自身でも笑ってしまうが、今日の状況は、実に戦前の開戦までの状況に似てきた。

先日、中曽根元総理がテレビに出演して、加藤氏達の今回の行動を快く思っていないと発言していた。しかし中曽根氏自身は、自分の総理在任中、加藤氏を二度も防衛庁長官にすると言った異例の抜擢人事を行った(このことに当時の宮沢派は強く反発した)。それほど加藤氏をかっていたのである。その中曽根氏が非難しているのであるから注目される。さらに中曽根氏は加藤紘一氏達の行動を「2・26事件」の青年将校になぞらえていた。やはり筆者だけでなく、元総理も今日の日本にそのような戦前の徴候の現れを感じていると思われる。

忘れてならないのはマスコミの働きである。加藤氏達の行動のバックにはマスコミの存在があり、互に利用したり、利用されたりしている。また政策新人類の考えを聞き、行動を見ていると、彼等はまさに日経新聞の論説委員の「パシリ」みたいな存在である。

このような徴候は長野のような地方にも及んでいる。公共事業を止めることによって、むしろ新しい産業が興ると言った不思議な考えが支持され、大差で作家が知事になった。公共事業が減れば、大変になるのは選挙民の方のはずである。さらに菅直人と言ったアジテータもいて、まさに今日の日本には戦前のような混乱を再現するための役者も揃っているのである。

•日本のエリートの本質
森首相の命運も尽きようとしている。話題になっているのは次の総理である。河野、小泉、高村、そして加藤のいわゆる4Kが下馬評に載っている。そして政権の形も野党との連合などの可能性もあり、いくつかのパターンが考えられる。一番のカギを握っているのは加藤氏である。

とにかく筆者は、加藤氏や小泉氏、さらには民主党や小沢氏を中心にした政権の樹立を期待している。もっと言えば、これらの全ての政治家を巻き込んだ政権が理想的である。マスコミもこの政権を、自民党を中心にした政権よりも良い政権と、少なくとも最初は持ち上げるはずである。株式関係者の中にも変わり者がいて、「これで日本の経済構造改革が進み、株も上昇する」と手放しで喜ぶ者もいるはずである。

もちろん筆者が、これらの政治家の政策に期待しているのではない。全く逆である。彼等の政権によって、日本経済はもう一度危機的状況に追い込まれると筆者は読んでいるのである。ただでさえ来年の2,3月頃には、二回目の金融不安が起る可能性があると筆者は考えている。つまり経済が大混乱する可能性が強いのである。そうなれば彼等の新しい政権は潰れ、再び政権交代がなされ、今度こそ本格的な経済対策が行われると言う筋書である。残念ながらマスコミや世論に手枷足枷されている現状では、本格的な経済対策は無理である。むしろ一旦、加藤氏のような「財政再建派」に政権を委ね、失敗してもらった方が、世論の動向も変わる可能性があり、結局早いと考える。まさに先週号で述べた「急がば回れ」である。

そして加藤氏や小沢氏は自分達が主張している政策を遂行すべきである。先走るようであるが、その政策で日本経済が一段と落込んだら、今度こそこれらの人々には責任を取って政治家を辞めてもらいたい。


自民党には、加藤氏や小沢氏のような若い頃からエリートコースを歩み、将来を期待されてた政治家がいる。共通しているのは二世議員で、若くして国会議員になっていることである。同じ二世議員でも故小淵首相のように、福田元首相、中曽根元首相と言った有力政治家と同じ中選挙区で苦労していた政治家もいるが、多くの二世議員は親の地盤を引継ぎ、楽に当選を重ねている。加藤氏と行動を共にしている政策新人類の多くも二世議員である。

彼等エリートの特徴は、考え方が実際的でなく、観念的であることである。しかしこのエリートに周囲の人々は簡単にだまされる。特に年寄りが弱い。「若いのに将来のことをよく考えている」と持ち上げる。年寄り政治家も年が離れており、自分の立場を脅かすことがないと考えて安心している。マスコミや大衆も、叩き上げの苦労した政治家より、彼等の方が清新なイメージがあると歓迎する。

彼等は何を聞かれても直ぐに答える。しかし現実に起る諸問題の多くは、利害が対立した人々がいて、簡単には黒白をつけられないはずである。今日みたいに情報行き渡った時代の政治家は、むしろ互の利害を調整することを要求される。織田信長やナポレオンの時代とは違うのである。ところがエリート政治家は、実に簡単に結論を述べる。観念論者である彼等の頭の中では、どちらが良いとか悪いとかが始めから決まっているのである。それは彼等が現実を知らないか、むしろ現実を知ろうとしないからである。しかし彼等が主張する政策は実現が不可能か、明らかに逆効果のものばかりである。

彼等は「ここ10年間、100兆円もの財政による景気のテコ入れを行ってきたが、効果がなく一向に景気は良くならない。もはや構造改革しかない。」と簡単に言う。しかし財政による景気対策やらなければもっと経済が落込んでいたはずである。つまり効果は確実にあった。また財政支出の効果は増額分のみが効くことを忘れてはいけない。つまり実際の対策費は彼等が言っているほど大きくなかったはずである。また土地などの資産価格の下落の影響も無視できない。さらに筆者が主張するような、日本の過剰貯蓄の大きさを考慮すれば、これまでの財政の対策が小さ過ぎると言った考えもある。
とにかく彼等、エリートは観念論に染まりやすく、他人の意見を絶対に聞かないのである。とても今日の政治には向いていない。

加藤氏は、小淵内閣以来「癒しの政治」が続いているが、これは行き詰まっており、これからはむしろ財政改革が必要とさかんに言っている。しかし現実の日本では、失業や自殺者は減らず、上場企業さえ次から次へと倒産している。大阪では300人とか600人のホームレスがいる公園がいくつもある。筆者は、どこが「癒されている」と言えるのか聞きたい。いかにもエリート政治家が現実を見ようとしないかを物語っている。

加藤氏や小沢氏は政治家ではなく「宗教家」である。したがって最初は熱烈に支持する人々が寄ってくる。しかしそのうち、考えの薄っぺらさと内容のなさに気がつきどんどん人々は離れていく。最後に残るのは妄信的な信者だけである(小沢氏の前例があるが、実際何人の議員が加藤氏ついていくか興味がある)。

エリートは主張の具体的な内容を聞かれるとすぐぼろが出る。またぼろが出るので具体的な話を避けるのも特徴である。テレビで「構造改革の中身」を聞かれ、しょうがなく「通信業界の競争促進」と言っていた。たったそれだけのことかと筆者も呆れた。つまり彼等はたいしたアイディアは持っているわけではない。しかし持っていないのに、さもすごい考えがあるように周囲に思わせるのが彼等の特技である。

エリートと言うものは、順調に行っている時には良い。また彼等の特徴である「傲慢さ」もなんとなく周囲も認める。しかし一旦壁にぶつかると脆い。すぐ「一億総玉砕」的行動に走り、最後は簡単に自殺する。したがって組織体は、若くしてエリートみたいなつまらない存在を作るべきではない。そのエリートが、国を滅ぼし(戦前のように)、組織を壊すのである。


自民党はあまりにも安易に二世の国会議員を作り過ぎている。特に若く世間知らずの二世は避けるべきである。たしかに二世は当選しやすく、消エネである。そして当選回数を重視する自民党のこれまでのシステムでは、どうしても若い二世議員をエリートにしやすい。しかし今日の造反劇の見られるように、彼等は自分の立場が悪くなると、すぐに分裂騒ぎを起こすのである。

http://www.adpweb.com/eco/eco186.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c68

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
173. 中川隆[-11794] koaQ7Jey 2019年2月27日 21:27:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[186]

経済コラムマガジン 2000/11/20(第186号)
日本のエリート考
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•戦前・戦後のエリート

まず戦前の話から始める。戦前の日本の政治や社会が特におかしくなったのは、エリートと言われている人々が台頭してきて、政治の実権を握ってからと言う意見がある。エリートの具体的な典型例は、帝大や陸大を優秀な成績で卒業した人々である。これらの人々の特徴は、庶民とは隔絶された世界で教育され、考え方が極めて観念的と言うことである。特に陸大の出身者は、幼年学校時代から世間とは隔離された環境で育っており、考え方や目線といったものが庶民とはかけ離れたものであった。結果的には、このエリートが戦争を遂行し、日本を奈落の底に落した。このような指摘は故司馬遼太郎氏がしばしば行っていたことである。

戦前のエリートは、庶民の目線とは違う世界にいただけでなく、むしろ庶民感覚と言うものを敬遠することが「エリートの証」と考えたふしがある。
このエリート達は、米国を中心にした勢力に経済封鎖され、日本が窮地に立たされた時、一歩引き下がることより、打って出ることを選択した。英米にやりこめられることの方が、エリートにとっては我慢ができなかったことであった。

敗戦色が濃くなっても、エリート達は一般の国民のことは眼中にない。敗戦後の自分達の立場しか頭にないのである。「一億総玉砕」とか「特攻隊」と言った無謀なキャンペーンを行ったり、作戦を遂行できたのもエリート達が一般の国民を「将棋の駒」とか「物」としてしか見ていなかったからである。しかしむしろそのよう見方をするような教育を受けてきたからとも言える。もし彼等が一般の国民の痛みを理解していたなら、もっと早い時期に和平への道を模索していたはずである。

しかし指摘しておく重要なことがある。これらのエリートこそが国民から熱烈な支持を受けていたことである。反対に戦争を回避しようとしたり、軍事費を削ろうとした政治家は「卑怯者」あるいは「君側(くんそく)の奸(かん)」とレッテルを張られ、非難の的となった。英米との開戦は、軍部の独走だけでは説明がつかない。むしろ庶民の熱情が逆に軍部を動かした。軍部も引くに引けなくなった面がある。実際、開戦の日には「ああ、これですっきりとした」と多くの庶民は喜んだのである。

どうして自分達が苦しむと予想される開戦に一般の国民も突っ走ったのか、群集心理学の研究のテーマになる。実際、ドイツやイタリアでもよく似た動きがあった。そしてこれを解く重要なカギがマスコミの働きである。


歴史は繰返すと言うか、今日、日本では戦前とよく似た現象が起っている。「日米開戦」が「財政再建」や「構造改革」である。軍部などのエリートが加藤紘一氏や政策新人類と言った、世間知らずで、苦労知らずの「エリート二世議員」である。一方、財政による景気対策が必要と考える執行部は守旧派と言うことになる。そのように大袈裟な話ではなかろうと自分自身でも笑ってしまうが、今日の状況は、実に戦前の開戦までの状況に似てきた。

先日、中曽根元総理がテレビに出演して、加藤氏達の今回の行動を快く思っていないと発言していた。しかし中曽根氏自身は、自分の総理在任中、加藤氏を二度も防衛庁長官にすると言った異例の抜擢人事を行った(このことに当時の宮沢派は強く反発した)。それほど加藤氏をかっていたのである。その中曽根氏が非難しているのであるから注目される。さらに中曽根氏は加藤紘一氏達の行動を「2・26事件」の青年将校になぞらえていた。やはり筆者だけでなく、元総理も今日の日本にそのような戦前の徴候の現れを感じていると思われる。

忘れてならないのはマスコミの働きである。加藤氏達の行動のバックにはマスコミの存在があり、互に利用したり、利用されたりしている。また政策新人類の考えを聞き、行動を見ていると、彼等はまさに日経新聞の論説委員の「パシリ」みたいな存在である。

このような徴候は長野のような地方にも及んでいる。公共事業を止めることによって、むしろ新しい産業が興ると言った不思議な考えが支持され、大差で作家が知事になった。公共事業が減れば、大変になるのは選挙民の方のはずである。さらに菅直人と言ったアジテータもいて、まさに今日の日本には戦前のような混乱を再現するための役者も揃っているのである。

•日本のエリートの本質
森首相の命運も尽きようとしている。話題になっているのは次の総理である。河野、小泉、高村、そして加藤のいわゆる4Kが下馬評に載っている。そして政権の形も野党との連合などの可能性もあり、いくつかのパターンが考えられる。一番のカギを握っているのは加藤氏である。

とにかく筆者は、加藤氏や小泉氏、さらには民主党や小沢氏を中心にした政権の樹立を期待している。もっと言えば、これらの全ての政治家を巻き込んだ政権が理想的である。マスコミもこの政権を、自民党を中心にした政権よりも良い政権と、少なくとも最初は持ち上げるはずである。株式関係者の中にも変わり者がいて、「これで日本の経済構造改革が進み、株も上昇する」と手放しで喜ぶ者もいるはずである。

もちろん筆者が、これらの政治家の政策に期待しているのではない。全く逆である。彼等の政権によって、日本経済はもう一度危機的状況に追い込まれると筆者は読んでいるのである。ただでさえ来年の2,3月頃には、二回目の金融不安が起る可能性があると筆者は考えている。つまり経済が大混乱する可能性が強いのである。そうなれば彼等の新しい政権は潰れ、再び政権交代がなされ、今度こそ本格的な経済対策が行われると言う筋書である。残念ながらマスコミや世論に手枷足枷されている現状では、本格的な経済対策は無理である。むしろ一旦、加藤氏のような「財政再建派」に政権を委ね、失敗してもらった方が、世論の動向も変わる可能性があり、結局早いと考える。まさに先週号で述べた「急がば回れ」である。

そして加藤氏や小沢氏は自分達が主張している政策を遂行すべきである。先走るようであるが、その政策で日本経済が一段と落込んだら、今度こそこれらの人々には責任を取って政治家を辞めてもらいたい。


自民党には、加藤氏や小沢氏のような若い頃からエリートコースを歩み、将来を期待されてた政治家がいる。共通しているのは二世議員で、若くして国会議員になっていることである。同じ二世議員でも故小淵首相のように、福田元首相、中曽根元首相と言った有力政治家と同じ中選挙区で苦労していた政治家もいるが、多くの二世議員は親の地盤を引継ぎ、楽に当選を重ねている。加藤氏と行動を共にしている政策新人類の多くも二世議員である。

彼等エリートの特徴は、考え方が実際的でなく、観念的であることである。しかしこのエリートに周囲の人々は簡単にだまされる。特に年寄りが弱い。「若いのに将来のことをよく考えている」と持ち上げる。年寄り政治家も年が離れており、自分の立場を脅かすことがないと考えて安心している。マスコミや大衆も、叩き上げの苦労した政治家より、彼等の方が清新なイメージがあると歓迎する。

彼等は何を聞かれても直ぐに答える。しかし現実に起る諸問題の多くは、利害が対立した人々がいて、簡単には黒白をつけられないはずである。今日みたいに情報行き渡った時代の政治家は、むしろ互の利害を調整することを要求される。織田信長やナポレオンの時代とは違うのである。ところがエリート政治家は、実に簡単に結論を述べる。観念論者である彼等の頭の中では、どちらが良いとか悪いとかが始めから決まっているのである。それは彼等が現実を知らないか、むしろ現実を知ろうとしないからである。しかし彼等が主張する政策は実現が不可能か、明らかに逆効果のものばかりである。

彼等は「ここ10年間、100兆円もの財政による景気のテコ入れを行ってきたが、効果がなく一向に景気は良くならない。もはや構造改革しかない。」と簡単に言う。しかし財政による景気対策やらなければもっと経済が落込んでいたはずである。つまり効果は確実にあった。また財政支出の効果は増額分のみが効くことを忘れてはいけない。つまり実際の対策費は彼等が言っているほど大きくなかったはずである。また土地などの資産価格の下落の影響も無視できない。さらに筆者が主張するような、日本の過剰貯蓄の大きさを考慮すれば、これまでの財政の対策が小さ過ぎると言った考えもある。
とにかく彼等、エリートは観念論に染まりやすく、他人の意見を絶対に聞かないのである。とても今日の政治には向いていない。

加藤氏は、小淵内閣以来「癒しの政治」が続いているが、これは行き詰まっており、これからはむしろ財政改革が必要とさかんに言っている。しかし現実の日本では、失業や自殺者は減らず、上場企業さえ次から次へと倒産している。大阪では300人とか600人のホームレスがいる公園がいくつもある。筆者は、どこが「癒されている」と言えるのか聞きたい。いかにもエリート政治家が現実を見ようとしないかを物語っている。

加藤氏や小沢氏は政治家ではなく「宗教家」である。したがって最初は熱烈に支持する人々が寄ってくる。しかしそのうち、考えの薄っぺらさと内容のなさに気がつきどんどん人々は離れていく。最後に残るのは妄信的な信者だけである(小沢氏の前例があるが、実際何人の議員が加藤氏ついていくか興味がある)。

エリートは主張の具体的な内容を聞かれるとすぐぼろが出る。またぼろが出るので具体的な話を避けるのも特徴である。テレビで「構造改革の中身」を聞かれ、しょうがなく「通信業界の競争促進」と言っていた。たったそれだけのことかと筆者も呆れた。つまり彼等はたいしたアイディアは持っているわけではない。しかし持っていないのに、さもすごい考えがあるように周囲に思わせるのが彼等の特技である。

エリートと言うものは、順調に行っている時には良い。また彼等の特徴である「傲慢さ」もなんとなく周囲も認める。しかし一旦壁にぶつかると脆い。すぐ「一億総玉砕」的行動に走り、最後は簡単に自殺する。したがって組織体は、若くしてエリートみたいなつまらない存在を作るべきではない。そのエリートが、国を滅ぼし(戦前のように)、組織を壊すのである。


自民党はあまりにも安易に二世の国会議員を作り過ぎている。特に若く世間知らずの二世は避けるべきである。たしかに二世は当選しやすく、消エネである。そして当選回数を重視する自民党のこれまでのシステムでは、どうしても若い二世議員をエリートにしやすい。しかし今日の造反劇の見られるように、彼等は自分の立場が悪くなると、すぐに分裂騒ぎを起こすのである。

http://www.adpweb.com/eco/eco186.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c173

[文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
155. 中川隆[-11793] koaQ7Jey 2019年2月27日 21:27:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[187]

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日本のエリート考
http://www.adpweb.com/eco/eco186.html


•戦前・戦後のエリート

まず戦前の話から始める。戦前の日本の政治や社会が特におかしくなったのは、エリートと言われている人々が台頭してきて、政治の実権を握ってからと言う意見がある。エリートの具体的な典型例は、帝大や陸大を優秀な成績で卒業した人々である。これらの人々の特徴は、庶民とは隔絶された世界で教育され、考え方が極めて観念的と言うことである。特に陸大の出身者は、幼年学校時代から世間とは隔離された環境で育っており、考え方や目線といったものが庶民とはかけ離れたものであった。結果的には、このエリートが戦争を遂行し、日本を奈落の底に落した。このような指摘は故司馬遼太郎氏がしばしば行っていたことである。

戦前のエリートは、庶民の目線とは違う世界にいただけでなく、むしろ庶民感覚と言うものを敬遠することが「エリートの証」と考えたふしがある。
このエリート達は、米国を中心にした勢力に経済封鎖され、日本が窮地に立たされた時、一歩引き下がることより、打って出ることを選択した。英米にやりこめられることの方が、エリートにとっては我慢ができなかったことであった。

敗戦色が濃くなっても、エリート達は一般の国民のことは眼中にない。敗戦後の自分達の立場しか頭にないのである。「一億総玉砕」とか「特攻隊」と言った無謀なキャンペーンを行ったり、作戦を遂行できたのもエリート達が一般の国民を「将棋の駒」とか「物」としてしか見ていなかったからである。しかしむしろそのよう見方をするような教育を受けてきたからとも言える。もし彼等が一般の国民の痛みを理解していたなら、もっと早い時期に和平への道を模索していたはずである。

しかし指摘しておく重要なことがある。これらのエリートこそが国民から熱烈な支持を受けていたことである。反対に戦争を回避しようとしたり、軍事費を削ろうとした政治家は「卑怯者」あるいは「君側(くんそく)の奸(かん)」とレッテルを張られ、非難の的となった。英米との開戦は、軍部の独走だけでは説明がつかない。むしろ庶民の熱情が逆に軍部を動かした。軍部も引くに引けなくなった面がある。実際、開戦の日には「ああ、これですっきりとした」と多くの庶民は喜んだのである。

どうして自分達が苦しむと予想される開戦に一般の国民も突っ走ったのか、群集心理学の研究のテーマになる。実際、ドイツやイタリアでもよく似た動きがあった。そしてこれを解く重要なカギがマスコミの働きである。


歴史は繰返すと言うか、今日、日本では戦前とよく似た現象が起っている。「日米開戦」が「財政再建」や「構造改革」である。軍部などのエリートが加藤紘一氏や政策新人類と言った、世間知らずで、苦労知らずの「エリート二世議員」である。一方、財政による景気対策が必要と考える執行部は守旧派と言うことになる。そのように大袈裟な話ではなかろうと自分自身でも笑ってしまうが、今日の状況は、実に戦前の開戦までの状況に似てきた。

先日、中曽根元総理がテレビに出演して、加藤氏達の今回の行動を快く思っていないと発言していた。しかし中曽根氏自身は、自分の総理在任中、加藤氏を二度も防衛庁長官にすると言った異例の抜擢人事を行った(このことに当時の宮沢派は強く反発した)。それほど加藤氏をかっていたのである。その中曽根氏が非難しているのであるから注目される。さらに中曽根氏は加藤紘一氏達の行動を「2・26事件」の青年将校になぞらえていた。やはり筆者だけでなく、元総理も今日の日本にそのような戦前の徴候の現れを感じていると思われる。

忘れてならないのはマスコミの働きである。加藤氏達の行動のバックにはマスコミの存在があり、互に利用したり、利用されたりしている。また政策新人類の考えを聞き、行動を見ていると、彼等はまさに日経新聞の論説委員の「パシリ」みたいな存在である。

このような徴候は長野のような地方にも及んでいる。公共事業を止めることによって、むしろ新しい産業が興ると言った不思議な考えが支持され、大差で作家が知事になった。公共事業が減れば、大変になるのは選挙民の方のはずである。さらに菅直人と言ったアジテータもいて、まさに今日の日本には戦前のような混乱を再現するための役者も揃っているのである。

•日本のエリートの本質
森首相の命運も尽きようとしている。話題になっているのは次の総理である。河野、小泉、高村、そして加藤のいわゆる4Kが下馬評に載っている。そして政権の形も野党との連合などの可能性もあり、いくつかのパターンが考えられる。一番のカギを握っているのは加藤氏である。

とにかく筆者は、加藤氏や小泉氏、さらには民主党や小沢氏を中心にした政権の樹立を期待している。もっと言えば、これらの全ての政治家を巻き込んだ政権が理想的である。マスコミもこの政権を、自民党を中心にした政権よりも良い政権と、少なくとも最初は持ち上げるはずである。株式関係者の中にも変わり者がいて、「これで日本の経済構造改革が進み、株も上昇する」と手放しで喜ぶ者もいるはずである。

もちろん筆者が、これらの政治家の政策に期待しているのではない。全く逆である。彼等の政権によって、日本経済はもう一度危機的状況に追い込まれると筆者は読んでいるのである。ただでさえ来年の2,3月頃には、二回目の金融不安が起る可能性があると筆者は考えている。つまり経済が大混乱する可能性が強いのである。そうなれば彼等の新しい政権は潰れ、再び政権交代がなされ、今度こそ本格的な経済対策が行われると言う筋書である。残念ながらマスコミや世論に手枷足枷されている現状では、本格的な経済対策は無理である。むしろ一旦、加藤氏のような「財政再建派」に政権を委ね、失敗してもらった方が、世論の動向も変わる可能性があり、結局早いと考える。まさに先週号で述べた「急がば回れ」である。

そして加藤氏や小沢氏は自分達が主張している政策を遂行すべきである。先走るようであるが、その政策で日本経済が一段と落込んだら、今度こそこれらの人々には責任を取って政治家を辞めてもらいたい。


自民党には、加藤氏や小沢氏のような若い頃からエリートコースを歩み、将来を期待されてた政治家がいる。共通しているのは二世議員で、若くして国会議員になっていることである。同じ二世議員でも故小淵首相のように、福田元首相、中曽根元首相と言った有力政治家と同じ中選挙区で苦労していた政治家もいるが、多くの二世議員は親の地盤を引継ぎ、楽に当選を重ねている。加藤氏と行動を共にしている政策新人類の多くも二世議員である。

彼等エリートの特徴は、考え方が実際的でなく、観念的であることである。しかしこのエリートに周囲の人々は簡単にだまされる。特に年寄りが弱い。「若いのに将来のことをよく考えている」と持ち上げる。年寄り政治家も年が離れており、自分の立場を脅かすことがないと考えて安心している。マスコミや大衆も、叩き上げの苦労した政治家より、彼等の方が清新なイメージがあると歓迎する。

彼等は何を聞かれても直ぐに答える。しかし現実に起る諸問題の多くは、利害が対立した人々がいて、簡単には黒白をつけられないはずである。今日みたいに情報行き渡った時代の政治家は、むしろ互の利害を調整することを要求される。織田信長やナポレオンの時代とは違うのである。ところがエリート政治家は、実に簡単に結論を述べる。観念論者である彼等の頭の中では、どちらが良いとか悪いとかが始めから決まっているのである。それは彼等が現実を知らないか、むしろ現実を知ろうとしないからである。しかし彼等が主張する政策は実現が不可能か、明らかに逆効果のものばかりである。

彼等は「ここ10年間、100兆円もの財政による景気のテコ入れを行ってきたが、効果がなく一向に景気は良くならない。もはや構造改革しかない。」と簡単に言う。しかし財政による景気対策やらなければもっと経済が落込んでいたはずである。つまり効果は確実にあった。また財政支出の効果は増額分のみが効くことを忘れてはいけない。つまり実際の対策費は彼等が言っているほど大きくなかったはずである。また土地などの資産価格の下落の影響も無視できない。さらに筆者が主張するような、日本の過剰貯蓄の大きさを考慮すれば、これまでの財政の対策が小さ過ぎると言った考えもある。
とにかく彼等、エリートは観念論に染まりやすく、他人の意見を絶対に聞かないのである。とても今日の政治には向いていない。

加藤氏は、小淵内閣以来「癒しの政治」が続いているが、これは行き詰まっており、これからはむしろ財政改革が必要とさかんに言っている。しかし現実の日本では、失業や自殺者は減らず、上場企業さえ次から次へと倒産している。大阪では300人とか600人のホームレスがいる公園がいくつもある。筆者は、どこが「癒されている」と言えるのか聞きたい。いかにもエリート政治家が現実を見ようとしないかを物語っている。

加藤氏や小沢氏は政治家ではなく「宗教家」である。したがって最初は熱烈に支持する人々が寄ってくる。しかしそのうち、考えの薄っぺらさと内容のなさに気がつきどんどん人々は離れていく。最後に残るのは妄信的な信者だけである(小沢氏の前例があるが、実際何人の議員が加藤氏ついていくか興味がある)。

エリートは主張の具体的な内容を聞かれるとすぐぼろが出る。またぼろが出るので具体的な話を避けるのも特徴である。テレビで「構造改革の中身」を聞かれ、しょうがなく「通信業界の競争促進」と言っていた。たったそれだけのことかと筆者も呆れた。つまり彼等はたいしたアイディアは持っているわけではない。しかし持っていないのに、さもすごい考えがあるように周囲に思わせるのが彼等の特技である。

エリートと言うものは、順調に行っている時には良い。また彼等の特徴である「傲慢さ」もなんとなく周囲も認める。しかし一旦壁にぶつかると脆い。すぐ「一億総玉砕」的行動に走り、最後は簡単に自殺する。したがって組織体は、若くしてエリートみたいなつまらない存在を作るべきではない。そのエリートが、国を滅ぼし(戦前のように)、組織を壊すのである。


自民党はあまりにも安易に二世の国会議員を作り過ぎている。特に若く世間知らずの二世は避けるべきである。たしかに二世は当選しやすく、消エネである。そして当選回数を重視する自民党のこれまでのシステムでは、どうしても若い二世議員をエリートにしやすい。しかし今日の造反劇の見られるように、彼等は自分の立場が悪くなると、すぐに分裂騒ぎを起こすのである。

http://www.adpweb.com/eco/eco186.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c155

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
60. 中川隆[-11798] koaQ7Jey 2019年2月27日 21:52:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[182]
931: 薬漬け :2019/02/24(日) 19:42:04 HOST:sp49-104-46-44.msf.spmode.ne.jp

珍しく、何時もはAxiom80で聴くベーム=バイロイトの「神々の黄昏」終幕をオートグラフで。
ここまで、LNP-2Lの凄味を利かした音で聴いてきたので、ピックアップもちょっとまったりな
トーレンスMCH-IIに替えてみました。

こうして聴くと、80のスピード感を改めて感じます。比べれば80の方がシャープでしょう。
ただ、オートグラフはこれはこれで、80に無いゆったりとしたスケール感を出してきます。
いずれ譲らぬといったところでしょうか。
80だと前面に飛び出してくるソプラノが(ブリュンヒルデの自己犠牲)、オートグラフだと、
ステージにしっかりと足をつけて、よりノーマルに表現されます。
「指輪にさわるな!」の一言の後、ライン川の奈落に堕ちる処の凄みは何れ劣らずでしょう。

同じ英国同士であっても、個性のぶつかり合いはなかなか。

ところでその前に、ルボックスB225をテストで鳴らしていたのですが、後に続くアナログと
非常に近しい鳴り方をしていたのも、また面白いものがありました。
ルボックスもトーレンスもスイスですから、これまたいい対抗相手といったところでしょうか。

932: 前期 :2019/02/24(日) 20:23:30 HOST:h220-215-170-060.catv02.itscom.jp
>>931
薬漬けさん、今晩は。

当方は80もオートグラフも所有していませんので何か言えた義理ではあり
ませんがRevox CDPについてはB226を愛用していますので仰ることは良く
わかります。

大方の日本製CDPがややもするとキンキンした神経質な響きであるのに対してアナログ的な柔らかい音ながらしかりした音でもあります。

CDM1メカによるところが大きいのでしょうがルボックスの製品がもっと日本
で普及していたらCDに対する評価も違ていたかもしれない、という気がします。

933: 薬漬け :2019/02/24(日) 21:02:58 HOST:sp49-104-46-44.msf.spmode.ne.jp
>>932 前期さん、こんばんは。

CDPの第1世代、まともに「音楽」が聴けたのはルボックスB225ぐらいだったと思います。
(ヤマハのCD-1aが多少健闘していたかも。)
あの頃は本当に“生煮え”の音を聞かされていた感じでした。

B225が出て、それからウエスギがコモンモード・ノイズイレーザーを出して以降、日本でも
多少はCDでマシな音が聴けるようになったように思えます。

それでも未だルボックスが色褪せる事が無いのは、まだまだということなのでしょうか。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1515328289/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c60

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
129. 中川隆[-11797] koaQ7Jey 2019年2月27日 21:55:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[183]

切磋琢磨 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年02月27日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f94ace11121f7201763ee6e37f58b51d


先日、お見えになったオーディオ仲間から絶賛された「ウェストミンスター」(改)。  

中音域に裸の「AXIOM80」を使ったことから一気に音の品が良くなって「向かうところ敵なし」の情勢となった。

こうなるとほかのスピーカー連中が黙っていない(笑)。我が家ではスピーカー同士で「切磋琢磨」するのが習わしとなっているのだ。

それ以降、ウェストミンスター(改)はまったく聴かずに、他の連中の尻を叩くばっかりだったが、少しぐらいは「ブリティッシュ・サウンド」から方向転換してみようかと実に久しぶりに JBL の「D123」(口径30センチ)を引っ張り出してみた。

   

ところが、あまりの「音の乾き」ぶりに愕然となってしまった。とても響きが少ないのだ!

以前聴いたときはこういう印象をいっさい受けなかったので、ケーブル類などの周辺環境が変わったせいで盛大に「地」が出てきたのだろうか。

ジャズだけを聴くのならこれでもいいが、クラシックを聴くとなるとこれは明らかにアウト。もっと「WET」な感覚が欲しい。

すぐに解体して処分方法を考えることにした。日常生活では「めったにカッとなることもなく気が長い」と言われているが、こと「オーディオ」となるとものすごく気が短くなるのはどうしてだろう。これで性格的なバランスをとっているのかな(笑)。

次に「口直し」のつもりで登場させたのがグッドマンの「トライアクショム」(同軸3ウェイ:アルニコマグネット)だった。

ユニットのマグネットの裏側には周波数レンジ「30〜20000ヘルツ」の表示があって、別立てのツィーターが不要なタイプである。

バッフルを変えるだけだから実に作業が簡単。

オーディオの愉しみの一つはいろんな機器を交換して聴き比べることにあるが、その中でもSPユニットの交換が一番音の変化が著しいのでいつもワクワクしてしまう。

   

JBLの音を聴いたすぐ後ということもあって、やっぱりクラシック向きの音はいいなあ〜(笑)。

流石は(アルニコ・マグネット時代の)グッドマン!

憂いを含んだ音というのか、翳りのある音といえばいいのか・・・。

自分の場合「いい音」というのは周波数レンジなどの物理的指標じゃなくて、情動的ともいえる「胸が切なくなってくるような音」なのだが、クラシックを聴くのならこういう音じゃないとダメ。

それにしても同軸3ウェイの「点音源」のメリットだろうか「音像定位」にまったくブレがないのに驚かされる。

ユニットが複数ある「多重音源」ともなると、とてもこうはいかない。

スケール感ではウェストミンスター(改)に一日の長があるが、「音像定位」に関してはこちらの方が上だ。

「スケール感」、「音像定位」、「緻密な彫りの深さ」「正確な楽器の音色の表現力」の四つが揃えば理想的な音だと思うがそういうスピーカーは「存在しない」とまでは言わないが、まず無理。

なぜなら大きな箱じゃないとスケール感は無理だが、そうすると他の要素とは両立し難くなるから。

したがって、どれを一番優先すべきかで個人ごとの好みが分かれてくるのがとても興味深い。

オーディオのパラメーターは無限にあるので正解も無いし、終着駅も無いし、そこがいつまでも飽きがこない所以ともなっている。

いずれにしても「トライアクショム」の音像定位に触発されて、今度は「AXIOM150マークU」もネットワークを外してツィーター無しのフルレンジで鳴らしてみたところ、本領発揮でいかにも品が良くて渋いイギリス紳士に変身ときた。

これでようやくウェストミンスターと肩を並べられる状況になってきたのはうれしい限り!(笑)

最後に、「トライアクショム」を駆動したアンプは「171」シングルアンプだった。前段管はバルボの「A411」(バリウム昇華型フィラメント)。

  

このほど、PADの電源ケーブル「ドミナス」を挿し込めるように「3P」端子仕様に改造してもらったばかりだが、たかだか出力0.7ワットくらいのアンプがパワー感あふれる音に変身するのだからもうたまらん(笑)。


https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f94ace11121f7201763ee6e37f58b51d

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c129

[昼休み54] 阿部定の世界 中川隆
4. 中川隆[-11796] koaQ7Jey 2019年2月28日 06:58:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[184]

2019/2/28
阿部定ゆかりの元遊郭取り壊しへ 倒壊寸前で行政代執行 篠山市
https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/201902/0012103113.shtml

傷みが目立つ建物の内部=篠山市池上



 管理が行き届かないことから倒壊の恐れがあるとして、兵庫県篠山市は27日、同市池上の空き家に対して、同市では初となる行政代執行による除却(撤去)作業に着手した。所有者に勧告や命令を重ねてきたが放置が続いたためで、3月中にも取り壊しが完了する。建物はかつて、多くの小説や映画などの題材となった「阿部定」が働いた遊郭だったと伝わる。

 建物は木造瓦ぶきの2階建て。ひょうたん型の窓や軒の家紋など意匠をこらした建築で、延べ床面積は推定約342平方メートルで土地約181平方メートル。一帯は明治末期の陸軍歩兵第70連隊駐屯を契機に京口新地として整備され、大正期には十軒前後の遊郭が並んだという。

 近くの住民によると、遊郭廃止後は寮や住宅などに転用されたが、ここ数十年ほどは空き家になっており、瓦が落下するなど危険なため、地元が市に対処を要望した。昨年8月の台風20号通過後に屋根が崩落したことを受け、市では所有者に勧告や命令などの行政上手続きを実施してきたが、状態は改善されてこなかった。

 今回は市の担当者が土地建物を市の管理下に置く趣旨の宣言文を読み上げた後、作業員が次々と建物内に立ち入り、動産の有無など、内部を詳細に確認した。今後、本格的に取り壊し作業が始まる予定で、費用約470万円は所有者に請求する。

 作業を見守っていた近くの男性によると、取り壊される家屋はかつて「大正楼」と呼ばれた建物。篠山町七十五年史には、大島渚監督作品「愛のコリーダ」などのモデルとなった阿部定が大正楼で働いていたと記されている。(中西幸大)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/248.html#c4

[近代史3] “爆買い”から“爆滑り”へ 中国人観光客がスキー場に殺到 中川隆
3. 中川隆[-11795] koaQ7Jey 2019年2月28日 07:18:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[185]

中国のスキー関係者が苗場スキー場を視察 2019.02.26


 2022年の冬季五輪を控え、ウインタースポーツの人気が高まっている中国。中国から来た関係者が26日、湯沢町の苗場スキー場を視察した。

 にぎわいをみせる湯沢町の苗場スキー場を26日に訪れたのは、中国のスキー雑誌の編集者や北京のスキー協会の会員など5人だ。

 県が国と連携して進める外国人観光客の誘致拡大への取り組みの一環で、今回、日本に招待された。

 招待の目的は、日本のスキー場の魅力を中国国内に伝えてもらうことにある。
 5人は26日、スキーやスノーボードに加え、雪の魅力を存分に味わえるスノーアクティビティーも体験した。

 中国ではあまり体験したことがないという雪上のアクティビティーに気分も高まったようだ。

 3年後、2022年の冬季五輪は中国の北京で開催される。

 これを前に中国ではウィンタースポーツの人気が高まっていて、県や国は日本のスキー場の魅力を広めてもらうことで、中国からさらに多くの観光客を呼び込みたい考えだ。

 一行は中国に帰った後、ブログや雑誌の紙面を通じて苗場スキー場を紹介するという。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/234.html#c3

[リバイバル3] 苗場スキー場 中川隆
65. 中川隆[-11794] koaQ7Jey 2019年2月28日 07:20:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[186]
中国のスキー関係者が苗場スキー場を視察 2019.02.26

 2022年の冬季五輪を控え、ウインタースポーツの人気が高まっている中国。中国から来た関係者が26日、湯沢町の苗場スキー場を視察した。

 にぎわいをみせる湯沢町の苗場スキー場を26日に訪れたのは、中国のスキー雑誌の編集者や北京のスキー協会の会員など5人だ。

 県が国と連携して進める外国人観光客の誘致拡大への取り組みの一環で、今回、日本に招待された。

 招待の目的は、日本のスキー場の魅力を中国国内に伝えてもらうことにある。
 5人は26日、スキーやスノーボードに加え、雪の魅力を存分に味わえるスノーアクティビティーも体験した。

 中国ではあまり体験したことがないという雪上のアクティビティーに気分も高まったようだ。

 3年後、2022年の冬季五輪は中国の北京で開催される。

 これを前に中国ではウィンタースポーツの人気が高まっていて、県や国は日本のスキー場の魅力を広めてもらうことで、中国からさらに多くの観光客を呼び込みたい考えだ。

 一行は中国に帰った後、ブログや雑誌の紙面を通じて苗場スキー場を紹介するという。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html#c65

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
9. 中川隆[-11793] koaQ7Jey 2019年2月28日 07:59:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[187]


2019年2月27日
「アベノミクス」は、結局、やられてなかった。
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13240


「アベノミクス」というと、
ヒトによってとらえ方はそれぞれです。

一般的に、「金融緩和」のことだけを指して、

アベノミクスと呼ぶことが(新聞などでは)多いようです。

が、もちろん、三本の矢がそろってアベノミクス。

そもそも、当方が2012年、
(総選挙後&組閣前の)当時の安倍自民党“総裁”に
提案していた資料に掲載していたのが、
こちらのフローチャート。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1700559520044984&set=a.236228089811475&type=3&theater

この考え方はいたってシンプル。

アベノミクスの全体の目標は、
(実質)賃金を上げて、国民を豊にすること。

そのために、
第一に、「金融政策」で日銀から金融市場に
大量のマネーを供給します、

第二に、そのマネーを、金融市場から
実態経済に注入するために、
徹底的な「財政政策」を行います。

(その際に、その財政でインフラを形成すると、
経済成長はさらに加速されます)

そうして実態経済が活性化すれば、
国民への所得が増えていき、
国民が豊かになっていく・・・

これが、当方のアベノミクスと呼ばれる経済政策の
全体イメージ、でした。

そして、おそらくは、誰が考えても、
「三本の矢」を前提としたアベノミクスというものは、

このイメージにならざるを得ないものです。

では、安倍内閣は実際に、
このイメージ通りに
アベノミクスを展開したのでしょうか?

まず、「金融政策」については、
文句なく徹底的に進められています。
(マネタリーベースが何倍にもなりました)

では、「財政政策」についてはどうかというと・・・
残念ながら、全く進められておらず、
民主党政権の方が、
積極的に展開していた、というのが実態なのです。

こちらのグラフをご覧ください。


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1700564250044511&set=a.236228089811475&type=3&theater

これは、
「政府が民間に注入したマネー量から、
政府が民間から吸い上げたマネー量を差し引いた値」
つまり、政府の民間への資金供給量の推移を示しています。

ご覧の様に、安倍内閣が誕生してから、
一貫して、民間への資金供給量は
縮小されてきたのです。

これを、先ほどのフローチャートで言うなら、
本来なら、左側の「金融市場」から右側の「実体経済」
に政府がマネーを注入していかなければならないところ、
それを「やらない」どころか、むしろ「縮小」させて、
右側の「実体経済」から右側の「金融市場」に、
マネーを吸い上げる圧力をかけ続けていった、

という次第です。

これでは、国民の賃金が上昇していく筈はありません。

実際、下記のグラフに示した様に、
(このグラフは、三橋さんが公表データに基づいて作られたものです)
安倍内閣下で、実質賃金は、下落の一途をたどっています。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12440253064-14354710285.html

つまり、安倍内閣下で、国民は貧困化していったわけです。

ただし・・・

民主党末期であり安倍内閣が誕生した年とその翌年の
「2012年」「2013年」は、
実質賃金は1%以上もの上昇を見せています。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12440253064-14354710285.html

これは偏に、2012年、2013年までは、
民主党政権、ならびに、それを一部継続した安倍内閣が、
豊富な資金を民間市場に供給していたからです。

先に示したグラフを再度確認すると・・・


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1700564250044511&set=a.236228089811475&type=3&theater

2012年、2013年は、GDPの7〜8%程度、
つまり、40兆円もの資金を、
政府が民間に注入していたのです。

ところが、2014年の4月に消費税を増税。

政府が民間から大量のマネーを吸い上げ始めます。

これによって、資金供給量は一気に縮小。

資金供給量は、
安倍内閣誕生時点で40兆円だったのが、
今や、11兆円にまで縮小しています。

そしてこれによって経済は再びデフレ化しはじめ、
実質賃金は下落の一途を辿るようになったのです。

・・・

ちなみに、この「資金供給量」という尺度は、
別名「財政赤字」と言われます。

したがって、安倍内閣は、
プライマリーバランス黒字化目標なるものを立て、
財政赤字を一生懸命削っていったのですが、
それは、マクロ経済的に言うと、ただ単に、
資金供給量を縮小させたと言う話に過ぎないのです。

つまり、現状において、
アベノミクスが「失敗」していると評価するなら、
それは、アベノミクスそれ自身が悪いのではなく、
偏に、アベノミクスがやられなかったからに
過ぎないのです。

そして、なぜ、アベノミクスがやられなかったのかと言えば、
本来は拡大すべき、
「政府の資金供給量」という数値を、
「財政赤字」と、さも悪いものであるかの様にレッテル張りし、
いそいそと、その縮減に努めたからに他ならないのです。

だから、デフレ化を促進する他無い消費増税が断行され、
今もなお、さらに10%まで上げようという議論が
後を絶たないのです。

今からでも遅くはありません。


「カロリー」は
肥満体質の人々にとっては
「悪」なのかもしれませんが、
栄養失調の人々にとっては、
「善」なのです。

安倍総理でも、次の総理でも誰でもよいので、
(少なくともデフレが脱却するまでの間は)
「政府の資金供給量」に「財政赤字」という
下らないレッテル張りをすることをやめ、
「資金供給量」と正しく呼称しつつ、
それを拡大する取り組みを徹底推進いただきたいと思います。

今のままでは、日本は確実に衰弱し、
国民が貧困化していく他ないのです−――。

https://38news.jp/economy/13240
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c9

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
135. 2019年2月28日 08:22:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[188]
ローベルト・ヴィーネ カリガリ博士 Das Cabinet des Dr. Caligari (1920年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/275.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c135
[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
28. 中川隆[-11792] koaQ7Jey 2019年2月28日 09:31:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[189]

柏原芳恵 Dosuko Wiki FANDOM powered by Wikia
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5


昭和後期の女性アイドルタレント。1986年10月19日浩宮(当時26歳)が薔薇「プリンセス・サヤコ」を一輪携えコンサート会場に訪れ鑑賞したことは非常に大きく報じられ、後々になっても語り継がれている皇太子浩宮徳仁最大のエピソードといっても過言ではない。徳仁の非常にミーハーな性格がよく分かる事件であった。

この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、

まだネットも未発達な時代にそんな情報を全国規模で流すことができたのは創価学会ぐらいじゃないか、

そして小和田家と創価学会の関わりあれこれがあることから、張り切って浩宮と小和田雅子の「運命の出会い」を演出したのに完全スルーされた小和田サイドがせんべいを使ってしかいししたんじゃないかとも囁かれている。

2016年12月12日放送「徹子の部屋」に柏原芳恵出演、ここでも徳仁コンサート来場と贈られたバラが話題に

柏原芳恵、皇太子さまにいただいた赤いバラ「原色ドライフラワーで家宝にしています」
2016年12月12日13時52分 スポーツ報知

 歌手の柏原芳恵(51)が12日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月〜金曜・正午)に出演。1986年のコンサートに来場された皇太子さまからいただいた赤いバラを30年たった今も「家宝」にしていることを明かした。

 黒柳徹子(83)から「皇太子さまが、あなたの大ファンでいらっしゃって、赤いバラを持ってコンサートに行かれたのよね」と聞かれた柏原。「原色ドライフラワーにして部屋に飾ってあります。今でも家宝です」と照れ笑い。色が鮮やかで姿かたちも生花に近い状態で乾燥させるドライフラワーとして、30年たった今も大切に保管していることを明かした。

 かねてから柏原のファンであることを明かされていた皇太子さまは86年10月19日の柏原のコンサート「おんな飛翔」に来場され、柏原に赤いバラ「プリンセス・サヤコ」を贈呈。柏原は返礼としてサイン入り写真集を贈っていた。

 1980年、15歳でのデビューから36年を経ても美貌が衰えない柏原に黒柳も

「10代で『ザ・ベストテン』で会ってから、何十年たっても、あなた、変わらないわね〜」

と驚きの表情。「スイッチが入ると、スポーツクラブで1時間泳いだり、筋トレしたりしますけど、そうでない時はフニャフニャしてますよ」と柏原は笑顔で答えた。

 プライベートではオーストラリア・サハリラリーにドライバーとして参加。9日間、6500キロの過酷なレースを完走。また、柏原の大ファンであることを公言している香港のトップ歌手、ビビアン・チョウの招きで行った香港で大人気となり、現地コンサートで喝采を浴びる様子など、様々な素顔を明かしていた。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5


柏原芳恵のバイブ事件と植草一秀の痴漢事件は外務省創価グループの犯行だというのが定説になっているみたいですね。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c28

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
29. 中川隆[-11791] koaQ7Jey 2019年2月28日 10:45:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[190]

小和田恒はアメリカのスパイだった

雅子妃の父親 小和田恒氏の反日思想 2015-01-22
https://ameblo.jp/iofc-chiba-bbqa/entry-11978145149.html


「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」

外交に関しては「ひざまずき外交」と評されるように、中韓には膝を屈して接しなければならないとする、要は「日本は悪い国だ」を前提に、中国にも韓国にも対せよ、と。

上記の言葉に見られるように、間接的とはいえ、東京裁判の肯定者であり、それは天皇陛下と皇室との否定論者を意味するのだということが、どういうものか、案外知られていません。
雅子妃はむろんのこと、その言動から推して皇太子が多大の影響を受けていると思われるのに、あまたある東宮批判論、擁護論にこの視点が抜け落ちています。

第一、このような思想を家長が持つ家の娘が、よくまあ宮中に招じ入れられたものだと、宮内庁の、と言っていいのかどうか、関わった人々の迂闊さに驚くばかりです。
通常ならあり得ないのです。はっきり言えば反日思想家の娘を皇室に入れるなどと。

おまけに母方は、極悪な企業犯罪会社、チッソに連なっているのですから、あり得ない環境のダブルです。いや、小和田氏の家系が当主金吉に至る、わずか3代前にしか遡れない不明朗な家系であるということを加えれば、トリプルに、お后候補には絶対に成り得ない条件が揃っています。

それが強引に入内に至ったということを、まずなぜなのか怪しまねばなりません。

韓国利権べったりの高円宮と、小和田氏との結託により、その「陰謀」はなされた、と今までに複数回述べてきたとおりです。そして、そこに某カルト系の宗教団体が2つ、からみつつ、ひとつのカルトは、明瞭に朝鮮半島系カルトです。なぜ半島の気配がつきまとうのか、そこも怪しむべきでしょう。秋篠宮家への捏造による悪評が、2つのカルト教団を母体にばらまかれたという事実とともに。

枝葉を広げると際限もなくなるので、小和田恒氏の思想に戻り、そこに絞り込みます。(他の要素に関しては、今まで過去記事で膨大に述べて来ました)事実を直視できない人たちは、何を述べても避けるのですが、小和田氏の思想などは、どう勘違いしようもない「論」なのですから、これは視線をそむける訳にはいかないのではないですか?

事後法による訴訟の提起など、非常に不当な要素が多い裁判である東京裁判(極東国際軍事裁判)の肯定者であるということは、天皇否定、皇室否定の人物だということです。東京裁判自体が、つづめれば天皇の戦争責任を追求して、処刑にするかしないかの裁判だったのですから、その裁判を「よしとする」思想の持ち主に、少なくとも天皇と皇室への崇敬はないでしょう。皇太子をくん呼ばわりでの婿扱いは、まさにそこに由来しているでしょう。

市ヶ谷の陸軍士官学校講堂で東京裁判は開かれました。一般的な説明によれば「The International Military Tribunal for the Far East」は、第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国軍が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の裁判である、と規定されます。

この「犯罪者の」最大の責任者が天皇ではないか、という裁判であったわけです。こういう裁判を肯定し受け入れる小和田氏がいかなる思想の持ち主か、それは理解できるでしょうか。

東京裁判は戦勝国の一方的裁判であり、イギリス、アメリカ、中華民国、フランス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ソ連の9か国が参加。
これらの国による一方的吊し上げですね。これにイギリス領インド帝国と、アメリカ領フィリピンの2地域を参加させたのは、「日本によるアジアへの侵略」という「罪状」を正当化させる目的です。

こういうでっち上げ裁判ともいうべき裁判を肯定する小和田恒氏の思想の、うろんさを知ってください。

昭和天皇の訴追に熱心であったのは、オーストラリアとイギリスです。

天皇陛下が犯罪者として裁かれなかったのは、天皇無罪ということではなく、連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーが「日本統治にあたり必要な存在である」。要するに使えると踏んだからに過ぎません。

繰り返します。小和田恒氏は天皇陛下が罪人として吊るされる可能性もあった裁判を、間接的にながらよしと肯定している人なのです。非常に乱暴に簡潔に言うと、東京裁判の肯定者こそが、朝日新聞や民主党員などを代表とする、自虐史観の系譜に連なる者達であり、反日左翼です。
小和田恒氏もそうなのです。これを見落としてはなりません。

経緯は割愛しますが、天皇を訴追に至らせないための工作は、裁判開廷の半年前から行われていました。

結果的に天皇陛下は「無罪」となったものの、裁判が天皇のみならず、皇太子(今上陛下)まで視野に含んでのそれであったことは、拙ブログで「東京裁判」をテーマにシリーズで書き継いだものがあるので、そちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/afbc2ae8f4a799fb1bc04df4ae9bb526

1つだけエピソードを抜き出すなら、

7人の絞首刑判決を受けたものへの刑の執行は、12月23日午前0時1分30秒より行われ、同35分に終了しました。この日は当時皇太子だった継宮明仁親王(今上天皇)の15歳の誕生日(現天皇誕生日)でした。時計の針が1分ぴくりと動いて皇太子の誕生日当日になった瞬間、でっちあげられた「戦犯」の首にロープがまかれ吊るされたのです。恫喝ですね。お前もヘタしたら、吊るされていたのだぞ、という。罪人であることを忘れるな、という暗喩です。

今上天皇を巻き込みながら、昭和天皇のお命まで断崖絶壁に追い詰めたのが東京裁判です。小和田恒氏がこの裁判を肯定しているということを、忘れてはなりません。すなわち本来は反日、反天皇、反皇室の立場なのです。


裁判それ自体がアンフェアなものであり、日本のあの戦争が自衛のためのやむを得ぬ戦争であったという見方が有力説として浮上していることを付記しておきます。インドのパール判事はおろか、当の関わったアメリカ人からさえ強い疑義と抗議が出されている裁判を肯定する日本人など、日本人の風上にも置けません。

雅子妃の実父である小和田恒氏の反日思想について、十分ではないとはいえ、踏み入って記述したのは今回が初めてですが、その小和田恒氏の思想の色濃い配下にあるのが、皇太子と雅子妃であると拙ブログではずっと説明しています。
お二人の言動を逐一上げつつ、それが持つ反日性についても考察を重ねて来ましたので、興味があれば過去記事の累積があります。
拙ブログでは皇太子を「反日皇太子」と呼ぶことに、もはやためらいはありません。
その言動を追えばそう呼ばざるを得ないのです。ご本人が自覚していようといまいと。
見事に中韓カルトと三者の包囲網を受け、ご本人はそれぞれの工作員たちと接触なさっています。

反日・潘基文の求めに応じ、反日体質の国連に出向き、粗略な扱いを受けながら、「天皇を訪韓させ謝罪させる」ことを主張する韓昇洙・元韓国首相(首相として初の竹島不法上陸者)と親しく食事。

創価学会イベント出席と共に日本には出回らない写真。(池田大作氏の息子と共に出た創価イベントは聖教新聞で報道されて日本国民の知るところとなった)

擁護派の定番に「週刊誌の記事などあてにはならない」というのがありますが、これに関しては2つの反駁があります。
では週刊誌の記事を抜き取っても残るある現実をきちんと見ているか?(上記の事実としての写真や聖教新聞掲載の写真その他)
週刊誌の記事も名誉毀損という訴訟と常に向き合いながら書かれているので、そうそう捏造記事を書き放題というわけにはいかないが、その点をどう考えるのでしょうか。

雅子妃も父親の影響下にありますが、至近では、東宮に訪ねてきた沖縄の子らには顔も見せず、OECD東北スクールへは参加。
被災地にこれまで3度もドタキャンを食らわせた妃が、被災地から都内にやって来た
子供たちに会って、被災地訪問を怠っていることをごまかす、実に卑しい心根の
行動ですが、このOECDじたいに小和田恒氏が噛んでいるのです。1988年(昭和63年)にOECD政府代表部大使を勤めていました。
オランダの公務にも小和田氏が暗躍していたのは、もはや知られている所です。
雅子妃の学歴、職歴にも常に小和田氏の「手」が動いています。思考を停止させないで、冷静に調べて欲しい所です。客観的な資料を拾える事象なのですから。

反日思想の持ち主である小和田氏はいかなる目的で、娘を本来はアンチである
皇室に入れたのか、そこにすべての問題点が集約されてあります。

以上の文脈からは逸れますが、最後に一言、皇太子と皇太子妃の背後に揺曳している韓国とカルト教団の存在に、国民は早く気づいて欲しいと願っています。
中国も習近平の奥方を早々と送り込んで、皇太子は引き合わされていますが・・・。
中国は無論そうですが、韓国も韓国と密着した某カルトも工作という点にかけては実に深謀遠慮で長期を見据えたシナリオを書きます。

たとえば創*大学に迎えた初の中国人留学生が、現在の駐日本中国大使です。
先を見据えての留学生受け入れであったと思います。結果的に配下であった中国人が日本大使になった。いや大使にした、というべきかもしれません。外務省にも随分昔から、カルト教団の名誉会長の息のかかった学会員は送り込まれ、その勢力を年々に拡大しています。
小和田氏がそんな中、いかなる立ち位置にあったかわかりませんがカルト教団名誉会長の外遊に際して便宜をはかり問題視されています。また雅子妃が、外務省内カルトグループとの接触、付き合いがあることは事実です。

日本国の毀損に基本に常に韓国と、それと密着したカルト教団の存在があることを
知る人は多いのですが、皇室と結びついたとたん思考と視力が飛ぶらしく、
現状を理解できない、見えない人がいまだ多いのです。
およそ考えられる限り、ありとあらゆるジャンルに入り込んでいる彼らが、
皇室だけを除外するかどうか、考えてみればよいのです。ある意味、
最も押さえたいところでしょうに。

反日国連事務総長・潘基文と小和田恒氏

【備考】 外務省の中韓への、弱腰体質の基幹を作った小和田恒氏。

http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%C6%FC%CB%DC%A5%CF%A5%F3%A5%C7%A5%A3%A5%AD%A5%E3%A5%C3%A5%D7%CF%C0

雅子妃の父・小和田恒氏が外務省時代に唱えていた主張。「ハンディキャップ国家論」ともいう。その定義については、論者によって微妙に評価が分かれるが、平和維持活動などに、軍事力を用いた、いわゆる「一人前の活動」をしてはいけない、という面では共通している。特定アジアへの「土下座外交」の基礎をなすものだとして、保守派の論者からは厳しく批判されている。

以下の文献に詳しい。

JIS+2D21『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社)167〜169ページより抜粋

「(前略)福田康夫氏と谷垣禎一氏は外交の最大テーマとして『日中の異常な関係の正常化』をあげている。『異常な関係』とは何か。日本の首相が靖国神社を参拝するかぎり、『首脳会談を行わない』と中国側が頑張っている状態こそ異常というほかない。これは『たった一つのことが気に入らないといって首脳会談に応じないのは異常だ』と小泉首相が言っている通りだ。国際的常識では『他国の神社参拝を自国の外交関係の中心部分にする国は全世界でも例がない』(米中経済安保調査委員会ラリー・ウォーツェル委員長=産経新聞2006年5月13日付)と見るほうが自然だろう。

 中国の側に理があるという非常識を日本国民に植えつけてきたのは、田中内閣以後の親中派議員と外務官僚だ。中国に対する贖罪意識に加えて、日中条約締結後にはじめたODA援助がらみの利権が親中派議員を激増させた。

 一方で外務省主流も親中派に傾き、チャイナスクールが跳梁跋扈した。小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である。

 次官、駐米大使、外務省顧問を歴任した栗山尚一宮内庁参与は『日本は永遠に謝罪し続けなければならない』という主旨の大論文を月刊誌『外交フォーラム』に連載(2006年1・2月)した。

 栗山氏によれば、首相が靖国参拝をやめても、ガス田、尖閣諸島、国連安保理常任理事国などすべての懸案問題で中国の譲歩は期待できないが、それでも謝れという。そもそも何も得ることが期待できない方針を『政策』と呼べるのだろうか。

 こと中国のことになると、急に風向きを気にする政・官・学・財界の諸氏の姿勢は不可解といわざるをえない。」

JIS+2D22『渡部亮次郎のエッセイ集』

外務官僚の背骨

一連の外務省不祥事件は、そろそろ判決が出はじめる一方で鈴木宗男事件はまだまだ尾をひいている。その中で北朝鮮からの集団脱国者対応や不審船引き揚げなど当面の外交問題についての我が外務官僚閣下らのお粗末は、批判する方が疲れてしまうくらい続く。どうしてこんな体たらくになってしまったのか。どうもその底には、皇太子妃殿下の父たる元外務事務次官・小和田恒の「ハンディキャップ国家論」の甘えと驕りが横たわっている。

(中略)

小和田恒という人は、超エリートといわれるが、政界に知られるようになったのは若くして福田赳夫首相の秘書官になってからだが、なぜか省内に人望は無い。仕事に厳しすぎるという以外に何かありそうだが、官僚の口はいまだに固い。その小和田が外務事務次官時代(1991年8月~93年8月)時代に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である。日本は他の大国と違って、憲法9条の平和規定が厳然としてある。仮にPKOなどの国際貢献でそれがハンディキャップとなっても、最大限尊重すべきで、あくまでも憲法の許される範囲内で、世界に貢献すべきだ、という論である。

 この論は次の事務次官斎藤邦彦(のちに駐アメリカ大使、国際協力事業団総裁)にも追認され、今日も外務省無気力の允許状になっている。そこには敗戦の結果として押し付けられた憲法であるとか、軍隊は外交の手段として用いるべきではない、という敗戦・無能力国家を厳として是認するばかりで、国民を奮い立たせるとかの精神はひとかけらもない。あるものはゼニだから、これさえ出しておけば、他から文句をいわれることはないから いいじゃないか、と言っているに過ぎない。国家の誇りなんかとっくの昔に棄ててしまった逆乞食の驕りである。

 中国大使・阿南は陸軍大臣の倅であることを、何かと隠そうとするらしい。一種のハンディキャップ大使に自ら陥っていると言えるかもしれない。しかし、大使は事務官ではない。国家を代表して駐在しているのだから、社交もさることながら、外交に徹するべきだ。言う事も言わないでいる方が友好だと考えているとしたら、本当にハンディキャップ外交のハンディキャップ大使になってしまうだろう。

 中国は、綿の中に針を潜ませた外交をする国である。昨今の核戦力の増強ぶりと靖国問題を中心とする対日攻勢を見るまでも無く、日本との間に単なる友好のみを考えているとは絶対考えられない。靖国と国民を乖離させ、国民をして「国のために死ぬことは馬鹿らしいことだ」と思わせて防衛意識を低下させ、やがて日本を属国にする際、好都合にすることを狙っているとしか思えない。それをただただ「友好」の二文字だけで事なかれを決め込むとは、なんとも情けない。

 アメリカもクリントン時代の対中国政策をがらりと変えて国益を守ろうしている。その時に我が外務省のみが、チャイナ・スクールにまかせた中日友好万歳だけで国を操縦していけるとは、どうしても考えられない。

http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~tokuhisa/watanabe/wat...

JIS+2D23平成14年06月06日 第154回通常国会 衆議院 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会

4号


○田久保参考人 田久保(編者注;田久保忠衛氏)でございます。

 本日は、かかる権威ある会議にお招きいただきまして、大変ありがとう存じます。

 私の専門は国際情勢と外交防衛でございまして、その見地からいろいろ申し上げてみたいと思うのでございます。四十年近く在野の評論家生活をやってまいりましたので、勝手なことを申し上げて、あるいは皆様の御不興を買うかもわかりませんが、何とぞ御容赦いただきたいと思います。

(中略)

  湾岸戦争で衝撃を受けたか受けないかでございますが、私は、政府は受けていなかったんじゃないか、特に、中心たるべき官庁の外務省は受けていなかったんではないかというふうに考えているわけでございます。

 当時、九三年でございますから、湾岸戦争の二年後でございます。小和田外務次官が現役でございまして、東京芸大の平山郁夫先生と「プレジデント」で対談をしたわけでございます。平山先生が、小和田さん、あなた、外務次官だから、日本の今後行くべき方向はどうなの、どういうふうに考えるの、こういう質問に対して小和田さんは、三つあります。一つは、戦争に敗れた直後の日本で、清く、貧しく、美しく生きていくので、国際貢献なんか考えなくていい、こういうことです。このアジアの小国の地位に甘んじていいんだ、余り他の国とかかずらいたくない、こういうお考えであります。

 その直前に、小沢さんの普通の国論というのがジャーナリズムでわっともてはやされて、これに対して小和田さん、ちょっと曲解しておられるんじゃないかなと思ったんですが、政治、経済、軍事、軍事だけがバランスがとれてない、これを経済に見合った軍事力にする。経済に見合った軍事力にするというと、これは世界第二位のGNPを持った日本は、とんでもないことにならざるを得ない。小沢さんが言っているのはそんなことじゃなくて、非常に単純な、一般大衆がわかるように、普通の国がやっていることをやれっつうの、こういう言い方ですね、あの日本改造論の中に出てくる表現は。大して意味を持たない。ただし、小和田さんは、これはバランスをとった国になれ、こういう意味だと。

 三つ目の選択は、軍事の貢献はやはりだめなんだ、そのかわり、その他の面で日本はほかの国よりももっとやるんだ、こういうことでございます。例えば、軍事が出せない。ほかの国が軍事力を出して百億ドル出していれば、こっちの方は軍事を出さない、軍事面での貢献をしないかわりに三百億ドル、四百億ドル、こういうふうに出すんだというお考えのようでございます。

 第一、自分の国がハンディキャップ国家などと言うことは、私はいいのかねという疑問を持つわけでございます。それから、そういう第三の生き方というのは、湾岸戦争で余り通用しなくなったんじゃないかなというのが私の考えでございましたので、これは愕然としたというふうに私は申し上げなければいけないと思います。

 この直後に斉藤邦彦さんが外務次官になられて、駐米大使におなりになるときだったですか、日本プレスセンターで会見というか講演をやられて、一問一答をやられた。そこで、小和田先輩が言われたハンディキャップ国家論を私は正しいと思いますということおっしゃっているわけでございます。ここまでくると、これはこういうことで突っ込んでいくとどういうことになるのかなという私は心配を持っているわけでございます。

 (後略)

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdo...

http://www.nishiokanji.jp/blog/

西尾幹二氏のインターネット日録

『『週刊新潮』(2月23日号)

「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します』


すでに渡部昇一上智大名誉教授による指摘などから、小和田氏が典型的な戦後左翼思想の持ち主であるという国会答弁などでの事例紹介によりビックリしていたのであるが、『評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。』と西尾氏も週刊新潮で発表された由である。

そこにはそうした結論に至った経緯が述べられている。
『 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。』

『 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。』

と指摘しておられるが、渡部名誉教授もだいぶ前からこの小和田氏の答弁を問題視されていた。

西尾氏は100%解釈の間違いの理由を述べた後、
『要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ』と指摘されている。

『傲慢で権威主義者

 1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った』などとも書かれている。

『理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す』

『自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である』

『皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか』などなど結局師の横田喜三郎教授の思想に無批判に権威主義的に染まりきった小和田氏の人格のなせる技ではないかとの指摘であり同感を禁じ得ない。いやはや、恐れ入った皇室とは正反対のお人なりなのであり、この点が天皇も無理して雅子妃を迎えるべく外務省高官たちに打診されたりした過去があるだけにご心痛の極みにあられるものと拝察するのである。

正田家と小和田家とはかくも別格の思想の違いがあるのである。

小和田恒氏の反日思想の師、横田喜三郎氏について。


http://ja.wikipedia.org/wiki/


ハーグ国際裁判所は、竹島(独島)をめぐる日韓の争いの場になる可能性のあるところ。
それが現実になった時、この方は皇室に与える影響を考えていません。
裁判所への就任は明らかに皇室(雅子妃)の威光。よく居座っていられると思いますね。
高齢で延々と。巷間噂されるようにお金に困っているのでしょうか?頻繁に日本と往復しながら、東宮に入り浸る。浅ましく見苦しくはないでしょうか。

下記における講演で小和田氏は「日本だけを考えず、クローバリゼーションを考えよ」と主張しています。皇太子と雅子妃にも、こう炊きつけているのでしょうか。

https://ameblo.jp/iofc-chiba-bbqa/entry-11978145149.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c29

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
30. 中川隆[-11790] koaQ7Jey 2019年2月28日 10:47:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[191]

小和田恒はアメリカのスパイだった _ 2


日本の官僚と皇族は小和田恒に洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったみたいですね:

小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


まず「軟禁」と「監禁」の差を知らねばなりません。

小和田恒氏のバーゼルにおける軟禁を、監禁と取り違えて国際裁判所に
出ていたから軟禁などされていない、という擁護をする人たちがいますが、
軟禁とはそもそも、監視付きではあるがある範囲内の自由は認められています。


小和田氏の不祥事に拠る軟禁は事実です。

国際裁判所に出ていたのは事実ですが、おそらく軟禁開始の時期とかぶるかと思うのですが、裁判所を「我々にも把握できない突発事で欠席」と、裁判所がステイトメントを出した一件があり、これは過去記事で述べました。記事を探すのが億劫なので、裁判所の文言は、概略であり当時出された文言そのままではありません。

東京にいったん戻ったとされる情報もありましたが、その時すでに軟禁が解かれたのか、あるいは特例としての一時帰国が叶ったのかそこは解りません。(某所と某所からの数回に及ぶ救出作戦が功を奏したのか、あるいは小和田氏が当局の要求に応えてあるケジメをつけたか・・・・現在では軟禁は解かれて帰国、ある一件で動き始めるまではコンクリート御殿に蟄居していらっしゃいました)


情報を収集していた時の時系列がもはやうろ覚えで、過去記事に遡って検証する時間がなく申し訳ありません・・・・が過去記事には正確に記録があるので、今回は駆け足の概略で失礼します。


小和田氏(及び協力者)はひょっとしてフェイク画像使用ないしは、これは明らかに日時を捏造なさるお方です。


この画像、(6月)6日とされていますが、ありえません。なぜなら、この日付の時小和田氏は東京にいました。情報を得ています。詳細は割愛しますが、やや書けば小和田氏はその時、供も連れず一人で電車移動でした。

この画像自体が合成ではないか、という指摘も複数得ましたが、そこはブログ主には判断できません。ただ、日時に関してははっきり、「あり得ない」と断言できます。6月中、小和田氏は一歩も日本を出てはいません。
これは調査すれば足跡は知れることなので、ブログ主が当てずっぽうを書いているわけではありません。

また付随的におかしな点は、6月6日に裁判所の一室にいた設定なのに、小和田氏はハーグにおける新旧判事交代式にすら出ていらっしゃいません。考えられない非常識と非礼。(6月7日に正式退任)

以下はネットの片隅ではすでに早くから出ている情報なので、BBも書きやすいのですが・・・・隔靴掻痒ではあります・・・・。

たとえばこちら。

https://blogs.yahoo.co.jp/s_kengokeiko/28434890.html


古い記事のせいでもあるのか、上記の情報は・・・・当たらずと言えども、遠からず・・・・というレベルです。↑
事実はもうちょっと、入り組んでいる・・・・かもしれません。(”知恵”の回る小和田氏が、何のバックもなく単独で違法をやらかすような幼い真似はしません・・・・)

しかし、聞こえてくる小和田氏の最近のちょこまかした動きについては小和田氏のなした以下の、重大な日本国毀損行為に比べれば、まだましなほうかもしれません。


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。


河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。


ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。


◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。


◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。


◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。


つまり・・・・


日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。


にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。


◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。


日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。


東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。


小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。


1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。


2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)


3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定


4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。


5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)


6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html


7 竹島に関連しての韓国寄り発言。


「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)


8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。


戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。


昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。


▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。


「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。


その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」


それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。


10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。


・・・・・・・・・・・・・


実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。


何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。


小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。


池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。


擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。


小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。


安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。


それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。


小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。


日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。


しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。


【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・


衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)


「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。


従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」


十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、


大橋武夫法務総裁(当時)は


「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」


と答弁している。


以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。


画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環


第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)


 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

福田家と小和田家との密着の関係。小和田雅子入内の発端。


http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%BD%A5%E9%A5%DE%A5%E1


福田赳夫氏の孫娘と親密だった雅子妃。(スキー写真)


1988年3月20-21日 福田赳夫元首相の孫娘横手香代子さんと北海道スキー旅行、滝川市のホテル三浦華園に小川東洲夫妻が合流
左画像:左から小川東洲夫人、小和田雅子、ホテル女将の三浦夫人、福田元首相孫の横手香代子さん/右画像:ホテルの三浦社長、小和田雅子、横手佳代子さん


福田家に忠誠を表す帯。「福」の字が染め抜かれこれは
福田夫人とお揃い。


」」


婚約の記者会見に皇居に入るときも、大将福田氏への忠誠の福の帯。
娘入内の「感謝」のつもりか。世間が信じこまされているように
無理やり入内させられたということではなく、
以前から周到に仕組まれていた婚姻です。
雅子妃も周囲の仕組みに積極的に応えていらっしゃる。

2006年4月2日、元フジテレビ女子アナのチノパンこと千野志麻氏が福田赳夫の孫・横手真一氏結婚、その挙式披露宴に小和田優美子氏が出席。国賊級元大臣に、忠誠の小和田夫妻。

小和田氏売国の発端

福田赳夫首相の政務秘書官に迎えられて、最初に立ち会ったのが日中平和条約締結。それ以来の外務省人脈が連綿。


小和田恒ssiと福田康夫氏は官邸の秘書官室で机を並べていた。以降家族ぐるみのつきあい。


小和田ssiは東京・代沢の福田邸に雅子さんをたびたび連れて行き、福田赳夫元首相に可愛がられていた。

福田・小和田という水面下の、「もう一つの」結びつきの可能性にも留意!!
小和田・江頭の結びつきと同様に。
鳩山・・・ブリジストン創業者の娘と、その嫁との共通項・・・は。


一官僚の出版記念に、駆けつけた福田赳夫氏と宮沢喜一氏。売国2人組。

マンデラ氏の追悼式で皇太子殿下に付き添ったのは福田赳夫氏の息子の康夫氏。

↑左が韓国首相として始めて竹島に不法上陸した韓昇洙。
右が潘基文。


潘基文夫妻と。


竹島(独島)に碑文を打ち立てた韓 昇洙。
皇太子と親しく食事。


ご成婚に現れた、創価三色。

日付の嘘に準じる「虚言癖」に属することなのか? 小和田恒ssiの論文紛失事件。
外務省からオックスフォードに国費を使って研修に行ったものの、一人だけ修士号を取れずすごすご帰国した娘、雅子妃の過去と何となくかぶる、うろんさ。

何度も検証してみたことですが、雅子妃の英語力でハーバードをまともに受講は出来ません。出たことは出ています。卒論のバックにこちらも仕掛けあり。東大は出てませんので。いまだに盛り学歴の印象操作に惑わされている人たちがいますが。小泉進次郎氏の、ありえない偏差値高校からプリンストンでしたっけ、あれも
笑っちゃいますけどね・・・。要するに庶民の常識の外では「そういうこともあるげな」よ、でしょうか。饒舌な進次郎氏ですが、そう言えば英語を聞いたことがないですねえ・・・・? 雅子妃の、sigunature とautographの区別すらつかない尻尾の出し方はまだしてませんが。

後記 ⇒進次郎氏、関東学院大(1年留年)卒業後に、コロンビア大学大学院に留学。

TOEFLiBTでスコア100以上のレベルが求められるコロンビア大、大学院に?
偏差値44留年の人が?

◆小泉進次郎氏は本当に英語がしゃべれるのか検証してみた!
https://ameblo.jp/don1110/entry-11918266596.html


さて肝心の小和田ssiですが“ 船便で送った学位論文の原稿が入ったトランクが紛失したため ” 、博士号を取る機会を失った・・・・そうな。

小和田恒 | Dosuko Wiki |
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92

ぎっくり腰妃の母方ご実家である江頭家の、企業犯罪ともいうべき水俣病への関わりは読者さんご紹介のこのサイトが、まとまっているかも。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html

“ 船便で送った学位論文の原稿が入ったトランクが紛失したため ” 、博士号を取る機会を失ったそうで、こちらに載っています。
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92

替えのきかない大事な論文を手元から離して船便? あり得ないでしょう。カーボン紙しかコピーが出来なかった時代に、しかも提出期限のある論文を時間のかかる船便で、トランクの中に詰めて送る?

・・・・・長過ぎましたね、記事。2つに分けるべきでした。
このところ、いよいよ時間が取れなくなっていて、書ける時間に書いておこうと合間を縫ってバンバン打って構成も考えず、すみません。

余計なこと書きついでに、最近ネットの片隅で流れている皇后陛下の御陵問題・・・・は要するに多摩御陵(武蔵野陵墓地)はお嫌だと。だから、よそにお墓が欲しいと。従来の御陵(みささぎ)忌避は理由不明。神道色をなくべく排したいお考えからか、天皇家への反感なのか・・・? 天皇陛下の御陵のそばの小さな祠でいい、などと・・・・おっしゃっていたのに(口はおきれい、なさることエグい)・・・・開発用の山を某地にお狙い、その取得のお使いにちょこまか動きまわっているのが小和田ssiだ・・・・そうで・・・・・。

バーゼルでの不祥事で顔向けできなくなったことへの挽回なのかもね・・・・ってことで。

この方「法の正義」がどうかって、退任にあたってぶち上げていなかった?
嫁の父も二枚舌、姑も・・・・。あー・・・・・孫はまた遅刻早退、欠席のスパイラルだそうで・・・・ご優秀報道のマスコミも二枚舌(sigh)これだけ学業から遠ざかっていて、ご優秀なら本当にご優秀なんでしょうね。(wry smile):-}

https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c30

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
31. 中川隆[-11789] koaQ7Jey 2019年2月28日 10:49:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[192]

小和田恒はアメリカのスパイだった _ 3

日本はもうすぐ中国小日本省になる


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976

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中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html

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「外国人参政権」 を認めると北海道と沖縄が中国に編入される


なぜ「外国人参政権」を認めると、沖縄が中国に編入されるのか 2017.10.07 
by 北野幸伯『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/p/news/287616


かねてから外交政策の観点から安倍政権支持を明言している無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係研究者・北野幸伯さんですが、希望の党の政策についても一部評価しているようです。

今回は、小池氏が「外国人参政権に反対でなければ希望の党には入党できない」と表明したことについて絶賛するとともに、その理由をわかりやすく解説しています。


小池さん、「外国人参政権反対」を踏み絵に

選挙戦盛り上がっています。私は、「外交が素晴らしい」ということで、安倍続投を願っています。しかし、安倍さんの政策をすべて支持しているわけではありません。

たとえば「消費税引き上げ」に反対しています。小池さんは、「消費税引き上げ凍結」を宣言している。この方面では、是非がんばっていただきたい。もう一つ、小池さん、こんなことを宣言しています。

毎日新聞10月3日から。


◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ


希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。

希望の党に入りたければ、「外国人参政権に反対でなければならない」そうです。毎日新聞は、この決定を批判しているわけですが、私は、「素晴らしいじゃないか!」と思います。皆さんはどうですか?


ある国に住む他民族は、独立を目指す

•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ

このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)

「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」

です。例を一つ一つ見てみましょう。

・コソボ

コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。

・南オセチア

南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。

・アブハジア

アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。

・クリミア

クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。

・クルド(イラク)

イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。

・カタルーニャ

スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。


外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される

というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?

たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。

すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。

このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。

「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」

これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。

私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。私はモスクワに27年間住んでいますが、もちろん参政権はありません。私は「外国人」なので、参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。

そういった意味で、「外国人参政権反対」を踏み絵にする小池さんの決定は素晴らしいと思います。
http://www.mag2.com/p/news/287616  

▲△▽▼


NEWSポストセブン 2018年01月09日
中韓の「日本買収」が止まらない これは武器を持たない戦争

【対馬では韓国人客激増、韓国資本による不動産買収が進む】

【対馬の「韓国展望所」で記念撮影する韓国人客ら】

【沖縄でも中国による土地買収が激しさを増している】

 今、「外国人による土地買収」という“日本領土侵食”が大規模に進行している。その主役は中国と韓国だ。外国人の土地買収自体は合法だが、自衛隊施設や在日米軍基地に隣接する土地が買収されるケースも多い。

 この問題に詳しい産経新聞編集委員の宮本雅史氏は、「世界の多くの国では、外国人による土地所有を基本的に『不可』とするほか、認める場合も地区を限定するなど厳しく制限している。それなのに、日本は野放し状態で、一度買われた土地を買い戻すのは困難だ」と警鐘を鳴らす。

 以下に示す通り、過疎や少子高齢化で人口減少が著しい地方や離島ほど、狙われやすい傾向がある。外国人による土地買収は、「武器を持たない戦争」なのである。

【北海道】 
中国をはじめとする外国資本による広大な森林、農地、ゴルフ場などの不動産買収が進み、その規模は森林だけで東京ドーム515個分の2411haに及ぶ(北海道庁調べ)。このままでは北海道全域が「虫食い状態」になる恐れがある。

■土地買収と中国語教育が進行中
 中国系企業が進出する釧路・白糠工業団地では中国と関係があるとされる日本企業が発電施設建設の名目で1.3haの土地を買収。白糠町の小中高では中国語・文化の教育が盛ん。

■中国企業の「撮影所」計画
 札幌市・宮の森で高級マンションを手がける中国系不動産会社の親会社「海潤メディアグループ」が、同市内に大規模な撮影所建設を計画中。

■大学が“中国化”する?
 中国との深い関係が指摘される学校法人「京都育英館」が、苫小牧駒澤大学の経営権や15haにも及ぶ敷地などの取得を進めている。

【新潟・佐渡】 
 中国総領事館の移転問題で揺れた新潟市。佐渡島では留学生や観光客の受け入れ、農業の連携先などとして中国との関係強化が図られており、経済的に疲弊する国境の離島に中国の影がちらつく。

■「治外法権」恒久化の恐れ
 在新潟中国総領事館が移転用地として2012年に取得に動いた新潟市内の土地は約1万5000平方メートル。2017年末現在、移転は行われず土地は野ざらしのままだ。

■中国人留学生の「受け皿」
 2016年4月、中国と関係の深い人物が、中国人留学生らに佐渡の文化や日本語を教える日本語学校を佐渡島に開校。施設はタダ同然で取得した。

【対馬】 
 朝鮮半島情勢が緊迫化する中、国境の島「対馬」では韓国人観光客がさらに増え、不動産などの買収にも拍車がかかる。有事の際に避難民が押し寄せる懸念もあり、地元島民からは「もはや韓国領」との声すら挙がる。

■旧日本軍の軍港周辺を買い占め
 かつて海軍の施設が置かれ、自衛隊の対馬防備隊本部のある竹敷地区周辺を韓国資本が買収し、ホテルやロッジ、民宿など数十軒を営業中。

■「対馬はもともと韓国領」?
 2012年には15万人だった韓国人客が2017年には30万人(人口の10倍)まで急増。現地韓国人ガイドは「対馬はもともと韓国領」と偽りの説明をしている。

■中国人もやって来る
 対馬の表玄関・厳原港では大規模な改修工事が進む。将来は大型客船の停泊も見込んでおり、一度に数千人単位の中国人客が大挙する可能性も。

【九州・沖縄】 
 中国人観光客が闊歩する沖縄でも、中国による土地買収が激しさを増している。沖縄の米軍基地用地のうち1割強を中国資本が買収した疑いも指摘されるなか、リゾート開発などを名目にした買収工作の事例は枚挙に暇がない。

■中国系ツアー会社がホテル用地買収
 香港の大手旅行会社「EGLツアーズ」が2017年10月、那覇市内4か所の買収を発表。敷地面積は計2103平方メートルで、ホテルを建設する計画。

■中国政府系団体が広大な土地購入
「中国老齢事業発展基金会」の関係団体が、沖縄県南城市で約4300平方メートルの土地を購入(2016年3月)。基金会は同地に中国人向け介護技術訓練センターを開設予定。

■海保の航空基地近くの山林を購入
 海上保安庁の航空基地がある鹿児島空港。その近くの山林285haを中国系企業がゴルフ場用地として2011年2月に購入した。

●監修・宮本雅史(『爆買いされる日本の領土』著者)
みやもと・まさふみ/1953年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、産経新聞社入社。社会部編集委員、那覇支局長などを経て編集委員。

※SAPIO2018年1・2月号

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c31

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
32. 中川隆[-11788] koaQ7Jey 2019年2月28日 10:50:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[193]

小和田恒はアメリカのスパイだった _ 4


日本の官僚はアメリカ留学で洗脳されて工作員になる

84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね


214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?


221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている


225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c32

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
33. 中川隆[-11787] koaQ7Jey 2019年2月28日 11:02:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[194]

知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけた(?)小和田雅子の正体

雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

雅子様の学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

雅子様の子弟枠を使ったインチキ外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c33

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
173. 中川隆[-11786] koaQ7Jey 2019年2月28日 12:05:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[195]

第109回 二宮報徳会 A-2宮脇淳子先生講演
中編「かわいそうな歴史の国の中国人」2015.7.26 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jyAe4tRrue4


に出て来ますが

華南では川を江と書く

華北では川を河と書く

朝鮮では川を江と書く

つまり、朝鮮の稲作文化は長江の稲作民の文化が山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの

弥生文化も朝鮮から伝わったものではなく、山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c173

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
20. 中川隆[-11785] koaQ7Jey 2019年2月28日 12:54:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[196]

2019年02月28日
不動産投資の表面利回り 年5%程度で利益はでない


利回り5%程度の投資物件は赤字になりかねない


表面利回りと実質利回り

アパート経営やマンション投資などの不動産投資ブームは一息ついた感があるが、今後も有効な資産運用であるのは間違いない。

人が生きていく限り住居は必要なので、需要と供給の比率が変わっても、需要が無くなることはありません。

不動産投資で重要なのが利回りですが、一見高利回りに見せかけているが、実は低利回りなパターンがある。



多くの投資用不動産で掲載されているのは表面利回りで、単純に物件価格に対する家賃収入を表している。

物件価格が1000万円で家賃5万円なら年60万円なので、年6%の表面利回りになります。

実質利回りはアパートやマンションの運営にかかる費用を計算した利回りで、表面利回りよりかなり低くなります。


まず購入時の諸経費や購入ローン金利、固定資産税などの法定費用、管理費・修繕積立金、不動産仲介手数料などが際限なく発生します。

1000万円の物件だと購入時諸経費30万円以上、管理費と積立金は2万円以上、年間維持費や税金が12万円以上かかるでしょう。

するとこの物件の本当の値段は1030万円、本当の家賃収入は3万円で実質利回りは2.3%以下になります。

表面利回り5%程度では儲からない

下手をすると実質利回り1%以下で、クレームで修繕費用がかさむと利回りマイナスもあり得ます。

年間維持費や必要経費は、実際やってみないと分からない部分があり、ベテランでも想定外の事態が起きます。

さらに費用が想定内でもインフレによる目減りがあり、日銀はインフレ率2%を目標にしています。


幸いにもなのか日本のインフレ率は0と1の間で4年前と比べて1%程度しか物価上昇していない。

もし年2%物価が上昇したら、実質利回りも2%差し引かないといけなくなります。

しかも毎年2%金利が上昇したら10年後には20%物価が上がる、のではなく約22%物価が上昇しています。


さっきの1000万円の物件だったら10年間で220万円を経費として差し引かれて、実質利回りは0.3%以下になってしまいます。

もっともインフレ下では家賃収入も年2%値上げできるので、一見すると埋め合わせできそうな気がします。

ところが賃貸物件、特にアパートは築年数に応じて家賃を値下げしないと入居者が集まらないので、家賃値上げはできないのです。

インフレが起きなくても家賃は築年数で下がっていくので、家賃収入はだんだん減っていくでしょう。


表面利回り5%程度の賃貸物件ではとても想定したような利益を得られないのが分かります。
http://www.thutmosev.com/archives/79163945.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c20

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
297. 中川隆[-11784] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:19:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[197]

知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけた(?)小和田雅子の正体

雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
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雅子様の子弟枠を使ったインチキ外交官試験
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柏原芳恵「空港バイブ事件」 Dosuko Wiki FANDOM powered by Wikia

昭和後期の女性アイドルタレント。1986年10月19日浩宮(当時26歳)が薔薇「プリンセス・サヤコ」を一輪携えコンサート会場に訪れ鑑賞したことは非常に大きく報じられ、後々になっても語り継がれている皇太子浩宮徳仁最大のエピソードといっても過言ではない。徳仁の非常にミーハーな性格がよく分かる事件であった。

この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、

まだネットも未発達な時代にそんな情報を全国規模で流すことができたのは創価学会ぐらいじゃないか、

そして小和田家と創価学会の関わりあれこれがあることから、張り切って浩宮と小和田雅子の「運命の出会い」を演出したのに完全スルーされた小和田サイドがせんべいを使ってしかいししたんじゃないかとも囁かれている。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5


柏原芳恵のバイブ事件と植草一秀の痴漢事件は外務省創価グループの犯行だというのが定説になっているみたいですね。

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c297

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
62. 中川隆[-11783] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:20:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[198]

知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけた(?)小和田雅子の正体

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この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、

まだネットも未発達な時代にそんな情報を全国規模で流すことができたのは創価学会ぐらいじゃないか、

そして小和田家と創価学会の関わりあれこれがあることから、張り切って浩宮と小和田雅子の「運命の出会い」を演出したのに完全スルーされた小和田サイドがせんべいを使ってしかいししたんじゃないかとも囁かれている。
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http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c62

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
30. 中川隆[-11782] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:20:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[199]

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この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、

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柏原芳恵のバイブ事件と植草一秀の痴漢事件は外務省創価グループの犯行だというのが定説になっているみたいですね。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c30

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
183. 中川隆[-11781] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:21:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[200]

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この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、

まだネットも未発達な時代にそんな情報を全国規模で流すことができたのは創価学会ぐらいじゃないか、

そして小和田家と創価学会の関わりあれこれがあることから、張り切って浩宮と小和田雅子の「運命の出会い」を演出したのに完全スルーされた小和田サイドがせんべいを使ってしかいししたんじゃないかとも囁かれている。
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http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c183

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
33. 中川隆[-11780] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:22:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[201]

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[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
28. 中川隆[-11779] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:23:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[202]

知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけた(?)小和田雅子の正体

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この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、

まだネットも未発達な時代にそんな情報を全国規模で流すことができたのは創価学会ぐらいじゃないか、

そして小和田家と創価学会の関わりあれこれがあることから、張り切って浩宮と小和田雅子の「運命の出会い」を演出したのに完全スルーされた小和田サイドがせんべいを使ってしかいししたんじゃないかとも囁かれている。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5


柏原芳恵のバイブ事件と植草一秀の痴漢事件は外務省創価グループの犯行だというのが定説になっているみたいですね。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c28

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
235. 中川隆[-11781] koaQ7Jey 2019年2月28日 13:54:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[200]

なぜ今アメリカで「社会主義」が注目されるのか
2020年大統領選、民主党と「社会主義」(前編)
西山隆行(成蹊大学法学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15502



 冷戦期、アメリカは社会主義・共産主義と対峙する資本主義圏の盟主としての地位を確立していた。現在、そのアメリカで、社会主義という言葉に大きな注目が集まっている。

 ドナルド・トランプ大統領は、2月に行った一般教書演説で、アメリカを社会主義の国にしてはならない、そして、アメリカは決して社会主義の国になる事はないと強調した。冷戦期の国際情勢や社会主義国の状況を知るものからすれば、何を当然のことを言っているのだろうという気がしなくもない。だが、今日のアメリカでは、社会主義という言葉に対するとらえ方が以前とは大きく変化している。1940年代、アメリカで社会主義と言えば、様々な企業等を国家が管理する考え方だとされた。しかし、今日では、社会主義という言葉は、政府による管理や統制よりも、平等と結びつけて理解されるようになっている。


一般教書演説で「アメリカを社会主義の国にしてはならない」と強調したトランプ大統領
(写真:AP/アフロ)

「社会主義」に好意的なイメージを抱かせた
バーニー・サンダース

 アメリカで近年、社会主義と言う言葉に好意的なイメージを抱かせるきっかけを作ったのは、2016年大統領選挙で民主党候補となることを目指していたバーニー・サンダースであろう。従来型権力の象徴的存在であったヒラリー・クリントンに対抗し、革命を訴える自称民主社会主義者であるサンダースの主張は、とりわけ若者の心をとらえた。そして、2018年の中間選挙では、サンダースが連邦議会上院で三選を達成したのみならず、ニューヨーク州でアレクサンドリア・オカシオ・コルテス、ミシガン州でラシダ・タリーブら社会主義者を称する人物が当選している。

 彼らの当選を可能にした社会的背景としては、近年のアメリカにみられる大きな経済格差がある。アメリカの富の大半が上位1%の富裕層に独占されていると批判し、我々は99%だとのスローガンを掲げて富の偏在を批判したウォール街選挙運動と連続性が見いだせる。

 他方、社会主義という言葉にソフトな印象を与えたきっかけは、ひょっとするとティーパーティ運動かもしれない。ウォール街選挙運動とは対照的に、徹底的な小さな政府の実現を主張してバラク・オバマ政権期に登場したティーパーティ運動の活動家は、オバマ政権による医療保障改革を社会主義的医療として、そしてオバマをレーニン(マルクス主義的社会主義者)やヒトラー(国家社会主義者)に並ぶ社会主義者(民主主義的社会主義者)であるとして、強く批判した。

 だが、オバマが成立を目指していた国民皆医療保険は、日本やカナダでも実現しており、決して過激な制度ではない。このような主張を受けて、一部のアメリカ人、とりわけ、冷戦を経験していない若い人たちの間に、社会主義とは必ずしも過激な考え方ではないという印象を作り出した可能性があるように思われる。

 この点を考える上で興味深いのは、共和党支持者と、民主党内で社会主義を提唱する人たちの間で、社会主義と言って思い浮かべるものが大きく異なっていることである。トランプに代表される共和党の政治家が近年、社会主義を想起させるものとして取り上げるのは、ベネズエラの事例である。これに対し、サンダースが社会主義の例として出すのは、北欧のスウェーデンやノルウェーである。これらの国々は、社会主義ではなく社会民主主義の国だというべきであろう。これは民主党を支持する若者の間に他国や歴史に対する知識が欠如していることの表れであるが、彼らが提唱している社会主義の概念は世界標準でいえばかなり「穏健」なものなのである。

民主党に大きな分断をもたらす「社会主義」のイメージ

 では、アメリカ国民は社会主義という言葉をどのようにとらえているのだろうか。2018年のギャラップ社の調査によると、民主党支持者の57%が社会主義に好意的な立場をとっているのに対し、共和党支持者で社会主義に好意的な立場をとるのは16%に過ぎない。共和党支持者は、現在アメリカが社会主義的な方向に進んでいることに対して懸念を示している。同様の調査結果は、フォックス・ニュースの調査等からでも明らかである。

 選挙との関連でいえば、2015年6月にギャラップ社が行った調査によれば、社会主義者に投票するかと問われた場合、50%程度の回答者が投票したくないと回答しており、その割合は、イスラム教徒、無神論者、イスラム教徒、同性愛者に投票したくないと回答した人の割合より高い。また、2018年8月の、YouGovの調査では、民主党支持者の41%、無党派層の29%が、社会主義者を自称する人物が大統領候補になることに対し好意的な立場を示す一方で、ためらいを感じる、あるいは非常に不愉快であると回答した人の割合は、民主党支持者の59%、無党派層の71%に達しており、民主党支持者の間にも、社会主義者を自称する人に投票したくないという考えが強く残っていることを示している。このような状況を考えると、トランプ大統領が民主党候補のことを社会主義者と批判しているのは、効果的な戦略だと言えるだろう。

 実際、この状況は、民主党の政治家の間に大きな分断をもたらしている。アメリカは領土が広大なこともあり、地域によって社会的な構成が大きく異なっている。一般的には、東海岸や西海岸の大都市部では圧倒的にリベラル派が強いのに対し、農村地帯や郊外では保守的な傾向が強い。そして、社会主義者を自称する政治家は、多くの場合、圧倒的にリベラルな有権者が多く、左派的な立場をとっても民主党が負けるとは考えられないような地域から選出されていることが多い。

 他方、選挙で二大政党のいずれが勝利するかがわからない激戦の選挙区から出馬している人々は、穏健な有権者の支持を勝ち取らなければ勝利できないこともあり、民主党に社会主義のイメージがつくのを避けようとする。そして、民主党が以後の議会選挙で多数を勝ち取るためには、このような激戦区で勝利を積み重ねることが極めて重要なため、主流派やナンシー・ペロシ下院議長ら指導部は、党の政治家が左派的傾向を示すのに歯止めをかけようと努めている。それが、オカシオ・コルテスら左派的傾向の強い政治家の間で党主流派に対する不信感を生み出す原因となっている。

右でも左でもない「穏健派」の支持を集めるというシュルツ

 2020年大統領選挙をめぐって、スターバックスの元CEOであるハワード・シュルツの動向にも注目が集まっている。シュルツは、2020年の民主党の大統領候補と目されている人物たちを、過激な立場をとる者として強く批判している。例えば、富裕層に対する増税を強く提唱している、マサチューセッツ州選出の上院議員であるエリザベス・ウォーレンの主張について、ニュースの良いヘッドラインになるかもしれないが、実現可能性がなく馬鹿げていると一蹴した。なお、大統領選挙に出馬する年齢には達していないが、同様に富裕層増税を提唱しているオカシオ・コルテスについては、勉強不足であり、非アメリカ的な人物だと手厳しく批判している。

 シュルツは、カリフォルニア州選出の上院議員、カーマラ・ハリスについても手厳しい。ハリスは、「全ての人にメディケアを(メディケア・フォー・オール)」と呼ばれる立場に賛同している。アメリカでは国民皆医療保険が公的に制度化されておらず、政府が提供する医療保険は、退役軍人や公務員を対象とするものを除けば、児童向けのもの(CHIP)、貧困者向けのもの(メディケイド)、高齢者や一部の障碍者向けのもの(メディケア)しか存在しない。それ以外で医療保険を必要とする人々は民間医療保険に加入しているのであり、その比率は非常に高い。

 このような状況を踏まえて、メディケアの対象を拡大することで、政府が提供する医療保険制度を利用したいと考える人は利用できるようにしようというのが「全ての人にメディケアを」の基本的立場である。だが、ハリスは先日、比較的穏健なそのような立場を乗り越えて、いずれ民間医療保険を全て廃止し、医療保険をメディケアに一元化することも将来的な目標とするべきだと発言した。シュルツはこの発言をとりわけ強く批判している。シュルツによれば、そのような考え方はアメリカ的でなく、仮にそのようなことが認められれば、他の産業、例えばコーヒー産業等についても、国営化することになってしまうというのである。

 このような状況を受け、シュルツは、もし民主党が穏健な立場に立つ柔軟な人物を大統領候補に据えないようならば、自ら第三党候補として立候補すると宣言している。彼が想定している穏健な候補とは、オバマ政権の副大統領であるジョー・バイデンや、元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグなどである。彼は、民主党が左派的な候補を選出すれば、その左派的な立場にも、右派的なトランプにも賛同したくない、穏健な有権者の支持を集めて勝利できると主張している。

 他方、シュルツは、自らが立候補を検討する最大の理由はトランプ大統領の再選を阻止することにあると明言している。民主党の候補が最終的に決定するのは2020年の7月から9月であることを考えると、それまでの間、第三党候補としての立場を維持するには莫大な費用がかかる。だが、たとえその費用が無駄になったとしても、民主党が穏健派候補擁立するならばトランプの再選を阻止することができるため、自らの立候補を取り下げるとしているのである。

 2010年の連邦議会選挙前後から、ティーパーティ派が共和党を右傾化させ、党の在り方を大きく変質させたと指摘された。それと同様の現象が現在、民主党の側にも起こっているのであろうか。2020年大統領選挙に向けて、民主党の動向に注目する必要があるだろう。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c235

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
155. 中川隆[-11780] koaQ7Jey 2019年2月28日 16:14:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[201]

異次元緩和から6年目、ついに地銀が赤字となる段階に来た=吉田繁治 2019年2月27日
https://www.mag2.com/p/money/643676


1997年に世界の先頭を切って国債のゼロ金利を行った日本。6年経った現在、さまざまな副作用ともいえる出来事が顕在化されつつあります。詳しく見ていきましょう

原因は1997年からの日本が世界の先頭を切った国債のゼロ金利

危機状態になったわが国の地銀

地銀は海外情報網が少なく、メガバンクのような海外運用はできない。マイナスからゼロ金利の円国債と、平均金利で0.76%の貸し金が本業の利益です。このため、105行の地銀のうち、2期連続で「本業が赤字」になっているのが半分です。

メディアは「銀行の危機」は破産になるまで報じません。報道されると預金取り付けになることがあるからです。銀行の信用は「情報」で作られています。

それにしても1995年まで、「銀行の赤字や危機」は非常識なことでした。1997年以降、変わったのです。原因は、1997年からの日本が世界の先頭を切った国債のゼロ金利です。

銀行にとって「本業以外の利益」は、買ったときより価格が上がって含み利益がある国債を売る益出しでした。ところがこれも、マイナス金利〜ゼロ金利で、国債価格が上がりきっているので、2018年からは買ったあとに価格が上がることでの含み益はなく、益出しにならなくなったのです。

期待金利で価格が決まる国債は、低金利に向かうときは、価格が上がって売却利益も出ます。しかし金利は、マイナスや0%以下には下げることができない(0%の限界という)。

・金利が横ばいになると、国債価格も買ったときと同じです。
・金利が0.1ポイントでもでも上がる傾向になると、保有している国債価格は下がって、売却損が出ます。

国債をもつ金融機関は、「円国債は満期までもつ」として、市場の時価での決算計上を逃れています。ところが証券業協会のデータで主体別の売買高を見ると、民間金融機関からは年間で130兆円の売りがあり、平均残存期間8年の国債を3年で売っています。
満期まで持つというのは、およそ、嘘の申告です。
※参考:日本証券業協会

決算書の偽装ですが、国債を発行している財務省の下部機構である金融庁が認めているので、問題になってはいません。お手盛りの決算書です。

<2016年8月が起点だった>

マイナス金利が導入された2016年8月以降、国債で損が出るようになってきたのは地銀、メガバンク、保険会社に共通です。マイナス金利のとき、国債は最高価格になるからです。

(1)長期金利が下がっていた2016年8月までは、国債の益出しができました。

(2)マイナス金利に日銀が誘導した2016年の8月以降に買った国債は、金利がわずかに上がっても価格は下がって、逆に、損を出すようになっています。

現在の8年債までのマイナス金利と10年債のゼロ金利は、国債での「今後、これ以上はないバブル価格」を示すものです。



日銀が5年で400兆円も買い上げたことが原因で、「バブル価格」になってしまったのです。(10年債金利:09年〜18年)


<異次元緩和の副作用>

地銀の赤字、保険会社の利益難は、2%のインフレを目的にしている異次元緩和の副作用です(2013年4月から約6年になります)。

2017年2月に出した『財政破産からAI産業革命へ(PHP研究所』で、日銀が異次元緩和を続けることができるのは、ゼロ金利により「銀行が赤字になるときまで」と書きました。

2018年には実際に、地銀の半分が2期連続の赤字になっています。今後、本業が黒字に転換する見込みは、(全く)ありません。

銀行と保険会社は、「海外と国内の投資信託の販売手数料」に希望を託していまが、これは「一時的な幻」で終わることです。

<ヘッジファンドの元本も減少>

世界の投資家と金融機関から300兆円の元本資金を集め、約10倍のレバレッジで3,000兆円の投資信託を作っているヘッジファンドの元本資金に「引き揚げ」が起こっているからです。

原因は、簡単なことです。「ヘッジファンドが5%以上の利益を出せず、世界の株価が下がった昨年10月からは、運用益がマイナス」だからです。

損をする投資信託からは、投資家が預託資金を引き揚げるのが当然でしょう。投資信託も、株価が上がるとき増えるものです。

<メガバンクは円高の損>

仮に1ドル105円の円高(5%)になると、円安で恩恵を受ける三大メガバンクも「本業+本業外の経常利益」が赤字になるでしょう。

米国債の2%の金利利益(イールドスプレッド)が、「5%のドル安/円高」だとマイナス3%になり、一瞬で吹き飛んで2%の損が出るからです。

メガバンク合計で150兆円の米国での運用があるとすると、「5%のドル安/円高」での損は3兆円です。金利の利益の実現には、時間がかかります。しかし通貨変動の利益と損は、一瞬で生じます。

総じて言えば、異次元緩和のマイナス金利、ゼロ金利の副作用から「銀行が赤字から脱却できない時代」になりました。

金利が上がれば銀行と保険会社の利益が回復するかと言えば、そうではない。そのときは、2016年までは益出しができた国債600兆円の価格が下がるからです。銀行の赤字は、金融危機の新たな火種です。

金利の上昇と国債価格に問題(偽装)がある、内閣府の『中長期の経済財政に関する試算』

日銀は異次元緩和を停止して、米国FRBの2014年10月以降のように「利上げ」をしなければならない時期に来ています。

ところが異次元緩和を停止して、金利を上げることはできせん。ゼロ%の金利が上がることは国債価格が下がることです。8年債未満はマイナス金利、10年債の0%金利は、今後、(時期は別にして)上がるしかない。



<金利上昇と国債価格の関係>

(1)1%の金利上昇;
1%金利が上がると、長短合計の国債価格(1,000兆円)は7.5%下がって、日銀に3.3兆円の損、金融機関に4.2兆円の損が出ます。

(2)2%の金利上昇:
2%上がると、保有国債の損は13.8%に拡大し、日銀に5.52兆円、金融機関に7.92兆円の損が出ます。

(3)3%の金利上昇:
3%上がると、保有国債の損は19.4%に拡大し、日銀に7.76兆円、金融機関に11.64兆円の損が出ます。

(注)損の計算は、1÷(1+金利上昇率×平均残存期間8年)です。現在の10年債の金利がほぼ0%で、長短国債の平均残存期間が8年なので計算は単純です。日銀が1000兆円の国債の約40%、「金融機関(海外が11%)+保険会社」が、60%を持っています。

日銀は、「ゼロ金利からの離脱」ができないのです。


成長実現ケース:経済財政諮問会議提出

内閣府が作っている、『中長期の経済財政に関する試算』は、政府の財政の方針を決める根幹になるものです。この内容が、基礎数値においてゆがんでいます。厚労省の賃金統計どころではない。

楽観的シナリオでは名目成長を2019年2.4%、20年2.9%、21年2.8%、22年3.0%、23年以降は3.4%としています。まずこれに問題があります。ひどいのは、長期金利です。

<これから先10年の長期金利>

2021年までは0.1%、22年0.4%、23年0.9%、24年1.4%、25年2.1%、26年2.6%、27年3.1%、28年3.4%としています。

これは今後、国債価格が上がることはなく、下がる一方ということを政府が表明したことと同じです。

2024年ころから、政府シナリオの金利なら財政破産になっていくということも意味しますが、結論はそうなっていいません。

加えて穏やかな金利の上昇は、長期金利を政府・日銀がコントロールすることを示しています。長期金利のコンロールとは、金融機関の国債の市場での売買に政府が介入することです。どんな方法でそれを行うのでしょう。

<金利が下がっていた時期は、国債価格は上がっていた>

日銀の政策短期金利が下がり長期国債の金利も下がって、国債価格が上がっていた時期(2016年8月まで)は、政府は金融機関に「(利益が出る)国債を買ってくれ」と言えたでしょう。

しかし金利上昇を政府が想定し、国債価格は下がることを予定しているときに「(損をするが)国債を買ってくれ」と、どんな手段で要請できるのでしょうか。

<金利が上がる時期になると、国債価格のコントロールができなくなる>

市場の実勢では、政府シナリオに沿って「金利が上がり国債価格は下がる」という市場の予想になると、
・売りが増えて買いは減り
・国債価格は下がって
・金利は短い期間で、一層上昇
します。

すぐに、3%くらいには上がり、3%に上がると7%までは上がる期間は短いのです。誰でも、損の確定はイヤだからです。株価と同じですが、国債価格も下がるときは急速、上がるときはゆっくりです。下がるときの売りは、損の恐怖に駆られた、一斉の売りになるからです。

銀行の国債マネジャーは、益出しができなくなった保有国国債に対して恐怖心に駆られているでしょう。個人のマネーではなく銀行のマネーですが、担当の恐怖心は個人のマネー以上のものです。自殺者すら想定できます。(注)統計偽装の厚労省では、自殺防止のため、窓の鉄枠を強化しています。

低い経済成長率のベースラインシナリオ

名目成長は、成長ケースより低く、2019年2.4%、20年2.3%、21年1.6%、22年1.7%、23年以降は1.7〜1.5%とされています。

対応する長期金利は、2021年までは0.1%、22年0.2%、23年0.6%、24年1.2%、25年1.6%、26年1.8%、27年1.9%、28年2.0%とされています――


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c155

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
111. 中川隆[-11779] koaQ7Jey 2019年2月28日 19:28:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[202]


雪日記 斜面の向きによる雪質の違い。
【18-19シーズン 104日目】 天候:曇り
2/27(水) かぐらスキー場でスキー。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3527.html

本日もカチカチ山のかぐらです。
緩むって事を知らない山のようで(笑)

掘れているコブは怖いので、
こちらで脚慣らしさせていただきます。

かぐらはどこに行っても固いので、
田代の偵察でも。

解っていたけどこっちも固い(笑)
もうどこにも逃げ場がありません。

やっぱり森の中なのか…!?

中々いい!

ゲレンデではストックを刺す事すら出来ませんでしたが、
ズブズブっと入っていく。
これだけで何だか嬉しくなっちゃいます。

しかし、
こちらの森はガチガチでした。
斜面の向きなどでかなり状況が変わります。

ならばゴロマで探索してみますか。

ん〜どうでしょう!?

C氏の雄叫びぃ!
こちらの斜面は中々いいけど、

逆側の斜面はガチガチ(笑)
陽当たりいいとこはダメです。
斜面の向きを良く考えて探索します。

いいとこはうっすらパウダーも。
本当にうっすらうっすらうっすらですが(笑)
それでも綺麗でサラサラな雪はやっぱりいいね。

厳しい状況は続きますが、
広いかぐらの森だからこそいいとこを探す楽しみがあります。

探索からのコブもかぐらのお楽しみ。
緩む気配はありませんが…。

ありがとうございました。
早くやわらかいコブが滑りたいな。

みつまたの残業もお忘れなく。
スタートセクションのチョリンがスキーだと難しい。
恐ろしく板が走り、暴走特急と化しました…。

富良野に行っている間に、
“おやじやっと仕込みました”
待ってました(笑)

おやじのカレーは日本一!
辛すぎる!ってほどではないのに、身体の芯からポカポカアツくなる。
1日がかりで仕込んだおやじ自慢のカレー。

さいこ〜!!

大盛りはボリュームも満点!

ビール呑まなければ大盛り2杯はいきたいとこでした。

スキー場発表積雪量
かぐらエリア:350cm 
田代エリア:330cm 
みつまたエリア:310cm 

使用板:LINE / FUTURE SPIN
ビンディング:LOOK / PIVOT12
ストック:SINANO / Bump Diver
ブーツ:K2 / PINNACLE 130

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3527.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c111

[昼休み52] 名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は? 中川隆
36. 中川隆[-11778] koaQ7Jey 2019年2月28日 20:35:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[203]

名張毒ブドウ酒事件の村の過去の事 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DviAGsFE_j4


2017/12/05 に公開


今回はかなり古い話しですが、昭和の時代、有名な名張毒ブドウ酒事件の村の過去の話しです。

時代は大正の頃、村の女性が、他の村の男性にレイプされる事件が2件発生してました、

1件についてですが、レイプ殺人です。
犯人は警察に捕まりましたが、奇妙なのは此処からです。
1、2日で犯人は警察から、無罪釈放されたそうです。

(エ―なんで!人を殺しても、無罪放免かよ、この国どうなってんの?)

村の女性がからかった?と言う事で、無罪になったらしいです。

(情報は、葛尾の会長のおばあさんから聞きました?)

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html#c36

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