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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100429
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[近代史5] なぜ株価だけ「V字回復」? 実体経済は恐慌さながら… 猛烈な金融緩和に浮き立つ市場 中川隆
3. 中川隆[-11732] koaQ7Jey 2020年8月24日 07:39:04 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[2]
2020.08.24 コロナバブル。
http://kasset.blog.fc2.com/

 厳しいコロナ禍の中での株高を、不謹慎とも思える「コロナバブル」と言う言葉で表現する投資家が多くなっています。コロナ対策の形振りかまわぬ政策は、今までタブーとされたヘリコプターマネー政策を主軸にして資金を供給しています。ばら撒かれた資金で、世界中がお金じゃぶじゃぶ状態になって、株や金やその他商品が高くなっていることを「コロナバブル」と言います。

 世界はコロナショックの前から、景気対策の低金利・量的緩和で中央銀行は大量の資金供給をしてきましたが、意に反して資金需要は少なく、ほとんどが中央銀行の当座預金口座に戻っていました。しかし、新型コロナウイルス対策の支援給付金の供給で、日本のマネーストック(市中に出回っている資金)M3は7月現在1452兆7000億円(前年比6.5%増)に膨れ上がっています。しかし、日本のこれは世界のマネーストックの伸びに比べると低い方で、日本株がNY株に比べ見劣っているのはこれが原因の1つです。世界はまさにお金じゃぶじゃぶです。

 今まで筆者は、株価を決めるのは「カネ対株の量の比率」だと申し上げて来ましたが、その姿が中々目に見えて現れなかったのは、日銀が幾ら資金を供給しても市中に浸透していなかったからです。今回は銀行貸出に頼る資金供給ではなく(これも最近急激に増えていますが)、政府が直接市中に支援金として資金を配った為、実質的に国民の手にお金が渡りました。コロナで景気が落ち込み、困っている国民が多い事とは全く別次元の事です。カネ対株の関係から言うと、コロナ前高値の日経平均2万4000円台はスタートラインと言う事になります。

 また今のレベルは史上最高値38915円とその後の安値(09年3月)7054円のちょうど真ん中です。じっくり揉むのは悪い事ではありません。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/270.html#c3

[近代史5] 新型コロナウイルス対策による経済の麻痺は富豪への資産集中を促進する 中川隆
2. 中川隆[-11731] koaQ7Jey 2020年8月24日 07:39:50 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[3]
2020.08.24 コロナバブル。
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 厳しいコロナ禍の中での株高を、不謹慎とも思える「コロナバブル」と言う言葉で表現する投資家が多くなっています。コロナ対策の形振りかまわぬ政策は、今までタブーとされたヘリコプターマネー政策を主軸にして資金を供給しています。ばら撒かれた資金で、世界中がお金じゃぶじゃぶ状態になって、株や金やその他商品が高くなっていることを「コロナバブル」と言います。

 世界はコロナショックの前から、景気対策の低金利・量的緩和で中央銀行は大量の資金供給をしてきましたが、意に反して資金需要は少なく、ほとんどが中央銀行の当座預金口座に戻っていました。しかし、新型コロナウイルス対策の支援給付金の供給で、日本のマネーストック(市中に出回っている資金)M3は7月現在1452兆7000億円(前年比6.5%増)に膨れ上がっています。しかし、日本のこれは世界のマネーストックの伸びに比べると低い方で、日本株がNY株に比べ見劣っているのはこれが原因の1つです。世界はまさにお金じゃぶじゃぶです。

 今まで筆者は、株価を決めるのは「カネ対株の量の比率」だと申し上げて来ましたが、その姿が中々目に見えて現れなかったのは、日銀が幾ら資金を供給しても市中に浸透していなかったからです。今回は銀行貸出に頼る資金供給ではなく(これも最近急激に増えていますが)、政府が直接市中に支援金として資金を配った為、実質的に国民の手にお金が渡りました。コロナで景気が落ち込み、困っている国民が多い事とは全く別次元の事です。カネ対株の関係から言うと、コロナ前高値の日経平均2万4000円台はスタートラインと言う事になります。

 また今のレベルは史上最高値38915円とその後の安値(09年3月)7054円のちょうど真ん中です。じっくり揉むのは悪い事ではありません。
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[近代史4] 公共事業や量的緩和で経済は救えない _ 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる 中川隆
3. 中川隆[-11730] koaQ7Jey 2020年8月24日 07:41:26 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[4]
2020.08.24 コロナバブル。
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 厳しいコロナ禍の中での株高を、不謹慎とも思える「コロナバブル」と言う言葉で表現する投資家が多くなっています。コロナ対策の形振りかまわぬ政策は、今までタブーとされたヘリコプターマネー政策を主軸にして資金を供給しています。ばら撒かれた資金で、世界中がお金じゃぶじゃぶ状態になって、株や金やその他商品が高くなっていることを「コロナバブル」と言います。

 世界はコロナショックの前から、景気対策の低金利・量的緩和で中央銀行は大量の資金供給をしてきましたが、意に反して資金需要は少なく、ほとんどが中央銀行の当座預金口座に戻っていました。しかし、新型コロナウイルス対策の支援給付金の供給で、日本のマネーストック(市中に出回っている資金)M3は7月現在1452兆7000億円(前年比6.5%増)に膨れ上がっています。しかし、日本のこれは世界のマネーストックの伸びに比べると低い方で、日本株がNY株に比べ見劣っているのはこれが原因の1つです。世界はまさにお金じゃぶじゃぶです。

 今まで筆者は、株価を決めるのは「カネ対株の量の比率」だと申し上げて来ましたが、その姿が中々目に見えて現れなかったのは、日銀が幾ら資金を供給しても市中に浸透していなかったからです。今回は銀行貸出に頼る資金供給ではなく(これも最近急激に増えていますが)、政府が直接市中に支援金として資金を配った為、実質的に国民の手にお金が渡りました。コロナで景気が落ち込み、困っている国民が多い事とは全く別次元の事です。カネ対株の関係から言うと、コロナ前高値の日経平均2万4000円台はスタートラインと言う事になります。

 また今のレベルは史上最高値38915円とその後の安値(09年3月)7054円のちょうど真ん中です。じっくり揉むのは悪い事ではありません。
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[近代史4] GDP戦後最大の落ち込み 日経平均の金換算グラフ 中川隆
1. 中川隆[-11729] koaQ7Jey 2020年8月24日 07:42:09 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[5]
2020.08.24 コロナバブル。
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 厳しいコロナ禍の中での株高を、不謹慎とも思える「コロナバブル」と言う言葉で表現する投資家が多くなっています。コロナ対策の形振りかまわぬ政策は、今までタブーとされたヘリコプターマネー政策を主軸にして資金を供給しています。ばら撒かれた資金で、世界中がお金じゃぶじゃぶ状態になって、株や金やその他商品が高くなっていることを「コロナバブル」と言います。

 世界はコロナショックの前から、景気対策の低金利・量的緩和で中央銀行は大量の資金供給をしてきましたが、意に反して資金需要は少なく、ほとんどが中央銀行の当座預金口座に戻っていました。しかし、新型コロナウイルス対策の支援給付金の供給で、日本のマネーストック(市中に出回っている資金)M3は7月現在1452兆7000億円(前年比6.5%増)に膨れ上がっています。しかし、日本のこれは世界のマネーストックの伸びに比べると低い方で、日本株がNY株に比べ見劣っているのはこれが原因の1つです。世界はまさにお金じゃぶじゃぶです。

 今まで筆者は、株価を決めるのは「カネ対株の量の比率」だと申し上げて来ましたが、その姿が中々目に見えて現れなかったのは、日銀が幾ら資金を供給しても市中に浸透していなかったからです。今回は銀行貸出に頼る資金供給ではなく(これも最近急激に増えていますが)、政府が直接市中に支援金として資金を配った為、実質的に国民の手にお金が渡りました。コロナで景気が落ち込み、困っている国民が多い事とは全く別次元の事です。カネ対株の関係から言うと、コロナ前高値の日経平均2万4000円台はスタートラインと言う事になります。

 また今のレベルは史上最高値38915円とその後の安値(09年3月)7054円のちょうど真ん中です。じっくり揉むのは悪い事ではありません。
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1001.html#c1

[近代史5] ネオコンの中核メンバー 中川隆
6. 中川隆[-11728] koaQ7Jey 2020年8月24日 08:04:43 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[7]
2020.08.24
心理操作が切り開く殺戮と破壊への道
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008240000/
 コマーシャルの目的は、商品を買いたいという心理を引き起こすことにある。そうした商品の中には戦争も含まれている。人びとが戦争を望むように仕向けるわけだ。心理操作の「民間委託」とも言えるだろう。


 民間企業が心理操作で戦争への道を演出した一例は、1990年10月10日にアメリカ下院の人権会議という非公式の集まりで行われた「ナイラ」なる女性の証言。クウェートの病院で働いていた看護師を名乗り、イラク兵が保育器を盗んで多くの赤ん坊を殺したなどと主張、好戦的な雰囲気を作り出す一因になった。


 この「証言」を演出したのはヒル・アンド・ノールトンというアメリカの広告会社で、雇い主はクウェート政府。イラク軍の残虐行為を涙ながらに語った少女はアメリカ駐在クウェート大使だったサウド・アル・サバーの娘、ナイラ・アル・サバーだった。勿論、イラク軍がクウェートへ攻め込んだ当時、ナイラは現場にいない。


 この嘘を真に受けた「善良なる市民」はイラクへの先制攻撃を後押しすることになり、子どもを含むイラク人が殺されることになる。2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」はジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究による調査報告を掲載、それによると、2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だという。イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに94万6000名から112万人が、またNGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。


 ソ連が消滅した直後の1992年2月、アメリカ国防総省ではDPGが作成された。国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。


 ライバルのソ連が消えたことでアメリカは唯一の超大国になり、単独で行動できる時代が到来したとネオコンは考えた。そうした状態を維持するため、ソ連のようなライバルが再び出現することを阻止しようとしたのだ。潜在的なライバルとしてネオコンが想定したのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。特に重要視したのは中国だ。力の源泉であるエネルギー資源を支配するため、南西アジアも重視された。


 ネオコンはまずユーゴスラビアの解体し、セイルビア勢力を弱体化させようとする。1990年代の前半からアメリカの有力メディアやジョージ・ソロスと関係が深いHRW(ヒューマン・ライツ・ウオッチ)は偽情報を広めながらユーゴスラビアへの先制攻撃を主張していたが、ビル・クリントン政権は戦争に消極的。状況が変化したのは国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年からだ。


 NATOは1999年3月にユーゴスラビアへの軍事攻撃を開始、4月には空爆でスロボダン・ミロシェビッチの自宅を破壊、5月には中国大使館も爆撃されている。いうまでもなく、多くの建造物が破壊され、多数の市民が殺された。この戦争からコソボ紛争も生まれる。コソボの反セルビア勢力が宣伝のために雇った会社がルダー・フィンだ。


 有力メディアや広告会社はターゲットを悪霊化する仕事をしているわけだが、実際に事件を引き越すこともある。例えば、1985年にイスラエルの情報機関、モサドは「偽装テロ」を実行している。アキレ・ラウロ号事件だ。


 イスラエルの情報機関ERD(対外関係局)に所属していたアリ・ベン-メナシェによると、工作にはモハメド・ラディ・アブドゥラなる人物が利用されている。この人物はヨルダン軍の大佐だったが、ヨルダン軍によるパレスチナ人虐殺に反発、ロンドンへ移住していた。そこで一緒にビジネスを始めたアンソニー・ピアソンはイギリスの特殊部隊SASの元将校で、イスラエルともつながっていたころからラディはモサドに操られることになる。


 イスラエルの命令はラディを介してアブル・アッバスなる人物に伝えられる。アッバスはシチリア島のドンから資金を得ていると思っていたようだ。そのアッバスが編成したチームが客船のアキレ・ラウロ号を襲撃したのだ。この襲撃はイスラエルにとって格好の宣伝材料になった。


 アメリカやイスラエルは「ジャーナリストの死」を求めることがある。その犠牲者になった可能性があるひとりが2012年8月にシリアのアレッポで殺された​山本美香​。彼女は反政府軍(実態はアル・カイダ系武装集団)のFSA(自由シリア軍)に同行して取材していたようだ。


 シリアを取材する記者の多くはトルコから密輸ルートを使い、シリアへ入国しているようなので、それだけでも危険が伴う。しかもFSAはジャーナリストの死を望んでいる節がうかがえる。


 イギリスのテレビ局、チャンネル4のケースも山本の場合と似ている。チャンネル4チームの中心的な存在だった​アレックス・トンプソンによると、彼らは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだった​という。取材していたチームを反政府軍の兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。​イギリスやドイツなどの情報機関から政府軍の位置は知らされているはず​で、意図的だったとしか考えられない。トンプソンたちは危険を察知して逃げることに成功したが、危うく殺されるところだった。今回のケースを彷彿とさせる。


 2012年12月には、NBCニュースの取材チームが同じシリアで拉致され、5日後に解放されるという出来事があった。チームのひとりで主任外国特派員の​リチャード・エンゲルは翌年4月号のバニティ・フェア誌で政府軍と連携している武装勢力が実行したと主張​したが、後にその主張を取り下げ、反シリア政府軍につかまっていたと認めている。


 実は、​エンゲルらが解放された直後から、拘束したのは反シリア政府軍ではないかという報道もあった。​エンゲルも自分たちが携帯していたGPSでNBCの幹部が拉致を察知、その場所が反政府軍の支配している地域であることも認識していたというのだ。しかも拉致したグループと救出したグループの指揮官は一緒。つまり、バニティ・フェア誌の記事は「誤解」ではなく、嘘だった可能性が高いということだ。

 アメリカやイギリスの支配者にとって都合の悪い誰かを批判していた人物が死亡した場合、その誰かが殺したに違いないと単純に叫ぶべきでないということでもある。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008240000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/262.html#c6

[近代史3] 中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか? 中川隆
67. 中川隆[-11727] koaQ7Jey 2020年8月24日 08:19:32 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[9]
1994年5月14日、中島みゆき「空と君のあいだに」がオリコン1位を獲得
https://news.1242.com/article/174936

1994年5月14日、中島みゆきの「空と君のあいだに」が発売された。一世を風靡したテレビドラマ『家なき子』の主題歌となったこの曲はシングル・チャート1位を獲得。中島みゆきは、70年代の「わかれうた」(1977年)、80年代の「悪女」(1981年)に続く3作目のチャート1位獲得曲を得ることになった。

80年代の中島みゆきは、それまでの中島みゆきらしさ≠ニいう固定的イメージを振り払おうとするように、激しいビートを持つロック色の強い音楽表現への大胆なアプローチを重ねていく。その背景には、メディアがアナログレコードからCDへと変わりつつあるという時代の変化もあった。否応なくやってくるデジタル時代に取り残されずに、新たな時代にふさわしい表現を獲得するための積極的な試行錯誤。いわゆる“中島みゆきご乱心の時代”だった。

“ご乱心の時代”が幕を閉じたのは1988年だった。この年、彼女はアレンジャー瀬尾一三を共同プロデューサーに迎えたアルバム『グッバイ ガール』を発表した。そしてこれ以降、中島みゆきの作品は瀬尾一三との共同作業によってつくられていくことになる。

瀬尾一三と音作りをするようになってから、中島みゆきの作品は過剰に時代を意識するのではなく、ジャンルに捉われずに楽曲そのものがもっともフィットするサウンドを自在に身にまとうようになったという印象がある。同時に、この時期から曲そのものにも変化が見られていったという気もする。彼女が書く曲のなかに、いわゆる普通のポップミュージックのパターンを離れて、演劇の挿入曲を思わせるような大胆な構成の曲が増えていくのだ。実際に、中島みゆきは1989年に、演劇と音楽を融合させた『夜会』をスタートさせている。この『夜会』の音楽監督も瀬尾一三だった。

90年代に入って、中島みゆきが実際にドラマや映画に音楽を提供することも増えていった。「誕生」(映画『奇跡の山―さよなら名犬平治―』主題歌・1992年)、「浅い眠り」(ドラマ『親愛なる者へ』主題歌・1992年)はシングル曲としてもリリースされている。そして、これらに続くドラマ主題曲として発表されたのが「空と君のあいだに」(ドラマ『家なき子』主題歌・1994年)だった。

もちろん、当時12歳の安達祐実が演じた主人公すずの名台詞「同情するなら金をくれ!」が流行語になるなど話題性たっぷりのドラマが大きく後押しをしたという要素はあった。しかし、「空と君のあいだに」が凡庸な曲であれば、いくら人気ドラマ『家なき子』の主題歌でもこれほどのヒット曲になったとは考えにくい。「空と君のあいだに」は、単に曲を物語に当てるのではなく、物語に命を宿らせる要素のひとつとして音楽を捉え、向き合ってつくられた曲だ。ドラマにしはっかりと寄り添いながらも、聴いた人の共感を誘う力をもっていたからこそ、多くの人に支持されたのだろう。

ちなみに、中島みゆきはこの曲を書くにあたり、どういう視点の曲にするかを考えた結果、いつも主人公すずに寄り添う物語の重要なバイプレイヤーである愛犬リュウの立場で詞を書いたという。主人公でも、物語を俯瞰する観客の立場でもなく、すずを見守り続ける物言わぬ味方の切実な気持ちが聴いた人の心を揺さぶる力になっているのだと思う。


「空と君のあいだに」以降も、中島みゆきは演劇やドラマに寄り添った楽曲を手がけていった。「旅人のうた」(ドラマ『家なき子2』主題歌・1995年)、「たかが愛」(ドラマ『はみだし刑事―純情系―』主題歌・1996年)、「愛情物語」(ドラマ『はみだし刑事―情熱系―PARTU』主題歌・1997年)、「命の別名」(ドラマ『聖者の行進』主題歌・1998年)などをシングルとして発表する一方で、“言葉の実験劇場”としてスタートした『夜会』でも、画期的なアプローチを見せていく。

初期の『夜会』は、それまでに中島みゆきが発表してきた楽曲を、ひとつのオリジナルストーリーと重ねることで、新たな意味や表情を持つ楽曲として伝えていく、いわば曲を固定されたイメージから解放するという実験舞台だった。しかし、回を重ねるごとに『夜会』の舞台のために書き下ろされる曲も増えていき、1996年の『夜会Vol.7「2/2」』では全曲が描き下ろしの新曲となった。そうして『夜会』は、物語と音楽とがより密接な関係をもってひとつの世界をつくりあげる独自の舞台表現となっていく。さらに1995年には、それまでに『夜会』のために書き下ろした楽曲によって構成されたアルバム『10 WINGS』(1995年)を発表。初期の『夜会』の意図とは逆に、『夜会』のために生まれた楽曲を舞台の制約から解き放っていくという試みも始まっていく。


「空と君のあいだに」によって、中島みゆきは70年代、80年代、90年代の3ディケイドでチャート1位を獲得した稀有なアーテイストとしての評価を得ることになった。しかし、こうした記録もさることながら、映像・演劇とのさまざまなコラボレーションを重ね、音楽表現の新たな可能性を追求していった90年代の彼女の果敢なアプローチこそ、高く評価されていいのではないかと思う。
https://news.1242.com/article/174936


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#c67

[近代史3] 中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか? 中川隆
68. 中川隆[-11726] koaQ7Jey 2020年8月24日 08:21:22 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[11]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 安達祐実 ・内藤剛志 家なき子 (日本テレビ 1994年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1004.html

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 安達祐実 ・堂本光一 家なき子2 (日本テレビ 1995年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1006.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#c68

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
18. 中川隆[-11725] koaQ7Jey 2020年8月24日 09:46:34 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[12]

Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC #612A銀箱SP Trail仕様

 

ALTEC #612A エンクロージャー入手 2010年04月20日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7d932c33d92317e72dfd765d5af1ef41

ALTECの604系用のエンクロージャーで試していないのが「クレッシェンド箱」と「612A箱」です。特に1960年代のモニターSPとして一世を風靡した「612A箱」には非常に興味が有りました。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/4b/16cf6c9ca0cb6e18b14d4cf6f754f720.jpg

今回USA製の「612A箱」のみを入手しましたが痛みがひどく「再塗装」と「サランネットの張替」が必要な状況で、手がかかりそうです。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b4/bcdd5259cd7e390352f1e5c44f4b04a5.jpg

エンクロージャーの内部も確認しました。一部部品の不足している所も有りますがまずまずでしょうか。

これから機会を見て「再塗装」、「ユニット入手」、「組み込み」、「専用サウンドトレール作成」(既に昨日図面を仕上げています)となります。1年から2年をかけて仕上げて行きたいと考えています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7d932c33d92317e72dfd765d5af1ef41


ALTEC #612A エンクロージャー再塗装へ 2010年04月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/53e4911936a3d7ffcc5cbf07cbd2f09f

先週購入した612A箱のキズや塗装の痛みがひどいので「再塗装」に出しました。GW明けには仕上がって来る予定ですが、その後、サランネットの交換を致します。まだユニットを手に入れていませんのでしばらく眠らせる事になります。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c4/79ea84beea974dd32eb852a16db5aeb1.jpg

どうしても今日中に出して置きたかったのは訳が有ります。明日「マル秘SP」が入荷するのです。置き場所の関係でスペースを確保しておかないといけません。38cmクラスのSPになりますのでそれ相応のサイズと重さが有ります。

明後日には愛知県の方から「すえさん一行」様が来訪の予定ですので、本当は内部配線の交換してお聞かせしたかったのですが、日程的に間に合いませんでした。

他にも6L6ppアンプもGE6550ppアンプへの切り替え依頼を2週間前に出していましたがこちらも間に合いません。なかなかレスポンスのスピードが田舎だと合いません。皆さんゆっくりですから待つしか有りません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/53e4911936a3d7ffcc5cbf07cbd2f09f

Mr.トレイルのオーディオ回り道
612A再塗装入荷 2010年04月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b3e47842933fd1fb6f699226a01fa6a6

先週再塗装に出していた612Aの箱が入荷しました。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f3/b8cd6ccfa7f92179211e8c08f64e2520.jpg

入手時点ではキズが多くチョッと多く使うのをためらうほどでしたが、再塗装の時に「パテ埋め」をしていただいてキズを補修していますのでかなり奇麗になりました。

ユニットは連休明けぐらいには揃う見込みです。本日1ユニット到着の予定ですが本来のお目当てのユニットとは違いますので、時間をかけて揃えて行きます。

サランネットの張替と専用トレール入荷も5月の末までかかりそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b3e47842933fd1fb6f699226a01fa6a6

ALTEC#612A SPの作成 2010年04月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/55d44d3dcc2bec72c22b3237d90e9f29

再塗装が完了したBOXに本日届いたユニットを組み込んでいます。

612a2

上の写真は入手した時のBOXの中の状態です。吸音材もユニットもついていません。

612a3

ユニットを取り付けた状態です。これから吸音材とSP端子を取り付けます。ネットワークともう1個のユニットは連休明けの入荷になりますのでまだ音出しは出来ません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/55d44d3dcc2bec72c22b3237d90e9f29

ALTEC#612A SPのイニシャル音出し確認 2010年05月02日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/bbd2009c8f96167998f37fb75fd9a011

612a_test2

本日ALTEC#605のユニット1個とネットワークが来ましたので早速ALTECオリジナル配線で接続して「音出し確認」をしています。ネットワーククロスはオリジナルでは1.6KHzですが1.2KHzのネットワークで鳴らしています。

#605のユニットはもう一段上のユニット#604に対してマイナーなイメージが有りますが、なかなかどうして素晴らしい再生をしてくれます。現状でも専用トレールが来れば申し分ない「音質」になると思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/bbd2009c8f96167998f37fb75fd9a011


ALTEC#612A SPの部品の調達手配が完了しました 2010年05月05日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/fba11106fbc7b81eb128d1756afcdb5f

ALTEC#620Aと並行して#612Aシステムも作成しています。こちらはなかなか部品が揃わなくて手を出せずにいました。

612a

まずユニットについてですが、605Bのペアを予定していたのですが1個しか入手できなかった為、誤って605Aを発注してしまいました。この状態で音出し確認をしましたが605Aと605Bの音質の差は感じられませんでした。音圧が605A(103db)に対し、605B(97db)とメーカー仕様ではなっていますが「測定器・測定方法・測定環境」が違うと推測されます。6db(4倍)も音圧が違えば誰でも聴き分けれると思いますがその差を感じられません。

ようやく605Bをもう1個入手できる手筈が出来、来週には手を加えられそうです。

ネットワークも605Bオリジナル(604Eも同じ)では使えません。小さな箱体に直出し配線になっています。そこで1201-8Aのネットワークを準備しています。この1201-8Aのネットワークは現物を見て予想以上に良い造りだと思いました。サランネットも到着しています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/fba11106fbc7b81eb128d1756afcdb5f

ALTEC#612A のサランネット交換 2010年05月08日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/30669d7ffd712f75e78752c358a520b8

ALTEC#612A(銀箱)の整備を着々と進めています。
612a

写真では判りづらいですが、片方のサランネットの痛みがひどく「張替」を余儀なくされました。上の写真は「張替前」の状態です。
612a1

交換後の写真です。サランネット自体の質感がきめの細かいものになっています。

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これで何とか使える「見てくれ」になりました。単純に「サランネット交換」だけで作業が終わった訳では有りません。内部のフレームを取り外してユニットを取り付ける鬼目ナット等も一緒に整備しています。(ユニットを止めるネジが空回りして固定できないものが数本有りました)

これで前面は完了ですが後面は「ネットワーク」の取り付けが有りますのでまだ検討中です。「どのネットワークを使うか?」が固まっていません。吸音材の取り付けが完了しました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/30669d7ffd712f75e78752c358a520b8


ALTEC 612A SPの進捗 2010年05月11日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8b9e3a0a6be4d19bab497d6be4c4ebe5

今朝からユニットへの「音質改善処置」(Trail仕様化)を実施し、SPユニットをエンクロージャーに取り付けました。

612a1

その後ネットワークをリアバッフルに取り付ける作業を完了しました。ここまでも色々と大変でしたが最後の作業に入っています。

612a3

内部配線作りがこれから始まります。「ルシファー」のケーブルはφ11mmのケーブルを3本重ねにして1本のケーブルを作って行きます。1台当たり6本のケーブルが必要です。1セット(左右ペア)ですと

1)SPターミナル裏〜ネットワークIN ×2本×2台
2)ネットワークOUT〜ウーハー ×2本×2台
3)ネットワークOUT〜ツィーター ×2本×2台

1本の長さは0.5mで良いのですが(0.5m×3本=1.5m)、1.5m×6本×2台=18mの長さと、3本×6×2=36本の端末加工が必要です。実際の作業は更に増えて(2本×2×6×2)+(1本×6×2)×2倍=120箇所(ケーブルの両端)になります。端末加工は皮むき・半田付け・ケーブルのまとめとなります。但しケーブル自体が非常に硬く強固に作って有るので大変なのです。

後はコツコツとただ作業を積み上げていくだけです。これが根気のいる作業なのです。

普通のケーブル(+・−で1本)のケーブルとは比べ物にならないほど手の込んだ加工が必要なのです。当然所要時間も大きく違います。一般のケーブルなら30分ですべてが完了します。これが「ルシファー仕様」になりますと加工だけで1日丸まるかかってしまいます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8b9e3a0a6be4d19bab497d6be4c4ebe5


ALTEC 612Aの「Trail仕様」 SP完成 2010年05月12日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/1bae3ea2612b7833358304380a525aef

ALTEC 612A SPが完成しました。早速音出し確認をしています。

612a1

前回ALTECオリジナル配線で確認した時のサウンドとは全くの別物になりました。反応が早くバランスが良く聴いていて心地よくなります。音のヌケ・キレが抜群です。予想通り低音の不足も感じません。614箱より612A箱はかなり横幅が大きくなりますのでこの辺が効いているようです。「箱の作りや材料が良い」のでしょう・・・パワータップのケースによる音質の変化と同じ事が云えそうです。

612a2

ルックスも「再塗装」と「サランネット張替」で奇麗に仕上がりました。

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まだ「専用トレール」が入荷していませんので「仮の音出し確認」です。SPケーブルもWE 14GAを使っています。これから1週間ほど「馴らし運転」をして行きます。ネットワークがまだ「大容量伝送」に対応できていませんので「馴染ませてやる」事が大切です。

この時点で「音の軽さと深み」が十分音楽を楽しめるグレードに仕上がっています。エンクロージャーがUSA製でよく乾いた米松合板製で有る事と、使っているユニットが#605Bでありながら604-8G以上に味わいのあるサウンドです。ALTECのユニットは604-8G辺りから大きな「コストダウン」を感じます。そのコストダウン前のユニットですので性能的には互角かそれ以上の味わいを感じます。

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ネットワークは8ΩのN1200-8Aを使っています。本来は#605Bは16Ω仕様ですので16Ωが良いのかも知れませんが特段不具合もなさそうです。

専用トレールは来週入荷の予定ですので、入荷後正規のSPケーブル(SCS-34)で再確認します。アンプの方も専用アンプを予定しています。こちらは本日出来上がったとの連絡が有りましたので明日引き取りに行きます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/1bae3ea2612b7833358304380a525aef

ALTEC#612A システムの完成 2010年05月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d49db07b598af2bd28358b9854e57ade

ようやく待ちに待ったSTM-612A専用トレールが完成しました。実は612Aの専用トレールは既にSTH-11が有りました。STM型で作りたかっただけです。

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早速ALTEC#612A 銀箱を載せて音出しです。

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#612A銀箱SPはTrail仕様化後まだ鳴らしていませんのでこれから馴染ませる為に鳴らし続けます。

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鳴らし始めの第一印象は「物足りない・・・」から始まりました。もっともRCA箱システムを聴いてから直ぐに切り替えましたので止むを得ません。

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この#612A銀箱SPのユニットは#605Bです。SPとしては一応完成ですが、将来的にはユニットを604系にする計画でいます。#612Aを鳴らしますと#620Aは眠りに着きます。

612a4

部屋の中に大型SPが3セットも有りますと置き場所も工夫が必要です。CDP・アンプ類も後1セット用意しないと3セットのSPを楽しむ事は出来ません。とりあえずプリアンプが1セット有れば直ぐに3番目のシステムで#620Aを鳴らせるようになります。

鳴らし始めて「音の粒立ちの良さ」、「音離れの良さ」、「響きの良さ」と中高域のサウンドがキラ星の様にキラキラ輝いています。決していやな音ではなく「珠玉」の様な感じです。箱がよく乾いた米松ですので箱の良さとユニットの良さが出ています。605Bと612Aの組み合わせですので低域は多分40Hzどまりと思いますが、非常に反応が早く軽い低音です。聴くにつれ深みを増して行くようです。#605Bと612Aの組み合わせはこれはこれで良い組み合わせだと思います。

ただ最初に「物足りない・・・」と感じた意味が判りました。アンプ出力は16Ω、ネットワークが8Ω、SPユニットが16Ωとインピーダンス整合を無視していました。何でも「やってみろ」でやりますのでこんな事もあります。しかし、やはりインピーダンス整合は必要なようでサウンド全体が周波数帯域的にゲタを上げたように持ち上がって、エネルギー感や低域の下の帯域が出ていません。ネットワークを16Ω化改造をするように手配します。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d49db07b598af2bd28358b9854e57ade


ALTEC#612A システムのサウンド 2010年05月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/430575d3f507b8fbde655f4edb204a92

612a5

昨日「物足りない・・・」の原因が判りました。SPには一切手を加えずに正常化しました。アンプのゲインの絞り込みすぎでバランスを欠いたサウンドになっていました。

早速鳴らし込みに入っています。この612Aのサウンドは非常に気持ちの良いサウンドがします。音のヌケ・キレが素晴らしい上に響き方が漂う様に出て来ます。ノリノリのJAZZが楽しめます。躍動感がすごいです。この分ではクラシックも問題なさそうです。ゆっくりと検証して行きます。

この612Aはまだ更なる「音質向上」の余地を残しています。昨日ネットワークを16Ω化する為にどうしたら良いかと色々調べて行きますと「ネットワーク自体が伝送ロスの塊」と思う様になりました。ALTECの604系や605系、A7/A5系も含めて非常にチャチな作りになっています。604/605系のオリジナルネットワークは概して「コンパクト」なのが特徴です。605B専用ネットワークも所有していますが、手の加えようがないくらいコンパクトですので見切りを付けてN-1201-8Aのネットワークを使いました。N1201-8Aは比較的大型のネットワークですので手を加えて「伝送ロス対策」が出来ます。
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予備にN1201-8Aをもう1セット持っていますので、こちらの方を「伝送ロス対策」、「16Ω化」させて入れ替えをしたいと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/430575d3f507b8fbde655f4edb204a92

ALTEC#612A システムのサウンド つづき 2010年05月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/818238bb55c046e7f69e6f8d21af0bc4

朝からずっとALTEC#612A(Trail仕様)を聴いています。基本的性能は十分に「当たり」を示しています。パーチクルボードの箱からは得ることの出来ない「躍動感」が簡単に出て来ます。JAZZをメインに音質の確認をして来ましたが、クラシックの弦楽合奏も問題なく再生します音楽の「勢い」をいとも簡単に出して来ます。

612a1

音の立ち上がりの早さ(反応の速さ)、躍動感、弦楽器のゴーイングの質感まで再生する分解能の高さ(艶やかに綾を織りなす様な質感)。どれも素晴らしい水準に有りますが、高音のコンプレッションドライバーには若干ピークを感じます。低域も「音の塊」を感じます。これらの不具合は主に「ネットワーク」で出ていると思いますので、「ネットワーク」への「伝送ロス対策」をしますと、更に「音数の増加」、「反応の速さ」、周波数レンジの拡大」、「質感のなめらかさ」を大きく改善できると思います。

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これはすごいSPになりそうな予感をします。ワクワクしています。来週にはネットワークに対策をしたいと考えています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/818238bb55c046e7f69e6f8d21af0bc4


612A「銀箱」のサウンドの変化 2010年05月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7c1aa872defaa3981476667822914636

先週金曜日(21日)にほぼ完成した#612A「銀箱」を鳴らし続けています。どうやら馴染みも出て来たようで「豊潤」なサウンドを奏で始めています。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/3f/379cede00ebb66374996720c322070d7.jpg

スケール感もエネルギー感も、低域のタイトな出方も後のRCA箱システムには及びませんが、コンパクトでキラリと光る粒立ちの良いサウンドに憑かれています。パワーアンプは#6550シングルアンプから6L6ppアンプに交換しました。ドライブ力が物足りないと感じたからです。交換後、音の密度と滑らかさが更に上がり、「これさえ有れば他は要らないかも?」とさえ思う様になっています。まだチョッと低域のブーミーさが残っていますがこのSPで「音楽」を聴きますと「穏やかな」心地になります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7c1aa872defaa3981476667822914636

ALTEC N1201-8A ネットワーク 2010年05月28日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2cb1ec3bdedc422ca8f62be9ee6a333f

ALTEC 604系のSPを使う時に考えるのが「ネットワーク」に何を使うかです。604-8Gなら専用のネットワークが有ります。604-8HにもN1201-8Aが有ります。困るのが604E以前のユニットを使いたい時に「純正ネットワーク」では「直出し配線」が問題となり、使うのを止めてしまいました。

ALTECのネットワークの件でネットで検索すると、やはり同じ事を感じている方が多い様で、「自作ネットワーク」を作られている例を多く見かけます。確かにネットワークを構成するパーツによる「音の違い」は確かに有ります。しかし、その「パーツがネックではない」と云うのが私の持論です。ネックはもっと他に有ります。結局この「ネック」を見誤った為に、「どんぐりの背比べ」的な音質変化ぐらいしか享受出来ていないと私は思います。

ALTECもJBLもネットワークに使っているパーツはそうグレードの高いものは有りません。必要にして最低限以上は有ると思っています。(過去のSPの作成事例からの経験)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/52/2cb248e6e475179f2fe70b5f6aa8aa9f.jpg

現在、612A用の16Ω仕様のネットワークを作っています。N1201-8Aを選択しました。ALTECのネットワークでパーツの交換は基本的にしません。それ以外の部分に手を加えます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2cb1ec3bdedc422ca8f62be9ee6a333f



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c18

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
19. 中川隆[-11724] koaQ7Jey 2020年8月24日 10:22:11 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[13]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC #620A SP Trail仕様

Mr.トレイルのオーディオ回り道
新SP アルテック620A 2007年12月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/dcf149089d914d0fed4db38c7de96c8c

アルテック620A 画像
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新しいモニターSPが到着しました。アルテック620A(604-8G)です。まだオリジナルの状態ですがなかなかなサウンドを聴かせますが、オリジナルの状態ではチョッと音数が足りません。手順を踏んで「音質アップ」の為Trail仕様にして行きます。

銀箱(604-8G)の箱と並べてみますとその存在感が違います。でかい!!
銀箱で感じていた低音不足が大幅に改善できそうな予感です。
質感は紛れもなくアルテックのサウンドです。4343の様に低音と高音の質の違いもなく低域から高域まで質感の繋がりが良いですね。

SP自体触る所も有りませんので「丈夫で故障知らず」のプロの要求にこたえる構造とTrail仕様にしたときの「質感」でハイエンドクラスのマニアにも受け入れられると思っています。

このSPは30年ほど前のSPです。当時知る人ぞ知るSPだったのですがJBL43シリーズ旋風が巻き起こっていてメジャーになれなかったSPです。

おかげでJBL#4343を購入し27年付き合ったあげく「これ以上の音質アップは原理的に厳しい」と判断してとうとう嫁に出してしまいました。その代わりにいつも気になっていた620Aを購入しました。これから何処まで「音質改善」が出来るか楽しみです。既に銀箱で可能性を感じていますのでイージーで高音質なSPになることは間違い有りません。

この620AをドライブするアンプのTrail仕様化を開始しました。吉永オーディオ製のEL34ppステレオアンプです。内部配線をシリウス化しています。写真を見て真似しようとしたら「ノイズ」の塊になりますので安易な模倣はしない事です。プリアンプは既にシリウス化が終わった物が有りますので「低価格」でスーパーマニアクラスの音質になります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/dcf149089d914d0fed4db38c7de96c8c


Mr.トレイルのオーディオ回り道
アルテック 620AのTrail仕様化 2007年12月29日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/44e5284cf4093b9c9b97e0bec251d148

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https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/3f/a633dd8f65089771313145ba67d3639b.jpg

アルテックの620AのTrail仕様化が完了しました。当初は「ルシファー仕様」での交換を考えていましたが、端子が持ちませんので急遽Trail仕様(SCS-33)にての交換に致しました。写真のダクト穴からケーブルの太さをご覧ください。下の写真で見えるようにしています。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/00/85b0fa96ac2921fbb9267b78edf2993e.jpg

交換後のサウンドはズバリ「トップランク」のSPに変身です。軽く張りのある低音と唄う中高音、音の伸びは低域側も高域側も広がっています。Trail仕様の特徴である反応が良くきらめくような質感です。JAZZのシンバルのサウンドが実在感を持っています。ピアノの強打鍵音は目前で演奏しているリアル感が有ります。

Altec_620a_trail2試聴はMC2600で行いましたが、本来の「管球アンプ」のシステムでも十分なサウンドが出てきます。準備中のVT-62ppアンプ(Trail仕様)とWE310Aプリ(Trail仕様)で来年1月中には鳴らせるように出来るでしょう。この組合せが出来れば一生物のシステムになります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/44e5284cf4093b9c9b97e0bec251d148



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マル秘SPのTrail仕様化中 2010年04月27日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9e3fc64b77571e4664b50087e2067cf9

マル秘SPのTrail仕様化を本日から開始しました。

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SP箱はALTECの#620Aスタジオモニターです。メーカー純正のオリジナル箱です。

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ユニットへの「音質対策」を実施しています。低域側は順調に完了しましたが高域側がチョッと大変なのです。

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ユニットの先端(後端)のダイアフラム部への対策で悩んでいます。16Ω化された影響なのか個体の差なのか「取り付けスペース」が異常に狭いのです。ここはじっくりとやらないといけません。一発勝負で片を付けないと2度目は有りません。

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結局「スペース」の問題が解決できず本日は終了です。明日、ガスケットを作り対策します。ダイアフラム本体は上の写真の様に「密閉」されていますので、その上のカバーはガタ付きなく取り付けれればよいのです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9e3fc64b77571e4664b50087e2067cf9

Mr.トレイルのオーディオ回り道
「ALTEC#620A」 の内部配線 2010年04月28日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3dd043d7643534499c10b8f7be7866fe

「ALTEC#620A」 の内部配線やSP端子は以下の様になっています。
620a1

非常に「細い」配線で接続されています。

620a5

SPターミナルもプッシュ式の細い配線用です。

音数(情報量)の伝送は「線材の断面積に比例」します。(経験で得たものです)
これを「Trail仕様化」で交換します。オリジナルの細い線材ではユニットの潜在能力は引き出せません。

620a3

比較の為「ALTECオリジナル」の配線と「ルシファーTrail仕様」の線材の太さを並べて見ました。簡単に線材の断面積は50倍以上有ります。

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SPターミナルも太い配線が接続できるようにする事と「伝送ロス」対策で「材質」にも配慮しています。もっと良いSPターミナルや配線材が有れば交換はいといませんが、自分が色々試して来てこの組み合わせになっています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3dd043d7643534499c10b8f7be7866fe

ALTEC#620A SPの完成 2010年05月04日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68acd246bf02fadf739cc9446338bce2

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4月30日に一度「Trail仕様化」を完了していたALTEC#620Aをそのまま鳴らし続けていて「不具合」の確認をしていました。

色々な所が「接続の馴染み」が必要な状態になっていますので「不具合」が有る場合、症状が「安定化」するのを待っていました。

「音出し確認」の時に「Rchの高域のビビり」を確認していました。この原因が何処に有るのか推定する事が大切です。単純に「高域のビビり」と云っても色々な所の「接続不良」で出て来ます。

今回の場合は5日間ほどかけて症状を特定しましたので本日ユニットを外して「対処」を完了しました。今回の場合は高域SPターミナルのぐらつきとダイアフラム部の半田付け不具合でした。「対処後」の音出し確認をしていますが「不具合」はなくなった様です。これで安心して「音楽」が楽しめます。

昨日に比べ「音の広がり感」が出て来て自宅707Jシステムを凌駕するサウンドになっています。自宅のSPを交換したくなります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68acd246bf02fadf739cc9446338bce2

ALTEC#620Aのサランネット張替 2010年05月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/05a073258d8eaedf8fff2e94ea64543a

先週から中途で止まっていた620Aのサランネット張替がようやく片付きそうです。サランネットの張替そのものは先週の段階で完了していたのですが、このサランネットは一般の構造と違い「ド素人」が設計した様な外枠で挟みつける様なタイプなのです。

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この外枠が20〜30年経過して「乾燥」して「硬化」してしまっていた為に「タッカーの刃」がたたないのです。元々はタッカーで止める様に作って有るのですが、1本1本丁寧にキリで穴を開け木ネジで止めて行かないと奇麗に仕上がらないのです。時間と手間がかかります。夕方ようやく仕上がりました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/05a073258d8eaedf8fff2e94ea64543a

ALTEC#620A システムの完成 2010年05月19日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a8ff304645c7a7d38a6240a6a66ee45a

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https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/5d/fe8c96f790c11195ee6bc34b5eb9a5c0.jpg

昨日夕方#6550シングルアンプが完成して接続した状態で終了しました。今朝からサウンドの確認をしています。

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6L6ppアンプから#6550シングルアンプにパワーアンプが変わっています。サウンドの方も大きく変わりました。6L6ppアンプの時はSPとSPの間にサウンドが有りましたが、SPの外側にもサウンドが広がり始めました。音数が飛躍的に増加したような印象を受けます。6L6ppアンプの時も「球」をSTC CV1947に交換しますと同じような「音数」になりますが、プッシュプルアンプでは604系にはピークが出来る様で、シングルアンプにした事でピーキーさがなくなった事のメリットが大きいです。相性はシングルアンプの方が良い様です。

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上の写真のアンプが今回交換したシングルアンプです。元はGEC KT66シングルアンプでした。元々はKT88シングルアンプですので元に戻った事になります。このアンプは三栄無線のキットだったものを中古で買い求め、「Trail仕様アンプ」にして使っていました。

今回は#620Aに使っていますが将来的には#612A用のアンプにします。まだパワータップを正規品にしていませんので近いうちに完了の予定です。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a8ff304645c7a7d38a6240a6a66ee45a
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c19

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
20. 中川隆[-11723] koaQ7Jey 2020年8月24日 10:57:28 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[14]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC #614 SP

Mr.トレイルのオーディオ回り道
次のSP作成はALTEC#614システム 2010年05月14日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c1eb8a0c69f6f3063b71c979d66e7915


ALTEC#620A、#612AとSPを作って来ています。次は#614になります。この#614システムは熊本のお客さまからのご要望です。

3年ほど前に#614システム(604-8G仕様)を作っていた事が有り、そのサウンドを知っておられる方からの依頼です。当時の#614システムは現在福岡のお客様の所に有ります。作成は今月末からの予定をしています。ユニットをお客様の方で手配されていますのでそれが入荷してからになります。一応エンクロージャーは1ペア確保しました。来週末には入荷の予定です。自分用の#614システムも作る予定ですがこちらはお客様の分が完了してからになります。(置き場所の関係)

現在#620Aのサランネット、#612Aの最終仕上げが残っている上に#6550アンプ 2台の最終調整が残っています。加えてマル秘作戦を実施中で来週いっぱいまではスケジュールがギッシリです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c1eb8a0c69f6f3063b71c979d66e7915

#614箱入荷 2010年05月19日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a268c84a6d7d2a622c4cf9e1009a45d2

ALTEC#604-8Gを入れるべく#614箱が入荷しました。箱を開けて中身は確認しましたが直ぐに元の梱包箱に戻して棚に保管しました。写真を撮るところまで梱包を開いていません。今度の日曜日にSPのオーナーさんがユニットを持ってこられる事になっています。

いつもなら梱包を解いてトレールに設置し写真を撮るところですが、まだ#612Aのトレールが来ていませんので置き場所が混乱します。612A用のトレールは金曜日に来ますのでその後になります。今度の土曜日にオフ会をしますので場所を確保しておかないといけません。

前回のオフ会が半年前ですのですべてのシステムが大幅に「音質アップ」しています。私のシステムのサウンドは「常に進化中」です。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a268c84a6d7d2a622c4cf9e1009a45d2

ALTEC#614 システムの作成準備 2010年05月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/942fa94c439e8270c790a5df549efe86

ALTECの同軸ユニットを使ってのSPシステム作成が#620A、612Aと来ましたが、次は#614システムです。エンクロージャーは入手しています。

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https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/60/8ecdd07e38a6061013a234957abfcea0.jpg

612Aと比べると随分と大きさが違います。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d7/ae7607bdc5fb02c9c815b7455065c6c7.jpg

この小さい箱サイズでも38cm同軸ユニットが使えます。以前この中に604-8Gのユニットを組み込んで使っていました。その時のサウンドをご存じのお客様が本日「604-8G」を持って来られます。そのお客様用に準備したエンクロージャーです。自分用はその後になります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/942fa94c439e8270c790a5df549efe86

ALTEC#614 システムの作成開始 2010年05月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7743e8ad9af9be9d37fb84a00b88b516

昨日熊本から嵐の中を604-8Gユニットとネットワークを持って来ていただきました。これでパーツは全て揃いました。

6141

#614箱の正面写真です。

6146

こちらが裏面の写真です。上の写真はまだ手つかずの状態です。

6143

裏ぶたを外した内部の状況です。ユニットを取り付けは木ネジでするようになっています。吸音材も一切入っていません。

6145

内部のユニット取り付けフレームを外した状態です。ユニット取り付けのボルトや穴が一切ありません。非常に不親切なエンクロージャーです。(米松国産箱)

6147

ユニット取り付けフレームの前面側の姿です。サランネットがタッカーで止められています。

このままではユニットをしっかり固定するのは難しい為、ネジ式にしてユニットを止める様に手を加えないと使えません。サランネットを外してネジ式に出来る様に改造しないと前には進みませんので今日はこの点に的を絞って作業します。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7743e8ad9af9be9d37fb84a00b88b516


ALTEC#614 システムの作成初日 2010年05月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f49645cf2b6174b161fd49b6fe2b04d7

昨日ユニットが来ましたので今日からALTEC#614 システムの作成を開始しました。
6048g7
本日の予定はユニットを固定する為の「詰め付きナット」の取り付けです。単に「詰め付きナット」を取り付けるだけではすみません。何もマーキングの無い板ですので位置出しから始めないといけません。

6148

作業手順としては
@箱からユニット取り付けフレームを取り出す。
Aサランネットを外す
B詰め付きナットの穴の位置出し
C穴あけ
D詰め付きナットの取り付け・塗装
Eサランネットの張り直し
Fユニット取り付けフレームを箱に取り付ける。
6142_2

G吸音材の取り付け開始(天板→側板→側板→底板)・・・2日間を予定。
Hネットワークの「音質対策」

までを本日完了しました。

ユニットの方を点検しましたらチョッとまずい不具合が発見されました。

6048g2

片方のダイアフラムのマイナス側(黒色線)のL型端子が根元から折れているのです。その根元部分に配線が直接半田付けされています。早急に新品ダイアフラムを購入する事も含め対策案を決めないといけません。

6048g4

+側の赤色配線は正常です。−側はこのままではダイアフラム配線が出来ません。またユニットのSP端子の裏側も「半田付け」(本来はネジ止め)されて随分と手直しされています。(2個共)
6048g6

ネットワークへの音質対策まで完了しましたので明日は、
1)吸音材張り
2)リアバッフルへのSP端子及びネットワーク取り付け
3)ユニットへの「音質対策」
4)ユニットをエンクロージャーに組み込み

を予定しています。

明後日は、SP箱内内部配線作りです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f49645cf2b6174b161fd49b6fe2b04d7


SP #614 の進捗 2010年05月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b134b55b4d844dc1ec91f2022304b683

昨日に続いて#614「銀箱」SPの制作を続けています。
予定では、

1)吸音材張り
2)リアバッフルへのSP端子及びネットワーク取り付け
3)ユニットへの「音質対策」
4)ユニットをエンクロー ジャーに組み込み

でしたが、4)のユニットのエンクロージャーへの取り付けを延期しています。昨日報告した「ダイアフラム」の端子折れの為交換します。ダイアフラムを発注しました。今週末に入荷の予定です。1)〜3)までは予定通り進捗しています。現在内部配線材を作成中です。

この#614箱に604-8Gユニットでは奥行き寸法的にギリギリのサイズです。前回作成時にも相当苦労しています。寸法的に考えると#604用ではなく#605用に最適です。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b134b55b4d844dc1ec91f2022304b683

SP #614 の進捗(2) 2010年05月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/0b9703d0f952cfd6e527e55e6858b65a


ALTEC#614 SPの作成も佳境に入って来ました。

6141

ユニットをBOXに組み込み、留めネジの長さをチェックしています。

6142

こちらがユニット組み込み後の姿です。この状態で吸音材を付けた裏蓋を合わせます。吸音材に「ユニットの跡」が型として付きますのでその部分を丸くくり抜きます。ユニットの全長と裏蓋とに隙間が有りませんので、吸音材でユニットを抑える様になりますので接触しない様に「くり抜く」のです。ドライバーユニットに接触するものが有るとドライバーの音が死んでしまいます。

残念ながら裏蓋へは「SP端子」、「ネットワーク」、「配線材の取り付け」、「吸音材のくり抜き」を終わっていますがお見せする事は出来ません。(ノウハウになります)

本日中には完了できる時間が有りますが、片方のユニットの「ダイアフラム」入荷待ちになります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/0b9703d0f952cfd6e527e55e6858b65a


ALTEC#614 SPの片ch 完成 2010年05月27日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/47a39bc7a3c26b4eb4b6ab8340d4093e

614画像
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d5/a6cdc0ea00a91e1136f1f49acefd201c.jpg

ALTEC#614 SPの片chが完成しました。もう片chはダイアフラム待ちですので明日にお預けです。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/24/0720a4eca9aade3b31bbd1007af93033.jpg

変則なステレオですが#614と612Aをそれぞれ片chづつ合わせて音出しをして見ました。#614SPは箱は小さいですが入っているユニットが604-8Gですので612Aの605Bとはグレードの差を感じてしまいます。

まず、エネルギー感がまったく違います。614の前に立っていますと「音圧」がビシバシと伝わって来ます。音のキレ込み(分解能)や音の深みの表現など数ランク上の再生音を出して来ます。612Aにも604系を入れなくてはいけませんね。

新規発注したダイアフラムも昨日夕方到着しましたので今朝から取り付け準備に入っています。ユニットの前オーナーがどのような取り扱いをしたのか、ダイアフラムを見れば判りますが、ダイアフラムの所にゴム板が敷いて有り、ダイアフラムとカバーがなかなか外れません。本来ゴム板は要らないのです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/47a39bc7a3c26b4eb4b6ab8340d4093e


ALTEC#614SPの組み立て完了・・・問題が・・・ 2010年05月27日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/df791d5a4b29aa6f6a7ccb229d8b995d

#614SPも組み立てが完了しました。サウンドはエネルギッシュでち密でキレ・ヌケが良く申し分ないのですが、614箱に対してエネルギーが強すぎる様で「ビビり音」が出ています。

「ビビり音」の原因を探って行きますと「ネットワークケース」が音圧でビビっています。この「ビビり音」を止めないと使い物になりません。昨日も片chの状態で色々対策して見ましたがなかなか難しいですね。発生原因とメカニズムを突きとめて対策しないといけません。これから「調整」に入ります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/df791d5a4b29aa6f6a7ccb229d8b995d


ALTEC#614SPの組み立て・調整完了 2010年05月28日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f8160bd8481b0227f059c713a03396f86144

組み立て当初「ビビり」まくっていたサウンドも何とか使える状態まで「ビビり音」を低減させました。ネットワーク自体の「状態」の問題が有りますので完全には止める事は難しいと判断しました。

6145

このネットワークの個体は上の写真に見える部分の「ALTEC]の文字の部分が本体から浮き上がっていて、押すと「ペコペコ」音を出します。本体部分と表面との間に剥離が有って空洞が有るのです。604-8Gのエネルギーが凄まじいものですから箱の狭さと相まって完全には止め切れないようです。作り込みが甘いか保管状態の問題かと推測されますが一般のネットワークではこの様な事はないと思います。私も初めての経験でした。

現在では家庭で使う音量では気にかかる事はないと思います。モニタールームで大音量でモニターする時に一部の曲で出てくる可能性は有ります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f8160bd8481b0227f059c713a03396f8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c20

[近代史4] アルテックの世界 中川隆
4. 中川隆[-11722] koaQ7Jey 2020年8月24日 11:08:31 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[15]
ALTEC #614, 612A, 620A のサウンドの違い 2010年09月30日
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20100930/20815/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/993.html#c4
[リバイバル3] アルテックの世界 中川隆
63. 中川隆[-11721] koaQ7Jey 2020年8月24日 11:09:03 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[16]
ALTEC #614, 612A, 620A のサウンドの違い 2010年09月30日
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20100930/20815/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1070.html#c63
[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
21. 中川隆[-11720] koaQ7Jey 2020年8月24日 12:08:53 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[17]

ALTEC#620Aでクラシック 2010年08月14日
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20100814/20073/


ALTEC#620Aでは今まで主にJAZZを楽しんでいましたが、クラシック、特に「弦楽器」はどれくらいの再生をしてくれるだろうかと思って、今朝はクラウディオ・シモーネ指揮/イ・ソリスティ・ベネティでコレルリやトレルリの合奏協奏曲を聴いています。

非常に艶やかな質感でキレが有り音が弾み、雰囲気もしっとりして良い感じで鳴ってくれています。

このCDは分解能の悪い装置で聴くと、音の線が細くヒステリックな音になり易いのですが、線の太さも丁度良いくらいで、弦楽器の艶やかさがALTECとは信じられないくらいの質感で鳴っています。

ユニットの外観は604-8Gですが、コーン紙とダイアフラム・ネットワークは16Ω仕様になっていて、604Eに近い仕様になっています。基本的にユニット以外では「内部配線」のケーブルを「ルシファーケーブル」に交換しただけのもので、「伝送ロス」対策と「音変換ロス」対策を兼ねています。

620Aオリジナルではかすれた様なサウンドしかしませんが「Trail仕様」にしますと、ユニットの基本性能はそのままに「潜在能力」を引き出して来ます。これ1台有ればどんな音楽も「合格点」を出せる再生をしてくれます。

見方を変えれば、「フルレンジ1発」でこの様な事が出来るユニットは他には見当たりません。

レス一覧


オリジナルの620A良いですね^^
 16Ωには興味深々ですね〜

まだ 当方も新しい目の620Bなんですが、色々実験しながら
  楽しい日々を過ごしております。

 JAZZを良く聴いていますが、そつなく広いジャンルで
   以外に鳴らしてくれるので毎日が発見です。

bySUMI蔵 at2010-08-14 23:32

SUMI蔵 さん レスありがとうございます。

このALTEC#620Aは604系としては6セット目、620Aとしては4件目になります。

ALTECオリジナルではとても使えませんので「音質アップ」の手を加えています。
現在605A、605B、604Eとこの604E仕様604−8Gを持っています。

ユニットを見るとその造形美に惚れ惚れします。
手元に1セットは残しておきたいSPの一つです。
現在、この620Aと612Aを持っています。

604Eは620A箱に取り付けることは出来ません。(フレームの補強リブが裏付け専用になります)604Eは#612Aに組み込んでいます。

604−8H以後になりますと6セルをマンタレーホーンにして有ります。このマンタレーホーンはパワーを加えると「ホーン鳴き」をしますので避けています。後期型になるほど「コストダウン」をされていますので出来れば604−8G以前のユニットがお勧めです。

ご不満がなければそのままお使いでかまわないと思います。
1Wで100dbの音圧がありますので私は20Wクラスの特製管球アンプでドライブしています。管球アンプの方が「音のつや」が出て好ましい「音色」になるようです。しかし、管球アンプはある程度「管球アンプ」を勉強した人でないとお勧めしません。

このSPは内部配線が「伝送ロス」を激しくしますので、良いケーブルで再配線をお勧めします。また接続がオリジナルでは「ギボシ」に似たような安直な接続ですのでここも出来れば半田付けが理想です。

何セットも620Aを聴いていますとその音の良さがわかりますが中高音のホーン部分の音が「飛んで」来ますので、ユニットのパラレル化をすると聴きやすくなるでしょう。

もっともこの620Aは私の装置の中ではサブSP具合でしかありません。JBLの3大ホーンシステム(8SPユニっト仕様)に比べればおもちゃみたいな物です。620Aはそれでも最新のSPに比べたら「音楽性」とユニットの優秀性は抜群です。

byしき at2010-08-15 01:29

しきさん、こんばんは。

私は604Cのフィックスド・エッジのユニットが大好きなのですが604E仕様の604−8Gって初めて聞きました。

凄く興味があります。

何時かお邪魔したときには、聴かせて下さいね。

byhidetarou at2010-08-15 21:36

ひでたろうさん レスありがとうございます。

前オーナーさんがコーン紙とダイアフラム、ネットワークを604E仕様にしたと言って有りました。16Ω仕様になっています。

604Cも狙っていますが、604Aの最初期型は
JBLさんの設計と聞いていますので
是非試して見たいと思います。

620Aは人気が高いので嫁に出す前においでください。

byしき at2010-08-15 22:12

しきさん おはようございます。

アルテック604系で弦楽器が艶やかに鳴ってしまう。
うーん。。。 なかなか想像がつかない世界です。
イメージとしてはやや硬質になりそうな気がしますが、
そこはしきさんの腕の見せ所なんでしょうね。

しきさんが言われるようにユニットのポテンシャルが高ければ、
あとはユーザーのつめかた次第で「〜が鳴らない」ということは
ないのかな と感じています。

byたくみ@深川 at2010-08-16 05:39

たくみさん レスありがとうございます。

従来のオーディオ評論では「決め付け」られていた事が多すぎる様に思います。

SPの場合、「内部配線」で音質グレード・音色が決まっていたようです。
アンプの場合は「電源ケーブル」で音質グレードが決まります。

それらの「前提条件」が変われば当然出てくるサウンドも大幅に変化します。

私の場合、機器の「潜在能力を100%引き出して使いたい」と考えていますので、その機器のネックポイントを聴き分けて対処します。

機器の試聴で「良い・悪い」は誰でもしますが、「なぜこんな音になるのだろうか?」とその原因を追及されている方は少ないのではないでしょうか?

byしき at2010-08-16 10:09

https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20100814/20073/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c21

[リバイバル3] チャンネル・デバイダ―は使ってはいけない 中川隆
8. 中川隆[-11719] koaQ7Jey 2020年8月24日 12:40:26 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[18]
マルチアンプかネットワークか? 2009年02月05日
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090205/10000/


JBLやアルテックのビンテージユニットを使ってSPを作る場合や、
既に持っているSPをマルチアンプ化すれば「大幅な音質改善」が
期待できるとお考えの方にアドバイスします。

JBLのビンテージユニットを組み合わせて、
マルチアンプシステムとネットワークシステムを作り上げた経験から申しますと
「ネットワーク方式」をお勧めします。

一般にマルチアンプにするとそれぞれのユニットに専用のパワーアンプをあてがい、
「良いとこ取り」が出来る。
「ネットワークにはL・Cが入っていて音質を阻害する。」
と言われていますが、マルチアンプには「チャンデバ」が必要な訳で、
この機器の音質が「ネック」となります。
プリント基板と細い配線、小さいパーツが「音やせ」の原因を作ります。

本当に「最高級の音質」を求めるので有れば、
電源ケーブル、インコネケーブル、SPケーブルも
3ウェイなら3倍必要になる訳で費用もスペースも
レイアウトも大変な負担をする事を覚悟しなければなりません。

その点、ネットワーク方式は非常にシンプルに出来、
ケーブル類の本数も少なくて済む分グレードを上げられます。
アンプも同様に1セットに金額をつぎ込めます。

ネットワーク方式の場合ネックとなるのは「ネットワークの音質」と
「その使い方」に有ります。

例えばJBLのネットワークで説明しますと、
500Hzクロスのネットワークには#3150,3160等のプロ用と
LX5と云うコンシュマー用サイズのネットワークが有ります。
プロ用のネットワークを使えばマルチアンプに匹敵する音質を確保できます。

私がネットワーク方式にして使っているのは、
低域にD130の様に高能率のユニットと#375との組み合わせのSPシステムです。
低域が高能率ですのでうまくつながります。

これに対し低域のユニットの能率が悪く、
Wウーハー化できないウーハーと#375の組み合わせの場合、
能率を合わせるのにネットワーク方式ではアッテネーターを噛ませないとできません。
このアッテネーターの質が音質に悪影響を与えるので安直に、
調整のやさしいチャンデバを使ってマルチアンプにしているのです。

音質の劣化の少ないアッテネーターが確保できるのであれば、
シンプルな「ネットワーク方式」が良いに決まっています。

使用するケーブルも最高級となると、
マルチアンプ方式とネットワーク方式では100万円〜200万円の違いが出て来ます。
この価格分をSPケーブルにかけますと「音質差」は無いか、
ネットワーク方式の方が上になります。

実際に私のオリンパスマルチアンプシステムと
自宅の707Jネットワークシステムでは「同等」か
音色は自宅システムの方が上に来ます。

やり方によって「音質」はかなり変わります。

もう一つ大事な事が有ります。
ネットワーク方式の場合、メーカーお勧めの使い方は大きな欠点を持っています。
これが、「使い方」が大事な所以です。

低域用のネットワークと高域用のネットワークの接続の仕方で
大きくサウンドの質が変わります。
ネットワークを2個通過させてユニットに繋ぐ事は避けたいものです。


レス一覧


マルチアンプかネットワークか?・・・お好きな方には、悩ましい選択なのでしょうね。
私の場合は、学生の時に4343もどきを自作して挫折した経験があるので完成品SPの選択肢しか頭にないです。ネットワークは「無線と実験」に掲載されていたもので作ったのですが、音のつながりのバラバラなひどい音しか出すことが出来ませんでした。

このような経験をすると、完成品とは何と安易に良い音を出してくれるものなのだろうか・・・との安堵感と挫折感が今でも思い出されます。

シビアな調整を楽しむのであれば、音の入口から音が聞こえるところまでのすべての経路を一旦バランスさせた上で、マルチでも高性能ネットワークでも取り組む必要があると感じます。言い換えると周辺環境を整えてから取り組むべき!と思うんです。

現在は、完成品のスピーカーをバイアンプで使用しておりますが、音の鮮度、空間の大きさ等が格段に向上しました。

ですから、オトキチの方以外には各コンポはメーカーがきちっと開発したものをそのまま使い、自分がやらなければ誰もやってくれないセッティングの詰めによる追い込みをお勧めしたいです。

byヒジヤン at2009-02-06 05:43

僕は1970年代にJAZZ茶房でマルチアンプ5チャンネルで経験しましたが。
ネットワークの音が良いです。

どちらも6dbクロスでしたが。

現在は5WAYのネットワークです。

by音無館 at2009-02-06 09:20

ヒジヤンさん 私もメーカー製で満足できるならその方が良いと思います。

30年前と違い、メーカー製のSPの完成度は上がっていますね。
JBLのフラッグシップ機もポンと置いただけでかなりのグレードで
楽しめるようになって来てビックリしています。

でもね、古いユニットの潜在能力はそのまだ上に有るようです。
幸いにも、昔の「コンポーネント」の知識が有りますので
古いユニットを見つけ出して使っています。

使っているアンプ等は中級品ですが出ているサウンドは
数千万円をかけた音を凌駕します。
SPの表現力が「ステレオ」の魅力ですね。

byしき at2009-02-06 10:40

音無館 さん レスありがとうございます。

私もネットワークの方が賢い選択だと思います。
5ウェイのネットワークをお使いですか。
・・・ネットワークの置き場が大変そう・・・。

私も3ウェイ6スピーカーシステムとしています。
3ウェイ以上は分けなくても大丈夫と思っています。
私の場合、同じ帯域を「オンの音」と「オフの音」の
2つのユニットで使うように工夫しています。

また高域はそれとは別に、8000Hzから12000Hz、
8000Hzから22000Hz、8000から45000Hz、8000から100KHzと
受け持たせる帯域を重ねながら伸ばしています。

客観的に考えますと、アンプからの出力(情報量)を
100としますと、その100の情報を4つのユニットが
適当にバランス良く鳴らしてくれます。

4ウェイ、5ウェイに分けなくても自動的に分かれるようです。

私のシステムではSPユニットの数が多いですが、
フルレンジユニットの様になります。
違和感をほとんど感じません。

byしき at2009-02-06 10:52

しきさん 再レスです。

ちょっと勘違いかも。と言うか私の書き方が悪くてスミマセンでした。
しきさんのようなオトキチ(失礼!)はとことんやられるしか、自分の音を再現させるのは難しいのだと思います。(私の世界を遥かに凌駕しているので、真の理解は出来ていませんが・・・)

私のレスは、自分の失敗の経験から、一般のオーディオ好きの方に対するメッセージとして書いたものです。

しきさんは、今後もとことん逝っちゃって下さい。ご様子を拝見するだけでもワクワクします。

byヒジヤン at2009-02-06 11:07

ヒジヤンさん ありがとうございます。

私は再生音にも「オンリー・ワン」を求めています。
とことんやらないとおさまらないのが性分みたいです。
自分ながら空恐ろしい「執念」が有ります。

どうやら「音質改善活動」の先が見えて来た様です。
今朝オリンパスシステムの壁コンプラグをFI-52に変えましたら
更に上の再生音が軽々と出て来ましたね。

byしき at2009-02-06 11:32

考えさせられました。

拙宅のJBL はD130+075。ある時からLE175も加わって、ネットワークもN1200, N2400, N8000と複数に。その後マッキンMA6800導入もあり、何かとアラも減ったもの、今度はなんだかおとなしい優等生になってしまい、以前のガッツや行儀の悪さが薄まって、それはそれで退屈に。

その昔オンキョーのプリメインアンプでチャンネル1からD130に直出し、チャンネル2からN2400経由075の2ウエイで得られた溌剌としたジャジャ馬ぶりが懐かしく。ここへ来てJBL純正ネットワーク群への疑いもなくはなく、やはりマルチアンプか、という考えが頭をもたげていたところでした。

ネットワーク自作。確かにもうひとつのアプローチですね。

bymanbanzakuro at2009-02-11 10:46

manbanzakuro さん レスありがとうございます。

JBL D130+LE175+075とN1200+N2400+N8000の組み合わせですか?

ネットワークの数が多すぎますね。N2400は使っていらっしゃらないだろうと思います。

ネットワークの使い方ではN1200を2ウェイの使い方(D130とLE175)、N8000はインプットをN1200のインプットから取ります。
N8000のLFは使わずHFのみ使います。

この使い方で音の「鮮度」が揃います。

LE175はどちらかと云うと「中音が薄い」傾向で、「奥まった音場」になりますので「消化不良」を起こしやすいです。クラシックやJAZZトリオくらいを気楽に聴くにはもってこいですが、音楽と同期して身体を揺り動かすようなサウンドを求めるなら#375になります。LE85に交換するだけでかなり音が前にです様になります。

ネットワークの使い方とユニットの選択がJBLのSPでは大きな比重を占めます。

byしき at2009-02-11 11:22

https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090205/10000/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1025.html#c8

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
22. 中川隆[-11718] koaQ7Jey 2020年8月24日 14:01:28 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[20]

UREI スピーカーシステム一覧 ウーレイ
https://audio-heritage.jp/UREI/speaker/index.html


UREI_813 〜大型スタジオモニターの雄〜 2011年5月28日

初代813はアルテック604-8Gとサブウーハにエミネンス社の800Wが搭載されていました


●イーベイUKにて、UREIのあの813をみつけました。

ウーレイっていう幽霊みたいな名前の会社ですが、United Recording Electronics Industryの略で、プロ用機器の有名な老舗です。Bill Putnamによって1958年にUniversal Audio社(現存しています)が設立された後に、ビルによってUERI社も設立されましたが、今はJBLに吸収されてUREI社は残っていません、業務用アンプのJBL/UREIとして出ています。

 この813は1977年の米国発売ですからもう30年以上前の製品になります、当時\100万という高価なスタジオモニターとして発売されていました。録音スタジオの壁に埋め込まれているスカイブルーのホーンが際立つ大変印象的な813の写真を見た人も多いと思います。

813は頻繁にレベルアップされ、813Bになるとコンシューマー用としてユニット保護ヒューズやアラームランプなどが省略された813BXという大型フロア型も出ました。木目のキャビネットが綺麗で、ALTECの6041みたいなスピーカでした。

●813シリーズはUREI独自のタイムアライメントネットワークを採用したモニタスピーカーシステムで、マルチユニットによる位相ズレを解消しています。ウーハの位相を電気的にずらすことで、両ユニットの音響中心を揃えたのと同等以上の効果で、リスニング・ポイントの位相差をなくすもので、スタジオ録音に重要な優れた定位を実現しているんです。

 813の構成は、サブウーハと同軸ユニットの2スピーカの3ウェイ・バスレフ方式で、f特は40Hz〜17.5kHz、8Ωで150W、幅787×高さ908×奥行559mmで、重さはなんと80kgという超重量スピーカです。

 まず813Bでは、同軸ユニットにUREI自慢の801Bを採用、これはPAS(Professional Audio Systems)社製38cmノンコルゲーションコーンにJBLの高域ドライバとホーン(2425H+800H)を埋め込んだ同軸型ユニットで、ホーンの開口部にはあのスカイブルーの発泡プラスチック製のユサ・フォームが塗布されています。

これは、適切な空気インピーダンスとスムーズなレスポンス?を実現しているのだそうで、意味分かってませんがただのパフォーマンスではないようでしたぁ。

サブウーハにはケンタッキー州のエミネンス(Eminence)社(いまでもギターアンプのスピーカユニットなんか作っていま〜す)のウーハを採用。この813Bが大ヒットになってUREIはスタジオモニタとしての座を確実なものとしました。


 でも私の知っている813は確かアルテックのユニットだったと思っておられる方、そうなんですねぇ、初代813はアルテック604-8Gとサブウーハにエミネンス社の800Wが搭載されていまして、今回の出品がまさにこれにあたります。この時のホーンはあの青いユサ・フォームは付いていなかったはずなのですが、出品画像にはなぜかちゃんとついていますねぇ。

 813は1979年に磁気回路がフェライトの604-8Kへ変更となり型番が813Aとなりましたが、このときホーン部にユサフォームとホーン内のレゾネータ(風切音みたいな高域の吸音材って感じです)が付きました、これはカットオフ近辺のあばれとか3kHz付近のピークを改善するためなんだそうです、こんなんでいいんだぁ、って感じですが、、。

となると今回の出品は813Aとも思えますが、実はネットワークが838が搭載されていまして、これだと813となります、813Aではネットワークは839に変更されているんです。ただ、813Aと813のカタログを見ますと、813にはユサフォームは付いていなくて813Aには付いていますが、搭載ウーハは813と同じ、604-8Gと記載されているものがありました。どうも813から813Aへの過渡期にはどっちもありだったみたいですねぇ、このあたりあんまりこだわっていないところがいかにも海外メーカだと思いました。

 さて、1980年代初めになるとアルテックが供給不安を起こすようになりました(品質上の問題らしです)。そこで代わりにPAS社の同軸ユニット採用となるわけで、これが813Bで1983年に米で発売、813シリーズの中で一番売れたモデルとなるわけです。

 ちなみに813の最終モデルは813Cで1984年の発売でJBLのE145と2425(2426)を組み合わせた同軸ユニットと2215Hウーハの組み合わせです。エンクロージャーは板厚25mmの高密度チップボードで内部の全コーナーは約40mm角の米松角材で補強されています。

●813はセッティングでかなり音が変わるようですね。そもそも奇妙なセッティングで、サブウーハーが上になるようにして、ホーンがリスナーの耳の位置になるように設置するのが本体の使い方らしいのです。このためには高さが数十センチもある頑丈なスタンドが必要となりますし。

さらに背面を共振しにくい堅固な壁面に密着させる必要があるそうです。もっとも家庭用ではなくてスタジオ用だからこれでいいのでしょう。でも家庭では大変扱いにくい、もっともそんな人はめったにいませんが。

 音は、JBLのカラっと明るい音よりさらに楽天的だそうで、なんのことやら。これではなぜ813がスタジオで認められたのか不思議です。

モニタースピーカーとしての明晰な音、なんら色づけされないモニタリングとしての役割にはおよそふさわしくない、弾みのついた明るい響き、雄大なスケール感でアメリカ的な朗々とした豪華な音らしいのです。


 たとえばマッキントッシュなんかの豪華アンプで50年代のジャズを目一杯の音量で鳴らしたら、輝きと生命力に満ちた豪華サウンドで至福の時となるのでしょうが、バロックファンの私には到底合いそうにありません。


●価格は即決価格で£1499(約20万円)となっています。813Bだと人気機種なのですが、初代813ということで、\25万が相場、\8万で即買いと勝手に値付けいたしました。

 なんせ160kgですからね、送るのが一苦労で、もちろんUKからは無理ですよねぇ。もっとも日本で売っていても、これをウサギ小屋の一般家庭で鳴らそうとは思いませんが、逆にこれ買って鳴らせる環境の人がうらやましいっす。
http://audioagent.wordpress.com/2011/05/28/urei-813/
http://blogs.yahoo.co.jp/audio_agent/62843145.html


▲△▽▼


UREI Model 813 1980年6月15日

菅野沖彦
ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
特集・「’80ベストバイコンポ209選」より

 アメリカのプロ機器メーカーUREIが、アルテックの604−8Gを改造してシステム化したユニークなモデルだ。サブウーファーを追加、ホーンをUREI製に変え、タイムアライメントを施したネットワークを内蔵させている。適度なダンピングコントロールを施してたサブウーファーの働きで低域が豊かに、また歪の少ない高域が特徴。置き方によって音がかなり変るシステムだ。

UREI Model 813(組合せ)1979年10月30日


瀬川冬樹

続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第17項・アメリカの新しいモニタースピーカー UREI #813」より


 UREIはユナイテド・レコーディング・エレクトロニクス・インダストリーズの頭文字。日本語で発音するとあまり印象がよくないが、録音スタジオ等のプロ用器材の製造で、古くから有名なメーカーだ。つまり一般コンシュマー用ではないが、この会社の手がけた新しいモニタースピーカー813型は、日本のオーディオファンのあいだで、ちょっとした話題になっている。

 というのは、JBL4343の出現で、新しいモニタースピーカーの、音にぜい肉のない、つまり鋭利な刃物でスパッと切り割いてゆくような明晰な音に馴らされていた(しかしその点に多少とも不満をおぼえていた)人たちに、そうでないもうひとつのアメリカの音、肉づきの豊かな、神経質でない、人の好いアメリカ人のような屈託のない朗々とした豪華な味わいを、久々に聴かせてくれたスピーカーだという点で。

 なにしろ、音がいくらでも湧き出てくるような、弾みのついた明るい響き。雄大なスケール感。まるでコダカラーのような、つまりどこか人工的な味わいであることは感じさせながらも、しかしこれはアメリカでしか作ることのできない色彩のあざやかさと豊富さ。この音に馴らされたあとでたとえばJBLを聴くと、どこか禁欲的にさえ聴こえるほど、こちらの鳴らす音は享楽的だ。

 外形寸法は相当に大きい。とくに奥行きの深いことが、いっそう大きく感じさせる。そしてもうひとつ、低音用ユニットが上になるようにして、高音用ユニットが聴き手の耳の高さにくるように設置するという条件を満たすためには、高さが数十センチの頑丈なスタンドが必要だ。サイドボードや物入れのような共鳴しやすい材料は厳禁だ。また背後には共振しにくい堅固な壁面を選び、原則として背面を壁に密着させる。

 これは一般家庭用ではなくスタジオ用だから、家庭ではひどく扱いにくい。こういうスピーカーを家に持ち込むのは、日本の愛好家ぐらいのものかもしれないが、しかしこの音は他に得がたい魅力だ。ただ私は、ここまで楽天的な音を、毎日のように楽しむ気にはなれないが。

          ※

 このスピーカーを生かすのは、たとえばマッキントッシュのアンプの豪華な音だろう。そしてカートリッジもアメリカの製品。これで50年代のジャズをいっぱいのボリュウムで鳴らしたら、しばらくのあいだ陶然とした気分が味わえるにちがいない。輝きと生命力に満ちた豪華なサウンド。しかし、渋いクラシックのファンにはどう考えてもこの音は好まれない。

 このスピーカーの基本はアルテックの604−8Gというモニター用のユニットだが、UREIの技術によって、アルテックの音がなんと現代ふうに蘇ったことかと思う。おじ604−8Gを収めた620Aシステムでは、こういう鳴り方はしない。この813に匹敵しあるいはこれを凌ぐのは、604−8Gを超特大の平面(プレイン)バッフルにとりつけたとき、ぐらいのものだろう。

 UREI813を鳴らす組合せ例をもうひとつあけておく。国産で羽音の表情の最も濃いトリオの07シリーズを中心に、プレーヤーもカートリッジも結果的にスピーカーと同じまっ黒け≠ナ統一できた。むろんそういうおもしろさより、音質本位に考えた結果である。


スピーカーシステム:UREI #813 ¥498,000×2
コントロールアンプ:マッキントッシュ C32 ¥690,000
パワーアンプ:マッキントッシュ MC2205 ¥668,000
チューナー:マッキントッシュ MR78 ¥490,000
ターンテーブル:テクニクス SP-10MK2 ¥150.000
キャビネット:テクニクス SH-10B3 ¥70,000
トーンアーム:テクニクス EPA-100 ¥60,000
カートリッジ:ピカリング XUV/4500Q ¥53,000
カートリッジ:エンパイア EDR.9 ¥50,000
計¥3,177,000(ピカリング XUV/4500Q使用)
計¥3,174,000(エンパイア EDR.9使用)


スピーカーシステム:UREI #813 ¥498,000×2
コントロールアンプ:トリオ L-07CII ¥160,000
パワーアンプ:トリオ L-07MII ¥1200,000×2
チューナー:トリオ L-07TII ¥130,000
プレーヤーシステム:テクニクス SL-01 ¥80.000
カートリッジ:エンパイア EDR.9 ¥50,000
計¥1,656,000


UREI Model 813 1979年6月15日


菅野沖彦
ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より


 武骨なスタジオモニターながら実に堂々たるアメリカンサウンドを聴かせてくれる。アルテックの音には違いないが、高域の歪感のなさは、確かにリファインされたモデルといってよい。

UREI Model 813 1978年6月15日


菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

モニターとしての確度と音楽の魅力がバランスした優秀製品。

UREI Model 813 1978年6月15日

井上卓也
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

古き器に新しき酒をもった伝統と技術の巧みな調和は強烈な魅力だ。

UREI Model 813 1978年6月15日

瀬川冬樹
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

これこそアメリカでしか作ることのできない、血色のよい明るい響き。

UREI Model 813 1978年3月15日


瀬川冬樹
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より


 久しぶりに面白いスピーカーに出会った。永いこと忘れかけていた音、実にユニークな音。

たとえばブラームスのP協のスケールの雄大な独特な人工的な響き。
アメリカのスピーカーでしか鳴らすことのできない豪華で華麗な音の饗宴。
そしてラヴェル。

「パリのアメリカ人」ではなくて「パリジャン・イン・アメリカ」とでも言いたい、まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ。

だがそれう不自然と言いきってしまうには、たとえばバッハのV協のフランチェスカッティのヴァイオリンで、自分でヴァイオリンを弾くときのようなあの耳もとで鳴る胴鳴りの生々しさ。このスピーカーにはそうしたリアルな部分がある。アルゲリチのピアノのタッチなど、箱の共鳴音が皆無とはいえず、ユニット自体も中域がかなり張り出していながらも、しかしグランドピアノの打鍵音のビインと伸びきる響きの生々しさに、一種の快感をさえおぼえて思わず口もとがほころんだりする。

だが何といっても、クラシックのオーケストラや室内楽を、ことに弦の繊細な美しさを、しみじみ聴こうという気持にはとうていなれない。何しろ音がいかにも楽天的で享楽的であっけらかんとしている。スペンドールの枯淡の境地とはまるで正反対だ。

  そのことを裏がえしていえば、ジャズやポピュラーの再生に限定したとき、このスピーカーは全く他に得がたい美しい音を聴かせる。中でも菅野録音に代表される豊かで豪華な音の響きを味わいたいという場合、あるいは、五〇年代に代表される良き時代のスタイルで演奏されるジャズ、こういうプログラムソースが、このスピーカーからは、素晴らしく味の濃い密度の高い、ゴージャズでしかも何よりも大切なことはとても暖かい音で、再生される。

この音に楽しまされているうちに、ここ数年来、JBLやイギリスの新しい流れのモニタースピーカーを中心に、少なくとも私自身の耳が、このいくらか古めかしく暖かな音の美しさをすっかり忘れかけていたことに気づかされた。リッチで、ことに低音のリズムが豊かによく弾み、明るく楽しい。音が少しもいじけていない。伸び伸びと、あくまでも伸び伸びとよく唱う。音がいくらでも湧き出てくるような気分になる。

スピーカー自体の能率がかなり高いこともあってアンプのボリュウムはかなり絞っておいても音が豊かさを失わないが、能率の高さよりも音の自体の性質がいっそうそれを感じさせるのにちがいない。今日的なワイドレインジと、古き良き日の善意に満ちた(分析的でない)楽しい豊かさとが見事にドッキングして、解像力の高くしかも冷たさのない新しいモニタースピーカーが生まれた。

スピーカーユニットの配置が独特なので、試みに天地を逆さまにして床に直接置いてみたが、これでは音像がべったりして全然よくない。指定どおり、高域ユニットが耳の高さ附近にくるように、高めの台に乗せることが必要のようだ。


UREI Model 813 1978年3月15日

菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より


 ユーレイという名前は日本では奇異な感じを持たれるかもしれないが、このメーカーはアメリカ・カリフォルニア州サン・ヴァレイにあるプロ機器専門メーカーで、ユナイテッド、レコーディング・エレクトロニクス・インダストリーズという。そのイニシャルをとるとUREIとなる。

社名が示す如く、主に録音の周辺機器を製造しているが、同社のスピーカーに接するのは、私もこれが初めてであった。

このシステムは、今アメリカのスタジオで、一つの流行ともいえる様相を呈しているアルテックの604のモディファイである。

604−8Gのセクトラルホーンとネットワークをはずし同社製の800Hというストレートホーンをつけ、これにもう一つ38センチのユニットを追加、これらにタイム・アラインド・ネットワークをつけ、大きなダンプドバスレフ・エンクロージュアに収めた大型モニターシステムである。

モデル813と呼ばれるこのユニークなシステムは、正直なところ完全に私を魅了してしまった。

その高域は、604−8Gとは似ても似つかぬ繊細かつ、明確、なめらかなハイエンドと化し、しなやかな弦の響きを再現するし、パルシヴな高域のハーモニックスも優美な音を響かせる。加えて、適度にダンピングをコントロールした低域の豊かさは素晴らしく、フェイズ感はナチュラルで、近来稀に聴く優れたスピーカーだった。
http://audiosharing.com/review/?cat=91


▲△▽▼


UREIの製品は、初期物に人気がある。

たとえば、1620ミキサーは太い音の初期物に対し、後期物はハイファイ的音と評されている。

価格も初期物が高く、自ずとどちらの音を皆が望んでいるかは分かる。

私もUREIのスピーカーは、JBLユニットを使う前の813が好きであって、それが置いてある日本橋の喫茶店へよく行ったものだ。
http://wabikichi.blog133.fc2.com/blog-category-17.html


さてUREI夫さんの813ですが、38ユニットが縦に並ぶその巨大さは圧巻です。

最初、再生音にちょっとホコリっぽい感じもあったんですが、それは単にまだ目覚めていないだけでした。しばらく鳴らすうちに調子が出てきて、豪放磊落、悦楽再生そのものという感じで歌い出します。

さすがはマッキン2500でドライブしているだけはある、暖かみとパワフルさが共存した音です。

この813にはアルテックのユニットが使ってあるそうで、歯切れの良さと重量感が同居したこのSPの低音レスポンスの良さはその賜かも知れません…。
http://www.geocities.jp/krytone1234/tabioto.htm


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11. 中川隆 2013年6月23日 10:50:59 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
同軸型ユニットの選択


川崎先生は「プレゼンテーションの極意」のなかで、特徴と特長について語られている。
     *
「特徴」とは、物事を決定づけている特色ある徴のこと。
「特長」とは、その物事からこそ特別な長所となっている特徴。

     *
ベッセル型フィルターの「特徴」が、同軸型ユニットと組み合わせることで「特長」となる。

UREIの813のネットワーク(TIME ALIGN NETWORK)は、回路図から判断するに、
ウーファー部のハイカットフィルターは、8次のベッセル型である。

ベッセル型フィルターの通過帯域内の群遅延特性はフラットであると前に書いているが、そううまくウーファーの音だけに遅延がかかって、トゥイーターからの音と時間的な整合がとれているのか、と疑われる方もおられるだろう。

メーカーの言い分だけでは信じられない、コイルとコンデンサーだけのネットワークで、タイムアライメントをとることが、ほんとうに可能なのか、と疑問を持たれても不思議ではない。

ステレオサウンドの46号の特集記事はモニタースピーカーだった。
その次の47号で、46号で登場したモニタースピーカーを、三菱電機郡山製作所にての測定結果が載っている。

アルテックの620A、JBLの4343、4333A、ダイヤトーンのMonitor1、キャバスのブリガンタン、K+Hの092、OL10、ヤマハのNS1000M、そしてUREIの813の、無響室と2π空間での周波数特性、ウーファー、バスレフポート、パッシヴラジエーターに対する近接周波数特性、超高域周波数特性、高次高調波歪特性、混変調歪特性と混変調歪差周波掃引、インパルスレスポンス、群遅延特性、エネルギータイムレスポンス、累積スペクトラム、裏板振動特性、デジタル計測による混変調歪が載っている。


ステレオサウンド 47号の測定結果で比較したいのは、アルテック620A とUREI・813であることはいうまでもない。

813のネットワークの効果がはっきりと出ているのは、インパルスレスポンス、群遅延特性、エネルギータイムレスポンスにおいてである。

620Aのエネルギータイムレスポンスは、まず-40dB程度のゆるやかな山があらわれたあとに、高く鋭く、レベルの高い山が続く。 最初の山がウーファーからのエネルギーの到達を示し、それに続く山がトゥイーターからのものである。

813はどうかというと、ゆるやかなウーファーの山の中ほどに、トゥイーターからの鋭い山が入りこんでいる。ふたつの山の中心が、ほぼ重なり合っている形になっている。

620Aでのウーファーの山のはじまりと、813でのはじまりを比較すると、813のほうがあきらかに遅れて放射されていることがわかる。

インパルスレスポンスの波形をみても、このことは読み取れる。

620Aでは、やはりゆるやかな低い山がまずあらわれたあとに鋭い、レベルの高い山が続く。

813では、ゆるやかな山の始まりが遅れることで、鋭い山とほぼ重なり合う。

群遅延特性も、同じアルテックの604-8Gを使用しているのに、813はかなり優秀な特性となっている。
http://audiosharing.com/blog/?cat=60

UREI 813

PAS社のユニットはUREIに採用されたことがありました。以下の文章は、UREIのモニタースピーカーシステムについて、ランシングヘリテッジフォーラムの管理人、Don McRitchie氏が2001年8月に同フォーラムに記載したものです。

ちょっとだけ訳してみると…


オリジナルの813(下の画像)はモディファイしたALTEC604-8GとEminence社(北米のスピーカーユニットメーカー)のウーファーを使用。このウーファー(型番はU800W、または800W)は最低域を伸ばすのではなく、パワーハンドリングを改善するためのもの。

その後、1979年にフェライトの604-8Kに変更。フォーム状のパッドをホーンに取付けカットオフ近辺のクセを低減。さらに、ホーンの内壁にレゾネーターを形成して3kHzのピークを解消。これが813A。

70年代後半から80年代初頭にかけてALTEC社は品質管理に問題を抱えるようになり、UREIは604の代わりを探し始めた。候補としてTannoy、Emilar、Gaussの同軸をテストしたが要求を満たさず。結局、PAS社の同軸ウーファー部にJBL社の2425を組み合わせ、これにEminenceの補助ウーファーを搭載したのが813B(下の画像)。UREIのビジネスはこれで大成功する。

UREIはその後ハーマンに吸収され、1984年にJBL社の801と呼ばれる新型同軸ユニットと2215Hを組み合わせた813Cになったということです。


UREI stands for Universal Recording Electronics Industries. It was founded by Bill Putnam in the 1960’s as a small manufacturing arm of his larger recording studio business – Universal Recording Company (later United Recording, United Western and currently Ocean Way). Bill was one of the most respected recording engineers in the business. He was Frank Sinatra’s favorite engineer and worked on many of his most renowned recordingsBill was instrumental in developing many of the technological innovations that have become standards in the recording history. A detailed profile of his life can be found at:

http://www.uaudio.com/history/BPsr.html

Word of Bill’s innovations in developing homebuilt equipment for his studio spread throughout the industry and resulted in demand for him to manufacture and sell his products. This was the genesis of what would ultimately become UREI. One of Bill’s homebuilt products that gained significant word-of-mouth was a customized monitor that was the prototype for the 813The original prototype was based on the Big Red monitor developed by Sherwood Sax of Mastering Lab and manufactured by Audio Techniques of Stamford Connecticut. It was based on the Altec 604. The major innovation of the Big Red was to replace the standard cross-over with a customized design that tamed a ragged midrange response that plagued all 604/605’s of that era. It resulted in a much smoother response that addressed the long standing reputation of the 604 as being a “fatiguing” monitorBill Putnam worked with Dean Austin, Ed Long and Dennis Fink of UREI to further improve the 604. The multicell horn of that driver had relatively poor directional control and poor loading at crossover which contributed to the harsh and ragged response. The 813 was developed with a customized, flared horn that had tighter pattern control and a revised cross-over. The cross-over was designed by Ed Long and introduced the patented Time Align (R) concept that allowed the 604 to operate as a time-coherent point-sourceThe original 813 was installed in Putnam’s own United/Western recording studios in the mid 70’s. Outside mixers and engineers that booked time in these studios were very impressed with this new monitor and pressured Putnam to manufacture and sell the 813. In 1976, UREI expanded its field of operations and entered into the monitor businessThe original 813 used a modified 604-8G along with an Eminence helper woofer and Ed Long’s Time Align crossover. Interestingly, the main purpose of the Eminence woofer was not to extend bass response but rather increase overall output. The 604 was prone to failure at high output levels. The helper woofer allowed UREI to increase the power handling of the 813. To this day, unless soffit mounted and equalized, the 813 has a reputation of being somewhat bass shy.

In 1979, Altec introduced the 604-8K as the ferrite replacement of the Alnico 604-8H. The new driver was found to sound quite different leading Putnam to make further revisions to the 813. A new horn was introduced that added foam padding to the interior of the horn and a foam extender on the horn mouth to soften the cutoff frequency characteristics. Putnam also included small Helmholtz resonators on the internal side walls of the horn to trap the persistent 3 khz spike in the 604 response. The network was redesigned to accommodate the driver changes and the new system became the 813ADuring the late 70’s and into the early 80’s, Altec was experiencing significant quality control problems. At the time, Altec was headed towards bankruptcy and the eventual closure of the Anaheim facility. It resulted in such poor product consistency that UREI was rejecting as much as 95% of the incoming Altec drivers. UREI became an authorized Altec repair center just to ensure they would have enough stock on hand to build the 813. It led UREI to ultimately seek a replacement for the 604UREI initially tested Tannoy, Emilar and Gauss products, but none would meet their requirements. Ultimately, they became interested in PAS drivers which had a unique 15” bass driver that could accept a high frequency compression driver of the user’s choice. UREI was favorably impressed with JBL’s 2425 compression driver and tried mating it to the PAS transducer. This became the basis of the 813B introduced in 1983. Again, an Eminence helper woofer was employed. This was a very successful design and led to a very healthy upgrade business for UREI in converting 813A’s to 813B’s. The 815 was also introduced at this time which was a monster monitor that contained two Eminence helper woofers for a total of 3-15” drivers.

During the development of the 813B, there was a very interesting problem with the production 813A. All of the sudden, new 604’s exhibited a deep, narrow hole in their response at 3 kHz. A phone call to Altec established that the long known issue of the spiked midrange response had finally been addressed by a new engineer and a design change was made without informing their customers. UREI addressed this new development by substituting closed-cell foam of the same color as the original open-cell foam in the resonating holes, which disabled the resonators without changing the product cosmeticsIn the early 80’s, Bill Putam’s wife died and he began to lose heart in the business. Harman International expressed interest in the firm and UREI was sold in late 1983 to become a division of JBLpro. Dean Austin moved over to JBL and became responsible for the ongoing design of UREI monitors. In 1984, the 813C was introduced as an all JBL product. It used a new coaxial called the 801 and replaced the Eminence helper woofer with the 2215H (pro equivalent of the LE15). This was the most successful 813 yet and replaced the 815B as well since it had higher output than that 3 driver system. Dean went on to design the very successful 12” 809 which was the last UREI monitor that was sold when Harman International discontinued the brand in the mid 1990’s

Commented by Roberto at 2008-06-18 21:52 x
urei かっこいいですね! 真似っこしてミニ版を作ってみたいです(笑)

確かネットワークに特殊な位相補正技術が使われていたとか...
ところで、ダブルウーハーのエンクロージャーは一体なんでしょうかね?
全然違う特性のユニットだと思うのですが。

Commented by kiirojbl at 2008-06-18 22:46
あれっ?
箱の中は当然仕切られているのではなかったかしら…
考えてみると813、813A、813Bについては確認してないです。
http://www.jblproservice.com/pdf/UREI%20Time%20Align%20Series/813C-L,R.pdf

Commented by darda95_215 at 2008-06-19 17:19
懐かしいなぁ、使ってました 813A。
仕切りは無かったっす。
モニターのクセになんでも自己流で鳴らしてしまう頑固なヤツでした。
ハマれば無敵なほど魅力的、JBLほどの融通性は無くてALTECの血の方が濃いように感じてました。
ネットワークにタイムアライメントとか言うわりに電球とか使われていて面白かったです。
信号がフィラメント通るんだもん、SPケーブルなんざなんでもええよね w


Commented by kiirojbl at 2008-06-19 19:22
813A、箱の仕切りはなかったですか。
うれしいです、そういう構造。
スピーカー、理屈じゃないですよね。

自己流で鳴らしてしまう、ってこれもうれしいですね。
スピーカーってそのぐらい主張が欲しい。
じゃないと、こだわっている意味がないですもん。

それがALTECの音ならなおさらいい。
ALTECって恐ろしいほどの魅力を感じます。
聴いてみたいなぁ…

電球をネットワークに使うのは知ってましたが、UREIもそうだったんですか。
というかもしかしたらUREIが最初だった?
貴重な情報として覚えておきますです。


Commented by Roberto at 2008-06-20 09:29 x
仕切りはないのですね! ダクトが1個なのでそうかな〜と思っていました。面白いですね。 エッジが硬いユニットだから問題ないのでしょうね。

電球は、リミッタですね? せっかくだから外からピカピカ見えたら楽しいのに!

Commented by kiirojbl at 2008-06-20 14:15
813Aは仕切りなし、813Cは仕切りありということが分かっていますので、あとはオリジナルの813と813Bですね。
http://www.jblproservice.com/pdf/UREI%20Time%20Align%20Series/813C-L,R.pdf

Commented by old_style_photo at 2008-07-10 08:04 x
うちの813には仕切りがありますね。鳴らすのにひと苦労でした。


Commented by old_style_photo at 2008-07-10 08:06 x
こんな感じで使っています。


Commented by kiirojbl at 2008-07-10 12:00
お使いになっているのは813Aでしょうか、それとも813Bでしょうか?


Commented by old_style_photo at 2008-07-10 12:31 x
たぶんAだと思うのですが。
altec604-Kが使用されているタイプです。

Commented by kiirojbl at 2008-07-10 12:49
貴重な情報、ありがとうございます。
604-8Kですと、813Aですね。
だーださんの813Aは仕切りなし、old styleさんの813Aは仕切りあり・・・
う〜む、謎が深まってまいりました。面白いですね。


Commented by old_style_photo at 2008-07-10 12:56 x
仕切りはありますが密閉ではありませんよ。
バスレフのような構造になっています。
こちらこそよろしくお願い致します。

Commented by old_style_photo at 2008-07-10 15:26 x
入手当初のあまり鳴りがよくなかったのでネットワークをオリジナルに基づき作り直しました。
http://kiirojbl.exblog.jp/9070201/



▲△▽▼


次のSPは Urei 813 スタジオモニター 2009年01月25日

専務用の次のSPは 「Urei 813 スタジオモニター」 にしました。

アルテックの604系のユニットとJBLのウーハーで構成されています。
ブルーのホーンがアクセントですね。

既に604系では604-8Gで#614や#620AをTrail仕様にして、その実力を十二分に確認しています。モニターSPの中で「普通に使える」SPとしてALTEC 604系のSPユニットは非常に素晴らしいソノリティを持っています。

一般的なモニターSPと違って「削られた音」が ほとんどないユニットですので非常に楽しみです。

パワーアンプも2種、Trail仕様の「化け物クラス」のアンプを用意しています。


Urei813、いいですね。
昔、MJ(無線と実験)を愛読していまして、(今はしていませんが)表紙になっていたのが今でも鮮明に覚えています。

部屋が広ければ、一度は使ってみたいのですが、多分、無理でしょう。せめて、620とかは使ってみたいです。(中学くらいから憬れています。)
byいたちょう at2009-01-25 11:01

604系のSPは大変素晴らしいサウンドを聴かせてくれます。
自分の気に入るレベルまで追い込んでみたいと思っています。
byしき at2009-01-25 11:10

前日記(レス禁止で(-_-;))で

「モニターSPを探していま〜〜す!」

ってあったので 気になっていたのですが・・・  
早ッ!!  ウ〜〜レイ(Urei)になったのですね。  懐かし〜〜いです。    モチロン使った事もありませんし ホンモノを見た事があるかも今となっては・・・?? 記憶にアリマセン。

当時は スタジオモニターが 流行って いましたよねェ〜〜   

ウ〜〜レイに ガウス タンノイ ATC アルテック そして JBL。 

憧れですよね。   

ウチには やっとの思いで 4344を入れた思い出があります。  6畳間に押し込んでの使用でしたが 降り注ぎ 浴びせ掛けられる様な音のシャワーに 満喫していましたね。  多分・・・ アレでは4344の良さは聴き出せていなかったと思いますが 当時は当時で楽しんでいたのですから まァ− よし! でしょうかネ。

今は部屋も広くなりましたので 大型のモニターSPの導入を企んでおります。  企むのはタダですからネ  (^_^)v   

JBLやTANNOY ウエストレイク・・・  
 今一度 アノ 浴びせ掛ける様な 音のシャワーに浸りた〜〜い。
byアコスの住人 at2009-01-25 13:26

SP遍歴を繰り返した挙句、メーカーオリジナルを基本にSPユニットの変更や追加で自分好みのSPを作っています。

ALTECの604系のユニットの潜在能力が非常に高く、これを使わない手はないと思いました。

Urei 813 を自家薬籠中の玉に仕上げたいと思っています。
byしき at2009-01-25 13:52

なるほど、ウーレイですか これは気付きませんでした。
確かに、しきさんのこれまでの方向ときっちり一致しますね。
byたくみ@深川 at2009-01-25 19:47

JBLは既に3セットの大型システムを持っていますので次はALTECと思い614や620Aを使ってきましたが、良い所と欲しい所を考えるとウーレイが良いと思いました。

一生付き合えるSPと考えるとそれなりに しっかりしたSPユニットが必要です。

既にJBLとALTECのユニットの「潜在能力」の高さを感じていますので期待を裏切らないと思います。 結構大きな箱ですので置き場所も大変です。
byしき at2009-01-25 20:13
http://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090125/9763/

Urei 813 の音出し 2009/02/01

早速ユニットを組み付けて前オーナーさん手作りのネットワークで「音出し確認」です。

とにかくSPの高さが180cm有りますので「異常な高さ」です。前オーナーさんはALTEC A4 を導入されるためにこのUREI を手放されたとの事ですので相当大きいお部屋でしかも「大音量」でドライブされていたようです。

ともかく「音出し確認」は無事に完了しました。スケール感の大きい再生音でパワーを入れれば入れるだけ「鳴り」が良くなってきます。

「音の空気感」に独特のスケールと雰囲気を持っています。前オーナーさん手作りのネットワークはOILコンデンサー等が宙ぶらりんなので後日対策が必要ですが、なかなか良い部品が使って有り、このサウンドの源かも知れません。

ただ、自分が作り上げたRCA箱システムと比べると「豪放さ」は有るものの、「音の粗さ」も相当ありますので、あちこちに手を入れて行かないと「専務宅」で使えません。

単純に第一チェックで


1)SPスタンドの新規作成・・・・高さと安全・音質対策

2)ネットワークのユニット化・・・ネットワークの完成(フィルムコンデンサー交換)

3)低域ウーハーのユニット交換・・・416-8Bに交換予定(ノーブランドウーハー交換)

4)高域にピラミッドツィーターの追加・・・高域の伸びと音数改善

5)SP内部配線、ネットワーク配線と各SP端子の交換・・・音質改善


を対策したいと考えています。

しばらくはこのままで聴きながら一つ一つ確実にグレードアップと使い勝手をよくしていきたいと思っています。


コメント

d4studio さん この度はありがとうございました。
ユニットと箱代だけでもこの価格は安かったと思っています。
付属のネットワークには疑問を持っていまして、今回いただいたネットワークの様な物を「特注」で作ろうかと考えていたぐらいです。
ネットワークの仕上げでこのシステムのサウンドが決まります。
現状でも「合格点」が出せるようなサウンドが出ています。非常に満足しています。
でも「大きい」ですね。
投稿 トレイル | 2009/02/02 10:46
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c2c188777dd340c80fe09bc0c6a8beda

UREI 813 のサウンド 2009/02/03

UREI 813 のサウンドは「非常に魅力的なサウンド」です。
JBLの3大ホーンシステムとは随分と変わった「雰囲気」が有ります。

まだ「音質改善対策」は一切やっていません。音は比較すれば「粗い」のでしょうが「豪放なサウンド」は非常に魅力的な部分を持っています。多分オイルコンを使った手製のネットワークがなせるサウンドかもしれません。515Bのウーハーを使ったときのサウンドに似ていますね。


コメント

ネットワークいろいろ試してみて下さい。自分なりに試行錯誤して作り上げた音です。50年代のjazzを聴く設定になっています。604でここまで太い音が出るのはなかなか無いと思いますよ(笑)
投稿 d4studio | 2009/02/04 02:19


今出ているサウンドは良質なネットワークによって出ているサウンドだと思います。
どう表現すればいいのでしょうか?「うねるような音楽が表現される」様で、こんな響きのサウンドは初めてです。
非常に気に入っています。
投稿 トレイル | 2009/02/04 10:33
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090204/9969/

UREI 813 にOLD N1200 ネットワークの組み合わせ 2009/02/10

昨夜は早くから寝て12時間爆睡していました。
出かける前に UREI 813 用にもう一つネットワーク(JBL N1200)を手配していましたので1昨日入荷していました。
付属のオイルコンを使ったネットワークと違いJBL N1200のサウンドは「カチッ」とした質感で、ALTECとJBLの違いがはっきりと出ています。どちらが良いと云うのではなく「表現を変える」事が出来るitemとして使って行きたいと思っています。

オイルコンを使ったサウンドは「豪快で音楽を大きな河の流れの様に」聴く事が出来ます。一方JBLのN 1200を使ったサウンドは本来の「スタジオモニター」の様な切れ込みと粒立ちを感じさせるサウンドです。どちらも私には素晴らしいサウンドを予感させてくれます。

まだ今週はUREI 813 に手を付ける事が出来ませんが、着々と注文していた部品が入荷しています。

来週には「専用トレール」が出来上がって来ますので、それからすぐに手を付ける予定でいます。取りあえずはN 1200を使ったシステムとして作り上げます。オイルコンのネットワークは部品を固定する部品を入手しないと安心して使えません。またこのネットワークには上品な「専用木箱」を作る予定です。

写真でも判るように後ろのRCAシステムがUREIの陰に隠れて全く見えなくなっています。180cmの高さでは、立って聴かないといけません。

コメント

urei813はレコーディングスタジオ用に作られたものでかなり高い位置から上部を前にたおしたレイアウトを基本としているようです。それに習って高くしていました。
投稿 d4studio | 2009/02/11 23:23


専務の自宅で使う予定なので高さをSP上面で120cmにします。その上にピラミッドのリボンツィーターを追加して使う予定です。
オイルコンのネットワークも配線を替えていろいろ試していますが、d4studioさんのオリジナルが一番良さそうです。
回路が決まり次第「固定化」します。木箱の設計と、サランネットの設計をしないといけません。なにせ、専務宅には「遊び盛り」の幼児が2人もいますので防御しないとホーンを折られてしまいます。
投稿 トレイル | 2009/02/11 23:47
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/855962b9d22c949c09b310434eedbb7d

UREI813 の進捗 2009/02/13

今日はN1200の音質対策を実施しました。「音質対策」と云っても大したことは出来ませんが、「鉛半田」を「鉛レス半田」に一部を入れ替えました。本当は全部したいのですが半田こてが入りません。

これだけでも結構な音質改善になります。

またオイルコンを使ったネットワークの配線変更で実験をして見ました(シンプル化)が、やはり部品点数が多いほど「深み」や「コク」が出るようで、元の状態が一番良さそうだと云う事になりました。

コメント


ネットワークの部品点数が多い方が深みやコクが出る・・・というのは興味深いです。
byヒジヤン at2009-02-13 19:46


ネットワークもアンプも「シンプルだから良い」とはいえない部分が有ります。ケーブルも同じです。
「音楽の味」は「料理の味」とそっくりです。
一つの商品の中に「良い音の素材を沢山入れた」ものはなめらかで音数が多くて、力感も良くて、「うま味」が有るのです。
byしき at2009-02-13 20:41

「シンプル イズ ベスト」理論はどうしたのでしょうか。
byヒジヤン at2009-02-13 20:49


短絡した考え方の「シンプル イズ ベスト」ではまろやかさが出ませんね。
機器の数は出来るだけ少ない方が良いのですが、その中身は豊富な良い素材が使ってあることが必要です。
byしき at2009-02-13 21:07
http://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090213/

UREI813 の改造着手 2009/02/14

R305 が出て行きましたので少しスペースが出来ました。トレールの入荷も日取りが確定しましたので、懸案の「改造」に取り掛かりました。

まずは背の高いスタンドから降ろして仮置き用のトレールに載せました。そしてユニットを取り外しています。

ウーハーユニットが下に来るように箱を上下逆に向きを変えました。内部配線材には「ルシファー」を使います。

裏面のSP端子を付ける処が塗装されていませんでしたのでブラックに塗装しています。

内部の桟の入り方です。内部は2分割されていると思っていましたが、グラスウールで仕切ってあるだけの簡単な構造です。

取り外したユニット達です。単純に2つのユニットだけですのでシンプルです。

ダイアフラムも開けて見ました。ダイアフラムも「ラディアン」に交換してあるそうで、配線も交換してありました。

ここら辺も「音質改善対策」の重要な部分です。

ネットワークは今回はJBL N1200 を使う事にしました。このネットワークをBOXの中に入れて固定化させて使います。
ユニットは「対策中」です。明日にはすべて組み上がる予定です。
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090214/

UREI813 の音質改善対策完了 2009/02/15

Urei81326_2 ウーレイ(UREI)813のSPの「音質改善対策」が完了しました。まだ鳴らし始めたばかりなので、各部の馴染みが進んでいませんのでかなりピーキーな音が出ていますが、少しづつまろやかに変化しています。

対策内容は

1)SP端子の設置(購入時点では付いていなかった)

2)ネットワークをJBL N1200 に変更。

3)内部配線を「ルシファーケーブル」でやり直し。

4)各ユニット毎に半田の入れ替えやケーブル材の入れ替えを実施。

等です。何せ配線が太く巨大ですのでその取り回しや強度が強い為に端子をへし折ったりとトラブルが有りましたが何とか完成に至りました。

1st印象は「低域の分解能と量感は十分、中高音はまだ馴染みを待つしかない」でした。かなり「吠え」ましたね。

明後日には専用トレールが来ますので、その頃までにはかなりエージングが進むと思います。とにかくN1200がふん詰まっています。いきなり今まで扱った事のない「情報量」が来ていますので時間が必要です。

コメント

ネットワーク内臓の「普通のSP」の形態にまとめました。
家庭用で使いますのでこちらの方がシンプルで使いやすいと思います。
後は専用トレールの入荷とサランネットの作成です。
音質は今でも申し分ないサウンドになっています。
投稿 トレイル | 2009/02/16 10:27
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2051/20090215/10224/

UREI813 のその後 2009/03/01

Urei8131_2 UREI813も最終形態にして鳴らし込みを続けて来ました。
約2週間になります。
ネットワークのエージングもようやく完了して来たみたいで
まろやかなサウンドになって来ています。

現在の実力は後ろのRCA箱システムと遜色ないサウンドを奏でています。
部屋に入った瞬間どちらが鳴っているのか判りません。

UREI813のサウンドは低音域の豊かさと伸びきった高域になります。
単体では高域は伸びていませんのでピラミッドのツィーターに負う処が大きいのですが、つながりが良いので違和感を感じません。

反応の軽さと音の厚みとレンジの広さとウォームな質感で期待通りになりました。
大音量再生から小音量再生まで幅広く使えます。
後はサランネットが出来て来るのを待つだけです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/dce33e17dd7edd39c4058ff8585c70c0/?st=1


UREI#813Bシステムの変貌 2010/06/09

今日は午後から専務宅のUREI#813Bシステムのサウンドを聴きに行きました。前回3月に行っていますがその時との違いは「正規品パワータップ」の導入前後と云う事になります。

先月「正規品パワータップ」(100V/1000W・117V/500W仕様)を導入してサウンドが「激変」したとの報告を受けていましたが、「ダブル 604系ユニット化」も頭の中にイメージを描いていますので、その必要性もチェックしたかったのです。

いつも良く聴く「ジェットストリーム」でポール・モーリアの曲をかけてもらいましたが「ビックリ」致しました。「激変」しています。

前回はやたらと低域が出しゃばっていましたが「バランスの良い事」と「音の厚みの増大」、「音色の艶やかさ・美しさ」、「音数のビックリするくらいの増加」等が直ぐに判ります。ちなみにプリアンプのC40のイコライザーは全て「ノーマル」ポジションです。

電源タップを「パワータップ正規品」に交換しただけで大幅なグレードアップとバランスの良さ、音色の美しさを手に入れています。聴取位置が若干近いのですが「うるささ」をほとんど感じません。小音量から大音量まで使えます。

UREI#813BのSPシステムに「ダブル 604系ユニット化」は必要ないと結論しました。想像以上の変貌ぶりでした。

自宅のSP707Jシステムはまだ100Vラインが試作品パワータップです。これを早く交換したくなります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7e122d9d474229a1ed195a3f76cae713
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c22

[近代史4] アルテックの世界 中川隆
5. 中川隆[-11717] koaQ7Jey 2020年8月24日 14:15:38 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[26]
永遠のアルテック・ランシング 604 シリーズ
http://hwm8.gyao.ne.jp/nao-sakamoto/yota/index.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/993.html#c5
[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
26. 中川隆[-11716] koaQ7Jey 2020年8月24日 14:18:29 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[27]
ALTEC 604 Duplex A,B,C,D,E


ALTEC 604A,B 

604はAタイプが一番人気、Aは切れが良く反応が速い。ユニットは黒っぽい色。フィックスドエッジ。

初代(A)とBは同じ。なめらかな音で聴きやすいので一番人気がある。

604AはRWBという赤文字の初期型とHOLLYWOODと書かれた黄色文字の後期型がある。

BタイプはHOLLYWOODである。RWBとHOLLYWOODでは値段は倍ほども違う。

アメリカのスピーカーでは最高峰の一つとされる。Cとかと比べると蝶ダンパーと

フィックスドエッジでパーン!というキレの良さが違ってくる。ではボーカルとかを聴く人で

ジャズの楽器の音を重視しないのであれば必要ないかというと、
そうではなく、楽器の音色とか質感が全然違ってくるわけです。やっぱりAというのは
引き合いが多く、市場に出て来ても値段がいくらになるかなんとも言えないものがある。

ただ、高額な相場は初期モデルや数の少ない希少品ほど人気があり高額になる骨董品の

性質が出ている。604AまででランシングはALTECを去っている。Bは基本設計が同じだから

ランシングの作といえる。AとBは音は似通っているとはいってもステレオで使うならAかBか

ちゃんと合わせる。当然混在はさせない。604ABはアルテックトーンが存在するが

もっと普遍的な音。Cの方がアルテックトーンが強い。筆者のようにCのような

アルテック色が強い音の方が好きという人も中にはいるのだが、
キャラクターが減ってもランシング作の方が良いと感じる人の方が多い。

ただ1940年代の古い製品なので現在でも実用に耐えられるコンディションのものは少ない。

ABの箱は黒箱だが、写真の604Bはサロンタイプの家庭用に使われていた箱に入れ直したものだろう。

604全体としてウーファーの振動版が軽く、反応が早く、小気味が良い。

現代の15インチと比べると低音が出ないが敏感なウーファーが好ましく感じられる。

現代のパーマネントマグネットのウーファーはしんどいというか、やっと低音出している感じで

動きが重たく鈍いんですよ。

ALTEC 604C

ABからは音は大きく変わる。ユニットはグリーン色。フィックスドエッジで

後半はフリーエッジに変更されている。初代,Bから傾向は大きく変わる。

しっかりした音。TANNOYと比べるとうるさいというか激しさや切れが出てくる。

アルティックトーンは一番強く、エンターテイニングで眩しいまでの明るさや輝きや

華やかさがある。フリーエッジはエッジがじゃばら状になってる。

エッジの幅が広くなったじゃばらの部分でウーファーに現代物ソースの

重低音が入っても大振幅を吸収しダンパーが壊れにくくなった。
ただ小股の切れ上がった表現は消え失せて緩くなってしまった。

604は高域レベル可変アッテネーター付きでないと狭い六畳間では高域が強くて

耳が痛くなる。その場合は605Aがお勧めであるそうだ。次点で605Bでも良い。

ALTEC 604D

未聴である。結局タンノイ社と同じで同じ音だと買い替えてくれないのでモデルチェンジごとに

傾向を大きく変えてきている。Dというユニットは存在数が極少数で手に入れることは難しいだろう。

ALTEC 604E

やはりCから大きく音が変わる。Eのユニットは白っぽい色。あと極少数のグリーン色が存在。

つまりグリーン色はCかDかEしかないのだが、ほぼCで間違いない。

華やかさもまだしっかり残っているが、プログラムソースの殆どに対応できる

平坦なハイファイ・トーンになっている。アルティックトーンはCよりだいぶ薄くなったが

ABよりはアルティックトーンがある。604は同軸で位相特性に優れており、

直熱三極管のアンプを使うと広大な音場空間の再現性に優れ、

録音現場の空気感を上手く再生できる。弱点としては低音が出ない。

ただそれは現代の15インチスピーカーと比べての事であって、

18cmのスピーカーの低音とは比べ物にならないことは強調して置きたい。


フィックスドエッジもフリーエッジも寿命はウレタンエッジなどより遥かに長寿命だが、

やはり交換は必要になる。使っているとエッジが薄くなってくる。


CのユニットにEの振動版やコーン紙でリペアしたものもある。

紛いものと言ったら言葉は悪いけどやはり違う物になる。

604-8G ここからは大きく評価が下がる。日本にも多く輸入されていたので現在も使ってる人は多い。

でも最近のスピーカーなんかと比べると反応もいいし全然良いといえる。


604は銀箱と初期の黒箱とfamilykingの箱があるが、銀箱や黒箱は音をしっかり前に出そうと
している検聴用モニター。familykingはバックロードで内圧を横に逃がしているので
音がこもりにくく、抜けがいい。ホールの豊かな音場感を出せる。
一般家庭リスニング用としてはfamilykingがいいでしょう。


女性ボーカルを聴く場合、MONITOR REDとALTEC 604を比べると
ALTECの方が音が自然。TANNOYの方が色艶があり官能的という違いがある。
ALTECもマグネットの減磁やネットワーク部品劣化などで眠い音が出ている。
再着磁(3万円)やパーツ交換などのリペアーでボケた音は改善できる場合がある。


ALTEC 604A,B,Cは間違いない買い物とされている。

604ABは普遍的な音で、地味にも感じられるので、あくまでも個人的な感想だが

ハイファイでプログラムソース全般を鳴らせる604Eが推薦モデルである。


604シリーズはA7やA5より鳴らしやすい。A5,A7,817Aは腕が要る。

雄大なスケール感は魅力だが、キャビネットの共振による音の汚れも大きい。


ただ世の中の大勢を占める意見としては604A(無印の初代)はアルティックの最高峰とされる。
A,BはC以下より数が少なくなり値段も高くなる。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c26

[リバイバル3] ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ 中川隆
51. 中川隆[-11715] koaQ7Jey 2020年8月24日 16:59:50 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[32]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
テレフンケンモニターSP RB46 のサウンド 2007年11月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5ba5a3df4a35018454df51a78c2bdc7e


Rb461

テレフンケンのモニターSP RB46がやってきました。横幅・奥行き26cm、高さ82cmの小振りで細長いSPです。3ウェイになっていてセンターに楕円ウーハー、ツィーターが底面側に来ます。

早速サウンドを聴いてみます。このSPには専用ケーブルが5m程付いていますのでそのまま繋いで音出ししました。

非常にまともなサウンドです。レンジはそう広くはないけど(ユニRb462 ットサイズから当たり前)非常に中域の密度が有ります。音色も悪く有りませんがチョッと古いサウンドを思い出します。空間再現性は非常に良いです。オーケストラの配置がSP間に広がり、楽器の位置がわかります。弦楽器群のトレモロも上手く再現しています。

タンノイのVLZと比較しても遜色ないと思います。イギリスのSPと似たようなところも有りますがドイツの合理性を感じさせるシステムです。

Rb463整然としていてそれでいて無味無臭ではなく、ドイツのオーケストラを上品に小さな音量で楽しむには充分なSPだと思います。

自宅のBC-U(Trail仕様)と比較するとスケール感が小さい、明瞭度や音数が足りませんしサウンドパワーも足りませんが、これはこれでしばらくは楽しめそうです。

一ヶ月ほどこのまま楽しんでサウンドを焼き付けてから不満な所を解消していきたいと考えています。

Rb466ユニットの可能性はBC-U以上だと感じています。BC-Uの場合ははじめはひどい音でした。まともに聴く気がしないけど音色に惹かれました。今度のテレフンケンはオリジナルで充分楽しめるポテンシャルを持っていますので、相当高いグレードまで性能を引き出せるのではないかと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5ba5a3df4a35018454df51a78c2bdc7e

B46のサウンド2 2007年11月05日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8d905c60f81987204d85f593dac78418


テレフンケンモニターSP RB46 を聴き込んで行くと、やはり音数がまったく足りない、音色が昔のラジオの感じ、低域の反応が遅い・・・・と不満点が出てきます。

Rb4611このままでは安心して音楽が楽しめません。多分ネックとなっているのは直出し配線の「ヒョロ線」と思われるので交換したい気分になってしまいます。

ドイツのSPですが何でもこなしてくれそうです。オーケストラからJAZZまで問題なく鳴らしてくれそうですが、前述の一時代前のサウンドでは楽しめません。

その後ズーッと聴いていますが、音が痩せていて聴くのが辛くなって来ました。基音が出た後の余韻が出ないんですね。中域の解像度は本当にすごいと思うけれど、高域も足りません。これはユニットが悪いのか使ってある配線が悪いのか?どちらも悪いのか今の所判断できませんが、何らかの対策が出来ないと私には使えないSP(ダメSP)になります。

手を加えようにも各ターミナルが弱いのでなかなか手出しできません。エンクロージャーを開けて中の作りを確認しましたが、作りが軟弱でほとんど木ネジで止めて有ります。それも強度が足りない為ゆるんでいます。バランスが崩れていますね。ユニットは良さそうなんだけどエンクロは今一、配線も悲惨!!結局BC-Uより古い分完成度が大幅に下がります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8d905c60f81987204d85f593dac78418


テレフンケンモニターSP RB46 のサウンドその3 2007年11月06日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8b99f2584d6089cb48582bf9e4298151


しかし、このSPはすごいサウンドがするもんだ。このサイズからは信じられないサウンドがする。(W:26cm D:26cm H:82cm)

色々と不満点もあるが良い所も多いので何とか使えるようにしていきたい。とりあえず、オリジナルのSPケーブルを外して、SCS-34(ルシファー)が使えるようにしました。ルシファー以外では「音がかすれて」聴けないのです。オリジナルSPケーブルの時に感じた「ラジオの音」は消えました。ヴァイオリンもかなり滑らかになりました。

オリンパスシステムの横に並べて、サトリの5W×5Wのアンプ、スチューダーA730の組合せで寄せ集めの廉価なケーブルで繋いでいます。自家製のライントランスをかませています。SPケーブルのみが豪華なシステムです。繋いで1時間もしないうちにかなり滑らかな質感に変わってきました。

しばらくは鳴らしこんでいきます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8b99f2584d6089cb48582bf9e4298151

テレフンケンRB46のサウンドその4 2007年11月07日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e668d67c6e7cec8cab90690159946836


今日は一日中RB46を鳴らしていました。時々メインのオリンパスシステムとバランスの比較をしましたが、バランスは殆ど一緒ですね。何回も切り替えていたらどっちがどっちか一瞬間違いそうになりました。

質感は完全に違います。オリンパスシステムからは「粗さ」は感じませんが、RB46は現状では太刀打ちできません。内部配線が完全に信号を阻害しています。

朝からモーツァルト「魔笛」全曲、35、30番シンフォニー、ベートーベン1、2、3シンフォニーを聴きましたが、このサイズのSPとは信じられない音数とスケール感で、ユニットの可能性を相当に感じます。

JAZZもMJQやカレリ・ボエリ・トリオを聴きましたが、曲の表情を難なく出してきます。

サブとして使うにも「粗さ」を取らないと聴き疲れしますので、内部配線の線材を如何しようかと思案していましたが、意外と簡単に出来そうなケーブルが浮かびました。来週にも入れ替えをして「自分用」にしてしまおうかと考えています。

このSPは音質改善する為の素材としては素晴らしい能力を持っています。こんなのが30年前店頭に並んでいたらみんなオーディオマニアにならずに済んだのかも知れない。

庶民的な価格で良いサウンドが取り出せればオーディオ業界そのものがないのかもしれない。馬鹿でかいアンプもその他機器も大げさにしたくなくなります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e668d67c6e7cec8cab90690159946836


テレフンケン スタジオモニターSP RB46 システム 2007年11月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/12c1468c45f4edbb37f238cfdc74f0b2


「ドイツ製のSPもなかなか良いよ!!」と昨年当社の常連さんが持ってきたイソフォンの10cmクラスの楕円SPシングルシステム。

聴かせて頂いてビックリしたのは「中域の厚み」と「音楽性」。元々はラジオに使ってあったSPを2個集めて綺麗でしっかりした箱に入れてありました。(写真を撮って置けばよかったと後悔)10cmクラスのSPのサウンドではなかったと言うのが私の感想です。

Rb463その後STEREO誌の村井先生の記事「オーディオ巡礼」でテレフンケンのモニターSP RB60 を使っていらっしゃる水田さんの記事が載り、何とか自分も1組手に入れたいと考えていましたら、ロスアンジェルスの方でスタジオモニターとして使ってあったというRB46を入手しました。

このRB46のオリジナルサウンドの評価はこのブログで先にご紹介しましたが、そろそろ1ヶ月経つので、自分仕様(Trail仕様)にしてしまいました。

オリジナルの状態では自分にはまったく使えないグレードですが、ユニットの潜在能力の高さは充分に感じていました。自分が使うことを前提に手を加えてみました。何回もBOXを開けたり締めたりを繰り返せない箱の強度なのでいきなり最高グレードの内容にしています。(BC-Uと同じ内容)

Rb461このシステムから出てくる音(音楽)はJBL#4343も真っ青なサウンドがします。たった5リットルのエンクロージャーからは信じられないサウンドがします。現在A730を市販の5mのRCAケーブルでサトリのミニプリアンプ+ラックスKMQ8(Trail仕様)のラインナップで他のケーブルはSCR-15,SCS-34のラインで聴いています。

クラシックも良い再現をします。「魔弾の射手」を聴きますとベストマッチですね。オーケストラもソプラノも合唱も味のある再現です。

これなら歌謡曲も活けるのではないかと「石川さゆりベスト」を鳴らしながらタイピングしています。中域が非常にしっかりしているので素晴らしい再現です。

しばらくはこのサウンドにはまりそうです。

但し、メインのオリンパスとは比べてはいけません。

他にフォノプリアンプのアキュフェーズC-220+テクニクスSP-10MKUシステム+SPU-GE でアナログを楽しめるように組み合わせています。

Trail仕様はSPもアンプもオリジナルとは比べ物にならないほどハイグレードな「音質」ですので既成概念は通用しません。小さくてもサウンドは巨人です。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/12c1468c45f4edbb37f238cfdc74f0b2
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html#c51

[近代史3] ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 中川隆
42. 中川隆[-11714] koaQ7Jey 2020年8月24日 17:00:40 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[33]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
テレフンケンモニターSP RB46 のサウンド 2007年11月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5ba5a3df4a35018454df51a78c2bdc7e


Rb461

テレフンケンのモニターSP RB46がやってきました。横幅・奥行き26cm、高さ82cmの小振りで細長いSPです。3ウェイになっていてセンターに楕円ウーハー、ツィーターが底面側に来ます。

早速サウンドを聴いてみます。このSPには専用ケーブルが5m程付いていますのでそのまま繋いで音出ししました。

非常にまともなサウンドです。レンジはそう広くはないけど(ユニRb462 ットサイズから当たり前)非常に中域の密度が有ります。音色も悪く有りませんがチョッと古いサウンドを思い出します。空間再現性は非常に良いです。オーケストラの配置がSP間に広がり、楽器の位置がわかります。弦楽器群のトレモロも上手く再現しています。

タンノイのVLZと比較しても遜色ないと思います。イギリスのSPと似たようなところも有りますがドイツの合理性を感じさせるシステムです。

Rb463整然としていてそれでいて無味無臭ではなく、ドイツのオーケストラを上品に小さな音量で楽しむには充分なSPだと思います。

自宅のBC-U(Trail仕様)と比較するとスケール感が小さい、明瞭度や音数が足りませんしサウンドパワーも足りませんが、これはこれでしばらくは楽しめそうです。

一ヶ月ほどこのまま楽しんでサウンドを焼き付けてから不満な所を解消していきたいと考えています。

Rb466ユニットの可能性はBC-U以上だと感じています。BC-Uの場合ははじめはひどい音でした。まともに聴く気がしないけど音色に惹かれました。今度のテレフンケンはオリジナルで充分楽しめるポテンシャルを持っていますので、相当高いグレードまで性能を引き出せるのではないかと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5ba5a3df4a35018454df51a78c2bdc7e

B46のサウンド2 2007年11月05日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8d905c60f81987204d85f593dac78418


テレフンケンモニターSP RB46 を聴き込んで行くと、やはり音数がまったく足りない、音色が昔のラジオの感じ、低域の反応が遅い・・・・と不満点が出てきます。

Rb4611このままでは安心して音楽が楽しめません。多分ネックとなっているのは直出し配線の「ヒョロ線」と思われるので交換したい気分になってしまいます。

ドイツのSPですが何でもこなしてくれそうです。オーケストラからJAZZまで問題なく鳴らしてくれそうですが、前述の一時代前のサウンドでは楽しめません。

その後ズーッと聴いていますが、音が痩せていて聴くのが辛くなって来ました。基音が出た後の余韻が出ないんですね。中域の解像度は本当にすごいと思うけれど、高域も足りません。これはユニットが悪いのか使ってある配線が悪いのか?どちらも悪いのか今の所判断できませんが、何らかの対策が出来ないと私には使えないSP(ダメSP)になります。

手を加えようにも各ターミナルが弱いのでなかなか手出しできません。エンクロージャーを開けて中の作りを確認しましたが、作りが軟弱でほとんど木ネジで止めて有ります。それも強度が足りない為ゆるんでいます。バランスが崩れていますね。ユニットは良さそうなんだけどエンクロは今一、配線も悲惨!!結局BC-Uより古い分完成度が大幅に下がります。
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テレフンケンモニターSP RB46 のサウンドその3 2007年11月06日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8b99f2584d6089cb48582bf9e4298151


しかし、このSPはすごいサウンドがするもんだ。このサイズからは信じられないサウンドがする。(W:26cm D:26cm H:82cm)

色々と不満点もあるが良い所も多いので何とか使えるようにしていきたい。とりあえず、オリジナルのSPケーブルを外して、SCS-34(ルシファー)が使えるようにしました。ルシファー以外では「音がかすれて」聴けないのです。オリジナルSPケーブルの時に感じた「ラジオの音」は消えました。ヴァイオリンもかなり滑らかになりました。

オリンパスシステムの横に並べて、サトリの5W×5Wのアンプ、スチューダーA730の組合せで寄せ集めの廉価なケーブルで繋いでいます。自家製のライントランスをかませています。SPケーブルのみが豪華なシステムです。繋いで1時間もしないうちにかなり滑らかな質感に変わってきました。

しばらくは鳴らしこんでいきます。
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テレフンケンRB46のサウンドその4 2007年11月07日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e668d67c6e7cec8cab90690159946836


今日は一日中RB46を鳴らしていました。時々メインのオリンパスシステムとバランスの比較をしましたが、バランスは殆ど一緒ですね。何回も切り替えていたらどっちがどっちか一瞬間違いそうになりました。

質感は完全に違います。オリンパスシステムからは「粗さ」は感じませんが、RB46は現状では太刀打ちできません。内部配線が完全に信号を阻害しています。

朝からモーツァルト「魔笛」全曲、35、30番シンフォニー、ベートーベン1、2、3シンフォニーを聴きましたが、このサイズのSPとは信じられない音数とスケール感で、ユニットの可能性を相当に感じます。

JAZZもMJQやカレリ・ボエリ・トリオを聴きましたが、曲の表情を難なく出してきます。

サブとして使うにも「粗さ」を取らないと聴き疲れしますので、内部配線の線材を如何しようかと思案していましたが、意外と簡単に出来そうなケーブルが浮かびました。来週にも入れ替えをして「自分用」にしてしまおうかと考えています。

このSPは音質改善する為の素材としては素晴らしい能力を持っています。こんなのが30年前店頭に並んでいたらみんなオーディオマニアにならずに済んだのかも知れない。

庶民的な価格で良いサウンドが取り出せればオーディオ業界そのものがないのかもしれない。馬鹿でかいアンプもその他機器も大げさにしたくなくなります。
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テレフンケン スタジオモニターSP RB46 システム 2007年11月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/12c1468c45f4edbb37f238cfdc74f0b2


「ドイツ製のSPもなかなか良いよ!!」と昨年当社の常連さんが持ってきたイソフォンの10cmクラスの楕円SPシングルシステム。

聴かせて頂いてビックリしたのは「中域の厚み」と「音楽性」。元々はラジオに使ってあったSPを2個集めて綺麗でしっかりした箱に入れてありました。(写真を撮って置けばよかったと後悔)10cmクラスのSPのサウンドではなかったと言うのが私の感想です。

Rb463その後STEREO誌の村井先生の記事「オーディオ巡礼」でテレフンケンのモニターSP RB60 を使っていらっしゃる水田さんの記事が載り、何とか自分も1組手に入れたいと考えていましたら、ロスアンジェルスの方でスタジオモニターとして使ってあったというRB46を入手しました。

このRB46のオリジナルサウンドの評価はこのブログで先にご紹介しましたが、そろそろ1ヶ月経つので、自分仕様(Trail仕様)にしてしまいました。

オリジナルの状態では自分にはまったく使えないグレードですが、ユニットの潜在能力の高さは充分に感じていました。自分が使うことを前提に手を加えてみました。何回もBOXを開けたり締めたりを繰り返せない箱の強度なのでいきなり最高グレードの内容にしています。(BC-Uと同じ内容)

Rb461このシステムから出てくる音(音楽)はJBL#4343も真っ青なサウンドがします。たった5リットルのエンクロージャーからは信じられないサウンドがします。現在A730を市販の5mのRCAケーブルでサトリのミニプリアンプ+ラックスKMQ8(Trail仕様)のラインナップで他のケーブルはSCR-15,SCS-34のラインで聴いています。

クラシックも良い再現をします。「魔弾の射手」を聴きますとベストマッチですね。オーケストラもソプラノも合唱も味のある再現です。

これなら歌謡曲も活けるのではないかと「石川さゆりベスト」を鳴らしながらタイピングしています。中域が非常にしっかりしているので素晴らしい再現です。

しばらくはこのサウンドにはまりそうです。

但し、メインのオリンパスとは比べてはいけません。

他にフォノプリアンプのアキュフェーズC-220+テクニクスSP-10MKUシステム+SPU-GE でアナログを楽しめるように組み合わせています。

Trail仕様はSPもアンプもオリジナルとは比べ物にならないほどハイグレードな「音質」ですので既成概念は通用しません。小さくてもサウンドは巨人です。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/12c1468c45f4edbb37f238cfdc74f0b2
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c42

[近代史4] ドイツの小型の家庭用安物スピーカーは何故あんなに音がいいのか? 中川隆
6. 中川隆[-11713] koaQ7Jey 2020年8月24日 17:02:59 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[35]
テレフンケン RB46スピーカー 2019年12月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ae571945bb0b000b4b1a2bd3be4156b5
テレフンケンのスピーカーは、「古いヨーロッパサウンド」の確認をしたくて購入して使って見ました。ALTECに似た乾いたサウンドで、ヴォイス(声)が非常に良かったのを覚えています。SPサイズ的にはW:200 D:200 H:700 重量:10Kg以下ぐらいで非常に扱いやすいサイズと重量です。低域の下の方が不足するので、ヤマハの廉価版の「低域専用ウーハー」を組み合わせて使っていました。高域もそんなに伸びていません。

本来は「直出しSPケーブル」が付いています。そのままだと「古いラジオの音」が出てきます。私は内部配線を交換し、SP端子を取り付けて一般のケーブルが使える様にして使っていました。ちょっと手を加えてやらないと現在のシステムのサウンドとかけ離れた「古臭い音」になってしまいます。
内部ユニットは楕円形のコーン型ウーハーとコーン型の中音・高音用のユニットが付いています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ae571945bb0b000b4b1a2bd3be4156b5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/512.html#c6

[番外地8] デフレの原因はGDPとは関係ないよ。 GDPで所得と言っているものの殆どは資本家の取り分だからね。 中川隆
1. 中川隆[-11712] koaQ7Jey 2020年8月24日 17:08:36 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[36]
​ @ysk.a ysk.a
今の経済状況はマルクスが預言していたのと全く同じなので、解決策は100年以上前から既に言い尽くされているよ。
デフレの原因はGDPとは関係ない。 GDPで所得と言っているものの殆どは資本家の取り分だからね。
金がすべて資本家に集まって、労働者の使える金が減ったのがデフレの原因だよ。
いくら金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、一般人は更に貧しくなる:
コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日

 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。


 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

inequality.orgサイトより

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増

マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増

マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増

イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増

セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増

ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増

スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増

ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増

フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増

ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増

ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増

マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。


 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。  

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/265.html#c1

[近代史4] ドイツの小型の家庭用安物スピーカーは何故あんなに音がいいのか? 中川隆
7. 中川隆[-11711] koaQ7Jey 2020年8月24日 17:37:32 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[37]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
次はテレフンケンRB46システムの改善 2011年04月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e687a5bd7eea0e8ae2722cc7896a53


RCA箱システムのマルチアンプ化は音質対策として大変効果の高い成果でした。アンプの中身等細かい問題点は有りますが「次元の違う」再生音に嬉しくなります。

Rb46system1_2

次は自宅のテレフンケンRB46システムのグレードアップです。このSPの問題点は「低域と高域の不足感」と思っています。周波数レンジが狭いのでどうしてもこじんまりしたサウンドになります。

Yst45w1

この対策の第1弾として「スーパーウーハーの追加」を予定しています。500Hz以下の帯域で全体の音の70%近くを出して来ますので、この帯域の強化がまず必要と考えました。ヤマハのYST-SW45を贅沢にも2セット(片側に各1台)手配しています。

Yst45w2

このYST-SW45は手ごろな価格でしかも上段の写真に有る手製トレールの内部に奇麗に収まるサイズなのです。YSTは以前SW1000を使った事が有ります。コントロール性が良いです。

明日と明後日には入荷すると思いますので配線関係を準備しています。ついでに電源タップも準備しないといけません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e687a5bd7eea0e8ae2722cc7896a53


YST-SW45の入荷 2011年04月19日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b18d8928f4ed96d56e0b15ddfa953cd0

自宅のテレフンケン用に手配したYST-SW45×2台は入荷しました。1台は昨日入荷したので早速事務所のRB46と組み合わせて鳴らして見ました。足りなかった低域が充足して高域まで伸びています。

Ystsw45

気を良くして、2台揃いましたのでALTEC#612Aシステムにも組み合わせて音出しをして見ました。低域の伸びと厚みが増してなかなか好印象です。やはり使った方が音楽表現力が上がりますね。

Ystsw45_2

実験はこれくらいにして、今夜自宅のシステムに組み込んで見ます。当初予定ではRB46システムに2台とも使う予定でいましたが、実験の結果1台で十分と判断しましたので、1台はメインのSP-707Jシステムに使って低域を補強しようと考えています。サイズが小さいのでTVの裏に置けば隠れてしまいそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b18d8928f4ed96d56e0b15ddfa953cd0

自宅RB46システムへYST-SW45を導入 2011年04月20日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68244344b2360bcbc50f6b1a8ad42d69


自宅RB46システムへYST-SW45を導入しました。まず予定通りに片chに1台づつ使って見ました。

Ystsw45_2_2

こちらはLchです。

Ystsw45_3

こちらがRchです。うまい具合に小型SP専用トレールの下に収まっています。重量がありますのでトレールの重心が下がって良い収まりです。

Ystsw45_4

早速試聴を開始です。クロスが50Hz〜150Hzまで10Hz単位の目盛りが付いていますので、任意のクロスに出来ます。色々試して見ましたが100Hzくらいが良いようです。ボリュームも中間点で良さそうです。あまり下の方のクロスにしたり、ボリュームも上げますとスーパーウーハーが自己主張してしまいます。さりげなく低域を延ばしてやるぐらいで十分な効果が出ます。

Ystsw45_3_2

アンプとCDP(DVD)です。非常にシンプルなプリメインで、おまけに小型ですので場所をとりません。でも音質は内部に手を入れたおかげで、本格的なプリ+パワーアンプと伍しても引けは取らないと思います。非常に音数が多いのです。

今回YST-SW45を組み合わせたシステムでTVを楽しみますと、今まで聴こえなかったTVのBGMは実は凄いサウンドが入っている事が判りました。一般のTVの音声では「音数」や上下のレンジの音が聞こえませんが、このシステムではオーディオCD並みに聴こえます。

現在TVを消してCDを確認していますが、今までRB46は古臭いレンジのSPだと思っていたのですが、見事に現代のSPに生まれ変わり、そして音の質感が格段に上がっています。しばらくはこのシステムで音楽を楽しむことになりそうです。

YST-SW45をせっかく買ったのですから他のシステムでも試して遊んで見ようと考えています。その為の配線関係も作成済みですのでいつでも遊べそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68244344b2360bcbc50f6b1a8ad42d69

自宅RB46システムのサウンド 2011年04月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23a9123e5bdbb77733eab2655ff5ea03


昨日YST-SW45スーパーウーハーを2台導入して、クロスポイントやボリュームレベルの調整を続けていますがほぼ安定してきました。

201104_2

クロスは70Hz、ボリュームは2時の方向で止めています。この状態でRB46単体で使うよりはるかにスケール感が増し、滑らかな音色になってきています。

ユーミンの「春よ来い」をNHK総合でやってたので聴いて見ましたが、低域の音が豊かに再生でき、それでいてヴォイスの帯域にうまく繋がっています。現在、庄司紗矢香さんのヴァイオリンで「クロイツェル ソナタ」をHDD録画で聴いていますが、なかなかの再生音をしています。ヴァイオリンは元々テレフンケンのSPの得意とするところですので、豊かな低域の支えが有ってピーキーさが無くなって非常に生々しく聴き易くなっています。もうBGMでは有りませんね。

それでもメインシステムに取って代わる事は無理です。しかし、室内楽程度ならわざわざメインを使わなくても十分なサウンドになっています。透明感が高く、音数が多く、こする音の質感が実に良いです。音の線もRB46単体時より太く、シンプルでエコなシステムですのでいつでも安心して使えます。非常にシンプルなシステムで高音質なシステムが出来上がりました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23a9123e5bdbb77733eab2655ff5ea03

自宅のテレフンケンRB46システムの出来は最高 2011年04月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c4118ce2b829bd458e1fd808dc6822e1

先週完成したテレフンケンRB46のシステムを聴き続けています。そのサウンドに自己満足しています。メインのSP-707Jシステムの存在を脅かし取って代わろうとしています。

Ystsw45_2

全帯域がカチッと締まった質感で、音数もメインに負けないほど多く、周波数的にも30Hzくらいから18000Hzくらいは出ています。スーパーツィーターにリボン型を予定していましたが、その必要も無いと感じています。余韻も多く一人静かに音楽を楽しむのに何の不足も感じません。今夜はキースのパリコンサートを楽しみましたが、彼の「うなり」も鮮明に聴き取れますし、ピアノの低音域のサウンドにもホールの響き具合にも不満は感じません。

Ystsw45_3

ドライブするCDP+プリメインアンプは上の写真に有る通りなのですが、サトリのミニアンプの内部に手を入れてから質感と音数が大幅に良くなりました。この改善が聴いていると思います。まるで別物のアンプに変化しました。アンプの音質改善のネックポイントをようやく見つけたようだと思っています。その部分の改善で劇的に音質グレードが上がりました。

SPの方はこちらも内部配線やSP端子を交換しています。それに今回低域の補強でスーパーウーハーを入れた事が「表現力の大幅アップ」に繋がっていると思います。

とにかくこの簡素なシステムでメインに迫る「質感」はインパクトが有ります。このシステムからメインに戻るには「マルチアンプ」にしないと帰れないと感じています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c4118ce2b829bd458e1fd808dc6822e1

自宅からRB46を追い出せない・・・ 2011年04月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ab8edd545316e58610c04d7bfe6c8b1

4月14日のブログに書きましたが、サトリのアンプへの内部配線の交換はその後も続けていました。ようやく私の基準で「合格」を出せる所まで来ました。

Sca75111_3

その合格したサトリのアンプを使ったシステムが「自宅RB46システム」と「BC-Uシステム」です。そのサウンドが非常に気に入っているのです。

201104_4

4月26日に「2セットのシステムは厳しい」と自宅のシステムの事を書きました。そこでメインのSP-707JシステムとRB46システムを交互に聴き比べて、RB46に「宣告」をしようと何度も試みているのですが、それがなかなか健闘していて外せないのです。

音数的には絶対値はメインシステムが多いのですが、音楽(CD)やTV、DVDを見る時は何ら遜色を感じないのです。またその質感もメインシステムに肉薄しています。逆にメインシステムを追い出そうか?と云うサウンドなのです。

大きさやかけた金額はメインシステムには遠く及ばないのですが、これだけシンプルなシステムで音質的に互角に伍していくとは予想もしませんでした。何事も決断が早く直ぐに行動に移す自分ですが、今回はゆっくりと「嫌になるまで」使い続けて行こうと考えなおしています。

同じ様にBC-Uシステムも音質が上がり、メインのオリンパスがなくても楽しめるグレードに上がっています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ab8edd545316e58610c04d7bfe6c8b1

2セット目のRB46 SWシステム 2011年05月02日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/59df3ea180408e7a454277472ae35a69


先週4個目のスパーウーハーYST-SW45が入荷していました。今日はこのSWを使って2セット目のRB46システムを製作しました。

Rb461_3

午後から島根のK様がお見えになり、RCA箱マルチアンプシステムを聴いていただき「音数が増えて別物になりましたね」と感想をいただいています。その後オリンパスシステムも聴いていただきました。前回お見えになられたのが昨年の12月であったと記憶していますので、クラッセのCA-2200を導入後は初めての試聴になると思います。

Rb461_4

RB46のSWシステムを興味深く覗いていらっしゃいました。

Rb461

RB46とYST-SW45の接続はSPケーブルでやっています。この接続ケーブルが本日出来上がりましたので、K様と一緒に初試聴です。聴いたのはビートルズの「ABBEY ROAD」。オリンパスで聴いた直ぐ後であったので、初めは音が少なくなった様に感じましたが、聴いて行くに従い気持ち良くなって寝てしまいました。一般家庭で使うには十分な音質だと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/59df3ea180408e7a454277472ae35a69


自宅からRB46システムを撤去 2011年05月14日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/817705d4f2d60f7f5440a5d6fe79ac3b

自宅にRB46システムを作って約1週間、コーン型SPとしてはかなり良い状態で鳴らせたと思っていました。しかし、20cmクラスの「コーン型」SPには限界が有ります。以前SP-LE8TもSTM-22トレールに載せて「深々とした低音」の出るようにして、コーン型のSPではベストと言えるくらい仕上げて楽しんだ時も有ります。

Ystsw45_2

でも38cmクラスのウーハーとコンプレッションドライバーを組み合わせた2ウェイや3ウェイの機器と比べれはどうしても「質感」が及びません。今回もやはりこの壁は越えられません。

「どうせ同じ時間を使って聴くなら音質の良いシステムで聴いた方が良い」と言うのが今回の結論です。SP-707Jシステムは真夜中にも対応できるシステムですのでサイズはハンディになりません。1つの部屋に2セットのSPを並べるには限界が有りました。(TVを並べなければならない為)

Rb46 (撤去したRB46 2セット)

変わりにAMPEX#515をTVの裏において楽しむことにしました。これならスペース的にメインSPに影響が出ません。先日購入した「お遊びアンプ」を使って鳴らしています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/817705d4f2d60f7f5440a5d6fe79ac3b
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/512.html#c7

[リバイバル3] ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ 中川隆
53. 中川隆[-11710] koaQ7Jey 2020年8月24日 17:38:10 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[38]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
次はテレフンケンRB46システムの改善 2011年04月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e687a5bd7eea0e8ae2722cc7896a53


RCA箱システムのマルチアンプ化は音質対策として大変効果の高い成果でした。アンプの中身等細かい問題点は有りますが「次元の違う」再生音に嬉しくなります。

Rb46system1_2

次は自宅のテレフンケンRB46システムのグレードアップです。このSPの問題点は「低域と高域の不足感」と思っています。周波数レンジが狭いのでどうしてもこじんまりしたサウンドになります。

Yst45w1

この対策の第1弾として「スーパーウーハーの追加」を予定しています。500Hz以下の帯域で全体の音の70%近くを出して来ますので、この帯域の強化がまず必要と考えました。ヤマハのYST-SW45を贅沢にも2セット(片側に各1台)手配しています。

Yst45w2

このYST-SW45は手ごろな価格でしかも上段の写真に有る手製トレールの内部に奇麗に収まるサイズなのです。YSTは以前SW1000を使った事が有ります。コントロール性が良いです。

明日と明後日には入荷すると思いますので配線関係を準備しています。ついでに電源タップも準備しないといけません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e687a5bd7eea0e8ae2722cc7896a53


YST-SW45の入荷 2011年04月19日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b18d8928f4ed96d56e0b15ddfa953cd0

自宅のテレフンケン用に手配したYST-SW45×2台は入荷しました。1台は昨日入荷したので早速事務所のRB46と組み合わせて鳴らして見ました。足りなかった低域が充足して高域まで伸びています。

Ystsw45

気を良くして、2台揃いましたのでALTEC#612Aシステムにも組み合わせて音出しをして見ました。低域の伸びと厚みが増してなかなか好印象です。やはり使った方が音楽表現力が上がりますね。

Ystsw45_2

実験はこれくらいにして、今夜自宅のシステムに組み込んで見ます。当初予定ではRB46システムに2台とも使う予定でいましたが、実験の結果1台で十分と判断しましたので、1台はメインのSP-707Jシステムに使って低域を補強しようと考えています。サイズが小さいのでTVの裏に置けば隠れてしまいそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b18d8928f4ed96d56e0b15ddfa953cd0

自宅RB46システムへYST-SW45を導入 2011年04月20日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68244344b2360bcbc50f6b1a8ad42d69


自宅RB46システムへYST-SW45を導入しました。まず予定通りに片chに1台づつ使って見ました。

Ystsw45_2_2

こちらはLchです。

Ystsw45_3

こちらがRchです。うまい具合に小型SP専用トレールの下に収まっています。重量がありますのでトレールの重心が下がって良い収まりです。

Ystsw45_4

早速試聴を開始です。クロスが50Hz〜150Hzまで10Hz単位の目盛りが付いていますので、任意のクロスに出来ます。色々試して見ましたが100Hzくらいが良いようです。ボリュームも中間点で良さそうです。あまり下の方のクロスにしたり、ボリュームも上げますとスーパーウーハーが自己主張してしまいます。さりげなく低域を延ばしてやるぐらいで十分な効果が出ます。

Ystsw45_3_2

アンプとCDP(DVD)です。非常にシンプルなプリメインで、おまけに小型ですので場所をとりません。でも音質は内部に手を入れたおかげで、本格的なプリ+パワーアンプと伍しても引けは取らないと思います。非常に音数が多いのです。

今回YST-SW45を組み合わせたシステムでTVを楽しみますと、今まで聴こえなかったTVのBGMは実は凄いサウンドが入っている事が判りました。一般のTVの音声では「音数」や上下のレンジの音が聞こえませんが、このシステムではオーディオCD並みに聴こえます。

現在TVを消してCDを確認していますが、今までRB46は古臭いレンジのSPだと思っていたのですが、見事に現代のSPに生まれ変わり、そして音の質感が格段に上がっています。しばらくはこのシステムで音楽を楽しむことになりそうです。

YST-SW45をせっかく買ったのですから他のシステムでも試して遊んで見ようと考えています。その為の配線関係も作成済みですのでいつでも遊べそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68244344b2360bcbc50f6b1a8ad42d69

自宅RB46システムのサウンド 2011年04月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23a9123e5bdbb77733eab2655ff5ea03


昨日YST-SW45スーパーウーハーを2台導入して、クロスポイントやボリュームレベルの調整を続けていますがほぼ安定してきました。

201104_2

クロスは70Hz、ボリュームは2時の方向で止めています。この状態でRB46単体で使うよりはるかにスケール感が増し、滑らかな音色になってきています。

ユーミンの「春よ来い」をNHK総合でやってたので聴いて見ましたが、低域の音が豊かに再生でき、それでいてヴォイスの帯域にうまく繋がっています。現在、庄司紗矢香さんのヴァイオリンで「クロイツェル ソナタ」をHDD録画で聴いていますが、なかなかの再生音をしています。ヴァイオリンは元々テレフンケンのSPの得意とするところですので、豊かな低域の支えが有ってピーキーさが無くなって非常に生々しく聴き易くなっています。もうBGMでは有りませんね。

それでもメインシステムに取って代わる事は無理です。しかし、室内楽程度ならわざわざメインを使わなくても十分なサウンドになっています。透明感が高く、音数が多く、こする音の質感が実に良いです。音の線もRB46単体時より太く、シンプルでエコなシステムですのでいつでも安心して使えます。非常にシンプルなシステムで高音質なシステムが出来上がりました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23a9123e5bdbb77733eab2655ff5ea03

自宅のテレフンケンRB46システムの出来は最高 2011年04月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c4118ce2b829bd458e1fd808dc6822e1

先週完成したテレフンケンRB46のシステムを聴き続けています。そのサウンドに自己満足しています。メインのSP-707Jシステムの存在を脅かし取って代わろうとしています。

Ystsw45_2

全帯域がカチッと締まった質感で、音数もメインに負けないほど多く、周波数的にも30Hzくらいから18000Hzくらいは出ています。スーパーツィーターにリボン型を予定していましたが、その必要も無いと感じています。余韻も多く一人静かに音楽を楽しむのに何の不足も感じません。今夜はキースのパリコンサートを楽しみましたが、彼の「うなり」も鮮明に聴き取れますし、ピアノの低音域のサウンドにもホールの響き具合にも不満は感じません。

Ystsw45_3

ドライブするCDP+プリメインアンプは上の写真に有る通りなのですが、サトリのミニアンプの内部に手を入れてから質感と音数が大幅に良くなりました。この改善が聴いていると思います。まるで別物のアンプに変化しました。アンプの音質改善のネックポイントをようやく見つけたようだと思っています。その部分の改善で劇的に音質グレードが上がりました。

SPの方はこちらも内部配線やSP端子を交換しています。それに今回低域の補強でスーパーウーハーを入れた事が「表現力の大幅アップ」に繋がっていると思います。

とにかくこの簡素なシステムでメインに迫る「質感」はインパクトが有ります。このシステムからメインに戻るには「マルチアンプ」にしないと帰れないと感じています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c4118ce2b829bd458e1fd808dc6822e1

自宅からRB46を追い出せない・・・ 2011年04月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ab8edd545316e58610c04d7bfe6c8b1

4月14日のブログに書きましたが、サトリのアンプへの内部配線の交換はその後も続けていました。ようやく私の基準で「合格」を出せる所まで来ました。

Sca75111_3

その合格したサトリのアンプを使ったシステムが「自宅RB46システム」と「BC-Uシステム」です。そのサウンドが非常に気に入っているのです。

201104_4

4月26日に「2セットのシステムは厳しい」と自宅のシステムの事を書きました。そこでメインのSP-707JシステムとRB46システムを交互に聴き比べて、RB46に「宣告」をしようと何度も試みているのですが、それがなかなか健闘していて外せないのです。

音数的には絶対値はメインシステムが多いのですが、音楽(CD)やTV、DVDを見る時は何ら遜色を感じないのです。またその質感もメインシステムに肉薄しています。逆にメインシステムを追い出そうか?と云うサウンドなのです。

大きさやかけた金額はメインシステムには遠く及ばないのですが、これだけシンプルなシステムで音質的に互角に伍していくとは予想もしませんでした。何事も決断が早く直ぐに行動に移す自分ですが、今回はゆっくりと「嫌になるまで」使い続けて行こうと考えなおしています。

同じ様にBC-Uシステムも音質が上がり、メインのオリンパスがなくても楽しめるグレードに上がっています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ab8edd545316e58610c04d7bfe6c8b1

2セット目のRB46 SWシステム 2011年05月02日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/59df3ea180408e7a454277472ae35a69


先週4個目のスパーウーハーYST-SW45が入荷していました。今日はこのSWを使って2セット目のRB46システムを製作しました。

Rb461_3

午後から島根のK様がお見えになり、RCA箱マルチアンプシステムを聴いていただき「音数が増えて別物になりましたね」と感想をいただいています。その後オリンパスシステムも聴いていただきました。前回お見えになられたのが昨年の12月であったと記憶していますので、クラッセのCA-2200を導入後は初めての試聴になると思います。

Rb461_4

RB46のSWシステムを興味深く覗いていらっしゃいました。

Rb461

RB46とYST-SW45の接続はSPケーブルでやっています。この接続ケーブルが本日出来上がりましたので、K様と一緒に初試聴です。聴いたのはビートルズの「ABBEY ROAD」。オリンパスで聴いた直ぐ後であったので、初めは音が少なくなった様に感じましたが、聴いて行くに従い気持ち良くなって寝てしまいました。一般家庭で使うには十分な音質だと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/59df3ea180408e7a454277472ae35a69


自宅からRB46システムを撤去 2011年05月14日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/817705d4f2d60f7f5440a5d6fe79ac3b

自宅にRB46システムを作って約1週間、コーン型SPとしてはかなり良い状態で鳴らせたと思っていました。しかし、20cmクラスの「コーン型」SPには限界が有ります。以前SP-LE8TもSTM-22トレールに載せて「深々とした低音」の出るようにして、コーン型のSPではベストと言えるくらい仕上げて楽しんだ時も有ります。

Ystsw45_2

でも38cmクラスのウーハーとコンプレッションドライバーを組み合わせた2ウェイや3ウェイの機器と比べれはどうしても「質感」が及びません。今回もやはりこの壁は越えられません。

「どうせ同じ時間を使って聴くなら音質の良いシステムで聴いた方が良い」と言うのが今回の結論です。SP-707Jシステムは真夜中にも対応できるシステムですのでサイズはハンディになりません。1つの部屋に2セットのSPを並べるには限界が有りました。(TVを並べなければならない為)

Rb46 (撤去したRB46 2セット)

変わりにAMPEX#515をTVの裏において楽しむことにしました。これならスペース的にメインSPに影響が出ません。先日購入した「お遊びアンプ」を使って鳴らしています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/817705d4f2d60f7f5440a5d6fe79ac3b
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html#c53

[近代史3] ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 中川隆
43. 中川隆[-11709] koaQ7Jey 2020年8月24日 17:38:45 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[39]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
次はテレフンケンRB46システムの改善 2011年04月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e687a5bd7eea0e8ae2722cc7896a53


RCA箱システムのマルチアンプ化は音質対策として大変効果の高い成果でした。アンプの中身等細かい問題点は有りますが「次元の違う」再生音に嬉しくなります。

Rb46system1_2

次は自宅のテレフンケンRB46システムのグレードアップです。このSPの問題点は「低域と高域の不足感」と思っています。周波数レンジが狭いのでどうしてもこじんまりしたサウンドになります。

Yst45w1

この対策の第1弾として「スーパーウーハーの追加」を予定しています。500Hz以下の帯域で全体の音の70%近くを出して来ますので、この帯域の強化がまず必要と考えました。ヤマハのYST-SW45を贅沢にも2セット(片側に各1台)手配しています。

Yst45w2

このYST-SW45は手ごろな価格でしかも上段の写真に有る手製トレールの内部に奇麗に収まるサイズなのです。YSTは以前SW1000を使った事が有ります。コントロール性が良いです。

明日と明後日には入荷すると思いますので配線関係を準備しています。ついでに電源タップも準備しないといけません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e687a5bd7eea0e8ae2722cc7896a53


YST-SW45の入荷 2011年04月19日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b18d8928f4ed96d56e0b15ddfa953cd0

自宅のテレフンケン用に手配したYST-SW45×2台は入荷しました。1台は昨日入荷したので早速事務所のRB46と組み合わせて鳴らして見ました。足りなかった低域が充足して高域まで伸びています。

Ystsw45

気を良くして、2台揃いましたのでALTEC#612Aシステムにも組み合わせて音出しをして見ました。低域の伸びと厚みが増してなかなか好印象です。やはり使った方が音楽表現力が上がりますね。

Ystsw45_2

実験はこれくらいにして、今夜自宅のシステムに組み込んで見ます。当初予定ではRB46システムに2台とも使う予定でいましたが、実験の結果1台で十分と判断しましたので、1台はメインのSP-707Jシステムに使って低域を補強しようと考えています。サイズが小さいのでTVの裏に置けば隠れてしまいそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b18d8928f4ed96d56e0b15ddfa953cd0

自宅RB46システムへYST-SW45を導入 2011年04月20日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68244344b2360bcbc50f6b1a8ad42d69


自宅RB46システムへYST-SW45を導入しました。まず予定通りに片chに1台づつ使って見ました。

Ystsw45_2_2

こちらはLchです。

Ystsw45_3

こちらがRchです。うまい具合に小型SP専用トレールの下に収まっています。重量がありますのでトレールの重心が下がって良い収まりです。

Ystsw45_4

早速試聴を開始です。クロスが50Hz〜150Hzまで10Hz単位の目盛りが付いていますので、任意のクロスに出来ます。色々試して見ましたが100Hzくらいが良いようです。ボリュームも中間点で良さそうです。あまり下の方のクロスにしたり、ボリュームも上げますとスーパーウーハーが自己主張してしまいます。さりげなく低域を延ばしてやるぐらいで十分な効果が出ます。

Ystsw45_3_2

アンプとCDP(DVD)です。非常にシンプルなプリメインで、おまけに小型ですので場所をとりません。でも音質は内部に手を入れたおかげで、本格的なプリ+パワーアンプと伍しても引けは取らないと思います。非常に音数が多いのです。

今回YST-SW45を組み合わせたシステムでTVを楽しみますと、今まで聴こえなかったTVのBGMは実は凄いサウンドが入っている事が判りました。一般のTVの音声では「音数」や上下のレンジの音が聞こえませんが、このシステムではオーディオCD並みに聴こえます。

現在TVを消してCDを確認していますが、今までRB46は古臭いレンジのSPだと思っていたのですが、見事に現代のSPに生まれ変わり、そして音の質感が格段に上がっています。しばらくはこのシステムで音楽を楽しむことになりそうです。

YST-SW45をせっかく買ったのですから他のシステムでも試して遊んで見ようと考えています。その為の配線関係も作成済みですのでいつでも遊べそうです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/68244344b2360bcbc50f6b1a8ad42d69

自宅RB46システムのサウンド 2011年04月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23a9123e5bdbb77733eab2655ff5ea03


昨日YST-SW45スーパーウーハーを2台導入して、クロスポイントやボリュームレベルの調整を続けていますがほぼ安定してきました。

201104_2

クロスは70Hz、ボリュームは2時の方向で止めています。この状態でRB46単体で使うよりはるかにスケール感が増し、滑らかな音色になってきています。

ユーミンの「春よ来い」をNHK総合でやってたので聴いて見ましたが、低域の音が豊かに再生でき、それでいてヴォイスの帯域にうまく繋がっています。現在、庄司紗矢香さんのヴァイオリンで「クロイツェル ソナタ」をHDD録画で聴いていますが、なかなかの再生音をしています。ヴァイオリンは元々テレフンケンのSPの得意とするところですので、豊かな低域の支えが有ってピーキーさが無くなって非常に生々しく聴き易くなっています。もうBGMでは有りませんね。

それでもメインシステムに取って代わる事は無理です。しかし、室内楽程度ならわざわざメインを使わなくても十分なサウンドになっています。透明感が高く、音数が多く、こする音の質感が実に良いです。音の線もRB46単体時より太く、シンプルでエコなシステムですのでいつでも安心して使えます。非常にシンプルなシステムで高音質なシステムが出来上がりました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23a9123e5bdbb77733eab2655ff5ea03

自宅のテレフンケンRB46システムの出来は最高 2011年04月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c4118ce2b829bd458e1fd808dc6822e1

先週完成したテレフンケンRB46のシステムを聴き続けています。そのサウンドに自己満足しています。メインのSP-707Jシステムの存在を脅かし取って代わろうとしています。

Ystsw45_2

全帯域がカチッと締まった質感で、音数もメインに負けないほど多く、周波数的にも30Hzくらいから18000Hzくらいは出ています。スーパーツィーターにリボン型を予定していましたが、その必要も無いと感じています。余韻も多く一人静かに音楽を楽しむのに何の不足も感じません。今夜はキースのパリコンサートを楽しみましたが、彼の「うなり」も鮮明に聴き取れますし、ピアノの低音域のサウンドにもホールの響き具合にも不満は感じません。

Ystsw45_3

ドライブするCDP+プリメインアンプは上の写真に有る通りなのですが、サトリのミニアンプの内部に手を入れてから質感と音数が大幅に良くなりました。この改善が聴いていると思います。まるで別物のアンプに変化しました。アンプの音質改善のネックポイントをようやく見つけたようだと思っています。その部分の改善で劇的に音質グレードが上がりました。

SPの方はこちらも内部配線やSP端子を交換しています。それに今回低域の補強でスーパーウーハーを入れた事が「表現力の大幅アップ」に繋がっていると思います。

とにかくこの簡素なシステムでメインに迫る「質感」はインパクトが有ります。このシステムからメインに戻るには「マルチアンプ」にしないと帰れないと感じています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c4118ce2b829bd458e1fd808dc6822e1

自宅からRB46を追い出せない・・・ 2011年04月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ab8edd545316e58610c04d7bfe6c8b1

4月14日のブログに書きましたが、サトリのアンプへの内部配線の交換はその後も続けていました。ようやく私の基準で「合格」を出せる所まで来ました。

Sca75111_3

その合格したサトリのアンプを使ったシステムが「自宅RB46システム」と「BC-Uシステム」です。そのサウンドが非常に気に入っているのです。

201104_4

4月26日に「2セットのシステムは厳しい」と自宅のシステムの事を書きました。そこでメインのSP-707JシステムとRB46システムを交互に聴き比べて、RB46に「宣告」をしようと何度も試みているのですが、それがなかなか健闘していて外せないのです。

音数的には絶対値はメインシステムが多いのですが、音楽(CD)やTV、DVDを見る時は何ら遜色を感じないのです。またその質感もメインシステムに肉薄しています。逆にメインシステムを追い出そうか?と云うサウンドなのです。

大きさやかけた金額はメインシステムには遠く及ばないのですが、これだけシンプルなシステムで音質的に互角に伍していくとは予想もしませんでした。何事も決断が早く直ぐに行動に移す自分ですが、今回はゆっくりと「嫌になるまで」使い続けて行こうと考えなおしています。

同じ様にBC-Uシステムも音質が上がり、メインのオリンパスがなくても楽しめるグレードに上がっています。
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2セット目のRB46 SWシステム 2011年05月02日
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先週4個目のスパーウーハーYST-SW45が入荷していました。今日はこのSWを使って2セット目のRB46システムを製作しました。

Rb461_3

午後から島根のK様がお見えになり、RCA箱マルチアンプシステムを聴いていただき「音数が増えて別物になりましたね」と感想をいただいています。その後オリンパスシステムも聴いていただきました。前回お見えになられたのが昨年の12月であったと記憶していますので、クラッセのCA-2200を導入後は初めての試聴になると思います。

Rb461_4

RB46のSWシステムを興味深く覗いていらっしゃいました。

Rb461

RB46とYST-SW45の接続はSPケーブルでやっています。この接続ケーブルが本日出来上がりましたので、K様と一緒に初試聴です。聴いたのはビートルズの「ABBEY ROAD」。オリンパスで聴いた直ぐ後であったので、初めは音が少なくなった様に感じましたが、聴いて行くに従い気持ち良くなって寝てしまいました。一般家庭で使うには十分な音質だと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/59df3ea180408e7a454277472ae35a69


自宅からRB46システムを撤去 2011年05月14日
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自宅にRB46システムを作って約1週間、コーン型SPとしてはかなり良い状態で鳴らせたと思っていました。しかし、20cmクラスの「コーン型」SPには限界が有ります。以前SP-LE8TもSTM-22トレールに載せて「深々とした低音」の出るようにして、コーン型のSPではベストと言えるくらい仕上げて楽しんだ時も有ります。

Ystsw45_2

でも38cmクラスのウーハーとコンプレッションドライバーを組み合わせた2ウェイや3ウェイの機器と比べれはどうしても「質感」が及びません。今回もやはりこの壁は越えられません。

「どうせ同じ時間を使って聴くなら音質の良いシステムで聴いた方が良い」と言うのが今回の結論です。SP-707Jシステムは真夜中にも対応できるシステムですのでサイズはハンディになりません。1つの部屋に2セットのSPを並べるには限界が有りました。(TVを並べなければならない為)

Rb46 (撤去したRB46 2セット)

変わりにAMPEX#515をTVの裏において楽しむことにしました。これならスペース的にメインSPに影響が出ません。先日購入した「お遊びアンプ」を使って鳴らしています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/817705d4f2d60f7f5440a5d6fe79ac3b
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c43

[番外地8] 階級を無くせばいいのさ、予備実験は終戦後にGHQが日本で確かめて大成功してるよ:
階級を無くせばいいのさ、予備実験は終戦後にGHQが日本で確かめて大成功してるよ:
戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった

ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。

特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。

戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。

平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。


昔の学生やインテリは随分 IQ が低かったみたいですね。

1970年代は科学的社会主義とかいうのが流行っていて、唯物弁証法とかマルクスやレーニンの理論が既に科学的に証明されたと思っていたアホ左翼が沢山いたのです。


赤軍派議長の塩見孝也なんか 2017年11月に死ぬまでずっと 世界同時革命とか叫んでましたからね。


当時の日本は一億総中流で、マルクス主義の前提になる階級自体が存在しなかったので、いくら社会不安を起こしても階級闘争や革命なんか起きる筈がなかったのですけどね。


まあ、今の学生やインテリが賢くなったというのでなく

今だけ、金だけ、自分だけ

という価値観に変わっただけなのですが。


世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです
そしてそれは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

日本共産党や労働組合を創設させたのも GHQ なのですね。

平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/271.html

[近代史3] ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 中川隆
44. 中川隆[-11708] koaQ7Jey 2020年8月24日 18:35:49 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[40]
Telefunken RB - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=TELEFUNKEN+RB


TELEFUNKEN スピーカーシステム一覧 テレフンケン
https://audio-heritage.jp/TELEFUNKEN/speaker/index.html

ヤフオク! -「telefunken RB」(スピーカー) (オーディオ機器)の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=23812&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=telefunken+RB&x=0&y=0


TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html

▲△▽▼


TELEFUNKEN RB46 Hi-Fi Loud Speaker
http://lajazz.jp/products-page/speaker_end/telefunken-rb46-2


ドイツ老舗メーカー、真空管の「テレフンケン」が誇るスピーカー!

本品は1960年代に発表された Telefunken社製(テレフンケン)Hi-Fi Loud Speaker RB46 のペアです。

戦前ドイツの時代に立ち上げられた老舗ブランド。
現在でも最高峰のマイクや真空管などを現行製造しています。

米国や英国のHi-Fiスピーカーとは一味違った粘り強い音が特徴です。
音量音圧に加え、その外観からも高級感を味わえるスピーカーです。

特にヴォーカル音源の再現の精度の高さには脱帽です。
聴く人によってはJBLやアルテックよりも音の粒立ちがきれいに聞こえると評価する方も居るのも頷けます。
クラシックやジャズのみならず、幅広い音源に対応するコンシューマーモデルとして最高のシステムです。

エンクロージャーはオーク・フィニッシュ仕様が施されております。
前面にはシンプルかつオリジナリティーに富んだ高級感溢れるデザイン。
同社の洗礼された気遣いが感じられます。
http://lajazz.jp/products-page/speaker_end/telefunken-rb46-2




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c44

[リバイバル3] ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ 中川隆
54. 中川隆[-11707] koaQ7Jey 2020年8月24日 18:36:41 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[41]
Telefunken RB - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=TELEFUNKEN+RB


TELEFUNKEN スピーカーシステム一覧 テレフンケン
https://audio-heritage.jp/TELEFUNKEN/speaker/index.html

ヤフオク! -「telefunken RB」(スピーカー) (オーディオ機器)の落札相場・落札価格
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TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
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▲△▽▼


TELEFUNKEN RB46 Hi-Fi Loud Speaker
http://lajazz.jp/products-page/speaker_end/telefunken-rb46-2


ドイツ老舗メーカー、真空管の「テレフンケン」が誇るスピーカー!

本品は1960年代に発表された Telefunken社製(テレフンケン)Hi-Fi Loud Speaker RB46 のペアです。

戦前ドイツの時代に立ち上げられた老舗ブランド。
現在でも最高峰のマイクや真空管などを現行製造しています。

米国や英国のHi-Fiスピーカーとは一味違った粘り強い音が特徴です。
音量音圧に加え、その外観からも高級感を味わえるスピーカーです。

特にヴォーカル音源の再現の精度の高さには脱帽です。
聴く人によってはJBLやアルテックよりも音の粒立ちがきれいに聞こえると評価する方も居るのも頷けます。
クラシックやジャズのみならず、幅広い音源に対応するコンシューマーモデルとして最高のシステムです。

エンクロージャーはオーク・フィニッシュ仕様が施されております。
前面にはシンプルかつオリジナリティーに富んだ高級感溢れるデザイン。
同社の洗礼された気遣いが感じられます。
http://lajazz.jp/products-page/speaker_end/telefunken-rb46-2




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html#c54

[近代史4] ドイツの小型の家庭用安物スピーカーは何故あんなに音がいいのか? 中川隆
8. 中川隆[-11706] koaQ7Jey 2020年8月24日 18:37:21 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[42]
Telefunken RB - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=TELEFUNKEN+RB


TELEFUNKEN スピーカーシステム一覧 テレフンケン
https://audio-heritage.jp/TELEFUNKEN/speaker/index.html

ヤフオク! -「telefunken RB」(スピーカー) (オーディオ機器)の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=23812&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=telefunken+RB&x=0&y=0


TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html

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TELEFUNKEN RB46 Hi-Fi Loud Speaker
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ドイツ老舗メーカー、真空管の「テレフンケン」が誇るスピーカー!

本品は1960年代に発表された Telefunken社製(テレフンケン)Hi-Fi Loud Speaker RB46 のペアです。

戦前ドイツの時代に立ち上げられた老舗ブランド。
現在でも最高峰のマイクや真空管などを現行製造しています。

米国や英国のHi-Fiスピーカーとは一味違った粘り強い音が特徴です。
音量音圧に加え、その外観からも高級感を味わえるスピーカーです。

特にヴォーカル音源の再現の精度の高さには脱帽です。
聴く人によってはJBLやアルテックよりも音の粒立ちがきれいに聞こえると評価する方も居るのも頷けます。
クラシックやジャズのみならず、幅広い音源に対応するコンシューマーモデルとして最高のシステムです。

エンクロージャーはオーク・フィニッシュ仕様が施されております。
前面にはシンプルかつオリジナリティーに富んだ高級感溢れるデザイン。
同社の洗礼された気遣いが感じられます。
http://lajazz.jp/products-page/speaker_end/telefunken-rb46-2




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/512.html#c8

[近代史4] ドイツの小型の家庭用安物スピーカーは何故あんなに音がいいのか? 中川隆
9. 中川隆[-11705] koaQ7Jey 2020年8月24日 19:15:19 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[43]
TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB70 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12558550343.html

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html?frm=theme

Klangfilm Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12552760944.html

Siemens Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12549108416.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/512.html#c9

[リバイバル3] ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ 中川隆
55. 中川隆[-11704] koaQ7Jey 2020年8月24日 19:15:54 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[44]
TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB70 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12558550343.html

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html?frm=theme

Klangfilm Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12552760944.html

Siemens Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12549108416.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html#c55

[近代史3] ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 中川隆
45. 中川隆[-11703] koaQ7Jey 2020年8月24日 19:16:40 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[45]
TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB70 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12558550343.html

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html?frm=theme

Klangfilm Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12552760944.html

Siemens Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12549108416.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c45

[近代史3] ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 中川隆
46. 中川隆[-11702] koaQ7Jey 2020年8月24日 19:18:10 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[47]
兵庫県 N 様邸訪問記 禁断のKRELL
オーナー様はELTUS、TELEFUNKEN、Wharfedale、Klangfilm Eurodyn の四種類のシステムをお持ちです。
https://ameblo.jp/507576/entry-12551794816.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c46
[近代史4] ドイツの小型の家庭用安物スピーカーは何故あんなに音がいいのか? 中川隆
10. 中川隆[-11701] koaQ7Jey 2020年8月24日 19:18:37 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[48]
兵庫県 N 様邸訪問記 禁断のKRELL
オーナー様はELTUS、TELEFUNKEN、Wharfedale、Klangfilm Eurodyn の四種類のシステムをお持ちです。
https://ameblo.jp/507576/entry-12551794816.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/512.html#c10
[番外地8] Rそもそもエンデとかいう時代錯誤のアホの経済学説(?)を思想だと思い込んでいる時点でアウトだな。
そもそもエンデとかいう時代錯誤のアホの経済学説(?)を思想だと思い込んでいる時点でアウトだな。
この進化した時代に利子無しの又貸しで経済が廻る訳ないからな。
大西さんの貨幣論は最初から最後まですべて間違っている。
そもそも利子でマネーストックが増えても何の問題も無いからな。
貨幣価値は年月と共に減っていって貨幣は最後は紙屑になるものなんだ。金が増えても資産価値は変わらないのさ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/272.html
[番外地8] Rそもそもエンデとかいう時代錯誤のアホの経済学説(?)を思想だと思い込んでいる時点でアウトだな。 中川隆
1. 中川隆[-11700] koaQ7Jey 2020年8月24日 21:15:14 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[50]
そもそもエンデとかいう時代錯誤の児童文学者の経済学説(?)を思想だと思い込んでいる時点でアウトだな。
この複雑化した時代に利子無しの又貸しで経済が廻る訳ないからな。
大西さんの貨幣論は最初から最後まですべて間違っている。
そもそも利子でマネーストックが増えても何の問題も無いからな。
貨幣価値は年月と共に減っていって貨幣は最後は紙屑になるものなんだ。金が増えても資産価値は変わらないのさ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/272.html#c1
[番外地8] 国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ
国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ
金をどんどん発行するというのは江戸時代にもやっていたことで、それで混ぜ物した金貨の貨幣価値が暴落したんだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/273.html
[近代史5] 弥生人の起源 中川隆
5. 中川隆[-11699] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:06:07 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[4]
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
2011年5月5日 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all

日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大


【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。

 日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。

 主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。


 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。

■方言の共通祖先の年代は?

 さらなる証拠を求めて、東京大学(University of Tokyo)の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏は、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた。

 この手法はもともと進化生物学において、化石から採取したDNA断片から系統樹を作成し、数百万年前の祖先までさかのぼる目的で開発されたもの。リー氏によると、言語に適用することには異論もあるが、これまでの実験結果などから、言語には遺伝子のような特性があり、代々の継承を通じて進化することが推定されるという。

 2人は、体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。

 すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。

 リー氏は、農民の流入が始まった時期はこの時期より少し前の可能性があると指摘しつつ、「日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした」と結論付けている。(c)AFP/Marlowe Hood

https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/255.html#c5

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
291. 中川隆[-11698] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:06:51 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[5]
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
2011年5月5日 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all

日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大


【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。

 日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。

 主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。


 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。

■方言の共通祖先の年代は?

 さらなる証拠を求めて、東京大学(University of Tokyo)の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏は、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた。

 この手法はもともと進化生物学において、化石から採取したDNA断片から系統樹を作成し、数百万年前の祖先までさかのぼる目的で開発されたもの。リー氏によると、言語に適用することには異論もあるが、これまでの実験結果などから、言語には遺伝子のような特性があり、代々の継承を通じて進化することが推定されるという。

 2人は、体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。

 すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。

 リー氏は、農民の流入が始まった時期はこの時期より少し前の可能性があると指摘しつつ、「日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした」と結論付けている。(c)AFP/Marlowe Hood

https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c291

[番外地8] 国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ 中川隆
1. 中川隆[-11697] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:11:51 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[6]
国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ
金をどんどん発行するというのは江戸時代にもやっていたことで、それで混ぜ物した金貨の貨幣価値が暴落したんだ。


>総資産とは?名目金額ベース?

ゴールドベースとかシルバーベースだよ、ドルも紙屑化しているからドルベースは NG:

日経平均を金(ゴールド)グラム当たりに換算したグラフ
https://golden-tamatama.com/blog-entry-biggest-decline-gdp.html



http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/273.html#c1

[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
18. 中川隆[-11696] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:31:11 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[7]
兵庫県 N 様邸訪問記 禁断のKRELL
オーナー様はELTUS、TELEFUNKEN、Wharfedale、Klangfilm Eurodyn の四種類のシステムをお持ちです。
https://ameblo.jp/507576/entry-12551794816.html


オーナー様はELTUS、TELEFUNKEN、Wharfedale、Klangfilm Eurodyn の四種類のシステムをお持ちです。

ELTUS、TELEFUNKEN の二機種はフィールドスピーカー、通常のパーマネントマグネットとは

まったく異なる、外部電源により磁力を供給してマグネットを動かす励磁式となっている。

すべてのスピーカーがネイキッドでキャビネットを使わない平面バッフルとなっている。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c18

[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
19. 中川隆[-11695] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:33:59 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[8]

Klangfilm Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12552760944.html

Siemens Eurodyn | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12549108416.html

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB70 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12558550343.html

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html?frm=theme
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/511.html#c19

[番外地8] 国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ 中川隆
2. 中川隆[-11694] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:51:14 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[9]
国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ
金をどんどん発行するというのは江戸時代にもやっていたことで、それで混ぜ物した金貨の貨幣価値が暴落したんだ。


>総資産とは?名目金額ベース?

ゴールドベースとかシルバーベースだよ、ドルも紙屑化しているからドルベースは NG:

日経平均を金(ゴールド)グラム当たりに換算したグラフ
https://golden-tamatama.com/blog-entry-biggest-decline-gdp.html

そもそも日本は

生産人口が減っている
輸出額が減っている
生産効率は変わらない

のだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/273.html#c2

[番外地8] 国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ 中川隆
3. 中川隆[-11693] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:53:20 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[10]
国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ
金をどんどん発行するというのは江戸時代にもやっていたことで、それで混ぜ物した金貨の貨幣価値が暴落したんだ。

>総資産とは?名目金額ベース?


ゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースだよ、ドルも紙屑化しているからドルベースは NG:

日経平均を金(ゴールド)グラム当たりに換算したグラフ
https://golden-tamatama.com/blog-entry-biggest-decline-gdp.html

そもそも日本は

生産人口が減っている
輸出額が減っている
生産効率は変わらない

のだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/273.html#c3

[番外地8] 国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ 中川隆
4. 中川隆[-11692] koaQ7Jey 2020年8月25日 08:59:55 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[11]
国の生産力とか総資産は決まってるからプールは実際有るんだよ
金をどんどん発行するというのは江戸時代にもやっていたことで、それで混ぜ物した金貨の貨幣価値が暴落したんだ。


ちなみに、総資産はゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースで見ないといけない、ドルは紙屑化しているからドルベースで判断するのは NG:

日経平均を金(ゴールド)グラム当たりに換算したグラフ
https://golden-tamatama.com/blog-entry-biggest-decline-gdp.html

そもそも日本は

生産年齢人口が減っている
輸出額が減っている
生産効率は変わらない

のだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/273.html#c4

[番外地8] またデマ流してる、「貨幣プール論」は正しいよ 国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティ… 中川隆
3. 中川隆[-11691] koaQ7Jey 2020年8月25日 09:28:41 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[13]
またデマ流してる、放漫財政や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない
通貨は基本的にはバブルで、お金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。

お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。
詳細は

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

日経平均を金(ゴールド)グラム当たりに換算したグラフ
https://golden-tamatama.com/blog-entry-biggest-decline-gdp.html

ただし、貨幣価値が減ったからといって給料を上げてくれる親切な会社はないので、実質賃金は下がります。
日本人の給料が上がらないから、人件費を反映する物価も上がらない

しかし、外国に行けば日本円が紙屑になっているのがわかります。
しかし、日本国内での商品価格のコストの大半は人件費なので、貨幣価値が減っても物価はあまり上がりません。
それで日本の物価だけは上がらずデフレ経済になるのですね。  日銀金融緩和の結果、国内物価が上がっていないだけで、円は海外では紙屑になっている。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
商品価格の大半は人件費なので、物価はあまり上がりません。
これが金融緩和してもインフレにならない理由ですね。

そもそも欧米の物価と日本の物価を比較すれば 1ドル=20円程度が適正値なのに、1ドル=110円まで超円安になっている。タイでもラーメン1杯が1000円になっているよ。

ドル自体が紙屑になっていると言われているのに、そのドルに比べても円のこの安さ。

日本人がアメリカに留学できなくなったのはアメリカの授業料が年間何百万円になったからだよ。アメリカでアパートを借りてもワンルームが月30万円だから、日本人はアメリカ留学すらできない。

そもそも日本人が作っている日本の野菜や傘、洋服や日曜品ですら日本人には高値の花になっている。こういうのをハイパーインフレーションというんだよ 。

因みに、僕がハイパーインフレーションと言っているのは
日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

GDPの増加率や経済成長率には意味はありません。
中国やアメリカの様にGDPがいくら増えても、いくら経済成長しても国民の生活が良くなる訳ではありません。
政府がいくら金融緩和しても財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。

日本のマネーストック M2 が増加し続けているのに名目賃金が増えない(実質賃金が減り続けている)というのは大西つねきさんが問題にしていますね。大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

現在は国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスで“超異次元緩和”を実施することによって、これまで(リーマン・ショック以後の金融緩和)にも増してカネが有り余った状態が作り出されようとしています。

日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)を中心とした各国の中央銀行が注ぎ込んだ資金は既に1000兆円を超えました。


MMT の資金供給で労働者の実質賃金が下がった為に実体経済は冷え込み、製造業はじめ各種産業には資金需要がないため、だぶついたマネーがみな金融市場に流れ込み、

2020年3月中旬から6月末だけでも、世界の富豪ランキングでトップのジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)は資産が46%も増加し、1650億j(約18兆円)になっている。

同2位のビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)は12%も増えて1097億jに、同4位のウォーレン・バフェット(世界三大投資家)は6%増の715億j、同5位のラリー・エリソン(オラクル創業者)は19%増加して702億j、同7位だったフェイスブックCEOのザッカーバーグに至っては63%も資産を増やし、891億jになった。

億万長者としては全体でコロナ禍に世界が沈み込んだ14週間(3月中旬から6月末)の期間に6280億jも資産が膨れあがった。

国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスが原因で、富める者は実体と乖離した有り余ったカネによって働かずして富を得て、その他の圧倒的な国民、社会を実際に下支えしている側は失業や貧困、生活が破綻しかねない現実に直面しています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/225.html#c3

[近代史4] アメリカ人は頭がおかしい 中川隆
13. 中川隆[-11690] koaQ7Jey 2020年8月25日 09:40:45 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[15]

2020.08.25
米国の覇権戦略に対抗する中露との戦い
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008250000/

 アメリカを支配している人びとは「アメリカ後」の新しい世界秩序の中心に強大な私的権力を据えようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の目的はそこにあったが、これは激しい抵抗にあった。


 この新体制を樹立させようとアメリカやその従属国は必死だが、ロシアや中国を中心とする国々は拒否している。アメリカの支配者は2008年頃まで軍事力でロシアや中国を圧倒できると信じていたようだが、この年にイスラエルやアメリカの支援を受けたジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗したことなどで判断を修正したはずだ。


 2009年にアメリカ大統領となったバラク・オバマは師であるズビグネフ・ブレジンスキーの戦法を採用する。ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を主力とする傭兵を使って侵略、体制を転覆させる工作を始めたのだ。オバマは特にムスリム同胞団を重視した。


 工作は2010年8月にオバマがPSD-11を承認したところから始まったと考えられている。その結果が「アラブの春」だ。この運動で中東から北アフリカにかけての地域でアメリカから自立しようとしていた政権が倒されたわけだが、それが単純に市民の抗議活動だったなら、何も起こらなかっただろう。


 例えば、東電福島第1原発が炉心溶融という深刻な事故を引き起こした後に行われた反原発デモには17万人が参加、安倍晋三政権が安全保障関連法案を成立させようとしていた時には法案に反対する人が国会議事堂の周辺に12万人(主催者発表)が集まった。60年安保の時には反対する人が30万人以上参加したとも言われている。それでも支配体制は揺るがなかった。アメリカなどの情報機関が後ろについているアラブの春とは根本的に違うということだ。


 こうした抗議活動をCIAは軍事クーデターの前に行ってきた。社会を不安定化させた上での軍事行動だが、ブレジンスキーは傭兵を前面に出している。


 こうした手法でアメリカのネオコンは2014年2月にウクライナの合法政権を倒した。その傭兵として動いたのがネオ・ナチのグループだ。同じ年の9月から12月までの期間、アメリカとイギリスの情報機関、つまりMI6とCIAは反中国デモを繰り広げた。「佔領行動(雨傘運動)」である。


 この年を境にして中国とアメリカとの関係は悪化、アメリカから攻撃されたロシアと中国は急接近して戦略的同盟関係を結ぶことになる。アメリカ大統領選挙が本格化する直前、2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談、22日にはシリアでの停戦で合意しているが、これはネオコンの行動を懸念した勢力の意向を受けてのことだろう。その流れの中でドナルド・トランプがネオコンが担ぐヒラリー・クリントンの対抗馬として浮上してくる。


 その後、ネオコンはロシアとの関係悪化を図り、トランプは中国を攻撃することになる。そして2019年3月に再び香港で反中国運動が始まった。その構図は基本的に2014年と同じだが、中国政府は前回と違って厳しい姿勢に出る。


 香港の反中国運動を複雑化させている一因は、イギリスが発行するBNOパスポート(海外市民旅券)にある。1997年より前から香港に住んでいる人はこれを取得でき、保有者は約350万人だと言われている。BNOパスポートを持っていると、香港で破壊活動のために逮捕されてもすぐに釈放されてきたという。


 アメリカやイギリスの破壊活動を封じ込めるために中国が成立させたのが香港国家安全法。香港の基本法は第23条で中国政府に対する反逆、分離、扇動、転覆を禁止する内容の国家安全法を制定することを定めていたが、これまで制定されず、結果として破壊活動を放置することになっていた。


 このように、中国とアメリカとの関係は2014年から15年にかけて劇的に変化、中国はアメリカから離れ、ロシアへ接近することになったのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008250000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/556.html#c13

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
106. 中川隆[-11689] koaQ7Jey 2020年8月25日 09:41:39 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[16]

2020.08.25
米国の覇権戦略に対抗する中露との戦い
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008250000/

 アメリカを支配している人びとは「アメリカ後」の新しい世界秩序の中心に強大な私的権力を据えようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の目的はそこにあったが、これは激しい抵抗にあった。


 この新体制を樹立させようとアメリカやその従属国は必死だが、ロシアや中国を中心とする国々は拒否している。アメリカの支配者は2008年頃まで軍事力でロシアや中国を圧倒できると信じていたようだが、この年にイスラエルやアメリカの支援を受けたジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗したことなどで判断を修正したはずだ。


 2009年にアメリカ大統領となったバラク・オバマは師であるズビグネフ・ブレジンスキーの戦法を採用する。ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を主力とする傭兵を使って侵略、体制を転覆させる工作を始めたのだ。オバマは特にムスリム同胞団を重視した。


 工作は2010年8月にオバマがPSD-11を承認したところから始まったと考えられている。その結果が「アラブの春」だ。この運動で中東から北アフリカにかけての地域でアメリカから自立しようとしていた政権が倒されたわけだが、それが単純に市民の抗議活動だったなら、何も起こらなかっただろう。


 例えば、東電福島第1原発が炉心溶融という深刻な事故を引き起こした後に行われた反原発デモには17万人が参加、安倍晋三政権が安全保障関連法案を成立させようとしていた時には法案に反対する人が国会議事堂の周辺に12万人(主催者発表)が集まった。60年安保の時には反対する人が30万人以上参加したとも言われている。それでも支配体制は揺るがなかった。アメリカなどの情報機関が後ろについているアラブの春とは根本的に違うということだ。


 こうした抗議活動をCIAは軍事クーデターの前に行ってきた。社会を不安定化させた上での軍事行動だが、ブレジンスキーは傭兵を前面に出している。


 こうした手法でアメリカのネオコンは2014年2月にウクライナの合法政権を倒した。その傭兵として動いたのがネオ・ナチのグループだ。同じ年の9月から12月までの期間、アメリカとイギリスの情報機関、つまりMI6とCIAは反中国デモを繰り広げた。「佔領行動(雨傘運動)」である。


 この年を境にして中国とアメリカとの関係は悪化、アメリカから攻撃されたロシアと中国は急接近して戦略的同盟関係を結ぶことになる。アメリカ大統領選挙が本格化する直前、2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談、22日にはシリアでの停戦で合意しているが、これはネオコンの行動を懸念した勢力の意向を受けてのことだろう。その流れの中でドナルド・トランプがネオコンが担ぐヒラリー・クリントンの対抗馬として浮上してくる。


 その後、ネオコンはロシアとの関係悪化を図り、トランプは中国を攻撃することになる。そして2019年3月に再び香港で反中国運動が始まった。その構図は基本的に2014年と同じだが、中国政府は前回と違って厳しい姿勢に出る。


 香港の反中国運動を複雑化させている一因は、イギリスが発行するBNOパスポート(海外市民旅券)にある。1997年より前から香港に住んでいる人はこれを取得でき、保有者は約350万人だと言われている。BNOパスポートを持っていると、香港で破壊活動のために逮捕されてもすぐに釈放されてきたという。


 アメリカやイギリスの破壊活動を封じ込めるために中国が成立させたのが香港国家安全法。香港の基本法は第23条で中国政府に対する反逆、分離、扇動、転覆を禁止する内容の国家安全法を制定することを定めていたが、これまで制定されず、結果として破壊活動を放置することになっていた。


 このように、中国とアメリカとの関係は2014年から15年にかけて劇的に変化、中国はアメリカから離れ、ロシアへ接近することになったのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c106

[番外地8] またデマ流してる、「貨幣プール論」は正しいよ 国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティ… 中川隆
4. 中川隆[-11688] koaQ7Jey 2020年8月25日 09:58:44 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[17]
またデマ流してる、「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない
通貨は基本的にはバブルで、お金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。
お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。
国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。
マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。
詳細そもそも日本は 生産年齢人口が減っている、輸出額が減っている、生産効率は変わらないのだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なのです。因みに、総資産はゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースで見ないといけない、ドルは紙屑化しているからドルベースで判断するのは NG。 詳細は

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

日経平均を金(ゴールド)グラム当たりに換算したグラフ
https://golden-tamatama.com/blog-entry-biggest-decline-gdp.html

ただし、貨幣価値が減ったからといって給料を上げてくれる親切な会社はないので、実質賃金は下がります。
日本人の給料が上がらないから、人件費を反映する物価も上がらない

しかし、外国に行けば日本円が紙屑になっているのがわかります。
しかし、日本国内での商品価格のコストの大半は人件費なので、貨幣価値が減っても物価はあまり上がりません。
それで日本の物価だけは上がらずデフレ経済になるのですね。  日銀金融緩和の結果、国内物価が上がっていないだけで、円は海外では紙屑になっている。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
商品価格の大半は人件費なので、物価はあまり上がりません。
これが金融緩和してもインフレにならない理由ですね。

そもそも欧米の物価と日本の物価を比較すれば 1ドル=20円程度が適正値なのに、1ドル=110円まで超円安になっている。タイでもラーメン1杯が1000円になっているよ。

ドル自体が紙屑になっていると言われているのに、そのドルに比べても円のこの安さ。

日本人がアメリカに留学できなくなったのはアメリカの授業料が年間何百万円になったからだよ。アメリカでアパートを借りてもワンルームが月30万円だから、日本人はアメリカ留学すらできない。

そもそも日本人が作っている日本の野菜や傘、洋服や日曜品ですら日本人には高値の花になっている。こういうのをハイパーインフレーションというんだよ 。

因みに、僕がハイパーインフレーションと言っているのは
日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

GDPの増加率や経済成長率には意味はありません。
中国やアメリカの様にGDPがいくら増えても、いくら経済成長しても国民の生活が良くなる訳ではありません。
政府がいくら金融緩和しても財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。

日本のマネーストック M2 が増加し続けているのに名目賃金が増えない(実質賃金が減り続けている)というのは大西つねきさんが問題にしていますね。大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

現在は国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスで“超異次元緩和”を実施することによって、これまで(リーマン・ショック以後の金融緩和)にも増してカネが有り余った状態が作り出されようとしています。

日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)を中心とした各国の中央銀行が注ぎ込んだ資金は既に1000兆円を超えました。


MMT の資金供給で労働者の実質賃金が下がった為に実体経済は冷え込み、製造業はじめ各種産業には資金需要がないため、だぶついたマネーがみな金融市場に流れ込み、

2020年3月中旬から6月末だけでも、世界の富豪ランキングでトップのジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)は資産が46%も増加し、1650億j(約18兆円)になっている。

同2位のビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)は12%も増えて1097億jに、同4位のウォーレン・バフェット(世界三大投資家)は6%増の715億j、同5位のラリー・エリソン(オラクル創業者)は19%増加して702億j、同7位だったフェイスブックCEOのザッカーバーグに至っては63%も資産を増やし、891億jになった。

億万長者としては全体でコロナ禍に世界が沈み込んだ14週間(3月中旬から6月末)の期間に6280億jも資産が膨れあがった。

国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスが原因で、富める者は実体と乖離した有り余ったカネによって働かずして富を得て、その他の圧倒的な国民、社会を実際に下支えしている側は失業や貧困、生活が破綻しかねない現実に直面しています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/225.html#c4

[番外地8] プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています
プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/274.html

[番外地8] プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています 中川隆
1. 中川隆[-11687] koaQ7Jey 2020年8月25日 10:47:25 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[18]
プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。

三橋さんの基礎学力や一般教養は商業高校出身者レベルの様な気がしてきた。
専門家の受け売りをしているだけみたいだから、人前で話さえしなければ嘘もバレないのにね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/274.html#c1

[近代史5] 中国人の起源
中国人の起源


石峁遺跡 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9F%B3%E5%B3%81%E9%81%BA%E8%B7%A1


陝西省 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD+%E9%99%9D%E8%A5%BF%E7%9C%81/@35.5626154,103.8784447,6z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x36637a6013eba79f:0x41c96e6fcb615716!8m2!3d35.3939908!4d109.1880047


▲△▽▼


4千年前の中国・石峁遺跡、謎のヒスイと要塞
初期の中国文明はどのように変遷したか、新たな見方を提示
2020.08.23
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/


階段状ピラミッドを冠した4300年前の要塞都市、石峁(シーマオ)遺跡。初期中国史の定説に疑問を投げかけている。 (PHOTOGRAPH BY BEN SHERLOCK, NATIONAL GEOGRAPHIC
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/081700972/?P=2


 中国の黄土高原の砂ぼこりが吹き荒れる丘に、朽ちかけた石垣がある。近くに暮らす人々は長らく、この石垣を万里の長城の一部と信じていた。無理もない。2000年以上前に北方民族との最前線として造られた万里の長城は、黄河が北に大きく屈曲するちょうどこの辺りを通過している。

 だが、ここでは場違いなものも見つかった。ヒスイだ。破片だけでなく、円盤や刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものも見つかっている。ヒスイはここ陝西省最北部では産出せず、最も近い産地でさえ、およそ1600キロも離れている。万里の長城の特徴とも合わない。オルドス砂漠に近いこの不毛の地で、なぜヒスイが大量に見つかったのか?

 中国の考古学者チームがこの地を発掘調査したところ、意外なことがわかった。その石垣は、万里の長城の一部ではなく、壮大な要塞都市の名残だった。発掘は今も行われているが、高台にあるピラミッドやその周囲を取り囲む全長10キロを超える防壁、壁画やヒスイの工芸品に彩られた聖なる場所、そしておぞましい生け贄の証拠が見つかっている。

 2020年の初め、新型コロナウイルスのパンデミックによって発掘が中止になる前に、考古学者たちは、石に彫られた見事なレリーフを70個も発掘した。大蛇や怪物、半人半獣などの図像で、後の青銅器時代の中国のものに似ていた。


石峁遺跡で見つかった石垣の彫刻。考古学者の報告によると、「この階段状ピラミッドに特別な宗教的な力を授けたのかもしれない」という。 (PHOTOGRAPH BY BEN SHERLOCK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/081700972/


 さらに驚くべきことに、放射性炭素による年代測定の結果、ここ石峁(シーマオ)遺跡の一部は、4300年前に遡ることが明らかになった。万里の長城の最も古い部分より2000年近くも古く、確認されている中国最古の王朝、殷(商)が現れる500年も前のことだ。

 石峁は、この僻地とも思える地で、紀元前2300年頃から紀元前1800年頃まで繁栄し、突然、放棄された。その理由は謎に包まれている。

 中国考古学の道しるべとなってきた古文書のいずれにも、この古代都市に関する記述はない。だが石峁は大きく複雑なだけでなく、外部の文化とも活発に交流していた。面積はおよそ4平方キロと、米ニューヨーク市のセントラルパークより広い。その芸術や技術は北方文化の流れをくみ、歴代の中国王朝にも影響を与えた。

 石峁だけではない。近年は各地の遺跡で発見が相次ぎ、歴史学者は中国文明の発祥について再考を迫られている。

「石峁は、今世紀最大の考古学的発見の1つです」と話すのは、陝西省考古研究院の院長で、石峁遺跡発掘のリーダーを務めた孫周勇氏だ。「中国の初期文明の発達に関する新たな見方を提示しています」


丘の上のピラミッド
 石峁は、絶えず危険にさらされることを考慮して設計されたようだ。それは、禿尾河に近い丘の上に建設されたことからもうかがえる。石峁の支配層は、敵からの防衛手段として、周辺で一番高い丘の上に、長方形の20段のピラミッドを建立した。

 これは、街のあらゆる場所から見えた。高さは、ほぼ同時期(紀元前2250年)にエジプトで建造されたギザの大ピラミッドの半分ほどだったが、底面積は4倍も広かった。石峁の支配層は安全を求めて、高台の最上部に住んだ。そこには、専用の貯水槽や工房、さらには儀式用の神殿と見られる建造物を備えた複合施設もあった。


厚さ2.5メートル、全長10キロにも及ぶ壁が、街をぐるりと取り囲む。石峁遺跡は1970年代に発見されたが、長らく万里の長城の一部と考えられていた。最近の発見で、それよりはるかに古いことが判明した。(PHOTOGRAPH BY LI MIN, UCLA)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/?P=2


 街の周囲は、何キロもの内壁と外壁に取り囲まれていた。これは、古代を通じて中国の都市でよく用いられた初期の都市設計だ。この壁だけでも、12万5000立方メートルもの石が必要だった。これは、オリンピック用プール50個分に相当する。人口1万〜2万だったと考えられる新石器時代の社会では、巨大事業だった。そのすさまじい規模から、この周辺で近年発見されている小都市の労働力によって建設されたと、考古学者たちは考えるようになった。

 現在、石峁と同じ龍山時代(新石器時代後期)の石造りの町が、陝西省北部で70以上も発掘されている。そのうちの10の町は、石峁が位置する禿尾河流域にある。「こうした衛星都市が強固な社会基盤となり、初期の石峁を形成していたのです」と孫氏は話す。

 石峁は要塞としての工夫も凝らされていた。楼門(塔を備えた門)や一方からのみ通行可能な門、稜堡(複数の方向へ防御射撃ができるように城壁の突き出た部分)などがあった。また、攻め寄せる敵を守備兵が3方向から攻撃できる「馬面(マーミエン)」構造も採用していた。後に、中国の防衛建築の定番となる設計だ。

 孫氏らのチームは、石垣の内側で革新的な技術をもう1つ発見した。補強に使われた木の梁だ。年代測定の結果、紀元前2300年の木とわかったが、こうした工法は従来、後の漢王朝の時代に考案されたと考えられてきた。

おぞましい発見
 一方、最もおぞましいものは東の壁の下で発見された。6つの穴に80個もの人間の頭蓋骨が詰め込まれていたのだ。体の骨はなかった。(石峁の正門である東門に最も近い2つの穴からは、それぞれ24個の頭蓋骨が見つかった)。頭蓋骨の数や配置から、壁の基礎を敷設する際の儀式で首を切られたことが示唆された。知られている限り、中国史上最古の人身御供の例だ。法医学者たちによると、犠牲者のほぼすべてが若い少女であり、おそらく敵対勢力に属していた捕虜だと考えられる。


壁の下の穴からは、切断された頭部が80個も発見された。犠牲者はすべて10代の女性で、都市を建設する際の儀式で生け贄にされたのかもしれない。(PHOTOGRAPH BY SHAANXI ACADEMY OF ARCHAEOLOGY)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/?P=2

「石峁で見られるような規模の儀式的暴力は、初期中国では前例がありません」と、石峁を訪れ、石峁について広範に記した米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の考古学者リー・ミン氏は話す。石峁の頭蓋骨は、何世紀も後(紀元前1600年頃〜紀元前1046年)の殷(商)による大規模な人の生け贄の予兆でもあった。

 東門は別世界への入り口だったのだろう。敷居をまたぐとすぐに目に入るのが、東門をにらむように壁に施された菱形模様の彫刻だ。石垣には一定の間隔で、黒やダークグリーンのヒスイが埋め込まれている。邪悪なものを追い払い、石峁の支配層の力と富を表すための装飾だろう。ヒスイ鉱山を持たない石峁からヒスイの遺物が豊富に見つかることは、遠くの交易相手から大量に輸入していたことを示している。


石峁は外界から隔絶していたわけではなかった。アルタイ草原から黄海沿岸地域まで、他の様々な文化と、アイデアや技術、商品を交換した。

「石峁や他の遺跡が示している重要な点は、中国文明は多くのルーツを持ち、黄河中流の中原でのみ発達したわけではないということです」と、英オックスフォード大学の中国美術・考古学の教授ジェシカ・ローソン氏は話す。「いくつかの特徴は、現在の中国北部よりも広い範囲から取り入れたものです。例えば、石造りの構造物は、中原よりも北の草原地帯に関わりが深いものです。牛や羊などの家畜や冶金などがそうです。実はこれらは、中国が取り入れ、自らの文化に融合させた、とても重要な技術なのです」


壁の下から見つかった頭部の骨の一部。(SCREENGRAB BY NATIONAL GEOGRAPHIC)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/?P=3


 石峁では、ヒスイ以外にも、はるか南の湿地帯から来たと思われるワニ革の遺物も見つかっている。ワニ革の太鼓は、儀式の際に使われた可能性が高い。これは、音楽が石峁の宮中生活で重要な役割を果たしていたことの1つの表れだ。

 もう1つの発見に、孫氏らの研究チームは困惑した。薄く滑らかで湾曲した、まったく同じ骨片が、20個も出土したのだ。考古学者たちは、櫛かヘアピンではないかと推測した。だが、ある音楽学者はそれを、口琴と呼ばれる原始的なリード楽器の一種ではないかと言う。

「石峁は、口琴の発祥の地なのです」と孫氏は話す。石峁から世界中の100を超える民族に広まったのだという。「人と文化の初期の流れを探る貴重な手がかりとなる、重要な発見です」

残された謎と手がかり

 石峁遺跡のうち、これまでに発掘されたのはほんの一部にすぎない。発見は、これからも続くだろう。最近では石の彫刻に加え、かつて東門の近くの壁に設置された人間の胸像や立像の証拠が見つかっている。彫刻の解釈は始まったばかりだが、擬人化表現は、「とても革新的で珍しい試み」だとUCLAのリー・ミン氏は言う。

 石峁については、多くのことが謎に包まれたままだ。経済がどう機能していたのか、その他の先史文化とどのように交流していたのか、文字はあったのか、考古学者たちは今も解明しようと努力を続けている。


これまでに発掘されているものは、石峁遺跡のほんの一部にすぎない。考古学者は、さらに多くの発見に期待を寄せている。 (PHOTOGRAPH BY RACHEL VAKNIN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/?P=3


 一方、石峁が500年後に見捨てられた理由に関しては、手がかりがいくつかある。地震や洪水、疫病ではなかった。戦争は、彼らが逃げ出す一因になったかもしれない。だが気候変動こそが、決定的要因だったという証拠がより多く見つかっている。

 石峁が作られた当時は、気候が比較的温暖、湿潤で、黄土高原に人口が流入していた。だが紀元前2000年から紀元前1700年にかけて急激な気候変動が起こり、乾燥した寒冷な気候になったと、歴史の記録が示している。湖は干上がり、森は消え、砂漠が広がった。そして石峁の人々は、どこかへ移り住んでいった。

 かつては遠く離れていたオルドス砂漠は、今や石峁のすぐ下、禿尾河のほとりに迫り、この古代の遺跡は砂ぼこりと岩に覆われ、静寂に包まれている。だが4300年後の現在、世界最古の都市の1つ石峁は、もう歴史の中に消えても、見捨てられてもいない。その石垣は、隠していた貴重な秘密を明かし、中国文明の最初期に関する私たちの理解に疑問を投げかけている。間違いなく、さらに多くの新しい発見がなされることだろう。

文=BROOK LARMER/訳=牧野建志
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/?P=3


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2020年08月25日
中国陝西省の石峁遺跡の発掘成果
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_33.html

 中国陝西省の石峁(Shimao)遺跡の発掘成果について報道されました。紀元前2300〜紀元前1800年頃の石峁遺跡では、高台にある長方形の20段のピラミッド状建築物(ギザの大ピラミッドと比較して、高さは半分ですが、底面積は4倍とのことです)やその周囲を取り囲む全長10km以上の防壁、壁画や翡翠といった工芸品、生贄の証拠が見つかっているそうです。高台の最上部には、専用の貯水槽や工房、儀式用の神殿と見られる建造物を備えた複合施設もあったそうです。翡翠の産地は、石峁遺跡から最も近くても1600km離れているそうです。石には70個の浮き彫り細工(レリーフ)も見つかり、大蛇や怪物や半人半獣などの図像があり、中華地域における後の青銅器時代のものに似ているそうです。

 陝西省北部では、石峁遺跡と同じ時代の石造りの町が、70以上も発掘されているそうで、そのうち10の町は石峁遺跡と同じく禿尾河流域にあり、こうした衛星都市が強固な社会基盤となり、初期の石峁を形成していた可能性が指摘されています。石垣の内側では革新的な技術が見つかりました。それは、補強に使われた木の梁で、年代測定の結果、紀元前2300年の木と明らかになりましたが、こうした工法は以前には、後の漢王朝の時代に考案されたと考えられてきました。

 東壁の下では、6つの穴に80個もの人間の頭蓋骨が詰め込まれていましたが、体の骨は見つかりませんでした。頭蓋骨の数や配置から、壁の基礎を敷設するさいの儀式で首を切られた、と示唆されています。これは、中国史上最古の人身御供の事例となりそうです。犠牲者のほぼ全員が少女で、おそらくは敵対勢力に属していた捕虜だろう、と推測されています。これが、後の殷(商)王朝による大規模な人の生贄につながっていったのかもしれません。

 この記事は、僻地とも思える場所に紀元前2300年〜紀元前1800年頃にこうした大規模な都市が栄えていたことは意外であるかのように示唆しますが、これは近世以降の関中の状況を当てはめた偏見のように思います。古代から中世にかけて、現代の陝西省一帯にはたびたび王朝の都が置かれましたし、先史時代においては、西方世界に近いその位置は、「先進的な」文化の導入に有利だった、とも考えられます。この記事でも、石峁が、東方の黄海沿岸地域だけではなく、西方のアルタイ地域も負決めてさまざまな地域との文化・技術・物資の交換していた、と指摘されています。ウシ・ヒツジなどの家畜や冶金技術など、中華地域は西方世界から「先進的な」文化を多く取り入れ、「発展」していった、と考えられます。

 石峁遺跡が紀元前1800年頃に放棄された理由については、地震・洪水・疫病ではなく、気候変動だった、と推測されています。紀元前2300年頃には、気候が比較的温暖・湿潤で、黄土高原に人口が流入していましたが、紀元前2000年から紀元前1700年にかけて急激な気候変動が起こり、乾燥した寒冷な気候になって、湖は干上がり、森は消え、砂漠が広がった、と推測されています。石峁遺跡については、経済がどう機能していたのか、その他の同時代文化とどのように交流していたのか、文字はあったのか、といった問題があり、今後の研究の進展が期待されます。

 後期新石器時代となる石峁遺跡については、最近注目していたので、この報道を取り上げました。それは、石峁遺跡の人類遺骸からゲノムデータが得られているためです(関連記事)。石峁遺跡の後期新石器時代個体群は、遺伝的には黄河中流域の中期新石器時代個体群と類似しています。この黄河流域新石器時代個体群と類似した遺伝的構成の集団が、現代のチベット人および日本人の主要な遺伝的祖先と推測されています(関連記事)。チベット人の形成過程については、最近より詳しく検証した研究が公表されています(関連記事)。

 黄河流域新石器時代集団がどのように形成されたのか、アジア東部の更新世人類のゲノムデータがほとんど得られていないため、不明です。日本列島やチベットと黄河流域の農耕開始の年代差から考えると、まず黄河流域で農耕集団が確立し、日本列島やチベットへと拡散していった、と想定するのが妥当でしょう。これら古代ゲノム研究により、シナ・チベット語族の起源は黄河流域新石器時代集団にある、と推測されています。

 一方、日本語はシナ・チベット語族とは大きく異なり、系統関係を追うことができません。同じく黄河流域新石器時代集団の遺伝的影響を強く受けているのに、日本列島の言語がシナ・チベット語族とは大きく異なる日本語である理由は、最近取り上げてみたものの(関連記事)、私の知見・能力ではよく分かりませんでした。この問題は、永久に確証が得られないかもしれませんが、古代ゲノム研究の進展に伴いより妥当な推測が可能かもしれず、その点でも今後の古代ゲノム研究に注目しています。
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_33.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html

[近代史5] 朝鮮人の起源 中川隆
7. 中川隆[-11686] koaQ7Jey 2020年8月25日 11:24:25 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[19]
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
2011年5月5日 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all

日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大


【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。

 日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。

 主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。


 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。

■方言の共通祖先の年代は?

 さらなる証拠を求めて、東京大学(University of Tokyo)の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏は、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた。

 この手法はもともと進化生物学において、化石から採取したDNA断片から系統樹を作成し、数百万年前の祖先までさかのぼる目的で開発されたもの。リー氏によると、言語に適用することには異論もあるが、これまでの実験結果などから、言語には遺伝子のような特性があり、代々の継承を通じて進化することが推定されるという。

 2人は、体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。

 すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。

 リー氏は、農民の流入が始まった時期はこの時期より少し前の可能性があると指摘しつつ、「日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした」と結論付けている。(c)AFP/Marlowe Hood

https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/194.html#c7

[番外地8] 国債とか優良株を持って居れば、利子や配当で資産がどんどん増えていくだろ。 それがデフレの原因なんだよ。
ドルも円も貨幣価値は減ってるよ:

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

>あなたの発想は貨幣価値を上げるためにマネーサプライを減らすべきという事なのですか。

違うよ、マネーサプライの増えた分が資本家にばかり分配されているのがデフレの原因だと言ってるんだ
国債とか優良株を持って居れば、利子や配当で資産がどんどん増えていくだろ。
それがデフレの原因なんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/275.html

[番外地8] アメリカ金融資本が推進しているのはMMTポリティクスという財政出動論
MMTは唯の信用貨幣論
アメリカ金融資本が推進しているのはMMTポリティクスという財政出動論
欧米で既に大規模な財政出動をやって、その金の殆どは欧米金融資本が手に入れました。
財政出動をやっても労働者にはお金は廻らないといのが実証されました。
前のリーマンショックの時と全く同じ結果です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/276.html
[番外地8] アメリカ金融資本が推進しているのはMMTポリティクスという財政出動論 中川隆
1. 中川隆[-11685] koaQ7Jey 2020年8月25日 12:09:29 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[21]
MMTは唯の信用貨幣論
アメリカ金融資本が推進しているのはMMTポリティクスという財政出動論
欧米で既に大規模な財政出動をやって、その金の殆どは欧米金融資本が手に入れました。
財政出動をやっても労働者にはお金は廻らないというのが実証されました。
前のリーマンショックの時と全く同じ結果です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/276.html#c1
[近代史3] こうの史代 _ この世界の片隅に (MAPPA 2016年) 中川隆
7. 中川隆[-11684] koaQ7Jey 2020年8月25日 14:51:47 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[23]
2020年 08月 22日
夏休み納涼? 映画観賞会
https://tannoy.exblog.jp/31330183/


GRFさん

先日は遅めの夏休み映画観賞会にお招きいただき有難うございました。

音楽は聴き処だけ摘まんで聴くことができますが、やはり映画は最初から最後までじっくり観てしまいますね。ということで、日が暮れてお部屋が完全に暗くなる7時過ぎから始まった鑑賞会のプログラムは『この世界の片隅に』と『やさしい本泥棒』の二本。

『この世界の片隅に』の淡い水彩画の様な画像は、ごくごく自然で、最先端のCGの技術や色調の派手なコントラストを強調して人を驚かせる様な所はまったくありません。「普通の人々の生活」の中で、のんびりとした空想の世界に生きている主人公の柔らかい性格描写と表裏一体になっているようなアニメーションです。その一方、その抑制の効いた映像の中に隠れた美しい画像のハッとするような煌めきが、そこかしこに感じられます。これもまた、時折思いがけない所で顔を出す、すずさんの大らかで包容力のある人柄の魅力に通じる映像表現なのだと感じました。

夏休み納涼? 映画観賞会_f0108399_18324454.jpg


続いて拝見した『やさしい本泥棒』。原作小説『本泥棒』は10年以上前に読んで気にいっていたのですが、日本では劇場公開されなかったこともあって映画化されたことを知りませんでした。小説で印象に残っているのは、様々な暗闇のシーン。ユダヤ人の青年が隠れている地下室の闇とそこに少女が持ち込むランプの光、ナチスの焚書の炎を囲む町と心の闇、空襲で燃え上がる灯火管制の街の恐ろしさ、撃墜された飛行機と死んだパイロット、息子の戦死の報を受け漆黒の部屋で悲しみに耐える母親の黒い山の様な背中・・・・。

これらを淡々と静かに語る抑制の効いた情景の描写が心にしみるような小説です。これをエピソードだけ追いかけて映像化すると、刺激的な事件のシーンばかりが続いてしまうのではと危惧していたのですが、それは杞憂でした。落ち着いた語り口の映像が、様々な情感を湛える多様な暗闇とそれを照らし出す光を描き出していきます。読書での想像力を遥かに超えているその美しさは素晴らしいもので、さすがに映像作品ならではの体験でした。

この感覚をどういう風に表現することが適切なのか分かりませんが、エッジの立った人目を惹くような作りの映像で迫って来る映画が多い中で、どちらの作品もごく自然で、一見、特徴のない抑制の効いた映像に美質が隠れている気がします。オーディオでも同じですが、エッジの立った音は良い音とは限らないのと同様、自然で普通に見える画像の中に本当の美しさがあるのですね。ただ、同じ作品を明るい部屋のテレビで観ても、爆音が鳴り響く映画館で観ても、そういう画像の品位の差があるということを感じられるものでは無い様な気もします。こういう映像の「格の差」を示すためにも、その中にある本当の美しさを表現するためにも、映像システムにそれなりの投資が必要なのですね。

もう一つ感じたことは、こういう優れた映像作品では、音楽と、効果音、台詞が、やはり極めて自然に、空気感と空間表現を併せ持って映像と組み合わされているということ大切だということでした。その点についていえば、「GRFのある部屋」のオーディオシステムが、最も得意とするところであり、それ無しには、この映画鑑賞の感興は得られないものだということもまた覚えておかないといけないことなのでしょう。素晴らしい体験を有難うございました。しかし、これを毎晩、繰り返していたら本当に寝不足になってしまいますね。

パグ太郎

夏休み納涼? 映画観賞会_f0108399_18434824.jpg

パグ太郎さん

先日は遅くまでありがとうございました。気がつくと深夜になっていましたね。「本泥棒」の方は、冬の景色が多いのですが、その寒さも感じるほど、映画に引き込まれました。映像と音響のバランスが取れてきたのでしょう。四本の無指向性DDDユニットの効果が出ていますね。それと、遠くから近づいてくる防空壕での夜間爆撃の低い音など、大変リアリティがありました。

「この世界の片隅に」の音響効果も自然で、画面の位置関係もよく表されています。音響も片淵監督が担当されていますね。また良い映画を発見しましたら、お知らせしますね。その良い映画を見つけるのが難しいのですが。

Comments(4)

Commented by GRF at 2020-08-22 10:05 x
「この世界の片隅に」を見てアニメの表現にも驚いたので、しばらく見ていなかった「千と千尋」を見てみました。2001年の発売です。2001年は9.11のあった年ですね。その頃ですからDVDのディスクですね。DVDでも全く問題ありません。スタジオジブリ特有の赤い色調です。

同時に好きな「耳をすませば」も見てみましたが、こちらの画質は、画質が古い感じがしました。でも、大画面で見る耳すまの街は、懐かしいですね。


Commented by S.Y at 2020-08-23 10:34 x
GRF さま
映画「この世界の片隅に」に登場する紫電改に搭載されているエンジンは、以前、GRF さんの周辺で話題になっていた悲劇の発動機「誉」だそうです。そのエンジン音は再現されていたでしょうか?
S.Y


Commented by TANNOY-GRF at 2020-08-23 20:46
S.Yさん そうなんです。この「誉」エンジンの音をどうして収録できたのか、調べていますがわかりません。昔、残っていた音源が有った様なのですが、片淵監督は、戦争物オタクですから、どこからか探し出してきたのかもしれませんね。

空襲の場面の爆撃音や高射砲の音はリアルです。


Commented by S.Y at 2020-08-24 12:28 x
GRF さま
片渕須直監督は航海日誌などから戦艦の入港日時を同定、当時は軍事機密だった当日の、その時間帯の天候を調べて、すずさんが港を眺める場面の天気を再現したという凝り性です。
市内の商店街の写真など新しい資料が発見されると建物の外観を書き直しているとも・・・。
S.Y
https://tannoy.exblog.jp/31330183/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/572.html#c7

[近代史5] 中国人の起源 中川隆
1. 中川隆[-11683] koaQ7Jey 2020年8月25日 15:23:01 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[24]
雑記帳 2020年06月03日
新石器時代から鉄器時代の中国北部の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_3.html


 新石器時代から鉄器時代の中国北部の人口史に関する研究(Ning et al., 2020)が公表されました。中国は近東の次に独自に穀物栽培の始まった地域で、南部の長江流域では天水稲作農耕が、北部の黄河(YR)流域では乾燥地帯雑穀農耕が行なわれました。中国北部は、黄河中流から下流の中原を含む広大な地域で、世界でも比較的古い都市文化の起源地として知られています。しかし、中国北部は中原を越えて広がっており、異なる生態地域にいくつかの他の主要河川系が含まれます。とくに、中国北東部の西遼河(WLR)地域は、雑穀農耕の採用と拡大において、黄河地域とは異なる重要な役割を果たした、と今では一般に受け入れられています。アワ(Setaria italica)とキビ(Panicum miliaceum)の両方が、少なくとも紀元前6000年以降、まず西遼河地域と黄河下流地域で栽培されました。その後の5000年間、中国北部の雑穀栽培はユーラシア東部全域とそれを越えて拡大しました。雑穀は、とくにトウモロコシとサツマイモが紀元後16〜17世紀に導入されるまでは、アジア北東部において主要な基本食糧の一つでした。

 黄河と西遼河はともに、雑穀農耕に大きく依存した豊富な考古学的文化で知られています。中期新石器時代(紀元前4000年頃)までに、雑穀農耕へのかなり依存を伴う複雑な社会が、西遼河流域では紀元前4500〜紀元前3000年頃となる紅山(Hongshan)文化として、黄河流域では紀元前5000〜紀元前3000年頃となる仰韶(Yangshao) 文化として発展しました。紅山文化では、多くの翡翠装飾品を含む重要な供物を備えた公共儀式用の祭壇が発見されており、その中でも牛河梁(Niuheliang)遺跡の「女神神殿」が最も有名です。中期新石器時代の複雑な社会の確立は、急速な人口増加および文化的革新と関連していたようで、二つの主要な語族である、黄河流域のシナ・チベット語族と西遼河流域のトランスユーラシア諸語の拡散と関連していたかもしれませんが、後者の系統的統一性に関しては議論もあります。

 中期新石器時代までに支配的な生計戦略として作物栽培が確立していた黄河地域と比較して、西遼河地域の作物栽培への依存水準は、気候および文化の変化と関連して頻繁に変わりました。たとえば、古植物学と同位体の証拠から、西遼河地域の人々の食性への雑穀の寄与は、興隆窪(Xinglongwa)文化から紅山文化を経て紀元前2200〜紀元前1600年頃となる夏家店下層(Lower Xiajiadian)文化まで着実に増加しましたが、その後の紀元前1000〜紀元前600年頃となる夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化では、遊牧に部分的に置換されました。考古学者の多くは、この生計戦略の変更を気候変化への対応と関連づけましたが、かなりのヒトの移動がこれらの変化を媒介したのかどうか、まだ調べられていません。

 西遼河地域は北東部でアムール川(AR)地域と隣接しており、アムール川地域では有史時代まで、雑穀・オオムギ・マメ科植物のいくらかの栽培と組み合わせた狩猟や漁労や畜産への依存が続いてきました。中国北部と周辺地域での雑穀農耕の拡散に影響を及ぼした、黄河社会と西遼河社会との間の接触と相互作用の程度はほとんど知られていません。一般的には、これまでの古代ヒトゲノムの限定的な利用可能性を考えると、先史時代のヒトの移動と接触は、現代集団への影響と同様にこの地域に関してはまだよく理解されていません。本論文では、中期新石器時代以降の中国北部全域の主要な文化を表すさまざまな遺跡で発見された55人の古代ゲノムの遺伝的分析を提示します。その遺伝的構成の時空間比較により、中国北部における過去のヒトの移動と混合事象の概要を提供し、生計戦略の変化と比較します。

 中国北部全体で19遺跡の古代人107個体のDNAが解析されました。内訳は、アムール川地域では紀元前5525〜紀元後250年頃となる3遺跡、西遼河地域では紀元前3694〜紀元前350年頃となる4遺跡、黄河地域では紀元前3550〜紀元前50年頃となる10遺跡、中間的な地域である陝西省の紀元前2250〜紀元前1950年頃となる1遺跡と内モンゴル自治区の紀元前3550〜紀元前3050年頃となる1遺跡です。このうち、DNAがじゅうぶんに保存されている55個体でゲノムデータが得られました。常染色体ゲノムの網羅率は0.03〜7.53倍です。集団に基づく分析では1親等の関係は除外されました。以下、本論文で対象となった遺跡の地理的関係と年代を示した図1です。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41467-020-16557-2/MediaObjects/41467_2020_16557_Fig1_HTML.png


●中国北部古代個体群の遺伝的分類

 2077人の現代ユーラシア人の主成分分析では、中国北部の古代個体群は異なる集団に別れます。PC1軸では、中国北部の古代個体群はユーラシア東部現代人に分類され、アジア東部現代人に特徴的で適応的表現型に関連しているかもしれない、派生的アレル(対立遺伝子)を有しています。しかし、中国北部の古代個体群はPC2軸では異なる位置にあり、それはユーラシア東部現代人をほぼ南北で分離し、頂点はシベリア北部のガナサン人(Nganasan)、底は台湾のオーストロネシア語族集団です。

 本論文で対象となった古代個体群は3つの大きなクラスタを形成し、頂点がアムール川地域個体群、底が黄河地域個体群、西遼河地域個体群はその中間で、ほぼ地理的起源を反映しています。アジア東部人の多様性に焦点を合わせるため、高地チベット人を多数含むアジア東部現代人9集団が対象とされました。最初の2つの主成分分析では、オロチョン人(Oroqen)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)やシーボー人(Xibo)といったツングース語族と、チベット人、低地アジア東部集団が分離されました。ADMIXTURE分析では類似したパターンが示され、全古代個体群は3つの祖先的構成を有し、同じ河川流域の古代個体群は類似した遺伝的構成を共有しており、主成分分析と一致します。


●アムール川地域集団の長期の遺伝的安定性

 ユーラシア人とアジア東部人両方の主成分分析で、アムール川地域の前期新石器時代の2人および鉄器時代の3人と、西遼河地域の遊牧文化の青銅器時代の1人は、ほぼツングース語族話者であるアムール川地域現代人集団の範囲内に収まる密集したクラスタを形成します。アムール川地域の鉄器時代の1人は、アムール川地域集団クラスタの範囲外となり、主成分分析ではPC1軸でわずかにモンゴル語族話者に移動していますが、この個体のゲノムの低網羅率(0.068倍)と少量の汚染に起因する歪みの可能性があります。古代および現代のアムール川地域集団は、ADMIXTURE分析でも類似した遺伝的構成を示します。

 アムール川地域集団の組み合わせでは、アムール川下流地域の古代人も現代人も同様に、密接な遺伝的類似性が示されます。さらに、これらの集団が相互にほぼクレード(単系統群)であることも確証されます。例外的にアムール川地域集団に近い外部集団はシベリアのガナサン人とイテリメン人(Itelmen)で、この2集団は歴史的にアムール川地域集団関連遺伝子プールとの遺伝的交換を経てきました。またqpWave分析では、アムール川地域集団の組み合わせを外群との類似性の観点から区別できません。アムール川地域集団はアムール川地域外の集団との類似性に関して、時間の経過に伴う実質的な変化を示しませんが、厳密な意味での遺伝的連続性に関する既知の検証では、本論文の古代アムール川地域集団が現代アムール川地域集団の直接的祖先である、という仮説は棄却されます。これは、アムール川地域集団遺伝子プール内の層別化と、おそらくは現代アムール川地域集団形成期におけるアムール川地域集団間の遺伝子流動を示唆します。


●黄河地域個体群の遺伝的構成の経時的変化

 主成分分析では、中原の古代黄河地域個体群は、アムール川地域個体群と異なるクラスタを形成し、ADMIXTUREでは類似した遺伝的構成を共有します。しかし、古代黄河地域個体群間で、小さいものの有意な違いも観察されます。後期新石器時代の龍山(Longshan)文化個体群は、それ以前となる中期新石器時代の仰韶文化個体群よりも、中国南部およびアジア南東部の現代人集団の方と遺伝的により密接です。これは、中期新石器時代の仰韶文化期と後期新石器時代の龍山文化期の間の、黄河中流および下流地域における稲作農耕の顕著な増加の観察との遺伝的並行現象を示します。

 この後の青銅器時代と鉄器時代の個体群では、さらなる変化は検出されません。アムール川地域とは異なり、黄河地域の青銅器時代および鉄器時代個体群とクレードを形成する現代人集団は見つかりませんでした。現在中原において優勢な民族集団である漢人は、明確に中国南部およびアジア南東部集団との追加の類似性を示します。中国南西部のチベット・ビルマ語派のナシ人(Naxi)は、古代黄河地域集団から、大きく減少しているものの、依然として有意な違いを示します。これらの結果は、黄河地域集団間の長期にわたる遺伝的関連を示唆しますが、中国南部、たとえば長江流域の集団の移動による稲作農耕の北方への拡大と関連しているかもしれない、外因性の遺伝的寄与の重要な軸を有しています。

 中原の周辺地域の新石器時代個体群のゲノムは、黄河地域個体群の遺伝的構成が地理的に広範に分布していた、と示します。中期新石器時代となる内モンゴル自治区の廟子溝(Miaozigou)遺跡と、後期新石器時代となる陝西省の石峁(Shimao)遺跡の個体のゲノムは両方、黄河地域と西遼河地域の個体群の間に位置し、遺伝的に相互および古代の黄河地域集団と類似しています。黄河上流の後期新石器時代個体群は斉家(Qijia)文化と関連しており、類似の遺伝的パターンを示します。黄河地域農耕民とアムール川地域狩猟採集民の混合としてこれらの集団をモデル化すると、80%程度は黄河地域集団に由来します。黄河上流鉄器時代個体群のゲノムは、より高い黄河地域集団系統の割合を示し、ほぼ100%(94.7±5.3%)となります。

 考古学的研究は、紀元前1600年頃後のチベット高原の恒久的なヒトの居住において、斉家文化が存在したチベット高原北東周辺の中程度の標高地域の重要な役割を示唆します。最近の言語学的研究は、シナ・チベット語族の北部起源を支持しており(関連記事)、仰韶文化起源の可能性が高い、と示唆します。混合モデリングを利用して、現代のシナ・チベット語族集団と古代黄河地域集団との間の遺伝的つながりが調べられました。チベット人は、シェルパ人(Sherpa)と黄河上流後期新石器時代集団の混合としてモデル化されますが、他の起源集団も機能します。これは、以前に報告された混合兆候の在来起源の可能性を提供します。本論文のデータセットにおける他のシナ・チベット語族集団間では、ナシ人と中国南西部のイ人(Yi)は、本論文の解像度では黄河地域中期石器時代集団と区別できませんが、雲南省のラフ(Lahu)人と湖南省や湖北省のトゥチャ人(Tujia)や漢人は、中国南部およびアジア南東部集団と関連する遺伝子プールからの影響を示します。本論文の結果は、上述の言語学的および考古学的仮説適合的ですが、他のモデルも本論文の遺伝的データの解決にわずかに機能します。

●西遼河地域の遺伝子と生計の相関する変化

 西遼河地域は黄河地域とアムール川地域の間に位置し、頻繁な経時的遺伝的変化を示します。中期新石器時代の西遼河地域個体群は、主成分分析ではアムール川地域クラスタと黄河地域クラスタとの間に位置します。西遼河地域中期新石器時代となる紅山文化の3人(WLR_MN)は黄河地域クラスタにより近く、その近くの遺跡の1個体(HMMH_MN)はアムール川地域クラスタのより近くに位置します。f4統計では、この両集団は前期新石器時代個体群で表されるアムール川地域集団と中期新石器時代個体群で表される黄河地域集団の中間と確証されます。

 WLR_MNとHMMH_MNの両集団をアムール川地域集団と黄河地域集団の混合としてモデル化すると、アムール川地域集団の寄与はHMMH_MNで75.1±8.9%、WLR_MNで39.8±5.7%となります。同時代となる内モンゴル自治区の廟子溝遺跡の中期新石器時代個体群を考慮に入れると、中期石器時代の600kmの範囲内では、中原からの距離に比例して、おもに黄河地域集団関連構成からアムール川地域集団関連構成への急激な移行が観察されます。言語学的には、西遼河流域はトランスユーラシア諸語の起源と関連づけられてきており、アムール川地域集団と黄河地域集団の間の混合は、青銅器時代以降ますます強くなる、トランスユーラシア諸語下位集団と中国語下位集団との間の借用語の相関を見つけるかもしれません。

 中期石器時代西遼河地域のこの遺伝的不均質性に加えて、西遼河地域内の経時的比較も、遺伝的変化の興味深いパターンを示します。まず、夏家店下層文化関連の後期新石器時代個体群のゲノムは、主成分分析では古代黄河地域クラスタと重なり、西遼河地域中期石器時代個体群と比較して、シベリア集団との類似性は低くなっています。QpAdmモデリングでは、主要な黄河地域集団の寄与は、第二のソースとして、アムール川地域前期新石器時代集団を用いると88%、西遼河地域中期石器時代集団を用いると74%と推定され、中期新石器時代と後期新石器時代の間で、黄河地域関連集団からのかなりの北方への流入が示唆されます。

 興味深いことに、夏家店上層文化と関連する青銅器時代西遼河地域個体群は、再度遺伝的変化を示しますが、それは中期新石器時代から後期新石器時代の変化とは反対で、そのうち1個体(WLR_BA_o)は古代アムール川地域集団と区別できなくなります。WLR_BA_oはアムール川地域前期新石器時代集団と比較して、後の鉄器時代アムール川地域個体群および現代の複数のツングース語族集団と遺伝的類似性が高くなっています。WLR_BA_oは、アムール川地域集団関連遺伝子プールから西遼河地域集団への比較的近い過去の移動を表しているかもしれません。じっさい、西遼河地域青銅器時代の残りの2人は、西遼河地域後期新石器時代集団とWLR_BA_o(21±7%)の混合としてモデル化されます。以前の考古学的研究では、夏家店下層文化から夏家店上層文化への移行は、雑穀農耕により適さない乾燥した環境への気候変化と関連づけられ、西遼河地域内での南方への移動につながった、と示唆されていました。本論文の結果は、この過程の他の側面を強調します。それは、気候変化が牧畜経済をより有利として、すでに牧畜を営んでいた人々の流入につながったかもしれない、という可能性です。以下、中国北部における各地域個体群の遺伝的構成の変化を示した本論文の図2です。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41467-020-16557-2/MediaObjects/41467_2020_16557_Fig2_HTML.png


●まとめ

 本論文は、中国北部の全てではないにしても主要な遺跡のヒト遺骸の古代ゲノムの大規模な調査結果を提示します。とくに、黄河流域の仰韶文化や西遼河地域の紅山文化といった中国北部最初期の複雑な社会に生きた人々の最初のゲノムデータという点で、注目されます。これらの地域でゲノムデータの時系列を示すことにより、各地域の経時的な遺伝的変化が検出され、外部の遺伝的起源や社会経済的および環境的変化と関連づけることができました。

 限定的な食料生産を行なっていたアムール川地域集団の遺伝的構成の長期の安定性と対照的に、黄河地域と西遼河地域という複雑な雑穀農耕社会の二つの中心地では、過去6000年の頻繁な遺伝的変化が観察されます。西遼河地域の遺伝的構成は時間の経過に伴い、生計戦略の変化と密接に関連して変化します。より具体的には、中期新石器時代から後期新石器時代の間の雑穀農耕への依存の増加が、後期新石器時代西遼河地域集団におけるより高い黄河地域集団との遺伝的類似性と関連している一方で、青銅器時代の夏家店上層文化における牧畜への部分的移行は、黄河地域集団との類似性の低下と関連しています。また中期新石器時代には、西遼河地域で黄河地域集団関連遺伝的構成からアムール川地域集団関連遺伝的構成への地理的に急激な移行が観察されます。そうした空間的な遺伝的不均質性は、青銅器時代と鉄器時代の西遼河地域で持続したかもしれませんが、本論文のデータはそのように仮説を検証するのに充分ではありません。

 黄河地域における中期新石器時代から後期新石器時代への遺伝的変化もまた、中原における稲作農耕の強化と関連しており、人々の拡散による生計戦略変化の別の事例を提供するかもしれません。本論文のデータセットには、中原に稲作農耕をもたらしたかもしれない集団、とくに山東省と長江下流地域の新石器時代の人々の古代ゲノムが欠けています。中国全域の将来の研究、とくに最初の農耕民のゲノムが、本論文で報告されたゲノムの代表性の検証、精細な遺伝的・考古学的・地理的規模で検出された遺伝的変化の理解、考古学的文化と言語と遺伝子の間の進化的相関の検証に重要となるでしょう。


 以上、本論文についてざっと見てきました。上述のように、本論文のデータセットには、中原に稲作農耕をもたらしたかもしれない、山東省と長江下流地域の新石器時代集団のゲノムが欠けています。最近公表された研究では、山東省と福建省の新石器時代個体群のゲノムデータが報告されています(関連記事)。しかし、稲作農耕の起源地と考えられる長江流域の新石器時代個体群のゲノムデータはまだ公表されていません。今後の課題はそこですが、アジア東部集団のさらに詳細な起源の解明には、旧石器時代個体群のゲノムデータが必要となるでしょう。

 山東省と福建省の新石器時代個体群のゲノムデータを報告した研究でも、アジア東部現代人が中国南北のさまざまな混合により形成された、と指摘されていますが、その主要な混合は新石器時代後に起きただろう、と推測されています。一方、本論文では、中国南部から中国北部への遺伝子流動が新石器時代に起きた、と推測されています。あるいは、新石器時代のこの遺伝子流動は現代人の遺伝的構成には大きな影響を与えていないのかもしれませんが、この問題の解明には、さらに地域と時代を拡大した古代ゲノム研究が必要となるでしょう。

 最近公表された別の研究(関連記事 )でも、漢人が中国南北の新石器時代集団に由来する集団間の混合で形成されていった、と指摘されています。アジア東部の古代ゲノム研究は、ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていたのですが、最近になって相次いで大規模で重要な研究が報告されており、今後の研究の進展が楽しみです。現時点では、新石器時代の中国には、アジア東部現代人により近い遺伝的構成の集団が北部に、オーストロネシア語族現代人集団と密接な遺伝的構成の集団が南部に存在した、と考えられます。これらの集団がどのように形成されたのか、また現代人集団はこれら祖型集団からどのように形成されていったのか、今後はより詳細に解明されていくでしょう。

 また、魏晋南北朝時代や唐代後期から五代十国時代やモンゴル帝国の拡大期などで、中国北部住民の遺伝的構成がどのように変わっていったのか、あるいはどの程度継続性があるのか、という問題も注目されます。現時点の解像度では、この期間の違いは検出されにくいかもしれませんが、今後の研究の進展で、より詳細に解明されていくのではないか、と期待されます。アジア東部における現代人集団その形成過程はかなり複雑と予想され、理解は困難でしょうが、すこしでも追いついていきたいものです。その形成過程はかなり複雑と予想され、理解は困難でしょうが、すこしでも追いついていきたいものです。


参考文献:
Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2

https://sicambre.at.webry.info/202006/article_3.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html#c1

[近代史5] 中国人の起源 中川隆
2. 中川隆[-11682] koaQ7Jey 2020年8月25日 15:26:18 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[25]
雑記帳 2020年04月26日
古代ゲノムデータに基づくアジア東部における現生人類集団の形成史
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_41.html


 古代ゲノムデータに基づくアジア東部における現生人類(Homo sapiens)集団の形成史に関する研究(Wang et al., 2020)が公表されました。本論文は査読前なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。世界でも農耕・牧畜が早期に始まった地域であるアジア東部には、現在世界の1/5以上の人口が居住しており、主要な言語は、シナ・チベット語族、タイ・カダイ語族、オーストロネシア語族、オーストロアジア語族、ミャオ・ヤオ語族、インド・ヨーロッパ語族、アルタイ語族(モンゴル語族、テュルク語族、ツングース語族)、朝鮮語族、日本語族、ユカギール語族、チュクチ・カムチャツカ語族の11語族に分類されます。過去1万年に、アジア東部では大きな経済および文化の変化がありましたが、採集から農耕への移行期における遺伝的多様性と主要な交雑事象や集団移動と遺伝的構成の変化に関しては、チベット高原と中国南部の現代人の多様性の標本抽出が少ないため、現在でも理解は貧弱です。また、ユーラシア西部および中央部では人口史の解明に貢献してきた古代DNAデータが、アジア東部では不足していることも、人口史理解の妨げとなっています。

 本論文は、中国とネパールの46集団から、383人(中国は337人、ネパールは46人)の現代人の遺伝子型を特定し、191人のアジア東部古代人のゲノム規模データを報告します。その多くは、まだ古代DNAデータが公開されていない文化集団からのものです。モンゴルからは、紀元前6000〜紀元後1000年頃の52遺跡の89人のゲノムデータが報告されます。中国からは、紀元前3000年頃となる新石器時代の陝西省楡林市靖辺県の五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡の20人です。日本からは、紀元前3500〜紀元前1500年頃となる縄文時代の狩猟採集民7人です。ロシア極東からは23人が報告されています。18人は紀元前5000年頃となる新石器時代のボイスマン2(Boisman-2)共同墓地から、1人は紀元前1000年頃となる鉄器時代のヤンコフスキー(Yankovsky)文化から、3人は中世となる紀元後1000年頃の黒水靺鞨(Heishui Mohe)および渤海靺鞨(Bohai Mohe)文化から、1人はサハリン島の歴史時代の狩猟採集民です。台湾東部では、漢本(Hanben)のビルハン(Bilhun)遺跡と緑島の公館(Gongguan)遺跡から、紀元前1400〜紀元後600年頃となる後期新石器時代〜鉄器時代の52人です。このうち、ボイスマン2遺跡の両親と4人の子供の核家族を含む、近親関係が検出されました。これら新たなデータは、縄文時代の4人、「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡からのアムール川流域の新石器時代の8人(関連記事)、アジア南東部の新石器時代から鉄器時代の72人、ネパールの8人という、以前報告されたデータと併せて分析されました。

 主成分分析では、アジア東部の人口構造は、重要な例外があるものの、地理および言語分類と相関しています。中国北西部とネパールとシベリアの集団は主成分分析ではユーラシア西部集団に寄っており、70〜5世代前に起きたと推定されるユーラシア西部関連集団との複数回の混合事象を反映しています。ユーラシア西部関連系統が最小の割合のアジア東部集団は3クラスタです。そのうち、まず「アムール川流域クラスタ」は、古代および現代のアムール川流域に住む集団と地理的に、また言語的にはツングース語とニヴフ語を話す現在の先住民と相関します。次に「チベット高原クラスタ」は、ネパールのチョクホパニ(Chokhopani)とメブラク(Mebrak)とサムヅォング(Samdzong)の古代人と、シナ・チベット語族話者でチベット高原に居住する現代人において最も強く表れます。最後に「アジア南東部クラスタ」は、古代台湾集団およびオーストロアジア語族とタイ・カダイ語族とオーストロアジア語族話者であるアジア南東部と中国南部の現代人で最大となります。漢人はこれらのクラスタの中間にあり、北部漢人は中国北部に位置する新石器時代の五庄果墚遺跡個体群の近くに位置します。モンゴル内では2クラスタが観察されます。一方は地理的にはモンゴルの東方に位置するアムール川流域クラスタとより近く、もう一方は後期銅石器時代〜前期青銅器時代にかけてアジア中央部で栄えたアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の個体群とより近く、こちらはモンゴルの西方となります。一方、何人かの個体はこれら2クラスタの中間に位置します。

 モンゴル「東部」クラスタの最古級の2人はモンゴル東部のヘルレン川(Kherlen River)地域で発見され、推定年代は紀元前6000〜紀元前4300年で、アジア北東部では早期新石器時代に相当します。この3人は、遺伝的にバイカル湖周辺地域の新石器時代個体群と類似しており、ユーラシア西部関連集団との混合の最小限の証拠が見られます。モンゴル北部の他の7人の新石器時代狩猟採集民は、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)と関連した系統から5.4±1.1%の影響を受けている、とモデル化されます。これはユーラシア東西の混合の勾配の一部で、西に行くほどユーラシア西部系統と近縁になります。モンゴルの「西部」クラスタの最古の2人は、ひじょうに異なる系統を示します。この2人はアファナシェヴォ文化と関連したシャタールチュルー(Shatar Chuluu)墳墓遺跡で発見され、年代は紀元前3316〜紀元前2918年頃です。この2人は現在のロシアのアルタイ地域のアファナシェヴォ文化個体群と区別できず、同様にヤムナヤ(Yamnaya)文化個体群とも類似しているので、ヤムナヤ文化集団の東方への移住がアファナシェヴォ文化の人々に大きな影響を与えた、との見解が支持されます。本論文で分析されたこの時代より後のモンゴルの全個体群は、モンゴル新石器時代集団とより西方の草原地帯関連系統との混合です。

 本論文は、この後のモンゴル人の混合史を定量化しました。モンゴル古代人の単純な混合モデル化は、モンゴル東部系統(65〜100%)とWSHG系統(0〜35%)になります。ヤムナヤ関連系統は無視できる程度で、ロシアのアファナシェヴォおよびシンタシュタ(Sintashta)文化集団関連系統によりもたらされました。このモデルに当てはまるモンゴルの集団は、新石器時代の2集団(WSHG系統が0〜5%)のみではなく、青銅器時代〜鉄器時代にも存在します。アファナシェヴォ文化との強い関連で発見された個体のうち、紀元前3316〜紀元前2918年頃の個体ではアファナシェヴォ関連系統がほぼ100%でモデル化され、ヤムナヤ関連系統の強い影響が見られますが、それよりも後の紀元前2858〜紀元前2505年頃の男児には、ヤムナヤ関連系統の証拠が見られませんでした。この男児は、アファナシェヴォ文化との強い関連で埋葬されながら、ヤムナヤ関連系統が見られない最初の個体となります。アファナシェヴォ文化は、ヤムナヤ関連系統を有さない個体群により採用された可能性がありますこれは、人々の移動というよりはむしろ、アイデアの伝播を通じて文化が拡大した事例もある、と示唆します。その後になる紀元前2571〜紀元前2464年頃となるチェムルチェク(Chemurchek)文化の2個体は、アファナシェヴォ文化関連系統の強い影響でモデル化されます(49.0±2.6%)。

 モンゴルの中期青銅器時代以降、アファナシェヴォ文化地域に拡大したヤムナヤ関連系統が存続した確たる証拠はありません。代わりに後期青銅器時代と鉄器時代以後には、ヤムナヤ関連系統はアファナシェヴォ文化移民ではなく、その後の中期〜後期青銅器時代に西方からモンゴルに到来した、2/3はヤムナヤ関連系統で1/3はヨーロッパ農耕民関連系統のシンタシュタおよびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団によりもたらされた、と推測されます。シンタシュタ関連系統は、モンゴルの後期青銅器時代個体群で5〜57%程度見られ、西方からの到来が確認されます。早期鉄器時代以降、モンゴルでは漢人系統からの遺伝子流動の証拠が検出されます。漢人を外集団に含めると、新石器時代と青銅器時代の全集団はモンゴル東部系統・アファナシェヴォ関連系統・シンタシュタ関連系統・WSHG系統の混合でモデル化できますが、早期鉄器時代の個体や匈奴とその後のモンゴル集団ではモデル化できません。匈奴とその後のモンゴル集団における漢人系統の割合は20〜40%と推定されます。

 アファナシェヴォ関連系統は、後期青銅器時代までにモンゴルではほぼ消滅しましたが、中国西部では紀元前410〜紀元前190年頃となる鉄器時代の石人子溝(Shirenzigou)遺跡では持続していた、と推測されます。この集団は、モンゴル東部系統とアファナシェヴォ関連系統とWSHG系統の混合としてモデル化できます。アファナシェヴォ文化とモンゴル新石器時代の典型的系統は石人子溝個体群に寄与し、タリム盆地のトカラ語が、ヤムナヤ草原地帯牧畜民の東方への移住を通じて拡大し、アファナシェヴォ文化の外見でアルタイ山脈やモンゴルに拡大し、そこからさらに新疆へと拡大した、とする見解が支持されます。これらの結果は、インド・ヨーロッパ語族の多様化に関する議論にとって重要となります。インド・ヨーロッパ語族の既知で二番目に古い分枝であるトカラ語系統が、紀元前四千年紀末には分岐していたことになるからです。

 ロシア極東では、紀元前5000年頃となる新石器時代のボイスマン文化と、鉄器時代となる紀元前1000年頃のヤンコフスキー文化と、紀元前6000年頃となる「悪魔の門(Devil’s Gate)」の個体群が遺伝的にひじょうに類似しており、この系統がアムール川流域では少なくとも8000年前頃までさかのぼることを示します。この遺伝的継続性は、Y染色体ハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)でも明らかです。ボイスマン遺跡個体群では、YHg-C2a(F1396)とmtHg-D4・C5が優勢ですが、これは現在のツングース語族やモンゴル語族や一部のテュルク語族でも同様です。新石器時代のボイスマン遺跡個体群は、縄文人との類似性を共有しています。また、アメリカ大陸先住民集団は、ボイスマン個体群やモンゴル東部系統と、他のアジア東部集団よりも多くのアレル(対立遺伝子)を有しています。ボイスマン個体群と他のアジア東部集団では、アメリカ大陸先住民集団のゲノムに1/3程度寄与したとされる、24000年前頃の古代ユーラシア北部系統個体(関連記事)と共有アレルの割合が同じなので、アメリカ大陸先住民集団からの遺伝子の「逆流」の可能性は低そうです。なお、古代ユーラシア北部系統は、より広範に拡散していた、さらに古い年代の古代シベリア北部集団の子孫と推測されています(関連記事)。この遺伝的知見は、ボイスマン個体群とモンゴル新石器時代系統が、アメリカ大陸先住民集団にアジア東部関連系統をもたらした集団と深く関連していた、という想定で説明できそうです。また、バイカル湖周辺の新石器時代および前期青銅器時代個体群は、モンゴル東部系統とのかなりの(77〜94%)共有でモデル化され、この系統がバイカル湖とモンゴル東部とアムール川流域という広範な地域に拡大していた、と明らかになります。アムール川流域の現代人の中には、もっと南方の漢人と関連するアジア東部集団に由来する系統を13〜50%有する集団もいます。紀元後1050〜1220年頃となる黒水靺鞨の1個体では、漢人もしくはその関連集団からの系統が50%以上見られるので、少なくとも中世初期にはアムール川流域集団と漢人関連集団との混合が起きていたようです。

 標高4000m以上のチベット高原は、人類にとって最も過酷な生活環境の一つです。チベット高原における人類の拡散は更新世までさかのぼりますが、永続的な居住の証拠は3600年前頃以降と推測されています(関連記事)。本論文は、チベット高原の現代人を遺伝的に17集団に分類しています。「中核チベット人」は、チョコパニ(Chokopani)のような古代ネパール人個体群(関連記事)と密接に関連しており、ユーラシア西部系統や低地アジア東部系統とは過去数十世代にわたって最小限の混合(交雑)しかしていない、と推測されます。「北部チベット人」は中核チベット人とユーラシア西部系統との混合で、高地と低地をつなぐチベット高原東端の「チベット・イー回廊」集団は、チベット語話者だけではなく、チャン語やロロ・ビルマ語話者を含み、この系統はアジア南東部クラスタ関連系統を30〜70%ほど有します。チベット人と遺伝的に近い集団として、新石器時代五庄果墚集団・漢人・チアン人(Qiang)があり、チベット人は、他の現代アジア東部集団よりもチアン人と漢人の方に遺伝的影響を残した新石器時代五庄果墚集団と密接に関連する集団系統を有する、と示唆されます。この混合は80〜60世代前(1世代28年として2240〜1680年前頃)に起きた、と推定されます。これは2集団の混合の下限年代なので、じっさいの混合は、チベット高原で農耕の始まった3600年前頃に始まっていた、と本論文は推測します。黄河上流〜中流域の農耕民が新石器時代から青銅器時代に中原と同様にチベット高原に拡散してきて、5800年前頃以降となるYHg-Oの分枝をチベット高原にもたらした、と推測されます。チベット人のYHg-Dは、在来の狩猟採集民集団に由来する可能性が高いように思われます。

 南方では、少なくとも紀元前1400〜紀元後600年頃となる台湾の漢本(Hanben)および公館(Gongguan)文化の個体群が、遺伝的には現代オーストロネシア語族話者およびバヌアツの古代ラピタ(Lapita)文化集団と最も類似しています。これは、漢本および公館文化の鉄器時代個体群において支配的なYHg-O2a2b2(N6)とmtHg-E1a・B4a1a・F3b1・F4bが、オーストロネシア語族話者の間で広く見られることでも明らかです。本論文は、現代のオーストロアジア語族話者である台湾のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)を、多様なアジ集団と比較しました。古代台湾集団とオーストロネシア語族集団は、他のアジア東部集団よりも、中国本土南部および海南省のタイ・カダイ語族話者と顕著にアレルを共有しています。これは、現代タイ・カダイ語族話者と関連した古代集団が、台湾に5000年前頃に農耕をもたらした、との仮説と一致します。「縄文人」は、他のアジア東部集団と比較して、古代台湾個体群と顕著に多くアレルを共有していますが、例外はアムール川流域クラスタです。

 漢人は世界で最多の人口の民族とされます。考古学と言語学に基づき、漢人の祖先集団は中国北部の黄河上流および中流域の早期農耕民で構成され、その子孫の中には、チベット高原に拡散し、現在のチベット・ビルマ語派の祖先集団の一部になった、と推測されています。考古学と歴史学では、過去2000年に漢人(の主要な祖先集団)がすでに農耕の確立していた南方に拡大した、と考えられています。現代人のゲノム規模多様性分析では、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、本論文の分析でも改めて確認されました。新石器時代の五庄果墚集団と現代のチベット人およびアムール川流域集団は、アジア南東部クラスタと比較して、漢人と顕著に多くのアレルを共有しています。一方、アジア南東部クラスタは、五庄果墚集団と比較して、漢人の大半と顕著により多くのアレルを共有しています。これらの知見から、漢人は、五庄果墚集団と関連した集団と、アジア南東部クラスタと関連した集団との間で、さまざまな混合割合を有している、と示唆されます。現代漢人はほぼ全員、黄河流域の新石器時代五庄果墚集団と関連した系統(77〜93%)と、長江流域の稲作農耕民と密接に関連した古代台湾集団と関連した集団の混合としてモデル化できます。これは、長江流域農耕民関連系統が、オーストロネシア語族およびタイ・カダイ語族話者のほぼ全系統と、オーストロアジア語族話者の約2/3の系統と関連している、という本論文の推定と一致します。五庄果墚集団のゲノムが現代人に汚染されている可能性はありますが、そうだとしても、混合の推定値に3〜4%以上の誤差はもたらさないだろう、と本論文は推測しています。北部漢人集団におけるユーラシア西部関連系統との交雑の年代は45〜32世代前で、紀元後618〜907年の唐王朝と、紀元後960〜1279(もしくは1276)年の宋王朝の時期に相当します。歴史的記録からも、この時期の漢人(の主要な祖先集団)と西方集団との混合が確認されますが、これは混合の下限年代で、もっと早かった可能性があります。

 現代日本の「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団は、漢人系統(84.3%)と「縄文人」系統(15.7%)の混合、もしくは朝鮮人系統(87.6%)と縄文人系統(12.4%)の混合としてモデル化され、両者を統計的に区別できません。この分析が示唆するのは、日本の「本土」系統が直接的に漢人もしくは朝鮮人によりもたらされた、ということではなく、まだ古代DNAデータの得られていない、漢人と朝鮮人の系統に大きな割合を残した集団と関連した祖先的集団からもたらされた、ということです。7人の「縄文人」は、紀元前1500〜紀元前1000年頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡の1人と、紀元前3500〜紀元前2000年頃となる千葉市の六通貝塚の6人です。船泊遺跡の方は、高品質なゲノム配列が得られている女性個体ではなく、男性個体が分析対象となっており、この男性個体はmtHg-N9b1で、YHgは以前D1a2a2b(旧D1b2b)と報告されていましたが(関連記事)、今回はDとのみ報告されています。六通貝塚の6人のmtHgはいずれもN9bで、さらに詳細に分類されている3人のうち2人がN9b1、1人がN9b2aです。六通貝塚の6人のうち3人が男性で、YHgはD1a2a1c1(旧D1b1c1)です。現代日本人のYHg-Dのうち多数派はYHg-D1a2a1(旧D1b1)ですが、これまで「縄文人」で詳細に確認されていたのは現代日本人では少数派のYHg- D1a2a2(旧D1b2)のみでした。本論文はまだ査読前ですが、これは「縄文人」としては初めて確認されたYHg-D1a2a1の事例になると思います。これまで、「縄文人」ではYHg-D1a2a1が確認されておらず、YHg- D1a2a2のみだったので、YHg-D1a2a1が弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も想定していたのですが(関連記事)、これでYHg-D1a2aが「縄文人」由来である可能性はやはり高い、と言えそうです。

 本論文は、以上の知見をまとめて、アジア東部における集団形成史を図示しています。アジア東部集団は、古代の2集団から派生したとモデル化できます。一方は、北京の南西56kmにある 田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類(Homo sapiens)個体(関連記事)と同系統のユーラシア東部北方集団(以下、北方集団)で、もう一方はアンダマン諸島のオンゲ(Onge)集団と密接に関連したユーラシア東部南方集団(以下、南方集団)です。アジア東部集団の系統はこの祖先的2集団に由来し、それぞれの割合はさまざまです。

 このモデルでは、モンゴル東部系統とアムール川流域のボイスマン関連系統は、北方集団関連系統からの割合が最大で、他のアジア東部集団と比較して、南方集団関連系統からの割合は最小限に留まっています。モンゴル東部系統の近縁系統は、チベット高原に拡大し、南方集団関連系統の在来狩猟採集民と混合しました。台湾の古代漢本集団は、南方集団関連系統(14%)と北方集団関連系統(86%)の混合としてモデル化されます。縄文人は南方集団関連系統で早期に分岐した系統(45%)と北方集団関連系統(55%)との混合としてモデル化されます。これらの知見は、後期更新世にアジア南東部から日本列島を経てロシア極東まで、沿岸経路での移住があった、との仮説と一致します。上部旧石器時代(後期旧石器時代)のアジア東部の古代ゲノムデータが少ないので、アジア東部の祖先的集団の深い分岐の復元は限定的になってしまいます。そのため、この混合を示した図は角に単純化されており、より詳細な関係は将来の研究に委ねられます。以下、本論文の図5です。

画像
https://www.biorxiv.org/content/biorxiv/early/2020/03/25/2020.03.25.004606/F5.large.jpg

 最終氷期の終わりには、ユーラシア東西で複数のひじょうに分化した集団が存在しており、これらの集団は他集団を置換したのではなく、混合していきました。ユーラシア西部では、ヨーロッパ集団とアジア東部集団との遺伝的違い(平均FST=0.10)と同じくらいの、遺伝的に異なる少なくとも4集団が存在し、新石器時代に混合して異質性は低下していき(平均FST=0.03)、青銅器時代と鉄器時代には現代のような低水準の分化(平均FST=0.01)に至りました。ユーラシア東部では、アムール川流域集団、新石器時代黄河流域農耕民、台湾鉄器時代集団の間で、比較的高い遺伝的違い(平均FST=0.06)が存在したものの、現在では低くなっています(平均FST=0.01〜0.02)。今後の課題として優先されるのは、まだ仮定的存在で、現代人集団のアジア南東部クラスタの主要な系統になったと推測される、長江流域集団の古代DNAデータを得ることです。これにより、アジア南東部の人々の拡散が、古代人の移動と相関しているのか否か、理解できます。

 以上、ざっと本論文の内容について見てきました。もちろん、これまでにもアジア東部の古代DNA研究は進められていましたが、本論文は初の包括的な研究結果を示した画期的成果と言えそうです。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア東部に限らず、アジア南東部、さらにはオセアニアの古代DNA研究に不可欠と言えそうな長江流域集団の古代DNAデータが得られておらず、ヨーロッパをはじめとしてユーラシア西部の水準にはまだ遠く及ばないように思います。上述の図からは、(ユーラシア東部)北方集団からアジア東部北方および南方系統が分岐し、長江流域早期農耕民集団はおもに南方系統、五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡集団に代表される黄河流域早期農耕民集団はおもに北方系統に由来すると考えられますが、アジア東部の南北両系統、さらにはその祖先となった(ユーラシア東部)北方集団がいつどのような経路でアジア東部に到来したのか、まだ不明です。ヤムナヤ関連系統、さらにはその祖先の一部である古代シベリア北部集団の遺伝的影響が漢人など華北以南のアジア東部集団ではひじょうに小さいことを考えると、北方集団はヒマラヤ山脈の北方(北回り)ではなく南方(南回り)経由でアジア東部に到来し、年代と場所は不明ながら、南北両系統に分岐したのではないか、とも考えられます。ともかく、アジア東部を含めてユーラシア東部の古代DNAデータがユーラシア西部と比較して明らかに少ない現状では、ユーラシア西部のような精度での集団形成史はまだ無理なので、アジア東部圏の日本人である私としては、大いに今後の研究の進展に期待しています。


参考文献:
Wang CC. et al.(2020): The Genomic Formation of Human Populations in East Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.25.004606

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_41.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html#c2

[近代史5] 中国人の起源 中川隆
3. 中川隆[-11681] koaQ7Jey 2020年8月25日 15:28:39 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[26]
雑記帳 2020年08月17日
分断・孤立と交雑・融合の人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html


 人類史に限らず広く生物史において、地理的障壁の形成などにより分類群が分断され、生殖隔離が生じた後に地理的障壁が消滅もしくは緩和し、比較的近い世代で祖先を同じくする異なる分類群同士が交雑する、ということは一般的であるように思います。2007年の時点で現生人類(Homo sapiens)と非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)との交雑を指摘した研究は、これを「孤立・交雑モデル」と把握しています(関連記事)。人類以外の具体例としてはヒヒ属があり、分岐と交雑と融合を含むその複雑な進化史が推測されており、その中には分岐した2系統が遺伝的にほぼ同じ影響を残して形成された新たな系統も含まれます(関連記事)。

 こうした分断・孤立による生殖隔離は、もちろん地理的障壁のみが原因で生じるわけではないものの、地理的障壁が大きな要因になっていることも間違いないでしょう。人類史に即して言えば、概して穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようで、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5・3の頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました(関連記事)。このような場合、他地域との「回廊」が開き、分断・孤立した分類群同士の再会の機会が訪れます。

 詳しくデータを提示できるほど勉強は進んでいませんが、人類史においては、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とが交互に訪れたのではないか、と思います。これは他の生物も同様ですが、生物としては生息域がかなり広範な部類に入るだろう人類にとっては、重要な意味を有する、と私は考えています。すでにホモ属出現前に人類はアフリカ東部と南部に拡散しており、古代型ホモ属はアフリカからユーラシアへと拡散し、西はイベリア半島、東はアジア東部および南東部にまで分布していました。それだけに、気候変動による環境変化に伴う地理的障壁の形成の結果として、分断されて孤立していき生殖隔離が生じるとともに、その後の気候変動による地理的障壁の消滅・緩和により、再会して交雑・融合することも起きやすかったというか、その影響を受けやすかったように思います。もちろん、各地域が一様に変化していくわけではなく、分断・孤立が大勢の時代にも交雑・融合が進んだ地域はあったでしょうし、逆に交雑・融合が大勢の時代にも孤立した集団が存在したことはあったでしょうが、大きな傾向として、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とに区分できるでしょう。


●人類進化のモデル

 こうした孤立・分断と交雑・融合の時代が相互に訪れていたことを前提とすると、人類進化のモデルとして注目されるのは、現生人類の起源に関する複雑な仮説です(関連記事)。この仮説では、メタ個体群(対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループ)モデルにおける、分裂・融合・遺伝子流動・地域的絶滅の継続的過程としての、進化的系統内の構造と接続性の重要性が強調されます。これは構造化メタ個体群モデルと呼ばれます。気候変動による地理的障壁の形成・強化などに伴う分裂・分断と、地理的障壁の消滅・緩和によるメタ個体群間の融合により、現生人類は形成されていった、というわけです。また、メタ個体群はある地域にずっと存続し続けるのではなく、環境変化を招来する気候変動や他のメタ個体群からの圧力などにより、移動することも珍しくない、という視点も重要になるでしょう。

 構造化メタ個体群モデルは、現生人類を特徴づける派生的な身体的形質が1地域で漸進的に現れたわけではない、という化石記録と整合的です。もちろん、メタ個体群の中には、現代人に大きな影響を残しているものも、ほぼ絶滅と言ってよいくらい現代に遺伝的影響が残っていないものもあるでしょう。その意味で、ひじょうに複雑な仮説であり、その確証は容易ではないでしょうが、今後の人類進化研究において重視されるべきモデルである、と私は考えています。

 分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しとは、異質化と均質化の繰り返しとも言えます。異質化とは、多様性の増加でもあります。ここで重要なのは、川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』が指摘するように、多様性は分断・孤立に起因するところが多分にある、ということです(関連記事)。同書はアジア南東部を対象としており、中期〜後期更新世における人類の多様化を指摘しますが、アフリカでも、中期更新世後期でもなお、現生人類とは大きく異なる系統だろうホモ・ナレディ(Homo naledi)が存在していました(関連記事)。

 また同書が指摘するように、現在では多様性が善と考えられています。しかし、それが多分に分断や孤立に起因するとなると、手放しで賞賛することはできません。一方で、現在では交流もまた善と考えられていますが、これが均質化・多様性の喪失を招来している側面も否定できません。現生人類のこれまでの行動から、もはや均質化の流れは止められないだろう、と同書は予測しています。深刻な矛盾をもたらしかねない「崇高な」諸々の価値観をどう共存させていくのか、現代社会の重要な問題になると思います。


●初期ホモ属の進化

 上記の構造化メタ個体群モデルは現生人類の起源を対象としていますが、ホモ属の起源にも当てはまるかもしれません。首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万〜180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されています。これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。

 これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。南アフリカ共和国では、ホモ属的な特徴を有する200万年前頃の人類遺骸群が発見されていますが、これはアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)に分類されています(関連記事)。一方、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。

 ホモ・ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)が出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。またエチオピアでは、ホモ属的特徴を有する280万〜275万年前頃の人類遺骸も発見されています(関連記事)。

 300万〜200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は判然としませんが、ホモ属的な派生的特徴が300万〜200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により「真の」ホモ属が形成されていった、との構造化メタ個体群モデルの想定には、少なくとも一定以上の説得力があるように思います。ホモ属の出現に関して、現時点ではアフリカ東部の化石記録が多いと言えるでしょうが、最古のホモ・エレクトスとも主張されている204万〜195万年前頃の化石が南アフリカ共和国で発見されており(関連記事)、アフリカ北部では240万年前頃(関連記事)、レヴァントでは248万年前頃(関連記事)の石器が発見されているので、あるいはアフリカ全域とレヴァントまで含めて、ホモ属の形成を検証する必要があるかもしれません。


●ネアンデルタール人の進化

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の進化に関しても、当然現生人類とは異なる側面が多分にあるとしても、構造化メタ個体群モデルが一定以上有効かもしれません。中期更新世のヨーロッパには、異なる系統のホモ属が共存していた可能性が高そうです。ポルトガルの40万年前頃のホモ属遺骸にはネアンデルタール人的特徴が見られない一方で(関連記事)、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)ネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが混在しており、フランスの24万〜19万年前頃のホモ属遺骸でもネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが確認され(関連記事)、イタリアの45万年前頃のホモ属の歯にもネアンデルタール人的特徴が見られます(関連記事)。

 こうした形態学からの中期更新世のヨーロッパにおける異なる系統のホモ属の共存の可能性は、考古学的記録とも整合的と言えそうです(関連記事)。遺伝学でも、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸とネアンデルタール人との類似性が指摘されており、さらには、中期更新世にアフリカから新技術を有して新たに拡散してきた人類集団が、ネアンデルタール人の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されています(関連記事)。形態学・考古学・遺伝学の観点からは、ネアンデルタール人的な派生的特徴が中期更新世のヨーロッパ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりネアンデルタール人が形成された、と考えるのが現時点では節約的なように思います。

 じっさい、ネアンデルタール人が気候変動などにより移動していた証拠も得られています。おそらく、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返しており、寒冷期に人口が減少し、温暖期に人口が増加したのでしょう。ドイツの中部旧石器時代の遺跡の検証から、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返していたのではないか、と推測されています(関連記事)。当然この過程で、時には集団(メタ個体群)が絶滅することもあったでしょう。じっさい、西方の後期ネアンデルタール人集団の間では、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。


●ネアンデルタール人とデニソワ人の関係

 ネアンデルタール人とその近縁系統となる種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関係でも、孤立・分断と交雑・融合の繰り返しが示唆されます。ネアンデルタール人とデニソワ人の推定分岐年代には幅がありますが、現時点では70万〜50万年前頃の間と想定しておくのが無難でしょうか(関連記事)。この分岐は孤立・分断の結果なのでしょうが、ネアンデルタール人遺骸の主要な発見地がヨーロッパとアジア南西部および中央部で、デニソワ人遺骸の発見地が現時点では南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡とチベットに限定されていることから、両者の主要な生息域は一部重なりつつも大きく異なっていた可能性が高く、地理的障壁の結果と考えるのが妥当でしょう。

 デニソワ人の現代人への遺伝的影響はアジア東部でも見られますが、パプア人やオーストラリア先住民にはそれよりもずっと強い影響が残っており(関連記事)、アジア東部から南東部にかけて分布していた、と考えられます。デニソワ洞窟における人類の痕跡は断続的なので(関連記事)、デニソワ人の主要な生息域はアジア東部および南部で、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。ネアンデルタール人はヨーロッパからユーラシア草原地帯を西進してアルタイ地域に到達し、異なる遺伝的系統のネアンデルタール人個体がアルタイ地域で確認されていることから(関連記事)、デニソワ人と同じく、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。

 大まかには、ネアンデルタール人はユーラシア西部、デニソワ人はユーラシア東部を主要な生息域として、時に両者の生息域の端(辺境)である南シベリア(ネアンデルタール人にとっては東端、デニソワ人にとっては西端)で遭遇していた、と言えそうです。気候変動による環境変化により、両者が接触しなかった期間は短くなかったと考えられ、それ故に分岐していったのでしょうが、おそらく気候が温暖な時期には、ネアンデルタール人による(何世代を要したのか不明ですが)ユーラシア草原地帯の長距離移動もあったのでしょう。

 アルタイ地域では、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑は一般的と推測されており、交雑による遺伝的不適合の強い証拠が見られない、と指摘されています(関連記事)。ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先系統が現生人類系統と分岐した後にネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐したため、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑では、現生人類との交雑の場合よりも遺伝的不適合が生じない可能性は高いだろう、と思います。

 上述のヒヒ属の事例からは、遺伝的不適合度の低そうなネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が同じくらいの遺伝的影響を有する融合集団の存在も想定されます。じっさい、そうした融合系統(ネアンデルタール人よりもややデニソワ人の方の影響が大きい、と推定されます)が、アジア東部および南部・パプア・オーストラリア先住民の共通祖先集団と交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。それでもネアンデルタール人とデニソワ人が完全に融合せず、別系統として存続し続けてきたのは、両者の遭遇自体が一般的ではなく(遭遇した場合の交雑は一般的ですが)、基本的には地理的障壁によりそれぞれ分断・孤立していたからなのでしょう。


●ユーラシアの現生人類における分断と融合

 出アフリカ後のユーラシアにおける現生人類の動向も、分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しにより解釈することが必要なように思います。最終氷期の終わりには、ユーラシア東西で複数のひじょうに分化した集団が存在しており、これらの集団は他集団を置換したのではなく、混合していった、と指摘されています(関連記事)。ユーラシア西部では、現代のヨーロッパ集団とアジア東部集団との遺伝的違い(平均FST=0.10)と同じくらいの、遺伝的に異なる少なくとも4集団が存在し、新石器時代に混合して異質性は低下していき(平均FST=0.03)、青銅器時代と鉄器時代には現代のような低水準の分化(平均FST=0.01)に至りました。ユーラシア東部では、アムール川流域集団と新石器時代黄河流域農耕民と台湾鉄器時代集団との間で、比較的高い遺伝的違い(平均FST=0.06)が存在したものの、現在では低くなっています(平均FST=0.01〜0.02)。こうした完新世における遺伝的均質化の動因としては、農耕の採用やウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などといった生業面での優位性が大きかったように思います、

 これらユーラシア現生人類集団は、元々単一の(7万〜5万年前頃の)出アフリカ集団に主要な遺伝的起源があると推測されますが(関連記事)、末期更新世には多様化していたのでしょう。しかし末期更新世と比較すると、現代ユーラシアでは東西ともに遺伝的には均質化が進んでおり、完新世を交雑・融合傾向の強い時代と把握できそうです。5万年前頃には比較的均質だった出アフリカ現生人類集団が、末期更新世の頃までには多様化していき、完新世において遺伝的均質化が進展した、という大まかな見通しを提示できるでしょう。ただ、完新世の人類集団は更新世と比較して一般的に大規模なので、これは均質化への抵抗要因として作用する、とも考えられます。

 こうしたユーラシア現生人類集団における末期更新世までの遺伝的多様化は、拡大により相互の接触が困難になった、という事情もあるものの、その後でユーラシア東西ともに遺伝的均質化が進展したことを考えると、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)によりユーラシア各地域の現生人類集団は分断・孤立していき、遺伝的違いが大きくなった、と考えられます。LGMをやや幅広く設定すると(関連記事)、33000〜15000年前頃です。これは、遺伝的にだけではなく、文化的にも違いをもたらすのに充分な時間です。語彙を基本に系統証明を試みる比較言語学的手法が有効なのは過去8000年、もしくはせいぜい1万年にすぎない、と指摘されています(関連記事)。

 LGMを含む前後の15000〜20000年間ほどが分断・孤立傾向の強い時代だとしたら、5万〜4万年前頃には類似した言語を有していた集団間で、異なる語族が形成されても不思議ではありません。おそらく、末期更新世にはユーラシアにおいて多様な言語が存在しており、それらが消滅・吸収されていった結果、現代ユーラシアのような言語状況が形成されたのでしょう。それでも、ヨーロッパのバスク語やアジア東部の日本語・アイヌ語・朝鮮語のように、孤立的な言語が今でも存続しています。この問題に関しては、アメリカ大陸の事例も考えねばならないのですが、私の知見があまりにも不足しているので、今回は取り上げません。


●日本人とチベット人の遺伝的構造の類似性と言語の違い

 集団の遺伝的構造と言語は相関していることも多いものの、違うこともあります。日本人とチベット人はその典型かもしれません。ここでは、「日本人」でもおもに本州・四国・九州を中心とする「本土」集団が対象です。上述のように、ユーラシア東部の人類集団は末期更新世には遺伝的に多様でしたが、完新世には均質化していき、アジア東部に限定しても同様です。アジア東部の広範な地域を対象とした古代DNA研究(関連記事)では、アジア東部現代人集団は複雑な分岐と融合を経て形成された、と示されます。まず、出アフリカ現生人類はユーラシア東西系統に分岐します。ユーラシア東部系統は南北に分岐し、ユーラシア東部北方系からアジア東部北方系とアジア東部南方系が分岐します。現時点のデータでは、ユーラシア東部南方系と、ユーラシア東部北方系に由来するアジア東部北方系およびアジア東部南方系の複雑な融合により、アジア東部現代人の各地域集団が形成された、とモデル化されます。アジア東部北方系とアジア東部南方系の分岐は、おそらくLGMによる分断・孤立を反映しているのでしょう。

 この見解を前提とすると、日本人とチベット人は、類似した遺伝的構造の形成過程を示します(関連記事)。それは、おもに狩猟採集に依拠していた古層としての在来集団と、後に到来したアジア東部北方新石器時代集団との混合により形成され、遺伝的には後者の影響の方がずっと高い、ということです。古層としての在来集団は、チベット人の場合はユーラシア東部南方系で、アンダマン諸島現代人集団や後期更新世〜完新世にかけてのアジア南東部狩猟採集民であるホアビン文化(Hòabìnhian)集団が含まれます。古層としての在来集団は、日本人の場合は「縄文人」で、ユーラシア東部南方系統とユーラシア東部北方系から派生したアジア東部南方系統との混合だった、と推測されます。現代日本人と現代チベット人において高頻度で見られる、現代世界では珍しいY染色体ハプログループ(YHg)Dは、おそらくユーラシア東部南方系に由来するのでしょう。

 アジア東部北方系は、仰韶(Yangshao)文化や龍山(Longshan)文化といった黄河中流および下流域農耕集団に代表されます。言語学では、チベット・ビルマ語族が含まれるシナ・チベット語族の起源は7200年前頃で(関連記事)、シナ・チベット語族の拡散・多様化は5900年前頃に始まった(関連記事)、との見解が提示されています。チベット人に関しては、集団の遺伝構造と言語との間に強い相関がある、と言えそうです。もちろん、新石器時代においてすでにアジア東部北方系とアジア東部南方系との混合が推測されているように(関連記事)、集団の遺伝的構造と言語とをあまりにも単純に相関させることは危険で、現代の中国語(漢語)にしても、アジア東部北方系のシナ・チベット語族と、おそらくはアジア東部南方系の先オーストロネシア語族などとの混合により形成されていったのでしょう。

 一方、日本人に関しては、アジア東部北方系の言語をシナ・チベット語族系統と想定すると、集団の遺伝的構造と言語とが相関しません。これは朝鮮人に関しても同様と言えるでしょう。日本語も朝鮮語も、おそらくはLGMによる分断・孤立でユーラシア東部において形成された多様な言語群の一つだったのでしょうが、完新世において同系統の言語群が消滅・吸収され、現在は孤立言語のようになったのでしょう。日本語の形成に関しては、アイヌ語との関係も含めて以前短くまとめましたが(関連記事)、その後も勉強が進んでおらず、確たることはとても言えません。

 単純化すると、集団の遺伝的構造と言語とは相関しないこともある、と言って終えられます。まあ、これでは何も言っていないのに等しいので、もう少し考えると、アジア東部北方系の言語が基本的にはシナ・チベット語族系統のみだったとすると、バヌアツの事例(関連記事)が参考になるかもしれません。これは以前に、日本語の形成過程で参考になるかもしれない事例として取り上げました(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。

 日本語の形成過程にたとえると、オーストロネシア系集団が「縄文人」、パプア系集団がアジア東部北方系の影響のひじょうに強い、おそらくは弥生時代以降に日本列島に到来した集団に相当します。アジア東部北方系集団の日本列島への到来が短期間に多数の人々によりなされたのではなく、長期にわたる緩やかなもので、その後の人口増加率の違いにより現代日本人のような遺伝的構成が形成されたとすると、交易などの必要性から先住民集団である「縄文人」の言語が大きな影響力を維持した、とも考えられます。

 一方、アイヌ語と日本語とが大きく違うことを考えると、「縄文人」の言語は地域的な違いがあれども基本的にはアイヌ語系統で、上記のような日本語が選択された過程は日本列島ではなく遼河地域から朝鮮半島のどこかで起き、そこから日本列島にもたらされた、とも考えられます。しかし、現時点では東日本に限定されているものの、「縄文人」は時空間的にかなり異なる集団でも遺伝的に均質ですから(関連記事)、更新世に日本列島に到来した(4万年前頃以降)集団が、外部とはさほど遺伝的交流なしに進化した、とも考えられます。

 北海道「縄文人」の祖先集団と他地域の「縄文人」の祖先集団とが、LGMによる分断・孤立で分岐していったとすると、日本語とアイヌ語がとても同系統と確認できないくらいに分化していっても不思議ではありません。「縄文人」の言語は、北海道もしくは東北地方か関東か東日本までと、西日本とで大きく異なっており、日本語は西日本の「縄文人」の(一部集団の)言語に起源がある、というわけです。ただこの場合、「縄文人」の遺伝的多様性がもっと高くてもよさそうにも思いますが、あるいは、今後西日本の「縄文人」のゲノムが解析されれば、東日本「縄文人」との一定以上の違いが明らかになるのでしょうか。

 もう一つ想定されるのは、アジア東部北方系の言語は、後にはシナ・チベット語族に一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、というものです。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、LGMによる分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語祖語も朝鮮語祖語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 結局のところ、自分の勉強不足のため日本語の形成過程はよく分からず、単に複数の想定を列挙しただけで、しかもこれらの想定以外に「正解」がある可能性も低くないので、何ともまとまりのない文章になってしまいました。日本語の起源はたいへん難しい問題ですが、おそらくはアイヌ語とともに、LGMによる分断・孤立で多様化した言語が、現代では孤立した言語として生き残っている事例で、バスク語と同様なのでしょう。現代世界でも言語の喪失は大きな問題となっていますが、LGMの後から現代までに、現代人がもう永久に知ることのできない、少なからぬ喪失言語があったのでしょう。

https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html#c3

[近代史5] チベット人の起源
チベット人の起源


雑記帳 2020年07月18日
複数集団の混合により形成された現代チベット人
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_21.html

 現代チベット人の起源に関する研究(Wang et al., 2020)が公表されました。本論文は査読前なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。本論文はやや長いので、まず要約を述べます。考古学的研究では、チベット高原における人類の存在は16万年前頃までさかのぼり、これは非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)です。現生人類(Homo sapiens)では4万〜3万年前頃までさかのぼります。しかし、チベット高原の過去の人類の移動は、現代人および古代人のDNA研究において初期段階に留まっています。

 本論文は、3017人の旧石器時代から現代のユーラシア東部人のゲノムで、最初となる古代および現代のゲノムメタ分析を実行しました。3017人の内訳は、チベット高原のウー・ツァン(Ü-Tsang)地域とアムド(Ando)地域とカム(Kham)地域の98人のチベット人を含む183集団2444人の現代人と、573人の古代人です。分析の結果、古代および現代の高地チベット人と、低地島嶼部および沿岸部の新石器時代アジア東部北方人との間の、より密接な遺伝的つながりが特定されました。これは、高地チベット・ビルマ語族の主要な系統の起源が、黄河中流および下流域の後李(Houli)文化と仰韶(Yangshao)文化と龍山(Longshan)文化関連集団にあることを反映しており、シナ・チベット語族の共通する中国北部起源および雑穀農耕民の拡散パターンと一致します。

 チベット人と低地アジア東部人との間の共有されたアジア東部北方系統はありますが、チベット高原高地人と低地アジア東部北方人との間の遺伝的分化も識別され、前者はより深く分岐したホアビン文化(Hòabìnhian)およびアンダマン諸島のオンゲ(Onge)人関連系統を有しており、後者はより多くの新石器時代アジア東部南方人およびシベリア人関連系統を有しています。これは、現代および新石器時代のアジア東部高地人における、旧石器時代と新石器時代の両系統の共存を示唆します。

 ウー・ツァンとアムドとカム地域のチベット人は、その文化的背景および地形(人類の移動にとって障壁となります)と一致する、強い集団階層化を示します。それは、ウー・ツァン地域チベット人におけるより強いネパールのチョクホパニ(Chokhopani)文化集団との類似性と、アムド地域チベット人におけるより多いユーラシア西部系統と、カム地域チベット人におけるより大きな新石器時代アジア東部南方人系統です。また、チベット高原の過去における人類移住の複数の波も明らかになりました。斉家(Qijia)文化農耕民と混合した在来の狩猟採集民の第1層から、チョクホパニ文化集団関連の先チベット・ビルマ語族が派生し、ユーラシア西部草原地帯と黄河と長江からの追加の遺伝子流動により、それぞれ現代のアムド地域とウー・ツァン地域とカム地域のチベット人が形成されました。


●先行研究

 チベット高原は平均標高が海抜4000mを超え、通年の低温・極度の乾燥・低酸素など、人類にとって最も厳しい環境の一つです。しかしチベット高原には、現生人類が拡散してくるずっと前の16万年以上前に、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が存在していました(関連記事)。その後、4万〜3万年前頃までには現生人類がチベット高原に拡散してきた、と推測されています(関連記事)。また、言語学では、チベット・ビルマ語族が含まれるシナ・チベット語族の起源は7200年前頃で(関連記事)、シナ・チベット語族の拡散・多様化は5900年前頃に始まった(関連記事)、との見解が提示されています。現在、700万人以上の先住チベット人がチベット高原に居住しており、低酸素環境に適応しています。低酸素環境である高地へのチベット人の適応には遺伝的基盤があり(関連記事)、その中にはデニソワ人由来のものがある、と推測されています(関連記事)。チベット高原の人類史研究の問題点は、アジア東部の他地域と比較して発掘された遺跡が少ないことです。

 現在まで続く問題として、初期人類がチベット高原へどこからどのように移住してきたのか、現代チベット人の祖先は誰なのか、といったことが挙げられますが、考古学・古人類学・遺伝学はまだこの問題に対して充分に答えられません。上述のように、考古学的証拠から、デニソワ人が16万年以上前に、現生人類が、4万〜3万年前頃までにチベット高原に存在していた、と示されています。ゲノム解析からは、現生人類が最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前にチベット高原に存在した、と提案されており、現代チベット人における上部旧石器時代住民の遺伝的痕跡は、チベット高原における最初の住民と現代チベット人との間のある程度の遺伝的継続性を示唆します。先史時代ヒマラヤ集団の遺伝的研究からは、ヒマラヤ最初の住民は高地アジア東部人起源との証拠が得られており、チベット高原における新石器時代よりも前の人類の活動が間接的に示唆されます。

 チベット高原における人類の居住に関して、後期更新世の狩猟採集民の場合とは対照的に、永続的な居住の時期と様相に関しては議論が続いています。考古学およびゲノム解析からは、チベット高原における永続的な定住は、農耕・牧畜の確立と一致する比較的最近の事象と推測されています。チベット高原でも標高2500m以上で農耕が始まったのは、耐寒性のオオムギが導入された3600年前頃以降と推定されており(関連記事)、永続的な定住はそれ以降ではないか、というわけです。チベットの羊の包括的なゲノム調査では、唐柏(Tang-Bo)古道を通じてのヒトの段階的な居住パターンが明らかになり、3100年前頃には中国北部からチベット高原北東部へ、1300年前頃にはチベット高原北東部からチベット高原南西部へと拡大した、と推測されています。しかし、耐寒性のオオムギと家畜を誰がチベット高原に導入したのか、また在来の狩猟採集民は拡散してきた農耕民とどのように相互作用したのか、まだ不明です。

 考古学では、拡散してきた農耕民は在来の狩猟採集民を置換したわけではなく、2集団が長期間共存した、と示されています。ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析と放射性炭素年代からは、雑穀農耕民が3600〜3300年前頃にチベット高原へとオオムギ農耕を採用して導入し、同時代のチベット人はその胃全摘痕跡を新石器時代雑穀農耕民にたどれる、と推測されています。他の高地集団とのゲノム比較からは、チベット人は複数祖先の遺伝子プールの混合で、旧石器時代と新石器時代の系統が共存している、と結論づけられています。

 まとめると、チベット高原の人類集団に関する先行研究では、中期更新世の到来と旧石器時代における居住、新石器時代の永続的な定住の理解が深められつつあります。しかし、以前の考古学的調査のほとんどは、海抜4000m以上となるチベット高原北東部におもに焦点を当てており、チベット高原の古代標本の欠如とアジア東部の古代人の包括的分析がなされていなかったことは、時空間的に分散したアジア東部古代人と現代チベット人の接続を妨げました。したがって本論文は、チベット高原の現代および古代人と周辺の低地ユーラシア東部人の遺伝的多様性をメタ分析し、アジア東部高地人と参照される世界規模集団との間の系統的関係を調査します。アジア東部の新石器時代から歴史時代の個体群と現代チベット人のゲノム規模データを分析することにより、チベット高地住民の遺伝的移行・置換もしくは継続性・祖先の構成・人口史に焦点が当てられます。


●古代および現代チベット人とアジア東部北方集団との遺伝的類似性

 チベット高原の11地域から現代人98人のゲノム規模データが収集されました。地理的内訳は、チベット自治区5ヶ所、青海省(Qinghai)が2ヶ所、甘粛省(Gansu)が1ヶ所、四川省(Sichuan)が2ヶ所、雲南省(Yunnan)が1ヶ所です。さらに、他のアジア東部の古代人および現代人のデータが統合されました。現代人では、アルタイ諸語、シナ・チベット語族、ミャオ・ヤオ語族、オーストロネシア語族、オーストロアジア語族、タイ・カダイ語族です。古代人では、ネパールからは、3150〜2400年前頃のチョクホパニ(Chokhopani)、2400〜1850年前頃のメブラク(Mebrak)、1750〜1250年前頃のサムヅォング(Samdzong)という異なる3文化期の8人(関連記事)、黄河とアムール川と西遼河流域の48人、曇石山(Tanshishan)文化など中国沿岸南東部や台湾の58人です。これらのゲノムデータは、中国陝西省やロシア極東地域や台湾など広範な地域の新石器時代個体群を中心とした研究(関連記事)と、中国南北沿岸部の新石器時代個体群を中心とした研究(関連記事)と、新石器時代から鉄器時代の中国北部複数地域の個体群を中心とした研究(関連記事)で提示されました。また、新石器時代から青銅器時代もしくは鉄器時代のアジア南西部とシベリア集団も、包括的な分析のいくつかで用いられました。

 現代チベット人と新石器時代から歴史時代のアジア東部人は全員、ユーラシア人の主成分分析では第2構成に沿った遺伝的勾配で集団化されます。アジア東部人の遺伝的多様性に焦点を当てて、アジア東部とアジア南東部島嶼部および大陸部の現代人106集団の遺伝的多様性に基づき、アジア東部人の主成分分析が構築されました(図1B)。アジア東部現代人は、4つの遺伝的勾配もしくはクラスタに集団化されます。それは、アジア北東部集団で構成されるモンゴル・ツングース遺伝的勾配、オーストロアジア語族とオーストロネシア語族とタイ・カダイ語族とミャオ・ヤオ語族から構成される中国南部・アジア南東部遺伝的クラスタ、中国関連の北部から南部への遺伝的勾配、チベット・ビルマ語族クラスタで、言語区分および地理的領域と一致します。

 チベット人は集団化され、中国北部のモンゴル語族およびツングース語族のいくつか、北部漢人、他の低地チベット・ビルマ語族と比較的密接な関係を示します。チベット人の下部構造に焦点を当てると、標本抽出場所の地理的位置と一致する、異なる3下位クラスタが観察されます。本論文では、高地適応チベット人もしくはウー・ツァン(Ü-Tsang)チベット人クラスタ、チベット高地北東部の甘青(Gan-Qing)もしくはアムド(Ando)遺伝的クラスタ、低地南東部遺伝的クラスタもしくはカム(Kham)チベット人と呼びます。ウー・ツァン地域クラスタはラサ(Lhasa)とナクチュ(Nagqu)と山南(Shannan)とシガツェ(Shigatse)、アムド地域クラスタは循化(Xunhua)と剛察(Gangcha)と甘南(Gannan)、カム地域クラスタはチャムド(Chamdo)と新竜(Xinlong)と雅江(Yajiang)と雲南(Yunnan)で構成されます。

 次に、古代人集団とアジア東部現代人との間の遺伝的類似性パターンが調べられ、243人の古代ユーラシア東部人が上述の現代人集団の遺伝的関係のパターンに投影されました。これは、アジア東部の現代人および古代人のゲノムに関する、最初の包括的なメタ分析となります。その結果、古代人4集団の遺伝的クラスタが明らかになりました。まず、台湾と福建省の後期新石器時代個体群を含む新石器時代から歴史時代のアジア南部人で、現代人ではタイ・カダイ語族、オーストロネシア語族、オーストロアジア語族とクラスタ化します。

 第二に、新石器時代から青銅器・鉄器時代のアジア東部北方人で、後李)文化・仰韶文化・龍山文化・斉家(Qijia)文化と、沿岸部および内陸部の個体群を含み、アジア東部の主要な3遺伝的系統と漢人の最北端との接点近くで集団化します。このクラスタは、主要な生存戦略が狩猟採集と関連する前期新石器時代の山東省の後李文化集団と、河南省に近い中期〜後期新石器時代の仰韶および龍山文化農耕民との間で密接な遺伝的関係が観察され、前期新石器時代の中国北部における狩猟採集から雑穀農耕への移行の遺伝的継続性が示唆されます。また、これらの中国北部の新石器時代から鉄器時代の個体群の微妙な遺伝的違いも識別されました。山東省の後李文化集団は、現代モンゴル語族のバオアン(Baoan、保安)人やツー(Tu)人やユグル(Yugur)人やドンシャン(Dongxiang)人と近い一方で、前期新石器時代の河南省の小高(Xiaogao)個体群は、現代ツングース語族のホジェン(Hezhen、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)人やシーボー(Xibo)人の近くに位置づけられます。山東省新石器時代の全集団は、山東省の現代漢人からは離れて位置し、現代中国北部少数民族の方へと移動しています。これは、現代の北方漢人が、アジア東部南方の祖先系統から追加の遺伝子流動を受けたか、新石器時代の後李文化個体群がより多くのシベリア関連祖先系統を有していたことを示唆します。河南省の、後期新石器時代の龍山文化集団と、青銅器時代・鉄器時代個体群は集団化し、漢人の遺伝的勾配の方へと移動しており、部分的に山西省と山東省の漢人と重なりました。これは、後期新石器時代から現代の中原(おおむね現在の河南省・山西省・山東省)のアジア東部北方人の遺伝的類似性を示し、中国文化の各地域における遺伝的安定性を示唆します。中期新石器時代となる河南省の仰韶文化集団は、陝西省楡林市靖辺県五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡集団の何人かと集団化し、より北方の現代少数民族へと移動します。山西省や内モンゴル自治区や黄河上流のより内陸に位置する中期〜後期新石器時代のアジア東部北方人はクラスタ化し、現代チベット人およびネパールの高地に適応した祖先系統へと移動して、部分的に現代の地理的に近いチベット人と重なり、ネパールの古代人と密接な遺伝的類似性を示します。

 第三に、西遼河の古代集団です。この西遼河古代集団では、遺伝的類似性の異なる3パターンが識別できます。北方クラスタは、シベリアのシャマンカ(Shamanka)とモンゴルの新石器時代個体群と遺伝的類似性を示します。中期紅山(Hongshan)文化クラスタは、モンゴルの少数民族と剛察の現代チベット人との間に位置します。夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化個体など北方クラスタに関しては、草原地帯牧畜民と関連するモンゴル高原北部新石器時代個体群と、黄河流域雑穀農耕民の両方が、西遼河流域における後期新石器時代とその後の集団形成に加わった、と示唆されます。南方クラスタの後期新石器時代個体群は、アジア東部北方の沿岸部前期新石器時代個体群と、内陸部の新石器時代仰韶文化および龍山文化個体群との間に位置し、黄河中流および下流域(河南省と山東省)の雑穀農耕民が、内陸部および沿岸部両方の北方への集団移住により、紅山文化集団もしくはその子孫の形成に重要な役割を果たした、と示唆されます。

 第四に、モンゴル高原とロシア極東とバイカル湖地域とアムール川流域の古代集団です。これらには新石器時代から青銅器時代までの46人が含まれ現代ホジェン人およびウリチ(Ulchi)人と、モンゴル語族の一部との近くでクラスタ化します。日本列島の「縄文人」は集団化し、現代日本人からはずっと離れており、ロシア極東沿岸部新石器時代個体群と台湾の漢本および新石器時代アジア東部南方(現在の福建省)沿岸部個体群との中間に位置します。

 主成分分析では、現代チベット人と古代ネパール人集団と現代・古代のアジア東部人とシベリア人との間のゲノム類似性が明らかになりました。遺伝的構造と対応する集団関係をさらに調べるため、系統構成とクラスタパターンが推定され、アジア東部の主要な2系統が観察されました(図1C)。沿岸部アジア東部北方系統は、新石器時代シベリア人と現代ツングース語族で最大化されました。また沿岸部アジア東部北方系統(黄緑色)は、高い割合を有する山東省の沿岸部前期新石器時代アジア東部北方人と同様に、中国北東部とロシア極東の青銅器時代から現代の集団にも存在します。他の沿岸部アジア東部北方系統は、現代高地チベット人と後期新石器時代の斉家文化関連集団において多く見られ、ネパールの青銅器時代から歴史時代の個体群および古代アジア東部北方人でも最大化し、それは現代低地シナ・チベット語族、内陸部のミャオ・ヤオ語族とタイ・カダイ語族でも同様です。本論文はこのチベット人関連系統を内陸部アジア東部北方系統と呼び、これはチベット人と現代および古代のアジア東部北方人との間の密接な遺伝的類似性の直接的指標です。

 沿岸部前期新石器時代のアジア東部南方人、鉄器時代の台湾の漢本(Hanben)人、現代のオーストロアジア語族の台湾先住民であるアミ(Ami)人とタイヤル(Atayal)人で多く見られる系統は、本論文では沿岸部アジア東部南方系統(濃緑色)と呼ばれます。青色系統はミャオ・ヤオ語族とタイ・カダイ語族に広く分布する沿岸系統の対応としてラチ(LaChi)人で最大化され、この内陸部アジア東部南方系統は、雲南と雅江・新竜と甘南のチベット人を含む低地チベット人に、比較的高い割合で存在します。さらに、チベット高原北東部のチベット人は、より多くの沿岸部アジア東部北方系統を有している、と明らかになりました。タイとラオスの国境のムラブリ(Mlabri)人で最大化されるいくつかのオーストロアジア語族関連系統は四川省と雲南省のカム地域チベット人で、青銅器時代のアファナシェヴォ(Afanasievo)文化とヤムナヤ(Yamnaya)文化集団で最大化される系統(赤色)は青海省および甘粛省のアムドチベット人でそれぞれ識別されました。古代ネパール人集団は、シベリア北東部の鉄器時代エクヴェン(Ekven)人と関連した共通系統を有していました。以下、チベットチベット高原の11地域、主成分分析、系統構成を示した本論文の図1です。

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●アジア東部人の集団分化とチベット人における下部構造

 11地区の現代チベット人と現代もしくは古代の参照集団との間の遺伝的差異をさらに調べるため、まず現代人82集団と現代および古代の32集団の遺伝的距離が計算されました。チベット自治区において、高地のウー・ツァン地域チベット人の南(シガツェと山南)と中央(ラサ)と北(ナクチュ)、北東となるカム地域のチャムドのチベット人は、近隣地域と最小のFst遺伝距離を有しており、チベット高原北東部の低地アムド地域(青海省と甘粛省)のチベット人と、チベット高原南東部のカム地域(四川省と雲南省)のチベット人と、ツー人など他のチベット・ビルマ語族集団がそれに続きます。これらの遺伝的関係の観察パターンは、低地集団とは顕著に異なっており、ミャオ・ヤオ語族のシェ(She)人は低地アジア東部人とほとんどの系統を共有しています。

 青海省と甘粛省のアムド地域のチベット人では、剛察チベット人が北部もしくは北東部チベット人(チャムドとナクチュ)と最小のFst遺伝距離で密接な遺伝的類似性を有し、チアン(Qiang)人とツー人もしくは他の地理的に近いチベット人がそれに続きます。剛察と循化のチベット人では異なるパターンが観察され、相互に最も密接な関係を示し、その次がツー人とユグル人になります。また、甘南および循化のチベット人とテュルク語族のカザフ集団との間の比較的小さい遺伝的距離も明らかになり、チベット高原において、中央部のチベット人と比較して、北東部のチベット人のユーラシア西部人との遺伝的類似性が示されます。

 四川省と茂県地区(Ganqing Region)の雅江と新竜のチベット人は、四川省のチベット・ビルマ語族(ツー人やユグル人やチアン人)と密接な遺伝的類似性を有します。雲南省のチベット人は、剛察とチャムドのチベット人と最小の遺伝的距離を有し、チアン人とイー(Yi)人とツー人がそれに続きます。チベット人と新石器時代から鉄器時代のアジア東部人の間で、各現代チベット人と最小のFst値を有する遺伝的に最も密接な集団は、他の現代チベット人により証明され、台湾の漢本集団は他の古代アジア東部人と比較して、現代チベット人と最も密接な関係を示します。

 TreeMixに基づく分析により、ユーラシアの現代人集団とユーラシア東部古代人の遺伝的多様性の下で、さらに系統関係が推定されました。現代チベット人と他のユーラシア人の遺伝的多様性に基づく図2Aの系統樹は、移住事象なしと想定されていますが、類似した語族集団が1集団にクラスタ化する傾向を示します。アルタイ諸語(テュルク語族とモンゴル語族)集団は、ウラル語族とクラスタ化しました。オーストロネシア語族のアジア東部人は、まずタイ・カダイ語族と、次にミャオ・ヤオ語族およびオーストロアジア語族とクラスタ化しました。チベット人はまず相互に、とくに高地適応のウー・ツァン地域でクラスタ化し、次に低地アジア東部人とクラスタ化しました。この観察された地理的孤立は、高地チベット人と低地アジア東部人との間の遺伝的差異を示し、共有された共通起源系統があるものの、識別されます。

 さらに、事前に定義された3回の交雑事象で、近東からのアナトリア半島新石器時代農耕民系統を除き、現代チベット人とユーラシア東部の26人の古代人との間の集団分岐と遺伝子流動が分析されました。甘南と新竜を除く現代チベット人は、まずネパールの高地古代人と、次に低地アジア東部北方新石器時代人および新石器時代から青銅器時代の南シベリア人とクラスタ化し、高地現代チベット人と低地アジア東部北方古代人との間の遺伝的区分が示されました(図2B)。このクラスタパターンはまた、高地の現代および古代チベット人と低地アジア東部南方人と同様に、アジア東部の北方人と南方人との間の遠い関係を示しました。これは、チベット人とアジア東部北方人との間の特別なつながり、もしくはより密接な遺伝的関係の証拠をさらに提供します。以下、この系統関係を示した本論文の図2です。

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 外群f3統計(現代チベット人、ユーラシア古代人および現代人、エチオピアのムブティ人)で、遺伝的類似性がさらに評価されました。現代人184集団の中で、各地域のチベット人にとって最も類似性が共有されるのは、地理的に近い別地域のチベット人です。山南チベット人はラサとシガツェとナクチュのチベット人と最もアレル(対立遺伝子)を共有しており、集団の類似したパターンは、ウー・ツァン地域において南方に位置するシガツェと中央に位置するラサのチベット人で特定されました。しかし、ウー・ツァン地域でも北東に位置するナクチュのチベット人は、そこからさらに北東に位置するカム地域のチャムドのチベット人と最もアレルを共有し、四川省のチベット・ビルマ語族のチアン人と、他のチベット人およびシェルパ(Sherpa)人が続きます。これらのパターンは、チャムドのチベット人における集団の特徴と一致します。

 現代チベット人内のゲノム類似性に続いて、5地域のチベット人が低地漢人と最も強い遺伝的類似性を共有する、と明らかになりました。これは、シナ・チベット語族の黄河中流および下流域の共通起源と一致します。四川省と雲南省の低地カム地域では、新竜チベット人が、上海や重慶や湖北省や江蘇省の漢人および他の低地チベット・ビルマ語族のチアン人やトゥチャ(Tujia)人と最も遺伝的浮動を共有しています。新竜チベット人とは異なり、地理的に近い雅江と雲南省のチベット人は、チアン人および地理的に近いチャムドおよび新竜のチベット人と最も遺伝的浮動を共有しており、それら漢人と他のチベット人が続きます。これら低地漢人もしくはアジア東部南方人は、中国南西部に位置する低地のカム地域チベット人が、先史時代と歴史時代において集団移住と混合により、アジア東部南方人と系統の変化を有していた、と示唆します。アムド地域の剛察チベット人は、漢人およびチベット・ビルマ語族と遺伝的類似性を共有しているだけではなく、テュルク語族集団との類似性の兆候も示します。甘南と循化のチベット人におけるアレル共有は、漢人集団が甘南および循化のチベット人と最も系統を共有している、と示します。

 外群f3統計から推測される、現代チベット人と旧石器時代から歴史時代のユーラシア古代人106集団(ロシアが33、中国が41、モンゴルが29、ネパールが3)との間の共有されるアレルの水準は、現代チベット人が新石器時代から鉄器時代のアジア東部北方人と最も明確なつながりを有すると示し、これは主成分分析・Fst・ADMIXTURE・現代人集団に基づく類似性推定と一致します。中程度の高度となるチャムドのチベット人は、新石器時代の陝西省五庄果墚遺跡個体群および後期新石器時代となる斉家文化の黄河上流域農耕民と最も遺伝的浮動を共有しており、鉄器時代の雲南省の大槽子(Dacaozi)人と陝西省の石峁(Shimao)人、中国北部の紅山文化関連の中期新石器時代の半拉山(Banlashan)人、黄河中流および下流域の他のアジア東部北方人が続きます。

 ロシアとモンゴルの新石器時代人および歴史時代ネパールの青銅器時代人は、チャムドの現代チベット人とは比較的遠い遺伝的関係を示します。チャムドのチベット人のパターンとは異なり、ウー・ツァン地域南部および中央部のチベット人は、ネパール古代人と関連する系統の増加を示し、ウー・ツァン地域北部のナクチュのチベット人は、2700年前頃のチョクホパニ人と集団類似性の中間的傾向を示します。中国南西部および北東部の低地チベット人は、アジア東部北方古代人と似た集団類似性を示します。新竜チベット人を除くチベット人は、相互に他のチベット人と最も遺伝的浮動を共有してクラスタ化し、次にネパール古代人と集団化し、高地クラスタを形成します。前期新石器時代から鉄器時代のアジア東部北方人がまずクラスタ化し、次に高地クラスタと集団化します。アムール川および西遼河流域の古代クラスタも、高地チベット人とより密接な関係を示し、新疆の石人子溝(Shirenzigou)遺跡人とアジア東部南方人は、低地アジア東部北方人および高地チベット人クラスタと、比較的異なる関係を保ちます。


●チベット高原における現代チベット人と古代人集団との混合の痕跡

 最近の遺伝的混合の証拠があるのか検証し、対応する祖先集団(もしくは現代集団で代理とされる仮定的祖先集団)を決定するため混合f3統計が実行され、各地域のチベット人集団が祖先集団と派生的アレルをどの程度共有しているのか、評価されました。また、3集団比較と古代人および現代人の包括的な参照データベースにより、ネパールの古代人9人および青海省の後期新石器時代から鉄器時代の11人の混合の痕跡が再評価されました。その結果、高地と低地の現代および古代チベット人における、混合の兆候と祖先集団の異なるパターンが見つかりました。さらに、1地域もしくは類似した文化のチベット人の間で、小さいものの有意な違いが識別できました。

 ウー・ツァン地域では、南部の山南とシガツェにおいて4万組以上の検証で混合の兆候が観察されず、中央部のラサに関しては、1500年前頃となるネパールのサムヅォング文化個体群と、カム地域のチベット人とチアン人、もしくは新石器時代アジア東部北方人とチベット南部人との混合集団、もしくはバイカル湖地域古代人という4集団が祖先集団候補として検出されました。検証された188集団では、一方はチベット・ビルマ語族と、もう一方はユーラシア西部人と有意な値を示します。古代アジア東部北方人および南方人ではなく、低地アジア東部現代人と組み合わされた南部および中央部チベット人も、ナクチュのチベット人と有意な混合の兆候を示します。ウー・ツァン地域とカム地域のチベット人の間の接合領域に位置するチャムドのチベット人は、潜在的な文化的およびヒト集団の移動と混合を有していますが、一つの混合兆候のみが観察されます。茂県地域の3人のチベット人は数千以上の集団の組み合わせから混合の兆候を有しており、一方はアジア東部の現代人もしくは古代人、もう一方はユーラシア西部人です。

 f3統計の結果、北方系統の祖先としての新石器時代内陸部アジア東部北方人である、内モンゴル自治区の裕民(Yumin)遺跡の前期新石器時代個体が、南方系統の祖先としてのオーストロアジア語族およびタイ・カダイ語族と組み合わされ、有意なf3値を示します。四川省のチベット人は、アジア東部北方人と南方人との間の混合、もしくは高地チベット・ビルマ語族と低地アジア東部人との間の混合の結果としてのみ、有意な兆候を示します。南部チベット人の結果と同様に、雲南省チベット人では混合の兆候は観察されず、遺伝的孤立もしくは最近起きた明らかな遺伝的浮動が原因だったかもしれません。チベット高原の古代人集団に焦点を当てた検証では、青海省の鉄器時代の大槽子遺跡集団からの混合の兆候が示され、これはアジア東部北方古代人とアジア東部南方現代人の祖先集団との混合、もしくはチャムドのチベット人関連集団と台湾の鉄器時代漢本個体のような集団との混合の結果です。


●f4統計から推定される高地および低地チベット人の集団内分化

 現代チベット人の間の下部構造を調べるため、f4統計が実施されました。チャムドのチベット人は、他のチベット人との比較で、ナクチュおよび雲南省のチベット人とクレード(単系統群)を形成します。アムド地域の剛察と甘南と循化のチベット人と比較して、他のチベット人はチャムドのチベット人とより多くのアレルを共有します。雅江と新竜の低地チベット人と比較して、チャムドのチベット人は高地チベット人(ラサ、ナクチュ、シガツェ、山南)関連系統をより多く有していますが、甘南のチベット人はチャムドのチベット人と比較して、新竜のチベット人とより多くのアレルを共有します。高地チベット人と比較して、チャムドのチベット人は比較的低地の他のチベット人とより多くのアレルを共有します。

 ウー・ツァン地域南部および中央部のチベット人の間では、明確な遺伝的均一性が示され、アムド地域のチベット人と比較して、南部チベット人とより多くのアレルが共有されます。しかし、ウー・ツァン地域の北部チベット人はチャムドおよび雲南省のチベット人とクレードを形成し、四川省のチベット人と比較して、より多くの高地チベット人関連派生的アレルを有します。低地チベット人では、中国北西部となるアムド地域の剛察と循化のチベット人がクレードを形成します。同じくアムド地域の甘南チベット人と比較して、青海省チベット人はチベット自治区のチベット人とより多くの系統を共有します。甘南チベット人をf4統計の対象とすると、他のチベット人と比較して、甘南チベット人とより多くのアレルを共有するチベット人集団は見つかりません。中国南西部の雲南省チベット人はチャムド・新竜および雅江チベット人とクレードを形成し、全てはカム地域チベット人に属します。低地の四川省と雲南省のチベット人は、茂県チベット人と比較してチベット人関連系統を、また他の高地チベット人と比較して高地チベット人関連系統をより多く有しています。

 さらに、f4統計により、古代ユーラシア集団(おもに中国とモンゴルとシベリア東部とユーラシア西部の草原地帯牧畜民)を用いて、高地および低地チベット人の間の観察された遺伝的類似性と集団下部構造が調べられました。ウー・ツァン地域のチベット人内のゲノム類似性パターンが確認され、またアムド地域とカム地域のチベット人と比較して、ウー・ツァン地域のチベット人におけるネパール古代人との明らかなより多くの類似性が特定できました。山南チベット人と比較して、ナクチュのチベット人は、中国南部の南東部沿岸地域における新石器時代から歴史時代のアジア東部南方の低地古代人集団と関連する系統の増加を示し、この系統はバイカル湖地域後期新石器時代個体でも見られます。アムド地域のチベット人と比較して、ウー・ツァン地域のナクチュのチベット人は、ネパール古代人関連系統の増加と、循化チベット人と関連する後期新石器時代の青海省の喇家(Lajia)遺跡個体関連系統の増加を示します。またナクチュのチベット人は、福建省のアジア東部南方沿岸部後期新石器時代集団と、黄河中流域の新石器時代から鉄器時代集団と、夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化集団と、内陸部新石器時代アジア東部北方集団と、他の黄河上流域新石器時代および鉄器時代集団と関連する系統の増加を示します。

 黄河上流域古代人集団では、地理的に近い剛察チベット人ではなく、ナクチュのチベット人との間でより密接な類似性が見つかり、喇家遺跡などの古代人集団が、ナクチュの現代チベット人の直接的祖先だったかもしれません。アムド地域のチベット人に関しては、ロシアのシンタシュタ(Sintashta)文化など中期〜後期青銅器時代のユーラシア草原地帯牧畜民関連系統の増加が示されます。また、アムド地域のチベット人の間の強い遺伝的類似性が、確認されています。アムド地域の甘南チベット人は、現代オーストロネシア語族や福建省・台湾などアジア東部南方前期新石器時代集団に代表される、アジア東部南方人関連系統の増加を示します。甘南チベット人の同じアジア東部南方人の類似性は、ウー・ツァン地域のチベット人との比較でも識別されます。

 ナクチュのチベット人とチャムドのチベット人とユーラシア東部古代人とエチオピアのムブティ(Mbuti)の現代人によるf4統計では、ナクチュのチベット人とがチャムドのチベット人とクレードを形成し、チャムドのチベット人におけるアジア東部北方の中期新石器時代の半拉山関連系統の増加を示し、半拉山遺跡の人々は紅山文化と関連している、と証明されました。またラサのチベット人と比較してチャムドのチベット人では、悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡(関連記事)個体群のようなロシアもしくはモンゴル関連新石器時代系統、中期新石器時代の紅山文化関連系統、後期新石器時代にかけての黄河中流域もしくは龍山文化農耕民関連系統、黄河上流域後期新石器時代の斉家文化関連系統の増加が示唆されます。遺伝的類似性は、前期新石器時代におけるチベット高原とアジア東部北方の古代人集団間のつながりを示します。

 ウー・ツァン地域南部の山南チベット人と比較して、カム地域のより北方に位置するチャムドのチベット人は、低地アジア東部の異なる古代集団と関連する系統の増加を示します。まず、沿岸部アジア東部南方の後期新石器時代の曇石山遺跡、台湾の鉄器時代の漢本遺跡、歴史時代となる福建省の伝云(Chuanyun)遺跡の人々は、山南チベット人よりもチャムドのチベット人と多くの遺伝的浮動を共有しています。第二に、山東省の沿岸部前期新石器時代アジア東部北方人は、チャムドのチベット人とより多くの遺伝的浮動を共有します。第三に、河南省の中期新石器時代から後期青銅器時代および鉄器時代の古代人集団は、チャムドのチベット人とより多くの派生的アレルを共有します。第四に、黄河中流域の新石器時代集団は、チャムドのチベット人とより多くのアレルを共有します。第五に、黄河上流域の後期新石器時代と鉄器時代の個体群は、甘南チベット人よりもチャムドのチベット人と多くのアレルを共有します。第六に、西遼河流域の新石器時代3集団は、チャムドのチベット人とより多くのアレルを共有します。第七に、新石器時代から現代のモンゴルおよびロシアと関連する祖先集団は、チャムドのチベット人とより多くのアレルを共有します。ウー・ツァン地域南西部のシガツェのチベット人と比較して、共有派生的アレルの類似のパターンが観察されます。アムド地域のチベット人と比較して、チャムドのチベット人は高地および低地の古代人集団と関連する系統の増加を共有します。四川省のチベット人と比較して、チャムドのチベット人はネパールの2125年前頃のメブラク文化および1500年前頃のサムヅォング文化集団とより多くのアレルを共有します。チャムドのチベット人で観察された遺伝的類似性のパターンと似て、カム地域の他の3地区のチベット人も、アジア東部南北両系統の増加を示します。


●現代チベット人とアジア東部古代人の時空間的比較分析および現代チベット人の遺伝的混合と継続

 全体的なアジア東部人の遺伝的構造と人口動態を明確にし、文化的・地理的に多様なチベット人の起源への新たな洞察を得るため、f4統計により時空間的な調査が行なわれました。山東省の新石器時代沿岸部アジア東部北方人と現代チベット人との間には、類似した遺伝的関係が見られます。山東省の小荆山(Xiaojingshan)遺跡個体群では、新石器時代沿岸部アジア東部南方人関連系統の増加が識別でき、アジア東部における沿岸部集団との密接な関係が示されます。

 河南省の後期青銅器時代〜鉄器時代の遺跡(Luoheguxiang)の個体群は、河南省滎陽市(Xingyang)汪溝(Wanggou)遺跡の中期新石器時代個体群と比較して、台湾先住民であるオーストロネシア語族の現代アミ(Ami)人と関連する系統の増加を示します。河南省の後期新石器時代の郝家台(Haojiatai)遺跡個体群は、汪溝遺跡個体群と比較して、台湾の漢本遺跡や福建省の遺跡(Xitoucun)と関連するアジア東部南方人系統をより多く有し、アミ人やタイヤル人など類似の沿岸部南方集団の類似性が、河南省の後期新石器時代の平糧台(Pingliangtai)遺跡個体群で観察されますが、後期新石器時代の瓦店(Wadian)や中期新石器時代の汪溝や前期新石器時代の小呉(Xiaowu)といった河南省の各遺跡の個体群では観察されません。

 陝西省と内モンゴル自治区の古代人に焦点を当てると、現代チベット人とアジア東部南北両方(黄河流域と中国南部)の人々は、新石器時代の陝西省の石峁遺跡集団とより多くのアレルを共有します。黄河上流域古代人の経時的分析によると、現代チベット人は全員、黄河上流域古代人との類似した関係を示しますが、鉄器時代の雲南省大槽遺跡の人々は、より多くのアジア東部南方人系統を有します。これらの結果は、中国南部からの集団移動が、少なくとも鉄器時代からチベット高原北東部集団の遺伝子プールに有意な影響を有した、と示唆します。また、年代の異なるネパール古代人集団との、アジア東部人の間の対称的な関係が示されます。

 次に、現代チベット人と全ての利用可能なアジア東部古代人の空間的比較分析により、新石器時代アジア東部北方人の共有された遺伝的構成の類似性と差異が調べられました。現代チベット人11集団および他のアジア東部古代人が、地理的に異なるアジア東部北方古代人および古代チベット人と比較されました。その結果、山東省の沿岸部新石器時代4集団と比較して、ウー・ツァン地域チベット人が最も強い高地アジア東部人との類似性を有する、と明らかになりました。さらに、沿岸部および内陸部古代人と比較すると、現代チベット人は内陸部アジア東部北方人、とくに黄河上流域の後期新石器時代の喇家遺跡個体群と強い類似性を有している、と明らかになりました。この喇家遺跡個体群もしくはアジア東部北方人との類似性は、内陸部の中期新石器時代となるモンゴル自治区の裕民(Yumin)遺跡を沿岸部アジア東部北方人に置換しても成立しましたが、後期新石器時代個体群を前期新石器時代アジア東部北方人と置換すると消えました。アムド地域とカム地域のチベット人は、低地アジア東部北方人との類似性を、ウー・ツァン地域のチベット人はネパール古代人との類似性を示します。

 上述の集団ゲノム研究は、現代チベット人の間の集団下部構造(ウー・ツァンとアムドとカムの各地域)と、アジア東部現代人との最も密接な関係と、アジア東部南方人およびシベリア人との類似性を明らかにしてきました。現代チベット人3集団がそれぞれアジア東部の北方人および南方人とシベリア人との類似性を示すことと一致して、追加の遺伝的混合なしにこれらのソース集団の1つの直接的子孫だった、との仮定が検証されました。まず、現代チベット人が長江流域の稲作農耕民と関連するアジア東部南方人の直接的子孫だった、と仮定されました。アジア東部北方人もしくはシベリア人を用いたf4統計からは、それら参照集団からの明らかな遺伝子流動事象と、密接な遺伝的関係が示唆されました。

 チベット人の直接的祖先が沿岸部新石器時代アジア東部北方人との仮定で、追加の遺伝子流動事象を詳細に検証するためf4統計が行なわれ、ネパール古代人のみが負の値を示し、シナ・チベット語族の黄河中流および下流域の共通起源と一致します。仰韶および龍山文化農耕民もしくはその関連集団、陝西省古代人と他のアジア東部北方古代人と南シベリア人を、現代チベット人の直接的祖先として仮定すると、これらのパターンは確認されました。裕民遺跡個体もしくはアムール川下流域のツングース語族のウリチ(Ulchi)人を直接的祖先として仮定すると、アジア東部南方人(台湾の漢本遺跡個体)と黄河流域農耕民からの追加の祖先的遺伝子流動が識別されました。ネパール古代人を直接的祖先として仮定すると、低地アジア東部古代人からの追加の明らかな遺伝子流動事象が、カム地域チベット人で検出されました。ロシアと中国新疆ウイグル自治区の追加の事前定義された祖先的集団は、強いアジア東部との類似性を確認します。


●現代および古代チベット人の系統構成

 現代チベット人と新石器時代アジア東部北方人の密接な遺伝的つながりと、チベット人とアンダマン諸島のオンゲ(Onge)人と「縄文人」の父系(Y染色体)類似性を考慮し、qpWaveを用いて現代チベット人とネパール古代人と「縄文人」の祖先集団の数が調べられ、さらにqpAdmにより、1方向〜3方向の対応する系統割合が推定されました。オンゲ人と「縄文人」は、アジア南東部のホアビン文化(Hòabìnhian)の7700年前頃の個体と密接な関係がある、と示されています(関連記事)。

 qpWaveの結果から、対称となった集団における観察された遺伝的多様性を説明するには、少なくとも2祖先集団が必要と示されました。まずオンゲ人と内陸部および沿岸部前期新石器時代アジア東部北方人6集団の2方向モデルが採用され、内陸部の裕民遺跡個体が対象となった集団の遺伝的多様性に適合しませんでした。河南省の前期新石器時代となる小高遺跡個体とオンゲ人の2方向モデルは、甘南チベット人を除く全ての現代チベット人とよく合致します。小高遺跡個体関連系統の割合は、山南チベット人で0.846、新竜チベット人で0.906です。

 2700年前頃のネパールのチョクホパニ遺跡個体群は、地理的に近いウー・ツァン地域チベット人と類似しており、小高遺跡個体に代表されるアジア東部北方人関連系統の割合が0.861、オンゲ人関連系統の割合が0.139となります。より新しいネパール古代人は、チョクホパニ遺跡個体群よりも、オンゲ人関連系統の割合が高く、アジア東部北方人関連系統の割合が低くなります。縄文人は小高遺跡個体関連系統の割合が0.484、わずかな統計的有意性を有するオンゲ人関連系統の割合が0.516でモデル化できます。

 前期新石器時代の小高遺跡個体を、山東省の前期新石器時代となる淄博(Boshan)遺跡および變變(Bianbian)遺跡個体群と置換すると、類似した結果が得られますが、淄博遺跡個体を同じ山東省の前期新石器時代となる小荆山遺跡個体と置換すると、1500年前頃となるネパールのサムヅォング文化個体群は、2方向モデルに適合しません。シベリアの前期新石器時代となるジャライノール(Zhalainuoer)遺跡個体とオンゲ人関連系統は、より高いオンゲ人関連系統を有する高地チベット人および雲南省チベット人の祖先集団として適合しましたが、他のアムド地域およびカム地域チベット人には適合しませんでした。

 中期新石器時代アジア東部人をソース集団として用いると、河南省の小呉遺跡とオンゲ人関連系統のモデルは全対象集団で適合せず、悪魔の門遺跡個体とオンゲ人関連系統のモデルは、オンゲ人関連系統のより高い割合を有する、四川省チベット人と縄文人とチョクホパニ文化個体群でのみ適合できました。ユーラシア西部人との類似性を有する集団(アムド地域チベット人とネパールのサムヅォング文化集団)以外の全ての現代人および古代人集団は、オンゲ人と中期新石器時代の各遺跡のアジア東部北方人関連系統との混合としてモデル化できます。

 アジア東部北方人関連系統の割合は、汪溝遺跡個体を用いると、チベット人では0.898〜0.960、縄文人では0.518、ネパールの2400〜1850年前頃のメブラク(Mebrak)文化集団では0.889、チョクホパニ文化集団では0.914です。半拉山遺跡個体を用いると、山南および新竜チベット人ではそれぞれ0.795と0.847、縄文人では0.458、チョクホパニ文化集団では0.800です。内モンゴル自治区の廟子溝(Miaozigou)遺跡個体を用いると、チベット人では0.906〜0.952、縄文人では0.615、メブラク文化集団では0.906、チョクホパニ文化集団では0.933です。

 さらに、ソース集団として後期新石器時代アジア東部北方人を用いると、剛察および甘南のチベット人とサムヅォング文化集団は、剛察チベット人での、瓦店遺跡個体とオンゲ人関連系統モデル(割合は0.932と0.068)、郝家台遺跡個体とオンゲ人関連系統モデル(0.973と0.027)、サムヅォング文化集団での郝家台遺跡個体とオンゲ人関連系統モデル(0.908と0.092)を除いて、すべて適合しませんでした。残りの全集団は、より高い新石器時代アジア東部人系統とより小さいオンゲ人関連系統の混合として適合できます。

 さらに、南方起源集団としてホアビン文化個体をオンゲ人と置換し、前期〜後期新石器時代のアジア東部北方人をもう一方の起源集団として2方向混合を実行し、サムヅォング文化集団と縄文人を除いて、剛察および甘南チベット人とネパール古代人の割合を推定しました。その結果、オンゲ人に基づく2方向モデルと比較して、わずかに異なる系統構成でも良好な適合が得られました。最後に、アムド地域の剛察および甘南チベット人とサムヅォング文化集団で遺伝的多様性に適合する3方向混合モデルにて、ファナシェヴォ文化個体群がユーラシア西部人のソース集団として採用されました。この3集団は全て、青銅器時代草原地帯牧畜民関連系統を導入すると、上手く適合ました。

 新石器時代アジア東部人と現代チベット人との間の系統関係を包括的に要約し、人口史を復元するため、qpGraphにより一連の混合モデルが構築されました。核となるモデルでは、デニソワ人、現生人類の最も深い分岐を示す集団としてアフリカ中央部のムブティ人、ユーラシア西部人の代表としてルクセンブルクの中期石器時代となるロシュブール(Loschbour)遺跡個体、アンダマン諸島の狩猟採集民である現代オンゲ人、ユーラシア東部の南北の深い系統を表す、北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)個体が含まれます。

 図6Aに示されるように、アジア東部人は、ユーラシア西部人からの1%程度の遺伝子流動を有するモンゴル東部の新石器時代集団に代表される北部系統と、オンゲ人と密接な系統から35%程度の遺伝的影響を受けた、福建省連江県亮島の前期新石器時代となる粮道2(Liangdao2)遺跡個体に代表される南部系統に分けられます。後期新石器時代の斉家文化関連の喇家遺跡個体群は、アジア東部北方人関連系統84%とアジア南部オンゲ人関連系統16%の混合として、ネパールのチョクホパニ文化集団は、喇家遺跡個体群系統86%とオンゲ人関連系統14%の混合としてモデル化できます。このモデルは、チョクホパニ文化関連古代チベット人と後期新石器時代の喇家遺跡個体群における、チベット高原在来住民と関連する旧石器時代狩猟採集民系統と、新石器時代アジア東部北方人系統との共存の古代ゲノム証拠を提供します。

 次に、チベット高原の11地区全ての現代人をこのモデルに追加し、新竜チベット人を除くウー・ツァン地域とカム地域チベット人は、2700年前頃のチョクホパニ文化集団の直接的子孫として適合でき、アジア東部北方人系統1集団からの追加の遺伝子流動がある、と明らかになりました。このアジア東部北方人系統は、台湾の鉄器時代の漢本個体群に33%の追加系統をもたらしました。この遺伝子流動は、チベット高原への新石器時代の拡大の第二の波の典型とみなせます。したがって、図6の結果は、チベット人7集団が、オンゲ人関連系統、後期新石器時代の喇家遺跡個体群関連系統、アジア北東部人関連系統の第二の波という、3祖先集団によく適合できる、と示唆します。それぞれの割合は、山南では0.1235と0.8265と0.05、シガツェでは0.144と0.816と0.04、ラサでは0.1344と0.8256と0.04、ナクチュでは0.1176と0.7224と0.16、チャムドでは0.1001と0.6699と0.23、雲南省では0.1106と0.6794と0.21、雅江では0.1232と0.7568と0.12です。以下、本論文の図6です。

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 図7に示されるように、2〜3%のロシュブール関連系統の割合を有する茂県のアムド地域チベット人への1回の遺伝子流動事象を考慮すると、上手く適合できます。以下、本論文の図7です。

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 アジア北東部人関連系統の第二の波の最良の祖先集団の代理をさらに調べるため、新石器時代の内陸部および沿岸部のアジア東部北方人と南方人の集団を導入した、拡張混合グラフが再構成されました。図8に示されるように、新石器時代アジア東部南方人との類似性を有する低地のカム地域チベット人への第二の波は、割合が5〜11%となる台湾の漢本遺跡個体関連集団に直接的に由来する、と上手く適合できます。以下、本論文の図8です。

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 次に前期新石器時代となる後李文化の淄博遺跡個体群、中期新石器時代となる仰韶文化の小呉遺跡個体群、後期新石器時代となる瓦店遺跡個体群、青銅器時代〜鉄器時代の郝家台遺跡個体群を図6の核となるモデルに追加し、全てのチベット人をそれに適合させました。雲南省のカム地域チベット人は、龍山文化集団と関連する追加の系統を33%有しており、四川省雅江のカム地域チベット人は、龍山文化集団と関連する追加の系統を26%有しています。ラサのウー・ツァン地域チベット人の遺伝子プールも、龍山文化集団と関連する第二の移住の波に影響を受けています。この第二の遺伝子流動事象は、龍山文化集団を他の新石器時代もしくは青銅器時代〜鉄器時代集団として、受け入れ可能な系統の割合と置換しても持続し、これらの現象は中原(河南省と山東省)の主要な系統の遺伝的安定性に起因するかもしれません。以下、本論文の図9です。

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●考察

 チベット高原における先史時代の人類の活動と、高地適応の現代チベット人の起源は、遺伝学・考古学・人類学・歴史学などで注目されてきました。近年における古代DNA研究の発展は目覚ましいものの、アジア東部で遅れていることは否定できません。しかし、最近になってアジア東部の古代DNA研究は大きく進展しました(関連記事)。北京近郊の4万年前頃の田园洞窟個体からは、アジア東部の初期集団構造が、アジア東部人とアメリカ大陸先住民との分岐の前に存在した、と示されました(関連記事)。中国南北沿岸部の新石器時代個体群を中心とした研究(関連記事)では、アジア東部における南北の遺伝的分化が前期新石器時代以来続いていた、と示されました。この研究ではまた、山東省の後李文化集団から南方への移住と、福建省の曇石山文化集団から北方への移住とともに、アジア南東部のベトナムから極東ロシアまでの、アジア東方沿岸部のつながりも示し、これは後に太平洋に拡散したオーストロネシア語族の祖型集団と推測されます。新石器時代から鉄器時代の中国北部複数地域の個体群を中心とした研究(関連記事)では、生存戦略が集団の移動と混合に関連している、と報告されました。さらに、ヤムナヤ文化関連のユーラシア草原地帯関連系統が、アジア東部とユーラシア西部の間の混合をもたらし、インド・ヨーロッパ語族を中国北西部にもたらしたことも推測されています(関連記事)。これらの発展はあったものの、アジア東部の高地と低地の現代人と古代人との間の遺伝的関係と分化はまだ曖昧でした。本論文では、チベット高原に関連する新石器時代から歴史時代までの広範なゲノムデータを分析することにより、チベット高原を中心にアジア東部の人類集団の旧石器時代から現代までの歴史を検証しました。

 チベット高原の現代人と古代人のゲノムは、現代漢人および新石器時代アジア東部北方人、とくに山東省の沿岸部の後李文化と河南省の内陸部の仰韶および龍山文化、茂県地区の斉家文化個体群との明確なつながりを示し、チベット・ビルマ語族現代人集団の中国北部起源を示唆します。シナ・チベット語族の起源について、言語の多様性などに基づき、仰韶・馬家窯(Majiayao)文化と関連する中国北部起源、中国南西部の四川省起源、インド北東部起源という3仮説が提示されてきました。農耕と言語の拡散仮説、チベット高原とアジア東部とアジア中央部および南部とシベリアにおける物質文化の類似性に基づくと、現代および古代チベット人の起源は依然として曖昧です。

 本論文における古代高地人とアジア北東部低地人の諸分析は、これらの集団の密接な関係を示し、母系・父系のみで伝わるmtDNAやY染色体のハプロタイプ分析により明らかになった遺伝的類似性と一致します。本論文で直接的証拠により確認されたシナ・チベット語族の仰韶文化・馬家窯文化と関連する中国北部起源説は、系統関係の再構築により提示されました。系統学的結果に基づくTreeMixとqpGraphは、現代チベット人における主要な系統を示し、チベット高原古代人(ネパールと斉家文化の人々)は、モンゴル東部新石器時代人および中原の仰韶文化・龍山文化・後李文化個体群と関連する、共通のアジア東部北方人系統に由来します。したがって、本論文のメタゲノム分析では、チベット高原の人々の主要な系統は、雑穀農耕民の新石器時代の拡大を伴う黄河中流および下流域に起源がある、と支持されます。本論文の新石器時代から現代の常染色体ゲノムに基づく知見は、ミトコンドリアとY染色体の多様性により明らかにされてきた、現代シナ・チベット語族集団の起源と多様化と拡大を確証します。

 シナ・チベット語族の共通起源の強い証拠は提示されましたが、依然としてその系統構成の違いが識別されます。チベット高原高地と比較して、低地の後期新石器時代から現代の人々は、新石器時代アジア東部南方人およびシベリア人と関連する系統をより多く有しています。茂県地区の鉄器時代となる大槽子遺跡の人々も、曇石山文化のアジア東部南方人とより密接な遺伝的類似性を示し、それは稲作農耕民の北方への拡散の遺伝的痕跡を示します。低地内陸部の仰韶文化と龍山文化もしくは沿岸部の後李文化集団と比較して、高地集団は、オンゲ人もしくはホアビン文化集団と関連する旧石器時代狩猟採集民系統を一定の割合(8〜14%)で有します。したがって、本論文のメタ分析は、アジア東部高地人の遺伝子プールにおける旧石器時代系統と新石器時代系統両方の共存、チベット高原の人々の旧石器時代の居住と新石器時代の拡大に関する新たな証拠を提供します。これは以前に、現代人の全ゲノム配列とミトコンドリアとY染色体のデータで明らかにされていました。

 さらに、現代チベット人の間の明らかな集団下部構造も見つかりました。チベットの核地域であるウー・ツァンのチベット人はおもに旧石器時代系統と新石器時代系統を示し、中国北西部のアムド地域チベット人はユーラシア西部人と混合して2〜3%程度の遺伝的影響を受け、四川省と雲南省のカム地域チベット人は新石器時代のアジア東部南方人とのより強い類似性を有します。したがって、現代チベット人の間で観察される集団下部構造は、地理的および文化的区分と一致します。これが示唆するのは、複雑な文化的背景と地形がある程度、集団移動と混合の障壁になっていた、ということです。qpGraphに基づく系統によく適合した集団移動と混合の第二の波は、鉄器時代のアジア東部南方人からカム地域チベット人、新石器時代アジア東部北方人からカム地域およびウー・ツァン地域チベット人、ユーラシア西部人からアムド地域チベット人への遺伝子流動を明らかにしました。これは、シベリアとアジア東部南北両方からの複数の移動の波が、チベットのアジア東部高地人の遺伝子プールを形成した、と示します。


●まとめ

 ユーラシア東部、とくに中国に焦点を当てた新石器時代から現代の包括的なゲノムメタ分析は、チベット高原の高地人と低地アジア東部人との間の関係を明確にし、チベット高原の人々を調査するために行なわれました。遺伝的調査の結果は、古代および現代チベット人と新石器時代から現代のアジア東部北方人との間の強い遺伝的類似性を示します。これが示唆するのは、チベット・ビルマ語族の主要な系統は中国北部の黄河中流および下流域の仰韶文化・龍山文化集団に起源があり、漢人との共通祖先を有し、雑穀農耕民とシナ・チベット語族の拡大を伴う、ということです。

 古代チベット人と低地の仰韶文化・龍山文化・後李文化集団の間で共有された系統が存続しますが、遺伝的分化も見つかりました。高地チベット人は深く分岐したユーラシア東部オンゲ人関連狩猟採集民系統を、低地の新石器時代から現代のアジア東部人は新石器時代アジア東部南方人とシベリア人系統からより多くの系統を有します。これは、現代および古代チベット人における旧石器時代と新石器時代の系統の共存、および旧石器時代の居住と新石器時代の拡大の集団史を示唆します。

 さらに、地理的・言語学的区分と一致して、現代チベット人において3集団下部構造が識別されました。それは、ウー・ツァン地域チベット人におけるより高いオンゲ人・ホアビン文化集団関連系統と、アムド地域チベット人におけるより多いユーラシア西部人関連系統と、カム地域チベット人におけるより大きいアジア東部南方人関連系統です。要約すると、アジア東部高地現代人は、少なくとも古代人5集団に由来します。最古層としてのホアビン文化関連集団、アジア北東部の内陸部および沿岸部からの新石器時代の2回の拡大による追加の遺伝子流動、新石器時代のアジア東部南方人の北方への拡大が1回、ユーラシア西部人の東方への拡大が1回です。


 以上、ざっと本論文を見てきました。本論文は、今年(2020年)になって大きく進展したアジア東部人類集団に関する古代ゲノム研究の成果を取り入れた包括的な分析になっており、たいへん注目されます。現代チベット人集団の遺伝的類似性とともに、その下部構造も明らかになっており、それが地理および文化と関連している、との推測は妥当でしょうし、興味深いものだと思います。ただ、中国領となっているチベット人の主要な居住地域では古代ゲノムデータがほとんど得られておらず、それが今後の課題となるでしょう。チベット高原の人類の古代ゲノムデータが蓄積されていけば、現代チベット人の形成過程がさらに詳細に解明されるでしょうし、それはアジア東部における各現代人集団の形成過程の分析にも役立つと期待されます。

 現代チベット人と現代日本人の類似性は、現代日本社会において一部?の人々により強調される傾向にあるように思われますが、本論文からも、類似した遺伝的構成が示されます。それは、おもに狩猟採集に依拠していた古層としての在来集団と、後に到来したアジア東部北方新石器時代集団との混合により形成され、遺伝的には後者の影響の方がずっと高い、ということです。この古層としての在来狩猟採集民は、出アフリカ後の現生人類がユーラシア東西系統に分岐し、さらにユーラシア東部系統が南北に分岐した後の南方系統に由来する、と推測されます。現代日本人と現代チベット人において高頻度で見られるY染色体ハプログループ(YHg)Dは、おそらくこの狩猟採集民系統に由来するのでしょう。もっとも、これも単純化はできず、現代日本人における古層としての在来集団である「縄文人」は、本論文が示すように、ユーラシア東部南方系統と、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統との混合だった、と推測されます。

 今年になって大きく進展したアジア東部の古代ゲノム研究ですが、今後の課題は、まず新石器時代アジア東部南方人を代表すると考えられる長江流域新石器時代個体群のゲノム解析で、あるいは、すでにゲノムデータが得られている福建省の新石器時代個体群とはかなり異なる遺伝的構成を示す可能性もありますが、おそらく両者は類似した遺伝的構成だと思われます。次に、アジア東部ではほとんど得られていない更新世人類のゲノムデータです。現時点では、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統がいつどのようにアジア東部に拡散してきて、南北両系統に分岐したのか、ほとんど明らかになっていません。

 ただ、中国の大半はヨーロッパと比較して古代DNAの保存に適していない自然環境なので、今後も更新世人類のゲノムデータはさほど期待できないかもしれません。上述の4万年前頃となる北京近郊の田园洞窟個体と、モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された35000〜34000年前頃の個体(関連記事)からは、アジア東部系統はユーラシア中緯度草原地帯を西進してきたユーラシア東部北方系統から派生してアジア東部北方に4万年前頃かその少し前に到達し、その後にLGMによる各地域集団の孤立を経て南北両系統に分岐したのではないか、と現時点では考えていますが、自信はなく、今後の研究の進展を俟つしかないのでしょう。


参考文献:
Wang M. et al.(2020): Peopling of Tibet Plateau and multiple waves of admixture of Tibetans inferred from both modern and ancient genome-wide data. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.07.03.185884


https://sicambre.at.webry.info/202007/article_21.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/273.html

[近代史5] ヨーロッパ人の起源
ヨーロッパ人の起源


ヨーロッパ諸語のルーツは東欧。DNA分析で判明
論争が続く英語を含むヨーロッパ諸語の起源。論争に終止符を打つ新発見となるか
2015.03.06
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/

4500年以上前にドイツ中部で埋葬された男性の人骨。この後、東欧から移住した考えられる集団とは、共通の祖先を持たないことがわかった。(PHOTOGRAPH BY JURAJ LIPTAK, LDA SACHSEN-ANHALT)

 ヨーロッパ大陸全域で話されている言語のルーツはどこにあるのか。このほど行われたDNA分析で、約4500年前、現在のロシアとウクライナにまたがる草原地帯から移動してきた牧畜民が使った言語がルーツとする説が発表された。

 長く狩猟採集が続いた先史時代のヨーロッパで、農耕が始まったことは画期的な出来事と位置付けられている。ヨーロッパでの農耕は、東方の農耕する集団がヨーロッパへ移動したことから始まったとされる。

 ところが2015年3月2日、科学誌「ネイチャー」に、ヨーロッパへの集団の大移動は1度だけではなく、2度あったとする研究論文が発表された。この説では、最初の集団の移動は新石器時代に現在のトルコにあたるアナトリアからのもの、そして第2波は4000年後、現在のロシアに当たるステップ地帯から中央ヨーロッパへの大移動だったという。そして英語を含むヨーロッパ言語の基礎になったのは、ステップ地帯から移動した集団がもたらした言語だというのだ。

 論文の共著者で、ハーバード大学医学大学院の遺伝学者ヨシフ・ラザリディス氏は、「ヨーロッパに最初にやってきた人々は狩猟採集民でした。そこへ農耕民がやってきて狩猟採集民と混ざり合いました。その後、東から新たな集団がたくさん移動してきたのです」と語る。

 今回、第2の大移動があったことが明らかになったのは、ラザリディス氏らの研究チームが現代ヨーロッパ人の起源を解明しようと、ヨーロッパの古代人69人の骨から採取したDNAを調べたことがきっかけだった。標本となった古代人の人骨は3000〜8000年前までと幅広いもの。標本同士だけでなく、現代ヨーロッパ人との間でもDNAが比較された。

 調査の過程で、古代の狩猟採集民と新石器時代に流入した農耕民の痕跡が見つかった。これは、これまでの説を裏付けるもので、予想通りだった。ところが彼らを驚かせたのは、約4500年前、ロシアとウクライナにまたがる平地や草原からの大集団が移住したことを示す痕跡が見つかったからだ。予想だにしない結果だった。

ヨーロッパへの
集団移動は2段階
 数千年間、狩猟採集民の小集団が暮らしていたヨーロッパ大陸に、初めて変化が起こったのは、約8000年前のこと。アナトリアから北上した農耕民が、新しい技術と生活様式をヨーロッパにもたらし、現在の定住生活の基礎を築く。考古学者の間では、この出来事を「新石器革命」と呼んでいる。

 その数千年後に、再び外からヨーロッパ大陸に人類の大移動があったことを決定づけたのは、ある2つの集団のDNAに多くの共通性が見られたため。1つは黒海の北岸で見つかった5000年前の人骨で、考古学で「ヤムナ」と呼ばれる集団に属するものだった。もう1つは、約4500年前に現在のドイツ中部ライプチヒ近郊で葬られた4人の人骨だ。こちらは「コーデッドウェア文化」に属する人々だった(「コーデッドウェア」とは、ヨーロッパ北部で広範囲にみられる当時の土器の特徴的な文様のことで、それにちなんでこう呼ばれる)。

 ヤムナ文化に属する集団と、コーデッドウェア文化に属する集団の間には、500年の開きがある。さらに地理的にも1600キロは離れている。それにもかかわらず、両者は判明できた部分で75%(おそらくは100%)共通の祖先をもつと考えられたのだ。論文の著者の1人で米ハートウィック大学の考古学者デビッド・アンソニー氏は、「両集団の間には、直接の遺伝的関連がみられる」と話す。「控えめに言っても、近い親類だということです」

 そして、着目すべきは、コーデッドウェア文化に属する人のDNAが、それより数千年前の現在のドイツにあたる地域に暮らしていた農耕民のDNAと共通性が認められなかったことのほうだろう。つまり、これは過去に「侵略」と言ってもいいほど劇的なヨーロッパへの流入があったことを示す証拠だ。「集団が丸ごと入れ替わったと言っても過言ではない出来事だったのではないでしょうか」とラザリディス氏は考えている。

ルーツ論争は決着か?
 今回、遺伝学から示された「ステップ地帯からヨーロッパへの大規模な移動があった」という事実は、言語学者や考古学者の間でインド・ヨーロッパ諸語の起源をめぐる論争を再燃させるだろう。インド・ヨーロッパ諸語には400以上の言語が含まれ、英語、ギリシャ語、アルバニア語、ポーランド語といった現代の言語から、ラテン語、ヒッタイト語、サンスクリット語など古い言語まで数多い。

 言語学者らは、すべてのインド・ヨーロッパ諸語の生みの親であるインド・ヨーロッパ祖語が最初に話されていた場所をめぐり、数十年もの間も議論してきた。「アナトリア仮説」派は、1万年前かそれ以前に現在のトルコに住んでいた農耕民が最初にインド・ヨーロッパ語を話していたと主張する。紀元前6000年ごろ彼らがヨーロッパにたどり着き、言語もそのときに流入したというのだ。

 対する「ステップ仮説」は、黒海とカスピ海の北に広がる広大な平原をインド・ヨーロッパ祖語の生まれた土地と考える。アンソニー氏は、この地に車輪が伝来して「ステップ地帯の経済に革命を起こした」と話す。この説を支持する人々は、多くのインド・ヨーロッパ諸語で「車軸」(axles)、「(家畜に荷車を引かせる棒)ながえ」(harness poles)、「車輪」(wheel)といった単語が共通していると指摘する。どれも、ヨーロッパで新石器革命が始まってからずっと後に考案されたものだ。

 だが、どちらの説も決定的な裏付けがなく、議論は長いこと前進していなかった。そんな中、今回の研究成果は両者の勢力図を変えるかもしれないと多くの研究者が考えている。ステップ仮説に説得力を持たせるのに必要な移住の証拠がつかめたからだ。

 とはいえ、これでインド・ヨーロッパ諸語のルーツをめぐる論争に決着がついたとはいえない。まだ説を補強しなくてはいけないことも多いからだ。確かに、遺伝学と言語学のデータは、インド・ヨーロッパ祖語が約4500年前にステップ地帯を経てヨーロッパに入ったという説を支持するものだ。だが、バルセロナ大学の遺伝学者カルレス・ラルエサ=フォックス氏によれば、「祖語の最も古い系統がどこで生まれたのかは、依然としてはっきりしない」だという。同氏によれば、インド・ヨーロッパ祖語発祥の地は、さらに別の地域かもしれず、ステップ地帯は源流の言語が南欧、イラン、インドなどに入った複数のルートの一つにすぎない可能性もあるという。

 今回の研究論文を発表した著者らも、その点は認めている。しかし、彼らの主張は揺らいでいない。ラザリディス氏は「ステップ地帯がインド・ヨーロッパ諸語の唯一の発祥地かどうかは不明だ」としながらも、「この地域についてもっとデータが集まれば、多くの疑問に答えられるはずだ」と強調した。

4000年以上前にドイツで埋葬された若い女性の人骨。DNAを分析したところ、東欧から移住してきた牧畜民との関連が強いことがわかった。(PHOTOGRAPH BY LDA SACHSEN-ANHALT)
文=Andrew Curry/訳=高野夏美
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/



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2015年06月12日
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html

 新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000〜3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続いてきました。この問題は、インド-ヨーロッパ語族の拡散とも関係して論じられてきました。

 5000〜1300年前頃のユーラシアの住民101人のゲノムを解析した研究(Allentoft et al., 2015)では、青銅器時代のヨーロッパにおける大きな文化的変容は人間集団の移動に伴うものであり、インド-ヨーロッパ語族が青銅器時代にヨーロッパに拡散したとする仮説が支持される、との見解が提示されています。5000年前頃には、ヨーロッパ中央・北部のゲノムは中東からの初期農耕民やそれ以前のヨーロッパの狩猟採集民のゲノムに似ていました。しかし、ヨーロッパ中央・北部集団のゲノムは4000年前頃までには、カスピ海〜黒海の北側の草原地帯に存在したヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のゲノムにもっと類似していました。

 この研究は、薄い肌の色は青銅器時代のヨーロッパにおいてすでに高頻度で存在したものの、乳糖耐性はそうではなかったことも明らかにしています。以前には、ヨーロッパの初期農耕民において畜乳はカロリー摂取の重要な手段であり、新石器時代から乳糖耐性には正の淘汰が働いていたのではないか、と考えられていたのですが、乳糖耐性に関しては、正の淘汰が働いたのは青銅器時代以降のことではないか、と指摘されています。この乳糖耐性は、ヤムナヤ文化集団によりヨーロッパにもたらされた、と推測されています。

 もう一方の研究(Haak et al., 2015)では、8000〜3000年前の69人のヨーロッパ人の全ゲノムデータが作成され、解析・比較されました。その結果、やはり青銅器時代における東方草原地帯(現在の国境線ではウクライナを中心とします)からヨーロッパへの大規模な人間集団の移動が示唆されました。ヨーロッパにおいて新石器時代の始まりとなる8000〜7000年前頃に、遺伝的にはヨーロッパの先住狩猟採集民とは異なり、初期農耕民と密接に関連した集団がドイツ・ハンガリー・スペインに現れました。一方でその頃のロシアには、24000年前頃のシベリア人と高い遺伝的類似性を有する狩猟採集民集団が存在していました。

 6000〜5000年前までには、ヨーロッパの大半の農耕民はその祖先集団よりも多くの狩猟採集民集団のDNAを有していました。一方でこの時期の東方草原地帯の牧畜民であるヤムナヤ集団は、ヨーロッパ東部の狩猟採集民だけではなく、中東の農耕民集団のDNAも継承していました。ドイツの後期新石器時代縄目文土器(the Late Neolithic Corded Ware)文化集団はそのゲノムのうち75%をヤムナヤ集団から継承しており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 この東方草原地帯由来のDNAは、遅くとも3000年前までには中央ヨーロッパ人の全標本に存在し、現在のヨーロッパ人には広く確認されます。この研究は、ヨーロッパのインド-ヨーロッパ語族の少なくともいくつかは、東方の草原地帯に起源があるだろう、と指摘しています。また、中央ロシアのアルタイ山脈近くの4900〜4500年前頃の集団にもヤムナヤ集団の遺伝的痕跡が確認され、インド-ヨーロッパ語族のアジアへの拡散との関連が想定されます。最近では、青銅器時代のヨーロッパにおいて男性人口の拡大があったのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、青銅器時代のヨーロッパにおける文化変容は、大規模な人間の移動に伴っていた可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(Allentoft et al., 2015の引用と、Haak et al., 2015の引用)です。


集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団ゲノミクス

集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団変化

 青銅器時代は大きな文化的変化の時代であったが、その要因は知識の伝達と大規模な人の移動のどちらにあったのだろうか。今回、ユーラシア各地の古代人101人の標本から低カバー率のゲノム塩基配列を得て解析した研究で、この時代に起こった大規模な集団の移動や入れ替わりが明らかになった。得られた解析結果は、青銅器時代のヨーロッパ人では、淡色の皮膚はすでに普通になっていたが乳糖耐性はあまり広まっていなかったことを示しており、乳糖耐性に対する正の選択が働き始めたのは従来考えられていたよりも新しい年代だったことが示唆された。この研究で得られた知見は、インド・ヨーロッパ語族が前期青銅器時代に広がったとする別の報告(Letter p.207)とも一致する。


集団遺伝学:ステップからの大移動がヨーロッパでのインド・ヨーロッパ語族の成因の1つとなった

集団遺伝学:ヨーロッパの言語を変えたステップからの大きな一歩

 今回D Reichたちは、8000〜3000年前に生存していたヨーロッパ人69人の全ゲノムデータを作成した。その解析から、8000〜7000年ほど前に現在のドイツ、ハンガリーおよびスペインに当たる地域で、先住の狩猟採集民とは異なる初期農耕民の血縁集団が出現したことが明らかになった。同時代のロシアには、2万4000年前のシベリア人との類似性が高い独特な狩猟採集民集団が生活していた。6000〜5000年前までに、ロシアを除くヨーロッパの広い地域で狩猟採集民系統が再び現れた。西ヨーロッパ集団と東ヨーロッパ集団は約4500年前に接触し、現代のヨーロッパ人にステップ系統の痕跡が残された。これらの解析から、新石器時代の人口動態に関する新たな手掛かりに加えて、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の少なくとも一部がステップ起源だとする説の裏付けが得られる。この研究で得られた知見は、青銅器時代の古代人101人のゲノムについて調べた別の研究結果(Article p.167)とも一致する。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14507

Callaway E.(2015): DNA data explosion lights up the Bronze Age. Nature, 522, 7555, 140–141.
http://dx.doi.org/10.1038/522140a

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14317

https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html


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2019年08月17日
遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

 遺伝学および考古学と「極右」に関する研究(Hakenbeck., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。遺伝学は人類集団の形成史の解明に大きな役割を果たしてきました。とくに近年では、古代DNA研究が飛躍的に発展したことにより、じゅうらいよりもずっと詳しく人類集団の形成史が明らかになってきました。古代DNA研究の発展により、今や古代人のゲノムデータも珍しくなくなり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけの場合よりもずっと高精度な形成史の推測が可能となりました。こうした古代DNA研究がとくに発展している地域はヨーロッパで、他地域よりもDNAが保存されやすい環境という条件もありますが、影響力の強い研究者にヨーロッパ系が多いことも一因として否定できないでしょう。

 現代ヨーロッパ人はおもに、旧石器時代〜中石器時代の狩猟採集民と、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民と、後期新石器時代〜青銅器時代前期にかけてポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた、牧畜遊牧民であるヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の混合により形成されています(関連記事)。この牧畜遊牧民の遺伝的影響は大きく、ドイツの後期新石器時代縄目文土器(Corded Ware)文化集団は、そのゲノムのうち75%をヤムナヤ文化集団から継承したと推定されており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 現代ヨーロッパ人におけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の大きさと、その急速な影響拡大から、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらした、との見解が有力になりつつあります。また、期新石器時代〜青銅器時代にかけてインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらしたと考えられるポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団は、Y染色体DNA解析から男性主体だったと推測されています(関連記事)。そのため、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大は征服・暴力的なもので、言語学の成果も取り入れられ、征服者の社会には若い男性の略奪が構造的に組み込まれていた、と想定されています。

 インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡散について以前は、青銅器時代にコーカサス北部の草原地帯からもたらされたとする説と、新石器時代にアナトリア半島の農耕民からもたらされたとする説がありましたが、古代DNA研究は前者と整合的というか前者に近い説を強く示唆しました。こうして古代DNA研究の進展により、一般的にはヨーロッパ人およびインド・ヨーロッパ語族の起源に関する問題が解決されたように思われましたが、本論文は、飛躍的に発展した古代DNA研究に潜む問題点を指摘します。

 本論文がまず問題としているのは、古代DNA研究において、特定の少数の個体のゲノムデータが生業(狩猟採集や農耕など)もしくは縄目文土器や鐘状ビーカー(Bell Beaker)などの考古学的文化集団、あるいはその両方の組み合わせの集団を表している、との前提が見られることです。埋葬者の社会経済的背景があまり考慮されていないのではないか、というわけです。また、この前提が成立するには、集団が遺伝的に均質でなければなりません。この問題に関しては、標本数の増加により精度が高められていくでしょうが、そもそも遺骸の数が限られている古代DNA研究において、根本的な解決が難しいのも確かでしょう。

 さらに本論文は、こうした古代DNA研究の傾向は、発展というよりもむしろ劣化・後退ではないか、と指摘します。19世紀から20世紀初期にかけて、ヨーロッパの文化は近東やエジプトから西進し、文化(アイデア)の拡散もしくは人々の移住により広がった、と想定されていました。この想定には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。イギリスでは1960年代まで、すべての文化革新は人々の移動もしくはアイデアの拡散によりヨーロッパ大陸からもたらされた、と考えられていました。

 1960年代以降、アイデアやアイデンティティの変化といった在来集団の地域的な発展が物質文化の変化をもたらす、との理論が提唱されるようになりました。古代DNA研究は、1960年代以降、移住を前提とする潮流から内在的発展を重視するようになった潮流への変化を再逆転させるものではないか、と本論文は指摘します。じっさい、ポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団のヨーロッパへの拡散の考古学的指標とされている鐘状ビーカー文化集団に関しては、イベリア半島とヨーロッパ中央部とで、遺伝的類似性が限定的にしか認められていません(関連記事)。中世ヨーロッパの墓地でも、被葬者の遺伝的起源が多様と示唆されています(関連記事)。

 本論文が最も強く懸念している問題というか、本論文の主題は、こうした古代DNA研究の飛躍的発展により得られた人類集団の形成史に関する知見が、人種差別的な白人至上主義者をも含む「極右」に利用されていることです。上述のように、20世紀初期には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。ナチズムに代表される人種差別的な観念は、こうした民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような前提のもとで形成されていきました。本論文は、20世紀初期の前提へと後退した古代DNA研究が、極右に都合よく利用されやすい知見を提供しやすい構造に陥っているのではないか、と懸念します。

 じっさい、ポントス・カスピ海草原という特定地域の集団が、男性主体でヨーロッパの広範な地域に拡散し、それは征服・暴力的なものだったと想定する、近年の古代DNA研究の知見が、極右により「アーリア人」の起源と関連づけられる傾向も見られるそうです。こうした極右の動向の背景として、遺伝子検査の普及により一般人も祖先を一定以上の精度で調べられるようになったことも指摘されています。本論文は、遺伝人類学の研究者たちが、マスメディアを通じて自分たちの研究成果を公表する時に、人種差別的な極右に利用される危険性を注意深く考慮するよう、提言しています。本論文は、研究者たちの現在の努力は要求されるべき水準よりずっと低く、早急に改善する必要がある、と指摘しています。


 以上、本論文の見解を簡単にまとめました。古代DNA研究に関して、本論文の懸念にもっともなところがあることは否定できません。ただ、古代DNA研究の側もその点は認識しつつあるように思います。たとえば、古代DNA研究においてスキタイ人集団が遺伝的に多様であることも指摘されており(関連記事)、標本数の制約に起因する限界はあるにしても、少数の個体を特定の文化集団の代表とすることによる問題は、今後じょじょに解消されていくのではないか、と期待されます。また、文化の拡散に関しては、多様なパターンを想定するのが常識的で、移住を重視する見解だからといって、ただちに警戒する必要があるとは思いません。

 研究者たちのマスメディアへの発信について、本論文は研究者たちの努力が足りない、と厳しく指摘します。現状では、研究者側の努力が充分と言えないのかもしれませんが、これは基本的には、広く一般層へと情報を伝えることが使命のマスメディアの側の問題だろう、と私は考えています。研究者の役割は、第一義的には一般層へと分かりやすく情報を伝えることではありません。研究者の側にもさらなる努力が求められることは否定できないでしょうし、そうした努力について当ブログで取り上げたこともありますが(関連記事)、この件に関して研究者側に過大な要求をすべきではない、と思います。

 本論文はおもにヨーロッパを対象としていますが、日本でも類似した現象は見られます。おそらく代表的なものは、日本人の遺伝子は近隣の南北朝鮮や中国の人々とは大きく異なる、といった言説でしょう。その最大の根拠はY染色体DNAハプログループ(YHg)で、縄文時代からの「日本人」の遺伝的継続性が強調されます。しかし、YHgに関して、現代日本人で多数派のYHg-D1b1はまだ「縄文人」では確認されておらず、この系統が弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来する可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と思います(関連記事)。日本でも、古代DNA研究も含めて遺伝人類学の研究成果が「極右」というか「ネトウヨ」に都合よく利用されている側面は否定できません。まあ、「左翼」や「リベラル」の側から見れば、「極右」というか「ネトウヨ」に他ならないだろう私が言うのも、どうかといったところではありますが。


参考文献:
Hakenbeck SE.(2019): Genetics, archaeology and the far right: an unholy Trinity. World Archaeology.
https://doi.org/10.1080/00438243.2019.1617189

https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html



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2018年06月17日
人類史における移住・配偶の性的非対称
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html


 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万〜170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5〜14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html

[近代史5] ヨーロッパ人の起源 中川隆
1. 中川隆[-11680] koaQ7Jey 2020年8月25日 16:07:46 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[27]
News Release 5-Sep-2019
中央および南アジア由来の古代DNAからユーラシア大陸における人々と言語の拡散が明らかに


中央および南アジアから得られた500人以上の古代DNAの全ゲノム解析から今回、この地域に現在住む人々の複雑な遺伝的祖先について新たな光が当てられることを、新しい報告が明らかにしている。

この研究は、ユーラシア・ステップ、中近東および東南アジアに由来する集団における遺伝子交換を記述しているだけでなく、古代ヨーロッパに認められるものと類似し並行したゲノムパターンを反映する集団の歴史をも明らかにしており、これらの所見は印欧語族の文化的拡散を例証するものと考えられる。

はるか昔に生きていた人々の遺伝子が保存された遺物は、古代の様々な集団の移動と相互関係だけでなく、文化的革新(農業、牧畜、言語など)の世界規模での拡散の様子を明らかにしてくれる。

Vagheesh Narasimhanらは、およそ8,000年前に生きていた523人の古代DNAを用いて、中央および南アジアへの、またこれらの地域内における、先史時代の人類の拡散について理解を深めることを試みた。Narasimhanらによれば、

現代アジア人の祖先は主として、インダス文明の崩壊後にやってきた中近東の農民集団、ならびにヤムナ文化として知られるヨーロッパのステップ地帯に由来する青銅器時代の牧畜民集団に遡るという。

これまでの研究では、同じ集団が東ヨーロッパ地域にも移動しており、このことがインド・イラン語派およびバルト・スラヴ語派の広範な拡散に貢献した可能性が示されている。

関連するPerspectiveでNathan ShaeferとBeth Shapiroは「今回のデータセットの規模により、Narasimhanらはかつてない広範な空間および時間にわたってゲノムの比較を行うことができ、それにより数年前には答えることのできなかった、増加しつつある特定の疑問に焦点を当てることが可能になった」と記している。
https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2019-09/aaft-5_2090319.php

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2019年09月08日
アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html


 アジア南部の人口史関する二つの研究が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。なお、以下の主要な略称は以下の通りです。アンダマン諸島狩猟採集民(AHG)、古代祖型インド南部人関連系統(AASI)祖型北インド人(ANI)、祖型南インド人(ASI)、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、中期〜後期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSMLBA)、前期〜中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSEMBA)、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化。

 一方の研究(Narasimhan et al., 2019)は、すでに昨年(2018年)、査読前に公開されていました(関連記事)。その時点よりデータも増加しているので、今回改めて取り上げます。本論文は、中石器時代以降のアジア中央部および南部北方の、新たに生成された古代人523個体のゲノム規模データと、品質を向上させた既知のゲノムデータ19人分を報告しています。これらと既知のデータを合わせて、古代人837個体分のデータセットが得られました。現代人では、686人のゲノム規模データと、アジア南部の246民族の1789人の一塩基多型データが比較されました。

 本論文(サイエンス論文)はこれらの個体を地理的に3区分しています。それは、182人分のゲノムデータが得られたイランおよびトゥーラーン(アジア中央部南部、現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・アフガニスタン・キルギスタン)、209人分のゲノムデータが得られた草原地帯と北部森林地帯(ほぼ現在のカザフスタンとロシアに相当します)、132人分のゲノムデータが得られたパキスタン北部です。文化的に区分すると、(1)中石器時代・銅器時代・青銅器時代・鉄器時代のイランおよびトゥーラーンの集団で、紀元前2300〜紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化も含まれます。(2)シベリア西部森林地帯の早期土器(陶器)使用狩猟採集民で、北部ユーラシア人の早期完新世の遺伝的傾向を表します。(3)ユーラシア草原中央部の銅器時代・青銅器時代の牧畜民で、青銅器時代カザフスタン(紀元前3400〜紀元前800年)を含みます。(4)アジア南部北方で、後期青銅器時代と鉄器時代と歴史時代を含み、現在のパキスタンに相当します。

 イランおよびトゥーラーンでは、アナトリア農耕民関連系統の比率が西から東にかけて減少するという勾配が見られます。紀元前九千年紀〜紀元前八千年紀のイラン西部ザグロス山脈の牧畜民は、特有のユーラシア西部関連系統を有していたのにたいして、広範な地域のもっと後の集団は、この独特なユーラシア西部関連系統とアナトリア農耕民関連系統との混合系統です。銅器時代から青銅器時代にかけて、アナトリア農耕民関連系統の比率が、アナトリア半島で70%、イラン東部で31%、トゥーラーン東部で7%というように、東から西へと減少していく勾配が見られます。アナトリア半島でもイラン農耕民系統が見られるようになり、農耕と牧畜を担う集団が双方向に拡散し、在来集団と混合した、と推測されます。

 紀元前三千年紀には、イラン東部とトゥーランでは、最小限のアナトリア農耕民関連系統だけではなく、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)系統の混合も検出され、イラン農耕民関連系統の拡大前にこの地域に存在した、まだ標本抽出されていない狩猟採集民からの交雑を反映している、と本論文は推測しています。ユーラシア北部関連系統は、ヤムナヤ(Yamnaya)遊牧文化集団の拡大前にトゥーラーンに影響を及ぼしました。ヤムナヤ文化集団の遺伝的構成では、WSHG関連系統よりもヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)関連系統の方が多いので、ヤムナヤがこのユーラシア北部関連系統の起源だった可能性は除外できます。また、ヤムナヤ文化集団にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)U5aとY染色体ハプログループ(YHg)R1bもしくはR1aが高頻度で存在するものの、これらのハプログループは標本抽出されたイランおよびトゥーラーンの銅器時代〜青銅器時代には見られないことからも、この見解は支持されます。

 紀元前2300〜紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化集団は、アジア南部集団の主要な起源ではありませんでした。イランおよびトゥーラーンの青銅器時代のBMACとその直後の遺跡から、紀元前3000〜紀元前1400年頃の84人のゲノム規模データが得られました。この84人の大半はトゥーラーンの先住集団と遺伝的に近縁で、BMAC集団の起源集団の一つと考えられます。BMAC集団の遺伝的構成は、早期イラン農耕民関連系統が60〜65%、アナトリア農耕民関連系統が20〜25%、WSHG系統が10%程度です。BMAC集団は、先行するトゥーラーンの銅器時代個体群とは異なり、追加のアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)関連系統を2〜5%ほど有しています。アジア南部におけるこの南方から北方への遺伝子流動は、インダス文化とBMACの間の文化的接触と、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地を示す考古学的証拠と一致しますが、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地では古代DNAは得られていません。一方、逆の北方から南方への遺伝子流動は検出されませんでした。BMAC集団のアナトリア農耕民関連系統比率はやや高いので、古代および現代のアジア南部人類集団の起源集団にはならないだろう、と本論文は推測しています。

 以前の研究(関連記事)では、BMAC集団をアジア南部の現代人集団の祖先集団の一つとする可能性が提示されていましたが、対象となる標本数が本論文の36点に対して2点と少なく、BMAC期もしくはアジア南部の古代DNAが欠けており、本論文はその見解に否定的です。紀元前2300年頃、BMAC関連遺跡でWSHG関連系統を有する外れ値の3人が観察されます。紀元前三千年紀には、カザフスタンの3遺跡とキルギスタンの1遺跡で、この3人の起源として合致したデータが得られています。紀元前2100〜紀元前1700年頃には、BMAC関連遺跡で西方草原地帯前期〜中期青銅器時代(EMBA)系統から派生した系統を有する3人の外れ値が観察されており、ヤムナヤ派生系統は紀元前2100年までにトゥーランに到達した、と考えられます。ヤムナヤ系統は紀元前二千年紀の変わり目までにアジア中央部へと拡大した可能性が高そうです。

 紀元前2500〜紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300〜紀元前2000年頃のイラン東部遺跡から、11人の外れ値が観察されます。その遺伝的構成は、AHG関連系統が11〜50%で、残りはイラン農耕民関連系統とWSHG関連系統の混合(50〜89%)です。こうした外れ値の個体群では、BMAC関連系統では20〜25%となるアナトリア農耕民関連系統が検出されず、BMAC集団が起源である可能性は否定されます。インダス文化集団の古代DNAなしに、これらの外れ値がインダス文化で一般的な遺伝的構成だった、と明確に述べることはできません。しかし、アナトリア農耕民関連系統が検出されず、11人全員でAHG関連系統の割合が高く、そのうち2人では現在おもにインド南部で見られるYHg- H1a1d2が確認され、インダス文化との交易の考古学的証拠があり、アジア南部関連の人工物が共伴していることから、この外れ値の11人はインダス文化後のインダス川上流近くの古代人86人の祖先として適合的だろう、と本論文は推測します。また、この11人におけるイラン農耕民関連系統とAHG関連系統との混合が紀元前5400〜紀元前3700年頃に起きたと推定されることから、11人の遺伝的構成がインダス文化集団を表している可能性は高い、と本論文は指摘します。

 ユーラシアの草原地帯および森林地帯系統の遺伝的勾配は、農耕出現後に確立しました。ユーラシア北部の後期狩猟採集民は、西方から東方へと、アジア東部系統が増加する勾配を示します。新石器時代と銅器時代には、この勾配に沿った異なる地域の狩猟採集民が、異なる地域の系統を有する人々と交雑し、5つの勾配を形成しました。そのうち2つは南方(アジア南西部とインダス川周辺部)で、残りの3つはユーラシア北部に存在しました。草原地帯および森林地帯の最西端にはヨーロッパ勾配があり、アナトリア農耕民の拡大により紀元前7000年後に確立し、ヨーロッパ西部狩猟採集民と交雑しました。黒海からカスピ海に及ぶ緯度のヨーロッパの東端の勾配は、ヨーロッパ東部狩猟採集民関連系統とイラン農耕民関連系統の混合から構成され、いくつかの集団では追加のアナトリア農耕民関連系統が見られます。ウラル山脈の東ではアジア中央部勾配が検出され、一方の端のWSHG個体と、もう一方の端のトゥーラーンの銅器時代〜早期青銅器時代の個体で表されます。

 紀元前3000年頃に、ユーラシアの多くの集団の遺伝的構成は、西方のハンガリーから東方のアルタイ山脈まで、コーカサス起源のヤムナヤ文化集団系統に転換していきました。この前期〜中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯(WSEMBA)系統は、次の2000年にわたってさらに拡大して在来集団と混合し、西はヨーロッパの大西洋沿岸、南東はアジア南部まで到達しました。アジア中央部および南部に到達したWSEMBA系統は、最初の東方への拡大ではなく、第二の拡大によるもので、WSEMBA系統を67%、ヨーロッパ関連系統33%を有する集団でした。この中期〜後期青銅器時代ユーラシア西方草原(WSMLBA)集団は、縄目文土器(Corded Ware)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化やペトロフカ(Petrovka)文化集団を含んでいます。WSMLBAとは異なる中期〜後期青銅器時代ユーラシア中央草原地帯集団(CSMLBA)も検出され、おもにWSHG関連系統の中央草原地帯の青銅器時代牧畜民に由来する系統を9%ほど有しています。

 シンタシュタ文化集団では、50人のうち複数の外れ値が検出されました。外れ値の一つはWSHG関連のCSMLBA系統の比率が高く、二番目はWSMLBA系統の比率が高く、三番目はヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)系統の比率が高い、と明らかになりました。現在のカザフスタンとなる中央草原地帯では、紀元前2800〜紀元前2500年頃の1人と、紀元前1600〜紀元前1500年頃の複数個体が、イラン農耕民関連系統からの顕著な混合を示し、トゥーランを経由してのアジア南部へのCSMLBAの南進とほぼ同時期の、トゥーランから北方への遺伝子流動を示します。紀元前三千年紀半ばから始まったこうした人類集団の移動は、考古学的証拠で示される物質文化と技術の動きと関連しています。

 クラスノヤルスク(Krasnoyarsk)市の草原地帯遺跡で発見された紀元前1700〜紀元前1500年頃の複数個体は、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)関連系統と25%程度のアジア東部関連系統と、残りのWSMLBA系統という遺伝的構成を示します。後期青銅器時代までに、ESHG関連系統はカザフスタンからトゥーラーンまで至る所で見られるようになります。これら紀元前千年紀から紀元後千年紀にアジア南部において文化的・政治的影響の見られる文化集団は、アジア南部現代人にアジア東部系統がほとんど見られないことから、アジア南部現代人の草原地帯牧畜民系統の重要な起源ではありません。その起源として有力なのは、草原地帯の中期〜後期青銅器時代集団で、トゥーラーンへと拡散してBMAC関連系統と混合しました。総合すると、これらの結果は、アジア南部に現在広範に見られる草原地帯系統がアジア南部に到達したのは、紀元前二千年紀の前半と推定します。ヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民集団の拡大前後での遺伝的構成は、本論文の図3で示されています。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/365/6457/eaat7487/F4.large.jpg

 以前の研究では、アジア南部現代人集団は、ユーラシア西部集団と近縁な祖型北インド人(ANI)と、ユーラシア西部集団とは近縁ではない祖型南インド人(ASI)との混合により形成された、と推測されました。本論文はまず、インダス文化との接触が考古学的に示されている遺跡で確認された、上述の外れ値の11人を取り上げます。この11人は、2集団の混合としてモデル化できます。一方は、AHG関連系統集団、もう一方は90%程度のイラン農耕民関連系統と10%程度のWSHG関連系統の混合集団です。このインダス川流域系統に合致する人々は、アジア南部現代人の祖先の大半を構成します。これはアジア南部に特有の系統をもたらす西方からの遺伝子流動というよりも、インダス川流域集団の人々のもっと後のアジア南部人への寄与です。

 アジア南部北方の紀元前1700〜紀元後1400年の間の117人では、紀元前2000年以降に草原地帯系統が見られます。これは2集団の混合としてモデル化され、一方はインダス川流域集団、もう一方は41%程度のCSMLBAと比較的高いイラン農耕民関連系統を有する59%程度のインダス川流域集団の亜集団です。現代インド人で見られる遺伝的勾配の形成に合致したモデルは起源集団として、CSMLBAもしくはその近縁系統と、インダス川流域集団と、AHG関連系統もしくはAHG関連系統を比較的高頻度で有するインダス川流域集団の亜集団を含みます。

 インド南部のいつくかの集団では、CSMLBA系統が見られません。これは、ASIのほぼ直系の子孫が現在も存在することを示し、ASIはユーラシア西部関連系統を有していないかもしれない、という以前の見解の反証となります。つまり、インド南部のユーラシア西部関連系統はANI のみがもたらしたのではなく、ASIはイラン農耕民関連系統を有していただろう、というわけです。イラン農耕民関連系統とAHG関連系統の混合は紀元前1700〜紀元前400年頃と推定され、インダス文化の時点では、ASIは完全には形成されていない、と推測されます。

 インドには、パリヤール(Palliyar)やジュアン(Juang)といった、ユーラシア西部系統の影響の小さいオーストロアジア語族集団も存在します。ジュアン集団は、更新世からアジア南部に存在したと考えられ、ユーラシア西部系統要素のない古代祖型インド南部人関連系統(AASI)系統(48%)およびアジア東部起源のオーストロアジア語族の混合集団(52%)の混合系統と、AASI(70%)とイラン農耕民関連系統(30%)の混合集団としてのASIとの混合としてモデル化されます。農耕技術から、オーストロアジア語族はアジア南部に紀元前三千年紀に到来した、と推測されています。ANIは、草原地帯牧畜民系統との混合年代が紀元前1900〜紀元前1500年頃と推定されることから、インダス文化衰退後に形成されたと推測されます。つまり、現代インド人の勾配を形成する主要な2集団であるASIとANIは、どちらも紀元前二千年紀の前には完全に形成されていなかっただろう、ということになります。

 アジア南部最北端となるパキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の青銅器時代・鉄器時代の複数個体では、草原地帯系統が、常染色体において20%程度になるのに、Y染色体では、草原地帯においてはほぼ100%となる系統(YHg- R1a1a1b2)が5%と顕著に低く、おもに女性を通じて草原地帯系統が導入された、と推測されます。しかし、現代のアジア南部では、常染色体よりもY染色体の方でCSMLBA関連系統がずっと多い集団も見られます。これは、おもに男性により草原地帯系統が拡散したことを示唆します。類似の事象はイベリア半島でも見られますが(関連記事)、アジア南部はイベリア半島ほど極端ではありません。アジア南部でY染色体において草原地帯系統の比率の高い集団は、司祭の地位にあると自任してきた集団に見られますが、この相関はまだ決定的とまでは言えません。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/365/6457/eaat7487/F6.large.jpg


 本論文は以上の知見から、アジア南部における完新世の人口史を以下のようにまとめます。紀元前2000年まで、イラン農耕民関連系統とAASI系統の異なる比率を有するインダス川流域集団が存在し、本論文はこれを多くのインダス文化集団の遺伝的特徴と仮定します。ASIは紀元前2000年以後に、このインダス川流域集団とAASI関連系統集団の混合として成立しました。紀元前2000〜紀元前1000年の間に、CSMLBA系統がアジア南部へと拡大し、インダス川流域集団と混合してANIを形成しました。紀元前2000年以後、ASI とANIが混合し、現代インド人に見られる遺伝的勾配を形成していき、アジア南部の現代の多様な集団が形成されました。

 インダス川流域集団はインダス文化の発展前となる紀元前5400〜紀元前3700年に形成されます。これは、インダス川流域集団のイラン農耕民関連系統はインダス川流域狩猟採集民の特徴で、それはコーカサス北部およびイラン高原農耕民の特徴と同様だった可能性を提示します。イラン北東部の狩猟採集民におけるそうした系統の存在も、この可能性と整合的です。もう一つの可能性は、イラン高原から農耕牧畜集団が紀元前七千年紀にアジア南部へと拡大した、というものです。しかし、この仮説は、インダス川流域集団ではアナトリア農耕民関連系統がほとんど存在しない、という知見と整合的ではありません。

 そのため本論文は、アナトリア農耕民関連系統の東方への拡大がイラン高原およびトゥーラーンへの農耕拡大と関連していたという見解を支持しているものの、アジア南西部からアジア南部への大規模な移動は、イラン高原において全員にかなりのアナトリア農耕民関連系統が見られる紀元前6000年以後にはなかった、と推測しています。国家成立以前の言語は人々の移動に伴うのが通常なので、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族は、アジア南西部の農耕民拡大の結果ではないだろう、との見解を本論文は提示しています。

 これは、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族が草原地帯起源であることを示唆します。しかし、中期〜後期青銅器時代の中央草原地帯とアジア南部の物質文化の類似性はひじょうに少ない、と指摘されています。ただ本論文は、ヨーロッパ西部起源と考えられるビーカー複合(Beaker Complex)文化が、ヨーロッパ中央部ではヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民系統を50%程度有する集団と関連していることから、物質文化のつながりの欠如は遺伝子拡散を否定するわけではない、と指摘しています。ヨーロッパでは、草原地帯系統集団が在来の物質文化を取り入れながら、遺伝的には在来集団に大きな影響を及ぼした、というわけです。

 本論文は、アジア南部集団が、ヤムナヤ文化集団に代表されるWSEMBAから、その影響を受けたCSMLBAを経由して(30%程度)、20%程度の影響を受けた、と推定しています。以前の研究(関連記事)では、アジア南部に草原地帯牧畜民系統をもたらしたのは直接的にはヤムナヤ文化集団ではない、と推測されていましたが、間接的にはヤムナヤ文化集団のアジア南部への遺伝的影響は一定以上あるようです。さらに本論文は、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語文献の伝統的な管理者と自任してきた司祭集団において、男系を示すY染色体においてとくに草原地帯牧畜民系統の比率が高いことからも、インド・ヨーロッパ語族が草原地帯系統集団によりもたらされた可能性が高い、と推測します。

 アジア南部で2番目に大きな言語集団であるドラヴィダ語族の起源に関しては、ASI系統との強い相関が見られることから、インダス文化衰退後に形成されたASIに起源があり、インダスインダス文化集団により先ドラヴィダ語が話されていた、と本論文は推測しています。これは、インダス文化の印章の記号(インダス文字)がドラヴィダ語を表している、との見解と整合的です。また本論文は、先ドラヴィダ語がインダス川流域集団ではなくインド南部および東部起源である可能性も想定しています。この仮説は、インド特有の動植物の先ドラヴィダ語復元の研究と整合的です。

 ヨーロッパとアジア南部は、農耕開始前後にアジア南西部起源の集団が流入した後、銅器時代〜青銅器時代にかけて、ユーラシア中央草原地帯起源の牧畜民が流入してきて遺伝的影響を受けたという点で、よく類似しています。しかし、更新世から存在したと考えられる狩猟採集民系統の比率が、アジア南部ではAASIとして最大60%程度になるのに対して、ヨーロッパではヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)として最大で30%程度です。これは、ヨーロッパよりも強力な生態系もしくは文化の障壁がアジア南部に存在したからだろう、と本論文は推測しています。

 これと関連して、草原地帯牧畜民系統の到来がアジア南部ではヨーロッパよりも500〜1000年遅くて、その影響がアジア南部ではヨーロッパよりも低く、Y染色体に限定しても同様である、ということも両者の違いです。本論文は、この状況はヨーロッパ地中海地域と類似している、と指摘します。ヨーロッパでも地中海地域は、北部および中央部よりも草原地帯系統の比率はかなり低く、古典期には多くの非インド・ヨーロッパ語族系言語がまだ存在していました。一方、アジア南部では非インド・ヨーロッパ語族系言語が今でも高い比率で使用されています。これは、やや寒冷な地域が起源の牧畜民集団にとって、より温暖な地域への拡散は難易度が高かったことを反映しているのかもしれません。


 もう一方の研究(Shinde et al., 2019)はオンライン版での先行公開となります。インダス文化の遺跡では何百人もの骨格が発見されていますが、暑い気候のためDNA解析は困難です。しかし近年、内耳の錐体骨に大量のDNAが含まれていると明らかになり、熱帯〜亜熱帯気候の地域でも古代DNA研究が進んでいます。本論文(セル論文)は、インダス文化最大級の都市となるラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された、多数の錐体骨を含む61人の遺骸からDNA抽出を試み、そのうち有望とみなされた1個体(I6113)から、31760ヶ所の一塩基多型データを得ることに成功しました。I6113は性染色体の配列比較から女性と推定され、mtHg-U2b2と分類されました。このハプログループは、アジア中央部の古代人では現時点で確認されていません。

 I6113は、上述のサイエンス論文で云うところの、インダス川流域集団に位置づけられ、アジア南部現代人集団の変異内には収まりません。つまり、I6113もアナトリア農耕民関連系統を有していないわけです。I6113は、イランのザグロス山脈西部遊牧民とアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)との混合としてモデル化されます。つまり、イラン系統と更新世からアジア南部に存在した系統の混合というわけです。上述のように、サイエンス論文では紀元前2500〜紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300〜紀元前2000年頃のイラン東部遺跡の外れ値となる11人はインダス文化集団からの移民との見解が提示されており、本論文(セル論文)でその具体的証拠が得られたことになります。インダス文化期のラーキーガリー遺跡ではI6113のような遺伝的構成が一般的だっただろう、と本論文は推測しています。

 本論文は、サイエンス論文の外れ値となる11人とラーキーガリー遺跡のI6113を合わせてインダス文化集団と把握しています。I6113には草原地帯系統が見られず、イラン系統が87%と大半を占めます。このインダス文化集団におけるイラン系統は、イラン系統が狩猟採集民系統と牧畜民系統に分岐する前に分岐した系統と推定されています。その推定年代は紀元前10000年よりもさかのぼり、イラン高原における農耕・牧畜の開始前となります。これは、インダス文化集団におけるイラン系統が、農耕開始前にアジア南部に到来したことを示唆します。紀元前7000年以後、イラン高原ではアナトリア農耕民関連系統が増加し、サイエンス論文で示されているように、西部ではアナトリア農耕民関連系統の比率が59%と高く、東部では30%と低い勾配を示します。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図3を掲載します。

画像
https://marlin-prod.literatumonline.com/cms/attachment/39fa94c3-2fb2-46ec-8afb-d11af2e98911/gr3_lrg.jpg

 本論文はこれらの知見から、アジア南部ではヨーロッパと同様に、最初に農耕の始まった肥沃な三日月地帯からの直接的な移住により農耕が始まったわけではない、と指摘します。ヨーロッパの場合は、アナトリア半島東部の狩猟採集民が外部からの大規模な移住なしに農耕を始め(関連記事)、その後でヨーロッパに拡散していきました。アジア南部の場合は、まだ特定されていない地域の狩猟採集民が、外部からの大規模な移住なしに農耕を始めたのだろう、と本論文は推測しています。ただ本論文は、アジア南部内で初期農耕民による大規模な拡大が起き、農耕の拡大とともに集団置換が起きた可能性も想定しています。そのような事象が起きたのか否かは、本論文が指摘するように、農耕開始前後の古代DNA研究で明らかになるでしょう。

 インダス文化集団は、アナトリア農耕民関連系統を有さず、イラン高原の古代の農耕民系統とは異なるイラン系統を有するため、アナトリア半島からアジア南部へ初期農耕民がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたとする仮説と整合的ではない、と本論文は指摘します。本論文はサイエンス論文と同様に、アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたのは紀元前二千年紀に到来した草原地帯牧畜民系統集団だろう、と推測します。本論文は、I6113に代表されるインダス文化集団がインダス文化全体の遺伝的構成に共通している可能性を主張しつつも、まだ標本が少なく、今後広範囲で標本数を蓄積していき、定量的に分析していく必要がある、と指摘しています。サイエンス論文とセル論文の著者の一人でもあるパターソン(Nick Patterson)氏は、インダス文化集団は遺伝的にたいへん多様だっただろう、と推測しています。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487

Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048

https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html#c1

[昼休み53] 苛めは愉しい _ 大矢誠が猫 13匹 を拷問して逮捕される! 中川隆
13. 中川隆[-11679] koaQ7Jey 2020年8月25日 16:34:29 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[29]
大矢誠の世界ネコ歩き
http://blog.livedoor.jp/gatosokuhou-ooyamakoto/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/836.html#c13
[近代史4] 苛めは愉しい _ 猫を拷問して逮捕される! 中川隆
1. 中川隆[-11678] koaQ7Jey 2020年8月25日 16:34:53 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[30]
大矢誠の世界ネコ歩き
http://blog.livedoor.jp/gatosokuhou-ooyamakoto/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/428.html#c1
[近代史3] 東海アマ 「生きて行くために何をしたらよいのか?」
 
生きて行くために何をしたらよいのか?
2020年08月25日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1228.html


 世界的な分業、資本主義経済体制の下では、「生きてゆくために、いくらかかるのか?」 という発想で十分だった。
 ところが、資本主義経済が崩壊し、世界的な交易も崩壊するとすれば、「生きてゆくために」必要なことは、「いくらかかるのか?」ではなく、「何をしたらよいのか?」である。

 我々が、カネの支配する社会から放り出され、「大自然の摂理」だけが支配する自然界のなかに生きねばならないとすれば、「どうやって生きてゆくか?」は、哲学的問題として多重に覆い被さってくる。

 生きて行くために、一番必要なものは何か?
 それは、メシを食うことだ。だが、その必要量も、資本主義経済下と、「命を永らえる最低限の食生活」とでは、相当に違う。

 まず、現時点で、保有する生産手段や権利、備蓄、など条件によって雲泥の差がある。
 仮に日本政府がデフォルトして、海外貿易が停止したとすれば、最初に食料と石油が止まる。政府がデフォルトした段階で、公的備蓄が半年以上はあるはずだが、本当にあるかは疑わしい。差し押さえられる可能性もあるからだ。
 いずれにせよ、一年もすれば、あらゆる社会的備蓄は尽きる。

 そうなると、手元に家や土地があったとしても、食料とガソリン、灯油が手に入らなくなるので、車での移動が困難になる。また電気の供給も危うい。
 また、食料を自力で生産するために、耕作放棄地を耕運しようとしても、耕運機のガソリンが入手できなくなるので、鍬や鋤、スコップなどを使って手作業で耕運する必要が出てくる。

 家があり、衣類や布団があることを前提にしても、暖房用の電気や灯油がなくなる可能性は留意すべきだ。煮炊きは、外で一斗缶や簡易カマドを使って行わなければならない。だが、そんな条件のない集合住宅なら、どうする?

 最悪の条件は、水道が止まることだ。
 我々は、川崎の高級タワマンが洪水によって浸水し、住民はトイレに行くにも、生活用水を使うにも、20階以上から階段を使って移動しなければならない姿を目撃した。
 だから多くの住民が、近郊のビジネスホテルなどでの生活を強いられた。だが、ビジネスホテルを利用できる条件を失ったならどうする?

 電気はない、水道もない、暖房もない、食料もない、ガソリンもない、という多重苦の生活条件に追い込まれたとき、ここは、やはり、過疎の山中が圧倒的に有利だ。
 私は、こんな日が来るのではないかと考えて、17年前に、中津川の山奥に移住した。
 ここは、熊や猪が出るが、水がなくとも、裏山を少し歩けば清冽な水が無尽蔵に手に入る。
 それに敷地内に井戸があり、とりあえず水の心配は、ほぼない。

 まったく備蓄のない人も少ないだろう。多くの人は、食料が遮断されても、数十日、数ヶ月を持ちこたえることができると思う。
 しかし、その間に、次の食料を生産することを考えなければならない。
 だが、農地のない大都会では、他人のものを盗むくらいしか方法がない。つまり、阿鼻叫喚の食料地獄がやってくる。

 そんなことを想像しながら、私は、買った方が安上がりなのに、市販価格の数倍の手間暇、投資をして、家庭菜園の経験を積んだ。
 最低限、生き抜くために必要な食料を作りたかったのだ。

 まず、何を置いても、食料として効率の高いのは、馬鈴薯・甘藷である。これを上手に作るのが生き延びるための基本だ。
 以下に、一反(300坪)あたりの、収量のグラフを示す。
 素人農法では、右端の滋賀県を目標にすると良いだろう。1反の土地で、1トンの馬鈴薯が収穫できる。
 一人が一日に必要な食料は、馬鈴薯換算で600グラムといわれるので、これは1700日分の食料であり、約5人分の一年間の食料になる。


ikinuku1.jpg


 鶏糞などの肥料は、あまり必要なく、草木灰などのカリ肥料を投入する。これは草を刈り取って焼いたものをすき込めばよい。
 馬鈴薯と甘藷は、チッソ分の多すぎる土壌、アルカリの強い土壌、水分の多い土壌では育ちにくいので、30センチ以上の高畝とし、丁寧な草取りと草木灰の追肥投入で、たぶん誰がやっても一反1トンは収穫できるはずだ。
 本当に大変な作業は、草取りくらいだと思う。これをサボると収量は望めない。

 3月前後の種芋植え付けと、6月前後の収穫、9月の植え付け12月の収穫の二期が可能だが、連作障害があるため、二毛作を実施できるのは、よほどのプロだけだろう。
 素人は、初夏の馬鈴薯収穫の後、甘藷を植え付けて12月に収穫を目指す二毛作を狙った方がいいかもしれない。

 まあ、5人いたとしても、一反の耕作地があれば、生き抜いていけるだけの食料を得られることは、おわかりいただけるだろう。
 馬鈴薯は、結構、飽きが来ないで食べ続けられるもので、世界では馬鈴薯を主食とする国は、アイルランドやオーストラリアなど、たくさんある。

 それに人間、必ずしも馬鈴薯一日600グラム食べなければ餓死するわけではない。一日一食主義にして300グラムを食べれば十分に生き抜いてゆける。
 だが、栄養バランスとして、蛋白質が若干不足するので、鶏を飼育したり、池を作って魚を養殖したりすれば、十分にバランスの取れた食事が可能だ。
 馬鈴薯の苗を寒冷紗トンネルで育て、その外側で鶏を放し飼いにして、雑草を食べさせ、卵を産ませるという工夫もある。

 最初に5人の人間と、一反の土地と、家と水と、何よりも種芋が必要になる。これを、どう確保するかは大きな課題だ。
 耕運機はあれば便利だが、絶対必要なものでもなく、多くは手作業で代替することができる。
 一人で、これをこなそうとすると、モチベーションが不足して投げやりになってしまうものだが、五人もいれば、互いに励まし合って、大変な草取りも楽しいコミニュケーションに変えてゆけるだろう。
 何よりも大切なのは、「一緒に生き抜いてゆける仲間」なのだ。

 今のところ、農地に固定資産税はかからない。井戸を掘れば水道代はタダ。電気代と暖房くらいで、それほど大きな出費はない。
 暖房も、薪ストーブにすれば、近所の山野から落木などを確保して燃せば十分な暖房が可能だ。植林地では、間伐された不要な材木の処分に困っているところも多いので、それらの消費は交渉次第で歓迎されるだろう。
 細い木材でも、煮炊きの燃料には十分だ。

 このようにして、食料の自給自足が可能になれば、どんな食料危機が来ようとも、石油不足が起きようとも、生き抜いてゆくのに必要な最低限の条件が確保できる。
 それから、あらゆる創意工夫、イノベーションを働かせて、生きるための諸条件を豊に増やしていけばよい。
 ただし、こうしたことが可能なのは、過疎の山奥だけということを忘れてはいけない。

 今の日本では、自民党政権による地方切り捨て政策の結果、過疎地の交通手段は失われ、中国人などの林野買い占めも多く、おまけに異常な気象変動と乱伐で、深山の生活の安全が土砂崩れなどの危険に晒されている。
 仮に、山奥の過疎地で共同体生活を企画しても、土砂崩れの危険がなく、耕作放棄地や人が住める空き家の確保など、相当にリスクが増えている。

 それでも「ポツンと一軒家」のような番組に触発されて、山奥暮らしを企画する若者も増えているという。
 このとき、三人以下の少人数で、自給自足を成功させるのは、とても困難だと私は思う。とりわけ一人暮らしは、生きる意欲、あらゆるモチベーションが薄れてゆき、カネの切れ目が命の切れ目になってしまうのだ。
 人は数名で助け合って、互いを守る愛と連帯があってこそ、自力更生、自給自足の道が開けるのだと思う。

 なんで、こんなことを繰り返し書いているのかというと、第一に、世界的な意味で、資本主義経済そのものが持つ自己矛盾によって崩壊が約束されていること。
 第二に、人類の利己主義的価値観の結果、地球の気象を壊してしまい、急速に快適な生活条件を失い、我々の生活が、洪水や暴風などで、大きな危機に晒されるようになったこと。
 第三に、有史以来の巨大な地殻変動期に入っていて、いつスーパー地震によって、生活を根底から破壊されるか分からないこと。
 などで、正直、「一寸先は闇」の世界に、我々は放り込まれたという危機感からだ。

 今は、昔とは違うのだ。平和な生活が一瞬にして地獄に変わる姿を、我々は毎日のように目撃させられている。
 地震・水害・地滑り・放射能・疫病・政治の無能・官僚の劣化、あらゆる現象が、我々の未来を、闇に包んでいる。
 もはや、安定したライフスタイルは望めない。最悪の事態のとき、どれくらい被害を減らすかという工夫しか残されていない。

 もう大都会での生存条件は失われたと考えるべきだ。超猛暑のなかで、電気供給が失われたら、どうするつもりだ?
 中津川の山奥ですら、日中はエアコンに閉じこもっていなければならなくなった。
 これからは、おそらく海抜700m以上の土地に生活拠点をシフトしなければならなくなるだろう。
 再び、江戸時代のライフスタイルに戻らなければならなくなると予想している。
 そんな危機感をブログにして書き続けているのだ。 

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1228.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1007.html

[番外地8] 人口100人の青い目の人達の村_ MMT village があった。

人口100人の青い目の人達の村_ MMT village があった。

4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。

資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。

MMT village では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、ジパングという人口100人の島国があった。

20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた

リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円

全体で MMT village より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。

その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。

あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/277.html

[リバイバル3] 電蓄の世界
電蓄の世界


銚子の散歩道 2017年09月02日
電蓄とノイズ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278488.html

蓄音機のあと、といっても電気蓄音機(電蓄)の登場は意外に早く、1925年と文献にあります。 その時、技術者たちが直面したのは強い歪みと盛大なノイズの出現だったことは、容易に理解されます。 電蓄とはプレイヤ、アンプ、スピーカが一体となった製品のことです。電化されたことにより、再生帯域が拡がり、音も伸びるようになる、圧縮された音溝の信号を拡張することを可能にしました。 かわりに電気力によって汚染された歪みとノイズが厄介な問題として残ります。 電化に付きまとう宿命です。

増加した歪みとノイズ、技術者のたたかいは10年ほど続いたと思われます。 幸いなことに歪みとノイズには多量に有機的な成分をふくんでおり、改良すれば改良するほど良質なものとなっていきます。 しかし、無機的な歪みとノイズは人間の生理としての聴覚にとって好ましいものではありません。 つまり蓄音機のノイズよりもずっと耳障りなものでした。 電蓄の開発者たちはノイズの無機質成分の除去に取り組みました。 ここでの対処法は実に思慮深いものです。 無機質成分もまたレコードの音なのであり、使い方によっては何かを得られると彼らは考えたのです。 

有機成分と無機成分はコインの裏表であり、あたりかまわず除去すれば音は向上するかもしれないが、音楽の本質にある「ちから」を損なうことになると考えたようです。 それで電蓄はノイズも歪みもあるけれど、音楽もたっぷり手軽に再生できるようにデザインされていきます。 最初の電気式プレイヤがゴツイ馬蹄形マグネット式ピックアップを装備して製品化されます。そして30年代後半にはクリスタルカートリッヂが登場します。 IMG_0265蓄音機と電蓄は長い間並行して販売されていたのです。 電蓄と言っても簡便なポータブルから大掛かりなラジオ付き電蓄までさまざまなヴァリエイションがありました。 ヨーロッパで電蓄が爆発的に増産されたのは50年代から60年代、LPが登場しポップスというジャンルが認識された時期でしょう。 ポータブル電蓄から出る音楽はあくまでも開放的であり楽観的でした。大衆のこころをとらえなければなりません。 電蓄という一つのパッケイジの中にプレイヤ、アンプ、スピーカを詰め込むのですから、ノイズや歪みの発生を一体という制約の中で解決消化しなければなりません。当時のエンジニアたちは生理的に受け入れられるものにまでノイズを変換可能なまでに電蓄を工夫していきます。多くの電蓄はノイズを音楽成分に練りこんでしまうスタイルを取り効果を上げます。 大衆は78回転を知る世代でしたから、ノイズやひずみはむしろ少なく感じたはずで、蓄音機より小さいのに豊かな低音と好きな音量で聴ける電蓄を無条件に受け入れたのです。 もちろん多くの女性の耳も惹きつけました。 蓄音機から続くグッドリプロダクションの素地は電蓄によってしっかりと受け継がれました。 あくまでこれはヨーロッパの話で、我が国の電蓄はといえば話は違ってきます。 つづく 以上T氏

オランダのレコードコレクタの得意げな顔が浮かぶ。 今でも彼はヨーロッパでも指折りのヴァイオリンレコードの目利き収集家だったと思う。 運河ぞいの窓を開けてケネ、ゴーティエ、ビストリツキ、タシュナー、ジルツァー、ヤン・ダーメン・・・次々に愛用の電蓄(TRIOTRACK社製)に盤を乗せて聴かせてくれた。 僕はドニーズ・ソリアーノやベネデッティをやっと知り始めた頃、電蓄からは初対面のヴァイオリニストの音色がこぼれだしていた。 IMG_0581ノイズまみれ、歪みだらけ、なのに心にある音楽の壺にどんどんと注がれていった。 シャーシャーという雑音さえも音楽に寄り添っているように思え。 膨大なレコードのコレクションを持っていた彼の再生装置といえば電蓄を居間と寝室に一台づつ備えているだけだった。 うらやましくもあり、のどから手が出るほど、電蓄、そのゆたかな音を吹き出す電蓄が欲しくなったことを思い出す。 凄腕のヴァイオリニストが電蓄の扉から次々に登場してきたのだから。

http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278488.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html

[番外地8] 階級を無くせばいいのさ、予備実験は終戦後にGHQが日本で確かめて大成功してるよ: 中川隆
1. 中川隆[-11677] koaQ7Jey 2020年8月25日 17:34:15 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[33]

GHQを真似すればいいのさ、終戦後にGHQが日本で共産化の予行演習をして大成功してるよ:
戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった

ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。

特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。

戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。

平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。


昔の学生やインテリは随分 IQ が低かったみたいですね。

1970年代は科学的社会主義とかいうのが流行っていて、唯物弁証法とかマルクスやレーニンの理論が既に科学的に証明されたと思っていたアホ左翼が沢山いたのです。


赤軍派議長の塩見孝也なんか 2017年11月に死ぬまでずっと 世界同時革命とか叫んでましたからね。


当時の日本は一億総中流で、マルクス主義の前提になる階級自体が存在しなかったので、いくら社会不安を起こしても階級闘争や革命なんか起きる筈がなかったのですけどね。


まあ、今の学生やインテリが賢くなったというのでなく

今だけ、金だけ、自分だけ

という価値観に変わっただけなのですが。


世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです
そしてそれは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

日本共産党や労働組合を創設させたのも GHQ なのですね。

平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/271.html#c1

[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
288. 中川隆[-11676] koaQ7Jey 2020年8月25日 18:06:09 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[35]
パレオリベラルさんはメサイアコンプレックスという人格障害に苦しんでいます
メサイアコンプレックス(英: Messiah complex)とは、キリストコンプレックスまたはメシアコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である[1]。

狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める。

メサイアというのは、一般的な日本語ではメシア(救世主)と言われるもののことである。この心理が形成されるのは、自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生するとされる。さらにこの状況が深まると、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。

このような論理になるのは、幸せな人は不幸な人を助けて当然という考えを自らに課す事で「自分は幸せである、なぜなら人を助けるような立場にいるから」と考えられるからである。本来は人を援助するその源として、まず自らが充足した状況になることが必要であるが、この考えは原因と結果を逆転させている。

そうした動機による行動は自己満足であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。また相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である[2]。


メサイアコンプレックスとされる人物

シャブタイ・ツヴィ(ユダヤ教の偽メシア)
ジム・ジョーンズ(人民寺院の教祖)
デイビッド・コレシュ(ブランチ・ダビディアンの指導者)[3]
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c288

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
1. 中川隆[-11675] koaQ7Jey 2020年8月25日 18:10:01 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[37]
銚子の散歩道 2017年08月31日
蓄音機とノイズ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278470.html

紙コップと紙コップをピンと張った糸で結ぶ『糸電話』。  
むかしの蓄音機は糸電話の原理で78回転盤を再生しています。 糸電話を箱の中に折り畳んでいるのです。 ただ蓄音機の音の基は人間ではなく78回転盤です。 実際の音が音盤の溝に刻まれたとき、必然として音の圧縮が発生します。 声を紙コップが受けて振動し底に貼られた細い糸に圧縮して伝えるのと一緒です。 糸は振動を伝えているだけのようにみえて、実は音声によって発生した響きを伝えています。 言葉の意味を認識するだけでなく、声の高低、イントネイション、声の色まで糸の振動には含まれているのです。 このことをよくよく理解しなければなりません。 オーディオアクセサリと称するものは、糸にゴムをいくつもとりつけるようなもの。 IMG_0256アナログにある機械力の存在と在りようを知らないから、そういうもので胡麻化してしまう。 悪意でなかったとしても、それはオーディオ破壊活動のひとつです。 その前に、機器が本来持つ機械力が音楽に反応するように工夫すればよいのです。 アナログ再生では工夫することがいろいろあります。 しかも結果は無段階に変化します。ねじの締め具合、リュブリケイションの実施、磨きの加減、ベアリングの感度調整、端子のクリーニングなどなど。ヴィンテージアナログの時代、アクセサリなどは使わないという前提で設計製造されているのです。アクセサリを付ける前に、ちゃんと再生装置と向き合っているか見直してみることです。 そんなものはなくてもあなたの望む音にどんどん近づけることができるのが、ちゃんとしたアナログ再生装置といえます。
  
話を戻しましょう。 糸電話の原理は、78回転盤に刻まれた溝から振動を得たサウンドボックスからホーンへ伝える蓄音機の構造と酷似します。 問題は圧縮された音溝からの信号を拡張するはたらきを蓄音機はどうしても得ることはできなかったということです。 もちろん音そのものを大きくすることは可能です、しかし、音を伸ばし再生周波数レインジを広げるという圧縮の拡張に至ることはなかった。 しかも蓄音機の再生音は基の音というわけではなく、基とは違う音といった方がよいこともしばしば起こりました。 

そうした不完全な音でありながら、蓄音機から出る迫真の音楽は聴く人のこころをしっかりとつかみ、大きな感動をもたらしてしまうのです。 ノイズは多いし、原音再生という観点からすればほど遠いものなのに、蓄音機から発する音はノイズを超え音楽をしっかりと伝える力があり、音の内側にひとのこころが在りました。 音に感情が乗っているのです。 グレイを来訪される女性の方のほとんどは、大型装置によるLP再生より、78回転盤の再生や古いラヂオから出る音楽の方に圧倒的に興味を示します。CDなど電子音に比べれば、ノイズまみれの音にもかかわらず。 音にどれほどの感情が含まれているのかは、計測器で測ることはかないませんが、先入観を持たない女性には明確に認識できるのです。 ということは、女性が訪れないリスニングルームに据えられた装置から発する再生音は感情が乏しい、ということになります。 これはオーディオショウにも当てはまることで、用意された椅子にオジサンばかりが座っている会場にセットされた高価な再生装置では感情が乗った魅惑的な音は出ていない証し。 

LP時代になって生まれた原音再生という概念は、音楽の再創造に意味を持たない。 物理的な現象と成立したとしてもそれを原音とは確定することはできません。 原音そのものに対するイメージは人それぞれに異なるからです。 ある人がこれこそ原音そのものだと主張したとしても他の人にはそうは聴こえないものです。 オーディオ、とりわけアナログという分野にとって、原音を目指すより音楽の魂を表出させることのほうが自然な再生音を得られます。 蓄音機から生み出される音楽と音の有り様が、それを端的に示唆しています。 1960年代、わが国では原音再生という言葉が生まれ、これがオーディオの本質だという流れが起きました。プレイヤよりアンプがシステムの中心になり、機械的ノイズは減りましたが、電気的ノイズは格段に増えました。 電気的ノイズは如何に静かであっても、音にある素の形を乱しているからです。 低音が出ていれば原音に近づくと思い込み、音楽は学ぶもので感じ取ることではない。 こういう類いの愛好家が思いのほか多く生き残っているというのが実情です。

糸電話と蓄音機のおはなしをしました。 何から何まで電気に厄介になっている現在。 オーディオは電気のちからで何とでもなると思い込んできたけれど、果たしてそうだろうか、と、うすうす気が付き始めていませんか。 CDの出現後、いろいろなフォーマットを経てPCオーディオに至り、結局は音楽を聴くという行為からは遠ざかってしまっているのを感じていませんか。 電気でノイズ皆無の音楽再生をすべて賄えるという妄想はオーディオ技術者の思い上がりにほかなりません。 彼らは機械力という重要なファクタを無視しています。 つづく 
以上T氏

気になるノイズと心地よいノイズ、どちらともいえないノイズがある。 風鈴がかすかに流れて涼しと感じることもあれば、毎日毎日聞かされて五月蝿くて近所迷惑だとストレスにもなり得る。 虫の鳴き声、外国人のほとんどは生理的に受け入れられない騒音らしいが、わが国では虫の音にある色を愛でる人は多い。 バッハのポリフォニーを芸術と崇める人にしてみれば、ガムラン音楽やジャズはノイズの渦だと指摘する方もいらっしゃる。 こうしてみると、私たちの身の回りにはありとあらゆるノイズが満ち満ちている。 しかし、ノイズがないと宇宙空間の無音状態と同じ、僕なんかは発狂してしまうのではないか。

http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278470.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c1

[近代史3] ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事 中川隆
9. 中川隆[-11674] koaQ7Jey 2020年8月25日 18:10:43 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[38]
銚子の散歩道 2017年08月31日
蓄音機とノイズ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278470.html

紙コップと紙コップをピンと張った糸で結ぶ『糸電話』。  
むかしの蓄音機は糸電話の原理で78回転盤を再生しています。 糸電話を箱の中に折り畳んでいるのです。 ただ蓄音機の音の基は人間ではなく78回転盤です。 実際の音が音盤の溝に刻まれたとき、必然として音の圧縮が発生します。 声を紙コップが受けて振動し底に貼られた細い糸に圧縮して伝えるのと一緒です。 糸は振動を伝えているだけのようにみえて、実は音声によって発生した響きを伝えています。 言葉の意味を認識するだけでなく、声の高低、イントネイション、声の色まで糸の振動には含まれているのです。 このことをよくよく理解しなければなりません。 オーディオアクセサリと称するものは、糸にゴムをいくつもとりつけるようなもの。 IMG_0256アナログにある機械力の存在と在りようを知らないから、そういうもので胡麻化してしまう。 悪意でなかったとしても、それはオーディオ破壊活動のひとつです。 その前に、機器が本来持つ機械力が音楽に反応するように工夫すればよいのです。 アナログ再生では工夫することがいろいろあります。 しかも結果は無段階に変化します。ねじの締め具合、リュブリケイションの実施、磨きの加減、ベアリングの感度調整、端子のクリーニングなどなど。ヴィンテージアナログの時代、アクセサリなどは使わないという前提で設計製造されているのです。アクセサリを付ける前に、ちゃんと再生装置と向き合っているか見直してみることです。 そんなものはなくてもあなたの望む音にどんどん近づけることができるのが、ちゃんとしたアナログ再生装置といえます。
  
話を戻しましょう。 糸電話の原理は、78回転盤に刻まれた溝から振動を得たサウンドボックスからホーンへ伝える蓄音機の構造と酷似します。 問題は圧縮された音溝からの信号を拡張するはたらきを蓄音機はどうしても得ることはできなかったということです。 もちろん音そのものを大きくすることは可能です、しかし、音を伸ばし再生周波数レインジを広げるという圧縮の拡張に至ることはなかった。 しかも蓄音機の再生音は基の音というわけではなく、基とは違う音といった方がよいこともしばしば起こりました。 

そうした不完全な音でありながら、蓄音機から出る迫真の音楽は聴く人のこころをしっかりとつかみ、大きな感動をもたらしてしまうのです。 ノイズは多いし、原音再生という観点からすればほど遠いものなのに、蓄音機から発する音はノイズを超え音楽をしっかりと伝える力があり、音の内側にひとのこころが在りました。 音に感情が乗っているのです。 グレイを来訪される女性の方のほとんどは、大型装置によるLP再生より、78回転盤の再生や古いラヂオから出る音楽の方に圧倒的に興味を示します。CDなど電子音に比べれば、ノイズまみれの音にもかかわらず。 音にどれほどの感情が含まれているのかは、計測器で測ることはかないませんが、先入観を持たない女性には明確に認識できるのです。 ということは、女性が訪れないリスニングルームに据えられた装置から発する再生音は感情が乏しい、ということになります。 これはオーディオショウにも当てはまることで、用意された椅子にオジサンばかりが座っている会場にセットされた高価な再生装置では感情が乗った魅惑的な音は出ていない証し。 

LP時代になって生まれた原音再生という概念は、音楽の再創造に意味を持たない。 物理的な現象と成立したとしてもそれを原音とは確定することはできません。 原音そのものに対するイメージは人それぞれに異なるからです。 ある人がこれこそ原音そのものだと主張したとしても他の人にはそうは聴こえないものです。 オーディオ、とりわけアナログという分野にとって、原音を目指すより音楽の魂を表出させることのほうが自然な再生音を得られます。 蓄音機から生み出される音楽と音の有り様が、それを端的に示唆しています。 1960年代、わが国では原音再生という言葉が生まれ、これがオーディオの本質だという流れが起きました。プレイヤよりアンプがシステムの中心になり、機械的ノイズは減りましたが、電気的ノイズは格段に増えました。 電気的ノイズは如何に静かであっても、音にある素の形を乱しているからです。 低音が出ていれば原音に近づくと思い込み、音楽は学ぶもので感じ取ることではない。 こういう類いの愛好家が思いのほか多く生き残っているというのが実情です。

糸電話と蓄音機のおはなしをしました。 何から何まで電気に厄介になっている現在。 オーディオは電気のちからで何とでもなると思い込んできたけれど、果たしてそうだろうか、と、うすうす気が付き始めていませんか。 CDの出現後、いろいろなフォーマットを経てPCオーディオに至り、結局は音楽を聴くという行為からは遠ざかってしまっているのを感じていませんか。 電気でノイズ皆無の音楽再生をすべて賄えるという妄想はオーディオ技術者の思い上がりにほかなりません。 彼らは機械力という重要なファクタを無視しています。 つづく 
以上T氏

気になるノイズと心地よいノイズ、どちらともいえないノイズがある。 風鈴がかすかに流れて涼しと感じることもあれば、毎日毎日聞かされて五月蝿くて近所迷惑だとストレスにもなり得る。 虫の鳴き声、外国人のほとんどは生理的に受け入れられない騒音らしいが、わが国では虫の音にある色を愛でる人は多い。 バッハのポリフォニーを芸術と崇める人にしてみれば、ガムラン音楽やジャズはノイズの渦だと指摘する方もいらっしゃる。 こうしてみると、私たちの身の回りにはありとあらゆるノイズが満ち満ちている。 しかし、ノイズがないと宇宙空間の無音状態と同じ、僕なんかは発狂してしまうのではないか。

http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278470.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html#c9

[近代史3] 北関東蓄音機倶楽部 Sogaphon _ SP録音の CD復刻盤 は Sogaphon を取り付けた蓄音機で聴こう 中川隆
14. 中川隆[-11673] koaQ7Jey 2020年8月25日 18:11:02 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[39]
銚子の散歩道 2017年08月31日
蓄音機とノイズ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278470.html

紙コップと紙コップをピンと張った糸で結ぶ『糸電話』。  
むかしの蓄音機は糸電話の原理で78回転盤を再生しています。 糸電話を箱の中に折り畳んでいるのです。 ただ蓄音機の音の基は人間ではなく78回転盤です。 実際の音が音盤の溝に刻まれたとき、必然として音の圧縮が発生します。 声を紙コップが受けて振動し底に貼られた細い糸に圧縮して伝えるのと一緒です。 糸は振動を伝えているだけのようにみえて、実は音声によって発生した響きを伝えています。 言葉の意味を認識するだけでなく、声の高低、イントネイション、声の色まで糸の振動には含まれているのです。 このことをよくよく理解しなければなりません。 オーディオアクセサリと称するものは、糸にゴムをいくつもとりつけるようなもの。 IMG_0256アナログにある機械力の存在と在りようを知らないから、そういうもので胡麻化してしまう。 悪意でなかったとしても、それはオーディオ破壊活動のひとつです。 その前に、機器が本来持つ機械力が音楽に反応するように工夫すればよいのです。 アナログ再生では工夫することがいろいろあります。 しかも結果は無段階に変化します。ねじの締め具合、リュブリケイションの実施、磨きの加減、ベアリングの感度調整、端子のクリーニングなどなど。ヴィンテージアナログの時代、アクセサリなどは使わないという前提で設計製造されているのです。アクセサリを付ける前に、ちゃんと再生装置と向き合っているか見直してみることです。 そんなものはなくてもあなたの望む音にどんどん近づけることができるのが、ちゃんとしたアナログ再生装置といえます。
  
話を戻しましょう。 糸電話の原理は、78回転盤に刻まれた溝から振動を得たサウンドボックスからホーンへ伝える蓄音機の構造と酷似します。 問題は圧縮された音溝からの信号を拡張するはたらきを蓄音機はどうしても得ることはできなかったということです。 もちろん音そのものを大きくすることは可能です、しかし、音を伸ばし再生周波数レインジを広げるという圧縮の拡張に至ることはなかった。 しかも蓄音機の再生音は基の音というわけではなく、基とは違う音といった方がよいこともしばしば起こりました。 

そうした不完全な音でありながら、蓄音機から出る迫真の音楽は聴く人のこころをしっかりとつかみ、大きな感動をもたらしてしまうのです。 ノイズは多いし、原音再生という観点からすればほど遠いものなのに、蓄音機から発する音はノイズを超え音楽をしっかりと伝える力があり、音の内側にひとのこころが在りました。 音に感情が乗っているのです。 グレイを来訪される女性の方のほとんどは、大型装置によるLP再生より、78回転盤の再生や古いラヂオから出る音楽の方に圧倒的に興味を示します。CDなど電子音に比べれば、ノイズまみれの音にもかかわらず。 音にどれほどの感情が含まれているのかは、計測器で測ることはかないませんが、先入観を持たない女性には明確に認識できるのです。 ということは、女性が訪れないリスニングルームに据えられた装置から発する再生音は感情が乏しい、ということになります。 これはオーディオショウにも当てはまることで、用意された椅子にオジサンばかりが座っている会場にセットされた高価な再生装置では感情が乗った魅惑的な音は出ていない証し。 

LP時代になって生まれた原音再生という概念は、音楽の再創造に意味を持たない。 物理的な現象と成立したとしてもそれを原音とは確定することはできません。 原音そのものに対するイメージは人それぞれに異なるからです。 ある人がこれこそ原音そのものだと主張したとしても他の人にはそうは聴こえないものです。 オーディオ、とりわけアナログという分野にとって、原音を目指すより音楽の魂を表出させることのほうが自然な再生音を得られます。 蓄音機から生み出される音楽と音の有り様が、それを端的に示唆しています。 1960年代、わが国では原音再生という言葉が生まれ、これがオーディオの本質だという流れが起きました。プレイヤよりアンプがシステムの中心になり、機械的ノイズは減りましたが、電気的ノイズは格段に増えました。 電気的ノイズは如何に静かであっても、音にある素の形を乱しているからです。 低音が出ていれば原音に近づくと思い込み、音楽は学ぶもので感じ取ることではない。 こういう類いの愛好家が思いのほか多く生き残っているというのが実情です。

糸電話と蓄音機のおはなしをしました。 何から何まで電気に厄介になっている現在。 オーディオは電気のちからで何とでもなると思い込んできたけれど、果たしてそうだろうか、と、うすうす気が付き始めていませんか。 CDの出現後、いろいろなフォーマットを経てPCオーディオに至り、結局は音楽を聴くという行為からは遠ざかってしまっているのを感じていませんか。 電気でノイズ皆無の音楽再生をすべて賄えるという妄想はオーディオ技術者の思い上がりにほかなりません。 彼らは機械力という重要なファクタを無視しています。 つづく 
以上T氏

気になるノイズと心地よいノイズ、どちらともいえないノイズがある。 風鈴がかすかに流れて涼しと感じることもあれば、毎日毎日聞かされて五月蝿くて近所迷惑だとストレスにもなり得る。 虫の鳴き声、外国人のほとんどは生理的に受け入れられない騒音らしいが、わが国では虫の音にある色を愛でる人は多い。 バッハのポリフォニーを芸術と崇める人にしてみれば、ガムラン音楽やジャズはノイズの渦だと指摘する方もいらっしゃる。 こうしてみると、私たちの身の回りにはありとあらゆるノイズが満ち満ちている。 しかし、ノイズがないと宇宙空間の無音状態と同じ、僕なんかは発狂してしまうのではないか。

http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52278470.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/473.html#c14

[番外地8] プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています 中川隆
2. 中川隆[-11672] koaQ7Jey 2020年8月25日 19:41:35 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[43]
現在の日本は「放漫財政」で危険
プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:
いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。

三橋さんの基礎学力や一般教養は商業高校出身者レベルの様な気がしてきた。

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/274.html#c2

[近代史5] ギリシア人の起源

ギリシア人の起源


ギリシャ文明のルーツが青銅器時代の遺骨DNAから明らかになった。
西川伸一 | NPO法人オール・アバウト・サイエンスジャパン代表理事
2017/8/11
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20170811-00074383/

ヨーロッパ、アポロ、ナイキ、アンドロメダ、ヴィーナスという名前を聞いたこともないという人は少ないはずだが、これらがギリシャ神話の登場人物に由来することはあまり知られていない。我々日本人には気がつかないが、ギリシャ文明はヨーロッパ文明に深く根を下ろしている。事実、ヨーロッパの美術館に行けば、あらゆる時代を通してギリシャ神話や歴史が絵画や彫刻の題材になっているのがわかる。ところが、私たち日本人はギリシャ文明を体系的に学ぶことはまずないため、ギリシャだけでなく、西欧の文化を理解するときどうしても壁を感じてしまう。結果、演劇でもオペラでも、ギリシャ文化が題材だと、背景がわからないため、ほとんど理解できずに悔しい思いをする。

このギリシャ神話や叙事詩に描かれているのが、ポリスを中心にしたギリシャ文明のルーツと言われている紀元前2000年にクレタ島を中心に栄えたミノア文明と、紀元前1500年ペロポネソス半島を中心にしたミケーネ文明だ(写真)。ホメロスの叙事詩を史実と確信したシュリーマンの発掘物語は今も鮮明に覚えている。

このように、ミノア文明とミケーネ文明がギリシャ文明のルーツであることを疑う余地はないが、ともに線文字を使う文明を支えた人たちのルーツや、その後のギリシャ文明を支えた人たちとの関係については、想像の域を出なかった。ところが近年、遺跡から出土する人骨のDNAの解析が可能になり、この問題を解明できるのではという期待が生まれていた。

そしてついに、米国ハーバード大学、ワシントン大学、そしてドイツ・ライプチヒのマックスプランク研究所が協力して、ミノア、ミケーネの青銅時代の遺跡に残された人骨のゲノムを解析し、両者の関係、ルーツ、そして現代ギリシャ人との関係を明らかにし、昨日発行のNatureに発表した(Lazaridis et al, Nature, 548:214)。

論文を読むと、ギリシャだけでなくヨーロッパとその周辺で出土した様々な時代のゲノム解析が急速に進んでいることがよくわかる。これらの蓄積があって初めてこの研究も成立している。この周辺の民族のDNAと比べると、ミノア人とミケーネ人はほぼ同一と言っていいほど近縁で、新石器時代のアナトリア人(現在のトルコに相当する)に共通の起源を有しており、エーゲ・アナトリア青銅器文明の担い手と一括りにできる。

とはいえ、両者のゲノムは完全に同じではなく、明確に分離可能でもある。ミノア人は石器時代のアナトリア人にイランやコーカサス地方の民族の遺伝子が混じっている。一方、ミケーネの方はアナトリア人を土台に東欧やシベリアなど北方の狩猟民族のDNAが混じっている。また地理的な近さから予想できるように、ミケーネ人の方が現代ギリシャ人に近い。ただ現代ギリシャ人の成立過程で、石器時代の土着民のDNAが交雑して形成されている。

もちろん、これはゲノム上に存在する各民族のDNAの割合の話で、実際にどのように交雑が進んだのかは今回の解析からは明らかになっていない。おそらくミノア、ミケーネ相互の交雑もあり、常に他の民族との交雑も繰り返されたと思う。稀にしか交流がなかったネアンデルタールと現代人のような単純な図式で決めることはできない。一つの文化が多様化したのか、あるいは多様な文化が合わさって共通文化ができたのかについてすら、まだまだ研究が必要だろう。その意味で、ゲノムと遺物解析を基盤とした全く新しい考古学が必要に成る。

文化的に重要なのは、今回解析されたミケーネ王族のゲノムは一般市民のゲノムとほとんど同じで、国家の階層が一つの民族から形成されていたこともわかる。

推計学的解析が進めば、同じデータからもっと多くのことがわかるだろう。また、DNAの抽出さえうまくいけば、多くの遺骨からより複雑な民族間の関係が明らかに成るだろう。今も未解読な線文字A解読のヒントになるかもしれない。

このように古代人DNAの解析は今歴史学を大きく変えようとしている。おそらく数年もすると、教科書のギリシャ史も書き換えられるだろう。ひょっとしたら、日本人にももっとギリシャが身近になるかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20170811-00074383/


▲△▽▼


雑記帳 2017年08月04日
青銅器時代のミノア人とミケーネ人のDNA解析(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201708/article_4.html

 これは8月4日分の記事として掲載しておきます。青銅器時代のミノア人とミケーネ人のDNA解析に関する研究(Lazaridis et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。これまでの古代DNA研究で、初期ヨーロッパ農耕民の主要な祖先は、紀元前7千年紀からギリシアと西部アナトリア半島に居住していた、複数のきわめて類似した新石器時代の集団とされています。それ以降、青銅器時代までのこれらの地域の歴史についてはさほど明確になっておらず、ギリシア本土とクレタ島の集団間の遺伝的類似性の程度と、これらの集団と他の古代ヨーロッパ人集団や現代ギリシア人との類縁関係などが曖昧なままでした。

 この研究は、紀元前2900〜1700年頃のクレタ島の10人、紀元前1700〜1200年頃のミケーネ文化の4人、紀元前2800〜1800年頃の南西部アナトリア半島の3人、ミケーネ人到来後のクレタ島の1人、「文明」出現前となる紀元前5400年頃のギリシア本土の1人のゲノム規模のデータを解析しました。その結果、ミノア人とミケーネ人が遺伝的によく類似しており、遺伝子プールの3/4は西部アナトリア半島およびエーゲ海地域の最初の新石器時代農耕民に、残りの大半はコーカサスおよびイランの最初の新石器時代農耕民に由来する、と推定されています。

 しかし、ミノア人とミケーネ人の違いも明らかになっています。ミノア人とは異なってミケーネ人には、青銅器時代のユーラシア草原地帯またはアルメニアの集団からの遺伝子流動が確認されました。また、現代ギリシア人がミケーネ人と共通祖先を有しつつも、新石器時代前期の祖先からの系統がさらにある程度希釈されたことも明らかになりました。新石器時代〜青銅器時代にかけて、エーゲ海地域の人類集団は継続的だったものの、孤立してはいなかった、とこの研究では指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【ゲノミクス】ミケーネ人とミノア人

 ギリシャ本土出身のミケーネ人とクレタ島出身のミノア人を含む古代のヨーロッパ人種とアナトリア人種(合計19名)のゲノムデータを報告した論文が、今週のオンライン版に掲載される。この新知見は、青銅器時代にエーゲ海地方に出現し、ホメロスとヘロドトスに始まる古代の詩と歴史の伝統によって知られた最古の2つの著名な考古文化の起源に関する新たな手掛かりとなっている。

 これまでの古代DNA研究で、初期ヨーロッパ農耕民の主たる祖先は紀元前7千年紀からギリシャとアナトリア西部に居住していた複数の極めて類似した新石器時代の集団とされている。それ以降、青銅器時代までのこれらの地域の歴史については、それほど明確になっておらず、ギリシャ本土とクレタ島の集団間の遺伝的類似性の程度とこれらの集団と他の古代ヨーロッパ人集団や現代ギリシャ人との類縁関係など数々の疑問が残っている。

 今回、Iosif Lazaridisたちの研究グループは、合計19名の古代人(紀元前約2900〜1700年のクレタ島出身のミノア人10名、紀元前約1700〜1200年のギリシャ本土出身のミケーネ人4名、紀元前約2800〜1800年のアナトリア南西部の出身者3名を含む)のゲノム全域のデータを解析した。その結果、ミノア人とミケーネ人が遺伝的に非常によく似ており、その約4分の3がアナトリア西部とエーゲ海地方の最初の新石器時代の農耕民を共通祖先としており、残りの大部分が古代のコーカサス地方とイランの集団を祖先としていることが判明した。一方、ミケーネ人は、ミノア人とは異なり、青銅器時代にユーラシアのステップ(東ヨーロッパと北ユーラシアを含む地域)に居住していた人々を祖先とする者もいた。また、Lazaridisたちの解析では、現代ギリシャ人がミケーネ人と共通の祖先を持ちつつも、新石器時代前期の祖先からの系統がさらにある程度希釈されたことも判明した。


参考文献:
Lazaridis I. et al.(2017): Genetic origins of the Minoans and Mycenaeans. Nature, 548, 7666, 214–218.
http://dx.doi.org/10.1038/nature23310


追記(2017年8月10日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。


人類学:ミノア人とミケーネ人の遺伝的起源

人類学:青銅器時代のヨーロッパ人の遺伝的祖先

 ヨーロッパにおいて青銅器時代に出現した最も著名な文明には、いずれもエーゲ海地域である、クレタ島のミノア文明やギリシャ本土のミケーネ文明などがある。I Lazaridis、D Reich、J Krause、G Stamatoyannopoulosたちは今回、ミノア人、ミケーネ人、およびその東部に位置する南西アナトリアに由来するの人々を含む、古代人19体の新しいゲノム規模のデータを解析することで、これら2つの考古学的文化の起源を調べた。ミノア人とミケーネ人は西アナトリア人やエーゲ海地域の人々を共通祖先としていて遺伝的に非常に類似しているが、ミケーネ人はさらに青銅器時代のユーラシアのステップ地域の居住民と類縁関係がある祖先を持つという違いがあることも分かった。

https://sicambre.at.webry.info/201708/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/275.html

[番外地8] 新型コロナと HIV は「ほぼ完全な兄弟」であることが判明 中川隆
1. 中川隆[-11671] koaQ7Jey 2020年8月26日 06:04:07 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[1]
コロナは空気感染するエイズだというのが確定しました:
新型コロナと HIV は「ほぼ完全な兄弟」であることが判明。双方のウイルスが「人間の免疫細胞を破壊するメカニズム」において同じであることが見出される
https://indeep.jp/coronavirus-uses-same-strategy-hiv-to-attack-immune-response/

「Covid-19 は HIV」:米ペンシルバニア大学の研究で新型コロナウイルスが人間の重要な免疫細胞を「エイズ同様に消滅させている」と結論付けられる
https://indeep.jp/how-novel-coronavirus-destruct-humsn-immune-system/

[衝撃] 新型コロナウイルスは「人間の免疫機能の中心であるT細胞を攻撃」し、免疫系を完全に破壊する「HIV / エイズウイルスと同じ特徴を持っている」ことが米中の研究者により確認される
https://indeep.jp/novel-coronavirus-is-determined-to-be-the-same-as-hiv-virus/

▲△▽▼

新型コロナウィルスは免疫を破壊し血管を破壊するウイルス
エイズとエボラ出血熱とサーズの遺伝子を人工的に組み込んだ生物兵器

感染した人の症状と経過
 
若い人でも
・脳に重大な損傷を受ける
・免疫細胞を破壊される(エイズと同じ)
・倦怠感や風邪の症状が一生続き、元気を失う
・無症状でも10年以内に100人中80人死ぬ
・一生、味や香りを感じなくなる
・100人中87人後遺症が残る
・無症状でも他人にうつす
・100人中15人が死に、100人中50人は無症状
・血管をズタズタに壊し最後は血管が破れて死ぬ(エボラ出血熱と同じ)
・息、鼻水、汗、糞、尿からウィルスを放出、感染させる
・血管内に入り全身でウィルスが増殖する

新型コロナウィルスの特徴
・致死率はインフルエンザの110倍
・インフルエンザ並みの感染力
・1年中感染し、物の表面上でも2週間生存する
・動物にも感染する
・紫外線に弱く、エタノール、アルカリ、オゾンで殺菌出来る

感染を予防する行動について
・外に出ない(空気感染、飛沫感染、接触感染防止)
・手洗い、手の消毒(接触感染防止)
・目を触らない、顔を舐めない(接触感染防止)
・体調が悪い場合は外に出ない(空気感染、飛沫感染、接触感染防止)
・服を洗濯(接触感染防止) ・シャワー(接触感染防止)
・外出先でトイレを使わない(粉塵感染防止)
・3密 集まらない、近寄らない、密閉しない
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/222.html#c1

[番外地8] ロシア革命はユダヤ革命だという妄想を誰が広めたのか?
ロシア革命はユダヤ革命だという妄想を誰が広めたのか?
元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は手垢にまみれたユダヤ陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。
ロシア革命の指導者の多くはユダヤ人であり、革命を資金支援したのも米英のユダヤ系金融機関だったと馬渕はいう。しかしロシアのユダヤ人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持するユダヤ人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、ユダヤ人陰謀説を否定している。

また馬渕は、米国の中央銀行である連邦準備銀行について、連邦政府の機関ではなく100%の民間銀行だと述べる。たしかに各地の地区連銀はその株式を地元の民間銀行が保有し、形式上は民間銀行といえる。しかしその業務は政府によって厳しく規制されているし、利益の大半は国庫に納めなければならない。地区連銀を統括する連邦準備理事会になると、完全な政府機関である。

馬渕はニューヨーク連銀の株主一覧なるものを掲げ、主要な株主は欧州の金融財閥ロスチャイルド系の銀行だと解説する。そこにはたとえば「ロスチャイルド銀行(ベルリン)」が挙げられているが、ベルリンには昔も今も、ロスチャイルドの銀行は存在しない。ドイツではフランクフルトにあったが、それも米連銀が発足する以前の1901年に廃業している。

前防大教授でもある馬渕はこうした嘘を並べ立てたあげく、ユダヤ人の目的はグローバリズムによって人類を無国籍化することであり、日本はナショナリズムによってこれに対抗せよと主張する。規制や関税に守られ、消費者を犠牲にして不当な利益を得てきた事業者やその代弁者である政治家・官僚にとってまことに都合のよいイデオロギーである。

約二十年前、オウム真理教が国家転覆を企てたのは、ユダヤ陰謀論を信じ、その脅威に対抗するためだった。無責任な陰謀論は、新聞の誤報に劣らず、害悪を及ぼすのである。

馬渕は駐ウクライナ大使の前は、駐キューバ大使だった経歴もある。旧共産圏に駐在しているうちに、いつのまにか、共産主義者のユダヤ陰謀論にかぶれてしまったようなのだ。

 馬渕の本を読まずともこの種の陰謀論はたくさんあるのだが、馬渕氏の本からは最新のロシア流ユダヤ陰謀論が読み取れる。ユダヤ陰謀論業界では、いまや、ユダヤとプーチンとの最終戦争の真っ只中なのだ。

『世界を操る支配者の正体』では、「2013年11月以来のウクライナ危機は、ロシア支配をめぐる戦いです。世界制覇を目論む国際金融勢力が、ロシアに最後の戦いを挑んできたのです」「ロシアとアメリカ(実際はアメリカ政府を牛耳っているウォール街に本拠を置く国際金融勢力)の新しい冷戦の開始です。(略)さらに、今回の冷戦は(略)場合によっては熱戦、すなわち第三次世界大戦に発展する危険性が決して排除されないのです」

「現在の世界は、グローバリズムとナショナリズムの壮絶な戦いの真っ只中にあります。グローバリズムの旗手がアメリカの衣を着た国際金融財閥であるとすれば、ナショナリズムの雄はプーチンのロシアです。ロシアを巡る戦いはグローバリズムとナショナリズムの最終戦争、つまりハルマゲドンであると言えるのです。(略)世界の運命を国際金融勢力とロシアのプーチン大統領のみに任せておいて、私たちはただただ傍観していてよいのでしょうか」

 一九世紀末パリでロシア秘密警察によって作られたユダヤ陰謀論の2014年最新バージョンを日本の保守論壇にバラまく元駐ウクライナ大使。

 外務省には毎日、全世界の大使館から情勢報告や分析に関する公電(電報)が届くというが、ひょっとしたら、その内容はこういったウンザリな陰謀論ばかり、なのかもしれない!?
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/278.html

[番外地8] ロシア革命はユダヤ革命だという妄想を誰が広めたのか? 中川隆
1. 中川隆[-11670] koaQ7Jey 2020年8月26日 06:32:22 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[2]
ロシア革命は yudaya 革命だという妄想を誰が広めたのか?
元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は手垢にまみれた yudaya 陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。
ロシア革命の指導者の多くは yudaya 人であり、革命を資金支援したのも米英の yudaya 系金融機関だったと馬渕はいう。しかしロシアの yudaya 人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持する yudaya 人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、 yudaya 人陰謀説を否定している。

また馬渕は、米国の中央銀行である連邦準備銀行について、連邦政府の機関ではなく100%の民間銀行だと述べる。たしかに各地の地区連銀はその株式を地元の民間銀行が保有し、形式上は民間銀行といえる。しかしその業務は政府によって厳しく規制されているし、利益の大半は国庫に納めなければならない。地区連銀を統括する連邦準備理事会になると、完全な政府機関である。

馬渕はニューヨーク連銀の株主一覧なるものを掲げ、主要な株主は欧州の金融財閥ロスチャイルド系の銀行だと解説する。そこにはたとえば「ロスチャイルド銀行(ベルリン)」が挙げられているが、ベルリンには昔も今も、ロスチャイルドの銀行は存在しない。ドイツではフランクフルトにあったが、それも米連銀が発足する以前の1901年に廃業している。

前防大教授でもある馬渕はこうした嘘を並べ立てたあげく、 yudaya 人の目的はグローバリズムによって人類を無国籍化することであり、日本はナショナリズムによってこれに対抗せよと主張する。規制や関税に守られ、消費者を犠牲にして不当な利益を得てきた事業者やその代弁者である政治家・官僚にとってまことに都合のよいイデオロギーである。

約二十年前、オウム真理教が国家転覆を企てたのは、 yudaya 陰謀論を信じ、その脅威に対抗するためだった。無責任な陰謀論は、新聞の誤報に劣らず、害悪を及ぼすのである。

馬渕は駐ウクライナ大使の前は、駐キューバ大使だった経歴もある。旧共産圏に駐在しているうちに、いつのまにか、共産主義者の yudaya 陰謀論にかぶれてしまったようなのだ。

 馬渕の本を読まずともこの種の陰謀論はたくさんあるのだが、馬渕氏の本からは最新のロシア流 yudaya 陰謀論が読み取れる。 yudaya 陰謀論業界では、いまや、 yudaya とプーチンとの最終戦争の真っ只中なのだ。

『世界を操る支配者の正体』では、「2013年11月以来のウクライナ危機は、ロシア支配をめぐる戦いです。世界制覇を目論む国際金融勢力が、ロシアに最後の戦いを挑んできたのです」「ロシアとアメリカ(実際はアメリカ政府を牛耳っているウォール街に本拠を置く国際金融勢力)の新しい冷戦の開始です。(略)さらに、今回の冷戦は(略)場合によっては熱戦、すなわち第三次世界大戦に発展する危険性が決して排除されないのです」

「現在の世界は、グローバリズムとナショナリズムの壮絶な戦いの真っ只中にあります。グローバリズムの旗手がアメリカの衣を着た国際金融財閥であるとすれば、ナショナリズムの雄はプーチンのロシアです。ロシアを巡る戦いはグローバリズムとナショナリズムの最終戦争、つまりハルマゲドンであると言えるのです。(略)世界の運命を国際金融勢力とロシアのプーチン大統領のみに任せておいて、私たちはただただ傍観していてよいのでしょうか」

 一九世紀末パリでロシア秘密警察によって作られた yudaya 陰謀論の2014年最新バージョンを日本の保守論壇にバラまく元駐ウクライナ大使。

 外務省には毎日、全世界の大使館から情勢報告や分析に関する公電(電報)が届くというが、ひょっとしたら、その内容はこういったウンザリな陰謀論ばかり、なのかもしれない!?  
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/278.html#c1

[番外地8] プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています 中川隆
3. 中川隆[-11669] koaQ7Jey 2020年8月26日 06:49:38 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[3]
「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:
いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。
三橋さんの基礎学力や一般教養は商業高校出身者レベルの様な気がしてきた。
専門家の受け売りをしているだけみたいだから、人前で話さえしなければ嘘もバレないのにね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/274.html#c3

[番外地8] 馬渕さんのネオコンは共産主義者だとか、国際金融資本・グローバリストは左翼というのは妄想
馬渕さんのネオコンは共産主義者だとか、国際金融資本・グローバリストが左翼というのは妄想
国際金融資本、ネオコンとそのエージェントの CIA は共産主義国を潰す為に必死で工作していた、
そもそもスターリンやソ連はヒトラーに近い右翼国家社会主義者だよ、建前はともかくマルキストじゃない。
共産革命というのは現在みたいに階級社会が完成して下の階級の人が食っていけなくなった段階で初めて起きるものだからね。共産主義が失敗したというのはCIAの自作自演のプロパガンダだよ。右翼はIQ低いから簡単に騙されるんだな:

山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。
よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが、重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

ang********さん 2009/6/22 07:16:49
重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。
要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。

P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月7日
@mayshigenobu @cinematoday
重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?


P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月9日
@cinematoday @mayshigenobu
ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。

▲△▽▼

あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

1960年代から80年代にかけてイタリアでは爆弾テロが続き、「極左」の犯行だとされて左翼たたきの口実に使われましたが、実際はイタリアの情報機関に操られた右翼団体が実行していたのです。これは1990年にイタリア政府も認めています。イタリアの情報機関を背後から操っていたのがアメリカやイギリスの情報機関だということも判明しています。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/279.html

[番外地8] 馬渕さんのネオコンは共産主義者だとか、国際金融資本・グローバリストは左翼というのは妄想 中川隆
1. 中川隆[-11668] koaQ7Jey 2020年8月26日 07:17:30 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[4]
馬渕さんのネオコンは共産主義者だとか、国際金融資本・グローバリストが左翼というのは妄想
国際金融資本、ネオコンとそのエージェントの CIA は共産主義運動を潰す為に必死で工作していた、
そもそもスターリンやソ連はヒトラーに近い右翼国家社会主義者だよ、建前はともかくマルキストじゃない。
共産革命というのは現在みたいに階級社会が完成して下の階級の人が食っていけなくなった段階で初めて起きるものだからね。共産主義が失敗したというのはCIAの自作自演のプロパガンダだよ。右翼はIQ低いから簡単に騙されるんだな:

山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。
よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが、重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

ang********さん 2009/6/22 07:16:49
重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。
要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。

P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月7日
@mayshigenobu @cinematoday
重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?


P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月9日
@cinematoday @mayshigenobu
ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。

▲△▽▼

あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

1960年代から80年代にかけてイタリアでは爆弾テロが続き、「極左」の犯行だとされて左翼たたきの口実に使われましたが、実際はイタリアの情報機関に操られた右翼団体が実行していたのです。これは1990年にイタリア政府も認めています。イタリアの情報機関を背後から操っていたのがアメリカやイギリスの情報機関だということも判明しています。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/279.html#c1

[近代史4] 酔狂老人卍 グルメレビュー

酔狂老人卍さんのトップページ [食べログ]
https://tabelog.com/rvwr/00001364/

酔狂老人卍 グルメレビュー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/427.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1007.html

[近代史4] 雪日記 _ 雪山グルメ・山菜
雪日記 _ 雪山グルメ・山菜
http://golgo13zilch.jp/

インドア夜型人間が、30歳過ぎて突然はまった雪山。スキー、スノーボードだけでなく、スポーツ全般からアウトドア、車の運転など、何から何まで初心者な人間が少しずつ成長していきます。


雪山グルメ - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-32.html

下山後グルメ - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-19.html

山菜 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-33.html

甘日記 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-60.html

糠日記 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-61.html

休日 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-34.html

温泉 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-6.html

雪山お得情報 - 雪日記
http://golgo13zilch.jp/blog-category-27.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1008.html

[近代史4] あびたろうの食べある記

あびたろうの食べある記


ABITARO掲示板
http://abita2000.bbs.fc2.com/

あびたろうの憧れの旅館・ホテル
http://abitaro.com/

あびたろうの食べある記
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あびたろうの旅行記
http://abitaro.blog52.fc2.com/


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1009.html

[番外地8] プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています 中川隆
5. 中川隆[-11667] koaQ7Jey 2020年8月26日 08:55:53 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[7]
「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:
いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。

「プライマリーバランス黒字化目標は、国民赤字化目標です。」

というのは正確には

「プライマリーバランス黒字化目標は、大企業や資本家の利益赤字化目標です。」

なんですね。 金融はゼロサムなので、資本家が得すれば労働者が損します。
三橋さんの言う「損する国民」には労働者は含まれていないのですね。

三橋さんの基礎学力や一般教養は商業高校出身者レベルの様な気がしてきた。
専門家の受け売りをしているだけみたいだから、人前で話さえしなければ嘘もバレないのにね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/274.html#c5

[近代史5] 世界で相次ぐ「後遺症」の報告
世界で相次ぐ「後遺症」の報告


ジョコビッチが引退危機
コロナ後遺症で走ることすら出来ず

■世界で相次ぐ「後遺症」の報告
最近、特に目に付くのは新型コロナの後遺症に関するものだ。

例えば新型コロナにより全身の血管が炎症状態になる「川崎病」と類似した症状が発生するケースは一部のメディアで紹介されているが、この他にも新型コロナの後遺症としては以下のような研究結果が発表されている。

・イタリア・ジェメッリ大学病院などが7月、退院患者143人を追跡調査した結果、回復から平均2か月の段階で87.4%の患者に後遺症があった。
目立ったのは、疲労(53.1%)、呼吸困難(43.4%)、関節痛(27.3%)、胸痛(21.7%)といった症状。

・中国の孫文大学第五附属病院が退院30日後の患者を調べたところ半数以上に肺拡散容量の低下、呼吸筋力の低下、肺画像異常が認められた。

・米国の医学誌『JAMA』に掲載されたイタリア・パドヴァ大学などの研究では発症から4週間経過した軽症患者113人の内、46人(40.7%)は味覚または嗅覚障害が完全には良くならず、12人(10.6%)は症状が変化しないまたは悪化していた。

・英国マンチェスター大学が7月31日、新型コロナに感染し退院から8週間が経過した121人を対象に調査したところ、8人が聴力の悪化、8人が耳鳴りの症状など、合わせて16人が聴覚の異常を報告。

・「キドニー・インターナショナル」誌の調査ではニューヨークの医療法人の新型コロナ患者3分の1以上で急性腎障害が見られ15%近くで人工透析が必要になった。

・イタリアのジョバンニ23世病院では600人近い新型コロナ患者の予後に肺機能の障害が約30%、神経学的な問題が10%、心臓の問題が10%、慢性的な運動能力障害が約9%に見られる。

・ドイツのフランクフルト大学病院の研究チームが新型コロナから回復した100人以上の人々の心臓の健康を調べ、そのうち50人が感染前に健康で57人が心臓病のリスクが高いグループに属していた。

等々、取り上げれば枚挙に暇がない。
8/23(日) 7:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/38bb48131b0d9a979196d63478c72c643668672c?page=1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/276.html

[番外地8] 東京裁判で強制連行の証拠は沢山提出されているよ:
東京裁判で強制連行の証拠は沢山提出されているよ:
日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。

 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、

「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」

と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、

「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」

と認定している。

 一連の資料について林教授は

「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」

と話している。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/280.html

[近代史4] 友里征耶の行っていい店、わるい店
友里征耶の行っていい店、わるい店
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友里 征耶さんの自己紹介

職歴

某小規模機械装置メーカー
代表取締役社長 · 2015年7月から現在 · 神奈川県 藤沢市

某零細機械商社
シャチョー · 1985年5月から現在
副業:自称 自腹覆面レストラン評論家


東芝 セールスエンジニア · 1980年〜1985年


学歴

慶応義塾大学大学院
1981年卒業 · 流体機械 · 横浜市

居住地と出身地 港区


友里 征耶さんの自己紹介
自称 自腹覆面のレストラン批評家。 店と癒着せずヨイショ記事を書かず、タダ飯やお車代の誘惑にも負けず、勿論飲食業界からの脅しにも屈せず、一般客の一般客による一般客のためのレストラン評論を目指しています。 「性格の悪い料理人の店にうまいものなし」、これ友里の定説です。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1010.html

[近代史4] アメリカ人は頭がおかしい 中川隆
14. 中川隆[-11666] koaQ7Jey 2020年8月26日 13:22:10 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[11]
2020.08.26
恐怖政治が生み出した自粛警察は社会を収容所化する
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008260000/


 社会を収容所化しようという願望をアメリカの支配者は以前から持っていた。そうした支配者のネットワークはアメリカ政府の中にも張り巡らされていたが、その政府機関が第2次世界大戦後、ナチスの残党などを救出、逃亡、保護、雇用したことは有名な話だが、そうした関係は大戦の前から始まっている。


 19世紀のアメリカでは、「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが大きな力を持っていた。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いたと人びとは考え、こう呼んだわけである。そうした「男爵」の中にはジョン・D・ロックフェラー、J・P・モルガン、アンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、エドワード・ヘンリー・ハリマン、アンドリュー・W・メロンなどが含まれていた。


 20世紀に入ると金融資本の力が強まり、ウォール街が権力の中枢になった。ウォール街はイギリスの金融資本と緊密な関係にある。1929年からアメリカ大統領を務めたハーバート・フーバーも金融界の操り人形だった。


 そのフーバーをニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年のアメリカ大統領選挙で破る。そこでウォール街の住人はルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画した。


 ウォール街で最も影響力が強かったJPモルガンはクーデターの司令官として陸軍参謀長だったダグラス・マッカーサーを望む。この軍人が結婚した相手の母親はJPモルガンの共同経営者だったからだ。


 しかし、当時、アメリカの軍人から最も信頼されていたのは海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将。この人物を抱き込まないとクーデターは成功しないという意見に押され、バトラーを抱き込む工作が始まる。そしてウォール街のメッセンジャーが説得のためにバトラーの下を訪れるのだが、少将は計画の内容を詳しく聞き出した上で拒否、カウンタークーデターを宣言し、議会で告発している。


 この話を知ったジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという発言を引き出した。この段階でアメリカの金融資本はファシストだったと言える。


 バトラーによってクーデターは失敗に終わるが、ウォール街の力は衰えない。1945年4月にフランクリン・ルーズベルトが急死した後、金融資本はホワイトハウスを奪還、反ファシスト勢力を「赤狩り」という形で弾圧することになる。


 そうした弾圧の中、1950年9月に「1950年国内治安法(マッカラン法)」が成立、1968年4月にMartin Luther King, Jr.牧師が暗殺された直後の大規模な蜂起が引き金になり、アメリカ軍は暴動鎮圧を目的とした2旅団(4800名)を編成した(ガーデン・プロット作戦)。1970年には戦争に反対する人びとを取り締まるため、令状なしの盗聴、信書の開封、さまざまな監視、予防拘束などをFBIやCIAなどに許す法案が作成された。ヒューストン計画が、これは司法長官だったジョン・ミッチェルが拒否して実現しなかった。


 ヒューストン計画は1979年にFEMA(連邦緊急事態管理庁)として現実化、1984年には「国家緊急事態」の際に多数の人びとを拘束するというRex 84が作成され、訓練も行われた。これはCOGにつながる。


 現在、アメリカの一部支配者は世界を収容所化しようとしている。その口実に使っているの悪霊化されたCOVID-19だが、そうした目論見ははるか以前から存在するわけだ。


 日本では関東大震災の2年後に治安維持法が制定され、思想統制の核になっていく。その仕組みを実際に動かしたのが内務官僚、思想検察、特高警察だが、この人脈は大戦後も生き続けた。今、日本で戦前と同じようなことが行われているのは必然だと言えるだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008260000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/556.html#c14

[近代史5] ローマ人の起源

ローマ人の起源


2019年11月09日
長期にわたるローマ住民の遺伝的構成の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_21.html


 長期にわたるローマ住民の遺伝的構成の変遷に関する研究(Antonio et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。紀元前8世紀、ローマはイタリア半島の多くの都市国家の一つでした。1000年も経たないうちに、ローマは地中海全域を中心とする古代世界最大の帝国の首都となる大都市に成長しました。イタリア半島の一部として、ローマは独特な地理的位置を占めています。北はアルプス山脈により部分的に隔てられ、言語・文化・人々の移動にとって自然の障壁となります。またローマは、とくに青銅器時代の航海の大きな発展後は、地中海市周辺地域と密接につながるようになりました。ローマの歴史は広く研究されてきましたが、古代ローマの遺伝学的研究は限られています。

 本論文は、ローマの住民の遺伝的構成とその変遷の解明のため、ローマおよびイタリア中央部の29ヶ所の考古学的遺跡から127人の全ゲノムデータを生成しました。年代の推定は、直接的な放射性炭素年代測定法(33人)と考古学的文脈(94人)により得られました。DNAは内耳錐体骨の蝸牛部から抽出されました。内耳錐体骨には大量のDNAが含まれています。ゲノム規模解析の網羅率は平均1.05倍(0.4〜4.0倍)です。この個体群は時系列的には、中石器時代の狩猟採集民、新石器時代〜銅器時代農耕民、鉄器時代〜現代の個体群という遺伝的に異なる3クラスタに分類されます。

 より詳細な時代区分では、紀元前10000〜紀元前6000年頃となる中石器時代が3人、紀元前6000〜紀元前3500年頃となる新石器時代が10人、紀元前3500〜紀元前2300年頃となる銅器時代が3人、紀元前900〜紀元前27年となる鉄器時代が11人、紀元前27年〜紀元後300年となる帝政期が48人、紀元後300〜紀元後700年頃となる古代末期が24人、紀元後700〜紀元後1800年頃となる中世〜近世が28人、現代が50人です。なお、紀元前2300〜紀元前900年頃となる青銅器時代の標本はありません。

 歴史時代の個体群は、地中海およびヨーロッパの現代人集団(人口)と近似します。129人のうち最古の個体は紀元前10000〜紀元前7000年頃となる、中石器時代のアペニン山脈のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)狩猟採集民3人です。この3人は、同時代のヨーロッパの他地域の狩猟採集民(ヨーロッパ西部狩猟採集民、WHG)と遺伝的に近接しています。この3人はヘテロ接合性が近世イタリア中央部集団より30%低く、以前のWHGに関する推定と一致します。人口が少なく、遺伝的多様性が低かったことを反映しているのでしょう。この後、新石器時代にヘテロ接合性は急増し、その後は小さく増加していき、2000年前頃には現代人の水準に達します。

 ローマおよびイタリア中央部住民の最初の主要な遺伝的構成の変化は紀元前7000〜紀元前6000年頃に起き、新石器時代の開始と一致します。ヨーロッパの他地域の初期農耕民と同様に、イタリア中央部の新石器時代集団はアナトリア半島農耕民と遺伝的に近接しています。しかし、イタリア中央部新石器時代集団には、アナトリア半島北西部農耕民系統だけではなく、新石器時代イラン農耕民系統とコーカサス狩猟採集民系統(CHG)も少ないながら見られ、前者はやや高い割合になっています。これは、おもにアナトリア半島北西部系統を有する同時代のヨーロッパ中央部およびイベリア半島集団とは対照的です。さらに、新石器時代イタリア農耕民集団は、5%程度の在来狩猟採集民と、追加のコーカサス狩猟採集民系統(CHG)もしくは新石器時代イラン農耕民系統を有する95%程度のアナトリア半島もしくはギリシア北部新石器時代農耕民系統との混合としてモデル化できます。これらの知見は、ヨーロッパ中央部および西部と比較して、イタリアの新石器時代移行に関する異なるもしくは追加の集団を指摘します。後期新石器時代および銅器時代には、低い割合ながらWHG系統が次第に増加していき、同時期のヨーロッパ他地域と同じ傾向が見られます(関連記事)。これは、新石器時代にもWHG系統を高水準で有し続けた集団との混合を反映しているかもしれません。

 ローマおよびイタリア中央部住民の第二の主要な遺伝的構成の変化は紀元前2900〜紀元前900年頃に起きましたが、青銅器時代の標本が得られておらず、空白期間があるため、その正確な年代は特定できません。この期間に、主要な技術的発展により集団の移動性が増加しました。近東およびポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の戦車(チャリオット)と馬車の発展により、陸上での移動が可能となりました。また青銅器時代には航海技術が発展し、地中海全域の航海がより容易になって航海を促進し、後期青銅器時代と鉄器時代には、地中海を越えてギリシア・フェニキア(カルタゴ)植民地が拡大していきました。

 紀元前900〜紀元前200年となる共和政期を含む鉄器時代では11人のゲノムデータが得られました。鉄器時代の個体群の遺伝的構成は銅器時代と明らかに異なっており、草原地帯系統の追加と、新石器時代イラン農耕民系統の増加として解釈されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけて、イタリア中央部集団は、ポントス-カスピ海草原起源の遊牧民集団より30〜40%程度の遺伝的影響を受けたとモデル化でき、これはヨーロッパの多くの青銅器時代集団と類似しています。鉄器時代のイタリアの草原地帯関連系統の存在は、直接的な草原地帯起源集団の遺伝的影響ではなく、中間的集団との遺伝的交換を通じて起きた可能性があります。さらに、複数の起源集団が、鉄器時代以前の遺伝的構成の変化に、同時にまたはその後に影響を及ぼしたかもしれません。遅くとも紀元前900年までに、イタリア中央部集団は現代の地中海集団と遺伝的に近接し始めました。

 国家としてのローマの起源に関する直接的な歴史学的もしくは遺伝学的情報はありませんが、考古学的証拠からは、ローマは前期鉄器時代には近隣のエトルリア人やラテン人の諸勢力の間に位置する小規模な都市国家だった、と示唆されます。ローマとギリシアやフェニキア(カルタゴ)の植民地との接触は、象牙・琥珀・ダチョウの卵殻など地元では入手できない物質や、ライオンなど地元には存在しない動物のデザインからも明らかです。鉄器時代の11人はひじょうに多様な系統を示し、鉄器時代にイタリア中央部へ移住してきた複数の起源集団を示唆します。この11人のうち8人は銅器時代イタリア中央部集団と草原地帯関連集団(24〜38%)の混合としてモデル化できますが、他の3人には当てはまりません。この3人のうちラテン人の遺跡の2人は、在来集団と古代近東集団(最良のモデルは青銅器時代アルメニア集団もしくは鉄器時代アナトリア半島集団)との混合としてモデル化されます。エトルリア遺跡の1人は、顕著なアフリカ系統を有し、それは後期新石器時代モロッコ集団から53%程度の影響を受けている、とモデル化できます。

 これは、エトルリア人(3人)とラテン人(6人)の間のかなりの遺伝的異質性を示唆します。ただ、F統計(単一の多型を対象に、複数集団で検証する解析手法)では、以前もしくは同時代のあらゆる集団と共有するエトルリア人とラテン人のアレル(対立遺伝子)の間の顕著な遺伝的違いは見られませんでした。しかし、小規模な標本では微妙な遺伝的違いの検出には限界があります。先史時代の個体群とは対照的に、鉄器時代個体群は現代のヨーロッパおよび地中海の個体群と遺伝的に類似しており、イタリア中央部が交易・植民地・紛争の新たなネットワークを通じて遠距離共同体とますます接続するようになるにつれて、多様な系統を示します。

 紀元前509〜紀元前27年の共和政の後、ローマは帝政に移行します。本論文は、紀元前27年〜紀元後300年までを帝政期とし、その後は700年までを古代末期(関連記事)としています。ローマの海外拡大は、紀元前264〜紀元前146年のポエニ戦争に始まります。この拡大はその後300年の大半にわたって続き、ブリタニア・モロッコ・エジプト・アッシリアにまで及びました。ローマ市の人口は100万人を超え、ローマ帝国全体の人口は5000万〜9000万人と推定されています。ローマ帝国は、交易ネットワーク・新たな道路・軍事作戦・奴隷を通じて、人々の移動と相互作用を促進しました。ローマ帝国は、領域外のヨーロッパ北部・サハラ砂漠以南のアフリカ・インド・アジア全域との長距離交易も行ないました。これらの史料はよく残っていますが、その遺伝的影響についてはほとんど知られていません。

 帝政期48人の最も顕著な傾向は、地中海東部系統への移行と、ヨーロッパ西部系統の少ない個体群が存在することです。帝政期48人は遺伝的に、ギリシア・マルタ・キプロス・シリアなど現代の地中海および近東集団とほぼ重なります。この移行には新石器時代イラン農耕民系統の割合のさらなる増加が伴います。鉄器時代個体群と比較して、帝政期個体群は青銅器時代ヨルダン人とより多くのアレルを共有しており、青銅器時代レバノン人や鉄器時代イラン人と同様に、帝政期個体群では混合の顕著な遺伝子移入兆候が示されます。帝政期の個体群は、前代の集団と他集団との単純な混合としてモデル化されるよりも、まだ特定もしくは研究されていない起源集団を含む複雑な混合事象だった、と示唆されます。

 帝政期の48人に関しては多様な系統が明らかになり、おもに異なる5クラスタに分類されます。鉄器時代の11人のうち8人が分類されるヨーロッパクラスタには、帝政期の48人のうち2人しか分類されません。一方、約2/3となる31人は、地中海東部および中部クラスタに分類されます。約1/4となる13人は、帝政期よりも前には存在しない近東クラスタに分類されます。主成分分析では、このクラスタ内の一部はレバノンの同時代(紀元後240〜630年)の4人と重なります。さらに48人のうち2人は、アフリカ北部クラスタに分類され、アフリカ北部系統を30〜50%有するとモデル化できます。

 平均的な系統の移行と遺伝的構成における複雑さの増大は、ローマ帝国の地中海全体への領域拡大に続いています。これにより、ローマは地中海全体とつながりましたが、本論文のデータは、帝国内でも他地域より地中海東部からの遺伝的影響がかなり大きい、と示します。これは、考古学的記録とも一致します。ローマの碑文の言語は、ラテン語に次いでギリシア語が多く、アラム語やヘブライ語といったローマ帝国東部の言語も使われました。また、碑文に見える出生地も、移民が一般的に帝国東部出身と示しています。帝国東部となるギリシアやフリギアやシリアやエジプトの宗教施設もローマでは一般的でしたし、ヨーロッパ最古となる既知のシナゴーグはローマの港町であるオスティア(Ostia)にあります。

 一方、ローマと帝国西部との関係についての証拠も豊富に報告されています。たとえば、帝国拡大に続いて、新たな征服地からローマへと奴隷が連れて来られました。ローマはガリアとイベリア半島からワインやオリーブオイル、アフリカ北部西方から穀物や塩など大量の物資を輸入しました。しかし、地中海西部集団と強い遺伝的類似性を有する帝政期の個体は48人のうち2人だけで、帝国西部からの移民は比較的限定的だった、と示唆されます。この理由として、地中海西部よりも東部の方が人口密度は高い、ということが考えられます。アテナイ・アンティオキア・アレクサンドリアなど、帝国東部には大都市が存在しました。また、直接的な移民に加えて、東方系統は、ギリシア・フェニキア(およびカルタゴ)のローマ帝国拡大前の地中海全域への拡散により間接的にもたらされた、とも考えられます。

 ローマに到来する人や物資の大半は海上経由で、ローマの主要港の居住者はイソラサクラ(Isola Sacra)墓地に埋葬されました。本論文で分析対象となったイソラサクラ遺跡の9人は、近東系の遺伝的影響と個人間の多様性の両方を表しています。この9人のうち、4人は近東クラスタ、4人は地中海東部クラスタ、1人はヨーロッパクラスタに分類されます。酸素同位体分析では、この9人全員が地元育ちだと示され、ローマにおける多様な系統を有する人々の長期的居住が示唆されます。ただ本論文は、類似した同位体比の他地域出身の可能性も除外できない、とも指摘しています。

 本論文では紀元後300年頃からとされている古代末期に、ローマ帝国西方は衰退・崩壊していき、帝国の比重はローマからビザンティウム(コンスタンティノープル、イスタンブール)へと移っていきます。古代末期の24人の平均的な系統は近東系から現代のヨーロッパ中央部集団へと移行していきます。具体的には、帝政期の住民とバイエルンもしくは現代バスクの個体群からの後期帝政期個体群(38〜41%)との混合としてモデル化できます。ただ、ほとんどの同時代の古代集団のデータが欠如しているため、起源集団と混合の正確な識別は断定的に述べられません。

 こうした系統の変化は、近東クラスタの大幅な減少、地中海東部および中央部クラスタの維持、ヨーロッパクラスタの顕著な拡大に反映されています。この移行は、紛争や伝染病によるローマの人口の劇的な減少(100万人以上から10万人未満)により促進された、地中海東部との接触の減少と、ヨーロッパからの遺伝子流動により起きたかもしれません。以前にはローマへと集約されていた交易や統治のネットワークはコンスタンティノープルにおいて再編され、人々の移動に影響を及ぼしました。さらに、いわゆる大移動の時代には、ヨーロッパ北部からイタリア半島へと集団が到来し、イタリア半島を征服しました。こうした人口減少や人々の移動経路の変化が、古代末期におけるローマの遺伝的構成の変容をもたらした、と考えられます。

 帝政期におけるローマの高度な個人間の異質性は古代末期でも続きます。古代末期の個体群は、地中海東部および中央部とヨーロッパのクラスタにほぼ三等分されます。一方で、遺伝的にサルデーニャ人に類似している1個体と、現代ヨーロッパ人と重なる2個体も確認されました。古代末期にも続くローマの遺伝的多様性は、継続する地中海西部との交易や大移動とともに、帝国期の交易・移住・奴隷・征服を含むいくつかの起源の結果かもしれません。この時期のイタリア北部のランゴバルド人のゲノムはすでに解析されていますが(関連記事)、本論文は、ランゴバルド人の影響がローマに及んだ可能性を指摘しています。本論文で調査対象とされた、ランゴバルド人関連の装飾品の発見された墓地では、7人のうち5人がヨーロッパクラスタに分類され、先行する帝政期の集団と、イタリア北部のランゴバルド人関連墓地の個体群との混合としてモデル化できます。

 中世と近世のローマおよびイタリア中央部住民においては、主主成分分析ではヨーロッパ中央部および北部系統への移行が観察され、近東および地中海東部クラスタが消滅します。中世の集団はほぼ現代のイタリア中央部集団に重なります。中世と近世のおよびイタリア中央部住民は、ローマの古代末期集団とヨーロッパの追加集団の双方向の組み合わせとしてモデル化でき、ヨーロッパ中央部および北部の多くの集団を含む潜在的な起源が推定されます。その候補として、ハンガリーのランゴバルド人、イングランドのサクソン人、スウェーデンのヴァイキングなどが挙げられます。

 この移行は、中世のローマとヨーロッパ本土との間の関係の進展と一致します。ローマはヨーロッパ中央部および西部の大半にまたがる神聖ローマ帝国に組み込まれました。ノルマン人はフランス北部から多くの地域へと拡大し、その中にはシチリア島やイタリア半島南部も含まれ、1084年にローマは略奪されました。さらに、ローマは神聖ローマ帝国と時には敵対しつつ密接な関係を維持し、カトリック教会の中心的位置としてのローマの役割は、ヨーロッパ全体、さらにはヨーロッパを越えた地域からイタリアへの人々の流入をもたらしました。ローマおよびイタリア中央部住民の遺伝的構成の変化は

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/366/6466/708/F2.large.jpg


 イタリア中央部集団は、農耕を導入した新石器時代と、鉄器時代以前(銅器時代〜鉄器時代の間)の2回、遺伝的構成が大きく変化し、その後に現代の地中海集団と近似し始めました。過去3000年、帝政期における近東からの遺伝子流動や、古代末期以降のヨーロッパからの遺伝子流動は、ローマの政治的立場の変化を反映しています。さらに、各期間内で、個体群は近東・ヨーロッパ・アフリカ北部など多様な系統を示しました。これら高水準の系統多様性はローマ建国前に始まり、帝国の興亡を通じて続き、ヨーロッパと地中海の人々の遺伝的十字路としてのローマの地位を示しています。


参考文献:
Antonio ML. et al.(2019): Ancient Rome: A genetic crossroads of Europe and the Mediterranean. Science, 366, 6466, 708–714.
https://doi.org/10.1126/science.aay6826

https://sicambre.at.webry.info/201911/article_21.html


▲△▽▼
 

2019年09月15日
イタリア半島の人口史
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_38.html

 イタリア半島の人口史に関する研究(Raveane et al., 2019)が公表されました。現代ヨーロッパ人は、旧石器時代〜中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民、アナトリア半島起源の新石器時代農耕民、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団の混合により形成されました

(関連記事)青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html


この草原集団は、ヨーロッパ東部およびコーカサスの狩猟採集民とイラン新石器時代農耕民系統の混合として説明されてきました。しかし、ヨーロッパ南東部の古代DNA分析では、コーカサス集団からの追加の遺伝的影響の存在が識別され、ヨーロッパ人のより複雑な系統構成を示唆します。イタリア半島のような地理的交差点の人口集団は、大陸の多様性を要約すると予想されますが、これまで体系的には研究されてきませんでした。そこで本論文は、イタリアの全20行政区から1616人と、140以上の世界規模の人口集団からの5192人の現代人標本で構成される包括的な一塩基多型データセットを分析し、それに古代人の利用可能なゲノムデータを追加して比較しました。

 現代イタリア人は遺伝的に大きく、サルデーニャ島と北部(北部および中央部北部)と南部(南部および中央部南部とシチリア島)の3集団に区分されます。現代イタリア人は、複数の古代系統の混合です。その基礎的な古代系統はおもに、アナトリア半島新石器時代農耕民(AN)・ヨーロッパ西方狩猟採集民(WHG)・ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)・コーカサス狩猟採集民(CHG)・イラン新石器時代農耕民(IN)です。これらの基礎系統の混合の結果、より新しい派生的古代系統である、ヨーロッパ早期新石器時代集団(EEN)、青銅器時代草原地帯集団(SBA)、青銅器時代アナトリア半島集団(ABA)が形成されます。現代イタリア人に占める基礎的な古代系統では、ANがおおむね56〜72%と最多の比率を占め、サルデーニャ島では80%以上の高い比率を示します。ANの比率はイタリア南部よりも北部の方で高くなっており、AN以外はおおむねWHG・CHG・EHGで占められます。INはイタリア南部のみで検出されました。

 派生的な古代系統では、イタリア南部および北部で高い比率のABAとSBAが検出されました。ABAは南部で、SBAは北部で高い傾向を示します。この南北の違いについて、古代DNAから形成過程が推測されました。紀元前3400〜紀元前2800年頃となるイタリアの人類のうち、レメデッロ(Remedello)個体といわゆるアイスマンは、それぞれANが85%と74%を占めていました。イタリア北部の鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団の紀元前2200〜紀元前1930年頃の個体群は、ABAおよびANとSBAおよびWHGの混合としてモデル化されます。一方、シチリア島(南部集団)の鐘状ビーカー文化集団の紀元前2500〜紀元前1900年頃の個体群は、SBAが5%未満で、ほぼABAで占められるとモデル化されました。イタリア半島南北のABAとSBAの比率の違いは、青銅器時代にまでさかのぼる、と推測されます。こうした古代の混合が起きた推定年代は、イタリアではおもに2000〜1000年前頃で、ヨーロッパの他地域では2500年前頃です。

 本論文は、現代イタリア人におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺伝的影響も検証しました。非アフリカ系現代人のゲノムにはおおむね同じような比率でネアンデルタール人由来の領域が見られますが、地域による違いもあり、アジア東部はヨーロッパよりも有意に高い、と明らかになっています。さらに、ヨーロッパ内でも有意な違いが報告されており、北部は南部よりも高い、と示されています。シチリア島(イタリア南部集団)で確認されているように、ヨーロッパ南部では北部よりも強いアフリカからの遺伝的影響が見られるので、それがネアンデルタール人の遺伝的影響の違いに反映されているのかもしれません。しかし、アフリカ系統を有する個体群の除外後も、この点に関してイタリアとヨーロッパの他地域との違いが確認されました。この一因として、ネアンデルタール人の遺伝的影響を全くあるいは殆ど受けなかった出アフリカ系現生人類集団である、「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響が指摘されています(関連記事)。本論文の再検証でも、基底部ユーラシア人の遺伝的影響の可能性が依然として示唆されました。

 本論文は、表現型との関連でもネアンデルタール人の影響を検証しています。ネアンデルタール人の遺伝子の中には、表現型との関連が明らかなものもあります。たとえば、精巣や日光暴露の遺伝子発現量の増加関連遺伝子(IP6K3とITPR3)や、心血管と腎臓疾患の感受性関連遺伝子(AGTR1)や、脆弱角膜症候群関連遺伝子(PRDM5)などです。これらの中には、一部の現代人に継承されているものもあり、ホスホリパーゼA2受容体と関連しているPLA2R1遺伝子では、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの比率が、ヨーロッパ北部で少なくとも43%、ヨーロッパ南部ではほぼ35%となります。全体として、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの比率には地域的な違いが見られ、たとえば、アジア東部で低くヨーロッパで高いものがあります。またヨーロッパ内部では、北部で高く南部で低いものや、その逆もあります。これは、何らかの選択が作用した可能性を示唆します。

 上述のように、現代イタリア人の間の遺伝的な地理的パターンは、南部・北部・サルデーニャ島で3区分され、その遺伝的構造はヨーロッパの他地域と同様に、先史時代以来の人口集団移動に続く孤立と、歴史時代のヨーロッパ他地域からの混合を反映しています。古代および現代の遺伝的データの分析からは、イタリア人集団では、CHGとEHGに関連する系統が少なくとも2つの起源から派生している、と示唆されます。その一方はSBA系統で、ポントス-カスピ海草原からの遊牧民集団と関連していま。上述の鐘状ビーカー文化集団の事例で示されているように、SBA系統はヨーロッパ本土からイタリア半島に、遅くとも青銅器時代には到達していました。

 他方はCHG系統と関連しており、おもにイタリア半島南部に影響を及ぼしています。CHG系統の起源はまだ不明ですが、イタリア南部において青銅器時代に存在した可能性があります。CHGの比率はサルデーニャ島とイタリアの古い個体群でたいへん低いのですが、現代のイタリア南部集団で見られることから、相互に排他的ではない複数の可能性が想定されます。それは、イタリアの早期狩猟採集民において、CHGとの遺伝的類似性の異なる集団が複数存在した可能性や、新石器時代にイタリア半島に遺伝的影響を及ぼした複数の集団でCHG系統の比率が異なっていた可能性や、新石器時代以後にCHG系統が増加した可能性や、歴史時代のヨーロッパ南東部からイタリアへの人類集団の移動に影響を受けた可能性です。CHG系統がアナトリア半島とヨーロッパ南東部において後期新石器時代から青銅器時代にかけて一時的に出現することから、本論文は新石器時代以後の流入を示唆しますが、これは古代DNA標本の追加分析により明らかにされる問題だ、とも指摘します。

 歴史時代では、ローマ帝国末期の「大移動」期と、1300〜1200年前頃となる、アラブ勢力のヨーロッパ南部への拡大が、イタリア半島の人口構造形成に役割を果たした、と本論文は推測します。とくにアフリカからの流入は、イタリア南部とサルデーニャ島において検出された多様性に寄与したかもれません。サルデーニャ島はヨーロッパの早期農耕民と遺伝的に最も密接に関連する人口集団と確認されているにも関わらず、両集団の間の単一の遺伝的継続性の証拠はありません。サルデーニャ島集団は完全には孤立しておらず、イタリアの他地域のように、遺伝子流動の歴史的事象を経験し、古代の系統とアフリカ系も含む他の構成要素の影響を受けた、と本論文は推測します。

 非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の地域的違いの理由については、ユーラシア西部集団における上述の基底部ユーラシア人の影響や、アジア東部系現代人の祖先集団とネアンデルタール人との追加の交雑などが提示されています。本論文は、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの頻度に地域差があることから、何らかの選択が生じた可能性を指摘します。この問題も、今後の古代DNA研究の進展により解明されていくのではないか、と期待されます。

 ポントス-カスピ海草原からヨーロッパへの青銅器時代の遊牧民の移住は、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの到来と関連しています。本論文は、おそらく青銅器時代に到達したイタリアにおける追加の系統を識別し、ヨーロッパ大陸へのインド・ヨーロッパ語族集団による複数の移住の波の可能性を提示します。これと関連して本論文は、たとえばエトルリア語のようなイタリアにおける非インド・ヨーロッパ語族が歴史時代にも存続したいたのは、イタリア半島におけるSBA系統比率の減少と関連しているかもしれない、と指摘します。ただ、これらの関連性は魅力的ではあるものの、適切な調査と検証には専門的で学際的な方法が必要になる、本論文は指摘します。


参考文献:
Raveane A. et al.(2019): Population structure of modern-day Italians reveals patterns of ancient and archaic ancestries in Southern Europe. Science Advances, 5, 9, eaaw3492.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw3492

https://sicambre.at.webry.info/201909/article_38.html
 



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
2. 中川隆[-11665] koaQ7Jey 2020年8月26日 15:23:53 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[12]
●20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ・トレーニング)
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-124.html#record


昭和エレジー
【安保以降オリンピック未満の恋愛カオス】
【電蓄以上ステレオ未満の胸騒ぎ】


昭和エレジー
【安保以降オリンピック未満の恋愛カオス】

 恋とは、悲しくて、胸の痛いもの。そういう時代のあったことを、今さらどうやって思い出すことができるだろうか。表向きは、健気で何もないかのように振る舞っていても、声に出すのも恥ずかしい恋心は、内心嵐のように吹き荒れるのだった。このシリーズの「東京ラヂヲ・デイズ」「和モノといふをしてみんとて」の間に住む、コテコテの昭和という時代感について、これまたオーディオ談義に花を咲かせてみようと思うのだが、今風の恋バナのようにけして華やかなものではない。人間の欲望が渦巻く結構ドロドロした時代でもあったように思うのだ。それは戦前の欲しがりませんから、戦後すぐの自由博愛の精神を通り過ぎ、それまでリアルな戦争を前に我慢してきた欲情が、マグマのように吹き出してきたとでも言おうか。歌にはあまり出てこないのは、安保運動の全くの敗退であり、平和運動そのものがシラけていた時期でもある。じゃあ、なにをしようか?というと、踊って恋でもしようということなのである。昭和という激動の時代のなかで、この通過点を戦後復興のサクセスストーリーとして話すには、あまりにもおこがましい感じもする。この欲情に敬意をもって接するとしよう。

 戦後の日本を語るうえでアメリカ文化の影響を避けるわけにはいかないのだが、昭和33年から始まった日劇ウエスタン・カーニバルのように、ダイレクトに欧米ヒット曲のカバーで盛り上がろう!、というのも戦後の若者が古い価値観に縛られない主張ともなっている。つまり、野性的なリズムに乗って、包み隠さず感情を表すのが、戦後の若者が享受した自由の象徴ともなったのである。

1981年「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル 〜 俺たちは走り続けている!」の立て看板
立ち見でにぎわう往時のステージ

 しかし、舟木一夫主演の「高校三年生」のような、フォークダンスで手をつなぐのも恥じらうような純情路線のほうが、ずっと広い年齢層に受け入れられていたとも言えよう。同じ年の青春映画「柔道一代」のような元祖スポコンのすがすがしさは、力道山などのテレビでもお馴染みのものだが、「高校三年生」で匂いたつ恋心というものには、まだ言葉になる前の欲情がみてとれる。平凡や明星のような芸能誌には、そうした乙女の恋愛相談が必ず載っていて、健全でありつつ恋を成就するにはどうすればいいのか、親に訊けない悩みが行き場を求めて彷徨っていた。1970年代の少女漫画をみたら、当時の人はどのように反応しただろうか? それまでは恋愛感情のはけ口を、具体的な形にすることを恥じらうと同時に、社会的にも禁じられていたというのが正しい。女学生が学校の帰り道で、今川焼を食べて歩いていたのを男子に見られた。それだけで恥ずかしいと思ったというのだから、何とも不思議な世界があったもんだと思う。それさえも大声で他人に打ち明けるわけにはいかない。恋心を他人に知られることなど、もっての他である。

 一方で、まだまだ経済的に不安定な社会のなかで、夜の歓楽街を背景に、真実な恋の在り方を問うことも可能だった。ティーンズの歌手がカバーポップスなら、20代の女性はナイトクラブのブルースが演出された。やがて演歌となって、お茶の間の欲情を成仏するまで、単なる欲情が純情に昇華されるのを、試行錯誤していたのだ。

 こうした純情と欲情の交錯したカオスが、昭和の恋心のよりどころなのではないだろうか。アイドルと演歌歌手のような棲み分けもなく、さりとてバブル期のように不倫を楽しむ余裕などはまだない。結婚までの18歳から25歳くらいまでの短い時期に急激にやってくる、苦しい恋心を胸に秘めて、本当のことは他人には話せない、この不器用な人間像が、1億人も揃いも揃って巣食っていたのが、昭和という恋愛カオスなのである。このようなカオスの出現は、東京オリンピックという成果主義の出現によって、段々と解消していくような気がするが、この欲情のポテンシャルがなければ70年代の歌謡曲は存在しないのも事実である。ひとときの平和のうちに芽生えた欲情を持て余す大人を、ダサイなんて言わないでほしい。

 1960年代のことを書くとき、演歌という歌謡ジャンルの誕生も書いておかなければならないと思う。1950年代の日本の歌謡曲は、戦後のGHQ検閲もあってか西洋音楽との折衷モノであって、結果的に日本的なものとなっても、特に日本的ということを意識して作ってはいなかったといえよう。ところが1955年以降になると、春日八郎「別れの一本杉」からはじめ、村田英雄「無法松の一生」「王将」、ペギー葉山「南国土佐を後にして」、島倉千代子「東京だョおっ母さん」、橋幸夫「潮来笠」、水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」、北島三郎「なみだ船」「函館の女」、美空ひばり「柔」「悲しい酒」など、日本的な郷愁を誘う歌がヒットする。最初は望郷歌謡とも言われたが、集団就職という社会現象で、田舎から都会の工場に大量に就職した若者が多かったなか、望郷は人生の支えとして勇気を与えたのだ。この時代の日本レコード大賞の新人賞は、今でいう演歌が必ず占めたと言っても過言ではない。もちろんレコード大賞にもしっかり選ばれ、演歌が売り上げ、名声ともに「歌の花道」という存在感を示した。個人的には、1952年の美空ひばり「りんご追分」が演歌の草分けのような気もするが、田舎のリンゴ農園でのびのびと育つ無垢な少女という設定が、望郷とはシンクロしなかったのではないかと思われえう。苦労がにじみでなければ、演歌ではないのだ。
 とはいえ、当時の人の感覚はどれも同じ流行歌だった。かなりの音源がオリジナル歌手によりステレオ再録されているので、60年代の音は判りにくいのだが、残ったモノラル音源は意外にキッチリと録られている。ある意味、1950年代のHi-Fi録音のイロハが、お手本通りに生きており、ラジオでも良く通る声で響いたのではないかと思われる。多くの人はラジオから流れる歌に声をあわせたり、歌声喫茶に通って歌ったのであり、今のように鑑賞するためのものでは無かったようだ。この点は、初期の演歌がなぜ売れたのか、という本来のいきおいを理解する手がかりとなるだろう。

「明星」昭和36年9月号の歌本
坂本九と森山加代子

「月刊平凡」昭和42年2月号の歌本
都はるみと西郷輝彦

 さて、年代的に扱いの難しいのは、ビートルズ来日以前という括りにするか、フォークルの「紀元弐千年」以前にするか。1968年以降のエロ・グロ・ナンセンス路線は、もはや欲情が破裂した状況なので、再生機器を選ぶ必要はないだろう。問題はGSブームを含めるかどうかだが、カバーポップスを含んでおきながら、それは不平等だと思う。それと、ビートルズがラバー・ソウルを発表したとき、当時の女子たちは露骨な性表現にドン引きして、ファンクラブからも姿を消していったという。まぁ、家でアルバムを持っていると、親から何を言われかねない。反抗しても不良と思われかねない。この行き場のない乙女の純情と欲情のカオスを引き受けたのが、GSブームという感じがする。多くはロックバンドという路線を保って、追っかけのファンの黄色い声ばかり目立つのだが、一方でスローバラードに古臭い純情路線が残されているのである。「ブルー・シャトウ」「スワンの涙」「花の首飾り」「あの時君は若かった」などをみれば、その妖精物語にも似た儚い恋心がみてとれよう。愛を告白するときは直情的な「好きさ好きさ好きさ」「君だけに愛を」で迫ってきながら、実は純情さえも大切に見守る騎士たち。これが恋愛カオス以外の何者であろう? そして、この無茶振りなキャラ設定は空中分解するのも早かった。流れ星のように一瞬のうちに燃え尽きたのだ。

 かくして「秘すれば花」という中世の美学を戦後の庶民目線で考えた結果、欲情と純情の恋愛カオスが出現したわけであるが、全ての欲望に躊躇のなくなった21世紀において、人間に必要なパッションが何だったのかを考えるのは十分に有意義なことである。ここでのオーディオの役目は、こうした複雑なカオス状態を直感的に感じさせるためのツールなのだ。


【電蓄以上ステレオ未満の胸騒ぎ】


 1960年代末まで、レコードプレーヤーのことを誰でも「電蓄」と呼んでいた時代だった。正式名称がそうだったのだが、ハイファイがもてはやされて10年以上経っても、名前を変えて心機一転ということまでは考えなかった。変わったのは「ステレオ」が家庭に浸透して以降だった。レコード会社は1963年に早々に78回転SP盤の製造中止を決めたのだが、下のレコード生産量の推移をみると、それ以前からSP盤の売り上げは下降しており、代わって45回転EP盤がそれまで以上の売り上げを呈し、1965年までうなぎ登りで、それ以降も1980年まで順調な伸びを示していたことが判る。この圧倒的枚数を誇ったシングル盤は流行歌であり、33回転LP盤の大半はクラシック、ジャズのようなアート系音楽である。

日本国内でのアナログレコードの年間生産数量の推移
(日本レコ―ド協会資料による)


【テレビの歌謡ショウ】
 この爆発的な人気の理由は、昭和36年から放送開始あれた「夢で逢いましょう」「シャボン玉ホリデー」のような歌番組で、華やかなカバーポップスのほか、オリジナル曲も積極的に紹介され、テレビ発の流行歌も増えて行った。


 テレビの音声はモノラルながらFM波で、スペック上は15kHzまで収録できるが、ブラウン管テレビの水平走査回数15,750Hzとの干渉を避けるため、実質10kHz程度で丸められ、テレビ据付の楕円スピーカーの実力からすれば8kHz程度が限界ではないだろうか。しかし、生放送を主体にする当時の歌番組を、多くのビデオテープの記録を頼りに判断すると、少し印象が違うように思う。
 興味深いのは、長岡鉄男氏が「音楽の友」誌1967年4月号に寄稿した「オーディオ千一夜」で、原音再生についてテレビの音の合理性を述べている点だ。いわく…

 「家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずないでしょう。やけにボンボンした胴間声と相場がきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。」
 ここで、テレビの音が良い理由として以下のことが挙げられた。

プログラム・ソース(音声電波)が素直
アンプ、スピーカーとも低域と高域をあまり欲張っていない
アンプは五極管シングルでシャリシャリした音になる
テレビ用だ円スピーカーは比較的マグネットが大きく、foが高く、中音域での歯切れが予想外によい
一般にあまりボリュームを上げずに用いている
 結局、ローコストで合理的な拡声装置として、10〜16cmのフルレンジを0.4m2の平面バッフルに取り付け、80万説により100〜8,000Hzを支持し、低域は絞ってダンピングを良くし、中高域に明瞭性をもたせるということを提案している。(この頃バックロードホーンはじゃじゃ馬で素人には無理だと考えていたようだ)

1960年代のテレビの広告

【LP盤はとても貴重品】
 一方のLP盤については、日本レコード協会の年表では、昭和36年に「2トラックと4トラックのフィデリパックのカートリッジ規格決定」とあるので、国産ステレオ・カートリッジがようやく製造できる体制に入ったということになるが、そのテコ入れも叶わずLP盤の売り上げは横ばい。理由は上記の歌番組や、昭和38年に開始されたFMステレオ試験放送で、カラーテレビ、FM受信機の購入による一種の買い控えであろう。昭和41年以降にようやくLP販売枚数が急上昇し始めたのは、GSブームなどでポップスのLP製作が本格化したからではないかと思われる。それまでステレオは稼ぎ頭の父親の所有物であって、子供がおいそれといじってはいけないシロモノだったが、GSブームはこれをどうしても自分のものにしたい、そういう衝動を生み出すことに成功したのだ。その後のクラシック、ジャズの愛好家人口が、ステレオ所有者の15%程度というのは、おそらく妥当な値である。

 そうしたEP盤、LP盤の再生機器は、ほとんどの人はポータブル電蓄であり、さらに上位機種としてアンサンブル型ステレオがあった。ポータブル電蓄の公告、チラシはカラー刷りであり、売れ行きに最大限の効果を期待していることが判る。この頃のステレオ・カートリッジの多くはセラミック型であり、チャンネルセパレーションは精々10dB、漠然としたエコーでの音の広がり感と大きな差はなかったと思われる。これと並行してスプリングエコー装置付きのアンサンブル型ステレオがビクターから販売されたりしたが、モノラルからの移行期として過度的な状況だったことが判る。つまり定位感とか奥行き感とか、そういうものは誰も理解していなかったのである。おそらくモノラルがステレオになった、ただそれだけでリッチな気分に浸れるのだった。


松下電器デュエット(昭和39年)日立ステレオ電蓄(昭和40年代)

ビクターとコロンビアのアンサンブル型ステレオ(共に昭和39年)
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-124.html#record

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c2

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
3. 中川隆[-11664] koaQ7Jey 2020年8月26日 15:29:13 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[13]
●20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-107.html


EMIクロニクル
【嗚呼、霧の倫敦(ロンドン)】
【クレデンザの隠し子?】
【超Hi-Fi狂想曲】
【BBCとの婚約解消劇】
【蜜月やいずこ】


EMIクロニクル
【嗚呼、霧の倫敦(ロンドン)】

 恥ずかしながら、モノラル時代の英EMIといえば霧に包まれたような音、そういう印象があった。よく言えば上品なのだが、何か奥歯に物が挟まったような、スノッブな物の言い方が鼻につく、ともかく最後まではっきり言わないのである。同じイギリスでもDeccaは全く逆で、社交的でペチャクチャしゃべる化粧美人。この両者の極端なサウンドの違いゆえに、ブリティッシュ・サウンドは誤解に誤解を重ねているように思う。

 もうひとつの誤解は、イギリスの音楽界そのものに対するもので、他国に比べ自国の音楽文化が弱体化しているようにみえる点である。しかしロンドンといえば、モーツァルトの時代からの一大商業都市で、世界中の音楽家が集まってきた音楽の都である。晩年のハイドンは自分の略歴で最も栄誉あるものとして、オックスフォード大学からの音楽博士を第一に挙げるくらいであった。そもそもクラシック音楽という概念自体も18世紀の英国貴族が考え出した(Ancient Musiks)もので、当時でいえばコレッリやヴィヴァルディ、ヘンデルがそれに相当し、時代が下るに従って古典派、ロマン派とレパートリーを増やしていった。この文化遺産を記録に残そうとしたのが、英HMV〜EMIの本来の強みである。
 このため、英HMVと言えばレコード業界では老舗中の老舗で、失礼な言い方をすれば、アメリカの本家Victorが金に物を言わせて大物アーチストを収録したのに比べ、英HMVはどちらかというと音楽家が自ら評価を得るために録音する、そういう趣のあるレーベルである。ともかくアメリカで赤色と黒でアーチストを区別していたが、英HMVにはそうしたものが無い。あえていえば全てが錦の帯を締めた一級品である。


 こうしたレコードマニアの心にさらに油を注いだのが、大物プロデューサーのウォルター・レッグ氏が起こした協会盤レコードで、普段聞けないレパートリーを先行予約制で数を満たしたところでリリースするというもの。1932年のヴォルフ歌曲集を皮切りに、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、交響曲全集など、それまでのレコーディングでは考えられない膨大なアーカイヴを築くこととなった。
 戦後になっても、フィルハーモニア管弦楽団の設立、カラヤン、リパッティ、カラス、そして妻となったシュヴァルツコップなど大物アーチストを次々にマネージメントし、後世に残るレコードを残したのだから恐れ入る。マーケティングに長けていて意見をズバズバ言う豪腕なところから、寡作家で芸術肌の人(ミケランジェリ、ポリーニなど)から疎んじられて長期契約に失敗したり、逆に戦後のベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集の収録に2度失敗(ソロモン、ギーゼキング)したことなど、この人らしくない後日談もある。ともかく、戦前からの大看板を背負って大物アーチストと対等に渡り合えたのは、後にも先にもこの人くらいなものであろう。それと共に、1963年にEMIを離れるまでの30年以上に渡るキャリアを通じて、従来の散発的なパフォーマンスに徹していたレコードという媒体に、芸術性と殿堂入りの名誉を与えることのできた功績は計り知れない。

 
左:ジョージ5世とマリー王妃の銀婚式を祝うHMVショップ(1935年)、右:Radiogramのディスプレイ(1936年)
 さらにEMIにおいて楽しみなのが、各国に張り巡らされた支社網での現地録音である。そこでは自由な裁量でレコーディングをできたため、通常の名曲名盤には該当しないレパートリーも多く存在する。実はEMIグループの強さは、米国流儀の利益誘導型とは異なるローカルルールを尊重したところだろう。独エレクトローラ、仏パテ、西イスパヴォックスなど、独自企画で優秀な録音が多く存在する。
 モノラル期の録音を挙げると、ウィーンを中心としてフルトヴェングラーを収録したクルーは、明らかに戦前からのマグネトフォンを使っており、それをわざわざ78rpmのラッカー盤にダビングしたというもの。やや高域の堅い音質は、Decca録音にも負けない艶を持っている。仏パテは名録音技師であるアンドレ・シャルランも加わり、フランス物を中心に洒脱な音を残している。スペインのイスパヴォックスは、技術提供をロンドンから受けていたらしく、ややくすんだ音色ながら静謐な音楽を奏でる。逆に米Voxなどには、明らかにEMI系のクルーを使って録音したものが存在する。各地の録音クルーは新聞でいえば特派員のようなもので、録音の企画さえあれば機材、人材に融通を利かしていた可能性もある。


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ステレオ時代のHMVショップ(1960年代)
 はたしてモノラル期のEMIのビロードのような肌触りは、どこから来るのであろうか。特に木管の中域の艶やかさは、他のレーベルでは得難く、オーケストラでの対話を豊かにしている。声楽での柔らかく自然なイントネーション、ピアノの凹凸のない均質な響き、飴色のバイオリンの音色など、美点を挙げると色々ある。だからこそ、このどんよりした「霧の倫敦の響き」には違和感を覚えるのである。とある英国の老エンジニアは、LPの音を料理に例えて「EMIは燻製で、Deccaは直火焼き」と言ったとか。今となっては煙にまかれて一緒に燻製にならないように用心しなければなるまい。

【クレデンザの隠し子?】

 蓄音機の女王とも讃えられるクレデンザ。その優雅な音ゆえに、誰もが英HMVの印象と結びつけるが、実はこれが大きな勘違いである。これこそがアメリカン・サウンドに君臨するWE社が、1925年に電気録音方式と共に世界に送り出した刺客であり、デザイン、ネーミング共にヴィクトリア趣味に彩られているが、立派なアメリカ製の蓄音機である。それ以前の蓄音機の周波数特性が中高域のしゃくれ上がったカン高い音なのに対し、クレデンザのそれは低域から中高域までフラットに再生できる音響特性を持っていた。これは一般的に考えられているヨーロピアン・サウンドと同じ志向であって、むしろ古い英グラモフォンの音がカン高い音で調整されていたことにも気付かされるのである。ではHMV純正の蓄音機はというと、少しカン高さを残しながら低音の増強を図ったバランスを取っており、両者の仲立ちをする折衷的なスタイルであったことが判る。

Orthophonic Victrolaの取扱説明書(1926)
この時代のアメリカがヴィクトリア趣味の最期だったことが判る


従来型(破線)と新しいOrthophonicシステムの再生特性の比較(1926年)
100〜4000Hzをフラットネスに拡張している

Western Electric 1B ダブルボタンマイクと特性
基本的にフラットな特性をもっている
 一方で、同じ時期にトーキー用のマイクとしてよく使われたのが、ドイツのReisz社が開発したカーボンマイクで、1930年代のBBCやPatheスタジオで使用された。特性は高域の子音が明瞭に録れるようにできており、以下の光学録音でもその良さは十分に出ている。HMVの録音風景でよく見られるWE製ボタンマイクは、これとはかなり違うフラットネスであることに注意したい。


ロンドンのパテ・スタジオで収録するAl Bowlly(1930年代)
Marconi-Reisz製カーボンマイクを使用
BBCでも1935年頃まで使われたという


Marconi-Reisz製カーボンマイクの特性
かなりの高域上がりだがラジオやトーキーでは優位
 ここでブリティッシュ・サウンドにみる2つの潮流が見えてくる。つまり1900年から続く高域の強い音調を好むグループと、1925年以降の恰幅の良い音調を好むグループである。戦後のスピーカー・メーカーで言えば、カン高い音の代表はLowtherであり、柔らかい音の代表はGoodmannである。TANNOYやQUADはこのふたつの中間といったところだろう。よくイギリスのオーディオは典雅なヨーロピアン・サウンドと評されることが多いのだが、実はとてもバラエティーに富んでいるのである。そしてTANNOYを民生用のエンクロージャーそのままで使用していたのはDeccaのほうで、EMIは響きがタイトなLockwwod社のバスレフ箱を使っていた。


 電気録音初期の英HMVが、クレデンザを中心とするWEサウンドと重なるのだが、一方の米Victorのほうはどうかというと、例えばカザルスのチェロを聴く限りでは同じようなトーンをもっている。大きく違うのはオーケストラ作品の録音で、米Victorは直接音を多く含みダイナミックな音を志向するのに対し、英HMVはホールの響きを混ぜた柔らかい音で収録している。このような傾向は、1931年のEMI創設において、アビーロード・スタジオを立ち上げる際には、当時開発したてのWE47型コンデンサーマイクと共に、あきらかにWEスタイルのダイナミックな録音に変貌を遂げるのである。

 
EMI アビーロード・スタジオの除幕式(1931年)
エルガーの指揮で管弦楽を披露
録音にはWE 47型マイクロフォンが3本使われた

 その一方で、WE製のカッターヘッドでプレスしたレコードは、初回プレス250万枚まで1枚につき¢1の特許料を請求されたため、国際的にレコード販売しているEMIにとっては重たいものとなっていた。これに加え構造が繊細で故障も多かったWE47型マイクは、同時期にBlumlein博士により開発されたムービングコイル方式のHB1型マイク(開発者のHolmanとBlumleinの頭文字をとったといわれる)へと徐々に変わり、おそらくWEとの契約更新を打ち切る1935年あたりから、HB1B型マイクの芯の強い音へと変わっていく。これはBlumlein博士がもともと英Columbia出身のエンジニアであり、もともとタイトな音が好みであったこともあったと思うが、文献では5kHzを+4dB持ち上げたことでとても好ましいサウンドとなったとあり、ピアノの収録に優れていたらしい。英HMVや仏Patheの幽玄な音が好きな人には、往年のマエストロの再録音が夢から覚めたように感じ気に入らない人が多いのではないだろうか。しかし1936年から開始されたBBCのテレビ収録(Alexandra Palace)ではよく使われたところをみると、出力の高いことからコードの引き回しが長くてもノイズに強いという側面と、中高域の持ち上げはShure社のボーカルマイクと同様にLow-Fi機器でも明瞭度の高い音と感じるかもしれない。今では信じがたいが、このムービングコイル式マイクは非常に高価で、BBCのリボン式マイクが£9だったのに対し£40もしたという。考えてみればリボン箔はデリケートながら材料費はあまり掛からず、ムービングコイルは振動板とコイル、エッジサスペンションなど結構な組み付け精度が要求される。1930年の初期型HB1Aはサスペンションの調整がうまくいかずにコイルが擦ってしまい、バイノーラル収録の実験で思ったような成果が得られなかったと云われる。このマイクはHB1Eまでバージョンを重ね、1955年頃まで使われた。


HB1B型ムービングコイル式マイク


左:ファッツ・ウォーラー(1938年)、右:カスリーン・フェリアー(1940年代)


BBCテレビでのHB1型マイク(1946年頃)
 こうして、EMIのサウンドには、@英HMV-Patheの柔らかいトーン、A米WEのキレのあるダイナミックな音、BBlumlein氏の録音技術の改革、C戦後のドイツのマグネトフォンの技術、等々が交錯しており、世界一のレコード会社ならではの複雑な綱引きがあったと言える。これらのEMIという巨大なジグソーパズルの駒を巧く組み上げる作業が難解きわまるのである。

HMVショップの試聴ブース(1950年代、ロンドン)
こちらは78rpmで自由に試聴

 
33〜45rpm盤は買った人だけ試聴?
  さらに難解きわまることとして、イギリス人に特有のSP盤への愛着も挙げられよう。五味康祐「オーディオ巡礼」には、1963年にイギリスを訪れたときのこととして「英国というところは、電蓄に対しては大変保守的でケチンボな国である。アメリカや日本でステレオ全盛の今日でさえ、イギリスのレコード愛好家はまだ七十八回転のSP(LPのモノーラル盤ではない!)で聴いている。市販のカートリッジも、SP・LP両用でなければ売れないという。ロンドンにも現在シュアーのカートリッジは市販されているが、V15のU型はおろか、V15すら部品カタログに載っていない。高価なV15など誰も買わないからだ。それほどケチンボな国だ。オルトフォンはさすがに出廻っている。しかし殆ど月賦販売用である。SPU/GTが二十三ポンド――邦貨にして二万四、五千円見当だろう――それを十ヵ月払いの月賦にしなければ誰も買ってくれない。そういう国民だ。」と記してある。この点を考慮して、Decca社の高級ステレオ・コンソールDecolaが78回転盤でも見事な音を奏でると賞賛している。
 このことは何を示しているかと言えば、百花繚乱にみえる英国オーディオ機器のほとんどは、一部の上流階級か海外向けの特産物であり、イギリス国民のお茶の間に届くことは稀であったということ。そして多くの人が電蓄(Radiogram)を愛し、RIAAになった後も78rpm盤を大切に聴いていたのである。QUADでさえ、1967年発売の33型プリアンプ(トランジスター式)に5kHzのハイカットフィルターを装備していたくらいである。こうしたこともEMIのサウンドについて「霧の向こうのような音」と誤解を生む原因となっていると思う。イギリス製のオーディオだから英国プレスのレコードを最高の音で鳴らしてくれるだろうと誰もが考えるが、多くのイギリス国民が聴いたサウンドは、SP録音の延長線ともとれる特性が好まれたといえよう。それでも英国プレスが珍重されるのは、既にEMIの魔の手に墜ちているのである。
 日本でこの誤解に拍車を掛けたのが、SP復刻盤(GRシリーズ)であろう。日本では1957年から発売された一連の復刻シリーズは、SP盤のスクラッチを回避するため、強力な高域フィルターを掛けており、これがカマボコ型で躍動感のない音の原因ともなっている。これが長らくSP録音と云えば帯域の狭い詰まらない音という誤解を深めてきた。最近になって、大元の版権が切れてアーカイヴが開放されたことにより、コレクターによる良質な盤の復刻や、倉庫に眠っていた金属マスターを復刻したりすることも可能になったため、78rpm盤への評価が大分変わってきたと思うのだ。CD時代になって原盤にあるスクラッチノイズに対し寛容になったことも幸いしているかもしれない。

 
1950年代後半のHMVショップ
まだまだ78rpm盤が現役
 モノラル期のリマスターも、21世紀に入ってかなり整備されてきており、当時のマスターテープを当たることや、初期プレスの盤起こしなど、様々な手法を使って聞き比べられるようになった。このことがEMIのサウンドの在り方に光を当て、一人相撲に終始していた本家の正規盤を客観的に検証できる機会が与えられたと思う。結局EMIもマスターテープの再調査や、機材の整備、リマスターの方法などに財力を注ぐようになった。こうしたことが、例えCDでもクオリティの向上が図られ、在りし日のEMIサウンドを再発見する機会になったと思っている。
 こうしてEMIのサウンド面での切り口を様々な角度から検証することができるようになったため、これまで議論の余地のないものと思われてきた演奏への評価も含めて、かなり新鮮な雰囲気で受け止めることができたことは間違いない。改めて「EMIの時代」というものにクローズしていくのも面白いだろう。


【超Hi-Fi狂想曲】

 自国にEMIという巨大レーベルを抱えたイギリスのオーディオ界は、1930年代にある意味異常な発展を遂げる。ともかく戦前において100〜8,000Hzの壁をいきなり突き抜け、ステレオ録音が実行されるなど、20年先の技術がコンシュマー市場で隆起しているのである。
 Lowtherの前身であるPaul Voigtのスピーカーなどはその最たるもので、1933年に開発したユニットは、サブコーン、糸吊りダンパーなど先進的な機能を満載したフルレンジで、Domestic Corner Hornという広帯域ホーンに装着した。最初は特許事務所としてスタートしたVoigt氏のスピーカーは、明らかにハンドメイドの試作品で、まだマルチウェイの実験で10kHz再生が議論されていた時代に、12kHzまでの広帯域再生を実現していた(ランシングのIconicでさえ1937年である)。これに追いつく規格は1945年のDecca ffrrであり、まさにぶっちぎりの発想であった。

Paul Voigtの開発したDomestic Corner Hornとユニット(1934年)
 同じ時期にはテープ録音の創生期でもあり、既に1924年にドイツでテープ録音機を開発したKurt Stille博士はMarconi社と提携し、1932年にBBCに向けスチールテープ録音機を納品した。この当時のスペックは再生周波数100Hz〜6kHz、S/N比35dBというもので、32分の番組収録に25パウンド(約11kg)のリールを装着した。1937年には磁気ヘッドを改良し、帯域を8kHzと伸ばし当時のSP盤のレベルまで追いついたが、米Presto社が1934年にリリースしたアセテート録音機(周波数50Hz〜8kHz、S/N比50dB)に比べ、コスト、性能、ダビングの手軽さなど明らかに分が悪く、1941年に導入した後、20年以上もアセテート録音が使われることになる。ちなみに樹脂テープの開発元の独BASF社でAEG社のMagnetphonを使って最初にテープ収録したのは、1936年のドイツに演奏旅行中のビーチャム/LPOである。不況にあえぐドイツにおいて、当時のイギリスが市場のターゲットであったことは想像に難くないが、その後1938年にオランダ経由でPhilips-Miller製の樹脂テープ録音機が納品されるが、1939年からのドイツとの戦争で関係が途絶えてしまった。


先進技術としてデビューしたMarconi-Stille製のテープ録音機(1932年)


1937年に改良されたテープ録音機の特性
初代のスペック100〜6,000Hzはかなりカマボコ特性でスピーチ用

Presto社 'Model A' 28N:8N録音機×2台(1941年)
最初からダビング機能を備えたこちらが主流になった

 一方で、EMIの録音技師であるAlan Blumleinは1931年の特許を皮切りにバイノーラル録音を発表した。試作段階では光学フィルムに「話しながら左から右に歩く」というものだったが、ステレオ用のカッターヘッドを開発した1934年には、アビーロードスタジオでビーチャム/LPO(モーツァルトのジュピター交響曲)のテスト録音を決行している。このときのステレオ録音方式は双指向性マイクを45度で交差させる方式で、同じ時期のWE陣営が劇場用の3ch方式だったのに対し、家庭用に馴染みやすいシステムを考案したことになり、後の2chステレオ理論を決定付けることとなる。BlumleinはUL回路の開発者でもあり、1942年までの短い生涯の間に歴史に残る多くの発明をした。しかしEMIによるステレオ・レコードの販売は延期され、1950年代まで凍結されることとなる。ちなみにビーチャム卿は、1936年にLPOとのドイツ演奏旅行の際にBASF社(樹脂ベースの磁気テープの開発元)に立ち寄ってAEG社のマグネトフォンでのテスト録音に協力したり、1937年にロンドンのHMVショップが焼失した後の開幕式でスピーチを担当したりと、この時代の先進的なオーディオにかなりの興味を抱いていたようだ。


バイノーラル録音の実験中(背景の壁ににステレオスピーカー)


初期のバノーラル・カッターヘッド(1933年)
 こうした様々な先進技術が1930年代のイギリスのオーディオを席巻したものの、実用まではほど遠いものばかりであった。目の前の戦争の危機が、こうした未来志向を軍事技術へ転換を迫ったと思われる。


 再び世界がイギリスのオーディオに注目するのは戦後のことである。おもなトピックスを列記するだけでも以下のようなものがある。ちなみにEMIがLPを発売するのは1952年からで、それ以前は78rpm盤でのリリースとなり、多くのイギリス人は1960年代前半まで78rpm盤を愛聴していた。

1945年: Decca ffrr規格発表
LEAK  TL/12 "Point One"アンプ
1946年: EMI  Electrogram 3000 高級電蓄(モノラル)
1947年: TANNOY  Monitor 15" デュアル・コンセントリック型同軸2wayスピーカー
Willamson  Williamson回路アンプをWireless World誌で発表
BBC  LSU/10 モニターシステム
Decca  Decola 高級電蓄(モノラル)
1948年: VITAVOX  CN-191 スピーカーシステム
1950年: Decca LP発売開始
1952年: EMI LP発売開始
Goodmann  AXIOM 80 スピーカーユニット
1953年: Garrard  301 3スピード対応ターンテーブル
TANNOY  Autograph スピーカーシステム
QUAD  II型アンプ
1954年: Mullard  5-10 アンプ(EL84使用)
Lowther  TP1 スピーカーシステム
1955年: BBC FM放送開始
EMI ステレオ・テープを量販
1956年: GEC  KT88 真空管
Wharfedale  SFB/3 スピーカーシステム
1957年: QUAD  ESL 静電型フルレンジスピーカー
1958年: EMI ステレオLP発売
BBC ステレオ試験放送開始(AM2波)
KEF  LS5/1 モニターシステム
1959年: SME  3009/3012 トーンアーム
Decca  Decola 高級電蓄(ステレオ)
 これだけ個性派揃いのオーディオ機器が、ひとつの国で、しかも同年代に出揃うというのは、まずもって他に無いだろう。およそ流行というものを顧みず突っ走ってるだけで、これに加え家電製品としての電蓄が加わるのであるから、モノラル期の英EMIを囲む環境は混迷を深めるばかりで、一義的な答えなどない。これらのバリエーションは英EMIの奏でるサウンドに対する回答を、賛否両論を交えて展開しているように思われる。それでは客観的にこれだと言えるものがあるのか? 多分、当のイギリス人でさえ誰も思い付かなかったことだろう。

【BBCとの婚約解消劇】

 ところでどうしても一言付け加えて起きたいのが、BBCとEMIの関係である。多くの人はBBCモニターとEMIの録音を一心同体だと信じている。しかし同じブルムライン方式のワンポイントマイクでの収録だったのは、精々1950年代まで。ステレオLPを発売する前に、EMIはとうにノイマン製マイクを使ったマルチ録音に移行していた。それ以前はどうかというと、アビーロード・スタジオを1931年に立ち上げた際には、録音にはWEが開発したばかりの 47型コンデンサーマイクが使われた。一方で、同じ頃のBBCはGE社のモニタースピーカー、英Marconi社のリボンマイク、米Presto社のアセテート録音機を使用していた。つまりBBCはRCA系からの技術提携を受けており、WE系のEMIとはサウンド傾向が全く異なる。両者が近づいたのは、モノラル中期からステレオ初期に至るわずか5、6年というのが実際である。おそらくBBCがEMIからブルムライン方式のステレオ技術の提供を受けるため、双方の技術交流が行われたと思われる。

 モノラル期からモニターに採用したTANNOYについても、BBCは戦後まもない頃に検討しただけで、EMIがDeccaの後を追って1951年に導入したときとは重なっていない。戦後に開発された小型スピーカーでLorenz社のツイーターを使った経緯も、BBCはParmekoが7kHzまでの帯域しかないため、Lorenz製ツイーターを折衷的に足したのに対し、EMIはホーン型ツイーターは採用せずLorenz社の元の仕様を踏襲している。後にDeccaはDecolaステレオでEMIの楕円フルレンジユニットを採用した。このように対局的に語られるDeccaとは、同じTANNOY製スピーカーをモニターに使うなど、ハードウェアの面ではより緊密な関係にある。
 またBBCが戦後まもなくのドイツ製品を使ったテープ収録に批判的だったことも当時の技術資料から判っている。(これはEckmillerスピーカーに対しても同様である) これに対し、EMIは独エレクトローラのスタッフからマグネトフォンの録音技術をいち早く導入し、1949年からイギリス国内でもテープ録音を行った。
 このように漠然と技術関係が一致していても、時間軸や方法論が噛み合っていないのである。アメリカにはDJという職業があるが、イギリスではレコード業界の権利を放送局が侵さないため、1960年代までレコードで販売している楽曲の放送に制限が掛けられていた。あえて言えば、EMIとBBCの技術陣は、レコード業界と放送業界、民営と国営という違いもあり、微妙に距離を置いていたよう思う。

BBC EMI

LSU/10(1947年)
Parmeko社の同軸型に加え
Lorenz社のツイーターを追加
(ネット上側に貼り付いてる)

Marconi-EMI 31006(1949年?)
Lorenz社ツイーターをダブル使用
最初はHMV高級電蓄に搭載
 
 よくブリティッシュ・サウンドの特徴としてフラットネスが挙げられるが、素直な特性であれば相性が良いというわけではない。日本製に多いフラットな特性のスピーカー(例えばBTS規格のロクハン)ではあまり良い効果が得られない。かつての東芝盤に多く寄せられる意見と似ていて、プレス時にイコライジングしない素直な特性がアダになって、中高域の凹んだインパクトのない音に仕上がっていまうのだ。ただNHKの録音は今の基準でみると音に癖のない良質なもので、オーディオ的には面白くないものの、むしろ実演の状況を巧く捉えているかもしれない。同じことはBBCにも言えるのだが、EMIのサウンドとは若干違うように思う。
 イコライジングをほとんどせずに放送するBBCモニターの特性をみると、ウーハーの800〜2,000Hzの中高域に5dB程度のアクセントを与えていることが判る。フラットネスを旨としながらも、料理としてはやや辛めに仕上げてあるのだ。代わりに高域が大人しく暴れが少ないのである。これは古くは英グラモフォンの蓄音機から続く伝統的な周波数バランスを拡張した結果であり、中域に独特の質感をもたせる秘訣なのではないだろうか。BBCモニターの特性の歴史を紐解くと、1930年代を起点としたアメリカのオーディオ技術に結びついていくのである。


LS5/9のユニットの裸特性(1983年)


Parmeko単体の特性(1947年)
最終形のLSU/10にはLorenz製ツイーターを追加

GEC製フルレンジスピーカーの特性( 1930〜40年代)


1920年代の蓄音機の特性(破線)

 以下はBBCがParmekoを採用する際に比較試聴したTANNOYとEMIの特性だが、上記のBBCモニターの系譜とは異なり、中高域が大人しい特性である。違いはTANNOY(Decca)が高域方向を持ち上げるのに対し、EMIの高級電蓄は高域がなだらかに下降する特性(BBCの感想では暗い音)となっている。このときEMIはKelly製リボンツイーターを採用していたらしく、パワーレンジの必要ない家庭用システムに最適化していたことが判る。EMIは1931年のアビーロード・スタジオ建設時から第二次世界大戦を通じて、技術の保守性が顕著になり、それを突き抜けようとしたDeccaとのサウンド面の乖離が激しいのではないだろうか。イギリス人の合理的な物の言い方からすると、より忠実度が高いということになるが、実のところ最初の基準となった技術からの積み上げに際し、感性的なものがより大きく働いているとも言える。


TANNOY Black 12"(1947年)


EMI Electrogram 高級電蓄(1947年)
 ちなみに1948年のBBCレポートM008に出てくるEMI製のスピーカーとは、楕円ユニット2本とホーン付リボンツイーター(おそらくKelly製)を使用していると記載され、1946年にHMVが開発した3000型電蓄Electrogram De Luxeと呼ばれた機種で、最初のAbbey Roadでのお披露目式についてはGramophone誌1946年9月号に記事が載っている。QUADが最初に開発したコーナーリボンというスピーカーと構成が似ており、30Hz〜15kHzまでの再生レンジを誇った。1948年当時の価格で£395とあり、レッグ氏が最高の再生機器の開発を指示したといわれるのは、おそらくこの機種であったと思われる。この3000型はEMIの技術力を誇示するために、コスト度外視で設計されたせいか、非常に台数が少なかったと思われ、お披露目式の後は1948年にErnest Fisk卿により買い取られ、オーストラリアでレコードコンサートなどに使われた。最初のキャンベラでのコンサートは、シュナーベルとフィルハーモニア管によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が再生されたと云われ、この時期の録音、リパッティやヌヴーなど1940年代に夭折した音楽家を好む人たちには、ひとつの方向性を示すことになるだろう。この3000型Electrogram De Luxeは1952年のSydney Morning Herald誌で中古販売の広告(£60)が出されたのを最後に、歴史上から姿を消しており幻の高級電蓄といえる。
 実際のところ、EMIでのLorenz製ツイーターの使用は、Kelly製リボンツイーターのコストや保守の関係から妥協したのではないかと思われ、1949年のHMV Radiogram 1609(価格:£103)から搭載された。この時期になるとEMIはドイツ・エレクトローラからテープ録音技術を吸収し、自社にテープ録音機(英BTH社製)を置くようになっていた。カラヤンは戦中からマグネトフォンとノイマン製マイク、Eckmillerモニタースピーカーという組み合わせで、バイノーラル録音の実験に参加していたため、こうした技術に習熟していたし、レッグ氏も優れた録音技術に早くから注目していたと思われる。

 EMIの92390型楕円フルレンジスピーカーは、1960年代のステレオ用スピーカーとして有名だが、1940年代のスタジオ写真からみてもっと早い時期に開発されており、1937年の高級電蓄Autoradiogram 801でほぼ同様のユニット(この時点では励磁型)が搭載されていた。こうした高級電蓄はギニー金貨での価格表示であることから、貴族かそれに準ずる富裕層の持ち物という考えの強いことが判る。EMIがブルムライン博士を先頭に技術革新に邁進していた時期の所産であり興味深いが、それ以前にも1934年にMarconi社が高級電蓄Marconiphone 292で同様のユニットが搭載されていたため、本来はMarconi社が高級電蓄での使用を目的に開発されたユニットを、EMIがモニターに使用したというのが実際だろう。その後のHMVブランドの電蓄にはこのスピーカーがよく使われており、プロフェッショナルな現場でありながらホームユースのための技術開発という側面が強いことが判る。1944年にBBCがM004レポートでこの楕円スピーカーを単体で測定した結果では、4.5kHzにピークを持たせたワイドレンジ・スピーカーであったことが判る。そのときのBBCの評価は、EMIのユニットは高音にピークがあると一蹴しており、GEC製ユニットの2.5kHzにピークをもつ特性と峻別している。一方で、楕円スピーカーにリボンツイーターを付けた高級電蓄Electrogramには「暗い音」という評価なので、あるいはBBCの技術者がEMIを毛嫌いしていたことは想像に難くない。
 同じ時期のDeccaの高級電蓄Decolaは、最初はGoodmann社のフルレンジ+ダブルウーハー、1949年にはTANNOY社の12"同軸2way+ダブルウーハーになっている。おそらくこれらは、アメリカでのLP発売に合わせて製作されており、イギリスの家庭にはほとんど届かなかっただろうと思われる。


Abbey Roadスタジオの5chミキサー(1940年代?)
モニターに楕円スピーカー


EMIの楕円スピーカーの特性(単体:1944年、BBCレポートより)

HMV 801高級電蓄(1937年)
3台の楕円スピーカーを配した大型電蓄

 BBCの大きな功績は、クラシック音楽を良質なステレオ放送で送り続けたことで、ブルムライン方式のワンポイント・マイクによる録音は、ステレオシステムの定位感やサウンドステージの標準化に繋がった。後にブリティッシュ・ロックの優れたミキシングも、こうした文化的背景から生まれたといえよう。つまりイギリスでステレオ録音のノウハウが熟成するまでには、無料で聞ける国営放送の助力が必要だったといえる。ちなみにこのブルムライン方式は1930年代にEMIで開発されたもので、特許の関係も含め自由に使えるようになるまでの間が、BBCとEMIの蜜月であったと思われる。
 その意味では、BBCはEMIの良き継承者のように思われるが、最近になってBBC収録音源が解禁され、市場に出てくるようになって改めて判ったのは、EMIの録音とBBCのそれとは、暖色系では共通しているが、サウンドステージの造りが大きく異なる。BBCモニターとしてLS5/1がリリースされた1960年頃には、BBCはステレオ収録の方法も含め既製メーカーから離れて独自規格を歩み始めており、従来から高域は広く拡散されたほうが良いスピーカーという常識から離れて、チャンネルセパレーションを重視した設計へと移行している。今だから比較して言えるのは、BBCがやや残響が多いながら自然な音場をそのまま収録しているのに対し、EMIは1960年代のステレオ期にアメリカ市場を意識したせいか、マルチマイクによる人工的なバランスが目立つ。

BBC EMI

Coles 4038のステレオ・セッティング
ブルムライン方式で収録
カラヤン/フィルハーモニア管
ノイマン製マイクでマルチマイク収録
 1960年代を通じ、BBCがイギリスの家庭に素直なステレオを送り続けた結果、LPの音質も大人しいものに変化していった可能性も否定できない。1950年代のプレスと1970年代のそれとの違いは、カッティングマシーンの違いもさることながら、好ましいと思われるサウンドの変化も大きいように思う。

 ここまでくると、モノラル期、ステレオ期の両方において、EMIとBBCが異なるスタイルを持っていたことが判る。しかしながら、1970年代以降はこの平行線は解消されたのは言うまでもない。日本のオーディオが一般家庭に根付いたのは1970年代であるから、両者を結びつけることに大きな矛盾はないが、1930年代から1960年代にかけては明らかに結びつかない。EMIとBBCはつかの間の愛をゴシップ記事にされたに過ぎないのかもしれない。


Lockwood製のモニターを使ったアビーロード・スタジオ1 (1970年頃)


ポップス向けにAltec Lancingのモニターを使ったスタジオ2 (1960年代後半)

【蜜月やいずこ】

 ここで英EMIの足跡を辿ると、幾つかの難題がのしかかる。1925年の電気録音から1952年のLP発売までに、少なくとも戦前で3つ、戦後で2つのジェネレーション・ギャップが存在し、そのどれもがステレオ期に曇り空のようなサウンドポリシーで一括りにされたという過去がある。
1925〜35年の英HMV〜EMIは米WEの録音機材を使用していたが、米Victorとの音質の違いについて説明できる資料がなく、英国風サウンドの実態が判りづらい。
1935年から1940年代に続くブルムライン博士らの録音方式の改革については、全容が判りづらく戦後の録音との溝を埋めることが難しい。
戦後の英国製オーディオ機器の多彩なバリエーションから、本来のEMIのサウンドがどういうものなのかを推測することは難しい。DeccaとEMIの高級電蓄の比較でも同様である。
1960年代初頭のイギリスの状況に倣い、戦前の78rpm盤と戦後のLPとのサウンド面での連続性をもたせることは到底難しい。
1980年代までのモノラル期の復刻盤は、著しいノイズカットのため録音の鮮度が低く、かつ1960年代のコピーテープが繰り返し使用されたため、古い録音への悪いイメージが定着している。
Testamentなどのリマスター盤、初期LPの盤起こしなどと、従来の正規盤とに整合性をもたせることは新たな課題となる。(例えばマスタリング・スタジオではモニターにB&Wが使われているなど)
 こうした過去の遺産に対する扱いがぞんざいになったのは、一般的にはステレオ録音を市場で展開したためだと思われているが、EMIは既に1955年からステレオ・テープを量産するほどのパイオニア的な活動もしており、おそらくレッグ氏がEMIを去った1963年以降に顕著になったように思われる。この時代のイギリスは、戦後の復興が遅れて「英国病」ともいわれる慢性的な経済悪化を辿っており、英国民の78rpm盤への執着もそうした経済力の低迷が産み出したともいえる。レッグ氏の不満は、かつてのような大盤振る舞いをできなくした経営陣との確執だろうし、彼の考えるレコードのもつ歴史観との乖離ともいえる。この時点でレコードのもつ有り難さも減り、実際に重量も減ったのだから、やはり悪いときには悪いことが重なるものである。
 こうした問題から何が生まれるかというと、世界一のレコード会社として多彩なアーチストを擁しているにも関わらず、演奏のもつ本来のサウンドが、何か太いクレヨンで塗り潰されているような印象が拭えないのである。ヴィクトリア朝の画家ターナーのような画風といえばいいのだろうか。もちろんこれはDeccaにもあって、本物より美しく響くウィーンフィルなどはその代表例であるし、どの録音もスタインウェイみたいに聞こえるというのは暗黙の了解であろう。こちらはフランスの新古典派画家ダビッドのような感じ。逆にコルトーが録音で使ったピアノのほとんどがスタインウェイであるにも関わらず、プレイエルのように聞こえるというのがEMI。やはりこの課題を乗り越えるサムシングエルスが必要なのだ。しかし両社の高級電蓄は、スピーカーユニットさえ共通していることもしばしばあり、ここからサウンドの違いを説明することは難しい。

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Joseph Mallord William Turner(1775 -1851)

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Jacques-Louis David(1748 -1825)




HMV 1609型Radiogram (1949年)
1946年のElectrogramではKelly製リボンツイーターを使用



Decca Decola (1946年)
ステレオ版ではEMIの楕円フルレンジを使用

EMI No.16ピックアップの特性(1948年)
高域上がりでフィルターが必須
初代ピックアップのゲンコツの特性(1947年)
10kHzまでスムーズに伸びている

EMI Electrogramのスピーカー部(1947年)
高域はなだらかに下降
TANNOY Black 12"(1947年)
おおむねフラットな特性


 今回、英EMIについてアレコレ書く切っ掛けになったのは、アメリカン・サウンドの一翼を担うエレボイで聴いたEMIの録音がことのほか綺麗だった、という単純な理由だった。何と言うか一目惚れなのである。目の詰んだオーク材を奢ってビロードのような光沢に包まれた椅子に座らされたようなリッチな気分。こうした雰囲気は他のレーベルでは味わえないし、この音を中心にトーンを調整しておくと、他のほとんどのソースが落ち着いた感じになる。さすが戦前からスタンダードとして君臨してきたことだけはある。
 個人的な感想だが、モノラル期の英EMIの再生については、アメリカ製品での再生というのもひとつの良識だと思う。というのは、@1950年代の英国製のビンテージ機器で良質なものが少なく、交換部品数も残数がなく修理が困難なこと。Aアビーロードにモニターとして導入されたTANNOYにしても、Deccaのように民生用をそのままスタジオに導入したのとは事情が異なるし、両者のサウンドの違いを説明しがたい。B最終的には戦後のEMIの最も大きなお得意様はアメリカ市場であり、アメリカのオーディオ機器にキャッチアップするように技術改良を重ねていること、などが挙げられよう。
 もちろんジョンブルの心意気がヤンキーに理解できるのか? そういう疑問は常々あった。しかし本心は理解できなくとも、穏やかにコミュニケーションくらいはできるだろう。その結果がこれである。


上はParmeko、下はBaronet(SP8B)

 まず私が現在使っているエレボイのSP8Bは、サブコーン付のメカニカル2wayで、英国であればリチャードアレンのニューゴールデン8に似た音調であり、ともかく暗く響きがちなEMIの音を艶やかに蘇らせてくれる。かといってLowtherほどキレやすい奴でもない。Deccaを鳴らしてもなんとか踏ん張ってくれる。アンプはEL84を使用しており、高域の繊細なヨーロピアンのテイストが少し加わる。BBCのParmekoと比べると、エレボイの暴れん坊の音は辛口が好みのBBC風であることも判る。これもイギリスのオーディオ機器にみられるアンチEMIの発想を展開していくと、なんとなく合点が行くのだ。

  
1952年のシカゴ・オーディオ・フェアで展覧されたBaronet試作機
EMI製ポータブルレコーダーとWilliamsonアンプでデモされた
   ちなみに1952年のシカゴ・オーディオフェアで、EMIが開発したてのL2型ポータブル・テープレコーダー(電池駆動型)を紹介する際、10W出力のWilliamsonアンプ(NBC楽団員のDavid Sarser氏がトスカニーニに寄贈したMusician's Amp.と同じ807PP)と、エレボイの8インチフルレンジを搭載したBaronetがデモで協演した。ちょうどEMIがLPの発売と同時にReel to Reelのミュージックテープ販売を始めた時期であり、Baronetのカタログにある理想的なオーディオ環境の一端を示すものでもあった。
 EMIにしてももっと適当なイギリスのスピーカーメーカーもあっただろうが、同じ会場の英国オーディオ機器の輸入商社は、@TANNOY製スピーカー+QUAD製アンプ+米Weathers製ピックアップ、AGarrard製オートチェンジャー+LEAK製アンプ+Wharfedale製スピーカー、等々の組み合わせを展示していたとうことなので、現在知られる黄金の組み合わせが当時からあったことも判る。しかしエレボイのブースは、単なる購買者向けのHi-Fi技術の陳列ではなく、WQXR局のステレオ放送(AM、FM波の同時放送)のスピーカー試聴デモと共に、近未来技術としてEMIのミュージックテープ販売の紹介をしていたことになる。この後EMIは1955年にステレオテープの販売に踏み切ることになるので、多くの米オーディオ誌が注目したこのオーディオ・フェアが、大手レコード会社が取るべき道に手応えを与えた可能性も否定できない。

http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-107.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c3

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
4. 中川隆[-11663] koaQ7Jey 2020年8月26日 15:33:15 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[14]
●20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)
http://quwa.fc2web.com/Audio-123.html


モノラル戦国時代
【オーディオに進化はいらない】
【モノラル試聴システムの命運】
【アナログ的な味付け】
【モノラルスピーカーの配置】

モノラル戦国時代
【オーディオに進化はいらない】

 初端からキナ臭い感じが漂うが、私自身はオーディオの進化についていけない。2012年からモノラル試聴というガラパゴス化を決め込んでいるので、さもありなんという気もしないでもないが、逆に自分の目指すサウンドの方向性が絞れてきたので、音響的な充実度は上がっているように感じている。

 どんな方向性かというと、以下のようなHi-Fiの定義から逸れるものばかりだ。
・ステレオ音源でもモノラル化して聴くこと
・周波数レンジは200〜8,000Hzを主体に絞ること
・30cmフィックスドエッジユニットで中低域の瞬発度を高域と合わせること
・システム全体で高次歪み(倍音)を豊かにすること

 この時代の流れに逆行した方法で獲得したものは以下のとおりである。
・録音の新旧に関わらず演奏家のテクニックの違いを聴き分けることができた
・超高域の擦音でのマスキング効果を排除し楽音そのものを聴くようになった
・リズムの粘り、溜めが明瞭になり演奏家のフィジカルな動作により注目するようになった
・ボーカル域での倍音構造の見通しが良くなり入り組んだアンサンブルを自然に感じられる

 これらの事柄を総合すると、100Hz以下の重低音、8kHz以上の超高域という、Hi-Fiの進化に必須だったものが、実はそれほど質の良いものではなく、かえって鈍い反応の重低音で躍動感が沈み、楽音以外の擦音で気配を増長させるばかりで、演奏を聴くときのジャマをしていると判断するようになった。仮想音場を消し去って、周波数レンジを絞って、音の反応の粒を揃えるのは、こうした化粧を剥がしてスッピンの状態で音楽を聴く行為なのだ。

 考えてみれば、ガラパゴス化という言葉も悪くない。それは裏を返せば、地球規模での種の交雑から環境不適合による絶滅まで、種の保存をできなかった多くの生物たちに対し、独自の進化の営みができたという一面がある。それこそ生命の営みそのものではないだろうか? 今はガラパゴス化=楽園という境地にまでなった。
 自分にとってオーディオの再生とは、録音をスッピンの状態に戻すことであるが、それが空気のゆらぎというか、ライブ的なドライブ感を重視することと結びついている。それが50年以上前の録音だろうが、音の実体として浮かび上がるのが、楽しくてたまらないのだ。音響的ホログラム装置といっていいだろう。そうした技術の進展の相違を超えたモニター機材として、自分のモノラル試聴システムは存在している。なので「最高」というよりも「あたりまえ」「平均的」というのが自分のステータスであり、音楽ソースに忠実たらんとした結果でもあるのだ。

【モノラル試聴システムの命運】

 なんでわざわざ、モノラル・システムの「・」に「試聴」を挟みこんだかというと、全ての音楽をモノラルで聴くという行為が常態化したことを説明するのに、色々と思うところがあるからだ。オーディオ機器=ステレオと呼ぶようになって以来の呪いから離脱して、音の楽園に辿り着いた今は、モノラル革命〜っ!とでも叫びたいくらいなのだが、どうも世間が許してくれないらしい。自分としては、歴史的経緯も含めて20世紀の音の記憶を留めんが為、時空を超えたオーディオ再生道を貫いているつもりなのだが、どうみてもドン・キホーテの脇役にもなれないでいる。この歯痒さをどういう言葉で斬りつけようか。。。最近になってこのホームページが、モノラル再生の様々なノウハウや歴史的経緯がカタログ的に並んでいるので、便利に感じている人が多い一方で、ガラパゴス化のツケというべきか、以下のような世間一般の話題とのずれも浮かび上がった。つまりは、モノラル・システムのステレオタイプ(先入観)というややこしい事態が立ちはだかっている。

 第一は、モノラル専用システムというもので、モノラル音源を本格的に聴くためのシステム構築を目指す人たちとの相違である。この問題点は、一にも二にも良質なモノラル音源の蒐集が前提条件であり、最終的にはHi-Fi初期のプレミアが付くLPが大きくモノを言う。レコード1枚に掛けたオーディオ魂とも言おうか、一種の芸術的なオーラさえ漂う。モノラルLPの再生にはモノラル・カートリッジが必須で、必然的にオルトフォン、ノイマン、GEなどのビンテージ物に行き着く。私自身はこうした真髄のみを尊ぶ精神が希薄で、文化全体に身を置いて浅く広く付き合うのが好きなので、CDなどのデジタル音源は非常に便利で、それにアナログ的な味わいをプラスするシステム構築を進めている。この時点で、モノラルLPの愛好家からはドロップアウトだが、おそらく年間を通じてのモノラルでの試聴時間は私のほうが長い。つまりモノラルは音楽鑑賞に必要なシンプルなプランに根差しているだけで、モノラル音源そのものへの偏愛はない。半端な知識の人にオリジナル・プレスの競売に入られるよりかマシという程度に考えてもらいたい。そういう棲み分けが必要だと思うのだ。逆にいえば、CDフォーマットとちゃんと向き合って、誰でも同じ条件で構築できるモノラル・システムを考え続けている。
 第二に、モノラルHi-Fiの黄金期であった1950年代のビンテージ機器への憧れである。オーディオマニアはクラフトマンシップに根差したブランド神話に弱い。ランシング、タンノイ、マッキントッシュ、マランツ、WE、クラングフィルムなど枚挙に暇がないが、パーツのコンディションの良否を見極め、神話の実体を知るまでにはそれなりの勉強代も掛かる。はっきり言えば、ビンテージ・ショップの親父さんとの信頼関係が全てであり、高飛車な店長のご意見を拝聴しながら、自分の音楽に対する熱意と投資するぞという意志を認めてもらえないと、良い物には絶対に巡り合えない。そのうえ、丁寧に使われてきたビンテージ機器のほとんどが、3世代の年月を経て全てステレオペアとして流通して、それもステレオペアで粒のそろっていることがプレミア度が高くなることもあって、モノラル用に売ることができるものはジャンクに近いものも少なくない。こうなるとビンテージ機材でのモノラルシステムの構築は、ますます敷居が高くなってくる。むしろ、幸せなモノラルシステムにたどり着けた人は、それに至るまでかなり勉強代が掛かっただろうし、それこそ手塩にかけて育ててきた自負ももっている。私などその意味では永遠のビギナーである。
 第三に、スマホやパソコンで音源管理するデスクトップ・オーディオとの違いもある。アンプ付きスピーカーなので、買ったその日から気軽に聴けるし、モノラルのスペースファクターの優位性を活かして、机上にスピーカーを気軽に置けるということに注目が集まりやすい。しかし、個人的には30cm径以上の世界を知ってしまうと、とても同じ音楽が鳴っているとは思えない躍動感の違いがある。またメーカー製のデスクトップ・オーディオは、多かれ少なかれメーカーなりのサウンドポリシーが強く、全ての音楽ジャンルに柔軟に対応できない。つまり、デスクトップ・オーディオは、1970年代のラジカセを超えることができないでいると断言できよう。
 この点で私のシステムは、サブシステムの延長上にあり、隣に椅子一個に人が座るスペースがあれば、机の脇(ディスクサイド)に置ける最大限の大きさで納められるシステムに留めている。つまり、30cm級のスピーカーでステレオだと部屋の壁一面を仮想音場で埋めるのに対し、モノラルであることで音響の充実感の割に省スペースにもできるのだ。この点に関する譲歩は、ほとんどないと言っていい。一方で、部品を掻き集めて構成したため、完成されたパッケージではないので、機材をあれこれ吟味してシステムを組むのが面倒くさい人も多いようだ。そもそも自前でシステムを思案するくらいなら、もっとプレミアムな機材を投入して自慢したいだろう。つまり他人に自慢するほどの金銭の投入もしたくないのに、デスクトップ派ほどにはお気軽に済ませることができずにいる。この辺の自分なりのこだわりをどう説明すればいいか未だに判らないでいるが、いざ自分のオーディオシステムから音楽が鳴りだすと、そういうことはさっさと忘れてしまう。


 一方で、私の音楽鑑賞の原体験は、ラジカセで聴くAM放送で、FEM(極東米軍放送)から流れる洋楽のヒットチャートを聴くことだった。けして高音質ではなかったが、中学生の頃の多感だった時期もあり、16cmフルレンジのラジカセでも、あの手この手で攻めてくるアイディアの数々を堪能できた。40代後半に入り一種の退行現象も加わって、今でもああいう感じで聴きたいと思って、結局モノラル試聴にたどり着いた。実際には老年に差し掛かり感性も鈍っていることも勘定に入れて、多感だった頃の感性を補う必要があり、16cmとほぼ同様なレンジ感ながら、表現の隈取りの強いシステムになっている。本格的なモノラル・システムといえども、巨大なラジカセを志向しているのだ。
 そもそも珍しい音源を探し求めた結果、昔のラジオ音源をリッチに聴きたいというニーズが高かったので、狭い音域での過度特性の良好なシステムを目指している。その意味ではオーディオマニアとしての嗜好はかなり特殊である。ただ誰でも検証できるように、現在も製造されている製品で何とか間に合わせた。この点はユニバーサルである。実はひっくり返すと、昔は誰もが聴いていたラジオをリッチな音で聴きたいという、ごく一般的な営みに他ならず、オーディオ文化の一端にちゃんと寄り添っていると自負している。現状のシステムはビンテージ・スタイルを模倣しているが、1950年代のJensenやエレボイのカタログ、それとAllied Radioの通販カタログを参照しながら、色々と想像を膨らませて構築したものだ。それなりの乗りこなしもあるが、それが楽しいのだから良しとしたい。これらを合わせた結果、20世紀のポピュラー音楽に抜群の相性をみせる、小さなジュークボックス並のオーディオシステムになった。

 世にいうモノラルシステムを取り囲む環境は、初期Hi-Fi LPの高騰、ビンテージパーツの枯渇、デスクトップ・オーディオの台頭と、私のような半端物には生きづらい世の中になってきた。命運も尽きたというべきか。しかし、平民たるラジオ音源の平和を守るべく信念を崩してはいけない。自分なりのスタンダードな音楽鑑賞方法がモノラルであった…そのことが第一で、その次に機材の選定が続く。自分なりの目的が判るまでには、それなりの時間の熟成が必要だ。

 現行システムは、まさに勝手に増殖する雑草のようなもの。あれこれジャンク品を寄せ集めて組み合わせたシステムは、脈略のないロードムービーのようなものである。以下に、その迷走ぶりを列記すると…。

ステレオ録音もモノラル化して試聴したいのと、最低限のイコライザーが欲しかったので、小型ミキサーでCDの音を受けるようにした。
音調をビンテージ風にするため、1950年代のPAマイク用トランス、1920年代のラジオ用段間トランスを挿入した。
ロクハンと真空管ヘッドホンアンプの組み合わせでは出力が足りないので、コンプレッサーを噛まして小音量でも聴きやすくできるようにした。
スピーカーにエレボイ Baronetを導入し、ささやかなバージョンアップ。
聴いてる時間の長さを勘定にいれ、メインシステムからCDプレーヤーをサブシステムに移動。
やはり出力が足らないので、アンプを中国製デジタルアンプに交換。
ドイツ製ラジオスピーカーを裸で鳴らし、Baronetのツイーター替わりにした。
30cmワイドレンジ+10cmサテライトスピーカー(いずれも現在製造中の新品)という組み合わせでモックアップを試作。これが実質的にバージョンアップとなった。
ミキサーをベリンガーからヤマハの製品に取り換えた。
チャンデバを使ってマルチ化。ツイーターをホーンドライバーに差し替え、アンプをデノンのプリメインにグレードアップした。
UTC製トランスの代替品として、サンスイ・トランスのトランジスター回路用トランスを使用。昭和30年代からの隠れたロングセラー品。
ツイーターをフォステクス FT28D(3.5kHzクロス)に変更。さらにFountek NeoCD2.0を買い足す。

 各機材での軌跡をたどると、以下のようになる。
スピーカー: パイオニアPE-16M → エレボイ Baronet → Jensen C12R+ツイーター
アンプ: EL84三極シングル → 中華デジアン → デンオン PMA-1500RE
ミキサー: ベリンガー UB1002 → ヤマハ MG10XJ
ライントランス: UTC C2080 → サンスイ ST-17A


「永遠のビギナー」モノラル試聴システム。ポップス愛好家にはぜひ聴いてもらいたい。


現状のシステムは80〜12,000Hzフラットのクールなモニター調(斜め45度試聴)


 こうした現在製造されている部品を掻き集めてモノラル・システムを組むのは、モノラル試聴という方法に対し、死守すべきボーダーラインを設けたかったからである。逆に言えば、これ以上のグレードの部品なら、絶対に良いことあるよ、というメッセージでもある。それだけ、現状のモノラル・システムの組み方は、プアとリッチの両極端にあるのだ。その一番の原因は、モノラル・ハイファイ初期の1950年代が、ほとんどの人がキットを含む自作で組んでいたことで、オーディオ・システムについて、おおよそ標準というものを見定めがたい点である。その一方で、商業用システムである映画館や音楽喫茶では、ジムランやアルテック、タンノイやクラングフィルムという大型システムが君臨していた。集客してお金がもらえるシステムを、一般のサラリーマンがおいそれと購入してメンテナンスまでやりこなすには荷が重いというべきだろう。少なくとも、そういう境地にいたるまで、オーディオに関する勉強が必要なのだ。そして購入してから実物をいじり倒さなければ、使いこなしを究めることなどできない、そういう壁が歴然と存在する。その壁を払いのけるのに、ビギナー向けのノウハウを集結させ、音楽鑑賞の楽しみという結果を出し続けることが、私なりの目標でもある。

【更なる進化、というより、分家の様相】
 ここでローファイ・フェチから抜け出す事件が起きたのだが、超広帯域のリボンツイーター Fountek NeoCD2.0を刺客として差し向けた結果、スーパーハイファイとなる驚くような結果となった。Fountek社のリボンツイーターは、PA用にも使えるタフな仕様で、2kHzからの使用が可能な大型ダイヤフラムが付いている。

Jensen C12R+Fountek NeoCD2.0(斜め45度試聴位置)

 何がスーパーハイファイかというと、40kHzまで伸びたハイレゾ対応というわけではない。実際に8kHz以上は急激に落ちている。ステップ応答が綺麗な逆三角形をしており、出音がピタリと揃って一群で押し寄せてくることが判る。ステップ応答では、ウーハー側が逆相で繋がってるというのもよくあるので、確認のために3.5kHzで切った状態で測ってみると、Jensen C12Rは非常にシャープなステップ応答をもっていて、リボンツイーターの応答が隠れてしまっていることが判った。Jensen C12Rには、エッジの共振である800Hzと1200Hzに8msほどの長い尾が伸びるが、逆にそれ以外の帯域は物凄くタイトに反応する。後面解放箱のため低音のリバウンドが少ないというのもあるが、30cm径のコーン紙からリボンツイーターとほぼ互角に出音を弾き出すという驚くべき結果になる。全体に荒っぽいところはあるが、80〜15,000Hzという帯域をドバっと吹き出すように音を出す勢いは、何にも代えがたい経験である。

3.5kHzクロスでのステップ応答(上段:Jensen C12R、下段:Fountek NeoCD2.0)


Jensen C12R フルレンジ単体でのステップ応答(ピークがリボンと同一)

 大型電蓄の一種ともいえるジュークボックスで多用されたJensenのP12Rは、開発が1947年だが、当時はボーカルやギターがジャズのビッグバンドとガチンコ勝負を挑んでいた時代で、出音のスピードは生命線だったと思われる。1940年代の技術水準は、マイクを通じた生楽器の再生という点で、現在でも十分通用する。加えてJesnenは何よりもコストパフォーマンスが抜群にいい。

 歴史的にリボンツイーターを使用したシステム例は意外に古く、1946年にデッカ=ケリー製のリボンツイーターを使用した、英HMV製の最高級電蓄Electrogram De Luxeまで遡ることができる。これはEMIの名物プロデューサー、ウォルター・レッグが、世界最高の電蓄を造れとの命令の下、青天井のコストで製造されたもので、実際にデモ機以外に製造された形跡のない幻の電蓄である。この後1950年代にEMIはモニタースピーカーをタンノイに代えたため、最高の電蓄という理由は消えてしまった。次にQUAD社が1949年に、やはり同じくデッカ製のリボンツイーターを用いたCorner Ribbon Loudspeakerを発売するが、同じコンセプトを拡張した1957年に静電型のESLを開発して一世を風靡した。

HMV社 Electrogram高級電蓄

 で、残ったFostex FT28Dを有効利用しようと、C12Rの弟分であるJensen C6Vをダイトー製のバスレフ箱に入れてみた。C12Rのリブ付コーンのように分割振動があまり出ないタイプで、代りに中央のボイスコイルの共振をストレートに出すので、3.5kHzなんかで切ると大人しい普通のウーハーになってしまう。そこでJensen C6Vにはフィルターを掛けず、FR28Dは7kHzカットで被せることにした。

Jensen兄弟の居並ぶ姿


Jensen C6V + Fostex FT28D

 このシステムのコンセプトは、1970年代後半のラジカセの音であり、ラジオがAM放送からFM放送へ進化した時点のハイファイっぽさを再現している。

1977年のステレオ・ラジカセの特性図(フルレンジ80〜6,000Hz+ツイーター7〜12kHz)

 16cmと30cmの違いは、コーン紙をバッフルに見立てたときにダイレクトに振動できる周波数の低限で、16cmが600Hzなのに対し、30cmは300Hzまで下がる。この違いは、ボーカルで言えば、30cmは胴間音の制御を直接揺るがすが、16cmが箱の共鳴で補うかの違いがあり、箱の共振のほうが余韻が長引くため中低域の量感が豊かになるが、表情は単調になる。逆に人声の第二フォルマントが明瞭に浮き出てくるため、歌謡曲のようにダイナミックレンジが穏やかで、日本語のニュアンスを大切した録音には非常に相性がいい。おそらく1970年代までの録音は、むしろ原体験としてのエッセンスが詰まっているように思う。メディアのなかでの実像を比較するのには、とても便利なアイテムである。

 一方で、兄貴分のC12Rは、マイク生音をそのまま拡声してステージでぶちまける勢いがあり、ミュージシャンのパフォーマンスを最大限に出し切る傾向がある。それは、ソロの弾き語りでも、今も実在しているような緊張感とスピードをもって再現される。ユニット代が27,000円/chなのに、20万円/chのアンプに匹敵するくらいダイナミックな表現であり、私自身の目的である「誰でも手軽に楽しめるオーディオ」のひとつの形が出来上がったと自負する。


【アナログ的な味付け】

 ここで私なりのアナログ的な味付けについて話してみたい。
 CD発売当初のデジタル機器について言われたのが「スタジオの音」であったが、それは録音ソースをそのまま正確にコピーして劣化がないので、何も味付けしないで新鮮なまま味わえ!ということだった。アンプからトーンコントロールが、スピーカーからツイーターのレベル調整が消え、磁気歪み、高次歪みは諸悪の根源として排除されていった。その頃から、真空管アンプが失われたアナログテイストを取り戻す機材として認知されていき、最近ではアナログ盤への回帰現象もみられる。
 アナログとデジタルの違いをちゃんと説明するのは難しい。あえていえば、デジタルは演算させて結果を出すので、計算させた以上の命令は結果として出ない。グランドノイズは演算する機能に含まれていないので聞こえない、信号レベルもが許容値を超えるとバリバリと異音をたてる。正確無比と言われるのは、インプットした条件をアウトプットするという記録・伝送機能のことであって、それ以前の音源に関しては人間の感性というアナログな部分がほとんどを占めている。1990年代にスタジオ機器がデジタル化された時点で何が問題だったかというと、従来からアナログ部品で組み立てたサウンドポリシーが、デジタル化に伴い継承されずに排除もしくは消去されたことにある。つまり作り手のマインドが空白の状態のまま、音響機器として提供された点にある。その時点で、デジタルはブラックボックスであると同時に、ただの空箱のようなものだった。それで性能が良いから、と押し通したのである。
 アナログ部品には、制御できない固有の音というか癖がつきまとう。そのせいで、表現が部品固有の枠で制限されるのだが、音響機器の設計者はこの癖を知ったうえでサウンドポリシーに責任をもってパッケージしていたのだ。真空管は重低音と超高域の増幅が甘めだが、重低音はダンピングが鈍くて鈍重に、高域はリンギング(共振)を適度に発生するので聴いてて心地よい音が出る。つまり小さな音響出力でも、ボディのくびれが強調されたグラマラスな体形を維持しやすいのだ。アナログ盤は、スクラッチのパルス波とそれを和らげる機械インピーダンスや磁気変換の甘さが重なって、全体に粘り気の強いモチモチの音を出しやすい。場合によっては、盤の反りや偏心から生じる緩やかなワウ音も、音楽のグルーブ感に貢献さえしている。それと高域を過大に、低域を少なく収録するエンハンス機能も加わり、これも小出力でも倍音の多い心地よい響きを出す。アナログ盤の音が良いと感じるのは、再生装置も含めたパッケージに込められたサウンドポリシーが好ましいと感じるからであり、デジタルが好ましくないのは、サウンドポリシーを自分に好ましく組み立てられないからである。個人的には、デジタル機器のほとんどは、指示した事柄には正確に対処するが、それ以外には気の利かない、融通の利かない人に感じるそれであり、それならば、こちらから積極的に歩み寄らないと、心の通った会話などまず望めない。
 このようにみると、一般の人が求めているのは、大音量で圧倒する電気的に正確な音響なのではなく、小音量でも心地よく聴けるノウハウなのだ。そして、その心地よさの基準は個々人で異なる。時代はラウドネス曲線を見出した1940年代にまた戻りつつあるのだと、私個人は思っている。

 一方で、これらのアナログ的な味付けのほとんどは、磁気歪みであり、周波数毎のエネルギー変換の非直線性、それと高次歪みの累加であり、そういう癖のあるデバイスを選べばほとんどが解消できる。
 古い設計のライントランス:サンスイ ST-17Aは、周波数帯域の絞り込みと一緒に、高次倍音を多く出す。特に私個人が、パルス性のノイズが多いと出音の命令形が錯綜して、音楽に集中できずイライラが募ってくるので、10kHz以上の帯域は音を出す以外の気配を感じないほうが安心する。
 古い設計の大口径スピーカー:Jensen C12Rは、低域から高域までの過度応答性が揃っていて、しかも分割振動で倍音が沢山出る。フィックスドエッジは重低音を出すことはできないが、中低域の過度特性が優れており、リズム楽器の弾む感覚や、ボーカルのニュアンスを驚くほど忠実に再現する。むしろ楽音にテンポの合わない低音を聴くと、やはりイライラの原因になるので、ないほうがマシだと思っている。
 新しい機能としては、ヤマハのミキサーに付属しているリバーブ系のデジタル・エフェクターで、響きを足すというよりは、倍音を足して音をリッチにしてあげるというのが正しい。それに追従してくれるのがJensenのギターアンプ用ユニットであり、変にリバーブの響きを強調せずに倍音が綺麗に乗る相乗効果がある。こうした高次歪みの多いスピーカーは、HI-Fi初期にはJBLをはじめ普通に造られていたのだが、1970年代から急激に無くなり、しまいには分割振動という諸悪の根源と見なされてしまっている。私個人は、倍音の消滅がオーディオをつまらなくしてしまった原因と思っている。
 逆に真空管を取り入れないのは、出力トランスの質感で音質が左右されるので、細かなサウンドの調整が他人まかせになりやすいこと、デバイスの安定性が低く聴くたびにサウンドが変わっているように聞こえること、リンギングで倍音が尾を引くのを個人的に好まないこと、などからだ。実は真空管の魅力は十分に分かっているのだが、導入して3ヶ月くらいすると石のデバイスで代替品をみつけては戻すということを繰り返しているので、それに掛ける費用も倍になるのだと自負している。なので最近は慎重にならざるを得ないのだ。

 一方で、アンプとツイーターには現代的な職人気質の機材を投入している。
 デンオン PMA-1500REは、中堅機のなかでもとりわけ質実剛健で、低域と高域の反応にキャラクターの差があまりない。最近のアンプにしてはレンジ感がそれほど広く感じないのは、重低音のエネルギー感、超高域の強調などのキャラクターが、フラットよりやや沈み込んで設定されているからで、モニター的な性格をもっている。スーツをきっちり着込んだサラリーマンのような感じで、何でもそつなくテキパキこなすので、私自身はNHKの音だと勝手に思ってる。
 フォステクス FT28Dは、プロ用モニターとして活躍しているNF1などに使われているツイーターのベースモデルで、プロ用は放送用途にも使えるように60°振りで10kHzまで落とさないようにできているが、コンシュマー用は5kHz付近から落としてチャンネルセパレーションを稼いでいる。基本的なキャラクターは暴れのないノーマルな音で、ともかく嫌な音を出さない。同じソフトドーム系のDynaudioのツイーターよりもさらにおとなしくした感じで、なで肩、柳腰といった日本的な和のテイストが勝っているといえる。しかし、パワー感はしっかり出せるというしたたかさもあり、最近のアスリートの強化選手ように鍛えた結果、涼しい顔してスゴイ技を連発するような感じになっている。フォステクスのNF1で採用された理由は、ウーハーのスピードが速いので、緩和する方向でツイーターを選んだということだが、私のジェンセンもスピードでは負けないので、同じような方向を目指していることが判った。できあがったサウンドは、絹のベールを羽織ったアスリートという感じで、鋼のような筋肉体質をあえて柔らかい素材で包み込むという、何かの戦闘少女キャラのような組合せである。実際に、ボーカルはふくよかな人肌の感触なのに、表情が深いという、すごく自然な感覚が呼び覚まされる。
 もうひとつの刺客Fountek NeoCD2.0は、従来のリボンツイーターが8kHz以上のスーパーツイーターとして使用していたのに対し、大型ダイヤフラムで2kHzから使用可能にしたもので、繊細というよりはタイトな反応のツイーターである。実際にはフォステクス FT28Dのほうが出音がスマートで正確なのだが、Fountek NeoCD2.0のほうが引き際が逆相で強調されているように感じる。ステップ応答の引き際がかなり俊敏に押し下がって逆相側までいくのは、おそらくチャンネルデバイダーのフィルターの癖で、この癖に鋭敏に反応するせいで隈取が強調されているように感じる。逆にチャンネルデバイダーにした利点は、ツイーターとウーハーのタイムコヒレントの正確な一致に現れており、一度フルレンジでの俊敏な反応を体験すると、高域にぶら下がってマスキングしているスピーカーには二度と戻れなくなる魅力がある。
 ふたつのツイーターの差は、出音ののシャープな反応に慣れないユーザーには、音調の穏やかさも含めてフォステクス FT28Dを薦める。よりスピード感を強調したい向きにはFountek NeoCD2.0をおすすめする。いずれもJensen C12Rというフィックスドエッジの大口径ユニットが安価に手に入ることからスタートして、音楽を時間軸での関係で感じ取るという当たり前の行為を、低価格で手間も掛けず提供できるのが最大の強みである。

 というわけで、私のオーディオシステムは、音のタイムマシーンともいうべきもので、その時代に生きた人のバイタリティを伝える機械である。その意味では、リアルタイムではないがゆえに制限の多い情報量について、どこまで焦点を絞って再生するのかもセンスのひとつで、その答えが過去の音響技術の洗い直しであり、半世紀以上前のレトロなテクノロジーが人間の感性に基づいた、確かな技術であることに確証を得ている。それは現在の情報社会という仮想現実のなかで、人間のフィジカルな側面にアプローチする由緒正しい方法なのだ。


【モノラルスピーカーの配置】

 モノラルスピーカーには、由緒正しき聞き方がある。それは斜め45度 から聴くことである。それもたとえ38cmの大口径スピーカーであっても、半径1m以内に置くニアフィールド試聴が最有力だ。むしろ試聴位置の背後の空間のほうを大きく空けるべきだと思う。

レスポールの自宅スタジオ  まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようだが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。今では常識的な正面配置ではなく、横に置いて聴いている。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られる。つまり斜め横が正しい方向なのだ。

605Duplexでモニター中
BBCでのLSU/10の配置状況

 では、スタジオ以外の普通の人たちはどうかというと、やはり斜め横である。これは私が愛用していたエレボイのバロネットの場合。小さいながらコーナーホーンになっている理由が判るだろう。

 このとき斜め横から聴くときは、スピーカーは左耳か右耳か、という疑問が生まれるだろう。しかし、人間とは不思議なもので、右耳と左耳であきらかに周波数分布は違うはずなのに、あたかも同じ音を聞いているかのように脳内で補完している。また、左耳は分析的であり、右耳は情感的なものが、それぞれ先行して感じ取れる。それを脳内で補完しながらグルグル情報が廻るのである。つまりモノラルといえども、けしてシングルな音ではない。むしろステレオ音響で耳を覆い尽くすよりも、はるかにステレオ的な音響情報が脳内をめぐるのである。私は右耳派であるが、音楽の情感が脳内を突き抜けて左耳まで達する頃には、その繰り返し寄せ来るリズムの波に一種のトランス状態に陥る。

 ちなみにオーディオ批評家で有名な瀬川冬樹氏の1961年のリスニングルームもまた、伝説の斜め45度試聴。Axiom 80くらい高域が強くなると、このくらいが適当だし、聴いている距離からすると、45シングルアンプという構成も含め、小音量派だったのかもしれない。そして右耳からの試聴は情感を優先しており、それは瀬川氏のオーディオ批評にも現れている。


伝説のAxiom 80を試聴する若かりし瀬川冬樹氏


 この聴き方の元にあるのは、ラジオを囲んだ団欒にあることが判っている。誰も正面に陣取って音を独り占めしてはいけない。そしてラジオの脇にソファ置いてくつろぐのが、紳士のたしなみである。ビング・クロスビーだってそのように聴いているではないか。こちらは左耳試聴であり、分析的に聴いていることが判る。クロスビー氏の非常に洗練された歌唱は、精緻な計算のうえで成り立っている。そしてこの家具としての造りの良さと恰幅の大きさ。テレビが造られる前のラジオ電蓄のステータスを物語っている。


高級電蓄を聴くビング・クロスビー
当時の典型的なリビング風景


パーティーでラジオを囲む
前に立って独り占めしてはいけない

 以上より、モノラルを聞くためのスピーカー配置は、正面になってはいけない。ということはHMVのニッパー犬の聴き方はあまり良くないと言えよう。このことで直接音と壁の反射音とのブレンドを簡単に調整できるのだ。それに加えて中高域のキツイ(プレゼンスの高い)ユニットでも、指向性で音を和らげることもできる。つまり反響音のブレンドと指向性の調整で、音響の調整が自在になる。

Jensen C12R+Fostex FT28Dの周波数特性(上段:正面、下段:斜め45度)

 これらは、ステレオによる試聴方法によって忘れられたモノラル試聴の方法であり、人間の音響心理的な部分とも折り合いをつけて理解する必要がある。部屋のルームアコースティックとも関連するし、音響心理的な心地よさには個人差があるので、機器を揃えさえすればシステムが完成するわけではない。結局、その答えは自分にしかないのである。

http://quwa.fc2web.com/Audio-123.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c4

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
5. 中川隆[-11662] koaQ7Jey 2020年8月26日 15:37:56 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[15]
●20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回)
http://quwa.fc2web.com/Audio-111.html


【甘い罠】
【フィッシュ&ポテト】
【お茶漬けの味】
【カセットテープ】
【ラウドネス】
【トーンコントロール】
【基本はモノラル】
【ピントの合った音】
 

【甘い罠】

 美しい花にはトゲがある。同じように、昔から憧れだったオーディオ製品にも、甘い蜜と共に、毒針が潜んでいます。ここでは、過ぎ去った時代に築かれた理解の壁を、オーディオという立場から見つめてみようと思います。

@税金で底上げされた夢の舶来品
 一般に20世紀の日本は、欧米並みの暮らしの豊かさを目指して邁進していた、と言えるでしょうが、オーディオの世界にも同じようなことが言えます。かつて海外製は高級品というイメージが大きかったのですが、蓋を開ければ、物品税と関税の垣根が高かっただけ。そうした労苦に報いるのに見合った、ご当地でも高級品だけが紹介されてきました。
 物品税は戦時中の「贅沢は敵」の時代に遡り、娯楽的な嗜好品である電蓄に120%の税金を掛けたことに端を発するらしく、1950年で60%、1960年代で30%という感じでした。物品税の高かった1950年代は、パーツをかき集めて自作することが多かったため、完成品のオーディオ機器はほとんどありません。ちなみにラジオは嗜好品ではないので戦後まもない頃でも10%。テレビの物品税が解かれるのは1960年代だったと言われ、普及にはずみが付きます。逆にLPレコードは10%から15%に上がるなど、この時代の人は本当にレコードを大切に聴いていたのだと思います。ほとんどの人はラジオで聞いたことでしょう。面白いのは、ステレオ装置に掛かる物品税に食って掛かった1968年4月の国会議事録などもあります。質問者は共産党議員なので、業界の後押しはなく、よっぽどのオーディオ好きだったようです。

 オーディオというのは、不要の用であって、購入する人に夢を抱かせるものでもありました。今でも伝説めいたブランド・ストーリーが幅を利かせているのは、オーディオの価値観というのが、音だけで勝負という以外に、所有する人に与える満足感が大切にされているからです。舶来モノの魅力は、まだ見ぬ世界への扉を開く呪文に満ちているとも思えるのです。JBLのエッジワイズ巻きを平坦銅線巻き、シュアーのバーティカル・トラッキング・アングルを最適針先角度、タンノイのデュアル・コンセットリックを位相整合型同軸などと紹介すれば、たちまち夢は崩れ去るのです。しかし、これらの名機のサウンドは、個性がはっきりしており、たまらなくクセになるような味わいがあったことも確かです。この辺が、音楽という抽象概念を電気技術で説明しようとするオーディオの難しいところで、伝説と呪文がなければオーディオの魔法はたちまち解けてしまうのです。

 21世紀に入って、世界経済の中心が逆転して、かつての欧米の高級オーディオ製品が、日本をはじめアジアに流入するケースが増えています。かのWEは日本と韓国、台湾がほとんど買い占めていまっている状態とか。JBLの青いモニターシリーズが売れているのは、やはり日本が断トツでしょう。しかし、こうした高級品志向は、60年代ポップスの図式には登ってきません。どうしてでしょうか? いくつかの理由を考えてみましょう。

A1970年代のオーディオ批評の壁
 オーディオが趣味として最も盛んで、しかも質が伴っていたのは、1970年代だと個人的には思っています。つまり、現在のオーディオのイロハは、1970年代に醸成されたものだったのです。その意味で、私たちがよく知る1960年代の著名なオーディオ機器は、1970年代のオーディオ批評の影響を受けて、1960年代当時の人が体験したものとは、大きくかけ離れているのではないか、と思うようになりました。

 例えば、以下のシステムを揃えたとしましょう。
  米国システム 英国システム 日本システム
カートリッジ シュアー V-15 TYPE-III オルトフォン SPU デンオン D-103
プレーヤー トーレンス TD124 ガラード 301 テクニクス SL-1200
アンプ マッキントッシュ C22+MC275 QUAD 22+II 国産トランジスター型
スピーカー JBL 4320 タンノイ IIILZ(Gold) 三菱 2S-305

ブライアン・ウィルソンとアラン・パーソンズ(私もこういう写真には萌え萌えなわけで…)

 この組み合わせの元は、JBLがジャズ向き、タンノイがクラシック向き、というシステム構築から派生したもので、いわゆるアメリカン、ヨーロピアンのサウンド区分で、日本の家屋でも置き場所にそれほど困らないセットになります。この図式をそのまま、アメリカのロック、イギリスのロックに当てはめるのが常套手段だと言えるでしょう。場合によっては、両者を混ぜ合わせることで、ブリティッシュ・ロックを聞き込むということも、大いに行われています。歌謡曲や演歌でも、NHKのモニターシステムで聴くようなことが時折みられます。紅白歌合戦のファンにとっては、NHKの株は非常に高いと言っていいでしょう。でも実際はFM放送用のクラシックに使われたと思われる点が多いのです。その証拠に、NHKには紅白歌合戦以外に歌謡曲に関するアーカイヴが乏しく、逆にクラシックに関しては大量に残っているからです。

 ところが、当時の最高レベルの機種で組んだシステムは、どちらかというと、70年代のスタジオモニターの品質でガッチリ鳴らしすぎる感じで、録音の善し悪しを選ぶような気がします。クラシックやジャズだと、同じような演奏でも録音の質も選べるので、あまり困らないのですが、音楽そのものの個性を競うポップスでは、ほとんどの録音が落第点になり、60年代ポップスは音が悪い!とサジを投げ出しかねません。聞き込めば聞き込むほど、帯域の狭さ、不自然なエコー、おかしなステレオ・バランスに悩まされるのです。1965年までのポップスの録音は、いわばオーディオ界のイグ・ノーベル賞とも言える様相です。ドラッグ文化を冷たい目線で眺める1970年代のオーディオ感で、いわば上から目線で大衆音楽を眺めることで、豊かさと引き換えに失ったもの、というべきトラウマに陥ってしまうのです。

 こうした問題の根底には、今も昔もオーディオはクラシックやジャズの再生を中心に展開しており、ロック、ソウル、歌謡曲の類は、今も昔もオーディオ批評の対象にならず、主にヒットチャートの先行き、ミュージシャンの精神論や楽曲解説に留まったのです。そのため、この手の流行歌をより良く理解するための機材選びについて、あまりちゃんとした認識のないのが実際です。どんな音楽でも機材を換えれば、当然聞こえ方が変るのですが、このことを普通に比較したものがほとんどありません。高音にキャラクターの強いスピーカーをポップスや歌謡曲向け、という論評はよくあるパターンで、いわゆるオーディオの素人がドンシャリな音を好むような調子で、ポップスの音質を蔑む傾向が強かったのです。

 よく「明るい音でポップス向け」という言葉を聞きますが、ドンシャリの音を好むオーディオ初心者を揶揄しているような言い回しで、ポップスに理解のない(良識のない)人の上から目線の言葉と思ったほうが良いです。むしろ話は逆で、ローファイな機材でも心地よく聞こえるように調整されたサウンドなのです。それを20kHzまでフラットなシステムで大音量で聴いて批評するのですから、「こういう音を若者は好んでいるんだな」と勝手に思っているだけ。後のラウドネスやトーンコントロールで述べますが、これにもちゃんとしたコツがあるのです。

 例えば、少し肩の力を抜いて以下のようにすれば、ぐっとポップスの感覚に近づくと思うのです。
  中流家庭を意識したシステム
カートリッジ シュアー M44、デンオン D-103、ピッカリング、フィリップスの普及品
プレーヤー テクニクス SL-1200、ガラード&トーレンスならオートチェンジャー、など
アンプ サンスイ、米ダイナコ、英リークなど
スピーカー JBL Lancerシリーズ(60年代)、Altec 601C、409B
エレボイ&ジェンセンの同軸型、フィリップスのフルレンジ
Goodman Triaxiom、EMI DLSシリーズ、セレッション Dittonシリーズ
ロクハン、ゲンコツ、など日本製フルレンジ
 これでも当時としては、十分オーディオマニアの仲間入りできる内容です。何と言ったって、コンポーネント型で機器を選ぶこと自体が十分マニアの領域。こうした機器には、1970年代のオーディオ・テクニックから外れた、ある種のユルさ、いい加減さがあります。周波数帯域は狭いのに、低音はブカブカ、高音はビリビリ共振したりします。スピーカーの2次、3次高調波歪みも実信号の-30dBは当たり前で半端じゃありません。このため音圧を上げると、色々と問題も起きやすいため、ジャス愛好家からはソッポ向かれるものが多いのです。もちろん、クラシックでも弦の音にデリカシーが無いと言って一蹴されます。しかし、この味付けをしないと、60年代ポップスは途端にふて腐れてしまうのです。ポップスは何といっても若者の音楽。下手な化粧や、やんちゃなところも少し大目に見るような器量がないと。

 また、古今のオーディオ誌の評判が良いからと、間違っても能率の低い小型2wayや、重たいウーハーの3wayは選ばないほうが良いです。理由は、ボーカルの抜けが悪いのと、ラウドネスを調整しても各ユニットのキャラクターが目だって不自然に響くからです。後のラウドネスの項目で述べるとおり、60年代ポップスには何らかのトーン制御が必要なのですが、これに適した中高域が過度的な反応をするスピーカーは、現在ほとんど製造されていません。むしろ引っ込んでいるほうが多いのです。両端の周波数レンジが広がると、はじめは新鮮に感じても、新しいリマスター音源と古いテープコピーCDとのギャップに戸惑い、すぐに飽きます。ビートルズの新しいリマスター盤が出るたびに、この種の特集が祭りのように出るのですが、Rogers LS3/5a(1972年発売)をビートルズ時代のモニタースピーカーというような人達には、あまり期待を膨らませないほうが賢明です。

 あと、ビンテージスピーカーは能率が現在の+6〜12dB(2〜4倍)あるものがほとんどで、30cmを超えるユニットには実際に50〜100人規模のレコードコンサートが開けるだけのエネルギーがあるので、部屋の規模に合わせた良識を持ち合わせていないと、小音量でウーハーが鳴らしきれず「高域をもてあます」ケースも生じます。高能率のスピーカーを1W程度の小音量でしか鳴らせない環境にいるなら、思い切ってシングルコーンを選んだほうが良い結果が出ると思うのです。その意味で、JBL、Altec、エレボイ、ジェンセンなどの20cmフルレンジ、ロクハンやゲンコツなどの日本製フルレンジは、難しい調整もなく60年代の音楽に溶け込んでくれる点で、永遠の友となってくれるでしょう。

B初期盤〜再販の葛藤
 1970年代のステレオ・ブームからみた60年代のオーディオ機器が貧相なスペックなのと同じように、モノラル・ミックスや盤質など、三流の仕事とも取れるようなものも少なくありません。この辺はクラシックやジャズでは初盤が重量級で再販がペナペナというのとは正反対で、売れるか売れないかも判らない駆け出しのミュージシャンに対するレコード会社の一般的な態度だったかもしれません。場合によっては、ラジオ局向けにアセテート盤でDJに掛け合って売り出すことも多かった時代、最初に投資した経費を回収するのに、とりあえずプレスという処置も多かったのではないでしょうか。これを人気が定着した70年代に再販する際に音をいじって、さらに味気なくしてしまった例も少なくないようです(例えばビートルズの、赤盤以降に初めてリリースされた1st&2ndアルバムなど)。
 もっとも打撃が大きかったのは、CD化するときにLPカッティング用のコピーテープをただコピーしただけの再販でした。初期の再販CDは、テープをただA/D変換したものがデフォルトだったのに加え、オープンリールも何世代か経たコピーテープから起こしていたので、総じてプレゼンスの低いカマボコ型で生硬い音が多かったのです。ときには、高域を安易に持ち上げたCDもあり、J-POP全盛期の音調と遜色ない化粧を施したものも。それが本来のスタジオの音というのですから、かなり無理があったのです。この品質のギャップをどう受け止めるかで、60年代のレコードの価値が変ってくると思います。
 一方で、この時代の音盤マニアのなかには、ビートルズ、モータウン、フレンチ・ポップス、懐メロなどは、実際に蒐集すると底なし沼に入って一生出られなくなる人も多いのです。しかも、それが一般の人に理解しやすいものかというと、これから60年代の音楽を楽しもうとする人には、結構敷居が高いテーマを掲げます。例えば、この時代の音盤マニアは、まずアナログ盤のプレス違い、ジャケ違いにハマります。次にカートリッジの蒐集。EQカーブの違いの研究。ほぼこの辺りで、60年代ポップスのオーディオ批評は途絶えてしまいます。この場合、音源がオリジナル盤であれば本物の音、という迷いのない理屈がありながら、普通のオーディオ批評と重なる部分がないのと、ジャズやクラシックなら生音との比較で、スピーカーとアンプから入っていくのとは、順序が逆なのが判ると思います。実はこの論法で、希少な初期プレス盤が持ち上げられ、ポップスの大衆性が台無しになっているような気がしてなりません。もっとも、こういう圧力団体(?)の根強い活動が、今のリマスターの質の向上につながっているのも事実です。モノLPまで出すのですから、本家のほうも意地になっているのが現状かもしれません。
 もうひとつはシングル盤かアルバムか、という問題もあります。1970年代以降はLPの売れ行きが定着したので、特定のミュージシャンのパーソナリティを聞き込むのにLPを選ぶ傾向があります。一方で、1965年以前ではLPは高級品であったため普及はあまり進まず、特に若者はシングル盤を中心に購入していました。何年か遅れてカバー曲で再リリースも多かったですし、同じ曲を別のミュージシャンで売り出して競うということもありました。つまり著作権が音楽出版社に属している場合、ミュージシャンは一定の著作量を払ってレコードとして売り出すことができましたし、作詞家・作曲家もそのほうがアリガタイ面もあったのです。例えば、1970年代に女性シンガーソングライターとして名を馳せたキャロル・キングは、1950年代末から楽曲を提供していたことで知られており、「ロコ・モーション」などの歴史に残る曲を出しています。こうしたレイス・ミュージックの垣根を越えた活動をみた場合、ミュージシャンの個性という切り口で発売されるLPではカバーできず、歌そのものを楽しんだ文化を取り逃す可能性が高くなります。
 さらなる問題は、60年代の多くのシングル盤はモノラルで販売されました。その後の1970年代では、モノラルは前時代的なものとみなされ、ステレオ盤を正規のバージョンとされ、LPとして残ったものが評価の対象になりましたが、最近になってモノラル・ミックスの価値が見直されるようになったのです。LPとシングルで単純に違うテイクを使用しているものも時々ありますが、同じテイクでもモノラルのほうが音の密度が高いという評価もあります。個人的に衝撃的だったのは、フィル・スペクターのウォール・オヴ・サウンドがモノラルで組まれていたということです。今では、当時のオリジナル・ミックスはモノラルであったという考え方がかなり定着してきたように思われます。同じ理由で、LPバージョンか、シングル・バージョンかの議論も普通になされるようになりました。1曲の時間が短いポップスの場合は、これが成り立つのです。
 今やネット配信の時代に入って、60年代ポップスの価値は変っているように思います。レコード、CDのパッケージの差は徐々に失われ、単なるデータへと並列的に聞かれるようになったからです。RihnoやEMI、SONYなど、録音当時のビンテージ機器で味を出すリマスターが増える今日の状況で、CDでの再販もアーカイヴとしての価値観が変わり始めています。しかし、音源だけいじれば良いというのではなく、失われたアナログ時代の音響的なノウハウのツボをちゃんと押さえておかないと、やはり味気ないものになるのです。これがオーディオを通じてポップスの文化を理解する手掛かりとなるのですが、道具としてのオーディオ機器の選定で、誰でも実践できる方法がちゃんと説明されないまま放置されているのではないでしょうか。このことが60年代ポップスの評価を曇らせているのではないか? というのが私の感想です。


もっと肩の力を抜いて…聴きましょうよ!(クリント・イーストウッドとマリアンヌ・フェイスフル)

C誰が殺したククロビン?
 以上、60年代ポップスに掛ける思いが募る一方で、多くの障壁があることが判ります。オーディオマニアと音盤マニアの深い溝は埋まりそうにないですし、舶来品信仰もなかなか消えません。こうした業界のしがらみから、60年代ポップスを開放にするためには、どうすれば良いでしょうか? 当時のミュージシャンは、周囲の慣習と戦うことで新しい境地を見い出してきたのではないでしょうか? 決してヒットチャートの道ばかりではない、レジスタンスとしてのオーディオ機器という奇抜な発想が必要だと思うのです。このままでは、ベルリンの壁のような地雷と国境封鎖を敷いた首謀者を特定できないまま、60年代ポップスは迷宮入りしてしまうように思うのです。まさに1960年代がそういう差別や隔離に苦しんでいただけに、こうした事態をどうにかしたいというトラウマが余計に深刻になるのです。
 こうして21世紀に入って、今や文化遺産ともなった50年前の音楽を、いざ楽しもうとしても、全ては忘却のかなたにあり、あの頃の感動など微塵も感じられない。今の高級オーディオ機器のように、ガラス張りで除菌整備されたクリーンルームでは、60年代の若者の汗臭さや化粧臭さを楽しむ余裕は生まれてきません。精々、加齢臭とか化粧ババアと言われるのが関の山です。こうした文化の壁を乗り越えて、一度は都会のネオンから逃れ山小屋に立てこもるような気概がないと、60年代ポップスの灯火は見えないのではないでしょうか。
 では、真相はどこにあるのでしょうか? 当時の一般人が未来を切り開いた音響機器に、ふたたび耳を向けてみる必要があるのです。


【フィッシュ&ポテト】

@電蓄の世界
 ここでは、1960年代のイギリスのオーディオ事情について述べます。
 私たちは、ビートルズの活動時期と1960年代を重ね合わせて、ブリティッシュ・サウンドの原点について想像を掻き立てられます。タンノイ、ガラード、クォード、並み居るHi-Fiオーディオのパイオニアを並びたて、最高の音で聴きたいと願うわけです。今でもビートルズ、ストーンズの人気は衰えることがありません。


左:"Swinging London"を特集した米TIME誌1966.4.15号、右:Carnaby Streetの若者たち(1969年)


1960年代のロンドンのHMVショップ(オーディオコーナーと試聴コーナー)
・オーディオ・コーナーの中心はEMI製のDLSスピーカー、左隅にQUAD ESLモノラル。
・新盤の試聴コーナーでは、33/45回転は買った人だけ、78回転は無料で好きなだけ試聴できた。

 しかし、実際のビートルズ人気を支えた若者は、けしてそういう高級機器を購入できた富裕層ではありませんでした。1960年代でも78回転盤はまだまだ売れていましたし、英国内向けのシングル盤がモノラルであったというのは常識となっています。この難解きわまる前提に立ちはだかるのは、イギリス人に特有のSP盤への愛着です。五味康祐「オーディオ巡礼」には、1963年にイギリスを訪れたときのこととして次のように述べています。
 「英国というところは、電蓄に対しては大変保守的でケチンボな国である。アメリカや日本でステレオ全盛の今日でさえ、イギリスのレコード愛好家はまだ七十八回転のSP(LPのモノーラル盤ではない!)で聴いている。市販のカートリッジも、SP・LP両用でなければ売れないという。ロンドンにも現在シュアーのカートリッジは市販されているが、V15のU型はおろか、V15すら部品カタログに載っていない。高価なV15など誰も買わないからだ。それほどケチンボな国だ。オルトフォンはさすがに出廻っている。しかし殆ど月賦販売用である。SPU/GTが二十三ポンド――邦貨にして二万四、五千円見当だろう――それを十ヵ月払いの月賦にしなければ誰も買ってくれない。そういう国民だ。」

 この前置きのあとに、Decca社の高級ステレオ・コンソールDecolaが、ステレオのオーケストラ録音から78回転盤まで見事な音を奏でると賞賛しました。このことは何を示しているかと言えば、百花繚乱にみえる英国のHi-Fiオーディオ機器のほとんどは、一部の上流階級か海外向けの特産物であり、イギリス国民のお茶の間に届くことは稀であったということ。そして多くの人が電蓄(Radiogram)を愛し、RIAAになった後も78rpm盤を大切に聴いていたのです。Garrardのプレイヤーに78rpmがあるのは当り前、QUADの1967年発売の33型プリアンプ(トランジスター式)にさえ5kHzのハイカットフィルターを装備していたくらいでした。それがレコードをこよなく愛するイギリス人の常識だったのです。しかし、このポータブル・レコード・プレイヤー、結構いい味出していると思いませんか?


当時最も売れたDansette社 TempoとBermuda
 
自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey

 ポータブル・プレイヤーの多くは、BSR社のターンテーブル、セラミック・カートリッジ、ECL82のシングルアンプ、8x5インチの楕円フルレンジユニットの構成で、張り出している箱の部分からすると、卓上ラジオとターンテーブルが一体化したような構造です。
 セラミック・カートリッジは、78回転盤と33/45回転盤の両用で、ノブを回転させると切り替えられるタイプが長い間使われました。セラミック・カートリッジは、自身がイコライザーと同じような特性をもっており、イコライザー・アンプを必要としないため、廉価で済ませることができました。公称の周波数特性は30〜15,000Hzですが、実際は8kHz前後で急激に減衰します。78回転盤の時代と違いはそれほど大きくないというのが実情で、ステレオ時代のカートリッジは、クロストークは20dB程度、6kHzより上はほとんど分離しないというものです。これがピンポンステレオを再生していた初期ステレオ録音の限界でした。

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性

 アンプはECL82もしくはECC85+EL84のシングルでした。1.5Wのとても簡素なアンプ。これで8x5インチの楕円フルレンジを鳴らしたのです。楕円ユニットは当時のラジオにもよく使われていたもので、EMIの高級ユニットでも、6kHzから減衰して8kHzまでというものです。一方で、2〜4kHzにピークがあり、これが音の明瞭度を上げています。


Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー


EMI 92390型ワイドレンジユニット

 こうしたアナクロな時代の名残として、現在ではVoxやMarchallのギターアンプ用スピーカーとして有名なセレッションのユニットを取り上げましょう。Celestion Blueとして知られるワイドレンジ・ユニットは、1940年代にまで設計を遡るラジオ用スピーカーが前身でした。この頃、セレッション社はブリティッシュ・ローラ社に合併吸収されており、このローラはジェンセンから技術提供をうけてA12型スピーカーを製造していました。その後継機G12型がCelestion Blueにあたります。このスピーカーは100〜5,000Hzという電蓄のスペックであることが判りますが、こうしたスペックは天下のBBCが1948年まで使用していたGEC社のモニタースピーカーLSU/7も同様でした。1950年に発売されたMurphy社の高級ラジオにはセレッション社のスピーカーが採用されました。これで多くのイギリスの家庭にあった電蓄の音の概要が判るのです。


Celestion Blueの特性

1940年代のGEC社製BBCモニタースピーカー


Murphy社 "Baffle"Radio A146C(英Rola社 G12が搭載された)

 もうひとつ、化石のように生き残っているのが、エレボイ 209-8Aで、いわば構内放送用のユニットです。このユニットの特性は、雑踏の中でも明瞭に音声が聞き取れるように、ラウドネス補正でも特別なDカーブに準拠しています。これはジェット機の離着陸する空港でのアナウンス用に1970年代に追加されたものですが、驚くことに1930年代のGEC社のスピーカーと似た特性であることが判ります。つまり、こうした特性は小さい出力でも、人間に知覚しやすいように調整されたトーンなのです。弱点は大音量では破綻することです。

EV 209-8Aの周波数特性と音圧測定カーブの数々

 こうしたユニットは、エンジン音と格闘するカーステレオでも共通でしたが、ともかくローファイな世界でブリティッシュ・ロックは雑草のようにたくましく育っていったのです。その基礎はBBCのAM放送に培われた、と言っても過言ではないでしょう。しかし今でいうBBCモニターとは全く違う時代のものなのでご注意を。

A海賊ラジオ
 BBCラジオでビートルズの生演奏が流れたのが1963年以降。この頃、BBCが軽音楽を流すのは一日のうち45分だけ。それにレコード会社からの圧力で、レコードをそのまま放送することは硬く禁じられていました。いわゆるDJなるものはBBCにはいなかったのです。これに飽き足らない若者たちはルクセンブルクのラジオを短波で試聴するのが流行でした。知っている人は判りますが、短波は電波が安定しないと音声が波打ち際のように大きくなったり途切れたりで、音楽の試聴にはあまり向きません。これに目を付け、アメリカ風に24時間体制でレコードをかけまくるラジオ局のアイディアを実現すべく、英国の法律が行き届かない公海上の船舶からゲリラ的に放送したのが、1964年から始まった海賊ラジオRADIO CAROLINEでした。


Radio London 1137kHz(266m) 機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった

 またたく間に若者の心をつかんだ海賊ラジオは、当時20局以上も現れ、次第にレコード会社も売り出し前のバンドのデモテープを横流しするなどして、新しいポップシーンを牽引しました。テープはオープンリールではなく、カーステレオ用に開発された堅牢な8トラックカセット(初期の業務用カラオケにも使われていた)で供給されました。当時の船内スタジオには、山積みのカセットテープがみられます。


8トラックカセット エンドレスで再生できて便利だった

 しかし試聴環境はここでもAM放送で、しかも電池で動く携帯ラジオが結構人気だったのです。8kHzの攻防は若者文化のなかで依然として根強く、最新のミュージックシーンを牽引していたのです。

当時人気だった英Bush社 TR82

 海賊ラジオは1967年に法改正で一掃され、変ってBBCでトップギアなどのロック専門番組が、海賊ラジオの元DJによって始まります。この頃からBBCセッションは、アルバム発表前のスクープという様相を帯びますが、これこそ海賊ラジオのスタイルだったのです。1960年代を通じてイギリスのポップシーンの牽引役はラジオだったのですが、おそらく、上記のポータブル・プレイヤーの立ち位置は、同じようなアンプ&スピーカーで聴いておりながら、AMラジオよりも鮮明な音という位置づけでしょうか。それより高級なシステムでの試聴は、造り手からしても想定外でした。イギリスの若者は、最新のトレンドはラジオで味見して、気に入ったらレコードを買うというパターンのようです。それでも健全に音楽が育っていったのですから、時代特有の情熱があってのことだったのでしょう。

BBBCスタジオ
 1960年代のBBCモニターは、FMステレオ放送の実験に際し、従来のLSU/10に変る新しいモニタースピーカーの開発に着手します。セレッション社はHF1300などの高性能なツイーターを開発し、自社製品のDittonシリーズのほか、BBCモニター三代目となるLS5/1に採用されました。このとき周波数は13kHzまで。1960年代前半の放送はモノラルなので、モニター、ダビングすべて1本で行っていました。このLS5/1は250台ほどしか製作されず、基本的にはFMでのクラシック収録のために使用されました。
 これに1969年にスーパーツイーターを追加したのがLS3/6(BC1)です。この頃になると、レッド・ツェッペリンのライブ収録などが行われ、レコーディング技術も世の中と同じレベルに並びます。こうしたレコードは非売品ながら海外の放送局に配信され、世界中のFM放送で流れるようになります。つまりポップスでも、Hi-Fiなステレオ放送を前提にした録音がBBCで始まったのです。いわゆるオーディオのお手本のように言われているBBCモニタースピーカーは、1960年代にはあまり海外では知られず、1970年代のKEF、Rogersの新しいステレオ用スピーカーを指しているのです。


BBC LS5/1(1960年)ウーハーはGoodmans製、ツイーターはCelestion製HF1300


 では、1960年代のBBCの軽音楽スタジオではどうかというと、ビートルズ時代のSaturday clubの収録では、依然としてLSU/10が使われていました。これは1949年に開発されたモニタースピーカーで、パルメコ社の同軸2wayを搭載したものでしたが、このユニットは単体では8kHzまでが周波数の限界であり、AM放送のためには十分な帯域でした。タンノイ、アルテック、RCAのHi-Fi向けの最新同軸2wayはことごとくテストで落とされたのです。FMの試験放送が始まった1955年頃からは、よりHi-Fiのニーズを満たすために独ローレンツ社のツイーターを追加しました。しかし、1960年代のBBCの軽音楽番組はAM放送が中心だったので、LSU/10は帯域内を濃密に再生する点で、ちょうど良かったのかもしれません。


BBCの人気番組"Saturday club"で駆け出しの頃のBernie Andrews氏
左:合間にビートルズと談笑 右:最初はテープの頭出し係だった

Parmeko 単体の特性:50〜8,000Hzという特性だが音のキレは強い

 この1950年周辺のBBCのHi-Fiへの舵取りが、実はイギリスの1960年代に大きく圧し掛かっているように思えるのです。確かに、1947年開発のTANNOYのデュアル・コンセントリック型スピーカーの先進性が浮き彫りになり、Hi-Fi録音の創生期にDeccaやEMIに納入されたという伝説的な話とリンクしはじめます。しかし、このような近代的なスピーカーで聴くと、60年代初頭のポップスはどう考えても周波数バランスがおかしい。その理由が、庶民向けのラジオとその延長線上にある電蓄スピーカーのようなのです。

CEMIのDLSスピーカー
 同じく1960年代初頭に、レコード会社であるEMIからは、電蓄スピーカーとの折衷的な製品が発売されます。DLS(Dangerous Loud Speaker)と銘打ったシリーズで、ステレオ録音の普及が進まない状況に業を煮やして、1960年に店舗試聴用の小型で高性能なスピーカーを開発したのでした。よくアビーロード・スタジオで使われていたと言われますが、実際はオーケストラのエコー装置として壁に掛けられていました。ビートルズ初期の1963年のレコーディングでは、主にAltec 605A+612箱でモニターされました。アルテックのシステムは「プレイバック」という商標通りの、録音したてのテープを生のまま聴くという段階のもの。この頃は2トラック・レコーダーでの一発録りなので、録音直後にミックスバランスをいじることもできない。あくまでも演奏の善し悪しを判断するだけです。そしてスピーカーはステレオ用に2本ありましたが、メンバーの座っている居地から、ミキサーの右手にあるスピーカー1本で試聴していたことも判ってきます。このとき、EMIのDLSスピーカーがスタジオに持ち込まれた写真が1枚だけあります。おそらくイギリスの家庭用に、と気を利かせたようですが、ほとんど使わなかったようです。


ポールの後ろに置かれたEMI DLSスピーカー(目線は遠くのAltec)
ジョージが片方のスピーカーに陣取っているのはモノラルミックスのため。

この頃のモニター方法「斜め聴き」:右側のスピーカーでモノラルミックス。
この時は初アルバムのヒットに続くシングル再録セッション(1963年)

 ところで、DLSスピーカーのベースとなる92390型 楕円フルレンジは、大きさは13×8インチ(40×20cm)、中央辺りは金属製となっておりメカニカル2wayの一種ですが、帯域は7kHzまでです。EMIの楕円フルレンジにはいくつかのバーションがあって、150はダブルコーンでツイーターなし、319は同軸2way、DLS529はツイーターを2個搭載した高級型でした。1946年からHMV銘柄の電蓄に搭載されたもので、かつて最高級電蓄 Electrogram De Luxeにはデッカのリボン型ツイーターが搭載され、これはウォルター・レッグが世界最高のスピーカーを開発しろとの鶴の一声で始まったもので、その技術がステレオ時代に流用されたことになります。後にこの楕円フルレンジは、デッカのステレオ電蓄 デコラに使用され、五味康祐先生の78回転盤でも良い音で鳴るという話に戻るわけです。しかし五味先生は根っからのクラシック党。同じ時代でも当時のポップスの話とゴチャマゼにすると、実は話が噛み合わないのですが、いわゆるSP盤との共存という意味では、イギリス人の一般的傾向と辻褄が合います。ラジオや78回転盤との相性を保持するため、低域はウーハー専用ユニットではなく、フルレンジ+ツイーターという折衷的な2wayが好まれたのです。


EMI 92390型ワイドレンジユニット


HMV Stereogram 2330


Dローファイでも育つ音楽文化
 こうしてみると、イギリス国民が、LPの発売された1950年以降から1960年代の前半にかけて、立ちはだかる電蓄の巨大市場の壁を乗り越えるのに、かなりの時間を要したことが判ります。ビートルズのLPを買おうと殺到した人の多くは、電蓄の名残が強い8kHzまでの音響をさまよっていたと考えられます。しかし上に見るように、そういうスピーカーでも生き生きと鳴る工夫が、60年代前半のヘンテコな音に秘められていたようにも思うのです。こうした広いリスナーに聞かれた60年代の音楽は、オーディオ的な素養にピントを合わせるのが難しい。アラが見えないようにピンボケだと詰まらないし、何でもはっきり見えてもアバタだらけになる。今風の洗練されたステレオ機器で聴くことで、かえって評価を下げることも十分にありえるのです。

 よく「明るい音でポップス向け」という言葉を聞きますが、ドンシャリの音を好むオーディオ初心者を揶揄しているような言い回しで、ポップスに理解のない(良識のない)人の上から目線の言葉と思ったほうが良いです。むしろ話は逆で、ローファイな機材でも心地よく聞こえるように調整されたサウンドなのです。それを20kHzまでフラットなシステムで大音量で聴いて批評するのですから、「こういう音を若者は好んでいるんだな」と勝手に思っているだけ。ポップスを聴くのに、1960年代のイギリスの若者は、ラジオやポータブル・プレイヤー以上の大げさな装置でレコードを聴かなかったし、それでもロックの変革を牽引できたのです。

 1980年代との僅かな違いは、1960年代が古い戦前の音響学に沿っていて、まがりなりにPAのような開かれた音響と歩調が合わされていた点です。そこがインナー型ヘッドホンが音楽業界を牽引した1980年代とのサウンドの違いがあり、現在では周波数特性が全く逆の両翼が強調された録音が好まれています。こうして1960年代のサウンドは化石となっていったのです。どっちが正しいというよりも、現状を認識しておくことは必要だと思います。


【お茶漬けの味】

 ここでは、昭和とロックという、何となく水と油に思える事象について、私なりのコンプレックスの源泉を見つめてみようと思います。
 昭和と西暦の違いでしょうか。日本と西洋ではジェネレーションが5年ずれているような気がします。特に1964年の東京オリンピックの影響は顕著で、テレビの大幅な普及に合わせ動画での記録が急激に増えるようです。オーディオ的にはモノラルからステレオへの移行期にあたり、ポップスの多くはモノラル盤でプレスされることも多かった。とはいえ、1960年代が輝いていたのはアメリカだけで、日本もヨーロッパも戦後を引き摺っていました。ヌーベルバーグはほとんどがモノクロ映画だし、ビートルズを含め初期のステレオ録音の多くは外貨を稼ぐためのアメリカ向けだったのです。

@アンサンブル型ステレオ
 1960年代の日本でのステレオ事情は、どうでしょうか。1960年代は高度成長期の初めの頃で、3年で給料が倍に増えるという感じで、貧しさから徐々に脱していきました。日本は1964年にレコード売り上げが世界第二位(一位はアメリカ)に躍進します。1965年サラリーマン平均月給30,300円、シングル330円、LP 1,500〜2,000円の時代。給料3ヶ月分のアンサンブル型、1ヶ月分の卓上型など、プレーヤーとチューナーの一体型のものが好まれました。いわゆるステレオ再生の基本を無視したスピーカー配置、響きの悪い和室に置かれるため、エコー装置で音の広がりを調整できる機種も多くありました。月給の半年から1年分に相当する本格的なセパレート型ステレオは、まだまだマニアの領域でした。メーカー製のステレオは「家具調ステレオ」とも呼ばれ、居間を飾る豊かさの象徴でもあったのです。

        ビクターとコロンビアのアンサンブル型ステレオ(共に1964年)


サンスイの雰囲気いっぱいのステレオ広告
左:朝岡ルリ子、右:新珠 三千代

 しかし、折角購入したステレオ・レコードさえ、1965年頃までのポップスについて言うと、当時から「ピンポンステレオ」と揶揄されたデュオ・モノラルであり、単純に左右に楽器を分けて収録してある程度のお粗末な録音が多かったのです。1965年にFMステレオの試験放送が開始されて、初めて自分のカートリッジの音の悪さに気付いた人も少なくなかったらしく、国産でもオーディオテクニカ AT-3、スタックス CPS-4、グレース F-8L、デンオン D-103などが優秀なカートリッジとして注目を浴びます。
 F-8LはNHKと協同開発されたF-8Dの民生版ですが、フラットでチャンネル・セパレーション30dBという高性能にも関わらず、無味無臭の音は、当時の評論家から「お茶漬けの音」と揶揄されました。既にF-7カートリッジで、NHKのエンジニア達にブラインド・テストでFMステレオ試験放送のリファレンスに選ばれたという実績をもとに、F-8Lでも評論家にブラインド・テストをしてもらいます。結果はF-8Lの圧勝。その後、バーチカル・アングルなど先進的な技術が、シュアーのV-15で真似されても臆することなく、価格で圧勝だったこともあり、自社の宣伝に加えてしまう余裕もありました。

  グレース F-8Lの広告(1967年)

 一方で、いくら優秀でも給料の1/4〜1/3をカートリッジに費やせる人は少数派、まだまだ付属のセラミック・カートリッジが主流でした。給料1ヶ月に達するオルトフォンやシュアーなどはまだまだ高嶺の花です。アンサンブル型ステレオでは、その良さを十分認識できなかった可能性もあります。圧電式はイコライザーアンプがいらないということもあって、カーブ設定もいい加減なものであったし、チャンネル・セパレーションも10dB前後のつたないもの。ピンポンステレオのように2chが明確に分かれていないと、買い手はステレオとモノラルの差が判らなくてクレームの対象になったのではないでしょうか。

 唯一、スピーカーだけは1950年代から輸出用に開発された安価なユニットが豊富にあり、フルレンジまたは同軸ユニットに自作箱を付けることで、Hi-Fi規格を十分満足できました。放送局モニターではNHKお墨付きのP-610A、民生品でもナショナルのゲンコツ(1954年)からフォステクスFE-103(1964年)まで、日本のフルレンジスピーカーは安価で素直な音を出すということで、海外でも人気が衰えませんでした。アンプはEL82(6BM8)、EL84(6BQ5)か6V6が主流で、スピーカーも10W以下のアンプで十分に鳴らせたのです。こうしたユニットの価格は、上記のHi-Fi用カートリッジよりもはるかに安かったところをみると、逆に当時のカートリッジの重要性が判るのです。

日本の素直なフルレンジ:ゲンコツ(1954年) フォステクスFE-103(1964年)

Aテレビ
 こうしたHi-Fi機器を尻目に、この時代を象徴するのは、やはりテレビの普及です。東京オリンピックを境にテレビがお茶の間を飾りましたが、テレビのゴールデンタイムを飾る歌謡番組「ザ・ヒットパレード」やバラエティー「シャボン玉ホリデー」では、カバー曲からオリジナル曲まで非常に広いレパートリーが提供されました。ピーナッツの洋楽カバーは、さしずめ日本のビートルズのような役割(BBCでR&Bのカバー曲をいっぱい紹介した)を負い、和製ポップスの発展に貢献したのです。テレビの音声はモノラルながらFM波で、スペック上は15kHzまで収録できますが、ブラウン管テレビの水平走査回数15,750Hzとの干渉を避けるため、実質10kHz程度で丸められ、テレビ据付の楕円スピーカーの実力からすれば8kHz程度が限界ではないでしょうか。それでもAMラジオが8kHzをカットするのですから、音は良いほうだったのです。多くのビデオテープの記録を頼りに判断すると、少し印象が違うように思います。当時のビデオ音声は、生放送に比べてずっと音質が悪いからです。FMラジオが本格的に普及するのは、ステレオ化された1970年代となります。モノラルのFM放送は不要の用のような存在だったといえます。

 興味深いのは、長岡鉄男氏が「音楽の友」誌1967年4月号に寄稿した「オーディオ千一夜」で、原音再生についてテレビの音の合理性を述べている点です。いわく…
 「家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずないでしょう。やけにボンボンした胴間声と相場がきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。」
 ここで、テレビの音が良い理由として以下のことが挙げられています。
プログラム・ソース(音声電波)が素直
アンプ、スピーカーとも低域と高域をあまり欲張っていない
アンプは五極管シングルでシャリシャリした音になる
テレビ用だ円スピーカーは比較的マグネットが大きく、foが高く、中音域での歯切れが予想外によい
一般にあまりボリュームを上げずに用いている
 結局、ローコストで合理的な拡声装置として、10〜16cmのフルレンジを0.4m2の平面バッフルに取り付け、80万説により100〜8,000Hzを支持し、低域は絞ってダンピングを良くし、中高域に明瞭性をもたせるということを提案しています。(この頃バックロードホーンはじゃじゃ馬で素人には無理だと考えていたようです)

1960年代のテレビの広告

Bまとめ
 1960年代の日本の家庭用オーディオの風景は次のようになります。
レコードがHi-Fiの頂点に立つが、ステレオのカートリッジはセラミックが主流のため、周波数特性は10kHzを下回り、チャンネル・セパレーションも十分出ない。
スピーカーは早くからフラットな特性のものが安価で出回り、小型ビーム管のシングルでも十分な性能が出せた。裏返せば、LP、カートリッジ、FM放送など音源の差が判りやすい状況にあった。
ステレオ録音は発展途上で、左右チャンネルを極端に分けた「ピンポンステレオ」と揶揄されたものが多く、シングル盤はモノラル、LPはステレオという時代でもあった。
カセットテープは会議、英会話練習用などに適し、まだ音楽用として熟成していなかった。エアチェックするにもFM放送はモノラルだったし、1968年から発売されたラジカセもモノラル、テレビ放送も1970年代末までずっとモノラルだった。
オープンリールが発売当初よりHi-Fi規格に準じていたが、音楽テープは非常に高価で、高級カートリッジとLPのほうが経済的であった。Hi-FiステレオはLPが占有していた。
テレビの普及にしたがい歌謡番組がゴールデンタイムの娯楽で重要な位置を占めるようになる。テレビ音声はモノラルながらFM波で、AMラジオより優位にあった。
 この時代の流行歌は、かなりの音源がオリジナルの歌手によりステレオ再録されているので、60年代の音は判りにくいのですが、残ったモノラル音源は意外にキッチリと録られています。ある意味、ステレオ録音よりも目鼻立ちが良く、1950年代のHi-Fi録音のイロハが、お手本通りに生きており、ラジオでも良く通る声で響いたのではないかと思わます。多くの人はラジオから流れる歌に声をあわせたり、歌声喫茶に通って歌ったと言いますから、レコードの大半は今のように鑑賞するためのものでは無かったようです。この点は、初期の演歌がなぜ売れたのか、という本来のいきおいを理解する手がかりとなるでしょう。


「明星」S36年9月号の歌本
坂本九と森山加代子
「月刊平凡」S42年2月号の歌本
都はるみと西郷輝彦
 あらためてみると、日本のステレオ事情は、基本的にイギリスの事情と似てなくもないのですが、比較的フラット志向でおとなし目のシステムになりやすいことが判ります。それはいち早くステレオ録音に追従した点からも、合理的な音響機器が庶民のレベルに浸透していたことが判ります。こうしたシステムが生きてくるのは1970年代に入って、ラウドネスの効果的な使い方が録音側に備わって、さらに飛躍することになります。逆にオーディオ的に発展途上にあったイギリス発のポップス、特に60年代のハードロックやR&Bに対する日本での評価の低さは、1〜4kHzにピントの合っていない国産スピーカーの特性に起因するものと思われます。

C長岡鉄男氏から伺う1960年代
 一方で、1960年代の長岡鉄男氏のコラムなどを読み返すと、多くのメーカーがRCA、コロンビアなどの東海岸風ピラミッド・バランスを目指していたのに対し、長岡氏の推奨する音がテレビをお手本にした、辛めの英国ラジオ風なのは面白い結果でした。それ以前にも、「ローファイを楽しもう」「モノラル再評価」など、私好みのコラムがあって、今になってその内容が少しずつ読み取れるようになりました。日本語で書かれた1960年代のオーディオ批評のアンソロジーは意外に少ないのが現状で、庶民派の目線で本音をチラホラ漏らす長岡氏のコラムはさらに貴重なのです。
 長岡氏自身はクラシックを良く聴く人なのですが(音楽の友、レコード芸術の常連だった)、テレビではもっぱら歌謡曲だったのではないでしょうか。1971年に小三治師匠との対談で、FM放送の歌謡曲についても言及して、「歌謡曲っていうのはずんぶんくだらないと思ってたけどね」という前置きで、4chデコーダーを通して流しっぱなしで聞くと雰囲気があって案外おもしろい、という評。小三治師匠は、10枚中9枚はクラシックだけど、実際に聞く確率はポピュラー、ジャズ、歌謡曲が優遇されて、寝転がって聴くのが好き、という具合。こうした脱力系で楽しむ音楽もあるのだと改めて思った次第です。
 こうしてFMを中心としたステレオ・ブームとは裏腹に、音楽鑑賞の質が一向に上がらないのを見て取ったのか、長岡氏は1970年代に「週間FM」誌でオーディオの使いこなしなどを指南する際に、レコードは何を聞いているか、具体的な楽器の音がどう聞こえるかの詳細をほとんど語らず、終始、低音が高音がという抽象的な言葉でオーディオ批評しているのです。おそらくFM視聴者が歌謡曲などを主体に聴いていることを配慮して、あえて言及しなかったように思えるのです。1980年代に「外盤A級セレクション」を発表するようになりますが、そうした批評に耐えられるだけの装置を一般読者が所有できる時代になったという別の意味も含まれています。長岡氏は庶民派の目線でCP(コストパフォーマンス)でオーディオの価値観を表現したユニークな存在でしたが、オーディオの目指すべきゴールを見据えたうえで、一般のユーザーに辛抱強く語ってきたように感じます。
 長岡氏のコラムを振り返ると、1960年代から1980年代まで、オーディオ環境に大きな変化があったことを実感できるわけで、遠い眼差しで過去を振り返ることの難しさも実感するのです。60年代ポップスは明らかに「ずんぶんくだらない」B級、C級の録音セレクションとならざるを得ません。その回答が、下手なアンサンブル・ステレオより、テレビのほうがオーディオ装置として優れている、という逆説的な発言です。このことを実感できるようになるには、結構険しい道のりが待ち受けているように思うのです。


【カセットテープ】

 1970年代以降に急速に普及したカセットテープですが、これがあるとないでは、オーディオの歴史が全く違うものに映ってしまうことが判りました。1960年代のカセットレコーダーは、まだオーディオ機器としては十分な性能をもっていなかった、つまりラジオやレコードがものすごく支配的だったのです。

 カセットテープは1962年にフィリップスが開発して、1965年に特許を無償提供した結果、一気に広まったものです。特に1966年頃はアメリカでカセットレコーダーがブームとなり、日本のメーカーがOEM生産で本家のフィリップスを大きく引き離しました、1967年にパナソニック が米国でラジカセRQ-231を発売。1968年にはアイワが国内でラジカセTPR-101を発売し、ラジカセはオーディオ商品の定番となりました。ラジオはAM、FMともにモノラルでしたが、好きな番組を繰り返し聴くのに適していたのでしょう。現在も続くラジカセの元祖です。


国内初のラジカセ アイワTPR-101の広告(1968年)

 最初のカセットレコーダーの性能は十分ではなく、会議記録・英会話レッスンには適しているとされ、音楽用としてはオープンリールが使われたのです。屋外に気軽に持ち運べる小型レコーダーといえばナグラやソニーの携帯型オープンリールが既にあり、十分にHi-Fi規格を満足するものでした。例えば、ディランの1966年ロイヤル・アルバート・ホールでのアコースティック・セットがそれに当たります。
 当時はAM放送が主流だったのですが、カセットテープはそれ以下の音質、あえて言えば電話回線なみだったといえます。しかし、カセットテープの気軽に交換できる堅牢なパッケージ構造は、その安さも重なってアマチュアの間で人気が出ました。ブートレグ盤などでファンがライブを収録したものも存在し、多くは録音状態が極悪なので市場にほとんど出ませんでしたが、最近は公式盤としてリリースされるようになりました。例えば、ラジオにも出演拒否されていたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1969年ライブツアーを捉えたクワイン・テープなどは、スタジオでの制限では収まらない演奏形態が伺えます。まさにそこから音楽が生まれていたのでした。
  
初期カセットテープのダナミックレンジ(1976年):エルカセットとの比較でかなり分が悪い

 カセットをHi-Fi用途として使おうと最初に目論んだのは、1968年に発売された日本のTEAC A-20ステレオカセットデッキでした。当時は酸化鉄テープ(TYPE-I)を使用し高域は10kHzが限界でしたが、後の日本製カセットデッキの先鞭を付けたのです。カセットテープの品質は1966年から製造していたTDKが、1968年に戸田工業の針状粒子材料を使った「SD(スーパーダイナミック)カセット」を発売し、翌年のアポロ11号に使われるなど、世界でトップの信頼を勝ち得たのでした。この頃になると、アメリカでの日本製品のステイタスは確立しはじめ、日立のバッテリー駆動式のステレオ・ラジカセなど、製品開発でも先進的な発想を形にしていったことが、LIFE誌、PLAYBOY誌のような一般誌でも評価されました。

TEAC A-20ステレオHi-Fiカセットデッキ(1968年)
日立mini-stereo TRQ-222(1968年)

TDK SDカセットの広告(1969年)

 カセットテープが一般家庭のオーディオ用として広まるのは、1969年のNHK-FM本放送開始、1970年の民間FM局の開局などを経て、ステレオでのエアチェックが流行するようになってからでした。クロムテープの開発の後、1973年にはナカミチ 1000カセットデッキが発売され、本格的なHi-Fi用カセットデッキとして完成の域に達したのです。

 ここでは、1970年代と1960年代の違いとして、カセットテープの有無が上げられます。オープンリールとは違い、音楽カセットはLPと同じ価格で売られたため、ラジカセで音楽を持ち歩く、カーステで音楽を聴く、という新しいライフスタイルが生まれたのです。上記のラウドネスを録音スタジオで付加するのも、音楽のアウトドア志向がラジカセ、カーステの限られた音響のなかで、ヒットチャートと連動していたことと関係があったと言えましょう。


【ラウドネス】

 1960年代後半のアメリカというと、護民権運動が次の段階にシフトして、いわゆるヒッピー文化に突入するわけですが、そうしたなかで、黒人音楽にも新しい風が吹いてきます。いわゆるレイス・ミュージックと言われたゴスペルやブルースの色が濃い音楽から、白人向けの垢抜けた楽曲を提供するようになったのです。この前座には、1950年代末からキャロル・キング(「ロコ・モーション」作曲)、フィル・スペクター(「ビー・マイ・ベイビー」プロデュース)などの人々が、ポップな感覚のヒット曲を送り出していたのですが、これに続くモータウン・レコーズのホーランド=ドジャー=ホーランド(H-D-H)の作曲ユニットが、この路線を決定的なものとします。
 フィル・スペクターは、綿密なテープ編集を重ねて「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれる、新しい傾向のサウンドを提供しました。いわく「ワグナーの音楽の持つ広大さをロックに取り入れ、 ティーンエイジャーの為のシンフォニーを作る」という感じで、ポップスの音に厚みと奥行きを与えたのです。奥行きというとステレオの世界のように思うかもしれませんが、スペクター氏はモノラル時代にこれを編み出し、最終的にはコンサートでのPA設備にも影響を与えたのでした。

 
左:フィル・スペクター(1960年代)、右:Grateful Deadのライブステージ(1970年代)

 ここで、モータウン・サウンドと呼ばれるものですが、フィル・スペクターのサウンドを継承しながら、レーベルに専属の作曲家(ホーランド=ドジャー=ホーランド)と専属バンド(ファンク・ブラザーズ)を有して、一連のヒット曲を送り出します。ダイアナ・ロス&シュープリームスだけでも12曲の全米No.1ヒットを出したわけで、そのサウンドはキャデラックのようなゴージャスさそのもの。アメリカン・ドリームを絵に描いたような音です。私などはJBL 4343などの大型モニターでガンガン鳴らす様子を思い浮かべるのですが、どうやら1970年代以降の妄想のようです。1965年頃のモータウンのミックス・ルームの写真を見てみましょう。


 8chミキサーの両脇にStuder C37オープンリール、モニタースピーカーはAltec 604Eモノラル、Acoustic Research AR-3ステレオという配置です(背後にはPultec EQP-1イコライザー、Fairchild 660リミッターなど定番物も)。普通に考えると、メインのミキシングは604Eで行い、ステレオに振り分ける際にAR-3を使う感じでしょうか。2つのスピーカーのサウンドの違いは明白ですが、この頃のエンジニアBob Olhsson氏によると、当時の東海岸のレコーディング・エンジニアは、スタジオ内でアルテックのA-7や604でプレイバックした音でミュージシャンの了解を得た後に、テープを自宅に持ち帰り、当時一般に売れていたAR社、KLH社、JBL社などのブックシェルフ・スピーカーで試聴して「本当の音決め」をしていたということです。つまり、あのゴージャスさで知られるモータウン・サウンドは、比較的おとなしい音のするイースト・コースト・サウンドを基準に練られていたということになり、上の写真はAR-3を正式なスタジオモニターとして迎え入れた最初期のものとなります。面白いことに写真のAR-3の置き方が逆さまなことで、ミキサー卓に座ったときにツイーターが耳の高さになるようにしています。これは後にJBL 4310モニターで標準となったレイアウトであることが判ります。またこの頃から、ポップスのサウンドがひと皮剥けて、Hi-Fi志向になっていることも伺えます。多くの人がこの頃のモータウンをエヴァーグリーンなサウンドとして賞賛する所以です。

 ここで、1970年代のサウンドの特徴をはっきりさせるために、録音スタジオで多用された小型モニタースピーカー、オーラトーン5Cに注目しましょう。1958年の創立時からありましたが、クインシー・ジョーンズなど大物プロデューサーを筆頭に、デラックスなダンス・ミュージックのサウンドを次々と生み出していきました。しかしこのオーラトーン、実質150〜15,000Hzのカマボコ特性であり、しかも1.5kHzに大きなピークをもつ独特の周波数特性をしていたのです。


Auratone 5Cと周波数特性
 ところが、この周波数特性の裏返しは、シュアー社が定番ボーカルマイクSM58の特性そのものです。いわゆるライブステージのサウンドを家庭用オーディオで再現しようとする方向に向いたものと考えられるのです。これに弾みをつけたのは、ビートルズが仮想ライブステージを想定した「マジカル・ミステリー・ツアー」のような不思議な録音です。偶然とはいえ、ここでロックにもサウンドステージという概念が広がったのです。ノイマン社のコンデンサーマイクは1950年代から定番でしたが、シュアー社のボーカルマイクのような押しの強い音に仕上げるための方便が、オーラトーンでのバランスチェックの秘策だったと思われるのです。

上:オーラトーン 5Cの逆特性、下:Shure SM58マイクの特性

 もうひとつ重要なのは、このピークの理由は、人間の外耳の共振から来ています。外耳の共振の研究は、1940年代に補聴器の分野で進んでいました。(米国特許 US 2552800 A) 外耳の長さは25mm〜30mmとされ、開管とした場合の共振周波数は、3kHzと9kHzにピークを生じさせ、この周波数を敏感に聞き取るようになっています。これはオープン型ヘッドホンをフラットに再生したときのもので、1995年にはDiffuse Field Equalizationという名称で、国際規格IEC 60268-7とされています。つまり、ダミーヘッドで測定したヘッドホンの特性を、一般の音響と比較する際に、聴覚補正のカーブを規定したのです。ここでは、シュアー社のボーカルマイクには、ステージ上の歌手の声があたかも近くで話しているように聞こえるよう、ラウドネスを付加していることに注目したいと思います。


  B&K社のダミーヘッド4128C HATSとDiffuse Field Equalization補正曲線(参照サイト)

 このように、ライブステージでのシュアー社のボーカルマイクの威力を知った1966年を境に、ポップスの録音にも心地よい艶が乗るようになっていきます。つまり手本とすべき生音が、ライブステージでのスピーカーを介した電気的音響に統一されたのです。この仕上げの時期に出現したのが、JBLの巨大PAシステムであり、現在のロック・サウンドがほぼ完成形になったことを示すモニュメントでもあります。ここでもマイクの生音を快適に拡声するため、D130のプロ仕様2135はラウドネスを付加しています。この頃から家庭用のLPは、録音スタジオでラウドネスを付加したのです。


Grateful deadのWall of Soundライブ(1974年) JBL業務用2115の周波数特性

 逆に1965年までの録音は、脚色抜きのマイク音そのままのものが多いようです。当時の小型PAともいえるジュークボックスは、ジェンセンのワイドレンジユニットを使っていましたが、これまた強烈なラウドネスを付加しています。なんとなく日本のアンサンブル型ステレオと似てないでしょうか? でも出てくる音は、ずっとワイルドなんです。


Rock-ola社のModel 100 ステレオ・ジュークボックス(1962年)


Jensen P8Rの周波数特性:強力なラウドネス

 ここで日本のスピーカーのラウドネス付加について述べておかなければいけません。一般的には、日本のスピーカーは1950年代からフラット志向で、アメリカに輸出された多くのスピーカーは世界的にもフラット再生の見本のようなものです。パナソニックのゲンコツ(1954年)からフォステクスFE-103(1964年)まで、日本のフルレンジスピーカーは安価で素直な音を出すということで人気が衰えなかったのです。


日本の素直なフルレンジ:ゲンコツ(1954年) フォステクスFE-103(1964年)

 ところが、BTS規格のロクハンと呼ばれたフルレンジP-610やPE-16などは、ラウドネス効果が付加されています。誰もが放送局のモニターに使われるから一番素直で正確と信じていたのですが、これは生テープをそのまま編集する際に、音量を上げなくても明瞭に聞こえるために工夫されたものとみられます。実際にはソニーC-38(漫才マイク)のようなフラットな音声をモニターするのに適していたと考えられるのです。ちなみに1960年当初のP-610はフラットでしたが、1970年の再発時にはラウドネスが付加されています。この間に1966年のP-16はラウドネスが付加されているので、おそらく1965年前後にBTS規格の審査員がラウドネスを付加するよう指示したのか? という疑惑も浮かんでくるのです。BTS規格のロクハンは、何が標準的かというと、「ラウドネスの掛け方が模範的」という言い方ができるでしょう。

ロクハンの特性(中高域のデフォルメ)
左:PE-16M(実測)、右:P-610A(カタログ)
 ロクハンにしてもシュアー社のマイクにしても、小音量再生に適した再生技術というのが、ひとつのキーワードとして浮かび上がってきます。一般のオーディオ用アンプにも、ラウドネス・スイッチというものがあって、小音量のときの処方箋として装備されていました。卵が先か、鶏が先か、という難問のように思えても、ラウドネスはポップスの録音に必要とされた技術なのです。


【トーンコントロール】

 ついこの間まで、CDはスタジオでオープンリールをそのまま再生した音と言われてきました。つまり、オリジナルの音そのものなのだと。しかしアナログ盤の愛好家からは、総じて潤いがなく、音が表面的で浅いとよく言われます。どうしてでしょうか?
 実はLPのプレス時に、若干EQカーブをいじってプレゼンスを上げていたようなのです。この裏技は、RIAAカーブを策定する際の、規格論争の末に生まれた、という意見もあります。つまり、DeccaやColumbiaの旧規格陣が、自分たちの規格をそのまま流用していたというものです。最初にこの問題を取り上げたのは、ビートルズの初期盤を蒐集する日本のマニアからでしたが、今では、松田聖子や山口百恵にまで波及し、LP盤とCDとの聞き比べでコロンビア・カーブでプレスされている、という説まであります。


   各イコライザー規格をRIAAで再生したときの理論特性

 このためイコライザー・カーブを複数そろえるのが、本格的な聴き方という意見まで出てくるのです。この場合、ビートルズはRIAAで聞くようにノーマルに戻すのに対し、山口百恵はプレゼンスを上げてLPと同じようなサウンドに戻すことが適当になります。しかし、これは私には不合理だと思われます。それは、そもそもアレンジに自由度の高いポップスを自分好みの音で聴くべきところに、プレス時のEQカーブの特定という泥沼に入って、アブソリュート(絶対的)な価値観を持ち込んでいるからです。これはポップスが商業主義にあえて身を預けて勝ち取ってきた民主主義に反する行為と言わなければなりません。
 では、昔の人はこうしたことにどう対処していたのでしょうか? それがトーンコントロールなのです。伝統的なトーンコントロールは、高域と低域の2つのツマミが標準ですが、その中身は1kHzを中心とした、レコードカーブの補正であることが判ります。判りにくいのが「100Hz:±10dB、10kHz:±10dB」というカタログ表記で、誰もが100Hz以下と10kHz以上と誤解していることです。実際は現在のトーンコントロールでも、1kHzを中心とした同じものが搭載されています。


 古いラックス SQ63 プリメインアンプのトーンコントロール特性

 CD出現後には、「CDダイレクト」なるスイッチがアンプに搭載され、トーンコントロールは通常のアンプから消滅します。(ラウドネス・スイッチはもっと早くから消滅) 同じことはマルチウェイ・スピーカーのバランス調整にも言えて、高域の鮮度を生かすため、部屋の響きなど関係なしに設置方法で調整することがピュアだとされました。CDの音はフラットなので、この手の調整が無用だという論調が主流になったのです。初期のCDは、従来のアナログ盤プレス工程での慣習を無視して、ただA/D変換したものがデフォルトだったのに加え、オープンリールも何世代か経たコピーテープから起こしていたので、総じてプレゼンスの低いカマボコ型で生硬い音が多かったのも事実です。これを普通のフラットなスピーカーで試聴すると、1960年代の音は古く色あせた雑誌のスクラップのように聞こえます。間違ったオリジナル主義が、現実の家庭用オーディオを置き去りにして、アナログ時代のノウハウごと否定するようになりました。私が思うには、CD自体の音が悪いという以前に、それを道具として使用する人の責任がかなりあると感じています。

 こうした事態に切り込んでいったのが、アメリカのRihno Recordsでした。もともと1973年からレコード店として出発したのですが、1984年頃から1950〜1970年代のポピュラー音楽をリイシューしたCDを発売しはじめ、その音質の良さに皆が驚きました。1986年にはワ−ナ−による流通がはじまり、「リマスタリング」という作業の重要性が広く認識されたのです。
 21世紀に入って、最近の新しいリマスター盤は、B&Wのモニタースピーカーなどを使いながら、この辺を今風にうまく料理しているので、トーンの違いを一概に録音年できっちり分けることができません。かといって、「96kHz/24ビットマスター」と謳っても、何の手立てもしていないものも少なくありません。この辺が、1960年代ポップスが迷宮になる理由と思われるのです。

 私はロクハンを使うときもトーンの調整をします。新たにプレゼンスを加えたリマスター音源は、フラットに近い特性が合っているのですが、劣化したテープをA/D変換してイコライザーで高域を持ち上げただけの古いCDは、高域を少し絞ったほうが合っているように思います。これでも周波数特性からはみえない、反応しやすい帯域があって、それが正面で持ち上がっていた1〜4kHzです。このようにして、ボーカル域の抜け出しが良好な素地は残したまま、ソースの性格に合わせて、トーン・キャラクターを調整してあげることができるのです。


45度斜め横でのPE-16Mの周波数特性(全般にフラットな感じ)


上記の高域を大人しく調整したもの(J-POP風の音にも合う特性)

 さらにマニアックな特性として、1920年代のラジオ用トランスを介したものがあります。トランスはSP盤時代の名残で4kHz以上はカットされる、今で言う電話回線なみのものです。トランスを噛ます前段の入力系で、イコライザーの10kHz以を+12dB、100Hz以下を-6dBとしたあと、コンプレッサーでダイナミックスを慣らすということをしています。このことで、高域で音圧のタップリした飽和感が得られながら、中低音の吹き上がりがスムーズになります。これはラジオ風の試聴方法を突き詰めたもので、1950年代のブルース、ロカビリー、R&Bなどにとても相性が良く、音圧感がタップリしているのにリズム感が明瞭な、パンチのある音になります。
 良く考えてみると、これはレコードのカッティングと同じ理屈で、高域を強めに刻んだ音をEQアンプで落とすという作業をしていることになります。さらに溢れ出た高域をコンプレッサーで潰すことで、音の豊満さも演出しているわけです。

最初期のラジオ用トランスを噛ませた超スペシャルな特性(下段は1kHzの高調波成分)

 スイープ波で測定した見た目の特性はかなりカマボコ型ですが、ここでロクハンのような整合共振形のフルレンジを使った場合、パルス信号では倍音が飛び出てきれいに揃うことが判ります。これはアンプ側のオーバーシュートも含まれていて、1kHzはただの1kHzの音ではない。デジタルアンプなので奇数次の高調波ですが、これがギターのような楽音が出るときの補助となって、全体に違和感のないクリーンな楽音が得られるのです。歪みや共振に関する知見を見逃していると、ロカビリーの弾けるようなリズム感は得にくいです。もちろん、1940〜50年代のブルースだってお手の物。ロカビリーは1960年代では過去のものとなってしまいましたが、実際はビートルズの出現する1963年まではポップスの王道とみなされており、古ぼけた真空管ラジオ風の音が導き出す可能性は末広がりなのです。

【基本はモノラル】

 私個人は、60年代のポピュラー音楽はモノラルで聴くのが基本と考えています。理由は以下のとおり。
例えばビートルズ「赤盤」。モノラルからデュオ・モノラル(ピンポン・ステレオ)など様々な音響が入れ混じり音楽に集中できない。モノラルなら同じ条件で聞くことができる。
1965年頃までは、スタジオ収録はモノラル・ミックスが標準で、ステレオはLPへのカッティングのために後日編集されたケースが多かった。
当時の放送媒体はラジオ、テレビともにモノラルであり、大衆音楽の擬似体験としてはモノラルのスケールで聞いたほうが標準的だと考えている。
 では、最初からモノラルで収録された音源に関しては、そのままとして、これは色々な人が悩んできたことです。以下にその方法を列挙すると
変換コネクターなどで並列接続して1本化する。
プッシュプル分割のライントランスで結合する。
ミキサーアンプで左右信号を合成する。
 このうち1の変換コネクターは、一番安価で簡単な方法なのですが、誰もが失望するのは、高域が丸まって冴えない、音に潤いがない、詰まって聞こえるなど、ナイことずくめで良い事ないのが普通ではないでしょうか。この理由について考えてみると
ステレオの音の広がりを表す逆相成分をキャンセルしているため、響きが痩せてしまう。
人工的なエコーは高域に偏る(リバーブの特徴である)ため、高域成分が減退する。
ステレオで分散された音像が弱く、ミックスすると各パートの弱さが露見する。
 2のライントランスでの結合は、この辺の合成がコネクタよりはアバウトで、逆相の減退を若干抑えることができます。一方で、ムラード反転型回路が出回って以降は、ラインレベルで分割するトランスはほとんど生産されなかったため、かなり古いトランスに頼らなければいけません。つまり状態の良いパーツは高価だし、相性の良いものを見つけるまでに断念することが関の山です。

 そこで、第3のミキサーアンプでの合成ですが、これも左右の信号を単純に足し合わせるだけでは、あまり意味がなくなります。左図のように、左右を2:1程度の割合で混ぜることで、上記の問題をほとんど解決されることが判りました。通常は左チャンネルを大きくすれば問題ないようです。
 この方法でミックスした場合、広がりは遠近感で表現されるため、例えばオーケストラで言えば、1階左側から聴くような感じになります。これはこれで、自然なのではないのでしょうか?
 ロックで言えば、ベースとドラムの上にしっかりボーカルや各楽器が乗る、という音楽構造が安定するため、バンド間の駆け引きが手に取るように聞けます。これはステレオだと、仮想音像のキックドラムがドンヨリ広がり、ベースとリードギターのピンポンゲームを鑑賞するような感じになることが多いのです。


 もうひとつの方法は高域と中域のバランスを互い違いにする方法で、1965年以降に4トラック・レコーダーが使われはじめた頃からの録音には、相性が良いです。この時代になると、FM放送の恩恵で、段々とステレオ機材のグレードについて云々言われ始めたことで、録音のほうもそのグレードに見合ったものが要求されるようになります。そして永遠のロック名盤と言われる類のアルバムは、この時代以降に始まるとも言えます。
 「追憶のハイウェイ61」「ペットサウンド」「リボルバー」などは、レコーディング技術で新しい曲づくりを開拓していったことで知られ、かなり左右のチャンネルに音を詰め込んだ感じになります。ちょうどバンドの楽器を、オーケストラのように配置するようなことが始まった初期の段階です。この場合は、全体のトーンがサウンド・バランスと密接に関わっているので、単純に左右バランスを崩すと、全体のトーンが少しおかしくなるようです。そこで左右の中高域のトーンをずらすことで、モノラルにしたときの交通整理をしてあげると、見通しの良い音に仕上がります。
 ちなみにモノラルの聞き方は、スピーカーの正面ではなく、斜め横から聞くのが正式な聞き方です。かつてのモノラル再生はどうだったのか? 録音現場を見てみましょう。


レスポールの自宅スタジオ  まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようですが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。正面配置ではなく、横に置いて聴いているようです。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られます。

605Duplexでモニター中
BBCでのLSU/10の配置状況
 以上、モノラル化するメリットを挙げると
試聴位置での音像の乱れがなく、好きな姿勢で聴ける。
音の骨格がしっかりして、楽器の主従関係が判りやすくなる。
楽器の出音とエコーがよく分離して、楽器のニュアンスが判りやすくなる。
 これらの効果は、音楽の表現がより克明になる方向であり、ステレオ効果による雰囲気に流されないで、演奏家が格闘する姿も炙り出します。どの演奏もかなり切れ込みよくなりますが、かと言って雰囲気ぶち壊しというわけでもない。優雅さも十分に表現できるのですが、それを保持するときの演奏者の緊張の入れ替えが脈実に伝わります。 では、モノラルでいけないワケは、どこにあるのだろうか? 実は何もないのです。演奏家のパフォーマンスを表現するにあたって、モノラルで十分です。いや、むしろモノラルであったほうが良いことも多いのだと、あえて言おうじゃないですか。今どき古い録音が「モノラルなので残念」なんて感想をいだいてる人は、装置を改めて欲しいと存じます。


【ピントの合った音】

@目指すはB級グルメ
 さて、ますます60年代ポップスの迷宮に迷い込んでいるようですが、私の60年代ポップスの再生に対する要求は以下のようなものです。
1W以下の小音量でもバランス良く聴こえること
ボーカル域の抜け出しが良いこと
CDでも滑らかで押しのある音であること
ブートレグの劣悪な音にも耐性のあること
 こうした要求は、一般のオーディオ指南書には載っていません。PCオーディオ全盛期の現在でさえ、良い音とは低域と高域のバランスであると考えているのですから、中域だけで良いなんて言い出すと、何か打算的な感覚に捕らわれるのではないでしょうか。しかし60年代ポップスは、100〜8,000Hzのスペックで十分なのです。そして1〜4kHzのピリリと辛い味付け。よくケチャップやソースでからめたファーストフードに喩えて、バカにするアレなんです。オーディオのB級グルメを制した者が、60年代ポップスのパンドラの箱を開ける鍵をにぎるとも思っています。
 では、小音量派でCD派を自称する音源マニアの私は、60年代ポップスに何を使って聴いているか?

Aロクハンくん(1965年頃のFMラジオ風)
 まずは、1966年開発のロクハンPE-16Mを中心にした、実に他愛のない装置です。これのコンセプトは「1965年頃のFMラジオ」というもので、モノラルでの試聴に絞り込んでいるのも特徴です。これより何らかのジャンルに焦点を絞ったシステムも考えられないこともないのですが、決して「とりあえず」というものではなく、録音ソースの善し悪しに耐性があり、小音量で満遍なく聴くためのささやかなチョイスとなりました。
 途中に古いUTCの軍事用マイクトランスを通していますが、このトランスは規格では10kHzまでしか保証していません。それ以上は緩やかにロールオフして伸びているようで、ピアレスのようなキレがない代わりに、布ドリップのコーヒーのように太く甘い中域を抽出します。実際にPE-16Mの周波数特性は10kHz以上は怪しいので、むしろ自然な鳴らし方になるのではないでしょうか。音作りの骨格は、ロクハンと古いライントンランスで成り立っています。


 CDプレーヤーはCEC社のベルトドライブ型で、細かい音が聞こえるというよりは、音の流れや押し出しが良いので使っています。たまたま相性が良かったのかもしれません。これに、部屋の音量の制約からコンプレッサーを噛ませています。小さな音を拾うのに便利なんです。モノラル合成とトーンコントロールのために使っているベリンガーの小型ミキサーは、音の芯が細くソリッドな感じですが、全体でバランスが取れています。RODECのロータリーミキサーも試しに繋いでみましたが、音が太ければ良いというわけでもなさそうです。中国製デジタルアンプは、ロクハンを軽く鳴らしてくれます。中途半端な真空管アンプよりは、放送局のグレードに近い堅実な音だと思いますし、これには少し辛目のスパイスが効いているようです。
 1965年頃に海賊ラジオを楽しんだ男女からみれば、まだ未来技術だったFM放送並で聴けるわけですから、これでもオーバースペック。小型電蓄(Radiogram)相当のプチHi-Fi機器となります。実は6.5インチというのは、イギリスのラジオで多用された8x5インチの楕円ユニットと同じ大きさ(√(8x5)=6.3)なんです。同じ時代のポップスの草の根を駆け巡ったんですね。

 ロクハンというと高音と低音のバランスが最適という言葉をよく聞きます。確かに、これより帯域が狭いとモゴモゴしますし、これより広いと録音の善し悪しで相性が出そうです。私はむしろ「程好い軽さ」が魅力的に感じています。これより軽いとオモチャみたいになりますし、重いとラジオ音源のようなものへの融通が利きません。ロクハンPE-16Mで聞く60年代ポップスはどうでしょうか? スピーカー自身に適度なラウドネスを加えてあるため、荒れて歪んだ楽器の音に埋もれていたはずのボーカルが、スッと浮き出て自然な音で流れます。綺麗なピンナップ写真のように、ボーカルにピントがしっかり合って、背景の楽器は綺麗にボケていく。このように、BTS規格のロクハンがもつラウドネスは、本当によく練られたものなのです。BTS規格品と60年代ポップスが似合っているのは、シンセサイザーが未発達なことも含め、楽器構成やアレンジに制約があり、音楽の肝となる部分に共通の地盤があるからだと思われます。BTS規格のロクハンは、何が標準的かというと、「ラウドネスの掛け方が模範的」という言い方ができるでしょう。


ロクハンの特性(中高域のデフォルメ)
左:PE-16M(実測)、右:P-610A(カタログ)
 少し注意しなければいけないのは、同じBTS規格品の三菱P-610で、旧来のラウドネスが付加されているのは、1970年代まで売られていたP-610A/Bのみで、1980年代のDA/DB、1990年代のMA/MBは、共に「デジタル対応」のフラットな特性である点です。パイオニアのP-16Mは、高域がきらびやかで低音がボヤけている等々、本家のP-610より劣る点はありながら、1966年開発時と変らずラウドネスが付加された忠実な復刻版です。この辺は、型番から連想される噂どおりにはいかないものと思います。普通ならフラットで、高域の伸びていたほうが良いはずなのですが、私が60年代ポップスに合っていると感じたのは、古い設計のままのロクハンです。その意味で、フルレンジなら何でも良いというのではないようです。

P-610A(初代) P-610A/B(二代目) P-610DA/DB(三代目)

80〜10,000Hz 80〜13,000Hz 70〜20,000Hz

DIATONE ゴム印
DIATONE シール
センターキャップ チタン
 ロクハンは、音響出力の幅が狭いため、どの音源も一種の額縁にはめたような感じになります。アメリカ製のように音飛びが良いわけでもなく、英国製のように広がりのある音でもありません。あえて言えば箱庭的であり、どんな音源でも収まるところに収まる優等生的な鳴り方です。例えば、モータウンやそれに影響を受けたダンス・チューンなどは、エレボイやジェンセンのほうが何枚も上手です。念入りにミックスされたハードロック、プログレなども、JBLの迫力には適いません。オーケストラを駆使した映画サントラ、ジャズやラテン音楽は、アルテックやタンノイのゆったり感には適わないでしょう。ただこれらは、もともと録音が優秀な部類に入るので、ロクハンでは全くダメというよりは、面白みが半減するというほうが正しいでしょう。こうした音楽は従来のオーディオの方法論で間違いない王道があるんです。

 ところで星の数ほどあるポップスの楽曲スタイルを、あまり好き嫌いもせず気軽に鳴らしてくれる点では、ラジオ風のロクハンの音はまんざら悪くないのです。そもそも当時はラジオで聴いていた人が大多数だったのですから、ロクハンだって立派なビンテージです。1965年以前のヘンテコな録音に抜群の相性をみせるのは、ターゲットにしていた若いリスナー層とロクハンが合致しているからです。一方で、LPの売り上げが本格化した1966年以降では、音の作りこみが凝ってきて、ロクハンは少し時代遅れになるようです。1965年を機軸とした新旧の時代感覚を、それとなく正直に出してくれるのも、ひとつの味になっています。これとは反対に、ラジオ音源やブートレグ盤のような、オーディオ的に不鮮明な録音も、報道での生録に鍛えられたロクハンの持ち味が発揮され、平等に音楽として破綻無く聞かせてくれます。ロクハンは、テストでどの科目でも60〜70点を取る平凡な生徒ですが、ラジオという庶民目線で覗いた60年代の音楽シーンという面白い視点を与えてくれます。このような庶民的な日用品に潜む奥深さ、実用的な道具としての使い心地を、ロクハンは備えているのです。

 ◎ロクハンと音楽の相性
種類 相性 種類 相性
ロック(1965以前) ◎ ラテン音楽 △
ロック(1966以後) △ ジャズ △
黒人音楽(1965以前) ○ 映画サントラ ○
黒人音楽(1966以後) △ 歌謡曲 ◎
フレンチポップ(1965以前) ◎ ラジオ音源 ◎
フレンチポップ(1966以後) ○ ブートレグ盤 ◎
 これで、ビートルズの赤盤、ボブ・ディランのロンドン・ライブ、フランス・ギャルのイエイエ、ジェームズ・ブラウンのファンク、美空ひばりの演歌など、奇問難問のオーディオ・ソースを、お茶の間でのんびりと聴かせてくれるのですから、何とも重宝しているのです。これでどこか憧れの異国に連れていってくれるのではありません。ミュージシャンが普段着で近くの寿司屋に寄ったところを、ハーフサイズのカメラでスナップショットした、そういう実感の湧く暖かみのある音です。ピントの合わせ方、色々ありますよね。


左:ホンダ モンキーに跨るモデルさん 右:オリンパス ペン(ハーフサイズカメラ)
”軽い”ということが活動的でカッコよかった時代でもあった


Bバロネットさま(ロカビリー世代の電蓄風)
 ところで、上の苦手な部分をおさえるのに、便利なのがアメリカンでマッチョなスピーカー。手元にあったのは、エレボイのバロネットです。SP-8Bという、1950年代の8インチ・フルレンジで最も高価だったユニットを搭載しているのですが、さすがに1960年代に入るとレンジの狭さが気になります。普通ならツイーターを足して凌ぐのですが、しかしフルレンジで聴き続けると、この狭いレンジのなかに流れる黒い血筋。そう、このスピーカーには、アメリカン・ポップスの底辺に流れる、ほの暗いブラック・ミュージックのレジェンドたちの血筋が脈々と受け継がれているのです。

 比較のため格安デジタルアンプ Lepai LP-2020a+ につないでみましたが、なんと出音の喰い付きの早いこと早いこと。全てが前のめりです。とはいえ、エレボイは暴れん坊将軍ではなく、スーツを着たロカビリーという感じで、胸ぐらをいきなり掴むような乱暴なことはいたしません。発売当時は放送局にもちゃっかり納入されていたほど、ボーカルに不自然なところはみせないので、スピーカーを変えたお陰でまるっきり雰囲気を変えてしまって、楽曲の評価が逆転するというようなこともなく、それなりに信頼性もあるのです。エレボイは放送業界では、アナウンス用マイクで絶対的な信頼のあるメーカーで、1970年代には自社のマイクでスピーカーの低音〜高音のバランスを整えるように、カタログで書くぐらい自信をもっていました。SP-8Bの基本性能の良さは、このユニットがFM放送、テープレコーダーなどと同じ時期のHi-Fi創生期に開発され、ロカビリー・バンドの簡易PAとしても人気のあったことと折り重なります。

1952年シカゴ・オーディオ・フェアでBaronetは放送機器として
EMI製ポータブルレコーダーとWilliamsonアンプでデモ
エレボイの簡易PAスピーカーMusicaster
ロカビリー世代のボーカル用PAにも使われた
 1950年代のバロネットで強みを発揮するのは、エレキ・ギターの音色の違いを明確に描く点です。特にギターアンプの生音を拾ったライブ録音では、サウンドとしてはドンヨリ雲ってモゴモゴしやすいところですが、リフの骨格やディストーションの違いをしっかり出してくれます。このことによって、R&Bからハードロックへ連綿と流れる本質的なヒューマン・パワーを感じさせるのです。つまり表向きのサウンドの違いではなく、よりプレイヤーの演奏の違いをクローズアップするような感じです。そしてロックの根っこの部分を外さずに、新旧世代を演奏比較できる耳が育ちます。逆にスタジオ録音で、イコライザーで持ち上げたり、コンプレッションで潰したり、エコーで音の広がりを出した音には、ムッツリしてあまり反応しません。レンジが狭いので、スタジオで造り込んだサウンドの違いはあまり出ないのです。この辺の音声学的な常識が、後の時代の感覚と違う点なのかと思います。
 もうひとつは、60年代後半を席巻したモータウン系のダンスミュージックでしょう。これはフレンチ・ポップスでも現れるのですが、シルヴィ・バルタンの代表曲「あなたのとりこ」は、ダンス・チューンを取り入れることで彼女の新機軸を打ち出したものです。メロウな歌として知られるフランソワーズ・アルディ「さよならを教えて」も、実はこの影響をうけています。パンタロン姿で、颯爽と踊るテレビショウの勇姿は、この時代のウーマン・リブを象徴するものでした。そういう感覚を、音だけで感じさせてくれるのが、エレボイの黒い血筋なのです。これとアメリカのガールズ・ポップスを聴き比べれば、ふたつは肌の色や言語の違いで区別するものではなく、本質的に同じものであることが判る。幸せを望む気持ちのほうが、ずっと前面に出てくるのです。
 演歌や懐メロはどうかというと、お茶の間で聴くにはちょっと生々しい内容が含まれているような、そういうアブナイ感じをもっています。単に歌の表情が濃いだけでなく、深い影が落とし込まれるのです。明るく振舞っているようで、実は世の中の悲惨さが背景にあったり、陰鬱でドロドロした人間の性(さが)まで一緒に出てくるので、改めて歌詞の意味を考えなおすことが多くなります。これは若いデビューしたての新人からは聞こえず、やはりベテランの歌手から聞こえるのですから、歌の深みを良く表現しているのでしょう。


SP8B(2世代目)の特性(100Hz以下はフィルタリング)
3.5kHzをピークに中高域を持ち上げたあとは、サブコーンで9kHzまでを補完

45°オフセット特性
ピークは6kHzにシフト、サブコーンの高域はほとんど落ちない
 こうしてみるとエレボイは、やはりアメリカ寄りのバタ臭いサウンドではありながら、表面的なきらびやかさやゴージャスさではなく、もっと深いところで結びついているようなのです。エレボイは1960年代末に黒人ミュージシャンの簡易PAでよく使われたということがありますが、1950年代のものはずっと落ち着いた音なのです。しかし、1950年代なりのR&Bの影響を受けながら熟成していったことが判ります。
 と、まあ、スピーカーを1本変えるだけで、これだけ異なる感想が出てくるわけですから、いわば飽きない趣味のひとつなのです。堂々巡りというよりは、謎が謎を呼ぶ無限ループに入りつつあるのが、○○探検隊のようで面白くもあるのです。

C中国製デジアン
 中国製デジタルアンプ Lepai LP-2020a+ についても、少し書いておきたいと思います。2種類のフルレンジにつないでみましたが、なんと出音の喰い付きの早いこと早いこと。全てが前のめりです。もともとドリフトの調整もしていないので、無調整のまま高域のオーバーシュートも盛大に出ているものと思われます。ビーム管のEL84なども正弦波を通すとリンギングが乗り、それが音に艶をのせたり、エッジを引き立てたりするのですが、格安デジタルアンプはもはや正弦波の跡形もないほどのご乱心ぶり。ここまでくるとD級動作だからという言い訳はききません。少なくとも複雑なネットワークを介して40kHzまで伸びるような繊細なツイーターを搭載しているスピーカーには繋がないほうがいいです。一方で、フルレンジはネットワークがないのと、そもそも高域がいい加減で過剰反応しないので、それはそれで善しとしましょう。

ビーム管のリンギング
デジアンのオーバーシュート

三極管
優秀なOPアンプ
 しかして、このオーバーシュートが加わった音は、意外というか、偶然というか、60年代ポップスにとても相性が良いのです。ちょうどトラッキングの悪いセラミック・カートリッジを、5極管シングルでジャリジャリやってる感じです。いわゆる電流のスルーレイトの高いアンプやトラッカビリティの優秀なカートリッジは、大音量のマッシヴな再生で本領を発揮するように出来ていて、本来は欠陥のみえにくい大人しい音なのです。そういう超高層オフィスビルのような世界とは違い、下町の雑踏でワイワイやってるような雰囲気は、まさしく庶民の味。B級グルメの世界です。60年代ポップスに高性能アンプは、たこ焼きにキャビアとトリュフをまぶすようなもので、そうではなく、鰹節と紅生姜でしょう? 格安デジアンは高域がジャリジャリしてようと、音の立ち上がりのエッジが効いていて、エコーとの分離も上々、音楽としては楽しいのですから、良い事尽くめなのではないでしょうか。

 もうひとつの偶然は、アンプの前段にUTC製の古トランスを入れていた点で、これの特性が10kHz以上を緩やかにロールオフさせるため、格安デジアンのアバタを隠すように作用しているようなのです。もともと拡声マイクのピックアップ用なのですが、ボーカル域をシルキーな肌合いに色直ししてくれます。
 上と言っていることが反対のように思えますが…
 ・ トランス:10kHz以上の信号を落とす → デジアン:超高域の歪み、ノイズが低減される
 ・ トランス:ボーカル音を抽出する → デジアン:ボーカル域のエッジを引き立たせる
 という感じで、ちゃんと引き算と足し算が成り立っています。
 試しに出力側にトランスを背負わした場合は、小音量のときは良いのですが、少し音量が大きくなった時点で保護回路のリレーが働いて、動作が停止しました。巻き数の多いコイルの付加には耐えられないようです。

 ちなみに拡声器トランスを抜くとどうなるかというと、実に今風の緊張感をもった音に変わります。ちょっと前までのB&Wなどはそうなのですが、音が鳴り出すとピンと空気が張り詰めたようになるアレです。私個人の感覚では、「オレは一生懸命仕事やってていそがしいんだ!」的なオーラをプンプン放っているようで、言うことなすこと命令調、その場に近寄りがたいんです。2000年頃に秋葉のオーディオ店員が「高域は麻薬ですからね」なんて言っていましたが、今どきのお客のニーズを突いたユーモアなのでしょう。他の音響には20kHz近傍が連続的に強調される音環境は皆無なため、逆にそれしか聴かない耳が育ってしまうのかと思います。クリスタル・サウンドは、ケーブルひとつで音がかわる、ガラスの館のように脆いものなのです。そういうモノは、ジミヘンにギターで打ち壊してもらいましょう。

Dドイツ製ラジオスピーカー
 先にイギリスの家庭で愛されたポータブル・プレーヤーや真空管ラジオには、楕円形スピーカーが使われていたと紹介しましたが、手持ちに同様の規格をもつドイツ製楕円フルレンジがあったので、ものは試しと裸のまま鳴らしてみました。Isophon P1826/19/8という、1953年開発のラジオ用スピーカーで、18cm×26cmのコーン紙に小さなアルニコ磁石が付いている廉価版です。

 元の特性は裸なので極悪そのもの。500Hz以下がバッフル効果を失って下降しています。しかし斜めからマイクを向けてこの特性。高域の拡散性が高く、巷にいわれる「カッチリした音」というものの正体が何となく判ります。


Isophon P1826/19/8の裸特性(低域は周辺の暗騒音を含む)

 ここで、1920年代のラジオ用低周波トランスを噛ますと、高域が若干抑えられそこそこの特性になります。この時点で高域をかなりブーストしており、低域は絞るということをしています。高域は4kHzを頂点としてロールオフしていくのはEMIのユニットと同様です。ロクハンでは5kHz以上はほとんど出なかったのですが、ほとんど落ちないところをみると、分割振動の嵐が吹き荒れているようです。純粋なオーディオには向きませんが、当時のラジオや電蓄に一般的な仕様だったのだと判ります。


Isophon P1826/19/8に古いラジオ用トランスを噛ませた特性(100Hz以下は信じないで)


ロクハンPE-16Mに1920年代トランスを噛ました特性(5kHz以上は出ないはずなのだが…)


   
1959年に計測されたカタログ値(特性に大きな違いはなく、状態の良いユニットだった)


BBCで計測したEMIの楕円フルレンジの特性(300〜10,000Hzをスケール合わせ)

益々ローファイ道の袋小路にハマってるようだが本人は洗練されていると感じてる図

 で、試聴結果は…実に良い!通常のマージー・ビートの録音はおろか、劣悪なブートレグも難なくこなします。もともとドイツ製スピーカーは、戦中から使用していたテープ録音を再生するようにトーンを調整されており、劣化した磁気テープの情報を拾い出すのに長けていると思われます。
 しかし、ヴァイオリン・ソロはギシギシ言って上品さに欠けるし、トランペットはすぐにビリついて紙臭くなります。いわゆるHi-Fiのテストには合格しないでしょう。それでも60年代のポップスはとても相性が良いのです。このことは、当時のポップスがラジオでの試聴を中心にミックスされていたことから由来していると考えられます。それで良いのか? これでいいのだ。

http://quwa.fc2web.com/Audio-111.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c5

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
6. 中川隆[-11661] koaQ7Jey 2020年8月26日 15:40:12 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[16]
20世紀的脱Hi-Fi音響論

114.RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。


名前:HTB 日付:2017/7/20(木) 15:47

1940年代のmodel612という電蓄のスピーカー(らしきもの)を譲ってもらったので、実験しました。スピーカー単体での市販はされていなかったんでしょうか、使用例がみあたらないのですが、RCAのサービスマニュアルがネット上で見つかったので助かりました。

やはり低音も高音も出ないシングルコーンですが、ボーカルはくっきり聞こえています。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1375202792535399

115.Re: RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。
名前:quwa 日付:2017/7/20(木) 21:10
RCA Model 612電蓄は、時代的にはスウィング・ジャズ全盛期のモデルですね。この頃は励磁型からパーマネント型への移行期で、まだパーマネント型のほうが高価だった時代です。けして安いから選ばれたわけではなく、故障の率が低いという区分だと思います。ただ100dB以上の能率を狙うとなれば、励磁型でなければダメですが、家庭用のレベルではそういう問題が少ないということになります。

GEとJensenは、家庭用の分野ではライバルですが、GEがラジオ電蓄の総合家電で強みをもっていたのに対し、Jensenのほうは商用PAの分野で強い感じです。GEが東海岸のしっとり系、Jensenがシカゴ〜ハリウッドの金ピカ系という感じで、サウンド面でも特徴が完全に分かれます。シカゴブルース〜ロカビリーの電子楽器の流れでJensenが良いと思いますが、スウィングジャズ〜ポピュラーソングのようなアコースティックな味わいはGEのほうに軍配が上がります。

116.Re: RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。
名前:quwa 日付:2017/7/25(火) 6:20
思い出したのですが、SP盤時代のジュークボックスでの高級ユニットは、Mgnavoxの15〜18インチで、中央にアルミリングをはめて、高域を伸ばしたタイプのものです。この時代は低音をダイレクトに振動させる理論だったので、18インチあっても100Hz以下はそれほど出ませんが、家庭〜店舗で音楽を躍動感をもって再生するには最も適したものです。ドラムをガンガン叩く時代のは、Jensenに任せましょう。

117.Re: RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。
名前:HTB 日付:2017/7/27(木) 10:32
1日2時間くらい鳴らしていますが、癖のない音と言うか、子どもの頃どの家庭にもあった5球スーパー的な標準的な音がします。ボーカルは最も聞きやすいスピーカーかもしれない。

コーンの半分以上を占める同心円状の波形成形も独特だし、コーンなのに奥行きが結構あるのも特徴。10何畳くらいでも相当の音量で鳴らせて、歪も感じられない。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1381809545208057

118.Re: RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。
名前:quwa 日付:2017/7/27(木) 18:27
落ち着いてるところに落ち着いていて何よりです。
この手のスピーカーは、大きくても基本的な周波数レンジは変わらず、むしろ中低域が軽く跳ねるように鳴る特徴があって、ボーカルなどは腹の底から声を出してスウィングしている感覚が出ます。何でもないポピュラーソングが、すごく味のある歌い口に感じる瞬間があって、表情が濃くなったことを実感すると思います。

119.Re: RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。
名前:HTB 日付:2017/8/9(水) 17:44
いまさらこのスピーカーにウーハーやスコーカーを足すのも何だと思って、BoseのAW-1と組み合わせてみたら、結構いけるカンジです。ボーカルはRCAが主体で、それに合わせてAW-1の音量を決めてやります。これを4〜50年代の音源の再生に、Jensenを60年代の音源再生に、というのが今のモノラルシステムです。もっとも私のレコードの9割以上はモノラルなのでメインシステムになっています。

120.Re: RCAのフィールドコイルスピーカーを鳴らせてみました。
名前:quwa 日付:2017/8/11(金) 6:44
昔多かったコーンツイーターは、今はほとんど生産しておらず、和やかな高域のバランスを得たいときに難儀します。私はJensenに対しアルテックの流れを汲む205-8Aを使っていますが、RCAもBOSEも同じ東海岸系で、音色的に馴染みやすいかもしれません。AW-1もいずれ寿命が来るでしょうから、予備としてBOSE製の交換ユニットを紹介しておきます。
http://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/20214/


http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=quwa&dd=34&p=1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c6

[リバイバル3] ゴールドムンド _ その奇跡の音色の秘密 中川隆
7. 中川隆[-11660] koaQ7Jey 2020年8月26日 19:18:02 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[20]
高域用アンプやチャンデバは50年も前の代物ですが、これがレビンソンのアンプ顔負けくらいの良い音色のサウンドを出してくれます。

何も高価なアンプで無くても良いサウンドは出ます。電源ケーブルとラインケーブルにはNo1グレードのケーブルを使用しています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840


サウンドトレール 店主のつぶやき
http://soundtrail.co.jp/p14.html

サウンドトレール
http://soundtrail.co.jp/index.html

Mr.トレイルのオーディオ回り道
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840

サウンドトレール「ケーブルカタログ」
http://soundtrail.co.jp/p06.html

・販売業者: サウンドトレイル株式会社
・責任者 : 代表  錦戸 敏重
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/948.html#c7

[リバイバル3] オーディオ機器の性能は「電源ケーブル」で決まる 中川隆
18. 中川隆[-11659] koaQ7Jey 2020年8月26日 19:19:43 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[21]
高域用アンプやチャンデバは50年も前の代物ですが、これがレビンソンのアンプ顔負けくらいの良い音色のサウンドを出してくれます。

何も高価なアンプで無くても良いサウンドは出ます。電源ケーブルとラインケーブルにはNo1グレードのケーブルを使用しています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840


サウンドトレール 店主のつぶやき
http://soundtrail.co.jp/p14.html

サウンドトレール
http://soundtrail.co.jp/index.html

Mr.トレイルのオーディオ回り道
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840

サウンドトレール「ケーブルカタログ」
http://soundtrail.co.jp/p06.html

・販売業者: サウンドトレイル株式会社
・責任者 : 代表  錦戸 敏重
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1060.html#c18

[リバイバル3] 3万円のドイツ製プロ用パワーアンプ thomann S-75mk2 と数百万円のハイエンドアンプとでは電源ケーブルを変えた位の差しか出ない 中川隆
43. 中川隆[-11658] koaQ7Jey 2020年8月26日 19:20:52 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[22]
高域用アンプやチャンデバは50年も前の代物ですが、これがレビンソンのアンプ顔負けくらいの良い音色のサウンドを出してくれます。

何も高価なアンプで無くても良いサウンドは出ます。電源ケーブルとラインケーブルにはNo1グレードのケーブルを使用しています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840


サウンドトレール 店主のつぶやき
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サウンドトレール
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Mr.トレイルのオーディオ回り道
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840

サウンドトレール「ケーブルカタログ」
http://soundtrail.co.jp/p06.html

・販売業者: サウンドトレイル株式会社
・責任者 : 代表  錦戸 敏重
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/983.html#c43

[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
118. 中川隆[-11657] koaQ7Jey 2020年8月26日 19:21:40 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[23]
高域用アンプやチャンデバは50年も前の代物ですが、これがレビンソンのアンプ顔負けくらいの良い音色のサウンドを出してくれます。

何も高価なアンプで無くても良いサウンドは出ます。電源ケーブルとラインケーブルにはNo1グレードのケーブルを使用しています。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c118

[リバイバル3] ボッタクリ アンプ _ FM Acoustics の世界 中川隆
45. 中川隆[-11656] koaQ7Jey 2020年8月26日 19:22:30 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[24]
高域用アンプやチャンデバは50年も前の代物ですが、これがレビンソンのアンプ顔負けくらいの良い音色のサウンドを出してくれます。

何も高価なアンプで無くても良いサウンドは出ます。電源ケーブルとラインケーブルにはNo1グレードのケーブルを使用しています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840


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[番外地8] 日本の侵略戦争は、食料強奪によってアジア・太平洋各国に2000万人以上の gasi者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました
日本の侵略戦争は、食料強奪によってアジア・太平洋各国に2000万人以上の gasi者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。この数は、各国の政府公表あるいは公的発表にもとづくものです。
日本軍は食料を現地調達したし、内地に略奪した食料を送ったのが現地人の gasiの原因だとわかっている:
日本占領下、ベトナムで200万人がgasi
 60年前のアジア太平洋戦争は、アジアで2000万人以上の犠牲者をだしました。日本がおこなった各国への侵略と加害の歴史を私たちは忘れてはなりません。日本占領下のベトナムで起きた大量gasiもその一つです。1944〜45年、中部クアンチ省から北部にかけて、当時の人口の10分の1にあたる推定200万人がgasiしたとされています。

 92〜95年に日本の学者と共同でgasiの調査をした歴史学者のバン・タオ教授は「調査で、200万人という数字が誇張でないことがよりはっきりした。45年当時、北部ハイズオン省で教師をしていたが、教え子の約半数がgasiした」と本紙特派員に答えています。

 日本は、インドシナを支配していたフランス植民地当局に圧力をかけ、40年9月22日に結んだ協定で、日本軍のベトナム北部駐留を認めさせ、翌日から駐留を強行(仏印進駐)。アジア太平洋戦争開始の翌日、41年12月9日に結ばれた日本・仏印協定で日本支配はより強化され、フランス植民地機構は日本支配の下請けと化しました。45年3月9日には、仏植民地機構を武力で解体、単独支配を敷きました(仏印処理)。こうした状況で起きたのが、大量gasiという同国史上空前絶後の惨事でした。

 原因として、バン・タオ教授は、(1)日本がフランス植民地機構を下請けにして、食料を安い価格で強制的に買い付けた、(2)ジュートなど戦略物資を得るために稲作面積を減らした、(3)北部で天候不順による凶作が起きた、(4)豊作だった南部から米が北部に運ばれなかった―という4点をあげています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/281.html

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界
ロンドン・ウエスタンの世界

伊藤喜多男といえばWesternの伝道師であり、自作アンプの大家として知られるのだが、


「カートリッジやアンプに凝る前に、まずスピーカーに情熱を叩きつけること、
それからが音に戯れる道が拓けるのである」

「デジタルであろうが、CDであろうがスピーカーが無ければ音にならないという
単純明快な事実を忘れてはならない。アンプはスピーカーを動作させるための
付属品であると思う位スピーカーを吟味する事だ」


と説いている。


「然らば如何なるメーカーのスピーカーが良品か問われても
製品によって異なるので回答することが出来ない」


としながらも、

「シーメンスのオイロダインとロンドン・ウエスターンの5010型システム(低域2080と高域2090)」

この二機種に格別な感情があると汲み取れた。


「狭い部屋で聴くには制限があり、ワイドレンジを求めるならコアキシアルで、
さもなければフルレンジがよい。劇場用のスピーカーは指定された箱に入れなければ
その性能を発揮しないに決まっている」としている。

Siemens Eurodynについて

「想像した以上の逸品である。それまでのスピーカーの音に対するイメージが
まるで狂ってしまう異質な音である。好きになれるものは狂い、
嫌いなものは外方をむく音である。本物の音を出せる音になんて出会わない。
つまり全部が虚構の音であり本物に紛うべく努力しているにすぎない」

「朝は五時半に起きて、正午には終わってしまう寸刻を争う仕事が好きである。
午後からは仕事がなく、好きな事をやれる勝手気儘な商売。遊ぶために働ける
稼業に魅力があった。遊びの方が本意という怪しからぬ魂胆であるのはいまも変わらない。
遊びたいために一所懸命で働くのである」

「ウエスターン・エレクトリックに入ってしまった事を顧みると、
わたしの廻りには専門家でもなく定職を持ってない人達がいかに
多かったことか 〜 専門的な教育を全然受けていない、
遊びに耽る事に邁進する人たちが、この世界を支えていた時代だったのである」

「音に凝り耳が冴え感覚が鋭敏になるほど、追究に励んで正常者と
異常者の分別が付かない人間になる。再生される音ばかりを
聞いていると再生音の比較に没頭して原音を忘却して聴覚が異常になる。
過ぎたるは及ばざるが如し、かもしれないが、限界がどの程度か、
正常と異常の差異ほどいい加減な物はない」

「各人は私がそうであるように自分だけは間違っていないと喚いて暮らしている。
精神異常者が正常者を評価できないのと同様、正常者が異常者を完全に評価できない。
正常者と思っている人間が異常者にされている人の数より多いということに
依存しているだけである」

「死ぬまで生きなければならない辛さ、人の為になっていると思ったら大間違い、

を受けた以上は知らぬ間に他人に迷惑をかけ通している。一人で暮らすのが一番楽しい。

孤独を味わうなどという雅なことではない。気兼をしない生活、人の顔色を覗わないで

済む日常生活は巨万の富より、美妓に囲まれる宴より私にとっては天国である。

そして美食(高価な料理ではない)だけは一生続けたい。それは独りで行える行動で

友を必要としないからである。よい装置で音楽を聴くのも友を必要としないし、

孤独で聴くのが最高の鑑賞法であるからこそ私の生き甲斐なのである。

大正十四年ラジオ放送開始以来自作に憂き身をやつして来たが未だに飽きない。

ペンチを持ったまま大往生を遂げたい」

▲△▽▼


Westrex London Acoustilens 20/80 これが究極のヴィンテージスピーカーであるらしい。2016年04月13日
https://91683924.at.webry.info/201604/article_17.html


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その10.追加稿)
 一昨日、ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A導入記、その1.〜その9.をブログにアップしましたが、先輩からメールで追加情報を頂きましたので追加稿としてアップさせて頂きます。

1.ウェスタンエレクトリック・ロンドンの日本導入に関する当方のブログ内容
  「実はウェスタンエレクトリック・ロンドンの音響機械は結構日本にも設置されていたらしいです。なんでも米国ウェスタンエレクトリックよりリース代金が安かったからとか。」

 【先輩の情報】
 『WEロンドンが日本の各地で使われたのは、何と言ってもフィールド型からパーマネント型の15インチと高能率ドライバーと小さなHornでよりコンパクトなシステムであったため、田舎でも導入しやすかったようです。加えて、WE時代から引き継がれた故障したら興行収入を全額補償する「安心のレンタルシステム」もあったからと言われています。何せ、県庁所在地の○○市よりより田舎である△△市の方が10館あった中で5館が導入していましたから…』

画像
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/008/146053413831755610179.jpg.html
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/008/146053415870489288179.jpg.html

 音響道中膝栗毛に載せてあった、伊藤喜多男先生の手書きの表(ベンプレ親父の生まれる丁度1年前、1957年12月のウェスタン設営館リスト)を写真に撮ってアップさせて下さい。

 愛知県や岐阜県は特にウェスタンエレクトリック常設館が多かった様ですね。名古屋は嫁入り道具が豪華な事では日本一ですから、映画館も道具に凝るのかな?
 それに引き換えベンプレ親父在住の兵庫県は、神戸の2館だけで恥ずかしいかもw

2.ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080のフェライト化に関する当方のブログ内容
 「このスピーカーのイラストは1954年製と書かれているのですが、ウーハーが既に2080-Fというフェライト型に変更されています。」

 【先輩の情報】
 『2080ですが、フェライトの導入はずいぶん後だと聞いております。モデルで言うと2080E,2080F,2080Gで〜中略〜不思議なことに2080Hではアルニコモデルに戻されています。』

 どうやら1954年に既にフェライト化されていたというのは間違いの様です。伊藤喜多男先生のイラストに書き込んである年号が誤りなのかもしれません。

2.2080-Aのマスリングに関する当方のブログ内容
 「センターキャップの裏側にマス・コントロールリングが入っているとのネット情報もありましたが、これは裏が取れていません。」

 【先輩の情報】
 『マスリングが装着されていたのは2080EとFだと言われています。(2080Hは)マスリング、付いていませんでした。』

 2080-Aにはマスリングは付いていないようですね。

3.2080-AのOEM先に関する当方のブログ内容
 「ウェスタンエレクトリック・ロンドンの製品が英国のどこの工場で作られたのかは、確定的な話がありません。
 同じシアターサプライを手掛けている事からバイタボックスが一枚噛んでいるらしいとか、工場の規模はグッドマンが最大だったのでココだろうとか、いや、創業者のガイ・ルパート・フォンテーンが昔ウェスタンエレクトリック・ロンドンに勤めていた関係で、タンノイが協力したという説もあります。
 私はウーハーに関してはバイタボックスのOEMではなかったかと推測しています。それは1954年に既に2080はアルニコ磁石からフェライト磁石に変更されているからです。」

 ※上にも書きましたが、2080が1954年に既にフェライト化されていたというのは誤情報の様です。

 【先輩の情報】
 『Vitavoxのフェライトは、多分、ドイツにルーツがあるように思います。
大戦後、ロシアにもその断片が見られます。(フェライトでも良い音で鳴らせられる)
 2080の設計に関わっていたのはVitavox,、Wharfedal、Goodmans辺りでしょうか?映画館用ではBTHがありましたが、競争相手だったので交流は無かったのかと?』

 さらに下の一文も頂きました。
Westrex (London) was born out of the anti trust laws that resulted in ITT acquiring the european divisions of AT&T's corporate empire. In the UK, Standard Telephone & Cables (STC) continued manufacture of Western Electric products (555, 497a etc) under licence, still badged as Western Electric. From the 50's on, the sound equipment was badged as Westrex and possibly due to the demise of the field coil and WE getting JBL to manufacture an Alnico version of the 594a, the JBL 2440, Westrex (London) turned to Altec and produced the 2080 and 2090 drivers which were effectively re-engineered versions of the Altec 515 and 288 drivers but with much better build quality.

 どうやらウェスタンエレクトリック・ロンドンも555を生産してたようですね。
 この文章を書いた方もロンドンの2080を515より高く評価していた様で、なんだか嬉しいです。

 さて、米国ウェスタンエレクトリックに比べてウェスタンエレクトリック・ロンドンの情報はとても少ないです。

 このブログをご覧になった方で情報をお持ちの方は、コメント欄に書き込んでいただけますと有難いです。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_17.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
1. 中川隆[-11655] koaQ7Jey 2020年8月26日 22:25:56 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[27]
Westrex London Acoustilens 20/80 System
2018.09.15
https://soundcreate.co.jp/westrex-london-acoustilens-2080-system/

今月末のイベントで使用するWestrexについて、詳しい人から教えて頂いた内容をアップします!

1950年代後半に発売された、Westrex London のHiFiスピーカーシステム。
当時同じ英国内でTANNOY Autographより1ポンド高かったため、ほとんど売れないまま、エンジニアや映画館関係者が格安で引き取ったというのが真相だとか。(これは英国のコレクターからの情報だそうです!!)

オートグラフのキャビネットの凝った作りに対して、Acoustilensはバスレフの ‘がらんどう’ であったため人気が出なかった模様。

このスピーカー、弊店でも1度きりですが組んだことがあります。(下の写真は5丁目時代の6F試聴室)
あの、出た瞬間音が消えるようなスピード、切れ味、
色濃い存在感なのに風のように軽く鳴る・・その懐の深さ・・
未だにWestrexで聴いたドラムの音は忘れられず、私の中では1つの指標になっている次第です。

IMG_9126 IMG_9128

そんな当時の英国の国力を垣間見る素晴らしいスピーカーですが、上記のような事情もあり、これが、本当に、滅多にお目にかかることはありません。

その道の人の話では「Westrexの業務用より市場に出回っている数は少なく、日本国内で確認できているStereo pairは、3セット程度を把握しているが、Hornだけなら、十数セット存在している模様。」とのこと。

低域には15インチの2080B(ラウンドマグネットタイプ)が、
「Acoustilens 20/80 LF UNIT 」という名称で、
高域には2090B(これもラウンドマグネットタイプ)コンプレッションドライバーが、「Acoustilens 20/80 HF UNIT」という名称で、それぞれ搭載されています。

20-80
以前弊店に入荷したウーファー

IMG_2021
今回使用予定のウーファー

IMG_2022
今回使用予定のウーファー。横からの写真

ただ、後年音の好みによって、ピン角タイプに組み換えてあるシステムも。

音響レンズ付きホーンにもAcoustilens 20/80 HF UNITというドライバーと同じラベルが貼られている。この音響レンズ付きHornは、通常の短いストレートホーンのクセを取るためにHornの中に音響レンズを組み入れるという画期的なもので、カブトムシの背中を思わせるような突起が特徴です。
Horn

RIMG0706-1024x768
以前弊店に入荷したホーン

システムは、2ウェイ構成で、クロスオーバー周波数は675Hz、
クロスオーバーネットワークは、32271-Aというシングルwooferタイプのもので、
後年、コストダウンのために、より小型のネットワークも存在するのだとか。

今月末開催の「名盤深聴」イベントでは、ここで触れたウーファー20/80LFをALTECの箱に入れて使用します!ホーン、ドライバーも同Westrexのもの。
是非お楽しみに!!!
(竹田)
https://soundcreate.co.jp/westrex-london-acoustilens-2080-system/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c1

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
2. 中川隆[-11654] koaQ7Jey 2020年8月26日 22:28:29 : A8G0BLxAv2 : RVYxTWFSbTlPYms=[28]
Westrex London Acoustilens20/80 調整中!
2013.05.27
https://soundcreate.co.jp/westrex-london%E3%80%80acoustilens2080%E3%80%80%E8%AA%BF%E6%95%B4%E4%B8%AD%EF%BC%81/


Westrex London Acoustilens20/80を調整中です!

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3年がかりで、キャビネット、ドライバー、ホーン、ウーファー2種類(20/80と2080−A)を集め、やっとスピーカーを組めるまでになりました。

ウーファー2種類
20/80
201305272308198d4

2080-A
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なんと左右のシリアルは連番!
ナンバー70と71

ホーン 20/80

Exif_JPEG_PICTURE

ドライバー 20/80
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2日かかって、まずはウーファー2080-Aで組み上げ、いったん音を鳴らしてみましたが・・・
これが60年以上前のものとは思えない、何ともリアルで素晴らしい鳴り。
本家アメリカ・ウェスタンの評判は、オーディオを長くお楽しみの方ならご存じかと思いますが、
ロンドン・ウェスタンの、この鳴り、なんと言葉に表現したらよいか・・・。

ドラムのヘッドの質感や張りの感じ、ハイハットの切れ味と音の飛んでくる感じ、指がベースをつまはじく様は全く持って等身大。これぞ原音再生!
とにかく超リアルなのにもかかわらず、キツサとは無縁な何とも言えない心地よい再生。
こんな凄い「DIALOG」耳にしたことがありません。

ベートーヴェンはクライバーの7番。喜びと共に始まる冒頭では、涙が出るほど胸に幸せが広がり、
ブラームス交響曲4番では、バルビローリの意図が手に取るように感じられる。
チャイコフスキー「悲愴」では、抑えて始まる冒頭の音の層の厚み。そこからグッと盛り上がりフォルティシモでも微動だにせず、ゆるぎない安定感に心をゆだねます。
音楽を味わい尽くすとは、このこと!

馴らし運転でこれとは、この先どうなることやら・・・

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Exif_JPEG_PICTURE
2日間夜中まで頑張ったかいがあった・・・


https://soundcreate.co.jp/westrex-london%E3%80%80acoustilens2080%E3%80%80%E8%AA%BF%E6%95%B4%E4%B8%AD%EF%BC%81/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c2

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
5. 中川隆[-11653] koaQ7Jey 2020年8月27日 06:31:40 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[2]
2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

発表のポイント

伊川津貝塚(注1)遺跡出土の縄文人骨(IK002)の全ゲノム配列を解析し、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにした。
本州縄文人(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列の詳細な解析から東ユーラシア全体の人類史の新たなモデルを示した。
縄文人ゲノムは、東ユーラシアにおける現生人類集団の拡散及び遺伝的多様性を理解するのに不可欠であり、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表概要
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、ユーラシア大陸の東端まで如何に到達したかは、いまだ明らかではなく、ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられている。東アジアに最初にたどり着いた人々は、考古遺物から北ルートと想定されてきたが、最近のゲノム研究は、現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示している。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教は、コペンハーゲン大学やダブリン大学と国際研究チームを結成し、この矛盾の解決に取り組んだ。

古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。

図1:左の写真は、伊川津貝塚出土人骨(女性)IK002。右の写真は、側頭骨錐体という頭蓋骨の一部をダイヤモンドカッターで切断している様子。

このことは、縄文人が東ユーラシアで最も古い系統の1つであることを示唆する。現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには、より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり、今後、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表内容
研究の背景・先行研究の問題点
近年の研究から、ホモ・サピエンスはいまから約7〜6万年前に、アフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡散したことが明らかになっている。ユーラシア大陸の東側、すなわち東南アジア、東アジア、北東アジアへは、約5〜4万年前までにホモ・サピエンスがたどり着いていたと考えられている。しかし、どのような経路(ルート)を通って到達したかは、いまだ定説はない。

アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。ただし、南北で石器の特徴は異なり、東アジアから北東アジアにかけては、北ルートの特徴をもつ石器が主に見つかる。このため、日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスは、北ルートを通ってやって来たと考えるのが自然だ。ところが、近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。つまり、考古遺物から考えられてきた人類史とは異なるストーリーであるが、この矛盾はこれまであまり議論されてこなかった。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教らの研究グループは、縄文人(ここでは“縄文文化をもった人々”と定義する)の骨からDNAを抽出しゲノム解読するプロジェクトを約10年前から進めてきた。そして2018年、コペンハーゲン大学を中心とする国際チームが解析した東南アジアの古い人骨のゲノム配列データとともに、伊川津貝塚遺跡から出土した縄文人骨(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列を発表した(McColl et al. 2018)。この論文では、約2千500年前の本州日本に住んでいた女性IK002が、ラオスで出土した約8千年前の狩猟採集文化を伴う人骨(La368)と、東南アジア・東アジア各地に現在住む人々の誰よりも、遺伝的に近縁であることを報告した。

今回、太田博樹教授と覚張隆史助教は、ダブリン大学トリニティー校の中込滋樹助教、コペンハーゲン大学のマーティン・シコラ准教授らとともに国際チームを結成し、伊川津縄文人(IK002)を主役とした論文をCommunications Biologyに発表した。この新たな論文(Gakuhari & Nakagome et al. 2020)では、(i) IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫か否か?(ii) IK002は南ルートの子孫で北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないのか?の2つを明らかにする目的で詳細な全ゲノム解析をおこなった。

研究内容
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した。この系統樹では、ラオスのLa368(約8千年前)とバイカル湖近くのマルタ遺跡出土人骨(MA-1:約2万4千年前)を南北の指標として含めた。もしIK002が北ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、“樹”でIK002はMA-1の近くの“枝”に位置するだろう。反対にIK002が南ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、La368の近くに位置するはずだ。結果は後者であった。MA-1とLa368が分岐した後、La368の枝のすぐ内側で中国東部の田園洞人骨(約4万年前)が分岐し、つづいて現代のネパールの少数民族・クスンダが分岐し、その次にIK002が分岐した。現代の東アジア人、北東アジア人、アメリカ先住民は、さらにその内側で分岐した。この結果は、IK002のみならず、現在の東アジア人、北東アジア人およびアメリカ先住民が、南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示している。IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

さらに、IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証した。これまでの研究から、現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは、MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されてきている(Raghavan et al. 2014)。しかし、本解析では、現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず、IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されなかった。すなわち、北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は、IK002のゲノムで検出されなかった。

社会的意義・今後の予定
本研究の成果は、日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が、約2万6千年前より以前に、東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることを明らかにした(図2)。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図

すなわち、縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し、延いては、縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示している。

ただ、本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であり、したがって、これらの結果はIK002という個体について言えることで、すべての地域・時代の縄文人について言えるわけではない。たとえば、本研究では「北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は検出されなかった」と結論づけているが、これはIK002についての結論であり、別の個体では北ルートのゲノムが検出されるかもしれない。さらに、大陸から日本列島への移住ルートについては、今後、列島内のさまざまな地域の縄文人骨を分析することによって解明されてくるもので、いまは分からないことは注意すべき点である。

今後、(I) 個体数を増やすこと、(II)より高精度のゲノム解読をおこなうことの2つが近々の課題である。太田博樹教授らのグループは既に愛知県田原市・伊川津貝塚遺跡から出土した他の5個体や千葉県市原市から出土した縄文人9個体の高精度ゲノム解析を進めている。

参考文献
・McColl et al. (2018) The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science 361:88-92.
・Kanzawa-Kiriyama et al. (2019) Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science 127: 83-108.
・Jinam et al. (2012) The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations. Journal of Human Genetics 57: 787-95.
・Raghavan et al. (2014) Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505: 87-91.

なお、本研究は次ぎの文部科学省及び日本学術振興会の研究助成補助金、25284157 (山田)、16H06408、17H05132、23657167、17H03738(石田・埴原・太田)、16H06279『ゲノム支援』(豊田)、及び『金沢大学超然プロジェクト』(覚張)、『九州大学生体防御医学研究所共同研究プログラム』(柴田)の助成を受け完遂されました。

発表雑誌
雑誌名 Communications Biology
論文タイトル Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations
著者 Takashi Gakuhari#, Shigeki Nakagome#, Simon Rasmussen, Morten E. Allentoft, Takehiro Sato, Thorfinn Korneliussen, Blánaid Ní Chuinneagáin, Hiromi Matsumae, Kae Koganebuchi, Ryan Schmidt, Souichiro Mizushima, Osamu Kondo, Nobuo Shigehara, Minoru Yoneda, Ryosuke Kimura, Hajime Ishida, Tadayuki Masuyama, Yasuhiro Yamada, Atsushi Tajima, Hiroki Shibata, Atsushi Toyoda, Toshiyuki Tsurumoto, Tetsuaki Wakebe, Hiromi Shitara, Tsunehiko Hanihara, Eske Willerslev, Martin Sikora*, Hiroki Oota*
DOI番号 10.1038/s42003-020-01162-2
アブストラクトURL https://www.nature.com/articles/ s42003-020-01162-2

用語解説
注1 伊川津貝塚
愛知県田原市伊川津町にある縄文後・晩期を代表する大規模な貝塚遺跡。1918年に最初の発掘が行われて以来、多くの考古学者、人類学者によって発掘がおこなわれてきた。叉状研歯を伴う抜歯の痕跡が見られる人骨が見つかっていることで有名である。今回の全ゲノム解析に用いられたIK002は、2010年に本論文の共著者・増山禎之らによって発掘された6体中の1体である。壮年期女性の人骨で、腹胸部に小児(IK001)を乗せていた。IK002の頭部に縄文晩期後葉のこの地方の典型的な土器である五貫森式土器が接し発掘されている。 ↑

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c5

[近代史4] 日本人は本当に縄文人の子孫なのか? 中川隆
5. 中川隆[-11652] koaQ7Jey 2020年8月27日 06:32:31 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[3]
2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

発表のポイント

伊川津貝塚(注1)遺跡出土の縄文人骨(IK002)の全ゲノム配列を解析し、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにした。
本州縄文人(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列の詳細な解析から東ユーラシア全体の人類史の新たなモデルを示した。
縄文人ゲノムは、東ユーラシアにおける現生人類集団の拡散及び遺伝的多様性を理解するのに不可欠であり、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表概要
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、ユーラシア大陸の東端まで如何に到達したかは、いまだ明らかではなく、ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられている。東アジアに最初にたどり着いた人々は、考古遺物から北ルートと想定されてきたが、最近のゲノム研究は、現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示している。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教は、コペンハーゲン大学やダブリン大学と国際研究チームを結成し、この矛盾の解決に取り組んだ。

古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。

図1:左の写真は、伊川津貝塚出土人骨(女性)IK002。右の写真は、側頭骨錐体という頭蓋骨の一部をダイヤモンドカッターで切断している様子。

このことは、縄文人が東ユーラシアで最も古い系統の1つであることを示唆する。現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには、より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり、今後、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表内容
研究の背景・先行研究の問題点
近年の研究から、ホモ・サピエンスはいまから約7〜6万年前に、アフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡散したことが明らかになっている。ユーラシア大陸の東側、すなわち東南アジア、東アジア、北東アジアへは、約5〜4万年前までにホモ・サピエンスがたどり着いていたと考えられている。しかし、どのような経路(ルート)を通って到達したかは、いまだ定説はない。

アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。ただし、南北で石器の特徴は異なり、東アジアから北東アジアにかけては、北ルートの特徴をもつ石器が主に見つかる。このため、日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスは、北ルートを通ってやって来たと考えるのが自然だ。ところが、近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。つまり、考古遺物から考えられてきた人類史とは異なるストーリーであるが、この矛盾はこれまであまり議論されてこなかった。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教らの研究グループは、縄文人(ここでは“縄文文化をもった人々”と定義する)の骨からDNAを抽出しゲノム解読するプロジェクトを約10年前から進めてきた。そして2018年、コペンハーゲン大学を中心とする国際チームが解析した東南アジアの古い人骨のゲノム配列データとともに、伊川津貝塚遺跡から出土した縄文人骨(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列を発表した(McColl et al. 2018)。この論文では、約2千500年前の本州日本に住んでいた女性IK002が、ラオスで出土した約8千年前の狩猟採集文化を伴う人骨(La368)と、東南アジア・東アジア各地に現在住む人々の誰よりも、遺伝的に近縁であることを報告した。

今回、太田博樹教授と覚張隆史助教は、ダブリン大学トリニティー校の中込滋樹助教、コペンハーゲン大学のマーティン・シコラ准教授らとともに国際チームを結成し、伊川津縄文人(IK002)を主役とした論文をCommunications Biologyに発表した。この新たな論文(Gakuhari & Nakagome et al. 2020)では、(i) IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫か否か?(ii) IK002は南ルートの子孫で北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないのか?の2つを明らかにする目的で詳細な全ゲノム解析をおこなった。

研究内容
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した。この系統樹では、ラオスのLa368(約8千年前)とバイカル湖近くのマルタ遺跡出土人骨(MA-1:約2万4千年前)を南北の指標として含めた。もしIK002が北ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、“樹”でIK002はMA-1の近くの“枝”に位置するだろう。反対にIK002が南ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、La368の近くに位置するはずだ。結果は後者であった。MA-1とLa368が分岐した後、La368の枝のすぐ内側で中国東部の田園洞人骨(約4万年前)が分岐し、つづいて現代のネパールの少数民族・クスンダが分岐し、その次にIK002が分岐した。現代の東アジア人、北東アジア人、アメリカ先住民は、さらにその内側で分岐した。この結果は、IK002のみならず、現在の東アジア人、北東アジア人およびアメリカ先住民が、南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示している。IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

さらに、IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証した。これまでの研究から、現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは、MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されてきている(Raghavan et al. 2014)。しかし、本解析では、現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず、IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されなかった。すなわち、北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は、IK002のゲノムで検出されなかった。

社会的意義・今後の予定
本研究の成果は、日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が、約2万6千年前より以前に、東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることを明らかにした(図2)。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図

すなわち、縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し、延いては、縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示している。

ただ、本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であり、したがって、これらの結果はIK002という個体について言えることで、すべての地域・時代の縄文人について言えるわけではない。たとえば、本研究では「北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は検出されなかった」と結論づけているが、これはIK002についての結論であり、別の個体では北ルートのゲノムが検出されるかもしれない。さらに、大陸から日本列島への移住ルートについては、今後、列島内のさまざまな地域の縄文人骨を分析することによって解明されてくるもので、いまは分からないことは注意すべき点である。

今後、(I) 個体数を増やすこと、(II)より高精度のゲノム解読をおこなうことの2つが近々の課題である。太田博樹教授らのグループは既に愛知県田原市・伊川津貝塚遺跡から出土した他の5個体や千葉県市原市から出土した縄文人9個体の高精度ゲノム解析を進めている。

参考文献
・McColl et al. (2018) The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science 361:88-92.
・Kanzawa-Kiriyama et al. (2019) Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science 127: 83-108.
・Jinam et al. (2012) The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations. Journal of Human Genetics 57: 787-95.
・Raghavan et al. (2014) Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505: 87-91.

なお、本研究は次ぎの文部科学省及び日本学術振興会の研究助成補助金、25284157 (山田)、16H06408、17H05132、23657167、17H03738(石田・埴原・太田)、16H06279『ゲノム支援』(豊田)、及び『金沢大学超然プロジェクト』(覚張)、『九州大学生体防御医学研究所共同研究プログラム』(柴田)の助成を受け完遂されました。

発表雑誌
雑誌名 Communications Biology
論文タイトル Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations
著者 Takashi Gakuhari#, Shigeki Nakagome#, Simon Rasmussen, Morten E. Allentoft, Takehiro Sato, Thorfinn Korneliussen, Blánaid Ní Chuinneagáin, Hiromi Matsumae, Kae Koganebuchi, Ryan Schmidt, Souichiro Mizushima, Osamu Kondo, Nobuo Shigehara, Minoru Yoneda, Ryosuke Kimura, Hajime Ishida, Tadayuki Masuyama, Yasuhiro Yamada, Atsushi Tajima, Hiroki Shibata, Atsushi Toyoda, Toshiyuki Tsurumoto, Tetsuaki Wakebe, Hiromi Shitara, Tsunehiko Hanihara, Eske Willerslev, Martin Sikora*, Hiroki Oota*
DOI番号 10.1038/s42003-020-01162-2
アブストラクトURL https://www.nature.com/articles/ s42003-020-01162-2

用語解説
注1 伊川津貝塚
愛知県田原市伊川津町にある縄文後・晩期を代表する大規模な貝塚遺跡。1918年に最初の発掘が行われて以来、多くの考古学者、人類学者によって発掘がおこなわれてきた。叉状研歯を伴う抜歯の痕跡が見られる人骨が見つかっていることで有名である。今回の全ゲノム解析に用いられたIK002は、2010年に本論文の共著者・増山禎之らによって発掘された6体中の1体である。壮年期女性の人骨で、腹胸部に小児(IK001)を乗せていた。IK002の頭部に縄文晩期後葉のこの地方の典型的な土器である五貫森式土器が接し発掘されている。 ↑

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/402.html#c5

[近代史4] 中川隆投稿集 _ アイヌ人は先住民ではない? 中川隆
4. 中川隆[-11651] koaQ7Jey 2020年8月27日 06:33:25 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[4]
2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

発表のポイント

伊川津貝塚(注1)遺跡出土の縄文人骨(IK002)の全ゲノム配列を解析し、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにした。
本州縄文人(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列の詳細な解析から東ユーラシア全体の人類史の新たなモデルを示した。
縄文人ゲノムは、東ユーラシアにおける現生人類集団の拡散及び遺伝的多様性を理解するのに不可欠であり、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表概要
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、ユーラシア大陸の東端まで如何に到達したかは、いまだ明らかではなく、ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられている。東アジアに最初にたどり着いた人々は、考古遺物から北ルートと想定されてきたが、最近のゲノム研究は、現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示している。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教は、コペンハーゲン大学やダブリン大学と国際研究チームを結成し、この矛盾の解決に取り組んだ。

古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。

図1:左の写真は、伊川津貝塚出土人骨(女性)IK002。右の写真は、側頭骨錐体という頭蓋骨の一部をダイヤモンドカッターで切断している様子。

このことは、縄文人が東ユーラシアで最も古い系統の1つであることを示唆する。現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには、より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり、今後、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表内容
研究の背景・先行研究の問題点
近年の研究から、ホモ・サピエンスはいまから約7〜6万年前に、アフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡散したことが明らかになっている。ユーラシア大陸の東側、すなわち東南アジア、東アジア、北東アジアへは、約5〜4万年前までにホモ・サピエンスがたどり着いていたと考えられている。しかし、どのような経路(ルート)を通って到達したかは、いまだ定説はない。

アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。ただし、南北で石器の特徴は異なり、東アジアから北東アジアにかけては、北ルートの特徴をもつ石器が主に見つかる。このため、日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスは、北ルートを通ってやって来たと考えるのが自然だ。ところが、近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。つまり、考古遺物から考えられてきた人類史とは異なるストーリーであるが、この矛盾はこれまであまり議論されてこなかった。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教らの研究グループは、縄文人(ここでは“縄文文化をもった人々”と定義する)の骨からDNAを抽出しゲノム解読するプロジェクトを約10年前から進めてきた。そして2018年、コペンハーゲン大学を中心とする国際チームが解析した東南アジアの古い人骨のゲノム配列データとともに、伊川津貝塚遺跡から出土した縄文人骨(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列を発表した(McColl et al. 2018)。この論文では、約2千500年前の本州日本に住んでいた女性IK002が、ラオスで出土した約8千年前の狩猟採集文化を伴う人骨(La368)と、東南アジア・東アジア各地に現在住む人々の誰よりも、遺伝的に近縁であることを報告した。

今回、太田博樹教授と覚張隆史助教は、ダブリン大学トリニティー校の中込滋樹助教、コペンハーゲン大学のマーティン・シコラ准教授らとともに国際チームを結成し、伊川津縄文人(IK002)を主役とした論文をCommunications Biologyに発表した。この新たな論文(Gakuhari & Nakagome et al. 2020)では、(i) IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫か否か?(ii) IK002は南ルートの子孫で北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないのか?の2つを明らかにする目的で詳細な全ゲノム解析をおこなった。

研究内容
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した。この系統樹では、ラオスのLa368(約8千年前)とバイカル湖近くのマルタ遺跡出土人骨(MA-1:約2万4千年前)を南北の指標として含めた。もしIK002が北ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、“樹”でIK002はMA-1の近くの“枝”に位置するだろう。反対にIK002が南ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、La368の近くに位置するはずだ。結果は後者であった。MA-1とLa368が分岐した後、La368の枝のすぐ内側で中国東部の田園洞人骨(約4万年前)が分岐し、つづいて現代のネパールの少数民族・クスンダが分岐し、その次にIK002が分岐した。現代の東アジア人、北東アジア人、アメリカ先住民は、さらにその内側で分岐した。この結果は、IK002のみならず、現在の東アジア人、北東アジア人およびアメリカ先住民が、南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示している。IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

さらに、IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証した。これまでの研究から、現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは、MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されてきている(Raghavan et al. 2014)。しかし、本解析では、現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず、IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されなかった。すなわち、北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は、IK002のゲノムで検出されなかった。

社会的意義・今後の予定
本研究の成果は、日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が、約2万6千年前より以前に、東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることを明らかにした(図2)。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図

すなわち、縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し、延いては、縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示している。

ただ、本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であり、したがって、これらの結果はIK002という個体について言えることで、すべての地域・時代の縄文人について言えるわけではない。たとえば、本研究では「北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は検出されなかった」と結論づけているが、これはIK002についての結論であり、別の個体では北ルートのゲノムが検出されるかもしれない。さらに、大陸から日本列島への移住ルートについては、今後、列島内のさまざまな地域の縄文人骨を分析することによって解明されてくるもので、いまは分からないことは注意すべき点である。

今後、(I) 個体数を増やすこと、(II)より高精度のゲノム解読をおこなうことの2つが近々の課題である。太田博樹教授らのグループは既に愛知県田原市・伊川津貝塚遺跡から出土した他の5個体や千葉県市原市から出土した縄文人9個体の高精度ゲノム解析を進めている。

参考文献
・McColl et al. (2018) The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science 361:88-92.
・Kanzawa-Kiriyama et al. (2019) Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science 127: 83-108.
・Jinam et al. (2012) The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations. Journal of Human Genetics 57: 787-95.
・Raghavan et al. (2014) Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505: 87-91.

なお、本研究は次ぎの文部科学省及び日本学術振興会の研究助成補助金、25284157 (山田)、16H06408、17H05132、23657167、17H03738(石田・埴原・太田)、16H06279『ゲノム支援』(豊田)、及び『金沢大学超然プロジェクト』(覚張)、『九州大学生体防御医学研究所共同研究プログラム』(柴田)の助成を受け完遂されました。

発表雑誌
雑誌名 Communications Biology
論文タイトル Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations
著者 Takashi Gakuhari#, Shigeki Nakagome#, Simon Rasmussen, Morten E. Allentoft, Takehiro Sato, Thorfinn Korneliussen, Blánaid Ní Chuinneagáin, Hiromi Matsumae, Kae Koganebuchi, Ryan Schmidt, Souichiro Mizushima, Osamu Kondo, Nobuo Shigehara, Minoru Yoneda, Ryosuke Kimura, Hajime Ishida, Tadayuki Masuyama, Yasuhiro Yamada, Atsushi Tajima, Hiroki Shibata, Atsushi Toyoda, Toshiyuki Tsurumoto, Tetsuaki Wakebe, Hiromi Shitara, Tsunehiko Hanihara, Eske Willerslev, Martin Sikora*, Hiroki Oota*
DOI番号 10.1038/s42003-020-01162-2
アブストラクトURL https://www.nature.com/articles/ s42003-020-01162-2

用語解説
注1 伊川津貝塚
愛知県田原市伊川津町にある縄文後・晩期を代表する大規模な貝塚遺跡。1918年に最初の発掘が行われて以来、多くの考古学者、人類学者によって発掘がおこなわれてきた。叉状研歯を伴う抜歯の痕跡が見られる人骨が見つかっていることで有名である。今回の全ゲノム解析に用いられたIK002は、2010年に本論文の共著者・増山禎之らによって発掘された6体中の1体である。壮年期女性の人骨で、腹胸部に小児(IK001)を乗せていた。IK002の頭部に縄文晩期後葉のこの地方の典型的な土器である五貫森式土器が接し発掘されている。 ↑

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/150.html#c4

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
37. 中川隆[-11650] koaQ7Jey 2020年8月27日 06:33:46 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[5]
2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

発表のポイント

伊川津貝塚(注1)遺跡出土の縄文人骨(IK002)の全ゲノム配列を解析し、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにした。
本州縄文人(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列の詳細な解析から東ユーラシア全体の人類史の新たなモデルを示した。
縄文人ゲノムは、東ユーラシアにおける現生人類集団の拡散及び遺伝的多様性を理解するのに不可欠であり、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表概要
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、ユーラシア大陸の東端まで如何に到達したかは、いまだ明らかではなく、ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられている。東アジアに最初にたどり着いた人々は、考古遺物から北ルートと想定されてきたが、最近のゲノム研究は、現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示している。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教は、コペンハーゲン大学やダブリン大学と国際研究チームを結成し、この矛盾の解決に取り組んだ。

古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。

図1:左の写真は、伊川津貝塚出土人骨(女性)IK002。右の写真は、側頭骨錐体という頭蓋骨の一部をダイヤモンドカッターで切断している様子。

このことは、縄文人が東ユーラシアで最も古い系統の1つであることを示唆する。現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには、より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり、今後、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表内容
研究の背景・先行研究の問題点
近年の研究から、ホモ・サピエンスはいまから約7〜6万年前に、アフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡散したことが明らかになっている。ユーラシア大陸の東側、すなわち東南アジア、東アジア、北東アジアへは、約5〜4万年前までにホモ・サピエンスがたどり着いていたと考えられている。しかし、どのような経路(ルート)を通って到達したかは、いまだ定説はない。

アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。ただし、南北で石器の特徴は異なり、東アジアから北東アジアにかけては、北ルートの特徴をもつ石器が主に見つかる。このため、日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスは、北ルートを通ってやって来たと考えるのが自然だ。ところが、近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。つまり、考古遺物から考えられてきた人類史とは異なるストーリーであるが、この矛盾はこれまであまり議論されてこなかった。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教らの研究グループは、縄文人(ここでは“縄文文化をもった人々”と定義する)の骨からDNAを抽出しゲノム解読するプロジェクトを約10年前から進めてきた。そして2018年、コペンハーゲン大学を中心とする国際チームが解析した東南アジアの古い人骨のゲノム配列データとともに、伊川津貝塚遺跡から出土した縄文人骨(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列を発表した(McColl et al. 2018)。この論文では、約2千500年前の本州日本に住んでいた女性IK002が、ラオスで出土した約8千年前の狩猟採集文化を伴う人骨(La368)と、東南アジア・東アジア各地に現在住む人々の誰よりも、遺伝的に近縁であることを報告した。

今回、太田博樹教授と覚張隆史助教は、ダブリン大学トリニティー校の中込滋樹助教、コペンハーゲン大学のマーティン・シコラ准教授らとともに国際チームを結成し、伊川津縄文人(IK002)を主役とした論文をCommunications Biologyに発表した。この新たな論文(Gakuhari & Nakagome et al. 2020)では、(i) IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫か否か?(ii) IK002は南ルートの子孫で北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないのか?の2つを明らかにする目的で詳細な全ゲノム解析をおこなった。

研究内容
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した。この系統樹では、ラオスのLa368(約8千年前)とバイカル湖近くのマルタ遺跡出土人骨(MA-1:約2万4千年前)を南北の指標として含めた。もしIK002が北ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、“樹”でIK002はMA-1の近くの“枝”に位置するだろう。反対にIK002が南ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、La368の近くに位置するはずだ。結果は後者であった。MA-1とLa368が分岐した後、La368の枝のすぐ内側で中国東部の田園洞人骨(約4万年前)が分岐し、つづいて現代のネパールの少数民族・クスンダが分岐し、その次にIK002が分岐した。現代の東アジア人、北東アジア人、アメリカ先住民は、さらにその内側で分岐した。この結果は、IK002のみならず、現在の東アジア人、北東アジア人およびアメリカ先住民が、南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示している。IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

さらに、IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証した。これまでの研究から、現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは、MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されてきている(Raghavan et al. 2014)。しかし、本解析では、現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず、IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されなかった。すなわち、北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は、IK002のゲノムで検出されなかった。

社会的意義・今後の予定
本研究の成果は、日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が、約2万6千年前より以前に、東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることを明らかにした(図2)。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図

すなわち、縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し、延いては、縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示している。

ただ、本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であり、したがって、これらの結果はIK002という個体について言えることで、すべての地域・時代の縄文人について言えるわけではない。たとえば、本研究では「北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は検出されなかった」と結論づけているが、これはIK002についての結論であり、別の個体では北ルートのゲノムが検出されるかもしれない。さらに、大陸から日本列島への移住ルートについては、今後、列島内のさまざまな地域の縄文人骨を分析することによって解明されてくるもので、いまは分からないことは注意すべき点である。

今後、(I) 個体数を増やすこと、(II)より高精度のゲノム解読をおこなうことの2つが近々の課題である。太田博樹教授らのグループは既に愛知県田原市・伊川津貝塚遺跡から出土した他の5個体や千葉県市原市から出土した縄文人9個体の高精度ゲノム解析を進めている。

参考文献
・McColl et al. (2018) The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science 361:88-92.
・Kanzawa-Kiriyama et al. (2019) Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science 127: 83-108.
・Jinam et al. (2012) The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations. Journal of Human Genetics 57: 787-95.
・Raghavan et al. (2014) Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505: 87-91.

なお、本研究は次ぎの文部科学省及び日本学術振興会の研究助成補助金、25284157 (山田)、16H06408、17H05132、23657167、17H03738(石田・埴原・太田)、16H06279『ゲノム支援』(豊田)、及び『金沢大学超然プロジェクト』(覚張)、『九州大学生体防御医学研究所共同研究プログラム』(柴田)の助成を受け完遂されました。

発表雑誌
雑誌名 Communications Biology
論文タイトル Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations
著者 Takashi Gakuhari#, Shigeki Nakagome#, Simon Rasmussen, Morten E. Allentoft, Takehiro Sato, Thorfinn Korneliussen, Blánaid Ní Chuinneagáin, Hiromi Matsumae, Kae Koganebuchi, Ryan Schmidt, Souichiro Mizushima, Osamu Kondo, Nobuo Shigehara, Minoru Yoneda, Ryosuke Kimura, Hajime Ishida, Tadayuki Masuyama, Yasuhiro Yamada, Atsushi Tajima, Hiroki Shibata, Atsushi Toyoda, Toshiyuki Tsurumoto, Tetsuaki Wakebe, Hiromi Shitara, Tsunehiko Hanihara, Eske Willerslev, Martin Sikora*, Hiroki Oota*
DOI番号 10.1038/s42003-020-01162-2
アブストラクトURL https://www.nature.com/articles/ s42003-020-01162-2

用語解説
注1 伊川津貝塚
愛知県田原市伊川津町にある縄文後・晩期を代表する大規模な貝塚遺跡。1918年に最初の発掘が行われて以来、多くの考古学者、人類学者によって発掘がおこなわれてきた。叉状研歯を伴う抜歯の痕跡が見られる人骨が見つかっていることで有名である。今回の全ゲノム解析に用いられたIK002は、2010年に本論文の共著者・増山禎之らによって発掘された6体中の1体である。壮年期女性の人骨で、腹胸部に小児(IK001)を乗せていた。IK002の頭部に縄文晩期後葉のこの地方の典型的な土器である五貫森式土器が接し発掘されている。 ↑

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c37

[近代史3] アイヌ民族は12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した? 中川隆
5. 中川隆[-11649] koaQ7Jey 2020年8月27日 06:34:25 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[6]
2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

発表のポイント

伊川津貝塚(注1)遺跡出土の縄文人骨(IK002)の全ゲノム配列を解析し、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにした。
本州縄文人(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列の詳細な解析から東ユーラシア全体の人類史の新たなモデルを示した。
縄文人ゲノムは、東ユーラシアにおける現生人類集団の拡散及び遺伝的多様性を理解するのに不可欠であり、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表概要
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、ユーラシア大陸の東端まで如何に到達したかは、いまだ明らかではなく、ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられている。東アジアに最初にたどり着いた人々は、考古遺物から北ルートと想定されてきたが、最近のゲノム研究は、現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示している。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教は、コペンハーゲン大学やダブリン大学と国際研究チームを結成し、この矛盾の解決に取り組んだ。

古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。

図1:左の写真は、伊川津貝塚出土人骨(女性)IK002。右の写真は、側頭骨錐体という頭蓋骨の一部をダイヤモンドカッターで切断している様子。

このことは、縄文人が東ユーラシアで最も古い系統の1つであることを示唆する。現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには、より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり、今後、高精度縄文人ゲノム解読を進め、日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献する。

発表内容
研究の背景・先行研究の問題点
近年の研究から、ホモ・サピエンスはいまから約7〜6万年前に、アフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡散したことが明らかになっている。ユーラシア大陸の東側、すなわち東南アジア、東アジア、北東アジアへは、約5〜4万年前までにホモ・サピエンスがたどり着いていたと考えられている。しかし、どのような経路(ルート)を通って到達したかは、いまだ定説はない。

アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。ただし、南北で石器の特徴は異なり、東アジアから北東アジアにかけては、北ルートの特徴をもつ石器が主に見つかる。このため、日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスは、北ルートを通ってやって来たと考えるのが自然だ。ところが、近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。つまり、考古遺物から考えられてきた人類史とは異なるストーリーであるが、この矛盾はこれまであまり議論されてこなかった。

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻の太田博樹教授と金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教らの研究グループは、縄文人(ここでは“縄文文化をもった人々”と定義する)の骨からDNAを抽出しゲノム解読するプロジェクトを約10年前から進めてきた。そして2018年、コペンハーゲン大学を中心とする国際チームが解析した東南アジアの古い人骨のゲノム配列データとともに、伊川津貝塚遺跡から出土した縄文人骨(IK002)の全ゲノム・ドラフト配列を発表した(McColl et al. 2018)。この論文では、約2千500年前の本州日本に住んでいた女性IK002が、ラオスで出土した約8千年前の狩猟採集文化を伴う人骨(La368)と、東南アジア・東アジア各地に現在住む人々の誰よりも、遺伝的に近縁であることを報告した。

今回、太田博樹教授と覚張隆史助教は、ダブリン大学トリニティー校の中込滋樹助教、コペンハーゲン大学のマーティン・シコラ准教授らとともに国際チームを結成し、伊川津縄文人(IK002)を主役とした論文をCommunications Biologyに発表した。この新たな論文(Gakuhari & Nakagome et al. 2020)では、(i) IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫か否か?(ii) IK002は南ルートの子孫で北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないのか?の2つを明らかにする目的で詳細な全ゲノム解析をおこなった。

研究内容
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した。この系統樹では、ラオスのLa368(約8千年前)とバイカル湖近くのマルタ遺跡出土人骨(MA-1:約2万4千年前)を南北の指標として含めた。もしIK002が北ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、“樹”でIK002はMA-1の近くの“枝”に位置するだろう。反対にIK002が南ルートのゲノムを多く引き継ぐなら、La368の近くに位置するはずだ。結果は後者であった。MA-1とLa368が分岐した後、La368の枝のすぐ内側で中国東部の田園洞人骨(約4万年前)が分岐し、つづいて現代のネパールの少数民族・クスンダが分岐し、その次にIK002が分岐した。現代の東アジア人、北東アジア人、アメリカ先住民は、さらにその内側で分岐した。この結果は、IK002のみならず、現在の東アジア人、北東アジア人およびアメリカ先住民が、南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示している。IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

さらに、IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証した。これまでの研究から、現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは、MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されてきている(Raghavan et al. 2014)。しかし、本解析では、現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず、IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されなかった。すなわち、北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は、IK002のゲノムで検出されなかった。

社会的意義・今後の予定
本研究の成果は、日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が、約2万6千年前より以前に、東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることを明らかにした(図2)。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図

すなわち、縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し、延いては、縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示している。

ただ、本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であり、したがって、これらの結果はIK002という個体について言えることで、すべての地域・時代の縄文人について言えるわけではない。たとえば、本研究では「北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は検出されなかった」と結論づけているが、これはIK002についての結論であり、別の個体では北ルートのゲノムが検出されるかもしれない。さらに、大陸から日本列島への移住ルートについては、今後、列島内のさまざまな地域の縄文人骨を分析することによって解明されてくるもので、いまは分からないことは注意すべき点である。

今後、(I) 個体数を増やすこと、(II)より高精度のゲノム解読をおこなうことの2つが近々の課題である。太田博樹教授らのグループは既に愛知県田原市・伊川津貝塚遺跡から出土した他の5個体や千葉県市原市から出土した縄文人9個体の高精度ゲノム解析を進めている。

参考文献
・McColl et al. (2018) The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science 361:88-92.
・Kanzawa-Kiriyama et al. (2019) Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science 127: 83-108.
・Jinam et al. (2012) The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations. Journal of Human Genetics 57: 787-95.
・Raghavan et al. (2014) Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505: 87-91.

なお、本研究は次ぎの文部科学省及び日本学術振興会の研究助成補助金、25284157 (山田)、16H06408、17H05132、23657167、17H03738(石田・埴原・太田)、16H06279『ゲノム支援』(豊田)、及び『金沢大学超然プロジェクト』(覚張)、『九州大学生体防御医学研究所共同研究プログラム』(柴田)の助成を受け完遂されました。

発表雑誌
雑誌名 Communications Biology
論文タイトル Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations
著者 Takashi Gakuhari#, Shigeki Nakagome#, Simon Rasmussen, Morten E. Allentoft, Takehiro Sato, Thorfinn Korneliussen, Blánaid Ní Chuinneagáin, Hiromi Matsumae, Kae Koganebuchi, Ryan Schmidt, Souichiro Mizushima, Osamu Kondo, Nobuo Shigehara, Minoru Yoneda, Ryosuke Kimura, Hajime Ishida, Tadayuki Masuyama, Yasuhiro Yamada, Atsushi Tajima, Hiroki Shibata, Atsushi Toyoda, Toshiyuki Tsurumoto, Tetsuaki Wakebe, Hiromi Shitara, Tsunehiko Hanihara, Eske Willerslev, Martin Sikora*, Hiroki Oota*
DOI番号 10.1038/s42003-020-01162-2
アブストラクトURL https://www.nature.com/articles/ s42003-020-01162-2

用語解説
注1 伊川津貝塚
愛知県田原市伊川津町にある縄文後・晩期を代表する大規模な貝塚遺跡。1918年に最初の発掘が行われて以来、多くの考古学者、人類学者によって発掘がおこなわれてきた。叉状研歯を伴う抜歯の痕跡が見られる人骨が見つかっていることで有名である。今回の全ゲノム解析に用いられたIK002は、2010年に本論文の共著者・増山禎之らによって発掘された6体中の1体である。壮年期女性の人骨で、腹胸部に小児(IK001)を乗せていた。IK002の頭部に縄文晩期後葉のこの地方の典型的な土器である五貫森式土器が接し発掘されている。 ↑

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/538.html#c5

[番外地8] 最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた
最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。

アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。

IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図



http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/282.html

[リバイバル3] オーディオ機器の性能は「電源ケーブル」で決まる 中川隆
19. 中川隆[-11648] koaQ7Jey 2020年8月27日 07:21:04 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[7]

サウンドトレイル株式会社 錦戸敏重のブログ

オーディオ回り道 | PHILE WEBコミュニティ 2009年01月-2014年10月
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Mr.トレイルのオーディオ回り道 2007年06月03日-
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1060.html#c19

[リバイバル3] サウンドトレール _ 中・大型スピーカー向けリスニング用キャスター付きスピーカースタンド 中川隆
2. 中川隆[-11647] koaQ7Jey 2020年8月27日 07:21:55 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[8]

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Mr.トレイルのオーディオ回り道 2007年06月03日-
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https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/1602485bc6b748da4c4c1430b2e11cbe

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[近代史4] Mr.トレイルのオーディオ回り道

Mr.トレイルのオーディオ回り道


サウンドトレール _ 中・大型スピーカー向けリスニング用キャスター付きスピーカースタンド
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/970.html

サウンドトレール 店主のつぶやき
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サウンドトレール
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Mr.トレイルのオーディオ回り道
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サウンドトレール「ケーブルカタログ」
http://soundtrail.co.jp/p06.html

・販売業者: サウンドトレイル株式会社

・責任者 : 代表  錦戸 敏重


〒834-0065
福岡県八女市亀甲170-7番地

TEL:0943-24-8660 
 携帯:090-1878-1529(こちらをご利用ください)

営業時間/AM10:00〜PM5:30

定休日/木曜日


地図
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サウンドトレイル株式会社 錦戸敏重のブログ

オーディオ回り道 | PHILE WEBコミュニティ 2009年01月-2014年10月
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Mr.トレイルのオーディオ回り道 2007年06月03日-
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1011.html

[番外地8] そもそもDNA解析の事を何も理解していない的場さんが専門家の学術論文を否定しようというのが逝かれていますね
それはこの与太話ですね、既に悪質な嘘だという評価が定まっています。そもそもDNA解析の事を何も理解していない的場さんが専門家の学術論文を否定しようというのが逝かれていますね:
虎ノ門ニュースでの有本香氏と小野寺まさる氏のアイヌに関するやり取り
有本香「先住民である縄文系の日本人を北方から来た人達が侵略し、男達を中心に殺戮し女を残して混血していったのであれば、当然アイヌの人達には縄文のDNAが多く残っている」

小野寺まさる「この(縄文の)DNAは後天的に獲得したDNAであるのは間違いないと道庁も答えている」

 検索してみると、これは虎ノ門ニュースの今月(2020年7月)16日放送分で、まだ公式動画を閲覧できます(今回取り上げるのは1時間9分00秒〜1時間11分40秒あたり)。じっさいに視聴したところ、このやり取りは、まず有本香氏が、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された「縄文人」のDNA解析に関する研究(関連記事)を取り上げた北海道新聞の記事に、以下のように言及したことで始まります。

日本人の中に縄文人のDNAを持っている人と持っていない人がいますが、普通は10%くらいです。北海道と沖縄はやや異なり、アイヌと言われる人々は70%、沖縄の人々は30%ほど縄文人のDNAを持っているそうです。縄文人は日本において最古の民族なので、アイヌも先住民族という印象操作になっています。

これを受けて小野寺まさる(秀)氏が

鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代から北海道にいた人々を征服しましたが、このアイヌの人々は女性と子供は殺さず、女性たちに自分たちの子供を産ませた結果、アイヌに縄文人のDNAが継承された、という可能性がひじょうに高く、学術的にも、この(縄文人の)DNAは後天的に獲得したのは間違いない、と道庁は答えています。

という趣旨の発言をしており、有本氏が

そうならば、アイヌと言われる人々に縄文人のDNAが多く残っていても不思議ではありません。

とまとめています。まず問題となるのが、船泊遺跡の「縄文人」の研究についての有本氏の理解です。このやり取りからは、(北海道と沖縄を除く)日本人のうち、「縄文人」のDNAを有しているのは10%程度、と有本氏が理解しているように思います。もちろんそうではなく、(北海道と沖縄を除く)日本人のゲノムには、平均して10%(論文では9〜15%とされています)ほど「縄文人」由来の領域があると推定される、ということです。

 次に小野寺氏の発言ですが、鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代以来北海道に居住し続けてきた人々を征服し、女性と子供たちは殺さず、女性たちに子供を産ませたとすると、確かに「縄文人」のDNAが現代アイヌに継承されます。しかし、そもそもこのような見解を提示している専門家は、現在ではまず間違いなくいないでしょう。それに、小野寺氏の想定では、現代アイヌ集団に「縄文人」由来のY染色体ハプログループ(YHg)を継承している人はほとんどいないことになります。しかし、「縄文人」由来と考えられるYHg-D(関連記事)の割合は現代アイヌ集団では81.3%と高く(関連記事)、小野寺氏の想定とは矛盾します。これに対しては、アイヌが(琉球列島を除く本州以南の)日本人(「本土」集団)から婿養子を迎えたためだ、といった「反論」もあるかもしれませんが、そうならば、現代「本土」集団で55.1%(関連記事)と多く見られるYHg-Oの割合が、現代アイヌ集団でもっと多くなるはずです。

 また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究からも、小野寺氏の想定とは逆だった可能性が高い、と考えられます。「本土」では江戸時代(近世)のアイヌ集団のmtDNAが解析されており、近世アイヌ集団のmtDNAハプログループ(mtHg)では、北海道「縄文人」型が30.9%に対して、オホーツク型が35.1%、「本土」型が28.1%、シベリア型が7.3%と推定されています(関連記事)。これらの知見からは、縄文時代以来の北海道在来の集団が前近代において外部集団からかなり女性を迎え入れつつ、縄文時代以来の父系(YHg)を維持していた、と示唆されます。

 人類史において、交雑しつつ父系を維持・拡大していくような場合、その集団が外部集団に対して優勢であることが多いと考えられます(関連記事)。その意味で、前近代アイヌ集団は、YHg-Dが一定以上の割合で存在する「本土」集団はさておき、オホーツク文化集団や、オホーツク文化消滅後にもアイヌ集団と関係を持っていたと考えられるシベリア集団に対して、優位に立っていた可能性が高そうです。じっさい考古学では、北海道において縄文文化と続縄文文化を継承した擦文文化集団が、10世紀になってオホーツク文化集団に対して優位に立ったのではないか、と示唆されています(関連記事)。

 現代アイヌ集団のゲノムに「縄文人」以外の要素があることは、上述の船泊遺跡「縄文人」の研究でも改めて示されており(約34%)、近世アイヌ集団のmtDNA研究でも確認された、と言えるでしょう。しかし、YHgおよびmtHgの分析と考古学的記録を併せて考えると、アイヌ集団が「本土」の鎌倉時代に南下してきた集団に征服され、本質的には「外来」集団であるというような見解は的外れで、むしろ逆に、縄文時代からの北海道在来集団が、オホーツク文化集団など外部集団に対して優位に立つ傾向にあり、そうした外部集団からの遺伝的・文化的影響を受けつつ、アイヌ集団が形成されていった、と考える方が妥当だと思われます。


 このように、上述の虎ノ門ニュースでの小野寺氏の発言は的外れですが、有本氏は小野寺氏の発言に肯定的なように見えますし、ネットでも、「アイヌの縄文のDNAは後天的なDNA」との上述の小野寺氏の発言には、65も「いいね」がついています。まあ、「いいね」が賛同を表すとは限りませんし、アカウント数は人数の上限を示しているだけとも言えますが。しかし、小野寺氏のようなアイヌ認識は、現代日本社会では無視できないくらいの影響力があるように思います(定量的調査をする気力も能力もとてもありませんが)。小野寺氏の上記のような発言を真に受けた人々は、自分の情報判断力が自己評価よりずっと低いことを自覚し、今後は慎重になってもらいたものです。とはいっても、そのように自省できる人ならば、そもそも小野寺氏の与太話に引っかかる可能性は低いでしょうから、残念ながら今後も、小野寺氏は一定以上の影響力を及ぼし続けるのでしょう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/283.html

[番外地8] 明治初めにはアイヌ人は2万人しかいなかった。現在は日本人と混血したアイヌ系住民は10万人いる。
​ @的場光昭
>養子縁組などでほとんどDNAが置き換わっていることが分かるのです。

嘘はもういいよ
明治初めにはアイヌ人は2万人しかいなかった。現在は日本人と混血したアイヌ系住民は10万人いる。
現在でも純血に近いアイヌ人が江戸時代や明治初めと同数はいて、DNA鑑定で日本人と全く違うのが証明されている。
アイヌ人が消滅したのではなく、日本人との混血が明治以降に何万人も増えたという事だ。

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/284.html

[番外地8] 明治以前には北海道にはアイヌ人しか住んでいなかったからね 中川隆
2. 中川隆[-11645] koaQ7Jey 2020年8月27日 08:50:16 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[12]
明治以前の和人はアイヌと交易する為に一時的に北海道に商売に行っていただけだよ
明治以前は和人は渡島半島を除いては北海道の冬は越せなかったんだよ
北海道の和人の殆どは函館周辺に住んでいたんだ

アイヌ人は狩猟民族で食べ物が自然に依存しているので、意図的に人口調整して2万人以下にしていたんだよ。
縄文人も日本全体で最大でも20万人しかいなかった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/257.html#c2

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
339. 中川隆[-11644] koaQ7Jey 2020年8月27日 09:07:23 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[14]
平野憲一の株のお話 2020.08.27 2万7939円?
http://kasset.blog.fc2.com/

 ダウは83.48ドル高の2万8331.92ドルと小幅反発、一方ナスダックは198.59ポイント高の1万1665.06ポイントと大幅続伸し、5営業日連続で終値での史上最高値を更新しました。ハイテク株の人気が収まりません。


 日本株。
 今日の日本証券新聞で野村証券調べとして、筆者が注目点に上げている移動平均の並びと75、200日移動平均のゴールデンクロスについて、後者のデーターを載せています。

75、200日移動平均のゴールデンクロスは過去に8回ありましたが、次のデッドクロス(200日を75日移動平均線が上から下へ抜ける)までの平均上昇率は20.9%だそうです。

これを今回に当てはめると2万7939円になります。アベノミクス相場の到達点は2万7000円というのが以前からの筆者の見方でしたが、次第に機が熟してきたのではないでしょうか。

ここはゆっくり我慢しましょう。ウィズコロナの新しい生活は厳しい生活でもあります。株高が納得できない方がたくさんいらっしゃいます。すぐに思ったようにはいきません。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c339

[近代史4] 日本のマネタリーベース、マネーストック、貨幣乗数 中川隆
2. 中川隆[-11643] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:00:56 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[15]
 2013年度以降の日本では、

「デフレは貨幣現象。マネーの量が足りない」
<正しくは「消費・投資という総需要(GDP)が足りない

「マネタリーベースを増やせば、デフレ脱却できる」
<日銀と金融機関と政府しか使えない日銀当座預金を増やせば、民間経済で消費・投資が増える、という謎理論

「マネーストックが増えれば、デフレ脱却できる」
<マネーストックは「銀行からの借入」で増える(主に)。銀行から借り入れて、土地や株式、為替の購入に回ったところで、GDPは1円も増えない。


 といった謎理論が横行し、いわゆるリフレ派の実験が八年近くも続けられ、結局は、

「貨幣(MB、MS)を増やしたところで、政府が緊縮財政で消費・投資を減らす政策をすると、デフレ脱却できない」

 という、恐ろしく当たり前のことを実証したのでございました。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12620581734.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/992.html#c2

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
4. 中川隆[-11642] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:49:40 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[17]
ウエスタンエレクトリック13Aレプリカ&WE555導入記 その7.
2017/09/07
https://91683924.at.webry.info/201709/article_9.html


画像

 (ベンプレ亭書斎搬入目前のWE13Aです。これから最終塗装を経てお輿入れです。それにしても貫禄充分、まるで生物のような有機的な造形ですね)

 シネマスコープの30館を除いた残りの78館、モノラルのシステムを使っていた小屋の相当数は555+15Aだったのではないかと思います。

 WE594、TA4181のシステムは戦前の1936~1937の二年間しか日本に輸入されていませんでしたし、続・音響道中で、伊藤先生はWE594にはほとんど触ったことがないと書いておられるので、モノラル再生の78館の中にミロフォニックシステムは無かったか、あっても僅かであったと思います。

 ただロンドン・ウエスタンの2080A、2090Aは一定数あった様です。伊藤先生はロンドン・ウエスタンが戦後、関西地区と中部地区に設置されたこと、「これらは相当な銘機であって、殊に2080及2090型のステージスピーカーは抜群なものであった」と続・音響道中に書き残しておられます。

 先の1957年版ウエスタンエレクトリック・トーキーシステム使用映画館一覧によれば、同年日本で初めて公開されたシネマスコープの普及は東京地区が優勢で、中部、関西地区はモノラル再生がまだまだ主流だったようです。

 「もみくちゃ人生」にも記載がありますが、やはり戦前、羽振りのよい東京からウエスタンは導入されていき、戦前のシステムはWE555A+15A。

 戦後ようやくウエスタンを入れられるようになった中部、関西の地方都市は1954~1959年の間に導入され、価格がやや安かったロンドン・ウエスタンになったものと思われます。

 日本にウエスタンが再登場した1949年から1956年までは先の「高域WE713-BかALTEC802、低域WE754-AかALTEC803」が導入されましたが(1954~1956はロンドン・ウエスタンと併売)、東京の一流館は既に1929〜1935年にWE555+15Aの導入が済んでいたので、シネスコまでこれらに置き換えなかったものと想像します。

 555の生産本数(7万本?9万本?)から考えても、594を使用したミロフォニックシステムが発表されたあとも、シネマスコープが広まり始めたあとも、555、15Aはかなり長いあいだ現役で使用されていたと思われます。

P.S.1.
 日本で最初の立体音響映画は1957年4月29日、昭和天皇の誕生日に封切られた、新東宝の「明治天皇と日露大戦争」だそうです。新東宝といえば、われわれの世代では日活ロマンポルノと併映される低予算のピンク映画ですが、こんな良い時期もあったんですなぁ。


P.S.2.
 WE754-AはWE755によく似た20cmのウーハーです。これで客席まで十分な音量で音が飛ぶのでしょうか。1949年には既にALTEC803は発表されていますから、754-Aは小さな映画館専用だったのでは。
https://91683924.at.webry.info/201709/article_9.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c4

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
5. 中川隆[-11641] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:53:23 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[18]
ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その1.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_8.html
 ベンプレ亭書斎のメインシステムは2系統あります。西面がビジュアル用と兼用のバイタボックス・バスビンを中心とした5way、東面がアルテックA4にツィーターを加えた3wayです。

 バスビンは少しずつ弄りながら、もう30年も使っています。A4は導入してまだ日が浅く、2年足らずです。

 2年足らずだと言うのに年寄(?)は先を急ぐ為でしょうか、このほどA4のウーハーを写真のウェスタンエレクトリック・ロンドン2080Aに交換してしまいました。


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080A
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_8.146038211354674094180.html

 この導入記を書くにあたり、私の知るウェスタンの断片的知識を少々。

 ウェスタンエレクトリック・ロンドン、後のロンドン・ウェストレックスは米AT&Tの製造部門であるウェスタンエレクトリック直系の英国の会社です。

 ウェスタンはカナダにノーザンエレクトリック、日本にニッポンエレクトリック(現NEC)など直系の会社がありますが、ウェスタンエレクトリック・ロンドンもその一つです。

 各会社の米国ウェスタンエレクトリックとの関係はまちまちな様です。ノーザンエレクトリックの発足は1895年と古いのですが、旧ウェスタンエレクトリック時代(集中排除法で会社が分割される1937年まで)のコピー品は私の知る限り見当たりません。

 1928年からトーキーシステムに乗り出しているそうなので、555、594のコピー品があってもおかしくないのですが、市場でたまに見かけるのはオールド・アルテックの同等品だけの様です。

 1937年のウェスタンエレクトリック分割後、アルテックとIPCが同じものをブランドを変えて販売していたのと同じ様なイメージです。

 ニッポンエレクトリックは設立時に、米ウェスタンエレクトリックが株式の54%を保有していました。設立は1899年なのでノーザンエレクトリックより4年後に設立されたのですが、販売していたスピーカーはウェスタンエレクトリック555Wのコピーのドライバー(レシーバー)で、逆にアルテック時代のコピー品は無い様です。

 その後東洋ウェストレックス社が設立され、ニッポンエレクトリックは傍流になったのでしょう。

 それにしてもNEC、戦前の日本で自社製の555を売ろうなんて、ナカナカのチャレンジャーですね。
 
 余談ですが、NECで555コピー品を製造していた職人さんがYL音響を創立し、更にYL音響の職人さんが独立して、ゴトウユニットが創業したそうです。

 どの会社もルーツはウェスタンエレクトリックなんですね。

 ウェスタンエレクトリック・ロンドンは創立年がネットで調べても判りませんでした。

 地理的にも、当時の市場規模からも、ニッポンエレクトリックより後に設立されたとは考え難いのですが。

 同社も555、594直系のスピーカーを出していたというネット情報も見た事があるのですが、検索しても具体的な製品がヒットしません。現存するならなら必ず評判になり、多少は流通していると思いますが・・・

(※その後、コメント欄から情報を頂き、WE555のウェスタンエレクトリック・ロンドン版、30150を教えてもらいました)

 歴史の舞台に登場するのは1950年、今回私が導入した2080-Aやホーンドライバーの2090-Aが発表されてからです。これらはどちらも最初期のアルテックをベースに改良した物です。

 ノーザンエレクトリックがアルテック515、288をデカルだけ変えてそのまま販売していたのに対し、ウェスタンエレクトリック・ロンドンは英国内の技術者が知恵を絞って、これらの改良版を開発したと思われます。

 やはりジョンブル魂のなせる業でしょう、お国ぶりが感じられて楽しいですね。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_8.html

ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その2.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_9.html

2080-Aのマグネットに貼ってあるデカル
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_9.146038232639324707180.html


 写真は2080-Aのマグネットに貼ってあるデカルです。「Western Electric Co. Ltd. LONDON」と書いてある様に、やはりウェスタンエレクトリック・ロンドンが設立当時の会社名なんですね。

 ロンドン・ウェストレックスという名称の方が通りは良いのですが、その社名は少し後の社名の様です。

 少し時代が下がると、同社のスピーカーには「Westrex」のシールが貼られますので、ロンドン・ウェストレックス、あるいはウェストレックス・ロンドンと称されることが多くなったのでしょう。

 なお、デカルの下に打ってある刻印は製造番号だそうです。写真の個体は40番で最初期の2080-Aと思われます。

 入手した4本の2080-A、製造番号は小さい方から36,40,354,355です。36,40は最初期の番号ですので1950年の製造でしょう。354,355も同年の製造では。

 以前、どこかのお店のブログで見た2080-Aのシリアルナンバーは3994と打刻されていましたから、2080-A、年に数百本から1000本は作られていたのではないでしょうか。

 と言いますのも、伊藤喜多男先生の「音響道中膝栗毛」に紹介されているウェストレックス・ロンドンの5010Aスピーカーのイラスト(下の写真。拾ったものでなく、自分の買った本を自分のカメラで写したものなので引用御容赦)が根拠です。


ウェストレックス・ロンドンの5010Aスピーカーのイラスト
https://91683924.at.webry.info/201604/img2_9.146038239761500090180.html


 このスピーカーのイラストは1954年製と書かれているのですが、ウーハーが既に2080-Fというフェライト型に変更されています。

 1954年といえば2080-Aが発表されてからわずか4年後ですから、4年で少なくとも3994本は製品が出荷されているのではないかと考えました。

 但し2080-Aと2080-Fが併売されていたのなら、少し話は変わりますが。

 ウェスタンエレクトリック・ロンドンのスピーカーは日本にも相当数が輸入されていますから、世界各国に流通していたと思われます。ですから2080-Aの出荷数が4000本なら際立って多いとは思いません。

 本家のウェスタンエレクトリック594も3000本が生産されていましたし、555レシーバーは戦前に総計7万本が生産され、そのうち数千本が日本に入って来たそうですから。

 なお、私は2080-Fの実物を先輩の家で見た事があります。フェライトですからマグネットの奥行きが薄く、ハンドルは付いている物の、見た感じでは2080-Aより大分軽いのではないかと思いました。2080-A、余りにも重いので、現場での取回しに支障を来し、2080-Fが開発されたのかもしれません。

 2080-F、持たせてもらって、重さを比べてみればよかったと思います。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_9.html

ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その3.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_10.html

 (写真はウェスタンエレクトリック・ロンドン2090-Aの姉妹品?アルテック288Bです。アルテック288が英国では2090-Aに改良され、米国では288Bに改良されました)


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2090-Aの姉妹品?アルテック288B
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_10.146038255524643507178.html

 ウェスタンエレクトリック・ロンドンの製品というと、「ウェスタン」の名前の為か、アルテックより旧いパーツだと一部で誤解されている様です。

 しかし2080-Aウーハーも、ウェスタンエレクトリック・ロンドンを代表するドライバーである2090-Aも、アルテックの515、288より後に、これらのモデルを下敷きにしてイギリスで作られたものです。

 515、288は1945年に開発されているのに対し、2080-A、2090-Aは1950年に発表されています。

 米国のウェスタンエレクトリックは独占禁止法(集中排除法)のため1937年にスピーカー製造部門がアルテック、IPCに分離されましたが、独禁法が無ければウェスタンエレクトリックのままで良かったわけです。

 米国の独禁法の権限は、当然海外には及びませんから、英国ではウェスタンエレクトリックの社名でスピーカーが作り続けられたのでしょう。

 ウェスタンエレクトリック・ロンドンの製品が英国のどこの工場で作られたのかは、確定的な話がありません。

同じシアターサプライを手掛けている事からバイタボックスが一枚噛んでいるらしいとか、工場の規模はグッドマンが最大だったのでココだろうとか、いや、創業者のガイ・ルパート・フォンテーンが昔ウェスタンエレクトリック・ロンドンに勤めていた関係で、タンノイが協力したという説もあります。

 私はウーハーに関してはバイタボックスのOEMではなかったかと推測しています。それは1954年に既に2080はアルニコ磁石からフェライト磁石に変更されているからです。

 フィールドコイル磁石の時代が終わるとスピーカーはアルニコ磁石に一斉に変更されました。その磁石が一斉にフェライトへ変更されたのは1970年代末期です。

アフリカ・ザイールの内戦でコバルトが高騰し、アルニコ磁石の材料が手に入り難くなったためだそうです。

 それまでもフェライト磁石のスピーカーはありましたが、ほぼ全て廉価版、高級機はどれもアルニコでした。

 フェライトに変更されるとき、JBLは「いや、フェライトの方が性能は良いんだ・キャンペーン」を打ちましたが、実際聴くと優劣は明らかで、この辺りからJBLは日本で売れなくなったらしいです。タンノイもアルテックもフェライトに変更された時にはファンから悲鳴が上がりました。

 私は当時タンノイを使用していましたが、例えアルニコモデルで一番評判の悪かったHPD385A(私の愛機)であっても新型のフェライトモデル、K3808より断然良い音でした。

 アルテック、JBL、タンノイが当時の海外製スピーカーの御三家でしたが、フェライト化に伴い一気にシェアを失って行ったと記憶します。

 この時代に悠然とフェライトを売っていた高級スピーカーメーカーがありました。英バイタボックスです。バイタボックスのウーハーは最初期こそAK150なるアルニコ磁石でしたが、コバルト高騰とは無縁の早い時期に、AK156/157のフェライト磁石に切り替えられていました。

 CN191コーナーホーンやバイトンメジャーは当時のクラシックマニア・垂涎の的でしたが、ウーハーは以前からフェライトでした。

 ドライバーもアルニコのS2とフェライトのS3が併売されており、どちらの方が上位機種との位置付けはなされてはいませんでした。

 つまりバイタボックス社は早い時期にフェライト磁石の使い方に習熟し、フェライトで美音を再生するノウハウに自信をもっていたのでは。

 ですから2080-AがバイタボックスのOEMなら1954年に早くもフェライト化(2080-F)されていても不思議ではないと考えるのです。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_10.html


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その4.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_11.html


 写真はアルテック210エンクロージャーに仕込むため揃えた4発の2080-Aです。


アルテック210エンクロージャーに仕込むため揃えた4発の2080-A
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_11.146038274984126590178.html

 さて、2080-Aに付いて少々。
 
 と思いましたが、私が駄文を書くよりステレオサウンド社の名文をコピペします。

 『Western Electric London Receiver 2080-A

 塗色と磁気回路に付されたハンドルを除くと、アルテック「515」と外観的にはあまり差異はなく、本設計は明らかに同一と思われる。しかし細部に目を移すと、バスケット(フレーム)の磁気回路への取りつけ方、マグネット・ストラクチャー、コーン・エッジの裏と蝶型スパイダー(ダンパー)の中に柔らかいウール繊維が詰められている、などの差がある。

 それに重量が34ポンド(15.4kg)とまったく違う。カタログによるギャップの磁束密度は13200ガウス、ヴォイスコイル・インピーダンスは16Ωである。ただし、この「2080-A」にも、マグネット外形が「515」様の大型と、「803」様の小型のものがあるので注意が必要。後には「2080-F」というフェライトマグネットの製品まで登場した。

本機を1本から4本まで内蔵する低域バッフルとして、2081-A、2082-A、2084-C〜Fの6タイプがあり、指で押したくらいではピクリとも動かないコーン紙(アッセンブリーで約48gと軽いが、頑丈な造りで、「515」用とは漉き方が異なる。低域共振周波数は55Hz)は、これらの低域バッフルに組み込まれると、イギリス人の英知を思わせる、気品の高い風格ある大人のサウンドをもたらす。

 このヨーロッパ・トーンは、他では決して得られない味わい深いものである。

 数十年にわたる長いオーディオ遍歴の果て、ついに理想とするこのシステムに巡り遭い、その間の苦労について目をうるませながら語った人がいる。

 早速聴かせていただいたが、音楽を愛する「思い」に裏づけされた深い教養がありありと滲み出ており、めくるめく感動を覚えた。 人柄は遂に、音に反映するのである。』
https://91683924.at.webry.info/201604/article_11.html


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その5.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_12.html


 ではベンプレ親父の見立てた2080Aに関する追加事項を再掲の写真を見ながら語りましょう。


2080A
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_12.146038287075462632177.html

 
 このユニットがアルテック515をベースに作られている事は間違いありません。

 バスケットの形状はアルテック515〜515B前期型と同じでリアマウント方式。バッフルに留めるネジ穴の位置も同じです。

 エッジも515と同じフィックスドエッジ、センターキャップの形状も、エア抜き穴のサイズも同一です(エア抜き穴に裏打ちしてある布の色がオレンジがかった茶色で、ココは黒である515と違います)。

ダンパーも515と同じベークライト製蝶型ダンパー(スパイダー)です。

 コードを留めるターミナルも515と同一のパーツです。

 515との違いは以下の様です。

 まず写真に見る通りアルニコ・マグネットがより大型で、515よりマグネットの奥行きが長くなっています。

 先ほどバスケット形状は515と同様と述べましたが、フレーム前面、バッフルに接する部分の厚みが515より約3mm厚くなっています。ガスケット(515はコルク、2080は黒い綿フェルト)も515より2mm程度厚いため、合計で5mm程フレーム前面が厚く仕上がっています。

 マグネットサイズとフレーム前面の厚みが増している為でしょうか、重量が15.4kgとなり、515Bの11.8kgより3.6kgも増加しています。38cmウーハーとしては破格の重さなので、取扱が容易なように、マグネットカバーにハンドルを付けたのでしょう。

 初めて見た時は「ハンドルとは大げさだなー」と思っていましたが、ユニットをバッフルに取り付ける段になってハンドルに随分助けられました。コレがなければ二人がかりでもユニットの取り付けには難渋しそうですね。

 次にコーン紙が違います。48gと515より軽量ですが、腰の強い丈夫なコーン紙です。

 流石に寄る年波には勝てず、ベンプレ親父が入手した2080-Aは一部エッジの補修がされていますが、繊維の長い特殊な和紙を使って丁寧に補修してあり、追加重量は最小限になっているため音質を損なうことは無いと思います。

 見てすぐ判るのはコーン紙の裏側、フレームとの間に羊毛フェルトが入っている事でしょう。

 これは音を聴いて決められたダンプ材だと思いますが、コーン紙の保護にも一役買っている筈です(未確認情報ですが、後にウレタンでダンプしてあるものも発売されたらしいです)。

 写真ではわかりませんが、中をのぞき込むと蝶型ダンパーの裏面にも羊毛フェルトが入れてあり、ダンプされています。

 同様に音を聴いて仕込まれたのでしょうが、やはりダンパーの保護に役立つと思われます。

 ここから先はベンプレ親父には判りませんが、先輩からの口伝に依りますと、ボイスコイルが違うそうです。ボイスコイルは515より細く、ターン数は515より多いそうです。

 中高音の細かい音を出すためには、このボイスコイル径と巻き方がポイントとの事でした。

 センターキャップの裏側にマス・コントロールリングが入っているとのネット情報もありましたが、これは裏が取れていません。

 アルテック515と515Bもボイスコイルが異なり、音の違いをもたらす要素になっている様です。どちらもエッジワイズ巻きですが、ボイスコイル長が515Bは6mm、515は10mm。

 よく判らないのですが、515Bはシングルターンで515はダブルターンとか。要するに巻き方も違うらしいです。  そのためなんでしょうか、515Bのインピーダンスは公称16Ω、DCR11Ωに対し、515は公称20Ω、DCR8Ωです。

 2080Aのインピーダンスは16Ωとも20Ωとも言われますが、まあ、クロスオーバー周波数でのインピーダンスでなければ意味が無い事ですから、気にしないでおきましょう。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_12.html


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その6.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_13.html

アルテック210エンクロージャーから515を外し、2080-Aを装填したところ
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_13.146038312493556275180.html


 アルテック210エンクロージャーから515を外し、2080-Aを装填したところです。

 この時気が付いたのですが、アルテック515、515Bにはボルトを貫通する穴が8個開けてあるのに対し、2080-Aは4個なんですね。
 
 210側に開いているボルト孔は4個なので、別に困りはしませんが、515(11.8kg)より3.6kgも重い15.4kgの2080-Aが4個とはこれ如何に。別にキッチリ止まるので問題ないですが。

 バッフルへの装着はベンプレ親父、ベンプレ息子、ベンプレ妻の3人がかりで行いました。妻は懐中電灯係り兼ボルト等のパーツ渡し係り。息子はユニット保持係り。私はユニット保持兼ボルト回し係りで作業を勧めました。

 先輩から、「515とは重さが違うのでカクゴするように。手で保持しただけではボルト絞めの最中にユニットを取り落とさないとも限らないので、あらかじめ細いボルトをユニットとバッフル孔に通して仮固定し、作業を進めると良い。一人で作業する事は禁忌」とアドバイス頂き、作業用の細いボルトまで頂きました。

 2080-A、イヤ重かったです。体感上はアルテックの2倍くらいに感じました。先輩のノウハウが無ければ大惨事が起きていたかも・・・

 先に書きましたが、装着時に前面フレームの厚みが515より厚い事に気が付きました。ボルトが210側のナットに少ししか掛からないため、安全のために後日、東京・虎ノ門の三和鋲螺で515装着時のボルトより0.25インチ長いステンレスボルト(0.25インチ径、1.5インチ長)を仕入れて取り換えました。

 ボルト長の調節とユニットのフレーム保護のため、薄いワッシャーも噛ませました。

 これでユニットの装着は更に完璧ですw

 コード類は515使用時のものを流用しました。メインのスピーカーコードはウェスタンエレクトリックの10GA、2080-Aをパラ接続するための内部配線はベルデン8707です。

 どちらもメッキ線ですので、長期使用にも安心ですね。

 2080-Aは古い物なので、ハンドルの留めネジやフレームのネジに一部サビの浮いている所があります。あまり神経質にサビ取りをすると却って調子を狂わしそうなので、CRC5-56で簡単に拭き取る程度にしておきましたが、スピーカーターミナルのコードを咬み込む面だけは綿棒を使って念入りに清掃しておきました。

 さて、2080-A二発を納めるウェスタンエレクトリック・ロンドン製のエンクロージャーは先の伊藤喜多男先生のイラストの様に2084-Cですが、流石にこの箱は探せませんので、515を装着していたアルテックの210を流用しています。サイズは同一だと思われ、ホーンやバスレフダクトも同じ形状です。

 しかし全て同じではないようで、イラストが間違いないとすると、2084-Cには210にあるウィングを固定するための片側2本の腕木が省略されている様です。

 また、210の裏蓋は文字通りエンクロージャーの裏にしかありませんが、2084-Cのイラストでは「SIDE ENTRY」との記載があり、ここにも蓋が付いている様です。もしかするとユニットの取り付けが容易なようにコの字型の裏蓋にしてあるのかもしれませんね。

 イラストでは判りませんが、エンクロージャーの材質も違うはずです。210は当初オール米松合板、後に米松とパーチクルボードの混成になりました。

 2084-Cは英国製ですので、米松ではなく、バイタボックス・バスビンと同じくフィンランドバーチが使われていたのではないでしょうか。

 バーチ合板は米松合板より硬く、重く、響きもコツコツとした高音寄りの音なので、出てくる音もより締まった音だと思います。

 しかし2084-C、現存品が存在するのか否か不明ですし、そこまで望むのも欲が過ぎるでしょう。バーチ材で箱屋さんに作ってもらう事は可能でしょうが、オリジナルでない箱に入れても2080-Aが却ってモッタイナイ気がします。

 なお2084-Cの塗装はアルテックと同じグレーだと思います。ステレオサウンド53号のザ・スーパーマニアのページにジーメンス・オイロダインと一緒にアルテック825タイプのロンドン・ウェストレックス・スピーカーを使っている方が登場されています。

 この箱は825ではない事は確かな様で、ロンドン特有のサイドエントリーが有りますが、その写真を見ると箱の塗装はグレーです。

 写真なのではっきりした事は判りませんが、アルテックより少し明るいグレーの塗装ではないでしょうか。

 但しこの写真のロンドン・ウェストレックスの箱、キレイすぎるので再塗装かもしれません。バスレフポートから覗く吸音材が羊毛ではなく、最近の白いサーモウールの様に見えますので。

 この箱の型番は書いてありませんでしたが、2081-Aでは?

 という事は、もしかすると210エンクロージャータイプの2084-Cも日本に在るのかもしれませんね。
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ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その7.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_14.html


アルテック210エンクロージャーの換装が完了した2080-A
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_14.146038332219377223177.html


 アルテック210エンクロージャーの換装が完了した2080-Aです。とは言っても外観では殆どアルテック515装着時と区別が出来ません。センターキャップのエア抜き穴を蓋っているメッシュ布の色が茶色であること位でしょうか。

 コーン紙は515よりやや黒っぽい色です。
 
 210エンクロージャーには当初アルテック515B前期型、その後同社515、この度ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aと2年足らずで3代目のユニット交換となりました。

 515Bも515も不満があったわけではないのですが、より良い音を求めるうちに2080-Aまで来てしまいました。

 ウェスタンエレクトリックといえば、555、594のドライバー(レシーバー)、597ボストウィックツィーター、ジェンセンのOEM、TA4181ウーハー辺りが一番有名です。私はどれも聴いたことが無いのですが(聴いたことが有るのはWE713だけ。515ウーハーの上に使っておられました)、これらの素晴らしさを語る人は多く、それなりの良さはあるのでしょう。

 しかし私はこれらの米国ウェスタンエレクトリックに少し疑問もあります。

 ジェームス・バロウ・ランシング(JBL)の伝記を読むと、ウェスタンの音響に不満のあったMGM映画が劇場用スピーカーを開発し、ランシング社のスピーカーユニット(15XSウーハー、284ドライバー)を用いたシャラーホーン・システムを完成させました。

 これが極めて優秀で、映画芸術科学アカデミー賞を受賞し、MGM系列の映画館ではウェスタンに取って代わったと言われています。

 してやられたウェスタンエレクトリック社ですが、このランシング社ユニットの優秀性に目を付けたようです。

 ウェスタン後継のアルテック社は、財務担当者が飛行機事故で亡くなって後、経営難に陥ったランシング社を吸収合併し、アルテック・ランシングと社名を変更しました。

 ここでJ.B.ランシング副社長の指揮のもと製造されたのが515や288ですから、これらは旧型ウェスタンより上という論法も成り立たないとも言えません。

 まあ、555も聴いたことが無いのに何を言っても始まりませんがねw

 また耳の良さでは数々のエピソードを残した五味康介氏の実家は戦前戦中に興行師を営んでおり、経営する映画館ではウェスタンを使用していたそうです。

 五味氏が復員した時、「ご自慢のウェスタンも塵埃に化していた」と嘆き、「この様にして失ったものを二度と見たくない」と氏は書き残しています。

 五味氏は戦後、音楽を聴くために小説家になり、当初グッドマン、その後テレフンケン、そしてタンノイ・オートグラフにたどり着きますが、一度として米国ウェスタンに帰ろうとはしませんでした。

 確かに「二度と見たくない」と書いてはいますが、「良い音のためには女房を質に入れても手に入れる。私はそういう人間だ」とも書いています。

 つまり、五味氏はそこまでウェスタンエレクトリックの音を評価してはいなかったのでしょう。

 私は米国ウェスタンエレクトリックの旧型スピーカーよりもウェスタンエレクトリック・ロンドンに興味がありました。

 若いころから英国製スピーカーが好みで、学生の時からタンノイ、その後バイタボックスをメインに使用していましたから。

 米国ウェスタンを打ち破ったランシング社が後にアルテック・ランシング社として開発した515、288をイギリスの技術者が改良したのが2080-A、2090-Aですから、ここに興味が集中するのも私には無理からぬところなんですね。

 実はウェスタンエレクトリック・ロンドンの音響機械は結構日本にも設置されていたらしいです。なんでも米国ウェスタンエレクトリックよりリース代金が安かったからとか。

 確かにイギリス人は吝嗇で、アメリカやヨーロッパ大陸と異なり、カネに糸目付けない製品やバカ値の物は作りませんからね。

 この辺りも私の趣味に会います。

 それから内緒の話を一つ。

 伊藤喜多男先生は「米国ウェスタンよりロンドン・ウェスタンの方が音が良いんだ」と言ってたらしいです。伊藤先生が公式にそう発言すると影響が大きすぎますから、内緒の話です。

 伊藤先生は既に物故されていますので、もはや裏は取れません。伝説です。
 
 氏はウェスタンエレクトリック・ロンドンのスピーカーに関しては誠文堂新光社発刊の「続・音響道中膝栗毛」のp98に『英国のウェストレックスから種々な装置が入って来て、主に関西と中部地区に設置された。これらは相当な銘機であって、殊に2080及2090型のステージスピーカーは抜群なものであった。』と書き残すのみです。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_14.html


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その8.)2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_15.html

 アルテック210エンクロージャーに2080-Aを装着し、過去に使用した515、515Bの周波数特性と比べてみました。

 計測した日時も、マイクを置いた位置も異なりますので、参考程度にしかなりませんがw


低域アルテック210+ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A×2、高域アルテックH1505+288Bの周波数特性
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_15.146038361193316612178.html

 低域アルテック210+ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A×2、高域アルテックH1505+288Bの周波数特性です。スピーカーが大きいので測定は軸上1mではなく、約4m離れた聴取位置のF特です。

 アッテネーターの目盛りは515を装着していた時から動かしていませんので、能率は515と変わらないと思います。低域は60Hz辺りまでフラットに再生する様です。


アルテック515+288Bの F特
https://91683924.at.webry.info/201604/img2_15.146038366333476385178.html


 写真はアルテック515+288BのF特です。低域再生は50Hzまででしょうか。

 60Hz辺りにワンピークあるので、それ以前に使用していた515Bより低域が豊かに聴こえていました。


515B+288Bの F特
https://91683924.at.webry.info/201604/img3_15.146038371606528636178.html


 こちらは515B+288BのF特です。低域の再生レンジは40Hzと515より更に下まで伸びており、515の様な低域のアクセントが無いF特ですね。

 F特グラフに示すまでもなく、515BのF₀は25Hz、515は45Hz、2080-Aは55Hzとユニットを変えるたびに低域の再生限界は狭くなっているのですが、再生帯域のフラットネスでは2080-Aが最も優れている様です。

 聴感上は515の低域が一番豊かに、2080-Aの低域が一番自然に聴こえます。

 最初に使用した515Bも凡百のスピーカーと比較すると音の立ち上がり、立下りの速いハイスピードなウーハーですが、レスポンスの速さでは515には敵いませんでした。515を聴いた後では、「やはり電機の音だったなぁ」と思います。

 2080-Aは515以上にナチュラルで、自然の音、生の楽器の音に近いです。楽器の発する音を鳴らすだけではなく、ホールトーンを見事に再現しますので、録音現場に立ち会っているかのようです。もはや反応が速いとか遅いとかを意識させない音です。

 古いスピーカーですから、写実的な音ではなく、油絵の様な音かと想像していましたが、全く違いました。

 濃い味、薄味、柔らかい音、豊かな音、鋭い音を余裕で鳴らし分けます。「再生装置」として、実に完成度が高いスピーカーだと驚きました。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_15.html


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(そ9.最終回)2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_16.html

ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A×2+アルテック210エンクロージャー、アルテック288Bドライバー+H1505ホーンの外観
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_16.146038385575768194179.html

 完成したウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A×2+アルテック210エンクロージャー、アルテック288Bドライバー+H1505ホーンの外観です。

 音が鳴り始めてすぐ、我が家のオーディオ評論家、ベンプレ妻に聴かせましたが、「ビックリする位自然な音ね」、「前のよりずっと良いわ」、「何の調整もしないでいきなりこの音ってのは、凄いんじゃない?」、「いつまで聴いても疲れない音よね、自然だから」と絶賛の嵐です。

 妻は515と2080-Aの交換に立ち会い、帰り道に「二人でゴミの物々交換をしてるのね」と冷笑していましたが、音を聴いて目を丸くしていました。

 「古臭くなんて全然ないわね。濁りの無い音よ」とも。

 妻はオーディオには興味も知識もありませんが、ヘンな先入感や期待感が無い事から、かえって良い物は良い、悪い物は悪いとハッキリ指摘します。

 音の印象が私と異なった事はまずありません。

 今回ほど妻に音を絶賛された事はありませんでした。私も、これはもう、ベンプレ亭書斎で鳴った過去最高の音だと思います。

 特にここまでホールトーンの美しいスピーカーは聴いたことが有りません。余韻の出方が群を抜いていると思います。

 うーむ、こうなるとドライバー、ホーンもウェスタンエレクトリック・ロンドンが欲しくなりますね。
 
 それにしてもウェスタンエレクトリック・ロンドンを私の手で鳴らすことが出来る日が来るとは、夢にも思っていませんでした。これはワルハラ城に住まう神々の世界のスピーカーで、俗人であるベンプレ親父の近付けるものではないと・・・

 先ほどもほっぺたをつねり、夢ではない事を確かめたばかりです。

 もうこれで死ぬまでウーハーはコレ、2080-Aで決まりです。憧れの名器ですから大事に大事に使います。

 一日でも長く聴けるように長生きしないとね。

 それから70歳でリタイヤし、一日中聴ける日が来るまで難聴になりませんように。

 2ペアの2080-A、新品で入手した最初のオーナーはもう鬼籍に入られた事でしょう。

 私の手元にこれらがあるのは、ベンプレ親父がまだクタバッテいないからです。
 以前、茶碗の収集家の話を読んだことが有ります。

 「名器を手に入れるには、所有者が死んだらすぐに駆けつけ、ブツをかっさらって来る事。つまり長生きした者の勝ちだ」

 私も長生きして、もう暫くは「かっさらう」側でいたいです。もちろん私が死んで、私の所有物が欲しい人がおられましたら「かっさらい」に来てくださいね。ベンプレ妻にも協力するように言っておきます。

 これで「ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A導入記」を終わります。
 なんだかもう、ベンプレ親父は涅槃が見えた気がしますぞ。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_16.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c5

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
6. 中川隆[-11640] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:54:01 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[19]
ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その10.追加稿) 2016/04/13
https://91683924.at.webry.info/201604/article_17.html


 一昨日、ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-A導入記、その1.〜その9.をブログにアップしましたが、先輩からメールで追加情報を頂きましたので追加稿としてアップさせて頂きます。


1.ウェスタンエレクトリック・ロンドンの日本導入に関する当方のブログ内容

  「実はウェスタンエレクトリック・ロンドンの音響機械は結構日本にも設置されていたらしいです。なんでも米国ウェスタンエレクトリックよりリース代金が安かったからとか。」


 【先輩の情報】

 『WEロンドンが日本の各地で使われたのは、何と言ってもフィールド型からパーマネント型の15インチと高能率ドライバーと小さな Horn でよりコンパクトなシステムであったため、田舎でも導入しやすかったようです。

加えて、WE時代から引き継がれた故障したら興行収入を全額補償する「安心のレンタルシステム」もあったからと言われています。何せ、県庁所在地の○○市よりより田舎である△△市の方が10館あった中で5館が導入していましたから…』


伊藤喜多男先生の手書きの 1957年12月のウェスタン設営館リスト
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_17.146053413831755610179.html
https://91683924.at.webry.info/201604/img2_17.146053415870489288179.html


 音響道中膝栗毛に載せてあった、伊藤喜多男先生の手書きの表(ベンプレ親父の生まれる丁度1年前、1957年12月のウェスタン設営館リスト)を写真に撮ってアップさせて下さい。

 愛知県や岐阜県は特にウェスタンエレクトリック常設館が多かった様ですね。名古屋は嫁入り道具が豪華な事では日本一ですから、映画館も道具に凝るのかな?

 それに引き換えベンプレ親父在住の兵庫県は、神戸の2館だけで恥ずかしいかもw

2.ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080のフェライト化に関する当方のブログ内容

 「このスピーカーのイラストは1954年製と書かれているのですが、ウーハーが既に2080-Fというフェライト型に変更されています。」


 【先輩の情報】

 『2080ですが、フェライトの導入はずいぶん後だと聞いております。モデルで言うと2080E,2080F,2080Gで

〜中略〜

不思議なことに2080Hではアルニコモデルに戻されています。』


 どうやら1954年に既にフェライト化されていたというのは間違いの様です。伊藤喜多男先生のイラストに書き込んである年号が誤りなのかもしれません。

2.2080-Aのマスリングに関する当方のブログ内容

 「センターキャップの裏側にマス・コントロールリングが入っているとのネット情報もありましたが、これは裏が取れていません。」


 【先輩の情報】

 『マスリングが装着されていたのは2080EとFだと言われています。
(2080Hは)マスリング、付いていませんでした。』


 2080-Aにはマスリングは付いていないようですね。

3.2080-AのOEM先に関する当方のブログ内容

 「ウェスタンエレクトリック・ロンドンの製品が英国のどこの工場で作られたのかは、確定的な話がありません。

 同じシアターサプライを手掛けている事からバイタボックスが一枚噛んでいるらしいとか、工場の規模はグッドマンが最大だったのでココだろうとか、いや、創業者のガイ・ルパート・フォンテーンが昔ウェスタンエレクトリック・ロンドンに勤めていた関係で、タンノイが協力したという説もあります。

 私はウーハーに関してはバイタボックスのOEMではなかったかと推測しています。それは1954年に既に2080はアルニコ磁石からフェライト磁石に変更されているからです。」


 ※上にも書きましたが、2080が1954年に既にフェライト化されていたというのは誤情報の様です。


 【先輩の情報】

 『Vitavoxのフェライトは、多分、ドイツにルーツがあるように思います。
大戦後、ロシアにもその断片が見られます。(フェライトでも良い音で鳴らせられる)

 2080の設計に関わっていたのは Vitavox,、Wharfedal、Goodmans 辺りでしょうか?
映画館用では BTH がありましたが、競争相手だったので交流は無かったのかと?』

 さらに下の一文も頂きました。

Westrex (London) was born out of the anti trust laws that resulted in ITT acquiring the european divisions of AT&T's corporate empire.

In the UK, Standard Telephone & Cables (STC) continued manufacture of Western Electric products (555, 497a etc) under licence, still badged as Western Electric.

From the 50's on, the sound equipment was badged as Westrex and possibly due to the demise of the field coil and WE getting JBL to manufacture an Alnico version of the 594a, the JBL 2440, Westrex (London) turned to Altec and produced the 2080 and 2090 drivers which were effectively re-engineered versions of the Altec 515 and 288 drivers but with much better build quality.


 どうやらウェスタンエレクトリック・ロンドンも555を生産してたようですね。

 この文章を書いた方もロンドンの2080を515より高く評価していた様で、なんだか嬉しいです。

 さて、米国ウェスタンエレクトリックに比べてウェスタンエレクトリック・ロンドンの情報はとても少ないです。

 このブログをご覧になった方で情報をお持ちの方は、コメント欄に書き込んでいただけますと有難いです。


コメント(4件)

情報、何も持っていないのですが・・・

1.に関して

確かにWE・ロンドンは、結構日本にも設置されていたらしいですね。
「続・音響道中膝栗毛」と同じ文章なのかも知れませんが、以下、伊藤喜多男氏の「うえすたん物語」よりの抜粋です。

「其の他英国のウェストレックスから種々な装置が入って来て主に関西地区と中部地区に設置されたが、これらは相当の名機であって、殊にラウドスピーカーが絶品であった。

東京地区のシネマスコープの増設が終わってから、この英国ウェストレックスが輸入された関係で、東京地区には殆ど英国ものは設置されていない。」

田舎に設置されたのは(笑)、上記のような、遅れて入って来たという理由もあったようですね。

2080-A の評価に関しては、東洋ウェスターン電気に勤務されていた永井克正氏の「ウェスタン・エレクトリック、栄光の系譜〜トーキーの現場から」の中でも、以下のように語られておりました。

「かつての栄光が薄らいだとはいえ、その系譜を受け継いだウェストレックスの名品がある。ウェスタン・エレクトリック・ロンドンである。

イタリアやインドでも作られるようになったウェストレックス・システムであるが、イギリス・ロンドンで作られた 2090-A 中・高域レシーヴァーと 2080-A 低域レシーヴァーは、ウェスタン・シアターサプライの最後の銘器といえるものである。」

shunsuke
2016/04/13 21:49

3.に関して

ヴァイタボックス、グッドマン、タンノイ、ワーフェデールの他にも、ローラ、パルメコ等、諸説ある中、あくまで推測になるのですが・・

ヴァイタボックスやタンノイは必要生産量に対する供給システムがまだ確立されておらず、とりあえず生産に関しては、やはり大規模なラインを有していたグッドマンではなかろうか?と考える方が多いようですね。果たして真実は?


あと、NEC版 555 が 555M であるように、WE・ロンドン版 555 が、T字型アルニコ・マグネットを採用した 3015B、C、E になるのでしょうかね。

「管球王国」Vol.67で 555系振動板を採用したドライバーの試聴テストやってました。ご参考まで。
shunsuke
2016/04/13 21:50


shunsuke様、情報有難う御座います。

先ほど管球王国No.67引っ張り出してみました。
30150B、ウェスタンエレクトリック・ロンドンの 555、出ていました!!

2013年当時は自分がウェスタン物に縁が出来るとは思っていなかったので読み飛ばしていました。
有難う御座います。

記事を見るとずいぶん熱い音の様ですね。それに WE555 の3倍はありそうな巨大なユニットですね。

ベンプレ親父
2016/04/13 22:57


shunske様

済みません。コメント二本頂きましたのに、うっかりして1本しか掲載していませんでした。
伊藤先生の講演、徳島にあったシュミットで一度だけ聞きました。
口は悪いが優しい方でした。たぶんテレ屋だったのでは?

ベンプレ親父
2016/04/18 09:50

https://91683924.at.webry.info/201604/article_17.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c6

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
7. 中川隆[-11639] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:54:41 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[20]
趣味の極道 Vintage Vanguard Room3
ランシングとウエストレックスの部屋
http://www.gokudo.co.jp/Vanguard/Westrex/room3.htm


☆1950年英デッカ初のLPレコードを発売(米国内向けにロンドン・レーベルで1949年に先行発売)

この2年後にE.M.I.社からも発売され、英国を中心にHiFiブームが起こる。

ウェスタン・エレクトリック・ロンドン(WEロンドン)、「2080−A」低域用レシーヴァー、
「2090−A」高域用レシーヴァー、および「2081−A」低域用(1基)ホーンを発表

1953年英タンノイのG.R.ファウンテン、「Autograph」開発し、N.Y.のオーディオショーで発表。

画像
http://www.gokudo.co.jp/Vanguard/Westrex/room3.htm

Western Wlectric London Receiver 2090-A

 本機はウェスタン・エレクトリック・ロンドン社製の中・高域レシーヴァー・ユニットで、1950〜55
 年頃に生産された初期モデルである。 基本設計は明らかにアルテック「288」と同一だが、
 マグレット・ストラクチャー、ダイアフラム(耐蝕性を高めるフェノールト塗装が復活している)
 ヴォイスコイル・リードアウト部、バックカヴァー(アルミニウム・ダイキャスト)が真鍮に変更され
 ている)など細部に手が加えられており、独自のホーン(2091−A[8セル]、2092−A[12セ
 ル]、2093−A[15セル]、2094−A[10セル]、2095−A[1セル])と組み合わせると、実に
 しなやかな気品あふれる鳴り方をする。シアター・サプライならではの力強さ、雄大さと高度な
 信頼性を失うことなく、音楽の内声部のデリケートな表現をくっきりと描き出す見事さ。
 酸いも甘いも噛み分けた大人の音で、クラシック音楽、なかでも声楽の再生が特に素晴らしい。
 何代にもわたって音楽を聴き込んでいないと、こういうチューニングはできないのではないか。
 スペックは「288」とほぼ同様。ヴォイスコイルはアルミニュウムのエッジワイズ巻き、カタログ
 では直径3インチ(7.62cm)と表示されているが実際には「288」用と互換性がある。
 インピーダンスは20Ω、ギャップ部の磁束密度は17500ガウスである。ただ重量だけが21ポ
 ンド(9.51kg)から30.5ポンド(13.8kg)と大幅に増加しているのは、ハンドルが付加されて
 いるためだけではない。ホーンも一見華奢なようだが、鳴きは一切感じられない。

Western Electric London Receiver 2080-A

 塗色と磁気回路に付されたハンドルを除くと、アルテック「515」と外観的にはあまり差異はなく、
 基本設計は明らかに同一と思われる。しかし細部に目を移すと、バスケット(フレーム)の磁気
 回路への取りつけ方、マグネット・ストラクチャー、コーン・エッジの裏と蝶型スパイダー(ダンパ
 ー)の中に柔らかいウール繊維が詰められている、などの差がある。 それに重量が34ポンド
 (15.4kg)とまったく違う。カタログによるギャップの磁束密度は13200ガウス、ヴォイスコイル・
 インピーダンスは16Ωである。ただし、この「2080−A]にも、マグネット外形が「515」様の
 大型と、「803」様の小型のものがあるので注意が必要。後には「2080−F]というフェライト
 マグネットの製品まで登場した。本機を1本から4本まで内蔵する低域バッフルとして、2081
 −A、2082−A、2084−C〜Fの6タイプがあり、指で押したくらいではピクリとも動かない
 コーン紙(アッセンブリーで約48gと軽いが、頑丈な造りで、「515」用とは漉き方が異なる。
 低域共振周波数は55Hz)は、これらの低域バッフルに組み込まれると、イギリス人の英知を
 思わせる、気品の高い風格ある大人のサウンドをもたらす。
 このヨーロッパ・トーンは、他では決して得られない味わい深いものである。
 数十年にわたる長いオーディオ遍歴の果て、ついに理想とするこのシステムに巡り遭い、その
 間の苦労について目をうるませながら語った人がいる。
 早速聴かせていただいたが、音楽を愛する「思い」に裏づけされた深い教養がありありと滲み
 出ており、めくるめく感動を覚えた。 人柄は遂に、音に反映するのである。
http://www.gokudo.co.jp/Vanguard/Westrex/room3.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c7

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
8. 中川隆[-11638] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:55:47 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[21]
趣味の極道
http://www.gokudo.co.jp/Vanguard/index/
http://www.gokudo.co.jp/index2.htm
横須賀に三上さんと言うオーディオマニアがいます。

私も相当な病人ですが、この方も相当な病気です。

某オーディオ雑誌の対談で私と三上さんが話すと言う事になって、ご自宅に行って来ました。

私と違って三上さんはお持ちのスピーカーを全部鳴らされているそうです。倉庫に入れてお蔵入りさせている私より偉いと言うか、凄いと言うか、立派です。甲斐性があるのですね。

聴かせて頂いたのは、WEの555系とJBLのハーツ・フィールド、C31、4350改造、ランシング・シャラーホーン、ロンドンウエストレックス等です。


素晴らしい音でした。

ちなみに私のシステムは

居間 JBLパラゴン初期

オーディオルームはJBLハーツ・フィールド、WE594&4181、タンノイコーナーヨーク モニターゴールド

かがり火ではメトロゴン、WE16A、ローサー、クオード

別荘ではアルテック830(802C&803Cダブル)です。
https://plaza.rakuten.co.jp/romantei1925/diary/201003210000/


▲△▽▼


キット屋コラム「私のオーディオ人生」第28回 オーディオのパラレルワールド
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


 今回はオーディオのパラレルワールドになります。テレビで大人気であったドラマ「仁」の中で南方医師が江戸にタイムスリップして現代に戻って来た時にパラレルワールドと云うセリフが出てきました、パラレルワールドとは今の世界と平行したもう一つの世界をパラレルワールドと云います。

オーディオで云うならば皆さんが使っているアルテック、タンノイ、JBLや現代の代表的なスピーカーは一般的な(A)の世界の音ですが(B)の世界はこのようなスピーカーとは隔絶したもう一つの世界の音である。


 私が聴いた限り上手く鳴らされていたウェスタンエレクトリックのカールホーンを使ったホーンシステム、オイロダインやロンドンウェスタン及び直系の音こそ現代のサウンドとは異なる次元の違う(B)の世界と云えよう、

では私が体験したもう一つのパラレルワールドの音の世界をご紹介します。


 

ウェスタン13B 隣りにあるのはウェスタンの25Aホーンシステム
ウェスタン15Bシステムと25Aホーンシステム
正面に設置してあるのが有名なシーメンスオイロダインシステム、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


このサウンドもWEやロンドンウェスタンとは少し系統が違うが見事なサウンドを聴かせて頂いた、

三上先生宅のウェスタン15Bサウンド

 今迄沢山のウェスタンシステムを拝聴させて頂きましたがすべてウェスタンだから良い音とは云えない酷い音も沢山ありますが三上先生宅で聴くウェスタンのシステムは石川県小松市にお住まいの中さんと双璧のお見事としか云いようの無いパラレルワールドの音がしている。

勿論スピーカーだけでこのようなサウンドが出るのではない、15Bを鳴らすアンプはWE−300BPPウェスタンの86Bのオリジナルと昇圧トランスは618Bがこの音作りに寄与しているのは云うまでも無い、

 私は人様のシステムの音を褒めるタイプではないが三上先生宅で聴かせて頂いたチェロの響きと音色は実態感を伴った電気臭くなく木の香りが漂う素晴らしいの一言に尽きる、このサウンドをじっくり聴くと低域がどうだとか高域がどうだとか講釈を垂れる音ではない、また大型のホーンシステムなのに音像は大きくならずホーン臭さも無い、最近のテカテカした派手な喧しいサウンドとは違いこれぞ大人のサウンドと云える。多分低域用のユニットがエルタスの4181を使用しているからこそこのようなバランスの取れたサウンドになるのではないか、

 ウェスタンを上手く鳴らすにはやはり4181を使わないとその良さが出てこないのではないだろうか、このウェスタンを試聴すると現代のサウンドは電気臭い音が蔓延していて何となく人工サウンドに聞こえてくる。

 三上先生宅へは沢山のオーディオ評論家が訪れたり雑誌の取材で紹介されたりもしているがこの音作りこそ三上先生のご自身の「自分の音」と思うがただ高価な機器を接続しただけではこのような音にはならない、暗中模索で大変苦労をされたのではないだろうか、
 
 

正面に鎮座しているWE−15Bホーン
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


で聴くチェロは現代のサウンドとは全く異なるこれこそパラレルワールドのサウンドであった、

ウェスタン25Aホーン+4181スピーカー

 二つ目のウェスタンは25Aホーンシステムで低域用は4181になります。先程の15Bとは多少音が異なるのがわかる。音は勿論ウェスタンサウンドであるが音の抜けを比較すると好みとしては15Bのが好きかも、このホーンシステムは福井県の万月氏や石川県小松市の中さん宅でいつも聴いていますからそれ程ビックリしないがパラレルワールドのAの世界の音しか知らないマニアが聴けばおそらく言葉が出なく度肝を抜かれびっくりするだろう、25Aホーンを聴くと大変浸透力のある心地よいサウンドだ、

 特に素晴らしかったのは女性ボーカルの歌声が目の前で歌っているような錯覚に捉われた、この25Aの音は小松の中さんと良い音での双璧であるがこのシステムも低域用の4181が寄与している、

 贅沢な注文であるが私の好みからすると後ほど聴かせて頂いたロンドンウェスタンが好みに合うのとこのようなシステムは一般家庭では置けないのが残念だがこの25Aのサウンドもパラレルワールドの音である。


 
タンノイブラック

 今迄沢山のタンノイシステムを聴いてきましたがこのモニターブラックこそ本来のタンノイサウンドと痛切に感じた、三上先生がおっしゃるにはタンノイはブラックとシルバーがタンノイの音であると云っていましたが私も同感です。シルバーは他で聴くことがありましたがブラックになるとまず聴くことも見ることもできない超が付くレアなユニットになる。

 最近のタンノイのサウンドはこのモニターブラックと比較するとドンシャリ傾向の音になっているのが多い、タンノイのブラック、シルバーのユニットは低域も高域も欲張らず中域から音作りをしているのではないだろうか、特にあの中域の厚みのある心地よい響きと特徴のある音色は最近のタンノイでは聴いたことがない特筆すべき音であった、タンノイブラックを試聴すると現代のタンノイは低域も高域も伸ばしたため中域の薄い(中抜け)不自然な音に感じるがこの音が好みだと云われれば返す言葉も無いが一度でもよいからブラックやシルバーを聴いてみれば私の云っていることが理解できると思う、

 又このモニターブラックも私が愛用しているロンドンウェスタン直系の音と非常に似通った音色が印象に残った、ボックスは多分オリジナルボックスのランカスターを流用されたと思うがユニットとボックスが大変マッチしているからこそ本来のタンノイの響きが出ているのではないだろうか、
 
 

手前に見えるのがタンノイのモニターブラック
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


で後方のシステムは珍しいテレフンケンの085aモニタースピーカーでこのシステムは私も始めて見るシステムで音質、音色はカチッと締まった大変心地よいサウンドであった、
 

 

タンノイブラックのボックス内部の写真
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


でユニット自体も大変状態の良いもので強力なアルニコマグネットを採用した初代ディアルコンセットリックスピーカーになる。タンノイファンなら一度は聴く価値はある。


 

家庭用のシステムに収めたロンドンウェスタン2080A、2090Aの2Wayシステム
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


でこの音を聴くと米国ウェスタンとはベクトルが若干異なるが貴賓と渋さがプラスされた品位の高い音である。音質は一言で云うならば巷でよく耳にする枯れたサウンドとはこの音である。
 

 

ロンドンウェスタンの2080A、2090Aボックス内部の写真でスピーカーは強力なアルニコマグネットが使われている。ボックス内部と可愛いワンちゃんのツーショット写真
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028

ロンドンウェスタン2080A、2090A

 最後に拝聴させて頂いたのは幻のスピーカーシステムでロンドンウェスタンだ、私が持参したいつもリファレンスで聴いているビバルディのヴァイオリンソナタのレコードが果たして私のシステムの音とどう違うのか本家の音とはどのような音なのだろうか、不安と期待が入り混じっていたのは間違いない、

 自分のシステムと比較した場合まったく異質な音であれば私のユニットはニセモノになってしまうか上手く鳴らせない力量不足になってしまう、

 早速聴かせて頂くと先程聴いたウェスタンの音とは多少音色も異なるのとスケール感も違う、目を瞑ってビバルディのヴァイオリンソナタをじっくりと聴くと音質、音色が同じイメージに重なり自分の家で聴いているような錯覚を覚えた、このロンドンウェスタンの音は言葉では云えない一種独特のサウンドで現代の一般的なHiFiサウンドとは異なりこれこそパラレルワールドの音だ、

 ヴァイオリンの響きは電気臭くない木の香りすら漂ってくるのがわかる。オーディオを追求していくと最後はこの音に魅了されるのは私だけではないはず、

    このロンドンウェスタンのサウンドを聴くと現代のHiFiサウンドは申し訳ないが長く聴いていると時間の経過と共につまらなくなり飽きが来てしまうがロンドンウェスタン系はオーディオマニア、音楽マニアを引き付ける魅力たっぷりのスピーカーと云えよう、ただこのような音を出すには相当レベルの高いアンプと高度なテクニックと肥えた耳を持っていないと上手く鳴らないのではないか、
 


三上先生に想う

 今回はオーディオのパラレルワールドをご紹介しましたが現代のシステムは駄目とは云わないが(B)の世界の音を聴くとオーディオ観も音楽観も変わるような気がする。私もヴィンテージ愛好家ですから先生とは大変意気投合出来たのではと思う、

 三上先生はもうお亡くなりになりました伊藤喜多男先生や池田圭先生と長年交流があったと云われています。またステレオサウンド誌、管球王国などに先生のシステムが紹介されオーディオ評論家も先生宅へ訪問されている。

 三上先生は私より三つ年が上ですが大変(懐の深い)方で私はこの方こそオーディオの師匠、先生、教授と云える「器」を兼ね添えている方だと思う、

 よくネットなどを拝見すると達人とか師匠、教授、先生と呼び名がついているコラム、ブログを時々見ますがこの方たちは本当に音がわかってそのような呼び名でやり取りしているのだろうか疑問に思うこともある。オーディオに関してはレベルの高い方が沢山いますからそのような方が読まれたら馬鹿にされるか笑い者になるだけですからその辺を弁えないと恥ずかしい思いをするのではないだろうか、

 また真空管アンプ等は自由自在に設計製作が出来てオーディオのすべてを知り尽くしてその呼び名が付いているのなら納得する。

 私は小さな「器」しか持ち合わせていないマニアです。先生、師匠、達人、教授と云われている方達がどれ程の「器」なのか見せて頂きたいものである。
 


あとがき

 三上先生宅で特に良かったのは可愛い3匹のワンちゃんが私になつき傍で音楽を聴きながら居眠りをしていたのが音よりも印象に残りました、ワンちゃんも良い音はわかるんですね、

 今回はオーディオのパラレルワールドを題材にしましたが皆さんも是非このパラレルワールドのサウンドを体験されると面白い、

 ヴィンテージショップなどでウェスタンやその他ヴィンテージスピーカーを鳴らして店主は能書きばかりでまともに良い音で鳴っていないのが多いのとすべてヴィンテージスピーカーだからパラレルワールドのサウンドと思ったら大間違いである。やはりマニア宅で上手く鳴らされているのを聴くのがベスト、「百聞は一聴にしかず!」

 確かにオーディオは進歩しているが最終的に判断するのは聴く人の感性と鳴らし方ではなかろうか、またパラレルワールドのサウンドは装置を忘れてじっくりと音楽が聴ける。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028

▲△▽▼


キット屋コラム「私のオーディオ人生」第27回 ロンドンウェスタンの試聴
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027


 今回は幻のスピーカーと云われるロンドンウェスタンを題材に取り上げます。  


ロンドンウェスタン

 米国がウェスタンエレクトリックなら英国はロンドンウェストレックス、ドイツはクラングフィルムになります。

一口に云ってロンドンウェストレックス(ロンドンウェスタン)はアメリカのウェスタンエレクトリックとは多少異なります。

初期のロンドンウェスタンはアメリカ本国よりシステムを持ちこんでスタートでしたが英国の国策として海外からの輸入に制限を設けたためこのシアターシステムも対象になりロンドンウェスタンのシステムは自国での設計生産になったと思われる。
 

私が聴いた三上先生のロンドンウェスタンオリジナル
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027


ロンドンウェスタン直系スピーカー

 初期のロンドンウェスタンは多分米国ウェスタンの改良型を使用したシステムでしたが私の憶測と情報ではその後ウェスタンエレクトリックからのシステムの供給はやめてイギリス本国での製品開発が行われたと推測されます。英国はアメリカと違って大変保守的なお国柄で海外から輸入するよりも自国で開発して販売する方法を取っていた、

 日本や米国と違ってロンドンウェスタンの立ち上げに当たってイギリス国内のスピーカーメーカーの第一線級のエンジニアが集まってロンドンウェスタンをスタートさせたと思われる。当時のスピーカーメーカーと云えばシアター専門のヴァイタボックス、民生用のグッドマン、ローラ、タンノイ、パルメコ等メーカーのエンジニアが共同開発に当たったのではないだろうか、この辺が米国のメーカーや日本のメーカーとは事情が異なる。

 開発終了に伴い英国本土のすべてのシアターに供給するには生産量が問題になってくる。当時はヴァイタボックス社やタンノイ社では絶対数の生産ラインの供給システムがまだ確立されていなかった、

 当時のスピーカーメーカーではグッドマン社が大掛かりな生産ラインを有していたから多分ユニットはグッドマン社が中心となって製造していたのではないだろうか、

 当時の技術集団が開発した初期モデル(1950年代)のスピーカーユニットはすべてロンドンウェスタン直系のスピーカーになるので音質音色は同じである。またロンドンウェスタンのシステムには低域用にグッドマン、高域用はタンノイ、ケリー、ヴァイタボックスなどでの組み合わせによる混成システムが多かったのでは、

 実際ロンドンウェスタンの2080,2090Aのシステムとパルメコ、私が所有しているユニット等は音質や音色は良く似ており私が聴かさせて頂いた三上先生宅のロンドンウェスタンと瓜二つの音に安堵感を覚えた、

 また米国のウェスタンエレクトリックはすべて業務用でしか販売されなかったがロンドンウェスタンは家庭用のシステムも販売されていたがほとんど日本には入って来なかったからロンドンウェスタンを含めてロンドンウェスタン直系のスピーカーは幻のユニットと云える。

 ロンドンウェスタンのスピーカーのサウンドは皆さんご存知のアルテック、JBL、タンノイ等のスピーカーと比較してまったく異なる音質、音色を持っているのがロンドンウェスタンの特徴でもある。私も沢山の英国ヴィンテージユニットを聴いてきたが今回手に入れたロンドンウェスタン直系のユニットはこれらの音とは違っていた、

 ロンドンウェスタンのパルメコは初代BBC放送局のモニタースピーカーに採用されていたが有名なアルテックの604Eと外観的に非常によく似ているが音質音色は全く違う、パルメコはもっと浸透力があり音味は大変美味しいエレガントな音ですがアルテックの604Eは残念ながら上手く調教された音を一度も聴いた経験がありませんので比較するのは無理かも知れません。

 またアルテックやJBLなどアメリカのスピーカーはジャズ向きと云われているがスピーカー開発者にとってこれはジャズ向きこれはクラシック向きとして設計はしていないはずですからやはり鳴らし方に問題がありそう、私の個人的な意見としてジャズが鳴ればクラシックも必ず鳴るはず、クラシックが上手く鳴らないのならジャズも鳴らない、ジャズが本当に上手く鳴れば大人のジャズサウンドになるはずだ、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c8

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
9. 中川隆[-11637] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:56:29 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[22]
ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.1) 2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_14.html

ロンドン・ウエスタン30150B
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_14.150813893367305862179.html

 写真のブツはブログを通じて知り合いになった方の御厚意で、譲っていただいたロンドン・ウエスタン30150Bです。凄いでしょ。

 よくこんな希少なレシーバー(ロンドン・ウエスタンは英国でも電話をやっていたのでしょうか、レシーバーと銘が入っています)が手に入ったものだと自分でもびっくりです。このレシーバーには、ちょっとベンプレ親父なりの思い入れがあります。

 先日WE13A+WE555導入記を書きましたが、きっかけはWE13Aレプリカを福岡で聴いたことです。

 もちろんWE13A+WE555が素晴らしい音で鳴っていたので欲しくなったのですが、実は、私が最初に13Aに装着してやろうと思ったレシーバーはWE555ではなく、この30150Bでした。

 以前にロンドン・ウエスタンの2080A、2090A導入記をブログに書いた時に、WE555に相当するロンドン・ウエスタンのレシーバーは見当たらないようだと書いたところ、コメント欄から30150という永久磁石仕様の555相当品がロンドン・ウエスタンに存在することを教えていただきました。

 アルテック515、288Bよりロンドン・ウエスタン2080A、2090Aの方が私の好みの音なので、WE555のロンドン・ウエスタン版があれば聴きたいのが人情でしょ?

 ネット情報では30150Aが1933年、改良型の30150Bが1934年の発表だそうで、WE555(1926年発表)より7〜8年新しく、WE594(1936年発表)より2〜3年旧いレシーバーです。

 私は英語がダメなので情報が取れないのですが、WE594が1936年、30150Aが1933年なら、30150シリーズはわずか3年しか生産されなかったのでしょうか?

 30150にはA、Bの後継機としてC、更にEのモデルもありますので、1936年で生産完了はないと思いますが?

 ロンドン・ウエスタンは1947年(一部に1950年と書いた本がありますが、紹介していただいた文献によると1947年が正しいようです)から2090Aドライバーを生産していますが、1933~1946年までレシーバーは30150で押し切ったのでしょうか?

 それともWE594をそのまま輸入して30150と併用していたのか?


 もしかするとWE594の英国バージョンがあったのか?
 
 情報をお持ちの方がおられたら、弊ブログのコメント欄にでもお知らせいただけますと嬉しいです。

コメント(4件)


ロンドン30150AはWesterx30150Eと同じ形をしています。
BとCが十字型です。

ロンドン30150Aが直ぐに555の後継になったわけではなくて、両方が併用されていました。

ロンドンWEが扱っていた555の銘板にはロンドンの名前が入っていて、パテントはWestern Electricであると書いてあります。

なお、WE594の英国バージョンは見たことがありませんが、WE594のパーマネントのものは存在します。
かめきち
2018/01/23 12:41

かめきち様、コメント有難うございます。

御高名は伺っております。さて、AがEと同型のマグネットとは知りませんでした。またフィールド型555のロンドン版も知りませんでした。
有難うございます。
ベンプレ親父
2018/01/23 16:39

30150Aと30150Eは同じ形をしていますが、音色は随分と違います。
2090もシリアル2000番台までは角形ですし、2000番台以降はカボチャ型、3000番台もカボチャ型ですが、4000番台は角形になります。
2090も初期と後期では、それぞれ異なる音ですね。

かめきち
2018/01/24 09:42


かめきち様、コメント有難うございます。

ロンドンWE、同じ2090の型番でも内容がかなり違っているのですね。角形とかぼちゃ型があるのは聞いていましたが、角→かぼちゃ→角と変化したことは知りませんでした。

我が家の2090Aはシリアルナンバーが189番、363番なので初期型の角形と判りました。

有難うございました。
ベンプレ親父
2018/01/24 10:13
https://91683924.at.webry.info/201710/article_14.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c9

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
10. 中川隆[-11636] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:57:00 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[23]
ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.2)2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_15.html
 
2台の30150B
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_15.150813908829340159179.html
https://91683924.at.webry.info/201710/img2_15.150813911419070376179.html


 2台の30150Bです。ロンドン・ウエスタンのお約束で、製造番号は本体に打刻されます。

 アメリカ・ウエスタンは製造番号を打刻したプレートを本体に貼り付けますが、ロンドン・ウエスタンのやり方のほうが信頼性が高いですね。

 30150Bのプレートに書いてある番号はパテントの番号の様です。

 30150B、マグネット部分とダイヤフラム部分の二箇所に打刻があり、部品交換後などの再組み立て時に同じ番号同士を組むようにしてあります。ロンドン・ウエスタンの2094Aホーンもスロートとホーン本体の両方に製造番号が打刻してあり、ペアを間違えないようになっていました。
  
 写真のように30150Bの1台は製造番号974W、もう1台は992Wです。製造時期は近いようですが、末尾にWが付いている理由は不明です。

 555WのWは主任設計技師のウェンテ氏の頭文字Wと聞きますが、30150BのWは555Wのオマージュでしょうか。。

 こちらもご存知の方がおられたら、コメント欄にご一報くだされば幸いです。

 さて30150B、外観は十文字型をしています。なんでもT字型の永久磁石を組み合わせて使っているとか。またこの磁石が大量に使われているためか、555より一回り以上巨大、まさに異形のレシーバーです。

 バスホーン用ドライバーは別ですが、フルレンジもしくはミッドレンジ以上に使用するドライバーでは史上最大ではないかと思います。
 
 管球王国のバックナンバーを紐解くと、Vol.67の特集、WE15Aホーンを使用した「WE555系振動板採用ドライバー12機種の聴き比べ」に30150Bが取り上げられており、嬉しいことにWE555と並ぶ高い評価を得ていました。

 30150BはWE555以上の希少品ですから、私が手にすることはおろか、目にすることも一生ないだろうと思っていましたら・・・

 なんとブログでお知り合いになった方のお宅にお邪魔した時に、WE14A(別名ちりとり)レプリカに装着された30150Bがあるじゃないですかっ !!

 心臓が止まるほどビックリしました。この30150Bを譲っていただけることになり、同時に13A制作者の笹本さんをご紹介頂き、WE13A導入大作戦がスタートしたというわけです。

 その方のブログの受け売りですが、30150Bにはロンドン・ウエスタンエレクトリック時代の物とロンドン・ウエストレックス時代の物があり、前者が黒色、後者がグレーだそうです。譲っていただいた30150Bは黒色ですのでロンドン・ウエスタン時代のものです(ちなみに管球王国67号に掲載してあったのはグレー、ウエストレックス時代の30150B)。

 WE555と30150Bを15Aに装着しての比較視聴も30150B前オーナーのブログ内にありますが、「華やかで明るい、音離れの良いWE555」、「重厚で渋い、低域の伸びた30150B」との評価でした。

 前オーナーはジャズ寄りの方ですからWE555をメインシステムの15Aに装着して聴いておられるようです。私はクラシック寄りなので、30150Bが向くかもしれません。

 クラシックでもモーツァルトならWE555、ブラームスなら30150Bなんて想像するのも楽しいですね。

 繰り返しになりますが、30150B、よく入手できたなぁと。

 ネット上で私が見つける事のできた国内の30150は、私の黒のウエスタン・エレクトリック・ロンドン製30150Bが1ペア、グレーのウエストレックス・ロンドン社30150Bが1ペア、30150Cが一本です。他に雑誌の管球王国にグレーの30150Bが一本でていました。以上で合計6本です。

 もちろん雑誌やネット上に出ていない30150も国内にはあるでしょうが、せいぜい10本あまりではないでしょうか。よくもまあ、ベンプレ亭書斎にやって来てくれました。

 本当に欲しいモノがあると、モノの方がその人に寄って来るそうですが、今回もそれでしょうなw

P.S.
 1936年発表のWE594がまだ励磁型磁石であるのに対し、1933年発表の30150Aは既にパーマネント磁石になっています。

 ベンプレ親父得意の妄想的推測ですが、英国はオーディオ用フェライトマグネットの開発も米国に先行していましたし、スピーカー用磁石の開発では最先端を行っていたのでは。

 これは伝説の類ですが、対戦車爆弾(歩兵が塹壕に隠れていて、上を通過する戦車の下部に磁石付きの爆弾をくっつけて爆破する、戦争映画でお馴染みのヤツ)を開発する過程で永久磁石の性能は急速に上がっていったとか。

 英国は島国なので、自国内に戦車で攻め込まれたことはなかったと思いますが、北アフリカ戦線でロンメル率いるドイツ軍と激しい戦車戦をやりましたよね。


コメント(3件)

戦前の英国の鉄は世界一だったのではないでしょうか?

日英同盟があったときに、英国の巡洋艦が呉に補修に寄港したときに鉄板が堅くて、リベットが打てず、リベットの機械が壊れたとの論文があります。
パーマの磁石製造にも自信があったのでしょう。

ちなみに米国の古いマグネットには減磁が激しいものがありますがロンドンWEのSPは現在も当時の規格と変わらないのが凄いと思います。

かめきち
2018/01/23 13:13


かめきち様、コメント有難うございます。
ロンドンWE、確かに減磁しないようですね。

私はそれほど経験はないですが、2080A4発、2090A2発、30150B2発、何れも全て能率が揃っており、減磁はありませんでした。

ベンプレ親父
2018/01/23 22:07

ロンドンWEの豊かな低音の秘密は鉄の純度が高いという、部材の品質の良さにあると思っています。
今日では過剰品質とされるので、作りたくても作れない世界でしょうか。

かめきち
2018/01/24 10:10
https://91683924.at.webry.info/201710/article_15.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c10

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
11. 中川隆[-11635] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:57:32 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[24]
ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.3)2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_16.html

ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバー
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_16.150813926481864966179.html


 (30150Bは譲っていただいた方のオ−ディオルームで、WE14Aレプリカに装着されていました。WE14Aはスタックに組まれてモノラル仕様になっていました。)

 30150B前オーナーは私のようなニワカ・ビンテージマニアとは違い、ご自身でレシーバーの分解掃除までされます。この30150Bは入手時よりオリジナルの振動板が修繕されていたようで、しかも二本の振動板が異なっていたために(一本は振動板が白く、もう一本は銀色に塗装してあったそうです)、氏御自身で二本ともに、国産のエール音響の555用振動板に交換し、揃えてあります。

 オリジナル振動板で状態の良い物があればそれに越した事はないでしょうが、とにかく30150Bはタマが無く、選択の余地はありません。振動板がオリジナルじゃないからと迷っていても仕方がありません。

 「チャンスの女神には前髪しかないっ !!」という事で、Goですw

 30150Bは随分旧いユニットですから、アルニコマグネットの保磁力がどうかという話題はあります。しかしアルニコマグネットの減磁は実際のところ、硬い床に落とすなどの機械的衝撃があった場合と、極端に高熱になった場合に限られるそうです。

 前者は別として、後者はハイパワーが連続して入り、ユニットがチンチンに熱を持つと起こるらしいです。

 しかし30150Bの耐入力は555の6Wよりさらに低く、わずか3Wです。3Wを超えて連続信号が入り続けるとボイスコイルが飛ぶのだと思います。

 30150Bのボイスコイルのインピーダンスは15Ωですから、3W入力時の電流値は0.4〜0.5Aくらいでしょう。つまり0.4〜0.5Aのヒューズが付いてるみたいなものですよね。

 3Wやそこいらで、この大きなユニットのマグネットが高熱を持つとは私には思えません。
 
 その上、映画音響はロックコンサートのPAとは違います。どんなミュージカル映画であろうと、アクション映画であろうと大音量の連続は数分でしょう。耳をつんざくような爆音が2時間も続き、ユニットが高温になるヘヴィメタルのコンサートとはわけが違うと思います。

 だから、30150Bの減磁は問題にならないのではと、ベンプレ親父は自分に都合よく考えていますw

P.S.
 そもそも私は英国製品が好きみたいです。過去使ってきたスピーカーもタンノイHPD385A、バイタボックスBASS BIN、ロンドン・ウエスタン2080A、2090A、2094A。

 電蓄もHMV3000で、オマケに自宅の車は平成元年登録のジャガーディムラーW6です。

 英国製品はどこか「足るを知る」ところがあって、米国製品のように物量投下で押し切ったり、ドイツ製品のように質実剛健一辺倒でもありません。どこか優美です。

 この辺の感覚は父親の趣味であった狩猟と散弾銃で教わった気がします。父が最も愛した猟犬はスポーティーで短毛のイングリッシュ・ポインター、散弾銃は英国製ボスの水平二連。

 ボスは精密な彫刻が施されてはいるものの華美ではなく、重さも程々、肩に当てる木部もスマートでした。

 ドイツのメルケルは重く、ゴツい。イタリアのベレッタは金色の象嵌があり、如何にもバチカン風。アメリカのウインチェスターは実用本位で味気ないです。おまけにガスオートで何発でも打ててしまい、スポーツ狩猟とは違いましたね(スポーツ狩猟では散弾は二発まで。それで仕留められなければ鳥の勝ちなのだそうです)。

 父は狩猟をやめた時に散弾銃も全て処分しましたが、英VITAVOX BASS BIN、米ALTEC A4、独、Klangfilm Eurodyn を触ってみると、子供の頃、父の散弾銃に触った感覚を思い出しましたね。
https://91683924.at.webry.info/201710/article_16.html


ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.4)2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_17.html

 30150はモデルAが1933年、B(ベンプレ亭書斎のブツ)が1934年の発表ですから、どちらもホーンはWE15A(17A)の時代です。

30150Bはエール振動板、WE13Aはレプリカと、どちらも突っ込み所はあるのですが、30150BとWE13Aの組み合わせでの音出しは世界初かもしれませんね。
 
 ところでベンプレ亭書斎の30150Bはエールの振動板に交換してあります。この振動板はWE555の前期モデル、斜め引き出しタイプのコピーですが、30150Bのオリジナル振動板とはボイスコイルがかなり違うかもしれません。

 30150Bの公称耐入力は3W、WE555は6Wです。30150Bの方が弱いので、コイルの線が細かったのか、材質が違うのでは。ボイスコイルそのものがWE555より軽量だったのかも知れません。ですから音はかなり異なると思います。

 それでも、その辺で四の五の言ってたらビンテージものは容易に進みません。特に30150Bなんて超レアですからな。


画像
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_17.150813945050543504179.html


 この写真はクラング・クンストというドイツ系ビンテージショップのブログから、拝借致しました。

http://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10217


 ウエスタン・エレクトリックのアルニコマグネット式WE597だそうですが、このマグネット、30150Bのそれとそっくりです。多分同じものでは。
 
 下の写真は、以下の一文と同時にネットで見つけました。

 Found a pic of the 30411-A that was on a certain auction site recently. It is an intruiging adaption of the 30150 motor.

画像
https://91683924.at.webry.info/201710/img2_17.150813949427225051179.html


 ですからクラング・クンストのブログの597もロンドン・ウエスタン製30411Aじゃないかとベンプレ親父は予想します。おそらく振動板は30150Bと同じものではなく、WE597のそれを模したものでしょう。

 マグネットはマグネットでしかありませんから、磁界にコイルを持つダイヤフラムが入って電流が流れれば、当然音が出ます。WE597類似の振動板で良い音が出るのなら、WE555の振動板のレプリカだって上手くなるんじゃないかな。

 ハイ、今回も屁理屈でーすw


30150B 画像
https://91683924.at.webry.info/201710/img3_17.150813955525629388179.html

P.S.
 こちらもネットで拾った写真ですがWESTREX30150-Eレシーバーです。30150-Cまでは十文字型のマグネットですが、Eモデルはマグネットの形が随分モダンになりました。この辺りまで来ると2090Aドライバーに似てきますね。

 やはり30150の後継モデルは2090Aだったのかな?


コメント(3件)


30150の後継が2090ではないと私は思っています。

2090が登場した時代にはアルテック288がありましたから
555をロンドンWEの技術者が気に入らなかったのと同様に
288の改良である2090を作ったようです。

ただ、ご存知のことだと思いますが初期の2090の振動板は
ロンドンWEのオリジナルで、アルテック288の初期のものとは色やベースの材質が異なります。

音の差はさすがにプロ機なので大きな差はありません。

かめきち
2018/01/23 12:58


かめきち様、コメント有難うございます。

私は2090A+2094Aの前はアルテック288B+H1505で聴いていました。ホーンが違うので断定できませんが、私も288Bより2090Aの方がナチュラルというか、HIFIだと思いますし、好みです。

ベンプレ親父
2018/01/23 22:16


2090の良さは555よりも振動板の違いの影響が少ないことにあります。
これは2090の作り込みが素晴らしいからだと思っています。

アルテック288や515の1.5倍の重さがある2090や2080はアンプの個性にあまり左右されないのが魅力ですね。

かめきち
2018/01/24 10:21
https://91683924.at.webry.info/201710/article_17.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c11

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
12. 中川隆[-11634] koaQ7Jey 2020年8月27日 10:58:11 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[25]
ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.5) 2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_18.html

WE13Aレプリカに装着したロンドン・ウエスタン30150B
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_18.150813966806020997179.html


 本やネット上に既にある情報を切り張りしたベンプレ親父風味の薀蓄はさておき、オーディオは音が出ないと始まりません。いざ我が家のWE13Aレプリカに勇躍30150Bを装着して音を鳴らそうとしましたが・・・

 ナントナント、スロートアダプターのネジ山がシックリ合わず、ネジが途中までしか入りません。インチネジにも規格が二つあるそうで、旧規格なのかもしれません。そうなるとWE555用スロートアダプターがWE555用と30150B用の二つが必要になり厄介ですな・・・

 仕方がないので、30150Bの開口部を少しだけWE13Aのスロートに噛ませて、ジャズのSACDをサワリだけ鳴らしてみました。30150Bがズッコケて落ちたりすると大変なので、すぐに取り外しましたが、なんだか良さそうです。WE555より柔らかくて豊かな感じの音ですね。

 パリッとした感じはWE555の方が出ている様ですが、少なくともダメな音ではないですよ。

 WE555も30150Bも、どちらも振動板がエール音響の555振動板で同じなので、大きく音が変わることはないと思いますが、ニュアンスは違いそうです。俄然ヤル気が出ましたw

 結局、30150Bを金属加工のできる方に預けて、WE13Aレプリカのスロートをもう一つ作ってもらうことにしました。なかなか終着駅にたどり着けませんなぁ。
https://91683924.at.webry.info/201710/article_18.html

ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.6)2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_19.html

WE13Aレプリカに装着したロンドン・ウエスタン30150B 画像
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_19.150813989571679535179.html

 (WE13Aレプリカに装着したロンドン・ウエスタン30150Bです。随分と巨大なレシーバーなのですが、WE13Aもデカイので違和感はないですね)

 30150Bのスロートのネジが入り難かったのはネジ山の一番先端が潰れていて、引っかかっていたそうです。ピッチも山の高さも同じで、ネジの規格はWE555と同一でした。

 ネジ山の潰れた所を研磨してもらうと綺麗に入るようになりました(^−^)/

 ようやく30150BをWE13Aに装着、ついに30150B+WE13Aで音出しです。
 WE13AレプリカからWE555を取り外し、30150Bに装換しました。当然ですが励磁電源のコードがありませんから、レシーバー周りはスッキリしましたな。
 
 前回WE13Aのスロートに少しだけ30150Bの開口部を突っ込んで音出しした感じでは、クラシックが合うように思います。合わなきゃ困りますw


 試聴用機器は以下のとおりです。

カートリッジ  デンオンDL102
アーム     グレイ 108C
ターンテーブル マイクロトラック740
MCトランス  アルテック15095A
フォノイコ   東京サウンドPE-100
ラインミキサー マンレイ 16×2 Tube Mixer
パワーアンプ  是枝ラボ 6550p.p.
スピーカー
 サブウーハー エラック SUB2090 
 フルレンジ  WEロンドン 30150B+WE13A
 ツィーター  エレボイ T350


 最新録音盤は後で聞くとして、時代が近いカザルスの無伴奏チェロ組曲、モノラルLPレコードで初演としました。

おおっ、良いですよ。落ち着きのあるどっしりした音で、WE555よりクラシックよりの音ですね。

ベンプレ低書斎ではWE555も30150Bもどちらもエール音響の振動板なので、当然良く似た音です。LP片面を聴き終える頃には30150Bのエッジもアタリが付いてきたようで、しなやかさが増してきた様です。

 次はジャズLPで、オリバー・ネルソンのThe Blues and the Abstract truthを。
ウッドベースの弾むような低音も、ドラムスの皮の弾ける音もよく出ます。確かにWE555より少し低域よりのピラミッドバランスだと思います。

 更にLP数枚を聴き終える頃には細かな音も一段と良く出てきました。
 WE13Aの相棒はしばらくこれで様子をみましょう。30150Bは確かに良いですよ。

 WE555がオリジナル振動板、アルテック振動板なら様子は変わると思いますが、いっぺんには出来ませんしね。
https://91683924.at.webry.info/201710/article_19.html

ロンドン・ウエスタンエレクトリック30150Bドライバーを導入 !! (その.7最終回) 2017/10/16
https://91683924.at.webry.info/201710/article_20.html

 少々測定も。いつもの日本オーディオRC-2でF特を測定してみました。


30150B単独 + WE13A の F特
https://91683924.at.webry.info/201710/img1_20.150814020991883885179.html

WE555単独 + WE13A の F特
https://91683924.at.webry.info/201710/img2_20.150814023970036138179.html


 上が30150B単独、下がWE555単独のF特、ホーンはどちらもWE13Aレプリカです。測定日が異なるのでマイクの位置も多少違います。まあ目安程度の測定です。

 振動板が同じエール音響なので、マグネットの違いだけでは測定上の差は出ないかなと思っていましたが、少々差がありました。

 400HzあたりのピークはWE555が強く出ています。WE555は1KHz付近にディップが出ますが、30150Bは1.4KHz辺りにディップが出ますね。

 400Hz以下の周波数帯域では30150Bの方がフラットです。70~80Hz辺りが少し持ち上がっていて、この辺りが30150Bの方が低域が豊かに聞こえる理由かもしれません。

 二つのレシーバーに大きな差はありませんが、敢えて言えば、WE555がカマボコ特性、30150Bの方が僅かにワイドレンジでは。ここもWE555がジャズより、30150Bがクラシックよりの音となっている原因かもしれませんね。


エラックSUB2090サブウーハー、30150B+WE13A、T350ツィーターの3wayでの F特
https://91683924.at.webry.info/201710/img3_20.150814033272951934179.html

30150BをWE555に変更した F特
https://91683924.at.webry.info/201710/img4_20.150814036668795993179.html

 上がエラックSUB2090サブウーハー、30150B+WE13A、T350ツィーターの3wayでの特性、下は30150BをWE555に変更した特性です。

 ツィーター、サブウーハーのレベルは変えていませんので、30150BはややWE555より能率が低いと思われます。

 30150Bの方が低域が持ち上がって聞こえますので、ツィーターのレベルはこのままで様子を見ましょう。

 振動板もホーンも、付け加えるサブウーハー、ツィーターも同じなのに、WE555は米国調の中域の張ったカマボコ特性、30150Bにすると英国調のドンシャリになるのが面白いですね。

 我が家のオーディオ評論家、ベンプレ妻に聴いてもらったところ、「前の(WE555)より音に広がりが出て、後ろの方からも音が聞こえるわね」というお褒めの言葉を頂きました。

 これでロンドン・ウエスタン30150B導入記は終了です。この計画の実現には多くの方のお力をお借りしました。 皆様に深く感謝いたしますと共に、今後とも宜しくお願い申し上げます。 
https://91683924.at.webry.info/201710/article_20.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c12

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
14. 中川隆[-11633] koaQ7Jey 2020年8月27日 11:02:58 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[27]
私のオーディオ人生 第30回パルメコスピーカーとウェスタン13A
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-030
 今回はロンドンウェスタン系パルメコスピーカーと米国ウェスタンの13Aの試聴と超ド級アンプ845PPとの鳴き比べのコラムになります。

また比較したメインアンプはメーカーのプライドがあるため○○○製としか書いていませんのでご了承していただきたい、

奥様が経営されている美容院の一角にウェスタン13Aが鎮座されている。
長いスロートの先にウェスタンの555ドライバーが付いている。


この13Aレプリカはオリジナルとは音質、音色ともまったく遜色がない、
ホーンの造りと仕上げのブラック塗装は素晴らしく美容室のインテリアとしても大変マッチしている。


メインのシステムの部屋にはアンティークなデザインのスピーカーボックスが置いてありこの中に幻のユニットのパルメコが入っている。ニッパー君が上から覗いて見ているのが今回持ち込んだPP5/400シングルアンプ

パルメコスピーカー

 パルメコスピーカーはBBC放送局の検聴用に使用されたスピーカーで製作本数は数百本しか作られなかったと云われる数の少ない幻のユニットになる。ほとんどの方は音も勿論だがパルメコスピーカーの存在すら知らない方が多いのではないだろうか、ウェスタン系をやっている方やオーディオを長くやっている方はパルメコスピーカーを知っているはずだがこのユニットは巷には出てこないのでほとんど聴く機会は少ないと思う、

 私が知る限りでは名古屋では西山氏、関西では今田氏と今回ご紹介する笹本氏の三人がこのユニットを所有していますが全国を探せばまだ使っている方は沢山いると思う、

 本来このスピーカーにロレンツのツィーターとリークのアンプを内蔵したシステムでBBC放送局に納入されていたらしい、パルメコスピーカーは写真でもおわかりですがコアキシャルタイプですが外観はアルテック604Eのホーン部分が大変似ておりますが振動板はウェスタンと同じものを使用しています。

 このユニットのホーン部分の形状が似ているのは皆さんご存知のアルテック604Eですが音味はまったく異なります。604Eは上手く鳴らされていない方が多いので残念ながら比較はできません。アルテックの604Eは38cmのコアキシャルですがパルメコはもう一回り大きい40cmのコアキシャルになります。またマグネットは強力なアルニコマグネットを使いクロスオーバーは多分1KHZぐらいと思われる。このパルメコのエンジニアもロンドン・ウェストレックスの開発に協力したと思われそのサウンドは本家のロンドンウェスタンと瓜二つの音色、音質を持っている。

正面から見たパルメコスピーカーで中音はマルチセラホーン

ウェスタン13A

 笹本氏はパルメコ以外にウェスタンの13Aのホーンシステムもお持ちでこのホーンはオリジナルを真似たレプリカですが本人の説明によりますとオリジナルとはほとんど変わらない音と云っていました、事実この13Aを聴きますと神奈川の三上先生宅で聴かして頂いたウェスタンと同じ音色でドライバーは勿論WE−555にタンガーバルブを使ったものです。

 音は木の香りが漂うシットリ感を伴った音作りでホーン臭さはまったくありません。ロンドンウェスタンと比較しますと若干音が煌びやかと云うか明るいサウンドになる。振動板がアルミ系にも拘らず冷たさもありません。ウェスタンサウンドのよさをたっぷり味合うことができる。

笹本氏の人柄

 笹本氏は大阪府にお住まいで関西では笹本氏を知らない方はいないほどオーディオに関しては知名度と面倒見のある方で以前のコラムでご紹介した神奈川の三上先生とも交流があります。オーディオ以外では素敵な奥様とのジャズライブ演奏を趣味として楽しまれています。

 笹本氏はオーディオに関しては長い遍歴があり人並み以上に苦労をされて最後は現在のシステムに落ち着いて装置を忘れて音楽を楽しまれている。聴く音楽はジャズ、ボーカル、クラシックでアナログとデジタルCDになりますが特に録音に関しての機器には人一倍拘りを持っている。

 録音時のテープデッキはスチューダーよりもアンペックスのが音が良いとか、事実私が小松の中さん宅で聴かせていただいたアンペックスのプロ用デッキと2トラ38のオリジナルマスターテープのジャズはアナログやデジタルとは違う恐ろしい音であった、

 スピーカーシステムは勿論ウェスタン555とウェストレックスのアンプだ、アンペックスのプロ用テープデッキで再生された音は国産のテープデッキで満足されている方がアンペックスのデッキで再生された音を聴くと哀れな物になってしまう程その差は歴然、このマスターテープの所有者が笹本氏とは相当恐ろしい耳の持ち主で今までのマニアの中では音に対して厳しいが人当たりの良い紳士で技術レベルも高く手強い相手である。

笹本氏の現有システム

 メインシステム

CDプレーヤー CEC TL−0
コンバーター LAVRY

アナログプレーヤー ガラード 301
トンアーム オルトフォン RF−297
カートリッジ オルトフォン SPU−A

プリアンプ マッキントッシュ MX−110

メインアンプ ○○○製 845PP 100W
球は多分RCAかセトロンと思われる

スピーカー ロンドン・ウェストレックス系パルメコ
ツィーターのみエレボイのT−350

以上がメインシステムになります。

CEC製CDプレーヤーTL−0


ガラードとオルトフォンのアーム


プリアンプはマッキントッシュのMX−110
このアンプはチューナー付きですがアメリカではC−22より人気があるそうです。

笹本宅への訪問

 笹本宅には1年前に一度訪問しています。この時は小松から中氏と同じ関西にお住まいの今田氏と私の4人でのOFF会になりました。この時初めて笹本氏のサウンドを聴かせていただいた、中氏は時々コラムに登場して頂いている石川県のオールウェスタン愛用のスーパーマニア、今田氏は笹本氏と同じパルメコスピーカーの愛用者です。


ジャズライブで歌っているのが笹本氏の奥様、左側でウッドベースを弾いているおじさんが 笹本氏です。

奥様の録音されたCDを聴かせて頂きましたが大変魅力的なジャズシンガーで甘い歌声はアマチュアとは思えないです。主人と一緒にライブを楽しまれているのは羨ましいですね、


笹本氏がライブ演奏に使っている愛用のウッドベース


笹本宅への訪問

 パルメコスピーカーは西山宅で聴いていましたからそれ程の驚きはなかったのですが此処で鳴らされているパルメコはお見事しか云いようがない不満点のない音で鳴っていた、

多分スピーカーのエンクロージャーと使用している○○○製のアンプがこの音を決めているのか、あまり褒めると笹本節が始まるのでここは控え目に、

ボックスはアメリカ製の立派な作りで箱の響きが大変心地よく浸透力のあるサウンドだ、ただ残念な事にこのボックスは1本しかなく(現在探しているとのこと、)

ツィーターはエレクトロボイスのT−350を使い繋がりは不自然ではなくフルレンジ一発で鳴っているように感じ大変コクがあり中域の押し出し感は見事で大人のサウンドだ、

 オールウェスタンで統一されている中氏もこの音には少なからずショックを隠しきれないのと私もこの音のまとめ方が上手いと感じた、早く名古屋に帰って私の音の違いを比較したい衝動に駆られてくるのは当然である。

 オーディオマニアがよく云う低域、高域どうだとかピアノがハンマーで叩く音がどうのと講釈をたれる方がいるがこの音を聴くと馬鹿馬鹿しくなるぐらい音楽を楽しく聞かせてくれる。勿論ジャズ、ボーカル、クラシックも不満がないオールマイティーでパルメコスピーカーは上手く鳴らせば本当に恐ろしいスピーカーの一つでもある。

 笹本氏はこの音を出すまでは長い年月をかけて大変苦労されて今に落ち着いてオーディオを忘れて楽しんでいますが音と云うものには必ず不満点や悩みが出てくるはずだが今の状況では大きな不満点がないが現在ユニットは2本あるがボックスがないためモノラル再生のみであるがこれがステレオ再生になればもっと苦労するのではないだろうか、

笹本氏、中氏、今田氏と私を囲んでのパルメコの試聴とオーディオ談義、

笹本氏は今田氏にスピーカーボックスの重要性を説明していた、


二度目の訪問(道場破り)


 前回の訪問では笹本節をたっぷり聞かされた、笹本氏曰く「この845PPは今まで使った中では最高のアンプでこれ以上のものは無い!価格も2台セットで○○○万円はする海外製の品物だから自作アンプならいつでも相手になる!」と豪語していた、

 また笹本氏は「今まで沢山の自作アンプを持ち込んで鳴らしたがどれ一つ良い音のアンプはなかった、今度のアンプも音が悪ければ一刀両断で評価してやるぜ」と名古屋から来る私たちを待ち受けていた、

 今回は同じパルメコ愛用の鋭い耳の持ち主でもある西山氏を連れての道場破りだ!音源はCDとアナログで特に録音の悪いのを選んで持ち込んだ、録音の良いのは良い音で鳴って当たり前、悪い録音をいかに上手く鳴らすかがポイントだ!

 本来はアンプ同士の鳴き比べ対決はしたくないが世界の一流アンプが相手では負けて当然かも?しかもオーディオ雑誌ではこのアンプを評論家が力強くエネルギー感のある最高の真空管アンプと評価していたがこちらも英国の名出力管PP5/400の直熱三極管でしかも交流点火を採用、パーツ類は拘りを持って製作、出力は845の10分の1しかないがアンプは出力や価格がすべてではない!出てきた時の音の勝負だ!相手がメーカー製なら負けても苦にならないがもし負ければ後ろに御大将のもう一台のアンプWE−300Bの91Bタイプで交流点火が控えているから何時でも受けて立つ!今度こそはギャフンと言わせたいなぁ〜
大阪春の陣


 今年の四月にPP5/400アンプを持参して西山氏と再度笹本邸の訪問であるが私はアンプを持ち込むのは正直良い気持ちではないがあの素晴らしいサウンドを聴けるのであればアンプの他流試合や道場破りなどはどうでもよいのだが・・・・・・

 早速、笹本氏自慢の超ド級の845PPアンプでの試聴になった、聴くソースは私が持参したバッハの無伴奏パルティータで演奏はチョン・キョンファである。前回お邪魔したときよりもパルメコの良さが前面に出ているのがわかるが若干ではあるがヴァイオリンの胴鳴りが少し物足りない部分があるのと少しではあるが中域が薄い感じがしないでもない、多分トリタンの845アンプの特徴かコアキシャルの宿命かもしれない、

 でもこのサウンドを聴くと他のマニア宅ではここまで鳴らしきっている方は少ない、ネットなどのコラムでジャズ喫茶、マニア宅の訪問を読むことがあるがよく読むとすべて誉め言葉ばかりか社交辞令なのか本当に音がわかっているのか疑問に思う、昔はジャズ喫茶と言えばアルテック、ジムランが多いが今はマニアのがもっと良いスピーカーで鳴らしているので魅力がなくなっているのとジャズ喫茶のオーナーもただシステムを置いて鳴らしているだけの所が多すぎる。

 今回の大阪(春の陣)は誉め言葉だけでなく音の不満点を探して指摘したい、(どうせ俺は嫌われ者)笹本氏は常々「俺はオーディオを忘れて音楽を聴きたい」と口癖に云っていたが果たして?どうだろうか、

845PPの音をじっくり聴いた後いよいよPP5/400の出番である。接続終了後先ほどのチョンキョンファのパルティータを聴く、出てきた音は中域が大変膨らみを持った豊かな響きで音楽のエキスが前面に出てくる。先程のバイオリンの胴鳴りもふくよかに再現され高域も透明感のある聴き疲れしない、しかも重心が下がったためパルメコが生き返ったように躍動感に満ちた説得力を持って鳴り出した、笹本氏、西山氏もこの違いに驚いた、笹本氏もたかが5Wのアンプがこれだけ鳴るとはショックを隠せない、

笹本氏の言った言葉「オーディオはエンドレスだ!」

自分のアンプを自画自賛してしまったが私だけの評価ではなく笹本氏、西山氏の共通の評価は私と同じである。私の好みは91Bタイプの300Bのがより音楽の聴かせ所が優れているのだがこれはあくまで好み・・・・・

 オーディオは一流メーカーの高額なアンプを使えば音が良いと思いがちだが現実は違う、その辺を弁えないと高い買い物になるから目利き、耳利きが重要である。


あとがき


 今回はWE−13Aとパルメコの試聴と道場破りがメインでしたが欲を云えばパルメコをステレオで聴いてみたかった、モノラルの場合はどうしても広がりに少し不満が残るがボーカル、ピアノ、バイオリンなどはモノラルの 方のが定位が良く奥行き感もリアル感も出ていたような気がします。

パルメコも素晴らしいがこれを収納しているスピーカーボックスを笹本氏が自慢するだけあって見事にマッチしているからこれだけの素晴らしい音が出てるのではないだろうか、笹本さん今度は名古屋でお会いしましょう

※写真の一部分は笹本氏のブログから拝借させていただきました。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-030


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VAITAVOX も AXIOM80 も特徴のあるロンドンウェスタン系のサウンドでよく似た音には間違いない。
AXIOM80 の中高域の音色はロンドンウェスタン系の特徴のある個性のある音で、巷ではこのスピーカーの虜になるのがわかる。

音色を一言で云うならセピアカラーの音とHMVの蓄音器に近い一種独特のサウンドと云える。特にバイオリン、ピアノの響きと音色は特筆すべき良さが感じ取れる。


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私のオーディオ人生 第35回 GOODMANS AXIOM−80を鳴らす。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-035


 このコラムももう35回目になりました、35回の節目としてマニアの間では究極のユニットとか伝説のユニットと云われているGOODMANS社のAXIOM−80フルレンジスピーカーを取り上げます。

 今回ご紹介するユニットはレプリカではなく1950年製の最初期オリジナルユニットになります。巷ではAXIOM−80はマニアを引き付ける麻薬的なサウンドで魅力的な音だとかこのスピーカーで聴く弦楽器の再生はこれ以上ない!とか云われ一度このスピーカーの虜になるとタンノイ、アルテック、JBL等では味わうことの出来ないスピーカーと云われていますが果たしてどれ程のユニットなのか実験を行いながら試聴しましたので興味がおありの方は最後までお付き合いください。

1950年前後の超レアなユニット、状態も大変よくコーン紙の補修もありません。

AXIOM−80

 AXIOM−80をネットで検索しますと色々な方が評価していますからあえて私が詳しく述べる必要はないのとAXIOM−80に関して自分はそれ程詳しくはありませんが使われた方のコメントを読みますとAXIOM−80は大変気難しく簡単には鳴らないと云われている、

 私のコラムでも以前に書きましたが故瀬川冬樹氏がこのユニットを使っていたと紹介しましたがこのユニットはオリジナルと復刻(レプリカ)がありその違いを比較したわけではありませんが今はないヒノオーディオでヒノ製のボックスに入ったレプリカのAXIM−80を聴いたことがあります。その時の印象として大変指向性が強よくて高域は耳に付くきつい音でこれが噂のAXIOM−80の音かとがっかりした覚えがある。

 皆さんもAXIOM−80を聴かれた方はオーディオショップがほとんどと思われますがショップの場合は適当にセッティングして展示してあるアンプを繋いでの音出しがほとんどですから本来の実力は見えてこないのとこのような簡易的な鳴らし方ではAXIOM−80が可哀そうに思える。ショップで鳴らすAXIOM−80は魅力が乏しく他のスピーカーのが良く聴こえて来る。

残念ながら適当に接続してセッティングしたAXIOM80は本来の音とは程遠いサウンドでこれがAXIOM−80の実力かと思われるとこのユニットは哀れである。

AXIOM−80のオリジナルBOXは存在しない!


 色んな方のAXIOM−80のコラムを読みますとAXIOM−80をオリジナルボックスに入れて楽しんでいる方が沢山いますがGOODMANS社はユニットを装着したオリジナルボックスは存在しません。当時GOODMANSはシュロリ貿易が輸入元でこのユニットをヤマハがGOODMANS社からライセンスを受けて製作されたと聞いています。

 ヤマハボックスはAXIOM−80の図面を元に後面がコーナーになっていて前面にARUを取り付けて販売されていた、時々写真で見るオリジナルボックスはすべてヤマハが製作したものですがこのボックスは評判が悪く本来のAXIOM−80の良さが出ないボックスと云われている、 もう一度はっきり云わせて頂くとAXIOM−80のオリジナルボックスは存在しません。仮にオリジナルと称して本国からユニットを装着した物が入荷したのであれば英国の箱屋が作ってユニットを入れたものと思われる。

 タンノイの様なオリジナルボックス付きの場合100%失敗はしないがグッドマンズ社の場合はユニットだけの販売では一部マニアでしか使えない欠点がある。

 私が高校生の頃名古屋の納屋橋にありましたヤマハビルのオーディオ売り場にこのAXIOM80がヤマハボックスに収納されて展示してあったのを覚えています。またシュロリ貿易が出していたGOODMANSの総合カタログがありこれを目に通すと一風変わったユニットが載っていました、これが現代でも幻の名器と云われるAXIOM80で真っ赤なマグネットを装備した見た目にも高級感があったのを覚えています。当時の販売価格は1本26,000円ぐらいだったと記憶しています。またこのユニットを装着したヤマハボックスに入れたのを聴いていますが当時の耳のレベルでは凄いとは思わなかったが国産品しか知らない私でしたから外国製と云うことで魅力はありました。

センターのサブコーンは薄いベークライトのような素材を使ってあるのが本来のオリジナルになります。

AXIOM−80のレプリカ


 オリジナルとレプリカ、確か真空管の名器でマッキントッシュのC−22、マランツ#7もレプリカがありましたね、良質なオリジナルが無い為やむを得ずレプリカを購入された方が沢山いますがルックスは同じでも音質的にオリジナルとは似ても似つかない音ですがこれは仕方がないかも知れません。

 AXIOM−80もオリジナルとレプリカタイプが存在しますが今の時代良質なオリジナルを手に入れることは至難の業かも、ヤフオクで時々AXIOM−80が出品されていますがユニット単体で30〜40万ぐらいで落札されているのを見ますといかにこのユニットの人気があるのか伺えます。

良質なオリジナルが手に入らなければレプリカになりますがこのレプリカも曲者で外観はAXIOM−80と同じ作りですが音質的にはまったく違います。


またオリジナルの場合も初期型、後期型が存在する事がわかりました、

私が所有していますAXIOM−80は1950年代の初めのユニットですから完全な初期型になります。


AXIOM−80の使いこなし

 今までステントリアン、ワーフェデール、グッドマン、パイオニア、コーラル、ヴァイタボックスなどのフルレンジユニットを使ってきましたがスピーカー遊びはフルレンジが一番面白いのとボックスに入れれば即鳴るのが魅力でしたがフルレンジ程上手く鳴らせないユニットはありません。

オーディオはフルレンジ派もいればマルチ派もいます。あるマニアが云っていた事ですがマルチを追求して鳴らしている時に俺は音を聴いているのか音楽を聴いているのか自己不信に落ちいって最終的にフルレンジに戻したと云っていましたが、

確かに3Way、4Wayの大型ホーンを使ったスピーカーの音を聴いていますと歪感の少ない良い音に聴こえますがじっくり聴きますと音の定位がバラバラで一つにならないのと楽器や人の声を聴きますと音像が大くなり不自然感は拭えません。

音楽を楽しむと考えたらフルレンジ型やコアキシャルスピーカーが自然体で音楽が楽しめる。どちらも一長一短があるからオーディオは面白いのではないだろうか、


 早速ですが私なりにAXIOM−80の使いこなしになりますが良いスピーカーほど簡単には鳴らない、特にこのユニットは箱を選びアンプを選ぶ傾向があるのがわかった、ヤマハが販売したGOODMANSの指定箱では正直低域の量感が乏しくバランスがすべて上に行ってしまい高域がきつく疲れる傾向の音になってしまう、

 また解決策として低域の量感を増やす為ウーファを追加して2Wayでやられている方がいますが理論的には正しいのですがウーファとAXIOM−80の繋がりに問題があるはずです。

AXIOM−80はフルレンジですからこのユニットを低域のみカットして使えば何処かの部分でディップが生じるのと音色が同じでない為不自然になってしまう、

では同じGOODMANSのユニットを低域で使用すれば解決するのかと云えばこれは難しくカット&トライで挑戦するしかない、

GOODMANSでもAXIOM−80は特別な音色を持ち合わせていますから音色は一致しない、


 今回は私の所有しているタンノイGRFタイプのボックスにこのユニットを実装して試聴しました、このボックスの容積は約250?、ボックスの材質はフィンランドパーチで板厚は19mmでバスレフタイプなります。

他の方が書かれたブログを読みますと

AXIOM−80はバスレフ、バックロードではスピード感がなく付帯音がくっ付いて鳴らない

と書いてありましたがそれは本当なのか実証してみたいと思いますがその辺はカット&トライでやって見たいと考えています。

マグネットは17000ガウスもある強力マグネットで現代のスピーカーでは考えられない強力なアルニコマグネットを採用しているのは脅威でもある。

AXIOM−80音出し

 早速このユニットを実装しての音出しですが取りあえずユニットのみ裸の状態で音出ししてみました、最初に出てきた音はどこにでもある特別な音ではなかったがこれをボックスに実装したらどんな音になるのか胸がわくわくしてくるのがわかる。世界の名器と云われたユニットが果たしてどんなサウンドを奏でてくれるのかスピーカーマニアならこの気持ちは理解していただけるのではないだろうか、

折角鳴らす以上比較対照するものがなければ評価のしようがない、

ここで片側の左側はAXIOM80を装着し右側をVITAVOXのDU−120コアキシャルを取り付けての比較試聴なら私の様な阿呆耳でもはっきりわかるはずだが未知の体験であるがため試聴には慎重にならないといい加減なレポートでは参考にならないとお叱りを受ける。

またこのAXIOM80は真空管アンプを選ぶらしいがWE−300Bを使えばきっと鳴るはずだが果たしてどうなのか、

早速であるが巷では最高の球と云われているWE−300Bシングルで試聴開始した、


試聴のシステム

プレーヤー ヤマハ GT−1000
トンアーム GRACE G−565 ロングアーム

カートリッジ オルトフォンSPU−GとSL−15E
昇圧トランス ゼンハイザー 1950年代のヴィンテージトランス

ブリアンプ マランツ#7

WE−300B シングルアンプ、メトロアンプ


試聴レコードとCD ビバルディのバイオリンソナタその他

以上のシステムでの試聴になります。

全体で聴くAXIOM80は高域の透明感は見事なのだがいかんせん低域の量感が薄くバランスが上に持ち上げた音になる。シングルアンプの場合はトランスの磁化の影響で低音が出にくいのかもこれは300Bアンプが悪いとは思えない、

 答えはこのスピーカーにはシングルアンプは合わないではないか、

250リッターのボックスを使っても低域不足は不満が残るが
中高域の音色はロンドンウェスタン系の特徴のある個性のある音で巷ではこのスピーカーの虜になるのがわかる。

音色を一言で云うならセピアカラーの音とHMVの蓄音器に近い一種独特のサウンドと云える。特にバイオリン、ピアノの響きと音色は特筆すべき良さが感じ取れる。

ケフェレックのバッハのピアノ曲はスピード感のある付帯音の付かない切れ味の鋭い日本刀のようなサウンドだが長い時間聴いていると低域不足の不満が見え隠れしてくる。

 次にVAITAVOXのDU−120に切り換えると中高域はほとんど同じ音質と音色だが低域から中低域にかけてAXIOM80では出なかったふくよかさが出て品位の高さで差が出た、低域の量感は25pユニットでは難しいかも知れないがAXIOM80はVAITAVOXに劣らず品位の高い音でタンノイ、アルテックでは味合う事のできないマニアを虜にするサウンドだが大編成のオーケストラの場合は口径が小さい分無理の様な気がするがジャズトリオをかけるとあのクソ喧しい一般的なジャズサウンドとは違うしっとりとしたコクのあるサウンドに変身する、ジャズもボーカルもグッドだが低域がもう少し出れば文句なしだ、またバッハなどの室内楽、器楽曲を聴くとこれ以上望む必要がないぐらい味のあるサウンドになる。

サブバッフルを取り付けての試聴

メトロアンプで鳴らすAXIOM80


 WE−300Bシングルアンプで鳴らしたAXIOM80だがこのユニットを使っている方は良質のアンプを繋いで鳴らされていると思うがプッシュプルアンプを使うとどんな音になるのか、早速アンプを交換して再度試聴を試みた、

 このメトロアンプは前回のコラムで紹介したトランスは米国製のシカゴ・スタンダード(スタンコア)トランスを使った自分では最高のアンプと思っているがAXIOM80はアンプを選びトランスまでも選ぶスピーカーでこんな気難しいユニットは聞いた事が無い、今回は出力管はGECのKT−66に交換しての試聴になる。

接続後最初に出てきた音はWE−300Bでは出なかった低域の量感が豊かになり中高域は刺激のない味のあるサウンドでピラミッドバランスに変身したのは驚きであった、やはりこのユニットはシングルアンプでは簡単には鳴らないことを痛切に感じた、

多分このサウンドこそ本来のAXIOM80のサウンドかも知れない、AXIOM80はダブルコーンのため高域がきつくなるのが当たり前ですがこのメトロアンプではトランスの影響で長時間聴いていてもまったくきつくならずに疲れない、

その後VAITAVOXに切り換えて試聴したが好みとしてはVAITAVOXのが自分には合うように思えるのとVAITAVOXのDU−120は日本には10セットぐらいしか入って来なかったスピーカーですからある意味AXIOM80より貴重に感じる。

 最後に色々切り換えて試聴したがどちらがVAITAかAXIOM80かわからなくなってきた、どちらも特徴のあるロンドンウェスタン系のサウンドでよく似た音には間違いない、

 最後にAXIOM80を上手く鳴らすには容積の大きなボックスで材質はフィンランドパーチ、米松合板辺りを使い吸音材を調整しながらバスレフでの使用がベスト、またアンプはプッシュブルが適合で出力トランスは有名なトライアッド、ウェスタン、シカゴ、スタンコア辺りを使用すれば本来のAXIOM80の良さが出てくるような気がしますが国産のトランスを使ったマニアが作った自作のアンプではまずは簡単にならないことをご報告しよう、名ばかりの国産のトランスではAXIOM80の良さを十分に引き出すのは難しいのと世界の名器に対して失礼である。

あとがき


 今回はAXIOM80を取り上げての試聴でしたが私個人に云わせると巷で云う名器とは思わないのとこのユニットは価格がべらぼうに高くなってしまったがそれだけの価値は無いと思うがAXIOM80に恋こがれた方なら価格の問題ではない、AXIOM80もそうだが長年英国スピーカー遊びをしてきた私ですから特別凄いとは感じなかったが一般的に見ればこのユニットも名器の一つかも、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-035


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ヴァイタボックスのサウンドはロンドンウェスタン系の渋い枯れた音でバッハを聴くならこの音しかない、それだけ素晴らしいサウンドで欠点が中々見当たらない、
ウェスタンエレクトリックの555ドライバーを使ったシステムはどちらかと云えばクレデンザの蓄音機の延長線上にある音だが、ヴァイタボックスはロンドンウェスタンの流れを組むHMV蓄音機に近い独特な響きで素晴らしい、

タンノイが英国サウンドと云われるが、本当の英国サウンドはタンノイではなくこのヴァイタボックスとグッドマンではなかろうか、

英国の1930年代のHMV蓄音機は電気臭くなく、ヴァイタボックスによく似たサウンドで、蓄音機なのに音圧レベルが高く遠くまで音の浸透力には脅威に感じる。


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私のオーディオ人生 第39回 VITAVOX CN−191で鳴らす喫茶「フィガロ」
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-039


 今回のコラムはオーディオマニア、音楽マニアも一目置く英国VITAVOX社のCN−191コーナーホーンシステムを使ったクラシックがメインのミュージックカフェ「フィガロ」を紹介します。

(中川隆 註 : ミュージックカフェ「フィガロ」は既に廃業しています)

この階段を上に上がりますと2階がお店になります。

ミュージックカフェ「フィガロ」

 今まで沢山のジャズ喫茶、音楽喫茶、ヴィンテージショップやマニア宅で色んなシステムを聴かせて頂きました、遠い昔京都の「ヤマトヤ」で聴いたVITAVOXのCN-191コーナーホーンまた東京は吉祥寺にもありますクラシック専門の音楽喫茶「バロック」でもこのCN−191コーナーホーンを聴きましたが本来のVITAVOXサウンドとは程遠く中々このスピーカーを上手く鳴らすのは難しい、

真空管アンプなら何でもなると思ったら大違い、このスピーカーはアンプを選びトランス、球まで選ぶ大変気難しいスピーカーシステムだ、

店内の全体の様子


スピーカーはヴァイタボックスCN−191コーナーホーンが左右に鎮座しています。
ヴァイタの横にあるのが珍しいRCAの電蓄で1930年代

男の隠れ家「ミュージックカフェ・フィガロ」

 中部地方にも沢山のジャズ喫茶、音楽喫茶がありますが今回ご紹介する音楽喫茶「ミュージックカフェ・フィガロ」はオーナー自らオーディオマニアでもありレコードマニアでレコードは3000枚所有とのこと、また此処のオーナーで夏目店主は音楽も好きでオーディオも大好きな気さくな店主ですから是非行かれてオーディオ談義、音楽談義をされることをお薦めしたい、フィガロの場所は名古屋市千種区の東山公園の近くにあります。

ここのシステムは凄い

 メインシステムがヴァイタボックスCN191コーナーホーンでここで鳴らされているヴァイタサウンドはおそらく日本ではトップクラスのサウンドでこのようなシステムが名古屋にあるとは気が付きませんでした、

以前のコラムでご紹介したジャズ喫茶DAYSもヴァイタボックスのコーナーホーンでしたが同じヴァイタでもこんなにも違うサウンドでフィガロは特にクラシックがメインですがお客様のご要望で歌謡曲ありジャズあり勿論自慢のアナログレコード及びCDを持ち込んで聴かせてくれます。


プリアンプはマッキントッシュ20とマランツ#7を使っている。
モノラルはマッキントッシュでステレオが#7を使い分けている。
下側にマランツ#9が2台あります。

プレーヤーはガラードの301が2台でモノラル用とステレオ用

フィガロのシステム

 メインシステムはヴァイタボックス191コーナーホーンですが
この隣に設置してある1930年代のHMV蓄音機と、
同じ1930年代のRCAの電蓄、

 プレーヤーはガラードの301が2台、

モノラル用はSMEのアームにオルトフォンのモノラルカートリッジと
オルトフォンのアームに同じオルトフォンのSPU−Aが実装されている。

 アンプはすべて真空管アンプで

プリアンプはマランツ#7と
メインアンプは同じマランツの#9が2台
すべてオリジナルとのこと、

MCカートリッジの昇圧トランスは、夏目マスターは秘密と云っていましたが
私が見たところ一般のアナログマニアでは聴けない WE製618B を使って昇圧しているが

このようなシステムを揃えたレベルの高い喫茶店を私は見たことも聞いたこともない、

フィガロのサウンド

私が訪問した時ヴァイタボックスからシゲティのバッハ無伴奏が流れていました、

一聴してこのサウンドはロンドンウェスタン系の渋い枯れた音でバッハを聴くならこの音しかない、それだけ素晴らしいサウンドで欠点が中々見当たらない、

またこのお店の雰囲気がヴィンテージシステムにピッタリで壁には色んなアナログレコードのジャケットが並べられている。

トータルで考えるとマランツ#7と#9の実力が発揮されているようだ、

ヴァイタボックスのサウンドこそ英国を代表するサウンド、

タンノイが英国サウンドと云われるが本当の英国サウンドはタンノイではなくこのヴァイタボックスとグッドマンではなかろうか、

私の所有しているヴァイタボックスDU−120と比較しますと低域の量感は38センチのウーファを使っているためスケール感には差が出るが家庭で使うには30cmのDU−120で十分である。

ウェスタンエレクトリックの555ドライバーを使ったシステムはどちらかと云えばクレデンザの蓄音機の延長線上にある音だがヴァイタボックスはロンドンウェスタンの流れを組むHMV蓄音機に近い独特な響きは素晴らしい、

次に聴かせて頂いたのは英国の1930年代のHMV蓄音機、

レコード盤はすべてSP盤であるが、この音は電気臭くなく先ほど聴かせて頂いたヴァイタボックスによく似たサウンドで蓄音機なのに音圧レベルが高く遠くまで音の浸透力には脅威に感じる。

このようなサウンドを聴かされると現代のハイエンドオーディオは歪み感のない綺麗なサウンドだが必ず飽きが来るはずだ、特に現代のハイエンドは上も下も伸ばしたため中域が薄くなりがちで不自然に思う、

HMV蓄音機を聴かせて頂いた後は1930年代のRCAの電蓄だ、また特に良かったのは美空ひばりの子供の頃のSPレコードでこの歌声を聴くとタイムスリップしたような錯覚にとらわれる。


男の隠れ家ミュージックカフェフィガロの場所

車で行かれるのなら広小路線を東に向かって東山動物園の近くになります。 動物園の近くまで来ますと道路の反対側にスーパー「コノミヤ」がありますからこれを目印にして行けばすぐにわかります。コノミヤの隣の2階がフィガロです。駐車場は確か2台ぐらいあると云っていましたができれば近くのコインパーキングに置かれた方のがよいかも 遠方から電車で行かれる方は名古屋駅から地下鉄東山線に乗って東山公園で下車して徒歩で少し戻ればすぐにわかります。

是非仲間やご夫婦で訪問してください。店内は広いですから時間をかけてヴァイタボックスサウンドやHMV蓄音機の音楽性豊かなサウンドを満喫できます。

フィガロは日本でもトップクラスのサウンドを聴かせてくれますからY下のブログを読んだと云っていただければすぐに打ち解けると思います。

またフィガロから車で10分ぐらいの所に本山の交差点を北に行きますとジャズ喫茶DAYSもあります。

同じヴァイタボックスでも音の系統は違います。

二つのヴァイタボックスが聴けますからこちらも訪問すると面白いかも

あとがき

 今回はミュージックカフェフィガロをご紹介しましたが、今まで色んなシステムをマニア宅、ジャズ喫茶などで聴かせて頂きましたが、マニアなら一度は聴きに行くべきです。

マランツ#7とマランツ#9の組み合わせは極上でまったくもって不満は感じないがメインアンプは西部電気の300Bより英国製の直熱3極管を使って良質のアンプで鳴らしたらより英国サウンドが満喫できるように思える。勿論出力トランスはパートリッジならグットだ、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-039



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私のオーディオ人生 第22回 20pフルレンジスピーカーを鳴らす!
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-022

今回のコラムは私が最近購入した英国の名門スピーカーで20pダブルコーンスピーカーWharfedaleのSuper8−RS/DDをご紹介します。


私の友人で究極のオールウェスタンとウェストレックスのアンプで楽しんでおられる石川県の小松市に住むスーパーマニアの中さんが久しぶりに名古屋に来られて早速このスピーカーを厳しいウェスタンの耳で評価をして頂いた、

 中さん曰く

「20pのダブルコーンとは思えない豊な響きと枯れた音色が魅力的だ、
特にピアノと声楽が素晴らしく他のスピーカーではこの音は出ない、

同じイギリスのタンノイとは音色的な傾向と出音は随分違うけどこれこそが紛れもない英国サウンドの音ではないだろうか」

また

「自分が使っているウェスタンに近い音色を持ち合わせているから今後はワーフェデールを見習ってウェスタンも同じようにしっとりとした(いぶし銀)のサウンドを出したい」

とウェスタンレベルの目線で評価して頂いたがやはり当時のワーフェデールもHMV蓄音機やロンドンウェスタンの流れを汲む音色の一端が見え隠れするような気がする。


 スピーカーに関しては今迄色んな英国ヴィンテージスピーカーを購入して聴いてきましたが

現代のハーベスやスペンドール等の同じ英国スピーカーのブックシェルフタイプはどちらかと言えばフロアータイプと比べるとこじんまり纏めた鳴り方で能率も低く個性のない無色透明なスタジオのモニター的な音が特徴ですが

同じ英国のヴィンテージスピーカーは一応に能率が高くメーカーのサウンドポリシーが前面に出て個性が主張されているのが面白い、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-022


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c14

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
15. 中川隆[-11632] koaQ7Jey 2020年8月27日 11:03:29 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[28]
London Western Electric 2042アンプの音質
https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1901974820


London Western Electric 2042
https://open.mixi.jp/show_diary_picture.pl?owner_id=8290003&id=1901974820&number=92
ロンドンウエスタンは、アメリカのWestern Electricの関連会社で、イギリスの映画産業の音響部門を担ったとされています。


今のようにテレビもなく、ナチスドイツが典型ですが、アメリカでも映画が国威発揚らにも用いられた時代で、映画産業は国家産業でもあった時代のようです。


どういう経緯か知りませんが、アメリカからシアター機材を輸入すればいいものを、イギリス独自にアンプもスピーカーも開発しています。


他方でイギリスの業務用スピーカーメーカーの雄としてヴァイタボックス社 あのスピーカーのタンノイのKT88 PPの業務アンプも見たことがあります。


いつもの仲間のお宅に、自作長野オーディオクラブで知り合った方が最近購入された London Western Electric 2042アンプが持ち込まれて。チョークトランスのうなりを取るため試行錯誤されていました。


トランスはコアのみならず、巻き線までほとんど剥き出しは、ドイツ クラングフィルム シーメンスらの業務用アンプら欧州独特で、アメリカではせいぜい合わせカバーが付きますよね。


今でも巨大なコアのトランスで、ヒータートランスが別も日本にはあまりないものの、欧米アンプでは不思議ではなく、音質的理由があるのかもしれません。


電源に放電管も使われた安定化電源回路が設けられているのは、仲間のカナダ ノーザンエレクトリックの同タイプも同様です。


https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1901974820


今や音質的メリットはないですが、当時の電圧不安定な電源事情が推測されます。


オリジナルと違うのは初段 前段のST ガラス管の6J7Gが6J7メタル管となっていること、内部の一部抵抗が、A&Bに交換されている以外はそのままのようです。


https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1901974820

本日、手持ちにちょうどいい、同じイギリス製 STC社 6J7Gがあるので、初段に差し替えて音質差の実験ができるかもしれません。


ハーネスは、さすがはプロ用。合理的な配線技術と、メンテナンスや保守点検がしやすい構造に、いつも配線の教科書になるものですね。


ここで基本的にモノラル6L6Gパラプッシュプルで構成が酷似しているWE118Aと比較試聴という、当時でもできない、雑誌管球王国並みの体験ができました。


フラット&ワイドレンジで、高域に艶のあるWE118Aに対して、LONDONは低域たっぷりに浪々と鳴ります。


同じ構成でもアメリカ カナダ ロンドン そうして、さらに別の仲間はオーストラリアの同構成のを持っています。
 

いずれにしても今日レベルのスピーカーも鳴らす能力が自分が産まれるより前にアメリカとイギリスで開発されていたことに驚きます。

お値段は118Aは今や200万を超え。いずれも100万は楽に超える価格だそうです。

大変貴重な経験で、自作アンプの音質や配線、部品選択の参考になります。


コメント

mixiユーザー 2013年05月15日 09:13

Westrex Londonの2042は確か6L6GのPPで残り1本の6L6Gはモニター用に使用されていたように記憶しています。内部写真を拝見するとモニター用の6L6Gシングル出力トランスが見当たらないので、その1本は単に飾りかもしれません。目がハート


mixiユーザー2013年05月15日 12:17

> mixiユーザー 回路図をちらりと見て勘違いしてしまいました。たしかに3本しかないですね。
6L6 PPとすれば、今でも余裕綽々な大型トランスに驚きます。 手前の使っていない真空管チェック用スイッチに抵抗を入れて、ゲイン切り替えをするようなことを言われていました。 ゲインはちょっと高すぎで、入力トランス 6J7 →CR →6L6でいいのかもしれません。

mixiユーザー2013年05月16日 02:21

> mixiユーザー 本日もありましたので確認しました。やはりPPアンプでご指摘のとおりです。ではなぜ6L6が3本かというと、1本は安定化電源回路を担っているようでした。

音質は118AがメルセデスAMGとすると、LONDONは大型ダンプのような・・・・

https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1901974820
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c15

[近代史3] ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事 中川隆
10. 中川隆[-11631] koaQ7Jey 2020年8月27日 11:08:43 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[31]
ロンドン・ウエスタンの世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html#c10
[番外地8] 大西つねきさんが大騒ぎしている様に、マネーストックは毎年増え続けているよ、しかもその増加分はすべて国債で国が支払っているから、大企業と資本家だけが儲けている事になる
大西つねきさんが大騒ぎしている様に、マネーストックは毎年増え続けているよ、しかもその増加分はすべて国債で国が支払っているから、大企業と資本家だけが儲けている事になる:
【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

 ちなみに、マネーストックとは、金融部門から経済全体に供給されている通貨の総量と定義されます。
 具体的には、一般法人、個人、地方公共団体などが保有する現金紙幣、そして預金です。金融機関や中央政府が保有する金融資産は除きます。

 ポイントは、
「日本銀行が金融機関に発行する日銀当座預金」
 は含まれていないという点です。

 つまりは、銀行が日銀当座預金を「引き出す」形で発行され、社会に流通する現金紙幣。及び「銀行が貸し出すことで発行した預金貨幣」の総額になります。わたくしは、マネーストックを習慣的にM2で見ますが、別にM3でも趨勢は変わりません。

 ちなみに、マネタリーベースとは、現金紙幣+日銀当座預金+硬貨です。現在、日本銀行はマネタリーベースを拡大(国債買入等)しています。

 現金紙幣は、額的に113兆円と小さい(相対的に)ため、マネーストックのメインは銀行預金になります。

銀行は「どこかから貨幣を調達し、貸している」わけではないため、M2(やM3)を見ると、「銀行の負債」である預金貨幣の発行ペースを見ることができます。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/285.html

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 安達祐実 ・内藤剛志 家なき子 (日本テレビ 1994年) 中川隆
13. 中川隆[-11630] koaQ7Jey 2020年8月27日 12:29:23 : 84g9nuhfWg : cVpXQXpGOS9odDY=[33]
家なき子 (日本テレビ 1994年) は中高生向けドラマだね

大人が見てもアホらしいだけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1004.html#c13

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