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2010年8月16日00時01分 〜
コメント [Ψ空耳の丘Ψ58] あなたは植民地化から逃げ切れるか?(訂正版) taked4700
05. 2010年8月16日 00:01:16: TcJwcmz5Jk
戦争に負けて以来日本はないのでしょうね。戦争にまけて生き残った国はないですよ。今回の日本の亡国は世界的な変化です。ウエストファリア条約により欧州で作られた国による世界政府の間接統治を直接統治に切り替えるのですよ。寄生して収奪する為に効率がいいと思って始めた偽自由民主、偽自由選挙も止めて直接統治の社会主義ローマ帝国に戻す動きです。掛け声だけの建前だけの民主、選挙だというのに国民が薄々かんずいてきたというのもありますが、基本は共同体内部での金利を盗るのがゼロサムで不可能になってきたからです。勿論生産性の上昇による利潤もあがらないからです。可能性として明治以降田布施の朝鮮人の一党に日本の支配を任せてきたイルミナテイ世界政府もかれらをお払い箱にして自分達で直接支配に乗り出すために日本人の大幅削減とユダヤ人とシナ人の大量移民で日本処分をすすめているようですね。日本人は残らない。
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/519.html#c5
コメント [雑談専用38] 日米関係の歴史的基礎:「ポツダム宣言は無条件降伏ではない」 棲みなすものは心なりけり
03. 2010年8月16日 00:14:23: DazSTNcV0s
日本の降伏が無条件降伏なりや否やの問題
外務省総務局総務課 21.3.17

http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/Mujoukenkoufuku_S2003171.htm

一.ポツダム宣言の受諾に依る日本の降伏は、差の諸点に鑑み、決して無条件降伏なりと云うことは出来ない。

(イ)ポツダム宣言成立の事情
 米国及び爾余の連合諸国に於いては、屡々日本に対して無条件往復を要求するものなることを主張していたことは事実であるが、1945年の春、米軍の進攻が硫黄島より沖縄に及んだ頃、米国は官辺、言論界を挙げて盛んに対日処理論を公表討議し、日本に対して明らかに一つの和平攻勢を展開し始めた。ポツダム宣言の内容は大体に於いて当時の議論の帰趨の落着いた所と符号するものであるが、同宣言は連合国側として譲り得る最大限を一方的に宣言し上陸作戦実施に先立ち最後の和平の機会を与ふるものとして提示されたものである。この点は同宣言発表後十日にして実施された原子爆弾攻撃と思ひあわすべきである。右の経緯に徴すれば、ポツダム宣言は日本の軍事的壊滅に先立ち、政治的の手段により日本の屈服を実現せしめんとした一つの手段であつたのであつて、同宣言の受諾は所謂無条件降伏と同一ではない。

(ロ)対独クリミア宣言との比較
 (省略)

(ハ)ポツダム宣言、降伏文書等の用語
 降伏に関する諸文書に於ける左の如き用語は日本の降伏が所謂無条件降伏に非ることを示すものである。
1、ポツダム宣言第五項
「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」
(The following are our terms)
2、ポツダム宣言第十三項
「吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ…」
(We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces…)
3、一九四五年八月十日帝国政府申入
「帝国政府…『ポツダム』…共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ・・・受諾ス・・・」
4、一九四五年八月十四日帝国政府通告
「天皇陛下ニ於カセラレテハ『ポツダム』宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ」
5、一九四五年九月二日詔書
(本詔書は連合国側の作成せしものなり)
「朕ハ・・・『ポツダム』・・・宣言ノ掲クル諸条項ヲ受諾シ・・・」
6、降伏文書
(本詔書は連合国側の作成せしものなり)
「下名ハ・・・「ポツダム」・・・宣言ノ条項ヲ日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス・・・」
「下名ハ茲ニ日本帝国大本営並ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ連合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス」

(ニ)カイロ宣言との関係
 (省略)

二 以上述べた所を以て明らかなる如く、ポツダム宣言の受諾に依る日本の降伏は無条件降伏ではない。日本対連合国の戦争に於て其の努力に於て到底問題にならない程の懸隔の存在したことは幾許もなくして独逸と同じ運命を辿ったであらうこと、日本の降伏は実質的には無条件降伏に等しいこと等の議論は、本件とは関係のないことであって、現実に於て米国側乃至其他に於て如何程強弁しやうとも日本が無条件降伏したりとは言へないのである。
 但し現在に於て日本が右の如き主張を連合国に対して為すべきか否かは又別問題であって、最後の結論迄押し進めることは充分の考慮を要するし又之を為す為には為す者の強い自信と之を支持する国民の団結がなければならないのは勿論である。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/686.html#c3

コメント [経世済民69] 沖縄はもうダメなのか ホテル開発も頓挫相次ぐ gikou89
03. 2010年8月16日 00:24:23: QcpYGFk1N6
別の見方をすれば基地を含むアメリカ軍の施設が沖縄の経済を破壊しているんじゃないの?!
アメリカ軍の施設が無かったら今頃は沖縄特有の農産品の生産地になっていたかも?!
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/480.html#c3
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
65. 地には平和を 2010年8月16日 00:27:30: inzCOfyMQ6IpM: T8FJjGcaW2
政府に戦争をさせて金儲けするヤツがいるって話をしているんだけどな。武器を買わせたりしてな。デフレギャップ以内の貧乏人への給付ならインフレにならないんじゃないの?政府の金の使い道は確かに問題だがだからといって富の再分配までやめるというのは間違い。大きな政府か小さな政府かではなくどこから金を取ってどこへ回すべきかが問題。その額が大きいか小さいかが問題ではない。これは論点のすり替え。物が市場にあふれていても買う金が無ければ消費者は喜ばないよ。だから金を消費者に回すべきであって生産サイドに回しても無意味。使用価値を生産している所に交換価値まで回してどうするんの?生産した使用価値が消費者が持っている交換価値と交換してこその市場じゃないか。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c65
コメント [地域13] 呉大和ミュージアム館長、戸高一成氏の隠された履歴1 ぽてちん
01. 2010年8月16日 00:28:37: TcJwcmz5Jk
オカルトとかトンでもとかを馬鹿にしたり笑ったりするから世界政府に比べて日本の科学は箱庭子供科学になったのではと思いますよ。日本では円盤もとばんだろう。私は円盤見ましたよ。絶対米軍ののだね。x22ロっキードはホログラムマッハ50空気抵抗ゼロで火星まですぐだとネットででてましたよ。多分本当だと思います。反重力を海外検索してみてください。沢山でてくるから。もう売ってるとこも出てるみたいだ。日本じゃ工作員が蟻のように反対する。このような日本人が生き残れますか。生き残る資格がありますか。呉市は反日の広島市や東京とは違うでしょうね。民族派おおいに結構じゃあありませんか。我々は日本人だ。長い間の在日の嘘と捏造に気を使うのは止めにしましょうや。のう。
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/405.html#c1
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
66. 2010年8月16日 00:30:07: ETwO5oF12Y
IqDrSmvKOo

必死だな。

マクロ経済学を理解していない池田○夫氏よりひどいよ、あんた。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c66

コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
67. 2010年8月16日 00:31:38: IqDrSmvKOo
>マクロ経済学

マクロ経済学は、経済学じゃないからw
魔術師の寝言だからw

>池田○夫氏

何、その反リバタリアン、反市場主義者、大きな政府主義者w
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c67

コメント [経世済民69] 経営再建中なのに…銀行員給与、新生が1位 gikou89
02. 2010年8月16日 00:34:35: 43lKOQKYDo
世の中には沢山の暗黙知が有るらしい。

まー、ここらで一つづつ数え上げ、列記してみよう。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/488.html#c2

コメント [医療崩壊3] 日本トンデモ本大賞2010オープニングムービー[MMD] 紋次郎
03. 2010年8月16日 00:41:15: TcJwcmz5Jk
大体、田布施の人たちがメーソンの代理人になって日本を支配してきたようなんでしょうから道徳がないように見えるし、朝鮮に日本人の金を100年運んできたのと同じだね。医療もそれと似てる。正義がないみたいに思える。嘘と儲けが根底にsるような感じ。総て儲けだね。   田布施は朝鮮部落だと前にネットにでてましたが本当ですかね。他にも田布施があるみたいですね。鹿児島とか大分。鹿児島は今は名前をなぜか変えたようですね。本当だとしたら幻滅、本当でない事を祈る。人格が崩壊しますからね。今までの言ってた土台が崩壊する。歴史の崩壊。立てなくなるから。偽、ガセでありますように。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/326.html#c3
コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
12. 2010年8月16日 00:45:29: XPpdNpZmfg
安倍川もちは大好きです。だれ?安倍譲二って。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c12
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
68. 2010年8月16日 00:45:40: IqDrSmvKOo
>金を取ってどこへ回すべきかが問題。

その判断を政府に行わせるなと言っているのw
どのような名目であれ、現状の大きな政府は大間違いであり、大縮小するべきだと言っているのw
カネをどこへ回すべきなのかは、そのカネを利用する個人が行い、その個人が責任を持つべきだと言っているのw
「富の再分配」こそ、一番の間違いw
これこそ、有史以来、大傑作の詐欺だw
よくぞ、ここまで大衆をダマしきったなと感心するw
まあ最近まで、俺もダマされていたわけだがw
税金泥棒たちは、この売り文句を利用しまくりw
まだ、信じているのか?、オメデタイなw

使用価値って何って思ったら、マルクス用語かw
そういう区別は知らないし、利用価値も無いw
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c68

コメント [医療崩壊3] 日本トンデモ本大賞2010オープニングムービー[MMD] 紋次郎
04. 2010年8月16日 00:53:38: GzUTAlKiwo
>>01
>こっちも叩いてみろ、出来るものならばだが。
>http://hon42.com/iryou/kou.html

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/haiteku/haiteku46.htm

とりあえず、講談社ほか著作権を保持してそうな関係各社には通報しといたから。
そのうち連絡あるだろうから、よろ。

インターネットへの投稿は、学校で法律とか社会常識ならってからにしようね、ぼく。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/326.html#c4

記事 [日本の事件29] 典型的海外投資詐欺、自称親善大使の正体
ハマコー逮捕の報道でもモンゴルの金山開発の話が出ましたが、最近海外での資源開発や養殖事業、観光開発等の事業を行う企業への投資を募る手口の事件がテレビや新聞を賑わせています。ここに取り上げる事件は、現地人協力者が国営企業の幹部だったり、日本国内では地元ラジオ局に親善大使を自称して出演して信用させるなど、この種の事件で使われる手口の多くを用いた典型的なものです。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nisetaishibakuro
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/571.html

コメント [昼休み41] JAL123便:相模湾上空では、核兵器炸裂による真っ黒な積乱雲のような、擬似キノコ雲が目撃された。 高原レタス
02. 2010年8月16日 01:03:33: yQWO2OkyEc
日航ジャンボ123便の伊豆の件は、1986年のスペースシャトルチャレンジャー号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E5%8F%B7%E7%88%86%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85
及びスペースシャトル輸送機B747-123
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%AB%E8%BC%B8%E9%80%81%E6%A9%9F
が、

日航ジャンボ123便御巣鷹の件は、2003年のスペースシャトルコロンビア号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E5%8F%B7%E7%A9%BA%E4%B8%AD%E5%88%86%E8%A7%A3%E4%BA%8B%E6%95%85
及び、スペースシャトル輸送機N911NA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%AB%E8%BC%B8%E9%80%81%E6%A9%9F
が非常に参考になります。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/543.html#c2

記事 [社会問題7] 不況が奪った?自営業者の命 自殺者1・6倍増 神奈川
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/kanagawa/100812/kng1008122250006-n1.htm

神奈川県内で自営業者の自殺が平成21年に増えたことが、かながわ自殺対策会議のまとめで分かった。自営業者は、月別では企業の決算発表時期に当たる5月と10月に比較的多い。原因・動機も経済生活問題が最も多く、県保健予防課は「経営不振も要因の1つと考えられる」と分析している。

 県と横浜、川崎、相模原の3市は同会議を共同で設置し、県内で発生した自殺の実態を調査している。その結果によると、県内の自殺者数は1835人で、前年より17人増えた。

 職業別の自殺者数は無職者(学生・生徒、主婦、年金生活者を含む)が多く、全体の6割を占めた。昨年と比べ無職者や被雇用者・勤め人は減少する一方、自営業者は163人と前年の102人の1・6倍に増加した。全体に対する構成比でも、自営業者は20年の5・6%から21年の8・9%へ大幅にアップした。

 自営業者の自殺者数を月別でみると、決算発表シーズンの5月と10月が他の月に比べて多かった。被雇用者・勤め人と無職者は4月が多く、「人事異動や失業が影響しているとみられる」(同課)という。

原因・動機(3つ以内)は、自営業者では経済生活問題がほぼ半分。次いで健康問題が多かった。これに対し、被雇用者・勤め人では勤務問題と経済生活問題が同程度。無職者では、高齢化を背景に健康問題が約3割で最も多かった。

 自営業者の自殺者数増について、同課は「遺書に基づく推測のため、原因・動機が分からない事例が多いが、高齢化による体力不安や先行き不安に加えて、経営不振も要因として考えられる」と分析する。

 県内の自殺者数は19年から3年連続で1800人を超え、警察庁の統計によると、21年は都道府県別では東京、大阪に次いで多かった。しかし、自殺率(対人口10万人)は20・5で、全国の25・8を下回り、都道府県別で最も低かった。同課は「もとになる警察庁のデータが発見地別に集計され、県内に自殺の多い場所がないため低く出た」とみている。

http://www.asyura2.com/09/social7/msg/878.html

記事 [経世済民69] 「官製景気」に息切れの懸念 エコカー補助金終了 販売3割減を覚悟
国内自動車販売を下支えしてきたエコカー補助金の打ち切りが決まった。政府が模索し始めた“出口戦略”には、「官製景気」の息切れリスクも。エコポイントの恩恵を享受してきた家電、住宅業界は身構え始めた。

自動車編
エコカー補助金終了 販売3割減を覚悟

宴はついに終わる。
 国内の自動車販売を下支えするため2009年4月から導入されていた「エコカー補助金(環境対応車への買い替え・購入補助)」が、9月末をもって終了することが決まった。これは一定の環境基準を満たしたエコカーに買い替える際に、最大25万円が支給される制度だ。グラフにあるように、リーマンショック後の急激な販売低迷に悩んでいた自動車業界の“救世主”となった。

 当初1年間の予定だったエコカー補助金は、追加経済対策の1つとして今年9月末まで延長された。その期限が迫る中、再延長を求める声が出ていたが、結局、政府は打ち切りを決定した。

 1年半に及ぶ政府の援護射撃が終わることについて、業界は表向き冷静だ。「(補助金は)非常に大きな効果があった。半年延長してもらったので、これ以上多くを望むことはできない」と、マツダの尾崎清・専務執行役員は語る。

 ただ、待ち受ける現実は厳しい。今年10月以降、自動車の国内販売の急減は避けられない情勢だ。「10〜12月は、かなり影響があるだろう。(前年同期比の受注は)3割くらいダウンすると考えている」。ホンダの近藤広一副社長はこんな見通しを口にする。

 販売の現場でも不安が広がっている。「販売が3割以上落ちれば販社は赤字になる。その赤字幅をどうやって小さくするか」。トヨタ自動車系の有力販売会社の首脳は顔を曇らせる。

 実際、2009年秋に自動車向け販売支援を打ち切ったドイツでは、反動減による販売の落ち込みが続く。「ドイツでは2〜3割減となっている。国内でも同じことが起きるかもしれない。大きなインパクトがあるという前提で、(下期の販売計画を)組んでいる」(日産自動車の田川丈二・執行役員)。

 “厳冬”に備え、補助金がある間にできるだけ多くのクルマを売ろう──。そう考える販売店は、夏季休暇を返上して営業する。

“自腹補助金”準備のトヨタ
 「今年はお盆も休まず営業します」。ハイブリッド車の「プリウス」を中心に販売が好調なトヨタ系販社の中には、休業日を減らす動きがある。ネッツトヨタ東京は約50店舗で、お盆も営業する。プリウスは補助金終了期限までの納車が間に合わない可能性があるものの、ほかの補助金対象車種で販売を伸ばせると考えているからだ。

ホンダも負けていない。直接出資する系列店の過半で、例年なら3日間のお盆休みを返上。さらに各エリアの店舗を2つのグループに分けて、定休日をずらすという異例の作戦を取る。「お客様がクルマを買いたいと思えば、常にオープンしている店がある状態にする」(ホンダで国内販売を担当する小林浩取締役)ためだ。ホンダカーズ東京中央では、特に販売台数が多い6店舗で、8月と9月にそれぞれ1日ずつしか休業しないことを決めた。

では政府の補助金が終わる10月以降はどうするか。

 トヨタはメーカーが身銭を切る“自腹補助金”を用意する。販社がクルマを1台販売するごとに、5万円の販売奨励金を支給する見通しだ。最大25万円という現在の補助金に比べると額は小さいが、これを値引きの原資として、反動減のショックを和らげようというわけだ。ホンダは現時点で、特別な販売奨励金は予定していないが、販売店に対して人的な支援を提供する。本社の社員400人を全国の販売店に出向させ、販売をテコ入れする。

 補助金終了は、クルマの売れ筋にも変化を与えそうだ。現在支給されているエコカー補助金はエンジン排気量が660ccを超える「登録車」を買う場合に手厚い。買い替えるクルマが軽自動車の場合、登録車への買い替えに比べて半額しか出ない。そのため、軽自動車の販売には不利に働いているとの指摘があった。この歪みがなくなることは、相対的には軽自動車に有利に働く。

 「補助金の手厚さで軽から登録車に流れるお客様がいたが、10月以降はすべて逆に働く。市場全体への補助金切れのインパクトは大きいものの、軽の落ち込み幅は登録車の半分くらいではないか」(ダイハツ工業の執行役員)

 国内販売に暗雲が漂う中で、足元では1ドル=86円台(8月2日時点)の円高が続く。その影響もあり、三菱自動車やマツダなどは、2010年4〜6月期の決算が大幅に改善したものの赤字となった。「輸出比率が高い自動車産業は、円高の打撃が大きい。補助金がなくなるのは仕方がないが、何らかの景気刺激策は必要だ」(マツダの役員)といった声も上がる。補助金終了を控え、自動車各社の底力が試されている。

家電編
「国内需要3分の1」 海外に活路探る

自動車と並んで、官製景気に支えられてきた家電業界はどうか。

 「最大需要が見込まれる年末の国内市場で、映像商品のトップブランドを目指す」。7月28日に行われた液晶テレビの新製品発表会で、東芝ビジュアルプロダクツ社の大角正明社長は力を込めた。

 電子情報技術産業協会(JEITA)のまとめでは、2009年度の薄型テレビの国内出荷台数は、前年度比57%増の1588万台と過去最高を記録した。今年度はそれを大きく上回り「2000万台に達する」との声が、電機業界では強くなっている。

 背景にあるのは、2つの「官製」要因だ。来年7月に地上デジタル放送への完全移行が予定されているうえ、今年12月末まではエコポイント制度による補助金がある。年末商戦に向けて駆け込み特需が発生することは間違いない。「テレビの購入を検討する人は増えている。このチャンスを生かさない手はない」と大手家電量販店幹部は鼻息が荒い。

前例はある。エコポイントの基準が今年4月に変更されるのを受け、3月、各電機メーカーは旧基準製品を売り切る動きを強めた。その結果、JEITAによると薄型テレビの出荷台数は前年同月の2倍強、221万台に達した。需要急増に対応しきれず、国内首位のシャープが一時的にシェアを落とす異変まで発生した。

 年末商戦は、その3月の規模を大きく上回る見込みだ。「12月だけで340万台もの液晶テレビが売れる」(東芝)という予測すら業界にはある。

反動減でGDP1.6%押し下げ
 予定通りならば年末にエコポイント制度は終了する。そこで薄型テレビの特需は一服するが、自動車と違うのは、来年春頃には再加速すると見られていること。来年7月の地デジ完全移行に向けて、ブラウン管テレビやアナログ対応の旧式薄型テレビからの買い替え需要が期待できるからだ。

 総務省によると、地デジ対応受信機は今年3月時点で84%の世帯に普及した。ただしそれは「リビングに置かれるメーンのテレビに占める割合。各家庭の子供部屋には、未対応テレビが多く眠っている」(家電メーカー幹部)。各社が「最後のチャンス」とシェア拡大に前のめりになるのも無理はない。

 だが、それも来年夏までの話。以降は市場の下支え役が消える。

 「来年秋以降、薄型テレビの国内販売が年率換算で600万台程度、ピーク時の約3分の1にまで落ち込む。結果、実質GDP(国内総生産)を約1.6%押し下げる」。日本総合研究所マクロ経済研究センターの枩村(まつむら)秀樹・主任研究員はこう推計する。三菱電機の吉松裕規・常務執行役は、「地デジへの移行後に予想される需要の反動減は懸念材料だ」と、対応に頭を悩ませる。

 山高ければ谷深し。国内販売拡大に注力すればするほど、来年夏以降、縮小する“国内戦線”の穴をどう埋めるかという問題に直面することになる。

 シャープは、「海外の販売を増やしていく」(野村勝明取締役)と、外国に活路を見いだす計画だ。同社に限らず、各電機メーカーが力を入れているのが新興国での拡販である。

 東芝は今年4月に「アジアヘッドクォーター」を設立し、ベトナムやインドネシアなど東南アジア市場攻略に本腰を入れ始めた。放送電波が不安定な地域でも使えるよう、高感度チューナーを搭載するなど現地のニーズを吸い上げ、今年度中に約10モデルを投入する計画だ。

 「市場規模の大きい中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)地域で販売拠点を強化し、数量増大を狙う」と大角社長は語る。「官製特需」に沸く陰で各社はこうした対応を迫られている。

住宅編
新築、改築に効果 早くも制度延長要請

リーマンショック以降、低迷が続いた住宅販売。6月の新設住宅着工戸数は前年同月比0.6%増と2カ月ぶりにプラスとなるなど、底入れの兆しも見られる。後押し材料の1つが住宅版エコポイントだ。年末までに着工する省エネ住宅の購入やリフォームに対し、最大30万円分のポイントが発行される。

 需要刺激効果が特に大きいのが、リフォーム業界だ。

 その一例が既存の窓の内側に窓をつける「内窓」。樹脂サッシと複層ガラスで構成する窓を新たに設置することで、断熱性能や遮音性能が高まる。経済産業省の調査によると、今年3月の内窓の販売額は前年同月比225%増と大幅に伸びた。以降も好調に推移している。窓の大きさや種類によって異なるが、1枚当たり数万円の内窓であれば、1枚につき7000〜1万8000円分がエコポイントとして付与される。

 住生活グループ傘下のトステムでは、今年度の内窓関連製品の売上高が100億円まで伸びそうだという。住宅サッシ統轄部の藤井文徳部長は、「内窓事業の成功をきっかけにリフォーム事業を強化できる」と期待をかける。証券市場も注目している。野村証券の広兼賢治アナリストは「会社全体の売上高への貢献はそれほどでもないが、内窓は利益率が高い」と指摘する。

 エコポイントの効果は新築住宅でも表れている。

 積水ハウスでは、今年6月までの戸建て住宅販売契約の7割が、エコポイント対象の太陽光発電などを備えた住宅だった。大和ハウス工業や積水化学工業など、他社もエコ関連の戸建て住宅販売はここ数カ月上向いている。「間違いなく消費刺激策として効いている」と住宅メーカーの担当者は言う。

 住宅購入に対しては、金利を1%優遇する住宅金融支援機構の住宅ローン「フラット35S」、過去最大規模の住宅ローン減税、贈与税の非課税枠拡大など、ほかにも時限的な政府支援策がある。こうした政策を組み合わせて住宅販売を底上げしてきたわけだが、先行きについて業界に楽観論は少ない。

 「(エコポイントの)期限延長を何とかお願いしたい」。7月上旬、ある大手住宅メーカー首脳は前原誠司・国土交通相に訴えた。景況感の改善が不十分なまま政府による支援策が切れることを恐れたためだ。一足先に「官」の支援が消える自動車市場がどうなるのか。注目しているのは自動車業界ばかりではない。


http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/501.html

コメント [経世済民69] 100807未来ビジョン『"埋蔵金"の高橋洋一、デフレ克服策!』 動画 gikou89
12. 2010年8月16日 01:09:57: Yv7rvpD8G2
地には平和さん、06への質問にお答えいたします。刷ったお金で減税を行い、デフレを克服した後に、累進課税を強化することで財政を健全化するのが正解です。強欲な金持ちには決して理解できないでしょうが。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/467.html#c12
コメント [戦争b5] 軍事ケインズ経済を最も成功させたナチスドイツとそれを更に進化させた世界最強のアメリカ金融軍事帝国 sagakara
12. 2010年8月16日 01:11:21: 1XyqkCfMtw
ケインズ主義なんてブロック経済のとりこみに出遅れたイギリスが、ケンブリッジのケインズ先生に自由経済からの転換ための建前の理屈付けをお願いしてできた後付の理論ってのが真相だ。

なんせ、それまで自由貿易理論でさんざん植民地を搾取してきたんだからな。

イギリス人ってのは自分が負けそうになると巧妙にルールを変える名人なんだよ。

ただケインズ卿とイギリスの誤算はケインズも戦後そうそうに死んじまってソ連のスパイのハリーホワイトにブレトンウッズ体制を飲まされたあげくにサッチャー政権まで自由主義に戻れなくて危うくイギリス病で死に掛かったことだ。

そのような前例があるにもかかわらず、日本版ケインズ体制の嚆矢である16年体制を擁護する官僚政治屋業界にこのサイトのあほ小沢信者や陰謀論論者まであいのりで成長政策とか言っているようじゃ、日本病で日本が立ち腐れする日も近い。

おまけにデフレスパイラルとか掛け声にごまかされてるが、給料だけがデフレで実質インフレスパイラルであることにも気づかない日本人と似非学者のおろかさには、ケインズ卿も草葉の陰から自らの負の遺産をなげくというよりは、あきれ返っていることだろう。

ータクシンちゃんと暴論レッドシャツー
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/497.html#c12

記事 [経世済民69] PIMCOエラリアン氏:投資家は「大規模な構造的変化」に備えを 国家レベル、また世界的レベルで大きな再編、大規模な構造的
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=aSt2xbXWQCMc

8月13日(ブルームバーグ):世界経済が一貫して減速する状況へと移る中、投資家は「大規模な構造的変化」に備えるべきだ。世界最大の債券ファンドを運用する米パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)のモハメド・エラリアン最高経営責任者(CEO)がこうした認識を示した。

  同CEOは、ブルームバーグラジオの番組「ブルームバーグ・サーベイランス」の司会者、トム・キーン氏との13日のインタビューで、「国家レベル、また世界的レベルで大きな再編、大規模な構造的変化が起きている」と発言。「世界経済がニューノーマルに向かう困難な状態にあるときは、想像していないことや起こりそうにないことが起きる」と語った。

  PIMCOは、世界経済の成長率が向こう3−5年間、平均を下回るとみている。2008年の信用危機の影響で、先進国が財政赤字の増大と規制強化で打撃を受けていることを理由に挙げる。

  エラリアンCEOは、質の高い資産への移行と投資対象国・地域の拡大がPIMCOの戦略だと説明した。

  同CEOはまた、住宅ローン担保証券(MBS)などの償還元本を米国債に再投資する米連邦準備制度理事会(FRB)の決定は、投資家の懸念を和らげなかったと指摘。FRBはあらゆる経済問題に対処する適切な手段を持っていないとし、「過度にFRBに依存すべきではない」と述べた。

http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/502.html

コメント [議論30] 日本人・大和民族絶滅計画 動画 gikou89
05. 2010年8月16日 01:15:26: ODhdjueiv6
03>平和な人口削減って…
ワクチンは陰湿な人口削減で、後遺症に何が出てくるか
分からないものだ。人口削減は教育の徹底とかでも出来るだろうし、
ユダ金のワンワールド遂行のためにワクチン接種するなんて
狂気の沙汰だ!
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/301.html#c5
コメント [経世済民69] 縮小する金融 (藤原直哉のインターネット放送) Orion星人
11. 2010年8月16日 01:16:58: IqDrSmvKOo
>>10

イイ!w

泥棒さんが言いました。
「お前が貯めた金は、俺がパーっと使ってやれば、景気が良くなって、お前の稼ぎが増えるんだぞ。」

これをマジでやっているのが政府w
こんな現実を受け入れている国民w
泥棒を追い払うのではなく、もっと泥棒して使って、もっと泥棒して使ってってマゾかw
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/471.html#c11

コメント [経世済民69] 100807未来ビジョン『"埋蔵金"の高橋洋一、デフレ克服策!』 動画 gikou89
13. 2010年8月16日 01:21:36: IqDrSmvKOo
強欲な政府(宦官・政治屋・公務員)には決して理解できないでしょうが、財政を健全化するのは、財政支出の大削減ですw

>>08
当然、デフレw
民間への貸出、民間の借入が減ってるでしょw
なぜなら、政府が大きくなりすぎているからw
デフレの原因を無視して、インフレにするために「刷ったお金」を注入すれば、経済は沈滞したままハイパーインフレw
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/467.html#c13

コメント [アジア13] 韓国、上位10%の月平均所得、初めて1千万ウォン突破、日本はどうか? taked4700
05. 2010年8月16日 01:25:48: 1XyqkCfMtw
おまえら、ほんとにアジアをしってるのか。

今やアジアの若者たちは韓国のポップカルチャー、エンターテイメントにハリウッド以上の影響を受けてるんだぞ。インドにしてもそうだ。

韓国は中規模国家ながら、今や日本を抜いてアジアの先進国として経済的文化的中心になるポテンシャルが極めて高くなってきているのだ。場合によったら、ハングルは未来のアジアの共通語にさえなるかもしれない。

ちなみに私は純粋和製ドン百姓です。

ータクシンちゃんとレッドシャツー
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/656.html#c5

記事 [議論30] 無給、仕事増…なり手少ない民生委員
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100815-00000581-san-soci

民生委員は、民生委員法に基づき厚生労働省の委嘱を受け、地域社会の高齢者や障害者、生活保護受給者を見回るなど支援を行っている。

 交通費などを除き無給。活動は委員の裁量に任され、見回る頻度や報告のノルマは決められていない。

 児童委員も兼ね、児童相談所などへの虐待通告の仲介も行う。平成19年の能登半島沖地震などの際には被災者の安否確認も行った。

 任期は3年で再任の制限はない。東京都の場合、月8600円の活動費が支給される。

 1人で70〜440人を担当し、21年度末現在の民生委員は22万8427人。福祉や教育関係者らで作る民生委員推薦会が候補者を都道府県に推薦、そこから厚労省に推薦される。

 ただ、仕事が増大する現状に、「『市から推薦してくれといわれてもなかなか見つからない』と嘆く都市部の自治会もある」(厚労省)という。

 民生委員に詳しい駒沢大の川上富雄准教授は「都市部ではなり手が減って、制度そのものの存続が危ぶまれている。担当地域や業務の範囲を制限するなど負担軽減への配慮が必要だ」と話す。

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/304.html

コメント [アジア13] タイは天国に二番目に近い国 中川隆
01. 2010年8月16日 01:34:32: 1XyqkCfMtw
お前はばかか。

おんな狂い快楽くるいでタイ社会の不善性が見えない愚鈍な放蕩児だ。しょせんパッポンがよいから抜け出せないんだろう。

タイはこの世の冥界だよ。おかまと女に支配された腑抜け男の国だ。タイは絶対に滅びるよ。

おまえのようなあほ日本人がタイがすきなのも、同じ滅びる運命を背負った仏教国の国王の臣民だからだ。


ータクシンちゃんとレッドシャツー
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/651.html#c1

コメント [経世済民69] 縮小する金融 (藤原直哉のインターネット放送) Orion星人
12. 2010年8月16日 01:43:23: IqDrSmvKOo
>バッサリと切りたいのは感情論でしかない。

それは半分認めるw
しかし、富の生産者でない者たちに配りすぎで経済が悪化しているのは事実w
それも、消費が経済を牽引するというマヌケな理屈を信じさせられているからだw

>そのお金を別の経済成長に使う施策をしなければならない。

それは民間が行わなわなければならないのw
政府が施策として行う時、そのカネの利用者と、それが損失を生んだ時に支払わなければならない者が異なるw
それは、一致していなければならない。政府は、最初から、一致していないのw
カネの利用者は、政府と御用企業、バラマキ先の産業。カネの支払いは、納税者w
いいかげんにしろ!w

地域格差はあるべきなの。
なぜなら、地域ごとに特色があるのだからw
所得格差があって当たり前なのw
その地域で暮らすのに必要な費用が異なるのだからw
それを一律化している政府に問題があるのw
医療もそう。なんで医療を中央で統制して価格を決めているんだ?w
費用は都市と同じで、所得は都市より低いなら、そりゃ困るわなw

>みんなの党

大きな政府主義者w
政府に頼る主義者w
あんな醜い連中が、小さな政府や市場原理を支持しているなどと言わせてたまるかw
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/471.html#c12

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
04. 2010年8月16日 01:46:26: wzQUkJMtyE
腐れメディアはどうしょうもない。こういうときこそ、しつこく中曽根氏に張り付いて言質をとるべきなのを、判っていてもなんにもしない。推定無罪を無視して被告者にしつこくつきまとうくせに、この事件の4人の生存者には、日本人の美学からか、お上待遇で、誰も問い詰めることもしない。ジャーナリストを名乗るなら、記者クラブ経由の情報を横流しするだけでなく、ちゃんと自分の仕事をして、新しい情報を発掘せい。じゃなきゃ、そんな誰でもできる仕事は若手のバイトに回そうや、なあ経営者さん。そうこうしているうちに、あんたの会社が傾くで。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c4
コメント [経世済民69] 日航、新融資なくば「二次破たんのおそれ」 動画 gikou89
01. 2010年8月16日 01:52:08: IqDrSmvKOo
さっさと破綻して消えろw
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/476.html#c1
コメント [お知らせ・管理19] チベットよわー さん、2重投稿により一週間の投稿禁止とします。反省文の投稿をお願いします。 管理人さん
01. 2010年8月16日 01:58:31: 3IUrUUHkV2
ファイル両方消すことはないでしょう。
二つとも消されては何が書いてあるかよめない。

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/117.html#c1
コメント [経世済民69] 経団連:日本の安全保障は「大変な事態」−武器禁輸緩和を gikou89
02. 2010年8月16日 01:59:37: IqDrSmvKOo
お金を渡して、お金を使って頂くのが、商売かよw
ただのバカじゃんw
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/492.html#c2
コメント [経世済民69] 住宅ローン破綻増加、競売6万戸 甘い審査が落とし穴 gikou89
01. taked4700 2010年8月16日 02:05:43: 9XFNe/BiX575U: CRcRFKKMhg
今後、まだまだローン破産者は多くなるでしょう。したがって、地銀や信用組合は経営が傾くところも出てくるはず。

地銀は、少なくとも、今年中に収益が出るような事業へ出資しておかないと、今後は厳しくなるのでは?
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/489.html#c1

記事 [地域13] 呉大和ミュージアム館長、戸高一成氏の隠された履歴2
呉市海事歴史科学館長(通称大和ミュージアム 以下大和M)館長、戸高一成氏(以下敬称略)の疑惑追及2弾である。

戸高は多数の著作を記しているが、それが職務時間内に行われているのか、外なのかという疑念に関する疑問は、すでに他の投稿者が指摘している。
しかし戸高は、なにも本名だけで執筆活動を行っているわけではない。1994〜2000年にかけて、「日向仁」なるペンネーム(※1)で、ペストセラーズ(※2)から架空戦記=SF戦記を20冊ほど執筆しているのだ。

つまり、大和Mによって発表されている戸高の経歴を補足すると、

平成04年4月 (財)史料調査会理事就任
平成06年 「日向仁」として活動開始
平成11年3月 厚労省所管「昭和館」図書情報部長就任
平成12年 「日向仁」としての活動終了

となるらしい。
「昭和館」図書部長も公職であり、職務時間内に執筆していれば専心義務違反になるが、その間に「史料調査会の解散=戸高の失職」もあり、戸高=日向が「書き溜め」していた可能性も否定できないため、深く追求するのはやめておこう。
ここではただ、「大和M館長ともあろう人物が、3流娯楽戦争小説を書いていてもいいのか?」とだけ触れるに止めておく。

本稿における主題は、ここからだ。
架空戦記で大ヒットをとばしたのは、1991年から開始された、SF作家の荒巻義雄(1933−)による「紺碧の艦隊」(徳間書店〜幻冬舎)、「旭日の艦隊」(中央公論社〜中央公論新社)である。
この作品のなかに「日向」なる人物が登場するが、実は戸高がモデルなのだ。
つまり戸高は、同シリーズのブレーンを務めていたということだ。

問題なのは、同シリーズでは著者荒巻の不勉強、事実誤認はもとより、意図的な論理誘導まで多々見受けられる点である。(※3)
史料調査会理事であったはずの戸高がブレーンならば、どうしてミスを指摘し、改善しようとしなかったのだろう?
それが戸高の、ブレーンとしての「職務」ではあるまいか?

さて、ここで「疑惑1」で指摘した件を思い出していただきたい。
戸高は1980年頃からオカルト雑誌に寄稿し、「ムー」の編集顧問武田崇元と親交があり、武田=八幡書店は戦記出版社である「今日の話題社」を買収している。(橋渡しをしたのが、戸高という説もある)

その武田の親友が、早川書房で「SFマガジン」の編集長を務めた南山宏(森優 1936−)。実弟が徳間書店から架空戦記を執筆している、森詠(1941−)。
そして「ムー」の版元である学研は、熱心に架空戦記を出版している。また「ムー」の編集長だった小池徹郎(?−)は、その後歴史雑誌と架空戦記の編集長を務めている。
他にも架空戦記を手がけている版元は徳間書店、大陸書房といった、かつてオカルトを出した=現在も出している出版社が少なくない(武田との関係も見受けられる)。
戸高=日向仁と同じベストセラーズからは、超古代史研究家の佐治芳彦(1928?−)が架空戦記を刊行している。
さらに荒巻は、1980年代のオカルトブームに便乗し、架空戦記の前に数々の伝奇小説を発表していた。終了後に「紺碧の艦隊」で組んだ編集者(※4)と幻冬舎で開始した「帝国の光」なるSF小説の鍵となるのは、超古代史「秀真伝」(ホツマツタヱ)であり、販売元は八幡書店……。
「武田、戸高、荒巻」の3人を中核とした人間関係は、大きく、そして密接につながっていくのだ。

雑誌記事はもちろん、小説やコミックで「読者の食いつきそうな奇説、珍説」を冒頭で用い、さんざん興味を持たしておいて、徐々に「意図的な論理誘導」へと導くのが、「ムー」=オカルトお得意の手法だった。こうして「学校で習わない歴史」に興味を持った多くの若者たちが、オウム真理教をはじめとするオカルトへとはまり、人生を狂わせていったのである。
その一方で、八幡書店は高額図書を読者へと売りつけ、業績をあげていたのだ。
架空戦記の手法も「オカルト」と類似している点が少なくないし、なにより「オカルトブーム」の仕掛け人である、武田までが参加している可能性がある。
「ムー」では主として超古代史の書き換えだったが、架空戦記は近現代史の書き換え作業だとすると、両者の関係はパラレルといっても差し支えない。(※5)

そして「書き換え作業」の一役に、正しい歴史を伝承、継承しなければならないはずの「大和M」館長となった戸高までもが加わっているのだ。
しかし戸高本人は、自らの経歴、行動に対して、一切口をつぐんだままである。
戸高が「小説を書いていた」ことなど、さほど重要なことではない。だが「それらの小説で、戸高(たち)はいったい何を狙っていたのか?」は、重大な問題だろう。

戸高の館長としての資質は飛行機マニア(※6)、呉戦災の会(※7)と双方の立場から指摘されているが、知識や歴史解釈といった以前に、もっと大きな欠陥があるようだ。

※1 同名義のエロマンガ家もいるらしいが、同一文物なのかは確認できていない。

※2 戸高はベストセラーズから、本名名義で豪華装丁本「カミカゼ」などを刊行している。

※3 「落日の艦隊」(如月東 ベストブック)なる書物によると、荒巻は1942年4月17日の米軍機による東京初空襲を、「米は政策を実証をもって実施する」との理由から、「原爆投下の予行練習」との珍説を提起したという。
しかし1942年12月に世界初の核分裂の実証実験が行われていることから、「核分裂=当時の技術で原爆が製造できるという実証の前に、原爆の投下実験=実証をする国などありえない」との反証が行われている。
また荒巻が「シリーズの基本仮説」として置いたという歴史修正学の引用文献、「操られたルーズベルト」(ドール著 馬野周二[1921−]訳 プレジデント社)の米の版元は歴史修正学会(Institute for Historical Review)であり、極右団体リバティー・ロビー(Liberty Lobby)の会長であったウィリス・カート(Willis Carto 1926−)によって設立されたことを暴露している。

※4 芝田暁(1965−)。父は広島大学教授、哲学者で「平和主義者」の芝田進午(1930−2001)らしい。
青木書店→徳間書店→幻冬舎編集部長→独立して出版社スパイスを設立→スパイスを閉め、ポプラ社編集部長→朝日新聞社出版文芸編集長…という経歴。節操がまったく知られないが、「戦争小説」でヒットを飛ばした編集者を雇う朝日新聞社も朝日である。

※5 「まだ見ぬ未来の国=理想国家としての日本から、現実を支配している巨大な帝国に戦いを挑む」という図式は、架空戦記の構造と武田の盟友である太田龍(1930−2009)の著作と酷似している。(『トンデモ偽史の世界』 原田実 楽工社 P320)

※6 http://ksa.axisz.jp/021memoKureYamato-1.htm

※7 http://kure-sensai.homeip.net/Genjou/YamatoMujiam/YamatoMujiam.htm
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/406.html

コメント [お知らせ・管理19] チベットよわー さん、2重投稿により一週間の投稿禁止とします。反省文の投稿をお願いします。 管理人さん
02. 2010年8月16日 02:18:22: sNdrwBpvYc
>>01

明示されたルールを平然と踏みにじり
当然の報いである処罰をくらったら、その処罰者に
「温情的」な「お目こぼし」を懇願する・・・

これが罪得脳のバカ滓どもに特徴的な言動だ。
桜井キムチ豚の一挙一動もこうした卑怯者の「甘え」に
ぴたりと嵌る。

はっきり言おう。バカウヨは「甘え」w
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/117.html#c2

記事 [戦争b5] 基地と戦争〜姜尚中が見た沖縄
基地と戦争〜姜尚中が見た沖縄
http://www.tv-asahi.co.jp/s-frontline/contents/Onair/0020/
http://www.youtube.com/view_play_list?p=69468ECF86817DAF

<参照>
狙われた海〜沖縄・大浦湾 幻の軍港計画50年〜
http://www.qab.co.jp/nerawaretaumi/
http://www.youtube.com/view_play_list?p=9B368F25FB477FA1

半世紀前の「辺野古」飛行場計画とは
http://www.youtube.com/watch?v=27QLWCCLDss
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/501.html

コメント [カルト7] 元愛媛県警「告発警官」仙波敏郎、リチャード・コシミズの胡散臭さに思わず激怒??? チベットよわー
09. 2010年8月16日 02:43:39: BeOA6bfpJg
>08

見ただけで聞いてないからだよ。


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/618.html#c9

コメント [マスコミ・電通批評10] 度重なるBPO勧告で気になる「報ステ」古舘伊知郎のクビ(ゲンダイネット) JAXVN
20. 2010年8月16日 03:06:55: UIGdljKFIA
まあどっちにせよ 過去の(今のではなく)名門朝日のメインキャスター
なんて ええ!誰が まさかコイツがってのを何十年経っても
拭えてない軽いキャスターですわな
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/776.html#c20
記事 [自然災害16] インテリよ、サバイバーたれ71 事業を公開します
まず管理人さんに板違いである事をお詫びします。
けれど日にとっては一連の流れであり、お許し下さい。
この事業を通じてしかこの世は救われないと確信しており、大災害が起こるよりも先にシステムを世に普及しなければと考えております。
ブログを立ち上げました。
http://tyuukeijo.blog69.fc2.com/

ただしパソコンに関してはまだ弱点を克服しておらず、広く阿修羅諸氏のご助言ご協力を求めたいと思っております。
よろしくお願い致します。
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/365.html

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 ヒットラー総統は、JAL123便を目撃してジェット戦闘機を作成した。1938年の夏の夏のある夕方、 愉快通快
01. 2010年8月16日 04:07:30: yQWO2OkyEc
http://20060912.blog89.fc2.com/blog-entry-144.html#comment

メーソンの件が出たので、宝の件も一応
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html

同時に空から燃える星が落ち、大地震と大落雷、赤ん坊の頭ほどの雹も降る。あとは焼け崩れ凍りついた死の静寂。何かわからない未来の人類の「宝」だけが、ニーベルンゲンの廃嘘のどこかに、誰にも知られずに埋もれて残るのである。


ここで、宝がどこにあるのかということであるが、メーソン的な説明をさせていただく。

1、パイノパイノパイ体操を見る
http://www.youtube.com/watch?v=I_0EyHjmFSY
2、らんま1/2を見る。
http://www.youtube.com/watch?v=GIQ4OfhZRqU&feature=related
3、すると、場所が特定される。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/479.html

これが、メーソン的なリークから読み取る真理の一例である。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/479.html#c1

コメント [お知らせ・管理19] チベットよわー さん、2重投稿により一週間の投稿禁止とします。反省文の投稿をお願いします。 管理人さん
03. 2010年8月16日 04:18:56: 3IUrUUHkV2
消したページにハイパーリンクしても無駄ということ。
アクセス数を上げる効果しかない。

ルールとしては、二重投稿は両方消すか片方残すか、ということですな。
自主申請の場合は片方残す、ということなのかな。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/117.html#c3

記事 [昼休み41] 日航ジャンボ123便 操縦レバーが勝手に動いていた(遠隔操縦)  高濱機長「なんでこいつうごくんだ」 
123便は操縦レバーが勝手に動いていた(遠隔操縦)

日航ジャンボ123便の高濱機長が

「何でこいつ動くんだ」
http://neko-usa.s22.xrea.com/jal123/wav/jal123_2641.wav

と述べておられますが、
これは、操縦レバーが遠隔操縦で勝手に動いていたことを如実に示しています。

「重たい」
http://www.geocities.jp/jal123_19850812/CVR/CVR.htm
というのも、遠隔操縦で勝手に動くレバーを人力で戻していたため、かなりの怪力を必要としたためです。

自動ピアノ類似の技術です。


<おまけ>
機長昇格実機試験は早い段階で終了していた(それどころではない状況になっていた)
高濱機長「あしたにつなげろ」(佐々木副操縦士に向けて)
http://neko-usa.s22.xrea.com/jal123/wav/3955.wav
佐々木副操縦士「しけんは」
高濱機長「そんなのどおでもいい あーあーあー」
http://www.geocities.jp/jal123_19850812/CVR/CVR.htm
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/562.html

コメント [戦争b5] 911攻撃を体験した山崎淑子さんへのインタビュー 姉葉大作
10. 2010年8月16日 04:30:12: 3IUrUUHkV2
Total Recallに出てくる人に似てますね。
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/496.html#c10
記事 [昼休み41] 日航ジャンボ123便 機長昇格実機試験は早い段階で終了していた  高濱機長「あしたにつなげろ」(佐々木副操縦士に向けて)
機長昇格実機試験は早い段階で終了していた(それどころではない状況になっていた)
高濱機長「あしたにつなげろ」(佐々木副操縦士に向けて)
http://neko-usa.s22.xrea.com/jal123/wav/3955.wav

佐々木副操縦士「しけんは」
高濱機長「そんなのどおでもいい あーあーあー」
http://www.geocities.jp/jal123_19850812/CVR/CVR.htm

<おまけ>
http://www.youtube.com/watch?v=ThyiKD1_yu4&feature=related
「あなたにまた笑顔できっと会える」とはどういうことか。

「空に消える真実」→123便は御巣鷹で空に消えたのが真実
http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/1509.jpg

これは、フィラデルフィア実験類似の徴候を示している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E8%A8%88%E7%94%BB

らんま1/2類似の方法で、JAL123便の乗員乗客は復活できるのある。
http://www.youtube.com/watch?v=XwDMw1odA6w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yyO3fi9XTsE&NR=1
JAL123便の真の意味での救助活動は、まだ終了していないのである。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/563.html

コメント [お知らせ・管理19] チベットよわー さん、2重投稿により一週間の投稿禁止とします。反省文の投稿をお願いします。 管理人さん
04. 管理人さん 2010年8月16日 05:32:20: Master
>>02 >>01 は、2つ消すと確認できないよ。と言っているのでしょう。
あなたはこの件で勘違いしていると思います。

>>01 確認は下記で可能です。

http://groups.google.com/group/asyura_bbs1/search?group=asyura_bbs1&q=%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%BA%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%85%9A%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%92%E4%BD%8E%E8%84%B3%E8%81%B7%E7%A8%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E6%84%9A%E5%BC%84&qt_g=%E3%81%93%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%92%E6%A4%9C%E7%B4%A2
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/117.html#c4

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
05. 2010年8月16日 06:30:18: ywrCLhMZpE
8.12に何故米はJALを攻撃したのか。その理由のひとつに、この8.12が日中平和友好条約調印の日だということに今年やっと気がつきました。この攻撃の後にやってくる米の日本経済攻撃の経緯は歴史のとおり。米攻撃から乗客と日本経済を防衛しようとした当時の機長は、高天原の山なみ(事故当時、墜落地点は御巣鷹山と報道されたが、正確には高天原山系(たかまがはらさんけい)に属する無名の尾根であり、御巣鷹山の南隣に位置する。)へと無念の帰還。80年代が第二の敗戦といわれる所以である。しかし、第二の真珠湾とブッシュが呼んだ9.11によっても米の覇権はついに滅びつつある。幸か不幸か、米の復活はない。石油による覇権は石油の流出とともに沈没する。五大湖は大西洋と一体化することだろう。日本はどうするか。西が没落する時代、東洋に回帰するしかないだろう。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c5
コメント [Ψ空耳の丘Ψ58] バッグに大量の札束をしのばせる中国の隠れ富豪。(隠し資産120兆円?) kokopon
01. 2010年8月16日 06:39:04: wIcpB1Tc7I
>皆さんいろいろ捻ってるようです
たかが人生、死ぬ時までの退屈しのぎ、と割り切れよ
人間は、喰って、寝て、年取って死ぬだけさ (一休禅師)
「病は、気から金から仕打ちから?」昔から賢人は良く心得てました
娘は思春期、私は更年期、息子なげやりで、父は鬱病、爺さん恍惚

貧途の上に人を作らず、貧途の下に人を作らず(淋完)


http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/526.html#c1

記事 [経世済民69] スペインニュースコム: スペインの経済成長率、引き続きEU内で遅れ (スペインニュースコム
http://www.spainnews.com/news/index.html

スペインの経済成長率、引き続きEU内で遅れ

今年第2・四半期のスペインにおける経済成長率は0.2%のプラスと なり、僅かではあるが、6ヶ月連続での成長を示してるが、EU諸国の中では、 依然、末尾グループに属しており、今も後退を続けているギリシアを除けば、 スペインの後に続く国はプラス0.1%のリトアニアと、0%のハンガリー だけとなっている。(ポルトガルはスペインと同じくプラス0.2%)

EU内で最も大きな成長を示したのがドイツで、プラス2.2%を記録しており、 過去23年間で最大の伸びとなった。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/503.html

記事 [経世済民69] リヒテンシュタインの秘密口座: もっとも高額な預金者はイタリア人 (Corriere della Sera
http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/2010/08/post-ad19.html

2010年8月11日 (水)

リヒテンシュタインの秘密口座

リヒテンシュタインの秘密口座のもっとも高額な預金者はイタリア人だった(8月5日、Corriere della Sera).

この事件は、リヒテンシュタインの王家の銀行の元銀行員が秘密口座の名簿の含まれたDVDをドイツ政府に420万ユーロで売却したことから発覚した。

そのディスクの名簿には、3929の口座、5828人が預金をしていたが、もっとも高額な口座はイタリア人によるもので、4億5000万ユーロだった。企業家一家の相続人のものであるということがわかっている。

2010年8月11日 (水) イタリア | 固定リンク

http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/504.html

記事 [経世済民69] オランダ中央統計局: オランダ経済2010年度第2四半期も好調に成長 +2.1% (オランダポートフォリオニュース
http://www.portfolio.nl/article/show/3637

オランダ経済2010年度第2四半期も好調に成長している。1年前同時期に比較すると2.1%の成長である。これは2008年度から初めての2期連続の成長であると、中央統計局(CBS)。
輸出と工業生産はそれぞれ12%、8%と数値を伸ばしている。貿易と輸送部門もこれに牽引されそれぞれ7%、6%と伸びている。

しかしながら個人消費と投資はまだ足踏み状態。個人消費の伸び率は昨年度同時期の0.7%増にとどまった。この増加もガソリン代と新車価格の値上がりによるもので他の消費の増大からきているものではない。インフラへの投資も低い伸びにとどまった。
雇用は17000件の増加で、これは過去5期で初めての増加。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/505.html

コメント [経世済民69] 通貨と国力――いよいよドルは凋落するか/谷口智彦(慶應義塾大学大学院特別招聘教授)、倉都康行(RPテック代表取締役) gikou89
03. 2010年8月16日 07:12:11: kaXgCKbFh6
民主主義の国の方が政治がどう変わるか読みにくいんだよ。
北朝鮮はずっと変わらないけど、日本はコロコロ変わるだろ?
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/493.html#c3
コメント [ペンネーム登録待ち板6] 仙谷由人官房長官がネットユーザーを侮辱 fighter
01. fighter 2010年8月16日 07:23:24: 3eZ3jep8i/A..: uxbz7edgQU
仙谷由人官房長官が11日収録、14日朝放送の文化放送の番組で、いつものことながら、菅直人首相の続投を表明したが、聞き捨てならない発言として
「ネット文化が押し寄せて真偽が定かでないうわさが飛び交う状況にある。国民ももう少し長い目で菅政権をみていただきたい」強調した。

マスコミがマスゴミ→デマゴミに堕落して、報道がねつ造、世論操作のために使われているからこそ、ネットユーザーが苦労して独自情報を入手、アップしているのだ。

時代錯誤も甚だしい。官邸に抗議メールをどんどん送りつけよう。
仙谷は共産主義労働者同盟(フロント)に属していたと言われるが本来、左翼こそ反米、反官僚の先頭に立つべきではないか。堕落もはなはだしい。なお、右翼も戦後のGHQの占領政策によって日本は思想解体されて、米国の属国になってしまったというのが原点だから反米が基本だ。

平野貞夫氏が言うように、冷戦→ポスト冷戦(米国の我が世の春時代、サブプラ・リーマンショックで破綻)→ポスト・ポスト冷戦の時代を迎えている。これをはっきり認識し、国難に備えている政治家は、小沢一郎、亀井静香くらいだ。民主代表選は小沢が圧勝する必要がある。

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/547.html#c1

コメント [医療崩壊3] 千島学説に近づく現代医学(転載)   寅蔵
01. 2010年8月16日 07:24:01: TzulOlY9iE
関連は
牛山博士が開発した画期的なガン治療薬を、なぜ公開の場で厚生省は実験しないのか?
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/278.html

『隠された造血の秘密』腸管造血説と幻の造血幹細胞
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/318.html

いやしくも国会で決定した事を実行するのは公務員の義務であるはずなのに・・
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/282.html

あのとき歴史が変わっていたら・・・重要国会証言シリーズ4回を読めば解る・・医療崩壊の理由ワケ
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/281.html

http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/327.html#c1

記事 [経世済民69] タイ東北地方サケーウ県の保健省事務所: タイで現在食用とされている昆虫は少なくとも194種類(newsclip 
http://www.newsclip.be/news/2010815_028273.html

【タイ】タイ東北地方サケーウ県の保健省事務所によると、東北地方でご飯のおかずとされてきた昆虫類がスナックとしても消費量が増加中だ。タイで現在食用とされている昆虫は少なくとも194種類で、カナブン、タガメ、ハチノコ、アリ、コオロギ、バッタなどが人気という。隣国からの輸入も多く、カンボジア国境のサケーウ県アランヤプラテートの市場では1日に40トン以上が輸入され、取引額は約1000万バーツに上る。

 昆虫の栄養面を見ると、サソリ、チンリート(コオロギの一種)、ノーンパイ(竹虫、ガの幼虫)などは100グラム当たりのカロリーが98―231キロカロリー、タンパク質が9―28グラム、脂肪分2―20グラム、炭水化物1―5グラム。この中では竹虫を除き、いずれも肉類やタマゴなどと同等のタンパク質の高さとなっている。ただ、コレステロールも高く、食べ過ぎには注意が必要といわれる。タイの衛生当局は虫の食用について、生きた虫を捕まえてよく洗って新しい油で揚げること、死んだ虫は農薬の濃度が高い危険があるので食べないことなどを注意している。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/506.html

コメント [戦争b5] 911攻撃を体験した山崎淑子さんへのインタビュー 姉葉大作
11. 2010年8月16日 07:29:51: LidWXod3lQ
岩上安身さんに敬意。
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/496.html#c11
コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
13. 2010年8月16日 07:41:35: jTRIReNK2w
JAL123の事故は生存者の証言や墜落機体の証拠などから

垂直尾翼が吹き飛んだが、圧力隔壁が壊れなかったので
急減圧が起こらなかった。
墜落時に生存者が10名以上居たが

自衛隊の意図的な墜落地点、二転三転で救助が遅れてしまい
4名しか助ける事が出来なかった。

横田基地から出た米軍の救援ヘリはJAL123墜落地点で
救助隊員を2名降下中に横田基地から救援中止命令を受けて帰還

「自衛隊が救援に向かったので米軍救援隊は引き上げた」

ところが自衛隊は墜落地点を二転三転して地元の救助隊を
墜落地点に立ち入ることを妨害した。


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c13

記事 [昼休み41] 9、板垣ブログの現時点での判定は、後追い報道が全く無く、事実半分、ガセ半分の意図的ブログと考えると無難のようです。
http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/502.html
09. 2010年8月16日 07:07:10: 5ewtnZ4geY
板垣氏の怪談も段々本音が出てきたように見える。 小沢政権の誕生を期待しているようなふりをしておいて、実は自民党の復権を期待しているのであろう。 マイケル某との八丈会談などというインチキきわまる作り話から始まり、徐々に小沢離党、自民との大連立に持っていく手法だが、自民党が混乱の最中にあることを見ても実現性が全く無い。 デビッドLFとジェイの家督争いを持ち出してきているが、アメリカの富豪はロックフェラーだけではない。 くだらないの一言に尽きるのでこれ以上読む気もしない。 以前話に出ていたキャンベル国務次官補の方が、まだしも信憑性があった。 N.T
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/564.html
記事 [昼休み41] 「itagaki、信頼すべき情報筋」(検察が、小沢だけ捜査事件の時に、一社にだけガセをリークした時に似ている感じです)
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/fedeb93b5cf824c8dfe40d6e612fbf3b
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/565.html
コメント [医療崩壊3] 現代医学の土台「細胞分裂説」に迫る異端論(転載) 寅蔵
01. 2010年8月16日 08:20:08: TzulOlY9iE
投稿者
上記の図がはいりませんでした。
リンクはhttp://hon42.com/iryou/syoukyo/syoukyo7.jpg
 下記に全文あり
URL:http://hon42.com/iryou/sai.html

細胞分裂説異論の詳細編
http://hon42.com/iryou/sais.html
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/329.html#c1

コメント [戦争b5] 軍事ケインズ経済を最も成功させたナチスドイツとそれを更に進化させた世界最強のアメリカ金融軍事帝国 sagakara
13. 2010年8月16日 08:23:48: Q7zwwRqEbs
書き忘れている ことが一つ 正しくは金本位制 から 紙幣制への 強烈なデフレを回避するため 紙幣制と軍事的需要で補ったである だから大戦は国民労働力(=紙幣制)総動員 という体制が取られた
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/497.html#c13
記事 [昼休み41] 2、ブッシュの命令?で大停電演出?と参拝をした小泉のせいで、靖国神社が米軍施設化しているのを感じます。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1281913546/
11 :時代遅れの靖国神社:2010/08/16(月) 08:09:24 ID:i14SQG6gP


国を思い倒れた者を祀るなら、幕府に殉じた会津兵とかも祀れって。

要するに靖国は、天皇側を賛美し、皇軍を常に正しいとする施設。
軍需工場への爆撃で死んだ民間人は祀られないし、
軍属でも病死だと本来資格無しとされ、「特旨をもって合祀」と嫌らしい区別表記される。

要するに、天皇マンセーごっこ好きな人の、偏狭な施設。
国家神道廃止と同時に、廃止されても良かった施設だ。
普通の戦没者慰霊施設の方がよい。


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/566.html

コメント [戦争b5] F15サウジ売却、84機計画=装備はイスラエルに配慮−米政権(時事通信) 近藤勇
04. 2010年8月16日 08:52:59: esCwwEDcvQ
>>03
>米国から見れば、すでに陳腐化しつつある機体に牙を抜いたモンキースペックモデルの在庫一掃処分セールといったところか。

元々、F-15には牙(長距離射程の対地兵器)は付いていないし、付けられる構造でもありません。


http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/483.html#c4

コメント [口蹄疫・新型インフル02] 口蹄疫対策に関して東国原宮崎県知事のおかしな点 taked4700
09. 2010年8月16日 09:23:26: esCwwEDcvQ
>>06 さん
>taked4700氏のコメントを拝見すると、
>確かに「?」だらけになることがあります。
>でもtaked4700氏は私人、東知事は公人・・・
>私人の話は話半分に聞いておけばよいのです。

>でも、公人がおかしいというのは明らかに「罪」ですよ。

東国原知事は税金(公金)を支出する訳ですから当然責任重大です。
東国原知事は公に対する責任があります。

個人を「誹謗中傷」は「思い込み」や「事実誤認」に基づいて、個人を「誹謗中傷」しました。
当然、どのような言い訳や言い逃れを仕様としても、責任を免れるものではありません。

東国原知事の場合は法的に責任は曖昧ですが、taked4700氏はインターネット検索等で簡単に判明する程度のことを、それさえせずに個人を「誹謗中傷」しています。



http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/778.html#c9

コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
14. 2010年8月16日 09:38:19: obsgkhuV7c
小泉かよw
「小泉政権の後始末」(2006年放送)
http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/files/0926.mp3

※切れ味が鋭かった頃の「藤原直哉氏」のネット放送
毎週聴いてますが、、、なんか、どうでもいいことを最近「しゃべる」ようになった藤原直哉氏w
わしには、そう思うのであります。
これは「珠玉」のネット発言。今も生きてます。なぜなら予測通りに「世の中」が進行してるからです。
◎次々と逮捕される「売国奴」たち。。。。木村剛(竹中の舎弟w)。。。etc.
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c14

コメント [アジア13] -討論!-日韓併合の真実とこれからの日韓・日朝関係[桜H22/7/24] gikou89
01. 2010年8月16日 09:52:14: EJSjheLcHc
大久保・伊藤の売国・国賊どもが、海舟・西郷らの提言を無視して、力の朝鮮外交を推し進めた結果だ!
もっとも、こいつらの後ろで、英国のご主人様が指示していたのだが!
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/659.html#c1
記事 [雑談専用38] 八百長戦争で降伏したかどうかはどうでも良い事なんだけど

日本がアメリカと開戦した理由


それは日本軍は中国ゲリラに勝てない事が誰の目にも明らかになったからです。

アメリカがイラクやアフガニスタンで失敗したのと同じですね。

そこで日本政府が考えたのが、ソ連に日本を占領されるより、アメリカに占領して貰った方がいいという唯一の解決策だったんですね。

即ち、太平洋戦争は八百長だったのです。


昭和天皇の考えた事:


中国ゲリラに勝てない事が誰の目にも明らかになった

→ このままいったら日本に革命が起きる

→ 日本のマルクス主義者がソ連と内通して、ソ連が日本に宣戦布告する

→ ソ連が日本を占領したら天皇家は廃絶、自分は戦犯として殺される

→ こうなったらアメリカに日本を占領して貰うしかない

→日本人が革命を起こす元気が無くなるまで徹底的にアメリカに日本爆撃をやって貰おう

→ アメリカ人に恨まれたら困るから故意に負ける作戦を取ってルーズベルトの心証を良くしておこう、日本兵が革命を起こす気力が無くなる様に無謀な攻撃をさせてクタクタに疲れさせよう


アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。


国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。

米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。


アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、

「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。

すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。

1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。

 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm

対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。

あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。

アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。

あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。


マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。

「戦後の方が食糧がなかった」というのが実態だが、占領軍が食糧を持ち去ってないような状況にして、「食糧援助」と称して恩義を売る。飢餓作戦をやっていた。

占領期の検閲問題なども暴露されていない。きれいにマインドコントロールされるようになっている。マッカーサーは45(昭和20)年9月15日、「プレスコード」(新聞紙法)を発したが、アメリカ占領軍の「検閲」の名による言論統制を四五年秋から非公然に開始した。検閲要員は1万人近くいた。その対象は、新聞・雑誌、放送・演劇脚本・映画、紙芝居・幻灯などのすべてにわたり、国民の手紙や葉書などの郵便物、電話の盗聴までやっていた。

そういうことについても、一切知らせてはならないと、徹底した検閲をやった。日本のメディアは、自分らで自主検閲するようにするし、朝日新聞なんかは自主検閲要領というのをプレスコードの線に沿ってつくっていた。それはいまでも続いているしもっとひどくなっている。一方で、GHQは新聞やラジオなどを直接にも利用して、宣伝していった。第2次大戦についてのアメリカ軍を美化する心理作戦でも、商業新聞に直接GHQが原稿を書いていたり、NHKの「真相はこうだ」という特集などもそうだ。


米軍について悪くいうことを徹底して封じた。だから原爆の実態や空襲実態についても徹底し隠した。沖縄戦なども典型的で、日本軍がみんな殺したようなイメージをつくり出す。マニラとか長沙などへのアメリカ軍の爆撃もみんな隠蔽していた。安岡の戦争体験者が長沙へのアメリカの空襲を近年朝日新聞に投稿したら、ボツにされたといっていた。

戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm

日本の主導権握る米国の姿     2010年5月28日付


 米軍普天間基地問題をめぐって鳩山首相が23日に沖縄を訪問し、「県外移設の公約」を覆して自民党現行案である名護市辺野古沖への新基地建設を進める方針を表明した。同時に「沖縄の痛みを全国で分担しないといけない」といい、全国知事会に働きかけて米軍訓練の受け入れ先探しを本格化させた。新基地建設と全土の基地化である。沖縄も徳之島も大村も岩国も「基地は来るな」が圧倒的な民意である。「それが国民の意志なので引き揚げてくれ」とアメリカに伝えるのが主権在民の国である。しかしメディアがあげて「アメリカが怒っている」と騒ぐなかで、民意に対抗してアメリカの意志をすべてに優先した。日本をアメリカの核戦争の盾にする道であり、自民党と変わらぬ売国政府である。

 外国の軍事基地をおくかどうか、おくならどこへおくかは国の主権の関わる問題である。しかし一連の顛末は、主権が日本政府の側にはまったくなく、アメリカ側にあることをありありと示した。民主党は「普天間基地の県外移設」「米軍再編の見直し」を唱えて衆議院選挙で票を集めた。しかし岩国でも、空母艦載機移転や愛宕山米軍住宅が既成事実のように早早に予算をつけた。「政治」とはウソをつくことであるという現実を人人に思い知らせた。選挙における公約、それに対する有権者の選択という、選挙で国の進路を決めるのではないこと、日本はアメリカが独裁支配する社会であり、主権在民の民主主義社会ではないことを思い知らせた。

 一連の経過は、鳩山のお粗末さを暴露したが、単に鳩山がお粗末というだけでは説明がつかない。日本の大新聞をはじめとしてメディアは総動員で、「アメリカが怒っている」などと大騒ぎをして世論誘導をしたし、財界や御用学者がアメリカの機嫌をとる。そういうなかで鳩山は格好をつける余裕すら与えられなかった。

 アメリカ側は結局、自民党政府と決めた「現行案」を一歩も譲らなかったし、鳩山政府はそれを丸飲みすることしかできなかった。月末までに共同声明で発表するという内容は、2006年に自民党政府が合意した米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)への新基地建設であり、工法は鳩山政府が出したくい打ち桟橋方式でなく、アメリカが主張する頑丈な埋め立て方式に戻すというものだった。大騒ぎして振り出しに戻った。

 加えて普天間基地機能の沖縄県外への分散移転といって、普天間基地の一部機能を徳之島など全国の自衛隊基地に拡大させ、米軍嘉手納基地の戦斗機訓練の県外への拡大、米軍訓練は九州各地の自衛隊基地にローテーションで分散移転させるなどを協議している。選挙で掲げた「米軍再編を見直す」とか「県外移設」などの公約は、基地を減らすようなそぶりをして、実はもっと増強の方向で見直すという意味となった。

 鳩山は23日再度、臆面もなく沖縄県を訪問。県庁で仲井真知事と会談し「代替地は県内、辺野古付近にお願いせざるを得ない」「県外に移設すると、海兵隊の機能を大幅に損なってしまう」といい、沖縄の基地を全国に分散移転するといって、基地を全国に拡大させることに意欲を見せた。

 鳩山政府は「沖縄の痛みを全国で分担しないといけない」といって、全国知事会議を要請し、訓練の受け入れを協議させる。沖縄の負担軽減といって米軍基地の全土化を推進している。大阪の橋下知事などは「今まで基地を受け入れていないところが受け入れるべきで、真っ先に考えないといけないのは関西だ」と表明している。


 米国のための「抑止力」 日本を危険にさらす

 敗戦後65年にわたって外国の軍隊が常駐し、しかもさらに新基地をつくって今後数十年も居座り、その外国軍隊が日本中の自衛隊基地を使用し、さらに港湾、空港などを自由に使用できるようにする。しかも米軍再編の費用3兆円をはじめ、駐留経費は「思いやり予算」などといって年間2000億円も日本の税金から負担する。
 鳩山は、韓国の哨戒艦の沈没事件が北朝鮮の攻撃によるなどのことを取り上げ、アメリカ海兵隊の役割が抑止力として不可欠なことを「勉強すればするほどわかった」などといっている。

 ここで最大の問題は、その「抑止力」の問題である。それが「日本の安全保障のため」ではなく、アメリカの国益のためであり、米軍基地の存在が日本を危険にさらすという問題である。

 日米安保条約は90年代以後、日米の実務者レベルの協議で、「ガイドライン」などといって、どんどん実質的な改定が進行してきた。それはアメリカの世界戦略に従属して、世界的な範囲で自衛隊が役割を果たすようになってきた。イラクなどへの自衛隊の派兵のように、元元恨まれる筋合いのなかった中東アラブ諸国からも恨まれる羽目となった。

 2006年以後の「米軍再編計画」では、米本土から米陸軍第一軍団司令部を座間(神奈川県)に移し、そこに陸自中央即応集団司令部を統合させ、自衛隊の司令部機能を米軍の指揮下においた。さらに青森に米軍Xバンドレーダー配備、横須賀への原子力空母の配備、岩国への厚木艦載機部隊移転計画、自衛隊基地や海自イージス艦へのミサイル配備を実行。それは日本本土を核攻撃拠点とし米本土防衛の盾にするものである。
 九・一一事件以後、基地の町で見ていることは、米軍とその家族の緊急避難訓練である。いざ核攻撃となればさっさとグアムやアメリカ本土に逃げ、標的になるのは逃げ場のない日本人という筋書きである。日本を再びアメリカのために原水爆戦争の火の海に投げ込むことが現実問題として進行していることを、民族の危機として見ないわけにはいかない。宮崎の牛、豚どころか、日本人全体が再びアメリカに引きずり出されて屠殺場に送り込まれるわけにはいかない。

 普天間問題の顛末で、アメリカは軍事の問題では一歩も譲らないし、日本の政府は一言も逆らうことができないという姿を示した。そしてこの軍事支配が、日本の政治、経済、文化など全面的な植民地支配の根幹になっている。

 宮崎の口蹄疫問題による畜産業崩壊の危機も、日本の農水産業など食料生産はつぶしてしまって輸入依存に切り替えろというアメリカの要求とそれに従う売国政治を根源にしている。急激に深刻化する失業や貧困の問題も、日本に金がないからではない。1400兆円といわれる国民の金融資産のうち500兆〜600兆円がアメリカ国債やアメリカのいかさま債権などで巻き上げられ、その下で日本の大企業が200兆円もの内部留保をため込んで有り余る資金が日本国内に回らないからである。

 先日IMFは日本は財政危機であるから消費税を15%に上げろと指図した。日本はIMFの第2位の出資国であるので、出資金を引き揚げればよいし、アメリカの国債を売り払えばよい。しかしそんな自由はない。アメリカの金融独占体の利益を侵すことはできず、日本国民の収奪を強要する一方的な関係である。日本の資産はアメリカに貢ぐという関係も、かつての戦争とその後の軍事支配を根幹としている。米軍基地の問題になるとなに一つ要求は通らないという現実は、軍事力で脅されてものがいえないという植民地支配の現実を示している。

 米軍普天間基地、米軍再編の問題は、日本の平和と民主主義、繁栄の根幹をなす独立をめぐるきわめて鋭い問題となってあらわれている。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/buzamanahatoyamanohenokokaiki.html


君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html

あなたは日本がなぜアメリカと開戦したか全く理解できていないですね
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/265.html

アホ?
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/267.html

必死だね_俺は忙しくてアホの相手してる暇無いんだけど
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/269.html

Re:必死なのはどっち?
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/271.html

本当にアホだねえ、悔しかったらまずこれを否定したら
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/272.html

アホに広田弘毅が、長州憲法(明治憲法)が元凶と言った意味を教えてやるよ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/278.html


アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html

日本人を馬鹿にしきったアメリカ人 _ 基地に入れば、日本とアメリカの関係がよくわかる
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/566.html


http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/687.html

コメント [経世済民69] 消費税率を上げても税収は増えない taked4700
03. 2010年8月16日 10:19:33: LGUfwnafEI
みなさんと見解を異にする人々がこの国を動かしていることは

まちがいない。

現在、日本は「不景気」ではありません。


よって消費税をアップする必要が大有りだということです。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/485.html#c3

コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
15. 2010年8月16日 10:39:21: qlLSgpS0Xr
 悪行は、また悪の手によって片付けられる。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c15
記事 [Ψ空耳の丘Ψ58] 天国編 その3 あなたのパパとママがもうすぐ来られますよ。

           --- (3番目の証し) ---

(黙21:4)(神は)人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。


私たちが到着したとき、この大きなドアが私たちのために開くと、花でいっぱいに満ちた谷が見えてきました。花はとても美しく、またその匂いは素晴らしいものでした。地球では決して感じられない完全な自由を感じました。私たちは心に充ち満ちた平和を感じました。しばらく花を見ていると、花がとてもユニークなことに気付きました。 各々の花弁は異なっており、純粋で、とてもユニークな色をしていました。


心の中で私は主に言いました。花を一つ手に持ってみたいです。主はうなずかれましたので花の一つに近づいて摘み取ろうとしました。でも、何も起こりません。地面から花を引き抜くことができません。花弁や葉っぱを摘み取ることさえできませんでした。その時、主が静けさを破って言われました。「ここでは何事も愛によってしなければなりませんよ。」彼が花に触れられると、花は自分を主の御手に委ねました。それから、主はそれを私たちに下さいました。私たちは歩き続けましたが、花々の香りが私たちの周りに漂っていました。


私たちは非常に美しいドアのある場所に到着しました。そのドアは単純でなくて、優れた技能によって見事な飾りがなされており、宝石が刻み込んでありました。ドアが開いて中に入ると、そこにはたくさんの人がいました。みんなが走り回って何かの準備をしていました。ある人たちは白く輝く布の巻いたものを肩に担いで運んでいます。 ある人たちは金の糸の紡錘を運んでいます。他の人たちは中に遮蔽物のある板状の物を運んでいました。みんなは走りながら懸命に働いていました。


私たちは、なぜみんな急がしそうに走り回っているのですか、と主に尋ねました。すると、主は一人の若者に近くに来るように言われました。この人は布の巻いたのを両肩に担いでいました。彼がやって来て、主を仰ぎ見ました。主が、どうして布の巻き物を運んでいるのかね、と彼に尋ねられると、彼は主を見て言いました。「主よ、この布が何のためであるか、あなたはご存知です!この布で贖われた人たちの衣を、偉大な花嫁の着る衣を作っています。」 これを聞いて私たちは大きな喜びと平和を感じました。黙示録19:8は言います: 「彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。


私たちがそこを出たとき、とても素晴らしい平和を感じました。 主ご自身が私たちのために素晴らしいことをおこなって下さっている素晴らしい光景を見たからです。彼にとってあなたは大切な存在ですから、あなたのために時間と場所を用意して下さっているのです。私たちがその場所から出て来た時、天のあらゆる詳細なことは私たちの目から失われていました。それから、私たちは何百万、何千万という数の、いろんな年齢の子供たちのいる所にやって来ました。彼らが主を見ると、みんな主の愛を感じたくて、主に抱きつこうとしました。みんな主イエスが大好きでした。主がひとりひとりを愛撫してキスしたり手を握ったりしておられるのを見て私たちは泣き出しそうになりました。


御使いたちが赤ん坊たちをリンネルに包んで主に近づくのが見えました。主は赤ん坊たちに愛撫をし、額にキスをされました。それから御使いたちは戻って行きました。私たちは主に尋ねました。なぜ、こんなに大勢の子供たちがいるのですか、子供たちは地球に送られるのですか。主は一瞬何かを感じられた様でしたが、答えて言われました。

「いいえ、子供たちは地球に送られるのではありません!この子たちは地球で中絶された子たちです。彼らの両親は彼らの誕生を望まなかったのです。この子たちは私の子供たちです。私は彼らを愛しています。」私はうなずきました。それから、私は声を震わせながら主に尋ねました。


私が主を知らず、彼がまことの命であることを知らなかった時、私は失敗をしました。他のだれもがやる罪を犯しました。その罪とは妊娠中絶です!私は主と顔を合わせなければならない瞬間でした。私は主に尋ねました。「主よ、私が昔中絶した赤ん坊もここにいますか?」主は「はい」と答えられました。 私は一方の側に歩き始めました。そこに、美しい男の子が見えました。その男の子の側に御使いがいました。御使いは主の方を見ており、その少年は背中をこちらに向けていました。


主が言われました。「ほら、あなたの男の子がいますよ。」私は会いたくて男の子の方に走り出しました。しかし、御使いが彼の手で私を止めました。彼は、まず、男の子の言うことを聞きなさい、と言いました。私は少年が言っていることを聞きました。彼は他の子供たちの方を向いて話していました。それから、彼が御使いに尋ねました。「僕のパパとママがすぐ、ここに来るの?」 御使いは私を見ながら男の子に答えました。「ええ、あなたのパパとママがもうすぐ来られますよ。」


こんなことばを聞く特権がなぜ私に与えられたのか私には分かりません。でも、主が私に与えて下さった最高の贈り物だということが心の中で分かりました。その子は生まれさせて貰えなかったことを知っているようでしたが怒って話してはいませんでした。彼は神様が彼の心に置いて下さった愛をもって、ただ待っているのでした。


私たちは歩き続けました。でも、私は彼のイメージを心にとどめておきました。私は一日中主と共にあるように努める必要があることを知っています。私にはそこに行く理由がもう一つあります。天国にはある人が私を待っているからです。神の言葉はこう言っています。(イザヤ65:19) 「わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。」


私たちはいくつかの小さな山のある所に来ました。そして、主イエスが踊りながらやって来られました。彼の前には白い衣を着た大勢の人々がいました。そして、その人たちは手に緑色のオリーブの枝を持っていました。彼らが空中でその枝を振って油を放ちました。神はあなたのためにすばらしいものを準備しておられます!今、あなたの心を彼の前に置く時です。
主の祝福がありますように。

つづく
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/527.html

コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
69. 2010年8月16日 10:55:40: fzlOgybzD2
>>68
だから、あんたは北朝鮮かアメリカに帰りなよ。そんなに共生社会がイヤなら。
米も北も、どっちも同じ私営独裁社会=公共、政府、税金を否定している社会なんだからwあんたの理想社会だよw

大富豪が、「俺は公共を気取りたい。そうすりゃ奴隷市民も納得する」って言って、勝手に米のFRBや、CFRを作るのも、あんたの言う私有財産を守る為の自由行為でしょw誰がその「自由を奪う」ことが許される?レッセフェール社会に於いてw

大富豪=私有者が自ら、政府を作ることだって、公共を作ることだって自由さwそれが資本主義であり、独裁共産主義だ。あんたが否定する民主主義ではない。
国旗、国家を作り、軍隊を作ったり、911詐欺をやるのも、その資本家の自由さw
私有資産家(=総書記)の私有財産を守る為にねw
つうか、欧州の王侯貴族、中国の皇帝、日本の貴族、等みんなそれを経てきた。

原始自由無法状態を経て、日本は「和」を産み出し重んじてきた。
100%の管理社会も有り得ないし、100%の完全自由社会も有り得ない。

全ての物が私有とか、全ての物が共有とか、100%どちらかというのは有り得ないw
人間は「個と社会」の両面を持ち、それは表裏一体だから。分けることは絶対に出来ないw

何が私有財産か公共財産かを、そこに住む市民自身が考え、決めていく。

人類有史始まって以来の、民主共生主義社会を実現したいね、何としても。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c69

コメント [Ψ空耳の丘Ψ58] 天国編 その3 あなたのパパとママがもうすぐ来られますよ。 山ちゃん
01. 2010年8月16日 11:07:56: qlLSgpS0Xr
 地にもおこなわれますように。山ちゃん、残暑厳しい折柄ご自愛を。
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/527.html#c1
記事 [昼休み41] 「ロッテ6−3楽天」(マー君でも勝てなくなった楽天はトロイの空き缶七奉行が内野を占拠しているようなもので野球になりません
http://baseball.yahoo.co.jp/npb/game/2010081505/top
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/567.html
コメント [戦争b5] 911攻撃を体験した山崎淑子さんへのインタビュー 姉葉大作
12. 2010年8月16日 11:11:34: umGix03Bsg
日米ともに、自由、民主主義をうたい、そうでない国はにもその主義を押し付ける振る舞いをしながら、自国民からは法律を盾にその自由を奪うという、何とも恐ろしい国である。
しかし、2007年の出所帰国から既に3年が経過、昨年サンプロに一時取り上げられたとはいえ、米国との司法関連でこんな問題が起こっていた事実が表に出てこなかったのは何故なのか。
日本にはジャーナリズムは存在しないのか。それとも、日頃マスコミは「日本は米国の属国」などいい問題提起してみせてはいるが、実は「米国の属国」である事を認め肯定する立場にあるのか。
それよりも問題は、日本の政治である。
主権者である自国民の訴えにも耳を傾けず、恐らくは日米地位協定の挟間で起こった象徴的な事案であるにもかかわらず、問題を放置する政治家など存在する価値もないと思うが、海江田、塩崎両氏など世間的に有能と評価される政治家がこの程度では、如何ともしがたい。
日本に政治は存在しないのか。
山崎さんの今後の活動には心から賛同し応援していきたいと思います。

http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/496.html#c12
記事 [雑談専用38] リアルなスパイサスペンス「フェアウェル」公開副島隆彦氏は、同作が事件から30年以上を経た現代に映画化されたことに意義
http://cinesc.cplaza.ne.jp/news/100723/201007230007.html

東西冷戦構造終結の引き金となったスパイ事件を描く、仏映画「フェアウェル さらば、哀しみのスパイ」(クリスチャン・カリオン監督)が公開される。

同作は、スパイという職務に苦悩する人間の姿を描いたリアルなサスペンス。日本人初の「民間人・国家戦略家」として、政治思想、法制度論、社会時事などの評論家として知られる副島隆彦氏は、同作が事件から30年以上を経た現代に映画化されたことに意義があると分析する。

「スパイ映画といえば、ジェームズ・ボンドが有名ですが、あれは娯楽大作です。しかし、そろそろ世界の人々が本当のスパイの物語ということに関心を持つようになった。国家機密を扱う特殊な任務を帯びた人たちが生きる世界は、とても恐ろしい。そろそろそのことに私たちを含めて、気づくようになったんじゃないか。そのことが、時代が進んだということなんです」

1981年春〜82年秋、コードネーム“フェアウェル”として活動していたソビエト連邦KGBのウラジミール・ベトロフ大佐(エミール・クストリッツァ)が、諜報活動に関する極秘情報を敵国のフランスへ漏えいさせた「フェアウェル事件」を映画化。劇中ではパリ・エリゼ宮内の仏大統領執務室での撮影が許可されている。福島氏は、「フランス政府が、この映画を作ることを後押ししているという風に判断する」と見る。

「当時の米レーガン大統領と仏ミッテラン大統領は、なかなか意見が合わなくて反目しあうわけですが、ミッテランがレーガンに直接フェアウェルの文書を渡すシーンがある。これが歴史の真実だったと思うんです。フランスはアメリカとの同盟関係を重視し、入手した最高機密を渡した。この事実を30年後の今、フランスが世界に向かって公表したというところに、この映画の重要な意味がある」

フェアウェルは、共産主義の理想と現実のギャップに苦しみ、息子に希望あふれる祖国を残したいという思いから国を裏切る行為に傾く。情報の受け取り役となったフランス人のピエール(ギヨーム・カネ)も、同じ父親としてフェアウェルに共感するが、妻には危険な行為を非難される場面もある。

「スパイたちにとっても、家族の命や安全が脅かされるというのは恐ろしいこと。それは現実に今、世界で行われていることだと思うんです。家族にも秘密で30年も50年も、アメリカであればCIAの覆面捜査官や外国での情報活動をやっている人たちもいる。それは非常に怖い世界だと思います。そうした緊迫した家族の様子が、この映画には非常によく描かれていました」

「フェアウェル さらば、哀しみのスパイ」は7月31日から公開。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/688.html

コメント [戦争b5] 911攻撃を体験した山崎淑子さんへのインタビュー 姉葉大作
13. 2010年8月16日 11:20:50: rxov5R556U
この山崎さんの実録は、昨年、いまは無きサンプロの特集番組で現地で住んでおられたニューヨークの場所を中心に、インタビュー内容に近い報道がなされました。
しかし、報道内容は獄中の凄惨な状況や、9.11に関する背景などは殆ど報道
されていなかったと記憶しています。
インタビューのなかでも述べられていますが、サンプロで2009.4.26(11:00頃)放送
されています。
関心のある方は、サンプロ番組を検索してください。
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/496.html#c13
記事 [国際4] ロシア森林火災、今後の生態環境が危ぶまれる(中国国際放送)
http://japanese.cri.cn/881/2010/08/13/142s162292.htm

ロシア森林火災、今後の生態環境が危ぶまれる

2010-08-13 16:43:03 cri [A A A]

 ロシア緊急事態省の12日の統計によりますと、ロシアで発生している森林火災は当日の朝までに578ヶ所から545ヶ所に減りました。ロシアの森林火災状況が好転したことを受けて、メドベージェフ大統領は、この日、ヴラジーミルスカヤ州などの三つの州で実施していた緊急実態を解除しました。

 発生各地の火の手はコントロールされていますが、火災によるスモッグはロシアのいくつかの州の生態環境に影響を与え、大気の質も落ちています。特にモスクワとその周辺地域は、これまで2週間スモッグに包まれました。ロシアの関連部門の観測によると、スモッグが一番ひどい時の一酸化炭素の濃度は正常値の6倍以上を越え、ほこりも2倍以上となっています。ですから人々は外出の際はマスクなどをつける必要があります。

 その後9日から南西の風が北風に変わったため、スモッグは消え始めています。ロシア気象部門の12日の報告によりますと、スモッグは一時的に消えたとしても、モスクワとその周辺地域の生態環境はよくなっておらず、大気中の酸素の含有量は、正常値より27%少なくなり、高温天気も続くということです。専門家は、今週末、風向きは、また東の風や東南の風に変わり、モスクワ郊外の森林と沼地の火災で起きるスモッグは再びモスクワを覆うということです。

 ロシアの森林火災がもたらした深刻な気候の変化について、世界自然基金の生物学者は、「これらの火災で多くの二酸化炭素が大気に入り、気候の変動を加速させる。二酸化炭素の濃度が上がることによって、天候のバランスが崩れ、熱い天気がさらに続き、より多くの自然火災が起きうる」と指摘しました。科学者は、火災で生まれた二酸化炭素は大気に残り、今後の30年内により多くの二酸化炭素を出すと見ています。一部の気象学者によりますと、ロシアの森林と沼地で発生した火災によるスモッグは、褐色雲の気団となり、アジアと南アメリカの住民の健康に影響を与えます。また、この褐色雲の気団が北極に移動すると、北極の氷解けを加速させる可能性があります。

 そして、いま一酸化炭素と二酸化炭素の環境と人体への影響より、森林火災による放射性物質の汚染拡大が懸念されているのです。ロシア森林管理部門は11日、「西部にあるチェルノブイリでの原子力発電所事故の影響を受けたブリャンスカヤ州では、6日森林火災が発生し、焼失面積は数百ヘクタールに上っている」と発表しました。 

 ロシアのショイグ緊急事態省相は、このほど、「ブリャンスカヤ州で森林火災が発生すれば、放射性物質の放射レベルは上る」と述べたことがあります。

 またブリャンスカヤ州林業局の局長は11日「森林火災のため、ブリャンスカヤ州では放射レベルが上る可能性が高い。したがって林業局と消防部門は森林火災の再発防止に力を入れている」と述べました。

 このほかロシア緊急事態省の責任者は、12日「ブリャンスカヤ州の土壌の中の放射物の放射状況は正常範囲にある」と発表しました。

http://www.asyura2.com/09/kokusai4/msg/865.html

記事 [昼休み41] 「alternative、NATOを支配、中国」(米国=ヒモよりも、大昔の直属上司・中国との関係を大事にすべきです)
http://alternativereport1.seesaa.net/article/159466460.html
2010年08月15日
ヨーロッパ・アメリカ統一軍=NATO軍を、支配下に置き始めた、金融大国=中国

ヨーロッパ・アメリカ統一軍=NATO軍を、支配下に置き始めた、

金融大国=中国。


詳細は、メールマガジン版オルタナティヴ通信、バックナンバー5月号。


「中国共産党を支配下に置き、ユーラシア大帝国の形成に向かう、ナチス勢力」


申し込みは、ここをクリックし、必要事項を、ご記載ください。  

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/568.html

記事 [カルト7] Re: 創価学会が最も恐れて抹殺したつもりのウルトラC文書
創価学会は電通と組んで日本のマスコミを好きなように支配し、広告を出さないという強迫手段を使って新聞や雑誌を脅かすことで、反創価学会や公明党批判の記事や本についての記事が、出ないように工作していることはよく知られている。数えきれないくらいあるのだ。
古本で探してもブックオフにもないのは、創価学会員を動員して買い集めて燃やしたという話だし、アマゾンでもなくて一時は定価の十五倍の値がついたと新しいタイプの出版妨害のやり方
http://www.asyura2.com/07/cult5/msg/341.html

投稿者 ラムセス 日時 2008 年 4 月 02 日 16:13:05: wc49qrd.DWqeY
出版妨害というと、本を出すのを妨害する工作であるが、出てしまった本は買占めや買取などで読者が読めないようにすることは、手口として良く知られていることだ。ところがそれがベストセラーになった本だったので、目的をうまく達することが出来なかったらしい。その本は「小泉純一郎と日本の病理」で確かにベストセラーだった。
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%97%85%E7%90%86-Koizumis-Zombie-Politics-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4334933688/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1207019518&sr=1-1
ところが紹介や書評がでないようにして、本を抹殺しようとしたが、その作戦が余りにもパーフェクトだったので、却って不信感を抱いて調べたら、妨害工作があったということが分かったと著者が書いている記事があった。ベストセラーになった本が、書評や紹介が全くなかったというのは、理解が困難だといえる不思議な現象だと思う。こんなことが今時の日本で起きることがありうるだろうか。
この本が創価学会にとって困ることが満載されているので、抹殺されたことはウエブ情報で幾らでも知られて居て分かる。
<貼りつけ>
2009/11/09 22:35

私は藤原さんが書いた『小泉純一郎と日本の病理』を買って読んだことがあるので、再び取り出して207ページ から214ページまでを読み直して、創価学会についてこんなに凄い分析をしていたのかと驚きました。改めてじっくりと読み直したことで、創価学会の危険な 野望と恐ろしい企みが良く分かり、思わずぞっとしました。創価学会がこの本を買い集めて恨みを込めて燃してしまったという理由が納得できました。私は本を スキャン出来ませんが、誰かできる人が記事をスキャンして、このカルトのサイトで読めるようにして下さったらと思います。
2009/11/10 08:25

藤原肇さんの『さらば暴政』の後書きに、『小泉純一郎と日本の病理』葉新聞や雑誌に書評や紹介がゼロという記 録を生み、恐らくこれは日本新記録だと思う、と書いてあったことからすると、これだけズバリと創価学会の持つ危険性について指摘したので、きっと創価学会 が圧力をかけて妨害したのだという気がする。藤原弘達先生に続いて二人目に同じ藤原の家系の藤原肇先生が出版妨害を受けたのは、富士宮に本拠を持っていた 創価学会による、日本のシンボルである富士山への挑発だったのかもしれない。富士山が爆発して創価学会を溶岩で埋めてしまえば良い。南無妙法蓮華経アーメン。
2009/11/10 09:36

創価学会はご臨終寸前だ
2009/11/10 15:07http://www.asyura2.com/07/cult5/msg/206.html
このように組織に都合の悪い情報を抹殺して、情報操作をしている創価学会は、思想や報道の自由を破壊して憲法違反をしている。紙の本は出版妨害や燃やしてしまえば無くなるので、ヒトラーや池田大作はその手を使って批判を封じ込めて来た。だが今はibookやKindleがあるために、情報を消すことは不可能だ。
『小泉純一郎と日本の病理』が書店や古本屋から消えても、情報は生きているのだから、復活させて読めるようにしたらいいだけではないか。そこでこの本から創価学会に関係したところをスキャンしたら、大変な情報が読者のために蘇ったのでありそれを発表すれば、阿修羅が創価学会に買収されない限り読めるはずである。
『小泉純一郎と日本の病理』の第六章からの抜粋
<貼りつけ>
公明党―創価学会という「劇薬」を飲んだ小泉

小泉改革がペテンなのは、小泉内閣が公明党New Komeitoによって支えられていることにも起因する。公明党の裏側(支持母体)に創価学会Soka Gakkaiがあるのは周知のことだから、改革は創価学会に操られることとなる。
創価学会は、フランスではカルト教団cultに指定されている。
「宗教の仮面をかぶった全体主義」ということで、社会に有害な組織だとされているのである。1996年末、パリの行政裁判所が下した判決は、「創価学会は、雑誌、本、アクセサリー 、集会などの営利活動を利用して、収入の大半を、収益率50%のビジネスを行っており、その活動は公権力への浸透を目指す」というものだった。
しかも、本来の仏教の戒律commandment of Buddhismは、経済行為を厳禁している。そのため、仏教者の生活は、喜捨にもとづき、必要以上の富を得ることはできない。しかし、日本の仏教は鎖国national isolationの影響もあってか、国内で独自の俗的発展を遂げてしまい、そのまま創価学会が引き継いでしまった。世界のどこに、営利事業commercial businessを行う仏教があるのか?
 宗教religionは、人間の内面と聖なる領域を扱う活動だが、カルトは、世俗権力と結ぶ政治性の強い排他的な教団である。しかも、盲目的な忠誠を求め、批判精神を奪い、社会の価値観に敵対することが多い。それゆえ、フランスには、苦労して政教分離politico-religious separationを実現してきた歴史がある。
では、フランスでは、どんな基準でカルトの査定をするのだろうか? それは、以下の3点である。
@反社会的な教義と行動
A公共秩序の撹乱と破壊
B多くの裁判沙汰を起こす体質
 文明の歴史を宗教との関連から振り返れば、近代社会modern societyを特徴づけるのは「政教分離」の原則である。つまり、俗secularと聖sacredの分離を確立することが近代の始まりであった。これが明確にされて始めて、「信教の自由」freedom of religionが保障される。
 だから、日本国憲法our Constitutionの第20条は、政教分離に関して、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と規定している。しかも、第89条において、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、または公の支配に属さない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出またはその利用に供してはならない」と規定している。
 それにもかかわらず、日本では、憲法の規定がないがしろにされ、宗教団体は、宗教法人としての非課税tax-freeの特権を活用し、蓄財accumulation of wealthに励んでいる。また、1995年秋の国会での質疑応答によれば、創価学会は10兆円という巨大な資産を持っており、不動産の資産評価は9兆円にものぼるという。スイスの銀行口座には、大預金huge depositが眠っているらしい。
このように見てくると、小泉純一郎と池(いけ)田(だ)大(だい)作(さく)の組み合わせが、日本を独裁dictatorshipと全体主義totalitarianismへと導くのは歴然としている。
にもかかわらず、自民党は、延命のために、この「劇薬」dangerous drugを飲み込んでしまった。劇薬は、最初のうちは効き目effectがある。しかし、いずれは本体を蝕み、乗っ取ってしまうだろう。学会が進める「総体革命」が、「改革」に取って代わる可能性がある。

「総体革命」の威力と忍びよる全体主義

創価学会が公明党をつくって政界に進出した時、大(おお)宅(や)壮(そう)一(いち)(1900-1970)は、「ファシズムの体質がある」と指摘した。また田中角栄は、当時の池田大作を名指しで、「法(ほ)華(け)経(きよう)を唱えるヒトラーだ」と言い切り、公明党を操る創価学会の体質を喝(かつ)破(ぱ)find outした。
現に池田大作は、1972年の社長会の席上で、「今の世の中は個人主義と自由主義だが、本当は、全体主義がいちばん理想の形態だ」と発言している。そして、その頃から「天下取り」rule over the whole of Japanを目指す創価学会の活動が始まったのである。
こうして、池田の野望と独善により、創価学会は信仰を逸脱してカルト性を強め、今では日(にち)蓮(れん)正(しよう)宗(しゆう)からも破門(1990)され、池田教に成り果てている。そして、「天下取り」という妄執に取り付かれ、「総体革命」の道に踏み込んでしまった。
「総体革命」は「天下取り」のための布石milestoneである。今や創価学会は、官庁や有力組織の内部に浸透し、拠点baseをつくり、幹部会員をネットワーク化し、“いざ鎌倉”the time of uprisingの時に備えている。
「総体革命」の最優先ターゲットfirst priority targetは、法務省と外務省であり、検事prosecutorになった会員は、すでに100人に達している。在外公館職員の4分の1は学会員であり、自民党員の3分の1も命綱を握られている。その下に、社会の下層を構成する伝統集団traditional groupsが位置し、芸能界や自衛隊にも隠れ会員invisible memberがいて、組織力はあらゆる業界に広がっているのだ。
これら代表的な集団には、次のようなものがある。
「大鳳会」外交官の学会員グループ
「旭日グループ」弁護士と検事の学会員グループ
「草峰グループ」理容師の学会員グループ
「白樺グループ」看護婦の学会員グループ
「白雲会」調理士の学会員グループ
「金城会」ボディーガードの学会員グループ
「鉄人会」建設と大工関係の学会員グループ
「牙城会」警備関係の学会員グループ
「ブロンズ会」国家試験合格の学会員グループ
こうした組織力organizingと機動性mobilityの高さは、今や自民党を圧倒しており、絶対服従(Ikeda is the law.)の堅固な統一機構を誇っており、「天下取り」の命令を待ち構えている。
評論家の藤(ふじ)原(わら)弘(ひろ)達(たつ)(1921-1999)が書いた『創価学会を斬る』(日新報道1969)には、次のような記述がある。

〈公明党が社会党と連立政権を組むとか、野党連合の中に入ると言うようなことは、まずありえないと私は考える。その意味において、自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラーが出たときの形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に微妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的な傾向にもっていく起爆的な役割として、働く可能性も非常に多く持っている。そうなったときには日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階においてあえて言う〉

この藤原の予言predictionは、ほぼ的中したと言わざるを得ない。
歴史を鑑にして現在の状況を見れば、従来は「突撃隊」を中心に動いた大衆運動mass movementが、エリートによる「親衛隊」を主役にしたものへと転化している。エリートは、主に法務省と外務省を中心に構成され、特に際立っているのが法務官僚への支配力だろう。高検検事のうちで15名が学会員だという。そして、検察が汚職議員を監視watchingする“威力”の前で、利権で汚れた自民党の族議員LDP members working for the special interestsは怯えているという。そして、それが、自民党LDPが公明党New Komeitoに追従suck aroundする理由とも聞く。
検察の国家権力を使った暴虐行為については、「ムネオ事件」(2002)で逮捕された佐(さ)藤(とう)優(まさる)・元外務省ロシア情報分析官が、著書『国家の罠』(新潮社 2005)の中で暴露している。それによると、検察官は「これは国策捜査なんだ。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男を繋げる事件を作るため、国策捜査は時代のけじめをつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出してそれを断罪する」と佐藤に語っている。
とすれば、もし学会が検察権力を握った時、何が起こるかは言うまでもあるまい。

間違いなく日本のデモクラシー は壊れる

小泉改革の政治手法は、すべてを白か黒かで分ける「二分法」two-category systemである。ここには、改革派か反対派しか存在しない。つまり、「敵か味方か」with or againstだけである。
これは、池田大作の考え方とまったく同じである。池田に側近として長らく仕えた原(はら)島(しま)嵩(たかし)・元創価学会教学部長は、「創価学会は常に敵をつくらなければ、結束を維持できない組織です」という指摘をしている。つまり、小泉も池田も「魔女狩り」witch-huntをするということである。
しかも、このような現代版の「魔女狩り」は、IT技術が発達した情報化時代では、複雑怪奇な様相を見せている。つまり、個人情報personal dataが国際的な利権になり、多重債務で行方不明になった人の戸籍がサラ金業者loan-sharkを通じて市場に流れ、日本人の国籍が国外で売買されている。それによって、日本人に成りすました人物が地方議員の中にもかなりいると言われているのだ。
また、ヤフーBBの450万人個人情報流出事件は、宮(みや)本(もと)顕(けん)治(じ)共産党委員長電話盗聴事件の主犯で創価学会の全国副男子部長だった竹(たけ)岡(おか)誠(せい)治(じ)容疑者が、関与していた。
『月刊・現代』(2005年7月号)で、「宗教に権力が屈するとき」と題して、ジャーナリストの魚(うお)住(ずみ)明(あきら)と前参議院議員の平(ひら)野(の)貞(さだ)夫(お)が対談している。この中で、平野は、次のような恐ろしい指摘をしている。

〈平野 いまの自公政権の構造は、自民党内の柔軟な保守層を政権中枢から外した小泉首相と、ともすれば、一気にファシズムに傾きかねない公明党との結合体となっています。これが議会を機能させないような働きをしているんです。自民・公明が合意してしまえば、多数を握っているわけだから、もう民主党に議論させないでしょう。これでは本来、国民の要請を受けて国会議員が果たすべきチェック機能が働きませんよ。
 それから日歯連から橋本派へ渡った迂回献金の問題について、本来だったら公明党が一番、政治倫理の確立を言うべきでしょう。それなのに、橋本元首相の証人喚問もしようとしない。「これで打ち切り」となったら一切議論しない。
 魚住 結局、自公政権になってから、議会が機能しなくなっているのですね。
 平野 まさに、それこそ間題なんです。私がもっとも心配するのは、公明党がいままでの動きを反省せずに、この路線を突っ走り、近い将来、彼らと安倍晋三が組んだ政権ができることです。
 公明党は田中角栄以来、竹下派‐小渕派‐橋本派というラインとの関係が深いことはよく知られています。しかし、じつは創価学会は戸田城聖会長の時代から、岸信介と関係が深かったんです。岸さんが亡くなったときには聖教新聞が一面トップで大きく報じ、追悼記事を組んだほどです。
岸の政治的DNAを引き継ぐ安倍さんと、ある意味で戸田城聖の遺言を忠実に守っている池田大作体制下の創価学会が、もう一度結びつく可能性は決して低くありません。私はそれを懸念しています。安倍さんには、いま国内の一部の勢力が振り付けをしようとしている。そこに学会まで乗ってきたら、間違いなく日本のデモクラシー は壊れます〉


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/635.html

コメント [昼休み41] 天木氏のように宦官組織に裏切られた古賀茂明氏は、審議官時代以上に、宦官組織の改革術を身につけた筈です。 小沢内閣待望論
01. 2010年8月16日 12:00:55: nRhCUqWhJY
古賀○明って何か聞いたような名前と思ったら、ある独法に理事で天下って職員二人を自殺に追い込んだ張本人じゃないか。官房付に居座って公務員で年収2千万円なんてふざけたことを考えるな。まずは潔く公務員を辞めて、それから自分でハロワにでも行って仕事を見つけろ。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/319.html#c1
記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦記念日」でいい。敗戦記念日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦記念日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦記念日」でも良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦記念日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦記念日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

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しかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の罪やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

As a citizen of the United States of America
I want to express to you tonight my sorrow and regret for the pain and sufferring caused by the cruel and unneccessary atomic bombing of your cities.
I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

MacArthur To Receive Surrender

Formal Proclamation of V-J Day Awaits Signing of Those Articles -- Cease-Fire Order Given to the Allied Forces

By ARTHUR KROCK

Special to THE NEW YORK TIMES


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Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45

 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

下記、番組で終戦15日の翌日、111人の若者たちが特攻に出撃準備中に死亡した事実が語られています。(最初に「この部分の映像は版権等の事情により公開致しません。ご了承ください。」表示がしばらく出ますが、しばらく待っていると番組が始まります。なお途中でも何回かこの表示が出ます。)

8月10日(日)午後2時〜3時25分 ザ・スクープスペシャル第24弾

「終戦翌日に何が?特攻隊員ら111人死亡…特攻艇"震洋"の悲劇」
(ADSL 300k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0300.asx
(ISDN 64k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0064.asx

>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05


勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
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あ

クリックで⇒なぜ、小沢氏は検察に目の敵にされ執拗に検察に攻撃されるのか、その理由はこれ。
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http://www.asyura2.com/10/test19/msg/801.html

記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦記念日」でいい。敗戦記念日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦記念日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦記念日」でも良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦記念日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦記念日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

(クリックすると拡大します)
0814_bigしかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の罪やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

As a citizen of the United States of America
I want to express to you tonight my sorrow and regret for the pain and sufferring caused by the cruel and unneccessary atomic bombing of your cities.
I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

MacArthur To Receive Surrender

Formal Proclamation of V-J Day Awaits Signing of Those Articles -- Cease-Fire Order Given to the Allied Forces

By ARTHUR KROCK

Special to THE NEW YORK TIMES


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Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45
 
 
 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

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>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05
 
 
 
勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
28SOBA←Twitter(ツイッター)

クリックで⇒あのジェラルド・カーティスの正体はCIAへの情報提供者だった!そのカーティスが菅首相を操ろうとしている。
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記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいい。敗戦の日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦の日」でも良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦の日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦の日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

(クリックすると拡大します)
0814_bigしかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の罪やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

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I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

MacArthur To Receive Surrender

Formal Proclamation of V-J Day Awaits Signing of Those Articles -- Cease-Fire Order Given to the Allied Forces

By ARTHUR KROCK

Special to THE NEW YORK TIMES


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MacArthur Begins Orders to Hirohito

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Cruiser Sunk, 1,196 Casualties; Took Atom Bomb Cargo to Guam

Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45
 
 
 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

下記、番組で終戦15日の翌日、111人の若者たちが特攻に出撃準備中に死亡した事実が語られています。(最初に「この部分の映像は版権等の事情により公開致しません。ご了承ください。」表示がしばらく出ますが、しばらく待っていると番組が始まります。なお途中でも何回かこの表示が出ます。)

8月10日(日)午後2時〜3時25分 ザ・スクープスペシャル第24弾

「終戦翌日に何が?特攻隊員ら111人死亡…特攻艇"震洋"の悲劇」
(ADSL 300k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0300.asx
(ISDN 64k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0064.asx

>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05
 
 
 
勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
28SOBA←Twitter(ツイッター)

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http://www.asyura2.com/10/test19/msg/803.html

コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
16. 2010年8月16日 12:49:38: esCwwEDcvQ
>>10
>●圧力隔壁の破裂でラダー(方向舵)が制御不能となったためダッジロールしたというが、エルロン(主翼についている補助翼)は圧力に隔壁と無関係なのでほぼ正常に動作していたと思われ、かなり自由に操縦できたはずである。(昔のラジコン飛行機ではラダーを制御せずエルロンだけで操縦する方式もあった)

油圧系統が破壊されて油圧動作が出来ず、操作が可能だったのは電動で動作可能なフラップ若しくはエンジン出力だけだったのではないか。

>●圧力隔壁の破損でキャビン内外の気圧差による急激な空気の流れが生じてラダーが破壊されたとされているが、生存者はそれ程強い気流が生じてはいなかったの証言している。

アフターバルクヘッドが破れても客室エリアは内装されており、内装材の隙間からの漏れなので急激な減圧は起こらなかったと考えられる。一方貨物エリアの減圧は急激であったと考えられる。


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c16

コメント [環境・エネルギー・天文板4] 氷河から巨大な「氷の島」が崩落 グリーンランド北部(CNN) ピノキ
09. 2010年8月16日 12:55:55: tCTeyFIUac
記録的な猛暑に見舞われているウラル山脈以西のロシア西部で、「偏西風の大蛇行」に依る高温による乾燥と強風で泥炭層や森林の火災が深刻化という。

ロシア当局の発表によると、 高温と乾燥も原因らしいが、人為的な火災が65%ということだ。

まあ、森林の下は広大な「泥炭層」になっているから、いったん火が付いたら、「焼夷弾」のように炎が舞い上がって次々に延焼する。

そこら辺の問題でなかなか鎮火させることが難しいということらしい。

7月に記録した摂氏38.2度は、モスクワで観測された過去最高という。

(モスクワの気候は、比較的多湿で暖かな夏と長く寒い冬を特徴とする亜寒帯湿潤気候に属しています。6月から8月までが夏になり気温は約22℃まで上がり、冬には気温が-10℃まで低下します。)


・グリーンランドと周辺について
北極圏にも夏があって、北極圏に属するグリーンランド島は、夏涼しく、冬寒いを特徴とする。

沿岸部以外は氷床に覆われるが、最北部は空気が乾燥しているため雪が降らず、氷に覆われていない。

南東約300kmにはデンマーク海峡をはさんで、火山島アイスランド、ヤンマイエン島などがある。

アイスランドには「地熱」に依る豊富な温泉や地熱発電所がある。

火山島の多い北極圏には、 ヤンマイエン島、アイスランド島から北極を通ってロシアにいたる地殻変動帯が多く「海底地震」が頻発していているところ。

永久凍土のスピッツベルゲン島には海底地震観測基地がある。

   ヤンマイエン島  氷河に覆われている火山島
   アイスランド島  氷河に覆われている火山島。 最北部は空気が乾燥して雪が降らず、氷に覆われていない。間欠泉、地熱発電所がある。
地熱による豊富な温泉がある。
冬でも温暖(−3℃。フィンランドはー20℃)
  
   スピッツベルゲン島  氷河に覆われている。永久凍土。海底地震観測基地がある。

なお、北極圏に近いシベリアは「永久凍土地帯」である。永久凍土地帯は超大陸性気候が特徴で、冬と夏との寒暖差は100℃を越える。

1933年に、北半球最低気温−71℃を記録した北東シベリアのオイミャコンでは、夏は日本と同じ37℃位にになるという。

「オイミャコン」とは「不凍の水の意」で、近くに「温泉」が湧いていることによるのだそうだ。

北半球最寒地帯に温泉が湧いているというは、南極に温泉があることと類似している。

「永久凍土」といっても最深部だけで、夏には凍土が溶けて草花が咲く光景になる。

これが地球の厳しい自然の実態なのです。だから溶けた・・からと言ってどうってことはないのです。

・ツンドラ・永久凍土とシベリア
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/dairyA/encarta/dairy/tundora/tundora.html


・南極
 1983年  ロシア、ボストーク基地 −89.2℃。(反対側南極半島には天然温泉あり。)
・北極圏
 1933年  シベリアのオイミャコン −71℃ 。永久凍土であるにもかかわらず、天然の温泉が近くに湧いている。
 1892年  シベリアのベルホヤンスク ー67.8℃ ・・夏37℃
  
 
(参考)地震のいろいろ
・通常の地震(海底地震を含む) 地殻変動に依る
・火山性地震          マグマの活動に依る
・氷河性地震        氷河の活動に依る。南極ではM7位も起こっている。

 (火山には氷床や氷河の下に在る「氷河低火山」や「泥火山」など多様であるが氷河などを崩落させるには余りあるエネルギーを持つ。)


http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/486.html#c9

記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいい。敗戦の日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦の日」でも良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦の日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦の日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

(クリックすると拡大します)
0814_bigしかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の不都合やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

As a citizen of the United States of America
I want to express to you tonight my sorrow and regret for the pain and sufferring caused by the cruel and unneccessary atomic bombing of your cities.
I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

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Cruiser Sunk, 1,196 Casualties; Took Atom Bomb Cargo to Guam

Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45
 
 
 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

下記、番組で終戦15日の翌日、111人の若者たちが特攻に出撃準備中に死亡した事実が語られています。(最初に「この部分の映像は版権等の事情により公開致しません。ご了承ください。」表示がしばらく出ますが、しばらく待っていると番組が始まります。なお途中でも何回かこの表示が出ます。)

8月10日(日)午後2時〜3時25分 ザ・スクープスペシャル第24弾

「終戦翌日に何が?特攻隊員ら111人死亡…特攻艇"震洋"の悲劇」
(ADSL 300k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0300.asx
(ISDN 64k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0064.asx

>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05
 
 
 
勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
28SOBA←Twitter(ツイッター)

クリックで⇒あのジェラルド・カーティスの正体はCIAへの情報提供者だった!そのカーティスが菅首相を操ろうとしている。
あ

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http://www.asyura2.com/10/test19/msg/804.html

コメント [戦争b5] 911攻撃を体験した山崎淑子さんへのインタビュー 姉葉大作
14. 2010年8月16日 13:04:13: FvjRc7KN3c
映画化してほしいですね

 勇気ある監督さんへ
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/496.html#c14

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
06. 2010年8月16日 13:19:03: esCwwEDcvQ
>ジェット燃料はJET-A/40という灯油の部類でケロシンというが、マイナス50度の上空でも凍結しないように、灯油よりも純度が高く、水分が少ない。

JET-A/40ではなく、
「Jet A(析出点は-40℃)」若しくは、「Jet A-1(析出点は-50℃)」でしょう。
純度でいえば民生用の灯油よりもジェット燃料の方が、水や金属、硫黄分などの不純物を多く含んでいます。
添加剤もジェット燃料の方が多種の物を添加しています。

単純燃焼では灯油と比較しても、炎、煙等の違いはありません。


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c6

記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいい。敗戦の日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦の日」で良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦の日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦の日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

参考:Wikipediaより。
ポツダム宣言(ポツダムせんげん、The Potsdam Declaration)は、ポツダム会談での合意に基づいて、アメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、1945年(昭和20年)7月26日に大日本帝国(日本)に対して発した、第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)に関し、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた13条から成る宣言。

ソビエト連邦は同年8月9日の対日参戦後に宣言に加わった。宣言を発した各国の名をとって、「米英支ソ四国共同宣言」[1]ともいう。

1945年8月14日、日本政府は宣言の受諾を駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告、このことは翌8月15日に国民に発表された(玉音放送)。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。これにより、宣言ははじめて法的な効果を持つこととなった。

(クリックすると拡大します)
0814_bigしかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の不都合やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

As a citizen of the United States of America
I want to express to you tonight my sorrow and regret for the pain and sufferring caused by the cruel and unneccessary atomic bombing of your cities.
I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

MacArthur To Receive Surrender

Formal Proclamation of V-J Day Awaits Signing of Those Articles -- Cease-Fire Order Given to the Allied Forces

By ARTHUR KROCK

Special to THE NEW YORK TIMES


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Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45
 
 
 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

下記、番組で終戦15日の翌日、111人の若者たちが特攻に出撃準備中に死亡した事実が語られています。(最初に「この部分の映像は版権等の事情により公開致しません。ご了承ください。」表示がしばらく出ますが、しばらく待っていると番組が始まります。なお途中でも何回かこの表示が出ます。)

8月10日(日)午後2時〜3時25分 ザ・スクープスペシャル第24弾

「終戦翌日に何が?特攻隊員ら111人死亡…特攻艇"震洋"の悲劇」
(ADSL 300k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0300.asx
(ISDN 64k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0064.asx

>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05
 
 
 
勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
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http://www.asyura2.com/10/test19/msg/805.html

コメント [環境・エネルギー・天文板4] 日本だけじゃなかった…世界の空がおかしい 炎暑 豪雨 寒波 gikou89
13. 2010年8月16日 13:23:37: B5offegeiY
阿修羅さんへ
太陽で爆発があったそうですが、以前のデータと比較しても大差ありませんでした。
(実際に多少の違いは見られます(笑)が、以前も同様にありましたから、大きく騒ぐ事ではありません。)
そうやって煽るなら、どうぞご自身でご確認くださいませ。
HAARP Induction Magnetometer
http://137.229.36.30/cgi-bin/scmag/disp-scmag.cgi

私は某書で気象庁もIPCCの手先と理解できました。
今後気象庁のデータは一切証拠にはなりませんから、ご注意ください。
(データの改竄があるのです。)

税金で食わせてもらっている連中が何やってんでしょうね。

http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/483.html#c13

記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいい。敗戦の日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦の日」で良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦の日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦の日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

参考:Wikipediaより。
ポツダム宣言(ポツダムせんげん、The Potsdam Declaration)は、ポツダム会談での合意に基づいて、アメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、1945年(昭和20年)7月26日に大日本帝国(日本)に対して発した、第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)に関し、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた13条から成る宣言。

ソビエト連邦は同年8月9日の対日参戦後に宣言に加わった。宣言を発した各国の名をとって、「米英支ソ四国共同宣言」[1]ともいう。

1945年8月14日、日本政府は宣言の受諾を駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告、このことは翌8月15日に国民に発表された(玉音放送)。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。これにより、宣言ははじめて法的な効果を持つこととなった。

(クリックすると拡大します)
0814_bigしかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の不都合やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

As a citizen of the United States of America
I want to express to you tonight my sorrow and regret for the pain and sufferring caused by the cruel and unneccessary atomic bombing of your cities.
I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

MacArthur To Receive Surrender

Formal Proclamation of V-J Day Awaits Signing of Those Articles -- Cease-Fire Order Given to the Allied Forces

By ARTHUR KROCK

Special to THE NEW YORK TIMES


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Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45
 
 
 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

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>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05
 
 
 
勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
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記事 [テスト19] Re: テスト
2008/08/16のエントリーです。

勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいい。敗戦の日なら9・2だろう。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/08/post_6405.html


 国に対して「戦争責任」(無謀な戦争を始めた事、場合によれば敗戦責任)を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦の日」でいいだろうって事です。

 逆に言うと、その時の国民全員がおのれ自身が”国”みたいな一体感を持っていて「敗戦」と思い、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪い。国民にとっては終わってホッとで「終戦の日」で良いと思う。要するに勝った負けたを俺達国民に押しつけるなって事です。「終わってホッとしたよ」の8月15日が終戦の日。9月2日のミズリー号艦上「降伏文書」調印が敗戦の日でいい。当然「戦争責任」を問うはあって然るべきです。

 なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で

今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。
って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。

参考:Wikipediaより。
ポツダム宣言(ポツダムせんげん、The Potsdam Declaration)は、ポツダム会談での合意に基づいて、アメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、1945年(昭和20年)7月26日に大日本帝国(日本)に対して発した、第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)に関し、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた13条から成る宣言。

ソビエト連邦は同年8月9日の対日参戦後に宣言に加わった。宣言を発した各国の名をとって、「米英支ソ四国共同宣言」[1]ともいう。

1945年8月14日、日本政府は宣言の受諾を駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告、このことは翌8月15日に国民に発表された(玉音放送)。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。これにより、宣言ははじめて法的な効果を持つこととなった。

(クリックすると拡大します)
0814_bigしかし勝った米国の、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「Japan Surrenders, End of War! 」って書いていて、「End of War! 」、終戦って言葉を使っています。まあ、見出し全体や記事本文では自分たちが勝ったとは言っているのですが、「勝つには勝ったが、終わってよかったよ」って感じが「End of War!  」のところににじみ出ています。国民や読者の声を率直に代弁したのでしょう。

 勝ってる米国でさえ「End of War! 」と喜んでいるのに、我々日本人が「戦争が終わった=終戦」と喜ぶ事に何の不都合やある。

 「敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。」こう言う言い方って、左巻き方面と、昔の赤尾敏のような右翼のおっさんには好まれる論法なんだと思います。まあ、思惑は当然違っていて、左巻き方面の場合は、使う言葉によって仲間を確認する見たいなのもあって、「敗戦記念日」と言う言葉を使ったら「おお仲間がいた」みたいな感じで使ったり、「敗戦記念日」と言う言葉を使うか使わないかでオルグ対象のオルグ度を忖度したりするのかもしれない。(笑)

参考:反戦塾のましまさんや逝きし世の面影さんがコメントをつけてくれ、やり取りしましたがなかなか勉強になりました。

 
以前のエントリーで、城山三郎さんのまるで遺言のような(なくなる約4ヶ月前です)佐高信さんとの集会での対談の録音と、「旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」をご紹介しました。城山さんは広島と呉との中間の山の上の基地で15日を迎えています。佐高の「城山さんは戦争が終わった日のことをすごく空が青かったと書かれていますよね?」に対して「きれいだったですねぇ、、、、、」と返しています(後半の方の音声ファイル、2分あたりから/全10分)。その時の城山さんの胸に去来したのは「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

ホーム&ヒューマン・ナビさんの、2007/08/15 直立不動の少年/終戦記念日に思う 、先日は、NHKでもこのジョー・オダネルについて放送されました。

Syounen 戦後すぐの長崎、少年は口をキュッととじ、直立しています。背中は妹ですが、既に息はありません。火葬の順番を待っているのです。この少年にとっては「敗戦」だったのだろうか、「終戦」だったのだろうか?

 
以下、写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

 
"No More" Joe O'Donnell, August,1995,Hiroshima

No More

As a citizen of the United States of America
I want to express to you tonight my sorrow and regret for the pain and sufferring caused by the cruel and unneccessary atomic bombing of your cities.
I belive it was wrong; morally wrong.
Just as wrong as the holocaust.
It was a crime not just against history but against humanity.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki in 1945 and photographed the children, the women, the elderly, the mutilated and disfigured.
The victims who suffered and died like no other people in the history of the world.
Now, fifty years later I pledge to you that I will not forget waht I saw.
We owe it to those who died to keep their memory alive.
Give their tragic deaths honor by remembering them.
Let them teach us how to respect life.
For them I will continue to speak out and tell the world what it was like in Japan, 1945.
My exhibit will continue to be seen for we cannot, we must not, let any one country become the victim or attacher again.
No more Hiroshimas! No more Pearl Harbors!
No more Nagasakis!
NO MORE!
For peace is the future and without peace
there will be no future.

Joe O'Donnell, August, 1995, Hiroshima

 
 TBP「自民党政治」の15日から16日にかけてTBしたエントリー中、タイトルが「終戦記念日」あるいは「敗戦記念日」のものを拾ってみました。
(略)
 
 
 以下、資料として採録。1945年8月14日のニューヨークタイムズ記事です。

Japan Surrenders, End of War!
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/0814.html

Emperor Accepts Allied Rule

M'Arthur Supreme Commander

Yielding Unqualified, Says Truman

Japan Told to Order End of Hostilities, Notify Allied Supreme Commander and Send Emissaries to Him

MacArthur To Receive Surrender

Formal Proclamation of V-J Day Awaits Signing of Those Articles -- Cease-Fire Order Given to the Allied Forces

By ARTHUR KROCK

Special to THE NEW YORK TIMES


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Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.

Like the previous items in the surrender correspondence, today's Japanese document was forwarded through the Swiss Foreign Office at Berne and the Swiss Legation in Washington. The note of total capitulation was delivered to the State Department by the Legation Charge d'Affaires at 6:10 P. M., after the third and most anxious day of waiting on Tokyo, the anxiety intensified by several premature or false reports of the finale of World War II.

Orders Given to the Japanese

The Department responded with a note to Tokyo through the same channel, ordering the immediate end of hostilities by the Japanese, requiring that the Supreme Allied Commander- who, the President announced, will be Gen. Douglas MacArthur- be notified of the date and hour of the order, and instructing that emissaries of Japan be sent to him at once- at the time and place selected by him- "with full information of the disposition of the Japanese forces and commanders."

President Truman summoned a special press conference in the Executive offices at 7 P.M. He handed to the reporters three texts.

The first- the only one he read aloud- was that he had received the Japanese note and deemed it full acceptance of the Potsdam Declaration, containing no qualification whatsoever; that arrangements for the formal signing of the peace would be made for the "earliest possible moment;" that the Japanese surrender would be made to General MacArthur in his capacity as Supreme Allied Commander in Chief; that Allied military commanders had been instructed to cease hostilities, but that the formal proclamation of V. J. Day must await the formal signing.

The text ended with the Japanese note in which the Four Powers (the United States, Great Britain, China, and Russia) were officially informed that the Emperor of Japan had issued an imperial rescript of surrender, was prepared to guarantee the necessary signatures to the terms as prescribed by the Allies, and had instructed all his commanders to cease active operations to surrender all arms and to disband all forces under their control and within their reach.

The President's second announcement was that he had instructed the Selective Service to reduce the monthly military draft from 80,000 to 50,000 men, permitting a constant flow of replacements for the occupation forces and other necessary military units, with the draft held to low-age groups and first discharges given on the basis of long, arduous and faithful war service. He said he hoped to release 5,000,000 to 5,500,000 men in the subsequent year or eighteen months, the ratio governed in some degree by transportation facilities and the world situation.

The President's final announcement was to decree holidays tomorrow and Thursday for all Federal workers, who, he said, were the "hardest working and perhaps the least appreciated" by the public of all who had helped to wage the war.

Mr. Truman spoke calmly to the reporters, but when he had finished reading his face broke into a smile. Also present were Secretary of State James F. Byrnes and Admiral William D. Leahy, the President's personal Chief of Staff, and two other members of the Cabinet- Henry A. Wallace, Secretary of Commerce, and James V. Forrestal, Secretary of the Navy- managed to respond to a hurry call in time to be there. The agreement to issue the statements simultaneously in all the Allied capitals, and the brief period between the call to the Cabinet and the announcement, were responsible. Later the chief war administrators and Cordell Hull, former Secretary of State, arrived to congratulate the President.

President Addresses Crowd

After the press conference, while usually bored Washington launched upon a noisy victory demonstration, the President with Mrs. Truman walked out to the fountain in the White House grounds that face on Pennsylvania Avenue and made the V sign to the shouting crowds.

But this did not satisfy the growing assemblage, or probably the President either, for, in response to clamor, he came back and made a speech from the north portico, in which he said that the present emergency was as great as that of Pearl Harbor Day and must and would be met in the same spirit. Later in the evening he appeared to the crowds and spoke again.

He then returned to the executive mansion to begin work, at once on problems of peace, including domestic ones affecting reconversion, unemployment, wage-and-hour scales and industrial cut-backs, which are more complex and difficult than any he has faced and call for plans and measures that were necessarily held in abeyance by the exacting fact of war.

But certain immediate steps to deal with these problems and restore peacetime conditions were taken or announced as follows:

1. The War Manpower Commission abolished all controls, effective immediately, creating a free labor market for the first time in three years. The commission also set up a plan to help displaced workers and veterans find jobs.

2. The Navy canceled nearly $6,000,000,000 of prime contracts.

The Japanese offer to surrender, confirmed by the note received through Switzerland today, came in the week after the United States Air Forces obliterated Hiroshima with the first atomic bomb in history and the Union of Soviet Republics declared war on Japan. At the time the document was received in Washington, Russian armies were pushing back the Japanese armies in Asia and on Sukhalin Island, and the Army and Navy of the United States with their air forces- aided by the British- were relentlessly bombarding the home islands.

When the President made his announcements tonight it was three years and 250 days after the bombing of Pearl Harbor, which put the United States at war with Japan. This was followed immediately by the declarations of war on this country by Germany and Italy, the other Axis partners, which engaged the United States in the global conflict that now, in its military phases, is wholly won.

If the note had not come today the President was ready though reluctant to give the order that would have spread throughout Japan the hideous death and destruction that are the toll of the atomic bomb.

Officially the Japanese note was a response to the communicator to Tokyo, written on behalf of the Allies Aug. 11 by Secretary Byrnes, which was itself a reply to a Japanese offer on Aug. 10 to surrender on the understanding of the Japanese Government that the Potsdam Declaration did not "prejudice the prerogatives" of the Emperor of Japan as its "sovereign ruler."

Plan on the Emperor

Mr. Byrnes wrote, in effect, that the Japanese might keep their Emperor if they chose to do so of their own free-will, but that he would be placed under the authority of the Allied Commander-in-Chief in Tokyo and would be responsible to that commander for his official and public activities.

Relief rather than jubilation that the grim and costly task of conquering the Axis is done was the emotion of the officials, from the President down, who have traversed the long and agonizing road to victory since Dec. 7, 1941, when the Japanese attacked Pearl Harbor while Tokyo's "peace" envoys- Admiral Kichisahura Nomura and Ambassador Saburo Kurusu- were still continuing their negotiations with Secretary of State Hull. The road is piled high with the bodies of American soldiers, sailors, airmen and civilians who gave their lives that the victory might be attained.

And, in a solemn hour of triumph, the men in Washington that were their military and civilian commanders could not be jubilant in the lasting memory of these human sacrifices. On the contrary, they seemed more than ever resolved to produce a system of world security which for a long time would obviate the necessity of such sacrifices to dictators and aggressive nations; and to impress on the Japanese- as on the Germans- their crimes, nor relax their punishments, until they learn to follow the ways of peace.

Though the victory over the Japanese as well as the Nazis had always seemed assured to the American authorities, it did not become a certainty until the Allies- through United States invention and production, Allied military and scientific skills and the fortitude of the British, Chinese, Russian and American populations- were able to change from defense to attack. This change, so far as the Pacific was concerned, came after the Battle of Midway gathered force after the actions of the Coral Sea and the Philippines and came to crescendo with the captures of Saipan, Iwo Island and Okinawa, the perfection of radar and the discovery and use of the atomic bomb. But before these successes the story was very different.

The Japanese attack on Pearl Harbor found the Pacific Fleet divided, half of it crowded in the roadstead, the other half dispatched for Atlantic service for reasons of policy. These reasons grew out of President Roosevelt's decision that the Nazi menace required the fleet diversion to the Atlantic for immediate national defense, and out of his belief that, as he expressed it, he could "baby along Japan." This latter view was the foundation of the underlying policy by which the United States continued to furnish Japan with scrap iron, petrol, ant other materials transferable to war uses long after Japan by many officials was conceded to be bent on hemispheric and eventual world-wide aggression.


コメント:

「終戦」、おっしゃるとおり自然に使ってきて定着した言葉です。「終戦後」とは言いますが「敗戦後」では耳慣れない語感になります。

 当時のマスコミはもっぱら「終戦」を使いました。たしかに子供だった私は、戦争一時お休み、かと思いました。

「終戦」には理由があります。8月15日現在では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも20日頃まで灯火管制をしていました。

「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

投稿: ましま | 2008/08/18 08:45
 
 
 
ましまさん、こちらこそなるほどおっしゃるとおりです。

>「終戦」には理由があります。8月15日現在
>では天皇が一方的に宣言しただけで、米軍機
>はまだ戦闘態勢を解いていません。日本でも
>20日頃まで灯火管制をしていました。
>
>「敗戦」を意識したのは、9月2日のミズリ
>ー号艦上に於ける重光外相の「降伏文書」調
>印です。「敗戦記念日」なら、この日です。

天皇の玉音放送が流れた8月15日が終戦記念日、ポツダム宣言を受入れて米戦艦ミズーリの甲板上で連合国への降伏文書に調印した9月2日が敗戦記念日、これならまだ腑に落ちて納得できます。勝手に始めて勝手に負けやがっての気持ちは残りますけれどね、。

下記、番組で終戦15日の翌日、111人の若者たちが特攻に出撃準備中に死亡した事実が語られています。(最初に「この部分の映像は版権等の事情により公開致しません。ご了承ください。」表示がしばらく出ますが、しばらく待っていると番組が始まります。なお途中でも何回かこの表示が出ます。)

8月10日(日)午後2時〜3時25分 ザ・スクープスペシャル第24弾

「終戦翌日に何が?特攻隊員ら111人死亡…特攻艇"震洋"の悲劇」
(ADSL 300k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0300.asx
(ISDN 64k)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/asx/scoop_080811-01_0064.asx

>昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉
>海岸で謎の大爆発が発生。
>特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こ
>った。爆発したのは海軍の水上特攻艇「震洋」
>。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部
>に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。
>上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍
>の水上特攻兵器だった。
>終戦時には本土決戦に対する備えとして4000
>隻近くが実戦配備についていた。

投稿: SOBA | 2008/08/18 10:05
 
 
 
勝った米国、8月14日のニューヨークタイムズ記事では「End of War! 」終戦って言葉を使ってるとの指摘は実に面白いですね。

終戦記念日は4月28日で有るとする記事をTBさしてもらいます。
9月2日は降伏記念日ですね。

記録では、8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した日ですが、日本と時差が半日あるニューヨーク で印刷に時間のかかる新聞に終戦の文字が書かれたという事はそれ以前(13日)に連合国に事前通告したのでしょう。
アメリカの新聞の『戦勝』ではなく『終戦』の言葉の意味ですが、すでに第二次世界大戦の勝敗は1945年5月のドイツ無条件降伏で決しています。
アメリカにとっては当の昔に勝負の付いていた戦争の終結ですから、終戦で当然だったのでしょう。
8月時点のアメリカの対日戦争は、戦争というよりも反撃できない相手への空からの一方的な戦争(攻撃)です。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008/08/18 15:04
 
 
 
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コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
17. 2010年8月16日 13:35:45: 3o479QoQUA
>JAL123の事故は生存者の証言や墜落機体の証拠などから
垂直尾翼が吹き飛んだが、圧力隔壁が壊れなかったので

女子供の証言を根拠にするって・・・
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c17

コメント [経世済民69] 縮小する金融 (藤原直哉のインターネット放送) Orion星人
13. 2010年8月16日 13:36:52: rCcqe2hJiU
正しいと思い込むと、枝葉末節の部分を本来の意味ではない
別にすり替え大きな流れをあえて否定したくなる。
情報操作に乗っかっていることすら解らなくなる。

大きな政府主義者
小さな政府支持者
市場原理支持者

日本の場合官民共々殆んどが1985年のプラザ合意からどれも失敗している。
この25年〜30年近く失敗の見本市である。
今はこれらの失敗事例を考察し、良い方法を模索していくしかない。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/471.html#c13

記事 [地域13] 呉大和ミュージアム館長、戸高一成氏の隠された履歴3
呉市海事歴史科学館長(通称大和ミュージアム 以下大和M)館長、戸高一成氏(以下敬称略)の疑惑追及3弾=最終稿である。

戸高がオカルト研究を行っていた(いる?)のは、戸高個人の問題で済むに過ぎない。
しかし前呉市長小笠原臣也(1935− ※1)に請われ、一般人から登用されているのだ。
人事権を持つ小笠原、および後任の現市長小村和年(1947−)には、当然真実を口にしていなければならないはずである。
すなわち、公的な場所で弁明できるのではないのか?

戸高は、
「大和M館長として、近代史、戦記研究が主。オカルトは従であり、個人の趣味」
と宣言すればよいのだ。

「オカルト研究をしている以上、私の歴史観に疑問を投げかける人もいるでしょう。
しかしそれはあくまで私個人の問題であり、大和Mの展示物、職員、さらに呉市の歴史観、方向性を疑われるのは心外です。戸高個人を責めるのは自由ですし、私も批判を甘んじて受け入れますが、他に広げないでいただきたい」

こう公言してくれれば、戸高は大和M館長=近代史、戦史研究家として最低限の職務は守っていることになる。彼の行為に問題は残るものの、人間としては誠意が見受けられるし、情状酌量の余地だってあるだろう。
ところが今日に至るまで、戸高は自らとオカルトとの関係を認めようとはしない。彼個人の問題を隠蔽することにより、大和Mを取り巻く人々まで貶めているのだ。
そしてこのような戸高の態度は、大和M館長としてではなく、前職の(財)史料調査会理事、厚労省所管「昭和館」図書情報部長時代から続いている。
「オカルト研究」が悪いというより、「オカルト研究を隠し続ける」のが悪いのだ。(※2)

戸高がこういう姿勢を続ける以上、「不信感を募らせるな」というのは無理だろう。
それこそ「近代史、戦史研究が主。オカルトが従」ではなく、正反対の「オカルトが主。近代史、戦史研究が従」である可能性だって考えられうる。
戸高が架空戦記=娯楽SF戦記で果たした役割こそ、疑いに足る行為だろう。戸高はブレーンとして参加していることを隠すのはもちろん、著者や編集者、読者たちが暴走するのを止めることなく、見過ごしていた。
史料調査会理事がブレーンだったことすら恥ずかしいのに、ミスや間違いも放置していたのだとたら、なんのための戦史研究であり、ブレーンなのだろう?
そのうえ架空戦記を取り囲む人々が、オカルトプロパーたちなのだ…戸高にとって、いったい「何が主で、何が従」なのだ?

すでに大和M展示物に対する疑惑(※3)を指摘する人たちもいる。しかし個々の展示物だけではなく、それを管理すべき館長の履歴、歴史観自体が、大きな疑惑で包まれているのだ。
このような館長のいる博物館を中核に、呉市が「町興し」なんてできるのだろうか?
いまでこそ好調な博物館来場者ですら、戸高とオカルトとの関係が明らかになれば、客足だって遠のくだろう。
また戸高が発起人を務める「戦艦大和引き揚げ準備委員会」にしたところで、頼りにする寄付金が集まるのだろうか?
資金面を支える呉商工会議所の人間、そして大和の遺族たちは、戸高のオカルト研究という側面を知ると、どのような反応をするだろう?
「大和引き揚げの(技術的、資金的、道義的)是非はともかく、戸高のような人間に引き揚げを主導してもらいたくない」というのが、本音ではあるまいか。

さらにもし、アジア諸国(とくに中韓)のメディアが、戸高とオカルトの関係を嗅ぎつけたらどうなるだろう?
「オカルト研究をしている人間を公的な博物館の館長に据えるなど、日本人の歴史認識は異常だ」
と指弾されたら、この部分に関しては、反中嫌韓であるはずの本稿執筆者も、中韓の肩を持たざるを得ない=戸高を弁護する言葉を持たない。

いや、問題は大和Mにとどまるだけではない。
末期の史料調査会では、会員の高齢化が進み、まともに活動できたのは最年少の戸高一人だった。膨大な整理作業が、彼の双肩に託されたのだ。(※4)
その戸高が、オカルト的な偏った歴史観を持っていた可能性がある…つまり戸高の整理したすべての資料の信憑性が、疑わしくなってくる。
「戸高史観」に都合のよい史料だけ残され、悪いものは破棄されているのではないかという疑念まで噴出するのだ。
つまり我々日本人は、「オカルト研究者」戸高一成が選定した史料を、末代まで読み継がなければならないのである。
そして過半の史料は(戸高によって)破棄されており、確認作業をも行えない=戸高は自らの弁明を行うこともできないのだ。

本稿執筆者が戸高とオカルトとの密接な関係を知りはじめた(※5)頃、戸高の参加した「あの戦争になぜ負けたのか」(文藝春秋社)を読んだのだが、戸高の発言の無責任さに憤慨した。
文中で指摘される太平洋戦争当時の指導者に対する問題点のほとんどすべてが、大和Mの来場者と支援者、職員、呉市、そして国内の戦史研究者の信頼を裏切り、踏みにじっている戸高にも当てはまるのだ。
なんのことはない。「あの戦争」当時も現代も、同じような卑怯者がいたということに過ぎない。「負けた」のではなく、「勝てるはずがない」のである。

繰り返して書く。
戸高は自らに恥ずべき部分がなく、大和M館長という公職にある=民間研究者ではない以上、自らとオカルトとの関係を公表せねばならない。
それが博物館長たる人間の責任ではあるまいか?
その当然の義務を果たせぬ戸高に、歴史研究家を名乗る資格はない。そしてそのような戸高が館長の座に留まり続ける以上、大和Mの信憑性には疑問が残っていく。

公的な場所で弁明しようとしない戸高にとって、大和Mなど、その程度の存在に過ぎないのかも知れない。それはつまり、戸高が暗黙のまま「オカルトが主、近代史、戦史研究は従」と認めたのと同じなのだ。
しかし呉市には、それで済む話ではない。
一刻も早く小野呉市長は権限を行使し、戸高に対して弁明、釈明の場を設けさせるべきであろう。
無論、戸高が要領をえぬ返答を繰り返すならば、解職処分が妥当である。

※1 2006年8月28日、呉市消防局における職員採用試験での不正で、地方公務員法違反(任用基準違反)違反容疑として逮捕されている。

※2 「ヒトラー最後の日」(筑摩書房)を刊行しているケンブリッジ大学教授トレヴァ=ローパー(Hugh Redwald Trevor-Roper 1914-2003)は、一般的に近代史研究家として知られているが、専攻は中世史であり、魔女狩りについての歴史書も刊行している。
近代史、オカルト研究ともども、戸高は足下にも及ばない。

※3 展示されている零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)の修復工事を行った企業名と金額の隠蔽、人間魚雷回天の復元(普通の魚雷にベニヤ板の構造物を取り付けただけ?)、戦艦大和の入渠日に対する説明板に対する疑惑…など。

※4 戸高が無断で史料を刊行し、印税を着服してたことが判明。訓告、戒告を食らったことはすでに記した。
当時史料調査会に在籍した人は、「一部には、「即刻解雇しろ」という強硬な意見もあった。しかし給料も安いのに、休みまで犠牲にして働いてくれたのだ。若い戸高には未来もあるのだし、多少は黙認しなければ…というのが、多数を占めた。しかしいつしか戸高も当然のようにつけあがりはじめ、老齢化した会員も怒ることができなくなっていた」と語っていた。

※5 偶然八幡書店の本を読まねばならなくなり、それがきっかけで戸高と武田崇元との関係に気付くこととなった。
なお推測ではあるが、戸高と武田の接点となったのは、奇矯な言動で知られている異端歴史家、作家の八切止夫(1914−1987)ではあるまいか?
八切は、戸高とは別に木村鷹太郎の書籍を再刊しているし、武田は、同じ共産主義者同盟に所属していた梅内恒夫(1947−?)が八切を絶賛したことを紹介している。
戸高と武田は、八切を介して知り合った…のは、無理のある推測ではない。
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/407.html

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
07. 2010年8月16日 13:37:55: 3o479QoQUA
どうしようもない妄想壁だな。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c7
記事 [中国2] ロイター 4─6月期GDP、名目換算ドルベースで中国に抜かれる
 [東京 16日 ロイター] 内閣府の試算によると、日本の4─6月期名目国内総生産(GDP、原数値)は1兆2883億ドルとなり、中国の1兆3369億ドルを下回った。

 内閣府は中国の公表値について「季節調整されていない数値であることから、現時点で日本と中国の名目GDPは比較はできない」との見解を示した。 

 1─6月期の名目GDPは日本が2兆5871億ドル、中国が2兆5325億ドルだった。

 為替レート(期中平均)は、ドル/円が1─3月期は90.653円、4─6月期は92.013円。元/ドルは1─6月期が6.825元。
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/460.html

記事 [中国2] 円高進行で楽勝チギレます
 1ドル60円になったら何の心配もないですね
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/461.html
コメント [マスコミ・電通批評10] 度重なるBPO勧告で気になる「報ステ」古舘伊知郎のクビ(ゲンダイネット) JAXVN
21. 2010年8月16日 13:58:00: 3o479QoQUA
みのもんたとTBSもいらない。
なべ常と日テレもいらない。
日枝とフジもいらない。

日テレとフジってイルミナティー気取りで目玉のマーク使ってるよな。

http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/776.html#c21

コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
18. 2010年8月16日 14:06:37: 2K8a9Ajh82
  > 12. 2010年8月16日 00:45:29: XPpdNpZmfg
安倍川もちは大好きです。だれ?安倍譲二って。

駒沢球場で東映フライヤーズが、当時の西鉄の稲尾と東映の土橋の白熱の投手戦を
演じていた頃、東映ファンの安倍譲二さんも来ていたようです。昭和35年頃の話。小生も大下の2000本安打達成試合を見ています。
大の東映ファンです。その後安倍譲二氏は、三島由紀夫に、銀座のバーで用心棒をしていた頃、癖の悪い外人を片付けた時「君の使った技は何かね」と尋ねられ、ボクシングであると教え、以後親しくなって行く。三島由紀夫がボクシングで鍛え、ボディビルで鍛え、肉体を賛美した話は当時驚かれたものだ。
正義の味方安部譲二氏は、不正が大嫌いで、巨人の江川の事件では、江川の顔面に
馬の糞をマブしてやりたいといっている。同感。
氏の競馬の飲み屋時代から、作家に転向時の話は、徹夜しても読むべき本で非常に
面白い。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c18

コメント [戦争b3] 9/11  週刊金曜日インタビューの見逃せない事実 千早@オーストラリア
71. 2010年8月16日 14:06:44: esCwwEDcvQ
>9/11当日に「超望遠レンズで北側から一機目の激突の瞬間を撮った映像がオンエアされて」いたという事実。
>それはとりもなおさず、真犯人サイドの人間が撮っていた映像にほかならないと思われるからです。

怖い論理ですね。
これだと数多くある「インターネットによるライブカメラ」に事件、事故等の瞬間が撮影され、インターネット中継されていたら、そのカメラを設置、中継していた人間は事件、事故の「真犯人」ということになってしまいますね。


http://www.asyura2.com/10/warb3/msg/623.html#c71

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
08. 2010年8月16日 14:09:23: qKow3IyN6E
あの当日、中曽根は軽井沢の別荘にいて、事故のことを知らなかったというように報道されている。(そんなバカなことはあるまいが)
次の日東京にもどって車を降りた時、記者達から事故の件を知らされた。
その時のテレビに映った中曽根のすっとぼけた表情はいまだに忘れられない。
「ほぉー、そんな事故があったの」
私は今初めて知りました、そんな演技が丸出しの顔つきであった。
今なら危機管理がなっていないと猛烈な批判を浴びるだろうが、当時は危機管理などと言う意識はなく、「なにも知らなかったことにしよう」と判断したのであろう。
それぐらい関わることを恐れた事情があったということではないのか。
本当に知らない意外な事実を知らされてびっくりした時の顔と、
知っていながら知らないふりをするときのとぼけた顔の違いは、
テレビを通してより一層わかるものである。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c8
コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
19. 2010年8月16日 14:16:40: lFxuFDNkQM

小泉といえば【稲川会】w

【稲川会】の手下どもが暗殺か?

「ドアのノブにネクタイ」。。。。。本当にこれで死んでいるんだろうか?

893なら、いろんな殺し方知っているだろうな?
・薬物を「致死量」飲み物に混入etc.

「ドアノブにネクタイ」、、、、、「俺が、おれの手下が殺したんだw」、、、というサインかい?

※なんか、ミステリー映画のタイトルで使えそうだよw

【〜ドアノブにネクタイ〜消えるのは誰だ?」
 〜日本史上ミステリー〜 〜日本のうすぼんやりした平和な日常におきたある事件〜

「きゃ〜怖いです。。。。これ見ると有名人になりたくないわねぇ〜」(おまつ/ゲイ映画評論家)


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c19

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
09. 2010年8月16日 14:46:06: CWK56bNuWg

米軍戦闘機が日本の民間機を撃墜したのが、真相である。
最初米軍パイロットは誤って民間機を誤射したと交信している。

処が、日本政府が、その交信も、当該戦闘機も無かった事に
してくれと、頼んだと言われている。

その後、123便事故は迷路に入り込み、結局ボーイング社の
圧力隔壁の工事ミスとして裁判にかけられた。

アメリカ軍も自分達のミスを、ボーイング社に被らせた形である。
裁判の結果、ボーイング社は無罪となった。

民主党政権になり、真相を言い出す関係者がいてもおかしくなく、
政権が真相を追究しても良いのに、前原は慰霊登山でお茶を
濁している。

民主党も期待した程でもなく、特に菅はアメリカ軍諜報部の
工作員となり下がったので、真相解明などとんでもない事である。

左翼と言う者はつくづく転びやすい物である。


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c9

記事 [昼休み41] 「ドラマ・帰国」(たけしが子孫の石坂 浩二を殴りまくるシーンは、ハゲタカに魂を売ったたけし自身を殴っているようでした)
http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/569.html
記事 [昼休み41] 1、6大マスゴミの雄・犬HKは、小泉ハゲタカ一派・影山の「自殺」追悼VTRをかろうじて流したようです。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/552.html
01. 2010年8月15日 19:32:47: swlnfR07HU
本日の日曜討論でも司会者コメントなし。最後の1分で短く追悼VTR流していただけ。

02. 2010年8月15日 22:39:31: IiVR3pvUbw
官房機密費の収賄・脱税がいかに重大な社会悪か、連中はさらに思い知らねばならないはずだが、にもかかわらず、どこもいまだ内部調査にかかってはいない。大稼ぎも噂が絶えない毎日新聞主筆は、今朝も元気にTBSの日曜朝番組(江川女史排除事件で知られた関口宏氏司会のもの)でぺらぺらしゃべっていた。受けとっていないなら、疑惑を取り除くべく説明責任を果たせよ!

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/570.html
記事 [経世済民69] ヒンデンブルグオーメン NYダウ暴落説 デーヴィッド・アイク(David Icke) 外為ディーラーの毒吐き日記より
デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報 http://icke.seesaa.net/

FRBの量的緩和の結果 連邦準備制度の量的緩和は経済地獄を解き放つのか? 2010年08月16日

ヒンデンブルグオーメン  ヒンデンブルグオーメンは株式市場のクラッシュが起こっていることを示すhttp://icke.seesaa.net/

ヒンデンブルグオーメン  って何? 

外為ディーラーの毒吐き日記Ver.2外為ディーラー歴20年の筆者の相場や時事ネタについての雑感。
http://fxdealer1964.blog17.fc2.com/blog-entry-16184.html

ヒンデンブルグオーメン?私は寡聞にして知らず、何じゃそりゃって感じなんですが、
kakakuFXのk-chatでインターバンクディーラーのA氏がNYダウ暴落説を論じていらっしゃいます。んで、ヒンデンブルグオーメンをググって見ると、

ヒンデンブルグ・オーメン(Hindenburg Omen)とは市場分析のためのテクニカル分析の一つだが、
下記の条件で発生するものと定義されている。

1 ニューヨーク証券取引所(NYSE;New York Stock Exchange)において、52週の高値更新銘柄数
と52週の安値更新銘柄数の双方ともが、NYSE総取引銘柄数の2.2%を超えている
2 この2つの数字うち、小さい方が75より大きい(絶対条件ではない)
3 ニューヨーク証券取引所の10週移動平均線が上昇している
4 同日にマクレラン・オシレータが負数を示している
5 52週最高値数が、52週最安値数の2倍を越えないこと(絶対条件)

・過去資料によると、ヒンデンブルグオーメンが確認された後、株価の5%以上の下落傾向は77%の
確率で、通常は40日の間に発生する。
・パニック売りの確率は41%、主要銘柄は24%の確率で暴落する。
・ヒンデンブルグオーメンの発生によって必ず株式暴落が発生するわけではないが、1985年以降、
NYSE株価暴落に先行して必ずヒンデンブルグオーメン が確認されている。

とのことです。現在この条件をNYダウが満たしているのがNYダウ暴落説の根拠だそうです。

ロブ・ブッカー氏のセミナーDVD トレンドフォロー戦略とブッカーバンドの逆張り手法
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ロイター
Mスタンレー元共同社長のヘッジファンド、2億ドルを集める=WSJ 2010年 08月 16日 14:11 JST
http://jp.reuters.com/article/domesticFunds/idJPnTK870497220100816
The Wall Street Journal
米ゴールドマンCEOがストックオプション行使で5億円超を現金化 2010年 8月 16日 7:59 JST
http://jp.wsj.com/Finance-Markets/Finance/node_91595
先週の米ジャンク債発行、過去最高を記録  2010年 8月 16日 11:31 JST
http://jp.wsj.com/Finance-Markets/node_91668

山本幸三vs白川日銀総裁 1/5
http://www.youtube.com/watch?v=sEskXW4ya8s
HEAT9494 | 2010年07月12日  2010年2月16日 衆議院予算委員会



http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/507.html

コメント [お知らせ・管理19] チベットよわー さん、2重投稿により一週間の投稿禁止とします。反省文の投稿をお願いします。 管理人さん
05. 2010年8月16日 15:01:19: 3IUrUUHkV2
どうも。
見てみたら低レベル論争の片側の意見、といった程度のものなんですね。
これじゃ両方消されても掲示板にとっては問題ないか。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/117.html#c5
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
70. 2010年8月16日 15:03:03: 5gUOArsSvI
市場万能主義、自由競争万能主義というのは19世紀的な社会ダーウィン主義の変種に他なりません。
皆が自由に利益追求を競うに任せておけば自然とお互いが高めあうことになるし、結果的に理想的にな状態になっていくとか、人間にしろ、企業にしろ、社会にしろ、そんな図式のように賢いものではありません。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c70
コメント [医療崩壊3] 日本トンデモ本大賞2010オープニングムービー[MMD] 紋次郎
05. 2010年8月16日 15:05:31: hmIwruIS66
>>04
それはおもしろいです。
藪をつついて蛇を出す行為ありがとう。
こんな事が週刊誌などマスコミ(大新聞やテレビは出さないだろう、なぜなら、これを報道したら、それこそ医療資本体制にとってタブーが世間に知れるから)

といっても、これはHPの作者の弁ではありませんが。

作者はリンクフリー、転載フリーと明記してありますが、本元の自分に返ってきた場合も覚悟は出来ているそうですよ。どこかにありました。「本当の事を知らせて殺されても後悔しない」そうです。

こういう日本人魂がまだ残っていたと思うと、私としては出来るだけ転載させていただく事で感謝のしるしとしたいと思います。

なんだかホメオパシーから外れてしまいましたが、すべての自然治癒主体の医療に賛同する方は、皆基本は同じですから他人事ではない、いずれ自分たちに攻撃の矛先が来る事も考えておきましょう。

法律必ずしも正義でない事は過去の事例がいっぱいあります。
嘘や間違いを正す人をどうして潰したがるのか? 日本人の魂はそんなものじゃない!

HP作者の著作権についての解釈
資料の公開が法律上、可能であることについて

法律上の著作権法の例外について

一部抜粋
 著作権に関していろいろ調べた結果、私の出し方というのは、法律上の著作権法の免責事項、例外に該当するということがわかりました。
 これについてはいずれ私の活動に対してよく思わない人間がそれらの法律をに利用して攻めて来る可能性があるのであらかじめ、その正当性、法律上可能であるということの説明をカンタンにしておきます。

http://hon.hp2.jp/shiryou/kuria.html
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/326.html#c5

コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
71. 2010年8月16日 15:07:29: B5offegeiY
阿修羅さんへ
「共産主義者」というレッテル貼りで排除しようとするのはもう時代遅れですよ。

論理的にこの世界を説明すれば、私はこの世界の因果を受けて生きています。
また、この世界のありとあらゆる生き物は、私のものも含めこの世界の因果を受けて生きています。
つまり、私というものが存在しているのはこの世界あっての事です。
この世界の生き物は全ての生き物があって成立しているのです。
単純にこれだけのことなのです。

これが体感できると、この世に「私」というものがなくなります。
私の事は即ちあなたの事にも関係してくるということになるのです。
ですから、釈迦仏は「暴言」も因果を積むと戒めたのです。

他の生き物なしに「私」は生きられません。
ですから、「私」は他の生き物の手の内にあると言っても過言ではないのです。
こう考えられれば、「私有」など意味のないことだと理解できるでしょう。
どうせ、死んだらあなたの持ち物(体も霊魂も)はあなたの手を離れるのですから。
あなたが持っている(と思っている)持ち物は、この世から借りているだけということです。

私は「共生」という言葉を使いたくありません。
全てが言葉から始まったと曰う「言葉遊びの神」は漢字で考えないからです。
このガキ神は「これからは共生の時代だ。」を「強制の時代」や「矯正の時代」と読み替えることもするのです。
ですから、共存共栄の時代と言うようにするべきだと考えます。
(ガキ神が読み替えられないようにするためです。)
69番さんの多用はこの神の影響でしょうね。

新自由主義者にマクロ経済学を説いても無駄でしょうね。

http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c71

記事 [経世済民69] すべての国が同時に為替レートを下げることはできない。しかし、とにかく今のところは、安い通貨大賞はドルが手にしている。
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu222.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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すべての国が同時に為替レートを下げることはできない。しかし、
とにかく今のところは、安い通貨大賞はドルが手にしている。

2010年8月16日 月曜日

日本に存在する金融資産1500兆円のうち60歳以上が6割持ってます。


◆GDP:ユーロ圏1%成長 輸出伸び大幅改善−−4〜6月期 8月14日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100814ddm008020133000c.html

【ロンドン会川晴之】欧州連合(EU)統計局は13日、10年4〜6月期のユーロ圏16カ国の実質域内総生産(GDP、季節調整済み)の速報値が前期比1・0%増となったと発表した。ユーロ安を背景に輸出が伸び、成長率は1〜3月期(0・2%)から大きく改善した。

 国別では、ドイツが1990年の東西ドイツ統一以来、最高となる2・2%成長を記録した。ドイツは、ユーロ安を追い風に輸出が好調で、1〜3月期(0・5%)から成長率を大きく改善させた。ブリューデレ経済技術相は「年率で2%成長も達成可能」との認識を示した。フランスは0・6%増だった。一方、財政危機を受けて厳しい緊縮政策を行っているギリシャは4〜6月も1・5%減と、7四半期連続のマイナス成長を記録した。

 4〜6月のGDP統計はユーロ圏の景気回復傾向を裏付けた。ただ、足元では、6月のユーロ圏鉱工業生産が前月比0・1%減と4カ月ぶりに減少に転じているほか、欧州中央銀行(ECB)も経済の先行きを慎重に見ており、景気失速懸念は消えていない。

◆為替相場:安値を競うレース 8月16日 The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4212

今から3カ月前、欧州の債務危機で、各市場がソブリンリスクを巡るパニックに陥った時には、すべての道はドルに通じているように思えた。ドルは円やポンド、ユーロといった世界の主要通貨に対して上昇を続けていた。

 どこに資金を置いておけば安全なのか、投資家たちが確信を持てない中で、世界の準備通貨というドルの役割は計りしれない強みに見えた。軒並み低迷する先進国の中では、米国経済は最も健闘しているようでもあった。ドル急騰のお膳立ては整ったかのようだった。

高騰すると思われたドルが下落の一途
 だが、この急変ぶりはどうだろう。8月11日に、ドルの対円レートは15年ぶりの低水準となる1ドル=84.7円まで下落した。

 対ユーロでは、1ユーロ=1.29ドルまで回復したが、ユーロが最も敬遠されていた6月初頭に記録した1ユーロ=1.19ドルに比べると、はるかに低い水準にとどまっている(図1参照)。

 ここ数週間のドルの下落は、雇用をはじめ、経済統計で思わしくない数字が相次いで発表されたことによるものだ。米連邦準備理事会(FRB)は8月10日、経済回復がFRBの従来予想より遅れる可能性があると認めた。

 FRBは政策金利の誘導目標を今後も0〜0.25%の範囲で維持するとし、「長期にわたって」金利を抑える必要があるとの信条を貫いた。また、FRBのバランスシート(ひいては利用可能な現金のストック)の漸進的な縮小を食い止めるために、満期が到来したFRB保有の住宅ローン担保証券の償還金を国債に再投資すると発表した。

  FRBの政策がこのように多少変化することは、広く予想されていた。FRBは経済見通しについて懸念を示したが、パニック的な措置は取らずに踏みとどまった。

 それでも、FRB声明発表の翌日に株式市場が急落するのを止めることはできなかった。これは、投資家たちがFRBに対して、もう一歩踏み込み、新たな資産購入を行うことを期待していたからかもしれないし、あるいは、経済の現状に対して予想以上の警戒感を表したFRBの姿勢に狼狽したからかもしれない。

 だが、FRBの変化はそれでも、FRBが他国の中央銀行よりも金融緩和政策を続けることに熱心であることを裏づけているように見える。この印象が、ドル安をもたらし、米国の輸出業者を助けている。

 FRBの決定の前日、日銀は従来の金融政策を変更しないとの姿勢を示した。欧州中央銀行(ECB)は、緊急支援として行ってきた金融システムへの流動性供給を縮小するのに伴い、短期金融市場で金利が上昇するのを容認した。

 ドルの運命は、米国の動向が決めるわけではない。為替レートには2つの側面がある。6月以降、ユーロが回復しているのは、1つには欧州がソブリン債問題に真剣に取り組んでいるとの信頼が市場で高まってきたからだ。

 また、ユーロの強さは、経済の強さを映すものでもある。本誌(英エコノミスト)が印刷に回された後に発表される予定のデータでは、主にドイツの好景気のおかげで、第2四半期のユーロ圏のGDP(国内総生産)成長率が米国のそれをわずかに上回っていたことが明らかになるはずだ*1。

 とはいえ、ユーロ圏の周縁諸国の成長停滞という問題が解消されたわけではない。ユーロが強くなれば、イタリアやスペイン、ギリシャ、ポルトガルの輸出競争力はさらに弱まる。ユーロは再び下落する可能性があるとアナリストの多くが予想する理由の一端は、そこにある。

円高はまだ進む
 それとは対照的に、円高はさらに進む可能性がある。円の対ドルレートは現在、1990年半ばのペソ危機直後以来の水準で推移している。当時は、円が他所の危機からの避難通貨になるという認識が今より強かった。

 だが、今回の円高は日本の輸出業者にとって、名目レートが示唆するほどの大きな痛手にはならないかもしれない。

 日本では長年にわたって物価が下落している一方、他国では緩やかなインフレが進んできたことから、円の実質実効為替レートは1990年以降の平均を下回っている(図2参照)。

 日本の賃金と物価が米国や欧州との比較では下落しているため、日本の輸出業者は名目為替レートの上昇に耐えることができるのだ。

*1=13日に発表された2010年4〜6月期のユーロ圏の実質GDP成長率は前期比で1.0%となり、米国を上回った

となると、ここで説明が必要なのは、円がこのところ強くなっている理由ではなく、なぜ以前はそれほど弱かったのかということだろう。

 ソシエテ・ジェネラルのキット・ジュークス氏は、その答えは、概ね、日本の利回りの低さに帰結すると見ている。「円があまり保有されないのは、これまでのところ、日本の金利が世界でも群を抜いて低かったからだ」と同氏は指摘する。

 だが、米国や欧州の大部分でも国債利回りが下落している今、投資家の資金投入先としては、日本は以前ほど魅力のない場所ではなくなっている。他の先進国の状況が日本に近づけば近づくほど、円を敬遠する理由は薄くなる。中国が、外貨準備がドルに偏るのを防ぐ取り組みの一環として、日本国債を買っているという報道さえある。

 そうした関心の持たれ方は、日本では全面的に歓迎されるものではないかもしれない。先進国の総需要が著しく低下し、新興市場への輸出が経済回復の最大の希望となっている現状では、自国の通貨安は特に大きな恵みとなる。

安い通貨大賞は・・・

 日本の財務大臣は、円の最近の動向は「やや一方的だ」と牽制した。この種の発言は、日本の金融当局が円高を抑え込むために間もなく円売り介入するのではないかとの憶測を呼んでいる。

 だが、そうした措置は、中国に人民元を切り上げさせようとしている先進諸国の努力を損なうことになるだろう。

 恐らく日銀とECBは、FRBに追随して、(たとえ控えめであっても)量的緩和を延長する可能性が高い。さもなくば、さらなる為替レート上昇というリスクを冒すことになる。

 通貨安を競うレースは、最終的には、大西洋を(そして太平洋を)挟む国々の間で緊張を引き起こすかもしれない。何しろ、すべての国が同時に為替レートを下げることはできない。しかし、とにかく今のところは、安い通貨大賞はドルが手にしている。


(私のコメント)
何しろアメリカもEUも国債を買い込んで紙幣を市場にばら撒き合戦をしているのだからドルとユーロの値下げ合戦が止まりません。中国も相変わらず人民元をドルにリンクさせているのだから、世界の金持ちたちは取りあえずは円に替えておこうと円が買われます。

理論的に全ての通貨を一斉に切り下げる事はありえないので、主要な通貨のどれかが高くなることで切り下げが成り立ちます。つまり円が独歩高ですが円が為替相場の基軸になっている事になります。実際にはドルが世界の基軸通貨ですが、ドルの交換価値を支えているのが円と言う事になります。

例えば政府日銀が手持ちのドルや米国債を売ったらドルは暴落するでしょう。中国もドルを買い支えている事になりますが、人民元では使える所が限られます。政府日銀もアメリカやEUとのバランスを取って円をばら撒いて切り下げるべきですが、日銀が景気が良いとして金融緩和には踏み切りません。だから円が高くなります。

一時はユーロもずいぶん高くなってドルの基軸通貨体制の切り崩しを狙いましたが、ギリシャ危機でユーロが売り込まれて元に戻ってしまった。日本には900兆円の国債が流通しているのだから900兆円の放出余力があるということであり、マスコミが900兆円の借金と言っているのは間違いだ。

つまり900兆円の国債の流通価値を支えるだけの日本の経済力が強いと言う事であり、イギリスが900兆円もの国債を発行できるだろうか? そうなる前にポンドは暴落して金利が急騰してしまうだろう。だから金利や円相場から見る限り日本はまだ国債の発行余力があるから政府は公共事業でGDPを維持しなければなりません。

日本には1500兆円の金融資産があるのだから、それを使わせるような政策をすべきですがデフレでは現金で持っているのが一番の利殖法になる。その内の6割が60歳以上のお年寄りが持っているのですが、昨日も書いたようにお歳よりは息子や娘を信用せずにカネだけが頼りになってしまっている。

昔なら息子や娘は社会に出て働くようになったら親に仕送りをするのが当たり前でしたが、今では親に仕送りをする息子や娘は僅かしかいない。中には親が行方不明になったとして親の年金をもらい続けている親不孝者まで出てくるようではカネしか信用できるものは無くなる。

だから日本のデフレは親不孝デフレであり、子供は働きもしないで親の財産や年金で生活している引きこもりやフリーターはかなりの数だろう。オレオレ詐欺と言う犯罪が起きるというのも金を持っている老人と金のない息子や娘たちという構図から生じているのですが、親に仕送りをしている息子や娘ばかりならオレオレ詐欺など起きない。

日本の物価や賃金が下がり続けているから現金を持っているお歳よりはデフレに対して危機感は薄い。だから政府日銀は1500兆円の金融資産を使わせるには税制で動かすようにしなければなりませんが、「株式日記」ではセカンドハウス減税を提唱しました。日本には150万人もの億万長者がいるのだから自宅と別荘ぐらいあってもおかしくはない。

ニュースでは円高で大変だと伝えていますが、1500兆円で純金地金などを買ったらいいと思うのですがお年寄りたちは現金しか信用しない。だから国は国債を発行して財政で経済を回さないとなりません。その結果が900兆円の国債残高になっている。これも若い人たちの親不孝からそうなってしまっている。家族の絆などと言ってもそんなものはテレビドラマの中しかない。

いま親の脛をかじっている引きこもりやフリーターや低賃金の若者たちは年金も払っていないから歳をとったらどうやって生活していくのだろう。資産形成が出来ていればいいのですがそれも無理だろう。私はビルを建てたりアパートを建てたりして資産形成をして借金の返済が終われば生活は何とかなりますが、いまのお歳よりも若者も不動産に投資をするという発想を持たなくなりました。

いま私が20代の若者ならがむしゃらに働いて1000万円貯まったらそれを頭金にしてアパートを一棟買います。その一部屋に住んで家賃を貯めながらカネが貯まったらさらに投資をして行く。デフレでも現金収入があるからアパート経営は有利だ。いまのお年寄りたちも現金に固執しないで不動産投資をすれば日本全体が活性化していくだろう。


http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/508.html

コメント [医療崩壊3] FDAの圧力でMMSにリコール! (tamekiyo.com) 阿保の洞窟
01. 足苦斎 2010年8月16日 15:49:15: Pg.qo338mU9u2: NO9tp8SS3U
予想通りのFDAの行動だ。ジムの書籍でも、FDAがこの
行動にでるだろうと予測していた。もう買えないのか。
なら自分で作るほかない。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/328.html#c1
コメント [医療崩壊3] 「末期のうつ病キャンペーンから日本人を守れ」(転載) 寅蔵
07. 2010年8月16日 16:01:45: 6jKoZv8KxI
私は最初不眠症で12年前迂闊にも精神病院の門をたたき、うつ病とされいろいろな薬を処方され飲みつずけ、症状が良くなるどころか、どんどん悪化して職を失い家を失い、家族まで失ったものです。最初の不眠症の時にハルシオンを処方され、副作用の注意もなかったので寝る前に酒と一緒に服用したため、中途覚醒中に無意識のうちに車を運転して追突事故を起こしてしまいました。いったい何が起きたのかさえ分かりませんでした。まさかハルシオン副と言っていいのか、本来作用と言っていいのか解りませんが、こんな作用があるとはその時には考えもつきませんでしたが、このことで職を失い、後は滑り台ずるずると転げ落ちるようにどん底まで落ちてしまいました。抗鬱剤も飲めば飲むだけ、頭がマヒしてまともな勤務なんかできなくなり、転職を繰り返さずを得ず、転職すればするほどどんどん条件の悪い仕事にしか就けなくなり最後には職を失いすべてを失ったのです。しかし一旦薬漬けにされてしまうと、薬が切れるとその禁断症状は耐えがたく、医者に逆らうことなどできません。向精神薬はまさに麻薬です。今はうつ病のつらさより、この薬の禁断症状(離脱症状)の治療を何とかしたいです。精神科医はくすりの処方はできても減薬、断薬の知識などは持っていないことに愕然としています。普通の薬は病気が治れば自然と薬は止められますが、向精神薬は麻薬と同じで、始めるよりもやめる方が何倍も難しいのです。このような恐ろしい薬であることをを知ってもらいたいのとあまり期待できませんが、医師にもいかに減薬、断薬させるのかの知識を持ってもらいたい。治療の入り口から断薬と言う出口まで責任を持ってもらいたいと思います。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/293.html#c7
コメント [カルト7] Re: 創価学会が最も恐れて抹殺したつもりのウルトラC文書 紫式部
01. K24 2010年8月16日 16:02:48: RUW.8Yy8eqVmQ: l0g7TJYSBw
>創価学会は常に敵をつくらなければ、結束を維持できない組織です

このような体質を持つ創価学会が総体革命により日本を制圧し名実共に日本の支配階層となったとして、
宗教の名の下に国内の敵(あらゆる批判勢力、反対勢力)を一掃する大弾圧を行ったとしてしも、それで創価学会の支配する日本が安泰かと言えばそうはならないでしょう。
創価学会の支配する日本は内部崩壊する可能性が出てきます。

この内部崩壊を回避するためには『外部の敵』を必要とすることになります。
それが内部に向けば国民同士が互いに監視しあう密告者会となり、さらにはスターリンのような恐怖政治となる。

それが外部に向けば外国を『仏敵』として扇動することになります。
これは昔の『鬼畜米英』が装いも新たに再登場してくることを意味します。

さて、このようなカルト国家日本が将来的にどこの国を『仏敵』とするかは誰にも分からない。
そしてこの『仏敵』に対していかなる『仏罰』を与えるのかも誰にも分からない。

カルト国家がどのようなものかを知りえる一つの教材、

それは戦時中の大日本帝国とそのものにあるといえます。

http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/635.html#c1

記事 [昼休み41] 日航ジャンボ123便 搾取宇宙憑依勢力達との闘い(伊豆の件)  日本・ユダヤ神器(御巣鷹の件)
闇経済をつぶせば弱者は軍隊に行くことになってしまう (123)
2010-08-16 16:02:12
http://20060912.blog89.fc2.com/blog-entry-145.html
http://alternativereport1.seesaa.net/article/159343307.html
http://alternativereport1.seesaa.net/article/159465914.html
2年ほど前の記事をオルタが再掲載とのことである。

確かに、正しい。

しかし、日航ジャンボ123便の問題というのは
・日本・ユダヤ神器(御巣鷹の件)
・搾取宇宙憑依勢力達との闘い(伊豆の件)

この2つの方向性で、すすめていかないと解決しないのです。
闇経済が関与したからといって、闇経済の人たちにスポットを当てるべきではありません。

当方の経験と偏見から言わせていただければ、闇経済の方が、よほど正義である。別のいい方をすれば仁義、人間身あふれる人間性に富んでいる。
表の正義を名乗っている人、権力を振りかざしている所ほど、裏では悪事をはたらいている。一見、法的に正しいことをしているようであるが、詳細に観察すれば、道徳と人道に欠け、機械的で人間性に欠如した人たちである。

闇経済が無くなれば、弱者は困窮し軍隊に行くしかなりません。
それこそ地獄の戦争の世となります。

闇経済を問題視するのであれば、闇を潰して軍隊、戦争に駆り出すのではなく、
複合発酵
http://yanagida-farm.com/
のような地球浄化の古代技術に闇経済のリソースを向けるべきである。

表経済の人たちが毒を蔓延させているひどい世の中のだから、
闇経済の人たちが結晶浄化すればよい。

これが真の地球浄化、世界平和への道である。

<以下引用>
http://alternativereport1.seesaa.net/article/159343307.html
http://alternativereport1.seesaa.net/article/159465914.html

2010年08月13日
日航ジャンボ機・墜落事故の真相・・・GDPを上回る闇金の世界


 日本のGDPは500兆円等と言われている。しかし、表側の世界に出て来ない「闇経済」が、ほぼ同額の500兆円を超える規模で存在している。

 それは、「魚の先物市場」を巡り形成されて来た。

 原油や小麦の先物市場は聞いた事があっても、魚の先物市場は世界でも日本だけにしか無い。日本の闇経済の中にしか無い。

 小麦を使いパンを製造する製パン業者は、3ヶ月後6ヶ月後に小麦の値段が極端に上がる事を恐れる。材料費が上がると製パン業に支障を来たすからである。そのため、例えば現在1kg=100円の小麦を、6ヶ月後に105円で買う契約を行う。上乗せ分の5円は本来、現在100円の小麦を購入し、保管しておく倉庫業者用の費用でもあった。この契約が先物取引である。

 しかし、6ヶ月後に小麦が95円に値下がりすると予測した金融業者が、製パン業者と先物契約し、6ヶ月後に予測が的中すれば、6ヶ月後95円で小麦を買い、製パン業者に契約通り105円で売り、10%余りの利益が得られる。こうして倉庫業者ではなく、投機で利益を得ようとするギャンブラーが先物市場に出現する。

 さらに6ヶ月後には、金融業者はわざわざ95円で小麦を買って製パン業者に小麦を渡したりはしなくなる。市場では小麦は自由に買えるのだから、欲しければ製パン業者は自分で小麦を買えば良い。金融業者は、105円ー95円の差額10円を利益として製パン業者から入手する「だけ」になる。逆に小麦が140円に値上がりしていれば、金融業者は105円との差額35円を製パン業者に支払う。製パン業者は、金融業者から入手した35円と自己資金105円で小麦を買う。製パン業者は小麦の値上がりで経営に打撃を受けなくて済む。

 こうして先物市場は、やがて小麦の実物の「やり取り」とは全く関係の無い紙の上の契約と、10円または35円の金銭の清算だけの取引になる。

 先物市場は純粋なギャンブルになる。


 第二次世界大戦後、日本は原油の大部分を米国から輸入するようになる。輸入した原油から石油化学製品を製造し、また原油を精製してガソリン等を製造する業者にとって、原油価格の変動、原料価格の変動はどうしても避けたい事であった。この石油業界の不安定さには、戦争で米国に負け、原油を米国から「だけ」輸入する事から、さらに拍車が加わった。

 この不安定さを解決して来たのが、安価な時に原油を購入備蓄し、高価になれば放出し、また過剰に生産されたビニルやポリエチレン等の石油化学製品の在庫を一括して製造業から買い取り保管し、市場で石油化学製品が品薄になると放出するという、先物業者の役割を果たして来た「業転」と呼ばれる、日本の原油先物業者であった。しかし日本に正式に原油先物市場が開設されるのは2000年代に入ってからであり、この業転はあくまで非合法な「もぐり」業者であった。

 世界の経済大国となって行く日本の膨大な原油取引を、事実上仕切るこの業転は、当然日本への原油輸出を独占するロックフェラー財団の下部組織であった。

 やがて先物業者の通例に従い、この業転は紙の上だけで6ヶ月後にポリエチレンを〜万円で売る、買うと契約し、期日に金銭だけで決済する闇の投機資金業者=ギャンブラーとなって行く。石油製品等の売り買いは、実態的には伴わなくなって行く。

 企業経営者が会社資金を使い込み、あるいは株式売買で大きな赤字を作り、株主総会で株主に吊し上げられる危機に陥った時、紙の上だけでポリエチレンを業転に10億円売った事にし、業転から10億円の代金支払いを受け、6ヶ月後に12億円でポリエチレンを買い戻す先物契約をする事で、企業経営者はその危機を乗り越える。

 危険があり過ぎて銀行が融資しない事業資金、また企業の不正を追求、脅迫して来た総会屋への支払い、政治家への不正な献金、脱税した企業利益を税務署からの調査中だけ業転に預け、6ヶ月後に返却してもらう等々。さらには、莫大な利益を出した大企業が業転から石油化学製品を莫大に購入した事にし、利益を全て消費した事にして課税を逃れ、定期的に事業資金として「小分け」に業転から払い戻しを受ける「先物契約」。さらには、大企業が自前で非課税の宗教法人を作り、そこに利益を流し込み合法的に脱税し、宗教法人から業転へ資金を流し、最終的には「資金の行方」を分からなくする。

 こうして、業転は大企業経営には「無くてはならない」闇の日本銀行になって行った。

 また、業転は得体の知れない無数の日本の新興宗教法人のボスになって行った。そして創価学会が、その中核担当である。1900年代初頭から、中国石油の開発を行って来たロックフェラーの中国共産党の人脈を使い、創価学会・池田大作は、田中角栄のメッセンジャーとして日中国交回復の段取りを準備した。そこには業転=ロックフェラーの人脈が生かされていた。

 日本のGDPに匹敵する巨額の闇資金を運用する、ロックフェラー日本支部=業転。自民党の最大資金源となった業転は、「融資先」の多様化に伴い、セメント、木材、石材.人材派遣、魚の「先物取引」というテクニックを拡張させて行く。全て実物の品物が伴わないペーパー契約である。

 もちろん非合法活動のため、正式な貸し金契約書は無い。返済が滞れば裁判で強制的に金を取り立てる事は出来ない。従って、かつての「怪人21面相」による、菓子製造企業グリコの社長誘拐による身代金請求、森永製菓製品への針混入等のグリコ・森永事件が発生する。これが業転による貸付金の取立て「業務」である。

 この闇の日本銀行の高利の資金運用先が、株式売買でのいわゆる光進等と言った「仕手筋」グループである。グリコ・森永事件の発生に伴い、グリコ・森永の株式の急騰暴落が演じられ、仕手筋が莫大な利益を上げた理由はここにある。日本版企業乗っ取り屋=仕手筋の資金源は、この業転である。


 欧米では、アメリカ中西部テキサスを中心に生産される高質な原油WTI=ウェスト・テキサス・インターミディエイト、または英国の北海ブレンド原油といった軽質油からしか、爆発力の強いガソリンは精製出来ない。しかし日本だけが、比較的粗悪で安価なアラブのドバイ原油=重質油からガソリンを精製する技術を持っている。

 ドバイ原油を原料とした日本のガソリンを、欧米のガソリンと同じ価格で販売する日本の業転は、過去に繰り返しガソリン高騰で莫大な利益を得ている。その利益がロックフェラーの日本企業乗っ取り資金に変貌している。

 業転が魚の先物取引という、一見奇妙な金融商品を開発した理由はもう1つある。

 第二次世界大戦後、米国ロックフェラーの原油を日本に運搬するタンカー企業は、日本の水産会社の漁船部隊を再編成して創立された。

 第二次世界大戦中、米国と戦争する日本海軍の軍艦部品は、敵国アメリカのロックフェラー財団から密輸されていた。ロックフェラーは米軍へも兵器を納入し、日本と米国はロックフェラーの兵器販売促進のために戦争を行っていた。

 ロックフェラーと共に、日本海軍の軍艦部品密輸商社を経営していたのが昭和天皇ヒロヒトである。ヒロヒトの部下として、兵器密輸の実働部隊を担ったのが三菱財閥、日本水産=ニッスイ、天皇の右腕で皇室出身の外交官・白州次郎であった。密輸船は日本水産のものであった。

 戦後、白州次郎は天皇の命令を受け日本水産の社長に就任、兵器密輸仲間の三菱財閥から出資を受け、日本全国の暴力団、総会屋を結集し、ロックフェラーの原油輸入・販売業=業転を創立する。ロックフェラーのタンカーの操縦は、天皇=白州の日本水産が担当する事になった。

 業転が魚の先物取引という奇妙な金融商品を持つ理由は、原油輸入と日本の水産業との一体化という歴史から来ている。

 こうして日本全国の暴力団、総会屋を結集し、闇資金市場を創立し、そのボスに君臨したのが昭和天皇であり、業転は戦争中の兵器密輸企業=死の商人の戦後版であった。

 そして戦後、天皇傘下に結集した日本の暴力団、総会屋相互の調停役、まとめ役として、業転の専務役を担当したのが右翼のボス小佐野賢治であった。

 80年代初頭、ロッキードグラマン社からの収賄事件で小佐野が東京地検の捜査対象になると、重要な証人が次々と「心筋梗塞」で死亡して行った。業転とロックフェラーCIAが総力を上げ、日米石油マフィア小佐野を守っていた。

 当時、業転=小佐野は日比谷の帝国ホテルを経営し、三菱地所は東京駅八重洲口周辺の土地を買い占めていた。業転=小佐野と三菱は、菓子メーカーの不二家が所有する銀座周辺の土地、また蛇の目ミシンの所有する京橋付近の土地を買い占め、東京から日比谷までの広範囲の地域を業転=ロックフェラーの日本中枢拠点にしようと計画していた。蛇の目ミシンは業転=仕手筋の働きもあり、容易に倒産し買収が完了した。しかし銀座の不二家は買収に激しく抵抗した。「怪人21面相」は、不二家の商品に針を混入し不二家を脅迫、不二家社長に「死の宣告」を行った。

 一方、80年代初頭、ロックフェラー=業転=小佐野は、日本航空株式を35%程買い占めていたが、さらに過半数に達するまで株式を買収し、日本航空を乗っ取ろうと計画していた。

 しかし、小佐野の日航株式買収に便乗し株式価格の上昇を期待し、三洋興産という企業が日航の株式約15%を買収し、小佐野=ロックフェラーの邪魔をしていた。三洋興産は小佐野の株式買取の請求を拒否し続けていた。

 1985年8月、日航ジャンボ機が墜落し、乗っていた不二家の社長が死亡する。恐怖に襲われた不二家経営陣は、小佐野=ロックフェラーに銀座周辺の土地を全て売却した。「怪人21面相」による不二家脅迫は、以後一切消えて無くなる。「怪人21面相」による不二家社長への「死の宣告」はこうして実現した。

 ジャンボ機墜落で日航株式は暴落し、期待外れとなった三洋興産は、日航株式15%を小佐野=ロックフェラーに全て売却した。

これが日航ジャンボ機墜落事故の「真相」である。

2010年08月15日
日航ジャンボ機の米軍戦闘機による撃墜事件=広島・長崎への原爆投下

「日航ジャンボ機・墜落事故の真相・・・GDPを上回る闇金の世界」、参照。


http://alternativereport1.seesaa.net/article/159343307.html


 1985年8月12日に起こった、日航ジャンボ機墜落事故に関しては、旅客機の機器の故障説やエンジントラブル等、諸説の原因が言われ、日航側は既に死者への賠償に応じている。


 現在、日本、韓国、ハワイ、グアムに駐留する米軍基地内で、米軍の機関誌として読まれている「パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス」という雑誌の85年8月27日号には以下の内容の記事が掲載されている。日航ジャンボ機墜落事故から、わずかに2週間後の発行日付である。

 「日航ジャンボ機墜落事故当時、横田基地に配属されていた米空軍の輸送機U130のパイロット、マイケル・アントヌッチ中尉は以下のように証言する。

『事故当日、空中戦の演習を行っていた米軍練習用戦闘機から事故が起こったとの緊急無線が入り、一番近くを飛行していた私のU130輸送機が事故現場へ救出のため急行した。

いつものようにアメリカ空軍の練習用戦闘機が、日本の民間旅客機をターゲットにミサイル発射のシミュレーション演習を行っていた所、安全装置が解除されている事に気付かず、実弾ミサイルを日航ジャンボ機に命中させてしまった、というのが無線の第一報の内容だった。』 

この空軍中尉マイケル・アントヌッチは、日本政府から奇妙な事に『緊急の救助のために現場に行かなかった事、第一報の無線も聞かなかったと発言するよう要請された』と語っている。」


 この現役アメリカ空軍中尉の証言は、米軍機が「動く格好のターゲットである日本の民間旅客機」、つまり日本人をターゲットに日常的に「撃墜演習」を行っている事実を示している。

これが、日本に米軍基地がある、という事の意味である。

広島・長崎に原爆が投下され多数の日本人が殺害された、その犠牲者と、沖縄の米軍基地によって沖縄県民が受けている被害、日航ジャンボ機の「米軍戦闘機による撃墜事件」による被害者は、「同一」の米軍による日本支配と言う事態による被害者である。

 なお、日航ジャンボ機を撃墜した米軍戦闘機のパイロットが、事故ではなく、「何者かの命令によって」意図的に、ミサイルの発射安全装置を外していたのか、どうかは、闇の中であるが、このパイロットは事故の責任を取り処罰される事は無く、その後「順調に昇進」している。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/571.html

記事 [マスコミ・電通批評10] 地デジ対策どころじゃない!/山本一郎(イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100816-00000003-voice-pol

◇根幹から揺らぐ免許制◇

 今月は通信事業者が注目する電波監理審議会の行方を本稿で語ろうと思ったら、なぜか電波割り当て問題など重要な課題をすべてスルーされてしまった。総務省の諮問機関としての電監審の機能強化は選挙前から議論になっていたが、従来より“電波利権”と揶揄される重大な権益の交差点であるがゆえに「ルールを決めるための議論を進めるためのルールづくり」で議論が沸き起こってしまい、収拾がつかなくなってしまっている。

 もっとも、“総務省放送村”においては地デジ政策の推進に長らく神経を集中してきており、気がついてみたら地デジ以前に放送事業の免許制を根幹から揺るがすほど、地方局各局の経営基盤が傷んでしまった。テレビへの広告出稿が減り、思った以上のペースで放送各社の売上げが減少したのが主な理由である。

 そこへ、地域のケーブルテレビ局や光回線を担うプロバイダーなど非免許事業者が放送の垣根に参入し、彼らもべつだん経営状態が芳しくないけれど、都市部密集地はもちろん、テレビ電波の入りづらい山間部に顧客を分厚くもってしまった。利用者が2000万人以上いる現在、いまさら「再編を進めるのにあなたがたは邪魔です」ともいえない。

 結果として、都道府県ごとの放送免許を地域ごとに再編しましょうという議論がようやく始まろうかというところで、通信を専門領域とする事業者が放送の世界に進出してきて、市場からすれば制度や行政方針とは関係なく放送と通信が勝手に融合してしまった。不特定多数で地域の縛りがあり、頒布するのに割高なテレビより、機動的で顧客の層が限定できるネットやケータイのほうがコンテンツ業界としては扱いやすいということで、動画サービスなどを中心に情報配信のルートが変わってしまったのだ。

 メディアとは本来、私たち人間が行動を起こすために判断を下す基となる必要な情報を得るためにある。それゆえ、ネットやケータイなど複合的で、より個別具体的な情報を提供するメディアに主眼がシフトしていくのは当然だが、免許事業者からすると過去すでに行なった設備投資や稼働している人員、今回の地デジ対応のため追加投資の負担が甚大で、サービス事業として本来重要な「メディアとして顧客と向き合う姿勢」をつくる元気すら失われつつあると感じてしまう。

◇全員が満足する方法などない◇

 面白いことに、ネットの時代になっていちばん元気なのは、じつは大手系列のラジオ局である。ひところの低迷を脱しているところもあり、今後うまく営業が充実していけば、ネットとの親和性を基点に復権しかねない状況だ。

 すでに終わったメディアとされ、邪魔者扱いされていたラジオ局であるが、よく考えるとリスナーとの関係性や、手軽さゆえの即時性など、大儲けさえ狙わなければ利用者を確保するための算段はネットに用意されていた。twitterが流行し、radikoなどのアプリを使って自由にネットでラジオを聴ける環境になると、本来のコンテンツ力に気づいた先進的なネット利用者からの支持を受け、お手軽な定番ネットコンテンツの一つに成長しはじめた。

 しかし、そのようなラジオの復権があだ花に思えるほど、繰り返すが、既存のテレビ局を主軸とする日本型メディアコングロマリットは急速に疲弊している。地デジは進めてみたものの、現在ある民放五社のうち、生き残ることができるのは3社といわれる。電波は残しながらも社としてはグループ化するなどで再編しなければ、財務面から見るかぎり、メディア事業が生き残れないのはほぼ確定的だ。

 各社は海外へのコンテンツ販売や、非放送事業に活路を求めて収益手段の多様化に打って出ざるをえない。しかし各社単独での動きが多く、業界の沈没スピードを押し留められるほどのものにはなっていない。

 このままでは、いずれ駄目になることはみな、わかっている。放送という市場全体のパイが縮小を続けており、いまある5社と地方局、そしてCSやらケーブルテレビやらでテレビの前に座っている人の目玉を奪い合っても、規模を維持することはできない。廃れきったテレビ事業者が金をかけられないコンテンツをいくら制作してもテレビの前に客は帰ってこず、産業としての放送事業はもちろん、コンテンツ制作の現場も大いに疲弊することは理解できるだろう。

 そのような状況下、行政には何ができるか。限りある資源を配分することがその役割なのだから、全員が満足する方法などない。100点のない世界ではあるが、国内での最適だけではなく、海外市場やネットの状況も踏まえた産業再編の青写真なくば後手後手に回りかねない、と思うのは私だけだろうか。

http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/784.html

コメント [社会問題7] 「そんな仕事は社員がやって」 自分勝手な派遣スタッフ gikou89
02. 2010年8月16日 17:41:05: AQqyLULhMc
タイトルと内容が一致しない記事ですね。
J-cast じゃ当然か?

期間満了前に姿を消す、会社のロッカーに私物を置いたまま、作業着などの貸与物を返さない、以外の記事にある問題点は派遣社員の言い分がもっともで、それ以上の忠誠心を求めるなら正社員を募集して雇用すべきでしょう。
タイトルの「そんな仕事は社員がやって」 は、自分勝手でも何でもなく当然です。
記事でも、臨床心理士・尾崎健一の視点 として、
遣スタッフには、契約の範囲内で働いてもらうと割り切ることも必要です。
多様な働き方を尊重できなければ、直接雇用での人材調達を進めるしかありません。
と書いているではありませんか。
それなのに記事内容に正反対の、「自分勝手な派遣スタッフ」 というタイトルを付けるのは、読者を誘導しようとしているとしか思えません。

http://www.asyura2.com/09/social7/msg/872.html#c2

記事 [経世済民69] 日本経済の誤解 動画
http://www.youtube.com/watch?v=xCFmNSF48Os

2010.08.16
政策研究大学院の松谷明彦教授が、日本経済には「誤解」があると、再生の道を提言しました。「増税で財政再建はしてはけない」「消費回復には賃金を上げよ」「金利を上げて無駄な設備投資を止めよ」・・・これまでの経済再生論とは一線を画す提言で日本経済はて再生できるのでしょうか。



http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/509.html

コメント [雑談専用38] 日米関係の歴史的基礎:「ポツダム宣言は無条件降伏ではない」 棲みなすものは心なりけり
04. 2010年8月16日 17:45:06: fymVQnT97k
>>3 衒学の輩
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/686.html#c4
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
72. 2010年8月16日 17:46:24: VtnSdQy0to
貨幣の廃止と奴隷の廃止が望ましいのだが。あとは教育に身体は幻想であるという部分をいれることかな。慎重になる必要があるが身体からの離脱体験は身体は入れ物であるということをはっきりと理解できる機会である。身体が幻想ならそれを極端に守る人たちもいらないわけだ。
経済効率のみなら最後はコンピュータとアンドロイド社会になりタンパク質の体をもつ人体は廃棄されるでしょう。将棋でもうソフトにプロ低段者では勝てないともいわれている。計算はもちろん上だし、簡単な受け答えやお茶くみするロボットはテレビで見ていでしょう。なにしろ電気しか食わないし排泄もしない。戦争も無人機がやってくれる。経済効率のみなら機械社会になるでしょう。もはや機械に負ける労働者も知的職業すらいらない。機械の方が上だから。
経済効率ではなく人間と自然を調和する社会にするなら貨幣は徐々に廃止に向かうでしょう。フリーエネルギーが出来れば極端にがつがつ働く必要はないわけです。
ものは必要な分だけ生産する。商品は各自が必要な分だけ受け取る。学生時代を思い出せばいい。あれが人生の終わりまで続くと。発明は人と自然のバランスを考えながら大きく普及させるかチェックする。まあ選択の自由は一人一人にあるし後者の場合これは押し付けでは成り立たない社会だ。一人だけ大儲けは成り立たない。各自の参加意志が必要な社会なのだ。

http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c72
記事 [自然災害16] インテリよ、サバイバーたれ71 事業を公開します
再利用中継所 設立の目的と経緯

社会の浪費を無くす事。このために設立いたしました。


病んでいる現代文明の「症状」は誰にでも見えます。

それは差別・虐待・貧困・犯罪・自然破壊・自殺・戦争などです。

けれどそれ自体は弱体化した細胞器官(弱者)の悲鳴であり、肥大化した細胞(強者)と共に、

解消すべき現象であって、駆除すべき対象の「病巣」ではありません。

では「病巣」は一体何処にあるのでしょうか?

そしてそれを駆除すれば本当に病いは完治するのでしょうか?

それを検討しようにも、その区別が混同して使われていれば、その「焦点」も、況や「照準」も絞れるはずはありません。

そんな「病巣と症状」の関係は、更に大きな「病理と病巣」の前関係であるとも言えるでしょう。

つまり駆除という対症療法よりも、マネーと言う血液の滞留点を「病巣」とする「病理」の正体を

明らかにすることが焦点となってきます。

それにはまず、滞留しても腐るどころか利子が付いて増えて行く、マネーという擬似血液の虚偽を

見抜くことが必要です。

病巣の原因はまさにこの擬似血液ということになります。

一体何時から文明は、無限循環で再生するリサイクル機能を有する本物の血液(仕組み・後述)

を捨て、この贋物の血液(仕組み)に乗っ取られてしまったのでしょうか?

その痕跡は古く旧約聖書にまで遡って、言い伝えられて来た有名な記述にも見る事が出来ます。

本来自らの中で自然循環し、完結させるべき行為を、マネーによって代行させ得るとした分別の

「知恵の木の実をアダムが齧った時から、地上の楽園は弱肉強食の世界へと塗り替えられた。」

というものです。

それから今日に到るまで、物本来が持って生まれる、何ものにも代えられぬ特質を、

マネーによってすり替える知恵を経済と呼び、人々(細胞)を欺き続けて来たというものです。

「病理」とはここにあると考えます。照準はここに定まりました。

マネーによる等価交換、代理、代行、代表という偽善(経済)、で「独占支配」を果そうとする心。

これこそが「病理」の正体です。

そして、この病理に犯されているのは決して強者だけではないと言う事です。

弱者も更に弱者に対して、又は弱者同士がこの「病理」経済を適用しています。

このまやかしの悪循環の環を断ち切らねば、完全治癒への道は始まりません。

まずは己の中に巣食う、代理、代行、代表を立てようとする心(政治への依存心)を捨て、

自給自足による自己完結、無限循環する再生リサイクルシステムの構築を目指さねばなりません。

本物の血液(仕組み)とは?

偽りのマネーの裏付けに使われたかつての金本位制にしても、嘘の重ね塗りでした。

金では、金そのものでは直接には命を繋ぐ事は出来はしません。

言い換えればゴールドにいくら希少価値があろうが、直接的には有機体生命の維持存続を

保証し得ない、虚構の裏付け、贋物の代理、代行物に過ぎません。

直接的、最終的に、命を繋ぐ仕組みを保証する力があってこそ、本物の仕組みであり、

本物を求めるならば、決してその代理、代行などあるはずが無いのです。

ゲゼルの減価する貨幣、エンデの遺言や試み(イサカアワー等の地域通貨)にそれを求められるでしょうか?

仮にこれを世に認めさせる事が出来たとしても、基本が虚構であるマネーと同じ交換システムです。

そこからはやはり分業による代理、代行、代表の経済基盤に立つ文明しか見えて来ないのです。

これではとても本物とは言えません。

最初にマネーが真似をする程の本物がありました。

しかし土台贋物マネー。この本物の仕組み(プログラム)に取って換えられるはずもなく、

結局それは今日に到るまでずっと、社会を根底から黙々と育み、営ませ続けても来ています。

虚構経済に巣食うそんなマネーの陰で、その実体世界を支え続けて来たのは何であったのか?

これが無ければ立ち所に、文明どころか全生命が存在出来ません。

それ程に何ものにも換えられぬ本物であり続けている、真に貴いものなのです。

言霊の真実によって命名されし、代行物マネーの元となる本物とは?

それは「種(たね)」でありました。

これこそ、極小の中にも極大の真実を有するプログラムとして、それ自体が「衣・食・住」

全てを賄う万能貨幣として、この世の最初からあったものです。

己自身と属する種も繋ぐ命でありながら、他の種や生命個体の命をも繋ぐ糧ともなる仕組み。

ここが実に意味深く、自然界、宇宙の構造を見る時のフラクタル(入れ子)構造にまで連なる

一筋の真理として見えるのです。

昔何の種だか分解してみたところ、茎ごと折畳まれた最初の一葉が出て来て、感動しました。

(プログラムとして担保され、実直に保証された仕組みを内臓していることに。)

だから種自体が呼吸しているとは思っていません。種段階では既に眠ったプログラムであり、

何万年でもそのまま実直に待機している仕組みなのです。

そのプログラムを壊すのは、カビや虫や酸化であり、その原因は昔は防御不可能な湿気と酸素でした。

(つまり毎年更新しなければならない、そのままの蓄財を許さない減価する貨幣でもあります。)

そしてこれは本物であるが故に、代理、代行、代表を立てることを絶対に許さない、

己の食事、消化器官、排泄と共に、自給自足、自然循環の中にだけ存在しています。

しかし、其処に至る道のゆくてを偽りのマネーシステムが塞いでもいるのです。

これを段階的に突破する仕組みが、この再利用中継所の中にはセットされています。

まさに種の様に実直に、極小の中にも極大の真実をも有する、自己複製プログラムを

その中に内臓させることが出来たのです。


あとは実践あるのみ。


その結論は、「誰かがこのリサイクルシステムをマネー無しで中継しなければならない。」

と言う事になりました。

そこでしか、この富の均等化の試みは始まらない。

そのための第一歩を踏み出してから、まさにそのマネーの壁に立ち塞がられ続けた15年が過ぎました。


けれど、今ようやく起死回生の活路が暗闇の中に燈ったのです。

課金記事ブログの存在を知ったからです。

皮肉にもマネーを無くすにもマネーが要る現実は否定出来ません。

ですが、これなら最初のシステム立ち上げの資金難を乗り越えられるのです。

そして一度立ち上げてしまえば、浪費と擬似血液マネーを滞らせない仕組みが順を追って現れる、

次もその次も、そして最終段階に到るまで、既に各ステージで打つ手は決まっています。

その内容は多岐に渡ります。とても短文には収められません。

それらは某有名掲示板でのアーカイブとして、このサイトにも閲覧出来るよう順次コピーして行きます。

又、システムの原型(現在はこれをだいぶ改良したものとなっています)となっているものも

2ch(190から)にも残して有ります。ご参照下さい。

上記のような趣旨でブログを立ち上げました。
http://tyuukeijo.blog69.fc2.com/

この事業を通じてしかこの世は救われないと確信しており、大災害が起こるよりも先にシステムを世に普及しなければと考えております。

ただしパソコンに関してはまだ弱点を克服しておらず、広く阿修羅諸氏のご助言ご協力を求めたいと思っております。
よろしくお願い致します。
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/366.html

コメント [原発・フッ素6] 米・新規原発への投資は要注意 ―来日中の専門家が日本政府に警告(原子力資料情報室) クマのプーさん
01. taked4700 2010年8月16日 18:17:49: 9XFNe/BiX575U: wnxucRBU1A
これは注目に値する記事です。

そもそも、アメリカは本気で原発をやる気があるのか、非常に疑わしい。スリーマイル島事故以来、原発は安全対策のために様々な費用が掛かるということで、コスト高のために新設をしないと言ってきた。ここに来て、原発ルネッサンスを叫んでいるのは、既存の原発の老朽化が一番の原因としてあるはず。

しかし、上の記事を見ると、どうやら既存原発の更新のための原発新設もやらない様子だ。多分、背景には、地震の活動期に地球全体が入ったという意識があるのではないだろうか?もし地震で原発が本格的に壊れてしまったら、その周囲半径50kmほどは完全に居住不可能になってしまう。しかも、アメリカは大陸だから、地下水水脈が互いにつながっていて、一か所の放射能汚染が何処へ飛び火するか分からない。こういったことで、原発の全体的な廃止を狙っているのではないだろうか?だからこそ、ウェスチングハウスを東芝に買わせたのだろうし、他の原発会社も日本企業と組ませたのだろう。

原発は事故のリスクが大きい。今後、オペレーショナルリスクが大きく見積もられると、様々な意味で企業存続が難しくなるはずだ。

原発ビジネスからは手を引いたほうがいいと、こういった記事を読むたびに思うのだけれど、すでにかなりの資本投下をしてしまっているから、今更手を引くのは無理なのだろう。そうであれば、原発の新設ではなくて、廃炉、廃棄物処理に特化していくほうが様々な意味でいいと思う。
http://www.asyura2.com/09/genpatu6/msg/616.html#c1

記事 [昼休み41] 「読売、不起訴見通し」(検事総長・NHK解説員室から小泉ハゲタカ一派が退場し、小沢イジメが難しくなったようです)
 
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小沢氏、4回目聴取は代表選後…不起訴見通し(読売新聞)
http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/538.html
投稿者 赤かぶ 日時 2010 年 8 月 16 日 16:38:50: igsppGRN/E9PQ

 小沢一郎・前民主党幹事長(68)の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部が小沢氏に対する4回目の事情聴取を、9月14日の同党代表選後に行う方向で日程調整していることが16日、わかった。


 東京第1検察審査会が7月8日、陸山会の2007年分の政治資金収支報告書を巡る同法違反容疑について、小沢氏を「不起訴不当」と議決したことを受け、特捜部が同月22日に要請していた。

 小沢氏側の関係者によると、小沢氏は、代表選への影響を避けるため、代表選後の聴取を希望。弁護士がこの意向を特捜部に伝えたところ、「意向を尊重する」との回答があったという。特捜部は聴取後に小沢氏を再び不起訴とする見通し。

 一方、04、05年分の同法違反容疑については、小沢氏を「起訴相当」と議決した東京第5検察審査会が特捜部の再度の不起訴を受け、第2段階の審査を行っており、この結論も代表選後に出される見通し。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100816-OYT1T00541.htm
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
01. 2010年8月16日 17:00:14: BDDFeQHT6I
結果の見えている検察審査会など、いやがらせ以上の意味はもう無いだろう。
どうせ起訴出来ないことは明らか(例え再度起訴相当となっても弁護士の代理検事と言えども訴因が明確に出来ないような案件では起訴しようがない)なのだから無視すれば良い。
小沢氏の出馬の足枷は無いと考えて良いだろう、後は鳩山派が小沢支持に回れば万全ということだろう。

02. 2010年8月16日 17:04:19: rDR2VuP5yw
政治とカネ、説明責任、証人喚問。
いい加減見飽きて聞き飽きても再度攻撃してくるんだろうが、

代表選で勝って、国民の生活第一で

霞ヶ関と戦ってくれれば

自然と支持率は上がってくる

人気投票よりも実力で支持が上がれば本物。


03. 2010年8月16日 17:07:44: dqzcJZhVIc
最初の東京第5検察審査会の審査自体が無効ではないのか!? 匿名の申立人であり当事者関係者でもないただの右翼関係者が申し立てたらしいではないか! こんなものダメだろう!

04. 2010年8月16日 17:09:27: ZsUNOgGnko
陸山会事件:小沢氏聴取は代表選後 東京地検が意向尊重
 小沢一郎・前民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部による小沢氏への4回目の事情聴取は、9月14日の民主党代表選後に行われることが、関係者の話で分かった。

 07年分の政治資金収支報告書への虚偽記載容疑を審査した東京第1検察審査会が7月15日、小沢氏について不起訴不当の議決を公表。これを受け特捜部が同22日、小沢氏に事情聴取を要請した。小沢氏側の弁護士は応じる意向を示したが、時期については「政治活動に影響のない時期にしたい」と代表選後を希望していた。

 特捜部は早期の聴取を求めていたが、任意の聴取であることなどを踏まえ、小沢氏側の意向を尊重する方針を弁護士に伝えたという。特捜部は聴取後、改めて小沢氏を不起訴とする見通し。一方、衆院議員の石川知裕被告(37)ら元秘書3人は聴取要請を拒否しており、特捜部は再度の要請はしない方針。【三木幸治】
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100816dde041010023000c.html



05. 2010年8月16日 17:20:08: y2SPy6IwBg
とにかく、選挙で小沢代表を選ぼう。

06. 2010年8月16日 17:29:41: ZsUNOgGnko
小沢氏の聴取、民主党代表選後で調整
http://www.youtube.com/watch?v=sD6_OsEEN-4&feature=player_embedded#!

07. 2010年8月16日 17:58:01: 1EQxiOkWEA
断固、小沢支持!!!


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/572.html

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 搾取宇宙憑依勢力達との闘い(伊豆の件)  日本・ユダヤ神器(御巣鷹の件) 愉快通快
01. 2010年8月16日 18:30:14: yQWO2OkyEc
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-1752.html
日航ジャンボ機墜落事故から25年、日本は未だに責任追及型の事故調査の体制のままで、これでは再発防止の真の原因追求はできないままだ

今日は、2010年(平成22年)8月12日 木曜日

今日で、1985年(昭和60年)8月12日に発生した
日航ジャンボ機墜落事故から25年経つ、
当ブログで、日航ジャンボ機墜落関係については、
4年前の2006年8月12日の記事
日航ジャンボ機墜落事故から21年〜乗客が残した言葉に力を感じる
で、乗客が残した遺書や当時12歳の私が「レーダーから消えた」というニュース速報を見て、
このニュースに釘付けになっていたことを書いているが、
多くの方に拍手をいただいて、また、昨日新たに1つの拍手が追加され
当ブログの最多タイになる19拍手を頂いているが、
それほど、この事故が強く記憶に残っている方やまた乗客が
人生の最後が迫る中で、懸命に魂こめて書いた遺書が人々の心を
ひきつけるのだろう。

事故から25年ということで、時事通信社のページにある特集

25年を経て記者が語る〜日航ジャンボ機墜落事故

を読むと、墜落するのが18時56分であるが、
その前に、JAL123便が迷走状態になっているときから
時事通信社はJAL123便の以上を気心知れた管制官からの連絡で知っていて、
まだ、その時は、羽田空港に引き返そうとしているのではないかという認識を抱いているようだったが、
レーダーから機影が消えて、管制官達は大騒ぎになり、時事通信社の記者があわてて
本社デスクに情報を流し、19時13分に
「日本航空123便ボーイング747SR型機の機影がレーダーから消えた時刻は午後6時56分」
という速報フラッシュがマスコミ各社に送られ、
19時26分にNHKニュースの最後に松平友和アナウンサーが読み上げたのが
マスコミからの第一報で、
その様子について

Yahooの知恵袋
明日8月12日は、日航ジャンボ機墜落事故から25年目を迎えます
での質問へのs20090403さんからの回答に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

丁度7時のNHKニュースを見ていました
放送終了直前突っ込まれた一枚の原稿を見た瞬間の
松平アナの顔を今でも鮮明に覚えています

たった今はいったニュースで゜す
所沢の東京航空管制部からの情報によりますと
日本航空123便ボーイング747旅客機 羽田発大阪行きがたった今レーダーから消えました
これを二回繰り返して時間終了

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、その時の様子が書かれている。
私が、第一報を知ったのは
関西テレビ(フジテレビ系列)の月曜ドラマランドを見ていた時の
ニュース速報であった。

そのように第一報に触れた時の衝撃は今でも覚えているが、
それから25年で、

インターネット放送のビデオニュースドットコムで
マル激トーク・オン・ディマンド 第486回(2010年08月07日)
日航ジャンボ機事故はまだ終わらない

が特集されていたが、内容紹介で

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

事故原因を明らかにする上では、制度面でも遺族にとって納得のいかない
理由があった。国交省の事故調は法的な強制力を持っていないため、
あくまで事故の当事者たちの協力を得られない限り、調査ができない。
しかし、その一方で、日本で強制力を持つ事故調査を行うためには、
事故の責任者を刑事告訴することで、警察や検察による強制捜査に頼るしかない。
日本にはアメリカのような、事故の当事者に刑事免責を与えた上で、
原因究明に全面的に協力させる司法取引の制度が存在しない。そのため、
仮に当事者が事故調には協力をしたいと考えていても、
いつ自分が刑事告訴を受けるかもしれない立場にある以上、
刑事裁判で自らを不利な立場に置く可能性のある情報を自ら積極的に出すことは難しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあるが、その問題は未だに日本には残っていて、
実際に、日航ジャンボ機事故でも、原因調査の
ボーイングからの協力を得にくくなったようだ。
日本国内で、海外航空機による事故が発生した場合にも同じような
ことが起こりえるだろう。

また、マスコミも原因追究ではなく、責任追及型の報道をしてしまい
そのことがさらに再発防止につながる原因追究を阻害してしまっている
ように思える。

さて、4年前の8月12日の当ブログの記事
日航ジャンボ機墜落事故から21年〜乗客が残した言葉に力を感じる
の最後の方に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

、圧力隔壁が破損し、機内の気圧が抜けるときに発生する風により、
垂直尾翼などが破損して、それによって、ハイドロプレッシャー(油圧操縦システム)
の4系統全てに損傷が及んで、エレベータ(昇降舵)やエルロン(補助翼)は殆ど
効かなくなってしまった。そのため、油圧を使用しての操縦は不能となり
墜落したと政府の事故調査委員会は結論を出している。
 ただ、この圧力隔壁破損説にいろいろ疑問がつけられている。

(中略)

私の知っている方で、航空業界に関わっている方がいるが、その方による事故原因の説を聞いて驚いた。
確証がないので、ここでは、書かないが、それが事実であり、明るみになれば、大きな外交問題にもなる。

事故原因に関しては、いろいろ不明なところがあるようである

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書いた。
知っている方は、理系の物理の大学出身のパイロットの方で、
その方曰く、

「どう計算しても、内部からの圧力で尾翼などが飛ぶことは考えられない。
外部から尾翼に何かが当ったとしか考えられない。
そして、ここから推測だが、おそらく○○○○・・・」

ということで、おそらく○○○の部分が本当で世間にも明らかになれば
大きな外交問題ということになる。
まあ、ネットでも、「おそらく○○○・・・」の部分については、それに該当する
説が出ているが。


このブログ内の関連記事

航空事故調査は、責任追及ではなく、原因追求・対策志向型にするべき 〜 中華航空機炎上事故を受けて

今日で、JR福知山線脱線事故から5年・・遺族は処罰よりも事故真相究明を望んでいる・・・事故の刑事責任追及型の日本の慣習が遺族の真相究明の希望実現を妨げている

http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-285.html
日航ジャンボ機墜落事故から21年〜乗客が残した言葉に力を感じる

今から21年前の今日である1985年8月12日
日航ジャンボ機墜落事故が発生した。

昨日、ニュースで、
当日の18時12分に羽田を飛び立ったJAL123便が、
伊豆大島上空付近で、緊急事態が発生し、
それから32分間のうちに
亡くなった乗客の遺書やメモ
スチュワーデスの緊急時対策の手書きのメモ
などが、伝えられていた。


それを見ていると、改めて
言葉の力を感じる。

操縦不能の機内の中で、
死を悟り、家族へ最後のメッセージを
必死に書いていたのだろう。

その人の肉体は滅びても
言葉により、心は伝えることはできる。
遺族の中には、そのせまりくる死を覚悟した
なかで書いた遺書の言葉を心の支えにして
きた方もいる。

また、その遺書やメモなかで、
時刻と飛行機の状況や位置を
書いていたりもする。

自分の生命の危機が迫るなかでも
何か事実を伝えようとしている。

この事故の遺書は以下の通りである。

河口博次氏(享年52)大阪商船三井船舶神戸支店長(当時)

「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばって ママをたすけて下さい パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない 今5分たった もう飛行機には乗りたくない どうか神様 たすけて下さい きのうみんなと食事したのは 最后とは 何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした どこえどうなるのか 津慶 しっかりた(の)んだぞ ママ こんな事になるとは残念だ さようなら 子供達の事をよろしくたのむ 今6時半だ 飛行機はまわりながら 急速に降下中だ 本当に今迄は 幸せな人生だったと感謝している」

遺体の上着の胸ポケットに入っていた手帳に7ページにわたって、219字。

吉村一男 氏(享年43)
「しっかり生きてくれ。(二人の子供を)よろしく頼む」

社用の便せんらしい紙にボールペンで走り書きされており、勤務す
る会社の茶封筒の中に入っていた。


谷口正勝 氏(享年40)

まち子
子供よろしく
大阪みのお 谷口正勝
6 30

機内に用意されている紙袋にシャープペンで、20字。袋に自分の運転免許証が入っていた。

松本圭市 氏(享年29)
 
PM6・・・30
知子 哲也(両親を)をたのむ 圭市
突然 ドカンといってマスクがおりた
ドカンといて降下はじめる
しっかり生きろ
哲也 立派になれ

愛用の中型ノートにボールペンで、60字。


村上良平 氏(享年43)
 
機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
水平ヒコーしている
日本航空18・00大阪行事故
死ぬかもしれない 村上良平
みんな元気でくらして下さい。
さようなら 須美子 みき 恭子 賢太郎
18・45 機体は水平で安定して
酸素が少ない気分が悪るい
機内よりがんばろうの声がする
機体がどうなったかのかわからない
18・46 着陸が心配だ
スチュワーデスは冷せいだ


社名入り封筒に。

遺書の中で
「スチュワーデスは冷せいだ 」
とあるが、当日の客室乗務員として
業務にあたっていた対馬祐三子さん(享年29)
は、不時着を想定して、
緊急アナウンスをメモ書きしており、一部英語も
交じっている。緊急事態において、
職分を全うしようとしていたことがうかがえる。


おちついて下さい
ベルトをはずし
身のまわりを用意して下さい
荷物は持たない
指示に従って下さい
PAX(乗客)への第一声
各DOORの使用可否
機外の火災CK(チェック)
CREW(乗員)間CK
ベルトを外して
ハイヒール
荷物は持たないで
前の人2列
ジャンプして
機体から離れて下さい
ハイヒールを脱いで下さい
荷物を持たないで下さい
年寄りや体の不自由な人に手を貸
火災
姿勢を低くしてタオルで口と鼻を覆って下さい
前の人に続いてあっちへ移動して下さい


遺書やメモの現物の画像は

日航機墜落事故で亡くなった人の遺書とメモ書き
で見ることができます。

JAL123便機内の様子


http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm より


同じ、職分を全うしたとすれば、
コクピットにいた
高浜雅巳機長(享年49歳)、
佐々木祐副操縦士(享年39歳)
福田博航空機関士(享年46歳)
もそうである。

ボイスレコーダーが報道で発表された時、
操縦不能の中、必死に何とか助かろうと
必死に格闘していたことが感じられた。

操縦不能の中、だんだん地上が近づき
警告音がなるなか、
墜落直前の18時55分〜墜落するまでの
18時56分の間のやり取りは
緊迫感が伝わるものだった。

18時55分

42秒 (COP) パワー        
43  (CAP) フラップ止トめな
45  (?) あーっ            
46        
47  (CAP) パワー、フラップ        
48   みんなでくっついちゃだめだ  
49  (COP) フラップアップ、フラップアップ  
50   フラップアップ、フラップアップ    
51  (CAP) フラップアップ 

56 (CAP)  パワー         
57   パワー        
58   フラップ      
59 (F/E) あげてます      

18時56分           
       
04秒 (CAP) 頭アタマ上アげろ        
07 (CAP) 頭アタマ上アげろ                  
09                
10 (CAP) パワー            
11    

26   [衝撃音]
27   [衝撃音]  
28 <録音終了>


ボイスレコーダーの会話記録および地上などからの
交信記録の全記録は

http://hw001.gate01.com/virtua1994/record.htm
で見ることができます。


単独機の飛行機事故としては世界最大の航空機事故となった
日航ジャンボ機墜落事故。

その事故も、亡くなった方々が残した言葉に
よって、その背景をうかがうことができる。

心に残ってしまうのは、
本当に必死で魂をこめて
言葉に出しているからではなかろうかとも
感じる。

この事故で4名の女性が奇跡的に生存した。
そのうち、非番の客室乗務員だった
落合由美さんのコメントが

生存者の一人・落合由美さんの証言で

読むことができる。
緊急事態が発生してからの32分間、
機内は比較的落ち着いていた事、
墜落直後、4名以外の生存者がいたことなぞが
書かれている。

米軍が墜落直後、墜落現場を把握し、日本に救助を申し出たが
日本は断った。
もし、墜落直後に、夜で暗くなっていた救出困難だが、
米軍ヘリが救出活動に出ていれば、
助かったかもしれない命があったとも思えた。

生存者の方の言葉も
力を感じるものである。


私が、この日、テレビニュースで見たことを
私のブログの

歩きながら上を向けば、飛行機が見えた

で書いているが、それをもう一度載せる。


歩きながら上を向けば、飛行機が見えた
おととい、仕事をしながらFM802を聴いていると
カバー特集ということで、カバー曲ばかりが
取り上げれていた。
すると、坂本九の名曲「上を向いてあるこう」の
SAYOKOによるカバーバージョンがOn Air されていた。

この曲は日本人が唯一全米ヒットチャートで1位と取った曲であり
ビルボードでは3週連続1位だった。アメリカでは、「Sukiyaki」
である。その後、日本国内外を問わず多くのアーティストにカバー
されているが、私は、4PMのカバーが好きである。
4PMのアカペラが良い。

坂本九は、1985年8月12日 日航ジャンボ機墜落事故で
亡くなった。

12月10日と12月17日の午後7時30分からNHKで
「クライマーズ・ハイ」というドラマがあり、それは、
群馬県の地方新聞社の記者の日航ジャンボ機墜落事故の
取材や報道の1週間を描いたドラマである。

私は、日航ジャンボ機墜落事故の時は、12歳の小学6年生だった。
そのときのことをよく覚えている。

私は、フジテレビ系列の月曜ドラマランドを見ていた。多分内容は
富田靖子主演の「一休さん」だったと思う。ドラマを見ていた
19時43分ごろ、ニュース速報のテロップが出た。

その日、ニュース速報のテロップを見るのは2回目であった。
1回目は、その日の午前中に、グリコ森永事件の実行犯である
かいじん21面相が「終結宣言」のメッセージを送ってきたという
内容だった。その日の2回目のニュース速報を見た時に、1回目の
ニュース速報の内容を思い出しつつ、なんだろうと見れば、

「羽田発大阪行きのJAL123便が、羽田のレーダーから機影が
消えました」

とあった。そのニュースに驚いた。羽田から大阪行き、それもお盆の時期、かなりの多くの人が乗っているに違いないと思った。

その速報を見て、他のチャンネルに変えた。
NHKに変えた。ただ、そのときは、終戦記念日に近いという
こともあり、第2次世界大戦に関連する内容の番組をしていた
「まだ、NHKは報道特番をしてないか」
と思い、他のチャンネルに変えた。
そのときは、多分19時44分ぐらいだった。

TBS系列の毎日放送に(多分、関口宏司会の番組だったように思うが)チャンネルを変えると、ニュース速報のテロップが出ていて

「長野県の佐久市付近に墜落した模様」と出ていた。

そして、次々とチャンネルを変えて19時45分ごろにまたNHK
を見れば、日航機行方不明関連の報道特番に変わっていた。

いろいろチャンネルを変えながら、日航機事故関連のニュースを見ていると、「乗客名簿の坂本九さんの名前がある」と聞いた。

墜落したJAL123便には、幾人かの芸能や大企業の社長が
載っていた。
まずは、ハウス食品の社長である。ハウス食品は、グリコ森永事件の
かい人21面相から脅迫されていたが、事故の当日の午前に犯行終結
宣言が着たばかりであった。多分、その報告を社長を聞いていただろうと想像する。

(グリコ・森永事件については、このブログで
「かい人21面相」が暴れ始めた日〜日本初の劇場型犯罪「グリコ・森永事件」勃発 に、
書いています)

そして、阪神タイガースの球団社長である。(この年は、阪神タイガースが日本一になる。もし生きていれば、日本一になったタイガースを見れたが、見ることはできなかった)


そして、女優の黒木瞳の宝塚時代の同期かつ親友の北原遥子である。
黒木瞳は、関西の朝の長寿番組である「おはよう朝日です・土曜日です」の初代アシスタントをしていたことは知られているが、それは隔月だった。もうひとりの女性と1ヶ月おきで交代でしていたのだが、その
交代相手が、北原遥子である。

ちなみに、事故当日、明石家さんまはJAL123便の搭乗予定だったが、搭乗する便を一本早くしたため難を逃れている。

その日航ジャンボ機墜落事故の原因は、墜落する7年まえに大阪空港でしりもち事故を起こした後の修理で、機体後部にある圧力隔壁の修理ミスにより金属疲労が蓄積されて、圧力隔壁が破損し、機内の気圧が抜けるときに発生する風により、垂直尾翼などが破損して、それによって、ハイドロプレッシャー(油圧操縦システム)の4系統全てに損傷が及んで、エレベータ(昇降舵)やエルロン(補助翼)は殆ど効かなくなってしまった。そのため、油圧を使用しての操縦は不能となり墜落したと政府の事故調査委員会は結論を出している。
 ただ、この圧力隔壁破損説にいろいろ疑問がつけられている。圧力隔壁破損によって生じるはずの急減圧や気温の低下などを示す現象が、生存者の証言から得られておらず、圧力隔壁の破壊ではなく、他の原因があるのではないかと言われている。
 当時、事故機を製造・修理したボーイングが、早々に圧力隔壁修理ミスを公表したことを覚えているが、それはどうしてなのだろうかと思った。事故原因がわからないままでは、ジャンボ機の飛行はできなくなってしまったり、売ることはできなくなってしまうだろうなあとも思ったりもする。
 私の知っている方で、航空業界に関わっている方がいるが、その方による事故原因の説を聞いて驚いた。確証がないので、ここでは、書かないが、それが事実であり、明るみになれば、大きな外交問題にもなる。

事故原因に関しては、いろいろ不明なところがあるようである。


そんなことを思い出しながら、坂本九の不朽の名作の「上を向いて歩こう」のカバー曲を聴いていた。

http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-138.html
「かい人21面相」が暴れ始めた日〜日本初の劇場型犯罪「グリコ・森永事件」勃発

1984年3月18日21時35分ごろ
兵庫県西宮市にある江崎グリコ社長宅に
突然2人組の男が浴室に侵入し、息子と入浴していた
江崎勝久社長を拉致し連れ去っていった。

翌日の19日大阪府高槻市の公衆電話に
犯人はからの身代金10億円と金塊100キロを
要求するカナタイプの脅迫状を発見。
身代金目的の誘拐事件で思われた。

この誘拐事件とは別に3月20日に滋賀県で発生した誘拐事件
が解決し犯人が逮捕された。

この時、父が「あ〜、江崎グリコの社長のことはどうなったんやろう」
と言っていた。私はそれで江崎グリコの社長の事件を知ったのだが、
江崎社長が拉致された直後は、どうやらまだ報道協定はなかったようで
江崎社長の拉致の報道がなされていたようだった。
その後、報道協定がなされていたのだろう。
江崎社長の事件については報道されていなかったが
翌日の3月21日14時35分ごろ
江崎社長が監禁されていた大阪府茨木市の安威川にある
水防倉庫から脱出し、新幹線の車両基地に助けを求め
救出された。

これで事件が解決したかに見えたが、
これは、日本の犯罪史上例を見ない大事件となる
グリコ・森永事件(警察庁指定広域重要114号事件)
の幕開けに過ぎなかった。

4月7日
マスコミに1通目の手紙が犯人から届く。

4月10日 
大阪市内にあるグリコ本社敷地内にある工場と
グリコ栄養食品関連のところが放火される。

4月22日
犯人からマスコミ宛に挑戦状と呼ばれるようになる
手紙が届く。犯人は「かい人21面相」と名乗る。

   けいさつの あほども  え

   おまえら うそ ついたらあかんで
   うそは ドロボーの はじまりや
   ちょうせん状は 甲子えん けいさつえも
   おくったやないか かくしたら あかん
   なきごと ゆっとる ようやから
   また ヒント おしえたろ
   工場えは 通用門から はいった
   タイプは パンライターやポリよおきは
   ひろいもんや

   かい人21面相

(「かい人21面相」からの挑戦状の文は
The Deep in Osaka--大阪笑撃より引用しています)
ただし、一部他のページからの引用があります。

マスコミに「かい人21面相」は挑戦状を幾たびも送ることとなり
大阪弁丸出しの挑戦状が
マスコミを通じて公表され、国民がテレビの中で展開する
事件を注視する劇場型犯罪化していく。
この事件から「劇場型犯罪」という言葉が使われだしたようである。

この時の挑戦状で

   ちょうせん状は 甲子えん けいさつえも
   おくったやないか かくしたら あかん

とあるが、マスコミ以外に警察に挑戦状が送られたことを
警察が公表しなかったことを言っているのだろう。


   また ヒント おしえたろ
   工場えは 通用門から はいった
   タイプは パンライターやポリよおきは
   ひろいもんや


これは、グリコ本社敷地内の工場への放火事件のことと
かい人21面相が挑戦状作成に使う文字を打つタイプの
ことを言っている。

5月10日
マスコミ宛にかい人21面相から3通目の手紙が届く。
それにはグリコの経営に大打撃を与える内容が書かれていた。


  まづしい けいさつ官たち え
  うそは ドロボーの はじまり ゆうたけど まちがい やった
  けいさつの うそは ごう盗の はじまり やった
  まえの TEL とおくから かけたのを また かくしとるやろ
  また けいさつで ごう盗 でるで
  グリコは なまいき やから わしらが ゆうたとおり
  グリコの せい品に せいさんソーダ いれた
  0.05グラム いれたのを 2こ なごや おか山の あいだ
  の 店え おいた
  死なへんけど にゅう院 する
  グリコをたべて びょう院え いこう
  10日したら 0.1グラム いれたのを 8こ 東京 ふくおか
  の  あいだの 店え おく
  また10日したら 0.2グラム いれたのを 10こ 北海道
  おきなわ の あいだの 店え おく
  グリコを たべて はか場え いこう

  かい人21面相

まず前段

  まづしい けいさつ官たち え
  うそは ドロボーの はじまり ゆうたけど まちがい やった
  けいさつの うそは ごう盗の はじまり やった
  まえの TEL とおくから かけたのを また かくしとるやろ
  また けいさつで ごう盗 でるで

これは、グリコの事件が広がりを見せる中、
警官が強盗事件を引き起こすという不祥事が発生した。
それを皮肉っているのである。
事件の被害にあった当事者には
困難な事態となったと思うが、
当時、小学5年生だった私は、かい人21面相の
挑戦状におもしろさを感じて、笑ってしまったのは
事実である。

そしてこの挑戦状の後段に

  グリコは なまいき やから わしらが ゆうたとおり
  グリコの せい品に せいさんソーダ いれた
  0.05グラム いれたのを 2こ なごや おか山の あいだ
  の 店え おいた
  死なへんけど にゅう院 する
  グリコをたべて びょう院え いこう
  10日したら 0.1グラム いれたのを 8こ 東京 ふくおか
  の  あいだの 店え おく
  また10日したら 0.2グラム いれたのを 10こ 北海道
  おきなわ の あいだの 店え おく
  グリコを たべて はか場え いこう

グリコの製品に劇毒の青酸ソーダを入れて店舗のばら撒くと
脅迫、この後、グリコの製品は大手スーパーからの
撤去され、グリコの経営に打撃を与える。


  グリコをたべて びょう院え いこう

  グリコを たべて はか場え いこう

これらの表現は、1960年代
「トリスを飲んでハワイへ行こう」のキャッチフレーズで一世を風靡したサントリーのトリスウイスキーをパロディ化したのものでは
ないかという指摘がある。

5月16日
マスコミ宛ての4回目の手紙。
またダイエーへも届く。

  ダイエーの 社長え
  グリコの せい品 うらんで よかったのう
  あとで わかるで
  もうすぐ 8こ おかんならん
  わしら こまっとるんや
  どこいっても グリコ あらへん
  はよ 店え おいて ほしい
  はじめに おいた スーパーか デパートには
  8こ のうち 5こ サービスしたる
  ほかの スーパーえ おまえの とこから
  れんらく しとけ

  かい人21面相

このときのダイエーの社長はカリスマの中内功氏である。
当時、中内社長は
当時チェーンストア協会で最も力を持っていた。
その中内氏に、グリコ製品をスーパーで売ることを
スーパー業界全体に働きかけろと要求しているのである。


6月2日
寝屋川事件と呼ばれる出来事が発生する。
このころかい人21面相は、たびたび江崎グリコを脅迫し
現金3億円を要求していた。
当日、かい人21面相が指定した場所に
3億円を積んだ乗用車を配置し、警察が待っていた。
するとある若い男が近づいてきて乗って行き
運転し堤防に向かったところ、
捜査本部の仕掛けで車はエンストし車中に潜
んでいた捜査員に若い男はは取り押さえられた。
犯人逮捕と色めき歓喜したが、実はその若い男は
犯人ではなく、犯人に脅されれ運転役をさせられたのであった。
その若い男は、川の堤防で車を止め、彼女とデートをしていたが
突然そこへ、男が銃身のような物を運転席に押し込ん
できて、そのカップルを脅し、彼女を別の車で連れ去り
その若い彼氏の男に、現金を積んでいる車のあるレストランの
駐車場に連れて行き、
「ファミレスで駐車している白のカローラバンの
運転手から車を受け取り、先ほどの堤防まで走って来い」
と指示し途中で車を降りた。
言うことを聞かないと彼女の命は無いと脅され、
しかたなく彼氏は指示に従ったというのであった。


6月22日
かい人21面相は、グリコ以外の会社にも脅迫を始める。
丸大食品に5000万円を要求。

6月26日
マスコミ宛に5回目の手紙。

  全国のファン の みなさん え
  わしら もう あきてきた
  社長が あたま さげて まわっとる 男が あたま さげとん
  のや  ゆるして やっても ええやろ
  ナカマの うちに 4才の こども いて まい日 グリコ
  ほしい ゆうて ないている  わしらも さいきん たべ
  へんけど むかしは よう くうた もんや
  こども なかせたら あかん  うまい くいもん のうなったら
  わしらも こまる
  江崎グリコ ゆるしたる  スーパーも グリコ うってええ
  青さんいりの チヨコレート 18こ は もやしてもうた
  1こは 5月9日に ダイエーイバラキ店え おいた
  どおなったか しらん  1こは べつの 店から 5月18日に
  とりもどした
  日本は むしあつう なってきた  ひとしごと したら
  ヨオロッパえ いくつもりや  チュウリヒ ロンドン パリ
  の どこかに おる
  けいさつも ようやった これにこりんと がんばりや
  ホームズ君でも わしらには かてんのや  かい人20面相
  よんだら あたま ようなるで
  けいさつの ヨオロッパ ツアー
    かい人21面相を つかまえに ヨオロッパえ いこう
    たびの おともに グリコの ポッキー
    わしも たべてる おいしい グリコ
  かい人21面相

  らい年 1月に かえってくる


マスコミはこれを終結宣言として報道した。
グリコは50億円の損失を出していたが、これにより
グリコはスーパーの店舗に復活していく。

しかし、まだかい人21面相は動いていたのである。


6月28日
丸大ハムから現金奪取を狙うかい人21面相は
JR東海道線高槻−京都駅間の電車から目印に5000万円の入った
バッグを鉄橋近くで旗を見つけ次第、車窓からボストンバックを投げ込むよう指示する。
しかし
、電車の速度が速く投げられなかった。その電車にキツネ目の男が
いるのを見かける。

7月11日
ハウス食品・ジャスコ・ニチイへ警告状が届く


そして、9月以降一気に大きく動き出す。

9月12日
森永製菓に1億円要求。

かい人21面相は森永を標的にする。ここから森永に
危機的な事態が迫る。

9月23日
マスコミに6回目の手紙

そして、
10月8日〜13日
かい人21面相は社会を大きな衝撃を与える行動に出る。
それと同時にマスコミに7回目の手紙を送る。


  全国の おかあちゃん え
  しょくよくの 秋や
  かしが うまいで
  かしやったら なんとゆうても 森永やで
  わしらが とくべつに あじ つけたった
  青さんソーダの あじついて すこし からくちや
  むしばに ならへんよって お子たちえ こおたりや
  からくちの かし どくいりと かいた 紙 はっている
  はかた から 東京までの 店に 20こ おいてある
  青さん0.2グラムと 0.5グラムの 2しゅるい ある
  10日したら どくいり かいとらんのを 30こ 全国の
  店に おく
  そのあとも ぎょうさん よおい してるで
  たのしみに まっとれや
  森永乳業は せいかと ちがう
  あんぜん やで

  かい人21面相

  かあちゃん たち しってるか
  警さつちょうの すずきと 大さか婦警の しかたと
  兵ご犬警の よしのが わしら つかまえられへんと
  やめなあかんのやて きのどく やな


     すずき          しかた
そろそろ やめまひょか     しかた ありまへんな


ついにかい人21面相は、毒入りの森永の菓子を
京阪神では国道171号線沿いの都市や愛知県などの
コンビニやスーパーなどに無差別にばらまいた。

その森永の菓子には

 どく入り きけん
 食べたら 死ぬで
       かい人21面相

と書かれたシールを貼っていた。

そしてこの時、
毒入り菓子を置くところを録ったビデオが公開された。
後に「ビデオの男」と呼ばれるようになる。
私は、そのビデオの男が録画されたコンビニには
歩いて15分ぐらいの場所に現在もある。

この時送られた挑戦状にある
「しかた」というのは当時大阪府警の本部長の「志方氏」
のことである。志方氏はのちにマイカルの社長になるが
倒産に追い込まれたしまったのである。

挑戦状で「大さか婦警」とか「兵ご犬警」
という書き方は、今の2ちゃんねるで見られる
「これを読め!」を「これを嫁」と書き換える
のと同じ感じがする。

森永の製品が一挙にスーパーから撤去されて
森永の10月の売り上げは6割ダウン。
次月の生産は9割減の見込みと発表。
会社の存続にまで影響が出始めた。
森永は、工場直送の菓子類を卸に回さずに、
社員が自ら街頭へ出て売った。


10月13日
マスコミへ宛ての8回目の手紙
「クイズ 青せんソーダで なん人 殺せる でしょうか」
NHKにビニール袋に入った工業用青酸ソーダが送られてくる。

10月31日
マスコミへ宛ての9回目の手紙
「民しゅ警さつが ぜんりょうな しみん いじめたら あかんで」
ビデオの男に関係して事情聴取をしている事に触れる。


かい人21面相は週末に動きをすると考え
警察が各スーパー店舗を警戒する連続週末警戒態勢が
とられる。
また、膨大なローラー捜査作戦が取られる。

かい人21面相は森永に次のような手紙を送る。

  社長 え
  わしらの ちから よお わかった やろ
  わしらに さかろおたら 会社 つぶれる
  社長は 殺されるんや
  会社 つぶすか わしらに 金だすか
  11月 5日と 6日の まいにち新聞で
  へんじ するんや  たづね人 つかえ

     わしら   二郎
     森永    母
     けいさつ  悪友
     金     食事

  この ことば つこおて へんじ せい
  金は まえ ゆうた とおり 2億や

  かい人21面相


これに応じて森永は警察と協力しながら新聞広告で

二郎へ 
悪友いなくなった すぐ帰れ
暖かい食事が待っている

母 千代子


と出す。この実際の広告記事は
http://www.deeposaka.com/denno/denno4.html
に掲載されている。

11月7日
ハウス食品に1億円を要求

11月12日
マスコミへ宛ての10回目の手紙
「全国の すいり ファンの みなさん え」

11月14日
ハウスに現金投下を指示し、それを滋賀県内の名神高速を
舞台に行われる。ここで警察は大きなミスをする。


ハウス食品に送られてきた脅迫状の指示通り、車に1億円
を積み、大津パーキングエリア内で金の受け渡しのため待機。
このパーキングで不審な「キツネ目の男」が
捜査員の数メートルのところまで接近していたが、
その後見失う。

そして、

犯人側が指定した場所にあった指示書に
「名古屋方面に向かい、白い旗が見えたら缶に入れた指示書を見よ」
と書いてあった。
ハウスの社員に変装した捜査員はスロースピードで
車を名古屋方面に走らせる。

一方、ほぼ同時刻に白い旗が取り付けられた
名神高速道路の地点から50メートル手前で交差する県道(栗東)で
不審な車をパトカー(捜査班では無く、通常の警邏であった)が
発見した。
ただ、この警官達はグリコ森永事件の捜査を行われている
ことを知らなかったのである。
不審車を取り調べようとパトカーを降りた途端、
不審車が急発進し逃走。パトカーは追跡したが、
見失ってしまった。
その後、乗り捨ててあった不審車を発見。
車内には警察傍受無線機が残されていた。

この出来事で滋賀県警の山本県警本部長に批判が集まる。
ただ、この出来事は「犯人が新たな動きをするかもしれない」
等の理由で警察がしばらく報道しないようにお願いし
1ヶ月間報道協定が結ばれる。

11月22日
マスコミへ宛ての11回目の手紙
「全国の すいり ファンの みなさん え 2」
雑誌で「金が目的なら私が払うから辞めたまえ」と文を書いた
作家の川内康範へ手紙
「わしらも 月光仮面 見たで おもろかった」


12月7日
不二家に1億円を要求 。

12月14日
報道協定が解除され、警察がハウス事件でかい人21面相を
取り逃がした失態が報道される。

12月15日
マスコミ宛ての12回目の手紙

12月17日
マスコミ宛ての13回目の手紙

12月26日
マスコミ宛ての14回目の手紙

多分この3つの手紙のうちと思うがその1つを紹介すると

しかた え
おまえら あほなの まえから わかっとる  
そやけど わしらの ひみつの 手紙 なんで 
だしたんや  わしらが けいさつの ファン ゆうこと ばれて しもたやないか 
わしらが そんなに こわいんか 
 おまえらの きもち よお わかるで  
わしらが 手紙の うつしを あとで
マスコミえ おくったら しんよう されんよおになる おもたんやろ  そんなこと 気に せんでええ

いままでも しんよう されとらんのや  
また ええこと おしえたる  
12月9日 よる わしら 
兵ご県の あるところで ある会社から 
1億 とったで  あと1ヶ月 つかわんと おいとく
1月25日までに アジト みつけたら 1億 とれるで  
とっても どこの 会社か わからん よおに 
なっとる  正月くらい ゆっくり せいよ  
1月15日 すぎたらいそがしゅう なるで

わしら ハウスの あほどもに おとしだま やらな ならん 
 ナカマの なかには ヘリコプターから 
マイト おとしたれ ゆうもんも おる 
 そやけど わしら ハウスに また れんらくする やくそく 
してもうた  ハウス つぶすか 金とるか くるしい ところやで

森永の どあほども なに かんがえとるんやろな 7さいの 女の子 ゆうたら 七五三に きまっとるやろ  2億の金 だすやくそくと パートの おばはん また やとう じょうけんで 
森永 ゆるしたろ おもっとったんや 
 けいさつも 森永も ロマンが ないで 
 わしら また 森永 やったらな ならん 
 マスコミは りっ東の ことで けいさつ 手のうち みせた 犯人は もう おなじ手に のってこん ゆうて けいさつ いびっとる  いびったったら かわいそや ないか
わしら はじめから けいさつの 手のうち しっとるで しって やっとるんやつぎは タカトリくんと 大阪で おにごっこ する つもりやマスコミかて えらそうな こと ゆえへんで  
まえの 報道きょうてい あれ なんや  報道のじゆうの じさつ やないか    

わしらは だれでしょう あるときは かげきはくづれ あるときは 
カーレーサー またあるときは トラックの 運てん手  その正体は かい人21面相


とマスコミが報道協定でハウス事件を1ヶ月間報道しなかった
ことを批判している。

そしてこの事件は越年する。
1985年
1月14日
マスコミ宛ての15回目の手紙

1月16日
マスコミ宛ての16回目の手紙

1月25日
マスコミ宛ての17回目の手紙


フジテレビがある番組でかい人21面相に
番組内のホットラインの電話に電話するように呼びかける。
その電話の受付に若い女性が担当していた。それを
かい人21面相は見ていたようで


  かい人21面相フアンクラブの みなさん え
  わしら 大とうりょう なみに なったで
  8チャンネルに ホットパンツやたない ホットライン つくって  くれた
  電話 しようか おもたけど 5人も ギャル おったら はづか  しゅうて でけへん  わしら ひかえめな たちやねん
  そやけど わしら 男 やで
  ナイスデイで また わしらに ききおったから 1つ ゆうたろ
  わしら 森永 いびるの 男の めんつが あるからや
  わしらに さからう もんを ほっとく わけに いかへん
  いまの 世のなか 女の くさった ような 男ばかりやけど
  わしら ほんまもんの 男 やで
  音きょう研の すずきくんには すまなんだ  まえの 手紙で森  永の あとに
  ハウス いれるの わすれとった  ハウスが 小がく2年の 女  のこや
  週かん読売 みたで  そやけど よみうりには ださへん
  川内はんには わるい おもう 正義の みかたには よわいんや
  そやけど あふりかえ 金 おくれ ゆうたのに おくらへん
  義理 しらんもん すきやない
  わしら 正月 おんせんで かるた つくった
  フアンの みなさんに おしえたろ
  
  新春けいさつかるた
  あ   あほあほと   ゆわれてためいき  おまわりさん
  い   いいわけは  まかしといてと     1課長
  う    うろうろと   1日まわって      なにもなし
  え   ええてんき   きょうはひるねや   ローラーで
  お   おそろしい   かい人のゆめ     みとおない
  か   からすにも   あほうあほうと     ばかにされ
  き   キーキーと   ヒステリおこす     本部長
  く    くいもんも   のどをとおらん     Xデー
  け   けいかんは  せいぎのみかたよ   よいひとよ
  こ  おいこらこらと  ゆうてひやあせ    民しゅ警さつ
  さ   さんたさん   プレゼントには     かい人を
  し   しらがふえ   しわはふえても     つかまらん
  す   すきなんや  わしらけいさつ     すきなんや
  せ   せこいやつ  ひきょうなやつと    やつあたり
  そ   そとまわり   しみんのめつきが   きにかかる
  まだまどだ あるで おしえて ほしかったら ゆうてくるんやで
  かい人21面相

私はこの手紙の冒頭の
  わしら 大とうりょう なみに なったで
  8チャンネルに ホットパンツやたない ホットライン つくって  くれた

というフレーズを聞いた時、当時小5の
私は思わず笑ってしまった。
新春けいさつかるたで

  え   ええてんき   きょうはひるねや   ローラーで

とローラー捜査作戦をからかっている。

2月12日
東京、名古屋で青酸入りの菓子8個発見(〜13日)
マスコミ宛ての18回目の手紙

2月19日
マスコミ宛ての19回目の手紙


  国会ぎいんの みなさん え
  わしらも えろう なった もんや
  わしらの せいで 法りつ できる そおや
  10年 やったら かるいで  死刑に せな あかん
  わしらの にせもん みんな 死刑に したれ
  犬警と 婦警 の あほどもも やめさせな あかんで
  わしら 13日の ごご こうべと 大崎阪に チョコ 5こ おい  た
  3こ どくいりや  けいさつ わざと だしおらへん
  そごうの まえと さんのみやの 駅と 大阪の てんのじステー  ションビルと
  ナンバ にじのまちの は出所の うえと 阪急 梅田駅や
  東京 なごやは 18こ まいた うち 13こ でた
  こうべと 大阪で でえへんのは けいさつ かくしとる からや
  バレンタイン チヨコ よお うれたな
  らい年は 2週かん まえから どくいり ぎょうさん ばらまい  て バレンタイン つぶしたろ
  あこぎな 商売で もおけたら あかん  チヨコ せんもんの   ちっこい 会社
  2つか 3つ つぶせば ちょっとは わかるやろ
  わしらの 手紙 とりいくんに 下品や ゆわれて しもた
  そらそおや パンパン×に かくちょう たかいの あうはず な   いやろ
  女性醜喚誌 みてみ  ひどい もんやで  あんなん みとる   女が チヨコ
  ばらまくんや
  男 ひっかける ことしか あたまに あらへん  メスぶたか   メスざるや
  かしこい おなごは チヨコ まいたり せえへん
  世の中 くろう なってきた
  安木センセも そお おもうやろ
  センセが まえ 川内はんの こと テレビで ゆうとるの きい  て かんどう したで
  センセ みたいな すなおな もん ばかしやったら わしらも   わるに なってへん
  けいさつ あほやさかい わしら らい年 まで つかまらへん
  ぎいんの みなさんも きばって 死刑いりの 法りつ つくった  ってや
  わしらが おうえん してるで

  あほな 女性の てき
  かい人21面相

手紙にある

  国会ぎいんの みなさん え
  わしらも えろう なった もんや
  わしらの せいで 法りつ できる そおや
  10年 やったら かるいで  死刑に せな あかん
  わしらの にせもん みんな 死刑に したれ


は、恐らく食品に毒物を入れてばら撒くものに対する刑事罰の
法律を作ったことを批評していると思う。


2月27日
マスコミ宛ての20回目の手紙


松崎 え

NHKの テレビ みたで 高木 ええ 男 や ないか
とおちゃんの はかもり しおって なかせるで
わしら 人情によわいんや
おもえも よお がんばった わしら ほねの ある 男 すきやで
パートの おばはん やとった よおやし 稲生も やめおった
これで わしらも めんつ たつやろ
森永 ゆるしたろ
スーパーも デパートも 森永せい品 うったれや
ぜんでら こもって おまえ すこしは こん生 でけたやろ
おまえも 勝久も これに こりて あこぎな 商売 したら あかんで
あほな CM やって スーパーで うっても スーパー あてに ならへん
だかしや たいせつに せな あかん
あほな CM で 女 こども だましたら あかん
こどもは てんしや エンゼルやで
女はおとなしゅう しとるもんや
らい年の バレンタイン あほな こと しおったら わしら また やったる
わしら おもしろい こと かんがえとるんや 
わしら なに するか 金沢くん わかるかね
 (中略)

かい人21面相

*この挑戦状はhttp://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage118.htmより引用。

森永に対する脅迫を止めると伝えてくる。

NHKkの テレビ みたで 高木 ええ 男 や ないか

「高木」とは事件による危機対応に指揮を執っていた
森永のの高木貞雄副社長のことである。


3月6日
老舗の「駿河屋」に5000万円要求

3月17日
マスコミ宛ての21回目の手紙
 
4月3日
マスコミ宛ての22回目の手紙


この後、しばらくかい人21面相全く動きを止める。


8月7日
滋賀県警前本部長の山本昌二が本部長公舎で焼身自殺 。
山本昌二は責任は自分にあると記者会見で表明した後、
「肩身の狭い思いをさせて済まない」と兄に電話し、
公社で焼身自殺したのであった。

8月12日 マスコミ宛ての32回目の手紙


  国会ぎいんの みなさん え
  あんたら わすれっぽいな
  わしらの 法りつ そないなっとるねん
  はよ 死刑いりの つくってや
  しが県警の 山もと 死によった
  しがには ナカマもアジトも あらへんのに あほやな
  死ぬんやったら よしのか しかた やで
  1年と 5か月も なにしとんねん
  わしら みたいな 悪 ほっとったら あかんで
  まねする あほ まだ ぎょおさん おる
  たたきあげの 山もと 男らしうに 死によった さかいに
  わしら こおでん やめることに した
  くいもんの 会社 いびるの もお やめや
  このあと きょおはく するもん にせもんや
  ゆうしゅうな 警察へ とどけたら ええ
  大学での よしのや しかたが あんじょお してくれるで
  わしらも 悪や
  くいもんの 会社 いびるの やめても まだ なんぼでも
  やること ある
  悪党人生 おもろいで

  かい人21面相


とかい人21面相は犯行終結宣言を送る。
滋賀県警の山本本部長が自殺したことについてコメントしている
現場たたきあげの山本氏には責任はなく
高学歴のキャリアの志方大阪府警本部長の方が責任があると
批判している。
これ以降かい人21面相は動きを止めた。

私はこの犯行終結宣言のニュース速報を8月12日の午前に
夏休みのアニメ番組を見ている時に見た。
そして、その日の夜、その日2つめのニュース速報を
19時43分に見る。
「JAL123便が羽田のレーダーから機影が消えた」
という内容だった。日航ジャンボ機墜落事故である。
その墜落した日航機には、
かい人21面相から脅迫されたハウス食品の社長が乗っていた。
犯人の犯行終結宣言日に、歴史に残る大事故で亡くなって
しまったのである。


この事件を小学生5年から6年の私は、
特にかい人21面相の挑戦状に笑ってしまったことが
多々あった。

ただ、この事件で被害を受けた方々に大きな苦痛を与えた。
自宅に脅迫文を送り付けられ、
事件に翻弄された不二家の元役員
は、病死したが、その妻は、長い時が経ても
『夫は殉職した』と当時の苦労を引きずっているという。

企業の危機対応の真価が問われた事件でもあった。
クタビレ爺イの廿世紀裏話(3)
によると

森永の高木貞雄副社長は
同社の合い言葉『正しい経営』の経営理念の延長線上での対応
『悪を利する行為は、企業の社会的責任を放棄するに等しい』
との確信を貫き、何をそんなに頑張るのか?との裏取引を勧める財界の声にも耳を貸さなかった。

不二家は
脅迫を受けたのは、クリスマス商戦の直前であり、
脅しに屈すれば繰り返し脅迫されるが、拒否すれば商戦は壊滅する
という究極の厳しい決断を迫れられる。
独断で全てを決めたのはの藤井総四朗社長であった。
彼の決意は決まっていたが
『要求を飲む事には反対』と言う警察側の意向に従うと
して困難な社内意見を旨く纏めた。


というようである。
この事件は警察の捜査に課題を残した。

広域捜査の連携のまずさが指摘された。
遺留品も大量生産の壁に阻まれた。
日本タイプライター社製の
和文タイプ『パンライター』が犯行に使われ、
9ポイント細丸ゴシック活字と判明し、5千台を追跡。
そして20台まで絞り込み捜査員40名で追跡をしたが、
最後の一台の購入者『山下を名乗る男』が掴めず、犯人逮捕に
至らなかった。
俳優の京本政樹が事件で使用された和文タイプライターと
同じ型のものを使っていたので、一時捜査線上に浮かんでいたことを京本がテレビ番組で告白している。

警察無線が傍受されると会話の内容が判るアナログ方式から、
既に導入が始まっていた傍受されても会話の内容が判らないよう
暗号化されたデジタル方式への転換を進めるきっかけになった。
ただし、グリコ・森永事件においては、警察は傍受を警戒して、既にデジタル方式の警察無線で連絡を取っていた。

この事件で、犯人は誰かどのような人物かいろいろ推測された。
キツネ目の男に似ているということで
評論家の宮崎学氏が捜査の対象に上がったことがある。
北朝鮮の工作員説、株の仕手戦屋
、総会屋、右翼、暴力団、元警察関係者
などいろいろあがった。相当裏社会に精通しているものでは
ないかとも考えられた。
犯人グループは、グリコの株で儲けたのではないかという
推測がある。
グリコの製品に毒を入れたと脅迫し、グリコの製品が
店頭から撤去されれば、グリコの株価は下がる。
その時に大量のグリコ株を買い、グリコへの犯行終結宣言を
すれば、グリコの株価が上がり、それで売り抜けたのでは
ないかというのである。

この事件に関しては、
「被差別部落関係者」が捜査線上に浮上したため、捜査が打ち切られた」、という説が有力な説として見られいる。
この事件に対してのキツネ目の男として重要参考人になった
評論家の宮崎学と大谷昭宏との対談本である
『グリコ・森永事件最重要参考人M』や、
この事件をモチーフにした高村薫の小説『レディ・ジョーカー』などでもその説がほのめかされている。

この事件は2000年2月13日に
東京・名古屋で毒入り菓子をばら撒いた「殺人未遂容疑」
での案件が時効となり、犯人は逮捕されることなく
捜査は終了する。
(毒入り菓子に「どくいりきけん、食べたら死ぬで」
と警告文があるので、「殺人未遂」を問えるのかという
疑問も言われている)

また、民事上の時効は20年なので、もう民事上の時効は
成立している。

この事件に触発され模倣する者が時間と空間を越えて
発生する。

2005年5月
台湾・台中市のコンビニエンスストアで、
青酸入りの瓶入り栄養ドリンク
置かれ、それらを買って飲んだ4人が
青酸中毒症状となり、うち55歳の
男性が死亡、2名が重体となった。

栄養ドリンクにはパソコンのプリンタで
「毒入り。飲むな」と印刷されたシールが貼られ、
グリコ・森永事件を真似た事件として
現地マスコミが大々的に報道した。
やがて、40歳の男が逮捕され、
恐喝を目的としグリコ・森永事件を真似たものであると供述。

そのような模倣犯が海外で出るくらいの大事件となった
グリコ・森永事件。時効で迷宮入りし、動機や事件の真相は
永遠の謎となりそうである。
民事の時効も終われば、かい人21面相には表に出てきて
名乗ってくれたらと思うことがあったが、それはないでしょう。
もしかしたら、犯人グループが全員この世を去った後に
遺書の形で公表されることもあったりしてとも想像します。


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/571.html#c1

コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 垂直尾翼にオレンジエアが刺さっていた (カラー写真掲載) 愉快通快
03. 2010年8月16日 18:44:13: yQWO2OkyEc
<以下引用>日航ジャンボ機墜落事故から25年、日本は未だに責任追及型の事故調査の体制のままで、これでは再発防止の真の原因追求はできないままだ
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-1752.html
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-285.html
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-138.html
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/520.html#c3
コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
10. 2010年8月16日 18:45:01: yQWO2OkyEc
日航ジャンボ機墜落事故から25年、日本は未だに責任追及型の事故調査の体制のままで、これでは再発防止の真の原因追求はできないままだ
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-1752.html
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-285.html
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-138.html
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c10
記事 [昼休み41] 「日本人のマイカー離れ」(高速を無料化し、宦官天下りゼロ、ハゲタカの国土乗っ取り阻止、と景気回復を実現すべきです)
618 :無党派さん:2010/08/16(月) 16:47:15 ID:7NP3Yh81
>>321
バイクもクルマも売れてない。

日本人のマイカー離れ、若者の車離れ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1281843647/


道路行政を根本から考え直す必要ある。


歩行者優先環境(歩道やガードレール)

必要以上に作らない(土建屋とつるむな小沢w)

運送業者には割引

一般乗用車に媚びる必要なし(貧乏人は買わない) 

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/573.html

コメント [戦争b5] 911攻撃を体験した山崎淑子さんへのインタビュー 姉葉大作
15. 2010年8月16日 18:58:56: lZuXHssisE
911同時多発テロは、イスラム原理主義のテロを装った米国ネオコンによる自作自演であることが多くの人に共有されるようになったことは良いことだが、これが本番前の予行演習であることを指摘する人はまだ少ない。
「自作自演で攻撃されたフリをして、攻撃対象のせいにして軍事侵攻する」このパターンで、予行演習としてアフガニスタンのタリバン政権、イラクのフセイン政権を攻撃した。
しかし、米国の軍産複合体の本当の目的はイランとシリアであると考える。
911で使用した超小型核ミサイル(純粋水爆)を自作自演でイスラエルに打ちこみ
イスラム過激派組織ハマスにイスラエルが攻撃を受けたフリをして、ハマスの支援者であるイラン、シリア、に軍事侵攻する。
そして米国はイランの石油資源を確保し、イスラエルはシリアを滅ぼし、大イスラエル国を建国する。これが本当の目的である。
この計画が実行されるのは2012年が有力だと考える。
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/496.html#c15
記事 [昼休み41] 「j-cast、視聴率低下、スポンサー離れ加速」(さんざん小沢イジメをしてきた6大マスゴミが無間地獄に嵌ったようです)

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【マスコミ】やじうまプラス「9月打ち切りの衝撃 視聴率が低下してスポンサー離れが加速」
1 :影の軍団ρ ★:2010/08/16(月) 17:10:02 ID:???0
番組改編期になると必ず出てくるテレビ朝日系の早朝ワイドショー「やじうまプラス」の打ち切り話。
今日発売の「日刊ゲンダイ」(2010年8月17日号)が
「9月打ち切りの衝撃 視聴率が低下してスポンサー離れが加速」と書いている。

記事によると、「最近の『やじプラ』は視聴率が4〜5%で、フジテレビ、日本テレビ、
TBSに続く4位に甘んじることが多く、スポンサー展開も厳しかった」といい、後番組は調整中という。

すでに打ち切りが決まったような記事になっているが、テレビ朝日関係者は
「打ち切りが噂されるのは慣れっこ。パッとしないのはたしかだけど、まだ何も聞いていない」という。

やじプラは2002年スタートの息の長い番組で、その日の朝刊の注目記事を紹介する
「新聞読み」の草分け。かつては出勤前のサラリーマンに重宝されていたが、
最近は携帯端末や携帯電話で新聞記事をチェックできるうえ、速報もかなりスピードアップして、
逆に出勤前の慌ただしいときにわざわざ見ていなくても済むようになってしまった。

「やじプラ」に限らず、この時間帯の情報番組はこの秋から大きく変わりそうだ。
http://www.j-cast.com/tv/2010/08/16073554.html
http://thumbnail.zasshi-online.com/thumbnail.aspx?pid=Nikkan_Gendai_Kanto1100816&s=l



http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/574.html

記事 [昼休み41] 植草氏は、植草事件も小沢だけ捜査事件も、小泉ハゲタカ一派及び飼い主による悪巧みと見抜いたようです。

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小沢一郎氏周辺の刑事問題に関する五つの真実 (植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/542.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2010 年 8 月 16 日 18:39:34: qr553ZDJ.dzsc

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-378c.html
2010年8月16日 (月)14:50

小沢一郎氏周辺の刑事問題に関する五つの真実 


 メディアは小沢氏攻撃を続けているが、ネットを通じて小沢氏に関する五つの事実をすべての国民に徹底的に周知させてゆく必要がある。
 

 第一は、小沢氏に関する「政治とカネ」問題の詳細である。昨年の三三事変(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cee1.html)は、秘書大久保隆規氏が政治献金を受けた政治団体名を正しく記載して報告したのに「虚偽記載」だとされて逮捕された事案である。大久保氏のこの問題での無実は早晩明らかにされると思われる。
  

 一一五事変(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-007a.html)、四二七事変(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-163e.html)は、2004年10月に小沢氏の資金管理団体が不動産を購入した件について、
@収支報告書での記載が2005年になったこと、
A一時的な資金繰りをした資金の出入りが記載されなかったこと、
の2点が問題にされているが、
@については不動産登記が2005年にずれたこと、
Aはこれまでの運用で資金繰りの記載が省略されていたこと、
が背景であり、本来、刑事事件として立件するような事案ではない。
 

 第二は、検察審査会の審査補助員を務める弁護士の選任方法が不透明(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ea3b.html)であることだ。検察審査会の審査では、審査補助員の弁護士および事務局が提供する基礎資料が決定的に重要な役割を果たす。審査補助員を恣意的に選定すれば、検察審査会の決定を誘導することが可能になる。
 

 第三は、検察審査会の委員がくじ引きで選ばれるとのことだが、無作為で選ばれた市民がそのまま委員に就任するのかどうかが明らかでない。面接審査などがあるとすれば、運用のあり方によっては、委員選定に恣意が入り込む可能性が生まれる。
 

 第四は、東京第五検察審査会で審査された事案の申し立て者がある団体の代表者である(http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/a50c187eedb2e2ea9f88afea0a34ecb1)と伝えられている問題だ。
 

 検察審査会法第2条2項、30条は、審査申立は、告訴者、告発者、事件についての請求をした者、犯罪被害者(被害者が死亡した場合においては、その配偶者、直系の親族又は兄弟姉妹)が出来る 定めているが、今回の審査申し立て人が、この要件を満たしているのかどうかに疑念が提起(http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/1fdcf7ed2961b03da44d97e2e5dd9fc6)されている。
 

 「在日特権を許さない市民の会」(「在特会」)代表の桜井誠(ニックネーム)氏は、自身のブログ
http://ameblo.jp/doronpa01/
で、桜井氏が審査申し立てを行ったと記述している(2010年2月5日付記事および2月11日付記事)。
 

 この記述が真実に基づいているとする場合、この申立人が検察審査会法の定める申立人の要件を満たしているのかが問題になる。

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上記ブログには、
「検察審査会事務局では、審査申し立ての手続きについて説明を受けました。本来であれば告訴・告発人でなければ審査の申し立てはできないのですが、小沢一郎は国会議員という立場であり、なおかつ被疑事実も「政治資金規正法違反」という公金に関わる問題であるため、全国民が被害者という立場で申し立てを行うことができることを確認しました。(ただし、検察審査会側の判断によっては申し立てを却下する場合もあるとのことでした。)」
との記述がある。
 

 検察審査会事務局の説明が真実だとすると、政治家に関係する事案では、ほとんどすべてについて、すべての国民が検察審査会への審査申し立てができるということになるだろう。この解釈が正しいのかどうか、政府の公式見解を確認する必要がある。
 

 第五は、小沢氏に対する不起訴を不服として検察審査会に審査申し立てを行ったのが在特会代表の桜井誠(ニックネーム)氏であることが仮に真実だとすた場合、このことが報道などで国民に知らされているのかが問題になる。
 

 在特会については、8月10日に幹部4名が、京都朝鮮第一初級学校(京都市南区)の周辺で拡声器を使い授業を妨害したなどとして、京都府警に威力業務妨害容疑などで逮捕された(http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/9cc6f72b9d11d50ef79363e653cb0365)が、このことも事実に即して正しく報道される必要がある。
 

 上記した桜井誠氏のブログには以下の記述もある。
「不起訴決定後、極力早く審査申し立てを行いたかったため、今回の申し立ては桜井一人だけで行いました。小沢一郎という巨悪を眠らせてはいけないこともありますが、外国人参政権実現のために誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めなければならないからです。一連の小沢ショックとも呼べる政局の中で、外国人参政権問題は一時期に比べてかなり下火になってきた感があります。しかし、同問題の中心にいる政治家が不起訴になったことで、またぞろ外国人参政権法案の国会上程を目指した動きが加速する可能性があるのです。」
 

 つまり、審査申し立ての主たる動機が、外国人参政権法案に反対する点にあることが示唆されている。メディア報道は、検察審査会での審査が市民目線での立件の判断にあり、小沢氏の問題も市民団体が提起したものとしか伝えてこなかった。
 

 市民団体とは言っても、「在特会」は色の濃い団体であると感じられる。また、純粋に市民目線で問題を取り上げたのではなく、外交人参政権問題との関連で申し立てが行われたとの事実をメディアは報道する責務を負っているのではないか。
 

 小沢氏攻撃を目的に行動するメディアに公正な報道を要請をしても無駄ではあるが、主権者国民には、ネットからの情報発信と積極的な口コミなどで上記5点を周知徹底させてゆく必要がある。
 

 民主主義を破壊する最大の脅威は情報統制にある。日本の情報空間はすでに危険な水準にまで統制が進んでいる。この危険な情報空間にネットから風穴を開けなければならない。


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  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
01. 2010年8月16日 19:06:58: iiRjvah6VY
小沢さんを「起訴相当」とした検察審査会の選定に関する
異様性についてはこちらをご一読ください。
小沢さんの「起訴相当」を決めた第5検察審査会の審査員の平均年齢ってどう考えたって若くない?
http://togetter.com/li/40176

全員一致で「起訴相当」の異様性については、
こちらをご一読下さい。

【拡散希望】NNN緊急アンケートの「緊急性」と検察審査会の全員一致に関する疑問
http://togetter.com/li/17527

検察審査員の選定ステップについては、こちらをご確認ください。
http://civilopinions.main.jp/


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/575.html

コメント [昼休み41] 80、小泉系・影山の「自殺」は、小泉時代の読売・朝日の記者の「自殺」や要人の「痴漢」にそっくりで、小泉が怪しいです。 小沢内閣待望論
20. 2010年8月16日 19:22:55: 0hVORNLAOs
景山さんはうつ病で自殺という話だけど、JAL123は米軍の迎撃とのうわさもあり、さもありなんかと。何しろ救助隊が自衛隊に阻止されて御巣鷹山に近づけなかったらしいね。
おかしいですよね。
これだけ大きな事件起こす背景には何か政治的に大きな案件を抱えている時なんだけど、何だろう?教えて詳しい人。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/518.html#c20
コメント [口蹄疫・新型インフル02] 口蹄疫対策に関して東国原宮崎県知事のおかしな点 taked4700
10. 2010年8月16日 19:27:06: esCwwEDcvQ
>>09 訂正
誤:個人を「誹謗中傷」は「思い込み」や「事実誤認」に基づいて、個人を「誹謗中傷」しました。
  当然、どのような言い訳や言い逃れを仕様としても、責任を免れるものではありません。

正:taked4700氏は「思い込み」や「事実誤認」に基づいて、個人を「誹謗中傷」しました。
  どのような言い訳や言い逃れをしようとしても、責任を免れるものではありません。


http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/778.html#c10

コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
73. 地には平和を 2010年8月16日 19:47:04: inzCOfyMQ6IpM: 0J5kruD3Wk
うまくやった者が巨万の富を手に入れ人を支配し残酷なゲームを楽しみながら生涯を過ごすというような事は廃止しなければならないでしょう。人間には支配欲があるから貨幣をその支配欲充足の為の手段にできないようにしなければならないという事が私の思想の根幹にある。市場自体には再分配機能が無いから政治が再分配を行わなければならない。勝ち過ぎた者からはきちんと税金を取るという事をしなければ格差の是正はできない。そんな事をすればモチベーションが無くなるというが貯金残高を見てほくそ笑むだけがモチベーションだなんてなんと寂しい人間なんだ。それより税金を多く納める事でみんなから感謝される方がいいのではないか?何なら高額納税者に感謝するイベントを開催してもいい。って言うかそれだけの金を得る事ができているという時点でいい商品を販売したという事なので既に感謝されているのだ。こうして全ての人が幸福になる社会を作りたい。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c73
コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
11. 2010年8月16日 19:49:25: 0hVORNLAOs
米軍戦闘機が日本の民間機を撃墜したのが、真相である。

それはそうなんだと思うんだけど、何のためにやったのかが判らない。
個人的には迎撃ミサイルの性能を調べたかったんじゃないかと思っています。
日本人には原爆で実験していても反米運動をマスごみが押さえたからやりやすかたんでしょう。

なんなんだろこの国は



http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c11

コメント [昼休み41] 「j-cast、視聴率低下、スポンサー離れ加速」(さんざん小沢イジメをしてきた6大マスゴミが無間地獄に嵌ったようです) 小沢内閣待望論
01. 2010年8月16日 19:55:22: swlnfR07HU
やじうまウォッチャーとしては打ち切りは困るな。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/574.html#c1
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
74. 地には平和を 2010年8月16日 19:59:14: inzCOfyMQ6IpM: 0J5kruD3Wk
現在の政治や政府は金持ちに買収されて金持ちの為政治ばかりしている。しかし、だからと言って政府を縮小したり政治を軽視したりするのは間違いだ。むしろ、政治と政府を貧乏人の為のものにすべきなのだ。それが大きな政府か小さな政府かなどどうでもいい事だ。ベーシック・インカムを実現できれば公務員は少なくてすむだろう。大きな政府か小さな政府かという二者択一は論点ずらしなのである。誰の為の政府なのかが大事なのだ。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c74
コメント [経世済民69] すべての国が同時に為替レートを下げることはできない。しかし、とにかく今のところは、安い通貨大賞はドルが手にしている。 TORA
01. 2010年8月16日 19:59:29: 1o5Wv2v1IE
通貨が下がれば勝ったなんて雰囲気を作るのは止めよ
どうせ通貨が下がった段階で異常気象による農作物の混乱で物価が上がることになる。資源国の通貨高も影響するはず。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/508.html#c1
コメント [昼休み41] 日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は 愉快通快
12. 2010年8月16日 20:10:38: LkFQZqQPRw
天知る 地知る 子知る 我知る
いすれ解る事だが、歴史の時計の針をアメリカが対応できないくらいの速さで回して真実を明らかにするのは、有能な政治家の務めではないか。
真実が明らかにされて、日本国民が目覚めるのはマヤで言う2012年か? 近いぞ!
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html#c12
コメント [医療崩壊3] 長妻大臣、大至急、この詐欺兼薬害事件を止めてください! - 子宮頸癌ワクチンは打たないで! 千早@オーストラリア
45. 2010年8月16日 20:35:11: UHMhHsVe7s
41です。色々レスありがとうございます。Wiki読みました。
Wallace vs. The Lancet Revisitedを期待したのですが、向こう岸からの反論が無いのがちょっと寂しい..
当時は天然痘が感染症であることが広く認知されていなかった上に、ジェンナーの種痘が1796年だから
20世紀に急速に発展した免疫学は当時は存在しなかったに等しいですね。この時代のワクチン接種はかなり
世間から怖がられていたのではないかと。反って天然痘を増やすのでは?という心配も、分かる気がします。
恐らく、年によって流行したりしなかったりする天然痘に関して、「ワクチン接種でこんなに減った!」等という
安易な論文も当時結構あったのでしょう。そんな風潮の中でWallace博士、ワクチン接種反対派に参入。
年によって流行の凸凹がある天然痘のワクチンの有効性を確認するには「統計は長期間のデータを使うべき」と。
で,出てきたデータがこれですね?(パンフレット)。The Lancetからの反論を読みたくて探したけど、
古過ぎてpast issueからは見つけられませんでした。こういう科学者同士の論争はいいなあ。読んでみたい。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/320.html#c45
記事 [環境・エネルギー・天文板4] 地球温暖化詐欺 


http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/491.html

コメント [経世済民69] Re:阿修羅板も落ちぶれたもんだねぇ。こんな幼稚園レベルの作文の間違いにすら気づけないなんてw 夏水仙
05. 2010年8月16日 20:42:19: esCwwEDcvQ
この投稿自体が幼稚園レベルの作文です。


http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/465.html#c5

記事 [憲法3] 太陽と月と〜私たちの憲法の人々の情熱〜
太陽と月と〜私たちの憲法の人々の情熱〜
http://www.geocities.jp/web_hp_all/taiyoutotuki/
http://www.youtube.com/view_play_list?p=05F0D6AA34CB0708

『太陽と月と〜私たちの憲法の人々の情熱〜』
http://michisan.ti-da.net/e3140496.html
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/277.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ58] 転載:暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!45
飄(つむじ風) 様ブログ
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/

8月16日記事
−暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!45−
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/08/123_6463.html

(以下に全文転載)

大きく変容した日航機123便墜落事故追求情報
ここに再開された(新)日本の黒い霧ブログ!!
情報の陳腐化は隠しようがない.......。
何故、隠されたか、読者はその先を行っている!! 第45弾

 理解を超える新情報に行き詰まっているのかも知れない。それは端でも感じられる。しかし、それらは読者よりもブログ主は、最新情報をいち早く入手しているはずである。その解釈を壁だというなら、確かに壁には違いがないが、真実を伝えるというのが本義ならば、解釈抜きで伝えることで済む。


 どうもそうではないようだ。

 ここに至って、兎も角公開されたことには、賛同と敬意を表する次第だ。又、安心もした。いろいろ事情があるようだ。それについてはここでは、言及しないでおこう。求めるのは真実だからである。それ以外の都合は、都合がある当該人に委ねよう。他人の介入するのはお節介の誹りを免れないからだ。


 講演会の情況も、それなりの情報で伝え聞いている。非常に整然とした講演会であったようである。それを知って安心した。


 どんなに衝撃的であろうと、真実は大事だ。そもそも、『日航機123便墜落事変』は、その事変たる事変の事由は、真実の隠蔽にある。その暴露の先鞭をつけた転載元ブログは、衝撃的であったし、尊敬もした。現在もそれは変わらない。故に、更新が続けられる以上、転載を続行したい。


 中断すれば、独自の追求を試みるまでだ。あらゆる情報を斟酌して、真実に迫りたい。これはまさに思想信教の自由の根幹である。人により、突破口は違うであろう。解釈・理解も当然の事ながら相違がある。これは仕方がない。しかし、真実は一つである。


 その真実が、少しずつ明らかになりつつある。これは確かだ。今、投稿者の解釈は別の所にある。しかし、まだ確認が必要だ。得心が入っているわけではないから、それを待つしかないが、その内、明確になるだろう。


 今は、(新)日本の黒い霧が、再開されたことを心から喜びたい。そして、当然、公開されるだろうと予想していた事柄が、公開されつつあることをこころから敬意を表したい。


 御巣鷹の謎は、アデンの海に何らかしら、共通する要因がある。それが明らかになるのはそう遠くない様な気がする。


【転載開始】
JAL123便墜落事故−真相を追う−悲劇から25年そして講演会その後
2010-08-12 23:48:51 | 日記
本日8月12日で、あの日航機事故からちょうど25年が経過しました。

犠牲になられました乗客乗員の皆様におきましては、謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

また、一切公式の記録に残されることなく、同じ日、同じ場所で他界された名も知れぬ皆様にも、お立場の違いにかかわらず、安らかに神の御許に迎え入れられますようお祈り申し上げます。


■講演会その後

早いもので講演会から3ヶ月が過ぎようとしています。その間、「何をしていたのだ」とやきもきされた読者の方も多かったかと思います。また、知人からは安否を心配する声を多数いただきました。

お詫びの言葉に代えて、私が今、この日航機事故もとい「御巣鷹事変」を調査する中で最大の壁に突き当たっていることをここにご報告いたします。


■オレンジ色の怪光

写真1をご覧ください。乗客の小川さんが撮影したものです。すでに「折れなかった垂直尾翼(1)」で触れていますが、○内の黒いシミのような点は、実際の写真ではオレンジ色の発光体として写っています。この情報は小川さんのご遺族と接触したイギリス人日航機事故研究家(本人の承諾を得てないので匿名とさせていただきます)とのやり取りで判明した事実ですが、何と、今月発売の「週刊現代」8月14日号に、オリジナルの写真が掲載されたとのことです。


写真1:小川さんの写真に写りこんだオレンジ色の発光体

これについては、とりあえず以下の点を疑問としてあげて起きましょう
・小川さんの写真が公表されたとき(1990年)、なぜオレンジ色の情報が消されたのか?
・何故、今になってオリジナルの画像がマスコミで公開されたのか?

5月の講演会で、私は、怪光の招待は、123便撃墜に向かった戦闘機(状況から考えられるのは旧ソ連のMIG25)を誘導するするための「発光弾」もしくは、「曳航式の発光体」だったのではないかとの仮説を提示しましたが、実は、その説明がかなり苦しいものであることは、私自身も自覚していました。国際軍事評論家B氏の意見もこの仮説に関してはかなり否定的です。

それでは、この怪光の正体は何だったのか・・・・

この3ヶ月、新しい資料がほとんど出てこない状況でありましたが、何とかその答え(またはその片鱗)を見つけつつあります。しかし、残念ながらまだ皆様に論理立ててご紹介できる状況ではありません。そこで、今回は、私がこの怪光を理解する上での最重要資料と思われる画像を、最小限の説明を付けて掲載いたします。


写真2:黒い焦げ跡。事故現場近くの傾斜地にてS氏撮影
    直径1m程度の真円。
    地中数10cm深く掘り進んでも炭化の状況は変わらず 
    そばに寄ると強いめまい
    現場周辺に複数の同様の焦げ跡
    ADGRAVATA AUTEM EST MANUS DOMINI SUPER AZOTIOS ET DEMOLITUS EST EOS ET
    PERCUSSIT IN SECRETIORI PARTE NATIUM AZOTUM ET FINES EIUS


写真3:事故現場で見つかったバナジウムを多量に含む金属片
    POSUIT QUOQUE IDOLUM LUCI QUEM FECERAT IN TEMPLO DOMINI


写真4:事故現場で見つかった特殊な部品
    AMEN AMEN DICO VOBIS ANTEQUAM ABRAHAM FIERET EGO SUM


■日航社内で根強いUFO撃墜説?

以下は日航に縁のある知人から伝聞情報なので、確実といえるような情報ではありません。しかし、それなりに意味があると思われるのでここでご紹介いたします。

「日航社内では123便の墜落の原因について主に2つの説が囁かれています。それは(1)米軍機に撃墜されたとする説、そして(2)UFOに撃墜されたとする説です。」

(2)のUFOによる撃墜などというのは、私も本ブログ「気になる怪説」シリーズですら取り上げなかった珍説奇説です。しかし、事故当事者である日航社内で今もってそんな奇説が語られ続けている事実に大きな意味があります。「人は何を知覚したとき、それをUFOと認識するのか?」その問いを突き詰めれば、オレンジ色の怪光は無視し得ない追求の対象となり得ます。

* * *

私がオレンジ怪光の正体を自信を持って説明できるとき、そのとき初めて「御巣鷹事変」の本質が人々に理解され、また私が「国営テロ集団」と呼んでいる組織の正体、そして、なぜ日本国政府や超大国が本件について沈黙を続けているのか、その真の理由が明らかにされるだろうと確信しています。

管理者 日月土

【転載終了】

(転載終了)
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/528.html

記事 [原発・フッ素6] 死の灰の内部被曝確認

http://www.asyura2.com/09/genpatu6/msg/621.html
記事 [音楽3] Focus - Elspeth of Nottingham

http://www.asyura2.com/10/music3/msg/268.html
コメント [お知らせ・管理18] 阿修羅♪運営費・システム開発&メンテナンス費カンパのお願い。 管理人さん
94. 管理人さん 2010年8月16日 21:17:04: Master
ペイパルにて
2010年8月14日 T-@様より 1,000円
2010年8月6日 MI@様より 10,000円
2010年8月5日 YO@様より 2,000円

郵貯にて
8月10日 NT様より 2000円
8月11日 KS様より 5000円
8月12日 MS様より 3000円
8月13日 MK様より 3000円
8月14日 OT様より 2000円

カンパを受け取りました。本当に助かります。ありがとうございます。

★阿修羅♪掲示板の運営費用として大切に使わせていただきます。


開発者Bの7月の外注費明細
7/1/10 投稿数カウント機能一部変更 1
7/2/10 記事・コメント一覧機能 0.5
7/4/10 記事・コメント一覧機能 2
7/5/10 記事・コメント一覧機能 4
7/6/10 記事・コメント一覧機能 4.5
7/8/10 記事・コメント一覧機能 2.5
7/9/10 記事・コメント一覧機能 8.5
7/10/10 記事・コメント一覧機能 5
7/10/10 コメント投稿メール通知機能 2.5
7/11/10 記事・コメント一覧機能 3.5
7/12/10 記事・コメント一覧機能 0.5

合計 34.5時間 60,375円

開発者Bさんには、実はもっといろいろと作業のお願いをしているのですが、
彼の本業がいそがしいらしくなかなか時間がとれないようです。
メンテナンス作業がメインになりました。


お盆も過ぎました。
クーラーが苦手な私ですが、ここまで暑いとクーラーが効いた部屋に移動したりしてます(^_^)

http://www.asyura2.com/09/kanri18/msg/759.html#c94

記事 [昼休み41] 「毎日、特捜部が意向尊重」(小泉ハゲタカ一派が異動した検察は、審査会が八百長だと思われている事に気付いたようです)
810 :無党派さん:2010/08/16(月) 20:18:02 ID:ZOWmBVm2
<陸山会事件>小沢氏聴取は民主代表選後 特捜部が意向尊重
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100816-00000039-mai-soci

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/576.html
コメント [経世済民69] 私有財産とは何か? 地には平和を
75. 最大多数の最大幸福 2010年8月16日 21:24:59: d1qFhv8SE.fbw: QuVXQrYy3o
>ベーシック・インカムを実現できれば公務員は少なくてすむだろう。

 その通り。

 政府は毎年100兆円徴税して、国民ひとり・ひとりに
 年間100万円ぐらいを支給すればよい。

 これで、最低限は生きていけるという安心感が得られれば、
 自然と消費も伸びて、景気も良くなるだろう。

 そして、無理矢理、不必要な公共事業をやって、
 雇用を作り出すことも要らなくなるから、当然、
 公務員は少なくて済む。

 損をするのは、ベーシックインカムの受け取り額よりも
 納税額の方が多くなる、金持ちだけ。

 貧乏人のくせに、ベーシックインカムに反対する人は、
 アホだと思う。
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/486.html#c75

記事 [社会問題7] 熱中症で76歳男性死亡、電気代払えず(TBS News)
熱中症で76歳男性死亡、電気代払えず(TBS News)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4503292.html

 15日午後4時20分ごろ、さいたま市の住宅で「父が布団の上で倒れている」と同居していた48歳の長男から119番通報がありました。消防が駆けつけると、無職の76歳の男性が布団の上で熱中症により死亡しているのが見つかりました。

 警察によりますと男性は長男と2人暮らしで、2人は年金だけで生活をしていて、10年以上前から電気代が支払えなかったためクーラーがあっても使えない状態だったということです。(16日18:27)


http://www.asyura2.com/09/social7/msg/879.html

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